女騎士は巡る (いんの)
しおりを挟む

プロローグ 決戦前夜の騎士見習い

GLタグ付けたいけど、百合要素途中からだからやっぱ駄目ですよね?

………駄目ですよね?

訂正:最新話にて漸く一人目のヒロインを出せましたので、GLタグをつけさせて頂きました。百合タグも一応つける予定です。


 君ならどうする。瞼を閉じ、そして開けてみれば、何もかもが変わっていたとき。

 

 君ならどうする。生涯信じて疑わなかったものを、否定しなければならないとき。

 

 君ならどうする。大切な何かを護るべく、同じ程に大切な何かを失ってしまったとき。

 

 少女は―――――

 

 

 


 

 

 

『魔王』

 

 それは、人々に危害を加える悪なる魔族、その全てを統べる悪の親玉。そして、未だ全容が明かされていないこの世界における、未開の地を閉ざす最後の関門。

 世界最大の国家『ティランタニア王国』における共通認識は正しくそれであり、なればこそ人々の意識は「打倒魔王」へと集約される。

 誰しも悪を定めたいのだから、その悪を成敗したいのだから、そしてその先を見たいのだから。何より、そうしないと護れない「命」が数多くあるのだから。

 

 

 その王国の首都『ガリナ』に拠点を置く、少年一人と少女三人。齢にして16と少し、大人と子供の狭間に身を置く彼等もまた、そんな人々の悲願を成すべく活動していた。

 

 タクト・オヤマ。別段述べるべき特徴の無い、見た目はごく普通の少年。それでも少女らは、人々は、彼を勇者と定める。

 カイナ・リッツァート。黄金色の長髪が目を引く、見目麗しい少女。騎士見習いを自称しており、剣技に長ける。

 レザ・キリシュ。見た者に庇護欲を感じさせる、愛くるしい少女。魔法使いの名の通り、カイナとは真逆の立ち位置。

 ミィリ・カメル。快活さの溢れる美少女。仲間のバックアップ兼回復役は、治癒師である彼女の役目だ。

 

 

 特技も、出自も、性格さえもまるで異なる4人。

 数少ない一致している点は2つ。一つは魔王を滅するという最終目的、もう一つは彼等4人が途方も無く強いという点である。

 

 そんな、物語で言うならごく終盤近くに位置する程強い彼等は、宿で最後の休養を取っていた。王宮が手配する最高級の宿ではなく、実家の如く慣れ親しんだ、町外れにある宿で。

 そう、「魔王との決戦」に備えて。

 

 

 

 

 

 窓から淡い夕日が差し込む廊下を、カイナは当てもなくただ歩いていた。硬い表情と気の張った佇まいは、和やかな宿の空気と相反する。その様は、落ち着きが無いと思われても仕方ない。

 装備確認もとうに終え、明日に備えて直ちに休むべき今、見慣れた内装と共にただ時間だけが無為に過ぎていく。

 

「ラウンジでホットミルクでも飲んできたら?」

 

 この見慣れた光景以上に聞き慣れた明るい声が、カイナの後方から響く。ただ明るい様で、どこか柔らかい様な大人びた様な、或いは包み込む様な声が。

 振り向くまでもなくそれがミィリの声であると知っているカイナは、それでも振り向いた。前衛である自分を少しでも長く休ませようとする、治癒師の気遣いを知っていたからだ。少しでも仲間と話して気を紛らわせたかったという魂胆も、少なからずあるが。

 

「ありがとうミィリ。今すぐにでも休むべきと、分かってはいるのだが…」

「うん、アタシも分かってる。決戦前夜で、気なんて休まる筈無いって」

 

 ミィリは、あくまで軽くそう返す。流石に、無理矢理寝かせるつもりは無い様だ。

 優しい彼女を見て、ばつが悪そうに苦笑いするカイナ。するとミィリは、ある種の「まじない」を言い渡す。

 

「じゃあこうしましょ。前衛であるアナタがしっかり休まないと、アタシも治癒師として気が休まらない。だからアタシの為にも、どうか休息を取って欲しい」

 

 成程、自身の為よりも他者の為に動こうとする、カイナの心理を良く突いたまじないだ。

 そう言われてしまえばカイナも(とこ)に入るしかなく、加えてミィリがトドメの一言を添えてくる。正しくカイナの剣の如く鋭利な。

 

「大丈夫!タクトに夜這い仕掛けたりしないから!抜け駆け無しって約束だもんね?」

 

 実は最も聞きたかった言質が取れて、カイナは漸く安堵する。

 

「…分かった、休むとしよう。それと、別に私はタクトに惚れてなどおらぬからな?」

 

 この期に及んでそう言うカイナに対し、ミィリは全てを透視してる様なニヤついた顔を晒す。

 

 

 

 言われた通りラウンジへ赴いたカイナの視界に、また新たな影が飛び込んでくる。付け加えると、先程のミィリより一回り小柄な。

 

「お待ちをカイナ!」

「うぉっと」

 

 レザはその小さい身体でカイナの行く手を阻むと、怪しむような視線のまま告げてくる。

 

「アナタ…今日が最後の夜になるかもしれないからって、タクトに()()()()仕掛けないで下さいね?」

 

 どうやら皆、危惧している事は一緒らしい。魔王との戦いはまた別にして。

 仲間の内全員、好意を抱く相手が同一人物且つ同パーティ内という偶然。彼女たち3人は、性格も育った環境も異性への耐性もまるで違う。だのにタクトに好意を抱くのは、他の追随を許さないその圧倒的強さ故か。まるで「別世界」から来た様な、異質な思考なり雰囲気のせいか。

 何はともあれ、それ程に異性から愛される彼女たちの勇者殿は、外見は地味なれどやはり常人には無い何かを持っているのだろう。外見よりも内面を重視する、彼女たちの見る目もあるのだろうが。

 

 つまりは彼女たちは、掛け替えの無い仲間であると同時に、ライバルでもあるという事だ。

 そんなライバルの一人に、カイナはあくまで理に叶った返答を浴びせる。付け加えると、少しだけ感情的な。

 

「案ずるな、明日の戦いに響く様な真似はせん。それと何度も言うが、私に意中の男性など…」

「いくら仲間でも、こればかりは信用出来ません!全員生き残る保証なんて無いんですから」

 

 後半の強がりだけを完全無視するレザだが、彼女の焦燥は尤もだ。明日死ぬかもしれないなら、人間誰しも本能に任せてやりたい事をやるものだ。そこに愛が絡むのなら尚のこと。

 ついさっきまで同じ焦燥を秘めていたカイナはそう理解すると、今度は真摯に答える。

 

「私も騎士を目指す者だ、仲間の命を護る為なら己の情事など…。所詮見習い如きであるが、騎士として誓ってもいい」

 

 騎士とは神の忠実なる信徒であり、信仰者の象徴でなければならない。故に「騎士として誓う」という事は、即ち「神に誓う」という事。嘘偽りは許されない。

 曇りの無い眼差しでそこまで言われれば、レザも仲間を信じて引き下がるしかない。元より、彼女も単にカイナの緊張を解したかっただけかもしれないが。

 

「そういう訳だから、お前もそろそろ寝るのだ。さもないと、治癒師殿の胃に穴が空くぞ?」

「約束ですからね?」

 

 小さく可愛らしいバリケードが開かれ、カイナは今度こそホットミルクを頂きにカウンターへと向かった。

 

 

 

 既にホットミルクを飲み干したカイナは、溜息混じりに自室へと続く廊下を歩いていた。寝ると決めたは良いものの、底知れない不安感は彼女の足取りを重くする。

 

「カイナ」

「!」

 

 俯きながら進んでいると、少年の声が前から聞こえてくる。

 カイナが慌てて顔を上げると、想像した通りの顔が眼前にあり、不安感は一時的に消え去る。その代わりに、胸の鼓動が少し早くなる。

 

「タクト…」

「…」

「…」

 

 空気に任せて、黙り込んでしまう2人。若しくは、これまでの事にこれからの事、語りたい事柄の量に押し負けているのだろうか。

 何せ今は「決戦前夜」なのだから、もう二度と話せなくなるかもしれないのだから。

 

 そんな中、先に口を開いたのはカイナであった。

 

「この戦いが終わったら…タクトはどうする?」

 

 タクトの答えなど、カイナには凡そ予想出来ている。質問というより確認に近いが、それでもカイナは本人の口から直接聞きたかった。

 対するタクトは予想外の問いに少々面食らうが、あくまでいつも通りを装って話す。それ以外有り得ないと言いたげな、若しくはそれしか見つからなかったと言いたげな、どちらとも取れる口調だった。

 

「オレは、ただ変わらない日常を過ごしたい。オレと、カイナと、レザと、ミィリの4人で、魔物を狩って稼いで、馬鹿騒ぎして…。虫のいい願望だとは思うけどさ、そんな「いつも通り」が、オレは欲しい」

 

 予想通りの答えが返ってきたので安心するカイナ。

 彼女としては想い人を独占したいという気持ちも、決して無くは無い。だがそれは、レザとミィリを切り捨てる理由にはなり得ない。

 それだけ、4人で過ごす日々は“夢”の様に楽しかった。騎士という閉鎖的な身分であったカイナにとっては、特に。

 

 嬉しさに浸るカイナへ、今度はタクトが同じ問いを掛ける。

 

「カイナは?」

 

 その問いが返って来る事は、カイナも分かっていた。だが、タクトの様に迷わず返答する訳には行かなかった。

 

 魔物を斬り、人々を救う。民を護り、助け、導き、徳を生涯に渡り積み重ねる。そんな自身が人として正しいのだと、人々の規範にならんとする。お伽話の様なそれらこそ、本来騎士のあるべき姿であり、彼女にとって唯一の憧れだった。生きる目的にすら匹敵する程の、苛烈さと美しさがあった。

 だが今の騎士達に、そんな高尚な心持ちは無い。魔物との長きに渡る戦いは、数の限られし騎士達を次第に疲弊させた。代わりに求められたのは、安い賃金で数を揃えられ、そしてより戦いに専念出来る傭兵や冒険者。騎士の存在意義は薄れ、肩書きだけがペタリと貼られた、単に馬を持っただけの小貴族・小領主となった。民を護るどころか、その民からただ地代を搾取する存在に成り果てたのだ。

 魔物との戦いなど、今や騎士の役目ではなくなっていたし、誰も見向きもしなかった。

 そんな騎士が没落し切った時代でも、騎士としての能力を求められずとも、同じ騎士である筈の父から冷ややかな視線を受けても、カイナは騎士見習いとして鍛錬を続けた。安い金の為ではなく、民の為に戦う一人の騎士として、神と人間の仇敵たる魔物を誰より多く狩ってやるのだと。そんな騎士こそ、民を護る盾であり魔物を討ち滅ぼす矛として、戦士達を纏め上げるに相応しい。さすれば再び王も諸侯も騎士を重宝し、騎士は栄光を取り戻す。

 魔物を狩る為ならば、騎士たるリッツァートの名を世に広める為ならば、カイナは冒険者と行動を共にする事も厭わないつもりだった。

 そのカイナが冒険者であるタクト達と出会い、更にはタクトが彼女の騎士としての腕前を必要としていたとあれば、運命を感じずにはいられないだろう。であれば、地方での停滞を望む父と決別するのは、最早必然であった。

 こうしてカイナは一時的ではあるが、タクトを己が主に据えてその剣を振るう事となった。いつか「本当の騎士」となる為に。そうして今や国内随一とも言える剣士となったカイナは、「家を離れた騎士見習い」という汚点を含めても尚、王や諸侯から一目置かれる存在となった。これで魔王を斃したという実績があれば、国もカイナの願いの一つや二つ、多少無理を押し通してでも叶えねばならないだろう。

 

 だからこそ、カイナにとっては悩ましかった。

 国の有力者と主従の約定を結ぶには、即ち騎士であると真に認められるには、先ず第一に「冒険者」という枠組みから外れねばならない。

 だがタクト達と袂を分かつという事は、他ならぬタクトの願いを踏み躙る事となる。

 それより何より、彼女自身タクトと離れたくはなかった。

 

 悩んだ末、カイナは次の様に返すしかなかった。

 

「……すまない。今はまだ、決められない」

 

 申し訳なさそうな彼女に、タクトは「無理するな」と言いたげな優しい笑顔を見せる。

 しかし、彼女の言葉はそれだけに留まらなかった。

 

「だがなタクト。私は、お前と共に剣を振るえて良かったと、心からそう思っている。そんな日々がずっと続けば良いのに…ともな」

「カイナ…」

 

 互いに小さく微笑み合う、タクトとカイナ。これまでの長いようで短い旅路に、お互い悔いは無い様だ。

 タクトは楽しかった。短くも濃密な4人での冒険が、戦いと平穏の混在した4人の時間が。

 カイナは嬉しかった。大好きな少年と共に戦えた事が、大好きな少年の刃となれた事が。

 

 そうして暫く経って、漸くカイナはタクトと見つめ合っていた事に気付き、恥ずかしさから濃い赤面を晒す。騎士の道に全てを捧げてきたからこそ、彼女はこういう時どうすべきか分からない。

 

「で、ではな!私も明日に備えて、自室で休まねば…」

「?…お、おう」

 

 これまでと同じ、最早幾度目か分からない、タクトに対するぶっきらぼうな反応。気になる異性への接し方を、もっとミィリやレザから学べば良かったと、カイナは数少ない悔いを噛み締める。

 

 そしてカイナは自室へと急いだ。

 

 

 

 

 

 白の寝間着姿となったカイナは、一先ずベッドに背中から倒れ込む。日は未だ落ち切っていない。

 慣れ親しんだ、簡素ながらも優しく受け止めてくれるベッド。だが、やはり想定通り寝れそうにないカイナは、何気なく頭を巡らす。これからの事を思うと尚更寝れなそうなので、主にこれまでの事を。

 

(本当に、数え切れない程戦ってきたな。家で黙々と研鑽していた日々が、今では信じられん)

 

 オークにゴブリン、リザードマンにウルフマン、四肢を地に着けた獣から羽音五月蠅い蟲、見るに堪えない吐き気を催す異形まで、様々な魔物を斬ってきたカイナ。

 思い返す度、その達成感からどうしても笑みが零れる。魔物を斬り、神敵を減らした。魔物を斬り、子供の命を救った。魔物を斬り、村々の消滅を防いだ。魔物を斬り、その度に人々から賞賛された。魔物を斬り、その肉を食した。魔物を斬り、素材を換金した。そして魔物を斬り、仲間が喜んでくれた。そのどれもが誇らしかった。他でもない自分が、自分達が成したのだという事実は。

 研鑽の日々が十全に発揮された、戦いと救済。これまでのそれらが、カイナという人間を形作っていると言っても過言ではなかった。そう思うとますます、カイナの表情は柔らかくなってしまう。

 

(…神に感謝を)

 

 安らかに瞼を閉じながら、彼女は軽くそう念じた。彼女が騎士に憧れたその大元、神への信仰心。それが今の自身に至るのなら、正に神の御業も凄まじきと言った所か。

 

 だが、いつまでも思い出に浸ってなどいられない。心の奥底から大笑いするのも、真に神に感謝するのも、全ては魔王を斃してからだ。そしてそこから、新しい大地で、また新しく始まるのだから。

 その戦いに万全の状態で挑むのなら、十分に身体を休めねばならない。

 

(……仕方が無い)

 

 そう思いながら、彼女はベッドの脇に置いてあった「強めの酒」を手に取る。こんな時の為に、一応買っておいたものだ。

 騎士を目指す自分が、大事な戦いの前にこんな物を飲むなど、本来ならよろしくはない。だが、こうでもしなければ寝れる自信が無い。幸い、悪酔いはしない方だ。

 

(神よ、今晩ばかりはお赦し下さい)

 

 仇敵を斃すべく必要な行為なのです…と、神に対して再び念じ、カイナは一口分だけその酒を煽る。苦みと辛みが口内で短く暴れた後、喉を焼きながら身体の中へと落ちていく。

 

(…よし)

 

 これで30分後には寝れるだろうと、安心し切ったカイナは再度瞼を閉じる。

 その安心感が、眠気を助長する。そのままじわりと、酒が眠気を更に強めていく。まるで身体がベッドの中へ沈んでいく様な感覚に、カイナは陥る。

 

 

 そしてきっかり30分後、カイナの意識は暗黒へと落ちる。

 

 

 

 

 

 この世界には“魔力”が満ちている。大気中に、水中に、草木の中に、それらを食らう人々と魔物の体内に。それは果たして神が用意したものか、それとも最初からただそこに在ったのか。

 人間は、魔物は、この魔力を操る事が出来、それは様々な「力」へと変化する。己が肉体を内から強化するに留まらず、時には炎として吐き出し、水を自在に操り、雷を迸らせ、土の一粒一粒を蠢かせ、大気の流れをも変えてしまう。

 あらゆる力にどうとでも変化してしまうそれは、時にこの世の理をも書き換えてしまう。「距離」も、そしてそこから生まれる「空間」と「時間」という概念すらも。

 

─────こんな風に

 

 

 


 

 

 

 短い様でその実は長い、暗黒からの浮上。目覚め。カイナの視界は、早朝にはありふれた薄暗い自室の天井が映っている。

 

───筈だった。

 

 仰向けになっているカイナの視界を埋め尽くすのは、黒々とした「岩」だった。

 恐らくは暗闇の中にある、形の不揃いな岩、岩…岩。だのに、暗順応するまでもなく最初から見えているという事は、それら岩が何かに照らされている証。横から入る木の弾ける音により、その明かりが「焚火」によるものだと気付く。

 だが、仰向けの状態で知れる情報などそれだけだった。

 

 カイナは、あらゆる状況の変化に即応出来る自信があった。そうでなければ、ここまで名を馳せる事も無かったのだから。

 しかし、目覚めた瞬間、居る筈の無い場所に居る。

 余りに突然、尚且つただの一度たりとも経験した事の無い出来事に、流石のカイナも混乱すら抱けないでいた。ここが「洞窟」の中であると、簡単な予想すら出来ない程に。

 

「目覚めたね」

 

 低く、か細い様で力強くもある声。そんな聞き覚えの無い声が、延々と続く焚火の音と共にカイナの耳奥へ侵入する。

 訳も分からないまま反射的に、声の方へと振り向くカイナ。

 

 

 

 白い髪、黒い眼の青年が、視線の先に映っていた。

 

 

 

 それが新たな旅の始まりを告げる号令である等と、カイナには知る由も無く。




ヒロイン登場はもう少し先になるんじゃ。

早く登場させたいんじゃ…


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第1話 黒眼の青年

ヒロインの前にまずは兄貴分。


 安寧なる時間と空間から一転。目を覚ませば、見ず知らずの洞窟。

 そんな状況下にて青年を視認した瞬間、当然の帰結としてカイナは凄まじい勢いで飛び起きる。

 

「貴様何者だ!?ここは何処だ!?私に何をした!!?」

 

 相手の事などお構い無しな、一遍なる問いの嵐を巻き起こしながら、カイナは反射的に剣を構えようとする。

 

「ッ…」

 

 だが、その手は虚しく空気を掴むのみ。そこで漸く彼女は、自身が寝間着姿のままなのだと思い出した。

 ならばと周囲を見渡すも、装備品らしきものは見当たらない。

 

 そんな半狂乱に近いカイナを前にしても、青年は何ら動じずその口を動かす。

 

「落ち着くんだ。僕は君の敵ではないよ」

 

 淡々とした声を再度耳にし、カイナはまたしても青年に目を向ける。今度は、相手の外見や状態をよく確認する様に。

 歳の程は25前後。その整った顔立ちもあってか、白髪も老いというよりどこか美しさを感じるものだった。何より目を引く()()()には、黄色い瞳が堂々と居座っていた。表情は乏しく、心の内は読めない。

 今、彼は地に座しているが、背の丈は推定190程。黒の薄い布地には、美しい顔立ちからは想像出来ない隆々とした肉体が浮き出ていた。傍らには鞘に収まったロングソード、短剣やナイフもちらほらと見える。間違いなく「武」に通じた者だ。

 

 一先ず青年から敵意は感じないが、相手には武器が有り自身には無いと把握したカイナは、警戒心を解かないでおく。

 

「外の草原だよ。そこで君は寝ていて、揺さぶっても起きなかった。そのままにしておく訳にも行かなかったから、今君は僕と此処に居る」

「………は?」

 

 青年から与えられた簡単な情報。だが目が覚めて早々、初対面の相手にそんな事を言われて信じられる筈も無い。

 いやそうでなくても、仮にタクトたちが言ったのだとしても、とても信じられない。つい先程まで、仲間達と決戦前の語らいをしたばかりではないか。慣れ親しんだあの宿で。

 

 カイナは外へと走った。

 

 その時の彼女の貌は、酷く歪んでいたのかもしれない。夢であると信じて疑わないそれは、傍から見れば狂笑に近かっただろう。

 出口から降り注ぐ月明かりが、ゴツゴツとした岩道を照らすが、彼女は構う事無く素足で駆けていく。その度に生じる痛みにより、これが夢ではないのだと嫌でも理解しそうになるが、違う違うと懸命に頭を振った。

 

 そうして、歪な円を描く出口へと辿り着く。

 

「そんな……」

 

 青年が言った通りの空間を、満月が映し出していた。

 カイナは未開の地以外、ティランタニアは勿論、ほぼ全ての地を巡り尽くしていた。その内どんなに平凡な草原だろうと、暗闇で視界が悪くとも、一度でも訪れたのならその光景を忘れない。

 一面に広がっているそこは、カイナの記憶のどこにも無い広大な草原であった。見た事の無い緩やかな隆起が深緑に覆われており、月明かりの途切れた先には街灯一つ無い暗黒が広がっていた。

 視覚だけではなかった。匂いも、音も、大気も、味覚を除く全ての感覚が「知らない」と嘆いている。

 

 魔王城が行く手を阻む「未開の地」。まさかとは思うが、ここがそうだとでも言うのだろうか。皆で足を踏み入れる筈だったそこに、カイナ一人が放り込まれたのか。

 

 それだけを思うと、カイナはその場で膝から崩れ落ちた。

 新たな世界へと抱く胸の昂り故ではない。もうタクト達と会えないかもしれないという、絶望からだった。

 

 

 

 洞窟内に引き戻されたカイナは焚火を見つめていた。混乱こそ引いてきたが、その瞳は虚ろだった。

 

 ひたすらに思うは直近の過去、先程までの宿。普段には無い緊張感がありながらも、あくまで普段通りの日常。物理的距離があるというだけで、それがまるで遠い過去の様にすら感じる。

 だが実際、熟睡してから時間が経っていないのは間違いない。髪はあの時と同じく整っており、肌や衣服にも劣化は見られず、酒の酔いも僅かに残っている。第一、草原で無防備に寝ていて無事だったのだから。ニスモの言を信用するなら、だが。

 

 なら今頃、タクトたちはどうしてるだろうか。血眼になって自分を探しているのだろうか。その後、魔王との戦いはどうなるのか。もし決戦が先延ばしになるなら、どれだけ民に犠牲が出るのか。

 そんな中、自分はこれから何をどうすれば良いのか。

 

 いくら過去に思いを馳せても、結局はそんな風にこれから先の事へと思考が向かってしまう。過去には決して行けず、未来は確実に訪れる、それらと同じ様に。

 現実逃避をした所で、目の前の現実からは逃れられないのだ。

 

「少しは状況を理解できたかな?」

 

 嫌でも考える余裕が戻って来ていたカイナは、青年の問いに力無く頷く。もう少し沈黙に浸っていたかった彼女だが、兎にも角にも情報が足りないという事もまた理解していた。

 ならば現状、この青年から情報を集めるのが最適だ。

 

「なら、次は自己紹介だね。僕は『ニスモ』、一応冒険者だ」

「…カイナ。見習い騎士だ」

 

 相手が名前しか言わなかったので、カイナも家名は伏せておいた。やはり、まだニスモを信用しきった訳ではないらしい。距離と時間的に、そして武に通じ切ったカイナ相手なら尚更不可能ではあるのだが、ニスモに攫われたというごく僅かな可能性も燻っている。

 普段の彼女ならここまで人を疑ったりしないのだが、それはニスモの「ある部分」が原因だった。人ならば誰しもが持っている、顔の印象を決定付ける部分だ。

 

「…私から質問に入らせて貰う。ニスモ殿…失礼を承知で訊ねるが、貴方はか?それとも魔物か?」

 

 ニスモの「黒き眼球」を睨みながら、カイナは問い質す。

 その見た目で言葉が話せるなら、彼が人間であるのはほぼ確定的だ。敵意も変わらず感じない。

 だがその眼だけは、間違いなく魔物のソレだった。禍々しき気配すらも。本来なら白い眼球に収まっているべき黄色い瞳は、黒い眼球の中で不気味に浮かんでいる。

 

 仮にもし魔物なら、彼女はニスモを狩らねばならない。

 

 対するニスモは、カイナの質問の意図を直ぐさま察する。

 そして哀れむ様な、諦観した様な視線を彼女に向けながら答える。

 

「成程…君はティラント人か」

「答えろ」

 

 何故先の質問だけでそこまで分かったのか、気になったカイナだが後回しにする。人か魔物か、その答えが最優先だ。

 

「僕にも分からない。だから、君が答えを決めればいい」

「…」

 

 結局、答えは灰色のまま終わってしまう。

 だがこのままでは先に進めないので、カイナは仕方無くニスモを「人間」と見なした。幾ら王国随一の剣士たる彼女とて、武器が無い以上は確実に勝てるとも限らない。何より、助けてくれた恩を仇で返すのは神の教えに背く。ニスモが犯人であるというしょうもない可能性も、一旦頭から消しておこう。

 ならば、先ずは他に言うべき事がある。先程岩道で傷付いた足にも、今は包帯が巻かれているのだから。

 

「…礼がまだだったな。私をここまで運んでくれた事、足の手当をしてくれた事…感謝する」

「気にしなくていいよ、久しぶりに話し相手も欲しかったし。足の傷は悪いけど、僕も治癒魔法の適性が無いものだから…」

「いや、そんな…謝らないでくれ(私だって無い)」

 

 人も魔物も、当人に合った魔法というものがある。全属性の魔法を行使出来る者こそごく少ない。当人が秘めている魔力量も個人差がある。

 どうやら、それらはこの地においても変わらない様で、ほんの僅かな安心がカイナの中に生まれた。

 

「一応『ウアルの薬草』も塗っているから、一晩経てば傷は塞がると思うけど」

「そうか…」

「僕にもっと魔力があれば、もう少しやりようもあるんだけどね」

 

 無表情ながらも、ニスモは鼻で自身を嗤う。

 そんな小さな自棄も短く、彼は次なる状況確認に移る。

 

「君は気がついたら此処に居た様だけど、その前は何処に?」

「ティランタニアの首都、ガリナにある宿だ」

「何か、いつもと違う事はしてたかい?」

「…寝る前に、酒を少々」

 

 確かに強めの酒ではあったが、まさか遠くの土地までトばされる作用がある筈も無し。

 いや或いは、聖戦を前にして酒を飲んだ事への、神からの天罰か。それにしては度が過ぎる気もするが。

 

「……そうだ、「戦い」だ。私と仲間達はその日、魔王との戦いに備えていた」

 

 ニスモも、魔王という単語は何度か耳にした事がある。だが見た事も害を受けた事も無いので、特段反応は示せなかった。

 ただ、原因を絞り込む事は出来そうだ。

 

「魔王の刺客が、その邪魔をすべく君を仲間から遠ざけた…?」

「だがそれも妙だ。パーティの分裂を狙うなら、私ではなくタクト(リーダー)を狙う筈。そもそも、寝込みを襲うのなら何故私達を殺さなかった?」

「じゃあ、別の目的を持った第三者の仕業かな?」

 

 「誰が何の目的で」を見つけ出そうとする2人。だがカイナもニスモも、ある大前提を意識的に避けていた。「転移魔法」についてである。

 どんなに遠い位置だろうと、瞬時に移動可能な夢の魔法。だが「夢」が付く通り、未だ実現した前例は無く、大魔法使いらによる研究も尽く失敗している。

 仮に可能だとして、もし使うのであれば膨大な呪文の描かれた魔法陣とそれを準備する人員、発動には何十人もの魔法師と莫大な魔力が必要だ。それで発動の最低基準を満たせるかどうかだとか。そんな規模の魔法陣、カイナの部屋に入り切る筈も無く、誰にも気付かれず準備・発動をこなすとなると結局不可能だ。

 

 だが不可能と決めつけては何も進まない。現にカイナは、ティランタニアからこの地まで移動している。冒険すれば年単位で掛かるかもしれない距離を、たった一瞬で。

 故に、転移魔法を使われたという前提で話を進めるしかない。

 

「地図を広げてみよう。何か犯人の意図が分かるかも」

 

 そう言うと、ニスモは丸まった地図をリュックから取り出し、その全容をカイナの前に晒す。古ぼけてはいたが、広げられたその大きさはカイナの身体がスッポリ入ってしまう程だった。

 

「凡そこの辺りが、今僕達の居る場所だ」

「!」

 

 地図の一点を指差され、カイナは驚愕から目を見開く。今自分達が身を置く未開の地、その恐ろしい程の広大さに。

 地図の左側には、ティランタニア王国が領土の大部分を占める『ユートリアン大陸』が。そして地図の右大半には、ユートリアンの倍以上の面積はあろう未開の地『ギヤ大陸』が、まるで地図の主役とばかりに堂々と載っていた。

 両大陸を辛うじて繋げている細い通路の様な陸地には、魔王城らしきマークがポツンと描かれていた。

 

 その地図を見て、カイナは改めて思った。自分は、本当に「新世界」へと足を踏み入れてしまったのだと。

 

「この地図は……貴方が一人で作ったのか?」

「色んな地図を照らし合わせたり、伝聞を精査したり、実際に歩いたりしながらね。それなりに正確な筈だよ。ギヤ大陸に至っては、未だ巡っていない地域も多いから、何とも言えないけど」

 

 一体どれだけ旅をすれば、これ程事細かな地図が出来上がるのか。現在は冒険者であるカイナだからこそ、その途方の無さが手に取る様に分かった。

 そんなカイナを気にせず、ニスモは続けた。

 

「やはりティランタニアは、魔王城から近いね」

「ああ。魔王軍から諸国を護るは、宗主国であるティランタニアの務めだからな」

「対して、今僕達が居る『ケピア草原』はギヤ大陸の東端。君が居たガリナと比べれば、魔王城から遥かに離れている。やはりこうして見ると、君を魔王城から遠ざけたかった様に見えるね」

 

 だとしたら、やはりカイナだけを転移させた犯人の意図が読めない。

 そんな事を思ったニスモは、ある「重大な見落とし」に気付く。

 

「そもそも、本当に君“だけ”を転移させたのかな」

「…ッ」

 

 犯人は、誰にも気付かれずにカイナを転移させる程の力を持つ。もしその犯人にとっての転移が、1人も4人も変わらないものだとしたら。

 そう考えると、カイナだけでなく全員を別々の場所に転移させたという方が、仮に魔王の仕業だとするなら辻褄が合う。

 

「なら…!この大陸にもパーティの誰かが!?」

「飛ばされているかもしれないね」

 

 この大陸の何処かに仲間が居るかもしれない。仲間の誰かが、遙か遠くの地で自分以上に辛い思いをしているかもしれない。

 そう思うとカイナは、段々と居ても立ってもいられなくなってきた。

 彼女のそんな変化を、見逃すニスモではない。

 

「はやる気持ちは分かるけど、冷静にね。仲間が飛ばされていない可能性もあるし、飛ばされたとて何処にいるのかも分からない。となると、君にとって最良の「選択」は何だい?」

 

 問い掛けられ、カイナは暫し目を閉じる。

 

 答え自体は、割とあっさり導き出された。が、問題はまた別にあった、カイナ自身である。

 ここから先、どうやって前に進めばいいのか。装備も何も無い状態で、どれ程強い魔物がどれだけ居るのかも、地理の一つも分からない異界を。文化もしきたりもまるで異なるに違いない。

 気力と精神力の問題もある。目的地へ行くにしても、それはかつて無い程の遠大な道のり。飛行魔法なんて都合の良い魔法、カイナは使えない。今この瞬間にでもそこへ辿り着きたい気持ちを抑えながら、一歩また一歩と地道に進み続けねばならないのだ。

 カイナ「一人」では、早く着くどころか辿り着けるかすら怪しい。

 

(ではニスモ殿に同行して貰うか?…いや、私の問題に彼を巻き込んではいけない。それに、騎士たるこの私が「魔物である」可能性を秘めた者と、旅を共にするなど。ましてや頭を下げて頼むなど…)

 

 無論カイナも、ニスモには感謝の念を抱いている。だが、それとこれとは話が別だ。

 神の教えは、それ程までにカイナの中身を染めている。魔物は全て神の敵であり、例外無く排除対象だ。

 

 いや最早、手段を選べる状況ではない。騎士道精神を貫き通すか、仲間の為に恥を捨てるか、そのどちらかだ。

 だとしたら神は、どう感じられるのだろうか。仲間を想う自身を称えてくれるのか、半魔と行動を共にする自身を罰するのか。それを裁量出来るのは教会だけだが、今ここにそんなものは無い。

 それら全てを踏まえた上で、カイナはどうしたいのか。

 

 悩んだ末、カイナは口を開いた。

 

「最良の選択は「ガリナへ向かう」だ。各々の位置が分からない現状、闇雲に探すより元居た場所へ帰ろうとする筈。飛ばされたのが私だけだとしても、拠点であるガリナへの帰還は自然だ」

「正解だ」

「それと…」

 

 カイナは立ち上がり、そして姿勢を正すと、ニスモに対して深々と頭を下げた。それこそが、彼女の選択だった。

 

「無理を承知でどうかお願いする、ニスモ殿。私の旅に…同行しては貰えないだろうか?より早く辿り着くには、この地を知る貴方の助力が必要だ。礼はするからどうか…頼む!」

 

 迷いの無い言葉、頭を垂れながらも見る者に覇気すら感じさせる姿勢。ニスモは、そんな彼女をしかと視界に収める。

 彼はその瞳の奥に、郷愁の灯火を宿していた。

 

(…騎士として、他人に頼りたくはなかったろうに。半魔の者と組みたくはなかったろうに)

 

 余り騎士らしくない、見習い騎士の判断。騎士道よりも仲間を選ぶそれは、未だ子供故の割り切れなさか。それとも、割り切ったが故の選択なのか。

 

 一つだけ分かった事がある。輪郭の見えないあやふやなものだが、カイナは“何か”を持っている。ニスモがこれまで会ってきた騎士とは、明らかに違う何かを。彼女の言葉から、思考から、或いは纏う気から、そんなものをニスモは感じていた。

 目的の為、彼女からすれば半魔の彼に頭を下げたというのも勿論ある。それ程、彼にとっては異例の事だったのだ。見習いとは言え騎士が、人かどうかも分からぬ者に何かを頼むなど。

 だがそれ以上に、「神」に対する彼女の姿勢だ。騎士にとって「教え」は主人以上に絶対であり、「教えの中にある神」こそが絶対者なのだ。それとは僅かに違う“何か”が、彼女にはあった。

 彼女のそれは未だ微々たるもので、一見有象無象の騎士と変わらない。だが、戦闘力などでは測れない内側のもっと奥に備わる「強さ」が、砂漠の中で小さく光っていた。

 

(……「真の騎士」…か)

 

 彼女ならもしかしたら、万に一つの確率だが、そうなり得るのでは。そんな、極小ながらも確かに煌めく思いが、ニスモの内に湧いた。

 

 ニスモは、嫌という程に知っていた。騎士道精神など、神に媚びへつらう為の、暴力を正当化する為の方便でしかないのだと。ニスモの師は、そのせいで命を落とした。

 だが絶望する反面、希望も捨て切れなかった。神の言いなりではない騎士に、もし会えるものなら会ってみたいと。それがどんな存在なのか、この目で見てみたいと。

 師が言っていた「真の騎士」と、いつの日か肩を並べてみたいと。

 

 師が亡くなってから今まで、絶望の中でずっと抱き続けてきた僅かな希望。ニスモは初めて、その希望を解放してみる事にした。

 目的無き旅は、もう味気無い。ならばいっその事、吹けば飛んでしまいそうな希望にこの身を預けてみるのも一興だろう。

 この旅を通じて、この若き見習い騎士が、どんな騎士へ向かうのか、と。

 

「良いよ。君の旅に、僕も同行しよう」

「ほ、本当か!?無理をしなくても…良いのだぞ?」

「どうせ当ての無い旅だったし、全然構わないよ」

 

「けれど一つ、言っておく事がある」

 

 ニスモの一言を境に、場の空気が一変する。まるで刃が張り巡らされた様な、時間が消し飛んだ様な、そんな空気に。

 同時に、ニスモの瞳にはこれ以上無い真剣さが宿り、釣られてカイナは再びその表情を引き締めた。

 

「本当に…過酷な旅になるよ?肉体的というより寧ろ精神的な、これまでの君を全否定する様な、そんな壁に必ずぶつかる時が来る。しかもそう遠くない内にね。…覚悟は良いかい?」

 

 より低く、より圧の入ったニスモの声により、カイナは思わず唾を飲み込む。今まで出会ってきた、どの魔物よりも濃い威圧感であった。

 だが、もう彼女の決意は揺るがない。揺らいではいけないのだ。

 

「覚悟などとうに出来ている。私は必ず…仲間達と再会する!」

 

 濁りの無い清廉な眼光を互いに飛ばし合う、カイナとニスモ。それは正しく、紙を用いない契約が如くであった。

 

 睨み合いと言う名の調印が済んだのか、ニスモは漸くその腰を上げた。

 

「分かった。これから宜しくね、カイナ」

 

 右手を差し出すニスモ。他意の無いそれは握手の形だ。

 カイナは、その右手と頭上の黒眼を見比べながら、恐る恐る自身の右手を差し出す。この手を握ればもう止まれない。半魔かもしれない者と、組む事になる。

 そして漸く、深呼吸した後にその大きな手を握った。

 

「宜しく頼む、ニスモ」

 

 そうして2人は互いに握手を交わすと、今後必要なものについて話し合う。

 

「先ずはそう、君の装備を整えないとね。予備の中に、君の身長に合いそうな剣と靴がある。靴は僕が子供の頃に使ってた奴だからボロいけど、補強すればそれなりに持つと思う。行商の通る場所に出るまでは、それで辛抱して欲しい」

「何から何まで忝い(その靴もしかして結構大事な物なのでは…?)」

「新しい衣服は、魔物の毛皮から拝借しよう」

「狩りなら任せてくれ。後は「馬」さえ手に入れば…」

「それなら───」

 

 

 

 この時、カイナの覚悟に偽りは無かった。これまでの鍛錬と冒険で鍛え上げてきた己の精神力を信じ、何が起ころうと決して屈したりはしないと心に決めていた。

 

 

 

 その覚悟が如何に薄っぺらいものだったのか、彼女は思い知る事になる。




と言う訳で一人目の仲間、白髪黒眼イケメン高身長ムキムキお兄さん登場回でした。
主人公の師匠的存在に出来たら良いなと思います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第2話 神敵

宗教って怖い。



 

カルス教 大教律書

 

教義ノ六 魔物について

 

・魔物とは、その外見が人と大きく異なる者、その中身が人とは言えない者、人との意思疎通が不可能である者を言う。

 

・神は、己が姿を人に与えた。神は、己が言葉を人に与えた。人こそが神の分身であり、それらを持たぬ魔物は区別対象である。

 

・神は、己と違う魔物を忌み嫌う。故に、人は全ての魔物を駆除せねばならない。ただし、作物や果物等の植物類、魚類に関しては、この限りでは無い。

 

・馬・牛などは、人の生活に欠かせない、言わば「人の一部」に等しい存在である。故に、魔物に近しいが魔物ではない。それらを狩る、食らう事は、同族を食らうに等しい忌むべき行為である。

 

・人を殺めるのは魔物だけである。故に、如何なる理由であれ人が人を殺めた場合、魔物として罰せられる。

 

・魔物に与する者もまた神敵であり、排除対象である。

 

・騎士を含めた聖職者には、民がこれら教義に則っているか取り締まる責務がある。

 


 

 

 

 

 

 焚火の光も消え、就寝時の静寂に包まれている洞窟内。仰向けとなっているカイナは、青年から借りた予備の掛け布に包まれていた。

 魔物への警戒に、環境の変化。野営に慣れている彼女にとってはどうって事無い。

 

(………駄目だ)

 

 だのに眠れないのは、宿で既に十分睡眠を取っていたから。

 否、ニスモの存在である。

 

 思春期の少女にとって、会って間も無い若き異性と2人同じ空間で寝るというのは、精神的に酷なものがあった。加えてカイナは、自他共に認める美貌の持ち主。異性を警戒しない、というのは寧ろ不味い。

 そんな訳でカイナの蒼い瞳が、天井代わりの岩々を無意味に行き来する。

 

「寝れないかい?」

 

 それを察しているのか、同じく横になっているニスモが声を掛けてきた。

 

「貴方も眠れないのか?」

「いや、元々僕は余り寝ない方だから」

 

 自分が居るから寝れないのではと思っていたカイナは、それを聞いて少し安心する。元々、向こうも思春期の男児ではないのだから、要らぬ心配な気もするが。

 いずれにしろ、寝てないのなら丁度良い。この機に、疑問を解消しておくべきだろう。

 

「そう言えば、何故私がティラント人だと?」

 

 あの時、カイナは「人か魔物か」と問うただけだ。それだけで、ニスモは彼女の出自を当てて見せた。まるでティランタニア以外の国々が、人と魔物の区別をそこまで気にしていないとでも言いたげに。

 事実、ほぼその通りであった。

 

「ユートリアンで人と魔物を明確に区別したがるのは、君たちくらいだからね」

 

 そう答えるニスモだが、カイナは即座に否定する。

 

「それはない。少なくとも我が国の属国は、みな敬虔なる信徒だ。私も幾度となく足を運んだのだ、間違いない」

「…そうかい。じゃ、そういう事にしておくよ」

 

 では何故、半魔である自分は属国内を行き来できたのか。そう問い返そうとしたニスモだが、言わなかった。また錯乱されても敵わない。

 属国であれ何であれ、誰しも「都」の人間には表の顔で接するものだ。

 

 ニスモの反応が引っ掛かるカイナだが、目を背ける様に次なる質問へと移る事にした。

 寧ろ、彼女にとってのメインはこちらだ。どの疑問よりもずっとずっと気掛かりな、その質問こそが。

 

「今更だが、何故貴方は私にここまでしてくれる?」

「…」

 

 自身を匿っただけでなく、長き旅の同行から装備の貸与まで。確かに礼をするとは言ったが、それだっていつになるかも分からない確実性の欠けるものだ。カイナは今、素寒貧に近しい状態なのだから。ニスモの協力は、はっきり言って不自然だ。

 カイナの質問に対し、ニスモは暫しの間を置いてから答える。

 

「さてね。大人には色々と思惑があるものなんだよ」

 

 答えになってない答えに加えて、遠回しに「ガキ」と言われた事で、カイナは軽くむつける。

 

「子供扱いするな。私だって、酒の一つも嗜める女だ」

 

 お堅く、()()のほぼ無い彼女は、ただ無意識に言ったに過ぎない。だが、その美貌でそんな事を言われてしまえば、多くの異性が「誘われている」と勘違いするだろう。

 この青年は、その限りではない様だが。

 

「子供だよ。そうやって強がる所とかね」

 

 10代も後半の子供は、基本的に子供扱いを嫌う。一応騎士家系でプライドの高いカイナは、それが特に顕著だ。

 よって、意外にもしつこく噛みつく。

 

「貴方こそ、子供相手に随分大人ぶってる様に見えるが?ま、私はそもそも子供じゃないが」

「しょうが無いよ、大人なんだから」

「何を以てそれを証明する?」

「さっきから子供の君が優位に立てないから」

「…」

 

 何を言っても即答であしらわれ、遂にカイナは歯噛みしながら黙り込んでしまう。どんなに冒険で名を上げようと、人生経験の差ばかりはどうにもならないらしい。

 そんな彼女を励ます訳ではないが、ニスモは続けて答える。彼からしてみれば、単なる事実の一つに過ぎない。

 

「子供である事は、悪い事ばかりじゃないよ。色んな「考え方」を取り込めるし、幾らでも柔軟に変われる。大人になると、そういうのも難しくなる」

 

 それは寧ろ、子供の方が羨ましいとでも言いたげな口調だった。

 更にニスモは、その声を低く重々しいものにし、より真剣さを滲み出しながら続ける。先程、カイナの覚悟を確認してきた時と同じ様に。

 

「そう、僕はもう変われない。けど…君はどんどん、そして貪欲に変わって欲しい」

 

 最後に意図の読めない事を言われ、カイナは首を傾げる。

 

「それより、そろそろ僕にも訊かせておくれよ。君の仲間、どんな子たちだったんだい?」

 

 あからさまにはぐらかされたが、そんな事など気にならない程、カイナはその話題に食い付いた。

 

「おおっ!いいぞいいぞ!長くなるから覚悟してくれ」

 

 そうしてカイナは自慢気に、嬉々として、彼等との冒険譚をニスモに話し出した。一つ一つ丁寧に、されど出来る限り簡潔に。

 それはもう、一人一人の性格は勿論、強く記憶に残った出来事まで。

 

 レザがタクトの気を引くべく買ったオシャレな服を自己流で更に改造し、言葉では決して言い表せない前衛的創作物を編み出し、仲間全員をドン引かせた話。

 ミィリにばかり炊事を任せるのも申し訳ないから、当人が寝ている間に3人で朝食の準備に挑んだ結果宿が半壊し、ミィリと屋主に大激怒された話。

 タクトとレザが好物を巡って口論になり、負かされたレザが腹いせとして「入浴時間」の嘘情報をタクトに教え、脱衣所で半裸状態のカイナと鉢合わせてボコボコにさせた話。

 

 個性豊かな仲間達の話を聞いて、珍しくもニスモは小さく微笑む。もう行けない過去へ思いを馳せる様に。

 

「面白いパーティだったんだね」

「ああ、だがまだまだあるぞ?一晩では語り尽くせん」

 

 止まる気配の無い、カイナが語る仲間達との冒険譚。

 

 だが、その大半は魔物絡みの話が占めていた。どんな状況で誰がどうやって魔物を倒したか、誰がどんな魔物を何体倒したか、そんな話ばかりだった。

 

 ニスモはそれらの話を頭に入れては、尚も意気揚々と語るカイナを見る。相変わらず、無表情と微笑とを織り交ぜながら。

 ただその黄色い瞳の奥では、悲しみが小さな波紋を起こしていた。その悲しみは果たして、何に対しての、誰に対してのものなのか。

 

 

 そんなニスモを尻目に、終わりの見えない冒険譚を途切れる事無く語り続けたカイナは、そのうち疲れからか眠ってしまった。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 虚構から意識が覚醒し、岩々が視界を埋める。それらは横から射し込む朝日により、昨夜とはまた違った様相を見せていた。

 ここギヤ大陸にも、朝と昼と夜がある。瞼を開けて早々、そんな知識がカイナの中へスルリと入る。

 

 そして、目が覚めても戻らない現実に溜息を吐きながら、カイナは起き上がった。

 

 

 

 剣を携え、ブラウンのロングブーツを履き、されど寝間着姿という何とも不格好なカイナ。グレーのフード付きマントに身を包み、いかにも冒険者らしき格好のニスモ。

 少し肌寒い青空の袂。2人は今、洞窟の入り口から草原を見渡していた。

 

 これからすべき事は2つ、食料調達と防具調達。どちらもカイナ用だ。流石に今のままでは、行商の通る地まで辿り着けない。

 その後、行商から本格的な装備を調達してから、移動手段の確保となる。ケピア草原付近は、馬なり何なりの提供を受けるには辺鄙過ぎる。

 

「本当にそんな装備で大丈夫かい?君は洞窟で待っていても良いんだよ?」

 

 言われると思っていたのか、カイナは鼻を鳴らして自信気に言う。

 

「自分の分は自分で剥ぎ取る。魔物一匹狩るくらい、剣1本さえあれば十分!」

 

 言葉を返すその様子は、転移直後より大部明るいものだった。就寝前の語らいもあってか、ニスモとの距離感が少しは縮まった様だ。

 

 カイナのそれは慢心にも見えてしまうが、そうではない。様々な者達と出会い、相対してきたニスモには分かる。彼女から漂う、消えない程にこびり付いた魔物達の血の臭いが。相当場数を踏んでいる。

 ならば、お手並み拝見と行こうではないか。彼女の力が、この地でも通用するかどうか。

 

 

 

 草原の中を、五感を研ぎ澄ましながら歩く事数分。カイナは早速、この大陸に来て初めての魔物を見つける。二足歩行の鳥型魔物で、ユートリアンの魔物と大きな違いは見受けられなかった。

 

「ニスモ、あの魔物ならどうだ?」

「アイツの名は『クイヤン』。草食獣だから狩り易いけど、取れる肉が全然少ない。他を当たろう」

 

 そうして散策する事、更に1時間。肉食獣と遭遇する事も無く、遂に条件を満たす魔物が見つかる。

 四足歩行、全足蹄、額に一角が生えた草食獣。こちらも、ユートリアンの魔物と良く似ていた。

 

「『ケムニ』だ。これまでの獲物の中では、取れる肉の量が一番多い。毛皮も良質だから、そのまま防具兼防寒着になる」

「なら仕留めよう。これ以上散策に時間は掛けられん」

 

 そう言うと、カイナは早速行動に出る。草食獣特有の広い視野に入らぬ様、高い草むらに隠れながら相手の背後へと回り込み、そこから距離を詰めて行く。足音は勿論、その気配すらも完全に消えており、見えていても居ないと錯覚する程だ。

 そして、草むらの背丈が、しゃがんだカイナより低くなるかならないかという時。

 

ザッ!

 

 彼女は一気に飛び出した。獣よりも獣らしく。

 その速度は矢の如く凄まじく、ケムニが気付いた時には既に遅かった。

 

「取ったッ!」

 

 カイナの声は仕留めたという確信であり、その通りに刃がケムニの胴体へと振り下ろされた。

 

「グゥモォォォオオォォォオオ!!!」

 

 ケムニが断末魔と共に傷口から鮮血を吹き出し、倒れ伏した所で、ニスモはカイナの戦闘力を評価する。

 

(警戒心の強いケムニに、あんな距離まで近付ける奴は見た事が無い。抜き足、気配遮断に至っては最上級レベルか。そこから相手が気取る間を与えない俊足、それなりに硬い毛皮を容易く切り裂く技量に膂力、それだけの身体能力を発揮させる膨大な魔力量。ここまで「純粋に強い」戦士もそうは居ない)

 

 だが、剣士としては未知数である。それは正に、同じ「人型」と剣を交えなければ測れないものだ。

 そんな分析をしながら、ニスモはカイナの元へ駆け寄る。

 

 

 

「グモォ……」

「しぶとい奴だな」

 

 力無く横たわり、傷口から内蔵を覗かせながらも、生きようと懸命に唸るケムニ。

 

 そんな魔物を見て、カイナは楽しそうに口角を上げると、魔物の頭を踏み付ける。

 

「薄汚い魔物め。このままジワジワと頭蓋を踏み砕いてやる」

 

 そう宣言し、脚に力を入れようとするカイナ。それは最早、壊れた物を更に踏み壊す様でしかなかった。

 

「!?」

 

 だが、何故かニスモにその脚を掴まれ、制される。

 

 困惑するカイナを見上げながら、ニスモもまた淡々と告げる。

 

「この足を退けるんだ、カイナ」

「?…何を訳の分からない事を言って───」

 

 抗議の声を上げるカイナだが、言い切る前にニスモの目を見た事で、それは中断される。

 昨晩通りの無表情だが、その黒眼と黄色い瞳はカイナを激しく睨み付けていた。視線だけで射殺さん程に。

 そして、低くドスの効いた声で、最後通告とばかりに再び告げる。

 

「カイナ、この足を、退けるんだ」

「っ」

 

 底知れぬ恐怖に震えを覚えたカイナは、唾を飲み込みながら恐る恐るその足を退けた。

 

 圧迫から解放されたケムニの頭を、ニスモは優しく包み込む様に撫でる。生まれたての我が子を抱く母の様に。

 

「もう、無理しなくていいから…ゆっくりとお休み」

 

 手の平が生む優しい感触と、ニスモの穏やかな声を聞いて、ケムニは安堵の表情を見せる。もうすぐ、痛みから解放されるのだと。

 そのままニスモは、ケムニの心臓がある部分に掌底を当て、一発の振動をトンと放つ。

 心臓が完全に停止し、痛みもまたそれに合わせて引いていく。そしてケムニは、瞼をゆっくりと閉じていく。

 

「大丈夫、君は死なない。僕達の糧となり、僕達が生き続ける限り、君も生き続ける」

 

 最期にその言葉を聞き、とうとうケムニは意識を手放した。

 

 ニスモは両膝を着き、目を閉じ、合掌した。ケムニに感謝する様に。ケムニを与えてくれたこの世界そのものに、感謝する様に。

 

 

 合理的に考えれば、無意味な行動だ。ニスモがそんな事をした所で、結果は何も変わらない。そもそも、存在が悪である魔物に命なんて無い。命の無い物を、慈しむ意味が分からない。カイナにとって絶対の価値観だ。

 故に彼女は、声に呆れを含みながら温かみの無い言葉を吐き捨てる。

 

「たかが魔物如きに、理解に苦しむな。人が死んだ訳でもあるまいに」

 

 魔物を徹底的に軽視したカイナの発言。対してニスモは合掌を解くと、静かに否定した。子供を諭す様に。

 

 

 

「同じだよ。人間の命も魔物の命も、等しく尊い」

 

 

 

 カイナは一瞬、頭が真っ白になる。大きく目が見開かれたその顔は、絶対に有り得ない、あってはならない事を聞いたとでも言いたげな表情であった。

 直後、この青年が何と言ったのかもう一度頭の中で復唱し、その意味を理解しようとする。「人間と魔物の命が等しい」………カイナは今度こそ、青年が何と言ったのか理解した。

 

 途端、白かった脳内は真っ赤な炎に埋め尽くされ、嘗て無い程の怒りとなってカイナを突き動かした。

 

「貴様ァッ!!今何と言ったァ!?」

 

 そう言ってニスモの胸ぐらを掴み、両膝立ちだった彼を無理矢理立たせる。ごく1%未満の、己の聞き間違いという可能性に縋りながら。

 

「人の命も魔物の命も、同じ程に尊いと言ってるんだ。人だの魔物だのと、区別する事に何の意味がある」

 

 聞き間違いではなかった。

 それが自然であり当然であるかの様な言葉。それにより1%未満の可能性すら絶たれたカイナは、力が抜けた様にニスモの胸ぐらから手を離す。

 その顔は地面へと俯いており、怒りの続きを伺う事は出来ない。代わりとして、芯まで冷え切る様な声が放たれる。

 

「………良い奴だと思っていたのだがな。結局は魔物と同じか」

 

 心底残念そうな口調であった。それこそまるで、親しかった者が取り返しのつかない罪を犯したかの如く。

 

 そうしてカイナは一歩、二歩と、ニスモから離れていく。十歩程離れた所で、彼女は漸くその顔を上げる。怒りの形相こそ消えているが、眼光には凍て付く様な殺意が篭っていた。

 

 

「カルス教の教律に従い、これより神敵を排除する」

 

 

 それだけ言うと、カイナは輝く凶器を鞘から抜き、構えを取る。剣の切っ先はニスモへと向けられ、しかしてカイナは動こうとしない。待っているのだ、相手が同じく凶器を構えるのを。

 カイナのそれは、せめてもの慈悲、無抵抗の相手は討てないという騎士としての矜恃。若しくは、もっと深い所にある別の何か。

 

 カイナが宿す漆黒の瞳を覗き見ながら、ニスモは委細変わらない声で言葉を返した。

 

「君は昨晩、半魔であるこの僕に頭まで下げて、冒険の同行を申し出た。僕が魔物だとして、その判断は今更じゃないかい?」

「半魔ならまだしも、魔物であるなら話は別だ。見習いとは言え一介の騎士として、神敵の排除を最優先する」

「君が死んでも僕が死んでも、仲間との再会は果たされなくなるよ。それでもやるのかい?」

「ああ、それでもだ」

 

 カイナの漆黒の瞳もまた、何一つ変わる事はなかった。今や両者の間に、昨晩の様な親睦は無かった。

 魔物というだけで、少しは親しくなった者にも牙を剥く。半魔か魔物かの違いだけで、こうも決意が二転三転する。ニスモは改めて、信仰の恐ろしさを実感した。

 

 やはり彼女も、所詮は騎士を語る盲信者でしかないのか。真の騎士なんて、やはり存在し得ないのだろうか。

 違う、それを決めるのはニスモではない、カイナ自身だ。彼女がどうすべきか決めるべく、ニスモがすべきは彼女の狭き世界を広げる事だ。

 その為ならば、真正面からぶつかる事になろうとやむを得ない。

 

 己の本意気を再確認したニスモは、背中に眠る長剣へ手を伸ばす。頭の丁度後ろにあるグリップを利き手で掴み、そのまま鞘から引き抜こうとすると、どういう原理か鞘の側面が「カチカチカチ」という音と共に開いていく。そうして、ニスモの背中に隠れていた巨大な長剣が、その黒く美しい姿を現す。

 次いで、グレーのフードマントも脱ぎ払う。僅かな防御すら必要としないその様は、攻撃への強い意志が垣間見える。

 

 理不尽な決闘の申し出に応える、ニスモの真意は未だ何とも言えない。ただ一つ、確かな事がある。彼はこの瞬間、冒険者から「騎士」へと戻った。

 そして黒眼の騎士は、己自身を壁と定めるかの様に、見習い女騎士へと告げる。

 

「来い、若き騎士よ。闘争の果てに、答えを見つけてみせろ」

「………参るッ!!」

 

 カイナは名乗らなかった。魔物に名乗る名など無いから。

 ニスモは名乗らなかった。まだ“その時”ではないから。

 

 

 旅が始まってもいない、端も端の草原。そんな無作法で騎乗すらしてない決闘の幕が今、上がった。




次回はこのままバトル回です(負けイベ臭がプンプンしますが…)。スキル等の説明も織り交ぜる予定ですので、結構執筆に時間が掛かるかもですが、頑張って早めに書き上げたいと思います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第3話 弱者の意思

一番最初の敵が絶望的に強い展開、すきです。


 「参る」と言ったカイナだが、そう簡単に行かせてくれる程生易しい相手ではなかった。

 

 先ずその長剣(ロングソード)。剣身だけでも長さ150キータ*1はあり、本来フラー*2のある部分は黒く平らで、それを刃先が囲むという形状であった。故に見た目からして重々しく、長剣というよりは細めの大剣。間合いの長さは勿論、振り下ろされる一撃も相当重い筈。

 背中にあったソレを片手で引き抜き、一切ブレずに体躯を維持し続けるニスモからも、見てくれ通りの筋力と持久力が窺える。腰にはダガーまで備えられており、長剣のみの戦法と捉えるのは早計だ。

 それら全てが合わさり生み出される尋常ではない存在感、威圧感。カイナと言えど、足を踏み込むには躊躇いが生まれる。

 

(…惑わされるな。力と速度、耐久力なら間違いなく私が上だ)

 

 自身の絶大な魔力量を信じ、そう己に言い聞かせたカイナは、先ず魔力を剣へと集中させて強度を上げた。

 正しい判断だ。硬化は、対象が柔らかければその分効果も薄くなるので、衣服に使って防御を上げようとするのはナンセンスなのだ。それに、ニスモから借りた剣は長剣より少し短い程度で、軽量化の為にフラーも掘られている。まともに打ち合えば容易く折れてしまうだろう。

 

 だが、アレ程の剣ならば機動にも難がある筈。ならば後はダガーに注意しつつ、パワーとスピードで押し切るのみ。

 加えてこれはカイナの推測だが、ニスモの魔力量自体は極めて少ない。平均的に見て魔力量は女性の方が上というのもあるが、何よりあの隆々たる筋肉、魔力の少なさを補う者の特徴だ。昨晩の会話でも、彼は「もっと魔力があれば」と小さく嘆いていた。

 だがどんなに肉体を鍛えても、魔力が生み出す身体能力と肉体耐久度には決して敵わない、この世界における真理だ。それが、物理法則の外にありながら、自然法則の様にこの世界を巡り続けるエネルギー“魔力”だ。だからこそ筋肉量及び重量の劣る女性でも戦士になれる。

 

 観察と分析からそんな落ち着きを取り戻したカイナ。後は仕掛ける「間」を伺うのみ。

 

 

 どの道、ニスモはいずれ木剣による模擬戦を組み込むつもりだった。カイナの剣技をより細かく把握すべく。

 何より、彼女の『技能(スキル)』も未知数だ。

 

 技能とは、魔力を“力”へと変換し、その“力”が更に細かく変化したものである。

 例えばごく一般的な技能として「吸水」がある。これは言わば対象から水分を奪う技能で、「水属性魔法」を応用したものだ。あくまで単純魔法の域を出ないので、「言葉」による詠唱や魔法陣を必要としない。

 ただし、技能を得るには「魔力の流れ」を認知する訓練が必要であり、脳に吸水のイメージがなければ発動もしない。そのイメージは個々人によって異なり、イメージが強く定着していれば発動は早く効果も高い。つまりは「想像力」と「発想力」が重要なのだ。そう言った意味では「吸水」の様に名前を付けたり、発動の際に手を翳す等の動作を入れた方が、よりイメージもし易い。

 イメージによる効果の増減は勿論だが、当人が放つ魔力量に準ずる部分が大きい。因みに吸水の場合、触れた対象から最大10レタ*3程度しか水分を奪えない者が殆どだ。

 

 体内に膨大な魔力を有するカイナが操る技能、一体如何程のものか。警戒は勿論、旅の仲間として知っておかねばなるまい。

 戦いが付きものである冒険において、仲間の実力・得手不得手を知らないのは致命的だ。よって、ニスモにとってこれは決闘ではなく「確認」に過ぎない。

 

 だが勝つ。互いに剣と剣を抜いたならば、騎士としての本能がそうさせるのだ。例えそれが、勝つ見込みの無い負け戦だろうとも。

 そして勝つべく剣を向け合う以上、場合によってはどちらかが死ぬ。

 

 

 異なる物事に頭を回す、騎士と騎士。

 だがそれも終われば、後は全く同じ沈黙が続くだけだ。ただ始まりを待つ、無に近しい沈黙。真正面の一点に集中し過ぎて、そよ風すらも感じない沈黙。

 

 息の詰まる沈黙を最初に破ったのは。

 

ダヒュッ!!

 

 カイナだった。

 強化された脚全体が爆発的な加速を生み出し、一瞬でニスモとの距離を詰める。技能はまだ使わない。奥の手を隠すは、基本戦術の一つ。

 全力で繰り出したソレは刺突。ニスモの腹目掛けて、容赦無く切先を送り込む。

 

 常人ならば反応も出来ずに貫かれるソレを、ニスモは右脚を引いては身体を逸らし避ける。

 

(良しッ)

 

 だがそれは、カイナの狙い通りであった。彼女はそのまま、突き出した剣を真横に振り抜こうとする。

 

(それだけの巨剣を、ほぼ筋力だけで振り回すなら、二撃目でも私の方が一手早───)

 

 直後、カイナの視界を“何か”が覆った。

 

ゴッ

 

 やや四角いソレが“裏拳”であると気付いた時には、既にカイナは後方へと吹っ飛ばされていた。

 転がりながら受け身を取り、キッとニスモを睨むカイナ。魔力で骨肉を強化しているにも関わらず、鼻孔からは血が流れ出ていた。

 

(…構えた状態で躱し、同時にグリップから左手を離してそのまま拳打。私の追撃が間に合わぬ程に速いとは)

 

 大型の長剣を扱う者とは思えない、最小限の動きによるカウンター。

 それを放った張本人が、高みから見下ろす様に彼女へ告げる。

 

「馬鹿正直に突き過ぎだよ。どんなに速くても、軌道が直線的なら読まれ易い」

「…黙っていろ」

 

 偉そうに師匠面をされ、怒りの段階をもう一つ上げたカイナは再び立ち上がる。この程度なら、彼女にとっては傷の内に入らない。

 それでも「失ったもの」は大きい。カウンターである拳打への強過ぎる警戒心、更にはニスモからの指摘。それら2つが合わさり、彼女は今や心理的に「突き」を出せない状態だった。(つるぎ)同士の立ち合いにおいて、突きを放てないのは不味い。メイン攻撃の半分を失ったも同然だ。

 そんなカイナの心理的動揺を、ニスモは意図して作り上げていた。

 

 ニスモの意図に気付かないカイナだが、その心中はあくまで強気だ。

 

(良い気になっていろ、拳打という手数を晒したのは貴様の方だ、同じ手は食わん。こちらには技能もある)

 

 そう思いながらも、今度はそのまま「待ち」に徹するカイナ。やはりニスモの指摘を気にしている様だ。

 

 案の定な行動を取るカイナに対し、「お望みなら」と今度はニスモが突っ込んで来る。

 

(速───)

 

 心の中で言い切る前に、肉体の限界を疑ってしまう程の異次元的加速から、黒き長剣が落石の如く振り下ろされる。

 己の反射神経を信じ、恐怖心に屈する事無くカイナはソレをスレスレで躱す。先程のニスモと全く同じ、ごく小さい動作で。

 

ズゥゴォゥゥン!!!

 

 カイナの元居た場所には、巨大な何かが墜落した様なクレーターが出来上がった。黒剣が生み出す質量と速度により。

 余りの威力に血の気が引いたカイナだが、それを懸命に抑えてニスモに斬り掛かる。型は上段からの袈裟懸け。躱し様、真横からの斬撃、彼女はニスモの右腕を落としたと確信していた。この間合いなら、拳打は届かない。

 

 そう、“拳打”なら。

 

「ガッ」

 

 鈍く重たい衝撃がカイナを襲い、行き場を求めて空気が彼女の口から排出される。

 振り下ろした直後、瞬時に黒剣から意識を手放したニスモが放ったのは“蹴り”だった。その長き肉の塊は、袈裟懸けよりも速くカイナの腹部へ直撃し、またも彼女を吹っ飛ばした。

 

 蹲り、激しく咳き込む彼女に、ニスモは先程と同じく言い放つ。

 

「僕の剣気を恐れず、よくギリギリで躱したね。その精神力と天賦の才は、賞賛に値するよ」

 

 上からのうのうと褒めてくるその様が、カイナには陰湿な煽りにしか思えず、流石に声を荒げようとする。が、ニスモの話は続いた。

 

「ただ、剣を持った人間相手に、それだけじゃ通用しない。拳打、蹴り、組技を合間に組み込むのは、長剣同士の闘争では基本だからね」

 

 そして、一つの確信をニスモは得る。

 

「それすら分からないと言う事は…成程、本当に君は「人間」を相手にした事が無いんだね」

 

 その言葉に対し、遂にカイナは2度目の激怒を見せた。ただその怒りは、煽りに対するものではなかった。

 

「当たり前だッ!人間を魔物から護る事が騎士の務めだ!その人間と戦う愚かな騎士が居るかァ!」

 

 カイナは勿論、戦士皆が持ち合わせている常識であった、少なくともティランタニアでは。そして、ニスモと同じ考えに至る排除対象の人間も、基本的に現れなかったという事である。人間を殺めるという行為は、一切の例外無く禁忌中の禁忌であった。

 故に戦術も戦法も、想定しているのはあくまで「対魔物」であり、剣を修めた「対人」ではない。オーク・ゴブリンや獣人も人型だが、彼等が使う武器は槌や斧だ。

 

 そこでカイナは気付く。ニスモの、まるで彼自身は人間を相手にしてきたかの様な言動から。

 

「まさか貴様…これまでに魔物だけじゃなく、人間も殺めてきたというのか!?その剣で…何人も…!」

 

 カイナは問い質す。柄を握る手に力を込めながら。

 ニスモは答える。一拍子の間を置いた後、深く息を吐く様に。

 

「ああ、そうだよ。幾人もの剣士と立ち合い、剣を交え、そして斬り殺してきた」

 

 途端、カイナは戦闘に必要な思考すらも、怒りに塗り潰された。今彼女の頭には、ただ感情に任せて剣を振るう事と、一秒でも早くニスモを仕留める事しか無かった。

 技能を使うか温存するか、その判断軸すらも激情で焼き切れ、脳内は「技能発動」の一色に染まった。

 

「技能『熱刃(ねつじん)』!」

 

 声に殺意を乗せながらそう叫ぶカイナ。そして彼女の剣身もまた、使い手の内面を露わにするが如く、橙色に輝き始める。

 

 ソレを見てニスモが分析する前に、怒りの刃が突っ込んで来る。上から、下から、左右そして斜めから、絶え間無く暴れ狂う様に。

 だがニスモは剣戟には付き合わず、一振り一振りを丁寧に躱していく。極太の殺気をものともせず、躱せる事が当たり前であるかの様に。

 そして、カイナの技能の正体を見抜いていく。

 

(剣自体の高熱化か…これだけの熱量だと、剣先が掠っただけでも衣服に引火してしまう。熱剣が生み出す熱風も厄介だ。躱しても防いでも、熱に体力を奪われる。熱剣になっても強度は…落ちないだろうね、魔力で硬めているのなら)

 

 ここでニスモは、漸く彼女の剣に己の剣をぶつける。彼の黒剣は特別製だ、どんな高熱だろうと溶けやしない。

 鋼鉄同士の衝突が火花を生み、高熱がその色合いをより濃くする。互いの顔が、剣へと近付く。

 

「!」

 

 ニスモの予想通りであった。

 熱は鋼鉄から鋼鉄へと伝わり、そのままタング*4を通っては黒剣の柄にまで易々と届いた。柄の放つ高温が、ニスモの両手に激痛を与える。

 

(これじゃあ鍔迫り合いは厳しい。リカッソ*5も掴めないとなると、高速剣戟による翻弄も出来ない)

 

 カイナ自身に熱風のダメージが無いのは、恐らく風魔法の応用だ。風のコーティングとでも言うべきか。

 火属性と風属性の魔法を同時に用いた技能。どれ程の鍛練を積み重ねたのかは分からないが、そんな難技を激情に任せて発動出来るという事は、やはりカイナも一握りの天才なのだ。

 

(それでも僕が勝つけどね)

 

 ニスモに秘策は無い。戦闘に使える技能も無ければ、魔力もごく少ない。

 有るのはただ、これまでの鍛練と経験から積み上げて来た、技量そして精神力のみ。そしてそれらこそ、何にも変え難い勝利への自信であった。

 或いは、如何なる状況だろうと最後の最後までただ戦い続けるという、騎士の矜持か。

 

 

 鍔迫り合いの最中、ニスモの動きに変化が見られた。絶妙な力加減を以て、剣同士の接点をずらし始めたのだ。

 そうして黒剣の切先へと接点が移ると、力の均衡がカイナに傾く。刹那、ニスモは一気にいなし、必然として勢い余ったカイナが前のめり気味にバランスを崩す。その勢いを利用し、ノーモーションでのタックルをかますニスモ。

 身長190、体重100近くはある肉の衝突をモロに食らい、脳ごと視界を揺さぶられるカイナ。だがあくまで怯まず、怒りと魔力を武器に我武者羅に剣を振りまくる。まるで暴れ牛だ。

 

(魔物に肩入れする人殺しめ…!何としてでもここで仕留める!)

 

 そう息巻いても、技能を発動していても、どうにも戦局が覆らないのは間違いなく技量の差だ。

 

ガィン! ガギンッ! ギン!キィン!

 

 魔物相手に圧倒的だった渾身の一撃たちは、その悉くが容易く防がれるか、躱される。そんなニスモの動きは洗練されており、重厚な長剣を構えているとは思えない程軽やかだった。

 それだけならまだしも、動きまで読まれているとあってはどうにもならない。熱くなっているカイナの剣筋は、それだけ単純化されていた。挑発への耐性が、彼女には無さ過ぎたのだ。今の今まで、された事なんて無いのだから。

 そんな2人の間には、技量の差以前に場数の差が歴然と現れていた。

 

 どんなに怒り心頭だろうと、これだけはカイナにも分かっていた。どう足掻いても勝てないし、勝てるビジョンも見えない、と。互いに剣を抜いた時、彼女はニスモの放つ気迫から苦戦を覚悟したが、その想像以上の絶望的戦力を彼は持っていた。勇者であるタクトよりも。

 その様は神敵である筈なのに、異様な神々しさすら感じられる。

 

 だが勝つしかない、神を信仰する1人の信徒として。その焦りが、ますます彼女の剣技を粗くしていく。

 カイナは酷く後悔していた。あの時、ニスモから距離を取らず、ニスモの抜剣を待たず、その場で直ちに斬り伏せれば良かったと。

 

 では───

 

ギィンッ!!

 

「ッ!!」

 

 どうして、と考えようとした所で、黒剣による横薙ぎを受けるカイナ。辛うじて防いだものの、身体全体が痺れる様な衝撃を受ける。

 とうとう、ニスモによる反撃が始まった。

 

 そして攻めながらも、彼はカイナが抱いた「どうして」を代わりに繰り出す。

 

「何故、君が僕との真剣勝負を望んだか…教えてあげようか?」

「!…何を───ッ!?」

 

 カイナの上段縦斬りを躱し様、ニスモは彼女の膝へ遠慮無く下段蹴りを入れながら答える。

 

「騎士として卑怯な真似は出来ないから?違う、君達にとって魔物はそれにすら値しない。じゃあ僕の外見が殆ど人だから躊躇した?それも違う、君の剣筋に躊躇は無い」

 

 体勢を崩すカイナに、遠慮無く突きを放つニスモ。ソレを転がりながら避け、直ぐ様反撃すべく立ち上がろうとする彼女の顔面に、ニスモは間髪入れず前蹴りを繰り出す。

 咄嗟に長剣でガードしたカイナだが、衝撃を殺しきれず、剣身がそのまま額に激突し再び後方へと転がる。少しずつ、カイナの強靱な肉体にダメージが蓄積されていく。

 

「君はほんの少しだけ思ったんだ、本当にこれが騎士として正しい行いなのかと。そんな、君の中に潜む信仰心ではない“何か”に突き動かされ、その場で斬るという判断が出来なかった」

「違う!!神敵風情が騎士道を語るな!!」

 

 額から血を流しながら、カイナは馬鹿の一つ覚え宜しくニスモへと突っ込む。橙色の剣が、黒剣の持ち主に耐え難い苦痛を与えていく。

 たがどんなに柄が熱せられようと熱風に晒されようと、汗を流すニスモに苦悶の表情は浮かばない。苦痛には慣れていると、その顔は語っていた。

 

「君がその「教え」とやらに囚われている限り、勝つ事は出来ないよ。僕は勿論、この大陸の誰にもね」

「どういう意味だ!?」

 

 首目掛けて放たれた横薙ぎをニスモは剣身で防ぎ、そのまま弾いてはすかさずポンメル*6をカイナの頬に叩き込む。

 

「人であれ魔物であれ、「命」を奪う相手から目を反らすなって事さ。相手がどう生きてきたのか、何を思いどう戦うのか、それらを軽視するから刃も届かない。相手が同じく剣を持っているなら尚更だ」

「ッ…」

 

 当然だ、相手はちゃんとそれらを踏まえ、敵の心理から動きを読んで戦うのだから。今目の前でそうしているニスモの様に。

 無論それだけではないが、今のカイナにはそう言った方が効果的だ。

 

 カイナは、咄嗟に反論が浮かばなかった。現に、ニスモ相手に手も足も出ないのだから。身体中に魔力を巡らせても尚、技能を発動しても尚。

 神敵とは何なのか、魔物とは何なのか。その事に何の疑問も抱かず、ただ闇雲に排除してきた結果だ。

 

「そしてそれが、戦いにおける礼節でもある」

「何が…礼節だ!」

 

 それでも、身体中に鈍痛が走っていようとカイナは剣を振るった。そして、少しでも精神的優位を得るべく、必死に反論を展開する。

 熱剣と黒剣が、使い手の言葉と共にぶつかり合う。

 

「神敵に見せる礼節などあるか!敵を効率良く倒し、民を護る事こそ礼節であり騎士道だ!」

「それこそ暴力の正当化に繋がる、危険な考え方だ」

「じゃあ何か!?いちいち魔物を倒してギャーギャー嘆き悲しめば良いのか!?その間に人々が犠牲になっても良いと!?」

「そうじゃない。魔物は全て敵、人は全て味方という考えは危険だと言っている」

「戦いの最中に見定める余裕などあるか!綺麗事をほざくな!」

「君はその綺麗事にすら及ばないよ。「殺す」という現実から、目を背けているだけだ」

 

 相手の心へと放たれる、言葉と言葉。だが両者の間には、それを受け止める「芯」の強さにも大きな隔たりがあった。

 そして、言葉と長剣による殴り合いはあっさりと終局を迎える。ニスモの言葉を皮切りに。

 

「そのままじゃ、君は自分の意思で見定められなくなるよ。自分が一体何を護るのか」

「」

 

 一瞬、カイナは固まってしまった。脳裏にタクト達が浮かんだ事で。

 

 ニスモがそれを見逃す筈も無く、一気に姿勢を落とすとグリップを彼女の足首に掛け、そのまま思いきり引く。片足が地から離れた彼女は姿勢を崩し、踏ん張る間も無くニスモから追撃の大外刈りを受け、背中から地面に叩き付けられる。続け様に剣身を踏まれ、武器をも封じられる。

 仕上げとしてニスモはダガーを引き抜き、カイナの首筋に当てる。これら一連の動作が、滞りなく流れる水の様に見事なものであった。

 

 こうして、生殺与奪の権利はニスモが手にした。

 

 

 たった一瞬の思考停止から、気付けば全てが封じられ地に倒れ伏している。現実を受け止められず、カイナはただ呆けるしかなかった。

 だが、神敵を倒せなかったという事実が、現実よりも先にカイナの脳内を支配する。そして彼女は、一気に鬼の形相へと変貌する。

 

「クッ…!殺せぇ!!」

 

 カイナはそう吠えた。彼女にとって、敗北した神敵に生かされる事ほど、惨めなものは無い。

 

 だが、ニスモは()()()()()()()()()()

 

「見習い騎士カイナよ。潔く死ぬか、仲間の為に生き恥を曝すか、君の意思で決めろ。“君の意思”でだ」

 

 今ここで死ねば当然、仲間には二度と会えなくなる。だがそれは、神敵に命乞いをするのと同義だ。

 

 ニスモは本気だ。ここで死を選ぶようならば、その程度の盲信者でしかないと言う事。この大陸において、カルス教は危険思想以外の何物でもなく、斬り捨てた所で何の不都合も無い。例え子供だろうと。

 

「…」

 

 決して登れない絶壁を見上げる様に、ニスモを黙って睨む事しか出来ないカイナ。自分から決闘を持ち掛けておいて、完膚無きまでに敗北し、あまつさえその相手に情けを掛けられるという体たらく。恥どころの騒ぎではなく、負け犬よりも惨めな噛ませ犬に等しい。

 とても無理だった、「生きる」と言葉にするのは。それが仲間の為であっても。余りにも虫が良すぎるし、何より騎士としてのプライドが許さなかった。魔物に屈し、生かされる等と。

 ならば舌を噛み切って、何も乞わずに自害した方が、神の嘆きもまだ少ないというもの。神敵への敗北とは、彼女にとって自害以上に冒涜的なものだった。

 

 そんな事、考えるまでもなく分かるのにどうして、舌を噛めないのか。どうしてこんなにも長く、自身は沈黙しているのか。死への恐怖など、とうの昔に捨て去っているのに。

 どうしてこの男は、生きるという選択肢を与えたのか。あれだけの殺意を向け、今後も命を脅かすかもしれない相手であるにも関わらず。

 

 カイナには、何も分からなかった。仲間が第一なのか、信仰が第一なのか。誰が、何が自身の敵なのか。どんな脅威から何を護るべきなのか。

 騎士道とは一体何なのか。

 

 

 どれだけ待ってもカイナの返答を聞けなかったニスモは、彼女の首筋に当てていたダガーを鞘へと納めた。

 

「君は最後の最後まで生を選ばなかったが、死も選ばなかった。今はそれで十分だ」

 

 戦いの時とはまるで違う優しい言葉を残しながら、ニスモは自身のフードマントを拾い上げ、ケムニの亡骸へと歩いていく。手に負った火傷も気にせずに。

 

 

 仰向けのまま、見ていたら吸い込まれそうな程に雲一つ無い青空を、カイナはただ見上げていた。

 すると、身体の至る所に受けた打撲痕が、今更になって痛みを訴えてきた。

 

 その痛みが、彼女を引き戻す。何も分かっていない事が分かった、これまでの経験が何一つ活かされなかった、戦って負けたがそれでも生き残った、という現実に。

 

 

 

 彼女はその「新しい現実」と向き合いながら、この絶望的に価値観の異なる世界を生きねばならなかった。

*1
この世界における単位 尺度はcmと同じ

*2
剣身の中心を走る溝

*3
この世界における単位 1レタ=0.1リットル

*4
柄に覆われた剣の根元

*5
ガードと刃の間にある部分。刃先が無く、掴めば刀身を短くする事も可能。

*6
柄の先端




旅はまだまだこれから!(暗黒嘲笑)

そう、これから……主人公らしくなっていく筈です………きっと。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第4話 険悪師弟、西へ

大変、長らくお待たせしてしまい、申し訳ありませんでした。


シャーッ

 

 在り来たりな朝に、在り来たりなカーテンの滑走音が響く。

 瞼は朝日の眩しさに屈し、重力に逆らうが如くゆっくり開門していくと、見慣れた天井が瞳に映る。仲間達とよく泊まっている宿、その内に幾つも並んでいる部屋の天井だ。

 

「おはようカイナ」

 

 少し遅めの起床を為した少女に、まだギリギリ朝だからとそう言ってあげる少年。

 カーテンを開けた張本人である彼に、少女は気怠げに状態を起こしては挨拶を返す。

 

「……ああ…おはようタクト」

「怠そうだな。ミィリの魔法で傷は癒えても、疲労はそうもいかないか。今2人が買い出しに行ってるけど…やっぱカーテン閉めるか?」

「いや……大丈夫だ、流石に起きよう」

 

 相当の実力者であるカイナと言えど、よくある事だった。前衛である以上、戦いによる肉体的疲労はどうしようもない。

 

「そっか。じゃあオレは行くけど、支度出来たら出てこいよ?ゆっくりでいいからさ」

 

 そう言い残し、タクトはカイナの部屋を早々に出ようとする。いつまでも女子の部屋に居る訳にもいかない、という事だろうか。

 

「タクト」

 

 が、カイナの一言に引き止められる。タクトは振り返り彼女を見るが、中々に切り出そうとしない。

 

 そうして幾つか間を置き、漸く彼女は声に出す。

 

「もし神に逆らって、騎士になれなくなったら…私は一体何の為に戦えばいいのだろうか」

 

 魂が抜けた様に、俯きながら訊いてくるカイナ。

 

 彼女らしくない問答にタクトは少し驚くが、疲れからだろうと納得する。

 答える事で彼女の疲労が少しでも癒えるのならばと、タクトは考えた末に言葉を贈る事にした。神だの何だの、タクトには良く解らない。それに逆らう事が、どんな意味を持つのかも。故にタクトのそれは、答えと呼べるものとは程遠いのかもしれない。

 そもそも、答えなんて端からある筈がないのだ。人が為すべき事なんて、人の数ほどある。

 

「……それでも、自分の為に戦うしかないんじゃないか?結局はカイナの人生なんだし」

 

 そんな言葉を返されたが、カイナはそのまま俯くだけだった。

 

 自身の言葉でカイナの心を満たせなかったタクトは、申し訳無さからますます部屋に居辛くなってしまい、今度こそ部屋を後にした。

 

 

 ゆっくりでいいと言われたので、再びベッドで横になるカイナ。寝はしない、ただタクトの言葉を頭の中で復唱したいだけだった。

 

 だが何度繰り返しても、その言葉はどこまでも「その言葉」でしかなかった。

 故に、忘れる様に務める。疲れるだけなら、考えない方が良いと。

 

 忘れよう、瞼を閉じながら別の事を考えて。忘れよう、タクトとレザとミィリに会って。

 

 忘れよう、忘れよう、忘れよう。

 

 

 


 

 

 

 そう言い続けて再び目を開いてみると、天井の代わりに曇天が広がっていた。

 

 ソレが現実で、先のアレが夢であったと理解したカイナは、単純機械の様にムクリと起き上がる。

 

「おはようカイナ」

 

 時間通り起きた少女に、青年は冷や水の様な朝の挨拶を送る。

 

 声の主であるニスモへ振り向いたカイナは、同じく眼に冷気を込めて睨む。その視線は少なくとも、旅の仲間に向けるものではない。

 

 負の感情でぱんぱんな視線だが、ニスモは特段反応を示さず続ける。

 

「今日も歩くよ。装備の確認を怠らないようにね」

「…」

 

 そう言われると、カイナは返事も無しに動き始める。

 

 そうして早速、異常の有無を確認すべく、鞘に収まっている剣を取る。

 だがふと、今更ながら、斬っても切れない「ある思い」がカイナに湧いてくる。

 

(……今の私に、コレを握る資格があるのか?騎士への道など閉ざされた私に、神敵に敗れた弱き私に)

 

 ギヤ大陸(この世界)を否定し切れず、あまつさえ一度神敵と定めた者と行動を共にしている。それは最早、信徒に非ず。信徒に非ずんば、騎士に非ず。

 全ては心の未熟さ、弱さに起因している。弱者はいずれ、刃という危険な力を誤った方向に使ってしまう。

 

 それでも鞘から剣身を引き抜いてしまうのは、武器が無ければ生き残れないという圧倒的現実故か。それとも、手足と同じで彼女の身体に根付いてしまっているからか。それとも───

 

「…」

 

 思いを回しながら、カイナは剣身に映る自身の顔を見る。鋼鉄の中に映るソレが、僅かに歪んで見える。

 

(なぁ、教えてくれ。自分の為に戦うというのなら、その「自分の為」になるものとは何だ?)

 

 騎士という寄辺を無くした彼女は、剣身に映る彼女自身へそう問い掛ける。もう一人の彼女は、ただ剣の中で彼女を見返すのみ。

 

 騎士になれないのならば、もう悩む必要なんてない。タクトたちと再開し、また皆で冒険を続ければいいだけだ。

 だがそれは、果たして本当に「カイナ・リッツァート」と言えるのだろうか。カイナ自身の為になるのだろうか。

 

 夢で言い渡された助言を、結局彼女は忘れる事が出来なかった。

 

 

 あの決闘から早くも1週間。カイナの行動指針は変わらず、ニスモと旅を共にしていた。ケムニの黒皮を纏いながら、嘗てケムニだった干し肉を携帯しながら。

 その行き先は、ひたすらに西だ。場所や時間によって、寒くなったり暑くなったりを繰り返す中、ただ耐えながら道なき道を行くのみ。

 

「この林を抜けよう。少し歩き辛いけど、地図上では行商への最短ルートだ。まだ葉も鬱蒼としていないし、獣が潜んでいる気配もごく少ない」

「…」

「ただし、キノコには気を付けるんだ。踏んで飛び散った胞子は、吸えば喉をやられる。低めの林には、そういう厄介なのがよく生えてる」

「…」

「ああそれと、この林で飲み水も余分に確保しておくんだ。荒野に出てからじゃ、吸水の対象が居ないからね」

「…」

 

 両者の関係性は決して良好ではなく、会話も必要最低限なものであった。ニスモが知識を与え、カイナがそれを無言で聞き入れる、その繰り返しだ。カイナから話す場合と言えば、せいぜい疑問の解消程度だ。

 無論、ニスモにとってカイナは旅の仲間でしかない。

 対するカイナにとって、ニスモはやはり「敵」の域を出ていなかった。「敵に近い他者」と言った表現が正確だろうか。彼女の大部分を構成する「これまで」が、彼女自身の意地にそう働きかけていた。

 そしてニスモも、その事を重々承知している。剣を交えようと、新たな思想に出会おうと、人はそう簡単には変わらない。

 

 それでも彼女は、生きてる以上前に進むしかなかった。大切な、本当の仲間達との再会を果たすべく。それだけが、彼女を辛うじて奮い立たせていた。

 或いは、最早それしか確かなものが無いのかもしれない。何が正しいのか分からないカイナには。

 

「さて、あとは毎日恒例となっている「旅のルール」だ。君もいい加減うんざりだろうけど、一応復唱してくれ」

「………無駄な殺生はするな、命を弄ぶな」

「よし」

 

 決闘の後、ニスモが提示した掟がそれだった。負けた代償、とでも言えばいいだろうか。

 だが、掟は大雑把なその二文だけ。しかも無駄か無駄でないか、どこからどこまでが命なのか、全てカイナの判断に委ねられる。

 しかも、例え守らずとも特段の罰は無いときた。

 

 それを、カイナは守らねばならない。敗者は勝者に従うしかなく、それもまた騎士道だ。例えもう騎士になれなくとも、こびり付いたソレばかりはどうしようもない。

 

 だがカルス教信者にとって、命無き魔物は全て神の憂いそのものであり、それの排除が無駄である筈ない。

 故にカイナは、()()()()()()()全ての魔物をいたぶり殺す。

 

(……マーモ*1の鳴き声。近くにいる様だが、放っておくか。脅威にもならんし、干し肉も足りてる。林から出る前に体力が尽きるのも不味い)

 

 それなのに殺さないのは、排除よりも他の何かを優先してしまうのは、何故だろうか。あの時ケムニを狩る前、幾らでも殺せたであろうクイヤンを殺さなかった様に。

 少しでも早く仲間と再会する為だと、さっきまで見ていた夢を現実にする為だと、そうカイナは自身に言い聞かせ続けた。

 

 

 

 

 そうして半日が経過し、2人はかなりの距離を進んだ。日は真横へと傾いている。

 

 魔力という膨大なエネルギーを保有するカイナは、早歩き以上の歩行速度で、止まる事なく進む事が出来た。

 

「ハァ……ハァ……ハァ……」

 

 だが、流石に疲労の色が見て取れた。足場は整地には程遠く、少ないとは言え魔物の存在も警戒し、足元の毒キノコにまで意識を向けるとあっては。

 

 対するニスモは、先頭で草木を掻き分けているにも関わらず、疲れた様子も無く飄々と進む。慣れているのだろうが、少ない魔力からはとても考えられない歩行速度と体力だ。

 

「頑張れ、もう少しだ」

 

 ニスモの言葉通り、草木の隙間から開けた空間が見えてくる。

 

 そのまま林を抜け切ると、景色は一変する。

 そこには、僅かな緑が点々と生えた茶色い荒野が広がっていた。雲間から射し込む夕焼けが、その大地に更なる赤茶色の斑模様を描き、時折聳え立つ岩山によって影の水玉模様が出来つつあった。

 今まで歩いてきた林とは偉い違いだ。境界が、極めてはっきりしている様に思えた。

 

「キュメル荒野。ここから丸一日歩けば、今度は広大な森林に辿り着く。普段なら、その森の西端に行商が集まっている筈だよ」

 

 2人は林から少し離れた所で荷物を置き、一息つく。急ぐからこそ休む、疲れた状態で進んでも却って遅くなるだけだ。

 

 

 そして、短い休息は終わり───

 

カァン! カコォン!

 

 木剣同士の乾いた衝突音が、荒野に小さく響き渡っていた。

 

 身体を休める理由のもう一つは、カイナの鍛練だ。

 この一週間、彼女は不本意ながら、ニスモから「戦い方」を教わっていた。内容は主に対人戦闘を想定しており、立ち回りから格闘術を組み合わせた剣技、果ては剣を叩き込むタイミングまで。

 

 当然ながら、カイナは人間を殺めるつもりなど一切無い。どんな状況だろうと、どんな理由があろうと。

 だが、殺されるつもりも無い。ニスモの様な怪物級の剣士が、今後敵として現れる事も有り得る。生きて帰るべく、殺すまでは行かずとも「負けない強さ」は必要だ。

 

 カイナにとっても、歯痒いものであろう。急がねばならないのに、休息だけでなくこうした鍛練にまで時間を割かねばならないのだ。

 そんな焦りは、動きに如実に現れる。

 

「勝ちを急ぐな、剣筋が荒いよ」

「分かっている!」

「いいや、分かってないね。そんなにさっさと終わらせたいなら手加減しようかい?」

「貴様ッ!」

 

 案の定、ますます相手の制圧に意識が集中するカイナ。怒りによるそれは視野を狭め、自身の無駄な動きにも気付かない。

 

 そこを見逃すニスモではなく、突きを繰り出した瞬間腕ごと掴まれ、そのまま一気に背負い投げを決められるカイナ。背中から落とされると同時に、首筋に木剣を当てられる。これで本日5連敗目だ。

 

「こんな煽りなんて序の口だよ。もっとえげつない口撃をしてくる奴はごまんと居る。それにいちいち心を乱していたら、相手の思う壺だといい加減気付くんだ」

「!……」

 

 何も言い返せないカイナ。カッとなって闇雲に突っ込んでしまうのは、タクト達と冒険していた時からずっと変わらない、彼女の悪い癖だ。

 

「闘争の最中に熱くなるのは良い、一撃の威力も上がるからね。だが「熱くなる」にも色々あって、君の場合は思考力低下に繋がる「駄目な方」だ。思考力が低下すれば、相手の次の手も読めなくなる。そして次の手が読めなくなれば、技の数々も決まらなくなる」

「…ならどうすればいい?」

 

 答えを求めるその目には、敵意と同じ程に真剣さも宿っていた。彼女だって負けたくはない。例え教えを請う相手が敵だろうと、そこは致し方ない。

 そんな真剣に訊ねるカイナに対し、ニスモは答える。

 

「闘いそのものを楽しめば良い。生きるか死ぬかの瀬戸際を、敵と自分だけの時間を。そうすれば勝負を急ぐ事も無くなるし、思考が怒りに支配される事も無い」

「……はぁ?」

 

 思わず、カイナは素っ頓狂な声を上げる。

 

 彼女にとって戦いとは、勝って当たり前、必ず勝たねばならないものでしかなかった。当然だ、民と自分の命が懸かっているのだから、魔物に負ける事は万が一にも許されないのだから。

 剣が折れようと血みどろになろうと、死力を尽くし戦い続ける事こそ騎士の本懐。そんなカイナだからこそ、絶対不可能と目される数多くのクエストで勝利をもぎ取ってきた。

 

 それを、楽しむ。カイナは理解に苦しんだ。

 確かに魔物を狩るのは楽しかったが、それはまさしく殺す瞬間だけ。仲間と共に目的を達成する瞬間だけだ。

 カイナだってこれまで何度も死の淵に、言わば勝負の「負」の際に立ってきたが、楽しいだなんて感じた事は無かった。当然だが、死への恐怖を断った所で、死にたくない事に変わりはない。ましてや憎き魔物に殺されるなんてまっぴらだ。

 彼女にとっての闘争とは即ち、死ぬかもしれない手段の一つに過ぎない。手段をどう楽しめと言うのか、狂戦士でもあるまいに。

 

「僕から言えるのはそれだけ、あとは自分で考えるんだ」

「…チッ」

 

 そう舌打ちするカイナ。

 この一週間で気付いた事だが、このニスモという男は時々ざっくりとした教え方をする。それをカイナが自分なりに解釈する、という流れがここ最近増えてきた。

 良く言えば自身の教えを押し付けないとも取れるが、問題を与えて放ったらかしとも言える。そんなニスモのやり方は、教律を覚えその通りに生きてきたカイナには、どうにも馴染まない。

 

 掟についてもそうだが、ニスモは基本的に無理強いをしない。情報だけを与えて、後の判断は当人に任せる。それが彼のスタンスだった。

 

 その極め付けこそ、次の言葉に詰まっていた。

 

「真に正しい教本なんて無い。僕もこれまで、魔物を差別するなだの何だの言ってきたけど、それも所詮は僕個人の思想でしかない。剣技についてもそうさ。僕の教えを完璧にこなした所で、それが必勝とは限らない。それらをどう使うかはカイナ、結局君次第だよ」

「…言われなくてもそうする」

 

 よくよく考えれば、敵の思想を押し付けられるなんて最悪だ。勝手にやらせて貰えるならそれに越した事は無い。

 そう思ったカイナは、先の愚かな思考を改めた。

 

 何を為せば良いのか分からない以上、どう活かすかも解らないのだが。

 

 

 それから2人は、また暫く鍛練に明け暮れた。

 そうして日没を合図に終え、この日は近くの岩山で夜を明かす事にした。

 魔物すら滅多に寄り付かない、魔力も水も乏しい荒野。乾燥している為か、焚火が普段よりはつらつとしていた。水も十分に確保している故、存外に快適であった。これまでの道中に比べれば、だが。

 

 ただ、カイナの内側には、相変わらずジメジメとしたものが渦巻いていた。新たなる目的も、強くなるビジョンも、どうにも見つからない。

 自分自身を見失っている彼女にとっては、日中だろうと夜間だろうと行く先々は暗黒だ。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 ニスモとの旅を始めてから、二週間。場所はペムゼ森林。

 

 日が届かない程に一帯を埋め尽くす、緑の世界。神の溜め息よりも深いそんな森を、魔物との戦いを極力避けながら、2人は延々と歩き続けていた。食糧の備蓄も、あと一日で空だ。

 そして最初の目的地も、もうじきだった。

 

 ふと、カイナは思った。行商というのなら、魔物だろうと何だろうと相手は「知的生物」という事。ならば一応、緑をかき分けてるこの眼前の半魔から教わった「言葉」について、脳内でおさらいしておいた方が良いだろう、と。

 

 ニスモが言うには、ユートリアン大陸とギヤ大陸とでは、言語が大きく異なるそうな。否、言語というよりは「大気」と言うべきか。

 言わずもがな音とは、空気を伝って相手の耳へと届く。そこまでは言葉も同じなのだが、空気中に漂う魔力、言わば「魔気」が絡むとそう単純ではなくなる。

 魔気とは、その域で極端に多い知的生物に適応する性質を持ち、まさしくこの知的生物こそユートリアン大陸における人間種である。すると、それを吸う人間種は必然的に魔力変換効率が上昇し、逆に魔物類は低下するのである。人間に適した魔気は、更に人間のみを増やし集めるべく、他種との親交をも断たそうとする。それこそが、発声と聴覚の仲介である「大気の振動」を人間用に組み換え、言葉による意思疎通を人間種のみに限定するというものである。

 要するに、ユートリアン大陸において人間は人間同士でしか会話出来ないのは勿論、魔物に至っては他の誰とも言葉を交わせないという事だ。文字という手段もあるが、それが会話となると限界があるし、念話を使う個体もごく少数だ。

 ところが、ギヤ大陸においてはこの限りではない。どの域にも多種多様な知的生物が入り乱れているこの大陸では、魔気も変質のしようがないからだ。それは当然、人一人が増えた程度で変わる筈も無い。故に、カイナはニスモとすぐ話す事が出来たし、カイナ自身の言葉もしかと彼女の耳の内に届いたのだ。

 

 ただ、魔力とは常ならぬ力。

 特に顕著なのは、使い手の「感情」によって大なり小なり変化するという点だ。喜怒哀楽、他にも様々な感情の介入により、魔力は変換先の力を増減させる。それらは迷いが無い程に力強く、様々な思考やら感情がごちゃ混ぜになっていると、力も分散されてしまうという。「感情のベクトル」とでも言えば良いだろうか。ユートリアン大陸において信仰が猛威を振るっている事こそ、それを裏付けている。「嫌だ」と思いながら魔法を行使しても、大した力にはならないのだから。

 それは、魔気が大きく関わる言葉においても同様だ。外見や在り方がまるで異なる生物と、言葉を交わしたいと思うかどうか、混乱せずにいられるかどうかだ。

 

 つまりは精神的な問題であり、話そうと思う気持ち、何であれ受け入れるという心持ちが大切という事だ。でなければ、何年経とうと魔物の言葉は悍ましい呻き声のままだ。

 

 

 そんな復習を幾度となく繰り返していると、気が付けばカイナたちはペムゼ森林の終着点付近、西端に辿り着いていた。心なしか、過密状態だった木々の間隔が大きくなってきた気がする。

 

 緊張からか、カイナはゴクリと大唾を飲み込んでしまう。行商だろうと、魔物は魔物。向こうに敵意は無くても、こちらには大いにある。例えニスモに言われようと、臨戦態勢を解く訳にはいかない。

 そもそも、本当に人間を敵視しない保証が何処にあるのか。相手はあの魔物だと言うのに、価値観の相違なんて天と地ほど離れているのに。

 

 第一、本当に「魔物の行商」なんてあるのだろうか。とてもとても、カイナには想像が及ばなかった。彼女からすれば、馬や牛が両足立ちで買い物してる様なものだ。

 

(…悪い意味で緊張がほぐれてきた。馬鹿馬鹿しい)

 

 段々と、カイナは「魔物の行商」というのが非現実的というか、胡散臭く思えてきた。16年間で蓄えてきた彼女の常識が、ここに来てそうさせていた。

 現に彼女は、この大陸に来て未だ一度たりとも「そういった魔物」に出会っていない。出会ったとしても、馴れ合うつもりなんて毛頭無いのかもしれないが。

 

―――そんな時だった

 

 

(ッ!…魔物の声)

 

 

 魔物の声が、遠くからか細く響いてきた。

 

 カイナにとってのそれは、未だ言葉ではなかった。

*1
小型の肉食魔物。群れを作らず、大人の人間を襲う事は無い。




前書きでも言いましたが、1年以上も間を空けてしまい大変申し訳ありませんでした。言い訳はしません…。
これからも不定期になるかとは思いますが、ご愛読して頂ければ幸いです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第5話 声

 聞こえる。人とは懸け離れたダミ声が。

 聞こえる。耳を塞ぎたくなる様な奇声が。

 

 オーク、人狼、リザードマン辺りが、間違い無くこの先に居る。今まで少女が、殺しても殺しきれない程、殺してきた相手が。

 

 そうして思い出した様に、彼女の緊張感が急激に目覚める。

 

「もう何度も言ってるけど、これから会う行商は顔見知りだ。変に構えないでね」

 

 すぐ後ろで殺気を帯びる少女に、駄目元で最後の忠告を送るニスモ。

 

 だが案の定、集中し切ったカイナの耳には届いていなかった。彼女は今にも抜剣しかねない気迫を帯びていた。

 彼女に与えられし神が、討伐(クエスト)によって根付いた血が、彼女に「殺せ」と命じていた。悍ましい呻き声の主を。

 

(さぁ、どうなるか)

 

 ニスモの無表情は、普段通りな様で少し違った。まるで死地へ赴く仲間を虚しく見送る様で、ごく僅かにだがプレゼントの中身を楽しみにしている様な、それらが混在した無表情であった。

 確かな事は一つ。この先が、カイナにとって最初の山場になると言う事だけだ。どちらに転ぼうとも、ここからニスモに出来る事などたかが知れている。

 

 

 それぞれの思惑を秘め、声の方へと歩く2人。大した距離でもない筈なのに、やたらと長く感じる。それでも、ニスモに聞こえる話し声も、カイナに聞こえる呻き声も、確実に大きくなっていく。

 

 

 そして遂に、嫌と言う程見てきた木々が失せ、丸く開けた空間が視界に飛び込んだ。

 

 

 

 それらを視界が捉えた瞬間、カイナだけが立ち止まってしまった。ニスモから切り離された様に。

 

 元々、余り信じてはいなかった。ただ、ある程度の事前情報は頭の中にあったので、どうと言う事は無いと思っていた。

 それでも尚、眼前に広がる情報を脳が拒絶していた。古めの荷馬車を、商品棚やら木箱やらが囲っており、そのコロニーが幾つも並んでいる。そこまでは理解出来る、嘗て幾度となく見てきた光景だ。

 問題は、それらを扱っている「商人」たちだ。

 

 オークが人狼相手に、リザードマンがゴブリン相手に、商品と金銭のやり取りをしている。或いは、ゴブリンがコボルドに、人狼が蛇女に。

 

「│┴┘┤┼┬├┌─」

「┬┼┐└┤├│┘┴└─┐┼」

 

 互いに、何か言っている、何か話している。カイナのよく知る、聞くに堪えない鳴き声で。

 

 そんな和の中に、慣れ親しんだ家屋に踏み入るが如く、何の躊躇も無く入っていくニスモ。

 すると魔物たちは、まるで家族が帰ってきたかの様に手厚く歓迎する。特に小さな魔物たちは、まるで抱っこをねだる様にニスモへ飛び付く。

 

「├┤┼┐┘┬┼┌│├┴┐」

「┘┬┴┤┌┐┼┤│┴┐└┤┼┘└┼┤」

 

 ニスモが、行商団の長らしき人狼と何か話している。相手と同じ、魔物の声で。眼さえ見なければ人そのものな筈のニスモは、どうしてか魔物に見えてしまった。

 改めて、カイナはニスモが魔物であると再認識した。

 

 だが、今やそんな事実すら霞んでしまう。

 居た。本当に、居た。魔物の行商団が。緑色の手で、金銭を数えている。毛むくじゃらの手で、商品を整理している。鱗の手で、テントの入口を開けている。

 その様はまるで―――

 

―――まるで?

 

 全ての状況を漸く把握した瞬間、カイナの芯から全身へと悪寒が駆け巡る。

 

(……まるで、何だ?)

 

 心の中で懸命に掻き消したソレを、カイナ自身が問い質す。魔物たちが、一体、「何」に見えたのだ、と。

 

 そんな風にいつまでも硬直していると、次第に人ならぬ視線がカイナへと注がれる。その目に敵意は無く、寧ろ好意的ですらあった。

 

 それが、()()()()()()()()()()()()()()()。必死に掻き消したソレを、思い起こされる様で。

 

「カイナ、何してるんだい?早く団長に挨拶しなよ」

 

 ニスモの催促により、ますますの視線がカイナへと集まる。暖かい様な、好奇なものを見る様な視線が。

 

―――アレ?

 

 何らかの幻術だろうか。外側から染み込む様に、視界が赤くボヤけてくる。行商団を囲い込む様に。

 

(私は…何を、殺してきたんだっけ?)

 

 残念ながら、幻術なんて都合の良いものでは断じてなかった。

 それでもお構いなしに、カイナの視界は赤々と染まっていく。いや、本当は染まってなんていない。

 ただ彼女のしてきた事が、彼女自身に見せているに過ぎない。

 

 他ならぬ自分自身により、思考も視界も浸食されるカイナは、呆然と立ち尽くすしかなかった。

 それでも、現在進行している物事は待ってくれない。それに合わせて、お節介な脳は過去の光景を赤い視界に被せる。

 

 オークが何気なく、彼女を見ている。誰かの剣で身体を貫かれながら。

 人狼が笑いながら、彼女に手を振っている。誰かに首を削ぎ落とされた状態で。

 小さな魔物たちが、興味津々に彼女へと寄ってくる。誰かの手により、全身の骨を外皮へと突き出しながら。

 行商団の皆が、カイナを見ている。誰かが放った魔法に焼き殺されながら。

 

 音が聞こえた。

 カイナの中で、何かが決壊する音が。

 

 

 

「ウワアアアアアアアアァァァァァァ!!!!!」

 

 

 

 気が付けば、カイナは全てを捨てて走り去っていた。騎士としての誇りも、唯一残った目的も、人としての立ち振る舞いも。

 あらん限り叫び続け、冷え切った汗を止めどなく流し切り、涙腺が干上がるまで涙を零し尽くした。

 

 それでも尚、過去という怪物はカイナを追い回した。どこまでも、どこまでも。

 

 

 

「何だあの嬢ちゃん。頭ダイジョブか?」

 

 不思議そうに目を細めるのは、行商団の長である黒き人狼『モース』。背丈はニスモと同程度で、人狼にしては小柄だが、纏うオーラは上に立つ者のそれだ。

 そんな彼に対し、ニスモが溜息交じりに弁明する。

 

「少し訳ありでね」

「フーン…この大陸の人間で金髪とは珍しいが、関係あるか?」

「それも内緒なんだ、ゴメンね」

 

 すると、モースの雰囲気が変わる。豪快な気配は失せ、その目つきは鷲の如く鋭くなる。

 

「まさかとは思うが、ティラント人じゃねぇだろうな?」

 

 もしそうならニスモ、例え貴様でもただでは置かん。そんな心の声まで聞こえるかの様な気迫だった。

 

「もしそうなら、今頃みんなに斬り掛かってるよ」

「…まぁそれもそうか」

 

 特段深読みはせず、あっさりと納得してくれたモース団長。

 ニスモは、彼のこういう単純な所を好いていた。誰かさんにも見習って欲しいものである。

 

「てか、追わなくていいのか?」

 

 思い出したかの様に訊いてくるモースに対し、ニスモの反応はあくまで冷ややかなものであった。

 知識を与え、思想を植え付け、放っておく方向性はここでも変わらないらしい。カイナがここで壊れる様なら、やはりそれまでの話なのだろう。

 

「暫くはほっとくさ。子供扱いするなって、彼女も言ってたしね。剣の腕はまぁまぁだし」

「ほう!アンタにまぁまぁと言わせるか!中々じゃねぇか!」

 

 感心するモースだが、ここでニスモが話題を変える。彼にとっては、カイナの装備調達と同程度に重要な事柄であった。

 

「それより、バイゼルと娘さんは?」

「ああ、2人なら…」

 

 

 

 

 

「ヴゥウオ゛エ゛エ゛ェエェェェェッッ!!……エ゛ッ……エ゛ッ……」

 

 疲れ果てたカイナは、行商団から少し離れた川辺で吐いていた。

 だがどれほど胃の中身を口外へ戻した所で、悪寒が消える事は無かった。蒼白し切った素肌の上では、肉体面と精神面から放出された汗が混ざり合っている。息は小刻みで荒く、腹痛も治まらない。

 

 そうして水を飲むべく水面を覗き込むと、彼女の顔が映った。大きく見開かれた両目の下には、谷の様に深い隈が出来ていた。

 まるで別人だった。自分の様で、自分でないような。

 

───お前が殺した

 

 自分でない自分はその口を大きく歪ませ、愉しそうに言い放つ。

 

「違う!!!」

 

 カイナは頭を掻き毟りながら、遠吠えの様に否定する。せせらぎの様に美しい金髪が、ささらの如く乱れる。

 その様を見た水面のカイナは、ますますの狂笑を見せる。美しいものが壊れゆくのを、愉しむが如く。

 

───どんな違いがあるのだ?

 

 再び、過去と言う名の恐怖に捉えられた。そう感じたカイナは、またも半狂乱となりながら水面から離れる。カイナ自身から逃げる為に。

 そしてその手で頭を覆い隠し、そのまま地べたに蹲った。

 

「魔物は神敵だ!私の16年は間違ってない!」

 

 だがそんな行為で恐怖から逃れられる筈も無く、壊れた彼女はしつこく陰湿に耳元で呟く。お前も壊れて楽になれ、そう言いたげな口調で。

 

───お前は騎士になる為、お仲間と楽しく過ごす為、殺してきた。ああ、お前流に言うなら「壊してきた」の方が正しいか?

 

「黙れぇ!!」

 

───目を瞑ったって無駄だ。お前の記憶に、べっとりとこびり付いてるのだからなぁ

 

 その言葉を再現する様に、瞼を閉じた暗黒の世界に血の影が浮かび上がってくる。

 影たちは言う。どうして斬ったの、どうして殺したの。どうして嗤ったの、生きていては可笑しいの。止めてと言ったのに、どうして聞いてくれなかったの。

 嘗てカイナに殺された影たちが、カイナを囲う。何をするでもなく、罵声を浴びせるでもなく、ただ何故と訊いてくる。

 

 カイナは何も答えられなかった。ただ恐怖に震えるしか、悍ましい事実から目を背けるしかなかった。

 だが、助けを呼ぶ事も、何かに縋る事も出来なかった。過去の影たちに応える事もせず、未来の道すら定められない自分に、どうしてそんな資格があろうか。

 そう思い詰める事だけが、彼女にやれる精一杯であった。

 

 

 

トントン

 

 

 

 暗黒を裂き、影を蒸発させた一閃は唐突に訪れた。

 背中に受けた感触により、カイナの意識は一気に現実へと引き戻される。誰かに触れられたと認識するより遙かに早く、カイナは飛び起き後退る。

 

 そして、尻餅をついた状態で見上げる。空を背に立ち、前屈みになりながらカイナを見詰めるのは、人型の魔物であった。

 

「……ハーピー?」

 

 最初に抱いた印象が、そのまま漏れる様に言葉として出た。

 桃色の羽毛に覆われた、翼にも腕にも見えるそれら一対の先端からは、人と似通った五本指の手がそれぞれ生えていた。対照的に、脚はというと寧ろ人に近く、足首から先は逆に猛禽類のそれであった。

 両腕を除く上半身はより人らしく、羽毛など微塵も生えてない素肌は白く、くびれた腹部と豊満な胸部はとても女性らしかった。顔立ちも非情に整っており、髪と思しき羽毛は外側へと跳ねていた。

 そして何もかもを照らす様な、それでいて吸い込まれる様な、黄金色の美しい瞳をしていた。幻想的な瞳とは裏腹に、今まさに浮かべている快活な笑顔は、不思議とよく似合っていた。

 

 偶発的とは言えそんな彼女の手により、絶望から引きずり出されたカイナは、全てを忘れた赤子みたいにその黄金色の瞳を見上げていた。それこそ天を仰ぐ様に。

 

「┼└┘┴」

 

 だが彼女の…魔物の声により、一気に正気を取り戻す。

 

「ッ!」

 

 慌てて立ち上がり、剣の間合いまで下がると、すかさず柄に手を当てるカイナ。その目に宿る敵意は、虚しい程にこれまでと変わらない。

 

「…それ以上近付いてみろ」

 

 対するハーピーの少女は、キョトンと首を傾げるだけだった。カイナの言葉が解らないのは勿論、向けられている敵意にすら気付いていない。

 不思議そうに、それでいて状態を細かく確認する様に、カイナを見詰め続ける少女。

 すると、また同じ様にニコリと笑ってカイナに近付こうとする。

 

「来るな!」

 

 怒声に構う事なく、少女は歩み寄ってくる。

 その度にカイナは後退り、剣の間合いを維持する。少女の背丈はカイナより少し高く、奇妙な威圧感がカイナをより警戒させていた。

 

(何をしている…!早く剣を抜け!)

 

 己にそう発破を掛けても、柄に当てている手は微動だにしない。まるで己の手ではないかの様な、そこだけ時が止まっているかの様な。

 

 そしてとうとう、カイナの背中が大木にぶつかった事で、後退は終わりを迎える。

 再びの絶望と混乱が、カイナの顔を歪める。

 

(来るな…)

 

 拾われた小動物の様に震えながら、少女を見上げる。

 

()()()()で…見るな…)

 

 ニスモのしょうもない掟なんざ放り投げ、斬り伏せてしまえばいい。

 だのに、できない。害意の無い少女の目と、そんな目を無視出来ない自分自身に、カイナは怯えていた。

 

 虚栄、妄信、無知、後悔、罪悪、無力、天罰、それらを恐怖が頭の中でかき混ぜ、もう訳が分からなくなる。

 

 いっそのこと殺してくれ。

 そんな結論を導き出すのに、時間は掛からなかった。

 カイナの中の全てが、臨界点を迎えていた。何でもいいから、早くこの世界から解放されたかった。

 

 

ギュ…

 

 

 待っていたのは、カイナの願望からは程遠い、どこまでも柔らかいものだった。自分の全てを、受け止めてくれる程に。

 

「…」

 

 「柔らかい」の後に、自分以外の体温を感じ取った事で、漸くカイナは「抱き締められている」と認識した。

 そんな事態にもう精神は追いつかず、敵意も警戒心をも白く塗り潰される。

 

 では何故、今こんな状況で、それらを思考する余力すらも無かった。いや、完全に奪われた。カイナのクシャクシャになった頭を、まるで整える様に撫でる手によって。撫でられる事に慣れていない女騎士にとっては、それだけでも十分すぎた。心の磨り減った彼女には、特にその優しい手が奥まで染み入った。

 そして、物理的な力でも魔力でもないただ温かい少女の肉体が、全ての抵抗を許さなかった。故に相手の為すがまま、大きく弾力のある乳房に顔を埋めるカイナ。故郷の宿の様な、どこか懐かしさを感じる香りが鼻腔を満たすと、締め付ける様な腹痛も治まっていく。同時に、身体中から寒気が取れていくと、柄に当てていた手すら力が抜けてだらりと下がる。

 羽毛でいっぱいな両腕に包み込まれ、体温が更に上がる。青白かった素肌は、段々と元の血色を取り戻していった。それに従い、カイナの瞳も生来の光沢を取り戻していく。まるで「生きているし、死にたくない」と、カイナの身体全体が主張している様であった。

 壊れたもう一つのカイナは、今や彼女のどこにも見当たらなかった。

 

 そこで漸く、空の青さに、雲の白さに、日射しの暖かさに、カイナは気付いた。

 

 過去も未来も、この時のカイナには無かった。あるのは、魔物…彼女に抱き締められている、ただ純粋に心地良いという「今」だけ。

 そんな「今」を享受しているのに、どうして壊れる事が出来ようか、どこに逃げ果せる事が叶おうか。そんなのただただ億劫ではないか。

 

 その小さな2人だけの世界を、カイナは確かに受け入れていた。この大陸に来て初めて、カイナはしっかりと目の前の存在を受け止めていた。

 少女がそうしてくれた様に。

 

「よしよし…良い子だから、大丈夫だから」

 

 やっと、聞こえた。本来聞くべき「声」が、「言葉」が。

 

 声と体温と感触の全てが気持ち良かったからか、単に精神的な疲れからか、カイナの瞼は静かに閉じていった。

 閉じられた目からは、もう出尽くしたと思っていた涙が小さく零れた。感極まった訳でも、辛く苦しい訳でもないのに。

 

 カイナの涙を見た少女は、優しい笑顔を崩さないまま、抱き締める力を少しだけ強くした。壊れてしまわない様に。




次回も、可能なら一週間以内に投稿したい所存です。
しばらくは行商団の話が続くかと思います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第6話 黒狼の行商団

情勢とか考えるのが難しかったです。
少し長くなっちゃいましたが、早めに投稿出来て良かったです。


 団長の許可無く出歩くな。

 

 最近作られたその小さな掟を破ったバイゼルとその娘を、ニスモも含めた全員で探していた。空を飛ぶ種族は皆総じて自由気ままな質が多いが、その娘は特に顕著だった。

 

 のだが、付近の川辺であっさり見つけてしまう。偶然にもニスモの手で。

 そこまでは良いのだが、問題はその状況だった。休憩から抜け出し勝手に娘を探してたバイゼルと、事の発端である娘と、もう一人。3人居る状況が。

 

「ニスモ殿…」

「あー!ニスモじゃん!おひさー!」

 

 バイゼルは明らかに困惑しており、娘は相も変わらず天真爛漫だ。

 

 尤も、困惑したいのは他ならぬニスモの方なのだが。

 

「…何があったんだい?」

 

 娘に背負われながら熟睡している3人目の女騎士を見たまま、ニスモは2人に訊ねる。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 朝の匂い、朝の眩しさ、朝の肌寒さを身体が感じ取り、カイナはその意識を覚醒させる。

 仰向けの状態で、白い閉鎖空間であるのを視覚が読み取り、まるで自分の意思ではないかの様に上体を起こす。

 

 知らない時間に、知らない空間。だが、不思議と警戒心は薄かった。ここ最近、毎日の様に過去の夢を見ていたカイナにとって、久々の快眠であった。

 羽毛みたいに、身体が軽かった。

 

「あ、おはよー!」

 

 カイナの起床とほぼ同じタイミングで、入口がはらりと捲られる。それで漸く、カイナはここがテントの中だと気付く。

 

「よく寝れた?」

 

 入ってきたその相手を見て、カイナは熟睡時の如く、されど目と上体はしっかり起こしたまま停止してしまった。思い出す為か、それともその可憐さ故か。

 桃色の羽毛、扇情的な身体、そして黄金色の瞳。間違いない、忘れよう筈もない。カイナを優しく包んでくれた、あのハーピーの少女だ。

 

 その少女の言葉が、やはりカイナには理解出来ていた。どう見ても魔物でしかない筈なのに。

 

「…っ……その」

 

 では自分の言葉は相手に伝わるかと、カイナは一瞬言葉を躊躇ってしまう。漂う魔気が少女を受け入れていると、頭では理解しても心は中々ついていかない。

 

「………ああ、寝れた」

「そう?良かったじゃん!…あーそうそう!朝ごはん置いとくね!」

 

 そう言うと、彼女はお盆に乗せた「肉のスープみたいな何か」を、寝床の隣に置いた。彼女が作ったのだろうか。

 彼女がテントに入ってから、物事がトントン拍子に進んでいくので、カイナは追いつくのでやっとだった。寝起きには、中々に堪える展開だ。

 それと、彼女が無意識なのかは分からないが、いちいち距離が近い。その度、彼女の香りがカイナの鼻腔を撫で、頭がボーッとする。

 

 そしてまた、彼女の方から言う。

 

「そういえば自己紹介まだだった!アタシは『イゼラ』、アンタは?」

「………カイナ」

「わぉ!何となくそれっぽい感じ」

 

 何がどうそれっぽいのかは分からないが、ひとまずは何も言わないでおくカイナ。

 カイナも決して人見知りという訳ではない。冒険者として名を馳せ、周囲から信頼を勝ち取るには、その分高い社交性が求められる。

 ただ、慣れないものは慣れない。魔物と言葉を交わすというのは。

 

 それでも、何か言わねば。何をと問われれば、それはやはり「昨日の事」だろう。

 普通に理由を訊くべきか、それともいきなり感謝の言葉を述べるべきか。何を言うか、どう切り出すのが正解なのか、カイナには分からない。

 そう思い出していると、何やらカイナは気恥ずかしくなってきた。齢16にもなる者が、母の如き抱擁を受けてそのまま寝てしまうなど。抱き締めた張本人が目の前にいるなら尚更。

 

 何か言いたそうなのを察したのか、黙ってカイナを見据えるイゼラ。2つの丸い黄金が、カイナを捉えて離さない。

 耐えられなくなったカイナは、思わず目を反らしてしまう。自身の言葉により、その黄金が濁ってしまうのを見たくなかった。

 

「…朝飯、頂こう。それと、一晩も泊まってしまい…申し訳ない。装備を買ったら出て行く」

「えー!?もう少し居ようよぉ!」

 

 言いたい事も言えない己の不器用さを呪いながら、カイナは匙を進める。ただ、早く出立せねばならないのは本当だ。一日でも早く、タクトたちと合流せねば。

 

 イゼラは不満そうに頬を膨らます。行って欲しくないと言う事は、カイナの事を気に入っているのだろう。

 

 カイナはその好意に気付いてないのか、或いは気付かないフリをしているのか、ただ弱々しく黙食に務める。

 

 そんな彼女を、イゼラは楽しそうに眺めていた。

 

 

 

 

 

 朝から齷齪動く商人たちに、異質な筈のニスモは違和感無く紛れていた。

 

「わざわざすみません」

「ただのお節介だよ。何もしてない方が辛いし」

 

 商品を売り場へと運んでくれているニスモに、同じく一緒に運んでいるバイゼルは軽く頭を垂れる。

 溶岩の様に赤々とした彼の羽毛は、娘であるイゼラと同じくよく目立つ。ただ、顔はどうにもやつれ気味で、赤い羽毛に比べてどこか冴えない印象を受ける。事実、娘よりは遙かに物静かだ。

 ただ、薄暗い雰囲気は生来のものなのだろう。次に放たれる2人の言葉が、それを物語っていた。

 

「それより、昨日は色々あって言いそびれたけど、元気そうで何よりだよ」

「ええ、皆には良くして頂いてます。娘も…よく団長に怒られてますけど、楽しそうにやってます」

 

 そう返すと、バイゼルは一旦荷物を置き、ニスモに改めて頭を下げる。

 

「本当に…紹介して下さってありがとう御座います。貴方がいなければ、私たち親子もどうなっていたか」

「君たちはただ、行き着く所に行き着いただけさ」

 

 そんな時、噂をすれば何とやら。遠くのテントからイゼラが歩いてくるではないか。バイゼルが言った通り、とても楽しげに。

 否、それ以上に。

 

「ついて来なくていい。それとひっつくな」

「ついてくもーん」

 

 更に付け足すなら、もう一人の腕に掴まりながら。もう一人は傍から見ると迷惑そうだが、その腕を振り解こうとはしなかった。

 そんな2人を見て、バイゼルが昨日零した困惑を再び声にする。

 

「…娘の人懐っこさは承知してますが、それにしたって何があったのか」

「さぁ。大方、僕の馬鹿弟子が何かやらかしたんだろう」

 

 

 何はともあれカイナとイゼラが到着すると、ニスモは一日遅れで漸く互いの紹介に入る。本来なら先ず団長殿に紹介したいのだろうが、ここで居合わせたのなら仕方ない。

 

「紹介が遅れてすまないね、バイゼル、イゼラ。こいつはカイナ、一応騎士見習いだ。カイナ、こちらはイゼラの父バイゼルだ」

 

 ニスモに仲介され、怪訝そうにバイゼルを見据えるカイナ。やはり、イゼラ以外には抵抗がある様だ。

 

「初めまして、バイゼルと申します。私もイゼラも、半年前からここの行商団の一員です」

 

 バイゼルの挨拶を聞いたカイナは、どういう訳か戸惑いの表情を見せる。そして落ち着き無く瞬きを繰り返し、居辛そうに少し右往左往した後、無愛想に会釈だけ返す。

 その反応を、ニスモは見逃さない。どころか想定内であった。

 

 そんなニスモの内心を知らないカイナは、手短に用件だけ述べる。

 

「それよりニスモ、さっさと調達を済ませて出よう。寝過ごしたのは私の失態だが、長居は無用だろう」

「駄目だ」

 

 本来なら色々と調達して即出発の予定だった。故に、ニスモのそれは余りに予期せぬ返答であった。一瞬だが、問い詰めるのも忘れて立ち尽くしてしまう程に。

 が当然、それも過ぎれば憤りが彼女の口を動かす。

 

「何だと?」

「君、まだ皆の言葉が理解できてないだろう。イゼラだけは例外みたいだけど」

「…だから何だ?」

「当たり前だけど、買い物はここだけじゃないんだ。この先もし僕が死んだら、君はどうやって現地民と商談する気だい?」

「…」

 

 全てを理解したカイナは、俯くだけで何も言い返せなかった。何やかんやで、彼女はニスモの強さを過信していたのだ。だが彼だって何かあれば死ぬし、そうなればカイナの一人旅だ。まさか誰にも会わず大陸を渡る、なんて出来る筈も無し。そうでなくとも、いつどこでどんな支障を来すか分からない以上、いつまでも他種族と話せない訳にもいかない。

 要するに「魔物に慣れるまでここに居ろ」と、ニスモは言っているのだ。長い目で見れば、寧ろその方が早いと判断したのだろう。この団が暫くここを動かない事は、モース団長から確認を取っている。

 

 すると、ただでさえ明るいイゼラの表情が更に輝く。貴重な宝石を独占する時、人はこんな表情をするのだろう。

 

「やったー!!じゃあ暫く一緒に居れるねカイナ!ありがとニスモ好き好き!」

「イゼラには悪いけど、暫くカイナの面倒を任せる事になるかも」

「全然!寧ろアタシ以外に渡したくないし!」

「バイゼルもそれでいいかい?イゼラの穴は僕が埋めるし、団長にも話しておくよ。食料と寝床もこっちで何とかする」

「ええまぁ、イゼラがやりたい様なら…」

 

 こうして、黒狼の行商団とその周辺が、暫くの間カイナとニスモの活動拠点となった。

 

 

 

 

 

 イゼラに手を引かれ、広場を行き来するカイナ。木々が何かを避けている様な丸い空間には、未だ準備中の露店がいくつもある。

 

「…」

「もー!ムツけないのカイナ!」

 

 別に彼女もムツけている訳ではないが、気が乗らないのは確かなのだろう。進みたいのに進めない、歯痒い気持ちは察するに余り有る。

 第一、この集団に居ること自体、カイナにとって気分の良いものではない。あの魔物一体一体の素振りが、人間のそれに重なる。それが、どうしてもカイナには恐ろしかった。

 

 とは言えいざゆっくり回ってみると、新鮮な発見があるのもまた事実だった。

 その証拠に、カイナはある違和感に気付く。荷馬車がこれだけあるのに、肝心な「馬」が居ない。代わりに居るのは―――

 

「馬がどうかした?」

 

 立ち止まったイゼラの言葉で、自身がさっきから目を向けていたものに気付くカイナ。だが、カイナが見ているのは馬ではなく「地竜」だ。

 

「…馬が…居ないものだから」

「馬ならそこらに居るじゃん?」

 

 そう言って、イゼラはカイナが見ていた地竜を同じ様に見回す。その反応で、やっとカイナは気付く。どうやら互いの認識に差異があった様だ。

 

「…地竜が馬の代わりなのか?」

「カイナの故郷では違うの?」

 

 澄んだ瞳で、カイナを覗き込むイゼラ。もっとカイナを知りたいのだろう。一見興味津々なその目は、嘘を絶対許さないという美しい威圧も内包させていた。

 話しても良いものだろうか。彼女の故郷、ティランタニア王国について。

 等と一瞬血迷ったカイナだが、やはり言える筈がなかった。魔物の討伐を生き甲斐としている国の話なんて、魔物に聞かせて何になる。ただ無駄に気分を害するだけだ。

 かと言って、こんなにも純粋な瞳で問うてくるイゼラに、嘘を付くのも騎士見習いとしては気が引ける。

 

 故に、またカイナは何も言えずに黙るしかなかった。情けなく目を背けるしかなかった。

 

 そろそろ嫌われるだろうか。そんな思いに、ただ無闇に頭を巡らせるしかなかった。

 毎回毎回、カイナは気付くのが遅い。彼女はイゼラに嫌われたくないと、そう感じているのだ。

 

「カーイナ好き!」

 

 嫌うどころか、ますます気に入ったとばかりに抱き付くイゼラ。

 

 意外過ぎる反応に当惑するカイナだが、昨日の抱擁ほどの衝撃は無い為か、変に取り乱しはしなかった。

 

「…私のどこにそんな要素が?」

 

 草臥れた声で訊ねるカイナとは対照的に、イゼラは変わらずはつらつとした声でただ一言答える。

 

「そーゆーとこ!」

 

 本当に不思議な少女だと、カイナは思った。レザもミィリも個性的ではあったが、正直彼女たち以上な感じがした。優しいというのは何となく分かるが、それ以外は知れども知れども解らない。

 ただ、悪い気はしなかった。

 

ドダドダドダドダ…

 

 そんな中、一頭の地竜が荷馬車を引いて森の外へと消えていく。御者はオークが1体で、後ろには武器を持ったコボルドが1体乗っていた。他に積荷は無い様だ。

 四つ脚で走る地竜は、荷馬車に接触しない為か尻尾が短かった。牽引中にしては中々の速度だったが、カイナの知る馬には流石に及ばなかった。

 御者のオークもコボルドも特に焦っている様子は無く、日常の一部に組み込まれてる様な自然体であった。

 

「あーやって定期的に走らせないと、荷馬車も馬も駄目になっちゃうんだって。ここ3ヶ月は、全く移動してないからねぇ。巡回も兼ねてるんだろうけど」

 

 抱き付いたまま、カイナの耳元でイゼラが説明する。

 確かに、油も塗らず長期間放置しては、車輪や軸にガタが来てしまうだろう。それは地竜も同じで、走らねば筋力も持久力も衰えてしまう。

 

「まぁでも、結構燃費は良いんじゃないかなあの子たち。餌は腐肉を月1回で良いし、それなりに賢いし、何より速いし!」

 

 一度の餌の量にもよるのだろうが、確かにそれは凄い。本来の馬なら、干し草や穀物等を毎日与えねばならないというのに。水分はまた別なのだろうが。

 

 ただ、やはり異様な光景だとカイナは思った。地竜が車を牽引し、それをオークが制御するというのは。眼前の物事を拒絶していた昨日と比べれば、カイナの反応も大部マシと言えるが。

 

 そんなカイナに構わず、あれやこれやと目まぐるしく露店へと連れ回すイゼラ。

 

「見て見て!あーやって色合いの良い果物とか木の実とかは、露店の一番前に出すの!ここペムゼ森林にはさー、珍しい実とか草とかいっぱい生えててー、仕入れ代も輸送費も節約できるってゆーかー。あ!あっちは買取屋でーあっちは防具屋―――」

「分かったから落ち着け…」

 

 見た事の無い果物、見た事の無い薬草、あらゆる情報を無理矢理詰め込まれるみたいで頭が破裂しそうなカイナ。

 

 それでも、イゼラの勢いは収まる様子を見せない。強引に腕を組んでは恋人の如く密着し、今が人生の最高潮とばかりに意気揚々としている。

 

 それだけならまだしも、挨拶がてらに団員と喋る事の多いこと。彼等も準備で忙しいだろうに、迷惑そうな素振りも無く寧ろ進んで会話に乗る。

 こんなにも自由奔放なのに、よくもこれだけ愛されるものだ。今この瞬間も井戸端会議に勤しむイゼラを見て、カイナはそう感じずにはいられなかった。堅苦しい自分とは偉い違いだ、とも。だからこそ、カイナの本能もイゼラを受け入れたのだろうか。

 どうであれカイナにとっては、そんなイゼラが微笑ましいというか、どうしようもなく眩しかった。

 

 

 時間は未だ午前。

 カイナの一日も、行商団の一日も、始まったばかりだ。

 

 

 

 

 

 だが準備が終わってからの時間の流れは早いもので、気付けば太陽は橙色に傾いていた。

 それが合図なのだろう。あらゆる場所から訪れていた客は、既に帰路についていた。

 

「ふぃー…」

 

 行商団を見渡せる丘の上で、モース団長は一息ついていた。それはまるで監視を兼ねてる様でもあった。

 

「お疲れ」

「おう」

 

 短い労いを言い渡すと、ニスモはそのままモースの隣に座る。

 

「僕は役に立てた?」

「勿論よ!イゼラ(誰かさん)と違って真面目だし、フラフラほっつき歩かねぇしよぉ」

「それは何より」

 

 軽い冗談を飛ばし合う、ニスモとモース。古い付き合いの成せる技だろうか。

 

 すると一転して、ニスモが妙な緊張感を孕んで訊ねる。恐らくは、こちらが本題だったのだろう。

 

「そう言えば「許可無く出歩くな」って、前は無かったよね。何かあったのかい?」

「ああ、それか…。悪い、後回しにしてたわ」

 

 モースはばつが悪そうに頭を掻くと、神妙な面持ちで語り出した。

 

「…近くに「厄介な連中」が来てるらしいんだ」

「厄介な連中?」

 

 心当たりがある様な無い様な、そんな具合でニスモが復唱する。

 

「話は遡るが、10年前から陛下がやってる「大陸間運動」知ってるだろ」

「勿論」

 

 大陸間運動。ユートリアン大陸からギヤ大陸へ、飛龍(ワイバーン)を使った空輸、船による海運を利用した運搬事業である。運搬されるのは、逃げ場を無くした魔物たちだ。

 つまり、ユートリアンの人間から魔物を保護する為の事業である。ギヤ大陸から発たせた飛龍や船舶を、宗主国の目の届かないユートリアン大陸南部または南東部に停泊させ、魔物を連れて戻る。ユートリアンは飛行魔法も造船技術も未発達なので、追われる心配が無いのだ。

 ただ、生存率は高くなかった。海運の場合、嵐やら水不足やら食糧不足やらで、帰らぬ船が続出したとか。

 また、ここ最近は事業自体が行き詰まってるらしい。既にティランタニア付近の魔物は狩り尽くされ、現在はユートリアン西部や南西部を主軸とした保護活動なのだが、今度は輸送路が大幅に伸びてしまっている。

 そんな状況で果たして、ティランタニア付近への空路や海路は残っているのだろうか。もし無ければ、ユートリアンとギヤを繋ぐ陸路を通るしかなくなる。カイナとニスモの旅路に、大きな影響を及ぼしそうだ。

 

「救えない命も多かったが、助かった連中も少なからず居た。そこまでは良かったんだが…ニスモ、助かった連中は感謝の次に何を思うか分かるか?」

「…人間への「憎しみ」かい?」

「ああそうだ。故郷を追われたのは勿論、肉親を目の前で殺された奴も数知れずだったからな」

 

 どうしようもないと言った具合で、モースは吐き捨てる様に肯定する。綺麗事が許されるなら、肯定したくはなかったのだろう。

 

「んで最悪なのが、そいつらを上手い事嗾けて纏め上げたクソ野郎が居るんだ。目的は勿論「カネ」、そんでもってギヤ大陸には元々住んでた人間種も数多く居るときた。…後は分かるな?」

「復讐を隠れ蓑にした、実質的な略奪か」

「話が早くて助かるぜ。復讐というか、最早「信仰」に近いがな」

 

 そのクソ野郎が何を言い聞かせたのか、ニスモには容易に想像出来た。

 人間種が危険な存在である事実は、諸君らなら理解出来るだろう。連中は、このギヤ大陸にも蛆の様に蔓延っている。奴等を根絶やしにせねば、真の安寧は有り得ない。そして人間を匿った者たちにも、何らかの罰を与えねばならない。正義は我等にある。

 的な事を。人間種は老若男女問わず皆殺し、村に残った食料や金目の物は押収、要は賊と一緒だ。そして人間と魔物が分け隔て無く暮らしていた村も、そいつにとって恰好の的だったのだ。人間を匿った「罰」として、「略奪」を正当化出来るのだから。

 

「信仰ってのは恐ろしいもんでよ、派遣された兵隊を何度も返り討ちにしてるらしい。クソ野郎も無駄に指揮力がある分、たちが悪い」

「そいつらが、この付近まで来てる訳かい?」

「ギヤ大陸の西端から東へ、長い年月を掛けて…な。人間種以外は殺さないらしいが、用心するに越した事はねぇ。だから見回りも強化してるし、皆には悪いが色々と制限を設けてる」

 

 今日昨日と訪れた客の中にも、人間種は居なかった。即ち今この周辺で、人間種はカイナとニスモの2人だけという事になる。

 

 するとモースは、覗き込む様に自身の行商団を見下ろす。黒狼の視線の先には、楽しげなハーピーの少女があった。

 

「流石に人間種が2人居る程度なら、奴等も気に留めねぇとは思うが、イゼラとバイゼルが居るとなると話は別だ。ハーピーの身体は、今じゃ稀少価値が高いからな」

 

 言わずもがな、モースには()()()()()()は一切無いし、ハーピーの稀少価値とやらにも興味は無い。だが、普通なら羽毛の一本でも欲しがる筈で、それが賊なら身体ごと欲するだろう。

 確かにそれなら、ハーピーを手に入れるべく、大義名分の元に襲ってくるかもしれない。

 

 そこまで聞き終えると、ニスモが立ち上がる。モースを見下ろすその目には、申し訳なさと少しの憤りが籠もっていた。

 

「もっと早く言ってくれたら、僕も居座るなんて言わなかった。…カイナを連れてすぐここを出るよ。そうすれば、連中がここを襲う大義名分もなくなる」

 

 だからこそ、モースも初日の内に言わなかったのだろう。言えばこうやって、会って早々出立しようとするから。

 

「馬鹿にすんじゃねぇ」

 

 その場を去ろうとするニスモに、モースは引き止めついでに告げる。

 

「そんな保身で旧友を追い出す、薄情な野郎ってか?オレたちが。…それに、見てみろよ」

 

 さっきから自身が向けていた視線の先を、ニスモにも共有する。夕暮れ時で分かりにくかったが、モースの横顔をよくよく見ると、我が子を見守るが如くとても穏やかな表情だった。

 きっと、下ではしゃいでいる少女の姿を見た時から、そんな貌だったのだろう。

 

「イゼラがあんな心底から笑ってんの、初めて見んだよオレぁ。普段の笑顔が、何の意味もねぇってくらいだ。…この半年間、同年代の友達も居なかったからなぁ」

 

 だからもう少し、一緒に居させてあげてもいいではないか。

 そんな横顔で、そんな優しく語る旧友の芯は、流石のニスモでも曲げられない程に強い。

 それが分かっているから、ニスモも折れるしかなかった。

 

「…分かったよ。そこまで言うなら、お言葉に甘えさせて頂くよ」

「分かればよろしい」

 

 今度は不敵な笑みを横顔に滲ませながら、モースが言い放つ。

 

「へっ、格の違いを見せてやるってもんよ。復讐に縋り続ける連中と、復讐より大切なものがあるオレたちのな」




なんか女同士野郎同士でイチャイチャしていますが、次回も行商団での日々が続きます。

様々なご感想、お待ちしてます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第7話 ハーピーの少女

 カイナとニスモが滞在して2日目、寝ていたカイナにとっては実質初日の夜。

 

 黒狼の行商団に、1匹の「羽虫」が舞い戻る。細長い宝石に四枚羽を付けただけのソレを、果たして虫と呼んでいいのかは定かではないが。

 

 『メムシ』と呼ばれるその虫は、放った張本人であるモースの指に止まる。

 その虫を見詰めながら、モースは計算する。メムシが対象に到達するまでに掛かった時間、もう一つはメムシが示している宝石の色だ。

 

「約1時間…ざっと200里。地形や気象を加味するんなら、連中がここに着くまで6日ってとこか。途中の村々を襲わなけりゃ、だがな。黄色…ってことは、数は500以上」

 

 読み上げるモースの周りに、ニスモを始め腕利きのリザードマン、オーク、蛇女、コボルドらが集まっている。

 

 彼等のただならぬ空気を察したカイナは、少し離れた場所でその表情を険しくする。

 

「悪い奴等が6日くらいで大勢やって来るんだって」

 

 イゼラの耳打を聞いて、嫌な予感がカイナの背筋を走った。あのお人好しなイゼラがはっきり「悪い」と呼ぶ程とは、どんな連中なのだろう、と。

 

「…賊か何かか?」

「もっとヤバいかも。人間種根絶~みたいな連中らしいし」

 

 そういう連中が生まれた経緯が、カイナには想像出来た。

 もしユートリアンから逃げ仰せた魔物が居たなら、そう成り果てるのが自然だ。この大陸にも人間種が住んでいるというのは、ニスモからさらりと聞いた事がある。

 

「大丈夫!カイナはアタシが護ってあげるから!」

 

 そう言って、横からカイナを抱き締めるイゼラ。

 本来なら余計なお世話だと言ってやりたいカイナだが、彼女に抱き締められると抵抗力を削がれる。故に、何も言えず為すがままだ。

 

「…お前たちは逃げないのか?」

「なになに!?心配してくれるの!?」

 

 そう返され、カイナは腕の中でそっぽを向く。

 

 連中がこちらに向かっているのなら、既にカイナとニスモの存在も把握している可能性が高い。向こうも索敵能力くらいはある筈だ。

 このまま2人で西へ進もうと迂回しようと、発見されたら多勢に無勢だ。ならば、この行商団を味方に付けて迎え撃った方が良い。地の利もこちらにある。

 

 それだけだ。イゼラたちを巻き込みたくないとか、そんな事は思ってない。逃げない理由を知りたいだけだ。心の中で、カイナは自身にそう言い聞かせた。

 

「経営の事とかよく分かんないけど、逃げないと思うなー団長は。ここってホント立地良いから、気候的にも仕入れ的にも。村とか町もそう遠くないし」

 

 モースも、団を考えての事なのだろう。確かに荷馬車の整備には余念が無いが、移動せずに済むのならその方が良い。この広大過ぎるギヤ大陸において、移った先が今より良い環境とは限らないのだから。

 モースの団自体も、荒事に慣れてるのだ。その証拠に、イゼラを始め殆どの団員が落ち着き払っている。3ヶ月間この豊潤な地を独占出来たのは、荒くれ者共を幾度となく追い払ってきたからだ。

 

「けどまぁ向こうも500以上は居るらしいし、秘策でも無ければ厳しいかもねぇ」

 

 今ニスモたちは、その秘策について話し合っているのだろうか。500もの手勢にどう立ち向かうと言うのか。自身はどう戦うか。

 

 

 難しい顔でカイナがそんな事を考えていると、イゼラはまるで空気を切り替える様にパチンと手を叩いた。

 

「ハイ真面目モード終了!考えても仕方無し!…てな訳でカイナ、「お風呂」行こ?」

「……?」

 

 また唐突に、しかも随分と懐かしい単語を耳にしたからか、混乱と困惑がカイナの発言を許さなかった。

 こんな森に熱線水なんて、ある筈が無かろうに。混乱から回復したカイナが抱くそんな疑念は、至極真っ当なものであった。

 

 ただ今更ながら、カイナはある重大な事柄に気付いた。

 そう言えば、ニスモと旅をしてから一度も風呂に入ってない、と。

 

 ところで言い出しっぺのイゼラはと言うと、もうとっくに2人分のタオルを取りに行った。

 

 

 

 

 

 そうして広場から北へ、徒歩で凡そ40分。

 言われるがままイゼラに案内された先は、底が見える程に水の澄んだ美しい川だった。

 

 相変わらず木々に覆われたその川の側面には、池の様なダムの様な水場があった。水の流れで丸く削れたほとりに、川から少しだけ注水される程度に岩と粘土で蓋をした様だった。

 

 そして驚く事に、湯気が立ち上っていた。川全体ではなく、その丸い水場からだけ。

 そうさせているのは、水浴びをしている「ある生き物」が原因であった。

 

「今日もご苦労様~!」

 

 イゼラの労いにも特に応じず、その主は水場から出ようとしない。

 橙色の鱗に覆われたその大きな生き物は「サラマンダー」。

 それを見たカイナは、この擬似温泉の仕組みを朧気ながら理解する。

 

(冷却の為に、1日1回水に浸かるんだったな。その間は動けなくなるから、安全だとは思うが)

 

 だが、こんな応用があるとは流石のカイナも知らなかった。

 念のため指を入れて水温を確認してみるが、人肌よりも少し熱い程度の適温だった。痛みやかぶれも特に無い。

 

 イゼラの言葉は、誇張などでは断じてない。間違い無くこれは風呂だ。

 

「あんまりトカゲちゃんに近付き過ぎないでねー。火傷するから」

 

 何も纏ってないイゼラは、躊躇いなく鉤爪先から湯泉に浸かっていく。

 肩まで浸かりきると、彼女の表情が艶めかしく火照る。可憐な少女は、気付けば大人の女性へと変貌していた。

 どうやらハーピーにも、湯泉が気持ちいいという感覚はある様だ。

 

「はぁ~…ここアタシだけの穴場なんだー」

 

 つまりここは、イゼラの自作という訳だ。それをカイナにだけ提供してくれるとは。

 

 カイナとしては勿論ありがたい。彼女にとっても、凡そ2週間ぶりの風呂だ。

 だが、人前で服を脱ぐのには抵抗があった。元から裸の付き合いが苦手というのもあるが、嘗てタクトに裸体を見られた事がそれに拍車を掛けていた。

 少しずつイゼラに慣れてきたとは言え、どうしても躊躇いが消えない。

 増してやここは、団から離れた森林の僻地。どんな危険生物が現れるか分からない中で、無防備な姿は晒したくない。

 

「…カイナ~早く来て?」

 

 潤んだ黄金の視線と色っぽい声が、カイナの脳を揉みくちゃにする。

 無自覚で純朴な、されどカイナを狂わせる黄金の瞳。そんなイゼラの前で裸になるのは、タクト相手以上に恥ずかしいものがあった。

 

(…何意識しとるんだ私は)

 

 この時ばかりは、カイナは自身の底知れぬ強がりに感謝した。彼女は自身の鼓動を否定する様に、半ばやけくそ気味に衣服を脱ぎ払う事が出来た。

 

 

 そうして大自然の袂、生肌を露出させたカイナは乳房と陰部を手で覆い隠す。こうなっては寧ろ早急に浸かってしまいたいもので、羞恥心がカイナの歩を進ませる。

 

 全てを脱ぎ払った女騎士の裸体が、湯泉に触れる。久々の熱が爪先を刺激するが、痛みに慣れてるカイナは構う事なく全身を入れる。

 

 途端、液体と化した温もりが、カイナの素肌に染み入る。今の今まで外気温に晒されていた素肌は、体温よりも生暖かい液体に包まれた事で、安心しきった様に脱力する。

 そして漸く思い出した、「力を抜く」とはこういう事だったなと。

 カイナはここ最近、ずっと強張っていた。不安感と、嫌悪感と、焦燥感、そして環境の劇的な変化による精神的疲労が原因で。

 頭と体に蓄積したそれらが、湯舟の中に溶けていく様な感じがした。同時に、騎士という仮面さえも溶けて流れ出てしまう感じがしたが、不思議と何の恐怖もなかった。

 

 癒しとは不思議だ。人としての本能が、どんどん膨らんでゆく。

 

(…抱き締められた時も、こんな感覚だったな)

 

 ふとそう思い、イゼラの方を見てみる。

 すると、イゼラもまたカイナを見つめていた。桃源郷の如き黄金と黄金が、カイナの視線とぶつかる。

 だがもう、カイナがその目を逸らす事はなかった。

 

 今なら言える。そう確信したカイナは、ずっと言いそびれていた事をぎこちなく言葉にする。

 

「……どうして……私を抱き締めたんだ?」

 

 震えた声から、頼り無く揺らすその瞳から、カイナが如何に勇気を振り絞ったかイゼラには分かった。

 それでつい嬉しくなったのか、イゼラは座したままカイナに近付くと、羽毛に覆われた肩をカイナの肩にピタリと密着させる。

 

「だって…壊れちゃいそうだったから」

 

 簡潔に、それでいて愚直にイゼラは答えた。

 その答えについてカイナが深く考える前に、イゼラは続けた。

 

「心が壊れる寸前なのに、必死に壊れまいと藻掻いてた。…なんかそんな感じしたから、ついギュってしちゃった」

 

 どうやら、イゼラにはそう見えていたらしい。カイナはあの時、完全に自暴自棄になっていたつもりだったが。

 そんな直情的で輪郭の無い何かに突き動かされて、やりたい様にやった。要はそれだけだった。

 だがカイナは、そんな答えを聞けて寧ろ安心した。会って一日程度でおこがましいかもしれないが、とてもイゼラらしい理由だと思ったのだ。

 何より、嬉しかった。あの時イゼラの目に映ったカイナは、辛うじて諦めていなかったという事が。

 

 顔にこそ出さなかったが、カイナは何やらスッキリした。言いたかった事を言えて、聞きたかった答えを聞けて。身体だけでなく、心も洗われた気分だった。

 

 いっそ時が止まってしまえば、この極楽もずっと続くのに。

 

 そう思い始めると、カイナは段々憂鬱になっていく。明日になれば、また自分との向き合いが始まる。神を信じるのか否か、何を為すべきか、騎士とは何か。それらに心を擦り減らされる日々が、途方も無く続くのだ。

 それは言うなれば「自分」との睨めっこに近かった。どんな手を使おうと倒しようがないから、相対したまま互いに歯軋りする。そういう監獄なのだ。

 

「えいっ」

 

 カイナのそんな憂鬱を察したのか、それとも気紛れなのかは分からないが、イゼラは座るカイナの膝上に跨る。そうして馬乗りの状態となり、カイナを抱き締める。昨日の再現の様に、イゼラの柔らかくも弾力ある乳房がカイナの顔面を包む。同時に、衣服越しではない生の感触が、液体中でカイナとイゼラの素肌を行き来する。

 その行動がどんなに唐突であっても、こうなってはもうカイナにもどうしようもない。取り乱す事すら許されない。

 生きた者の温もりとは、どうしてこうも拒絶し難いのだろうか。

 

「カイナはギュってされるの嫌?」

「…」

 

 強がろうかとも思ったが、流石に無理だった。騎士という鎧を剝がされれば、あとは脆い心が震えているだけだ。

 だがせめて言葉には出すまいと、カイナは胸に埋もれたまま力無く首を左右に振った。

 ただ、声に出さないのもそれはそれで情けないという事に気付き、結局イゼラの胸の中でまた落ち込む。

 

 少なくとも憂鬱は、その心地よさと自身の情けなさに搔き消された。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 3日目の正午。 

 ニスモとの稽古を終えたカイナは、今日もイゼラに連れられて市場を回る。

 

 今日のカイナの目的は「装備の調達」だ。

 カネはニスモから十分に頂いているのだが、問題はやはりコミュニケーションだ。ジェスチャーでも出来ない事はないが、それでは滞在の意味が無い。

 なので、目的というよりかは目標に近い。今日中でなくても良いが、何であれ早急に終わらしたいというのがカイナの性だ。

 それに、カイナには自信があった。昨日イゼラに散々振り回されたお陰で、この行商団にもだいぶ慣れてきたと自負している。

 

 

 

 そして早くも5時間が経過し、市場全体に閉店ムードが漂い始めた。

 

「ハァ…」

「駄目だねぇ~」

 

 多少慣れたところで、どうこうなるものでもなかった。

 

 原因は分かっている。全て、カイナの奥底にこびり付く「教え」と「忌避」のせいだ。

 カイナも、彼等に悪意が無い事は分かる。寧ろ、碌に話せもしないカイナをそれなりに受け入れているのだから、かなり親切な相手と言える。

 それでも、「教え」により「敵対してきた」という実績は消えない。それにより人間が魔物を殺し、怒った魔物が人間を殺したという事実も。そして更に怒り狂った人間が魔物を惨殺するという、負の連鎖が完成する。

 そんな相手への認識を、今更どう改めよと言うのか。

 

 そもそもが、他種族を「魔物」と認識している時点で行き止まりなのだ。ニスモも時々カイナに魔物という表現を使ったが、それもカイナの認識に合わせただけのこと。

 人狼は人狼で、オークはオーク、ハーピーはハーピーであるし、人間は人間だ。本来なら皆が違う筈なのに、あたかも自分たち人間だけが特別であるかの様に区別するから、「他は魔物」という風になる。人間も他種族の一つに過ぎないのに。

 

 イゼラも協力はしてくれている。「自分と同じ様に抱き合ってみる」だの「店を手伝ってみる」だの、それはもう色々と。

 だが焼け石に水だった。嫌々抱き合った所で、嫌々手伝った所で、相手を見る目は変わらない。あの時の様に、抱き締めたいと思い、それを自然と受け入れていなければ。

 意識レベルの問題なら、外側からどうこうしても埒が明かない。

 

「…カイナってもしかして、他の種族苦手?」

 

 カイナの苦手意識は、流石のイゼラも見抜いてしまった。

 

「…」

 

 無言で、カイナはこくりと頷く。

 そして、改めて感じた疑問を打ち明ける。

 

「…イゼラだって、そう感じた事くらいあるだろう」

 

 どんなに表面上は仲良くしてても、見た目も生態もそれぞれ異なるのだから、大小の差別意識は生まれる筈だ。

 そう、カイナは考えていた。イゼラだって例外ではないだろう、と。

 

 するとイゼラは、人差指を自身の頭に当てて考える素振りをする。

 

「…あー!確かにあるかも!」

 

 そう答えると、イゼラはペラペラと軽い口調で語り出す。嫌悪感などは、まるで滲み出さずに。

 

「アタシは飛竜(ワイバーン)が苦手かも」

 

 飛竜はカイナも苦手だ。強い癖に群れている事も多かったので、倒すのに人手と労力を要する。

 だが恐らく、イゼラの苦手とカイナの苦手には大きな隔たりがある。

 

「ちょっと身の上話になっちゃうんだけどさー、アタシとパパ、飛竜に故郷を追われてさ。アタシたちハーピーって、飛竜と比べると飛ぶのも下手だし力も弱いし、身体だって貧弱だからさ。頭も特別良い訳じゃないし」

 

 昨日の夜も、飛んで目的地まで行かなかったのは、カイナを運べる程の飛行能力が無かった為だ。

 或いはそれこそが、飛竜との決定的な差となったのだろう。誰も何も運べないのなら、大陸間運動で重宝される事もない。ならば、誰かから優遇される事もない。

 

「要は生存競争?って奴に負けちゃったんだよねー、アタシたち。仲間たちも飢えたり魔気不足だったりでどんどん死んじゃって、気付いたらアタシとパパだけになってた。そんな半年前、もう駄目って時にニスモに助けられて、ここ紹介して貰ったんだー」

 

 弱肉強食とは言え、こうして聞くと酷い話だ。

 もしかしたら、その里がハーピー最後の砦だったのではないか。イゼラとバイゼルが、ハーピー族唯一の生き残りなのではないか。そんな憶測が、カイナの頭内を駆け回る。

 

 そう考える度、飄々と話すイゼラを見る度、段々と怒りがこみ上げてくるカイナ。住処を奪われたのに、仲間が死んだのに、どうしてそうも平然としていられるのか。悔しくはないのだろうか、劣等感は無いのだろうか。

 そんな怒りは、カイナ自身にも向けられた。イゼラの温もりと可憐さばかり表面上から捉えて、何を解った気でいたのか。悲惨な生い立ちを知りもせずに。これでは、他の誰とも言葉を交わせないのも当然ではないか。

 

「…復讐心はないのか?」

 

 つい、怒りに任せてそんな事を聞いてしまった。言わなければ良かったと、後悔してももう遅い。

 だがカイナだったら、少なくとも土地を追われて惨めに生きていく事は出来ない。暴力で以て復讐を遂げ、必ず奪い返すだろう。

 

 対して、カイナの憤りなんてまるで気にしていないイゼラは、唇に指を当てながら真面目に考える。

 

「んー…確かに今でも怖いけど、復讐心までは無いかなー。だってさー、なるようになったってだけじゃん?種族が違う以上、外見的能力的違いはどうしても生まれる訳だし。だったらあの種族は良いだの悪いだの言っても埒が明かなくない?」

 

 その考えは、飛竜とハーピーにも当てはまる部分がある。

 確かにハーピーは、全ての能力において飛竜に劣っているし、ならば衰退していくのは必然だ。

 だが飛竜だって、別段ハーピーを忌み嫌っていた訳ではない。単に土地が欲しかったから、能力的に勝っていたから、自然とそういう結果が訪れたに過ぎない。

 

 だから、飛竜総てに復讐心を抱くのは筋違いだ。

 それがイゼラの考えだというのは、次の言葉に如実に表れていた。

 

「それに…「皆が皆同じ訳じゃない」って、知ってるから。だからきっと飛竜にだって、良い奴の1体や2体いると思うなー」

 

 お人好しここに極まれり。笑いながら言うイゼラを見て、カイナはそう思った。

 迫害されて尚、イゼラは純粋に信じているのだ。一人一人違うから、いつか友と呼べる相手にも出会えると。

 

 だがその言葉は、カイナの芯に深く突き刺さった。それは、嘗てニスモが似た様な事を言っていたからではない。

 イゼラはずっと信じているのに、自分はいつまでも他種族を拒絶する。それではまるで、イゼラそのものをカイナ自ら否定する様ではないか。

 カイナはそれが嫌だった。イゼラの信じる心を、穢したくなかった。

 

 僅かな陰りも無く笑って、青空を見上げるイゼラ。今飛竜が空を覆い舞い降りてきても、きっと彼女は目を輝かせて接するのだろう。等と、イゼラの横顔を見ながらカイナは想像してみる。

 対して、そんなイゼラを見ていると、カイナは疑問を抱かずにはいられなかった。嘗てカイナもお世話になり、今ではカイナ自身を苦しめている「信仰」というものに。

 

 思い返してみれば、カイナのよく知る人間種だって、良い人間も居れば悪い人間も確かに居た。

 平民を見下す小貴族、同調圧力、冒険者チーム同士の嫉妬や確執、傭兵と雇い主との金銭的トラブル。魔物憎しで一致団結する一方、結局そういう連中は水面下でイガみ合っていた。

 カイナたちのチームが、偶々恵まれていたのだ。どうしようもない連中と同じ、人間である筈なのに。

 そう、実際は同じ人間なんて一人もいなかった。それを一つの信仰によって統一させ、あたかも「人間は皆同じ」である様に見せていただけではないのか。

 

 偉い者たちに「奴らは悪だ」と言われたから、悪だと信じるのか。

 皆が悪だと蔑んでも、残っているであろう善性を信じるのか。

 その2つが、カイナの奥底で鬩ぎ合っていた。

 

(…そうか。イゼラはそんな人間の一人である私を、信じてくれるのか)

 

 どんなに鬩ぎ合った所で、カイナが長い時間育んできた「敵対心」が消える事は無い。あらゆる思想を取り込もうと、未来永劫居座り続けるだろう。

 だがそれで良いのだ。どんなに集団として統一化しようとも、その者はその者でしかないのだから。

 だからカイナはカイナであると、イゼラは信じてくれているのだ。

 

 信じてくれているのなら、応えねばなるまい。例えそれがどんなに地道でも、その結果自分を変えられなくても。

 

 信仰よ、私は貴方を否定する訳ではない。だから貴方も否定するな、誰に言われるでもなく信じるイゼラを。

 そう強く、カイナは己が中に在る信仰に告げた。

 

「…イゼラ」

「なぁに?」

 

 一見深刻そうながらも、どこか吹っ切れた口調でカイナはイゼラに頼み込む。

 

「団員一人一人の名前と性格を、もっと詳しく教えては貰えないか?皆の種族についても。例えば、イゼラから見てオークはどういう存在か…とか」

「勿論!」

 

 どんなに努力しても、他種への差別意識はどうしても残る。

 

 だがその意識を和らげる事は出来る。魔物から他種族へと、他種族から個へと、少しずつ認識を変える事によって。

 そうすれば人間もまた一つの種族だと、カイナという存在もまた個であるのだと、己を外側から見なす事が出来るだろう。

 

 

 なればこそ、信じる少女の瞳も曇らないだろうと、そうカイナは納得した。

 

 

 

 

 

「そろそろ大丈夫そうだね」

 

 陰から2人を盗み見ていたニスモもまた、一人そう納得していた。




ご感想、お待ちしております。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第8話 恐怖

毎回、このくらいのペースで投稿できたら良いのですが。


 大木がポツリポツリと生えている奇妙な草原を、人の様な獣の様な、大小様々な足音たちが横断していく。

 彼等が一歩進むたびに生じる金属音が、静かな大自然に不協和音として残る。

 

「メンドくせぇ」

 

 そんな鬱憤を、集団の音に混ぜ入れる者が一人。

 

「人間2匹の為に、なんでこんな大移動せにゃならねぇんだ…」

 

 疲労の吐息と溜息を混ぜる豚人に、同僚と思しきオークが答える。

 

「派手に暴れてきたからな。もう大陸中央部は監視が強いし、村々の守りも堅い。だから東部が手薄な内にとっとと進軍して、豊かな土地を拠点に戦力整えたいんだろ」

「んたこた分かってんだよ!オレが言いてぇのは、途中の村々に人間居なさすぎってんだよ!ガス抜きもできねぇし食料も確保できねぇ!少し前んとこ拠点にしても良かったろ!」

 

 駄々捏ねに勤しむ同僚を、オークは静かに諭す。

 

「馬鹿言え。500の軍勢養うなら、この先のペムゼ森林以外無い。それに、オレたちの志は人間種根絶だ。たった2匹とは言え、見逃す訳にもいかんだろう。どっちにしろ進むしかないんだ」

 

 苛立つ者に宥める者。目的地がもうすぐだと分かっていても、人間を殺せない日々は彼等にとって退屈なものだった。

 

 兵たちの反応が千差万別な中、先頭で地竜に乗る蛙人だけは落ち着き払っていた。どころか、内心ではほくそ笑んでいた。

 

(ケッ、馬鹿どもが。人間なんぞどうでも良いわ、ハーピーさえ手に入りゃ…)

 

 つい内心の笑みを表側にまで出してしまった、黄緑色の蛙男。

 部下から「頭領」と呼ばれているそいつは、希少なお宝を見つけ出してくれたメムシを、こっそり撫でていた。

 

(ケヘヘ…しかもハーピー2体のうち1体はうら若い小娘!男の方は闇市場にチョー高値で売っぱらうとして、小娘は徹底的に調教してワシ専用の肉奴隷にしてくれるわ!人間を匿った「罰」としてな…)

 

 人間種を除いた異種族の生娘に目が無いこの鬼畜蛙は、今日も今日とて頭領という仮面の下に、悍ましい興奮をひた隠す。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 2人の滞在から4日目。

 

 正午の行商団は、曇り空など関係無いとばかりに、相も変わらぬ賑わいを見せていた。賊軍の接近はとうに知れ渡っている筈だが、客足の衰えは微々たるものだ。

 それだけ、皆が黒狼の行商団を重宝しているのだろう。

 

 そんな種族入り乱れる声の中に、一人の人間の声も混ざっていた。

 その声には、どことなく初々しさが残っていた。

 

「こ・ん・に・ち・は」

「…こんちには」

「は・じ・め・ま・し・て」

「…はじめまして」

 

 ニスモとイゼラが見守る中、バイゼルの発声を復唱するカイナ。

 

 そうしてある程度の復唱を確認すると、ニスモがバイゼルに訊ねる。

 

「カイナの言葉、ちゃんと聞き取れたかい?」

「ええ。まったく問題ありませんでした」

 

 バイゼルが控え目な笑みを零すと、それ以上に喜んだイゼラがいつもの如くカイナに抱き付く。

 

「やったねカイナ!」

「あ、ああ」

 

 カイナは、戸惑いながらも嬉しそうな声色をしていた。

 その喜びは漸く他種族と話せる様になったからか、それとも自身の意識が多少なりとも変わった事に対してか。

 

 何はともあれ話せる様になったカイナに、早速バイゼルが訊ねる。

 

「改めて、おめでとうございますカイナ殿。…娘の相手は、大変でしたでしょう」

「根暗でジメジメしたパパより全然マシだもーん」

 

 イゼラの言葉に貫かれたのか、バイゼルはピタリと硬直する。心なしか、瞳が微かに潤んでいる様な気がした。

 そんなバイゼルの涙目について触れないで返答に集中するのは、カイナなりの優しさだろう。

 

「まぁ大変ではあったが、それなりに感謝はしている。彼女が居なければ、もう少し時間が掛かった…かもしれない…恐らく」

 

 ぎこちない感謝の言葉に、ニスモが呆れ声を漏らす。

 

「もう少しマシな言葉ないのかな、この口下手は」

「…うるさい」

「ハハ…」

 

 ニスモの苦言とバイゼルの苦笑を受けて、居辛くなったカイナは話題を変える。

 

「今度こそ装備調達に行ってくる。…イゼラ、行こう」

「ハーイ!」

  

 カイナの口から自然と出た言葉を聞いて、ニスモとバイゼルは首を傾げる。

 

「失礼ながらカイナ殿。もう話せるのでしたら、お一人でも大丈夫かと思いますが…」

 

 バイゼルにそう突っ込まれたカイナは、何かに気が付いてしまい固まる。

 そして同じく気付いたイゼラは、飛び跳ねながらカイナに捲し立てる。

 

「え!?てことはてことは!アタシとそんなに一緒に居たいってこと!?もー本当カイナったら寂しがり屋!」

「ち、違う!それは、その…まだ話せない相手も居るかもしれないから…」

 

 適当に作った言い訳だと、そうニスモたちに思われるのが腹立たしかったカイナは、ムキになって踵を返す。

 

「もういい、やっぱり私一人で行く」

「あーもー!拗ねないでよカイナー!」

 

 地団駄を踏む様に市場へと向かうカイナを、宥めながら追いかけるイゼラ。

 

 

 少女2人が見えなくなった所で、ニスモは溜息混じりに謝罪する。

 

「ゴメンねバイゼル。馬鹿弟子が素直じゃなくて」

「いえ、いいんです。難しい年頃でしょうから。ただ…」

 

 バイゼルは一旦間を置くと、灰色の空を見上げて続ける。哀愁を漂わせるその表情は、自由に飛び回る事を諦めているのが見て取れた。

 自由に生き自由に死ぬ種族である、ハーピー。そんな彼等でも、一度安寧に染まればこんな表情になるのだろうか。

 

「カイナ殿には、もう一歩だけ踏み出して欲しい気はします。何に対して、とは言えませんが」

 

 せめてあの子たちは、少しでも自由でいて欲しい。男の言葉には、そんな念が乗せられている様な感じがした。

 

 

 

 

 

 活気に満ちる、正午の市場。

 そんなものとはまるで無縁とでも言いたげに、その武器屋は隅の方でひっそりと佇んでいた。その様は最早、常連以外お断りであると、見た者に分からせる程だった。

 

「ヤフ爺ー!入るよー?」

 

 そんな雰囲気知った事かとばかりなイゼラの一声を聞いて、露店の奥から一体のゴブリンが不機嫌そうにやってくる。爺と言われるだけあって皺は深く、顎髭も伸び放題な様相であった。

 

「…なんじゃ」

「この子に武器見繕ってあげて!」

「…」

 

 精気の薄い目で、観察する様にカイナをジトリと見上げる老ゴブリン。

 控え目に言って歓迎されている風には見えないが、取り敢えず挨拶だけはしておくカイナ。漸く話せるようになったのだ、肝心の武器屋に悪印象を与えてはいけない。

 

「…カイナだ。宜しく頼む」

「……ヤフクじゃ。まぁ来な」

 

 カイナが話せる事に多少驚いたのか、間を置いて軽く名乗るヤフク。だが相変わらず、その声に抑揚は感じられない。

 どういう相手かイゼラからある程度聞いてはいたが、やはりとても商いに身を置いている者とは思えなかった。少なくとも接客の態度とは程遠かった。ゴブリン自体に良い印象が無い、というのもあるのだろう。

 

「!」

 

 そうしてテントの奥へと通され、今度はカイナの方が目を見開く。

 簡易的で狭い露店であるというのは、外見からとうに分かっていた。ただその内部には、剣やら槍やら斧やら盾やら、果ては弓矢までもが所狭しと置かれていた。それらは細い通路まで圧迫しており、店内は人一人通るのがやっとであった。

 カイナも武器屋は星の数ほど見てきたが、小規模でこれだけの武器を揃えてる店は初めて見た。

 

(どうやって集めたのだ?)

 

 鍛冶屋でないのなら、他所から仕入れているということ。そしてその繋がりの幅は、これだけの武器を見れば一目瞭然だ。であれば、この爺も伊達に年を重ねてる訳ではないのだろう。

 しかもどれも埃を被っている様子は無く、サイズ順に綺麗に並べられているので、手入れが行き届いている様に感じられる。

 それだけでカイナは、この老ゴブリンがそれなりに信用出来ると、一先ずは判断した。

 

「貸してみぃ」

「?…ああ、剣か」

「盾は?」

「結構だ」

 

 流石に察しの良いカイナは、自身の剣をヤフクに渡す。重量、長さ、グリップの感触、これまで使ってきた剣になるべく合わせて貰わねばならない。

 とは言え、まさかゴブリンに大人しく武器を渡す日が来るとは、カイナ自身思ってもみなかったろう。

 

「剣身80キータ、フラー有り、リカッソ有り、両手剣か」

  

 慣れた手つきで鞘から刃を引き抜いたヤフクは、会った時とは別人の様に目を鋭くする。鋼鉄を睨むその目からは、ヤフクも嘗ては鍛冶屋であった事を窺わせる。

 

「ちと待っとれ」

 

 そうして刃の状態を確認し再び鞘に収めると、手際良く同サイズの剣を持ってくる。

 真ん中の作業台に次から次へと並べていく、鞘に収められた凶器たち。置かれる度に響くゴトリ、ゴトリという音は、剣に内包された殺意が解放を待っているかの様だ。

 一つの動きで容易に命を奪い去る、薄い鋼の塊たち。戦を知らぬ者にとっては禍々しいそれらを、カイナは無感情に見ていた。

 

 そうしてある程度並べ終えると、ヤフクは剣の集団を指差して驚きの発言をする。

 

「1本はおまけでくれてやる」

「いや、は?」

「うわ太っ腹」

 

 何を企んでいるのかと疑惑の目を向けるカイナと、自分の事の様にただ喜ぶイゼラとで、反応が分かれた。

 

「もうすぐ連中とやり合うんじゃろ。お前さんたちが負けたら、儂らみな追い出されちまう。…早い話が必要投資みたいなもんじゃ」

 

 かと言って、剣はそれなりに高価だ。剣を新調した所でカイナたちが勝てる保証なんて無いのに、無料譲渡はやり過ぎではないか。

 ついそう考え、カイナは躊躇ってしまう。

 

 そんなカイナに、イゼラが耳打する。

 

「多分ヤフ爺、カイナのこと気に入ったんだよ。言ったでしょ?根暗で卑屈なジジイだけど、努力してる子はほっとけない質だって」

 

 カイナには気に入られる心当たりなんて無いが、ヤフクの心を少しでも動かしたものがあるとすれば、それは最初のぎこちない挨拶だろう。

 言葉の通じない者が、言葉が通じる様になる。この短い期間でそれを成すのがいかに難しいか、ヤフクは良く理解しているのだ。

 そんな懸命な若者を後押ししたくなるのは、どの種族も変わらない年寄りの性なのだろうか。

 

「勘違いをするな、この団を護る為じゃ」

「やば、聞こえてた」

「金額付けたら、その武器が本当に今の自分に合ってるのか、目利きが曇るじゃろうが。慣らす時間も無いんじゃ」

 

 イゼラの耳打を聞いた後だと、その言葉も単なる強がりに見えてくるから不思議なものだ。そう言う点が妙に自分と重なるからか、カイナはこのゴブリンに親近感を覚え始めていた。

 

 何はともあれ、イゼラとヤフク双方の話はまるで温度が違ったが、カイナの反応を変えるには十分だった様だ。そこまで言うのなら遠慮無く選ばせて貰おう、と。

 

「お勧めはコイツとコイツじゃ。魔力注入と相性が良い。刃も厚いから、殺傷能力よりかは武器破壊寄りじゃ」

「…殺しては駄目なんだな?」

「おう。黒目の旦那から聞いとるじゃろ」

 

 今回の戦いでは、数では行商団側が圧倒的に不利だ。敵の頭を討つという手もあるが、それだけは絶対に駄目な理由が、行商団にはあるらしい。

 故に作戦は、最終的に交渉に持って行くという方向で意見が一致した。

 何でも、戦闘中に敵側が交渉せざるを得ない状況にするとか。戦闘前に交渉出来た方が良いのだが、その場合だと無理難題を押し付けられるのが関の山で、事実上の降伏だ。

 

 その交渉に踏み入る最低条件こそが「殺さない」だ。

 敵は一応、人間種以外は殺せないという制約を自らに課している。だがもし仲間が殺されれば、死んだ仲間の為にも自分が死なない為にも本気で反撃してくる。そうなれば、今度は行商団側に死者が出る。

 そんな殺す殺されるの状況に陥っては、最早交渉どころではなくなってしまう。増幅された憎悪は、最善など関係無しに暴走する。

 

 ただこの作戦は、人間種であるカイナとニスモにとっては極めて厳しい戦いとなる。本気で殺しに来る相手を、殺さず無力化せねばならないのだから。2対500よりはマシかもしれないが。

 

 それを知ってるからか、ヤフクは何かを鼻で笑う様に言い零す。

 

「これ以外方法が無いとは言え、酷な話じゃて。モースもえげつない奴よの」

「…どういう事だ?」

「分からんか?」

 

 すると、ヤフクはカイナを正面に捉え見上げる。小さく老いたゴブリンだが、その真剣な目は確かに「モース団長を良く知っている者」の目だった。

 

「確かにモースは単純で良い奴じゃが、したたかでもある。「危険だからまだ団を出るな」ってのは、黒目の旦那とお前さんに残って貰う為の方便よ。戦力になるからのう」

 

 カイナには、モースがどう言う相手なのか未だ良く分からない。精々、擦れ違ったら会釈する程度だ。そもそも、イゼラ以外の団員と話せる様になったのがつい今さっきなのだから、話した事すらない。

 

 ただ少なくとも、モースの冷酷な一面を語るこの老ゴブリンからは、どうしてか団長に対する軽蔑の念は見られなかった。

 それはきっと彼等の長が正しい選択をしているのだと、確固たる信念を持っているからだと、分かっているからだろう。

 

「巻き込まれたお前さんはどうじゃ?うちの団長が憎いか?」

 

 だからカイナもその問い掛けには、あくまで淡々と答えるしかない。モース団長と違って、何が自分にとって正しいのか間違っているのか、もうカイナには分からないのだから。

 

「別に、命懸けの戦いには慣れてる。そもそも巻き込んだのは私とニスモの方だ」

 

 どんな戦いだろうと、カイナにとっては何てことないものだ。今の彼女には、大義も無ければ正義も無い。眼前の物事を、ただ処理していくだけだ。

 

 それが堪らなく虚しい。今回の戦いで勝とうが、それで何を得られるというのか。

 ただ旅を続ける為に戦う。そうして仲間たちと再会した所で、これまでの様な日々は送れないだろう。今のカイナは、タクトたちの良く知るカイナとは言えない。

 つまりは、ただ死なない為の戦い。死にたくないから生きるその先に待つものは、到達点のあやふやな虚無だ。それは果たして、死ぬ事とどれ程の差があるというのか。

 

 だが、死ぬのは怖くない。

 そんなものは、とうの昔に捨て去った。神に忠誠を誓った時から、或いは戦いに慣れた時から、今この瞬間まで。それはきっと、これから先も変わらないのだろう。それは騎士として、戦士として、避けられない宿命だ。

 目的も曖昧で、欲も無ければ、正義も分からず、死すらも怖くない。それで死なない為の戦いなど、気力を維持出来る訳がない。

 

 もしこれで死ぬのが怖ければ、自分の中で何かが変わったのだろうか。

 いや、きっと何も変わらない。弱い人間が死を恐れた所で、ただ蹲って震える事しか出来ないのだから。

 

 そんな事を無意味に考えていたからか、イゼラが女騎士の腕を掴んでいた事に、当の本人は気が付かなかった。それはいつもの感触とは違い、消える様な儚さを感じた。

 振り向いてみると、予想した位置にイゼラの顔があった。不安気な表情を健気な笑顔で覆い隠す、それでも変わらず美しい、イゼラの顔が。

 

「カイナは…死なないよね?」

 

 恐らくは「殺してはいけない」の辺りから、そんな表情だったのだろう。声も、まるで別人の如く弱々しい。

 

 どう返せば良いものか。

 死なないと答えれば、その表情は晴れるのだろうか。だがそれは、あくまで一時的なものに過ぎない。もしカイナが死んだら。

 その先は、何も想像出来なかった。想像したくなかった。

 

 だからカイナは、また逃げてしまった。

 

「……分からない」

 

 その返答を聞いて、イゼラの顔に辛うじて存在していた笑顔は今度こそ消えてしまう。その顔をカイナに見られたくないからか、イゼラは遂には俯いてしまった。

 

「…ゴメン、アタシちょっとその辺ブラついてくる」

 

 そう言い捨てると、イゼラはテントから出て行ってしまう。涙によって波打つ黄金の湖を、僅かに覗かせながら。

 

 嗚呼、やってしまった。

 選択を誤ったカイナはそう思いながらも、追いかける事は出来なかった。今優先すべきは、一分でも早く剣を厳選する事だ。屋外で実際に持って、振って、己の身体と照合させる事だけだ。衣服や装備品の調達も急がねばならない。敵は待ってくれないのだから。

 若しくは、それすら体の良い言い訳なのかもしれない。今すぐイゼラを追わねばならない事は、流石のカイナにも分かっていた。

 

「…急に何を恐れる」

「?」

 

 突然何を訊いてくるのかと、カイナはヤフクを見て首を傾げる。

 ただその爺が作業台に並べられている剣、もといそれらを品定めしているカイナの手を見ていた事に気付き、カイナも同じく己の手を見る。

 

 そして、柄を握る己の手が、酷く震えている事に気付く。

 それは最早痙攣に近く、心臓に毒でも直接流し込まれたかの様だ。

 

(…何だ?)

 

 どんなにその手を押さえつけても、両手で身体を包み込んでも、剣を見る度に震えは止まらなかった。

 初めて異種族と戦った時も、どれだけ難関な依頼(クエスト)に挑んだ時も、ここまで酷い震えはただの一度も無かった。

 

 今更になって何故こうなったのか、己の心を理解しきれていないカイナには分からない。

 

 それでも、これだけは認めるしかなかった。

 縋るイゼラの波打つ黄金を見てから、震えが始まったのだと。

 

 今まさに、人生で初めて、己が死を明確に恐れているのだと。




ご感想、心よりお待ち致しております。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第9話 境界無き愛

「いいねぇ!似合う似合う!」

 

 既に剣を新調したカイナは、一息つく間もなく装備品の調達に勤しんでいた。

 今現在、カイナが携えている剣は2本。一本は今回の戦いで使う新たな剣、もう一本の予備は最初にニスモから譲り受けた剣だ。

 

「人間ってさぁ、ホント金髪に白い服が似合うよねぇ」

「…そうか」

 

 露店で衣服を試着しているカイナは、興奮気味のアラクネに対して、興味無さげに短く返す。

 どころか、生気すら薄く見える。旅を始めて漸く、寝間着からまともな冒険服に着替えられたと言うのに。似合うからと、半ば強制的に着せられたからだろうか。

 それもあるのだが、大本の部分はそうではない。自分一人だとこんなにも静かなのかと、カイナは今になって思っていたのだ。

 

「勿論、優れてんのは見た目だけじゃあないさ。ヤンピーの皮とベスの樹皮の合成だかんね。間接まで隈無く、対魔対物効果有りさね。胸部に至ってはソイツを三重にしてるから、プレートアーマーにも匹敵するよ。流石に兜までは容易できないけど、そこは勘弁してくれな」

「…不気味な程に軽くて動き易いが、本当なんだろうな」

「お姉さんを信じなさいな。夏服もどうだい?防御力はだいぶ落ちちまうが」

「ああ、頼…」

 

 言おうとして、カイナは鏡に映る自身を再度見る。本革作りのロングブーツとベルト以外は、ほぼ白で統一されている。

 嘗てのカイナも、似た様な白い恰好でクエストに挑んでいた。そんな充実した日々を、微かに思い出していたのだ。

 

 そしてカイナは、薄らと笑った。それは諦めたとも、吹っ切れたとも取れる顔だった。

 

「…これと同じので、黒っぽいのはあるか?」

「?…まぁダークグレーなら、夏冬両方あるね。絶っ対似合わないと思うけど」

「いいんだ、それで頼む。…お代なんだが、本当にタダでいいのだな?」

「団の危機なんだ、しゃあないさ。あ、でも夏服の分は払いなよ?どうせ今回の戦いじゃ着ないだろ?」

「う、うむ…」

 

 こうして、漸く冒険者らしい恰好となったカイナは、アラクネの店を後にした。

 

 

 が、それからはどうにも途方に暮れ、所在無さげに市場を彷徨うしか無かった。その様は、まるで誰かを探しているようにも見えた。

 

 途中、時折自身の携えている剣が視界に入り、その都度カイナは悪寒に襲われた。

 同時に、ハーピーの少女が脳裏へと浮かんだ。

 

 

 

 

 

 バイゼルが力無く座り込むカイナを目の当たりにしたのは、丁度店終いの直後であった。

 何故一人で居るのか大方察しが付いている彼は、一先ずその事を伝えるべくカイナの隣に座る。

 

「お疲れ様です。恰好、様になってますよ」

「…」

「さっき、イゼラが団長に食ってかかってましたよ。カイナ殿とニスモ殿を、東の果てまで逃がせと」

「…無駄な事を」

 

 今更過ぎるイゼラのそれは、無意味で誰の益にもならない抵抗であった。

 当然、そんな抗議が受け入れられる筈もないし、引き返すなんて他ならぬカイナとニスモも望んではいない。

 

 ただ、何故イゼラがそんな愚行に及んだのか、カイナには十分な心当たりがあった。

 

「本当、困った娘です。今テントで塞ぎ込んでて…宥めようとしたら「失せろ根暗親父」の一蹴で、もう泣きそうになりました」

 

 父親がそんな事で泣くなと言いたいカイナだが、正直それどころではなかった。

 恐らくバイゼルは、遠回しにこう聞いているのだろう、イゼラと何かあったのかと。今カイナは、それに対する返答を纏めている所であった。

 

 カイナとしても自分の失敗故に言いたくなかったが、何が起きたか知る権利くらい父親にはあるだろう、とも思ってしまった。

 よって、仕方なく話した。

 

「……「死なないよね」と聞かれて「分からない」と答えてしまったのだ」

「…成程」

 

 カイナを死なせたくないから、カイナが死んだら自分も悲しいから、恐らくそれらがイゼラを動かしてしまったのだろう。カイナの為と、イゼラ自身の為、その両方の感情が。

 それ以外の要因が浮かばなかったバイゼルは、次なる言葉を贈る。

 

「でしたら、イゼラに「死なない」と言って頂ければ済む話かと」

「…もしそれで死ねば、彼女に嘘を付く事になる。戦場に絶対は無い」

「そうですね…」

 

 流石に、バイゼルもその点は否定出来なかった。戦場ではないにせよ、彼も目の前で数多くの仲間を失ってきたのだから。

 そしてそれは、イゼラも同じだ。

 

「ですがイゼラも、本当は分かっているんじゃないかと思います。それが所詮「口約束」に過ぎない事は」

 

 例え嘘でもイゼラは言って欲しかったのだ。ただ一言「死なない」と。

 

「それでもアナタは、()()()()()()()のが怖いですか?」

 

 バイゼルの言う「怖い」とは、何に対しての事か。単に、カイナの中で育ってきた嘘に対する抵抗か。それとも、「死」そのものに対してか。

 

「イゼラもずっと、アナタを失うのが怖かったんです。賊軍の存在を知ったあの時から。アナタにだけはバレないよう、懸命に隠していたみたいですが」

「…え?」

 

 そんな事、カイナはまるで気付かなかった。辛い過去があっても、元気で前向きな少女。イゼラの影なんて、眩し過ぎるその像に隠れてしまっていた。

 湯船での抱擁も、市場での気丈な振る舞いも、イゼラの内心は恐怖でいっぱいだったのだ。カイナを失う事への。

 そこでカイナは、漸く思い至る。武器屋でのイゼラが、どうして泣いていたのか。あの時、何を思っていたのか。

 

(そうか…アレは、溜め込んでいた恐怖が溢れてしまって…)

 

 あの時の自分の馬鹿さ加減に、カイナはうんざりする。

 カイナが居なくなってしまうのが、怖い。そんな当たり前な事、あっさり思い至れた筈なのに、どうして何も言えなかった。イゼラがカイナに抱く、好意をも超えた尋常ならざる想いなんて、薄々気付いていたのに。

 いや、目を反らしたのだ。カイナが死ねばイゼラがどうにかなってしまう、という未来から。それでも結局カイナは逃れられなかった。自身の死によってイゼラが壊れる、という恐怖に。

 

 「嘘を付く訳にはいかないから」というのは、さぞかしカイナにとって都合の良い隠れ蓑だったろう。

 

 今更になってカイナが気付いたイゼラの恐怖も、父親だけは分かっていたのだろう。

 それでも、バイゼルにはただ見守る事しか出来なかった。「カイナは死なないから大丈夫」と、安寧に身を任せている自分がそう言った所で、何の説得力があろうか。そんな諦観が、バイゼルの心を押し留めてしまった。

 

 では、今のカイナはどうか。自分自身から逃げておいて、果たしてイゼラに言葉を贈れるのか。

 それに関しては、バイゼルがお墨付きをくれた。

 

「もしアナタも何かに怯えているのなら、イゼラの気持ちが分かる筈です。…さて、私はそろそろ行きます。あとは若い者同士、どうぞご自由に」

 

 最後にそう言い放って、イゼラの父親は行ってしまった。

 

 底知れぬ恐怖に苛まれている、それが何なのか明確に理解している、今のカイナだからこそ。

 そう考えてしまうと、流石にもう逃げ道は無かった。

 

 

 

 

 

 テントの外から、頼りなさげな足音が聞こえてくる。

 また根暗親父かと、体育座りのまま微動だにしないイゼラは溜息を吐く。

 

 そして足音は、入口前で止まった。

 

「イゼラ、入るぞ?」

(……カイナ!?やばっ)

 

 予想していた相手と違ったので、慌てて姿勢を正すイゼラ。

 これ以上、カイナに弱い姿を見せては駄目。イゼラの慌てようからは、そんな意思が見え隠れしていた。

 

「い、いいよ!入って入って!」

 

 イゼラがそう促すと、幕を上げてカイナが入ってくる。その姿は、黒い様で辛うじて黒ではない様な、黒騎士と呼ぶには中途半端な外見であった。

 

「さっきはゴメンね、急に出てったりして。もう大丈夫だから!…それよりカイナ!冒険着、ダークグレーにしたんだね!ちょっと似合わないけど、新調できて良かったね!」

 

 そう普段通りを装いながら接しても、カイナは変わらずただ静かにイゼラを見ているだけだ。それは、イゼラの内心を見透かしているかの様であった。

 だが、そこから放たれる声は、酷く弱り切ったものだった。

 

「……私は怖い、イゼラ」

「えっ?」

 

 突然そう切り出すと、カイナは困惑するイゼラの手を握った。それは縋る様にも、イゼラの手を温める様にも見えた。

 そして尚も足りないとばかりに、弱音に満ちた言葉を繰り出し続ける。

 

「死ぬのが…怖い。死にたくない…」

「…」

 

 悲痛に尽きる声だった。川辺で始めて出会った時も、本心ではこんな声を出したかったに違いないと、イゼラは思ってしまった。

 だが、カイナの瞳は曇っていなかった。怖い筈なのに逃げもせず、目の前のイゼラを逃がしもしない、そんな意志が滲み出た瞳だった。

 その声と瞳で、イゼラを懸命に覆っていた快活さも困惑も、次第に離散していった。まるで光にでも当てられたみたいに。

 

「何より…君を悲しませたくない」

 

 そんな瞳のまま、カイナはイゼラを見つめる。己が感情の全てを共有しようとするその瞳は、イゼラの中に潜む感情をも引きずり出そうとする。

 それでもイゼラは、構わず女騎士の震える瞳を見つめ返す。その帰結として、感情が目から零れ落ちそうになる。

 

「だから…言おう。私は死なない。必ず…生き残る」

「……カイナ…ッ」

 

 この言葉を、決して嘘になどしない。何も道を定められない自分でも、それくらいは出来る。

 そんな覚悟を乗せてそう言うと、カイナはイゼラを強く抱き締めた。イゼラの抱擁と違い無骨ながらも、それでも何かから守る様に。

 

 抱き締められ、もう感情を隠す必要性すら完全に失ったイゼラの瞳から、大粒の涙が止めどなく流れ出た。黄金の球体が、カイナの温もりにより、優しくジワジワと溶かされる。

 

「…君も…怖いか?」

 

 耳元で問われると、イゼラはカイナの首を包む様に、両腕で抱き締め返す。そして、零れる雫を惜しむ事無く、今にも萎れそうな声で答える。

 

「怖い…怖いよ…カイナ。こうして抱き合えなくなるのが…怖い…」

 

 同時に、イゼラは嬉しかった。カイナが本音を言ってくれた事と、それに対してイゼラ自身が本音で返せた事が。

 イゼラもまた、カイナと同じ勘違いをしていたのだ。きっと怯えているのは自分だけだと、それでカイナを心配させてはいけないと。

 

 互いの恐怖を紛らわす様に、そして喜びを分かち合う様に、2人はただ抱き締め合った。誰の目も無い密室の中、時間という概念を彼方へと置きやって、いつまでもどこまでも。

 

 賊軍の接近を知ったあの時、イゼラは守ってあげると言った。それが冗談かどうかは分からないが、カイナはお節介だと思ってしまった。事実、イゼラは非戦闘員だ。

 その実、守るどころではなかった。もうカイナは、とっくに守られていたのだ。イゼラという存在そのものによって。

 イゼラが居なければ、死を恐れる事すらなかった。

 

 だからもう、死ぬ訳にはいかないのだ。今この時も、これからも、イゼラが守ってくれるのだから。

 もしこれで死ねば、カイナは本当の本当に騎士失格だ。

 

 

 今、何も無かった騎士見習いは、漸く一つの小さな目的を定めた。

 生きる。自分と同じく泣き合っている、このハーピーの少女を悲しませない為に。ただそれだけの為に。

 

 

 

 

 

 行商団を見渡せる、小高い丘。

 お気に入りの場所であるそこから、ニスモは黄昏れる様に見ていた。星も見えない曇り空の下、暗黒と僅かな光が織り成す西のずっと先を。

 或いはその更に先、ユートリアン大陸西端のもっと奥まで、その黒眼で捉えようとしているのかもしれない。

 

 思いを馳せるのは、やはりこの世界の事だろう。未だ2つの大陸しか判明しておらず、数多くすら生温い程の謎を抱えているのだから。

 今も雲の上に浮いているであろう月は、登る事が一日の合図である太陽は、何処から来て何処へと帰るのだろうか。同じ時期、どうしてあの地は震え上がるほど寒いのに、その地は蒸し上がるほど暖かいのか。それらすら、誰も何も解らない。

 

「…何をしている?」

「やぁ」

 

 バイゼルから居場所を聞きつけたのだろうカイナが、後ろから声を掛けてくる。ダークグレーの冒険着に2本の長剣を挿すその姿は、これまでの姿とは対照的だ。

 新しい剣はどうやら、ニスモが洞窟で与えた長剣とほぼ同サイズの様だ。柄に埋め込まれている注入石からして、魔力注入に優れているのだろう。肉体への切れ味を除けば、ニスモが与えた剣の上位互換と言った所か。

 

 それらに身を包んでいるカイナの顔は、決して浮かれた表情ではなかった。疲れた目つきこそ相変わらずだが、その瞳には確かな芯が通っている様な淡い光があった。

 

「ゴメンよ。稽古の時間だったね」

「…で?」

「ただ遠くを眺めていただけさ」

「遠く?」

 

 まさか賊軍がもう来たのかと、カイナは懸命に目を細める。当然そんな集団は見えず、ただ青黒い横線が視界の端から端を横断していた。

 そんなカイナが面白かったのか、ニスモは一瞬だけ口元を綻ばすと、何を思ったのか少女に問い始める。

 

「あの先は彼方まで平面になっているのか、それともどこかで途切れているのか、若しくは一周して僕たちの居る場所に繋がっているのか…君はどう思うカイナ」

 

 突然の問い掛けというのもあったが、そんな事なんて考えた事もなかったカイナは、唸るように頭を回してしまう。カイナにとっては、2つの大陸の事でも十分お腹いっぱいだ。

 だからこそ考えてしまった、というよりは願ってしまったのが次の言葉だった。

 

「…世界なんて、貴様の地図で十分だ。それ以上を考えたら、気が遠くなる」

 

 いたちごっこだと、カイナは思っていた。

 ユートリアン大陸での常識は、ギヤ大陸では通用しない。では更に新しい大陸が見つかれば、今度はギヤ大陸で培った常識が通らないかもしれない。

 それはどうにも、キリの無い話ではないか。

 

「私はこの大陸に来て、色んな事を学んだ。それすら否定されたら…今度こそ何も信じられなくなる」

「そうだね。けど…」

 

 ニスモは再び、地平線とも分からない世界の彼方を見ながら言う。

 

「愛だけは、どの世界でも通用すると、僕は信じたいけどね」

「…」

 

 愛。その単語を聞くと、どうにもカイナはむず痒くなる。タクトに会えない事が、欲求不満となって現れているのだろうか。

 思えば、どうして自分はタクトを愛したのだろうか。ここ最近、カイナはその切っ掛けを細かく思い出す事が出来ない。或いは思い出せているのかもしれないが、それで赤面する事もなくなった。それは大人になったというより、別の何かに意識が囚われているかの様だった。

 人を愛するとは、どういう感覚だったか。タクトに会えば、また思い出せるのだろうか。

 

 一人黙考するカイナを置いて、ニスモは続ける。

 

「君だってイゼラと出会い、分かった筈だよ。自分の原動力となる愛だけは、どの世界も変わらないと」

「…誰が誰を愛してると?」

 

 カイナのそれは怒っているとかではなく、何の事か本気で分からないという表情だった。

 予想とは全く違う反応が返ってきたからか、流石のニスモも困惑する。

 

「…イゼラの事、好きなんでしょ。自覚ないのかい?」

「いや何故そうなる?確かに、イゼラの方は私の事が好きかもしれないが、私は…。まぁ友達としてなら…」

「…」

 

 思わず絶句するニスモ。イゼラに対するカイナのアレコレを、単なる友情で片付ろと言うのか。

 ニスモの内にあった困惑は、ドン引きに変わっていた。自分の事は他者の視点でないと分からない、とは良く言ったものだが、これ程の症例はニスモも見た事がない。団の誰もが気付いていると言うのに。

 

(そうだった…この子、馬鹿だった)

 

 色々と思い出し、強引に納得するしかないニスモ。戦いの才能は抜きん出ているのに、どうしてこういう所だけ駄目なのか。

 

(けど…)

「…今度は何だ?」

 

 出会ってから今までを思い返すべく、ニスモは改めてカイナを見る。

 やはり、少しだけ大人びた様に見える。

 

(ただの馬鹿ではなくなったかな)

 

 そう思ったニスモは、自虐じみた笑みを僅かに浮かべる。結局自分では、カイナを成長させる事が出来なかったと。

 

 無論、ニスモの役割は大きかったと言えよう。

 もしカイナがいきなりこの丘に転移していたら、訳も分からぬままこの行商団と敵対していた可能性が高い。そうなれば、イゼラも殺されていたかもしれない。他ならぬカイナの手によって。

 ニスモと相対し、学び、悩む事がある程度の準備となったからこそ、カイナは異種族と打ち解ける事が出来たのだ。

 

 ただ、どうしてもニスモは「もしも」を考えてしまう。例え自分と会わずとも、カイナが団の誰かを殺める事なんてなかったのではないかと。

 そうなれば、後はお人好しのイゼラ辺りと打ち解けて、勝手に成長していったのではないかと。

 

 そこは、もう心の中で割り切るしかなかった。そんな都合の良い展開、そうあるものではないと。

 故にニスモは、溜息の如く言葉を吐き出した。まるで己を説き伏せる様に。

 

「不運にも賊とかち合う事になったけど、やっぱり君をこの団に連れて来て正解だった…と思ってね」

 

 言葉で直接肯定する事はしなかったが、そこはカイナも同意だった。

 人間に善人と悪人が居るのと同じく、異種族にだって様々な思想の持ち主がいる。中にはかの賊共の様に、人間を歓迎しない連中だって居る。だからカイナは、出会ったのがこの行商団で良かったと思っている。

 

 ならば、何かニスモに言う事がある筈だと、照れくさそうに頭を掻く。

 

「…一応、感謝はしている。貴様は相変わらず気に食わないが、貴様が居なければ、イゼラたちと出会えなかったのも事実だ」

 

 「直接此処に転移していたら」なんて、そんな発想カイナの頭には最初から無いらしい。馬鹿なだけなのか、それとも成長したからこそなのか。

 いずれにせよ、カイナに一本取られた様な気がして、自分もまだまだだなとニスモは反省する。出会った当初は、何を言ってもニスモに言い負かされていたのに。

 

「それより、早く稽古に付き合え!今回からは本身でだ!」

 

 いや、やはり馬鹿なだけなのかもしれない。

 

「…死ぬよ?」

「上等だ」

 

 強気な言葉と裏腹に震え上がっている声を聞いて、馬鹿さ加減に拍車が掛かっている様に、ニスモには思えた。

 今のカイナを見ていて、ニスモは深く考えるのが馬鹿らしく思えてきた。

 

 考えないのは馬鹿、考えるのも馬鹿、世の中馬鹿ばかりなのだろうか。

 ただ、己が定めた到達点に突き進むのであれば、敢えて考えない方が上手く事を運べたりする。成長した眼前の馬鹿からも、似た様なものをニスモは感じていた。

 

 ならばもう、ニスモもこれ以上考えまい。

 折角カイナが、これまでに無い程のやる気を帯びているのだから。その原動力が生きている内に、付き合ってやるのが道理だ。

 

 それは最早、泣きそうなほど怖いモノへ自ら突っ込むくらいには、カイナの意志を尖らせていた。




ご感想、お待ちしております。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第10話 誰もが弱い

 どちらが先に仕掛けたか、そんな事は今となっては分からない。

 いやもし分かったとしても、意味なんてまるで無いのだろう。目の前に広がっている、この惨状を前にしては。

 

 その黒き狼人は戦った。皆を人間から守る為に、生き延びる為に、長い年月を懸命に懸命に戦い抜いた。いつかは何処かに逃げ切れると、そう信じて。

 

 その結果がこれだ。

 人間共によって壊された、人ならざる者たちの焼死体、溺死体、轢死体、切断死体。狼人が無駄なく返り討ちにした、人間たちの美しい死体。物言わぬ肉となったそれらから流れ出る、赤、青、黄色、緑、その他色とりどりな血液の湖。

 

 唯一無二、狼人だけがその場に生きて立っていた。無残な姿となった我が子を抱えながら、あらゆる部位が抉り出された妻の亡骸と相対しながら。

 

 涙は流れなかった。そんなものは、未だ治まる事の無い猛火に阻まれていた。

 一体誰がやったのか、ただそれが知りたかった。

 

 妻と子が殺される瞬間を確かに見たが、下手人の顔もその後の事も、もう覚えていなかった。気が付けば、周囲の人間共を皆殺しにしていた。

 ではこの死体の中に、殺した張本人がいるのだろうか。それとも、どさくさに紛れて逃げ果せたのか。

 もし仮にそいつが逃げ果せたのなら、もっと多くの人間を殺さねばなるまい。いや、一人残らず全ての人間を殺さねばなるまい。その中に、逃げた主犯が紛れているかもしれないのだから。殺し損ねた可能性が、僅かでも残っているのだから。

 別に良いだろう、何人殺したって。逃げたか死んだかも分からないその下手人と、同じ種族であるのが悪い。つい先程まで凶行を繰り広げていた、この骸共と同じなのが悪い。

 そして全員殺したら、自分も死のう。もうこの世界に未練も無ければ、生きる理由も無い。

 そこまでしなければ、この憎悪は止められない。

 

 そんな禍々しい決意をする直前、狼人はふと視線を落とした。

 何故かは分からない。それは自分の意思というよりかは、もっと本能的で、それでいて外なる力に引っ張られる様な感覚でもあった。その冷たい現実から目を離すな、とばかりに。

 

 視線の先には、未だ自身が優しく抱えている、変わり果てた我が子があった。もう息を吹き返す事も、抱き上げる意味すらも無い、冷え切った我が子が。

 それでも尚、血に染まった戦士の腕は、小さき亡骸を離さなかった。離せなかった。剣を握ろうともせず。

 苦痛に歪んだ、見るに堪えない我が子の顔。だのに黒き狼人は、どうしてもその目を逸らせなかった。逸らして代わりの誰かを殺せば、楽になる筈なのに。

 その帰結として、狼人の心を冷たい何かが満たしていった。

 

 煮え滾っていた復讐心は、今や凍り付く様な悲しみに飲み込まれていた。

 憎悪は、その冷たい悲しみとの同居を許していた。

 

―――ゴメンな

 

 妻と我が子の亡骸と向き合い、短くも悲痛なる謝罪の言葉を零すと、漸く狼人は涙を一滴零した。その一滴が決壊の起点となったのか、涙はそのまま川となった。

 

 怒りに身を任せた狂戦士は、最早そこには居なかった。

 居るのは、大切なものを守り抜けなかったという事実に、ただ嘆き悲しんでいる黒狼だけだった。

 

 それは或いは、妻と子が最期に残した、黒狼への救いの手だったのかもしれない。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 遅すぎる救出を受け、飛龍にてギヤ大陸へと渡った黒狼は、浜辺近くの村で偉そうな蛙男と相対していた。

 

「貴様…人間が憎くはないのか?ええ?」

 

 後に頭領と呼ばれるその小太りな蛙は、自慢の話術で説き伏せられない黒狼を前にして、歯軋りを隠せなかった。

 

「憎いさ、ティラント人は特にな。だがな、アンタら何か勘違いしちゃいねぇか」

 

 黒狼は蛙と、復讐に取り憑かれた周囲の者たちを見回しながら、冷たく言い放った。

 

「家族だろうと親友だろうと、死んだらそれで終いだ。何をしたところでそれは変わらねぇ。だったら誰かを傷付けるより、死んだそいつと向き合う方が、よっぽど有意義だとオレは思うがね」

 

 数秒の沈黙の後、周囲から湧いたのは黒狼への罵声であった。

 やれ臆病者だの、革命を恐れる腰抜けだの、先の事を全く考えていないだの、人間の悍ましさをまるで解っていないだの、それはもう散々に言われた。

 

 確かに、黒狼と同じく大切な者を奪われた彼等には、そう言い放つ資格があるのかもしれない。

 だがそんな言葉を受けても、黒狼の意志が揺らぐ事は無く、周りを見る目はどこまでも哀れみに満ちていた。

 

 

 そして黒狼『モース』は一人、別の道を歩んだ。

 自身の中から復讐心を消し去ってくれた、大きすぎる悲しみを胸に秘めながら。

 

 だがそれで良かった。

 その悲しみは、妻子と過ごしてきた確かな証でもあるのだから。

 

 

 


 

 

 

 こんな夜に、時々こうして剣身を引き抜くと、そんな過去が鮮明に蘇る。まるで追体験でもしてるかの様に。

 刃。鏡よりも怪しく光るソレが、モースは忌々しかった。ただ喪失と悲しみばかりを、際限無く増やしていくから。

 自分が悲しいのはいい。だが他者の悲しみは、モースだって容認出来るものではない。

 

 その度に自覚させられるのは、自身の脆弱さであった。普段の豪傑さなど、長として必要な仮面に過ぎない。

 その弱さこそが、厄災からこの行商団を遠ざけ、少しでも最善へと導く選択を生んでいるのも事実だった。誇らしいと思った事は、モース自身今まで一度も無いのだが。

 

 ただモースは、隠しているつもりも無かった。

 この行商団こそ、妻子を失ってからこれまでにおける、モースの結晶体なのだ。第二の生涯そのもの、と言い切ったっていい。

 故に、己の弱さでそんな団を救えるならそれはそれで別に良かった。

 

 モースは違うのだ。復讐という暴力で弱さを誤魔化している、嘗て袂を分かった頭領たちとは。

 

 

「ヤッホー団長」

 

 勝手に入口を捲ってはズカズカと踏み入ってきたイゼラにより、折角のセンチメンタルな空気が台無しになる。それは果たして、今のモースにとって吉か凶か。

 

「何だ我儘姫。何と言おうと、今更オレの方針は変わんねぇぞ」

 

 鞘に剣を戻したモースが冷たくそう言うが、イゼラに反抗の意思は見られなかった。寧ろ彼女にしては珍しく、塩らしさすら感じる。

 

「…さっきは言い過ぎた、ゴメン。団を守る為に必要なんでしょ?」

 

 別にモースも気にしてはいなかった。自身が冷徹な判断を下した事くらい分かっているし、いずれ言われるとは思っていた。

 それに近しい言葉を返そうとした所で、イゼラが続けた。

 

「それと、団の非戦闘員を一時避難させるって話だけど…アタシ、パパと一緒に残るから」

「駄目だ、危険過ぎる」

 

 ほぼ反射的に、モースはイゼラの提案を切り捨ててしまった。却下した直後、遅れてモースが驚愕する程に。

 当然だろう。敵の頭領の本命がハーピーである事は、団全員が承知している。だからこそ、敢えてバイゼルだけを残すのがモースの作戦だ。

 つまりもしこの場に残れば、場合によってはイゼラが真っ先に狙われる可能性すらある。それを、父であるバイゼルが許す筈ない。

 

「もしアタシが皆と一緒に避難したら、敵の分隊が追ってくるかもしんないでしょ?どうせ連中、メムシいっぱい持ってるだろうし。そしたら尚のこと皆が危ない。けどアタシだけ別方向に避難させたら、それはそれでパパも猛反対する。だったら残って、アンタの作戦通り動いた方がマシ」

 

 先の剣幕が嘘の様な、冷静で合理的な考えだった。

 今回、賊軍の標的は頭領と軍全体とで異なっている。頭領個人の本命がハーピー、軍全体の建前が人間だ。だが確かにあの蛙野郎なら、臨機応変な話術で別の理由を組み立て、軍全体にハーピーを優先させても不思議ではない。

 

 あの猛抗議から、どんな心境の変化があったのだろうか。

 モースもそんなイゼラの変貌ぶりに触れたい所だが、未だ色々と問題点があるのでその部分に突っ込みを入れる。

 

「あの騎士見習いを大事に思うんなら、尚更お前は戦いから離れるべきじゃねぇか?連中がお前を人質に取る事も有り得る。第一父親はどう説得する?」

「アタシが此処から離れれば、カイナだってますます心配するでしょ。そうなったらきっと戦いに集中できない。けどアタシがパパと一緒に居れば、カイナだって安心する。パパはアタシがボコボコにしてでも説得する…これでいい?」

 

 梃子でも動きそうにない、強い目だった。言葉として聞くまでもなく、危険は重々承知であるとその目は語っていた。

 

 イゼラは戦える訳でも、何か特殊な能力を持っている訳でもない。持っているとすれば、精々軽い治癒魔法くらいか。

 それでも間違い無く、自分なんかよりもずっと強いと、モースは思った。

 それはきっと、彼女の根本にある原動力が「悲しみでない何か」だからだ。嘗てイゼラ自身も味わった、仲間の喪失ではないからだ。それが何なのかは上手く言い表せないが、もっと温かく、もっと前向きなものなのだろう。

 或いは、よりはっきりと高い次元に、研ぎ澄まされたのかもしれない。ここ最近の出来事により。

 

 本音を言うと、モースは戦いたくなかった。暴力を避けたかった。極力殺さないというのも、そう言った私情が僅かに交じっている。元凶たる蛙だけは別だが。

 殴られれば殴り返す、斬られれば斬り返す。理性そっちのけで憎悪ばかりが連鎖していくから、戦争とは度し難い。

 戦い抜いても、何も残らなかった。そんな嘗ての実体験が、モースを苦しめる。茨が手足を絡め取るが如く。

 やはり大人しく逃げた方が良かったのではないか。静かな夜にふとそう考える事も、少なくなかった。

 戦っても、戦わずにこの厳しい世界を彷徨っても、どちらにしろ団を危険に晒す。ならやはり、目の前の争いを避けるべきだったのではないか。

 

 だが、目の前の強い少女を見ていると、そんな迷いが薄れゆく。自身の判断は間違いではなかったと、少しでも胸を張れる。

 あの戦いの日々が、無意味ではなかったと言い切れる。そんな気がした。

 

 故にモースも、イゼラの意志と自身の判断を信じる事にした。

 

「分かった分かった。けれどな、絶対作戦通りに動けよ?いいな、絶対だぞ?」

「ハァイ」

 

 ただ、モースは気付いていなかった。

 強き心は一度崩れると、一気に負の側面へ飲まれるという事を。いざ訪れる悲しみへの耐性が無いという事を。

 

 イゼラにとってその崩壊の始まりこそ、カイナの喪失なのだ。

 

 イゼラだけではない。程度の違いこそあれ、誰もが何かの喪失に、日々怯えている。

 

 そう考えると、本当に強い心の持ち主なんて、この世の何処にも居ないのかもしれない。

 

 

 

 

 

 深夜の広場。

 普段なら店終い後の閑散とした様相なのだろうが、今は違った。地には動かしたばかりであろう荷馬車の車輪跡があり、此処の日常では有り得ない様な「仕掛け」らしき物体もちらほらと見受けられた。それでもまだまだ乱雑としており、未だ「布陣」の完成には時間を要しそうだ。

 つまりは明日から、黒狼の行商団は暫くお休みだ。尤も、誰も休業なんて望んでいないだろうが。

 

 そんな広場中央では、ただならぬ表情の団員たちが集まっていた。ある種の局面に立つと、誰しもがそんな表情をするのかもしれない。

 そんな団員たちの中心で、先程からモースが内容を声に出している。作戦会議、は今からでは遅すぎるので、作戦の最終確認と言った所だろう。

 

「…以上が、練りに練った作戦の全容だ。最初の索敵以降もメムシを何度か飛ばしてみたが、全体的な行軍速度はさして変わらん。やっぱ予定通り、3日後の夜には連中も辿り着くだろうな。まぁ変わってたら、お前らにもとっくに伝えてるが。…ほんじゃ質問は?」

 

 モースがそう言って見渡すが、誰も彼もモースを真っ直ぐ見たまま挙手しない。その目に、迷いは微塵も無かった。

 と思いきや、そんな緊迫した空気知った事かと徐に手を上げる少女が一人。

 

「ハイ、見習いの嬢ちゃん」

 

 当てられた事で、皆がカイナに注目するが、特に意に介す事もなくカイナは口を開こうとする。だがやはり、モース団長と言葉を交わすのは始めてだからか、その表情は硬かった。

 始めてなのはモースも一緒だが、今はお互いそんな感慨に浸っていられる場面でもない。情報は、隅々まで早急に共有されなければならない。

 

「敵の頭を殺せない理由について、まだ聞いてない」

 

 カイナの問いに対し、黒狼は難しそうな表情をする。どう答えるべきかと言うよりは、自分だって可能ならそうしたいと、愚痴を零す様な顔だった。

 

「連中は言わば、いつ暴走するかも分からん「狂信者」に近い。上手いこと統率する奴がいるから、どうにか軍としての規律を保ててるんだ。そんな荒くれ者共から頭を奪った暁には、何が起こるか分からん。最悪、人間種かそうでないか自分たちで勝手に解釈決めて、今まで以上に理不尽な略奪をするかもしれん。ペムゼ森林周辺には、村やら里やらが多いからな」

 

 そのまま空中分解する可能性もあるが、そうなった場合も結局は同じだ。危険思想を抱いた武装集団が、周囲の村々へと解き放たれるのだから。そうして村々に犠牲が出れば、村民はこの地から離れていく。それは、行商団にとって大事な顧客を失うも同然だ。

 この辺りに人間種は居ないが、それも連中の()()()()()による。連中の目的は「人間を殺すこと」、その人間が居なければ新たな矛先を見出すまで。復讐に囚われた者の末路だ。

 

 つまり頭領を殺める事は、後々自分たちの首を絞める事にもなり得るのだ。

 

「…他には?」

「敵のメムシとやらは、破壊出来ないのか?」

 

 またしてもカイナの質問に、モースは答える。まるで講義中の学生と教授だ。

 

「ああそりゃ無理だ。とにかく頑丈なんよ、メムシってのは。例えるなら、ニスモが放つ渾身の一振りでどうにか破壊出来るかどうかだ。おまけに大抵上空を飛んでるし、小さくて半透明で素速いからよ、そもそも当てんのが至難だ。こんな暗がりなら尚更な」

「捕獲もか?」

「同じ理由でな。一応、アラクネのガストレに糸を張らせるが、やらないよりはマシ程度に思ってくれ。…んで、まだ何か訊きたそうだな?」

 

 最初に「質問は3つある」と言えば良かったと、カイナは少し申し訳なさそうにしながら最後の質問を繰り出す。

 

「周辺の村々に、増援の要請は?」

「そんなんとっくに出してるわ、駄目元だがな。んで誰も来なかったってのは、まぁそういう事だ。いくら此処が大事な市場だろうと、負け戦に貴重な働き手送り出すほど、村もお人好しじゃねぇ」

 

 それで漸くカイナの疑問を解消すると、モースは呆れた視線を黒眼の青年に差し向ける。

 

「つーかニスモよぉ。もうちっと嬢ちゃんにも教えてやれ!特にメムシの知識なんざ、この辺じゃ基礎中の基礎だろうが!」

 

 周囲から小馬鹿にされた様な笑いが小さく響くと、ニスモはそのままの表情で頭を掻いた。

 

「ゴメンよ」

「弁明は無しか?」

「無い」

 

 無表情で清々しい程に短く済ませたからか、点々と響いていた小さな笑い声は大笑いの渦となった。そんな中でモースだけは、困った様な溜息を短く零した。

 

 そんな周囲を見回して、緊張感が有るのか無いのか良く分からない行商団だなと、カイナは思った。同時に、モースと団員の関係性が改めて垣間見えた気がして、カイナも強張りが緩んだ。

 

 だがそれは、もう二度と解けないであろう呪いが、カイナの胸をチクリと刺す前触れでもあった。

 呪いはこう囁く。今こうしている自分と、嘗て何とも思わず異種族を狩り回っていた自分は同一人物なのだと。

 カイナは悟った。まるで消える気配の無いこの「疲弊」は、生涯消える事なんてないのだと。自分が彼等と一緒に喜んだ分だけ、自責の念が付き纏うのだと。

 いっその事、かの賊軍の様に復讐心剥き出しで迫られた方が楽かもしれないと、そんな馬鹿らしい発想さえ浮かんでくる。

 

 変に盛り上がっている皆と、誰にも知られず一人沈み行くカイナ。

 そんな雰囲気を一度リセットする様に、モースは質問の締め切りに入る。

 

「他に質問はねぇな?…ねぇなら解散!後はしっかり睡眠を取るように!明日も一日布陣の為に働いて貰うぜ!」

「ウィー」

「あいよー」

 

 モースの号令により、オークもリザードマンも蛇女も、他の皆も各々の寝床へと戻っていく。

 カイナ一人を除いて。

 

 沈鬱に支配されながらも、実はもう一つ訊いておきたい事柄がカイナにはあった。本当に、イゼラも作戦に加わるのかと。

 理解はしている。それが一番、マシな選択肢であろう事は。皆にとってもイゼラにとっても、そしてカイナにとっても。

 だから訊かなかったし、訊けなかった。自分の感情に任せた意見は、きっと合理性に欠けているから。奴等から少しでもイゼラを遠ざけたいというのは、完全にカイナの私情だ。

 イゼラの前で、そんなみっともない姿を晒したくはなかった。

 

 自分たちが作ったルールを律儀に守るなら、連中がイゼラを殺す事なんてないのかもしれない。

 それでも、心であれ身体であれイゼラが傷付くのであれば、どうにかならないものかと考えずにはいられない。

 

 そして考えた分だけ、どうしても憤りを向けたくなる。富も他者すらも我が物にしようとする、我欲の権現に。

 己が欲の為に、どうして他者を傷つけられるのか。どうしてその力を、他者の為に使えないのか。カイナには理解出来ない。

 その思いは、今も昔も変わらない。知識と経験が増え、視野が大きく広がってしまう事で、今のカイナの様に苦しんでしまうだけなのだ。

 

 誰であろうと何であろうと、傷つけずに済むのなら傷つけたくない。カイナがその内心に気付いたのは、「敵を殺してはならない」とニスモから聞かされた時だ。

 あの時、カイナは面倒だなと思う反面、安堵もしていた。逆に殺されるリスクが上がるのだとしても。

 愚かなあの頃の様に、異種族を手に掛けずとも良いのだから。

 

 きっと自分は、思っていた以上にずっと弱くなっているのだろう。何も知らなければ、あの頃のまま強く居られたのだろう。

 

 

 一人取り残されたカイナが沈んだままそう思っていると、偶然にもイゼラと目が合ってしまう。

 

「…」

 

 少し距離があるというのもあったが、互いに言葉は交わさなかった。

 加えて、テントでの一件からまだ数時間しか経っていない。少なくない気不味さはあるだろう。何がどう気不味いのかは、当人たちにしか分からない。

 

 カイナは表情を変えぬまま動かないが、それでもずっとイゼラを見ていた。自身を更に弱くしてしまった張本人である魔女に、ただ見とれていた。

 

 対するイゼラは、らしくもない表情をしていた。

 目を合わせようともせず、そのくせ頬と耳が妙に赤い。それがどういう感情なのか、察せられない程カイナも鈍感ではない。

 

 そしてイゼラは、はぐらかす様に笑顔を零すと、カイナに小さく手を振った。

 

 

 その表情を見て、その表情を生み出したのは自分だと知って、カイナは思った。

 まぁ、別に弱くても良いか、と。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第11話 いつも通り

 5日目の早朝、広場から少し歩いた地点だった。

 

 間も無く朝焼けが訪れる薄暗い森林。その一角の僅かに開けた場所で息を切らしている少女は、青年からの助言に耳を傾けていた。

 2人は本作戦における戦闘の要であり、命をも狙われている。故に他面での準備を免除されてる分、己の強化或いは維持に努めねばならない。

 

「良くはなってきたけど、まだ動きに時間差があるかな。もう少し、使うべき技を絞り込んでみよう」

「更にか?」

「ああ、更にだ」

「…分かった」

  

 今行っている鍛練は、言わば戦いにおける思考時間の短縮だ。

 言うまでもないが、どんな技にも使い手との相性がある。カイナも例外ではない。

 確かに本来なら、相手の動きに合わせて最適な技を繰り出すのが理想だ。ただそれは、その分だけ膨大な技を覚える事となり、結果として使う技の選択肢も増える。そうなると相手の動きに対して、より思考する分反応速度が落ちるのだ。それが相手を殺さずに、しかも情報量の増す集団戦となると、思考時間は更に延びる。

 無論、全ての技を反射レベルまで身体に染み込ませれば問題解決なのだが、流石にそんな時間は無い。敵軍の到達まで、残り2日程しかない。

 故に、頭の中で分別するのだ。今回の実戦(本番)で使うべき技と、そうでない技と。カイナの得意な技と、そうでない技とを。

 

 これをこなした所で、カイナが生き残れるかどうかはニスモにも誰にも分からない。生死の境はそう、戦が始まってみない事には。

 それでも、少しでも生へと近づけるのならやるしかない。だから見習い騎士は、今もこうして物騒な銀の薄板を構えるしかない。剣の速度も、重さも、音も、そして「死の意識」も、木剣では再現出来ない。

 双方ともに当たったら終わりのソレが、果たして鍛練と呼べるのかは別だが。

 

 

 2人が同時に奏でる金属音を聞きながら、カイナは心の底から感じていた。怖い、本当はやりたくない、と。互いに殺意が無いとは言え、互いが持つ得物は殺意に満ちている。

 それをも超える命のやり取りでさえ、カイナは何とも思わなかった。なのに今は、やはり昨日と変わらず怯えていた。とうの昔に慣れ切った筈なのに。

 

 それでも身体は動き続けた。ある意味では、これまで以上に貪欲に。その姿を、人は「必死」と表現するのだろう。

 その単語にもある通り、正しく死への強い意識が彼女にそうさせていた。

 

 何より、その意識と決して切り離せない者が、ずっとカイナの脳裏に焼き付いて離れない。彼女の笑顔が、泣き顔が、何気ない横顔が、そしてはぐらかす様な去り際が、カイナの心を引っ張って離さない。

 そうなったのはいつからだろうか。昨日の一件から、もっと前から、それとも出会った瞬間からか。

 

 「愛」

 

 カイナの抱く感情を、ニスモはそう表現していた。

 

(…何が)

 

 そんな自覚、カイナには抱けなかった。

 イゼラが異種族だから、同性だからではない。一つの愛しか知らないからだ、タクトに抱く愛しか。

 教わった訳ではない。だが、愛とはそういうものだと、カイナは考えていた。数多くの出会いから厳選し、長い時間を掛けて育むものだと。

 だからそう、少なくともカイナの脳髄は違うと判断していた。あの時カイナ自身が偶々弱っていて、偶々気を許した相手がイゼラだったのだと。環境が、カイナにそう錯覚させているだけだと。

 

 イゼラが大切な存在である事は、カイナも分かっている。だからこそ恐ろしいという事も。

 ただそこから先は、カイナの頭が理解を許さなかった。ニスモに言われたが故、変に意識してしまっているだけだと。

 

 ではもし愛でなかったのだとしたら、イゼラに抱くその感情は何なのか。イゼラとタクトを隔てる違いとは何か。どうして、最初に自身を受け止めてくれたのがイゼラだったのか。

 カイナはそんな事を、器用にも剣戟の最中に考えていた。

 だのに、意識は分散されるどころか寧ろ集約されていく。イゼラの事を考えれば考える程、死への忌避は高まる。刃の軌道も、ニスモの足運びも、気持ち悪いくらいはっきりと死が見せてくる。まるでイゼラが剣の軌道を教えてくれている様だ。

 

 カイナにとってのイゼラとは、一体何なのか。

 一時の気の迷いが生み出した幻想なのか。それとも、現在のカイナを辛うじて支える、ごく小さな目的の化身なのか。若しくは、ただ愛に飢えているから甘えているだけなのか。

 いずれにしても、カイナの「想い人」という枠内には入らない。カイナにとって無くてはならないという依存の対象であり、カイナの弱さそのものだ。

 

 愚かな騎士見習いには、そんなどうしようもない結論しか導き出せなかった。

 

 

「カイナー!」

 

 

 反射的に、或いは本能的に、声のする方角へ首を回してしまった。

 視線の先の木陰には、カイナの予想をそのまま形取った絶対的な存在があった。その声からはその姿以外決して有り得ない、可愛らしくも美しいハーピーの少女が。

 少し離れていても、多少辺りが薄暗くても、その金塊よりも煌めく瞳は嫌でも脳髄の奥を照らし尽くす。

 

 これ以上稽古の邪魔をしたくはないのだろう。掛け声の後、少女は遠慮がちに手を振ったきり、カイナに近付こうともしない。それとも、昨日の出来事を引き摺っているのだろうか。

 対してカイナは、イゼラを見て静止したままだ。自分以外も止まっていて当然と、言わんばかりに。

 

 2人のそんな様子は、昨晩の広場における別れ際を模した様だった。

 

 どうしてなのだろうか。タクトに対しては、恥ずかしくて目を合わせる事すらままならなかったのに。普通ならそうなるのに。

 それは「呪術」にも似ていた。どんな状況だろうと、イゼラから決して目を離せないという、カイナにだけ効く魔術だ。

 

 

ズゴッ

 

「ッデ!?」

 

 ニスモの大きく硬い拳が右頬に直撃し、奇声と共に吹っ飛ぶカイナ。

 

「随分長い硬直だったね。実戦なら5回は斬ってやったのに」

 

 口から流れ出る血を手甲で拭い、歯軋りのまま睨み返すカイナ。ニスモとの稽古で苛立ちを覚えたのは、ペムゼ森林に入ってからは久しぶりだ。

 

「ゴメーン!やっぱ声掛けない方が良かった?」

「良んだよイゼラ。現を抜かして、鼻の下伸ばす方が悪いんだから」

「ッ!誰が伸ばすか!」

 

 イゼラの謝罪とニスモの返答に、声を荒げるカイナ。

 

 何やら全てが腹立たしかった。ニスモの言葉通りである事も、稽古中によそ見した事実も、よそ見の相手がイゼラだった事も。

 そして、未だに良く解らない自身の心にも。

 

 

 

 

 

 闘いとは、心を乱した方が負ける。

 そんな格言の体現者よろしくボコボコにされたカイナは、イゼラから手当を受けていた。生来の頑丈故か重傷こそ無いものの、あちこちに見える打撲痕や切り傷が痛々しい。それらから流れた血が、汗により歪な模様を作っている。

 稽古での怪我は日常茶飯事だが、流石に今回のは酷い有様だ。それだけカイナの頭に血が上っていたという事だ。

 故に、今回ばかりは治癒魔法の出番という訳だ。この後は、厳選した投げ技の集中鍛練もこなさねばならない。

 

 尤もカイナにとっては、傷の痛みなんかよりも、イゼラに治癒魔法の適性があったという点に気を取られていた。決して高い適性ではないが、それでも珍しい事に変わりはない。少なくとも人間の範囲では、だが。

 

「もぉー。ニスモも少しくらい手加減したらいいのにね」

 

 イゼラの何気ない言葉に、カイナはムッと口角を下げる。こういう所に、騎士の気質が垣間見える。

 

「…調子が悪かっただけだ」

「あっそ」

 

 強がりに満ちたカイナの言葉を、イゼラは軽くあしらう。

 

 そんなやりとりの最中も、イゼラの手から傷口へと魔力が注がれる。もっと詳細を言うなら、イゼラの想像を隅まで満たす様に魔力が変換され、送り先で細胞の動きを促進させている。これこそが癒やしの正体だ。

 万能に見えるその魔法も、一つの命を取り戻す事は到底叶わないのだから、生命の営みとはよく出来たものだ。

 

 カイナがそんな解り切っている現象にいちいち思考を巡らすのは、やはり多少の気不味さ故だろうか。

 確かに昨日のテントでのやり取りは、思い返してみれば中々に恥ずかしいものだ。抱き締め合って本心を曝け出す。それは悪い事ではないが、理性は弁えろと諭してくる。

 アレではまるで遠回しな「愛の告白」だ。おまけに「好きだ」と真っ直ぐな言葉を使ってない分、どうにもすぼらしい。勿論、あの時のカイナに告白のつもりなんて微塵も無かったが。

 本当にどうかしていたと、カイナは思った。やはり、不慣れな事はやるものではないのだ。

 

 そんな訳で何一つ言葉に出せず治癒を受けていると、イゼラの方が言葉を紡いでくる。

 

「昨日は…ホントごめんね、取り乱しちゃって。まさか抱き締められると思わなかったから」

 

 口調は普段通りを装っている。だがそのほのかな赤みを帯びた顔と、焦点の合わない照り付いた瞳が、口調による装いを無駄にしている。その様は妙に既視感があった。

 昨晩広場で別れる際も、きっとそう言いたかったのだろう。いち早く伝えたかったが為に、こんな早朝に起きたのだろう。

 

「いや…」

 

 そうとしか返せない、自身の無力感に打ちひしがれるカイナ。それはいつもの悪い癖か、それともイゼラの火照った表情に圧倒されたが故か。

 

 そうこうしている内にも、カイナの傷は少しずつ癒えていき、痛みもそれに伴って引いていく。治癒魔法特有のささやかな音色だけが、自然の中に溶けていく。

 今この時間が過ぎ去ってしまうのが、カイナは何だか嫌だった。気の利いた台詞を言えないのはいつもの事で、それで自分を責めたくなるのもいつもの事だ。ただ今この時くらいは、そういう心情無しに癒やされたかった。

 いつも悩んでばかりで、分からない事ばかりで、心を落ち着かせる事すら出来ない。唯一無心になれたのは、イゼラと入浴した時くらいだろうか。

 

 そうやって毎度の如く沈んでるカイナを見て、イゼラはクスリと笑う。もうそこに、昨晩から続いていた気恥ずかしさは無かった。

 

「カイナってホント不思議。儚いくらい繊細なのに、変に強がりで、それでいて格好良かったりもするから」

「…」

 

 そう言われると、どうにもカイナは複雑な気分になる。

 それをイゼラが好ましく思ってくれるのなら、それはそれで良いのかもしれない。

 ただ、そんな自分をカイナは「矮小な存在」としか見ていない。自分の事でウジウジと悩み、騎士としてのプライドも残っているから無駄に気張っている。それ故に、無心となって心地良い時間を過ごす事もままならない。要は、ただそれだけなのだ。

 そもそも、カイナが思い描いていた理想の騎士像からは程遠い。迷い無く、何があっても折れず、正しい方へ人々を付き従える。そんな単純で分かりやすい理想像が、今だってカイナの中にはある。何が敵か分からない今となっては、限りなく不可能に近い虚像に過ぎないが。

 

 だがもしそんなカイナだったら、イゼラはこんな風に愛してくれないのだろう。完璧で何の弱みも見せない者には、想いが介入する余地すら無いという事か。

 自分が求める理想像と相手が求める理想像は、必ずしも一致しないのだ。

 

「…フッ」

 

 此処に来てから皮肉な事ばかりだなと、カイナは小さく笑った。アラクネの出店で、白から灰色へと染まった時の様に。

 

「アッ!」

 

 イゼラはそう驚くと、カイナをまじまじと見詰め始める。

 

「カイナが笑ってるとこ初めて見た!」

 

 言われてみればそうだ。カイナは、未だイゼラの前では笑っていなかった。今の自嘲に近いものを笑顔に含めて良いかは、カイナ自身怪しい所だが。

 

「いやその…すまない。普段笑わないのは別に…イゼラと居るのがつまらない訳では…」

「メッチャ新鮮!もっかい!もっかい笑ってみて!」

(聞けって…)

 

 普段の弱々しい自分が好きなのではなかったかと、気紛れなイゼラに軽く辟易するカイナ。笑ってみせてと言われてもだ。

 そんな器用ならこんなに苦労してないとばかりに、カイナはイゼラの要求を却下する。

 

「作り笑いは苦手なんだ。…悪いが諦めてくれ」

「ちぇーっ」

 

 不満気ながらも、あっさり引き下がるイゼラ。よく考えてみれば、無理に笑顔を作られた所で面白くもなんともないのだから、その反応も真っ当と言えば真っ当だ。

 その代わりと言わんばかりに、イゼラは不満顔を明るい表情に戻すと、カイナに向き直る。

 

「ま、いつかまた見せてよね!気長に待ってるから!」

 

 そう言って、イゼラはお手本の様に白い歯を見せつけ、ニカッと笑ってみせた。

 まだ短い間だが、カイナはイゼラのその笑顔をずっと見てきた。本来ならとっくに見慣れている程には。

 だが、どこにでも見掛けるごく普通の笑顔の筈なのに、未だ見慣れる事を知らない。見せる笑顔の一つ一つが、どれもこれも初めて目撃したが如く新鮮且つ天然物で、カイナの乾いた心を潤す。笑顔の裏側で喪失に怯えていると知った今では、尚のこと心に染み渡る。

 この乾きも、潤いも、全て環境のせいだと言うのか。全ては偽物で、本来のカイナではないと言うのか。何かにより変わってしまう事は罪なのか。

 

 勝手に沈みゆくカイナを余所に、イゼラは続ける。

 

「そしたらアタシ、きっとますますカイナが好きになると思う」

 

 後先考えず、勢いに任せて言い放ったのだろう。言葉の直後、またしてもイゼラは薄らと頬に熱を帯びては、黄金の視線をカイナに向けたり逸らしたりと繰り返す。

 誰よりも分かりやすい程に、彼女はいつだって本音で生きている。

 

(どうしてなんだ。どうしてイゼラは、こんな私を好きになってしまったのだ。…どうして私なんかを見て、そんな顔になれるんだ)

 

 そう心の中で嘆いてみせても、カイナの高揚は止まらなかった。

 色んな顔と出会い、色んな表情をカイナは見てきた。その中から選りすぐっても、今のイゼラの顔は突出していた。荒野に一輪桃色の花が咲いていたとしたら、こんな感情を抱くのだろう。

 

 そう感じる心すら偽物というなら、もう本物なんていらない。どうせ本物も偽物も、イゼラの前では何の意味も力も持たないのだから。

 どんなに普遍の律があろうと、自分が従う道理はない。そう変わってしまったのなら、それはもう仕方が無い。

 

 在り方すら変わってしまう程、他者からこんなにも一途に愛される。カイナはもう、その虜となっていた。

 カイナは彼を一途に愛した。だが彼は、カイナを良くも悪くも他の異性と同等に接した。その構図が全てであった、カイナだからこそ。

 それが「答え」なんだと、カイナは理解してしまった。

 

(………訊いてくれ、イゼラ)

 

 だが、イゼラの様に自分から伝えられる術を、カイナは知らないし知っていたとしても実行不能だ。

 

(「カイナはアタシをどう思っているの?」って…訊いてくれ、イゼラ)

 

 だからそうやって、無様に念じる事しか出来ない。そう訊かれれば否応なしに答えるから、お願いだから、と。

 

 

 

 だが無慈悲にも、気付けば治癒も殆どが完了している様子であった。短い様で、随分と長い時間を過ごしていたらしい。

 過ぎて欲しくない時ばかり、時間は逃げる様に過ぎ去っていく。

 

「さて、そろそろ皆も起きる頃だし手伝わなきゃ。カイナは稽古の続きでしょ?」

 

 そう言って立ち上がったイゼラを、カイナは座ったまま乞う様に引き留めた。

 今生の別れになる訳ではない。だが今言わなければもう二度と言う機会は無いと、どうしてかそんな予感にカイナは襲われたのだ。

 

 少しの困惑を見せるイゼラに対し、カイナは同じ目線へと立ち上がる。何の言葉も、纏まっていないと言うのに。

 

「イ、イゼラ……わ…私…は……」

 

 イゼラの顔をいざ真正面に捉えると、思い出される。川辺での出会いと抱擁から、今受けた治癒までの全てが。全ての場面において目まぐるしく変容する、彼女の黄金と黄金が。

 今から放つ言葉は、まるでそれら全てを凝縮しているみたいで、とても重々しく感じられた。

 

 事実、つい今しがた理解したばかりのカイナが言うには、余りにも重すぎた。

 声の編み出す言葉とは、それだけの力を持つ。真の意味での撤回なんて効かない。今迄の事、これからの事、イゼラや団との接し方。それら全てが脳内で暴風雨となり、息が苦しくなる。

 

「…」

 

 息も絶え絶えといった具合に、口を半開きにするカイナ。稽古による汗が、滲み出た新たなる汗に流されていく。

 彼女は泣きそうになっていた。言葉も選べず、声すらも出せない現状に。

 

コツン

 

 カイナの頬をさらりとした両手が包んだかと思えば、額と額が密着した。それは温かい様な、それでいてひんやりと冷たい様な、どちらか判別し難いがとにかく心地良いものだった。

 そんなカイナの視界全ては、目を瞑ったイゼラに覆われていた。

 

「無理しないの」

 

 思考があやふやになる中、そんな短い言葉がカイナを制した。

 それにより、カイナの思考は一瞬で正常化され、動悸も収まった。そして伝えようとしていた「何か」も、どこかへと去ってしまった。

 

 イゼラのそれは、他意の無い優しい言葉だ。その言葉をそんな風に贈られた相手は、もう身を委ねるしかなくなる。

 だからこそカイナにとっては、寧ろ残酷であった。

 

 そうして額を離したイゼラは、今度こそ広場の方へと踵を返す。いつもの笑顔で、カイナに手を振りながら。

 

 その姿が見えなくなるまで、見えなくなっても暫くの間、カイナは視線を変える事が出来なかった。

 

 

 

 一人残されたカイナもまた、いつも通りの表情をしていた。全てに疲れ果てた、どこか物悲しい表情に。視線も気付けば、地面へと落ちていた。

 

 そうして暫くそのまま、銅像の如く静止していると。

 

 

ズドォッ!!

 

 

 気が付けば、その地面を殴り抜いていた。敵も何も居ない、枯草と雑草で硬く覆われた、どこにでもある地面を。

 

 そんなしょうも無い鬱憤晴らしで、心が本当の意味で晴れる筈も無く。

 

 ただ拳がヒリヒリと痛んだだけだった。

 

 

 

 

 

 それからは、普段とは異なるものの日常が過ぎていった。ただ当たり前の様に。

 

 準備を進めて、稽古に励んで、休憩を挟んで、非戦闘員と地竜を避難させる。それらの合間は、いつも通りの日々を個々の会話が演じていた。

 

 イゼラとの時間も、いつも通りが支配していった。いつも通り何も伝えられず、いつも通り愛されて、そしていつも通り抱き締められる。

 

 それでもカイナは懲りる事なく、その一つ一つを初めて味わったかの様に噛み締めていった。

 それが愚かな自分に出来るせめてもの抵抗だと、己に言い聞かせる様に。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 7日目、夜。

 無数の星が大地を祝福している中、運命の刻限がその大顎を開けた。

 

 ペムゼ森林を抜けた草原は、膨大な数の松明により緋色に彩られていた。横長に伸びる緋色の点たちからは、誰一人逃さないという強い意思が星々からも見て取れた。

 その帯の中心部分には、誰かを乗せた地竜が佇んでいた。

 

 ただ、その地竜が「玉座」に見えてしまう程には、その乗り手である誰かは太々しかった。それは正に、自分がこの軍で一番偉いのは勿論、いずれこの世界で一番偉くなると知っているかの様だった。

 

「ヘッヘッヘ、此処からだ。この地こそが、ワシの野望の第一歩となるだろうな!」

 

 勝利と莫大な富を得られる確信があるのだろう。それにより、ゆくゆくは2つの大陸を支配出来るという事も。

 頭領は隠す必要性をまるで感じないとばかりに、その蝦蟇口を醜く歪ませた。

 

 兵たちのすぐ頭上では、大量のメムシが頭領の指示を待ち侘びていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。