禪院家の末っ子は、禪院家を潰したい。 (バナハロ)
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プロローグ
シスコンではなくお姉ちゃん大好きっ子。


映画見てきて気付いたら始めてました。バカです私は。


 その少年が生まれた時点で、禪院扇は自らの兄である禪院直毘人に代わり、当主になれると確信した。

 それ程までの圧と呪力を、その少年から感じ取ったからだ。双子の出来損ないの姉妹より一つ下の少年だが、禪院直哉をも超す逸材である事は確実だった。

 何より恐れたのは、その瞳である。五条悟が持つ「六眼」とは違う……いや、むしろ真逆の真っ黒な目。光を阻むようなそれは、見るものを深淵という狂気へと誘うような、そんな漆黒(いろ)をしていた。

 

「キャアァァアアアッ‼︎」

 

 直後、息子を抱いていた妻が悲鳴を上げた。扇が顔を上げると、妻はその場で失神しかけていた。

 

「どうした」

「っ……そ、その子……目が……!」

「……」

 

 どうやら、本当に気が弱い者では耐えられる目ではないようだ。長く見つめていると、扇もそれだけで気が暗転しそうなものだ。

 とりあえず、この子にはまず瞳を隠す何かが必要かも……と、思っている時だった。

 ぺたっ、ぺたっ……と、扇と妻の頬に柔らかい手が触れる。

 

「……?」

「っ……」

 

 何かと思い、二人が目を向けた直後、赤ん坊はにぱっと笑みを浮かべる。普通、生まれた直後は泣くところだろうに、あろうことか笑みを浮かべてみせた。

 何を考え、何を思っているのか分からないが、生まれてまだ3分もたたないうちに何かを考えられる赤子など、普通の人間にとっては、もはや恐怖の象徴でしかない。今の行為が、慰められていたとしてもだ。

 そして、それは扇にも同じように思えた。さっきまで希望に見えた赤子だが、それと同時に脅威になりかねない。

 ……だが、もしこの子が自分の思うように育つのならば、それこそ五条家に現れた無限下術式と六眼を持つ男と張り合うジョーカーにもなり得る……。

 そう思った扇は、立ち上がりながら言った。

 

「この子は、私が預かる」

「え?」

「名前は、禪院要だ。あんな直哉(ボンクラ)などにこの家は任せられんぞ」

「わ、分かりました……」

 

 それだけ言うと、扇は部屋を後にした。

 

 ×××

 

 それから、約三年が経過した。禪院家には、汚点と呼ばれる姉妹がいた。名前は、禪院真希と禪院真依。双子の姉妹なのだが、術師としての才能は絡っきしであり、特に真希は呪いを視認することさえままならない。

 「禪院家に非ずんば呪術師に非ず、呪術師に非ずんば人に非ず」と呼ばれるほどの環境にあって、二人とも4歳でありながら、お荷物と称されていた。

 二人に部屋が用意されているのも、要するに物置に邪魔なガラクタを押し込めるために過ぎない。

 だが、その二人の部屋に、最近よく遊びに来る少年がいた。ただし、襖からではない。窓からだ。

 コンコンというノックの音で顔を向けると、そこにいるのは目に丸い黒のサングラスを付けた少年だった。

 

「あそんで、ねえちゃん!」

「……おうよ」

 

 微笑みながら、真希が窓を開け、手を差し出すと、その手を借りて部屋の中に入って来る。

 それに気づき、真依は両手を広げた。

 

「またきたのね。おいでー」

「マイねーちゃん、すきー!」

 

 ヨタヨタと歩きながら、真依の胸に飛び込む。ギューっとハグをすると、後ろから真希がその少年……禪院要の両腕を掴み、自分の方へ抱き寄せた。

 

「おいこら、窓をあけたのはわたしだぞ、要」

「うん。マキねーちゃんもすきー」

「ちょっと、真希。いま、わたしにあまえてたんですけど」

「しるかよ。なー、要?」

「でも、マイねーちゃんの方がこわくない」

「は?」

「ぷふっ……ほらみなさい。わたしの方が良いのよ、カナちゃんは」

「おれは男だぞ。ちゃんづけはやめて!」

「ぷっ……だってよ、真依」

 

 弟の取り合いのようになっていた。そんな中、ふと真依が不安げに要の頭を撫でる。

 

「でも、大丈夫? わたし達のとこになんてきて」

「なにがー?」

「怒られちゃうんじゃない?」

 

 要は、今の時間は父親による訓練の時間だ。もう既に術師としての才能が出始めている要は、扇の特訓を三歳にして受け始めていた。自分と直毘人の実力はほぼ互角、ならば子供の出来が次期当主になるか否かを分けると信じてやまない扇は、子供に武術を仕込んでいたのだ。

 強くなることは決して嫌いではない要であったが、やはりまだ三歳。姉と遊びたいと思うことも多い。

 

「良いじゃねえか。たまには要だって、わたし達とあそびたいよなー?」

「うん。おれ、今日はあれやりたい! サムライごっこ」

「よしきた。まってろ、今、刀をよういしてやる」

「ちょっとー、あんまり変なあそび、カナちゃんにおしえないでよね」

 

 殺風景な部屋なので、刀の代わりは丸めた広告くらいしかない。それを用意する真希と、それに苦言を漏らす真依。その様子を眺めながら、要はにっこり微笑む。

 そんな時だった。部屋の扉が、ガラッと開かれる。現れたのは、禪院信朗だ。

 

「ここにいたか、クソガキ。扇さんがお呼びだぜ」

「げっ……も、もう?」

「もうだ。おら、急げ」

「やだ。もう少し姉ちゃん達とあそびたい」

「バカ言うな。テメーは扇さんに期待されてんだろうが」

「やーだー! 今からサムライごっこするの!」

「んなごっこ遊びより余程、本格的な侍になれるだろうが」

「うるせーなクソジジー! おれはねーちゃん達とあそぶ!」

「バカ言ってんなよ。マジで。怒られんの俺だから」

 

 そう言うと、ため息を吐きながら少し考え込んだ後「大体……」と漏らして信郎は続けた。

 

「良いのか? そんなカスどもと一緒にいたら、オメーの呪力が腐っちまうぞ?」

 

 子供は大体、小馬鹿にすれば言うことを聞くと思ったのだろう。しかし、それは要にとって地雷だった。

 直後、信郎の目に映ったのは、雪だるまのようになっている要の両目。後になって、黒く丸いサングラスの隙間から覗かれている瞳と重なっているのだとすぐに分かった。

 初めて見る黒い瞳……これは確かに、恐怖に溺れて狂気に陥っても無理はないと思ってしまった。

 その真顔になった要から放たれるのは、無言の圧力。それこそ、三歳児から放たれているとは思えない圧だ。

 

「……おまえ、今なんつった?」

「あ?」

「ねえちゃん達を、カスって言ったな……!」

 

 直後、ズズズッと身体から漏れ出る呪力。信郎の頭の中に流れたのは、走馬灯。生まれた時から今日までの生が、ふと見えた気がした。

 冷や汗が止まらない。心臓の動悸が激しく弱々しく衰弱する。呼吸が荒くなる。焦点が合わなくなる。

 たかだか3歳の子供を相手に、死を覚悟させられかけた時だった。

 

「どうかしましたか⁉︎」

 

 ふと元気な声が聞こえてくる。そこに立っていたのは、禪院蘭太。相伝術式こそ持たないものの、それなりの才覚を開花させ、将来、高専で言う準一級呪術師以上の実力を持つ者達で構成される精鋭部隊「炳」に入るかもしれないと言われている少年だ。

 

「あ、ああ……蘭太。今、こいつの目が……」

「目?」

「おい、蘭太。じゃまだよ。おれは今、こいつとはなしてる」

 

 ゆらりと立ち上がった要が、蘭太を押しのけて信郎に迫る。その全身には、既に呪力が多く込められていた。

 マズイ、と直感的に思った蘭太が、術式を発動する。瞳に呪力を集中させ、敵の動きを封ずるそれは、目にも負担がかかるが仕方ない。

 そう思ったのだが……要がサングラスを取った直後だった。

 

「……あ、れ……?」

 

 呪力が、見えない。というか、感じられない。体内に流れるはずのそれも、独特のオーラも。自分の呪力だけでなく、要からさっきまで溢れていたはずの呪力も視認どころか感じる事もままならなかった。

 ジロリと自分を睨む要の瞳は、まるでブラックホールの中心に見えるくらい、ただただ黒い。

 それは、信郎も同じ事を思っていたようで、異変に気付いている様子で若干、身震いしていた。

 そんな中、要は重々しく口を開いた。

 

「蘭太、もっかいいうよ」

「っ」

「じゃま。きえて」

「まてまて。要。そこまでにしろ。何してんのか知らんけど」

 

 言いながら口を挟んだのは真希だった。それにより、要は微笑みながら姉二人に顔を向けた。

 

「だめだよ、マキねーちゃん。こいつ、マキねーちゃんとマイねーちゃんをバカにしたんだよ」

「私は気にしてねえ」

「私もへいき。本人がへいきって言ってるんだから、おちつきなさい」

「……はーい」

 

 真依にまで諭されれば仕方ない。要は諦めたようにため息をつき、サングラスをかけ直す。

 その様子を見て、信郎は思わず奥歯を噛み締める。自分や蘭太が恐れたあの目を見て、目の前のカス姉妹は全くビビった様子を見せていない。姉だから? それともガキだから? 

 いや、何にしても、なんだか自分が劣っているような劣等感を抱いた。それもこれも……今は自分より格下の癖に生意気こいた、この化け物の所為だ。

 憎悪を抱かせながら、術式は持たずとも呪力は持っている故あって、自分の全身に呪力を込めると共に、刀を抜いた。

 

「! 信郎さ……!」

「このクソガキがああああああ‼︎」

「要……!」

 

 真希が反射的に庇おうとした時だ。その真希を片手で制した要が、再び信郎を睨む。

 直後、再び信郎は周囲の呪力を何一つ感じられなくなった。そして、それは当然、要の呪力も見えなくなるわけで。

 ズズッ……っと、アホほどそれが込められた要の左ストレートが信郎のボディに直撃した。三歳児から放たれたとは思えない威力で、後ろの壁を3枚突き破って後方に弾き飛ばされる。

 

「クソはおまえだろ」

 

 言いながら、更に追撃を仕掛けようとする要。だが、その身体は動かなくなる。理屈は分からないが、とりあえず視界に入った直後に呪力を奪われる、と判断した蘭太が、後ろから術式を用いて動きを止めた。

 

「真希、真依! 君達の言葉なら奴に通る! 落ち着かせるんだ!」

「いや、今のはジゴージトクだろ」

「いってる場合じゃないでしょ。とめないと」

 

 仕方なさそうに、二人で要に声を掛けにいく。

 その時だった。そこに、戦力的に頼りになる声が届いた。

 

「何事だ?」

 

 現れたのは、禪院扇。問われたので、真希が口を開いた。

 

「信郎が要になぐりとばされた」

「真希、お前には聞いとらん。黙っていろ」

「……」

 

 封殺しつつ、扇は蘭太に目を向けた。すると、術式を発動したままの蘭太が答えた。

 

「何やら一悶着あった様子ですが省きます。要が信郎さんを殴りました」

「……チッ、バカめが」

 

 そう言った直後、抑えられている要の首の後ろを、扇はトンっと呪力を込めた手刀で打つ。直後、意識を失ったように要は突っ伏した。

 

「ご苦労だった。蘭太」

「いえ! それより、ご報告しておきたい事が数件あるのですが!」

「分かっている。事情を聞かせてもらおう」

「はい!」

 

 ゾロゾロと他の禪院家の人間が集まって来た為、とりあえず信郎の手当てを任せて、蘭太と気絶した要を連れて扇の自室に向かった。

 

 ×××

 

 要が目を覚ますと、両腕を縄で縛られ、天井から吊るされていた。脇の下がいい感じに伸びて気持ち良いが、お世辞にも格好がつく格好とは言えない事をすぐに自覚する。

 部屋の真ん中に座っているのは、禪院扇。自身の父親だ。それも、呪力を全身に回し、臨戦態勢と言える様子だった。

 

「ほう……なるほど。本当に呪力を見えなくさせるようだな」

「……?」

「蘭太、私の呪力は見えているか?」

「はい! 扇さんの呪力は、消えたわけではありません!」

 

 元気の良い返事は、自分の背後から聞こえる。前後で挟まれているようだ。

 

「他人の呪力も自分の呪力も、全て自身で見通す六眼とはまさに真逆……自らが見る事で、他人の呪力に関する情報を奪う力、か。クク……聞いた事もない。名が必要だ」

「名前……サードアイとか?」

「何か良い名はないか? 蘭太」

 

 機嫌が良い様子で、珍しく他人に意見を聞いていた。その反面、自分の意見をシカトするあたり、要にはキレている様子だが。

 問われた蘭太は、元気よく答えた。

 

「では、6の反対なので『九眼』というのは如何でしょう⁉︎」

「ふむ……面白い。それで良い。では、お前は部屋を出ろ」

「はっ」

「あ、それと、この件は私とお前、そして信郎の間の機密事項とする。五条家、そして加茂家……あと高専にバレたら厄介だ」

「直毘人さんや甚壱さんにも、ですか?」

「二度は言わん」

「わ、分かりました!」

 

 それだけ指導すると、蘭太を追い出した。

 さて、残ったのは扇と要。不機嫌そうに、要が扇に聞いた。

 

「きゅーがん……?」

「そうだ。お前の術式……いや、特異体質なのだろうな。何れにしても、お前は私の財産だよ、要。あの出来損ないの娘どもと違ってな」

「おまえ、いまなんていった?」

「出来損ないと言った」

「ころすよ」

「まずは、その弛んだ性根から叩き直してやらねばならんと言うのは、気が重い話だがな」

 

 言いながら、扇は吊るしている要に近づく。

 

「良いか、要。この世界において、呪力や術式を持たぬ人間など何の価値もない」

「でも、ねーちゃん達はやさしい。おまえなんかよりずっと」

「それがなんだ? 優しさなど呪霊や呪詛師との戦闘において、なんの役にも立たん。奴らが戦場に立った所で、我々の足を引っ張るだけだ」

「じゃあ、せんじょーに立たせなければいいでしょ」

「おかしなことを言う。我ら御三家に戦い以上の価値があるとでも?」

「たたかうしか頭にないんだ。だからそんなおっかない顔になるんだよ」

「……口が減らないガキだな。その上、何も分かっていない」

 

 呆れたように首を振りながら、扇は要の頬に手を当てた。

 

「お前が強く育てば、私は次の当主になれる。私が当主になれば、禪院家はもっと強くなれるのだ。……私の後は、お前を当主にしてやる事もできるぞ?」

「……」

「その為には、姉弟愛など捨てられるくらい心身共に強くならねばダメだ。今までのままでは、お前も弱虫のままになってしまうぞ。それでも良いのかブッ!」

「さわんな、しるか、ジジィ」

 

 顎に蹴りを入れた。お陰で舌を噛んだ扇は、ギロリと要を睨み、思いっきりビンタをした。ジンジンと頬が赤く腫れ上がり、痛みが脳まで響き渡る。

 

「ならば、痛みを持って教育しなければなるまい。覚悟をしておく事だな。今後、私は貴様への特訓に手は抜かん」

「おまえこそ覚悟しろよ」

 

 不敵にそう言う息子のセリフに、思わず耳を傾けてしまう。振り向くと、狂気的にさえ見える笑みを浮かべて告げた。

 

「特訓中に、ころされるようなことがないようになゴフッ!」

 

 今度は拳だった。顔面を思いっきり殴られ、口の中に血の味が広がる。

 

「おかしな夢を見ている暇があるなら、反省する事だな。今日は、お前は飯抜きだ」

 

 それだけ告げて、扇は自身の部屋から出て行った。

 残された要は、暗い部屋で一人、月光を眺める。ムカつく。この家の人間……いや、呪術師という生き物が。

 どいつもこいつも、そんなに自分の姉が憎いのか。呪力や才能が無かったって、良い所はたくさんある。少なくとも、この家ではどいつもこいつも自分の目を恐れるが、それを何一つ物おじすることなく接してくれるのは真希と真依の二人だけだ。

 潰す。こんな家は、ない方が良い。真希と真依を守る為にも、この家は叩き潰す。三歳にしてそんな風に強く思ってしまった時だった。

 ガラッ……と、控えめに開かれる扉。思わず顔を上げると、ヒソヒソと声が聞こえてくる。

 

「真希……誰もいない?」

「いねー……と思う」

「じゃあ、早くしないと……!」

「わーってるって。デカい声だすな!」

「真希の声もおおきい!」

 

 どうやら、姉二人のようだ。コソコソと部屋の中に入って来る。手には、ラップが握られていた。

 

「よっ、要」

「うわ……ひどい。だいじょうぶ?」

「マキねーちゃん、マイねーちゃん……なにしてんの? こんなとこ見られたら……」

「んなもんしるかよ。あんなクソオヤジの言うことなんて」

「それより、お腹空いてるでしょ。おにぎりもってきた」

 

 にこりと微笑みながら言われ、少しだけ涙腺が緩みそうになった。特に、真依は低級の呪霊の前を通るのもヒヨるくらいビビリなのに、それよりおっかないクソ親父の部屋に、わざわざ来てくれた。その事が、なんだか嬉しかったからだ。

 だが、守ると決めた二人に弱いところは見せたくない。ぎゅっと堪えて、強引に笑みを浮かべた。

 

「ありがとう、ねーちゃん」

「それより……どうやって食わす?」

「とどかないわね……」

「真依、私の上に乗って紐切れ」

「いや、おんぶしたくらいじゃとどかないでしょ」

「イスつかえばいけるだろ」

 

 それを聞いて「えっ」と声を漏らした。そんな事をしたら、後で部屋を見に来た父親にバレる。

 

「ヒモ切っちゃまずいよ。バレちゃう」

「しるかって言ってんだろ」

「おこられるよ?」

「あんただって、いつもわたし達が言っても聞かないでしょ」

 

 それはそうかもしれないが……と、冷や汗をかいてしまう。

 さて、そうこうしている間に、二人は要を繋いでいる縄を刃物で切った。シュタッ、と着地し、なんとか脱出してしまう。

 だが、それで終わりではない。やはり、屋敷の何処かに隠れる必要があるから。

 

「このあと、どうするの?」

「とりあえず、わたし達の部屋にこいよ」

「そこで、みんなで食べよう」

「……うん」

 

 とりあえず、今だけ。今だけ甘える事にした。

 

 



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プライドと愚策は紙一重。

 五年後。つまり、要は8歳になっていた。

 道場において、扇と要が訓練をしていた。いや、訓練と呼ぶのは少し違うかもしれない。何故なら、扇は術式を開放しているからだ。

 だが、扇にはその炎が見えていない。術式によって出ている炎の為、相手が要では視認できないのだ。

 相手の要は、その猛攻をヌルヌルと躱している。中々、気持ちが悪い。自分の術式が果たして本当に発動しているのか確認出来ないのは、戦いづらい。

 こちらの攻撃を回避した後、ふと加速し、懐に潜り込んで拳を放ってくる。所詮は子供。簡単に避けられる。

 回避すると、カウンターというように刀を振り抜いた。当たりこそしなかったものの、服にかすったようだ。道着の襟が焦げている。そして、それは自身の術式が発動している証拠だ。

 

「甘いわ、小僧が!」

 

 続いて追撃しようと踏み込んだ直後だった。足が、動かなくなった。

 

「何……⁉︎」

「甘いのはそっち」

 

 直後、背後に回り込んだ要は扇の脇腹に蹴りを叩き込む。それを刀でガードする。そのため、足を引っ込め、拳で背中を打った。あのまま蹴っていたら足が燃えていた。

 

「グッ……!」

 

 背中を殴られたものの、まだダウンするほどでは無い。すぐに足の裏を離したいところだが、床から離れない。おそらく、要の術式だろう。

 さて、その隙にジャンプして天井に着地した要は、そこを踏み台にして突撃する。

 

「舐めるな!」

 

 それに合わせ、カウンターを放つように刀を振り抜くが、それを読んでいたように体を逸らして回避しながら足を振り上げ、武器を弾き飛ばした。

 

「ッ……!」

「ちょっと掠った」

 

 そう言う通り、要の肩から焦げた傷口が見える。

 8歳でありながら、その傷口を全く無視してさらに移動した。とったのは、再び背後。だが、要は扇の身体に触れることは無かった。代わりに床に手を3秒ほどつけて足を離す。

 直後、扇の世界は反転した。グルンっと上をむかされ、腰を床に強打した。

 

「グッ……⁉︎」

 

 そして、最後に要は弾き飛ばした刀を拾いに行く。それを手に取った要は、自分の上に立つ。

 

「これで終わりかな」

「そこまでだ」

 

 直後、要の手首が後ろから掴まれる。立っていたのは、禪院甚壱。野生的な見た目のわりに、実は意外と部下から慕われている男だ。

 

「……何か用?」

「それ以上は訓練ではなくなるだろう」

「殺す気で来いって言ったのはこの人なんだけど」

「殺せとは言われていない」

「……」

「……」

 

 無言で見つめ合った後、要は刀を放り投げた。回転しながら飛んでいって、壁に突き刺さる。

 

「はい、今日の特訓終了〜。俺、寝るから」

 

 言いながら、要は道場から出て行きつつ、術式を解除する。それにより、扇は身体を起こせるようになった。

 甚壱が、腕を組みながら重々しく聞いた。

 

「……やられたのか?」

「馬鹿を言うな。私は特訓で本気を出す愚か者ではない」

「ほう?」

「だが、奴は私を殺すつもりで来ている。だから、私に術式の開示さえしない」

「……なるほど」

 

 甚壱も、薄々親子仲が悪いとは思っていた。というか、扇の家庭は姉弟間以外良い感じはしない。

 禪院家全体においても、要のお陰で真希と真依に冷たく当たる人間も減って来ている。と、言うのも、要の才能が開花し始めているからだ。既に、炳への入隊は確実とまで言われているほどのものだ。

 

「とはいえ、予想以上の出来ではあるのは悪い事ではないだろう」

「……面白くはないがな」

「……?」

 

 何せ、まだ8歳の子供にしてやられたのだ。プライドが高い扇としては、良い気分ではない。

 このままでは、自分が当主になる前に、息子が当主になってしまう可能性さえある。そんな事は、絶対に許されない。

 

「やれやれ、所詮はあの姉妹の弟か。うまくいかないものだ……」

 

 それだけ呟きながら、扇は壁に突き刺さっている刀を抜き、鞘に納めた。

 

 ×××

 

「あー、疲れたー」

 

 そう言いながら、要は真希と真依の部屋に訪れていた。

 

「おい、汗だくのまま来るなよ」

「えー、なんで?」

「当たり前でしょ。……ほら、おいで。拭いてあげる」

 

 真依が自分の膝の上に要を置いて、タオルで頭を拭いてあげる。

 

「もうホント疲れた。呪力って使うと疲れるんだね」

「オイコラ、嫌味か?」

「えー、俺真希ねえの身体の方がカッコ良いと思う」

「あら、要。私はカッコ良くない?」

「真依ねえは綺麗だもん」

「ふふ、ありがとう」

「……チッ、なんかムカつくな。私も一応、女なんだが……」

 

 なんて話していると、要は真希の顔から眼鏡をとってしまう。

 

「っ、な、なんだよ……」

「……やっぱメガネ取っても真希ねえはカッコ良いや」

「てめっ、そこはかわいいって言っとけよ!」

「プフッ……!」

「お前は何がおかしいんだ真依!」

 

 笑いを漏らすと、真希は真依と要の首に腕を回し、自身の胸元で締め上げた。

 

「大体、お前らは長女を敬うってことを知らなさ過ぎだ。ちょっと教育してやる!」

「だって、一番ガサツだし」

「要よりお風呂の時間短いじゃない、あなた」

「うるせえ!」

「ぐえっ……ぐ、ぐるじいよ、真希ねえ!」

「ちょっと! あなたと違って私は髪が乱れたら直すの大変なの!」

「知るか!」

 

 そのまま三人で戯れ合う。本当にこの三人が、禪院家の人間関係で一番良好なのかもしれない。それを羨む人間がいないのが禪院家でもあるが。

 ふと、要が思いついたように言った。

 

「そういえばさ、俺あれやってみたいんだけど」

「どれ?」

「ゲームって奴」

「ああ……非術師の間で人気の奴ね」

「たまにCMで見る奴か」

「やってみたくない? おもしろそう!」

「べつに私はキョーミねーな」

「私も。暇潰しには良さそうとはおもうけどね」

 

 何せ、ゲームの世界みたいな戦闘はもう行なっている。今更ゲームなんて興味ないのが本音だ。

 

「でも、対戦とか協力プレイとかしてみたいんだけどなぁ。ねえちゃん達と」

「……まぁ、要がどうしてもっつーなら、やってやっても良いけどよ」

「ま……要がやりたいっていうなら?」

「ホント? じゃ、クソ親父の財布からお金ぬいてくる」

「行ってこい」

「じゃないでしょ。おこられる理由をわざわざつくってどうするの」

 

 真依に止められて引き下がる。どうせ大したことにお金使わないのだから良いだろうに。

 

「なるべくなら、怒られないようにしなさい。二人とも」

「俺は別にあんなのに怒られたって、イタくもカユくもないけどね」

「うそつけ。3歳のとき、天井に吊るされて飯抜かれて泣いてたの知ってんぞ」

「あ、あれはうれし泣きだからノーカン! ていうか、あれもギリ泣いてなかったし!」

「そうだったの。私達のおにぎりがうれしくて泣いてたんだ?」

「あっ……し、しまった……!」

 

 慌てて口を塞ぐ要だが、もう遅い。二人に頭を撫でくりまわされた。

 

「大丈夫だぞ、要。私達はずっとお前と一緒にいるからなー」

「そーそー。だからいつでも甘えて良いのよー?」

「やーめーろー! 俺はもう子供じゃないからー!」

「「何処が」」

「声を揃えて言わないでよ!」

 

 ダメだ、と要は自分で自制する。こんな簡単に姉二人に弄ばれているようじゃ、強くはなれない。もっと精進しなくては……と、頭の中で噛みしめつつも、なんだかんだ楽しく談笑出来ていることに、何となく満足していた。

 そんな時だった。ガラッと扉が開かれる。顔を向けると、そこに立っていたのは禪院家史上、最高傑作のクズ……禪院直哉だった。

 

「うーっす、相変わらず姉弟間で仲ええね。反吐が出るわ」

 

 直後、三人とも半眼になる。うざいのが来た、と言うようにだ。

 だが、そんな反応をすればプライドだけは三人前のバカが怒るのも当たり前のことで。

 

「何? その目。年上の人は敬えってならわへんかった?」

「うざっ。真希ねえ、真依ねえ。行こっ」

「まぁ、そう邪険にせんとってよ。お兄さんがたまにはしごいてやるから。表出え」

「ほら、早く」

 

 すぐに守らないと、と思った要が、立ち上がって真希と真依の手を引く。その肩に、直哉が手を置いた。

 

「良いから、来いや。カス」

「……しつこい。ブス」

「よせ、要……!」

 

 真希の制止も間に合わず、一気にお互いに呪力を解放し、殴り合いに発展した。

 

 ×××

 

 その日の夜、要は今日も一人、屋敷を抜け出して自主練をしていた。あの後、直哉には善戦したものの敗北。父親との戦闘後で、それなりに呪力を使っていたことが災いした。

 強くならないと姉を守ることが出来ない、それを理解している要は自主練を欠かした夜はない。

 呪力を鍛えるには使うしか無いため、全身を呪力で強化し、それを維持して走り込みをしている。

 そんな時だった。ふと、正面から呪力を感じ、気を引き締めた。キュッと目を細め、明らかに喧嘩を売りに来た様子で呪力をたぎらせているそれに目を向ける。

 立っているのは、浪人のような和装に雨傘を被り、マフラーを首に巻いている男。いつの時代の人間か問い正したい程だ。

 

「何か用? そこの」

「……」

 

 声を掛けるも、返事はない。何にしても、やる気ならやってやるだけだ。考えてみれば、扇以外と戦闘したことがない要にとっては、腕試しの良い機会だ。

 その直後、一気に距離を詰めてきた。腰からキラリと光って見えるのは刀身。その居合を、後ろに仰け反って回避する。

 

「やる気満々じゃん」

 

 さらに攻め立てる猛攻。それらを回避し続けつつ、足元に呪力を練る。

 要の術式は、磁力を用いるもの。右の足裏の「N」の刻印と、左の足裏の「S」の刻印。それらで物体、或いは呪力に触れる事で、その刻印が移る。

 それらにそれぞれ、N極とS極の特性が付与され、あとは磁石と同じで他の刻印がついたものによってくっついたり離れたりするわけだ。

 その刻印を付与できるのは、手だけでない。昼間、扇の腰を床にくっつけたのは、右拳で殴打した直後についたN極と、左脚で地面を踏んでいたS極が引き合ったからだ。

 そして何より、通常ならこの刻印は視認出来るが、持ち主が要の為、それも不可能だ。

 つまり、敵にとってはこの組み合わせは厄介この上ない。

 だが、弱点が一つ。何となくこちらの術式を知っている相手に奇襲を受けた場合に弱みが出る点だ。

 

「っ……!」

 

 目の前の侍っぽい男は、全く動じる様子ひとつ見せること無く、距離を詰めて刃を振るってくる。

 それらを回避し続けつつ、距離を置きながら、術式を発動する。足跡からつけた刻印と自身の両手の刻印を組み合わせ、コンクリートの道を引っ剥がして後ろから絡め手による奇襲を謀った。

 しかし、それを目の前の男も読んでいたように、炎で焼き尽くしながら怯むことなく距離を詰めてくる。

 

「! その炎……!」

「気を抜いたな……馬鹿者め」

 

 思わず動揺した隙を突かれた。斬りあげられ、呪力のガードで斬撃は凌いだものの、身体に炎が燃え移る。

 

「っ……く、クソ親父……!」

「……ふんっ」

 

 何故、急にこんな真似。さっきから殺す気満々で攻めてきている。いや、それどころじゃない。火を消さないと焼け死ぬ。

 

「お前は今『なぜこんな真似を』と思っているか?」

「ッ……!」

「単純な事だ。お前は、才に溢れ過ぎていた」

「はぁ……⁉︎」

「愚息が私より先に当主になるくらいならば、兄になられた方が諦めがつくというものだ」

 

 今度こそ、何を言われているのかわからなかった。あれだけ当主にするために育てておいて、自分がなれないとわかったら切り捨て? 冗談ではない。

 

「まぁ……そもそも兄の息子に負けた時点で、その未来はなかったようなものかもしれんがな。いずれにせよ、子が親の足を引くなど、あってはならない」

 

 言いながら、燃え盛る自分の方へ歩み寄ってくる。念入りに、燃やしておきながら剣でトドメを刺すつもりのようだ。

 なんにしても、死ぬわけにはいかない。ここで死ねば、姉達を守れない。なんとかして逃げる方法は一つ。最後の呪力を振り絞って脱出する他ない。

 そう判断するや否や、万が一の奥の手を使った。磁力の出力は刻印に込める呪力の量によって変わる。

 最大にまで高めた刻印を地面に作った直後、そこに同じ刻印をぶつけ、一気に空中へ舞い上がった。

 

「ほう……まだそれほど、呪力を残していたか……。だが、無駄な足掻きだ」

 

 そう呟いた扇は、懐から短刀を抜き、呪力と炎を込める。そして、空中にいる要に狙いを定めた。

 

「さらばだ……愚息よ」

 

 そう呟くと、その要の元へプレゼントをお見舞いした。

 フル回転しながら飛んだ燃える短刀は、鮮やかな曲線を描いて、要の腹部に突き刺さった。

 

「いっっってェな……!」

 

 そのまま要は放物線を描いて、遠くへ落下していった。突っ込んだ先が、川の中であったのは不幸中の幸いだった。燃え盛る火は消火された。

 しかし、季節は真冬。そのまま、要は凍死してもおかしくなかった。そこにその男が現れたのは、皮肉にも幸運と言うべきだったのかもしれない。いなければ、要の人生は終わっていたのだから。

 

「うわっ! 何か飛んできた!」

「ああ。……しかも、人間だったね」

「……ほ、ほんとに……?」

 

 そこに居合わせた男は、袈裟を着ていて、両サイドに小学生の女の子を控えさせている。

 突如、上空から降ってきた男の子……どう考えても異常な状況だ。間違いなく呪術師関係だろう。

 ならば、助けない理由はない。そう判断した最悪の呪詛師、夏油傑はすぐに川まで降りた。

 

 ×××

 

 翌日、いつものように真依と一緒に雑用をこなす真希は、ふと違和感を覚えた。いつも騒がしい弟の姿を、今日は一度も見ていない。普段なら、朝飯には顔を出しているし、基本的には扇との特訓に朝も昼も使っているはずなのに。

 

「真依、要は?」

「私も探してるんだけど……見当たらないのよ」

「……」

 

 何か、嫌な予感がする。それも、特級の悪い予感。このクソみたいな家の人間に、信用できる奴なんか妹と弟しかいないからこそだ。何が起こるか分からない。

 だが、なるべくならそれは考えたくない……と、思っていると、二人の前に突如、現れる禪院扇。

 

「!」

「お父様……⁉︎」

「愚弟なら、もう貴様らの前に現れることはない」

 

 言われた二人は、思わず目を見開いた。言っている意味がいまいち分からなかったのに、身体が先に理解したように身震いする。

 それでも、なんとか声を絞り出すように真希が聞いた。

 

「ど、どういう意味だよ?」

「あの愚弟なら、昨夜より姿を消した。おそらく、我々の前に現れることはないだろう」

 

 言っていることが滅茶苦茶だった。姿を消した、なんて勝手にいなくなられたようなことを言っている癖に、自分達の前に現れない、なんて予測を立てている。

 まさか、と子供ながらに最悪の想定がすぐに浮かび上がっていた。

 

「テメェ、まさか……!」

「? ……何?」

「言いがかりはよせ」

 

 何か言う前に言い訳を始めた時点で、すぐに真希は合点がいった。……いや、言い訳と言うよりも、隠す気がないようにさえ見える。

 

「お前らも、同じ目に遭いたくなければ、これ以上親の足を引っ張ることはせん事だな」

「クソ親父が……!」

 

 それだけ言い残して立ち去る扇。その背中を、真希は強く睨みつける。拳を強く握りしめ、奥歯を噛み締めた。

 いや、まだ言っているだけかもしれない。真希はすぐに真依を連れて廊下を走り出した。

 

「クソッ!」

「ま、真希……⁉︎」

 

 まずは道場を探し、屋敷の中を捜索した後は、庭を見て回り、屋敷の周りを見て回ったが、弟の姿はどこにもない。影も形も見えなかった。

 一通り見て回ってしまい、肩で息をする真希の袖を、真依がくいっと引いた。

 

「ねぇ……ど、どういう事?」

「……あのクソ親父、要をやりやがった……!」

「やったって……え、うそでしょ……?」

「わかんねえよ。追い出したのか、或いは殺したのか……なんにしても、もうこの屋敷にあいつはいねえんだ……!」

 

 それを聞いて、真依もようやく理解する。突然、耳にさせられた事実に、二人とも涙も出なかった。

 その真依の肩を、真希が強く掴んだ。

 

「真依……こうなったら、もうなるしかねえ」

「え……な、何に?」

「強くなるしかねえって言ってんだ。何が理由で追い出されたか知らねえが、アタシは決めた。強くなって……この家、叩き潰す」

「っ……うん」

 

 真依も頷いた。何があったのかは知らない。だが、二人にとって重要なのは、この家が弟を奪ったという事実だけだ。

 ならば、こちらのやることもシンプルだ。弟を奪った借りは返す。肉親だ、親族だなんていうのは関係なかった。

 

「……強くなるぞ。絶対に……!」

「……うん……!」

 

 二人揃って、誓いを立てた。

 

 ×××

 

 ふと目を覚ますと、何処かの部屋の中だった。……なんで自分はこんなところにいるのか……と、ぼんやりする頭を回復させつつ身体を起こす。

 すると、ズキッと腹部が痛む。というか、いつのまにか服装も着物みたいなものになっていた。着替えた覚えはないのだが、まぁお陰で激痛の原因は見やすい。はだけさせると、傷痕が残されていた。

 ……そうだ。父親にやられたんだ、とすぐに思い出す。

 

「目が覚めたかな?」

 

 ふと声を掛けられる。顔を向けると、そこに立っていたのは袈裟を着た男。如何にも胡散臭さが滲み出ていた。

 

「誰?」

「怪しいものじゃないよ。……と言っても、まぁこの服装じゃ無理あるか」

「うん。ある」

「ハッキリ言うね……。大義を掲げる者……いや、回りくどい物言いはよそう。うん、そうしよう」

 

 そう言うと、その男は朗らかな笑みを浮かべて告げた。

 

「夏油傑、特級術師さ」

「……ふーん」

 

 特級、と聞いても、特に要は尊敬するような様子は見せない。……いや、むしろ警戒度は高まった。

 それはそうだろう。何せ、呪術師である親に夜襲され、殺されかけたのだ。もはや、自分の姉二人以外を信用する事さえ出来ない。

 

「一応、君を助けたのは私なんだがね」

「お礼でも言えっての?」

「いや、そういうつもりじゃないよ。……私には、君にどういう理由があって、このような姿になっているのか、理解する義務がある」

「……?」

 

 何を言われているのか分からない。……いや、何にしても、だ。自分は御三家と呼ばれる禪院家のボンボン。勘当にあったわけだが、それを呪術師が信じるとは思えない。むしろ、禪院家に借りを作るチャンスと考えるだろう。

 もう誰も信用しない、こうして生き残った以上はあの家を叩き壊し、姉二人を助ける。その為にも、この呪術師に本名は教えない方が良い。

 

「……今木要」

「……ふぅん。良い名前だ」

「とりあえず、礼は言っとく。助かった」

「構わないよ。若い呪術師を助けるのは、私が成すべきことだからね」

「……俺が呪術師だって分かったのは、空から落ちて来る所でも見たから?」

「ふふ、その通りだが、そんな真似をしなくてもすぐに分かる。……その目を見ればね」

「あ? ……あっ」

 

 慌てて目を隠すが遅い。忘れていた。自分の目は普通じゃないくらい真っ黒なのだから。

 

「……ちっ」

「で、このサングラスは、その目に含まれている何かしらの効果を抑えるためのもの……で良いのかな?」

 

 言いながら、懐からそれを取り出す。

 

「しかし、変わった瞳だね。まるで、ブラックホールのように真っ黒だ」

「あんま見んな。グラサン返して」

「良いとも」

 

 それを取り上げると、自分の目にかける。

 その要に、傑は続けて言う。

 

「さて、そろそろ本題に入って良いかな?」

「……本題?」

「君は……今の世界をどう思う?」

「あ?」

「今、この世界は本来あるべき姿を見失っている……そういう風には思わないかい?」

「?」

「ピンと来ないかい? それなら、説明しよう」

 

 そう言うと、傑は立ち上がって説明する。

 

「今の世界は、呪術師が猿……非呪術師を、非呪術師に気づかれないよう配慮して、非呪術師を守っている。わざわざ、力無き者達のために力有る者が命を賭けているのだ。それも、感謝される事もなく、ね。……あまりにも、理不尽であるとは思わないかい?」

「……」

 

 正直、そもそも呪術師の現状がほとんどわかっていない要には何とも言えない。

 とりあえず、目の前の男の話に耳を傾けた。

 

「だから、私はこの世界に存在する非呪術師を全て抹殺し、新たな世界を構築する。……君にその気があるのなら、私の家族となり、共に真の世界へと足を踏み入れようじゃないか?」

「……家族?」

 

 なるほど、そういう奴か、と要は顎に手を当てる。要するに、非呪術師に裏切りか何かされたのだろう。

 だが、要から言わせてもらえば、呪術師の方が信用ならないというものだ。親でさえ平気で自分の野望のために息子を殺そうとするのだから。

 目の前の男も要するに自分の理想のために要を利用しようとしているのだろう。目の特異性にも気付いているようだし。

 信用は出来ない……が、要には要のやりたい事がある。今後、禪院家を叩き潰すわけだが、それは一人でやるにしても……外部から情報を得る必要がある。その為に、呪詛師は利用できる。何せ、呪術師のトップである御三家は、呪詛師にとっても邪魔だろうから。

 しばらく、ムッと考えると、考えがまとまったので提案した。

 

「……良いけど、殺すなら非呪術師だけじゃ嫌だ」

「と言うと?」

「呪術師も殺す。……特に御三家だの高専だの、そんな偉そうにしている奴らもいらない。俺とあんたらが家族だって言うなら、当然こっちの望みも聞き入れてくれるんでしょ?」

「それで、呪術師を全滅させたいと? ……しかし、その後の世界はどうする?」

「知らない。ただ、なるようになるんじゃね。あんたが非呪術師を殺した後と一緒」

「……なるほど」

 

 傑も、要がどんな目に遭ってきたのかなんとなく察したのか、頷きながら唇を歪ませた。

 

「面白い……良いだろう。それで行こう」

「じゃ、よろしく。あ、その前に」

 

 これで、とりあえず情報源と寝床は確保できた。まぁこの目の前の男が現在、どのような方法で生きているか分からないが、どうせ真っ当な手段じゃない。

 それでも、子供一人で生きるよりはマシだ。その為にも、仮にも家族となる相手に、どの道バレる事を隠しておくのは良くない。

 

「呪力、流して。身体に」

「何故?」

「この目の事、話す必要あるでしょ。これから、家族になるんだから」

 

 そう笑みを浮かべて言いながら、目を傑に向ける。

 

「ふふ、気にすることはないよ。素敵な瞳だ」

「感想なんて聞いてないよ。……呪力、練ってみて」

「構わないが」

 

 全身に呪力が流される。洗礼された淀みなく全身に漲る呪力……それは、禪院家で見たどのジジィどもよりも上だった。

 それに少し感心しつつも、表には出さないようにしつつ、サングラスを外した。

 

「……ん?」

 

 変化に気付いたのだろうか。自身の呪力を感じなくなっていることに。

 

「これは……君の瞳の力か?」

「言っておくけど、別に呪力を出せなくなったわけじゃない。ただ、感じなくなっただけ。俺から見れば、しっかりと体内に呪力は流れてるよ。ま、ブレてるけど」

 

 流れてはいる……が、感じなくなったことによりズレが生じている。

 

「はは……これは、中々新鮮だね……何より、ズレを自覚できないのが面白い」

「聞かないの? この力を抑えられるサングラスを持っている子供が、呪術師と繋がっていないはずがない、って」

「……賢い坊やだね」

「だから……まぁ、さっきは警戒してたから嘘ついたけど、俺の本名を教えるよ」

「……ふふ、気にすることないよ。私でも警戒する」

 

 そう朗らかに答える傑。イマイチ、この男も何を考えているのか分からない。信用してもらおうと色々考えて自分の目のことを言ったわけだが、果たして正解なのか。

 ……いや、ここまで話して引き返せない。言うことにした。

 

「俺の本名は、禪院要。禪院家の末っ子だよ」

「……へぇ、それは驚いたな。む……いや待て。なるほど、そうか……そのお腹の傷は、禪院家に刺されたものかい?」

「……そうだよ」

 

 そこまで察するあたり、本当に禪院家の悪い噂は色んなところに広まっているようだ。

 

「……君も、色々と苦労したようだね」

「そうですね」

「君のその疑い深さも、そこから来ているわけか……」

 

 言いながら、傑は要の肩に手を伸ばす。

 

「安心して欲しい。ここに……君を刺すような家族は、もういないから」

「……」

 

 優しい声音と共に、温かさが手から流れてくる。彼の言う「家族」という言葉はどうやら本気で言っている言葉のようだ。考えてみれば、夏油傑の見た目は割と若い。それなりに色々な事を経験した上で、非呪術師を殺すと言っていたのかもしれない。

 ──その上で、何言ってんだこいつ、と思った。

 結局、望むのは大量虐殺。そんな奴が、家族だなんだと笑わせてくれる。

 それでも、今は彼に頼る事にした以上、とりあえず受け入れないといけない。

 

「ああ、よろしく」

「ふふ、では……今いる私の家族を紹介するよ」

「もう仲間いるんだ」

「違うよ、家族だ」

「……あそう」

 

 そう話しながら、その家族を紹介してもらいに行った。とりあえず、ここからだ。禪院家を滅ぼすための一歩目だ。

 

 



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家族(偽)編
心の支えが遠くにある程、執念深さは増していく。


夏油一派に加入した順番は、完全に私の「なんかこんな感じな気がする」と言った感じです。


 傑が住処にしているのは、とある宗教団体の元拠点。つまり、宗教団体を壊滅させて乗っ取ったわけだ。ここで、金と呪いを集める。

 

「そんなわけで、新しい家族だよ。美々子、菜々子、ラルゥ」

「ほ、ほんと……?」

「どんな人?」

「あら、楽しみね」

「聞いて驚け、なんと……御三家が一つ、禪院家の禪院要くんだ!」

 

 それを言われて、遅れて扉から要が入ってくる。もちろん、サングラスを付けたままだ。

 

「……なんでサングラスなんですか……?」

「ガラ悪い……」

「コラコラ、新しい家族になるんだからやめなさい。あなた達」

「お前らこそ、バカとインキャと変態っぽい」

「「「は?」」」

「はっはっはっ、3人とも早速、気が合うようだね」

 

 一体どこを見てそう判断しているのか……と、誰もが思う所だが、無視して要はジロジロと三人を眺める。

 

「こいつら、全員呪術師?」

「全員……というわけでもないが、みんな術式は持って生まれている。猿を私の家族と呼ぶはずがないじゃないか」

 

 家族として迎えると決めた今、もう傑は自分を偽る事はしなかった。この少年、まだ何か隠しているような気もするが、家族なのだから疑うのは良くない。いずれ、心を開いてくれるのを待つしかないのだ。

 

「……ふーん。で、どれが誰?」

「彼女が美々子、その隣が菜々子、そしてその隣がラルゥだよ。仲良くね」

「夏油様がそう言うなら……あたしは良いですけど……」

「うん……私も……」

 

 それを聞きながら、傑はすぐに要の背中に手を当てた。

 

「じゃあ、要。一先ず、寝ていなさい」

「え、なんで?」

「まだお腹の傷が塞がっているわけでもないだろう? 無理はいけないよ」

「……まぁ良いけど」

 

 それを話すと、さっきの部屋に戻るように促す。

 

「ラルゥ、すまないけど、奈々子と美々子と一緒に彼の洋服を買って来てあげてくれないかな?」

「構わないわよ」

「えー。なんであんな奴の為にー?」

「奈々子、文句言わない……同意はするけど……」

 

 出会った時の態度が最悪だったからだろう。少なくとも奈々子と美々子からの印象は最悪だった。

 その為、傑は二人の前に腰を下ろし、両手を頭の上に乗せてあげる。

 

「彼……ちょうど二人と同い年なんだ。ずーっと、親に虐められていてね……お腹の傷も、彼の親族に刺されたものだ」

 

 それを聞くと、素直な二人は少しだけ目を丸くする。自身の境遇と似ていると思ったのか、同情とは言わずとも、何か思うところがあった。虐待、決め付け、説明出来ない力や自分達には備わっていない能力を目の当たりにすると、弱い者達は蓋をして鍵をかけて忘れたがる。

 もしかしたら、彼も同じ目に遭ってきたのかも……とか思ってしまったり。

 

「……だから、仲良くしてあげて欲しい」

「……わかり、ました……」

「私も……」

「うん、良い子だ。じゃあ、玄関で待っていなさい」

「「はーい」」

 

 素直に従う女の子二人……それを眺めて手を振っている自分に、ラルゥが声を掛けてきた。

 

「今の話、本当なのかしら?」

「本当だよ。禪院家だし、そこで刺されている。本人にも確認を取った」

「信用出来るの?」

「私は信用する。家族になり、彼に家族と思って貰うためには、まずこちらが信用しないといけない」

「……」

 

 子供ながらに賢しい点を、あの僅かな問答で見抜いたのかもしれない。まだ8歳か7歳くらいだろうか? それまでの間、よほど誰も信用しないで生きてきた結果だろう。

 禪院家の悪い噂は呪術界で普通に広まっているのですぐに理解した。確かにあそこで敵ばかり作っていれば賢くもなる。

 それ故に、ラルゥは片眉を上げて傑に聞いた。

 

「……もし、私達家族に仇なすために来た存在だとしたら?」

「その時は、私が止めるさ。彼をここへ招き入れた、私の責任だからね」

「そう……流石ね」

「さ、よろしく頼むよ。私は私で、彼の事を見ておかないといけないからね」

「ええ、わかったわ」

 

 ラルゥを送り出し、傑も一度、要を寝かせていた部屋に戻る。しかし、中に要の姿は無かった。

 

「……おや」

 

 何処へ行ったのか気になりはしたが、不思議と身体を動かす気にはならなかった。

 ラルゥの言うことも一理ある。彼は賢い。それに、何か目的がある。禪院家への復讐以外にも。それ故に、隠している事だってあるだろう。

 だが、それでもまだ小学生くらいの年齢だ。今からでも、せめて禪院家以外の良い術師には心を開いてくれるようになって欲しい。こんな風に、部屋に戻って寝てて欲しいのを無視し、拠点の中を物色するような事はしないで。

 まぁ、別に見られて困るものなど有りはしないのだが。

 

「……」

 

 まぁ、彼の場合は長期的に馴染んでもらうしかない……そして、馴染んでもらうまでの期間は、彼に気付かれない程度の警戒を続けなければいけない。気は進まないが、家族は要だけではないのだ。他の家族にまで被害が及ぶ事は許されない。

 そう決めて、とりあえず彼を探す。まずは、向き合うことだ。

 すると、ふと目に入ったのは、半開きになった襖。そこは書庫だ。

 

「ふふ、こんな所で悪巧みかい?」

「うわ、もう見つかった」

「寝てないとダメじゃないか。まだ安静にしていないと危険だよ」

「本読んでるだけじゃん。安静でしょ」

「……何を読んでいるのかな?」

「これ、あんたが書いたんでしょ」

 

 それは、傑が用意した呪力についての本だった。穴を開けて、紐を通しただけの簡易的なもの。これは、菜々子と美々子の為のものだ。

 

「何故そう思った?」

「あんたの言う理想には、高専を落とすのは絶対条件でしょ。なら、それに備えて戦う術を、家族に授けないわけがないから。一緒に、自分達の世界を作るためにね」

「ふふ、その通りだよ。……やはり、君は賢いな」

 

 あの瞳を持つ時点で薄々、勘づいてはいたが、あの少年は後程、自分達の切り札となりそうなものだ。まだどれ程の実力を誇るのかは分からないが、自分が鍛えれば対術師に対しては特に強くなりそうなものだ。

 

「要、もし良かったら、君も一緒に鍛えようか?」

「……鍛える?」

「そうだよ。言ったろう? 私は特級呪術師だ。一応、術師の中ではトップ3に入る存在だよ」

「いい」

「え……い、いい?」

「もう誰かに鍛えられんのはゴメンだ。テメーのことはテメーで育てる」

 

 そう言うと、傑が作った資料を本棚に戻し、立ち上がった。

 鍛えられる、という事は、禪院家では誰かと修行していた、という事なのだろうか? あの家は才能大好きだし、当たり前と言えば当たり前かもしれない。

 しかし、となると何故、捨てられたのかが疑問だ。いや、今ので何となく察しはしたが……。

 

「……もしかして、君を刺したのは……」

「そう、クソ親父だよ。張り切って俺を育ててた癖に」

「…………そうか」

 

 これは、いよいよもって簡単に家族と認めてはくれなさそうだ。というか、確かに愚かなのは非呪術師に限った話ではないのかもしれない。呪術師の中にも、愚かな者は多くいるということだろう。

 いや、今はそんなことよりも、だ。まずは彼の事だ。傑は要の肩に手を置くと、微笑みながら告げた。

 

「……今の君には、私の言葉などまだ響かないかもしれない……が、言わせて欲しい」

「俺を裏切る事はない、って?」

「私だけではない。私の家族も、だ」

「そうか。そりゃ安心出来る」

「少しずつで良い。私や他の家族達にも、心を開いてくれると嬉しいな」

「はいはい」

 

 やはり、ほとんど流されている。まぁ、言葉なんて彼には通じないのはわかっていた事だ。

 

「……とりあえず、今は休んで」

「はいはい」

 

 そう言うと、要を寝室まで運んだ。

 

 ×××

 

 布団の中で、要はしばらく目を閉ざす。あの資料に載っていた事はほとんど、自分も知っている事ばかりだ。腐っても御三家のようで、禪院家の指導とほぼ変わらない。

 とはいえ、面白いのは教えの方向。禪院家ではとにかく術式を高めるように教わったが、傑が用意した資料によると基礎的な呪力操作を洗練させた方が余程、術師としては厄介らしい。

 そして、それ以上に面白かったのは「黒閃」の存在。狙って出せる術師はいないらしいが、そんな事よりも「それを経験した術師は、呪力の核心に近づく」という点。

 これら二点を兼ね合わせて、自分を鍛える方向性が決まった。基礎と黒閃……この二つを重点的に鍛え込む。そう決めた。

 

「……待っててね。真希ねえちゃん、真依ねえちゃん……」

 

 そう呟くと、少しだけ涙が流れる。しばらく……どれくらいの別れになるか分からないが、会えない。それは数日とかそんな修学旅行レベルの話ではなく、年単位での別れだ。

 寂しい……が、弱音を吐くわけにいかない。ギュッと下唇を噛み、涙腺を止め、布団の中で額を殴る。

 二人を助けるには、強くなるしかないのだから。

 そう呟き、一先ず目を閉じた。

 

「夏油さまー!」

 

 が、喧しい声に扉を気持ちよく開け放たれて、思わず目を開けてしまう。この声……あの歳が近い女二人だ。

 

「あれ、いない……ていうか、あいつが寝てるだけじゃん」

「菜々子……寝てる人いるなら、静かに……」

「別に良いでしょー私、こいつ嫌いだし。夏油さまが仲良くしろって言うならするけどさー」

「だからって……わざわざ、喧嘩売るようなことしなくて良い……」

 

 二人とも自分のことが嫌いなようだが、自分も二人は嫌いだ。というか、呪術師が嫌いだ。今は我慢しておくが、仲良くするつもりはない。

 

「なんか用?」

「うわ、起きてた」

「……お洋服、買って来た……」

「……サイズはどうしたの」

「なんかラルゥが目分量で測ってたけど?」

 

 何それ怖い、と思いながら、とりあえず身体を起こした。買ってきた、と言ったが、お金の調達とかはどうしているのだろうか? 

 

「……服って……お前ら、金はどうしてんの?」

「決まってんじゃん。お金はお金を持ってる猿から掻き集めてる」

「……ついでに、呪いも呪いを集める猿から……」

「……呪い?」

「は? あんた知らないの? 夏油さまの呪霊操術」

「呪いを取り込んで……自分の、下僕に出来る……」

 

 なるほど、と理解した。もう既に傑は決戦に備えているらしい。手数はあればあるほど良い。何人、呪詛師を集めても、高専の呪術師には敵わないだろうから、さらに呪いで数に数を重ねるつもりなのだろう。

 流石、特級呪術師と言った所か。

 

「ふーん……便利だな」

「それよりも、服。お礼は?」

「どうも」

「心がこもってないんですけどー?」

「……」

 

 やはり、面倒臭い。一々、恩着せがましい奴だ。叩き潰してやろうかと思い、術式を使おうとした……が、隣の美々子が諌める。

 

「菜々子……恩着せがましいのはダメ……」

「美々子、ほんと真面目だよね」

「これが普通……菜々子が、喧嘩腰過ぎ……」

「だってムカつくし」

 

 まぁ、今はとりあえず喧嘩するのはやめておいた。信用させるために、無駄な争いは避けておきたい。

 

「とりあえず、服はここに置いとくから。じゃ、行こ。美々子」

「ん……」

 

 出ていく二人。何となく、今後の傑の方針が見えてきた。今後は、とりあえず決戦に備えて呪いと仲間を揃えていくつもりだろう。

 なら、こちらもありがたい。その呪いの収集を自分も手伝わされるのは間違いない。そこで戦い、経験と実力を底上げする。その際、なるべく強い呪いと戦闘し、黒閃を一度で良いから発生させる。それと同時に、信頼を取り入れる。

 そして、その決戦の日……つまり夏油傑が自ら動く必要が出てきた時、自分もようやく派手に動くことができる。

 その時が来るまで、自身を鍛える事にした。

 

 ×××

 

 さて、要が夏油傑の元に来て、約二年が経過した。新たな家族「菅田真奈美」と「祢木利久」も加わり、少しずつ賑やかになってきていた。

 さて、そんな中で傑は正直、舌を巻いた。要の実力はメキメキと夏期講習後の受験生のように伸びた。流石、禪院家の息子……と、思うと共に、少しだけその才能が恐ろしかったりもする。

 既に、もう実力は二級術師レベル。収集してきた呪霊も、中々使えるものが多い。

 何が困るって、まだ実力を隠していそうな点だ。彼から術式については聞いた。磁石の「S極」と「N極」の刻印を物体に付与し、手元に引き寄せたり、或いは反発させたりする。刻印が付与された物体は呪力も籠るので、威力も上がる。

 ……が、どうもそれだけではない気がする。まぁ術式を隠すのはある意味当たり前でもあるので、深くは追及しない……というより出来ないが。

 戦力としてはありがたい。それこそ、もし今、自分が欲しいと考えている呪具が手に入らなかった場合のサブプランとして、五条悟の足止め役も出来そうなものだ。

 とはいえ、だ。

 

「要、あんたいい加減にしろ! 何度も何度も同じこと言わせんな!」

「……また、活動のお金……使い込んだ……」

「別に良いでしょ。ちゃんと役に立つもん作ってやってんだから」

 

 もう少し双子の姉妹とは仲良くして欲しいものだ。

 役に立つもの、とは要の術式を利用して作った呪具、グローブと刀やら鈍器やらなど様々。その呪具を投擲したら、本人の意思次第で手元に引き寄せられるものだ。

 強力だし、グローブさえつければ誰にでも使えるが、これで作ったのは50本目である。

 

「お前らにも使用許可を出してやってのに、なんでそんな文句言うの」

「作りすぎだって言ってんの!」

「刀とか、結構高い……」

 

 そんな風に怒られても、要はどこ吹く風。ジロリと睨み付けると、ギュッと菜々子の足の甲を踏みつける。

 

「てめっ……!」

 

 頭にきて殴りかかってきたが、ぬるりと回避して天井にジャンプして触れる。その天井に出来たのは、Sの刻印。まさか、と菜々子が思った時には遅かった。グンッ、と踏まれた足のNの刻印が反応し、身体が真上に持ち上げられた。

 

「菜々子……!」

「っ、ざっけんな! これ下ろせコラ!」

「やーだー」

「そこまでにしなさい」

 

 これ以上は止めないわけにはいかない。傑が間に入った。

 

「要、下ろしてあげなさい」

「いくらで?」

「……また新しい呪具作って良いから」

「……チッ」

 

 舌打ちすると、術式を解いた。直後、天井から菜々子は落下する……それを、傑が背中と膝の裏を抱えてキャッチする。

 

「大丈夫かい? 菜々子……」

「っ、は、はひ……」

「菜々子、ズルい……!」

「ふふ、後で美々子もやるかい?」

「やる……」

 

 なんてやってるのを無視して、いつの間にか要はいなくなっている。それに気づいた傑が、頭の中で控えめなため息をつく。

 要と上手くいっていないのは、自分とラルゥを除いて全員そうだ。というか、傑とラルゥだって、別に仲が良いわけではない。喧嘩をしないだけだ。

 元々、仲良くする気がない様子の要だが、その上にここ最近は単独プレーも増えた。一人で拠点を抜け出し、何をやっているのか知らないが呪霊を多く引きずって持って帰って来る。

 貢献はしている為、文句を言えないのが現状だ。

 

「菜々子、美々子……要は嫌いかい?」

「きらーい」

「……私も、苦手ではある、かも……」

「……そっか」

 

 おそらく、彼が育ってきた環境が自分達に似ているとわかった上でのセリフだろう。つまり、それを差し引いても嫌いということだ。

 まぁ、気持ちは分かる。多分、自分も彼と同い年くらいなら嫌いになっているだろう。

 

「じゃあ……家族から、追い出したいとは思うかい?」

「……別にー、そこまでじゃないケドー」

「私も、その……それは、嫌……」

 

 嫌、というより、そこまで冷徹にはなれないのだろう。他人と違う力や才能を持つが故に迫害される気持ちは、よく分かるから。

 

「……そっか」

 

 それを聞いて少しホッとした。ならば、話は早い。ほんの少しきっかけがあれば、せめて嫌い合うほどではない仲になれるはずだ。

 ちょうど良いことに、そろそろ海外に飛ぼうと思っていた。

 

「よし……では、旅行に行こうか」

「え、ほんと⁉︎」

「ど、どこへ……?」

「アフリカだよ。なんでも……そこに、面白い呪具があるみたいでね」

「アフリカ……?」

「ボランティア、ですか……?」

「いやいや……まぁ、ビジネスだよ。その間、三人は自由に観光でもしていると良い」

 

 それを言うと、美々子と菜々子はピシッと固まる。今の話の流れと「3人」という言葉で嫌な予感がしたのだろう。

 それは当たりだ。何故なら、行くのは傑と菜々子と美々子と後1人、誰かいる。二人が苦手としている人物だ。

 

「え」

「それって……」

「そう。要も一緒に連れていくよ」

「ええー!」

「……や、やだ……」

「言葉も通じない異国の地に行くんだから、ちゃんとみんなで協力するように」

「「……はーい……」」

 

 仕方なく、二人とも頷くことにした。

 

 ×××

 

 さて、その頃。一人で先に部屋に戻った要は、自身で作った呪具を倉庫に置きに行った。

 これらも全て、修行の一環。基礎の特訓をしながら、自身の術式について理解を深めるために色々試して見つけた新たな用途だ。

 呪具に込めた呪力量によっては、今把握している限りの距離で、一キロ先からでも手元に引き寄せられる。当然、こちらに呼び寄せるのにワープさせるわけではなく、直線で移動する必要があるから、それなりに時間はかかるが。

 とはいえ、まぁ要は別に刀を使って戦うつもりはない。本当に実験の一環だ。

 なんだかんだ、もう二年。こうして一人でいると、やはり気になるのは真希と真依の事。あの二人は大丈夫だろうか? と心配になる。雑用係ではある為、わざわざそれを殺すようなことはしないだろうが……。

 本当なら、少し様子を見に行くくらいの事はしておきたい。だけど、万が一生きていることがバレたら、そのうち「お前が死なないと姉を殺す」とか平気でやってくる一家だ。親族相手に何してるのか、あのカスども。

 とにかく、今は下手に存在を知られない方が良い……そう決めて、とりあえず我慢する事にした。

 

「見つけたわよ。要」

 

 そんな中、背後から声を掛けられる。振り向くと、そこにいたのは一人の女性。色っぽいドレス姿で声を掛けられる……が、要はすぐに刀を入れてある倉庫に視線を戻し、近くにあるハンマーを手に取る。

 その、あからさまに挑発するようなシカトを見て、真奈美はイラッと眉間にシワを寄せる。

 

「聞いてるわけ? 目上の人間が話しかけている時はこちらを向きなさい」

「誰が目上?」

「私よ。分かりきっていることを聞かないでくれる?」

「なんでお前が俺の目上なわけ?」

「私の方が歳も上だし、資金面の管理とか全て夏油様に任されているもの」

「それ、非呪術師と同じ尺度で上下関係決めてるよ」

「……なんですって?」

「俺らの大将が望む世界の回り方は弱肉強食でしょ。大人が子供の尺度で説教するな」

「……」

 

 思わず本音をぶちまけてしまったが、こういう子供大人にはうんざりしているのだ。まだ普通に子供である美々子と菜々子の方が話せる。

 さて、この後の展開は手に取るように分かる。ズズッ……と、呪力が背後から迸って伝わって来る。

 

「それはつまり、あんたが私より強いって言いたいわけ?」

 

 ほら見ろ。プライドだけ高いから論点がズレる。

 要は立ち上がると、手元のハンマーを持ち上げ、クルクルと回しながら放り、キャッチする。

 

「そう聞こえなかった?」

「試してあげましょうか」

「いや、いいです。俺にとっては試したことにならないから」

「殺す」

 

 そう決めて呪力が解放された。要は手元のハンマーを適当に放って棚に戻すと、サングラスを外した。光の侵入を許さないような漆黒の闇、それを宿した瞳が、真っ直ぐと真奈美に向けられる。

 術式を持たないとはいえ、おそらく実戦経験豊富である禪院家の露払い部隊、躯倶留隊の隊長でさえ正気を失った瞳が、真っ直ぐ真奈美に向けられる。

 気が弱い……いや、弱くなくとも強くもない者では正気を失いかねない外見に追加し、呪力を感じさせなくさせるおまけ付きのそれが、真奈美を飲み込むように向けられ、震えが止まらなくなり始めていた。

 

「……けっ、ザコ」

 

 そう吐き捨てると、すぐにサングラスを戻した。その要に、まるで特級呪霊でも目の当たりにしているように怯えた表情の真奈美が聞いた。

 

「あ、あなた……何なの……?」

「そんなビビんなくて良いよ。お前が俺を殺そうとしない限り、俺はお前殺さないから」

「っ……な、何を……」

「で、何の用事だったわけ? それとも、用事なんかなくて俺に文句を言う口実が出来たから嫌がらせに来ただけ?」

「……ば、化け物……!」

「そこまでだよ」

 

 ポンッと、そんな中でやたらと落ち着いた声が倉庫内に響く。現れたのは、夏油傑。真奈美の肩に手を置き、落ち着かせるように抱き寄せた。

 

「要、あまり女性は虐めるものではないよ」

「俺がいじめに行ったんじゃない。そいつがいじめられに来たんだ」

「……真奈美も、彼をあまり刺激するのは良くない」

「……申し訳ありません」

「私に、ではない。要に謝りなさい。彼はまだ、小学校で言う四年生の男の子だよ?」

「……ごめんなさい」

 

 全然、反省していない。怖いから、言われたから謝っただけだ。子供と同じ、とすぐに要は見抜く。

 まぁ、別にそんな女どうだって良い。そんな事よりも、傑に声を掛けた。

 

「で、なんか用?」

「君は真奈美に謝らないのかい?」

「あ?」

「家族にその目を見せるのは、私以外にはダメだと言ったはずだよ」

「……」

 

 本当に馬鹿馬鹿しい話だ、と鼻で笑って小馬鹿にする。自分の本当の家族である姉二人は、決して呪術の才能があったわけでもなく、戦闘能力に秀でたわけでもないのに、一度たりとも恐れたことなんてなかった。

 ま、家族とは言うが、結局は他人なのだ。姉弟に勝る関係なんてこの世には存在しない。

 

「家族なのに、素顔を見せちゃいけないんだ」

「……要」

「へーへーすんませんしたー」

 

 真奈美なんかより余程、中身のない謝罪をする要を見て、傑は困ったようにため息をついてしまう。

 そして、それから元々の話に移った。

 

「二人が揃っていた所でちょうど良かったよ。実は、少し旅行に行こうと思うんだ。真奈美には、ラルゥと利久と留守番していて欲しい」

「え、ええ……構いませんが」

「えー……って事は、俺は行くの?」

「勿論だとも」

 

 面倒臭い……とは一瞬思ったし、実際ため息も出たが、傑の事だ。呪霊狩りとかそんなんだろう。だとしたら、未だ黒閃へと至っていない要としては、ちょうど良い話だ。

 

「まぁ良いけど。どこ行くの?」

「アフリカ」

「……は?」

「少し、気になる呪具があってね。可能であれば、手に入れたいと思っている」

「……ふーん、まぁ良いけど」

 

 それは正直、興味ない。

 というか、それよりも自分が勝手に金を使い込んだ事に怒ってきたのにアフリカ旅行なんて大丈夫だろうか? 

 

「金あんの?」

「勿論、飛行機なんて乗らないさ。飛んで行くよ」

「あーそう。うん、まぁそれで良いや」

 

 とにかく、自分の修行になるならそれで良い。そう決めて、とりあえず要は旅行の準備を始めることにした。

 

 



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子供の成長に遅すぎるって事はない。

「あっづぅ〜い……」

「ほんとに〜」

「冷たい風を出す呪いでも出そうか?」

「夏油、お前マジその袈裟脱いで。見てるこっちが暑い」

 

 なんて話しながら、四人は異国の地に到着した。それは、その広大な他の目的地でもある。

 アフリカ大陸東部……そこで、四人は思わず呟いた。しかし、暑い。本当に暑い。知識としては知っているつもりだったが、この気温は予想外だ。

 

「てか、本当に冷風を出す呪霊がいんの?」

「いるよ。浴びるかい?」

「浴びる」

「構わないよ。ただし、条件を一つ」

「?」

 

 条件? と、片眉を上げると、傑はすぐに告げた。

 

「もしもの時は、二人のことをよろしく頼むよ」

 

 そう言いながら傑が両手を美々子と菜々子の頭に乗せる。それを見て、思わず要は半眼になる。

 

「何、もしもって」

「それはー……ほら、色々だよ。迷子になったーとか、誘拐されそうになったーとか」

「あそう。……ま、良いけど」

 

 要の術式なら、扇から逃げた時の使い方をすれば周りを見渡すこともできる。迷子になった時の対処は確かに可能だ。

 

「ま、良いけど」

「夏油さま! 面倒見るのはあたし達の方だから!」

「そ、そうです……」

「勿論、二人も要をよろしくね」

「「はい!」」

 

 そう話しながら「さて」と傑は声を漏らし、その呪霊を呼び出す。恐竜より遥かに前の時代にいそうな大きいトンボの形をしているが、4枚の羽の真ん中に扇風機がついている。

 そこから、こおおぉぉぉ……と、冷たい風が発生する。

 

「はふぅ……生き返る……」

 

 そんな声を漏らしてしまうが、本当に暑いのだから仕方ない。この地域に住んでいる子供達の気が知れないレベルであった。

 その要の視界にふと入ったのは、美々子と菜々子。その場所から遠くに見える動物の群れを指さしてはしゃいでいた。

 

「うわ、見て! あれ……バッファローの群れ?」

「ほ、ホントだ……初めて見た」

 

 要は、正直あの二人が一番、苦手だった。他の大人達なら、冷たく当たれば大体、想定通りの反応をしてくる為、嫌いでも苦手ではない。何をどう対応すれば自分から離れていくか、すぐに分かるから。

 そこは二人も一緒……だが、まるで当てつけのように姉妹間仲良くする二人を見ていると、無性にムカついてしまう。自分は、姉二人と離れ離れになったというのに。

 

「ライオンとかいないかなー」

「いたら……私達も終わる……」

 

 子供達がはしゃいでいる間にあたりを見回していた傑が、目的の家を見つけたのか、三人に声をかけてきた。

 

「呪具の交渉は私がする。……その間、もし退屈だったら、仲良く観光でもして来ると良い。そのときは、こいつは3人が預かっていて良いよ」

「ていうか、いい加減教えてくれない? 呪具ってどんな奴なわけ?」

「黒縄、だよ。あらゆる術式を相殺し、乱す縄が欲しい」

「……ふーん」

 

 なるほど、そんな便利なものなのか、と理解しつつ、興味は薄れる。何せ、それが置いてある、という場所はこんな古風な文化を重んじているような家に住んでいる民族だ。

 つまり、それだけ作り込まれた呪力を縄に込めているのだろう。自分の術式が介入する余地などない。

 

「俺、少し色々見て回ってくる」

「分かった。……もし戻ってきたくなったら、そいつが私の居場所を教えてくれるよ」

「へいへい」

 

 そう言って傑と別行動をし始める要。その背中を菜々子も美々子もぼんやり眺めていると、傑が二人にも声を掛けた。

 

「菜々子と美々子も、行って来なさい」

「えー、私達もー?」

「……ちょっと、怖い……」

「大丈夫だよ。万が一の時は、要がいる。彼なら、サングラスを外すだけで大抵の人間は追い払える」

 

 それを聞いて、二人とも身震いさせた。家族にもサングラスを取ることを禁止されている要だが、それは一度、菜々子と美々子にも瞳を見せたことが原因だ。

 二人とも恐怖のあまり失禁と同時に失神してしまい、今でもトラウマになっている。

 

「わ、分かりました……」

「行こっか」

 

 そう促され、二人とも要の後に続いた。

 

 ×××

 

「要、待って!」

「何処、行くの……?」

 

 嫌いな相手とはいえ、傑に言われた以上は仕方ない。自分勝手にサクサクと前に進む要を慌てて追っていた。

 

「何処って、何処でも良いでしょ。てか、なんで追ってくるわけ?」

「夏油さまが仰ってたでしょ」

「一緒にいろ、って……」

「真面目か」

「真面目とか、そういう問題じゃないから」

「夏油さまが仰ったことは、全部正しい……」

 

 言われて、要は小さく舌打ちする。その態度に少しムッとする菜々子だったが、それを察した美々子がグッと堪えて先に口を挟んだ。

 

「とにかく、観光なら……一緒に……」

「……勝手にしろ」

 

 要はそう吐き捨てると、呑気に歩いて自然の方へ向かう。野生動物が多くいて、日本では絶対に見られない風景だ。

 

「おお……めっちゃいる、動物……ね、写真撮らない?」

「良いね……撮ろう」

 

 菜々子がデジカメを持って自撮りをするように構え、美々子もその隣に並ぶ。

 そんな中、美々子の視界にふと入ったのは、自分が映らないように一応、配慮してくれたのか……いや、単純に背景の一部にもなりたくなかっただけか、デジカメの反対側にいる要の姿だった。

 その表情が、何処か寂しそうにも見えた気がして。その寂しさが何処に向かっているのか分からないが、とにかく空を眺めている。

 

「じゃ、撮るよ〜」

「待って、菜々子……」

「えー、何?」

「要も、来て……」

「あ?」

 

 呼ばれて、要は片眉を上げる。

 

「は? 美々子、あんた何言ってんの?」

「……夏油さまの、命令……」

「えー、嫌なんですけど」

「俺も嫌だ。あいつの命令は一緒にいろってだけで、3人仲良くする必要はないでしょ」

「……じゃあ、3人一緒にいた、証拠……」

 

 我ながら上手い返しをした、と、美々子は少しドヤ顔を浮かべた。それが異様に腹立たしかった要だが、否定はしなかった。

 

「……一枚だけだ。あと、日本に戻ったら消せよ」

「ええっ⁉︎ あんたまで何言ってんの!」

「菜々子……文句言わない」

「はー? マジ仕方なくだかんねー……」

 

 全力で気が進まない様子を見せながら、とりあえず三人で横に並ぶ。

 

「じゃあ、菜々子……よろしく」

「へいへい。撮るよ」

「……」

 

 なんて話しながら、写真を撮った。デジカメでの自撮りは割と難易度が高いのだが、もう割と手慣れている菜々子は綺麗に三人が映っている上に、後ろにもバッファローがいる写真を撮ってみせた。

 それを見直すと、美々子が声を漏らす。

 

「さすが、菜々子……」

「でしょー? 一人、余計なのが映ってなきゃもっと良かったんだけど」

「は?」

「菜々子、喧嘩売らない……勝てないんだから……」

「勝てないは余計でしょうが!」

 

 それだけ言って、再び三人で歩き始める。他に見つけたのはシマウマ、ヌー、クロサイ、インパラなどの草食動物。これが見えるだけでも絶景だった。

 それでも微妙に三人の中に流れる空気は、何処か重たい。それもそのはず、要がずっと不機嫌そうにしているからだ。

 そんな中、限界、というように声を漏らしたのは菜々子だった。

 

「も〜無理〜。休憩しよ、休憩〜」

「確かに、結構歩いたかも……」

「あっそ。じゃ、俺は先に行くから」

「は? ダメだから。三人でいろって言われたじゃん」

「要……待って……」

「別に、縛りを結んだわけじゃないし」

「てか、これそもそもどこに向かってんの?」

「そういえば……そう」

「ライオン見るために決まってんじゃん」

「は?」

「え?」

「ここまで来たからには、見たいから。俺は」

 

 どうやら、割と要もエンジョイしていたらしい。それと同時に、意外と好みが菜々子と同じレベルな事に驚いてしまったり。

 だが、それでも……というか、それだからこそ少しは休みを入れて欲しい。ライオンなんかに見つかれば、逃げなければならないのだから。

 

「……とにかく、休ませて。一緒にいるように言われてるんだから」

「嫌だね。お前らが困るんなら尚更、俺としてはありがたいし」

「あんた、なんでそんなに家族に冷たく当たるわけ? あんたに何の得があんの?」

「……決まってんだろ。呪術師が嫌いだからだよ」

「……」

 

 そういえばそうだった。彼の家族は日本トップ3の呪術一家……のくせに、その実態は息子の事さえ自分の為に殺そうとするゴミカス集団らしい。

 そんな目に遭えば、呪術師が嫌いになるのも分からなくはない。それでも、と菜々子は続けた。

 

「でも、あんたに意地悪してたのは私達じゃないでしょ」

 

 その返しに、美々子も頷く。全く無関係の自分達がそんな風に意地悪される謂れはない。

 しかし、要は真顔のまま続けた。

 

「じゃあ、夏油やお前らが非呪術師を殺すのも違うじゃん。この世の非呪術師全員に虐げられたわけでもないでしょ」

「っ……そ、それは……」

「そう、だけど……」

「俺は一応、夏油に協力してる。それは、あいつが俺の野望も飲んでくれたからだ。けど、それでわざわざ俺が呪術師と仲良くする必要もない。違うか?」

 

 聞かれて、二人とも何も答えられなかった。ただ黙って俯く。

 それを見て「結果は出た」と思った要は、そのまま歩き始め、仕方なく菜々子と美々子も後に続いた。

 

 ×××

 

「ヘェ……ソレデ、非呪術師ヲ?」

「ええ、そういうわけです」

 

 夏油傑が話している相手は、ミゲルという呪術師。黒人でサングラス姿のその男と話していた。

 

「……面白イ男ダナ、アンタ……実際、コノ国デモ呪術師ノ扱イハ酷イモノダ。オレ達ノ部族ガコンナ原始的ナ生活ヲシテイルノモ、呪術師ヲ忌ミ嫌ウ連中ヲ避ケル為サ」

 

 それを聞いて、傑は呆れ気味にため息を漏らす。本当に非呪術師というのは、何処の国も同じのようだ。そんな猿の為に、呪術師が命を散らすなんて狂った世界だ。

 

「ああ……だから、我々にとって住み良い世界を作る。……そのために力を貸して欲しい」

「OK……ト、言イタイ所ダガ、ソウスンナリ黒縄ヲ渡スワケニモイカナイ。コイツ一本、作ルノニコノ国ノ術師ガドレダケノ年月ヲカケル必要ガアルト思ッテル?」

「やはり、それだけ強力な呪いが込められているわけか……勿論、ダメなら仕方ないと諦める気でいましたよ。無理にとは言いません」

「ダガ」

 

 仕方ないか、と諦めかけた時だ。ミゲルが続きを言うように声を漏らした。

 

「夏油……確カ、日本デトップ3ノ呪術師ダッタナ……?」

「ええ、その通りですよ」

「ナラバ、我々ノ依頼ヲ引キ受ケ、成功サセテクレレバ、長老ニ交渉シテヤッテモ良イ」

「ほう……よろしいのですか?」

「アア、勿論、絶対ニ上手クイク保証ハナイガ……」

「良いでしょう。受けさせていただきます」

 

 それはラッキーだ。是非とも受けさせて欲しい。少なくとも、五条悟を殺せ、なんていう滅茶苦茶な依頼でもない限り、自分に出来ないことなどない。

 

「内容とは?」

「ソノ前ニ、縛リハイイノカ?」

「結構です。私は、呪術師は信用していますので」

「……ホウ。ヤハリ、面白イ男ダナ」

 

 ニヤリと愉快そうに笑みを浮かべるミゲル。普通、呪術師など信用できるものではない。大半が呪詛師になるものなのだから。

 しかし、彼はその常識を外している。自ら信用しないと、信用されない事を知っているのかもしれない。

 もはやそれ以上の話は不要、と言うように、ミゲルは依頼の内容を語った。

 

「祓ッテ欲シイ呪イガイル。オソラクダガ……一級クラスハアルダロウ」

「どのような?」

「コノアフリカ大陸ニ出現スル呪イハ、日本トハ根本的ニ違ウ……何故ナラ、我々ニトッテ恐怖ノ対象ハ、自然ノ中ニ生キルモノダカラ」

「……ほう?」

 

 言われて、少し興味が湧く。なんなら、傑であれば新たな戦力にできるかもしれないからだ。……まぁ、それを取り込まないといけない、と思うと少し気が重くもあるのだが。

 それを表に出さずに、笑みを浮かべながら尋ねた。

 

「では、その呪いとは?」

 

 それを聞かれ、ミゲルもニヤリと笑みを浮かべた。

 

「ライオンノ呪イ……百獣ノ王ノ呪イガ、常ニ何処カシラヲ駆ケテハ人ヲ喰ライ、新タナ餌ヲ求メテ彷徨ッテイル」

 

 ×××

 

 歩いていると、後ろからぺたんと座り込む音が聞こえる。

 

「もーほんと無理。マジ疲れた!」

 

 その声は菜々子のものだ。何も言わないが、荒れた息を整える美々子も座り込んでいる。

 冷たくあたったが、なんだかんだ傑の信頼を失うわけにはいかない要は、二人を死なせるわけにもいかない。

 仕方なく足を止めると同時に、一緒に呪霊に2人を集中的に涼ませるよう指示を出す。

 

「ほああ……生き返るわー」

「うん……涼しい……ありがと、要……」

「うるさい」

「何その返事」

「憎まれ口が、適当になってきてる……」

「ね、それ私も思った。もしかして疲れてる?」

「ふふ……自分も割と無理してたとか……」

 

 ……分かった。何が苦手か。中身も見た目も何もかもが違うのに、双子の姉妹が仲睦まじそうにしているのを見て、つい重ねてしまうのだ。自分が大好きな姉達と。

 あの二人もいつも一緒にいて、いつも仲良く楽しそうにしている……そんな様子が、たまに自身の脳裏にフラッシュバックした。

 自分が失った光景を、あろう事が自分が嫌いな呪術師が繰り広げている。それが、なんだか胸の奥にやたらと引っ掛かった。まるで、喉に引っかかっている魚の小骨のように。

 

「? 何?」

「疲れたなら……休んだら……?」

 

 なんて声をかけられた直後だった。ふと、要は違和感を覚えた。そういえば、周りにいつの間にか野生動物が全くいなくなっている。

 それと共に感じるのは、やたらと純粋な呪力。一体何処からだ? と、辺りを見回す。

 

「どうしたの? 要」

「……いや、ちょっと……」

 

 二人は感じないらしい。

 この呪力……気配を絶っているが、僅かに感じているのは、隠しているから。相手は呪詛師? いや、それならもっと完璧に消せるはず……つまり、狡猾な呪霊……まるで獲物の隙を伺うような、ハント直前のライオンのよう……。

 一つ言えるのは、かなりやばい相手に狙われているということ。

 両手と両足で術式を起動する。足元に刻印を作ると共に、両手は刻印をつけられるように身構える。

 

「要?」

「黙ってて」

「は?」

 

 油断出来ない……と、思った直後だ。二人の背後から見えた、巨大なライオンの口。一気に頭を食いにきている。

 その直後、要も動いた。両手で座り込んでいる二人の胸ぐらを掴み、刻印を付与すると同時に、足の下に作った刻印に叩きつける。S同士の刻印とN同士の刻印が反発し合い、二人の体は一気に宙へ舞い上がった。

 

「「はっ⁉︎」」

 

 声を漏らした直後、二人は真下を全長三メートルほどあるライオンが、傑の呪霊を食いながら要に突進していく姿が目に入る。

 

「要!」

「嘘……!」

 

 食われた? と思ったのも束の間、小学生の身体の小ささを活かして、真下に潜り込んでいた。

 それと同時に、右手の平の刻印をライオンのボディにつけ、左手の掌底を叩き込む。引きつける力に追加して呪力を乗せた一撃が完璧に入ったはずだ。

 ……だが。

 

【ハバリガニィィイイイイ‼︎】

 

 そのまま体重をかけ、ボディプレスをかましてくる。ズンッという感じた事のない重みが掛かってきて、腕が折れる前に左手の術式を解除、同時に右手のひらを向け、反発させてひっくり返した。

 その間に、一度その場から離れて離脱しようとした直後だ。宙に舞い上がったはずのライオンは、空中で足元に呪力を集中させて起爆、加速してきた。

 

「空中ジャンプ……!」

 

 ヤバイ、と思ったのも束の間、シャッター音の後に、ライオンの動きが止まる。

 

「要! あんま長く止められない!」

 

 菜々子の術式のようだ。その隙に、要は地面に再び刻印を付与。その直後、ライオンはボディから叩きつけられた上に、離れなくなる。

 

「美々子!」

「任せて……」

 

 そう言いながら、美々子は手元のぬいぐるみの首を、縄によって少しずつ縛り上げる。空中のライオンの首にも、同じように縄が巻き付けられ、少しずつ縛られていった。

 ギギギっ……と、縛りながら、とりあえず二人は着地し、要の隣にくる。

 

「お礼はいいから」

「先に助けたのは俺だから。いつまでも気がつかなかったマヌケ」

「でも私の胸ぐら掴んだでしょ。セクハラ」

「せくはら……?」

「え、嘘でしょあんた」

 

 なんて話しながら、要はハッとする。そういえば、なんでわざわざ助けたんだろうか? 今、見捨てたって「なんかやばい呪いに襲われたので」で済む話だろうに。

 ……と、思ったが、すぐ理解した。身体が、敵をかなり強い奴だと理解したからだ。おそらく一人で戦えば殺される、と頭より先に理解し、助けた。

 それ以外にない……と、頷いている時だった。

 

「ご、めん……ふたり、とも……」

 

 震えたような声が、美々子から二人の耳に届く。

 

「この呪霊……強い、とめきれ……ない……!」

「!」

「嘘……!」

 

 二人揃って身構えた直後だ。ライオンの鬣が四方へ伸びて、巻きついた縄を引きちぎった。

 

「!」

「やばっ……!」

「もう、限界……!」

 

 しかし、休む暇はない。拘束されていた獣が解き放たれれば、捕らえる前よりも元気に暴れるからだ。

 

【フ・ジャンボオオオオオオ⁉︎】

 

 咆哮と突進。要は余力を残して回避出来た。仮にも三歳には扇との稽古をこなしていた為、当たり前と言えば当たり前だ。

 ……が、菜々子と美々子はその限りではない。無理、と判断した美々子が、奈々子の肩を横に押した。

 

「え……みみっ……!」

 

 声を漏らした時には、メギッと鈍い音と共に、美々子の身体は宙を舞った。トラックに撥ねられたように真上に吹っ飛んだ後、力無くそのまま真下に落下する。

 地面に衝突する直前、要の呪術で手元に引き寄せ、キャッチする。

 

「……あーあ」

 

 思わず声を漏らす。骨折とかそんなレベルではない。じわっ……と、少しずつ赤いシミが服全体に広がっていく。

 

「美々子‼︎」

 

 その二人のもとに、菜々子が走って来る。手元にあるボロ雑巾のようになった姉妹の姿を見て、思わず言葉を失ってしまった。

 

「っ……う、うそ……みみ、こ……?」

「……」

「お、おきっ……起きて、よ……ねぇ……!」

 

 要は、その正気を失うまでの様子を黙って眺める。何も感じない……というわけには、残念ながらいかなかった。自分の姉達ではないが、それを失ったかもしれない痛みは分かる。

 それ故に、例え嫌いな術師の悲劇であっても、自らの胸の奥を酷く締め付けた。

 仕方ない、と、要はため息をついた。本当は身内にも見られたくない技だが、流石に「奥の手は隠したいから」なんて理由で、全力を出さなくて済む状況ではない。

 

「……菜々子、あのライオン1分止めて」

「え?」

「止血するから」

「そ……そんなことできるの?」

「出来るかも、ってだけ。あんま期待しないで」

「っ、わ、わかった……!」

 

 そう言うと、菜々子はデジカメをライオンに向ける。

 それを横目で眺めつつ、要は美々子の服を裂いて傷口に手を当てた。断面に左右逆に手を当てると、術式を起動。磁石同士が引き合い、傷口をとりあえず塞ぐ。父親に刺された時から、ずっと考えていた使い方だ。

 おまけ、というように、自分のハンカチにも刻印を付与し、お腹に貼り付けた。これでどこまで持つか、だが……まぁそれ以上は分からない。

 

「要、もう無理!」

「じゃあ、美々子連れて逃げて」

「え……あ、あんたはどうすんの?」

「あいつ倒す」

 

 そう言った直後、要はサングラスを外してから、両腕に力を込める。呪力が両腕に込められていくと共に、手の平の刻印が発光する。

 その後、両腕を左右に広げた。それにより出現したのは、右手のひらの前には赤の「N」の文字の呪力のサークルと、左手の「S」の文字が含まれた同じようにサークル。

 その両掌を、前に向けて構えた。まるで、巨大な光の壁のように。

 

【ナ……ウェウェ⁉︎】

 

 サングラスを外し、九眼を開眼したからか、ライオンには見えていない。再び突進攻撃をかましに来て、要が広げた左手のサークルの中に飛び込む。

 それにより、そのサークルで発光している「S」の発光体がライオンを包むように付着した。

 要は右手を後ろに向け、左手の術式を起動。直後、ライオンは後方に大きく吹っ飛ばされる。

 

「っ……な、何それ……⁉︎」

「行け、早く」

「わ、分かった……!」

 

 美々子を連れて、菜々子は走って元来た道を辿る。それに視線を向けることなく、要は両手のサークルを向けて構える。

 掌のサークル……基礎練を続けたことで見えたのは、自身が触れないと付与できないと思っていた、手の平の刻印。

 だが、よーく見ると付与する直前、手の平から発射されているのが見えた。

 つまり、こいつを応用して大きくしたり、前に飛ばしたり出来れば、触れずとも相手に刻印を付けることができる。

 まだ発展させようがあるが、今は広げるだけが精一杯。まぁ、それよりも基礎の呪力操作をマスターしなければならない為、出来なくても良いわけだが。

 この力で、何処までやれるのか、試す価値はある。

 

 ×××

 

「すまないね。少し急かしてしまうようで」

「別ニ構ワナイ。家族ガ危険ナノデハ」

 

 かち合わないことを祈ってはいたが、見張り用につけていた呪霊が消えた以上、行かないわけにはいかない。

 急いで傑は自分の呪霊が消された方向へ、呪霊操術で呼び出したエイの上に乗って向かう。その途中、ふと真下を双子が歩いているのが見える。

 

「すまない、寄り道する」

「イタノカ?」

「一人足りないがね」

 

 そう言うと、一気に真下に降りた。シュタッと二人の前に降りると、目に入ったのは血だらけの美々子の姿だった。

 

「げ、夏油さま〜!」

「菜々子……美々子にまだ息は?」

「わ、分かんない……けど、要が止血してくれて……!」

「……見せてみなさい」

 

 ミゲルに反応する余裕もないようで、菜々子は傑と美々子を見下ろす。再び術式を用いて、回復用の呪霊を出す。

 とりあえずそれに任せるとして……さて、それよりももう一人だ。

 

「要は?」

「今、一人で……ライオンを……」

「……ミゲル、すまないが」

「分カッテイル。ココハ任セロ」

 

 それだけ言うと、傑はすぐに走ってその呪いの元へと向かった。おそらく戦闘中なのか、巨大な呪力を前方から激しく感じる。

 生意気でいつも何か企んでいて、家族との仲も上手くいっていない子だが、それでもいなくなってしまえば良い、なんて思った事は一度もない。

 ミゲルから聞いた話だと、獣の呪いは、特異性などなくとにかくフィジカルが強い。力強く、硬く、速い。故に、こちらの土地に住まう呪術師も最低限、身体を鍛えている。

 つまり、まだ10歳の要では相性が悪い。そう思い、可能な限り早くその場に駆け付けた。

 しかし、そこでは……。

 

「ッ……!」

 

 要は、受けに回って耐久どころか、互角以上の戦いを繰り広げていた。大地に大量の刻印を広げ、足を使って捕まらないように立ち回っている。

 地面に落ちている岩などを引きつけてぶつけ、或いは飛ばして殴打し、刻印を飛ばして地面に縫い付けた上で、足や背中を攻撃し、一発も貰わないようにセコイ戦法で立ち回っている。

 だが、フィジカルで大きな遅れをとっている以上は当たり前だろう。これはもしかしたら、助太刀の必要はないのかもしれない……なんて思い、とりあえず黙って見学した。

 

「ふっ、ふぅっ……」

 

 息を切らしながら、要は両手を真下に振り下ろす。小さくなった刻印が地面に打ち付けられ、その直後に両手の刻印と反射し、大きくジャンプする。

 それと同時に、ライオンの真上から左手の刻印を打ち込み、遠くへ引き離させたと思えば、右足の刻印を向け、加速させながら蹴りを叩き込み、足の術式を切って近くの地面へ自分の身体を引き寄せて離脱させる。

 すぐに追ってくるライオン。その速度は速いが、刻印を広げて付与した上で弾き返され、後ろに飛ぶ。

 だが、磁力による反発の向きは、要にも変えられない。つまり、ライオンは押し潰されている向きから逆算し、磁力の方向をずらして押し出しを避けると、地面を思いっきり抉り上げた。

 

「!」

 

 砂煙……と、奥歯を噛み締める。視覚が阻害されれば、呪力は見えるようになる。

 すると、ライオンの速度はさらに加速した。基礎的な呪力操作が、本来の特級並みに戻った。

 

「チッ……!」

 

 舌打ちをした直後、その煙の中を振り払ってこちらに来る影。九眼は潰されても、術式は潰されない。そちらに向けて巨大な刻印による反発を繰り出した……が、それはただの掘り返された岩だった。

 

「!」

 

 しまった、と思ったのも束の間、別方向から爪による斬撃が飛んで来た。

 

「やべっ……!」

 

 万が一の時の、地面につけておいたSの刻印、そこにNの刻印を持つ右手を向け、強引にブリッジをする様に回避した。すぐに術式を解除し、あらかじめつけておいたライオンの刻印に向かって蹴りを繰り出そうとした直後だ。それより早く、ライオンの尻尾による殴打が飛んで来る。

 蹴りに使った足を強引に向けて、刻印を広げた反発でガードしようとするが、脚の刻印の拡大は初めてであったため、強い反発は引き出せなかった。

 尻尾の直撃こそなかったものの、要の身体の方が吹っ飛んでしまう。

 

「野郎ッ……!」

【カァァァリムゥゥゥ‼︎】

 

 すぐに追撃が来る。すぐに目を向けて呪力を消させるが、それを気にすることなく噛みつきに来たので、左手を向けて刻印でガードしようとする……が、徐々に要自身の呪力が切れて来たのだろう。押されて行く。

 

「ッ……このっ……!」

 

 しかし、大きく広げた刻印に敵が突っ込んできた場合は、身体を包むように付着する。つまり、この場合なら敵の動きを逸らすことも可能だった。

 右手の刻印に引き寄せつつ左手の刻印で転ばせるように反発させ、右手の術式を切って軌道を逸らさせると、強引に距離を置き、右手を地面についた。

 一気にカタをつけるつもりだろう。ライオンの体についている以外の刻印を全て解除して呪力を自身の元に戻し、地面につけた刻印は大きくなる。

 ライオンが突進してきた直後、要は反発ジャンプで真上に避けて、ライオンは身体に付いた刻印と反応して地面に縫い付けられる。

 そして、空中に舞い上がった要の右足の脹脛に、呪力が全開で込められる。ここが決め手。当たらなかったら死ぬ……それくらいの覚悟を決め、右足の裏に刻印を出す。ライオンのSの刻印に反応し、一気に加速した。

 それと同時に、脹脛に溜め込んだ呪力を少しずつ足の裏に流して行く。直撃の寸前、ダメ押しと言わんばかりにライオンを縛る刻印を外し、さらに自らの糧とする。

 

「ッ……!」

 

 ライオンの顔面にそれが突き刺さるとほぼ同時、黒い閃光が弾けた。付近に稲妻のように撒き散らされ、それを見ていた傑も思わず口笛を吹く。

 黒閃…… 打撃との誤差0.000001秒以内に呪力が衝突した際に起こる現象。それが、ライオンの顔面を地面に叩き付け、地面に大きなクレーターを形成させた。

 ビクビクンッ、とライオンの全身が痙攣し、尻尾は力なく地面に垂れ、祓ったと判断した要は、そこでようやく力を抜き、ライオンの頭を踏み台に地面に着地した。

 が、全身がもうヘロヘロだからだろうか。格好はつかず、そのままへたり込んでしまった。

 

「ふぅ……よっしゃ。勝った……」

 

 思わぬエンカウントだが、かなり強い方ではなかっただろうか? と、要は少しソワソワする。それを祓えてしまうあたり、かなり強くなっているのかもしれない……と、嬉しそうな表情を浮かべる。

 それが隙になった。ゆらりと、後ろで影が揺れるまで、ライオンがまだ生きていると気が付かなかった。

 

「……あ?」

【クワヘリ】

 

 開かれた口が、自分に向けて降ってきて、慌てて手をかざした直後だ。そのライオンの顔面に、バゴッと三節棍が直撃し、頭を砕く。

 

「っ……」

「油断大敵だよ、要」

「……遅いから」

 

 後ろからのんびり歩いてきたのは、傑。今の一撃で、完全にライオンの呪霊は消滅してしまった。

 

「おや、死んでしまったか。取り込もうと思っていたんだが」

「……はぁ、疲れた」

「ふふ、お疲れ様」

「……美々子は?」

「生きているよ」

「……あっそ。死んでくれりゃ楽だったのに」

 

 そう吐き捨てながら、要はその場で寝転がる。手の中には、自身の呪力への核心が確かに握られている……が、本当に疲れた。ちょっと疲れ過ぎた。今は、とにかく何もしたくない。

 

「……はぁ、クソ。疲れた……」

 

 呟きながら、目をゆっくり閉じる。傑が自分の方へ歩き、隣へ腰を下ろした気がした。

 

「頑張ったね」

 

 その言葉を最後に、意識を眠りに委ねた。

 

 



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二面性ある親の子は二面性ある子。

戦闘シーンが複雑、との事でしたので少しでも分かりやすくなるよう、とりあえず術式を載せておく事にしました。

術式名『スイッチヒッター』(命名、要。野球見てて思い付いた)
・磁石の能力。
・右手のひら、右足の裏にN極の刻印、左手のひら、左足の裏にS極の刻印が刻まれている。
・その刻印を呪力によって出し、物体に付与する。呪力にもくっつく。
・付与された刻印はS極、或いはN極の特性と呪力が込められ、要の両手足、或いは他の刻印がついたものによって、反発したり引き合ったりする。
・反発も引き寄せも要の意思次第で行える。
・刻印は広げて大きくすることが出来る。また、遠隔で飛ばすこともできる。
・付与された刻印は、要の意思次第で消せる。
・刻印は呪力の為、視認できる。

刻印を付与する際、手から離れた時点で手の平に元々ある刻印とは別物になる為、ライオンと戦った時は刻印を広げて手から離し、そこを通過させて刻印を付与させた上で、手のひらの刻印との反発させ、押し返したりしていた。



 目を覚ますと、なんか蒸し暑かった。というより、蒸し暑くて目を覚ましたのかもしれない。やたらと手作り感ある天井……そういえば、今はアフリカに来てるんだっけ……と、ゆっくりと思い出す。

 それで、なんかライオンの呪いが出てきて……それで……そうだ。黒閃を放てたんだ。

 その事を思い出し、少しだけそわそわしていると、聞き馴染むようになってしまった声が耳に届く。

 

「やっと起きたかい?」

「……夏油」

「お疲れ様。よく二人を守ったね」

「別に守ってないから。邪魔だから退かしただけ」

「ふふ、そういう事にしておこう」

 

 その「俺はわかってますから」みたいな態度が腹立たしかった……が、今は反論する気はなかった。

 目を閉じて、布団の中で寝返りを打つ要。助けられてしまった。寝床以外で、目の前の男に借りを作るつもりはなかったのに。

 

「でも、要のお陰で美々子も無事だよ」

「そうですか。それは残念です」

「面白い使い方だね。術式で強引に傷口を塞ぐとは。くっつけて離せる能力は、応用が利く」

「……てか、何の用なわけ?」

「褒めに来たんだよ。……本当に、よく私の家族を守ってくれた。これこそ、術師のあるべき姿だよ」

「……」

 

 褒められても、別に嬉しくなんかない。ため息をつきながら、要は布団の中で目を閉ざした。

 

「……もう一眠りするかい?」

「する。うるさい」

「それは失礼。……でも、一つだけ良いかな? どうして、二人を助けた?」

「は?」

「私の呪霊が祓われた時点で、助けなくても完全犯罪は出来ただろう」

「……」

 

 それはその通りだ。正直、その時の感情は今思えば恥ずかしいものだ。同じ双子の姉妹だからって、自分の姉と嫌いな呪術師の姉妹を重ねてしまうなんて。もはや恥じだ。

 そうでなくても、姉の存在はバラさない。術師ではないため、粛清対象になるから。特に、姉の方は呪霊を見ることも出来ない。

 

「……別に、自分の術式があのマーライオンにどれだけ通用するか、試したかっただけ」

「……違うだろう。本当は、彼女達に……というより、人に死んで欲しくなかったんだろう」

「……は?」

 

 何言ってんだこいつ、と思わないでもない。だが、それ以上に胸の奥の核心を掴まれたようにドキッとした。

 だが、それ以上は傑も言うつもりはないようで、ふっと微笑むと続けて言った。

 

「……まぁ、どちらでも良いさ。とにかく、助けてくれた事に変わりはないからね。……ただ、少しでも彼女達と話せたのなら分かってくれたと思うが、彼女達も君と同じように苦労し、今こうして旅行ができる事が奇跡と呼べる環境で生きてきた。恵まれた環境で暮らす猿どもとは違い、学校にも通えず、ね。だから、なるべく楽しい時間や幸せな時間を提供してあげたい。それは、他の家族達も同じだ」

「……」

「必要以上に仲良くすることはない……が、あまり喧嘩ばかりしてもらっても困る。だから、わざわざ人を突き離す態度を取るのは、勘弁してくれないか?」

 

 言われて、要は布団の中で丸まったまま考え込む。しばらく10秒ほどそのまま丸まった後、ぽつりと呟くように答えた。

 

「……考えといてやる」

「ふふ、それで構わないよ。では、今はゆっくり休んで」

「……ん」

 

 それだけ話して、傑はその場を出て行った。

 さて、要はどうしたものか考えたが、とりあえず寝ているだけでは暇だ。身体を起こし、のそのそとテントを出る。相変わらず、馬鹿みたいに熱い日差しが身を焦がすように照らされ、はっきり言って鬱陶しい。

 くぁっと欠伸をしながら、自分の手を見下ろした。今は術式を引っ込めている……が、少しだけ起動する。キンッ……と、円形の中に「N」の文字が刻まれた、シンプルな刻印が出てくる。

 続けて左手のひらにも「S」の文字を出す。

 

「……あ、いた」

「美々子、ほんとに行く気?」

「行く……助けてもらったのは、事実だから……」

 

 そんな中、ヒソヒソ声が聞こえて来た。振り向くと、菜々子と美々子がこちらを見ているので、とりあえずポケットの中のサングラスを掛ける。

 その要の元に、美々子が歩いて来た。

 

「要」

「何?」

「昨日は、助けてくれてありがとう……」

「あ? 昨日?」

「? そうだけど……」

「美々子、そいつ一日寝てたから、日付の感覚狂ってんの」

「あ……そっか」

「俺、一日も寝てたんだ」

「急に呪力を全開で使ったんだから、そりゃそうなるでしょ」

 

 にしても……寝過ぎだろうか? なんだか脳がやたらと重たい気がする。

 いや、まぁこのくらいならまだ問題ないが、今日は何かを考えるのもしんどいかもしれない。

 

「……で、えーっと……なんだっけ」

「や、だから助けてくれて……」

「ああ……や、それはもういい。別に、お前らのためじゃない」

「ほら、こういう事言うでしょ? わざわざお礼なんていらないっつの」

「……うん。でも、助けられはしたから……」

「……」

 

 そこで、ふと要は思い付く。もし、あのライオンが特級クラスだったら、自分は死んでいた。

 そして、一緒にいたのが真希と真依であったら、それこそ守りきれていない。逃げる場合も考えないといけないわけだ。

 ふと思いついたのは、飛行なわけだが……実験をしたい。

 

「じゃあ、美々子」

「な、何?」

「ちょっと、手を貸せ」

「え?」

 

 そういうと、要は自分の背中に右手のひらを当て、それと同時に美々子の方へ左手を向ける。

 広げられた刻印が、美々子に付着する。

 

「え?」

「な、何する気……」

 

 その後に続いて、要は背中を向ける。術式を起動させると、背中に美々子は引っ付いた。

 

「っ、ち、ちょっと……!」

「舌噛むよ。口閉じてて」

 

 まずは一人ずつ……と、言わんばかりに気合を入れると、両足から地面に刻印を付着させ、そして……両手の刻印を、角度をつけるように反発させ、身体を浮かせた。

 

「きゃあぁあぁああぁぁあああ⁉︎」

「だから、舌噛むって……」

 

 さて、問題は次の一歩。放物線を描いて徐々に落下していく……が、その落下前に両手から刻印を放って地面に付与し、さらに反発させて浮かび上がった。

 

「ちょっ……そ、速度落として速度落として!」

「無理。自由自在に飛んでるわけじゃないから」

「そんなぁぁああぁああああ!」

 

 再びバウンドする事で、また後ろから声が漏れる。少しずつ制御に慣れて来た。

 そんな中、背中の美々子が「あっ」と声を漏らす。

 

「? 何?」

「すごい……き、キリン!」

「え? ……あ、ホントだ」

 

 術式の制御に夢中で気が付かなかった。10メートル程度とはいえ、ここまで上空に跳ね上がって見た、建物が少ないアフリカの大地の景色は二人の心を掴んだ。

 図鑑でしか見たことがないキリン、ゾウ、ライオンなどの生き物が、全体に広がっている。こんな景色、少なくとも日本では見られない。

 

「す、スッゲ……」

「要、もっと……高く!」

「え?」

 

 なんかジェットコースターに乗っている子供のような眼差しで見られていた。一瞬、呪術師の命令を受けるのは嫌だ、なんて思ってしまったが、自分もその景色を見てみたいのも事実だった。

 なので、乗ってやる事にした。

 

「はいよ」

 

 そう言った直後、さらに呪力を込めて身体を打ち上げる。

 

「すっごーい! あははっ……あはははっ……!」

「キリンの首長っ」

「ホントだ……! 菜々子にも、見せてあげたい……!」

「……」

 

 要も、真希や真依に見せてやりたかった。それを口にすることも実際に叶えることも今すぐには出来ないが。

 そのまましばらく空中を歩き回った後、ようやく少し酔ってきたので元の位置に戻った。そこには、菜々子だけでなく傑の姿もあった。

 

「あ、戻って来た!」

「楽しかったかい? 空中散歩は」

「楽しかった……!」

「実験は成功したよ」

「え、実験?」

「万が一の時、人を抱えて逃げられるかの実験」

「そうだったの⁉︎」

「ふふ……それはよかった。私も万が一の時は、安心して家族を君に任せられるよ」

 

 実際、少しだけ実験だったことは忘れていたが、まぁ結果オーライだろう。

 

「え、キリンに……ゾウ? 超見たい!」

「う、うん……!」

「要、私もー!」

「やだ。一回、実験できればとりあえず良いよ」

「はー⁉︎ 美々子だけずるいでしょ!」

「夏油に頼めば良いじゃん。飛ぶ呪霊くらいアホほどいるでしょ」

「あ、そっか」

 

 良いのかよ、と思いはしたが、それならそれでラッキーなので、要は目を逸らす。

 

「夏油さま、私も飛びたい!」

 

 早速、交渉する菜々子。しかし、そのおねだりに傑は申し訳なさそうな笑みで答えた。

 

「すまない、日本までのフライトは割と長くてね。その分、呪力をとっておきたいんだ」

「えー⁉︎ だめって事ー⁉︎」

「要、そういうわけだから。乗せていってあげなさい」

「えー、俺がー?」

「もちろん、タダでとは言わないさ。呪具、一週間に一本作るくらいは許可するよ」

「……」

 

 それならまぁ、アリかもしれない。新しい力に目覚めた今、色んな方向に応用も利きそうだから、術式の事も深く知れそうだ。

 

「……わーったよ」

「よっしゃ! サンキュー、夏油様!」

「お礼は要にだよ」

「えー……」

「やめるかお前」

「……ありがとう、要」

「生意気言ったら途中で磁力が解けるかもしんないから」

「お前お礼取り消せ!」

 

 なんて口喧嘩をしながらも、とりあえず飛び立って行った。

 その背中を眺めながら少し笑みを浮かべる傑の後ろから、カタコトの日本語がかけられる。

 

「フフ、本当ニ父親ノ様ダナ、夏油」

「父親だよ。少なくとも、彼女達にとってはね」

 

 言いながら、近くにいる美々子の頭を撫でる。

 

「美々子、挨拶しなさい。新しい家族のミゲルだよ」

「ヨロシク、オ嬢サン」

「よ……よろしく……」

 

 きゅっと傑の後ろに隠れてしまう。外国人の成人男性……子供の美々子にとっては、少し怖かったりする。

 あの後、傑どころかその家族がほぼ祓った、という事でミゲルが傑達に興味を持ち、黒縄を持ってついてくる事になった。

 ぶっちゃけると、別に呪力をとっておく必要なんてない。ただ、単純に二人が仲良くなれば良いなぁ、と思ってセットにした。

 

「ソレニシテモ、アノ男……面白イナ」

「ふふ、だろう?」

「10歳ニシテ、一級ノ呪霊ヲ祓ウカ……正直、驚イタ」

「私もだよ。しかも……あの術式はまだ未完成だ」

 

 他にも、使い道はいくらでもありそうなものだ。少し心配すべき点もあるが、まだ時間はある。ゆっくり課題を割り出せれば良い。

 

「夏油、貴様ハコノ後、ドウスルツモリダ?」

「しばらくは呪霊を集めて、戦力を蓄えるよ。勿論、高専にバレないようにね。……そして、可能なら……家族との時間を少しでも増やしたい」

「……ソウカ」

 

 その話をしながら、しばらく二人の背中を眺めた。ブツクサ文句を言っていた割に、結局楽しそうにしている表情が、傑には嬉しかった。

 

 ×××

 

 日本に戻り、ミゲルは早くも馴染んだ。お土産代わりに故郷から持ち寄った魔法の粉「ロコイ」は空前絶後の大ヒットだった。夏油一派の中では、の話だが。

 そんな中、もう一つ大きな変化があった。

 

「菅田、はい」

「な、何……え、これ……」

「この前、ブラックマーケットで買ったメイスの領収書」

「ど、どうも……?」

 

 紙切れを受け取った真奈美が。

 

「ラルゥ、ちょっとこれ使って」

「え? ええ……」

「ミゲル、お前も。使い心地とか聞かせて」

「オウ」

 

 ラルゥが。

 というか、全員が驚いていた。要の変化に。仲良くなったわけではない。プライベートでは何をしているのかサッパリだし、心一個分、隔てられているのは確かだ。

 それでも、最低限のコミュニケーションやルールは守るようになったのが驚きだ。

 

「夏油様……何があったのですか?」

「ふふ、少し楽しんで来ただけさ。みんなで、ね」

「次は私も連れていってくださいね」

「勿論だよ」

 

 そんな話をしている間に、ハンマーを持ったミゲルとメイスを持ったラルゥが軽く試合をする。

 その様子を、要は真剣な表情で眺めていた。

 リーチはメイスを持つラルゥのが長いが、それをミゲルは小さなハンマーで凌ぎ続ける。

 

「エェイッ‼︎」

 

 ラルゥの怒号と共に繰り出された突きが、ミゲルに向かうが、それをハンマーで正面からガードする。

 それを真後ろにバックステップしながら距離を置こうとした直後だ。メイスの先端が射出された。

 

「おうっ⁉︎」

「アウチッ!」

 

 予想外の効果に、空中にいるミゲルは直撃しそうになったが、強引に体を空中で捻って回避し、着地する。

 その隙に、驚きながらもラルゥは長さが半分になったメイスを握り締めて追撃する。

 それに対し、ハンマーで応戦するミゲル。しばらく凌ぎ続けていると、ふと背後から嫌な悪寒。ほぼ直感で、強引にバク転して避けると、射出した先端が戻ってきて、ラルゥの持つ柄に引っ付いた。

 それを見て、要は小さくため息をつく。

 

「あーあ……あれ避けられんのかよ。面白いと思ったのに……」

「ふふ、ミゲルはアレで我々の中で二番手の使い手だからね。相手が悪かったさ」

「てことは、雑魚にしか通用しないってことじゃん」

「それで大丈夫さ。高専の術師なんて、準一級以下は大したことない。我々は術師の数だけで言えば負けているからね。薙ぎ払えるだけでも使えるものだ」

「ふーん……」

 

 興味なさそうに傑の台詞に相槌を打つと、要は戦闘を続ける二人に対して手を伸ばす。ハンマーとメイスに術式が働き、手元に引き寄せた。

 

「あっ、ちょっと!」

「何ヲスル。ヨウヤク温マッテ来タトコロダゾ!」

「いや、それ以上は呪具が痛むし、怪力バカ二人。お疲れー、協力どうもー」

「「……」」

 

 身勝手なのは変わっていないが。大人二人でなかったら怒っている所だ。まぁ、それでもお礼を言うようになっただけマシだ。

 すぐに自分の呪具をしまっている倉庫に戻る要の背中を眺めながら、真奈美が傑に呟く。

 

「人って変わるものですね……」

「どうかな。もしかしたら、あれが素なのかもしれないよ」

「と、言いますと?」

「……ふふ、何でもないよ」

「?」

 

 変わった傑の楽しそうな表情に、真奈美は小首を傾げていた時だ。その二人のもとに、利久が歩いてやって来た。

 

「夏油様」

「おや、どうした?」

「金杉が『良い加減、私の呪いを祓え!』って言って来てるけど、どうします?」

「……誰?」

「お金を集める猿です。しかし、二ヶ月ほど前から支払いはストップしていますね」

 

 すぐに真奈美が手元のノートパソコンで調べ、報告する。それを聞くと、傑は歩いて利久の方に寄った。

 

「私が処理するよ。もう要らないし」

「はっ」

 

 ×××

 

「ふぅ……よし」

 

 倉庫の中に、ハンマーとメイスをしまう。なんだかんだ、呪具作りも楽しくなってきた要だが、軽く伸びをする。

 少し態度を改めた要だが、それでも必要以上に干渉するのはやめていた。首をコキコキと鳴らしながら、倉庫を出て指や腕の関節を全て伸ばす。

 少し触ってばかりだと身体が鈍る。後で傑の呪霊狩も兼ねて運動しに行くか、なんて思いながら、拠点の中に入った時だ。視界に入ったのは、小太りのおじさんと傑、そして真奈美の姿だった。

 注目を引いたのは、おじさんの頭上に控えているダルマっぽい呪霊。

 

「夏油! 貴様、いい加減私の呪いをゴブッ!」

 

 直後、一気に降って来て叩き潰された。人の形を保つ事なく肉塊になったおじさんに対して、傑はため息をついた。

 

「あーあ……また掃除しないと」

「私が代わります」

「あー、いいよ、大丈夫。みんなに猿の臭いが移るといけない」

 

 そう言いながら、呼び出した呪霊に掃除をさせて、二人は立ち去っていく。

 別に、あの男への同情はない。どう見たって怪しい袈裟姿の男に頼る方が気がしれない。

 だが、その男から吹っ飛んだ左手首、そこの薬指には指輪が嵌められていた。

 

「……」

 

 何も見ないようにして、すぐにその場を立ち去った。残念ながら、自分もこの一味の1人だし、その金から食事などをもらっている。とやかく言う立場にはないからだ。

 とりあえず、ストレス発散も兼ねて呪霊でも狩ろうと外に出ようとした時だ。菜々子と美々子とばったり出会した。

 

「あれ、要」

「どしたの?」

「別に。呪霊取りに行くけど、来る?」

「行く!」

「夏油さまに、褒められる……!」

「……」

 

 来るんだ、と思いつつも、とりあえず一緒に狩りに行った。

 この生活がどれくらい続くのかは、正直まだ分からない。でも、いる間くらいは必要以上に敵を作らないように。

 そう決めて、のんびりと出掛けた。

 

 



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家族(真)編
死んだにしても生死不明にしても、残された側も相当堪える。


前回の話から、さらに五年後です。


 禪院真希は長い竹刀袋を背負って鳥居の前に来ていた。残念ながら入学式なんて洒落たものはないが、今日から新たな学園生活である。

 禪院家を妹と共に出て、ようやくストレスのない生活が始まる。……いや、全くないわけではない。素直で可愛い弟と離れ離れになって、今年で七年目だ。生きている、と信じれば信じるほど、胸の奥がキュッと締まる。

 大丈夫なはずだ。まだ生きている……信じることしか出来ないが、真依が言うには、あの後いつも要が走っていたコースを見に行くと、父親の残穢と一緒に、もう本当に僅かだったが要の残穢が見えたらしい。

 その事は、もちろん禪院家の誰にも言わなかった。信用出来ないから。

 とにかく、今は強くなり、改めて弟を探す。……いや、暇が出来たら、禪院家から出て来れたわけだし、探しに出てみても良いかもしれない。

 そう思っていると、鳥居の奥から目隠しした男が軽く手を振ってくるのが見えた。

 

「お、来たね。一年生三人目!」

「……五条悟」

「そう。僕が呪術界最強の特級術師、五条悟ですよ〜」

「……」

 

 一目で分かった。こいつバカだ、と。それと同時に、そのバカさ加減は強さ故から来た余裕である事も。禪院家の連中とは真逆の男なのだろう。

 

「教室は何処だ?」

「はいはい、ご案内するよー。……あ、その前に、入学試験だけね」

「……は?」

 

 いや待て、と。そんな話、聞いていない。

 

「なんだよそれ? あんた何も言わなかったよな?」

「めんご!」

「じゃねーよ! 私、呪力ねェから……!」

「あーいやいや、別に実力を測る試験じゃないよ。まぁ、ついておいでよ。学長が待ってるから」

「……ちっ」

 

 舌打ちをしながら、五条悟が歩き始めたので、その背中をおった。……この軽薄な男が、呪術界最強……と、少し意外に思う。いや、御三家のうち五条家はこの男のワンマンチームと聞いていたので、ある意味では予想通りではあるか。

 何れにしても、信用出来るのか分からない奴だ……と、ちょっとだけ警戒していると、悟がケタケタと笑いをあげながら言った。

 

「それにしても、禪院真希さんだよね?」

「苗字をつけるな」

「驚いたな〜……いや、驚く程の事でもなかったけど、そこまで呪力のない子がいるのは」

 

 ピクッ、と、真希は片眉を上げる。

 

「あの家じゃ、肩身が狭かったでしょ」

「うるせぇ、別に気にしてねえ」

「それで、どうして術師を目指そうと思ったのかな? もしかして、努力すればなんとかなると思ってる口?」

「うるせぇって言ってんだろ。お前には関係ねえ」

「それとも……何か理由があったとか? 例えば……過去に、呪いに兄弟でも殺されたとか」

 

 限界だった。ペラペラと喧しい目の前の男に頭に来て、ジャッと竹刀袋のチャックを下ろす。

 中から出て来たのは、竹刀でも刀でも無く、薙刀。呪いが込められた武器……呪具を握り、一気に振り抜きに掛かった。

 確実に穂先は悟の首を切り落とした……と、思ったが、それは叶わない。何故なら、透明の壁に阻まれるように静止したからだ。

 

「っ……!」

「あれ、怒った? ってことは、図星だった?」

「テメェには関係ねえって言ってんだろ殺すぞ……!」

「あっはっはっ、無理無理」

 

 こいつ……と、眉間にさらにシワが寄る。その無神経さごと叩き斬ってやりたかったが、刃先は進まない。

 

「そう怒らないでよ。その辺の事、どうせすぐに学長に聞かれるし、言いたくなかったら言わなくて良いから」

「っ……」

 

 薄っぺらい笑みを浮かべながら、くいっと刃先を退かされる。

 これが、五条家の無下限術式……その上、自分の呪力の無さを一眼で見抜いた六眼。最強と呼ばれるわけだ、と頭の中で理解する。

 

「でも、家族の為だとか、友達の為だとか、そんな消極的な理由で続けられる程、呪いとの戦いは甘くないよ」

「っ……!」

「じゃ、行こっか。学長のとこ」

 

 そう言うと、悟はすぐに先へ進んだ。刃先を引っ込める真希。このままじゃ、あの男は殺せないからだ。

 それでも、自分が呪術師を目指した理由を「消極的」なんて言われたのは納得がいかない。

 

「……弟を助ける為だ」

「?」

「才能があって、強い術式があって、特別な力を持ってて、いずれ禪院家の当主の座を息子に奪われるかも、なんて危惧したクソ親父に追い出された弟の為に、呪術師になった」

「……生きてるの?」

「生きてるに決まってんだろ! 私は強くなって、呪いを祓って祓って祓いまくって……そして、当主になって、また三人でバカやれる日常を取り戻す」

 

 それを聞いて、悟はクックッと笑みを溢す。

 

「そっか。頑張って」

「……お前に言われるまでもねえ」

 

 頑張るに決まっている。そうしないと、弟達と暮らせないから。

 

 ×××

 

 さて、学長との面談を終えて、改まって教室に入る。中に入ると、他の生徒は二人だった。パンダと口元を隠した少年だ。

 

「喜べ男子どもー! 三人目の一年生は、紅一点の禪院真希さんでーす!」

「……おい、なんでパンダなんだよ」

「禪院って……あの禪院か?」

「しゃけ」

「食いたいのか?」

 

 色々と説明が欲しいメンツだったが、悟は紹介する気がないのか、そのまま真希の紹介に移った。

 

「あ、でもこの子、超ブラコン•シスコンだから、そういう関係の期待はしないようにね」

「誰がブラコンだああああああ‼︎」

 

 今度は袋から出さずに繰り出したが、顔を隠しているのにムカつくおちゃらけた男には届かない。直前で止まるのがまた腹立たしかった。

 すると、自分の前にいる男とパンダはヒソヒソと話し始める。

 

「見たか? 今の……紅一点というか、剛一線って感じだな……」

「しゃけ……」

「聞こえてんぞ中国産コラァッ‼︎」

 

 ムカつく同期達だ。一人は何言ってるかわからないし、一人は何なのか分からない。

 

「じゃあ、かるーく自己紹介するね。こっちが狗巻棘。呪言師だよ。語彙がおにぎりの具しかないから会話頑張って」

「すじこ」

「で、パンダ」

「パンダだ。よろしく頼む」

「……」

 

 真依が行った京都校もこんな感じなのだろうか? いや、絶対違う。普通の人が自分しかいないとか絶対おかしい。

 

「さて、じゃあ今日から早速、仕事始めるよ。今日は三人で任務に行ってもらおうかな」

「は? もう任務あるのかよ」

「呪術師は人手不足だからね。大丈夫、今日は僕も引率するから。多少、死にかける目に遭って来ても助けてあげられるよ」

 

 こいつほんとに教師か、と全員が思いながらも、口にはしなかった。

 

 ×××

 

 初任務は、大したものではなかった。数が多い3〜2級の呪い。祓って終わり。その後は、悟に寮まで案内された。

 放課後、自由時間。真希は、グラウンドで薙刀を一人で振るっていた。

 

「随分と一生懸命だな」

 

 その真希に、背後から声がかけられる。振り向くと、やたらと大きく丸い影。

 

「なんか用か」

「入学して初任務を終えたばっかなのに、もう自主練してる奴がいれば声もかけたくなるだろ」

「なんでそんな人間らしいんだよお前は……」

 

 本当にパンダか? と聞いてみたくなる。というか、ちょうど良い。薙刀をその辺に置くと、代わりに先端が丸い布で包まれた棒を手にする。

 

「そんなとこで暇してんなら、少し相手しろ。パンダ」

「模擬戦か? 良いぞ」

 

 二人とも構えた直後、その場に張り詰めた空気が走る。たまたま遭遇した狗巻が、何事かと思う程度には。

 先に動いたのは真希だった。キュッ、と間合いを保ったまま突きを放つ。が、強引に真横に避けて力づくでガードされた。

 その後、距離を詰めて拳が出てくる。それを力付くで棒を手元に引き寄せてガードしつついなし、反対側で殴打を放った。

 が、パンダはそれを意外にも身軽にジャンプして回避すると、真上から踏み潰してくる。

 それを避けながら、槍を構えて思いっきり突き込んだ。

 しかし、その隙が大きいスタンプは誘いだった。腕一本、犠牲にする覚悟でガードされ、ロシアンフックが飛んで来た。

 

「ッ……!」

 

 それに対し、真希は。槍を手放して身体を宙に浮かせつつ真横に倒して回避し、地面を腕についてからローキックを放った。

 火を吹くような一撃。それをパンダは喰らい、足が空いた。今こそチャンスと言わんばかりに振るった脚を旋回させながら正面を向きつつ、落ちている棒に足を引っ掛けて浮かせた。

 これをキャッチしてトドメを放つ……が、違和感。ローキック、あまりに気持ちよく入り過ぎた気もする。

 その予測は正しかった。パンダは両手を地面について、お尻を真上から振り下ろして来た。

 

「うおっ……!」

 

 手に取った棒を縦に突き刺し、ガードする。ズザザッと突き刺した棒が大地を抉るように自分の脚を後方に下がらせる。

 でかい体と体重を利用した遠心力で、思いのほか機敏にガンガン攻めてくる。

 だが、それでもフィジカルは負けていない真希なら勝てない相手ではない。凌いだ槍を引き抜いて、縦に振り下ろすと、お尻をついたばかりのパンダが、同じように両拳を放って来ていた。

 どちらの攻撃も直撃する……と思ったのだろう。

 

【止まれ】

 

 そんなゾッとする声音と共に放たれた言葉が二人の耳に響く。直後、まるで一時停止ボタンを押したように二人の体は止まった。

 

「⁉︎」

「棘か……!」

「おかか」

 

 両手でバツを作りながら言われた。確かに、少し熱くなりすぎたかもしれない。術式が解けて、二人とも拳と槍を引く。

 自分も呪具の扱いや体術についてはかなり向き合って来たつもりだったが、自分と互角のレベルのパンダが一匹、そしてたった一言で動きを止めてくる奴が一人……中々、手強い。

 

「お疲れさん、禪院」

「苗字で呼ぶな。私はあのクソ家が嫌いだ」

「そうか。すまん、真希」

 

 禪院家のことはパンダも棘も知っているのか、深くは聞いてこなかった。どんだけ嫌われているのか、あの家は。

 

「しかし、すごいな真希。呪力無しで俺と互角か……それも、その槍は特訓用だろ?」

「……!」

「それだけ強い真希を家から出すとか……名家の考えることは分からんもんだな。なぁ、棘?」

「しゃけ」

「なんて?」

 

 自分の妹と弟以外に、初めて褒められた。少しだけ嬉しかったりする。家の奴らは、呪力が少ないというだけでボロクソに言ってくるというのに。

 もしかしたら、出会ったばかりの社交辞令かもしれない。或いは、気を使われているのかもしれない。

 でも、それでも生まれて初めて実力への賛辞に、ちょっとだけ慣れなかったりする。

 その真希を見て、パンダがニヤつきながら聞いて来た。

 

「ん、なんだ真希。もしかして照れてんのか?」

「っ、て、照れてねーよ!」

「剛一線の割に可愛いとこあんな。なぁ、棘?」

「ツナマヨ」

「うるせーよ! 今度は実戦にして殺すぞ!」

「あっはっはっ、これは弟もお前に懐くのわかるってもんだ」

「明太子」

「オッケーぶっ殺す! 上野の博物館で剥製にしてやる!」

 

 と、追う真希と逃げるパンダ。その様子を、悟は遠くからぼんやりと眺めていた。

 仲良さそうなものだ。見ていると、自分の同期のことを思い出す。よく喧嘩し、よく一緒に特訓し、よく三人で駄弁っていた。

 そして、そのうちの一人はもう今後、二度と隣に立つことはないことも。

 何も思わないわけではない。が、少なくとも九年前とは違い、自分には親友を殺す覚悟はできている。

 

「どうだ、今年の一年は」

 

 その悟の元に、後ろから恩師が声をかける。

 

「中々、良いものを持っていますよ、三人とも」

「そうか」

「それに、道を踏み外すこともないでしょう」

「……夏油のことを、思い出したか?」

「……」

 

 嫌な事を聞いて来れる人だ。この人も悔やんではいるのだろう。かつての自分の教え子が、今や最悪の呪術師と呼ばれていることを。

 

「まぁ、あの三人なら大丈夫でしょう。僕達が間違えなければね」

「……そうか」

「傑の動向は、未だ不明ですか?」

「ああ。……だが、ここ数年で登録済みの特級が数体、姿を消している。恐らく、祓われている」

「……へぇ、特級が」

 

 少し興味深い。中には特級を祓える一級もいる。

 

「残穢は?」

「確認した。どれも同じ残穢が残されていた……が、傑のものではない事は確かだ」

「……御三家は?」

「それならば、功績を主張してくるだろう」

「つまり……呪詛師か」

 

 特級を祓ってくれている以上、敵ではない……なんて思うほど楽観的ではない。それ程の実力を持つ奴が、呪術師として登録されていない事が問題だ。

 そして、何度も祓っている以上、マグレでも相性の問題でもないのだろう。

 

「……面白いですね」

「夏油とは関係ない……と、思いたいが、呪詛師が特級とわざわざ関わる理由などない。夏油のために生捕にした、と考えても不思議じゃない」

「へぇ……ちょっと、見てみたいな。そいつ。もし悪い奴じゃなかったら、スカウトとかします?」

「それは、そいつ次第だ」

「言うと思った」

 

 クスッと微笑みつつ、悟は背中を向けた。

 

「何処へ行く?」

「甘いもの食べにです。お腹空いて来たので」

「……もし、そいつが敵だったら?」

「愚問でしょう」

 

 そいつが若人から青春を奪うような奴なら、容赦はしない。それだけだ。

 

「……まぁ、お前なら負ける心配などしていないがな」

「そりゃそうでしょう。僕、最強ですし」

「……そうだったな」

 

 そう言いながら、悟はそろそろその場を立ち去ろうとする。その背中に、学長が続けて声をかけた。

 

「そうだ、悟。例の乙骨憂太。上がお前の忠告を無視し、術師を数人送り込んだが、やはり返り討ちにあった」

「あーあ……だから言ったのに。あれはかなり特殊な呪いだって」

 

 もう一人、特別な力を持つ子がいる。しかも、そっちは学生だ。

 

「そろそろ、お前の元にも来るかもしれん。乙骨憂太殺害の命令が」

「殺害なんて依頼されても、僕は引き受けませんよ。そもそもそんな巨大な力を持つ呪いを持ってる子供を殺したら、逆にどうなるか分かったものじゃないでしょ」

 

 全くもって、ここ最近は忙しなくなって来たものだ。上の保守派の連中がしょうもない伝統だのなんだのを守っている間に、続々と新たな波が押し寄せて来たものだ。

 

「やるなら捕獲。未成年の秘匿死刑なんて、あり得ないでしょ」

「……その時は、任せるぞ」

「はい」

 

 それだけ話して、今度こそ悟はその場を後にした。

 

 ×××

 

 ようやく家から出て行けてから、最初の夜。真希は、ベッドの上で寝転がった。普通の学生は親元を離れたらそれなりに寂しものらしいが、悲しいかな。それは全くなかった。心の底からストレスがない。

 それだけ、あの家にいるのは心身共に締め付けられていたのだろう。

 だが、それももうない。開放感がとてもすごいものだ。

 

「……うしっ」

 

 気合が入った。ストレスが一つ減れば(厳密には一つと言うか9割)、それだけ鍛錬にも気合が入る。

 頑張ると決めて、今日の所は瞳を閉じる。

 たまに、思う。要がもし生きているとしたら、どうやって生きているのだろうか? と。

 いなくなった時が8歳。生きていくには、パターンは二つ。孤児院や警察に保護されるか、呪詛師として生きているか。

 だが、警察でも孤児院でも、すぐに家に連絡が来る。従って、呪詛師と考えるのが自然だ。

 

「……」

 

 いや、あの優しかった要の事だ。呪詛師は無いと信じたい。真希と真依以外に冷たかったのは、あの家の連中がクズだからだ。だから、要も舐められないようにしていた。

 最高の可能性は、田舎で孫とか息子が遊びに来なくなった何処ぞのお婆ちゃんに匿われている事だが……そんな親切な人は滅多にいないだろう。何ならそんなドラマみたいな展開、あるわけもない。

 いや、あの甘えん坊さ加減だ。あり得ない話ではない。そうなってくれていれば、迎えにも行きやすい。

 呪詛師になっていたとしても、何というか……呪詛師を捕まえる呪詛師みたいな感じならまだ良い。

 ……いや、高望みはすまい。とにかく、生きていてさえいてくれれば、それで良い。

 そう強く願いながら、瞳を閉じた。

 

 



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争いの渦を起こすのは、常に強大な力。

「へぇ、祈本里香」

 

 そうとある拠点にて呟いたのは、夏油傑。最悪の呪詛師だ。面白い話を聞いたように、ひゅうっと口笛を吹いた。現場については噂程度に聞いた。凄まじい呪いで、高専の術師を返り討ちにしているらしい。

 

「はい。特級過呪怨霊、祈本里香。持ち主である乙骨憂太がいじめの標的にされる度、後遺症になるレベルの反撃を行なっています」

「なるほどね。少し、興味あるな。見に行ってみたいけど……私は迂闊に動けないからなぁ」

「その件で……その、また彼が勝手に……」

「……おや、私が頼む前に、かい? 相変わらず、よく働いてくれるね」

 

 感心したように微笑む傑だが、その隣の経理担当の家族はそうもいかない表情だ。

 

「夏油様……彼に勝手をさせてよろしいのですか? 独断で特級を捕らえてくるなど、もう5回目ですよ?」

「ふふ、君は彼の事が嫌いかい?」

「ええ……ハッキリ言ってしまうと。まぁ、何年か前よりはマシになりましたが……やはり、身勝手で協調性のない人間は嫌です」

「そうか。まぁ、あれで戦力になる子だ。実績もある。多めに見てあげて欲しいな」

「夏油様がそう仰るなら……」

 

 とりあえず落ち着かせつつ、傑はニヤリとほくそ笑んだ。

 

 ×××

 

 乙骨憂太は、臆病だった。他人を恐れているわけではない。他人を傷付けてしまう自分にかけられた呪いに怯えていた。

 傷つけたいわけではないが、去年も自分をいじめていた同級生をロッカーに詰めてしまうなんて、ハードな事を憂太自身の意思に関係なく、やってしまった。

 だから、何度も死のうとしていた。ナイフ、縄、出来る限りのことはしようとしたが、全て自身の婚約者だった子に尽く邪魔されてしまう。

 

「……」

 

 自分では、死ぬことも出来ない。これから望むのは、もはや餓死……なんて思っている時だった。

 ピンポーン、とインターホンの音が鳴り響く。

 

「?」

 

 近所の人だろうか? 何にしても、出るつもりはない。何が起こるか分かったものではないから……と、思っている時だった。

 コンコンコンっとノックの音がする。振り向くと、思わず腰を抜かしてしまった。何故なら、人が張り付いていたから。

 

「わ、わぁ⁉︎」

「トイレ、貸して……!」

 

 中学生くらい、だろうか? 比較的にひ弱な体格の自分よりも背が低い、優等生のような髪型をしている割に、ファンキーな黒い丸のサングラスをかけた男の子が、窓にいる。

 

「聞いてる……⁉︎ それとも、聞こえないフリしてる?」

「っ、な、何……?」

「だから、トイレ貸して……漏れちゃう」

「わ、分かりました……!」

 

 あんまりにもあり得ない状況が続き、名前を聞くのも疑うのも忘れて窓を開けてしまった。

 律儀なのか、それとも当たり前と捉えるべきか、靴を脱いだ少年はそのまま部屋の中に入り、聞いてくる。

 

「トイレ何処⁉︎」

「へ、部屋出て右に真っ直ぐ……」

「サンキュ」

 

 トイレに向かったその子は、その部屋に引きこもる。ぽかんとする憂太だったが、そこで思わずハッとしてしまった。ここ、二階である。

 二階の窓から入って来た? 何なのこの人? と色々と思うことはあるが、何にしても同じ事である。自分の近くにいたら危ない。

 

「ま、マズい……早く、追い出さないと……!」

 

 そう思った後、ばしゃあぁぁっと流す音。それと同時に、扉から男の子は出て来た。

 

「ふぅ……間に合った」

「き、君! 早く出ていって」

「まだ手洗ってない」

「そんなの後で良いから! 早くしないと、里香ちゃんが……!」

「リカ?」

「り、里香ちゃんっていうのは……え、えっと……」

「あー、祈本里香の事?」

「……え、どうしてそれを……?」

 

 ふと嫌な予感がする。祈本里香……自分と婚約の約束をした少女。交通事故によって死亡した日、憂太に害を為す連中を全員、叩きのめしてしまう自分が自殺したいと考える原因になっている子だ。

 少なくとも有名人ではないはずだ……が、それは非呪術師の間の話。そういえば、つい先日も何人かおかしな力を持った人達が、自分を殺しに来て返り討ちに遭わせてしまった。

 その人達も知っていた、里香の事を。

 

「……君、何者?」

「何者だろうね」

 

 三日月型に唇が歪む。ゾクっと背筋が凍りつくほど、恐ろしい笑みだ。少なくとも、年下の少年が浮かべて良い笑顔ではない。

 

「やめて……僕に、何かする気なら……里香ちゃんが」

「……里香ちゃんが、何?」

「君に、怪我を……!」

「させてみなよ」

「っ……やめてってば……僕は、誰も傷付けたく……!」

 

 直後、キンっと耳に響くのに聴き心地良い音が聞こえる。その少年の手のひらが「S」の文字を発光させ、自らの身体から自らの呪いが顕現した。

 

 ×××

 

 五条悟が、その場所に着いたときには、そのアパートは全壊していた。スンッ、と香るのは、至る所に散らばった残穢。初めて感じた香りだ。

 とりあえず帳をおろしてから、思わず顔に巻いている包帯を半分だけ解き、直に見たくなる。

 散っている呪力は二種類。雑に暴れた後と、やたらと洗練された術式の跡だ。前者は、おそらくこのアパートに住んでいた乙骨憂太……いや、正確には折本里香のものだろう。

 だが、気になるのはもう片方。

 

「……美しいな」

 

 残穢からでも感じ取れる程、磨き抜かれたような術式。特級クラスの術師だろう、とすぐに学長の話を思い出す。

 まさか……祈本里香でさえ祓ったと言うのだろうか? 気になり、とりあえず現場に降りる。瓦礫の真ん中にいたのは、体育座りしている少年だった。

 

「乙骨憂太君」

「……はい」

「僕は呪術高専の者だ。……と言っても、分からないよね。一緒に来てもらえるかな?」

「分かりました……」

 

 話が早い……というより、放心状態のようだ。今の呼びかけに応じるとは相当と言える。

 

「……あの、すみません……」

「何?」

 

 放心しているのかと思ったら、向こうから声をかけて来た。

 

「ジュジュツって、僕の身体の中にいる里香ちゃんの事ですか?」

「厳密には違うけど……まぁ、そうだね」

「でしたら……僕に、里香ちゃんを制御出来るようになりますか?」

「……」

 

 驚いた。意外と前向きなようだ。いや、というより、自分が到着する前に何かあったと言うべきか。

 いずれにしても、そういうことなら話は早い。

 

「……出来るかもね」

「じゃあ……それを、教えて下さい」

「悪いけど、それは出来ない」

「……え?」

 

 それを言われて、少し絶望的な表情で振り向かれる。

 

「君にかけられた呪いはかなり特別で大きいものだ。それをどうこうするのは、君にしか出来ないし、僕達に教えられる事も少ない」

「っ……そ、そうですか……」

「その方法を探すのは、君自身だ」

 

 それを言うと、少し肩を萎縮させる。やはり、誰かに何かを聞いたのは間違いない。

 

「まぁ、積もる話は後で聞くよ。まずは、周りの目が集まってくる前に、ここを移動しよう」

「…………はい」

 

 それだけ話し、悟はその少年を連れて呪術高専へと引き返した。

 

 ×××

 

 さて、翌日。早速、呪術高専に転校した憂太は任務に行かされる事になった。ペアでの行動で、禪院真希と組んで。口元が最近見た何処かの誰かに似ている気がしたが、気の所為だろうか? 

 その後、戦闘が発生。巨大な呪霊を前に、呪具を落とした真希と共に呪霊の口の中に落下。その中に子供を発見し、里香を呼んで無事に事なきを得た。

 現在、病院。二人とも何ともないことを聞いた。

 頭の中に浮かぶのは、真希の言葉。

 

『何で守られてるクセに、被害者ヅラしてんだよ』

『オマエ、マジで何しに来たんだ。呪術高専によ‼︎』

『何がしたい、何が欲しい、何を叶えたい⁉︎』

 

 ……全て、自分の中に刺さる言葉だった。初めて会うのに、まるで何もかもを見透かしたような物言い……自分が分かりやすいのか……いや、どちらでも良い。

 問題は、言われた事が刺さったという事だ。

 

「お疲れ様、憂太」

 

 そんな自分に、横から声を掛けられた。振り向くと、そこにいたのは自分を呪術高専に連れて来た五条悟。軽く手を振りながら、笑みを浮かべている。

 

「どうも……」

「問題ないってさ。真希も、子供達も」

「……よかった」

 

 結果は。しかし、本当に自分が用いた手段は正しかったのか、という悩みはある。

 

「何か、スッキリしない顔だね」

「……初めて、自分から里香ちゃんを呼びました」

「そっか。一歩前進だね」

 

 昔のことを思い出す。里香と結婚の約束をした日の事、里香と水風船で遊んだ日の事、里香と病院で出会った日の事……と、思い出が溢れてくる。

 その中でも特に鮮明に思い出したのは、プロポーズをされた時、自分もその気になったように受け入れた時だ。

 

「里香ちゃんが僕に呪いをかけたんじゃなくて、僕が里香ちゃんに呪いをかけたのかもしれません」

「……これは持論だけどね。愛ほど歪んだ呪いはないよ」

 

 ぎゅうっ、と、指輪がついた手を握る憂太。高専に行く前、自分を訪ねて来た男の子との会話も思い出した。

 決めた、というように口を開き、真っ直ぐな視線を向けて決意を固めるように口を開いた。

 

「……先生。僕は、呪術高専で里香ちゃんの呪いを解きます……!」

「……そっか。頑張ろうね」

「はい……!」

 

 そう言うと、憂太は立ち上がる。まずは、自分に勇気をくれた真希にもお礼を言わないといけない。

 

「じゃあ、まずは真希さんにお礼を言って来ます」

「あ、待って憂太。その前に一つ」

「?」

 

 呼び止められ、振り返った。少しだけ真剣な表情で、思い出したように聞いてくる。

 

「君と僕が出会う前、誰かと出会ったりしなかった?」

「誰か?」

「全壊してたでしょ。アパートが」

「……あ、はい」

 

 そうだ、その時に少年がいた。しかし、それを悟が知らないことが少しだけ意外だった。

 

「えっ、あの子……高専の子じゃないんですか?」

「……子供?」

「はい。サングラスをかけた中学生くらいの男の子が、里香ちゃんを捕まえに来ました」

「……」

 

 すると、さっきまでちょっとだけ真剣、くらいだったのが、割りかし真面目な表情になった。

 

「ごめん、憂太。後で時間をもらえるかい?」

「その子について色々と聞きたい。僕の部屋においで」

「あ、分かりました」

 

 それだけ話して、憂太は真希の病室の前に立った。コンコン、とノックを鳴らす。……が、返事はない。寝てるのだろうか? 中に入ってみると、真希は予想通り横になっていた。

 

「どうぞ、なんて言ってねーぞ」

「わっ、お、起きてたの?」

「起きてちゃ悪ぃーのかよ」

「そ、そんなことないよ! 元気そうで良かった」

「どこをどう見て言ってんだ。念には念を入れて、一日だけ入院する奴に」

「ご……ごめん……」

 

 謝りながらも、ベッドの横まで歩く。

 

「……何か用かよ」

「う、うん。……ありがとう。真希さんのお陰で、僕……」

「礼言われるようなことはしてねーよ。……死んだ後も好きな奴と一緒にいられてる癖にウジウジしててムカついただけだ」

 

 それ、同じ事を最近、別の人物に言われた。悟が興味を持った男の子に。

 

「真希さんは、好きな人と離れ離れになっちゃったの?」

「……お前に言う義理はねえ」

「あ、あはは……だよね」

 

 やっぱりちょっと怖いかも……と、思わないでもない。自分とは真逆の性格だし、仕方ないと言えば仕方ないのかもしれない。

 

「で?」

「え?」

「話はそれだけか?」

「あ、ううん。僕、決めたよ」

「何をだよ」

「……僕は、呪術高専で、里香ちゃんの呪いを解く」

「……」

 

 その決意に対する返事はない。黙ったまま背中を向けられている。その反応に、少しだけ拍子抜けしてしまったり。

 

「あ、あれっ? 何も言ってくれないの……?」

「別に、私には関係ねーだろ」

「そ、それはー……そう、ですね……」

 

 そういえばそうだった。気付かせてくれた人ではあるけど、全く関係はない人だった。

 

「で、でも……僕がやりたい事を、気づかせてくれた人だから。……だから、ありがとう」

「……」

 

 そう言っても、背中は向けられたままだった。もしかしたら、そろそろ寝たいのかも……なんて少し遠慮気味に思ったので、憂太はお暇する事にした。

 

「じ、じゃあ……僕、そろそろ……」

「やり方はわかってんのか?」

「え?」

「解呪の」

「ま、まだ何も……まるで」

 

 何せ、決意を固めたばかりだ。先生からも深く聞いていないどころか、五条先生は「使い方次第で人を助けられる」と、せめて呪いを解くまでの間は里香を活かす気満々のようでさえある。

 

「お前が呪いを解くには、まず強くなるしかねーだろ。里香の力を使うにしろ使わねーにしろ。高専に来たからには、お前も呪術師だろうが」

「そ、そうだね……」

「その上、お前もやしだしな。今のままじゃ、殺されかけて里香が出て来るまでお荷物だ」

「う、うん……?」

 

 その通りだが、珍しく要領を得ない。つまり、どういう事なのだろうか? 

 

「……やっぱ何でもねえ」

「ええっ⁉︎ な、何が言いたかったの?」

「何でもねえっつってんだろ! 寝かせろ、いつまで病人起こしとくつもりだ! ナースコールすんぞコラ!」

「わ、分かったよ……?」

 

 結局、何だか分からないまま部屋を追い出されてしまった。よく分からないが、とにかくこれからは里香の解呪に向けて全力を尽くすと、心に決めた。

 

 ×××

 

「先生、来ました」

「お、入って入ってー」

 

 自らが呼び出した生徒の声が聞こえたので、返事をする。憂太が入って来たので、席を促した。

 

「悪いね、初任務で疲れてるだろうに。座って座って。甘いもの平気?」

「あ、はい」

「じゃあちょっと待ってて」

 

 言いながら、悟は棚と冷蔵庫を開け、机の上に取り出したものを置いた。まずは二人分のお茶を置くと、続いてポテチを開けて真ん中に置く。

 

「……あれ、甘い物じゃないんですか? いえ、何でも良いんですけど……」

「なかったわ」

「そ、そうですか……」

 

 あるか確認しないで聞いたのでそうなったが、何一つ気にしていなかった。

 その悟に、早速と言うように

 

「それで……その、話って?」

「ん、君が出会った男の子のこと」

「……ああ、あの子ですか」

「そう。どんな子なの?」

「どんな子、と言われましても……知り合いというわけではなかったので……」

「何でも良いよ。憂太がその子を見て思った事なら何でも」

「何でも、と言われても……」

「じゃあ、見た目から」

 

 見た目、と言われたので、少し思い返す。顎に手を当てて「どんなんだっけ……」と少しずつ思い出しながら言った。

 

「黒い学ランに、整髪料もパーマもかけていない直毛にアホ毛と……それだけ優等生な見た目なのに、黒の丸いサングラスをかけていた子で……」

 

 思い当たる節はない。そもそも呪術師の中に、優等生という概念は強さ以外にない。

 

「じゃあ……その子の術式は?」

「ジュツシキ……?」

「ああ、うん。そっか。何かおかしなものは見えなかった?」

 

 説明は面倒なので、とりあえず目で見たものを聞いた。

 

「おかしなもの……Sの文字が書かれたサークル……とか?」

「S?」

「はい。あの子の手から出てきて……それで、壁とか瓦礫とか、里香ちゃんに張り付いて……それで、暴れようとした里香ちゃんを押さえつけて、僕と話をしたりしていました」

「……へぇ、あの力を持つ呪いを……どのくらい抑えていた?」

「ど、どのくらい……秒数ですか?」

「そう」

「どうだったかな……5秒とか、10秒?」

 

 戦いの世界においては大分差がある時間差だが、素人なのだし正確に覚えていなくても仕方ないだろう。

 

「……どんな話をした?」

「あ、はい……その、なんというか……怒られました」

「怒られた?」

「死んだ人と一緒にいられるのに、何被害者ヅラしてんだ、って」

「ふふ、なるほどね」

 

 そういう考え方もある。しかし、それを出来るのは大事な人を失った人だけだ。

 というか、その子に怒られたからこそ、出会った時思ったより前向きな感じがあったのかもしれない。

 

「で、そのあとは?」

「分かりません……最初は里香ちゃんを捕らえに来た、と言っていたはずなのに、いつのまにか帰ってしまって……」

「ふぅん……」

 

 捕らえに来た、か……と、顎に手を当てる。少しよく分からない。憂太の言い方的に半殺しにしたわけでもないだろうに、捕まえる事なく撤退した……のだろうか? 

 手に負えないと思ったのか、それとも単純に手を引いたのかは分からない。何にしても、特級の呪いを取りに来た時点で、自分の同期との繋がりは一気に濃厚になった。

 

「名前とかは聞いた?」

「あ……聞いてません」

「そっか……ありがとう。他に何かある?」

「いえ……あとは、あまり……」

「……わかった。ありがとう」

 

 それだけ話して、憂太とは別れた。

 傑と繋がっているかもしれない……が、その割に特級を諦めるのはおかしい。その男には男の目的があるかもしれない。

 まだ何とも言えないが……敵ではない、なんて断言は出来ないが、味方ではないと判断出来る。それも、六眼を持つ悟が「美しい」とさえ思える呪力を誇る少年が、だ。

 

「……やれやれ。中々、骨が折れそうだな」

 

 そう呟きながら、ひとまずポテチを摘んだ。

 

 



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夜の散歩は学生の憧れ。

 とある商店街。そこで、自分の生徒二人が仕事を終えた場所で、五条悟を始めとする高専の術師が調査をしていた。仕事は終えた……のだが、予定にない準一級呪霊の登場で、調査が必要になったからだ。

 そんな中、すんっと鼻腔を刺激したのは、ほんのりと薄く香る程度の懐かしい残穢。

 それを頼りに商店街を奥まで進み、ふと顔を上げる。気になったのは、商店街の真ん中で宙に浮いている看板。そこから、特に強く残穢が残されている。

 

「……」

 

 いよいよ現れたか……と、悟は内心で決心する。しかも、このタイミングで。

 今年は荒れる年になりそうだ。今のうちに色々と備えておいた方が良いのかもしれない。

 

 ×××

 

 狗巻棘との任務を終えた憂太は、のんびりと伸びをする。後から聞いた話だと、準一級呪霊を協力して祓い、今は高専の廊下で花に水やりをする棘を眺めていた。

 

「棘は生まれた時から呪言を使えちまったから、昔はそれなりに苦労したみたいでな。呪うつもりがない相手を呪っちまったり。境遇は、今の憂太みたいなものだ」

「そっか……」

「だから、入学当初からオマエを気にかけていたみたいでな。誤解されやすいけど、良い奴なんだ。今後も、よろしく頼む」

「う、うん……!」

 

 本当に人間より人間らしいパンダである。だからこそ、憂太も早く馴染めたというのもあるが。

 まだ全部、棘の言いたいことを理解できるわけではないが、少しずつ理解出来るようにならないと……と、思っている時だった。

 ゴッ、と頭を棒で殴られる感覚。

 

「いつまでボケッとしてんだ! 昼練行くぞ、憂太!」

「あ、うん! ごめん、真希さん」

 

 数ヶ月前から、憂太は真希に特訓をしてもらっている。今まで一般人でやって来た憂太は当然、身体を鍛える暇もないわけで。

 手っ取り早く戦力になるには武器を握るのが一番早い、そして武器を使うと言えば真希……と、言うわけで、真希に呪具の扱いを習っている。

 それは真希も楽しそうにやっているのだが、それに対し変な勘違いをしたパンダが、割とからかってくるわけで。

 

「積極的ですね、真希さん」

「何ホザいてんだ、殺すぞパンダコラッ!」

 

 パンダにそう吐き捨てながら、憂太の襟を掴んでグラウンドまで引き摺る真希。

 その真希に、憂太は昨日の戦闘を思い返す。準一級の前に対峙した際、悟から受け取った刀に里香から借り受けた呪力を流すのに少し時間が掛かったことを思い出す。

 良い機会なので、少し聞いてみた。

 

「あ、そうだ。真希さん。武器に呪力を流すの、もう少しスムーズにしたいんだけど、何かコツとか……」

「知らねえ」

「え?」

 

 が、意外と一蹴されてしまう。練習はちゃんと見てくれる真希がそういう反応をするのは少し意外だったので、驚いてしまう。

 

「呪力のことは私に聞くな」

「? どうして?」

「良いから行くぞ!」

「あ、うん!」

 

 そのまま真希に引き摺られる形で、憂太はグラウンドに向かった。その様子を見ながら、パンダは少し鼻息を漏らす。

 禪院真希には、呪力がほとんどない。それ故に、呪いに攻撃する際は元々、呪力が込められている呪具を使わないと攻撃さえ出来ない。

 呪いが言葉に込められると呪ってしまう棘に、呪力がゼロで呪力無しの肉体のみが武器の真希に、中に特級を飼っている憂太……。

 

「うん。俺が一番、普通だな」

 

 一番、ありえない事をほざきながら、とりあえず棘のお手伝いでもすることにした。

 

 ×××

 

 呪術師に夏休みなんてものはない。それは学生も同じで、学校は休みでも呪いを祓う仕事は休みにならないのだ。

 さて、そんなわけで忙しい時期に四人とも自己鍛錬と任務を頑張ってこなす。それは、憂太も例外ではない。棘以外の三人は単独での任務は認められていないので、必然的に棘もペアを組んで仕事をする。四人でループしながら、呪いを祓い続けた。

 

「最近、忙しいねぇ……」

 

 なので、元々体力がない憂太は、割とへばり気味だった。無理もない。つい最近まで普通の学生だったのに、急に毎日のように死と隣り合わせの仕事を毎日こなしているのだ。

 しかし、だからといって労うような真希ではない。

 

「んだよ、情けねーな。憂太」

「みんなよく平気だよね……」

「そらそうだろ。鍛え方がチゲーからな」

「俺は鍛えてないけど」

「ツナマヨ」

 

 当たり前だが、みんな体育会系だ。普通にピンピンしている。

 

「みんなすごいなぁ……僕ももっと鍛えないと……」

「なら、今から特訓すんぞー。とりあえず、マラソンから」

「は、はい……」

「しゃけ」

「うーし、じゃあ今日は俺も走るかー」

 

 なんて話しながら、全員でグラウンドに出た。

 今日のストップウォッチ役は真希がやる事になった。とりあえず、グラウンドを10周。

 笛なんてものは必要ないので、各々でアキレス腱や膝などを伸ばしてから、スタートラインに立つ。

 

「はい、よーいスタート」

 

 その言葉で、全員が走り出した。その様子を、真希はぼんやりと眺める。当たり前だが、呪術師になりたくてなる奴なんてほとんどいない。家庭の事情だったり、向いているからスカウトされてだったり、理由は様々だ。

 真希だって、弟を助けたい、なんて思わなかったら、呪術師になっていなかったかも……いや、それはない。どちらにせよ自分はなっていただろう。あのまま家の奴隷を続けていれば、自分を嫌いになっていたから。

 何にしても、家で呪術師を目指し、自らを追い込んできたが……ハッキリ言って、一度も楽しいと思ったことはない。

 だが、こうして自分と同い年くらいの子達と、自分達のペースでお互いを高め合っていくのは、やはりどうしても楽しく思えてくるものだった。

 三人とも、悪い奴じゃない。教師だって、最初こそデリカシーなくズケズケこちらの話に入ってくるものだとイラついたが、なんだかんだ言って悪い人ではないことは分かった。

 だからこそ、こうして自分の久方ぶりに出来た新しい仲間を見ていると、あの中に自分の妹と弟がいたらどんな感じか、なんて妄想してしまう。

 

「……」

 

 そんな風にぼんやりしている真希の姿が、走っている憂太の目に入った。たまに真希が浮かべる、物寂しげな表情……それが、何となく気になる時がある。

 いつも強い真希だけど、彼女の内面にも何処か弱い面があるのだろうか? 

 

「憂太ー、遅いぞー」

「あ、パンダくん……!」

 

 既に一周を終えて後ろから追いついて来たパンダに声を掛けられる。

 

「真希が気になってるのか?」

「う、うん……」

「お前が気にしちゃダメだろ!」

「ええっ⁉︎」

「気になっている女が中々、自分の気持ちに気付いてもらえなくてイライラする所にカタルシスがあボガハァッ‼︎」

「パ〜ン〜ダァ〜……テメェはいつまで変な勘違いしてんだァッ‼︎」

 

 翔んできた棒が直撃すると共に、追いかけてくる真希から逃げるパンダ。その様子を苦笑いで憂太は眺めるしかなかった。

 その憂太の後ろから、真面目に走っていたもう一人の同級生が追い付く。

 

「あ、狗巻くん」

「?」

「真希さんって、たまに寂しそうな顔するけど、何か知ってる?」

「おかか」

 

 知らないらしい。あんまり自分の過去を話すタイプではなさそうなので、らしいと言えばらしいが……。

 

「もしかして……ホームシックかな?」

「超おかか」

「超⁉︎」

 

 今のは棘の言語をまだ理解しきれていない憂太でも理解した。それだけは絶対にないらしい。

 ……なんというか、難しい人が多いものだ。世の中には。どちらにしても、やはり寂しそうにしている女の子を見ると、何処か気になってしまう。

 

「……」

「ツナマヨ」

「あ、ごめん。今はトレーニングだよね」

 

 棘に促されて、とりあえず憂太は走り込みを続けた。

 

 ×××

 

 その日の特訓を終えて、憂太は男子寮でぼんやりしていた。もう夏場ということもあり、少しアイスが食べたくなった。

 なので、コンビニで何か買いに行くことにした。こうして気軽に外に出ようと思えるのも、この学校に来れたからだろう。

 そのことが少し嬉しくて、たかだか夜中の外出に少しソワソワしていた。

 そんな中、ふと目に入ったのは、高専内の鳥居からちょうど息を切らして帰ってくる影がいるのが見えた。

 

「あっ……」

「憂太か?」

「真希さん……?」

「……よう」

 

 もう割と夜更けなのに走り込みでもしていたのだろうか? 

 

「走り込み?」

「まぁな……お前は?」

「小腹が空いたので、アイスでも買いに行こうかなって……」

「……あっそ」

 

 しかし、こんな時間まで走り込みか……と、憂太は感心してしまう。今日、任務を終えてみんなでのトレーニングも終え、疲れているだろうにまだ走るなんて、本当にすごい。

 明日から自分も走ろうかなー……なんて考えている時だった。

 

「別に、無理して走ることァねーよ」

「え?」

 

 まるで自分の考えを見透かしたように、真希に言われた。思わず憂太は背筋が伸びてしまう。

 

「……これは、別にトレーニングなんかじゃねえから」

「え、そうなの?」

「……」

 

 余計なことを言ったかも、と言うような表情を浮かべる真希。憂太は既に、真希のそれに興味を抱いてしまっていた。

 

「じゃあ、どうして走ってたの?」

「……アイス買いに行くんだろ?」

「い、いくけど……」

「歩きながらで良いか?」

「あ、うん」

 

 話してくれるんだ、と少し嬉しくなりながら、二人で割と遠くにあるコンビニまで歩き始めた。

 二人で並んでコンビニに向かう中、憂太は自分から聞いて良いものか少しだけ悩む。今まで話してくれなかったのは、あまり知られたい話ではないからだろう。

 その憂太を見透かしたように、真希の方から口を開いた。

 

「……別に、隠すようなことでもねえんだけどよ。悟は知ってる話だしな」

「うん」

「私、妹だけじゃなく弟もいんだよ。三つ子とかじゃねえけどな」

「弟さん……じゃあ、その子も来年はここに来るの?」

「……生死不明だ」

「……え?」

 

 たらりと、冷や汗が流れる。

 

「の、呪いに……やられたの?」

「やったのは、私の親父だ」

「……ぇ」

 

 息を呑んだ。親が、自分の子を? どんな親? 

 

「うちの家は、禪院家っつー呪術界じゃ御三家とも呼ばれる名家だ。……つまり、呪力のねえ奴や術式のねえ奴は子供だろうといびられる」

 

 うわぁ、とその時点で軽く引く。そんなの親子じゃないし、なんなら家族でさえない。

 もしかして、その弟さんは才能がないのだろうか? 

 

「弟は、私や真依と違ってかなり才能がある奴だったんだよ。呪力量、術式、呪力操作、全てが禪院家の中でも頭五つくらい抜けてやがった。うちのクソ親父は、それにビビりやがったんだ」

「え、じゃあ嬉しいことじゃないの? 自分の息子が天才だったら……」

「普通じゃねんだよ。うちの家系は。自分より先に息子が当主になる、って思って、ビビって強くなる前に闇討ちしやがった」

 

 ギュッ、と真希は手を強く握る。プルプルと震え、過去に感じた怒りを思い返してしまったのか、奥歯を噛み締める。

 それはつまり、弟のことが好きだった、ということだろう。でなければ、怒る事はない。嫌いな弟がどこへ消えようと知った事ではないはずだ。

 

「……その後、弟さんは……」

「会えてねえよ。もう、7年」

「7……」

 

 それは、亡くなっているんじゃ……と、一瞬だけ思ってしまった。一個下だとして、いなくなったのは8歳。自分なら、まだ里香と遊んでいたくらいの年齢だ。

 その時から、親に襲われて行方不明……なんて親なのか。

 

「生きてんぞ」

「え?」

「絶対、生きてる。昔から、頭の良い奴だった。死体が出てねー以上、絶対生きてる」

「……そっか、そうだね」

 

 しかし、真希がそう言うなら、自分も生きていることを信じた方が良い。当人の姉が諦めていないのだから、自分まで諦めちゃ絶対にダメだ。

 

「弟は、才能の塊だったから、親父から3歳の時から呪術師の特訓を受けてたんだよ」

「3歳!」

「ああ。で、その時からあいつ、自主練もしてた。その頃から、私と真依以外は信用してなかったから、隠れて努力もしてたんだよ。……私が走り込みをするのは、その真似事だ」

「……」

 

 自主練の真似事……ということは、結局トレーニングということではないだろうか? 

 

「じゃあ……それトレーニングじゃないの?」

「違うよ、バカ。……あの時の、要の気持ちを知ってみたくなっただけだ」

「……」

 

 どういうことだろうか? と、小首を傾げる。

 

「結構、面倒臭えよ。夜の走り込み。眠い日も、雨の日も、明日の朝が早い日も、欠かさずに走るのはしんどい。疲れるとかじゃなくて、正直かったるい」

「あー……うん」

 

 そうかもね、と憂太は控えめに頷く。自分もここ最近は毎日ヘトヘトで、夜はすぐに眠ってしまう。

 

「でも、要は欠かしてなかった。少なくとも、禪院家なんてクソの集まりの当主になるためだけじゃ絶対無理だ。あいつの性格じゃあな」

「じゃあ、どうして走ってたんだろう」

「……多分、私と真依の為だ」

「え?」

「禪院家じゃ、術式も呪力も才能もない奴に立場はねえ。真依も私も、実の母親に『産まなきゃよかった』なんて言われる程度には疎まれてた」

「真希さん、強いのに?」

「呪力のことは私に聞くなっつったろ」

 

 そう言えば言われたが……と、そこですぐに分かった。それと同時に、少し前の小学校の任務での話。

 ──誰もが呪いに耐性があるわけじゃない。

 もしかして、真希は……。

 

「私は、このダセェ眼鏡がねえと呪いを視認することも出来ねえくらい、呪力が少ねえ」

「……!」

「だから、禪院家で私や真依を守る為に、あいつは自主練もしてたんだ、って分かったよ」

「……そっか」

 

 やってみてから分かることは多いということだろう。それで、真希は当時の弟くんの気持ちを理解した。

 

「生意気な野郎だよ……クソっ」

「い、良い子だね」

「うるせぇ。弟が姉に黙って無理してんじゃねーよっつんだ」

「あ、あはは……」

 

 そうは言っているが、もしかしたら真希が本当に腹立っているのは自分に、なのかもしれない。真希の性格的に、自分が何も知らずに守られていた、そしてそれに気付かなかった自分に腹が立っているのだろう。

 

「……僕も、走る」

「あ?」

「明日から、僕も一緒に走るよ」

「話聞いてたか? 私は別にトレーニングとかで走ってるわけじゃねーぞ」

「うん。……でも、真希さんの弟さんが見つかったら僕も会ってみたいし……それに、今度は僕も一緒に弟さんを守ってあげたいから」

 

 自分は、里香を守れなかった上に、今は守られている立場だ。だから、と言うわけではないが、守る人の気持ちを理解してみたい、とも思えた。

 しかし、隣を歩く真希は驚いたように目を丸くし、少しだけ頬を赤らめていた。

 

「お前……それどういう意味で言ってんの?」

「? え、何が?」

「……チッ、なんでもねーよ。てか、生意気言ってんな。まだ私から一本も取れてねー奴が」

「うっ……も、もう少し精進したら頑張ります……」

 

 そんな話をしながら、二人でそのままコンビニに向かった。

 

 ×××

 

 高専の屋上。そこで、五条悟はぼんやりと遠くを見ていた。高専は山の中にあるだけあって夜の景色は割と真っ暗だが、それでも高いところにくれば、それなりに街の灯りを見渡すことも出来る。

 夏油傑の残穢が、商店街に残されていた……つまり今回の件、いよいよ奴が動き出した、ということだろう。

 目的は不明だが、残穢を残してまであそこに訪れたという事は、それなりの目的があってのことだ。

 もしかしたら……今年中に動き出すこともあるかもしれない。

 

「……」

 

 奴の最終的な目的はもう一人の同期から聞いた。非呪術師を皆殺しにし、呪術師だけの世界を作る……馬鹿げた理想を抱えているが、本気でやるつもりの目をしていた。

 願わくば、こんな日が来てくれない方が良かった。それでも、来てしまったのなら仕方ない。

 静かに鼻息を漏らしながら、近いうちに学長へ報告することにした。

 

 



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家族(破滅)編
相談できる人がいるのといないのとでは何もかもに差が出てくる。


 久方ぶりに、幹部達がホームに集まることとなった。集合時間より早く集まった袮木利寿、ミゲル、菅田真奈美の三人は、たまたまホームに向かう階段の下で遭遇した。

 

「久しぶりだな。二人とも」

「アア。元気ダッタカ?」

「ええ。早かったのね、二人とも」

 

 話しながら、階段を上がった。

 

「久しぶりの、家族全員での召集だ。当たり前だろ」

「ソウダナ。他ノメンバーモ来ルノカ?」

「来るわよ。菜々子と美々子はもう来てるんじゃないの?」

「……あいつも来るのか?」

「要カ?」

「一人だけ呼ばないわけにはいかないもの……」

「俺、あいつ嫌いなんだけど。夏油様も、あいつにはなんか甘い気がするし。なんであいつのワガママ許すんだろうな」

「成果ハ上ゲテイルカラダロウ。実際、奴ガ集メテキタ呪霊ハハイレベルナモノガ多イ」

「あんまり態度を悪くはしないであげなさい。私も嫌いだけど、あの子も前よりは普通に接するようになったんだし」

 

 そんな呑気な話をしながら、三人で階段を上がり切った。

 

「私は先に事務室に向かわなければならないので、お先に集合場所へ行ってて」

「分かった」

「オウ」

 

 それだけ話して、真奈美とは玄関で別れた。

 残った二人は、集合場所に向かう。扉を開けると、中では予想通り菜々子と美々子、そしてラルゥも待っていた。

 

「久シブリダナ」

「お、二人ともー」

「元気、だった……?」

「ふふ、相変わらずそうね」

「夏油様は?」

「まだ……」

 

 まだ来ていないらしい。まぁ、それまではしばらくここで待機するしかない。

 

「要モイナイノカ?」

「まだ寝てる。部屋からいびき聞こえてたし」

「真奈美はー?」

「事務室に行った。データ整理でもしてんだろ」

 

 そんな話をしながら、とりあえず適当な席に座ったり、壁に寄りかかったりする。ラルゥが、後から来た二人にお茶を入れたりしていると、遅れてようやく傑が到着した。その後ろには、真奈美が控えている。

 それに伴い、全員が全員、顔を上げて傑の方へ向き直った。

 

「さぁ、時がきたよ。家族達」

 

 その言葉に、全員が全員、笑みを浮かべつつも気を引き締める。まるで「待っていました」とでも言うように。

 

「猿の時代に幕を下ろし、呪術師の楽園を築こう」

「夏油さま、夏油さま〜」

 

 が、そのセリフを菜々子が遮った。

 

「どうした?」

「要がまだ起きてない」

「……相変わらずだね。要は。まぁ昨日の夜も呪霊を連れて来ていたみたいだし、寝かせておいてあげよう」

「起きてるわ」

 

 そんな中、声が背後から聞こえる。ペタッペタッ……と、裸足が板の間の上を歩く音、和服に近い寝間着姿で、寝癖だらけのボサボサの髪、欠伸を浮かべながらの歩き姿……そして、傑を除く幹部達の中で最高戦力とも言える子供……禪院要が歩いて来ていた。

 

「菜々子、朝飯」

「ふざけんな! てか、もう昼だから!」

「要、遅刻だよ」

「悪い。着替えて来て良い?」

「ついでにシャワーも浴びてくると良い」

「サンキュ」

 

 それだけ言って、要は廊下を引き返す。少しだけ締まらない空気が蔓延しつつも、傑は何事もなかったように続けた。

 

「先に会議を始めようか、みんな」

 

 そう言うと、早速と言うように議題を告げた。

 

「まずは手始めに……呪術界の要、呪術高専を堕とす……!」

 

 ×××

 

 誰をどこに配置するか、などはまだ決めていないが、大まかな作戦は告げた。一先ずそれを実行する日までは各々で準備をすることにして、解散……となったあたりで、ようやく要がお風呂と着替えを終えて戻って来た。

 

「ごめん、お待たせ」

「要……そろそろ大きな作戦なのだから、遅刻は良くないよ」

「悪かったって。昨日の夜、ホラー映画見て眠れなくなってた菜々子が寝るまで部屋にいてあげてたから……」

「わ、わー! わー! あんた何言ってんの⁉︎」

「菜々子……怖かったら、私に言ってくれれば……」

「美々子は映画の途中から寝てたじゃん!」

「てか、お前普段呪霊と戦ってるくせに、なんでホラーにビビってんの?」

「うるせーな! ホラー映画は自分でなんとか出来ないじゃん!」

 

 なんて喧嘩が始まるのを、微笑ましく眺める。まだ他の家族には嫌われている要だが、年が近いからか菜々子と美々子とはよく話す。

 本当はこのまま見守っていたいが、今は時間がない。傑はとりあえず間に入る。

 

「ふふ、そういうことなら仕方ない。でも、これからは気を付けて」

「うーい。で、なんの話してたん?」

「呪術高専を堕とすよ。作戦は、宣戦布告して敵の戦力を各地にばらけさせ、私が直接、乙骨憂太を殺害し、祈本里香を手に入れる。……あれさえあれば、我々の勝ち目は90%まで引き上げられる」

「ふーん……」

「そこで、だ。君の感想を聞きたい。……4月ごろに祈本里香と戦っただろう?」

「負けて帰って来た奴?」

「黙れ、菜々子」

「その感想を聞きたい。どのくらい強かった? 可能ならば、乙骨本人の力も聞いておきたい」

 

 油断は出来ない。何せ、相手は呪いの女王だ。五条悟とさえ戦える力があるだろう。

 その点、負けて帰って来たという割に怪我一つ負わずに戻って来た要の情報を知りたい。

 

「かなり強い力持ってたよ。俺の術式で抑えられたのも4〜5秒程度だったし、サングラスを少しずらして解放しても9秒くらいが限界だった」

「……そうか」

「でも、スピードは俺とかあんたなら見えないレベルじゃないし、落ち着いて凌げば捌ける。乙骨自身は……分からん。あの後、どうせ高専に取られてると思うから、あとはあんたのが分かるでしょ」

「悟なら、戦力にしようと思うだろうね……とはいえ、4月から決戦の12月まで、8ヶ月。才能ある術師なら、それなりに出来るようになっているかもね」

 

 と、少しずつ分析する。

 

「……そうか、ありがとう。まぁ何とかなるだろう」

「頑張って」

 

 適当な返事をする要。そろそろ話は終わりだろうか? そう思って立ち去ろうとしたが、その要の後ろから傑が声を掛ける。

 

「そうだ、要」

「んー?」

「高専に宣戦布告に行くんだ。悟の足止め役のミゲルは隠し球だから連れていけないし、利久と真奈美も休み。菜々子と美々子はついでにクレープを食べたいらしいから来る、ラルゥも一緒。……君はどうする?」

「んー……行く」

 

 どんな奴がいるのか、見てみたかった。自分も戦うことになるわけだし、術師との戦闘をするなら、少しでも情報が欲しい。

 しかし、要は決心することになる。運命の残酷さ、そして現実の厳しさを理解させられ、それでも乗り越えなければならない壁がある事に。

 この宣戦布告の結果、自分も本格的に自らの目的を達するため、動く必要が出てくる事となった。

 

 ×××

 

 季節は12月。高専でもそろそろ雪が降り始めるんじゃないか、という時期になり、マフラーや手袋が手放せなくなる季節。

 そんな時期に、悟と学長である夜蛾は、二人で並んで窓の外を眺めていた。

 

「悟……本当かそれは?」

「はい。傑が動いています」

「……そうか」

 

 悟が傑の残穢を間違えるわけがない。何せ、お互いにとってたった一人の親友なのだから。

 

「そうか……とうとう、この日が来たか」

 

 そう感慨深く呟く夜蛾。だが、致し方ない。なにせ悟にとっては親友であり、夜蛾にとっては生徒なのが夏油傑という男だ。

 

「傑の相手を出来るのは、我々ではお前だけだ、悟」

「分かっています。心配しなくても結構ですよ。……9年前と違って、覚悟は出来ていますから」

「……そうか」

 

 とはいえ、かつての教え子に辛い役割を押し付けている事に変わりはない。それに対し少し悔やんでいるときだった。

 呪力感知に引っかかる大きな影。二人とも、ハッとして顔を上げた。

 

「噂をすればだ……! 悟、準一級以上の術師をかき集めろ!」

「いえ、一級以上でないとダメかもしれません」

「何?」

「っ……」

 

 悟は、らしくなく驚いた様子で空を見上げている。傑だけじゃない、もう一人やばい奴がいる。

 

「なんだあいつは……!」

「なに、どういう事だ⁉︎」

「急ぎましょう。生徒達がいたら危ない」

「なにが来た、説明しろ悟!」

「分かりません。……ただ、強い」

「……!」

 

 基本的に、敵への評価は全て「弱い」と判断している。それは相手を挑発するためだったりと色々理由はあるが、基本的にどれも本音だからだ。どう相手を表現しても、それが敵の場合は「面倒臭い」とかそんなレベルでの評価が多い。

 ……だが、その悟が「強い」と言った。

 

「あの中に、いったい何がいる……!」

 

 夜蛾が思わず奥歯を噛み締める中、悟は一足先に表へ出た。

 

 ×××

 

 外では、一年生四人が校舎に向かって歩いた。その前に舞い降りてくる巨大な影。ペリカンのような白い怪鳥と、その上から袈裟を着込んだ如何にも怪しい男が着地する。

 

「関係者……じゃねえよな」

「見ない呪いだしな」

「しゃけ……」

「わー、でっかい鳥……!」

 

 応戦する態勢に入る四人に対し、傑は懐かしむように校内を見回す。

 

「変わらないね、ここは」

「うっげー! 夏油さまぁ、ここほんとに東京ー⁉︎」

 

 その台詞とともに降りて来た、肌が褐色気味の女の子、そしてその後に続き、今度は大人しそうなセーラー服の少女が出てくる。

 

「菜々子……失礼」

「んもぅ、さっさと降りなさい」

 

 さらに、おかま口調のムキムキ男まで降りてくる。四人……と、一応人数はイーブンであることを把握する。先生が来るまでの足止めなら出来るか……と、四人とも身構えている時だった。

 ふと、棘とパンダ、そして真希の間を通り抜けた傑が、気が付けば憂太の目の前で両手を包み込むように握っていた。

 

「初めまして、乙骨くん。私は夏油傑」

 

 それに伴い、三人ともハッとして後ろを振り向く。速い……いや、速すぎる。ほんの一瞬で自分達の真横にいる憂太の前まで移動して来ていた。

 

「あ、初めまして……」

「君はとても素晴らしい力を持っているね。……私は、大いなる力は大いなる大義のために使われるべきだと、そう考える」

「あ、はい……」

「今の世界に疑問はないかい? 一般社会の秩序を守るため、呪術師が暗躍する世界さ」

 

 傑が力説をする中、パンダや棘が油断なく傑の話に耳を傾ける……そんな中、真希は怪鳥の方を見ていた。

 何故だか分からないが、まだ誰かいる、そんな気がしてならない。

 しかし、そんな警戒も、次の傑の一言で中断される。

 

「だからね、君にも手伝って欲しいわけ」

「? 何をですか?」

「非術師を皆殺しにして、呪術師だけの世界を作るんだ」

 

 何言ってんだ……と、真希もパンダも棘も警戒心が高まる。一目見た時から思っていたが、こいつはかなりヤバい。その上、強い。次の瞬間には首と胴体が離れているかもしれないような緊張感が確かに伝わっていた。

 そんな中、怪鳥の口の中で何やらゴタゴタやっているのが見えた。

 

「ちょっと、何してんの。早く出て来て……」

「……?」

「もう着いた。いつまで寝てんの。ほら、シャキッとして」

 

 褐色肌の少女が、最後に口から引き摺り出した少年が、あまりに見覚えしかない男の子だったからだ。

 綺麗な黒い髪、子供には間違いなく似合わない黒のサングラス、華奢に見えて中は割とがっちりした肉体……思わず、真希は半ば放心状態になり、ボンヤリと頭の中が真っ白になる。

 その少年も、間の抜けた自分に気づいたように顔をあげる。眠そうにしていた目が一気に覚醒した。

 

「ま、き、ね、え、ちゃああああああああああん‼︎」

 

 その直後だった。

 しかし、それは真希が過去一番、聞きたかった声であり、そして今は一番、聞きたくなかった声だ。……何より、その呼び方。

 思わず、あまりに高速で迫って来たはずなのに、スローモーションに見えた。

 自分の胸前にハグをするように抱きついてくるその影は、サングラスの隙間から懐かしい漆黒の瞳を覗かせていた。

 

「か……なめ……?」

「真希ねえちゃん⁉︎ 何してるのこんなとこで!」

 

 姉ちゃん? と、全員が小首を傾げても気にする余裕がない。あのいかれた思想を持つ男が操る呪いから出て来た、その事実が真希を硬直させる。

 

「……お前こそ、何してる……?」

「ん? ……あっ」

 

 そこで、声を漏らす要。一瞬だけ「やばっ」と言った顔になるが、すぐに笑顔を作った。その笑顔は知っている。父親のしごきがキツかったときに、無理に自分や真依の前で作っていた笑顔だ。

 

「何って……俺の大将が言ってたでしょ? 宣戦布告」

「いや……聞いてねーよ、そんな話……」

「え、言ってないの?」

「ああ、まだそこまで話は進んでいないよ」

「じゃあ俺から言うね。12月24日、パレードを開いて高専の術師全員殺すから、真希ねえちゃんは逃げて!」

「っ……!」

 

 その言い草が、さらに全てが嘘だと真希の頭を締め付ける。弟がまだ、自分に嘘をついて戦っている……それも、7年間も。

 その事実が、やたらと頭の中で反復する。今まで弟を守るために、と息巻いていた自分がやたらと滑稽に写り、今まで何をしていたのか、と自責で埋め尽くされる。

 そんな時だった。その真希の首に、トンっという軽い打撃。それが、一発で真希の意識を持っていった。

 

「ふぃ〜……セーフ」

 

 そう呟いたのは、五条悟。あれ以上、メンタルを揺さぶられると真希が危ない、そう判断し気絶させ、自分の胸前で受け止める。

 が、その直後、悟の目の前でズズッと呪力が揺らめく。言うまでもなく、要の殺気に反応し、呪力が活性化している音だ。

 

「お前、今姉ちゃんに何した?」

「あ?」

 

 振るわれたのは、要の拳。悟の顔面に迫る。その一撃を、悟は術式を起動して止める。

 無下限術式……そこら中にある「無限」を操り、敵の攻撃を届かせなくする五条家の相伝術式。

 

「良いサングラスだね。昔を思い出すよ」

「これが無限?」

「そう。大丈夫、真希は無事だよ」

「呪術師の言うことなんざ、信用できるか」

「……」

 

 やるなら仕方ないか……と、思った悟だが、その要の肩に後ろから置かれる手。傑のものだ。

 

「そこまでだよ。要」

「……っ」

 

 傑の言葉に、要は一度、手を引っ込める。冷静になったように手を止めた。

 

「……立派に父親をしているんだな、傑」

「ふふ、私が面倒を見るべき子供が多くてね。君こそ立派な教員になった」

「知ってる。……だから、非行に走る子供も見過ごせなくてね」

 

 そう言いながら、二人は静かに殺気をぶつけ合う。周りにいる生徒も応援に来た術師達も、皆威圧してしまっている程のオーラだ。

 そろそろ時間も時間だ。やがて、傑は両手を挙げると高らかに宣言した。

 

「さて、言ったことは要のセリフと被るが、私からもう一度、伝えよう! 聞き逃した方々は、耳の穴をかっぽじってよーく聞いていただきたい!」

 

 そう宣言しながら、要と共に悟から距離を置いた。

 

「来たる12月24日、日没と同時に我々は百鬼夜行を行う‼︎ 場所は新宿、そして京都の二箇所。各地に、千の呪いを放つ。下す命令は勿論、鏖殺だ!」

 

 それは、この場にいる全員が例外ではない。パンダも棘も憂太も、奥歯を噛み締めて耳に入れる。

 

「地獄絵図を描きたくなければ、こぞって集まると良い。我々はもちろん、戦うのなら応じよう。……思う存分、呪い合おうじゃないか……!」

 

 そのセリフを最後に、傑は家族達を連れて足止め用の呪いを放ってその場を後にした。

 周りを呪いに囲まれながらも、憂太の視界に入ったのは要の表情。他の呪詛師達が好戦的な笑みを浮かべている中、その少年だけ真顔そうに見える。まるで、怒りに満ち溢れているかのような。

 何より、あの少年……見覚えがある。入学前に、自分と里香の元にやって来た少年。

 彼は本当に、非呪術師を殺害したがるような人物なのだろうか? 

 

 ×××

 

 気がつくと、屋敷の中にいた。場所は、禪院家の屋敷。まだ一年も離れていたわけじゃないのに、やたらと懐かしく感じた。

 何故なら、この屋敷の中で唯一、思い出として残っている場所である、自室にいるからだろう。真依と、そして要と一緒に遊んだ部屋であり、その中に真依と要の姿は確かにある。楽しそうに何かして遊んでいた。

 だが、その二人は自分が部屋の中に入ると、急に冷たい無表情となり、真希から視線を外す。

 ……そして、無言で背中を向け、そのまま歩き去ってしまった……。

 

「っ!」

 

 そこで、目が覚める。どうやら、夢だったようだ。

 

「わっ……め、目覚めた?」

「大丈夫か?」

「たらこ?」

 

 隣から声をかけられる。憂太やパンダ、棘が座っていた。場所は保健室。室内に家入硝子の姿はない。

 すぐ脳裏に浮かんだのは、つい数時間前の出来事。夢であって欲しい……が、大体、その手のことは夢じゃないのだろう。

 

「……大丈夫じゃ、ねえよ……」

「……」

 

 誰も、何も言わない。自分は今まで、何をして来たのかわからなくなった。守ろうと思っていた弟が敵で、その弟も昔と何一つ変わらない境遇の中、恐らくずっと地獄を見て来た。

 

「クソっ……クソが……!」

 

 頭を枕に打ちつけ、髪を掻きむしるように頭を抱える。これから、百鬼夜行の日には彼もおそらく参戦し、自分が所属する高専の術師達を片っ端から殺害していくのだろう……そう思うと、頭がおかしくなる。

 憂太だけでなく、棘やパンダも何を言えば良いのか分からなかった。

 

「真希、いる?」

 

 そんな中、空気が読めないほど明るい声で話をかけて来たのは、悟だった。

 

「! 悟……!」

「今、百鬼夜行の方針が決まったよ」

 

 会議を終えたばかり悟が、軽くそう言う。

 

「パンダ、棘は百鬼夜行参戦。憂太と真希は留守番だ」

「「っ!」」

「僕は……分かるけど……」

「なんで……!」

「今、真希、戦えるようなコンディションじゃないでしょ。……で、弟のグラサンくん、僕が相手をすることになったから」

「なっ……⁉︎」

 

 悟が相手をする……つまり、ほとんど死刑判決だ。その結果に、真希は慌てた口調で弁解する。

 

「ま、待て、悟! あいつは別に悪い奴じゃ……!」

「うん。知ってる。憂太に聞いたよ」

「憂太が……?」

「一回、会ってるんだって。今年の四月頃……まだ高専に来る前に」

「は?」

「ご、ごめん。まさかあの子が真希さんの弟なんて、知らなくて……!」

 

 謝りながら、すぐに憂太は説明する。

 

「でも、真希さんと同じように『好きな人と死んだ後も一緒にいられて被害者ヅラすんな』って言われて、里香ちゃんの事、見逃してくれて……それで」

「多分、禪院家に刺された後、夏油に拾われたんだ。で、呪いを集める代わりに匿ってもらうギブアンドテイク……ってとこかな?」

 

 あり得そうではある。つまり、認めたくはないが、あの頭のおかしい袈裟男は弟の命の恩人なわけだ。

 

「……ま、ちょーっと傑の悪影響も受けてるっぽいけど……」

 

 悟の頭の中にあるのは、最後の方。呪術師に対する恨みがこれでもかというほど溢れていた。

 まぁ、真希の話を聞いた感じでは恨んでもおかしくはないわけだが……。

 

「それはない。禪院家なんて悪意の渦にいても、私と真依に対する態度だけは永遠に変えなかった奴だ」

「でも、最後に結局、全員殺すって言ってなかった?」

「昔から……頭と理性だけは強いガキだったんだよ。まず間違いなく、あの袈裟野郎の前だけで見せた演技だ」

 

 そう言いつつも、唯一引っかかっているのは、あの声音。夏油傑がいる手前、ああ言ったのは間違いないが、術師を殺したい、という点だけは本音だった気もする。

 だとしたら……おそらく、五条ならもし他の術師の命が奪われかねない時になれば、要を殺してしまう可能性はある。そして……要の瞳、あの力は呪術師なら誰にだって影響を及ぼすものだ。それが、乱戦の中であれば確実に「見られるだけで死ぬ術師」が出てくるかもしれない。

 せっかく会えたのに、死んで欲しくはない……が、お互いにお互いを呪い合う戦場で、殺せる敵最強のカードに「殺すな」と言うのは、あまりにもワガママが過ぎる。もしかしたら、その影響でパンダや棘が死ぬかもしれないのだから。

 いくら弟が天才でも、悟には間違いなく勝てない。

 こんなお願いをして良いものなのか、思わず悩んでしまっている時だった。その真希の肩に、憂太が手を置いた。

 

「真希さん、良いの?」

「何がだよ」

「五条先生と戦ったら、要くんでも死んじゃうんじゃないの」

「……」

 

 それは、そうかもしれない。一度、里香と要の戦闘を見た憂太だからこそ思う。要は確かに強い。里香を片手で押さえていた。

 でも、悟には敵わない。呪術界最強は、おそらくもっと上のステージにいるのだろうから。

 

「……だけど、どうしろっつんだよ。悟が要を殺さなかったら、棘やパンダが死ぬかもしんねーんだぞ」

「バカ言うな、真希」

 

 そこに口を挟んだのはパンダだ。

 

「オレ達も弟も殺さないように戦うくらい、悟なら楽勝だろ。なぁ、棘?」

「しゃけ」

「……本当かよ?」

「当たり前でしょ。僕を誰だと思ってるの」

「……」

 

 そうだった。目の前にいるのは最強だ。それこそ、攻撃も防御も速度も、世界最強の呪術師。世界中の人間を一人で殺せるレベル。

 そんな男が、悪ガキ一人殺さずに制圧するくらい、出来て当たり前なのかもしれない。

 そう思うと、真希はキュッと下唇を噛んだ。最初は無神経なクソ大人と思っていたが、そんなことは無いようだ。

 

「……悟」

「んー?」

「要を殺さずに、制圧してくれ……頼む」

「ベストを尽くすよ」

「……悪い」

「何謝ってんの。可愛い生徒の頼みを聞くのは、教師として当たり前でしょ」

 

 そう答えて、悟は保健室を後にした。

 

 ×××

 

 夏油一派の拠点では、当日の役割が割り振られた。

 後は、当日まで準備である。各々、やる事があるため準備をする中、要は自室にこもっていた。

 まさか、姉が呪術師になっているとは思わなかった。助けるつもりでいたのに、知らない間に敵になっていたとはどういう了見か。

 だが、まだ禪院家で術師になったわけじゃないだけマシだ。つまり、少なくとも家のゴミカスどもに影響されたわけではないから。

 

「……とはいえ……」

 

 地味にショック……というか、真依がいなかったのは何故だろうか? ……いや、そんなの分かりきっている。おそらく京都高。何故かは知らないけど、一緒にいない以上は別の高校に行ったと思うのが自然だ。

 ただ気になるのは、何故別々の高校に行ったか、だが……まぁ、大きな問題はない。京都から東京まで、術式を使えば40分でいける。

 

「……め、要っ」

「聞いてる……?」

「?」

 

 声をかけてきたのは、菜々子と美々子。キョトンとした顔でこちらを見ている。

 

「お前らいつからいたの?」

「や、今だけど」

「声かけたのに、全然反応なかった……」

「ごめん。ちょっと考え事してて」

「ふーん……なんか、夕食もあんま食べてなかったし、大丈夫?」

「……竹下通りのクレープも、一人だけサイズ小さかった……」

「大丈夫だよ」

「……お姉ちゃんのこと?」

 

 美々子に聞かれて、要の身体はぴたりと固まる。が、すぐに笑みを浮かべた。

 

「別に、姉じゃない」

「いやいや、それは無理だから。めっちゃ甘えてたじゃん。……ここじゃ、見せたことない顔して」

 

 そこまで見られてたか、と思った要は、笑顔を浮かべたまま続けた。

 

「あれ演技。……俺を捨てた禪院家の家族だよ?」

 

 ズキッ、と。要の胸の奥で何かが刺さる音がした。それでも、その痛みを無理矢理、押さえつけて続ける。

 

「友好的なふりして、後で刺す為の手段に決まってんじゃん」

 

 痛みは抑えるどころか、自分の喉を引き裂きたくなるほどの虚言を吐き捨てる。

 

「あんなクソ、次の百鬼夜行で速攻ぶっ殺してやるよ」

 

 思わず吐き気まで催してきた。それをも飲み込む。大丈夫、口で抜かすことなんて大したことじゃない。重要なのは実際の行動だ。

 

「……そう? ならいいけど……」

「何かあったら、相談して……」

「そらこっちのセリフだから。仕事の前に緊張しないおまじないとか教えられるよ」

「や、いらないし」

「じゃあ……おやすみ」

「夜更かしして、また夏油様を困らさないよーにね!」

「へいへい」

 

 それだけ挨拶し、部屋から出て行く二人に片手をあげて挨拶する。

 敵の学長の性格を知っている傑によると、新宿や京都に招集されるのは高専の術師だけではなく、御三家やアイヌも集めるらしい。他の御三家との勢力争いもある中で、禪院家だけが来ない、なんてことはあり得ない。

 今のうちに当日に備え、全てを終わらせる覚悟を決めた。

 

 



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規格外の力も使い方次第。

 百鬼夜行が行われるのは、12月24日の日没から。だが、割と曖昧な時間表現ではあるので、それに備えて高専側も配置を終えていた。

 京都では、一年生である三輪霞がカタカタと震えていた。

 

「ふわ〜……き、緊張するなぁ……あんまり強い呪い来ないと良いなぁ……」

『ソレガ決戦前デ緊張シテイル顔カ、三輪。寒サデ震エテイルヨウニ見エルゾ』

 

 そうツッコミ入れるのはメカ丸。呪術高専一年生のメカである。

 

「あ、ひどいメカ丸。本当に緊張してるんだから。ほら、ちゃんと震えてる」

『指先ガ赤クナッテイル。ヤハリ、寒イダケダロウ』

「そりゃ、こんな冬空の下でスーツ姿なんだから、寒くもあるけどさ〜……う〜、早くお風呂入りたい〜」

『普通ニ寒イダケジャナイカ、ヤッパリ……』

 

 言いながら、メカ丸は自身の上着を脱ぎ、三輪の肩から掛けてあげる。

 

「え、良いの? メカ丸、寒くない?」

『誰ニ向カッテ言ッテイル。俺ニトッテソレハタダノ飾リダ』

「あ、ありがと……」

 

 少し嬉しくて、頬がほんのりと赤く染まる三輪。その二人を眺めながら「プークスクス」という笑い声が聞こえる。

 ハッとして振り向くと、そこで笑っていたのは同級生の禪院真依と、先輩の西宮桃だった。

 

「見ました〜? 真依ちゃ〜ん。あんなキザな真似するメカ、この世にいるんですね〜?」

「見ました〜? 桃ちゃ〜ん。あんなキザな真似で照れるウブ、この世にいるんですね〜?」

「な、なんですかそれー! 別に照れてないから私ー!」

「いや顔真っ赤で怒鳴られてもねー?」

「ねー?」

「っ、め、メカ丸も否定してよー!」

『……下ラン』

 

 ふいっとメカ丸は背中を向ける。他の二年生の一人は興味なさげにそっぽを向き、もう一人に至ってはもう周りにはいない。

 さて、そんな中で、真依はふとこの前のことを思い出す。最近、姉から電話がくる。ちょっと色々あって喧嘩してしまい、それから学校まで別れた。それが原因でシカトしていたが、何か用でもあったのだろうか? 電話をよこす事自体が珍しいのに。

 それほどの事があったのかもしれないが、こっちもこっちで百鬼夜行の件で忙しい。

 

「皆さん、静粛にして下さい」

 

 そんな中、声を掛けて来たのは七海建人。一級呪術師だ。東京からこちらに派遣された術師で、手元には包帯でぐるぐる巻きにされた包丁のようなものを持っている。

 

「戦闘が始まれば、もしかしたら私も皆さんと別行動する可能性もあります。なるべく油断はせず、そして私の責任にならないよう振る舞って下さい」

「ほらー、怒られたじゃん」

「メカ丸の所為よ」

「メカ丸の所為ね」

『俺ノ所為ジャナイ』

「……」

 

 なんでも、特級相当の術師が、夏油傑以外にもいるという話だ。なるべくなら会いたくない……なんて思っている時だ。

 その合計、六人の間でしれっと声が混ざった。

 

「真依ねーちゃん。真依ねーちゃーん」

「は?」

 

 唐突に聞こえてきた懐かしい声、聞き間違えるはずがない大好きだった声音。七年間、聞くことができなかった懐かしい声音。

 

「要……⁉︎ あんた、なん……!」

「久しぶり!」

「ひ、久しぶり……!」

 

 思わず二人でハグし合ってしまう。この温もりも、似合っていないサングラスも、何もかもが懐かしい……。

 ……が、他のメンバーからすれば、非呪術師の立ち入りを禁止した上で、六人の間に誰一人の感知も許さずに、高専側ではない少年の侵入など、危険因子でしかなく。

 箒に跨り、宙に浮く西宮、腕の砲門を解放するメカ丸、簡易領域を展開する三輪、武器を構える七海、そして弓を構える加茂憲紀が一斉に囲んだ。

 それに気付き、真依がすぐに全員を止める。

 

「ま、まって! この子は私の……!」

「待ちません。まず間違いなく高専側でも只者でもない子でしょう」

 

 七海がそういうと、ジロリと要を見下ろす。最悪のパターンは、真依以外全員、殺しに来たパターン。いや、それにしては日没まで後30分はあるはずだが……。

 何にしても、聞かないわけにはいかないことを聞く。

 

「何者ですか?」

「45分しかないから、問答してる暇ないんだ。行くよ、真依ねえちゃん」

「行くって……何処によ⁉︎ ていうか、今まで何処に……!」

「空」

 

 そう言った直後だ。キンッ、と、足元にSの刻印が刻まれ、その後にコンクリートごと浮かび上がった。

 

「なっ……⁉︎」

 

 呆気に取られはしたものの、すぐに行動に移した。加茂家の赤血操術、そしてメカ丸の砲撃、さらに西宮の鎌異断が一斉に襲い掛かった。

 それに対し、要は両手を左右に広げるとともに、その先から半径10メートルほどまで広げた刻印を通して付与させ、その攻撃を止めた。

 

「!」

「なにこれ……!」

「時間がないって言ったよね」

 

 直後、それらの攻撃が全て反発するように返される。三人とも慌てて回避したが、近くの建物を巻き込んで爆発、炎上させる。

 

「っ……!」

 

 思わず、真依は唖然とする。こんな力知らない。

 付近に煙が舞い上がり、全員の視界が阻害される中、足場はスーッと空を飛んでいく。

 

「あ、あなた……何があったの……?」

「色々。大丈夫、40分で東京に着くよう調整したから」

 

 今の衝撃で、周りから人が集まってきてしまう。さっさと行くことにするつもりのようで、足場が本当に東京の方へ向かってしまう。

 が、そんな中で感じ取った悪寒。ふと気配を感じる方向に目を向けると、煙の中から、ビルの壁を走って追い付いてくる七海の姿が見えた。

 

「七海さん……!」

「しつこ」

 

 その七海に片手を向ける。掌からさっきまでとは違い、それなりの速さの刻印を飛ばす。

 それを七海は回避しながら、浮く足場を追い抜いて屋上まで上がり切った。ちょうど、そのビルの屋上は浮かした足場の進行方向にある。

 こちらの術式の理解も早く、それ故に足場の飛行が勢いを殺さないと方向転換出来ないこともバレている。

 面倒な事に、割と頭の回転が速い相手だ。あまり時間は掛けられないが、かといって呪力はもっと掛けられない。

 

「……チッ、めんどくさいなぁ」

 

 仕方なさそうに呟くと、要はサングラスを外した。それにより、七海は周りの呪力を全て見ることが出来なくなる。

 

「なっ……⁉︎」

「真依ねーちゃん、ひっくり返るよー」

「は? きゃあぁぁあああっ!」

 

 そう言った直後、要は足場に足をつけたまま真依を両腕で抱えるように持ってひっくり返った。

 足の裏の向きも変え、七海に射出する。コンクリートの岩場を回避する七海。自身の呪力を確かめるように屋上で手のひらを眺めている間に、落下中の要は背中に真依をくっ付けた。

 

「要! 落ちてる、落ちてるから!」

「分かってるよ」

 

 そう言いつつ、真下に向かって左手を向け、真下のコンクリートに刻印を放った後、右手の刻印で足場を引きつけ、最後に空中で身体の向きを変えてその上に足をつけて乗っかった。

 

「よっし……!」

「っ……は、吐きそう……」

「俺も慣れるまではそうだったからなぁ。……飴舐める?」

「あ、ありがと……じゃなくて! あんた何して……!」

「大丈夫、心配しないで。あと少しで、また前みたいに3人一緒でいられるようになるよ」

「3人って……!」

 

 その直後だ。パァンっという拍手の音が耳に響く。

 

「鳩でもいたのかな。真依ねえちゃん?」

「よう、坊主。どんな女が好みだ?」

「……真希ねえちゃんと真依ねえちゃんだけど、お前誰?」

 

 いつの間にか、姉と筋肉ムキムキの男が入れ替わっていた。その直後、拳を振るわれ、要は台座から飛び降りながら片手を向けて、動きを止める。それと同時に、足場に反対側の手を向けて反発させ、上に乗っている男ごとビルの中に突っ込ませた。

 その直後、再び鋭い拍手の音。気がつけば、飛ばしたはずの足場の上にいたのは自分になっていた。

 

「ーっ……!」

 

 直後、両手と両足を広げ、刻印を四方に飛ばして衝突前に宙に浮いてキープした。

 空中をフワフワと移動し、ビルとビルの間で辺りを見回すと、複数の呪術師が続々と集まってきて自分を眺めていた。

 

「あーあ……雑魚どもが湧いてきやがって……」

 

 そうため息をつく。もう呪力はともかく時間は無駄に出来ないというのに。

 ざっと見た限り、ほとんどが有象無象だが、面倒臭そうな相手もいる。

 

「やれやれ……俺はただ、真依ねーちゃんを連れて行きたいだけなんだけどなぁ……」

 

 まだ目的もハッキリ言っていないのに、早くも躓いていた。

 

 ×××

 

 高専には、現在二人しか人間がいない。戦力として外された真希と、戦力にすれば味方にも爆弾になり得る憂太の二人だ。

 今週は休校なのだが、憂太はなんだか落ち着かなくて教室に来てしまっていた。

 すごいことになってしまった、とほけーっと天井を眺める。正直、少し安心している。何度か呪霊との戦闘はこなしてきたが、基本的にはやはり怖いものだ。

 それに、里香を出してしまうと自分も悟も死刑になってしまうらしいし、そういう意味ではホッとしている。

 しかし、それに比例して、棘やパンダへの心配は大きい。二人とも自分なんかより強いのは知っている。けど、数だけで言えば敵の方が多いだろうし、全くの無傷で帰って来れるかは分からない。

 

「まぁ……五条先生がいるなら平気かな……」

 

 要の相手をしながら、ということらしいが、まぁ悟なら大丈夫だと思いたい。一応、要の能力に関しては、大体真希から聞いている。いや、真希の知っている情報に、さらに憂太が見た情報を捕捉した。

 遠隔に飛ばしたり広げたり出来る刻印。磁石の効果を持ち、引き寄せたり離したりできる、単純と言えば単純な術式。

 その上、悟が自身に迫った拳を見た所、呪力操作も完璧に近いらしい。引き寄せながら拳を振るわれたら堪らない所だ。

 

「要くん、かぁ……」

「私の弟になんか用か?」

「あ、真希さん」

 

 後ろからその姉に声をかけられ、振り返る。

 

「何してんだよ。今日は休校だろうが」

「ちょっと、落ち着かなくて。……パンダくんも、狗巻くんも……要くんも」

「……最後のバカは、お前が気にするとこじゃねーよ」

「するよ。……真希さん、いつも要くんのこと考えてたもん」

「っ、い、いつもは考えてねーよ! たまに思い出す程度だったろ」

「たまに漏れてたよ? 寂しそうな顔が」

「う、うるせー! ブッ飛ばすぞ!」

「ご、ごめんごめん」

 

 胸ぐらを掴まれそうだったので、慌てて謝った。これは、たまに教室とかで寝てる時に、寝言で妹と弟の名前を漏らしていたのも言わない方が良い奴だ。

 

「……ね、真希さん」

「なんだよ」

「要くん、どんな子だったの?」

「あ?」

「せっかくだし、色々聞いてみたいなーって」

「……」

 

 聞かない方がよかっただろうか? でも、正直に言うと要のことがよく分からない。悪い子ではないのだろうが、良い子と言われても困る。何せ、最悪の呪詛師と呼ばれる夏油傑と一緒にいるのだから。

 

「要は……ホントは、素直な奴だよ」

「あー……うん」

「素直なのに、演技が上手い奴だった。私とか真依はすぐ見抜けるが、ほかの奴らはバカみてえに騙されてたよ」

「ふーん……」

「ほとんどの奴らが私や真依の前だけ素直なフリをして、素が暴力的で唯我独尊な奴だと思ってたが、本当は逆だ。身勝手なのがフリをして、本当は甘えん坊で素直な奴だよ」

 

 なんでそんなフリをするのか、そんなの分かり切ったことだ。周りの人間に舐められないためだ。禪院家では、真希と真依は周りから虐められていた。それを守るために、どんなに才能や強力な術式を持っていても、周りの人間と絶対に仲良くせず、真希と真依に喧嘩を売るような奴らがいれば、誰彼構わず喧嘩を売っていたのを覚えている。

 

「……そっか。良い子だったんだね」

「今も良い子だ」

「だと良いけど……」

「あのでっかい鳥の中から出てきた時、世話を焼かれてたろ。女二人に」

「あー……そういえば」

 

 寝てる所を起こされていた。他の人と絡んでいるところを見ていないからなんとも言えないが、確かに仲良さそうには見えた。

 

「あの二人の事は、別に嫌っちゃいねーかもしんねえな」

「そ、そうなんだ……じゃあ、もしかしたら恋人かもね?」

「……は?」

「あわっ……ご、ごめん! 呪詛師と恋人なんてあり得ないよね……!」

「呪詛師じゃなくてもあり得ねーから。あんまふざけた事ほざいてるとマジ殺すぞ」

「ええっ⁉︎」

 

 そこはダメなの? と、冷や汗を流してしまう。

 

「でも……そっか。やっぱり良い子なんだ」

「だから、厄介なんだよ」

「……うん」

 

 だから、死んで欲しくないし、自分が好きな人同士が争うことになってしまっている今が、少し怖い。

 

「……大丈夫だよ、真希さん」

「あ?」

「五条先生や、パンダくん。狗巻くんなら、きっとなんとかしてくれる」

「……だな」

 

 そんな話をした、わずか数秒後のことだった。校舎を包み込むように帳が降り、周囲を漆黒が包み込んだのは。

 

 ×××

 

 禪院真依は、唖然としていた。自分の弟に何があったのか知らないが、かなり強くなっていた。いや、強いとかではない。規格から外れた者、というべきか。

 両手から繰り出される刻印は、相手を転ばせるとか武器を奪うとか、そんなレベルではない。

 真上から巨大な刻印を落とすと共に、地面にもう片方の刻印を広げ、ほぼ全員を貼り付けたまま動かせなくさせてしまった。

 全ての術師がかかったわけではないが、まともに戦闘に参加しているのは七海と東堂葵の二人のみ。他の京都高のメンバーは、要の標的である真依の護衛だ。

 

「ハッハァ! やるな、小僧ッ‼︎」

「なんで上からだよ。大概にしろマッチョ」

 

 実に楽しそうな葵と攻防が繰り広げられている。しかし、押しているのは要だ。何せ、術師としての年季が違うから。

 葵のラッシュを落ち着いて捌きつつ、掌底をたたき込んでくる。その掌底が、磁力によって加速され、見事にボディを捉え、地面に叩き落とす。

 しかし、落下の前に拍手で自分と要の位置を入れ替え、要を落下させる。その直後、だ。落下地点から、七海が自らの術式を構えて武器を振るった。

 それも、要は片手を向けるだけで止められる。

 

「……無下限術式では、ありませんね?」

「分かってるくせに聞くなよ」

 

 再び拍手の音。自分と七海の位置が入れ替わり、お互いに背中を向けた状態になる。

 すぐにタネを理解した七海が攻撃を放とうとするが、手のひらを背中を向けたまま向けられ、後方へ弾き出される。

 そこへ、空中で落下している葵にさらに刻印を貼り付けると、真下の七海へ衝突させた。

 その真上に、要がジャンプしてスタンプを踏みに行く。

 

「チッ……!」

 

 くっつけられたまま離れられない……が、葵ならば拍手をすることで離れられる。

 それにより離脱したのは七海。残った東堂は、カウンターの構えで要を待ち、スタンプを避けると共に握り拳を作った。

 もらった、そう呟くように拳を繰り出す寸前、ふと違和感。スタンプして降りてきた要の上着がない。

 それと同時に足元に広がっている刻印。上着が、葵の頭の上に降りてきた。

 

「ぬっ……!」

 

 まずった、とカウンターで放った拳をひき、拍手をしようとしたが、その手を要が蹴りで止める。

 

「させねーよ」

 

 さらに、上着と道路の引き合う力を強める。そのまま葵を道路に貼り付けた。

 その直後、背後から気配を感じる。振り下ろされて来たのは刀身が巻かれたナイフ。

 ヤバい、と判断し、強引に避ける。だが、それこそ七海の思い通りだった。使用したのは、自身の術式の広域殲滅型の拡張術式。

 

「刻印をつけた物が壊れれば、あなたの術式はどうなるのでしょう?」

「っ……!」

 

 砕いたのは、道路だ。半径10メートルほど道路が陥没し、三人が三人、真下に落下していく。その際、拘束されていた葵もそれが解かれて、落下していった。

 

 ×××

 

「……初めて見た。東堂先輩が苦戦してるとこ」

 

 そう呟いたのは、真依の周りでガードを固めている三輪。それを聞いて、メカ丸も呟いて答える。

 

『確カニナ……ネーチャン、ト呼バレテイタガ、何者ダ?』

「……弟よ。禪院要」

 

 それを聞いて、他の四人とも腑に落ちたように呟く。前から聞いたことがある、真依の弟。それも才能があり、その才能の所為で父親に殺されかけたという話だ。

 

「あれだけの大技を何度も繰り出しておきながら、呪力が尽きる様子が見られないとはな……今まで何をしていたのか気になる所だが」

「そんなの、私だって分からないわよ」

 

 加茂に聞かれても、真依にだって分かるはずがない。むしろ知りたかったくらいだから。

 ひとつだけわかるのは、このタイミングで姿を現した、という時点で、夏油傑と繋がっているのは確実だろう。

 

「っ……」

 

 悲しそうに下唇を噛み締める真依。おそらく、真希が電話してきた理由はそれだ。ちゃんと聞いておけば、こんな突然のショックに見舞われることもなかったのかも……と、自身の迂闊さを呪った。

 

「で、でも、流石にもう大丈夫でしょう! 東堂先輩も七海さんも一級呪術師ですし、その二人にダメなら、もうどうしようもないですよ!」

『三輪、フォローニナッテイナイ』

「別に……ショックなんて受けてないし……」

 

 そう呟きつつも、真依の両肩は微妙に震えていた。何せ、まだ要は目を使っていない……と、少し危惧している。それを使われたら、どんな術師でも勝てない……なんて思っていた時だ。

 四人の真上、空中から警戒していた西宮が声を張り上げた。

 

「っ、み、みんな逃げて! あいつ……!」

「?」

「うぐっ……⁉︎」

 

 叫んだ西宮に刻印が付与され、グンっと引っ張られる。その引っ張られた先で西宮の首に腕を回し、ホールドしながら歩み寄って来るのは、要だった。

 

『西宮……!』

 

 弓と砲門を構える二人だが、そこから撃てば間違いなく西宮も巻き込む。真依の前に三輪が立ち塞がり、簡易領域を再び展開する。

 ……が、その真ん中の真依だけは分かっていた。恐らく……勝てない。というか、もうどうしようもない。

 

「落ち着いてよ。さっきから言ってるけど、俺は真依ねーちゃんが欲しいだけなの。寄越してくれれば、ホント何もしないから」

「そう言うのならば、東堂と七海さんはどうした?」

「下でくっついてる。他の術師だって別に殺してないでしょ。……けど、お前ら次第じゃ、ようやく一人死人が出るけど?」

 

 そう言いながら、西宮を抱える腕に力が入る。三輪も加茂も冷や汗を流した。

 

「……わーった。もう一つ譲歩する。あと〜……10分くらいで百鬼夜行の群れ、第一陣が来る。それ追い返してやるし、他の全員の拘束も解く。……それでどう?」

『信用出来ルト思ウカ?』

「縛りでも結ぶ?」

「っ……」

 

 それを持ってこられたら、疑う余地は徐々に減っていってしまう。というか、後10分で始まるのに、今の戦線がズタボロにされた状態はまずい。もはや、飲むしかない状態だ。

 

「……良いわよ。それで」

 

 そんな中、返事をしたのは真依だった。

 

「でも、分かってるんでしょうね。もし、嘘だったら……」

「何?」

「あんたの事、嫌いになるから」

「絶対に嘘つきません! 真希ねーちゃんにも誓います!」

 

 あれ、なんか交渉が頭悪くなったぞ、と全員が思う。

 すぐに要は腕から西宮を置いた。少し恐ろしげな視線を向けつつも、西宮は要からすぐに目を逸らし、走って仲間の方へ向かう。

 一方で、真依も要の方へ歩いて行った。その真依の手首を、三輪が掴んだ。

 

「い、行くの……?」

「心配なんていらないわよ。ちょっと弟と東京まで行くだけだもの」

「……な、何かあったら、大声で『助けてー』って叫ぶんだよ?」

「初めてのお使いか」

 

 そんなツッコミをしながら、西宮と入れ替わりで要の元へ向かう。

 

「来たわよ。これで良いの」

「うん。……真依ねーちゃんも、呪術師始めたんだ」

「悪い?」

「……良くはないけど……まぁ、良いや」

 

 そう言うと、要は足元に術式を展開し、浮かび上がった。相変わらず規格外の術式だ。

 

「ちょっと、拘束」

「いやまだでしょ。東堂とかいう人の術式だと、すぐにまたリセットされちゃうし」

「……嘘だったら」

「嘘なんてつかないよ。というか、後で術式は解かないと俺も困るし」

「?」

 

 そう言いながら、要は真依の手を繋ぐ。それと同時に、腕に頭を置いた。

 

「……遅くなったけど、久しぶり。姉ちゃん」

「……そうね」

 

 身を預けるように甘えてくるあたり、やはり当時と変わっていないのかもしれない。

 少しだけホッとする真依だが、それも束の間。視界に映ったのは空を飛んで移動してくる呪いの群れだ。

 

「何よ……あの数」

「分割して放たれるようになってるから大丈夫だよ。足止めと囮がメインだから」

「……あなた、やっぱり夏油傑と繋がっているの?」

「喋ると舌噛むよ。思ったより呪力使っちゃったし、術式なしで片付けるから」

「え……あ、あの中に行くの?」

「離れないでね」

「離れようとする方が無理でしょ……」

 

 敵陣の中に突っ込みながら、約束通り術式を解除した。

 

 ×××

 

 一方、新宿では。百鬼夜行が始まり、それと共に呪詛師達もビルの上に降りた。

 悟は顎に手を当てたまま不自然な点に注目がいく。単純な話だ。傑がいない。京都の方か? とも思ったが、京都は何故か連絡が取れないし、いくら傑でも誰一人から連絡も寄越させずに数いる呪術師を殲滅させるのは無理だ。

 そっちはそっちで気になるところだが……と、思っていると、伊地知から報告が入った。

 

「五条さん、こんな時にとは思いますが報告が……!」

「……なに?」

「……乙骨くんの出生の件で……」

「……」

 

 それを聞いて、悟はすぐに理解する。いや、直接的に関係しているわけではないが、憂太の名前を聞いてハッとなった。まさか、傑の狙いは……。

 

「パンダ、棘!」

 

 我ながら最低な案が浮かんだが、もはやこれしかない。

 そう判断すると、二人に任務を告げた。

 

 



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家族かどうかは血ではなく本人達が決める。

 乙骨憂太がその場に来たのは「なんか騒がしいなー」程度の事だった。真希も様子を見に行ってから戻ってきていないし、なんとなく気になった、と思って行ってみた。

 そこに広がっていたのは……自身のクラスメート。それもいつもの元気で一風変わった姿ではなく、みんながみんな等しく、死体のように転がっていた。

 その中心で、涙を浮かべながら立っているのは、夏油傑。涙を浮かべているのに、とても愉快そうに笑みを浮かべていた。

 

「本当はね、君にも生きていて欲しいんだ。乙骨。でも、全ては呪術界の未来のためだ」

 

 そのセリフは、耳に入らない。辛うじて憂太の耳に入ったのは、唯一意識があった棘の掠れた声だった。

 

【ゆぅだ……逃……げろ……』

 

 発動しようとした呪言は、残念ながら最後までもたなかった。しかし、お陰で別の呪いを生み出すこととなる。

 目を見開き、刀を抜いた憂太は殺意と憎しみを込めて、この場にいるもう一人を呼び出した。

 

「来い‼︎ 里香ッッ‼︎」

 

 その号令に、想い人は応えた。憂太の背後から、姿は変わり果てても中身は変わらない少女が、完全に顕現してみせた。

 呪いの女王……祈本里香。それを目の前にしながらも、夏油傑は笑みを浮かべたまま口を開いた。

 

「君を殺す」

「ブッ殺してやる……‼︎」

 

 それは、開戦の狼煙の代わりとなった。法螺貝が吹かれたわけでもないのに、二人同時に動き出す。

 正面から斬りかかる憂太とは真逆に、傑は距離を取るように下がり、大量の呪いを召喚した。雑魚達による命を捨てた特攻突撃。それらの呪いを、憂太が斬り払う間に里香は倒れている三人を回収する。

 そして、一時的に傑から離れた建物の中で三人を置いた。

 

「死なせない……!」

 

 反転術式……身体を元の状態に戻す術式だ。それを三人に当てがい、体を治させる。

 そんな中だった。その中で一番、重症であった真希を、里香が攫う。

 

『ズルィ……ズルぃズルぃイイ‼︎ お前ばっかり、お前ばっがりぃいいい‼︎』

「何してる……里香」

 

 その里香に、憂太から発せられたとは思えないほどドスの効いた声が届く。

 

「その人は僕の大切な人だ……蝶よりも花よりも、丁重に扱え……‼︎」

『ッ……ごめんなさい、ごめんなさい‼︎』

 

 すぐに里香は、憂太の言うことにしたがい、涙を流して真希を返した。

 

『怒らないで!』

「怒ってないよ」

『嫌いにならないでェ‼︎』

「嫌いになんてならないよ」

 

 そう言いながら、憂太は建物の手すりに出て、外を見下ろす。真下にいる夏油傑に狙いを定めた。

 

「まずは質より量。……どう出る? 呪いの女王」

 

 そう言う通り、呪いを数多く出し、兵隊を揃えている。自分達が戦うべき相手はあっち。

 それに対し、憂太は。

 

「里香。あれをやるぞ」

 

 そう言った直後、手元に呼び出したのは狗巻家の紋章がついたスピーカーだ。

 まさか、と傑が思ったのも束の間、すぐに憂太は手っ取り早い一言を告げた。

 

【死ね】

 

 それを合図に、せっかく揃えた兵隊達は一斉に霧となって消失していった。

 呪言をいとも簡単に使いこなし、再び傑に目を向けた。狗巻家相伝の術式を、呪術を学んで一年にも満たない少年が使いこなしたことに感動しているが、憂太としては納得いっていない様子だ。

 

「難しいな……呪力が拡散して狙いが定まらないや……狗巻くんはすごいなぁ……それを、お前は……お前は……!」

 

 そう呟くと、次の手に移った。片手のものしか見ていないのでそれしか使えないが、それで十分だ。

 何をするつもりだ? と、傑が片眉を上げたのも束の間、すぐに驚いたように目を見開いた。

 

「お前なんか……お前の部下の技に殺されるのがお似合いだ……‼︎」

 

 キンッ、という甲高い音。それと同時に憂太の掌の前に現れたのは、Sの刻印だった。

 あれは……要の術式。確か名前は…… 『スイッチヒッター』だったろうか? 野球で両方の打席から打てるバッターのことを指した用語。

 前に会ったとき、要は術式を使っていなかったはずだが……いや、それより前、四月に様子見しに行った時か。

 どちらにせよ、片方しか出ていないが、片方でも厄介だ。

 

「チッ……!」

 

 あの刻印には当たるわけにはいかない。すぐに移動し、場所を移した。ここからは機動戦に切り替えた。

 

 ×××

 

 一方で、新宿では。菜々子と美々子は邪魔をしてくる現場監督を続々と吊るしていった。

 頭数は負けている……が、それは術師の話。呪いを混ぜればその限りではない。

 傑が繰り出した呪霊に援護をさせつつ、しっかりと仕事をこなしていた。

 

「あーあ……思ったより楽勝じゃん? 百鬼夜行」

「……うん。これなら……要なしでも、余裕……」

「てかさー、なんで夏油さま、京都を要一人にしたんだろーね」

「……分からない」

 

 子供一人に戦場を任せるなんて、傑らしくない。万が一があった時、保険が効かないし、京都だと傑の援護も出来ない。

 

「……ま、大丈夫でしょ」

「うん……夏油さまが考えること、だもんね……!」

 

 家族は決して見捨てない。それが傑だ。最後、乙骨憂太が持つ祈本里香を手に入れた場合、残りは自分一人で片付けるため、先に家族達には帰るように命令までしていた。

 だから、大丈夫。なんだかんだ年も近くて一緒に行動することも多かった要に情が湧いた二人は、要にも死んでほしくない。

 その二人に、弱々しくもはっきりした声音が届く。

 

「君達、歳は?」

「15ー」

「まだ子供じゃないですか。物の良し悪しもついていないでしょう。今ならまだ引き返せます」

「カッチーン」

 

 そのセリフに、菜々子が如何にも「キレました」と言うような声を漏らす。

 

「美々子ぉ、あいつゲロムカつかねえ?」

「吊るす? 菜々子、吊るす?」

 

 あいつには分からない。地図にも載っていないような田舎で、呪術を持つ者がどう言う扱いを受けているのか。

 それを助けてくれた人が言う事は絶対なのだ。物の良し悪しなどで止める理由にならないどころか、そもそも論点が違う。

 菜々子はスマホ、美々子はぬいぐるみを構えて、真っ直ぐと伊地知を睨みつける。

 

「夏油さまの邪魔をするなら、呪ってやる!」

「っ……!」

 

 ダメか、と伊地知が汗を流して狼狽えている時だ。その三人の近くに、建物を巻き込んで落下してくる影が見える。

 落下し、身体をおこしたのはミゲル。自らの武器である縄を持って、すぐに立ち上がった。

 それを見て、信じられない、と言うように声が漏れる。

 

「ミゲル⁉︎ あんた何してんの⁉︎」

「見テ分カレ!」

 

 叫び返されるが、その後ろから冷たい声音が響く。

 

「しぶといな」

「っ……!」

 

 すぐに身構えるミゲルだが、あっという間にその男は距離を詰めた。そこから繰り出されるのは、術式を込めた拳。それが直撃する前に、自らの祖国から持って来た黒縄を当てて防ぐ。

 

「チッ……」

 

 あのミゲルが……五条悟の足止め役が出来るのが、要を除いて一人しかいないと言われた、自分達の最高戦力の一人であるミゲルが、むしろ簡単にあしらわれている。

 菜々子と美々子はすぐに思い知らされた。自分達がこの戦場で無事でいられているのは、ミゲルがあの化け物を相手してくれているからに他ならない。

 

「こんな事なら……要の後について行けばよかったかも……」

「う、うん……」

 

 とりあえず、離れないといけない。万が一にも、自分達がミゲルの足を引っ張るようなことがあれば、それは最終的に傑へ影響する。

 そう思い、すぐに背中を向けて移動を始めようとした時だ。さっきまで目の前にいたはずの男が、背後で突っ立っていた。まるで、振り向くのを待っていたように。

 思わず、呼吸の仕方を忘れたように息が止まった。

 

「ねぇ、君達」

「っ……!」

「君達と同い年くらいの子、いるよね。僕、その子のことも止めないといけなくてさぁ」

 

 声音に殺意はこもっていない。だから怖かった。殺す気があるのかないのか分からなかったから。自分達のリーダーにとっては元親友らしいが、恐ろしい友達もいたもんだ。

 

「場所、教えてくれない? 教えてくれれば、あの外国人も殺さないであげるよ」

 

 どういう意味か、はすぐに分かった。自分達2人とミゲルの命。だが、その子の事を殺さないとは限らない。

 仮にも家族。身勝手で傍若無人だけど、それでも売るわけにはいかない。

 

「……い、言わない……!」

「美々子、こっち!」

 

 二人で手を繋いで逃げ出した。とにかく、ここで戦闘を続けるのは危険だ。距離を離さないと。

 

 ×××

 

「中々、根性アルダロウ?」

 

 そう声をかけてきたのは、自分が相手をしている外国人。術式……と言うより、持っているあの縄の効果だろう。完全に受けに回って時間稼ぎを上手いことこなしている。

 だが、それより感心しているのはあの子達だ。今まで、生まれた時から命を狙われてきた悟だが、先にこちらが気付き、視線を向けただけでビビって逃げ出す雑魚は多かった。ましてや「仲間の居場所を吐け」と言ってやれば絆もクソもない様子でペラペラ話す奴が多かった。

 だが、あの二人はあの年で口を塞ぎ、戦っても勝てないと分かった上で逃げている。

 

「……そうだな。お前ら、ほんとに呪詛師か?」

「ソンナ安イ言葉デ括ルナ。血モ何モ繋ガッテイナイガ、家族ダ」

「そうかよ」

 

 傑は相当、全員に対して親身に接してきたようだ。

 けど、と悟はすぐにその脆さも分かった気がした。もし、その中心人物である傑がいなくなれば、この家族は間違いなく瓦解する。

 

「……お前にも聞いといてやるよ、黒人ラッパー。要は何処だ?」

「言ウワケガナイダロ」

「……なーんか、僕が悪役みたいなやり取りだな。ちょっとムカついてきた」

 

 なんで呪詛師である向こうの方が、ちょっと主人公っぽい台詞を吐いているのだろうか。まぁ、強いとこういう面に遭遇する事も少なくはないので、あんまり気にしてはいないが。

 

「……ま、あんたの場合は容赦しないよ。自分から言いたいと思うまでサンドバッグにしてやる」

「……少シハ手加減シロ。特級」

 

 そう言うと、すぐに悟は仕掛けた。目の前まで高速移動で接近し、拳を構える。術式が乱されるなら、基礎の呪力でゴリ押しするだけだ。

 今度こそ、ラッシュを命中させる。拳と蹴りを繰り出し、顔面やボディを抉り上げ、後方へ蹴り飛ばす。建物にいくつか穴を空けてやり、走って追いつこうとすると、傑が放った呪い達がカバーしに来るが、それらは足止めにもならない。「赫」を放ち、改札を通るように抜けて祓うと、ミゲルに追いついた。

 

「!」

「何処? 要は」

「話スコトナドナイ!」

「あっそ」

 

 答えを聞いた直後、ミゲルの顔面を掴み、地面に叩きつけた後、真上に思いっきり遠投する。

 宙に浮かび上がったミゲルに、ビルの壁を走って追いつくとサッカーのオーバーヘッドシュートのように蹴ってビルの壁に叩きつける。

 そこは更に術式を使って移動し、後ろから背中に肘打ちをかました。殴り飛ばし、飛んでいく前に肩を掴んで動けなくさせ、さらに膝蹴りを何発もかました後、頭の上に手を置き、身体を思いっきり振り上げて旋回しながら、膝蹴りを胸に放って蹴り飛ばした。

 

「ゴッファッ……‼︎」

 

 すぐに追撃。追いつこうとした直後だ。比較的巨大な呪霊が壁を作るように揃った。

 

「チッ……」

 

 本当にしぶとい。このままでは、真希との約束を果たせないかもしれない。あの場で切り札となる要をわざわざ連れてきたのは、もう1人の切り札である目の前の外国人を自分にぶつけるためだったのかもしれない。

 真希も棘もパンダも、覚醒した憂太なら守り切れるだろうが、万が一にもあそこに要が来たら……。

 

「……最悪、真希以外全滅するな……」

 

 何か手を打たないといけない。

 

 ×××

 

 大量の振動と大きな音で、ふと意識が戻る。さっきまで身体に走っていた痛みは、今はもうない。ちょっとだけ怠さが残っているが、近くから聞こえる戦闘音が、寝ている場合ではないことを思い出させる。

 

「っ!」

 

 身体を起こすと、まず目に入ったのはパンダと棘。二人とも隣で倒れていたが、気絶しているだけなのか傷一つない。

 

「一体……何が……!」

 

 とりあえず振動の方に顔を向けると、そこにいたのは元気に暴れる里香と憂太、そして相手にしているのは夏油傑。呪いは使わずに三節棍を用いて、里香と怒りによってヒートアップしている憂太の2人がかりを捌いていた。

 ……いや、驚くべきは憂太の方か。過去に見ない程の速度と呪力操作を見せている。

 

「っ……」

 

 あそこに自分が行っても邪魔になるだけ、と言うのはすぐに分かった。

 また、見ているだけ……と、少しだけ自債の念が浮かんでしまいつつも、とりあえず真希は近くで寝ている友人二人を起こした。

 

 ×××

 

 傑と憂太の戦闘は激しさを増し、周りの建築物にも影響を及ぼし始めた。建物を倒す、崩す、壊すなどは当たり前。物によっては崩れた後に押し込まれ、武器にして扱われる。

 

「やるね! 片方しかない刻印だけでそこまでやるとは!」

「ッ……!」

 

 瓦礫を回避しながら、傑は雑魚を飛ばして牽制しつつ、三節棍を振るう。お互いに憂太も傑も、紙一重での回避を繰り返しながら、受けに回らず攻め続けていた。

 憂太が、刀に呪力を込める。ズズッ、と誰が見ても分かる程、大量に込められた。

 それと同時に、空中から刻印が放たれる。当たると思った傑は、呪霊を大量に呼び出して刻印を防ぐと、真上にジャンプして回避。

 そのさらに上から、里香が迫ってくる。

 

「へぇっ……!」

 

 三節棍を盾にしてガード。衝撃は消し切れないため、地面に叩きつけられた。

 受け身を取り、すぐに下がった直後、背後から悪寒。先程、大量に練られた呪力。

 それに対し傑は笑顔で応じた。

 

「そう来ると、思った!」

 

 縦に振り下ろされた刀を回避すると、それを上から呪力を込めた足で踏み付け、折った。

 呪力を込められすぎたものは脆くなる……というより、保たなくなる。わざわざ足で折ってやる必要もなかったが、懐に踏み込むついでだ。

 三節棍を振り上げようとした直後だった。メゴッ、と顔面に拳が炸裂する。それと同時に、空間に黒い歪みが発生し、周囲に弾け飛んだ。

 

「ーッ……!」

 

 ゴッ、ガッ、ゴロンッと転がり、仰向けになって寝転がる。今のは効いた。立てなくなるほどではないが、呪力のガードが間に合わなければ脳が揺れていただろう。

 里香ではたき落とした後の大振りも布石、今の一発に繋げるために武器を捨てた。戦闘経験は浅いはずなのにその思い切りの良さ、素直に賞賛に値する。

 

「……やるじゃないか」

 

 本当に、可能なら生きていてほしい子だ。高専より先に見つけていれば、とも思う。

 だが、まぁそれが叶わなかった以上は仕方ない。立ち上がりながら、首の調子を確かめるように左右に捻ると、憂太が自分に向かって叫んだ。

 

「悪いけど、お前の言う思想になんか興味ないよ!」

 

 そう言いながら、刀の柄を放って捨てる憂太。

 

「高専の外にいる呪術師がどんな目にあってるかなんて知らないし、呪術師がどうあるべきとか、世界がどうのなんて分からない‼︎」

「……」

「けど僕が、みんなの友達で良いと言えるように! 僕がこれから生きていても良いと胸を張って言えるように! ……お前を殺さなきゃならないんだ」

「……自己中心的だね」

 

 少し呆れ気味に立ち上がる。

 さて、そろそろ時間もない。こちらを早めに片付けないとミゲルが危険だ。要から聞いた情報によると、あの刻印は里香を抑えるのに長くて10秒しかもっていない。

 ならば、こちらの極の番を防ぐことは出来ないだろう。一気に決着をつける。

 

「私が今、所持している呪霊は五千を超える。それに追加し、特級仮想怨霊『化身玉藻前』。これらを一気に、君にぶつける」

 

 そう言いつつ、傑は人差し指と中指を立て、真上に掲げた。そこを中心に、ドス黒い呪いの渦が巻かれ始める。

 集められた呪い達は一つの塊となり、今にも破裂しそうなほどに禍々しく蠢いていた。

 

「呪霊操術、極ノ番『うずまき』。君に、これが耐えられるかい?」

「……」

 

 確かに、掠りでもしたら吹き飛ばされそうなものだ。まだ呪術について学び始めて一年未満でも理解出来るものだ。

 その質量を前に、憂太は死んだ後になっても自らを守ってくれていた少女を、正面から抱き締めた。

 

「里香」

『なぁに』

 

 ×××

 

 あらかじめ撤退の時間が決まっていたからか、呪詛師集団は撤退を始めた。追撃したい所だが、ミゲルを無事では済まない状態に追い込んだ悟はすぐに高専へ移動した。

 その背中を眺めながら、現場にいる夜蛾は一先ず腰を下ろす。ようやく休める……なんて年寄りみたいなことを言ってしまったが、実際に疲れたので仕方ない。

 まだ終わりではないが、残りの仕事は残りの呪霊を片付ける事。

 夏油傑の仲間達は巨大な呪いに乗って逃げて行った。

 

「お疲れ様です、学長」

 

 そう声をかけてきたのは、家入硝子。喫煙を除けば、唯一自分の生徒の中で大人しかった子だ。

 

「お疲れ。……終わったな。夏油は結局、現れなかったが」

「学校の方に現れたそうですよ」

「……なに?」

「もう、乙骨が倒してしまったかもしれませんが」

「なるほど……悟め、パンダと狗巻を送り込んだのはそう言うことか」

 

 憂太へ発破を掛けるためだ。傑なら意味もなく若い呪術師を殺すような事はしない、と信頼してのことだろう。親友ならではの信頼を武器にしたわけだ。

 

「あいつは……まったく」

「まぁ、それでみんな助かったなら良いでしょう」

「結果オーライだがな……」

 

 そう呟きながら、空を見上げた。おそらく、悟は傑を逃しはしないだろう。殺す覚悟は出来てる、と言っていた。辛い役目をさせてしまうのは、やはり彼らの元担任として気が引けてしまう。

 けど、逆に「他の奴に殺させるくらいなら」という気持ちもあるのだろう。

 

「……」

 

 思えば、教育者として何一つしてあげられなかった。そんな思いが胸を満たしていた。

 

 



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オリ主が主人公できるとは限らない。

 目を覚ましていた真希は、パンダと棘と戦闘を見ていたが、最後の大きな爆発。おそらく決着がついたのだろう、と反射的に思った三人は慌てて憂太を探しに向かった。

 

「憂太ー!」

「何処だ、憂太ー!」

「たらこー!」

 

 一人、それで通じるのか分からなかったが、他二人と一緒にいれば通じなくはないので、誰もツッコミを入れなかった。

 煙の中をなんとかかき進みながら、まるで隕石でも落ちた後のように変貌した学内を探し回る。

 そんな中だった。仰向けに気絶している憂太の姿が目に入る。その奥には里香が見えるが、憂太が気絶しているからだろう。動く様子は見えない。

 

「いくら!」

「え、どこだ?」

「あそこ、憂太!」

 

 慌てて3人で駆け寄ろうとした時だ。

 その自分達とようやく見つけた転校生を阻むように、スィーっと足場のようなものが降りてくる。

 すぐに警戒して3人とも構えたが、その上にいる人物を見てさらにそれは強まった。

 にも関わらず、発声した本人は実に嬉しそうな表情で手を振る。

 

「真希ねーちゃん!」

「要に……真依⁉︎」

 

 京都にいるはずでは? と思ったのだが、本人も困惑しているようで、詳しく聞けない。

 

「真希……久しぶり」

「ようやく……ようやく三人揃ったね……!」

 

 真希と真依の戸惑いも無視して、強引にハグをする。本当なら文句の一つも言いたい所だが、本当に嬉しそうな表情で力強く抱きしめてくるので振り解くわけにもいかない。

 

「会いたかったー……ごめんね。ホント、急な別れで……」

「え、ええ……そうね……」

 

 真依が困った表情を浮かべて答える。要の力が強く込められていて、後ろで見ているパンダと棘も反応できないレベルだ。

 そんな中、当事者の真希が声を張り上げた。

 

「じゃねぇ、お前……今更何しに……!」

「久々に会えた所悪いんだけど、ちょっと場所移そう。色々、話したいことたくさんあるから!」

「ちょっ、待」

 

 パンダや棘のことなんて視界にも入っていない、そんな態度のまま術式を起動し、足場を浮かび上がらせた。

 

 ×××

 

「君で、詰みか……」

 

 そう呟いたのは、夏油傑。そして目の前にいるのは、五条悟だった。

 自身の極の番「うずまき」を自らを生贄とした呪力の制限解除によって返され、片腕を失いながらも、家族が逃げる時間を稼ぐために一人、囮となった。

 高専の中でも僻地中の僻地。そこで自らの幼馴染と邂逅し、逃走を諦めた傑は壁に背中を預けて尻餅をついた。

 

「私の、家族は?」

「一人まだ見つかってないけど、他はみんな逃げたよ」

「一人……要か。彼は京都に行ってもらったよ。彼の姉は、私にとって猿だ。……けど、あの溺愛っぷりでは……目の前で殺すと、良くないと思ったからね……」

「後でバレた方がまずいだろ、そういうの」

「……私の手元に里香がいれば、暴れ出しても止められると思ったのさ……まぁ、そうでなくても呪力のない猿を殺すなんて、後でも構わない。攻撃して来なければ、無視するつもりだったよ」

 

 確かにその通りかもしれない。傑も基礎の呪力操作はハイレベルにまで突き詰めている。

 そんな奴が里香を使えば要を倒せるかもしれないし、わざわざ真希を殺すために寄り道をすることもない。

 それよりも、少し気になることがあった。

 

「というか、悟。京都に要がいることを知らなかったのかい? 彼を警戒しないような君じゃないだろ」

「連絡が無かったんだよ。……それ、京都の方は無事なんだろうな」

「それは私には分かりかねる……ただ、京都に放った呪霊はあまり減っていないね」

「あ、ウケる。七海からめっちゃ着信来てたわ」

「……ウケるな。後輩からの連絡はちゃんと出ないとダメだろう」

「お前にそんな常識的なことを注意されたくねーよ。……もしもし?」

「おいおい……私の目の前で電話かい? トドメが先だろうに……」

 

 変わっていない元親友に、少し呆れてしまうと同時に、七海建人という懐かしい名前の後輩の顔も浮かんでくる。そして、それに連鎖されるようにもう片方の亡くなった方の後輩の顔も。

 

「ハッ?」

 

 そんな中、悟の間抜けた声が耳に響く。トラブルかと思い顔を上げると、悟はこちらを見下ろしていた。

 

「どうした?」

「要、こっちに来てるはずだって」

「……なに?」

「つーか、七海。何でお前それ早く言わないの?」

「悟が出なかったからだろう」

「うるせー、茶々入れんな。……え? 傑と一緒だよ。三途の川の近くで。いやホント。最期だし話す?」

「やめてくれ。というか、そんな場合じゃないだろう」

 

 それは傑にとっても想定外の事だ。京都まで引き離してしまえば、すぐに自分の邪魔に来ることはないと思っていた。

 嫌な予感がする……と、傑は片腕がない今の状態も忘れて汗を流しているときだった。

 

「辛そうだね、夏油」

 

 そんな声が、二人の頭上から聞こえる。ハッとして顔を上げて身構えると、そこから降りて来たのは、やたらと小さな影だった。

 着地したのは、学ランの上着を捨ててワイシャツとズボンだけ、目にサングラスをかけた少年。

 

「「要……!」」

 

 二人から、7メートルほどの距離に着地すると、真上にいる姉妹に声を掛けた。

 

「そこで見てて。今から俺が、三人で生きていける世界を作るから」

「はぁ?」

「お前、何するつもり……!」

 

 悟は思わず目をむいた。要の身体からは信じられない程の呪力が込み上げられてくるからだ。その小さな身体の何処に潜んでいたのか、と言うほどだ。

 両手にめいいっぱいの力を込め、それと同時に手のひらから刻印が漏れ、それを下に向ける。

 今までほとんど表情を変えてこなかった少年の額に青筋が浮かび、両腕の血管が浮かび上がっている。明らかに普通じゃないその姿に、思わず傑が聞いてしまった。

 

「何してる……要……!」

「ずっと、考えてたんだ……どうしたら、姉ちゃん達と3人で、生きていけるか……!」

 

 身体から溢れ出ようとする呪力を、強引に両腕、そして刻印へと集中させている。

 

「呪術師になる? そしたら学生続けんでしょ。そんな連中は信用できない……自分のために息子を殺したり、家族と剣呑にならないためにルールを作る癖に、本物の家族がいる非呪術師は金を搾って平気で殺すような奴ばかり……そんな中に、真希ねえちゃんや真依ねえちゃんは置いておけない……!」

 

 空中の真希と真依、そして傑が驚いたように片眉をあげる。

 

「結局、どうしたいんだよお前は」

 

 悟は聞きながら、要に見えないように真希と真依にサインを送る。こっちに来い、と。

 

「決まっているでしょ……なら、警告する。呪術師にも呪詛師にも。もう二度と、俺ら三人に関わらせない。こいつはその為の、爆弾だ」

 

 何をするつもりだ? と、悟は狼狽える。こんな規模の術式は、それこそ領域展開レベルに練られた呪力。

 それと同時に、地震が起きたかのような震動が四人を襲った。六眼で見て分かる。何が起きているのか把握しきれないが、間違いなく止めないとダメな奴だ。

 悟は自らの呪術を行使しようと構えを取った。

 

「邪魔しない方が良いよ。下手したら、せっかく夏油を倒してくれたあの子もみんな巻き込んじゃうかもしれないから」

「そんなハッタリが通用すると思ってんのか?」

「じゃあ試してみれば」

「……チッ」

 

 相変わらず地面は揺れたまま。だが、立っていられないほどではない。しかし、それが長く続けば安心なんて出来ないわけで。

 その直後、要は両腕を思いっきり上げた。S極とN極が混ざり合った刻印がいくつも重なり合い、自分達が立っている大地を包み込んだ。

 

「な、んだ……こりゃ……!」

「何して……」

 

 真希と真依が呆然とする中、ハッとした悟はその場から一瞬にして消える。周囲の様子を見に行ったのだ。

 自分達がいた地点から、大体2キロほど走ったあたりだろうか? 見て、思わず愕然とした。広げられた刻印に包まれたその場所が、浮かび上がっていた。少しずつだが、確実に地表から離れ、高度を上げて行っている。

 

「……エイジオブウルトロンかよ……」

 

 さらに六眼をフル活用し、どういう原理で浮いているのかを確認する。どうやら、予めこの場所には何度か訪れ、地中を掘って外側となる面に刻印を貼り付けておいたらしい。

 それを、今の今までスリープ状態にしておいて、さっきの段階で目を覚まさせた。現段階では、安定してはいる。だが、この規模の術式を試した事などあるはずがない。万が一にもこれが落下したら、それこそ恐竜のように日本は絶滅する。

 

「驚いた?」

 

 背後から声が聞こえる。その場にいるのは、禪院要。後を追ってきたようだ。

 

「正直、脱帽だよ。よく僕にも気付かれず、あらかじめ仕込みに来れたね」

「コソコソするのは得意だから」

「……で、お前はこれでどうしたいわけ?」

「もう、俺にも真希ねえちゃんにも真依ねえちゃんにも関わらないで。……それだけ」

「……」

 

 なるほど、と悟は理解する。三人の世界、とはまさしくそのままの意味。文字通り誰の手にも届かない場所で、静かにのんびりと暮らしたい、そんな所だろうか? 

 

「最初は、禪院家を滅ぼそうと思ってたし、今も滅ぼしたいよ。ていうか、最初にこの術式を思いついた時は、禪院家の屋敷に落とすつもりだったから」

「……」

 

 その時の被害は禪院家の屋敷だけじゃ済まないだろう。本当にエイジオブウルトロンでやっていたように、高度を上げれば上げるほど破壊の規模は拡大する。そして、地上に落ちた時になんとかできるのは悟だけだ。

 

「……でも、それは結局、人殺しでさ。夏油とかうちの親父と変わらない気がしたんだ。多分、殺したって気は晴れないし。……いや、親父となおカスをフルボッコにしたら気は晴れそうかも。てか、むしろ殺さなくても晴れてないけど……でも、姉ちゃん達を救えるわけじゃない」

「……で、代わりにこれ?」

「そう。もう関わり合いにならないのがベストでしょ。……俺らに手を出したら、これ落とすよって警告にもなるし」

 

 ……中々、イカれている。普通、思いついても実行しない。それほど呪術師が嫌いということだろうか? ……いや、気持ちは分からなくはない。あの家から生まれた子だ。しかも、これだけのことを15歳でやってのける才能持ち……真希から聞いた話だと、父親に「子供に当主を取られたくないから」なんて理由で殺されかけたらしい。

 その後で、傑一家で非呪術師殺害パーティー。呪術師が嫌いになるのも信用できなくなるのも分かる。

 

「ショックだな。私はそこまで君に嫌われていたのか」

 

 その直後、要の後ろから声が聞こえる。傑が半分腕を失った体を引きずって歩いてきた。後ろには、真希と真依も控えている。

 

「当たり前でしょ。最初からずっと言ってたはずだよ。呪術師は嫌いだって」

「ハッキリ言うね……」

「言うよ。俺を京都担当にしたのだって、結局は俺に知られないように真希ねーちゃん殺すためでしょ」

「そこまで、分かるのか……」

「分かるよ。そりゃ」

 

 そこはあまり驚いていなかった。要なら、それくらい考えられてもおかしくない。

 傑は本当にすまなさそうな様子で詫びる。

 

「ふふ……悪いことをしたね。私なりに家族として様々なものを提供したつもりだったが、君にしてみれば地獄に七年間も置かれただけだったか」

「別に、衣食住は提供してくれたから、もういいよそれは。お互い、利用し利用される仲だったってだけでしょ」

「っ……要、私は……いや、私達は」

「聞きたくない」

「……」

 

 割と本気でショックを受けている様子だった。何も言い返されなくなったのを見て話はまとまった、と思ったのか、要は悟に言った。

 

「五条悟、あんたのいるところで術式を展開したのは、早い話が夏油、それと巻き込む事になりそうな他の子達を地上に送り返してもらうためでね。……出来るでしょ?」

「出来るね」

「だから、お願い。後はもう、放っておいて」

「断る」

「うん。よろし……え、今なんて?」

 

 予想外の返事だったのだろうか? ノリツッコミのような反応が返ってきた。

 良いことを言ってる風だが、それに流される悟ではない。というか、勝手に自分の意見を押し付けているだけだ。

 

「それはダメだよ、要。真希も真依も、もう自分達の高校で新しい仲間を作って、楽しくやってるんだ。お前一人の望みを叶えるだけの催しには、賛同させられないでしょ」

「……は? 俺一人の、望み?」

 

 カチンと来たのか、要は眉間に皺を寄せる。やはり、まだまだ子供だ。……というか、中身は小学生レベルかもしれない。外見も来年高校生にしては小さい方だが。

 そんな坊やに、悟は真顔のまま答えてやった。

 

「そうでしょ。真希も真依も、お前の考えに一度でも賛同した?」

「え……してくれてないの?」

「どうよ、真希。真依?」

 

 聞かれて、真希と真依は真っ直ぐな瞳で答えた。

 

「……悪いけどよ、要」

「ダメ。大切な人は、あなた以外にも出来たの。……ここでのんびり暮らす、というのも悪くない気もしたけど、やっぱり無理」

「…………は?」

 

 分かりやすく動揺する。冷たい汗が、頬を伝っている。

 

「どうして……? 大切な人って……そんなの、呪術師でしょ? どうせクズだよ?」

「バカ言ってんな。私のダチは、みんな他人であるお前を心配してた」

「私の同級生達の事だって見たでしょ。そんな人に見えた?」

「っ……そ、それは……みんな、猫かぶってるだけで……どうせ、裏で人殺しとか……非呪術師からお金巻き上げたりとか……」

「してねえよ」

「してないわよ」

「っ……そんな、わけが……」

 

 要が今まで見てきた呪術師がそうだったからだろうか? 信じられない、と言うように小刻みに震えている。

 なんにしても、これこそ結論は出たというものだ。悟は要に声を掛ける。

 

「二人の気持ちは、そう言うことだ」

「……」

 

 目を見開いたまま、大量に汗を浮かべて膝をついている。やらかした事は全然違うが、傑が呪詛師として堕ちた時に悟が味わった気持ちと同じ感覚なのかもしれない。

 だが、彼は呪詛師堕ちはしたものの、彼の言った言葉的におそらく人は殺した事ないだろう。

 真依の要に対する態度を見ても、京都でもどの術師も殺していない。他の呪詛師達と比べても、この瓦礫の山を元に戻せば全然、やり直せる。

 

「今ならまだ間に合う。……これを、元の位置に戻して」

「……」

 

 しかし、悟の言葉は耳に入っていないように、小刻みに震えている。そんな中、悟の六眼はハッキリと捉えていた。

 姉が自分よりも、同級生を選んだ。その事実だけが、要の中で反復している。

 今まで7年間も自分を偽り、追い込んできたストレスのツケが、今になって回ってきたように、要の中に呪力が溜まっていく。

 いや、なんなら自分は今まで何のために頑張ってきたのかも分からなくなっているのだろう。

 

「……ふざけるなよ……!」

 

 ギリっと、奥歯が噛み締められる。

 

「真希ねーちゃんと真依ねーちゃんが……そんな風に思うわけがない……お前ら、高専の連中が……なんかしたんだろ……‼︎」

 

 まずい、と悟は身構える。いや、悟だけではない。真希と真依、そして傑もだ。

 ふわり、と、要の足元に刻印が出現し、身体が宙に浮かぶ。それと同時に、両手を広げて刻印を拡大、目の前にかざした。

 

「……わかったよ、ねーちゃん達……おかしくなってるんだ……じゃなきゃ……誰よりも二人のことを想ってきた俺を、除け者にするはずがない……!」

「やめろ、要!」

「そうよ、やめなさい! あなたが今暴れたって、何にもならないから!」

 

 二人の説得は、もはや耳に届いていなかった。

 出現させた刻印には、何も引き寄せられていない……と、思ったのも束の間だった。

 悟の目が捉えたのは、さらにその奥。かなりの遠くから空を切ってこちらに飛行してくるもの達だ。

 

「……あれは」

 

 知っているのか、傑が声を漏らす。

 

「何あれ?」

「要が作っていた呪具だ。自分の術式を利用して、手放しても引き寄せられる呪具をたくさん作っていた」

「なんてもん子供に作らせたんだよ。……あれ全部か?」

「……私の把握している限りでも、500本はある」

「はぁ⁉︎」

 

 それらの呪具が、刻印に引き寄せられて飛んで来る。

 

「チッ……!」

 

 それらが、悟に向かって射出され、ジャンプして回避しつつ、真希と真依の方へ走り、二人を小脇に抱える。

 悟が立っていた場所の端っこに呪具が直撃し、角の部分を削り落とす。

 

「っ、さ、悟⁉︎」

「何を……!」

「ありゃもうダメだ! 何があったか知らねーが、教育が悪かったんだろうな! 完全に暴走寸前だ!」

「悪かったね、私の教育が悪くて」

 

 隣を走る傑が軽口を叩く。

 外した呪具達をさらに磁力で引き寄せ、一発も撃ち漏らさないように手元に引き込む。

 

「まったくだ、お前父親向いてねーよ」

「言い訳じゃないけど、向いていないのは本来の父親の方だったんじゃないかな」

「ほんとに言い訳じゃんそれ。それをなんとかするのが保護者の仕事でしょ」

「悟の言えたセリフかいそれは? そこの猿は、呪力が見えないくせに口だけは立派じゃないか。どんな教育したらこうなる?」

「言い訳じゃないけど、こうなる教育をしたのはこいつの父親だから」

「教育者のセリフじゃないね。同じことをオウム返しして」

「オウムにセリフを教えた奴のセリフかよ」

 

 テンポの良い口喧嘩を交わしながら、二人は後ろから来る呪具を回避して回避する。その動きは、とても11年ぶりとは思えなくて。

 二人が走って攻撃を避け続けていたのは、何も逃げ回るためではない。悟の射線上に、要を置くためだ。

 構えた指の先にいる上空の要に、赫を放った。

 

「!」

 

 上空の要は飛ばしていた呪具をかき集めてガードするも、貫いてヒット。後方に飛ばされる。

 その隙に、悟は真希と真依を下ろした。

 

「二人とも、あいつの口ぶりだと憂太……いや、もしかしたらパンダや棘も一緒かもしれない。合流して、隠れてて」

「それは良いけど……」

「平気なのかよ。そいつと一緒で」

「ふふ、猿の心配なんていらないよ。どの道、私はもう助からない。安静にするならともかく、これからあれを相手にすれば、間違いなく失血死するだろう」

「や、そうじゃなくて……」

 

 真希が言わんとすることは分かっている。あの弟を、なんとか生かしたまま落ち着かせたいのだろう。

 だが、こんな風に大量の質量を浮かせられる間違いなく特級クラスが暴走しているのだ。不殺で制圧出来るのか不安だ。

 そんな真希と真依の心を見透かしたように悟は微笑むと、傑と一緒に告げた。

 

「「大丈夫、僕(私)達、最強だから」」

 

 そう告げると、やたらと頼り甲斐ある二人は、禪院家の末弟を救う為、動き出した。

 

 




実際に持ち上がったのは四分の一と高専の敷地外の一部です。


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子供の問題を止めて、叱り、正しい道に戻すのが大人。

主人公のスペック教えてほしい、とのことでしたので載せます。

禪院要
見た目:身長152センチ。狗巻より少しある筋力。黒髪マッシュ、学ラン、学生時代の五条みたいなサングラス。
性格:姉二人には甘えん坊で素直。けど、育った環境的に必要に応じて嘘をつく癖がついた。良くも悪くも子供。というか15にしてはガキ。
趣味:姉との思い出を思い出すこと。切なくなるからやらなくなるが。
好きな食べ物:その時々によってマイブームがあり、昔は真希と真依に貰ったおにぎり、一番病んでた時が猫の餌。
嫌いな食べ物:精進料理
ストレス:呪術師と暮らすこと。

実力:基礎的な呪力操作は夏油傑とほぼ同じレベル。ただ耐久力とパワーはちょい下で、代わりにスピードが上。感情的になればなるほど弱くなる。多分、4月に途中で帰らず続けてたら里香に勝ってた。
学力:学校に行っていないが夏油に勉強教わったので中学生レベルの学力はある。高専を持ち上げるのに物理と地学は自分でも勉強した。地頭は良いけどやっぱガキなので戦闘中以外の視野は狭い。



 さて、二人の特級術師は、落ち着いた様子で要を見上げていた。だが、少なくとも片方は見る限り戦える様子ではない。

 

「傑、戦えんのか?」

「私に気遣う事はないよ。さっきも言ったが、どの道、戦えば失血死するだろう。少し動ける囮、程度に思ってくれれば良い」

「ふざけんな、せっかくの機会だし、お前の息の根は僕が止める」

「……ははっ、愛が重いよ。悟」

「気持ち悪い返しすんな」

 

 そんな軽口を叩きながら、迫って来る呪具の雨を回避する。

 

「君の教え子にうずまきを使わされた所為で、もう扱える呪霊は残っていない。片腕の体術では、流石に万全の彼には勝てないよ」

「万全じゃないよ、あれ」

「え?」

「呪力は迸ってるが、まだ15歳だろ? 身体が保たない。最悪、あれだけの感情を発露してる頭がふっ飛ぶぞ」

「……それは、見過ごせないね。彼にとっては違くても、私にとっては家族だから」

 

 ……本当に、術師には優しいというか良い奴というか。昔から、本当に変わらない。

 というか、なんなら気絶させて良いのかも微妙だ。術式が途切れたら、このまま落下してもおかしくない。

 故に、無量空処はアウト。茈も威力が高過ぎてダメだ。

 そんな中、要がサングラスに手を掛けた。

 

「そうだ、悟。彼の瞳については聞いているかい?」

「ああ、真希から」

「なら、話は早いね」

 

 そう呟いた直後、要はサングラスを外した。六眼と九眼がお互いに向き合う。要の方に影響はないが、悟は違った。

 いつも見えていた細かい呪力の流れや中身が見えなくなる。辛うじて見える程度に、辺りに散らばった刻印や体内の薄らとした呪力の流れ程度だ。

 

「ははっ、なんだこれ。呪力見づらっ!」

「私には何も見えないんだなこれが。中々、怖いものだよ」

 

 特級クラス相手にこのハンデ。放っておけば自滅する相手だが、死なせるわけにもいかないので殺しても負け。奥の手の領域展開と茈もアウト。一緒にいる男は片腕と呪霊を持たない呪霊操術使い。

 さて、そんなクソゲーにも程がある中でも、悟と傑は余裕の笑みを絶やさなかった。

 

「とりあえず、悟。君はこの足場を安全におろす策を考えてくれるかい? 私は、彼と向き合う」

「ほんとにエイジオブウルトロンみたくなって来たな。俺はスタークとして……傑は、なんだろ」

「エイジ……なに?」

「見てないのかよ」

「どちらかと言うと、ラピュタじゃないか? 彼がムスカで……」

「じゃあ、僕は術式的にはシー……」

「ドーラ」

「アリだわ」

「アリなの?」

 

 いつもの調子で話しながら、二人とも動き始めた。

 

 ×××

 

「おいおい……ちょっと地震多すぎないか?」

「しゃけ……!」

 

 要に真希を取られた後の二人は、憂太を保護してひとまず安全そうな場所で身を隠していた。

 憂太が目を覚ますのを待っていた里香も一緒である。怖くないと言えば嘘になるが、二人に危害を加えることなく大人しくしているので、一先ず無視している。

 やたらと長く続く地震、そして周囲を取り囲んでいる刻印。二人とも直で二つ揃った所は見たことはないが、SとNの刻印的に間違いなく、要だろう。

 この規模の術式は、明らかに普通じゃない。

 

「ん、う……」

 

 そんな中、真下から声が漏れる。

 

「! 憂太!」

「ツナマヨ?」

「パンダくんと……狗巻くん……?」

「大丈夫か?」

「う、うん……って、パンダくん、腕、腕!」

「俺の腕は後からどうにでもなるから大丈夫だ」

「高菜」

「そ、そうなんだ……」

 

 ひとまずその返事をした後、周囲を見渡す。棘とパンダがいるのに、一人だけ足りない。

 

「……真希さんは?」

「っ……」

「要が、連れて行った」

「え、どこに⁉︎」

「分からん。けど……」

 

 要が連れて行った以上、ある意味無事だと言う確信はあった。

 そんな時だ。噂をすれば、と言うわけではないが、真希と真依が駆け寄って来た。

 

「憂太!」

「真希さんに……あれ、真希さんが二人⁉︎」

「「は?」」

「あ、いえごめんなさい……」

 

 ガチトーンだった。

 

「えっと……初めまして、じゃないか。交流戦ではー……ご迷惑をおかけしました……」

「いや私見てただけだから」

 

 去年の交流戦では、里香が出てしまって割と迷惑が掛かったらしい。まぁ、今はそんな話をしている場合じゃなくて。

 

「そんな事より……お前ら、さっさと隠れろ」

「何が?」

「さっきから地震あったでしょ。気付いてないわけ?」

「ぼ、僕は今、目が覚めたばかりだし……」

「そう言えば多いけど……なんかあったのか?」

「浮いてんだよ。高専の一部が」

「「は?」」

「昆布?」

「信じられねーのも分かるが信じろ。……要のバカが、馬鹿やってんだよ」

 

 悔しげに奥歯を噛んで言われる。真希と真依が今、弟関係で変な冗談を言うとは思えない、という意味では信じる他ないが……。

 

「えーっと……高専が浮いてるって、じゃあどういう意味で言ってんだ? ぷかぷか?」

「シキかよ。そうだよ」

「海の上とか、船的な意味でもなくて?」

「なんで海が出現するのよ、こんな山奥に」

「明太子?」

「あんたは何言ってんだかわかんないのよ!」

「てか、疑うのは勝手だが、さっさと身を隠すなりしねーと……!」

 

 その直後だ。遠くから、ギュンッと風を切ってハルバードが飛んでくる。おそらく流れ弾だろうが、この場所は巻き込まれかねないと言うことだ。

 が、それは誰にも当たることはなかった。里香がキャッチしたからだ。

 

「っ……里香ちゃん……!」

「ハルバードって……なんでこんなもんが……」

「とにかく、悟からの命令だ。今みてーな流れ弾にも当たらねー場所に逃げるぞ」

「五条先生から、ってことは……」

 

 戦っているのは、五条悟ということだろう。一応、もう一人に関しては隠しておいた。

 

「とにかく、端まで逃げるぞ」

「しゃけ」

 

 五人で移動を開始した。

 

 ×××

 

 フィールドに程良く呪具が散りばめられられた中、ようやく傑が仕掛けた。

 軽くジャンプし、空中にいる要に向かって突っ込む。

 

「要ー、ようやく本音で話せる時だね」

「黙レ」

 

 放たれるは左の刻印。大きさは、呪力を絞ってるのかそうでもないが、大きさと威力は関係ない。直撃する直前、傑は手に持っていた「N」の刻印を持つハンマーを盾にした。

 しかし、引き合うことはない。Nの刻印を消して、Sの刻印に塗り替えたからだ。

 それも傑は可能性の一つに入れていた。反発し合い、結局飛ばされる力を利用し、身体だけ真下に避けて両足を振り上げる。

 

「君はさっき、私達家族をストレスばかりだと言っていたね。その言葉は何処までが本音なのかな?」

「ウルせェ」

 

 読み切ったはずだが、その一撃を要は両膝を折り曲げてガードし、踏み台にしてジャンプした要は傑の頭から刻印を放った。それは直撃し、地面に叩きつけられる。

 それでも呪力でガードして着地すると、その辺の呪具を持ち、片手で五本ほど曲線を描かせて投擲。

 要はそれを両手で刻印を広げて止める……が、その止めた一瞬を利用して、傑は呪具を足場にして要の元に追いついてみせた。

 

「私の事は、確かに嫌いだったかもしれないね。今思えば、ラルゥやミゲル、真奈美達にもなんとも言えない態度を取り続けていた」

「ほざくな」

 

 接近し、左手を振るうが、それを要は後ろに下がりながら両手をかざす。しかし、自分は引き寄せられていないし、そもそも刻印は掌から出ていない。

 傑の目には元々刻まれている掌の刻印も見えていないが、何をしようとしているのかを反射的に理解し、身体を半身にして、一本は避け、もう一本をキャッチしてみせた。

 躱した一本は要がキャッチし、正面からメイスとハンマーがぶつかり合い、火花を散らす。

 

「でも……それを美々子や菜々子にも言えるかい?」

「っ……喧しイ‼︎」

 

 強引に腕を振り抜かれる。片腕の傑に対し、いつも以上の呪力を乗せた薙ぎ払いに、後方に傑は殴り飛ばされ、木の上に落下し、へし折って地面に背中を打ちつつも足を振り上げて受け身を取る。

 その傑に、要は手に持っていた武器を投げて牽制しつつ、接近した。刻印を用いた両手のコンビネーション。全神経を回避に集中させつつ捌きながらも、口を動かした。

 

「君の本音を見抜けなかった私の節穴にも、彼女達と一緒の時は楽しそうに見えたが……あれも演技だったのかな?」

「ウルせェって……言ってンだ‼︎」

 

 術式を起動し、強引に自分の元に傑を引き寄せると胸に膝蹴りを放った。後方に蹴り飛ばされた傑に、走って追いついて後ろを取ると、肘打ちを放とうとする。

 が、それを悟がカバーした。肘を掴んでキャッチする。

 

「おっと、これは当たったらヤバい奴」

「悟……すまない」

「死にかけのゾンビが無理すんな」

 

 そう言いつつ、悟は肘を掴んだ掌から術式を起動。赫によって、要の身体は後方に吹っ飛ばされる……かと思いきや、背中を地面につける直前、掌を背中の前に回して地面に向け、反発させて悟に反対側の手と片足を向け、刻印を放った。

 が、それは悟の周りで阻まれる。

 

「ははっ、似たような効果だけど、僕の術式の方が2歩くらい上みたいだね」

「オ前が、真希ねエちゃンを狂わした元凶か!」

「僕に気を取られて良いの?」

「っ⁉︎」

 

 直後、真横から呪力を込めた腕のない方の肩でタックルを叩き込まれる。ギリギリ刻印でガードしつつも、サイズが間に合わない。傑の体勢を軽く崩した程度で終わり、それを利用した裏拳が顔面に炸裂した。

 見事に当たり、要は距離を置く。

 

「うわ、傷口でタックルとか……お前マゾだったの?」

「どうせ死ぬのに、怖いものなんてあると思うかい?」

「でも、その傷でよくやるじゃん」

「仮にも、親代わりだ。彼の戦闘は何度か見てきたし、今の直情的な動きは読みやすい」

「なるほどね」

 

 確かに、と悟は微笑む。呪力は上がっているが、落ち着いてみていれば動きの一つ一つがワンパターンではある。おそらく、怒りで単純な頭になっているのだろう。

 

「それよりも悟、この土台を下ろす手立ては考えてあるのかい?」

「うーん……まぁ正直、思いついてるのは落下の前に粉々に吹き飛ばすってことくらい」

「……それは最後の手段にしよう」

 

 可能なら控えた方が良いのは悟も分かっている。そもそもそれをやるには、生徒達の避難も必要だ。

 そんな中、要にまた変化が起こる。両手に広がっている刻印を広げ、近くの呪具を二本、浮かび上がらせた。

 刻印を自身の周りを象るようになぞる。すると、その軌道上に持ち上げた二本の呪具も回り始める。

 

「多彩さ、加わったな」

「もしかして、アドバイスしちゃった?」

 

 一気に再び距離を詰めた。懐に潜り込まれたのは傑。まずは手負いから潰す算段か。

 トップスピードとも取れる最速の接近も、悟には見えている。傑の前に立ち塞がり、周回する呪具を無限で止め、要に手を伸ばす。

 が、要は目の前からジャンプして回避すると、その悟の後ろにいる傑の真後ろをとって手をかざす。そして、刻印を出し、押し始めた。

 

「グッ……!」

「チッ、そういうこと……!」

 

 前後から、無限と磁力による押し合い。このままでは、傑が潰される。だが、術式を解除すれば呪具によって悟が危ない。

 

「悟、私に構うな!」

「構うよ。お前は僕が殺すって言ってんだろ」

 

 そう言うと、悟は術式を維持したまましゃがみ、呪具の軌道から外れた。そうすれば無下限を切っても問題ない。

 そう思い、解除した直後だ。それを読んでいたように、要は傑の背中を蹴り飛ばす。術式を解除した以上、悟にも影響が出る上に、その足の裏から刻印を放った。

 後方に二人揃って転がされた上に、さらに後ろから押し込まれる。地面をズザザザッと転がされる中、傑がハッとしたような声をあげる。

 

「悟、後ろ!」

「チッ」

 

 すぐに理解した。真後ろにあるのは、地面に刺さっている刀。このままでは引き裂かれる。

 

「ごめん、傑」

「え?」

 

 すぐに理解した悟は謝ってから、両手で地面を殴り、段差を作って躓かせ、傑を真上に打ち上げた。

 

「っ……!」

 

 当然、この避け方は想定内だろう。要はすぐに傑に向かって距離を詰める。

 しかし、それを読んだ悟は一気に要の方へ走り込んだ。

 

「オイタが過ぎるよ」

 

 そう言うと、要に掌底を叩き込んだ。要も刻印を使ってそれを回避すると、悟から距離をおこうとする。

 が、それはさせない。そのまま悟は距離を詰めてラッシュを繰り出し、要はそれを回避し続ける。

 ガンガン攻めてくるので、足元に刻印を作って強引に振り切る作戦も通用しない。

 

「っ!」

「ほら、どうした。ねーちゃんたちと暮らすんだろ?」

「がァっ……!」

 

 直後、何を思ったか、回避をやめた。顔面に拳がめり込み、後方に殴り飛ばされる。

 もちろん、逃がさない。悟は高速移動で殴り飛ばした方向の後ろを取る。悟の蹴りが炸裂する直前、要は反発を利用して真上に跳ね上がった。

 

「!」

 

 転がりながらでは反発は出来ないはず……と、思ったのだが、その跳ね上がった真下にあったのは血のついた刀の呪具だ。

 元々ある刻印を反発に使い、逃げたということか。しかし、血がついているということは……。

 

「っ、はっ……はっ……!」

 

 予想通り、無傷での成功とはいかなかったらしい。左肩から出血している。子供だから、というわけではないが、見ていて痛々しさはある。

 

「惜しかったね、今のは」

「がァッ……!」

 

 すぐに要は再戦というように、悟に接近した。

 

 ×××

 

「ホントに浮いてんだけど」

「……す、すごいね……」

「しゃけ……」

 

 そう呑気に呟くのは、パンダと憂太と棘。これは傑と一緒に要がいなくてよかった、とホッとするほどだ。

 

「とにかく、降りるぞ」

「バカなのか? 死ぬだろ、普通に」

「僕が下ろすよ。……里香ちゃんに、もう一度力を借りて」

 

 そう言うと、後ろで待っていた里香と目を合わせる。

 

「ごめんね。良いかな?」

『も、もチロン……!』

「ありがとう」

 

 確かに里香なら安全に降ろしてもらえるかもしれない。戦闘中、憂太は刻印を使っていたし、いざとなったらそれを使えば良い。

 

「じゃあ、みんな。里香ちゃんの手のひらに乗って」

「俺がいるから、全員は無理だよな」

「なら、憂太。棘とパンダを先に頼む」

「え?」

 

 言われて、憂太は真希を見上げる。真希と真依は、真っ直ぐした視線で自分を見ている。弟の件で、他人より先に逃げるつもりはないらしい。

 

「……わかった」

「ま、もしかしたら下にいた方が危ないかもしれないしね」

「あ、あはは……じゃあ、行こっか」

 

 そう微笑みあって決めると、憂太はパンダと棘を里香に持ってもらって、下に降りる。

 残った真希と真依は、ぼんやりと地平線の彼方を眺める。綺麗なものだ。皮肉にも、二人ともこんな美しい景色は見たことがない。

 

「……全く、困ったものね。絶対、あなたの影響よ。この思い切りの良さ」

「バカ言うな。これだけ繊細な術式、私じゃ無理だ。間違いなくお前の影響」

「忘れてないから。侍ごっこでバカみたいに力込めて、要ボコボコにしてたこと」

「お前こそ、髪だの爪だの汚れるからって、全然遊んであげなくなった時あったの覚えてっからな」

「お風呂、要に『ゆっくりもっと暖まりなさい!』って怒られる姉が何抜かすわけ?」

「知るか。耳掃除してやってる時にくすぐった過ぎて文句言われてた奴のセリフか」

 

 顔を合わせれば、やはり喧嘩ばかりになってしまう。あの頃は二人ともまだまだ姉として未熟で、世話する時も遊ぶ時も、要を困らせてばかりいたかもしれない。

 まだまだ一緒にいたりない……そんな思いが強く胸を締め付ける。

 

「……ねぇ、真希」

「なんだよ」

「今夜、あんたんとこ泊まれる?」

「……寮のベッドで三人は無理だぞ」

「あんたはいらないから」

「は?」

 

 喧嘩しながらも、とりあえず決着を待った。

 

 ×××

 

 さらに、悟と傑、そして要の戦闘は激しさを増した。悟の猛攻を凌ぎながら、強引に距離を置いて遠距離攻撃を放つ要。

 その要に急接近し、傑の回し蹴りが顔面に炸裂……する前に両腕をクロスしてガードしつつ引き下がると、そのまま顔の前で両掌を傑に向け左手の刻印をつけて右手で引きつける。

 それを、横から悟の蹴りが邪魔しにくる。が、それをしゃがんで回避して引き寄せた傑をぶつけ、オーバーヘッドシュートのような蹴りで傑越しに蹴ろうとする……が、傑は悟を踏み台にして真上に回避し悟は術式でガード。

 その後、上から傑が要を踏み潰しにきた。

 

「っ……!」

 

 要は足元で刻印を発動。持ち上げたのは悟。それを傑にぶつけにいった。

 ぶつかる直前、悟は術式を使い、傑を掴んで空中で受け身を取りながら着地。そのまま近接戦を仕掛けに行った。

 要は両足から強引な地面への刻印を、反発の角度をつけて発動。地面を掘り返し、コンクリートを真下から襲撃させる。勿論、無限に阻まれて当たらないが、不意は突いた。

 両手で悟の周囲を、さらに両掌で刻印を貼り付ける。無限に阻まれるばかりだが、その後に続いて呪具が悟に迫る。

 

「そんな事しても、当たらないよ」

 

 それと同時に、無限を広げて呪具を跳ね返す。

 チッ、と舌打ちする要の後ろから、傑のラリアットと蹴り、そしてロシアンフックが炸裂。最後の一発はガードしたが、後方に下がられる。

 

「呪力が見えない戦いも、長く続けば割と慣れてくるね」

 

 少しずつ、要が取る手段に限界が出てきた。というか、頭が回って来なくなっているのかもしれない。

 悟は反転術式で脳をいつでも回復させているが、要は全ての刻印の位置を把握し、引き寄せて飛ばしてぶつけている。そんな戦闘がいつまでも続けば、それだけで頭が焼けそうだ。

 

「っ……はァ、くそっ……!」

 

 まだ戦おうとするのか走ろうとするが、フラリと身体が言うことを聞いていない。

 地面に膝をつき、それでも無理に立ち上がろうとした直後だ。額や掌、足の裏から血が吹き出す。

 その要に、傑が声を掛ける。

 

「……もうやめなよ、要。このまま戦っても勝てないよ」

「黙れ!」

 

 少し、冷静になって来ている。ボコボコにされて落ち着きを取り戻してきた様子だが、それでも荒ぶってはいる。というより、取り戻したからこそ荒ぶっている点もあるようだ。

 そんな要の様子を見て、傑は少し居た堪れなくなる。

 

「まだ自分に嘘をつくのかい? 分かるだろう。本当に君がやりたいことだって、本当はこんな事じゃないはずだ。君のお姉さん二人も、菜々子や美々子も……こんなこと望んでいない」

「うるせーって、言ってんだ!」

「言ってるだけだ。……もしかしたら、君は寂しかっただけじゃないのかい? 大物ぶって、色んな人を巻き込んで無視出来ない状況を作って、達観したフリをして思っても無いことを口にして……それで満足するような子じゃないだろう」

「黙れええええええ‼︎」

 

 傑の説教を聞きながら、要は頭を抱えて蹲る。

 だから、取り返しがつかない殺人などはしなかった。禪院家への恨みは強い癖に、人の見えない一面も目に入ってしまい、冷徹になり切れない。

 それ故にストレスばかりがズンズン積まれていった。

 

「さっき悟が言ったように、今ならまだ間に合う。こんな事はやめて……」

「黙れって……!」

 

 キッと傑を睨みつける要に対し、動き出したのは悟だった。目の前に行き、術式を解除して胸ぐらを掴む。

 

「お前……いい加減にしろよ」

「ッ……!」

 

 その声音は、まるで呪詛師を相手にしているように厳しい。

 

「お前のやり方で、今まで姉を守れた事が一度でもあったかよ」

「え……?」

「真希が高専に来て殺されかけた回数は二回。その二回とも、真希を助けたのはお前じゃない。憂太だ」

「…………」

「知りもしなかったってツラだな。今だって、お前は姉の事を殺しかけてんだろうが」

「っ、そ、それは……そもそも」

「そもそも高専が殺されかけるような環境にした方が悪い、か? 真希や真依が呪術師になるのを選んだのはお前の所為だろ」

「……え?」

 

 ポカンとするように顔を上げた。漆黒の瞳は、戦闘中の時の不気味さを完全に控えさせ、涙腺が弛んでいる。

 

「お前が親に刺されて捨てられて、お前を助けるために呪術師になったんだよ、あいつは」

「……俺が、真希ねーちゃんを……呪術師に……?」

 

 完全に力が抜け、要の表情から力が抜ける。手を離すと、要の身体は完全に力が抜け、地面に膝をついて項垂れた。

 

「傑の家族だっていたが、それに頼ろうとしなかったのもお前。真希と真依以外を信用しないで敵ばかり作ってきたのもお前。結果的に誰も彼もを裏切って来たのも、全部お前だろうが。……少し前に憂太に言ったことを思い出してみろ。『何、被害者ヅラしてんだ』」

 

 言い返す気力もなく、要はそのまま覇気のない顔のまま動かなくなる。

 悟は、そのまましゃがんで要の肩に手を置く。さっきまでの厳しい声音と変わり、優しく諭すように告げた。

 

「……二人を守れるようになりたかったら、もっと周りを見る努力をしろ。呪術師だから信用出来ない、じゃダメだ。一人一人の中身を知っていけるように。真希や真依以外にも信用できる人を作れるようになりなさい。呪術師は皆、力の無さに嘆いている。でも、君にはそれがある。足りないのは、そういうところだよ」

「…………」

 

 返事はない。だが、悟の目にも要の中に攻撃的な呪力は見えない。ようやく落ち着いた、と言っただろうか。

 

「お疲れ様、悟」

「それはお前だろ。……まだ生きていられるか?」

「いや……実を言うと、もう割と意識はギリギリだよ」

「そこまでしなくても良いだろ。ぶっちゃけ僕一人でもなんとかなったし」

「悪いけど、そうはいかないよ。……半分は、私の責任だからね」

「……」

 

 傑はフラリと立ち上がり、要に声を掛ける。

 

「要……すまないけど、これで最後だ」

「っ、な、なんだよ……!」

 

 虚勢だけの強い口調が来るが、傑は気にした様子なく続ける。

 

「私はもう、長くない。この出血量でさっきまでの激しい運動だ。もうすぐ死ぬ」

「……で? なんだよ」

「だから、頼みがある」

 

 言われて、要は小首を傾げる。自分に対して頼み? と、少し意外そうに目を見開く。

 

「菜々子と美々子を、頼むよ」

「……え」

「他の家族はともかく、二人はまだ子供だ。……君も、時折二人には素を見せることがあっただろう?」

「……俺に?」

「君だから、だよ」

 

 言われて、要は少しだけ俯いた時だった。ふっ、と三人を囲んでいる要の術式が消えたことに気付き、要と悟は空を見上げる。

 直後、大地が大きく傾いた。

 

 




闇落ちを期待していた方には大変、申し訳ありませんが、私にそんなメンタルはありません。


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怒った後は後始末もさせる。

 パンダと棘を降ろしても巻き込まれなさそうな場所を勘で見定め、降りた。二人とも地上に降りた。

 下から見ると、下は円形に見えて、上は平地……なのだが、下の部分は大きなNの刻印がいくつかついていて、全体をSとNが混ざり合った刻印が包んでいる。

 ラピュタが浮いているようにさえ見えるその様子を見て、思わずパンダは呟く。

 

「やれやれ……とんでもないな。余裕があれば、少し上で地上を見てみたかった」

「しゃけ……」

「あ、あはは……人がゴミのようだーって?」

「俺はパンダだからゴミじゃないな」

「おかか」

「おいこら棘」

 

 ずっといつもの様子の二人だが、そんな様子を見ると憂太は安心する。

 

「もしかしたら、スマブラで落下する時の景色ってあんな感じだったんじゃね」

「しゃけ」

「スマブラ……僕、やったことないや」

「なら、今夜あたりやるか。全員でな」

「そうだね」

 

 その為には、真希と真依を助け、そして要を止めないといけない。

 覚悟を決めた憂太は、刻印を手のひらから出した。

 

「じゃあ、行ってくるね」

「おう」

「ツナマヨ」

「うん」

 

 それだけ言って飛び上がろうとした時だ。ふと目に入ったのは、空いている地上を包む刻印が消滅したとこ。

 誰が考えたって、ヤバいと分かる。

 

「! あれ……!」

「やばくないか……?」

「明太子」

「ごめん、急ぐ。里香ちゃん!」

『分かッタ……!』

 

 すぐに空に向かって跳ね上がった。

 

 ×××

 

 落下中の地上で、要は再び両手に術式を込める。が、刻印は広がらない。良いとこ半径3メートルのものが限界だ。

 

「クソっ……!」

「逃げるしかないよ、悟!」

「ダメだ。こんなでかいもん地上に落としたら、高専が吹っ飛ぶどころじゃない」

「しかし……!」

「そうだ……姉ちゃん!」

 

 すぐに要はその場から消え去った。二人のことは刻印でマーキングしておいたので、すぐに追いかけることが出来る。

 

「あ、ったく……」

「勝手なのは変わらないね」

 

 そう言うと傑は地上に腰を下ろす。

 

「おい、何してんだ!」

「私はこのまま、残るよ。悟には、生徒を助けてあげて欲しい」

「っ……」

 

 どうせ死ぬ身だ。脱出出来る人数は限られているだろうし、一人でも減らした方が良い……そう思ったのだが、悟は傑の唯一の腕を掴んだ。

 

「バカ言うな。このままにしたら、お前を殺したのは要になっちゃうでしょ」

「悟……」

「下に戻ったら速攻で殺してやるから。覚悟しろよ」

「……ふふ、それは恐ろしいな」

「さて……まずは、どう降ろすか考えないと」

「だね」

 

 といっても、もう砕くしかない。まぁ、このままなら呪術界の老人どもも皆殺しに出来ると思えば放っておきたいところだが……それでも犯人は要になってしまう。

 なんにしても、一度傑を下ろす必要はあるため、悟は傑を抱えて外に降りた。

 

 ×××

 

 激しい振動によって、当然ながら真希と真依も立っていられない。辛うじて地上に刺さっている呪具を真希が掴み、反対側の手で真依の手を掴んでなんとか離されないようにしている状態だ。

 

「真希、手を離して!」

「ッ……!」

 

 いくら真希でも、この落下速度の中、女性一人を持ったまま落下の風圧に耐えられるはずがない。

 だが、真希は無視して手を強く握る。歯を食いしばりながら、死ぬ気で耐えていた。このまま手を離せば、真依は死ぬ。普通に死んでほしくないのもあるが、要が姉を殺すことにもなり得る。そんな真似、絶対にさせない。

 

「黙ってろ……!」

「無理よ、これ着地しても死んじゃうもの!」

「なら……最後の時くらい、一緒にいろ!」

「っ……なに、恥ずかしいこと言ってんのよ、こんな時に……!」

「うるせーな! 照れられるとこっちにも移んだろ!」

「私だけ辱めようとした罰よ、バカ!」

 

 通常運転だった。こんな時でも最後まで変わらない様子だが、いかに超人の肉体といえど限界はある。

 するっ、と、手からあまりにも呆気なく手は離れた。

 

「真依‼︎」

 

 すぐに真希も呪具から手を離し、真依の元へ移動しようとするが、空を飛べるわけではない。手を必死に伸ばすが、届かない……そう思った時だ。

 

「間に合った!」

 

 二人の元に飛んできたのは要だった。両手の刻印を起動し、二人を引き寄せて小脇にかかえると、落下する地上から離れる。

 

「か、要……!」

「おせえよ……!」

「……ねぇ、真希ねーちゃん。真依ねーちゃん」

 

 声をかけられ「何?」と視線で問うと、そのまま要はいつになくしょぼんと肩を落とした様子で聞いた。

 

「……俺、迷惑だった? いない方が、良い?」

 

 子供っぽい直球の聞き方。それだけに、二人ともすぐに理解した。おそらく悟から説教か何か受けて、思う所があったのだろう。

 二人とも顔を見合わせると、小脇に抱えられたまま要の頭に手を伸ばす。

 

「迷惑っちゃあ……迷惑だったわ」

「うぐっ……」

「でも、いない方が良いわけがないでしょ?」

「……え?」

 

 ハッとして顔を上げる要を見て、二人とも呆れたようにため息をつく。やはり、強くなったのは術式だけ。中身は全然、変わっていない。

 

「誰の為に呪術師になったと思ってんだ」

「その辺のこと、よく考えなさい」

「っ……ごめん、なさい……」

「……」

「……」

 

 浮遊中とはいえ、弟の謝罪に真希と真依は黙り込む。本当にやんちゃをやらかしてくれたくせに、謝る時は子供のようにショボくれるものだ。

 やがて長女がため息をつきながら、先に口を開いた。

 

「許さねーよ」

「えっ……?」

「あれ、ちゃんと無事におろして、お前も帰って来ねーとな」

「っ……う、うん……」

 

 それを言われても、要は少しショボンと肩を落とす。さっきの説教を聞き、自分なんかに助けられるのか、不安になっている。

 それを見透かした真依が、要の背中を叩いた。

 

「……何しょぼくれてんのよ。気持ち悪い」

「死のうかな……」

「一々、ナイーブにならないで。あんた、禪院家でもかなり才能があるんでしょ。私達と違って」

「……」

「なら、それらしい活躍を見せなさい」

「っ……でも、出来るのかな……俺に……」

 

 今までやり方を間違えて来た自分なんかに出来るのだろうか、と不安になっていた。

 ボコボコにされて負け、自分が姉を想って取ってきた手段も全て間違いだったと知らされ、また間違えるかも、と自信を失っているのだろう。

 その要の様子を見て、真希と真依は抱えられたまま要の頭に手を伸ばした。

 

「大丈夫だっつってんだろ。お前は自分のケツも誰かに拭いてもらわないといけない腰抜けなのか?」

「やれるだけやって、さっさと戻って来なさい。あなたに言いたいことも話したいことも、山程あるんだから」

「……うん!」

 

 言われて、要は気合を入れる。姉に言われてすぐに気合が入るあたり、単純だ。

 

「よし……行ってきます! ……と、その前に」

 

 二人を地上まで送らないといけない。

 呟くと、要は術式を解除した。それはつまり……。

 

「あああああああ‼︎ 落ちる、落ちてる!」

「情けないわね、真希。私はこういうの今日で二回目よ。慣れたわ」

「それ慣れて良い奴か⁉︎」

「真依姉ちゃんの場合は、戦闘の中だったからねー」

「説明してる場合か! もうすぐ地面……!」

「よっ、と」

 

 直後、術式を再び起動。体を浮かび上がらせ、そのまま真下は避けて横の方に移動し、着地する。

 足をつけると、要は「ふぅ……」と息を吐いて、二人に片手をあげる。

 

「ごめんね。呪力をなるべく節約したくて。じゃ、俺上戻るね。下ろした時の衝撃、どうなるか分からんから、なるべく遠くに逃げて」

 

 それだけ言って、要は空中に戻った。その背中を眺めながら、割と虫の息の真希は疲弊した様子で呟いた。

 

「あいつ殺す……」

「殺したらあんた殺すから」

 

 ×××

 

 天空の城の真下に到着した要は、両手の刻印を構える。おそらく呪力切れが原因で落下したのだろう。あれを普通に落とすには、今の呪力じゃ明らかに足りない。

 

「すぅ〜……はぁ……」

 

 真上の呪具から呪力を回収し、ありったけかき集めた。真上にSの刻印を貼り付けると、その真下で掌を向ける。

 

「ふんっ、ぎぎっ……!」

 

 ダメだ、質量が違う。このサイズを持ち上げるにはそれなりに前準備が必要だ。ましてや、置いてあるものを浮かせるのではなく、落下するものを浮かばせ、慎重に降ろすのだから当然だ。

 このままでは呪力を無駄に消費することになる。だが、だからと言って何もしないわけにはいかない。無駄な足掻きとしても、何とかして上の物を浮かせないと危険だ。

 そんな時だった。

 

「里香ちゃん!」

 

 直後、後方から自分よりさらに巨大な刻印が、真上に付着し、そのまま動きを止めた。少しずつ落ちているとは言え、その減速は目に見えて分かるほどだ。

 自分と同じ? と、顔を向けると、横にいたのは乙骨憂太だった。

 

「……なんで俺の術式……」

「説明は後……って、あれ。呪力が出ない……やばい⁉︎」

 

 直後、グラリと真上の地表が揺れる。要の瞳によって呪力を感知できなくなっているのだ。

 一瞬、放っておいても良いかも……なんて思ったが、今は姉達と約束したことを果たすのが最優先だ。

 とりあえず要は両手で目を隠した。

 

「どう?」

「あ、うん。見える見える。なんだったんだろ……」

「説明は後。とにかく俺の視界に入るな」

 

 慌てて術式を維持した憂太が、改めて聞いてきた。

 

「これ、どうしたら良いの?」

「っ……」

 

 悟にああ言われたものの、やはり信用して良いものか悩む。いや、つい最近まで一般人だった少年だし、他の術師よりはまだ信用して良いものだが……。

 なんて一人で悩んでいると、さらにその二人の後ろにヒュッと音を立てて銀髪の教員が現れた。

 

「や、お待たせ」

「五条先生! これ、どうしましょう?」

「作戦は単純。浮く前の状態から、正確に元の位置に戻す。その為に、衝撃をなるべく生まないように、僕と憂太で落下速度を殺す。下とくっつけるのは……要、君に任せるよ」

「!」

 

 言われて、少し目を見開く。が、すぐにキュッと目を細めた。

 

「……良いの? 俺に任せちゃって。あんたら二人、殺しちゃうかもよ」

「いやいや、もう悪ぶんなくて良いから。さっきお姉ちゃん二人に超甘えてたでしょ」

「っ、み、見てたの⁉︎」

「あ、ほんとに甘えてたんだ。ウケる」

「〜〜〜っ、こ、殺す!」

「ちょーっ! だ、ダメだって要くん! その人殺したらみんな死んじゃう!」

「っ……お、覚えてろよ……絶対、いつかお前殺すからな……!」

「それくらいになってくれると、僕としても嬉しいね」

 

 なんて話しながら、悟は説明を続けた。今日に限っては、言葉足らずなんて事はなかった。

 

「細かく詰めると、元の位置にピッタリと密着させたい。その為には、真下で刻印をつけてもらう必要があるわけだけど……要、それは君にしか出来ない」

「え、この人俺の術式使ってるんだけど」

「Sしか使えないんだよ。でしょ?」

「はい。僕がちゃんと見たの、それだけなので」

「……でも俺、あのサイズの刻印、今はもういくつも打てないよ。ありったけ呪力をかき集めても、半径3メートルの刻印を三つが精一杯」

「大丈夫、そのために僕と憂太がいるから」

「は? どうするつもり……」

「じゃ、作戦開始」

「ちょっ、なに勝手に……!」

 

 すぐに悟も動き始めた。憂太に術式を止めさせると、自分が前に出ていってしまう。

 

「あいつ……なんなの」

「あはは……それより、要くん。先に下に降りててくれるかな」

「あ? 大地のハンバーガーになれっての?」

「違うよ……。刻印を貼ってくれれば、僕がその真上に来るように、刻印を設置するから」

「……」

「じゃ、よろしくね」

 

 それだけ言って憂太も真上を見上げる。自分が刻印を貼るまで、上からものが落ちてきた時のために備え始める。

 仕方なく、要はそのまま真下に降りた。設置出来るのは三箇所。なるべくズレが生じない場所に設置するには、比較的平面になっている点を探す。

 

「……」

 

 しかし、さっきまで殺し合っていた相手を、よくもまぁ信用出来るものだ、と悟に対して感心してしまう。強さ故の自信なのか、それともまさか本当に信用しているのか。どちらにしても、あの軽薄男は腹立つ。

 

「ここと……ここか」

 

 そうこうしている間に、要はその地点にNの刻印をつけた。これで呪力は空っぽ。あとはなんとか、自分で作ったでっかいクレーターから逃げ出すしかない。

 とりあえず、憂太や悟を視界に入れるわけにはいかないので、見ないようにして歩き始めた。

 不思議な事に走ることが出来なかったので、のんびりとあるいた。

 

 ×××

 

「あそこの……真上か」

 

 そう呟くと、憂太は悟の横まで跳ね上がる。

 

「準備できました」

「りょーかい。じゃあ、僕が支えている間に刻印つけちゃって」

「はい!」

 

 話しながら、刻印を設置しに行く。その後に続いて、悟が憂太に声を掛ける。

 

「どう?」

「いけそうです。……里香ちゃんには、迷惑を掛けますが」

「まぁ、これも人助けだよ。実際、失敗したらみんなしばらく宿無しだから。その辺覚悟してね」

「……えっ⁉︎」

「そりゃそうでしょ。この辺、学生寮の辺りでしょ?」

「なんでこのタイミングで言うんですか!」

「ほらほら、良いから集中して。僕もちゃんと見定めるよ」

 

 こう言う時、六眼は便利だ。正確に測ることができる。二人でそのまま刻印を付与していく中、クスッと憂太は微笑む。

 

「どしたの?」

「いや……この術式。なんだかまるで、姉二人を離さないようにするための術式……みたいに思えてしまって」

「ぷっ……生まれる前からシスコンとか。それ本人に言ってみたら?」

「嫌ですよ。絶対怒られますから」

 

 そんな話をしながら、仕事を終えた。

 

「あとは下ろすだけですね」

「憂太はあっち、僕はこっちから持ち上げるから、少しずつ降ろすよ」

「は、はい!」

 

 そう決めると、二人で移動して高度を落とし始めた。一人でおろせば、真下に移動せざるを得ないので確実にズレる。このままなら無事に降ろせそう……と、少し憂太がホッとした時だ。

 ふと視界に入ったのは、まだ要が真下から脱出出来ていない事だ。

 

「ヤバっ……!」

 

 すぐに降りたい所だったが、二人で持ち上げている以上、勝手に手を離したら悟が……というより、傾いて上から建物が落ちたりするかもしれない。

 どうするか、少し悩んでいると、真下で移動している二人の頼れる仲間が見えた。

 

 ×××

 

 頭がボーッとする。呪力を使い過ぎたからだ。姉達と合流する前に拭き取ったが、ただでさえ出血量も多かった。

 だから、さっさと脱出したくても出来なかった。しかも、クレーター型なので登り坂なのがツライ。とにかく、今はさっさと寝たい。

 ふと、要の頭上に影がさした。なんの暗がりか分からないが、ちょうど良い。少し眠る事もできるかもしれない。

 そう思って、フラリと前方に倒れかけた時だ。

 

【寝るな】

 

 急に自分の身体に何か呼び掛けられた気がして、ハッと視界が回復する。相変わらず頭がぼんやりしているが、眠れそうにないことだけは分かった。

 

【走れ】

 

 さらに、身体が自動で走り出す。無理矢理走らされている感じは中々にしんどい。

 そんな自分に新たな影が腕を掴み、やたらともふもふした小脇に抱えられて走られ、運ばれた。

 

 ×××

 

 悟は傑にトドメを刺し終え、そして憂太は里香の解呪を終え、ようやく全員、落ち着ける時間になった頃には、深夜の0時をとっくに回り、クリスマスの夜となっていた。これだけ夜更かししてしまえば、サンタが来ることはないだろう。

 

「あー、疲れた……」

「しゃけ……」

「僕ら、ずっと起きてたもんね……」

「私の方が疲れたわよ。京都からここまで屋根も壁もない乗り物で飛んできたのよ?」

「楽しそうじゃん」

「やってみたら分かるわよ。怖いから」

 

 パンダの憧れをさっくり砕いた真依は「そんなことより」と後ろにいる真希に声を掛ける。

 

「真希、あんたそこ早く替わりなさいよ」

「は? そこってどこだよ」

「要のお腹の下よ」

 

 そう言う通り、真希の背中では要がぐっすり寝息を立てている。あの後、棘とパンダの活躍でギリギリ要を助け出して脱出。無事に学校の4分の1もおろすことができて、とりあえず悟に「あとで教室集合」と言われたので、無事である教室に向かっていた。

 

「やだ」

「ふざけないで。5分交代の約束よ」

「まだ4分36秒だろうが」

「たかだか24秒くらい良いでしょ」

「じゃあお前は次から4分36秒だけおんぶな。私は5分だけど」

「は? ふざけないでくれる?」

 

 とても醜い争いが繰り広げられていた。棘もパンダも憂太もげんなりしている。

 

「……もう二人ともまんまブラコンだな……」

「しゃけ……」

「なんなら、似たもの姉妹だよね」

「「なんか言った⁉︎」」

「「なんでもないです!」」

 

 慌てて謝る二人だった。

 こう言う時、空気を取り繕うのは憂太の役割だ。

 

「で、でもさ、良かったね。要くん無事で。時間はかかっちゃったけど、ようやく真希さん達と一緒になれたもんね」

「いやー、どうだろうな」

「え?」

 

 口を挟んだのはパンダ。珍しく神妙な顔で告げた。

 

「要が夏油の一味だったことには変わりないし、真依の話じゃ京都ではほとんどの術師を戦闘不能にしちまったんだろ? 怪我はないとはいえ」

「ええ、そうね」

「その上、あのド派手な術式だ。壊れた設備に重要なもんは無かったにしても費用は重なるだろうし、頭の固い上の連中がどんな反応するかは微妙だぞ」

「そ、そういうものなの?」

「残念ながら、な」

 

 あまり詳しくない憂太は分かりやすく狼狽えたが、なんとなく察してたように他のメンバーはため息をつく。

 

「悟がいるから死刑にはなんねーと思うけど、幽閉とか逮捕も全然、あり得る」

「大丈夫だよ、その辺は」

 

 急に割り込んできたのは、教員の声。五条悟が軽いノリで声を掛けてきた。

 

「どういう意味だ?」

 

 聞いたのは真希。なんとかする手立てがあると言うのだろうか? 

 

「どうも何も、子の責任は保護者が果たすものでしょ?」

「というと?」

「親族にも殺したの内緒にして、行方不明にしちゃったのが仇になったよね」

 

 ×××

 

 少し未来に行って、翌日の禪院家、扇の部屋。そこで、強面のおじさんは高専から届いた一枚の用紙を見つけた。

 

『請求書

 禪院扇の息子、禪院要が破壊した校舎の修理費。

 4,048,900,000円也』

 

「……」

 

 ×××

 

「それ、生きてるのバレちゃうんじゃない?」

 

 真依が呟くが、悟はヘラヘラした口調で続けた。

 

「大丈夫大丈夫。今の要を夜襲しても、禪院家程度じゃ誰も勝てないから。勝つには、それこそさっきみたいにスマブラの終点ステージでトップ6が一斉に襲い掛からないと勝てないんじゃない?」

 

 それはそうかもしれない。というか、やる事がえげつない。シャンクスでも捕まえないと払えないだろう。

 

「というか、なんでそんな高額なんだ?」

「京都で壊した分も込み」

 

 七海が壊した道路もしれっと混ぜているのは内緒だ。

 

「高専側からしたら『禪院家のガキがしでかした事を、表沙汰にはせずに金で解決してやる』って立場なわけ。高専のメンバーしか校舎が浮いたことは知らないしね」

「はっ、ザマーミロだぜ。あのクソ親父」

「ほんとね」

「少し、えげつない気もするけど……」

「憂太、こういう時は黙ってるのが一番だ」

「すじこ」

 

 とはいえ、それでも罪がなくなるわけではない。続いて、と悟は追加で説明する。

 

「勿論、要自身にも罰はあるけど……まぁ、その辺は僕がなんとかするから、安心して。真希、真依」

「……チッ、うるせーよ。別に不安になんてなってねーわ」

「あら、私は超不安だったわよ。要の事、大事だもの。だから、いい加減おんぶ替わりなさい」

「あっ……てめ!」

「今、4分オーバーだから。10分、私がおんぶね」

「1分サバ読んでんじゃねーよ!」

 

 なんてまた取り合いが始まるのを無視して、悟は続けた。

 

「で、まぁこっちが本題。今日の寝床の話ね」

「あ、そうだ。どこで寝るんだ?」

 

 何せ、そのままの形で戻したとは言え、地下を丸々掘り起こしたのだ。下水道などはズタボロだし、電気も繋がっていない。少なくとも学生寮なんて使える状態ではない。

 

「校舎の教室で雑魚寝。シャワーは悪いけど、武道場の使って」

「マジかよ……」

「さっき、秤とか綺羅羅もブチギレてたよ」

「あの二人にとっちゃ寝耳に水だからな……」

 

 新宿で戦っていた二年生や三年生と会うのは少し気が重かった。

 

「で、部屋割りだけどー……真希、真依。三人部屋にする?」

「え……良いのか?」

「うん。積もる話もあるでしょ」

「っ……」

 

 こっちから強請るつもりだったとはいえ、まさか認められると思っていなくて、驚いてしまった。

 ほんのりと嬉しそうに、真希と真依が頬を赤くしていると、ふと目に入ったのは男子三人。ヒソヒソとなんか話している。

 

「めっちゃ嬉しそう……まさか、近親?」

「え……ええっ⁉︎ そ、それはちょっと僕もどうかと思うというか……」

「パンダと憂太ァッ‼︎ マジぶっ殺すぞコラァッ‼︎」

「え……3人ってそういう関係? だとしたらあんま認めたくないかな」

「なんであんたが真に受けてんのよ、バカ目隠し!」

「赤飯」

「棘、テメェそれどういう意味だ、なんで赤飯だ⁉︎」

 

 ムカつくこいつら、と姉妹揃って青筋を額に浮かべる。ちょうど良いのか悪いのか分からないタイミングで校舎まできた。

 

「行くぞ、真依!」

「ええ!」

 

 そのまま背中の弟を連れて教室に戻ろうとした時だ。その二人に、憂太が声を掛ける。

 

「あ、待って。真希さん」

「襲わねーよ」

「いや違くて。実は要くん、結構傷だらけだったから」

「あ?」

 

 ジロリと睨んだ先は悟。ボコボコにした張本人はさっと目を逸らした。

 

「一応、反転術式で傷口は塞いだけど、無理はさせないでね」

「お前それどう言う意味で言ってんの? 殺されたいのか?」

「え? ……あ、いや違うよ!」

「次のトレーニング、しごくから」

「……」

 

 話の流れが悪すぎたまま、全員校舎に入った。

 

 ×××

 

「っ……んっ」

 

 吐息が漏れる。うっすらと目を開けると、初めて見る天井。こんな事が、前にもあった気がする。

 中は見覚えのない天井、そして壁、窓の外。何をしていてこんな傷だらけになったのか、いまいち思い出せない。

 ……いや、嘘。思い出した。確かー……やたらともこもこした生き物に運ばれて、その後で寝ちゃって……そうだ、街を外に降ろしていたんだ。

 その後は……。

 

「目が覚めたかよ」

「お寝坊さん」

 

 ふと、隣から声音が全然違うのにどこか似てる声が聞こえる。振り向くと、真希と真依が並んでいる。

 

「ねえちゃ、ん……!」

 

 声を掛けようと体を起こした直後、少し頭が痛い……というより、重い。ボーッとする。

 が、悟られたくなかったので、笑顔を作った。

 

「ここどこ?」

「どこか痛むの?」

「え、何急に?」

 

 真依の質問に惚けて返しながらも、内心ではドキッとする。なんでわかんだよ、と。

 その要に、横から真希が腕を伸ばして首を脇腹で締め上げる。

 

「あがががが! 首もげる、首もげるって!」

「うるせーな。嘘つく癖がついたのか? んな悪ガキに育てた覚えはねーぞオイ」

「あんたも悪ガキっぽいけどね、今は」

「一々、茶々を入れんな、オメーは」

「あなたもこんな風に口が曲がる人になっちゃダメよ?」

「毒舌なのはどっちかっつーとお前だろが」

「はぁ? 品がないよりはマシだと思うけど?」

「なんでそっちで喧嘩が始まんの⁉︎ てかギヴギヴ!」

 

 なんか自分がいない間に喧嘩するようになったな、と少しだけ思ったり。

 真希の腕をパンパンと叩くと、手を離してもらったが、身体はそのまま真希の方へ倒された。強引に膝枕されている状態だ。

 上から顔を覗き込んでいる真希は、少し不機嫌そうな表情で自分の額を叩いた。

 

「お前はいつまでスパイごっこしてるつもりだよ。家族しかいねー中で隠し事すんのはやめろ」

「……」

 

 そうだった。もう、辛いことは辛いと言って良いんだった。なんだか、そう思うと少しだけホッとする。

 

「……ごめんなさい。少し、頭が重いです……」

「よし、良い子だ」

 

 言いながら頭を撫でられる。

 

「ま、偉そうに言ってるけど、別に真希はそれをすぐに楽にしてあげられるわけじゃないんだけどね」

「うるせーな。だから茶々を入れんな」

「私の方においで? 私の方が柔らかいわよ?」

「お前のほうが脂肪が多いからな」

「あなたの方がゴリマッチョって言ってるのよ」

 

 二人から頭を撫でられながら、要は少しため息が漏れる。……が、果たして自分はこんな風に今、甘やかされて良いのだろうか、という葛藤が浮かぶ。何せ、自分はさっき姉を殺しかけたのだ。

 それに、まだ踏ん切りがつかない。これからどう生きていけば良いのか。ノコノコ姉について行っても良いのか、自信がない。

 

「……姉ちゃん達は、呪術師続けるの?」

「そりゃ勿論、そのつもりだよ。要が戻って来た今、次の目標は強くなることだからな。家の連中、全員見返してやる」

「……戻っても、良いの?」

「あ? ……ああ」

 

 要の言わんとする言葉の意味がわかったのだろう。真希と真依は、小さくため息をついた。

 

「良いに決まってんだろ」

「……でも」

「でももヘチマもないわ。あなたが私達に迷惑をかけたと思っているなら、尚更一緒にいなさい。また勝手にいなくなったら、それこそ許さないから」

「お前が呪術師を信用出来なくなった理由は分かる。でも、それで憂太やパンダ、棘達の価値を下げるのはやめろ。……あいつらは、ちゃんと私が信用出来ると思った連中だ」

「……現に、あなたは助けられているしね」

「え?」

「気づいていなかったの?」

「棘に起こされて走らされて、パンダに抱えられてたらしいじゃねえか」

 

 あの時のそれは、あの二人だったのか、と思い返す。嫌っていたはずの呪術師に助けられたことを思い出し、なんだかちょっとだけ恥ずかしく思えてしまったり。

 その要に、真希は続けて言った。

 

「今すぐ信用するのは無理なのは分かる。でも、私はお前に知って欲しいんだよ。信用出来る呪術師もいるってことをな」

「私も。今度、京都校のみんなを紹介させなさい。東堂以外」

「……」

 

 そんな説教を聞きながら、要の瞳には少しだけ涙が浮かぶ。こんな風に怒られる日が来るなんて……。

 あれだけ失敗の連続でボコボコにされて怒られて死にかけて……その上で手に入るなんて思わなかった。

 それと同時に、もしあのまま引き離していたら、むしろ自分は二人から恨まれていたのかもしれない。

 嬉しさのあまり、ちょっとだけ……いや、かなりの感激が涙腺を緩ませに来る。まぁ、今後呪術師になるかどうか、と言う問題は置いといて、少なくとも姉もこうして話せている上に、姉達に許してもらえてしまっていることが、嬉しくて辛い。

 つうっ……と、涙がこめかみを伝って真希の膝に流れ落ちると、それに気づいた二人が心配そうに声を掛けてくる。

 

「ど、どうした要? なんで泣いてるんだ?」

「真希のハムストリングスが岩みたいで嫌?」

「……ううん。いや、硬いけどそうじゃなくて……」

「おいこら」

「また……こんな風に三人でいられるなんて……ちょっと、いや普通に……というかかなり嬉しくて……」

「「……」」

 

 言われて、真希と真依は顔を見合わせる。そんな風に泣かれてしまうと、少しだけ喧嘩をしづらい。今日くらいは、仲良し姉妹でいても良いのかもしれない。

 

「というか、まだちゃんと謝ってなかったね。……ついさっきは、その……ラピュタみたいなことして、ごめんなさい……」

 

 そのセリフを聞いて、いよいよ真希と真依は顔を見合わせた。

 というか、真依は涙腺が緩み始めていた。

 

「……バカ、そういうのは一度謝ったら言わなくて良いのよ……」

「まったくだっつの……いつまでもガキだな、お前は……」

 

 そんな話をしながら、その日は結局、寝ることなく朝まで語り明かした。

 

 



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火種編
そうは問屋が卸さない。


 朝になってから疲れが出て眠り始め、約六時間後。真希が薄らと瞳を開けると、目の前で眠っていたのは要と真依。真依にしても要にしても、幸せそうな寝顔を見れたのは本当に幾年ぶりだろうか。

 そんな普通は当たり前の光景を見られたのが、本当に幸福に思えた。日頃ある日常にもっと感謝したいと思えるほど。

 ……もっと、今日くらいはこうしていたい。今まで離れ離れだった時間を取り戻したい。そう強くと思いながら、要と真依、二人をまとめて抱き抱えるように腕を伸ばし、抱きしめて目を閉じた。

 

「真希、起きてるの?」

「……お前も起きてたのかよ」

「ええ、まぁ……3秒くらい前に」

「起こしちまったか?」

「そうね」

 

 全然、歯に衣を着せるつもりがない言い草は相変わらずだが、不愉快ではない。

 

「……なら、もうちょい寝てろよ」

「そうね……」

 

 珍しく肯定的な返事をしながら、真依は布団の中から腕を出し、要の頭に手を置いて撫でる。

 

「ふふ……相変わらず、可愛い寝顔……やっぱり、何も変わっていないのね」

「……そうだな。背もあんま伸びてねーし、ちゃんと栄養摂ってるのか?」

「食生活とか、ちゃんとしてるのかしら」

「まぁ、筋肉はそれなりにあるみたいだから、タンパク質はとってんだろうな」

「……ちゃんとバランスよく食べさせないといけないわね。今後は」

「野菜もキチンとな」

 

 ジャンクフード大好き精進料理大嫌いな二人がなんか言っていた。

 

「そういや、真依。お前いつ戻んの?」

「残念だけど、今日中には。昨日のうちに電話で確認した感じ、京都でもあんま大きな問題はなかったらしいけど、やっぱ心配だし」

「あっそ。……なぁ、要なんだけど……」

「真希に任せるわ」

「……良いのか?」

「京都に連れ帰っても良いけど、こっちの人達にとってはかなり影響悪いもの。ほぼ全員、動き止めさせた上に、一級二人がかりを簡単に拘束して私を攫っていったし」

「……なるほどな」

 

 東堂なんかに知られたら特にまずい。毎日喧嘩になりそうで、庵歌姫の胃をキリキリと痛めそうだ。

 そうでなくても、禪院家の屋敷がある場所になんて誰も好き好んで行かない。

 

「……たまには、会いに来いよ」

「はぁ?」

「私に、じゃねーよ。こいつにだ」

 

 真依に比べて、少し乱暴に要の頭を撫でる真希。

 

「……本当は、三人一緒にいてーはずだからよ」

「そうね……要の為なら、考えてあげなくもないけど?」

「なんで上からだよ」

「あんたが『来て?』ってお願いしてきたんじゃない」

「もうそれでいいわ。来いよ、ちゃんと」

「どうせなら、要に迎えに来させてくれない? 費用とかバカにならないし。要なら片道40分で来れるわよ」

「昨日はそれでこっちにきたのか?」

「酷く酔ったわよ……あなたも覚悟しときなさい……」

 

 空中散歩、なんて言えば聞こえは良いが、落ちるか落ちないかの不安や不安定感が中々、しんどい。その上、真依はそれで呪霊の群れの中に突っ込まされたのだから、しばらく乗り物酔いしない自信があった。

 話しながら、真依は要に視線を落とす。そして、真希に再び告げた。

 

「……ちゃんとご飯食べさせるのよ。栄養食とかジャンクフードばかりじゃダメだからね」

「わーってる」

「あと、あんたの荒々しい口調を移さないようにね」

「それは別に良いだろ。要、男だぞ」

「そういう問題じゃないから。偉そうで高圧的に育てちゃダメ」

「それ私のこと言ってんのか?」

「そういうこと」

「……チッ、お前はこいつの母ちゃんかよ」

「あとお風呂。あんまり早く上がらせちゃダメ。あなたの真似はさせないように」

「今は私だってちゃんとゆっくりしてるっつーの、うるせーな!」

「ちょっと、大きな声出さないで。起きちゃうでしょ、要が」

 

 そう言いつつ、二人して要を見下ろす。が、起きる気配がまるでない。……というか、ちょっと起きなさすぎな気がして来た。

 

「……いつまで寝てるのかしら」

「疲れてんだろ」

「いや、でも前は朝早く起きてトレーニングしてたじゃない」

「寝るのは好きっぽいぞ。前に高専に来た時、夏油の部下っぽい女に起こされてたし」

「は? 何それ。彼女とか? ……は?」

「……そうだった。あのこと聞いとかねーと」

「ちょっと、どういうことよ」

「前に高専に宣戦布告に来た時、こいつ同い年くらいの女に起こされてたんだよ。やたらと距離近く」

「…………は?」

「尋問だなこりゃ」

「そうね」

 

 なんて話をしている時だった。ピーンポーンパーンポーン、というお馴染みの電子音。放送で誰かを呼び出す時に使われる音が流れた。

 

『繰り返しお知らせしまーす。禪院真希さん、禪院真依さん、禪院要くん。グレートティーチャー五条先生が7回目のお呼びです。昨晩、姉弟でお楽しみだったのは分かりますが、至急、武道場までお集まり下さーい』

「あ? 7回?」

「待って。今何時?」

 

 慌てて真依は時計を見る。時刻は12時30分。この時期、日が沈むのは早く、登るのは遅い。三人が睡眠を取り始めた6時のときは、外はまだ微妙に暗かったのだ。

 つまり、大遅刻なわけで。元々、時間が決められていたわけでは無いが、昼まで寝てるなんて前代未聞だ。

 

「うわやっべ……!」

「着替えないと……!」

 

 横になっていた二人は慌てて身体を起こそうとする……が、両腕をぐいっと引っ張られる感覚。

 顔を向けると、要が二人の両腕を抱き枕にしていた。

 

「要、起きろ! いつまで寝てるつもりだ⁉︎」

「起きなさい! あと離しなさい!」

 

 なんてやっている間に、さらに放送が入る。

 

『ていうか、もう真希と真依どっちかで良いから来てくれない? もう他の生徒、みんな解散させちゃったし。この放送終わって10分後に来なかったら僕迎えに行くよ。着替え中でも知らないからね』

「真希、行って!」

「私がかよ⁉︎」

「ここ、東京校だし、あんたなら抜けられるでしょ!」

「っ、わ、分かったよ」

 

 そう決めて、真希は強引に要のホールドから腕を抜く。すると、寝ているはずなのに要の寝顔が少し寂しそうに見えた。

 

「っ……!」

「要ー、私がいるからねー」

 

 真依は声音ではそう言いながらも、視線では「早く行け」と真希に告げていた。

 弟の腕を振り解いてしまったことに罪悪感を抱きつつ、真希は着替えを始める。着替えと言っても、昨日の騒ぎで日用品はほとんど瓦礫の中なので、昨日の私服のままだが。

 

「すまん、真依。頼む!」

「ええ」

 

 慌てて悟が待つ武道場に向かった。

 

 ×××

 

「待たされる側になると、結構腹立つな……」

 

 責めるほどでもない遅刻をする癖がある悟から、そんな呟きが漏れる。外だと寒いが、かと言って教室は男子と女子で寝泊まりに使っているし、武道場集合にしたのは仕方ないとして……。

 最初の一時間くらいはパンダや棘、憂太と話していたが、あまりにも来ないので少しずつ話すこともなくなり、三時間くらいの時には今後の事を話して解散させ、残りの三時間は漫画とか読みながら待っていた。

 そんな中、扉が開かれる。慌てた様子で入ってきたのは真希。他二人は置いてきたようだ。

 

「すまん、悟!」

「やぁ、遅かったね。マジで」

「要が中々、起きなかったから置いてきた。今、真依が見てる」

「いや、まぁ別に良いよ。よくよく考えたら、7年ぶりの3人での夜だもんね。ちゃんと避妊した?」

「だからチゲーって言ってんだろ! それセクハラだぞコラ!」

「ジョーダンだから。じゃ、今後の話を……」

「真希ねーちゃあああああああああん‼︎」

 

 直後、真希が入って来た扉を蹴り壊して要が、借りた寝間着のままの真依を連れて来ていた。

 

「か、要⁉︎ 寝てたんじゃ……」

「どこ行くの⁉︎」

「あなたが教室から出て行った後、当たり前のように覚醒してたわよ……」

「起きてたんだろお前⁉︎」

「え、起きてなかったけど……なんで?」

「逆にこっちがなんでか聞きたいくらいなんだが、色々と!」

 

 なんてやっていると、悟が要にヘラヘラと手を振った。

 

「あ、要。おはよう」

「っ、お、はよう……」

「ぐっすり眠れた?」

「……」

 

 真依の背中に隠れる要。まぁフルボッコにされたわけだし仕方ない。

 

「怒ってるんだろ」

「? 何が?」

「……昨日の事とか、色々。……俺どうなんの? 逮捕? それとも死刑?」

「ははっ、傑が言った通りだ。ホントに察しが良い」

 

 それを聞いて、要ではなく真希と真依も少し身構える。真依の背中に隠れていたはずの要は、それを聞くなり前に出た。

 

「良いよ。昨日の夜は楽しかったし、別にそれでも。覚悟は出来てるよ。俺だって、お前ら呪術師なんかといたいなんて思っちゃいない」

「その呪術師嫌いは相変わらずなのね……でも、死刑かどうか、そっちの方は君次第だよ」

「?」

「上層部は、確かに君を死刑にしたいと考えている。あれだけの術式を披露した上に、傑の一味だったわけだからね。危険因子以外の何者でもない。逃げた呪詛師どもがやらかした責任をも全部君と傑に丸々、押し付けて今回の件を一件落着にするつもりだ」

「良いよ、それで。真希ねーちゃんと真依ねーちゃんに迷惑が掛かるくらいなら……」

「でも、他の道がある」

 

 そう言うと、悟はニヤリと笑みを浮かべ、人差し指と中指を立てた。

 

「七海から聞いたけど、京都での戦闘の際、君は誰も殺さなかったどころか、呪霊を一部、祓った。そうだね?」

「……そんな事で免罪符になるの?」

「させるんだよ、他の要素も少しずつ足して行ってね。僕御三家だから。君の有用性を上に示して、死刑も幽閉も免れるようにする事もできるけど、どうする?」

「……」

 

 言われて、要は黙り込むように顎に手を当てる。チラリと真希と真依を見上げる。二人とも要が悩んでいること自体が意外だった。二つ返事でOKすれば、一緒になれると言うのに。

 その理由を、要はぽつりと漏らすように言った。

 

「……でも、姉ちゃん達を殺しかけた事を、お咎め無しにはしたくない」

「要……」

「それに、何にしても呪術師は嫌いだ。姉ちゃん達以外。そんな奴らと背中を合わせて戦うなんて出来ないよ。刺されるかもしれないし」

「……おい」

 

 真依と真希が声を漏らすが、要は目を合わせようともしない。もしかしたら、昨日ずっと楽しそうに話していたのは、死刑になるつもりだったからなのかもしれない。

 ギュッ、と真希が握り拳を作っていると、俯いている要に悟が言った。

 

「じゃあ聞くけど、このまま死刑になれば満足?」

「……それは」

「今、君が死んでも、真希や真依には傷を残すだけだし、お前に嫌われても最期まで気に掛けていた傑もガッカリするだけだよ」

「っ……」

「確かに要の力は強大だ。上層部が危険視するのも分かるし、使い方を間違えると脅威にもなる。……でも、間違えなければ、真希や真依を守る壊れない盾になると思わない?」

 

 言われて、要はちょっとだけ顔を上げる。

 

「他の呪術師のことなんて守る事はない。君は君が守りたいものを守り、そのために戦いなさい。それも出来ないなら……脅迫するような言い方だけど敢えて言わせてもらうよ。……危険だから、幽閉させてもらう」

「……」

 

 すると、また要は真希と真依の顔を見上げる。二人とも自分を見ていた。というより、睨んでいた。「お前死にたいとか言ったら殺すぞ」と言ってるような。

 自分の希望を、言っても良いのだろうか? そんな事を許してくれる人間は、真希や真依以外にいなかったはずなのに。いやまぁ逆に言えば、今後は高専の使いっ走りにされるということかもしれないが、それくらいで姉と一緒にいられるなら、と思ってしまう。

 

「分かったよ、俺の負けだ。ここで呪術師をやってやる。……でも、姉ちゃん達を殺しかけた罪は償う」

「……うん。OK。任せて」

 

 希望を言ってくれたことで、悟はニヤリと笑みを浮かべた。

 

「ま、でもしばらくは昨日寝泊まりした教室から出ないでね。あと術式の使用も禁止。一応『逮捕してる』って言う事になってるから。……だから、悪いけど真依、帰る時は新幹線で帰ってね。チケット代は出すから」

「ご親切にどうも」

「じゃあ、解散して。僕はやる事があるから先に失礼するよ」

 

 それだけ言うと、悟は武道場から出て行った。

 ……まだ、信用出来るかはわからない。そこまでしてもらって申し訳ないが、人を疑う癖がついている要は、何かあるんじゃないかとどうしても勘繰ってしまう。

 でも、今だけは甘えても良いだろうか……なんて、少し思いながら、真希と真依を見上げた。

 

「そんなわけだから、ねーちゃん。今後も、よろしく……」

「ああ、要。よろしくな」

 

 言いながら、真希は要に手を差し出した。それに応じるように要が握手した直後だ。外側に捻られ、上腕二頭筋と手首を外側に曲げて関節を決められた直後、その真下に潜り込んだ真希が自分の背中の上を通して要を投げ飛ばした。

 

「あ痛ったァッ!」

 

 背中を強打する要の首に、さらに腕を回し、首を絞める。

 

「いだだだだだ! な、何⁉︎ 新人いびり⁉︎」

「テメェ、何格好つけて『死刑になる覚悟は出来てる』だコラ! んな事私達が許すと思ってんのか⁉︎ アア⁉︎」

「そこおおおおおお⁉︎」

 

 ギリギリと首を絞められる要の頭を、さらに真依が掴む。前髪をガッとかきあげ、銃口を眉間に合わせた。

 

「あんたねぇ……そういう事は相談しなさいって言ってんでしょうが。何のために姉がいると思ってんのよ」

「ご、ごめんなひゃいごめんなふぁいごめんなしょい!」

「許すかああああああ‼︎」

「あと6時間くらい絞めてやりなさい、真希」

「死んじゃうってばああああああ‼︎」

 

 そのまましばらくギリギリと骨を軋ませられた。

 

 ×××

 

 教室に戻り、真希がコンビニまで朝飯を買ってきている間に、真依と要が使っていた布団を干し、真希が戻ってきた辺りで朝食。そこで、真依がふと思ったように聞いた。

 

「そういえば……要、服とかどうするの?」

「え? あ……そっか」

「というか、私もだな。寮から着替えとか無事な奴、取ってこねえと」

「いってらっしゃい。私はここに残るわ。どうせ今日には帰るし」

「チッ……まぁしゃーねーか。ちょっと行ってくるわ。ついでにいろいろ、買ってきてやる」

 

 それだけ話して、真希が教室を出ようとした時だ。

 

「え、待ちなさいよ。あなた男物の下着も買う気?」

「あ? ……あー、そういやそうか」

「男子と一緒に行ったら?」

「……そっか。行かないと」

「え、いや待ってよ。ダメでしょ。男の子とデートなんて絶対」

「デートじゃねーよバカ。なんでデートで弟のパンツなんて買うんだよ」

「でも、ダメだってば! 俺でさえ姉ちゃんと一緒にパンツ買いに行ったことないのに!」

「どんな言い分だよバカ!」

 

 というか、じゃあどうしろと言うのだろうか? 少し困ったようにしていると、真依が言った。

 

「なら、乙骨と狗巻に買いに行かせたら良いんじゃない?」

「それもそうか」

「要、パンツのサイズは?」

「え? えーっと……え、なんか恥ずかしいんだけど……」

「じゃ、呼ぶわ」

 

 なんて話しながら、とりあえず憂太と棘に電話をする真希。その間に、要は真依に洋服のサイズを測ってもらう。

 

「あんまり背が伸びてないわね。その年にしては」

「えー、そんなことないと思うけど。……というか、真依ねーちゃん達が大き過ぎるんだよ」

「ちゃんと食べてるの?」

「食べてるよ」

「例えば? 昨日の朝は?」

「昨日の朝はー……寝てたから食べてない……」

「……お昼」

「カ○リーメイト!」

「……真希、ちゃんと食べさせてね。この愚弟に」

「任せろ」

 

 普通に心配になってきていた。

 すると、教室の扉からノックの音。入って来たのは、憂太と棘に追加し、パンダも来た。

 

「おはよう……でもないのかな?」

「こんぶ」

「起きてんのか?」

「おう。早速で悪いけど、服買って来い」

「あとパンツもね」

 

 ご挨拶に身勝手なことを言う二人だったが、もう慣れた様子で不愉快そうな顔をしない三人。というより、早くも察したようだ。

 要だけシカトするようにそっぽを向いたにも関わらず、三人とも快く引き受けてくれた。

 

「あ、うん。分かった」

「しゃけ」

「どんなのにするか」

 

 パンダも行く気らしいが、どうなっても知ったことではないのでスルー。そのまま三人が教室から足早に出て行こうとする中、要が真希の袖を引いた。

 

「で、真希ねーちゃん。どの人が好みなの?」

「「「ッ⁉︎」」」

「ぷはっ……!」

 

 一人、笑いを堪える妹は置いといて、男子三人は肩を震わせる。それを見て、要は不愉快そうに続けた。

 

「パンダ、なんでお前までビビってんの? ……いや、ていうか何あれ」

「あ、そうか。つまり、棘か憂太って事だな」

「姉ちゃん、どっち?」

「どっちでもねえっつってんだろ! なんでそんなに気にしてんだよ!」

「夏油が酔った時にダル絡みしてきた時に言ってた。『初めての恋人は割と忘れられないもの』って」

「あの野郎、人の弟に余計なこと……!」

 

 軽くマジギレしている間に、憂太が恐る恐るきいた。

 

「ち、ちなみに……好みの相手が僕か狗巻くんのどちらかだとしたら……?」

「姉ちゃん、どっち?」

「だーかーらー、どっちでもねえっつーの!」

「無視が怖い……」

 

 姉に呪術師が好かれたり恋したりするなんて問答無用で万死に値する……というシスコンっぷりを感じて身の危険を感じ、憂太が思わず身震いさせた時だ。棘が口を開いた。

 

「しゃけ、いくら、明太子、おかか、高菜、ツナマヨ」

「???」

 

 その場にいた全員が小首を傾げる。棘の言葉が翻訳できるメンバーも分かっていない。当然だ。適当に言っただけなのだから。

 しかし、誰も「なんで急におにぎりの具材?」と言わない辺りで要はすぐにわかった。今のは呪言師特有の語彙を絞った会話。そんなわけわかんない人を好きになる可能性は低い。

 つまり……。

 

「……ふーん」

 

 ジロリと見られ、身震いさせたのは憂太。

 何で僕? と思ったのも束の間、自分が要の立ち位置に立った場合、突然、おにぎりの具材を連呼するやつを姉が好きになるわけがない、と思うだろう。

 涙目で先手を打った同級生の袖を引いた。

 

「ず、狡いよ、狗巻くん!」

「いくらすじこ醤油」

「誤魔化さないで……うわ、きた……!」

 

 要が掌を開いて、自分の方に歩み始めた直後だ。その要の襟を真希が掴んだ。

 

「コラ、要。術式の使用禁止って言われただろうが」

「あ、そ、そっか……じゃあ、拳で」

「それもダメだ。もう、里香いねーんだから一方的なリンチにしかなんねーよ」

「っ……」

 

 弱いものいじめがしたいわけではない。仕方なく手を引くと、意外そうに憂太が呟いた。脳裏に浮かんでいたのは、入学当初に言われたセリフ。

 

『お前、いじめられてたろ。私でもいじめる』

 

 なんてセリフが頭に浮かんでしまい、思わず呟いてしまった。

 

「……真希さんより、根は良い子なのかな……?」

「要、一発なら許す」

「ぃよっしゃ!」

「嘘です、すみませんでした!」

 

 真希が握っていたリードを離したことにより、放たれた狂犬が憂太を襲おうとした直後だった。もう片方の姉がそのリードを掴み直す。

 

「要、実際あなたは真希より良い子でしょ? だから、すぐに暴れようとしないの」

「そんな事ないよ、俺なんて……真希ねーちゃんに比べたらゴミカスも良いとこだよ!」

「なら、ゴミ箱から抜け出して少しでも私達の弟として恥ずかしくない立ち振る舞いを心掛けなさい?」

「うっ……は、はーい……」

「良い子ね」

 

 まるで喉を撫でられた猫ように大人しくなった。実際、頭を撫でられて大人しくなっている。

 その様子を眺めながら、改めて憂太達男子三人は呟いた。

 

「真依さん、すごい……真希さんよりも要くんの扱いを心得ているような……」

「どっちが妹だっけ?」

「すじこ」

「ああ⁉︎ 聞き捨てならねーな! 私の方が要のこと知ってるに決まってんだろ!」

「ふふ、言ってなさい。モノを言うのは第三者がどう思うかだもの。ねー? 要?」

「ねー?」

「要、そういうこと言って良いのか? これから私と一緒に暮らすのに」

「わー、嘘嘘! 真希ねーちゃんも俺に詳しいよね! 7年ぶりに会って学ランなんて着てたのに、すぐ俺だって理解したし!」

「それ私もだけどね」

「ま、真依ねーちゃん……!」

 

 と、いつの間にか姉弟でイチャつき始められてしまったので、男子三人はしれっと出て行った。

 しかし、と真希は思う。なんだかんだ、要は今、男子達と一度も会話していない。これは今後、苦労しそうだと心底思った。

 

 ×××

 

 狗巻棘という痒い所に手が届く男がいたため、真依による厳しい私服審査も無事に通り、それとついでに目を隠す為のサングラスももらい、夕方。

 つまり、そろそろ帰宅の時間である。教室からトイレとシャワー以外で出れない要は、教室から出ていこうとする真依に声を掛ける。

 

「じゃあ……またね。真依ねーちゃん」

「ええ。次に会う時は、急に背後に現れるのはやめなさいよ?」

「うん……」

 

 帰らなきゃいけない、と言うのは分かっているが、要は少し寂しそうにしてしまう。

 仕方なさそうにため息をついた真依は、要にハグをしてやった。

 

「……ほら、寂しそうにしないの。生きていれば、また会えるでしょ?」

「……死なないでよ。死んだら……また地盤持ち上げて京都校に落とすから」

「じゃ、死ぬわけにいかないわね」

 

 そう言い交わしてしばらく抱きしめ合った後、送迎の伊地知が腕時計を見てから、少しだけ気まずそうに声を掛ける。

 

「真依さん、そろそろ……」

「……ええ。じゃあ、またね」

「真希ねーちゃん。真依ねーちゃんの見送り行ってあげて」

「……良いのかよ?」

「うん。……一人は、寂しいから」

「……悟に言われた事、忘れてねーよな?」

「大丈夫。死んでも、教室からは出ないし術式も使わない」

「なら良い」

 

 それだけ話して、真希と真依は伊地知と共に出て行った。その背中を眺めながら、要は一人で教室の真ん中でボケっとする。

 家具とかはないので、とりあえず着替えとか日用品は後ろのロッカーに置いておいた。

 外に干しておいた布団も中にしまい、端っこに畳んで寄せておいて一息つく。誰もいなくなった教室……ホラー映画だと定石だが、要は初めての経験だった。

 

「……確かに、電気ついてなかったらちょっと怖いかも……」

 

 なんて思ってもないことを呟きながら天井を眺めている時だった。

 ……ふと、気配を感じる。ゆっくりと身体を起こし、再び寝転がった。どうせなら……油断してるフリをして誘い込む。そう決めて目を閉じた直後だった。ズボッと色黒の手が生えたのは床下からだった。

 

「!」

 

 予想外の襲撃にジャンプしようと避けたが、左足だけ掴まれる。すぐ術式を使おうと片手を天井に向けたが、ハッとして思い出す。術式は使ってはならない。いや、そもそも術式を使おうとすると、少し脳が重く感じる。アフリカで全力の戦闘をした後に術式を使った時と同じ感覚だ。

 そして、その一瞬の迷いが大きな隙となった。

 

「チッ……!」

 

 足を掴んだまま床下に引き摺り込まれそうになる。どこのどいつだか知らんが、パワーは自分より上だ。このまま引き合っても勝てないので、反対側の踵で掴んでいる指を蹴り付けた。

 

「アウチッ……!」

 

 そんな声が聞こえた直後に、要は身体を持ち上げて元の場所に戻ると同時に、天井に張り付いた。呪力を込めた両手の指をめり込ませて、這うように真下を見る。呪力を込めるだけでも頭痛がするが、地下からの襲撃に警戒しないわけにはいかない。

 

「マ、待テ。要。オレダ!」

「……あ?」

 

 このカタコトの話し方、聞き覚えがある。穴から出てきたのは、ミゲルだった。

 

「ミゲル……!」

「スマン、誰カト一緒ニイルト思ッテ、一瞬デ持ッテ帰レルヨウニシヨウトシタ」

「……なんでここにいんの?」

「オ前ヲ迎エニキタカラダ。ソレト、夏油モナ」

「……」

 

 夏油がメインで自分はついでの癖に……と思い、いやそれ以前に夏油傑の死亡を知らないのだろうか? 

 ……あり得る話だ。何せ、自分が傑が敗北した後にゴタゴタを引き起こしたのだから。

 

「夏油なら死んだよ」

「……ヤハリカ。丸一日、連絡ガ途絶エタカラオカシイト思ッテイタ。ダトスルト……真奈美ノ勘ガ当タッタカ……!」

「あ?」

「オ前ハ何故、京都デハナクココデ捕マッテイル?」

 

 ズズッ、とミゲルから呪力が漏れ出る。

 そういえば、自分の担当は京都。東京で捕まっているのは、ミゲル達から見たら確かに不自然だ。

 

「オ前、夏油ヲ……ソシテ、家族ヲ裏切ッタナ……!」

 

 直後、一気に拳を放ってくる。あの巨漢から溢れ出ているとは思えない速度の拳。それを回避し、黒板の前に逃げた。

 裏切り……と言われれば、確かに裏切りだ。京都をほっぽり出して東京に出て来て、その途中で夏油傑が放った呪霊達を祓ってきたのだから。

 だから、言い訳するつもりはない。黙ったまま、天井にめり込んだ拳を抜いて着地をするミゲルを前に、ただ黙って構えた。

 

「……イエス、ト取ルガ、構ワンナ?」

「好きにして」

 

 呪力は使えない。というより、使わない方が良い。頭痛が激しくなるからだ。その上、術式も禁止で移動できるのは教室内のみ。買ってもらった日用品も傷つけないようにして追い返す。

 そう強く決めて、要も身構えた。

 

 



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過去にやらかした事実は消えない。

 騒がしい……と、五条悟は少し疎ましく思いながら教室に向かった。なんか戦闘音がするし、かと思ったら静かになった。それも、要に貸した部屋だ。

 とりあえず様子見……と思い、中を見ると、驚いた。窓はバキバキ、黒板はヒビだらけ、床にも天井にも穴が空いていて、唯一無事なのは角の布団とロッカーくらいだろうか? 何箇所かに血痕も飛んでいた。

 その中心で、椅子に座って頭を拭いているのは、禪院要。ぼんやりと天井を見上げている。

 

「随分と暴れたねぇ」

「……五条か」

「誰が来てたの?」

「……ミゲル」

「あの黒人か……」

「あんたの気配を悟ったのか、すぐに逃げたよ」

 

 話しながら、要は赤く染まった白いタオルをゴミ箱に放る。

 教室内を見回しながら、悟がその要に微笑みながら聞いた。

 

「ていうか、術式使わなかったんだ?」

「使ったよ」

「いやいや、隠し事したいなら、ちゃんと人の目を見て話さないと」

 

 六眼がしっかりと残穢も教室内の戦闘の跡も捉えていた。その中に、要のものは無い。いや、呪力による身体強化の跡は所々、見えるが。

 

「余裕だったから心配しないで。教室から出てないし」

「今捨てたタオル、血?」

「これあいつにやられた奴じゃないから」

「へぇ、じゃあ誰に?」

「……てか、来んの遅ぇーよ」

「あ、話逸らした」

 

 うるせーよ、と頭の中で悪態をついてそうな顔に、悟は笑みをこぼしてしまった。

 しかし、本当に呪術師が嫌いなのだと改めて思う。本当に何も素直に言わない。ああいう心の中に傷を負っている生徒に関して、無理に「嫌うな、素直に言え」と言ってもダメだと思うので、何も言わないが。

 でも、皮肉な事にそういう意味のない意地は、真希の事を全く認める気のない禪院家にそっくりだ。

 

「で、何か話したの?」

「は?」

「随分、短かったでしょ。あいつが撤退したの。真希と真依がここ出てー……まだ10分くらい?」

「お前がきたからだから」

「戦闘中に、九眼持ちと戦ってて向こうが気付いたの?」

「……チッ、トイレ行きたい」

「誤魔化し方が軽くなってきてるよ」

 

 あ、少しずつイラついてきてる、と悟はこれまた愉快そうに微笑む。

 

「うるせーな……なんなのあんたは。関係ないでしょ」

「あるよ。呪術師になるって決めてもらった以上はほら、助け合いが大事でしょ」

「は? 1人の時が一番強いくせに何言ってんの?」

「……分かるんだ、そういうの」

「無下限術式については調べたし、夏油からも聞いた。極端な話、茈適当にぶっ放してれば勝てるタイプだろ、あんたは」

「……まぁね。でも、要はまだそのレベルじゃないだろ? 強い大人には甘えた方が良いんじゃない?」

「ざけんな。極力、呪術師には甘えないでいくに決まってんじゃん」

 

 本当、いじっぱりで面倒くさい、と悟は苦笑いを浮かべるどころか、少し嫌そうな顔が出る。

 

「……極力、情報なんて渡さないに決まってるでしょ」

 

 用心深い……まぁ、一人で生きていればそうなるだろう。恐らく、能力に関してもまだまだ隠している用途があるだろう。

 けど、それについては聞き出さない。奥の手を隠すのは当然と言えば当然だし、何より今の彼に無理に色々と、聞き出すのは良くない。

 

「あっそ。……でも、姉を悲しませないようにね?」

「引き合いにすぐ姉ちゃん出すのやめろ」

「ごめんごめん。……ま、新しい教室用意しとくから、そっちに荷物とか移しちゃって」

 

 それだけ言うと悟は一度、教室から出た。これは、簡単にはいかない気がする……と、悟は困ったようにため息をつく。

 これからこっちでやっていく、と決心したところで、過去にやってきたことはなくならない。それは行いだけでなく、他人に対して取ってきた態度も同様だ。

 彼には彼の事情がある、と思うしかない。そう思いつつ、とりあえず別の空いてる場所を探しに行った。

 

 ×××

 

 悟が戻ってきた真希に新しい教室を案内して、要と一日目の夜だ。なんか急に「教室移動」と言われたが、どうしたのだろうか? まぁたまに意味のない事をさせる悟の考えなんて、あんまり聞いても意味がないのだが。

 その案内された場所に入ると、要がフリフリと手を振ってくる。

 

「おかえりー、真希ねーちゃん」

「おう」

「真依ねーちゃん、元気そうだった?」

「ああ……まぁな。でも、やっぱ寂しそうではあったけど」

「京都にも、いつか行かないとね。二人で」

「呪術師にそんな暇あるかよ」

「いやほら、俺が呪術師になったら間違いなく特級だし。遠くの地に出現した特級しか祓えない呪いとか行くかもよ?」

「自惚れてんなバカ。昨日、ボロカスにされたの誰だよ」

「う、うるさいな……言っとくけど、もう少しクレバーだったら俺が勝ってたから。切り札、ラピュタ以外にもう一つあるし」

「そのセリフがもう言い訳くさくて負けてんだよな」

「んがっ……!」

 

 というか、悟がピンピンしている時点で無理だろう。要の全力の戦闘は結局見られていないが、あの規模の術式は悟に近いものは確かにあった。……が、そもそも呪術師としての年季も、身体の作りも違う。まだ成長期も来ていない肉体の要では、190超えていてしっかり鍛えられている悟とは、良いとこ善戦出来るか、と言う所だろう。

 

「てか、んなことよりもよ、要」

「何?」

「本当は真依がいるうちにハッキリさせときたかったんだが、まぁそんな暇なかったから今、聞いときたい事あんだよ」

「???」

 

 というか、なんなら真依との別れ際に思い出したことだ。目尻に涙を浮かべた真依が「これだけは聞いて結果を私に後で教えて」と強く肩を握って言われ、その後にハグをするハメになったほど大事なこと。

 少し、聞くのが怖い。でも、聞かないわけにはいかない。姉としても。

 

「……お前、あの口の中から出てきた双子とどういう関係だよ」

「そこ⁉︎」

「そこだよ。他にどこにあんだよ。お前ばっかりこの前は尋問してきたけどよ、お前だって怪しー女、二人もいたろうがよ」

「え……い、いや……別にあの二人とは、何も……」

「しかも、かなり気を許してたよな? 寝てたとはいえ、他人に身体を触られて嫌がらねーなんて、お前らしくねーじゃねーか」

「そ、そんなことないよ。あれはー……そ、そう。家族のフリだから! 味方を欺くには、味方からって言うでしょ」

「それ一段回目からゴールじゃねーか。……や、そんなんどうでも良くて。まさかあの二人、付き合ってるなんてことねーだろうな?」

「な、なんで俺までそんな疑いをかけられて……」

「いいから答えろよ」

 

 ずいっ、ずいっ……と、質問のたびに迫って圧をかける。その度に、弟は後ずさるが、壁際に追い詰め、その壁に手を置いた。

 

「……」

「あ、あの……ほんとに別に、なんの関係もなくて、ですね……」

「で?」

「別に、特別な感情とかもなくて……」

「で?」

「……む、むしろ嫌いです! そうだよ、呪術師なんてそもそも俺が好きになるわけが……」

「ダウト」

「ハワイ⁉︎」

「ホワイ、だ。……お前の嘘を私が見抜けねーわけがねーだろ。嘘ついたってことは、なんかあるな?」

「なーいー!」

「それ無理。お前ちょっと今日は眠れると思うな。聞かなきゃいけない話がたくさんある」

「ええっ⁉︎」

 

 それは困る、と言わんばかりに声を漏らす要。今日くらいは普通に寝たい、ということだろうか? 

 その反応を見て、真希はニヤリとほくそ笑むと高圧的に聞いた。

 

「今のうちに吐けば、今日は同じ布団で寝てやっても良いぞ?」

「っ……ま、まぁ……少しは、他の奴に比べると……年が同じだから、一緒にいる機会も多かったり?」

「付き合ってんのか?」

「だからそれはないって……」

「好きなのか?」

「それもない! ねーちゃんのが好きだから!」

「……ならよし」

 

 嘘を言ってる感じじゃないので、とりあえず信じてあげることにした。これで今日は一緒に睡眠だが、まぁそれくらいは別に良いだろう。

 満足げに頷いている真希の前で、要は難しい表情をして悩んでいる。

 

「どうかしたのか?」

「ん……や、別に」

「別にってツラしてねーだろ」

「や、ほんとだって。ただ、まぁちょっと不思議な感覚というか……姉ちゃんといられるのが、ちょっと変な感じあってさ……」

「……」

 

 本当にそれか? と思ったが、まぁ気持ちはわかる。自分も、嬉しいやら少し困るやらで色々と頭の中で混乱しつつはあった。

 なので、とりあえず今はスルーしておく事にした。代わりに、その要の頭に手を置いて笑みを浮かべた。

 

「私もだよ。……身長差は昔のままだけど、大きくなったな。要」

「……うん」

 

 なんて話しながら、要と真希はとりあえず布団を敷いた。晩飯も真依がいる間に食べたし、後はシャワーを浴びて寝るだけ。

 まだまだ話したいことはたくさんあるし、この機会に他の男子生徒達の良いとこも知ってもらいたいとこだ。

 

「要、今いる高専の術師で興味ある奴とかいるか?」

「真希ねーちゃんと真依ねーちゃん!」

「……以外で」

「……さぁ? それより真希ねーちゃん、呪具欲しくない? 俺、呪具作れるんだよ。この前、呼んできた無数の呪具、全部俺が作った奴だから」

「……」

 

 まぁ、会話する前から他人に興味を持て、と言う方が難しいか、と思い直した。

 

「……そうか。どんな奴だ?」

「手袋に刻印つけて、武器に反対側の刻印つけて、呪力流せば自由に引き寄せられる奴。俺の場合は手に元々、刻印がついてるから手袋いらないけど」

「面白いじゃねえか。……私は呪力ないから使えねーけど」

「真希ねーちゃんが使う場合の呪具もちゃんと考えてあるよ」

「そうなのか?」

「うん。……まだ作ってないけど」

「どうせなら、ちゃんと強いのにしろよ?」

「分かってるよ。とりあえずね……!」

 

 と、ワクワクした表情で語る要の話を、真希は笑顔で聞き続けた。ホント、一日経ってもこんな風に普通に話せる事が嬉しく思える。

 願わくば、こんな日が長く続いてほしい……なんて、しんみりと思ってしまった。

 

 ×××

 

 その日の夜、真希と同じ布団の中で寝ていた……が、要はすぐに目を覚まして身体を起こした。何かあった時のために、好きな時に起きれるようなスキルも身につけた。

 ふと、真横を見る。昔は大きないびきを立てて寝ていた真希も、今では普通に静かな息をするような寝息となっている。久しぶりにあの声も聞きたかった気はするが、まぁ仕方ない。

 その真希の頬に、手を当てた。

 

「……ごめんね。真希ねーちゃん」

 

 綺麗な寝顔……今度こそ泣かせないように、そして怒らせないようにしないといけないが、そうも言っていられなくなってきた。

 謝罪をしたのは、これから約束を破るからだ。

 先程、自分を……いや正確に言えば傑を助けに来るつもりだったミゲルと少し、喧嘩をした時、言われた事を思い出す。

 

『弁明ガアルナラ、明日ノ朝マデデアレバ聞イテヤル。但シ、ココデハナク家族ノ家デ、ダ。……戦イニ敗レタノナラマダシモ、裏切ラレテ殺サレタノナラ看過出来ンカラナ……!』

 

 恐らく、向こうにとっても自分がいる事は予定外だったのだろう。高専に潜入して傑を探していたら、たまたま窓からあの教室に自分がいる事に気付いた、といったところか。

 だからこそ、対応も中途半端だった。戦闘の途中、こちらが呪力を使うと頭から出血したのを見て、すぐに手を引いた。

 正直、呪詛師どもがどうなろうが知ったことではない。ミゲルもラルゥも利久も真奈美も嫌いだ。

 だから、シカトでも良かった。というか、ぶっちゃけそいつらは今でもどうなったって良い。

 それなのに胸の奥に引っかかるものがあったのは、夏油傑が置き土産のように吐き捨てた言葉の所為だ。

 

『菜々子と美々子を、頼むよ』

『君だから、だよ』

 

 厄介な呪いを浴びたものだ。それでも、自分は傑の事も嫌いだから、聞いてやる義理なんかない。

 ついさっきまで行くか行かないか悩んでいた。けど、姉に気付かされた。まだ嫌いじゃない、なんて言い切れないが、それでも正直、たまに一緒に遊んでて楽しかった事もあったのは認めざるを得ない。

 だから、まぁ……出来ることはしたい。

 そう決めて、窓を開けて扉を閉め、術式でくっつけた。呪力を使うとやはり頭痛は出たが、さっきそれなりに使った時の戦闘ほどではない。少し休めば平気なようだ。

 別に今生の別れではないが、最後にもう一度、姉の顔を見た。こちらに気付いてる様子はなく……というか、自分がいない場所にまだ侵食していた。

 

「寝相の悪さは相変わらずだね」

 

 絶対に戻ってくる……そう意を決して、要はたんっ、たんっと軽いジャンプで建物の屋根に上がった。

 方角を測り、風向きを把握すると、一気に飛び出すため両手に呪力を込めて……! 

 

「未成年の深夜徘徊は補導されちゃうぞー?」

「チッ……」

 

 聞きたくない声が背後から響き、反射的に掌を向けた。が、後ろで悟が人差し指と中指を立てているのが見え、術式の起動は控える。

 

「なんか用かよ、悪いけど俺は行くよ」

「良いよ。行っておいで」

「……は?」

「傑の遺言を、達しに行くんでしょ?」

 

 バレているらしい。が、わざわざ目的は口にしない。元々のチームメイトに会いに行く……なんて言って信用されなかったら「寝返る気」と思われるかもしれないからだ。

 

「ただし、早朝6時までには戻って来るように」

「早いな」

「じゃないと、真希も起きちゃうかもよ」

「……」

「ほらほら、早くいかないと。なるべく真希に知られたくないでしょ? 勿論、術式使って良いから」

 

 現在、11時58分。片道で30分程として、5時間と2分。何とかなるだろう。

 

「……何の真似?」

「何が?」

「俺がこのまま敵に寝返っちゃったらどうするの?」

「いやいや、律儀に人との約束守って、襲われても術式も使わないし、教室からも出ない、買ってきてもらったものを傷つけないように立ち回る人が、寝返ることはないでしょ」

「……チッ」

 

 その通りだが、ほんと何もかも見透かしたような物言いが癪に触る。

 

「……わかんないよ? 人質とか取られてたら、寝返るかもだし」

「それはないから。君にとって人質としての価値に値する子は真希と真依だけでしょ。真依はさっき無事に高専着いたって歌姫から連絡来たし、真希も寝てるから。だから、安心して行っておいで」

「……お前、ほんとムカつく」

「素直じゃないねぇ」

「うっせーよ。マジ殺すよ」

 

 真希と真依以外の人間に、あんまり茶化されるのは不愉快だ。舌打ちしながらそう言うと、悟は「おーこわっ」と思ってもいないことを呟く。

 それに苛つきながらも、とりあえず抑えながら一番、大事なことを聞いた。

 

「……ちなみに、あんたが……或いは別の奴が、俺の後をつけて、夏油のアジトを探し出して仲間を一網打尽にしない、っていう根拠は?」

「……ないね。だから、約束しよっか」

「?」

「もし、僕が君の後をつけてたら、高専で真希と同室にしてあげるよ」

「ついて来ても良いけど、いや本当に良いけど絶対バレんなよ」

「う、うん……いや、ダメでしょ。良いから行っておいで」

 

 早かった。

 

 ×××

 

「なるほどなるほど……真希を引き合いに出せば良いのか」

 

 そんな事を、顎に手を当てながら呟いた悟は「良いことを知った」というようにクックックッと笑みをこぼす。なんだかんだ操りやすい子なのかもしれない……が、あれで賢い子だ。同じ手が通用するのはあと5回くらいだろう。や、十分多いが。

 信頼はしたいし信用したいとも思っているが、味方と言い切るにはまだ早い少年だし、温存しておいた方が良いだろう。

 

「……うーん、あとは五つ、引き合いになるような餌を考えないとな……」

 

 顎に手を当てた悟は、とりあえず考え込む。要が、と言うよりも、男が女にしてもらって喜びそうなこと……。R18になるようなものは流石に許されないが、もっとこう……いや、そもそも何かしてもらうとかじゃなくて、自分に出来る環境を用意してやれば良い。

 そういう話は、学生時代によく親友とした。一体、彼のシスコンがどこまで行っているのか、にもよるが……。

 

「……同室は使ったから……一緒に任務、一緒に座学……いや座学は学年違うし無理か……となると、一緒にー……お風呂とか?」

 

 姉弟だし平気かな、なんて適当な事を考えながら、適当に伸びをした。

 さて、そろそろ寝るか、と悟は伸びをする。明日は朝早く要を出迎えて、バレないように元の場所に戻る手伝いをしないといけない。

 そう思って、軽く伸びをしている時だった。ふと、六眼の視界に入った一羽のカラス。術式が込められている。

 

「あれは……」

 

 見覚えがある。カラスを扱う術師は、悟の知る限り一人しかいない。

 冥冥……フリーの一級呪術師だ。フリー、の時点で敵でもないが、味方というわけでもない彼女は、この世の誰にとっても動かすのが容易い。

 ……何故なら、金さえ払えば仕事をしてくれるからだ。

 

「なるほど……そういうことか」

 

 やれやれ、野暮な老人どもめ……と、小さくため息をつきながら、悟も動き出す事にした。

 

 ×××

 

 上空から急降下する人影というのは普通に考えて投身自殺だが、要の場合は着地シーンだ。着地の前に少しだけ真下にも刻印を出して反発させて衝撃を殺し、静かに大地に両足をつける。長距離移動による能力使用で少しまた頭から血が流れたが、着地前に拭き取って術式で傷口を塞いだ。

 さて、数日来なかっただけなのに懐かしく感じる現場に到着。辺りを見回した。

 

「いるんだろ。来たよ」

「ホウ、逃ゲズニ来タカ……チャント一人デ来タカ?」

「そりゃな」

「裏切り者が招集に一人で応じるなんて、舐めているのかしら」

 

 正面にミゲル、右にラルゥ。左に、真奈美と利久。やる気満々、と言った配置だ。

 

「久しぶり……でもないか」

「挨拶をする、なんて礼節があなたにあったのね」

「今更、礼儀正しくしたところで、俺達が許すとでも?」

「別に許してもらいに来たわけじゃないし、お前らに言ったわけでもないよ」

 

 言いながら、首を左右に倒す。そして、正面の外国人に聞いた。

 

「ミゲル、お前が俺にわざわざこの機会を作ったのは、夏油の最後の言葉をもしかしたら聞いたかも、と思ったからだろ?」

「……ソノ通リダ」

 

 裏切り者にそんな言葉を言うわけがないが、それでもここに集めたということは、途中で「まだ裏切りと決まっていない」と思い直したからかもしれない。

 次いで質問してきたのは真奈美。怒りを如何にも噛み殺していそうな表情で聞いてきた。

 

「まずは、本当に裏切ったかどうかを聞きましょうか」

「裏切るも何も、俺はお前らを家族と思ったことなんか一度もないよ」

「……答えは出たな」

 

 そう言った利久が術式を起動しようとしたので、要も構えた直後だった。

 

「待って!」

 

 ふと、聞きたくないけど聞くべき声が聞こえてきた。声の主は、建物から出てきた枷場菜々子。その横には美々子もいる。

 その二人に、真奈美が声を掛けた。

 

「バカ、どうして出て来たの⁉︎」

「だ、だって……全然、夏油様の話してない……!」

「そーじゃん! まずその話を聞くって事だったっしょ⁉︎」

「だからって、お前らが出てきたら作戦が……!」

「普通に気付かれてたから意味ないから!」

 

 菜々子に言われた利久は、ふとさっきの要のセリフを思い出す。「お前らに言ったわけじゃない」……それはつまり、自分を囲んでいる大人達に、ではなく、奇襲用に隠れていた二人に向かって言ったということ。

 しかし、まさかそれを視野の狭い二人の双子に気付かれるとは思わなんだ。

 やがて、ラルゥが要に対して静かに告げた。

 

「要……聞かせてもらうわ。あなたが傑ちゃんと最後、どうしたのか。何を話したのか」

「どうせ信じないでしょ。特に、そこの二人で1セットは」

「「あ?」」

「挑発しないで。あなたも話すためにここにきたんでしょう?」

 

 真奈美と利久を指差して言うも、ラルゥがそれを制する。

 

「話セ、要」

 

 ミゲルにも急かされたので、要は小さくため息をついた。仕方ない、どこから話せば良いのか分からないが、少なくとも菜々子と美々子が真面目に聞いている以上、適当なことは言えない。

 

「……この前の高専に宣戦布告に行ったとき、ねーちゃんがいたのはラルゥとナナミミは知ってるでしょ」

「ええ」

「「略すな」」

 

 そこにツッコミが入ったのは無視して、要は続けた。

 

「俺にとって家族は、姉ちゃんだけだ。生まれた時から。聞いてるかもしんないけど、親父に刺されて捨てられて夏油に拾われて生き別れてからの7年間、ずっと姉ちゃんが心の支えだったよ」

 

 しれっと姉は一人であることをアピールしつつ言う。弱点がバレるのはなるべく避けたい所だ。

 その要に、利久が片眉を上げながら聞いた。

 

「拾ってくれた夏油様に感謝の意はないのか?」

「呪術師の名家で実の父親に刺されて、呪術師なんか信用できるわけないでしょ。ましてや、夏油なんてとどのつまりテロリストだ。非呪術師を虐殺して」

「恩と信用は別問題だと思うが?」

「だからそういうことだよ」

 

 恩はあるが、信用はしていない。実際、知らない所で姉を殺されかけたらしい。

 

「……実際、あいつが殺してきた非呪術師にも家族があった奴もいる」

「何でわかるのよ」

「死体の左手薬指に指輪がついてた」

 

 真奈美の質問にもすぐに返した。まぁ、そろそろ話を軌道修正したい。

 

「だから、百鬼夜行当日に俺は動く事にした。京都なんて結局、陽動の一部でしかない場所に派遣された時点で『あ、これハブられたな』って思ったし、数人の術師を相手にしてからさっさとあの場所を離脱して、姉ちゃんを助けに行った」

 

 聞きたいのはこの後だろう。まぁ言っても信用されないのは分かっているが……正直な話を聞きたいのだろうし、言うだけ言ってみた。

 

「向こうに着いた時には、もう夏油は五条悟に見つかってたよ。片腕なかったし、乙骨憂太に負けた後だと思う」

「……夏油様が、まだ呪術を学んで一年も満たない子供に? 冗談も休み休み言いなさい」

 

 ほら見たことか、と真奈美の意見を聞いて要はため息をつく。

 が、美々子が横からぼそっと呟くように言った。

 

「……けど、疑う理由もない……」

「何処がだよ。そもそもこいつの存在自体が信用ならねえんだから」

 

 すぐに利久は首を横に振るう。

 ま、そういう反応されるのは予想通りだ。そのまま要は続けた。

 

「その後は……まぁ色々合ったけど、夏油と五条悟相手に戦ってボコられて、瀕死の夏油から最後に『菜々子と美々子を頼む』ってだけ言われて、その後は落下して五条悟に夏油預けて別れた」

「説明端折ってるでしょう……」

「トイウカ、ソノ二人相手ニシテヨク生キテタナ……」

「……俺は夏油も嫌いだったけど、あいつは俺のこと嫌いじゃなかったからね」

 

 言うと、ラルゥとミゲルは少し考えるように顎に手を当て、真奈美と利久は一層、要を強く睨みつけ、菜々子と美々子はふっと目を逸らす。見事に考えが割れてしまっていた。

 まぁ、何にしても要の要件は伝えないといけない。

 

「そういうわけだから、俺がここに来たのは夏油の遺言を果たす為だよ。……美々子、菜々子。俺と高専に来い」

「え……?」

「は?」

「お前らをよろしく、と言われたけど、具体的にどうして良いのか分からんから、とりあえず引き取らせてもらうよ」

 

 正直、高専が良い場所かは分からない。というか、そんなわけがない。呪術師の巣窟だから。

 しかし今後、非呪術師として生きるのには無理がある。何せ、義務教育も出ていないのだから。……いや、地図にも載っていない村で檻に幽閉されて暴行を受けていた、という時点で出生届が出ているのかも怪しい。

 なら、呪詛師などという実力がモノを言う世界に行くくらいなら、まだ呪術師をしていた方がマシだろう。

 

「で、でも……」

「あんたは高専でやっていくつもりなわけ?」

「そうだよ。呪術師は嫌いだけど、姉ちゃんいるし」

「……私達は、夏油様と一緒で……非呪術師は嫌い……」

「そんな奴らを守る仕事? 冗談じゃねーっつーの」

「それは二人が高専でどんな部署に進むか次第でしょ。俺もまだ向こうに行ったばかりで全然、知らんけど、当然の事ながら裏方みたいな仕事する人もいるんじゃないの?」

 

 言われて、二人はお互いに顔を見合わせる。物によるだろうが、全員が全員、非呪術師を直接守るような事はなく、その呪術師をサポートする役割とかもあるだろう。

 それに思い当たって、意外と悩んでいるのかもしれない。断られてもとりあえず強制的に連れて行くつもりではあったが、この様子ならその心配も無くなりそう……と、思っている時だった。

 その二人に、真奈美が口を挟んだ。

 

「流されちゃダメよ、菜々子。美々子。あいつの言うことが本当である根拠なんてないの。下手をしたら、あんたらを上に差し出す事で出世を狙っている可能性だってあるのよ?」

「……は?」

 

 その言葉を聞いた直後、要の額に青筋が浮かぶ。

 

「お前今、何つった? ……俺が呪術師相手に媚び売るとか、本気で言ってんのか?」

「当たり前じゃない。……あなたが家族達に絡んで来なかったように、長く一緒にいただけで私はあなたのこと何も知らないもの」

「なら覚えとけよ。言葉に気をつけろ。お前、俺の目を見ただけで泣かされたのを忘れたか?」

「ッ……言うじゃない、ガキが……!」

 

 そろそろ限界だったのかもしれない。真奈美も臨戦態勢に入っていく。その隣の利久も同様だ。

 

「……そうだな。話は終わりだ」

「強気だな、お前らが俺に勝てると思ってんのか?」

「当然だ。何せ俺達には……歴戦の猛者がついてる」

「……あ?」

 

 その直後だった。真上からふっと影が差す。それと同時に振り下ろされる炎を灯した刀。自分の首を狙って一直線だ。

 懐かしい術式、懐かしい着物、そして懐かしいシワだらけのシカメっツラ……忘れるはずがない。姉二人とは違う意味で拝みたかった顔面だ。

 見るなり、要は殺気の籠った笑みを遠慮なく向けた。

 その炎刀の一閃を回避した要は、呪力を全開に込めて殴り掛かる。回避され、刀を振るわれ、しゃがんで避けて足元に一発。それをジャンプで回避されて後ろに着地。

 お互い、そのまま振り向きながら、刀と刻印がついた掌底を叩き込み合う。

 ギギッ……と押し合いになりながら、要は目の前の男に声を掛けた。

 

「久しぶりじゃん。クソ親父」

「黙れ。私の汚点が」

 

 禪院扇……当主になるために自分を刺し、捨てた男。それが何故だかここにいるが、どうでも良い。

 とりあえず、ボコボコにする……! 

 そう強く決めて、続きを始めた。

 

 



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何しに来たんだろうね。

 禪院扇の元に相談が持ちかけられたのは、ミゲルが戻ってすぐのことだった。ミゲルの話を聞いてすぐに、真奈美は動き出した。裏切り確定、とでも言うように禪院家に交渉した。扇なら、確実に息子を殺したがっているだろう、と。傑から難しい家庭と聞いていたので、後は傑が残したお金を一部、持っていけば、その狙いはうまく行く確信があった。

 扇も快諾した。金にも困っていたし、姿を消した後でも自分の道を阻む愚息を今度こそ消し去れる。勿論、他の家族に知られるわけにはいかないからこっそりと出て行った。

 いくら要が強いと言っても、まだ15歳のガキ。父親である扇に勝てるはずがないと、両者とも思っていた。

 

「ちょっと、真奈美? あなたいつのまに御三家なんかと……!」

「ソウダ。俺達ニモ内緒ダッタノカ?」

「俺は知っていた。……ミゲルがいるとはいえ、向こうが仲間を連れてきたら確実に殺せないかもしれないからな」

 

 真奈美と利久は二人だけで交渉に向かっていた。何せ、ラルゥや双子は絶対に反対するから。

 とにかく、要の所為で自分達が敬愛する人物は死亡した、と本気で思っていたため、手段を選ばなかったのだ。

 ……しかし、その狙いに早くも暗雲が垂れ込める。

 

「っ……!」

 

 距離を詰めてくる要に対し、扇は刀に炎を込めようとする。が、それが発現しない。まさか、とすぐに理解した。あのサングラスは九眼を相殺させる効果を持つわけでなく、普通の黒いサングラス、という事だろうか? 

 ならば、自身の目には見えていないはず、と思い、迫ってくる要にカウンターを放つ……が、それをあっさりと回避されたと思ったら、フッと加速して通り過ぎられる。

 扇にダメージはない。何もされなかった? と片眉を上げてしまう。……が、要の視界に映っていない周りから見れば一目瞭然だ。扇の左手の甲と頬に刻印が一つずつついている。

 要が格好つけて指をパチンと鳴らした直後、その刻印がついた手の甲が頬に迫り、直撃。そのままくっ付いてしまった。

 その隙に距離を詰めた要は、扇の刀に蹴りを叩き込んでへし折ると共に、こちらに顔を向けさせて顔面に掌底を叩き込んでぶっ飛ばすと共に刻印を付与。反対の手をかざして引き寄せ、ボディに膝蹴りを叩き込み、頭を掴んで自身もろともグルグルと回転して振り回し、遠くに投げつけた。上空に舞い上がった扇に手を向け、そこから刻印をさらに放ち、山の中へと捨てるように吹っ飛ばす。

 

「グオアアァァァァ……」

 

 瞬殺である。それはもう、何が起こったのか分からないレベルで。生死は確認出来ないが、少なくとも戦える状況ではないだろう。

 真奈美にとっても利久にとっても想定外。自分達が援護をする暇もなく終わってしまった。

 あっさり蹴散らした要は、いつの間に出血したのか、頭から流れる血を拭ってそのまま双子に顔を向ける。

 

「で、どうすんの? 菜々子、美々子。なるべく早く返事をしてくれると嬉しいんだけど。もしくは……また後日にするか」

「……後日、でも良いの?」

「強制連行したいのは山々だけどね。でも……ちょっと気が変わった」

 

 言われて、二人とも顔を見合わせる。

 要は父親を見て思い出した。自分は強引に姉達と引き剥がされたわけだが、もしかしたら菜々子や美々子にとって他のメンバーも同じように家族なのかもしれない。ならば、強引な手は打たない。

 

「……とにかく、どうすんの?」

「私達のこと連れてったら、他の家族は?」

「知らん。少なくとも俺が『頼む』って言われたのは二人だけだし、その後はそいつら次第じゃね」

 

 つまり、捕獲もしないし殺しもしない……という事だろう。

 

「いったら? 二人とも」

 

 そんな中、声をかけたのはラルゥだった。ハッとして二人はラルゥの方を振り向く。

 

「あなた達はまだ若いもの。傑ちゃんがいなくなった今、私達の理想もおしまい。……なら、これからは日陰でこそこそ暮らすより、堂々と生きられる道を選んだ方が良いんじゃない?」

「ちょっと、ラルゥ……!」

「大丈夫、立場が変わっても私達は家族よ」

 

 真奈美が止めかけたが、ラルゥは無視して声をかけ続ける。

 そう言ってくれる人がいるなら、心置きなく離れられるのかもしれない。ラルゥもミゲルも真奈美も利久も、今まで一緒に生活してきた仲だ。その家族が背中を押してくれているのだ。

 それならば……自分達は……。

 

「……アレハナンダ?」

 

 そんな中、ミゲルが声を漏らす。つられて全員、顔を上げる。飛んでいたのは一羽のカラス。やたらと自分達の上をグルグル回り続けている。

 

「カラスだろ?」

「イヤ……ニシテハズット同ジ旋回ヲ繰リ返シテイル気ガ……」

 

 まずい、と思った要は、すぐに手元から刻印を放ち、そのカラスを引き寄せて殺害した。

 

「! 何して……!」

「ミゲル! さっさと……!」

 

 全員、連れて逃げろ、と要が指示を出そうとした直後、その全員を取り囲むように口元をマスクで覆った呪術師達が姿を現した。

 囲まれている……いや、森の方は比較的層が薄いか。

 

「……ちっ」

 

 カラスを使った追跡……やられた。どこの術師だか知らないが、腕が良い。

 

「何これ、どういうこと⁉︎」

「何でここがバレて……!」

「そんな事より、逃げないと……!」

 

 全員、狼狽えるように声を漏らす。これだけの人数で揃いの制服……高専か呪術連の連中だろうか? 何にしてもまずい。

 この後、どう思われるかは、要にもすぐ分かった。それを理解したのか、真奈美が声をかけてきた。

 

「要、私達を売ったわね……!」

 

 その言葉に、菜々子や美々子もさっきとは違う視線が向けられた。確かにこのタイミング……要の後に続いて現れた呪術師ども。どう考えたってそれにしか見えないだろう。

 

「っ、あ、あんた……!」

「……最低……!」

 

 菜々子や美々子も油断なく要を見据えるように構える。その視線は、もはや完全に敵意を持った顔だ。

 

「っ……」

 

 否定したい……が、しても信用されない。それ以上に、思った以上に胸の奥にダメージが来た。そんな顔で自分を見るな、と思ってしまったが、どうにもそんな場合ではなさそうだ。

 というか、そもそも呪術連だか何だか知らないが、よくもやってくれたものだ。五条悟の仕業か? 

 

「禪院要、及び夏油傑一派を確認。これより、戦闘を開始します」

 

 思考を中断させるように、リーダーらしき男がそう告げた直後だ。ミゲルが夏油一派達の前に出て構える。

 

「逃ゲロ、オ前ラ」

「ミゲル⁉︎」

「どういう……!」

「ラルゥ、全員ヲ任セタゾ」

「ちょっ、ダメだそんなの!」

 

 ここで足止めをする構えのようで、ミゲルは全身に呪力を込める。

 そして、その意を汲むようにラルゥが近くにいた真奈美と菜々子の襟首を掴む。

 

「行くわよ」

「っ、ら、ラルゥ……!」

「ミゲルが……!」

「いいから!」

 

 すぐに動き始めた。仕方なく後を追う利久。最後に、美々子が要に目を向ける。

 

「……美々子」

「……馬鹿……」

 

 そう静かに告げて、美々子は自分の前から立ち去った。

 家族の後を追おうとする呪術師どもを、ミゲルが拳で止めに行く。一人で数多くの敵を相手にしていた。

 それを目の前にしながら、要の全身に呪力が少しずつ込められていく。やはり、呪術師はクソだ。どいつもこいつも他人を利用することばかり考えて、自分勝手に他人を大事にしている人達、丸ごと掻っ攫う。

 

「上ッッッ等だよ……!」

 

 ここにいる連中、全員殺してやろうか、そう思い、要は両手の刻印を大きく広げようとした。

 その直後だった。ドゴッ、と夏油一派が住処としていた拠点に何かが降って来る。

 凄まじい轟音に全員が手を止めて、そちらに視線を向けた。崩れる瓦礫と砂煙の中から出て来たのは、五条悟。すでにマスクを外し、六眼を開放していた。

 

「双方……というより、三方か。納めて。要もだよ」

 

 自分をジロリと見られ、要も術式を解く。このタイミングでの介入……それも手を引かせた以上、呪術連側でもないのだろうか? 

 

「動いたら全員、殺すから」

 

 その殺気は本物だ。ミゲルでさえ動けなくなっている。割と頭にきているようだが、それは要も同じだ。

 そんな中、悟がまず気に掛けたのは要だった。目の前まで接近してきて聞いてくる。

 

「要、お目当ての二人は?」

「……逃げた」

「まだ遠く行ってないなら追って。……で、ちゃんと話して来なさい」

「? うん?」

 

 やたらと真剣な声音で言われたのは、何か意味があったのだろうか? 

 何にしても、許可を得たからには追わねば。というか、許可をくれるのは意外だ。そう思って、要が両手の術式を起動しようとした直後だ。どろり、と視界が赤く染まる。今まで少しずつ漏れてたのと違うレベルの頭痛もセットだ。頭が割れるように痛み、片膝をついてしまう。

 

「! 要……!」

「大、丈夫……!」

「じゃないでしょ……。やっぱり追っちゃダメ」

「っ……」

 

 強引に行こうとする要の腕を悟は強く掴み、逃がさないようにする。

 その悟に、敵のリーダーが声を掛けた。

 

「何の用だ、五条悟。禪院要を餌に夏油一派の残党を始末する作戦の指揮権は私にあるはずだ」

「決まってるでしょ。それをやめさせにきたんだよ。要はもう、うちの学校の生徒だ。学生証も作った。だから、要は駆除対象にならない。……で、それと同時に作戦指揮権を僕に移させてもらった」

「……何?」

「わかったら、撤退してくれる? そこの外国人は捕縛するけど、僕が管理する」

「……ちっ」

 

 何という身勝手でわがままな権力の使い方だろうか? 正直、要も少し引いた。

 そのまま他の部隊を撤退させると、残されたミゲルに悟は声をかける。

 

「そこの……ミゲルだっけ? 僕を前にして逃げるほどバカじゃないでしょ?」

「……分カッテイル。投降スル……ガ、一ツダケ確認サセロ」

「何?」

「……アノ連中ハ、要ノ援護ニ来タワケデハナイノカ?」

「違うよ。要はあくまで、自分の判断で来た」

「……ソウカ」

 

 ミゲルにはとりあえず誤解が解けた。さっきの敵のリーダーらしき男との会話からしても、口裏を合わせている様子ではない。

 

「要、帰るよ」

「……あいつらは?」

「追わない方が良いよ。僕が現場に着いた時は、あの子達はいなかったんだから」

「なら、俺一人で追うよ」

「ダメ。……追うのは、ちゃんと検査してからにして」

「こんなの平気だから。痛いのにも慣れてきたし」

「真希に言っちゃうぞー?」

「……汚い大人め」

「真似しないようにね?」

「自分で言うな」

 

 なんて話しながら、とりあえず要と悟も撤退した。

 扇は置いていかれた。

 

 ×××

 

 任務自体に大した時間は掛からなかった為、夜明け前までには高専に着いた。ミゲルは呪詛師ではあるため、一応捕縛。何となく悟はミゲルを「使える奴」と判断した為、悟が処分を預かることに。

 さて、その後は要の診察である。頭部から突然、出血した理由を探さないといけない。本当なら呪術師に診察されるなんて死んでもごめんなのだが「真希に傷バレるよ?」と言われては仕方ない。あと普通に頭がぼんやりしてて、何か思考することが叶わなかったというのもある。

 それから一時間ちょいかけて診察開始。医療に使われる、割とハイレベルな機器が揃っているそこを、最初は要も物珍しそうに見ていたが、すぐに飽きて「真希と早く寝たい」と思い、大人しくなった。

 何をされているのかよく分からないが、とにかく待機していると部屋の扉が開かれた。入って来たのは、カフェオレを飲んでいる悟の姿だった。

 

「硝子ー、どんな感じー?」

「ん。別に、特別な事は何もない……けど、まぁ一言で言うなら脳を酷使し過ぎってとこ」

 

 脳を? と、要が小首を傾げたのに答えるように言った。

 

「彼が全力で戦闘を行えば、脳に大きな負担が掛かる。……まぁ、聞いてた能力的に仕方ないのだろうが、出した刻印、全てを把握した上で操作、制御しようとすれば、脳に負荷が掛かるのは当たり前だ」

「やっぱりそういうことね」

「ああ。多分、後遺症も残りつつあるだろう。……要。戦闘後、頭がぼーっとしたりする事はなかった?」

「ありませんよ」

「真希起こす?」

「……あった」

「だろうね。まぁ2日か3日休めば治まるだろうが、それでも無理に頭痛を抑えて呪力を使えば出血する」

「このくらい大した事ないよ」

「1度や2度ならな。何度も続けば死ぬよ」

 

 言われて、要は少し困ったように顎に手を当てる。それは嫌だ。

 

「でも、今後全力で戦闘しないでいられるわけないじゃん。どうすんのさ」

「反転術式を覚えれば良いんじゃない?」

「……え、反転術式って……」

「僕も使ってるよ。無下限術式でフルオートに身を守る時とかに。これがないと脳が焼き切れる」

「最後、向こうから帰るときは本気出す前なのに、アホほど頭痛かったけど?」

「長距離移動に戦闘で呪力使った後、マジギレして呪力が高まったからじゃない?」

「ふーん……」

 

 血を流すことに慣れてしまっているのか「たまにクラつく程度なら全力での戦闘を控えればよくない?」と言わんばかりの表情で相槌を返す要。数日、休めば治るなら、何一つ問題ないという考えなのだろう。

 そんな要の考えを見透かしたように、悟は言った。

 

「要、まだ若いんだから、後遺症が残るままでいんのは良くないよ。病気して真希とかと長く一緒にいられなくなっちゃうかもでしょ?」

「……まぁ」

「はい、決定。僕か硝子が教えるから、これからも」

「いやいい。自分でやり方探す」

「……ホント、素直じゃない」

「とりあえず、あと2日は術式の使用を控えるように」

「ま、そもそも処罰が決まるまで風呂とトイレ以外で部屋から出ちゃダメだしね」

 

 まとめるように硝子と悟に言われた。

 

 ×××

 

 さて、悟が形だけの見張りについてシャワーを浴び終えた要は、改めて窓から侵入しに行く。壁に張り付いてベランダに入り、行くときに付与しておいた術式を解除し、中に入る。

 で、音を立てないようにパジャマに着替え、血で少し汚れた着替えは隠さないといけないので、とりあえず使っていないロッカーの中に入れた。

 

「……」

 

 寝る前に、少しだけ窓の外を眺める。菜々子と美々子と、結局離れ離れになってしまった。最後に自分に向けられた表情は、非呪術師を見るそれと同じ。別に呪術師に嫌われるくらいどうって事ないはずなのに……何故か、お腹にドスっとカジキマグロが突き刺さっているかのように痛かった。

 ……いや、呪術師がどうこうではない。やはり、自分は菜々子や美々子の事はどうしても嫌いになれなかったのだ。あの二人だって夏油傑達と同じのはずだが、彼女達とは距離を近くし過ぎて、情が芽生えてしまっている。

 こういう時、大人ならタバコでも吸うなり、お酒を飲むなりして窓の外を眺めるのだろうが、要はそのどちらも興味がない。

 

「……はぁ」

 

 大切な人を失う気持ちは痛いほど分かる。それも、彼女達の場合は二度と戻って来ない相手だ。

 自分はこうして姉を手に入れたが、その件によって二人は大事な人を失った。しかも、要の所為だと思い込んで。今後、彼女らは自分をあらとあらゆる手を使って殺しに来るだろう。

 その時に、自分は手を出せるだろうか? 出せたとしても、加減が出来るだろうか? 考えれば考えるほど、その時が来るのが怖くなる。

 ……とりあえず、今はやめておいた。上手く頭が働かない。あの家入硝子という人の診察は割と的確なようだ。

 

「……寝よう」

 

 さて、こっそりと真希の隣に腰を下ろ……そうとしたが、真希の寝相が悪過ぎて布団の中に入るどころか敷布団の上にも座れない。

 冬なので、割と布団無しで寝るのは死ねるのだが、要は何一つ不満げな表情を見せずにニコニコしていた。寝相が悪くて可愛い、と言わんばかりの顔である。

 

「……とはいえ」

 

 一応、教室内には布団セットがもう一つある。今日は一緒に寝るから布団1セットを二人で使っていた。

 だから、もう1セット出すと布団から出たことがバレる。

 仕方ないので、上手いこと潜り込む事にした。そーっと布団をめくり、中に入る。その直後だった。

 

「……どこ行ってた?」

「……」

 

 真希の瞳はいつの間にか開かれていた。

 

「トイレ……」

「……」

 

 ジトーっとした目で見られる。バレてるか……? と、冷や汗が背筋を伝った。

 そんな嫌な予感が脳裏を冷やしたのも束の間、布団の中から手を伸ばした真希は、要の手首を掴み、布団の中に引き摺り込んだ。

 おかげで要は布団には入れたが、冷や汗は止まらなかった。

 

「っ、ね、姉ちゃん……?」

「なんかあったろ」

「……え?」

「……」

「な、ないよ?」

 

 そもそも外に出ていた事もバレるわけにはいかない。なのでそう言ってみた……のだが、握られている手がミシミシ言い始めた。

 

「え、えーっと……」

「なんかあったろ」

「……な、ないよ?」

 

 さらにメキメキと軋み始める。すごく痛い。

 

「あ、あの……痛いんですけど……」

「なんかあったろ」

「三回連続⁉︎ あ、あのホント……」

「なんかあっ」

「あ、ありました! ありましたから離してください!」

 

 慌てて謝った。すると手を離してくれたが、真希の表情は不機嫌なままだ。

 

「お前、嘘下手になったか? シャワー浴びたばっかなのすぐ分かったし」

「あー……今、あんま頭回ってなくて」

「いいから話せ。……何があった?」

「……まぁ、ちょっと。教室出て菜々子と美々子の元に戻ってた」

「は⁉︎」

「あ、ま、待ってよ。ちゃんと五条に許可もらったし、俺は俺で用があったの」

 

 外に出てから許可を得たのは内緒だ。とりあえず真希は「聞いてやるから言ってごらん?」と言うように続きを無言で促す。

 

「で……まぁ、色々あったんだけど、結局……上手くいかなくて。その時に二人に誤解だけ残して何もしてあげられなかった」

「そいつらはどうしたんだ?」

「俺が仮宿にしてた連中と一緒に消えたよ。追おうとしたんだけど……まぁ、五条に止められた」

 

 頭から血が流れたことも黙っておいて続ける。

 

「……その時に、裏切り者のままいなくなられて……その場であの連中、全員殺してやろうかと思ったけど、五条に止められた」

「そりゃ正解だろ。殺してたら高専にいられねえぞ」

「……正直、ちょっとだけ迷った。こんな姑息な真似する連中と一緒にいて良いのかなって」

「……」

 

 少し身を置こうとしたらこれだ。実際、少し前の自分なら癇癪起こして逃げていたかもしれない。その点、頭が微妙に働いていなかったことが功を奏したと言えるだろう。

 その要を、真希は正面から抱き締めた。顎の下に要の脳天を置くようにして、後頭部に回した手で撫で回す。

 

「……要、正直な話をすると、今の呪術界は御三家同様、腐ってはいる」

「……え?」

 

 突然、そんなこと言われ、少し驚いたように目を丸くした。このタイミングでそんな話をされるとは思わなかった。何せ、自分が本当に出て行くかもしれないからだ。

 

「基本的に、どの組織も上の連中ほどきな臭ェもんなんだよ。上の地位まで上り詰めたら、どいつもそうなんのかもな。うちの学長とか悟とか硝子さんとか、信用出来る人は数少ねえ」

「……」

 

 その辺は信用してるんだ、と正直よく知らない人達の名前を聞いて、とりあえず頷いておく。

 

「けど、そいつらだって不死身じゃねえ。いつか必ず死ぬ。……それは、うちらの当主も同じだ。変えたきゃ、私らがその地位になるまで上がるしかねえ。だから私は、禪院家の当主になる。お前や、真依の居場所も作るためにな」

「……すごいね」

 

 本当に驚いた。呪力が少ない身でそこまでの目標を宣言出来るなんて。自分はそんな事、考えたこともなかった。

 ……自分の場合は、菜々子と美々子の居場所、とかだろうか? いや、しかしあの二人はそんな偉くなるなんて悠長なことを言っている場合ではない。

 

「でも……菜々子と美々子は……」

「ああ、分かってる。そいつらはいますぐ何とかしてやりてーよな」

「……うん」

「正直、どうしたら良いのかは私にも分かんねえ。だから、お前は出来ることをやってやれ」

「良いの?」

「バカ、出来る事ってのは『お前に課せられたルールの中で出来る事』だ。今のお前なら、少なくとも処罰が決まるまでは、お前に出来ることは『どうするべきか考えること』だ」

「……それ何もしてなくない?」

「でも、それが姑息な真似も、残酷な真似も、人を偽る真似もしないで出来るなら、それに越した事はないだろ?」

「……」

 

 それはその通りだ。合法で済むなら、それはそれで助かる。あまりルール違反をしても罪悪感は芽生えない要だが、それでも姉に迷惑がかかると思えばそうでもない。

 

「……分かったよ」

「……良い子だ」

 

 言いながら、頭を撫でてくれる真希に、要は思う存分に甘えた。甘やかしてくれる姉がいるのは本当に心地が良いものだ。

 昔を思い出す。父親の特訓が嫌になった時、いつも甘えていた二人の姉。あの時より、少し力が強くなっているだろうか? 

 いや、それはそうだろう。元々、力が強い真希だ。それが成長期を経て出来上がった肉体なら、強くなってて当然……というか、だからこれむしろ痛いくらいで……。

 

「あの……真希ねーちゃん。痛……」

「じゃあ、そろそろ私に黙って出撃した罰の時間に移るからな」

「え……い、いやだから五条に許可は……」

「取っていようが取っていまいが、私に何も言わずに出て行ったのは事実だろうがあああああああ‼︎」

「あだだだだだだッ⁉︎ 内臓出る! 口から内臓出るって!」

「遠慮すんな。このまま抱き枕にしてやるから。そんなん好きだろ男は」

「それ寝技の間違い!」

「え、男は寝技が好きなのか? ……変わってんな」

「何勘違いで珍百景を見た顔してんの⁉︎」

「で、謝罪は?」

「ごめんなさい!」

「嫌だ。反省しろ」

「ええええええ⁉︎」

 

 そのまま締め上げられた。

 

 ×××

 

 息子にフルボッコにされた禪院扇はボロ雑巾のようにされた老体に鞭打って、何とか屋敷へ身を引き摺って戻った。

 誰にも見られないように自室に戻ると、鍵を掛けて身体を手当てする。

 それにしても、予想外だ。まさか息子が、姿を消している間にあそこまで力をつけていようとは。昔から才能がある奴だとは思っていたが、それにしてもだ。

 その上、あの瞳。付与された刻印も自分の術式が見えなくなるのも厄介この上ない。

 あれの所為で、本来なら要を仕留めた後に夏油一派も仕留め、借金を帳消し……或いは軽減させる予定だったのが台無しだ。

 

「……だが」

 

 逆に言えばあの瞳さえなければまだ自分の方が強いはずだ。自分が15歳の小童に負けるなんてあり得ない。五条悟でもない限り。

 とりあえず、今後はあの瞳対策を考えた上で、次の奇襲を考えないといけない。

 やれやれ、とため息をつく。結局、当主の座は兄に奪われ、愚息の生存サプライズによる唐突な借金に、厄介な瞳……何が禪院家の要になる、だろうか? むしろ破壊をもたらしそうなものだ。

 

「……このままでは終わらせんぞ。小僧め……」

 

 そう呟きながら、奥歯を強く噛み締めた。

 

 




今回出てきた揃いの制服の口元をマスクで覆った人達ですが、原作で夜蛾学長を前にイキってた人です。多分あれ、暗殺部隊的な感じなんじゃないかなって。

あと次の話から次のシリアスまで、少しだけシリアス成分が減ります。


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日常編
実力より社交性。


 呪術高専に壊滅的な被害が及んで、早一週間。流石、超人揃いの呪術高専……とは言い難い。戦闘中に命を落とした者、大怪我を負ったものの治療で割と忙しかったりする。

 悟が足止めされた事により、有象無象の中に混ざっていた特級呪霊にやられたものも多く、葬儀が行われた。

 また、家入硝子も割と眠れない日々を過ごし、禁煙していたのにこの一週間は灰皿に山が積もっていたり。

 さて、そんな中、要に対する罰則も少なからずあるわけで。悟の我儘と禪院家への貸し、そして実際、京都では呪霊を多く片付けた事、何より新たな特級呪術師候補になり得る事を考慮され、軟禁や死刑といったものはなくなった。

 そして、代わりに作られたのが……拘束具である。

 

「動きづらい……」

「仕方ないでしょ。結構頑張ったんだよこれでも」

 

 要に課せられたのは、右腕、右足の刻印の使用を禁ずるための拘束具、そして両目の使用を禁止するためのゴーグル……さらに、任務以外全ての行動を監視者である禪院真希との強制的なバディである。

 戦闘時に解除を許されるのはゴーグルのみ……それも、単独での戦闘が行われる時だけだ。

 

「ぷふっ……か、カッコイイぞ、要……!」

「笑ってるじゃん、真希ねーちゃん!」

 

 ゴーグルはまだ良い。ほとんどスポーツ用のサングラスのように作られているから、自然ではある。似合ってはいないが。

 問題は、腕と脚の拘束具。包帯のようになっていてる上に、結び目に錠前が付けられていて、ダサいことこの上ない。

 

「これ、チャラチャラチャラチャラ邪魔なんだけどー」

「罰だから仕方ないでしょ。勿論、相手が特級呪霊の場合は外せるよ」

「姉ちゃん、こう言う邪魔なの無視するコツとかある?」

「なんだその限定的なコツ」

「聞いてる?」

 

 悟のセリフを全く無視して相談を始めていたが、まぁいくらここでやっていくと決めたとはいえ、そんなすぐに他の術師に心は開けないだろう。

 そんな時だ。その三人の元に、憂太とパンダ、棘が歩いて来た。

 

「あ、要く……え、怪我したの足と腕?」

「「「ブフォッ‼︎」」」

 

 憂太の何気ない一言が、三人の腹筋を壊しに掛かった。爆笑する真希、パンダ、棘を前に、要は左手の刻印を起動する。

 

「分かった。みんな空飛びたいのね」

「「「え?」」」

 

 声を漏らしたのも束の間、まずはパンダから。肩に手を置いて、クイッと上に向ける。そして、上空に打ち上げた。

 

「ああああぁぁぁぁぁぁぁ…………」

 

 あ、が木霊した。パンダの断末魔がむなしく遠くへ離れていく。

 拘束されていてもこの威力。拘束さえなければ特級だっただけの実力はある……なんてポカンとしている間に、棘の肩にも手が置かれた。

 

「こんぶ」

「出汁」

「しゃけえええぇぇぇぇぇ…………」

 

 同じように飛んでいった棘を眺めながら、要はぽつりと呟く。

 

「あいつ何言ってんの? ……ねぇ、ねーちゃん?」

「おい待て。……わ、私までやる気か?」

「そ、そうだよ。真希さんは君のお姉さ……」

「じゃあ代わり」

「なんで僕うううぅぅぅぅ…………」

 

 憂太も空中に飛んで行った。最初に飛んで行ったパンダはまだ落ちて来ない。にも関わらず、要は気にした様子なく真希に声を掛ける。

 

「もー、真希ねーちゃんまで笑わないでよ……この格好、俺も普通に恥ずかしいんだから……」

「普通に話を進めんな! あいつらどうすんだよ⁉︎」

「? 降りて来るでしょ」

「じゃねーだろ! ちゃんとキャッチしてやれよ⁉︎」

「いやいや、里香いるし平気でしょ」

「いねーよもう!」

「え、そうなの?」

 

 そういえば、要は里香の解呪について知らない。しかし、そういうことなら、と言うように要は足元で刻印を展開。真上に飛んでる三人を反発させ、その力を少しずつ弱めて着地させた。

 その三人に、悟がニコニコしながら声をかけた。

 

「どうだった? 空中の風景は」

「酔った……」

「自分で制御できないと結構怖い……」

「いくら……」

「今後、俺と姉ちゃんにナマ言ったら生肌スカイハイだから」

「そういうことだから」

「お前まで何その気になってんだ真希!」

「おかか!」

「勘弁してよ……」

「大変だねー、三人とも」

「お前は強いから良いよな⁉︎」

「なら簡単じゃん。三人とも強くなるしかないね」

 

 それはその通りだが……と、三人とも少し悔しげに唸る。

 ……とはいえ、真希は自分の弟の事だからよく分かっている。こういうのを許しすぎると、多分本気でそれで良いと思ってしまう。子供だから。

 

「……要、一応言っとくけど、あんまやり過ぎんなよ」

「え、どうして? 死にはしないでしょ」

「そういう問題じゃねえよ、バカ。そういうことはやり過ぎたら嫌われんだよ。信用もクソもなくなるぞ」

「……はーい」

 

 この前の説教を思い出したのか、要の割に素直に従った。

 その要に、悟が今思い出したように言った。

 

「そうだ、要。はいこれ」

「? 何?」

 

 手渡されたのは、一枚のカード。見下ろすと、学生証だった。

 

「来年から使える学生証ね」

「え、来年からなの?」

「だってまだ15歳でしょ」

「でも16歳の誰よりも強いよ?」

「「あん?」」

「おかか」

「あ、あはは……」

 

 三人ほど眉間に皺を寄せたが、悟は無視して続ける。

 

「一応、ここも日本だからね。そもそも義務教育を終えてない時点で大分グレーな位置だから」

「そりゃそうか……」

 

 とりあえず学生証を受け取る。いつの間に写真を撮ったのか分からないが、わざわざサングラスがない写真にしていて、写真の斜め上に『準特』の文字が見えた。

 

「この『準特』って?」

「準特級呪術師……要のためにわざわざ作られた階級だよ」

「え、なんでわざわざ……」

「呪詛師から呪術師になる人、あんまいないからね。上もそんな人に数少ない『特級』の地位を与えたくないんだよ。形式に拘るから」

「や、実際のとこ、刻印ひとつじゃ一級レベルなんじゃないのか?」

「いやいや、里香と刻印片方だけで戦える時点で大分おかしいから。特級呪霊の中でも、里香はかなり強力な方だからね」

 

 パンダの質問に悟が答えている間に、要は学生証をポケットにしまう。

 

「これで、俺も今日から呪術師かぁ……。任務は?」

「ないよ」

「え?」

「強いて言うなら、高専の設備復興のお手伝いをすることかな。あと真希と二人の生活に慣れること」

「えー、何それ」

「何それって言うけど、要と真希、その拘束具の解除が許されるまではお風呂も一緒だよ」

「「は?」」

「「「え?」」」

 

 棘まで声が漏れる中、悟はヘラヘラした笑みを浮かべたまま続けた。

 

「そりゃそうでしょ。しばらくは見張りが必要だし、真希が適任だからそういうの。……あ、そうだ。忘れてたけど、錠前を解く鍵、これを持つのは真希だけど、お風呂の時とかで逐一、外さないとだから」

「うおっ、と」

 

 ピンッと鍵を投げられてキャッチしに行く真希。その横で、憂太とパンダと棘が小刻みに震えながら告げた。

 

「え……その年で、姉弟でお風呂?」

「憂太、取られるぞ!」

「赤飯!」

「何勘違いしてんだテメェらは! ……おい要、今ならぶっ飛ばしても良……」

「きゃっほい! 姉ちゃんとお風呂とか超久々!」

「お前マジか⁉︎」

 

 純粋無垢な反応に、男子三人に混ざって悟まで爆笑し始め、真希は呪具を振り回す。こんな事なら、真依に引き取って貰えばよかったかもしれない。

 正直、真希としても困ってしまう。いくら弟とは言え7年ぶり。それも、成長期を超えての7年だ。要の身体にも色々と変化が出ている気がするが……。

 テンションが上がった要は、ハッとして悟の方を見る。

 

「まさか……この前の約束?」

「そ。なんだかんだ、僕もついて行っちゃったから」

「おい、何の話だ」

「「なんでもない」」

 

 なんか気になる話をしていたが……まぁでもこの純粋さのままなら平気だろうとすぐに思い直す。思えば、弟とお風呂なんて確かに久しぶりだ。あんまり変わっていないだろうし、わざわざ意識することもない。

 

「さ、とりあえず仕事しちゃおう、みんな」

 

 悟の合図で、とりあえず5人は瓦礫の掃除から始めた。

 

 ×××

 

 さて、修理することになった学生達は、全員で木材やら何やらを運ぶ。

 

「パンダ、これ頼むわ」

「おう」

「狗巻、鍵取って」

「シャケ」

「乙骨、里香ちゃん貸して」

「も、もういませんよ!」

「真希、そこの木材投げて」

「はいよ」

 

 などと、主に下働きが多いが、建築のうんちくなどを知らない学生達では仕方ない。

 そんな中、一人ぽつんとしているのは要。当たり前と言えば当たり前だが、周りの人間に馴染めていなかった。

 何をしたら良いのか分からず少しだけウロウロしていると、その背中にゴッと蹴りが入る。

 

「痛っ⁉︎」

「何サボってんだよ。手伝え」

 

 ふりかえると、そこにいたのは真希。手に持っている木材を自分に手渡して来た。

 

「……や、分かってるけど……ちょい複雑というか……」

「……ま、そう簡単に割り切れねーのは分かるけどな。最初は環境の変化に慣れないだろうけど、その手の相談を受けるのも私の仕事だ。何かあれば言え」

「そうじゃなくて……」

「ほれ、持ってけ。篤也んとこ」

「あつやってどれ?」

「物じゃねんだよ。あの人のとこ。日下部篤也な」

 

 真希が指差す先にいる日下部篤也を見ると、要は舌打ちした。

 

「……男かよ」

「なんだそれ。女のが良かったのか?」

「男が姉ちゃんを顎で使ってんの? パワハラ?」

「バカ、教員だ。ていうか、パワハラなんてされるかよ、私が」

「えー、ゴミカス直哉にいじめられてた事もあるじゃん。本当に大丈夫?」

「大丈夫だっつーの。良いから、仕事しろ」

「はーい……」

 

 手渡された木材を持って、要はその日下部という男の下に向かう。自分に気づいた一昔前のチンピラ刑事のような風貌の男は、要に気付いてジロリと見下ろしてきた。

 

「……ん、なんだお前。木材?」

「……」

 

 初対面の相手を「お前」呼ばわり……苦手なタイプだ。呪術師のくせに偉そうに……いや、まぁ教員なんだから偉そうにするのは当たり前と言えば当たり前だが。

 その日下部は、要を見た後に後ろにいる真希を見る。そして、何かを把握したように声をかけてきた。

 

「持って来てくれたのか?」

「……」

「???」

「……」

 

 ……困った。要はなんて声をかけたら良いのかわからなかった。コミュ障、というわけではないが、姉以外の年上の人間と悪意を持たないように接するのは初めて。ちょっと何を言ったら良いのかわからない。

 

「……おい?」

 

 その要に対し、日下部も困った声を漏らした直後だ。

 

「オラ」

「うおっ、な、投げんなよ!」

「うるせー。文句言うな」

「はぁ⁉︎」

「じゃねーだろ」

 

 バカンっ、と後ろから頭を引っ叩かれる。叩いたのは真希だ。

 

「お前、だからそうやって喧嘩腰になんな」

「あ、いや……そんなつもりじゃなくて……」

「普通に手渡して挨拶すりゃ良いだろ。これからよろしくお願いしますって」

「え、俺がよろしくお願いするの? 多分、俺の方が強いのに?」

「そういう問題じゃねんだよ、バカ」

 

 こういうとこ、やはり我が弟ながら禪院家っぽい、と真希はため息をつく。あの家で育った後に呪詛師の家で育ったのだから、価値観が少しずれていても仕方ないとは思うが、だからと言ってそのままで良いという免罪符にはならない。そういうとこも矯正していかなくては。

 

「良いか? 別に強さだけで偉い奴が決まるわけじゃねぇ。だとしたら、悟がトップになって終わりだろ?」

「あ、そっか」

「もしかしたら、戦場ではお前の方が助かる場面は多いかもしれねえけど、その戦場に私がいて、お前が戦っている間に私が殺されかけて、それを篤也が助ける事だってあるかもしれねえだろ? 助け合いってのはそういう事だ」

「大丈夫、俺真希ねーちゃんから離れないから!」

「じゃあ真依」

「あ、そ、そっか……」

 

 何も、直接的なことだけじゃない。そういう事だって全然、あり得る。

 

「要はそういう事だ。助け合いってのは。ギブアンドテイク、と言われればそれまでだが、結果を見て助けられたか否か、を考えれば他人に対して礼儀正しく振る舞うのは当たり前とは思えねえか?」

「……なるほど」

「媚び売れって言ってんじゃねえぞ。わざわざ肩揉みとかしなくて良いが、嫌われるような事はするなって事だ」

 

 言われて、要は少し困ったようにしてしまう。嫌われないように……それは傑の元にいた時も心掛けてはいたが、結局は相手と関わらないように距離を置いてしまった。どうしたら良いのか。

 

「……が、頑張ります……?」

「普通に渡すだけだ。そんなに難しい事でもねえだろ」

 

 改めて、木材を手にした。じっ、と真上を見上げて、日下部を視界に入れる。……そして、木材を下から慎重に渡した。

 

「……は、はい……」

「お、おう。サンキュ」

「感謝しろ」

「じゃねえ。だから普通にしろ」

「一々、叩かないでよ!」

 

 スパルタにも程がある……と、要は思っているのだが、長年人を嫌悪して欺き続けた相手への矯正ならば、多少は厳しくいかないと何も変わらない。

 そんな中、日下部がからかうような笑みを浮かべながら真希の方を見た。

 

「なんだ真希。もしかして、乙骨に次ぐ二人目の舎弟か? お前もホントに姐御気質だなオイ」

「ちょっ、バカお前……!」

「……乙骨に次ぐ、二人目の舎弟? ……二人目の?」

「え」

「あーあ……」

 

 一気に要の中で何かがはち切れた。ギンッと目の闇が一層、深くなり、片手の刻印がキンッと光る。

 

「乙骨憂太ァッ……この俺を差し置いて、姉ちゃんの一番目になるたァ良い度胸だ……‼︎」

「落ち着け要! お前は舎弟じゃねーだろ、本物の弟だろ! そもそも憂太だって舎弟じゃねえし!」

「じゃあ何して舎弟って思われたの?」

「そ、それはまぁ……ちょっとだけ、呪具の扱いを教えてやったり……夜中、一緒に走ったりしたから?」

「ボコボコにする……!」

「あ、ちょっと待っ……!」

 

 制止を振り切って、要は飛んでいってしまった。その背中を眺めながら、真希は困ったようにため息をつく。

 

「……これで憂太が死んだらお前の所為だからな」

「俺⁉︎」

 

 冗談を交えつつ、他人とのコミュニケーションがあれでは少し困る。何とかしないと……と、真希はポリポリと頬をかいた。

 

 ×××

 

 さて、午後は学生達にとっては本分である呪術師としてのトレーニング。

 グラウンドでの走り込み。トラックを走る真希、パンダ、棘、憂太の様子を、要はぼんやり少し離れた場所で眺めていた。

 当たり前だが他人と上手くやっていけない要は、早くも浮いて一人になってしまっていた。構ってくれるのは真希だけだ。

 それを別に寂しいとか思う事はない。一人でいるのは慣れたものだ。だが、真希には「ちゃんと周りと上手くやれ」と言われている以上、仕方ない。上手くやらざるを得ないのだが……。

 

「……はぁ、どうしよう……」

 

 思わず溜め息が漏れた。姉と一緒に居られれば自分は良いが、姉はそれだけでは困るという事だろう。

 どうしたものかなーなんて、少し悩んでいる時だった。後ろから飄々とした声が掛けられる。

 

「要、一緒に走らないの?」

「……五条」

「一人は寂しくない?」

「ない。慣れてる」

 

 冷たく返した。正直、この何もかも見透かしたような態度を取るこの男は苦手だ。

 

「うーん……でも、このままだと要、後悔するよ?」

「しねーよ」

「じゃあ、要。自分より他の男の方が、多く真希と一緒にトレーニングしても良いんだ?」

「良くねえよ‼︎」

「なら、混ざって来るしかないよね」

「っ、わ、分かってるけど……!」

 

 強引なやり方しか知らないのだ。そして、それは姉が望むやり方ではない。あの輪から姉を盗むのは簡単だが、それをしても何にもならない。何せ、あの同級生達は姉にとって、要が新しく作ろうとした世界よりも良いものなのだから。

 何も言い返さなくなった要を見て、悟は実に無神経に言い放った。

 

「あー分かった。君あれだ。コミュ障って奴だ」

「ッ……!」

「特級呪術師の癖に。ウケる」

「お前殺すぞ本気で⁉︎」

 

 殺す、と言われてもケタケタ笑って受け流す悟は、要の横に移動して手首を掴んできた。

 

「っ、な、何」

「良いからおいで」

「何する気だよ?」

「んー、荒療治」

「は?」

 

 小首を傾げたのも束の間、悟が「おーい!」と全員に言った。走り込み中のメンバーはこちらへ振り返り、小首を傾げる。

 

「要に一発でも当てられた人には、お昼ご飯奢ってくれるってー!」

「は⁉︎ ……や、ちょっと⁉︎」

 

 一斉に襲いかかってきた。真希は足元にある特訓用の呪具を担いで、そしてパンダは一気に突進して拳を構えて挟むように。

 要を挟んだ二人は、一気に打撃を繰り出す……が、要はまず真希の方へ振り向いた。そして、棒の先端に当たりに行った。

 

「ぐあー、やーらーれーたー」

「は?」

「じゃあ俺も……」

「それは嫌」

「グハァッ⁉︎」

 

 パンダだけは刻印で引き離した。さて、姉への奢りなら何一つ不安はない。金はないが、それなら食い逃げで結構。

 とりあえず、姉以外の敵に攻撃をもらうなんて絶対にごめんである。次に来そうな相手を見据えた。

 こちらを見ているのは、狗巻棘。ジーッとジャージのチャックを降ろし、軽く息を吸った。

 呪言……と、すぐに理解した要は、足元で刻印を作って高速移動する。

 

【止ま……!」

 

 急に標的がいなくなり、声が止まる棘。背後から、要は襟を掴んだ。

 

「!」

「遅いよ」

 

 掴みさえしてしまえば、こちらのものだ。そのまま術式を起動し、遠くへ弾き飛ばす。

 こちらの勝利条件がいまいち分からないので、しばらく戻ってこない距離に飛ばした。さて、後一人……と、チラリと視線をよこすと、そこに立っていたのは乙骨憂太。

 里香がいない……その時点で、特級の力は失われ、実際、今は三級呪術師になっている。

 ……だが、夏油傑との戦闘で覚醒した際に得た呪力操作は健在だった。

 

「ッ……!」

「おっ……!」

 

 一気に間合いを詰め、竹刀を振り上げてきて、要は身体を逸らして回避した。振り上げた竹刀を今度は振り下ろされ、身体を逆方向に回転させて避けつつ、フックを放つ。

 それをしゃがんで避けた憂太は、足払いをして来る。その一発をジャンプで回避し、真下の憂太に術式を起動。反発させ、そのまま地面にめり込ませる。

 

「グッ……!」

 

 身動き取れなくなる憂太は辛うじて全身に呪力を巡らせて耐えようとする。が、動けなくなった時点でこちらの勝ち。

 要は反対側の手を憂太に向けると共に術式を解除した。今度は引き寄せて殴る……と、思ったのだが。

 

「あっ」

 

 そういえば、封印されていた。術式は不発し、それを理解してすぐに憂太は動き出した。立ち上がりながら、手元の竹刀を投擲する。

 それに対し、要はその竹刀に刻印をつけると、自分を反発させ、距離を取って着地した。

 その要に、さらに憂太は追撃しようとする……が、要の術式が起動される。キンっ……と、反応したのは、憂太の足の裏だ。

 

「!」

 

 足の裏が持ち上がり、要が腕を動かす事で、フワフワと足の裏を軸に持ち上げられ、浮かび上がる。そのまま、要は自身の位置で憂太の位置を調節するように歩き、頭上へと移動させた。

 

「うわっ……うわわわわっ……⁉︎」

「……」

 

 後は、このまま術式解除と一緒にボディにアッパーをぶちかますだけ……なのだが、それをすれば憂太は怪我では済まないだろう。

 仕方ないので、普通に術式を解除してそのまま落下させた。

 

「ぐぇっ!」

「五条、これ俺はどうすれば勝ちなの?」

「ん? んー……じゃあ後30分、凌いだら」

「えー……そんなに?」

「で、参加メンバー。当てられなかった人は、トレーニング後も校舎修復の手伝いね」

 

 しれっと言われ、すぐに棘、パンダ、憂太は立ち上がった。

 

「うわぉ、やる気満々」

「私もやんぞ」

「え?」

 

 さらに、真希までもが練習用の棒を持って構えた。

 

「テメェ、姉に対して舐めプとはほんと舐めてくれんじゃねえか」

「え、いや違うよ。俺はただ姉ちゃんに怪我させたくなくて……」

「それが舐めてるっつーんだよ。やる前から勝った気でいんのか?」

「いや、だって実際俺の方が……」

「オッケー。ぶっ殺す」

 

 再び、戦闘が始まった。

 四人で対峙され、要は少し身構える。しかし、何が悟の狙いなのか? まさか、戦力的に格下でも、力を合わせられれば自分を倒せるから仲良くしろ、と? 

 だが、残念ながらあの四人では一斉にかかって来ても負ける気がしない。そもそも「当てた人は奢ってもらえる、当てられなかったらお手伝い」の時点でおそらく早抜け形式。仲間割れの火種を抱えたままチームワークもクソもない。

 まぁ、何にしても……姉以外に勝たせるつもりはない。奢りは嫌だ。

 

「……さて」

 

 多対一の場合、普通に考えて敵は数の多さを利用して包囲し、逃げ道をなくした上で攻めてくる。

 だが、要に対してそれは悪手。術式的に意味ないからだ。逃げ道くらい、片手をかざすだけでも出来るし、なんなら刻印を広げられた時点で終わりだ。

 従って、相手の手はすぐに分かる。

 

「遠距離だよね……」

 

 まず正面から憂太が突撃して来る。呪力操作を洗練させた憂太であれば、術式無しの要とも戦える。

 手に持っている竹刀を主体にして攻めてくるそれに対し、要は下がりながら相手をする。

 竹刀による一閃をしゃがんで回避すると、前蹴りが飛んで来るので、低姿勢且つ低飛行の宙返りで回避し、相手の背側を取って拳を振るう。

 それを肘でガードされそうになったので、引っ込めて足を出した。

 

「!」

 

 その一撃は膝でガードされ、引き下がらせるが、すぐに下がって地面を蹴った憂太は攻めてくる。

 下がりながら手を向けた直後、横に回り込んでいた真希が槍を投擲する構えを見せる。おそらく、憂太が自分に追いつく速度とほぼ被るように投げてくる事だろう。

 さらに視界に入るのはパンダ。万が一二人のコンボが決まらなくても逃さないつもりのようで、付かず離れずを意識した距離感を放っている。

 ドシュッと放たれる槍。そしてさらに憂太は距離を詰めながら竹刀を投擲した。

 

「!」

 

 同時に、真希とは真逆の方向へ早く潜り込んだ。三方向からの急襲……それに対して要はまず憂太に刻印を向けた。

 術式を発動させつつ、目の前の竹刀を反対側の手でキャッチして槍による一撃を呪力でガードする。

 動きが止まった。おそらくそう判断したのだろう。後ろからパンダが距離を詰めてきた。

 だが、おそらく空中に逃げるのを期待していたからだろうが、一歩遅い。竹刀を反対側の手に持ち替えた後、呪力ガードで止めた棒をキャッチして背中でクロスさせ、拳をガードした。

 

「なっ……!」

 

 パンダが出た今、もう上に逃げられる。そう踏んだ要は足の術式を起動し、ジャンプした。

 さて、まだあるだろう。最後の一手目。味方が全員離れたからこそ出来る手が。

 

【堕ち……!】

 

 その声が聞こえた直後、要は棒を捨て、竹刀を握る手の術式を起動し、反発させて空中を離脱。高速で着地すると、棘に狙いを定め……る前に、捨てたはずの竹刀を持った真希が、狙いを読んでいたようにカバーしに来た。

 

「今のでもノーヒットかよ。クソが」

「真希ねーちゃんの投擲は当たり判定じゃないの?」

「呪力でガードしてたの、バレてんだよクソが!」

 

 言いながら、竹刀を突き込んできた。横に回避しつつ、バックステップ。それを読んでいたように突き込んだ竹刀を切り返して腰を狙いに斬り払ってくる。

 それを横に回避した直後、その方向に待機していた憂太の拳に気がついた。

 

「やっば……!」

 

 すぐ手を向けて憂太を止めつつ、真希の蹴り込みを膝でガードして後ろに転がりつつ受け身を取る。

 直後、背後から悪寒。直感的に手のひらだけを向けて術式を起動。ノールックでパンダを吹っ飛ばした。

 だが、まだ気が抜けない。真希は相変わらず攻めてくるから。

 

「ッ……!」

 

 顔面への突きを、要は拘束されている腕の方に呪力を込めてガードした。半端な姿勢でのガードになったため、衝撃で身体が浮かび上がる。

 

「今!」

 

 真希の怒号と共に距離を詰めて来たのは憂太。空中にいる要への真希と憂太の同時攻撃。空中にいても、要は身動きが取れる。それ故に、二人とも隙をついた攻撃であるにも関わらず、慎重な速度のまま攻撃を放った。多段攻撃。つまり、完全な同時ではなく僅かな隙がある。

 空中の要は足の刻印を用いて地面につけると、片足を反発させて回転を生み出しながら、先に攻撃して来た憂太の一撃を回避し、廻し蹴りを叩き込み、真希の一撃に憂太をぶつけた。

 

「グェッ……!」

「あ、悪い」

 

 回転しながら着地し、膝をつく。その直後だ。大きくジャンプしたパンダが、要の真上に来た。

 スタンプ……? そんな事しても自分には当たらない。しかも、あんな目立つ図体で。

 ……いや、おそらく狙いは……と、思った時、耳に届いた。

 

【堕ちろ】

「うわやっべ……!」

 

 その声が聞こえたのは、自分だけでなくパンダにも。つまり、自分にそれが働くと共に、パンダも落ちてくる。足止めと攻撃、連携……完璧……! 

 と、要は全身に呪力を込めてガードしつつ、左手を上げて刻印を起動。パンダを真上から逸らしつつ、地中に沈んだ。

 

 



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コミュ障を輪に入れるには、その子の得意な事で話題を作ろう。

「っ……!」

 

 沈んで行った穴を、真希と憂太、あと喉を痛めて喉薬を飲む棘は油断なく眺めた。遅れて、落下して来たパンダもだ。

 

「……棘、どうだ?」

「しゃけ」

「手応えはあった……と」

「でもなぁ。つい最近も、呪言直撃してピンピンしてた奴がいたしなぁ」

 

 袈裟を着た変な前髪の男も、喰らわせたと思ったら呪力でガードでもしたのか、平気で出て来た。油断は出来ない。

 その直後だった。パンパンっ、と手を叩く音。悟が間に入った。

 

「はい、そこまでー」

「あ、悟?」

「ちょっと学校の修理中に大穴あけられるのは困っちゃうから。だから要、半径5メートル以内の地盤持ち上げる術式はやめて」

 

 その注意の後、要はスィーっと無音で穴から浮かび上がって出てくる。

 特訓(多分)とはいえ、唐突に始まった催しでつい弟を年上四人で囲んでしまったが、今更になって心配になった真希が聞いた。

 

「要、平気か?」

「全然平気」

 

 思ったより淡白な返事を返して来た事に少し意外に感じた真希だが、先に悟が要に声をかけてしまったので後になってしまった。

 

「要、じゃあまず今の戦闘で思った事を言ってあげて」

「姉ちゃん大好き」

「いや違くて。4人の戦闘について何か思ったこととかだよ」

「え、4人のって言われても……姉ちゃんがカッコ良かったとか?」

「うん、もう直球で言うわ。戦闘に関するアドバイスとか」

「……あ〜……え、なんで俺?」

「ん、実力は確かにトップだから。それに、多対一の戦闘にも慣れてる。戦術面でも優れているって事でしょ?」

 

 常には引き気味で戦って、機動力を活かして敵を翻弄。反撃は隙がある時のみ。視野の広さをフル活用し、周囲に展開している相手の次の動きも読み切って対応していた。

 

「アドバイスって言われてもなぁ……姉ちゃんはカッコ良かったから良いとして……」

「良くねえだろうが」

「ていうか、あれだけの手数の連携を見せて、実戦だった時、致命傷になってたかもしれないのは、真希ねーちゃんの棒の投擲だけだし」

 

 実際に刃付きの本物であれば、いくらオーラで守ったとしても少なからず食い込んでいただろう。そういう意味では、憂太が投げた竹刀をキャッチした時も同じかもしれない。

 

「そもそも、もう少し君達、基礎をしっかり固めたら? って感じ」

「どういう意味だ?」

 

 聞いて来たのはパンダ。少し納得いかなさそうな表情に見えるが、要は「あっ」と声を漏らす。そういえば、姉に嫌われるような事は言うなと言われた。

 正直……まぁ、ミゲルやラルゥと言った実力者を除いた夏油一派残党に比べたら全然マシなレベルではあるのだが、それを言えば嫌われてしまうかもしれない。

 

「……やっぱ何でもない。四人ともとても強かったです、まる」

「あ?」

「要、好きに言って良いから言え」

 

 すぐに真希が何を考えているのか読み切って、続きを促す。どうせ呪術師なんてプライド高くて年下から言われたことなんて聞くつもりもないだろうに……と、思いつつも、とりあえず「言え」と促された以上は言わざるを得ない。

 コホン、と咳払いして、改まって続けた。

 

「……乙骨憂太」

「は、はい……!」

「あんただけはまともな呪力操作が出来てるから、俺と近距離で渡り合えてた」

「う、うん。……え、今褒めた?」

「褒めてないよバカ。……けど、そこの白黒とジャージ。その二人は論外。そもそも俺と乙骨憂太の戦闘に全然、追いつけてないし」

「……高菜?」

「どんな能力持ってても、まずはフィジカルが重要に決まってるでしょ。自衛隊や警察官は銃とかライフル持ってるけど、何のために身体鍛えると思ってるの」

 

 基本的に使うのは自らの肉体だからだ。まぁそもそも、その銃を自由に扱うのに必要というのもあるが。

 

「言っとくけど、呪言も同じだから。俺とか悟並みの連中は、呪言を言い切る前に距離を置いて言霊避けるくらい楽勝だよ。……術式、使わなくても。その上、味方も呪ってしまう可能性があるから足止め役も用意出来ないとか、ハッキリ言って格上相手には何の意味もない」

「……しゃけ」

 

 悔しげに棘は頷いた。言いたい事を言っても良い、と言われたから言ったが……なんか、そんなに悔しそうにされるとやっぱり嫌われるんじゃないだろうか? と思い、チラリと真希を見た。

 が、何故だか真希はそっぽを向いたまま何も言わない。というか、言ってくれない。

 その後から、悟が声を掛けてくれた。

 

「じゃあ、要。君が呪言師ならどうする?」

「えー、俺? 俺なら……近距離で殴り合いの最中、簡単な呪言を使うとか?」

「例えば?」

「こっちが右フックを叩き込んだ時に『左向け』とか言われたら嫌でしょ。鼻の頭に綺麗に決まるよ。急に首が方向転換して、避けられるはずだった攻撃が直撃して嫌だし、次からは対応しようとこっちが口を開いた直後に強引に距離を取ろうとするだろうけど、それフェイントに使って別の攻撃当てられると思うし」

「……なるほど」

「呪言の『強い言葉』って範囲がいまいち分からないけど、相手の視線を変える程度なら強い言葉にならないでしょ。『動くな』とか『墜ちろ』とか一回で喉ガラガラになるよりマシ」

 

 だが、それも勿論、近距離戦がこなせるようになってからの話だ。運動神経は悪くないが、基本的に近距離での戦闘を行わない今の棘には、まだハードルが高い。

 

「まぁとにかく、基礎を固めれば術式の応用の幅も広がるって事だね」

 

 悟がまとめるように言い、要は頷いた。

 すると、今度はパンダが手を上げた。

 

「要先生、俺からも良いですか?」

「誰が先生だ、誰が」

「先生はどうやってそこまで極めたんだ? 基礎」

「修行。夏油に呪霊を取りに行くって言って戦って調べたり、木をサンドバックにしたり、呪力を全身に流したままマラソンに行ったり……まぁ、これも工夫次第」

「なるほど……」

 

 ……少し、要は困ってしまった。思った以上に、嫌悪感は見られない。というか、真剣な顔で見られてしまっていた。

 

「か、要くん! 僕にも何かない?」

「ない。実戦を回数こなせ。自分と同レベルの相手と……それこそ、そこの目隠しと」

「え、雑……」

「雑なもんでしょ、戦闘経験なんて」

 

 実際、実戦じゃないと身に付かないものもある。直感力とかまさにそれだ。

 

「なるほど……実戦かぁ……要くんはどうやって実戦とか繰り返して来たの?」

「……」

 

 なんか、ぐいぐい来る。割と浮いてた自分に対して。要もどう接したら良いのか分からずに、頭の中がグルグルと回ってしまう。

 その結果、ほぼ無意識に警戒したようなセリフが口からぽろっと漏れ出てしまう。

 

「……敵になるかもしれん奴に教えるわけないでしょ」

「要」

「うぐっ……いや、ごめん……」

 

 姉に止められ、仕方なく白状する。そうだった。今は敵ではないのだし、下手なことは言うべきではない。

 

「……俺は単純に、たくさんの呪霊を祓っただけ。ずっと学校にも行かないで自由な時間が多かったから。でも、実力が拮抗するレベルの敵じゃないと意味ないよ」

「どうして?」

「雑魚を何体殺しても、力押しだけで勝てちゃうから基礎練にしかならないよ」

「……そっか」

 

 顎に手を当てる憂太。

 その様子を眺めながら、要も少し困ってしまった。まさか、そんな風に自分に声を掛けてくるなんて。まさか……悟の狙いだろうか? 自分を生徒達のアドバイザーにでもするつもりなのか。

 仕事の一環ならば、こちらもコミュニケーションを取らざるを得ない。そういう話なら、こちらも言うべきことが決まっているから。

 ちょっとだけ助かったと思う反面、のせられた気がして悟に対してイラッとしつつも、とりあえず何も言わないでおいた。

 

「うんうん。少しは仲良くなれたね」

「何処が?」

「じゃあみんな、要の意見が正しいと思った時は受け入れて、そうでも無かったら忘れて。今日はかいさーん」

 

 悟の掛け声で、とりあえず解散する事になった。

 

 ×××

 

 さて、学生寮も形をなして来ていて、いよいよ要と真希は同じ部屋で暮らす事になった。今後、ずっと一緒というのは要にとっては天国。枷にならない……と思っていたのだが、真希がなんだかやたらと不機嫌なのが気になってしまった。

 

「あ、あの……姉ちゃん。どうかした?」

「……お前、私のこと舐めてるだろ」

「えっ?」

 

 なんだろう、急に。らしくない言いがかりにドキッと心臓が高鳴る。

 

「そんな事ないよ……?」

「バカ言え。じゃあなんで、お前さっきわざと私の攻撃は受けた?」

「え? あ、あー……いや、姉ちゃんになら奢りくらい良いかなって思って」

「そりゃつまり、普通にやったら私はお前に勝てねえってことか?」

「え……うん。多分」

「だから、手を抜いたと?」

「うん」

「それが舐めてるっつーんだよ」

「えっ?」

 

 舐めてる……のだろうか? 事実だと思うんだけど、と要が冷や汗をかく中、真希は続けて言った。

 

「あそこまであからさまにわざと負けるくらいなら、別に戦利品なんていらねーよ」

「え、みんな奢って欲しくてかかって来たんじゃ……」

「ああいうのはノリだろ。少なくとも、私は飯が食いたかったからとかじゃねぇ。いやそれもあるけど『そういうルールのゲーム』が始まったから、勝った上で飯が食いたかったんだよ。それも、わざと負けるとかじゃなくてな」

 

 ……そうだったのか、と要は意外そうな顔をする。まぁ、考えてみれば確かに真希なら、ただ奢らせる為に勝とうとするわけがない。

 

「次にああ言う舐めた真似しやがったら、許さねーかんな」

「ご、ごめんなさい……」

「……ん。で?」

「え?」

 

 何が「で?」なのだろうか? なんて思うまでもなく続けて聞いて来た。少し頬を赤らめて、そっぽを向いた様子で。

 

「……私にはなんかねーのかよ」

「何が?」

「だから、その……アドバイス」

 

 ボソッ、と。小声で呟く様子を聞いて、少しだけ要まで頬を赤らめる。それはまるで「何この姉、可愛い」と思ってしまうレベルで。

 

「姉ちゃん、姉ちゃん」

「なんだよ」

「頭撫でても良い?」

 

 直後、頭にゲンコツをもらった。床に顔がめり込む勢いでダンクし、脳天から煙が上がる。

 

「やっぱ舐めてるだろお前!」

 

 ガタッと立ち上がった真希は、そのまま身体を動かしてストレス発散でもしようと部屋を出ようとする。

 その最中に、後ろから声が投げかけられた。

 

「姉ちゃんも、もっとフィジカル鍛えて」

「……あ?」

 

 それを聞いて足を止める真希に、要は続けて言う。

 

「呪力強化出来ないんだから、姉ちゃんは鍛えるしかないじゃん」

「あー……まぁな」

「でもその分、呪力切れとかないから、鍛えれば鍛える程、他の呪術師より長く戦えるようになると思う。……だから、ホント地道に体鍛えて。それこそ、呪力による肉体強化した俺とか乙骨憂太と同じ身体能力になるほど」

「……考えといてやる」

「今から走り込みなら、俺も行くよ」

「勝手にしろ」

 

 話しながら、2人は走り込みを始めた。

 そのまま、しばらくランニングを続ける。こういった一緒にトレーニングをするのは7年前にも無かった事なので、少し嬉しかったりする。

 夜中にこうして並んで走るのは、何処か楽しかった。

 思った以上に、真希が呪術師になったのは不愉快な感じがしなかった。……勿論その分、心配は多くあるが。

 何にしても、自分が守れば良いだけだ。そう決めて、しばらくランニング。地力も育てておきたい要は、呪力を使わずについていった。

 

「はっ、はっ……はっ」

「なんだ、要。情けねえな。もうギヴか?」

「は? 全然平気だから。あと三時間は」

 

 真希のペースについて行っている為、呼吸の乱れは早かった。

 それでも強引に走って、後に続く。実際、片手、片足が包帯に巻かれている状態で運動する事には慣れておきたい所だ。

 

「そうかよ。……無理はすんなよ」

「するよ。無理しないと強くなれないし」

「……お前、まだ強くなる気かよ。もう家の連中より強ぇーだろ」

「今のままじゃ、五条に勝てないし」

「何処目指してんだよ、お前は……」

「五条が我儘言ってもなんで通るか……要は、圧倒的に強いからでしょ? 俺もそれくらいにならないと、禪院家で我儘を通せない。……家柄、ぜーんぶ変えちゃうくらいの我儘」

「……そうかよ。なら、私ももっと強くなんなきゃな」

 

 どれだけ上を目指したって足りない。二人とも。

 そんな風に思いながら、学園の周りを一周する。揺れる木々、僅かに照らす月明かり、やはり……なんだか心地良い。

 さて、そのまま何とか走り切った。女子寮の中に入り、伸びをしながら上着を脱ぐ。

 

「ふぅ……お疲れさん、頑張ったな。要」

「いいや……まだまだ……! 姉ちゃん、途中で速度落としてたし……!」

「あ、バレた?」

「バレてるよ! 次こそ追っつく!」

「わーったから、汗だくのままベッドに倒れ込むなよ。シャワー浴びんぞ」

「え?」

「一緒なんだろ。腕の、外してやる」

「……あ、そっか! 久々!」

「あーそうだな」

 

 忘れてた! と言うように要はウキウキしたように握り拳を作る。一気に「頑張ってよかった!」と言うように目を爛々と輝かせた。

 

「ちゃんと時間かけてお風呂に入れるようになった、姉ちゃん?」

「いらねー気を回してんじゃねーよ」

「シャンプーは何使ってる?」

「……なんだって良いだろ」

「ちゃんと女の子が使うようなの選んでないでしょ。菜々子が言うには『パ○テーン』とか言うのが良いらしいよ」

「知るか。いいから先入れボケ」

 

 そのまま二人で風呂場に向かった。まずは、真希が鍵を使って南京錠を外し、包帯を外す。スゥースゥーする開放感が腕を支配する。なんかちょっと臭い気もした。

 

「これ……夏場とかもっとヤバそうじゃない?」

「それも罰則の一部なんだから、受け入れとけ」

「はーい」

 

 久しぶりだからか、要は本当にさっさと服を全部、脱ぎ捨てると、先に風呂場に入った。

 しゃがんでシャワーがお湯を出すまで水を吐かせる。背中の洗いっことか正直、楽しみ……だけど、ちょっとだけ怖かったりもする。真希の身体に傷とか出来てたら嫌だな……と。

 

「おう、お待たせー」

「あ、姉ちゃ……」

 

 入ってきた姉の姿を見て、思わず要は固まってしまった。

 

 ──あれ、なんか胸大きくなってる。

 

 と。

 立派に引き締まった腹直筋、腹斜筋、腹横筋……そして下半身のハムストリングス、大臀筋、大腿四頭筋……などなどと、とにかく男性が羨む肉体。

 なのに、なのに……なんで胸だけ女性的なのか。

 ちょっと待ってほしい。や、ほんとに。前に(七年前)にお風呂入っていた時は、こんな立派なメロンが二つもついていなかった。自分と似たような体格だったはずだから。

 それが……目の前に……。

 

「あん? 何ボケっとして……」

 

 真希がそう呟いた直後だ。何故か、少し寂しげな表情を浮かべる。

 と、思ったのも束の間、真希は不意に自分の前に屈んで手を伸ばして来た。それが向かう先は、自分のお腹……なのだが、それ以上に気になるのは、目の前にぶら下がっている乳房二つ。

 や、ホントなんでこんな立派になってしまっているのか。生で見たことあるわけではないが、菜々子や美々子の比ではない。

 

「要……お前、この……要?」

「っ……な、何?」

「どうした? 顔真っ赤だぞ。湯船に浸かってもねーのに」

「そ、そう……?」

「そうだよ」

 

 ヤバい、とすぐに頭が反応する。これ、イジられる。昔から姉にその手の話題で勝てたことがないのだ。何とか話題を逸らさなければ。

 

「あ、あー……ちょっと、熱気だけで熱くなっちゃってる……的な?」

「もしかしてお前……姉の身体見て興奮してんのか?」

「っ……し、してないよ!」

「うわっ……シスコンも行く所まで行ってんな……」

「う、うるさいな……! 久々に見たら、姉ちゃん……い、色々と……その、大きくなってるんだもん……」

「服の上からでも分かる程度には育ってんだろうがよ」

「……そ、それはそうだけど……」

 

 一々、胸に注目なんてしなかった。身長や顔立ちは気になったりしたが。

 そういう意味だと、むしろ性的な意味では見ていなかったことを何となく真希は察してくれたのか、とりあえずそれ以上からかわれることは無かった。

 

「……冗談だ。ま、お前も慣れろよ。今後しばらくは一緒に風呂入んだから」

「……は、はい……」

「さ、まずは姉優先だ。背中、流せ」

 

 言われて、要は少し頬を赤らめた様子で、ボディソープを垂らしたブラシで背中をゴシゴシと擦った。

 

「姉ちゃん……背筋、すごいね」

「鍛えてるし、人よりも上の肉体持ってるからな。……もっと鍛えるぜ」

「うん。キャプテンは片腕でヘリコプターを引き止められるくらい強いし、それ以上になってね」

「はっ、任せろ」

 

 元々、男だ女だ気にしたことのない姉だから、要も「女の人らしくないな」なんて思わないし言わない。

 この背中が、なんだかんだ自分は大好きだった。自分より弱いはずなのに、とても頼りになる背中だ。

 まだ傷がない事にホッとしつつ、今後も数が増えないように、自分が全力で守り抜く……そう改めて決心しながら、とりあえず背中を磨き続けた。

 しばらくして、真希が立ち上がった。

 

「うし、交代だ」

「あ、うん。本当にちゃんと待てるようになったね」

「しつけぇぞ」

「だって昔は本当にちゃんと洗わなかったじゃん」

「うるせぇ」

 

 そんな話をしながら、要が前になった。

 要用のブラシを手に取った真希が、洗おうと背中に手を当てた時だ。ふと、その手が止まる。

 

「? 姉ちゃん?」

「……傷、多いな」

「え、そう? ……うん、そうかも」

 

 何せ、特級呪霊に勝てるようになるまで独学で強くなったのだ。それ程の実力者になるまでに、相当な地獄を見て来たことは間違いない。

 強くなった勲章、なんて言えば聞こえは良いが、それでも一生治らないものだ。特に、真希が苛立つのは、背中の小さな傷……位置的に、おそらくお腹の傷が貫通して、背中にも出来たものだろう。

 

「……これ、クソ親父に刺された時のか?」

「え? ち、違うよ?」

「……」

「そ、そうです……」

「そうか……」

 

 例え目の前の奴が父親をフルボッコにしても、この傷だけは消えることはないのだろう。

 改めて、今まで離れ離れになっていた時、どんな目にあってきたのかが分かるものだ。

 

「要」

「な、何……?」

「これ以上、傷増やすんじゃねーぞ」

「増えないよ」

「……ならいいけどな」

 

 少ししんみりしたまま、二人は背中の洗いっこを終えると、続いて普通に各々で身体や頭を洗い終える。

 そして、湯船に浸かった。正直、まだ少し胸が気になるので、要は見ないように目を逸らす。

 

「おい、あんま照れんなよ。こっちだってお前のそれ見ないようにしてんだから」

「そ、そんなこと言われても……」

 

 恥ずかしいものは恥ずかしい。見るのは特に困る。

 それを察した真希が、すぐに話題を逸らすように言った。

 

「で、どうだよ」

「え、どうって?」

「私の同期達だよ。仲良くなれそうか?」

「……どうだろうね」

 

 色々とアドバイスはさせてもらったが、やはり完全には気を抜けない。悪い奴ではないのだろうが、呪術師嫌いはそう簡単に切り替えられない。

 本当なら、真希が仲間と認めた人達ならば、こちらも認めてあげるべきなのかもしれないが、いつか大事な場面で裏切られるかも、と思うと気を許しきれない。

 父親に裏切られた時、元々父親のことは嫌いだったとはいえ、ほんの少しでも精神的にショックでもあった。仮に真希の同期と仲良くなったとして、それでも裏切られたら、その時のショックは比じゃないだろう。

 そして、そのつもりではなかったとはいえ、それと同じ事を菜々子と美々子にもしてしまったのだ。

 むしろ「仲良くなるべきではないのかも」とさえ考えてしまっている。

 

「まぁ、お前の悩みも分かる。急に仲良くしろって言われても困るよな」

「……うん」

「でも、みんなにアドバイスとかして、それでどうだったよ。お前自身は」

「どう、って……?」

「だから、楽しかったりしなかったか?」

「え……た、楽しい?」

「ああ」

「……どうだろう」

 

 言われて、要は少し天井に顔を向ける。……や、まぁ話を聞いてもらえたのは正直、決して嫌な気分になったわけでもないのだが。

 他人へのアドバイスなんて、夏油一派にいたときはしなかった。いずれ敵になる奴を育てるようなものだから。

 菜々子も美々子も、正直術式よりまず自分を鍛えろと思わないでも無かったが、口にはしなかった。

 ……もう少し、そう言うところで親切に接していれば、もしかしたらこの前も信用してもらえたりしたのだろうか? 

 

「ねぇ、姉ちゃん」

「なんだよ?」

「同じように菜々子と美々子にもアドバイスとかあげてたら、この前は俺の方に来てくれたりしたのかな」

「……かもな」

 

 やっぱり、とちょっとだけ後悔が残る。

 

「でも、もう過ぎた事はしゃあねえ。……なら、お前は今後どうするか、だろ?」

「……うん」

 

 そうだ、同じことを繰り返さないために、あの真希の友達に対する対応は変えた方が良い。いつまでも心を閉ざしているわけにもいかないのだ。

 

「ありがとう、姉ちゃん」

「仕方ねえ弟だよ、お前は」

 

 なんて話しながら、要はホッと一息つく。

 

「ふぅ……こんな風に誰かとお風呂に入るの、久しぶりだなぁ……」

「なんだよ。私以外とも入ったことあったのか?」

「まだ夏油の所に行って一年くらいの時にね。呪術師が入った後の風呂に入りたくなくて、一番風呂じゃなかった時は湯船に浸からないで出てたんだけど、それで冬に風邪ひいて、夏油が子供達を含めて強引に……あっ」

「……は?」

 

 言ってから後悔した。シスコンの姉はブラコンなのだ、世の中。

 

「入ったのか? 風呂に? 私と真依以外の女と?」

「あ、いや子供の時にね? その一回だけだし……」

「……」

 

 ガッ、と要の手首を掴む真希。万力のような握力でガッチリと。何? と思う間も無く、ぐいっと腕から引っ張られて真希に背中を向けさせられ、足の間に入れられた。

 

「ズリィ」

「え」

「100数えるまでこの中だからな」

「え、何その真希姉ちゃんらしからぬセリフ……うえっ⁉︎」

 

 直後、むにゅっと柔らかいけど硬い感触が背中に当たる。

 

「ま、真希姉ちゃん⁉︎ な、何して……!」

「はい、1〜2〜3〜……」

「こ、このまま100って……ちょっ、流石に……!」

 

 5秒後、鼻から大量に流れた液体によって湯船のお湯は真っ赤に染まった。

 

 ×××

 

「……何、要が?」

「はい。おそらくですが、京都の方に」

 

 それを聞いたのは、禪院直毘人。そして報告したのは禪院蘭太だ。

 百鬼夜行の時、京都の方へ回された禪院家の戦闘員の報告が今頃になってされたのだ。

 

「遠目でしたし、サングラスも掛けていましたので何とも言えませんが……」

「刻印があった、ということだろう」

「はい。それに、真依を連れ去ったという報告もありました」

「……なるほど。扇がここ最近、コソコソ動いているのはそれか」

 

 彼自身は隠している様子だが、傷がかなり増えていた。ガキの頃から、甚壱から聞いた話ではかなりの実力を持っていたらしい。

 勿論「子供にしては」の評価ではあるが、それがもう……何歳だか知らないが、それなりに大きくなった年頃。

 

「やれやれ、俺も遺言状の中身を書き直す必要があるかもな……」

「……次期当主は直哉さんなのでは?」

「お前も知っての通りだ。あの息子は当主の器ではあるまい?」

 

 否定はしなかった。というか、あれが当主になるとどう家が扱われるか分かったものではない。

 

「しかし……要であったとしても危険でしょう。真希と真依にさえ優しくするような甘い男です」

「それはそうだが……じゃあ、蘭太。お前はどちらが良い?」

 

 聞かれると、確かに要の方がマシかもしれない。その上、扇に口止めされているから直毘人は知らないが、あの九眼がある。

 あの戦闘センスに、特殊な瞳と訳の分からない術式……もしかしたら、もうとっくに特級クラスになっているのかもしれない……。

 

「ま、事を急ぐつもりはない。俺も何かやる事があるわけでもないが、簡単に当主の地位を手放すつもりはない。……蘭太、お前にもチャンスはある。もっと励め」

「は、はい。ありがとうございます!」

「要の捜索は特にする気もない。一先ずは様子見だ。もし向こうが戻って来たら迎えてやれ。強い奴は大歓迎だ」

 

 それだけ告げて、直毘人は軽く伸びをする。それと同時に、何となく分かってきた気がした。あのプライドは一級品の弟の事だ。要の行方不明の原因はおそらく、息子に当主を取られないように手を打った扇の仕業だろう。

 で、今更になってコソコソ動き始めたのは、息子の生存を知ったから。そんな事をしているから、いつまでもパッとしないことに何故、気付かないのか。

 そんな風に思いながら、とりあえずのんびり酒でも飲む事にした。

 

 ×××

 

 翌日、高専では。

 

「おはよーう、みんなー。今日も午前中は修復作業に……どしたの、要は」

 

 一年生+アルファが集まった場所で遅刻して来た悟がそう言うが、あからさまに要の様子がおかしかった。

 問われた要は、真っ赤な顔を俯かせたまま、ギロリと男どもを睨みつける。

 

「全員、揃った所で一つ聞くぞ」

「な、何?」

「この中で、真希ねーちゃんの入浴シーンを一度でも覗いた事ある奴ァ手ェ上げろ」

 

 あっ(察し)と、全員が昨日のことを理解した。七年ぶりに再会した姉弟。当然の事ながら、身体にも変化が訪れている。

 それと同時に覚えた危機感……ということは、想像するまでもなくどう答えるべきなのか分かった。

 

「「「ありません」」」

「おかか」

「……万が一、覗こうとでも考えたら、ペシャンコにしてやるからな」

「ぺ、ぺしゃんこ……?」

「こうやって」

 

 直後、要は足の術式を起動する。メコッと地面にクレーターが出来た。同じ刻印同士による反発。それを地面に向ける事で、規模の大きな破壊を起こせる。

 ビシッ、ビキッ、メギィッとさらに深く沈むクレーター。それとほぼ同時に、地表からめり込んだ分、持ち上げられた地表が顔を出すほどの衝撃だった。

 

「もう一度言うね。……覗こうとでも考えたら、ペシャンコにする」

「「は、はいっす!」」

「しゃけ」

 

 速攻で三人揃って良い返事をした。

 それにとりあえず満足げに頷く要の頭を、真希は後ろから引っ叩いた。

 

「いったいなー!」

「そういうのはやめろバカ」

「なんで⁉︎ 姉ちゃんのこの大きくて綺麗な胸が、もし他の男に見られたら……!」

「解説すんな!」

「へぶっ⁉︎」

 

 ゲンコツされ、顎が地面に直撃する。

 

「下手に気ィ使われるような事、他人に強要するんじゃねえ。そういうのが友達できなくなる原因なんだっつーの」

「ご、ごめんなさい……」

「でも、万が一、覗く奴がいたら殺して良いぞ」

「「許可は出すんかい!」」

 

 結局、下手な真似は出来ないと悟った男子達だった。

 その男子達に、とりあえずフォローしないと……と、思った要は、少しだけ考え込む。

 そして、少し頬をかきながら目を逸らして続けた。

 

「……もし、覗かないって約束守れるなら……また、特訓つけてやる」

「「「……」」」

 

 言われて、三人とも目を丸くする。もしかしたら、要なりに歩み寄ろうとしていたのかも、と思ったのか、すぐに笑みを浮かべて頷いた。そんな当たり前のことで強くなれるなら、それに越したことはない。

 

「じゃあ、早速今からお願いします!」

「俺もだ!」

「しゃけ」

「三人まとめてで良いよ別に」

「おい、私を除け者にすんな」

「いやいや、午前中は修復だから」

 

 とりあえず悟は止めつつも、仲良くなってくれて良かった、とホッと胸を撫で下ろしておいた。

 

 



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バカなのに賢い奴はこれだから。

お久しぶりです。この後の展開あんま考えてなかったので時間空きました。今後は考えずにやろうと思います。


 もう元宗教団体施設は使えない。その為、元夏油一派はそのまま逃げ延びて、拠点を転々とするしかなかった。幸い、傑の溜め込んだお金はアホほど貯まっていたのでしばらくはホテルなどを借りても問題なかったが、それも長くは続かないだろう。

 そんな中、美々子と菜々子は少しずつ冷静になっていった。そしてそれは当然、この前の日の後悔に繋がっている。

 

「……菜々子」

「何」

「要のこと……」

「……美々子も?」

「うん……あの時は、悪いこと言っちゃったかも……」

 

 今にして思えば、あの要の様子を見た感じ、別に自分達を裏切ったとは限らない気がしないでもない。

 正直に言ってしまうと……何も分からないというのが本音だ。何せ、今まで難しいことは家族に任せてきてしまっていた。

 ……だが、まぁ事実だけ見れば確かに自分達を襲撃してきたように見えたし、やはり敵だと思っておいた方が安全な気がしないでもない。でも……後悔しそうな気がしないでもないわけで。

 

「……菜々子は、どう思う……?」

「わっかんないし……でも、少なくとも、あの呪術連っぽい奴らが来る前の話は、本当な気がする」

「勘?」

「そう……勘。てか、勘しかないっしょ」

 

 根拠なんてない……まぁ、そもそも彼が言っていた「姉嫌い」も恐らくポーズだったのだろうし、割と嘘つきなとこがあるので本当にどこまで信用して良いのかはわからないものだ。

 いや……でも、初めてあんな真剣な表情をした要を見たし、別れ際もなんか寂しそうな顔をしていたし……いや、それももしかしたら演技かも……なんて考える中、菜々子が後ろのベッドにひっくり返った。

 

「あーもうっ、分からない分からない分からないってば! なんで夏油様がいなくなって、こんな時にあいつに悩まされないといけないわけ⁉︎」

「……それは、多分……私達も、要が心配だから……」

「……」

 

 美々子に言われ、菜々子も渋々、頷いた。年が近かったからだろう。七年間、一緒に生活してきて、たまに一緒に遊んだり、呪力のことを教わったりと色々あったが、なんだかんだ楽しかった。

 だからこそ、悩んでしまう。信用したいが……万が一、その信用も虚しく裏切られ、双子の姉妹まで失うことになってしまったら……。

 

「菜々子、美々子。いるかしら?」

「「!」」

 

 ラルゥの声……と、二人とも肩を震わせる。

 

「話があるから。来なさい」

「な、何……?」

「家族のこと」

「……」

 

 二人で顔を見合わせた後、部屋を出た。ラルゥに連れて行かれた先には、利寿と真奈美の姿。五人で話をするつもりのようだ。

 

「何の用かしら? ラルゥ」

「次、あの裏切り者を始末する為の作戦を立てたいとこなんだけどな」

「この際だもの。そろそろ、私達も潮時かと思っただけよ」

 

 何となく、嫌な予感はする。

 

「どういう意味ー?」

 

 菜々子が聞くと、ラルゥは腕を組んで質問した。

 

「真奈美、あなた達は要を殺したい……そうね?」

「ええ、もちろん」

「夏油様を裏切っておいて、のうのうと生き延びさせてたまるか」

 

 利寿も続けて応えたのを聞いて頷いたあと、ラルゥは菜々子と美々子達に顔を向けた。

 

「菜々子、美々子。あなた達は、まだ要を殺すことに迷いがある……そういうことね?」

「……まぁ」

「うん……」

 

 迷いがある、とは上手い言い方だ。正直、仮に殺すにしても、真奈美や利寿の強行的で家族にさえ何も言わず、安易に禪院家と手を組むやり方は、信用が出来ない。

 あの状況だって、仮に要を倒せたとしても、今度は自分達が禪院家に狙われていたかもしれないのだから。……いや、というか息子に対して闇討ちを仕掛けるような父親だし、確実に自分達もまとめてしばかれていただろう。ラルゥやミゲルがいたとはいえ。

 さて、それを聞いてラルゥはすぐに結論を出した。

 

「……そう。傑ちゃんがいなくなっただけで、私達はここまでバラバラになっちゃってるもの。それはそうよね。私達は皆、傑ちゃんの思想に賛同して集まり、家族になった。その傑ちゃんがいなくなれば、考えも行動も変化する」

「何が言いたい?」

「ここで、各々別の道に進みましょう?」

 

 それを聞いて、四人とも目を見開いた。

 

「本気で言ってるの?」

「そんなこと……!」

「それで良いわよ、私は」

「俺も構わない」

「えっ……⁉︎」

 

 二人の大人組は頷いた。

 美々子と菜々子は大きく狼狽えたが……しかし、胸の奥では少しだけホッとしているのも事実だ。

 異論はなさそう……そう思ったラルゥは、すぐに続けていった。

 

「でも、忘れないでね。私達は、離れていても家族。またいつの日か、みんな集まって食事をするの。……良い?」

 

 その確認に、全員は無言だったが、頷いて答える。ラルゥがこの後どうするのかは知らないが、また会いたいものだから。

 とりあえず、傑が残した資金を分割し、各々が別の道を進んだ。

 この僅か二日後、真奈美と利寿の元に、その五人が……いや、ミゲルを含めて六人が自分達の頭として立てていた人間と同じ顔の男が現れた。

 

 ×××

 

 高専では、今日も今日とでトレーニングと修復を終えて、生徒達は自主練。

 ここ最近の高専のルーティンは、生徒達は午前中に校舎の修復をし、午後にトレーニングか仕事をし、その後に自主練といった形になっている。

 それは、要も例外ではなく、トレーニングの時は悟や硝子に反転術式を教わっている。

 今日の自主練中では、要は真希が憂太とトレーニングする姿をぼんやりと眺めていた。強さで言えば圧倒的に憂太の方が上だが、呪具の扱いに関してはまだまだ真希の方が上。それはそうだろう、年季が違うのだから。

 その技法を教わっているのだが……羨ましい。要も呪具……というより、武器の扱いは心得ている。前まで呪具を作っていたのだから当然だ。

 術式の性質上、両手は開けておいた方が良いのだが、それでもまだ筋力が育ちきっていなかったり、呪力操作が未熟だったときは呪具で誤魔化したりすることもあったので、実践でも問題ない。

 だからこそ……自分は教わる必要ないけど、憂太が教わっているこの状況が気に食わないわけだが……いい加減、我慢を覚えないといけない。

 そんな事よりも、だ。思うのは、真希の呪具。前に話した時は肉体を鍛えれば良い、とは言ったが、その分、トリッキーさは減る。

 正直、死んだら終わりなのが呪術師なのだから、自分が真希なら服やカバンの中にあらゆる暗器を用意しておく。特に銃とかの呪具は大事だと思うのだが……まぁ、その辺を決めるのは真希だし何も言わないが……。

 

「……呪具、作ってあげた方が真希姉ちゃんにとっても良い気がするなぁ」

 

 自分の術式で、手元に引き寄せられる呪具くらいは作ってあげても良いかもしれない。

 手元に引き寄せられる武器……言葉にすると単純に聞こえるかもしれないが、実際に使うと便利なのは、雷の神を見ていれば分かることだろう。投げてもリスクにならないどころか、初見殺しになり得る、キャッチするフリして後ろの敵に当てる、近接戦の奇襲も可能……などなど、用途は様々だ。

 

「おう、何見てんだ要。ジェラシーか?」

 

 そんな中、声をかけてきたのはパンダ。背中をドンっと押され、少しイラっとする……が、これも姉が言っていた「学生とのコミュニケーション」だろう。

 我慢し、代わりに聞いた。

 

「パンダ、お前もし手元に引き寄せられる武器を貰えるとしたら、どんなのが良い?」

「え、なんだよ急に?」

「や、だから武器」

「気持ちはありがたいけど、俺に武器はいらねえよ。こいつがあるからな」

 

 言いながら、パンダは自身の拳をグッと握る。が、それを見て要は思わずキョトンとして目をぱちぱちしてしまった。こいつ、何を言っているのだろうか? 

 

「え、力自慢ってこと言ってんの?」

「まぁ、真希程じゃないけどな。呪力流せばもっと出るぜ」

「その程度で自慢になるの?」

「え?」

 

 その程度の膂力は、残念ながら武器とは言わない。悟や傑、要や憂太なら当然のように出来る呪力操作より下だからだ。

 

「ならないのか?」

「あ、そんな自信あったの?」

「いや、呪力操作をマスターすりゃ、俺でもそれなりに戦えるもんだと……」

「そのレベルに到達するまでに死ぬよ。どんな術式持ってるのか知らんけど」

「……」

 

 術師は何故、基本的に武器を握らないのか。要が見てきた限り、優秀な術師ほど何かを持っている気がするし、持っていない術師は明らかに持つ必要がないレベルの術式か、自分のように両手を使うためない方がメリットがあるかのどちらかだ。

 傑も呪霊に頼らず自らの手で叩きのめすときは武器を用いるし、ミゲルも黒縄と呼ばれる特殊な呪具がメイン武器だ。もうないけど。

 

「え、お前は武器持った方が良いと思うのか?」

「そりゃそうでしょ。勿論、武器がなくても戦えるに越したことはないけど」

「まぁ、そりゃ分かるが……」

「よくアニメや漫画で武器を相手に拳で無双する奴いるけど、それ大前提として拳側は人間じゃないからな? 人間であっても普通の人間じゃ到達出来ないとこまで鍛えてるから」

 

 呪術師だって人間とは言い難いが、戦う相手も呪術師なのだ。使うのは呪具と言って術式が刻まれている武器だろうし、その呪具に呪力を流すことが出来る。

 

「勿論、呪具にもデメリットはあるけどな。相手に取られたりするかもしれんし。でも、俺が作れる呪具ならそれを引き寄せることも出来るし、そのデメリットはないに等しい」

「え、お前そんな事できん……ああ、そういえばそんなんあったな」

 

 前に空中に浮いた高専で、遠くから飛んできた呪具を里香がキャッチしてくれたことを思い出す。

 

「え、じゃあもしかして……お前、俺に呪具作ってくれるのか?」

「いや? 真希姉ちゃんに薙刀以外にも武器あった方が良いかなーって悩んでただけ」

「えっ……い、今までの話の流れは……」

「ディスりたかっただけ」

「……」

 

 別に、作ってやる義理はない。そんな事よりも、姉だ。肉体の限界を越えるだけでなく、遠距離にも中距離にも対応出来るようにして欲しい。

 

「よし、作ろう。どんなのが良いかな」

「好きにしろよ……」

「は? 俺の好きじゃない、姉ちゃんに必要なものを作るんだよ……あっ」

「なんだよ?」

「両手解放しないと呪具作れない。五条に相談しよ」

「……」

 

 すると、パンダはハッとしたように顎に手を当てる。これは……良いチャンスなのかもしれない。

 

「なぁ、要」

「何?」

「俺に呪具を作ってくれるって約束するなら、正道にも開放の件、頼んでやる」

「正道?」

「学長だ。お前マジか」

「……ああ。そんな名前なの。良いよ」

 

 そういう事なら仕方ない。姉を守るために、できることはやるべきだろう。

 

「じゃ、話はまとまったな」

「俺早速、五条に聞いてくるわー」

「おう」

 

 そのまま二人で動き出した。

 

 ×××

 

 要が作れる呪具は、早い話が自身の術式を利用して手元に引き寄せられる呪具。

 そして、呪具と言っても、要の刻印がつけられたものは呪力が付与される性質を利用して、要の呪力を少し与えているだけだ。

 勿論、それと手袋がセットになるので、それ以外にも色々と細かい工夫を入れてはいるが、遊雲や黒縄と言ったとんでも呪具に比べると格落ちしてしまう。

 ……だが、それは裏を返せばどんなものにもプラスアルファの機能をつけられるわけで。

 

「はい、ここが呪具の倉庫だよ」

「なるほど」

 

 高専が所有する呪具を格納している倉庫に悟、パンダ、そして夜蛾正道、要、そして鍵を外すために真希も含めた五人が到着した。

 勿論、二人の教員と真希の監視の元、戦闘用に刻印を使わない事を前提で、三つあるうちの片腕の拘束だけ外して呪具の作成を許された。

 で、早速試してみることにしる。

 

「気持ちは嬉しいんだがな、要……」

「ダメ。心配。そもそも武器一本じゃダメでしょ」

「一応、暗器とか持てる分だけ持ってるわ」

「暗器の強みとかちゃんと分かってる? 投げるだけじゃなくて、それでさらに間合いを詰めた近接戦とかしてる?」

「なめんな! してるわ!」

 

 しかし、心配なことには変わりないのだ。多少動きづらくとも、複数持てるように服の中に隠したりすれば良いのに、と。

 

「ふむ……呪具を作れる、か……」

「面白いですよね。これ、他の術師も使えるんじゃないですか?」

「日下部あたりも喜ぶかもしれんな」

 

 話しながら、適当な銃を手に取って刻印を付与し、それと同時に手袋にも刻印を刻む。

 それを手につけた後、手を銃に向かって伸ばし、刻印の効果を発動。手元に引き寄せた。グリップに刻印をつけた為、手元に引き寄せた時には銃を握れるようになっている。

 

「よし」

「なんで銃?」

「真希姉ちゃんに必要だから」

「いらねーよ。真依と被んだろうが」

「いや関係ないから。真希姉ちゃんは真希姉ちゃんだよ」

「そうじゃなくてな……」

「もうあらゆる武器を真希姉ちゃんが使えるから。時と場合に応じて、好きな時に手元に引き寄せられる」

「……まぁな」

 

 例えば、いつものジッパー付きの長いカバン。あれには薙刀が入っているが、他にも入るだろう。

 薙刀を抜いて鞄を敢えて目の前で捨てる事で、他に武器がないことを隠せるかもしれない。

 そんな中、正道が顎に手を当てたまま声を掛けてきた。

 

「だが、手袋一枚では足りないだろう。今までは一つの手袋に付き、一つの武器を引き寄せる性質だったんだろう?」

「……あ」

 

 このままでは、一つの武器を引き寄せるつもりが大量の武器を引き寄せてしまう。

 

「あはは、それで真希が串刺しになったりして? ウケる」

 

 直後、要のドロップキックが悟に向かい、悟はすぐに人差し指と中指を立ててガードする。

 

「こっわ。意外と短気だな」

「今のは悟が悪い。……が、要。落ち着け。一応、監視される立場であることを忘れるな」

「……」

 

 仕方なく要は着地し、手袋を摘み上げる。刻印……自分が使う時はその時々で必要なものを引き寄せられるように調整出来るし、逆に何でも引き寄せられるようにできるが、手袋の時はそうもいかないだろう。

 なら、こう……軍手の中でさらに切り替えが出来るようにするか、それとも刻印の範囲を狭めて正確に武器に向けないと引き寄せられないようにするか……悩ましい。

 

「とりあえず……もう少し考えるわ」

「いやいや、待て。俺の武器は?」

「あー……じゃあ使いたい武器、倉庫から持っておいで。それなんとかするから」

「お、おう?」

「学長もなんかいる?」

「今は結構だ」

 

 パンダが選んだメイスに刻印をつけて、その場は解散した。

 

 ×××

 

 入浴時、それは真希の監視の上で両手が解放される数少ない……というか、唯一の時間。まぁ今日は呪具作る時に解放されたわけだが。

 真希と湯船に浸かっている間、要は両手の刻印を小さくしてキンっと浮かせる。

 一緒にいる真希には呪力が見えない為、何をしているのか分からないが、何かをしているのかはわかる上に、要を信用しているので何も言わなかった。

 それよりも、真希には気になることがあったので声をかける。

 

「で、要。なんで急に私に武器なんだよ」

「そりゃ勿論、必要だと思ったからだよ。姉ちゃんにできることなんて、今の所は斬る、突くだけでしょ。人間相手なら殴る蹴るも加わるけど、これから多く相手にするのって呪霊なんだから。色んな相手に対応出来るように、色んな呪具を幅広く使えた方が良いでしょ」

「まぁな」

 

 あと単純に呪具を失ったら呪霊への対抗手段がなくなるから。憂太と最初の任務の時、呪霊に喰われたとき何も出来なかったらしい。

 

「ていうか、呪具を作る作らないは置いといても、真希姉ちゃんってちゃんと武器持ててる?」

「あん?」

「いつもトレーニングの時は薙刀しか見ないから」

「まぁ……あんまり持ち歩かねえな」

「背中にサブマシンガン背負ったり、袖の中に短刀入れたり、靴の先端から刃を出したりとかすれば良いのに」

「まぁな。けどそういうのやんのにコストがバカになんねえんだよ。今はスカートの中に暗器を考えてるけどよ」

「あーそっか。でもそれ経費で落とせないの?」

「私、四級の上に学生だぞ。呪具だって安いもんじゃねーし、簡単にいかねーよ」

 

 そっか、と要は顎に手を当てる。そういえば、夏油一派でも口うるさいおばさんから刀をやたらと使うなって怒られていたことを思い出した。

 

「そっか……」

 

 顎に手を当てた要は、少し考え込む。つまり、早い話が金があれば良いという事なのだろう。

 まぁ、それは自分に任務が回ってきた時に考えるとして、とりあえず今は指摘された点だ。一つの手袋と複数の武器で細かく引き寄せられるようにする。

 そのためには、刻印に少し改造を施す必要があるのだろう。

 再び、Sの刻印を出し、目の前に浮かせる。そして、反対側の手からもNの刻印を出した。それも、かなり小さい奴。

 

「てか、さっきから何してんだ?」

「実験」

 

 答えながら、要はSの文字の上の丸の中央に、Nの刻印を添える。二つの合体した刻印を、とりあえず目の前にあった真希の左鎖骨より下の部分に付与した。

 その後で、さらにNの刻印を、今度は標準サイズのN刻印を出す。そこに、同じように縮めたSの刻印を出した。

 そして、Nの斜線の上に刻印をそっと添えた。

 

「よし……これで……真希姉ちゃん、手貸して」

「あ? こうか?」

 

 その手に、刻印をつける。直後、刻印はキンッと反応し、真希の手は鎖骨の下辺りに引き寄せられる。

 

「よっし! まず第一段階!」

「……おい、何してんだ」

「まだ仮説の段階だ」

「カッコつけてんじゃねーよ。いいから言え。人の胸をいじりやがって」

「え? あ、ごめん……たまたま目に入ったから」

「つまり、お前風呂の時になると私の胸をまず見るってことかよ?」

「え……あ、い、いや……」

「すけべ」

「うっ……」

 

 ゴフッと吐血しそうになった。反論出来ない上に、姉にすけべと言われたのが予想以上のダメージだった。

 少し腹たったので、要は普通に術式を起動した。真希の両掌を、両胸に当たるように縫い付けて。

 

「あっ、てめっ……!」

「自分の胸を揉んでどうしたの? 今更恥ずかしくて隠してるの?」

「テメェが勝手にやったんだろうが!」

「え、何を?」

「この、ガキ!」

「うぶっ……⁉︎」

 

 直後、真希は自身の姿勢を下に崩して、水面から両足を伸ばし、脹脛で要の顔面を挟んだ。

 完全に油断していた要にクリーンヒット。何がクリーンヒットって、目の前に広がる女性のそれだ。

 

「ま、まひねえひゃん……!」

「テメェ、これ解けコラ!」

「いや、あふぉ……もうふこひ……恥じらひを……!」

「ああ⁉︎ このまま締め落としてやろうか……」

「ぐはっ」

「あれ、思ったより気絶すんの早……というか、鼻血やば……」

 

 鼻血とともに失神した。そのままダウンした要から足を離す真希。なんだかよく分からないが、失神したならまぁ良いか、と思って手を動かそうとしたが、甘かった。

 何せ、要は術式を鍛えたこともあって、気絶しても術式は解けないようになったからだ。

 

「はっ⁉︎ ちょっ……おまっ、離っ、起きろコラァッ!」

「ぶくぶくぶく……」

「ていうか起きないと死ぬぞお前! どうすんだこれ⁉︎」

 

 結局、起きるまで20分かかってのぼせかけた。

 

 ×××

 

 翌日、今日も修復作業とトレーニングを終えた後に、呪具作り。悟と真希が見ている前で、昨日のお風呂の時にやったことを試してみる事にした。

 要するに、自分のSの刻印の中にNの刻印、そしてその逆を全く同じ場所に埋め込むのだ。

 それにより、ピッタリ接合する刻印同士のペアを作れば、引き寄せられるもの同士を差別化させられるのではないか? と考えたのだ。何せ、ピッタリ接合しないと反発し合うから。

 

「なるほどね。賢い」

「でしょ?」

「昨日、やってたのはそれかよ」

「そう」

 

 今回はメガネをかけたので視界が視認できる真希が声を漏らす。

 すると、マスクをおろした悟が自分のチートその1とも呼べる瞳を解放する。

 

「でもそれ、うまくいくの?」

「いかせてみせよう、ホトトギス」

「僕も三人の中じゃ秀吉が一番、好きだけど、そういうんじゃなくて。それだと、その小さくした方の刻印がくっつくだけで、大きい方の刻印はズレてくっ付きあっちゃうんじゃない?」

「……じゃあ、大きさを変えて小さいのを二つ中に格納すればどうだ?」

「そこから先はやってみてからじゃないと分からないかな」

 

 とのことで、さらに要は一つ小さな刻印を追加して、武器に付与させる。大きさも位置もミリ単位で調整し、それを武器庫の薙刀につける。

 そして、それとは真逆の刻印をとりあえず軍手に着ける。それと同時に要は軍手をつけて、呪力を軍手に込めた。直後、薙刀は動き出し、要の手元に飛んでくる。

 しっかりとキャッチングし、手元で軽くクルクルと回して構えた。

 

「よし……まずは昨日のとこまで」

「で、その次は?」

「小さい方の刻印の大きさを変える。これを薙刀の近くに置いて、どちらが引き寄せられやすいかを探る」

「ふーん……で、真希が使えるようにするにはどうすんの?」

 

 悟が言っていることは、呪具の起動条件。呪力を通さないと引き寄せられない。それは当然だろう。そうでないと、常に引き寄せられっぱなしになる。邪魔な時に呪具を手放せなくなるのだ。

 

「それはー……今考えてるけど、この俺の拘束具がヒントになるんじゃないかなって。どうやって呪力を堰き止めてるのか知らないけど、それを止める方法があるなら、手袋の方でマニュアル操作して呪力を流したり止めたり出来ないかなーって考えてる」

「なるほどねー。でもそれ無理だよ」

「え?」

「相手の術式や呪力を相殺するのはそんな簡単じゃない。この前の黒人が持ってた縄も、あれ何十年もかけて作った特別な呪具らしいし」

「えー、頑張ればなんとかならない?」

「なりません」

 

 周りにその手のことを割と簡単にする人がいたから知らなかった。……まあ、確かに冷静に考えてみれば、そんな物がポンポン作れたら悟も最強ではないし、当たり前と言えば当たり前だが。

 つまり、早い話が真希では獲物を引き寄せることすら出来ないかもしれない。

 

「じゃあ、他の手段を考えるかー……」

「良いけど、僕あんまり時間取れないよ。一応、監視役が必要だから」

「いや、しばらく考えるからいいよ。またやりたい時に呼ぶから」

「はいはーい。じゃ、真希。鍵してあげて」

「おう」

 

 そのまま片手を拘束してもらい、呪具の倉庫を後にした。

 

「じゃあ、私もトレーニングに戻るぞ」

「うん。付き合ってくれてありがと」

「お前は来ないのか?」

「今日はちょっと調べ物するから」

 

 それだけ言って、要は片手のみになった刻印を叩きつけるように地面に使い、反発させて空を飛んだ。

 

 ×××

 

 それから、約一週間が経過した。ここ最近、呪具作りのおねだりに要が現れなかったので、悟は少し気が楽だったりする。あの時間、監視しかしないから割と暇だったりする。

 まぁ、別に生徒が進んで助けを求めてくるなら、協力するのも嫌ではないのだが。特に、彼は自分が面倒を見ている名家の親戚であり、同い年だから。

 そんな風に思っていると、噂をすれば、という奴だろうか? 悟の元に要と真希が現れた。

 

「五条、許可くれ」

「はいはい。じゃあ行こっか」

「悪ぃな、毎回毎回」

「いやいや、僕はいつでも生徒思いのナイスガイだよ? 気にしなくて良い」

「そうかよ」

「で、要。呪具の倉庫で良いの?」

「や、科学室みたいなとこない?」

「「は?」」

 

 二人の声がハモった。

 一応、悟が連れて行ったのは理科室。教養科目も教えているので、こういうものも用意してあるのだ。

 さて、その場所にて、悟にも真希にも理解できない光景が繰り広げられていた。

 要が作っているのは、手袋とかそんな次元ではない……ギリギリマイルドな表現をすると指抜きグローブ。少しゴッツくて厨二臭いが。

 電線やら何やらが繋がれていて、手の甲に当たる部分には早押しクイズのボタンの下部のような土台が付けられていた。

 なんか……とても呪術と関係あるようには見えない真逆のメカメカしい光景に、思わず真希は聞いてしまった。

 

「……何してんの?」

「しっ、集中してるから黙って」

 

 そう言うと、要は鉄の棒のようなものを取り出す。先端が斜めに互い違いに削れていて、バランスの悪い平方四辺形のようなそれの、斜めの部分に刻印をつけると、それをグローブの甲の上の土台に乗せる。

 土台の内部に乗せる。すると、既に内部には刻印が敷いてあったのか、反発に反発を重ねて、フィンフィンフィンッと音を立てて回転し始め、発光した。

 それと同時に、鉄が中の鉄の突起に当たって火花を散らし始める。

 

「よし……!」

 

 そして、すぐに透明の蓋を閉じる。あの蓋……悟の目にはすぐにわかった。要の呪力が込められている。それもかなり。

 それと同時に、カバーの蓋には鉄の棒とは違う方の刻印が刻まれている。それを、カチッという音が鳴るまで当てると、発光は止まり、音も止んだ。

 

「よっしゃ……!」

「おい、なんだよこれ」

 

 要がガッツポーズし、真希が尋ねる横で、悟は思わず舌を巻いた。あの手袋の甲の部分……あそこには、呪力が霧のように溜まっている。おそらく、ボタンを押せば、中の鉄が回転し、あの呪力が活性化するのだろう。

 

「姉ちゃん、はい。つけてみて」

「ん、お、おお……」

 

 とりあえず片手の分だけつける真希。サイズもちょうど良く、ぴったりつけた。手のひらの刻印は今は出ていない。

 

「ボタン押して」

「ん」

 

 押すと、手の甲が発光し始めるとともに、ファンフィンフィンッと甲高い音を立てて始め、そして手のひらに「S」の刻印が刻まれた。

 

「……!」

 

 その隙に、要は近くにあったドライバーにNの刻印をつける。

 

「姉ちゃん」

 

 声をかけられてドライバーを放られたので、反射的にそのドライバーに手を向ける。すると、その手元にドライバーが回転しながら飛んできて、キャッチした。

 

「おっ」

「よっしゃあ!」

「すごいな……」

 

 悟も驚いている。つまり、要は見事に呪力がほぼない真希でも自身の呪具が使えるようにしたのだ。

 ……が、気になる点がひとつだけある。

 

「なんで光らせたの?」

「これ光るのって真ん中の磁石が回転して発電してるんだよね。だからこれに込められてる呪力が減ってきたら回転も弱まって、発光が小さくなるようになってる……てか、それしか出来なかった」

「……ふーん、なるほどね。ちなみに、これ一週間で完成させたの?」

「そうだよ」

「工学得意なの?」

「いや、勉強した」

「……」

 

 姉のためなら本当にとことん本気な弟だ……と、軽く引いた。呪術師が工学の勉強とか、ちょっと何言ってるのかわからないまである。

 まぁ、確かに傑も賢い子だとは言ってたが……ちょっとここまでだとは思わなかった。

 

「ねっ、ねっ。どお? 姉ちゃん!」

「ああ。こいつは助かる。……まぁ、実際戦闘中にボタン押したりとかの隙があるか分かんねーから、使い勝手は実戦で試すしかねーんだけどな」

「早速、早く武器選んで、それに俺が刻印つけて、それで乙骨殺しに行けば?」

「いや殺さねーよ……それより、悟」

「え、僕?」

 

 なんで急に? と思ったのも束の間、少しウズウズした様子で真希は悟に声を掛ける。

 

「ちょっと……このまま、何か殴ってみてーんだけど……」

「え、ど、どうしたの真希姉ちゃん? 殴るなら乙骨にしたら?」

「良いけど……じゃあ、机は?」

「良いのか?」

「うん」

 

 とりあえず、機材が置いてある机は避けて隣の机に歩く。

 悟の目には見えていた。真希の左手に込められている呪力は、おそらく要が適当に込めた程度の呪力だが、それ故に一日は稼働させられるほどのものが込められている。

 その上、電気が絡み合って呪力が若干、稲妻を帯びている。それに追加し、真希自身の肉体のインチキパワー……その状態で、真希は手首のスナップを軽く利かせて机を殴った。

 直後、机全体に亀裂が走り、砕け散った。

 

「え」

「わぉ……」

「……これ、このままで殴った方が強くね」

「……」

 

 とんでもない……おそらく偶然なのだろうが、なんかすごいものを発明したものだった。

 まぁ、なんにしても、今の真希になら使いこなせるかもしれない。あの夏油傑が遺した特級呪具……使うものの膂力に左右される力に依存した三節棍が。

 

「真希、僕からも良いものをあげるよ」

「あ?」

「ちょうど術式が付与されてないからね。要の刻印もすんなり受け入れるんじゃない?」

 

 そう言って、一度悟はその場を後にした。

 

 



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仲は良いけど息はあわない。

 高専がぶっ壊れてから一ヶ月が経過した。ようやく、学校も形を成してきて、本業も復帰。

 今日も学生達は修復とトレーニング。悟と要が他のメンバーを鍛えるような形での特訓も慣れてきたものだ。

 その上で、要には新たな日課が増えた。場所は、高専から少し離れた場所で、帳におおあわれている湖。その上で浮かんでいるのは、要と悟の二人だ。

 

「今日こそ泣かす」

「やってごらん?」

 

 直後、二人の姿はフッと消える。正確には、術式を用いた高速移動。要が立っていた後の場所の真下には、刻印が出ている。

 要の廻し蹴りを、悟はしゃがんで回避。それを読んでいたように要は放ちかけていた廻し蹴りを引っ込めつつ拳を繰り出す。

 悟はそれを両腕をクロスしてガードしつつ、回転しながら膝蹴りを繰り出した。

 その一撃を、要も同じように両腕をクロスしてガードしつつ、真上に飛んで衝撃を軽くする……にも関わらず、身体は真上に吹き飛び、術式で身体を空中に止める。

 

「チッ……!」

「攻撃で術式使わないの? 要」

「お前だって使ってねーだろ」

「このままじゃ僕、泣けないよ? せっかくのトレーニングだし、本気出したら?」

「言ったなコラ」

 

 直後、要はポケットから石を取り出し、それを真上に投げる。さらに刻印をつけた直後、それに手の平をむけて一気に加速した。

 空中で回転しながら、拳を向けた。そのまま空中で攻防戦……だが、悟は普通にいなし続ける。

 

「んにゃろっ……!」

「大人と子供なんだから、変な意地は捨てれば良いの、に!」

「やばっ……!」

 

 カウンターをもらい、一気に水中に叩き落とされた。

 ブクブクと泡が水面に浮かび、悟は真下を眺める。本当に術式を使うつもりはないようで、水中で作戦を考えているようだ。

 その直後、ボッと水中から飛び出してきたのは、呪力を込めた岩だった。それをぬるりと回避する悟。目を隠しているとはいえ、呪力の気配はマスク越しで余裕で感知できる。

 そんな事しても無意味だ。呪力を飛ばして、下から来る岩を砕き続ける。この速度でこれだけの量を投げられるのは大したものだが、作戦は分かる。

 この岩に紛れて、呪力を消した要が奇襲するつもりだろう。それを分かっているから、奇襲させないために岩を片っ端から撃ち落とした。

 

「……あら」

 

 もう無駄だと悟ったのか、岩が止んだ。早く上がって来ないと、呼吸が辛いのはそっちだろうに。

 そこで、ふと気がつく。いつの間にか、水中でも呪力を感じない。もしかして、知らない間に要は水中から出た? と、視線を逸らした時だ。

 だとしたら、時間を置いて自分に視認されない所から出る……何処から……いや、それよりも、下に視線を向けておいた……岩の群れがミスディレクションだとしたら……真上から奇襲? 

 と、空を見上げた時だ。真下からボッとまた何かが放たれる。

 

「!」

 

 また岩……つまり、まだ下だ。呪力で破壊しては間に合わないため、その岩を右拳で壊した時だ。

 破片の後ろから、要がヌッと顔を出す。視界を塞ぐためのゴーグルの奥では、要の殺気が込められた瞳が見える。

 

「……!」

「びっくり箱だ」

 

 一気に蹴りが迫ってくる。それも、脇腹に確実に当てに来ていた。

 反射的に、悟は人差し指と中指を立てる。無下限術式によるガードにより、要の体は止まる。正確に言えば、速度が落ちているわけだが。

 

「使ったな? 術式」

「やるね」

 

 その直後、今度は要は手のひらから巨大な刻印を発動。砕かれた岩達に付けた。

 

「!」

「一斉射撃」

 

 一気に悟に向かって岩が直進した。それと同時に、要の体は後方に弾き飛ぶ。

 それと同時に、身体を思いっきり持ち上げて宙返りし、空中で足を止める。

 悟も周囲の岩を砕いて、一気に距離を置いた。術式が解放されるや否や、一気に使う奴だ。

 ……と、思ったのも束の間、要が足元で巨大な刻印を広げているのを見て、悟は目を解放した。

 

「おいおいおい……!」

「津波注意報」

 

 その拡げた刻印は海の中に沈んでいく。あのバカ、何をやらかすつもりか。すぐに止めようと距離を詰めようとするが、要は手の刻印を自分に向ける。

 その刻印を、悟は回避しながら距離を詰めたが、遅かった。足から二つ目の巨大な刻印が放たれ、水の中に沈んだあと、反発し合って一気に水を広範囲に掘り返した。

 

「んなろ……!」

 

 舞い上がった巨大な波は、悟の視界を覆う。無下限術式でガードした直後、要は莫大な呪力を自身に纏わせた。

 

「! 何を……!」

「『領域纏開』」

 

 直後、要の周囲を取り囲むように呪力が激った。悟はすぐにその技術を解析。領域展開の展開範囲を自分の周囲にとどめている。

 領域の効果は不明だが、見た感じその中でも必中効果のみを抽出し、悟に攻撃が届くようにした。

 ……要レベルがそれだと厄介極まりないが、それ以上に気になるのはあの状態のまま刻印が使えるか、なのだが……。

 

「行くぞ、歯を食い縛れよ五条」

「……」

 

 直後、要から刻印が放たれた。マスクを外した悟は、さらに精密に解析し、それを避けた。

 さて、誠に面倒な事に、あれはこちらの術式を使っても届くらしい。

 それを理解し、悟はニヤリとほくそ笑む。

 

「楽しくなってきた」

「ラウンド2だ」

 

 そう言う要も薄く笑みを浮かべており、片方しか解放されていない手の平から、刻印を上に向けて浮かべる。それも、10枚ほど。

 

「ピザハ○トにでも就職する気?」

「俺はド○ノのが好きかな」

 

 直後、それを要は投げた。様々な軌道を描いて、刻印は悟に向かう。空中を自由自在に跳ね回りながら、悟は回避しつつ要に接近。要は後方に下がりながら、海の下から刻印を引っ張り出して持ち上げた。

 水が持ち上げられても無視。突っ切って近接戦に持ち込む。要もそれを待っていたように直進していた。

 先程よりハイレベルな攻防戦が始まった。要の拳を回避し、蹴りを放つ。それを避けた要は手を開いて刻印を浮かせる。

 

「!」

 

 避けた直後、要の反対側の拳が迫り、腹筋に呪力を集中させてガードしつつ、刻印を持つ方の手首を掴み、術式を起動。ボディを引き寄せて拳を叩き込もうとするが、要が足の刻印を使ってその拳を膝蹴りで弾く。

 それと同時に、外側に向けられた掌の刻印を起動し、岸に見える壁に刻印を打ち込んで反発させる。

 

「っ……!」

 

 そのまま身体と身体が回転し合い、空中にいる二人の戦闘は至近距離で膠着する。

 すると、悟は握っている手を離した。お陰で反発している手の甲が悟に向かい、それをしゃがんで回避しながら、ボディに拳を叩き込んだ。

 

「グッ……!」

「まだまだ!」

 

 さらに、術式で引き寄せる。要はそれに対し、真下に放った刻印で反発させて真上に強引に逃げた。

 悟の術式の影響で、片足の靴だけ引き寄せられる。

 真上を取った要は、真下にいる悟に刻印を飛ばす。

 避けた悟は、人差し指を立てて要に向ける。そこに収束されるのは、呪力と呼ぶにはあまりにも禍々しい赤い渦が集まる。

 

「……」

 

 ヤバい、と理解した要だが、身体が動かない。悟がもう片方の手で蒼を発動し、動けないように引き留めている。

 ならば、こちらも全力で迎え撃つ。いつか何かに使えると思って飛ばした刻印も何もかもをかき集め、超強力な反発を生む刻印を片手に生み出す。

 

「術式反転『赫』」

 

 直後、一気に放たれた二つの術式は、中央で衝突した。

 

 ×××

 

 そんな今日のトレーニングが終わった夕方。

 

「クソがー! また負けた!」

「いやー、惜しかったねー要」

「うるせー! 死ね!」

「暴れないで」

 

 あの後、多少は押し合いになったものの、すぐに押されて赫が直撃し、帳の外まで場外ホームランをもらった要は、硝子に手当てしてもらっていた。

 

「五条、やり過ぎ」

「いやぁ、つい興が乗っちゃってね。要があまりにも本気でくるもんだから」

「生徒の所為にすんなボケ」

「いやいや、ホント大したもんだよ、要。だって、片手だけでしょ? あれで僕とあそこまで戦えれば、十分だと思うよ?」

 

 そんな風に言われても、やはり負けは負けなので腹が立つ。

 すると、その保健室の扉が開かれる。入ってきたのは、真希と憂太だった。

 

「要、怪我したって聞いたけど、大丈夫か?」

「真希姉ちゃん!」

「あの、僕もいるんだけど……」

 

 憂太のことを無視して、要は真希に声を掛ける。

 

「大丈夫? 怪我はない?」

「なんでだよ。お前だろそれ」

「トレーニングの後でしょ?」

「平気だから、お前が安静にしろ」

 

 散々である。だが、要は気にした様子を見せない。身体を起こし、真希に駆け寄ろうとする。

 その前に、悟が要に声をかけた。

 

「ちょーどよかった。憂太と真希、要も。ちょっと良い?」

「良くない。姉ちゃん、アイス食べに行こー?」

「要、聞け」

 

 普通にスルーしようとしたバカを姉が止めたので、渋々、顔を向けた。

 

「何?」

「呼びましたか?」

「うん。急で悪いんだけど……明日から三人で任務ね」

「え、じゃあ乙骨いらなくない?」

 

 秒で切り捨てられそうになったものの、早くも慣れた様子で憂太は笑顔でスルー。

 悟がすぐに説明した。

 

「いやいや、経験を積ませないとだから。この前、要が言ってた通り、力はあるけど実戦は足りないからね。これからは里香もいないし」

「へいへーい……」

「で、任務の内容だけど……ここ最近、呪術高専が被害を受けた事で、呪詛師たちの動きが活発になって来てる。主に、一般人の呪殺とかでね」

 

 言いながら、悟がスマホを見せ、画面を映す。Ex○elでまとめられたファイルには廃ビルの写真と住所等が載っている。

 それを聞いた憂太は、キョトンとした様子で聞く。

 

「え……一般人を呪殺って……どうしてですか? 快楽殺人とか?」

「呪力での殺害は証拠が残らない。だから、呪詛師を知っている一般人は気軽に金でムカつくやつを殺してもらうために頼むんだよね」

 

 呪詛師は夏油傑のような奴しか知らない憂太にとってはカルチャーショックだったようで、少し唖然としている。

 夏油傑のようにいかれた思想を持つ奴だけかと思っていたら、それによってビジネスを行おうとする奴もいるとは。

 

「そ、そんな事もあるんですね……」

「そう。で、ここの溜まり場は呪術師達の違法賭場。勿論、非呪術師もいるよ」

「紛れ込んで適当な術師を探して、依頼すると?」

「そういうこと。流石、要。話が早い」

 

 それを聞いて、少し憂太は不安げな表情が顔に出る。流石に夏油レベルのものはいないだろうが、渋谷でも悟を相手に足止めした術師……というか、ミゲルがいたし、大丈夫だろうか? 

 そんな憂太の気を見透かしたように、悟は朗らかに笑った。

 

「大丈夫、呪詛師なんてほとんど独学で呪術を学んだような連中だし、大した奴はいないよ。良いとこ準一級レベル」

「は? ミゲルとかラルゥみたいな奴もいんだろ。適当なこと言うな」

「そうそう。要みたいなのもね」

「おい、もうこいつは呪詛師じゃねぇ。冗談でもやめろ、バカ目隠し」

 

 割と要が夏油一派にいた時のインパクトがトラウマになりつつあったのか、割と本気でキレているような様子で真希が言った。

 

「おーこわっ。ま、憂太。とりあえず、要と夏油レベルの呪詛師なんて100パーいないから安心して。ていうか、前に要も言ってたけど、呪術師の実力は術式云々以前に呪力の基礎操作だから。その点、憂太レベルの奴も基本的にいないから。安心して行っておいで」

「は、はぁ……」

「で、なんで私も一緒なんだ?」

「そりゃ勿論……」

「俺の見張り役でしょ。元呪詛師を呪詛師とコンタクト出来る機会を作ってる時点で、上層部が俺の監視対象として真希姉ちゃんが適しているか試験するためでしょ。姉をつけて裏切らないようなら、今後も使えるし様子見。裏切ったら殺す……とかそんなとこ?」

「これまた察しが良いね。流石。……ほんとは学生にこんな事、させたくないんだけど……まぁ、色々やらかしてる要の信頼のためだから」

 

 まだ上層部から信頼なんてされていないし、全然あり得る話だ。何せ、つい最近は悟に許可をもらったとはいえ、教室を抜け出したのだ。イラっとする真希だが、何も言わなかった。

 

「まぁ良いけど。で、そいつら捕まえて来れば良いの?」

「そういう事。全員とは言わないけど……任務の期限は一週間だから、それまでになんとかしてね」

「つまり、一週間で乙骨の足を事故と見せかけて折って、その直後にゴミ掃除して、残りの日は真希姉ちゃんとデートしろ、って事ね?」

「本当面白い解釈するよね」

「面白くないですが⁉︎」

「要、やめろよ?」

 

 本当にこうしていると、真希がいてくれて良かった感じある。……もし、夏油傑が真希を殺していたら、高専は真依を残して壊滅していただろう。多分、里香がいても止められないし、悟くらいでないと無理だろう。

 そうでなかったとしても、この自由奔放っぷりは少し困るが……まぁ、今まで子供のまま育った以上、急には矯正できない。少しずつ成長させるしかない。

 

「ま、とにかく三人ともよろしく。リーダーは真希。要も憂太もちゃんと言うこと聞いて。良いね?」

「了解しました!」

「へーい」

「ちゃんと返事」

「はい」

 

 そう言って、真希は二人を連れてグラウンドを後にした。

 

 ×××

 

 悟に見せられた資料はそのままスマホに送られたので、三人でじっくりと眺める。

 資料を読み上げるのは真希。

 

「五階建てのマンションタイプ。一階と地下はほぼ駐車場で、その地下の駐車場を改造したメダル、スロット、ダイス、ポーカー、バカラ、ブラックジャック、ルーレット……まぁ、よくテレビとかで見るタイプのもんだな」

「絶対、術式で細工されてる奴じゃんそれ」

「要くんの術式なら簡単にイカサマ覆せるんじゃない?」

「それな。目を使えば他の奴らはパニくるし。最初からやると俺の所為だってバレるから、最初の三回くらいわざと負けて、その後にサングラスをさりげなく外して次他の奴らを動揺させて、後は刻印打つだけ」

「もしかして、やったことあるの?」

「常連だったとこ、一年くらい前に久々に行ったら潰されてたなー」

「さ、流石……」

 

 なんて話が逸れる中、真希が口を挟む。

 

「おい、別に私らの目標は小遣い稼ぎじゃねーだろ。良いから話聞け」

 

 怒られた二人は改めて顔を向ける。

 その二人に、真希は写真を見せる。一人の若い男が写っていた。

 

「ターゲットはここの主の、青い髪のすかした男だ。術式は不明だが、まず呪術は使えるって話だ」

「あ、こいつ知ってる」

「は?」

「2〜3年くらい前にこいつから密輸武器パクったわ」

「お前何してんだよ……」

「あの時、菜々子と美々子もついてきて大変だったんだよ」

「聞いてねーよ」

 

 とはいえ、まぁそれなら助かると言えば助かる。……自分と真依が許可していないデートの話を聞くのは豪腹だが、今はとりあえず聞くしかない。

 

「……ま、それなら話が早ぇ。どんな術式だ?」

「えーっと……ああ、そうそう。人差し指を立てて構えて、曲げて撃つ。何も持ってなくても、手と指を動かすだけで周囲の銃が自動で対象に照準を合わせて火を吹く……みたいな感じ。面倒だったのは、照準を合わせる銃は一つだけじゃない事と、死角にあったら困る事」

「……厄介だな」

「銃って……呪具?」

「知らん。ボッコボコにして海の向こう側に殴り飛ばしたし」

 

 だから、情報は見た感じの事しかない。まぁ、どれほどの術式を持っていようと、要には勝てないだろうが。

 

「そ、そっか……でも、そんな前の要くんでも何とかなるなら、今でもなんとかなるよね?」

「俺はな。けど、お前らはわかんない。術式は進化するもんだから」

「え、そうなの?」

「そうだよ。……ねぇ、姉ちゃん?」

「ああ、要も7年前より遥かに術式の幅が広がってたからな」

「うん。……けど、まぁ進化というよりは『こんなことも出来るようになった』ってだけなんだけどね」

 

 そう言いながら、要は掌を上に向けて刻印を出す。その刻印は、最初こそ上を向いていたものの、やがて回転し、クルクルと回り始めた。

 

「ほー……」

「わっ……」

 

 その後に続き、さらに刻印は分裂する。大きさこそ小さくなったものの、2つに増えている。

 

「と、まぁこんな感じでやれる事は増える。そういう能力が身についたんじゃない。こういう事も出来るようになった、ってだけ。サッカーのリフティングだって、練習すれば首の後ろに乗せたり、足でボールの周りを回したり、頭の上で続けたりできるでしょ? それと一緒」

「な……なるほどね」

「だから、敵の呪詛師が術式を今より使いこなしていても不思議はないよ」

 

 要は要なりに色々と努力して、今くらい強くなった、と真希も改めて実感させられる。

 その上で、真希は要に声を掛ける。

 

「でも、要。お前ならなんとかなんだろ?」

「まぁね」

「なら、何とか出来んだろ」

「うん」

「それより、要。お前なら標的に近付けるんじゃねーのか? それなら、上手くやれば……」

「いやいや、むしろバレたら警戒されると思うよ。……ていうか、こんなゴーグル着けてたら、そもそもバレない気もするけど」

 

 それはそうだった。二人には見慣れた格好だが、そもそも高専の学生である事をバレないようにするために、当日は私服……いや、スーツで行くことだろう。尚更、要とは思われないかもしれない……。

 

「ていうか、やっぱりどう行くかだよね……? そもそも、参加してる人って基本的に呪詛師なんでしょ?」

「俺の術式で真上から叩き潰すのは無理だ。万が一、非術師を病院にでも送ったら、多分上から責任取らされる。この任務は厄介者の排除も考慮されてんだよ」

「あー……そっか」

「だから、潜入は大前提。派手なことはしないで、ターゲットとその取り巻きのみを叩いて捕獲」

「じゃあ……まずは潜入する所からかぁ」

「そういう事だな」

 

 真希がそう結論づけると、少し憂太は緊張したように冷や汗をかく。

 

「僕に……出来るのかなぁ」

「憂太、お前は難しく考えなくていい。潜入するにしても、先陣切るのは私か要だ」

「俺だよ。真希姉ちゃんに先陣切らせるわけないでしょ」

「……ほう? もうプランが出来てんのか?」

 

 要の言い草に、真希が意地悪そうに聞く。すると、要は頷いた。

 

「勿論。前日に俺が潜入して、ルーレット台に細工。次の日、姉ちゃんと乙骨が客として参入。俺が細工したルーレット台で荒稼ぎして運営に奥へ案内してもらい、上層部に接触。上の連中に呪術師を紹介してもらい、写真の男を暗殺と言ってさっきの写真を見せる。すると向こうは『詳しく聞こう』と言って個室に案内して、最後に本人を出すだろうから、乙骨に暴れさせる」

「要くんは?」

「前日の潜入で店員側の店を盗んで向こう側として常に二人を追っとくよ。最後は天井ぶち抜いて逃げる」

 

 それなら良いのかも……と、憂太が顎に手を当てた時だ。

 

「ダメだ」

「え?」

 

 拒否したのは真希だった。

 

「前日の単独潜入は許さねーよ。お前、一人で全部片付ける気だろ」

「っ……」

 

 ぎくっ、と要は肩を震わせた。

 

「……そ、そんなコトないヨ?」

「バカが……バレてんだよ。それやんなら、前日の潜入に私も行く」

「え、いや……」

「それが許可できねーんなら、その案は無しだ」

 

 すると、今度は真希が言った。

 

「やんなら、前日の潜入は無しだ。当日に全部済ます」

「いやいや、それは無理。多分だけど、こういうとこって絶対に真っ当なゲームじゃないし、この手の賭場は勝ち上がらないと上の人間に会えないし、まず無理だよ」

「要なら勝てるんじゃねーのか?」

「出来なくはないけど……片手じゃバレる可能性が高い。サングラスを解放すりゃバレないけど、向こうも俺の目を知ってるし、監視カメラから見られてたらその時点で警戒されて終わりだよ」

「んなもん、監視カメラの場所を把握しておきゃなんとでもなるだろ」

「その把握にはもっと詳しい施設の情報が必要になるでしょ。事前の潜入は絶対。で、そんな危険な所に姉ちゃんは連れて行かない」

「なんでだよ!」

「危ないからだよ! 姉ちゃん、ガサツだし絶対、潜入とか向かないでしょ!」

「ああ⁉︎ 生意気言ってんじゃねーよ! 元躯倶留隊なめんなよ⁉︎」

「え、あんなとこにいたの⁉︎ ただのごっこ遊びじゃん!」

「ふ、二人とも落ち着いて……」

 

 少しずつヒートアップしていったのを見て、慌てて憂太が間に入った。

 

「と、とりあえず……二人とも冷静になろうよ」

「っ……とにかく、要。やるなら三人で、だ。お前一人で任務を片付けることは許さねーよ」

 

 そんな二人の様子を見て、思わず憂太は冷や汗をかいた。この二人……任務になると相性が悪過ぎる。

 

 ×××

 

 夜中、真依は一人で修練場にきていた。射撃の練習である。要を守る為に、自分も強くならないといけない。

 本当は、呪術師なんてやりたく無かった真依だが、それでも弟の為なら強くならないといけない。

 そのためにも、少しでもトレーニングし、強くならないと……と、思っている中、スマホが震えた。真希からだ。

 珍しい……と、思いながら、真依は応答する。

 

「もしもし?」

『『真依(姉ちゃん)、この人なんとかして!』』

「…………は?」

 

 何急に? と、少しイラっとしながら応答する。というか、もう一人は要だろうか? 

 

「何言ってんのあんたら?」

『真希ねーちゃんは分かってないんだよ! 事前に潜入する事の危うさが!』

『こいつこそ一人で片付けんのがこっちにとってどれだけ不服か分かってねーんだよ!』

「ちょっと、頭から話しなさい。わけわからない」

 

 要点がないというか……そもそも真希に至っては頭悪くなった? ってくらいだ。

 さて、改めて話を聞いてみた。要するに一緒に任務に行くが、要は敵の本拠地に乗り込むのに一人で片付けたがっているが、真希はそれに同行するか、当日三人で行きたがっている。

 確実な方法は事前準備をした上で要のやり方を使う事だが、真希はそれについて行きたがっているらしい。

 まぁ、潜入なんて真依もやらないから気持ちは分からないでもないが……とりあえず真依が思ったことを言った。

 

「なら、事前に潜入する時、二人で行ったら良いじゃない」

『ほら見ろ!』

『ええっ、なんで?』

「なに、要。あんた真希を守り切る自覚がないわけ?」

『そうじゃないけど……建物のつくり的に、地下に行くには入り口は二箇所しかないし、もう片方は長く使われてない。細工した以上は少なくとも見てくれは何一つ代わりなく立ち去らないといけないし、一人の方が……』

「だから、あんた自信ないの? その辺諸々含めて」

『……』

 

 まぁ、自信の問題ではないのは分かるが、それよりもやはり気になるのは、真希と同じように要を想い続けてきた身として、色々と言うことがある。

 

「私と真希が呪術師になったのは、あんたのためっていつも言ってるでしょ。要を守る為。だから、任務に行くなら一緒に付き添いたいと思うのは当然でしょ?」

『で、でも……』

「せめてあんたが一人で敵を全部片付ける事ないって言うなら良いけど、そんな約束出来ないでしょあんた。多分、途中で面倒臭くなって営業時間まで待機して、来た直後にボコして持って帰ろうとするでしょ。多少、派手なことしてもあんた一人ならなんとかなるって踏んで」

『……まぁ』

「だから、真希は納得しないの。もう一度言うけど、私達はあんたの後ろで震えるために呪術師になったんじゃない、隣で戦うためになったんだからね?」

『う……』

「分かったら、ちゃんと受け入れて。どう動くのかは任せるけど、二人で協力できる作戦で行くように。分かった?」

『……はーい』

 

 ほんと、ちゃんと諭せば良い子なのだが……と、少しため息が漏れる。

 

『分かったか?』

『……うるさい』

「真希、あんたもちゃんと要に言うこと聞かせられないなら、こっちでその子引き取るわよ?」

『ダメだ』

「じゃあちゃんと姉らしくして」

『……ちっ』

 

 返事はないけど、その舌打ちがある意味では返事になっていた。分かっているなら良い。

 

「じゃあ、もう切るわよ?」

『あ、その前に真依姉ちゃん』

「はいはい、何?」

『今度は、三人で任務行こうね!』

「……はいはい」

 

 それだけ話して電話を切った。全く困ったものだ。この子もアホな姉も。まぁでも、元気そうで良かった。

 そう思いながら、とりあえずいつ要と同じミッションについても良いように、とりあえず鍛錬を続けた。

 

 




領域纏開の説明忘れてました。
領域展延という漏瑚達がやっていた奴の、さらに生徳術式が使える状態の領域です。
普通に無下限術式に触れられる上に、それに触れられる刻印を飛ばす事も可能なオリ主のオリジナルです。


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