Ideal Fantasy:Online (暁星)
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キャラクタークリエイト/船出

「──ようこそ。《Ideal Fantasy》の世界へ」

 

 覚醒した意識に、白い光と、穏やかな音が届く。深い眠りから目覚めた朝のように。

 

「はじめまして。私はエル、あなたの船出を導く者です」

 

 瞼を開き、目の前の少女に焦点を合わせる。

 森林の木漏れ日を形にしたような眩い長髪と、磨いた翡翠に似た煌めく瞳。絹のトーガから覗く滑らかな肌は、熟練の職人が手がけた西洋人形と言われても疑わない。ただ一つの装飾品である銀色の細い首輪が、清廉な華やかさを感じさせた。

 

「まずは、あなたがこの世界で活動するための体、アバターを作成していただきます」

 

 少女……エルの言葉に合わせて、シンプルなデザインのシステムウインドウが現れた。

 つまり、キャラクタークリエイトの時間だ。初めにこれを必要とするゲームは多い。慣れた儀式だと、ウインドウに視線を走らせる。

 中央に設けられた、横に長い空白の枠。最初にプレイヤーネームを決めろ、ということらしい。

 

 仮想キーボードをなぞり、長年使っているハンドルネームを入力する。《クロト》と。

 その先で映ったタブは全てが灰色になっていて、どれに触れても反応がない。

 どういうことか、と声を出そうとした瞬間、エルからの確認が飛んでくる。

 

「あなたは、この世界のことをご存知でしょうか?」

 

 エルの言葉を聞き終えたそのときには、自然と首が縦に動いていた。

 

 

 

 ──《Ideal Fantasy:Online》、略してIFO。それが、このゲームのタイトルだ。一時間ほど前に正式サービスを開始した、期待の新作VRMMO。

 けれど俺はもっと前から、この世界を知っている。

 

 二十年以上前、《Ideal Fantasy》というRPGが作られた。今基準では粗いポリゴンの、当時からすると革新的な3Dモデルで描かれた、ファンタジー世界の冒険譚だ。発売当初から好評だったらしく、続編を望む声も根強くあった。

 当時の若者であった父のお宝だというハードとソフトを借りて、十数年も遅れて《Ideal Fantasy》に触れたかつての俺も、すぐにあの世界の虜になった。

 

 ……だが古のゲームというのは、やがて限界が訪れるもので。三年ほど前、ついに彼らは寿命を迎えた。ハードとソフトの、どちらもだ。二世代に渡って心躍る夢を見せてくれた彼らが一切の反応を返さなくなったあの日、俺たちは親子揃って喪に服し、色褪せたパッケージの中へ丁重に収めた。

 以来、俺はあの世界と触れられずにいた。ハードもソフトも、未だに動作するものはとても貴重だったからだ。

 

 そして、去年のことだ。ある日、目を疑うほどの嬉しい報せが告げられた。

 なんと当時の開発者たちが再集合し、新たな《Ideal Fantasy》を作るというのだ。最先端の技術の、さらに先を行くことを約束する──と、彼らの一人がどこかのインタビューで答えていた。

 

 そう。それがこの、《Ideal Fantasy:Online》。半年前のクローズドβテストに当選した知り合い曰く、既存のあらゆる没入型VRゲームを超える新体験が味わえたという。

 

 

 

「──あなたはハンターだったのですね。再びこの世界へ来ていただき、ありがとうございます」

 

 そう言って、エルは綺麗な姿勢で一礼した。

 ……ハンター。そう呼ばれると、懐かしい気持ちがこみ上げてくる。

 《Ideal Fantasy》では、登場人物の大半はハンターと呼ばれる存在だった。もちろん、プレイヤーが操作する主人公も。

 

「それでは、アバター作成を再開します」

 

 いつの間にか縮小されていたウインドウが、元の大きさに戻った。

 灰色になっていたタブが淡い水色に変化し、一番上のものが拡大される。

 表示に従いながら黙々とアバター作成を続けていると、思い出したようにエルが声を発した。

 

「言い忘れていました。アバター作成の段階で、人族以外の種族になることはできません。エルフなどの異種族になる方法は、この世界の探索で見つけてください」

「エルフ? 元のIFにはいなかったよな……」

「はい。再構成されたこの世界にのみ存在する種族です。同様のものは、他にも多数存在します」

 

 調整した声で呟いた疑問を、エルが拾う。

 さっきは綺麗な髪に気を取られて気づかなかったが、彼女の耳は三角に尖っていた。

 

「もしかして、君もエルフ?」

「はい。エルフのエルです。覚えやすいでしょう?」

 

 そう言って、彼女は微笑んだ。……端的に言って、なかなかの破壊力だ。

 没入型VRゲームをプレイするのは初めてではない。初めてではないが、現実のような感覚の中で、現実離れした美人に微笑みかけられるというのは、なかなか慣れがたい。

 

「……アバター作成が終わったようですね。次は、あなたが降り立つこの世界について説明します」

 

 ──この世界において、プレイヤーの皆様は《航り人》と呼ばれる存在です。《ハンター》と呼ばれる方が馴染み深いかもしれませんが、このIFOにおいて、それは現地の戦士に対する名称となっております。

 ──はい。いわゆるNPCです。その中でも戦う力を持つ者が《ハンター》と呼ばれます。冒険をしていれば、自然と出会うでしょう。

 

 ──現地の人間は、プレイヤーにとってはただのNPCかもしれません。ですがお気をつけください。NPCに危害を加えたり、迷惑行為をはたらいた場合には、《カルマ値》というステータスが減少していきます。

 ──はい。カルマ値が一定のラインを下回ると、現地の人間からは危険人物、あるいは犯罪者として扱われます。多くの街や村には入ることすら困難となり、ゲームの難易度が大きく跳ね上がることが予想されますので、くれぐれもご注意ください。

 ──ノンプレイヤーキャラクター。その意味では確かにNPCですが、単なるオートマトンではないことをお忘れなく。

 

 

「最後に、《ギフト》をお選びください。あなたの船出を祝う品です」

 

 一旦空っぽのウインドウが展開されてから、少し遅れて、その中を無数のアイテムが埋め尽くす。

 アイテムといっても有形のものだけではないようで、ステータスへのボーナスなども見受けられる。まあ大部分は、装備品や消耗品のようだが。

 

「《ギフト》は全て、冒険の中で取得可能なものです。タイミングの違いでしかないことは留意してください」

「それなら、これにしようかな」

「はい……はい? えっと、少々お待ちください。創造主たちへの確認を行います」

 

 リストから選択したのは、《エル》。遊び心で用意された選択肢なのだと思うが、そういうものには乗っかっていくほうが楽しいだろう。彼女は一体、どういう反応をするのか。

 

「………………お待たせしました。そちらのギフトですが、どうやら何かのエラーで表示されてしまったようです。すみませんが、再選択をお願いします」

 

 エラーならばしょうがない。迷わず、もう一度選び直す。《エル》を。

 

「……あの」

 

 どうやらダメなようだ。仕方がないので、同じところをタップする。

 

「…………」

 

 黙ってしまった。悪ノリが過ぎたか。

 反省の意を示すべく、第二候補として決めていた武器へ指を走らせ────それを、エル本人に止められた。

 

「創造主たちへの再確認を行いました。どうやら創造主の一人が、悪ふざけで入れた項目だったようです。最初に気づいたあなたには、それを選ぶ権利を与えよう……とのことですが、いかがなさいますか」

 

 なんと、本当に選べてしまうらしい。それなら、ありがたく受け取ろうではないか。

 

「……分かりました。船出の後、改めてお会いしましょう」

 

 こほん、と小さく仕切り直して、彼女は腕を振った。オーケストラの指揮者のように。

 俺とエルのちょうど中間に架かる、鮮やかな虹のアーチ。やたらと縦に長いそのアーチは、扉、あるいは門なのだろう。

 

「かつてハンターだったというあなたへ、創造主たちからの伝言です。『この世界は、昔と同じではありません。新しい世界を、どうぞお楽しみください』……以上です」

「新しい世界……か」

 

 エルフが存在するという話だけで、既にIFの通りではない。それに、再構成された世界だとも言っていた。

 どんな世界が待っているのだろう。どんな物語が、どんな冒険が。

 すぐ目の前で待っている新しい世界に、想像が膨らんでいく。

 

「船出の時となりました。《Ideal Fantasy:Online》を、お楽しみください」

 

 その言葉に背中を押され、アーチを潜った。溢れ出しそうな期待を、体いっぱいに抱えながら。

 真白だった世界が、空の青に塗り替えられる。単一の青に濃淡が生まれ、やがてふわふわした白が広がりだす。視界の下のほうを覆うのは、緩やかな弧を描く緑。

 新しい世界が、眼前に現れた。

 

「それでは──また、あちらでお会いしましょう。マスター・クロト」

 

 


 

 

 意識の連続性が途切れていたら、リアリティの高い夢を見ているのだと錯覚しそうな景色。

 衝動的に寝転がった体を包む青い草と前髪を、通りすがりの爽やかな風がくすぐっていった。

 

「……ほんとうに、綺麗な空だ。前評判も大袈裟じゃなかったな」

 

 果てのない青空を、白雲が流れていく。空の青に深みがあるからこそ、真白な雲が映えるのだろう。なるほど、これがワビサビか。

 

「夜は久々に、寿司でも食おう」

 

 大地という天然のベッドから起き上がり、視界の端に映る時刻を確認する。正式サービス開始から経過した時間は、およそ一時間半。

 このままこの草原でゆっくり日向ぼっこを続けるのも気持ちいいだろうが、今はまだこの世界に誰も知らない未知が溢れている。今は、誰よりも速く広く深く探索したいという、ゲーマー的衝動に従おう。

 

「エル……はいないのか」

 

 俺の《ギフト》であるはずの少女は、あたりを見回してもいなさそうだ。

 チュートリアル中は機能が制限されるというのはよくあることだし、その類だろうと推測し──そんな時、ピコンと音がした。視界の中央で、システムウインドウが光って主張する。

 

『ようこそ。Ideal Fantasy:Onlineへ』

 

 運営からのメッセージだった。キャラクタークリエイトを完了させ、ゲームをスタートしたことで送られたもののようだ。

 簡素な定型文と、一度エルから聞いたことが並べられている本文を流し読みして、メッセージを閉じる。

 

「とりあえず、街を目指さないとな。良い景色だけど、なんだってこんなフィールドに……」

 

 幸い、街は草原の先に見えている。急げば十分ほどで着くだろう距離だ。

 武器の無い初期装備のまま、小走りで街へ向かって駆け出していく。これまた幸運なことに、周辺にモンスターの姿は無い。

 

 ……いや、見えていないだけだった。

 

「おっと! 隠れるのが上手いな」

 

 何もないと思っていた草の合間から、小さな生き物が飛び出してきた。ネズミがモチーフであろうその小動物に視線を合わせると、頭部の上に赤色のカーソルが出現した。

 モンスターだ。既に敵対状態の。

 

「武器が無いのに戦闘? リスポーンで街に行くのは嫌だぞ……!」

『──聞こえますか、マスター。どちらかの手で空中をピンチアウトして、操作メニューを表示してください』

「エル!? どこに──いや、分かった!」

 

 どこからともなく聞こえた声の通りに手を動かすと、懐かしいUIのウインドウが開かれた。雰囲気はガラリと現代風に変わっているが、根底はIFで幾度となく見たメニューだ。

 これの使い方は、尋ねずとも分かる。体の奥底に刻まれているから。

 

『装備画面を開いてお好みの武器を選択し、ひとまず戦闘に勝利してください』

「オーケー、任せろ」

 

 ネズミのモンスター──名前が、カーソルの横に表示された。どうやら《グレーラット》というらしい。その飛びかかりを回避し、右手に出現した得物を振り下ろす。

 赤銅の片手剣が、鈍い音を立てて、跳躍中のグレーラットを叩き落とした。

 

「キュッ!」

 

 名前の下に表示された緑色のバーが、悲鳴と同時に減少する。この攻撃で、グレーラットのHPは一気に半分以上減っていた。もう少し力を込めれば、あと一撃で仕留められるだろうか。

 

「そらっ、持ってけ!」

 

 グレーラットの体勢が崩れている隙に、剣を振りかぶる。狙った軌道の通りに成功した攻撃だが、予想に反して、奴のHPは一割弱が残っていた。

 カウンターとしてボーナスでもかかったか、それとも叩き落としたことで追加ダメージが入っていたのか。何にせよ、初撃のほうが高いダメージを出せていたようだ。

 

 衝撃で生まれた隙は、あまり長くない。さらにもう一発入れられるほど、グレーラットはのんきではなかった。

 すばしっこい動きで駆け回られ、なかなか狙いが定められない。あと一撃で確実に倒せるが、その一撃を入れられないことがもどかしかった。

 

『マスター、隙が無いなら作りましょう』

「強引だなあ。でも嫌いじゃない」

 

 エルのアドバイスを聞いて、剣を適当な位置に叩きつける。もちろん空振りだし、土に突き刺さって俺のほうに隙ができる。

 だがそれは、狙い通りに奴の隙へと転じた。

 

「キュワアッ!」

「よし来た、そーれっ!」

 

 後ろから飛びかかってきたグレーラット。奴を横から襲うのは、それを予測していた俺の回し蹴り。何も、剣で斬りかかるだけが攻撃ではない。コントローラーを握って戦うRPGと、アバターを動かして戦うVRゲームの違いだ。

 つま先で蹴り飛ばすつもりが、距離感を誤って不恰好な膝蹴りとなってしまったが……ともあれ、無事に攻撃はヒットした。グレーラットの残り少ないHPバーが全損し、儚いガラス細工のように砕け散る。

 

『おめでとうございます、マスター。初勝利の感動に浸りたいところでしょうが、なるはやで私をそちらに連れていっていただきたく。アイテムリストをお開きください』

 

 一度畳んだメニューを、再度呼び出す。今度は装備画面ではなく、アイテムリストを開き。中を見ると、グレーラットのドロップ品と思しき素材の他に、《契約書》なるアイテムが入っていた。

 アイテムの説明文を読むに、これを使うことでエルを呼び出せるようだ。

 二度の使用確認にYesのボタンを押すと、地面に複雑怪奇な魔法陣が描き出された。

 黄金に輝く光の粒が集まって、エルの輪郭を形成していく。3Dプリンターの造形を早送りで見ているような気分だ。

 

「ありがとうございます。これからよろしくお願いします、マスター・クロト」

「おう」

 

 どこかかわいらしい所作でぺこりと一礼すると、エルは右手を動かし始めた。空中をピンチアウトし、その後上下にスクロールしたりタップしたり。メニューを操作しているのだろう。

 自分以外が開いているメニューは見えないという知識を得たところで、通知音と共にシステムウインドウが現れた。

 先導者《エル》とバディになりました──書かれているのは、そんな一文。

 

「バディというのは、条件を満たした一部のNPCとだけ結べる特別な関係のことです。プレイヤーとのフレンド登録、そしてパーティー結成を混ぜたような機能となります」

「疑問に先回りしての解答、ありがとう」

「どういたしまして。それでは、街へ向かうとしましょう。マスター」

「だな」

 

 

 肩を並べて歩きながら、メニューにあるステータスやスキルといった項目に目を通していく。

 今のレベルは1。その横にある経験値の量を表すメーターは、七割ほどまで到達している。グレーラットから獲得できる経験値はあまり多くなかったようだが、それでももう一体倒せば余裕でレベルアップできそうだ。

 StrやVitといったステータスはどれも初期値と思しき10。レベルアップ時に獲得できるポイントを割り振ることで、自由にステータスを向上させられるという。IFのときと同じ仕様だから、一目見て分かった。

 

「スキルは……よく分からないな。IFのときと全然違う」

 

 IFはポイントを消費してスキルツリーを開放していく方式だったが、IFOでは新しい仕様に変更されていた。

 

「レベル0の《片手剣スキル》と《体術スキル》、それから《見切り》のスキルヒント……。エル、教えてもらえる?」

「はい。IFOにおいて、全てのスキルは条件を満たすことで自動的に習得されます。《片手剣スキル》と《体術スキル》は、マスターがグレーラットに攻撃した手段に合わせて自動習得されたものです」

「あー。剣で斬って、足で蹴ったからか」

「はい。そしてマスター、注意点が一つ。基礎的なスキルであるその二つは、習得した瞬間から効果を発揮するものです。ですが大半のスキルは、ポイントを消費して開放することで、初めて効果を発揮するようになります。習得しただけでは効果が無いため、お気をつけください」

 

 試しに片手剣スキルの効果を確認してみると、極めて簡素な説明が書かれていた。

 ──片手剣で戦うための基本技能。片手剣を使った攻撃の威力が上がる。

 といった具合に。体術のほうも同様だった。

 

「スキルヒントですが、これは名前の通りです。スキルを習得する条件について、示唆してくれるヒントですね」

「へえ。今回の場合は……『敵の攻撃を見切ろう』ね。そのまんまじゃん」

「ちなみに、開放したスキルは同時に十個までセットすることができます。今のマスターには関係のないことですが」

「……見切りを含めてもなお、三つしかないからな」

 

 ちなみに私のスキルは五つです。なんて、エルは胸を張って自慢してくる。

 五十歩百歩、どんぐりの背比べ。けれど明らかに俺の負けだった。

 

「まあ発動しない武器スキルを除くと、実質二つですが」

「ふむ。早く見切りを習得したくなってきた」

「片方はバディ……つまりマスターに対する経験値ボーナスです。私自身に効果があるスキルは一つだけですね」

「経験値ボーナス? それがあってもあの経験値量ってことは、あのネズミひょっとして相当不味いんじゃ……」

「いえ、先ほどの戦闘には効果が適用されていません。バディとして契約が完了したのは、戦闘が終了してからでしたので」

 

 確かにそうだった。結局あれは、標準の経験値量だったというわけだ。

 それにしても、五つあるスキルのうち一つしか恩恵を受けられないというのは、なかなか切ない状態ではないだろうか。

 街に着いたら、まずエルが使うための武器を買おう。

 もし金が足りなかったら……ふむ、どうしようか?



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遅れに遅れ、忙しなく

「レベル1のまま、街に着いちゃったな」

「正式サービス開始から経過した時間は、一時間四十八分です。始まりの街であるここ《アウローラ》には、ビギナー・βテスターを問わず、未だ数多くのプレイヤーがいると思われます。彼らをメインクエストの進行に注力させるため、アウローラ周辺はモンスターの湧きが悪くなっているのでしょう」

 

 一の呟きは、十倍になって返ってくる。エルとは出会って間もないが、順調に良好な関係が築けている……と解釈していいのだろうか。

 

 始まりの街、アウローラ。

 その名の通り、Ideal Fantasy:Online(IFO)のプレイヤーが、ゲーム開始時に降り立つ街……らしい。

 というのも、俺のスタート地点はアウローラではない。その外に広がる草原の中、二十分歩いて街に着く程度の距離がある場所だった。

 

「メイン・サブを問わず、多くのクエストは過程と報酬で経験値を獲得できます。レベルを上げたいのでしたら、自然湧きのモンスターを倒すよりも、クエストを攻略するほうがよいかと」

「じゃあそうするか。エルの武器を買ってから、だけど」

「私の?」

 

 こてん、と首を傾げた。美しさの色が強いルックスと、所作のかわいらしさとのギャップが大きい。

 心のさざなみを隠しつつマップを開いて、平静を装いながら前を歩く。

 

「今、武器がなくて戦えないんだろ?」

「いえ。ありますし、戦えますが」

「……え? じゃあ、持ってる武器スキルが発動しないっていうのは?」

「ああ、そういうことですか。言葉の綾、というやつです。見ていただいたほうが早いですね」

 

 私のスキルです、と。そう言って共有されたリストには、杖・弓・魔法の武器スキルと、バディの経験値を増加させるという《導きの灯火》、そして《行動制限:カウンター》なるものの計五つが並んでいた。

 武器スキルは、それぞれに該当する武器を持っていなければ発動しない。魔法は少々事情が異なるかもしれないが、何にせよ使えないのだということは予想できる。経験値ブーストについては、道中で聞いた通りのものだろう。

 問題は、《行動制限:カウンター》というスキルだ。

 

「私はマスターのギフトとしてここにいますが、それは想定されていた流れではありません。本来であれば、私がバディになりうる存在としてプレイヤーの目に触れるのは、もっと先の隠しクエストが攻略された後でした。ゲームの攻略が進めば入手可能なものというギフトの要件とは確かに合致しますが、同時に、序盤から使用できてもバランスを過度に揺さぶらないという選定基準には真正面から反しています」

 

 果たしてこれは、往来のど真ん中で話していても大丈夫な内容なのだろうか。

 不安になってきた俺の心を見透かしたように、エルは更なる情報を付け加えてくれた。

 

「今、私とマスターの会話はプライベートモードで行われています。サーバーのログには残りますが、もちろんそれを一般ユーザーが目にすることはないのでご安心ください」

「そっか、ありがとう。というかそんな機能あったんだ」

「一度オプションメニューに目を通されたほうがよろしいかと。……話を戻しますが、そのような事情から、私には複数の枷がつけられています。この行動制限は、その一つです。攻略が進んで枷が外されるまで、私のいかなる行動もダメージを伴いません。どれだけ強力な攻撃を命中させても、グレーラットのHPを一ドット削ることすらできないのです」

 

 その言葉を聞いて、エルに剣で切り刻まれたグレーラットが平然としている様子が思い浮かぶ。なかなかシュールな光景だ。

 納得いく話ではあったが、そうなると彼女自身の言葉と食い違っているように思う。先ほど、武器はあるし戦えると言っていたはずだ。武器の有無はともかく、ダメージを与えられないなら戦えるとは言えないのではないだろうか。

 

「ご安心ください。カウンターと判定される攻撃に限っては、制限の影響を受けません」

「つまり、カウンター縛りと。面白いな」

「そうなりますね。……さて、マスター。私の戦闘面に関して、心配は無用です。それでもこのままショップに向かいますか?」

 

 ふむ。エルの武器を買うという目的が勘違いから生まれたものだったのだから、ショップに行く必要性はなくなった。しかしショップはもう、すぐ目の前にあるのだ。せっかくなら寄ってみてもいいだろう。その旨を伝え、年季が入った木製のドアを開ける。

 

「いらっしゃいませー」

 

 一目見て、コンビニの店内を連想させた。右側にカウンターとバックヤードがあり、左には武器やら道具やらが所狭しと並べられた棚がある。とはいえその規模感は実際のコンビニよりも数割増しだ。武器がかなりの幅を取ってしまうからだろう。

 

「客、案外少ないな。ごった返してても困るけど」

 

 入店して早々に店内を把握できたのも、視線を遮る他のプレイヤーが少ないからだ。疎らに点在する彼らは、合計四人。始まりの街にあるショップとしては、異常と言ってもいい人数ではないだろうか。

 

「ここのような街の中にある閉鎖的空間の一部は、ある種のインスタンスエリアとなっています。通りに佇んでじっと観察していれば、入店と同時に姿が消えるプレイヤーを目撃することも難しくないでしょう」

 

 少し控えめな声量でエルが言ったそれは、視点によっては怪奇現象や都市伝説と類されるようなことだった。不用意にアバター同士を重ね合わせれば問題が生まれる、VRMMOというジャンルだからこその処理だろう。

 

 店内を歩き回り、手持ちの資金──初期配布分のお金の少なさを考慮に入れつつ、ショッピングとしゃれこんでいく。

 オーソドックスな片手剣に始まり、両手剣や槍、盾といったメジャーなものは、最も目につきやすい位置に置かれている。サイズ感から場所を取らない短剣や格闘用の武器が隙間に並び、奥のほうに細剣や戦斧などの他の武器があるようだ。

 

「性能は今のより良いけど、上がり幅の割に値段が高いなあ」

「懐の寂しいマスターは、装備よりも消耗品を購入するべきかと。初心者用のポーションセットに、状態異常を治せるものは含まれていませんから」

「正論。だけどなんだか悲しくなるよ」

 

 

 最終的に購入したのは、不足している消耗品とうさんくさい学習書。所持金の八割が飛んでいったこの買い物、金額の大半はこの日に焼けた古い本が占めていた。

 

「本当によかったのですか? なけなしの財産をそんなものに使って」

「エル、これに何が書かれてるか知ってる?」

「いいえ。そのような個別のアイテムに関する情報は持っていません。ですが十中八九、ロクなことが書かれていないと予想します」

「ずいぶんな物言いだな……。ああいう初心者、というか新人向けの品揃えをしている店に、こんなうさんくさい本があったんだ。中身はロマン以外の何物でもないよ」

「なるほど、分かりました。マスターは物好きなのですね。ならば私はその決断を尊重しましょう」

「うーん、冷ややかな声」

 

 軽口を交わしつつ、インベントリから実体化させた本を開く。この一瞬を切り取れば歩き読書を始めるところに見えてしまうのだろうが、そんなつもりは全くない。アイテムとして使用するための手順だ。

 本を開く。その行動をトリガーに、アイテムの使用確認をするウインドウが現れた。ボタンによる二択へ肯定を叩きつけてから、小さな後悔を生んだことに気づく。

 

「しまった……! 中身、読めそうだったのに」

 

 システムは俺の操作に粛々と従い、古びた本を煌めくポリゴンとパーティクルに分解した。代わりにスキルヒントを与えてくれたようだが、遅れて芽生えた好奇心の行き先は既に跡形もなく消え去ってしまっていた。

 読めないと決めつけていたのかというと、そうではない。単に、読めるか読めないかという疑問が生まれていなかった。往々にして読めないものだという凝り固まった先入観が、疑問の芽生えを抑え込んでいたのだ。

 つまり。ゲーム内の本が読めるかどうかなんて、考えてすらいなかった。

 次は絶対中身に目を通してから消費しよう。ささやかに一つ決意しながら、気持ちを切り替える。

 

「『風前の灯火にこそ、輝く星がある。強かであれ』……今度はかなり婉曲なヒントだな。スキル名も伏せられてるし、思ってたよりも難しそうだ」

「そのヒントに関する情報は持っています。必要であればお話ししますが」

「いや、いい。自力で探すことを想定してるんだろうから、俺はそれに従うよ」

「かしこまりました」

 

 レベルは1で、持っているスキルは基礎の基礎だけ。そして全身初期装備と、初動に乗り遅れてしまった感が溢れ出している。

 この遅れを巻き返すために、さっさと外で狩りをしようと思い。なんとなく、視界の端にある現在時刻を見た。

 正午のサービス開始から、二時間あまりが経過しているようだ。その事実が、いやに意識を占有し──数秒経ってようやく、リアルでの予定が迫っているのだと気づいた。

 

「二時半までに……やば、間に合わないかも」

「マスター?」

 

 戻ったらまず昼飯を食べて……いやそれは後回しにして、先にシャワーを浴びる? 荷物の確認もしてないし、急がなければいけなさそうだ。

 

「悪い、エル。ちょっと外せない用事を思い出して、落ちなきゃいけない」

「なんとなく分かりました。ログアウトボタンはメニュー最下部です。急ぎすぎて怪我などなさらないでくださいね」

「ありがとう、また後で!」

 

 忙しなく手を動かし、ログアウトボタンを雑に叩く。IFでセーブボタンがあったのと同じ位置だということに気づいて、懐かしさを感じながら。

 やがて、意識はひとときの闇に沈んだ。




私の種族は文字数ブレまくり人間です

感想をいただけると作者が歓喜に震えて跳ね回ります


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彼女は先輩で同級生

 テスト中の微睡みが、チャイムに遮られるように。

 タイミングよく鳴った着信音が、緩やかに起きあがろうとする俺の意識を掴み上げた。

 

「三コールもせずに切るって……いたずら電話みたいじゃん」

 

 ベッドから体を起こしきる前に、電話は切られた。

 ぽん、とスマホに浮かぶ不在着信の表示。続けざまに、メッセージが送られてくる。

 

『ごめん、間違えた。寝坊してない?』

 

 いたずらではなく、かけ間違いだったらしい。文字を打つ時間も惜しいので、既読表示のシステムが状況を伝えてくれることを祈る。あの人のことだ、既読スルーという事実で察してくれるだろう。

 

『大丈夫そうだね。急いでるなら返信はいらないよ』

 

 やっぱりそうだ。感謝を込めたスタンプを送り、既読がつくかつかないかも確認しないままアプリを閉じた。

 この街の技術によって超小型化された、腕輪型のVRギア。左手首にあるそれを外し、充電残量を確認しながらケースにしまう。

 ショルダーバッグに荷物を入れてから、浴室へ。ささっとシャワーを浴び、昨日買ってきたバナナを食べながら髪を乾かした。

 

「忘れ物は……思い出せるなら忘れてないよな」

 

 靴を履きながら思い返すのは、我ながら遅いのではないだろうか。自分の行動に苦笑しつつ、玄関を出た。

 全力で急いだ結果、ログアウトしてから家を出るまでにかかった時間は五分足らずだった。栄養食品に類されるゼリー飲料を飲みながら、駅までの道を早歩きで進む。時間に間に合わない、ということはなさそうだ。

 

 いざ──登校!

 

 


 

 

 平和はあっても、安穏はない。そう称されるこの街は、本州から遠く離れた海上に存在する。数多の先進技術が集い、VR技術が生まれた人工島に。

 騒がしくも便利なこの街に住む者は、大きく二つに分けられる。ここにある企業の社員とその関係者か、あるいは俺のような学生だ。

 

 電車に揺られ向かう先は、変則的な通信制の高校。俺はそこの二年生であるわけだが、肩書きとしての学年はあまり信用をおけるものではないと思っている。

 最寄り駅で降りて校門まで歩いていくと、その不信感を俺に教えたあの人の姿があった。

 

「やっほー、透也(とうや)

「先輩、教室行かなくていいんすか」

 

 星野天音(ほしの あまね)()()()()()()()で、俺の()()()()()()()()()()()()。間違い電話で俺を起こしてくれた相手でもある。

 

「さっき着いたばかりなんだ。ちょうどキミが来そうなタイミングだったから、待ってみたよ」

「そりゃどうも」

 

 俺より少し小さい後ろ姿を見ながら、教室へ歩いていく。思いの外、時間には余裕があった。家であそこまで急ぐ必要はなかったかもしれない。

 

「冷たいなー。初日と試験被ってるのが、面白くないんでしょ」

「そうですよ。回線トラブルでスタートも一時間以上遅れましたし」

 

 待ちに待った正式サービス開始日だというのに、即スタートができなかった理由。それは、ルーターに突然の不調が起きたからだった。素人でどうにかなるものではなさそうだったので業者を呼んで直してもらったが、そのトラブルがなければもう少し気持ちよく登校できていただろう。

 

「あははっ、災難だったね」

「そういう先輩はどうなんです? 俺はまだレベル1なんですけど」

「ボクには知識という力があるからね。ギフトの武器で無双状態さ。レベルは5……の直前だったかな」

「マジすか。完全に出遅れたなぁ」

「追いつかれそうだったら困るよ。スタートだって、キミより一時間速いんだから」

「それもそうっすね」

 

 天音先輩は、半年前に行われたクローズドβテストの当選者だ。俺と異なりIFについて詳しくはないが、原作とβテストどちらの知識がより役立つかといえば、それはもちろん後者だろう。知識面でリードされている相手にプレイ時間でも負けていたら、まあ勝てるはずはない。

 

「帰ったらすぐ潜って、向こうで会いましょうよ。踏み台にして追い越しますから」

「いいよ。キミを囮にして、もっと差をつけるから。……ねえ透也。面白いスキルあった?」

「あー、ありましたよ。スキル名は伏せ字で、詩的なヒントのやつが」

「それさ、『暗き闇の中でこそ、見える星がある。力を示せ』ってやつ?」

「いや、違います。風前の灯火がどうとか、そんな感じでした。はっきりとは覚えてないですけど」

「そっか。IFOのスキルシステムは奥が深いし不透明で、テスターでも分からないことが多いんだよね。このヒントも、どんなスキルのものなのか……というか、そもそもβテストにはヒント自体存在しなかったから、完全に未知の領域だよ。ワクワクするね」

「あ、そうなんすか」

 

 意外だった。まさかシステムが丸々存在しなかったとは。初見の楽しみを優先して、βテストの情報は調べないようにしていたから知らなかった。

 そういえば、エルはヒントの情報を持っていると言っていたな。彼女に聞けば、アドバンテージを──いや、それはダメだ。俺自身の楽しみを減らすことにもなる。答えを見ながら謎解きをするのは、きっと楽しさが失われるだけだろう。

 

 そういえば、先輩が選んだという武器はどんなものなのだろうか。質問しようとして口を開いたが、声は予鈴に妨げられた。教室のドアを開け、自分の席に座る。

 仕方ない、話は後でするとしよう。試験の時間が過ぎるまでの辛抱だ。

 

 


 

 

 キーンコーンカーンコーン、と。忌々しい束縛からの解放を告げる福音が鳴った。

 現在時刻は午後の四時。ホームルームも試験も終わり、あとは帰るだけだ。

 

「一時間半で終わる用件のためにわざわざ学校まで来るの、やっぱダルいなあ……」

「透也。早く帰ろう」

 

 いつの間にか横に来ていた先輩が、俺のバッグを突き出して言う。受け取って立ち上がると、先輩はスタスタと教室を出て行った。

 それを追いかけて、先輩の横に並ぶ。

 

「透也の家、お菓子ある?」

「いや、あんまり。塩のポテチが何袋かって感じですけど」

 

 問いの意図を解さぬまま、状態を思い出して答える。

 単なる雑談程度に捉えたが、次の言葉を聞いてそれは間違いだと気づいた。

 

「それならコンビニ寄ろうか。プリン食べたい」

「……え、もしかして来るつもりっすか」

 

 俺が一人暮らしなことを、先輩は知っているはずだ。放課後にそんな男の家へ行こうとするのは、無防備が過ぎるだろう。まさかとは思うが、この人なら突然そう言い出しても不思議じゃない。なにせ、前例がある。

 

「うん。ほら、ボクの家遠いからさ。大丈夫、VRギアは忘れてないよ」

「天音先輩、さすがにそれはちょっとどうかと思います。ちゃんと自分の家帰ってください」

「えー」

 

 天衣無縫というか、なんというか。常識という固定観念の枠を、猫のようにするりと潜り抜けてしまう。自由気ままなこの人は見ていて楽しいが、振り回されるのには少々困る。

 

 

 

 駅まで来て、同じ問いを「どうしても?」と再確認される。もちろん、俺の答えが変わるわけもなく。それをさらりと受け入れて、先輩は「また後でね」と電車に乗った。

 からかっているのか、なんて。そんな疑問が浮かぶのは、似たような会話がこれで数回目だからだ。けれど俺も先輩も、直接的表現で言葉にして、確かめようとはしない。その理由は、果たして同じなのだろうか?

 

(きっと違うな。紳士ぶってる俺より、もっとまっすぐなこと考えてそうだ)

 

 ──先輩を、傷つけたくない。不用意な言葉を向けたくない。だから、口にしないで逸らすんだ。

 

 


 

 

『先潜ってますね。メッセアプリと連携しておくんで、来るときに連絡ください』

『分かった。向こうで会おう』

 

 具体的な場所までは知らないが、先輩の家は最寄り駅までの電車だけで三十分ほどかかる距離にあると聞いたことがある。それに対して、俺の家は十五分もあれば余裕で自室のベッドに飛び込める。先輩がログインのために使おうとする気持ちは察せられるが、だからといって受け入れることはできなかった。俺自身が、俺の理性に託せないから。

 自分ほど信じられる存在はないからこそ、自分ほど信じられない存在もない。自分の理性は信じられないということを、俺は信じている。

 

「我思う、故に我あり……とはまたちょっと違うけど」

 

 いつまでも考えていたって仕方がない。ケースから取り出したVRギアを左腕に嵌め、ベッドに横たわる。

 VRギアの中でも最新型であるこいつには、思考制御が搭載されている。短期バイト一ヶ月分の給料に貯金を加えてようやく手が届いた、お高い代物だ。その甲斐あって、旧型機とはまるで違う高い質の世界に飛び込めた。

 

「レベル、3くらいまでは上げておけるかな」

 

 バディであるエルのスキルにより、俺は他のプレイヤーよりもモンスター一体あたりの取得経験値が多い。といっても、先輩のように武器のギフトを選んだ人は、初期装備で戦う俺よりも速くモンスターを狩ることができる。そのため、最終的にどちらのほうが効率が良いのかは、検証しなければ分からない。

 

 

 

 初ダイブの時と異なり、二度目はすんなりと意識が切り替わった。

 始まりの街、アウローラの風景が俺を出迎える。

 

「おかえりなさいませ、マスター・クロト」

 

 いや、街並みだけではない。肩甲骨あたりまでまっすぐに伸びた若芽色の髪と、翠玉のような瞳を持つエルフの少女。

 ギフトとして、バディとして俺を助けてくれるエルも、丁寧に俺のログインを迎えてくれた。

 

「ただいま、エル。急に落ちて悪かった」

「ノープロブレム、です。忘却というのは人間らしさの一つですから」

「それと、これまたいきなりになるんだけど。今から外に出て、少しでもレベルを上げたい」

「かしこまりました。一旦中央広場に行き、そこから西の草原まで転移しましょう」

「へえ、転移機能なんてあったんだ」

 

 新たな知識への反応を見て、エルがさらに解説を加えてくれた。

 転移機能は一方通行であり、転移先も各エリアの入り口に限られるということ。そのための門は街の中央にあり、やがて行けるようになるアウローラ以外の街にも転移門はあるということなど。

 

 広場の転移門で、アウローラ西部の草原を指定する。

 光に包まれて視界が白に染まったかと思うと、次の瞬間にはもう、緑の草原の端にいた。

 

「すげえ。あっという間だ」

「まっすぐ西へ歩いた先に、中規模の森があります。そこが狩り場として最も適した場所だと判断します」

「ありがとう。じゃあ早速行こうか」

 

 

 草原を渡る風が、さらさらと草花を撫でる。それ以外の音は、何一つしなかった。相変わらず、モンスターの湧きは少ないらしい。

 急ぎたいとエルに伝えてから、森へ向かって走る。道中で一匹のグレーラットに遭遇したので、前回と同じように飛びかかりを捌いて倒した。

 レベルはそこで2に上がり、経験値メーターは半ばまで進んだ。スキルのほうも、片手剣のものだけはレベル1に上昇した。このペースが続くならレベル上げは容易いのだが、IFOに原作のIFと同じ傾向があるとしたら、そう簡単にはいかないだろう。

 ともあれ。そうだとしても、最序盤のうちは関係ないことだ。今は先輩とのレベル差を埋めることに注力しよう。

 

「先ほどレベルアップしたわけですが、ステータスを上昇させないまま森に入るのですか?」

「そうするつもり。もう少ししたらリアルの知り合いと合流するんだけど、その人のビルドを聞いてから決めようかなって」

「なるほど。それまでは実質レベル1の状態で戦闘する、ということですね。HPとMPはレベルによって僅かに上昇していますが、やはり各種ステータスの影響が大きいので。……私も、積極的に戦っていくとしましょう」

「ああ、頼む」

 

 腰に提げていた赤銅の剣を引き抜き、森に足を踏み入れる。頭上には広葉樹がのびのびと枝葉を広げているが、ところどころ木漏れ日が射しているので特に暗いというようなことはない。

 リアリティとプレイアビリティの兼ね合いか、草原に伸びるは膝より下程度の高さだった。森に入って、その背丈はより低くなった。もっとも、俺はきらびやかな灰の街暮らしで、この環境にどれだけのリアリティがあるのかは実のところ分からないが。少なくとも、違和感がないのは確かだ。

 

「……いた。オレンジカーソルか」

 

 前方、そう遠くない位置に二匹。並んで何かを食べているようだ。

 猿型モンスター、名前は《ブラウンモンキー》。その頭上に表示されたカーソルの色が、相手がまだこちらに気づいていないことを教えてくれる。

 モンスターの状態を示すカーソルの色は、三色ある。グリーンと、オレンジと、レッドだ。

 グリーンは中立。こちらが何かをしない限り、見つかっても敵対しない存在。

 オレンジは非友好。発見されるか、そのうえで接近するといった行動を取ると、敵対状態に移行する。

 レッドは敵対。交戦状態に入った全てのモンスターは、必ずこの色のカーソルになる。

 

「まずは不意打ちを狙う。失敗したらそのまま戦闘だ」

「了解です、マスター。それまで私はここにいますね」

 

 息を潜めて、一人で猿の背後へ忍び寄る。慣れないブーツと、慣れない環境。故に予想はしていたが、剣が届く距離まで近づく前に、耳聡い猿たちに気づかれてしまった。

 赤色に変化したカーソルを見て、声を張る。

 

「エル、やるぞ!」

「はい」

 

 黄金に輝く短剣を手に、エルが合流する。剣竜の背にも似た刺々しい峰の、ソードブレイカーと呼ばれる短剣。確かにこれは、杖のスキルも弓のスキルも適用されない武器だ。

 

「銘は《アウレア・ラウルス》。花が咲かない金属製ですから、花言葉の通りに届けましょう。マスターへ、勝利と栄光を」

「キィィー!」

 

 エルが掲げた短剣を睨んで、片方の猿が吠える。システム的な効果は何も持たない、ただの威嚇だ。その間にもう一匹は木を登り、上から俺たちを見下ろした。

 

「逆光で見づら──うおっ!?」

「キキッ!」

 

 耳元を、何かが通り過ぎた。驚いて漏らした声を聞いてか、頭上の猿が笑った……ような気がする。

 

「ずいぶん生き生きとしてるじゃねえか。今に見てろよ!」

「マスター、発言がチンピラのそれです」

 

 返す言葉もない。本当はそんなことを言っている間に切りかかりたいのだが、相手が木の上にいると剣が届かないのだ。木を登れる自信はないし、もし登れたとしても相手は猿。俺が木の上で戦うのは難しいだろう。

 さて、どうしたものか。

 

「こうすればいいのでは?」

「えっ?」

「──セイッ!」

 

 とてとて、と猿が乗っている木に歩いていった彼女は、力強く一歩踏み込んで。

 その木に、鋭い蹴りを入れた。

 トーガの構造上、エルの白い足が曝け出されて……などと言っている場合ではなく。

 彼女のステータスがそれだけ高いということなのか、その一蹴りで木は揺れ、森は震え、樹上にいたグリーンカーソルの小鳥たちは一斉に飛び立っていった。

 当然、枝の上に立っていた猿がそのままでいられるはずもなく。奴は足を滑らせて落下した。咄嗟に尻尾を伸ばして足掻いたが、それは空中をうねるだけに終わる。

 

「ナイス! ──食らえ、《スラッシュ》!」

 

 頭から落ちたブラウンモンキーが、大の字になって目を回す。その頭をめがけて撃ち込むのは、《片手剣スキル》のレベルアップによって開放されたばかりの《アーツ》。

 視界の左上にあるMPバーが、一割消費された。振り上げた剣が黄色く発光し、パーティクルを放つ。

 赤銅の刃は、自身の身体能力を超えた速度で放たれた。茶猿の顔面に、一文字のチープなダメージエフェクトが刻まれる。

 満タンだったHPバーの減少は、止まらない。一匹目のブラウンモンキーが、ポリゴンに砕けた。

 

「あと一匹だな」

「キキィーッ!」

 

 十メートルほど先にいるもう一匹のブラウンモンキーが、俊敏な動きで足元の小石を拾い上げて投擲した。今は亡き猿も、同じように果実を投げてきたのだろう。じっと見続けていなければ見逃しそうな予備動作だった。

 小石は綺麗な軌道を描いてまっすぐこちらへ飛んでくるが、これを避けるのは容易だ。焦ることなく足を動かそうとして。

 ──エルが、その軌道上に割り込んだ。

 

「何を……」

「条件を満たしました」

 

 短剣で小石を弾き飛ばすと、彼女の唇は小さな音で何かを紡ぐ。

 

「《リベロ》」

「キ──」

 

 猿が、消えた。

 右手の短剣が小石を弾き、そのあと左手から光が伸びた。それと同時に、猿の姿が消えていた。

 認識できた事実は、それくらい。あまりの早業に、理解が追いつかなかった。

 

「マスター、次の標的を探しましょう」

「……ああ、そうだな。今の一瞬に意識が取られてた」

 

 エルは行動に制限がかけられ、ダメージを与えることができない。そしてその枷は、カウンターに対してだけは作用しない……ということだったが。

 

「あれ、カウンターか……?」

 

 命中しないはずだった投擲物の軌道に割り込んでそれを弾き、そしてその後に放った攻撃。果たしてそれは、カウンターと判定されていいのだろうか。それができるなら、なんでもありになる気がするが。

 

「……ああ、大雑把なニュアンスだけで話しましたね。あれは正確な効果ではありません。正しくは、『攻撃に適切な対処をしたとき、特定のアーツが発動される』です」

「攻撃に飛び込んで弾くのを、適切な対処とは言わないと思う」

「しかしアーツは発動しました。その結果だけが真実であり、世界の意思です」

「それでいいのか、世界。おかげで狩りは……ん? メッセージ」

 

 

『アウローラ中央なう。今どこ、後輩くん』




徐行してる車に駆け寄って「正当防衛です」と搭乗者ごと消し飛ばすみたいな当たり屋、エル。
留年スレスレのラインを生きていたら年度末に体調を崩して脱落した一乙学生、星野天音。
そして、それらと親しい一般人。

一番やばいのはどいつだ


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星野天音という人間、その思い出

衝動書きでなーんにも考えてなかった設定の整合性を取ったりゲームやったりしてたら時間かかりました。すいやせん


 彼と出会ったのは、一年くらい前。夏休み直前の、清々しいほどに澄んだ青空が綺麗な日だったのを覚えている。

 だってボクが屋上に行ったのは、人工の冷気を閉じ込めた教室ではなく、自然の熱風が吹き抜ける空の下でお昼を食べるためだったから。

 あのときの彼は、バスケのゴールと同じくらいの高さがある柵越しに大きな入道雲を背負って、焼きそばパンを食べながらスマホをいじっていた。

 

「こんにちは、後輩くん」

「ん……どうも」

 

 中身の少ないスポーツドリンクが置いてある、彼の足元。鮮やか過ぎなければいいと緩く指定されている上履きを見れば、きっちり指定されている紐の色で学年を判別できる。青色の彼は一年で、赤色のボクは二年だと。

 

「ボクは天音。キミは?」

黒崎(くろさき)です」

 

 彼はまだ、透也という下の名前は口にしなかった。片方だけで話しかけたから、片方だけで返したのだと思う。きっとボクは、天音なんとか先輩だと認識されていた。

 名字だけを口にして、彼の視線はスマホに戻った。

 

 彼と同じように、ボクは柵へ体を預けた。ボクが手を伸ばせば彼の肩に届き、彼が手を伸ばせばボクの腕を掴めるような距離。初対面の相手だけど、なんとなくその距離がいいような気がした。

 

 彼と同じように、ボクはスマホを取り出した。薄く軽いそれを高く掲げ、背面にある三つのレンズで晴天を捕まえる。

 加工などするまでもなく鮮やかで、同時に深みのある蒼穹。そしてその中に悠然と構える、綿飴のように柔らかく膨らんだ真白の雲。その壮大な美しさを留めたまま画面の中に切り取るのは難しくて、文字にはできないような小さい唸り声が漏れた。彼は静かなままだったが、きっと聞こえていただろう。

 

「よしっ。──あ」

 

 良い一枚が撮れたところで、ようやくボクは気づいた。お昼を食べるために屋上へ来たのに、そのお昼ご飯は教室に忘れてきたと。

 

 幸いなことに、お昼休みの時間はまだまだあった。だから二階の教室でサンドイッチを回収したあと、一階の自動販売機で小さいサイダーと小さいスポーツドリンクを買って、駆け足で屋上に戻った。

 そして、彼に声をかける。屋上に出るドアの近く、小さな日陰から。

 

「ふう……。黒崎くん、どっちがいい?」

「え? あー、えっと」

 

 彼の足元には、空のペットボトルが倒れていた。風で転がっていかないよう、横に鞄を置いて。少量だった半透明の水瓶は、ボクがいなくなったひとときの間に飲み干されていた。

 彼のほうへ歩きながら、言葉をつけたす。

 

「この快晴だ。気をつけていないと、熱中症になってしまうよ」

「じゃあ……、そっちのサイダーで」

「オーケー。はい、どうぞ」

「ありがとうございます。……っと」

 

 差し出したサイダーの蓋が開けられることで、プシュッと鳴った小気味よい音。それと同時に手の甲へ飛んできた甘い飛沫を舐めたボクは、余ったもう一本に口をつけた。

 

「んくっ……、んくっ────」

 

 頭痛が起きそうな勢いで、氷のように冷えたドリンクを呷った。飲み口を咥えたまま、息を継いで。立っているだけでじんわりと汗ばむような熱気の中、屋上と一階を往復するのはいい運動になった。冷たい液体が喉を潤し、気分は爽やかになっていく。

 そんなボクの横で、彼も同じようにサイダーを飲む。自販機を出て二分の炭酸飲料は、さぞ気持ちよかったのだろう。ボクのだけではなく、彼のボトルも、内容量が一気に減っていたから。

 

「ぷはぁっ! 夏の陽射しを浴びながら飲むサイダーは、格別だろう?」

「そうですね。昔行った夏祭りを思い出します」

「夏祭りかあ。いいよね、夏の風物詩だ」

 

 そこで初めて、彼は空を見上げた。

 その瞳に映ったのは、今の青い空よりも白い雲よりも向こうの、鮮明なセピア色なのだろう。

 夏祭り。思えば、小学生の頃を最後に行っていない。ふらっと行ける場所でお祭りをやらないから、気になったのもだいぶ前だ。

 ……そうだ。今年は彼を誘って、一緒に行ってみようか。きっと、いい思い出になる。

 

「サイダー、ありがとうございました。いくらでしたっけ」

「いいよ。飲み物の一つくらい、通りすがりの先輩に奢られておきなさい」

「……分かりました。ありがとうございます」

「はいはい、どういたしまして」

 

 そのあとは、遠くで鳴く蝉の声に耳を傾けながら、静かに食事を進めて。予鈴が鳴る頃には、シルバーブルーに染めた髪が汗で張り付いていたような気がする。

 

 


 

 

 

「──《ペネトレイト》ッ!」

 

 青白く光った穂先が、長い戦いを経て剥き出しになったゴーレムのコアを刺し貫いた。モノアイとコア、赤色のどちらからも光が失われ、不壊の番人が崩れ落ちる。

 戦闘開始から、十七分が経っていた。

 

 ──最前線のダンジョンを探索していたボクがたどり着いたのは、中央に一体の石像だけがある円形の部屋。いかにもな場所だと思いながら足を踏み入れた瞬間に、予想通り石像が動き出した。

 灰色の全身にただ一つある異色は、瞳に宿る赤の光。

 《ストーン・ガーディアン》という名前の下に表示されたHPバーを削りきったはいいが、番人は何故か倒れずに動き続ける。

 初めて遭遇した非生物の敵。ギミックを解かなければ倒せないボスなのだろうと予想し、とりあえず全身に満遍なく攻撃を当て続けた。すると、胸部にあたる場所──もっと言うと、人間であれば心臓があるあたりが、綻んで欠け落ちた。

 

 あとは、そこに攻撃を集中させるだけ。装甲が剥がれることで露出した真紅のコアにアーツを一撃叩き込むことで、戦いは終わった。

 

「おっ、レベルアップ! ようやく20か~」

 

 ゴーレムの撃破により獲得した経験値で、ようやくレベルが20の大台に乗った。

 βテストは、今日が最終日。時間内になんとか目標へ届いたと、強い達成感に拳を握る。

 このゲームは、レベル10を超えてビギナー扱いが終わった途端にレベルアップのハードルが上がる。ボクは仮にも学生の身だ。十日間のβテストでレベル20に到達するという目標は、一時は無茶だったかとも思ったが……ハイペースでこういったボスモンスターを狩っていたら、案外余裕を持って達成することができた。

 

「やっぱり、格上は経験値量がかなり多い……。本番でも同じ傾向なら、ビルドは火力に全振りかな」

 

 例えばこのゴーレムは、極論コアさえ壊せれば撃破できるだろう。ボクはHPを削りきってからそのギミックに気づいたが、きっとそれは救済だ。コアを見抜いて破壊できればHPに関わらず倒せるし、コアに気づかなくてもHPを削りきれば見つけやすくなる、という。もしかしたら、コアと同じ輝きを放っていたモノアイも弱点だったかもしれない。身長差が大きくて狙いづらいから、どうにもならなかった場合の最後の希望として考えていたけれど。

 何にせよ、その知識があれば大幅に戦闘時間を短縮できる敵なのだと思う。

 そしてそれは、このゴーレムだけが持つ性質ではない。強い敵には必ずと言っていいほど何か弱点があったし、弱点に気づけるかどうかで戦闘の効率や安定性は大きく変わった。どんな難敵も、戦いの中で活路を見出す余地があった。

 

 だから。

 

 攻略にあたって欠かせない装備やスキルは無いに等しく、プレイヤー次第では攻撃力さえあればどんな敵にも立ち向かえる。

 今日までの十日間、あらゆる時間を使って積んだ経験と培った直感がそう告げている。このIFOは、そういうデザインのゲームだと。

 その予測を前提に据えて、ボクは考えた。どんな武器を、どんなスキルで、どんなビルドで使うのか。

 このβテストで得た知識と経験、そして何よりも、ボク自身が好むプレイスタイル。それを全て組み合わせて出る答えは、ただ一つ。

 

「……ふふっ。本番が楽しみだ」

 

 


 

 

 春。四月。蕾が開き、花が舞い、新たな一年が始まる季節。

 IFOのβテストに熱中しすぎて体調を崩したボクは、それによって出席日数が致命的に不足したことで、再び二年生をやり直すことになった。それを姉さんに伝えたときは、心底呆れられたっけ。

 校舎での授業と通信での学習が混ざり合ったこの学校。広げようとしなかった交友関係は狭いままで、学年越しのクラス替えだからといって感じるものは特になかった。

 これまでと違って、顔見知りもいないんだろうな。そう思いながら、窓際の席で頬杖をつき、ぼうっと空を眺めていたときだ。

 

「…………天音先輩?」

 

 殺風景で彩りのない想像に反し、聞き覚えのある声がかけられた。それは夏の日、吹き抜ける熱風と響き渡る蝉の声の中で出会った人の声。

 

「黒崎くん」

 

 それが誰なのかは、振り向くよりも前に分かった。忘れる理由も、間違える理由もない。だって、彼の隣で見上げたあの空は、ずっとボクの記憶に輝いている。

 

「ここ二年の教室ですよ。学年間違えてませんか」

「ううん。間違えてないよ」

 

 机の下にある私の足は、彼の目に入っていなかったのだろう。彼と私が同じ色の靴紐を結んでいることに気づいていれば、かけられていた言葉はもう少し違うものだったと思うから。

 何か言おうとする彼を止めながら見た時計の長針は、真上を指す直前だった。

 

「嬉しい再会ではあるけれど、そろそろホームルームだ。席に戻ったほうがいいんじゃない?」

「……ですね」

 

 

 あの日は新年度の登校初日だったわけだが、始業式という定例の行事はそれよりも前に終わっていた。わざわざ集まる必要もないからと、一日前にオンライン上で行われたのだ。

 故に登校初日は、クラス替えにあたっての自己紹介や顔合わせを挟んでから、普通に授業がある。といってもそれは形だけのものであり、実際に行われるのは教科にこじつけた実質的なレクリエーションだと、二度の経験から予想できていたが。

 

 ボクの名前は、星野天音(ほしの あまね)。名前がほで始まる女子というのは、まず男女に、それから五十音順に並べられる最初期の席順では、かなり後のほうになる。順番が回ってくるのは数十人の自己紹介をほぼ全員分聞いてからだ。

 流石に窓へ顔を向けているのは印象が悪いだろうから、周りに合わせた態度を取ってやり過ごしていた。あくびの小さな衝動までは隠さなかったけれど。あからさまに大きく口を開けなければ、せいぜい寝不足だと思われるだけだ。

 そうしているうちに、唯一興味がある相手が立ち上がる。

 

「──黒崎透也(くろさき とうや)、趣味はVRゲームです。よろしくお願いします」

 

 それだけ言って、彼は口を閉じて座り直した。とても簡素だったが、その短い言葉を聞いて、話題が一つ増えた。

 早く話してみたいな、なんて。人との関わりを楽しみに感じたのは、いつぶりだったろう。

 

「──星野天音です。本当は今三年生になっているはずだったんだけど、ゲームのやりすぎで出席日数が足りなくなったので留年しました。よろしくお願いします」

 

 彼が抱いたであろう疑問への答えとして、言う必要のなかったことを言った。

 ボク自身が他人事のような笑顔をしていれば、周りには笑い話として受け取られる。実際、教室の雰囲気に変わりはなく。春の浮ついた空気が、依然として満ちていた。

 

 

「そういうわけで、ボクたちは同級生だ。よろしくね、透也くん」

「ああ、はい。よろしくお願いします。星野先輩」

「む……まあ、今はいいや。それより、キミと話したいことがあるんだ。今日は午前で終わりだし、放課後に時間をくれないかな?」

「はい、大丈夫ですけど……なんですか? 話したいことって」

「ふふっ、秘密。強いて言うなら、今ここでは言いづらいことかな」

 

 十分間の休み時間。今度はボクが彼の席に行って、一つの約束を取りつける。

 問いを先送りにされた彼は怪訝な顔をするが、賑やかな教室と時間の制約に挟まれながら話したい内容ではない。ボクが留年した理由であるIFOのβテストやら、七月に開始する正式サービスやら。他にも、雑談を交わして彼のことを知りたいだとか、なんだとか。だけどそれには、やっぱり時間が足りない。

 だから、時間がたっぷりあるだろう放課後に。心が踊るような楽しみを、詰め込んだ。



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ある日の森、出会ったものは

注力していた別の作品に一区切りついたのと、ゼノブレ3ダイレクトで人生のモチベ上がったので半年ぶりに更新できました


『アウローラ中央なう。今どこ、後輩くん』

 

 森の中、天音先輩から届いたメッセージ。既にログインしているようなので、仮想キーボードを叩いてこちらもメッセージを入力した。『アウローラ西の森でレベル上げてます』と。

 送信した瞬間に、既読という二文字が表示される。街の中央にいるなら転移門も近いだろうから、入り口まで戻って待っておこうか。

 

「この森はインスタントエリアの一種で、同時に入ることができるのはパーティーメンバーのみです。なので早めに外に出ておくべきかと」

「へえ、ここも……。じゃあ戻るか」

 

 武器を鞘に納め、土を覆う新緑を踏みながら踵を返す。

 街中のショップがそうなのは、分かる。始まりの街にあり、主要なアイテムのほとんどを購入できる場所だ。サービス開始初日ということもあり、さぞ混雑するだろう。

 だがこの森は、どうなのだろうか。あまり規模が大きいわけではないし、まだまだ浅い現在地点での印象ではあるが、混み合う理由など無いように思える。

 

「何かあるのかな、この森に」

 

 序盤に訪れる特徴の無い場所にこそ、何かが眠っているものだ。それは使い古された陳腐な構造ではなく、いつでも心躍らせる王道の展開。

 とはいえ、特徴の無い場所が特徴の無いまま安らかに眠るというケースも多い。この森に対する小さな期待は、頭の片隅に留めておくことにした。

 

 チラつく木漏れ日を浴びながら道を引き返すと、すぐに草原へ出た。来るときは気がつかなかったが、森とアウローラの間にはほんの少し傾斜があるらしい。若葉色に波打つ草原の向こうに見える街が円形であることを、この目で見ることができた。

 

「……プレイヤーの二人組がいますね。あの方たちが、マスターの?」

「え? どうだろう……何も聞いてないけど」

 

 エルが示すのは、草原の中央。二つの人影が、こちらへ向かっている。

 先輩と落ち合う大雑把な約束はしたものの、そういえば他の人のことなどは互いに話していなかった。少なくとも俺のほうには、エルという仲間が既にいることなんて。

 先輩に追加でメッセージを送ってみようと手を動かし始めたのと同時に、俺たちを認識した二人組が駆けてきた。ひとまず手を止めて、そちらに顔を向ける。

 

「やあ。ここで友人と会う約束をしているんだけど、キミがそう……だよね。顔一緒だし」

「はい。キャラクリにあんまり時間かけたくなかったので。声だけはちょっと変えましたけど……それにしても先輩、早かったですね」

 

 朗らかな挨拶と共に右手を上げたのは、現実世界(リアル)で見慣れた風貌の槍使い。シルバーブルーに染められたセミロングの髪は、現実よりも光沢を増していた。

 

「彼女の部屋にお邪魔して、ソファからログインしたからね。……とりあえず、自己紹介といこうか。ボクは(あかね)。キミたち同士は初対面だろうけど、どっちもボクとはリアルでの友人。友達の友達として、キミたち同士も仲良くなってくれると嬉しいな」

「次は私かな? 名前はユウ。戦闘力には自信無いけど、できる限りがんばるよ。ちなみに、茜ちゃんとは数年来の付き合いです。よろしくね!」

 

 初対面としての距離感を狂わせられるような、可憐な笑みが向けられる。先輩やエルとは異なるタイプの美形だ。彼女が漂わせる明るい雰囲気の源は、その笑みと、ブラウンのボブカットに入った赤いインナーカラーだろうか。背負われたヴァイオリンの影響はないだろう。

 

「クロトです。よろしくお願いします」

「……初めて会ったときとか、あとクラス替えのときにも思ったけどさ。キミって、自己紹介の言葉がいささか少ないよね」

「そうですか? まあ確かに、言われてみるとそうかもしれません」

「では私が代わりましょう。現在のレベルは3、片手剣スキルと体術スキルを習得済み。スキルヒントは《見切り》と、もう一つ詳細不明のものを獲得しています。装備は片手剣の《ブロンズソード》と初期防具です」

 

 ずいっと一歩前に出たエルが、流れるように俺のステータスを明かす。ビルドの相談がてら伝えるつもりのことではあったが、なぜこのバディはある意味で個人情報とも言えるものをぺらぺらと話してしまったのだろう。

 

「あははっ。エルちゃん、やっぱりかわいいねー!」

 

 エルの言葉が止まってから少し遅れて、先輩たちが小さな笑い声を上げた。ユウさんがエルに後ろから軽く抱きついたが、彼女はこれといった反応をせず、自分のことへと言葉を繋げる。

 

「そして、私はエルフのエルです。ご存じの通り、航り人の船出を導く者……ですが、今はギフトとして、マスター・クロトのバディとなっています」

「えっ? ギフトにそんな項目あった!? 気づいたら絶対選んでたよー!」

「なんでキミが彼女と一緒にいるのか疑問だったけど、そういうこと。だけど……ギフトか。ボクも気づかなかったな」

「厳密には私をバディとするためのアイテムである契約書がギフトなのですが、それは特定のプレイヤーにのみ表示されていたようです。具体的には、かつての世界……《Ideal Fantasy》でハンターを経験したという記憶が、VRギアを通して確認されたプレイヤーに」

「ああ、それなら気づくはずもないね。ボクは一度も実機に出会えていないから、リストにはそもそも載っていなかったわけだ」

 

 合点がいったとばかりに先輩が小さく頷く。その横で、俺も静かに納得していた。エルを介して聞いた創造主の言葉が、ほんの少し気になっていたからだ。

 確か、『最初に気づいたあなたには、それを選ぶ権利を与えよう』だったか。サービス開始から一時間ほど出遅れたにも拘らず、俺より先にギフトを選んだ数多のプレイヤーたちは誰も気づかなかったのか、なんて思っていたのだ。

 

「じゃあ私はただ見逃しただけか〜。急ぎ過ぎるのは良くなかったね」

「ってことは、ユウさんもやったことあるんですか?」

「うん。地元に住んでるお兄ちゃんが、いわゆるレトロゲーム? が大好きな感じの人なんだけど、何年か前に布教されてから私もハマっちゃって……。受験勉強しながら実績全解除したのは、遠き日の思い出です」

「それと、ユウもボクと同じβテスターだよ。当時は知らなかったけどね」

 

 彼女たちが揃って幸運なのか、俺が不運なのか。かなりの倍率になっていたと思われるβテストの当選者が、近くに二人もいるなんて。

 

「だって茜ちゃん、全然連絡取れなかったんだもん。話したいな〜って思ってるうちに、期間終わっちゃうし。……まあいいや、そろそろ行こう? 話してるだけなんて、時間がもったいないよ!」

「それもそうだね。フレンド登録だけ済ませて、とりあえずこの森の探索でもしようか」

 

 流れるような手つきでメニューを操作した先輩たちから、フレンド申請が届く。Yesのボタンを押した先の画面に映るのは、《茜》レベル5、そして《ユウ》レベル9という表示。

 

「レベル差、すごくないですか。三倍なんですけど」

「ふふーん。私は元ハンターかつβテスターなんだよ? これくらいは朝飯前! ……といっても、IFの知識はほとんど役に立ってないんだけどねー」

「むしろボクは、キミがレベルを二つも上げていたことに驚いたよ。帰ってから合流するまでの短時間で、よく稼げたね」

 

 ウインドウを閉じて、四人で森の中へ歩き始める。先輩が前で、エルが後ろ。間に俺とユウさんが並んで、少し歪んだ四角形の出来上がりだ。

 

「エルのおかげです。バディの経験値を増加させるスキルを持ってるんですよ。あと純粋に強くて、戦ってたモンスターが一瞬で溶けました」

「グレーラットとブラウンモンキーを、二匹ずつ。マスターが倒した全モンスターです」

「その数でレベル3か〜。じゃあもしエルちゃんが私のバディだったら、今頃は15くらいまで上がってたのかも。ちょっと悔しくなってきた」

 

 少し前に猿どもと交戦したあたりをあっという間に通り過ぎて、どんどん奥へ進んでいく。始まりの街のすぐ近くにある森だからだろうか。モンスターの湧きは、あまり多くないらしい。

 

「そうだ、二人のビルド聞いてもいいですか? 俺、まだ全くステ振りしてなくて。レベル的にもβ的にも、参考にしたいんです」

「ボクはDex(技量)Agi(俊敏さ)メインで、少しVit(生命力)も上げてる感じ。それぞれ攻撃力と機動力、そして保険の耐久力だね。攻撃は受けるより避ける派だから」

「先に言っておくけど、私のは多分参考にならないと思うよ。何故ならこのユウ、武闘派ヴァイオリニストとしてStr(筋力)とDexを上げておりますので!」

「えっ」

 

 驚きの声が抑えられなかった。というか、隠す気もあまりなかった。まさか小柄なその身に背負ったヴァイオリンが武器だとは、俺でなくとも思うまい。

 いや確かに、言われてみればそうなのだ。ケースにも入れず実体化させて背負っているなら、普通は武器だと…………思えるか? やっぱり無理な気がする。

 

「マスターにお教えしましょう。ユウさんの持っているヴァイオリン、カテゴリーは打撃武器です。武器種は楽器、固有能力として良い音が鳴ります。そういうギフトです。ご理解いただけましたか?」

「いや、まあ……うん、覚えてるよ? 確かにあった。ギフトの中に、ヴァイオリンがさ。でも純粋な楽器だと思うじゃん。武器だとは思わないじゃん? 武器種が楽器って、何……?」

「ふふっ、混乱してるクロトくん、かわいいね」

「久しぶりに聞いた気がするよ、キミのそういう口調。……そうだ、せっかく一緒にゲームをしているんだし、これからは砕けた口調で話してほしいな。いわゆるタメ口ってやつ」

「あ、私も! そのほうが仲良くなれそうだもん!」

「え? ああ、はい。二人がそう言うなら努力するけど、ちょっと恥ずかしいな……」

 

 俺の中にある固定観念(じょうしき)の形が、大きく変えられてしまった。もしかしたらリアルでも、ヴァイオリンを見る度にこのことを思い出すかもしれない。

 それにしても、良い音が鳴る打撃武器、か……。いっそ俺も探してみようかな。タンバリンとかカスタネットくらいなら扱えそうだし。

 

「ビルドの話に戻すけど、《見切り》のスキルヒントを獲得した……ってのは、さっきエルが言ったか。ジャストガードとかパリィとか、そういうスキルがIFで好きだったからIFOでも使いたくて」

「分かる! ジャスガマシンの()()とか、頼もしかったし」

「?」

 

 振り向いた先輩が首を傾げる。さらさらと音を立てた髪が木漏れ日を反射して、綺麗だった。

 

「茜先輩じゃなくて、IFの登場人物の話かな。最初からいる仲間で、戦闘時の役割がいわゆる回避盾なんだけど……育てていくと、なぜか回避を全くせずにジャストガードばかりするっていう謎性能のキャラ。……のことだよね、ユウさん」

「そうだよ。そして私の推しの一人! ごめん茜ちゃん、ちょっと紛らわしかったね」

「ううん、大丈夫。クロトが反応した瞬間に分かったよ」

「それで、二人はどう思う? そういうプレイスタイルで行くなら、どういうステ振りがいいか。あとβ的に、ジャスガとかパリィはどんな感じかとか。……いやそもそも、どっちもありますよね?」

「んー、どうだっけ? ガードはスキル不要の基本アクションだけど、ジャスト判定は分かんないや」

「あったと思うけど、自信ないな。回避しかしないから」

「槍もヴァイオリンも、そんなにガードする武器じゃなさそうだしな……それもそうか」

 

 一応は全ての武器種がガード可能なはずだが、それと実用的であるかはまた別の話だ。ガードの強度を上回る攻撃は受けられないし、その強度は武器種とステータスに依存して決まる。例えば先輩があの細い槍でガードを狙ったところで、直に受けるよりはマシ程度の軽減しかできないだろう。滅多に使わないアクションであれば、知らないのも当然といえる。

 

「マスター・クロト。私由来の知識でよければ、その問いにお答えできますが」

 

 一度断った前例があるからか、きちんと前置きをしながらエルが手を挙げる。前回は謎解きのようなものだから自分で解くと言ったが、今回は聞いたほうがいいだろう。きっとエルが持つ知識も含めて、ギフトなのだから。

 

「ああ、教えてほしい」

「かしこまりました。まずガードのジャスト判定ですが、必要なパッシブスキルを持っていなければカット率にはあまり影響しません。これは盾を含め、どの装備にも共通する仕様です。そしてパリィは、一部装備にのみ対応するアクティブスキルとして実装されています。大盾を除く各種盾や短剣、刀などが主な効果対象です。ジャストガードを主体とする場合はStr、パリィであればDexを上昇させることで快適な戦闘ができるでしょう。どちらも刀剣類を扱うのであれば重要なステータスですから、今のところは均等に上げればよろしいかと」

「これがエルちゃんの叡智……!」

「ありがとう、エル。やりたいスタイル、なんとなく決まったよ」

「お役に立てたのなら幸いです」

 

 指を動かしてメニューを呼び出し、ステータス画面を開く。ここまでにレベルアップした回数は二回だけ。ステータスの上がり幅は、まだまだ小さい。だが、その差が戦闘に及ぼす影響は小さくないはずだ。

 今ある全てのポイントをStrとDexへ均等に振って、メニューを閉じた。

 

「あ、ちょっと軽くなったかも」

「振り終わったね? ちょうどよく、モンスターがお出ましだよ」

「グルルル……」

 

 低く唸る狼たちが、左右から二匹ずつ現れた。真っ赤なカーソルを浮かべて、こちらを睨みつけている。

 

「《アッシュウルフ》の群れ? 私でやっと同格だよ。気をつけて」

「βだと、もっと前線にしかいなかったんだけどね」

 

 レベル9のユウさんで同格ということは、その半分ほどである先輩……ましてや俺からすると、集中が必要な格上だ。

 能動的な攻撃がしづらいエルを含めたうえで並ぶ頭数のことも考えると、少し危ない状況かもしれない。

 

「バウッ!」

 

 統制の取れた動きでこちらの様子を窺っていたアッシュウルフ。そのうちの一匹が、俊敏なステップを交えながら先輩に向けて飛びかかった。鋭い牙が、ぎらりと光る。

 

「《スラスト》」

 

 捻りを加えて突き出される、白銀の槍。ネオンブルーの軌跡を描いた穂先が、剥き出された牙とぶつかった。

 攻撃をより強い攻撃に潰されたことで狼がダウンする。激突の衝撃を上手い具合に流したらしい先輩が追撃を試みるが、次なる個体が割って入ったことで仕切り直しのような形になった。

 

「この手応え……アーツ無しで打ち合うのはやめたほうがよさそうだ。ユウ、攻撃は頼んだよ」

「りょーかいっ!」

 

 本人は戦闘力に自信がないと言っていたが、ステータス的な面で言えば今確実にそれがあるのはユウさんだけだ。俺たちはアッシュウルフの連携を乱し、隙を作ることに専念したほうがいい……先輩からのそんな目配せに頷きを返し、前へ出て剣を構える。

 

「エル、ここは一旦任せてくれ」

「はい。見守っておきましょう」

 

 数的不利をわざわざ被ることになるが、恐らく彼女はこのモンスターに対して極めて相性が良い。攻撃の対処に伴ってアーツが自動発動されるという性質上、防御は容易だが攻めづらいというアッシュウルフはカモだ。

 俺は、この戦いを楽しみたい。初めて先輩と共に遊ぶVRゲームで、初めて共に挑む戦い。色々な面で先輩のほうが強いと分かっているから、俺が埋めるべき差を肌で感じたかった。

 

「それもまた、私の使命ですから」

 

 

 倒れていたもの以外の三匹が、吠える。重なりあって、二度、三度。耳を塞ぐほどの音ではないが、先刻の猿よりも断然、威嚇としての圧は強い。

 

(あくまでも、目的は隙を作ることだ。欲張るなよ、俺)

 

 攻撃にアーツを合わせれば、確実に隙は作れる。先輩がやったように。だが、先輩がやった通りにはいかない。俺はあんな風に、衝撃を流して自分の隙を消すことはできない。そこを向こうの追撃に突かれれば、先輩やユウさんの負担を増やすことになる。

 だから、俺は別の方法を選ぶことにした。

 

「俺が引き受けます。先輩は援護を!」

 

 一番小柄な個体が、先ほどの焼き直しのように飛びかかってくる。やはり俊敏だ。今からアーツを発動させられるような余裕はない。

 だがそんなつもりも、毛頭ない。

 刺々しく並んだ、上下の牙。それを確かに見据えて、噛みつきの軌道を予測する。相手は跳躍中だ。以後の動きは、そう簡単に変えられないはず。

 

「……ッ!」

 

 最大限引きつけてから、右足を動かしてほんの少しだけ後ろに下がる。

 俺の肩部があった場所で赤銅の刀身を構え、牙と噛み合うように差し込んだ。

 

「グラァッ!」

「任せて。《スラスト》ッ!」

 

 さっきと同じだ。二匹目が、援護のために距離を詰めてきた。ジグザグのステップを挟んでから、首元を狙っての跳躍。

 その横っ腹に、ネオンブルーの螺旋が突き立った。

 

「こっち、も!」

「キャンッ!」

 

 墜落した二匹目に向けて、剣で抑えていた一匹目を叩きつける。小柄な個体とはいえ、数十キロはあるだろう。それを振り回せたのは、やはりステータスアップの恩恵だろうか。

 

「まとめて、ドーン!」

 

 ペグのあたりを両手で握り、ヴァイオリンがヴァイオリンらしからぬ用途で真っ直ぐ振り下ろされる。

 そして、殴打によるものとはとても思えないヒットSEが奏でられた。

 

 


 

 

「よしっ、レベルアップ! 一足お先に、駆け出し卒業です!」

 

 無事にアッシュウルフの群れを撃破したことで獲得した経験値は、俺たちのレベルを少しずつ上昇させた。上がり幅は最も低レベルだった俺が2、先輩たちが1で、それによってユウさんはレベル10へ到達した。

 

「まあ、何か変わるっていうわけじゃ……あれ、通知?」

「ん、ボクたちにも来てるね」

 

 各々ドロップした素材を確認したり、獲得したステータスポイントを振り分けたりしている最中に、同じタイミングで何かの通知を受信した。イベント告知のようだ。

 

『アウローラ付近で、大規模な時空の歪みが確認されました。戦闘能力を持つ航り人、並びにハンターは速やかに集合してください』

 

「あっ、公式SNSも動いてるよ」

 

 ユウさんの言葉を聞いて、アプリを起動する。ゲーム内で届いたものとは別の視点から、この件を告知しているようだ。

 

「歪みが限界を迎えるのは十七時頃、ね。三十分後……少し急じゃない?」

「初日ならそんなもんじゃないですか? 俺たちは試験でしたけど、今日は一応土曜ですし」

「……そういえば、戻ってるよ。クロト」

「あ」

 

 指摘されてようやく、いつも通りの口調に戻っていることを自覚した。

 思い返してみれば、戦闘に入ったときからそうだったような気がする。やはり慣れというものは、無意識に出てしまうようだ。

 

「やっぱまだ慣れないな」

「まあそれこそ初日だからね。ゆっくり慣れていこうよ。……さて、とりあえずは街に戻るという方向でいいかな?」

「異論なーし」

「同じく」

「マスターに従います」

 

 そうして、道を引き返す。繁る枝葉から垣間見える空は、心なしか曇り始めているように見えた。




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