勇者の道も一歩から (檸檬ソーダ)
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はじめの一歩
日常が壊れるのは突然だった。
「逃げなさい、〇〇!!。速く!!!」
あたり一帯を包み込む豪炎に、自分を呼ぶ母さんの声。次の瞬間には、崩れてきた瓦礫に分断され、母さんの声が聞こえるだけとなった。瓦礫の向こうで、先ほどまで追ってきていた魔族が母さんのことを見つけたのだろう。母さんの悲鳴と、バケツの水をひっくり返したときみたいな水の音がした。周りから聞こえる悲鳴や爆発音、その中で聞こえる、母さんの弱っていく息遣いを、僕は座り込んで、ただ聞くことしかできなかった。握りしめた手はぶるぶると震え、汗がにじんでいた。
ーーー
目が覚めたとき、布団は汗で湿っていた。パジャマが肌に張り付いて気持ちが悪い。見ていた夢の内容も含めて、最低最悪の気分だ。
体をベッドから起こすと、目じりにたまっていた涙が頬を流れていくのがわかった。感情の整理をする中で、水浴びしてから訓練に行かなきゃとか、水分を取らなきゃとか、やらなきゃいけないことに目を向け始める。
この夢を見るのも初めてじゃない。この気分になるのも初めてじゃない。だから、こういう時どうすれば気持ちが楽になるか、なんとなくわかるようになっていた。
こうして僕はいつものように感情に蓋をする。目を向けないように、悲しくならないように。
あの日、救助に駆け付けた騎士団が、瓦礫のそばでうずくまる僕を見つけて保護したのは、夜が明けて、魔族の軍隊が撤退した後だった。父さんは、非難する途中で魔族に襲われた時、僕と母さんをかばって死んでしまった。残った家族は兄さんだけだったので、僕は孤児院に預けられることになった。その三年後、十二歳になると同時に、以前に騎士訓練学校に通っていた兄さん同様、訓練学校の宿舎に入ることとなった。
騎士訓練学校とは、騎士を志す者たちが集まる学校のことで、僕みたいに身寄りがないことを理由に入学する子供たちは少なからずいた。騎士となり、命を懸けることを条件とした生活。そうすることでしか生きていけないことは確かで、気分がいい事でもなかったけど、何かを選べる立場でもなかった。
そんな生活の中で希望を持つことは難しかったのだろう。同じ境遇の子供たちの多くは、自分の境遇に絶望し、俗な言い方をするのなら、彼らの目は死んでいた。
でも、兄さんだけは違った。四つ上の兄であり、両親を失ったときすでに訓練学校にいた兄さんは、両親が殺された事件の後、より一層訓練に励み、三年の訓練期間を終え、正式に騎士団に入ってからは、短期間で数々の功績を残し、騎士になってからわずか四年で騎士団のナンバー2である副団長の座についている。
兄さんがいたから、訓練学校に入ってからの三年間。僕も前を向くことができた。兄のようになるために、兄に負けないように。
騎士団の仕事で忙しいだろうに、僕の訓練に付き合ってくれたりもした。そのたびに、僕は自分の胸の内を話した。僕の兄は偉大だと、そして僕もそんな兄のようになるんだと。
でもなぜか、その時の兄さんはいつも悲しそうな顔をする。優しい手で僕の頭をなでながら
「俺もお前も、ほんとは何を目指したんだろうな」
その時の言葉の意味を、僕はずっと考えてた。僕のしたかったこと。そして、兄さんのしたかったこと。
僕が目指したものは、正直よくわからない。でも、兄さんが目指したものは、はじめから騎士じゃなかったんだろうか。子供のころよく言っていた、強くて優しい騎士。兄さんはもう、それを目指してはないんだろうか。
聞くのが怖くてその時は聞けなかった。兄さんが副団長の座についてからは、会うこともなくってしまったけど。
今の兄さんが目指してるものは、僕の目指した、兄さんの目指した、強くて優しい騎士じゃないんだろうか。
悩みながらも僕はまだ、兄さんの背中を追っている。
ーーー
訓練学校の卒業試験日当日。今日という日に、あの日の夢の見たことに何か運命めいたものを感じる。自分の運命を変えた日、生きる道を変えた日。それらが明確になったことで、目の前のことに、より集中できるような気がする。
試験は、訓練生同士の戦闘によって行われていく。刃がつぶされているとはいえ、一対一の戦闘。それによって戦闘能力を測定し、基準に満たなかったものはもう一年訓練を続ける運びとなっている。
刻一刻と、自分の試験の時間に近づいていく。自身の短剣を使ったウォームアップを終え、既定の場所へと向かう。待機場所で目を瞑り、集中を高めていく。
今から行うのは試験で、騎士団に入るための過程でしかない。
しかし、それと同時に目標に近づくために避けては通れぬ一歩であり、兄が乗り越えた道でもある。
「見ていてくれよ、キョウヤ兄さん」
係員の合図とともに、控えていた一室から出て、試験を行う訓練場に出る。
訓練場は、アリーナのような作りになっていて、観客席には、他の訓練生、一般の民衆による観客で一杯になっている。その中には騎士団の甲冑を着た者たちもおり、その目は新しく仲間になるであろう訓練生たちを見定めているようだ。
そんなことを考えていると、拡声器を使った実況の声が響き始める。
「西門から現れるは、頑強な身体に、大剣を携え、シンプルゆえに強力な<スキル>を持つこの男、ロン・ハウンド!!!」
その声を受けながら自分のいるゲートと反対から出てくる人物は、僕も知っている人だった。ロン・ハウンド。ハウンド家という代々騎士を輩出してる一家の息子で、ハイレベルなパワータイプ。クラスにおいても、強力なスキルである<剛力>を持つクラス。僕が知っている同期の中でも数少ない一人だ。座学も優秀で、いわゆるエリートって感じ。しかし、それでいて人当たりもいい。僕はあまり周りとうまくなじめないタイプだったけど、そんな僕にも気さくに話しかけ、訓練もたまに一緒にしていた。頼れる兄貴分って感じであった。
そんないつもだったら頼れる存在が、今回ばかりは言ってしまえば敵である。殺しあうわけじゃないが、強敵であることは確か。油断なんかは全くできそうにない。
「東門から現れるは、小柄ながら、その身のこなしを生かし敵を翻弄する戦士!あの騎士団副団長の実の弟!サジ・ラインハルト!!!」
歓声を受けながらゲートを出ると、周りの視線が僕に集まり、気が遠くなるような感覚を覚える。逃げ出したくなる気持ちを押さえながら、ゆっくりと、しかし大きく足を前へと踏み出す。止まってなんかいられない。
「見ていてくれよ、父さん、母さん。」
これは僕が目指す道のほんの始まりの一歩に過ぎないんだから。
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