ChuSinGura46+1 武士の再動 (にゃるまる)
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第1話

 

ーーもう此処へは来るつもりはなかった。

そう思いながら直刃は懐かしの地に、赤穂へと足を踏み入れた。

 

「……」

 

駅の至る所に貼られている赤穂浪士を紹介するポスター。

勇ましい武士の姿として描かれているそれらを見て、小さく笑う。赤穂浪士の本当の姿を、その真実を知るからこそ零れた笑み。その笑みに釣られて思い出す1年前の懐かしい記憶とーー愛しい人達の姿。

 

《すぐは~♪》

《直刃》

《直刃殿ー!》

《直刃しゃん♪》

 

思い出すだけでも胸が暖かくなるその記憶に、その声にいつまでも浸っていたいと思いながらも、それを堪えて駅の外へと向かう。

その懐に忍ばせた一枚の手紙を胸に抱きながらーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい直刃、手紙だぞー」

 

《それ》が届いたのはあまりにも突然だった。

一年前、あの島から……江戸の世から戻ってきた俺は剣道を続けながら、彼女達の歴史をーー忠臣蔵の話を1人でも多く知ってもらいたいと語り部の様な活動をしていた。

幸いな事に多くの人が俺の話に耳を傾けてくれている。俺だけが知る本当の赤穂浪士の話を聞きに遠方からも人が来てくれている程だ。

最近では赤穂浪士に関係する施設や関係者からも支援を受けられる様になり、その活動は日に日に忙しくなっている。

けれどもその忙しさを苦だと思った事は一度もない。

もう二度と会うことは出来ないけど、彼女達の歴史を、彼女達が生きた証を俺が話す事で1人でも多くに知ってもらう事が出来る。

その嬉しさに比べたら、この程度の忙しさなど何も問題はない。

 

そんな俺の所に手紙が届くのはさほど珍しい事でもない。

語り部の活動を支援してくれている人からや俺の話を聞いて忠臣蔵や赤穂浪士に興味を持ってくれた人からの感謝の手紙なんかが良く届いている。なので今回もきっとそういった物だろうと自分の姉である鐺から受け取るのだが……

 

「……?」

 

受け取ったそれに首を傾げる。

渡された茶色の小さな封筒には住所も氏名も書かれていない。

ただ《深見直刃様へ》とだけ書かれている質素な物だ。

今まで受け取った手紙にはないそれを不審に思いながら封筒を開けてみると、中に入っていたのは折り畳まれた一枚の便箋。

その便箋を開き中を見てーーー絶句した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《下記の日付にて赤穂の地で待つ

赤穂浪士と新撰組の戦いを知る者より》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

思い出すはあの最終決戦の前に起きたとある事件。

黒幕から赤穂浪士が死んだと思わせる為に現代へタイムスリップする筈だった直刃達が辿り着いた時代ーー幕末。

攘夷派と佐幕派がそれぞれの思惑を抱いて争い、そして徳川が作りし江戸の世がーー武士が終わりを迎えた時代。

そこで起きた戦いこそ赤穂浪士と新撰組による衝突。

決して歴史に書き残される事のないそれを知るのは戦った当人達のみしかいない。

それなのにこの手紙の送り主はそれを知っている。

歴史の闇に埋もれたこの戦いを、知っている。

 

「……いったい誰なんだ」

 

最初に思い浮かんだのは《甲佐一魅》。

赤穂浪士の真実を明かし、吉良家の無念を晴らそうとする為に過去へとタイムスリップし、清水一学の身体を使って歴史を変えようとしていた人物。

彼女もまた黒幕によって利用されていたのだが、最終的には共に黒幕と戦った仲間であり、赤穂浪士と新撰組との戦いを知る1人でもある。

 

けれども即座に違うと判断する。

彼女とは今でもたまに程度だが連絡を取っているからこんな遠回しな真似をするとは思えない。それに既に彼女も、そして俺自身もあの時代での事は満足した結末を迎えて後悔していない。そんな彼女が今更過去を掘り返す様な真似をするとは思えない。だから違うと判断するが……そうなればいったいこの手紙の送り主は何者なのかと謎は深まるばかり。

 

そう思いながら、俺は指定された時刻をーー丑三つ時である深夜2時を予約していたホテルで待っていた。

手紙に書き記された指定時刻は丑三つ時。そして指定場所は《大石内蔵助邸》。

この手紙の送り主が何者かは分からない。

けれども手紙の内容。そして待ち合わせに赤穂とご城代の邸を選んだ事と言い、これだけは確信を持って言えた。

 

この手紙の主は俺が過去へ飛ばされた事を、忠臣蔵の仲間達と共にあの時代を生き抜いた事を知っていると。

どうして呼び出されたのか、その目的は分からない。

けれども、会わなければならないと思った。

会って話をしなければならない、そう思わされたのだ。

だからこそ直刃はこの手紙の指示に従い赤穂へと参った。

自分が最後を迎える時。その時までは足を踏み入れないと決意していた赤穂へと決意を破って参ったのだ。

絶対に話を聞かせてもらう、そう覚悟を固め、直刃は時を待った。

 

ーーその先で待つ己の未来を知る事なく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

丑三つ時である深夜2時。

指定された通りの時刻に大石内蔵助邸へと参った直刃の前で本来なら閉まっている筈の門が開け放たれて待っていた。

入ってこいと誘わんとしている門を前に直刃は念のためにと購入しておいた木刀を手に中へと進む。

 

門から庭へと通じる道のりで人と会う事は無かった。

無人の邸宅を己が踏みしめる足音だけが鳴り響く道を歩んでいく。

自然と手に握る木刀には力が入り、緊張している事を示す様に手汗がべっとりと染みだしている。

緊張から感じる喉の乾き。それを唾で誤魔化しながら歩き続ける。

本来なら数分も掛からない庭へ続く道、その道をゆっくりと時間を掛けて歩み、そしてやっと庭へと辿り着いた直刃の前にーー《彼》はいた。

 

庭にある池、その前に佇むのは1人の男。

生憎の曇り空で月の光さえ届かない暗闇の中ではそれしか分からないが、直刃は理解した。

この男こそ自身を呼び出した人物なのだと。

 

「……待たせた、かな?」

 

緊張、そして警戒。

二つの感情を抱きながらもそう呼び掛けると男が此方を振り向く。

振り向いた男の顔は暗闇で見る事は叶わない。だが直刃はすぐに《それ》を察した。暗闇の中でも唯一分かる程のーー《怒り》に。

そしてその怒りに込められた《殺意》と、一年前までは当たり前の様に見ていた腰に差された大小。それらを前に瞬時に理解した。

 

ーーこの男の目的は俺の命だと。

 

「ーーッ!?」

 

男の目的。それが何であるのかを即座に悟ると直刃は手にしていた木刀を構えようとするが、その動きよりも先に目の前の男が動く。

 

「(居合いッ!?)」

 

男の動き、そして構えからすぐに男が成そうとしている動きを理解する。

だが、直刃に出来たのは理解するまで。かつては幾度も死線を潜り抜けてきたが、元の時代に戻り、平穏とした日々の中で気付かない内に衰えていた身体ではそれ以上の行動は出来なかったのだ。右鞘からの高速抜刀――何処か既知感を感じさせるそれを前に直刃は対応する事も出来ず、腹部に激痛が走る。

 

「がはッ!?」

 

切られた。そう理解するよりも先に身体が激痛に耐えきれずに倒れようとし、咄嗟的に片手でなんとか支えるが腹部から漏れだす大量の血液と、逆の手で抑えていなければ流れ出してしまう臓物の感触を手に感じながら理解する……理解してしまう。

 

――助からない、と。

 

あの時代で三度の死を経験しているからこそ分かる己の死。

それを理解してしまうと同時に、己の命の灯火が消え始めたのが嫌でも分かってしまった。

 

「な……な…ぜ……」

 

もうどう足掻いても助かる道はない。

だからこそ直刃はせめてと思った。

もう助からないのなら、もう死を避けられないのなら、せめて知りたいと思った。

何故俺を殺したいのか、何故俺を殺したのかを。

だが続きの言葉が出てくる事は無かった。

口から溢れだす大量の血液がそれを阻んだからだ。

 

薄れていく視界、失われていく温もり。

それらを体感しながらも直刃は男を見据える。

せめてと、せめてこの男が誰であるのかを知りたいと。

そんな直刃の願いを天が叶えてくれたのだろう。

曇り空から月が姿を現し、月の光が男の姿を照らし出す。

月の光によるライトアップ、その光に写し出されたのはーー

 

「ーーー!?」

 

ーー見覚えのある水色のだんだら模様の隊服とその隊服に書かれた己の命を奪った男の名前。

そしてーー

 

「――赦してくれとは言わない。恨んでくれて構わない。だが、それでも俺は変えると決意したんだ。たとえ世界中の人に恨まれようとも、俺は《歴史》を否定する。その為だけに今日まで時を待ったんだ。お前が愛しい人達を救おうとした様に、俺も歴史を変えてでもあの人達を助けて見せる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――勝つのはお前達《義》ではない。俺達ーー《誠》だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーー男のその言葉を最後に、深見直刃の意識は闇の中へと消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーーーーぃーーおーーぉいーーおい!しっかりしろ!」

 

聴こえるその声に沈んでいた意識がゆっくりと覚醒していくのが分かる。

差し込む日の光。暖かい布団の温もり。そして側に控えている誰かの声。それらをやっと理解しながら瞼を開く。

 

「ーー!目覚めたか!まったく、ぶち心配させやがって!!」

 

其処に居たのは1人の女性。

着物……だろうか?肌の露出が多いそれを着た女性が瞳に涙を集めながら此方を心配そうに見詰めてきている。

 

「痛い所とかないか?医師に処置はさせたが、傷口が深くて助からないかもしれないって言われてたんだぞ?まったく助けた私にぶち感謝するんだな!しかし…お前程の武士がここまでやられるなんて……相手は誰だ?もしかして新撰組とまたやりあったのか?それとも元の時代で何かあったのか?」

 

傷口……?

それが何を意味しているのか理解できず、なんとなく腹部に触れてみるとーー激痛が全身を襲った。

 

「お、おい!お前はぶち馬鹿か!?縫っているとはいえまだ治ってない傷口を触る馬鹿がいるか!?」

 

女性が何を言っているのかいまいち理解が追い付かない。

ただ分かるのはこの傷口と言うのが刃物によって得た物と言う事とーーー

 

「……なぁ」

 

「ん?どうした?何か欲しい物でもーーー」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーーー君は、誰?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーー目の前にいる女性を俺は知らないと言う事だけだった。

 

 



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第2話

 

「ふッ!はぁ!!」

 

まだ日が昇りきる前の早朝。

小鳥の囀りが遠くから聴こえ始めた頃、直刃は宿泊している旅籠屋の庭で竹刀を振るう。

一振り、二振りと振り下ろす剣筋にブレはなく、その動きに乱れはない。

これなら大丈夫、そう思いながら竹刀を振り続けようとする。

だが、不意にその竹刀の動きが止まる――いや、止まってしまう。

 

「―――ッ」

 

腹部を襲う痛み。

最初の頃に比べればマシになったが、それでもまだ痛みが残るそれを前に動きを止められてしまう。

これではいけない、そう思いながらも痛みを堪えて竹刀を振るおうとし――

 

「そこまでだ」

 

振り上げた竹刀の先端を背後から誰かに止められる。

いや、誰かと言う表現は間違いだろう。

俺はこの声の主が誰なのかを知っている、だからこそ止められた事に一切嫌な思いを抱く事なく、後ろを振り返れた。

 

「止めないでくれよ小五郎。今日は身体の調子が良いし、少しでも感覚を取り戻しておきたいんだ」

「お前はほんっとうにぶち馬鹿だな…そんな事してたら回復するのがもっと遅くなるだろうが!怪我人はしっかりと療養してろ!お前が怪我を治さないとオレが大変だろうが!い、いいか!決して心配してるわけじゃないからな!!違うからな!!」

「あはは…はいはい、了解しました」

 

振り返った先にいた人物の名前は――《桂小五郎》

長州藩の藩士であり、攘夷を掲げてこの国を異国と戦える国へと作り替えようとしている勤王派の人物であり、そして―――俺の想い人だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

眠りから目覚めた直刃はすぐに己の状態を理解した…いや、理解させられた。

目の前にいる女性の名を知らない事から始まり、己の記憶にあまりにも空白が多すぎるのだ。まるで白い絵の具で塗りたく垂れた様に記憶が消え去っていた。

それが《記憶喪失》と言う症状である事に、否応でも思い知らされた。

唯一覚えているのは自身の名前と武芸を嗜んでいたと言う程度だった。

 

だからこそ俺は目の前の女性に、俺の命の恩人であろうその人に問い掛けざるを得なかった。

俺は何者なのだと、なんでも良いから教えて欲しいと。

記憶の空白、それを1つでも埋められるのならば何でも教えて欲しいとまるで救いを求める様に必死に問い掛けた。《直刃》と俺の名前を知っているこの人ならば何かを知っているだろうと、そう信じて。

 

そんな俺の問い掛けに女性は様々な表情を見せた。

驚愕、戸惑い、困惑、そして――何かを決めた様な小さな笑みの後に女性は口を開いた。

俺の問いに、深見直刃を知る人物として問いに答えてくれた。

 

 

「…お前の名前は直刃…深見直刃だ。お前はオレの…桂小五郎の護衛であり、そして――オレの、想い人だ」

 

 

――そう語る時、どこか彼女の表情に僅かな寂しさがあった事を、俺は気付く事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「しかし今日で一月かぁ」

 

時間の流れは速いと言うが本当の事だなと感じる。

小五郎のおかげで九死に一生を得てから速いもので一月が経過した。

時間の治癒、そして小五郎を始めとする人達の手助けもあって、まだ完治こそしてないがこうして竹刀を振る分には問題がない程度までには回復している。

と言っても本気で振るえば先程みたいに痛みが走るので、無理は出来ずにいた。

 

「本当に速いものですよね~。あ、傷口の包帯変えますね」

 

そんな俺の所に手伝いとして控えているのが目の前にいる女性だ。

小五郎曰く《お前は誰かに監視させておかんとぶち馬鹿な事ばかりするからこいつを付ける》との事で置いて行かれた人だ。どうも当の本人にも説明していなかったらしく、置いて行かれた当人は呆然としていたのをよく覚えている。

 

「あ、すみません」

「いえいえ。今の私は直刃さんのお手伝いです。なので遠慮せずにしてほしい事があれば申してくださいね」

 

出来た人だ…そう感心しながらも包帯を新しい物に変えてもらう。

外された包帯の下から出てきた己の傷口。鋭い切り口…恐らく優れた武芸を持つ人物に切られたであろうそれは傷跡として残ってしまっている。医師曰く、断言は出来ないが、恐らくこの傷跡が消える事は無いだろうとの事らしい。

……しかし、胸の傷跡と言う単語に俺の心がざわつくのは何故だろうか?何かむず痒い様な、青春の思い出と言うか……なんとも言えない感覚がある。ついでに心の奥から中二病なる単語が思い浮かぶのも何故だろうか?もしかして記憶に何か関係が……いや、何か違う気がする。これは深く考えない方が良い気がする、うん忘れよう。

 

「しかし見事な切り口ですね…この傷を負わせた下手人は相当腕の立つ手練れであるのが一目で分かります」

 

そんな事を考えていると切り口を見た女性がそう呟く。包帯を変えながら自然と目に入る傷口に同じ感想を抱いたのだろう。

手際よく包帯を変えながらそう語る彼女に賛同する様に首を振る。

処置がもう少し遅ければまず間違いなく助からなかったと医師に断言されたこの切り口。

その傷を痛まない様に優しく指で撫でてから、思う。

 

いったい、誰が切ったのだろうかと。

それを知る事が出来たら思い出せる気がしたのだ。

俺の失われた記憶を――

 

「――よし。はい終わりましたよ」

 

そう考えている間に包帯の取り換えが終わっていた。

相も変わらずの手際の良さに感謝する様に直刃は目の前の女性にお礼を言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いつもありがとうございます。《又次郎》さん」

 

 

 

 

 

 

 

 

ーー今の深見直刃には理解する事が出来ない。

その名が意味する事を、目の前の女性が生きている意味を、今の直刃は理解する事などできる筈もなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……………」

 

直刃が居る部屋から聴こえる話し声。

それを自室から聞きながら桂小五郎は、今自分が置かれている状況を見直していた。

今自分が居るのはあの戦い――後に四境戦争と呼ばれた第二次長州征討後ではない。

 

今自分が居るのは――《元治元年四月二日の京》。

 

そう、直刃達赤穂浪士と出会う少し前の時代に、何故か自分は居るのだ。

どうしてこうなったのかは一切分からない。

第二次長州征討の後、オレは新政府軍と行動を共にし、遂に江戸へとその軍勢が進まんとした時に幕府が江戸を無血開城したと言う知らせが届いた。

出鼻を挫かれるとはこの事だろう。江戸で一戦交えるつもりだった新政府軍は振り上げた拳を下ろす事が出来ず、どうにかその拳を振り下ろす先を求めて会津へと兵を進める軍議を行い、自分はそれに参加していた。其処までは間違いないと自身の記憶を遡る。

問題はその後。会津との戦い、そして戦後の諸々を考えながら就眠に付き――気が付けば彼女は此処にいた。

 

全く以て状況が理解出来なかった。

何故江戸に居た筈の自身が京に居るのか、どうして新政府軍の軍服である洋服に身を包んでいた筈の自分が懐かしい着物を着て此処に居るのか。

全てが理解できず、混乱している矢先に――《彼女》と再会した。

 

《桂先生!もう探しましたよ!!》

 

――《大高又次郎》

祖先に赤穂浪士《大高源吾》を持ち、桂小五郎に忠節に従い、そして――池田屋で新選組にその命を奪われた筈の彼女が目の前にいる。それが何を意味しているのかを理解した。

 

ーー自分が過去へ、戻っている事を。

 

どうしてそうなったのかは分からない。

けれども二度と会う事が出来なかった彼女に、又次郎とまた会えた喜びはそんな疑問を吹き飛ばす程で、混乱するオレは思わず又次郎に抱き付いてしまった。

 

《うぇ!?い、いきなりどうしたんですか桂先生?そ、そんなに心細かったんですか?》

 

もしかして夢を見ているのかもしれない。

そんな想いで抱き付いた又次郎の身体は暖かく、その温もりがこれが夢ではない事を証明してくれた。

又次郎が生きている。その事実が嬉しくて、オレは久しぶりに涙を流してしまい、そんなオレを又次郎は不思議そうな面持ちで見ていた。

けれどもそんな事などどうでもいいとオレは又次郎の身体を抱き締めた。もう離さない、そう決意しながらーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

又次郎との再会後、オレは情報を集めた。

此処が本当に過去なのかどうか、それを確かめる為だ。

その結果ーーほぼ間違いなく此処が過去である事が証明された。

ほぼを付けたのは、オレが知る過去と多少の誤差があったからだが、それはあくまで多少が付く程度だ。

ほとんどオレの記憶と相違ない程に起きている事変の数々と死んだ筈の同士達が生きている事実。

それらが今オレが居るのは間違いなく過去だと知らしめた。

 

しかし、此処が過去ならば1つ大きな謎がある。

いったいオレに何をさせたいのか、だ。

まず間違いなくオレをこの時代へと呼び寄せた人が居る。

過去の時代に遡る、なんて事が偶々起きたなんて考える方がぶち馬鹿らしい。誰かが意図的にこうしたと考えるのが必然だろう。

 

そしてそいつはオレをこの時代に呼び出した何かしらの目的が絶対に存在する。そう考えなければこんな大事をしでかした理由に繋がらないからだ。

だが、それ以上を考察するにはあまりにも情報が足りなかった。

下手人の目的、オレを選んだ意図、そう言った物に繋がる情報を得る事は叶わず手詰まり感を感じ始めた頃にーー

 

 

オレは血を流しながら横たわる直刃と再会した。

 

 

月の光に照らし出されたその姿を見た時、ゾッとした。

最後に別れた姿とはあまりにも異なる傷だらけのその姿に、そしてその命が失われようとしている事実に、オレは恐怖してすぐに医師の下へと駆け込んだ。

どうして直刃がこの時代に居るのか、なんて疑問が浮かんでこない程に必死でオレは医師に助けを求めた。

助けて欲しいと、救って欲しいと願い、医師はその願いに答えて直刃の命を辛うじて救ってくれた。

 

そして直刃は目覚めてくれたーー全ての記憶を失って。

赤穂浪士の事も、元の時代とやらの事も、そしてオレの事も、全て失ってしまっていた。

記憶を失う。それは経験した者のみだけが理解出来る未知の恐怖だ。己の記憶が失われている恐怖、己の過去が何も思い出せない恐怖、自分が誰であるのかさえも分からなくなってしまう恐怖。

その恐怖は直刃にも襲い掛かっており、目覚めた直刃はあまりにも弱々しくて、些細なきっかけ1つで折れてしまいそうに見える程だった。

 

だからオレはーー嘘を付いた。

直刃はオレの護衛だと、そしてオレの想い人なのだと。

その心が壊れてしまわないように……

直刃の壊れそうな心を助けてやりたかったのは嘘じゃない。

だけど同時にオレは欲を抱いてしまった。

今の直刃にならオレを視てもらえると。

一度は叶わなかった恋を叶える絶好の機会だと、そう欲張ってしまったのだ。

 

「……ぶち馬鹿はオレの事だな」

 

自虐めいた笑みを浮かべながら桂は思う。

どうして過去に戻ってきたのか、どうして直刃がこの時代に居るのか、それは分からない。

けれども今からならばと空に手を伸ばす。

失った命、叶わなかった恋、それら全てを手にする事が今ならできると。

だからこそ桂小五郎は決意する。

下手人の目的などもはや知った事ではないと。

そう、オレはーー

 

 

「オレは全てを手に入れるやる。失われる同士達の命も、そしてーーオレの恋も」

 

 

空に掲げた手に誓った決意。

国の為にその人生を費やした長州が誇る天才は、その日より異なる道を進み始める。

全てを手に入れる、その為に邪魔する全てを払う道へとーーー

 

 



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第3話

  

「……むにゃむにゃ」

 

矢頭右衛門七は眠っていた。

幸せそうに、傍にある温もりを抱いて。

自身が産んだ子を、今はもう会えない夫との子を抱えて。

昨日は元気に風車で遊んで疲れ切っているからだろう。夜泣きが多い子なのに熟睡している。

その事に安堵しながら右衛門七は眠り続ける。

この先もずっと離れる事のない我が子の温もりを感じながら。

 

――だが右衛門七は知らない。

この温もりが、愛しい我が子の感触が、今宵を最後に失われる事を、まだ知らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――はぁ!はぁ!!」

 

――島の朝は速い。

田畑の管理から島周辺の警備、そして極まれに訪れる商人との取引の準備等があるからだ。だがそんな朝が早い島で、まだ誰も起きていない時間に彼女は駆けていた。

 

「松之丞!!松之丞!!!」

 

大石主税。

今はもう会えない夫――深見直刃との間に子を育み、松之丞と自身にも授けられていた幼名を授けてその愛を一身に注いで育てていた。そんな愛しい子と共に昨夜眠りにつき、そして夜中にふと目が覚めると――消えていた。

その懐に抱いて眠っていた筈の愛しい赤子が、消えていたのだ。

その温もりもとうに消え去っており、その存在さえもが幻だったかと錯覚させられる程、松之丞は消え去ってしまっていた。

 

「松之丞!!松之丞!!――ッ!何処に居るの松之丞!?」

 

突然の我が子の消失。

それに黙っていられるわけもなく、主税は家を駆けだし、愛しの我が子を求めて島中を探し回っているが、その姿はもう回り尽くそうとしている島の何処にもない。

 

「そんな…だって昨夜は確かに…ッ!」

 

考えうる可能性としてはやはり誘拐だろう。

眠っている間に連れ去られた――そう考えるのが必然ではある。

だが、その必然はこの島においては困難だ。

島周辺の海域には海賊が出現する事もあり、夜警が毎晩立つ事になっている。

それも後の世に名高い赤穂浪士の精鋭によってだ。

その実力は同じ赤穂浪士として主税はとても知っている。其処らの海賊位容易く打倒してしまうだろう。

そんな彼女達の監視から逃れ、赤穂浪士を率いる大石内蔵助が住まう邸宅に忍び込み、松之丞を連れ去って、誰の眼にも付かずに島の外へと連れ去る。

 

――無理だ。どう考えても無理だとしか思えない。

仮にそれが実現出来たとしても、まだ日が差していないこの暗闇の海を赤子を抱えて渡るなんて出来る筈がない。それはつまり、最低でも下手人がまだこの島に居る事だけは間違いないのだと明白化してくれる。

島の何処かに絶対に居る、そう思うと失われようとしていた気力が張り詰めていく。

だが、そこまで考えてふと思った。

下手人の目的が何か、それを考えてしまうと――辿り着いてしまった答えは1つ。

 

「―――ぁ」

 

島から連れ去る必要が無く、島から逃げ出す必要のない下手人の目的。

それは、間違いなく―――松之丞の命だろう。

 

「松之丞ッ!!!!」

 

その答えに辿り着いてしまった主税は駆け出す。

下手人がなぜ松之丞の命を狙うのかは分からない。だが絶対に救わないといけないと必死に探し求めて駆けだす。

愛しい我が子を救う為に、愛しいあの人が私に残してくれた子を守る為に。

 

「―――ッ!!――ッ!!」

 

そんな主税の耳に聴こえたのは誰かの声。

必死に何かを探し求める様に叫ぶその声に、主税は聞き覚えがあった。

 

「安兵衛殿ッ!!」

 

堀部安兵衛。

精鋭ぞろいの赤穂浪士の中でも高い実力を持っており、あの最終決戦の場でも活躍を果たした武士であると同時に――主税の夫である深見直刃を求めて恋の鞘当てを繰り広げた人物だ。

主税の声に向こうも気付いたのだろう。全身を汗まみれにしながら走り寄ってくる。

その姿にきっと母上が私の様子を見て彼女にも協力を求めたのだろうと思い、何か情報を得ていないかと言う希望を抱いて駆け寄る。その口から松之丞の安否を知るために。そして――

 

 

「安兵衛殿!!松之丞は!?」

「主税殿!!私の子を見ていないか!?」

 

 

―――え?と互いに首を傾げるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――どういう事、なんでしゅかこれって…」

 

早朝。大石内蔵助邸宅には赤穂浪士の主だった面々が揃っていた。

赤穂浪士を率いる大石内蔵助。その子大石主税。そして堀部安兵衛に矢頭右衛門七。

更には不破数右衛門、奥田孫太夫、奥野将監を始めとする赤穂浪士達が居並ぶ中、右衛門七が零した言葉に全員が困惑する様に表情を歪める。

 

「…もう一度確認するぞ。主税、安兵衛、そして右衛門七…お前達は直刃と結ばれ子を産んだ。それは間違いないな」

 

はいと答える3人を見て、内蔵助もまた表情を歪める。

無理もないだろう。何故なら内蔵助からすれば直刃と結ばれたのは自分で、子を産んだのも自分で――子が行方不明になったのも自分だけの筈なのだから。

そう、今此処に居る4人はそれぞれが同じ事を思っている。

直刃と結ばれたのは自分だと、そして彼が残してくれた子とつい昨夜まで一緒に居て――そして消えてしまったと言う事を。

 

「本当にどういう事なのだこれは……」

「ええ…私も、そして皆さんも4人がそれぞれ直刃さんと結ばれて子を産んだと言う記憶を持っています。もはやどれが本当だったのか分からないまでに……」

 

そう、4人からそれぞれ自分の赤子が消えたと言う話を聞いて集まった赤穂浪士。

その面々から話を聞いて、気付いたのだ。

深見直刃と結ばれた4人それぞれの記憶を全員が持っている事に。

4人が産んだ子達の顔さえもハッキリわかる程に覚えているのだ。

 

だが、同時にその記憶が違うとも分かる。

何故なら、彼は1人しか選んでいないからだ。

この4人の中の1人を選び、結ばれ、そして愛された者は彼の子を産んだ。

その筈なのに、4人それぞれが結ばれた記憶を島に住む全ての者が持っている。

この事態に誰もが理解が出来ないと首を傾げるしかなかった。

 

「…数右衛門。昨夜の夜警時に異変は無かったのだな?」

「はい。昨夜は海も穏やかの上に月夜のおかげで見張るには適した環境でした。何者かがこの島に入ったのなら一発で分かります」

 

内蔵助が考えたのは先の決戦時に姿を見せた黒幕が使った術。

黒幕こそ倒したが、彼女が使っていた術はまだこの世に存在している筈だ。

そう言った術を用いて我々を混乱させているのでは?と考えたが、島に踏み入れずに術を使うとは想定しづらく、数右衛門の報告通りであるならば違うだろうと判断する。

ではいったい何が起きているのか?赤子達は何処へ消えたのか?そう疑問を抱いていると――

 

「ご城代!」

 

大きな声と共に部屋に入ってきたのは武林唯七。

島の見張りを任せられている筈の彼女の登場に賊の襲来かと一同がざわつくが――

 

「はいはい。悪いけど急いでいるから勝手にお邪魔させてもらうわ」

 

唯七の背後より姿を見せた人物に、誰もが驚愕する。

何故なら、その人物がもうこの島に現れる事は決してない筈だったからだ。

だが、今その人物は自分達の目の前にいる。その事実に驚愕し、戸惑う中でたった1人内蔵助のみはただ真剣な眼差しでその人物を見詰め、そしてその名を口にした。

 

「…どうやらこの事態、お主が関与しているようだな――清水一学、いや甲佐一魅」

「ええ。残念な事に、ね」

 

そう、其処に立っていたのは吉良家家臣の二刀流使い清水一学――いや、正確には清水一学の肉体に宿った甲佐一魅だった。深見直刃同様未来の――現代から訪れ、吉良家の歴史を変えようし、そして赤穂浪士に負け、最終的には共に黒幕と戦った人物だ。

そんな彼女は直刃同様に未来へ帰った筈なのに、それがまた清水一学の身体に宿って姿を見せ、それと同時に島ではこの事態が起きている。

 

――この2つは繋がっている、誰もが分かる事だ。

そして一魅もまた問い掛けに対して否定をせずにそれを認めた。

それ故にその場の全員の彼女を見つめる視線に刺々しい物が混ざる。

 

「…なるほど。では説明をしてもらおうか。この事態について。そして――消えた我が子が何処へ行ったのかをな」

 

その中でも一番感情をこめているのは安兵衛だろう。全身から溢れ出る殺気を隠そうともせずに鍔に手をかけて彼女に問い掛ける。

彼女からすれば愛した男との間に生まれた我が子が消えて、恐らくそれを知るであろう人物が目の前に出てきたのだ。ただでさえ消えた子が心配でたまらない状況での登場に、怒りを抑えるなと言う方が無理な話だ。

実際、安兵衛以外の3人もまた言葉にこそしないが同じ様な目で彼女を見詰めている。

もしも嘘を申せば――そんな殺意さえ込めた眼で。

そんな眼を前に一魅は小さくため息をついた後に――語りだした。

 

 

「――歴史が、改変されているわ」

 

 

――この後に始まる物語の開幕を。

もう一度始まる――義と誠との戦いの始まりを、語り始めた。

 

 

 

 



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