六連星(むつらほし) (西風 そら)
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序章
飴色の跳ね駒・Ⅰ


 
ようお越し下さいました
お茶はアッサムで宜しいか

『緋い羽根のおはなし』から続いて旅をしていますが、まったく別のお話が始まるので、
前作未読でもぜんぜんOKです

全71話、約25万文字で完結




 

 

   

 

 シンリィにとって

 この世のヒトは三種類

 

 好きなヒト

 大好きなヒト

 知らないヒト

 

 

 

 ***

 

 

 

「シンリィ、こっちこっち」

 

 両手一杯の焚き木を抱えた子供が声に反応し、向きを変えて歩き出す。

 が、藪を越えようとした所でジタジタと足踏みを始めた。

 背中の緋色の羽根が棘(いばら)に引っ掛かっているのだ。

 

「あぁ―― もぉっ」

 組んでいた釜戸を放り出し、白い綿帽子頭の男の子が、そちらに走る。

「ちょっとは気を付けろよ、羽根がますますボロボロになっちまうだろ」

 

「せめて綴じていられればねぇ」

 赤っぽい黒髪の背の高い男の子が、天幕を張りながら苦笑する。

 

 二人とも彼の羽根が大好きなのだが、当の持ち主は無頓着なのだ。

 

 ここは、三峰(みつみね)から遥か南、三日月の湖を擁する森。

 草原地帯と乾燥地帯の境目。

 少年三人は、今日はここで夜営をする。

 

 彼らの持つ地図には、ここから先が記されていない。

 地図を貸してくれた三峰のイフルート族長は、若い頃冒険家だったが、砂漠地方は未踏だったのだ。

 

「楽しみだよね」

「族長さんにお土産話を沢山持って帰ってあげるんだ」

 

 黒髪のヤンと白毛のフウヤは、十二と十歳。

 狩猟民族三峰の子供で、狩りが暇になる冬の間、族長の許しを得て旅に出ている。

 目的は、『己が眼(まなこ)で広い世界を見て聞いて、色んな事を知って行く』事。

 

 対して、草原に住む蒼の妖精シンリィは、八歳くらい。ふとした事で二人と知り合い、蒼の里の近くで再会した時、二人の馬にしがみ付いて離れず、旅に着いて来たがった。

 目的? 分からない。だってこの子は……

 

「シンリィ、それ取って、そうそれ」

「こっちギュッてしてて、シンリィ、ここ」

 

 この子は『言葉』を使わない。

 喋れないとか耳が聞こえないとか、覚える力がないとかとは違って。

 『言葉』という物が、この子供の世界に存在しないのだ。

 

 彼の友達のジュジュという少年が、そう説明してくれた。

 最初要領を得なかった二人だが、一緒に旅してみたら、すぐ慣れた。

 この子供は、やって見せれば作業を覚え、表情でだいたいの意思を汲んでくれる。

 寧ろ言葉を選ばなくて済むって、楽。

 

「もっと食べろよ、シンリィ、だからいつまでも痩せっぽちなんだぞ」

 

 焚き火を囲んでの夕食。

 シンリィは、はなだ色の丸い瞳を更に丸めて、ヤンに差し出された骨付き肉を受け取る。

 そのまま、それをフウヤに突き出した。

 

「いや、そうじゃ……」

 二人とも苦笑い。

 シンリィのもう一つの習性(と言うのか?)、何かというと、他人に物をくれようとする。

 相手が欲しがっているかとか関係なしで。

 

「そういえばフウヤもちんまいもんなぁ」

「ちんまいって言うな」

 

 ただ自分があげたいと思った物を、ひたすら差し出して来る、この羽根の子供は。

 受け取ってあげると、この子にとっては終了で、後は知らんぷり。

 フウヤが食べるかどうかまで突き詰めない。

 まぁ、そういうのにも慣れた。

 

 そんな感じで三人の子供は、結構楽しくやっていた。

 

 

 

 

 早朝の湖上を、白蓬(しろよもぎ)色の馬が舞う。

 鞍上は、目一杯羽根を広げたシンリィ。

 

 山の民(ハイランダー)であるヤンとフウヤの馬は、彼らの地方で繁殖される、人間の馬に近いタイプだが、風の妖精シンリィの駆る馬は、草で編まれた空飛ぶ馬だ。

 この朝の馬のひと運動の時だけ、いつものドン臭いシンリィは一変する。

 

「岩ツバメみたい」

「よく乗っていられるな」

「ヤン、まだあれに乗ってみたい?」

「いやもう沢山」

 

 二人とも、過去に成り行きで草の馬に跨がって、エライ目に遭った経験がある。

 

 特にヤンは、幼少時から、空に草の馬を見掛けては飛ぶ事に憧れていたのだが、風の妖精だって長年の修練の末やっとまともに飛べるようになるのだと聞いて、潔く諦めた。

 遠くから見て羨ましがっているのと、実際に乗るのは大違いだった。

 それも彼が旅に出たいと思った理由の一つだ。

 

 

 朝食の準備をしがてら天幕を畳んでいると、草の馬が梢を掠めて降りて来た。

 羽根の子供は、黄色いアダンの実を抱えている。

 

「お、シンリィ大手柄だな」

 ヤンは実を受け取って、房の一つを剥がした。

「何それ美味しいの?」

「当たり外れがある……うん、甘い、当たり当たり」

「ホント? わぁ、いい匂い」

 

 少年二人で味見をしている横を通り過ぎ、シンリィは水筒を拾って、湧き水のある藪に入って行った。

 水を調達してお茶を入れるのは、シンリィの分担なのだ。

 

「あ、馬も食べるかな、アダン」

「あげてみる?」

 二人は、三頭の馬を繋いでいる方を振り向いた。

 

「!!」

 

 目が合った! びっくりした。

 藪から覗いている者が居たのだ。

「だっ!」

「誰っ!?」

 

 目深に被っているターバンで顔はよく見えないが、この地方特有の飴色の肌。

 その者は問い掛けに答えないで、やにわに藪を飛び出し、次の一歩で白蓬に迫って繋ぎ綱を引いた。

「あっ、コイツ!」

 

 馬を扱う民族の定石で、馬がどんなに引っ張ってもビトともしないが、反対側から引くと簡単にほどける結び方がある。

 それを知っているって事は、普段から馬を扱い慣れた者だ。

 そいつは……フウヤと背丈の変わらない子供だったが……綱を掴んだまま、足元の灌木を蹴って白蓬の背に飛び付いた。

 

「あ――あ」

 ヤンとフウヤは溜息を吐いて、身を守る体制で後ずさった。

 案の定、白蓬は怒って、物凄い勢いで暴れ始めた。

 

 実はこういう事は初めてではない。

 シンリィが馬を飛ばすのを遠目に見て、空飛ぶ便利な馬だと勘違いして手を出して来る輩は、これまでもちょくちょくいた。

 草原を離れて三峰の反対側まで来てみると、蒼の一族を知らない部族の方が多い。

 この子供は、単に乗ってみたくなっただけだろう。

 

「その馬は飛行術を掛けないと飛べないんだよ、危ないから下りて!」

 後ろ蹴りをブンブン振り回して来る白蓬を避けながら、ヤンが声を張った。

 

「お――い、今落ちてしまわないと、その馬容赦を知らないから、どうなっても知らないよ」

 フウヤも脅し気味に言うが、背中の子供は悲鳴も上げないで、思いの外頑張ってしがみ着いている。

 腰のやたらとデカイ剣がバタバタと背に触れて、それが馬を余計に苛立たせている。

 

 このままだと本当に危ない。

 白蓬のヤバさを身を持って知っているヤンは、無理に前に回って馬の気を反らせようとした。

 

 が、興奮した馬は繁みに突っ込んで、立ち木の中を暴走し始めた。

 背中の無礼者を枝にぶつけてこそぎ落とす気だ。

 

「は、早く飛び降りて! その馬は風の妖精でないと飛べないんだってば!」

 

 突進する先に、頑丈そうな枝を張った大木。

 危ない――――!!

 

 ――ザザザザ、ヒュオッ!!

 

 少年二人は我が目を疑った。

 暴走していた馬が、そのまま浮き上がったのだ。

 そして目前の大木の幹を縦に駆け上がり、梢を突き抜けて大空へ飛び上がった。

 

「う、嘘だろ!」

「シンリィ、戻っているのか?」

 ヤンが周囲を見回すが、羽根の子供はいない。

 シンリィが関知していない所で、白蓬が飛んだ?

 二人は茫然と空を見上げた。

 

 朝の筋雲に交わるように、白い馬が放物線を描く。

 背中の子供が興奮した仕草で身を起こし、ターバンがほどけて飛んだ。

 豊かな碧緑の髪が波打つ。

 

「ど、どうしよう……」

 主が居ない間に、馬を誰とも分からない子供に乗り逃げされてしまった。

 自分達では捕まえに行けない。

 

「とにかくシンリィに知らせて来る」

「そうだね、……あっ!?」

 

 空を見ていたフウヤが声を上げた。

 白蓬がいきなり首を下げて、急降下を始めたのだ。

 馬上の子供は慌てている。

 

「地上にシンリィを見付けたのか」

「そだね、めっちゃ尻尾が上がってた」

 

 二人が待っていると、程なく、白蓬を引いたシンリィと、たんこぶを作った子供が、藪から出て来た。

 

 

 ***

 

 

「あのさ、馬泥棒のくせに、何でそんなに態度がデカイ訳?」

 

 腕組みしたフウヤがねめつけるが、子供は負けずに睨み返す。

「泥棒と違う。ちょっと借りようと思っただけだ」

 深みのある飴色の肌に、ツンと突き出た唇が印象的な、南方の子供。

 訛りはあるが、話す言葉はだいたい同じだ。

 

「ああ、動かないで」

 ヤンは、見事な碧緑の髪をかき分けながら、たんこぶの手当てをしている。

 

「着地で馬の背峰におでこをぶつけるような下手クソの癖に」

「暴れる馬に近寄れもしないへっぴり腰な癖に」

「ああもう、とにかく落ち着いて」

 

 当の被害者のシンリィは、のほほんと、お茶を沸かしてカップに振り分けている。

 

「ねぇ、とにかく君、何処の誰なの? 一人? 大人のヒトはいないの?」

「…………」

 子供はギュッと口を結んで、ヤンは困り顔になった。

 下げている剣はやたら大きいが、言動や身のこなしは幼い。

 『子供のなりをした歳長けた妖精』って訳でもないんだろう。

 放って行ってもいいのだが、この子は頭を打っているし、馬泥棒の事はさて置いても、出来れば保護者に送り届けたい。

 

「ねぇ、君、名前だけでも」

「子分になったら教えてやる」

 

「はぁ?」

 立ち上がりかけるフウヤを、ヤンが押さえた。

「子分になるって、どうすれば君の子分になるの?」

「そうだな、子分は親分に、貢ぎ物を捧げるんだ」

 

「ふざけ……」

 フウヤが言う前に、ヤンがお茶のカップを差し出した。

「はい、じゃあ貢ぎ物」

「…………」

「生姜が入っているから暖まるよ。シンリィはお茶を入れるのが上手いんだ」

 

 子供は湯気の立つカップを戸惑いながら受け取って、上目で三人の少年を見た。

 カップが三つしかないので、お茶を入れた羽根の子供は、薄い皿ですすっている。

 

「ちぇっ」

 フウヤが朝食用の堅パンを半分に割った。

「食えば?」

 

 子供は黙ってパンとカップを見つめている。

 

 と、それを見ていたシンリィも立って、ホテホテと子供の前に来た。

「な、なんだょ・・」

 背中の羽根を引っ張り、中頃から小さい羽根を一本抜いて差し出す。

 

(わぁ……)

 ヤンは内心冷や汗をかいた。

 自分やフウヤはシンリィの羽根が大好きだけれど、初対面の者にとっては下手したらゴミだ。

 目の前で邪険に扱われたら嫌だな……

 

 子供は、真っ白な白目の中のオレンジの瞳を寄り目にして、小さい羽根をじっと見た。

 それから茶とパンを膝に置き、両手で羽根を受け取って、おもむろに上衣の胸の刺繍に絡ませた。

 

「どうだ?」

 

「えっ、ああ、似合う似合う」

「うん、いいんじゃない?」

 

 そう、こんな風に時として、魔法とも言えない程のささやかな、『何か』を見せてくれるこの羽根が、二人の少年は大好きなのだった。

 

「……ルウシェル」

 

 面食らう少年達に向き直って、子供は顔を上げた。

 夕陽のように鮮やかな明るいオレンジの瞳。

 

「西風のルウシェル。ルウって呼んでくれていい」

 

  

   ***

 

 

 

 知らない子

 でも怖くない

 

 だってこの子の事は、きっと大好きになる

 

 

 

 

 




挿し絵: ヤンの馬 
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飴色の跳ね駒・Ⅱ

  

 

「そんで話を戻すけれど、何で馬泥棒なんか……」

 

 シンリィがビクッと揺れて、フウヤの言葉は遮られた。

 次いでヤンも素早く石弓に手を掛けた。

「どうし……?」

「シッ!!」

 

 ――ペキペキ

 

 ――ズッ、ズッ、ズッ・・・

 

 灌木の枝を押し潰しながら、森の中を、質量のあるモノが移動している。

 

 四人の背後、繁みの揺れが、遠くから近付いて来る。

 

「何、何なになにナニ・・??」

「フウヤ、黙って」

 

 木の隙間から赤黒いヌメヌメが見えた。

 フウヤが悲鳴を上げそうになって、慌てて自分の口を押さえる。

 

「……砂ミミズだ」

 ルウシェルが、前のめりになって小声でささやいた。

 地元民だけに、知っているようだ。

「危険なの?」

 ヤンも前にのめって、顔を近付けて聞いた。

 

「凶暴じゃないけれど、好奇心が強いって聞いた。えっと……目と耳が無くて触覚に全振りしているから、刺激を与えず、ジッとしてやり過ごすのがいいって」

 

「り、りょーかい」

 

 フウヤも神妙に頷き、ヤンは静かに屈んで焚き火に砂を被せた。

 シンリィも三人に倣って、身を固くしている。

 

 ――ズズズ、ズッ

 

「でか……」

「フウヤなんかひと呑みにされそうだな」

「やめてよ……」

 

「確か雑食の筈。口は小さくて、虫とか木の実……アダンの実なんかが好物らしい」

 

「「え゛・・」」

 

 少年二人は、さっき食べかけていた実をどこへやったかと頭を巡らせた。

 馬泥棒を見付けて、放り出して……

 

 おそるおそる振り返ると、黄色い実は自分達の座るすぐ後ろに落ちていたが、何だか微妙に動いている。

 繁みから伸びた白い糸のような物が、うにょうにょと実を引き寄せているではないか。

 

「うへっ、気持ち悪・・」

 

 おそらくミミズが頭部から伸ばしている触手。

 アダンを感知し、ミミズは移動を止めていた。

 

「ど、どうする……」

 

「あれを食べ尽くして行ってくれるのを待つしか……うぁっ」

 いつの間に伸びて来た触手が、ヤンの足首に触れていた。

「冷たい、っていうか、痺れるっ、痺れるっ、痛いっ」

 

「毒持ちかよっ」

 

 フウヤが燻っている薪を掴み、ヤンの足に張り付いる触手を焼き切った。

 

 プァッと空気を吐いて、ミミズが頭を持ち上げる。

 丸い口の周囲から放射状に突き出る髭のような触手。

 それらが一斉に伸びてこちらを向いた。

 

 

「ミミズ野郎、こっちだ!!」

 

 ルウシェルが叫んで、薪をカンカン打ち鳴らしながら、駆け出した。

「お前らは、そぉっと遠ざかれ!」

 

 ミミズは空気の振動に反応して、ルウの方へ進み出す。

 デカイ図体の癖に足が早い。

 

 ヤンが身を低くして石弓をつがえた。

「フウヤ、頭をこっちに向かせて!」

 白い子供は、持っていた薪の燃えさしをミミズの後ろ頭に投げ付けた。

 

 ――ボアッ

 

 ミミズは、空気を吐いて、二人の少年を振り向いた。

 その開かれた口に矢がぶち込まれ……

 

 ――ミチッ!・・

 

 瞬時に触手が束となって、急所を覆う。

 ポトリと落ちた矢は、木の部分が溶けて湯気を上げている。

 

「マジかよっ」

 

 シンリィはそれを見て、今更身震いして後ずさる。

 

「お前ら、逃げろって言ったろっ」

 ルウシェルが離れた樹上から叫んでいる。

 

「僕らは最終武器を持っている。君こそ逃げろ」

「親分が子分を置いて逃げられる訳ないだろ!」

 

「こっちだって女の子を囮に置いて逃げるなんてカッコ悪い事、出来る訳ないだろ!」

 

「ええっ女のコっ??」

 

「分かんなかったのかよ、フウヤ」

「知らないよそんなの……ぁあっ、ヤン、たんこぶ診るふりして上から覗いたでしょっ!」

「見えただけだっ!!」

 

「うるさぁいっっ!!」

 

 枝の上のルウシェルが顔を真っ赤にして衿元を押さえながら、地団駄を踏んでいる。

「私はお前らの親分だ! 親分は子分を守る物なんだ! とっとと逃げろ! おいミミズ、こっちだこっちだ!!」

 

 ミミズは、薪で幹を叩く振動の方を選び、再びそちらへ動き出した。

 ルウシェルは剣を構えて迎え撃つ。

 

 

 

「は――い、そこまで――」

 大人の男性の声がして、彼女の後ろから大きな手が剣の柄を引ったくった。

「僕の剣を返して貰いますよ」

 

 ――吹き上げろ

 

 その青い巻き毛の青年が、呪文を唱えて剣を振り上げるや、圧風が触手を押し返した。

 ミミズは、粘性のある触手の先が頭に貼り付いて、困ったようにモゾついている。

 

「探しましたよ、ルウシェル様。まぁ、説教はこいつを始末してからです」

 青年は剣を構え直す。

 

 地上のヤンとフウヤは戸惑った。

 いま現れた飴色の肌の青年は強そうで、自分達は助かったっぽいけれど、ルウシェルが思いっきり嫌な顔をしている。

 

「待って、シド・・」

 

 少年二人は今度は傍らを見て飛び上がった。

 まったく気配も無しに、そこにも一人の大人が立っていたのだ。

 天性の狩猟の民で察知力に自信のあるヤンですら、気付けなかった。

 

「まだ、鎮められるから・・」

 

 樹上の青年と比べて色素が薄めのその青年は、青銀の長い髪に魔力を孕ませながら、手にした錫杖(しゃくじょう)で地を打った。

 

 ――リィン・・

 

 空気の波紋が広がる。

 

 音の力の密度が、ヤンにもフウヤにも伝わった。

 シンリィも珍しく目を丸くしている。

 

 ――リン・・リン・・

 

 錫杖が空気を揺らす度にミミズは頭を下げ、触手を体内に戻し始めた。

 

 先の青年がルウシェルを連れて下りて来た。

 アダンの実を拾って、勢いを付けて森の奥へ放り投げる。

 実は風に乗って遠くまで飛び、ミミズはそれに反応して、付いて行った。

 

 

 赤黒いカタマリが木々の向こうへ遠去かり、フウヤがヘナヘナと座り込んだ。

 

「怖かったぁ」

 

「あの、ありがとうございました」

 ヤンが二人の大人に頭を下げた。

 

 二人は、ルウシェルを両側から囲んで、堅い表情をしている。

 

「ルウシェル様、この子供達が、貴女の家出の手引きをしたんですか?」

 

「ち、違うっ」

 女の子は慌てて否定した。

「砂漠の旅商人の馬車に乗せて貰ってここまで来たんだ。こいつらは、今さっき出会ったばかりで……」

 

「そうですか……・・ぇ??」

 改めて少年達を見た巻き毛の青年が、後ろでのっそり立ち上がった子供の羽根に、今初めて気付いた。

「そっ、その子、羽根っ……蒼の妖精っ?」

 

 ヤンとフウヤは嫌な記憶が蘇って、身構えた。

「そうですけれど、なにか?」

 世界には色んなカタチのヒトがいるけれど、羽根はやっぱり珍しいらしい。

 羽根に妙な誤解を持った大人達に追い回された経験が、彼らにはあるのだ。

 

 錫杖の青年が、何も言わずにスゥッとシンリィに寄った。

 二人の少年が立ち塞がる。

 

 が、彼はお構いなしに、屈んで二人の隙間からシンリィの目をじっと見た。

 

(ヤバイ!)

 ヤンは咄嗟にシンリィを引っ張って、身の後ろに隠した。

 ミミズを鎮めた様子からして、このヒトは多分、精神系の術使いだ。油断してはならない。

 

「蒼の妖精? やっぱりあれ、草の馬だったのか!」

 ルウシェルが肩を捕まれながら叫んだ。

「蒼の里へ行きたいんだ! 草の馬なら飛んで行けると思ったんだ。この近くなのか? なぁ、場所を教えてくれよ!」

 

「駄目です、何度言ったら分かって下さるんです。貴女を西風の里の外へやる訳には行きません」

 巻き毛の青年が掴んだ指に力を入れる。

 

「だって、シド達は子供の頃、蒼の里に留学したって言っていたじゃないか。何で私はダメなんだ」

「貴女が大切な長様の一人娘だからです。僕達とは違います。元老院でそう決まったのだから、納得して下さい」

「納得出来なぁい! 馬まで取り上げて他所にやっちゃうなんて、あんまりじゃないか!」

 

 ヤンとフウヤがピクンと揺れた。

 

「貴女が何度も何度も家出をなさるから……痛い、イタイ」

 暴れる女の子に体当たりされてシドが往生していると、青銀の髪の青年が側に寄り、腰を屈めて彼女を覗き込んだ。

 

「ルウシェル様」

「何? ねぇ、ソラは分かってくれるだろ。私は蒼の里へ行って、もっと色んな世界の勉強をしたいんだ」

「勉強は家庭教師の僕が教えます。蒼の里で学んだ知識は全て頭に入っています。不足は無い筈です」

 

「ここまで来たんだ、ちょっとの間でいいからさ、ソラァ……」

 

「蒼の里はまだまだ遥かに遠くです。子供の貴女に行き着くのは無理ですよ」

 

「だってあの子達は……」

 

 ルウシェルは少年達の方を見て止まった。

 今さっきまで居た彼らがいない、馬も荷物も無い。

 青年二人も一瞬呆けた。

 

(置いて行かれた……)

 ルウシェルは世にも寂しい気持ちになった。

 

 

 ――パン! パパパン!!

 

 いきなり周囲で何かが爆(は)ぜた。

「ええっ!?」

 白い煙、

 目に染みる刺激臭。

 

「うわっ」

 男性達も顔を覆って、女の子から手を離した。

 

「行っけぇ! シンリィ!!」

 

 白い髪の少年の叫び声。

 同時に、ルウシェルの肩を、小さい手が上から掴んだ。

 彼女は躊躇せずにその手にしがみ付いた。

 次の瞬間、体重が無いみたいにフワリと上に放り上げられる。

 

「わ・・!」

 視界が開くと、ルウシェルは大空の真ん中に居た。

 跨がっているのは、先程の白っぽい草の馬。

 後ろで膝立ちになって手綱を握るのは、羽根をくれたあの子供。

 

 さっきと全然違う。

 速い、速い、羽根が生えているみたいだ。

 と思ったら、後ろで子供が羽根を目一杯左右に広げている。

 風切り音が耳を震わせて後ろに飛んで行く。

 ああ、燕になったみたい……

 

 

 地上の男性二人は、まだ刺激臭の漂う中で、茫然としていた。

 離れた左右に、二人の少年の騎馬。

 

「あの、すみませんでした。恩人にこれ以上『唐辛子玉』を見舞いたくないので、行かせてあげて貰えませんか」

 

「君ら……」

 

「ヤン、ダメだムリだって決め付けて馬を取り上げるような大人なんか、何を言っても通じないよ」

 

「フウヤ、部族それぞれの事情があるんだから…… えと、僕ら、蒼の里の方から来たんです。ちゃんとあの子を蒼の里まで送り届けますから」

 

「そゆ事、じゃあね」

 

「待って!」

 錫杖(しゃくじょう)の青年が呼び止めた。

 

「なぁに? まだ唐辛子玉を浴びたい?」

 

「教えて欲しい。あの羽根の子供の両親の名は?」

 

 ヤンとフウヤは、離れた両側で顔を見合わせた。

「名前は知りません。両親は亡くしていて、叔父さんに育てられていると聞きました」

 

「そ、その叔父さんの名前は分かるか?」

 

 二人とも、何でそんな事? と首を傾げたが、青年は真剣な表情だ。

「さあ、名前までは……」

 

「ナーガさん」

 フウヤがキパッと答えて、ヤンはびっくりした。

 

「ナーガ・ラクシャってヒト。もういい? ヤン、行こう」

 

 少年達は両側に別れて森を駆け去った。

 

 

 残った二人。

 

「……ソラ」

 

「あの子供、綺麗なはなだ色の瞳をしていたんだ。あまりに懐かしくて、つい見入ってしまった」

 

「やはり亡くなってしまったのか、あのヒト達…… 薄っすらと風の便りでは聞いていたけれど、改めて正確に知ってしまうと、厳しいな……」

 

「僕らを最初に蒼に里まで連れて行ってくれた、あの二人。ここであの子達みたいに焚火をしたよな。僕はあの時の旅を、生涯忘れない」

 

「うん……」

 

 二人は、子供達を追うでもなく、そこに佇んでいた。

 

「で、ソラ、どうするか」

 

「あ、ああ……うん、取り敢えず長様に報告して作戦会議だ。慌てる事もないと思う。あの黒髪の年長の方の子はしっかりしていそうだったし」

 

「何だか僕らばっかり嫌われ損じゃない?」

「はは・・」

 

 ソラは、白い馬が急降下して来た場所に落ちていた、一枚の緋い羽毛を拾い上げた。

 

「いいじゃないか、ルウシェル様が家出してくれたお陰で、あのヒト達の子供に会えたんだ」

 

 

 

 

 

 

 




挿し絵:フウヤの馬 
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飴色の跳ね駒・Ⅲ

  

 

 

「へぇ、じゃあ、『西風の一族』って、風の妖精の仲間なんだ」

「それで飛行術も使えたの?」

 

「ああ、私が生まれる前は、蒼の里とも結構交流があったって聞いた。だけれど、『飛行』って全然違うんだな。私はまだまだ下手クソだ、あんな風になんて、とても飛べない」

 

 逃げた三騎が合流したのは、前日にアケビを採りに寄った谷。

 蔦(つた)が覆って身を隠すのに良さげだったので、集合場所に決めた。

 シンリィにはアケビを見せたらすぐに理解した。

 

 四人は取り敢えず蔦の下に潜り込んで、これからの相談を始めた。

 

「あ、でも、西風の妖精でも、シドの飛行術は凄いんだ。蒼の妖精の一番上手いヒトにも負けていないって母者(ははじゃ)が言っていた」

 

「ふむ、じゃあ、上空から探されたら一発で見付かるよな。西風の妖精は夜目は利く?」

「あんまり得意じゃないと思う」

「じゃあ夜を待ってこっそり移動しよう。今の内に食料を調達して来るよ」

 

 ヤンが立ち上がり、マントを裏返して目立たない色にして、谷へ降りて行った。

 シンリィも真似をしてマントを被り、ホテホテと着いて行く。

 

 残った女の子はモジモジした。

「その……草の馬をちょっと貸して貰うって訳には行かないのか? お前らはこれから反対方向へ旅する予定だったんだろう?」

 

「う――ん……」

 フウヤは腕組みする。

 貸すのはあり得ないが、シンリィが二人乗りでこの娘を送ってひとっ飛びして戻って来る、って手もあるんだよな。

 白蓬なら多分、片道一日か二日もあれば蒼の里まで行き着けそうだし。

 でも……

 

「ね、あの髪の長い術者のヒトに『貴女には無理です』って言われた時、悔しくなかった?」

 

 女の子は目を見開いて、喉をグッと鳴らした。

「く、悔しいよ。ソラはいつだってそうなんだ。でも、正論しか言わないから、説き伏せられてしまう」

 

「無理じゃない事を証明すれば、もうそんな事を言わせずに済むじゃん」

「・・!!」

 

「ルウシェルの能力だけで、頑張って蒼の里へ行き着くんだ。そうしたら留学も認めて貰えるんじゃない? 少なくともナーガさんはそういうの大好きだから、ヘラヘラして受け入れてくれるよ」

「……ヘラヘラ?」

「ね、僕らも一緒に行ってやるからさ」

 

「で、でも、お前らの旅は……」

 

 

「喜べ! ホロホロ鳥が捕れたぞ」

 藪が揺れて、オナモミだらけのヤンとシンリィが上がって来た。

 丸々とした野鳥と、あと大量のヤマブドウを抱えている。

「煙は出せないから、焼くのは薄暮まで待ってくれ。……ん、何の話をしていたの?」

 

 フウヤの微妙な目配せで、ヤンは女の子に向き直った。

 

「まさか、僕達と行きたくないとか言っているんじゃないだろうね? それは困る。あの大人達に『君を送り届ける』ってカッコ良くタンカを切ったんだ。そもそも君を拐った時点で、僕らには責任が生じちゃってると思うんだけれど。どう? フウヤ」

「うん、さすがうちの正論番長」

 

 女の子は目を丸くして口を結んだ。

 何だかどちらにしても正論で説き伏せられているような……

 

 シンリィはすまして、ヤマブドウの房を彼女に差し出した。

 

 

 ***

 

 

 ルウシェルは、何にでも驚いて感激する娘だった。

 

 野鳥の羽根むしりなんてやった事ないと言いつつ、教わって神妙に挑戦した。

 小さな焚き火で頭を突き合わせて食べる焼き肉を、世界一のご馳走だと何度も讃えた。

 

 ヤンの夜目の利き具合や、フウヤの身軽さ、野営の空の高さ、鳥の飛び立ち、霧の中の花の鮮やかさ……何にでもいちいち感動した。

 女のコに見えるようにとフウヤが編んでくれた三つ編みにすら感動した。

 

「どんだけ箱入りだったんだよ」

「元々が素直で真っ白い娘なんだろ。フウヤ、変な事教えるなよ」

「誰が!」

 そんな事を言いながらも、虫だらけの野営や、馬を下りての険しい岩場も弱音を吐かずに着いて来る娘を、二人もだんだん応援する気持ちになって行った。

 

 何で親分子分って、そんなにこだわったの? と聞いたら、『父者(ててじゃ)の教えだ!』と、ルウシェルは胸を張って答えた。

 彼女の父者(ててじゃ)は、子分が一杯いて、何だかしょっちゅう『子分を守る為』に喧嘩をしているらしい。

「滅茶苦茶強くてカッコ良いんだ。だから私も父者みたいになるのが夢だ」

 

「そ、そう……」

 どんな所なんだ、西風の里……

 でもこの娘(こ)にとっての『親分』が、他人を従わせたがるのではなく、ただのヒーロー願望だったのに、ホッとした。

 

 

 そうして、三日目の明け方に森を抜け、山麓の大きめの街に辿り着いた。

 幾つかの通商ルートが交差する土地で、ヒトや物資が賑やかに行き交っている。

 

「ヤン、ここまで来たら昼に移動しても大丈夫でしょ。とっとと食料だけ仕入れて、明るい内に先に進んで置こうよ」

「うん、でも、ここでルウの馬を調達したいなと思って」

 

 ヤンの提案に、ルウシェルは顔を輝かせた。

 三頭の馬に順番で二人乗りさせて貰っていたのだが、これで『自力で旅をした』と胸を張って言えるだろうかと、モヤモヤしていたのだ。

 

「でも、資金が……」

 ルウシェルは一所懸命自分の身体中を探した。

 少しの銅貨に、地味な腕輪とチョーカー……ケバケバした装飾品は嫌いだったし、そもそもが西風はそんなに裕福な部族ではない。

 

「これはどうだ? 琥珀のピアス」

「う――ん、馬一頭って言うと厳しいかも。取り敢えず、商人さんの所へ交渉に……」

 

「ああぁ――――っ!!」

 

 ルウの絶叫に、少年達と周囲の通行人も、びっくりして振り向いた。

 目の前で、到着したばかりの家畜商が、街に入る手続きをしている。

 

「その馬! その馬ぁ!!」

 商人の連れている幾頭かの馬の中の、小柄なブチの馬にルウは突進した。

 

「お嬢ちゃん、危ないよ」

 商人の助手が、女の子の脇をヒョイと抱える。

「この子の親御さんは何処だ? 子供が馬に蹴られてもいいのか!」

 

「あ――、すみません、一応僕が保護者です」

 ヤンが手を挙げて進み出た。

「ルウ、どうしたの?」

 

「これ、西風の馬だ。その粕鹿毛、間違いない、私の馬だ。私の……」

 ルウは真っ青でワナワナと震えている。

 

「ええっ、取り上げられたって奴?」

 フウヤも驚いて馬を見た。

 明るい鹿毛に、白い染料を振り撒いたような斑点。

 言われてみれば、全体的に細身で飛節が妙に長く、他の馬とシルエットが違うような……

 

「ああ、確かに『西風の馬』って言っていたな」

 助手があっさりと言った。

「でも、うちの旦那が買ったんだからうちの馬だよ、お嬢ちゃん」

 

 ルウは、素早く彼の腕を掻い潜って、馬の首に抱き着いた。

 馬は驚いた目を見開いた後、すぐに嬉しげにクルクルと喉を鳴らし、鼻を押し付けて来た。

 

(酷い! 取り上げたばかりじゃなく、他所へ売り払っちゃうなんて!)

 フウヤは後ろで眺めていて、胸が苦しくなった。

 自分が黒砂糖と生き別れにされたらと考えると、心底ゾッとする。

 

「あぁ……」

 助手も困り顔だ。

 家畜商をやっていたら、こんな光景は茶飯事なんだろう。

 

「どうした? 子供を近付けちゃいかんだろ」

 手続きを終えた親方商人が戻って来た。

 

「商人さんや、あの馬、あの子供の愛馬だったらしいよ。偶然会ったみたいだし、ちょっと位大目に見てやれんかね」

 親切な通行人が声を掛けてくれた。

 

「愛馬は分かるが、馬とは売り買いされる物だ。あんた達の馬だって、何処かの誰かから買った物だろう」

 同情的に眺めていた通行人達も、罰悪そうに口を閉じて、その場を離れた。

 

「私の馬なのに……私の馬じゃ無いのか……」

 ルウはただ目を見開いて呟いている。

 

「商談して貰えませんか?」

 ヤンが進み出た。

 

「折角だが、あの馬は買い手が決まっている」

 

「えっ?」

 

「南の珍しい馬を集めてくれと、注文が入ったのだ。馴染みの上客だし、目玉商品のこの馬は外せない。悪く思わないでくれよな、嬢ちゃん」

 

「…………」

 

 

 ***

 

 

「売っちゃうなんて有り得ない、有り得ない、有り得ない――っ」

 

 街の中央広場のベンチ。

 フウヤが鼻から暴風を吐きながら荒ぶっている。

 

「うん……」

 ヤンはさっきから言葉少なに考え込んでいる。

 

 ルウシェルは渡されたパンに手も付けず茫然と俯き、シンリィは不安そうに皆を見ている。

 

 馬商人によると、買い取りを約束している上客は、明日来るという。

「取り敢えず今日はここに一泊して、明日、その『馬コレクター』とやらに直談判してみよう」

 

「すまない、私のせいで、旅の予定が……」

 

「予定なんかあって無きが如しだよ。やりたい事をするのが旅だもの」

 フウヤが鼻息の荒いまま、残りのパンを飲み込んだ。

「さしあたって来年の旅でやる事は決まったな。砂漠のルウの故郷へ行って、馬を売っ払った奴をギッタンギッタンにしてやる!」

 

「はは……」

 ルウシェルは少し笑って、パンをかじった。

 

 

 中古のカップを買った雑貨屋の店主が、街の『夜営場』を教えてくた。

 様々な旅人が行き交う街なので、宿代の無い者や巡礼托鉢の者等が、そこいらで寝転んで治安を乱さぬよう、野宿する場所が決められているらしい。

 

 が、行ってみると、そこ自体の治安が、あまり宜しくなさそうだった。

 敷地一杯にゴミゴミと天幕が張られ、昼間っから怠惰な連中が輪になって、怪しげな葉っぱの煙を漂わせている。

 

「街を出て、ヒトの居ない木の下とかで寝た方がよくない?」

 そんな事を話していると、輪の中の男の一人が声を掛けて来た。

「お――い、門の所で騒ぎを起こしていた娘っ子じゃねぇか」

「へへ、こっち来い、こっち来い」

 

「ルウ、相手にするな」

 ヤンがルウシェルを覆い隠すように後ろへ押しやった。

 

「愛馬を買い戻したいんだろ。簡単じゃねぇか」

 

「簡単なのか?」

 ルウは思わず聞いた。

 

「行くぞ、ルウ!」

 

「お前さんはけっこうな値打ちモンだぜ。どんな高級馬を買ったってお釣りがくるわ、あっははは」

 

「何? 値打ちって? 何なんだ、それは?」

 

 ヤンとフウヤは本当にもう泡喰って、ルウシェルをそこから引き剥がした。

 行くんじゃなかった……

 

 

 四人は馬を引いて、街の外の古い外壁の側に天幕を張った。

 案の定ルウシェルは、男達に言われた事をヤンとフウヤに問いただして来たが、二人とも濁して答えなかった。

 彼女もしつこくは聞かないで、諦めた感じで早々に横になった。

 

 フウヤはまだ鼻息を吹いているし、ヤンは考え込んでいる。

 この時のシンリィは、本当に気の毒だった。

 

 シンリィが夜中に目覚めた時、右隣で寝ていたヤンとフウヤが居なかった。

 特に気に止めないで再び眠り、次に寒くて目が覚めたら、左で寝ていた女の子も居なくなっていた。

 

 皆で寝ていた筈の天幕で独りぼっち。

 さすがに哀しい。

 そして寒い。

 シンリィは外に出て馬を繋いでいる所へ行き、両手を広げて白蓬に張り付いた。

 両側に居たヤンの四白流星とフウヤの栃栗毛も、首を伸ばして彼に同情してくれた。

 

 

 

 




挿し絵:三つ編みルウシェル 
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飴色の跳ね駒・Ⅳ

    

 

  

 

 

 

 夜営の天幕から離れて、赤っぽい黒髪の少年が、白い綿帽子頭の少年を伴って歩く。

 

「ここまで離れれば十分かな」

 

「何なの、ヤン、話って?」

 

「えっと、まず最初に、謝る! 隠していてごめん!」

「ああ、うん」

「ぇえ?」

「ヤンが何か隠しているな――ってのは、何となく分かってた、それで?」

 

「お、怒ってる?」

「怒ってないよ、ヤンが僕に言わないって事は、黙ってた方がいいんだろなって思ってた。言うことにしたのは、そうした方が良くなったからでしょ?」

「ごめん……フウヤ」

「だから怒ってないってば」

 

「じゃ、言うよ。あの、アケビの谷で野営した時」

「うん」

「ホロホロ鳥を捕ったのは僕じゃなかった」

「ええっ、そこっ!?」

 

 ヤンは今一度天幕の方を確かめてから、あちらから見えない瓦礫の陰に、フウヤと差し向かいで腰掛けた。

 

「貰ったんだ」

「誰に? って、まさか……」

「そのまさかだよ。青い巻き毛の西風のヒト」

「うぇえ……」

 

「ルウに食べさせてあげてって」

「…………」

 

 

 ・・

 ・・・・

「ルウシェル様に食べさせてあげてくれ」

 

 身構えるヤンに、シドと名乗ったその妖精は、離れた谷の方から、狩ったばかりの野鳥を放った。

 

「?? 連れ戻しに来たんじゃないんですか?」

 

「連れ戻しには来たんだが、予定を少し変更した」

 シドは先程と違う表情を見せて、肩を竦めた。

 

 彼が言うには、ルウシェルの母、西風の長殿は、元々留学には行かせる予定だったらしい。

 ただ、我が子の性分を知り尽くしている母君は、行きたいと言うのを二つ返事で行かせては、遊び惚けて真剣に学ばないだろうと踏んでいた。

 

「その点は僕らも同意だった」

 青い巻き毛の青年は苦笑する。

 

 で、貴重な機会なんだと自覚して貰う為に、ギリギリ当日の朝まで、行かせない方針で押し通す事にしたと。

 

「え、理屈は分かるけれど……当日の朝とか、本当にギリギリじゃないですか。行く前の準備期間だって楽しいのに」

 

「そうだね、でも元老院が反対しているのは本当で」

 

 どうも西風には元老院という強権組織があって、これがゴリゴリに凝り固まった化石頭揃いらしい(シド談)。

 ゴネて長娘の留学を取り止めさせるぐらいは朝飯前。

 行かせない方針は、どちらかというと、元老院に対する隠れ蓑的意味合いが大きい。

 

 絶対君主制でなく、複数機関で話し合う政治は悪い事ではないのだろうが、うっかりカビたまま放置すると、ただのイチャモン軍団に成り下がったりする。

 それは、色んな部族を見て来たヤンにも理解出来た。

 

「当日の朝、あっという間に行かせちまえば、こっちのモンだろうって計画だったんだ、でも……」

 青年は、離れた藪でヤマブドウ採りに夢中の子供を眺め、穏やかに目を細める。

 

「何だかんだ言って元老院は、蒼の一族を上に見ている。旅行中の蒼の里のナーガ様の甥っ子とたまたま友達になって、意気投合して着いて行ってしまった……の方が、彼らを黙らせられるのさ」

 ・・・・・

 ・・

 

 

「うわぁ……」

 フウヤは脱力して、口をポカンと開けた

「頑張って夜中の山道を歩いた三日間の苦労を返してぇ」

 

「ごめんごめん。でも分かるだろ、ルウには覚悟が必要だったんだ」

 

「それは分かるけれど……あっ、じゃあ馬は? その流れで何でルウの馬を売り払っちゃう訳?」

 

「その件でフウヤに相談したくて、打ち明ける事にしたんだ」

 

 巻き毛の青年は、ルウシェルの馬の手配もして置くと告げた。

 指定の街に、彼女の馬を連れた商人を行かせるから、偶然を装って買い戻すようにと。

 

「代金も預かっていたんだ、ほら」

 ヤンは革袋の銀貨を見せた。

「一応、ルウの装飾品で買った事にして、陰でこれで払えって」

 

「ふぅん、なのに、先に買い手が決まっちゃってた……ってか。どこかで行き違いがあったのかな。確かに困り事だ」

 フウヤは白く光る硬貨をジッと見つめ、その目でヤンを睨んだ。

「それだけ? 他に隠しているコト、もうない?」

 

「えっ……と、他に路銀って言って銅貨も預かっているけれど、これは蒼の里に着いた時、そのまま里のヒトに渡そうと思っていた」

 

「うん」

 白い子供は畏(かしこ)まって腕組みする。

「ヤンはね、独りで背負い込み過ぎるの。言ってよね、独りで悩んでいないで。どうせ万が一ルウにバレた時、嫌われるのは自分一人でいいとか、そんな風に考えてたでしょ。やだよ、嫌われる時は一緒だよ」

 

「フウヤ……」

 

 

   ***

 

 

 その頃シンリィは、誰も帰って来ない寂しさを、馬と馬の間に挟まる事で癒していた。

 

 

   ***

 

 

「こんばんは、私に粕鹿毛を売ってくれ」

 

 馬商人の親方は、目玉をパチクリする他なかった。

 だってここは宿屋の寝床で、自分は寝ている所をいきなり起こされて、しかもオレンジの瞳の女の子は偉そうに腰に手を当てて、ベッドの上に仁王立ちだ。

 

「え――……いやすまん、突っ込み所が多すぎて、何から聞いたらいいのか分からないのだが……」

「そうか? 夜営場の者達は、親方殿は何もかもすぐに承知してくれると言っていたぞ」

 

「夜営場の?」

 この街の野営場のガラの悪さを知っている親方は、微妙に嫌な予感がした。

 

「そうだ、昼間に『どんな高級馬も買えるぐらいの値打ち物を私が持っている』って言われたから、さっき詳しく聞きに行ったんだ。そうしたら、『行ってベッドに乗りさえすれば、親方は何もかもすぐに承知してくれる』って」

 

 親方は、仁王立ちの女の子をマジマジと見た。

 ニコニコと得意そうに、鼻から息を吐いている。

 惚(トボ)けているのではない、ド天然だ……

 

「いいからそっちの椅子に座りなさい」

 まったく冗談じゃない、あのヒッピーどもめ。

 寝巻きの襟元を正して、親方はベッドにきちんと座り直す。

 

 女の子は素直にベッドを下りて靴を履き、傍らの小椅子に腰掛けた。

 

「あのね、おじさんはそういう趣味はないから。夜営場の連中は君をからかっただけだ。二度とあんな輩と口をきいてはいけないよ」

 

「からかった……私は値打ち物なんか持っていなかったのか」

 

 ・・いや、持っていない訳でもないのだが。

 親方だって、商人繋がりで、様々な業種に顔はきく。

 そういう『商品』の需要のある、裏の裏のルートにツテがない訳でもない。

 

(だけれど、それは、違うだろう……)

 

「えぇぇとね、値打ちっていうのは、君の人生の事だよ。でもそれは、馬一頭の為に売り払っていい物ではないだろう?」

 

 これで諦めてくれると思いきや、女の子は顎に手を当てて考え込んでいる。

「?? おじさんの言った事が分からなかったかな。君の人生を売ってしまっては、馬を買う事も馬主にもなる事も出来なくなる。それじゃあ意味が無いよね?」

 

 それでも女の子は考え込んでいる。

 

「いいからもう帰りなさい」

 

「……責任があるんだ」

 

「は?」

 

「粕鹿毛を与えられた時、母者に言われた。この馬の一生の責任は私にあると。だらしない馬になったら凄く恥ずかしい事だ、怪我をさせるのは最も恥ずかしい事だと」

「…………」

 

「なのに、私が居ない間に売られてしまった。私が逆らってばかりの悪い子だったからだろう。誇り高い西風の馬は西風の里に在るべきなのに、私のせいで他所にやられてしまう。とてもよくない」

「…………」

 

「だから私は、自分の人生を売り払ってでも、粕鹿毛を西風に帰してやらねば、って考えている。おじさん、でも、人生を売り払うって、そんなに怖い事なのか?」

 

 親方が口を開きかけた時、夜の街に声が響いた。

 

「「ルウ――――!!」」

 

 少年二人の叫び声。

 

 

 ***

 

 

「アホ――っっ!!」

 

 白い少年の吠え声に、さっき窓を開けて「うるせえっ」と叫んだ住民が、もう一度同じ事を繰り返した。

 

 本当にたまたま、夜行虫を採りに出歩いていた商人の助手が、少年二人を見掛け、女の子が野営場の胡散臭い連中の所に居たと、教えてくれたのだ。

 

「まぁまぁ君達、ちょっと静かにしなさい」

 と、窓越しの馬商人の男性。

 対する屋外の地面に、女の子の両肩に手を置く黒髪の少年と、群細を聞いて真っ青で彼女を怒鳴り付ける、白い髪の少年。

 

「すみませんでした、親方さん。ルウも謝って」

 

「ゴメンナサイ……」

 

「ホンット、ヤンって謝ってばかりだな。そういうのを貧乏クジって言うんだ」

 

 ランプの明かりに逆光の親方は、複雑な表情で三人の子供を眺める。

「あの馬を欲しい気持ちは重々分かったが、こちらとて商売人だ。客との約束を違える訳には行かない。だから、明日来るその客と交渉しなさい。紹介してあげるから」

 

「はい、ありがとうございます」

 

 女の子を引っ張って白い子供が先に行き、もう一度お辞儀をして歩きかける背の高い少年に、親方はそっと声を掛けた。

「君はしっかりしているから大丈夫だろうが、あの娘(こ)の世間ずれしていなさっぷりは、非常に危ないぞ。悪い事は言わんから、旅をさせるのなら、信頼出来る大人に託しなさい。どこかイイ所の嬢ちゃんなんだろう?」

 

 ヤンは親方の言葉を最後までキチンと聞いてから、正面向いて答えた。

 

「僕はその場凌ぎに小狡(こずる)いだけですよ。いざとなったら何も出来ない。あの二人の方がよっぽどちゃんとしている。だから、僕に、彼らが、必要なんです」

 

 




挿し絵:シンリィの馬 
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飴色の跳ね駒・Ⅴ

 

 

  

 

 三人が街を出る頃には、辺りは薄ら明るくなっていた。

「結局ほとんど寝られなかったね」

 

「まったくルウはルウはルウは」

「すまない、フウヤ。だけれど、私は人生と引き換えにしてでも、粕鹿毛を買い戻してやりたいんだ」

「ルウ、だから人生と引き換えなくてもいい方法を一緒に考えようね……あれ?」

 

 街から離れた古い塀に天幕を張っていたのだが、自分達の馬の側に、知らない人馬の集団が居る。

 

「どうしてこう、次から次へと!」

 ヤンは慌てて走った。

 

 大人の影は一人だ。

 後は馬やロバが十数頭、鳥の入ったカゴを積んだ荷車が一台。家畜商だろうか。

 シンリィ一人の天幕を見て、なめてかかっているのかもしれない。

 影は、白蓬の頤(おとがい)に触れようと、手を伸ばしている。

 

「ダメ! 指を喰いちぎられる」

 

 走り込んだヤンの手は間に合わず、優しげな外見の馬は一転して歯を剥いた。

 ――ガチン!!

 火花が出るかって程の噛み付き音。

 

 しかしその人物は、ヤンか来る前に素早く手を引っ込めて、軽やかな声を上げた。

「はっはぁ! お前、相変わらずだなぁ!」

 

 ヤンはポカンと、暢気な団子鼻の男性を見上げた。

「お、おじさん!? 五つ森の」

 

「ん? おぉ、ヤン! フウヤも! 何でこんな所にいるんだ?」

 

「おじさんこそ……」

 

 そこに居た赤い隈取り化粧の男性。

 ヤンとフウヤが以前世話になった、五つ森という騎馬民族の、繁殖場長の息子だった。

 

 その村で二人は結構酷い目に遭ったのだが、この男性に対してだけは、ヤンは誤解から酷い言葉を投げ付けてしまった。

 大切に保護されていた白蓬を、閉じ込めて虐待していると勘違いしたのだ。

 旅に出た時に一番に謝罪に行ったのだが、和解してみると、馬好きが高じただけの、普通に優しいヒトだった。

 

「なぁ、こいつ随分大きくなったな。この羽根のチビッコの馬だったんだって? いやいやいや、ここで会えるなんて、そうかそうか、はははは」

 男性は目を三日月にして、白蓬に手を出してはガチガチやられて喜んでいる。

 

 横でシンリィが、戻った三人を哀しそうな目で睨み上げている。

「ごめん、ごめんって、シンリィ」

 ヤンやフウヤが謝っても、男性の小肥りの腹の陰に隠れて出て来ない。

 そりゃ、夜中に独りぼっちにされたら、普通にショックだよな。

 

 

「おじさんも馬を売りに来たの?」

 やっと機嫌を直してくれたシンリィがお茶を入れ、一同車座になった。

 ルウシェルは、ロバや鳥(クイナ)が珍しいのか、そちらに見入っている。

 

「ああ、五つ森産の馬はそこそこ評判が良いんだぞ」

「本当だ、皆逞しくて強そう」

 

 五つ森の集落は、疫病の被害が酷くて子供がほとんどおらず、それを知らずに訪ねて行ったヤンとフウヤが拉致られそうになったりした。

 

「我らも反省してな。籠っていないで、もっと他部族と交流を持つ事にしたのだ」

 

 良い馬を作るノウハウは一流だったので、他部族から若者や子供が学びに来るようになった。

 お返しに、壊れたままだった家屋や厩舎を直して貰ったり、新たな流通経路の口利きをして貰ったり。今では以前と比べ物にならない位、村内が活気付いているとの事。

 

「へえ――! じゃあまたお婆ちゃんに会いに行きたい!」

 フウヤも嬉しそうに言った。

 

「おお、来い来い。皆羽振りが良くなったから、以前と違って余裕があるぞ。養子を迎えた所も多い。俺の親父なんか年甲斐もなく新たな趣味に走り出したりな」

 

「どんな趣味? 骨董とか?」

 

「いやいや、あのヒト、天性の馬バカだから。前回の馬市で、北方の森林部族の馬を入手して連れ帰ったら、その大きさに度肝を抜かれてな。それから他国の馬に興味を持ち出した。だから今回も親父を喜ばせてやろうと、南方の馬商人に手を回して、珍しい馬を集めて貰っているんだ」

 

「・・・・・・」

 

 アンタだったんか――――いっ!!!!

 

 

 ***

 

 

「は――ん・・」

 

 ヤンとフウヤの説明を受け、五つ森の男性は、口を指で覆って真剣な表情になった。

 

 説明といっても、西風の長様やシドの思惑、夕べの騒ぎなんかは伏せて、ただ不本意に売られてしまった馬を買い戻したい、って事だけを告げた。

 後の説得は、張本人のルウがすべきだ。

 

 ヤンもフウヤも、この男性が、普段はひょうきんで優しいが、いざ馬に関する事となると、妥協を許さず厳しくなる事を知っている。

 だから人伝(ひとづて)ではなく、彼女が心から頼む必要があるのだが……

 ……肝心のルウは何処だ?

 

「あ、ああ――っ!」

 寝不足の頭に響く元気な悲鳴と、ガタガタ、グァシャンと軽快な破壊音。

 

「ルウ、何やってる!」

 

「ちょ、ちょっとその鳥を近くで見たくて……」

 カゴが荷車ごと引っくり返り、コロコロしたクイナが賑やかに走り出している。

 

「何で今、それをやらかす……」

「フウヤ、いいから捕まえろ!」

 

 少年二人が駆け出す横で、団子鼻の男性はお茶を飲みながらのんびりと言った。

「あ――、そのクイナ、飛ぶから」

「ええっ!?」

 

「親父が改良した、飛翔型クイナだ。トンビ並の高さまで飛ぶぞ」

 斑の翼を羽ばたかせて、丸いクイナが次々と舞い上がる。

 

「な、なんでそんな魔改造を!」

「いや珍しがられて売れるかなって」

「誰もクイナにそういうの求めてないからっ!」

 

「あ、親父の芸術を馬鹿にしたな。回収出来なきゃ弁償だ」

「うそだろ――っ!」

 

 キュン! と風切り音が響き、シンリィの白蓬が馬体を縦に、垂直上昇した。

 

「おお!」

 男性が目を煌めかせて立ち上がる。

 

「えっ? ル、ルウ!?」

 

 シンリイの後ろにはルウシェルが乗っている。

 しかも、片膝を立てて、片手に麻袋。

 

 いかに改造クイナと言えど、白蓬の前では空中に漂う風船だ。

 丸いクイナは次々と捕獲され、袋に放り込まれる。

 しかもルウは、旋回する白蓬の上で、鞍の後ろに片足を引っ掛け、ほとんど立ち上がっている。

 

「すっげぇ、怖くないのかよ」

「たまに後ろに乗せて貰ってはいたけれど、いつの間にあんな芸当……」

 

「大したモンだ、おぉ、凄い凄い、ははは、ははは」

 男性は子供みたいに手を叩いてはしゃいでいる。

 

 

 ひぃふぅみぃとカゴの中を数える男性を、皆で覗き込む。

「よし、全部居る。一羽も欠け無しだ」

 

「やったあ!」

 子供達は声を上げてハイタッチした。

 

「しかし、間近にこの目で見ると、やっぱり違うモノだなぁ、風の妖精の操馬術って奴は」

 

「ああ、はぁ……」

『シンリィと白蓬はどっかのネジが飛んでいる。他の草の馬と一緒にしないで欲しい』と、蒼の里のジュジュが声を大にして言っていたのは、言わないでおこう。

 

「君、ルウシェルだっけ、君も風の妖精なんだって? 思い知らされるよ。俺らがどんなに他種族の馬に憧れを抱いても、やっぱり、その馬はその部族の元でこそ、一番に力を発揮するんだろうなぁ。いやぁ良い物見せて貰った」

 

「えっと、じゃあ、ルウの馬を……」

 

「それとこれとは話が別!」

 

 男性がピシャリと言い切って、身を乗り出していた一同はつんのめった。

 

 

 ***

 

 

「こ、これで、いいのか……?」

 

 街の家畜市場。

 五つ森の男性が借りた敷地の一角で、ルウシェルが不器用そうに前掛けの紐を結ぶ。

 

「おぅ、じゃあ、クイナのカゴを運んで。後は馬達の足下の掃除な」

「なぁ、おじさん」

「親方だ。馬の代金分うちで下働きをするって、自分で決めたんだろう」

「……分かった、あの、親方」

「なんだ?」

「私だけでいいのに、何でヤンやフウヤやシンリィまで、一緒に働いているんだ?」

 

 

 

 ルウシェルの外した装飾品を、五つ森の男性は横目で一蹴(いっしゅう)した。

 

「うちの最上等の馬と、南の珍しい馬を交換するって段取りで来たんだ。親父と俺で作った芸術品を、こんなガラクタと一緒くたにする気か?」

「…………」

「どうしてもその馬を買い戻したいのなら、君も身を切らねば駄目だ。どうだ、市の間、うちで働いてみるか?」

 

 ヤンは、預かった銀貨で、後でこっそり商談するつもりでいたが、先延ばしにする事にした。

 子供が市でどれだけ働いたとて、馬一頭(西風の馬ならその数倍)の代金になど到底届かない。

 だけれど、これはルウにとって必要な事なのだろう。

 銀貨を渡すのは一番最後でいい。

 

 

 

「いや、ルウがまたクイナを逃がしちゃうんじゃないかと心配で」

「待っているのも暇だし……」

 と言い訳する二人の後ろで、黙々と馬糞カゴを運ぶシンリィ。

 

 向かいの敷地では、ゆうべの馬商人の親方が、目を細めてニコニコと眺めている。

 自分の扱う馬達が、願わくばあのような者達の所に行き着いてくれればいいなと、柄にもない事を考えながら。

 

 

 ***

 

 

「ただいま戻りました、モエギ様」

 

 石造りの建物の外から声がかかり、青い巻き毛の青年が顔を覗かせた。

「あれ、ソラは?」

 

「元老院に呼び出しを喰らったんで、人身御供に行ってくれている」

 中央の机に座したオレンジの瞳の女性が、豊かな碧緑の髪をかき上げながら、眉をしかめて見せた。

 

「まだ性懲りもなく、ルウシェル様を連れ戻せとか言っているんですか」

 

「無理だ不可能だで通すがな。僧正殿は、お前がひと飛びでどれだけ遠くまで飛べるのかにも、関心がお有りではないから」

 

 女性は、ペン軸でこめかみをコリコリと掻きながら、手元の書類に戻った。

「ああ、それでルウシェルはどうであったか」

 

「それがですね」

 

 偵察に行ったこの青年が、こらえきれぬばかりの笑顔を湛(たた)えている様子を見て、西風のモエギ長も豊かな気持ちになれた。

 我が娘は、かけがえのない体験を積み重ねているようだ。

 

 確かに、ただ留学に行かせるだけでは、これは得られなかったろうな。

 進言してくれたこいつらに、感謝感謝だ。

 

 

「モエギ様、聞こえていますか、モエギ様」

 

「あ、あぁ、聞いているぞ」

 

「とにかく、僕はもうご免ですよ、こんな嫌われ役。ハトゥン様なんか、『俺は娘に嫌われたくない』って逃げ回って、ずるいですよ」

 

「その点は、返す言葉も無い」

 

「今回だって、夜中に殿方の寝室に潜り込んだり、空を縦回転する馬の背中に片足でぶら下がったり、見ていて何度心臓が止まると思った事か」

 

「ははは、我が娘は凄いな」

 

「最初から馬商人に話を通して置けば、あんな苦労をさせずに済んだのに」

 

「まぁ、苦労はしてナンボだ。馬も得られそうだし、ここから先の偵察はもういいぞ、シド」

 

「いいんですか? 蒼の里はまだまだ先ですが」

 

「お前の教え子はルウシェルだけではない。修練所の優秀な教官を、我が娘の為だけに、いつまでも煩わせる訳には行かない」

 

「……はい」

 

「大丈夫だ、あの子が帰れば、西風にまた新たな風を吹き入れてくれる。昔、お前達がそうしてくれたように」

 

 

 

 

               ~飴色の跳ね駒・了~

 

 

 

 

 

 




挿し絵:ルウシェルの馬 
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冬茜(ふゆあかね)・Ⅰ

 

   

 

 

 

 ――どんん!!!!!!

 

 風圧で引っくり返る男の子三人。

 放射状に尻餅を付く、周囲を囲んだ大人達。

 

 粕鹿毛に跨がった女の子は、既に茜空の点になっている。

 

「大丈夫なのか? ルウ」

「飛ぶのは下手って言ってなかったっけ?」

 

 

 五つ森の男性の家畜市場を手伝っていたルウシェルだが、最終日を終えて、ついに粕鹿毛の手綱を渡して貰えた。

 

 その頃には、不器用ながら一所懸命働くオレンジの瞳の娘の事情は市場内に知れ渡っており、家畜商仲間達、数日前の街の入り口の騒ぎを見ていた住民達等々も、めでたいめでたいと賑やかしに集まってくれた。

 後ろの方にこっそり、野営場のフーテンどもも来ていた。

 

 皆に囃し立てられて、娘は久し振りに自分の馬に跨がってみた……ら……

 どおおん! となった次第だ。

 

「さすが風の妖精だな、あの女の子。そりゃ馬を返して貰いたがっていた訳だ」

 感心して見上げる周囲の大人の傍らで、こそこそ話し合うヤンとフウヤ。

「降りて来ないぞ」

「ヤバイ空気がビンビンする」

 

 市場の裏の馬小屋から、白い塊が狼煙(のろし)のように打ち上がった。

 シンリィを乗せた白蓬だ。

 ギャラリーはまた歓声を上げる。

 

 程なく、チャカチャカと落ち着かない粕鹿毛の手綱を引いて、シンリィが口をヘの字に曲げて降りて来た。

「やっぱり……」

 鞍上の女の子は、額に作った大きなたんこぶを押さえながら、グッタリとうつ伏せている。

 

 

 

「耳っ 耳、痛ぁっ! おでこっ、お尻っ、指っ、つき指が一番痛いっ!」

 

「それだけ元気なら大丈夫だな」

 五つ森の男性が、女の子の身体のあちこちに湿布を貼ってくれながら言う。

「まぁ、馬も嬉しかったんだろさ」

 

「大丈夫? ルウ。そんなに高くは飛べないって言っていなかったっけ」

 ヤンも男性の隣で湿布に薬を塗るのを手伝う。

 

「シンリィに乗せて貰って飛んでいる内に、身体がコツを覚えて、知らない間に飛行術が上達しちゃったんじゃないの?」

 フウヤが夕食の準備をしながら、サクッと言う。

 

「そ、そういうモノなのか?」

「馬で飛ぶって、飛行術を使う乗り手と、それを受け入れる馬の折り合いでしょ。乗り手がちょっと心乱しても悪影響が出るっていうし。現時点で、ルウの飛行術と馬の経験値が噛み合っていない……って所でしょ」

「へえ~~」

「って、風の妖精のルゥの方が詳しくなきゃいけないんじゃないの?」

「ん~~・・習ったような気もする……かも」

 

 フウヤは苦笑いして、仕事に戻った。

 そんな彼を見ながら、ヤンも心で苦笑いする。

 

 風の妖精以外にほとんど知られていない飛行術や、蒼の里の事情に、妙に詳しいフウヤ。

 三峰に迷い込んで来る前の事……シンリィと昔馴染みだった事や、ジュジュに『偽名で通して』と頼んでいた理由も、何も語らない。

(まぁいいや)

 必要になる時まで話さないってのがフウヤの流儀みたいだし、そんなに急いで聞かなくとも。

 

 

 ***

 

 

 五つ森の団子鼻は、まだ幾つかの商談を残していて、この街で取引先の到着を待つと言う。

 

「本当は一緒に行ってやりたいのだがな」

 

「ううん、商売繁盛で何よりじゃない。僕達は大丈夫」

 

 預かっていた馬代金の銀貨は、ルウが居ない隙に、事情を話して団子鼻に差し出した。

 彼は、少し考えてから受け取って、夜中に何かゴソゴソやっていたと思ったら、粕鹿毛に新品の頭絡(とうらく)を作ってくれた。

 

「オマケだ。二度と離れないようにな」

 そう言ってルウの手首に巻いてくれた腕輪は、頭絡の額飾りとお揃いの赤メノウが嵌め込まれていて、団子鼻はルゥの抱き付き攻撃を喰らって、飼い桶からお尻が離れなくなってちょっと大変だった。

 

 そうして、四人の子供は元気に手を振って旅立った。

 

 

 

 季節は冬の只中(ただなか)で、山の様相は物寂しいが、その分、下界の平野を見通す事が出来た。

 景色の美しさに感激するルゥシェルに、上空からいつも見ているのでは? と問うたら、空を飛ぶ時はあまり下を見ていないと答えた。

 

「だって怖いでしょ」

「怖いんだ!?」

「怖いよ、普通に」

 

 空を飛ぶ種族って感覚が違うんだと思っていたけれど、そうでもないんだな。

 ヤンは最後尾で馬を進めながら、前の二人の会話をぼぉっと聞いていた。

 

 元々、お喋りはあまり得意ではない。

 誰にでも物怖じなくズケズケ踏み込むフウヤに、たまにヒヤヒヤする事もあるが、彼がいてくれて助かる事の方が断然多い。

 ルウだって、フウヤがいなかったら、ここまで打ち解けてくれなかったろう。

 だからヤンは、自分だけでは辿り着けない交流を隣で実現してくれるフウヤを、眺めているのが好きだった。

 

 

 夕暮れ、本日の寝場(ねっぱ)を決めると、それぞれの仕事に掛かる。

 シンリィは水汲み、フウヤは焚き火、ヤンは天幕の設営。

 ルウは各々の手の足りない所を手伝っていたのだが、最近はシンリィと水を汲みに行く事が多くなった。

 

「だって地上のシンリィは危なっかしいんだもの。羽根と身体のバランスが悪くていつもヨタヨタしていて。空では全然違うんだけれどな。まるで白蓬と空を飛ぶ為にだけこの世に生まれて来たみたい」

 

「・・・・・・」

 

 少年二人が目を丸くして凝視しているので、ルウは水を鍋に移していた手を止めた。

「へ、変な事言ったか?」

 

「いや……」

 ヤンは答えないで、自分の作業に戻った。

 笑って済ませる話なんだろうけれど、何だか刺さった。

 あの娘(こ)は、一緒に空を飛べる分、僕らの知らないシンリィが見えている。

 

「シンリィは口琴(こうきん)だって上手いよ。水場もすぐに見付けるし、入れてくれるお茶は美味しいし。空を飛ぶだけが能じゃない」

 フウヤが元気に反論した。

 

 そこに丁度シンリィが帰って来たので、湯が沸くまでの時間、フウヤは二人で口琴を鳴らして聞かせた。

 

 手の平サイズのお手軽楽器口琴は、簡単な作りのくせに、カン、ピョン、ボオォンと、幅広い音が出る。

 ヤンも挑戦した事があるが、これが中々難しい。

 ルウも興味津々(きょうもしんしん)に覗き込んだ。

「砂漠の行商のおじさんが似たような奴を鳴らしていたな。フウヤほど上手じゃなかったけれど。おじさんのは金属だった」

 

「結構どこにでもあるみたいだよ。地域ごとに形や材料が違うって」

「フウヤのは?」

「僕は竹で作った。お姉ちゃんに材料の切れ端を貰ったんだ」

「へえ、フウヤ、お姉ちゃんいるんだ、幾つ違い?」

 

 フウヤは急に演奏を止め、口琴をしまって立ち上がった。

「お湯が沸いた。さぁさ、明るい内に食卓の準備準備」

 

「…………」

 ルゥシェルは困った顔でヤンを見る。

 ここで無理に突っ込んで行かないのが、彼女の良い所だ。

 シンリィも最後にポンと小さい音を出して、口琴をポケットにしまった。

 

 

「今日は四人いっぺんに寝ない方がいい」

 夕食を終え、茶を飲みながらヤンが宣言をした。

 

 イマイチ安全ではない場所だと、彼はそういう判断をする。

 交代での寝ずの番の為に、シンリィは眠気の飛ぶお茶を用意し、三人は薪集めに立ち上がった。

 

「ヤン、今日は起こしてくれよな」

 落ち枝を拾いながら、ルウが寄って来た。

 昨日も見張り有りの夜営だったのだが、二番目の順番だったヤンは彼女やシンリィを起こさず、結局朝まで番をしたのだ。

 

「ごめん、目が冴えちゃったから、つい」

「初めての見張り、楽しみにしていたのに」

 

「じゃあ、僕と交代してやるよ」

 フウヤが横から割り込んだ。

「一番目なら寝過ごしようがないだろ。寝ている途中で起こされるよりも楽だし。いいだろ、ヤン」

 

「ああ、そうだね、うん」

 ヤンは逆らわず、素直に賛成した。

 本当はフウヤの一番目には理由があるのだが、ルウのやる気を削ぐのも何だし、あまりうるさく言うのも気が引けた。

 

 ルウは張り切って苦いお茶を一気呑みし、薪を一本掴んで構える。

 ヤンが等分に刻んだ、同じ太さの薪、これが二本燃え尽きた時分で交代だ。

 

「ほら、早く寝て。全員が横になってからがスタートだからな!」

 せっかち娘に追い立てられ、男子三人は苦笑いしながら天幕に潜り込んだ。

 

 話し声が無くなると、夜の山はシンと沈む。

 ルウは頑張って眼を見開き、もう一度お茶を汲んで、ちびちびとすすった。

 大丈夫、馬達も一緒だし、すぐそこで三人が寝ていてくれる。

 

(これ、もし独りだったら……)

 ブルッと身体が震えた。

 あり得ない、とても考えられない。

 

 一人きりになると、色んな考えが頭に浮かぶ。

 

 蒼の里がこんなに遠いって事すら知らなかった。

 ……いや、シドは言っていた、飛ぶのが得意な自分でも何日も掛かると。

(私が素直に聞いていなかっただけなんだ)

 

 ――ガサ、

 

 藪が揺れて、ルウは小さく飛び上がった。

 風か? 

 

 ――ガサガサ

 きっとネズミか鳥だ……

 

 ――ガザザザ!

 いや大きい、大きいよ! 何、何!?

 

 そちらは真っ暗だ、何も見えない。

「ひっ」

 怖さが先に来て、思わず頭を抱える。

 

 ザク、ザクという靴の音。

 え? と思って顔を上げると、ヤンが棒も持って藪を突ついていた。

 

「ハナグマだよ」

 静かに言って、そろっと焚き火に寄り、ルウの向かいに腰掛ける。

「二人は寝ているから、小声でね」

「う、うん」

 

「この辺りを縄張りにしているオスだと思う。ずっと影で様子を伺っていたんだ。そういう動物って、こちらの寝入りっぱなに動き出す」

 

「襲って来るのか?」

 

「ハナグマは大人しいから大丈夫。用心深い質だから、今夜はもう来ないと思うよ。キツネだったら厄介なんだ。音もなく何回も来て、こちらの隙を突いて荷物にそそうをする」

 

「うゎ……」

 

「何か居るなぁ、とは思っていたけれど、ハナグマでよかった。あ、焚き火ばかり見ていない方がいいよ。適度に暗闇も凝視して、目を慣らして置かないと」

 

 ルウは口を結んで俯(うつむ)いた。

「ごめん、フウヤが見張りなら、ヤンは安心して寝ていられたのに」

 

「いや……」

 心配だから寝ずに耳を済ませていたのは確かだが、ルウのやる気を鬱陶しく思った事などない。

 しかし動物ウンチクは一晩中語れても、そういう気持ちを説明するのは、すこぶる苦手なヤンだった。

 

「ヤン、もう寝てくれ。昨日だってほとんど寝ていないじゃないか」

 

「うん、だけど……」

 どうせ二番目は自分だし、このまま起きていた方が安心なのは安心なんだ。

「ルウと話したくて」

 これは言い訳だが、

 

「えっ!?」

 妙な誤解をされた。

 

「や、やはり私に怒っていたのか」

「どうしてそうなるんだ」

 

「だって、いつもあんまりお喋りしてくれない。私に怒っているから、一言物申したいんだろう? ちゃんと聞くから、言ってくれ」

「いや、違……」

 

 ヤンはじんわり汗をかいた。

 女の子はオレンジの瞳でジッと見つめて来る。

 

 頼みのフウヤは天幕の下で、シンリィにしがみつかれて寝ている。

 シンリィは夜中に独りぼっちにされて以来、誰かをガッチリロックして眠る習慣が付いているのだ。

 

「た、単純に、昼間あんまり喋れないから、雑談してみたかっただけだよ」

「そうか……すまない、フウヤとばかり喋って」

「だからちょっと待っ……」

 

 焦ったヤンは、ルウの手を空中で掴んだ。

 途端、感電したように彼女はその手を振り払う。

 

「ぇぇ・・」

「ごっ、ごめん」

 




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冬茜・Ⅱ

  

 

「いや、こちらこそごめん」

 ヤンは気を取り直して謝った。

 部族の定石(セオリー)なんて千差万別だ。

 ルウの所は異性との接触に厳しいんだろう。

 そういえばルウは、険しい岩場で手を差しのべられても、助けを借りずに一人で頑張って登っていたっけ。

 

「ち、ちが……ヤンを嫌いなんじゃなくて、これは、えっと……」

「分かってるよ、気にしていないから」

 

「いや、ちゃんと、話す」

 ルウは膝に手を置いて畏(かしこ)まった。

「西風の妖精の子供は、手を握って、心をやり取り出来るんだ」

 

「ぇ……ええ?」

 

 予想外の事を言われて驚くヤンに、ルウは急いで続きを説明する。

「勿論そんなに簡単には出来ない。お互い合意して集中して、それでやっと視えて来るレベル。勝手に他人の心を覗く力なんて無いから、安心して」

 

「う、うん……分かった」

 

 それで、安易にヒトの手を握らない習慣が付いていたらしい。

 確かにそれは、部族外の者には言いにくいよな。

 

「でもさ、ルウはそんな能力使わなくても、こまめにヒトの気持ちを思いやっているじゃない。そっちの方が凄いよ」

 

 ルウシェルは面映ゆい顔で、んん、と言って俯いた。

 

「さっきだってフウヤが嫌がったらすぐにお姉さんの話を止めたでしょ。ああいうのって、大人でも出来ないヒトいるもの」

 

 俯いたままルウは、自分の右手を見つめる。

「そういうの、ソラに煩く言われていた」

 

「あの錫杖(しゃくじょう)のヒト?」

 青銀の髪と動かない表情が金属的で、もう一人の西風の青年シドと違って、近寄りがたい印象だった。

 

「ソラは西風の中でも特別なんだ」

 大人になったら薄まる筈の精神感応の力が、成長につれて、逆に強くなって行ったらしい。

 しまいには手を握らなくても他人の心の声がガンガン入って、往生したとか。

 

「そ、それって大変なんじゃ」

 

「うん、でも、その時に付いていたお師匠さんの助けで、耳を閉じていられるようになったんだって。今では西風一……ううん、砂漠一の術者だ」

 

「おおぅ」

 ミミズを鎮めたのからして只者ではない感が漂っていたが、何か凄いヒトだったんだ。

 

 そのソラのお師匠さんは、蒼の妖精だという。

 それもあってルウは蒼の里に憧れを抱いたのだが、彼女が興味を持ち始めると、彼は蒼の里の話をしてくれなくなった。

 

「けど、シドが言うには、ソラは滅茶苦茶そのヒトに傾倒していて、恰好から真似をしているって」

「形から入るって奴か」

 意外と可愛い所を知って、ヤンは、金属みたいなソラにちょっとだけ親しみが湧いた。

 

「だからさ、蒼の里に行ったら、ソラみたく髪に鋏を入れていなくて、年がら年中ローブ姿の術者を探すんだ」

 

「ルウもそのヒトの弟子になりたいんだ?」

「何で分かる? ヤン、もしかして西風の血が入ってる?」

「いや分かるでしょ」

 

 気が付いたら、無理をせずとも自然と雑談出来ていた。

 

 シドとソラは、ルウシェルの母である西風の長モエギの従者で、その時々に応じて命じられた仕事に着いているとの事。

 今は、シドは子供達の教育者、ソラは外交で外を飛び回る事が多いが、開いた時間はルウの家庭教師をしている。

 

「勉強だけ教えてくれればいいのに、立ち居振舞いとか、口を開けばヒトの心に気を付けろ、気を付けろって、ホントもう煩くて」

 

「良いセンセだね」

 

「ヤンはすぐにそう思えるんだ」

 ルウはまた自分の右手に目を落とした。

「他人の心に気を付けろって言って置いて、自分を保て、心は配っても支配されるなとか、禅問答みたいなのが始まってさ。ワケ分かんなくていつもイライラする。でもヤンなら分かる?」

 

 ヤンは一本目の薪が燃え尽きるのにも気をやらないで、じっと考えてから口を開いた。

「……そのソラさんって、他人の心が聞こえ過ぎて苦労して来たんだろうね。きっとルウには、そんな能力あっても無くても、跳ね飛ばして強く生きて行けるヒトになって欲しいんじゃないかな。だってルウ、まだ子供じゃん。これからどんな能力が伸びるか分からない訳で」

 

 ルウは見つめていた右手首を、左手で強く握った。

「……馬鹿だ、私」

 

「ルウ?」

 

「家出する前の晩……癇癪を起こして、突き飛ばしちゃったんだ。触れただけで心を読めちゃうから、普段誰とも距離を取っているヒトなのに」

「…………」

 

「ちっちゃい奴だ、私。我が儘で考えなしで。ヤン達にこんなに良くして貰う価値なんか、私には無かったのに」

 

「ルウ……」

 真っ暗で不安な夜、いきなりそれまでの自分の悪い所だけが思い出されて、落ち込んでしまう……分かる、どういう仕組みか知らないけれど、何かそうなっちゃうんだよな。

 ヤンはそっと腰を浮かせた。

 いつもはフウヤに頼りたい所だが、ここには自分しかいない。

 だから……

 

「ヤ、ヤン!?」

 自分の右手に掛けられたハイランダーの少年の長い指を、ルウは慌てて離そうとした。

 でも少年は逃げるその手を追い掛け、更に強く握る。

 

「口でどんなにそうじゃないって言っても、ルウは自分を慰める為の嘘だと思うだろ? だったら僕の心のまん真中まで、覗きに来ればいい」

「…………」

 

「ね、僕は口下手だから。よく考えたら便利だな、これ」

 

 少年は頑として、握った手を離さない。いつも控え目そうなのに、こんな強引な一面があったなんて。ルウシェルは色々言い訳していたが、彼の頑固さに押し切られた。

「……幹ではない、枝葉が視えちゃう事だってあるんだぞ」

 

「視られて困る事なんて無いもの」

 唯一隠しているとしたら、あのアケビの谷でシドに会った出来事だけれど、あれも、視られたら視られたで構わない。

 

 ルウは観念したように指を握り返し、目を閉じた。

 それから口の中だけで何か唱えて、微動だにしなくなった。

 

 ヤンはなるべく、楽しい幸福な事を思い浮かべようとした。

 真っ直ぐで真っ白で、いつも一所懸命なルウ。

 彼女との出逢いが自分にとってどんなに素敵だったかを伝えたい。

 そう、さっきの口琴の場面にしよう。

 何気ない一時だったけれど、凄く幸せだったんだ……

 

 ・・・・・・

「……フウヤとシンリィが、口琴を弾いている。さっきの奴だね……楽しい、明るい気持ち」

 

 凄いな、ルウ。本当に視えるんだ。

 

「二人ともピョンピョン跳ねて……ふふ、ヤンと私も立ち上がって手を叩いて、みんな焚き火のオレンジに照らされて」

 

「うん、暖かかったね」

「うん、暖かい・・・・いや、これ、焚き火じゃない?」

「んん?」

「これは……暖炉?」

 

 ヤンは首を捻って正面のルウを見た。

 彼女は手をしっかり握ったまま目を閉じて、視えている風景に入り込んでいる。

 

 ・・・・・・

「指笛が聞こえる。ヤンと違うのかな、スゴい下手くそ。あ、やっぱりヤンだ……けど……小さい」

「??」

 

「跳ねている二つの影。フウヤ達じゃない、もっともっと小さい。足元もおぼつかない二人の子供が、お囃子のような声を上げて。小さいヤンの指笛と合わせている。…………扉が開いた、大人の女のヒトが入って来る、赤い服に前掛けのお腹が大きくて、えっちらおっちらと。三人の子供が駆け寄って支えて、またお囃子を唄って……ああ、皆笑っている、本当に幸福そう」

 

 ・・・・・・

 

 焚き火のパチパチという音が戻って、ルウはゆっくり目を開く。

「だから、枝葉が視えてしまう事もあるって言ったじゃないか」

 手を離して自分の袖口で、正面の少年の目の端を拭う。

 

「……凄いね、ルウは」

 ヤンはまだ茫然としている。

 

「いつもいつもやる訳じゃないからな、何度も言うけれど」

「うん」

 

「……ヤンの家族?」

「うん、母さんと二人の弟。あと、性別が分からなかったけれど、もう一人加わる予定だった」

「…………」

 

「僕がやっと指笛の音を出せるようになって。父さんに比べたら全然下手くそだったけれど。母さんに聞かせてびっくりさせようって、ティコとビィと練習をしたんだ。……あの日、父さんが亡くなって以来久し振りに、母さんが笑ってくれた」

 

「…………」

 

「本当に、ルウは凄いね」

 

 二本目の薪が投入され、ルウは温めたお茶をヤンに渡した。

「さっきの口琴で、昔の事を思い出したのか?」

 

「うん、ティコもビィも生きていたら、こんな毎日だったのかなぁとか。……亡くなった者と重ね合わせてしまって、申し訳ないけれど」

「そんな事ない」

 

 もうあんな幸福、訪れる事は無いと思っていた。

 黒い病に全部持って行かれて、掘り起こすと母さんが壊れるから、自分も心の奥底に封印していた。

 でもフウヤが来てくれて、シンリィと出逢って、ルウと旅をして、こんな風に昔の幸福を思い出せている。

 

「こんな日が来るなんて夢にも思わなかった。本当に……感謝しかない」

 

 ルウはまた面映ゆい顔になって、神妙にお茶をすすった。

 ヤンも、柄にもなく饒舌な自分に、今更照れて俯いた。

 

 またパチパチと焚き火のはぜる音。

 

「私も」

 

「んん?」

 

「私も、いつかヤンの故郷に行ってみたい」

 

「ああ、ルウに見せたい景色が一杯ある」

 

 二人は焚き火のオレンジに照らされて、心からの笑顔になった。

 

 




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冬茜・Ⅲ

   

 

「ず――る――い――っ!」

 

 案の定フウヤがブウたれた。

 

 朝、ルウシェルが能力の事を打ち明け、ついでに夕べの出来事も話した。

 シンリィは変わらず通常運行で、スンと水を汲みに行く。

 

「僕も――僕もやって――」

 

 妙な対抗心を燃やすフウヤ。

 話したのは口琴が視えた所までで、ヤンの記憶の事は言っていない。

 フウヤが弟達と重ね合わされるのを嫌がる事をヤンは知っているし、ルウシェルも、ヤンが言わない事は言わない。

 

「何か、思ったより疲れるみたいだよ。ルウ、目の下が青い」

 

 ヤンの言葉は庇う為だけではなく、彼女は本当に顔色が悪い。

 夕べは時間通りルウを寝かせたのだが、今朝は冷えたせいか、起きて来るのが遅かった。

「大丈夫?」

 

「すまない、旅を頑張ろうって決心した所なのに。だらしないな」

 

「旅の疲れがたまって来たんじゃないの?」

 フウヤもむくれるのを止めて、心配そうにルウを覗き込む。

 

「今日はちゃんとした宿に泊まろう。皆も野営続きで疲れただろう」

 ヤンが地図を広げた。

 今越えようとしている山脈の、尾根道を外れて下った所に、程々の大きさの村があり、宿場町の印がある。

 少し古い地図だが、村の大きさ的に、多分今でもやっているだろう。

 

「ちょっと距離があるけれど、頑張ってベッドを目指すぞ」

「行きは寄らなかった所だね、どんな所だろ、楽しみ」

 フウヤはもう切り替えて、荷物をまとめ始めている。

 

 荷物と身支度を整えてから、一旦集まって皆で地図を見て行程を共有し、それから馬装して出発。

 そういうルーチンはヤンが決めた。

 万が一はぐれた時に合流出来るようにで、フウヤと二人の時から続けている。

 

「旅ってもっと気紛れにフラフラする物だと思ってた」

 

「僕もそう思っていたけれど、出てみて分かった。行き当たりばったりやってたら、野営出来ない場所で暗くなったり、鉄砲水や滑落の危険のある場所って、暗くなってからじゃ分からない。ヤンがちゃんと計画してくれるから、そういうのから免れているんだ」

 

「へえ!」

 

「大した事じゃないよ。たまにはフウヤがリーダーやってみる?」

 

「や、やだ、無理、ムリ!」

 

 

 ***

 

 

 その日の行程は、いつもの1.2倍の距離だった。

 でも天幕の設営や食事の準備をしなくていいし、何より、行った先でベッドに倒れ込める。

 女の子のルウシェルだけでなく、少年達だって心が軽い。

 下馬して歩かねばならない険道も多かったが、獣や夜露に悩まされない寝床を思うと頑張れた。

 ……が……

 

「ルウ、大丈夫?」

 

 昼過ぎた辺りから、ルウシェルの具合が急に悪化して来た。

 最初は「大丈夫」と笑顔を見せる余裕があったのだが、だんだん声を出す力も無くなり、ただ馬の上で心許なく揺れるばかりになってしまった。

 折しも風避けの無い尾根道で、冷風が体温を奪って行く。

 

(しくじった・・!)

 ルウの騎馬は空を飛べるが、今は術力と馬が折り合っていない。

 市場での 〈〈どん!!〉〉 以来、ちょくちょく練習はしているものの、制御出来なくてシンリィに連れ戻されてばかりだ。

 正直、飛行術は蒼の里へ行ってから、専門家に習えば良いと思っていた。

 それもあって、地を行くヤン達と同じ行程を歩んでいるのだが。

 

(まだ余裕のあった朝の内なら、シンリィと二人乗りで先に尾根を越えさせて、楽をさせてやれたのに)

 馬上でヤンは首を振る。

(いや、たらればを考えたって何にもならない。今からをどうするのがベストか、考えなくては)

 

「ヤン」

 フウヤの騎馬がそっと寄って来た。

「僕はここで野営でも構わないよ。この場所ならまだ風を避けられる平地がある」

 

 確かに、ここから先は斜面ばかりで、天幕を張れるポイントが無さそうだ。

 

(だけれど、この気温の低い場所で野営したとて、ルウはますます悪化してしまうのでは? それに風上に足の早い黒雲が……)

 

「ヤン!」

 小声だが、フウヤの声が強くなった。

「一人で抱え込まないで。一緒に考えよう。僕も出来うる限りの事をするから」

 

「そうだな、フウヤ……・・んん??」

 

 白蓬を下馬して来たシンリィが、反対側から袖を引いた。

 手には、予備の腹帯を持っている。

 

「それで、ルウをお前に縛れって?」

 子供は神妙に見上げて来る。

 いつもロケットスタートの燕飛びしかしない白蓬で、ぐったりしたルウを自分に縛り付けて、飛ぶって?

 

「い、行けるの?」

「いや、フウヤ、シンリィに任せよう」

 ヤンは決断した。

 

「今夜半から天気が崩れて雨が来る。ここでの野営は悪手だ」

 

「了解!」

 言うが早いか、フウヤは白蓬の荷物を外し、二人乗れるスペースを作った。

 その間にヤンは、宿屋宛の手紙を書き、銅貨と共にシンリィに託す。

 

 それから二人でルウを抱え上げ、先に白蓬に跨がったシンリィにくくり付けた。

 小さい声でお礼を言う土気色の娘を励まして、ヤンのマントで上からくるむ。

 

「いいよ、シンリィ」

 

 羽根以外がんじがらめになった鞍上の子供は、口をぐっと結んで風を呼んだ。

 静かに、ゆっくり、ゆっくり羽根を広げる。

 顔が真っ赤になり、いつもの何十倍もの力を使っているのが分かる。

 

 やがて白蓬はおごそかに浮き上がり、樹上ギリギリを側対歩で駆け始めた。

 風の密度が分厚い。鞍上は殆ど揺れていない。

 

「すご……」

 馬が山下に見えなくなってから、二人で呟いた。

 馬をあんな風に収縮させる方が、奔放に駆けさせるより遥かに難しい事を、二人は五つ森の団子鼻に教わっていた。

『究極は、その場足踏みだ。これは人馬とも全力疾走と同じくらい疲れるんだぜ』

 やって見せてくれたので二人も挑戦したが、まったくもって出来なかった。

 

 取り敢えずホッとした二人は、そんな思い出話をしながら、白蓬の荷物をルウの馬にくくり付け、村を目指した。

 

 ヤンの予想どおり、夕方から雲が分厚くなり、空気がズッシリ湿気を含んで来た。

 しかし心には余裕がある。

 着いたら暖かい部屋に食事。

 

 ルウは安心なベッドで寝て、ちょっとは具合を良くしてくれているだろうか。

 シンリィはご苦労さまだったな。

 白蓬も思いっきり労ってあげなきゃ。

 

 夕暮れに人里の屋根が見えた。

 安心したのも束の間、二人の目に思いがけない光景が飛び込んで来た。

 

 村は棘のある塀で囲われ、入り口に分厚い門扉、その前で男が棒を振り上げている。

 彼の足元に倒れているのはシンリィ。

 

「な、何やってる!」

 先を行っていたフウヤが、馬を飛び降りて駆け寄った。

 

 シンリィはフウヤを見るや、彼にすがり付いて、悲しそうな顔を門の脇に向けた。

 そこの繁みに白蓬が身を横たえ、その首もとに、マントにくるまれたルウシェルがうずくまっている。

 

 どうして!? 暖かいベッドで寝ている筈じゃ……

 

「こいつらの連れか?」

 怖い顔をした男が怒鳴る。

「とっとと立ち去ってくれ」

 

「ど、どうして?」

 

「どうしてもこうしても、その娘は病気だろう。病気の他所者を村に入れられる訳ねぇだろうが」

「!!」

 

「こっちの羽根の奴も具合が悪そうじゃねぇか。早く消えろ、早く!」

「そんな、酷い!」

 

「フウヤ」

 抗議の声を上げるフウヤの肩に、ヤンが後ろから手を置いた。

 

「あの、あそこの女の子はただの風邪です。疫病なんかじゃありません」

 

「お前は医者か、子供にそんなの分かる訳ねぇだろ! 村の掟で決まってるんだ。病気の者は一歩たりとも村に入れねぇ」

 

 扉が薄く開いて、男の後ろから別の者達が、鋤(すき)や鍬(くわ)を持って現れた。

「まだ手こずってるのか。ってか、ガキ増えてるじゃねぇか。お前、殴るマネだけだからダメなんだよ、どいてな」

 

 ヤンは慌てて、フウヤとシンリィを引っ張った。

「分かりました、行きます」

「ヤン!」

 

「行こう」

 

 ルウを抱え上げて粕鹿毛に乗せようとしたが、驚く程冷えきっていて意識が無い。

 すがるような気持ちで振り向いたが、男達は農具を振り上げて、岩壁のように立ちはだかっている。

 

 項垂れて四騎はそこを離れた。

 塀に沿って村を迂回し、山を下る。

 

 ヤンがルウを抱えるように前に乗せ、ヤンの荷物も追加した粕鹿毛、フウヤ、シンリィが続く。

 

「酷い、酷い!!」

「フウヤ、仕方がない」

「何が!?」

「黒い災厄の時代なら、三峰も多分同じ事をした」

「・・・」

 

 そう、黒い疫病が世界を苛んだ時代から、十年も経っていない。

 傷痕がまだ膿んだままの村だってあるのだ。

 

(だけれど馬も疲れている。最初に見付けた平らな場所で天幕を張ろう。早くしないと雨にやられる)

 また襲ってくる後悔と闘いながら、ヤンは自分を鼓舞した。

 今を何とか出来るのは、自分達しかいない。

 

 ガサ、と音がして、側方の藪が揺れた。

 見ると、十歩ほど入った繁みに、カンテラを持った老婆が、腕を上げて一方を指差している。

 

「その枝道の奥に、使われていない猟師小屋がある。雨露ぐらいはしのげよう」

 そう言って、蕗葉の包みをポンと投げて来た。

「熱冷ましじゃ。気休めにしかならんが」

 

「うぅん、ありがとう、お婆ちゃん」

 フウヤが下馬して拾った。

 

「あの、ルウだけでも何とかならないでしょうか」

 

 ヤンの言葉に老婆は眉間を険しくした。

「そう言って、たった一人の病人を受け入れてしまったが為に、村は悪魔に舐め尽くされたのじゃ」

 

「…………」

 

「一泊だけにしとくれ」

 

 老婆は藪に消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 



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冬茜・Ⅳ

    

 

 古い猟師小屋は壁が櫛の歯状態だったが、屋根は残っていた。

 四人横になれる広さと、真ん中に囲炉裏。

 助かった、火が焚ける。

 馬を軒下に繋ぎ、敷布を広げてルウを寝かせた所で、小雨が屋根を打ち始めた。

 

「ギリギリだったね、ヤン」

 

 フウヤは息を吐いて、馬から鞍を下ろした。

 まだ薪を集めたり、馬の養生をしたりせねばならない。

 あと食事、ルウにも薬を飲ませなきゃ。

 何から手を付けよう、ヤン……

 

 ――トサ・・

 

 背後の嫌な気配に振り向くと、ヤンが、自分の鞍を抱えたまま尻餅を付いている。

 

「ヤ、ヤン……?」

 

「ごめん、ちょっとの間、座っていいかな。少し休めばすぐに動くから」

 

「~~!!」

 

 フウヤは背筋がざぁっと冷たくなった。

 ヤンがそんな言葉を口に出すなんて、聞いた事がない。

 

 よく考えたら、前日も前々日もろくに寝ていない上に、今日はずっとルウの世話も焼いていた。

 

「僕がやるから横になって!」

 

「そう、ごめん、フウヤ。カンテラ付けて。僕の鞍袋のポケットにある。燃料はその隣。ごめん、すぐに動けるようになるから」

 

「い、いいから休んで」

 

 ルウと別の壁際に彼を寝かせ、慌ててカンテラを引っ張り出す。

 確かに明かりが一番なのだ。

 いつもはヤンが当たり前にやってくれていたから、気が行かなかった。

 

 そうだ、シンリィは?

 

 ピシャンと水音がして、外から両手に水筒を抱えたシンリィが入って来た。

 

「何でこんな時に通常運行なんだよ!」

 

「怒らないでフウヤ」

 床に頭を落としたまま、ヤンが絞るような声で言う。

「水は大事だよ。ルウには大量の湯冷ましが必要だ。馬にも……シンリィ、悪いけれど皆の馬を水場へ連れて行って、水を飲ませて……鞍下の汗だけでも拭いてやって。フウヤは外が濡れる前に薪を集めて。風上の壁穴を天幕で塞ぐんだ」

 

 フウヤは懸命に指示通り動いた。

 シンリィもあれこれ手伝うが、いかんせん背も力も足りない。

 

「ああ、もっとちゃんと掴んでて!」

 つい声を荒げてしまい、泣き出しそうな羽根の子供をハッと見る。

 

 しかし

「フウヤ」とたしなめるいつもの声が聞こえない。

 

「……ヤン?」

 カンテラを掲げて、フウヤはヤンの方へ歩いた。

 黒髪の少年は睫毛の周りを黒くしたまま、反応しない。

 呼吸は細く早く、唇が紫だ。

 

 ――~~!!!

 

 怖い大人に追い掛けられても、見上げるような魔物に遭遇しても、フウヤは平気だった。

 隣にヤンがいてくれたからだ。

 彼にとって一番怖い事、それはヤンが隣から居なくなる事だ。

 

「シンリィ!!」

 振り向いて、後ろに着いて来た子供の両手を握る。

 

 意地もクソもない。

 世界一カッコ悪くったって、情けなくたって、そんなの、何でも、どうだっていい。

 

「・・お願い、助けを呼んで。蒼の里のナーガさんの所へ、助けを頼みに行って・・」

 

 羽根の子供は手を離して、フィッと外へ駆けた。

 

 

 ***

 

 

 心許なく外に出たシンリィは、一応白蓬に跨がってみる。

 

 シュゥ……という気の抜けた音と共に、馬の爪先ほど浮き上がってすぐ落ちた。

 彼の術力にだって限りがあるのだ。

 

 そしてシンリィはそれを伝える術(すべ)を知らないし、伝える必要も感じていなかった。

 

 大切なトモダチが助けを求めている。

 自分に出来る事を、出来得る限りやるだけ。

 

 

 

 

 小屋の外で足音がし、フウヤは顔を上げた。

 シンリィが出て行ってまだ半刻も経っていない。

 幾ら白蓬でも早過ぎる。

 

 外れそうな戸を潜って入って来たのは、全然知らない、若い女性だった。

 丸顔に長い三つ編み、髪が青いのは蒼の妖精だろうか、何だか見え方が変だ。

 輪郭がぽやけて、水を通して見るみたいにユラユラと揺れている。

 

「ええと……」

 女性は顎に指を当てて、小屋を見回す。

 妙にくぐもった声。

「私にこの子供達の診察をしろという事ですか? 狼さん」

 

 外を見やる彼女の視線を辿って、フウヤは腰が抜けた。

 壁の隙間から、ギラギラ光る巨大な銀の目が覗いているのだ。

 

「見りゃ分かるだろうが、とっととやれ」

 こちらは地の底から湧くような恐ろしい声だった。

 

「人使いが荒いですね」

 女性は室内に進み、寝かされている二人を見比べて、まずヤンの方へ寄った。

「汗が酷い。ねぇ、貴方」

 

 幻みたいな女性に話し掛けられ、フウヤは飛び上がった。

 

「乾いた衣類に着替えさせてあげて。ごめんね、あたしは触れないから。シンリィ、手伝って」

 

 今度は扉が大きく開いて、羽根の子供が入って来た。

 こちらの輪郭はハッキリしている。

 蒼の里へ行く以外の方法で何かをやってくれたようだが……

 

「ひぃっ」

 フウヤは思わず声が出た。

 戸口から見えた外に居るモノは、野牛程もある巨大な狼だったのだ。

 しかも首の周りで炎がメラメラと燃えている。

 

「狼さん、この子が怖がるからあまり姿を……」

 

「余計なお喋りしてたら時間が無くなるぞ」

 

「はいはい」

 

 女性は今度はルウシェルに寄った。

「体温が低い……でもそんなに逼迫(ひっぱく)した感じじゃないわ。これは……」

 フウヤを振り向く。

「ね、この子は南の方の種族じゃないの?」

 

「う、うん……」

 

「オウネお婆さんに聞いた事があるわ。砂漠の西風の妖精が来た時、こんな風になってしまった子がいたって」

 

「そう! そうだよ、この子、西風の妖精なんだ」

 

「ああやっぱり」

 女性はまた顎に指を当てて、説明してくれた。

 西風の妖精は寒さに弱く、自分を守ろうと身体が勝手に代謝を落としてしまう事がある。特に大きな術を使って体調を崩しそうな時、先んじて休眠状態になって体力を温存するのだとか。

 

「暖かい土地では一生経験しない症状だから、知られていないのでしょうね」

 

 目を白黒させるフウヤに、女性はテキパキと対処法を教えてくれる。

 どうやらこの女性は実体の無い存在で、病気の診察をする為だけに来たみたいだ。

 

 小さい水筒を湯タンポにして抱かせ、言われた通りのマッサージをすると、女の子は少しづつ反応を戻し始めた。

「この子はこのまま朝まで寝かせて置くだけでいいわ。そちらの男の子は、過労から内蔵が弱って脱水を起こしてる。とにかく湯冷ましを与えて。薬は段階的に飲ませて。量は……」

 

 指示を出し終え、女性は立ち上がって戸口に向かった。

 

 シンリィも一緒に立ち上がる。

 

「あ、えっと、貴女は……だれなの?」

 ルウの湯タンポを追加していたフウヤが、慌てて声を掛けた。

 

「私はエノシラ。ああ、最後の指示よ。貴方ももう横になって眠りなさい」

「え、まだ大丈夫だよ、僕が二人を看ていなきゃ」

 

「そういう考えで、そちらの子はそうなってしまったのではないの?」

「…………」

 

「教えてやるなや、そんなコト。ガキは倒れるまで気付かないから面白ぇのに」

 外の銀の目が愉し気に歪んで、フウヤは背筋がゾッとする。

 

「怖がらせないで下さい。眠れなくなってしまうでしょう」

「お前さんはそろそろ起っきだな」

 

「そうね、ではシンリィ、元気で。フウヤもまたね」

 

 

 ***

 

 

 呆然と女性を見送って、2、3、4拍・・ フウヤは我に返った。

(僕の名前、知ってた?)

 

 泡喰って戸口を飛び出す。

 

「!!!」

 

 小屋の前に、炎をまとった巨大な狼。

 いやそんなのを凌駕する、もっと大きな驚きがあった。

 

 狼を中心に、空間が水底みたいに歪んでいる。

 空も山も周囲の木々も、ただただ泥のように渦巻くばかり。

 

 三つ編みの女性が暗闇の中、遠くの幽かに明るい場所を目指して歩いていく。

 狼は首を傾けて、彼女の後ろ姿を眺めていた。

 白い裸足の足跡が、炎に照らされて楕円の波紋を広げる。

 

 羽根の子供が突っ立って、小さく手を振って見送っていた。

 フウヤも慌てて貼り付いた喉を開き、「ありがとう」と叫んだ。

 

 女性は振り向きもせず遠去かり、明かりと共に消えた。

 

 

 

「さぁあてぇ~」

 狼が口端から炎を漏らしながら、羽根の子供を振り向いた。

「行こうか」

 

 シンリィは固まっているフウヤの横を通り過ぎ、小屋の軒から白蓬の綱を引いて戻って来た。

 既に馬具や鞍袋が付けられている。

 

「シン……リィ?」

 

 子供は無表情で、狼の傍らに立つ。

 

「・と言うコトだ。俺様の力を頼るなら、『代償』を差し出さにゃあならんのだよ」

 長い尾を滑らせて狼は背を向ける。

「このガキはもう、 俺 の モ ノ だ」

 

「ぇ……えええっ!??」

 

「まさかタダで、『寝ている者の夢を連れ出す』なんて面倒臭い術を使って貰えると思ったのか? 冗談じゃねぇ。そもそもこのガキが俺を呼んだんだ。文句を言われる筋合いはねぇぞ」

 

 フウヤは一所懸命頭を働かせて、話を整合させた。

 シンリィは、蒼の里まで飛ぶ力が残っていなかったんだ。

 それで、他の、自分に出来る方法を、取った…………

 

「ぼ、僕じゃダメなの? 貴方と行くの、僕じゃダメ?」

 

「へぇ、尊い尊い自己犠牲って奴かい?」

 

「違うよ、僕がシンリィに頼んだんだ。元々は僕の願い事だったんだよ」

 

「ほぉ~~」

 狼は銀の目を糸のように細めて少年を見据えた。

「お前さんも『ある意味』面白そうだがな。でも今欲しいのは、こっちのガキなんだわ。おら、行くぞ」

 

 狼が空を見上げると、雨空だったのに何故かそこに青い三日月が現れた。三日月の真ん中に波紋が広がり道が開く。地獄へ続くような、黒い黒い道。

 

「ま、待って、待って待って……」

 フウヤは手を伸ばすが、泥に漬かったように足が動かない。

 何を怖がっているのか、シンリィを止めなきゃ、すがり付いて止めなきゃ!

 

 足が上がった! 重い空気を掻いて前に進む。

 

 しかし狼はせせら笑って道に飛び乗り、炎を散らせて振り向いた。

「早く来な」

 

 シンリィは慌てた感じで白蓬に跨がり、狼を追った。

 フウヤの方を振り向きもしない。

 

 もう少しで羽根先に届きそうだった右手が、空を握る。

 ああ……!

 

 二人が道の奥へ消えると、波紋は直ちに塞がり、空間の渦が逆回転して正常に戻って行く。

 

 右手を突き出したまま声も出せないフウヤを残して、何事もなかったかのように空は雨を落とし始めた。

 

 

 ***

 

 

 

 この世にいるのは、三種類のヒトと、あともう一種類

 

 好きなヒト

 大好きなヒト

 知らないヒト

 

 

 

 大切なヒト

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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冬茜・Ⅴ

   

 

 

 板壁の隙間から差し込む乾いた朝陽に瞼を突つかれ、フウヤは目を覚ました。

 

 ああ、夕べのアレは悪夢であってくれたんだ。

 でなきゃ、こんなにきちんと毛布にくるまって、グゥグゥ寝ている訳無いじゃないか。

 

 身を起こす。

 トンでもなく重い。

 ・・・・・・

 

 シンリィは……

 

 ルウの懐には湯タンポがあり、ヤンの枕元には、夕べ女性が指示した通りの薬湯がならんでいる。

 ・・・・・・

 

 シンリィは!? シンリィは何処だ!?

 

 外にまろび出ると、ぬかるんだ地面に、夕べの足跡が乱れている。

 軒下でこちらを見ている馬達の間に白蓬は居ない。

 

 右手がチクンと傷んだ。

 握りしめたままの拳を開くと、半月型の半透明の石。

 シンリィがいつも首に掛けていた、二つの石の片方だ……

 

 ああ……

 フウヤは脱力した。

「僕の、せいだ」

 

 冷静に判断したら、二人の病気は命に関わるような大事ではなかった。

 僕が取り乱したせい。

 無知で弱虫な僕のせいで、シンリィは魔物に連れて行かれてしまった。

 

 一人立ちするなんて勢い付いて、いざとなったらナーガさんに頼れるつもりでいた。

 最低だ………

 

 室内に戻ると、ヤンが目を開いてこちらを見ていた。

「ヤン!」

 慌てていざり寄り、頬と首筋に手を当てる。

 夕べの熱さは引いていた。

 

「薬、飲める? ああ先に湯冷ましだ。食べられるんなら雑穀を煮るよ」

 

「・・フウヤのせいじゃない」

 

 掠れた声に、鍋を手にしたフウヤは止まった。

 

「遠くに女のヒトの声が聞こえていた。最初、薬をくれたお婆さんが誰か寄越してくれたのかと思っていたけれど……外の恐ろしい声も聞こえて、起き上がりたかったのに、身体がもうカケラも動かせなくて……ごめん、フウヤ。何も出来なかった」

 

「…………」

 

「前の晩に、ルウに術を使わせたのは僕だ。誰かのせいだとしたら、僕だよ」

 

「だ、だだ誰のせいでもないっ。誰かのせいって言うの、もう禁止っ!」

 一気に吐き出して、フウヤはせかせかと朝の仕事を始めた。

 

 馬に麦をやって、湿った布類を干して……

 堪(こら)えていた塊が滑り落ちそうになる。

 駄目だ駄目。今メソメソしたって、何にもならない、何も進まない。

 

 気温が上がるとルウもモゾモゾと動き出した。

 こちらは昨日の夕方からの記憶が無いので、ゆっくり食事をさせながら経緯を話す。

 

「シンリィに、自分の人生を売り払わせてしまった……」

 

 彼女の呟いた言葉が自らに向けての物なのは分かっていたが、フウヤはまた胸が軋んだ。

 

 

「とにかく旅を続けよう。蒼の里に近付けば、連絡する手段も出て来るだろう。まずはシンリィの事を報せなきゃ。平行して炎の狼の事も聞いて回ろう」

 

 ヤンはまだ血色が悪いが、地図を広げて算段を始めた。

 この小屋は一泊限りにしてくれと言われている。

 

「今度こそ宿を目指そう。もしくはきちんと養生出来る場所」

 

 山を少し下りた所に大きな河川があり、太い街道が沿っている。

「道沿いに一軒宿くらいはあるかもしれない」

 

 地図には、村や街は記されているが、小さな集落までは書かれていない。

 しかし今日はあまり当てずっぽうに歩く訳には行かないが……

 

 少年二人が話し合う横で、ルウシェルは決心したように口を開いた。

「私が、上空から偵察する」

 

「えっ!?」

 

 彼女の飛行術と粕鹿毛の折り合いは悪いままで、挑戦しては暴走させて、シンリィが抑えに行くのが常だった。

 

「シンリィがいたからつい甘えてしまっていたんだ。もう甘えられないって覚悟すれば、きっと飛べる!」

 

 と言って粕鹿毛を引き出して来たが……

 

 ――どん!!

 

「やっぱり」

 

 風圧に尻餅着いた二人は、でもすぐに「おぉ」と声を上げた。

 

 一瞬だが、粕鹿毛が鼻面を垂直にし、馬銜(はみ)をしっかり受けたのだ。

 まるで昨日の白蓬みたいに。

 

 もっともその後は、また暴走されて散々だった。

 それでも、額にコブを作り口の中を切りながらも、ルウは自力で降りて来た。

 

「と、取り敢えず、地図と同じ形の川と街道があった。道沿いに屋根がポツポツ……これから東に向かうんだよな、そっち方面に二回曲がった所に、大きな屋根が一杯があった」

 

「やった! お手柄だぞ、ルウ」

 

「えへへ」

 

 ルウはその後、「要領が分かって来た」と、二、三回飛んだが、更にコブを増やした所でヤンに止められた。

「そうそうすぐには上達しないよ。でも、折り合える瞬間が増えたね。一歩一歩だよ」

 

「うん!」

 

 三人は、この日やっと笑顔になれた。

 

 

 ***

 

 

 ルウが見た川沿いの集落には宿屋があり、陽のある内に辿り着けた。

 

 今度は何事もなく宿泊出来て、前日の村の話をすると、「ああ、あそこはね……」と、気の毒そうな顔をされ、夕食を一品多くサービスしてくれた。

 近隣では有名だったらしい。

 

 そのまま山を迂回して、人里の多い街道ルートで、蒼の里へ向かう事にした。

 当初の予定の山脈越えより日数が掛かってしまうが、知らない土地を情報無しで歩く怖さが身にしみた。

 

 そう頻繁に宿屋には泊まれないが、街道沿いは何となく夜営ポイントがあり、不文律のように旅人同士が譲り合って使う感じになっていた。

 

 ルウは朝晩焚き火で温石(おんじゃく)を作り、常に懐に抱いているようにした。

 フウヤは勝手に一人で働こうとするヤンをガンガン叱り、ヤンは自分の役割と思っていた仕事の幾つかを、フウヤに渡した。

 

 何より、三人とも、怪我や体調の異変をすぐに言うようになった。

 無理して頑張ったって、ロクな事にならない。

 

 フウヤの胸には、革紐に通した半透明の石が下がっている。

 何かを間違いそうになった時、これを見て冷静になろうと、自分の中だけで決めた。

 

 そうして三人は、旅を始めた頃よりも、まったく違う顔付きになって行った。

 

 

 

「ここにも大した情報は無かったよ」

 

 山脈を迂回しきった草原の入り口の村。

 情報を聞き終えて村外に出ると、地平まで続く冬草の海に、広い広い空が広がる。

 

 ここまで来ると、大体の部族が蒼の一族を知っていた。

 最近長様が代替わりしたとの噂も届いていて、お祝いの裾分け菓子と、風船玉の飾りを貰ったりした。

 会った事もないのにちゃんとお祝いするんだなと、ルウは不思議な気分になって、羊の腸を膨らませた風船玉を手の間でポンポン弾ませた。

 

 直接の連絡方法を知っている部族にはまだ会えない。

 届くかどうか不明の『祈願』の方法はあったので、手紙を書いてそこに紛れ込まさせて貰った。

 

「あっちが三峰だよ」

 フウヤは、西側に延びる山脈を指す。

「麓から見上げたら三つの峰が天に突き刺さりそうで、めっちゃカッコイイんだ。ルウに見せてやりたい」

 

「うん、見に行けたらいいなあ」

 ルウシェルは青くけぶる山影に目を凝らした。

「私を送り届けたら、二人は三峰に帰っちまうのか?」

 

「そうだね、時間的にリミットだし」

 ヤンとフウヤは、三峰の狩猟が暇になる冬の間だけ、族長に許可を貰って旅に出ている。

 平野の雪はもう無いし、山ももうそろ目覚める時期だ。

 

「ルウには蒼の里で勉強するって目標があるじゃないか」

「うん……」

 

 旅はいつか終わる物。

 だけれど三人で居たのが一人と二人に別れれば、一人の方がより寂しいのは否めない。

 

「少なくとも蒼の里のジュジュはめっちゃ良い奴だよ」

「二人の話によく出て来るな。どんな奴?」

 

「え――と、イケメン」

「うん、イケメン、イケメン」

 

「二人とも、私がイケメンって言えば喜ぶと思っているのか?」

 

 馬を進めながらそんなバカ話をして笑える程、三人の傷はなだらかに癒えていた。

 だけれど、この傷は乾いても、塞がる事はない。

 羽根の子供に再び会いまみえる日まで。

 

 

 

 

 

 



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冬茜・Ⅵ

 

 

 

 「炎の狼の情報、ホンットに出て来ないな」

 

 蒼の里への連絡方法と並行して、シンリィを連れ去った魔物の情報も聞いて回っているのだが、こちらは全く進まない。

 行動範囲の広い商人や発掘職人、長く生きている妖精の翁も、そんな生き物は知らないと言う。

 

「あんだけインパクトのある外見なのに」

「もしかしたら姿を変えられる魔性かもしれない。それだったらお手上げだ」

 

「罠を張ったらどうだろう」

 ルウシェルが怖い事を言った。

 

「狼をこちらから誘(おび)き出すって!?」

「いやでも餌なんか無……」

 言い掛けてフウヤは止まった。

 ――『お前さんもある意味面白いが』

 ヤンも同じ事を思い出しているが、口に出さない。

 

「何? 何かあるの?」

 ルウシェルは他人の機微に鋭い。

 

「何にも無いよ。第一餌があったって、狼にコンタクトを取る方法なんて分かんないし」

 

 フウヤが打ち消してこの話は終わったが、彼が何か思う所あるのは、これだけ一緒に過ごした二人に気付かれない由はなかった。

 

 

 その日は、河川敷の灌木帯で天幕を張った。

 夜通し水音が止まない、秘め事にはもってこいの場所。

 

 青い三日月の下、綿帽子頭の子供は天幕を抜け出し、飛び石を渡って、明るい内に目星を付けておいた大きな中洲に立った。

 中央が小高く柳の樹林に覆われていて、天幕から死角になっている。

 

 手の中に半月型の石と、ルウの衣服から抜いた緋色の羽根。

 それらを胸に当て、一心に呼び掛けてみる。

 

 シンリィは、炎の狼を呼び出す術(すべ)を知っていた。

 自分にそれは知りようがないから、シンリィが残して行った物に僅かな望みを託すしかない。

 あの狼が欲深く、欲しいモノは全て手に入れたいと思っているなら、可能性はある筈だ。

 

「狼、炎の狼、僕はお願いしたい事があるの。代償だって払うよ」

 

 冬の終わりの流川は山の雪融けを連れて来て、中洲は立っているだけで底冷えがする。

 足の裏の感覚がなくなりかけた頃、上流に幽かな灯りが見えた。

 

 ――来た・・!!

 

 水面に一筋の炎の帯が流れ、その上を、野牛程もある巨大な獣が歩いて来る。

 全身くまなく燠(おき)炭のようなオレンジが瞬き、近付くにつれ熱に圧倒される。

 

(本当に、来た……)

 

 ただ、何だろう、前回会った時より、恐ろしさが少なくなっているような気がする。

 慣れたんだろうか?

 

 狼は中洲の端で四肢を揃えて立ち止まり、白い子供を睨んだ。

 

「身の程知らずのクソガキが」

 声は前と同じに、地の底から湧くように禍々しい。

 

「え、えっと、ありがとう、来てくれて」

 フウヤは頑張って声を振り絞った。震えている暇なんて無い。

 

「能書きはいい。願いを言え」

 

「シ、シンリィを返して」

「それは出来ねぇ」

 

「じゃあ、シンリィをここに連れて来て」

「それも出来ねぇな」

 

「願いを聞いてくれるんじゃなかったの?」

「出来ねぇ事は、出来ねぇ」

 

 狼の声は変わらず粗暴だが、意外に会話のキャッチボールはしてくれる……と、フウヤは思った。

 

「あの羽根のガキは、今、手が離せねぇんだ。ちょいとあいつにしか入れない場所があって、そこへお使いに行って貰っている」

 

「え……」

 拍子抜けした。

 支配欲に溢れた魔物がコレクション的に子供を欲しがるイメージを抱いていたのだが、単純に何か用事があったのか?

 

「お使いが済んだら帰してくれるの?」

 

「それは、その時にあのガキが……」

 

 

「ああああああ――――っ」

 

 天に突き抜ける女の子の悲鳴。

 碧緑の髪の娘が、粕鹿毛と共に夜空を急降下して来る。

 

「ルウ、まだ早い!」

 

「だってもう馬を抑えら……」

 

 言い訳する前に娘の手を離れた水をパンパンに詰めた風船が、狼の頭上に降って来た。

 だがそんな物は、炎の獣に触れもしないで、シュンと消滅する。

「しゃらくせぇ」

 低い声で呟き狼は、落ちて来る娘めがけて、前肢を振り上げた。

 

 ――パシッ

 地表で弾き音。

 水を含んだ柳の太枝が、地面スレスレを鞭のように飛んで来て、狼の足元を薙ぎ払う。

 猟師に定番の弾き罠。

 

 罠を発動させたヤンが岩陰から飛び出し、石弓を構える。

 

 狼の視線を上方に誘導していた西風の娘は、落下途中で翻(ひるがえ)って、樹林の向こうに軟着陸した。

 

 フウヤは既に第二地点に走り込み、そこのロープを切っている。

 

 ――ザザァッ!

 樹林に隠されていた濡れた投網が、勢いよく狼の頭上に広がる。

 

 ・・・

 シュウシュウと白い水蒸気が上がって、それが晴れると、焼け散った網と柳の燃えカスが残り、狼は空中に四肢を揃えて立っていた。

 

「――で?」

 

 まぁ、やっぱりね……

 

「だって、これくらいやらなきゃ、僕らの本気度は伝わらないと思って……」

 

「ガキの『だって』は、大ッ嫌いだぁあ!!」

 狼の背中から炎が噴き上がった。

 

 三人は身構えた。

 怖いけれど、一人じゃない。

 そう、一人きりで頑張ったってロクな事にならないのは、三人とも学習していた。

 

 僕らは弱い。

 だから、補い合わなきゃならない。

 

 

 ***

 

 

「ねぇ、僕のお願いを聞いて」

 

「僕の願いも聞いて下さい」

 

「私の願いも聞いて欲しい」

 

 三人の子供が三方から叫ぶ。

 

 狼は赤い炎を沸き立たせながら、三人各々をねめつけた。

「お前らに、願いの代償が払えるってぇのか?」

 

「その前にお願いの確認だよ、シンリィに関しては、どんな事なら叶えてくれるの?」

 

 狼は、もう心底面倒くさい、という風に、顔を歪めた。

 

「例えば、シンリィの身の安全と、いつかは無事に帰してくれるようにとの、お願いは出来ますか?」

「ヤン、ちゃんとご飯も食べさせて貰えるようにって付け足さなきゃ」

「あと、夜に独りぼっちにしないようにとか」

 

「がああああ――ーっっ!! うううるせぇえ!!!」

 

 また狼の背中から炎が上がる。

 しかしそれは、クスクスという笑い声で、一旦静まった。

 

 

 上流で影が動き、狼が歩いて来た方向から、また何かが近付いて来る。

 まずい、狼一頭でも敵いっこないのに、これ以上敵が増えたら対処出来ない。

 ヤンとフウヤは目配せして、ポケットの唐辛子玉を握りしめた。

 

 無鉄砲に突入するばかりでなく、逃げなきゃならない時の算段も、勿論している。

 そしていざとなったら、何を置いてでもルウを最優先に逃がす事も。

 

 しかし、当のルウは、上流を見つめて、ボケッとしている。

 

「キレイ……」

 

 女の子を呟かせたのは、蛍をまぶしたように身を瞬かせながら、水上を歩いて来る騎馬だった。

 二人の少年も呆気に取られた。

 スッと垂直に垂れた鼻筋、力を溜めた鞆(とも)、背骨同士が繋がったような騎座。

 人馬のバランスが取れた騎馬の美しさというのを団子鼻に熱く説かれた事があるが、そこに歩いて来た者は、非の打ち所のないソレだった。

 

 中洲の先端まで来て、乗り手が馬を下りると、蛍のような灯りはスッと消えた。

 群青色の長い髪の、法衣をピシリと着こなした男性。

 

「ナ・・」

 フウヤが叫びかけて、慌てて両手で口を押さえる。

 ナーガに似ているが、まったくの別人だ。

 

「お前かよ、余計な口出ししに来たんなら、今すぐ帰(けぇ)れ」

 

 狼にとって、招かざる者だったようだ。

 

「いやいや、貴方に忠告しに来たのです。この子供達の願いを聞いて、代償を貰うつもりなのですか?」

 

 涼やかな声までナーガさんに似ている。

 フウヤはちょっとイラッとしながら口を挟んだ。

「そうだよ、僕達はちゃんと払うつもり。ただし、三人とも同じ願いだから、三人で分割払いだよ!」

 

 男性が口の端をヒクヒクさせながら、狼に寄って、何やら耳打ちをした。

 狼はビクンと揺れた後、苦虫を噛み潰したような顔になり、「チッ」と吐いて踵を返した。

 

「あっ?」

 少年達が止める間もなく、赤い獣は砂利を蹴って来た方向へ飛び上がり、シュッと音を残して、かき消えてしまった。

 辺りが一気に暗くなるが、馬がまた発光を始める。

 

「何て事するの! せっかく召喚したのに!」

 

 怒るフウヤと、他の二人を順番に見やって、男性はゆっくり語りかける。

「今の貴方達は、狼の欲しいモノを持っていない。負担を分け合う気持ちなど、あの獣にとっては害悪にしかならないのですよ」

 

「??」

 

「それに気付いていないようだったので、教えてあげました。もしかしたら気付いていて、貴方達に構ってみたかっただけかもしれませんが。どちらにしても、願いを聞いてくれる気は無かったと思いますよ」

 

「そんなぁ・・」

 

「心配しなくとも、シンリィは大丈夫です」

 

 三人は弾かれたように顔を上げた。

「知っているの!?」

「何処にいるんですか!?」

「寂しがっていない!?」

 

 そのヒトはニコニコしながら、噛んで含めるようにゆっくりと話した。

「あの子は自分の意志で、狼に着いて行ったんです。去ろうと思えばいつでも去れるのに、自分で選んで狼の側に居る。貴方達が心を痛める事はありません」

 

 教えてくれているようで、結局何も答えてくれていない。

 でもこのヒトが出まかせを言っていない事は、何となく分かった。

 

 男性が後ずさって馬に乗りそうになったので、今度はヤンが慌てて聞いた。

「あ、あの、僕達、これからどうしたらいいんでしょう。何をするのがシンリィの助けになりますか?」

 

 男性は振り向いて、

「そのまま、狼の嫌う貴方がたのまま、真っ直ぐに生きて下さい」

 そう言うと、もう素早く乗馬し、立ち尽くす三人を残して、来た道を駆け去ってしまった。

 

 

 

 

 

 



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冬茜・Ⅶ

 

 

 

 

 まったく分からなかったシンリィの情報を、少しでも聞けた。

 三人の心は一歩だけ軽くなった。

「そのまま真っ直ぐに生きる……か」

 ヤンが呟いたが、言うほど単純な事ではないよな、と三人ともに思った。

 

 

 旅の初めにジュジュとシンリィに会った草原の小さな丘は、地図に印が付けられているが、まだ何日もかかる先だ。

 だが行きずりの村で、蒼の里の情報は頻繁に聞けるようになった。

 空に何度か草の馬も見かけ、フウヤのアイデアで地面に文字を作ってみたりしたが、気付いて貰えなかった。

 

「飛んでる時は下なんか見ないよ、怖いもん」

 と言うルウとフウヤがケンカになって、間に入ったヤンが気を揉む羽目になった。

 

 

 だから、やっとジュジュと再会出来たというのに、最初に出た言葉が、「飛んでる時、下見る?」だった。

 

 

 『棘の森』というのが近くにある集落で、「蒼の妖精さんならさっき、森の方へ飛んで行くのを見たなぁ」の証言を得、三人で気合いを入れて空を見張っていたら、飛んで来たのが何とジュジュだったのだ。

 

 

「え? え――と・・??」

 と返答に困っている、コバルトブルーの髪の少年に、後の言葉より先に、三峰の二人は抱き付いた。

 

「遠くは見るけど、足元なんか見ないよ、必要無いもの。真下から女の子の乗った騎馬が打ち上がって来るとは、普通思わないし」

 少年三人が絡み合う横で、ルウが額のたんこぶを押さえてうずくまっている。

「心配してやらないの? 一応女の子だろ。まぁ俺も、頭突きを喰らった顎が重々痛いんだけどさ」

 

 このヤンと同い歳くらいなのに妙に大人びた少年の、ぶっきら棒さは変わっていなかった。

 本当は、次に会ったら旅の土産話を沢山するって約束をしていたのに、そんな会話が再会の幕開けで。

 

「ごめんっ」

 三峰の二人が頭を下げ、ルウも慌てて頭を下げた。

 

「シンリィの事? いや謝る必要ないと思うよ。あいつが自分で決めた事だろ?」

 シレッと言い切られてポカンとする三人に、ジュジュは続けて言った。

「エノシラさんから大体聞いているんだ。ヤン、それと西風の妖精さんだっけ? 身体はもう大丈夫なの?」

「……うん……」

 

 取り敢えず四人は落ち着いて座り、初対面のルウシェルとジュジュは名乗り合った。

 

 ジュジュが言うには、猟師小屋に現れた幻みたいな女性・・エノシラさんは、蒼の里の住人で、シンリィの母親代わり。助産師の卵で、医療師の弟子、との事。

 夢の中で赤い狼に導かれて子供達を診察した後、すぐに起きて、夜中だったが、長殿に報告に行った。

 

 だから三人が報せなくても蒼の里は、シンリィが魔性に連れて行かれた事も知っていた。

 ついでに西風の長娘がこちらに向かっている事も知って、西風の里に鷹を飛ばして問い合わせ、留学の受け入れも了承済みだと言う。

 

「シンリィの事はさ、とにかく君らが気に病む事はない。ナーガ様がくれぐれもそう伝えてくれって。まぁあいつ、どっか行っちゃう時は必ず何か理由があるんだ。そんでちゃんと戻って来る」

 

「そ、そうなの……」

 ヤンが茫然と返事した後、ジュジュは片眉を上げて、ところでフウヤ、と切り出した。

 

「ナーガ様はさ、どちらかと言うとシンリィよりも君の事をメチャクチャ心配しているよ。感謝しろとは言わないけれど、大事に思われてる事ぐらいは知って置いた方がいいと思うよ」

 

 ムスッとするフウヤの横で、ヤンがそっと口を挟んだ。

「あの、市場で僕がヒト買いと間違えたのが、ナーガさまってヒト?」

 

 ジュジュが返事をする前に、フウヤが頬を膨らませたまま頷(うなず)いた。

 

「じゃあ、ジュジュ、ナーガさまに伝言をお願いしたい」

「うん?」

「僕とフウヤの馬は、多分ナーガさまが用立ててくれた物だ。だから、少しづつでも代金を返させて下さい、って……伝えてくれる?」

 

 フウヤはガバッと顔を上げてヤンを見た。自分からはまったく抜け落ちていた事だ。

 

「それと、ヒト買いと間違えてごめんなさいって……あ、これはいいや、いつか会えた時に直接言う」

 

「うん、それでいいと思うよ」

 ジュジュは草を払って立ち上がった。

 

「そろそろ行かなきゃ、皆が後ちょっとの所まで来ているって、ナーガ様に報告して置くよ」

 彼の髪色に似た鮮やかな草の馬を引き寄せて、少年はもう一度振り向く。

 

「それとな……シンリィが着いて行きたがったせいで、君らの旅が台無しになっちまった。すまなかった……」

 

 そんな事ないっ、と言おうとする少年達より先に、ずっと黙って考え込んでいたルウシェルが、スゥッと声を出した。

「理由があると言うのなら」

 ツンと突き出た唇がゆっくり動く。

 

「私達が、旅の何処かで病に倒れ、雨の中行き詰まる事を知っていて、着いて来たがったんじゃないのか? シンリィは」

 

 言ってしまってから、いや変な事言ってゴメン、と打ち消したが、少年三人はハッとした顔で口を開いていた。

 

 

 

 

 

 その夜三人の子供は、焚火を囲んで、それぞれの内緒にしていた事を打ち明けた。

 

「フウヤのお姉ちゃんが、ナーガさまのお嫁さん?」

 ほ――ん、という顔のヤンの前で、フウヤは真っ赤になって、別にシスコンとかじゃないしっ! と、聞いてもいないのに口走った。

「でも本当にここだけの話にして。風露は結界も無いし、お姉ちゃんを守る物が何も無いから」

 

 二人は神妙に頷いた。

 ジュジュの口調からも察しが付いていた。そのナーガさまが、『蒼の長』なんだ。

 確かに、それは内緒にしていたかっただろう。

 

 ルウの内緒話は、『ジュジュは確かにイケメンだったが、私のタイプではない』という、心底どうでもいい告白だった。

「私、もしかしたら、イケメン基準がズレているのかもしれない」

「そうか、うん、まぁ、ジュジュには言わないでやってくれ」

 

 

 そして……ヤンとフウヤは、せーの! で同時に言った。

「あのホロホロ鳥、シドさんに貰ったんだ!」

 

 もう今更で、ルウシェルは笑って呑み込んでくれた。

 手首の腕輪と、胸の緋色の羽根に手を当てて、

「私達は沢山のモノに護られて生きている。いつかは護る側に立てるようにならねば」

 そう呟いた穏やかな瞳に、焚き火の炎が静かに揺れていた。

 

 

 ヤンとフウヤは何年経っても、その時のオレンジの色を忘れない。

 

 

 

                ~冬茜・了~

 

 

 

 

                ~序章・了~

 

 

 

 

 

 

 

 




序章の終了です
次回は閑話


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閑話・草原編
ジュジュ・Ⅰ


 

 

  

 

  

 北の草原の真ん真中(まんまなか)に位置する蒼の里。

 

 草原台地を統べる偉大なる蒼の長を擁する、結界で囲われた美しい集落。

 地上からは見えない入れない。

 唯一外からのアクセスは真上から。

 住人の蒼の妖精達は、空飛ぶ草の馬に乗って外界と行き来をする。

 

 

 今年十二歳になったジュジュ少年は、修練所に通う学生。

 親は早世し、とっとと独り立ちしたいという理由で、放課後、長様の執務室で小間使いをやっている。

 

 執務室には十人ばかりの正規メンバーがいて、主な仕事は長様の補佐。

 即ち、草原の他部族から蒼の長を頼って寄せられる、あれやこれやの依頼への対応。

 勿論全部を相手に出来る訳ではないが、メンバー達は、魔物退治だ異変の調査だと、毎日忙しく飛び回っている。

 

 『蒼の長』という存在の捉え方は、部族によって差異はあるが、概ね『信仰』。

 何だか偉大で尊くて、凄くて強くて万能で、良く分からないけれど安心なヒト……って認識。

 だから色々と頼られる。解決するとまた信頼と信仰を得る。

 結果、争い事の仲裁なんかもスムーズに行く。

 

 この絶妙なバランスで、草原は昔から平穏を保てて来た。争い多い現世でそれは奇跡とも言え、その奇跡を維持する為、メンバー達は誇りを持って働いている。

 

 で、ジュジュの仕事は、彼らの靴に油を塗ったり、仕事道具を修繕したり剣を研ぎに出したり、お茶を入れたり書類を綴じたりの、文字通りの小間使い。

 さして不満は無い。

 働いたら働いただけ、気の利く良い子だと可愛がって貰える。

 ジュジュにしたら、報酬を貰っている限り真面目に働くのは当たり前。

 自分を特別優秀だとは思っていない。

 

 ただ唯一の不安は、修練所を修了したら、このまま執務室の正メンバーになると思われている事。

 

 蒼の長の誇り高き直属の配下。

 里の中でも誰でもなれる訳でなく、外の部族からは崇拝の対象。

 ジュジュも小間使いをやり始めた当初は、なれる物ならなってしまってもいいかな、ぐらいに思っていた。

 しかし半年経った今、考えが変わっている。

 

 理由のひとつは、ここで働く者達の熱量。

 メンバーはちょっとぐらいの怪我なら縛るだけで次の仕事に飛んで行くし、大机で事務方を預かるホルズさんは徹夜なんてしょっちゅうだ。

 皆、真面目で使命感に燃えている。

(暑苦し過ぎる。混じって行ける気がしない……)

 

 

 それともうひとつ。

 

 冬の初めの夕暮れ。

 雑用を一通り終えたジュジュが、小机で修練所の宿題をやっていると、入り口の御簾が開いて、群青色の長い髪の男性がシャンシャンシャナリと入って来る。

 件(くだん)の、偉大で尊いヒト。

 つい先日蒼の長を襲名したばかりの、まだ青年にさえ見える若き長、ナーガ・ラクシャ。

 

「只今戻りました。やっぱり里が一番ですねぇ、ホッコリします。あぁ、ジュジュ、お茶ください、ぬるい目で。はぁどっこいしょ」

 

 曇り一つない顔(かんばせ)は、どこぞの宗教画から抜け出したようで、音声さえオフにしていれば確かに尊い。

 このヒトが太古より永々続く蒼の長の血統の継承者。

『この世の流れを見据え、正しき方向へ風を流す力』の持ち主……

 

「あっ、茶柱が立ってる! ジュジュ、さすがですぅ」

 

 ……な筈。

 

「おい、ナーガ、長椅子で寝転ぶな。急の来客があったらどうしてくれる。もうちょっと通常時も威厳を醸し出していてくれ、蒼の長だろ蒼の長!」

 執務室の統括者ホルズは、ナーガが幼い頃からの兄貴分で、長になったからって態度を変えない。

 

「えぇ、いいじゃないですか、今は誰も来ません……ょ……くぅ……」

 

「寝るな――っっ! 報告しろ、報告。東方の年寄り連中と会合して来たんだろ!」

 

 そういうやりとりにももう馴れているジュジュは、長殿がいい加減に引っ掛けたマントを持って外へ行き、玄関デッキでブラシを掛けた。

 痛みがあったら補修せねばならない。

 やれと言われた仕事ではないが、外交に飛び回る蒼の長殿がほつれたマントを着ているなんて、有り得ない。

 

「あれ?」

 マントの異変に気付いて声が出た所で、帰還したメンバー達が坂を登って来るのが見えた。

 

 お茶を出したり用事を言い遣ったりせねばならない。

 ジュジュが慌てて中へ入ると、ナーガ長はもう大机で髪の毛一本隙の無い状態で悠然と座し、ホルズがその横で腕を後ろに組み、頭から鉄芯を通したように立っている。

 

「お帰りなさい。本日もご苦労さまでした」

 誇りを持って働くメンバーを、尊い蒼の長が丁寧に出迎え、労(ねぎら)う。

 何だかんだ言っていつも間に合うのがスゴい……と横目に見ながら、ジュジュは忙しく駆け回るのだった。

 

 こんな風なうわべの形式を嫌う子供もいそうだが、ジュジュは平気だ。

 世の中をキチンと回す為に必要だと思っている。

 彼が正メンバー入りをためらう理由は、もっと別の所にある。

 

 

 メンバーが全員帰宅し、ホルズはナーガと、明日の仕事の割り振りをしている。

 仕舞いの掃除をしながらジュジュは、さっき気になった事を思い出した。

 

「あ、ナーガ様、マントなんですけど」

「はいはい」

「ここん所、焼け焦げですか? よく見ると結構広いですよね。火傷とかしてません?」

 

「ああ」

 ナーガはマントを受け取って哀しそうに見つめた。

「自分の火傷は治癒の術を施したから平気なのですが……これ、酷いですね、お気に入りだったのに。染めたら何とかなるでしょうか」

 

 ホルズも来て覗き込む。

「何でまた?」

 

「あぁ、東方の年寄りの中に、ちょっと怒りっぽい火を吹く龍のお爺ちゃんが居ただけなんですが……大丈夫ですよ、最後は皆で肩を組んで笑って解散しましたから。大の字に伸びている御仁も居ましたが」

 

 シレっと言う横顔は、本当に気に入りのマントの心配しかしていない風だ。

 

(こういう所なんだよな……)

 ジュジュは、頭の端だけで呟いて呑み込んだ。

 

 帰りの挨拶をし、出口の御簾を潜ろうとして、恰幅のいい壮年の男性と鉢合わせた。

 

「し、失礼しましたっ」

「おお、ジュジュか、遅くまでご苦労さん」

 

 一つ前の長、ノスリだ。ホルズの父親でもある。

 長の血筋ではなく、次世代が育つまでの繋ぎの長だったが、ナーガの信頼厚く、内外の多くの者にも慕われている。

 一線を退いて隠居しているが、こうしてたまに遅い時間に現れる。

 

 出口でお辞儀して御簾を閉めた時、奥の二人がそれまでと全然違う表情で、書類や地図を大机に広げながらノスリを迎えたのが見えた。

 これからが、このヒト達にとって本番なんだろう。

 

 草原は平和で、その平和に保つのは、蒼の長の名の下に飛び回るメンバー達。

 しかし本当に怖いのは、信仰の届かない外からの介入だ。

 多分、蒼の長の仕事の主軸は、そういう諸々から、執務室の生業を含めた全てを護る事。

 どんなに危険な目に遭っても、不安を感じさせぬよう、飄々と。

 

 ・・・

 坂を反対側へ下って、居住区の裏手の修練所横の宿舎へ帰る。

 教官の卵や色んな職業の見習い達、あとたまに留学生が入ったりする、若手用の寮。

 黒の疫病で家族を失くして、雑魚寝のハウスで育ったジュジュには、ひとつ部屋が貰えるのは天国だ。この宿舎に入れるから、執務室の小間使いに名乗りを上げたのもある。

 

 手前に大きな放牧地があり、そこを突っ切るのが近道だ。

 ジュジュは迷う事なく土手を越え、真っ暗な草地に足を踏み入れた。

 里の人家の灯から離れ、目が慣れると、満天の星が広がる。

 里で好きな景色の一つだ。

 

 去年までは、ここでよく会う奴がいた。

 緋色の羽根の子供。

 何をするでもなく、ボケッと突っ立ってそこに居た。

 

 思えば彼に会ってしまった事が、今の悩みの入り口だった。

 

 ナーガ様がどこかから連れ帰った、言葉を使わない、背中に貧弱な羽根を背負った子供。

 彼の両親が里に居た頃、ジュジュは幼児だったが、翡翠色の鷹みたいな見事な羽根の持ち主と、その隣の天女のように美しい女性のインパクトは、よく覚えている。

 後で、『蒼の里の不世出の術者』と『ナーガ様の双子の妹で長の血統の保持者』の、黄金カップルだったと聞いた。

 

 最初にここで彼を見掛けた時、

(あのヒト達の子供なのか……)

 と思ったのが第一印象だ。

 

 子供は、しょっちゅう居なくなっては、大人を困らせていたらしい。

 でも何故かジュジュは、ここ以外でもよく見掛けた。

 何で大人には見つからないのかな? と思った。

 

 エノシラさんが彼の母親代わりを引き受け、修練所に通うようになった頃、ジュジュは多少の世話を焼いた。

 彼が他の子供と支障なくやって行けるよう、遊びのルールを作るなど、『子供でなければ出来ない事』をやったのだ。

 

 正直に言ってしまうと、その頃あこがれていたエノシラさんに、良く思われたかった。

 

 しかし羽根の子供は、ジュジュを認識し出した。

 大人のほとんどが相手にして貰えないと諦め、子供達をも十把一絡げにしか見ていない、プラチナ血統の羽根の子供が、自分の声には反応する。

 気持ちが良かった。

 

(一見ボケッとしているけれど、実は鋭い『見抜く力』を持っているんだろうな。何せ血統的には間違いないんだから)

 自分はそれをちゃんと知っていて、彼にも認められていると、自惚れていた。

 

 

 だからあの日、羽根の子供が里の外へ出たがった時、手助けをしたのだ。

 相方気取りだった。

 そうしてそれは、ヘシ折られた。

 

 三峰の山で、三つの部族が争って騒動になる事。

 その場に彼の馬、白蓬(しろよもぎ)が居る事。

 友達のフウヤが命の危険に晒される事。

 

 彼は、それらを分かって、行きたがったのだ。

 解決しに行くのではない。

 

『そこで起こる出来事の、予め用意されたパズルの空白に、自分というピースを嵌め込む為』に、行ったのだ。

 

 

(無理だ……)

 ジュジュは悟った。

 

 次元が違う。

 思考回路が違う。

 生きている舞台が違う。

 

 彼の側に居られるとしたら……

 

 我が身を盾にして、大人逹に間違いを訴えたフウヤ。

 そのフウヤとシンリィを、『普通の子供』と言い切ってしまえるヤン。

 

 ああいう、一途で純粋で綺麗で、『何かを持っている』子供達だろう。

 

 案の定、シンリィは、二人の旅に着いて行きたがった。

 ナーガ長はジュジュに、一緒に行っても良いよと言ってくれたが、『自分には自分の身の丈がある』と断った。

 

 

「俺は平凡だ。物凄く俗で平凡。『特別なモノ逹』には付き合い切れない。それを思い知らされるのも嫌なんだ」

 

 

 

 

 

 

 



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ジュジュ・Ⅱ

   

    

 

 シンリィが旅に出て数ヵ月。

 冬も終わりに差し掛かっていたが、その夜は酷く冷え込んだ。

 凍えるような月明かりの下、ジュジュは執務室への坂を登る。

 

 空いた時間に宿題をした時、どこかに教科書を置き忘れたのだ。

 あれがないと宿題が仕上がらない。

「う~~寒……」

 

 目的の書物はすぐに見付かり、ホッとして外に出た時、建物の裏手から人影が歩いて来た。

 そちらにはナーガ長の住居しかない。

 

(えっ!?)

 

 頭からストールをすっぽり被ったそばかすの女性。

「エノシラさん?」

 

 思わず声を出した少年を振り向いて、女性は困った顔をした。

「ああジュジュ、え、えっとね、ナーガ様に急用があったの。大した事ではないのよ、ではね」

 彼女はストールを被り直して去ろうとする。

 

 ジュジュは何も言わなかった。

 彼女には婚約者がいる。

 夜中に別の殿方の家から出て来るなんてはしたない所を見られても、俺なら他言しないと信用してくれているのだろう。

(でもそれはそれで嫌だ。俺が何も感じないと思われているみたいで)

 

 ジュジュの心情に呼応するように、女性はすぐに引き返して来た。

「あのね、貴方なら話してもいいと思うから、話すわ」

 

「いいよ、無理に話さなくても。俺には関係のない事でしょ?」

 という拗ねた言い方は、

 

「シンリィと旅に出た子供逹が、山の中で病気で倒れてしまっているようなの」

 

 という返しで吹っ飛ばされた。

 

 

   

 

「で、でも、エノシラさんの見た、『夢』の話だよね?」

 

 一通り話を聞いたジュジュは、一応そう言ってみた。

 

 ヤン達が雨の中、山奥の廃屋で苦しんでいる。一人は意識も無い。

 しかもシンリィは、彼らを助けようと、邪(よこしま)な魔物の力に頼ってしまった。

 

 夢であって欲しいけれど、所々がリアル過ぎる。

 

「ただの夢だったらいいんだけれど……」

 エノシラも、目を覚ました直後は、言いに行こうかどうか迷ったという。

「でもあの赤い魔物は以前に会った事があるの。寝ている者の夢を連れ出せるのは本当なのよ」

 

 それでもジュジュは半信半疑だった。

 シンリィが危険だと言う割りに、目の前のエノシラは不思議に落ち着いている。

 

「ナーガ様は何て?」

 

「あの方は……よく分からない」

 

「どういう事?」

 

「シンリィはいつも、行くべき所を自分で決めて、やるべき事をやりに行く、って仰るの。だから心配しなくてもいいって。そんな事を言われても、ねぇ……」

 

 ああ、俺と同じ考えなんだ……ジュジュは思った。

 そして、蒼の長の言葉は、納得出来ないながらもこの女性の心を安らげている。

 彼女は何だかんだ言いつつも、明日の仕事の為に自宅へ帰った。

 

 エノシラを見送った後、ジュジュは執務室に引き返した。

 

 

 ほどなく執務室に入って来たナーガ長は、カンテラが付いていたのと、そこに居たのが小間使いの少年一人だったのと、彼が大机に地図を広げてスタンバっていたのに、目を丸くした。

 

「ヤン達は、街道を使わないで、山脈越えのルートを使うと言っていました。エノシラさんの雨が降っていたという証言と、地形、猟師小屋らしき廃屋から、かなり絞り込めると思います」

 

「ジュジュ……」

 

「行くんでしょう?」

 どっしり構えている振りをして、エノシラさんや皆を安心させていなきゃならない立場なんだろうけれど、貴方今、スゴい顔をしていますよ。

 それと……

 

 

   ***

 

 

 

『俺で役立てる事があれば手伝います』

 そう言ってくれた少年を後ろに乗せて、ナーガ長は、高速気流で山中を目指した。

 ジュジュが地図でアタリを付けてくれた事、雨雲の範囲が小さかった事で、猟師小屋は比較的すぐに見付かった。

 

 二人、音をさせずに地上に降り立って、ナーガ長が小屋に向けて、そっと眠りの術を掛けた。

 

 戸口を潜ると、白い髪の子供が、看病の濡れ手拭いを掴んだまま、病人の前で突っ伏している。

 もしかしたら眠りの術を掛ける前から力尽きて眠ってしまったのかもしれない。

 

 具合を悪くしている二人の子供は、看病の甲斐あってか、大分落ち着いているようだ。

 

「お前が風邪ひいたら元も子もないだろうに」

 ジュジュがぐったりしたフウヤに毛布に被せて寝かせている間、ナーガは病人二人に治癒の術を施した。

 最後に小さく祝福を唱えて、外に出る。

 

「ジュジュ、この事は」

「内緒ですね、いいですよ。フウヤには俺も世話になりましたから」

「恩にきるよ」

 

 言いながらナーガは、小屋の前の獣らしき大きな足跡の前で屈んだ。

 

「あの、シンリィはやっぱり、魔物に連れて行かれてしまったんでしょうか?」

 

 魔物の術で、医療知識のあるエノシラを呼んで貰い、その代償として我が身を差し出した……

 ここへ来る前、ナーガ長はそう予想していたが、来てみたら本当にシンリィがいない。

 魔物……足跡は、エノシラの言っていたように狼っぽいが、禍々しい程に大きい。

 

「いやナーガ様、この魔物大き過ぎ。ヤバくないですか、ねえ……」

 

 返事がないので見ると、ナーガは目を閉じて、両手をぬかるんだ地面に押し当てている。

 

(『地の記憶を読む』って奴だ!?)

 

 そこで起こった出来事を、地べたに教えて貰う……今の里ではこのヒトぐらいにしか出来ない、太古の術。

 ジュジュは口を結んで大人しく待った。

 

 しばらくしてナーガは顔を上げ、やにわに、小屋の中へ引き返した。

 

「ナーガ様、何か分かったんですか?」

 後を追って扉を潜ると、ナーガは、術が効いて熟睡しているフウヤを覗き込んでいる。

 

「可哀想に」

「……?」

「シンリィを行かせてしまった自分の不甲斐なさにベソをかきながら、残った友達の看病をしていたのか」

 

 さっきは気付かなかったが、フウヤの頬は涙と鼻水の跡が筋になっている。

 

「えっ、いや、だから、魔物を追い掛けないんですか!? 俺を気遣っているんならここに置いて行ってくれていいですよ。何とでもなりますから」

 

 ジュジュは焦って言うが、ナーガは俯(うつむ)いて焦然としたまま動かない。

 

「……ないんだ」

「え?」

 

「分からないんだ。本当に分からない。シンリィの方から、あいつを追い掛けて行ったんだ」

「は・・!?」

 

「あの獣には子供の頃から付きまとわれている。『お前の欲望を寄越せ、本当は腹の底にたんまり溜め込んでいるんだろ』とか、こちらが弱っている時に現れてはネチネチと。だから今回だって僕に対する嫌がらせかと思っていた。でも、どう見たって、シンリィが自分の意志であいつに着いて行っていた」

「…………」 

 

「あいつとは相性が悪い。話が通じない、破邪も効かない。はっきり言って大嫌いだ。そんな奴に、何で着いて行ってしまうんだ……」

 ナーガは下を向いたまま、吐き捨てるように呟く。心底打ちひしがれている口調。

 そりゃ、大切にしていた子供が大嫌いな奴に着いて行ってしまったら、そうなるだろう。

 

 それでもこのヒトは蒼の長だ。

 フウヤみたいに涙でベショベショになっている訳には行かない。

(っていうか、何でいつもいつも俺の前でそういう所を見せちゃうんだよ、このヒト……)

 

 ・・・

「えっと、シンリィにとっては、相性が良いんじゃないですか?」

 

 ナーガは青ざめた顔を上げた。

 

 ジュジュは、板間の上り口に落ちていた石を拾い上げる。

 シンリィの首に掛かっていた、半月型の半透明の石。

 

「『お前の欲望を寄越せ』なんて、シンリィには暖簾(のれん)に腕押しでしかないじゃないですか。ナーガ様が言うように、ネチネチ系の精神攻撃が身上の魔物相手なら、あいつは最強だ。何か理由があって行ったんですよ。いつもそうでしょ、あいつ」

 

 長殿は、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔で少年を見つめた。

 

 

   ***

 

 

 手が泥だらけなナーガに変わって、ジュジュが、眠っているフウヤの頬を拭いてやる。

 ついでに半透明の石も握らせてやった。

「気持ち良さそうにクゥクゥ寝ちゃってさ。偉そうに突っ張ったって、結局ナーガ様の手の内なんだから」

 

「ジュジュ」

 

 強めの口調で遮られ、少年はビクッとなった。

 

「本当に内緒で頼むよ。この子は自由なんだ。何処にでも行けて、何者にでもなれて」

 

「…………」

 

 

 

 帰りの馬上。

 ナーガの後ろで黙っていたジュジュが、思い定めたように、切り出した。

 

「俺、執務室の他のヒト達みたいに、草原の平和の為とかに、身を粉にして働く程の使命感、無いんです」

 

「うん、そうか」

 

「だから、正規メンバーになるつもりはありません。小間使いの後釜が入ったら、執務室から離れて、平々凡々に生きます」

 

「うん、そうか…………ぇ?……ええっ!? 困るっ!!」

 

「困りませんよ。俺くらい働ける奴なんか、他に幾らでもいます」

 

「いないいないいないいない!!」

 手綱を握る手が興奮して、馬も何事かとこちらに耳を向ける。

 

「ジュジュがいないと困る!」

 

「ホルズさんが?」

 

「僕が困る、僕が!!」

 

「ふ――ん、じゃあ・・」

 

 少年は意味深に間を置く。

 

 今回の『内密に』は、フウヤ達に対してだけではない。執務室のホルズやノスリに対してもだ。

 偉大なる蒼の長が、夜中に勝手に私情で出掛けて、勝手に摩耗して帰って来るなんて、バレたら滅茶苦茶叱られる。「お前の身体はお前一人の物じゃないんだぞ」と。

 ナーガの身体は、ナーガの意志の自由にはならない。

 

「草原の、蒼の里の、執務室の、蒼の長の配下ではなく。俺は表向きはメンバーを名乗っても……貴方の為だけに働く、ナーガ様個人の配下になりたいんですけど。それでいいですか?」

 

 

 あ――あ、言わされちゃった……

 

 

 

 

 

 

 




・・あ、後、帰ったら、宿題、手伝ってください・・


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ジュジュ・Ⅲ

  

  

 

 

 

「パスパス――!」

「戻って、戻って、守れ――!」

 

 春のうららかな陽射し、昼下がりの修練所広場。

 元気一杯の子供逹が蹴り球遊びに興じている。

 いつもの喉かな光景。

 

 広場の隅の土手では、女の子達が輪になって、可愛いらしい色に染めたお手玉(シャガイ)を投げ上げている。

 

「ルウシェル!」

 大きなリボンを付けた娘が叫んだ。

「こちらへいらっしゃいよ。一緒に遊びましょう」

 

 声を掛けられた飴色の肌の娘は、前に抱えた大量の書物の脇から顔を出す。

「ごめん、これ今日中に帰さなきゃならなくて」

 

 そぉお? また今度ね、とか言いながら、女の子逹は速攻お手玉に戻る。

 一度は誘ったんだから義務は果たした、って感じだ。

 

「ちょっとぐらい遊んだってバチは当たらないぞ」

 建物の入り口で、横から扉を開けてくれた大柄な男性に、ルウシェルは顔を上げた。

 留学生の彼女を受け持つ、サォ教官。この砂漠の土地から来た女の子が、友達も作らずひたすら読書に専念しているのに、ちょっと気を揉んでいる。

 

「ここの図書室には、西風には無い書物が沢山ある。居る間に出来るだけ読んでしまいたい」

 娘は真面目な声で言って、お辞儀をして建物に入って行った。

 

「フラれちゃったね」

 教官が振り向くと、明るい髪色のジュジュが、肩を竦めている。

「留学して来るまでに紆余曲折あり過ぎて、遊んでいる暇なんか無いって気持ちになってんだよ。無理もないと思う」

 

「うむ……」

 確かに、ここまで来る旅の途中で、友達が一人行方知れずになってしまった。ショックが尾を引いているのだろう。

「しかし、書物の知識だけが留学の価値でもないと思うのだが」

 

「何が勉強になるかは本人次第じゃん」

 ジュジュはませた事を言って、建物に入って行った。

 

 執務室で小間使いをやっていたこの少年は、最近見習いに昇格した。

 生活が執務室中心になり、修練所には必要な講義の時間にしか来なくなった。

 サォ教官から見たら、この子だってまだ蹴り球遊びをしているような年頃なのに、そんなに急いで大人びなくてもいいのにと、これまた気を揉む種になっている。

 

 

 廊下をルウシェルの後ろから追い付いたジュジュは、手を伸ばして書物の上半分を取り上げた。

「前が見えていないとまたコブを作るぞ」

「すまない、ジュジュ」

「センセの立場もあるからさぁ、ちょっとは馴染んでる振りをしてやれよ。日誌書かなきゃいけないんだよ、あのヒトも」

「そうか、ジュジュは物知りなんだな。教えてくれてありがとう」

 

 本当に分かってんのかこいつ、と、横目でツンとした唇を眺めながら、少年は図書室まで書物を運んでやった。

 

 蒼の里の近くで、到着した彼女を迎えに行った時、一緒に旅した二人との別れを惜しんで、オイオイ泣いていた。

 友達を作れない訳でもないんだよな。

 ただ、誰とでも友達になれるタイプじゃないだけだろ。

 

 

 夕方、講義を終えたジュジュが外に出ると、広場ではまた蹴り球遊びが繰り広げられていた。

 本当に飽きないな。まぁ自分だって、いかに上手くシュートを決められるかが人生の最重要事項な時期があったよな。

 そんな事を考えていたら、目の前に球(ボール)が飛んで来た。

 

「ジュジュお兄ちゃ――ん」

 手を振るのは、ハウスで一緒に育った子供だ。

「蹴って蹴って、シュート見せて――」

 

「しようがないな」

 足の間で球を遊ばせながら、土手を下りる。

 

「全員で止めろ――!」

 と一斉に駆け寄って来る男の子逹。

 一人一人の相手をしてやりながら綺麗にかわして、最後には踵で蹴り上げた球を、空中からシュートして見せた。

 

 教えて教えて! とまとわり付く子供逹を振り切って、土手を上がると、二人の人物が立っていた。

 長い三つ編みの、助産師見習いエノシラと、本を抱えたルウシェル。

 

「凄いじゃない、ジュジュ。教えてあげればいいのに」

 

(いや、そんな簡単に言われても……)

 

 見習いになってからジュジュは、前長のノスリに付いて、剣技と格闘を習っている。

 まずは基礎体力からだと無茶なメニューを課せられて、子供の遊びに混じっちゃいけないような身体能力が身に付いてしまっている。

 

「走り込みと反復運動って言っても、あいつらはそんな時間があったら、蹴り球で遊んでいたいでしょ」

「ああ、まぁ、それはそうね」

 女性は喉かな声で答え、三人で土手を歩いた。

 

 留学生は寮に入るのだが、ルウシェルは、この先の山茶花(さざんか)林の奥の、エノシラの家に厄介になっている。

 着いたその日にエノシラが申し出た。

 寒さに弱いルウの健康管理をしっかりしたいという理由だが、シンリィが帰って来ない寂しさを埋めたかったのかもしれない。

 

「たまにはご飯を食べにいらっしゃいな。前はよく来てくれたじゃないの」

 

「うん、でも毎日遅くなるから」

 シンリィが居た時ならともかく、女性だけの家庭なんてトンでもない。

 

「ハンプク運動って何をするんだ?」

 黙っていたルウシェルが、いきなり口を開いた。

「私もジュジュみたいに、カッコ良く球を蹴れるようになりたい」

 

 ジュジュだけでなくエノシラも、え? という顔になった。

「蹴り球遊びをやりたいの? でもあれは男の子の遊びだわ」

 

「そういう区別があるのか。お手玉は綺麗だと思うが、見ているだけでいい。やってみたいと思うのは蹴り球だ。私が皆と遊べば、サォ教官は日誌に書く事が出来るんだよな、ジュジュ」

 

「…………」

 ジュジュは口を結んで、目を逸らせた。

 エノシラさんの婚約者はサォ教官だ。要するに筒抜け。

 

「わ、分かったわ。ルウが蹴り球遊びに入れて貰えるよう、サォ教官に言ってみるわ」

 

「それはダメだ、エノシラ」

 

 オレンジの瞳の娘はピシッと言った。

 この娘は、たまに大人もたじろぐ迫力を発する。

 西風の長娘というし、血筋から来る物だろうか。

 

「教官の口利きで皆の仲間に入ったのを教官が日誌に書くのはおかしくないか? なあ、ジュジュ」

 

 もう振らないで欲しい……

 

「皆の仲間に入れて貰うのは、しっかり実力を付けてから、自分で申し込む。それにはハンプク運動なんだよな、ジュジュ!」

 

 

 ・・・

 ・・・・・・

 何でこうなる・・・

 

 執務室の雑用を終わらせてメンバーが帰って来るまでの時間。

 裏手の庭でノスリに手合わせして貰うのがジュジュの日課なのだが、今日は隣にオレンジの瞳の娘が、鼻を膨らませて立っている。

 

「宜しく頼む、ノスリ殿」

 

 ハンプク運動から何故か剣の稽古の話になって、何故か無茶苦茶興味を持たれてしまった。

 まぁ、ちょっと手合わせをして小突かれれば、遊びとは違う事を理解してくれるだろう……位の気持ちで連れて来たのだが。

 

 娘の構えた木刀の切っ先が、淡い緑に光って震えた。

 

 

 ・・・

 ・・・・・・

 

「ナーガを呼んでくれ」

 

 木刀を置いたノスリが、口を手で覆いながら青い顔で言った。

 

 

   ***

 

 

「剣は父者(ててじゃ)に教わった。術はソラに。その術を剣に乗せるやり方は、母者(ははじゃ)に教わった。それは……良くない事だったのか?」

 

 ホルズも交えた大人三人が話し合うのを離れた所で待ちながら、ルウシェルは眉間に縦線を入れて沈んでいた。

 

「俺に言わせりゃ、超恵まれた環境だと思うけれど?」

 またこのパターンかよ・・って顔で、うんざりするジュジュ。

 一生懸命何かをやろうとしたら、血統だの生まれ持ったナニカだのに恵まれた奴が、スルリと割り込んでかっ浚って行く。

 

「そうか? 元老院の年寄り逹は、私の剣は汚い、邪道だって言う。私はソラの術は綺麗で凄いと思うんだけれど、それも汚い、綺麗に見えるのはお主の血が濁っているからだ、って言われる」

 

「……??」

 

「ここでもそう言われたらどうしよう。やっぱり剣技なんか見せなければよかった。全力を出さなきゃ失礼だと思ったんだ」

 

 ジュジュが言葉に困っている所に、話が終わったナーガが歩いて来た。

 後ろでノスリが顔を覆って俯(うつむ)き、ホルズがその背に手を当てている。

 

「え――とね、ルウシェル、貴女の剣は私が教えます」

 

「ナーガ長が直々に? ノ、ノスリ殿に何かあったのか?」

 

「心配しなくて大丈夫です。いきなりでびっくりしただけですから」

 

 ノスリは手を振って元気な様子を見せ、そしてホルズと共に執務室に入って行った。

 

「とにかく今の貴女に剣を教えられるのは私だけですから。明日から、早朝、修練所が始まる前に、ここに通って下さいね。……それと、ジュジュ」

 

「はい」

 何か言いたそうにして必死で堪えていた少年が、ぶっきら棒な返事をした。

 

「剣に術を乗せる。貴方にも必要になる技術です。ノスリ殿に基本を叩き込んで貰った後と思っていましたが、この際一緒に覚えて貰いましょう。毎日のノスリ殿の指導をしっかりこなし、その上でこちらにも参加出来ますか?」

 

 ……!!!

 い、今でもヘロヘロなのに。

 だけれど『はい』以外の返事はない。

 里で一番の剣士はノスリ様だけれど、ナーガ長から教えを受けるというのは、全くの別物だ。

(っていうか、俺の練度もちゃんと見ていてくれたんだ……)

 

「ノスリ殿は大丈夫なのか?」

 ルウシェルはもう一度、執務室に入った彼を心配した。

 

「ああ、貴女の作った緑の槍の光がね」

「??」

「亡き親友の作るそれと全く同じで…… 二度と見る事は出来ないと思っていた光。不意打ちにそんなのを見せられたら、誰だって動揺するでしょう?」

 

「…………」

 

「ソラに習ったのですか?」

 

「うん、ソラの得意技だ」

 

「そうですか。ソラは留学から帰った後も、精進していたのですね」

 

「…………」

 

「だからね……

 

 ――そういうのをキチンと継承して貰って、真っ直ぐに伸びるのを手助けするのも、私達の役割なのですよ――

 

 

 少し休んだノスリに稽古を付けて貰い、いつもの雑用をこなした後、ジュジュは夜更けの帰り道を歩いていた。

 

 真っ暗な放牧地に誰かが立っている。

 碧緑の髪をなびかせて、西風の娘が、月に向かって緑の槍を放っていた。

 

「綺麗だな」

 

 声に娘は振り向いた。

 

「ジュジュにお礼を言いたくて」

 

「俺は何も。ナーガ長が師匠になってくれたのは、ルウシェルの今までの積み重ねがあったからだろ」

 これは今さっきノスリ様に言われた受け売りだ。

 

「違う。いや、それもあるけれど……全部含めて、私は今とっても幸福なんだ」

 

「そうか」

 

「里に来た時、すぐに聞いた。私が師事したかったソラのお師匠さんはもう亡くなっていて、母者やシドが話してくれていた昔の駐在者達も、ほとんど亡くなっていた」

 

「……ああ」

 

「ガッカリして、それでせめて勉強だけでも頑張ろうと書物に没頭していたんだ。でも今日、私の術がそのお師匠さんそっくりだって言って貰えた。全然邪道じゃなくて、綺麗だって」

 

「うん、綺麗だよ。誰、汚いなんて言うの?」

 

「私は凄く恵まれていた。教えてくれるヒトが居て、ちゃんと継承させて貰って。それを知る事が出来て、今、幸福ではちきれそうなんだ」

 

「…………」

 

「外に出て初めて分かった。蒼の里へ来て良かった。今日ジュジュと話して良かった。内にこもっているだけじゃ、何にも知る事が出来なかった」

 

「……そうだな、その通りだな……」

 

 

 

 翌日の昼休み。

 修練所広場に、皆と共に蹴り球を追って走り回る、西風の娘がいた。

 彼女が瞬く間に蹴り球界のヒーローになり、教官の日誌が書ききれない程の文字で埋まったのは、言うまでもない。

 

 

 

 

 

         ~ジュジュ・了~

 

 

 

         ~草原の閑話・了~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 ・・・
「あと、一人だけ所在の分からない駐在者がいるんだ」
「誰?」
「『ナナ』ってヒト」
「ああ、それは……」
「母者に横恋慕して、『すとぉかぁ』ってのをやっていたんだって。
 そんで、父者に決闘を申し込んで、一発でのされたって。
 見たいんだ、あの父者に勝負を挑んだ勇者の顔を」
「…………」


閑話の終了
次回から本編開始です


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六連星(むつらほし)・Ⅰ
ヤンとフウヤ


あれから三年・・・それぞれの地で物語が動き出します
  





  

     

 筋雲に、ひときわ高く鳶(トビ)が舞う。

 初夏の三峰の岩尾根。

 

「鳶は怖くないのかなぁ」

 

 成長して黒髪から赤さの薄れたヤンが、頂上の尖り岩の先に立って、空を見上げている。

 三峰部族の徴(しるし)の、鮮やかなバンダナとビーズ飾り。

 風に揺れるは、片側が欠けた緋い羽根。

 西風の女の子が半分に裂いて、くれた物だ。

 

 ・・ん? 

 

 白い筋雲が不自然に揺れて、グニャリと歪んだ。

 その辺りを軸に、空に水滴を落としたような波紋が広がる。

 

 ――ええっ?

 

 

「ヤン――!」

 離れた梢から、白毛のフウヤが叫ぶ。

「余所見していないで。今日は大事な日でしょ!」

 

「あ、ごめん」

 

 少年は慌てて谷を見渡す。

 鹿は基本群れで移動するが、この時期は単独で動く若い牡も多い。

 だけれど今日、狙うのは……

 

「来た!」

 

 樹上のフウヤが構え、

「ザクロ岩!」

 というヤンの声で、谷に向かって飛び降りる。

 ザザァと、一直線に樹上を渡って行くフウヤの気配。

 鹿は当然、察して動く。

 ヤンは指を輪にしてくわえた。

 

 ――ヒュ――――ィイ

 

 谷に澄んだ指笛がこだまする。

 今の指笛でフウヤは鹿の逃げた方向を知り、先回りのルートへ曲がる。

 

 ヤンも岩を飛び降り、山肌を駆け降りた。

 もう昔の子供の足じゃない。

 

 あれから二度、フウヤと冬の旅をした。

 ふくらはぎは厚みを増し、バネのような体躯は、下生えを物ともせずに、急斜面を駆ける。

 

 予想通りの獣道を逃げ上がって来た鹿を、自慢の動体視力が捉える。

 流れるような動作で放たれた矢は、正確に急所へ吸い込まれた。

 

 止まっていた息を吐いて、もう一度空を見上げると、先程の波紋は消えていた。

 

「……気のせいだった? まさか、僕が見間違いをするなんて」

 

 獲物の血抜きをしていると、フウヤが上がって来た。

 二人で鎮魂の祝詞を唱え、気合いを入れて獲物を担ぎ上げる。

 通常なら二人なんて人数じゃ、獲物は現場で解体して分けて運ぶのだが、今日は形を保って持ち帰る必要があった。

 

 二人の少年がヨレヨレになりながら集落へたどり着くと、入り口で大人の男達が待ち構えている。

 門を潜ると、男達は一斉に集まって担ぎ手を引き受け、疲労困憊の少年達の背中を無言でバンバンと叩いた。

 

 広場でいつも通りの厄落としの儀が行われ、終了するや、皆がワッと声を上げる。

 

「大角を捕って来やがった」

「魅せてくれるじゃあないか、小童ども」

 

 三峰では、山への畏敬を示す為、鎮魂と厄落としが終わるまでは、慎んで待つしきたりになっている。

 だけれど今日は、少年達が仕留めて来た予想以上の大物に、歓声を上げたくて皆、喉がムズムズしていたようだ。

 

「聞いてくれ」

 イフルート族長が壇上に上がり、男達は一旦静まった。

「三峰の掟に乗っ取ってヤンは試練に挑み、捕って来たのは角が五つにも別れた大鹿。成人の儀礼の一つ目の条件を通過したと認めようではないか」

 

 男達は歓声と共に肯定の拳を突き掲げた。

 

 頬を紅潮させた少年達にヤンの母親が駆け寄り、涙ぐみながら二人の肩を順に抱いた。

 

 

 狩猟民族三峰の男性は、十五、六歳頃に成人の通過儀礼に挑む。

 即ち、一夏で、鹿・猪・鳥を一回づつ狩って来る事。

 獲物は男達全員を頷(うなず)かせる物でなくてはならない。

 歳の近い者一人を助手として補佐に使えるが、武器を持つのは本人のみ。

 

 そして他者の手を借りず、助手と二人で集落まで持ち帰る。

 実はこの『持ち帰る』が一番の難関で、何も考えずに谷底で大物を仕留めたりすると、往生する羽目になる。

 

 命に対する責任を、一から十までしっかり背負えという意味で、それを通過出来て初めて成人と認められ、意見を言えたり所帯を持てたりする訳だ。

 単純に矢を放って命を奪うだけなら、運が良ければ子供にだって出来る。

 

 

 で、今年十五になるヤンは、この夏その儀礼に挑んでいる。

 

「僕が助手で良かったの? 運ぶ事を考えたら、もっと年上の筋骨隆々なヒトに頼んだ方が楽じゃん?」

 三年半前に三峰に迷い込んだ白毛のフウヤは、明らかに種族が違う。

 元々が小柄で食も細く、この三年半で背は伸びた物の、身体の厚みが全然増えない。

 体重はヤンの半分程だろう。

 お陰でいまだに樹上を飛んで獲物を追い立てる役割が出来ているのだが、力仕事には向いていない。

 

「そうだね、でもフウヤが誘導してくれたら、確実に大物を狙って行ける。一生に一度の晴れ舞台だもの。過去の凄い例として引き合いに出される程の記録を残したいんだ。フウヤには大変な思いをさせて申し訳ないけれど」

 

「全然。再来年には僕も挑むし、予行演習になるからいいよ!」

 フウヤは貧弱な腕で力コブを作って見せた。

 それにしても、普段控え目なヤンが、こんな風に記録に拘るなんて珍しいな。

 狩猟の民としての矜持だけは、人一倍分厚いんだよな、ヤン。

 

 

 解体した鹿の角を貰って二人、桑畑の脇の帰り道。

 角を色々な角度で組み合わせて遊びながら、フウヤが聞く。

「猪は分かるけどさ。『鳥』って? 皆を頷(うなず)かせる鳥ってどんなの? 他のヒトは何の鳥を捕って合格したの?」

 

「う――ん……えっと、教えてくれないんだ」

「ええっ、どうして?」

 

 十年前の災厄で、三峰は子供の命を根こそぎ奪われた。

 ヤンに歳の近い者がいないのだ。

 実際フウヤも、ヤンが挑む段になって初めて、成人の儀礼の存在を知った。

 

「己が頭で考えるのも試練の内だとか言って」

「何だよ、それ。ヤンの世代めっちゃ不利じゃん」

 

 そんなお喋りをしながら、分かれ道に付いた。

 真っ直ぐはヤンの母が待つ家、右は糸玉婦人の家。

 フウヤは、じゃあ、と言って、右へ下る。

 

 ヤンの家に世話になっているフウヤだが、最近は、細工職人である糸玉婦人の夫の工房に入り浸っている。

 結構スジが良いらしく、気難しい親方が珍しく誉めていたと聞いた。

 ヤンの母親が、あの家に養子になってしまうのではと気を揉んでいるが、そうなったらそれで構わないと、ヤンは思っている。

 いつまでも二人一組ではない。

 フウヤにはフウヤに合った道がある筈なのだ。

 

「今、僕用の弓を試作してる。小型だけれど威力のある奴。再来年にはヤンの記録を抜いちゃうからね」

 

「ふふ、僕が運べる範囲にしてよ。そうだ、母さんの毛糸紡ぎ機を改良してくれたでしょ、隣の女将さんが見て、羨ましがってたよ」

「あは、あれ、具合良かった? 明日の休みに女将さんの所のもやってあげようか? あっ、ヤンは明日は壱ヶ原の街へ下りる?」

「うん、角を売るのと、あと多分、手紙も溜まっていると思うから」

 

 ヤンはヤンで、麓の壱ヶ原(いちがはら)の街で、やっている事がある。

 

 

 

 三年前に旅から戻ってすぐ。

 ヤンはフウヤを伴って、三峰から一番近い大きな商業地、壱ヶ原の街へ行き、旅人達が行き交う休憩所の壁一枚を交渉して借り受けた。

 

 子供が何をするのかといぶかしがられる中、塗料を作って、壁一杯に地図を描く。

 イフルート族長に借りた、近隣だけではない広範囲な地図。

 地図上の自分達の歩いた道に目立つ色を付け、その色で日付も書き添えた。

 

「自分達の旅した記録を皆に見て貰う為?」

 何だかヤンらしくないねと隣で首を捻るフウヤに、ヤンは、しばらくしたら分かる、と口を結んだ。

 

 一月ほど経って行ってみて、フウヤにも意味が分かった。

 地図に新たな道の書き込みがある。

 知らない筆記具で、日付と道。

 あと、川に『橋、流された』という書き込みと、すぐ上に『復興済』と別の文字と日付。

 

「ヤン、これって……?」

「便利で助かる物なら、皆協力してくれる」

 

 今まで、生きた情報は口伝えで貰うしかなく、その場に居る者にしか伝わらなかった。

 これなら後から来た者も簡単に知る事が出来る。

 確かに便利。

 それに直近で誰かが歩いた道と分かっていたら、安心して歩ける。

 紙の地図は貴重品だが、書かれた当時の記録でしかないのだ。

 

 前回の旅で病気で倒れた後、街道の夜営場で出会った旅人達の会話を聞いて、思い付いたという。

『病人は入れてくれない村』の書き込みもしっかりとある。ヤンではない別の誰かの書き文字で。

 

 やがて、真面目に協力しようと考える者が複数現れ、通りすがりに積極的に書き込んで行ってくれるようになった。

 文字の読めない者にも、休憩所に居る誰かしらが読んで教えてくれる空気になっているようだ。

 今では地図以外の耳寄り情報も増えたので、隣の壁も借りて掲示板にしている。

 

 ヤンは月に一、二度そこへ行き、古い掲示を消したり過去の情報簿を作ったりの管理をしている。

 イフルート族長は最初、何をやっているんだという顔をしていたが、一度街へ下りて壁の地図を見た後は、ヤンがなるべく街へ下りられるよう、買い物係に任命してくれた。

 

「さすがヤンだね。皆、役に立つって喜んでくれているよ」

 と誉めつつも、フウヤは何か引っ掛かりを感じていた。

 親切で思いやり深いヤンではあるが、こんな風に先頭で音頭を取るタイプではなかった筈……

 

 

 

 

「街へ下りたついでに、ネジとか工作の材料を頼んでもいい?」

「いいよ、朝までに書き出して置いて」

 

 家路に向いた背の高い少年に、白い少年はまだ何か言いたそうにしている。

 

「どうした?」

「いや、ヤン変わったなって思って。大勢のヒトと交流するのなんて、苦手じゃなかった?」

 

「今だってそうだよ。たまに胃が痛い」

 

「無理……してない?」

 

「無理って程でもないよ。これは布石だ。やって置かなきゃならない事。ルウとの約束」

 

「…………」

 

 

 

 三年前、蒼の里まで一緒に旅したオレンジの瞳の女の子、西風のルウシェル。

 彼女とは、結局あれきりだった。

 二回の冬の旅で、砂漠地方に足を踏み入れはしたが、結界で覆われているという西風の里は見付けられなかった。あちらはそもそも部族間の関係が悪く、隠し集落が多いのだ。

 

 一度だけ蒼の里のジュジュが三峰まで飛んで来て、帰る直前に書いたという彼女の手紙を届けてくれた。

 

 ルウは、予定通り蒼の里で留学生活を送ったが、五か月程経った頃、西風から戻った鷹の手紙が彼女の母君の重病を告げた。

 取り急ぎナーガ長が高空気流で西風まで送る事になり、彼女は取るものも取りあえず、慌てて帰ってしまったのだ。

 

 本当なら帰りに三峰に寄りたかったのにゴメンと、見慣れた可愛らしい文字の茅紙に、半分に裂いた緋い羽根がハラリと挟まれてあった。

 

 ――私は、川で会ったあのヒトに言われた通り、今と変わらず真っ直ぐに生きる。ヤンとフウヤもそのまま生きて、そしていつか必ず、一緒にシンリィに会いに行こう――

 

「僕は半月の石を持っているから、その羽根はヤンが持っていて」

 フウヤにそう言われて、ヤンはバンダナに大切に羽根を縫い付けた。

 

 信じ続ける事。

 その瞬間を手繰り寄せられるよう、今、自分に出来る精一杯をやって置く事。

 二人はその時それを誓った。

 

 

 

 壁の地図が盛況になって来た頃、ヤンは掲示板の下に、投函箱を設けた。

 積極的に情報をくれていた信頼出来る旅人達や、その伝(つて)を辿って網を広げるように、遠くの今まで縁も無かったような者達と、手紙のやり取りを始めたのだ。

 

 ――炎の狼と羽根の子供の情報を捜しています――

 

 そう、そちらが彼の、『本来の目的』だった。

 

 

 僕らは無知だ。

 何も知らない。

 だけれど、待っていても誰も何も教えてはくれない。

 知識はこちらから貪欲に捕らえに行かなくては。

 

 

「手紙で、大人相手に自分が何者であるかを名乗るのに、背伸びは要らない。『今年成人の儀礼に挑戦中。記録を残そうと頑張っています!』ぐらいの青臭い事を書いている方が、好感度が高いんだ。特にお爺ちゃんとかに」

 

「……ヤン、やっぱり変わったよ……いや、もしかしてヤンって、元々そういう奴だった?」

 

「あははは、どうだろ」

 

 黒髪の少年は、夕陽を逆光に、目を細めて笑った。

 

 

 

 

 

 

 




挿し絵:ヤンとフウヤ 
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ユゥジーン

     

  

 

「あっ、金鈴花」

 

 上空から見えた放牧地の土手に、明るい黄色の点々が散らばる。

「今年一番だ。暖かい日が続いたからな」

 

 コバルトブルーの髪をなびかせ、ジュジュは馬を降下させた。

 腰に大小の二刀を携えているが、表情の端に幼さを残す、蒼の妖精の少年。

 

 馬繋ぎ場に降り立って係りの者に馬を渡し、中央の坂を駆け登る。

 執務室に戻って報告書を提出するまでが任務なのだ。

 デッキを上がって御簾を開くと、大柄な男性がもう目の前に迫っていた。

 

「おかえり、ジュジュ、どうだった!?」

「問題ないですよ、ホルズさん、近い、顔が近いですっ」

「そ、そうか、いや、すまん」

 

 執務室統括者のホルズは、外仕事に出初めたばかりのジュジュ少年が、心配でしようがない。

 

「棘の森の大猪殿はヘソを曲げたらすぐ暴れだすってぇから、気が気じゃなかったぞ」

 

 子供時代から放課後に小間使いに通って、一所懸命働いていた健気な少年を、彼は大いに気に入っている。春に修練所を修了して執務室の正式メンバーになった時は、本人よりも大喜びした。

 

「ナーガの奴、何であんな偏屈爺さんの担当にお前を据えちまったんだ。もっと易しい所があるだろうが」

 

「そうですか? 二、三回お使いに行った事もあるし、そんな大袈裟に心配する程じゃないです」

 少年はシレッと返して、さっさと報告書を書き出した。

 難しいお年頃だな・・とホルズは肩を竦め、自分の事務仕事に戻る。

 

 ジュジュがキッチリ報告書を書き上げて提出した所で、御簾が開いて、ナーガ長が入って来た。

 

「只今戻りました。やっぱり草原の風は良いですねぇ。ホッコリホッコリ」

 

「おぉ、ナーガ、お疲れ。西方はどんな感じだった? んん……う――ん?」

 ホルズが立ち上がりかけて、ちょっと言葉を詰まらせた。

 

「俺もやっぱり、お前さんの事『様』付けにして敬語で喋るようにした方がいいか? これからジュジュの下の者も入って来る事だし」

 

「嫌ですよ、今更。ホルズに『ナーガ様』なんて呼ばれたら、自分の名前じゃないみたいで。対外的な場面だけ繕ってくれればいいですから」

 

「……そうか」

 

 その対外的な場面でボロを出したら困るから提案しているんだろうに、相変わらずフワッフワなヒトだなぁとジュジュが口を結んでいると、ナーガは思い出したように彼に向き直った。

 

「ああ、名前と言えば、ジュジュ」

 

「は、はい」

 

「出先でピンと来た言葉がありましてね、あまりに素敵だったので、貴方の成人の名前にしちゃおうかと……」

 

「ちょ、ちょっと待て、ナーガ!」

 ホルズが泡喰って、ゴツイ手を伸ばして長様の口を押さえた。

 蒼の長であるナーガが口に出してしまうと、その言霊はもう覆せない。

 

「こいつまだ修練所を出たばかりだぞ。幾ら何でも早いって」

 

「モゴ・・早くもないと思うんですけれど、モゴゴ・・ジュジュはどうですか?」

 

「え、えっと?」

 蒼の妖精は、一人前と認められて初めて自分の名前が貰える。

 それまでの仮名(かりな)を外して成人の名を貰うのは、人生の一大イベントだったりするのだが……

「ちょっと今、急過ぎて頭が追い付いていないです」

 

「儀式とかしたいですか?」

 

「あ、そういうのはパスで」

 

「では、命名してしまいましょう。貴方の名前は『ユゥジーン』。西方の言葉で『目映(まばゆ)い誕生』という意味です。宜しく新たな光」

 

「あぁあ、本当にサラッと命名しちまいやがった」

 

 頭を押さえるホルズの横をすり抜けて、ナーガは、では、と御簾を潜って出て行ってしまった。

 

「西方の年寄り連中との会合報告がまだだろうが! まったく何しに来たんだ。なぁ、ジュジュ。……ジュジュ?」

 

 少年は、目の前で何かが炸裂したような表情で、自分の両手を見つめている。

 気のせいかキラキラ光が飛んでいるような。

「・・ユゥ・ジー・ン・・」

 

 ホルズは溜め息吐いて、突っ立ったままの少年は放置して、大机に戻った。

 まったくあいつ、こういう所でしっかり『蒼の長』を見せ付けて行きやがるんだよな……

 

 

 本日の外回りメンバーが全員帰還して、ホルズと少年が二人で仕舞い仕度をしている所に、御簾が開いて、恰幅のいい壮年の男性が入って来た。

 

 ホルズの父親で、前長のノスリ。

 現役時代は里一番の剣士で、今は少年の剣の師匠をやっている。

 

「ナーガに聞いた。ジュジュが名前を貰ったんだってな。おめでとう、ユゥジーン」

 

 少年は背筋がビビッと伸びた。

 名前って不思議。

 呼ばれる度に自分がカタチ創られて行く。

 

「そうなんだよ、あいつ、通りすがりにサラッと付けて行っちまいやがって。……親父の所に居たのか?」

 

「ああ、さっきまで、ちょっと相談されていた。大した事じゃない」

 

 引退した後、表舞台から引いているノスリだが、ナーガはしょっちゅう彼の隠居部屋へ訪ねて行く。

 三年前まで蒼の長だった訳だし、当然と言えば当然かもしれないが、ホルズは一抹の寂しさを感じている。

 

「今の執務室を切り盛りしているのはホルズさんなんだから、ホルズさんに話せばいいのに」

 少年が的確に上司の心情を口にし、ホルズは揃え掛けていた書類の束を落っことしそうになった。

 

「いやいや、本当に大した事じゃないんだ。プライベートな相談。ナーガの子供の事だ」

「風露の里で育てているって子供か?」

 二人は声のトーンを落とした。

 少年も口を挟まず黙っている。

 

 ナーガ長が妻を娶った事と子供が生まれた事は、ごく僅かな者しか知らない。

 超機密事項なのだ。

 

 三年前に妻を持ったナーガだが、相手は実家に住まわったままで、夫が通う形を取っている。

 先方の部族の掟が非常に厳しく、こういう形でないと一緒になれなかったのだ。

 

 だが先方は、結界どころか何の防衛手段も持たない風露の部族。

 偉大なる蒼の長の妻子がそんな所に居るなんて、そら恐ろしくて誰にも言える訳がない。

 

「何でそんな面倒くさい部族の娘に惚れちまったんだよ」

 とブツブツ言いながらも、あの草食がやっとその気になってくれたのだからと諦めて、ノスリは祝福に行ったのだった。

 

 

「で、子供って女の子だよな。そろそろ二歳だっけ?」

 

 七つまでは母親の元で養育し、修練所に入る歳になったらこちらへ引き取るという事で、話は付いている。

 まぁ、ナーガだってそうだったから、ホルズ達にとって違和感はない。

 

「その娘の成長速度が、異常に早いって言うんだ」

「早いってどのくらい?」

「まだ二歳の誕生日を迎えたばかりなのに、五つか六つ位。言葉もそれくらい喋るってさ」

 

 勿論風露でも前例が無く、子沢山のノスリ家でそんな例はなかったかと、ナーガは相談に来たらしい。

 

「う――む」

 蒼の妖精の成長の仕方はまちまちで、たまに極端に遅い子はいる。

 ナーガの妹ユーフィなどは、子供時代が長くて、双子なのにアンバランスな時期があった。

 

「しかし、幼児の内から早いって珍しいな。ちゃんと中身が詰まるのか心配になっちまうぞ」

 

「後な、更に困った事に」

「んん?」

「嫌われてるんだとさ、その五、六歳に見える二歳の娘に」

 

 後ろを向いて掃除をしていたユゥジーンが、思わず吹き出した。

 

「相談事の八割方はそれだった。な、大した事じゃないだろ」

 

 ノスリは肩を竦めて締め括った。

 

 

 

 

 

 

 



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リリ

   

   

 

「そう、弟は……フウヤは元気にしているのね」

 

 風露草色の瞳をしばたかせて弟の近況を尋ねる女性に、ナーガは優しくゆったりと答える。

「ああ、直接は会っていないけれど、三峰の族長殿と書簡でやり取りをしていてね。友達と旅をしたり、細工職人に弟子入りしたり。最近は友達の成人の試験を手伝っているらしい」

 

「まあ、あの子にそんなお友達が……」

 

 蒼の里より北西に十数里、

 ミルクの霧に尖塔群がそびえる、風露の谷。

 ナーガの妻フウリは、ここで楽器職人として生涯を過ごす。

 風露の民は全員がそうで、ここでは当たり前な事なのだ。

 

「あちらの子は……あ、いえ」

 フウリは言いかけて止め、そっと、自分の二胡の縁をなぞった。

 

 今は行方知れずだという、この方の甥子の羽根の子供。

 彼に貰った木切れはこの方の二胡の立ち駒に使ったが、残った破片を細工して、自分の楽器の端飾りに埋めてみた。

 そのせいか、この方との奏(かなで)は、本当に素直に響き合う。

 ……不思議な子供だった……

 

(早く見付かりますように)

 フウリは心だけで念じて、また弓弦を取った。

 

 しばらく妻の奏(かなで)を聞いていたナーガが、ふと立って、戸口に寄った。

 

「きゃ」

 

 戸口の横の壁に背中をもたせ掛けていた女の子が、小鳥みたいな悲鳴を上げる。

 フウリと同じ紫色の前髪に、ビイドロみたいに真ん丸な瞳。

 

「あの、ろーしさまが……ちゃんとアイサツにいきなさいって……」

 小さい唇が消えそうな声で喋る。

 

「リリ!?」

 ナーガは目を丸くした。

「ええっ、本当にリリか? リリ……だよなあ?」

 

「先月より頭一つも背が伸びたんですよ」

 フウリが歩いて来て、娘の手を引いた。

「ちゃんと挨拶って、当たり前でしょう。お父様がみえているというのに、どこへ行っていたの?」

 

 リリと呼ばれた女の子は口をキュッと結んで、ギクシャクした動作で部屋に入った。

 ワサワサと広がる猫っ毛は、前髪が紫、後半分は蒼の一族の空色、後頭部にナーガと同じ群青色が一房。親が言うのも何だが、かなりカラフルだ。

 

「まあまあ」

 ナーガは娘の目の高さまで屈んだ。

 目線を合わせて喋るのはノスリの指導だ。

「たまにしか会えないからね。今日も元気なリリのお顔が見られて嬉しいよ」

 

「……………」

「リリ」

「……こんにちは」

 フウリに促されて挨拶したが、女の子の表情は強張ったままだ。

 

「今日は何をしていたの?」

「……別に……何も……」

 

 月に一度会えるか会えないかの父親じゃ仕方がないのかもしれないが、もうちょっと懐いてくれたっていいじゃないかと思うのは、ワガママなのだろうか?

 自分の子供時代、氷の神殿で、たまにしか父親に会えなかったけれど、大騒ぎで妹と膝の上を争った物だったのになぁ……

 

 ガックリするナーガの横で、フウリも申し訳ない気持ちになる。

 でもこの娘は蒼の妖精なのだ。

 畏まって父の前で座る娘は、数えで二つの筈なのに、もう六つか七つにしか見えない。語彙は少ないながら、文章をきちんと喋る。風露の子はこんな成長の仕方はしない。

 

 就学年になったら蒼の里へやる事になっている。寂しいけれど、フウヤと比べたら、行った先で望んで待たれているこの子は幸せなんだろう。

 

「あたし、おトモダチとヤクソクしているの」

「リリ、お友達とはいつでも会えるでしょう?」

「うぅん! ここを出ちゃったらもう会えない!」

「リリ!」

 

「いいよ、リリの言う通りだ。友達は大切にしなくては」

 ナーガは優しく言ったが、リリは最後まで仏頂面なまま、お辞儀をして、隣の塔へのツタを滑って行ってしまった。

 

「ごめんなさい、あの子……」

「なかなか来られない僕が悪いんだ。あの子を健やかに育ててくれている。感謝しているよ」

 

 そう言いながらも、ナーガはやはり複雑な気分だった。

 初期のシンリィといい、自分は子供を警戒させる何かを持ってるのだろうか?

 

「こちらの子も、リリみたいに元気で生まれてくれますように」

 気持ちを切り替えるように、ナーガは妻のお腹に手を添えた。

 前回来た時より大分目立つようになった。

「作業も大切だろうけれど、無理をせずに……って、釈迦に説法か。でもとにかく大事にしておくれ」

「今は力を使わない細工仕事だけを回して貰っています。大丈夫、スクスク順調ですよ」

 

 明るく答えるが、フウリには心の底に言えない思いがあった。

 ――こちらの子は、風露の種族に生まれてくれますように――

 

 この優しい夫が求婚に際して、こちらの部族の掟を全て呑んでくれた事には感謝している。

 もっとも、呑まねば風露の老師様は認めてくれなかった。

 

 そしてこの方の跡取りが重要だという事は、この谷を出ない自分にだってヒシヒシと伝わる。

 だから、生まれた子供が蒼の妖精ならば、快く送り出すつもりだ。

 

 けれどやはり、思ってしまう。

 ずっと一緒に暮らせる子供だって欲しい。

 

 

 

 

 風露を後にして月夜を駆けるナーガは、厳しい顔をしていた。

 

 娘(リリ)の成長の仕方は、やはり異常だ、早過ぎる。

 ノスリに聞いても、似た事例は見付からなかった。

 『稀だが、たまにはある事』であって欲しかった。

 

 一つだけ思い当たるのだ。

 一つだけ、その前例を聞いた事がある。

 

 自分の叔父……二代前の長。

 あのヒトが、先代の父親に急死された時、実はまだ儚げな子供だった。

 それは本人の口からではなく、当時叔父の片腕だったオタネお婆さんという故人から聞いた。

 彼が本当に短期間で、異様な早さで大人まで成長してしまったという事。

 本人には自覚が無かったのかもしれない。

 

 当時は、人間の帝国が産声をあげる前の混沌の時代だった。

 人間界も人外界も荒れに荒れ、蒼の里も多くの犠牲を出したと聞く。

 彼は一刻も早く大人になる必要があったのだ。

 

 

「あの子が、大人に全て委ねられる甘やかな幼子(おさなご)の時代を犠牲にせねばならぬ程の、『何か』が来ると言うのか」

 

 それは許さない。

 『何か』が来るのなら、自分が全力で阻止する。

 護り切れなくて後悔する事は、二度としない。

 

 

 

 

 

 




挿し絵:リリ 
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ルウシェル・Ⅰ

 

   

 

 砂の地平が滲(にじ)んで波打つ。

 

「嵐が来る」

 

 粕鹿毛の鞍上でオレンジの瞳の娘が、首のストールを鼻の上まで引き上げた。

「狩りは終いだ。根城(ねじろ)へ戻るぞ!」

 

「嬢(じょう)!」

 殿(しんがり)を務めていた灰色の騎馬の青年が叫んだ。

「砂の魔だ!」

 

 後方で砂が盛り上がり、かなりな早さでこちらへ向かって来る。

 一匹二匹じゃない。

 砂嵐と挟み撃ちの形になる。

 

「ふん」

 娘は剣に手を掛けた。

 

「お前ら南東へ走れ。流砂の谷を迂回しても、今なら砂嵐から逃げ切れる」

 

「嬢、我々も!」

 剣を抜き掛ける灰色の若者達を、娘は制した。

「今日は守るべき者が居るだろう」

「あ……」

 

 この日は初めて狩りに出た子供が二人、同道していた。

 真っ青な顔で肩を竦(すく)めて、歯をカチカチ震わせている。

 

 娘は子供らに寄って、今一度ストールを引き下げた。

「馬のタテガミをしっかり握って、死ぬ気で皆に着いて行け。お前らは誇り高い『砂の民』だ。目を上げろ」

 

「は、はい!」

 子供は電気で打たれたみたいにピシッと背を伸ばした。

 

「行け!」

「おぅ、嬢も気を付けて!。」

「案ずるな、子分を守るのは親分の役目だ」

 砂の民の若者達は年若い者を囲む陣形で駆け去った。

 

 娘は迫り来る砂の魔に向き直って抜刀した。

 柄に七宝の花模様の、白銀の剣。

 

 ――!!

 砂が跳ね上がり、数匹の巨大蠍(さそり)が空中に踊る。

 

「出会った事を不運と思え! 私は『砂の民』のルウシェル!」

 

 

   ***

 

 

 三年前。

 

 北の草原、蒼の里で、学問に剣の稽古にと充実した日々を過ごしていたルウシェルの元に、西風から戻って来た鷹が、母が重病との報を告げた。

 

 動揺する彼女を、ナーガ長が先導し、高速気流とやらで、粕鹿毛と共に西風の里まで送ってくれた。(行きに何週間も掛けた距離を、半日も掛からずに飛んだのにはビックリした)

 

 帰ってみると、母のモエギは目の下に隈を作っていたが、重病という程でもなく、手紙に書いた覚えもないと訝(いぶかし)んだ。

 

 案の定、元老院の手の者が巧妙に、鷹の足筒に忍び込ませていたようで。

「長様がご病気なのは事実であろう。気を回して差し上げた我々の好意に不服を言い立てられるとは、我らは何と不憫な身の上であろうか、おろんおろん」

 という言い訳まで用意されていた。

 

 彼らは小娘が高い段に行くのを阻止したい。

 賢くなられては困るのだ。

 

 

「元老院がネチネチ嫌がらせをして、モエギ様に心労を貯めたんだろうが」

 憤慨するシドに、帰って一度も座らせて貰えずあちこち引き回されたルウシェルが、ポツンと言った。

「もういい、シド。我らが暗い顔をしていると母者の身体に障る」

 

 両側から彼女を見下ろしたシドとソラは、目を丸くした後、本当に悔しそうに唇を噛み締めた。

 

 

 西風の里は、蒼の里と違って絶対君主制ではない。

 長が頂点である事に変わりはないが、元老院という年寄り集団が、強い発言権を持っている。

 多分元々は、年長者の知恵で長を支えるという意味合いだった。この形が出来た時代は、長く生きた者は年数分の知識と徳を、きちんと積み上げていたのだろう。

 

 今の西風の里は、ぶっちゃけ、子供達が遥かな大空へ駆け上がって行こうとするのを、老人が権力誇示の岩で繋ぎ止めているだけだ(シド談)。

 岩を外すと、自分達の立場が失われて行くようで、怖いのだろう(ソラ談)。

 

 留学へ行く前、ルウシェルは母に愚痴った事がある。

「母者、もう石頭の年寄り達なんか無視して、若者だけでガンガン回して行けばいいじゃないか」

 

「ああ、だけれど、ルウシェル」

 モエギは朝夕の風を流しながら、静かに説く。

「私は西風の長だ。長は切り捨ててはならない。新しきも古きも、良きも悪しきも、里の全てを知って受け止めなければ、風が流せない」

 

 彼女は、老人達から元老院を取り上げると、生き甲斐を失くしてたちまち萎んでしまう事を知っていた。

 ひたすら、実際に里を運営する若者達と化石頭の老人の間に立って、摩擦を軽減していた。

 

 

 今回は、ルウシェルが留学に行っている間に、元老院の頂である大僧正が身体を悪くして動けなくなった。

 残った老人達は勝手に不安を募らせた。

 モエギ長が、この期に老人達の力を削りに掛かるのではないかと。

 焦りから、権力の確認の為だけのような言い掛かりを吹っ掛け続け、彼女が倒れるまで追い込んだのだ。

 

 

「僕達が付いていながら、申し訳ありません」

 

「いいよ、シドもソラも西風の為に忙しく働いてくれている。これからは私も母者の側で手伝うから」

 そう言ってルウシェルは、十一の子供とは思えない健気さで、母に添って補佐をし始めた。

 蒼の里で読んだ様々な書物が彼女の才能を開花させたようで、その利発さは目を見張る物だった。

 

 留学へ行く前の我が儘な糸の切れた風船娘を知っている里の者達は、この変わりように目を見張り、同じ年頃の子供を持っている親達が留学に関心を持ち出すのは、至極当然だった。

 修練所のシドの所に相談を持ち掛けて来る家庭が幾ばくかあった。もっとも距離を考えるとそうそう気軽に行ける物でもなく、大体は話を聞いて諦(あきら)めている。

 

 そういった現象は元老院にも伝わり、勿論彼らには面白くない事だった。

 蒼の里を上に仰いではいる老人達だが、里人の信頼があちらに偏るのは、自分達の持ち物が減るような気がして嫌なのだ。

 

「教官同士は仲が良いんですけれどねぇ」

 シドは心配するモエギの前で、肩を竦めた。

 元老院から修練所に、シドに対するあらぬ言い掛かりが来たようだが、こちらは上で庇って貰えた。今の修練所の教官達は、蒼の里の駐在員が居た頃の教え子が中心で、元老院の息の掛かった者でも、モエギ長に好意的だった。

 

 そういうのが余計に元老院を意固地にさせて行ったのだが、モエギやシド達は、その意固地の度合いを甘く見ていた。

 

 

 留学から帰って数ヵ月、風のザワ付く冬の夕暮れ。

 そういえば去年の今頃、家出をしたんだっけ、今年の冬はヤンとフウヤはこちらへ来るのだろうか、会えるといいなぁ……等と思いを馳せるルウシェルの部屋の窓を、蒼白なソラが叩いた。

 

「最小限の物だけ身に付けて、そっと窓から出て下さい」

 青年のただ事ではない表情に、ルウは即座に従った。

 ソラの目眩ましの術に紛れて移動していると、玄関に複数の訪問者が居て、母が対応しているのが見えた。

 何だが揉めている風だった。

 

 灌木帯を潜って厩(うまや)の裏手に行くと、シドが自分の馬に鞍を置いて待っていた。

「粕鹿毛は今、押さえられています。でも後で必ず送り届けますから」

 そうして、彼の前に乗せられマントに覆われ、夜闇に紛れて上昇した。

 

 里を出てすぐの遺跡跡で、父のハトゥンが待っていた。

 ここいらで一番勢力のある『砂の民の部族』の総領息子で、モエギの配偶者。

 お互いの役割があるので共に暮らしてはいないが、外ではしょっちゅう会っている。

 この夫の存在も、純血主義の元老院は気に食わない。

 

「我が娘よ、うちの爺さんが会いたがっている。しばらく付き合ってはくれまいか」

 

 

 

 それ以来ルウシェルは、砂の民の集落の、父と祖父の元で暮らしている。

 理由を聞いても、閻魔様みたいな顔をした総領殿(おじいちゃん)に、「子供が余計な心配をするでない!」と一喝される。

 皆が自分の為に、何か凄く無理を通してくれた事だけは感じ取れた。だから素直に従った。

 

 『砂の民のルウシェル』として暮らし始めてすぐ、年の近い子供達の中に放り込まれた。

 西風では、元老院の働き掛けで他の子供達と一線を引かれていたので、嬉しかった。

 最初はコチャコチャ言われたが、父仕込みの喧嘩術が役に立ち、厳正な総当たり戦を制して、見事『親分』を勝ち取った。

 

 みんな『様』は付けないで、ルウとか嬢とか呼んでくれる。

 同い年なりの冗談を言い合い、じゃれ合い、狩りに出たり遠乗りに出たり、西風では経験出来ない遊びも教わった。

 あまりに自由でのびのびし過ぎて、生まれた時からここで暮らしていたような錯覚に襲われる程だった。

 

 シドとソラが、乗馬や勉強を教えに通って来てくれた。

 彼らを通じて母と手紙のやり取りもした。あの日の真相には触れてくれなかったが。

 

 十二の誕生日に、やっとすべてを知る事が出来た。

 

 その日はシドとソラが、祝いに長剣を届けてくれた。

 包みを解いて、ルウシェルは息を呑んだ。

 柄に七宝の花模様が散りばめられた、あまりに美しい白銀の剣。

 見た事もない代物に目を白黒させていると、昨年ナーガ長がルウを送って来た時に置いて行った、蒼の里からの贈り物だと、ソラが教えてくれた。

 

「僕はこの剣を知っています。一度だけ腰に下げた事がありました。今は亡き、ナーガ様の妹君から借り受けて」

 シドに言われて、ルウシェルは泣きそうな気持ちで、ずっしり重い剣を受け取った。

 

 西風では十二で帯剣を許される。

 その日から自分に責任を持ち、独りで身を守るという意味だ。

 渡した後、二人は粛々と教えてくれた。

 

 あの時元老院は、長娘ルウシェルの婚姻を一方的に進めていた。

 相手は勿論自分達の手の者。

 日に日に手に負えなくなる長娘を、一刻も早く支配して閉じ込めてしまいたかったらしい。

 

「そんなの、断って済ませられない物なのか?」

「あのヒト達の頭にそういう構造は無いですから。百万年前のやり方を押し通そうとしていました」

「…………」

 

 その百万年前のやり方がどういう物なのか二人は具体的に教えてくれなかったが、良くも悪くも荒くれ者な砂の民の若衆の中で俗な知識に揉まれていたルウシェルは、背中でゾワッと理解した。

 

 逃がしに来てくれたソラが蒼白だったのが分かった。

 

 さすがにモエギ長も、娘を里から離す選択をした。

 老人達は、どういう事が『酷い』のかの基準が違う。

 『善き事』だと思い込んでいるのが始末におえない。

 

 そうして、総領殿(おじいちゃん)が一人で悪者になってくれた。

 孫娘を側に置きたがる、『無駄に権力のある我が儘爺さん』を演じてくれたのだ。

 

 

 そこまで聞いてルウシェルは、胸の緋い片羽根と赤メノウの腕輪、それと授かったばかりの長剣に手を添えて、目を閉じた。

 

 皆を守れる者になりたいのに……

 

「まだ、守られてばかりだ……」

 

 

 

 

 

 

 




挿し絵:ルウシェル成人ver 
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ルウシェル・Ⅱ

 

   

   

 蠍(さそり)を一掃した後、砂嵐をやり過ごしていると、夜になってしまった。

 剣の汚(けが)れを砂で落として、今現在十四歳のルウシェルは、星を見ながら帰路に付く。

 

「あ……」

 見馴れた地形があった。

 あの崖を飛び降りれば結界を越えて西風の里だ。

 母者も居る。

 

「…………」

 ルウシェルは顔を背けて通り過ぎた。

 

 母の側に行きたい。

 行って、身体の優れない母に、当たり前に寄り添いたい。

 

 何故それが叶わないのだろう。

 いつまで待たねばならないのだろうか。

 大僧正が喪して元老院が力を失くすまで?

 ヒトの死を願うなんて卑しい。

 そんな風に考えなきゃならないのが虚しい。

 

(どんなに研鑚をして勉強をして頑張っても、挽回させて貰えない……)

 

 母は、自分を出産した後、何日も生死をさ迷った。何とか持ち直した物の、それまで健康過ぎる程だったのに、病気ばかりする身体になってしまったという。

 かなりな術使いな筈なのに、すぐに体調を崩すので無茶が出来ない。それで段々に、この地での西風の立場が弱くなった。

 

 ――貴女様がもっと容易(たやす)く生まれてくだされば――

 元老院が自分を疎んじるのも無理はないのだ。ハッキリ口にするのは老人達だけだが、そう思っているのは彼らばかりでもないのだろう。

 

 里の民達、シドやソラ、母者だって、そんな気持ちが心の何処かに多分ある。

 無いって言ったって、きっとある。

 だから、誰の手を握るのも怖かった。

 

 そこまで考えて、ルウシェルは天を仰いで頭を振った。

(……独りはよくない)

 詮無い事ばかり考えてしまう。

 

 明るい事、楽しい事を考えよう。

 

 手を握って交流してくれたヤン、一生分くらいお喋りしたフウヤ。

 あの子達に会いたい。また一緒に焚火をしたい。

 

 ああ、もう声も変わって、大人っぽくなっているのかな。

 三峰は十五に成人の試練があると言っていた。ヤンなら立派な狩人になるだろう。

 もう焚火をしたり、口琴を弾いて踊ったりはしてくれないかもしれないな…………

 

 ダメだ、また気持ちが沈んで来た。

 

 

 

 ―― ピチョン ――

 

 背後で水滴の音? 

 まさか、こんな夜の砂漠の真ん中で?

 

「あっ!?」

 

 ルウシェルは咄嗟に危険を感じて、馬を前に飛ばして逃げようとした。

 一瞬遅かった。

 背後の空中(?)一杯に、丸い水の波紋が広がり、その波頭がぶつかって来たのだ。

 ――衝撃! 重い!

 馬と共に、もんどりうって砂に投げ出される。

 

 急いで起き上がって辺りを見回したが、サソリの残党ではないみたいだ。

 だが……? 周囲が、一変している!? 

 

 星明かりが消えた、真っ暗だ。

 空気が水の中みたいに重い揺らいで、真っ直ぐに立っていられない。

 馬は自力で立ち上がったが、ウロウロと怯えている。

 

 剣を抜いて構えた。剣も腕も重い。

 漆黒の闇、音も無く、不穏な空気だけが増して行く。

 

 水底のような揺らぎ、重くゆっくり対流する空気。

 そうだ、フウヤが言っていた、最初に赤い狼が現れた時の状況に似ている。

(だとしたら、また赤い狼が来る?)

 

 ルウシェルは一所懸命、状況を把握して落ち着こうとした。

 呼吸は出来る。でも、胸に冷気が入って一息毎に全身が凍える。

 西風の妖精は体温が下がると動けなくなる。まずい……

 

(そうだ、蒼の里で習った破邪の術を試してみよう。邪気払いの効果があると言っていた)

 剣を頭上に掲げ、集中のやり方を一所懸命思い出して、唱える。

 

 ――破邪!!

 

 剣から薄っすら光が広がった。が、冷気が少し四散しただけだった。

(駄目だ、利いている気がしない。そもそも習っている途中だったし、私の術力は母者みたいに高くないんだ)

 

 

《 ――ああ、中途半端! 》

 

 いきなりの声に、背筋が総毛立つ。

 剣を構えたまま翻ったルウシェルは、そこに居る者を見て、口をポカンと開けた。

 

(……何で、こんなモノが居る?)

 

 薄暗い水底のような対流の中、何処かからの僅かな明かりに照らされながら浮いているのは……自分そっくりな娘だった。

 服装も髪型も、手首の腕輪も同じ。気持ち悪く感じたのは自分の声だったからだ。

 

 少し斜めで、髪を千々(ちぢ)に乱しながら、水に浮かぶようにゆっくりと回る自分。

 顔がこちらに向いた時、胸がゾワッとなった。

 自分そっくりな顔では見たくない、亡霊のように生気のない表情、色のない唇。

 

《 ――腹が立つよね、もっとちゃんと習いたかったのに、中途半端にされてしまって。あんなに苦労して蒼の里に行ったのに。ああ、嫌い、嫌い 》

 

「な、何が嫌いって?」

 思わず問い掛けてしまった、自分に。間抜けだ。

 

《 元老院に決まってるでしょ。あいつら、早く死ねばいいのに 》

 

「え……」

 こんなにズバリと言われると、つい、そう思ってもいいのかと釣られてしまう。でも……

「そんな事は言う物ではないぞ。そんな考え方からは何も生まれないと、母者が言っていた」

 

《 ああ、母者も嫌いだよね 》

 自分似の娘は、相変わらず回りながら歯を見せて笑った。

《 上辺のキレイ事ばっかり、バカみたい。もっと怒ればいいのに。そこまでするほど私の事が大事でもないんだよね、きっと 》

「!!」

 

《 シドも嫌い、ソラも嫌い、父者も爺様も、本当はみんな大っ嫌い。そうでしょ、あんた。だって私はこの世に生まれて来た時、あのヒト達に歓迎されなかったもの。大切なモエギ長の身体をメチャクチャにした鬼子だって、絶対に思われてる。あんたも薄々分かっているんでしょ 》

「そんな……コトない……」

 

《 ヤンもフウヤも嫌い。結局一度も会いに来ないじゃない。キレイ事を言っていたって、本当はもうどうでもいいんだ。結局だぁれも私を好きじゃない 》

 

「だ、黙れ、絶対にそんな事はない。私が所在を変えていたから、来たとしても会えなかっただけで……」

 

《 ――ふふ、そうか? 私はお前だぞ。お前の心の奥底が私。その証拠に、独りになったら私、こんなに虚しくて寂しいじゃないか 》

 

 ルウシェルは両腕で身を抱えて、二の腕に爪を立てた。

 惑わされるな、これは砂漠の悪霊が化けたデタラメだ。

 こちらの心を探って、誑(たぶら)かそうとしているだけだ。

 

 考えてはいけないと思う程考えてしまい、一呼吸毎に胸が凍って意識を持って行かれる。

 正面では青白い自分が、こちらへ両手を伸ばして来る。

 ダメだ、

 持って行かれるな、

 ダメ・・

 

 

 遠くに馬の蹄音を聞いた。

 

 

 ――キィン――!

 

 全てを打ち破る澄みきった高音。

 胸に挿した羽根が震えて。

 眩しさに目を閉じさせられた。

 

 ・・・・

 それは数瞬で、次にそっと目蓋を上げると、光が収まって行く最中だった。

 正面の『自分モドキ』の姿は消えている。

 その場所で泥みたいな破片が、渦巻きながら千切れて行く。

 

 十歩先に、まだ消えない光。

 照らされる中に立つ影。

 

「あ・あ・あ・あああ!!」

 

 正面の泥が消えきると、立つ者の像がはっきりと結んだ。

 

 何も考える前に、足が走り出す。

 

 何でこんなに嬉しいのか、この子が笑いかけてくれているからだ。

 この子は繕わなくていい、勘ぐらなくていい、笑顔をそのまま受け取ればいい。

 

「シンリィ!! シンリィ、シンリィ、シンリィ!!」

 

 だってこの子は言葉が無いんだから。

 

 羽根の子供は、はなだ色の瞳に彼女を映し、開いていた羽根をゆっくりと下ろした。

 同時に光も薄く小さくなる。

 

 ルウシェルは、光が消え切る前に、その光の中、彼の懐に飛び込んだ。

 

 ――ね、シンリィ、シンリィ、どこに居た? 元気にしてた? 寂しくしていなかった? 助けてくれたんだよな、ありがとな――

 喉元に言葉が溢れて、何から声にしていいか分からない。

 

 子供がそっと手を差し出した。

 掴んで……いいのか?

 

 

 ――ピシャン!!

 

 子供の背後の暗闇で、先程より大きな水音。

 彼はサッと表情を変えて、ルウから離れてそちらへ走った。

 

「あっ、シンリィ!」

 ルウは慌てて追い掛ける。

 空気は変わらずに重い。水をかき分けるように、必死で足を前に送り出す。

 砂の上だった筈が、ピシャピシャと音がして、いつの間にか湖の浅瀬みたいな場所を駆けていた。

 

 途端、辺りが薄青い光に満ち、真正面に大きな三日月が現れた。

 地平まで続く鏡のような湖。

 ルウの作った波紋に、水面に映った三日月が揺れている。

 

「ど、どこだ、ここは?」

 見回してルウは、ハッと息を飲んだ。

 

 ムーンロードの浅瀬に、黒い大きな塊がうずくまっている。

 シンリィが駆け寄って、それの前にしゃがんだ。

 

 ルウは数歩後ろで立ち止まった。

 黒い影は知っている者だったが、分かるのに時間がかかった。

 

 炎の赤い狼……

 だけれど、以前会った時とまったく違う。

 猛々しく真っ赤に燃えていた身体は、消えかけの燠(おき)のように黒く燻り、痩せ細って肋(あばら)と背骨が浮き出している。

 

 子供の裸足の足音に、獣はダルそうに首を上げた。

 

「用事は終わったか、行くぞ」

 言いながら、フラフラと立ち上がるが……

 

「あっ!!」

 獣の腹から黒いモノが垂れる。

 湖の水滴ではない。

 身体の表面が消し炭のように崩れて、ボタボタと剥がれ落ちているのだ。

 

「お、おい、狼、動いちゃ駄目だ。身体が失くなるぞ」

 ルウシェルは間抜けな言葉を発した。

 他に言いようがない。

 

「あぁん? 連れて来ちまったのか? 通路は逐一忘れず閉じろっつっただろうが」

 狼は歯を剥いて羽根の子供を睨んだ。

 子供は悪びれる風もなく、自分の羽根を数本抜いて、獣の黒い腹に押し当てた。

 崩れはどうやら止まったようで、狼は苦々しい顔をした。

 

「おい、お前さん、その来た道は、俺らが居なくなったらすぐに閉じちまう。取り残されたくなかったら、今すぐ反対を向いて走り出せ」

 彼の言い方は真剣で、意地悪には聞こえない。本当にそうした方がいいんだろう。

 だけれど、折角会えたのに、何も知れずに帰りたくない。

 

「もっとあんたらと話したいって思うのは、無理か?」

 

 狼は、本当に面倒臭そうに眉間に縦線を入れた。

「イヤなイヤ~な自分自身に会っただろ? ここに取り残されたら、ずっとアレに絡まれ続けるぞ。逃げても逃げても耳元にしがみ付かれて、心が干からびて壊れてしまうまでな」

 

「アレ……は、やはり自分自身なのか?」

 

「自分がそんなにおキレイだと思っていたか? ハハ、傲慢な」

 狼がせせら笑うと、首の回りで炎が燃え、また腹から黒いモノが垂れた。

 炎は以前とは比べ物にならないくらい、弱く小さい。

 

 シンリィは無表情で自分の羽根を引っ張り、わし掴みにして引き抜く。

 ブチブチと生々しい音。

 それをまた崩れる腹に押し当てるが、狼は身を振って拒絶した。 

 子供は構わず、傷口を追い掛けて押さえ続ける。

 

 ルウシェルはどうしたらいいのか分からなかった。

 今なら、弱っているらしい狼から、シンリィを奪還出来るかもしれない。

 だけれど、シンリィが彼を助けたがっている。

 

 少しして、羽根の子供の手から黒くからびた羽根が落ちた。

 崩れかけていた腹は多少は固まったように見える。

 

 狼は子供に礼を言うでもなく、だるそうにルウシェルに向いた。

「誰にだって心の底に押し込めた負の心ってぇ奴がある。むしろそういうのがあるから、心は分厚く丈夫になっているんだ。そう嫌わないで受け入れてみろや、お嬢ちゃん」

 

 それだけ言うと背を向けて、彼は歩き出した。

 シンリィも付いて行く。

 いつの間に、隣に白蓬も来ていた。

 

「ま、待ってくれ。もっと教えて。私の持っている物なら何でもあげるから」

 

「そういう事を簡単に口に出すんじゃねぇ! 傲慢だってのが分かんねぇのか!」

 赤い炎がまた上がった。

 子供が困った顔で狼を見上げ、狼はそれを見て忌々しそうに鎮まった。

 

「とっとと帰って上っ面を大事にして平和に生きていろ…………おっと」

 

 空の三日月が沈み出して、湖に映った三日月とくっ付いた。

 

「早く行けぇ! 本当に取り残されるぞ!」

 狼は駆け出し、シンリィも慌てて白蓬に乗馬する。

 そうして二人、水滴を散らせて跳躍し、水平線で交わった月の光の中へ吸い込まれて行った。

 

「ま、待ってくれ、もっと教えてくれ、もっと教えて・・・ シンリィ!」

 

 追い掛ける娘を、後ろからしがみ付いて止める者があった。

 

「シド!?」

 

 水を蹴る音がして、目の前にローブの背中が立つ。

 

 ――リィン・・リンリン

 

「ソラ!?」

 

 青銀の髪の後ろ姿が錫杖で地を打つ度に、月と湖は霞み、周囲は元の砂漠へと戻って行く。

 

「ああ、待って、まだ……!」

 

 ルウシェルは懇願するが、ソラは術を止めない。

 完全に空気が軽くなると、濡れた身体の娘は、砂の上に膝を折ってへたり込んだ。

 

「……モエギ様が、不穏な風が吹いていると仰って……」

 まだ息の荒いシドが、砂まみれの彼女を助け起こしながら説明をした。

「ソラと里の外に偵察に出たら、粕鹿毛だけが居て……ソラが気配を辿って空間をぶち破りまくったんです」

 

 ルウシェルはまだ動揺して

「何で止めた、折角やっとシンリィに……」

 と言い掛けて、口を押さえた。

 これでは、さっきの『自分の事しか考えていない自分』と同じだ。

 

 ソラがこちらを向いて、目の高さに屈んだ。

「声は、聞こえるのに、中々、辿り着けなくて……遅れて、申し訳、ありませんでした……」

 蒼白で、喉がヒューヒューと音を立てている。

 限界越えて術を使い続けてくれたのだろう。

 

 ルウシェルはフラリと立ってそちらへ歩き、彼と額が触れ合うかという程の正面に跪(ひざまず)いた。

 ソラは緊張の顔になる。接触しただけで相手の心に感応してしまう彼は、普段他人との距離を開けている。

 

 ルウは二人を順番に見やり、両手を自分の胸に当てた。

 

「シド、ソラ、二人とも、ありがとう、助けてくれて。いつもいつも、本当に感謝している」

 精一杯の気持ちを念じて、目を閉じる。

「 あ り が と う 」

 

 ソラには奥の方の心を視られてしまうかもしれない。

 確かに自分はあんな負の感情を抱えているのだろう。

 それでも……だからこそ、確かに上っ面ではあるけれど、今の真正面の気持ちをしっかりと伝えなくては。

 

 ソラは、薄い灰色の瞳を瞬きもしないで固まっている。

 シドがそっとルウシェルの肩に手を添えた。

「あの、ルウシェル様、こいつにも限界がありますから」

 

「ああ、すまない」

 慌てて立ち上がって照れる表情が、モエギの少女時代にそっくりだと、その時二人は思った。

 

 

 

 

 

           ~Ⅰの章・了~

 

 

 

 

 

 

 

 

 




Ⅰの終了
次回から、Ⅱの章です

挿し絵:湖畔と三日月 
これを描いた時の設定ではルウシェル九歳、シドソラはまだ若造だったので、全体的に幼い 
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六連星・Ⅱ
薄暮の唄・Ⅰ


六連星・Ⅱの章、開始


 

 

「あ、あの鷹」

 

 青空の鳥影を見て、坂を登っていたユゥジーンは立ち止まった。

 

 蒼の里では、夜目の利く特別な鷹や隼(はやぶさ)を育成して、通信に使っている。

 他所の部族でも鳥を使っている所が多いので、空に鳥の行き来は珍しくないのだが、最近、一羽の目を引く鷹が気になるようになった。

 

「またあいつだ。片羽根に白い帯。何処から来るんだろ。あいつメッチャ速いんだよなぁ」

 

 まだ夕方前の早い時間なので、執務室に居たのはホルズ一人だった。

 今の鷹から外したらしい紙片を広げて、片眉を上げている。

 

「只今戻りました。ホルズさん、あの鷹、何処から来るんですか? 珍しい柄ですよね」

 

「んん、あれは、情報提供屋みたいなヒトの鷹……ああ、ユゥジーン、ちょっと頼まれてくれるか?」

 紙片を広げたままホルズは、大机に着いて手紙用の萱紙を広げた。

 

 情報提供屋って初めて聞いたけれど、そんなシステムあったんですか? と聞きたかったけれど、ホルズが筆を動かし始めたので、ユゥジーンも長椅子に座って自分の報告書に取り掛かった。

 

「出来た。至急ひとっ飛びしてくれ」

 書き終えた手紙を親書用の筒に入れながら、ホルズが大机の向こうから出て来た。

 

「はい、どちらへですか」

「風露(ふうろ)のラゥ老師宛てだ」

「ええっ、やった!」

 

 いつもは風露の用事というと、必ずナーガ長かノスリが行く。

 お陰で今の執務室のメンバーは、ほぼ風露を知らない。

 蒼の長の妻子が居る場所をオープンにしたくないのは分かるのだが、ユゥジーンは、話だけに聞く風露に、かなりな興味を抱いていた。

 

 ミルクのような霧に包まれた尖塔の谷、生涯楽器作りに身を捧げる誇り高い職人の集落。どんな所なんだろう、一度この目で見てみたい。

 

「場所はここ、お前の地図にも書き込むなよ。頭に入れて行け」

 ホルズは壁の大地図の一ヶ所を指した。

 

「でも、楽器を注文する一般のヒト逹は、普通に場所を知っているんですよね?」

「昔から好事家(マニア)の間では、知るヒトぞ知る集落だった。まぁそういう人種は自分の好きな物以外に興味を持たない。我々が用心するに越した事はないだろ」

 

 

 その他にも多々の注意事項を教え込まれ、頭の中をゴッチャにさせながら、一路風露へ馬を飛ばすユゥジーン。

「直接塔に降りちゃ駄目、音合わせの邪魔をしちゃ駄目、きちんと関で手続きをして余計な事は喋っちゃ駄目。ガッチガチだな。ナーガ様、どうやってそんな部族の女のコと仲良くなったんだ?」

 

 やがて山間に、目的の谷が見えた。

 霧の海から幾十の塔がニョキニョキと突き出し、塔と塔の間にロープのような物が渡されている。

「まさかあのロープで行き来をしているのか? 怖いだろ。何で橋を掛けないんだ」

 

 手前の山腹で、馬の高度を下げる。

 重い霧が本当にねっとりしたミルクのようで、そこにヒトが住んでいるとは思えない、浮世離れした風景だ。

 

「いやしかし綺麗だなあ。こんな所に住まうナーガ様の奥方ってどんなヒトなんだろ」

 

 美しい風景に見入って、ユゥジーンは、目の前の異常に気付くのが遅れた。

 

「うあっ!!」

 

 馬が先に気付いて横っ飛びした。

 空が・・! 川面みたいに揺らいで、波打っている。

 

「な、何だ、何だこれ!?」

 

 大きな波頭が迫る。まやかしじゃない、本当に圧が迫って来る。

 

「こ、降下!!」

 

 ユゥジーンの馬は秀でた能力は無いが、主に対する忠実はピカイチだ。

 降下と言われて、身体の浮力を一気に抜いて落っこちた。

 結果、波は見事に避けたが、慣性の法則で乗り手が置いて行かれた。

 

「早い、早いって、止まれ――!」

 馬の首にしがみ付いて、ユゥジーンは何とか耐えた。

 が、次の瞬間、自分の首に掛けていた御守り袋がすっぽ抜けてしまった。

「あっ、あっ……!」

 掴もうとした指をすり抜けて、山吹色のそれは無情に霧の中へ落ちて行く。

 

「…………」

 正式メンバーになった時にエノシラさんに貰った、大切な御守り袋。

 すぐに探せば見付けられるかもしれない。

 

 しかし、ユゥジーンはその場所をしっかり記憶して、風露の関へと馬を向けた。

 落としたのは自分のミスだ。

 ホルズさんは至急と言っていたし、今優先させるのは仕事。

 

 目を上げると、さっきの空の揺らぎは消えていた。

 何だったんだ?

 

 

 ***

 

 

「蒼の里から、ラゥ老師様宛ての親書です」

 

 山肌に一番近い塔に関があり、訪問者はすべての用事をそこで済ませる形になっている。

 馬で来た者は、空からだろうと一旦山の斜面に馬を置いて、徒歩で関への梯子を渡る。細かい。

 

 番人に書状を渡し、名簿に名前を書きながら、ユゥジーンは聞いてみた。

「さっき、この上の空が川面みたいに揺らいでいたんですが、ここではよくある事なんですか?」

 

「空が?」

 番人の若者は訝(いぶか)しげに、窓から首を伸ばして空を見上げた。

「さあ、そういう話は聞いた事がありません。私どもは空を飛べませんし」

 

 どうも、自分達の集落の外の事には興味が薄い感じだ。

 

 多分伝令要員であろう小さい子供が、手紙を預かって、高い櫓(やぐら)から渡されたロープに滑車付きの棒を引っ掛けてぶら下がり、勢いよく滑って行った。

 

(ひえっ!)

 マジであのロープで移動しているんだ。見ているだけでヒヤッとする。

 

「あの、橋を掛けようとか思わ……」

 言い掛けてユゥジーンは、口を塞いだ。余計な事は喋るなと言われている。

 

「橋ですか、顧客の方にもたまに言われますが」

 番人の若者は、こちらの言葉を拾って来た。

「これは一種の自衛です。注文に来る客の中には、購入する側が神のように偉いと勘違いした乱チキ者も、たまに居たりしますので。私どもはひ弱い身ですし」

 

「ああ、なる程、納得しました」

「納得頂けて幸いです」

 

 確かに相手が空を飛べない限り、守りとして成り立っているのかも。

 それにしても、思ったより会話のキャッチボールをしてくれるな。

 

 お使いの子供が戻って来た。

「ラゥ老師から返事のお手紙です」

 

 子供は肩掛け鞄から親書の筒を出してユゥジーンに渡し、その他に石板を番人に差し出した。

「こちらは回覧板です」

 

 番人は蝋石で書かれた文字を読んで、ユゥジーンに向いた。

「さっきの『空の揺らぎ』、ここに書かれています。老師への手紙はその事だったみたいですね」

「??」

「この辺りの空間に、水中のような揺らぎが現れる恐れがある。見掛けたら、頭を無にして速やかにその場を離れるように……って、書かれています」

 

 ……酷いなホルズさん、教えて置いてくれててもいいのに……あれ? 沢山言われた注意事項の中にあったか? う~~ん?

 

 子供は石板を持って、次の回覧場所に滑って行った。

「どうもご苦労様でした」

 番人に言われてユゥジーンは躊躇した。もう帰ってもいいって事なんだろうけれど……

 

「あの」

「はい?」

「風露の集落には、我が里のナーガ長の奥方様がいらっしゃるんですよね。物凄く美しい方だと聞いて、どんな方なのかなあと……あっ、深い意味はないです。ちょっと聞いてみたかっただけで」

 

 相手が無表情なので、ユゥジーンは焦った。

 ま、不味かったかな。

 

「老師の指示なので名前は言えませんが、彼女は素晴らしい職人です」

「え、あ、はぁ」

「子供の頃から才能に秀で、二胡造りのオルグ長も舌を巻いていた。風露の誇りです」

「…………」

 

 しまった価値観が違う。

 貴重な職人をたぶらかしやがってとか、恨みを言われる流れじゃないか、これ?

 

「そんな彼女だからこそ、尊いお方に見初められもするのだろうと、私どもは納得しているのです。彼女が美しいかどうかは知りません」

 

 ・・・そっちか・・・

 

「楽器を入り用な際は宜しく」

 という見送りの声を背に、ユゥジーンは風露を後にした。

 

 何というか、思っていたのとかなり違ったけれど……色んな意味で突き抜けた部族なんだな、と思った。今度ナーガ様に話を振ってみよう。

 

「あっそうだ、御守り捜さなきゃ」

 

 先程の地点に行くまで周囲を注意したが、さっきの水の波紋には遭遇しなかった。

 そもそも何だったんだろ、あれ。帰ったらホルズさんに問い詰めてやる。

 

 目印の木を見付け、注意深く降下する。

「見付かるかなあ?」

 枝の一本一本に目を凝らしながら地面を目指す。

 

 

 あの御守り袋を貰った時、エノシラさんが中を開いてそっと見せてくれた。

「今まであたしが御守りにしていたけれど、これから危ない所へ行ったりする貴方の方が必要だわ。必ず守ってくれるから」

 

 ……出来れば絶対に見付けたい。

 

 ウロウロ飛び回ったが、山吹色の御守り袋は見付からなかった。

 夕闇が迫り、霧のせいもあって視界が悪い。

 今日は諦めて、明るい時に時間を作って探しに来るか?

 

 そう思いかけた時、幽(かす)かな唄声を聞いた。

 

 

 

 

 

 

 

 



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薄暮の唄・Ⅱ

 

  

 

 

 馬を置いて、声のする方に分け入ると、小広場に出た。

 薄暮の淡い明るさの中、倒木の枝の高い所に、一人の女の子が腰掛けている。

 

 細い声の唄だった。

 不思議な、のったりとした、末尾が唄いっ放しな旋律。

 

 女の子の首には山吹色の御守り袋が掛かり、中身の緋(あか)い羽根が、お手玉みたいに玩(もてあそ)ばれている。

 

「あっ、それ、俺の……!」

 思わず叫んで進み出るユゥジーンに、女の子はキッと振り向いた。

 七つ位の、顔立ちの整った子だ。紫のたっぷりした前髪と服装から、風露の子供だと思われる。

 

「あの、それ、俺の落とし物なんだ。その羽根、なくさないで」

 ユゥジーンはそわそわと走り寄った。

 女の子は羽根を袋にしまって封を閉じ、枝から飛び降りた。

 

「えと、拾ってくれてありがとう」

 出された手を横目で見て女の子は、御守りを首に掛けたまま、ツイと後ろを向いてしまった。

「これほしい。ちょうだい」

 

「えっ、駄目だよ」

「どぉして?」

「大切な物なんだ。あっ、その山吹色の袋が気に入ったの? じゃあ中身だけ返してくれればいいから」

「イヤ! このあかいのが入っていないと」

「…………」

 

 困った、この御守りでなければこんなに困らないのだが。

 

 女の子は、真剣な顔で黙ってしまった綺麗な髪色の少年を、じぃっと見上げた。

「じゃあ、おねがいきいてくれたら、かえしてあげる」

 

「お願い? ああいいよ、俺に出来る事かい」

 ユゥジーンはホッと頷(うなず)いた。

 年端も行かない子供の願い事だ。せいぜい草の馬に乗せてくれとかだろう。

 

「う――ん」

 勿体ぶって袋をいじりながら、女の子は倒木の幹に腰掛けた。

 ユゥジーンも並んで座った。

 取り敢えずこの子供のペースに合わせよう。

 

「あたし、リリ」

「ああ、俺はユゥジーン」

「ゆぅじん……くさのウマにのってた。あおのよーせいさんでしょ?」

「うん、そうだよ」

「あたしのとぉさまも、あおのよーせい。なーが・らくしゃってなまえ。しってる?」

 

 ユゥジーンはしゃっくりしたみたいに息を呑み込んだ。

 知ってるも何も……

 じゃあこの子が、ナーガ様の大切な後継者?

 

 リリはビイドロみたいな紫の瞳を見開いて、絶句しているユゥジーンを覗き込んだ。

「チエをかしてほしいの」

 

「知恵?」

 

「ん、あおのよーせいさんなら、あたしより、いろんなコト、しっていそうだから、よいチエがあるかな、とおもって」

「そうか、うん、分かった。どんな事だい?」

 

 リリは、胸の御守り袋を人質みたいに押さえながら、思い切ったように喋った。

「あたしが、あおのさとへ、いかなくてもいいほうほうを、かんがえてほしいの」

「えっ?」

「あたし、このまま、ここにのこって、ガッキつくりの、ショクニンになるの」

 

「えっ、ええ――っ!?」

 ユゥジーンは叫んで、思わず立ち上がった。

 

「そんなにオドロク? あんたがそんなにオドロクんじゃ、とぉさまには、とてもいえないね」

 

「…………」

 解らない。

 蒼の妖精として大空を自由に飛び回れる身の上なのに、外の者と話す事もままならず、一生霧の塔で暮らす職人の道を選ぶっていうのか?

 

「えと、リリ、えーと…… 君、蒼の里へ来た事もないじゃない。もっと色々と体験してから将来を決めても遅くないんじゃないかな? だって里では皆、君の事を待っているんだよ。大歓迎なんだよ」

 

 少年が一所懸命喋る程に女の子は俯(うつむ)いて行ったが、言い終わった瞬間キッと顔を上げた。

「あたしの事を何にも知らない、会った事も無いヒト逹が、どうやってあたしを歓迎するの!?」

 

 少年はビビった。

 女の子の目からそれまでの幼さが消え、理知的な光をギラギラと放っている。

 

「あたしを知ろうともしないヒト逹に歓迎されても、何にも嬉しくない!」

 リリはイライラした様子で立ち上がった。。

「もういい!!」

 

 乱暴に外された御守り袋が、斜面の繁みに投げ付けられた。

 

「あっ! 何すんだ!」

 

「ゆぅじん、嫌い、嫌い!」

 

「リリ!」

 ユゥジーンは御守り袋を拾いに行くより、リリの肩を掴まえた。

 

「あたし帰る! 離して離して! きゃあああ、誰かあ!」

 

 上部の茂みがガサガサと揺れて、紫の頭が三つ四つ現れた。

 山菜袋を下げた、風露の男の子達。

 

(ヤバッ!!! いやこれは、状況的に、マズイ!)

 ユゥジーンの頭の中を色んな絶望が駆け廻った。

 

 が、子供達が不審そうに睨んだのは、女の子の方だった。

 

「なんだ、リリか」

「誰? そっちのヒト」

「ラゥ老師様のお客さんだよ。手紙を届けに来た」

 

 さっき関で会った伝令の子供が混ざっている。

 山で山菜を採る仲間に、回覧板を回しに来たんだろう。

 

「ふうん、リリを連れに来たの?」

「いや、別に……」

 ユゥジーンが言う前に、リリが叫んだ。

「あたし何処へも行かないモン! 風露で楽器造りの職人になるんだモン!」

 

「え~~嘘つき」

「またリリが嘘ついたぁ」

「大きくなったら行っちゃう癖にぃ」

 

「行かないモン!」

 

「行くよね。ねえ、リリは何処かの国のエライヒトの子供なんでしょ。風露の子じゃない、他所に行っちゃ子なんでしょ?」

 

「いや、リリは…………」

 ユゥジーンは絶句した。

 いずれ出て行く特別な子として、運命共同体の風露で育つのがどういう事なのか、想像もしていなかった。

 

「おーい皆、暗くなる前に帰ろうぜ」

「うん、かーえろ、かえろ。老師様に叱られるぅ」

「特別扱いのリリは叱られなーい」

 

 子供達はバラバラと山中を登って行った。

 後に、下を向いたリリと、ユゥジーンが残る。

 

「……リリ」

「特別扱いじゃないモン……ちゃんと叱られるモン……」

「リリ、ごめんな」

 

「何を謝るの!?」

 紫の前髪の顔を上げて、女の子はユゥジーンを睨み付ける。

 目の下が膨らんで必死に涙を堪(こら)えている。

「あたしの事なんか、何も知らない癖に! 知ろうともしない癖に!」

 

 ユゥジーンは両手でリリの肩を掴んだ。

「うん、知らない。だから教えて」

 

「!?」

 

「教えてくれなきゃ分からない。俺は自慢じゃないけど結構にぶい。だから教えて、ちゃんと聞くから」

 

「…………」

 

 

   ***

 

 

 ユゥジーンは、自分の何気ない言葉でもこの子が酷く傷付いてしまう事を知った。

 どうやって切り出そう。

 

「ね、リリ。いつでもまた会えるからって、後回しにしていたヒトに、結局もう会えなくなっちゃった事ってない?」

 

 唐突な質問に、リリは目をパチパチした。

「えっと……分かんナイ。ないと……思う」

 

「俺は、ある。あの御守り袋の中の羽根の主。とっても後悔してる。もっとあいつの事、沢山知りたかった」

「そうなの……」

 

「だからリリの事もちゃんと知らなきゃって思う。後悔したくないから。ね、話して。何で蒼の里へ来たくないの?」

 

 リリは、さっき御守り袋を投げた谷に分け入った。

「ごめんね、大切なモノ投げちゃって」

 

「そんなに遠くまでは飛んでいなかったよ」

 言いながら、ユゥジーンも後に続く。

 

 しかし、もうかなり暗い。

 今日は見付けられないかも、と、半分は諦めている。

 まぁ、また別の日に探しに来よう、元々は自分のミスで落とした物だし。

 

「あのね、あんな子ばっかりじゃないのよ」

 リリが、繁みをかき分けながら話し出した。

「優しいお友達もいるわ。だからさっきの事とか、父さまに言わないでね」

「ああ、分かった、言わない」

 

「あのね……あたし…………父さまや、蒼の里の人達が期待しているような子じゃないと思うの。ああいう子達にも言われっ放しだし、簡単にケンカするし。きっとガッカリされる。自分で分かるモン」

 リリは繁みの中で立ち止まって、空中を見つめた。

 

「こわい…… 風露で要らない子で、蒼の里でも要らない子になっちゃったら……」

 

「リリ……」

 

「だからね、考えたの、これでも結構沢山考えた。あたしが一番好きなのは音楽。唄う事が好き。母さまの奏(かなで)も好き。楽器造りを見ているのも好き。風露での方が、『要る子』になれると思うの」

 

「そうか……」

 

 ユゥジーンはリリの幼(おさな)顔を染々(しみじみ)と見た。

「リリは、ちゃんと色々考えているんだね。俺、感心した」

「ホント? お世辞でしょ」

 

「ううん、俺がリリ位の時って、蹴り玉が上手くなる事とか、こっそり馬の背中によじ登る事だとか、そんなのしか頭になかった。リリは凄いよ」

「ええ? ぇへへ」

 丸い頬がほころんだ。

 笑うと片エクボが出来て可愛い。

 

「だけど分かって。蒼の里ではリリを待ってるって事」

 

 リリがまた表情を硬くしたが、ユゥジーンは続けた。

 

「だから、ナーガ様や待っているヒトに、リリは自分の考えをしっかりと言わなくちゃならない。今みたいにきちんと。大丈夫、リリは変な事は言っていなかったよ。俺は味方する」

「うん……分かった!」

 

 ユゥジーンは蒼の里が、割りと……かなり、好きだ。

 だから来るんなら、ちゃんと納得して、明るい気持ちで来て欲しいと思った。

 

(それにしてもナーガ様、何やってんだ…………)

 

 前を行く女の子の後ろ頭を、何気に見つめる。

 ナーガ長そっくりの群青色の一房。

 長の血が一滴でもあれば俺ならなあ……と、ボォッと思いを馳せていると、リリが急に立ち止まった。

 

「あった!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 




挿し絵:薄暮の唄 
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薄暮の唄・Ⅲ

  

 

   

 

 ユゥジーンはハッと我に返る。

「あったよ! 下ばっかり探しても見付からなかった訳だ。あの枝の上に引っ掛かってる」

「本当?」

 

 木立の中はすっかり暗くなっていて、目を凝らしても、何も見えない。

 女の子はとっとと目当ての場所へ歩いた。

 

「うーん、木に登っても届かなさそう。ね、肩車して」

 隣まで来てユゥジーンはやっと、高い枝と木の葉の中に、山吹色を見付けた。

 剣を伸ばしても届かなさそうだ。

 

「ね、肩車」

「ああ、はいはい」

 

 ユゥジーンが女の子を肩に乗せて持ち上げると、彼女は靴を脱ぎ落として、肩の上に立ち上がった。

 勇気があるな。まぁ、落ちたら全力で受け止めるけど。

 

「もうちょっと左に寄れる?」

 

「オーライ、動くよ。しかしこんな暗い中、よく見付けられたね」

「え? だって分かるでしょ。あんなに光ってたら」

「光ってる?」

 上目で確かめるが、露(つゆ)程の光も見えない。

 彼女の位置からだと何かが反射しているのだろうか。

 

 ふと、肩の上の女の子がビクンと揺れた。

「リリ?」

 

「あれ、何!?」

 

 怯えた声に、ユゥジーンはもう一度視線を上げた。

 

 ――!!!

 

 水の波紋!! さっき見たのと同じ空間の揺らぎが、斜め上から迫って来る!!

 咄嗟にリリを落として抱えようとしたが、その前に一気に広がった波紋に呑まれた。

 

 ヤバい!!

 一瞬で、肩の上から女の子が居なくなる。

 

「きゃっ!」

「リリ!」

 

 腕を伸ばした。足首に触れたのに逃してしまった。

 掴め、何としてでも掴め!

 しかしユゥジーン自身も波に翻弄され、身体が逆さになって持って行かれる。

 

 周囲が一変した。

 木も森も地面も消えた。

 見えるのはどこまでも波紋を広げる渦。

 

「きゃぁぁ――」

 遠去かるリリの声。

 

 何てこった!

 リリ……リリ!

 

 

 ***

 

 

「リリ!」

 

 流されるユゥジーンの耳に、女の子の声は届かなくなった。

 

「何だってんだ、このドロドロ!」

 とにかく空気が重くて、思うように動けない。

 

「くっそ! …………!?」

 必死にもがく手を、誰かの手が掴んだ。

 小さいリリの手ではない。

 自分と同じ大きさの手。

 

 でも体温を感じられない。

 その手に乱暴に引っ張られ、耳元で声が響いた。

 

《 ――流されちまって良かったじゃないか、あのチビ 》

 

「何を、言っ……」

 ユゥジーンは顔を上げて凍り付いた。

 自分の手を握って流れに揺らいでいるのは……・・自分だった。

 ゾッとする青白い笑いを浮かべた、自分。

 

《 ――誰もが尊(たっと)ぶ蒼の長の血筋に生まれて、職人になりたいだって? バッカじゃねぇの 》

 

「バカって言うな。あの子はあの子なりに真剣なんだ」

 

《 モノを知らないだけだろ。上手く里へ連れ出して、愉しい事を一杯教えれば、コロッと考えが変わる。お前だってそう思っているんだよな 》

 

「ち、違う、俺はちゃんとあの子の気持ちを尊重して……」

 

《 へへーん、ウソウソ。お前の本心なんかお見通しさ。だって俺、お前だもん 》

 

「ウソ付け、お前は魔性だ。地霊かその類いだろ」

 

《 ふうん、その程度の頭だよな、俺なんだモン。世の中、くだらない奴ばっかりなのに目を背けて、無理矢理信じようとしている平凡な俺。どうせすぐに血統だの何か優れた物を持っている奴に出し抜かれて、傷付くだけなのにな 》

 

「!!!!」

 

 ――キィン!!

 

 視界を翡翠色の光が覆った。

 眩しさに目を閉じる中、掴まれていた手はスルリと抜ける。

 

 代わりに暖かい大きな両手が、ユゥジーンの手首と肘をガッチリ掴んだ。

 そのまま腕もちぎれんばかりに引き上げられる。

 

「ぁ痛たたた」

 

「それはこちらの台詞です。……あぁ、腰にきた」

 

 大人の男性の声。

 さっきの奴みたいにくぐもっていないで、ハッキリ聞こえる。

 助けて貰った……? 誰に? ユゥジーンはまだボヤける頭を一所懸命働かせた。

「あ、ありがとうございます……」

 

 シンと澄んだ空気。

 泥みたいな重さはもう無い。

 身体の平衡が戻ると、冷たい地面に転がっているのが分かった。

 土に沈む体重に、安心を感じる。

 

 少し離れた所に自分の馬。

 月を逆光に、その手綱を取る背の高い男性。このヒトが助けてくれたのか?

「ナーガ……様?」

 いや、違う? シルエットは似ているが、別人だ。

 

「ナーガじゃないですよ」

 そのヒトは苦笑して馬のおとがいを撫でた。

「馬を労(ねぎら)ってあげなさい。貴方を引っ張り上げるのを、必死に手伝ってくれたんですよ」

 

 ユゥジーンは立ち上がろうとしたが、下半身がワラって、尻餅を付いた。

 何処だ、ここ…… 覚えのある山影が見える、風露からそんなに離れていない丘陵だ。

 ……えっと何だっけ、大切な事……

「あ、子供! 小さい女の子が一緒に流されたんです! 知らないですか?」

 

「子供?」

 

「はい、あの、大切な子供なんです」

 

「大切じゃない子供なんていませんよ」

 

 背の高いヒトは、小高くなった場所へ歩いて、印を結んで目を閉じた。

「ん――と、子供、子供……」

 

 探索系の術を使うなんて、ますますナーガ様みたいだ……とユゥジーンが思っていると、男性は目を閉じたまま顔を上げた。

「ああ、はいはい、あちら側に居ますね。元気に走っているみたいだし、無事ですよ」

 

「本当ですか、良かった、どちらですか、すぐに迎えに……」

 

「あっ!」

 男性は突然目を開き、そこから駆け下りて丘の端へ向かった。

 

「あ、子供は?」

 

「少し待って下さい、貴方は馬を守って!」

 

 言っている間に、男性の上空にさっきの渦巻く水面みたいなのが現れた。

 

「まったく、しつこいですね」

 

 渦は星も月も歪ませながら、膨らんで行く。

 

 ユゥジーンは慌てて立ち上がり、怯える自分の馬に駆け寄った。

 鼻面を抱えてやりながら振り向くと、男性が剣を抜いて高く掲げている。

 剣が先程と同じ翡翠色に輝いた。

 

 ――破邪!!

 

 凄い! 鋭い、強い、他に言い様がない。

 ナーガ様の破邪の呪文も見た事があるけれど……ゴメン、比じゃない。

 光の中、男性が手刀で空を切る。

 渦はコマ切れに分断され、空中に散って消えて行く。

 

(えっ?)

 気のせい、気のせいか? 細切れで消えて行く渦の向こうに、一瞬、緋色の羽根が見えた……ような?

 

「これで最後でしょうかねぇ」

 

 男性は呑気な感じで戻って来て、さっきの小高い場所に立った。

 ユゥジーンに何事も言わせる前に、スゥッと目を閉じて印を結び直す。

「えーと、子供、子供……」

 

 聞きたい事が山積みなユゥジーンだが、今はリリの事が優先だ。

 ソワソワしながら待っていると、男性が目を閉じたまま、言葉を発した。

「つかぬ事を伺いますが」

「はっ、はい」

「子供って、もしかしてナーガの娘さんですか?」

「…………」

 

 ユゥジーンは口を結んだ。

 言っていいのか? 

 限りなく信用出来そうなヒトだけれど、さっき自分の形(なり)をした悪そうなモノに会った。

 ナーガ様に似ているってのが、逆に怖いんだよな……

 

 ユゥジーンの思惑に気付いているのかどうなのか、男性は目を閉じたまま喋り続ける。

「え――とね、これから彼女を迎えに行きます。身体の方が無防備になっちゃいますから、貴方が見張っていて下さいね」

 

 え、意識だけ飛ばすって事?

「いや、場所を教えてくれたら俺が行きますよ。さっきの渦みたいなのが来たら、ヤバイじゃないですか」

 

「その時はすぐに分かるから戻ります。これから行くのは、渦が生みだされる場所ですので、貴方にはたどり着けませんし」

 

 は? いやいや、リリ、何処にいるって!? 大丈夫なのか、そこ!?

 

 色々と追い付かないユゥジーンの前で、男性はシンと動かなくなった。

 

 

 

 

 

 

 



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薄暮の唄・Ⅳ

 

 

 

   

 

 背の高い男性は、糊付けされたように微動だにせず、目を閉じている。

 

 手持ち無沙汰のユゥジーンは、改めて周囲を見回した。

 

 風露の谷のある山影がすぐそこに見える。

 自分達が波紋に呑まれた場所からそんなに遠くは離れていない。

 空は、さっき恐ろしい渦があったとは思えない程澄みきって、三日月が煌々と輝いている。

 

 馬が落ち着いて草を食み出した頃、男性は目を開けた。

 

「えーと、貴方?」

「ユゥジーンです」

「おお、良い名前だ。ではユゥジーン、伝言を頼まれて下さい。リリの母親に」

 

「!?」

 俺、リリの名前、言ったっけ?

 

「ちょっぴり用事が出来たので、帰るのが遅れると」

「リリが、ですか?」

「はい」

 

「…………」

「どうしました?」

「責任持って伝言出来ません。俺は貴方を知らないし、リリ本人の口から聞いた言葉じゃないと、母親に伝えるのは無責任だと思うので」

 

 男性は表情を止めて、マジマジとユゥジーンを見た。

「えーと、ユゥジーン、蒼の里にずっと住んでいるんですよね? 歳を聞いてもいいですか?」

「先日十五になりました」

 

「ほぉ、十五で拝命。それは素晴らしい」

 

 その時、ユゥジーンの頭の引き出しから、突然一つの記憶が飛び出した。

――ほぉ、一人で闘牙の馬によじ登ったと? それは素晴らしい――

 俺、このヒトを知ってる!?

 

「ぉ……ぉ……大長様ぁっ!!」

 

 そうだ、ヨチヨチ歩きの幼児の頃、一度だけ抱き上げて貰った。

 ナーガ長の叔父上、二つ前の蒼の長。

 

「うああああ!! ごめんなさい! すみません!」

 

「いやいや、思い出して貰えて何よりです。私が最後に蒼の里を出たのは十三、四年前ですから、覚えている方が凄いです。用心深さも責任感も兼ね備えて、さすが十五で名前を授かるだけありますねぇ」

 

 行方知れずだった筈? 何でこんな所に? あの渦巻き何? シンリィが見えた気がするんだけれど? 疑問が押し寄せ過ぎて、折角誉めて貰っているのを総スルーしてしまう、残念なユゥジーンだった。

 

 でも今は、リリだ。

「リリは、無事なんですよね」

 

「はい、早く親御さんを安心させてあげてください。さぞかし心配しているでしょう」

 

「居場所と用事の内容を、絶対に聞かれると思うのですが」

 ナーガ長そっくりな瞳がまたじっと見て来たが、ユゥジーンは頑張って言葉を選びながら継いだ。

「リリは、蒼の里に来るのを拒んでいました。小さいけれどちゃんと自分の意志を持っている。もし蒼の長の娘としての用事なら……あの子の気持ちをじっくり聞いてやって欲しいです」

 

 大長は、少年の言葉をきちんと最後まで聞いてから、目を細めて答えた。

「まだヒビすら入っていない卵を、無理矢理割るような事はしませんよ」

 

「そうですか、安心しました」

 けして安心しているのではないという強い目の少年に、今度は大長から聞いて来た。

 

「ね、貴方、さっき流された時、自分そっくりな誰かさんに会いませんでしたか?」

 

「ああ、会いました。あれ、地霊か何かでしょう? 俺そっくりに化けて。自分の姿をした奴に、エライ言われようでしたよ」

 

「エライ言われようでしたか」

「はい……え……?」

 大長が眉間にギュッと縦線を入れて真剣な表情なので、ユゥジーンは不安になった。

 あれは、デタラメだよな? 心を読んでデタラメを捏造して来る地霊の類いだよな?

 

「言ってしまうとね、残念ながら、貴方その物なんですよ、それ」

「ええっ、嘘でしょ! リリの事を流されて良かったとか、世の中くだらない奴ばっかりとか、滅茶苦茶言ってたんですよ」

 言ってユゥジーンは口を抑えた。ほ、本当にあんな陰険な奴が俺の本心だとしたら、このヒトに軽蔑されてしまう。

 

 大長は、青くなる少年の前で、静かに口を開いた。

「誰にでもあるんですよ、そういう心の奥の奥。恥ずかしがって隠そうとするのは、貴方がちゃんと健全な証(あかし)です」

「はぁ……」

 

「あの水底の空間に居続けるとね、その『陰険な奴』に絡まれて、多分貴方が『奴』と同じになるまで離してくれないですよ」

「ええっ・・同じになるって? あんな陰険に? なりませんよ、なる訳ないです」

 

「どうでしょう。あの渦巻きは、心が弱って隙が出来た所を嗅ぎ分けてやって来ます。植物が陽に向かって蔓を伸ばすように」

「俺、弱ってなんか……あ、リリがか?」

 

「向こうは体力も時間も無限。時間を掛けてこちらの神経が参るまでゴリゴリゴリゴリ磨り潰されて、理性も何もかも剥がされて、いたぶられて、挙句、魚の骨みたいなペイッと放り出されます」

 

「うぇ・・」

 何それ恐い。そんなの、修練所でも執務室でも教わらなかった。

 

「嫌でしょう? ゾッとしますよね。そういう被害を出さぬよう、私達はさっきみたいに、渦巻きがこちらに膨らんで来るのを叩いています。それをリリがお手伝いしてくれるって……」

 

「だからっ! 何でリリじゃなきゃ駄目なんですっ? 蒼の長の娘だから? あの子まだ、生まれて二年なんですよ」

「生まれて二年だからです。あの空間に居てもダメージを受けないんですよ、私や貴方と違って」

「~~!!」

 

 生きている年数も経験値も百段違うこのヒトに、理屈で勝てる訳がない。

 それでも、ユゥジーンは頑張った。

 

「そ、そもそも、そんなヤバい空間があるんなら、もっと皆に知らしめて、協力を仰いだ方がいいんじゃないですか。俺、ナーガ様に言っちゃいますよ」

 

「ナーガには告げました。ちょっと前、彼が西方から帰って来た時に」

 大長は努めて穏やかに言った。

「ナーガがノスリに告げて、二人で相談してホルズにも告げたらしいです」

 

「俺……俺達、何も聞いてな……」

 ユゥジーンは、ハッとした。

「あの、片羽根に白い帯のある鷹、大長様のですか?」

「はい」

 

 ホルズさんは、大長様から渦巻きの出現情報を受け取って、注意喚起の手紙を送ったりしていたんだ。

 

「貴方は注意を受けなかったですか? もっと脅し気味に書いて置けばよかったですね」

 

「いや、多分言ってくれたと思います。俺がちゃんと聞いていなかっただけで。でも……

……はぁ………」

 少年は脱力して、拗ねたようにしゃがみ込んだ。

「何でそんな秘密主義なんです? 皆にちゃんと説明して知って貰った方がいいに決まっているじゃないですか」

 

「知らなければ知らないに越した事はないんです」

「そんな事ないでしょう!」

「あるんです」

 

 大長は、自身も屈んで、少年にぐいっと顔を近付けた。

「あの水底の空間が、急にバランスを崩してこちらの世界へはみ出し始めたのは、こっそりエネルギーを流し込んだ者がいたからです。真意は測りかねますが、この世に害為すけしからぬ輩です」

 

「意図的にやってるんですかっ。どこのどいつです!」

 

「我々蒼の一族の源流の物です。祖先です」

 

「!!」

 

「どういう事か分かりますよね。何故広めてはいけないか」

 

「……………・・はぃ・・……」

 

「私は祖先と対峙する為に、蒼の一族から離れて何者でもない身となりました。そうしてずっと、彼らのやる事を阻み続けて来たのですが……今回は後手に回ってしまった、手が回りません。だから私は貴方にこうして話しています。おそらくナーガは貴方を『頭数』に入れていると思いましたので」

 ……()()()()()…… 

 成人の名前を貰った時の、何とは無しの唐突さを思い出した。

 

「我が娘も加えねばならなくなって、今頃さぞかし苦悩していると思います。出来れば責めないでやって下さい」

 

 

 ユゥジーンは小さく頭を下げて、馬に跨がり、後ろを見ずに発った。

 振り返らなかったけど、自分を見送る視線は感じた。

 

 

 確かに広めてはいけない。

 最小人数に留めなければいけない。

 

 草原の平穏は、『蒼の長への無垢の信仰』で成り立っているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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薄暮の唄・Ⅴ

  

 

 

 ユゥジーンが風露の谷に引き返した時には、関に多数のカンテラが灯っていた。

 馬を降下させると、複数の者が手招きしたので、そのまま小屋の前に降りた。

 

「リリは? 一緒じゃないんですか?」

 一人の女性が走り寄って、青い顔で詰め寄った。

 

「リリのお母さんですか?」

「ええ、ええ!」

「リリからの伝言を持って来ました」

「ああ……」

 女性はよろめいて膝を付いた。

 

 山菜採りから戻った子供が、変な渦巻きがリリと男のヒトを呑み込んだのを見たと、リリの靴を持ち帰って泣いて騒いだのだ。

 母親はパニックになり、若者達が捜索に行こうと話し合っていた所だった。

 

「それで、リリは、リリはどこに?」

「用事が出来て、ちょっと帰りが遅くなると」

「あの子は、蒼の里ですか? どうして、私は何も聞いていません」

 興奮する母親を、周囲の者がなだめた。

 

 ユゥジーンは山であった事を大まかに話した。

 自身も分からない事だらけなので、本当に大まかだ。

 

「俺、取り急ぎリリの無事を告げる為に、ここへ来ただけです。詳しい事は全然聞かせて貰えなくて」

 ここまで話してユゥジーンは、大長様は、俺が嘘を吐かなくてもいいように教えなかったのかも、と思った。

 

 母親は少し落ち着いた様子で、番人が持って来た椅子に腰掛けた。

 

「リリの伝言を教えてくれた方は、ナーガ長の叔父君です。信頼出来る方だと思います」

 

 周囲に居た若者達にも、安堵の空気が広がった。

「なあ、蒼の妖精さん、その空飛ぶ馬でフウリを自宅まで送ってやってくれないか? よせって言うのに、ツタを滑ってここまで来てしまったんだ」

 

「はい、勿論引き受けます」

 ユゥジーンは女性を助けて、馬に横掛けさせた。

 

「ねぇ」

 大人達に混じっていた数人の子供が、ユゥジーンの袖を引っ張る。

「リリ、大丈夫なの?」

「心配してくれるんだ?」

「だ、だって、あんな奴でも溺れそうになるのを見たら、心配になるよ」

 

「リリな、大きくなったら居なくなるかもしれないけど、今は一緒に暮らしてるじゃん。帰って来たら仲良くしてやってよ」

「うん……でもあいつ、ヒトの一番大事な物を欲しがったり、嘘ついたりすんだ」

「リリが欲しいのは物じゃないんだよ、多分」

「へ?」

「ああ、無理に物をあげたりしなくていいからさ。ダメな事はダメって教えてやるだけでもいい。頼むな」

「しようがないな、分かった」

 

 見上げる子供を後にして、ユゥジーンは女性を乗せて、指定された塔へ飛んだ。

 確かに、風露の花の精かと見紛う美しい女性だが、今は、不安な母親以外の何者でもない。

 特殊だと思っていた風露のヒト達も、子供がいなくなったら心配する気持ちとか、心配している母親を見て心を痛める気持ちは、一緒なんだ。

 

「あの、リリと、何を好きとか、そんな話をしたりしますか?」

「えっ? いえ、そうね、あの子、甘い物とチーズは好きだけれど」

「そんな話を沢山してあげて下さい」

 

 

 

 

 ユゥジーンが蒼の里へ戻った時は、もう日を跨いでいた。

 里は寝静まって、馬繋ぎ場に小さなカンテラが灯るだけだ。

 

 馬装を解いて馬を休め、坂を登ると、執務室から明かりが洩れていた。

 

「おかえり」

 

 カンテラのオレンジに照らされて、ナーガ長が一人で待っていた。

 何だかいつもと違った雰囲気だ。

 

「リリが心配を掛けたね。大長殿から鷹が来て、大体の事は把握している。伝言を引き受けてくれてありがとう」

 

 穏やかな口調ながら、声が明らかに沈んで言葉が重い。

 まだ生まれて二年の我が子を役割に組み込まねばならない事に、相当苦悩したのだろう。目の下に隈を作って酷く疲れて見える。

 

「あの、ナーガ様、俺、分からない事だらけなんですが。聞いても教えてくれないんですよね」

 

「いや、教えるよ」

 

「教えてくれるんですかっ!?」

 ユゥジーンは口をパクンと開けた。

 

「ああ、だけれど先に二つ言って置く。一つは、答えられない事もあるという事。あと一つは……」

 ナーガは大椅子の奥に深く収まって指を組んだ。

 

「知ってしまうと後戻り出来ない。君も秘密を背負う。時には嘘を吐かなければならない。ホルズには、『大長の生存』と、『渦巻きは恐ろしい物だ』という事しか伝えていない。彼がメンバーに対して隠し事を持ってしまうと、執務室が回せなくなる。僕とノスリ殿でそう判断した」

 

 ホルズさんは確かにそうだろう。

 あのヒトが朗らかに笑っていない執務室なんて、執務室じゃない。

 

「俺はいいんですか? そういえば頭数に入っているとか大長様が言っていましたけれど。自分で言うのも何ですが、俺、術力が低いから破邪の術とか使えませんよ」

 

「だから、剣に術を受け取る練習をしているだろう」

「!!」

 何か最近、剣技の指導が厳しくなったと思ったら、それか!

 

「少なくとも、術を使えるからどうかとかは、君が今ここにいる基準じゃない。それだけは確かだ。勿論、今、拒否して踵を返す事も出来る。それでもいいんだ。僕達は明日から、何事もなかったように君に接する」

 

 ・・・・・・・・・

 ズルいな、このヒト。本当に本当にホンットに、ズルいなっっ!!

 

 

 

 

 

            ~薄暮の唄・了~

 

 

 

 

 

 

 



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水の底・Ⅰ

  

   

 

 

 ………………………………………………う~ン……

 

 

 母さま、寒いよ、お布団掛けて……

 

 リリは意識を戻した。

 

 そうだ、ゆぅじんと一緒に、変なのに吸い込まれて……流されて……どうなったんだっけ。

 

(うっ!)

 口中にハッカみたいなツンツンが広がって鼻に抜ける。

 ナミダと一緒に目が開いたら、真ん前に水色の瞳。

 

「!!!!!!」

 

 リリは跳ね起きた。

 水色の瞳の主と、思いっきり額をゴッツンする。

 目から火花が散って頭がウァンウァンするけれど、それ所じゃない。

 

「なに何ナニしてくれてんのよ!!」

 

 髪も薄い水色のその子供が、目の前で額を押えて、黙ってうずくまっている。

 

「ひっひっひどい!!」

 

 リリの慌てっ振りはどこ吹く風に、子供は起き上がって、手の中の薬草を揉んで口に入れた。

 

「返して返して返して、あたしの……!!」

 

 止まらない口を、もう一度唇が塞ぐ。

 ショックが二重になったリリの目が、ぐるぐる回る。

 

 噛み砕いた薬草を口移しで与えてくれているのだ。

 それは分かる。

 分かるけれど、他にやりようは無かったの!?

 

「やめてってば!」

 

 我に返ったリリは、子供を突き飛ばして立ち上がった。

 足がフラ付く。でも頑張って、脇をすり抜けて駆け出した。

 子供の背に羽根が見えたが、そんな事はどうでもいい、とにかくこの無神経な子から離れたい。

 

(えっ、何、これ?)

 

 空気が糊みたいにまとわり付く。

 一歩足を前に出すのに、大変な労力を要してしまう。

 それでもリリは、手足を振り回して変な格好になりながら、必死で走った。

 

 大分走ったと思った所で振り返ると、あの子供は見えなくなっていた。

 ホッと胸を撫で下ろす。

 

 でも、ここ、何処なんだろ……

 辺りは薄暗くて、木も草もない。裸足の脚に、地べたが妙に滑らかで変な感触。

 とにかく空気がどんよりと身体にのしかかって、気持ちが悪い。

 空は……真上に大きな三日月。

 青い光が辺りをぼんやり照らしていて、水の中みたいに揺れている。

 

 リリは、風露の集落と向かいのお山しか知らない。

 羽根のある子といい、世の中には色んな不思議があるんだなと、少し冷静になって来た。

 

「確かに、さっきのは気付けのお薬だった。前に母さまに飲まされた事がある。あの子にとっては口移しは普通の事だったのかもしれない。うーん、突き飛ばしたのは悪かったかな?」

 

《 ――そんな事ないんじゃない? 》

 

 急に声を掛けられて、リリは横っ飛びした。

「誰っ?」

 

 いつの間に、隣に、リリの姿の女の子が立っていた。

 青い月に照らされて、空間と一緒にユラユラと揺れている。

 

「ふぅむむ?」

 リリはそんなに驚かなかった。

 風露にはあまり精巧な鏡がなくて、自分の姿を正確には知らないのだ。

 

 その女の子はリリの真横に来て、耳に顔を近付けて来た。

《 いくらお薬でも、女の子にいきなり口移しなんて、失礼に決まっているじゃない。あたしを誰だと思ってるのかしら 》

 

「誰なの?」

 リリはその女の子をマジマジと見る。

 

《 はあ? あんた、何言ってんの? あたしはあんたで、あんたはあたし。あたしの喋る事があんたの気持ちなのよ! 》

 

「へえ……ふうん?」

 リリは相変わらず気の抜けた返事だ。

 外の世界は知らないコトだらけ、へえ、そういうコトもあるんだ……ぐらいの気持ち。

 

《 ふふん、じゃあ教えてあげる。母さまは、あたしをとっとと蒼の里へやりたいのよ。馬鹿みたいな早さで育つあたしが気持ち悪いの。次の子供は風露の子に産んで、早くその子にだけ愛情を注ぎたいのよ 》

 

「そうよ、よく分かっているわね」

 

 女の子はちょっと怯んだが、気を取り直したように続けた。

 

《 父さまも、あたしなんか好きじゃない。欲しいのはあたしの血統だけ。あたしが何をしても無関心、叱ってもくれない。これであたしが何の才能も無いって知ったらどうするでしょうね 》

 

「ね、ホントにどうするつもりかしら」

 

 女の子は、会心の嫌がらせを放ったつもりだったのに、リリにあっさり肯定されて、つまらなそうな顔をした。

 そんな女の子の表情には無頓着に、リリは、今度はあたしの番、とばかりに喋り出した。

 

「あんたがあたしなら、あたしだって世界中で一番あんたを知っているわ。あんたが一番好きなのは、唄う事、どう?」

 

《 ――そうよ 》

 女の子は苦虫を噛み潰した顔で答えた。

 

「蒼の里へは行きたくない。でも職人にもなれないのも分かってる。皆に分かる音の違いが、全然分からないもの」

 

《 ……そうよ 》

 

「皆あたしの事を気に掛けている素振りで、実はどうでもいいのよね。そういうのが分かって来る程に、本当は嫌いになりたくないのに、嫌いに・・なってしまう」

 

《 ……そう……・・・ 》

 女の子は俯(うつむ)いて、涙をこぼした。

 

「可哀想に。あたしが分かってあげる。こっちへおいで」

 女の子は素直に近寄って、リリはその子の背中に腕を回して、ギュウと抱いた。

 

「大丈夫、あたしだけがあんたを分かる。大好きだよ」

 

 ああ、でも……

 リリはふと顔を上げた。

 さっき、ちょっと違うヒトに会った。

 ゆぅじん……

 あたしの話、ちゃんと最後まで聞いてくれたなぁ……

 

「あれ、あれれ!?」

 リリの腕の中で、女の子はスゥッと薄れて消えてしまった。

 

「オ、オバケ?」

 

 さすがのリリも、ゾクッとした。

 怖い! と思った途端、辺りが急に激しく揺らぎ出した。

 

 上を見てビックリ。

 さっきまで静かだった月の空が、大雨の後の川みたいに沢山の波紋を作って波立っているのだ。そうしてだんだんに下へ降りて来る。

 

「ひゃああっ」

 怖いっ! リリは闇雲に駆け出した。

 でも、真上から来るモノに対してどこへ逃げるっていうの?

 

 溢れた川が、渦となって迫って来る。

 どど、という重そうな音。

「やだあぁっ! 母さま!」

 

 

 ***

 

 

 ………??

 

 うずくまった状態からリリが目を上げると、裸足の白い足があった。

 さっきの子供が、両手を天に突き上げて立っている。

 まるで、その細い手で空を支えてるかのように。

 事実、空は落ちて来るのを止めて、発酵し損ねたパンのようにへこんでいる。

 

 子供はゆっくり羽根を広げた。

 古い櫛みたいな、所々歯抜けになっている羽根。

 

 空の渦が反転して、真ん中に大きな穴が開いて行く。

 その穴の向こうに、上から見下ろす角度で、二人の青い髪のヒトが見えた。

 一人は剣を掲げ、一人は突っ立ってこちらを見上げている。

 

(あれ? ゆぅじん?)

 

 次の瞬間、穴から翡翠色の光が飛び込んで来て、何も見えなくなった。

 

 ・・・

 ・・・・・

 光が治まると、元の澄んだ三日月。

 羽根の子供は手を下ろして佇み、怖かった波紋の渦は影も形も無い。

 

 ヘタリ込んでいるリリの、周囲の景色は変わっていた。

 さっきは何も無かったのに、今度は青灰色の変な木やキノコみたいなのが林立して……そしてやっぱり水の中みたいに揺らいでいる。

「何なの、もう、変なの……」

 

 木の陰から、白っぽい馬が顔を覗かせ、歩いて来た。

 この馬も、子供と一緒で揺らいでいない。

 羽根の子供と鼻をこすり合わせてクルルと喉を鳴らしている。

 

「あんたのお友達?」

 

 リリの問い掛けに子供は答えず、今度は屈んで、リリの鼻に自分の鼻を押し付けようとした。

 

「いや、あたしはやらないってば」

 後ずさって避けると、子供はそのまま前のめりに傾き、女の子の膝の上に倒れ込んでしまった。

「ちょ? ちょっとあんた」

 

 くぅくぅと寝息を立てている。

「何っ? どんだけ自由なのよっ」

 五つも数えない内に眠れるなんて、才能だわ才能。

 

 重いし動けないし……でも、地面にゴロンと落っことしては可哀想。

 リリはそっと降ろそうと、子供の身体に手を掛けた。

「!!」

 

 触った背中がじっとりと汗ばみ、肩は熱を持って熱い。

「具合悪いの? ねえ? どうしよう……」

 

 いつもリリが熱を出すと、母さまがお薬を飲みやすくして与えてくれ、柔らかいお布団に包んでくれる。ここにはそんなの、何も無い。

 

「…………」

 リリは静かに膝を伸ばして、子供の頭をしっかり支えた。

 それから玉汗の額を自分の袖で拭って、細い指を握る。

 

「あたしがずっとここに居るよ。だから安心しておやすみ。お熱は遠いお山に飛んでいけ、ねんころ、ねんね、ねんころ、ねんね」

 

 ただ、自分が熱を出した時の母さまの真似をしてみただけだ。

 他に出来る事がないんだもの。

 それでも子供は全身の力を抜いて、穏やかな表情になった。

 

 髪と同じ色の睫毛。

 あたしの睫毛って何色なんだろ、さっきの子の睫毛を見て置けばよかった。

 

 馬が、小さな二人をまるで腹の下に庇うように、寄り添って立った。

 

 座り直したリリは、ポケットに何かあるのに気付いた。

「あ、ゆぅじんの御守り」

 掴んだ瞬間変な波に襲われて、必死でねじ込んだんだった。

 

 そういえば……

 リリは御守り袋の封を開けて、中の羽根を摘(つま)み出した。

 

「あ」

 

 ホント、世界は不思議に満ち満ちている。

 袋から出て来た羽根は、今、膝に乗っている子供の背中のそれと、同じだった。

 

 

 

 

 

 

 



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水の底・Ⅱ

     

 

「その羽根はシンリィの物ですねぇ」

 

 いきなりな声に、リリは飛び上がった。

 慌てて膝の頭を支えたが、子供は眠ったままだ。

 

 目を上げると、青灰色の林の前に、一人の背の高い男性が立ってる。

「父さま? ……違う。だぁれ?」

「一緒に流されたという少年に頼まれて、貴女を探しに来たんです」

 ちょっと父に似たその男性は、周りの空間と同じように揺らいでいた。

 

「あっ、ゆぅじんも無事だったのね、よかった。ね、お水持ってない? この子具合が悪いの」

 

「私は今、意識だけで実体がないのですよ。触(さわ)れないし何も渡せない。そちらからなら空間に穴を開ける事が出来るんですがね」

 

「そうなの? あっ、そういえばさっきこの子がやってたのが、穴を開けるって奴? あれは、あたしには出来そうにないなぁ」

 まったく、外の世界は知らない事のオンパレードだ。

 

「でも、貴女の道案内をする事は出来ます。さっきシンリィが開けた穴がまだ塞がっていませんから、そこからこちら側に戻れます。導きますから、着いて来て下さい」

 

「ホント? あ、でも……」

 リリは膝の少年を見た。

「あたしじゃこの子……シンリィっていうの? この子を背負えない。あんたもこの子に触れないのよね?」

「残念ながら」

「そう、どうしよう」

 

「その子は、術を使った反動で、回復する為に眠っているだけです。彼の馬がその子を守るから大丈夫ですよ。それより貴女、その空間に長く居るのは良くありません。早くこちらへ戻らなければ」

 

「良くないんなら、やっぱりこの子も連れて行かなきゃ」

「その子はね、いいんです」

「?」

「シンリィは、欲も不満も疑念も何もない。奥底にしまい込むモノがないんです。だからそこに居ても支障がない。貴女、そこに居ると、邪(よこしま)な語り掛けをして来るマボロシが現れなかったですか?」

 

「うん? 変わった子には会ったけど、ちょっとお喋りしただけだよ。あれって、マボロシなの? ギュッて抱いてあげたら消えちゃった」

「…………」

 

「何? 何かイケナかった?」

「いえ……ああ、それより私もあまり長く意識を飛ばしていられないんです。さあ、立って」

 

「うん……」

 リリは、睫毛を縫い合わせたように眠る子供を見つめた。

 この頭を、固い冷たい地べたに下ろさなきゃならない。

 そうして、ずっと独りでここで、起きたり眠ったりするのだろうか。

 

「あたし……」

「?」

「この子に、側に付いててあげるって言ったの。だから安心して眠っているのに、目が覚めて独りだったら、きっと凄く寂しいわ」

「…………」

 

「この子、お薬をくれたのに、ちゃんとありがとうを言っていないの。だから、その、欲とか、フマン、ギネン? そういったモノを追い出して、ありがとうだけで頭を埋めていたら、ここに居てもいい?」

 

「…………」

「駄目かしら?」

「……いえ」

 背の高いヒトは、瞬(まばた)きもしないで紫の前髪の女の子を見つめた。

 

 

 すべての事に意味があるのなら、水面の波紋に落っこちたこの娘をシンリィが掬い上げたのには、どんな意味があったのだろう?

 

 

「ゆぅじんに、母さま宛に伝言を頼んでもいい? リリは、ちょっと用事が出来ました。遅くなるけど心配しないでって」

「承知しました。伝えておきます」

 

「もしかしたら、割りと遅くなるかも」

「割りと、ですか?」

「うん、さっきの女の子にまた会って、睫毛の色、見たいなあって」

「…………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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水の底・Ⅲ

 

 

 

 全ての事に意味がある。

 

 

 翌朝、風露の関を再訪するユゥジーンの姿があった。

「フウリさんに直接伝えねばならない事があるんです」

 

 当番の子供を伝令に送りながら、関の番人は首を捻った。

 確かに昨日の少年なんだが、雰囲気が全然別人。

 一夜でニコ毛が抜けて、いきなり巣立ったツバメみたいだ。

 

「リリからの伝言です」

 馬でフウリの住まいまで飛ぶ許しを貰ったユゥジーンが、到着するなりフウリに向かって姿勢を正した。

「暫(しばら)く帰らない、との事です」

 

「……? 蒼の里の預かりとなるのですか?」

「いえ」

「では、どこへ?」

 

 ユゥジーンは黙って、テーブルの上に木彫りの人形を置いた。

 さっき昨日の丘の上で、大長様から預かった物だ。

 

「こっ、これ?」

 思わず後ずさるフウリ。

 彫り跡は新しいが、間違いなくあの『現(うつ)し身人形』。

 以前蒼の里から持ち込まれた事があり、現した者の本心をズバズバ喋る、かなり凶悪な代物だ。

 既にうっすら光っている。

 

「フウリさんなら使い方を知っていると」

 

 フウリは神妙に頷いて、作業台からピカピカに磨いた化粧板を取り上げ、そっと人形にかざした。

 

《母さま!》

 板に写った小さいリリが声を上げる。

《ごめんね、急に。あのね、あたし、母さまを恨んだ事があるの。何で風露の子に生んでくれなかったの! って》

 

「!!」

 フウリは青くなって口を手で覆ったが、板をかざすのは止めなかった。

 

《でも今は感謝してる。あたしが生まれて来たのにはちゃんと意味があった、って分かったから》

 

 ユゥジーンも初めて見る人形の力に、目を丸くしている。

 

《ね、あたし、やる事が出来たの。独りぼっちで頑張っている子の側で、手伝ってあげる事にしたんだ。それってあたしじゃないと出来ないんですって。凄いと思わない? この世にあたしにしか出来ない事があるなんて!》

 

 フウリは目をしばたかせながら、板に映る小さい娘を白い指で撫でた。

 リリは暗い鏡面の中で微笑んだ。

 

《母さまが寂しい時は、このお人形であたしの姿を見てね。シンリィが彫ってくれたんだ。ちょっと変わってるけどいい子だよ》

 

 それだけ言うと、現(うつ)し身のリリはニコニコと笑っているだけになった。

 生まれて大した年数の経ってない娘は、そんなに暴露する事もないのだろう。

 

「お手伝いって、どんな事なのでしょう……」

 フウリは不安を口にした。

 この疑問は、夕べユゥジーンも、ナーガにぶつけていた。

 そして、言葉にすると単純だが、説明すると非常に複雑な答えを貰っていた。

 

 

   ***

 

 

「シンリィの隣に居て、彼の助けになる事だ」

 

「え…… あの子、まだ生まれて二年なんですよね。そんな訳の分からない空間で、訳の分からないモノと闘うシンリィを……助けるんですか?」

 

 シンリィの居場所が分かったのに教えてくれなかった事にも、ユゥジーンは憤っていた。

 自分はともかく、三峰の二人やルウシェルは、今でも心を痛めているだろうに。

 

「すまなかった。しかし、シンリィの側には赤い狼が居るかもしれなかった」

 

 欲望の赤い魔物を恐れず、あまつさえ召喚しようとした子供達の無鉄砲さを大長から聞いていて、ナーガは躊躇したという。

「あの獣にカケラでも、フウヤや子供達を近付けたくなかったんだ」

 

「え、じゃあ、リリは?」

「今は、あいつは確実に居ない。居たら僕が許す訳ないだろ!」

「ぁ、はぃ……」

 相変わらず滅茶苦茶な嫌い様だな。

 

 狼を抜きにしても、ナーガ長の表情は、焦燥を隠せていなかった。

 訳の分からない空間で何年も独りで頑張っていた甥っ子。一緒に居られる仲間が出来たら居るだけでも助けになるだろうと思っていたら、それはまだ二歳の我が娘だった。

 幼い彼らを『頭数』に入れねばならなかった蒼の長の苦悩は、傍(はた)からは図りようがない。

 ユゥジーンは、意見を言う事を止めて、シンプルに事実だけを聞くようにした。

 

 あの歪んだ水底みたいな空間は、大勢の押し込めた負の心が横這いに繋がった『深層世界』。『現実世界』の裏側にあるが、通常ならば、せいぜい夢で少し迷い込む程度の、薄い存在だという。

 

「精神を支えるのに必要な世界らしい。ほら、世の中には一見害悪そうでも実は必要な物って、あるだろ」

 言われて、何となく納得した。

 

 その空間のバランスが崩れた。どこからかエネルギーを得て存在を分厚くし、活発に動めき出し、波紋の渦を作ってこちらの世界にはみ出して来るようになった。

 空間その物に意志は無く、日光に向かって伸びる植物のように、地上の負の心に反応して寄って来るのだという。

 

 エネルギーは意図的に、遠くからこっそり流し込まれていた。その源流に居るのがどうやら、我々、蒼の一族の血の者……ナーガ長が言うには、『祖先』らしい。

 

「ちょっと待って下さい、ナーガ様」

 ユゥジーンが遮った。

「波紋に巻き込まれた者は、あちらの世界で負の自分に会って、陰険な奴にされてペイッて放り出されるんですよね? やられる方にしたら迷惑極まりないんですが、やる方の目的が見えないです。陰険な奴を増やして、ご先祖サマは何かイイコトあるんですか?」

 

「ああ、その件は、ユゥジーン」

 ナーガは突っ込まれるの予測していたように、困った顔でこめかみを掻いた。

「だいたいこれかな、というのはあるんだけれど…………今は保留でいいかな」

 

「あ、はい……」

 ユゥジーンはモヤモヤを抱きながらも承諾した。

 

 波紋の渦を消し去る方法は、破邪の呪文。

 術力の低いユゥジーンは、ナーガから術を預かって剣に携帯するという技を、ノスリから延々叩き込まれている。

 

 ただし、空に波紋の渦を見付けて術を撃つだけでは効果はない。

 渦は空間の内側に逃げるだけで、すぐ別の所に現れる。

 水底の空間の内側に居て、渦が逃げぬように押さえ、尚且つこちらが術を撃ったタイミングで、穴を開けて術を通す者が必要なのだ。

 

「それが、シンリィ、ですか」

「ああ、シンリィには心の階層が無い。『マボロシ』が存在しない。幾らでもあちら側に居られる」

 その『悪巧みをするご先祖』にとって、シンリィの存在は、心底イレギュラーだったのだろう。

 

 そしてシンリィは、当たり前みたいにスンと、パズルのピースに収まりに行った。

 ホンット、相変わらずだな、あいつ!

 

「リリにまで、あの空間の耐性があるとは思わなかった。生まれて二年じゃ、奥の心が育っていなかったという事なんだろうか」

 

(いや……)

 そんな事はないと、ユゥジーンは言い掛けて止めた。

 ただですら打ちひしがれている、嫌われているらしき父親に、『俺とは結構お喋りをしましたよ』なんて、気の毒過ぎて言えない。

 

「これを身に付けて置いてくれ」

 最後にナーガ長は、鍵の付いた箱から碧(あお)いペンダントを取り出して、ユゥジーンに渡した。

 何かが砕けたカケラのような翡翠。

 

「昔、通信用に使っていた石板のカケラだ。シンリィの持っているピンクの石と連動している。石を握って、位置とか情報を察知する道具なんだけれど」

 

「俺にそんな能力ないですよ」

 

「シンリィが近くに来た時に勝手に震えて教えてくれる。それなりに役立つだろう」

 

「はぃ……」

 ユゥジーンは自信無さげに、妖しく光る石を受け取った。

 ヒヤリとした感触で、『足を踏み込んでしまった』という自覚が、今更ヒシヒシと伝わった。

 

 歪(いびつ)な形の、石版の破片……

 

 そうだよ、俺はシンリィと違って、自分の役割(ピース)に収まる勇気が無かっただけなんだよ。

 

 

   ***

 

 

 『シンリィの隣に居て彼の助けになる事』

 この単純な一文を、リリの母親にキチンと説明出来る自信がユゥジーンには無かった。

 そうなんだ、偉いヒト達は好き好んで秘密主義な訳じゃない。説明の内容のひとつひとつを理解して、受け止めきれる相手でないと、話せないんだ。

 

「近々、ナーガ長がきちんとお話ししにに伺います。俺は一刻も早くこの人形をフウリさんに届けたくて、今日、一足先に参りました」

 

「そう、ありがとう、とても嬉しいわ」

 フウリはもう一度、鏡面に映った笑顔の娘を撫でた。

 

「確かにいずれはお別れすると思っていたけれど、いざ居なくなられて、心が追い付かないと思っていた所でした。あの子の方がずっと大人だわ。置いて行かれて、情けない母親ね」

 

 

   ***

 

 

 歪んだ水底の空間にも、昼夜はある。

 白蓬の馬が、ぐにゃぐにゃに歪んだ朝の筋雲の空へ、舞い上がる。

 

 手綱を取るのは薄水色の髪に緋色の羽根の子供。

 そして後ろには紫の前髪の女の子。

 

 夕べ、もう一度背の高いヒトの『意識』が来て、色んな事を教えて貰った。

 術も何もかもまだ全然だけれど、シンリィの側に居てあげる事は、何処の誰よりもあたしだけに出来る事。

 

「やっと見付けた、あたしだけの役割!」

 

 

 

 

         ~水の底・了~

 

 

 

 

         ~二の章・了~ 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




Ⅱの章おしまい
次回からⅢの章です

挿し絵:白蓬と休憩 
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六連星・Ⅲ
呼び声・Ⅰ


Ⅲの章の開始です
Ⅱから一か月程後


   

 

 

「フウヤ、ここまでだ。今回は諦めよう」

 疲れきった顔のヤンが言った。

 

「僕はまだ動ける――っ」

 そういうフウヤだって、膝が震えてもう一歩も足が上がらない。

 

 斜面に転がるは、今朝方仕留めた大猪。

 ヤンが前年から目を付けていた、首の周りが金のたてがみになっている奴だ。

 

 二人の体重を足して尚余る獲物を、半日かけて谷から引っ張り上げた。

 精一杯高い所まで追い込んだのだが、元より猪はあまり峰方には登ってくれない。

 

「せっかくここまで来たのに……」

「これ以上は命を貰った猪に失礼だ」

 

 フウヤを見張りに残して、ヤンは集落へ助けを頼みに走った。

 程なく、眉毛を下げた大人の男達が担ぎ棒を手に降りて来て、見事な猪に目を見開いた後、気の毒そうにヤンを見た。

 

 集落に猪が運ばれ、厄落としが済んで解体される広場で、イフルート族長が、項垂れる二人の少年の肩を叩いた。

「見事な金毛だ」

 

「運べなきゃ意味ない」

 

「いやフウヤ、ヤンの判断は正しい。あれ以上時間をかけていたら肉も毛皮も悪くなる。恵みを頂いた山に背く行為だ。自分の名誉よりもそちらを優先させたヤンを、俺は誇りに思う」

 

 肉を分配しながら男達も、残念だったな、次回頑張れよ、と声を掛けてくれた。

 フウヤは始終悔しそうだったが、ヤンはいつも通り控え目だった。

 

 肉を抱えて桑畑の脇の帰り道。

「フウヤ、今日はごめんな。頑張ってくれたのに」

「僕はいいよ。どっちかというとこの、『獲物を持ち帰るまでが成人の試練です』ってルールに腹立って来た」

「はは・・」

 

「次は小っちゃ目の猪を狙お。皆、何だかんだ言って、今回の事も考慮に入れてくれるよ、ね、ヤン……ヤン??」

 

 振り向いてフウヤは、肉を抱えたまましゃがみ込んでしまっている相棒に、泡喰って引き返した。

「ど、どしたの、ヤン、ヤン!」

 旅の猟師小屋の悪夢がフラッシュバックして、背筋が冷たくなる。

 

「はあ――・・」

「ヤン?」

「去年から目を付けてたのにぃ……育ち過ぎなんだよ、あいつ」

 

「……うん」

 フウヤは短く返事して、ガックリ脱力している相棒の背中をポンポン叩いた。

 

 こうやって、挑戦しては挫折して落ち込んだりしながら、三峰の子供は成人への坂道を登る。

 

 

「あっ、空!」

 フウヤが声を上げた。

 

 空の真ん中で、青い布を巻き取るようにシワが入り、雲が一筋吸い込まれた。

 見ているとそれは薄くなって、何事もなかったように消える。

 

「まただね」

「うん……」

「何なんだろ? ヤン、分かる?」

 最近よく起こるそれを、空を眺める癖のある二人は気にしているが、周囲の大人はあまり気付いていない。

 天気に関係もなさそうだし、空の事は自分達に無関係っちゃあ無関係なのだ。

 

「壱ヶ原の街の投函箱にも、あちこちの旅人から空が揺らぐのを見たって情報が入っている。すぐに消えるそうだけれど……何か、嫌だよね」

「うん、嫌な感じ」

 

「蒼の里に報せた方がいいと思う?」

 最近ヤンは、文通相手経由で、蒼の里へ手紙を送るルートを確保している。

 もっとも何人かの手を介するので、貴重品や大切な品は送れないし、時間も掛かって実用的ではない。

 イフルート族長がナーガ長宛てに親書を送ってみたら、驚くほど丁重な返事が来たと、子供みたいに喜んでいた。

 

「僕らが気付いている位だから、知らないって事はないんじゃない? 族長さんじゃあるまいし、あんま余計な手紙を送って煩わせるのもね」

 

 

    ***

 

 

 空に水の揺らぎの影が滲んで、音もなく渦が巻き始める。

 

 真下の丘に、コバルトブルーの髪を逆立てたユゥジーン。

「めっちゃ吸い上げられるじゃん、こわっ」

 

 両手で胸の翡翠のペンダントを握りしめる。

 震えるのか? 本当に震えるのか?

 

『シンリィが来なければ手出ししないで見過ごすように』

 ナーガ長にはそう言われている。

 事実、今まで何度か空の揺らぎは見たけれど、ペンダントは震えず、何事もなく消えてしまった。

 しかし今日ここで見付けた渦は、雰囲気が違う。

 何が違うって聞かれても答えられないけれど、とにかく違う。

 

(始末が必要な物は明らかに分かるって言ってた。これがそうなのか? そうなのか?)

 

 握った手の内側がじんわりと汗ばむ。

 

 ――トクン

 

 !? 今、動いた? と思った瞬間

 ブルブルブルッ ――震えたぁっ!

 結構激しい。これうっかり胸に下げたままだと心臓止まるぞ。

 手を開くと、呼吸するように明滅する翡翠のカケラ。

 

(来た来た来たぁっ!!)

 

 渦は波紋を広げながら、空から雫のように垂れて来ている。

 慌てて左右の二刀を握る。

(どのタイミングだ? どのタイミング……)

 雫、いまにも落ちそう。

 

 ――トクン

 ペンダントから最初と同じ感触。

(今かっ!)

 剣を抜く、振り上げる、呪文を念じる、柄から圧力が伝わる。

 

 ――破邪!!

 

 後は光の洪水。

 渦の向こうに目を凝らしてみようと思っていたが、眩しくてとても無理だ。

 

「うわっち!」

 剣の振動がいきなり止まって、反動で尻餅を付いた。

 事は終わったようで、空の灰色が散り散りになって消えて行く。

 俺がやったのか……? 実感が湧かない。

 ナーガ様から預かっていた術を撃ち込んだだけだもんな。

 

「来ていたのか? シンリィ。俺の事、気付いてくれたかな」

 

 

 ***

 

 

「さっきの子、ゆぅじんだったね」

 

 水底の揺らぎの空間。

 穴が塞がるまで地上の少年をじっと見つめていた羽根の子供に、リリは話し掛けた。

 

「しんりぃのお友達なんでしょ。ほらこれ、あの子のなんだ。大切な物だって言ってた」

 リリは、自分の首に掛けている羽根入りの御守り袋を指した。

 

 羽根の子供は山吹色の袋を見てフワッと微笑み、ゆっくり歩いて愛馬の足元に座り込んだ。

 リリも隣に行ってしゃがむ。

 

「疲れたの?」

 子供は頷くように、女の子の肩に首をもたせ掛けた。

「ねぇ、しんりぃ、あんたが喋らないのは慣れたけれど、あんたの気持ちを分かるのにちょっぴり時間が掛かるのが珠に傷だわね。喋っても喋っても何も通じないよりはマシだけれど」

 

 この水底みたいな空間は、二人の他はほぼ誰もいない。

(最初に出会った『マボロシさん』には、結局あの後会えていない)

 どこで座り込もうが寝転ぼうが、誰の邪魔にもならない。

 

 リリは適当な物語を唄にして口ずさみながら、大長に貰った毛糸で綾取りを始めた。

 一人でお喋りするのにも慣れた。

 シンリィがまったく聞いていない訳でも無いからだ

 

 好きなだけ起きていて、好きな空想を好きなだけ唄って、どんなにうるさくしても夜更かししても、誰にも叱られない。

 まぁ、波紋の渦は昼夜関係無く現れて、即出動だから、好きなだけ寝ている訳には行かないのが、ちょっぴり残念。

 

 綾取りに飽きてリリは、毛糸を髪に巻き付けた。

 白蓬が腹を向けて身を横たえたので、熟睡している水色の頭をそちらに預けて、立ち上がる

 

 散歩。

 この、水底みたいにユラユラ揺れる空間を探検するのが、彼女が最近凝っている遊びだ。

 ぽぉーん、ぽぉ――ん

 重い空気を手で掻くと、結構高い所まで浮遊出来る。

 要は水の中と同じ。

 バランスを崩して転ぶのもゆっくりで、痛くない。

 無理に早く動こうとしなければ意外と快適なのだ。

 

 少しづつ対流している周囲の『壁』に、パン生地に穴が開いたような楕円の窓が開く。

 向こう側は、元々いた『現実世界』だ。

 それがまた、足の下に空があったり天井から山が逆さに垂れていたりで、面白い。

 

 見知った形の山もある。

 でもそんなに変わった景色はない。

 

 見渡す限りの深い色の水とか七色のお花畑とか、古い大きな石の建物とか切り株で出来たおうちとか、そんな知らない世界が見られるかなぁと思って散歩を始めたのだが、そうでもなかった。

 

 

 

「この空間にも位置の概念はありますからねぇ。あんまり極端な遠くまでは覗けないです。まぁ、距離はかなり短縮していますが」

「ガイネン? タンシュク? じじさま、よく分かんない」

 

 たまに意識だけ飛ばしてやって来る大長は、リリに様々な知識を与えてくれた。

 父さまの叔父さんっていうから、彼女は『じじさま』と呼んでいる。

 

 水底の空間は『現実世界』の裏側に流れていて、それなりに繋がっているんだって。

 ただ、こちらの空間から距離をタンシュクさせる事は出来る。

 

 だからシンリィは、こちらの世界の空気の流れから波紋の発生を察知して、『現実世界』のどこで渦が現れても、短い時間で駆け付けられる。

 

 白蓬の後ろに乗っけて貰うと、ひと掻きでギュンッと進んで、窓から見える風景が一気に飛ぶ。

『距離』と『時間』のザヒョウをずらす……それはシンリィの才能だという。

 リリにはイマイチ理解出来ない。

 

「あたしにも出来るようになる?」

「ふむ、リリなら可能性は高いですね。自分の馬を得て乗れるようになれば、もっと凄い事が出来るかもしれません」

 

 何を聞いてもじじさまは、子供扱いしないでちゃんと答えてくれる。はぐらかしたり話の中心をずらしたりしない。

 リリは大長と話をするのが、かなり好きになっていた。

「本当、いつ?  幾つぐらい寝れば馬が貰えるの?」

 

 大長は目を細める。

「七歳の秋ですが……リリにとって七歳というのは、気の遠くなる遥か先なのでしょうね。私達から見ると多分あっと言う間なのですが」

「へぇ、それも時間のザヒョウがずれてるって奴? じゃあ、あたしが大きくなるのが早いのも、ザヒョウをずらす才能があるのかな」

「・・・・・・」

「じじさま?」

「あはは、リリは実に面白い。物を考える才能が凄い」

 

 その他にも大長は、世界の成り立ちとか歴史とか、様々な事を教えてくれた。

 術も教えてって頼んだけれど、そこはシンリィを見て覚えなさいと言われた。

 

 大長にしてみれば、身体だけは大きいがまだ二歳のこの娘に、教えてもいい物かと躊躇していたのだが、リリの身体は受け付ける術から自然に身に付けた。

 そうしてすぐに『空間に穴を開ける術』をマスターし、現実世界にじじさまを見付けると、穴を開けてお喋りをしに来るようになった。面白いお話に、お菓子や蜂蜜。けれどリリが一番喜んだのは、シンリィの羽根と同じ色の毛糸だった。

 

 

 

 ぽぉん、ぽぉんの散歩から戻ると、シンリィは起きて、馬の腹帯を締めていた。

 

「出動?」

 羽根の子供は先に乗馬して、リリに手を差し出す。

 

 女の子が跨がると馬はすぐに上昇して、空を掻き出した。

 いつもよりゆったりと大掻きしている。

 

「長距離なのね」

 大人しく後ろに掴まっていると、知った景色は飛んで行き、縦長の大きな窓には、細長い森と三日月形の湖、そして見渡す限りの砂の原が見えた。

 

「知らない景色だ!」

 行った事のない場所!

 リリの小さな胸にワクワクが広がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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呼び声・Ⅱ

   

   

 

 行き交う旅人で活気付く、壱ヶ原の街。

 

 休憩所の人混みの向こうで赤っぽい黒髪をのぞかせながら、ヤンが壁沿いで作業をしている。

 投函箱の手紙を確かめて、地図に張られた古い情報を剥がし……

 高い所の紙へ背伸びしていると、後ろからヒョイと取ってくれる者がいた。

 

「ご苦労さん」

 振り向くと顔見知りの雑貨商人。

 親から身上を譲られたばかりでまだ若く、ヤンの壁地図を気に入って、積極的に応援してくれている。

 なかなかのやり手で、行動範囲が広くフットワークも軽いので、持っている情報はダントツ。

 ヤンは彼に教わる事がとても多い。

 

「お久し振りです、今回は南でしたっけ」

「ああ、砂漠の先の鯨岩の港街まで足を伸ばした。まぁ、土産話は後でな。それよりそれ、見事な毛皮だな! 猪か?」

 少年の背負っている珍品を、目敏い商人は見逃さない。

 

「はい、後で毛皮商へ持って行こうと」

「俺に回してくれ。金毛の猪なんて、縁起を担ぐ金持ちが欲しがりそうだ」

「縁起が良いんですか?」

「そういうのはこっちでデッチ上げるの。客に満足を提供するのも商売人の使命なんだぜ」

 青年商人は片目を瞑って見せた。

 

「貨幣じゃなくて、宝石とか輝石と交換したいんですが、イケますか?」

「ああ構わないぞ。何だ、女のコへのプレゼントか?」

 

「そんなんじゃないです。借金を返したいヒトが、貨幣よりも石を好んでいると聞いて」

「へぇ、変わった御仁だな」

「中々返す機会がなくて、貯めている途中なんですが」

 

 青年は腰に付けていた宝飾品の入った皮ケースをテーブルに引っくり返し、対価に合った石を幾つか選り分けてくれた。

 

「この中から好きなのを選びな…………どうした?」

 今ひっくり返した宝飾品の中の一点を凝視して固まっている少年に、青年は首を傾げた。

 

 

    ***

 

 

 夜更けの寝静まった三峰の集落。

 そっと抜け出す二騎の影があった。

 岩尾根に辿り着いて、二人はやっと声を出す。

 

「良いのか、フウヤ。無駄足かもしれないんだぞ」

「ヤンこそ、どれだけの物を棒に振るのか分かっているの?」

 

 二人はこれから全力で砂漠地帯へ向かう。

 ルウシェルの住む西風の里を目指して。

 

「今行かなきゃ、棒に振ってしまう物の方が大きい気がする」

 

 

   ***

 

 

「ああ? 確かに西風の里の者と名乗っていたな、それを持って来た爺さん達は」

 何の変鉄もない平凡な革腕輪に食い付いて問い詰める少年に、青年商人は戸惑いながら答えた。

「細工は良い出来だが、赤メノウは大して珍しい石じゃない。要らないと言ったんだが、縁起であるからどうしても引き取ってくれと」

 

「縁起……?」

 

「女性は嫁ぐ時、古い物を持っていると縁起が悪いとか。それまで身に付けていた装飾品や財産全て手離して、対価で花嫁衣装と先方への持参品を揃えるんだとさ」

 

「嫁ぐ? えっと嫁ぐって……この腕輪の持ち主が……ですか?」

 

 商人は、蒼白な少年に何かを察して、座り直して細かく説明してくれた。

「売りに来たのは会話の噛み合わない年寄り集団だったが、まぁ、そういう話だったな。他にも色々売り払った対価で、花嫁衣装用の反物を購入して行ったし」

 

 だが、と商人は続けた。

 あちらの地方に何度も商売に行っているが、そんな慣習は聞いた事が無いと。

 

 商売仲間に聞いても誰も知らず、唯一、辻占いのシワクチャの老婆だけが「あるにはあった」と答えてくれた。「百万年前に廃れた化石じゃがな」と、鼻で笑いながら。

 

 元々は、地上の娘が神々の国へ嫁ぐ宗教神話の一節から来ているらしいが、そういうのを捻じ曲げて都合のいいように改竄(かいざん)する輩は、何処の時代にも沸くのだと。

 

「娘のそれまで生きて来た身ぐるみ剥いで送り出すなど、ちょっと考えたらおかしな事だと分かりそうな物なのにな」

 

 

   ***

 

 

「それって……」

 呟いて、フウヤは呑み込んだ。

 花嫁はほぼ間違いなくルウシェルだろう。

 フウヤより一コ歳上なだけだけれど、部族によっては嫁いでもおかしくない。

 

 西風の年寄り連中は百万年前の化石だとよく言っていた。

 腕輪は十中八九、無理矢理取り上げられたんだ。

 ルウがあの腕輪を手放す訳がない。

 そんな状況の婚礼が、嬉しい事である筈がない。

 

 だけれど……

(僕達が行って、何が出来るの?)

 白い少年の複雑な表情を見て、ヤンが馬を進めながら口を開いた。

「ごめん、自分でも考え無しだと思う。でももう、居ても立ってもいられないんだ。ただ一秒でも早くに、この腕輪をルウに返してあげる事しか考えられなくて」

 

「うん、でも何だか……」

「んん?」

「いつもと逆だね。いつもは僕が考え無しで突っ走って、ヤンがたしなめる役なのに」

 

 フウヤはそれ以上何も言わないで、当たり前みたいに馬を進めた。

 本当は彼だって逸(はや)る気持ちはあるんだけれど、先に相棒に突っ走られてしまうと、冷静になる。ヤンっていつもこんな気持ちだったんだな。

 

 

 

 壱ヶ原の街の情報網で、ヤンは西風の里の場所も探していた。

 ルウと別れて、次の冬とその次の冬、二回砂漠地方を旅したが、見付けられなかった。

 

 部族間の仲が決してよくないあちらの地方では、交易地や商業街以外……各部族の本拠地は隠されている事が多い。会合等も、それ専用の場所がある。

 西風の里は、先代の長が亡くなって以来特に閉ざされていて、入り口もしょっちゅう変わるという。

 

 しかし、先の雑貨商人や様々な旅人達からの情報で、ヤンは、『だいたいこの辺りか?』ぐらいまでは掴んでいた。

 その場所を記した、イフルート族長の地図の『写し』を開く。本体は借りて来られなかった。

 

「族長さんに大目玉だよ」

「ひたすら謝るしかない。どんな処分でも受けるさ」

 

 夕べ一応、族長の所へ旅の許可を貰いに行った。

 当然の如く却下された。ヤンは成人の儀礼の真っ最中なのだ。

 今年を逃すと来年また最初からだし、それだけならまだしも、大人達の心証次第では資格を失くするかもしれない。

 

「その娘と旅してから三年も経っているのだろう? 女性は大人になるのが早いぞ。子供時代の情熱が薄れても不思議ではなかろう」

 

「腕輪を売りに来たのがルウ自身なら、そう思って納得します」

 いつもは大人しいヤンが反論すると、族長は困った顔で黙したが、立場上やはり許してはくれなかった。

 

 

「フウヤは僕が無理に誘った事にするからね。事実そうなんだし」

「ヤンに置いていかれても、僕は追い掛けただろうけどね」

 

 

 尾根道を遠去かる二騎を月明かりに見やる、桑畑の丘の人影。

 イフルート族長と、後から二人ばかりの側近が上がって来た。

 

「言われた通り、厩の側の住民には気付いても素知らぬ振りをして貰ったが。いいのか族長、幾ら何でも成人の儀礼を反故にするなど、咎め無しに済ませる訳には行かぬぞ」

「罰は受けて貰うさ。だが形式ばかりの儀礼より、あの子達がどんな大人への階段を登って戻って来るか、楽しみだとは思わぬか?」

 

「全く族長は夢想家(ロマンチスト)だな。今から山を越えて行ったとて、砂漠まで何日掛かる事やら。その娘の婚礼の儀とやらにも到底間に合わぬだろう」

 

「まぁ、彼らが到着する頃には人妻だな」

 

「逆に可哀想ではないか」

 

「何も出来なくとも、出来ないなりに一歩を踏み出す者が居る。何かを変えるとしたら、そういう者なのだ。歩き出さぬと可能性は零(ゼロ)だが、歩き出すと零ではなくなる。零と零でない事の違いは大きかろう」

 

 

 

 

 

 

 



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呼び声・Ⅲ

    

  

 

 地平線に金の線が入り、朝陽が登る。

 

 ヤンとフウヤの二人は、サクサクと山を降りて平地に掛かった。

 まだ起き出さない壱ヶ原の街の前を通過する。

 

 昼近くに、大きな川の畔に出た。

「ねぇ、ぼちぼち休もうよ」

「そうだな、馬にも飼いをやらなきゃ」

 

 下馬して腹帯を緩め、馬の汗を拭いてやる。

 自分達は簡単な携行食をかじり、馬には麦を与えた。

 

「あ、空」

 フウヤの声に見上げると、一頭の草の馬が見えた。

 何処かへの通り道になっているらしく、この辺りで蒼の妖精の騎馬を見掛けるのは珍しい事ではない。

 

「あれ? あの馬」

 目の良いヤンが、覚えのある色に気付いた。

「ジュジュだ!」

 

「え? 本当?」

 フウヤはもう一度目を凝らすが、馬は高い所を通過して行く。

「あぁん、気付いて貰えないか。しようがないよね」

 

 フウヤは気を取り直して目を下ろしたが、隣のヤンはまだ空を凝視したままだ。

 

「ヤン?」

「あれは……」

「どうしたの?」

 

 フウヤに気付けない物が、ヤンには見えているらしい。

 

「危ない!」

 ヤンは叫んで、馬に飛び乗って急発進させた。

 

「ヤン!?」

 フウヤも慌てて付いて行く。

 

「ジュジュ、後ろ! 後ろだ――!」

 

 必死で追い掛けるフウヤにも、やっと見えた。

 ジュジュの騎馬の後ろの空が、不穏に歪んで波打ち始めているのだ。

 

「ジュジュ――!」

 

 しかし、空の騎馬は地上の二人の声に気付かない。

 そのまま高度を上げて飛び去ろうとしている。

 空の波紋は、そんなに速度は出せないようで、まるで諦めたかのようにその場に留まった。

 

「大丈夫だったんじゃない?」

「ああ、そうだな…………んんっ!?」

 

 まるで目が合ったように、空の波紋が一瞬止まり、その後こちらへ向いて下り始めた。

 

 目標を変えたって事!?

 波紋は大きさを増しながらどんどん迫る。

 

「う、嘘だろ!」

「何か分かんないけど逃げろ!」

 二人は左右に散ろうとしたが、馬だって疲れている。

 あっと言う間に追い付かれてしまった。

 

 

 

 

 

「フウヤ!」

「ヤン――!」

 

 二人は馬から投げ出され、バラバラに飛ばされた。

 地面が無い、空も消えた、訳の分からない波に翻弄されるばかり。

 

 何処だ、こ・こ・は・・!

 もがくヤンの向かい合わせに、すうっと何かが流れて来た。

 フウヤじゃない。

 黒い瞳、自分と同じ顔。

 

《 無駄無駄、今から砂漠へ向かったって何が出来るよ。成人の儀礼を反故にしてさ。どうしてこういつもいつも損する方向に走っちゃうの? 貧乏クジって分かっているのに 》

「な、なんだ?」

 

 フウヤの耳元にも、背後から白い少年が摺り寄っていた。

《 ねぇ、いつまでヤンにくっついてるの? 迷惑かけてるのが分かんないの? 》

「えっ! 何、ナニ?」

 

 

 ――開けぇぇ――――!!

 

 少年の叫び声と共に光がなだれ込み、二人に絡み付いていたマボロシは目を覆って怯んだ。

 

「そこの二人! こっちに向かって走って!」

 

「む、無理ィ……」

「足が……地に付かない……」

 

「それでも走れ! こっちももうもたないぞ!」

 

「まま待って」

「ちくしょー!」

 

 もがく内にフッと身体が軽くなり、二人は現実感のある土の上に投げ出された。

 

「いったぁーい」

「フウヤ!」

 ヤンは即座に身を起こしたが、酷い吐き気にうずくまった。

 何だったんだ、今の。

 ホンの一時だったけれど、凄く嫌な気持ちになった。

 

「大丈夫か? 頭、しっかりしてるか?」

 声のする方に顔を向けると、コバルトブルーの髪の少年が、草の馬から下りて走り寄って来る所だった。

 

「ジュジュ……」

 ヤンは頭を振らないようにしながら、ゆっくりと身を起こした。

 

「馬は無事みたいだぞ、巻き込まれずに逃げたな」

 少年が指す地平に、二人の馬が怯えながらもこちらへ歩いて来る。

 

「あ、ありがとう。助けてくれたんだよな」

 何か、彼に会う時って、こんなばっかりだな。

 

「砂利呑んじゃった・・」

 フウヤも、口の中の砂を吐きながら起き上がった。

 

 三人は慌ただしく再会を喜び合い、ユゥジーンは拝命して名前が変わった事を告げた。

「いいな、カッコイイ名前」

「うん、良い名前だね、西の方では、『誉れ』とか『誕生』とかの意味がある」

「おお、ヤン、知ってるんだ」

 

「今、色んな土地のヒトと文通しているから。後、最近新しく習ってる言語でも意味があったな、確か『羽根』の……ぁ」

「ん、何? そこまで言って止まられたら気になるだろ」

 

「羽根の、『悪魔』……」

 

「…………」

 

「カッコイイ!」

 

 フウヤがあっけらかんと断定して、二人も苦笑いになった。

 

 所で何でこんな所に? という話になって、ヤンは赤メノウの腕輪を見せて、経緯を話した。

 

「ほぉ、それで市場で偶然その腕輪を見掛けたってだけの理由で、正確な事とか何も知らずに、ただの憶測で砂漠へ向かっていると?」

 ユゥジーンが両手を腰に当てて呆れた声を上げた。

 

 ・・確かに言っちゃえばそうなんだけれど、そんな箇条書きに纏めて一気に言わなくても……

 

 しかしユゥジーンは次の瞬間、片手で額を覆ってその場にしゃがみ込んだ。

「はあ、まったく君らには敵わない」

 

 言いながら、腰の革袋から一枚の手紙を引っ張り出して見せてくれた。

 多分、鷹に運ばせる用の薄くて小さい紙片。

 

 簡略した文章で、西風の里の長娘ルウシェルの婚姻が決まった事、急な事ゆえ蒼の長殿の招待無き事への謝罪、が記されていた。

 やっぱりルウの婚姻だったんだ。けれども何だか雑な文字から、寿(ことほ)ぎ事からかけ離れたおざなり感が、ひしひしと感じられる。

 

 沈み込む二人にユゥジーンは、今度は懐から、大切にしまっていたらしい紙片を取り出した。

 最初のより更に小さい。開くと、丸っこい可愛らしい文字。

 ルウ……!

 

《私は大丈夫です。ご心配に及びません。皆々様の末長いご健勝をお祈りしております》

 

 三峰の二人は目を見開いた。

 そして眉間にシワを入れ唇を噛み締めて、憤懣(ふんまん)やる方ない表情になる。

「ルウ・・!」

 

 ユゥジーンはそんな二人を黙って見つめた。

 手紙というのは不思議だ。

 読むヒトによって、何と受け取り方の違う物か。

 

「そんで……そんで、ナーガさんは何て!?」

 フウヤが叫ぶ。

 

「蒼の里は、西風の中で決まった事には口出ししない方針なんだ。ずっと前の代から」

「大人ってダメ! ホント、ダメダメ!」

「フウヤ、他部族の事に口出ししないのは、平和にやって行く為の定石(セオリー)だよ。上に立つ者なら尚更」

「ああっもぉっ、正論ハラ立つっ!」

 

「だからさ」

 ユゥジーンは、今度は大きな羊皮紙を取り出して広げた。地図だ。

「今朝、執務室に入ったら……ああ、朝一番に執務室に入るのは大体俺なんだけれど……小机に、昨日来たこの手紙と一緒に、この地図が置いてあった。西風の里の場所が印されて」

 指差す先に、ヤンの持つ『写し』より正確に、西風の里の所在地その物が記されている。

 

「え、どういう事? ユゥジーンに、若気の至りを炸裂させて勝手に飛び出したって体で、行けって事?」

「それ以外に何があるの」

「…………」

「確かに行きたいとは思った。そんな顔をしたと思う。でも、行って何が出来る訳でもないって考えの方が先に出て、すぐに引っ込めた。ナーガ様がこうやって背中を蹴飛ばしてくれなかったら、多分旅発たなかった。だから、君らは凄いよ」

 

 ヤンは、手に持つ腕輪を見つめた。

 これはユゥジーンに託すべきだろう。

 空飛ぶ馬を駆る彼の方が、当然早い。

 でも……

 

 フウヤはヤンをじっと見ている。

 ルウが今どんな気持ちでいるかを考えると、一刻も早く腕輪を届けてあげるのが一番だ。

 でもヤンにはきっと、別の気持ちもある。

 

 

 三頭の馬が同時にいなないた。

 不意に地面が暗くなる。

 

 目を上げると、頭上に音もなく、さっきのと同じ渦巻き!

 

 ユゥジーンは跳ねるように立ち上がった。

「またかよ!」

 ……胸の翡翠は震えない。

 シンリィが来ないという事は、退治する必要もない小者なのだろう。

 先程はこの二人が吸い込まれるのを目撃したから、一緒に飛び込んで内側からぶち破ったが、押さえ役がいないと完全に消滅させるのは無理か。

 

「二人とも馬と一緒に避難して。俺も時間を稼いでから飛んで逃げるから」

 

「お、おう」

 ヤンとフウヤは慌てて自分の馬の手綱を取った。

 

「あ……」

 ユゥジーンの後ろ姿が、いきなり剣を下ろして止まった。

「ねぇ、ヤン、フウヤ」

 

「何? 何か手伝う事ある?」

「西風の里へ行きたいだろ?」

 ヤンより先にフウヤが、「行きたい!」と叫んだ。

 

「そう、オッケー、あちらまでの距離を縮める方法がある」

「ホント!?」

 

「西風の里……あっちだな、この方向に向いて、渦に飛び込む。そのまま方向を違えずにひたすら馬を走らせれば、地上より遥かに距離を稼ぐ事が出来る」

「マジ!?」

 

「ただし、やった事はないんだ。『理論上はそう』ってだけで。それにあの空間には質(たち)の悪い『マボロシ』が現れて、結構危険な……」

 

 ユゥジーンが喋っている間に、二人は馬を引き寄せて乗馬していた。

「さあ来い渦巻きちゃん」

「出来るだけ西風の近くまで運んでおくれ」

 

「最後まで聞けよ!」

 

「危険って、さっきの真似ッコ妖怪が来て、ちょこちょこっと煽る奴だろ。ぜぇんぜん、どぉって事ない!」

「うん、気分悪いけど、あんなのマトモに取らなきゃいいだけだし」

 

「お前ら……」

 怖いもの知らずって言うか、知らないってある意味強力だな。

 

 ユゥジーンは刀を鞘に収め、自分も馬に飛び乗った。

「行くぞ! 固まって、はぐれるんじゃないぞ!」

 

「え、ユゥジーンは飛んで行けるじゃん?」

「誰が内側から穴を開けるんだよ。第一、危険な道を教えといて『じゃあ頑張ってね』なんて出来る訳ないだろ、カッコ悪い」

 

 言っている間に目の前に渦巻きが広がり、三人は息を合わせて西風の方向へ向いてジャンプした。

 

 

   ***

 

 

 空気の塊が向かい風のようにぶつかって来る。

 泥みたいな感触で気持ちが悪い。

 

 三頭はユゥジーンを先頭に三角形に固まって駆けていた。

 

 フウヤの横にスゥッと白い少年が摺り寄った。

《 教えてやろうか、本当は成人の試練って、一人で鹿を一頭捕って持ち帰るだけで良かったんだ。ヤンが、二年後に挑むお前の為に、族長に交渉して、手伝ってもいい代わりに難易度を上げる方式に変えて貰ったんだ。な、どんだけ迷惑をかけてるか、分かった? 》

 

「うん、知ってた」

 白い子供の答えに、マボロシは意外な顔をした。

「糸球夫人の所の親方が教えてくれた。だからってどうするの。暴いたって何にもならない。迷惑をかけたのなら、他の事で精一杯返すしかないんだ。僕とヤンの間は僕達だけの物だ。シッタカぶって割り込んで来ないで!」

 ピシャリと言うと、もう二度とマボロシに耳を貸さなかった。

 

 ヤンの目の前にもマボロシが飛んで来た。

《 貧乏クジはつまんないよ 》

 

「貧乏クジ上等。どんなクジにも宝物が埋まっているんだ。君は知らないだろうけれど」

 

 マボロシはつまらなさそうな顔をした。

 

 ユゥジーンは手こずっていた。

 コバルトブルーのマボロシは、舌なめずりして囁き続ける。

《 お前が世話を焼かなくても、この二人は気が付いたらお前の先を行っているんだ。それでまた傷付くんだから、もう関わるなよ 》

「俺は……平凡なんだ。そういう役回りでいいんだよ」

《 ええ――っっ、ウソウソ、ぜぇんぜん納得していない癖に。慕ってくれるトモダチに、心の底では嫉妬で一杯な癖に 》

 

 ああ、確かに俺は嫉妬しているよ。

 捨てきれていないよ。

 

「ユゥジーン」

「ユゥジーン!」

 肩を落として力の無くなった少年の後ろ姿に、背後から二人が呼ぶ。

 マボロシは本人にしか見えない。

 

 ユゥジーンは目を見開いてマボロシを睨んだ。

「俺の平凡な嫉妬なんかどうって事ないんだ。こいつらは面白いんだ、見過ごせる訳ないだろ! それが俺の本心だ、いい加減受け入れろ!」

 

 ユゥジーンのマボロシが黙り、ヤンが叫んだ。

「黄色い砂の原だ!」

 彼の目は揺らめく壁を通して、向こうの景色を見ていた。

 

 ユゥジーンは鞍上で剣を抜き、呪文を唱えて空中を斬った。

 

 空間に出来た裂け目に、三人は順番に飛び込んだ。

 

 

 

 

 

 

         ~呼び声・了~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 挿し絵:ユゥジーンの馬 
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西風・Ⅰ

    

   

 

 砂の風紋を夕の風が撫でる。

 

 西風の里の中心、古い宿屋の一番奥の部屋の扉を、ルウシェルはそっと開けた。

 ここを取り壊さずにモエギを療養させる自宅にするのを、老人達は勿体ぶって許してくれた。

 

 奥のベッドに横たわったモエギは、ずっと夢うつつの中にいる。

 

「母者……」

 

 ルウシェルは込み上げる塊を呑み込んで、呼吸浅く体温の上がらない母の手を握った。

「一人きりにして……私ばっかり自由で楽しくして、ごめん」

 

 

 何週間か前、いつものように夕の風を流しに上空へ飛んだモエギ長が、夜になっても戻らなかった。

 翌朝、ルウシェルの暮らす砂の民の総領屋敷へ西風からの使者が来た。

 砂の民の部族でも預かり知らぬ事と分かり、双方でヒトを出して捜索しようとしていた所に、馬だけ戻って来た。

 馬の案内で、西風の里近辺の遺跡の石の上に、倒れたモエギが発見された。

 呼吸はあるが体温低く、どうやっても意識が戻らない。

 

「娘御が放蕩しているので、心労が溜まってしまわれたのじゃ」

 

 老人達に責められるまでもなく、ルウシェルは母の枕元に跪(ひざまず)いて詫びた。

「ごめん、母者の強さに寄り掛かり過ぎた」

 

 そして、自ら砂の民の総領と父の所へ出向いて、西風に戻り母の側に付き添うと告げた。

 西風に戻るのがどういう事かを、しっかり理解した上で。

 

「ごめん……爺さん、父者(ててじゃ)。せっかく迎えてくれたのに、私、誰の為にも何も出来なかった」

 総領は何も言わずに孫娘を送り出し、項垂れて去る娘を父が追い掛けた。

「お前は自分の為に何か出来たか? ここで」

「……分からない」

「その為にお前はここに居たんだ。自分を大切にする者であってくれ」

 

 砂の民はこの地で一番勢力があり、武闘派で名高い。

 父のハトゥンは、妻が西風の長でなければ、妻が西風を大切に思っていなければ、とっくに彼女を略奪して里へ連れ帰っていた。

 部族同士の力の差が雲泥な為、逆に手出しが出来ない。下手に諍(いさか)いを起こして部下を抑えられなければ、西風を滅してしまう。

 総領殿も、西風の里への対応だけは息子に預けている。

 

 状況が見えていないのは里の年寄り連中で、長娘を取り戻すと案の定、嬉々として立ち消えになっていた縁談を復活させ始めた。

 彼らは長いビジョンでの里の行く末など見ていない。

 目の前の物を屈服させ思い通りにする事こそが至高なのだ。

 

 

 一晩砂漠の冷気に晒されていたモエギは馬が守っていたらしいが、発見された時は呼び掛けにほとんど反応しない状態だった。

 ただルウシェルが呼んだ時だけ、少し瞼(まぶた)を動かした。

 

「蒼の里のナーガ様に診て貰いましょう」

 というシドの意見は当然元老院に却下された。

 老人達は蒼の里に阿(おもね)てはいるのだが、自分達より力のある者に口出しされる事を警戒している。やっている事に自信があるのなら、胸を張っていれば良い物を。

 

 モエギ長の舘には、ルウシェルの留学以来、蒼の里から季節ごとに近況交換の鷹便が来るが、持たせる手紙は元老院が検閲した。

 無視して飛ばそう物なら、彼らは鷹に危害を加える事も厭わないので、うっかりした事も出来ない。

 身内の厄介集団は、外のそれよりも百万倍厄介なのだ。

 

 

 

 ベッドのモエギが、覚醒していない状態で、右手を上げて空へ向けてふわりと回す。

 最初、何だ? と思ったが、朝夕行われるこれで、上空の風が流れていた。

 西風の長の大切な役割り。

 

(こんな状態になっても、これだけは果たそうとしているのか)

 その母を見て、ルウシェルは決心を新たにした。

 一日も早く肩の荷を降ろさせて、父の元で養生させてあげたい。

 

 老人達だって闇雲に無茶ばかり言っている訳じゃない。

 砂漠の風を流すのは、本当に大切な役割なのだ。

 

 単純に風を流すだけなら、他にも……例えばソラにだって……出来る者はいる。

 が、『西風の長が、砂漠に生きる全ての生き物の為、慈愛持ち朝夕の風を流す』という、宗教的意味合いが大切なのだ。

 

 なのに、長娘のルウシェルは、いまだに風を流す能力が芽生えない。

 ソラに付いて修練は積んでいるが、本当に切っ掛けすら掴めていない。

 

 元老院が、砂の民との混血の彼女よりも、血筋の濃い者との子孫に望みを託すのは、当然と言えば当然な考えだった。

 直系でなくとも長の血の系統は幾つかに別れて存在する。

 そして概ねが元老院の息の掛かった家だった。

 

 

 

 ルウシェルは母の寝室を出て、廊下を歩いて右の二間をぶち抜いた広間に入る。

 正面に金銀で飾られた裾長の衣装が掛けられ、その前で、顔色の沈んだシドとソラが振り向いた。

 

「母者は、今なら具合が落ち着いているから会える」

 

「はい……」

 

「豪華だろ。昨日仕上がって来た。婆さん達張り切るのはいいが、あれこれ縫い付け過ぎだろこれ。絶対重くて身動き取れないぞ。婚礼衣装って普通そうなのか?」

 

「…………」

 

「それはそうと、相手がまだ決定しないとか、笑ってしまうだろ。明日だろ、婚礼の儀式。そんなに私の相手が嫌なのだろうか?」

 

「老人達の間で、自分の派閥から花婿を出したい争いが勃発して、長引いているようです」

 

「はは、こっちはようよう決意してやったのに、何やってんだか」

 

「…………」

 

「ああ、早く母者に会いに行ってやってくれ。母者は二人が大好きなんだ」

 

 

 シドとソラが反応の無いモエギに挨拶して廊下に出ると、ルウシェルは、窓枠に肘を掛けて空を眺めていた。

 声を掛けずに外へ出て、二人も空を見上げた。

 夕空に、羽毛のように綺麗な筋雲が流れて行った。

 

「そこを通してくれ!」

 正面に元老院の老人達が数人、徒党を組んで立ちはだかった。

 どうやら花婿が決定したようだ。

 

「長娘殿と明日の打ち合わせがあるのじゃ」

 老人達は、父親が付けたルウシェルの名前をけして口にしない。

 

 二人が片側に避けて道を空けると、老人達は一寸すら寄らないで横並びのまま、そこをノシ歩いた。

 すれ違いざま、「厩番ふぜいが」と、腹話術のように言うのが聞こえた。

 

 二人は黙ってそこを去った。

 慣れっこだし。

 自分達が厩(うまや)で育った事を恥じた事はない。

 里の皆の命を預かる馬達の管理を幼い頃からやり通した事に誇りを持っているし、モエギ様はいつだってそう言って二人を誉めてくれた。

 

 ただ、今現在自分達を西風に繋ぎ止めているのは、モエギ長への忠誠心と、過去に西風の再建に尽力してくれた蒼の里の駐在者との思い出だけなんだと思うと、やるせなさは隠せなかった。

 

「シドせんせ――!」

 修練所の坂道を五、六人の子供が駆けて来る。

 シドは本職が教官だし、ソラも里に居る時は講義を受け持ったりしている。

 

「あっ、ソラせんせだ! おかえりなさい――」

「ああ、皆、元気だったか?」

 

 そうだ、この子達もいたな…… 二人は穏やかな表情になって、子供達の目線に屈んだ。

 

「ね、ね! 長娘さま、やっぱり同い年で一番だったね」

 ルウシェルより三つ四つ年下の女の子が言った。

「私も早くケッコンして、コドモ生むんだ。私は純血だから純血の子とケッコンして一杯コドモ生みなさいって、大僧正様が」

「…………」

 

 そんなに大昔でもないのに、蒼の里の駐在員が居た頃は、こんな事を言う子供はいなかった。

 二人はまた額に陰を落とし、自分達の無力にため息を吐く。

 

 

 ***

 

 

 ――チッケッタ! 

 ――ホォラッタ! 

 

 西風の里近くの砂漠の遺跡の石の上。

 輪になってジャンケンをしている三人の少年。

 ヤンとフウヤとユゥジーン。

 

「ああ、またアイコだ」

 

「おい、そもそも、勝った者が行くのか? 負けた者が行くのか?」

「勝った者でしょ。負けた者にしたらルウにぶん殴られる」

 

 

 気合いで西風の側まで辿り着き、結界の内側へ入る経路も確認した三人は、ルウシェルの婚礼が明日だと漏れ聞き、急遽作戦会議を開いた。

 そして、式の直前、里の者が浮かれて油断している最中に、突然ルウの相手に決闘を吹っ掛け、場合によっては唐辛子玉総動員で花嫁を拐う、というゴッタ煮案が成立した。

 

「大丈夫なのか、それ?」

「砂漠を旅した時、この辺りでは女性を巡っての決闘はポピュラーだって聞いた。申し込まれたら受けるのが義務だとも」

 

 取り敢えず今はルウの本心が分からない。

 里の警戒が厳しくて住んでいる所も分からないし、会えたとしても、ここまで決心している彼女は、本当の所は言わないだろう。

 式をぶち壊す者が現れて咄嗟にどんな表情を見せるかで、自分達の後の行動を決める、という事で相談は落ち着いた。

 

 

 で、その『ちょっと待ったぁ! 係り』が、三人の間で争奪戦になっているのだ。

「いや俺でしょ、いざとなったら草の馬で逃げられる」

「蒼の一族の成人が行って、真面目に話が進んだらどうするんだ。ここは僕が行く」

「ず――る――い――! 僕も僕も――」

 

 

「よし、勝負付けるぞ」

「恨みっコ無しだぞ」

「せーの!!」

 

 ――チッケッタッ!! 

 

 今度こそ勝負が着いた。

 グーが三つにパーが一つ! 

 ………………ん??

 

 長い指のパーの手は、三人の後ろの高い所から伸びていた。

 

「やったあ! 私の勝ちです!」

 

「大長――!」

「河原のヒト!」

「ナーガさんのそっくりさん!」

 

 濃い群青色の髪のそのヒトは、ジャンケンに勝ったパーをかざして嬉しそうに言った。

 

「で、何のジャンケンだったんです?」

 

 

 

 

 

 




挿し絵:大長が乗って来た馬 
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西風・Ⅱ

 

 

 快晴とは行かず、灰雲のどんよりとした空。

 

 西風の里は老いも若きも着飾って、お祝いムードに浮き足立っていた。

 広場で菓子が配られ、子供達がそれを持って嬉しそうに駆けて行く。

 

「子供の笑い声が聞こえるな」

 自宅の広間で重い衣装を着付けられたルウシェルが、首だけ動かして窓の外を見ようとする。

 

「おめでたい日ですからね」

 ピンで髪を整える女性が、頭の位置を戻しながら忙しない口調で言った。

 僧正の縁者と言うが、ルウとはあまり面識がない。少なくともピンが肌を突くと痛いという事を知らない人種ではあるようだ。

 この日彼女の側からは、親しい者は様々な理由を付けて遠去けられていた。

 

「はい出来ました」

「母者に見せて来る」

「あまり動くと崩れちゃいます」

「……花嫁の、母だぞ」

 

 高く結った髪を屈んでくぐらせ、母の寝室に入る。

「母者、どうだ?」

 相変わらず反応のない母に、ルウシェルは一回転して見せ、独り言のように呟いた。

「子供達が笑っている。それは良いコトなんだろう?」

 

 

 儀式の場所は、里奥の大池の前の古い聖域に建つ、白い小さな祭祀場。

 メインの道々で、子供達が花を投げようと準備している。

 

 女性陣が歓声を上げた。

 花嫁が姿を現したのだ。

 介添えの老婆達に囲まれて、ゆっくりゆっくり、里の道を歩いて来る。

 

 祭祀場の中に設えられた祭壇の前には、既に花婿という人物が待っている筈だ。

 元老院の者達もその周辺に陣取っている。

 

(……??・・・ 誰の婚礼の儀式だっけ? ……ああ、私のだ……・・・)

 ルウシェルはボゥッとしていた。ピンでひきつめられた頭がとにかく痛い。

 里の景色が見た事もない物に感じられ、子供達の投げる花がスローモーションでくるくる回る。

 

 

 

 遠くの砂丘の遺跡に、三人の少年と一人の大人の影。

 

「あああ! もう始まっちゃうよ!」

「やっぱ僕が行くよ!」

 少年達はヤキモキと地団駄踏んでいる。

 

「駄目ですよ、決闘の権利を勝ち取ったのは私ですからね~~ ふふふのふ」

「大長、本気なんですか?」

 

 大長の術で、この遺跡からも、結界に覆われた西風の里が見渡せている。

 婚礼衣装に身を包んで別人のようなルウシェルも、はっきり見える。

 こんな時じゃなかったら、もっと見惚れていたいのに。

 

「まぁ考えてもご覧なさい、ユゥジーン。今私が乗り込んで、婚礼に異議を申し立てて花婿に決闘を申し込んだら、どうなりますかね?」

 

「…………」

 ユゥジーンは唾をゴックン呑み込んだ。

 

 蒼の里の二代前の長、プラチナ血統の保持者、術力はオールマイティ、しかも西風の里再建の功労者でもある。

 元老院どころか西風の里の誰一人として断る理由がない……むしろ、里の将来を思う者にとっては願ったりじゃないのか?

 用意されている花婿がイノシシでもない限り、決闘なんて物騒な事態には至らないだろう。

 

「そりゃ丸く収まるでしょうけれど…… マジでルウシェルと一緒になりたいんですか?」

 

「ふふふ、いいですねぇ、あんな素敵な娘はそうそういません。現に貴方達のように、彼女を心配して遥々(はるばる)駆け付ける者がいる。嬉しいですよね、ねぇハトゥン」

 

 少年達が振り向くと、遺跡の柱の影から、黒ずくめの男性がヌッと現れた。

 目付きがが悪く、身体中筋肉と古傷だらけの、細い路地ですれ違ったら壁に張り付いて避けたいタイプだ。

 ドスのきいた声で苦々しそうに応じる。

「その前に聞き捨てならん台詞を聞いたような気がするが……まぁ、俺はただ、あいつらが度を越さぬよう監視に来ただけだ」

 

 ど、どなたですか? と少年三人が聞く前に、西風の里の方で悲鳴が上がった。

 

 

 ***

 

 

「きゃあああ!」

 

 まず里の入り口で、里娘の甲高い悲鳴。

 

 次いで、ドカドカと乱暴な蹄音。

 灰色の騎馬に跨がった五人ばかりの少年が、柵を飛び越えてなだれ込んで来た。

 砂の民の集落でルウシェルとつるんでいた面々だ。

 

「嬢を花嫁にしようってぇ勇者様は何処だ!?」

「決闘に来てやったぜ!」

「俺ら全員相手にして立っていられたら認めてやらぁ!」

 

 

 祭祀場を目前に、ルウシェルは騒ぎをぼんやり遠くに聞いていた。

 とにかく髪が痛い、ジンジンする。針山のようなピンを一秒でも早く抜き捨てたい。

 え……っと……なんだっけ……??

 

 老人やその身内達が、早く建物に駆け込めと叫ぶ声が、耳の奥でゥワンゥワンと響く。

 ・・はやく・・祭祀場の入り口をくぐれば・・神域に身を入れれば・・婚姻は成立する・・・

 ああそうか、ならば早く入らねば、早く済ませてピンを外そう。

 

 介添えの老婆や、あと多くの手が伸びて、祭祀場へ押しやられる。

 

 ――きゅっ・・と

 

 右の手を、握る手がある。

 その手が反対側へグイと引く。

 

 振り向かなくても、その手が誰の物か分かった。

 次の瞬間 

 何の考えも打算も思惑もなく、水が流れるようにただその手に従った。

 

 引き留める幾本もの手を振り切って、踵を返して駆け出す。 

 

 窮屈な金糸の靴を放り脱いで三歩駆けると、あれほど痛かったピンがすべて弾け跳び、碧緑の髪が解放された歓びになびいた。

 

 風が流れる。

 気持ちの良い風。

 

 その場の者々すべて置き去りに、ルウシェルと手の主は、羽根が生えたように里の道を駆け抜けた。

 

「追え! 追うのじゃ!」

 我に返って追い掛けようとした者々の前に、灰色の騎馬達が立ち塞がった。

 

「おらぁ、俺達の用事が済んでないぞ!」

「花婿を出せぇ、花婿を!」

 

 そうこうしている間に、里の裏側の厩から、略奪者の馬が花嫁を前に乗せて飛び立った。

 

「追うのじゃ、行かせるなぁ……」

 僧正が力無く叫んだが、里の若い者達は、動かず立ち尽くしていた。

 

 

 

 咄嗟にシドが引き出して渡してくれた馬は、手綱だけで鞍を付けていなかった。

 馬主の懐で横乗りのルウシェルは、たてがみにしがみ付きながらボソリと言う。

 

「飛ぶのは苦手じゃなかったのか?」

「……そうでした」

「凄い事するな……ソラ」

 

 緊張の指で手綱を握る青銀の髪の青年を見上げると、真ん前を見据えて唇をカタカタと震わせている。

 

「……分かりません……気が付いたら手が出ていたんです」

 

「そうか……」

 

 

 ***

 

 

 遺跡の石の床に佇む四つの影。

 前列に座り込むフウヤとヤンとユゥジーン、そして後ろに背の高い大長。

 ハトゥンは、灰色の騎馬達が羽目を外し過ぎなのを見て、舌打ちしながら駆け下りて行った。

 

「ほぉらね、心配しなくても大丈夫だったでしょう?」

 

「はぁ……(あれは大丈夫と言うのか?)」

「皆で申し合わせて仕組んでいたの?」

 

「いえいえ、おそらくは各々が思うままに行動した結果です。ナーガも何となく予見していたんじゃないですかね」

 

「ソラがルウを助けるって?」

 

「誰が、じゃなくて。あのルウが誰にも助けられない訳は無いって」

「そんな、あやふやな」

「現に、貴方達だってこうして来ているじゃありませんか」

「…………」

 

 少年三人は改めて、空を行く二人乗りの騎馬を見やった。

 ソラの愛馬のパロミノは、空に溶けそうな淡いクリーム色。

 前に乗るルウシェルが自分達に気付き、興奮して手綱を握るソラに伝えている。

 

 騎馬はゆっくり下降して、遺跡横の砂地に着地した。

 

「ヤン! フウヤ! えっと、ユゥジーン!」

 少年少女は、しばし再会を喜び合う。

 鷹の通信で改名は知らせていたが、ルウシェルに呼ばれるとユゥジーンは、またこの名が自分に沁み込んだ気がした。 

 

 ヤンは赤メノウの腕輪をルウに渡し、抱き付き攻撃を喰らって、年数分変化した彼女の『増えた部分』に気圧されて色々ちょっと大変だった。

 

「それで、ソラ」

 大長が畏まって、青銀の髪の青年に向き直った。

 

 あ、励ましてハッパ掛けたりするのかなと、少年三人は一歩退いて静かにした。

 

「私、ルウシェルに求婚しようと思っていましてね」

 

 はあぁ――――!!??

 その話、冗談で終わったんじゃなかったの!?

 

「元老院は黙らせられますし、砂漠の地での西風の立場も強固になる。蒼の里との絆は深まるし、悪い事は何一つありません」

 

「はい、そうですね」

 無表情の青年が、半眼でサラリと答えた。

 少年達の隣に立つルウシェルが、額に縦線を入れて顔を強張らせた。

 彼女が何か言う前に、ソラは両手をスゥッと頭上に掲げた。

 

 ――?? 何を??

 

 足元の砂が細かく震え、やがてザワザワと浮き上がる。

 空中から光の粒子が集まり、両手に魔力の結晶が出来上がって行く。

 

「何をやってるんですか、何を――っ!」

 ユゥジーンが泡食って叫ぶが、大長は目を見開いて、口角を上げている。

 

「私に決闘を挑むって事ですね」

 彼の群青の髪も一気に逆立つ。

 

「はい、手合わせ願います」

「勿論!!」

 

 勿論じゃないよ!

 

 ソラの魔力は緑の槍の形を作り、チリチリと物騒な音を立てる。

 当たり前だが、昔ルウの作った物より何十倍も強力そうだ。

 対峙する大長は、両手を前に翡翠色の魔力を溜め、完全に迎え撃つ体制。

 

 何考えてんだこのヒト達!

 

 ユゥジーンは慌ててルウシェルを庇いながら後ずさり、ヤンもフウヤを引っ張って目と耳を守った。

 

 ――キュン!!

 

 青銀の妖精の槍が軌跡を描いて飛ぶ。

 大長なら軽くいなすだろうと思っていたら、彼は微動だにしない。

 危ない――――!!

 

 少年達の悲鳴は、大長の後方で音もなく迫っていた波紋の、鈍い悲鳴にかき消された。

 息を呑む少年達の前で、槍は光を放ちながら、渦を反転させて蹴散らし、消滅させた。

 

「美しい槍でした」

 大長は両手の魔力を散らせながら、ケロリと言った。

 槍を投げた体制のままのソラは、真剣な表情だ。

「大長様、何なのです、それ。以前ルウシェル様も似た物に襲われました」

 

 あ、なんだぁ、決闘はフェイクか、良かったね、ルウ。

 と、少年達がルウシェルを見ると、全然良かった顔をしていない。

 うん、まぁ・・・・・・うん。

 

 そんな一同の傍(かたわ)らを通って、大長は遺跡の端まで歩き、西風の里を見やった。

 

「来ましたね」

 

 次の瞬間、里の上空一杯に、爆発するように巨大な波紋が広がった。

 

 

 

 

 

 

 




挿し絵:――きゅっ・・と 
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西風・Ⅲ

   

  

 

      

「な、なにナニ!? 何なの!?」

 驚きで口が回らないフウヤ。声も出せないヤン。

 

「大き過ぎる。今まで俺が退治したのなんか比べ物にならない」

 おののくユゥジーン。

 

「に、西風の里が、の、の、呑み込まれてしま……」

 ルウシェルは裸足の足で里へ向けて走ろうとしたが、重い衣装に足を取られて、ヤンに支えられた。それでも里へ行こうとジタバタもがく。

 

「ルウシェル様、僕が……」

 と言うソラの肩に、大長が手を置いた。

「貴方は私を手伝ってください」

「え、しかし……」

「今見たように、アレは単発で叩くだけでは効かない。多方向から連携する必要があるんです」

「…………」

 

 それから大長は、少年達に振り向いた。

「ユゥジーン、ナーガから術は預かっていますね。波紋の真下に飛んで待機」

「いっ、ウソ……、俺、あんなの相手した事ありません」

「貴方一人じゃないでしょう?」

 

 コバルトブルーの少年は、オレンジの瞳の少女を見た。

 確かに一緒に破邪の剣を教わったが。

 

「わ、私は前に一度闘って、全然駄目だった……」

「二人きりでもないでしょう?」

 大長は、ヤンとフウヤも見やった。

 

(えっ、僕達!?)

 蚊帳の外だと思っていたヤンは、電気に打たれたみたいにビビった。

 僕らは空も飛べないし、術も何も使えない。

 

 フウヤが進み出て、大長を睨み上げた。

「教えて! 僕達は何をしたらいい!?」

 

 

   ***

 

 

 突如空に現れた巨大な波紋に、西風の里は騒然としていた。

 花嫁の行方を気にするどころじゃない。

 

「あれは……砂漠でルウシェル様を捜索した時に見た奴か?」

 皆が右往左往する中、シドは冷静に馬を引き出して、子供達を避難させていた。

「ただの竜巻ではあり得ない。時空を歪める系? ルウシェル様が言っていたように精神攻撃をして来る奴だったら、西風の子供には危険だ」

 

 馬に乗れる年齢の子供に、小さい子供を乗れるだけ託して、空の揺らぎが見えなくなるまで走れと言って送り出す。

 それでも馬が足りない。

 『馬はそんなに重要ではない』と言い張る大僧正が鎮座していたお陰だ。

 

「シドさん!」

 白黒の少年二人の騎馬が、目の前に駆け込んで来た。

「えっ、あっ、三峰の…… 君達、何でここにいる!?」

「長くなっちゃうから後! 大長さんからの伝言を言うよ!」

 

 

 

 ルウシェルは、ユゥジーンに乗せられて、自分の馬の居る厩に降りた。

 ご丁寧に里外れの厩にポツンと入れられていたのだ。

 

「あと、剣を!」

 あれは緋色の羽根と共に、母者のベッドに隠していた。

 ああもう遠いっ、と思っていたら、目の前にクルクルと飛んで来た。

 

「行け、我が娘よ」

「父者、いちいちカッコ良過ぎる」

 

 剣をキャッチしたルウシェルは、重たい衣装の膝下をザッシと切り捨て、粕鹿毛に飛び乗るや、打ち上げ花火のように舞い上がる。

 ユゥジーンも苦笑いしながら後を追った。

 

 

 ***

 

 

 動揺する里人達の前に、見知らぬ少年二人の騎馬が、上空から舞い降りた。

 ヤンとフウヤの馬に、いいって言うのにシドが飛行術を掛けてくれたのだ。

「蒼の大長さまからの伝言だ。『誇り高い西風の民よ、私は皆を信じている!』って」 

 

 蒼の大長様は、西風が一番苦しい時に立て直してくれた恩人だ。古い大人の中に覚えている者も多い。見知らぬ少年達ではあったが、里人達はその言葉で立ち止まって彼らを見た。

 

「あの揺らぎはヒトの心にちょっかいを掛けて来る。でもただのマボロシだ。強い心で跳ね返したら負けない」

「あんな奴ヘタレだよ、怖くない! 大丈夫!」

 二人は叫びながら、人家の屋根や木の梢を踏んで里内を飛び移って行く。

 地を走っていたら、正体不明の侵入者の戯言など誰も耳を傾けてくれなかったろう。

 さすがシドは、自分の里の住人の傾向をよく分かっている。

 

 

 大長に託された二人の役割。

 ――伝達係――

 

「ええ~~ 地味ィ!」

「ヒトの心を導くのが実は一番大切で、一番難しい事なのですよ。蒼の長だってそれを疎かにしたら、たまにしくじるんです」

 利かん気の強いフウヤが、その言葉には素直に頷いた。

 二人は、三つの部族の争いで、ヒトの心が拗れた時の難しさを身に染みて知っている。

 

 シドだって、誰でも飛ばせるって訳ではない。

 確たる『役割』を持っている者と、その愛馬だからだ。

 

 

 白い祭祀場の周囲では、まだ灰色の騎馬が取り囲んで騒いでいた。

 

「出て来いや、オラァ!」

「決闘だっつってんだろ、ハゲェ!」

 

「あのお兄さん達、空の異変が気にならないの?」

「ハゲの癖にルウの花婿になろうとしていたのか」

「ヤン、今はそれどうでもいい」

 

 二頭は砂の民の少年達の頭上を飛び越えて、祭祀場の屋根に着地した。

「お兄さん達、空が見えないの!?」

 

「んぁ? 何か渦巻いて……おお、よく見たらすげぇな」

 

「今、ルウシェルが退治に向かっています。協力して欲しい」

 

「嬢が? よっしゃ、何をすればいい?」

 

「騒ぎで里内に怪我人や事故が起こっていないか、見回って下さい」

 

「なんだぁ、何で俺らが……」

「いや、嬢の大切な故郷じゃねぇか」

「しゃあねぇな、おい行くぞ!」

 

「あ、あと」

 

「何だよ」

 

「ルウの為に祈って下さい。そういうのが彼女の力になるそうです」

 

 荒くれた風体の少年達は一瞬目を丸くしたが、すぐ真顔になって頷き、里内に散った。

 

 

 シドは、逃げそびれた小さな教え子達を一つ所に集めていた。

「おいで、みんな、手を繋ぐんだ。隣のヒトを信じて心を落ち着けるんだって、いつも教えていただろ」

 

 子供達は頷き合って、輪になってしゃがんだ。

 青い髪の子も混血の黒髪の子も、同じ輪に繋がった。

 それを見ていた大人達も、戸惑いながら固まって手を繋いだ。

 

「ルウシェル様だ!」

 誰かが叫んで、空を指差した。

 

 大きく激しく波立って迫り来る波紋の真下、ルウシェルとユゥジーンの騎馬が、背中合わせに剣を構える。

 ルウシェルは柄に七宝の花模様の剣。

 ユゥジーンは左右に大小の二刀。

 

「僕達も行くぞ」

 ヤンとフウヤも馬を駆って、広場の真ん中の高い木を螺旋状に一気に駆け上がった。

 大長に言われたもう一つの役割がある。

 

 

 

 こちらは里の外、遺跡の神殿上空に浮かぶ、大長とソラの騎馬。

「準備が整ったようですね、では」

「はい」

「行きますよ、カワセミ」

「・・はい」

 

 呼び間違えにすぐ気付いた大長は罰悪い顔をしたが、ソラは黙って配置に行った。

 下唇に、込み上げる嬉しさを噛み締めながら。

 

 

 

 木の天辺のヤンは、波紋の中心に目を凝らす。

 さっきから、バンダナの緋い羽根が、強風に煽られるように震えている。隣のフウヤも、口をギュッと結んで胸に下げた石を握っている。

「来ているの? シンリィ・・!」

 

 ヤンの類い稀なる視力が、渦巻く流れの向こうに、くっきりと人影を捉えた。

 その影が、左右アンバランスな羽根をサッと広げる。

 ――今だ!!

 

 ヒュ――――ィイイ――!!

 

 空を突き抜ける澄んだ指笛。

 

 ルウシェルとユゥジーンは同時に剣を掲げ、力一杯術を唱えた。

 

 ――破邪!!!!

 

 光が広がり、波紋はガクンと歪む。

 だが、消滅には至らない。

 

 へこまされた空の歪みは外へ膨らんで衝撃を逃がそうとする。

 瞬時、里の外から翡翠色と緑の光が広がり、障壁となってそれを阻んだ。

 

 次いで、同じ色の光弾が、今度はユゥジーン達の方へ飛んで来た。

 大長とソラからの追加の呪文。

 

「早い、早いって!」

 二人は両手で握った剣に必死で受けた。

 再度、シンリィの動きを見たヤンからの指笛。

 二人は息を合わせて破邪を唱える。

 先程より大きな光が立つが……

 まだ削り切れない。

 

 樹上から見上げるヤンとフウヤは、それぞれの羽根と石を握り締めて祈る。

 

 その根元で、灰色の騎馬達も集まって、胸で指を組んでいた。

 

 今一度、外からの呪文が飛んで来る。

 今度はもっと大きい。

 

(ヤバ・・受け止め切れない・・!)

 ユゥジーンはもう身体の感覚が無かった。

 

 ――早く! しんりぃがもう倒れちゃう! ――

 波紋の中心から響く女の子の声。

 

「リリ!!」

 そうだ、あんな小さな子だって自分の役割から逃げていない。

 歯を食いしばって、剣を握り直す。

 

 ルウシェルだって限界だった。

 破邪の剣自体、ほぼ使った事がない。

 ソラの緑の光が飛んで来る。

 受け止めたいのに、腕が上がらな……

 

 二人の剣が不意に軽くなった。

 真ん中に浮かんでいたのは、青い巻き毛のシドの騎馬。

 掲げた大剣に両方の呪文を巻き込んでいる。

 直後、ヤンの指笛。

「こいつを撃ち込めばいいのか? うおりゃああ!!」

 

 ルウとユゥジーンも慌てて破邪を唱えて撃ち上げた。

 

 それぞれの光が合わさって大きな光となる。

 どんな恐ろしい災厄にもけして負けない、強い強い光。

 

 

 

 

 

 




シドはまぁ、天然系です 

挿し絵:ソラの馬 
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挿し絵:シドの馬 
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西風・Ⅳ

Ⅲの章のラスト






   

    

 

  西風にとって長い一日だった。

 

 朝、長娘の婚礼の儀で浮かれ騒いでいる所に、いきなり乱入者が駆け込んだかと思うと、身内に花嫁が拐われた。

 間髪入れず、恐ろし気な空の揺らぎが里の上空を覆い、婚礼どころではなくなった。

 が、長娘ルウシェルとその仲間達の活躍で事なきを得た。

 細かい事情は分からないながら、長娘殿が里を守りおおせたのはめでたい事だと、それなりに沸いている里人達。

 

 老人達が性懲りもなく、空の波紋は仕組まれた芝居だなどとブツブツ喋り始めた所に、当の花嫁の略奪者が、ヨレヨレになって帰還した。

 

 大長に連れられて、『事後処理』だとかで、散った細かい波紋を消滅させて回っていたらしい。

「逃がすとまた波紋のエネルギーになっちゃいますからね~」との事。

 

「見掛けたら僕を呼んで下さい。万が一呑み込まれたら(心を)喰われますので」

 

 シレッと言われて、老人達はゴニョゴニョ言いながら姿を消した。

 

 

 肩を貸してくれたシドに、ソラは声音を戻してボヤく。

「どれだけ破邪の呪文を撃つんだよ、あのヒト。こっちは術力が尽きてヘロヘロしてんのに、涼しい顔で……化け物だよ、バケモノ…… やっぱり蒼の長界隈はレベルが違う、はぁ……」

 

「これ言っちゃミもフタも無いだろうけれど、ぶっちゃけあのヒトが波紋の下で一人で処理した方が早かったんじゃないか?」

「それで良かったと思うか? シド」

「いや、このやり方でベストだったと思うよ、ソラ」

 

 大長が駐在していた時代なら、それで良かった。

 だけれど、あの頃よりも確実に、もがきながらも少しづつ、自分達は前に進めている。

 それを教えてくれたのだ、あのヒトは。

 

 里の入り口では丁度、騒ぎで起こったボヤを消してくれた灰色の騎馬の少年達を、里人が礼を言って送り出す所だった。

 

 

 

 西風の中心、昔の宿屋跡。

 

 ヤン、フウヤ、ユゥジーンの三人は、二間をぶち抜いた広間に通され、ルウシェルが茶を入れている。

 

 北の草原の友達が何でここに雁首揃えてるのか、三人は特に語らなかったし、ルウも聞かなかった。ルウはいつもどおりの普段着に着替え、胸には縫い付けた緋い羽根。

 ただそこに居るだけで、三年前からずっと一緒にいたみたいに、安心出来て暖かかった。

 

 シドとソラが連れ立って入って来た時には、奥の寝室でフウヤがモエギの足を掴んでいて、二人をビックリさせた。

 

「マッサージをやって貰っている」

 ルウがゆっくりと説明をする。

 大長殿が言うには、モエギは、あの渦巻きの小さい奴に遭遇してしまったのではないかと。襲われて、身体が自分を守ろうと休眠状態に入ってしまったのかもしれない、との話。

 

「前にルウが寒さでそうなっちゃった時、エノシラさんに回復を促すマッサージを教わったの。それでルウのお母さんにも効くかなって」

 言いながらフウヤは、ツボの説明をしながら、小さい手で一生懸命足を押す。

「でもさすがルウのお母さんだね。掴んだ感じがルウとおんなじ」

「何だそりゃ」

 

 一同笑った。

 ルウシェルも笑った。

 久し振りにマトモな、心のこもった会話をしている気がした。

 

 その後、小さな部屋にギュムッと詰まって、交代でモエギの足を揉みながら、シドとソラは顛末の報告をした。

 元老院に呼ばれてゴチャゴチャ言われたが、流石に説教にいつものキレが無かったらしい。

 

「説教される要素がある事にオドロキなんだけど」

「まぁ、説教が通常運行だから」

 

 それから、ルウシェルの婚姻は、当分延期にされるとか。

「『身を固めるにはまだ幼くあられるようで』だってさ。鍋の蓋の中身は、花婿候補が全員ビビって辞退したからなんだけど」

「砂の民の若衆達のヤンチャが相当怖かったみたいです」

 

「何だアレくらいで怖いのか。父者(ててじゃ)の家系の習わしに従ったら、花嫁の父親との決闘も控えているんだぞ」

 

「え゛っ!」

 少年三人は息が止まった。

 ルウのお父さんって、あの黒ずくめの全身凶器みたいなヒトだよな……

 

「ハードルたっか!」

 フウヤが叫んで、一同また笑った。

 気のせいか、モエギの足の指も笑うようにヒクヒクした。

 

 

 広間の方に移動して落ち着いて座り、ユゥジーンが、水底の世界やシンリィの役割等、話せる範囲の事を説明した。

 波紋が間近に迫った時、ユゥジーンの翡翠石やヤンの羽根、フウヤの半月石、それからおそらくベッドの下のルウの羽根も、小さく震えて教えてくれた。

 姿は見られなかったけれど、シンリィはすぐそこまで来てくれていたんだ。少年達は長く担っていた重荷を下ろせた気持ちになれた。

 

 一段落し、お茶のポットが空になる頃。

 

 フウヤの袖口をヤンが引っ張った。

 見ると、シドとユゥジーンも既に戸口の向こうに消える所だ。

 フウヤも察して、そそくさと外に出た。

 

 

 茶葉を替えていたルウシェルが振り返ると、何でかソラしかいない。

 

「あれ、皆は?」

 

「その…………」

 ソラは、出て行く全員に、いちいち背中を叩かれていた。

「あのですね、……僕の人生の問題です」

 

「はあ?」

 

「……あの白い入り口を貴女がくぐるのを何もせずに見ていたら、僕は残りの人生どう生きたらいいのか分からなくなっていました」

 

「…………」

 

「だから、僕の人生の問題で、貴女に何か押し付けるとかそんなのではなくて、えっと…………」

 

「何で今、その話をする?」

 

「ええっ、聞きたかったんじゃないんですか? 僕が手を握って引っ張った理由。シドが、それだけは即座に今日中に何を置いても説明して置けって強調していたから」

 

 ルウシェルは下を向いて吹き出した。

「いや知りたかったけれど」

 普段水が流れるように正論しか喋らない癖に……

 

「あのな」

 顔を上げて娘は真顔になった。

「反省したんだ。西風の上空にあの水の揺らぎが現れたのは、私のせいだ」

 

 ソラは目を丸くして、慌てて首を横に振る。

 しかし彼も、大長に連れられて作業しながら、波紋の性質を聞いていた。

 

「ヒトの負の心が大好物なんだろ、あの波紋。うわべだけ取り繕って笑っている捻れた心。西風にそんな空気が蔓延してしまったのは、私が楽な方に流されて逃げたからだ」

 

「あ、貴女のせいでなんかあるものか!」

 ソラは、ルウの両肩を捕まえて強い声で言った。

「皆のせいです。僕も含めた皆の、全員の非です」

 

 ルウシェルは両手を上げて、肩に置かれたソラの手を押さえる。

「では私は誓う。絶対に母者みたいに、砂漠の風を流せる者になってみせる。そうして西風を、皆が暖かく心から笑って、安心して暮らせる里にする。だから……」

 

 私を手伝ってくれ。側に居て、挫けそうになったら背中を押してくれ ……掴まれた両の手から、この娘の偽り無い意気込みが伝わる。

 ソラはただじっと彼女を見つめた。

 

 

 ***

 

 

「さてと」

 砂漠の遺跡の石の上。

 大長は馬を引き寄せた。

「私は行くとしましょう」

 

「西風に寄らずに行っちゃうんですか? 元老院に一言物申してやればいいのに」

 

「それをやったら後戻りになるんですよ、分かるでしょう、ユゥジーン」

 

「ちぇっ、大長様は、蒼の里と関係の無い所で動く存在なんでしょう? 脅しを入れるくらい構わないと思うんだけれどなぁ。ルウやシドさん達が幾ら頑張ったって、元老院ってのがある限り、明るい里なんか築けっこないだろうに」

 

「……そうでしょうかね」

 

 ユゥジーンがまた何か口答えする前に、大長は後ろを振り向いて、おや、と声を上げた。

 

 パロミノの愛馬を連れた青銀の髪の青年が、そこに立っている。

 

「あれ、ソラさん見送り?」

 と言いかけたユゥジーンは、彼の馬に旅の装備がガッツリくくり付けられているのを見て、しゃっくりしたみたいに息を呑んだ。

 

「お供します」

 

「ルウシェルは承諾してくれたのですか?」

 

「僕が、今のままでは全然駄目で、修行しなおさねばならないという事を……ちゃんと伝えられたと思います、最後は背中を蹴って励ましてくださいましたから」

 

 それ、承諾してない、絶対承諾してないってば!

 

 

 ユゥジーンのヤキモキを他所に、大長とソラは夕陽の中を、北へ向かって発って行った。

 

 

 ヤンとフウヤはその日は婚礼のお祝い料理をたらふくご馳走になって、翌朝元気に旅発った。

 シドが、もう一度飛行術を掛けてやろうかと言うと、丁寧に断った。

 あの時は夢中だったが、後から考えると何であんなに平気だったのか分からない。

 やっぱり自分達は地を行く者だと。

 

 自分も発とうとしていたユゥジーンの元に、蒼の里から鷹の手紙が届いた。

《ソラの抜けた穴を、多少でもカバーしなさい。追って交代要員を送りますから》

 

「へぇ、ユゥジーン暫く居るの? じゃあ二刀流教えてよ」

 と覗き込んで来るシドとも既にけっこう仲良くなって、

「交代要員って誰だろう……?」

 なんて考えながらも、西風に残れるのを密かに喜ぶユゥジーンだった。

 

 

 ***

 

 

 夕陽に染まる砂丘のてっぺんが、水飴みたいに揺らぐ。

 

 緋色の羽根のシンリィは揺らぎに身を任せながら、空間に開けた窓から、西風の里を見つめていた。

 

 隣に紫の前髪のリリ。

 本当は、もう半日後に現れる筈だった波紋のカタマリを、シンリィが突ついて『あのタイミング』で西風の里に落っことしたのを、彼女は見ていた。

 

(このヒトでも、そういうコトするんだね)

 

 

 

 

 

           ~西風・了~

 

 

 

           ~Ⅲの章・了~

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回は、砂漠の閑話です

挿し絵:ソラはシドに触られるのは平気 
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閑話・砂漠編
風紋・Ⅰ


閑話です
婚礼の儀式の騒ぎから一週間





 

  

 

 

 焼けた砂が描く風紋が地平まで続く。

 オレンジの砂丘にオレンジの瞳の娘が立っていた。

 

 手には麻の表紙の古びた書物。

 読み返しては暗記した砂漠の詩歌を唱えている。

 何度も何度も。

 

 

「ルウシェル様」

 夕陽を背景に砂丘を越えて、青毛に乗ったシドが現れた。

「日中からここに居(お)られたのですか?」

 

「あっ……」

 娘は我に返って振り向いた。首を動かした瞬間、足元をふらつかせる。

 

「干からびてしまいますよ」

 シドは慌てて下馬して彼女を支えた。

 確かにモエギ長はこの書物を切っ掛けに『風を流す能力』を開花させたが、娘のルウシェルにもその方法が合うとは限らない。

「貴女まで倒れてしまったら洒落になりません」

 

 ルウシェルはシドの差し出した水瓶を受け取って、一気に喉に流し込んだ。

 四肢の先まで水が染み渡る。こんなになるまで気付かなかったなんて。

 

 

 婚礼の儀式の騒ぎから一週間。

 久し振りの友達に元気付けられたルウシェルだったが、皆それぞれに、数段成長していた。

 相変わらず風を流す感覚すら掴めない自分が、随分情けなく思えた。

 

 これまで術の手解きをしてくれていたソラが居なくなった心細さもある。

 こんな時にいきなり『修行し直します』と、里を離れてしまう彼に、少々ショックを受けた。

 そんなに蒼の大長殿の術は魅力的だったのだろうか。

 

 蒼の里のユゥジーンが、帰るのを遅らせて色々と手伝ってくれているが、彼の主義なのか、地味な裏方仕事のみに徹している。

「彼、生真面目っていうか、言われた事以外はやらないんです。お陰で元老院に言い掛かりを付けて来るキッカケを掴ませなくて助かってはいるのですが」

 苦笑してシドは肩を竦める。

 

「蒼の里が西風に対してそういう方針だからだろう。ジュジュ……じゃなかった、ユゥジーンは、子供の頃から公私の切り替えの出来るしっかり者だった。私も見習わなくては」

 

「そういえば、例の会合、明後日ですが、また予行演習しますか?」

「やり過ぎるくらいやった、もういいよ」

 

 空に出現した渦巻きについて、砂漠の他部族から証言を求められている。

 本格的に襲われたのは西風だけだが、空の異変はあちこちで報告されていて、少人数だがモエギ長に似た症状の被害も出ていたらしい。

 開かれた会合場所の一つ、砂の民の修道院に集い、各部族の代表の前で、今回の顛末を話す事になっている。

 

 いつもはそういうのは母かソラが行ってくれていたので、ルウシェルにとっては初めてだ。西風の長の名代として、恥ずかしくないよう務めなくてはならない。

 それがもう明後日に迫っていて、実は緊張を紛らわせる為に砂漠に出ているのもある。

 

(風を流すヒントだけでも掴めたら、自信が付くかなと思ったんだけれど)

 そうそう都合よくは行かない。

 

 シドは自分の仕事をやりに里へ戻り、ルウはもう少し集中してから戻ると言って残った。

 

 砂の地平に陽が沈み、藍の空に星が現れる。

 星空の詩歌を試してみようと暗くなるのを待ったのだが、相変わらずどう唱えても感触を得られない。母者が唱えると、空全体の風が生きているように動き出すのに。

 

「里へ戻るか……」

 明日の長の事務仕事が届いている筈だ。元老院の老人の書く達筆をいちいち解読せねばならないのが地味に疲れるが、シドもユゥジーンも手伝ってくれるし、弱音は吐けない。

 しかし、頭では分かっているのだがやはり憂鬱で、身体が帰宅するのを嫌がってしまう。

 

 

 不意に、シンとした空気に、音が聞こえた。

 砂漠の夜に違和感のある、細い高い子供の声。

 砂丘の反対側からだ。

 ルウシェルは砂の原を回って、声のする方を覗いた。

 

「!!」

 

 声の主はやはり子供だった。

 小さい女の子。

 白すぎる程白い肌に紫の前髪は、この辺りの者ではない、見た事もない種族だ。

 

 その子供が星灯りの下、風紋の頂点をフワフワ跳び移りながら、歌を唄っているのだ。

 体重が無いような動き。そういう事の出来る種族なのだろうか。

 

 覚えがある? と思ったら、さっきまで自分が唱えていた詩だった。

 

「あっ?」

 女の子はルウを見て、唄を止めた。

 

「この詩を知っているのか?」

 ルウがそっと聞いた。

 

「ううん、今あんたが吟じていたのを聞いて覚えたの。ステキな詩だね。あたし気に入っちゃった」

 女の子は一つ所でポンポン跳ねた。広がった猫っ毛がワサワサと揺れる。

 

「それは嬉しいな」

 少し聞いただけで覚えてしまうなんて、大した子供だ。気に入って貰えたのなら何よりだ。

 

「ね、ね、このステキな詩に音楽を付けたら、もっとステキになると思わない?」

 

「そうだな」

 子供が何にでも節を付けたがるのはよくある事だが、この子の唄う旋律は中々に素敵だ。

「お前どこの子だ? 一人で砂漠へ来たんじゃないだろう? 迷子か?」

 

「ん、んん~~」

 女の子はそれには答えず、後ろ手を組んでルウに近付き、手の書物を見て目を見開いた。

「ねえ、その手に持っているの、なに!?」

 

「ん? これは、さっきの星空の詩とかが書いてある書物だ。母者の……」

 

「欲しい! ちょうだい!」

 

「えっ、いやいや駄目だ」

「どぉして?」

「どうしてってこっちが聞きたい。何でお前にやらなきゃならない?」

「だってあたし、その詩に音色を付けてあげられるんだよ。詩は音色に乗るのが一番嬉しいと思うの」

 

 ルウは苦笑した。

「そうだな、お前の言う事も一理ある。しかしこの書物は私の物ではないんだ」

 

「う゛~~・・ じゃあ持ち主に会わせて。直接お願いするから」

「そんなに欲しいのか?」

「当たり前じゃない!」

 

 ちょっと心が動いたが、この書物は母者の身体の一部だ。やはりくれてやる訳には行かない。

 

 女の子の目の高さにルウは屈んだ。

「持ち主は重い病気で床に伏している。お前に会っても話は出来ない。な、だったら書き写すか? 手伝ってやるよ」

 

「うう~~、あたし、文字が読めない・・」

 女の子はまだ不服そうに、もじもじと足を交差させる。

 

「ふむ? だったら何で欲しいんだ?」

「その書物の文字が欲しいんじゃないの、その書物の光が欲しいの」

「ひ・か・り・・?」

「あんた見えないの? そんなに輝いているのに」

 

 

   ***

 

 

「ひ、光ってる? これが?」

 ルウシェルはマジマジと手の書物を眺めた。古びた麻表紙の、角が丸まった書物。

 これのどこが光って見えるんだろう。

 

「そう、世の中には、『光る物』、『光らない物』あと『黒く陰をまとう物』の、三種類があるんだよ」

「…………」

 

「本当に見えないかなあ。あんた、あと三つも光る物を持っているのに」

「えっ?」

「その胸の半分の羽根と、手首の革腕輪。それと腰の花模様の剣」

 

「………貰った物だ、みんな」

「そうなの? あんた大事にされているんだね。そんなに一杯持っているヒト、いないよ」

 

「……・・お前・・お前は一体、誰だ・・?」

 

 女の子は後ろ手を組んでクルリと回った。

「あたしはリリ。風露のリリ」

 前髪は淡い紫だが、後ろ頭が群青なのに、今気付いた。

 

「私はルウシェルだ。この先の西風の里に住んでいる」

 

「るうしぇる? るう、るう――しぇる・・うふふふ、ステキな名前」

 リリは、名前に節を付けてクルクル回った。

 首元で何かがチラチラ光っている。

 

「なんだ、お前も持っているじゃないか、光る物」

「えっ?」

 

 女の子は止まって、首に掛けていた紐を引っ張った。

 衣服の下に入れていた山吹色の袋が、回った拍子に飛び出して背中に回ったようだ。

「ああっ、しまったあ」

 明滅するそれを見て、慌てて、跳んで来た方向に駆ける。

 

 呆気に取られて眺めていたルウシェルだが、女の子の走る先に浮かぶ物を見て、総毛立った。

 

 目の高さに、小さな波紋が水の輪を広げている。

 しかも真ん中に肩幅程の穴が開き、向こう側におどろおどろしい異空間が口を開けている。

 

「危ないっ、行くな!」

 

 慌てふためいたルウに飛び付かれて、女の子は砂の上に顔から突っ込んだ。

「ふがっ」

「逃げろ、これは危険な物だ!」

「ふ、ふがふが、ふぐぁ――!!」

 

 懸命に抜け出そうとする女の子に、行かせる物かとガッシリすがり付くルウ。

 

 そうこうしている内に穴は塞がり、波紋と共にスウッと薄れて消えてしまった。

 

「ふぶぁっっ」

 跡形もない空間を見上げて、女の子は砂を吐き出しながら情けない悲鳴を上げる。

 

「ふがふが、ヒドイ……口の中ジャリジャリ……ケホホ」

「すまない、でも本当に、あの空間は……えっと、悪いヤツなんだ」

 

 シドが置いて行ってくれた水筒で、女の子はケホケホ言いながら口をゆすいだ。

「うう~~ 悪くないよ、ずっとあそこに居たけど、静かでのんびりした所だモン」

「え? は?」

「悪いのは、あの空間を利用して悪さをしようとしている奴だよ」

「…………」

 

 

 ***

 

 

「ああ、でもさて、どうしよう。帰れなくなっちゃった」

 女の子は後ろ手を組んで困り顔を傾げた。嘘を言っているようには見えない。

 

「お、お前は本当にあの波紋の穴の向こうから来たのか?」

 

「うん、あちらからこちらへ穴を開けるのは簡単だから、たまにこうやってお散歩に来るの。けれど、こちらからあちらへ穴を通すのは、ほぼほぼ無理なんだって。じじさまが言ってた」

「じじさま?」

「だからしんりぃはあちらから出ないの。うっかり穴が閉じたら二度と戻れなくなるから」

 

「シンリィ!!」

 

 ルウシェルは女の子の小さい両肩を思わず掴んだ。そうだ、ユゥジーンはシンリィが、水底の空間で仲間と役割をこなしていると言っていた。じゃあ、この小さい子供が仲間?

 

「イタイ、イタイ」

「あ、ああ……すまないすまない、シンリィは、……その、元気か?」

「うん、まあね。あたしはマボロシみたいに消えないから、そんなに掴まなくても大丈夫だよ。こうなったら、しんりぃがあちらから穴を開けてくれるまで帰れないから、好きなだけお話してあげる」

 

 女の子は風紋の上にチョコンと座り、ルウシエルに隣を促した。

「熟睡してたから、すぐには起きないと思うし」

 

「え、あ……それは……すまなかった」

 ルウシェルは心より謝った。早合点でトンでもない目に遭わせてしまった。こんな薄着の子を、夜の砂漠の露天で待つ羽目にさせてしまうなんて。

 

「いいよ、気にしないで。こういう事が起こるからあんまりウロチョロするなってじじさまにも言われてたんだ。でも、あんたの詩が聞こえて、それにあんまりキレイなお月さまだったから、ついつい」

 

「……あ、じゃあ一旦帰って、羽織る物と暖かい飲み物でも持って来る」

 

 ルウシェルは口笛を吹いて、砂丘の裏側にいる粕鹿毛を呼んだ。

 

 

 ***

 

 

「キレイな馬!」 

 リリは目を輝かせた。

 

「それはありがとう」

 ルウシェルはまんざらでもない感じで、愛馬を引き寄せた。首筋と鞆(とも)に蛍みたいな斑点を持つこの馬は、主の自分が言うのも何だが中々の美女だ。

 上着と……カイロもあった方がいいだろうか、どのくらい待つのか分からないし。

 そんな風に考えていて、女の子が懐に近寄ってビィドロみたいな目で見上げているのに気付かなかった。

 

「ね、ね、あたしその馬に乗ってみたい!」

 いきなり耳元で言われて、ルウシェルは飛び上がった。

 女の子はワクワクを隠しきれない表情。

 

「い、いいけど……ここに居なきゃいけないんじゃないのか?」

「ちょっとくらいなら大丈夫だよ。ね、じじさまがまだ早いって、二人乗りの後ろに乗るのしか許してくれないの。いっぺん一人で手綱を持ってみたいんだ」

 

「え、一人で?」

 気持ちは分からなくもない。自分も小さい時、早く一人で思い切り馬を駆けさせたくてしようがなかった。でもさすがに今会ったばかりの子供に愛馬を預けてやるのは無理だ。

「二人乗りの前ならいいか? 手綱は持たせてやるから」

「うん、それでいいよ!」

 

 ルウシェルは女の子を押し上げた後、すぐに後ろに跨がった。

 七つくらいに見えたが、思ったより身体の厚みの薄い子だ。

 

「ほれ手綱。むやみに引くなよ。身体を支えたい時は、私の腕かタテガミを掴むんだ」

「・・うん」

 女の子は神妙に手綱をヘソの前に構え、姿勢を整えた。

 騎座は安定している。

 

 馬はシャナリシャナリと、素直に真っ直ぐに歩き出した。

 

「なかなか上手いじゃないか」

「しんりぃの真似をしているの。いつも後ろで見ていたから」

「へぇ、私と同じだな。私も昔、よくシンリィの後ろに乗せて貰った」

「そうなの? じゃあ次は飛んでみるね」

「えっ、ちょ……」

 

 ルウに何も言わせる前に、馬が空気を纏った。早い!

 浮き上がるのも早い、まるで……

 

 ((( どんん )))

 

 

 

 

 

 

 

 




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風紋・Ⅱ

  

   

 

 ―――るる る―る るんるんるん ――

 

 

    ―――る― る―る るんるんる― ――――――

 

 

 

 耳の痛みが遠のくのと交代に、ルウシェルの頭に唄声が響いた。

 凍るような風が頬をなぶる。

 身体の周りに白いもやが飛ぶばかりで、状況が分からない。

 粕鹿毛の馬上の自分。

 前に群青の一房の髪の女の子。

 

「唄っていたのは、リリか?」

 

 振り向いたリリは、ビィドロみたいな目を見開いて興奮している。

「すごい、すごい、るうしぇるの馬、すごいね」

「いや、私が乗ってこんな飛び方をした事は……」

 暴走はされた経験は散々あるが、今の粕鹿毛はしっかりと前を向いている。

 馬銜(ハミ)は受けているのか? と手綱を見ると、ダルンダルンだ。

 

 彼女の生まれ持った能力なのか? 

 馬に潜在していた能力なのか? 

 とにかくこれは尋常じゃない。

 

(この子の安全も確保しなきゃならないし、まずは地上に降りる事を考えなくては)

 どの位の高さなんだ? 地上も見えないし、とにかく寒い。

 西風の妖精の自分には危険な寒さ。

 

 ルウシェルは、リリに言って手綱を渡して貰い、とにかく高度を下げようとした。

 

 粕鹿毛は首を下に向け、垂直効果する。

 ―――降下する……

 ―――降下する……

 ―――って、どんだけ高い所にいたんだっ!

 

 また耳がヅンヅンするが、白いモヤの密度は幾らか薄らいで来た。

 

「すっごぉい、おへその下がキュンってなるね!」

 リリは呑気だ。

 シンリィと一緒に居たという事は、白蓬でそれなりの飛行も経験しているんだろう。

 

 やっとモヤの隙間から地上が見えた。

 何か知った目印はないかと、目を凝らす。

 月明かりに浮かぶは、帯のような樹林帯と三日月型の湖。

 

(知った場所だ、良かった。西風の里からそんなに遠くはない)

 まったく知らない所に飛ばされていたらどうしようかと思った。

 

 すぐに元の場所に戻ろうと思ったが、夜の森にほのかなオレンジ色を見付けてルウは留まった。

 凍えた手足が火を欲している。

 

「な、リリ、あそこで誰かが焚火をしている。ちょっと当たらせて貰いに行っていいか?」

「うん、いいよいいよ、あたしも手が冷えちゃった」

 

 粕鹿毛を降下させて、念の為、焚火から少し離れた茂みに降り立つ。

 馬はそのまま待たせて、そおっと覗くと、小さな広場に焚き火が焚かれていたが、ヒトの姿は無かった。

 火に鍋が掛かっているので、何かの用事で少し外しているだけだろう。

 

「誰か来たら謝ればいい」

 そそくさと火にすり寄り、ルウシェルは冷たい手足を暖めた。

 リリも側に屈んで、物珍しそうに焚火を眺めていたが、ふと顔を上げてキョロキョロし出した。

「ね、何か変じゃない?」

 

 ルウも気付いた。

 砂漠に季節の変化は少ないが、この樹林は四季がハッキリしている。

 今は夏の盛りの筈なのに、木々の繁りが少ない。

 空気もシンと冷えて、まるで冬から春への移り変わりの頃。

 下生えの中に咲く白いイチゲは、春の花だ。

 

 首を傾げながら立ち上がって、リリの方を向いた。リリもこちらを向いて……

「えっ?」

「ひゃっ!」

 二人同時に悲鳴を上げた。

 焚火に照らされたお互いの身体が透けて、向こうが見えるのだ。

 

「いやだあ! あたしどうなっちゃったの?」

「落ち着けリリ、どんな事にも理由があるんだ。ほら、私はリリに触(さわ)れる、大丈夫だ。とにかく落ち着いて……」

 

 ふるる、と、馬の声がした。

 そちらの茂みで六つの目が光り、三頭の馬が自分達を見ている。

 三頭とも草の馬で、一頭はズバ抜けて大きい。

 

「蒼の一族が居るのか?」

 ルウはちょっとホッとした。蒼の一族のヒト達なら頼りになる。

 身体が透けてしまった理由も、聞けば教えて貰えるかもしれない。

 

 背後に衣擦れの音。

 

「ほぉ………」

 

 焚き火のオレンジに照らされて、水色の長い髪の男性が、すぅっと立っていた。

 

「小鬼が、いる………」

 

 

   ***

 

  

 藪から抜けて来たそのヒトは、多分蒼の妖精……だと思うが、ルウの知っている蒼の一族にはいないタイプだった。

 腰を越えるボサボサ髪。色があるかないかの水色の瞳。浮き出た鎖骨、落ち窪んだ眼窩…… 

 そしてそれらの些細な個性を凌駕する、背中の強烈な・・

 

「キレイ……」

 リリが真っ正直に声に出した。

 

 焚火の揺らぎに照らされる、鷹のように立派な、翡翠色の羽根。

 

「それはどうも、迷い鬼」

 有翼の妖精は、眉間にシワを入れて二人を見据えた。

 

 取り敢えず、このヒトに自分達は見えるし話も出来る。

 良かった、こうなってしまった原因を相談出来る。

 一安心したルウが声を発しようとした時……

 

 

「待って、待ってよぉ!」

 森の奥で小鳥みたいな声が響いた。

 一瞬で、夜の森が昼間のように白んだ。いや、明るくなった訳ではない。

 飛び込んで来た空色の巻き髪の女性……彼女の輝くようなオーラが、夜の森を照らしたのだ。

 

「あれぇ?」

 女性ははなだ色の瞳を見開いて、辺りを見回した。

「何かいる?」

 真正面にはキョトンとしたリリが居る。彼女にはルウ達は見えていないのだ。

 

「別に……」

 有翼の男性は訪問者達から視線をそらして、引きずっていた落ち枝を焚き火に放り込んだ。

 そうして二人の子供の存在をまるで無視したように、女性と隣合わせで腰掛けた。

 

 ルウの胸にザワザワが過った。

 さっき会話出来たと思ったのは勘違いだったのか? では自分達は本当に、『存在しない者』になってしまったのか? 胸がドキドキして喉が詰まりそう。

 

「あのさ」

 有翼の男性が、何気ない素振りで巻き髪の女性に話し掛ける。

「もしも僕らが、また何かの拍子で西風に駐在に行ったとして、その時モエギに娘がいたとしたら、やっぱり父親はハトゥンかな?」

 

 女性はキョトンと答えた。

「まぁそうでしょうね。運命の女神様なんて何時(いつ)何処(どちら)に向くやら分からないけれど、何があったってハトゥンの方が一枚上だわね」

 

 男性はチラリとルウの方を見た。オレンジの瞳の娘は、高速で何回も頷いた。

 

「うん、ボクも、そう思う」

 彼は愉しそうに笑った。

 

 よかった、ちゃんと見えているんだ……ルウは少し安堵した。

 でも、このヒトにしか見えないって?

 

「じゃあさ」

 一拍置いて、男性はまた聞いた。

「前髪は紫、てっぺんは水色で、後頭部の一房だけ群青色な髪の女の子って、誰の子供だと思う?」

 

「ええっ? ナゾナゾ?」

 焚火に照らされた女性は目を丸くして、首を捻った。

「随分カラフルね、何色のリボンを結っても似合いそう、桃色とかオレンジとか。金鈴花の冠もいいわね」

 

「聞いているのはリボンの色じゃない」

「え~~・・蒼の一族ではあるんだよね。群青って、術力が強いって事? でも一房だけ? 分かんない・・降参っ!」

 

「そうか」

「答えは?」

「ボクにも分からない」

「ええっ、何それ?」

「ちょっと聞いてみたかっただけだ」

 

 女性は、何よそれと言いながら、足を伸ばして交互にパタパタした。

 既視感がある、と思ったら、シンリィが時々やっていた癖に似ている。

 リリは突っ立ったまま、何故か頭の毛糸を気にして巻き直したりしている。

 

 

「うぇぇぇ~~~」

 茂みをガサガサいわせて、二人の少年が現れた。上半身裸で下は薄布だけ、そしてずぶ濡れだ。

 彼らの幼い顔を見て、ルウシェルは仰天した。

 

「あらあら、早く火に当たりなさいな」

 女性は立って、彼らに乾いた布を被せてやり、焚火の前へいざなった。

 突っ立っていたルウ達は後ろに退いたが、少年達にもやはり彼女らが見えていないようで、焚き火の前に真っ直ぐに来てしゃがみ込んだ。

 

「言い付け通りの回数、水を被って呪符を唱えて来ましたよ」

 

「数をごまかしていないだろうな」

 

「ちゃんとやりましたよ……多分」

「これって何か、意味あるんですか?」

 

「大長から、蒼の里に付く前に、キミ等のあらゆる素養を試して置けと言われている。不満があるならやらなくともよい。自らの可能性を閉ざすだけだ」

 

「……は……い」

「す……みません」

 

「さ、シド、ソラ。もうすぐスープが温まるわ。蒼の里までまだまだあるんだから、一杯食べて元気を付けなきゃ、明日飛べないわよ」

 巻き髪の女性が、沈んでしまった雰囲気を取りなすように明るく言った。

「何に才能があるかを試すのはとても大切よ。早く立派な者になって、故郷に錦を飾るんでしょ」

 

「錦なんて、そんな……」

「僕達はただ……」

 

「ん、ん? なあに?」

「僕達は、西風の為に一生懸命になってくれた、蒼の里の常駐者のヒト達に……」

 

「恩返しとか言うなよ」

 男性が、二人の額や頭頂部に手をかざしながら、ピシリと言った。

 

「『歓び』…… 大長様がモエギ様に言っていました。『貴方の成長が私の歓びです」って。僕達も、そう言って貰えるようになりたいです」

 青銀の髪の子供が、頑張って述べた。

 

「まあ、なら、アタシ達も入れて。シドとソラが立派になってくれたら、アタシ達も凄く歓ぶわ。ね、そうだわよね!」

「まあな……」

 

 凄いな、この巻き髪の女性。重い雰囲気になりそうな所を、フニャっと緩めてくれる。

 蒼の妖精にはこんなヒトもいるんだなあ……

 ルウは、はなだ色の瞳のどこか懐かしい女性を、しげしげと眺めた。

 ・・と、彼女の傍らにある剣を見てギクリとした。

 柄に七宝の花模様の、白銀の剣……・・ え? 

 

 少年達の身体に手をかざしていた男性が、納得の行った顔をして立ち上がった。

「シド、キミは、飛行術を徹底的に教われ。ツバクロ……いや、ユユがいいな、飛行術の素養はユユに近しい。彼女に師事しろ」

 

「えっ、アタシ?」

 巻き髪の女性が目を丸くした。

 

「ユユさんが僕の飛行術の師匠っ!?」

 シド少年は顔色を変えて叫んだ。

 女性が師匠なのは不満なのかな? うんまぁ、シドってそういう所あるよな……と、ルウは勝手に納得したが……

 

「い、いい、命が幾つあっても足りませんんん!」

 ……ん? 違ったようだ。

 

「ふふふ~ シド、よろしくね」

 身を捩(よじ)って笑う女性に片えくぼが浮かぶ。

 

 男性は今度はソラ少年に向いた。

「キミは、・・選べる」

「……はい?」

 

「大長か、ボク……どちらに師事するかを、選べる」

「…………」

 

 女性とシドが目を見開いて、男性を凝視した。

「未知数の術の地力がある。大長に師事すれば、間違いなく一級の術者になれる。滞りなく一直線に。そうだな、そちらの方が確実だ。変な博打を打つ事もない、大長に師事しろ」

 

「貴方に師事すればどうなるんですか!?」

 自分で言って置いて勝手に決め付ける男性に、幼顔のソラ少年はキッパリと聞いた。

「というか、僕、貴方に術の手解きをして貰える素養があるんですか?」

 

 巻き髪の女性が、天地がひっくり返ったような驚愕の表情をしている。有翼のこの男性に教わる『素養』とやらは、そんなに驚く物らしい。

 

「そりゃ、底が見えないんだから、伸ばすのだけなら幾らでも……いや、要る力も危うい力も一緒に伸ばしてしまう。そうなったら後戻り出来ない。大長なら無難に抑えながら……」

 男性は俯(うつむ)いてブツブツと一人で呟いている。ソラの聞いた事に答えたくない感じだ。

 

「僕、貴方に教われる資格があるんですよね!」

 少年が大声を出した。

 

「・・・・・・」

 

 居丈高だった男性が、とうとう黙って少年を見た。

 

「宜しくお願い致します、・・カワセミ様」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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風紋・Ⅲ

ここまでで約14万文字・・
まだ半分弱・・
あれもこれも書きたい書きたいで、当初の予定より膨張



  

 

   

 

 細いいななきが森の奥から聞こえた。

 置いて来た粕鹿毛の声だ。

 

 カワセミと呼ばれた有翼の妖精は顔を上げたが、他の三人には聞こえなかったようだ。

 彼は少年達から離れて、スッと立ち上がった。

「ソラ、キミは明日から水ごりの回数を倍に増やせ。呪符は、段階を置いて教える」

 

「は、はい!」

 青銀の髪の少年は、目を輝かせて返事をした。

 

「シド、キミはその時間、ユユに付いて騎乗訓練。以上、ボクは見回りに行く」

 

「えっ?」

「もう、スープ温まるわよ」

 

「先に食べていてくれ。いや、ボクは要らない。今日は術が逃げる、ダダ漏れだ」

 有翼の妖精は、半透明の訪問者達をチラリと見て、とっとと茂みに分け入った。

 ルウもリリと連れ立って、慌てて追い掛ける。

 

 

 焚き火が見えなくなる辺りで、粕鹿毛が駆け寄って来て、今一度いなないた。

 降りた時は暗くて気付かなかったが、馬も半透明だ。

 

「ふうん」

 有翼の妖精は美しい斑馬を一瞥してから、ルウ達の方に向き直った。

「こいつの力ではない。キミ達のどちらかの力か」

 

「えっと……やっぱり私達、時間を跳んでしまったのか? 私の知っているシドとソラはあんな子供ではなくて……」

 男性が鋭い目で睨んで、唇に指を当てたので、ルウは黙った。

 確かに、彼が過去の時間を生きるヒトなら、一言も喋るべきではないのだろう。

 

 二人を順番に見据えていた男性は、やがてリリの前に進み出た。

「キミの仕業か」

 

「あたし、何にもしていないわ。ただ、るぅの悩みが一日でも早く解決して、あたしに書物をくれればいいのになって考えていただけで」

 

 リリには、男性は睨む代わりに頭に手を置いた。

 

「いい子だ、静かにおし。それは過ぎた力、存在してはいけない力だ。帰ったら封印して貰え。ボクか大長の所へ行け。キミらの生きる時代にも……いるんだろ?」

 

「帰れるのか、私ら?」

「ああ、帰れる。この娘に手綱を握らせ、来た時と同じ経路を辿れ」

 

 え”っ もう一度あの高空へ? 

 一瞬ゲンナリしたが、帰れると分かった安堵の方が大きかった。

 

「さあ、もう行け。あまり長く居ると帰れなくなるぞ」

 男性は、背を向けて歩き出した。

 

 リリは素直に従って馬の方へ進んだが、ルウシェルは躊躇した。

 この後何年かして、世界を黒い災厄が襲う。

 ソラのお師匠さんも、シドのお師匠さんも、シンリィの両親も、ユゥジーンの家族も、ヤンの兄弟も、沢山の沢山のヒトが、命を落とす。

 もしもこのヒトに、それを伝えたらどうなるのだろう。

 

「喋るな!!」

 

 後ろ姿の男性が鋭く一喝した。

 うなじも肩も、触れば切れる刃物みたいな気を発している。

 

「一言も喋るな! 時間も運命も、何処の誰にも弄ばれていい物ではない! ・・喋るな!!」

 

 怒られても自分がどうなっても、言葉を発すればこのヒトの耳に入れる事が出来る。

 戸惑うルウの手首を、リリがギュッと握った。丁度革の腕輪の真上だった。

 ふと、その横の花模様の剣も目に入る。

 そうだ、このヒトはこれも見えていた。

 ユユと呼ばれた女性の剣が、今は私の腰にあるのを……

 

 

 ――ちゃんと、受け継いで行きます――

 

 言葉にせず、心だけで念じた。

 

 

 有翼の妖精は、もう一度も振り返らず、自分の『今』を生きる為、焚き火に向かって歩き出した。

 

 

 舞い上がる馬の上から、小さくなる焚火が見える。

 二人の男の子は、もう暖まっただろうか。

 

「あたしって、凄い事が出来たんだね」

 前で手綱を握るリリが、ぽそりと言った。

 

「うん、凄いな。でも……」

「分かってる。帰ったら、すぐにじじさま……大長さまの所へ行くよ」

「偉いな、リリは。私だったらきっと、あれもこれもやり直せたら、って欲が湧いてしまうぞ」

「う~ん、あたし生まれてまだそんなに経っていないし、やり直したい事とかないモン。やりたい事は一杯だから、後戻りしている暇なんかないし」

 

「そうか……」

 ではもしかしたら、やっぱり、……私の為に跳んでくれたのかもしれないな。

 リリの能力を使って粕鹿毛が……

 

 

   ***  

 

 

 風紋の原の上空に戻って来ると、出発した時から月があまり動いていなかった。

 

「帰れたね―― ホッとした」

 リリは手綱をルウシェルに渡して、二度と触らないように腕を胸で組んだ。

 それから西風の宿屋跡にそっと降りて、客間で寝ているユゥジーンを起こさないよう、毛布と暖かい馬乳酒のポットだけを持って、元の場所に飛んだ。

 

 風紋の原に二人座って、明け方まで色んな話をした。

 

 だいたいが、シンリィってこうだよね~ うんそうそう、的な話だったが。リリの父親の名前を聞いてルウは驚いたし、先日西風の上空に現れた波紋を一緒に退けた仲間に、母がしょっちゅう話していた母の弟がいた事に、リリは驚いた。

 

「世界中の皆が何処かで繋がっているんだね」

 

 朝焼けの伸びる光でルウが書物を広げて読み上げ、リリが即興で曲を付けた。

 二人で唄っている内に、二人共すっかり覚えてしまった。

 

 その時、遥か上空の朝焼け雲がホンの少しだけ流れたのだが、まだ気付く程でもなかった。

 

 

  ***

 

 

 西風から証言にやって来た者が年端も行かぬ小娘だった事に、修道院の聖堂に集った首長達は苦々しい顔をしたが、歴々を前に朗らかに説明を述べる娘に皆感心し、最後は賛辞と礼に包まれてのお開きとなった。

 首長達に「良き孫を持ったな」と肩を叩かれた砂の民の総領殿は、いかつい顔の中の鼻の下を、分かりにくくちょっとだけ伸ばした。

 

 

  ***

 

 

 降りしきる雨の中、青銀の髪から水滴を散らせて、西風の青年が緑の槍を放つ。

 

 それは悠々と波紋を広げる空に吸い込まれ、一旦止まるが止まるだけ。

 再び動き出さぬ内にと、青年は慌てて二段目の槍を作る。

 二つ、三つ、四つ目でやっと波紋は反転を始めてくれた。

 やがて端から分解するように渦巻いて散り、薄れて消滅に至る。

 

「ぜぇ、ぜぇ」

 最後まで見届けて、青年は雨に打たれるまま膝を付く。

 

 ひとつ向こうの山でも翡翠色の光が広がり、そこに鎮座していた波紋が消えて行く。

 こちらの波紋より遥かに大きかったのに、あちらは一撃か…………

 

 暫くしてから、一撃を放った本人が、夏草色の馬に乗って飛んで来た。

 

「ソラ、大丈夫ですか?」

「ぜぇ、ぜぇ」

 

「あちらにも続けて波紋が出現しています」

「ぜぇ……」

 

「ふむ、私がまとめてやっつけちゃいますから、貴方は先に戻って火を焚いていて下さい」

「いえ、ぜぇ……行けます」

 

 ソラは額の雨粒を拭って立ち上がる。

 一月も共に行動すれば、大長が言うほど余裕でもない事には気付いている。

 

 

 

 深山の麓の風穴に戻り、大長が火を起こして濡れた衣服を吊るす。

 結局ソラはぶっ倒れて指一本動かせない。

「……すみません」

 

 雨が続いて地上がぬかるみ、人心に余裕が無くなるせいだろうか。

 空の揺らぎの大きさと出現頻度が倍々に増えている。

 

(大長様の半分も動けなかった)

 修業を名目に里を後にしたのではあるが、世話になったこの方の微々たる助力にでもなれれば、という思いもあった。

 が、蓋を開けてみると、歯痒い程に能力が足りない。

(井の中の蛙だったか……)

 

 力は必要だ。

 守りたいモノを守り抜くにも、正論を主張するにも、絶対的な力があってこそだ。

 力を持ち確固たる立場を築けていれば、ルウシェル様の婚礼を指を銜えて見過ごすなんて羽目にならず、当日を待たずに阻止出来た。今回身に染みて思い知った。

(だから蒼の一族のヒト達は、無茶な鍛錬をして、許容量一杯まで力を引き上げるんだ。キレイ事だけでは通らない事が世の中に溢れているのを知っているから)

 

 

 ぽゎん、と音がして、目の前に小さな波紋が出現した。

 水の輪っかをくぐって紫の前髪が現れ、次いでピンピン跳ね上がったヤマアラシ頭がポンと抜け出る。

「じじさまお疲れ、ソラさんこんばんは」

 紫の前髪のリリは、波紋の向こう側の反対側の異空間に侍(はべ)っているのだが、こうやって穴を開けては遊びに来る。

 

「この辺の波紋は、さっきので終いみたいだよ」

「そうですか、リリもよく頑張りましたね」

「へへ、しんりぃを補佐する呪文が使えるようになったモンね、えっへん」

「それは素晴らしい」

 

「ソラさんはまたヘタってるの? やぁい、ヘタレヘタレ~~」

「リリ、ヘタっているヒトに追い討ちを掛ける子の所には、ズンドコベロンチョが来ますよ」

「ひいっ、それは嫌だぁ!」

 

 世界を揺るがす災厄と闘っているのに、ズンドコベロンチョの何が怖いのだろうか。

 ソラは黙って目を閉じる。

 

 大長がリリの額に手を当てて、「封印は上手く効いていますか」等と尋ねる声が遠くに聞こえ、遠去かる。

 

 

「あれぇ、ソラさん、寝ちゃったねぇ」

 リリはしゃがんで、彼の額に張り付いた髪を、丁寧に払って整える。

「破邪の術って大変なんだね、しんりぃも疲れて寝ちゃうと、全然起きなくなる」

 

 目の下に隈のある青銀の妖精をしばらく眺めてから、リリはおもむろに聞いた。

「ねぇじじさま、同じ位の能力の、優しいヒトと怖そうなヒトのどちらかをお師匠さんに選びなさいって言われた時、わざわざ怖そうなヒトを選ぶのって、どうしてだと思う?」

 

 大長は、少し考えてから静かに答えた。

「そうですね……怖そうなヒトの方に何か思い入れがあるとか?」

「怖そうなのに?」

「自分がこのヒトに師事した方が、より深い所まで行けると確信を持っていたのではないでしょうか」

 

「怖いお師匠さんはイヤだけどなぁ」

「強く守りたい物がある時に、無理をしてでもそういう選択を取ってしまうのですよ。リリだって、シンリィやお母さんを助けるとなると、嫌な事でも受け入れるでしょう?」

「あ、うん。あとじじさまを助ける時もだよ」

「それは嬉しいですねぇ」

 

 

 桃色の頬の幼娘と青銀の青年の眠れる顔を見比べて、大長はしみじみと思う。

 子供というのは、知らない間に何たる速度で成長している物なのか。

 自分のように一つ所から往々にして踏み出せない者は、いつもいつもその変化に歓ばされ、慄(おのの)かされるばかりだ。

 

 

 

 

 

       ~風紋・了~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




本年中は、お越しいただき有難うございました
善き年越しを


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蜃気楼・Ⅰ

今年も宜しくお願いいたします
まあ御屠蘇を一献


砂漠の閑話、もう一つ


     

 

   

 

 シドの一日は、書き物やら資料やらに埋もれたカオスなベッドから始まる。

 今日の講義の準備稿が、途中からのたくったミミズ状態。

 慌てて起き上がって散った原稿を掻き集める。

 

 西風の里、丘の上に建つ、子供達の為の修練所、それに隣接する付属棟。

 元は身寄りの無い子供が寝起きする場所として建てられたが、今はそういう子供はおらず、仕切られて単身者の寮となっている。

 

 相部屋のソラは不在。

 外交官の彼は元々里を空けている事が多く、部屋の反対側の彼の領域は、生活感のない書物の壁となっている。

 

 古今東西の書物を収集するのがあの堅物の唯一の趣味なので口出しはしないのだが、改めて見るととんでもない事になっている。

 紙束を綴じた物、竹簡を丸めた物、解くと術が発動する怪しげな結び目の束……あれも書物、これも書物、書物、書物、書物。

 律儀にシドの領域にはみ出していない分、あちらは壁もベッドも見えない。

 たまに帰って来ると、書物の隙間で器用な寝方をしている。あれでよく普段は鉄心を通したようにピシリと立っていられる物だ。

 

 そんな奴が、花嫁を略奪して婚礼の儀式をぶち壊すなんて天地が引っくり返る所業をやらかした。そして「修業し直す」などと戯(たわ)けた事をぬかして、このクソ混乱している時期に本当に里を離れやがった。せめて他部族への説明を済ませてから行けよ、あの朴念人。

 

 ルウシェル様はあいつを妙に至高に捉えているから、何か先を見据えた考えがあるんだろう位に思っておられるが、違いますから、あいつただ行き当たりバッタリなだけですから。

 そうでなきゃ儀式の直前に花嫁を拐うとか、ヘッポコ過ぎるだろ。

 デキル奴ならそうなる前に何とかしている。まぁ、その点は自分も同罪だが。

 

 そんな事をグチグチ呟きながら講義の資料をまとめ、身支度を整える。

 ピンピン跳ねる髪をターバンで押さえて外に出ると、朝霞が深く里を沈めている。

 冷えた空気を一息吸って、白靄の中を泳ぐように、厩舎に通じる道を下った。

 

 シドは、仕事が詰まって忙しい時でも、毎朝必ず自分の馬の顔を見に行く。

 時間があったら運動もさせてやる。

 子供の頃厩番だったのもあるけれど、基本馬好きなのだ。

 

「よっす、おはよう」

 馬房の前にヒョイと顔を出すと、いつもクルクル言って鼻を擦り付けて来る青毛が居ない。

 三本ある馬栓棒が全部外れて落っこちている。

「あいつ、またかよ」

 

 シドの愛馬は器用で賢く、馬栓棒くらいは簡単に外す。

 脱走して散歩しているなんてしょっちゅうだが、大したイタズラもせず小馬場で砂遊びしている程度なので、敢えて厳重にはしていない。

 馬栓棒を抜けないように縛って置こう物なら、機嫌を損ねて夜通し暴れるので、他の馬の迷惑になってしまうのだ。

 

「あ、シド教官、おはようございます」

 出勤して来たのは、去年修練所を修了した厩係の少年。厩番は他にもいるのだが、彼は朝一番に来るのでシドとよく顔を合わせる。

 

「ああ、おはよう。青毛がまた脱走したみたいなんだ。捜して来るよ」

「では居ない間に掃除しちゃいますね」

 少年は慣れた感じでホックを担いだ。

 

「あ、待って」

 シドはポケットに手を入れながら呼び止める。

「いつもご苦労様、君が来てから馬の毛艶が良い」

 そう言って、干菓子の袋を探り当てて、幼さの残る少年の手に渡す。

 

 この子が甘い物を好きかどうかは知らないが、仕事を認めて誉めてくれるヒトは、いないよりはいる方が良い…… それはシドの小さな信念だ。

 子供の頃、ここでよくモエギ長に飴を貰った。当時は子供扱いされる事にひねくれて、彼女が見えなくなってから馬にくれてやっていたのだが、大人になると何でかそんな場面を、嬉しかった事として思い出す。そのモエギ長が病に臥せっている今は尚更だ。

 

 少年と別れて、小馬場の方に回ったが、研いだ鉄色の愛馬、青毛の姿は無かった。

「勝手に遠くへ行くようなタマじゃないんだけれどなぁ」

 

 靄が深くて見通しが悪い。

 シドは、いつもの口笛をヒュッと鳴らしてみた。

 靄の中から、聞きなれたクルルという声が聞こえる。灌木帯の奥の林の方だ。

 ホッとしたのも束の間……

 

「ひゃあぁ!」

 

 女性の悲鳴?

 

 あいつがヒトに悪さするとは思えないのだが。

 シドは声の方へ走った。

 

 大きな木の下に青毛。

 シドが近寄っても気になる物があるようで、首を上に伸ばして何やら口をモグモグさせている。

 悲鳴の主と思われる女性は、樹上に居たのだが……

 

「えっと? 何やってんです?」

 

 間抜けな言葉が出た。

 だって寝不足の朝っぱら、高い木の上に張り出した枝に、手足を巻き付けて宙ぶらりんになっているイイ年をした女性が、垂れ下がった長い三つ編みを馬にしゃぶられている図なんて目撃したら、脳をどう働かせたらいいか分からなくなるだろう?

 

「あああ、引っ張らないで、落ち落ち落ちちゃう!」

 

 シドは我に返って、馬の背にヒョイと登って立ち上がった。

「受け止めるから手を離して」

 

「ほ、ほ、本当に?」

「貴女がゾウガメより重いんなら無理だけれど」

「ゾウガメって何? こちらにはそんな生物がい……あ、あ、ひゃああ」

 

 手を離す前に枝が折れ、女性は間抜けな格好のままシドの懐に降って来た。

 

 ――吹き上げろ――

 

 軽く唱えて風を起こし、シドは女性を抱えたままフワリと地上に降りた。

 ソラほど術の素養は無いが、彼だって蒼の里で風使いの術の基本は習っている。

 

 風が収まると、三つ編みがフサリと落ち、女性の硬直していた手足から折れた枝が転がった。

「あわ、わわ……」

 

「一体何だってあんな事になっていたんです?」

 シドは女性を降ろして真っ直ぐ立たせた。

 水平に切り揃えられた青い前髪の下はソバカスだらけの白い顔。西風部族の者ではない。

 成人ではあろうが、泡食っている表情は子供みたいだ。

 

「あの、キナの実が見えて、本物かなって近くで確かめようと……」

 

「キナ?」

 見上げた樹木には確かに小さな目立たぬ実が付いていて、女性の手の中にはそのひと房が握られている。

「それ、名前は知らないけれど、苦くて食べられないから誰も採らないんだけれど」

 

「はい、肝心なのは実よりも樹皮の方で、乾かして砕いて……ひゃあっ」

 女性の後ろから青毛が首を伸ばして、またお下げを噛っている。

 

「凄い食い付きだな。君の髪の毛何で出来てるの? まさか馬酔木(あせび)の蔓とか?」

 

「見てないで止めて下さい。いやぁ、よだれイヤッ、ひぇっ、うひゃあっ」

 

 

    ***

 

 

 西風の里中央の、昔の宿屋跡。今は長のモエギと長娘ルウシェルの住まい。モエギは療養中で、奥の部屋で臥せっている。

 来客用広間の椅子で、プンスカするソバカスの女性。

「このヒト、笑って見ているだけで、止めてもくれなかったのよ」

 

「いや青毛があんなに愉しそうなの見た事がなくて。(それにリアクション面白かったし)」

 女性の素性を聞いて送って来たシドが、こめかみをポリポリ掻いて睨まれる。

 

「交代要員がエノシラさんとか、ナーガ様、何考えてんだ」

 早朝叩き起こされて、寝惚け眼で客間から出て来たユゥジーン。

 高速気流で送って来た当のナーガ長は、彼女を下ろすと誰にも会わずに即座に帰ってしまったという。多分夜を徹して飛んで来てトンボ返りで戻り、そのまま蒼の里で本日の業務に着くのだろうから、西風の年寄りなんぞに捕まっている暇はないのだろう。

 相変わらず無茶してるな、あのヒト。

 

「そうか? エノシラの持たされた手紙には、彼女が最適な人材だと書かれているぞ。私はエノシラが来てくれて嬉しい」

 家主のルウシェルは嬉々として、ソバカス娘の後ろに陣取り、馬にベタベタにされた毛先を洗ってやっている。

 蒼の里に留学していた頃世話になり、姉のように慕っていたエノシラ。来てくれたなんて夢みたい……と、ウッキウキな表情だ。

 

 久しぶりに和やかなルウシェルを見て、確かに最適な人員かもしれないなと、男性二人は思った。

 

「では僕は、今日の講義がありますので」

 シドが挨拶して外へ出ようとした時、入り口で横柄な元老院集団と鉢合わせた。

 

「ごめん、長娘殿はご在宅かな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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蜃気楼・Ⅱ

 

  

 

 

「蒼の里より新たな客人がみえられたのなら、当然一番に大僧正の所へ挨拶に来られるとお待ちしておったのじゃが、我々の心得違いであったかのう?」

 朝っぱらから連れだって押しかけて来た元老院の老人は、用意していた台詞を嫌味ったらしくネチネチと喋った。

 

(何時だとおもってんだ……)

 こんな早朝に訪ねて行ったらそれはそれで文句を言うくせにと、シドが辟易した顔をしていると、ユゥジーンがシレッと口を挟んだ。

「そういえば俺、挨拶って行ってない」

 

「そなたはよいのじゃ、まだ子供じゃからな」

 成人の名を貰っているユゥジーンに、何とも失礼な扱い。要するに、ハキハキ反論出来る活きの良い男性を相手にしても自分達には面白くない、ってだけなのだが。

 

「それは失礼を。すぐに伺いますわ」

 か弱そうな女性のエノシラは、慌てて立ち上がった。

 

「もうよい、大僧正は眠っておられる」

 

 挨拶に来いと言いに来たのに、行こうとすると来るなと言う。

 エノシラはキョロキョロと周囲を見回した。

 相手は初対面だしよく分からない。皆が自分の役割に添って合理的に動く蒼の里では遭遇しない絡まれ方に、困惑している。

 

「客人は長旅で大層汚れておられる」

 ルウシェルがピシリと言った。

「女性なのにこの惨状、酷いと思わぬか? 僧正殿が気の汚(けが)れで具合を悪くされても困る。挨拶の前に、手足や髪の清浄をお勧めしていた所だ。僧正殿が目を覚まされる昼頃に送り届けよう。それで良いな」

 

 朗々と言われて、老人達は二言三言口の中で捏ねくり返しながら、退散した。

 言えるようになった物だ。

 シドも安心して、遅刻しそうな講義に走った。

 

 

 

 ユゥジーンは午前の内に引き継ぎを済ませ、手を振って蒼の里へと帰って行った。

 彼は最後まで元老院と関わらなかった。

 

 エノシラは陽が高く登ってから三つ編みをきっちり編み直して、シドに付き添われて大僧正の自宅へ挨拶に行った。ルウシェルは他部族に出掛ける急用が入ってしまったのだ。

 

「道だけ教えて頂ければ、私一人でも行けますのに」

「そうは行かない。ここは蒼の里と似ているようで違う。言葉ひとつでも変な意味に取られて揚げつらわれても嫌だろう?」

「そんな事をするヒトがいるのですか……」

 

 仕事の昼休憩を抜けて来たシドは、あまり分かっていなさそうな娘にヤキモキした。

 とにかく元老院との付き合いは難しい。長をトップに整然と運営出来ている蒼の里の者には、分かり辛いだろう。それを察知して、分からないながらも関わらないようにしてくれたユゥジーンは、有り難かった。

 

 元老院のトップ大僧正は、三年程前から体調を崩して寝たきりだ。それが今元老院を意固地にさせている起因でもある。弱味を見せたら侮られると思っているのか、詳しい病状を長サイドに明かさない。

 だからエノシラにも、その辺には触れないで最低限の挨拶だけして去るようにと言い含めた。

 言われ過ぎて委縮したのか、彼女はベッドの大僧正に本当に形式通りの挨拶しかせず、控えている年寄りに「この在り様に見舞いの言葉もござらぬとは」と嫌味を言われた。

 

 外に出てから憮然とした表情のエノシラに、あれでいい、気にするな、と言うと、

「そういう問題じゃないわ!」

 と、ソバカスの頬を膨らませて更に憮然とした。

 

「どうかしたのですか? シド教官」

 むくれている女性相手に辟易しているシドの前に、今あまり会いたくない顔が現れた。

 シドより少し年上の同僚、スオウ教官だ。

「祖父に届け物があって。……あ、貴女が蒼の里から来られたというお客人ですか。初めまして、スオウと申します」

 

 シドは心の中でウンザリした。

 この涼しげな青い目の教官は、悪い男ではない。大僧正の末孫なのにそれをひけらかさず、控え目で物腰柔らか、育ちの良さを絵に描いたような善人。

 嫌味な奴なら避け合うだけで済むのに、裏を読まず全方位に社交的なので、こちらの言動が元老院に筒抜けになる。シドからしたら非常に対応に困るタイプなのだ。

 おまけに……

 

 エノシラが、膨れっ面は何処へやら、物に憑かれたように彼を凝視している。

 そう、精悍な顔立ちに真っ白な歯、分厚い胸板割れた腹筋、ルウシェルの花婿探しで声が掛かった時、『私はそのような列に加われる者ではございません』とキッパリ断った男前。

 容姿中身共、百点満点なのだ。

 

 その百点満点男が、無邪気に、初対面の女性に話し掛ける。

「遠い所をよくいらして下さいました。慣れない土地でお困りの事などありましたら、遠慮なく声を掛けて下さいね」

 ・・勘弁してくれ!

 

 

   ***

 

 

 それから暫くは何事も無かった。

 というか、シドはルウシェルの所に顔を出せなかった。疎遠になった訳ではなく、人事異動で新しく上になった者が能力主義で、受け持ち講義がドカンと増えたのだ。

 

「シド教官の実力からして、今の講義数では勿体ない。子供達の為にその知識を惜しみなく発揮して下さい」

 

 新しい上司、スオウ教官は、そう言って白い歯を見せて爽やかに笑った。

 いや元老院の横槍で、今まで地味で手間の掛かる仕事だけを押し付けられて干され気味だったのだがと、喉元まで出掛かって言うのをやめた。

 彼に悪意は多分無く、人事異動は以前から決まっていた。おかしな裏操作は無いと思いたい。

 

 まぁ、長様宅にはエノシラが居るし、医療の知識もあるというから、身体の優れないモエギ長を抱えるルウシェル様にとっては、頼もしいだろう。

 長の代理を務めるルウシェル様も、ここの所自信が付いて堂々とされている。

 自分が少しくらい遠のいても問題無かろう。

 

 そう思って安心していたのだが……

 

 

「エノシラを知らないか?」

 

 久し振りに修練所の書類を持って里の中心を訪れた時、出迎えたルウシェルの沈んだ表情に、当惑した。

 

「ここの所エノシラがしょっちゅう出掛けて、行き先を聞いても濁して教えてくれないんだ。彼女は明るくて賢いから、里で友達が出来ても不思議じゃない、でも……」

 

 内緒にされたら寂しい。それは分かる。

 事務仕事やモエギの看病は疎かにしないのだが、空いた時間は自分の部屋に閉じこもり、出掛けてしまう事が多いという。

「その内、話してくれるんじゃないですか? 出来た友達が臆病なヒトなのかもしれないし」

 

「……でも、顔を赤くしてぼぉっとしていたり、眠れていなさそうだったり……」

 ルウシェルはまだ何か口の中でモゴモゴ言ったが、書類を受け取るとすぐに頭を切り替えて、仕事モードに入った。

 

 

 

 シドが目撃したのは、翌日の夕方だった。

 珍しく放課後の仕事が無くて、青毛を連れてポコポコ引き運動していた時だ。

 

 青毛が立ち止まって、低く喉を鳴らした。

 木立の向こうは、西風の里のシンボルである大池の湖畔。

 白い砂の水際を、青い三つ編みを垂らした娘が歩いている。

 

 水辺は、西風の者が大切にしている聖域だ。

 余所者が足を踏み入れては、元老院にまた嫌味を言わせる種となる。

 大声で呼ぼうとした所で、彼女が一人ではない事に気付いた。

 

 後ろから追い付いて、親しげに隣に並んで、今摘んで来た花を渡すのは……

(スオウ教官……)

 

 ・・本当に、遠目に見ても、均整が取れて女子ウケする外見だよな・・

 

 シドは青毛を引いて、スッとその場を離れた。

 

 

 

 

 

 

 

 




 


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蜃気楼・Ⅲ

   

   

 

 別に女のコに人気があるとかどうとか、シドは拘りたい質(たち)じゃない。

 小さい頃は西風の里が廃れてしまうかの瀬戸際で、無邪気な子供をやっている時間が無かった。

 早くからモエギ長の護衛騎士(ナイト)となる事を誓い、蒼の里へ留学し、寝食惜しんで研鑚(けんさん)した。

 

 お陰で自他共に認める能力だけは身に付けているのだが、女のコってそういう物には興味を持たない。

 大概は人当たりが良くて毛並みの良いスオウのような優等生か、砂の民の色んな遊びを知っているちょっとキケンな香りのする若衆に惹かれる。

(* 双方血が濃くなり過ぎる問題を抱えていたので、砂の民との縁談に限った交流を、昔ナーガが動いて締結させていた)

 

 シドを目に止めるのは、酸いも甘いも噛み分けたお婆ちゃんか、質実主義の母親世代。

 だから見合いの話は来るが、肝心の相手に微妙な反応しかされないので、全て断るようにしてしまった。

 

(いいんだ。子供の頃誓ったように、モエギ様を左右から守護する護衛騎士として一生を捧げていれば)

 …………と思っていたのに、相方のあいつが手の平クルッと返しやがった。

 あの野郎~~・・

 なんて考えていると、やっぱり自分も女子の目線ひとつに左右されてしまうような小者だったんだなと、ちょっと落ち込むシドだった。

 

 

 

 人事異動から数週が過ぎ、ようやく多忙に慣れて来たシドの元に、奇妙な組み合わせの訪問者が訪れた。

 放課後の準備室、一人で居る所に、忍ぶように訪ねて来たのは、大僧正の側近の老人の一人と、厩番の少年。いつも連れだって動く年寄りが一人なのにも驚いたが、何故に、普段鼻にも掛けない厩番の子供と?

 

「蒼の妖精のあの三つ編みの娘について尋ねたい。包み隠さず答えて欲しい」

「は、はぁ……」

「大僧正様の末の孫、スオウ殿と交際しておるという、聞き捨てならぬ噂が流れておるが」

「スオウ教官が世話を焼いてあげているだけじゃないですか? ほら、あの方、誰にでも親切じゃないですか」

「儂もそう思いたいのじゃが」

 老人は後ろを向いて少年を促した。

 

「僕、スオウ教官が大好きだから、相手の女性(ヒト)と温度差があって傷付いたりしたら嫌だなって思って……教官、ああ見えて純情で女性に免疫無いじゃないですか……で、あの女性が厩の側を一人で通り掛った時に、思い切って聞いてみたんです。教官のお嫁さんになるんですか? って」

 

 うわっ、どストレートだな。

「で?」

 

「はい、約束していますし、って」

 

「え゛・・!」

 

 そしてつい先程、少年は、二人が馬に二人乗りで、里の外へ出掛けて行くのを目撃したと言うのだ。表からじゃなくこっそり裏から。

 

「さ、里の外ぉ!?」

 何処にでも人目のある小さな集落だ。

 未婚の男女が連れ立って外に出掛けるのは、『そういうコト』という暗黙の了解がある。

 大人しそうな娘だと思っていたら随分と積極的…………いやそうじゃなくって! 

 

「儂は、スオウ殿を赤ん坊の頃から知っておる。心根の綺麗な天使のような方じゃ。おかしな事になって後ろ指をさされるような身になって欲しゅうない」

 老人は珍しく、殊勝に弱い声を出した。

 

 シドは少年の両肩を掴まえた。

「まだ、このご老人以外に言っていないな。そのまま他言無用で頼む。ただ、ルウシェル様には、聞かれたら答えてあげてくれ。……ご老人」

「何じゃ」

「僕が行きます。()()()()()()()()()()にならない内に、阻止して来ます」

 

 老人は口を結んで頷いた。

 

 

 少年に二人の行った方向を聞いて、シドは全力で厩まで走って青毛で飛び立った。

 

――何考えんだ、エノシラ!!

 

『蒼の里は、西風の里の内側には決して踏み込まない』という先人達の努力を台無しにするつもりか!?

 ちょっとイケメンに逆上せてデートの真似事してみたかったんだろう……位に思っていたら、何、斜め上方向へ進展させてんだ。

 いや彼女は個人の自由な恋愛だと言い張るかもしれないが、大僧正の孫だぞ、大僧正の!

 その辺の奔放な若者とは違う。本人がいいって言っても、周囲が段階と礼節と潔癖を重んじるんだ。それを疎かにしたら、『蒼の里は西風を軽んじている』と取られても弁解出来ない。

 ・・そんな相手に、何やらかしてくれちゃってるんだ!

 

 握った手綱に冷や汗が滲む。

 

「願わくば間に合ってくれ、っていうか、トンでもない場面にだけは出くわさないでくれ!」

 

 

   ***

 

 

 里を出て、目鼻の先の岩山に、少しの灌木と地衣類の緑が覆う場所があり、三つ編み娘はそこにいた。

(近過ぎるだろ、もうちょっと遠くへ行くとかの気遣いはないのか)

 スオウの姿は見えない。見たくもない場面に出くわさなくて良かった。

 

 娘はシドの馬を見上げて、明らかに罰悪い表情をしている。

 

 手前に降りて、軽率な行動を咎めようとした時……

 

「エノシラ、どうした?」

 

 岩の裏から声がして、色男が現れた。

 相変わらず、身なりに気を使える余裕のある出で立ちだな、腹立って来た。

「シド教官、何でここに?」

 あんたのせいでしなくてもいい苦労を…………・・んんん? えっ?

 

「あれぇ、セ―ンセ」

「シドせんせだぁ」

 

 思いも寄らぬ声々に顎が外れた。

 スオウ教官の後ろから、修練所の子供が数人、目を丸くして歩いて来る。手に手に石版や萱紙、筆記用具、草の葉を持って。

 

「エノシラに、薬草知識の講義をして貰っていたんだ。いやぁ、本当に博学だなぁ、私も勉強させて貰ったよ」

「………………」

「前々から依頼していたんだが、西風であまり目立つ事はしたくないと言うから。公にせず、植物学に興味のある子だけを募って、少人数でやっていたんだ」

 そういえば、地味に募集は掛けていたような気はする。個人的な補習だと思って気に止めていなかった。

 

「ねえねえ、普段何気なく摘んでたお花でも、血止めの効果があったりしたんだよ、ビックリしちゃった」

「こっちの葉っぱは煎じて飲んだらお腹痛に効くんだって。知らなかったぁ」

 

 子供達に賑やかに話し掛けられ、声の出せないシドを見やって、スオウは手をパンと叩いた。

「さあ皆、本日はここまでとしよう。荷物を片付けて、帰りの準備だ」

 それから、微妙な顔でオドオドしているエノシラを振り向く。

「結界の入り方は分かりますよね。子供達を引率して、先に里に戻って下さい。修練所の前で解散にして、貴女も待っていなくていいですから、そのまま帰宅して下さい」

 

 え、あの……というエノシラを、子供達共々送り出す。

 

 彼らの姿が結界で見えなくなり二人きりになると、スオウは突っ立ったままのシドに向き直った。

「シド教官、失礼を承知でお尋ねしますが、もしかして、私とエノシラの間が男女の何かだと誤解して、泡喰って飛んで来たのですか?」

 

 答えられないシドを前にして、では順序立って話しますと、スオウは岩に腰掛けて隣を促した。

 

 

    ***

 

 

 大僧正宅の庭でスオウ会った翌日、彼女は再びそこを訪ねて来た。

 シドやルウシェルに心配を掛けるので元老院に近付かないようにしたいが、庭にどうしても気になる物があるのだと、物陰からそっとスオウに声を掛けたのだ。

 

「シド教官じゃないけれど、最初は私も誤解しましたよ。色んな口実を作って近付いて来る女性がいましたから。あ――あ、またか、って」

 色男は周囲が思う程、純情でも天使でもなかった。

 

 庭に入れて貰うと、娘はすぐに這いつくばってクンクンし出し、次に大木の枝を掴んで登り始めた。

 そうして呆気に取られる色男を置いてけぼりに、木の葉まみれになりながら、これはゴシュユだゴミシだ宝の山だと騒ぎ出したのだ。

 

「宝の山……」

「要するに、薬草ですね」

 

 どうやら、何代か前の知識豊富な大僧正が役に立つ草木を庭に植えていたのだが、伝承されずに忘れ去られていたらしい。

 彼女は、初めてここを訪れた時、色男ではなく、その後ろの『宝の山』を凝視して固まっていたのだ。

 北の草原では見られない、書物でしか知らない薬草群を見て、その夜眠れなかったらしい。

 

「特にキナの皮なんて、あちらではマボロシ扱いらしいですね。蒼の里の常駐者の方々は気付かなかったのかなと尋ねたら、薬学はまた専門が全然違うと」

 そういえば、最初会った時、キナがどうとか言っていたな。

 

 庭だけでなく、里のあちこち、厩の裏の林やその向こうの水辺にも、いつの時代か誰かしらが持ち込んだらしい薬草が群生していた。

 本当にどうして伝えが途切れてしまったのか、代々古い家に住むスオウですら知らなかった。

 思い立って自宅の倉庫を調べてみると、薬草関連らしき古書が幾ばくか発掘出来た。

 そうしていつしかスオウも夢中になり、二人で薬草捜しに没頭して行ったという。

 

 ただ、本で知っているだけの薬草が、本物かどうか分からない。それで……

「彼女、自分の身体で試していたんだ、害が無いか。だから私も付き合った」

「え?」

「そりゃ、私の祖先が植えた薬草だ、責任を持たなきゃ。まぁちょっと、眠れなかったり逆上(のぼ)せたりの作用に悩まされたが」

「…………」

「結果、ほぼ全てが文敵通りの薬草だった。それできちんとまとめて誰が見ても分かる資料にする事にしたんだ。私が文敵の古い文字を解読して書き起こし、彼女がそれを清書する。そんなこんなとしている内に、騒がしい噂が立ってしまった」

 

 ・・そうか……

 岩山の上で、シドは脱力した。

 ホッとはしたのだが、胸に渦巻くこのモヤモヤは何だろう……

 

「でもねぇ、シド教官。私はこの噂を否定するつもりはないのですよ」

 スオウは、立ち上がって砂を払った。

「何故ならどうやら本当に、私は彼女に激しく惹かれているのです。女性にこんな気持ちになったのは初めてだ」

 

「ぇぇ……」

 何故それを僕に聞かせる? そこまで言うのなら勝手に頑張ればいいじゃないか。

 皆に愛されている純情天使スオウが懇願するのなら、元老院だって里人達だって、どうせ手の平を返して応援し始めるだろうよ。こちらの気苦労などまるで無かったかのように。

 

 そんな風に考えてもう帰りたがっているシドに、スオウは近付いて、いきなり手首を掴んだ。

 ――!?

 何も言う間も無く、持ち上げた手の甲に、自分の拳の甲を合わせる。これは砂漠地方に古くから伝わる、ある一つの意思表示だ。

 ――えっ、えっ、えっ??

 

「決闘を申し込む、シド教官」

 

 色男は上着を脱ぎ捨て、筋骨隆々の上半身で両拳を構えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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蜃気楼・Ⅳ

  

 

 

 ――な、なんで――っっ!!??

 

 疑問を声に出す暇も無く、太い筋肉から繰り出される玄翁(げんのう)のような拳が飛んで来た。寸でで避けて後退したが、スオウは攻撃の手を緩めない。

 冗談じゃない、身体の造りが違うんだ、あんなの当たったら痛いじゃ済まないだろ。

 

「突然で驚くのは分かる。だけれどこれしかないと思ったのだ。エノシラの心が君にある限り」

 ――はぁ??

「だからどうか正々堂々、私に打ちのめされてくれ」

 ――い、嫌だっ!!

 

 何でこんな目に遭わなきゃいけない? とにかく何をしてでも相手に止まって貰わなけりゃ。

 シドは地べたに転がり、地面を叩いて術を発動させた。

 

 ――舞い上がれ!

 

 砂煙が上方目がけて吹き上がる。

 うっ、と相手が怯んだ隙に、煙幕に紛れて距離を取る。

 

 もうもうと上がった砂が落ちて視界が開くと、スオウが顔の砂を払いながら憮然と立っていた。

「き、君の決闘には術も含まれるのか? 拳(こぶし)のみにしてくれ、不公平だろう」

 

「子供時代に潤沢な栄養を得られる家で育ったから、今そんな恵まれた体格をしているんだろ? それで不公平?」

「…………」

 

「こちとら、そういうのをリカバリーする為に、血反吐を吐く思いで術を習得したんだ。勿論決闘に使ったりはしないが、貴方が不公平だなどと口にするとカチンと来る。何でも持っている癖に」

 言い過ぎかとも思ったが、いきなり理不尽に殴り掛かられたんだ。いつも溜めている事くらいは吐き出させて貰う。

 

「何でもは……持っていない。子供時代は、君達が羨ましかった」

「??」

「蒼の里の大長様や駐在員達に可愛がって貰えて、いつもいつも一緒に行動して」

「え……それは、厩番で、あのヒト達の馬の世話をしていた延長で……」

 

「留学にまで連れて行って貰えたじゃないか。私には手も届かない事だった。私の実家の立ち位置を思うと、とても自分から行きたいなんて言い出せなかった。何物にも縛られない君達がどれだけ羨ましかった事か」

「…………」

 

「それでも、今は西風の未来を担う子供たちの為に共に働く身だ。尊敬を持って仲良くやって行こうと思っていたのに、生まれて初めて心惹かれた女性まで持って行かれるなんて、あんまりだ、あんまりじゃないか!」

「いや待て、そこが分からない」

 シドは一生懸命頭を働かせた。そんな場面あったか? 自分はエノシラとほとんど関わっていなかったぞ。

 

「壁の向こうで聞いてしまったのだ。厩係の少年がエノシラに、『教官のお嫁さんになるのか?』と聞いて、彼女は『約束している』と答えていた」

 ――???

 

「約束している教官とは誰だ? あの少年が教官と呼ぶ者は限られている。その瞬間、君の顔が浮かんだ」

 ――ええっ それだけっ!?

 

「彼女が里へ来たその日に木から落ちたのを助けたと聞いた。初めて会った時も一緒に居たよな。そりゃそうだ、彼女の大好きなルウシェル様の側近、信頼出来る仲間。私が彼女と過ごした時間よりも遥かに長く一緒に居たんだろうな。ずるいじゃないか、あああ悔しい」

 ――いやあんたのせいでそんな暇なかっただろが!

 

(*ここまでスオウがほとんど切れ間無しでまくしたてたので、シドは心で突っ込みを入れるのみで喋らせて貰えなかった)

 

「だからだから、私に残された手段は、君を決闘で降(くだ)して、彼女に申し込む権利を剥奪するしかないのだ!」

 色恋にトチ狂った筋肉ダルマは、再び聞く耳閉じて突進して来た。

 

「だあぁ――っ、もぉお、めんどいっっ!」

 シドは素早く身を沈ませて相手の懐に潜り、下からバネを効かせた拳を突き上げた。

 グフッと喉をならして色男はのけぞり、意外な顔でシドを見る。

 

「蒼の里では剣と術ばっかだったけど、野良試合(ストリート)の方は『漆黒の暴走バイソン』に散々仕込まれてんだわ」

 

「ハトゥン殿か、成る程。ではこちらも手加減せずともよいね」

 

「だからその上から目線が大っ嫌いなんだってぇの! ・・ガッ」

 

「心の奥底で見下しているのは君だってそうだろう! ・・ギッ」

 

「あんたが、空気、読まない、からだ! ・・グゥッ」

 

「何もして、いないのに、理不尽に、嫌われる者の身にも、なれ! ・・ゲフッ」

 

 

「やめろ――――!!!」

 

 馬から飛び降りて叫ぶのは、オレンジの瞳の長娘。

「エノシラは婚約者がいるんだぞ! 蒼の里のサォ教官!」

 

 同時に他所に意識が行った二人だが、繰り出した拳は止まらず、呆けたままのお互いの顔面にクリーンヒットした。

 

 

 

   ***

 

   

 ・・・

   ・・・・・   

 

 

 ……何だっけ? 

 ……ああ、そうだ

 ……色男と殴り合って……

 

 ……エノシラ、婚約者がいたんじゃないか…………

 ……気の毒にな、スオウ教官……

 

 

 ……しかし、この心地よさは何なのかな

 ……ふわふわして、柔らかくて………………

 

 ――!!!

 

 シドの意識が呼び戻された。

 目を開けると、目の前にふわふわ。薬の青臭い匂い。

 

「ああ、良かった、目を開けた。ルウ、シドさん目を覚ましたわよ」

 目の前をお下げの毛先が横切る。ふわりと広がる甘蔓(あまかずら)の香り。

 ああ、何となくジャレ付きたくなる気持ちが分かった。

 

 天井が見える。長様宅の見慣れた広間。どうやらあそこの長椅子に寝かされているらしい。

 身を動かそうとしたら、身体中に激痛が走った。殴られた所以外も痛いんだけれど、何で?

 

「急に動かないで。今、腫れ止めを塗っているから」

 ふわふわは、彼女の柔らかい白い指だった。気持ちが良すぎる、何だこの指は、淫術か?

 

「シド、気が付いたか? 頭どうだ、ハッキリしてるか?」

 視界に入ったオレンジの瞳のルウシェルは、心配と呆れが入り混じった顔をしている。

「位置が悪かった。シド、斜面の下側に居たろ。相打ちが決まって吹っ飛んだ後、下まで転がり落ちたんだ」

「…………」

「スオウはその場に倒れただけだから無事だった。まぁボコボコだったけれど」

 

「……すみません」

 切れた口で謝るシドに、ルウシェルは鼻から息を吐いて答えた。

「しようがない、申し込まれた決闘は受けなきゃならない。っても、西風ではあんまりやる者はいなかったんだがな。スオウ教官が言い出したってのが、驚きだった……ああ、まだあちら側からの話しか聞いていないのだが」

 

「多分、あのヒトの言った通りですよ。嘘を言うヒトじゃありません」

「そうか、まあ……助かる。元老院が、『スオウ殿はお優しいから相手を庇っておられる』なんて騒ぎ出していたからな。これからちょっと行って来る」

 

「呼び出されているのですか?」

「ああ、まぁ」

「僕も行きます」

 

 起き上がろうとしてシドは、再びの全身の痛みに悲鳴を上げた。

 

「無理をするな、こちらは大丈夫だ、寝ていろ。エノシラ、後は頼む」

「ええ、あの、私も行って証言した方がいいのでは?」

「必要になったら呼びに来る。今はシドの介抱を頼む」

「分かったわ」

 

 ルウシェルはマントを羽織って出て行き、エノシラは気まずい空気を埋めるように、てきぱきと手を動かし始めた。

 

「手足の指を一本づつ意識して動かしてみて下さい。特別に痛む所はありますか?」

「え? ん――ん、骨的な部分は大丈夫そう。肋骨はどうだろ……ウァッチチチ」

 

「ちょっと待って」

 三つ編み娘は、掛布をめくって、シドの上衣をドバっとはだけた。

「うわっ、いいよ」

「私は医療師の助手もしていました。貴方の胸毛ぐらいどうって事ありません。じっとして……ここですか?」

 

「うん……」

 胸毛とかピンポイントで言われる方が恥ずかしいんだが。

 しかし何だろう、さっきもそうだったけれど、このヒトの柔らかい指で触られると、痛いのに痛くならないんだよな。

 

 また三つ編みが、催眠術のように目の前で揺れる。

 薬草の逆上(のぼ)せる匂いも相まって、シドはまたウトウトして来た。

 本当に淫術の類いかもしれないな。まぁいいや、今は助かる、こういう魔法も。

 

――すみませんでした、私が不用意な行動を取ったばかりに

(いやいいんだ、ユゥジーンや君に気を使わせなきゃならない自分達が悪い)

 

――でも聞いてビックリしました。この土地では、女性を決闘で得る習慣があるのですね

(野蛮だと思うかい? 君ら上品な北の部族から見たら考えられない事だろうけれど)

 

――ビックリしたけれど……何だろうな、思っていたのと違う。何でわざわざ怪我するのとか、医療に携わる身としては腹も立つけれど、いざ自分を得る為に殿方が殴り合ったなんて聞いたら

(まぁ、スオウ教官の勘違いに巻き込まれただけなんだけれどね)

 

――ドキドキする物なんですね。胸がキュッと引き締まるっていうか。この文化の根底に流れるモノに触れたっていうか

(おいおい……)

 

――もぉ、一人で喋らせないで、相槌ぐらい打って下さいよ……  あ、寝てる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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蜃気楼・Ⅴ

砂漠の閑話、最終話です

次回より本編



  

 

 

 ガタガタと無遠慮な騒音に、トロトロしていたシドは起こされた。

 何だよ、せっかく物凄く良い夢見ていたのに(内容は忘れたけれど)、また痛みに逆戻りだ。

 

「戻ったぞ、エノシラ。シドはどうだ?」

 ルウシェルがマントを外しながら入って来る。心なしか、出た時よりも表情が明るい。

 

 エノシラが答える前にシドが、「問題ありません」と声を出した。

「どうでしたか? やっぱり僕が行った方が」

 

 身体を起こそうとモゾモゾするシドの傍らに、モエギは緩く結んだ布包みを置いた。

「スオウ教官からだ」

「??」

 包みの隙間から黄緑の尖った葉が覗いている。

 

「あ、シロヤナギ」

 エノシラが手を伸ばして結び目を解く。青臭い匂いと共に、色んな形の草や実が膨らんだ。

「ケシにニワトコ、ダチュラ、クラトム、ジギタリス……鎮痛作用のある薬草ばかりだわ、シドさん」

 

「へえ……」

 シドが草の一枚に手を伸ばしかけると、エノシラはサッと包みごと枕元から取り上げた。

「痛み止めの中には、使い方を違えると大変な劇薬になる毒草もあるのです」

「えっ」

 

 ルウシェルも慌てた感じで覗き込んで来た。

「どれだ? 里の者に注意を促さねば」

 

「そういう特殊な物が生えているのは大僧正様のお庭だけでした。スオウさんと一緒に里内を捜索したけれど、他では見られなかったです。大僧正家のご先祖様は、希少な薬草を取り寄せては庭で育てて、子孫に残して下さったのですね」

 

 先程から玄関でガタガタやっていた物音が、一旦止んだ。次に、ワラワラと幾人かの動く気配と、廊下を歩いて来る一人の足音。

 

「輿(こし)のまま入っても良いと言ったのだがな。やはり玄関は通れなかったか」

 ルウシェルが涼しげな目で部屋の入り口を見やる。

 扉を潜って入って来たのは、多少台無しになった色男。でもまぁシドよりは大分マシだ。しかし注目されるのはそこではなく、背におぶった人物。

 

「だ、大僧正様・・!」

 シドは必死で身を起こした。寝転がっていたら何を言われるか分からない。

 

「ああ、横になっていて下さい、シド教官。祖父が無理やり来たがったのですから」

 スオウが申し訳なさそうに、わら半紙を丸めたような老人を、ルウシェルの勧めた椅子に下ろそうとした。

 

「よい、このまま下ろすのじゃ」

 老人は、数週前に自宅ベッドで会った時と、声の調子が変わっていた。

 下ろされた彼は、支えようとするスオウの手を離れて、プルプル震えながらも一人で立った。

「エノシラ殿ぉ・・」

 

(ええっ!?)

 驚愕するシド。

 困った顔のスオウ。

 こめかみをポリポリ掻くルウシェル。

 

「おじいちゃん、無理しちゃダメよ!」

 エノシラの言葉に、もう一度顎が外れるシド。

 

「何の何の、見てみなされ、このように歩けるようになったぞい」

 老人は小刻みに震えながらも一歩づつ足を進め、後ろを心配そうに着いて来るスオウの手を最後まで借りずに、エノシラの所まで歩ききった。

「どうじゃ、もうそなたに弱虫だの腰抜けだの言わせんぞ」

「うん、凄いわ、おじいちゃん!」

 固まるシドを尻目に、お下げ娘はおじいちゃんの肩を抱いて支え、何か知らんが感動的な場面になっている。

 

「あ――・・ エノシラは、庭に来る度に、祖父のマッサージもやってくれていたんだ。あと、庭に生えていた薬草と文敵を見て、西風の妖精の身体に合った薬を調合してくれた」

 スオウの申し訳無さそうな解説が、シドの耳を左から右に通り抜ける。

 

「シド、エノシラを責めてはダメだぞ。私らが驚かし過ぎたんだ。エノシラが具合の悪い病人を放って置ける訳ないって、私も知っていた筈なのに」

 ルウシェルの言葉も、シドの胸を虚しく吹き抜ける。

 自分は…………何をやっていたのだろう‥‥…

 

「ごめんなさい、シドさん。でも目の前に強張(こわば)っている手足があって、何故だれもあれに触れてほぐしてあげようとしないのだろうと。そう考えて、正直、西風の里全体がちょっと怖くなってしまったのです」

 エノシラの言葉は、身体の痛みよりも心の芯にズンと響いた。

 自分も子供の頃、彼女みたいに無垢に周囲の役に立ちたかった筈なのに。

 いつからこんな、がんじがらめになってしまっていたのだろう。

 まるで、歩いても歩いても辿り着けない砂漠の蜃気楼に拘るように。

 

 

 

   ***

 

 

 

 元老院の聴取の場に、輿(こし)に乗った大僧正がいきなり現れたのに、老人達もビックリ仰天したらしい。

 どうやら彼の動けない隙に、これ幸いと好き勝手やっていた輩も存在したようで。

 

「エノシラ嬢は、昔の蒼の里の常駐者に負けず劣らず、西風の為に働いてくれておる。儂の身体をこのように癒してくれたばかりか、我が孫と協力して素晴らしき先人の知恵を掘り起こしてくれたのじゃ。そのような賢女に我が孫が惹かれるのは至極当然。むしろ慧眼と褒めてやりたい。何ぞ口挟みをしたい者はおるか?」

 

 査問に呼び出されていたルウシェルは、ほぼ何も問われる事なく終了した。

 厩係の少年の証言で、厩の前での質問に対するそれぞれの誤解も解けた。

 そもそもエノシラは、スオウもシドも『教官』だという認識がなかった。彼女にとっての『教官』はサォ教官で、蒼の里に婚約者がいる話をどこかから聞いたんだろうぐらいに思っていたのだ。

 

 

 ***

 

 

 夕刻の西日が細い窓から入る。

 昔の宿屋跡の最奥の部屋、いまだ夢うつつに横たわるモエギ長のベッド横。

 椅子に腰かけたシドは、彼女の手首をそっと握って、指の付け根を一本づつ丁寧に圧している。エノシラに教わったのだ。

 

 

「マッサージとかツボ圧しとか、いろいろな理屈はあるんですけれど…… 結局の所ヒトの手からエネルギーを送る事が一番の効能ではないかと思うんですよ」

「エネルギー? 術の一種なのか?」

「さぁ、私は術力って奴がほぼ無くて…… 馬を低く飛ばせる程度? ……術とはまた違うと思います。心のエネルギーっていうか。まぁそれがいわゆる『手当て』です」

「ふうん……」

 

 言っている事はふわふわしているが、この女性の指がえもいえぬ力を持っている事は確信している。それは……本当に、心を込めていれば、誰にでも出来る事なのだろうか。

 

 

 窓の外で、子供が駆けて行く賑やかな声が聞こえる。エノシラの見送りに、相当の里人が集っている事だろう。

 短い滞在期間にお産の世話をする機会もあり(本業が助産師なんて知らなかった、まあこれはお互い様か)、本当に沢山の友達を作ってしまった。

 制作途上の薬草の調合資料は、スオウが必ず完成させると胸を叩いている。シドも古文書の解析等を協力し、大僧正の庭に出入りをする内に、あの側近の老人や、元老院の一部の者と、少しずつ雑談などもするようになった。

 

「シドは見送りに行かなくていいのか?」

 さっき出て行きがけにルウシェルが声を掛けたが、モエギ様と一緒にここで見送りますと言って彼は残った。

 この家にモエギだけ残してルウシェルが出掛けてしまう事はままあるのだが、今日みたいに里が浮かれている時にこのヒトを独りにする事が、シドは何だか嫌だった。

 

 馬繋ぎ場の方で歓声が上がった。

 エノシラが、ルウシェルの馬の後ろに乗せられて飛び立ったのだ。

 粕鹿毛で三日月湖の手前まで送り、その後ナーガと引き継ぐと、鷹の手紙で打ち合わせている。

(ナーガ様は、忙しくて西風や元老院にかまける暇がないのではない。ユゥジーンやエノシラの作った空気を、自分の登場で壊してしまわないようにしているんだ。昔、大長様が、駐在員達のそれぞれに任せて尊重していたように)

 

 シドは立って窓に寄り、夕空の馬上にたなびく三つ編みが小さくなって行くのを眺めた。

「僕も触ってみたかったな」

 

「何にだ?」

 

 仰天して振り向いたベッドの上で、ほんわり開いたオレンジの瞳が見つめている。

 

「今、いつだ? 朝、夕方? とにかく喉がカラカラだ」

 

「モ、モ・・モエギさまぁ・・・・」

 

「なんだ、子供の頃みたいな声を出して。ちゃんと食ってるのか?」

 

 シドはもう何も言えなくてベッドに突っ伏し、モエギの手は昔みたいに当たり前に彼の頭に乗っていた。

 

 

 

 

 

 

 

     ~蜃気楼・了~

 

 

       ~砂漠の閑話・了~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回から、本編 六連星Ⅳ 


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六連星・Ⅳ
鼓動・Ⅰ


本編・Ⅳの章、スタート


 

    

 

 

 草原の北西、雪と氷の峰が連なる、深い深い山岳地帯。

 

 一際高くそびえる峰は、この星でもっとも空に近い地面。

 その山の、頂上直下の山腹に、信じられない事にヒトの手による建造物がある。

 見上げるような氷柱のそそり立つ神殿で、山を堀り抜いて奥深く設えられている。

 いつどのようにして造られたかは誰も知らない。

 

 神殿の前庭は大きな棚になっていて、昼の明るい季節なら、遠くの海まで見渡せる。

 今宵は、霧に朧(おぼろ)の三日月が、棚端に佇む一人を照らすのみ。

 

 白いヴェールに雪を散らせた、冬空色の女性。

 霜の降りた睫毛を瞬(しばた)かせながら、其処に積まれた氷のケルンに、新たな一片を積み重ねる。

 

 気配に女性は振り向いた。

 建物の方、玄関エントランスの階段前、ヒトの背丈程の高さに、異空間の窓が開いている。

 窓から覗くは緋色の羽根の少年。女性と同じ色の瞳で、じっと此方(こちら)を見ている。

 

 女性は雪を払って、そちらへ歩く。

「久しぶりですね、今日はリリは一緒ではないの?」

 

 少年は左右を見て首を傾ける。

 彼と共にいる小さな女の子は、散歩に出歩いて、居ない事が多い。

 

「今日はこちらは少し暖かいの。そちらはどうかしら」

 すぐそこに居るのに少年の髪も衣服も水中のように揺らめいて、別世界に居るのだと思い知らされる。

 少年は硬い表情のまま後退り、窓枠の奥へと姿を消した。

 ……と思うと、今の窓が消えて、階段の上に新たに波紋と共に窓が現れ、羽根の後ろ姿が通過する。

 

 そうして何回か消えて現れ通過して、波紋を残しながら神殿の奥へと向かう。

 女性も後に続いた。

 

 玄関ホールから奥に向かって真っ直ぐに伸びる廊下。廊下の入り口から先は分厚い氷がビッシリ詰まり、何人たりとも立ち入れない。

 窓の向こうの少年はそちらをチラと見てから、女性を振り向いた。

 

「ああ、また……力を増したのですね」

 女性は細い手を挙げて術を唱える。

 緩みかけていた氷はミシミシと白い筋を伸ばし、固く凍結した。

「教えてくれてありがとう、シンリィや」

 

 

 

    ***

 

 

 

「うぃ――い、帰って来たあぁ!」

 

 懐かしい草木(そうもく)香る草原地帯の空気を、フウヤは胸一杯に吸い込んだ。

「砂漠の風紋も綺麗だったけれど、やっぱり山の匂いを嗅ぐとホッとするよね、ヤン……ヤン?」

 

 振り返ると、黒髪の相棒は地面にしゃがみ込み、集めかけの柴を地面に落として、両腕で頭を抱えている。

 

「ヤン! どしたの、具合悪いの!?」

 慌てて引き返して覗き込む白い髪の少年に、ヤンは低く呻いた。

 

「……ちっくしょおぉ……」

 

「え?」

 

「ぜんっぜん脈ナシだったんじゃないかぁ……」

「ええっ!? 今、そこっ?」

「すぐ側に意中の相手がいたとか、普通ある? 反則だよ、反則ぅ」

「ヤン……」

 

 平気そうな素振りだったから大丈夫と思っていたけれど、そういえばヤンっていきなりスイッチ入るんだった。

 フウヤは屈んで、相棒の背中をポンポンと叩いた。

(まったく脈ナシでもなかったと思う……なんて言ったら、余計に傷口抉(えぐ)るかな?)

 

 

 不意に地面を影が覆った。

 ギクリとして見上げると、空が波紋を広げて、緩く渦を巻き始めている。

 

「えっ、嘘っ」

「お、落ち込んでません、何も落ち込んでません――!」

「いいから逃げるよ!」

 

 

 わざと波紋に飛び込んで西風の里までの距離を縮めた話を大長さんにすると、冗談のヒトカケラも差し挟まない形相で激しく怒られた。

 飛び出した所が安全とは限らない、水中や高空に放り出されたらどうする、流砂も肉食獣の巣もあるんだぞと。

 言われてみれば、確かに運が良かっただけなんだ。知らないって恐ろしいな。

 

 

 二人が慌てて馬に飛び乗ると、上空を光の筋が過った。

 草の馬に跨がったユゥジーン。

 

「引き付けて置くから、とにかく離れて!」

「あ、ありがとう!」

 

 二人は必死に馬を駆って、その間にヤンは一所懸命頭の中を空にしようとした。

 まったく、落ち込む事も許してくれないのかよ。

 

「ヤン、ヤン!」

「何、フウヤ」

 

「族長さんちのさ、末の女の子知ってる?」

「何今その話要るっ?」

「あの子がさっ、次の祭りでヤンに誘われたいって」

「…………」

 

「ちょ、ちょっとは気分上がった?」

「あの子まだ四つじゃないかあ――!」

 

 

 二人がヘロヘロになって藪に隠れていると、やはりヘロヘロのユゥジーンが降りて来た。

 

「人里離れた遠くまで連れてって巻いて来たから」

「サ、サンキュ」

「また落ち込んでる誰かを見付けて狙いに行くのかな」

 

「一旦引っ込んで全然別の所に現れるか、そういうのが集まって大きいのになるか、分からない。とにかくシンリィが来ないと消滅はさせられないから」

 

「でも波紋がどんどん生まれるんじゃ、イタチごっこだよね」

「うん……」

 

 西風に滞在していたユゥジーンだが、交代要員が来たので蒼の里へ帰る所だという。

 せっかく会えたのにそんな会話で、三人とも沈んでしまった。

 三峰の二人にはどうしようもない事だし、ユゥジーンだって自分の知っている範囲で出来る事は限られている。

 

「そのさ、波紋を生み出す大元の悪い奴を、退治しに行きゃいいじゃん」

 フウヤの言葉に、ユゥジーンは喉を詰まらせた。

 その悪い奴が蒼の一族の縁者だという事は、さすがに伝えていない。でもこの二人に隠し事を持たなきゃならないのは、彼にはとても憂鬱な事だった。

 

「悪い奴の居場所は見当付かないの? 風が情報を持って来てくれるとかないの?」

 ヤンがまた微妙な所を突いて来る。

 

「さあ・・そういうのは、蒼の里じゃなくて、山にある風の神殿だし・・」

 

「何それ!?」

 フウヤが興味深く反応する。

 

「『風出流山(かぜいずるやま)』って霊峰に、風の神様の神殿があってね。世界中の風が集まって来るんだって。ナーガ様の母君が守り人をやってる。長になって忙しくなる前はナーガ様、ちょくちょく訪ねて相談に乗って貰っていたらしい」

 

「へええっ、それは聞いた事がないや」

「参拝出来るのかな、行ってみたいな」

 

「いやいや、トンでもなく高い山にあるから。俺も行った事ないし、並みの草の馬じゃ飛べないような場所らしいよ。今の蒼の里でそこまで飛べるのは、ナーガ様ぐらいだって話」

「ほぉ~~」 

 

 二人の興味はそちらに落ち着いてくれ、ユゥジーンはその隙に手綱を握った。

 

「じゃ、俺は行くね。二人も道中気を付けて」

 

「あ、うん…… ・・ねえ!」

 沈んだ顔のまま馬に跨がるユゥジーンに、フウヤが声を掛けた。

「神サマっていうとね、三峰の山の神サマのお祭りがあるんだ、秋に。それまでに波紋の問題を片付けてさ、遊びにおいでよ。お客さんOKだから」

「祭り? いいな」

 

「御馳走が並ぶ。広場を飾り付けて。女の子達が凄いスカートで踊る。美人が多い、それなりに」

「へえーー」

「紹介してあげるよ、僕、顔が利くんだ」

「またまた」

 

「本当だよ、フウヤは女子ウケがいいんだ」

 ヤンも話に乗って来た。

「猫っ可愛がられ体質っていうの。触ると嫌がるから余計に触りに来る」

 

「僕は猫じゃない!」

 

「あはははは」

 

 ユゥジーンは笑顔のまま風に乗った。

 

 うん、本当に遊びに行こう。

 空の波紋の問題を頑張って片付けて、一度まとまった休みを取ろう。それくらいは許して貰えるだろう。

 ヤンとフウヤの家に止めてくれるかな。あの二人とバカみたいな男子トークを一晩中やってみたい。

 頭の中にカラフルなスカートをクルクル回らせながら、ユゥジーンは帰途に付いた。

 

 遠くの山には黒い雲が掛かっている。

 その中に僅かに水の波紋が揺れた。

 

 

 

    ***

 

 

 

 空に幾重もの波紋が広がり、青銀の髪の妖精が、落ちて来る波紋の渦を鋭く見据える。

 錫杖(しゃくじょう)を構えて緑の槍を創り出すのにも、すっかり慣れた。

 放たれた槍は渦を蹴散らし、一瞬見えた向こうの世界では、紫の前髪の女の子がニンマリ笑って手を振っていた。

 

 

 大長とソラの二人が根城にしている洞窟。

 ソラが火を焚いて待っていると、大長が雨粒を払いながら入って来た。

 最近は別行動で波紋退治に出るようになっている。それだけ波紋の出現頻度が増えているのだ。

 

「あの、大長様、そろそろ聞いてもいいですか」 

 

「はい」

 大長は静かに改まって、ソラに向いて座り直した。

 

「この空の波紋は誰が何の目的で作り出しているのか、何処からどうやって燃料を流し込んでいるのか……そういう事とか、あと、大元を叩きに行く事は可能なのか、可能だとしたら何故すぐに行かないのかとか……」

 

「ああ、はい」

 聞かれるのは予測していただろうが、大長は少し止まって考え込んだ。何から話し始めればいいのかと迷っている風だ。

 

「……・・あぁ―― あの、やっぱりいいです。今まで言わなかったのには理由があるんでしょうし、話せる時になったら話して下されば。僕は何があっても大長様を信頼していますし」

 

 いえ、と言って大長は、遠回りですみませんが我慢して付き合ってくださいね、と前置きして話し始めた。

 

「幼子(おさなご)が、大人に相手にして貰いたいのに振り向いて貰えない時、どうしますか?」

 

 え、本当に遠回りだな・・と戸惑ったが、ソラは真面目に考えて答えた。

「泣いて騒ぎます」

 

「その声が相手に届かないと分かったら?」

 

「んと……物を投げるとか、後は、何かを壊して気を引こうとしたり」

 

「それです」

 

「は?」

 

「波紋の渦を作る理由と目的。まぁ、さすがにそれだけではないとは思いますが、根底にあるのは、多分それです」

 

「ぇぇ・・・・」

 

「でも、そういう気持ちを相手に気取られたくない、優位に立っていたい、悪さをして困らせて、相手を下手(したて)に降(くだ)らせて、機嫌伺いの言葉を貰いたい……大体そんな所です」

 

「……あの、何だか、それって……」

 

「はい」

 

「西風の元老院を思い出しちゃったんですが」

 

「はい、まさに。西風にとっての元老院みたいな存在が、蒼の里にも在るのですよ。とてもとても厄介な形で」

 

「・・・・・・」

 

 ソラにとっては、この上なく分かり味深かった。

 結局具体的な事は聞けず終いだが、それよりも深い所をザクリと打ち明けてくれたのだと思えた。

 だから、「それは心中お察しします」と素直に話を閉じて、練習しかけの呪文の詠唱法に話題を移した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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鼓動・Ⅱ

 

 

 

 

 木々に秋の色が付く前に、ヤンとフウヤは三峰の麓、壱ヶ原の街まで辿り着いた。

 山の尾根を突っ切る近道や、情報で得たショートカット方を駆使して、最短で歩き通したのだ。

 ここまで来れば、夜には三峰に帰り着ける。族長の許しを得ずに勝手に飛び出したのだから、せめて出来得る限り早く帰る事で誠意を示したい。

 

 だがヤンは、壱ヶ原の投函箱だけはチェックして行きたいと希望した。その点はフウヤも賛成だった。

 投函箱を通して、ヤンは様々な者達と手紙のやり取りをしている。商人や発掘職人等の旅を生業とする者、その伝手伝手(つてづて)で知り合った辺境に住む者等、自分より遥かに見分の深い大人達から、彼は知識を得ている。

 今回の旅、ここに来るまでに通過した村や人里で、二人は今までと違った違和感を感じている。波紋の影響なのか、ただの思い過ごしなのか? 文通相手達の見解を知りたい。

 

 しかし街の入り口で、二人は止まって顔を見合わせた。

 間違いなく、何かが違う。

 見知った風景なのに、全然別の街みたいだ。

 行き交う人々の顔に活気がなく、忙しくはしているのだが、余裕なく眉間にシワを寄せている。

 冗談交じりの値切りの声や、威勢のいい口上も聞こえない。

 

 居心地の悪さを感じながら、いつもの壁地図の休憩所に行って、二人は愕然と口を開いた。

「ゲ、ゲート?」

 

 元々は誰でも自由に休める休憩所で、飯屋位の広さに大きな間口があるだけの簡素な建物だったのが、今は入り口にガッツリ扉が付いて塞がれている。

 四角い穴だけだった大窓も、格子で目隠しされている。

「な、何でこんな事に?」

 

 

「休憩所を丸ごと借りきって、店舗にしちまった奴がいたのさ」

 顔見知りの毛皮商の店主が教えてくれた。

 

 休憩所は街の商工会の物だが、ヤンは話を付けて、壁だけを無償で借りていた。

 壁地図が皆の役に立って喜ばれたので、商工会もむしろ応援してくれていた。

 が、休憩所その物を高額で貸りたいという者が現れたら、そちらを取るだろう。

 皆が座って休むだけの場所なら、広場や酒場などがあるから問題にはならない。

 

 借り主は、休憩所内で茶屋を営み、地図や情報の掲示のルールはそのままに、茶屋の客にしか見られないシステムにしてしまった。

「しかもその茶の値段がバカ高い。明らかに情報を得たい客の足元を見ている。当てにして来た初見の旅人は、嫌々ながらも代金を払って入場している」

 

 『ここの情報は金になる』

 気付いていなかった訳じゃないが、誰もやろうとはしなかった事。

 

 茶屋を始めたのは、あの革腕輪を持って来た雑貨商人だという。

 今まで無償で情報をくれていた旅人達に、茶を無料にするという『特典』を与えて契約し、あちこちの街で同じような店を開いているとの事。

 確かに定石に捕らわれず、商売になりそうな物は何でも取り込む目敏いヒトではあった。

 でも…………

 

 毛皮商の男性は肩を竦めて小声になる。

「ヤン、儂はお前が善意で始めた事だと知っておるが、中には、お前が要らぬ事を始めたせいで休憩所が使えなくなったと揶揄する者もいる。耳にしても気にするんじゃないぞ。分かってくれている者の方が多いからな」

 店主は気の毒そうな顔をして、茫然と項垂(うなだ)れる少年の肩を叩いてくれた。

 

 二人が商工会に顔を出すと、目を背けて面倒そうに席を立つ者と、親身に説明をしてくれようとする者と、半々だった。

 説明を受けても結果は同じ。

 対価を払って正式に借り受けた者の方が強い。

 事務員は申し訳なさそうに、掲示板の下から撤去されていた投函箱を渡してくれた。

 

 だが沈んでいたヤンの顔が、その時初めて輝いた。

「中身の手紙がそのままだ。よかった。大切に預かって頂いて、ありがとうございました」

 少年の明るい顔に、事務員はホッとして、しばらくなら手紙は個人的に預かって置いてあげるからまたおいでと、送り出してくれた。

 

「ヤン、壁地図、どうするの?」

 広場のベンチで手紙を広げるヤンに、フウヤが心配そうに聞く。

 

「どうもしないよ」

 一通り手紙を読み終えたヤンは、顔を上げて前をキッと見据えた。

「元々他人頼みの試みだったんだ。有料でも皆に役立つシステムが続いて行くのなら、誰がやったっていいんだ。本当に手放したくなかったのは、この手紙のやり取りをしている人脈、情報網。これだけは続けたいから、何か方法を考えるよ」

 

 既存の郵便機構はあるが、料金が高額な上、ヤンが今やりとりしている辺境の者等は集配範囲に入っていない。蒼の里だってそうだ。

 今現在、直接世界を行き来して、好意で手紙を運んでくれる旅人同士の絆が実は一番大切で、ヤンは掛け替えのない自分の財産だと思っている。

 

「やはり各地で波紋の被害が出ているんだ。皆の手紙で分かった。フウヤ、もうちょっとだけ待っていてくれる? 蒼の長さまへの手紙を書くから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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鼓動・Ⅲ

   

 

 

 

 北西の山岳地帯。

 

 朧の月の霧の中、白い頂の白い神殿。

 そう、ここは風出流山(かぜいずるやま)、風の神を祀る太古からの霊峰。

 この星を巡るすべての風が生まれ、還り来る場所。

 

 神殿奥の廊下の凍結を終えた女性は、足元から氷のカケラを一切れ拾い、玄関エントランスを通って外へ出た。

 朧月は先程よりは少し晴れ、ここで同じ月を幾星霜見続けた守り人のヴェールを、青く縁どる。

 

 

「母上」

 女性が振り向くと、群青の長い髪に雪を散らせた険しい顔の、彼女の息子が立っていた。

 ああ、もう蒼の長殿と呼ばねばならないが。

 

 彼がここを訪れるのは、長の襲名を報告に来て以来だ。

 北の草原を統治する蒼の長を引き継いだ彼、ナーガ・ラクシャは、母を気に掛けつつも疎遠にならざるを得ない、多忙な月日を送っていた。黒い災厄の後片付けで、眠る暇すら無かったのだ。

 だから、三年半振りに来るこの神殿の変わり果て様に、今、続きの言葉を失くしている。

 いつもなら、守り人の母の発する生命力が、神殿(ここ)を生き生きと保っていた。

 このようにあちこちひび割れて荒れた風体を晒すなど、あり得ない事だ。

 

「久し振りですね。随分夜更かしな訪問だこと」

 雪がこびりついて形を失くした彫刻の前で、女性は表情を動かさずに言う。

 

 夜中にしか来られなかったのは、個人的な忍びの訪問であるからだ。

 地上が混乱し始めている今、昼間の蒼の長に、自分の私事で動ける時間など無い。

 

「母上、貴女が守るこの神殿の、深奥に封じられたモノ。薄くは知らされておりましたが、一体今どうなっているのか、詳しくお話し頂かなくてはなりません」

 

 女性が、隈の出来た目を鋭くして硬い表情をしたが、息子は構わず続けた。

 

「敏い子供がおりましてね。空も飛べない術も使えない一介の山の民でありながら、空の波紋とこの場所の関連を突き止めた、恐ろしく分析力の高い子供です。手紙を開いた時、胆が冷えました。

 彼は特別かもしれませんが、この山がヒトの口端に上る日は遠くないでしょう。そうなる前に決着を付けてしまいたいのです」

 

「そうですか……」

 女性は、ローブの裾をひるがえして雪原の端まで歩いた。

 その先には、氷の破片を積んだケルンがあった。

 

「貴方への警告が遅れてしまったのは、私の所為です、すみませんでした。封印の奥の者が何故こんなに急に過分に力を増したのか、何処からあんなにエネルギーを得ているのか、分からないのです」

 手にしたカケラをそこに重ねながら、彼女は言う。

「彼なら分かったかもしれませんが」

 

 息子は眉間にシワを入れ、険しい表情になる。

「それは、『あいつ』の墓ですか?」

 

「カタチだけ…… 元々実体の無いような存在でしたから。ケルンは生きている者の拠り所です。元来お墓ってそういう物でしょう?」

 

 

・・『欲望の赤い狼』

 あいつと母の関係は、長の襲名の報告に来た時、ナーガはここで聞いた。

 神殿の事も祖先の所業も、異界で見聞きして教えてくれたのは、彼だという。

『味方ではありませんよ、気紛れに教えてくれるだけです。欲望から外れたら彼は消えてしまいますから』

 

 そうは聞いても、ナーガは受け入れがたかった。

 幼い頃から狼に付き纏われて大嫌いだった。あいつだけは受け入れられないという思いがある。

 三年半も足が遠退いた遠因だったかもしれない。

 

 

「矜持から外れ過ぎたのでしょうか、だんだんに力を失くして。シンリィがずっと寄り添ってくれていたけれど、ある時とうとう、狼だけが帰って来ませんでした」

 

 今重ねたカケラが、カラカラとケルンを滑り落ちる。

 

(己の寿命を悟った狼が、自分の後釜に据える為に、シンリィを連れ去った……それについては何とも思わないのですか)

 ナーガはぐっと呑み込んだ。言いたい事は山程あるけれど、今はこれからの事を話すのが先決だ。

 

 波紋のエネルギーの出所も分からないが、奥の者の目的が分からない。

 大長は、裏切者(蒼の一族)への自己顕示だと言っていた。しかし多分、それだけじゃない。

 こちらから相手に接触するには、神殿奥の氷を割らねばならない。

 すなわち封印を解く、相手方をまったくの自由にする。それは賭けだ、危険過ぎる。

 

 息子の心情を分かってか、母は先回りするように続けた。

「『羽根の護り』という言葉は知っていますね」

 

「え? はい、青年時代、文献で見たその言葉を口走った時、貴女に大層叱られました。先祖に伝わる禁忌の術ですよね」

「その術が原因で、先祖同士が袂を別った話は?」

「長を襲名した時、ノスリ殿に教わりました」

 

 

『羽根の護り』・・

 太古、風の民の祖先は、己を守護する羽根を持っていた。

 多大な術力を含み、疫病をも跳ね返す、まるで神になったかと勘違いしてしまうような羽根。

 生まれながらに持っているのではない。死にゆく祖先が、自らの意志で羽根になって子孫を守った。

 元々はそういう物だった。それだけの内は、理(ことわり)の範疇だった。

 

 誰かが発見した。羽根は奪える、複数持てる、持てる数だけ力を増せる。

 誰かが構築した。知識のない者を浚って羽根にする方法。

 

 当たり前のように争いが起こり、当たり前のように高貴な一族は泥に塗(まみ)れる。

 一言で語ってしまうには多分申し訳ない程の苦難の末だったろうが、良心の残った一団が、彼らを封印し、山を降りた。

 そうして馬(風の末裔)を得て、蒼の一族となる。

 

 

「草原の平穏が蒼の長への信仰を礎に成り立っているのなら、とても語り継げませんよね。今回の災厄が、目を覚ましたその祖先の所業だという事も」

 

 女性は屈んで氷の欠片を拾い、それをまたケルンに重ねた。

「祖先の目的は……多分、羽根の護りを、地上に知らしめる事だと思います」

 

「は? そんな事して、何が……自分達の、恥、でしょう?」

「それは恥ずかしいと思う心があれば、です。彼らにあると思いますか?」

「…………」

「自分は沢山持っているのですもの。それが羨ましがられて、崇められたら、楽しいでしょう?」

「いやまさか、幾ら何でもそんな」

「深い考えなんか無い、ここに居るのは、ただの妄執の塊ですから。子供みたいな」

 

 ケルンに載せた氷は他の氷も巻き込んで、ガラガラと崩してしまった。

 

「ナーガ、彼らにとってはただの児戯。でも蒼の一族にとっては……分かりますよね」

 

 ナーガは蒼白になって頷いた。

 

 

 

 

 

  

             ~鼓動・了~

 

 

 

 

 

    

 



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愁雨(しゅうう)・Ⅰ

   

  

 

 

 

「戻りました」

 執務室の御簾を跳ね上げて、ユゥジーンが快活に入って来た。

 砂漠から戻って一ヶ月と少し。季節はもうすっかり秋だ。

 

「降って来たか?」

 長椅子で雨衣の手入れをしていたメンバーの一人が、そのままの姿勢で聞いた。

 

「ええ、降ったり止んだりですね」

 この季節に雨は多いのだが、こんなに途切れなく連日降り続くのも珍しい。

 空気も気分も湿りがちになるが、こんな時こそ明るく振る舞うのが最年少の自分の役割だと、ユゥジーンは健気に心得ていた。

 何せ職務を放棄して勝手に西風に飛んだのを、全員の靴磨き程度の罰則で許して貰えたのだ。

 

 ただ、波紋の渦を利用して砂漠までの距離を縮めた所業は、やっぱりドチャクソ怒られた。

 ナーガ長が髪を逆立てるのを久し振りに見た。

 

「さぁて、報告書、報告書っと」

 

「お前はめげないな」

 大机のホルズが、いつもより濃密な報告書の束をチェックしながら、溜め息を吐く。

 

「まぁ、気にしなきゃいいんです」

「そうか……」

 

 執務室の仕事をこなす他のメンバーは、かなり神経をやられていた。

 ここ何日か、訪ねて行った部族で、皆もれなく、大なり小なりの理不尽な目に遭わされていた。

 それがキッパリした敵対心ならまだいいのだが、一見変わらぬ相手が、なだらかに話が通じなくなって行くのだ。

 良い関係を築けたと思っていたのに後戻り、何の成果も得られず帰る事もしばしばだ。

 そういう小さな徒労が重なって、メンバーの中に見えない疲れが蓄積されていた。

 

 それは蒼の里の執務室に限った事ではない。

 それまで親しく付き合っていた隣人が豹変したら、誰だって不安を抱くだろう。

 不安な空気が隣近所を包み、集落を包み、近隣の村にも伝播する。

 そうしてその地方の空全体が、不穏に波打ち始めるのだ。

 

 

「目に見える魔物や抗争の方がマシだな」

 雨衣の修理を終えたメンバーは、重そうな腰を上げて泊まりの任務に出掛けて行った。

 

 空の揺らぎの存在は、ユゥジーン以外のメンバーにも知る所となっている。

 ナーガ長が、波紋の特性と、見付けたら逃げろという事だけは伝えた。

 波紋の出所は言わない。

 

 もしも知ってしまったら、メンバーは、『信用されていない』と傷付くかもしれない。

(それでも背負わされるよりはマシなんだ)

 書き終えた報告書を提出して、ユゥジーンは静かに息を吐いた。

 

 誰も死傷していないし一見大きな変化は無い。

 それでもこれは穏やかな侵略だ。

 皆が欲を剥き出し、譲ることをやめ、独り占めをし、それを恥ずかしいと思わなくなる。

 色んなバランスが崩れ、水や食料は片寄り、弱い者が窮し始めている。

 

「ナーガ様は?」

「里奥の放牧場。結界を張り直している」

「また?」

「この里に波紋の侵入を許したら最後だからな」

「最後……」

 ホルズの言葉を、ユゥジーンは神妙に反芻した。

 

 

 雨足が強くなる中、ユゥジーンは雨衣を携えて放牧地への坂を下った。

 遠目に、空に向かって打ち上がる呪文の光跡が見える。

 それは里の上空で半球状に広がり、慧砂のように瞬いて闇に吸い込まれる。

 

 土手を登ると、雨にけぶる放牧場の中心に、呪文を結んでは空に送り出すナーガが立っていた。

 

「ナーガ様」

 ユゥジーンは土手を滑り降りて駆け寄り、雨衣をずぶ濡れの背中に被せた。

 

「ぁ、ああ、ユゥジーン」

 髪に雨垂れをしとどおらせたナーガが、ハッと我に帰って振り向いた。目の下に隈を作って、頬には窪んだ影が出来ている。

 

「雨衣をお持ちしました。どん冷えじゃないですか、倒れても知りませんよ」

「え? あぁ、いつの間にこんなに降っていたんだ」

「…………」

 

 二人土手を登って、執務室へ向かう。

 

 頭上には張ったばかりの結界が、薄く砂を撒いたように煌めいている。

 

「あの、俺、今日の任務、東の山岳方面だったんです」

「ん?」

「それで、風露(ふうろ)に寄ってみたんです。通り道だったから」

「…………」

 

「風露は波紋の被害は受けていないとの事です。関の番人の話によると、見掛ける事はあっても、風露の上空は通過して、降りて来る事はないって」

「ああ、そうだろうね。見事にストイックだもの、あの集落は」

 

「ただ……」

「どうしたの?」

「楽器の注文が途切れたと」

「・・!」

「注文があった分も、ほとんど反故(ほご)にされていると」

「…………」

 

 ナーガ長の奥方の住まう風露は、楽器造りの集団だ。

 収入源は楽器の売り上げのみで、食料や材料も楽器と交換で入手している。

 世の中の人心が荒れて真っ先に不要にされるのが、音楽や芸術等の、腹の膨れぬ物。

 それは仕方がない。風露は長い歴史の中で、そういう苦難は幾度か乗り越えて来た。

 

『だけれど今回は何か違う、言い様もなく不安なのです』

 昼間会った関の番人は、すぐれぬ顔色でぼやいていた。

 例え波紋の被害に遭わなくとも、不穏な空気はこうやって忍び寄り、ヒトの心を蝕む。

 

「ねえ、蒼の里から食料を回せませんか? 俺、自分が食べる分が減っても平気ですよ」

 少年らしい提案をするユゥジーンに、ナーガは落ち着いた口調で答えた。

「食料は備蓄があるから暫くはやって行けるだろう。ラゥ老師は柔軟な方だから、若い者を山に食料調達にやるかもしれない」

 

「でも、すぐに冬になります」

「ユゥジーン、窮しているのは風露だけじゃない」

「…………」

 

 ユゥジーンは口をつぐんだ。

 自分が言いたかったのは、そういう事じゃない。

 心細い思いをしている奥方の所に、顔のひとつも見せに行ってやれと言いたいのだ。

 

 関の番人に、しばらくナーガ長の訪問が無いのだがと、逆に尋ねられてしまった。

 確かに今、私事で動くのは難しいだろう。

 でも、こういう時こそ無理をしてでも会いに行ってあげなきゃ、相手は不安が募る一方なんじゃないの?     

 

 雨足が強くなった。

 二人は黙ってヒタヒタと、ぬかるんだ坂を登った。

 

 

 

   

 

 

 

 



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愁雨・Ⅱ

   

 

 

 

 『あっち側』の空間にだって雨は降る。

 地上みたいに満遍なく蕭々(しょうしょう)と降るのではなく、所々で固まって、滝のようにドシャアッと落ちて来る。

 落ちた水は地面を流れず、そのまま何処かへ通り抜けて行く。

 

「一体どういう仕組みなのかしら」

 白蓬(しろよもぎ)のお腹の下で、リリはシンリィと寝転がって、滝の流れを眺めていた。

 ここの所、朝から朝まで波紋の相手をしてヘトヘトだ。

 特にシンリィは疲れが激しい。破邪を使うのは外の世界には何人かいるのだが、こちらはこの子一人。

 最近リリが呪文を助ける術を会得したので、ちょっとだけ負担が減ったが、波紋の増え方の早さには追い付かない。

「あたしも早く破邪を使えるようになりたいなぁ」

 

 ウトウトしていたシンリィが、ピクリと動いて身を起こした。

 空気が流れて、何処かで波紋の大きいのが揺らぎ始めているのが、リリにも分かった。

 

「もぉ、やっと寝かせてあげられたのに」

 

 シンリィは、胸のピンクの石を握って目を閉じる。

 これで地上の、羽根や石板のカケラを持っているヒト達に伝わるらしい。

 

 

 

「あれ、じじさまと違う?」

 水底に開いた窓の向こうの地上に、髪の長いシルエットが見えたが、大長より線が細い。

 雨衣のフードから滴をしとどおらせて此方(こちら)を見上げるのは……

「父さま……」

 

 蒼の里のナーガ長は、既に抜刀して術を唱え始めている。

 今まさに雨雲の中から、黒い波の輪が禍々と出現した所だ。

 シンリィが指を組んで羽根を広げる。

 リリも慌てて呪文を唱えた。

 

 

 じじさま程の迫力はないけれど、真っ直ぐな光が正確に届き、波紋は誕生するや否や消滅した。

 父さまも、まあまあ凄いのね……

 

「??」

 そのナーガが、まだ閉じていない穴からこちらを見て手招きをしている。

 

「えぇ…… しんりぃ、どうしよう」

 振り向くと、もう羽根の子供は、白蓬のお腹の下に潜り込み、コロンと横になっている。

 まぁ疲れているのは分かるけれど……

 今一度地上を見ると、ナーガはまだ手招きをしている。

「もぉ!」

 

 小雨のけぶる山の頂(いただき)に、小さな波紋と共に丸窓が開いて、紫の前髪がポンと顔を出した。

 

「やあリリ、久し振り」

 

「……何かご用?」

 リリはそっけなく言った。大きくなったねとか言われるのはウンザリなのだ。

 

「ああ、手伝って貰おうと思って」

 ナーガは有無を言わせず、娘の手を引いて穴から引っ張り出し、自分の雨衣を被せた。

 

「な、何を?」

「これこれ」

 地面から何かを摘まみ上げて差しだす。

 

「??」

 リリはつい手を出してしまった。

 掌に乗せられたのは、小指の爪よりも小さい赤い実。

「何、これ?」

 

「苔桃(こけもも)っていうんだ。風露の山には無いだろ? 食べてごらん」

 ナーガは赤い粒を一つ口に入れて見せた。

 

「…………」

 リリも恐る恐る口に入れて噛んでみる。

「ゔ! すっぱい!」

「あはは、酸っぱいだろ」

「もぉ! すっぱい、すっぱい!」

 

 ナーガは笑って、実が沢山生っているあたりを指差した。

「手伝っておくれ。小さいから集めるのが大変なんだ」

「どうすんの? こんなにすっぱいの」

「糖蜜と混ぜて煮込んだら美味しいジャムになる。鍋一杯分要るのに、全然増えて行かなくて」

 

「…………」

 リリはそちらへ行って屈み、足元の実をチマチマと摘み始めた。

 何やってんだろ、このヒト。

 何やってんだろ、あたし。

 

「苔桃採りに来たら、いきなり波紋が現れてビックリしたよ」

 ナーガは布袋の口を開けて、娘に向ける。

 リリは両手一杯になった実をそこに放り込んだ。

 こんな大変な時に、夜明け前一人で、雨の中、苔桃採ってる長さま……

 

「呑気ね……」

 ポツンと出てしまった。

 ナーガは聞こえなかったように、黙々と実を摘み続ける。

 リリも何だか摘み続けた。

 

 リリの胸のお守り袋がピカピカと明滅を始めた。

「あ、もう帰らなきゃ」

 穴が閉じかけたら知らせてくれる術を、前にじじさまが掛けてくれたのだ。

 

「そうか、うん、リリのお蔭で一杯になった」

 ナーガは馬を呼んで、赤い実の布袋を鞍鞄にしまった。

 

 濡れた髪の後ろ姿に、リリは思わず叫んだ。

「ねぇ、蒼の妖精の長さまなら、こんなの家来に命令してやらせればいいじゃない。何、雨の中一人でチマチマこんな事やってんのよ」

 

「わあ!」

 振り向いたナーガは、目の中に星をキラキラ煌めかせている。

「初めて一杯喋ってくれた!」

 

「~~~~!!」

 リリは思いっきり口をつぐんだ。

 だからイヤなんだ、このヒトと喋るの!

 引っ剥がすように脱いだ雨衣を父親に押し付け、頬を膨らませたまま丸窓に飛び込む。

 

「ありがとうね、リリ。その毛糸可愛いよ」

「知らない!」

 

 リリが水底の空間に戻って穴を閉じると、シンリィが寝惚け眼でこちらを見ていた。

「しんりぃは父さまの事好き? あたし、分かんない」

 

 

 

   ***

 

 

 

 秋に色付く森の深奥の風穴。

 大長とソラの拠点の一つ。

 地衣を敷いた床の奥に、ソラが術切れでぶっ倒れて寝ており、細い火を炊く大長の横で、リリはカマイタチの術の練習をしている。習得はした物の、全然力が弱くて、茘枝(ライチ)の皮を割る程度にしか使えない。こんなのより早く破邪の術を覚えたいのに。

 その内嫌気が差して、いつもの綾取りに移行し、今朝の事を大長にボヤき始める。

 

「ホンット、父さまって呑気。蒼の長さまって、あれで務まるの?」

 

「まぁ……ナーガはやってみたかったのでしょうね、今の内にそういう事を」

「??」

 

 風穴の外では雨が上がって、夕陽の薄日が差し掛けている。

 雨が降ると波紋が多い。今日も昼間に波紋がこれでもかと出現し、大長達はフル回転だったし、シンリィはあちらの空間で眠りこけている。

 食べ物は、あちらの空間にどこからか張り出した木の実を採ったり、大長から貰ったりしているのだが、食も細いシンリィは、食べながら眠ってしまう。お蔭でずぅっとやせっぽちなままだ。

 リリが一緒にいるようになってからは幾らか食べるようにはなったらしい。それでも、もう自分に背を追いこされそうになっている彼に、リリはやきもきしている。

 

 最近は、街や村単位で襲う巨大な波紋以外は対処しないで、見逃す事が多くなった。

 地上に負の空間の被害に遭うヒトがポツポツと出始めている。

 そうして、少しずつ少しずつ、ヒトの世の何かが変わって行く。

 

 

「ねえ」

 リリは綾取りの毛糸を髪に巻いて、大長を振り向いた。

「その、ネンリョウを送って波紋を作り出す悪い奴を、やっつけに行かなきゃいけないよ、やっぱり」

 

 彼女はそれを前から言っている。

 そして大長の答えはいつも同じだ。

『出来得るならば直接やり合いたくない』

 こちらが潰し続けていれば、あちらがエネルギーを枯渇させて諦める…… そもそも『あちら』にはそんなに大した力の蓄積は無い筈なのだと。

 だが今回は、枯渇どころか波紋はどんどん数を増やして大きくなっている。

 エネルギーを何処から得ているのかが謎なのだ。

 

「悪い奴らなんか滅ぼしちゃって、二度と復活させないようにすればいいのに」

 

 大長は少し眉根を寄せてから、穏やかに、ゆっくりと返答をした。

「ねえリリ、何が良いとか悪いとか、世の中の一部でしかない私達が、勝手に決め付けてはいけないのですよ」

「んん? んーーと?」

 

「例えばね、リリがお腹が痛くなった。でもだからといって、痛いお腹を切って捨てる訳には行かないでしょう?」

「ひえぇ、イヤだぁ!」

 

「だってそれは、冷たい物を食べ過ぎたリリがいけないんです。お腹は痛くなって、リリに『それは身体に良くないよ』って教えてくれているんです」

「ふうむぅ……」

 リリはお腹をさすりながら、目をパチパチさせた。じじさまが言の葉に出すと、本当にお腹が痛くなるような気がして、結構怖い。

 

「そしたらリリは、もう食べ過ぎたりしないでしょう? そうやって学んで成長する為に、世界には良いも悪いも満ち溢れているのですよ」

 

「ふうぅん…… でもさ、セカイの皆が気付くの、間に合わないよ? あっちの水は流れなくなるし、こっちの山は崩れて行くし。水底の世界の窓は見渡せるから、そういうのが本当に分かる」

 

「そう、皆が気付くのを待っていたら、遅きに失する時がある。その為に蒼の一族が居るのです」

「へ?」

 

「世の中の流れを見据え、正しい方向へ風を流す。その判断する力を培う為に、私達は多くの寿命を頂いているのですよ」

「えっそうなの? 寿命って貰う物なの? 誰に?」

 

 大長は苦笑した。

「さあ、リリは誰だと思います?」

「ええ~ 神さまとか、そういうの?」

 

「リリの信じるモノでいいのですよ。そういうモノから役割を渡されて、私達は過分な寿命を頂いている。その寿命で得た知識や能力は、個人のモノではない、役割に添って供されねばなりません。それが摂理です。責任を果たさねば、私達の寿命はたちまち短くなって行くでしょう」

 

「うぅ~~」

 リリは眉間にシワを寄せた。

 何でも答えてくれるじじさまは好きなのだが、たまにセツリだのセキニンだの、お説教じみると嫌になる。

 

「あたしには関係ないモン。蒼の里なんか行かないし」

 そう言うと、明滅し始めたお守り袋を押さえて、リリは帰りの穴に飛び込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




挿し絵:愁雨 
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愁雨・Ⅲ

   

  

   

 

 

 翌朝、リリは水底を歩き回って、あちこちの窓をチェックしていた。

 自分の役割はシンリィを助ける事で、セキニンとかセツリとか関係ない。

 ただ、窓から見ていた秩序溢れる美しい世界が壊れて行くのは、嫌だった。

 

 かと言って、何をやったらいいのか分からない。

 とりあえずシンリィが眠っている間に、窓から地上世界を偵察してみる事にした。

 

 対流している壁が動いて出来る、パン生地の穴のような窓には、相変わらず色んな景色が雑多に映る。

 ここへ来た時はあんなに緑だった草原が、今は黄色く色付き始めている。

 昨日までの雨があがって、足の真下の青い空に掛かるのは、リリの大好きな……

「虹だ!」

 澄んだ青に横たわる、筆で引いたような赤黄紫の帯。

 風露じゃ霧に包まれてばっかりだから、空にあんなのが出るなんて知らなかった。

 

 リリは上機嫌で、窓越しに見える虹の、好きな紫色の上を歩いた。

 この自然に出来る『窓』は、術で開ける穴と違って、向こうが見える透明な壁だ。こうやって空や雲の上を歩いてみるのも、リリのお気に入りの遊びだった。

 

「風露を出て初めて知った事は多かったな。この役割が終わったら…… しんりぃは蒼の里に行っちゃうのかな。あたしはどうしよう。自分の馬は欲しいなぁ」

 

 

《 イイ事を教えてあげる 》

 いきなりの声に横っ飛びしたら、紫の前髪の女の子が立っていた。

 随分久しぶりだ。

 彼女は虹の赤い色の上を、リリと並んで歩いていた。

《 一旦蒼の里へ行くのよ。言う事を聞く振りをして、七つになって馬を貰ってから、とっとと逃げてしまえばいい 》

 

「…………」

 

《 関係ないじゃない、自分の欲しいモノだけ手に入れて、面倒なモノはみんな捨てちゃっても。馬さえ手に入れれば、あたしって一人で生きて行けると思わない? そうして遠くの遠くの国で、セキニンもセツリも無しに、自由に楽しく生きればいいんだわ 》

 

「…………」

 

 リリは立ち止まって、無表情で喋る女の子の紫の睫毛を、じっと見つめた。

 じじさまは、邪(よこしま)な言葉で誘惑して来る意地悪なマボロシだと言っていた。でもこの子の喋る言葉は、とても儚い。なんだかとても、寂しい。切ない。

 

 答える言葉を探している時に、ふと彼女の後ろに、嫌な物を見付けてしまった。

 こちらの世界で小さな渦が巻き、あちらの空へ突き出ようとしている。

 あれくらいの小ささなら、最近は退治せずに見過ごすが……

「あっ」

 

 そこに開いている窓が地上を映し、渦が波紋を作って落ちようとしている真下に、一頭の騎馬が居るのが見えた。

 蒼の妖精の草の馬で、あまり高くない地面スレスレをゆっくり飛んでいる。

 鞍上は青い三つ編みを垂らした女のヒトで、手綱にばかりに集中して、近付く危険に気付いていない。

 

「大変!」

 リリは慌てて、マボロシの横を通り過ぎて、その窓に寄った。

 マボロシは何も言わない。リリのする事をじっと見ている。

 

 女性の真上に通じるように穴を開け、首を出して叫んだ。

「ねえ、そこのあんた、危ないよ!」

 

 女性は呑気な感じでキョロキョロしている。

 空の穴から呼ばれているなんて夢にも思わないのだろう、すぐまた馬を進め始めた。

 波紋の滴は、今にも空から分離しそうに伸びている。

 

「ああっ、もおっ」

 穴の縁に足を掛け、リリは思いっきり跳んだ。

 水底の世界の身体が軽い状態から、ガクンと重力が掛かる。

 それでも手足を広げて風に乗り、見事に女性の馬のお尻に着地した。

 

「ええっ!? なになに?」

 三つ編みの女性は何が起きたか分からず慌てている。そりゃまぁ、何もない所でいきなり子供が出現したら驚く。

 

「上を見て! 怖い波紋の波が狙ってるよ!」

「えっ、あああ、何、あれ!?」

 

「草の馬なら全力で飛べば逃げ切れるから」

「全力って、私、これ以上速くは……」

 

「貸して!」

 

 リリは後ろから手を伸ばして手綱を握った。

 例の『時を飛んじゃう力』は、じじさまに封印して貰ったから大丈夫な筈。

 馬銜(はみ)をグッと掛けると馬は風を吸い込んで、見違える加速でそこを離脱してくれた。

 

 波紋は目標を見失ったように揺らぎ、どこか別の場所に流れて行った。

 

 十分に見えなくなってから、リリは馬を降下させ、一旦地上に着地した。

 三つ編みの女性は緊張して馬にしがみ付いていたが、胸を撫で下ろしながらリリに向き直る。

「助かったわ、ありがとう」

 

「ううん、少し待ってから元の場所に戻るね。出て来た穴から帰らなきゃならないから」

「えっと、穴? はい、分かったわ」

 女性はよく分からないながらも承知した。

 

「ねえ、あの波紋は、落ち込んだり欲しがり過ぎなヒトの所に来るんだって。だから普段から出歩く時は、楽しい事だけを考えるようにするといいよ」

 

「そ、そうなの? 私……ああ、そうかもしれない」

 女性はそばかす顔を曇らせて、心当たりがあるという感じで細かく何度も頷(うなず)いた。

「確かに私は欲張りだわ。決まったヒトがいるのに、余所のヒトの事ばかり考えちゃうんだもの。そりゃ、バチも当たろうって物だわ」

 

「ふうん? よく分からないけれど、キチンと反省する子にはバチは当たらないって、じじさまが言ってたよ」

「そう、ふふ、ありがとう」

 

 もう一度空の安全を確認してから、女性の馬に二人で乗って、先程の場所まで戻った。

 空に本当に穴が開いているのを見て、女性は目を丸くした。だからって根掘り葉掘り質問して来ない彼女に、リリはちょっと好感を持った。

 

 リリが馬のお尻に立って、穴の縁に手を掛けた所で、あ、そうだ、と女性は肩掛け鞄から小さな瓶を出して差し出した。

 甘い匂いがする。

 なあに、と唾を溜めながらリリは聞く。

 

「苔桃のジヤムよ。助けて貰ったお礼」

「コケモモ!? あのすっぱいの?」

「そうそ。でも糖蜜が一杯入っているから甘いわよ。それに身体にもいいの。お薬の成分にもなるくらいだから」

「へえ、あたしは知らなかったけど、この辺りでは結構普通にある物なのね」

 

「ある程度高いお山に行かないと無いわ。これは採って来たヒトにお願いされたの。ジャムにして、近隣の村の妊婦さんに配って下さい、って。ああ、妊婦さんの身体には特にいいのよ」

 鞄には、幾本かのジャムの瓶がカシャカシャいっている。

「あ、ジャムを作る手数料で分け前を貰う事になっているから、この一本は私の好きにしていい分なの。遠慮なく受け取ってね」

 

 女の子は女性の言葉をじっと聞いていたが、だんだんに口がポカンと開いて来た。

「どこまで配るの? 例えば、あの山の谷の……」

 

「ああ、風露の谷にも一人いらっしゃるわね。勿論行くわよ。あそこは関に預けるようだけれど」

 

「…………」

 

 紫の前髪の娘が何だか黙ってしまったので、女性は戸惑った。

 

「返す」

「えっ、気にしちゃった? 大丈夫よ、私の取り分だから」

 

「ううん、一緒に持って来たって事は、お姉さんは自分の分を取るつもりは無かったんでしょ」

「……あぁ、まあ……」

 

「じゃあ、あたしも同じ。コケモモを摘んだヒトの気持ちが届いて、妊婦さん達に元気が付きますようにって、あたしもお祈りしたいから。これも届けてあげて」

 

 女性はマジマジと女の子を見つめた。

 

「貴女はとても素敵な女の子だわ」

 

「ありがと、じゃあね」

 

 

 胸のお守りが点滅し出して、リリは急いで穴に滑り込んだ。

 穴は閉じて、窓の方から女性の後ろ姿を眺めながら、リリは口の端をムズムズさせた。

 

 後ろを見ると、まださっきのマボロシが立っている。

 

「見ず知らずのヒトに、素敵な女の子って言って貰えた! あんたも嬉しい?」

 

 マボロシは苦虫を噛み潰した顔で頷いて、また消えた。

 

 

 足元の窓の向こうでは虹が薄れ、雨雲は遠くの山の陰に隠れて去って行く。

 

 

 

 

 

 

          ~愁雨・了~

 

 

 

 

 

 



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星の雫・Ⅰ

   

 

 

 

 黄金(こがね)に波打つ草原。

 四泊流星の馬を引いて歩く、一人の少年。

「疲れたか?」

 立ち止まってしまった馬を労うにも、もう麦が無い。ここへ来るまでに立ち寄った村々で、宿や食糧を分けてくれる所は無かった。

 貧に窮している訳でもない。余剰に持ち合わせてはいるのだが、分け与え供する感覚を失くしてしまっているだけだ。

 

「どうなっちまうんだろう、この世界」

 赤っぽい黒髪をかき上げて、ヤンは空を見上げた。

 もう当たり前に、波紋の揺らぎが空を横切って行く。

 大長さまやシンリィの手が回らぬ程、負の心の領域が広まってしまっているのだろうか。

 自分みたいな小さな者にはどうにも出来ない強大なチカラ……

 

《 そうだよ、なのにお前は何でまだ、そんなにしんどい思いをして歩いているんだ? 》

 隣を自分が歩いている。

 いつの間に、墨を流したような細い波紋が、身体の周りをゆっくりと回っている。

《 諦めちまえよ。もうどうでもいいだろ。流れに身を任せている方が楽だ 》

 

「まだそんな心が僕の中に残っているのか」

 ヤンは溜め息吐いた後、キッと隣を睨んだ。

「フウヤの事もどうでもいいのか?」

 

 問いかけに、マボロシはグッと詰まった。

《 ど、どうでもよくは無い。あいつが居ないと嫌だ。あいつが機嫌よく笑っていないと嫌だ 》

 

 ヤンは喉でクックと笑った。

「安心した。だから僕は進んでいるんじゃないか。もう失せろ」

 

 マボロシは黒い筋と共に消えた。

 

 ヤンは今一度空を見上げた。

 惑わされている暇なんてもう無い

 

 

 

    ***

 

 

 

 秋の初め、まだ草原が色付く前、雨上がりの岩ツツジの尾根を歩いて、ヤンとフウヤは、砂漠の旅から三峰に帰り着いた。

 壱ヶ原の壁地図の件はショックだったけれど、二人はすぐに切り替えた。それよりも別の心配が頭をもたげている。

 

 イフルート族長や三峰の皆に会うのが怖い。

 壱ヶ原の街の何人か、あの腕輪を持っていた雑貨商人も、多分、波紋の世界の影響を受けたんだ。もしも三峰が同様の被害に遭っていたら……

 特にフウヤは過去に、やっとの思いで帰り着いた三峰で、豹変した村人に追い掛けられるという悪夢を経験している。

 

 怖々帰ったのだが、幸い三峰は波紋の標的になっていなかったようで、二人は胸を撫で下ろした。

 だがさすがのイフルート族長は、街や周辺部族の異変に気付いていた。

 少年達を叱責しただけで大した罰則も課さなかったのは、そんな事よりも部族の内部を固める方に注心していたかったのだろう。

 

 成人の儀礼に続けて挑戦させて貰える代わりに、街や猟場外へ行くのを禁じられた。

 元より二人もそのつもりだった。

 今、三峰から離れたくない。

 

 それにヤンは成人の儀礼への気持ちが強かった。この不安な世の中で、周囲が正常な今の内に、とっとと大人の資格を手に入れて置きたいという、急いた心があった。

 来年は世界がどうなっているか分からないのだ。

 

 資格が無いとやはり不便だ。例えば、街で金銭の絡んだ契約をしようとしても、見た目が子供だと相手にされない。『三峰で成人の資格を得ている』と胸を張って言える事は大きい。部族全体が後ろ盾に付いてくれているような物だからだ。

 だからこそ、真摯に挑戦して、贔屓目なしに大人達に認めて貰わねばならない。

 

 鹿・猪・鳥の、まだ一つしかクリアしていない。

 チャレンジ出来るのは、族長が決めた狩り休みの日か、狩りが早く終わった夕方だけで、ぐずぐずしていたら雪が来てしまう。

 狩り休みの日は不規則なので、急いている今は当てに出来ない。

 

 

 午前中に大物が続けて捕れ、早くに終了になった帰り道、フウヤが隣に来て小声で言った。

「ねえ、ヤン、これから儀礼の挑戦を宣言して、このまま山に残ろうよ」

 

「え、ああ、うん……」

 ヤンはちょっと惑いながら返事をした。

 これから集落の広場で、今捕った獲物の鎮魂の儀だ。それに参加せず、厄を着けたまま山に残るのは、あまり良くない。

 

「儀礼で獲物を捕って帰ったら、また鎮魂の儀式をするんだし、いいんじゃないの? じゃあ、イフルート族長に聞いて来る」

 フウヤは列を掻き分けて、前の方へ駆けて行った。

 

「あ………」

 ひき止めようとしてヤンは手を下ろした。

 一旦集落へ帰ると大変なタイムロスで、すぐに陽が沈んでしまう。

(それにさっき、猪のぬた遊びの乾いていないのを見掛けたんだ。今なら多分周辺に居る筈……)

 

 列の前から、フウヤが嬉しそうに引き返して来た。驚いた事に許しが出たらしい。

 

 いつだってヤンの役に立ちたいフウヤ

 その子供を前に少し甘くなってしまったイフルート

 不安ながらも欲が先に立ってしまったヤン

 

 綻(ほころ)びは少しづつだった。

 

 

 

   ・・・・・

 ・・・・

 

 ――イタイ、イタイ! 

 

 フウヤの悲痛な叫びで、ヤンは我に返った。

 追い込んだ猪を出来るだけ上方へ誘おうと、余分な一手を入れてしまった。

 向こうだって命懸けだ。こちらの思い通りになどならない。

 

 一瞬の判断ミス。

 牙に抉られた細い大腿が真っ赤に染まって行く。

 

 ~~!!

 血は溢れて、必死に傷を縛るヤンの手から肘へ滴る。

 嘘みたいに冷たくなったフウヤを背負って、ヤンは祈りながら走った。

 何もいらない。

 フウヤさえいてくれれば、成人の証しも投函箱も何もいらない。

 

 

 その後、三峰の医師に命じられて山麓の九ノ沢(ここのさわ)部族へ馬を駆り、ウェンというこの辺り一番の名医を連れ帰った。

 夜通しの縫合手術の末、フウヤは何とか一命を取り止めた。

 

 

「僕はもう、成人の儀礼は止めにします。今後も受けません」

 一睡もしていない赤い目で、少年は族長と主だった大人達の前で宣言した。

「フウヤはもう木々を渡れない。二年後の成人の儀礼も受けられない。なら僕も成人になりません。あの子をあんな目に遭わせたのは僕だから」

 

 大人達は沈痛な面持ちだ。

 慰める言葉は幾らでもあるが、この少年が頑固に心を閉ざせば、そういうのが全く届かぬ事を知っていた。

 

「昨日の事を許可した俺の責任だ。そもそも儀礼を厳しい内容に変更してしまったのも俺だ。裁定は我々に預け、それに従うようにしなさい」

 族長は、蝋人形のような少年の前で、やっとそれだけ言った。

 

 

 

     ***

 

 

 

 黄金の原を行く少年の前に、ハイマツの絡んだ小さな丘が現れる。以前にも来た場所だ。

 

 馬を置いて、曲がりくねった幹の上をよじ登り、山頂の玉砂利の広場に立つ。

 見渡す周囲は背の高い草がうねるばかりで何も見えないが、結界で隠された蒼の里があるとユゥジーンは言っていた。

 

 指を輪にしてくわえる。

 

 ーーヒューイィーーーー

 

 もう一度

 

 ーーヒュゥウィイイイーーーー

 

 空に吸い込まれては消えて行く口笛を、少年は根気よく何度も吹き続ける。

 ユゥジーンの耳に入れば気付いてくれる筈。

 

 だが何度吹いても少しの気配も感じられない。

 ユゥジーンは不在なのか、少し置いてまた試みてみよう。

 ヤンは一旦馬の所まで下りようと、後ずさって振り向いた。

「ひっ」

 何の気配もなく、そこに一人の男性が立っていた。 

 

 初老の恰幅のいい大男。髪は白髪混じりの青だから、蒼の一族だろう。

 困ったように眉を潜め、腕組みをして少年を見下ろしている。 

「その高い音の連発はやめてくれるか? ここの所昼夜問わず忙しく、寝不足の者も多いんだ」

 

 

 

   ***

 

 

 

 執務室を開けて入った瞬間、遠くに住んでいる筈の黒髪の友達に抱き付かれて、ユゥジーンは思わず四歩よろめいた。

「ウギュ! ・・ヤ、ヤン? どうしたの、何でここに?」

「フウヤ、フウヤが・・」

 

 連れて来た時は大人しくて冷静な子に見えたのにな……と、ノスリが苦笑いしながら、半泣きの少年を座らせる。

 今、草原のあちこちで些細な争いが起こり、蒼の里の仲裁が必要な件が増え、隠居していた前長の彼も出張って、フル稼働しているのだ。

 

 

「え、フウヤが、怪我って……」

 興奮して喋れない少年に変わって、ノスリが説明をする。

「幸い命は取り止めたらしい。だが失血のショックで中々意識が戻らないんだと。口から食事が摂れないと、傷も塞がらないし、血も増やせない。どうにか意識を呼び戻してやれればいいんだが」

 

「そんな…………」

 ユゥジーンも顔色を失くした。

 あんなに元気で負の感情とは縁遠そうだった子が。

 世の中の悪い流れからは誰も逃れられないような、そんな気分になってしまう。

 

(ではヤンは、蒼の妖精の『治癒の術』を頼って来たのか?)

 確かにナーガ長が聞いたら、何を置いてもすっ飛んで行きそうだ(前科もあるし)。

 ただ、他種族に勘違いされがちだが、治癒の術は万能薬じゃない。あくまで本人の治す力を引き出すだけの物。本人に直す気力がないと意味がないし、意識のない者にどこまで効果があるか分からない。そして、ナーガ長の場合ともすれば、足りない分を自分の中から分け与えてしまう(そしてホルズに叱られる)。

 その辺はもう説明を受けているのだろうかと、ユゥジーンは、ノスリと奥の机のホルズを交互に見た。

 

「治癒の術を当てにして来たのではないようだぞ」

 ノスリが先回りをして答えた。

「フウヤを、姉のフウリに会わせたいらしい」

 

「・・!」

 ユゥジーンは口を結んでヤンを見た。

 

「『お姉ちゃん』が呼べば、フウヤは意識を戻すと思うんだ」

 ヤンは先ほどから繰り返しては暖簾に腕押しな台詞を、ユゥジーンにも訴えた。

「意識が無いのに、うわ言で、『お姉ちゃん、お姉ちゃん』ってずっと呼んでいるんだ。フウヤは三峰に来てから家族の事を口にしなかった。特に『お姉ちゃん』の事は頑なに。その彼が、今は『お姉ちゃん』って呼んで助けを求めている」

 

 あんなに一緒にいた僕じゃなく、お姉ちゃんを…………

 だからヤンは潔く、蒼の里を訪ねて頭を下げに来たのだ。

「蒼の長様のお嫁さんで、隠しておかねばならない方なのは知っています。でも、それを承知で、どうかお願いします」

 

 ユゥジーンは喉を鳴らして細く息を吸った。

 横目で見るノスリとホルズは、硬い表情で口を結んでいる。

 

 

 高い羽音がして、窓から鷹が飛び込んで来た。

 

「よし、手紙だ」

 黙って構えていたホルズが、跳ねるように立ちあがって、鷹を迎えた。

「出先のナーガに手紙で知らせたんだ。返事が来るまで大人しく待ってろと言っているのに」

 

 緩慢な動作で手紙を開く事務畑の男性を、ヤンは苛つく素振りで見据えている。

 蒼の一族のヒトは頼もしく機転が利いて、何でもズンズン進めてくれる物だと思っていたのだ。

 それは逆で、しっかりしている所ほど、あれこれ考えなくてはならなくて、融通が利かなくなる物なのだが。

 

「あ――……」

 手紙を読み終えたホルズは、歯切れの悪い顔で少年を見た。

「フウヤは気の毒だった。そこに居る少年と馬は充分に養生をさせ、明日、ユゥジーンに三峰まで送らせるよう…… てな事が書いてある」

 

「フウヤのお姉ちゃんは!?」

 ヤンは立ち上がって大声を出した。

 

「あの部族の掟は厳しい。フウヤは出奔した身で、姉との縁は切れている…… との事だ。済まないな、蒼の長の判断は、我々の総意だ」

 

 思わず大机に詰め寄ろうとするヤンを、ユゥジーンが後ろから引っ張った。

「俺の下宿に泊めてやります。今日の報告書は明日でいいですね」

 

「ああ、早く連れて行って休ませてやれ」

 

 色んな感情が入り交じって口をパクパクさせる少年を抱えるように、ユゥジーンは執務室を出た。

 

 ヤンは納得が行かない。

 あんまりだ。そりゃ今は世の中が大変な時で、山の民の子供一人の怪我なんて、小事かもしれない。でも、蒼の一族のヒトは、もっと草の根の民の為に親身になってくれる物だと思っていた。

 

「ユゥジーン、場所を教えて。僕一人で行くから」

「まあ落ち着け」

「落ち着いていられないよ、こうしている間にもフウヤは」

「とにかく従った振りをして歩け。あの角を曲がったら走るぞ」

「!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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星の雫・Ⅱ

   

 

 

   

 小道に入ると頭を押さえられ、身を低くしたままヤンは、ユゥジーンの後を追い掛けた。

 狭い路地を走り抜け、裏道を曲がり曲がると、薄暗い厩の裏に出た。

 ユゥジーンがそっと忍び入り、自分の馬に鞍を着けて引き出して来る。

 

「ヤン、最初に言って置くけれど、フウリさんを連れ出す事は出来ない。あそこの部族が厳しいのは本当だ。正面から訪ねて行っても絶対に会わせて貰えないけれど、幸い俺はフウリさんの住む塔を知っている」

「え、……でも連れ出せないのなら……」

 

「フウリさんの所にいい物があるんだ。ヒトの姿を映してメッセージを伝えてくれる人形。本人じゃなくとも声と姿を届けられる」

「ホント? 凄い。貸してくれるかな」

「そこはヤン、誠心誠意頼むんだ。ほら乗って」

 ユゥジーンは先に跨がって、ヤンに後ろを促した。

 

 

「何をしているの?」

 暗がりからの突然の声に、二人飛び上がった。

 

 青い前髪を水平に切り揃えた三つ編みの女性が、鞍を抱えて歩いて来る。

「ユゥジーンなの? 決められた場所以外から飛び立つのは禁止でしょ?」

「ちょっとヤボ用なんだ、エノシラさん、見逃してよ」

 

 エノシラという名は、フウヤやユゥジーンから聞きまくっている。

 ヤンは初めての『生エノシラさん』に、感慨深げにお辞儀をした。これがフウヤの言っていた、しめ縄みたいな三つ編みか……

 

 女性はヤンを見て、あらあらという顔になり、上がっていた眉根を下げた。

「もぉ、何をするのか知らないけれど、見なかった事にしてあげるから。あんまり危ない事をやっちゃ駄目よ」

「うん。……エノシラさんは外に用事だったの?」

「近くの遊牧民の集落へ診察。これから薬を作ってまた届けに行くの。まったく妊婦さんに優しくない時代だわ」

 

「妊婦さんに?」

 思わず口を挟んだ黒髪の少年に、女性は優しい口調で答えた。

「世の中が不安だと、生まれて来る赤ちゃんも不安になるの。それで体調を崩す妊婦さんが多いのよ。ヒトの身体は一見丈夫そうでも、とても微妙なバランスで成り立っている。お腹に命を抱えるなんて、バランスを崩す最たる物なのよ。貴方達も将来の為に覚えて置くといいわ」

 

 

 エノシラは踵を返して去ってくれ、ユゥジーンは改めてヤンに後ろを促した。二人を乗せたコバルトブルーの馬は、灯りを避けてフワリと舞い上がる。

 

「ユゥジーン、ありがとうね」

「俺がフウヤに借りがあるんだ。初めて会った時にメッチャ助けられた。だからヤンは責任を感じなくていいよ」

 

 新月の夜闇が幸い、上も下も真っ暗で、ヤンはさほど恐怖を感じなかった。

「ユゥジーンが上手なのかな。草の馬で飛ぶの、凄く恐ろしくてトラウマになってたんだけど」

「ああ、最初に乗ったのが白蓬(しろよもぎ)だろ? しかも初騎乗のシンリィの後ろ」

「うん」

「そりゃ俺でも乗りたくないわ」

 

 

 山に挟まれた風露の谷に近付くと、夜更けとも言える時間だったが、いくつか明かりの灯った塔があった。

 ユゥジーンが以前送った事のあるフウリの居所にも、明かりが付いている。

 その棚の先端に、二人乗りの騎馬は、音をさせずにそっと降りた。

 

 窓辺に寄り、そろそろと覗くと、こちらを向いた女性がいきなり目の前にいた。

 

「ひゃっ」

 驚いて尻餅を付いたのは二人の少年の方だった。

 

「千客万来ですね」

 紫の髪を珠子の紐で結った無表情な女性は、ゆっくり歩いて戸口に移動した。

 上半身がそっくり返って、お腹が丸く大きい。

 ええっ、フウリさん妊婦さんだったの? しかも今にも、生まれ、そう、じゃ、ないかっ!?

 

 ユゥジーンは真っ青になった。そうだ、以前送った時に、他の皆が椅子を持って来たり気を使っていた。あれって、お腹に赤ちゃんがいたからなんだ。何で気付かなかったんだ、俺のアホ!

 

 ヤンは動揺したのか無言だ。ユゥジーンが彼を紹介し、二人は室内に招き入れられた。

 壁際に楽器の材料が並べられ、テーブルにはお茶のカップがある。

 小さな椅子を勧められ、二人は小さくなって座った。

 フウリは背を向けてお茶の支度を始める。

 

「あ、あのお構いなく」

「こんな時間に掟を破って訪ねて来て、お構いなくもないものだわ」

「……すみません」

「フウヤが世話になっているのですってね。あの子、利かん気が強いから大変でしょう」

「い、いえ、ぼ、僕、フウヤに会って、良い事ばかりです!」

 

 ヤンが吃(ども)りながら大声を出すと、女性は振り向いてそっと口に指を当て、静かにね、と言った。

 ヤンはまた小さくなる。

 

「あの、でも最近、少しホームシックで……」

 ユゥジーンが小声でそろりと言った。

「そ、そう、それで綺麗なお姉ちゃんの姿でも見たら元気が出るかなぁって」

 ヤンも慌てて同調する。

 

「だから、その、リリの映し身人形があったでしょう?」

「そうそれ、ちょっとだけ貸して貰えたら有り難いかと」

 

 ビクビクと言葉を繕う二人に、フウリは背中を向けたままシレッと言った。

「ありませんよ、もう。あの人形は」

「ええっ」

「ああ、カップが足りないわ。ナーガ様が使った物でいいかしら?」

「えっ、えっ、ええ?」

「ナーガ様、来たんですか?」

 

 フウリはカップの乗った盆を持って振り向いた。

 ヤンが素早く立って、盆を受け取る。

 

「あら、ありがとう。……そう、夕方頃にいらして、貴方達と同じような事を言って、人形に私を映して慌ただしく飛んで行かれたわ。冷めない内にお茶をどうぞ」

 

 少年二人は気まずい雰囲気で茶をすすり、フウリは寝台によっこらしょと腰掛けた。

 

「それでフウヤの容態はどうなのですか?」

 

 ユゥジーンは茶をむせて、ヤンは熱いのを飲み込んで咳き込みながら返事をした。

「た、大したことありません。ぜんっぜん、大したことない。山一番の名医が縫合したんだし、後は意識さえ戻れば」

 ユゥジーンの、『この馬鹿っ』という視線にハッとなったが遅かった。

 

 寝台のフウリはうつむき加減に視線を落としている。

「そう、ナーガ様に続いて貴方達まで押し掛けて来るなんて、間違いなくフウヤに何かがあったんだと思ったわ」

 

 ヤンの顔色がみるみる変わった。

 ―― あの日、ビィを荼毘(だび)に伏した後、床に突っ伏した母の赤いスカートがみるみる黒く濡れて行く様が、フラッシュバックする。

 

「フウヤは治ります。絶対治る。僕が治す。僕の命に代えても。大丈夫だから。本当です。大丈夫だから……」

 

 女性がまた口に指を当てて、ヤンは泣き出しそうな顔のまま口を閉じた。

 ユゥジーンも、いきなり支離滅裂になった友達に目を白黒させている。

 

 無言の時間が流れて。

 

「ありがとうね」

 フウリが丸いお腹をさすりながら沈黙を終わらせる。

「フウヤは幸せ者だわ。こんなに優しいお友達に囲まれて。私は大丈夫ですよ。あの世間知らずで我が儘な子が、他所様でちゃんとやって行けるのかと、ずっと心配が頭を離れなかったけれど、今とても安らかな気持ちに変われたわ」

 

 

 

   ***

 

 

 

 フウリに見送られて、二人は手を振って上昇した。

 相変わらずの闇夜で、ヤンもユゥジーンも疲れて身体が鉛みたいだったが、気持ちは軽かった。

 

「綺麗だったなあ、フウリさん。優しいし。あんな天女みたいなお姉ちゃんだったら、僕もうわ言で呼んじゃうよ」

「うん。何せナーガ様が、厳しい掟を物ともせずに、奥方に選んだ方だもの」

「いいなあ、上手くやったなぁ、ナーガさま」

 

 

「それはどうも」

 

 二人の少年は電気に打たれたみたいにビクンとなり、恐る恐る上を見た。

 漆黒の中天から、ぼんやりした光に包まれた騎馬が降りて来る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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星の雫・Ⅲ

   

 

   

 

 新月の闇の空、降りて来た騎馬は、草の馬ではあるが、ヤンの知っている華奢な草の馬とは別物だった。

 分厚い体躯、関節にみなぎる力、そして全身を覆うサワサワと波打つ草の生命力。

 漆黒の中、淡い灯りに包まれ、それは二人の前で停止した。

 

「ナ、ナーガ様」

 ユゥジーンがビビりの入った声で呟く。

 

 鞍上の中性的な美しさを持つ男性。

 このヒトが蒼の長、ナーガ・ラクシャ。

 以前市場で見掛けた事があるけれど、あの時とは別人だとヤンは思った。

 たった数年なのに、樹齢千年を越したような貫禄が上乗せされている。

 

「あ、あの、僕が無理に頼んで」

「いや、俺が提案したんです」

 

 二人の少年がしどもどと言う前で、ナーガは無表情に黙っている。

 

「…………ごめんなさい……」

「…………すみませんでした……」

 

 少年達が謝ると、ナーガは静かに口を開いた。

「悪かった事は分かるね」

 ゆっくり優しい声だった。

 

「はい、臨月の妊婦さんに余計な心配を掛けそうになりました」

「大人のヒト達の決定した理由を深く考えないで、勝手に突っ走りました」

 

「うん、怒り心頭のホルズを、ノスリ殿が取りなしてくれた。明日きちんと謝るんだよ」

「はい」

 

「後は?」

「……えと……」

「馬をいじめ過ぎ。働いて帰ってすぐ二人乗りで風露を往復なんて」

「は……い……すみません」

 

「帰りは僕が乗せて行く。三峰の君、こちらへおいで」

 

 ヤンは緊張して、ナーガの大きな馬に乗り移った。

 安定感が全然違う……

 

 二頭並んで飛び始めて、少ししてからナーガはささやくように言った。

「ヤン、君には幾ら感謝しても足りない。フウヤをありがとう。僕だったら、あの子にあんなに多くを与えてあげられなかった」

「え」

 背中しか見えないけれど、先程とは違う、早口の素の声だった。

 

「まさか、僕がフウヤに助けられてばかりです」

 

 ナーガは静かに続ける。

「イフルート族長から話を聞いた。恐縮していらしたが、部族全体でフウヤを大事にしてくれているのがよく分かった。あの子は幸せ者だ」

 

「行かれたんですか、三峰に。人形を持って?」

「ユゥジーンを叱った手前、あまり大っぴらにしたくない」

「あ、はい」

「人形のフウリの声を聞かせるとね、あの子、睫毛をピクピクさせて。それで族長殿と話をして帰り掛けにもう一度覗いたら、起きてスープを飲んでいた」

 

「え、えぇえっ!?」

「すぐに目を覚ましたらしいよ。凄いな、お姉ちゃん効果は。君の読みは大正解だったんだ」

 

「・・・・・・」

 

 ヤンは言葉を出せず、ナーガもそれ以上話し掛けはしなかった。

 

「あの・・」

「ん?」

「ヒト買いと間違えてごめんなさい。あと、馬の代金を払おうと貯めていた宝石、他所の部族の医者に来て貰う為に使ってしまったんです。ごめんなさい、もう少し待ってください」

 

「それは…………うん、はい、分かりました」

 背中は暖かく承知して、少し置いて続けた。

「フウヤは本当はね、生まれた時に既にヒト買いにやられるような運命だったんだ。風露の山で遭難した行きずりの女性が産み落とした子供。それを、市場の君と同じ位の歳だったフウリが、『私が面倒を見るから』って抱えて離さなかったらしい。だからねぇ、フウヤにとってあの女性(ヒト)は、何物にも替え難い、心の拠り所なんだ」

 

 ヤンは一度に色んな事を理解した。

 うわ言で呼ぶ位の大事な大事なお姉ちゃんの元を、どうして飛び出してしまったのか。

 そのヒトの夫になったナーガを頑なに拒む理由…………

 

 その部族にはその部族なりの掟や定石がある。

 でも根っこの深い所は、何処もきっと同じに繋がっているんだ。

 

 

 

    ***

 

 

 

 真っ暗な中に、一筋の冷たい光が反射する。

 

(あれ、僕、三峰の集落を出て、んと……蒼の里に辿り着いて、風露へ行って、フウヤのお姉ちゃんに会って……)

 

 ヤンは意識を覚醒させた。・・夢かな、これ?

 

 そうだ、フウヤが目を覚ましたって教えて貰った。

 よかったなぁ。帰ったらあの子の好きなコクワを山から採って来よう。

 母さんに甘く煮付けて貰って……

 

 馴染みのない枕……何処で寝てるんだ? ああ、ユゥジーンの下宿。話したい事がいっぱいあったのに、夕べ横になったら即寝ちゃったんだ。

 

 光は一筋でなく、幾本かが順番に反射している。

 夢……だよな、何だかすごいリアル?

 目が慣れて来ると、それが沢山の鏡だと分かった。

 夥(おびただ)しい量の鏡が作るトンネルが、暗闇の中、遥か奥まで続いている。

 

 変な夢。早く朝にならないかなぁ。

 昨日ちゃんと見られなかった蒼の里をじっくり見てみたい。

 執務室のヒト達にも謝って…………ん?

 

 トンネルの中頃に影が浮かんだ。

 ヤンは目を凝らしてみる。

 夢の中でも『見る能力』は効くみたい。

 ヴェールを纏った、透けるように白い女性。髪が青いのは蒼の妖精かな、朝の空みたいな青。

 綺麗だなあ、昨日から綺麗な女性ばかり見ている。こんなに綺麗な女性って、僕の人生に縁があるのだろうか。

 

(あっ!?)

 

 不意に、女性の足元の鏡にヒビが走った。

 周囲の鏡が次々に音もなく割れて行く。

 鏡じゃない、氷だ。分厚い氷。

 それらが砕けて、女性の足元を崩して真っ黒な奈落を開いて行く。

 

 危ないよ、逃げるんだ!

 声は音にならず、白い女性は成す術もなく、腕をひとかきして暗闇に吸い込まれて行った。

 氷の粒と一緒に散っているのは……羽根? 白い羽毛……?

 

 茫然としているヤンの真横を、凄い早さで何かが駆け抜けた。

 白蓬の馬!? 

 背にシンリィ!

 馬上から両手を伸ばして、羽毛散る中、少年を乗せた白い馬は、女性の落ちた闇の底へ矢のように飛び込んで行った。

 

 

 

 

「シンリィ!」

 

 叫んで覚醒すると、現実味のある部屋の天井。

 部屋の反対側のベッドで、ユゥジーンも半身を起こしている。

 

「……見たか?」

 薄闇の向こうから掠れた声。

 

「うん、見た」

 

「氷のトンネルの中で、女のヒトが奈落へ落ちて行った。それを追い掛けるシンリィ」

「同じだ」

 

 こんな尖った夢、偶然一緒に見る訳がない。

 嫌な胸騒ぎを抱えて、二人は顔を見合わせた。

 

「ねえユゥジーン、蒼の里って、いつもこんなに朝早いの?」

 ヤンに言われて、ユゥジーンも気付いた。

 まだ夜も明けやらぬ明るさなのに、居住区の方がざわめいている。

 

 窓から外を見て、二人同時に声を上げた。

 里の外、暗い地平の山々の上に、幾つもの波紋が広がっている。

 大きい、そして禍々しい。

 今まで小さいのが現れては消えて行く事はあったが、これらは違う。消える気配が無い。

 

「う、嘘だろ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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星の雫・Ⅳ

   

 

 

 二人は慌てて外へ飛び出し、更に絶句した。

 

 空の波紋は、彼方にも此方にも、里をぐるりと囲うように現れていた。

 里の真上はまだ清浄な星空だが、黒い雨雲のような波紋は、地平からジワジワとこちらへ向かって伸びている。

 

 里の中心の執務室には既に明かりが付いている。

 ユゥジーンは即座にマントを引っ掛けて走り、ヤンも後に続いた。

 

 家々の間に、起き出して空を見上げるヒト達が見える。皆不安そうだ。

 

 

 執務室の入口に手を掛けようとして、ユゥジーンは止まった。

 中から荒い声が聞こえたからだ。

 

「あの波紋は何なのですか。いい加減、我々にも教えて下さい!」

 執務室メンバーの一人だ。

「私は蒼の長様を信頼しているから、何があっても着いて行く心づもりです。しかし教えて置いて頂かないと、いざという時に判断を誤るかもしれません」

 別のメンバーの声。いつもは寡黙で不満のひとつも言わないヒトだ。

 

 

「ユゥジーン、部外者の僕は居ない方がいい雰囲気だよね。下宿の部屋へ戻っていようか」

 ヤンが言ったが、ユゥジーンは首を振って、彼の手を引いて建物の横へ回った。

 

 直後、大きな身体を揺すってノスリが入り口を入って行った。

 

「親父、ナーガは?」

 執務室統括者のホルズの声。

 

「もう出た。結界をガチガチに張って行ったから、里にアレが入って来る事はない。結界が効いている内に片を付けると言っていた。皆には、ホルズの指示のもと、冷静に動くようにとの事だ」

 

「我々も長と共に闘いたいです」

 最初に喋っていたメンバーの声。

 

「『長は民の為に働き、民の心が長を支える』。後方の俺達が一枚岩で支えているから、長は安心して矢面(やおもて)に飛び出して行けるのだ。お前の受け持ちの範囲だって、崩れたら取り返しの効かない大切な所だぞ」

 

「でも……あまりにも隠し事をされると」

 

「親父、俺もそう思う。もう少し話してくれても良かぁないか」

 

 一息吸ったノスリが押さえた声で言った。

「ホルズ、お前の母親フィフィは、知ってしまったが為に、心を持って行かれ命を落とし掛けた」

 

 外の窓の下で聞いていた少年二人も、建物内の空気が一気に緊張したのを感じた。

 

「この波紋を生み出している場所の、禁忌に関する事だ。波紋に関わり過ぎるとそれに触れてしまう恐れがある。フィフィの時はカワセミが、術で記憶をゴッソリ抉(えぐ)り取る荒業で、彼女を救済したんだ。今はそんな便利な術を使える者はいない。俺はまかり間違っても、お前達をそんな危険に晒す訳にはいかん」

 

 説得には充分な台詞だ。これで収まるだろうとヤンは思った。が、メンバーの一人はまだ残す言葉があるようだ。

 

「じゃああの子供は? 長様はあの子だけに多くを教えて常に近くに置いている。あの子は何が違うというのです」

 ヤンは息を呑んで、顔を向けないで隣のコバルトブルーの少年を見た。

 彼は口を結んでいる。

 

「あの少年には哀しむ身内がいない」

 ノスリの言葉に、ヤンの背筋がヒュッと冷えた。

「親父、そんな言い方」

 さすがに咎める者がいる。

 

「それが全てだ。何かあった時躊躇(ちゅうちょ)なく、長の為に全てを捨てられる身軽な子供。あの子を長の側に置いているから、俺らはある程度安心していられるんだ。そうだろ、ホルズ。哀しむ家族のいる者にそんな役割は宛(あて)がえない」

 心臓が凍り付く冷たい台詞。

 それでもう、熱かった場はすっかり冷え鎮まって、大人達は本日やる仕事を具体的に話し合い始めた。

 

 

「俺は捨て駒かよ」

 窓の下でポツリと呟いたユゥジーンの両肩を掴まえて、ヤンが口端をへの字に折って首をプルプルと振った。

 

「言ってみただけだよ。冗談、冗談、本気にするな」

 少年はヤンの手を引っ張って、執務室を離れて来た道を戻った。

 

「あれは皆を納得させる為の屁理屈。ノスリ様、自分が冷血役になって、俺に向いた不満の矛先を変えてくれたの。俺がちゃんと理解していれば問題ない」

「……そうなの? そういうの、予(あらかじ)め決めているの?」

 

「いや? でも分かるから。ノスリ様、俺の剣の師匠なんだ。あのヒトを普段からちゃんと見ていたら、どういう考えで言っているのか。一瞬で俺への恨み節が憐れみに変わったじゃん。さすが年の功だよな」

「…………」

 

 そうして話しながら歩いている間にも、朝焼け空に不気味な波紋が地平から伸びている。

「でもナーガ様、出掛けちゃったのか……」

「そう言っていたね」

「う――ん」

 ユゥジーンは歩きながら腕を組んで考え込んだ。

 

 ヤンは隣で首を捻った。

 執務室の一員なら、皆と一緒に決められた仕事に参加した方がいいんじゃないかな? 

 今、入りにくいだろうけれど。

 

 前方の灌木帯で人影が動いた。長い三つ編みを足らした女性。

 

「エノシラさん?」

 ユゥジーンが駆け寄った。

「どうしたの? また急患?」

 

「いえ、夕べの患者さんに薬を届けた帰り。これから帰宅して寝る予定だったんだけれど、空があんなでしょう。具合を悪くする患者さんが続出しそうだから、とっととお腹に何か入れて、オウネお婆さんの診療所へ行こうと思う」

 

「ご、御苦労様」

 空への不安より、それによって起こる事への対処を考えている。見習わなきゃ、と二人は思った。

 

「ね、ユゥジーン、今朝ナーガ様どうだった?」

「もう出掛けたらしいから会っていないんだけれど。どうかしたの?」

 

「薬を届けに行く時に、馬繋ぎ場でお会いしたの。何かお仕事かしらと、会釈だけしてすれ違おうとしたんだけれど…………ちょっといつもと違う、おかしな事を言ってらした」

「……どんな?」

 

「『自分の気持ちに正直になりなさい。後悔のないように』って。唐突によ。変でしょ」

「…………」

 

 

 

 

 

 

 



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星の雫・Ⅴ

    

 

 

 エノシラと別れて、ユゥジーンは無言で歩き続けていた。

 相変わらず執務室と反対方向だ。

 ヤンは戸惑いながらも黙って着いて行く。

 

 下宿に通じる放牧地の真ん中で、コバルトブルーの少年は立ち止まった。

「ヤン、教えてくれるか」

「僕が? 何を?」

 

「何か動かなきゃならないのは確かなんだ。でも俺には分からない」

「ええっ!? 普通に執務室の仕事をするんじゃ駄目なの?」

「いつもはそれでいい。ナーガ様が俺に指令を残して行ったとしても、多分そう言うだろう」

 

 頭を抱えて真剣に悩むユゥジーンを、ヤンはじっと見る。昨日、蒼の里の執務室が厳しく系統立って動いているのを知ったばかりだ。だから彼が今何に葛藤しているのか、よく分からなかった。

 

「だけれどヤン、エノシラさんに言ったナーガ様の台詞が変だった。ノスリ様も何か変だった。直前にナーガ様とどんなやり取りをしたのか分からないけれど、とにかく全てがいつもと違って…… 引っ掛かるんだ、サインは残してくれて行っているのに」

「…………」

「本当は、パッと閃いて、即座に動けなきゃいけないんだ。でも俺、そういうのじゃないから」

「…………」

 

「だからヤン、教えてくれるか」

「いや、僕こそ何も知らないよ。一介の草の根の民だよ」

 

 ヤンは面喰らっている。確かに波紋に対しては何がしかの経験はあるけれど、それでも自分は成人すらしていない平凡な山の民なのに。

 

「だからだ。柵(しがらみ)や余計な知識に邪魔されず、真っ直ぐ素直に見透す力。本当にナーガ様の役に立てるのは、俺じゃなくて君やフウヤなんだ」

「まさか、そんな……」

「じゃあ一緒に考えて。今この状況で、君はどうする?」

 

 真剣な友の顔…… ヤンは目を閉じて考えた。

 分からないなりに、一所懸命、そのまま真っ直ぐ……

 そう、僕なら…………   あ  …… 

 

 目を開けて、周囲の黒雲を見回す。

 

「僕なら、まず里の外へ出る」

「里の外……」

「うん、さっき、里の中は結界で守られていて大丈夫って言っていたでしょ。安全なのはいいけれど、分厚い膜が掛かった感じで、外の気配も音も遮断されている。ここに居たって何も分からないよ。僕ならまず外に出る」

 

「分かった、その通りだ」

 ユゥジーンは顔を上げた。結界に慣れきっている自分からは出ない答えだ。

 

 ザワつきが大きくなる居住区を背中に、二人は厩へ走った。

 

 

 

   ***

 

 

 

 ヤンを後ろに乗せてユゥジーンは、静かに馬を舞い上がらせて、低空のまま里の結界を抜けた。

 

「うわ! 何だこれ!?」

 外に出た瞬間、ザァッと鳥肌が立った。

 周囲の空の揺らぎからの圧なのか、肌を刺す怖(おぞ)付きが半端ない。

 肩越しに後ろのヤンを見ると、髪を逆立てて金縛りに遭ったように硬直している。日頃山で獣の気配に神経を張り巡らす生活を送っている彼は、何倍にも悪寒を感じているんだろう。

 

「酷いな、壁一枚の向こうでノホホンとしていたなんて、ゾッとする」

「でもユゥジーン、結界も無いフウリさんのようなヒト達は、今どんな思いをしているんだろう」

「…………」

 

「あっ」

 里の馬繋ぎ場から十騎ばかりの草の馬が、打ち上がるように一斉発進した。

 執務室のメンバー達だ。

 彼らは八方に枝分かれして、草原の各所へ散って行く。主だった部族への連携や対処に向かうのだろう。

 外に出た瞬間、ユゥジーン達と同じ感覚に見舞われたのか、皆真剣な表情になり手綱を握り直している。

 何人かはユゥジーンに気付いたが、指で敬礼するのみで、自分の役割をこなしに行った。

 

 

「ユゥジーン、もっと高くまで上がれる? 行ける所まででいいから」

「ぉ、おう」

 

 草の馬の飛行は術力をあまり要しないが、それでも乗り手の資質で差違が出る。

 ユゥジーンはこの近辺の山を越えられる程度。それ以上の山越えは、休みながら気流を探さねばならない。

 ナーガ長はその数倍まで一気に上がり、どんな高い山にも引っ掛からない高速気流を使いこなす。

『シンリィの後ろに乗せられて青空遥か足下、丸い地平線の雲の上に朝陽が伸びて行く様を見た』なんてヤンの話に、『あれは血統チートだから一緒にしちゃダメ!』と返した物だ。

 

 精一杯馬を舞い上がらせ、黒い波紋をぐるりと見渡せる位置で停止した。

 ヤンは目を閉じて感覚を巡らせ、次に目を開けて、ある一定方向を見据えた。

 

「……やっぱり」

 ハイランダー独特の節太(ふしぶと)の指が、北西をピシリと指す。

「分かる? あそこを起点に全体を見据えると、すべての波紋の流れが自然に繋がる」

 

「う――ん、ああ、何となくそうかも…………あ!」

 ユゥジーンは、彼の指先、遠くに霞む白い山々を見て息を呑んだ。

 

「・・風出流山(かぜいずるやま)?」

 ヤンの冷静な一言。

 

「そう、あそこの一番高い頂。ヤン、知っていたの?」

 

 ユゥジーンは、風の神を祀った古い神殿があるとしか知らない。高山地帯で気流がトンでもないから、それらを飛び越えて行けるナーガ長しか、参りに行けない場所だ。

 

「僕の文通相手には、この世の端で結構長く生きているヒトもいて、『風出流山』を知っていた。あの山麓住人のお爺ちゃんとかは普通に信仰しているし。最近の波紋の出現情報を時系列順に地図上に並べると……ユゥジーン、あそこを起点にしていたんだ。今、上空から見て、改めて確信した」

 

「…………」

 

「他にあの山の事で何か聞いていない?」

 

「……と言われても……ああ、エノシラさんが連れて行って貰った事があるって。だからそんな物騒な所じゃないと思うんだけれど。ナーガ様の母君がめっちゃ綺麗で、氷の円柱が幾つもそそり立つ立派な神殿に、ピカピカの鏡みたいな床や壁……」

 ユゥジーンはハッとなった。

 

 ヤンも真剣な表情で彼を見ている。

 

 二人、どちらからともなく顔を見合わせて頷いた。

 

「行こう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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星の雫・Ⅵ

Ⅳの章の最終話です。

次回から最終章です。


 

 

 

 

 時は少し遡る。

 

 風出流山(かぜいずるやま)の神殿。

 

 空には糸のような三日月。青く溶けて地平に沈もうとしている。

 

 エントランスに佇む白いヴェールの女性。

 

 彼女はずっと、自分の手を見つめて止まっている。

 多分、もう自分が抑えていられるのも時間の問題なのだ。

 最初は小さくひっそりと、幽かな息吹と共に力をつけ始めた、神殿の奥に封じ込まれたモノ。

 何故力をつけ始めたのか分からない。何処からエネルギーを得ているのか分からない。

 

「兄様も、ナーガも、シンリィも動いてくれている。なのに未だにこれを抑えられないのは、私(わたくし)の落ち度だわ。私の力が足りないから」

 

 ふと、棚の端のケルンの側の空間に小さな穴が開いているのに気付いた。

 穴のあちら側から幼い手が伸びて、草原の名もない小花をケルンに散らせる。

 シンリィだ。

 そいえば『見る者によって姿が違う赤い狼』は、この子の瞳にはどう映っていたのだろう。

 

 子供は穴から顔を覗かせて、片えくぼを見せる。

 女性は片手を軽く上げて微笑んだ。

 

 何て可愛らしく健気な子供だろう。

 

 元々は……自分のせいなのだ。自分の不注意で病に陥り、神殿の封印を解かせるに至ってしまった。そうして赤い狼を引き寄せ、この子供にも負担を強いてしまっている。

 ああ、犠牲になるなら禁忌の術で永らえた自分だけで良かったのに。永らえた上に人並みに幸せなどを感じてしまったから、罰が当たっているのだ……

 

 

 ーーーー!!!ーー

 

 シンリィの叫びが頭に響いた。

 

 いつの間に、女性の周囲、神殿全体が、波紋の歪みに包まれている。

 

 足下の階段が波打ち、氷柱が積み木のように崩れて行く。

 建物の内部から黒い霧が吹き上がる。

 何を出来る間もなかった。

 

 全てが砕け真っ暗な奈落が開き、彼女は何も出来ずに深淵に吸い込まれる。

 

 

 

   ***

 

 

 

 風出流山より少しの東に、人間の帝国の過去の王都がある。今は朽ちて打ち捨てられた廃墟。

 その西にこんもりと繁る鎮守の森。昔は禁足地と定められていたが、人間の訪れない今は関係がない。

 

 荒れ果てた中央広場に枯れた蜜柑の大木があり、樹上に立つ妖精一人。

「おかえりなさい。……何が見えました?」

 

 樹下の草の中で、先程から地面に両手を付いて集中していた青銀の髪のソラが、ぶはぁと息を吐いて前のめりに倒れ込んだ。

 

「はあ、禁足の森でもポチポチとヒトは来るんですね。色んな人影が雑多に。でもこの広場が一番鮮明に記憶しているのは、一人の妖精の子供がここで暮らしている風景でした。明るい空色の髪の女の子。少しずつ成長して、男の子を産んで、その子に剣を教えたり。でも子供は人間との混血な感じで、母親を追い抜いてどんどん歳を取って……」

 

「素晴らしい」

 樹上の大長は目をしばたかせながら青年を見下ろした。

「『地の記憶を読む術』は、ほぼほぼ完璧ですね。本当に覚えるのが早い」

 

「忙しい中なのに、教える時間を割いて頂いたお陰です」

 

「基礎(ベース)がきちんと培われていたからですよ。広い器が作られていたから、今、沢山入る」

 

 ソラは膝の土を払って立ち上がった。

 ここの所、大長は術の指導や説法に時間を割いてくれている。

 有難いのは有難いのだが、彼が波紋を叩くのを後回しにして自分を育てる事に重きを置き出したのに、胸騒ぎを覚える。

 聞くのが怖くて口に出せないが。

 

「地の記憶の女の子、最初、ユユさんの子供の頃かなと思ったけれど、違いました。どなたなのです?」

 

「私の妹です。ユユの母親」

「ああ、道理で」

「今は風の神の神殿で守り人をやっています」

「神殿……」

 

 そこまで話した所で、不意に地面に影が差し、二人はハッと顔を上げた。

 

 音もなく空が揺らぎ始めている。

 

「ソラ、貴方何か陰気な事を考えました?」

「あ、すみません、ちょっとだけ」

「まあこの広場は昔の結界がまだ効いているから、波紋はあれ以上下りて来られません。シンリィも来ていないようだし、一撃入れて離脱しましょう」

 大長は波紋を見据えながら、手の中に術の光を滲ませた。

 

 と、木の梢まで迫っていた波紋の真ん中に、いきなり穴が開いた。

 

「じじさま!」

 紫の前髪の娘が、半泣き顔で飛び下りて来た。

「お山の……お山の神殿がドカアンって。あたしビックリして足が動かなくて。地面に穴が開いて、しんりぃが飛び込んで行って」

 

 大長の顔色が変わる。

「あの子は!? 守り人の女性がいたでしょう?」

 

「わ、分かんない。とにかく神殿もみんなバラバラで、大きな穴しか残っていなくて」

 

「!!!」

 ソラは大長の唇が震えるのを初めて見た。

 だが次の瞬間、彼はサッと切り替えた。

 自分が折れてはいけない人生を、彼は永々(えいえい)と生きている。今もだ。

 

「ソラ、高空気流はもう使えますね。今すぐ西風に戻りなさい」

 

「え……いえ、最後までお供します」

 

「泣きわめく幼児が見境を無くすと、次は大切なモノを次々と壊して自己顕示を始める」

 

「ぁ・・!! は、はいっ!」

 ソラは瞬時に理解して、茂みから怯えながらこちらを見ている馬の所へ走った。

「大長様、ありがとうございました。いつか必ずや御恩をお返し致します」

 

「はい、楽しみにしていますよ」

 

 青銀の妖精は力強いロケットスタートで、波紋に触れる間さえ与えず、一瞬で夜空の彗星となった。

 数ヶ月前、花嫁を拐った時のヘロヘロした飛び方とは雲泥の差。今なら多分何が来ても、西風を守る強靭な盾となれるだろう。

 

 大長も即座に出発すると思いきや、馬と共にいた鷹を呼び寄せて、何やら手紙を書いている。

 

「もぉ、じじさま、早くぅ!」

 急いて夏草色の馬によじ登ろうとする娘を、大長はひょいと抱えて、蜜柑の木の低い枝に座らせた。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……じじさま?」

 

「リリの役割はここまでです。そこの波紋が何処かへ行ったら、この鷹を飛ばしなさい。じきに蒼の里から迎えが来てくれます」

 

「え」

 翼に白い帯のある鷹を膝に乗せられ、娘はポカンと口を開く。

 

「安全になってから風露のお母さんの所へ送って貰えるよう、手紙に書いて置きましたからね」

 

「い、いやだ、あたしもしんりぃを助けに行く!」

 立とうとしてリリは、お尻がガッシリ太い枝に吸い付いている事に気付いた。

「じじさま、ずるい!」

 

「迎えが来たら外れる言霊だから大丈夫ですよ」

「いやだいやだいやだ! 一緒に行く!!」

 

 子供がどんなにごねても叫んでも、大人はとっとと大きな馬に跨がって、飛び立って行ってしまう。本当にどうにも出来ない。悔しい、無力だ。悔しい、悔しい、悔しい!

 

 小さくなる夏草色の馬を睨み付け、リリは歯軋りして涙を流す。

 膝の鷹が雫を嫌がって、頭の方へ移った。

 鷹の重みで頭に項垂(うなだ)れながら、娘は更に嗚咽する。

 

 呑気にしていなければよかった。

 術を教えてくれるヒトはすぐそこに居たのだ。

 もっとしつこく頼めば、そう、ソラさんみたいにグイグイ行けば、ちゃんと鍛えて貰えたかもしれない。

 そうしたら、ああいう風に、いざという時頼もしく、任せて貰える者になれたのだ。

 

 なのに、呑気に綾取りしたり愚痴を喋ったり。

 まだ大丈夫だと思っていた。こんな日は急に来ないと思っていた。

 

 だから置いて行かれるのだ。

 しんりぃを助けに行けないのだ。

 悔しい、自分のせいだ、悔しい、悔しい・・!!

 

 滲んだ視界に、波紋の中にぽっかり開いた大穴が見えた。

 自分の出て来た穴が、まだ塞がっていない!

 

 

 

   ***

 

 

 

「いや、やっぱりヤンは、下宿の部屋で待っていて」

 

 蒼の里近くの草原。コバルトブルーの馬に二人乗りの少年達。

 遠くの山を見据えながら言うユゥジーンに、三峰の少年は真面目な声で聞いた。

「どうして?」

 

「ここから先はマジやばい」

 

「ふうん、どうやってあんな高い山まで行くつもりなの?」

「気流を探し探し昇るよ、それしかない」

 

「そんな事をやっている間に波紋が空を覆い尽くしちゃうよ」

「じゃあ何かあるのかよ…………・・・あるのか? ねぇ、ヤン」

 

「僕も一緒に連れて行く?」

 

 

 三峰の少年の出したアイデアは、確かに無茶苦茶なモノだった。

 

 山に向いて、斜めほぼ真上に向いて、空の波紋にこちらから吸い込まれる。

 理論上は、短時間でユゥジーンの能力以上の高度を稼げる筈だ、理論上は。

 

「大長様に言われたように、上がり過ぎて、ヤバい空間に放り出される可能性もあるぞ」

 

「だから僕の『眼』で見る。一回シンリィに連れて行かれた丸い地平の景色、あの辺が多分僕らの限界高度だ。地平があの角度になる一歩手前で教えるから、空間に穴を開けて飛び出してくれ」

 

「簡単に言うな」

 

「無理か?」

 

「行くよ、ヤンこそいいのか? 関係のない一介の草の根の民だろ」

 

「本気で言ってる? 関係あるよ。僕がこの世界に生きる一員でないとでも?」

 

 

 

 波紋に向かってぐんぐん昇る馬の上。

 ユゥジーンの背を見つめながら、ヤンは柄にもない自分の台詞を反芻して、苦笑した。

 

 違う、本当は、アレだ・・

 

「友達に危ない道を提案して、『じゃあ頑張ってね』なんて言える訳ないだろ、カッコ悪い」

 

 

 

 

 

 

            ~星の雫・了~

 

 

 

 

              ~六連星・Ⅳ・了~ 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回からⅤの章。
多分おそらく最終章。


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六連星・Ⅴ
風出流山(かぜいずるやま)・Ⅰ


六連星・Ⅴの章スタート


  

 

 

 

 雪原を駆ける雪豹(ゆきひょう)の背中なんて勿論乗った事ないけれど、きっとこんな感じに違いない。

 ユゥジーンとヤンを乗せたコバルトブルーの馬は、主の要求に応えて、水底の重い空間を能力以上の力で駆け上がってくれた。

 

「あそこだ!」

 ヤンの類稀なる『見る力』は、通りすぎる窓々から、行くべき地平線を見極めた。

 

 ――ひ、開け――っ!

 

 ユゥジーンが急いで唱えた呪文で窓はぶち破られ、そこから飛び出すと、二人の身体は一気に高空の冷気にさらされる。

 

「うぁ、耳がぁ!」

「耳抜きしろ、耳抜き、唾呑んで!」

 多分本当に自分達の身体が耐えられる限界の高度だった。

 ヤンの眼がなければ来られなかったろう。

 

「あああ!」

 そこに広がる光景に、二人は耳の痛みも忘れて声を上げた。

 昼とも夜ともつかない澄みきった紺碧の空。

 すぐ頭の上を高速で走る百千の帯。

 風だ。この星を巡る数多(あまた)の風が、縦横に遥々(ようよう)と流れているのだ。

 

「ヤン、見える?」

「風の帯だろ? ユゥジーンと同じ見え方かは分からないけれど。色が付いているのは温度? 方向? 速さかな? 凄いね、これ」

「…………」

「あ、あの山岳地帯に通じる白い帯、あれに乗ればいいんじゃないかな。ね、ユゥジーン」

 

 ヤン、どこが一介の草の根の民だよ……

 

 

 

 

 剣のような頂が連なる白い山岳地帯。

 ひときわ高い独立峰を目指して、二人乗りの騎馬は風の帯を飛び出して降下した。

 初めての高速飛行に感動している暇なんてなく、鞍上の少年達は髪にツララを下げて青息吐息だ。

 

 頂上から少し下に広い棚があり、建物が崩れたような氷の塊が積み重なっている。

 夢で見た建物はこれかもしれないが、激しい降雪に隠されていつ崩れたのかよく分からない。おまけに白い靄も湧いて来た。

 

 馬を下りて二人は、凍った髪をかき上げて、周囲を見回す。

 

「あっちの氷の塊が夢で見た神殿の瓦礫っぽいけど。ユゥジーン、でも地面にあった大穴が見えないね。 …………ユゥジーン!?」

 ヤンが慌てて振り向くと、すぐ後ろにいたユゥジーンが消えている。

 ゾクッとして、その場から足を動かさずに360°を見回した。

 乗って来た馬すら居ない。

(そんな、ほとんど動いていないのに)

 

「ユゥジーン、ユゥジーン!」

 呼んでも返事はなく、視界はホワイトアウトして水底のように歪んで行く。

 まずい、まずい。

 ヤンは意識をしっかり保つように、頬や膝をパンパン叩いた。

 

 目前の靄の中に人影が浮かぶ。

 ユゥジーン? 違う、例のマボロシか? 性懲りもなく・・

 

「ヤン!」

 

 予想に反して、雪の中から現れたのは、思わぬ人物だった。

「これも、マボロシか……?」

 

「ううん、正真正銘、僕だよ。足に力が入らなくて、そっちに歩いて行けない。支えてくれる?」

 

「フウヤ!!」

 白い少年が目を開いて立っている姿を見て、ヤンは心が震えた。

 思わず駆け寄りそうになったが……

(いや待て、何でこんな所に彼が居る?)

 

「どうして此処に、って思ってる? 明け方、お姉ちゃん人形に呼ばれたの。寝る前に鏡を伏せていたのに、不思議だなって思って目を開けると、部屋の中にいきなり波紋が現れて」

「……それで?」

 

「波紋に穴が開いて、向こうにヤンが見えた。すっごく寒そうな場所にいて、それで羽織る物を持って行こうと」

 フウヤは手に掴んでいた鹿の毛皮を差し出そうとして、よろめいた。

 

 ヤンは思考するよりも先に足が出て、彼を受け止めていた。

 細っこくて軽い、いつものフウヤ。

 

「ねぇ、ここは何処なの?」

 毛皮をヤンに被せながら白い子供は訪ねる。

 その毛皮を寝巻きの彼に被せ返しながら、ヤンは白く霞む周囲を見回す。

「山の神殿……の筈なんだけれど」

 

「神殿ってあれの事?」

「??」

 

 フウヤの指差す先、靄が流れて柱が現れ、いきなり見上げるような神殿がそそり立った。

 雪の中なのに彫刻の細かい彫りまでが鮮明で、今造り上げたようにピカピカしている。

 

「あの中へ行けって事なんでしょ?  行こうよ、雪を避けられるし」

 

 ヤンは後退(あとずさ)って、フウヤから身を離した。

「お前…………本当にフウヤか?」

 

「フウヤだよ。疑り深いな、ヤンらしいけど。なら二人しか知らない秘密を聞いてみてよ」

「マボロシは僕の心を読める。意味ないよ」

「う――ん、じゃあ、ヤンの知らない僕の秘密、話そうか?」

「えっ・・」

 

 フウヤはいつものいたずらっぽい表情を崩さないまま、話し始めた。

「ヤンの頭のバンダナ、珍しい色でしょ。春の新芽みたいに透明な黄緑。僕、三峰に行く前、風露の関で色んな種族のヒトを見たけれど、その色を目にしたのは二回だけなんだ」

 

 ヤンは怪訝な顔になった。いきなり何を?

 確かにこの黄緑は、三峰に古くから伝わる特殊な発酵法で出す色だ。

 

「いっぺんは市場でヤンと初めて出会った時。もういっぺんはその前日。川柳(かわやなぎ)という村で、一人だけがその色の布を川にさらしていた」

「?? どういう……事?」

 

「どういう事なんだろうね。だから僕は、勝手に色々色々、考えたんだ。布をさらしていた僕を生んだお母さんは、いつ誰にその色の染め方を教わったのかなぁ、とか」

「……フウヤ……」

 

「それでね、確かめたくって、ヤンにくっ着いて行ったの」

「…………」

「これが僕の秘密だよ、ヤン」

 

 ヤンはマジマジと、白い子供の薄紫の瞳を見つめた。

「分かった。お前は間違いなくフウヤだ」

 

 

 ***

 

 

「ねぇ、どこまで行くの?」

 

 ユゥジーンは、終わりがないかと思える長い氷の廊下を歩いていた。

 前を歩くのは、オレンジの瞳の西風の娘。

「私に分かる訳がないじゃないか。明け方、妙に現実感のある夢を見て、胸騒ぎがして里の外に出たら、目の前に小さい波紋が降りて来た。波紋の向こうにユゥジーンが見えて、飛び込んだら夢で見た神殿が立っている。だったら入ってみるのが筋じゃないか?」

 

「ルウ…… 罠かもしれないとか思わないの?」

 

「罠でも何でも進んでみなきゃ、シンリィもあの女のヒトも助けられないだろ。それにしても寒いな。こちとら砂漠の服装なんだから、招待するなら少しは気を使えってんだ」

 

「ああ、ちょっと待って」

 ユゥジーンは自分の袖を裂いて、素足に草履履きの娘に履かせてやった。馬がいたら多少の予備は携帯していたのに、下りた瞬間ヤンともどもはぐれてしまったのだ。

 

「すまないな」

「まぁ俺は筋肉着てるから」

 

(しかし本当にまさかまさかだよな)

 ユゥジーンは改めて隣のルウシェルを見直した。

 最初いきなり彼女が現れた時は、波紋が見せるマボロシかと思った。

 

「どうした、ジロジロ見て?」

「いや、俺の脳内の生産物だったら、もうちょっとアチコチ出っ張ってくれたんだろうなぁと」

「何だ、それは?」

 

 二人は喧々(けんけん)言い合いながら、廊下を歩く。

 その廊下の裏側を、まるで鏡で逆さにしたように、フウヤをおぶったヤンが通過したが、お互いに気付かなかった。

 

 

 歩いて歩いて、不安になって言葉少なになった頃、唐突に突き当たり、両開きの大扉が現れた。

 高さが天井まであり、かなり重そうだ。

 

「これ、開けるんだよな、やっぱ」

 ユゥジーンは取っ手に手を掛けたが……

「ルウ?」

 ここへ来て、ルウシェルは唇を強張らせて止まっていた。

 理屈より先に、本能が扉を怖がっている。

 

「さっきの勢いはどうした? 開けなきゃ進めないぞ」

「うん、そうだな」

 ルウも意を決して、二人で協力して片側の扉を思い切り引いた。

 

 ――ギィイ・・

 

 

 

 

 

 



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風出流山・Ⅱ

 

 

 

 ・・・・・・

 

 真っ暗だ、鼻の先も見えない。

 ユゥジーンは慌てて、後ろのルウシェルの腕に自分の腕を絡ませた。また逸(はぐ)れさせられては敵わない。

 あまりに暗くて、身体の感覚すらあやふやになる。

 上も下も、地面に足が着いているのかさえも自信がなくなってしまう。

 

「ルウ、居る? ルウ」

「ちゃんと居るぞ、狼狽えるな、ユゥジーン」

 

 凛と返って来た声を聞いて、安心したが落ち込みもした。

 年下のルウの方が明らかに肝が据わっている。

 そりゃそうだ、西風の長の直系だものな。俺なんかと違う。

 そういうのが頭を過った瞬間……

 

 ――キィン・・   嫌な耳鳴り。  

 

《 よく来たな  我が愛する末裔達 》

 

 聞こえた声は大仰なエコーが掛かっていて、二人は顔をしかめた。

 漆黒の闇の奥に、何かがボォッと浮かぶ。

 水底を通したように揺れているそれは、だんだんに像を結び、やがてヒトガタとなった。

 

 背の高い男性で、一見して歳長けているのか若いのか分からない、しいて言えば植物のような顔。白に近い銀の長髪に薄い色の瞳、宗教画で見たような金銀刺繍の重たそうな法衣を纏っている。

 しかし一番に目を引くのは彼の背中、頭上から爪先まで伸びる、分厚い立派な羽根だった。

 一対ではない。何枚もが積み重なって層になっている。

 

《 そなたらを 待っていた 》

 

「誰だ?」

 ルウが油断なく、花模様の剣の鍔(つば)に手を掛けた。

 ユゥジーンも腕を交差させ、二刀を握って構える。

 

《 そう気色ばむな 我も風の民  そなたらと血を同じくする始祖だ 》

 

(大本命きた――っ!)

 ユゥジーンの背筋をビリビリと震えが駆け上がった。

 俺が遭っちゃってどうするの? ナーガ様とか大人のヒトが対峙すべき相手なんじゃないの!?

 

 そのあたりを聞かされていないルウは冷静だ。

「ご先祖様……? 私達を待っていたと言われても、私には貴方から於曾気(おぞけ)しか伝わって来ない。失礼だが貴方は『生きた』存在なのか?」

 

 有翼の男性は、少し眉を動かした。

《 我に肉体は無い。そして個人でもない。太古からこの神殿と共にあった風の始祖の総意、精神と意志の集合体、神に近い存在と言うと理解しやすいか? 》

 

「・・・・」

 ルウは剣の柄から手を離さない。

 自分を神だなどと言う者ほど胡散臭いモノはない。

 

「あの、神殿の守り人の女性と、小さな男の子を知りませんか? ここに出来た穴に落っこちちゃったのを助けに来たんですけれど」

 ユゥジーンは取り敢えず聞いてみた。

 

《 さて、何処かに居るのかもしれないな 》

 

「えっとじゃあ、波紋を作って地上に迷惑を掛けているって貴方なんですよね? 何でそんな事してるんですか?」

 

《 さて、それはどうだろう 》

 

 組んだ腕からルウのピリッとした怒りが伝わって来た。

 まぁユゥジーンだって、まともに答えて貰えるとは思っていない。

 

《 そんな事よりも…… 》

 

 少年少女は身構えたままだが、有翼人は無頓着に自分の話をサラサラと語り始めた。

 

《 我はそなたらを買っているのだ。だから特別にここへ招いて対話をしてみる気になった。そなたらの幼いながらの正義感と賢さに、好感を抱いているのだ 》

 

「だから何だ? ご褒美に飴玉でもくれるってのか?」

 ルウは斜(はす)に構えた。ネチネチした誉め言葉には必ず裏があるって、尊敬する父者(ててじゃ)から叩き込まれている。

 

《 褒美、そう、褒美を与えてやろうと思ってな 》

 

「褒美? ヒトの婚礼に土足で踏み込んでおいて、どの口が言うか」

「ルウ、何かくれるってんなら、話だけでも聞いてみない?」

 

 ルウシェルにしたら大切な西風を襲った憎い相手だが、婚礼の儀式ドコロじゃない事態を引き起こしてくれた事に多少の有り難みを感じているユゥジーンは、ちょっと譲歩した。

 

 しかし二人の意見が割れた瞬間。

 

《 そうだ、お前は賢い 》

 

 絡めていた腕がスゥッと引き抜かれた。

 

 

 

 ***

 

 

 

(しまった!)

 ユゥジーンは慌てて周囲を探るが、ルウシェルの身体はもうそこに無い。

 代わりに、目前にぼんやりと、何かの塊が浮かぶ。

 

 鳥? 違う、羽根、翼? 

 薄い銀色の、一対の、閉じられた羽根。

 

《 我の羽根を一つ、そなたに授けよう 》

 

「は? ・・ええっ!?」

 

《 我はな、風の末裔の未来は、そなたらのように賢い若者にあると考えたのだ。古き慣習に慣らされた体制ではない、自由な発想で新しい風を吹き込める初々しい世代に 》

 

(胡散臭ぇ・・)

 本当に初々しく、自分を賢いと思っている無敵の若者なら乗せられたかもしれないが、身の程を知り過ぎて自己肯定感が皆無に近いユゥジーンには響かなかった。

「あ、俺は大丈夫です。他を当たって下さい」

 

 有翼人は一時(いっとき)黙ったが、すぐに声音を変えて畳み掛けて来た。

《 術力を秘めた護りの羽根だ。あらゆる術が使えるようになるぞ。本当に要らないのか? 》

 

「どうせ『個人差があります』とかいう後付けがあるんでしょ。そういうのいいですから」

 

《 また黒の災厄が来ても、そう言っていられるか? 》

 

「え」

 

《 来ないとは限らないぞ。羽根があればああいう物も恐れずに済む。そなたのすぐ身近にも居ただろう。黒の病を被りながら、羽根に守られて永らえた子供が 》

 

「…………」

 

《 ・・ユゥジーン・・ 》

 

 名を呼ばれて、少年はビクリと揺れた。

 ――ま、まずい!!

 言霊(ことだま)だ、名前を呼ぶことで相手を支配する術。

 心の扉の少し開いた隙間を突いて、無理やり足先を捩じ込んで来る奴だ。

 

《 病を跳ね退けるだけではない。長の血筋に匹敵する能力を得られる。昔の蒼の里に居た翡翠の羽根の術者のように 》

 

 ……カ、カワセミ様? 確かにあのヒト凄かったらしい。『不世出の術者』とか言われて、いまだに語り継がれているぐらい。そう、長の血筋でも何でもなく、突然の先祖返りで羽根を持って生まれたって聞いた……

 

《 想像してみるがいい、彼のような術者が今一度舞い降りた蒼の里を。どれだけの者を助けられる? どれだけ強く里を守護する事が出来る? その救世主にお前がなれる。何を拒む理由があるのか? 》

 

 ・・・・あれ? ・・考えてみたらそうじゃん?

 ナーガ様の負担を減らせるし、ホルズさんも助かるし、悪い事なんか無くネ?

(え、いやいやいやいや、待て!)

 持って行かれそうな心を、ユゥジーンは必死で繋ぎ止めた。

 

《 ・・ユゥジーン・・ 》

 

 また呼ばれる。

 まずいって、マズイ……

 ヤバ…………手が羽根に伸びてるじゃん、止まれ、止まれ!

 

 

 

 ***

 

 

 

 ルウシェルの目の前にも、一対の羽根が浮かんでいた。

 

《 この羽根を得れば、そなたは絶対者になれる。もう西風の里は弱い部族だなどと侮られない。里内の誰にも何も言わせない、元老院にも 》

 

「力尽くの権力など得ても、録な事にならない」

 

《 綺麗事を並べるだけなら簡単だ。だが、そう言っていて倒れてしまった母親、才能を飼殺しにされ擦り減るばかりの二人の若者、寄り掛かる事しか出来ない里人。それらひ弱い者々を、そなたが羽根を背負う事によって救えるのだ。皆を守れる強い存在となれるのだ。あの翡翠の羽根を持ったカワセミのように 》

 

「・・・・・・」

 

《 ・・ルウシェル・・ 》

 

 西風の娘がピクリと揺れた。

 

《 我は見返りを求めない。お前のように理不尽な苦労を強いられている若者を手助けしたいだけなのだ。さあ、手を伸ばせ、伸ばせ。 ・・ルウ――シェル・・ 》

 

 オレンジの瞳から光が消え、眼前でゆらゆら揺れる羽根をじっと見つめる。

 

 

 

 

「やめろ――――!!」

 

 空間を切り裂いて、ナーガの深緑の馬が飛び込んで来た。

 しかしもうそこには誰もいなかった。

 

「ナーガ」

 大長の夏草色の馬が、別方向から空間を渡って来た。

「二人は羽根を、受け取ってしまったのですか?」

 

「いえ、僕の接近に気付いた先祖が、一瞬早く空間を断ち切ったようです」

「そうですか……」

「まったくイタチごっこだ。しかしあちらの目的が、子供達を呼び込んでたぶらかす事だったとは」

「本当に、こちらの嫌がる最低な所を突いて来ますね」

 二人は苦い顔で唇を噛み締めた。

 

「正面から真面目にやり合うと双方タダでは済まない。それはあちらも避けたいのでしょう。だから子供達を取り込んで、闘わずして上に立ちたいのですよ」

 

「まったく、舐めてくれる」

 ナーガは群青の髪をめらめらと湧き立たせた。

「ルウシェルは、あのモエギ殿とハトゥンが大切に育て上げたんだ。甘い言葉に転ぶ娘じゃない。ユゥジーンだって……あの難しい子が一筋縄でどうにかなると思ったら大間違いだ」

 

 大長は、苦労しているんですね、という顔を一瞬だけした。

「しかし、『言霊』を使われると厄介ですよ。多分、連中は使えます。水底のマボロシは言霊攻撃の併せ技みたいな物ですし。私や貴方は時と場所を選びますが、連中は平気で使って来るでしょう」

 

「その点は」

 ナーガは二人の消えた虚空を見据える。

「一つ保険がかけてあります」

 

 

 

 ***

 

 

 

 空間に浮かぶ羽根をじっと見つめるルウシェルの目の端を、白い何かが過った。

 そちら側、強い術で封じられた壁の向こうに、闇雲に飛び回っては弾かれるモノが、薄く見える。

 羽根の子供を背に乗せた、白い馬のカタチをしていた。

 ルウの胸に縫い付けた半分の羽根が、小さく震える。

「シンリィ・・!」

 

 ちぃっ! と忌々しそうな声がして壁がグルンと回り、騎馬の陰は消えた。さっきも一度あったが、多分部屋ごと場所を移動させられているのだ。

 

(――大丈夫だ、シンリィ)

 ルウシェルは口の中で呟いて、空中の羽根から視線を逸らせた。

「折角のお心遣いだが、私は遠慮させて頂く」

 

 空間の奥の有翼人が、動揺を隠せぬ顔をした。が、平気な素振りで、何故、と聞いて来た。

 

「私の母も、側の二人も、里人も、ひ弱くなどない、強い。安易に手に入れた形骸なんぞを持ち帰ったら失笑されるわ。ましてや、カワセミ殿の誇り高き清廉(せいれん)さも知らぬ者にその名を語られると、於曾気(おぞけ)が走る」

 

《 ………… 》

 

「あと、残念ながら、私の本当の名はルウシェルではない」

 

 

 

 

 

 ユゥジーンの近くにも、白い馬の影は飛び回っていた。

 

「シンリィか? そうだな、お前楽なんかしていなかったよな。いつもいつも自分の役割を一所懸命探してさ。お前をチートだとは思っても、羨ましいと思った事は一度も無かった」

 

 少年は両手を下ろして身を引いた。

 

「あ――、俺、いいです。カワセミ様はカワセミ様、俺は俺、っスから」

 そりゃ確かに、また黒の災厄クラスの奴が来て、後悔する日が来るかもしれない。でもそんな来るか来ないか分からないモノの心配をするよりも、こんな代物を持って帰った時のナーガ様の反応の方が、確実に心臓にクルんだよ。

 

 有翼人はもう平気な素振りはしなかった。

《 お前も、真名(まな)では無かったというのか? 》

 

「は?」

 

 暗闇に亀裂が走り、次の瞬間二人の足元が割れて崩れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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風出流山・Ⅲ

 

 

 

 

「「破邪・・!」」

 

 大長とナーガの併せ呪文が炸裂し、岩盤のようだった氷壁に風穴(かざあな)が通った。

 

「ぜぇぜぇ、み、道が出来ました」

 幾重もの呪いの掛かった迷宮に行く手を阻まれていたのを、やっと突破したのだが、ナーガは息があがっている。一撃の力は大きくても持久力に欠けるのが彼の泣き所だ。

 それにしても、長年封じられていた筈の祖先が、何処からこんな想定外の力を得ているのか。

 

「もう罠はタネ切れでしょうからね。次は実弾が来ますよ、ナーガ」

 

「実弾・・」

 

「物理的に襲って来るって事です。元々は魔物の巣窟だった場所です。守り人が追い払っていたのですが、その輝きが地に閉じ込められた今は、幾らでも呼び寄せられる」

 

 大長は剣の柄を握りながら、横目でナーガを見た。

 来るのは多分、獣やら蛇やらを下地にした普段なら木っ端のような魔性だろうが、今の彼の消耗具合ではギリギリ対応出来るかどうかだ。

 

「ナーガ、貴方は後方に回って下さい」

「そうは行きません」

「貴方に倒れられると困る」

「僕が倒れたら、もう一度蒼の長をやって下さい」

「……ぶん殴りますよ」

「今朝ノスリ殿に同じ事を言って、ぶん殴られ済みです」

「…………はぁ……」

「ねぇ、是(よし)と言って下さいよ」

「二度と御免被ります」

 

 四方に邪気が渦巻き、ここへまとめて召喚されたらしき数多(あまた)の魔性の気配が、ビンビンと響いて来る。

 

「修行時代を思いだしますね。しっかり着いて来なさい、ナナ」

「はい、叔父上」

 

 二人は剣を抜いた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ねぇ、重いでしょ。僕、歩けるよ」

 

 先の見えない氷の廊下を歩くヤンの背中で、フウヤは三度目の同じ台詞を言った。

 

「フウヤみたいなやせっぽちなんか、仔猫ほどの重さも感じないよ」

 ヤンはフウヤを背負い直しながら、三度目の同じ答えをした。

 いつもは背中に背負っている石弓を前にぶら下げているので、歩きにくいのは歩きにくいのだが、フウヤに無理をさせる訳には行かない。今繋がっているのが不思議なくらい、両脚ともに深く抉られていたのだ。

 

 ――多分この子は、もう以前のようには動けない。

 縫合を終えたウェン医師は、寂しそうな声でそう語っていた。

 

 谷へ飛び降り、ムササビのように枝を渡って獲物の先へ回り込むのは、フウヤの得意技だった。それが出来たから、体格で遥かに劣る三峰の男達と並んで、狩猟の民を名乗れたのだ。

 

(あんなに狩猟の民の仲間入り出来た事を喜んでいたのに)

 自分のせいでこの子の夢を壊してしまった。何だったら一生この子を背負って歩こうか。

 

「ヤン、ヤン!」

 背中から呼ばれて、ヤンは現実に呼び戻された。

「しっかり! 周りを見て!」

 

 顔を上げて見回すと、黒い墨を流したような筋が、自分を中心をゆっくりと回っている。

 

「何考えてたの。ここではマイナス思考は厳禁だよ」

「ご、ごめん」

「ちょっと降ろして。先も見えないし、どうもこの廊下、堂々巡りな気がする」

「う――ん」

 

 ――ガギン!!

 

 会話は衝撃音に止められた。

 二人がそちらを見るや、空中に波紋が広がり、そこに開いた穴から毛むくじゃらの前肢が突き出し、鋭い蹄(ひづめ)が氷の地面に刺さっている。

 えっ!? と思う暇もなく、巨大な牙を持った鼻先がヌッと押し出て来た。

 猪だ、牙が片側三本もある化け猪!

 

 顔だけでフウヤの身長もありそうな巨大猪が頭を振って、今まさに狭い穴から出て来ようとしている。冗談じゃない、あんな牙に挟まれたら絶対に助からない。

 

(並みの猪と違う。魔性だ!)

 ヤンは石弓を外しながら一所懸命考えた。長くて狭い廊下、隠れる場所が一切無い。第一、あんな大きな魔性相手に、この弓で致命傷を与えられるのか?

(周囲に波紋の渦が出来てくれたら、飛び込んで逃げられるかも)

 しかし空間の黒い揺らぎは、化け猪の周囲に吸い寄せられている。それらが張り付いて、猪の毛皮をだんだらの縞模様に染め上げた。

 

 ヤンが弓弦を張っている間に、フウヤは二歩三歩と離れる。

「フウヤ、僕の後ろに居ろ」

「ううん、僕が引き付ける。その隙に急所を狙って」

「駄目だ」

「いつもやってた事でしょ」

 

 言うが早いか、白い子供はパンと手を叩いて駆け出した。

 猪の目線を向けるのには成功したが、案の定子供は足をもつれされて転んだ。

 ヤンに提示されたのは、冷静に猪の心臓を狙うか、泡喰ってフウヤに覆い被さるかの、二択だった。

 彼は三択目の、一射で猪をこちらに向かせ、連射で頭蓋の穴を狙う道を選んだ。

 

 ――ピシ! ピシ!

 

 一射目で頬を叩かれた猪の、怒って振り向いた右眼を、二の矢が深く射抜いた。――成功!?

 が、何と猪は、頭をブルンと振って矢を抜き飛ばしてしまった。

 眼球は復活しないが、ダメージを受けている感じがまったくしない。

 二人が無事だったのは、猪がまだこちらに完全に出きっておらず、腰骨が穴に引っ掛かっていた為だ。

 

 ヤンは三撃目を構えた。だが猪は武器を認識し、激しく頭を振って狙わせてくれない。

 

「フウヤ、猪がこっちを向いている間に、奴が出て来た穴に飛び込んで」

「え、でも囮役は必要だ」

「頼むから逃げてくれ。今のフウヤじゃ居ない方が安心だ、だから……」

「い、嫌だ」

「フウヤ?」

「ヤンまで、僕を要らないって言わないで!」

 

 魔物の腰骨が穴から抜けた。

 フウヤは落ちていた矢を拾って、獣の注意を引こうとヨロヨロ動く。

 

(どうする、どうする・・)

 獣は次の瞬間にはどちらかに突進するだろう。

 また一瞬の判断で『失くす』事になるのか? もう御免だ!

 

 ・・?

 予想に外して獣は動かない。いや、後肢を出してもまだ何かが穴に引っ掛かっているのだ。

 

「きゃぁあっ、ちょっと待って待って――!」

 女の子の悲鳴?

 と思ったら、猪はいきなり飛んで跳ねた。

 少年達のどちらでもない明後日(あさって)の方向へ。

 

「えっ!?」

「はぁっ!?」

 

 何と猪のお尻に、小さな女の子が乗っかっているのだ。しかも猪の銅丈と同じくらいの長さの太い木の枝と共に。引っ掛かっていたのはそれだったのだ。

 女の子は変な風に身体を捻って、木の枝を抱えるように猪の体毛にしがみ付いている。

 

「な、何でそんな所に!?」

 

「あっ、あのね、きゃっ!」

 

 猪の跳ね上げで、掴んでいた毛が千切れて女の子は枝ごと上に飛ばされた。

 だが空中で枝と共に回転して、猪の頭めがけて落ちて来た。

 ――ズボッ!

 何のイタズラか、枝は猪の左右の牙に、キレイに水平に挟まった。猪にしたら、鼻面の上に枝が横たわって、下顎から突き出た牙に固定された、口枷(かせ)状態。

 女の子は、右牙の外側に付き出した枝にしがみ付いたままだ。

 

「離れて逃げろ!」

「む、無理ぃ、枝がお尻から離れないの!」

「は、何だってそんな事に!?」

「長くなるけど今聞きたいっっ?」

 

「ヤン!!」

 顔に引っ掛った異物に気を取られている猪の虚を突いて、フウヤが左に付き出した枝に飛び付いた。女の子と共に、猪の鼻梁の左右にぶら下がる形になる。

 そのまま左牙も掴んで踏ん張り、猪の首を下に向かせる。

 

 ヤンが流れるように矢を放った。

 いつもやっている連携。口で言わなくてもお互い勝手に身体が動いた。

 

 矢は見事に残った左目に通り、猪の動きを一時止める。

 が、またポトリと排出されてしまった。やはりこの矢じゃ無理なのか。

 怒った猪が枝ごと二人を持ち上げて頭を振り始めた。

「フウヤ、無理するな、逃げろ!」

「い、や、だ、今離したらもう捕まえられない」

 

「あんた、その武器で眉間を狙って!」

 振り回されながら女の子が叫んだ。

 

「無理だ、そこは固い」

 

「いいから! 白いあんた、もう一度押さえるわよ、せーの!」

 二人は息を合わせて同時に下へ体重を落とした。

 猪は一瞬首を下げる。

 

 ヤンは渾身の集中で、猪の額の真ん真中に矢を放った。

 

 ――破邪――!

 

 奏でるような呪文。

 矢は光をまとって、水に吸い込まれるように獣の眉間に突き通る。

 

(え、ウソ、凄い)

 弓を構えたままの姿勢で呆然と突っ立つヤンの前で、一拍置いて、魔獣は崩れ落ちた。

 

 

「やったね、ヤン」

 フウヤは枝と牙に手を掛けたまま、両足を投げ出して地面にヘタり込んでいる。

 顔色が悪く肩で大きく息をしているが、満足の笑顔。

 

「きず、傷大丈夫か、開いていないか?」

「僕は大丈夫。あの子を見てあげて」

 

 右側の女の子は、枝にお尻を付けたまま、への字形で地面に突っ伏してジタバタしている。

 本当にお尻がスカートごと枝に吸い付いているようだ。

 ヤンは慌ててナイフを出して、枝を牙の所から切断してやった。

「大丈夫? えっと、ありがとう。あの呪文……」

 

「ああ、破邪の呪文、初めて出来たぁ、あははは、いたた」

 女の子は仰向けになって、腰を押さえながら喋り出した。

「あのね、訳あって枝にお尻がくっ付く呪文が掛かっているの。カマイタチでチマチマ削って、やっと枝の幹から生えている側は切り離したんだけれど、お空の穴がもう塞がりそうで。慌てて反対側はそのままに飛び込んだら猪が居て。でもお山の方向へ向かっていたから、お尻に掴まらせて貰ってここまで来たって訳」

 

「そ、そう…………」

 

 説明して貰ったがほとんど理解出来ない。だが聞き直す気にもならなかった。

 取り合えずヤンがナイフを使い、お尻の枝を出来るだけ薄くまで削ってやった。

 

 

 

 

 

 



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風出流山・Ⅳ

 

 

 

「じゃあ、ユゥジーンが言っていた『シンリィと一緒にいる仲間』って君なんだ」

「そそ、今はハグレちゃってるけど。あたしリリ、宜しくね」

 

 ヤンとフウヤは、もう一人の仲間が予想外に小さな女の子だった事にビックリした。

 もっとも今目の前で、その子の度胸と実力を見せつけられたのだから、何も言えない。

 

 名乗り合って、共に廊下を進み始めた三人だが、リリはフウヤの方をチラチラと見ては、フゥンという顔をしている。

 フウヤはフウヤで、彼女の紫の前髪が気になるようで、やはり横目でガン見している。木の枝の杖を付きながら(女の子の前で背負われるはヤダと駄々をこねたのでヤンが作ってやった)横に寄っては、「ね、リリは何処の部族?」などと聞き続けている。

 

「あたし? あたしはしんりぃと一緒、あっちの空間の住人」

「本当?」

「フウヤ、身の上を根掘り葉掘り聞くのは失礼だよ」

 というヤンだって、彼女の前髪や面影がフウリさんそっくりなのが気になっている。

(ただ、ナーガさまとフウリさんが一緒になって、まだ三年なんだよな。親類縁者? う――ん、本人が言わないのなら、話してくれる関係になれるまで待てばいいか)

 

 

 リリが合流してすぐ、長かった廊下に突然突き当たりが現れた。

 重そうな両開きの扉。

「いかにもな扉だな」

「開けろって事だわよね、それ以外ないでしょ」

 三人で協力して片側の扉の取っ手を掴んで引っ張った。

 

 ――ギィイイ・・

 

 

 真っ暗だ。

「ヤン、見える?」

「う――ん、かなり広い部屋だとしか。天井が……ドームになってる、教会みたいな。壁にレリーフが見える、さすがに何が彫ってあるかまでは……」

 

 三人はそろそろと足を踏み入れた。

 

 目が慣れて来ると、奥に祭壇みたいなのが見えて…………誰か立っている?

 

 ――キィン・・

 いきなり強烈な光がスポットライトのように、立っている人物を照らした。

 

「うがっ」

「眩しっ、マブシマブシイッ!」

「さ、最初から明かりを付けとくとかないのかよっ!」

 

 目を覆った三人が怖々と見直すと、光の中に浮いているのは、銀の髪の有翼人だった。

 頭の上から足元まで、色の違う羽根を幾重にも背負っている。

 

《 よく来たね、心強き平凡な民 》

 

 褒めているのか見下しているのか分からない台詞に迎えられた。

 とにかく凄いエコーの掛かり具合。耳にワンワン響いて酔っ払いそうだ。

 

「演出下手……」

「音割れして聞き取れないって教えてあげた方がいいと思う?」

 少年二人は眉をしかめてヒソヒソと話し合う。

 

《 お前達に頼みたい事があるのだ 》

 明かりが弱まり、エコーが少しだけ引いた。こちらの声を拾い、そして改善してくれる存在ではあるようだ。

 

 有翼人が片手を上げると、真上の天井が明るくなって、水底から水面を見上げたような揺らぎが現れ、映像が浮かび上がる。

 分厚い氷の壁? ひび割れ? の中に、何かが見える。……人影?

 

「ル、ルウシェル!」

「ユゥジーン!」

 

 少年二人が悲鳴を上げた。

 大切な友達が、氷の隙間に引っ掛かって宙吊りになっているのだ。二人とも両手足がダラリとなって、ピクとも動かない。特に砂漠の娘の手足は血色を失っている。

 

《 彼らを助けて欲しい。我の手の届かぬクレバスの底に落ちてしまったのだ 》

 

「は、はい、どこですか、早く案内して下さい」

「うん、僕ならあの隙間に入って行ける。早く!」

 

《 慌てるな 》

 銀の有翼人は、腹が立つほどまったりとした動きで、少年達の間の床を指差した。

 凍った灰色の地面に、ボゥと何かが浮かび上がる。

 

 馴染みのない文字が散りばめられた、太陽? のような円の紋様。直径がヤンの背丈くらいで、焚き火の残り火のようにチロチロと瞬(またた)いている。

 

(・・!!)

 ヤンは顔を強張らせて後ずさる。

 フウヤも本能でヤバいモノだと感じて飛び退いた。

 

《 怖れる事はない。その印の中心に立ち、助けたい相手の事を強く念じれば、相手に力を授ける事が出来る。それであの二人は助かる 》

 

「そ、それだけ? 術が使えない僕達でも? 話が旨過ぎない?」

 フウヤは疑り深く有翼人をねめつける。

 だいたいエコーだの強い光だので自分を大袈裟に見せようとする奴は、信用出来ない。

 

 だとしても、ルウの肌色は一刻を争う。

「ヤン、僕が円に立つから、どうなるか見届けて」

 

 しかし入ろうとする白い子供を、ヤンは強く引っ張った。

「ヤン?」

「絶対に、駄目だ、フウヤ!」

 

 黒髪の少年は、銀の有翼人をキッと睨んだ。

「僕の文通相手に古代の魔法文字を教えてくれるヒトがいて。この文字、全部じゃないけれど、読めます」

 

《 ・・・・・・ 》

 

「『形代ノ』、『命ノ灯ヲモチテ』、『命脈ヲ繋グル』………… これ、誰かの命を犠牲にして、誰かを救う呪詛じゃないですか?」

 

 フウヤが口を結んで、円より一歩退いた。

 

《 敏い、子供…… 》

 有翼人は表情を変えずにヤンを見下ろす。

 

「僕達に何をやらせようというんです」

「待って、ヤン」

 今度は白い子供が有翼人に向かって進み出た。

「ねえ、あの二人を助けたいの? それとも何か別の思惑があって利用しているだけ? 正直に言ってよ。内容次第では乗ってあげてもいいから。騙されるのはムカ付くけど、あの二人は助けたい。でもあの二人がどうにかなったら、金輪際僕の協力は得られないと思って!」

 

 うわぁ出た、フウヤの相手を選ばない怖い者知らずな交渉。ヤンはヒヤヒヤしながらも、一緒に有翼人を睨み付けた。

 

 銀の有翼人は一拍黙ったが、すぐに口の端を上げた。

《 お前にはあの二人では駄目なようだな、ではこれではどうか? 》  

 

 不意に、二人の左側が明るくなった。

 その明かりの中に、ここではない小さな部屋の映像が映り、中央に紫の前髪の女の子が立っている。

 

「えっ? リリ!?」

 さっきまでそこに居た女の子が、どこか遠い所に連れ去られている。円の印に気を取られて、居なくなっている事に気付かなかった。

 リリはボゥッとした顔で、手に持った一本の銀の羽を見つめている。心ここに非ずな感じで、目の焦点が合っていない。

 

《 あの娘はお前達の想像どおり、蒼の長の一子だ。もっともお前にとっては、かけがえのない姉の愛し子と言った方がいいか 》 

 有翼人はフウヤに向いて、色の薄い銀の瞳を細めた。少し開いた口の中が墨のように真っ黒で、見てしまったヤンは吐き気を覚えた。

 

「だ、だから何……」

 震え声のフウヤ。

 

《 あの娘をどうすれば、母親により衝撃を与える事が出来るだろう。臨月の赤子と共に 》

 

 ヤンの背筋が総毛立った。

 

 リリの後ろに水の波紋が湧いて、巨大な獣の影が映る。ナイフみたいな爪と歯を持った、黒い虎のカタチの魔物。・・彼女は気付かない。

 

「リ、リリ、後ろだ! 起きろ、リリ――!」

 叫ぶフウヤの横で、ヤンがフラリと太陽の標に足を踏み入れかけた。

 バカッ! と叫んだフウヤが飛び付いて阻止する。

 

 地面でもがくそんな二人を、有翼人は無表情で見下ろしていた。

《 どちらでもいいぞ。お前達のどちらがその標に立ち魂を解き放って、あの娘の『護りの羽根』になってやっても。羽根さえ得れば、何が来ても傷つけられる事はない 》 

 

 二人はさぁっと血の気が引いた。

 ――護りの羽根? 護りの羽根って……

 シンリィの緋い羽根や、疫病を跳ね退けていた翡翠色の羽根。

 羽根って、まさかまさか、そういうのが起源なの?

 

 逡巡している間にも、リリの後ろの影はどんどん濃くなって行く。 

「ヤン、後を頼む」

 有無を言わせず立とうとした子供を、今度はヤンが地面に押さえ込んだ。

 駄目だ駄目! 何をどうしても誰かが傷付いて後悔する。

 でもどうやったらあの子を助けられる? どうやったら・・ 

 ヤンは無意識に指笛をくわえた。

 

 ――ヒュゥイィ―― 

 

《 愚かな。近くに見えるが、壁を隔てた別空間だ。聞こえる訳など…… 》

 嘲笑しかけた有翼人は止まった。

 羽根を見つめていた女の子が、フッと顔を上げたのだ。

 

 ――ピュゥウィィィイ――――!!

 

 音が空間を貫いた。

 

 次の瞬間、女の子のお尻に張り付いていた木切れが白く光って粉々に弾けた。

 こちらに音は聞こえないが、背後に迫っていた獣は目に破片を浴びて、おそらく悲痛な悲鳴を上げている。

 リリもビックリしたようだが、すぐさま振り向き、苦しんでいる魔物の脇を素早く駆け抜けて、それの出て来た穴に逃げ込んだ。

 

(や、やっぱり凄いや、あの子。あんなのを見て冷静に動けるなんて)

 穴がシュルンと閉じるのを見て、少年二人は胸を撫で下ろした。

 ヤンにだって何の確信があった訳でもない。ただ咄嗟に吹いた指笛は、どんな障害物をも越えて必要な者に届けられる自信があった。

 

 二人、改めて有翼人をキッと睨み上げる。

「おあいにく様。僕らはあんたの思い通りになんかならない」

「貴方、何が目的なんです? リリや、ルウやユゥジーンにそんな取り返しの付かないモノを無理やり背負わせて。あの子達がどんな思いをするか分かっているんですか」

 

《 どんな思いだ? 》

 黙って成り行きを見ていた有翼人が、背中の羽根をゆっくりと開きながら言った。

《 我が最初に羽根を得たのは、死に行く曾祖父からだった。暖かく偉大な羽根だった。我らはそうやって、祖先の崇高な護りに包まれて代を積み重ねて来たのだ。何がいけない? 》

 

「…………」

 

《 何故、封印されねばならない? 何故、忌まれねばならない? 》   

 

 有翼人の憤怒の指先が天井に向いた。

《 お前達が救いたくないのなら、クレバスは閉じてやろう。友人を凍氷の底に見捨てた後悔を、生涯背負うがよい 》

 

 二人の少年は慌てふためくか? と思いきや、口をあんぐり開けて天井を仰いでいる。

 有翼人も見上げて目を見開いた。

 氷の隙間に宙吊りになっていた二人が居ないのだ。

 リリに気を取られている間に、二人は忽然と消えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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風出流山・Ⅴ

 

 

 

 

 

 

「ルウ、しっかり」

 

「しっかりしている……つもりだ……」

 

 氷のクレバスを登る、ユゥジーンとルウ。

 どの位意識を失っていたか、手足が凍えて力が入らない。

 氷の壁の遠くでヤンの指笛が聞こえた気がして、ようよう目覚めたのだ。

 

 身体が芯まで冷えきっている。特にルウシェルは頭も上手く回っていないようだ。

 

「ルウ? ルウシェル!」

 止まってしまったルウの所まで引き返して、ユゥジーンは彼女の下に潜った。

「俺が押し上げるから」

「大丈夫だ……それよりユゥジーンが先に登って、安全な所から何かを講じてくれた方が……」

 

「…………」

 ユゥジーンは上を見た。

 明るくはあるのだが、ゴールは見えない。しかも何かの妨害が効いていて、術がほとんど使えない空間。今、彼女をここに置いて行く訳には行かない。

 

 マントを外してルウの身体を背負い、ユゥジーンは自分の胴に縛り付けた。

「ユゥジーン、置いて行け」

「ここでルウを連れて行かないと俺が後悔するから、好きなようにさせて」

 

 密着した身体に恥ずかしがるどころじゃない。西風の女の子の身体は、本当に氷のようにガチガチで、一ヶ所も温かい部分が無かった。

(ヤバい、ヤバい!)

 背負った女の子の分増えた重みが手足に掛かる。一歩たりとも踏み外せない。

 

「意識は保って、しっかり掴まっていてくれよ」

「すまな……い……」

「だから寝るな!」

「じゃあ……何か話して……何でもいい」

 

「あのさ、婚礼の儀式の時」

「うん……」

「ソラさんの差し出した手に着いて行ったけれど」

「うん……」

「差し出されたのが俺の手でも着いて来てくれた?」

「…………くぅ」

「だから寝るなぁ――!!」

 

 女の子の全幅の信頼が肩に掛かる。

 ユゥジーンは生まれて初めて、全力で滅茶苦茶頑張った。

 筋トレを課してくれたノスリ様本当にありがとうと思った。

 

 

 ――どん!

 

 振動! 落石? 慌ててルウを庇って身構えたが、逆に周囲の氷の壁がメキメキと音を立てて左右に開いた。

 見上げる光の中に、逆光の人影。

 

「見ぃ付けた」

 

 次の瞬間、ユゥジーンの両手がガッシリ掴まれた。

(ナーガ様?)

 と思ったが、吹き上げる風と共に引っ張り上げてくれたのは大長だった。

 

「いやいや貴方を引っ張り上げるのは二度目ですねぇ。随分と側が付いて重くなりましたね、こちらの腰がもちません」

 上がった所は氷をブチ割って無理矢理作ったような棚で、大長の馬と自分達で一杯だった。

「三峰の少年の指笛が聞こえましてね。あれ、凄いです。一直線に仲間の元へ飛んで行く。お蔭で貴方達を見付ける事が出来ました。ああ、ルウシェルを寄越して下さい」

 

 マントで包んだルウに大長が治癒を施している間、ユゥジーンはここに居る理由を説明した。

「ナーガ様の母君とシンリィが落ちていくのを夢で見て、助けなければと思って……」

 

「はい」

 冷えて凍えた娘の手足に術を施しながら、大長は静かに返事をした。

 

「結局全然役に立てなくて……シンリィには逆に助けられるし、変な罠にハマって誘惑に乗りそうになるしで…………すみません」

 

(乗らなかった事を、諸手を広げて褒めてあげたいのですが)

 その辺りは自分が口出しする事ではないと、大長は頬をムズムズさせながら娘の手当てを続けた。

 

「ナーガ様の手助けもしたかったのに。こちらに来ている筈ですが知りませんか?」

 

「ナーガなら先程まで一緒に行動していましたよ。貴方達が視えたので手分けしたのです。あちらは神殿の守り人を助けに行きましたが、補佐が付いたので多分大丈夫です」

 

「補佐?」

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 氷の長い長いトンネルの中。

 ナーガは馬を疾駆させながら、先程から自分の前を走る、一つの光を追っていた。

 多分、トンネルの長さも体感時間も幻影だ。

 この光が無ければ、延々と迷わされ続ける種類のモノ。

 

 季節終わりの蛍のようにあやふやな光を、ナーガはじっと睨み付ける。

 光はたまに消えそうになりながら、ポッポッと残り火の如く瞬いては復活する。

 やがてトンネルは緩く溶け、溶解して落ちて来る。

 光は溶ける幻影に惑わされずに、突き進んでその先へ飛び込んだ。

 

 不意に、丸い部屋に出た。壁も天井も水晶球の内側のような球体の部屋。

 辺り一面冷たい光を反射させ、来た道は既に消えている。

 

 部屋の中央、一人の女性が横向きに倒れている。光はその側で停止していた。

 ナーガは馬を下りて駆け寄った。

 

 ――キィン・・!

 

 歯の浮く高音と共に、球体の内部が外側から一気に凍った。

 咄嗟に術の掛かったマントで凌ぎ、慌てて女性の方を向き直って、ナーガは凍て付く息を呑む。

 

 

 ・・炎の赤い狼・・

 いや今は殆ど炎が消えて、終い燠(おき)のようにくすぶるだけの痩せた獣が、女性を覆うように立っていた。

 白い凍て付きは彼の周囲で湯気を上げて防がれている。

 

「お前……やはりお前だったか、あの道先案内の光」

 

「へ、相変わらずドン臭ぇな。こんな罠も嗅ぎ分けられんとは」

 

「……生きていたんだな」

 

「もう、お前さんの目にしか映らん」

 

「・・・・」

 

 銀の瞳は輝きを失くし、あんなに猛々しかった炎の体躯は藁灰のように、今にも崩れ落ちようとしている。

 

「もう俺様を嫌って憎んでくれるのはお前さんだけになってしまったからなぁ。あぁ、それももう終いか。まぁこのドチビを守る間は存在を保てていたから……・・」

 

「狼・・?」

 

 ・・・・満足だ、それなりに面白かった、あぁ、面白い生涯だった・・・・

 

 

 

 ついさっきまで狼のカタチだった灰塵の前で、長い時間か短い時間、ナーガは茫然としていた。

  

 我に返って罠を破壊し、倒れている女性に駆け寄る。

「母上、母上!」

 神殿の守り人はぐったりしていたが、睫毛を小刻みに動かした。

 大きな怪我は無い、良かった…… ナーガは肩の下に手を入れて抱き起そうとした。

 母の身に触れるのは幼児の頃以来だが……こんなに、こんなに軽かったか……

 

「大丈夫、一人で起きられます」

 薄く目を開けた母が、色の無い唇で囁いた。

「アレは、消えてしまったのですか」

 

「狼ですか。……母上を守っていました。満足したと、面白い生涯だったと」

「…………」

 母は身を起こそうとしたが、力を入れられず、またうつ伏せてしまった。

 これがあの気丈だったヒトか? 夫を亡くした時も、娘を亡くした時も、ここまで脱力した姿を見せはしなかったのに。

 

「彼は私(わたくし)の子供の頃からの、敵でもあり指標でもあり、この世の何処かで生きていると思うと安心出来る存在でもありました。私にもっと力があれば、私の事など放って置けただろうに……」

 

「母上? でも狼は、何がしかの代償を貰って母上を助けていたんでしょう? あいつが代償を貰わないで何かをする筈がない」

 そこまで言ってナーガは、返事をしない母を見て、驚愕の表情になった。

「え? まさか、『欲望の赤い狼』でしょう!?」

 

「・・私は何も、彼にあげられた事がない・・」

 母は俯いてポツンと言った。

「お礼すら言わせて貰えませんでした。だって、感謝されるのとお礼を言われるのが大嫌いだったもの」

 

 項垂れる女性は、ナーガのまったく知らない母だった。

 思えば息子の自分は、この女性(ヒト)の事をどれだけ分かろうとしていただろう。

 

「母上、狼は子供の僕に、初めての恐怖と挫折をもたらしてくれました。彼の存在は僕にとって意味のある物でした。彼の生涯はきっと色んな者にとって意味のある物だったと思います」

 

 母は、霜を被った睫毛を見開いて、息子を見た。

 

「そんな風に何でも自分のせいにして追い詰めないで。眉間の縦線がそこに凍り付いてしまいますよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

            




挿し絵:がんばれジーン 
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風出流山・Ⅵ

 

 

 

 クレバスの棚、三人と一頭。

 

 手当てされ目覚めたルウシェルが、不安な声を出した。

 

「大長殿、風の末裔のご先祖のくれた羽根を断ってしまった。あれは受けてはいけない物だと本能が強く拒否したのだ。あれで良かったのだろうか。西風の未来の為に良かったのだろうか」

 

「あ――・・」

 大長はこめかみをポリポリと掻きながら、優しく言った。

「祖先と会って、その姿で戻ってくれた事が一番です。貴女の本能が拒絶したのなら、西風にとってそれで良かったのですよ」

 

「ではシンリィの羽根は何なんだ? あの子は良くないモノを背負っているのか?」

 

 大長が一瞬言葉に詰まった隙に、ユゥジーンが口を挟んだ。

「良くないモノの筈がないだろ。俺はあいつの羽根が好きだし、ルウだってそうだろ」

 

「う、うん……」

 

「ご先祖さんの羽根やさっきの羽根と、シンリィの羽根は違うでしょ、ね、大長様?」

 

 しばし俯いて考え込んでいた大長が、決心したように顔を上げた。

 

「シンリィの羽根はね、あれはあの子のお母さん、です」

 

「……?」

 少年少女は頓狂な顔を見合わせた。

 

「自分の命賭して、黒の悪魔に魅入られた我が子とその父親を守ろうとしました。それに対して誰も何も言えません」

 

「……? え、ええ?」

 最初よく分からなかった二人だが、比喩ではなくそのままの意味なのだと理解して、大きく目を見開いた。

「じゃ、じゃあ、さっき俺らの前に浮かんでいた羽根は……」

 

「残念ながら原理は一緒。元々は、何処かの誰かを守りたかっただけの、何処かの誰かの魂です。羽根になってしまったら意思はありません。ただ守りたいというだけの無垢な存在になるのです」

 大長の、膝の上で所在無さげだった拳がギュウと握られる。

「けして、集めて誇る物でも、やり取りをしていい物でもありません」

 

 ユゥジーンは生唾をゴクリと呑み込んだ。

 多分これが、ノスリ様の言っていた禁忌なんだ。

 ノスリ様の奥方は、誰かを助ける為に羽根になろうとして寸でで止められたのだろう。

 それは確かに言えない、広めてはいけない。ましてや執務室のメンバーみたいに、純粋に献身的なヒト達は、絶対にご先祖に関わらせてはいけない。

(う、受け取らなくて良かった、マジ、本当に……)

 

 少しの静寂の後、ルウがポツンと口を開いた。

「だからシンリィは、何もかも粛々と受け入れていたのか……」

 

 少年少女が真剣な顔でこちらを見て頷いてくれたので、大長は肩を下ろした。彼らはこの山で見聞きした事は、生涯胸に収めてくれるだろう。

 

 

 

 

「『ルウシェル』という仮名は父者(ててじゃ)が付けてくれた。砂の民の習慣で、女の子は悪い魔が近付かぬよう、わざと忌み名で呼んで、真名(まな)は本人にも教えない。言霊の術みたいなのは昔から何処にでもあったのだろう。古い慣習は侮れぬ物だな。父者に感謝だ」

 

 ルウの説明に、ユゥジーンは目を丸くした。

「ルウシェルって忌み名なの?」

 

「西の国の教典に出て来る、『地上に堕っこちた悪魔』だ」

 

「……あの、大長様?」

「はい」

「俺もナーガ様に感謝する所ですか、これ?」

「そうですね」

 

「お、俺の名前、ユゥジーンじゃないんですかぁ!? めっちゃ気に入ってるのに!」

「いいえ、貴方には、真の意味を教えていないだけだと言っていましたね」

 

 ユゥジーンはまた唾を呑み込んだ。

「……『羽根の、悪魔』?」

 

「知っていましたか!」

 大長は目を見開いた。

「仲良しルウシェルとお揃いの名前にしてあげたって、ニコニコして言っていましたよ」

 

「マジィ? ナーガ様、マジかよ、まったくもぉ!」

 

 色々と衝撃を受けて荒ぶっている少年を横目で見ながら、大長はまた口端をムズムズさせる。

 名前の意味を知っていたのに、言霊の術を跳ね退けたって!? 

(さすがはナーガが見込んで手塩に掛けているだけありますねぇ……)

 

 

 

 ***

 

 

 

 ふ、と大長が顔を上げ、夏草色の馬が鋭く嘶(いなな)いた。

 

「ああ――っっ、じじさまっ!!」

 

 氷壁にこだまする黄色い悲鳴。

 天井に小穴が開いて、紫の女の子がヤマアラシみたいに丸まって降って来た。

 

「リリ!?」

 ユゥジーンが前方に跳んで受け止める。

 

「ああっ、やだやだ、来たあぁ!」

 リリの開けた小さな穴を突き破って、顔に木の破片をくっ付けた怒りの黒虎が顔を出した。その他細々とした魔性も数を増やして引き連れている。

 

「おっと、『おまじない』が発動してくれたようですが。そんな大所帯で来なくてもいいのに」

 大長がウンザリした表情で術を唱えた。

 薄い氷の膜が張り。魔性達は一時動きを止められる。

「ユゥジーン、この子達を連れてここを脱出しなさい」

 

「じじさま、ふうやとやんが、変な奴に捕まってるの。羽根を一杯生やした、自分の事ばっかり喋るおじさん。あたし助けに行くよ! しんりぃの事も絶対助けに行くからね!」

 小さい娘は、まだジンジンするお尻を押さえながら、上目で大長を睨み付けた。

 

 大長は判断に揺れた。

 物理のみで済ませるのなら、自分が行った方が容易い。即二人を奪還して退避するくらいの術力は残っている。

 隣でユゥジーンが、二刀に手を掛けて身構えている。彼ならこの場の魔性はあしらえるだろう。

 しかし……

 

「大長殿。私は今一度、有翼のご先祖殿と対峙しに行こうと思う」

 ルウシェルが顔色がすぐれないなりに身を起こして、きっぱと言った。

「先程は一方的で中途半端であった。きちんと決着を付けなければ、呼んで頂いた礼を欠くという物だ」

 

 濁りのない強い瞳に、大長は一瞬時と場所を忘れて、かの浅黄色の西風の長殿を思い出した。

 

 そう、ここでその場しのぎに先祖を封印し直せたとしても、いつかまた復活して、懸念を子孫に先送りするだけなのだ。

 何かを変えられるのは今で、それが出来るのは多分自分ではない。

 

「分かりました、西風のルウシェル、貴女にお頼みします。リリ」

「なに、じじさま」

「心を鎮めて場所を探りなさい。リリなら出来る」

「・・! 分かった!」

 女の子は指を組んで目を閉じた。

「ユゥジーン、二人の護衛を」

「了解です」

 

「こっちだよ!」

 魔性の出て来た穴にリリが飛び込み、ルウに肩を貸してユゥジーンも後に続いて行った。

 

 その穴を背に、大長はゆっくりと抜刀し、魔性達に向いて立ちはだかる。

 戒めの呪文の解けた黒虎が、唸り声を上げて、逃げた子供達を追い掛けたがっている。

「裏方ばかりでウンザリです。これが私達の性なのでしょうか」

 

 左隣にいつの間に、彼の頼もしい甥っ子が剣を構えて並んでいる。

「そんな物でしょう、蒼の長なんて」

 

 右にはサラサラと白いヴェールをなびかせた女性が、既に手の中に術を作って立っている。

 

 黒虎達はとても運が悪かった。

 

 

 

 

      ~風出流山・了~

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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緋の羽根・Ⅰ

 

 

 

 

 

神殿奥、ほの暗いレリーフの間。

銀の有翼人に対峙する、フウヤとヤンの二人。

 

「僕達は金輪際あんたの思惑通りにはならない! リリにこれ以上何かしたら、あんたのその羽根全部むしってやる!」

 

 リリを利用されてからのフウヤのキレっぷりに、横のヤンはちょっと心配になっている。でもまぁ、フウヤにお姉ちゃん関連は地雷だよなぁ……

 

《 どうもせぬわ…… 》

 有翼人は呆気ないほど脱力して、投げやりに言った。

《 何故(なにゆえ)羽根の素晴らしさが分からぬ? かけがえのない者を、あらゆる災渦から守れるのだぞ 》

 

 次の瞬間彼はフィッと消えて、フウヤの耳元に現れる。

《 頭を働かせろ、想像をするのだ。あの娘の背で、美しき羽根になったお前が永遠に共に生きる姿を。どんな愛より深くあの娘を守りながら 》

 

「や・め・ろ!!」

 フウヤは瞳をたぎらせて、腰のナイフを抜いて振り回した。が、有翼人は避ける事もせず、腕はその身体を通り抜ける。

 

「落ち着けフウヤ、傷口開くぞ!」

 と、たしなめるヤンの反対側にも有翼人は現れる。

《 お前はどうだ? あの西風の娘を永遠に守れる身になりたくはないか? 》

 

「え、普通に嫌ですよ、ルウに彼氏が出来た時とか地獄じゃないですか。あ―― でも、母さんを疫病から守れるんなら、ちょっと考えるかも」

 

「ヤン……」

 このマザコン、と喉まで出掛かって、フウヤはさすがにやめた。

 

《 偉大なる羽根を持てるのは、風の末裔だけである。残念ながらお前の母親は該当しない。だが、そういう場合の手段はあるぞ…… 》

 有翼人はヤンを覗き込んだまま、自身の羽根をひと撫でした。

《 この羽根一対で、無辜なる民一人の命を救う事が出来る。要するに、有翼人に頼めば、自分の命を使って誰かの命を救う事が出来るのだ 》

 

 ヤンは硬直して有翼人を見る。冗談半分で言った言葉から、トンでもない情報が転がり出てしまった。それ、この世にあっていい能力じゃない気がする。悪いけど聞きたくなかった。

 

「へぇ」

 フウヤが裏返った声を上げた。

「羽根は『限られた者』にしか持てないのに、羽根になるのは誰の命でもOKなんだ。そしてその羽根で無辜の民の命を救えるって? それって……」

 握ったナイフに力が入る。

「知識の無い者を騙して羽根にするとかやり放題じゃん。怖い怖い。僕達にもやろうとしたよね。しかも貴方、結構やり慣れていた」

 

 頭の先から足元まで、重なって背負われる色とりどりの羽根。

 その中のどれだけが、合意の元に彼を守護する存在となったのか?

 

 元々無表情だった有翼人だが、更に表情を堅くして、自らの羽根を撫でる。

《 だから何故にそのように嫌がる? 忌む? お前達の身近にも居るではないか。緋色の羽根に守られた子供が 》

 

 二人ははたと止まった。

 そう、ならばシンリィの羽根は何処から来たのだろう。あんなに無害そうなボケッとした子が、何処から羽根を得たのだろうか。

 

 

 

 ――羽根は、羽根その物は、忌む物ではない――

 

 二人を百倍元気付けてくれる、西風の娘の声。

「ルウ!」

 

「羽根に依存し支配された心こそ、忌むべき物なんだ」

 水の波紋が天上に広がり、楕円の穴が開いて、オレンジの瞳の娘が飛び下りた。

 

 次いで、紫の前髪のリリ、コバルトブルーのユゥジーン。

「あたしがいなくて怖かったでしょ? もう大丈夫だよ!」

「はぐれたと思ったら、何楽しそうな事やってんだ、俺も混ぜろ」

 

 飛び下りながら、ルウとユゥジーンは、空中で剣を抜いて頭上に掲げた。

 

 ――破邪――――!!

 

 ヤンとフウヤの周りに忍び寄ろうとしていた黒い渦が、一気に洗い流されて行く。

 密かに精神を取り込もうとしていた目論見を、上の二人は見逃さなかった。

 

 破邪の光はそのまま広がり、部屋全体を包んで揺るがし始めた。

 清浄な風が巻き、澱みを吹き散らし、術に縛られた空間をメキメキと解除して行く。

(え、何、この威力?)

 と驚く二人の間を、補助呪文を唱えたリリが、得意気に降りて来た。

 

 

「ルウ、ユゥジーン!」

「リリ、ああ良かったぁ」

 地上に降りた三人に、ヤンとフウヤは駆け寄った。フウヤはちょっと躓(つまづ)いてユゥジーンに支えられた。

 

 闇や波紋の渦は消え失せ、そこは現実味のある古い石造りのホールに変貌している。

 明るくなってはっきり見えた壁のレリーフが、有翼人が羽根を授かる儀式らしき図だったのを見て、ヤンはゾッとした。

 床の太陽マークだけは変わらない。

 

「あれ、あの無表情のおじさん、どこ行った?」

 

 銀髪の有翼人は消えていた。

 代わりに奥の祭壇に、天井まであろうかという背丈の、巨大な石像が立っている。

 顔も姿も重なった羽根も、先程の有翼人と同じ。

 そう、大昔に亡くなった祖先達の強い強い残留想念が、マボロシを結んでいただけだったのだ……

 

 五人は、太陽の印を踏まないように気を付けて立ち、石像を見上げた。

 幾重にも重なった羽根。

 ――自分の命を使って、ヒトに護りを与える方法がある――

 こんなに便利で恐ろしい事はない。

 

「私とユゥジーンを有翼にしようとしたのは」

「僕達を羽根にしようとしたのは」

「蒼の一族に対する自己主張だった訳?」

「嫌がらせだよ、最悪の(俺がフウヤの羽根を背負うとか、そんな事態になったらナーガ様、多分立ち直れないぞ)」

「じじさまが相手にしたがらない訳だわ!」

 

 

 石像は、冷たく虚空を見つめる。

 さっきの破邪で封印し直せたのか? まさか、そこまでの威力は無かっただろう?

 ユゥジーンは油断なく、収めた二刀の柄を握りながら、気を張り巡らす。ルウも腕は立つが、このメンツだと、何かあったら真っ先に盾にならねばならないのは自分だ。

 

「ねぇ、このヒトがあの意地悪な空の波紋を作っていたの? 何でそんな事していたのかな。世界が嫌な奴ばっかになったら、自分も住みにくいじゃん」

 フウヤの素朴な問いに、一番近い所まで知っていたユゥジーンでさえも、すぐには答えられなかった。

「う――ん……」

 

「それともここに引きこもっているから、嫌がらせさえ出来ればどうでも良かったのかな」

 一番遠い所に居るフウヤは、ズバズバと実も蓋も無い事を言う。

 

 

《 どうでも良くなどない! 》

 

 いきなりの声が響いて、一同小さく飛び上がった。

 相変わらずエコー気味の声は、動かない石像から響いている。

 

《 嫌がらせなどでもない。我は与えてやっただけだ。民草の欲する物を与えてやっただけなのだ。世界が欲している物を与えてやっただけなのだ 》

 

 

 

 

 

 

 

 



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緋の羽根・Ⅱ

   

 

 

《 民は羽根を求めている。羽根を持つ者に阿(おもね)る安寧を求めているのだ。お前達風の民は本来羽根を持ち、神に近付く存在に納まらねばならぬ 》

 

「神に近付かなくてもいい」

 ルウシェルが抑えた声でゆっくりと言った。

「少なくとも西風に、そういう者は居なくていい」

 

「あんた、皆を自分と同じ考え方にしたかっただけじゃないの? ルウやユゥジーンに羽根をくっ付けて見せびらかして、羽根が有り難がられる世界を作りたかったんだ、そうでしょ」

 フウヤはまだ怒りが収まらない様子だ。

 

 リリはビィドロみたいな瞳で、石像の上から下まで重なった羽根を眺めた。

 風露のお山で、ドングリの大きいのが凄いと言い続けていた男の子は、自分が大きいドングリを沢山持っていたからだった。

 

《 神は必要だ。凡庸な市井(しせい)の民には導く者が必要だ 》

 

「凡庸な市井の民は、薄っぺらな欲だけの心にした方が支配しやすかったんですか?」

 ヤンは何気にフウヤを庇いながら、巨大な像を睨み上げた。

 

 

《 我は民の心の操作などしていない 》

 石像なので表情は変わらない。だが声の調子で沸々と憤っているのが伝わる。

《 逆だ。民が我を選んだのだ。民の羽根を求める心が、波紋のエネルギーを作り出し、深層意識の世界を通って我の元へ押し寄せて来たのだ 》

 

「え」

 五人は狐に摘ままれた顔をした。

 

「あの意地悪な波紋って、あんたが作ったんじゃないの?」

 フウヤの問いに、石像は居住まいを正すようにスンと答えた。

《 我にあのような物を作り出す力があれば、長年こんな所に封じられておらなんだ 》

 

 石像は声の調子を落として語り始めた。

《 そも、一度目覚めさせられたとはいえ、ここに籠り続けていた我に、下界に干渉する力など無かった。しかしたまたま何の悪戯か、地上にただ一対の羽根が生まれ落ちる。お前達も知っている翡翠色の羽根。あれが全ての始まりだった。

我等の時代から極々稀に、羽根を持って生まれる者はいた。が、近年ではほぼほぼ途切れていた。それが幾星霜を経て何故に唐突に現れたのか、我にも分からぬ。だが黒い災厄が訪れた時、それは大いに意味をなした 》

 

 ヒクリと揺れたのはヤンだった。

 

《 羽根の護りの力を目にした民が……通常時なら、その偉大さにおののき尊(たっと)ぶのみであったろうが……悪魔に舐め尽くされ絶望の淵にあればどうだった? 身も世もない悲しみの底で、病を跳ね返す羽根の存在を知ったらどうなった? 欲しがっただろう、何故あいつだけと不満を抱いただろう。羨望からの嫉妬、欺瞞(ぎまん)憎しみ憤り……それら羽根を求める欲望が、我に力をもたらしたのだ。民が我を求めたのだ 》

 

「嘘!」

 フウヤが叫んだ。

「皆、一時は羨ましがってたけど、すぐにやめたよ。ねえ、ヤン」

 

「う、うん……」

 肯定したものの、ヤンは自信がない。

 羽根を欲しがる三つの部族が争った悪夢のようなあの夜は、いまだ心に傷を残している。優しいと思っていた普通のヒト達が、シンリィを見た途端、昔の不満を噴出させて、簡単に変貌してしまったのだ。確かにあそこには、黒いドロドロとした猛烈な力が渦巻いていたように思う。

 

「ヒスイ色の羽根ってなに? シンリィの羽根と違うの?」

 よく分かっていないリリは、不安そうに周囲を見回す。

 ユゥジーンが寄って、小さな声で教える。

「リリが生まれる大分前に、世界に怖い病気が広まったんだ。昨日まで元気だったヒトがバタバタ倒れて、どうしようもないまま三日ももたずに死んでしまう黒い災厄」

 

「・・蒼の妖精のヒトも?」

「蒼の里だって五人に一人を失った。俺は小さかったけれど、周囲のヒト達が櫛の歯が抜けるように毎日ボロボロ居なくなって行ったのを覚えている。それでも防疫の知識があったから、まだ他所よりはマシだったんだ」

 

 リリは表情を硬くして唾を呑み込んだ。

 

「そんな中、弱い部族を巡り、病気の防ぎかたを教えて回った蒼の妖精がいた。そのヒトだけは病気に掛からなかった。背中の翡翠色の羽根に護られていたからだ。でもそれを見たヒトの中には、ズルいと思ってしまうヒトもいた」

 

「ち、違うよ。三峰の皆も族長も、ずっと感謝してるって言ってたよっ。確かにちょっとだけ色々あったけど、ちゃんと思い直したよ。そうでしょ、ヤン」

「う、うん……」

 ヤンはまた言い澱む。

 その時の抗争で当のフウヤが全身に矢を受けて、三つの部族はやっと我に返ったのだ。あれが無かったらどうなっていたか分からない。しかしあんな目にあったのにちょっとした事扱いのフウヤはどうかしている。

「僕も母さんも、防疫の知識を貰ったお陰で生き残れました。感謝している、とても感謝しているんです……」

 

 リリは紫の瞳を揺らしながら、フウヤとヤンを交互に見た。この子達が嘘を言っていないのは分かるけれど、どうしてこんなに自信無さげなのかしら。

 

 

《 感謝はするだろう。だがその後に何が来る? 必ず不満が来るのだ。あいつは大丈夫なのに何故自分達だけが苦しまねばならぬ、と。必ずだ! 何年も経って感謝が薄らいで、神のエコヒイキだったなどと、唱え始める者もいたな 》

 

 ヤンはますます顔色を失くし、意識もせずに一歩退いた。

 

《 ヒトの本質は結局そうなのだ。貰っても満足せず、それが当たり前になるだけだ。貰えば貰うほど欲しがる ・・欲しがる、欲しがる、欲しがるのだ!! 》

 

 ユゥジーンは喉をクッと鳴らして口を結んだ。

 自分は蒼の里でその話を聞いた時、素直にイイ話だと思った。てっきり感謝されて終わりだと思っていた。里から遠く離れた三峰の山の者達に触れて、初めて彼らの厄介な感情を知ったのだ。

 

《 お前たちは我が意識して民の心を薄っぺらにしたと思っているようだが、違うぞ。民は元々がああだったのだ。

最初に得たエネルギーで我がした事は、己の素を映す鏡を深層世界にばらまいただけだ。寧ろ民に問うたのだ。今の時代に神は必要か? と。結果は知っての通り。民草の欲望が惹かれ合って雪玉が転がるように膨れ上がり、我の元へ膨大なエネルギーとなって返して来てくれた。お陰で封印を破壊する事が出来た。

民が望んだのだ。これが答えだ。やはり神は要るのだ。この大地の為にも 》

 

(それはそうなのだろう……)

 ヤンは唇を噛み締める。

 豹変してしまった街人や商人は、意地悪なマボロシに取って代わられた訳ではなく、鏡に映った素の自分になっただけだったのだ。結果、それまで築いた社会をいとも簡単に壊してしまった。

 自分達のような子供が叫んだって何の力にもならない。

 

 考え込んで黙った黒髪の少年の横で、フウヤはキッと像を睨んでいる。彼はヤンほどヒト好きではないし、世の中に期待を抱いていない。

 それでもこの石像の言う事はムカつく。言い返せない自分にもムカつく。

 

《 孤高より見下ろす存在こそが民に安堵を与える。同じ場所に降(くだ)っては駄目だ。愚か者どもを付け上がらせるだけだ。手の届かぬ上に居なくてはならぬ。

ああだがやはり、お前達では幼過ぎたやもしれぬ。青き理想に凝り固まって現実が見えていない。辛酸舐めた大人の方が、民の愚かさも厄介さも分かっているだろう。

では試しに羽根を背負い里へ帰ってみればよい。苦い顔をしつつも結局は迎え入れられるぞ。病に伏す西風の長でも、若く力足りぬ蒼の長でも、上辺は何と言っていようが…… 》

 

 

「・・ざっけんな!!」

 知らない声が響いた。

 違う、ユゥジーンだ。ユゥジーンの聞いた事もない声。

 

 

 

 

 

 

 

 



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緋の羽根・Ⅲ

  

 

 

 

 いつもどこか醒めた声しか出さないユゥジーンが、肩を怒らせて喉の奥から叫んでいる。

 

「ざっけんな! ざっけんな! お前こそ何も見えていないんじゃないか。そんな空洞みたいな目じゃ何万年眺めていようと何も見えない!」

 

 隣のリリはギクリとした。

 どんな時でも落ち着いて大人びた口をきいていたヒトが髪を逆立て、目頭から大きな雫をボロボロと溢れさせている。

 

「ナーガ様が……あのヒトがどんな思いで蒼の長をやっているのかも知らないで! 確かにどいつもこいつも自分勝手で文句っタレだ。でもナーガ様はそういうのみんな引っくるめて大切にしてんだ。しなきゃならないんだ。世界を創り上げるのは自分勝手な文句っタレ共だからだ!」

 

 そう言うや、ヤンとフウヤの間に駆け寄って、二人の肩をガッシと掴んだ。

 

「草の根の民を馬鹿にすんなよ! 踏まれても折られても凄い力で立ち上がるんだ。間違えても自分達で気付いてやり直すんだ! そういう自浄の力を壊してしまうと二度と元に戻らないと分かっているから、ナーガ様は見える所では動かない。それも最小限に足りるだけ。そっちの方が死ぬほど難しいんだぞ! あんたらが間違ったから、同じ方へ流されないように必死なんだ。子孫の苦労も分からないで知った風な講釈たれるな! この・・○×◇・×××」

 

 多分彼がこんなに捲し立てたのは、両親が健在で何もかも委ねていれば良かった幼児の頃依頼だ。幼くして独りになった彼は、大人の間でひたすら要領よく生きねばならなかったのだ。

 掴まれた肩をガクガク揺さぶられて痛かったが、ヤンもフウヤも振り払おうとはしなかった。

 

 興奮し過ぎて口が回らなくなってしまったコバルトブルーの友人の肩を、ルウシェルが後ろから支えた。

「ご先祖殿。私は『自分だけが絶対の力を持っている』事に意味を感じない。折角説明頂いたのに、まことに申し訳ない。

 確かに、母も私も力足りぬ故、周囲の多くの者に支えられている。意見の合わぬ者も多い。砂漠の地はいまだ争いが絶えない。だがそれら全ては、我等本人が向き合わねばならない事だ。向き合って一つ一つを丁寧に解(ほぐ)して行かねばならぬ事だ。力で治めたとて結局永くは続かない。多分、原初の蒼の長殿も、同じ道を辿られたではないだろうか。

もし図らずも羽根を授かるような事があっても……その時々を精一杯、羽根を持つ摂理を受け入れて生きていた、翡翠の羽根のカワセミ殿のようになりたい」

 

 リリはルウシェルの反対側からユゥジーンの袖を握り締めていたが、突然スルリと心の中に何かが落ちて来た。

 ――あ、この、今皆が言っているのが、セツリとセキニンって奴なのか!

 

 

 石像は黙っている。

 残留想念の塊と言っていたが、彼に旬巡したり思い直したりする機構はあるのだろうか。

 

《 分かった 》

 

 無表情な声。

 

《 お前達は小さな型に押し込められて育ってしまった。青く硬く曲がりくねって、もう……手遅れだ! 》

 

 五人は咄嗟に身構える。

 分断されぬよう、隣の者の身体をしっかり掴み、小さいリリを皆で囲った。

 壁が回るか床が割れるか?

 

 しかし変化があったのは、床の太陽の標だった。

 いきなり光を強くして、天井まで風が噴き上げた。

「何だ!?」

 ユゥジーンの声はザザザという音に遮られた。

 

 標から、無数の銀の羽根が吹き上がったのだ。

 ヤンやルウシェルが着けている緋の羽根とは比べ物にならない、一本一本が、大きくまっすぐで立派な羽根。

 

「ああっ、あの羽根!」

 リリが叫んだ。

「あの羽根、喋るんだよ。さっき、この部屋に入ってすぐに足元に飛んで来て、拾い上げたら話し掛けて来た。『羽根の秘密を教えてあげる』って。そしたらいつの間にか違う場所に連れて行かれてて」

 

(『言霊』の籠められた羽根!?)

 

 空気が軋む。

 ドーム型の天井に、不気味な波紋を広げて水底の空間への穴が開いた。銀の羽根が木の葉のようにそちらへ吸い寄せられる。

 

《 羽根の秘密を地上にお届けするとしよう。お前達が拒否しようと、民は『羽根を背負う資質のある者』を追い求めるぞ。何せ、羽根は主を守護するばかりでなく、他者の命を救う事も出来る。それこそ『命ひとつ捧げて救いたい者を救って貰える』のだ。力無き民達には願ってもないだろう。現に、お前達の崇拝するあの翡翠の羽根の主も………… 》

 

 そこで石像は一旦声を切って、考え込む素振りをした。

 

《 そうか、なるほど、分かったぞ。何故に今更、あの者が羽根を持って生まれたか 》

 

「え、何で……?」

 ユゥジーンはつい聞いてしまった。

 

《 自分の未来に必要になるからだ。黒の病を持って生まれる我が子の為に 》

 

「え……」

 すぅっと血の気が引くのを、ユゥジーンは感じた。確かに、シンリィは真っ黒で生まれて来た。自分は幼児だったが、あの時の里内の騒ぎは忘れない。

 カワセミ長は、シンリィの命を救う為に、自分の翡翠の羽根を使った? 

 そして次に、同じ病で死に行く母親が、シンリィの為に羽根になって……?

 

《 本人達がどこまで自覚していたかは分からぬがな。元々羽根を持つには精神性の低い者であった。だが、羽根の出現にはきちんと理由があったのだ。彼の息子の緋色の羽根は、さしずめお前達を羽根に親しませる為にこの世に来たのやもしれぬな 》

 

「ち、違う違う、違う!」

 ユゥジーンは叫ぶ。

 ヤンもフウヤも、顔を上げて口をパクパクさせる。

 リリは、シンリィはそんなんじゃない……と悔しそうに呟く。

 でも、口だけで幾ら反論しようが、言霊を含んだ銀の羽根達は現世に散り、自分達の言葉など、何処にも届かなくなってしまう。

 四人は唇を噛み締めて俯いた。一人を除いて。

 

 

「理由があったと言うのなら」

 西風の娘がしっかりと石像を見据えて言葉を紡ぐ。

「カワセミ殿は、羽根を持つ者の生き様を、教える為に来てくれた。シンリィは……」

 

 他の四人は顔を上げて彼女を見つめる。燃えるようなオレンジの瞳。

 

「シンリィは、羽根はいらないと、教えに来てくれたのだ。弱く迷いやすい私達の為に」

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 

 僕らは弱い

 

 

 だから

 

 だから 補い合わねばならない

 

 

 

 

 

 

 

 



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緋の羽根・Ⅳ

 

 

 

 

「そうだ、羽根なんかいらないって俺らに教えてくれる為に来たんだよ、あいつは!」

 

 

 

 不意に空気が震えた。

 

 ルウシェルの胸の羽根が、小さく震えている。

 

 一拍置いて

 ユゥジーンの翡翠の欠片が

 ヤンの片割れの羽根が

 リリのお守り袋が

 そしてフウヤの半月の石が

 

 今、一斉に

 共鳴するように

 震え出した。

 

 

 

 ***

 

 

 ――パアァァァ――ン

 

 

 

 天井の氷が割れて、光の帯が差した。

 

 見上げて五人は顔を輝かせる。

 

 砕けた氷がダイヤモンドダストのように舞い、白蓬(しろよもぎ)の馬がゆっくりゆっくり降りて来る。

 逆光の中、馬上に花が開くように羽根が広がる。

「天翔馬(てんま)みたい」

 リリがぽつりと呟いた。

 

 波紋の穴は、天井が割れたと同時に消え失せ、行き場を失った銀の羽根達は霧散している。

 

 緋色の羽根が、馬からフサリと飛び降りた。

 バサバサで野放図で不揃いで……でもどんな羽根よりも美しく見える、千切(ちぎ)っては分け与えて来た羽根。

 

 その羽根の持ち主を、五人は両手を伸ばして受け止めた。

 無防備にほけらっと見開いた、真ん丸な瞳。

 皆には分かっていた。それは自分達を信頼しきった究極の表情だって事を。

 

「しんりぃっ」

「シンリィ!」

「シンリーィ!」

「シンリィ……」

「おかえり、シンリィ」

 

 そうして六人が手を取り合って、心を繋いだその真下は、チラチラ瞬く太陽の標だった。

 

 ――これは、いらない――

 

 皆の心が一斉に唱えた。

 

 ――ピシッ

 切り裂くような高音と共に、標が真っ二つに割れた。

 

《 な・に・・? 》

 石像にしたら、一瞬の出来事だった。

 彼は、子供達が言葉を要しないのを知らなかったのだ。

 

 亀裂の入った所から翡翠色の光が滝のように立ち上った。

 

《 何をぉぉぉ・・!!! 》

 

 空中の銀の羽根達は光の中に溶け失せる。

 床が割れて盛り上がり、太陽の標は音を立てて粉々に吹っ飛んだ。

 六人も外側にひっくり返った。

 

 破壊は標だけに留まらず、そこから放射状にヒビが走り、壁を昇り天井に達した。

 地鳴りが響く。

 細かい震動がだんだんに大きくなる。

 

《 ああああ! 何て事をぉぉ! 》

 

 六人はそれぞれを助け起こしながら、唖然と周囲を眺めた。

 もしかして……もしかしなくても、自分達がやった事?

 

 今の言霊で、部屋を縛っていた時間の枷が、一気に解除されたのだ。

 柱もレリーフも、みるみる風化してボロボロと崩れて行く。

 石像の羽根にも無数の亀裂が駆け上がる。

 

《 な、何をしたのか、分かっているのだろうな! 》

 

「分かんない、何?」

 フウヤが大真面目に聞いた。

 

《 愚か者! 偉大な……偉大な風の民の始祖の遺産を…… 》

 

 石像は全身にヒビが入り、声を発する度に重そうな翼が崩れて行く。

 

「神さまになんかちっとも近くないじゃん。自分達で作った仕掛けが壊れちゃったらおしまいなんて」

 風の子孫でもないフウヤは遠慮無しだ。

 

《 この、無知で無価値な凡民が…… 》

 

「そんな事…… そんな事を言っているからこんな事になってしまうんだ…… 」

 ルウシェルが噛み締めるように呟いた。

 他者を見下げ、頑なな考えにしがみ付いて滅ぶのは、けして他人事ではない。

 西風だって、蒼の里からの介入がなければ、同様の道を辿っていたかもしれないのだ。

 

 石像の羽根はもう形骸も無い。残った首に音を立てて亀裂が入る。

 崩れる・・!!

 皆が後退りする中、シンリィが一人、ほてほてと進み出た。

 

「シンリィ、危ない!」

「シン……! ……」

 

 深いはなだ色の瞳でじっと見上げて子供は、緋の羽根を広げて両手で掴み、翼ごと上に差し出した。

 

《 なんの、つもり、だ・・・・ 》

 

「羽根を、くれてやるって……」

 ユゥジーンが半ば呆然としながら言った。

 

 シンリィには、敵も味方も、良いも悪いも、何も無い。ただ与えるだけ。

 皆静かに引き返して、羽根の子供の両側に立った。

 

「受けとれば?」

 フウヤが斜に構えて見上げる。

「こいつ結構執念深いから、受け取るまで差し出し続けるよ」

 

「あの、草の根の民ですら、間違ったらやり直すんです」

 ヤンが遠慮がちに言った。

 

《 こんな事で我が意志を違えるとでも思うのか。神殿に封印されていた年月はそれほど軽い物ではない 》

 

「いいです、それで。硬骨な大人と突っ走る子供がいて世の中上手く回るんだって、俺の剣の師匠が言っていました」

 ユゥジーンが言うのに、

「あっ、あたしのシショーもそんな事言ってた」

 とリリが被せた。

 

「宜しいかと」

 ルウシェルが燃えるオレンジの瞳で見上げる。

「ご老人は鉄石のように堅固でいらっしゃる方が、張り合い甲斐がある」

 

 六人のそれぞれの瞳が、石像を真っ直ぐに見上げる。

 石の作り物の筈の顔が、表情を緩めたように見えた。

 

《 ・・片羽根だけ、貰って行こう 》

 

「え?」

 

 いきなり石像から、例のスポットライトのような光が伸びて、シンリィを包んだ。

 強い輝きの中、緋い羽毛が散らばるのが見えた。

 

《地上に羽根を遺して置く。そなたらが今の考えを違えた時、我はいつでも戻って来よう・・ 》

 

 次の瞬間轟音が響き、石像の首が割れて前方に崩れ落ちた。

 

「わああっ!」

 落ちる瓦礫から逃れながら、皆、折れた首から銀の渦が飛び出し、散った羽根を吸い込んで、中天高く飛び去るのを見た。

 中身が抜けると支えていた物が失せたように、石像は肩から一気に液状崩壊した。

 

 

 ・・・・

   ・・・・

 

「ひっでえぇ。崩れるなら崩れるって言ってくれればいいだろ」

 ユゥジーンが砂礫の中から立ち上った。

 身体の下にルウシェルを庇っている。

「最後まで己を突き進むご老人だったな」

 そのルウの下にはシンリィが庇われていた。

 二人で引っ張り出したシンリィは、右の羽根が無くなり、肩甲骨の上が火傷みたいに引き吊れている。

 

「シンリィ大丈夫? 生きてる?」

「うわぁ、痛そう……」

 砂を払いながらヤンが身を起こし、その下にはフウヤが庇われている。

 

 シンリィは自力で立ち上がったが、背負っていた物が片方無くなったんだ。真っ直ぐに立てないでフラフラしている。

「両方持って行ってくれてもよかったのにな」

 フウヤが呑気に言ったが、ユゥジーンとルウシェルは口をキュッと結んでいる。

 羽根に命を救われたシンリィが、両羽根失くすとどうなるか、そんなの誰にも分からない。

 有翼人がそれを慮(おもんはか)ってくれたのかは定かでない。

 

「あぁ―― あたしの事もちょっとは心配してぇ」

 髪をぐしゃぐしゃにしたリリが、壁沿いまで流れた砂礫の中からズボッと頭を出した。

 一番素早く逃げた筈が、結局砂に押しやられて壁際で一番被害を受けたのだ。

 

「ああ、何か、リリは空が落っこちて来ても大丈夫な気がして」

 フウヤが言ってリリが瓦礫を投げ付け、皆笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 




挿し絵:おかえり 
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緋の羽根・Ⅴ

六連星本編終了・次回から終章


   

 

 

 

「ゆぅじん、これ!」

 リリは首に掛けていたお守り袋を外した。

「やっと返せた」

 

 受け取って少し眺めたユゥジーンだが、袋を開けて中の羽根を取り出し、縦に二つに割いた。

「半分コだ、リリ」

 

「ええっ、いいの? いいの?」

 半分の羽根を入れたお守り袋を渡されて、リリは目を輝かせる。

「不思議! 半分に割いたのに光が大きくなった!」

 

「へえ」と言いながら、ユゥジーンは片割れの羽根をポケットにしまって、皆を見回す。

 よれよれで砂まみれのボサボサ頭、でも晴れ晴れとした顔。

 俺も同じ顔をしているのかな。ああ、こいつらと仲間でいられる事が、こんなに幸福だったなんて。

 

 

 観音開きの扉は少し押すと向こうへ倒れ、長い廊下の先が仄かに明るくなっている。

 片羽根失くして真っ直ぐ歩けないシンリィと、限界でフラフラのフウヤを白蓬に乗せ、右をヤンとユゥジーン、左をリリとルウシェルが歩く。

 

「ねえ、風の妖精の皆はともかく、僕とかヤンとか、結局何でここに居る訳?」

 馬上でフウヤは呑気に疑問を口にする。

 

「ヤンとフウヤだからだよ。それ以外の理由なんて無いね」

 ユゥジーンがシレッと言って、隣のヤンが俯いて照れ笑いをする。

 この二人の草の根の民が、ご先祖の驚異であった事は確かだ。

 

 リリは一人元気にツーステップで跳び跳ねている。

「ね、ね、るぅしぇる、あたしがお馬を貰ったら遊びに行くからさ、また一緒に歌を唄おうね」

 

「ああ、楽しみだな」

 

「やっぱりるぅしぇると唄うのが一番好き。そらさんにも教えたけど、音痴なんだもん」

「ソラは、音痴なのか?」

「うん、すっごいよ!」

「そうか、ソラは音痴なのか……」

 

 反対側で聞いているユゥジーンとヤンは、真面目な顔を見合わせた。

 何であんな事があった直後なのにそんな話題で盛り上がれるんだ? 女子って分からない……

 

 先に明かりが見えて来た。魔法で作った明かりではない、現実味のある見慣れた朝の光だ。

 

「外だ!」

 ユゥジーンが小走りになった。

 

 しかしシンリィは白蓬を止めて、そこで馬を下りた。

「下りるの?」

 フウヤも倣って、ヤンに助けられながら下馬した。

 

 と、シンリィは白蓬の手綱を不意にリリに押し付ける。

 

「え? へ?」

「どうし……たの? シンリィ?」

「行こうよ」

 ヤンとフウヤが両方から手を取ろうとしたが、何故だか近くに居るシンリィに触(さわ)れない。

「あれ、あれれ?」

 

「シンリィ!?」

 異変に気付いたユゥジーンとルウシェルも駆け寄ろうとしたが、すぐそこに居る筈のシンリィに全然近寄れない。

 それどころか羽根の子供はどんどん遠ざかり、いつの間にか水底の揺らぎに包まれている。

 細い指がすぅっと回って、波紋の丸窓を作る。

 

 白蓬が嘶(いなな)いた。

 

「しんりぃ、ばかあ! しろよもぎ、どうすんのよ! あたしは世話なんかしないからね!」

 リリが叫んだが、子供は目を細めて眩しそうにしばたいただけだった。

 

「嘘だろ、もう闘いは終わったんだろ? 何で・・」

「白蓬は生涯を共にするんじゃなかったのか!? そんなんじゃまるで・・」

 叫んでユゥジーンとルウシェルは喉を詰まらせた。

 そうだった……この子はいつだって、やるべき事を心得て、行くべき場所に行っていた……

 

「馬鹿野郎! それは変えちゃいけない事なのか!?」

 

 

 

 ***

 

 

 

 ――変えてください、貴方達が――

 

 不意に、丸窓の中のシンリィがポンと浮き上がって、外に向かってくるくると回りながら飛んで来た。

 五人はこの日二度目の全員キャッチをする。

 

 シンリィにも予測外の出来事だったらしい。皆の手の中で目を白黒させ、喉からキュウと音を出している。

 

「ばばさま!?」

 リリが叫んで皆が丸窓の方を見ると、シンリィの居た場所に、一人の美しい女性が、口の端をヒクッと震わせながら佇んでいた。

 

「『ばばさま』はやめておきましょうね、可愛いリリや」

 確かに『ばばさま』と呼ぶには似つかわしくない、雪の精かと見違うような目も綾な女性。

 

「だ、だってじじさまの兄妹だから、ばばさ……」

「此方の世界を完全に閉じるのは、此方からしか出来ません」

 リリの言葉に被せるように女性は話を始めたが、何か大事そうな内容だったので、他の四人は大人しく神妙に聞き入った。

 

「元々この深層世界の帯は、夢でちょっと迷い込む程度の、『必要ではあるけれど陰であるべき存在』でした。こんなに膨らんで現世にはみ出してしまってはいけないのです。マボロシ鏡は言霊の力を失くしていますが、宜しくはない不純物ですし、銀の羽根も幾ばくか迷い混んでいます。時間を掛けて浄化させるまで、誰かが此方に残り見張っていなければなりません」

 

「え、そうなの……戻って来られるよね? そちらが元に戻ったら、穴を開けて……」

 リリの問いに女性は返事をしなかった。

 シンリィが白蓬すら置いて行こうとしたんだ。完全に閉じるというのは…………そういう事なのだろう……

 

「元々は神殿の封印は私(わたくし)の役割でした。私の力及ばなかった事、申し訳なく思っています。貴方達の力には本当に助けられました。心より感謝していま……」

 

 ユゥジーンがビビって動かなかった足をやっと地面から剥がし、一足飛びに丸窓の前まで詰め寄った。

 驚いて言葉を止めた女性の手首を、腕を伸ばしてガッシリ掴む。

 

「あの、貴女は必要なヒトだと思うんです。ナーガ様にもこの世界にも」

 

 女性ははなだ色の瞳をパチパチさせながら、コバルトブルーの少年を凝視する。

 

「お、俺、天涯孤独っスから。居なくなっても現世に影響無いっスから。だから・・

――交代でっすっ!」

 

 グイと手首を引っ張り、反動で女性と位置を差し替えようとする。一発で決まったらさぞかしカッコ良かったろう。

 しかし少年の腕の半分以下の太さの腕しか持たない小柄な女性は、その場に根が生えたように動かなかった。

 

 パシィ! と高音が響いて、後ろの五人の目の前に大きな背筋が吹っ飛んで来た。

 

「この戯け者! 百万光年修行して出直して来なさい!」

 

 ・・え・・ええ…………

 真ん丸に見開かれたコバルトブルーの瞳の下の頬にくっきりと、指を開いた女性の手型。

 こりゃ術で吹っ飛ばされるより百万倍ダメージでかいぞと、ヤンが肝を冷やす横、紫の小さな頭がまろび寄り、転がった少年の肩にしがみついた。

 

「ゆぅじん、バカッ! 本当にタワケだわよ! 里であたしを大歓迎してくれるんじゃなかったの!?」

 

 少年はまだ茫然としたまま、紫のビィドロみたいな瞳を見つめる。

 

「その戯け者の事もナーガの事も、宜しくお願いしますよ、可愛いリリや」

「うん、分かった! 任せておいて、ばばさ……」

「ユゥジンとやら、後ろをご覧なさい」

 

 言われるまま振り返った少年の目に、身じろぎもせずに彼を凝視する八つの瞳。

 シンリィがほてほてと歩いて来てリリの隣にしゃがむ。

 そうして小さな手を伸ばし、ユゥジーンの豆だらけでゴツゴツの指をぎゅうと包んだ。

 

「天涯孤独だなどと、どの口が言うのですか」

 

「…………」

 

 ユゥジーンはただ項垂れた。ああ、史上最低にカッコ悪リィ……

 

「あ、あたしは、ばばさまが居なくなっても悲しいよ! じじさまもきっと悲しむよ!」

 リリの叫びに、女性はちょっと脇へ寄る。

 

「私ならここに居ますよ」

 丸窓に、大長がヒョイと横から顔を出す。

「大長様!?」

「妹がどうしてもこちらに残ると言い張るのでね、付き合ってあげる事にしました」

 

「マ、マジですか」

「じじさまぁ……」

 

「そんな声出さないで、リリ。私を誰だと思っているんです? その内チャチャッと、そちらと行き来出来る方法を開発しちゃいますから。ああ、所で、ヤン」

 

 呼ばれてハイと答える少年を指して、大長はニコニコと隣の妹に話し掛けた。

「ほらほら、この綺麗な瞳の少年がヤンですよ。貴女の文通相手」

「ば、ばらさないで下さい、兄様」

 

 四秒程置いて、目が点になったヤンの喉から何かを絞め殺すような悲鳴が漏れた。

「え゙・え゙え゙・え゙ぇぇ・・どどどどどなたなんですっ? まさかあの、魔法文字を教えてくれたヒトっ!?」

 

 女性は上目遣いで頷いた。

 

「『最果てのLonesome Wolf(ロンサムウルフ)』さんっ!?」

 

 大長はあちゃあという顔になり、女性は耳まで真っ赤になって顔を覆った。

 

「元々は、いつも神殿に酒を届ける、麓に住む氷蝙蝠(コォリコウモリ)の翁が、ヤンの文通相手だったらしいです。翁がツルリと漏らした手紙の内容、『炎の狼と羽根の子供の情報を捜しています』・・そんな事を堂々と調べている子供に驚いて、新たな文通相手として紛れ込ませて貰ったんですって。

でも、成人の儀を頑張っているその少年をいつしか本気で応援している自分に気付いて。顔も知らない遠くの子供と何者でも無い自分としての交流は、素晴らしく新鮮で心癒せる一時だったと、それはもうニマニマしながらあばばばば……」

 隣の女性にガクガク揺さぶられ、大長はその辺で止めておいた。

 

「ヤン、貴方のね、世界中の色んな種族と、『知る』事で繋がりたいという夢、とても素敵だと思います。此方側からですが応援していますよ」

 

「はははいっ、ああありがとうございますっ」

 少年は頭の羽根と一緒にユラユラ揺れながら、必死で返事をした。

 

 一拍置いて、大長と女性は居住まいを正した。

「他の皆さんも、ご苦労様でしたね。貴方達と出逢えて本当に楽しかった。貴方達の存在が、私達の何よりの歓びです」

 

 彼方側の二人はもうそれ以上は余計に喋らず、一枚の絵のように丸窓に収まって六人をじっと見つめた。目に焼き付けるように。

 

 いつの間に、子供達の後ろにナーガが立っていた。

 こちらも言葉は発せず、ただ二人を真正面からしっかり見つめ、そして、最後に一礼した。

 

 そうして幻灯機が消えるように丸窓は閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

      ~緋の羽根・了~

 

 

 

 

      ~六連星・Ⅴ・了~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回、終章入る前にちょっと日にちください

挿し絵: また会う日まで
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ヘボいけど、こういう絵を描いてみたかった


  


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終章
朱の月・Ⅰ


終章の開始
ラストスパート


 

 

 

 

 雪原に 蹄跡を連ねて二つの騎馬が行く。

 前はフウヤの栃栗毛。後ろにヤンの四白流星。

 

 赤っぽい黒髪のバンダナから下がるビーズ飾りは、残念ながらまだ未成人の仕様。

 だけれど首のチョーカーに、異彩放つ三角が光る。

 

 

 

「自己満足で成人の儀礼を拒否するなんて、育ててくれたヒト達にとんでもなく失礼な事でした。間違ったら引き返してやり直さねばならない、そんな当たり前にやっと気付いたんです。その……すみませんでした!」

 

 風出流山から戻ってその足で、ヤンは族長達の所へ行って、額が膝に付くかと思える角度で頭を下げ、来年、成人の儀礼の挑戦をやり直させて貰えるよう願い出た。

 イフルート族長と集まった主な大人達も、蒼の里のナーガ長から世の異変は聞いていたし、この二人がそれに関わって、そこで何かを学んで来たのだろうと、おぼろげながら察していた。

 だから多くを聞かずに少年を許した。

 

「ヤンはすっごい大猪を倒したんだよ。身体が崩れちゃったから見せてあげられないけれど」

 フウヤはポケットから何かを引っ張り出して、族長達の前にゴトリと置いた。

 化け猪の牙の尖端。

 

(いつの間にそんな物を持って来た?)

 ヤンは呆れたが、フウヤの

「僕が握っていた所から先だけ崩れずに残ったの。きっと族長さん達に持って帰ってあげろって事だと思ってさ」

 との屁理屈に、大人達と一緒に黙らされてしまった。

 

 全体の十分の一にもならない尖端だが、年輪はビッシリと詰まっている。

 それがどんな化け物であったのか、流石の狩猟の民達は即座に理解して、よくぞ無事で帰ってくれた物だと肝を冷やした。

 

「フウヤ、確かに凄い猪を倒したのは分かった。たまたま倒せるような代物ではない事も。だが成人の儀礼の条件の『持ち帰る』というのは、また別の意味でな」

 イフルート族長の言葉に、ヤンも同意した。

「そうだよ、第一、フウヤ以外の子にも手伝って貰った。リリの術があったから勝てたような物だったし」

 

「え、ああ、僕は成人の儀礼の達成数に加えて貰おうと持って来たんじゃないよ」

 キョンという子供に、一同目をパチクリする。

「族長さん達、ホッとするかな、って。だってヤン、すっごい勇敢だったんだよ。これぞ誇り高き三峰の民、って感じで、化け猪相手に一歩も引かなくてさ。僕が幾ら口で言っても伝えられないけれど、この牙を見て貰ったら伝わるかなと思って。ヤンは来年絶対、余裕で儀礼を通過するよ!」

 

 族長や他の大人達は、目を見開いてしばらく固まっていたが、やがて誰からともなく苦笑して、ボロボロで傷だらけの子供達の肩を抱いた。

 

 

 牙の尖端だけを切り取ってチョーカーに設えたのは、細工職人として修行中のフウヤだ。

 

「もう去年位から、木の枝を飛ぶのが難しくなっているのは自覚していたんだ。幾らチビッ子でも身体は年々重くなるからね」

 だからフウヤは、自分に出来るやり方で三峰の大人になる道を模索していた。もしも狩猟の民として成人出来なくても、彼は三峰に骨を埋めるつもりでいる。

 

「親方が筋が良いって誉めてくれている。それで……」

「うん、分かってる。母さんの方は任せて」

 

 フウヤは細工職人の親方……糸玉婦人の家の正式な養子になった。ヤンの母はちょっとだけ荒れて泣いたが、子供を育てるというのはそういう物だと、周囲に宥(なだ)められた。

 ヤンだって寂しい。でもフウヤはしっかりと将来を見据えている。二人ともいつまでも子供ではいられない。

 

 

 

 

 雪原の二騎の頭上に一羽の鷹が現れ、円を描いてヤンの腕に下りた。

 艶やかな褐色の翼の片方に白い帯。

 

「カッコいいなあ、もう慣れた?」

「ナーガさまに一通り指導して貰ったんだけれど、やっぱりまだまだ緊張する」

 

 大長の鷹の手紙には、リリの保護の依頼と共に、この鷹は三峰のヤンに譲るという宣言が記されていた。

 びっくりして辞退するヤンに、ナーガ長は、もう鷹にはそう擦り込まれていると首を振り、睫毛を伏せてその手紙をしみじみと眺めていた。そんな顔を見せられたらヤンだって、覚悟を決めて拝領するしかない。

 

 今回の旅は、遠方の文通相手の場所を鷹に覚えさせる目的もある。

 壱ヶ原の街には、設置料を払って、広場に投函箱を設置した。イフルート族長がわざわざ一緒に来て口を利いてくれた。

 移動する旅人達との文通は今まで通り投函箱で行い、辺境の者とのやり取りは鷹便に移行して行く予定だ。

 

 何だかんだ言って、愛おし気に鷹を見つめる相棒に、フウヤも目を細める。

 「『化け猪の牙』に、『蒼の里謹製の拝領鷹』。これだけ獲得した者が何で成人になれなかったんだろうな。ある意味ずっと語り継がれるぞ」と、族長や大人達が盃を傾けながら苦笑いしていたのは内緒だ。

 

 

 二頭の騎馬は、幾つもの柱状摂理のそそり立つ霧の谷へたどり着いた。

 

 霧の中、様々な楽器の音が降って来る。

 

 二人は下馬してその音を、今が一会であるかのように耳に染み込ませる。

 

 

 

 

   ***

 

 

 

 

 音合わせの弓絃を離して、女性は窓辺から作業台に戻る。

 弦を外して胴体のかしめを緩め、今鳴らした音の濁りの原因を修正して行く。

 

 部屋の反対側に座してそれを眺める夫の腕(かいな)には、まだふにゃふにゃの赤子。

 ひとつ仕事を終えた妻が、職人の顔をフと緩め、夫の隣に来て赤子を受け取る。

 

 夫は静かに立ち上がり、ソロソロと戸口へ歩いた。

 

「やぁ、リリ」

「あっ」

 

 外壁にもたれていた娘が、慌ててピンピン跳ねる前髪を抑えた。

 父は外に出て、娘の隣に立つ。

 山陵の雪雲が切れ、隙間に昇ったばかりの朱の月が滲む。

 

「綺麗だね」

「あっ、うん、教えてあげようと思ったんだけど、赤ちゃん寝てたみたいだったから」

 

 部屋の中では赤子の起きた声。生まれたばかりなのに、むずかり声までが節を唄っているようだ。

 

「弟が風露の子で良かった。あたしが居なくなっても母さま、寂しくないね」

「寂しいよ。リリはリリで誰も代わりになれない」

「……変なの、あたしに蒼の里に来て欲しくないの?」

「来て欲しいよ」

「父さま、アマノジャク!」

 

 リリはポンと前に跳んで、崖の端までスキップした。

 ナーガも数歩離れて付いて行く。

 

「あたしね、ずっと母さまみたいに、楽器造りの職人になりたかった。でも今回、色んな所へ出掛けて、色んなヒトに出会ったら、やりたい事が他にも一杯出来ちゃった。これからももっと増えるよ、きっと」

 

 赤い月を背景に髪を振ってクルクル回る娘は、あれほど早かった成長がピタリと止まり、不安の影が払抵(ふってい)されている。

(これからはユユみたいにのんびり成長して行くのだろう……)

 

「だからね、七つになったら蒼の里へ行こうと思う。正直言うと早くお馬が欲しいから。ね、こんなあたしでもいい? ……きゃっ」

 

 後ろからいきなり肩車に担がれて、さすがのリリも面喰らった。

 

「ほら、こっちの方が月がよく見える」

「見えるけどぉ……今聞いた事のお返事は?」

「勿論いいよ。リリなら僕の知らない事を沢山見付けて来そうだ」

 

 所在なく空中を游がせる小さな手を、父はガッシリ掴まえる。

 こんな風に肩車出来る時期なんてあっと言う間に過ぎ去ってしまうのだから。

 

「ふぅん……あ、そうだ、一個だけ、もうはっきりしている目標があるよ」

「ん、どんな?」

 

「強くなりたい! あのさ、力が強過ぎるヒトって独りぼっちになりがちじゃない。誰も叱ってくれないし、誰も心配してくれない。だからそういうヒトの横へ行って、メッてしてあげられる位、強くなりたい」

「…………」

 

「例えばさ、自分の事ばっかり喋ってた石像さん」

「え、ああ、うん……」

 

「あのヒト、きっと凄く寂しかったんだよ。愚痴を言える友達もいなくてさ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 




挿し絵:きっと逢える
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朱の月・Ⅱ

本編完結  ありがとうございました

あと、余話を一本投稿する予定



  

 

 

 

「そこへ降りて貰っていいか?」

 砂漠の手前、三日月湖の上空、二人乗りの馬が高空気流から降下する。

 

 ルウシェルを送って来たのは、コバルトブルーのユゥジーン。

 風出流山の神殿に飛んだ一回で、ユゥジーンも馬も、何故だか高空飛行を会得してしまった。

 

 

 

「急に、一気に高空まで上がれるようになっちゃったんですけど。俺には縁の無い能力だと思っていたのに……」

 山から帰る道々でそう言って首を捻る少年に、ナーガは微妙にムスッとしながら答えた。   

「僕はちっとも驚かない。出来るようになるのは時間の問題だと思っていた。うちの母は、伸び代の無い者をひっぱたいて修行し直せとか言わないし」

 

「マジですか」

 

「はぁ、僕も最後にひっぱたかれたかった・・」

 

「…………」

 

 

 

 

「何か用事? 西風はもうすぐそこだぞ」

 三日月湖の側の茂みに着地し、ユゥジーンはルウシェルを助け下ろしながら言った。

 

 この西風の娘は、神殿の外に出て安心した瞬間、腰が抜けて動けなくなってしまった。

 今日まで蒼の里で療養をしていたのだが、多分まだ本調子ではない筈だ。

 

「ルウは頑張り過ぎていきなり限界来るんだから。ヒトの上に立つんなら体調管理も大事だぞ」

「ユゥジーンはソラみたいな事を言うな」

「誰でも言うよ!」

 

 ルウシェルは辺りを見回して、ある方向の茂みを掻き分けた。

「すまない、見ておきたい物があって。確かこっち……あっ、ここだ、ここ」

 

 藪を抜けた所は、少し開けて踏み固められた広場だった。

 真ん中に焦げた石が積み上げられ、椅子代わりの丸太と、木桶が臥せて置いてある。

 多分、ここを通る旅人達が使っている野営場所だ。

 ヒトの痕跡を濃く残せば、砂ミミズ等会いたくないモノとも住み分けが出来る。山や森の道沿いには、たまにこういう場所がある。

 

「最初にヤン達に会った場所かい?」

「違う、それはもうちょっと砂漠寄り。ここはもっと昔……」

 

 言葉を止めてルウシェルは、土が焦げた焚き火跡に屈んだ。何十年も昔の痕跡なんかある筈も無い。

 でもあの夜の火の暖かさと、氷の刃物のような翡翠の羽根の後ろ姿は、一生忘れない。

 

 一瞬目を閉じた後、彼女は今度は湖の方向へ歩いた。

 少し行くと、陽当たりの良い開けた場所に、新しい土と、青い三尺程の木の苗が数本。

 

「何それ? こんな所に植林?」

「蜜柑の木。蒼の里で療養している間に西風と手紙のやり取りをしただろ。ソラが、ここに植えたって教えてくれた」

「蜜柑……黄色い実のなる奴?」

「うん、親木は、大長殿の思い出の場所にあった老木らしい。ソラはそこの地の記憶から、大長殿の大切な思い出を教えて貰ったんだって」

「へえ……(何気に凄いな、ソラさん)」

 

 ソラが言うには、老木はもう寿命が終わり掛けていたとの事。元々あまり気候の合わない土地だったらしい。

 事の最後に大長の行った先を聞いたソラは、もう一度老木の場所へ飛び、挿し木に出来そうな若い部分を貰って帰った。

 そうして気候と湿度の合ったこの森に移植した。植物の知識はスオウに指南して貰ったらしい。

 

『物事には終わりがございますし、想い出はいつか消えるのが習いでありましょうが』

 鷹の手紙の文字は堅苦しかったが、ルウシェルにはソラの気持ちが分かった。

 

 二人は水を汲んで来て青い苗に掛けてやり、ユゥジーンは去り際にちょっと地面に手を当ててみた。

 当然だが、土の感触しかしなかった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 風紋の地平に赤い月が刺さる。

 

 星空に掛かっていた筋雲が解(ほぐ)れて流れ、今宵の風は月光の詩歌をまとう。

 

 上空から降りて来るモエギ長の騎馬を、地上でソラが迎えた。

「冷えます、外套(マント)を」

「ありがとう…… ん?」

 

 ふと見ると、砂丘の地平に漆黒の騎馬。

 

「あ、僕はこれで……」

 と去りかける青銀のソラの前に、漆黒のハトゥンは立ちはだかった。

「今宵は貴様に用がある」

「はぃ?」

「言っていないのか、モエギ?」

 

「ああ、言い忘れていた。すまない、すまない」

 後ろから、何だか弾んだモエギ長の声。

「砂の民の風習で、花嫁の父親に殴られておくのだとさ、花婿は」

 

「聞いた事もないですよ! そんな風習!」

 

 と抗議する暇もなく、次の瞬間にはソラは、砂の上にノシ餅のように横たわっていた。

「ゔ、ゔ・・酷い・・」

 

 呻くノシ餅の顔に一枚の羊皮紙を被せ、ハトゥンは豪快に笑いながら馬に跨がって去って行った。

 

「何なんですぅ・・訳が分からない・・」

 

 横にしゃがんだモエギが、嬉しそうに目を細める。

「本当に砂の民の風習を知らないなぁ」

「だからそれが……」

「両親(りょうおや)が、娘の伴侶と認めた相手には、娘の『真名(まな)』を渡すんだ」

 

 ソラは跳ね起きた。

 

 懐に落ちた羊皮紙には、『空から落っこちた悪魔』とは正反対の、美しい名が記されていた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「うん、いい月だ」

 執務室の窓から今昇り始めた三日月を眺めながら、ホルズが柄にもない事を言った。

 

「まぁ、こうして地平が見渡せて、当たり前に月が見られるのは、有り難く贅沢な事だ」

 長椅子のノスリも伸びをし、二人で馬乳酒の杯を傾ける。

 久方ぶりの、業務終わりの息抜きタイム。

 

 空のゴタゴタが終焉し、草原の各部族の動揺も、ほぼほぼ治まった。

 マボロシに襲われた者は一長一短に元に戻らないが、時間を掛けてゆっくり回復させればいい。これ以上拡大する事がなくなっただけで何よりなのだ。

 

 普段から地道に縁を繋いでくれていた貴方がたのお陰です……ナーガ長はそう述べて、メンバー一人一人の手を握った。

 その傷だらけの指の冷たさに、メンバー達は、結局誰も何も言わなかった。

 

 

 玄関デッキを上がって来る足音。

「おや、誰か忘れ物かな」

 

 足音は二人で、先に入って来たのは長いお下げのエノシラ。

「こんばんは。あの、この方が……」

 

「う゛あ゛っ!」

 後から入って来た、飴色の肌の男性の有り様に、室内の二人は口と鼻を覆った。

 

「……お久し振りです……」

 

「あ、ああ、久し振りっていうか……西風のシドだよな。ああ――えっと、一個づつ聞いていいか?」

 

「暗くて着地地点を間違えて、厩舎横の堆肥の山に突っ込んじゃいました」

 エノシラが声を出す前に、シドが早口で言った。

 

「水あみ場を使う許可を頂けますか。エノシラが案内してくれると言うので」

 

 律儀だな、いちいち許可とか。

「おお、構わん構わん、早く行け」

 

「あ、ここに来たのはモエギ長の指示です。蒼の里が色々大変な時なので手伝いに行けって」

 

「それは助かる。だが今は早く洗って来い」

 本当に律儀だな。

 彼が来るのは子供の頃の留学時以来だ。まったく変わっていなくて一目で分かったな。ノスリとホルズはそんな事を話しながら、大慌てで窓を開けて換気をした。

 

 

 エノシラの案内で下流の水あみ場にたどり着き、シドはで頭から水を被ってゴシゴシ洗った。

 板壁を隔てて向こうでエノシラが洗濯をしてくれている。

 

「あ、あの……庇って頂いて、ありがとうございます」

 

「いや、元より僕が悪かった。そりゃいきなり暗がりで立ち塞がられたら驚くよな。思わず突き飛ばされてもしようがない。後ろが堆肥置き場だったのは運が悪かっただけだ」

 

「立ち塞がられたからじゃないわ。『君の婚約者は何処だ、決闘を申し込みに来た』なんて突然言われたら、そりゃ……」

 

 エノシラにしたら、ここでいきなりこのヒトに会ってしまったのは青天の霹靂だった。

 でも優柔不断な態度を取ってはいけない。惚けて流されたらトンでもない事になるのは学習済みだ。

 

「その……謝りますから、どうかサォ教官に変な真似はしないで下さい。あの方は決闘のケの字も知らない穏やかな方なんです」

 

「分かった、サォ教官さんにはノータッチで。君の気持ちを掴めるよう、執務室の手伝いを誠心誠意頑張るよ」

「だからそういう誤解を招く発言は慎んで下さいっ」

 

 プンスカしながらも着替えを調達に行ってくれるエノシラの後ろ姿を眺めながら、シドは素の顔になる。

 

 モエギ長に、「ボォッとしている位なら当たって砕けて来い」と蹴り出され、ハトゥン様には「木端微塵になって来い」と笑われた。

 

(元よりそのつもりだったよ。木端微塵になって諦める為に来たのに。…………何でこんなにアホみたいにウッキウキしちまうんだよっ!)

 

 

 

   ***

 

 

 

 地平に赤い月。

 ほの淡い月光に浮かぶ、ハイマツの丘。

 

 緋色の片羽根を斜めに閉じた少年が、浜辺の干からびた白蓬色の馬と共に。

 

 最初の世界は、閉じた木枯らしの浜辺だった。

 そこで『浜辺のあのヒト』と、『何処か』へ向かって歩んでいた。

 

 次の世界は、沢山のヒトとの出逢い。

 好きなヒトが出来て、

 大好きなヒトが出来て、

 大切なヒトが出来た。

 

 浜辺のあのヒトは、今でも心の浜辺に暮らしている。

 浜昼顔の群落で、朽ち木のようにスッと立ち、そこで見ていてくれている。

 

 今、行くべき先を照らすのは、大切な彼らがくれた六連星(むつらほし)。

 

 片羽根は風を孕み、少年を乗せて馬は、中天高く舞い上がる。

 

 

 

 

  

 

   ~朱の月・了~

 

   ~終章・了~

 

 

        ~六連星・完了   ~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




六連星~むつらほし~ 終了です
ここまでお付き合い頂いて、まことにありがとうございました






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余話
スノゥドロップ・Ⅰ


デザートにラブコメをひと匙(さじ)



  

 

 

「エノシラさん、これどうしたの?」

 

 蒼の里、里裏の山茶花(さざんか)林の奥、エノシラ宅。

 執務室からの届け物を持って来たユゥジーンが、戸口を開いて呆れた声を上げた。

 

 部屋の中央に座り込んだソバカス娘の周り、床一面に投げ出された生なりの毛糸。今しがた乱暴にほどききったばかりの綿埃が舞っている。

「ああ、ユゥジーン、調度良かった。枷(かせ)にするのを手伝って頂戴」

 

「ごめん、修練所にも届け物があるんだ」

「そう……」

「ハウスのチビ共にやらせりゃいいだろ。通り掛けに声を掛けて行くよ」

「ありがとう、お願いするわ」

 

 返事はする物の、長いお下げを垂らした娘は、足の踏み場もない毛糸の海に座り込んで、片付けを始める気配も無い。

 ユゥジーンは、短く「じゃあ」と行って戸口を閉じた。

 

 ここの所彼女が心ここに非ずで、編み棒を構えて何やら編んでは解(ほど)いてを繰り返しているのは知っている。理由もだいたい察しが付く。

 下手に突ついて飛ばっちりを喰らうのはゴメンだ。

 

 

 放牧地を右に、居住区の端のひなびた場所に、『ハウス』・・修練所のサォ教官の自宅がある。独身の教官にはやや広い二間続きのパォは、今日も小さい子供達で溢れ返っている。

 

「あ、ジュジュ……じゃなくて、ユゥジーン兄ちゃんだ」

「剣教えて、剣!」

 

「ああ、今日は用事の途中だから無理。誰か暇な奴いる? エノシラさんが手伝いが欲しいって」

 

「行く、行く――」

「お菓子くれるかな」

 

「それは分からん。じゃ頼むな」

 

 サォ教官が修練所を修了して教官見習いになった頃、黒の災厄の爪痕で、里内には少なからずの孤児が居た。

 大概は親族が引き取るのだが、その頃はどの家も心の余裕が無かった。

 まだ小僧だった教官は『あぶれた』子供達をまとめて引き取り、一緒に暮らし始めた。

 保護者というより兄貴のような存在で、誰でも自由に出入りさせている内に、いつの間にやら、親が忙しくて寂しい子供や、親族に引き取られたものの居場所のない子供まで集って、蜜蜂の巣のようになってしまった。雑魚寝なのに、家のある子も帰りたがらない。

 

 最初、小僧が何をやっているんだと胡散臭げに見ていた周囲の者も、子供達が生き生きと、しかも礼儀正しくなって行くので、だんだんに食べ物や増築の協力をしてくれるようになった。

 今では教官は、『実践を伴った立派な教育者』として里人に一目置かれている。

『ハウス』という言葉は、『子供が安心して帰って来られる家』という意味で、それはサォ教官の信念でもある。

 

 ユゥジーンもそこ出身だ。災厄で両親失くして親戚をたらい回しにされていた彼は、ハウスが無ければ今の自分は無かったと思っている。だから教官には感謝を抱いているし、その婚約者のエノシラさんも大切だ。

 

 サォ教官が、助産師見習いのエノシラさんに一目惚れしてプロポーズをしたのは四年前で、彼女は修行中の身だった。

 一人前の助産師になってからという返事に、教官は快く承諾して気長に待っている。

 周囲も、子供の事に長けたエノシラと彼は最良の組み合わせだと、温かく見守っている。

 昨今、助産師として板に付いて来たエノシラに、そろそろ正式に祝言をあげては、と話も立ち上がり始めている。

 

 何の障害も無い筈だ。

 ユゥジーンだって、大切な二人の幸せを、諸手を上げて応援していたい…………けれど……

 

 ・・

 ・・・・

「やぁ、ユゥジーン」

 

 修練所に通じる土手の上で、今頭に浮かべていた顔に鉢合わせて、少年は小さく飛び上がった。

「シ、シドさん」

 

「こっちに用事?」

「はい、修練所の所長の所へお使いです」

「そう、僕は仕事が早く終わったからちょいと来てみた。懐かしいな、相変わらず蹴り玉が流行りなんだな」

 

 この飴色の肌の気さくな青年は、砂漠の西風の妖精で、今、無茶苦茶忙しい蒼の里の執務室を手伝いに来てくれている。子供の頃こちらに留学した経験があり、修練所は勝手知ったる場所だ。

 

 何でも器用にこなす彼は、すぐに執務室の即戦力となり、統括者のホルズを喜ばせている。

 この夏、西風に出向したユゥジーンには、向こうにいた時からの見知った仲だ。

 

「そうですね、あ、所長が帰っちゃいそう。じゃ!」

 ユゥジーンは短く会話を切って土手を駆け降り、そこでもう一度振り向いた。

「ああ、もうちょっと厚着した方がよくないですか? 西風の妖精って寒さに弱いんでしょう?」

 

「うん? これぐらいまだ大丈夫だよ、ありがとう」

 

 何も分かっていない感じで、飴色の肌の青年は呑気に手を振った。

 そうしてまた、修練所とは関係のない、『普段エノシラが通り道にしている場所』を、うろうろし始める。

 

 ユゥジーンは口を結んでそのまま走り抜けた。

(端から見て大丈夫じゃなさそうだから、気を揉んでセーターなんか編み始めるヒトがいるんだ。ちょっとは気付けよ。そして空気読め)

 

 

 

 ***

 

 

 

 その日は降ったりやんだりのはっきりしない天気だった。

 ユゥジーンは雨の隙間をついての一仕事の後、小雨パラつく中、帰還の空の上。

 

 一雨毎に寒くなる。山の裾野はもう白い。

 寒さに弱い西風の妖精シドの帰宅のタイミングについて、執務室でも話し合われ始めている。

「波風立たせない内に穏やかに帰ってくれればいいんだが…………んん?」

 

 ヒュイッ・・と短く音が聞こえた気がした。口笛?

 

 ふと見る地上に、奇異な物。

 草原の真ん中に岩が点在している場所があるのだが、その一つの上に、何者かが横たわっている。自分と同じヒト型の種族。

 

(こんな雨の中?)

 高度を下げて近付いて、しゃっくりしたみたいに息が止まった。

 素っ裸の女のコがシナを作って、仰向けで腕を上げて誘っているのだ。

「うそだろっ!」

 

 離れた所に馬を下ろして、草に隠れながら、少年はそぉっと声を掛ける。

「あの~……風邪ひきますよぉ……」

 

 次の瞬間、女のコの艶(なまめ)かしい腕がバサリと落ちた。

「ひっ?」

 

「わっ!!」

 

「ひいいいぃ!」

 

 後ろからいきなり驚かされて、情けない悲鳴をあげるユゥジーン。

 

「あはははは、引っ掛かった、引っ掛かった!」

「風邪ひきますよだって、きゃはは!」

 頭から蕗の葉を被った二人の友達が、満面の笑顔で抱き付いて来た。

 

「ヤン、フウヤ!」

 

 

 岩の上の女のコは粘土を盛ったフウヤの自信作。

 

「心臓が口から飛び出るかと思ったぞ!」

「あはは、ごめんごめん。さっきユゥジーンがあっちに飛んで行くのが見えたからさ」

 それで、帰りを狙って、大急ぎで粘土を集めて作り上げたらしい。

 

「暇だなっ!」

 

「こんなにきれいに引っ掛かってくれるなんて、本当にありがとう。この恩はしばらくは忘れないよ」

「はいはいどうも。けど俺の好みは、もうちょっとあちこち出っ張ってるタイプだ」

 

 言い合いながら三人は、雨を避けて、待ち伏せ用に張ってあった灌木の下の天幕に移動した。

 

 

「そうか、今年も二人は旅の時期か。三峰はもう冬なんだね」

「鷹の訓練を兼ねてるから、結構緊張してる」

「うん、頑張れ」

 

 そんな雑談をしている内に、西風のシドの話になった。この二人も、西風の友達ルウシェルを通して、シドとは縁が深い。

 

「へえ、シドさん来てるんだ。もう結構寒いけど、帰らなくて大丈夫なの?」

「蒼の里に、気に入った女のコでも出来ちゃったかな」

 ヤンの天然な一言に、ユゥジーンはビクリと揺れ、それを見逃してくれるほど甘いフウヤではなかった。宥められたりすかされたりで、結局全部喋ってしまうユウジーン。

 

「まぁ、知らぬは本人ばかりだよ。執務室のメンバーも里内の女将さん連中も、だいたい皆気付いてる。態度で見え見えだもの。でも本人は隠しているつもりだし、仕事は出来るし良い奴だしで、誰も何も言えない」

「婚約者がいるのは知っているんでしょう?」

「うん。知った上で、何をどうしたい訳でもないんだと思う。ただその件に関して腫れ物に触る扱いをしなきゃいけないのが、地味に周囲を疲れさせるというか」

「お、おつかれ・・」

 

 シドの一番困った所は、自分の体調に無頓着な所だ。それが医療に従事しているエノシラを、ひたすらイライラさせている。

 西風の妖精は寒さに弱く、突然身体が活動停止して休眠状態に入ってしまう。砂漠地方だけで暮らしていたら一生知る事のない症状だ。掛かってしまうと習慣になり、ダメージも残る。

 先日までその症状で寝込んでいたルウシェルを看ていたエノシラは、西風の者よりもその怖さを知っている。

 

 だから彼女は遠回しにホルズやユゥジーンに頼んで、保温に気を付けろと訴え掛けているのだが、子供の頃に平気だった体験だけを嵩に着て、シドはまったく言うことを聞かない。

 

「やれめんどくさいだの重いだの、ホルズさんの持って来たノスリ家伝統柄のセーターを、『お揃(そろい)はやだ』とか」

「子供かっ!」

 

「シドさんってたまに頑固な所があるよね」

 ヤンは熱いお茶を差し出して、一息吐いてユゥジーンに向き直った。

「それでエノシラさんはどうなの?」

 

「え? エノシラさんは・・勿論、このままサォせんせと一緒になるよ、婚約してるんだし」

 

 彼女がついセーターを編んでしまうのは、自分の編んだ物なら着てくれるだろうと確信しているからだ。

 でもそんな物を渡したら、どんな厄介な展開になるかは火を見るより明らか。

『けれどこのままじゃ、あのヒトは今日にも倒れてしまうかもしれない、セーターくらいいいじゃない、医療行為の一環よ、ああ、でもやっぱり……』

 そんな葛藤で編んでは解いてを繰り返し、彼女は目の下に隈を作っている。

 

「周囲も祝福してるんだ。このままが一番なんだよ、その筈だよ」

 

「ホントに子供な大人って始末におえないよね」

 フウヤが知った風な口をきいた。

「エノシラさんがゴタゴタ悩んでいないで、自分の気持ちに整理整頓を付けられればいいんでしょ。僕に作戦がある」

 

 

 ***

 

 

 雨のあがった隙に、エノシラは枷にした毛糸を抱えて染め場を後にした。

 生成(きなり)だった毛糸を、真っ赤に染めて貰ったのだ。

「これで毛糸があっても、つい編み始めたりしなくて済むわ。こんな派手派手しい色を着たい男のヒトなんていないもの。さてさてチビッ子達の帽子でも編んでやろうかしら」

 

「エノシラさん、丁度良かった」

 後ろからユゥジーンが駆けて来て追い付いた。

「あのさ、魔物を見たんだ。里のすぐ側で」

 

「ええっ!」

 真っ青になったエノシラが毛糸のカゴを取り落としそうになる。

 

「髪の毛の代わりに蛇が一杯生えてて、目が赤くてさ、いかにも妖しい魔力を持っていそうな奴。さっき馬繋ぎ場でシドさんには知らせた。これから執務室に報告に行くんだけれど……エノシラさん、ハウスのチビッ子に注意しに行ってくれる? 里の中なら結界に守られて安全だけれど、最近、度胸試しとか言って、結界の境目付近で遊ぶ子がいるんだ」

 

「わ、分かったわ」

 

 真剣な顔のエノシラにちょっと胸を痛ませながら、ユゥジーンは別れ道で執務室へ行く振りをして、素早く方向を変えた。

 

 

 エノシラは毛糸を抱えたまま、居住区の外れのハウスへ向かう。

 髪が蛇の魔物なんて恐ろしい。まるで神話の絵本に出て来る怪物じゃない。そんなの、本当にいるんだ……

 

「あら?」

 放牧地の手前の土手に、見慣れぬ子供。

 後ろ姿でフードを目深に被っているけれど、蒼の妖精ではないのが分かる。

「ねぇ、あなた」

 

 里人に気付くや、子供は放牧地の中へ駆け出した。そちらは結界の境目だ。

 

「あ、駄目、怒ったりしないから、止まりなさい」

 走って追い掛けるも、子供は結界を越えて消えてしまった。

 エノシラは手前で立ち止まって躊躇するが……

 

「きゃあ――! 助けて!」

 

 その悲鳴を聞いて放って置ける彼女ではない。

 毛糸のカゴを放り出し、そこにあった干し草用の三本ホックを掴んで、エイヤッと境目に飛び込んだ。

 

 

 

 外では、ヤンとユゥジーンが大忙しだった。

「フウヤ、こっちこっち」

 駆けて来たフウヤの上衣を受け取って『大道具』をスタンバイし、少年達は茂みの中へ素早く隠れる。

 

 直後、三本ホックを振りかざしたエノシラが走り込んで来た。

「ねえ、さっきの子、何処にいるの? ここへおいで!」

 

 草原は、何か大きなモノが移動した跡のように踏み倒されている。

 少し先の地面に、先程の子供の着ていたフードの上衣が見えた。

 慌てて駆け寄るが

「ひぃっ」

 子供は土塊の人形と化していた。

 エノシラの頭の中に神話の怪物が降臨する。

 

 そこから十歩も離れていない先にも、一回り大きな土の塊。

 見たくない、けれども、確かめなくては……

 そろそろと近付いて、覗き込んだエノシラは、この世の者ではないみたいな悲鳴をあげた。

 

「あああ、シドさん――!!!」

 

 

「一目で分かって貰えた、僕、彫刻家になろうかな」

 短時間で超リアル人形二体を作り上げたフウヤは、茂みの中で満悦そうに鼻の下をこする。

 

「それは後、ほら行くぞ」

 今すぐ『やーい、引っ掛かった』と飛び出さねば。イタズラってのは加減が大切だ。

 今ならまだ、エノシラは拳を振り上げてプンスカするだけで済ませてくれる。ユゥジーンは『セーターくらい編んでやりゃいいじゃん。今、そう思ったろ!』とかましてやる予定。

 

 しかし……そういう時に限って予定外な事態は起こる。

 

 

 バラ、バラ、バラ・・・・

 大人しかった空が急に息を吹き返し、大粒の雨を落とし始めた。

 エノシラの顔から血の気が引く。

 雨が土塊(つちくれ)人形を溶かしてしまう!

 次の瞬間、茂みの三人の血の気も引いた。

 

 ビ、ビビビビ――――!

 

 お下げ娘がいきなり、自分のスカートを剥ぎ取って引き裂いたのだ。

 それを広げてシド人形を覆い、更に上衣を脱いで破って子供の人形に被せる。

 

 今やお下げ娘は、下着だけのあられもない姿。

 あまりの事に藪の中で固まる三人。

 しかも予想外な事態は重なる。

 

「あっ、ナーガ様! ナーガさまぁ――!」

 何と上空を、ナーガ長の騎馬が通過したのだ。いやそのタイミングいらない!

「ナーガ様、シドさんが! シドさんを助けてぇ!」

 

 ぴょんぴょん飛び上がって両手を振る半裸の娘。

 目の良いヤンは、蒼の長さまでもあんな情けない仰天顔をする物なんだと、一瞬だけ思った。

 

 それでも必死な呼び声に、何事かと素直に降りて来る蒼の長さま。

 やっと少年達は硬直を解いた。

 

「だ、駄目――――!」

 

 藪から飛び出して、自らの上衣で下着姿の娘を被(おお)う三人の少年。

 青くなって赤くなって、後にさぁっと能面みたいに白くなるお下げ娘。

 困惑して固まる蒼の長さま。

 

 

 

 

 

 

 



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スノゥドロップ・Ⅱ

 

 

 

 

「ふぅん・・よくできた芸術品ですこと・・」

 氷のように冷ややかな声。

 

 ナーガのマントを羽織ったお下げ娘が、被せた布をめくってシド人形を凝視している。

「ふむ大した物だ」と覗き込んだ長殿はギッと睨み付けられ、カエルみたいに口を結んで黙った。

 

 雨の中、正座してシュンと並ぶ少年三人。

「ゴメンナサイ……」

 

「シドさんに頼まれたんですか?」

 

「ち、違う違う、違う!」

 三人はそこだけは慌てて否定した。

「俺らが勝手にやったの。セーター編んで解(ほど)いてるぐらいならハッキリさせろよって」

 お下げ娘が赤くなってギギッと睨み、ユゥジーンは黙った。

 

「まあまあエノシラ、この子達にはキッチリお灸を据えて置くから……」

 そう取りなすナーガ長の目の前にも、白い石のペンダントがギギギッと突き付けられた。

 

「それでナーガ様もいきなりこんな物をくださったんですね。『運命の人に巡り会わせてくれる護り石』ですって? 何で今更と思ったんだけれど、どうせそれにも何か仕掛けがしてあるんでしょう?」

 お下げの先までピリピリと電気が通っているようだ。普段冷静で大人しいヒトが本気で怒ると、どんな荒くれ者にも醸し出せない凄味がある。

 ナーガもタジタジと、ペンダントを受け取るしかなかった。

 

(っていうか、ナーガ様まで何かコチャコチャと画策してたのかよっ・・!)

 

 

 エノシラはナーガの馬で送られたが、始終俯(うつむ)いて無言のままだった。

 そうして里へ戻るとすぐ自分のパォに籠り、その日は誰とも顔を合わせなかった。

 

 少年三人はホルズにコンコンと説教され、厩の掃除罰を言い渡された。

 しかもやり終えるまで口をきいてはいけないというオマケ付き。

 

「ヤッホ、ヤンにフウヤ、久し振り。喋っちゃいけないんだって? やれやれ何をやらかした?」

 シドが軽口を叩いて呑気に通り過ぎてもキリキリ歯噛みしながら、三人は黙々と寝藁をかき集めた。

 

 

 最後の厩に寝藁を敷き終え、三人、空腹で気絶しそうになりながら、フラフラと執務室への坂を登る。カンテラを灯してナーガが一人で待っていてくれた。

 

「もう喋っていいよ、お食べ」

 

「いただきますっ」

 湯気を上げた饅頭を差し出され、三人はバネみたいに飛び付いた。

 喉をつまらせながらガツガツと食べ物を平らげる少年達を、ナーガは頬杖を付いて何とも言えない力の抜けた表情で眺めていた。

 

「エノシラからのお達し。先程の事、誰にも言わないようにって。特にシドに言ったら、一生縁を切るそうだ」

 

「えぇ……」

 ユゥジーンが饅頭の中身を口の端からはみ出させながら情けない声を出す。

 

「そんなに言っちゃダメな事?」

 フウヤがナーガを見つめて素直に聞いた。

 

「うん、一言で言うとエノシラは、シドに、自分の事などとっとと忘れて幸せになって貰いたいんだ」

「…………」

 

 三人は黙った。エノシラさんがそう言うのなら、それで終いにしなきゃいけないんだろう。

 

 

 ドッと疲れて三人は、執務室を後にして里の裏への暗い坂を下る。

 三峰の二人は、本日はユゥジーンの下宿に泊めて貰う事になっている。

 

「ベッドは一つだからジャンケンな」

「はぁい」

「前に泊めて貰った時は、ベッド二つあったよね」

「ああ、今そっちの部屋はシドさんが入ってる。まぁ、部屋替えはしょっちゅうだよ。留学生が複数来たら、俺は一番狭い隅っこへ追いやられる」

 

「意外と大変なんだね」

「なんだかんだ言ってまだ小僧だからな。あ――あ、早くエノシラさんみたいに独立したい」

 丁度、山茶花(さざんか)林の前で、ユゥジーンは立ち止まってそちらを見やった。

 

「この奥がエノシラさんのパォだけれど、シンリィは一時期そこで暮らしていたんだ」

「本当?」

 ヤンとフウヤも立ち止まって、暗い林を見た。パォは奥の方にあるらしく、ここからでは見えない。

 

「随分さみしい所だね」

「うん、でも俺は好きだよ。居住区の明かりが届かないから、星がめっちゃ綺麗」

「僕も好き、秘密基地みたいで!」

「はは」

 

 下宿は修練所の棟続きの細長い建物で、三人がそろそろと部屋に収まると、すぐに扉を叩く音がした。

 開けると、巻き毛のシドが、熱い飴湯のポットを持って立っていた。

「差し入れ」

 

 ユゥジーンが礼を言ってポットを受け取ったが、彼はまだ何か言いたげにしている。

「シドさん?」

「あのさ、僕、明日西風に向けて出立する事にした」

「え、ナーガ様に何か言われたんですか?」

 

「ナーガ様が高空から雲を見て、雨に当たらないで飛べるのは明日だけのようだと教えてくれたから…………他に何かあったの?」

「あ、いえ、同じです。ナーガ様もそう言って心配していたから」

 

 ユゥジーンがごまかして、冷や冷やした残りの二人も肩を下ろしたが、巻き毛の青年はまだ突っ立ったままだ。

「それでさ、ちょっと僕の部屋へ来て喋らない? 疲れているならいいんだけれど」

 

 え・・と年長の二人が目配せする前に、フウヤがすぐに「いいよ!」と返事した。

「明日帰っちゃうんだもん、早く寝なきゃいけないのに寂しくて眠れないんでしょ!」

 

 青年は罰悪そうに苦笑いした。

 

 

 

「僕もさ、留学時代はよく罰則喰らったよ。罰則の月間チャンピオンになった事もあるんだぜ」

「そんなランキングあるの?」

「あるある、棒グラフにして教卓の裏に張ってた」

「えっとね、シドさん、ルウの事をアレコレ言えないと思います」

 

 荷造りの済んだ部屋で、四人が床に車座になっている。

 最初は程々で退散しようと思っていた三人だが、西風の青年のくだけた話が面白く、罰則の疲れを吹き飛ばしてお喋りに花が咲いた。

 

「ええっ! ルウのお母さんがナーガ様の初恋のヒト?」

「内緒だぞ、超ナイショ」

「言いませんよ、あのヒト、ガチでへこむから」

 そういえば三峰の二人ともこういう風にダベってみたかったんだよな、とユゥジーンは思い出した。

(今年は行き損ねたけれど、来年こそは三峰の秋祭り、行こう)

 

「あ~ははは、あはは~」

「どうしたフウヤ、ん? その持っている瓶は何だ?」

「あはは~ね~ぇねぇ、次~はさ~」

「お、おい、葡萄酒の瓶じゃないのか、それ」

「いやフウヤは葡萄酒くらいで……違う、この匂い蒸留酒……ウォッカですよ、これ!」

「うわっ、半分空けちまってる!」

 

「えへへへ~、こりぇより、総~員、大、恋バナ暴露大会~~!」

「女子かよっっ!」

 

 

 ***

 

 

 明け方、山茶花林に靄が立つ。

 赤い目をしたエノシラは、露に濡れるパォから出て、ゆっくりと背筋を伸ばした。

 夜明け間近の藍色の空に黒い雨雲が流れ、その隙間に久し振りの煌星(きらぼし)が見える。

 

 気配に娘は振り向いた。

 靄の中、赤っぽい黒髪の少年が立っている。

「三峰のヤン……一人なの?」

 声はまだ硬さを帯びている。

 

「はい、フウヤは夕べウォッカを飲んじゃって、大の字で転がっています」

「あらまあ」

「勢いで酒盛りになって、シドさんとユゥジーンも重なって引っくり返っています」

「……はぁ……」

 

「その、すみませんでした、昨日の事」

 ヤンは思いきり頭を下げた。

「…………」

「夏にフウヤが目の前で猪にやられて、命に関わる怪我をした。あんな時どんな気持ちになるのか知っていたのに。僕が止めるべきでした」

 

 エノシラの怒っていた眉が下りた。

「どんな気持ちになったの?」

 

「えぇ……えっと……息が止まって、世界が歪んで……現実じゃないみたいにぐにゃぐにゃに歪んで、それからえっと、後悔、後悔、後悔、後悔ばっかり……」

 

「そう、一緒ね」

 

 ヤンは顔を上げてエノシラを見た。

 青い瞳の淵は赤く腫れぼったいが、穏やかな表情。

 戒めの為に質問されたと思ったのだが、そうでもないみたいだ。

「だ、だから、いつ何があっても後悔しないよう、フウヤといる一時一時を大事にしようと思っています。生きていれば別れる時は、いつか必ず来るでしょうから」

 

「まあ、四六時中そんな事を思いながら暮らしているの?」

 エノシラは少し驚いた感じで唇を開いた。

 

「ああ、あ――……弟達が……まだ幼い内にあっという間に別れてしまったので……ああいうのって急に来るんですよ、何も思い出を作る暇も無く」

 しまったこういう事を言うつもりじゃなかったのに。少年は頬を熱くして視線を下げた。

 

 その間に、エノシラはフイと踵を返してパォに入ってしまった。

 ヤンがドギマギしていると、すぐに赤い塊を抱えて戻って来た。

 

「シドさん、今日、帰るんですって?」

「はい……」

「これを、シドさんが寝ている間に、荷物の中へ紛れ込ませて頂戴」

 

 受け取った塊は、ザックリ編まれた毛糸のセーター。

「くれぐれもあたしが編んだ物だとは思わせないでね。ただあげたくなっただけ。あげたいというあたしの欲望を、果たしたくなっただけだから」 

 

 

 

 

 

 

 

 



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スノゥドロップ・Ⅲ

ラスト






 

 

 

 朝の馬繋ぎ場、シドは執務室の面々に見送られ、靄の晴れた空の中、わりと呆気なく旅立って行った。ただ、飛び方が少し千鳥(ちど)っていた。

 

 ヤンとフウヤは預かって貰っていた馬を引き出し、こちらも元気に出立した。

 ユゥジーンは青い顔で、ホルズに叱られながら本日の仕事に出て行った。

 里の一日はいつも通り動き出す。

 

 

 夕方、牧草地の土手。

 一日の仕事を終えたエノシラが、トボトボと歩いている。

 大好きな夕陽の景色も干し草の薫りもいつもと同じなのに、何でこんなにボッカリ穴が開いたみたいに現実感がないのだろう。

 

「エノシラ」

 いつの間に、サォ教官が隣にいて、お下げ娘は跳び上がった。

 

「どうしたの、どこか具合が悪い?」

「いえ」

 エノシラは罰悪そうに俯く。

 教官は大人で優しくて賢くて、暴力なんかとは一番遠い所に居るヒト。そんな非の打ち所の無い立派なヒトが、側で心配してくれている。なんて贅沢で罰当たりな事なんだろう……

 

 教官はちょっと間を置いてから切り出した。

「ね、エノシラ、面白いおまじないを教えてあげようか。修練所の女の子の間で流行ってる」

 

「おまじない?」

「こうやって両手を組んで」

 五本の指を交互に組んで、教官は目の前に持って来た。

 エノシラも慌てて真似をする。

 

「では、指を組んだまま手のひらを離して……そうそう、それから親指同士をくっ付けて。最後に、二本の人差し指を、離したまま真っ直ぐ上に立ててごらん」

「こ、こうですか?」

 言われた通り真剣に、娘は頑張って指を立てる。

 

「OK、ではイメージして。人差し指の右は自分、左は気になるヒト。はいスタート!」

「ぇええ!」

 エノシラは目を寄り目にして真ん丸に見開いた。

 どんなに離そうとしても指が勝手に近寄って行く。しまいにはピッタリくっ付いて離れなくなった。

 

「はは、凄いな、それおまじないじゃなくて、心理テストなんだって」

 言われてエノシラは真っ赤になって、両手をブンブン振った。

「ここここんなの、子供の引っ掛けのの遊びだわ!」

 

「まぁそう、指ってのはそうやって組むと、力めば力むほどくっ付いて行く」

 教官は穏やかに娘を見る。

「でも君は、『気になるヒト』と言われて、思い浮かべるのは私ではないのだね」

 

 エノシラは更に耳の後ろまで赤くなった。

「せ、せんせは、当たり前に側に居てくれるから、気になるとか言うのは通り越しているんです、別枠です」

 

「うん……」

 教官も瞬きしながら、エノシラから目を離さずに続けた。

「私もね、当たり前に側に居すぎて、深く考える事をやめてしまっていた」

 

「せんせ、違う、違う……」

 

「もう一度確かめに行きなさい。人差し指のそのヒトは、まだそんなに遠くは離れていない筈ですよ」

 

「…………」

 

「酒好きな割りに弱いというのは聞いていてね。二日酔いだとろくに飛べなくなる事も。だから昨日、彼の部屋に、葡萄酒の瓶に入ったうんと強烈な奴をプレゼントして置きました」

 

「え? せんせが、そんな事を……?」

 

「でも明日になったら回復して、あっと言う間に遠くまで飛んで行ってしまうだろう。今この瞬間が、君の残りの人生で、一番近い距離に居る」

 

「・・・・・・」

 

 

 

 

 

 夕暮れた里外れの土手を、サォ教官は独りで歩いていた。

 ノスリが横から現れて、静かに隣に来る。

 

「すまないな、理不尽な事を頼んじまって」

「いえ、私だって大人ですからね。愛だの恋だのに振り回されず、周囲に祝福して貰える『便利』な相手と一緒になった方が良いのは分かっています。多分プロポーズした時も、半分はそんな気持ちでした」

「…………」

「でもそんな事では近付けない。私が憧れた、貴方とフィフィ教官の、あの暖かな家庭には」

 

 ノスリの亡き妻は長く教官をやっていて、その時代のノスリ宅は、今のハウスのようだった。

 雑魚寝をしていた幼顔の中には、親を失くしたばかりのサォの姿もあった。

 

「はぁ、失恋っていうより、何と言うか、娘を送り出した父親のような喪失感です」

「じゃあうち来るか? 愛想の無い隠居家だが、取って置きの古酒がある。昔フィフィが仕込んだ奴」

「いいんですか?」

「いいに決まってる」

 

 

 ***

 

 

 漆黒の森に、ポツンと寂しいオレンジの明かり。

 頭痛に耐えきれず、早目の夜営に下りたシドだ。

 

 予定の三分の一も飛べていない。まったく何なんだ、凶悪過ぎるだろ、あの酒。まぁつい飲んじまった自分のせいなんだけれど。

 宿酔いのダメージの残った身体に、思ったよりの冷え込みのダブルパンチ。荷物の中のセーターに、命拾いをした。多分ホルズさんちの誰かが入れてくれたんだろう。色はアレだが、有り難い事この上ない。

 しかし夜営は慣れている筈なのに、こんなに心許なく感じるのは、寒さのせいばかりだろうか。昨日まで賑やかな明るい場所に居たからかもしれないが……

 

「夜って暗いものだな……」

 

「本当に真っ暗ですね」

 

 目の前のお下げ娘に、シドは座ったままの形で飛び上がった。

「えっ、うえっ、ぼぇっ!?」

 

「地霊とかじゃないですよ、いきなり斬り付けないで下さいね」

 真っ直ぐこちらを見て来る絶妙な首の傾げ具合はエノシラだ、まごう事なきエノシラ。

 

「これがあったから、一直線に来られたんです」

 娘の差し出した白い石のペンダントを、シドは怪訝そうに覗き込んだ。

 

「ウンメイノ……ああ――・・魔法の石です、シドさんを捜せる魔法の石だって。ナーガ様がくださったんです」

 

「本当に?」

 シドは石をしげしげと眺めて首を捻った。

「ナーガ様が、これを魔法の石だって?」

 

「は……い……」

 

「だってそれ、子供のオハジキだよ。西風の里の水辺に幾らでも転がってる、ただの石ころ」

 

「…………」

 

 冬枯れの暗い森に、白い物が落ちて来る。

 オレンジの小さな灯りはチロチロと、雪舞いを染めて仄(ほの)かに揺れる。

 雪に咲く花のように。

 

 

 

 

 

 

      ~スノゥドロップ・了~

 

 

 

 

 

 

 

 ――クシュン!

 ガンガンする頭を抱えて、ユゥジーンは仕事終わりの帰途に着く。

「何だよあの強い酒。凶器だろ、凶器。フウヤは何でピンピンしていたんだ。いやそれよりヤンは何なんだ。もう一本あった奴、ほぼあいつが空けてただろ」

 

 

 

 ――クシュン!

「ヤン、ダイジョブ? 朝冷えてたのに、一人でフラフラ出歩いたりするからだよ」

「それホントに本当? 二度寝して起きたら何も覚えていないんだけれど」

「も――ぉ、お酒飲んで夢遊病になる癖、気を付けた方がいいよ。メッチャ喋るようになるらしいけれど、他の人からはシラフに見えるっていうから」

「反省してます」

 

 

 

 

 

 

 




これにて全編終了です。
ありがとうございました。

気が向かれましたら「緋い羽根のおはなし」「春待つ羽色のおはなし」も・・









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