悪の組織の雑用係 悪いなクソガキ。忙しくて分からせている暇はねぇ (黒月天星)
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第一部
雑用係と幹部候補生
こちらは以前書いたほぼ同名短編の連載版です。一話目はそちらと同じなので、既読の方はそう言えばこんなのがあったと思い出して頂ければ。
悪の組織。そう聞いて何を思い浮かべる?
メジャーな所で言ったら人間を改造して世界征服を狙う集団とか、邪神的な何かを呼び出して世界をぶっ壊そうとする集団とかそんな所だろう。まあ俺の所属する所はどっちかと言うと前者だな。
「……はぁ……はぁ。手こずらせやがって」
俺はケン・タチバナ。しがない悪の組織の一員だ。
今日も今日とて俺は厄介な敵と戦っていた。ようやく袋小路に追い込んだが、奴め俺の動きを見て隙を探していやがる。
いつもならあと一歩の所で逃げられるのだが、
「だが、お前との戦いも今日これまでだ。俺には秘密兵器があるからな」
兵器課の奴に無理言って作ってもらった物を懐から取り出すと、そいつもいよいよ慌てだした。なりふり構わず俺の方に突撃して活路を開こうとするが、逃がしはしない。
「これで終わりだ。くたばりやがれぇっ!」
俺は必殺の超強力殺虫剤を黒光りするGに浴びせかけた。
悪の組織と言っても所属する全員が戦闘員って訳じゃない。武器弾薬を造ったり調達する奴も居れば、アジトの整備をする技術者やメシを作る奴だっている。
これはそんな組織の中で働く
「……ハ、ハハハハ! 圧倒的じゃないかこのスプレーは!」
俺は一吹きで動かなくなったGを見て高笑いを挙げる。流石は兵器課特製殺虫剤。そこらの店で売ってる奴とは威力がダンチよ。
こいつら悪の組織にいるGだけあって、従来のGとは比較にならん生命力を持っているからな。並の殺虫剤では動きを止める事も難しい。バ〇サン焚いた中で平然としていた時はどうしようかと思ったが、これでまた戦える。
動かなくなったGを素早く紙に包んで封印。近くにもう居ないことを確認し、次の仕事に向かうべく振り返ると、
「クスクス。相変わらず地味~な事やってるねオジサン」
「げっ!? お前かよクソガキ」
そこに居たのは薄い水色の髪をツインテールにして壁に寄りかかる生意気なクソガキ……失礼。美少女だ。
こいつの名はネル。小学生のガキのような見た目だが、これでも本部の幹部候補生。つまり将来有望なエリート様だ。ネルは愛用の棒付きキャンディーをペロペロ舐めながらこちらを見て笑っている。
このクソガキ。何故かは知らんがちょこちょここちらに絡んでくるから困る。
「さっすが邪因子適性最低ランク。こ~んな仕事しかできないなんてカワイソカワイソ」
「へいへい。地味な上に最低ランクで悪ぅございましたね」
組織のメンバーは皆、邪因子という細胞を身体に持っている。これは組織に入ってから投与される奴も居れば、身体に入ったから組織に入る奴も居るな。
邪因子は首領の細胞をベースに造られたものらしく、宿主の肉体を急激に強化する。強化倍率は……そうだな。一般人が本気のパンチでコンクリの壁を砕けるくらいにはなるか。手が痛くなるが。
ちなみにこれは平均ランクの話。邪因子の量や活性率、素体によってはもっと跳ね上がる。一定以上になると怪人化なんてものが出来るようになる奴も居るな。
ただそう旨い話はなく、量が多ければ多い程、活性化すればするほど首領に逆らえなくなる。以前上級幹部に話を聞く機会があったが、首領を見たり声を聴くだけで幸せな気持ちになって逆らう気が無くなるとか。洗脳かな?
簡単に言えば邪因子とは
そして組織はごく一部の例外を除いて完全な実力主義。邪因子の適性次第では、こんな性格最悪のクソガキだろうが幹部候補生だ。
「ぷぷっ! だ・け・ど、このいずれ幹部になるネル様は優しいから、そんなダメダメなオジサンにも手を差し伸べてあげるのでした! 土下座して頭を下げるなら、幹部になった暁にはあたし専用の下僕に取り立ててあげるよ!」
実にクソガキらしい舐めた言い分だ。ここは一度大人としてそういった所を正してやるべきか。……だが、
「遠慮しとく。ほらどいたどいた!」
「……ちょっ!?」
俺はクソガキの誘いを華麗にスルーし次の仕事に向かう。
「ちょっと待ってよ!? あたし専用だよ嬉しいでしょ? ……嬉しくないの?」
「お前さんみたいなクソガキの下についたら胃に穴が空きかねんだろ。ただでさえ仕事が山積みなんだから邪魔すんな」
憤慨して追っかけてくるクソガキに、俺はシッシと手を振ってやる。
以前掃除中に視察とかでやって来て、嗤いながらわざと水の入ったバケツをひっくり返しやがった事は忘れんからな。あと舐め終わったキャンディーの棒をよくそこらにポイ捨てしている事も。
……そう言えばそれらを注意してからだったか? こうして絡んでくるようになったのは。逆恨みとは実に情けない。いずれそこらへんも含めて分からせてやるべきかもしれん。暇になったら。
「あたし幹部候補生なのよっ! 雑用係のオジサンなんかよりず~っと偉いんだから! 力だってあたしが本気出したらオジサンもイチコロだよ!」
「偉かろうが強かろうが何だろうが、俺にとっちゃお前はただのクソガキだよ。悔しかったら実力よりも性格直してから出直しな」
「ムキ~っ!」
なんか後ろで地団駄踏んでるが気にしない。こっちは忙しいんだ。自慢するのはよそでやってな。
雑用係の仕事は多岐に渡る。
「助かったぜケン! やっぱ月に一度はお前に頼まないとすぐにごちゃってなっちまう」
「トム。お前普段からずぼらなんだよ。もっと普段からマメに掃除しろ! この戦闘服なんか最後に洗ったのいつだ? カビ生えてんぞっ! 同室のアランが気の毒だろうが」
ある時は同僚の部屋の掃除の手伝い。
「ありがとうよケン。お礼に明日のメニューはケンの分は特盛にしといてあげるよ」
「ちょっと晩飯の仕込みを手伝っただけで大げさだなオバチャン。だがありがとよ。じゃあ明日は楽しみにしてる」
ある時は厨房の仕込みの手伝い。
「すみませんケンさん。本来なら整備班の仕事なんですが」
「丁度同じタイミングで本部からの機材導入があっちゃ仕方ないさ。千切れた配線の修理くらいなら俺でも出来るからな。それより見づらいからもう少しライトの光を当ててくれ」
またある時は壊れた電灯の修理等だ。
邪因子の適性が無い俺だが、こういうこまごまとした仕事なら得意技だ。さて、次はっと……。
「へぇ~。雑用係って意外と忙しいんだねぇ。あたしはてっきりやる事ない人がぼ~っと窓際の席に座って日がな一日過ごすだけの係かと思ってたよ」
また来たよこのクソガキ。今度は壁の手すりに器用に足を組んで座っている。ただ、
「そりゃあ一つ賢くなって良かったな。それと……パンツ見えてんぞ」
一応防刃防弾耐火耐水その他諸々付いてはいるらしいが、それでも悪の組織なのに下はスカートって舐めてんのかっ! 見た目がアレなんで一応老婆心から忠告してやる。だというのに、
「え~っ!? オジサ~ン。いくらあたしが可愛いからってこ~んな小さい子のパンツに興味あるの? ふふんっ! このロリコンヘンタイオジサン!」
ネルはわざとらしくスカートを押さえ、そのまま見せつけるように足を組み替えてみせる。
おのれこのクソガキ。完全に舐めとるな。だがこういう手合いの対処法ぐらい知っているのが大人というものよ。即ち、
「はいはい。ロリコンでヘンタイでも良いから、さっさと手すりから降りてスカート直して回れ右しな」
はっはっは。奴め。この対応は気に入らなかったのか頬を膨らませているな。
「というか毎度毎度。よく俺の所まで来る暇があるな。本部からここまで割と手間だし、幹部候補生なら訓練なりなんなりあるだろうに」
「……あたしくらい優秀な幹部候補生になると、訓練なんてすぐに終わっちゃうんだよ」
俺が呆れながらそう言うと、一瞬の間の後ネルはそう言ってクスクス笑う。
将来の幹部に必要な事。個人の邪因子適性は当然として、部下を率いる統率力や作戦立案力、その他諸々の事を本部で訓練するのが幹部候補生だ。
一般の戦闘員から徐々に実力をつけて幹部候補生になるのが普通だが、稀にそういう段階をすっ飛ばして
「訓練が終わったんなら明日の分の準備でもしてな。それか……」
“仲の良い友達とでも遊べ”と言おうとして、組織にこいつと同年代の奴はそう居ない事に思い当たる。ちょっとデリケートな話題になるかもしれん。
「それか?」
「あ~……じゃあさっさと帰んな。自主練とか色々あるだろ?」
「……分かったよ」
どこかつまらなさそうにクソガキは渋々頷き、腰のホルダーから棒付きキャンディーを取り出してそのまま去っていく。
……なんか悪い事をした気がするな。なので、
「おい! やる事全部やってどうしても暇になったら……また来ても良いぞ。俺の仕事を手伝わせてやるから」
それは本当に何となく出た言葉。ついでに大人として子供に色々世間の厳しさを分からせてやろうと思っての言葉。
そして奴は振り返ると、
「ヤ~ダよ! そんな雑用なんて幹部候補生のあたしのやる事じゃないもの」
キャンディーを口に咥えながら、そう笑って言ったのだ。
やっぱ腹立つあのクソガキ!
如何だったでしょうか? 次話は今日中にあげる予定です。もう少々お待ちを。
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ネル 忘れ行くその優しさに焦がれて
ネル視点です。
◇◆◇◆◇◆
「ぐああああっ!?」
「そこまでっ! 勝者。ネル・プロティ」
「……はぁ。ヨッワ。自分の半分も生きてない子供にあっさりやられちゃって恥ずかしくないの?」
審判の終了の合図と共に、あたしは無様に吹き飛ばされて地を這う対戦相手に棒付きのキャンディーを手で弄びながらそう嗤いかける。
「この……クソガキ……がはっ!?」
「クソガキねぇ。まあ良いけど。だけどオジサン。そのクソガキに負けたのが自分だって分かってる? こんな弱くて幹部候補生なんてよく名乗ってられるよね?」
相手の……名前なんだっけ? 忘れちゃったけど別にいいや。ひげもじゃのオジサンはこちらを恨めしそうに見て、そのまま白目を剥いて気絶した。
「おい。見ろよ。またネルだぜ」
「ああ。アイツか。毎回訓練相手を半殺しにしてるっていうあの」
「なんであんなガキが幹部候補生なんだよ……急に現れた素性も碌に分からないガキだってのに」
「しょうがねえだろ。邪因子の適性は間違いなくスゲエし、うちは完全な実力主義だ。……でも、やっぱりあんなのに上に居られちゃ納得いかねえよな」
またか。周囲からぼそぼそと陰口が聞こえてくる。あたしがその方をチラリと見ると、それだけで陰口が止みこちらを窺うように見てくる奴らだ。それと、
「いやあ流石流石! ネル様にかかればこのくらいチョチョイのチョイですよね! まったく羨ましい」
「こちらタオルですネル様。どうぞ! いやホントにお強い。これなら幹部もすぐですよすぐ!」
「うん。ありがと」
媚びへつらう様にあたしにタオルを渡してくる奴ら。勝手にあたしの部下を名乗り、あちこちで格下相手に威張り散らしているらしい。……どうでも良いけど。形だけは礼を言っておく。
あたしの周りはこんな奴ばかり。上は越えるべき壁だし、同格は虎視眈々と相手が不利になる粗を探している。下も媚び諂って良い思いをしようとする奴か、他の奴についてこちらを邪魔してくる奴らだ。
「……つまんないな」
「はい? 何か言いましたか?」
「なんでもな~い」
私はキャンディーを咥えなおし、なんとなくそう呟いた。
「ネル様。本日もご足労頂き感謝いたします」
「……別に。ほらっ! さっさとしよ」
あたしは慣れた手つきで服を脱ぎ……そのまま簡素な患者着に着替える。ここは本部の研究施設の一つ。目の前に居る白衣の男はお父様の部下の一人だ。
数日に一度、あたしはここで身体の調子を計測される。身長・体重といった事から、邪因子の量や活性化率、身体能力の強化具合なんかもだ。
身体中に電極を取り付け、些細な変化も見逃さないように白衣の男も真剣だ。
「では一度、身体の邪因子を全力で活性化させてみてください」
「全力ね……分かったわ」
身体の中にある細胞。そこに意識を集中する感覚。そして一度意識した細胞が全身に拡がっていき、僅かに鼓動が速く、身体が熱くなっていき……。
「はいそこまで。素晴らしい数値ですよネル様! 前より格段に上がり、他の幹部候補生とは一線を画しています」
「……あっそ」
白衣の男は喜んでいるけれど、他の幹部候補生より上なんて当然の事を言われてもあまり嬉しくない。あたしの目指しているのは
その後もいつもの検査が続いた。身体検査、血液検査、
「良い調子です! これならあの方もきっとお喜びになりますよ!」
身体に邪因子を追加投入する時はとても痛いけど、もっと強くなって幹部になれるのなら、そして……お父様の手伝いが出来るのなら我慢する。
大丈夫。
「聞いてくださいお父様! 今日もあたしは対戦相手から一撃も貰わずに倒したんですよ!」
『……そうか』
今日は七日に一度の定期報告の日。あたしは自室でお父様と通信機越しに話をしていた。
お父様は凄い人だ。この組織……リーチャーに六人しか居ない上級幹部の一人で、組織内にも多くの部下を抱えている。
そして幾つもの国を侵略してきた実績もあり、首領様からもとても頼りにされている人だ。
だけどお父様とあたしの関係は秘密にされている。これはあたしが親の七光りではなく、実力で昇進する為に必要な処置なのだという。やはりお父様の考えはとても深い。
「少し前の邪因子適性検査でも、前に比べてさらに増加しているって言われたんですよ!他の幹部候補生とは一線を画していると」
『らしいな。聞いている』
そしてとても優しい。小さい頃から一緒に居てくれる、あたしの尊敬するお父様。いつも優しい笑顔を向けてくれて、あたしを撫でながら褒めてくれるお父様。なのに、
「それで……お父様。次の定期報告なのですが、次は直接あたしがお父様の屋敷に」
『いや。それには及ばぬ。連絡だけなら今まで通り通信機越しで良かろう』
最近は直接会う事も少なくなった。笑顔を最後に見たのも、その手に触れたのも……いつだったろうか? 思い出せない。
「お父様。あたし……あたしっ! お父様のお役に立ちたいんですっ! もっと邪因子を高めて、幹部になって、お父様のお手伝いがしたいんですっ! だからっ!」
『……次もまた七日後だ。ではな』
その言葉を最後に通信は切れる。あたしは真っ暗になった通信機の画面をしばらく眺め、
バキッ!
いつの間にか、通信機を握り潰していた。またやっちゃった。次の物を用意してもらわなくちゃ。
「ほらほらっ! こっちこっち!」
「このっ! このぉっ! ちくしょうっ! 何で当たらねえっ!」
わざと訓練の時相手を怒らせて、禁止されている邪因子による怪人化をさせてその攻撃を躱す遊びをしてみたけれど、慣れてしまえばどれも紙一重で躱せるようになった。
あとで相手の人がこってり絞られていたけど……どうでも良いか。
ああ。つまらない。
「クビっ!? な、なんで」
「何でも何も、う~ん……気分で?」
あたしの名を使って色々やってた取り巻きに「明日から着いてこなくて良いからね」と言ったら、なんかブツブツ言って顔が青ざめてた。これまで威張ってたどこかの誰かに仕返しされるのが急に怖くなったのかもしれない。
実際その二人はしばらく肩身の狭い思いをしたとかなんとか。仕返しされないように自分が強くなればよかったのに。これは……何となく気分でやってはみたけどあんまり楽しくなかった。
つまらない。つまらない。
お父様は今日もまた通信機越しの定期報告。お父様は首領様にも頼りにされているから、きっとそれでお忙しいのだろう。
だけど……それでも久しぶりに笑いかけてほしい。その手で撫でてほしい。よくやったってあたしを抱きしめてほしい。
でも、いつものように通信機は無常にその画面を閉じる。
つまらない。つまらない。つまらないっ!
あたしが雑用係のオジサンに初めて会ったのはそんな時の事だった。
如何だったでしょうか? 基本的に今作は、ケンとネルの視点が時々入れ替わります。まあその分作者の方の難易度が跳ね上がりますが。
次話は明日の予定ですが、それ以降は不定期更新となります。
こんな作品ではありますが、面白いと思っていただけたのならお気に入り、評価、感想などを頂戴したく思います。次回への活力及びランキングに繋がりますので。
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ネル 雑用係に説教される
という訳でまた投稿です。
「あ~やだやだ。どうしてあたしが支部の視察なんか」
自室で準備をしながら、明らかにつまらない仕事についそんな愚痴が口を突いて出る。
幹部候補生の訓練は多岐に渡るけど、その内の一つに支部を実際に見て回るというのがある。幹部級になると支部長として支部を任されることも多く、候補生の内にそういった業務に慣れておけという事だろう。
「しかもここ……第9支部って辺境も辺境、ド辺境じゃん! ここじゃ箔付けにもならないよ」
あたしは支部の参考資料を机の上に放り出す。
もう既に支部の総数が百を超える中、一桁台というのは本当に最初期に造られたものだ。とっくにその地域、さらに挙げれば
今では純粋に拠点維持や、何らかの生産施設の稼働の為に残っているだけのものだ。そんな所なので当然功績等も挙げようがなく、本部に近い重要拠点や今なお侵略中の前線とは違いいわば左遷地に近い。
そんな所に行けと言われてもやる気が出る筈もなく、あたしはなげやりな気分でベッドにダイブした。だけど、
「う~。これも幹部になる為。そしてお父様の役に立つ為。……よしっ!」
イヤイヤな気分を無理に引き上げながら、あたしは愛用のキャンディーをまた口に咥えた。
「ようこそ第9支部へ。支部長のジンだ」
「よろしく……お願いします」
着いたあたしが一応挨拶に行ったそこの支部長は、なんとなく岩みたいな印象を受ける人だった。こんな辺境の支部長だから大した奴じゃないと思っていたけど、そこらの戦闘員とは明らかに一線を画す迫力がある。……まあお父様には当然及ばないけどね。
「まあそう固くなるな。あくまで視察。資料で多少は知っていると思うが、好きに見ていくと良い。付き添いは必要か?」
「いえ。こっちも勝手に見て回りますから。失礼します」
あたしは一礼をしてさっさと部屋を出る。実際視察と言ってもそんなにやる事は無い。最低限見たという事実さえあれば終わる簡単な実習なのだ。
各部署のトップには既に話が行っていて、それぞれに足を運んで少し業務を見せてもらうだけで達成となる。
医務室なんか何故か煙草の煙が漂っていたから、担当医と一言話して一歩部屋に入ったらすぐ出てってやった。あんなとこ二度と行かない。
割と興味があって、一番長く居たのは兵器課。何故か一部の品だけ本部の兵器課と遜色ない……というより寧ろ本部より凄いんじゃないかって物が置かれていて少し気になったから。どれも戦闘用というより日常向けの道具ばかりだったけど。
という感じで大体見て回ってさて帰ろうとしたけれど、
「はぁ~。なんでこんなにゲートの数が少ないのっ!?」
あたしは辺境の交通の便の悪さを甘く見ていた。ここと本部のゲートは平均一日三往復。日によっては一日一往復しかない時もある程だ。他の支部は少なくとも一日五往復はするのに。
次の帰りのゲートが開くのはまだ先だ。支部の大まかな所は大体見たし、あとはどこで時間を潰せば良いのか。さっき証明用の書類を提出したから今さら支部長の所にもう一度顔を出すのも体裁が悪いし、もうこうなったら誰彼構わず喧嘩でも吹っ掛けてやろうか。そんな時、
「……ん~♪」
「あれは……」
偶々通路の少し先に、鼻歌を歌いながらモップで床を擦っている男が見えた。
少し茶色がかった黒髪の、ちょっと無精髭の生えた大柄なオジサン。青い上下の作業服を身に着け、時折横に置かれたバケツにモップを漬けて洗いながら、リズム良く床を磨く。それはどこか踊っているようにも見えて、僅かにだけど目を奪われた。
大した邪因子も感じないし、こんな所を一人掃除しているって事は多分下っ端だろう。そのまま少し観察をしていると、
「ん~……んっ!? 誰だこんなとこにガムを捨てた奴はっ!?」
男は通路の一部にへばりついたガムを発見し、ヘラのような物を取り出してガムを剥がしに駆け寄った。さっきまでのモップとバケツはわざわざ邪魔にならないよう壁際に避けて。それを見て、
「……クスクス。おっといけな~い!」
あたしは何の気もなく近づき、置かれていたバケツを蹴り飛ばした。バシャンと周りに少し黒ずんだ水が拡がる。
そう。これはただの暇潰し。あまりにつまらない事ばかりな上に、ゲートすらまともに通っていない辺境の支部へのちょっとしたイタズラ。
「あっ!? おいっ!? 何すんだそこのクソガキっ!? あ~もうまたやり直しかよ」
どうにかガムを削ぎ取った男が、音を聞きつけて慌てて戻ってくる。この状況を見れば犯人は一目瞭然。男はあたしに声を上げながらも、腰の袋から雑巾を取り出して床の水を拭き始める。そこへ、
「ゴメンオジサ~ン! うっかり足が当たっちゃって……いけない今度は手が」
「何? 痛っ!?」
あたしは上辺だけ謝りながら手を伸ばし、立てかけてあったモップを倒す。モップは倒れながらオジサンの頭に当たり、そのまま床にカランと転がった。
「お~の~れ~このクソガキ~!」
「クスクス。いや~ん。怖~い!」
片手に雑巾を持ったまま、男はもう片方の手で頭を擦りつつこっちに詰め寄ってくる。あたしは怖がっているフリをしながらからかう様にニヤッと笑う。
「良い齢したオジサンが、こ~んな小さな子に詰め寄るなんて恥ずかしくないの? や~い! 変質者! ロリコンオジサ~ン!」
「この……大人を舐め腐りやがって、素直に謝れば許してやろうと思ったがもう許さんっ! 来いっ! どこのクソガキか知らんがみっちり説教してやるっ!」
男は顔を真っ赤にしてこちらに手を伸ばす。その瞬間、
「……幹部候補生」
「何?」
「言わなかったっけ? あたし本部からこの支部を視察に来た幹部候補生なの」
手を止めた男に対し、あたしはわざと大げさににっこり笑ってみせる。
「オジサン大した邪因子もなさそうだし明らかに下っ端だよね。良いのかなぁ? あたしみたいな人に手を出して」
そう。一般の戦闘員なり研究員なりと幹部候補生では相当な差がある。実力も、地位も。
やろうと思えば今この瞬間、この男をズタボロのボロ雑巾みたいにして持っている雑巾の代わりに床を拭かせる事だって出来る。そうしないのはあくまでこれは暇潰しだから。
男はふるふると顔を伏せて震えている。自分が詰め寄ったのがはっきりと自分より格上なのが分かったのだろう。
あとはその引き攣った顔でも見れば、少しは暇潰しに……いや、気晴らしになるかもしれない。まあこういう事をして気が晴れるのはその時だけで、すぐにまたつまらなくなるのだけど。
あたしはそっと近づいて男の顔を見ようとして、
ペシッ!
「痛っ!? ……って、えっ!?」
男にチョップされた。一瞬訳も分からず呆然として、そのまま片手で頭を押さえる。
「な、何を……今の話聞いてなかったの? あたし幹部候補生だよ」
「バカ野郎。よく考えてみたらお前みたいなクソガキが幹部候補生な訳あるか。吐くならもっと上手いウソを吐け」
男はフンっと鼻を鳴らし、そのままガシッとあたしの服の襟を掴んで持ち上げた。こ、このあたしをネコか何かみたいにっ!?
「だ~から、あたしはホントに幹部候補生なんだってばっ!」
「まだ言うかこの野郎。……良いだろう。それも踏まえて大人としてみっちり説教してやるから覚悟しろっ!」
「ちょっ!? あんた何様のつもり?」
「ただの
その後部屋に連れ込まれて、こちらの話も聞かずにゲートの時間ギリギリまでメチャクチャ説教されてから送り帰された。
何なのあのオジサン腹立つっ!
という訳で最初の出会いはこんな感じでした。次話からは不定期更新になります。
面白いと思っていただけたのならお気に入り、評価、感想などを頂戴出来ると、作者のやる気が出て執筆スピードが跳ね上がりますのでどうぞよろしく!
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面倒なクソガキは黄色いアレで黙らせろ
俺の所属する悪の組織……通称リーチャーは、首領をトップとした縦割り社会だ。
目的は世界征服……いや、幾つかの星や並行世界までちょっかいを出しているからこの場合何と言うんだろうか? 宇宙征服? 多元世界征服?
しかし全ての部署がドンパチやってる訳でもなく、最前線や首領の居る本部とは違い俺の居るこの第9支部は辺境の地。割とのんびりしたものだ。なのだが、
「醤油ラーメン一つっ! メンママシマシでっ!」
「こっちはチャーハン二つ! あっ! 片方は大盛ね!」
「お~い! 日替わり定食まだ?」
何せ人間生きてりゃ腹が減る。おまけに戦闘員となれば実戦だろうが訓練だろうが肉体労働。身体が栄養を求めて腹を鳴らして抗議をし、それをよしよしと上手く宥めるには食事が要る。
さらに言えば邪因子の量や活性化率を上げる……つまりは怪人化でもしようものなら、より大量のカロリーを消費する。つまりは邪因子持ちは皆平均より健啖家な訳だ。
という訳で、
「はいよっ! 日替わり定食上がったよ! こっちはラーメンに取り掛かる。ケンはご飯を炒めとくれ!」
「任せとけオバチャン!」
俺は雑用係として絶賛鍋振り作業中である。
時刻は丁度昼時。
食堂には腹を減らした野郎共(女性もそれなりに)が列を成し、今か今かと順番を待っている。
「しっかしすまないねケン。急に手伝いを頼んじまって」
「な~にオバチャン。飯が食えないなんて一大事こそ、雑用係の出番って事さ! 本職には劣るがな」
俺達はそんな事を言い合いながらも互いに身体は料理を作り続けている。お喋りで腕が疎かになっちゃあマズいだろ?
今回の仕事は怪我をした料理人の代理。彼はタコ型怪人態の強みを生かし、八本の腕を器用に使って一度に数人分の仕事ができる腕利きだったが、厄介な事に
何があったか詳しく説明するのは省くが、ヒントを挙げるなら兵器課、新作、暴走、強制鎮圧といった所だろうか。
まあ何はともあれ料理人が一人減っては他の奴の負担が溜まる。という訳で俺に白羽の矢が立ったという話だ。
「あいよっ! チャーハン上がり! 持ってってくれ!」
また一人客が出来た品を持って席に向かう。よ~し次は、
「ようやく見つけたよオジサン!」
「んっ!?」
なんか聞き覚えのある声だと、鍋を振りながら振り向くと、
「……なんだこの前のクソガキか」
「覚えていたんだね。そう。オジサンに部屋に連れ込まれて散々
受付に居たのは、この前掃除中にいたずらをしやがったクソガキことネルだ。相変わらず小憎たらしい態度で棒付きキャンディーを咥えながらニヤニヤしている。
「まだ幹部候補生なんてこと言ってんのか。人騒がせな奴だ。あと人聞きが悪いな。あれは部屋に連れ込んで説教しただけだ」
「そう。大人として説教してやる~って部屋に連れ込まれて、こんな小さな子を分からせようとあ~んな事やこ~んな事を」
「だから誤解を招くような言い方を止めろってのっ!」
おのれこのクソガキめ。この前説教したのを根に持ってやがるな。
ざわざわ。ざわざわ。
「ケンさん。まさか少女にそんな事を」
「リアル分からせ……だと!?」
「……へぇ~。やるじゃん」
げっ!? なんか周囲の俺を見る目が微妙に変わったような……ってオバチャン!? さりげなく調理しながら予備のおたまを手元に持ってきて何する気だ? ぶっ叩く気か?
「え~いもぅ! とにかく早く注文を言え! そして番号札を持ってさっさと席に着けっ! 後ろの列が混んでんだろうがっ!?」
「ん~といっても、注文特にないんだけど」
なら何しに来たんだこのクソガキは? こちとら客を捌くので大忙しだってのに。
「じゃあさっさと列をズレな。次の奴が待ってんだから」
「良いよ。まだゲートの開く時間までは大分あるし、しばらく待っててあげる」
そう言うとネルは素直に一歩横にズレ、次の並んでいる客が前に出て注文していく。よ~し。それで良いんだ。
そのまま少しずつ客を捌いていく中、ネルは何をするでもなくじっと客達を……正確に言うと、客が持っていく料理を眺めていた。そして、
ぷっ!
「……!? こら! そこのクソガキ! 床にごみを捨てんじゃないっ!」
あまりに自然に咥えていたキャンディーの棒を吐き出して床にポイ捨てしやがったので、一瞬間が空いた後俺は僅かに手を止めて叱りつけた。ちゃんと隅にごみ箱があるだろうがまったく。
この調子で待ってる間退屈だからって散らかされたら掃除が面倒だ。仕方ない。
「ああもうっ! ちょっと待ってろ…………ほらっ!」
「何これ?」
俺がネルに手渡したのは、小さな皿に乗ったホカホカの湯気を立てる卵焼き。お子様用に砂糖もたっぷりでおやつにもなる特製の品だ!
「さっき客に出した分の余りで作った奴だ。そんなキャンディーばっかじゃ腹が減るぞ。俺に用があるならそんなとこに居るんじゃなくて、席でそれでも食って待ってろ」
「あたしは別に……あっ!? ……やっぱり貰うわ! ありがとうオジサ~ン!」
ネルは一瞬迷うと、何か思案した後ニヤッと笑って卵焼きを受け取り、そのまま席に歩いていった。
怪しい。どう考えても裏があるっぽいな。だがまあ食っている間くらいはおとなしくしてるだろう。その間に早いとここの飢えた腹の虫軍団を宥めすかしてやらないとな。
「……ふぅ。やっと大体終わったか」
何度フライパンや鍋、包丁やおたまを振るったか分からなくなる頃、ようやく受付に並んでいた列が途切れて手を休める余裕が出来た。
「お疲れさんケン! 今日は本当に助かったよ! この際雑用係でじゃなくて専属の料理人として来てくれないかい? アンタの料理はちゃんとメニューとして出せるからね」
「ハハッ! お世辞だろうが嬉しいね。だがまあやっぱりやめとくよ。俺の料理はどちらかと言えば趣味の範疇だしな」
オバチャンはこう誘ってくれるが、俺が自信を持って人前に出せるのは精々片手の指で数えられる程度。さっきの卵焼きもそのレパートリーの一つだと言えばどれだけしょぼいか分かるだろう。あとマシなのはチャーハンくらいだ。
それに俺が汗だくで疲れ切っているのに対し、オバチャンは軽く汗をかいたくらいでほとんど疲れていない。やはり俺には趣味で細々作るくらいが丁度良いのだろう。
そこでふとさっきのネルの事を思い出す。俺に何か用があったみたいだし、話くらいは聞いてやるとするか。
「お~い。クソガキ。待たせたな……って、何だ居ないのか。食ったらちゃんと片付けろよな」
さっきまでネルが座っていた席にはもう誰も居なかった。そこに置かれていたのは綺麗に卵焼きのなくなった皿。そして、
『また食べに来るね』
と書かれた備え付けのナフキンの上に、包み紙が巻かれた新品のキャンディーが残されていた。お礼のつもりかね?
「……ったく。俺が今回仕事したのは偶々だってのにな」
だが、またネルがやって来て、その時丁度厨房の手伝いでもしていたら……まあ自分の賄いのついでに卵焼きくらい作ってやっても良いかもな。
おやっ!? ナフキンの
『勿論これからも代金はオジサン持ちね! 寧ろ美少女のキャンディーと交換なんだもん。一生タダでも安いくらいだよね!』
前言撤回。もう作ってやんねえからなあのクソガキっ!
如何だったでしょうか?
ちなみに話の時系列は、基本第一話を除いて順々になっています。
この話までで面白いとか良かったとか思ってくれる読者様。完結していないからと評価を保留されている読者様。
お気に入りや評価、感想は作家のエネルギー源です。ここぞとばかりに投入していただけるともうやる気がモリモリ湧いてきますので何卒、何卒よろしく!
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ネル 黄色いアレに泣かされる
という訳で何とかまた今日も投稿です!
◇◆◇◆◇◆
「おや。珍しいですな」
「何がよ」
いつものように研究施設で検査を受けている時、研究者の一人がほんの少しだけ不思議そうに声を上げた。
「普段よりも邪因子の活性率に乱れが見えます。まあどちらかと言えば上向きに乱れているようなので問題はないのですが、何かありましたか?」
「……別に。計器の誤差か何かでしょ」
そう。あたしはいつも通り。
決して……決して昨日あの雑用係とかいうオジサンに良いようにあしらわれた挙句、部屋に連れ込まれて散々説教された事なんか全然、ぜ~んぜん気にしてなんかいないっ!
「今またもや一瞬大きく乱れたのですが」
「気のせいよっ!」
嘘だ。正直あれからずっと胸の奥でモヤモヤとイライラが残り続けている。だけど幹部候補生のあたしが、近い将来幹部になろうっていうあたしがそんなちっさい事でイラついているなんて言える筈もない。なので、
「では両者構えて……始めっ!」
ズガァンっ!
訓練場に鈍く重い音が響き渡る。その音の出所はあたし。正確に言うと、あたしが対戦相手をぶん殴って床に叩き伏せた音だ。
「……そ、それまでっ! 勝者ネル・プロティ」
「おいおい……マジかよ」
「いつもなら散々対戦相手を揶揄ってからやっと攻撃に出るネルが」
「訓練終了最速記録じゃね?」
審判が驚いているけどどうでも良い。周りの奴らもこそこそ陰口を叩いているようだけど知ったこっちゃない。
「終わりだよね? 終わったよねっ!? じゃああたしは行くから。さよならっ!」
あたしはさっさと訓練を終えて身支度を整え、そのまま自室に駆け込んで準備する。机の上に広げるのは各支部のゲートの時間表。今から行けば十分間に合う。今回は前回みたいに時間切れで無理やり送り帰らされるなんてヘマはしない。
この胸のイライラとモヤモヤを晴らす為、あのオジサンに意地でもあたしの事を認めさせてやる。前回は何が何だか分からない内に説教されて終わったけど、今回はそうはいかない。
……おっと。行く前に栄養補給をしておかないと。
あたしは引き出しから瓶に入った数種類の錠剤を取り出し、水と一緒に飲み下す。……よし。
さあ見ててねオジサン。あたしを舐めた事を後悔させてあげるんだから。
「雑用係? ああ。それならケンの事だな」
あたしは早速行動を開始した。まずこういう事は敵を知るのが大事。そもそも
なのでジン支部長にこの支部の雑用係という男について尋ねたのだ。渋るかと思ったが、意外にあっさりと教えてくれた。
それによると、どうやらあのオジサンはケン・タチバナという名前らしく、自称雑用係としてもう大分長くこの支部に勤めている古株らしい。いつ頃から居るかは教えてくれなかったけど。
雑用係とは要するに何でも屋だという。支部の様々な業務に精通し、時折急な用事で人手が足らなくなった部署に赴いてサポートする。その為決まった業務というのが無く、広く浅く支部中の者と顔見知りだとか。
じゃあ今の時間はどこに居るのかと尋ねてみると、
「醤油ラーメン一つっ! メンママシマシでっ!」
「こっちはチャーハン二つ! あっ! 片方は大盛ね!」
「お~い! 日替わり定食まだ?」
「あいよっ! ちょっと待ってな!」
今日は厨房の手伝いのようで、さっきからとんでもない速さで調理している。そこらの戦闘員よりよっぽど早いその身のこなしと手際の良さ。邪因子は低いくせして結構やる。だけど、
「食事……か」
あたしはほとんど食堂に行くことは無い。栄養補給は一日に水と錠剤を少し飲めば終わるし、なんなら数日間飲まず食わずでもそこまで影響はない。
今咥えているキャンディーは数少ない嗜好品の一つだ。小さい頃お父様におねだりして貰ったお菓子。それそのものではないけれど、今でも時々研究員を通してお父様から贈られてくるので毎日のように舐めている。
だから食事というのはあまり必要ないし、最後にちゃんと食べたのもいつだったか覚えていない。
なのでこうして食堂に来た事も、受付の前に皆で列を成して食事を貰っていくのもほとんど見た事なかった。……ひとまずこうして列に並んでいればオジサンの所に辿り着くのだろうか?
「ようやく見つけたよオジサン!」
「んっ!?」
列に並んで待つこと暫く、ようやくあたしの番が回ってきたので厨房の中のオジサンに声をかける。
「……なんだこの前のクソガキか」
「覚えていたんだね。そう。オジサンに部屋に連れ込まれて散々
覚えていてもらわないと困る。こっちは丸一日オジサンの事ばかり考えていたというのに。だけどここは余裕そうにニヤリと笑う。
「まだ幹部候補生なんてこと言ってんのか。人騒がせな奴だ。あと人聞きが悪いな。あれは部屋に連れ込んで説教しただけだ」
「そう。大人として説教してやる~って部屋に連れ込まれて、こんな小さな子を分からせようとあ~んな事やこ~んな事を」
「だから誤解を招くような言い方を止めろってのっ!」
ふふっ! 焦ってる焦ってる!
今この場で邪因子を解放して、周囲の奴らごとあたしが将来の幹部だって認めさせる事は簡単だ。だけど、それじゃあこの前の屈辱は晴れない。オジサンにはあたしの気が済むようなもっと辛い仕打ちをプレゼントしてあげないと。
あたしの言葉に周囲の奴らがざわめきだす。そう。このオジサンはこんな可愛らしい子を無理やり部屋に連れ込むような人なんだよ! 予定通り予定通り!
そして慌てて早く追い払おうとあたしに注文を聞いてくるオジサンだけど、考えてみれば特に食べたいものはない。さっき栄養補給は済ませたし。
仕方ないから列をズレて、他の客が終わるまで待つことに。今日はしっかりゲートの時間に余裕を持ってきたから、多少待っても問題はない。……それにしても、
「色々あるのね」
そう小さくポツリと声が漏れる。
客は皆出来た料理を持って行って美味しそうに食べているのだけど、どれも様々な種類があって面白い。見てる分にも少しは暇潰しになる。……っと、キャンディーを舐め切ってしまった。ぷっと吐き出して次のを取り出そうと手を伸ばし、
「……!? こら! そこのクソガキ! 床にごみを捨てんじゃないっ!」
オジサンに目ざとく見つかって叱られた。このくらい良いじゃんと思ったけど、そのすぐ後にオジサンから差し出された物を見て目を丸くする。
卵焼き。名前だけは知っていたけど。
「さっき客に出した分の余りで作った奴だ。そんなキャンディーばっかじゃ腹が減るぞ。俺に用があるならそんなとこに居るんじゃなくて、席でそれでも食って待ってろ」
別に要らないから突っ返そうと思ったけど、考えてみたらこれはチャンスだ。わざといちゃもんを付けて騒ぎを大きくし、オジサンにあたしの目の前で頭を下げさせてやる。そうすれば少しはスッキリするだろう。
そうと決まれば早速食べてみよう。あたしは空いている席に着き、備え付けのフォークを取り出して一つ卵焼きを取る。
「まああんなオジサンの料理なんて大したことないだろうけど、文句を言うにしても一つくらいは食べないとね」
あたしは卵焼きを口に運んだ。
「…………えっ!?」
気が付けば、皿は空になっていた。
誰かに盗られた? いや、微かに口の中に残る美味しさという珍しい感情と、口元についた卵焼きの欠片がそれを否定する。
自分でも気が付かない内に、文句をつける間もなく、
「……う~っ」
あたしは涙を流していた。計画が失敗したから
悔しい。でもそれ以上に腹が立つ。
見ればもうすぐ受付に並ぶ列は途切れるだろう。そうすればオジサンにあたしの実力を分からせる時がやってくる。ただ、
「……帰ろう」
今もイライラとモヤモヤは消えていないけど、お腹から感じるこの温かさとなんとなく覚えるこの敗北感の中ではなんかそんな気が無くなった。
オジサンを分からせるのはまた今度にしよう。ただ、書置きくらいは残しておかないと。
「なんであんな事書いちゃったかな」
栄養という意味ではもう補給は十分なので食べる必要のない物。それなのに、また食べたいと思ってしまったのは……何故なんだろうか?
あたしは今飲み下した錠剤入りの瓶を適当に引き出しに放り込み、そのままベッドに横たわる。
「お父様と……また一緒に食事したいな」
そういえば、最後にお父様と食事したのはいつだっけ? もう思い出せないや。
今回の様に、基本は一つの出来事をケンとネルそれぞれの視点から書いていく感じになります! なので話の進み自体はちょっとのんびりです。
面白いと思っていただけたのならお気に入り、評価、感想などを頂戴したく思います。特に感想は面白いの一言だけでも大歓迎ですよ!
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雑用係は悪友に相談する
今回は雑用係の友人の話です。
「ア~ッハッハッハ! そ、それで、それからというものその子供に付き纏われているってかい? そうかそうかアンタがねぇ……プッ! プハハハ!」
「おいこら。笑い事じゃねえんだよマーサ」
俺の目の前で腹を抱えて笑うのは、褐色肌に黒髪、左目に黒眼帯のオリエンタルな雰囲気を漂わせた妙齢の美女マーサ。第9支部医務室の主であり、一応俺とは組織に入った時からの付き合いだ。腐れ縁の……悪友? まあ恋人って感じではないな。
普段はどちらかと言えば気怠い態度で話す奴だが、俺の相談を聞いたらさっきからタガが外れた様に笑いっぱなしだ。それでも医者かコイツっ!?
この前の一件以来、あのクソガキことネルは数日に一回はこの支部にやってくるようになった。多い時には毎日だ。そして、
『オ~ジ~サンっ! ねぇねぇ? こっち見てよこっち! おニューのワンピだよ! 中々に可愛いでしょ? ……あっ!? オジサンったら女の子をじろじろ見ちゃって……このヘ・ン・タ・イ!』
『オジサンも毎日お掃除大変だねぇ。床や壁を毎日ゴシゴシ……あっ!? だからオジサン自身まで手が回らないんだね! さっきから何となくオジサン臭がする気が……あたしが洗ってあげようか?』
『はいっ! オジサンにプレゼントだよ! ……何と! あたしの使い古した靴下なのでした! ふふん! ……オカズにしても良いよ!』
などと、毎回俺に絡んできて無茶苦茶な事を言いやがるのだ。余程最初に説教したのを根に持っているらしいな。……というか俺子供の靴下をオカズにするような変態だと思われてんのか?
「何が目的か知らねえが、こうクソガキに付き纏われちゃ仕事が手につかん。まあ最近は直接邪魔してくることは無くなってきたけどな」
掃除用具を倒したりしたのは最初の一回だけ(まあその一回で既に俺の中ではクソガキ認定だが)。この所はどちらかと言えば、俺への言葉責めや理不尽な態度が多くなってきた気がする。
おのれクソガキめ。子供だから放っておけばすぐ飽きるかと思えばつけあがりやがって。
しかし俺は大人である。クソガキ一人にいちいち構っている訳にはいかん。かと言ってこの調子だと、クソガキが飽きて寄り付かなくなるまでどれだけかかるか。
なのでこうして悪友に相談に来たというのに、肝心のマーサは事の次第を聞いて爆笑する始末。友達甲斐のない奴だ。
「いやあゴメンゴメン! これだけ笑ったのは久しぶりでね……まああれだ。楽しそうで良いじゃない! そのクソガキちゃんも懐いているみたいだし」
「いや何処が!? どう考えても俺に嫌がらせしようとしてるとしか思えん! それかストレス解消用の玩具だな」
ニヤニヤ笑うマーサに俺は慌てて言い返す。人の顔を見るなりヘンタイだのなんだのと……ヘンタイとは対象を見るなり飛びかかって、服に顔を埋めてクンカクンカする奴の事だぞ。実際俺の知り合いに一人居る。奴こそヘンタイだ。
あと断っておくが、加齢臭はするかもしれんが俺はこれでも清潔だ。シャワーも毎日浴びてんだぞ。……時折髭を剃るのをサボったりするが。
「まあワタシが思うに……ふぅ~。ほっときゃ良いんじゃないかい? どうせもうすぐ飽きて寄り付かなくなるって」
煙草を指で弄びながら、煙をくゆらせつつそんな無責任ここに極まれりな言葉を言い放つマーサ。ちなみにここは医務室の診察室である。
このようにマーサは医務室だろうがどこだろうが煙草を離さない程のヘビースモーカーだ。気が付くと煙草を吸っているし、火を着けていなくても良く咥えている。
診察中まで時々吸っているほどで、医務室は常に煙草の煙が漂っていると評判だ。診察眼や腕は間違いなく一流なのだが、態度がこれなせいであまり人が寄り付かない。先日放り込まれたタコ型怪人の料理人はさぞ煙草臭かっただろう。
「俺も最初はそう思ってたよ。だがこの調子じゃどこまでかかるか分からんから困ってんだ」
「じゃあ……そうだねぇ。ジン支部長に報告するというのはどうだい? そのクソガキちゃんがあまりにも目に余る行為を繰り返すのなら、支部長だって対処の為に動くだろうさ」
それはある意味一番の正論だった。こういう時は悪の組織だろうが報告、連絡、相談だ。だが、
「
そもそもどこのガキかは知らないが、悪の組織で子供が普通に歩き回るのは大問題だ。あの時説教して帰らせた後、すぐさま支部長に報告したとも。
しかし返ってきた答えは、はっきりとした実害がない限りは好きにさせろとの事。何故かは知らんが支部長はあのクソガキに甘い。もしや支部長の身内か何かかと勘ぐったが、それは違うとはっきり明言されてそれ以上の追求は出来なかった。
「……しょうがないねぇ。それじゃあワタシがこういう時に使えるとっておきの対処法を伝授しようじゃないか」
「本当か!? それは助かるぜ!」
おお! こういう時にやはり持つべきものは悪友だ。期待を持ってマーサの次の言葉を待つ。
「こういう時一番の対処法。それは……
「無視って……さっきと言ってる事が同じじゃねえか」
「下手に構うもんだから余計これ幸いと寄ってくるんだよ。そういう時は徹底的に無視するに限る。そうすりゃ自然と向こうから離れていくってものさ」
マーサはトントンと煙草の灰を灰皿に落とし、そのまま俺を指し示す。その隻眼が少しだけ真剣な色を帯びて俺に突き刺さる。
「アンタは前々から人に構いすぎなんだよ。雑用係なんて仕事やってる時点でそうだけどさあ、自分から余計な物までちょいちょい背負い込んで……いつか重さで潰れないようにしな」
「ありがたい忠告どうも。じゃ、そろそろ行くとするわ。次の仕事があるんでね」
軽く礼を言って俺は席を立つ。そう。これもお決まりのマーサからの忠告。だけど何度言われても、この性分は変わらない。……変えたくない。
「まったく。ほどほどにしときなよ」
「悪いが、何にもしていないと落ち着かないんでね。まあクソガキの件はマーサの言う通りやってみるさ。……じゃあな!」
俺は静かに医務室を後にした。
さて。色々あったが早速マーサのアドバイスを胸に、クソガキが来たら今日は徹底的に無視してやろうと仕事に打ち込んでいたのだが。
「…………来ねえな」
そんな時に限ってクソガキが来る様子はない。まあ来ないなら来ないで実に平和だが。今日も今日とて朝から晩までお仕事だ。
またやらかした兵器課の暴走ロボを食い止めたり、戦闘員の訓練の手伝い(戦うんじゃなくて射撃の的や備品の整備)、色々落ち込んだ奴の愚痴を飯を食いながら聞く等、やる事は毎日沢山ある。
しかしほどほどに終わった後で休むのも仕事の内だ。マーサにも言われたしな。俺は心地よい疲れを感じながらも仕事完了の書類をしっかり支部長に提出し、そのまま自室に直帰した……のだが、
「は~いオジサン! お帰りっ! 今日は泊まってくからよろしくね!」
……悪いマーサ。これは流石に無視できねえよ。
◇◆◇◆◇◆
「マーサの言う通りやってみる……か。ワタシの言う事なんて聞く方が珍しいってのにねぇ。あのネルって
ケンが去った後、隻眼の医師はそうポツリと洩らしながら椅子にもたれかかる。
実の所、マーサは件のネルの事をケンより先に知っていた。別に何の事は無い。ネルが各部署を回った時に医務室に寄り、そこで少し話したためだ。もっともネルは煙草の煙と臭いを嫌がってすぐに離れたが。
ケンはまだ気づいていないようだが、ネルは自称ではなく本当に幹部候補生。しかしケンに付き纏っている所を見ると、何かしらの思惑があるのかもしれない。
「ちょっと、片手間に調べてみても良いかもしれないねぇ。ふぅ~」
はい。オジサン事案の危機に直面しました! 部屋に戻ったらクソガキのお出迎え。傍から見たらどう見えるでしょうねぇ。
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雑用係 クソガキに部屋に乗り込まれる
まいった。最近仕事を受けすぎたかな。
俺はどうにも疲れているらしい。まさか俺の部屋にあのクソガキが居る幻覚を見るなんてな。ひとまず一度開けた扉を閉め、よ~くまぶたを揉み解す。
……こんなもんか。さ~て今度こそ、
「ちょっとぉ。ヒドイよオジサ~ン。人の顔見るなり扉を閉めちゃうなんて。……あっ!? もしかして照れてる? そっか~そうだよね! 寂しい独り身の部屋にこんな女の子が来て落ち着いていられる訳ないよねぇ。ゴメンゴメン!」
チクショウっ! 幻覚じゃなかった。この口調に憎たらしい態度。間違いなくあのクソガキだ。俺は額に手を当て大きくため息を吐く。
「何で俺の部屋で堂々と本を読み散らかしてるんだお前は? というかどうやって入った? 鍵は掛けていた筈だ」
「さっき言ったじゃんオジサン。聞いてなかったの?
テーブルの周囲に同僚のトムから借りた本が散乱する中、白のキャミソールの上に水色のパーカーを羽織ったクソガキはひらひらと手に持った物を振ってみせる。
……あれは!? 俺の部屋の鍵の予備!? それは確か支部長が管理してる筈……ハッ!? 支部長ぉぉっ!? 何で渡してんのっ!? あの人クソガキに弱みでも握られてんのかっ!?
「それよりオジサン。いつまでも扉開けっ放しでそこに立ってて良いのぉ? 誰かに見られちゃうんじゃない? ……もしかして見られてる方が興奮するとか? クスクス。やっぱりヘンタイさんじゃん!」
「するかこのバカっ! 言われんでも閉めるっての」
俺は部屋に入って乱暴に扉を閉める。しかしその様を見てクソガキはクスクスと笑うばかり。一体何なんだよコイツは。こんなん無視なんか出来ねえよっマーサっ!
俺はひとまず来客用の座布団を取り出してきてクソガキに手渡し、クソガキが使っていた自分用の座布団を取り返す。長く使って少し汚れているからな。自分用なら良いがクソガキだろうと他人に使わせられるか。
そして部屋の冷蔵庫から麦茶を取り出すと、俺と一応クソガキの分をコップに注いでテーブルに置き、ざっと散乱していた本を片付けてそのまま対面に座った。そしてクソガキはと言うと、
「前来た時もそうだったけど、意外に部屋を綺麗にしてるんだね。あたしてっきりもっと汚くて虫でも出るのかと思ってたよ」
「意外で悪かったな。あとスカートで胡坐は止めとけ」
「なになに? オジサンスカートが気になるの? フフ~ン……エッチ!」
大人の俺はともかく、同年代にでも見られたら恥ずかしいぞと言おうとしたのだが、このクソガキ変な風に受け取ってニヤニヤしてやがる。
「……まあそれは置いとくとしてだ。本題に入るが、一体どこから俺の部屋に泊まるなんてトチ狂った言葉が出てきたんだ?」
「え~っと……何となく? 急にそんな気になって」
なんじゃそりゃ? ますます意味が分からんぞ。俺が困惑する中ネルは麦茶を口に含み、
「あっ!?」
どこか不自然に手を滑らし、落下するコップ。幸いコップはプラスチック製だ。下に落ちてもそう簡単に割れる事は無い。だが、
「あ~ん。びしょびしょ」
派手に麦茶を零してしまうネル。かなり残っていたので床も服もぐっしょりと濡れ、キャミソールは肌に張り付いてしまっている。何をやってんだまったく。おまけに何が面白いのか、濡れた胸元の部分を引っ張りこちらをチラチラ見てるし。
……待てよ? これはつまり
考えてみれば、ここしばらくも含めてずっと一貫して人を煽るような態度。そして今の動き。なるほどなるほど。理解した。
そういう事であれば、俺は大人としてきちっと
「……人の部屋に勝手に入り、本(俺のじゃないが)を散らかし、大人を馬鹿にした上
「お、オジサン?」
ふっ! 甘かったなクソガキよ。俺は丁度さっき仕事が終わり、
ネルは俺の様子に何か感じ取ったのか、一歩二歩と後退って部屋のタンスに背中がぶつかる。ふっ。今さら怖気づいたのか。しかし俺は見逃さない。顔を俯かせるネルの口元に微かに浮かぶ笑みを。
俺は静かにネルに手を伸ばし……その後ろのタンスからタオルを取り出してネルをゴシゴシと拭く。
「わきゃっ!?」
意表を突かれたのか、小さく驚いた声を上げてなされるがままのネル。だがすぐに気を取り直してタオルを取ろうとするので、俺は軽く叱りつける。
「ジッとしてろコラっ! ああもぅこんなに濡れてんのにそのままにしやがって。ホントにガキだなお前はっ! 人をからかうのにどこまで身体を張ってんだっ!」
そう。
正確に言えば、俺が怒り狂ってこいつに手を上げるのを待っているのだ。
俺はチラリと視界の端にこのクソガキの荷物……服が入っているだけにしてはやや大きめのカバンが、僅かにファスナーが開いた状態でこちらを向いているのを確認する。
やはり思った通りだ。おそらくあれに何かしらの撮影機器、カメラかそれに近い何かが仕込んであるに違いない。あとは適当にこちらを煽り、一発喰らった所を記録。俺が子供に手を出したという醜態を周囲に晒してこの前の説教の復讐をするといった所か。
お泊りというのもあの荷物を不自然にみせない為のフェイク。最近のガキは中々に考えてやがる。だが詰めが甘かったな。見破った以上もうその手には引っかからない。
「オジサンっ!? 一人で拭けるっ! 拭けるって!? もうっ」
ネルも慌ててタオルを受け取り自分で拭き出すが、慌てているのかまだ拭き残しが目立つ。やっぱりガキじゃねえかっ! ……仕方ない。
「おいクソガキ。
「……えっ!」
「濡れた服を着たままだと冷えるから脱いで風呂に行けって言ってんの! ほら早くっ!」
いくらフェイクとは言え着替えくらいは用意しているだろう。俺は荷物ごとネルを脱衣所に放り込んでやった。帰ったら入ろうと既に風呂は準備済みだ。一番風呂を取られるのはシャクだが、風邪でもひかれたらいくら何でも目覚めが悪いしな。
しかし考えてみたら、何であんなガキの世話をしなきゃならんのだ。ネルが風呂から上がったら、次のゲートの時間までたっぷりと説教して追い返してやるからな。
ああ。その前に夕飯の準備もしないと。……アイツ、ここで夕飯を食っていくとか言わないよな?
オジサン人の家の子に服を脱げ発言! いや悪意とかはほぼ無いんです。ただデリカシーがないだけなんですホント!
しかしまだ序盤なのに、作者の他の作品を早くも色々抜きそうでちょっと複雑。なので負けないように一応そっちも宣伝を。
『マンガ版GXしか知らない遊戯王プレイヤーが、アニメ版GX世界に跳ばされた話。なお使えるカードはロボトミー縛りの模様』もよろしく!
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ネル 雑用係を誘惑すべく思案する
かくなる上はこの記録がどこまで伸ばせるか挑戦するのみ! という訳で今回はネル視点です。
◇◆◇◆◇◆
「……はふぅ」
あたしは湯船の中でついそんな声を漏らす。
あのオジサンに「しっかり体を洗ってよ~く温まれよ! 耳の後ろもちゃんと洗うんだぞ!」と荷物ごと脱衣室に放り込まれ、お風呂というものは初めて入ったけどこれは中々に良いモノだと思う。
いつもは滅菌シャワーで20秒もすれば汚れは落ちるのだけど、温かい湯に浸かるのはそれとは違う心地良さがある。しかし、
「ふふん!
そう。この“あたしの魅力に欲情して襲って来たオジサンを返り討ちにして、あたしが格上だと分からせてやる作戦”は、今の所順調に進んでいる。
そもそもの発端は、あたしに屈辱を与えたあのオジサンにどう仕返ししてやろうかという事だった。
普通にあたしが幹部候補生だと認めさせるだけなら邪因子を解放すればそれで済む。だけどそれじゃああたしの気が晴れない。要はオジサンをいかに心も体も屈服させて分からせてやるかが問題だ。
そうして悩んでいた時、以前とある経緯で手に入った本を見返してみると面白い事が書いてあった。
それによると、大人(特にうだつの上がらないオジサン)は子供からのからかいにめっぽう弱く、また女の子が肌をチラ見せしたりちょっと挑発すると欲情して襲い掛かってくるとかなんとか。
実際その本の主人公の少女は、完全に標的であろう大人を手玉に取っていた。惜しむらくは最後の方が破れていて結末が分からない事だけど、まああれだけ優勢だったから負けたという事はないだろう。
題名は確か……『メスガキは大人なんかに負けたりしない』だったかな? 題名通りならやっぱり勝った筈だ。
それからというもの、本の内容を参考にしてオジサンに様々なアプローチを仕掛けてみた。本の主人公が着ていたような服を買って着て見せてみたり、軽く貶しつつちょろっとプレゼントをしてみたり。そして、
「オジサンの家に勝手に入ってお泊り……本ではこれで一気に理性を削っていた筈! 今日で一気に決めてあげる!」
あたしは湯船の中でグッと拳を握る。さあオジサン。あたしの魅力でイチコロにしてあげるからっ!
……っと。忘れてた。出る前に耳の後ろもちゃ~んと洗わないとね。
「うん。こんな所かな!」
あたしは鏡の前で自分の格好を見つめる。
今日この日の為に用意したおニューのパジャマ。普段使っている簡素な寝間着とは違い、ふわふわの白いウサギを模した物だ。フードを被るとちゃんと耳もぴょこんと突き出る。
本ではこういうふわふわの格好をしていたからあたしも真似てみたけど、自分でも中々良いと思う。ちょっと毛がカバンのファスナーに絡んで完全に閉まり切らなくなった不幸な事故があったけど、これなら行けるよね!
「オ~ジサンっ! 上がったよ! どう? 見て見て! 凄いでしょ!」
こういうのは最初が肝心と、あたしは勢いよく脱衣所の扉を開けて外に出る。そこには、
「……はい。ではそのように。……はぁ。うん? おぅ。上がったか。じゃあ飯にするぞ」
片手に通信機を持って誰かと連絡していたオジサンと、テーブルの上に並ぶほかほかと湯気を立てる料理があった。あたしのこの服に目を付けないなんて生意気な! だけどその前に、
「食事? ……あ、あ~そうだよね! うん。お泊りと言ったらやっぱり食事だよね!」
「何驚いた顔をしてんだ。時間的にもう夕飯時だろ。……ったく。二人分作るのは予定になかったから食材がギリギリだ。明日の朝は食堂でだな」
どうせ錠剤で済むからいいやと夕飯の事をすっかり忘れていたあたしに、オジサンはどこか呆れた様子で座るように促しながら自分もテーブルの前に座る。
「いただきます」
オジサンが手を合わせて食べ始めるのを見て、あたしもとりあえず形を真似て手を合わせる。簡単な作法くらいは情報として知っているけど、こうしてやるのは初めてだ。
目の前に有るのは白米を中心にした和食。みそ汁や漬物、魚の塩焼きに、
「……卵焼き!」
「ああ。前にお前が書置きしただろうが? また食べに来るって。丁度良いからついでに作った」
あたしは箸と一緒に置かれていたフォークを手に取り、卵焼きを一つ刺して口に頬張る。今度はもう前のような失敗はしない。いつの間にか無くなっていたなんて事の無いよう、ゆっくりと味わう。
「どうだ? 美味いか?」
「……よく、分からない。けど」
食事は要するに栄養補給でしかない。より効率良く栄養を摂りたいなら錠剤を飲めば済むだけだし、味も基本的にあたしには最低限以外必要が無い。だけど、
あたしの脳裏に、もういつ頃になるか分からない、お父様と一緒に食事を摂った時の記憶が過ぎる。誰かと一緒に食事する時の、この温かい気持ちがそれだというのなら、
「うん! 美味しい!」
「……そっか。じゃあどんどん食え。ガキはしっかり食って育つのが仕事だ」
オジサンは素っ気ないながらも、どこか優しい口調でそう言った。
「えっ!? 泊まって良いの?」
夕食を食べ終わり、どこかほっこりした気分でのんびりしていた時にいきなりそう切り出され、あたしは驚いてオジサンの方を見る。
「良いのってお前が言いだしたんだろ。俺だってこんなクソガキを泊めたくはねぇ。だが支部長からの頼みとあっちゃあ断れん」
それを聞いて、さっきオジサンが誰かと通信していたのを思い出した。
実際ここのジン支部長にはしばらく前から話を通してある。あたしがよくこの支部に顔を出すのを、周囲にあくまで視察が長引いてるからという建前にしているのも支部長だ。だからオジサンに支部長から何か言ったんだろう。
何故ここまで協力してくれるのかは知らないけど……まあ将来有望なあたしにコネを作っておきたいとかそんな所だと思う。こっちとしても協力してくれるのはありがたいし。
「あ~!? 分かってないなぁオジサン。こんな可愛い女の子と一緒にお泊りできるなんてとっても良い事なんだよ! 寧ろ「ははぁ。幹部候補生のネル様にこんなむさくるしい部屋に泊っていただけるなんて光栄の至り。どうぞどうぞお使いくださいまし」くらい言っても良いんだよ!」
「勝手に来ておいて何言ってんだこのクソガキめ。支部長に言われてなきゃさっさと叩き出している所だっ! ……まあ良い。泊めてはやるが静かにしてろよ。俺はやる事が山積みなんだから。本は読んでも良いが散らかすな。それと寝るならそっちに布団を敷いてあるから好きに使え。じゃあな」
オジサンはそう言って部屋の奥に入っていった。どうやらあそこが寝室らしい。扉が閉まる直前ちらっと中の様子が見えたけど、やや古いノートパソコンがあったからあれで書類の整理でもするのだろう。
「……よし」
あたしはオジサンが向こうの部屋に入ったことを確認し、カバンからある物を取り出す。ちょっと嵩張るから入れるカバンも大きい物になってしまったけど、これならオジサンがメロメロになって襲い掛かってくること間違いなし!
「ふっふっふ。甘いねオジサン。夜はまだまだこれからなんだよ!」
オジサンが襲い掛かってくるのを華麗に返り討ちにする姿を想像し、あたしはキャンディーを咥えてニヤリと笑みを浮かべた。
さ~てネルの作戦は上手く行くのでしょうか? 次回はまた雑用係サイドとなります。
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雑用係 クソガキの遊びに付き合わされる
やむを得ない事情により、しばらく断筆しておりました。
決して某運命的なアプリゲームでレイド戦を周回しまくって素材を集めていた訳じゃないですよ! 絆ポイント美味いとか思ってないですからねっ!
という訳で雑用係サイドです。
「……で? わざわざ様子を見に来てみれば、これは一体どういう状況なんだい?」
「俺に聞かれても困る」
こっちを呆れたような顔で見るマーサに対し、俺はそんな風にしか答えられない。何故なら、
「次、右足の赤。……ふ、ふふん! どうしたのオジサン? 流石にもう……限界? やっぱり……オジサンになって身体が固くなってるんじゃないの~? だけど……こっちもちょっと……ちょっとキツイかも」
何故かクソガキと二人で
「今日一日泊めるっ!? あのクソガキをですか?」
『ああ。多少であれば我が儘も聞いてやってほしい。頼めるか?』
クソガキが風呂に入っている間、支部長から通達されたのはそんな内容だった。
子供の外泊に保護者は何も言わないのかと一瞬疑問が過ぎったが、無論ただの雑用係に断れる筈もなく俺はしぶしぶ了承する。
『その間の他の急な仕事以外はこちらで止めておく。必要な物があればある程度は用意しよう。……すまないな』
そんな調子で通話を切ると、丁度ネルが風呂から上がってくる所だった。
ふわふわのパジャマを自慢げに見せてくるネルだが、夕食にしようと言うと一瞬呆けた顔をする。何を驚いているのか知らないが、食事は一日の大事な栄養源だからな。欠かしたり偏ったりすると体調のバランスが崩れる。
とりあえず有り合わせの食材で二人分作ってみたが、ネルはどこかぎこちない動きで夕食を食べていた。まるでこういう食事に慣れていないような。
ただ食事自体は気に入ったようで、特に卵焼きをバクバク食っていた。……必要経費で支部長に食材の無心でもするか。
その後クソガキに泊まっても良いと許可を出し、俺は自分の寝室に引っ込んで今日中に出す書類の整理をしていたのだが、
「オ~ジ~サンっ! ゲームやろうよゲーム!」
「やる事が山積みだって言っただろうが。……しかも何でツイスターゲームっ!?」
やっぱり乗り込んできやがったっ!? お泊まりで子供がはしゃぐのは分かる。仕事中に乗り込んでくるのもある程度は予想出来ていたのでまだ良い。しかしゲームのチョイスが何でそれっ!?
「良いじゃん良いじゃん! やろうよ~! それとも……自信ないの~? こんな小さな子に負けるんじゃないかってビビってんの? ……や~い! ヘ・タ・レ! チキ~ン!」
ネルが小憎たらしい態度でこちらを呷ってくるが、見え見えの挑発だ。こんなの引っかかる奴はあまり居ないだろう。
ここで追い払うのは簡単だ。だが、支部長に多少は我が儘を聞いてやれと言われたのも事実。……仕方ない。ここは大人としてクソガキの思惑に乗ってやろうじゃねえか。
「はぁっ!? 誰がビビってるって!? ……良いだろう。一回だけ付き合ってやろうじゃないか。一回だけだぞ」
「そうこなくっちゃ!」
ネルは一瞬だけニヤッと口元に笑みを浮かべると、いそいそと床にゲームのマットを広げ始める。まあ書類整理もあとは最終確認だけだし、目を休めるつもりでやるとしよう。
「という訳でこんな事になった」
「成程ねぇ。……次は左腕を青に」
「ちょっとぉっ!? そ、そこはキツイって!? ……うにゃ~っ!」
マーサをルーレット役に迎え、クソガキがむりやり身体を曲げてヨガのような状態になりながらも何とか青丸に手を伸ばす。だが、不安定な状態で踏ん張っている為手足が明らかにプルプルしている。
おそらくネルとしては、良く薄い本などであるように身体を密着させることで、俺が慌てる所をからかおうとか考えていたのだろう。わざわざパジャマに着替えたのもその一環だ。だが、
「オ、オジサンっ!? 早く……早くして。もう腕が限界」
この通り、
最初は故意に身体をよろめかせてこちらにしなだれかかってきたりもしてきたのだが、こちとら大人である。子供が密着してこようが、精々が微笑ましいと思う程度だ。
適当な所でわざと手を抜いてみれば「ちょっとオジサン! 今の本気じゃなかったでしょう? この幹部候補生のあたしに対して生意気な! もう一回だよ!」と見抜かれ、かと言ってこっちが大人として本腰を入れて勝ったら「ムキ~っ! 今のはちょっと手が滑っただけなんだからっ! もう一回やるのっ!」とむきになる。
止めようとしたら普通にごねて仕事にならないし、もうこれでかれこれ六回目だ。ネルも折角風呂に入って汗を流したのにまた汗だくになってるし……だが、
「はい。次は紫に右足ね」
「へいへい」
「うわっ!? オジサンったらまた良い所を取って……だけど、負けないんだからっ!」
そう言って笑うネルは、さっきの様に口元だけでなく普通に笑えているように見えた。
その後何故かマーサも乱入しようとするのを丁重にお断り(特にネルが)し、結局ネルが汗だくになりながらも何とか辛勝してドヤ顔をするという結果に終わったのだった。
その後、
「……はぁ。だから言ったんだ」
俺は今日だけで何度目かも分からないため息を吐いた。何故なら、
「……すぅ……すぅ」
このクソガキが、よりによって
ツイスターゲームも終わり、さっさと向こうに用意した布団で寝ろと言ったのにネルときたら「まだ眠くないも~ん! もう少ししたら戻るから……ねっ! 良いでしょぉ? 静かに本を読んでいるだけだから!」と布団に大の字になってゴロゴロ。
そしてやっぱりと言うか、本を読んだまま寝落ちしやがったよ。しっかし、
「これで
「でも事実だしねぇ。これは確認が取れてる」
マーサが指で煙草を弄びながら言う。流石に子供の前では吸わないようだ。
そう。マーサがここに来たのは俺にそれを伝える為。いくら何でもさっきの今で仕事が早いなと思ったが、それ自体はとっくに知っていたらしい。
「ちょいちょいっと調べたんだけど、あんまり良い噂は聞かないねぇ。邪因子適性や戦闘力は間違いなく次期幹部に相応しいって逸材だけど、訓練相手を半殺しにしたとか気に入らない相手を潰しにかかるとか悪い噂も多い」
「そりゃああのクソガキっぷりを遺憾なく発揮すりゃあな」
あの出世にあまり興味のない支部長が気に掛けるのはやや微妙だが、そんなクソガキを俺に押し付けないでほしい。まあ頼まれりゃやるのが雑用係だけどな。
「まあさっき見た感じだと、アンタを力づくでどうこうしようとはひとまず考えてなさそうだ。しばらく他の仕事を忘れて、精々休息だと思って子供のお守りに勤しむんだね」
「休息になんかなるかよ。むしろ気疲れが酷くなるっての」
「ハハっ! そうかもね。それじゃまたなんか困ったら医務室に寄んな。一服がてら話くらいなら聞いてやるよ」
マーサはそう言って手をひらひらさせながら帰っていった。……さて、あとはこのクソガキをどうするかだ。幹部候補生だろうがなんだろうが、ガキをきちんと分からせるのが大人の仕事である。それには当然生活態度も含まれる。
普段なら叩き起こして自分の布団に戻らせる所だが、一応支部長に頼まれているので無下には扱えない。仕方なく軽く揺すってみるが、熟睡しているのか起きそうにない。抱えて移動させるのは流石に嫌がられるだろう。
「仕方ない。俺が向こうの布団で寝るか……んっ!?」
早速立ち上がろうとした時、服に何か違和感を感じる。見ると、服の裾をネルが掴んでいた。そして、
「……ないで……置いて、行かないで……お父様」
目元に涙を浮かべながら、そう寝言を呟いていた。
起きてはいない。寝息も整っているし、手から伝わる僅かな鼓動も安定している。あくまで寝言だ。これがもし俺をからかう為の演技ならそれはそれで大したもんだ。だが、
「……はあぁぁ」
俺は今日一番の大きなため息を吐き、その場にそっと座り込んだ。
手を引き剥がすのは簡単だ。だが、寂しがるガキが誰かに伸ばした手を取ってやるのが大人というものだろ?
という訳でツイスターゲームに付き合わされたケンでした。チョイスが古典的なのは、ネルの参考にした本がやや古い物だったからです。
次回は……正月三が日のどれかには出す予定ですかね。楽しんで頂ければ幸いです。
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ネル お泊まりを終えて部屋に帰る
注意! 途中視点変更があります。
『行かないでっ!? 行かないでお父様っ!』
ああ。これは夢なんだろう。目の前に映るもう一人のあたしが、お父様に手を伸ばして縋りつこうとするのを見て、あたしは頭の冷静な部分でそう判断する。
あたしはあんな事言わない。こんなみっともなく縋り付くなんて事しない。そんな事をしなくても、あたしがいずれ幹部に至れば胸を張って逢う事が出来るのだから。
ああ。だけど、少しだけ羨ましい。あんな風に直接的に行動できるのが。そう思っていた時、
「……うんっ!?」
手が、何かを掴んだ気がした。
お父様じゃない。お父様はこちらに見向きもせずにどこかへと去っていく。だけど、どこか温かい感覚が手にある気がした。
「……うぅ……んっ!?」
目を開けると、知らない天井が見えた。……そうだ! あたしは今日あのオジサンの部屋に泊まったんだった。何か夢を見ていた気がしたけど、もう思い出せない。
気が付くと、いつの間にか身体に布団が被せられていた。ご丁寧に読みかけだった筈の本が片付けられていて、荷物も纏められてあたしの傍らに置かれている。
コンコン。
そこに、外から扉をノックする音が聞こえてきた。
「お~い! 起きてるかクソガキ? もうすぐ朝食の時間だ。さっさと顔洗って着替えてこいよ」
「……あ、うん。分かった」
寝起きで頭が回らない。あたしは外から言われるがまま、パジャマから着替えて洗面所で顔を洗う。……ふぅ。ちょっとすっきりした。
ジュージュー。ジュージュー。
オジサンはキッチンでフライパンを振るっていた。どこか心地良い油の弾ける音と共に、香ばしい香りが部屋に漂う。
「おう! 起きたか。ならもうすぐ出来上がるからそこに座って待って……いや、そこの棚から皿を二枚取ってくれ。下から二番目の棚だ」
「皿って……これ?」
「そうだ。これに……よっと! よし出来た。テーブルに持っていけ」
オジサンがフライ返しで上手く皿に盛ったのは、もわもわと湯気を立てる目玉焼きとベーコン。そして横にはカリカリのトーストが添えられている。
朝食……か。昨日みたいに美味しいのだろうけど、
「え~っと……オジサン? あたし朝いつも錠剤だけで済ませてんだけど。栄養もちゃんと摂れるし」
「バカ野郎。ガキが朝飯抜いて一日大丈夫な訳あるか。俺の目の前で錠剤だけで済ませるなんて許さねえからな。良いから黙って食え。そして食ったらさっさと帰れ」
断ろうとしたら押し切られた。そしてそのままテーブルに着き、昨日と同じく手を合わせて食事を始める。……うん。美味しい。
しかしどうしよう。ひとまず昨日オジサンがあたしの魅力でメロメロになったのは間違いない。ツイスターゲームをあれだけやったんだし、理性も大分削れている筈だ。
本当ならトドメの一撃として、オジサンが寝る時にこっそり添い寝するつもりで待っていたのだけど、うっかりその前に眠ってしまったのは失敗だった。
なので今日まで持ち込む予定がなく、ここから先の作戦が今の所ない。本に載っていた方法は幾つかあるけど、家でのシチュエーションは大体やってしまったし道具もない。もう一押しだろうけど決め手に欠けるなぁ。
「…………い。おいっ!? 聞いてるか?」
「えっ!? うん。聞いてる聞いてる。このあたしが聞き逃すなんてそんな事ある訳ないじゃない!」
「ほぅ。じゃあまだ余裕なんだな。次のゲートが開く時間まであと15分だが」
その言葉にあたしは慌てて時計を見る。……ホントだ!?
「マズっ!? 急がなきゃっ!」
「こらっ! 飯はちゃんと食ってけ!」
訓練の準備はどうせ本部の自室でやるから良いけど、このド辺境の支部のゲートは一つ入り損ねたら次は何時間も後。遅刻確定だ。
慌てて立ち上がろうとすると、オジサンに怒られた。え~い。仕方ない。あたしは大急ぎで残ったトーストを頬張る。……うん。目玉焼きと一緒に食べると凄く美味しい。
「ご馳走様。じゃ~ねオジサン! ご飯美味しかった。また来るねっ!」
「お粗末様でした。二度と来るなっ!」
あたしは急いで荷物を引っ掴み、オジサンのそういう言葉を背に受けながらゲートへと走り出した。
「おいクソガキっ!? お前昨日の着替え忘れてんぞっ!?」
「それはオジサンにあげる! ほらっ! 美少女の使用済みの下着だよ嬉しいでしょ?」
「こんなん要るかっ!」
まあそんなドタバタもあったけど、あたしの初めてのお泊まりはこうして終わったのだった。
「ふぅ。何とか間に合って良かった」
あたしは自室で息を整えながら荷物をドッと降ろした。
ベッドに机と最低限の家具しかない殺風景な部屋。オジサンの部屋とは大違い。一日お泊りしてみて、大分違うものだと実感する。
訓練まではもう少し時間がある。その間に準備を整えようとカバンを開け、
「……あれっ!? これは」
荷物の中に見慣れない包みが入っていた。中を開いてみるとそこには、
「サンドイッチだ!」
薄焼き卵にケチャップをかけて挟んだサンドイッチが、きれいにタッパーに収められていた。一緒に手紙が添えられて。手紙には一言。
『弁当だ。栄養は錠剤だけに頼らず飯もちゃんと食え』
とだけ書かれていた。
オジサンったら、あたしは錠剤だけで大丈夫だっていうのに。……だけど、なんだか少しだけ気分が良くなった気がした。今日はちょっとだけお昼が楽しみだ。
◇◆◇◆◇◆
『アレの具合はどうだ?』
「はい。ネル様は着実に邪因子を伸ばしております。この分なら近い内に幹部に昇格する事も夢ではないでしょう」
『そうか』
ここはネルが以前検査を受けていた研究施設。そこのモニターの一部において、白衣の男がモニター越しに何者かと話をしている。
「計画は順調に進んでおります。……ただ、一つだけ懸念事項が」
『何だ?』
「最近ネル様が第9支部に高い頻度……数日に一度で出向いているようなのです。表向きは幹部候補生の実習の一環となっていますが、視察自体は既に終わっております」
『何か計画に支障があると?』
「いえ。あくまで訓練の合間に顔を出す程度ですので今の所は何も。少々最近精神面に乱れが見られますが、全体で見れば精神高揚の域で寧ろ良い影響を与えているかと。……如何なさいますか?」
モニターに映る者は僅かに思案し、
『いや。はっきりとした実害が出ない限りはアレの好きにさせておけ。これまで通り、欲する物があれば与えろ。そして……分かっているな?』
「はっ。畏まりました」
その言葉を最後にモニターは閉じる。それ以上何も言う事は無いと言うかのように。
「アレ……ですか。あの方も相変わらずで」
白衣の男は困ったような顔で頭を掻き、そのままその場を後にした。そこにはもう誰も居ない。……そう。誰も。
「……ふぅ。ちょいと調べてみようと思えば、なんとも妙な事になっているねぇ。はてさてどうしたもんか」
如何だったでしょうか? なにやら陰謀の匂いもしますが、新年一発目も楽しんで頂ければ幸いです。
余談ですが、拙作を今日から小説家になろうにも投稿を始めました。あくまで最新話を投稿するのはこちらですが、なろう読者の皆様やいずれなろうも読もうとしている方が居れば、そちらでも応援いただければ幸いです。
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雑用係 買い物帰りに変態に襲撃される
さて。よく物語で見る悪の組織が世界征服なりなんなりを行うのは王道だが、その後の事を描写している物はあまり多くない。
つまりは
「待たせたな」
第9支部の近くの村にて、俺は目の前に立つ奴らに静かに声をかける。
どいつもこいつもこの地に産まれ、大地と共に生きてきた老若男女達だ。こいつらは自分達の手塩にかけて育てた農作物を、これから悪の組織に持っていかれるという訳だ。
だが、これも征服された方の弱さ故と考え諦めてもらおう。……ではそういう訳で、いつものように頂いていくぜっ!
「すいません。このジャガイモ一袋……いや二袋ください」
「まいどありっ!」
俺は農作物を悪の組織として
いくら悪の組織が国を、世界を、星を征服しようが、征服してそれで終わりという訳ではない。当然そこに住む者達にも生活があり、住民とどう向き合っていくかが重要になる。
征服した場所への対応は支部によって様々だ。ある支部は武力による直接的支配。またある支部はこちらの手の者を国の要職に就けた搦め手による管理。まあ明らかな暴政でなければ本部としても細かくは口を出さないだろうし、悪の組織としてはそれが普通の対応だ。
そしてうちの支部のやり方は、
「いつもすみませんね。相場より大分安く売ってもらって」
「いえいえ。こちらとしてもリーチャーの皆さんには定期的に大量に買い上げてもらっているので大助かりですよ! またお願いします」
なにぶんこの第9支部がある場所はかなりの辺境。首都などの要地から遠く離れ、良く言えば自然豊か、悪く言えばやや文明度の低い地域だ。ぶっちゃけた話支配しても旨味が無い。
だが当時としては、保険としてこの辺りに拠点が必要という意味でこの支部は建てられた。結果こうして定期的に支部全体の食料調達の為に交流している。
食料の略奪? 短期的な関係ならともかく、長期的となると関係悪化は避けたい。なら普通に買った方が早い。幸いこの地域は物価が安いしな。
「ふ~む。今年の野菜は豊作だねぇ。一つ一つの大きさが去年よりやや大きい」
今回は大口の食料調達に便乗して俺も個人的に買い物だ。俺が早々に個人的な分を買い終わる中、一緒に来ていたオバチャンを始めとする食料調達班が食材の目利きをしている。日々の食事に関わる物なのでその目はとても真剣だ。
そうしてしばし悩み、紙に食材の種類と量と大まかな代金の合計を書いて商人に渡す。次回買い上げる品のリストだ。支部のメンバーを食わせていく分なので量もかなり多い。
「毎度ありがとうございます。これも定期的に皆様が畑を荒らす獣を狩ってくださるおかげです」
「それはあくまで村の皆がやっている事だからねぇ。こっちはその手伝いをしているに過ぎないさ」
商人の言葉にオバチャンがカラカラと笑って答える。辺境だからこそここらには野生動物なんかも多い。そいつらがあまり増えすぎると問題になるので、戦闘訓練のついでに時折村人と合同で猟師の真似事をしたりもする。まあ頻度は多くないが。
こうして商談はいつものように進んでいくのだが、
「あっ!? ケンさんだ!」
「ケンおじちゃ~ん! 遊んで~!」
俺が買い物を終えたのを目ざとく見つけたのか、村のガキ共が次々とやってくる。こいつら毎回俺が買い出しに来る度に何故か寄ってきやがる。俺は保父さんじゃねえんだぞ!
「またかよお前ら。俺はさっさと帰って次の仕事があるんだ。……ちょっとだけだぞ」
「「わ~い!」」
「こら貴方達っ! すいませんケンさん。いつもいつもこの子達ときたら」
「いえ。ま、まあ子供のやる事ですし……よ~しガキ共。遊ぶ奴は一列に並べ。こうなりゃさっさと終わらせてやるっ!」
ガキ共の親が申し訳なさそうに頭を下げるが、これも周辺の村との関係維持の為。俺は大人として仕方なくガキ共に付き合ってやるとする。……ふっ! あのクソガキの相手に比べれば、この程度造作もない事だ。
「あいててて」
「大丈夫かいケン?」
「何とかな。何であのガキ共邪因子もないのにあんな元気なんだよ」
支部への帰り道。大量に食材を積んだ車の中で、腰を擦っているとオバチャンに心配された。
毎度ながらあの年頃のガキ共の体力は無尽蔵だ。いやホントどこにそんなスタミナがあるのっていうくらい動き回る。
おまけにガキ同士で連携が取れているから缶蹴りなんかやった日には俺ず~っと鬼である。……チクショウ。こんなことなら以前缶蹴りを教えるんじゃなかった。
あとドサクサでタックルを喰らって腰が痛いし、木に登っていた所うっかり足を滑らせたガキをキャッチしたから腕も怠い。こんな状態でも仕事しなきゃならんのが大人の辛い所だ。あとで医務室行って湿布貰ってこないとな。
「しかし、あれだけ豊作となるとその内また売り出しに行くんだろうね」
「ああ。その時はおそらくこっちに声がかかると思う。準備はしておいた方が良いかもな」
あの村も当然俺達とだけ交易をしている訳ではない。ときたま農作物なんかを近隣の村、または遠出して町等に売りに出す。
だが遠出となると道中の護衛や商品の運び役が要る。かと言って村人があんまり多く村を離れるとそれはそれでマズイ。なのでよくリーチャーに護衛の声がかかるのだ。悪の組織に護衛を頼むというのもどうかと思うが。
そんな事を話しながら無事俺達は支部へと帰還し、物資を納品して任務完了だ。オバチャンと別れ、医務室に行ってマーサに湿布を貼ってもらう。
「はい。背中見せて」
「マーサ。何かあったか?」
声に僅かな違和感を感じたので背中越しにそう尋ねると、マーサは一瞬動きを止めたあとすぐにいつもの調子に戻る。
「何かって……何が?」
「いや。何となくそう思っただけだ」
それなりに長い付き合いだから……とは敢えて口に出さなかった。向こうもそれくらい分かっているだろうしな。
「……ちょっと調べ物してたら見たくないもの見ちゃってねぇ。あと場合によっては……ふぅ~。ちょっと面倒な事になるかもって話。今はこれ以上首を突っ込むかどうか考え中」
マーサは話しながら煙草に火を着ける。いや湿布張りながらやるなよっ!? それと、
「手伝いは?」
「今は良い。それに下手にちょっかい出すと却って悪化するかもしれない。まあ話さなきゃマズいと判断したら話すわ……これでお終いっと」
「痛っ!?」
もうちょっと優しく張ってくれよ湿布。ただマーサが言うべきじゃないと判断したんなら、俺からはそれ以上聞く事もない。
湿布ありがとよと声をかけ、俺は医務室を後にした。
「……はぁ」
最近ため息が多くなった気がする。だけど俺の気持ちも分かってほしい。何故なら、
俺は通路の角からそっと様子を窺う。あいつさっきからキャンディーを咥えたまま動こうとしない。そして時折横にドンっと置かれたデカいカバンから本らしき物を取り出して、ペラペラと捲ってはまた仕舞っている。
何アレ? まさかまた泊まっていく気じゃねえだろうな? この前のヤツで味を占めたか。しかし困った。このまま行ったらどう考えてもあのクソガキに見つかってしまう。
「…………~ん」
こうなったら一旦他の所で時間を潰すか。支部長の所は下手すると手が回ってるかもしれんから却下だな。食堂は……さっき帰ったばかりだから忙しいか。
「…………さ~ん!」
トムの奴に本返しに行こうにも本は部屋の中だし……兵器課は今日また新作のテストをするって言ってたから近づきたくねぇしな。
「…………ンさ~ん!!」
よし! ひとまずここから離れよう。後の事は移動しながら考えればいい。俺はそうして通路を回れ右し、
「ケンさ~んっ!!!」
「グエッ!?」
そのまま真正面から飛びついてきた何かに腹に体当たりを決められ、ゴロゴロと通路を転がる。ぬお~考え事をしてたら油断した……はっ!? これはまさかっ!?
クンカクンカクンカ。
「……フヒっ! フヒヒっ! フオオっ! 8日と3時間と52分ぶりのケンさんの香りっ! ああ堪りません甘美です至福です興奮ですクンクンクン」
ぎょえ~ミツバっ!? 何でこんな所にっ!? こいつ本部勤務の筈じゃっ!?
「止めんか変態っ!?」
「あうっ!? もう少し! もう少しだけケンさん成分を堪能させてくださいよ!」
とりあえずイッちゃった顔で覆い被さってくる変態の頭に拳骨を入れるのだが、変態は頭を押さえて涙目になりながらも必死にこっちに抱きついてそんな事を言ってる。反省の色まるで無しだ。……って、何か忘れてるような。
「……オジサン。何してるの?」
いかん。ネルの事すっかり忘れてたぁっ!?
スマヌ。つい衝動的に変態が書いてみたくなってしまったんだ。次回はネル視点となります。
この話までで面白いとか良かったとか思ってくれる読者様。完結していないからと評価を保留されている読者様。
お気に入り、評価、感想は作家のエネルギー源です。ここぞとばかりに投入していただけるともうやる気がモリモリ湧いてきますので何卒、何卒よろしく!
ついでに作者の別作品『遅刻勇者は異世界を行く 俺の特典が貯金箱なんだけどどうしろと?』もよろしくお願いします!
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ネル 変態に酷評される
という訳でネル視点です。
「……おっそいなぁ」
あたしはキャンディーを口の中で転がしながらオジサンの来るのを待っていた。
オジサンに手を出させて返り討ちにする作戦は前回、あたしがうっかり眠ってしまうというポカをやったせいで不発に終わった。
だけど急なお泊まり自体はそれなりに有効だったのは間違いない。おそらくオジサンも自身の理性を総動員して本能的な何かを抑え込んでいた筈だ。
なのでまた色々な下準備をし、今回こそ決めてみせると上手く訓練の時間を調整して待ち構えている訳だけど、いつまで経っても戻ってこない。どうやら支部の周辺の村に食料の買い出しに行っているらしい。
そんなの力に任せて奪ってしまえばすぐなのに。実際前に見た他の支部ではそうしていた。……泣きわめく住民達の声がなんか耳障りだったからあたしは盗らずに帰ったけど。
「ふむふむ……よし。イメトレもバッチリ!」
荷物の中から愛読している本を取り出し、この状況にあった展開を幾つか練る。ここは遅れてきたオジサンを軽く貶しつつ、寛大に許してあげて主導権を握る手で行こう。今の内にセリフも考えておかないと。
何だろう? オジサンをどう掌で転がしてやるか考えていると少しだけ楽しくなる。フフフ! 早く来ないかなぁオジサン。
「ケンさ~んっ!!!」
「グエッ!?」
……んっ!? 何だろう? 近くの通路の角から変な声が聞こえてきた。だけどケンと言えばオジサンの事だ。もしかしたら帰ってきたのかな?
丁度良いや。こっちから出て行って脅かしてやろう。そう思って通路の角を覗いてみたら、
「……フヒっ! フヒヒっ! フオオっ! 8日と3時間と52分ぶりのケンさんの香りっ! ああ堪りません甘美です至福です興奮ですクンクンクン」
「止めんか変態っ!?」
「あうっ!? もう少し! もう少しだけケンさん成分を堪能させてくださいよ!」
背丈は大人にしてはかなり小柄。薄桃色の髪を肩まで伸ばし、グルグル眼鏡をかけた白衣の女性。ただ所々汚れて白衣というにはアレだし、明らかに顔が上気していてまともな精神状態とは思えない。
「……オジサン。何してるの?」
ひとまずよく分からない状況に一度声をかける。そう。あたしは将来幹部になるネル・プロティ。お父様の様に常に冷静沈着でなければならない。なので心を落ち着かせて状況把握に努めようとし、
「う~ん? 邪魔しないでくださいよぉおチビさん。私は今久方ぶりの至福の時に酔いしれている所なんですから。さあさあケンさん。こんなおチビさんは放っておいてもう少しその脳を蕩かせるようなその香りを私に」
「アンタは黙ってなさいっ!」
なんかムカッと来たからその変態にドロップキックを決めてやった。後悔はしていない。
ミツバ・ミツハシ。
弱冠十六歳で幹部、及び
その経歴は異色の一言であり、才能は有ったものの一般研究員時代から自身の興味を持ったモノ(特に匂い)にとことん執着した。
幹部になってからも奇行は健在。あまりに度が過ぎて本部からこの第9支部に一度左遷されるも「彼女が居なくなると兵器開発が十年は遅れる」という他の本部兵器課職員の強い嘆願により兵器課課長に返り咲いた。
このように人間性はともかくとして、
正直直接会った事は無かったけど、データだけなら知っている。正直口に出して言ったりはしないけど、ほんのちょっとの……憧れ? があった。そして自分が越えるべきライバルだとも勝手に思ってた。
いずれあたしが幹部になって、その最年少記録を塗り替えてやろうと思っていた。だけど、
「あのな。いくら怪人態がアレだからって少しは我慢しろよこの匂いフェチ」
「失敬な。この私が邪因子に引っ張られるようなヘマをするとでも? ……これは単に私個人の趣味ですっ!」
「なお悪いわバカっ!」
目の前でキリッとした顔をしながらオジサンに拳骨を落とされる様を見て、なんか……うん。バカバカしくなった。これがライバルは無いよ。
「……ったく。それで? 結局何の用だよ二人共。俺は仕事で忙しいんだ」
「そうそう! それだよオジサン! 実は」
「それは勿論愛しのケンさん成分を摂取に……ってちょっとお待ちを!? イヤですねぇ冗談ですよ!」
このっ!? あたしの話に被せてきたっ!? おまけにこっちに見てニヤって感じで笑ってるし。オジサンもさっさと部屋に入ろうとしたけど、冗談の言葉にちょっとだけ足が止まる。
「ああもううるさいから一度に喋んな。一人ずつだ。……じゃあまずはそこのクソガキからな」
「ふふん! そうこなくっちゃ! 実はまた今日もお泊まりに」
「却下だ。ハイ次。ミツバな」
何でよっ!? と憤慨する中、ミツバがこほんと咳払いしつつさりげなくオジサンに近寄り……くっつきすぎて顔面から引き剥がされていた。
「実はケンさんはもうご存じかと思いますが、今日この第9支部で新作の起動実験がありましてそれを見に」
ああ。アレかとオジサンは何かを納得した様子だった。
「それは知っているが、何でまたお前が? いやまあ以前ここに居たんだから縁はあるだろうが」
「へへへ。やっぱりず~っと本部の研究室に籠ってると頭の回転が落ちますからねぇ。たまには古巣の研究成果を見て刺激を受けたいと思いまして。……まあケンさんのお顔を一目見に来たというのも本当なんですけどね!」
そんな事を言いながら、ミツバはオジサンにまたすり寄っていく。そして、腕に纏わりついているのにオジサンがもう呆れながらも振り払うのを止めた時、
「なんか……嫌だな」
ガリっ!
キャンディーを噛み砕く音と共に、心のどこかがチクッとした感じがした。
「それにしても……クソガキさんでしたっけ?」
「違~うっ! ネル! ネル・プロティっ! 幹部候補生でその内アンタの記録を抜いて幹部になるレディよ。覚えておいてっ!」
「ネル? ……ああ成程。噂だけは聞いてますよ。しかしネルさん」
ミツバはそう言うと、突然あたしに寄って来て匂いを嗅ぎ始めた。
「なっ!? 何すんのよ!? このヘンタイっ!?」
「動かずに……クンクン。ヌオ~ン!?」
そしてあろうことか酷い匂いを嗅いだみたいに顔をしかめて直ぐに離れる。勝手に嗅いでおいてなんて失礼な奴。そしてオジサンにチョップを喰らっていた。アッハッハ! 良い気味!
「ひっどい匂いですねぇ。一つ一つの素材は間違いなく極上なのに、変な添加物やら無理な組み合わせやらでごちゃ混ぜになって何というかこう……しっちゃかめっちゃかになってます。色んな絵の具を混ぜたらキッタナイ色になったみたいな。実に勿体ない」
「ちょっとっ!? あたし毎日ちゃんと殺菌処理してるし、香水の類は一回も使った事ないんだけどっ!?」
自分でも嗅いでみるけど別段匂いはしない。この女のデタラメだっ! だけどそれを聞いたオジサンは何か考え込むように視線を落としている。
「オジサ~ンっ!? あたしそんな変な匂いしてないからねっ!? オジサンの加齢臭はともかくとして、あたしは年相応の美少女的な良い匂いだからっ!? ほら嗅いでみてよっ!?」
「むぅっ! ネルさんばっかりずるいですよ!? ほ~らケンさん! 私とくっついて互いに鼻から脳を蕩かしましょうよぉ」
「止めんかバカ二人っ!」
痛っ!? 服をパタパタさせながらオジサンに迫ったらデコピンされた!? まあミツバも食らっているみたいだからマシかな。そして、
「あいたたた。相変わらずヒドイ。……そうだ! ケンさん……とついでにネルさん。丁度良いから一緒に兵器課の起動実験を見に行きませんか? 色々良いデータゴホンゴホン……良い体験ができると思いますよ!」
頭を押さえながらそんな事を言い出したミツバを見て、何言ってんだろこの人と思ったあたしは悪くないと思う。
という訳で変態ことミツバです。最初は純粋にネルの越えるべき壁兼ちょっとした憧れの人として書いていたのに……どうしてこうなった?
以下、ちょっとした作者の愚痴となります。
余談ですが、小説家になろうにて投稿し始めた拙作ですが……全然っ! 読まれませんでしたっ!
ほぼこちらと同じ話(最新話はこっちの方が先)なのにこの落差で風邪をひきそうです。やっぱり向こうの作品数が多すぎて速攻で新着が流されてしまうのが原因ですかねぇ。
以上。ちょっとした作者の愚痴でした。
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雑用係 新型の起動実験に付き合わされる
「モニター全て良好です!」
「接続完了! いつでも起動可能です!」
「非常用機材搬入しました!」
……なんでこうなった?
ミツバにむりやり連れてこられた俺は、兵器課の実験用の一室を外からモニターしていた。
四方を特殊合金の壁に囲まれたその部屋の中央には、デパートのマネキンのような人形が椅子に腰掛けている。あれが今回の実験の対象だ。
俺達の居る側の部屋では、兵器課の面々が慌ただしく機材のチェック等を行っている。専門的な動きなので俺にもおおよその事しか分からないが。
「『邪因子による遠隔操作、及びある程度の自立行動可能な
「良いじゃないですか! 科学の発展はこうした実験の積み重ねですよ!」
ミツバの奴がまたさりげなくすり寄ってきたのでシッシと手を振って追い払う。
「ねぇねぇ。あの人形って一体なんなの?」
「よくぞ聞いてくれましたネルさん!」
ネルが不思議そうに聞いてくる中、俺から追い払われたミツバが代わりに答える。
「私達の身体に投与されている邪因子。これは生物の肉体に強く作用する物です。今回の実験では、邪因子を純粋な動力源として扱うことは出来ないかというコンセプトの下この試作人形が造られました」
「ふ~ん。……だけど人形を操るくらい、そこらの怪人でも出来る人居るよね? そこん所はどう違うの?」
怪人の中には無機物を操る事の出来る能力持ちも居る。例を挙げるなら、確か上級幹部の一人が糸を用いる事で数十人もの人の動きを同時に操ってみせた筈だ。人形を操るくらいなら出来る怪人も多く居るだろう。
しかしネルのこの疑問にミツバは分かっていないなあとばかりに指をチッチと振ってみせる。
「それは全てその怪人の固有の能力によるもの。今からやろうとしているのは、
その後もミツバの専門的な説明が続くが、ネルからすれば退屈だったのだろう。へぇ~とかほぉとかよく分かっていない相槌で誤魔化していた。ちょっと俺も補足してやるか。
「まあクソガキにも分かるように噛み砕いて言うとだ。固有の能力じゃなくても邪因子さえあれば、幹部だろうが一般戦闘員だろうが自在に動かせる人形の開発。それが今回の実験の目的らしい。動力部に邪因子から生み出されるエネルギーを溜めておいて、操縦者と同調して動く人形だ」
邪因子を活性化させることで発生するエネルギー。基本的に宿主の肉体強化に使われるそれを動力として使う訳だから、非戦闘員から少しずつエネルギーを貯蓄するなんてことも出来る。
まあ上の方の思惑としては兵器として使う事も想定しているのだろうが、純粋に労働力としても使えるだろうからまあ使い方次第という奴だ。居たら俺の仕事も大分楽になる。
「最終的には遠隔操作などしなくても、ある程度の自立行動が出来るようになる方向性の開発も目指していますよ! まあ完全な自立行動可能型にすると反乱の危険もあるので制限は付くでしょうが」
「……じゃあ例えば人形が一体居たら、毎朝食事を作ってくれたり部屋に戻った時に出迎えてくれたり、このモヤモヤの憂さ晴らしになってくれたりするの?」
なんかよく分からん例えだな? だが、
「憂さ晴らし? ……そうさな。細かい動作は結局遠隔操作になるから自分で作るのと変わらんかもしれないが、開発が進めば出迎えるくらいはあるかもな」
「そっか。……そっか! うんうん。良いじゃないその人形! 是非造ってよ!」
一応自分の中で納得したのか、ネルはちょっと微笑みながら期待した感じで画面の中の人形を見つめている。さっきからどこか不貞腐れていたから、機嫌が戻ったようで何よりだ。
「……で? その肝心の操縦者はどこだ? また前みたいにやらかさないよな?」
実はこの実験は
あの時の操縦者はこの前俺が手伝いに行った厨房のタコ型怪人だったな。八本の腕(足?)を使えるという器用さから精密操作を必要とする人形の操縦者に抜擢されたが……まあ結果はお察しだ。
「私も人形の資料を渡されただけで操縦者まではまだ確認していないのですが……おや? あの方のようですよ!」
ミツバの声にモニターを確認する。部屋の人形に遠隔操作用の機材を身体に装着して近づいていく操縦者。それは、
「……タコ怪人じゃなくてイカ怪人じゃねえかっ!?」
「成程。タコよりイカの方が手数が多いから向いているという訳ですか」
ミツバは冷静に観察しているが……何だろう。失敗する未来しか見えない。そして実験はスタートし
「どういう事ですかこれは? 操作どころか起動すら出来ていないじゃないですか?」
「申し訳ありませんミツバさん。……イカ型なら大丈夫だと思ったのだけどおかしいな」
ミツバの指摘通り、そもそも人形はピクリとも動いていない。イカ型怪人はタコ型と同じようにひっくり返っているが、これは起動の為にむりやり邪因子を活性化させた結果自分が暴走しかけ、周囲の職員に鎮圧された為である。
ミツバの叱責に主任研究員も首を傾げている。イカ型なら大丈夫って発想自体がおかしくないか? 見れば他の職員も失敗したことに驚いているし、ネルに至ってはそもそもよく分かっていない。発想がおかしいと思っているのは俺だけなのか?
「主任! 解析した結果原因が判明しました。どうやら純粋に邪因子の出力が起動ラインに達していなかったようです」
「出力が? オイちょっと待て? 邪因子を持っていれば誰でも使える事をコンセプトにした人形が、何で怪人級の邪因子があっても出力が足らないなんて事になるんだ?」
俺が妙に思って今ミツバと話していた主任に詰め寄ると、
「その~……やはり最初の一体というのはロマンじゃないかケンさん! 試作品とか心がゾクゾクするじゃないか! だから、機体の限界を見極めていこうと各種機能を追加して」
「起動時点で怪人級の邪因子でも足らない大喰らいになりましたってか? 動かなきゃ本末転倒だってのっ!? ミツバからもなんとか言ってやれっ!」
「分かりましたケンさん! 一言言わせてもらいます」
俺の言葉にミツバは頷き、ゆっくりと主任に近寄っていき、
「その気持ち分かりますよ主任さん! 我々科学者の本分は限界を突き詰める事。いや、
「おおっ! 分かってくれますかミツバさん!」
「主任!」
ガシッと手を取り合うミツバと主任。それを見て感涙する周囲の職員達。……そうだった。この支部の兵器課の奴らはこういうバカ達の集まりだった。いやまあ俺もロマンは嫌いじゃないけどな。
ネルはどこか白けた顔で奴らを見ている。コイツ効率主義っぽいからな。ロマンとかそういうのはお呼びじゃないって事だろう。
「しかし現実問題としてどうするんだ? そこらの怪人の邪因子量じゃ足らないってのは分かった。何人かを機材に並列接続して出力を底上げするか?」
「残念ながらそこまで機材に予備は……。それに元々一人用の物を並列用に造り直すとなるとそれなりに時間もかかります」
「そうだっ! ミツバさん! アナタなら出力は足りるのでは?」
何故か俺も顔を突き合わせて考えさせられる中、職員の一人が名案だとばかりにそんな事を言い出す。確かにミツバは本部兵器課課長兼幹部だ。邪因子の総量ならそこらの怪人より相当上だろう。だが、
「それが……先日私も実験中に大量の邪因子を消費してしまいまして、ここに視察に来たのはその回復時間もあっての事なんです。おそらく今の私では出力が足らないでしょう」
「そ、そんな……」
発言した職員ががっくり来ている。まあ仕方ないか。だが実験に失敗はつきものって事で、ここは一つサッと切り替えるべきだ。俺もさっさと帰って雑用係としての仕事に戻らんといかんしな。
どんよりした空気の中そう発言しようとした時、
「クスクス。あ~おかしい。兵器課は邪因子が低くても頭の良い人達の集まりだって思ってたけど、あたしの思い違いだったみたいだねっ! や~いどんより大人集団っ!」
雰囲気をぶち壊すように、或いはあざ笑うかのように場を切り裂く言葉が一つ。その言葉を発したのは、つまらなさそうにペロペロとキャンデイーを舌で弄びながら椅子に胡坐をかくクソガキ。
「ここに居るじゃない。幹部級の邪因子があって、丁度手の空いている寛大な人が。……そう! 幹部候補生にしてもうすぐ幹部になるレディ。このネル様が、ここに、居るじゃないっ!」
よっと椅子から飛び降りたクソガキは、不甲斐ない大人達に向けてそう邪気たっぷりに嗤いかけた。
戦いは数だとは思うのですが、やはりその原型となる特別な一機というのもロマンだと思う作者です。
さて、これまであとがきでダイレクトマーケティングを敢行してきた作者ですが、実際に効き目があるようでそちらを読んで頂けている事に感謝です。
感謝ついでにもう一つ……私が昔初めて書いた短編『ねぇシスター。あなたは“きゅ”の付くアレですか?』。面白そうだと思ったら読んでくれても良いんですよ!
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ネル 分からせるべく邪因子を解き放つ
ネル視点です。
◇◆◇◆◇◆
ゴゴゴと音を立てて隔壁が上がり、その部屋の中央にある椅子に腰掛ける人形を近くで見ると、モニター越しとは少し印象が違って見えた。
全身白くて光沢のある金属製。細身でどこか女性的だけど、関節部分を黒いゴツゴツした金属で補強しているからか見かけより大きく見える。
「ホントにやるのか? 実験上同じ室内でしか起動と操作は出来ない。もし何かあったら」
「何々? オジサ~ン。あたしの事心配してくれてるの? オジサンのくせに生意気~。……まあ見ててよ。華麗にこれを操って、オジサンに分からせてあげるんだからっ!」
機材の準備をする職員達の中、ギリギリまであたしを止めようとするオジサンに胸を張って応える。
出来ればこれまで通り、オジサンを欲情させた所を返り討ちにして実力を分からせる作戦で行きたかったけど、純粋にここであたしの邪因子の高さを見せつけて平伏させるのも悪くない。
……そうすれば、もうオジサンにすり寄ってくるような事はしないよね!
「器具の具合は如何ですか? ど、どこかキツかったりなどは?」
腕に測定機材を巻きつける中、職員がおどおどとした態度で尋ねてくる。本部の一般戦闘員や研究員があたしに向けるのと同じ、自分より明らかに上の相手に対する萎縮の眼差し。
「大丈夫よ」
……そう。これが普通。ちょっとベルトが緩いけど、それはキツく締めすぎてあたしの機嫌を損ねないようにだろう。だから後で巻き直せば良いかといつものように軽くあしらい、
「こんなに隙間があって大丈夫な訳あるか! ほらっ! もっとしっかり巻け。お前もだ! いくらガキだからって気を遣うトコを間違えんな!」
オジサンに普通に見咎められて、キツイかキツくないかギリギリの所まで巻き直された。あと確認した職員に怒ってた。
「イッタ~イ! オジサ~ン。そ~んなキッツキツにしちゃって、あたし泣いちゃうよ? や~い! 女の子を泣かすなんてサイテ~!」
「おうおう泣くなら泣けクソガキ。良いか? こういうのは何かあってからじゃ遅いんだ。大人ってのはな、
それを聞いて、隣で反対側の腕に機材を巻き付けていた職員の動きが少し変わった。それまでこちらの顔色を窺っていたのが、どこかハッとした表情でしっかりと腕に機材を巻き付けていた。
何よ。オジサンのくせに。雑用係のくせに。あたしに説教するなんて全く気に入らない。だけど、あたしの実力を分からせた後でもうこの説教が聞けなくなるかと思うと……少し寂しいかな。
『準備は良いですか?』
「いつでも良いよ~!」
部屋に備え付けられたスピーカーからさっきの主任の声が聞こえる。
あたしは人形から少し離れた場所の椅子に腰掛け、部屋の壁際には万が一の為に鎮圧用の電磁ネットランチャーを携えた職員達。ミツバは人形の最終点検を見ながら何かメモしている。だけど、
「ねえオジサン。何でモップなんか持ってるの?」
オジサンはここに来る時に持ってきていた掃除用具の一つ、モップを肩に担いでいた。いつもの青い作業服だし他の人に比べてなんか浮いている。
「仕方ないだろう。ネットランチャーは全部他の奴が使ってるし、下手に銃なんか持ってうっかりお前さんに当てたら大事だ。あとは警棒くらいだが……それなら使い慣れたこっちの方がまだ良い」
「おっかしいの! だけど安心してよオジサン! それを使うのは全部終わって、オジサンがへへ~って平伏する時にその床を綺麗にしておくぐらいだから!」
あたしはそう言ってリラックスしながら目を閉じる。さあ。いよいよだ。
『では、実験開始』
「……すぅ~」
合図と共に、ゆっくり息を吸いながら全身の邪因子を活性化させていく。身体が内側から少しずつ熱を帯び、それが中心から末端まで行き渡る感覚。
そう。いつもと同じ。本部の研究室でやる実験に比べれば、痛くも気持ち悪くもないから楽なくらい。そして、
「……繋がった」
何となく感覚で分かる。今あたしの付けた機材と人形の間に見えない管みたいな物が繋がった。その管を伝って、あたしの邪因子が人形に伝わっていく。
「邪因子活性化を確認! ……凄い! 活性率が数秒で一般戦闘員の平均値を超え、なおも上昇中!」
「まだです。タイムはともかくここまでは先ほどの方も出来ました。もっと出力を上げないと起動すら届きません」
職員の一人が驚きの声を上げる中、ミツバは冷静にそんな事を言っている。多分さっきのイカ怪人も繋がるまでは行ったのだろう。だけど力が足りないと邪因子が管を通り切らずにそのまま逆流してくる。
ミツバもそれを気に掛けているのだろうけど……見てなさい。こんなの序の口なんだから!
あたしはより深く、より強く身体に邪因子を漲らせていく。それこそ訓練でも必要が無いから滅多に見せないぐらいに。
「……ちょっ!? 噓でしょっ!? この数値っ!? 準幹部級……いえっ!
「でしょうね。
いつの間にか、あたしの身体から薄い黒と紫の混じったような靄が出始めていた。これは身体の邪因子の活性率が一定ラインを超えると起きる現象だと以前お父様は言っていたっけ。
周囲の職員のざわめきが大きくなる中……やった! オジサンも驚いた顔をしている。
今の気分は絶好調! なんなら新記録だって叩き出せそう!
「起きなさい」
目を開けたあたしの言葉と共に、人形の腕がピクリと動いた。そのままゆっくりと椅子に手をかけ、あたしの想像した通りに立ち上がる。
「おおっ! 動いたぞ!」
「出力安定! 動力部及び各パーツ正常に稼働しています!」
周りの職員達は僅かに興奮したような声を上げる。まだまだ。驚くのはこれからだよ!
「バク転っ! 駆け足っ! か~ら~の、三角跳びで前方三回転捻り!」
人形は滑らかな動きでバク転し、そのまま壁に向かって駆けだして三角跳びを決め、空中で姿勢を整えつつくるくると回転して着地してみせた。
その動きに職員達は大喜び。口々に凄い凄いとあたしとこの人形を褒め称える。
「ふふ~ん! どうオジサン! これでもまだあたしが幹部候補生じゃないって?」
「ああ。邪因子だけなら大したクソガキだよ! まあ少し前から分かってたけどな」
「うっそだ~。……
さっきの職員が普通なんだ。これまでオジサンがあんな態度を取っていられたのは、あたしが幹部候補生だと信じていなかったから。知ったらもうあんな態度でいられる筈がない。
だから、これは嘘なんだ。オジサンの苦し紛れの嘘。どうせすぐに他の奴みたいになるに決まってる。
「……おや? 今一瞬邪因子の流れに変な
ミツバが何か言ってる。まあどうせもうすぐあたしに追い抜かれる事への焦りとかそんなんでしょ。
「お~い! 起動時の出力はともかく、人形が純粋に邪因子のみを動力として行動できると証明された訳だ! もう実験はこれくらいで良いだろう? さっさと終わりにしよう。クソガキもそれで良いよな?」
そんな事を考えていると、オジサンがモニター越しで見ている主任とあたしに声をかけた。確かにオジサンからすれば早く仕事に戻りたいんだろう。だけど、
『そうですね。他にも試したい事はありますが、今日はひとまずこの辺で』
「まだまだ行くよ!」
「おいクソガキ!?」
オジサンが止めてくるが、今のあたしは絶好調だ。もう少し良い所を見せてミツバを悔しがらせてやりたい。そうしてもう一度人形に命令をしようとした時、
「ちょ、ちょっと待ってくださいネルさん。さっきから邪因子に変な淀みがあってですね。やるにしても一度休憩を挟んでから……きゃっ!?」
慌てた様子でこちらに駆けてきたミツバがうっかり足元の機材に足を引っかけ、そのままバランスを崩してオジサンに向かって倒れ込んだ。
オジサンもまた普段ならともかく、丁度モニター越しに主任と話していて気付くのが遅れた。つまり、二人はそのまま倒れ込んでゴロゴロと転がり、止まったんだ。
また、胸がチクッとした。
止めてよ。オジサンはあたしが分からせるんだ。あたし
そして、何か一気に身体から抜け出る感覚があったかと思うと、あたしはそこで意識を失った。
次に目を覚ました時、目の前にあったのは、
「ぐうぅっ!?」
「……オジ……サン!?」
人形の手刀でモップが断ち切られる中、あたしを庇って肩を切り裂かれるオジサンの姿だった。
そろそろシリアスと曇らせタグがアップを始めました。ネルが意識を失っている間の事は次回のケン視点にて。
この話までで面白いとか良かったとか思ってくれる読者様。完結していないからと評価を保留されている読者様。
お気に入り、評価、感想は作家のエネルギー源です。ここぞとばかりに投入していただけるともうやる気がモリモリ湧いてきますので何卒、何卒よろしく!
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雑用係 人形にまで分からせられそうになる
「あいたたた。早く退けよミツバっ!」
「え~!? もうちょっと……分かりました分かりましたってっ!? 偶然とは言え棚ぼたチャンスだったんですけどねぇ」
額を押さえながらミツバが渋々離れる。まったく。いきなり倒れてきたかと思えば互いの
「おいクソガキ。いい加減お前の力は分かったから実験をだな」
俺がそう呼びかけた時、
「数値に異常発生っ!? これは……邪因子が異常に活性化していますっ!」
データを見ていた職員の叫びにハッとしてネルを見る。そこには、
「……あ……あぁ」
明らかに目の焦点のあっていないネルの身体から放たれる邪因子が、黒い靄状になって人形に流れこんでいた。これはマズいっ!?
「実験中止っ! パスを切断して人形を強制停止させろっ!」
俺が咄嗟に叫ぶのと、人形が勢いよく暴れ出したのはほぼ同時だった。
「……ギ……ガアアッ!」
ノイズ交じりの雄叫びを上げながら、人形は自分の座っていた椅子を掴み上げ、そのままブンっと放り投げる。椅子は凄まじい勢いで壁にぶつかり、その衝撃で壁に僅かにヒビが入った。オイ嘘だろっ!? 特殊合金製の壁だぞ!?
「ネルさん意識レベル急激低下! 邪因子欠乏状態ですっ!」
体調をモニターしていた職員が悲鳴のような声を上げた。
邪因子は基本的に細胞を活性化させる働きがあるが、デメリットとして急激に体内の邪因子が減ると身体に不調をきたす。そして酷い場合は意識を失う。
つまりなんかの弾みでネルはそんな状態になるまで人形に邪因子を流し込んでしまったって訳だ。
「主任っ! 早くパスを切れっ!」
『それが、どうやら大量に邪因子を送り込んだのが原因で自立行動機能が誤作動したようだっ!』
チクショウっ! そう言えばコイツ
しかしネルは最後の命令を言う前に気を失った。コイツが最後に受けた命令って?
「ギ……ギギィッ!」
考える間もなくそのまま人形は急に走り出す。その先には、
「わ、私ですか!? 何でぇっ!?」
何故かミツバ目掛けて猛ダッシュ。慌てるミツバだがそうは問屋が卸さない。
「総員っ! 人形を取り押さえろっ!」
誰がそう言ったか分からない。だが職員達はこの異常事態に速やかに鎮圧用電磁ネットランチャーを人形に向けて撃ち放つ。
幾重にも広がった電気を発する網が人形に殺到し……次の瞬間、
ザンッ!
人形の前面に当たる部分だけが、まるで型抜きか何かの様に切り飛ばされた。見ると人形が手刀を構え、その手刀からは先ほどの邪因子のような黒い靄が噴き出している。
「げえっ!? 何なんだアレ!?」
『よくぞ聞いてくれた! あれこそは私が組み込んだ邪因子制御装置。その機能の一つだ。邪因子に物理的な破壊力を持たせて小型の重機として使う試みもあったからな。……ここで実験するつもりはなかったが、正常に機能しているようだ』
「言っとる場合かこのマッドサイエンティストっ! 何でも良いから早く止める方法を教えろっ!」
理由は分からないが人形はミツバを狙っていた。何とか取り押さえようとする職員達をなぎ倒しながら、ミツバ目掛けて真っすぐ向かって行く。そして、
「ひょえ~っ!? お、お助けぇっ!? ……しかしこれは発想はアリかもしれませんがおっと~っ!? ……まだまだ改善の余地があるのでは? 私だったらもっと薄く手を覆うようにしてロスを避けアウチっ!? 今掠ったっ!? ケンさんヘ~ルプっ!」
流石ミツバというか何と言うか、人形の猛攻を情けなくもギリギリで躱しながら機能を考察しつつ、それでいて俺に助けを求めるという器用な真似をしやがる。
しかしアレを躱せるのはミツバが曲がりなりにも幹部だからこそ。今もネットランチャーでは埒が明かないと、警棒片手に向かって行った職員が人形にぶっ飛ばされた。
幸い身体だけは丈夫なのが邪因子持ちの良い所。常人なら大怪我するレベルの勢いで殴られたが、ちょっと血反吐を吐いているものの命に別状はない。
しかしあの調子で暴れられたらいくら何でもシャレにならん。
「もうちょっと粘れミツバっ! ……大丈夫か? しっかりしろ」
「ゲホッ……すみませんケンさん」
幸い人形の狙いはミツバ。時間を稼いでもらうその間に、俺はぶっ飛ばされてまともに動けない奴らを壁際まで引きずっていく。しかしこのままじゃ怪我人が増える一方だ。
『よし! 背中の緊急停止ボタンを押すんだ。動力部の稼働そのものを止めるのでそれで止まる』
そこにスピーカーから主任の声が響き渡る。背中っ!? あの暴れまわる奴の背中なんてどうやって……そうだっ! ネルを正気に戻せばっ!
「おいっ! しっかりしろクソガキっ!」
「ケンさんっ!? そっち行きましたっ!」
俺がネルを叩き起こそうと駆け寄った時、ミツバの珍しく焦った声が聞こえて咄嗟に座っているネルを抱き抱えるよう横っ飛びする。
その一瞬後、ネルの座っていた椅子が襲い掛かってきた人形に両断された。
「てめえっ! あと少し遅かったらコイツが真っ二つになる所だぞ。てめえのボスじゃねえのかよ?」
返事が戻ってくるとは思えないが、俺は腹立たしくそうぶちまける。すると、
『……ギ……ワカラ……セル……オジサン』
……はい? なんか今とんでもない言葉が聞こえたんだが。
『ギギ……オジサン……アタシノ……トラ……ナイデ』
所々ノイズ交じりでそんな事を宣うこの人形。……いやホントなんで!? いや待て、これがもしやネルの
『アタシノ……ダカラ……ギギ……ジャマモノ……ケス』
「うおっ!?」
人形は矛先をミツバから完全にネルに変え、その手刀を振り下ろした。
俺は咄嗟にネルを後ろに降ろし、そのまま床に転がしていたモップを拾って迎え撃つ。
柄で受け流すように手刀を逸らし、モップを顔面に叩き込むがあまり効いているように見えない。どんだけ頑丈に造ったんだコイツはっ!?
「おいっ! 起きろっ! 起きろってこのクソガキっ!」
執拗にネルだけを狙い続ける人形に対し、後方に呼び掛けながらどうにか間に入って凌ぐこと数合。
他の職員達のネットランチャーによる牽制や、人形の一撃一撃は重いものの狙いの分かりやすさで何とかなっていた。しかし、
ピシっ! バキッ!
元々モップは戦いの為の道具じゃない。なのに酷使をすればこうなるのは自明の理で、
「ぐうぅっ!?」
「……オジ……サン!?」
人形の手刀に耐えかねたモップが両断され、そのまま肩を切り裂かれる。……ちっ。起き抜けのガキにみっともねえ所を見せちまった。
「オジサンっ!? なん……で……あたしを庇って」
「ケンさんっ!?」
ネルや他の職員達が慌てて駆け寄ろうとするが今はそれどころじゃない。
「話は後だクソガキっ! 奴を止めろっ!」
「う、うんっ! そこの人形っ! 止ま……うわあっ!?」
止めようと一歩前に出たネルだが、
『ギガァ……オジ……サン……ナンデ…………アタシノ……ナノニ…………アタシガ……キズツケテ……アタシガ……アタシガガガ』
人形がさっきから滅多矢鱈に暴れまわって近づけない。アイツ思考回路に異常をきたしたのか見境が無くなってやがる。これじゃあもう、
「……
ゾクッ!? とんでもない寒気が背筋を這った。他の職員達もそれを感じ取ったのか、全員でその声を発したネルの方を見ると……
怒りで真っ赤になりながら、歯を食いしばって涙を流していた。
「言う事も聞かずに散々暴れて、オジサンをこんな目に遭わせて……オジサンはあたしが分からせるんだっ! だから……
本当に時が止まったように感じられた。ネルの涙ながらの叫びと共に、身体から放たれる邪因子交じりのプレッシャーが部屋中に拡がる。さっきまで欠乏状態だったのに一体どこからこんな邪因子がっ!?
職員達は皆動けなかった。人形ですらも僅かに動きを止めた。そんな中、
「今だっ!
「分かってますよっと!」
注意が逸れ、今の今までずっと機を窺っていたミツバがドンっと強く床を踏み込んで駆ける。その邪因子漲る手足は人の物ではなく、ミツバの怪人態たる獣の物。
四足歩行で床を、壁を、天井を駆け、ミツバは動きを止めた人形の背に回り込み、
「せ~の……お休みなさ~いっ!」
その背の緊急停止ボタンに神速の猫パンチを叩き込んだ。
いつの世も泣く子には勝てないというのもお約束でした。
ちなみに邪因子適性が低いオジサンが人形と普通に渡り合えたのは、人形があくまでネルだけを狙って攻撃していた為それを邪魔するだけで良かったからです。それにまあ……鍛えてますから。
次回。(この章の)最終回です。
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雑用係 クソガキにヒーロー扱いされる 第一部(終)
「……ふぅ~。よし。そろそろ退院許可を出そうじゃないか」
「やっとかよ」
煙草を咥えながら俺の傷口を診ていたマーサが、紫煙を吐きながらそう宣言した。そうして包帯を巻き直されると、俺はいそいそとはだけていた患者衣を着直す。
起動実験から一週間、俺は人形に負わされた怪我が元で医務室に世話になっていた。他の怪我人達が先に治って通常業務に戻る中、一人だけ最後まで寝たきりというのはなんとももどかしい。
こういう時は邪因子適性の高い奴らの再生能力が羨ましいな。
「あのさぁ、ケン。アンタの事だからさっさと仕事に戻らなきゃとか考えてないかい?」
「よく分かったな。もう一週間も休んじまったからな。仕事が溜まってる筈だ」
「だろうけどさ、これを機にもう一、二週間くらい休んでもバチは当たらないよ? アンタ普段から働きすぎなんだから」
マーサが呆れ顔で見ているが、どうにもやる事が溜まっていると落ち着かない性分なんだ。
「ったくもう。このワーカーホリックときたら……気が変わった。アンタの退院許可はもう一日延ばすとしようかね!」
「えっ!? ちょ、ちょっと待てよマーサっ!?」
「支部長にはワタシから言っといてやるよ。もう一日そこのベッドと仲良くやるこったね。そんじゃお達者で!」
マーサはそう言い残し、煙草の残り香を置いて医務室を出て行った。ドクターストップがかかったのでは退院する訳にも行かず、俺は仕方なくまたベッドに横たわる。
暇潰しにあの一件の顛末を簡単に思い出してみる。
まずあの実験自体は成功扱いになった。起動後に暴走したものの、それはこのリーチャーでは日常茶飯事だ。被害も怪我人は出たが死者が出なかったから良しというなんとも悪の組織らしい結論だな。
だが主任が一般研究員に降格となった。暴走自体はよくある事でも、主任が個人的な趣味で余計な装備やら何やらを付けた事で被害が大きくなった為だ。
まあその点については当然の措置だと思うのだが、ミツバと妙に意気投合していたのがやや不安だ。ああいう奴らは合わせると碌な事をしない。
人形は厳重に封印された上で本部兵器課預かりとなった。廃棄処分ではなかったのは、図らずも被害の大きさ=性能の高さという図式で上に伝わってしまったようだ。まあミツバも一枚噛んでいる事は間違いないが。
クソガキことネルはというと、風の噂ではしばらく謹慎という軽い処罰で済んだらしい。暴走の原因はあくまで主任の調整の為という結論になったとか。まあそれを知らせてくれたマーサが言うには、どこかから圧力がかかったとか。
そして、最後に気にかかる事が一つ。人形を停止させる直前にネルから発せられたあの邪因子交じりのプレッシャーだ。
邪因子自体は火事場の馬鹿力というのもあるし、欠乏状態からさらに活性化して捻り出すというのも難しいが出来なくはない。だがあの時背筋に走った寒気。あれにとてもよく似たプレッシャーの持ち主を俺は知っている。おそらくあの場ではミツバも知っていただろう。
なにせ特殊な機会……
そう。この悪の組織。
コンコン。
考え事の最中、急に医務室の扉がノックされる。
誰だ? マーサならわざわざノックするなんてことはしない。なら診察か急患かと思ったが、それにしてはノックからは焦った様子も感じられない。
「誰だか知らんが入んな! と言っても医者は留守だ。軽い怪我なら自分で何とかしてもらうがね」
本来なら今日退院出来る程度には治りつつある身だ。どうせ暇だし、包帯を巻く程度なら手伝ってやってもいいだろう。そんな軽い気持ちで放った言葉だが、
「お邪魔するよ~って……クサっ!? 何よここ!? 前とおんなじで煙草の煙が酷いじゃないっ!? オジサンのオジサン臭と合わせてとんでもない匂いだよコレっ! 換気換気っ!」
入るなりいきなり鼻を摘まんで慌てて煙を手で払うクソガキを見て、入れなきゃよかったと早速後悔した。
「これで良し……と。は~いオジサン! お見舞いに来たよ!」
「そうか。それはわざわざすまんな。じゃあもう用は済んだだろうから回れ右して帰れ」
「ちょっとぉっ!? それは酷いよオジサ~ン! ……ハハ~ン! もしかしてお邪魔だった? もしかして一人寂しくヘブッ!?」
人を舐めた態度にイラっときて、ネルの顔面に枕を投げてその口を閉じさせる。スマンが今の俺は大人の余裕はあんまりないぞ。怪我人(延長)だからな。
「それで? 本当に何の用だ? そもそもお前謹慎中だと噂で聞いたぞ」
「あ~。アレ!」
ネルはクスクスと笑いながら、キャンディーを取り出して口に咥える。
「謹慎にはホントまいっちゃったよ! なんか身体の邪因子量が極端に減ってたらしくて、お父様には邪因子が元の値に戻るまでここに行っちゃいけないって言われちゃった。何日も検査続きだったし……だから今日までかかったよ」
「あれだけの邪因子を消費しておいて、たった一週間で戻ったのかよ」
人形に注ぎ込んだ分。止める際に周囲に放たれた分。並の怪人が同じ量を溜めようとしたら、一体どれだけかかる事か。本当にこのクソガキは才能だけなら群を抜いている。
内心呆れながらも感心していると、ネルはそれまでのへらへらした態度から一転。この年頃のガキには珍しい真剣な眼差しでこちらを見据える。
「……ねぇ。オジサン。オジサンは……なんであの時あたしを庇ったの?」
「うん? ああ」
何を言いだすかと思えば、この前の人形の件か。ネルは俺の服から覗く、肩に巻かれた包帯を見て顔を歪める。
「オジサンのその怪我。まだ治っていないじゃない。……オジサンも分かったでしょ? あたし幹部候補生だよ。あたしだったらこのくらいの傷、一日もあれば治ってた。なのに、何で庇ったの?」
「何でって言われてもなぁ」
「誤魔化さないでっ!」
また一瞬だけ、ネルからプレッシャーが放たれる。だがそこに混じる感情は怒りというよりも、
「あたしの方が強いんだからっ! 庇われるような事なんて……無いんだから。だから、オジサンがこんな怪我する必要なんて」
「……はぁ。ああもう泣くんじゃねえよ」
また涙目になって顔を俯かせるネルに、俺はため息を吐きながらベッドを降りて、部屋に備えてあるハンドタオルを取ってくるとネルの顔を拭く。
「あぅ!? オジサンっ!? 拭けるっ! 自分で拭けるって!?」
「良いからジッとしてろ。……良く聞けよクソガキ。自分の方が強いから庇われる必要なんかないってか? んな訳あるかよ!」
どこか首領によく似た邪因子と規格外の才を持つ子供。色々と気になる所はあるがそんな事はどうでも良い。俺はやや乱暴にごしごしと拭きながら、至極単純な答えをクソガキに返してやる。
「お前さんが俺より強かろうが弱かろうが関係ねぇ。
そのまましばらく拭き、しっかり涙が拭えた事を確認する。ネルはそのまま少し押し黙ると、
「……本当? あたしが幹部候補生でも、幹部になっても、同じ事が言える?」
「ああ。幹部候補生だろうが幹部だろうが上級幹部だろうが、ガキが
「ふふっ。オジサンはヒーローみたいだね。悪の組織なのに変なの」
「……ふ、ハッハッハッハいやスマン。ハハハ……俺がヒーローか」
ネルのとんでもない冗談に、ついたまらず吹き出してしまった。目を丸くするネルについついポンポンと頭に手を置いてこう言ってやる。
「ヒーローなんてもんはな、自分を犠牲にしてでも全部を助けようとする奴らがやるもんだ。俺はガキ一人の相手で手一杯だよ」
ネルはそれを聞いて、それもそうだねとやっと年相応の顔で笑った。
数日後。
「だああっ!? 仕事の邪魔だっ! さっさと帰れっ!」
「ねぇ良いでしょう? 雑用係なんかより、もうじき幹部になるあたしの下僕の方が待遇良いよ! ちょ~っと頭を下げて「この卑しいクソ雑魚オジサンは、とっても強くて美少女のネル様に完全に分からせられました。どうか私めをあなた様の専用下僕にしてくださいお願いします」と言ってくれれば、すぐにでもお父様に掛け合って取り立ててもらうから! 仕事だってあたしの世話をしてくれればそれで良いよ!」
何故か前にもましてクソガキに舐めた態度で絡まれるようになった。
一体どうしてこうなった?
という訳で、俺達の戦いはこれからだエンドっぽくなりましたが、これで(この章)最終回です。これまでお付き合いくださった読者様。本当にありがとうございました。
一応伏線も張って続きも考えてはいるのですが、ちょっと疲れたというか軽い燃え尽き症候群になりそうな勢いの作者です。まあ誰かに頑張れと言ってもらえるだけで立ち直る現金な精神性ですが。
それではここで恒例のおねだりをば。
この話までで面白いとか良かったとか思ってくれる読者様。完結していないからと評価を保留されている読者様。
お気に入り、評価、感想は作家のエネルギー源です。ここぞとばかりに投入していただけるともうやる気がモリモリ湧いてきますので何卒、何卒よろしく!
推薦とか貰うと飛び上がる程喜びますよホント!
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第二部
雑用係の平凡な一日
今回はちょっとした日常回です。
午前5時少し前。
ピピピっ! ピピピっ!
雑用係の朝は早い。軽快なベルを鳴らす目覚ましを止め、俺はグッと背伸びをする。
軽く身支度を整え、向かうのはこの第9支部の訓練場。俺の日課でいつもここで訓練をして汗を流す。何故こんな時間かと言うと、もう少し経つと朝練でここが割と賑やかになるからだ。
賑やかなのは嫌いじゃないが、なにぶん俺の邪因子適性は非常に低い。下手に他の奴が居ると訓練の邪魔になりかねないのでいつもこの時間だ。
午前6時。
この頃になると、ぽつぽつと一般の戦闘員なんかも朝練にやってくる。そろそろ引き上げるとするか。
「おぅ! おはようケンさん。今日も今終わりかい?」
「ああおはよう。他の奴の邪魔になったら悪いからな」
「そんな事言うなよ。ケンさんのアドバイスのおかげで動きが格段に良くなった奴は多いんだぜ? 今度俺のトレーニングも見てくれよ!」
確かに何人かにアドバイスをしたことはある。だがそれは皆して動きに変なクセがあったり、訓練の仕方が身体に合っていなかった奴らだ。俺がやった事と言ったらそこを少し指摘しただけ。大したことじゃない。
「ハハッ! まあ暇になったらな! じゃあな!」
だがまあ仕事とあればまた受けるだろう。俺はそんな事を言い合いながら自室に戻り、シャワーを軽く浴びて汗を流す。
午前7時。
朝食は大抵自炊だ。和食洋食は気分と冷蔵庫の中身で決める。今日は少し訓練に熱が入って疲れたので軽めの物としよう。
バタートーストにハチミツをたっぷり塗り、デザートにはフルーツのヨーグルト和え。それらを一杯のコーヒーと共に腹に落とし込む。
食事が済んだら、さあて。仕事の時間だ。
午前8時。
「おはようございますジン支部長。早速ですが今日の仕事は?」
「ああ。おはよう。いつも通りだ。そこの壁に紙を張ってある。持っていくと良い」
支部長室で挨拶を済ませると、俺は支部長がざっとまとめておいてくれた依頼の紙を手に取り、一礼して退出する。
「え~と……支部の外壁塗装に競羊用の羊の放牧。麻雀の面子が足りないから募集……って最後のは仕事じゃねえな。後回しっと」
ざっと内容を頭に叩き込み、緊急性の高い物を優先してどうしても都合がつかない分は丁重に断りの連絡を入れる。
あくまで俺の仕事は
正午。食堂にて。
「いらっしゃい! 今日はこっちで食べるのかい?」
「思いのほか外での仕事が長引いてさ。次のが立て込んでて自分で作る暇がない。悪いけどすぐに食べれるそばでも頼むよ」
「あいよ! そば一丁っ!」
昼時は相変わらず食堂は大忙し。よく見ればこの前のタコ怪人も復帰して腕をフル回転させている。後遺症もなさそうで結構だ。
俺も何とか空いた席を確保し、頼んだそばをズルズルと啜る。……おっ!? こののど越しはいつもと違うな。
「流石に察しが良いね。今回は近くの村でこの前買った芋。アレを擦って少量生地に練り込んであるのさ。勿論出す相手は選んでる。ケンはアレルギーの類はなかっただろう?」
「ああ。前のも美味かったが、こっちはのど越しがよりツルっと行く感じだ」
そんな具合で軽く世間話に花を咲かせた後、俺は早めに食事を終わらせて次の仕事へ向かった。
午後6時。
「良し。これでおしまいだ」
ひとまず今日の内にやらなきゃいけない仕事を全て終わらせ、支部長に仕事の内容をまとめた書類を提出。静かに
「は~いオジサン! 遊びに来たよ! 今日こそあたしの下僕になってよっ!」
「よし。馬鹿な事を言ってないで帰れ。今すぐ帰れ。俺は忙しいんだ」
俺に安息の地はないらしい。普通にちょくちょくやってくるクソガキに正直頭を抱える。お前昨日来たばかりだろっ!?
「え~っ! 良いじゃん! ふふ~ん! 今日は凄いんだよぉ。な・ん・と、じゃじゃ~んっ!」
ネルが自慢げに取り出したのは、本部で発行されている広報誌だ。ネルはそのページをぺらぺらと捲り、一つの面を大きく広げてこちらに見せる。
「何々? ……これお前じゃないか!?」
「そう! 『次期幹部候補筆頭。ネル・プロティ独占インタビュー』だって! まああたしの実力をもってすれば、やっぱ当然だよねぇっ!」
胸を張って鼻高々に見せつけてくるネル。だがよくよく読んでみると、インタビューという割にはあまり踏み込んだ所までは記事になっていない。
質問も基本的に当たり障りのない内容で、核心部分というか突っ込んだ部分はあくまで“らしい”とか“思われる”とかで濁されている。
「ああそれ? あたしは結構真面目に答えてるんだけど、なんでかその度に相手が変な反応をするんだよねぇ。例えば“よく食べる食事のメニューは何ですか?”って聞いてくるから、錠剤では××社の物が栄養効率が良いから良く摂取するって返したら目が点になってたし」
いや。それは食事のカウントとしてはどうかと思うぞ。
「安心してよ。ちゃんとその後で、“あとはオジサンの作る卵焼きとかサンドイッチかな”って言っておいたから! 上手くしたらオジサンにもインタビューが来るかもしれないよ! そうしたら泣いて喜んであたしにひれ伏してよねっ!」
そう自慢げに言うネルだが、それっぽい所を抜粋するとどうやら“食事は栄養面が第一。それ以外は不要らしい”という流れに落ち着いている。インパクトのある返答ではあるな。うん。
「ねぇ。どう? 凄い? 凄いでしょう?」
ネルはしきりにそう言ってグイグイ内容を見せつけてくる。流石にうっとおしいから適当に追っ払ってやろうか。そう思ってネルの顔を見た時、
「……凄いと言っちゃあ凄いな。うん。誰にでも出来る事じゃない。良く出来てると思うぞ」
「本当っ? そうでしょうそうでしょう! まあヨワヨワのオジサンには縁のない話だろうけどね」
何故だろうな。一瞬コイツの顔が、どこか
すぐにそんな感じは霧散し、渾身のドヤ顔をこちらに向けてくるクソガキ。やっぱ腹立つな。
「それとオジサ~ン。もうこんな時間だし、折角だからあたしに手料理を振る舞ってくれないかなぁって。ほらっ! 今回の記念って事で! お願~い!」
「何が記念だ。ほとんど毎回ここに来る度にねだってんじゃねえかっ!? ……錠剤だけの食事よりかはマシか。ちょっと待ってろ。今日は白米にみそ汁とソーセージとキャベツの炒め物カレー風味だ」
「やったっ! オジサン。卵焼きも忘れないでね!」
「分かってるよっ!」
そうして二人で夕食を摂った後、どさくさでまた泊まっていこうとするクソガキに軽く説教してゲートで送り帰すのが最近の日課になりつつある。……こんな日課嫌だぞオイ。
午後9時。
コンコン。
「ケン。居るかい?」
「ああ。入りな」
ノックの音と共に、今度はマーサが部屋に訪ねてきた。今日は来客が多いな。
「実は……って!? ケ~ン。これは何だ~い?」
げっ!? しまった!? 部屋に持ち帰ってやるはずだった仕事の紙だっ!? 俺としたことがうっかり数枚仕舞い忘れていたらしい。
「ケン。前にもワタシは言ったよね? 仕事を持ち帰ってやるのは止めとけって?」
そう言うなり、マーサは懐から煙草を一本取り出すとおもむろに咥えて火を着ける。
「ま、待った!? ちょっと待ってくれ!?」
「……ふぅ~。言い訳無用。これは没収さね」
吐き出される紫煙が部屋中に漂い、その煙に包まれたかと思うと紙がふわりと浮かび上がってマーサの元に運ばれる。他の保管してあった分もだ。マーサの奴怪人の能力まで使いやがってっ!?
「ひとまずもう無さそうだね。まったく。少し目を離すとすぐ自分の仕事を増やすんだからアンタは」
「……で? 一体何の用なんだよ?」
「な~に。たまにはちょいと寝酒に付き合ってほしくてさぁ。アンタならツマミくらいあるだろう?」
ニヤッと笑いながら缶ビールの入った袋を振ってみせるマーサに対し、俺は何も言わずに冷蔵庫の中を確認した。……明日の朝飯用のおかずを作り足さねえとな。
午後11時。
ひとしきり二人でツマミを片手に晩酌した後、ほろ酔い気分で自室に戻ろうとするマーサに送って行こうかと声をかける。すると、
「おやぁ? 送り狼かい? まあ……アンタならウェルカムだけどさぁ。フフフ」
「寧ろうっかりお前に絡まれる奴を心配してんだよ。ほらっ。酔っぱらって馬鹿な事言ってないで肩貸せ」
顔を赤くしてニヤニヤと笑う酔いどれの悪友を彼女の部屋に放り込み、さっさと自分の部屋に戻る。あとは寝るだけ……なのだが、
「……朝飯のおかずを今の内に作っておくか」
今やれることは今やる。時間はどこまで行っても有限だ。出来上がったおかずを冷蔵庫に入れ、あとは温めるだけで食べられる状態にする。
時間はそろそろ真夜中。うん。今日は珍しく今日中に仕事は粗方終わった。マーサに取られなかったらその分を日を跨いでも終わらせるつもりだったが……まあ偶には早めに寝るのも良いだろう。
俺は静かに布団に潜り込んだ。明日も仕事が待っているのだから。
という訳で、雑用係の平凡な一日でした。……些か平凡と言い難い点もあるやもしれませんが、そこはご容赦を。
正しく平凡であれば悪の組織に長く勤められる筈もありませんので。
この話までで面白いとか良かったとか思ってくれる読者様。評価を保留されている読者様。
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幹部候補生の平凡な一日
出来れば前話と合わせて読んで頂ければ幸いです。
午前6時。
ビーっ!? ビーっ!?
「……んっ!?」
けたたましいブザーの音にあたしはゆっくりと目を開け、自分が水中に浮かんでいるのに気が付く。
そうだった。昨日は数か月に一度の精密検査の日で、検査ついでの実験中に
あたしが起きた事を確認したのか、急速に排水されて足が床に着いた。そのままポッドの前面ガラスが開いてあたしは外に出る。
「おはようございますネル様。ご気分は如何ですか?」
お父様の部下の科学者が、あたしの着替えを持っていつものように落ち着いた態度で話しかけてくる。見た所身体に異常は見られないし、昨日の怪我も傷跡すら残っていない。……うん。問題なし。
ただ、強いて言うのなら、
「同じ液体の筈なのに、お風呂の方が気持ちいいのはなんでだろう?」
「……はい?」
「なんでもな~い。いつも通り万全だよ」
そう。今日もいつも通りの一日が始まる。
午前7時。
「制服良し。タオル良し。教材良し」
本部の自室で、あたしは訓練用の支度を整えていた。毎日の事だからこそ確認はしっかりしないと。……いけないっ!? 忘れる所だった。
あたしは朝食の錠剤を飲み下し、昨日検査の前にオジサンに作ってもらった弁当をカバンに詰める。
さあ。今日も元気に訓練だ。
正午。
退屈な幹部としての心構えやら理論やらの講義も終わり、あたしが一番好きな戦闘訓練の時間になる。
「とりゃあああっ!」
「げふぅっ!?」
試合開始のゴングとほぼ同時に、あたしは残像を残しながら一気に対戦相手の懐に飛び込んで顎を掌底で一撃。意識を失ってかち上げられた相手はそのまま背中から床に倒れ伏す。
「そ、そこまでっ! 勝者。ネル・プロティ」
「じゃあ教官。あたしは次の所に行くので失礼しますっ!」
あたしはさっさと次の場所に行くべく片づけを始める。
「……ネルの戦い方変わったよな」
「ああ。以前までは相手を弄ぶのが目的って感じだったのに、最近はほぼ瞬殺って感じだ」
「それだけじゃねえ。なんかこう……スマートになった。邪因子任せってだけじゃなく、的確に急所を一撃でぶち抜いてくる。来るって分かってても防げないくらい瞬間的に邪因子を高めてよ」
周りがまたひそひそ言っているけど、構ってる暇はないのでスルーする。
何故戦闘訓練が一番好きかと言うと、ここが一番
戦闘訓練のノルマは候補生同士の組み手を最低一回と、組織のデータから造られる仮想敵性存在を決められた数撃破する事。データとはさっきやったので、今の組み手でノルマは果たした。
何度も戦っている内に、どうすればもっと効率よく敵を無力化出来るか、もっと自分の邪因子を早く強く活性化出来るかだんだん分かってくる。
訓練に掛ける時間が長ければより強くなるのは当然だ。だけど、より短い時間でと意識してみるとまた違った感覚があった。やっぱり目的があると違う。
「よ~し。片づけお終いっ!」
あたしはちょっとだけウキウキしながら訓練場を出る。だってこれが終わったら、楽しい
「いただきま~すっ!」
あたしは本部食堂の一席で昼の分の錠剤を飲みこむと、オジサンの弁当をテーブルに広げる。今日は長持ちするよう笹の葉に巻かれたおにぎりが三つ綺麗に並んでいる。
最近時々だけど、事前に頼み込んでオジサンに食事を作ってもらう事にしている。栄養は錠剤で十分だけど、食事は新しく出来た趣味の一つだ。
訓練を早めに終わらせて出来た時間で、あたしはのんびりとおにぎりを口に頬張る。……うん! 今日も美味しい! 具はおかかかな?
そうしておかか、シャケのおにぎりを平らげ、三つ目に口をつけた時、
「ネル様~! ネルさ……あっ!? そちらにいらっしゃいましたか!」
そんな声と共に急に誰かこちらに駆けよってきた。いつもあたしの周りはぽっかりと誰も近寄ってこなくなるのに珍しい。……三つ目は梅干しだった。強烈な酸っぱさに慌ててお茶を口に含む。
「いやぁ探しましたよ。訓練場に行ったらもう出たというし、ネル様の行きそうな場所をあちこち探してようやく見つけました!」
見ればどこか見覚えのある女の人。確か……あっ!? 思い出した。この前あたしにインタビューをしてきた広報課の人だ。え~っとチョウって名前だったかな。
「おやぁ? やっぱりネル様もちゃんとお食事するんじゃないですか! もぉインタビューの時は錠剤ばっかりだなんて言って」
「噓じゃないよ。……ほらっ! 昼の分はもう飲んだもの。こっちは単なる趣味」
あたしがさっき飲んだ錠剤の残りを見せると、何故かちょっとだけ引くチョウ。そんなに変かな?
「ま、まあそれはともかくです。ネル様。遂に出来ましたよ! こちら明日発行される広報誌の見本です。ネル様へのインタビューもバッチシ載ってますとも!」
「ホント!? 早く見せて!」
チョウの見せてきた広報誌。その中のページの一つに注目する。そこにはあたしの写真とインタビューの内容が、『次期幹部候補筆頭。ネル・プロティ独占インタビュー』の見出しと共にしっかりと記事になっていた。
午後5時。
「ふんふんふ~ん!」
ついつい鼻歌を歌いながら、今日の訓練も講義も全て終わらせ自室に戻る。記念にとチョウから貰った広報誌。それをギュッとカバンの上から握りしめて。
部屋に入るなり、肌身離さず持っていた通信機を起動させる。ああ。良い事は重なるものだ。今日はお父様への定期報告の日。この出来事を早くお父様にお知らせしなくちゃ。
きっと喜んでくれるだろう。
『こちらから伝える事は以上だ。では、また次は七日後に』
「はい。失礼します。お父様」
その言葉と共に通信は切れ、通信機の画面は真っ暗になる。
「……まだ、足らないのかなぁ」
あたしの報告を聞いたお父様の反応は、まるで普段と変わらないものだった。そうかとただ一言述べたっきり、いつものように笑顔を見せる事もなく事務的な連絡だけ。
あとどれだけ手を伸ばせば、あとどれだけ上を目指せば、お父様はこちらを見てくれるのだろう?
午後6時。
「は~いオジサン! 遊びに来たよ! 今日こそあたしの下僕になってよっ!」
「よし。馬鹿な事を言ってないで帰れ。今すぐ帰れ。俺は忙しいんだ」
オジサンに会いに来たのに深い理由はない。なんというか、無性に会いたくなったから。あとはまあいずれ下僕にする訳だし、今の内にあたしの凄い所を見せておこうと思ったから。ただそれだけ。
それでオジサンの部屋を訪ねると、普通に追い払われそうになった。だけどなんだかんだオジサンは、困った顔をしながらさりげなくお茶を出してくれる。
「ふふ~ん! 今日は凄いんだよぉ。な・ん・と、じゃじゃ~んっ!」
「何々? ……これお前じゃないか!?」
少し興味が出たのか、ふむふむとあたしのインタビューの内容を読み始めるオジサン。その間もインタビューの内容をあたしは取り留めもなく語る。
だけどやっぱりインタビュー中のチョウと同じく、話の内容を語るとちょっとオジサンは引いていた。そんなに不思議だったかな?
「ねぇ。どう? 凄い? 凄いでしょう?」
お父様に認められなきゃ意味はないのだけど、ふとそんな言葉を漏らしてしまった。だけど、もしもオジサンにも認めてもらえなかったら……ちょっと、辛いかな。
オジサンはいつものように軽く流そうとして、あたしの顔を見るなり一瞬口を噤む。そして、
「……凄いと言っちゃあ凄いな。うん。誰にでも出来る事じゃない。良く出来てると思うぞ」
そうほんの少しだけ優し気な口調で言った。
どうしてだろう。当然の事を言われただけなのに、心のどこかが温かくなった。
あたしは幹部候補生なんだから。いずれ幹部になってお父様の役に立つレディなんだから。こんな言葉は言われ慣れなきゃいけないのに。
だから、あたしは胸を張ってこう返すんだ。
「本当っ? そうでしょうそうでしょう! まあヨワヨワのオジサンには縁のない話だろうけどね」
午後8時。
結局オジサンに夕食(勿論卵焼きも付いてる)をご馳走になり、ついでに明日の分の弁当もゲット!
今日はもう検査もないし泊まっていこうかと思ったけど、流石にそれはオジサンに断られてゲートから送り帰された。一緒に説教もされたけど、こっちはもう慣れたものだ。
どさくさでオジサンの保管していた紙。仕事の依頼書らしきものを一、二枚外へ抜き出しておいた。ちょっとしたイタズラだ。
帰るついでに訓練室(個人用)に寄って、仮想敵性存在と邪因子を全開にして
それ以上のレベルもやってみたいけど、あとの二つは幹部以上じゃないと出来ない“エキスパート”と、
特にナイトメアは、一度だけお父様に尋ねた事があるけれど敵の強さは幹部級か下手するとそれ以上。その上挑戦者は邪因子の縛りを付けられ、余程扱いに慣れた人じゃないと満足に活性化すら出来なくなるとか。
だけど挑戦回数のカウント自体は毎日少しずつ増えているらしいので、上級幹部の誰かが使っているのだろう。誰だか知らないけど。
あたしもいつかはエキスパート。そしてナイトメアに挑んでみたい。そこならばずっとこの胸にあるどこか温かい気持ちとは別の、モヤモヤとした気持ちを存分に晴らす事が出来るだろう。
午後10時。
自室に戻ると滅菌シャワーで身体を清潔にし、弁当を冷蔵庫に入れて保管する。明日は昼は短縮しづらいから朝食に食べよう。
身体の簡易メディカルチェックを行い、きちんと記録してからベッドに入る。
何でだろう? いつもなら定期報告のあった日は、頭の中がグルグルして胸がモヤモヤしてよく眠れないのに、今日はぐっすり眠れそうだ。
「お休みなさい」
あたしは誰ともなく呟く。
さあ。明日も訓練だ。お父様に認めてもらう為、そして……ちょっとだけオジサンにまた褒めてもらう為、明日も頑張るよ!
という訳で幹部候補生の平凡な一日でした。……間違いなく彼女にとっては平凡ですとも。
次話からまた本編に戻っていきますよ!
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雑用係はクソガキの地雷を踏む
それと遅ればせながら報告を。
いつの間にか、うくくぅ様から推薦を頂いておりましたっ! お礼が遅くなったことをこの場でお詫び申し上げるのと、推薦非常に感謝感謝ですっ!
さて。唐突だがここで問題だ。
勿論由緒正しい悪の組織であれば、首領に圧倒的なカリスマ、何かしらの大義があってそれに賛同する者が大半だろう。
或いは洗脳や精神操作、改造によって無理やり言うことを聞かせるという場合もある。実際邪因子には大なり小なり首領への好感度を上げる効果があり、対象への好感度を強制的に上げるのもある意味洗脳の一種だ。
しかし全部が全部そういうメンバーばかりではない。邪因子適性が低く首領への忠誠心に乏しい者も居るし、それについては別段咎めるものでもない。
そこで最初の疑問に戻る。何故悪の組織の一員は首領に、組織に従うのか?
それに関しては至極単純な事。
そして仕事には給料が発生する。ここまで長々と話してきたが、結局の所次の一言が言いたいだけなのだ。つまり、
「野郎共。待たせたな! 今日は待ちに待った
「「「うおおおおっ!!!」」」
第9支部に職員達の歓喜の雄叫びが響き渡った。
ここは第9支部経理課。組織全体の銀行も兼ねている場所だが、普段はあまり人が来ない。しかし今日は月に一度の給料日という事で大混雑だ。
「はいよアラン。ほれ。持ってけボブ。……こらトムっ! 割り込むんじゃねえっ! ちゃんと順番を守って並べっ!」
今日の俺の仕事は、滞りなく給与の受け渡しを行うべく経理課の手伝い。行列整理だ。
給料の受け取りは手渡しか振込(メンバーは悪の組織に入った時に専用の口座を開設される)だが、ここの支部の大半の奴は手渡し派だ。そっちの方が金の実感があるらしい。ちなみに俺も手渡し派。
だがあまりにやってくる人が多く、その上大半が荒くれ者。毎回混雑し問題が発生する。経理課の戦場は机の上であり、肉体言語はやや不得手だ。なので毎月給料日には、こうして雑用係に声がかかる訳だ。
「お疲れさんジム。ゼシカは初給与おめでとう! 大切に使いな。おいそこのたむろしてる奴ら! 貰うもん貰ったらさっさと列を外れて部屋を出ろっ! 嬉しいからってそんなとこで給料を比べ合ってんじゃねえよまったく」
そんなこんなで経理課が開く朝9時から、ホクホク顔で列に並ぶ馬鹿野郎達を整理し続け数時間。昼前にはやっとこさ列の終わりが見えてきた。
始まる当初は最前線に赴く戦闘員みたいな覚悟ガンギマリの顔をしていた経理課の奴らも、終わりが見えた事で僅かに表情が和らぐ。
「ありがとうございましたケンさん。毎回昼までに半数以上が給料を取りに来るので、この調子ならもう午後からはこちらの職員だけでも何とかなりそうです」
「役に立てれば幸いだ。……しかし毎回仕事そっちのけで来てねえかこいつら」
今尚列に並んでいる奴らが、それを聞いてバツが悪そうに頭を掻く。バツが悪いって分かってんなら仕事終わらせてから来いよ。そう思っていると、
「あっ!? ケンさん。次の方が来ましたよ」
「おっといけない。さあ。最後尾はこち……ら?」
そこにやってきたのは、
「やっほ~オジサン! 今日も相変わらずせこせこ働いてる~?」
「そういうお前も相変わらずだなクソガキ」
いつものように出合い頭に失礼な事を言うネルだった。こいつは毎回そんな事を言わんと死ぬ病にでもかかってんのか?
「で? 何の用だクソガキ。俺は今見ての通り仕事中だ」
相手が相手だが気を取り直して対応する。しかしホントにどうして来たんだ?
給料は手渡しなら自身の所属している場所。ネルであれば本部でしか受け取れない。勿論振込なら口座から引き出す事は他の場所でも出来るが、それならわざわざここまでくる必要もない。
そんな疑問がつい口から出たのだが、
「別に~。オジサンがここに居るって聞いたから様子見に来ただけ。……皆なんで並んでるの?」
「なんでって……今日は給料日だからな。給料を受け取りに来たんだ」
「給料?」
ネルは何故かそこで不思議そうな顔をする。
「ああ。子供には分からんかもしれんが、大人はこうして金を稼いでいるんだ。というかお前だって幹部候補生ならその分の給料位出てるだろうに」
正確な額までは知らんが、少なくとも一般戦闘員より相当稼いでいる筈だ。実際ミツバは確か趣味で毎月気に入った香水(一つ数万もする高級な奴)を何個も買っている。それぐらいには高給取りだ。
こんなガキに小さなうちから大金を持たせるのはちと問題だが、この実力主義のリーチャーではそれもまかり通る。しかし、
「知らないなぁ。あたし給料とか気にしたことないし、それに
「……何だって?」
ネルの言い分に俺は言葉を失った。だが軽く頭を振って落ち着く。
「金を使った事ないって……お前普段どんな生活してるんだ? 食事はまあいざとなったら無料の奴(あまり美味くない)もあるし、必要最低限の設備は本部にあるだろうから良いとして、それにしたって何かに使うだろう? 趣味とか」
「だってお金なんか払わなくても、あたしが欲しいと言ったらお父様やお父様の部下がくれるもの。それに欲しい物もそんなにないし……あっ!? あたしオジサンが欲しいなぁ。お金沢山あげたら下僕になってくれない? ……痛っ!?」
頭の痛い事を言うクソガキにとりあえずデコピンをかましておく。
しかしこいつの言った事が本当だとするとそれはそれで問題だ。こいつの親は一体どういう教育をしてんだ? 金銭感覚が良い悪いの話ですらないぞ。
「って事は、お前自分で買い物とかも行った事は無いのか? いや別に一人でじゃなくても良い。誰か大人……そうだ!
「行った事ない」
その瞬間、ネルの機嫌が目に見えて悪くなった。ばっさりと俺の言葉をぶった切ると共に、無表情にホルダーからキャンディーを取り出して咥える。……マズイ。家族の話は地雷だったか。
明らかに空気が重くなる中、
「いやあ助かりましたケンさん。こちら、依頼の達成証明書とケンさんの給与となります! どうぞ」
「んっ!? あ、ああ。ありがとう」
見ると列もすっかりなくなり、経理課の職員が俺の分の給料袋と書類を差し出していた。俺は静かにそれを受け取るが、正直今はそれどころじゃ……待てよ!?
「OK。また何かあったら連絡してくれ。……おい。クソガキ」
「……な~に?」
「
「えっ!? ちょ!? ちょっとオジサン!?」
俺は給料袋を懐に入れ、ネルの手を取って歩き出す。奴め。珍しく目を白黒させてやがるな。
そりゃあガキの内から大金を持っていても碌な事にはならないが、だからといって買い物の一つもさせないっていうのはいかんだろう。だからとんちんかんな事を言い出すんだ。なので、
「金を使った事がない? ハッ! なら体験させてやろうじゃないか。大人の社会勉強をなっ!」
ふっ! ガキに社会の厳しさを分からせる時が来たようだ。
ネルの地雷(家族)を話題にしてちょっと慌てるケンと、珍しくケンに引っ張られるネルの話でした。
という訳で次回、ネルのはじめてのかいもの編です。おつかいは……まだ早いので。
この話までで面白いとか良かったとか思ってくれる読者様。評価を保留されている読者様。
お気に入り、評価、感想は作家のエネルギー源です。ここぞとばかりに投入していただけるともうやる気がモリモリ湧いてきますので何卒、何卒よろしく!
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雑用係 クソガキと買い物に行く
なんちゃって設定なので、何か言いたい事があっても温かい目で静かに見守っていただければ幸いです。
さて。この第9支部は支部全体から見れば相当辺境の地にある。なら職員が金を貰っても使い道がないんじゃ? と思われるかもしれないが、実際は決してそんな事は無い。
「いらっしゃいいらっしゃいっ! 今日は新作入荷したよ!」
「本部職員御用達。これが最近の流行だよっ! さあ買ったっ!」
ここは第9支部の一画。こまごまとした日用品から本部払い下げの武装。書籍や映像機器などの娯楽や酒や煙草なんかの嗜好品まで、様々な物を取り扱う店の集合地。
誰が呼んだか通称“商店街”。その場所に俺とネルは足を踏み入れていた。
「うわぁ……こういうトコあんまり来た事ないけど、賑やかだね! オジサン!」
「今日は給料日だから特に人が多いな。ほらっ! 最初はこっちだ。離れんなよクソガキ」
人間金が入ると豪遊したくなるもの。そういう意味ではちょっと今日はマズかったかもしれん。そんな事を思いながら、興味深そうに周りを見るネルとはぐれないように軽く手を取って目的の店に向かう。まずは、
「……本屋?」
「そんなに意外か? 俺だって本ぐらい読む」
時々仕事の合間に数分くらい暇な時が出来る。そんな時に軽く本を読むのが趣味の一つだ。以前からトムに本を借りていたのだが、最近は自分で気に入った本を買ったりもしている。
「まず俺が本を買うから、それをよ~く見て覚えろよ。その後でお前には自分で本を選んで買ってもらうからな?」
「え~っ!? 別にそんな事しなくても、欲しい物をそのまま持っていけば良いだけでしょ? 簡単だよ!」
そう自信満々に宣うクソガキ。いかん。この調子じゃ目も当てられん。まずその全ては自分の物って考えを分からせる必要があるな。
「だからタダで
「いらっしゃい! そろそろ来る頃だと思ってました。新刊なら取り置いてありますよ」
顔なじみの店員に一声かけると、早速俺の読んでいるシリーズの新刊を取り出してくる。この辺りはもう慣れたものだ。
「こちら800カムとなります。お支払いはいつものようにカードで?」
「ああいや。今回は現金だ。これで頼む」
「はい。毎度ありがとうございます」
いつもはカードで支払うのだが、今回はネルの買い物の練習も兼ねているからな。俺はリーチャー内で流通している通貨カム(日本円と大体レートは同じ)で支払う。
「さあて。今の見たなクソガキ。じゃあ早速実践だ。これをやるから、この店の好きな本を一冊選んで買ってみな。……まさか通貨の額も分からんとかないよな?」
「それくらいは知ってるよ。ちょっと待ってて」
ネルは受け取った1000カム紙幣を片手に棚を覗き込んでいく。
実は1000カムというのは微妙なラインだ。本によってはそれより高い品も多いし、ちゃんと値段を見ないと金が足らなくなる。と言ってもまずは買い物を成功させるという体験をさせるのが第一だが。
「ケンさん。今回の仕事は子守りか何かですか?」
「まあそんな所だ。生意気な上世間知らずのクソガキで困ってる。だからまずは大人としてその辺りをしっかり分からせてやろうと思ってな」
「成程。だからこうして買い物の練習に。了解です!」
そうして俺が店員と雑談をしながら待つこと数分。
「決めた! オジサンっ! あたしこれにする」
「決まったか。どれを選んだ?」
一応ネルがどんなジャンルを選ぶか少し気になってはいたんだ。確認の為に選んだ本を見せてもらう。……んっ!? やけに肌色が多い表紙だな。
「え~と何々? 『メスガキは大人なんかに負けたりしない』……ってなんじゃこりゃぁっ!?」
「ふふ~ん! 本屋って初めて来たけど、まさかこれがこんな所にあったなんてね! あたしも持ってるけど最後の方が破れちゃってて気になっていたの! あたしこれにする!」
ネルが持ってきたのはどう見てもR18の成人向け漫画だった。しまったっ!? この支部基本大人しか居ないからR18コーナーが区切られてねえっ!?
「あ~……これは無しだ」
「え~っ!? 何でっ!? この店の好きな本を選べって言ったじゃんっ!」
「これはガキにはまだ早いっ! 悔しかったら早く大人になるんだな!」
素早く本を没収してどうにかネルを宥めすかし、他の本(俺は見せてもらえなかったが、店員が言うには一応健全な漫画らしい)を選択。
さて購入という所でネルが「600カム? タダにして!」とか、「へぇ~。タダにしてくれないんだ? こんな可愛らしい女の子が頼んでるのに……
それからしばらく、俺達は日用品を買いながら商店街をのんびり回った。と言っても色々あったが。
新しい食器を買おうとしたらネルがやたらファンシーな奴(しかもペアの奴)を勧めてきたり、2000カムで練習がてら昼飯を買ってこさせたら俺の分は300カム分しかないミニサイズだったり(残りは全部自分の分だった)。他にも色々だ。
しかし一応ネルも、金で買い物をする最低限のやり方は分かってきたようだった。というかそんな事すら教わっていなかったという事が驚きだ。
「ふんふふ~ん! オジサン! 買い物って楽しいね!」
「まあ基礎が出来てきたようで何よりだ。付き合った甲斐があった」
買い物帰りの帰り道。片手に自分で買った物を入れた袋をぶら下げて、もう片方の手を繋いだ状態で上機嫌に歩くネル。
こういう時にちゃんと言っておかないとな。俺はネルの横を歩きながら語り掛ける。
「良いか? 今回の事で分かったと思うが、金があれば色んな物が買える。色んな事が出来る。だから大人は皆頑張って働いて金を稼ぐ訳だ」
悪の組織だろうとも、その基本原則は変わらない。ネルは静かにこちらに耳を傾けている。
「つまりお前がこれまでただ欲しいって言うだけで手に入ってきた物は、そうした
「へへ~ん! お説教なんか聞かないよ~だ!」
ネルは手を離すと、そのまま軽く前方にトントンっと走ってこちらに振り向く。
「クスクス。おバカなオジサン。自分が買い物に付き合った? 違うよ。
なんて口では言っているが、その口元はイタズラ気味にニンマリと弧を描いていた。
そう。コイツにとってはただのイタズラだ。しかもすぐバレる類の。
大人を舐めるクソガキには真面目に付き合わずに受け流すのが鉄則だが、ただのガキのイタズラをいちいち突っついて指摘するのも大人げないというもの。
仕方ない。ここは大人として乗ってやろうじゃないか。
「何っ!? このクソガキめっ! 今まで俺が散々手伝ってやったのに騙しやがったな! もう勘弁ならん。そこに直れっ! 徹底的に説教して分からせてやるっ!」
「や~だよ! ほ~らこっち! ここまでおいでっ!」
そう言って笑いながら買い物袋を持って駆け出すネルの姿は、その時間違いなく年相応の普通の少女に見えた。
という訳で、ネルのはじめてのかいものでした。
実は本に関しては……当初プロットにはありませんでした。だってついギリギリになって思いついちゃったんですものしょうがないよね。
次回はネル視点となります。
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ネル その手を繋ぎ、そして離す
「
「えっ!? ちょ!? ちょっとオジサン!?」
あたしはオジサンに手を引かれて歩いていた。どうしてこんな事になったんだっけ? ちょっと今までの経緯を振り返る。
確か今日は珍しく昼前から時間が空いて、丁度良いからオジサンに昼食を食べさせてもらおうと部屋に行ったら誰もいなくて、たまたま通りがかった人にオジサンの場所を聞いてここまで来たんだっけ。
それで今日は給料日だって言うから話をしてたら、両親と買い物に行った事がないのかって話題になったんだ。
お父様はお忙しいから買い物なんて連れて行ってもらった事ないし、
だから行った事ないとちょっぴり強めに言ったら、何故かオジサンに買い物に付き合わされた。……う~ん。思い返してみたけどよく分からないね。
オジサンに連れられたのは、通称商店街と呼ばれる支部の一画。物を売り買いする所なんてあんまり行った事ないから少し新鮮だ。だから周りを見回していると、
「今日は給料日だから特に人が多いな。ほらっ! 最初はこっちだ。離れんなよクソガキ」
オジサンはまたあたしの手を取って歩き出す。その手はどこか温かくて、あたしに合わせて歩調を落としているのに気づく。
オジサンのくせに生意気なっ! ちょっとだけイラっとして……それと同時にどこか胸の辺りが温かくなっているのが少し心地よかった。
最初に着いたのが本屋だったのはちょっと意外だった。オジサンが本を読むのは部屋に本があったから分かるけど、何と言うか……ゆっくり読んでいるってイメージが湧かなかったから。
オジサンは店員と軽くやり取りをして本を一冊買い、あたしに1000カム紙幣を手渡して好きな本を買ってみろと言った。心配しなくても買い物のやり方くらい知っている。わざわざ金を出して買った事がないだけだもの。
あたしは紙幣を握りしめながら棚を覗いていく。だけど本か。あたしの読んだことある本と言ってもあまり種類が無いからどれを選べば……これはっ!?
それは棚の隅っこに、まるで隠されるように置かれていた。だけど見覚えのある表紙に、あたしはゆっくりとそれを手に取る。……間違いない。『メスガキは大人なんかに負けたりしない』。あたしが前偶然拾った本と同じ物だ! 結末が気になっていたし丁度良い。
「決めた! オジサンっ! あたしこれにする」
「決まったか。どれを選んだ?」
そうして選んだのだけど、何故かオジサンは微妙に渋い顔をしてダメだって言う。ガキにはまだ早いって言うけど、あたしもう最後以外読んじゃったんだけどなぁ。
だけど良いもんね。
そっちは店員に見せたら「さっきの物のリメイク版ですね。……R15だけど、まあ悪の組織だしギリギリ良いでしょう」とか言ってOKを出してくれた。シリーズ物らしいから面白かったらまた買おう。
その後もあたしはオジサンと一緒にあちこちを回った。
例えば日用品を扱う店。
「おいクソガキ。何だコレは?」
「何ってお皿だよ。オジサンが新しい食器が要るってブツブツ言ってたから、あたしがこうして見つけておいてあげたの! えへっ! 褒め称えてくれてもいいよ!」
「いやこれ、かなりファンシーな花柄プリントがされてんだけど。おまけに男女でペアの奴だし」
「だってそれセットだと安くなるって書いてあったし、絵柄はよく分かんないけどどうせあたしがちょくちょく行くから多い方が良いと思って。……ダメだった?」
「……まあ良いけどよ。お前用の予備にするからな」
「え~っ!? 一緒に使おうよ!」
あたしの選んだ皿にオジサンは困った顔をしてたけど、なんだかんだそれに決めてくれたんだから嫌って訳じゃなさそうだった。
例えば食堂とはまた違う、持ち帰り用の食べ物や菓子を扱う店。
「オジサ~ン! 昼ご飯買って来たよ!」
「待ってたぞ。しかし……ちょっと多くないか? まさか渡した分全部使ったな?」
「うん! ぴったし2000カム分だよ! デザートもある」
「お釣りの勉強をさせる為に多くしたんだがまあ良い。じゃあ俺の分を……っておい!? 俺の分これだけか!? というかお前そんなに食うのか!?」
「錠剤は飲んだけど、折角だし色々食べてみようと思って。……あっ!? オジサ~ン。はいっ! 美少女の食べかけをあげるっ! 嬉しくて感涙しても良いよ!」
「食べかけかよっ!? せめて口をつけてない奴で頼む」
そう嘆くオジサンを尻目に、あたしは次々に食べ物を頬張る。……うん。やっぱりオジサンの料理の方が美味しいと思う。
そして、
「ふんふふ~ん! オジサン! 買い物って楽しいね!」
「まあ基礎が出来てきたようで何よりだ。付き合った甲斐があった」
買い物を終えた帰り道、あたしはオジサンと手を繋いで歩いていた。
決してあたしから手を繋いでほしいと言ったんじゃないよ。丁度片手が空いていて、たまたまオジサンも片手が手持無沙汰だったから手を
「良いか? 今回の事で分かったと思うが、金があれば色んな物が買える。色んな事が出来る。だから大人は皆頑張って働いて金を稼ぐ訳だ」
あ~。オジサンのいつもの説教が始まった。
最初は何言ってんのこの人って感じだったけど。ちょっと……いやかなり長くて内容がよく分からない時もあるけど。……最近は、あまり嫌じゃない。
だけど、折角のお買い物の帰りにそんな事を言うのはよろしくないよね。
「へへ~ん! お説教なんか聞かないよ~だ!」
あたしは自分から手を離して軽くトントンっと距離を取る。
手を離した瞬間から消えていく温かみ。でも大丈夫。その手はまた繋げられるから。この人は
「クスクス。おバカなオジサン。自分が買い物に付き合った? 違うよ。
あたしがイタズラ気味に揶揄うと、オジサンは怒って追いかけてくる。
だけど、オジサンも本気で怒っている訳じゃない。それくらいは分かるようになってきた。……今でも良く分からないお父様とは違って。
「ほ~らこっち! ここまでおいでっ!」
「待てぃっ! 逃がすかっ!」
あたしは買い物袋をぶら下げて、アハハと笑いながら駆ける。
ああ。今日はとても良い日だ!
その日の夜。
いつものようにお父様への定期報告を行い、いつものように事務的な連絡事項が告げられる。だけど、今回の最後は普段とは少し違った。
「幹部昇進試験ですか?」
『ああ。その日取りが三週間後に決まった。試験の内容は後日幹部候補生全員に通達されるだろう。その日に備えて準備を整えておけ。……
その言葉を最後に通信は切れ、後に残るは真っ暗な画面のみ。でも、あたしの心はとても昂っていた。
「お父様が……あたしに、期待しているって」
ああ。やっとだ。やっと
あたしは期待されているっ! なら、その期待に応えないと。訓練の時間を増やさなきゃ。三週間なんてすぐなんだもの。あたしはそう考えて、
「……あっ」
買い物袋が目に留まった。
今の時点でも訓練や講義を短縮する事で何とか時間を作っている。ゲートの時間が限定されている事も考えると、訓練を増やせば第9支部に行く事は難しくなるだろう。
しばらくオジサンには会えそうにない。そう考えると何故だろう? 胸が少しだけ苦しくなって、
「……いや。訓練しなくちゃ。お父様の期待に応えないと」
あたしは胸の痛みを振り切るようにキャンディーを口に咥えた。
ああ。今日は……とても良い日だ。
さて。そろそろシリアスと曇らせタグがアップを始めました。
あんまり重い話ばかりだとアレなので少し崩しましょう。
・『メスガキは大人を分からせたい』
年齢性別職業不明の覆面作家T&Aのメスガキシリーズ一作目(正確には『メスガキは大人なんかに負けたりしない』が一作目だが、本人曰くあれは試作品なので実質こちらが一作目)。
重い過去を持つ通称メスガキちゃんが、偶然知り合った社畜のオジサンを分からせるべく行動する中少しずつ互いに打ち解けていくというストーリー。
ファン曰く「エロの皮を被った純愛モノ」「一つ間違えば依存、狂愛、破滅一直線のトンデモストーリー」「一見救われているのはメスガキ。だけど一番救われているのは実はオジサン」と評価が分かれる作品。
試作品がR18。それ以降がR15なのは、メスガキがあの手この手で煽ったり誘惑しているのに対し、試作品の狂乱エンド以外は一貫して保護者や父親的対応をしている為。実際の行為には及んでいないのでR15。
現在試作品を含め四作目。なおも連載中。
いかがだったでしょうか? 裏設定を作るのって本編とは違う楽しさがあります。
設定も含めて、この話までで面白いとか良かったとか思ってくれる読者様。評価を保留されている読者様。
お気に入り、評価、感想は作家のエネルギー源です。ここぞとばかりに投入していただけるともうやる気がモリモリ湧いてきますので何卒、何卒よろしく!
読者様からの推薦など泣いて喜びますよ!
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雑用係 ■■に会いに行く
うお~1位だぁっ! まあすぐに下がりましたけど、とんでもない快挙です。
これも全て読者様方の応援のおかげ。感謝感謝です。
注意! 途中視点変更があります。
カサカサ。カサカサ。
俺は自室で今日も元気に仕事(うっかり段ボールに入れていた書類をぶちまけて混ぜてしまった依頼人に代わり書類の仕分け)をしていた。雑用係に休みは基本的にない。
テーブルの反対側では、マーサが頬杖を突きながら煙草をふかしている。
「ふぅ~。最近、来ないねぇ」
「……何がだ? 仕事ならこうしてお前が見張りに立つくらいにはあるぞ」
「そっちじゃないさ。……分かってるんだろ? あのクソガキちゃんの事さね」
そこで一瞬俺の手が止まる。あの買い物の日から今日で二週間。これまで数日おきに俺の周りをうろうろしていたクソガキことネルがバッタリと来なくなったのだ。だが、
「はっ! 結構な事じゃねぇか。あのクソガキが居ないから最近仕事が捗って捗って」
「そうかい? その割にはあんまり進んでいないように見えるけど? この調子ならワタシが見張ってなくても良かったかもね……ふぅ~」
まだ半分近く残っている書類の束を前に、手伝うこともなく煙草を指で挟んでマーサはニヤッと笑う。この調子じゃ次の仕事に取り掛かれそうにない。
「それにそこの棚にある食器。あれってそのクソガキちゃんとの買い物で買った奴だよねぇ?」
「勘違いすんな。俺も好きで置いている訳じゃない。……ただ折角買ったのに、一度も使わないんじゃ勿体ないと思っただけだ」
「でもわざわざ次に来た時の為に用意してあるなんて、気にしてますよって公言しているようなものさ。いい加減素直になりな」
こいつめ。ああ言えばこう言う。しかし強がってはみたものの、確かに自分でも分かる程度にはどうにも進みが悪い。
最近はあのクソガキが邪魔する中でやるのが普通になってたからなんかこう……落ち着かない。以前のやり方に戻っただけなんだがな。
また部屋に静寂が漂い、紙の擦れる音のみが響く。そんな中、
「そう言えば、いよいよ来週らしいじゃないか。幹部昇進試験」
突然マーサがそんな事を切り出した。俺は何も言わずに手を動かし続ける。
「年二回、二日かけて行われ、幹部に必要な知力、体力、統率力等を総合的に求められる一大試験。特に毎回二日目に行われるアレは何人クリア出来る事やら」
「何だ? 自慢か? 自分がその難しい試験に受かったっていう」
「ハハッ! まあそんなとこ。……ただ、今頃あのクソガキちゃんも、それに向けて忙しくしているんだろうかねぇ」
マーサはそこで少しだけ感慨深いように遠い目をすると、再び煙草に火を着けて燻らす。
幹部昇進試験。俺も試験の手伝いで立ち会った事はあるが、実際相当難しい。毎回それなりの数の幹部候補生が挑戦するが、無事幹部になれるのは毎回良くて数名程度だ。場合によってはクリア者が出ない事も有る。
幹部というのは支部長を任せられる階級。即ちそれだけの能力と責任が求められるのだから当然と言えば当然だが。しかしそう考えると、
『へへ~ん! この次期幹部候補筆頭であるネル様にかかれば、こ~んな試験楽勝だよっ! ……あっ!? ごめ~ん。邪因子最低ランクのオジサンには縁のない話だったよね? まああたしの合格話でも聞いてあたしの凄さを再認識してくれれば嬉しいなっ!』
とかなんとか言ってそうなクソガキが、あの試験を突破出来るかちょっと……いやかなり不安だ。まだ初日の筆記と体力テストは何とかなるにしても、二日目のアレですぐ脱落するイメージが浮かんでくる。
実際マーサは俺と初めて会った時から幹部だったので知らんが、あの
「これは噂なんだけどね、最近クソガキちゃんの訓練への熱の入れようが半端じゃないんだってさ。それこそ寝る間も惜しんで身を削るみたいにってね」
「……そうか」
その言葉に、いつの間にか俺の手は止まっていた。あのクソガキ。何やってんだ。
「……はぁ。やめだやめだ。今日はどうにも仕事が進まない。また次回にする」
「おやおや。珍しい事も有ったものさ。アンタが仕事を途中で打ち切るなんてね」
「幸いこの書類整理は急ぎじゃないしな。それに……明日は
俺はさっさとやりかけの書類を片付け始める。
そう。月に一度、その日だけは俺も第9支部での仕事を休み、リーチャー本部まで行かねばならない。それが
「さあ。マーサも帰った帰った。準備の邪魔だ。明日は朝一から行って夜まで帰れないからな。いつものように緊急の仕事がある時はジン支部長経由で連絡してくれ」
「はいはい。……夜? へぇ? いつもなら
「うるさいっての! 早く帰れっ!」
ニマニマと笑うマーサを蹴り出すように部屋の外へ追い出し、やっと一息つく。アイツそもそもこの時間医務室勤務だろうに。俺の部屋でサボるんじゃねえよ。
「ったく。……っとこうしちゃいられない」
俺は明日持っていく道具をいつものようにリストアップし、一つ一つ準備していく。前回は準備不足で厄介な目に遭ったからな。ここを怠ったら後が怖い。そして、
「……まあついでに見に行ってやるか」
ネルの選んだセットの皿と調理器具もリストに追加した。
さあ。食材は現地で調達するとして、明日何を作るか考えないとな。
◇◆◇◆◇◆◇◆
次の日の朝。
ケンは第9支部のゲート待合室に来ていた。
服装こそ普段の青い上下の作業着だが、その傍らには人一人入りそうな程大きいキャリーバッグが置かれている。
ガランとした待合室には他に誰も居ない。それもその筈、本来この時間に繋がるゲートはない。時刻表にも記載されていない。
ケンが待っていたのは、限られた者だけが知っている特殊なゲート。月に一度、この日この時間だけ開くある場所への直通便。
ブオンっ!
空間が歪み、ゲートが形作られると共にケンはキャリーバッグを片手に入り込んだ。一瞬の浮遊感の後で、ケンは辿り着いた先が間違いなく目当ての場所だと確信する。
目の前にある豪奢に装飾された扉。そこから洩れる圧倒的なまでの威圧感と邪因子……いや、正確には
コンコンコン。
「入るが良い」
「……失礼します」
ノックの後すぐに戻ってくる返事。中に居る人に失礼の無いよう、ケンも軽く身なりを整えて扉を開ける。
中は邪因子で満ちていた。一呼吸する度に、一歩踏み出す度に、もはや普通に触れるレベルまで達した邪因子がケンに纏わりつく。
そんな中、この部屋の主はただ一人の為に設えられた玉座に足を組んで腰掛け、妖艶に微笑みながらケンに呼び掛ける。
「一月ぶりか。息災だったか? 雑用係」
「はっ。
ケンは静かに目の前の女性、自らが仕える組織のトップ、リーチャー首領に一礼した。
という訳で雑用係、首領に会いに行くでした。
敢えて伏字にしてみましたが……少しはミステリアスな感じは出ましたかね? 次回もケン視点予定です。
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雑用係 首領に仕事を手伝わせる
リーチャー首領。この組織のトップであり絶対者。
腰まで届く長い青磁色の髪を靡かせ、濃い群青色のどこか軍服のような服を着こなし、本部内を颯爽と歩く様は威風堂々。
その根本から格の違う邪因子を一度感じ取れば、それだけで周囲は自然と身も心も服従する。まさに人の上に立つ者。
邪因子が常時活性化し続けているため肉体の老化もほぼストップし、その輝くばかりの美貌は二十代の全盛期のまま。
戦場に立てばそれだけで味方の士気は上がり、相手の士気はダダ下がり。それでも立ち向かう勇者やヒーロー、或いはただの愚者を圧倒的な邪因子で蹂躙する様は、さしずめ魔王と言われても一向に違いない。
そんなリーチャー首領が、玉座からこちらに妖艶な笑みを向ける。
「ふふっ。どうした? 雑用係よ。こちらへ来るが良い」
「はい。ただその前に、一つ言わせていただきたい」
「何だ? 言ってみるが良い」
本来ならこうして申し立てるだけでも時と場合によっては不敬もの。特に俺みたいな下っ端は直接話しかけるのもあんまりよろしくない。
だが、男には言わなきゃいけない時がある。
「首領様。……
「ハッ! 年中無休でそんな堅苦しい格好をしていられるかっ! 私室でくらい楽な格好で何が悪い」
玉座に脱いだ服を乱雑に引っ掛け、そう
二人っきりで早朝の逢引きだとでも思ったか? 残念ながらそんな甘い話ではなく仕事である。
リーチャー首領。間違いなく悪の大ボスであり絶対者だ。人前では常に自らを律し続け、目的に向けて邁進する完璧な王だ。
だが私室ではこの通り。完璧な王の姿は消え、一気に自堕落が限界突破するのだから困る。要するにとんでもなくオンオフが激しいのだ。カリスマがカリチュマになるレベルである。
「それにこんなに邪因子を垂れ流しにして。首領様のは触れられるレベルなんですから、もう少し自分でも抑制してくださいよ」
「ふん。常に抑制し続けるのは疲れてかなわない。ここはワタシの部屋だぞ。誰に迷惑をかける訳でもないのだから好きにするさ」
「掃除する俺に迷惑が掛かってるから言ってるんですっ!」
玉座に座ったまま手をひらひらとさせて言う首領に文句を返しながら、俺はとんでもなく密度の濃い邪因子を持参した小型吸引機(ミツバ作。通称邪因子バキューム)で吸い取っていく。
周囲に靄の様に漂っていた邪因子はみるみる減っていき、それが覆い隠していた部屋の実体が明らかになる。それは、
「毎度の事ながら、酷い汚部屋ですね」
「何を言うか。この完璧に計算された配置が分からぬか?」
玉座から降りた首領が、その均整の取れた肉体を惜しげもなく晒しながら近づいてくる。だからさっさと服を着てくださいっての。
俺の責めるような視線に気づいたのか、首領はいつもの部屋着。ジャージの上下にもそもそと着替える。こんなの誰かに見られたら威厳なんか吹っ飛……いや、溢れ出る邪因子とカリスマがあるから勢いだけでも何とかなりそうだこの人。
「ではお聞きします。このくちゃくちゃになったベッドは?」
「決まっている。……とぅっ! こうやって如何にスムーズかつ自然に包まれるようにベッドにダイブするかという試行錯誤の結果だ」
そう言って俺の目の前で実演してみせる首領。子供みたいな事しないでください。
「成程。じゃあそこのクローゼット……の前に放置されている服は?」
「あれは偶然だ。クローゼットに丁度入りきらなくなったから外に出しているだけだ」
「毎回適当に詰め込むからでしょうがっ!」
見ると明らかに豪華な式典用の服まで混じっている。適当に放置したから皺になってるぞ。
「ではあそこの執務机は? やけに物が散らかっていますが」
「ふっ。見た目だけで判断するのはお前の悪い癖だぞ雑用係。あれはワタシが中央に座った状態で、どれも速やかに手が届くように置いてあるのだ」
「単に片付けるのが億劫になっただけでしょアレっ!? というか首領様なら物質化した邪因子を伸ばして普通に本部の端から端まで届きますよね? 面倒がらないでくださいっ! ……ってこれはっ!?」
そこで俺は何気なく部屋の隅を見て唖然とする。そこにあるのは口の縛られたごみ袋。それはまだ良い。生活ごみくらい普通に出るだろう。だが、中に
「……一月前にはこんな物なかった筈ですが?」
「まあ待て。話を聞け。これはだな……そう夜食だ! ワタシとて夜中に腹が減る事もある。だが夜中に食堂に行って職員を叩き起こす訳にもいかぬ。そんな時に手が伸びるのがそれなのだ。……特に最近は駄菓子という物にハマっていてな。味も種類も豊富でついつい手が止まらぬ事に」
「それで
俺が静かに問い質すと、首領は何も言わず髪をファサっとかき上げて玉座に戻ろうとするので、
ガシッ!
「……ほぉ? ワタシの肩を掴むとは、偉くなったものだなぁ? 雑用係よ」
首領からチラリと垣間見える圧。勿論首領からすればそれは怒気でもなんでもない。ただ揶揄っているだけの事。実際言葉こそ怒っているように聞こえるが、その表情は少しだけ笑っている。
まあそれでも感じられる圧はそこらの怪人の臨戦態勢のものより全然上なのだが。しかし、
「
いつものように逃げ出そうとする首領の肩を掴んだまま、キャリーバッグを開けて中の物を取り出し手渡す。それは純白の三角巾とエプロン、そして埃を吸い込まない為のマスク。つまり、
「この汚部屋。公務までにきっちり綺麗にしますからね。当然首領様も手伝ってください」
何のことは無い。ただの
月に一度、部屋の掃除をする。それは俺と首領の昔交わした約束であり、仕事の依頼だった。
それまで私室に誰も入れず自分でこっそり片付けていたのだが、遂に片づけきれない限界を迎えたというのがきっかけだったな。
先に言っておくが、もちろん俺も最初は断ろうとした。本職でもない俺よりも、清掃業者に頼んだ方が早いと。
しかし困った事に、首領の邪因子はあまりにも強すぎた。それこそ邪因子に耐性の無い者では入った瞬間その身を蝕まれてしまう。
逆に幹部や上級幹部と言った強い耐性持ちでは
なら邪因子をずっと抑制し続けろという話だが、私室でもそんな気を張り続けるのは御免だという首領の強い願いで却下。
最終的には
「良いですか? 服を脱ぐのはもう仕方ないにしても、せめて脱いだ服は畳むかハンガーに掛けてクローゼットに片付ける事。ベッドや机が散らかるのはまあ良いにしても、床にまで散らばるのはいくら何でも避ける事。あと夜食は抜き……というのは貴女の食欲的に無理なので、なるべく控えめにお願いします」
「むぅ。注文が多いぞ」
「これでも相当譲歩しているんですっ! ほらっ! 首領様はそっちの散らばった服を綺麗に畳んでまとめてください。あと布団もなるべく直して。俺はあちこちにこびりついた邪因子をこそぎ取りますから」
そうして協力(首領はあまり役に立っていなかったが)して部屋を片付ける事一時間。
「ふぅ。良し。ひとまずここまでとしましょうか」
どうにかこうにか汚部屋から普通の部屋くらいにランクアップしたのを確認し、俺は軽く汗を拭う。
「おお! いつもながら掃除が終わった後は実に清々しいな!」
「それを毎回一月で汚しまくる首領様が何を言ってるんですか?」
終わったと見るやさっさとマスクや三角巾を取って大きく息を吸い込む首領。つい気が緩んでまた邪因子が漏れているのをこっそりバキュームで吸引する。綺麗にしたばっかだってのに。
「……さて。公務の時間までまだ少し時間がある。茶でも頼めるか?」
「コーヒーで良ければ」
ついでに持ってきたコーヒー入りの魔法瓶を見せると、首領は満足そうに頷いた。
……スマヌ。ウチの首領こんなのでスマヌ。いや普通はもっとキリッとしているんですよ!? ちょっとオンオフが激しくて偶々オフの時だっただけなんです。
次回首領とのお茶会編。お楽しみに。
たまには私の他作品の紹介でも。
『遅刻勇者は異世界を行く 俺の特典が貯金箱なんだけどどうしろと?』。もうすぐ記念すべき百話目。そちらもよろしくです!
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雑用係 首領と茶飲み話をする
それは雑用係や首領であっても変わりません。
「……うむ。やはり一仕事終えた後のコーヒーは格別だな」
「首領様はコーヒーでも紅茶でも緑茶であっても同じ事を言うじゃないですか。それに大半掃除したのは俺だし」
「ハハハ。ま、まあ良いではないか。それにお前の持ってきたこのパウンドケーキも中々」
誤魔化すようにパウンドケーキを頬張る首領。ジャージ姿だってのにどことなく品があるからズルい。
こうして掃除を終えた後、公務の時間まで軽く俺の用意した茶と茶請け(内容は日によって違う)を楽しむのが習慣だ。俺も自分の分を口にする……うん。我ながら良く出来た。パウンドケーキは紅茶にもコーヒーにも合う。
茶飲み話の話題は様々。やれ今侵略している場所の抵抗が激しいとか、あそこのヒーローは中々骨があって少しは楽しめたとか。最近馴染みの駄菓子屋が閉店するから閉店セールで店ごと買い取ってやったとか。そんな首領の話を聞かされるのが大半だ。……最後何やってんだ首領っ!?
対して首領の方も俺の近況を知りたがった。だからこっちも当たり障りのない話をして、のんびりとした時間が過ぎていく。そんな中、
「所で雑用係よ。もうすぐ幹部昇進試験ではないか。誰かお前の目から見て気になる人材は居らぬのか? うん?」
「何で俺に聞くんですか? それこそ本部付きなら他にも幾らでも聞く相手が」
「ワタシは
そこで首領はケーキを切り分けていたフォークをいったん置き、ゆっくりと指を組んで妖し気に笑う。
「
「……はぁ。あくまで一個人の見解としてならお話ししましょう」
「それで良い」
そんな事を言われては仕方がない。俺はぽつりぽつりと所見を語り出した。
「……以上です」
「ふむ。この調子だと此度の昇進試験。あまり思わしくはないな」
語り終えた時、首領はやや苦い顔をする。それもそうだろう。今俺が名を挙げたのは、いずれも本部付きではそれなりに有名な幹部候補生。しかしどれもこれも帯に短し襷に長し。心技体の内どれかが欠けていた。
俺が思うに今回の昇進試験。その中で無事昇進できそうなのが精々一人か二人くらいだ。それも
「無論俺の知らない逸材が居る事はあり得ます。ですがざっと見た感じではそのように……いや」
そこで一瞬、脳裏にあのクソガキの姿が浮かび上がる。しかしそんなのは気の迷いだと、俺は頭をぶんぶんと振る。
「何だ? 他にも気になる者が居るのか?」
「気になるというか……その」
「良いから話してみよ」
そう首領にせっつかれて、俺は渋々あのクソガキについても語る。と言っても特に忖度などなく、俺が感じた事を素直に述べただけだ。なのに、
「成程。中々に期待できそうな者ではないか」
「いやどこがっ!? ……コホン。失礼」
クスクスと笑う首領につい突っ込んでしまった。こんなの公の場でやったら即処罰モノだが、幸い今は公私の私だからセーフだ。
「あんなのただの小憎たらしくて大人を揶揄う癖のあるクソガキですよ。そりゃあ邪因子の量及び質は認めますがね。戦闘力も高い事は認めましょう。おそらく技術や特殊能力による搦め手ならまだしも、純粋な殴り合いで一対一ならネルに勝てる幹部候補生はほぼ居ません」
「ほう。お前にそこまで言わせるか」
実際俺の見た所、ネルの邪因子の質と量はもう幹部級、それも幹部の中でも中堅ぐらいに片足を突っ込みつつある。しかしそれ以外はどこまで行ってもただのクソガキ。
「初日の筆記は……まあちゃんと勉強していれば何とかなるでしょう。体力テストに関しては言うまでもなし。しかし二日目のアレは……突破は難しいでしょうね」
今のままじゃ、幹部として一番大切なものがネルには決定的に欠けている。まず二日目で落ちるだろう。だが、
「どうかな? 案外そこでは終わらぬかもしれぬぞ。ワタシの読みではある意味でその者には適性があると見た」
「本当ですか?」
「ああ。どこまでも高みを目指す向上心は、非常に高い承認欲求の裏返し。大人を揶揄うのも、自身を見てほしいという考えから。要するに
一つ一つ。解き解す様に俺から聞いた内容だけでネルの心情を読み取っていく首領。
「何かを求める者。その為に手を伸ばし続ける者。そういう者は伸びる……いや、
そう言いながら、首領はほんの一瞬だけ遠い目をする。それはどこか自分に言い聞かせているようでもあった。
かつて一度だけ聞かされた首領のリーチャーを創設した理由。それはどこまでも単純で、夢見がちで、それでいて現実的な理由。
未だその理想には届かずとも、今も手を伸ばす事を止めようとしない。だからこそこの人は首領としてここに在る。
「ふっ。まあそういう者は伸びる途中で擦り切れて壊れるのが大半だが、その点はお前が気に掛けているのなら問題は無かろう。なぁ? 雑用係」
「俺は別に気に掛けているつもりはないんですけどね。向こうから勝手に寄ってくるから適当にあしらっているだけですよ」
「それにしては……
ああもうっ! これ以上人を揶揄うのは勘弁してくださいよ首領っ!?
「とにかくだ。此度の昇進試験。少しは良い人材が居るようで何よりだ。雑用係よ。……時間だ。そろそろお開きとしよう」
「はい。片づけはこちらでいつものように」
その言葉を最後に、首領はグイっと残ったコーヒーを飲み干すと、玉座に掛けたままだった服を手に取ってジャージから着替える。……堂々と俺の目の前で着替えるのはもう突っ込まない。
服の襟をきっちりと正し、一歩部屋の外に出た瞬間、
キンっ!
周囲の空気は一気に張り詰め、世界の中心が現在この人であるのだと錯覚を覚える。
それまで私室では気楽に身体から流れ出していた邪因子、それこそ汗や呼気と同じように普通は制御できないレベルの物までピタッと止まり、薄皮一枚分の厚みに凝縮されてその玉体を覆う。
ここに居るのは紛れもなく王であると、否応なく認めさせる圧倒的な威圧感。
ユラリ。
それを確認し、首領の前に影の様に揺らめいて現れるのは首領直属の護衛士達。もっとも護る必要などない程首領は強いので、専ら部屋の門番や露払いなんかが仕事だ。
当然俺の事も知っているが、今は仕事中なので特に会話をすることは無い。
護衛士一同が跪いているのを当然の事として受け入れ、首領はそのまま歩き出す。そして、
「後の事は任せる」
「行ってらっしゃいませ」
振り返らずにそう一言だけ命じられたので、俺も一言だけ返答してゆっくり一礼した。
さて。片づけが終わったら吸い取った邪因子をいつものようにミツバの所に持って行って処理してもらうとして、折角休みを貰って本部まで来たんだ。こっちの店を見て回るとしよう。
……まあ時間が余ったら、少しだけあのクソガキの顔でも見に行ってやるとするか。
という訳で雑用係と首領のお茶会でした。如何だったでしょうか?
ちなみに毎月こんな感じの事をやっていますが、最初の頃は首領の側からも茶菓子を用意していました。ただ、大抵の場合ケンの用意した物の方が美味しいので最近では滅多に用意しなくなったとか。こんな設定もあったりします。
この話までで面白いとか良かったとか思ってくれる読者様。完結していないからと評価を保留されている読者様。
お気に入り、評価、感想は作家のエネルギー源です。ここぞとばかりに投入していただけるともうやる気がモリモリ湧いてきますので何卒、何卒よろしく!
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ネル 誰かが待っている部屋に帰る
「……ああ。つまらない」
ガシャリ。
あたしの貫手が動力部を穿ち、目の前の小型犬ぐらいある大きさの機械の蜘蛛が沈黙する。
これが最後の一匹。その周囲にあるのは、同じような機械の蜘蛛しめて29匹。
どれもこれも、少しすばしっこいだけで大して強くもない。少し邪因子を強めに腕に纏わせただけで、簡単に装甲は剥がせるし弱点も分かりやすい。
「次……出して」
「ネル様。そろそろお休みください。如何に訓練用のシミュレーションとは言え難易度はハード。それもこれだけの数をお一人で続けては」
「構わない。さあ次! もっと出してっ!」
お父様の部下が何か言っているけど気にしない。
あたしはお父様に期待されているっ! ならこんな所で休んでいる暇はないんだから。
あたしの言葉に根負けしたのか、お父様の部下が機械を操作すると今度は蜘蛛に加えて狼のような物もぽつぽつ周囲に現れる。
それに呼応するように、あたしも体内の邪因子を活性化させる。
そう。そうじゃないといけない。戦わなきゃ。強くなんてなれはしない。
最近少し身体がふらつく。
おかしいな。睡眠時間は少し削ったけど、栄養はちゃんと錠剤で摂れている筈だけど。
講義に出る為に移動する時、ちょっとよろめいて通路を歩いていた一般職員にぶつかってしまう。
「……ごめんなさい」
「お前どこを見て歩いて……ひぃっ!?」
最低限の礼儀として素直に謝ったのに、相手はこちらの顔を見るなりどこか怯えた様子で逃げるように去ってしまった。
失礼な。この次期幹部候補筆頭の美少女を見て怯えるなんて。オジサンなんか怯えるどころか会うなり説教をしてくるって言うのに。
そう感じながらも講義に出席し、幹部としての理論なんかを頭に叩き込む。……と言ってもおおよその事はもう
ああ。つまらない。
幹部候補生同士の模擬戦は、最近相手に対戦拒否をされるようになった。
と言っても対戦相手はある程度ランダムで決まるし、拒否してもちゃんとした理由が無きゃやらなきゃならない。
それで渋々あたしの前に立つ相手は、誰もかれもあたしを見て怯えた様に構えるんだ。まるで絶対に勝てない
だからあたしもこの所、模擬戦にあまり価値を見出せなくなった。これじゃあもう時間の無駄。シミュレーションで戦っていた方が
試合開始の合図と同時に、速攻で踏み込んで相手の喉元すれすれに手刀を突き付けて終了。反応すら出来ていなかった相手がドッと冷や汗をかいて降参宣言をするのを確認して、さっさとシミュレーション用の訓練室に向かう。
グシャリっ!
……もっと。
バキリっ!
もっと。もっとっ!
「もっと……かかってきなさいよっ!」
今ここにはお父様の部下はいない。だからシミュレーションの内容はあたしが好きに決めた。
出現タイプランダム。時間は3時間。外側からの干渉が無い限り、あたしが戦闘不能になるか時間が経つまで終わらないスペシャルコース。
上空から舞い降りてきた鳥型を地面に引きずり落し、横から喉元を食い破ろうとしてきた狼型に対し自分から腕を口の中に突っ込む。
「美味しい? じゃあ……消えてっ!」
そのまま手を伸ばして体内の大事な機械を握り潰し、力なく垂れ下がった身体ごと腕を別の個体に叩きつける。
その拍子にすっぽりと口から腕が抜け、傷つき血塗れの姿が露わになる。だけど、
「こんなの、どうってことないっ!」
邪因子を強く意識して腕に集中。見る見る内に肉が盛り上がって傷跡すら残さず治り、軽く動かして元の調子に戻ったのを確認。その時間ざっと1秒ちょっと。
「わらわらと……邪魔っ!」
その間に近づいてきた奴らを身体全体から邪因子を放出して威圧、質量のある邪因子を伸ばして一体を掴み、そのまま引き寄せて拳で一撃。顔面を陥没させる。
そこに現れるのは大きな影……いや、熊型の大型タイプ。立ち上がると3メートルくらいある巨体で機械的にこちらを威嚇する。
「面白いじゃない」
あたしは熊型を見てニヤッと笑い、その振り下ろされる爪を軽くステップを踏んで躱す。周囲の小型を蹴散らしながら、大型の攻撃を一撃二撃と回避していく。だけど、
「……もう良いや。大体分かっちゃった」
パワーはあるけど攻めは単調で勢い任せ。せめて他の小型と連携して襲ってくるかと思ったけれど、それもないんじゃただのデカい的。
地面に振り下ろされた爪がぶつかりざま、あたしはその伸ばされた腕に乗って駆ける。狙いは熊型大型種の頭部。慌てて振り払おうとしたけどもう遅い。
「じゃあね」
あたしは肩から軽く飛び上がり、落下する勢いと一緒に踵落としを叩き込む。邪因子をたっぷりと纏わせた一撃は、スイカでも割るみたいに熊型の頭部を粉砕した。
ズズ~ン。
音を立てて倒れ伏す熊型個体。あたしは軽く息を吐いて周囲を見渡す。こいつが群れのボスであれば、ボスが倒された事で群れの統率が乱れるものだけど。
「まあそんな訳ないよね」
そもそも出現する種類はランダム。今のは偶々強そうな個体が出てきただけであり、残っている奴らはまるで堪えた様子はない。
それどころか、少し離れた所で敵が再出現している。それも今倒した熊型の同種が3体も。
周囲はどこもかしこも敵の群れ。一息吐く事すら難しいこの状況。あとどれだけ時間があるのかも分からない。
だけど、
「……そう。やっぱりこうじゃないと」
腰のホルダーから愛用のキャンディーを取り出して咥える。
心臓の鼓動はドクンドクンとうるさい程脈打ち、全身に邪因子が漲っていく。いや、邪因子の総量自体は減っているんだろう。でもそれ以上にずっと
使えば使うほど、戦えば戦うほど。傷つき、痛み、苦しんだ先、あたしの何か大事なモノが磨り減っていくのに対し、それを補う様に邪因子はより力を増していく。
だけどそれで良いっ! お父様の期待に応える為なら、お父様の役に立つ為ならっ! ……お父様に、認めてもらえるのならっ!
「さあ。壊し合おうよ。どっちかが動かなくなるまでっ!」
また一段と邪因子を燃やし、あたしは飛びかかってくる奴らを迎え撃った。
「……ちぇっ。もうちょっとだったのになぁ」
外側からの緊急停止。結末はそんな興醒めするものだった。
いくらなんでも一人で3時間訓練室の一画を独占するのは問題があったらしい。2時間くらいで流石に見咎められて、無理やり外へ引きずり出された。ただ、
「
シミュレーションの内容を見た野次馬の一人が、そうポツリと洩らしていた。
稼働時間 1時間53分
仮想敵撃破数 197
内訳
小型種 113 中型種 72 大型種 12 特別種 0
ハードモードで出現タイプをランダムにした場合、極稀に出てくる
最後の方で1体だけ出てきたあれは中々歯ごたえがあった。こっちは胸の骨にヒビを入れられたけど、代わりに向こうは本気の力で手首を砕いてやったから中断しなかったら勝てていたと思う。
あたしは教官にこってりと絞られて、少しだけ疲れたその足で自室へと歩いていた。普通は一人であんな長時間はやらないらしい。と言っても教官もどこか引いていた感じだったけど。
「だけど、帰ったってあんまり意味ないんだよ」
帰って、寝て、それでまた訓練しに出て行くだけの場所。……あと自分の身体を最低限検査する場所。それもこの所は寝る時間も削って訓練に充てているからほとんど帰ってすらいない。
もういっその事帰らずに訓練室で寝泊まりした方が早いかも……いや。
「忘れてた。本。取りに戻らなくちゃ」
あの部屋の数少ない私物。あの時買って結局まだ封も開けていない本。読んでいる時間はないけれど、それでも……オジサンと一緒に初めて買い物した大切な本。
それだけじゃない。あの時買った物全部が、どれも大切な思い出の品。だから取りに戻らないと。
だけど、ちょっとだけ寂しいかな。せめて誰か、誰でも良いから部屋で帰りを待ってくれる人が居れば、この気持ちも少しはなくなるかもしれないのに。
……そんな事ある訳ないのにね。
「よお。
何故かあたしの部屋の真ん前で、両手にパンパンの買い物袋とキャリーバッグを持った雑用係のオジサンが不機嫌そうな顔で立っていた。
少女の部屋の前で待っているオジサン。……文章にすると事案ですね。
雑用係サイドで何があったかはまあその内に。と言ってもそんなに凄い事は起きていないのですが。
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ネル 甘い誘惑に屈する
つい深夜テンションに加えて筆が乗りました。
キャラ崩壊にご注意ください。
オジサンがあたしの部屋の前で待っていた。それを見て思わず、
「オジサン……いくらあたしの魅力にメロメロだからって、遂にロリコンヘンタイストーカーオジサンになっちゃったの?」
「んな訳あるかバカっ! 今日は偶々本部に用があって、仕事が終わったから買い物帰りに少し寄っただけだ」
「……そうなんだ。じゃあね」
オジサンが待っていてくれたのは素直に嬉しかったけど、今はとても相手をしている暇はない。だからあたしはさっさと部屋に入って扉を閉め、
ガシッ!?
「おいちょっと待て。この荷物を見て何とも思わんのかお前は」
「な、何?」
「ず~っと荷物が重くて手が疲れてたんだ。何でも良いから俺も中に入れろ。お邪魔します!」
「え~っ!?」
閉まる扉をむりやり手で阻み、そのまま部屋に入ってくるオジサン。仕方ないなぁ。
「レディーの部屋に勝手に入ってくるなんて、オジサンったら強引だね!」
「そう思うんなら最初から入れろ。それにしても……やけにさっぱりした部屋だな」
オジサンときたら、荷物を置くなり部屋をじろじろチェックする。ちょっとっ!? 女の子の部屋なんですけど!?
「……なるほどな。お前飯は?」
「えっ!? う、うん。食べたよ」
「本当かぁ? じゃあ……これは何だ?」
オジサンが指差したのは、テーブルの上に置いた錠剤の束。そしてその空き袋の山。
「お前って奴は、また飯を錠剤だけで済ましてたなっ! ……ちょっと待ってろ。キッチンは向こうだな」
「ちょっ! 待ってよオジサンっ! あたし良いよ食事なんて!? お腹も……減ってないし」
食材の詰まった袋を持ってキッチンに歩き出すオジサンをあたしは慌てて止める。今は食事なんてしている暇があったらまた訓練に戻らないと。
だけどオジサンはそれを聞いてとんでもなく不機嫌そうな顔をする。
「嘘言えっ! ちょっと来い!」
「えっ!? 何?」
オジサンに引っ張られ、あたしは部屋の姿見の前に立たされる。そういえば最近訓練ばっかりで鏡を見てなかった。
「これ……あたし?」
「見ろっ! 頬は前より大分こけてるし、肌色も悪い。疲労が溜まっているのか目に隈があるし目つきも鋭い。これは明らかに栄養失調の傾向だ」
確かにちょっと顔色が悪そうに見える。そういえば最近ちょっとふらつくようになってたし、思えばあたしの顔を見て職員が逃げ出したのもそれが原因かも。でも、
「こ、こんなの光の加減かも。それにほら! 栄養なら錠剤で摂ってるし」
「栄養
「なら錠剤の量を増やせば」
「それも込みでもう錠剤だけじゃ補いきれなくなってんだ。カロリーが単純に足りてねぇっ! ちょっとした飢餓状態だ」
そう……かもしれない。だけど、
「……やっぱりご飯は良いよ。それより訓練に行かなきゃ。食べてる時間もないし」
「んな事言ってる場合か。まず何か腹に入れろ。そしてさっさと休め。このままじゃ」
「
そこであたしは軽く邪因子を解放する。並の戦闘員ならこれだけで怖がるくらいの圧だ。勿論傷つけようだなんて思っていない。軽く脅かすだけ。
「見てよこの邪因子を。明らかにオジサンと最後に会った時より多い。……あたし分かったんだ。邪因子が一番活性化するのが多いのは、
あたしはそのまま軽く手を広げてオジサンを見る。オジサンは何も言わない。
「あと一週間。たった一週間で試験なんだよ。あたしはお父様に期待されている。どうしても今回の試験で幹部にならなきゃいけないのっ! 飢餓状態で身体がちょっとふらついて重いくらいどうってことない。だから……もう帰ってよ。……来てくれてありがとう。オジサン」
あたしはそう言って背を向ける。それはさっさと帰れという意志表示。これだけやれば分かってくれるだろう。
「……そうか。分かった」
背中でごそごそという音が聞こえる。諦めて帰るのだろう。……これで良い。これで良いんだ。
カチッ!
カチッ? 何か変な音がしたので振り向く。そこには、
「な、何やってるのオジサンっ!?」
「何って……見りゃ分かんだろ?
わざわざテーブルの上を片付け、デンっと電気式ホットプレートを置くオジサンの姿があった。どこから出したのそんなのっ!?
「オジサンっ! 今の話聞いてたっ!? あたしは帰れって言ったの!」
「ああ帰るさ。だがなにぶん少し足が疲れててな。十分ばかり休んでいかないと歩けそうにない。それで十分もあれば軽く一品作るには充分だ。……ああ心配するな。材料はこっちで用意してあるし、お前に無理に食べろとは言わん。
お茶会の保険でタネを作っておいてよかったと言って、オジサンがキャリーバッグから取り出したのは何か乳白色のドロッとした物が入ったボウル。
オジサンは買い物袋からサラダ油を取り出し、プレートに軽く注いだかと思うとどこからか出したヘラでサッと引いていく。
ジュ~!
「流石本部の市場で買った油。第9支部の奴より質が良い。そして軽く熱した所に……こうだ」
そこへさっきのボウルの中身を二度注ぎ込む。ドロリとした物は上から注がれて二つの円を形作る。
「さて。焼けるのを待つ間に準備をするか。ちなみに俺はこれでも甘党でな」
オジサンは手際よくテーブルに様々な物を並べていく。ハチミツ、バター、チョコレートソース……その他諸々の調味料。
「ねぇ……オジサン。何作っているの?」
「ここまで来れば分かるだろう?
生地にぷつぷつと泡のような物が出てきたのを見計らい、オジサンはさっきのヘラで一気に一つずつひっくり返す。そこに現れたのはキレイに焼けた薄茶色の面。
それと同時にふんわりと美味しそうな香りが部屋中に漂う。
「どうした? 別に俺に構うことは無い。訓練に行くのだろう? 行けば良い」
「そ、そうだけどっ! ……一応どんなのが出来るのかくらいは見ておこうかなって」
「ほぉ。それはそれは。あとはナイフとフォーク。そして皿っと」
「あっ!? その皿っ!?」
オジサンが取り出した2枚の皿。それはあたしとの買い物でセットで買った物だった。
「これか。柄にさえ目を瞑れば、そこそこ頑丈だし使い勝手の良い皿だから使っているだけだ。決して他意はない。……そぉら焼けたぞ!」
オジサンはそれぞれにポンポンと焼きあがったホットケーキを乗せていく。そこへバターの欠片を乗せ、トロッと蕩けたバターの香りがそれまでの香りと混ざっていく。
……ゴクッ。
いつの間にか、あたしは生唾を飲んでいた。ホットケーキから目が離せない。
「アツアツの生地の上にハチミツと、チョコレートソースを少々掛けまして……完成だ!」
薄茶色のホットケーキを、黄金色とこげ茶色の線が蹂躙する。微かにまだ蕩け切らずに残っているバターと相まって、それは一枚のキャンバスに描かれた絵画のよう。
「では実食。いただきます! ……うん。美味い!」
ナイフとフォークで行儀よく、一口大にホットケーキを切って口に運んでいくオジサン。みるみる内にホットケーキは小さくなっていき、
「うん。美味かった。しかし、もう一枚あるなぁ」
一枚目を軽く平らげると、オジサンはもう一枚の方に目線を向ける。
「こちらも食べてしまおうか。だが、大人として子供を放っておいて二枚目に行くというのは少々大人げない。なので……
「い、要らないよ。この幹部候補生のネル様にそんなの食べている暇なんて」
ぐぅ~~。
部屋に響き渡る間の抜けた音。……認めない。認めないよっ! 多分あたしの顔は今真っ赤になっていると思うけど、断じてこれは腹の虫なんかじゃないよっ!
「身体は正直だな。さあクソガキ。
あたしの選んだ皿に、さっきと同じように化粧を施されたホットケーキが僅かに湯気を立てて乗せられ、あたしの前に差し出される。
「はぁ……はぁ……だ、ダメっ!? 要らないっ! 邪因子の活性化には寧ろ飢餓状態の方が」
「ちなみにこれは余談だが、過度な食事制限を長く続けていると身体がそれに慣れてしまう事がある。
くぅっ!? オジサンのくせに正論をぶつけてきたっ!?
「でも……でも、あたしは、お父様の為に」
「なら免罪符を一つ。そのお父様はお前が幹部になることを望んでんだろ? だけどこのまま飯を食わずに体調を壊したら、それこそ昇進試験どころの話じゃない筈だ。つまり、
そこであたしは押し黙り、オジサンをじっと見る。一つ一つ逃げ道を潰していくこの感じ。まるで相手の掌の上に居る感覚。これがまさしく“悪”なんだろう。
あたしはふらふらとナイフとフォークを手に取り、そっと一口分を切り取る。あとは口に運ぶだけ。……だけど、
「あ、あたしは次期幹部候補筆頭ネル・プロティっ! けして、けっしてオジサンの思惑通りになんかなったりしないんだからっ!」
そう。
幹部候補生としてのプライド。ここで食べたらなんか負けた気がするという反骨心。やっぱり食べないでこのまま飢餓状態を維持した方が邪因子の活性化に繋がるんじゃないかという疑念。
それらがギリギリでホットケーキを口に運ぶ手を押し止めていた。後はこのまま皿に戻せば、
「……仕方ない。ではこっちもとっておきを出すとしよう」
オジサンはそう言って、買い物袋からある物を取り出す。それは、
「何の変哲もない
「や、止めっ!?」
「トドメだ」
ポトリ。
温かいホットケーキに白いバニラアイスが落ち、その瞬間冷たさが熱さに負けて蕩けだす。
バター。ハチミツ。チョコレートに加え、甘いバニラの香りが鼻孔をくすぐり……そこであたしの意識は真っ白に染まった。
ごめんなさい。お父様。
あたし……食欲には、勝てませんでした。
スマヌ。これは本当にスマヌ。
最初は前回から続いてシリアスと曇らせ展開のつもりだったんです。ただ……つい曇らせを書いた反動ではっちゃけたくなっただけなんです。
ちなみにケンの持っているキャリーバッグは某変態製の特別仕様です。見た目よりたくさん入ります。
この話までで面白いとか良かったとか思ってくれる読者様。完結していないからと評価を保留されている読者様。
お気に入り、評価、感想は作家のエネルギー源です。ここぞとばかりに投入していただけるともうやる気がモリモリ湧いてきますので何卒、何卒よろしく!
特に推薦など泣いて喜びますよ!
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雑用係 クソガキから依頼をされる
さて。悪の組織というのは主に破壊活動をする組織というイメージがあるが、そこには物理的にだけでなく精神的にという意味合いも含まれる。
俗に薄い本などでよく見られるように、清く正しく才能のある一般人をあの手この手で篭絡……まあ洗脳や改造というやり口もあるが、要するに悪の道に引きずり込むのも仕事だ。
善性を破壊し、欲望を解放させ、本能のままに行動させる。まあ組織に連なる分最低限のルールくらいは守ってもらうが、それ以外に関しては何を憚る事もない。さらに言えばそれに暗い喜びを見出す様になれば尚良しだ。
という訳でまとめると、悪の組織のメンバーは相手を堕落させる術も長けている……のだが、
「ねぇ……オジサ~ン。もっと出してぇ」
「無理だ。もう本当に無理」
「そんな事言わないでよぉ。もう少しだけが~んばれ! が~んばれ! ねっ! お願~い!」
全身に疲労が溜まり精根尽き果てる寸前の俺に、ネルはどこか蠱惑的な表情で語り掛ける。
その目は欲に塗れてギラギラと輝き、舌なめずりするその様は完全に俺を獲物としか見えていない。だが上目遣いに僅かに潤んだ瞳で懇願するその様子は、どことなく他者の庇護欲及び征服欲を刺激する。
「……これで最後だぞ」
「やった~っ! ……オジサンってばチョロいんだから!」
最後の方本音漏れてんぞクソガキっ!? 仕方ない。
俺は最後の一枚と気合を入れて、
首領の部屋を掃除し、本部の市場を巡りこっちの知り合いと旧交を温めた後、俺はクソガキの顔でも見に行ってやろうかと軽く部屋を訪ねた。だが、
「よお。
久しぶりに見たネルの顔は酷いものだった。俺は医者でもなんでもないが、それでも一目見て分かるレベルで。
明らかに緊急事態の為理由をつけて強引に部屋に入り、あまりに生活感のない部屋に目を見張りながらも錠剤の空き袋の山を確認。
訓練だなんだと駄々をこね、飢餓状態の方が邪因子の活性化には良いだのと頑なに飯を食おうとしないクソガキを、理論と本能の両面から
やはりホットケーキ(甘味調味料諸々たっぷり)は飢餓状態で拒むには悪魔的過ぎたようで、すぐに陥落して最初の一口を食わせる事に成功する。
最初の一歩さえ踏み出してしまえば後は転がり落ちるだけ、一口が二口。二口が三口となるまで時間は掛からなかった。なのだが、
「美味し~っ! もう最高っ!」
「もう食材はないからなっ!? ったくこのクソガキがっ!
「だって美味しいんだもん!」
それまでの飢えを満たすかのように、次から次へと大量の甘味でデコレーションしたホットケーキを胃袋に放り込む様は圧巻だ。邪因子持ちは皆健啖家なのはガキでも例外じゃなかった。
本来なら飢餓状態で大量に食ったら不調の原因になるのだが、高ランクの邪因子持ちにそんな常識は通じない。
みるみるうちに血色が良くなり、口の周りを食べかすとハチミツやクリームでべとべとにしながら幸せそうに口を動かすネル。……まあこれだけ美味そうに食ってくれれば作った甲斐はあるけどな。
「ふ~ぅ。食べた食べた。オジサンご馳走様!」
「お粗末様。ほらっ。口ぐらい拭け」
ナフキンを手渡すと、そこで今更恥ずかしくなったのか顔を赤くして口元を拭うネル。本当に今更だけどな。
「じゃあ満腹になった所でだ」
「いや全然。とりあえずお腹が膨れたってだけで、まだもうホットケーキ三、四枚くらいは」
「もうホントに食材が無いってのっ!? あと腕も疲れた。……続けるぞ。お前なぁ。一体どんな訓練してんだ?」
コイツを甘味で堕としたのはマズかったかもしれんと内心ビビりながら、俺は話題を逸らしつつ本題に入る。
「確かに敢えて自分を飢餓状態まで追い込む事で邪因子を活性化させる訓練法もある。だけどそれは綿密な計画の元、きちんとギリギリの安全性を確保した上でのもんだ。お前さんみたいなガキがやるのは十年早い。どこのどいつだこの訓練法を教えた奴は」
「……え~っと、そのぉ……あたし自身?」
「何だと?」
そこでよくよく尋ねると、なんとコイツはたった一人でこのやり口を思いつき、実行しているのだという。しかも戦闘シミュレーションで出現数無制限で何時間もぶっ続けという拷問じみたやり方を。
一応トレーナーというか体調を管理する奴は居るらしいが、そいつを無理やり黙らせて勝手にやっているとか。
「……はぁ。お前は馬鹿か? そういうのはちゃんとトレーナーの意見を聞くもんだ」
「だってぇ。あの人お父様の部下で基本的にあたしの言う事に逆らわない
「だから自分で考えた結果がこれってか? ……ふざけんなっ!」
流石にこれは黙っちゃいられない。俺が一喝すると、ネルは驚いたように目をパチクリさせる。
「強くなりたい? 大いに結構っ! お父様に認められたい? おうとも存分にやれば良いさっ! だけどな……その為に自分を磨り減らすのだけは止めろっ!」
俺はネルの肩に手を置き、膝を突いて真っすぐにその目を見つめる。
「俺は何人もそんな奴を見てきた。どこぞの正義の味方も、“元”神様に仕える超越者も、最強の悪の首領様まで、力を得る為に無理をして、得た力で何かを成して、そして何かまた自分の成すべき事を成す為に力を求める。その度に自分の身体がボロボロになっているっていうのによ。……違うだろ。
「オジサン?」
「……すまん。脇道に逸れた。まあつまりはだ。もっと
どこか心配そうにこっちを見るネルに、ガキに心配させるなんてミスったなとガシガシ頭を掻きながら笑いかける。
「腹いっぱい飯を食って、毎日ちゃんと講義に出て、きちんとした計画の下トレーナーと一緒に訓練する。そんでもってしっかり休む。それを毎日続けてりゃ自然と強くなっていくもんさ。……大丈夫。焦って自分を追い込まなくてもクソガキ。お前さんは充分強い」
「本当?」
「本当さ」
「じゃあ次の幹部昇進試験を絶対クリア出来る?」
げっ!? 言いづらい事を尋ねてきやがった。
「……ああ。勿論だ! ……初日はまずクリアできる」
「ああっ!? 今オジサン変に濁したっ!? あたしじゃその次は無理だって思ってるんだ!」
くっ!? 普通にバレたか。正直言って、一日目は楽勝で行けるが二日目で多分コイツは落ちると踏んでいる。
あれは単純な実力より、内容を知った上できちんと対策をしないと相当厳しい。と言っても対策しても難しいのだが。おまけに初参加の奴には口外しないというのが例年の決まりだ。
俺が言うに言えずにまごまごしていると、
「……分かった。じゃあ……
「手伝うって何を?」
「決まってるでしょ! 今日から試験が終わるまで、あたしが幹部昇進試験に合格出来るように手伝ってって言ってるのっ! 具体的に言うと朝昼晩のご飯を作って、あたしが出かける時には行ってらっしゃい。帰ったら部屋でお帰りって言って! ……あと訓練は手伝わなくて良いけどあたしの凄い所を褒めて」
なんか無茶苦茶言って来たぞこのクソガキ。ひとまず飢餓状態は脱したみたいだし、あれだけ言っておけばまたやらかす可能性は低いだろう。ならさっさとお暇するか。
「はっ! 俺は家政婦じゃねえんだ。んな事付き合っていられるか。……顔色も良くなったみたいだし、俺はもう行くからな! 帰って明日の仕事に備えなきゃ」
「じゃあ……
「……はぁっ!?」
「さっき言った通りの事を第9支部宛てに依頼する! オジサンいつも言ってるよね? 仕事を頼まれたら基本的に何でもやるのが雑用係だって」
コイツめそういう細かい所ばっかり覚えてっ!? だが、
「残念だったな。あくまで俺は第9支部所属の雑用係。以前からの予約ならまだしも、急な依頼なら今ある別の奴が優先」
「……うん。じゃっ! そういう事でよろしく! ……オジサ~ン! 第9支部の支部長さんがOK出してくれたよ!」
ジン支部長ぉっ!? いや何勝手に仕事受けてんのあの人っ!? ホントこのクソガキに甘過ぎるっ!?
通信機片手ににや~っと悪い笑みを向けてくるクソガキに対し、もう俺の出来る事と言ったら、
「……まずいったん第9支部に戻って依頼の正式な受諾。それと諸々他の仕事との兼ね合いや準備もあるから手伝いは明日からな」
せめてもの時間稼ぎで、明日からと提示するくらいしか出来なかった。
「あっ!? オジサンもこの部屋にお泊まりだからねっ! 他の人に見られたら変な噂が立つかもよ~! クスクス。頑張ってねっ!」
おのれクソガキっ! 明日から覚えてろよっ!? 飯に野菜たっぷり入れてやるからな!
悲報。雑用係、幹部候補生のお手伝いさんになる。
毎食作って朝は行ってらっしゃいから夜はお帰りまで声をかける仕事です。まあそれだけで終わらないのがお約束ですが。
拙作『マンガ版GXしか知らない遊戯王プレイヤーが、アニメ版GX世界に跳ばされた話。なお使えるカードはロボトミー縛りの模様』の方もよろしくです!
自称“元”神様はそっちに出演していますので。
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雑用係 クソガキの家政婦もどきになる
午前5時少し前。
ピピピっ! ピピピっ!
雑用係の朝は早い。
「……なんでこんな事になったんだか」
結局クソガキの依頼を受けた翌日から、俺はコイツの部屋に泊り込む事になった。
最初は早朝モーニングコール代わりに部屋にやって来て食事を作り、夜夕食を作ってから自室に戻るという流れを計画していたんだが、そんなの二度手間だよと半ば無理やり泊まる事を強要されたのだ。
こいつには異性への警戒心とかそういう物はないのだろうか? いずれそういうのもしっかり分からせた方が良いかもしれん。……情操教育用の教材とかあったか?
俺はネルを起こさぬようこっそり部屋を出て、本部の訓練場に向かう。日課の訓練は本部だろうと欠かせない。
そこで軽く汗を流し、ついでにあのクソガキの参考になりそうなシミュレーションをいくつか見繕って部屋に戻る。
よしよし。まだ眠っているな。今の内に朝飯の支度をするか。
午前6時過ぎ。
カンカンカン!
「お~い! 起きろクソガキ! 朝飯だぞ!」
食事がもう少しでできるという所で、俺はフライパンを打ち鳴らしてネルを起こす。コイツ俺が来てから自分で起きずに起こされる事を楽しんでいる節がある。
「ふあぁ。……おはよぉオジサン」
「ああおはようさん。さっさとその寝ぼけた顔洗って歯磨いてこい」
洗面所に向かうネルを見送り、俺はさっさと出来た朝食をテーブルに並べていく。
今日のメニューはトーストを半分に切ってそれぞれイチゴジャムとマーマレードを塗った物。それに温野菜のスープと毎回リクエストされる卵焼き。そしてデザートにサッパリとしたヨーグルトとドリンクにホットココア。
全て並べ終えると丁度ネルも戻って来た。少しは寝ぼけた顔もしゃっきりとしているな。
「うわぁ! 今回も美味しそうだね!」
「ごく一般的な朝食だよ。お前の場合毎回錠剤だけで済ませてたから何でも凝った料理に見えるんだ。まずはこういう食事に慣れるこったな。……っておいっ!?」
「頂きま~す!」
挨拶もそこそこに、美味しそうに卵焼きに齧り付くネルを見て、俺も苦笑しながらジャムトーストを齧った。
午前7時。
「制服良し。タオル良し。教材良し」
「オイこら! 弁当忘れてんぞ」
「あっ!? ……えへへ! ありがとうオジサン!」
朝食とは別に錠剤を飲み下して講義の準備を進めるネルだが、うっかり弁当を忘れかける。やはりこれまで錠剤頼りだったから、無意識に弁当まで気が回らないのだろう。
「あと、昨日言った事は覚えてんな?
「一応覚えてるけどぉ……よく分かんないなぁ。講義はちゃんと受けろっていうのはまだ分かるんだけど、何で
まだよく分かっていないネルにデコピンを打ち込む。額を押さえて涙目になっているが、下手にほっとくとまた無茶なやり方をするからな。
「そのやり方はお前の身に負担が掛かり過ぎるから却下だ。それにシミュレーションだけだとどうしても動きの幅が偏る。邪因子だけならともかく技術はやはり対人戦じゃないと鍛えられない」
もうコイツの邪因子量は幹部級。なら量を増やす事よりも、それを如何に効率良くかつ自在に使えるかを考えて練習した方が良い。ネルは天性の才能とパワーだけでゴリ押しする傾向があるからな。
誰でも良いからきちんと頼んで訓練に付き合ってもらう事と念を押し、俺はネルを送り出す。……っとそうだ。約束だったな。
「おいクソガキ。
「……うん。うんっ! 行ってくるよっ!」
ネルは一瞬呆けた顔をしたかと思うと、元気よく満面の笑みを浮かべて走り出した。
さて。ネルが居ない間にもやる事は多い。急がないとな。
場所が第9支部だろうが本部だろうが俺のやる事は変わらない。依頼を受け、それをこなす。それだけだ。ただ内容がクソガキの家政婦もどきというのが微妙に納得いかないが。
しかし受けたからにはしっかりこなすのが俺のポリシー。なので、
「ったくあのクソガキめ。自分の使った食器くらいちゃんと水に漬けておけよな。ああもうマーマレードがこびりついてるじゃないか」
文句を言いながらもさっき使った食器を洗ったり、
「部屋に本が出しっぱなしの散らかりっぱなし。ちゃんと片付けろよな」
読みかけらしい漫画(内容までは見ていない)をきちんとしおりを挟んで棚に戻す。
プライバシーの侵害? 部屋の掃除の許可は既に取っている。アイツが話を聞き流していた可能性もあるがその時はその時だ。
床に掃除機をかけ、ほぼ新品ばかりの家具を綺麗に拭き、ほとんど使われた形跡の無いキッチンやバスルームを軽く点検。
……なんかデジャヴだ。首領と言いネルと言いなんで俺はこういう事ばっかり頼まれるんだろうか?
午後2時。
掃除を終え、昼食を終えてからは食料なんかの買い出し。
なにぶんネルは一度飢餓状態から脱してから前より食欲が旺盛になった。更に俺の分も必要なので、食材の量も比例して多くなる。
おまけにネルの部屋ときたら本当に最低限の物しか置いていない。申請すれば“お父様”とやらに物を送ってもらえるらしいが、ネルの場合必要だと思っていないから申請自体ほとんどしていないようだ。
ただ本当に最低限だから、誰かと一緒に暮らしたりとかを想定していない。来客用の物もないので俺の分は事前に持ってきた分で対処しているが、その辺りもおいおい何とかしなければ。
そして本部の市場に買い出しに行ったのだが……まあ特筆する事もなかったので省略する。強いて語るなら、
①買い物中なんか偉そうな態度の本部職員(多分どこかの幹部か幹部候補生の部下)に絡まれる。
②害はないが面倒な所に
③一応礼を言ったら
④さんざん試作品のテストに付き合わされ、おまけに幾つかモニターとして使ってほしいと押し付けられた。
⑤どっと疲れた状態で買い出しを終えてネルの部屋に戻る。
以上だ。割と良くある日常だった。
午後6時。
そろそろネルが帰ってくる頃だ。夕食の準備でも始めよう。
今日の夕飯は野菜たっぷりのホワイトシチュー。肉も当然入っているが、ホクホクのニンジンやジャガイモ、ブロッコリー等野菜の割合をやや多めにしてある。
ふふっ。肉ばかりだと思うなよ。今日市場で仕入れたばかりの栄養たっぷり新鮮な野菜達だ。急に泊まり込みにされた恨みを思い知れっ!
同じく買ってきた鍋の中をおたまでかき混ぜながら、俺はちょいちょいと味付けを確認する。……う~むやや薄味。今日は多分ネルも慣れないやり方で疲れて帰ってくるだろうから、少し濃い目にしておくか。
ガチャっ!
扉の開く音と共に、少しだけ疲れた様子のネルが部屋に入ってくる。丁度良い。シチューも良い具合に出来てきた所だ。
「お帰り。その様子だと大分疲れたみたいだな。夕食はもうすぐ出来るから手を洗って待ってな」
「うん! ただいま! オジサン!」
さあ。温かいシチューでも食いながら、お前さんの話でも聞かせてくれよ。
直接試験の内容を教える訳にはいかないが、それ以外はきっちりサポートしてやる。それが雑用係の仕事なのだから。
という訳で同居しながら浮いた話の一つもない二人でした。まああったらそれはそれで事案なのですが。
ケンの買い出し中に何が起きたかは……皆様のご想像にお任せします。本当にケンにとって良くある日常なだけでしたので。
この話までで面白いとか良かったとか思ってくれる読者様。完結していないからと評価を保留されている読者様。
お気に入り、評価、感想は作家のエネルギー源です。ここぞとばかりに投入していただけるともうやる気がモリモリ湧いてきますので何卒、何卒よろしく!
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閑話 とある新米幹部候補生の受難
◇◆◇◆◇◆
『拝啓 お父さんお母さん。お元気ですか?
この前送ってくれた実家で獲れた野菜。とても美味しかったです。でもだからと言って毎月段ボール箱いっぱいに送ってくるのはちょっと多いと思います。
それと聞いてください。ボクは先日なんと、ぬわんと幹部候補生に就任しました! えへへ! 褒めてくれても良いんですよ!
なんでも、本来幹部候補生に就く筈だった人が試作兵器の暴走の責任を取って降格させられたらしく、丁度枠が一つ空いていた所に偶然が重なってボクが上司から推薦されました。いやあやっぱりコツコツ頑張っている人を見てくれている人は居るんですね!
でもボク荒事系全然だけど大丈夫かな? 戦闘訓練とかいっつも赤点ギリギリだし、怪人化だってこの前やっと出来るようになったけどまだ数分しか保てないし。自慢できる所もちょっとした特技くらいしか……おっと。泣き言ばかりじゃダメですよね。
まあ何はともあれ幹部候補生になり、お給金も大分上がりました。これからは家への仕送りも増やせそうです。
次の長期休みには里帰りも予定しています。お二人共お体を大切に。 敬具。
追伸。
ほんとにもう野菜は良いですからね? フリじゃないですから!』
あっ。死んだかもしれない。
やあ皆様。ボクピーター。ただいま絶賛命の危機に直面しています。何故なら、
「ふ~ん。あんたがあたしの対戦相手?」
小さな暴君。変わらずの姫。災害級のクソガキ。幾つもの異名をほしいままにしている第一級の危険人物、ネル・プロティが今日の訓練の対戦相手なのだから。
先日出した両親への手紙が遺書にならない事を祈るばかりです。
「……なんだか弱そうだね? ホントにあんた幹部候補生?」
「は、はい。そうです。……つい二日前からだけど」
一応同じ幹部候補生という事で立場的には対等なのだけど、つい腰が低くなってしまう。
このネルさんと言う人は、幹部候補生の中でも悪い噂が多い。曰く訓練相手を半殺しにしたとか、逆にわざと煽って相手をいたぶって楽しむとかだ。
おまけにちょっと
オ~ノゥっ! なんで初めての訓練でこの人に当たっちゃうかなっ!? 周りの人達もどこかご愁傷さまと言わんばかりの顔でこちらを見ているし。そんなのとぶつかるなんてボクも相当運が悪い。
「……っと。ちょっと聞いてるの? どう? オッケー?」
「……っ!? オッケーっ! オッケーですっ!」
やばっ!? 一瞬意識が現実逃避してたっ!? 慌てて返事をしたけど……何がオッケー?
「じゃあ決まりね! そういう訳で」
「両者位置について……始めっ!」
教官の試合開始の合図と共に、目の前のネルさんの姿が一瞬ブレたかと思うと、
「じゃあこの試合はさっさと終わらせるね」
首筋に衝撃が走り、ボクの意識は闇に閉ざされた。
「う、う~ん」
「あっ! 目が覚めた?」
次に目が覚めた時、そこには目の前にネルさんの顔面があった。……何これ?
「あの……ここ何処ですか?」
「何処って決まってるでしょう? シミュレーション用の訓練室よ」
ネルさんはニヒヒとイタズラ気味に笑って腕で周りを指し示す。確かにシミュレーション用の部屋だ。だけどボクは何でこんな所に?
「え~っ? 覚えてないの? おっかしいな。うっかり強く叩きすぎちゃったかな? あんたに訓練の前、試合が終わったらあたしの自主練に付き合ってって頼んだじゃない。中々目が覚めないから引きずってきちゃった!」
そう言えば現実逃避していた時に何か言われたような気がする。……え~っ!? ボクそんな事オッケーしちゃったのっ!? あとせめて起きるまで待って!?
「大変申し訳ないんですけど、そのぉ……ボク気が飛んでいたというか聞いていなかったと」
「じゃあ一からもう一回説明するね! なんかオジサンが言うにはさ、あたしには邪因子はともかく対人戦の技術が足りてないんだって。だからシミュレーションの敵じゃなくて、誰でも良いからきちんと頼んで訓練に付き合ってもらいなさいだってさ。それで今日偶々訓練で当たったあんたに頼んだって訳。思い出してきた?」
いや聞いてよっ! と言うかオジサンって誰? という疑問は置いておいて、
「え~っと、何となく思い出してきたようなそうでもないような。だけどボク程度の者にネルさんの相手が務まるなんて思えないのでここは辞退させていただきたく」
「気にしないでよ! どうせあたしの相手になる人なんてそう居ないし、相手って言っても本気で戦えって言ってるんじゃないもの」
ネルはそのまま僕に向けて軽く構える。
「昨日聞いたんだけど、シミュレーションの設定で邪因子量の変更ができるらしいのよね。だからシミュレーションの設定を変更して、
ネルさんは上目遣いにそう言ってこちらを見つめる。邪因子が均等? つまりあとは純粋に互いの体格や技量などの勝負って事か。それならボクにも勝ち目があるかも。
いや、だけどなぁ。今ここで均等だったとしてもシミュレーションが終わったらすぐ元に戻る訳で、もしそこでネルさんの気が立っていたらボクなんか瞬殺だよ? 一捻りだよ! やはりここは何とかお断りを、
「……何? イヤなの?
あっ!? これはマズい。
ネルさんの機嫌が見るからに悪くなり、放たれるプレッシャーが強烈に肌を刺す。ここでノーなんて言ったらそれこそボクの命に関わる。
「よ、喜んで訓練に付き合わさせていただきますですハイっ!」
「ホントっ!? 良かった~! じゃあ設定を弄ってくるね!」
機嫌がコロッと直ったネルさんは、笑いながら訓練室の隅のコントロールパネルに向かって行った。……どうしよう。今さら断れる雰囲気じゃない。すると、
「……んっ!?」
なんか身体の邪因子が抑えつけられる感じがした。どうやらネルさんが設定を弄ったらしい。
「設定弄って来たよ~! それにしても、邪因子に制限がかかるとこんな感じなんだねぇ。なんかいつもより体が重いや」
ネルさんが腕を軽く回して身体の調子を確かめている。もうこうなったら訓練に付き合うしかない。だけどその前に、
「あの……ネルさん? 訓練に付き合うのは良いんですが、その……どのくらい手加減すれば? うっかりケガさせたりしたら大変ですし」
「手加減なんて要らないよ? そんなんじゃ訓練にならないじゃない。ケガだってしょっちゅうだし」
「そんな。いくらネルさんが凄いと言ってもそれは邪因子有りでの話。邪因子が同じならいくらボクでも普通に勝てますって」
確かにボクも初見だと時々女性に間違われるくらい線が細い方だけど、それでも邪因子の対等な状態でこんな小さな子に負けるとは思わない。なのに、
「……ぷぷっ! あっれ~おっかしいんだぁ! あたしに勝てると、ましてやケガさせると本気で思ってるの? ……あっ!? 分かった。どうせ負けるなら手加減したから負けたって言い訳を作りたいんだね? 大丈夫」
そこでネルさんはニヤリと嗤い、
「あんたのそこそこ綺麗な顔には当てないようにこっちが手加減してあげるからさ。早くやろうよ!
ムカッ!
「……良いでしょう。ルールは普段の模擬戦と同じで良いですよね? もうこうなったら手加減なんてしませんから」
流石に今のはムカついた。
どうせ向こうから吹っ掛けられた喧嘩だ。この生意気なクソガキに、こう見えてボクが男なんだって事をしっかり分からせてやる! 行っくぞ~!
一時間後。
「あ~楽しかった! たまには邪因子なしで思いっきり戦うのも良い物だね!」
「た、楽しめたのなら幸いです」
疲労の色を見せながらもどこか充実した顔を見せるネルさんに対し、ボクはすっかりへたばって床に大の字になっていた。
何この子っ!? 邪因子が均等でも相当強いんですけどっ!?
最初の内こそ普段と勝手が違ってか動きが固く、戦い方もどこか力任せでボクもそれなりに優位に立ってドヤァと出来ていた。
一度なんか完全に関節を極めて、ネルさんが悔しそうに涙目を見せるのを見てなんだかイケない気持ちがちょろっとだけ湧いてきたくらいだ。
しかしだんだん邪因子に制限がかかった状態に慣れてくると、ネルさんの動きが少しずつ変わっていった。ボクの攻撃に的確に反応し、しまいにはボクがやった関節技を完全に真似て掛け返してきたくらいだ。あの時のドヤ顔返しはとても悔しかった。
「ボクも疲れたし、もうそろそろ終わりにしましょうか」
「そうだね! え~っと……あんた名前なんだっけ?」
「いや今更っ!? ピーターですピーターっ!」
名前も覚えてもらっていなかったと少ししょんぼり。まあ良いさ。どうせ今回だけの関係だもの。ネルさんもボクの名前なんかすぐにまた忘れるだろう。
「それじゃあねピーター。
「はいまた明日!」
ネルさんは輝くばかりの笑顔でそう言うと、タッタッと訓練室を後にした。どうせ明日も講義で会うからって、別れの挨拶はきちっとしているのは良い事だ。
……さてと。じゃあボクも自室に戻るとしますか!
次の日。
「こんにちはピーター。また今日も付き合ってね!」
「もう勘弁してください」
それ以来毎日のように自主練に付き合わされるようになった。
いやなんでっ!?
という訳で新米ピーター君は見事ネルのスパーリング相手に選ばれました。
地味にコンプレックスの容姿を揶揄われて分からせてやろうと意気込んだのですが、初日以降はほぼ全敗の模様。頑張れピーター!
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雑用係 クソガキに年季の違いを見せつける
昇進試験まであと4日。
「オジサンっ! あたしに付き合って!」
そんな言葉がネルから出てきたのは、俺が昼食の焼きそばを炒めている時の事だった。
「付き合う? 買い物か? それともまたツイスターゲームでもやろうってのか? 言っとくが俺はもうやらんぞ。前あれで変な風に身体が曲がって次の日酷い目に」
「違うよ! 訓練だよ訓練! 今日は講義も休みだし、ピーターも『流石に休みの日くらいゆっくりさせてください』って書置きを残して行方をくらませたし。自分一人だけじゃなくて、誰かと一緒にやった方が効率が良いって言ったのオジサンじゃんっ! だからお願い!」
ネルが珍しく両手を合わせて頼んでくる。
確かに一人より何人かでやった方が効率が良いと言ったのは俺だし、会った事は無いが話を聞く限りここ数日ネルの友達? 子分? になったらしいピーター君が疲れて逃げ出したくなったのも分かる。何せこのクソガキの無茶振りはとんでもないからな。
仕方ない。ここ最近ネルの体調を診るトレーナーらしい奴も見かけないし、ちょっと代わりをするくらいなら良いか。
「良いだろう。幸い今日の分の買い出しは午前中に終わったし、午後は新メニューの開発でもしようかと思っていたくらいであまり忙しくない。ちょっとだけなら付き合ってやる」
「ホントっ!? やった!」
「ただし……まずは昼飯が先だ。ほら出来たぞ! テーブルまで持っていきな」
俺は山盛りの焼きそばを乗せた大皿をネルに手渡した。
その後、昼飯を済ませて軽く摘まめるおやつの仕込みをし、ネルに付き添って訓練室へ向かう。時折通りすがりの奴らが俺と一緒に居るネルを見て不思議そうな顔をするが、特に呼び止められることもなく普通に辿り着いた。……のだが、
「おいクソガキ。これは何だ?」
「クスクス。さ~てなんだろうねぇ。あたし分かんないなぁ」
「とぼけるんじゃないっての。これ互いに邪因子制限付きで模擬戦する設定じゃねえかっ!?」
元々この設定をネルに教えたのは俺だ。本来ネルの邪因子の高さに頼りすぎるきらいを直すべく、これで他の幹部候補生でも誘って訓練しろと言ったのだが、まさか俺にまでやらそうとするとは。
「ふっふっふ。バレちゃったか! そうっ! 実はあたしず~っと考えてたの。オジサンにどうこのあたしの凄さを骨の髄までしっかり分からせてやろうかとっ!」
急になんか微妙な悪役ムーブをかましてきたぞこのクソガキ。いや元々悪の組織だから普通なんだけど。
「普通に戦って勝つのは当然あたし! でもそれじゃあオジサンは絶対邪因子の差云々とか言って逃げ出すでしょ。だ・か・ら、互いの邪因子を均等にする設定を教えてもらった時これだって思ったわけ! という事でオジサン! あたしと勝負よっ!」
「やらんぞっ!? 俺が考えていたのはあくまで体調管理するトレーナーなのっ! いくら邪因子が均等だろうがお前みたいなのと戦えるかいっ!?」
このままだとこの才能だけ無駄にあり過ぎるクソガキが満足するまで付き合わされる。ここはさっさと退散するべくくるりと踵を返し、
「へぇ~。逃げるんだ逃げちゃうんだ? 邪因子が均等になってもこ~んなちっちゃな子相手に逃げちゃうんだ? や~いザ~コザ~コ!」
「何とでも言え。大人がそんな挑発ごときで引っかかるとでも」
「ヘ・タ・レ~! チキ~ン! へっぽこ~。ビビりロリコンヘンタイオジサ~ン!」
「いや多いな!? 分かった分かったよ」
この調子だとちょっと付き合ってやらんと収まらんな。俺はため息を吐きながらこのクソガキに向き合う。
「ふふん! そうじゃなきゃ! ルールは普通の模擬戦と同じね! まあ最近オジサンも運動不足かもしれないし、五本勝負で一本でも取られたらオジサンの勝ちでも良いよぉ!」
「へいへいありがとさん。ハンディをくれて涙が出るよ」
しかしどうしたもんか。大人として適当にあしらう事も出来るが、下手に加減したらこのクソガキが納得するとは思えん。それに、
「やっちゃうよ~! ここでオジサンをボッコボコ一歩手前にし『ははぁネル様。私めはネル様にすっかりボッコボコにされて身の程を分からされたクソ雑魚ナメクジオジサンでございます。これからもネル様のお世話係として誠心誠意尽くさせていただきますぅ』と這いつくばらせてあげるよ~!」
なんかガキがやっちゃいかん不気味な笑みを浮かべながらネルがブツブツ言ってる。せめてその考えてる事が駄々洩れになる癖を改めような。
こんなクソガキに負けて這いつくばらされるのも大人としては問題だ。ならば、
「じゃあ……覚悟しなクソガキ」
「覚悟? 覚悟って何の?」
「なに。簡単だ」
俺は軽く息を整え、ゆったりと構えながら指を軽く曲げて挑発する。
「
「オジサンのくせに言ってくれるじゃん。……こっちが分からせてあげるんだからっ!」
戦いのゴングは不要。目と目が合ったその瞬間が合図。
飛びかかって来たネルを、俺はどっしりとした構えで迎え撃った。
2時間後。
「う、うぅ~。もう一回! もう一回やるのっ!」
「いや、もう……なし。流石にしんどい」
涙目になってせがむネルを、疲労困憊な俺は雑に追い払う。
結果としてだが、
まずネルが以前のように力任せではなく、きちんと技を織り交ぜた戦い方をしてきた時は素直に驚いた。
元々ネルの場合天性の戦闘の才能があった。それに加えて高い邪因子の素養により、技を覚える必要があまりなかったのだろう。しかしピーター君との模擬戦で、自分なりに戦い方を学んだのだ。ありがとう顔も知らぬピーター君。
だが残念ながらまだ覚えたて。動きの組み立て方もまだ雑さが残り、覚えた技を使いたいという気持ちが透けて見える。そして経験という意味ではこっちは年季が違う。
「アイタタタ!? ギブギブ!」
腕を極めようとしてきたのを上手く外し、カウンターで逆に掛け返してまず一勝。なのだが、
「こ、これは準備運動なんだから! もう一回!」
ここでネルの負けず嫌いが発動。元々の五本目を終えても諦めず、遂には数えるのも馬鹿らしくなるほど繰り返した。
しかも輪をかけて厄介な事に、戦いの中でコイツどんどん成長するのだから性質が悪い。
一戦ごとに少しずつ、だが着実に、動きのキレも技の冴えも上がっていく。邪因子に頼らずこれなのだから、まさにダイヤの原石という奴だろう。
だがいくらなんでもこの強フィジカルに付き合い続けるのは体力がキツイ。俺も毎朝訓練をしているのでそこらの奴よりは元気なつもりだが、ガチで向かってくるガキのスタミナは無尽蔵だ。
「ねぇオジサ~ン。もう一回! もう一回だけ! 次こそ勝っちゃうから」
「ダメだ。もうホント無理」
「ぶぅ~。……ケチ」
「そうか。残念だな。これ以上やれば今日のおやつを時間的にも体力的にも取りやめなきゃならんのだが。ちなみに今日は熱々の油で揚げたドーナツに粉砂糖をたっぷりまぶしてチョコレートを」
「今日はここまで! さあオジサン。早く帰ろう!」
こうして3時のおやつを交渉材料に、
なお、
「さあおやつも食べたし訓練再開! 今度は邪因子有りでオジサンをメッタメタにしちゃうんだから!」
「いや今度は俺夕食の仕込みがあるんだが」
負けて落ち込むどころかますますやる気になり、ネルがまた俺に絡んでくる頻度が増えた気がする。頼むから普段はピーター君と遊んでてくれっ!?
何かに熱中している間の子供の元気は本当に無尽蔵ですからね。その代わり一回集中が切れると急に反動が来るから困りものです。
ちなみにケンは今回一度も負けてはいませんが、これ以上続けていたら体力切れとネルの成長度合いから負けていた可能性も割とありました。
この話までで面白いとか良かったとか思ってくれる読者様。完結していないからと評価を保留されている読者様。
お気に入り、評価、感想は作家のエネルギー源です。ここぞとばかりに投入していただけるともうやる気がモリモリ湧いてきますので何卒、何卒よろしく!
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ネル 部屋に友達を連れ込む
昇進試験まであと3日。
「有りっ! 無しっ! ……アハハっ! 結構楽しいねこれ!」
「ひええぇっ!? おた、お助けぇっ!?」
「逃げるなピーター君。大丈夫だ。素早く見極めながらガードすれば只のボールだ。落ち着いて」
訓練室にて、あたしとピーターは部屋中を飛び交う球体を相手にしていた。操作盤から球体を操るオジサンがピーターに声をかける。
「そうだよピーター! こんなの楽勝だって! オジサ~ン。ちょっと物足りなくなってきたから数増やして」
「……この調子ならまあ良いだろう。ではもう一種類追加だっ!」
「あんたらおかしいでしょっ!? これに関してはボクが普通ですからねっ!?」
なんでこうなったのか。それは一時間くらい前に遡る。
「ちょっと逃げないでよピーターっ!」
講義の終わった後、ジタバタ逃げ出そうとするピーターをあたしはがっちりと服を掴んで離さない。
「ダメですってっ!? もう邪因子を均等にしてもネルさんにボロ負けばっかりじゃないですかっ!?」
「だって他の奴はあたしが声をかけても皆逃げるんだもの! さあ諦めて訓練に付き合ってよ! 大丈夫手加減するから」
と言ってはみたものの、実際ピーター相手だと物足りなくなってきたのも事実だ。邪因子が均等だから最初は良かったのだけど、だんだんあたしが慣れてピーターの動きを読めるようになってきた。
この調子だと次かその次には腕か足を縛ってやらないと訓練にならなくなるかも。なので、
「ただいま~! オジサ~ン! また訓練に付き合って~!」
「おうおかえり。早かったな。あと一対一の訓練はもうキツイから嫌……っ!?」
一度帰ってオジサンに相談すると、オジサンは何故かあたしの後ろの方を見て驚いている。
「お、お邪魔します。あの、ボクピーターって言います。どうぞよろしくお願いします」
「これはこれはご丁寧に。俺はこのクソガキにこき使われているしがない雑用係のケンという者だ。こちらこそよろしく。……おいクソガキ。友達を連れてくるなら早めに連絡しろよ! どうぞ上がって上がって。昨日のドーナツの余りはあったかな?」
「ちょっ!? ちょっとオジサンっ!? 何そのにこやかな態度っ!? それとここあたしの部屋っ!」
普段のあたし相手とはまるで違う穏やかさで、オジサンは一礼するピーターを迎える。何か釈然としない。
あと……
「そりゃあクソガキと初対面にきちっと挨拶する相手じゃ態度も変わるさ。お前もこういう態度を取ってほしけりゃ普段の生活態度を見直しな」
「ふぐぐっ……それは何か負けた気がするから嫌」
お父様相手ならともかく、オジサン相手じゃねえ。
そういう訳でひとまず皆で部屋に上がり、昨日の余りのドーナツを齧っていたのだけど、
「しかしピーター君。君の事はこのクソガキから聞いてるよ。よく訓練に付き合ってくれた。コイツの相手は非常に疲れると思うが、出来ればこれからもなるべく時間を掛けて付き合ってやってほしい。……いやホント。切実に」
「それは…………もしかして貴方もっ!?」
互いに疲れたような表情を僅かに見せたかと思うと、その瞬間何か通じ合ったかのようにがっしりと握手をしていた。
なんか悔しい。初対面で仲良くなっちゃってさ。
「それでオジサン。これまでみたいに一対一で対人戦を鍛えるのは良いんだけど、ピーターじゃもうすぐ物足りなくなると思うの。何か良い案ないかなぁ?」
「良い案ねぇ。お前の場合数回戦っただけで何となく相手の技を自分の物にするレベルで筋が良いから、このまま対人戦を続けていけば相当伸びると思うんだが……本当に他にやる相手は居ないのか?」
「皆声かけると逃げちゃうんだよ」
前々からそうだったけど最近は特に酷い。そのくせ何人かで集まってはこっちを見てぼそぼそ喋ってるし。言いたい事があるんなら直接言えば良いのに。
「もうすぐ昇進試験だからな。
「根回し?」
「ああ。何でもない。……仕方ない。それじゃあ今回は普通に戦うのとは趣向を変えるとすっか」
そう言って億劫そうに立ち上がるオジサン。そのままキッチンの方に行って何か仕込みをしたかと思うと、昨日の訓練室に行くぞと言って上着を羽織る。
「あのぉ……僕はどうしたら?」
「折角だから一緒にどうだい? もうすぐ試験なのは君も一緒だろう? 直接戦う訳ではないけど、コイツも誰かが一緒の方が張り合いがあると思うし」
「はぁ。そんなもんですかね」
なんかやる気のなさそうなピーターも引き連れて、あたし達は訓練室に向かった。
そうして今の状況になるって訳。
「本当にこんなのが訓練なんですかぁっ!?」
「勿論だ。高ランクの邪因子持ちはちょっとした重火器程度ならびくともしないが、それはきちんと邪因子を制御できていればの事。これはゲーム感覚で邪因子制御を練習する画期的な方法なんだぞ」
訓練室中を飛び回る幾つものボール。2種類あるそれにはそれぞれ仕掛けがあって、赤色の球は活性化した邪因子に反応して衝撃を放つ。そして黄色の球は逆に邪因子を抑えている状態で触れると衝撃を放つ。
衝撃と言っても痛みはなく、せいぜい軽い振動が来るくらい。だけどボールはそこそこ速いし、止めるには触れてボタンを押さなきゃいけない。
触れる一瞬でどっちか見極め、素早く邪因子のオンオフを切り替えるのは結構難しい。おまけに何個も飛んでくるから同時に当たったらどっちかは衝撃が来る。あくまで1つずつ触れる状況に持ち込まないといけない。
だけど、割とこういうのも楽しい。
「今度は青色も追加だ。青は邪因子は関係なく、手と腕以外で触れると衝撃だ。ガードする時は気を付けろ!」
「つまり足で蹴り飛ばして防ぐのは無しってことね。了解~!」
「いや難しいですってっ!? 鬼っ! 悪魔っ! 鬼畜っ!」
「ハッハッハ。俺なんか大分優しい方だ。俺の友人にオリバーって奴が居るが、アイツ笑いながら常に鍛える相手の限界ギリギリを見極めて追い込んでくドSだからな。大丈夫。設定でピーター君の方には青色は行かないようにしてある。まずは存分に2色で練習してくれ。最終的には7色まで増やす予定だが」
ピーターはうげって顔をしているけど、それならまだまだ楽しめそう。あとオリバーって誰?
結局その後1時間くらい飛び交うボールと戯れ続け、4色目の緑(基本は黄色と同じだけど、身体の邪因子の強い場所に向かって行く。例えば右腕だけ邪因子を高めるとそちらに寄ってくる)を攻略した辺りでオジサンからストップがかかり、晩御飯となった。
「いや。やっぱり悪いですよ」
「遠慮することは無い。ここまで来たら2人も3人も大差はないし、念の為多めに食材を買ってある。どんどん食べてくれ」
今日のメニューはカレーライス。オジサン曰く好みの分からない相手でも大体これが鉄板なんだとか。確かに前1回食べたけど美味しいよね!
「そうだよ。オジサンの料理は美味しいからピーターも1回食べたら病みつきになるよ~。……あっ!? そこの卵焼きはあたしのだからね。
皿をさりげなくこちらへ移動させ、軽くピーターに注意を促しておく。……良かった。ちょっと顔を強張らせながらうんうんと頷いてくれた……痛っ!? チョップされたっ!?
「こらっ! 独り占めすんじゃないよクソガキ。……すまないな。おかずもまだまだあるので遠慮なく取ってくれ。そこの卵焼きなんか自信作だぞ」
「ダメっ! ダ~メ~な~の~っ!」
結局卵焼きを一切れずつ2人に取られてしまった。良いもんね。まだ残りの八切れはあたしのだもんね!
その後カレーを皆で食べ、お腹もすっかり満たされた後ピーターは1人部屋まで帰っていった。
オジサンが送って行こうとしたけど、ピーターは「流石に二十過ぎにもなって1人で帰れないなんて事ありませんよ。本日はどうもありがとうございました」と言って去っていった。
ピーターあれで二十歳過ぎだったのっ!? オジサンも「……精々高校生くらいだと思ってた」と驚いていた。
「それにしても、お前が友達を連れて帰ってくるとはな。少々年上だったみたいだが」
カチャカチャと食器を洗いながら、オジサンは背中越しにそう声をかけてくる。
「……友達じゃないよ。ピーターはただ都合の良い訓練相手だったってだけ。もしくは子分かも。ピーターだけじゃない。他の幹部候補生は皆競争相手なの」
「そうか? それにしては、一緒に訓練している時のお前は少しだけいつもよりご機嫌そうに見えたぞ」
「違うもん。そんなわけないじゃん」
友達……か。
あたしは少し頬を膨らませながら、あんまり聞きなれないその言葉にちょっとだけ想いを馳せた。
友達って何なんでしょうね? 傍から見るとそれっぽいのですが、ネルから見れば子分だしピーターから見てもまだ微妙な所です。
最近私用により投稿頻度がやや落ち気味です。楽しみにしている読者の皆様にはご迷惑をお掛けいたします。
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雑用係 クソガキと約束する 第二部(終)
昇進試験前日。
何? これまで一日ずつだったのに二日前はどうしたかって? そこは特筆するような内容もなかったし飛ばす。強いて言うなら、
『ひょえ~っ!? おた、お助けっ!? 三種類になったら急に難しくなりましたよぉっ!?』
『いや、充分筋が良いぞピーター君。昨日始めて二日で三種類に挑めるようになったんなら上等だ』
『本当ですかぁ? ……だって』
『やった~っ! 遂に五色目をクリアしたよっ! どうよオジサン!』
『いやアレは比較対象がおかしいだけだ。というかどういうセンスをしてるんだアイツっ!?』
また逃げきれずに捕まったピーター君と一緒に前回と同じ訓練に挑戦し、例によって天才っぷりを発揮したネルが昨日に続いて二日で六色目に挑むくらいになってしまったことぐらいだ。
これに関してはピーター君のペースが大体平均値より少し早いくらい。本来
他に有った事と言ったら、
『これで……上がりです』
『あ~っ!? また負けたっ!? ……もう一回っ!』
『もう勘弁してください』
『そうだぞクソガキ。もうすぐ夕飯だからトランプを片付けろ。……よ~し出来たぞ! 今日は野菜たっぷり山菜鍋だ!』
実家で獲れた野菜が大量に送られてきたのでどうぞと、ピーター君がお裾分けしてきた野菜で鍋パーティーをしたくらいだな。
中々質の良い野菜だったが、ピーター君はどこか複雑そうな顔だった。毎月嫌というほど送られてくるらしい。これだけあれば色々と新作に試せるので実に羨ましい限りだ。
ちなみにネルとピーター君でやっていたのは、常時邪因子を流し続けないと絵柄が消えてしまうトランプ。この前
……何度もやってピーター君が邪因子切れ寸前になっていたのはご愛敬だが。
そして今日。
流石に試験前日という事で講義関係もお休み。十分に身体を休め、明日に備えようという訳だ。ピーター君も「流石に今日ばっかりはのんびりさせてください」と書置きを残してトンズラしたらしい。だというのに、
「ねえ。また訓練しようよぉ。昨日の続きで六色目をやるのでも良いし、オジサンと一対一で戦うのでも良いからさぁ」
「ダメだ。何度も言っただろ? 今日はしっかり体を休めて明日に備えろって。軽くストレッチをする程度なら良いが、それ以上はなし。ガキらしくたまには家でのんびりしな」
「む~っ」
やたらとせがんでくるクソガキをトレーナー(代理)として何とか抑え込み、時折おやつを作ったりトランプに付き合ったり(よく顔に出るネルなのでほぼ全勝)して宥めすかし、夕飯も食べてキッチンで後片付けをしていた時の事。
ピー! ピー!
「何だ? この音は?」
どこからともなく聞こえてくるアラーム。しかし聞き覚えがないな。一体何の?
「はいっ! はいお父様!」
そこへネルのどこか背筋の引き締まった声が響く。何だ通信か。しかしこれがネルが時折話題に出していたお父様か。少しだけ興味がある。
「はい! 体調は万全です。邪因子も……問題ありません。明日の幹部昇進試験。必ず合格して幹部になってみせます」
肩越しに振り返ってみると、ネルの声はいつもより少し明るく弾んでいた。それだけこのお父様の事が好きなんだろう。ただ、話している間に少しずつその顔が曇っていく。
「はい……はい。それでですねお父様…………いえ。何でもないです。はい……では、失礼します」
そうして通信を終えると、ネルは大きなため息を吐いてどさりとその場に座り込んだ。
「何か……あったか?」
「……オジサン。女の子の通話を盗み聞きするなんて、やっぱりロリコンヘンタイストーカーオジサンじゃん」
口ではそう言っているが、ネルはどこか寂しそうな顔をしていた。コイツ感情が割と表情に出る所があるからな。
「今のが……前言ってたお前のお父様って奴か?」
「そうだよ。オジサンよりよっぽど立派で強くて優しくて頼りになるあたしのお父様」
「そっか。……じゃあ何でそんな浮かない顔をしてんだ?」
ネルはそれを聞くなり自分の顔を手で触れて確認する。そういうトコがガキなんだ。
「オジサンには……関係ない話だし」
「嘘言え。本当に関係ないってんなら、なんで自分の部屋じゃなく
コイツはアラームが鳴ってからずっとキッチンの隣の居間で話していた。俺がキッチンで片づけをしているのにもかかわらずだ。
「聞いてほしかったんなら素直に言いな。何かそのお父様に言われたか?」
「……逆だよ。
ネルは肩を落として座り込んだままそう答えた。
たったそれだけと言われるかもしれないが、おそらくコイツにとっては重要な事なのだろう。なら、
「
「……えっ?」
「言わなきゃ伝わんねえことだってある。父親なんだろ? ガキが親に期待してねって、応援してほしいって頼むのは間違ってやしない。頑張るから期待してねって言えば良かったんだ」
そう当然の事を諭すと、ネルは何故か目をパチクリさせる。そんなに不思議な事か?
「でも……お父様にそんな事」
「……はぁぁっ。お前な、何遠慮してんだよ」
「ちょっ!? オジサンっ!?」
俺は大きくため息を吐くと、サッサとエプロンを外してネルに近づき、その髪を上からグシグシと乱暴にかき回す。
最初は抵抗していたネルだったが、すぐにおとなしくなって今はされるがままだ。しばらく続けると、俺は手を離してネルの前に膝を突いて目を合わせる。
「これまでもお父様に色々してもらってんだろうが。なら今更遠慮なんてせずにもっと欲張れよ。……それにな、
「……うん。ありがとう。オジサン」
ネルはそう言ってにっこり笑った。
「礼なんて言われる筋合いはないな。これも仕事の内だ。試験が終わるまで、お前が試験に合格できるよう手伝うってな」
「またまた照れちゃって! もう正直に言っちゃいなよ! あたしのこの魅力にメロメロになっちゃったんでしょ? オジサンったらもぉ! ……試験が終わっても、あたしの世話係をやりたいんでしょ?」
ふざけんじゃないってのと軽く返そうとした時、ネルの表情に真剣さが混じっているのに気が付いた。なので、俺も真剣に答える。
「いいや。試験が終わったら合否に関わらず仕事は終わりだ。俺はまた第9支部に戻る。それは曲げるつもりはない」
「……そっか。ざ~んねん」
ネルはゆっくりと立ち上がると、頭の後ろに両手を回してすっと自室に歩いていく。そして部屋に入る直前、
「じゃあオジサン。あたしが幹部になるのは当然だけど、試験に合格したらご褒美ちょうだいっ!」
「ご褒美? それこそお父様に頼めよ。まあ一応聞くだけ聞こう」
「あたしが試験に合格して幹部になったら……
そうだったか? 確かに内心では名前で呼んでても、実際は名前で呼ぶ事はあまりなかった気がする。
「そう言えば……そうかもしれないな。なんだかんだ初対面がアレだったし、何となくクソガキ呼びが定着してた。だが良いのか? それくらいなら今からでも言ってやるぞ」
それにご褒美と言うからには、ネルなら専属の下僕になれとか言ってくるかと思ったんだが。そう疑問に思うと、ネルはふふんと得意げに振り返る。
「分かってないなぁ。名前で呼ばせるだけなら簡単だけど、ご褒美としてあった方がよりやる気が出るでしょ? あとオジサンを専属下僕にするのをご褒美にしたら、
「……何だよその謎のこだわりは」
「良いから。どうオジサン? このご褒美で受けてくれる?」
上目遣いにキラキラした目でこちらを見つめるネル。つい一週間前の自分を追い詰め過ぎて飢餓状態にまでなっていた頃とは大違いだ。……仕方ない。ついさっき遠慮せずに欲張れって言っちゃったしな。
「良いだろう。お前みたいなクソガキがそう簡単に試験に受かるとは思えないが、もしもだぞ。もしも受かるような事があったら、次からちゃんと名前で呼んでやるよ」
「ホント? ホントにホント? やったぁっ! じゃあ、約束ね!」
ネルははしゃぎながらこちらに小指を出してくる。これは、
「この前買ったマンガで見たのっ! こうやって約束するんでしょ? オジサンも早く小指出して」
「え~やるのか? 別に口約束だけでも破ったりは……分かった分かったって。そんな目で見るなよ。形から入るんだな? ……ほらっ」
俺達は小指を絡ませ合う。そして、
「「指切りげんまん噓ついたら針千本の~ます」」
勢いよく宣言し、ネルはそのまま指を離す。
「へへっ! 約束だよ!」
「……ああ。約束だ」
離したその指には、どこか温かみが残っていた。
まるで約束の証のように、ほんのりと、だけどしっかりと。
という訳で、これで第二部本編最終回です。
今回はいつもよりも難産でした。大まかな流れは決めているけれど、気を抜くとキャラクターが勝手に予想外の行動をとりそうになるからとんでもない。
かと言って無理やり行動を捻じ曲げれば、どうしたって違和感が出る。それで書いては消し消しては書いてを繰り返している内に、いつの間にか前話からかなりの時間が経ってしまいました。
ちなみにケンがネルをなんだかんだ名前で呼ばないというのは最初から決めていました。もし名前で呼ぶとしたら、それはなにかしら心境に変化が起きた時でしょう。
次回第三部の始まりは五月中を予定しています。またしばらく間が空いてしまいますが、少々お待ちいただければ幸いです。
それでは最後に恒例のおねだりを。
この話までで面白いとか良かったとか思ってくれる読者様。完結していないからと評価を保留されている読者様。
お気に入り、評価、感想は作家のエネルギー源です。ここぞとばかりに投入していただけるともうやる気がモリモリ湧いてきますので何卒、何卒よろしく!
推薦とか貰うと飛び上がる程喜びますよホント!
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閑話 ある怪人と男の出会い
ゴールデンウィーク初日にこちらをどうぞ!
◇◆◇◆◇◆
そこは荒涼とした岩場だった。
あるのはそこらにゴロゴロと転がる岩石や、何とかこの環境に適応した僅かな植物。
そして、
「うらあっ!」
『せいっ!』
少し離れた場所で戦う一人の怪人と男の姿があった。
邪因子によって変身する怪人の姿は千差万別。動植物をモチーフとした姿の事もあれば、どこか想像上の生物のような姿。果ては自然そのものや現象をモチーフとした姿の者も存在する。
そして大抵の場合怪人化すると一回り大型化……要するにゴツくなるのだが、その怪人は些かそれとは異なっていた。
白に近い灰色の姿。どこか光沢のあるそれは甲殻というにはどこまでもスリムで、さりとてパワードスーツというにはどこか生物的で憚られる。
顔までつるりとしたフルフェイス状で表情も不明。細身のフォルムからおそらく女性であるとしか姿からは読み取れない。
そんな中、それを明らかに異形と言わしめるものが一つ。背中の肩甲骨辺りから生えて左右に伸びる、
全体的に細身なのにそこだけがゴツい。そんなどこかアンバランスな姿の怪人が対するは、これまた少々奇妙な格好の男。
服装自体はまだ良い。周囲に倒れている兵士達と同じく、特殊部隊のような格好だ。強いてあげるなら、
しかしその手に他の兵士達のような銃などの近代武器は見当たらず、代わりに持つのは一本の長槍……いや、刃先が無いのでロッドに近い。
『……はぁっ!』
怪人は男に鋭い蹴撃を浴びせかける。常人なら受けただけで良くて骨折。場合によってはその部位そのものが千切れ飛ぶ怪人の剛力による一撃。それを、
「舐めんなっ!」
男は普通に受けずに持っていたロッドで足の横から一撃。僅かに軌道を逸らしたそれを僅かに身体を傾けて躱し、その勢いのままお返しとばかりに足払いで残った足を刈りにかかる。
いくら怪人の肉体が頑強とは言え、自分の蹴りを躱された上で残る足に攻撃を受けてはバランスも崩れる。ぐらりと傾く怪人の身体に、男は勢いよくロッドを打ち込んだ。
『うっ!?』
怪人は無理やり身体を捻って直撃を避けるが、そのロッドが脇腹を掠め僅かに苦悶の声を上げる。
しかしそれも一瞬の事。すぐに牽制をしつつ立ち上がり、仕切り直しとばかりに互いに少し距離を取る。
「ふぅ。流石はリーチャーの怪人。簡単に仕留めさせてはくれねぇか。この実力は準幹部級と見たがどうだい?」
呼吸を整えながら男が問いかけるが、怪人は何も答えない。つれないなと男は軽く頭を掻きながらも、その目は相手の一挙手一投足を見逃すまいと怪人を見据えている。
肉体の性能で言えば間違いなく怪人の方が優れている。だが、男の方が動きのキレや技の巧みさで数段上を行っている為、結果的に見れば男の方が優勢だ。だが、
「それでだ。一応聞いておくが、
『……っ!?』
男の言葉に、怪人は僅かに動揺を見せる。
「おっ! その様子から察するに当たったか! いやな。そっちは強いは強いけど、俺を絶対に仕留めてやるって気概が感じられない。そのくらいは分かるさ。それが……」
そこで男は怪人を……正確に言うとその背中を指差す。
「そんなゴツいいかにも何か出しますよって物の充填時間なのか、或いは別の何かの為かは知らないが、そろそろ本気を出すなり逃げるなりしねぇと……このまま倒させてもらうぜ」
男はそう言って構えながらニヤリと笑う。その言葉に偽りはなく、このままの状況が続けばいずれ男の方が勝利するだろう。だが、
『じゃあ、そろそろ溜まったし、こちらも本気で行くとするかね』
その言葉と共に、怪人の背中から大量の白煙が噴き出した。煙は瞬く間に周囲に拡がり、怪人はその白に近い灰色の体表も相まってすぐ煙に紛れてしまう。
一瞬毒ガスかと咄嗟に口を押さえる男だったが、辺りで倒れ伏している兵士達がまだ無事な事からどうもそんな様子はない。
「煙幕か? ……いや、コイツはっ!?」
『遅い』
突如目の前から迫る拳を男が躱せたのはほとんど偶然だった。慌てて転がるように躱したのは良いものの、次々と襲い来る連撃に男は防戦一方となる。
煙で視界は最悪。それに紛れるような攻撃を直感と反射だけでギリギリ捌いている男も相当だったが、直前まで攻撃を悟らせない怪人に男は内心舌打ちする。
ならさっきのようにカウンターを決めて煙から引きずり出すべく、男は拳をギリギリで躱しつつその方向へロッドを突き出す。
ズンっ!
『っ~!?』
「手応えあったぁっ!」
ロッドは今度はしっかりと怪人の腹部を捉え、たまらず怪人の動きが止まる。だが、
「んなろっ……なぬっ!?」
『残念。外れだね』
追撃しようとした
男は困惑する。このタイミングなら確実に当たる筈の一打だ。なのにそこには何もない。姿すら完全に消えている。
煙で幻覚を見せられているにしては今の圧は本物だった。間違いなく相手はここに居て、なのに一瞬で消えたのだ。
「何が……がはっ!?」
じっくり考え事をする暇もない。今度は男の
何とかロッドでガードしたものの、その威力を完全に抑えきる事は出来ず男はその勢いで吹き飛ばされ、煙の外の岩に背中から叩きつけられた。
痛みに一瞬意識が飛びかけるが、それを気合だけで即座に引き戻して男は今の状況を推察する。
(瞬間移動の類? いや、それだけにしてはなんか妙だ。確かにそこに居る筈なのに居ない。かと思えば全然別の方向から攻撃が飛んでくる。……まさかっ!?)
男は一瞬閃いた考えに当たりを付け、ロッドを握る手に力を込める。
『……どうした? 降参かい?』
「な~に。ちょっと考え事をしていただけだ」
漂う煙の中から響くどこか実体のない声に、男はまるで気にしてないとばかりに軽い調子で返しながら立ち上がる。その目に諦めなどというものは微塵もない。
「覚悟しな。今度はこっちが一撃決めてやるよ!」
『だがその前に、アンタは煙の海に沈むのさ』
男は一度大きくロッドを振るって持ち直すと、覚悟を決めて煙の中に突入した。
二十分後。
「……はぁ……はぁ」
『…………ふぅ』
男と怪人は、互いにボロボロになりながらもまだ向かい合っていた。
「……まさかとは思ったが、
『だからと言って、ロッドを回転させて無理やり煙を霧散させるなんてやり方で破られるとは思ってもなかったねぇ。……次は効かないけど』
「それはこっちのセリフだ。種が割れたからにはやりようはあるってな」
互いに肉体は傷ついても、その闘志は寧ろ燃え盛っている。さて続きを始めようかというその時、
ピピピっ! ピピピっ!
その場にはあまり似つかわしくない、軽快なアラームの音が響き渡る。発信源は男のグローブにあしらわれた赤い砂時計。
それと同時に怪人の方も、どこからか通信機のようなものを取り出して耳に当てる。
『……撤収命令? ……はい……はい』
「その様子だと、そっちも戻れって命令が来たか?」
通信が終わった怪人に、男の方も困ったように肩を竦めながら話しかける。
「さしずめ本隊同士のドンパチに片が付いたって所か。勝ったにしても負けたにしても、その事後処理が大変なのはお互い様ってな。あ~やだやだ。もっと気楽に代表同士の殴り合いとかで解決出来ないもんかね」
『フフッ。それをやったら負けるから、この国はアンタ達みたいな奴らを雇ったんだろうさ』
「ハッハッハ。違いないな」
ついさっきまで戦っていたとは思えない程朗らかに笑いあう二人。それはある意味実力を認め合った相手だからこそだろうか。
そうして軽く談笑した後、さてとと言って男は周りに倒れたままの兵士達に目を向ける。
「こっちの仕事はこいつらの救助。まあ個人的には、手柄欲しさに命令無視して勝手に全滅しかけた奴らはもうしばらくこのままの方が良い薬になると思うが、これも仕事の内なんでね。邪魔するかい?」
『いいや。こっちは元々陽動部隊。こいつらみたいなアホウ共を死なない程度にボロボロにして、アンタみたいな厄介な奴を助けに引き付けられただけで成果は充分ってとこだねぇ。だからどうぞ。こいつら連れて帰んなよ』
「道理で幹部級が相手で誰も死んでねぇと思った。……あっ! そうだ」
男はそこで怪人に向けて一つ気になった事があって尋ねる。
「お前さん名前は? 別に本名じゃなくて通り名でも良いんだ。俺が戦った奴がどんな奴くらいかは知っておきたくてさ」
怪人はそこで僅かに逡巡し、
『……“
そうぽつりと返した。これまでこうした戦場で自分から名乗った事はなかったのだが、その時はふと名乗っても良いかという気分になったのだ。
「煙華……煙の華か。こりゃあなんとも風流な名前だ」
『じゃあ今度はそっちも名乗りな。こっちも次会ったらその首貰う相手の名前くらい知っておきたいからね』
「いや物騒っ!? せめてフルボッコにして引っ掴まえるくらいに留めてくれよっ!? ……まあ良いか。その方が悪の組織らしいしな」
男は苦笑いしながら名乗りを挙げる。
「ケン。ケン・
◆◇◆◇◆◇◆◇
「とまあこれがマーサとの出会いだったな。それからも仕事の関係で度々出くわしてよくやり合ったもんだ。なんだかんだ商売敵なのに気があってな。俺が色々あってリーチャーに入ってからも、こうして腐れ縁が続いてるって訳だ。あの頃はずっと煙華とだけ名乗ってたから、マーサって名前を知ったのは組織に入ってからだったけどな……っておいっ!?」
「……すぅ……すぅ」
眠れないから何かオジサンの話をしてというこのクソガキに、ホットミルクを肴に仕方なく昔話を語って聞かせればこの始末。俺の話そんなつまんなかったかな? まあ眠れたならそれに越したことは無いんだが。
「ったく。こんな所で寝たら明日に響くぞ」
俺は静かにネルを抱えると、寝室のベッドまで運んで布団をかける。
「ゆっくり眠れよクソガキ。準備くらいはしといてやるから」
起こさないように部屋を出ると、俺は明日の朝食の仕込みをするべくキッチンへと歩きだす。
いよいよ。幹部昇進試験が始まる。
という訳で昔のケンとマーサの出会いでした。人に歴史ありですね。
今と色々違う所があるかと思いますが、何故変わっていったのかは追々明らかになるかも……ならないかも。
第三部はもうしばらく先になりますので、こちらを読みながらお待ちいただければ幸いです。
この話までで面白いとか良かったとか思ってくれる読者様。完結していないからと評価を保留されている読者様。
お気に入り、評価、感想は作家のエネルギー源です。ここぞとばかりに投入していただけるともうやる気がモリモリ湧いてきますので何卒、何卒よろしく!
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接続話 それぞれの幹部昇進試験前夜
◇◆◇◆◇◆
幹部昇進試験前夜。
ある新米幹部候補生の場合。
「ふひぃ~。沁みる~」
ピーターは自室の浴槽に浸かって思いっきりだらけていた。
「まったく。明日は試験だってのに、ネルさんときたらこんな日まで訓練に付き合わせようとするんだもんな。どうにか逃げてきたけど嫌になっちゃうよ」
身体のあちこちに残る僅かな疲れ。煩わしくもどこか心地良くもあるそれを感じながらも、満更でもない表情でピーターはそうぼやく。
ここ数日。ピーターは普段の講義等に加え、ネルに付き合わされて個別の鍛錬を続けていた。
ネルとの戦闘訓練に始まり、飛び回るボールの中で瞬間的に邪因子制御をする訓練。そして休憩中も、邪因子を常に流し続けていないと扱えない道具で遊んだりと様々だ。
その際の身体への負担は幹部候補生になってから、というよりこれまでの戦闘員時代も含めておそらく一、二を争うものだった。
「ケンさんも常識人ぽいっけどスパルタだし、雑用係って言うからには一般職員だと思うけどなんか風格あって逆らう気が無くなるし。あと
邪因子量は間違いなく最低レベル。だけどそれは何と言うか、常時活性化しているのに次の瞬間何かにかき消されて溜まらない……みたいな感じだとピーターは感じていた。
「でもなんだかんだここ数日で結構邪因子が上がったな。怪人化出来る時間も前よりはっきり伸びてたし、その点はネルさんとケンさんに感謝かな! だけどやっぱりキッツイんだよなぁ。……にしても」
ピーターはそこでふと今日の出来事を思い出す。それは、
「う~ん。やっぱ断っちゃったのはマズかったかなぁ。あの人達試験3回目のベテランらしいし、話によると二日目は
そこで口元まで湯に浸かってブクブクと泡を立てながら、ピーターはしかめっ面をして思い返す。
『知っているぞ新米。最近お前あのネルに付き纏われているんだろう? あのクソガキに目を付けられるなんて可哀そうになぁ。さぞ毎日辛い目に遭っている筈だ。だが俺達の側につけばもうそんな事は無くなる。一緒にあのクソガキをぶっ潰してやろうじゃないか』
「な~んかムカッと来て断っちゃったんだよなぁ。キッツイのは事実だけど、訓練を見てもいないのに語らないでよって感じだったし。……え~いヤメヤメっ!?」
ピーターは顔をバシャバシャと洗って考えを切り替える。
「まずは明日の筆記と実技。その後の事はその後考えよう! 今はしっかりと身体を休めるんだボク! ……ふひぃ~」
そうしてピーターはまた温かい湯に身を委ね始めた。
ある元本部付き幹部の場合。
「試験の監督官? お断りさね。……ふぅ~。じゃあそういう事で」
第9支部医務室の主マーサは、突如支部長室に呼び出されて内容を聞いた瞬間煙草に火を着け、紫煙を燻らせながら踵を返した。
しかし呼びつけたジン支部長もこのままでは引き下がれない。
「まあそう言うな。本部からの急な辞令ではあるが、本来の担当者が侵略先で手傷を負わされ代わりに推薦したのがお前だったのだからしょうがあるまい」
本部からという点を軽く強調し、言外に断りづらい雰囲気を出す支部長。それを察してマーサも大きくまた煙草を吸い、そのまま苛立たし気に煙混じりのため息を吐く。
「はぁ~。どこの誰だい? ワタシなんかを推薦した物好きは。それに監督官は毎回幹部が務めるのが恒例。ワタシは今じゃただの医者だよ」
「幹部が務めるというのは、単純にいざという時幹部候補生の暴走を抑えられる実力があるというだけの事だ。逆に言えば実力さえあれば幹部でなくとも構わない。それにお前を推薦したのは」
支部長の挙げた名前に、マーサは思いっきり渋い顔をする。それは当時マーサが幹部を辞める事になったいざこざで、大いに世話になった人の名前だった。
「ワタシが居ない間、この支部の医務室は?」
「代行であれば手の空いている助手だけで事足りる。緊急の対応もそうそうあるまいし、各自のスケジュールの調整はこちらでやるので問題はない。勿論急な仕事なのでその分の特別手当も支払われる。……どうだ? 引き受けてはもらえないか?」
「……ふぅ~。分かった。引き受けるよ支部長様」
一つずつ問題点に対する対応を返していく支部長。そしてマーサも遂に根負けして了承。早速支部長から資料を受け取りパラパラと内容を確認していく。
「今回の参加者は……何かパッとしないねぇ。個人個人で見れば光る物があるのも数名いるけど、全体的に前に比べて質が落ちている傾向がある」
「それに関しては本部でも問題になっているようだ。試験の難易度を下げてはという意見もあったが、大多数の者はこれまで通りか寧ろ難易度を上げる意見に賛同している。実力の見合わぬ幹部などいくらいても意味がないとな」
「まあその分毎回昇格出来る奴は多くて数名。だからこそ尊敬もされるし権限もある……か。数を増やすか質を保つか毎度悩ましい所だねぇ」
ざっと目を通すと、
「ちなみに、どうやら試験に向けての派閥が出来ているようだけどそっちはどうすんだい?」
「別にどうも。同じ幹部候補生を従えられる実力と統率力があるという意味では寧ろ評価点だ。ただ誰かに従って甘い蜜を吸いたいだけの者は逆に低評価だがな。それに」
そこで支部長は一拍置くと、ニヤリと口元だけ笑ってみせる。
「徒党を組んでも
「へぇ~。ワタシみたいにかい?」
「お前の場合はやり過ぎて辞めさせられた類だろうに。被害に遭った第7支部は今でもお前が来る度に厳戒態勢をとるんだぞ」
かつてケンと組んでやらかした事をちらつかせると、マーサは何も言わずにまた煙草を吹かす。そしてしばらく沈黙が続くと、
「じゃあそろそろ行くとするさね。明日に備えて準備もあるんでね」
「ああ。急に呼び立ててすまなかったな」
マーサはゆっくりと立ち上がり、資料を持って部屋を出ようとする。その時、
「ところで、最近何やらあの子について調べているようだな。何か掴んだのか?」
支部長のその言葉に、マーサの足が止まり振り返る。
「……少しは。その分だとアンタも知ってたんだね」
「あの子の言う“お父様”とやらなら調べがついていた。それ以上は多分お前の方が詳しいだろうが」
「まあね。この事はケンには……言ってないねこりゃ。もしケンがあの子の出生を知ってたら今頃絶対一騒動起きてる。あのお節介焼きが何もしない筈がない」
その言葉に支部長も表情を引き締める。つまりはそれだけの大事であると。
「ここまで来たら支部長様には話しておくとしますかねぇ。ワタシが掴んだ情報。あの子が……
マーサはそこで椅子に座り直し、また静かに煙を口から吐き出した。
“お父様”の場合。
そこはどことも知れぬ場所。全体を薄緑色の照明が妖しく照らし、大小様々な培養液入りのポッドが設置されている。
その中の一際大きいポッドの前で、一人の美丈夫が佇んでいた。
「……いよいよなのだ。ようやく……ようやく手が届く」
男はゆっくりと手を伸ばしてポッドの表面を撫で、培養液に浮かぶ
そこに居るのは薄い水色の髪を伸ばして眠る一人の少女。その姿は髪型以外はネルに瓜二つだった。
「お前の為の万全の舞台を整えよう。だからもうしばし眠るが良い。
男は平常時よりほんの僅かに熱を持った口ぶりで、そう少女に語り掛けた。
如何だったでしょうか?
ちなみに伏線を張りまくっていますが、勢いで書いている所もあるので全部回収できるかどうかは展開次第になります。
本編はもう少々だけお待ちください。
この話までで面白いとか良かったとか思ってくれる読者様。完結していないからと評価を保留されている読者様。
お気に入り、評価、感想は作家のエネルギー源です。ここぞとばかりに投入していただけるともうやる気がモリモリ湧いてきますので何卒、何卒よろしく!
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第三部
雑用係 クソガキを試験に送り出す
トントントン。
リズミカルに包丁が躍る。一振りごとに油揚げを、ネギを、豆腐を刻み、クツクツと音を立てて煮える味噌を溶かした湯に順序良く投入。
時折味を微調整しながら、同時進行している魚の焼き加減の確認。……良い具合だ。
「さて。次はアイツの好きな卵焼きも作ってと……お~いクソガキっ! そろそろ起きろっ! もうすぐ朝食だぞっ!」
俺はフライパンに溶き卵を流し込みながら、手を止めずにネルに呼び掛ける。すると、
「は~い! おはよう。オジサン!」
「うおっ!? 居たのか!? もうすぐ朝食だから早く顔洗ってこいっ!」
急にすぐ後ろから返事が返ってきたので驚いた。そこにはドッキリ成功とばかりにニヒヒと笑うネルの姿が。料理に集中していて気が付かなかった。
素直に洗面所に向かうネルの様子を見ると元気溌剌といった感じ。昨日の事もあって寝不足にでもなっているかと思ったが杞憂だったな。
「頂きま~すっ!」
「頂きます。……っておい!? もうちょっと落ち着いて食え!」
「だって今日はいよいよ試験だよ! 普段より念入りに栄養補給をしとかないと」
好物の卵焼きを真っ先に口いっぱい幸せそうに頬張るネル。どこかハムスターのような姿に、ほっこりするというか呆れるというか。
しかし栄養補給か。ネルはこの所ますます食欲が旺盛になっている。これまでの錠剤も飲んでいるらしいが、以前飢餓状態になりかけながらも我慢しようとしていた頃とは大違いだ。
そこからしばらくは互いに何も言わず、ただただみそ汁を飲み、白米を食べ、脂の乗った焼き魚に舌鼓を打つ。だが、
「……でも、大丈夫かなぁ。試験」
ふとネルがそんな言葉を口にする。いつも自信家で向上意識の塊みたいなネルにしては珍しい。
「不安か?」
「不安っていう程じゃないの。だってあたし次期幹部候補筆頭だし。筆記テストぐらい余裕だし。でも……この所ピーターやオジサンとの組み手や飛び回る球を避けたり防いだりばっかりで、邪因子の強化訓練とかあんまりしてないじゃない? 講義の分もオジサンが邪因子を必要以上に活性化させずにコントロール重視でやれって言うからそうしてたしさ」
ああ。そういう事か。
俺がコイツの家政婦もどき及びトレーナー紛いを引き受けてから、以前のような過酷な邪因子強化訓練をやっていないのが気になっているな。
「心配するな。俺の見立てだと
「どういう事?」
「後で説明してやるよ。今はさっさと朝食を食え。……お代わり要るか?」
「要るっ! お代わりっ!」
ネルは勢いよく中身の綺麗になくなった茶碗をこっちに突き出した。
食事も終わり、後片付けの前に俺は軽く熱い茶で一服。ネルは試験に向けて荷物の最終確認をしている。
「筆記用具良し。受験票良し。昼食休憩用のお弁当も詰めた! ……そうだ! ねえオジサン。さっき言ってた今日で丁度良いってどういう事?」
「あん? ああそれな。じゃあクソガキよ。これ持って邪因子を活性化させてみな。ただし軽くだ」
そこで俺が手渡したのは邪因子の測定器。この前ミツバに本部兵器課に連れ込まれた時、モニターとして押し付けられた物の一つだ。
「何? 今さら邪因子計測? だけど一週間前に測った時からそんなに変わってないと思うけど」
「良いから。確認だと思ってやってみな」
「……まあ良いけど」
ネルは不思議そうにしながらも、何の気もなく全身の邪因子を昂らせる。すると、
「ウソっ!? あたし本当に軽くしかやってないよ! なのに何でこんな数値がっ!?」
「どれどれ。……ほぉ。これは相当なもんだ。予想より大分伸びてるな」
計器に表示されたのは、幹部候補生としては大体平均値くらいのもの。しかしネルとしてはほとんど力を入れたつもりもなかったのだろう。酷く驚いている。
「もしかして……オジサン何か変なお薬を食事に混ぜたとか?」
「そんなんするかバカっ! これは単にお前の実力。正確に言うなら……
飢餓状態になる程の過酷な訓練をして邪因子を活性化させていたが、しかしどんな強い邪因子でも身体が万全でなければ完全には扱えない。
なので俺は極力邪因子の急激な活性化を止めさせ、あくまで出力を抑えての制御訓練や体術の練習などを重点的にさせた。そうすれば使わない邪因子は身体の回復に自然と回される。
毎日きちんと食事をし、身体が鈍らない程度に運動し、ゆっくり休息をとる。そういう何気ない日常で身体の調子は万全に……いや、前より強くなった邪因子に引っ張られることでより強くなる。
……えっ!? 常時活性化し続けている首領はどうなのかって? あの人はオフの時人の5倍はだらけてるから。何事にも例外はある。
まあ結果として、ネルは最大値の上がった邪因子をより効率良く扱えるように身体が整ったという訳だ。試験に合わせて仕上がるようタイミングを計っていたが、上手く行ったようで正直ホッとする。
「……凄い。凄い凄いっ! やるじゃないオジサンっ! これならぜぇ~ったい合格間違いなしだよっ! ありがとうっ!」
ネルは少し興奮した様子でぴょんぴょん飛び跳ねると、そのままの勢いで俺に抱きついてくる。こら抱きつくなっ!? あいてててっ!? 邪因子が活性化したままだから腰があぁっ!?
「あっ!? ゴメンオジサン。大丈夫?」
「お、おのれこのクソガキィ。もうちょっと邪因子の制御訓練を厳しくやっときゃ良かっアタタ!?」
流石のネルも少しだけ悪いと思ったのか、一瞬だけ名残惜しそうにしたかと思うとすぐパッと手を離した。痛む腰を擦りながら恨めしくネルを睨んでやる。
「ゴメンゴメン。こう……一回実感しちゃうとなんか自然と溢れ出しちゃって」
「ちょっと万全にし過ぎたかもな。……仕方ない。普段よりその辺りを意識していくんだぞ」
とは言ったものの、この調子なら一日目は問題ないだろう。
筆記はちゃんと勉強していれば問題ない筈だし、体力テストに関しては何を今さらというレベルだ。普通に受ければ落ちる道理もないからな。
「よ~し準備万端! それじゃあ行ってくるね!」
ネルは制服に着替え、必要な物を詰めたカバンを手に持ってそう宣言する。
心身共に漲り、邪因子も少し活性化率が高すぎる点を除けば好調。制御をミスって自滅さえしなければまあ大丈夫だろう。……多分。
「ああ。しっかりやってきなクソガキ」
「へへ~ん。そのクソガキ呼びもあと二日だけかと思うとなんだか寂しいもんだねぇ。まあ安心してよオジサン。あたしが幹部になった後でもたまにならクソガキって呼んでも良いからさ」
おうおう。もう受かった気でいやがるな。まあ自信があるのは良い事だ。それも根拠のない物でなく、きちんとした努力に裏付けされた物なら尚良い。なので、
「言うねぇ。それじゃあ未来で幹部になるクソガキにコイツを貸してやるよ。……ほれっ!」
「うわっと!? ……何これ?」
俺が投げ渡した指で軽く摘まめる程度の大きさのそれを、ネルはしげしげと見つめる。
それは昔は赤い色をしていたが、今ではすっかり灰色になってしまった
「
「うん。……うんっ! 待っててよオジサン!」
ネルは砂時計を胸ポケットの前に引っ掛けて、こちらに向けて満面の笑みを浮かべる。
「バッチシ合格して幹部になったら返すからね! あっ!? 何ならインタビューの時にこれを見せて『これの持ち主があたしにここでは言えないくらいみっちりきっちりねっとり色々なお世話をしてくれたおかげで合格出来ました』って言っちゃおうかな? その方が面白そうかも!」
「さっさと行けクソガキっ!」
「いや~ん! 怖~い!」
ネルはそう言い残して、笑いながら走っていった。その顔にはすっかり不安の色はなく、どこまでも自然体。
俺に出来るのはこのくらいだ。頑張れよ。ネル。
という訳で、いよいよ幹部昇進試験編突入です。
内容的にかなりネル視点の話が多くなる予定ですので、ケン視点の方が好きという読者の方々には先に謝っておきます。
この話までで面白いとか良かったとか思ってくれる読者様。完結していないからと評価を保留されている読者様。
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ネル 宣戦布告を受けて立つ
ここからしばらくネル視点です。
「遂に……ここから始まるのね。あたしの幹部への道が」
オジサンに見送られたあたしは、ここ本部の一画にある幹部昇進試験会場の前に立っていた。と言っても元々あった多目的ホールの一つを軽く改装しただけで、大まかな造りはもう頭に入っているのだけど。
入口の脇には受付があって、そこにさっきからぞろぞろと他の幹部候補生たちがやって来て列を成している。
わざわざ並ぶなんて面倒だから列の奴らをぶっ飛ばして割り込もうかと思ったけど、それで始まる前に減点を喰らいでもしたら困っちゃう。仕方ないから一番後ろに並んでのんびりと待つ事に。そして、
「次の方。お名前とこちらで邪因子の確認を」
「はいはいっと。ネルよ。ネル・プロティ」
「……確認取れました。こちらをお持ちください」
受付で名前と簡単な邪因子の確認をすると、すぐに番号札とこの先のテストで使う道具を手渡される。番号は……123番か。連番で覚えやすくて良いや。
「待っていてくださいねお父様。あたしぜ~ったい幹部になってお父様のお役に立ちますから! あとオジサンにあたしの凄さを分からせてあげるんだからっ!」
あたしはお父様から貰ったキャンデイーを咥え、軽く手で胸のオジサンから借りた砂時計のお守りを一度叩いて気合を入れるべく宣言をすると、会場へと入っていった。
扉を開けて中に入ると、そこはかなり広いエントランス。
壁際に立ってじろじろ辺りを見る者や、何人かで集まってぼそぼそ喋る者。それは様々だけど、あたしが入った瞬間幾つもの探るような視線がこちらに突き刺さる。
そう。もう始まってるって訳。今回の試験は初日の筆記と実技テストは分かるけど、二日目に何をするかは知らされていない。もしかしたら候補者同士での大乱闘なんて事もあり得るかも。
だからこの時点で、
良いわよ。やってやろうじゃない。私も軽く邪因子を解放して、周りから這い依ってくる敵意混じりの気配に応じようとした時、
「……あっ! ピーター見っけっ!」
「げぇっ!? ネ、ネルさんっ!?」
近くに見覚えのある顔を見つけて出そうとした邪因子を引っ込める。流石にうっかり巻き添えを食わしたらちょっとだけ可哀そうだもんね。
近寄るとピーターはこっちを見てなんか固まってたけど、すぐになんて言ったら良いか分からないみたいな顔になる。
「おはようピーター! ちょっと何よその顔。この幹部候補生筆頭美少女のあたしに逢えて嬉しくないの? ……ハハ~ン! さては自分みたいなへっぽこじゃどうあがいたって勝ち目が無いって震えてるんだね! 大丈夫。あんたも訓練してちょびっとは邪因子も強くなってるし、バトルロイヤルにでもなったらなるべくぶっ飛ばすのは後回しにしてあげるから!」
「いや、そうじゃなくて……ネルさん。何かありました? 丸一日見ない間に邪因子が……その、とんでもない事になってるんですけど?」
ピーターがおずおずとそんなことを聞いてくる。
「えっ!? 分かる? 邪因子抑えてるのに分かっちゃうかぁ。さっすがあたし! 漏れ出る邪因子だけで畏れられちゃう!」
てへへとつい良い気分になって髪を払う。
朝からオジサンのおかげで身体の調子は絶好調! そしてさっき
だけどなんかピーターは頭を抱えながら「いやヤバいってアレっ!? これまでも凄かったけど、たった一日で邪因子があんなになるだなんて滅茶苦茶だっ! 邪因子が活性化し過ぎて
「おやぁ? これはこれは。ギリギリの到着とは流石“小さな暴君”。余裕を見せてくれますこと」
むっ!? この厭味ったらしい声は。
「……え~っと、ちょっと待ってね。決して忘れた訳じゃないんだよっ! ほらっ! 喉元まで出かかってるんだけどなぁ」
「完全に忘れた奴のセリフですわよねそれぇっ!? ガーベラっ! ガーベラ・グリーンですわっ!」
そこにやって来たのは二十歳ぐらいの偉そうな態度の女の人。くるりと先がロールした金髪を震わせ、取り巻きらしい人を何人か引き連れて額の血管をピクピクさせてる。
「ゴメンゴメン。それで……ガーベラだったっけ? あたしに何か用?」
「相変わらず無礼な……ゴホン。いえ、ここしばらく長期査察で顔を見ていなかった我がライバルに、宣戦布告をしに来てあげたのですわ!」
「ライバル? 誰が?」
「
懐からハンカチを取り出して悔しそうに噛み締めるガーベラ。……あっ!? 思い出した!
「あんた
「悪役……何ですのそれ? まあ私は見ての通り高貴なる身。私の事をモデルに何かしらの本が書かれたとしても不思議ではないでしょうけど。オ~ッホッホッホっ!」
ほらっ! この高笑い。間違いなく悪役令嬢だよ。この前読んだ『メスガキは大人を分からせたい』シリーズに出てきた、オジサンを家来にしようとしてあれこれ画策してメスガキちゃんと衝突する奴。あれとそっくり。
「お嬢様。そろそろ本題の方に」
「ホッホッホ……おっと。そうでしたわね」
取巻きの一人に諫められ、ガーベラはコホンと一つ咳払いをして姿勢を正す。と言ってももう大きな高笑いのせいで周囲の注目を浴びちゃってるんだけどね。
「ネル・プロティ。我がライバル。これまで幾度となく戦いを繰り広げてきましたが、この幹部昇進試験でいよいよ決着の時ですわっ! 私は必ずこの試験でアナタを……いえ、アナタだけではないですわね」
そこで一度言葉を区切ると、ガーベラはくるりと大きく腕を広げてこちらに視線を向けてくる周囲に向けて堂々と言い放つ。
「ここに居る幹部候補生の皆様方。アナタ方を打ち破り、幹部の座に就いてみせますのでそのおつもりで。今からでも私の下につきたいという賢明な方は早めに申し出る事を勧めますわっ!」
……へぇ~。つまりこれはアレだ。目の前のコイツはここに居る全員に喧嘩を売っている訳だね。だけど、
「それは違うんじゃない?」
「何がですの?」
キョトンとした顔で返すガーベラに、あたしはそんな事も分からないのかとこう続ける。
「だって、ここに居る全員ぶっ潰して幹部になるのはあたしだもの。そっちこそ今の内に降参したら? そしたら痛い目に遭わずにすむかもよ」
互いの視線が交差する。バチっと火花が散ったように感じたけれど、それも一瞬の事。
「……ふっ。言うじゃありませんの。流石は我がライバルですこと」
「こっちはライバル認定なんてしていないんだけどね。
「まぁ。オバサンだなんて人を見る目が無い。これだからお子様は」
「うっさい。どうせ見かけだけ邪因子で老化が遅いだけで、実年齢はその倍くらい行ってんでしょ? や~いオバサ~ン」
「何ですの?」
「何よ?」
ガン付け合い再開。だけどまたすぐに向こうが取り巻きに諫められて終わりになる。や~いあたしの勝ち!
「まあ口喧嘩はここまでとして、あとは試験の中で語ると致しましょう。……それにしても」
そこでガーベラはチラリとピーターの方を見る。
「少々見ない間に、従僕の一人でも持つようになりましたか? それとも
「えっ!? ボクですか?」
これまで話に入らず身を縮こませていたピーターが、急に話題に上がってビクッとした顔をする。何を今さら。
「そうよ! ピーターはあたしの下僕第二号兼スパーリング相手兼暇潰し相手。これでもそこらの奴よりは少しは役に立つんだから! ……あっ!? ゴメンねピーター。下僕第一号枠はもう埋まっているからあげられないんだ」
「いや初耳なんですけどっ!? いつの間にボク下僕扱いっ!?」
「今言ったから良いの!」
そんな~とか言ってピーターが俯いてるけど、そんなに第一号になれなかったのがダメだったかな? だけど第一号はオジサンだからダメなんだもの。二号で許してね。
「……ふ~ん。まあ良いでしょう。精々試験の途中で足を掬われませんように。それではまた。オ~ッホッホッホ」
そうして騒がしい奴は取り巻きを引き連れて去っていった。何だったんだろうアレ? そんな事を考えていると、
キ~ンコ~ン! キ~ンコ~ン!
『今この時を持って、受付時刻は終了となります。試験に挑む幹部候補生は、係員の指示に従いお進みください』
そうアナウンスがあったと共に、エントランスに居た幹部候補生達がずらずらと奥に進んでいく。
「いよいよね。行くよピーター!」
「あっ!? ちょっと!? 引っ張らないでネルさ~んっ!」
さあ。いよいよだ。
という訳でいきなりライバル宣言してくるガーベラさんの登場です。ライバル扱いされるようになった経緯はまあその内。
スペックだけで言うなら幹部候補生のなかでも上位であり、以前雑用係が首領との対談で話した運が良ければ合格できる面子の一人です。
まあ運が良ければとついているのでそれなりに弱点もありますが。
あとピーターはナチュラルに下僕認定をネルから受けてました。と言ってもネルからすればかなり好意的な繋がりですが。
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ネル 筆記テストを受ける
「ようこそ。未来ある幹部候補生の皆様方。ワタシは……ふぅ~。この度幹部昇進試験の監督官を務める事になったマーサってもんさね。どうせ今回限りの付き合いだし覚えなくても良いけど……ふぅ~。まあよろしく」
げっ!? あの女はっ!?
係員に従ってやって来た部屋。なにやら紙が置かれている机に着席を促されてしばらく待つ幹部候補生達の前、一段上がった所に急に現れてこう開口一番述べた煙草臭い奴。
確かオジサンの居る支部の医務室のトップじゃんっ!? 時折オジサンの所にやって来て、私達通じ合っていますよみたいな雰囲気を出してくる奴がなんでまたこんな所にっ!? あとこんな状況で煙草なんか吸わないでよっ!?
「まさか……“煙華”だと!?」
「たった一人でヒーローの支部に潜入し、
「“戦場で煙草の香りがしたら祈れ。次の瞬間煙に巻かれていないように”。教官に以前教わったけど、まさかその張本人に出くわすとは」
なんかマーサを見て幹部候補生の何人かがブツブツ言っている。元幹部っていうのは知ってたけど、色々と今でも武勇伝が残っているみたいだ。
「うわぁ。ボクあの人良く知らないけど、何か凄い人みたいだねネルさん。それに凄く綺麗だし痛っ!? 何するんですか!?」
「べっつに~。何となく」
隣の席でどこか感心している素振りを見せたピーターに、何となくイラっと来たからチョップを一発。そこへ、
「納得いかないっ!」
「そうだよな。監督官は幹部がやるのが恒例って聞いたぜ。マーサだか誰だか知らねえが、そこらの一般職員にデカい顔されたくねえよなぁ」
「おや。妙な声が聞こえたねぇ」
席に着いた人の中からそんな声が上がったのを耳ざとく聞きつけるマーサ。
「文句があるなら……ふぅ~。ここに出てきて直接言うこったね。ああ勿論威勢の良いのは口だけで、身体の方はビビっちゃって動けないって言うんならそれはそれで良いんだけど。相手にするのめんどくさいし」
「言ってくれるじゃんかよっ!」
その言葉と共に自分の席を蹴ってマーサの前に躍り出る影が二人。
片や蹄のように変化した手をカツンカツンと打ち鳴らす牛型の怪人。もう片方は鼻息荒く歯茎をむき出しにする馬型怪人。
二人は明らかに友好的とは言い難い雰囲気でマーサに詰め寄る。
「如何に元幹部であったとしても、今はただの一般職員の筈。つまりは幹部候補生である我らより格下だ。そんな相手に監督官を務めてほしくはない」
「なあ監督官様よ。仮にだよ。もし仮にだ。ここで監督官様をボコボコにでもすれば、また別のちゃんとした幹部なりなんなりと交代になってさ、そんでもって俺達にも何かしらのプラス評価とか付いたりすんのかね? 元とは言え幹部を倒したってさ」
「……はぁ~。まったく。血の気の多い奴はこれだから。まあ態度はともかくとして、もし本当に倒せるんならその分の評価くらいはされるんじゃないかい」
どこか堅苦しい喋り方の牛怪人と、人を煽るような言い方をする馬怪人。マーサはどこか呆れたようにそう返す。
「ど、どうしようネルさん!? なんか凄い事になってきた」
「落ち着いてよピーター」
ピーターは慌てているけど、別にどうという事もない。下の奴がこうして下剋上を決めようとするだなんて組織じゃ日常茶飯事だ。そうこうしている内にいつの間にかヒートアップしていたようで、
「舐めてんじゃねえぞおらぁっ!」
「覚悟っ!」
二人がそれぞれ左右から襲い掛かる。どちらも獣をモチーフにした怪人なだけあって、その拳(蹄)は直撃したらあたしでもちょっとだけ痛そう。でも、
「なっ!?」
「えっ!?」
直撃したと思った瞬間、その拳が空を切って二人共間抜けな顔をする。……いや、そうじゃない。
「はい。ここまでさね」
突如二人は真後ろから首元を掴まれ床に叩き伏せられた。
だけどその掴んでいる腕はマーサから伸びる物ではなく、その
二人は何とか起き上がろうとするけど、振り払おうにも腕を掴もうとしたらそこだけその瞬間だけすり抜けるから触れない。ああなったら単純な腕力だけじゃどうしようもない。
あたし? あたしだったらそもそも首を掴まれるなんてヘマしないし、掴まれたとしても邪因子フルに使って周囲ごと吹き飛ばすから平気。
「……ふぅ~。情けないったらありゃしない。アイツだったらこんな簡単に背後を取らせちゃくれないし、触れないなりにやりようはあるとか言って反撃してくるってのに。幹部候補生の質も落ちたかねぇ。さあ。気が済んだらとっとと席に戻んな」
煙の中に浮かぶ煙草を吸い直しながら、マーサはどこか呆れた顔でそう言うと二人を解放する。
「流石元幹部。幹部候補生二人を一瞬で」
「別に。大したことないでしょあんなの。それに……あれくらいできなくて何が幹部よ」
ピーターは感心しているけど、あたしからすればあの程度も出来ないようじゃ幹部になる意味が箔付けでしかなくなる。
「他に何か言いたい事のある奴は? ……居ないね? じゃあこれからの試験について説明するから皆静かに聞くように」
そうしてマーサから今日の試験内容についての説明を受けた後、少ししたら筆記テストに入る。
と言ってもテストの内容は皆これまでの講義で出たものばかり。答えの決まっている問題はそれをただ書けば良いし、長文問題なんかも頭に
(簡単簡単! ……ピーターはっと)
横目でチラッと見れば、ピーターも悩みながらだけどペンは着実に動いていた。あの調子なら大丈夫でしょ。
偶然視界の端に映った……名前何だったっけ? パンジー? コスモス? とにかく花の名前の人も、さっきの騒がしい様子は鳴りを潜めて黙々とペンを走らせている。まああんな啖呵を切ったんだからこんな所で落ちはしないでしょう。
『下手なカンニングだねぇ。減点にでもしてあげようか?』
「バカ言わないで。そんな事しなくてもこれこの通り。ぜ~んぶ終わっちゃったからただ暇潰しに周りを見てただけよ」
あたしは足元に漂う
実は部屋中にほんの少しずつ漂っている煙全てがマーサの感覚器だ。流石に直接見たり聴いたりよりはやや精度が落ちるらしいけど、それでも近くで変な動きをしたり邪因子を不自然に活性化させたりしたらすぐに気づくという。
それに一度だけオジサンの部屋で見たけど、この女は煙の中であれば自在に意識や肉体を移す事が出来るし、小さくて軽い物なら操作することも出来る。さっき何もない煙の中から急に腕を生やしたのもそれだ。
マーサはその能力を活かして、テスト中の全員を監視しているんだ。
『あらそうかい。……おや? 裏面を忘れてるよ』
「えっ!?」
その言葉にテスト用紙をひっくり返すと、一問だけ文章問題が残っていた。何でわざわざ一問だけ裏に? 配置に悪意を感じるんだけど!?
『ふふっ。まあ頑張りな』
「はいはい。さっさと行ってよ」
軽く笑って気配を消すマーサに腹立ちながら、あたしは最後の問題を見る。そこにはただ一言、
問。
とだけ書いてあった。変な問題。欲しい物って意味かな? それとも心理テストの一種とか? だけど流石にこういうのは模範解答なんてない。気楽に書こう。
あたしは少しだけ考えて答えを記入すると、最後にもう一度プリントを隅から隅まで確認。今度こそ他に問題が無い事を確認し、次の体力テストに備えて心を落ち着ける事にした。
という訳で、オジサンに近づく悪い女に軽く警戒をしながら、ちょっとした心理テストを最後に受けたネルでした。
ちなみに悪の組織なのでカンニング自体は認められています。単純に下手な不正行為だと減点対象なだけです。
この話までで面白いとか良かったとか思ってくれる読者様。完結していないからと評価を保留されている読者様。
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ネル 体力テストで張り合う
「……ふぅ~。血気盛んな野郎共に、謀略巡らす悪タレ共。散々筆記テストで頭を使って身体が鈍ってきた事だろう。ここらで一つお待ちかねの、
「「「ウオオオオッ!」」」
筆記テストの後移動したのは屋外訓練場。そこでマーサの説明を聞き、幹部候補生達はやる気に満ちた雄たけびを上げる。
「うわぁ……ボクこういう体育会系のノリ苦手なんだよなぁ」
「あたしもどっちかっていうとそれ。数人くらいなら良いけど、こう人数が多いと暑苦しさが先に立っちゃうんだよねぇ」
ピーターがげんなりした顔をするのにあたしもつられて頷く。そこへ、
「オ~ッホッホッホ! ざまあない事を言っておりますわね。我がライバルとその従僕さん。このノリの方々を真っ向から叩き潰すのが華というものではありませんこと?」
げっ!? また来たよこの花の名前の人。扇みたいな物で口元を隠しながら高笑いしてる。それ隠れてないんじゃない?
「まあ真っ向からってトコは同意見だけどね。え~っと……タマスダレさん? ほおずきさん? もしかしたらランさんだったっけ?」
「ガ・ー・ベ・ラっ! ガーベラですわっ! 何ですのその特定の花の名前で覚えたみたいな感じっ!? ……コホン。良いでしょう。体力テストとなれば、はっきり周囲に実力を見せつけるまたとない機会。アナタとも良い勝負が出来るよう祈っておりますわ」
「良い勝負ねぇ。勝負になれば良いけど。それにかかってくるならぶっ飛ばすだけだし」
「ふふん! それでこそですわ我がライバル。ではまた。オ~ッホッホッホ!」
花の名前の人は、そう言ってまた高笑いしながら去っていった。何なんだろうあの人?
「ネルさん。何か楽しそうだね?」
「楽しそう? あたしが?」
ピーターの言葉に慌てて顔に触れると、何となく口角が上がっている気がする。確かにあんな普通に勝負を吹っ掛けてくる人なんて最近めっきりいなくなったし、そういう意味では……うん。楽しいのかな。
「ハハっ! そうして笑っているとネルさんも普通の女の子っぽく痛っ!? 何すんのっ!?」
「別に。何かピーターの癖に生意気なと思って」
「理不尽っ!?」
「お~い。そこぉ。……ふぅ~。甘酸っぱい雰囲気出してないでさっさと説明聞こうねぇ」
あっ!? 心なしかマーサが微妙に呆れたような顔してる。はいは~い! 今行くよ~っと。
「さ~てルール説明といこうか。と言っても時々やってる奴とやる事は同じさね。遠投したり反復横跳びの回数を競ったり。それぞれの競技の場所に係員が居るから、好きな順番で回って指示に従い計測。全部終わったらここに戻る事。ただしいつもと違うのは……今回は
「成程。道理でいつもの場所じゃなく屋外で行う訳か」
今幹部候補生の誰かが言ったように。普段の計測では怪人化しない程度に皆邪因子の活性化を抑えている。それは怪人化すると場合によっては施設が壊れる可能性があるからだ。
「そういう事なら……うおおおっ!」
「なら俺もっ! ガアアアっ!」
怪人化有りと聞き、何人かが早速邪因子を活性化させて怪人化していく。
「気が早い奴らだねぇ。まあ良いけど途中でバテないように。計測中に邪因子切れになっても再トライは無しだからねまったく。……ふぅ~。じゃあさっそく始めようか。各自好きな競技の場所に移動しな」
合図と共にそれぞれ移動を開始する。体調がベストな内に得意な競技に向かう人や、並ぶのが嫌で人の居ない競技に向かう人。様々な動きがみられる中、
「う~ん。これは一体どこから周ったもんか……ってネルさん!? 何でボクを引っ張っていくの!?」
「だって先に並ばれてたら待つ間暇なんだもん。下僕二号なんだから話し相手に付き合ってよ」
「え~っ!? ボク一人で静かに周ろうと思っていたのにぃっ!?」
とりあえずピーターを引っ張り、やって来たのは近くにあった遠投の競技。規定位置から前方のネットに向けて球を投げ、その衝撃やら何やらを計測しておおよその距離を測定する競技だ。
当然邪因子持ち用に投げる球も通常より数段重くなっている。一般人じゃ普通に持つのも大変だろう。そんな所に、
「あらっ!? 奇遇ですわね! 我がライバル!」
「げっ!? 花のオバサン……じゃあ別の場所に」
「誰がオバサンですのっ!? これでも見た目とほぼ大差ない齢ですのよ
先に居た花の名前の人を見て踵を返そうとしたら、先手を取られて肩を掴まれた。……へぇ。反応して追いつくなんてやるじゃん。
振り払うのは簡単だけど、そこまですると逃げたみたいになるから渋々この競技にする。丁度今居るのはあたし達三人と係員だけ。並ばなくて良いのは悪くない。……ただ、
「……ピーター。先やって」
「えっ!? 譲ってもらったのはネルさんじゃ」
「この人に譲られてってのが何か腹立つ。かと言って先にやられても嫌だし。だからピーターやって」
「え~っと……と言ってますけど良いんですかガーベラさん?」
「構いませんわよ。その程度で目くじらを立てる程狭量な女じゃありませんもの私」
ピーターは尚も渋ろうとするけど、係員の無言の早くやれオーラにさっさと規定位置につく。
「じゃあ……行きますよっ!」
掛け声と共に、ピーターの
ピーターの怪人のモチーフはトカゲ。本人曰くちょっと身体が頑丈になってウロコが生えるくらいの地味な変身だと言うけれど、割と見た目も悪くないと思う。時々癖でペロッて舌を伸ばしちゃうのも可愛いし。……ちょっと引っ張りたくなるけど。
「ほほう!
「そうなんですか? 邪因子を部分的に制御する訓練をしてたらなんか出来るようになってたんですけど。先は長そうだし消耗が抑えられるかなって。全身変身じゃないとダメですか?」
その状態でもOKだと係員に言われると、ピーターは計測用の球を一つ掴んで手に馴染ませる。そして、
「やあああっ!」
普通のフォームとは違うけど、大きく振りかぶって投げた球は勢いよくネットにぶち当たった。
「……出ました。推定記録36m50。邪因子有りの平均記録よりやや上ぐらいですね」
「何やってんのピーター! もっとド~ンと凄い記録出しなさいよっ!」
「いやキツイですって!? 元々ボク体力テストは平均ギリギリとか大分低めくらいだったんですよ!? それがここまで伸びただけでも快挙ですって!」
微妙に嬉しそうな顔をしているピーター。平均より上なだけで喜ぶなんて情けない。見てなさいよ。あたしがもっとスッゴイの見せてあげるんだから。
今度はあたしの番だとピーターと入れ替わりで位置につき、球を適当に取ってポンポンと放る。
「あら?
「うん。
「……言ってくれますわね。流石“変わらずの姫”」
舐めてる……というより事実を言うと、花の名前の人は少し気に障ったのか扇を音を立てて閉じる。
「では、お手並み拝見と参りましょうか」
「言われなくても」
あたしは一瞬だけ全身の邪因子を活性化させ、そこから右腕に向けて集中させていく。
「なっ!?」
「うわっ!? これキッツっ!?」
係員が目を剥き、ピーターが何かとんでもない物を見たように一歩後退る。
花の名前の人は……むっ!? 生意気にも平然と……いや、ちょっとだけ冷や汗かいてる。そうそう! 今さらあたしの凄さにビビってももう遅いのよ!
球を握り潰さないようにそっと、だけど腕全体はより深く、より強く、吹き出そうとする邪因子を限界まで圧縮していくイメージで。
あとは、それを一気に解き放つだけ。
「いっけえぇぇっ!」
あたしが思いっきり投げた球は、ぎゅるぎゅると回転してネットにめり込みしばらくしてやっと止まる。そして出た計測結果は、
「……ひゃ、101m23っ!? これは凄いっ! 100m越えは歴代幹部候補生でも数名しか出した事ないんですよ! それを怪人化も無しに」
「ふふ~ん! まっ! ざっとこんなもんよ!」
普段より邪因子の調子が良すぎて、
あたしがドヤ顔を決めて見せると、花の名前の人は少し考え込むようにその場に立つ。
「な~に? 今さら怖気づいちゃったの? もうちょっと加減した方が良かった?」
軽く煽ってやると、花の名前の人は静かに規定位置に進み出る。そして、
「ねぇ係員さん。一つお聞きしますけど、
「はい。あくまで自分の身体を用いるのであればどのようにでも」
「それを聞いて安心致しましたわ。では我がライバルネルさん。それと従僕のピーターさん。先ほどは良きモノを見せて頂きましたわ。ささやかなお礼に、私も一つお目に掛けましょう」
その瞬間、その人のくるりと巻かれた
「これ……髪に邪因子を流して操ってる!? それも一本一本ほぼ均一に!? どれだけ制御が上手いんだこの人っ!?」
「オ~ッホッホッホ! 賞賛の言葉はまだお早くてよ。さあさあ皆様方。少々
そんな事を言うと、なんとこの人は球が絡みついたままの髪を大きく回転させ始めた。そうしてかがむあたし達の上をグルグルとしばらく振り回し、
「せ~の……とりゃああっ!」
遠心力を利用して、球を勢いよくネットに放った。そしてその記録は、
「……98m83。惜しいっ! 本当に惜しいですよ今のは」
「あら残念。もう少しだけ届きませんでしたか。ですが……」
花の名前の人……いや、
「あまり加減ばかりなされていると、次は追い抜いてしまいますわよ?」
「やれるもんならね。ガーベラ」
うん。明日の為の良い準備運動になりそうだね。
という訳で、張り合う相手が出来てネルのモチベーションが前より上がりました。
ちなみにガーベラのスペックは、邪因子の純粋な量と質はネルにかなり劣る(それでも幹部候補生の中では相当上位)ものの、コントロールに関しては圧倒しているという感じです。
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閑話 とある新米幹部候補生の追従
今回は少し短めです。
◇◆◇◆◇◆
「ぜぇ……ぜぇ……」
やあ皆様。疲労困憊のボクピーターです。
いやあ体力テスト(怪人化有り)を正直甘く見てた。怪人化有りとはいえ大半は普通の体力テストと同じだし、部分変身で邪因子を温存しながらだから余裕だろうと思っていたけど冗談じゃない。
記録を出すには邪因子を如何に活性化させるかが重要だけど、種目が幾つもある訳でその度に活性化させていたらどんどん疲労もたまる。
実際テストの前に景気づけに怪人化していた面々は、前半で飛ばし過ぎて大半が途中で怪人化が解けたり、或いは怪人化を保つのが精いっぱいで記録が中々伸びなかったり。
そんな中、
「はぁ……はぁ……やりますわね。流石は我がライバルネル・プロティ。この私が
「ふん。まあまあ歯ごたえがあって楽しかったよガーベラ。……あとさっきのアレはノーカンだからっ!? たまたまそこだけ勝ったからって良い気にならないでよねっ!」
疲れはあるけどまだ余力を残しているガーベラさんと、ガーベラさんに負けた分以外
互いにラスト一種目を残した状態でもそんな事を言い合える二人に対し、凡人のボクから言える言葉は一つ。
「お二人共張り合い過ぎでしょうっ!? 何で全種目一緒に受けてんですかっ!? 仲良しですかこの野郎っ!」
「それを言ったらピーターだってそうじゃん!」
「そうですわよ!」
「アンタらに付き合わされてんでしょうがっ!?」
ちなみにそれぞれの種目でのぶつかり合いをざっくり説明するとこんな感じだ。
反復横跳び。
「ハッハァっ! このガゼル怪人と化した俺様に勝てる奴なんて……ナニィッ!?」
「うららららぁっ!」
「凄いっ! 残像が見えるレベルだっ!?」
「ちぃっ!? こういうシンプルに敏捷力を測る試験は苦手ですわっ!?」
「足に邪因子を集中して……何とかいけるっ!」
全体順位(体力テスト参加者237名中)
ネル 1位
ガーベラ 20位
ピーター 98位
反射神経テスト。
「制限時間内に飛び出てくるモグラを叩いてください。道具はこちらをお使いください」
「……これマンガで見たっ!? モグラ叩きって奴ね。うりゃりゃりゃっ!」
「オ~ッホッホッホ! こういう分野でしたら私の得意分野ですわ!」
「ああっ!? 髪でいくつもハンマーを持つなんてそんなのアリ!? ならあたしだってぇっ!」
「なっ!? 目で追えない程のハンマーの動きですって!? ……負けませんわよっ!」
「二人共っ!? 台が壊れるっ!? 壊れますって!?」
ネル 1位(終わった後で台の修理が必要に)
ガーベラ 2位
ピーター 105位
握力測定。
「ドッセ~イですわっ!」
「なっ!? 俺はゴリラ怪人だぞ!? だってのにこんなお嬢様っぽい奴に抜かれるなんて!?」
「オ~ッホッホッホ! 貴族たるものそれなりに身体を鍛えておりませんとね!」
「……あのぉ。測定機に髪の毛が絡みついているんですけど」
「
メキョッ!
「……旧式とは言え、あっちで測定器を握り潰した我がライバルに比べれば可愛らしい物ではなくて?」
「……そうですね」
ネル 1位(測定器破壊。ただし上限を超えての破壊の為暫定1位)
ガーベラ 9位
ピーター 110位
立ち幅跳び。
「ヒュ~! ワシ型怪人の俺。飛ぶのはルールで規制されてるが、翼を広げて滑空するのはセーフ。このまま風に乗ってなるべく遠くへ」
「少々横を失礼しますわっ!」
「
「邪魔。退いて」
「なっ!? 反対側からもっ!?」
「くっ!? 流石ですわね。足に邪因子を溜めて跳んだだけで追い抜かれましたか」
ネル 1位
ガーベラ 6位
ピーター 81位
邪因子制御力テスト(疑似爆弾解体形式)
「ムキ~っ!?」
「あ~ららみっともない。それでも我がライバルですの? ……仕方ありませんわね。ではこの私が多少教授致しましょう。ほらっ! まずそちらの赤い線を邪因子を流したまま引っ張って、それとまったく均一になるよう邪因子を調整しながら隣の青い線を切断。その左隣の黄色い線は罠ですから少しでも邪因子を流すと失敗になりますのでお気をつけて。それから」
「ああもうっ! めんどくさいっ! こんなの全部まとめて邪因子を流し込んでぶっ壊せば良いのよっ! ……わぷっ!?」
「ああまた失敗ですの? こんなに煤塗れになって……仕方ない。ハンカチを貸してあげますわ。使い終わったらきちんと洗って返してくださいまし」
「……やった! 出来たよガーベラさん! あれぇ? ネルさんまだ出来てないの? ボクだって出来たのに? へへ~ん! ……ふぎゃ!?」
「ピーターの癖にそんな簡単にできるなんて生意気よっ!」
「ヒドイ!?」
ネル タイムアップ及び機材粉砕の為測定不能(ただし制御力が無いというより性格面での問題)
ガーベラ 1位(
ピーター 15位
その他幾つか種目はあったけど、まあこんな感じで結局最後まで張り合う二人に付き合ったボクは凄いと思う。……そう思わなきゃやってらんない。
しかしネルさんが有り余る邪因子を常に活性化させて力技で記録を叩き出しているのに対し、ガーベラさんは非常に細かな邪因子コントロールと自身の髪を創意工夫して使って負けじと食い下がる。
そういうまったくタイプの違う二人だけど、
「次がいよいよ最後の種目ですわ」
「最後は妙な小細工無しの真っ向勝負。邪因子量測定テスト。そんな疲れ切った身体でちゃんと測定できんのガーベラ? ……あっ!? 疲れてたから負けたって言い訳にでもするなら止めはしないよ?」
「はっ! 御冗談を。少々疲れている程度を言い訳にするようでは貴族の名折れ。そちらこそ邪因子を伸ばす事だけ考えてまた機械を壊すんじゃなくて? ネルさん」
「さっき見たけど今度の測定器は最新型だから平気だも~ん! ……そんじゃ行こうか! 最後に圧倒的な邪因子を見せてあたしの格を分からせてあげるっ!」
「望む所ですわっ! 行きますわよっ!」
そうやってどこか楽しそうに張り合う二人の姿は、ボクにはどこか輝いて見えたんだ。
最後の邪因子量測定テストは特に大番狂わせもなかったので結果だけ。
ネル 1位(今テストの2位に対してダブルスコア。歴代参加者記録中第2位)
ガーベラ 5位
ピーター 66位
二人につられてボクも自己新記録を叩き出したのは地味に嬉しい。
こうして、初日の体力テストは終わりを迎えた。
この件でネルのガーベラの印象が、よく分かんないけど花の名前の人→なんか突っかかってくる花の名前の人→ライバルじゃないけど少しは歯ごたえのあるガーベラとかいう人に変化しました。
あとピーターも二人に付き合わされて地味に全体的に記録が伸びています。やったねピーター。次回のハードルが上がったよ!
この話までで面白いとか良かったとか思ってくれる読者様。完結していないからと評価を保留されている読者様。
お気に入り、評価、感想は作家のエネルギー源です。ここぞとばかりに投入していただけるともうやる気がモリモリ湧いてきますので何卒、何卒よろしく!
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ネル 皆で食卓を囲む
色々あって体力テストも終わり、いったんあたし達幹部候補生は昼休憩となった。しかも2時間近い長さだ。あと残るのは個人面談だけだからやってしまっても良いと思うのだけど、
「仕方ないですよネルさん。何せ体力テストで邪因子を使い過ぎて、早急に何か食べるなり休むなりしないと動けない人が多いんだもの。ボクももうへとへとでしばらく動きたくないし」
とピーターは言う。皆して貧弱だなあ。あたしまだまだ余裕なのに。……まあお腹は空いたから食堂で昼ご飯を食べるのは賛成だけどさ。
「所で、なんでボクも普通に相席させられているんでしょうか?」
「う~ん……何となく?」
自分でもこれといった明確な理由はない。
前は錠剤だけで良かったから場所なんて必要なかったし、最近は朝晩とオジサンの作った料理を部屋で食べていたけど、昼食はいつも食堂で一人で食べてた。
どうせ誰も近づいてこないし、一人の方が気が楽だった。だけど……何と言うんだろうか? この所オジサンと一緒に食べていたからか、なんとなく
「何となくって……まあ良いですけど。にしてもそれ全部食べるんですか?」
「食べるけど? お腹空いちゃって」
あたしがちょっぴりウキウキしながらカバンから取り出したのは、オジサン特製重箱(三段重ね)弁当。一段丸ごと白米の他に、おかずとしてから揚げ、ウインナー、コロッケ、プチトマト、そして定番の卵焼きを含めた諸々を詰め込んだ豪華なお弁当だ。
普段より邪因子の消費が激しいだろうからって特盛サイズだけど、これくらいならぺろりと平らげちゃえるね!
「ボクも普段よりお腹空いてますけど流石にそこまではちょっと。ネルさんエネルギー消費激しすぎません?」
「その分たっぷり食べるから良いのっ! 頂きますっ!」
そしてあたしは食前の一礼をすると、猛然と弁当に襲い掛かる。……やっぱり卵焼きサイコ~っ! このから揚げもジューシーだし、ご飯がいくらでも行けちゃう!
ピーターもさっき受付で頼んだきつねうどん(大盛り)をすすり、周囲のガヤガヤとした喧噪の中で食を進める。そんな中、
「オ~ッホッホッホっ! 中々良き物を食べているようですわね! 相席してもよろしくて?」
「良くないっ! 場所が狭くなるからさっさとあっち行って」
自称ライバルの悪役令嬢が、取り巻きを引き連れて高笑いをあげながらやって来た。
「あら。つれない事を言わないでくださいな我がライバル。席はまだ空いているではありませんの。少々失礼いたしますわよピーターさん」
そう言ってガーベラは、あたしの反対側でピーターの隣の椅子に優雅に座る。座る瞬間取り巻きがさりげなく椅子を引いて座りやすくしたのは中々に手際が良い。
「……ピーター。次回からはピーターもやってね」
「えっ!? 何を?」
気づいていなかったピーター。下僕二号としてはこれくらい出来るようになってもらわないと。その内余裕が出来たらその辺りも付き合ってもらおうかな。
「それで何の用なの? 今度は大食い勝負でもしようって訳? 負けないよあたし」
「いえいえそんな事。ただ純粋に食事をご一緒したいと思い寄ったまでの事ですわ」
ガーベラはそう言って指をパチリと鳴らす。すると、
ササッ! スチャッ!
取巻きの二人が素早くガーベラに前掛けを着け、目の前にナイフやフォークを並べ、どこからか銀色の丸い蓋を掛けた皿を運んでくる。……って!?
「今更だけど
「ああいえ。この二人は我が家に仕える者達ですわ。身の回りのことは私も出来ますが、それでも使用人に仕事を任せるのもまた貴族の責務。なのでこうしてついてくる事を許しましたの」
「はい。お嬢様お一人では心配で心配で。こうして僭越ながら身の回りの御世話をさせていただいております。あっ!? 自己紹介がまだでしたね。私メイドのアイビーと申します。こちらの無口な方はビオラ。以後お見知りおきを。お嬢様のご友人方」
そう朗らかに語るのは明るいメイドと、何も言わずに一礼する物静かなメイド。ガーベラにアイビーにビオラって……花の名前繋がりだね。あと友人じゃないっての。
「心配でとは何ですのっ!? まるで私が手のかかる子供かの様に」
「お嬢様。お嬢様はまるでではなくまさしく手のかかる御方でございます。あまりにも前科があり過ぎて語るのも億劫になる程。例えば
「あれは言いっこなしですわよアイビーっ!? ……コホン。失礼。まあ話は食べながらといたしましょう。ビオラ」
その言葉にビオラはスッと皿に掛けてあった銀色の蓋を取る。そこにあったのは、ジュ~ジュ~と音を立てる熱々の鉄皿に乗った肉汁たっぷりのおっきなステーキ。
「オ~ッホッホッホ! やはりこういう時は胃にガツンとくるお肉に限りますわっ!」
ガーベラはそそくさと食前の一礼をすると、姿勢を正して猛然とステーキを口に頬張る。凄いスピードなのに動き自体はとても洗練されているのがまた。だけど、
「へへ~ん。確かにステーキは驚いたけど、オジサンの作ってくれた特製弁当だって負けてないもんね~!」
こちらもどうだとばかりに、見せびらかしながらおかずを口に放り込む。このコロッケもサクサクで絶品だね!
そうして互いにもしゃもしゃ食べていると、
「しかし、確かに一目見て分かる程の出来でなおかつ特盛ですわね。それを作ったのはかなりの腕の料理人と見えます。……ねぇネルさん。物は相談ですが、一口だけその卵焼きを譲ってくれませんこと? その美しい色合いはぜひ食してみたいものです。代わりにこのステーキも一切れ差し上げますから」
「ダメっ! これは一個だってあげないんだからっ! ……こっちのから揚げとなら交換しても良いよ」
「から揚げですか。まあそれはそれで良いでしょう! ではこちらをどうぞ」
流石オジサンの特製弁当。ガーベラも欲しがるレベルだ。あっちのステーキも少し興味があるし、次期幹部候補筆頭としては余裕のある所を見せておくのも悪くはないよね。……うん。このステーキも美味しい。
「あのぉ……ボクにも一口貰えたりするかなぁって思っちゃったり。なんかお二人を見ているとこっちも食欲が湧いたというか」
「でもピーターはきつねうどんじゃん。麺以外であたしの欲しいのはそのでっかいお揚げしかないけどそれでも良い?」
「げぇっ!? そんな殺生なっ! きつねうどんからお揚げを取ったらただの素うどんじゃないですかっ!?」
「仕方ありませんわね。相席のよしみでこのステーキ……の付け合わせのブロッコリーを譲ってあげますわ。ソースもたっぷりですわよ」
「お嬢様。どさくさでご自身の嫌いな物を押し付けませんように」
こうしてがやがやと食べている内に、ふとオジサンの言っていた言葉を思い出す。それは、
「『食事は誰かと一緒に食べた方が美味しい』……か。そうかもしれないね」
栄養補給の効率だけ考えるなら無駄な事なんだろう。だけど、一緒に食事を摂る事でこの胸にある温かい何かがあるのだとすれば、それも悪くない。
あたしが幹部になったら、お父様とこうして食卓を囲むことが出来るのだろうか? だとしたら、それはとても良い事だ。嬉しい事だ。
さあ。これを食べて少し休んだら今度は面談だ。気合入れて頑張らないと……って、アレっ!?
「……ない。ないっ!? あたしのコロッケが一つ足りないっ!? ガーベラまさかあんたこっそり食べたんじゃ!?」
「確かに美味しそうでしたけれども、私そういうのはちゃんと食べる前に断りを入れる性質ですの。先ほどの交換でから揚げを貰った以上、それ以外を勝手に奪ったりなど致しませんわ。自分で食べて数え間違えているのではなくて?」
「それは無いもんっ! 一口一口しっかり味わって食べてるから数え間違えたりなんてしないっ!」
ガーベラじゃない……となるとまさかピーターっ!? だけどピーターの方を見るとブンブンと首を横に振っている。ガーベラの取り巻き達も同じくだ。じゃあ一体誰が?
サクッ!
「おお! これは絶品だ! 少し作ってから時間が経っているようなのに、衣のサクサク感がしっかり残っている。中のジャガイモも実に舌触りが滑らか。余程手間暇かけて下拵えをしたのだろう。良かったですねお嬢さん。これを作った人は間違いなく君の事を想っているよ」
「……っ!?」
いつの間にか、あたしの隣に誰かが腰掛けてコロッケを箸で摘まんでいた。
そこに居たのはどこかぼんやりとした感じの男。
なんというか……陽炎みたいなイメージ。そこに確かに居る筈なのに、正確な姿を視る事が出来ないみたいな。実際今の今までそこに居るって気が付かなかったし、邪因子も感じ取れない。明らかに只者じゃない。
だけどそれは今は問題じゃない。問題なのは、
「あたしのコロッケ返せぇっ!」
「人の食事を盗るなんてお仕置きですわ
「ぐふぁっ!?」
パシイィンっ!
つまみ食い犯にあたしのビンタと、どこから取り出したのかガーベラが手に持つハリセンが直撃した。
そのままダイナミックに他の椅子をなぎ倒してぶっ飛ばされたが、このくらいの騒ぎはリーチャーではいつもの事。周囲で食事中の人達もすぐに落ち着きを取り戻す。
一口齧られたコロッケは宙を舞い、さりげなくピーターが予備の皿でキャッチしていた。ナイスっ!
「ふぅ。ガーベラ。アイツあんたの知り合い? 今レイって呼んでたけど」
「……えぇ。何と言うかその……
その爆弾発言に、ピーターが危うくコロッケを落っことしそうになってた。落としたらデコピンだからねピーターっ!
という訳で謎のつまみ食い犯はとりあえずぶっ飛ばされました。ちなみにコロッケではなく卵焼きを取っていたらビンタではなく本気のグーパンが飛んでいました。食い物の恨みは怖いのです。
この人が誰なのかはまた次回。こんなのでもそれなりに重要人物です。
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ネル 相思相愛の二人に妬く
「婚約者ぁ~!? このつまみ食い男が?」
「……実に情けない話ですがその通りですわ。ほらレイっ! シャキッとなさいませっ!」
「アイタタタ……ありがとうハニー。いやあ君の折檻は喰らい慣れているけど、他の子と一緒にというのはなんか新鮮だねぇ」
「だからハニーは止めなさいって言ってるでしょうに」
歩み寄るガーベラに手を取られて立ち上がるレイと言われた男。顔面にビンタを叩き込んだのだけど、それでもまだ何となくしか実体が掴めない。……というか今のは割と強めに行ったから、並の人なら意識が飛ぶ筈なんだけどおかしいなぁ。
余波で倒れた椅子を直しながら、ガーベラはレイをこっちに引っ張ってくる。
「紹介しますわ。彼はレイ。リーチャー所属の一般職員であり
「一応とは酷いなガーベラ。私はこんなにも君にベタ惚れなのに。さて。どうも皆さん。レイと申します。ハニーはこのようにとてもシャイな性格なので大っぴらにはしていないのですが、彼女の婚約者です。以後よろしく!」
そうして手を伸ばしてきたので、あたしも一応の礼儀として握手する。
するとレイの姿が少しだけはっきりと見えるようになった。どうやら擬態か偽装か知らないけどそれを弱めたらしい。自己紹介でもそれじゃ失礼だもんね。
見て取れたのは漆黒の長髪を紐で軽くまとめたポニーテールに、同色の瞳のどこか柔和な顔立ち。品の良い薄茶色のコートを羽織り、袖から見える腕は細身ではあるけどとても引き締まっている。
「……ガーベラ。家の事情か弱みを握られたか知らないけど、こんなのが婚約者だなんてあんたも苦労してたんだね。……食べる?」
「こんなのでもシャキッとしている時はそれなりに格好良いんですわよホント。普段が相当アレなので落差が激しいだけで。……あと食べかけのコロッケを渡されても微妙に喜びづらいですわね。何ですの? 間接キスさせようってつもりですの?」
「何とっ!? 間接キッスとは実に甘美な響きっ! さあマイハニーずずいと! 何なら間接と言わず私に直接でもぶべらっ!?」
う~む。食べかけとは言えオジサンの作ったコロッケだから喜ぶと思ったんだけど、ガーベラは微妙な反応。むしろレイの方がドンびく程ハッスルしてたのでまたガーベラにしばかれ、メイドさん達にも笑顔で冷たい視線を向けられていた。
どことなく
「ハハッ! 愛さえあれば何のこれしき! それはそうとネル嬢。先ほどはコロッケを一つ摘まんでしまって申し訳ない。あまりにも美味しそうで、ついたまらず手が伸びてしまったのです。お詫びと言っては何ですが、今日の食事代は全て私が持ちましょう。そちらのピーターさんもどうです?」
そう笑顔で提案してきたレイだけどどうしようか? オジサンの料理は金で替えは利かないけど、コロッケ一個だけならギリギリ許せる範囲内だ。
代わりに食堂で売ってる甘い物でもデザートとしてくれるというのなら、まあそれはそれで悪くはないかもしれない。弁当のデザートは果物ゼリーだけでちょっと寂しかったし。
「……じゃああたしはそこで売ってるプリンアラモードとエクレア。あとドリンクでホットココアに持ち帰り用にジャンボシュークリームを3つ。それから」
「ま、まだ食べるのですかネル嬢!?」
「甘味ならまだまだ入るし、あんまり時間を掛け過ぎても面談に差し障るからこれでも控えめだよ」
オジサンが言うには、あたしの満足するだけの甘味を作ってたらそれだけで弁当を作る時間が無くなるとか。だからと言ってデザートだけ市販の物にするなんてひどいと思うな。
「ピーターはどうする? さっききつねうどんだけじゃ物足りなさそうだったからこれを機に何か追加して……ピーター?」
「ひゃ! ひゃい!? ……い、いえ。あの……ボクこのくらいで結構ですハイ!」
注文に目を白黒させて財布を確認するレイを横目に、何故かさっきから黙りこくっているピーターに声をかけると、ピーターは何故か冷や汗を流してアワアワしながらレイをガン見していた。
レイはその視線に気が付くと、どこか得心がいったようにちょっと失礼と席を外し、ピーターを連れて少し離れてぼそぼそ話し始める。
何話してんだろ? ちょっと盗み聞きしちゃえ! あたしは残った弁当を食べながら聴覚をそちらに集中させる。
『レイさん。いえ……
『し~。静かに。……君はとても
『あの、この事はガーベラさんは』
『もちろん知っているさ。婚約者だからね。だけど仕事の時はともかく普段は
『は、はいっ! 仰せのままにっ!』
って会話が聞こえてきた。う~んよく分かんないなぁ。ピーターはああ見えて目ざとい所があるのは知ってるから、何かしら勘付きはしたんだろうけど。
……まあ良いや! 只者じゃない変態はミツバで前例があるし、レイもどこかの特殊部隊員とか幹部だったって話でしょ多分。いずれ追い抜く対象が増えたってだけだもんね。
そしてピーターとレイが話している間ガーベラはどうしたかって言うと、
「……えいっ!」
パクッ! もしゃもしゃ……ゴックン!
「良いのですかお嬢様。レイ様の前で食べて差し上げればさぞお喜びになったでしょうに」
「そうしたらまた調子に乗りますわよ。それに……
「ちなみに、間接キッスのお味は?」
「ソース味でしたわね」
そうメイド達と掛け合っているガーベラの顔は、あたしに突っかかってくる時とはまた別の朗らかさがあった。
なんだ。口では色々言ってても相思相愛じゃんこの二人。……なんか悔しいな。オジサンもこれくらい分かりやすいと楽なのにな。
そうしてつまみ食い男ことレイにデザート(美味しいけどやっぱりオジサンの作った奴の方が好みだ)を奢ってもらい、テーブルの上が小さなティーパーティー状態になった所で、ガーベラがそう言えばと話を切り出す。
「レイ。アナタ何故こんな所に? 確か遠征でしばらく本部を離れていて、戻るのはまだ数日かかるという話だったのではなくて?」
「それは勿論麗しのハニーの晴れ舞台を見に。少し早いけれど有休を久しぶりに使って急ぎ戻ってきたという訳さ。勿論明日の分も取ってある」
そう臆面もなく言い放つレイに、ガーベラはあちゃ~と額を押さえる。だけど、
「またアナタって人は。……まあ良いでしょう。折角です。面談はまだ先ですが、私の初日の大活躍をとくと語って差し上げましょう! 我がライバルとの華麗なる戦いの様子もね」
「えっ!? あたしも巻き込まれるの?」
「当然ですわ! まず最初の受付直後。私との邂逅で戦意を奮い立たせるシーンから」
そこからガーベラが話して聞かせるのは、もはや演劇かなって思うくらい脚色込々の物語。
なんかあたしがノリノリで戦いに応じたみたいになってるし、その上ガーベラをライバルとして認めながらギリギリの勝負をしていたみたいなことになっていた。
あたしもっとクールかつ強者の余裕みたいな感じでやってた筈だよっ!? な~にが「我が生涯の宿敵ガーベラ。今こそお前と雌雄を決する時。いざ尋常に勝負っ!」的なセリフを言ってたよっ!? そんなの一言も言ってないからねっ!?
ただ悔しい事にガーベラはこういう語り手の才能が有ったみたいで、違うとは分かっているんだけどちょっと聞き入ってしまったというか……お茶会のBGMには良かったみたいな。
結局とっても和やかにお話は進み、いつの間にか面談前の集合時間まであと30分に迫っていた。
「ご馳走様。デザートはそこそこ美味しかったし、ガーベラの話もまああたしの部分が脚色されてたのを除けば結構面白かったよ。じゃああたしそろそろ行くね」
「……あら!? もうこんな時間ですの? すっかり長話をしてしまいましたわ。それではレイ。面談もバシッと終わらせてきますので、お土産話を楽しみにお待ちなさいな。オ~ッホッホッホ!」
「レイさん。ボクにまでご馳走してもらってありがとうございました」
「はい。会計はこちらで済ませておきますよ。……っと、最後に一つだけ」
あたし達が身支度を整えていると、レイは去り際にこんな言葉を残した。
「面談は色々と聞かれるだろうけれど、ただ
「ちょっと!? ネタバレは厳禁ですわよレイ。……ですが、好意だけは受け取っておきますわ」
こうしてあたし達は、今日最後の試験である個人面談に向かった。
「…………えっ!?」
「おや。聞こえなかったかい? じゃあもう一度だけ繰り返すとしようかね」
それはあたしの番の事。
監督官であるマーサと個室での一対一の面談で、彼女曰くどこまでも簡単な質問。だけどそれを聞いて一瞬思考が止まった。その質問の内容は、
「質問さね。
という訳で変態その二ことレイです。
何度しばかれ冷たい目で見られようと、愛さえあれば何度でもポジティブに立ち上がる不屈の男です。何でミツバといいレイといいこういう奴を書く時は筆が乗るんでしょうねぇ。
次回は割とシリアスと言うか、これまで圧倒的才能でゴリ押ししてきたネルが苦手分野に挑みます。さてどうなる事やら。
この話までで面白いとか良かったとか思ってくれる読者様。完結していないからと評価を保留されている読者様。
お気に入り、評価、感想は作家のエネルギー源です。ここぞとばかりに投入していただけるともうやる気がモリモリ湧いてきますので何卒、何卒よろしく!
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ネル その手を伸ばしたいモノは
「……ふぅ~。まあ気楽に座んなよ。別に礼儀作法を見ようってんじゃないからさ」
「ふんだっ! 礼儀作法なんか、こんな所でも煙草吸ってるあんたを見て吹っ飛んじゃったわよっ!」
個人面談。それは最初和やかな雰囲気から……とは言えなかったけど始まった。小さなテーブルを挟み、こんな時でも煙草を吹かせるマーサに呆れながらも席に着く。
「これからやることは簡単さね。ワタシの質問に答える事。ただし理由も含めて出来るだけ正直に。……まあちょっとした心理テストみたいなもんさ。簡単だろ?」
それだけ聞くと確かに簡単だ。あたしは静かに頷いた。
「結構。じゃあ最初の質問だ」
マーサは少しだけ姿勢を正してゆっくりと語る。
「言うまでもないが、ワタシ達が所属している組織リーチャーは悪の組織だ。犯罪行為は日常茶飯事。目的の為に手段を選べる余裕があるなら良いけど、場合によってはえげつない手段だって取らなきゃならない。要人の暗殺。大規模な破壊工作。その他諸々だ」
まあ当然だよね。実際あたしがオジサンと会う前、他の視察した支部では暴力行為で一帯を支配していた。税を支払っていない奴を、見せしめに大衆の前でリンチするなんて事もあった。
恐怖による支配、管理は分かりやすいし手っ取り早いというのは知識として理解できる。第9支部のやり方が珍しいだけだ。
「つまり、ワタシ達は人様の汗水垂らした成果を食い物にし、怨嗟の声を子守唄として眠り、屍を積み上げてそれを登るみたいな悪党だって事さ。……
「えっ!? あるけど?」
何を分かり切った事を聞くのかと、あたしはノータイムでそう返す。
マーサは一瞬ぽかんとした顔をすると、すぐに立ち直ってそう答える理由を聞いてきた。
「そりゃあ恨まれたくないし、嫌われるより好かれる方が良いに決まってるよ。だけどそれは自分の好きな人や振り向いてほしい人にで、それ以外から嫌われても恨まれても正直どうでも良いって言うか。……だから
あたしがそう言うと、マーサはジッとこちらの瞳を覗いてくる。まるで何かを見透かそうとしているかのように。そして少しして、
「……何ともまぁ。お子様だねぇ」
「誰がお子様っ!? 立派なレディなんですけどっ!」
「そういうトコさね。……まあ良いさ。じゃあ次の質問だ。今度のはいわばシミュレーションって奴だね」
何かテーブルの上の紙にメモをし、次にマーサが語ったのは特定状況下であたしがどう動くかという物。
任務で重要物資を手に入れ、それを持って帰還する途中友軍が戦闘しているのを発見する。放っておいても友軍が多分勝つけれど、それなりの犠牲は避けられない。幸い双方からあたしの事はバレてなく、幹部級が不意を突けば大きく友軍の被害は減るだろう。
けれどどうしても帰還は遅れるし、何かの弾みで重要物資に被弾するかもしれない。そこまでやわな物じゃないけれど、どうしたって万が一の可能性は残る。
拠点に戻ってとんぼ返りするにしても、それなりに距離があるので辿り着く頃には戦いは終わっている。あたしはここでどう動くか決めなくてはならない。
「ちなみに両軍ともアンタに気が付いていないって所がミソさ。そもそも重要物資を運ぶ任務の最中で、仮にここで友軍を見捨てたとしてもなんら罪には問われない。さあ。アンタならどう動く?」
「決まってんじゃん!
これも考えるまでもなく即答。また理由を聞かれたので、あたしは一つずつ根拠を述べていく。
「出来ない任務を割り振る程組織も馬鹿じゃないよね。つまりそのまま重要物資を持って帰っても、当然の事をしただけだから褒められる筈ないし。つまりここで敵をギッタギタにして友軍を助ければ、その分よくやったってお父様……ゴホンゴホンっ! まあとにかく褒められる訳よ。ならやるしかないじゃん!」
「そうきたか。……だけどその分重要物資に何かある可能性が出てくるけどそこはどうするんだい? うっかり壊しましたとかそれこそ当然の事をできなかったって叱られるんじゃないかい?」
「えっ!? あたしがそんなミスする訳ないじゃない」
さっきの説明だと、友軍だけでも何とかなってあたしが不意打ちすれば余裕って相手でしょ? そのレベル相手で荷物を傷つけないようにぶっ飛ばしていけば良いだけなら楽勝だね。
「へへ~ん! あたしの理路整然とした答えに度肝を抜かれたみたいだね!」
「……ある意味驚かされたというか、逆にお子様らしい答えでとっても分かりやすいというか」
「ちょっとそれ褒めてんの?」
マーサは説明を聞いてうんうんと頷きながら、どこか悩んだ顔をしつつまた紙に何やらメモをしていく。な~んか採点されているみたいで落ち着かないなぁ。
「OK。じゃあ次で最後の質問さね」
ありゃ? もう終わり? もっと色々来るかと思ったんだけど、予想よりあっさりだ。
「まあ最後と言ってもどこまでも簡単な質問さ。それこそ前の二つと同じくノータイムで答えれるようなね。……じゃあ、質問だ」
そしてマーサがした質問の内容に、
「…………えっ!?」
一瞬思考が止まった。
「おや。聞こえなかったかい? じゃあもう一度だけ繰り返すとしようかね。質問さね。
マーサは落ち着いた様子で……と思わせながらどこか強い視線でこちらを見ている。多分さっきまでの質問はフェイクで、これこそがこの個人面談の肝なんだろう。
確かに簡単な質問だ。これはおそらく組織への忠誠心を見る為のもの。
ならおそらくベストな回答は、自分の命と組織で
正確に言えば答えだけでなく、その理由も採点対象に入っているんだろう。だからそれっぽい理由も刷り込まれている知識から適当に見繕って、
「自分の命と組織? そんなのどっちを優先するかなんて悩むまでもないじゃない。当然……」
組織だと返そうとした時、
『強くなりたい? 大いに結構っ! お父様に認められたい? おうとも存分にやれば良いさっ! だけどな……その為に自分を磨り減らすのだけは止めろっ!』
ふと、以前オジサンに言われた事が頭を過ぎった。
お父様の役に立つべくあたしが無茶な訓練をしていた時、オジサンはそう言ってあたしを止めた。あの時の必死な顔がどこか寂しそうで、苦しそうで、今でもあたしの胸に残っている。
あたしはお父様の役に立ちたい。その為ならこの身を磨り減らすのも怖くはないし、当然だと思っている。だから
『面談は色々と聞かれるだろうけれど、ただ
さっきレイの言っていた言葉を思い出す。心の赴くままに……か。なら、
「当然……何だい?」
「そう。当然
「……そうかい。それがあんたの答えかい」
あたしの言葉に、どこか落胆した様子でマーサは紙に何か書き込もうとし、
「でもね。それは本当の本当のほんとぉ~に最後の一手だと思ってるよ」
「……続けな」
マーサはそこでペンを止め、興味深そうに先を促す。
「組織を優先するのは当然の事。でもね、
そもそもこの問題どっちを優先するかであって、どちらも選んじゃいけないなんて質問にないよね? だからあたしは自分の命を守りながら組織の為に動くんだよ。と答えると、マーサは思いっきり苦笑していた。
「最初から最後まで、アンタの言ってる事はどこまで行っても夢物語の理想論。お子様の理論さね。最初の質問で、もしも命令する相手がアンタの言う適当な相手じゃなかったら? 二つ目の質問でも、もしも何かのアクシデントが起きて重要物資が破損したら? 今の質問もそうだ。……ネル。アンタは最悪のパターンを一切考えていない。常に成功した時の事。良い結果だけを考えている。物事が全部そう上手く行くと本気で思ってんのかい?」
「さあね。あたしだって調子の悪い時もあるし、常に上手く行かないのもあり得る話だよね。だけど幹部は常に良い結果を考えなくちゃだよ。だって」
あたしはその場で手を上に伸ばし、そのままギュッと握りしめる。
「
「……そうかい。よく分かったよ」
しばらく黙りこくった後、マーサはそう言って今度こそ紙に何かを書きつける。
「面談はこれで終わりさ。お帰りはあちらから」
入ってきた扉とは反対側。自身の後ろ側の扉を指差すマーサ。そう言えばあたしの前に入っていった候補生は誰も戻って来なかったっけ。つまり出口は別にあったって事だね。
「このまま明日に備えて自室に戻って休むも良し。エントランスでしばらく他の候補生と話すのも良し。ただしその場合質問の内容は内緒さね」
「ネタバレ厳禁って奴だね。了解!」
あたしは一応の礼儀として一礼をすると、そのままマーサの後ろの扉まで行ってノブに手を掛ける。そこへ、
「……ふぅ~。ああ。一つだけ忘れてた。さっきの筆記テストの
「うん?」
今思い出したって感じで、マーサは煙草を吹かしながら気楽に問いかけてくる。
「手を伸ばしたいものって質問で、アンタは“お父様の笑顔”と“あたしとずっと一緒に居てくれる人”と書いていた。まあ“友達”と書いた後で上からペンでぐりぐり塗りつぶされていた箇所もあったけどそれは置いておこう。ここら辺のことをチョロ~っと聞いてみたいと思ってさぁ」
あたしはその言葉に振り返ると、
「や~だよ! 質問はさっきので最後。だからこれ以上答える義務なんて無いもんね~だ! アッハッハ!」
マーサに向けてアッカンベーを繰り出し、軽く笑いながらその場を後にした。
だって、書いたは良いけど実際に話すのって気恥ずかしいじゃない。
これにてネルの個人面談は終了となりました。
知力、体力の次は精神の有り様。という訳で質問の内容にそれぞれ決まった正解という物はなく、どちらかと言えばそう答えるに至った理由の方をマーサは見ています。
実は裏設定として、裏面の問題はそもそも一定以上の邪因子持ちか高い探知能力持ちじゃないと読み取れなかったりします。まあネルの場合は単純に見落としていたので、マーサがさりげなく裏面に注意を向けさせたら普通に読めましたが。
なので筆記テストの配点には関係なく、この個人面談用のいわばアピールタイムだったりします。ネルの場合自分から蹴っ飛ばしましたが。
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雑用係 クソガキの暴れっぷりを観戦する
さて。とびきり手のかかるクソガキを送り出した俺だったが、
「……暇だな」
日々の日課となっていた家事も大体終わったし、昼食は今日は久々に食堂で摂る予定だから作らなくても良い。その分夕食の仕込みは気合を入れたがそれも済み、以前本屋で買った本も読み終えた。
第9支部ではほぼ常時仕事を受けていたから暇潰しをする必要もあまりなかったし、つまり今非常に珍しい退屈を味わっている訳だ。
「そろそろ筆記テストが終わった頃か」
時計を見ておおよその当たりを付ける。正直初日の内容は全然心配していない。筆記テストは普通に勉強していればまず落ちないし、体力テストに至ってはスペックだけは間違いなく天才のネルが落ちる様が想像出来ない。
強いて言えば個人面談が少しだけ不安だが、基本的に幹部としての心構えを見ているから余程滅茶苦茶な受け答えをしない限りは通る。流石のアイツも面談でバカはやらかさないだろう。回答拒否でもしない限りは大丈夫だ。
しかしやる事もないし、たまにはゆったりと昼寝でもするかと思い始めた時、
プルルルル。プルルルル。
急に軽快な音を立てて、持っている通信機が鳴り響いた。
ここで話は変わるが、幹部昇進試験というのは実の所発表会に近い。自分の実力を見せつけアピールする場と言えば分かりやすいだろうか?
特に体力テストはその傾向が強い。邪因子を全開にするのではっきり見て分かるしな。なので、
『いっけえぇぇっ!』
『……ひゃ、101m23っ!? これは凄いっ! 100m越えは歴代幹部候補生でも数名しか出した事ないんですよ! それを怪人化も無しに』
『ふふ~ん! まっ! ざっとこんなもんよ!』
場所は試験会場の一画。先ほどまで筆記テストを候補者達が受けていた部屋。そこに用意されたスクリーンに、候補者達が競い合っている様子がバッチリ映し出されていた。
「へ~。あのネルって候補生。中々やるじゃないか」
「ああ。あの齢でここまでやれるなら将来有望だな」
「だが、やや力押しの邪因子任せなのが少し気になるな。あれでは集団行動には向かんだろ」
と言っても中継を見ているのは基本的に試験関係者か、場合によっては今の内に唾をつけておこうと考えている幹部級の奴ら。一般には中継の事はあまり知られていないからな。そんな中、
「……やっぱ来るんじゃなかったか?」
そう俺がぼやいたとしてもなんら不思議じゃないだろう。
何せ右を見ても左を見ても幹部級ばかり。ヒーローからすれば悪夢以外の何物でもないだろう。そんな中ただの雑用係の俺は完全に浮いている。
「はぁ。ジン支部長も何でわざわざあんな事を言うかねぇ」
先ほどの通信。それはジン支部長からの、自分の代わりにこの中継を見てきてほしいという依頼だった。ご丁寧に幹部用のパスまで送信してだ。
誰か有能そうな人が居たら見繕っておいてくれという話だったがそれは建前。ジン支部長が何故かネルに甘いのは良く知っているので、おそらくネルの様子を見てきてくれという事だろう。
まあ丁度暇だったし、仕事とあれば断る理由もない。建前上他の候補生達の視察も兼ねて、あのクソガキの奮闘っぷりを見て笑ってやろうと軽い気持ちで来たのだが、現場はこの通りだ。
とりあえず適当な席に腰掛け、備え付けられたパソコンを起動させて映像を出す。部屋のスクリーンはランダムに画面が切り替わるからな。全体を見るならともかく個人ならこっちの方が良い。しかし、
『うららららぁっ!』
予想通りと言うか何と言うか、ネルはまさに大暴れとしか言いようがない動きっぷりだった。
反復横跳びでは残像が出来るレベルでステップを決め、モグラ叩きでは台が壊れるレベルでモグラを乱打し、握力測定では測定器をぶっ壊す始末。体力バカにもほどがあるだろっ!? しかし、
「予想よりピーター君はよくやっているな。無理やりとは言え引っ張られているのが大きいか」
ネルにどうやら無理やり付き合わされているピーター。その様子に俺は地味に感心していた。
最初に見た時は、邪因子のスペックや肉体の強さで言えば候補生の中でも平均かそれ以下だった。しかしここ数日ネルに付き合わされ、そして今もネルに引っ張られることで殻を破りつつある。上手く行けば化けるかもな。そして、もう一人。
『ムキ~っ!?』
『あ~ららみっともない。それでも我がライバルですの? ……仕方ありませんわね。ではこの私が多少教授致しましょう』
最初からずっとネルと一緒の競技に挑み、張り合い続けている候補生。邪因子の量こそネルに劣るものの、非常に高い邪因子コントロールと創意工夫で食らいついている女性。
彼女こそ俺が以前首領との会話の中で、ワンチャン昇進できる見込みのある人物と話した一人。ガーベラ・グリーン。
「あのガーベラという候補生。奴も中々良いな」
「横のネルに比べればやや見劣りするが、あくまで見劣りするだけで非常に優秀だ。それに技術という点では勝っている。集団戦で光るタイプだ」
周囲の幹部連中からもかなり高評価。候補生は幹部に昇進できなくとも、こうして幹部に引き抜かれて副官などになる場合もあるので高評価なのは悪い話ではない。
しかし唾をつけようとしている幹部連中には残念な話だが、ガーベラ嬢とっくに
「良いぞ~っ! さっすが
……むっ!? 噂をすれば影。部屋中に周りの迷惑を顧みない興奮した歓声が響き渡る。
発信源は部屋の隅に陣取る一人の男。今もまた意中の人の活躍にエキサイトしっぱなし。だというのに、
姿は確かに見える。しかしそれは形を成さない陽炎のようにぼやけている。
声も確かに聞こえる。しかしそれはややデカい環境音として脳は処理してしまう。
アイツ自身が見せようと、聞かせようとしない限り、ごく僅かの例外を除いて幹部級ですら何となくしか存在を感じ取れない。
……仕方ない。ちょっと注意してくるか。
トントン。
「良いぞハニーっ! ……ちょっと後にしてくれないか? とても良い所なんだ。今麗しのマイハニーが目にも止まらぬ早業と細かな邪因子操作で爆弾解体をだね……んっ!? ガチではなかったとはいえ私の認識阻害を見破るって事は……げぇっ!?」
肩を軽く叩くと、そいつはゆっくりとこちらを振り向き表情を青ざめさせる。失礼な。そんなヤバい奴に会ったみたいな顔をしないでほしい。
「や、やあ! ケン君じゃないか! 久しぶりだね」
「お久しぶりです。最後に会ったのは一年ほど前でしたか。……ところで、人に認識されないのを良いことに、エキサイトし過ぎて喧しい傍迷惑な人なんてご存じじゃないですよねぇ?
「や、やだなぁ。そんな人居る訳ないじゃないかハッハッハ!」
任務の為と嘯きながら実の所、
その功績を持って数年前、リーチャーに六人しか居ない上級幹部の一人に任じられた男。
という訳でネルが頑張っている裏側の出来事です。レイことレイナールとの関係はまた次回。一応ケンはガーベラとも面識があります。
ちなみに余談ですが、ケンは仮にジン支部長の依頼が無かったとしても、昼寝の後で適当に自分に言い訳をして様子を見に行っていました。甘いのはお互い様です。
この話までで面白いとか良かったとか思ってくれる読者様。完結していないからと評価を保留されている読者様。
お気に入り、評価、感想は作家のエネルギー源です。ここぞとばかりに投入していただけるともうやる気がモリモリ湧いてきますので何卒、何卒よろしく!
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雑用係 友人と互いの推しを応援する
この度、アンケートを実施します。
俺が妖幻のレイナールと初めて会ったのはもう大分前になる。前の職場に居た頃だから……もう何年前だったかな? ちょっとど忘れした。マーサの少し後くらいじゃなかったか?
ある時、俺を雇っていた国の部隊が正体不明の敵に襲われるという事件が発生した。昼間だというのに相手の姿も何も不明な状態でだ。これはどうしたことかと乗り込んでみたら、そこではリーチャー新進気鋭の幹部としてこいつが暴れまわっていたわけだ。なので、
『ぎゃああっ!? なんで君私の幻影が効かないんだよっ!?』
『効いてるよっ!
『なっ!? 普通はその違和感すら感じないって言うのに。化け物かこの人!?』
『誰が化け物だこの野郎っ!』
今じゃ全力の幻影を見破るのは難しいが、まあ当時はコイツのそれも完璧じゃ無かったしな。一応だがどうにか相手を見破り、それ以来コイツ専用のカウンターとしてちょくちょく呼び出される始末。
おまけに同時期マーサともよくやり合っていたから、我ながら実に大変だった。
俺がこの組織に入ってからもコイツは着実に功績を立て続け、遂には組織の全職員を束ねる6人の上級幹部の一人にまで上り詰めた。そんな奴だが、
「行け~! そこだ~! もっと邪因子を上げるんだハニーっ! ……よ~し良いぞ!」
今じゃこれである。惚れた相手の活躍に興奮し、一つ終えるごとに立ち上がって喝采を上げるような喜びっぷり。これが上級幹部とは何とも言えない。
「だからうるさいっての!? ……OK。そのまま高レベルを維持だクソガキ。調子に乗ってポカさえしなきゃお前に勝てる奴は居ない……ああバカっ!? 違うそうじゃないっての!?」
「……ケン君。君も人の事は言えないんじゃないかな?」
「俺は声を抑えて応援しているから良いんだ」
これはアレだ。ネルのやり方があまりにも邪因子任せの力任せだからつい声を上げたくなっただけだ。これじゃあテストに受かるのは確実でも無駄が多すぎる。その点もっとガーベラ嬢やピーター君を見習え。
こうして俺達は、体力テストが終わるまで(良い意味でも悪い意味でも)気になる相手に声援を送り続けた。
「く~っ! さっきのマイハニーの活躍を見たかいケン君。あの緻密かつ高速の邪因子制御術。まだ正確には分からないけど、間違いなく歴代ランキングに刻まれるレベルだとも!」
「あ~ハイハイ。それはもう3度は聞いたぞ
テストの観戦も一段落し、俺達は食堂で昼食を摂りながら先ほどまでの感想を言い合っていた。
ちなみに今のコイツは上級幹部のレイナールではなくただのレイ。
「いや~流石マイハニー! あれなら体力テスト突破は間違いなし! 筆記テストも問題ないだろうし、これなら今日はもう余裕だね!」
「まあ流石というのは分かるけどな。あのガーベラ嬢がよくまあここまで来たもんだ」
何を隠そう。俺もガーベラ嬢がリーチャーに入るきっかけとなった件の当事者だ。と言っても丁度そのタイミングで、偶然レイの所に手伝いに来ていたというだけの話だけどな。
当時侵略予定だったある国。その国の中枢に潜り込むべく、とある有力貴族の長女だったガーベラにレイは目を付けた。
こっそりと邪因子適性を測った所、生まれついての才能はかなりのもの。家庭内では訳あって冷遇されていたが、それでも周囲への影響力がある事には変わりない。
まずガーベラを堕とし、そこから徐々に切り崩していく算段だったのだろう。だが、
『是非私の協力者になってください』
『お断りですわっ!』
『ぶべらっ!?』
まあ物凄く簡略化するとこんな感じにビンタを喰らって失敗した。勿論実際はもっと手練手管が動きまくった誘惑等があったのだろう。甘味で堕ちたネルとは比ぶべくもないが、ガーベラ嬢の意思の強さがあってこそ誘惑を跳ねのけたのは想像に難くない。
だがレイとしては堕ちなかったのは予想外だったのだろう。結果として、
『じゃあ貴女が堕ちるまで口説きますっ!』
『何でそうなるんですのっ!?』
『へぶしっ!?』
これまたかなり簡略化したがこんな感じに落ち着いた。この辺りは俺は又聞きなので詳しくはない。だがこれが元で二人(実質かなり一方的な)の交際が始まり、何度か似たようなやり取りの後最終的に。
『
『いやホントに何でですのっ!?』
『あうちっ!?』
こうして、元々国を侵略する為にガーベラに近づいた筈なのに、いつの間にか逆転してガーベラに近づく為に国を陥落させたという馬鹿な伝説が出来てしまい、それを知った首領様が珍しく爆笑したとかしないとか。
一応長い交際の中でガーベラ嬢もレイの事を憎からず思い、自分が手綱を取っていないと何かやらかすという気持ちもあって婚約に応じ、今こうして幹部候補生まで上ってきたという訳だ。
何せガーベラ嬢も気位は高い方だから『仮にも妻が一般職員では幹部の面目が立たないでしょう。レイは黙って私も幹部になるまで待っていなさいな。オ~ッホッホッホ!』とやる気充分。実はお揃いに憧れていたらしい。まあその後すぐレイは上級幹部に任じられたが。
「しかし、今日は後個人面談か。これに関してはあのクソガキちょっと不安なんだよな」
「何だい? 個人面談と言っても、下手に嘘を吐かず普通に受け答えすれば特に問題はない筈だ。何が心配なんだい?」
レイの言い分はもっともだ。個人面談で聞かれるのは、どれも個人の考え方を知る為のもの。最初から完全な正解も何もない。
あからさまに組織に媚びを売って、心にもない事を言ったりすると減点対象だが、それ以外は特に大外れと言った回答もない。
強いて言えば最後の問。組織への忠誠と自分の命のどちらを優先するかというのが毎回恒例だが、ここはむしろ
勿論ある程度の忠誠心は必要だろう。だが幹部に必要な資質の一つとして、危機管理能力というのが重要になってくる。
要するに、自分の命を組織の為と言って平然と投げ捨てるような奴に、
一言で表すなら、(味方の)いのちだいじにという奴である。目的の為なら破壊活動も辞さない悪の組織には似合わない標語だが、これを疎かにする組織は大抵すぐ壊滅するからな。
以上の事からまあ問題はないと思うのだが、
「何となくだ。だってあのクソガキだぞ? 俺の予期しない何かしらをやらかしそうで怖いんだよな」
いくら何でも回答拒否とか、試験官にメチャクチャ無礼な態度をとるとかしなければ大丈夫だろうが、ず~っと嫌な予感がしっぱなしだ。こういう時の勘は良く当たるんだよな。
「こんな事なら面接の練習もしときゃ良かったか? 身体の調子を万全にするのに構い過ぎて、少々その辺りが少なめだったかもしれん」
「心配し過ぎじゃないかい? それよりもケン君。テスト終わりのマイハニーにサプライズとして登場するのはどんな場面が良いと思う? 内緒にしてたけど今日と明日は有休を取ってきたんだ!」
「……お前本当にブレないな」
こうして他愛ない話をしながらのんびり食事をしていたのだが、
「おやっ!? あれってケン君の推しのネル嬢じゃないかい?」
「誰が推しだ!? それにまだ予定では昼食休憩には早……えっ!?」
レイの声に食堂の入口へ視線を向ければ、そこにはピーターを引っ張って元気にやってくるネルの姿があった。いや何で?
という訳で、ケンが友人とただ駄弁りながら食事をするという話でした。ちなみにケンがレイの認識阻害を見破ったのは直感が半分と、多くの経験からごく僅かな違和感を感じ取った為が半分です。
以下、ふと気になったので読者意識アンケートです。気楽な気持ちでお答えいただければ幸いです。
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雑用係 微笑ましい者達を見守る
「レイっ! 俺に認識阻害を掛けろっ!」
「えっ!? ……分かった。よっと!」
レイが軽く念じると、なんとなく俺の身体がぼんやりとするのを感じる。
こいつの強い点は、こうして
元々レイは自分に認識阻害を掛けているし、俺達は黙ってネル達の動向を見守る。
「わざわざ隠れなくても、普通に会えば良いじゃないか?」
「今下手に会ってアイツの集中を切らさせる訳にはいかんだろ……どうやら普通に昼食休憩に来たみたいだな。しかし何でこんな時間に」
俺の作った弁当を広げ、ネルは食前の一礼をするなり猛然とがっついていた。ネルの食欲とテストでの消費を考えて多めにしたが、どうやら正しかったようでみるみるうちに減っていく。
ピーター君も付き合わされてか、一緒の机でつるつるとうどんを啜っている。
しかし予定では昼食休憩はまだ先。その前にここを出ようと思っていたのに鉢合わせるとは。
「……どうやら予定が少し早まったみたいだね。まあ無理もない。体力テストであれだけ派手にやったんだ。全体的に早めに休憩が必要だと判断されたんだろう」
レイは飄々とそんな事を言っているが、こっちとしてはやや困る。幸い食事は大体食べ終えたし、ここの払いは済ませてあるから後はこっそりここを出れば良い。この認識阻害状態ならそれぐらい、
「オ~ッホッホッホっ! 中々良き物を食べているようですわね! 相席してもよろしくて?」
「おおっ! 愛しのマイハニーっ!」
「あっ!? 行くなバカ!?」
こっそり食堂を出ようとした所で、今度はガーベラ嬢とお付きのメイド達が入って来てレイが一気に興奮。今にも突撃しそうなのを必死に食い止める。それにしても、
「……ねぇネルさん。物は相談ですが、一口だけその卵焼きを譲ってくれませんこと? 代わりにこのステーキも一切れ差し上げますから」
「ダメっ! これは一個だってあげないんだからっ! ……こっちのから揚げとなら交換しても良いよ」
「あのぉ……ボクにも一口貰えたりするかなぁって思っちゃったり。なんかお二人を見ているとこっちも食欲が湧いたというか」
「なんか……微笑ましいねぇ」
「……そうだな」
悪の組織なのに一画だけ青春しているという矛盾に目を瞑れば、まあこれはこれで良いもんだ。願わくばこういうのが長く続けば良いとも思う。だが、
「という訳で私も混ざってくるよ! 待っててねマイハニーっ!」
「おいバカ止めろっ!?」
そんな中に乱入していくバカが一人。慌てて止めようとしたが時既に遅し。
「おお! これは絶品だ! 少し作ってから時間が経っているようなのに、衣のサクサク感がしっかり残っている。中のジャガイモも実に舌触りが滑らか。余程手間暇かけて下拵えをしたのだろう。良かったですねお嬢さん。これを作った人は間違いなく君の事を想っているよ」
……野郎。邪魔するだけじゃなくガキの弁当をつまみ食いするとは良い度胸だ。
と言ってもすぐにネルとガーベラ嬢に張り倒されたし、つまみ食いされた本人達がそれで許すのなら良いだろう。……まあ
さりげなくこちらを見ながら笑って手を振るレイに対し、俺もにこやかに手の骨をボキボキと鳴らす。慌ててネル達に代わりに奢ろうとしているが……甘いな。ネルは甘味なら底なしに食うし遠慮もしない。
上級幹部はとんでもない高給取り。仮に食堂のメニューを全て頼んだ所で資産的には痛くも痒くもないが、それはそれとしてネルの食いっぷりに目を白黒させている。
あとさっきからピーター君の様子がおかしい。レイを見るなり冷や汗をダラダラ流してまともに食事も喉を通っていない。これは……もしかしてレイの事に気づいたか?
レイもそれを察してか、ピーター君と何かぼそぼそと話している。しかしあの認識阻害を見抜くとは、ピーター君はその方面の才能があるのかもしれない。
そうして昼食会はどこかお茶会のような具合に移行し、ガーベラ嬢のどこか演劇じみた(劇として見れば上物の)語り口を、知っている癖にレイはニコニコしながら聴いているのだ。
相変わらずネルは大量の甘味の空き皿を大量に積み上げていくが、その耳は微かにガーベラ嬢の語りに傾けていたのだから不快ではないのだろう。
結局ピーター君も一杯うどんをお代わりし、ついついそんな場面を眺めている内に、いつの間にか個人面談まであと30分に迫っていた。
帰り支度を始めるネル達。レイはそこで何故か俺の方をチラリと見て、
「面談は色々と聞かれるだろうけれど、ただ
餞別代りなのか、そうアドバイスをしてお茶会はお開きとなった。ネル達の去った後、俺はそっとレイに近づいていく。
「珍しいな。お前がああいうアドバイスをするなんて」
「ふふっ! これは
「ほっとけ。大人ってのはそういうトコが色々面倒なんだよ。……だが、ありがとうな」
俺がそう言うと、レイはどうってことないっていう風に軽く手を振る。ガーベラ嬢絡みだとホントアレな性格だが、いつもこうなら良いんだけどな。
なので、俺は比較的優しくレイの肩を掴む。
「じゃあ礼の意味を込めて、ゲンコツは
「げっ!? 良い流れでこのまま無しになったりしないのかいっ!?」
「バカ野郎。それとこれとは話が別だ。良い大人がガキの……それも俺の作った弁当を盗み食いするとは許せん!」
「お、お助けぇっ!?」
こうして、軽く手加減したゲンコツを落として涙目になったレイと別れた俺は、ネルが戻ってくる前に支度を終えて部屋に戻った。
今日のメニューはビーフシチュー。グツグツと煮える大鍋に浮かぶのは、ゴロゴロとした大きな角切りの牛肉。そして先日ピーター君から分けてもらった芋等を筆頭とした野菜が、自分達も忘れるなとばかりに鍋を泳ぐ。
テーブルには深皿やスプーンも準備され、後はネルが帰り次第この熱々の品をよそうだけ。
「オジサ~ンっ!」
おっ! 帰ってきたな!
「おう! まずは手洗いうがいをしてから夕食を……むっ!?」
扉を開けて入ってきたのは予想通りネル。そして、
「ネルさ~ん。やっぱり試験中までそれはマズいですって!? お邪魔しますケンさん」
「オ~ッホッホッホ! ここが我がライバルのハウスですのね! どれどれ。ウチのアイビーとビオラにも負けない非常に優秀な従僕さんがいらっしゃると聞きましたが一体どんな方が……って、え~っ!? ケン様っ!? ケン様じゃありませんことっ!?」
何故かピーター君とガーベラ嬢まで一緒にやって来た。お付きのメイドさん方も一緒だ。
「ごめ~んオジサン。面談終わりに話してたら、ガーベラがウチのメイドは一流ですわ~って自慢するからさ、ウチのオジサンの方が凄いもんってついムキになっちゃって。という訳で、夕食の余りでも良いから食べさせて分からせてやってよ! ピーターもついでに」
そんな事言ってテヘペロするネルに、
「お客さんを呼ぶならもっと早く連絡しろって言ったろクソガキっ!?」
「いたぁっ!?」
とりあえずデコピンをかました俺は悪くないと思う。どうすんだよこれ。幸い多めに作ったから夕飯は足りるが食器がないぞっ!? ……っと。その前に、
「それと……お帰り。まだ初日だがテストよく頑張ったな」
「イテテ……うん! ただいま!」
額を押さえながら、ネルは得意げな笑みで頷いた。
という訳で、ネル達の昼食風景を温かい目で見守っていたケンでした。決して事案ではありません。
ちなみに前回のアンケート。多くの回答を頂き感謝感謝です。予想外にピーターの話を出せという回答が多かったのが何と言うか。愛されてるねピーター!
さて。次回でやっとテストの初日が終了予定です。ただ本番は二日目だったりしますのでご注意を。割とほのぼの系の初日と違ってかなりシリアス感が増します。
これは余談ですが、現在実験的に別作品『遅刻勇者は異世界を行く 俺の特典が貯金箱なんだけどどうしろと?』の溜め込んだストックを一日一話出し続けたらランキングは上昇するのか? というのを試しています。
急に思いついたので始めたのも最近ですが、日間オリラン辺りでもしチラッと姿を見かけたら、アイツの目論見は成功したみたいだぞと笑っていただければ幸いです。
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雑用係 クソガキに騙される 第三部前半(終)
色々あってまだ新品のパソコンが届かずスマホで打ち込んでいるため、多少普段と違う具合になっていても笑って許して頂ければ幸いです。
「本日は誠にありがとうございましたケン様。このお礼は後日改めて。ではまた明日。我がライバル。……行きますわよアイビー。ビオラ。オ〜ッホッホッホ!」
「はい。それではケン様。それにお嬢様のご友人の皆様方。これからもお嬢様の事をよろしくお願いいたします」
ペコリ。
突然の夕食会も終わり、部屋の入り口でお客さん達に別れを言う。
「ああ。明日はそっちも頑張れよ。……そこのバカがあまりにやらかすようなら連絡をくれ。黙らせに行くから」
「ハッハッハ。何を言うんだいケン君。この私が愛しのマイハニーにそんな事をするわけないじゃないか! ところでハニー。そろそろこの縄を解いてくれないかい?」
途中から乗り込んできたレイが、縄でぐるぐる巻きになったまま情けなくガーベラに懇願する。
「ところ構わず抱きついてくるからダメですわ」
「そんなぁ。ピーター君助けておくれよ」
「これは仕方ないですよレイさん。ではケンさん。ネルさんも失礼します」
「うん。……じゃあまた明日ね!」
そうして一人また一人と去っていくのをネルは機嫌良く、そしてほんの僅かに寂しげに見送っていった。
さっきとはうって変わり、賑やかだった部屋は大分静かになった。
聞こえるのは俺が洗い物をしている音と、ネルが手土産としてアイビーから貰ったクッキーを寝転がりながらボリボリ食っている音ぐらいだ。
「おい! 行儀が悪いぞ。せめて座って食え」
「知らないの? 菓子は一番楽な体勢で食べるのが一番美味しいんだよ!」
いつの間にかゆったりとしたパジャマに着替え、相変わらず気ままに「このクッキーも中々。あのメイドさんもやるなぁ」とか言いながらダラダラするネル。
まあ明日に向けて過度に緊張するよりはこっちの方が幾分かマシだが、それはそれとして引き締める所は引き締めないとな。
なので、軽くつついてやるとする。
「なぁクソガキよ。
「……別に。そんなのしなくても余裕だったってだけ」
「“変わらずの姫”と呼ばれていたのと何か関係あるのか?」
その問いに、ネルは咥えていたクッキーをパキリと噛み砕いてゆっくりと起き上がる。
「……何が言いたいのオジサン?」
「いやなに。ただの推測だ。まず勝負事でお前さんが理由もなく手を抜くなんてことはない。温存するとか相手が明らかに格下ならまだしも、今回のテストはいわば自分の限界を知る為のものだ。ますます手を抜く理由がない」
コイツの負けず嫌いはかなりのものだからな。それくらいは分かる。
「そして“変わらずの姫”という異名。この事から察するに普段から多分怪人化をしていない。基本的に訓練時は怪人化はしないのが普通だが、それにしたってお前の性格上どちらかと言えば、寧ろ力を誇示するようにちょくちょく変身して見せるだろう。そして俺も一度もお前が怪人化した姿を見たことがない。つまり」
俺はそこで一度切り、洗い物を終わらせて手を拭きながら結論を突きつける。
「お前……
怪人化。これは体内の邪因子が一定以上活性化すると出来るようになる。その感覚は何とも例えようがないものだ。
ただこれには個人差があり、すぐに出来るようになる者も居れば邪因子量が高くても中々出来ない者も居る。
しかし幹部候補生で変身出来ない者は稀だ。俺もネルの邪因子適性の高さなら普通に変身出来るものだと考えていた。なので、
「……何よ。変身出来なくて悪いっ!? た、偶々あたしの場合ちょっと遅れてるだけだもん! その内自然と出来るようになるんだもん!」
ネルのこの反応には少し驚いた。普通に切り返して来るかと思っていたんだが、心なしか微妙に涙目になってるじゃないか。言動までますます子供っぽくなっているし。
マズイな。俺とした事が地雷を踏んだか。
「ま、まあそうだな。こればっかりは個人差もあるしな。うん。それにお前はまだガキだしそう慌てるもんでも」
「うぅ~。ガキじゃないもん。オジサンなんかよりよっぽど凄い幹部になるレディだもん」
そう言いながら地団駄を踏む姿は明らかに子供だと思うんだが、指摘するとやぶ蛇間違いなしなので口をつぐむ。
しかしこのまま放っておくわけにもいかない。いくら部屋ごとに防音処理やら何やらがされていようが、このまま続いてはご近所迷惑だ。
「ああもう分かったっ! 分かったよ! 不用意な質問をした俺が悪かった。謝るから機嫌直してくれ」
「ホント?」
「ああ本当だ。俺が悪かった。この通りだ」
上目遣いのネルに対し、俺は拝むように手を合わせる。
「……じゃあ、あたしのお願い聞いてくれる?」
「ああ。何でもは無理だが、できる限りの事はしよう」
「……OK。
カチッという音と共に、ネルがさっきまでの涙目から一転してニヤ〜と悪い笑みを浮かべる。……まさか!?
「お前なぁ……嘘泣きかよっ!? 大人を舐めやがってこのクソガキめ」
「クスクス。ア〜ハッハッハ。キレイに引っかかっちゃったねオジサン! このネル様がたかが
ああ。怪人化出来ないのは事実なのか。
「まあ前はちょび〜っとだけ悩んでたこともあったけど、お父様に言われたんだ。『それは体質に依るもので考えずとも良い。今はただ邪因子の向上に励め』ってさ。だから気にしてないよ!」
「ふ~む。そうか」
録音機らしき物をヒラヒラ振りながらニヤニヤ笑うネル。
一応注意深く様子を見てみたが、落ち込んでいないというのは間違いなさそうだ。
「ヘヘ〜ん! な〜にをお願いしようっかな〜!」
少し甘い顔をしたらすぐこれだ。だが、さっきのコイツの様子も半分以上嘘じゃなかった。流石にあれが演技だとは思えない。
つまりネルは、自分なりに変身出来ない自分を受け入れてはいるが、それはそれとして悔しがってもいるわけだ。
静かに溜め込むよりは悔しがる方がマシと言えるが。
「んっ!? どうしたのオジサン? はは〜ん! このネル様の名演技に騙されて悔しいんでしょう。だけどこればっかりは邪因子適性が低くて怪人化出来ないオジサンには分からないよねぇ」
「…………そうだな」
「ちょっと何よ今の変な間は? ……まさか変身出来るのっ!? オジサンのくせに!?」
「えっ!? いやいや違う。俺の適性が最低ランクなのは知ってるだろ? それがホイホイ変身出来たら苦労はない」
実際俺は自分の意志で変身したことはない。
「ホント〜? な〜んかオジサン裏で隠し事してそうなんだよね~」
「嘘じゃないって。それよりお願いは何にするんだ? 騙されたとはいえ言質を取られたからな。簡単なヤツなら聞いてやる」
まあ騙されこそしたが、騙されただけでガキの涙が止まるんなら安いもんだ。
「な〜んかはぐらかされた気がするけど……まあ良いか! じゃあさじゃあさ!」
そう言って楽しげに笑うネルは、明日試験二日目を迎えるとはとても思えないほどリラックスしていた。
いよいよ。鬼門の二日目が始まる。もしネルが俺が首領に報告した当時のままならまず突破は不可能だ。何せ二日目は、
如何でしたでしょうか? 一応これで一日目終了となります。お気づきかと思いますが、この章はこれまでで一番長くなります。
二日目はほのぼの要素が割とお出かけして、代わりにバトルやアクション、そして大分後の方で曇らせタグがかなりお仕事する予定です。心の準備をよろしくお願いします。
この話までで面白いとか良かったとか思ってくれる読者様。完結していないからと評価を保留されている読者様。
お気に入り、評価、感想は作家のエネルギー源です。ここぞとばかりに投入していただけるともうやる気がモリモリ湧いてきますので何卒、何卒よろしく!
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閑話 暗躍する影と、退屈を憂うトラブルメーカー
パソコンのトラブルも何とか収まってきたので、また活動再開です。
今回はちょっとした伏線回です。
◇◆◇◆◇◆
リーチャー本部のとある一室にて。
「……これは本当なのか!?」
あまり人の来ない物置となりつつある場所で、二人の男が密談をしていた。
「はい。残念ながら、確かな情報です」
片方は昼間幹部昇進試験に参加していた幹部候補生の一人。もう一人は黒いフードを被っていて、体格や声色などから男としか分からない。
幹部候補生は手渡された書類を見てわなわなと肩を震わせ、フードの男は事も無げに語り掛ける。
「筆記テスト及び体力テストの結果から考えるに、このままでは貴方様が昇進する可能性は相当低いかと。それこそ明日の総合テストで余程の好成績を残す必要があります」
「こ、これは何かの間違い……そうだ! たまたま! たまたま体の調子が悪かっただけだっ! でなきゃこんな結果が出るわけがないっ! 明日こそは必ず」
「ほぉ。たまたまですか」
その言葉に、フードの男の放つ雰囲気が僅かに鋭利さを帯びたのだが幹部候補生は気づかない。だが、すぐにその雰囲気は霧散する。
「ご心配なく!
フードの男は懐から小箱を取り出し、中身を蓋を開けて見せた。幹部候補生はそれをしげしげと不思議そうに見つめる。そこに入っていたのは、
「……何だこりゃ? こんな物が本当に役に立つのか?」
「はい。それはもう間違いなく。……効果にご不安があるのでしたらここでお目にかけましょう」
そう言ってフードの男は箱の中からそれを一つ摘まみ、そのまま口に含んで飲み下す。すると、
ドクンっ!
「お、おおおっ!?」
その幹部候補生は決して邪因子の察知能力に優れている訳ではない。だがそれでも分かるほどに、その瞬間フードの男から放たれる邪因子は一回りも二回りも大きくなった。
「こりゃあすげぇっ! これを使えば確かに明日は何も恐れるもんはねぇ!」
「そうでしょうとも。こちらを是非明日お役立てくださいませ。ただし一つだけ注意点が。この効果はあまり長続きいたしませんので、いざという時にのみお使いください」
「ああ分かった。しかしこんな
幹部候補生はそれを手に、上機嫌で部屋を出て行った。フードの男の冷ややかな視線に気づくこともなく。
「……ふぅ。まったく。あのようなただ与えられた力に疑いもせずに飛びつく者が幹部候補生とは、確かにご主人様のおっしゃる通り最近は質が落ちているようですね。まだ使えそうであれば
そこでフードの男は口元に蔑んだような笑みを浮かべる。
「自分の実力不足を棚に上げ、まだチャンスが貰えるなどと思っているバカが使えるとも思えませんし、あの
◆◇◆◇◆◇
「ああもうっ!? ネルの奴なんでこんな事を頼むかなっ!?」
俺は蜂蜜たっぷり特製ホットミルクで寝かしつけたネルを起こさぬよう、小声で悪態をつきながらフライパンを振るっていた。
騙されたとはいえお願いを聞くと言ってしまった俺に対してネルが要求したのは、ズバリ明日の弁当にデザートをつけること。それもネルが満足するだけの物を。
市販の物で誤魔化そうかと思っていたのに、手作りという縛りまでつけられてしまってはどうしようもない。
悩んだ末思いついたのは、以前こいつを堕としたホットケーキ。それを作って
一緒に大量の各種調味料を付ければどうにかデザートとしても出せるだろう。ただ問題は、
「これで……3枚目っと。一緒に弁当もあるから流石に10枚はいかないだろうが、5枚くらいは用意しておかないとな」
とにかく大量に作る必要があるってことだ。足りないとか言って文句言われる危険性もあるからな。テーブルの上のホットプレートから出来上がった分を取り、次の分を作り始めながら溶き卵をフライパンに広げて焼く。
おまけに弁当も多めに作っておかないと納得しないし、そっちの方も同時進行で作っている。せめてもの意趣返しとしてメインにタケノコたっぷり炊き込みご飯。コーンのかき揚げやアスパラのベーコン巻き諸々をおかずに野菜多めヘルシーな内容にしてやる。
しかし、
「変身できない……か」
料理を作る手を止めず、俺はさっきのネルの様子を思い出す。
自分で折り合いをつけてはいるようだが、俺が聞いた直後のあの狼狽っぷりもまた本物だった。変身できないことがコンプレックスになっているのはたぶん間違いない。程度の大小はともかくとしてだ。
一応一時的にとはいえ面倒を見ている以上、その辺りも出来ることなら何とかしてやりたい。勿論出来る範囲でだが。
そもそもなぜ変身できないのか? 邪因子適性は間違いなく高いから多分そちらは原因ではない。
「当然検査はしたはずだが……それでも見つからないとなると余程身体の深い所に異常があるか、それとも精神面に問題があるかだ」
仮に本部の検査をすり抜ける何かが原因だったとする。そんなのがあったとして、見つけられる奴となると限られる。
おまけに患者があのネルだ。精神面を解きほぐすのは並大抵の苦労ではないし、万が一怪人化したまま暴走でもしたらそれを抑えられるだけの戦力もいる。
要するに必要なのは、他者の肉体を把握する能力か機材に、あの気難しいネルに寄り添えるだけの精神性。そして暴走したとしても制圧できるだけの圧倒的武力。あと場合によっては長期的な話になる可能性もあるので、それなりに時間が取れると尚良い。
そんなのを兼ね備えている奴となると、
「マーサはしばらく試験の方でてんてこまいだから無理。ミツバは能力はともかく、精神的に寄り添うのが壊滅的に下手だから論外。支部長は武力と精神性は問題ないとして、医学的知識はさっぱりな上やはり手が空いていない」
他にも何人か同僚や伝手を思い浮かべるが、どれも帯に短し襷に長し。なかなか頼める奴がいない。
やはり肉体把握能力持ちで、ネルが何をやらかしても寄り添える圧倒的精神性と武力を兼ね備えていて、おまけに今暇な奴なんてそう簡単には……あっ!?
そこまで思い浮かべて、フッと脳裏に一人該当する奴が浮かぶ。というより最初から浮かんではいたのだが、自分でも無意識の内に除外していた奴が。だが、
「……ふっ。俺としたことがバカなことを考えたもんだ。
俺は軽く自嘲的に笑う。そいつこそ俺が知る中で最大のトラブルメーカー。
能力があって頼りになり、確かにアイツに任せれば変身出来ない原因がネル自身にある限りまず間違いなく解決する。そこに関しては信頼がおける。
しかしだ。その代わり
「……はぁ。仕方ない。ネルの件はマーサが落ち着くまで待ってから相談するとしよう。それに……この所ネルにつきっきりでアイツに会いに行ってなかったしな。たまには様子を見に行くとするか。……何かやらかす前に」
俺は人好きのする笑顔を見せるあの
◇◆◇◆◇◆
?????にて。
青い空。白い雲。輝く太陽。
広がるは見渡す限りの水平線。波は穏やかに寄せては引き、その度に美しい砂浜を洗っていく。
砂浜にはぽつぽつとヤシの木らしきものが点在し、ちょこちょこと小型のカニがそこらをぶらつく。
つまるところ、
「暇ねぇ。もうと~っても暇」
女が居た。
澄んだ水色の瞳に明るい茶髪を肩まで垂らし、青色の水着の上下にパレオを巻いた女は、ビーチチェアーに寝そべりカクテルを一口飲んでは悩まし気にため息をつく。
「んくっ……ふぅ。お酒は美味しいし、食事は食べ放題だし、長めのバカンスには丁度良いかと思ってここに留まるっていう制約も受け入れたけど、こ~んなに人が来ないなんて退屈よねぇ」
彼女はカクテルに添えられたチェリーをぺろりと一舐めすると、そのままぱくりと口に放り込む。
その言葉の通り、広いこの空間にはカニや魚等の小動物は居ても、人間らしき姿はどこにも見当たらなかった。
「やはりこういうのは誰かと分かち合わないと楽しさも半減よねん。あ~あ。ケンちゃんも最近来てくれないし、アタシの心と身体を満たしてくれる誰かは来ないものかしらん。
そう愚痴をこぼす彼女の胸には、
「あんまり誰も来ないならもういっそのこと、お姉さんこっちから外に出ちゃおうかしらん。久しぶりに首領ちゃんとお茶会を楽しむのも良いし、ケンちゃんと軽く遊ぶのも悪くないわよね! ……だけど制約しちゃったしなぁ。う~ん。悩ましいわねぇ」
そうコロコロと笑いながら悩む彼女は、またカクテルを一飲みしてゆるりと昼寝を楽しむことにした。どう動けば一番楽しくなるかを大真面目に考えながら。
いかがだったでしょうか?
とりあえず伏線を張れるだけ張っておいて、後々回収できるのかどうかわからないスタイルです。
最後に出てきた人物に何か見覚えがあるなぁという方には一言。ありがとうございます。
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閑話 ■■■■は希望を胸に笑う
◇◆◇◆◇◆
「お母さまっ! 見てください。庭のお花で冠を作ったんですよ! このお花お好きでしょう?」
「まあ。フフフ。よく出来ているわねぇ」
私は自信作である花冠を、床に伏せりながらもコロコロと笑う母に手渡した。
顔色は悪く、体もやせ細り、しかしその瞳に浮かぶ穏やかな光はまるで衰えることはない母が、少しでも元気になるようにと願いを込めて。
「アナタの名前はこの花からとったのよ。異国では“希望”って意味があるんですって。だから庭に植えたの。いつでも見られるようにね」
母はゆっくりと花冠を頭に乗せると、こっちへいらっしゃいと私を招き寄せて優しく髪をすき始める。私がこの流れるような金髪をすかれる事が大好きだと知っているから。
「アハハ。くすぐったいです!」
「ほらほら。じっとしてて。……良い? 私の可愛い娘。よく聞いてね」
私の笑い声を聞きながら、母は穏やかに、だけど真剣な口調で話し始める。
「アナタにはこれから多くの嫌なこと、苦しいことがあるでしょう。こればかりは流石に避けられない。けどね。アナタを助けたいと思っている人も、一緒に居たいと思う人も必ず居るわ。……だから、
それは母から娘の、
「そんな人達に届くように、自分はここに居るって知らしめるように、出来れば輝かしい笑顔で高らかにね!」
「……はいっ! よく分からないけど……笑えば良いんですね! 私、頑張りますっ!」
母……オリーブ・グリーン公爵夫人が亡くなったのは、それから七日後だった。
「さあ。■■■■。お前の
母が死んでしばらくすると、母の見舞いにもほとんど来なかった父グリーン公爵が、突然再婚相手とその娘を連れて戻ってきた。
「初めまして。私はダリア。今日からお母様と呼んでも良いのよ。……ユウガオ」
「はい。ユウガオと申します。これからよろしくお願いいたしますね。■■■■お姉様」
新しい母だという人はとても美人で、新しい妹だという人はとても愛らしかった。だけど、
「……よろしく、お願いします」
まだ母の死を引きずっていた私には、そう簡単に受け入れられそうになかった。
ダリアお義母さまとユウガオが来てから私の生活は一変した。
「採点の結果、■■■■お嬢様は90点。ユウガオお嬢様はなんと満点でございます」
ユウガオは天才だった。私が家庭教師に何度も教わって何とか覚えた事柄を、ユウガオはたった一回で覚えてしまう。
それは勉学だけではなく、貴族としての作法や運動、教養に至るまで様々な事柄に渡った。おまけに、
「庭のお手入れですか? いつも見かける度に奇麗な庭だと感服してるんですよ! ありがとうございます」
「今日のお食事もとてもおいしゅうございました。これからもよろしくお願いしますね!」
ユウガオは愛嬌もあった。可愛らしくにっこりと微笑んで使用人たちをいつも気遣う様子に、館の中でユウガオを悪く言う者はほとんど居なかった。そして、
「まあまあなんて出来た子なんでしょうユウガオは。……それに引き換え■■■■ときたら」
ダリアお義母さまは何かにつけて私とユウガオを比較した。
勉学の点数から些細な行儀作法まで、いつも比べられて一方的に自分が劣っていると突きつけられる。
政務が忙しく外出がちな父の代わりに家を取り仕切るのがダリア義母さまであり、そのダリアお義母さまがそのような態度をとる以上、他の使用人達も僅かずつだけど同調して冷たくなっていく。
少しずつ、少しずつ、私が家の中で心安らげる場所は少なくなっていった。
半年も経つと、もう自身の部屋ぐらいしか落ち着ける場所はなく、私は自室に引きこもりがちになっていた。
貴族としては、いかに大切な人の死であっても切り替えて進まねばならない。それは分かっているのに、どうしても忘れられない。
家の者は大半がユウガオをちやほやする。私に対しては敬ってこそいるが、それでもどこか以前と比べて冷たくなっていた。
そんなある日のこと。
「■■■■お嬢様。失礼いたします。……あの、これっ!」
少し前から家に仕え始めたメイド見習いのアイビーが、突然私の部屋にやってきて何かを差し出してきた。
本来なら使用人として良い態度ではないのだけれど、アイビーは家の中でも数少ない私の専属メイド(元々の専属メイドは大半がユウガオの方に行ってしまった)なので多少の不作法は流す。
「これ……本?」
「はい。お嬢様、私が来てからずっとお元気がなくて、だから贈り物をすれば少しは気分も晴れるかもって。……差し出がましかったでしょうか」
「……いいえ。メイドのお給金じゃ買うのも大変だったでしょうに、ありがとうね。読ませていただくわ」
最後の方はシュンとなってしまったアイビーに、私は笑ってそう言おうとして……
オリーブお母さまが死んでから、私はまともに笑うことが出来なくなっていた。
母の願いを叶える事も出来ずいつも暗い顔。それもまた私が家で使用人達から冷たくされている理由の一つなのだろう。
心配そうにするアイビーを下がらせ、私は早速本に目を通す。
「……ふぅ」
読み終わって気が付けば、もう日が暮れていた。
これほどまでに夢中になって本を読んだのは久しぶりだった。
本の内容は、一人の貴族令嬢を主軸とした物語。大分後になって知ったのだが、俗に
主人公は決して並外れた才能を持っているわけではない。いくら努力しても一番にはなれなかったし、時にはとんでもない苦難に見舞われることもあった。
しかしどんな状況に陥ったとしても、特徴的な高笑いを上げて苦難に挑み続けるその姿は、敵味方も貴族庶民も関係なく多くの人を惹きつけていった。
自分と似ているようでどこか決定的に違うその姿に、私はどこか羨望を覚えた。
「……ア……ハ……ハハ……ぐすっ」
前のように笑おうとしても途切れちぎれにしか出てこず、代わりに出るのは自分の情けなさへの涙ばかり。
ああ。もしも私がこの本の主人公だったなら。こんな強い女性にはなれなくとも、
「……ハ……ハハ…………
それは偶然だったのだろう。偶然嗚咽がそのように聞こえただけなのだろう。
だけど、この一瞬だけ確かに……笑えたのだ。
◇◆◇◆◇◆
「……という事がありまして、今ではこ~んな立派に笑えるようになりましたわっ! オ~ッホッホッホっ!」
「いやいやおかしいでしょっ!? 明らかに別人ですよコレっ!?」
「そうだそうだ! いやまったくあたしからしたら共感できないけどさ。アンタ話盛ってんじゃないの?」
昇進試験初日も終わり、明日に備えてライバルと親交を深めるのも悪くないかと思いやってきた夕食会。何か面白い話と無茶ぶりを振られたので少し昔話などしてみたのですが。
我がライバルネルさんとその従僕ピーターさんが、口々に怪しんでいる。これは心外ですわ。
「今の話だともろに悲劇のヒロインって感じだったじゃないですかっ!? いくら何でも変わりすぎでしょっ!? 一瞬でもときめいちゃった僕の純情を返してくだ……アウチッ!?」
「勝手にときめいてんじゃないわよピーターのくせにっ! ……そうよ! ホントかどうかそこのメイドさんに聞けば良いのよ! で……どうなの?」
「……残念ながら、本当の事でございます」
ネルさんの問いかけに、アイビーったら額に手を当てて心底残念そうに返す。そんな顔をしなくてもいいじゃないですの?
「それ以来お嬢様ときたらすっかり本に影響を受け、今ではこのように何事にもポジティブかつアグレッシブになりすぎてしまいまして。何故か髪型まで縦ロールですし、時々昔の落ち着いたお嬢様に戻ってくれまいかと夢想してしまいます。およよ」
「下手な泣き真似はおやめなさいな。それを言うならアイビーもですわ。昔はどこかおどおどした小動物チックな子でしたのに、今では慇懃無礼な性格になってしまって」
「お嬢様に付き合って数年もすれば性格の一つや二つ変わります。まあお嬢様ならあの本に出会わなくともいずれ立ち直ってはいたでしょうが、あの本を贈ってしまったのは私。なのでこうして悪の組織だろうが世界の果てだろうが最後まで付き従う所存ですが」
すっとウソ泣きをやめてきりっとした態度でそう言い放つアイビー。相変わらずそういう所は重たいですわ。
「う~ん。私が初めて出会ったときはもうハニーは今の感じだったからねぇ。その頃の姿も是非見てみたいものだよ」
コクコク。
いつの間にか夕食会に混じっていたレイに、黙々と配膳していたビオラが頷く。確かに二人と会ったのはもう少し先でしたわね。
「それよりハニー。どうせなら今度は私とハニーの馴れ初めでも語ってはくれないかい? やはり君の口から語られると背筋がこうゾクゾクとハグッ!?」
「レイは黙ってビーフシチューでも食べてなさいな」
私は咄嗟に自分のスプーンを使ってレイの口を塞ぐ。
ああ。こんなに穏やかな日々も久しぶりですわね。
「お代わりですわっ!」
「あっ!? ガーベラ食べ過ぎっ!?」
「ケン様の作るビーフシチューが美味しすぎるのがいけないのですわっ! オ~ッホッホッホっ!」
こうして私、ガーベラ・グリーンは今日も名前の通り、高らかに輝かしく希望を胸に笑うのですわ!
オリーブお母さま。見ていらっしゃいますか? 私、今も笑えていますわ!
というわけで、ガーベラの昔話でした。……え? レイとの馴れ初め? まあそれは……その内筆が乗ったらですね。
ちなみにここから下はちょっとした裏話。
・『貴族令嬢は今日も不敵に笑う』
年齢性別職業不明の覆面作家T&Aの悪役令嬢シリーズ一作目。ただし悪役令嬢という単語は使われていないので、貴族令嬢シリーズと呼称する者も。
名門の出ではあるが才能に恵まれず、ぽっと出の男爵令嬢に婚約者を奪われ、家族からも半ば見放されている主人公が、様々な問題に向き合っていくストーリー。
主人公の高笑いは別に楽しいとか嬉しいという事ではなく、こんなことで負けるものかという意地によるもの。だが周囲には余裕そうに見せている。
才能チートな王道キャラの語る理想論を、努力と根性と現実的正論で張り倒していくのだが、実は一番理想論を信じたいのが主人公だったりもする。
ただ内容的に貴族受けは微妙に悪く、庶民受けは割と良かったのだがこの国での本はやや高級な贅沢品。一冊買って何人かで回し読みするのが大半であり、結果売れ行きはそこそこに留まった。……なおガーベラは毎回新刊が出る度に購入している。
全5巻で本編は完結。ただし現在他の著作とクロスオーバーした外伝を執筆中。特にメスガキシリーズとは相性が良いとか。
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閑話 マーサは気に入った候補生の身を案じる
◇◆◇◆◇◆
そこは本部の一画。幹部昇進試験用に特別に準備された部屋。そこで、
「…………はぁ。これで、終わりさね。……ふぅ~」
最後の自分が担当した幹部候補生の評価を終え、マーサは普段よりもさらに気だるげな態度で大きく背伸びをすると、そのまま煙草に火をつけて一服する。
「お疲れさまでした。マーサさん」
「はいよ。他のとこは大体終わったのかい?」
「はい。マーサさんの書類で最後です」
職員の一人に、マーサは自身の書き込んだ書類を手渡す。
毎回個人面談は何人かの担当に分かれ、それぞれが数十人ずつ候補生達を受け持つのだが、マーサの担当は少しだけ普通と違っていた。何故なら、
「ふぃ~。なんでワタシの担当が全部
「仕方ないですよ。裏面を読み取れたってだけで素質がありますからね。その分いざって時に抑えられる人が担当しないと。それに担当人数だけなら一番少ないでしょうに」
職員が言うように、一定以上の邪因子持ちか探知能力持ちでないと裏面の問題は読み取れない。実際試験参加者の中で読み取れたのは、全体の約一割ほどだった。
「……確かに受け取りました。ではこちらは保管庫の方に持っていきますね」
「ああ。ワタシはちょいとここで休んでいくから、先に上がってくれていいよ。明日は今日よりも忙しくなるんだろ?」
「では、お言葉に甘えて先に。お疲れ様です」
職員が一礼して出ていくのを見て、マーサは一仕事終えゆったりとした気持ちで椅子に背を預け、目を閉じる。
思い出すのは面談の内容。
問一、「幹部として、人に恨まれようと、部下に嫌われようと、悪を為せと命令する覚悟はあるか?」
問二、「自身の任務の成功と友軍の危機。いざ天秤にかけられた時、どう行動するか?」
問三、「自分の命と組織、どちらを優先するか?」
どう話に持っていくかは担当の自由だが、要するに必ず聞くのはこの三つだ。
まだ問一と二は良い。一は単純な幹部としての心構え。二はあくまで考え方の問題で、今ここで明確な答えがなかったとしてもこれから直せばいい。
だが、三だけははっきりしておかないとシャレにならない。なにせ自分と、自分が預かる部下の命の問題だ。
「口先だけ組織を優先する奴。ガチで自分と部下の命を投げ捨ててでも組織を優先しそうな奴。普通に自分の命を優先する奴。まあ色々だねぇ。……ふぅ~。ただ、何人か面白かったりしっかりと自分なりの答えを返した奴は居たねぇ」
一応ネルは、自分なりに真面目に考えて答えを出していたのでマーサも認めてはいた。もしあそこで定型文通りの答えで組織の方を選んでいたら、マーサもそれ相応の評価を出さざる得なかっただろう。
マーサはそんなことを呟きながら、特に気にかかった参加者との会話を思い返していた。
◇◆◇◆◇◆
「オ~ッホッホッホっ! ガーベラ・グリーンでございます。この度はどうぞ、よろしくお願いいたしますわ試験官様」
「……ふぅ~。これはまた濃いのが来たねぇ。まあそこに座って楽にしな。別に礼儀作法を見ようってわけじゃない」
「ありがたいお言葉ですわ。しかし
いきなり高笑いしながら部屋に入ってきたガーベラに驚くマーサだったが、まあその程度ならリーチャーの幹部連中にも割と居る。なのですぐに気を取り直し、さっそく面談を始めることに。
「幹部としての覚悟……ですか。そもそも私、貴族ですから。人の上に立つように育てられてきましたし、自らもそうあろうと努めてまいりました。故にこう返しましょう」
ガーベラは不敵に、獰猛に笑って返す。
「
「……ふぅ~。言うねぇ。それが本当に必要な事であれば悪行だろうとやる。ケンと同じタイプさね」
「ふ~む。二つ目は難しいですわね。幸い私の能力的には、一対一よりむしろ多数対多数の方が向いております。故に今の設問の答えとしては、援軍に行くことを選びますわ。確実に私が出れば友軍の被害は減るでしょうしね」
「……なるほど。援軍に行くと」
「はい。……ただ、出来ればその重要物資や任務の内容、両軍の陣形や周囲の地形等がもう少し詳しく知りたい所ですわね」
次の質問に少し悩んだ後ガーベラは、むしろマーサを試すかのような眼差しで切り返す。
「まさか……試験官様ともあろう方が、そんな肝心要の事を一切語らずに表面上だけの情報で決めさせようだなんて仰らないですわよね?」
結果として、マーサはさらに細かいシチュエーションを即興で考えさせられるハメになった。なお次の参加者から、説明こそしないまでもずっとその設定を使うことに。
そして、三つ目の質問には、
「
「ほおっ! 即答かい?」
「無論ですわっ!」
その答えはマーサにしたら少し意外だった。
「ワタシはてっきり、貴族ですから組織を優先して当然ですわとか言いそうなもんだと思ったけどね」
「それは少し語弊がありますわね。貴族は国と民に尽くす者ですが、
「ふむふむ……続けて」
「試験官様なら、もう既に私の素性もご存じでしょう。私はレイに乞われてこのリーチャーに入りました。しかし国を捨てたわけではありません。たとえ国がリーチャーに……まあ侵略というには些かアレなやり方でしたが、侵略されたとしてもです」
ガーベラをマーサはじっと見る。その言葉にも、声にも、まるで乱れは見られなかった。
「なので、組織は私の命と天秤にかけるには値しませんわね。国と天秤にかけるのなら国を選びますが」
「そうかい。じゃあ組織でも国でもなくレイナール様……レイならどうだい?」
「…………難しいことを仰いますのね」
その瞬間だけ、ガーベラの貴族としてではなく一人の女性としての顔が見られたようにマーサには思えた。
◇◆◇◆◇◆
「まったく。あのガーベラって候補生……印象に残ったって意味じゃ、あのネルを抜いて一位さね」
普通の面接なら態度の悪さで失格になっても仕方のない内容だったが、ここは悪の組織。あれくらいじゃないとやっていけないし、むしろ設問そのものを正そうとする気概をマーサは個人的に気に入っていた。
そして、アピールチャンスである裏面に至っては、
「『筆記テストでは一応幹部の座と記入いたしましたが、それはあくまで直近の目標。目指すは
ガーベラの婚約者、レイナールが上級幹部となるきっかけとなった一件は、一部では割と有名だ。そしてその動機さえも。
一人の女のために国を落とした男。そして、それに釣り合うべく自らを高め続ける女。
「惚気話と笑うべきか、多くの幹部連中を追い抜いてでも惚れた男に追いつこうっていう執念を怖がるべきか。……まあなんにせよ。ああいう人材が居るならちょっとばかしは明日の試験も真面目にやろうかね」
マーサはそこでもう一度煙草を大きく美味そうにふかし、
「ふぅ~。……しかし明日のチーム戦、あの娘達大丈夫かねぇ。いくら毎回初参加組には秘密とは言え、即興だろうが何だろうが
あの我の強そうな奴らの一番の問題点、組んでくれる相手が居るのかという問題を考え、微妙に心配そうな顔をするのだった。
というわけで、マーサとガーベラの個人面談でした。
ちなみにマーサからすれば、ガーベラはある意味でネルよりかなり好印象です。
以下、需要があるかどうか分かりませんがピーター君の個人面談のやりとりです。
『よ、よろしくお願いしますっ!』
『命令……ですか? うわぁやりたくないなぁ。恨まれるのなんて胃が痛くなりそうだし、下手なこと言ったら部下からも嫌われるんですよね? 嫌だなぁ。……でも、幹部になるってそういう事なんですよね。じゃあ……やる、と思います』
『えっ!? どっちの軍も気づいてないんですよね? じゃあギリギリボクがやったって気づかれないレベルで敵軍の邪魔をしてから物資を届けに急ぎます。だってそこで助けに行かなかったら多分後悔するだろうし、でも物資に万が一があったら大変だし。だから間をとってそれで』
『自分の命と組織って、嫌な選択ですよねそれ。う~ん……自分の命ですかね。死にたくないですし、別にそこまで組織に命懸けてるわけでもないですから。ああでも、ちょっと無茶しろ程度だったら普通に優先しますよ。幹部候補生にまでなったんだし、それくらいには責任はありますから」
以上ピーター君のやり取りでした。印象深い答えではないけれど、きちんと自分の考えを話したのでマーサ的にはそこそこの評価です。
この話までで面白いとか良かったとか思ってくれる読者様。完結していないからと評価を保留されている読者様。
お気に入り、評価、感想は作家のエネルギー源です。ここぞとばかりに投入していただけるともうやる気がモリモリ湧いてきますので何卒、何卒よろしく!
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ネル 試験開始前に失格しそうになる
◇◆◇◆◇◆
昇進試験二日目。
午前9時。本部第三特別演習場。
本部と銘打ってはいるけれど、本部のゲートからしか行けないという意味で実際はどこにあるんだか分からない場所の一つ。
分かるのはどこかの島らしいという事だけ。草原に森、果ては小さいとはいえ山まであり、動植物もてんこ盛りの自然豊かな場所。
そして島の中央にある管理センター。試験会場という事であたし達幹部候補生が集められたのはそんな場所の前だった。
「……ふぅ~。あ~っと、全員居るかい? この時点で居ない奴はもう失格扱いにした方がこっちとしては楽で助かるんだけど……残念。全員居るね」
建物の上部に設置された大きなスクリーンに映るのは、私達の前でいかにも面倒くさそうに手にあるタブレットを操作するマーサ。候補生全員に見えるようにスクリーンに映しているんだろうけど、首を上にあげるの疲れるから直接本人を見る。
でも本気で残念がらないでよこの煙草女っ!? まあそんなザコザコしい奴が居るとは思えないし、仮に試験の内容が候補生同士で殴り合えとかだったらそんな奴は面倒なだけだから居ない方が助かるけどさ。
「そんじゃまずは軽い説明から行こうかね。まず今日の試験は総合力、つまりは昨日やった知識や体力、邪因子等に加え、他にも幾つかをまとめて見させてもらう。……実戦形式でね」
「実戦……ですか。これは厄介ですわね」
少し離れた所に居たガーベラが、そう難しい顔をしてぽつりと呟くのが聞こえた。昨日あんなに自信満々だったから、不得意ってわけじゃなさそうなんだけどどうしたのかな?
だけど、これはやはり候補者同士の戦闘かな? いきなり乱闘とかだったら、とりあえず……隣に居るピーターを周りに当てないように振り回しつつスペースを確保して、
「あ~……実戦形式といっても、たとえばいきなりここで大乱闘をしろって話じゃないからね。下手にこんな所でやられちゃ建物が壊れるし……ふぅ~。第一審査するのが面倒さね」
えっ!? そうなの? な~んだ。運が良かったねピーター!
「うわっ!? 今なんか背筋がゾクってしたんですけど」
「大丈夫? ピーターへっぽこなんだから風邪でも引いたんじゃない?」
「なんかどっちかというと虫の知らせ的な感じだったんですが……気のせいかな?」
首をかしげるピーターだったけど、すぐにマーサの説明が再開する。
「これからアンタらにやってもらうのは、まあ
これか。あたしは受付で貰って左手首に付けた物。ちょっとゴツめの腕時計を見る。
幾つかボタンがあったからさっき押してみたけど、どれを押しても反応しなかった。壊れてんじゃないの?
「今着けていない奴は早速左右どっちかの腕に着けな。それは設定でいう重要物資であり、参加者のモニターも兼ねてるからね。壊したり身体から長く離した時点で失格になるから注意だよ」
それを聞いて慌てて何人かが腕に着け始める。貰った時点で着けなかったのは慎重さからかな? あたしはすぐ着けちゃったけど。
「さ~て。それじゃあ本題に入ろうか。これからアンタらにやってもらう試験の内容はズバリ……
オリエン……何?
「ちょっとピーター。オリエンテーリングって何?」
「え~っと、簡単に言うと、地図を見ながらチェックポイントを巡って、ゴールまでのタイムを競うスポーツ……だったかな」
「ふ~ん。要するに参加者同士のレースってわけか」
総合力を試すって割には思いっきり体力面のテストっぽいね。実際他の候補者達の一部は、微妙に拍子抜けしたようなそんな感じだ。
「やる事はシンプルさね。三か所のチェックポイントを巡り、そこの係員が出すお題をクリアしてゴールまで辿り着くこと。制限時間は午後5時まで……ちょうど今からきっかり8時間ってとこだね」
8時間か。やけに長く感じるけど、この島ってそんなに広いのかな?
「ああ。単純にポイントを巡るだけなら邪因子無しの一般人でもなんとかなるし、お題込みでも将来有望な幹部候補生達なら余裕だろうさ。ただ……ふぅ~。それだけじゃ簡単だろうから、ちょっとした縛りを用意させてもらう。……ここからは説明よろしくさね」
「ハイハ~イ! ようやく私の出番ですねぇ~。フヒヒっ!」
マーサはそこまで言うと、ゆっくりと自分の立ち位置を横にずれる。そして、その後ろから歩いてきたのは、
「あ~っ!? アンタっ!? オジサンにくっついてくる匂いフェチのヘンタイっ!?」
「ヘンタイとは失礼なっ!? 私は脳を蕩かしてくれる極上の香りを追い求める女。そう。パヒューム・ハンターとかアロマ・コレクターと呼んでくださいっ! ……って、よく見ればこの前の素材は良いのにひっどい匂いの子じゃないですか! 少しはしっちゃかめっちゃかな匂いは整いましたか?」
薄汚れた白衣にグルグル眼鏡。薄桃色の髪を肩まで伸ばしたヘンタイ女。ミツバ・ミツハシが、こちらを見て手をヒラヒラさせた。
「ミツバ・ミツハシ……あの幹部就任
「たった一人で本部兵器課の兵器開発を数年分も引き上げたっていうあの天才か」
「夜な夜なむりやり一般職員をさらっては、自分の作品の実験台にしてるっていう噂の」
「ちょっと!? 最後のはデマですよそれっ!? 私はちゃんと本人の了承を得て実験台にします」
ミツバを見てひそひそと話す幹部候補生達。なんだかんだヘンタイだけど有名なんだよねコイツ。いや、それよりもまず、
「な、なんでアンタがここに居んのっ!?」
「何でって、それはその腕時計型多機能モニターが私の作品……まあ正確に言うと、私の作品の量産型だからですよ」
げっ!? これこの女が作ったのっ!? なんか急に着けてるのが嫌になるなぁ。でも外したら試験失格だし。
「ミツバ……お喋りは結構だけどさぁ、段取りがあるんで早いとこ進めちゃくれないかい?」
「おっと。そうでした。失敬失敬! という訳で、ここからはしばらく私が皆さんの腕にある腕時計……通称タメール君(量産型)の説明を行いますね」
「タメール君? なんか変な名前だね?」
「ふふん! 言いやすいでしょ? あっ!? タメールだけで君はなくても結構ですよ」
ミツバはニコニコ笑いながら、自分の腕にも着けられているそれを高く掲げる。
「このタメール君。普段はただの腕時計。ですがこの通り……むんっ!」
「何をっ!?」
急にミツバが邪因子を高め始め、周囲の幹部候補生達がざわつく。だけど別に驚くことでもない。幹部ならこの程度の邪因子量はあって当然だし。すると、
キュイ~ン。
変な作動音と共に、ミツバの着けていたタメールが急に光りだした。
「このように、タメール君は持ち主の邪因子活性化に反応して起動します。まあここまで邪因子を高めずともほどほどで良いんですけどね。じゃあ皆さん。試しに皆さんのタメール君も起動してみましょう。……あっ!? それなりに頑丈に作ってありますから、ちょっとやそっと邪因子を高めた程度じゃ壊れませんのでご安心を」
その言葉に、あっちこっちで邪因子を高めてタメールを起動させる音が聞こえる。
「やああっ! ……光った! 光りましたよネルさん!」
「……成程。これくらいですか。余裕ですわね」
見るとピーターやガーベラも普通に起動させていた。特にガーベラなんか、力を入れた様子もなく本当に自然にだった。相変わらずコントロール技術だけは……うん。あたしよりちょび~っとだけ上かもしれない。
負けてらんない。じゃあ早速あたしも、
「はああああっ!」
「ちょ、ちょっとネルさんっ!? ボクの邪因子量でも行けるぐらいですから軽く。軽くで良いですからねっ!?」
「大丈夫だって! ミツバも頑丈だって言ってたし! だけど、どうもこの所身体の調子が良すぎて加減が難し」
ピキッ!?
何か嫌~な音が聞こえて、あたしはおそるおそるタメールを見る。すると、
「……ねぇ。ピーター」
「……何ですか?」
「これってさ。予備……あるかな?」
起動したけど液晶にヒビが入ったタメールを見て、あたしとピーターは大きくため息を吐いた。
幸い予備はあったけど、次やったら失格にするぞと煙草女とヘンタイに怒られた。次はもっと頑丈に作っておいてほしいな。
という訳で、しれっとヘンタイことミツバもまた来ました。実は裏設定で、ミツバとマーサはケン繋がりで面識があります。仲は……まあそこそこですが。
次回は説明回後半。どうぞお楽しみに。
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ネル 周りにひかれてハブられる
「え~。コホン。些細なアクシデントはありましたが、説明を再開しますよぉ」
予備をもらった後、咳払いの後ちらりとこちらを見てミツバがそう切り出した。そうジトッとした目で見ないでよ。ちょっとした失敗ってやつじゃん。
「皆さん起動には成功しましたね? ……ああ。大丈夫そうですね! じゃあまず基本性能から説明しましょうか」
そうしてミツバが話し始めたのはこのタメールの機能。
まあ簡単に言えば、時計として以外にも地図機能や通信機能に始まり、持ち主の身体機能のデータ化。邪因子の簡易測定なんかもできるし、予め対象の情報を入力しておけば近くにそれがあった時に知らせてくれたりもする。だけど、
「なんか……
そう。今周囲の誰かが呟いたように、スマホでも大体似たようなことは出来る。
腕時計型っていうのも普通にありそうだし、何ならサイズだってやや大きめ。これが重要物資だなんてとても。
「基本性能の説明は以上です。……おっと、大事なことを忘れる所でした。タメール君は装着者の邪因子を動力として動いています。そして」
絶対忘れたんじゃなくわざとでしょっていうニヤニヤ笑いを浮かべて、ミツバは最後にこんなことを言い放つ。
「このタメール君。
「げえっ!?」
「……ちょっと? 何をそんなにうろたえてるのピーター? それに他の奴らも」
ミツバの言葉を聞いて明らかに動揺する幹部候補生達。時計が止まったら失格ってだけでなんでそんなにうろたえているんだろう?
「これはマズいですよっ!? つまりこれを着けている間、
そうかなあ? 別に活性化させ続けるだけならあたし、以前実験で丸一日飲まず食わずぶっ通しで続けたことあったよ。終わった後意識が飛んで、次に起きたの二日後だったけど。
あの時に比べたら今の方が相当邪因子は上だし、たかだか数時間くらいでしょ? そのくらい平気じゃない?
そう言ったら何故かピーターを始め周りの人が微妙にひいていた。そんな驚くことかな?
ビーっ! ビーっ!
「はいそこ。活性化が切れてますよ。アラームが鳴っている5秒間以内に上げないと失格ですからね」
どこかから聞こえてくるアラームの音に、ミツバが誰かに軽く注意を促す。その後すぐに鳴り止んだから、どうやらその誰かは慌てて邪因子を上げなおしたらしい。
だけど活性化が解けても5秒も時間があるのか。ますます余裕だね。
「それ言えるの邪因子量がバカみたいにあるネルさんだからこそですからね。あとは……ガーベラさんも余裕そうですね」
見るとガーベラは、口元に扇子を当てながら涼しい顔をしていた。
ピーターが言うには、起動に必要な最低限よりほんの少しだけ上の邪因子をキープし続けているらしい。だから他の人より消耗が少ないし、僅かに余裕を持たせているから咄嗟の対応も出来るんだとか。
むぅ。やるじゃないガーベラ。
「……ふぅ~。じゃあまたワタシが説明を引き継ごうかね。もちろん説明中も邪因子は活性化しっぱなしだからそのつもりで」
ミツバが引っ込んでまたマーサに交代する。こうなると説明はさっさと終わらせてほしいよね。
「さてと。という訳でアンタらには、邪因子を常時活性化させたまま三つのチェックポイントを巡ってゴールへ辿りついてもらうんだけど、その肝心のゴールについて説明がある。各自、建物のスクリーンに注目してほしい」
その言葉と共に、スクリーンに映る映像が変化する。これは……扉?
何の変哲もないただの扉。それがぽつんと草原らしい所に立っていた。それから数秒後に映像が切り替わり、今度はどこかの木々の間に挟まるように立っている。
その後も何秒かおきに切り替わる先には、川の畔だったり深い森の中だったり様々。だけどどれも扉が映し出されていた。
「この扉はゲートを分かりやすく視覚化したものさ。このように……ふぅ~。ゴールはこの扉の中。扉の場所も地図の中に入っている。
早速タメールで扉を調べてみる。すると、
「……ちょっと!? この島に扉の反応が百以上あるじゃんっ!?」
「ああ。なんならこの建物の横にもあるよ。ほら」
マーサの指さす先に……あっ!? ホントだ! 扉が一つ壁に立てかけてあるっ! 奇麗な青色の扉の上には、5と番号が振られている。
「あれが正解だと思うんなら、チェックポイントを巡った後ここに戻ってあれを選べば良いさね。ああちなみに、本物を見分けるヒントも各チェックポイントに置いてある。上手く使いな。……ここまでで何か質問は?」
「あのぉ、間違った扉を選んだ場合はどうなるんですか?」
幹部候補生の誰かがそんな質問を投げる。すると、
「ペナルティがある。入ったら強制的に訓練用シミュレーション室に跳ばされて、そこで規定数の相手を倒さなきゃ戻ってこれない。どのくらいかは扉によるし、当然そこでも邪因子が切れたりしたら失格さね」
なんだ。ペナルティって言っても軽いもんじゃん。これなら最悪しらみつぶしに扉を開けるっていうやり方でも大丈夫そう。
「それと、正解とは別にこの島には、幾つか
今度はスクリーンに、どこだか分からないけどぼや~っとした場所が映し出された。そこにある扉は、まるで光を反射していないみたいに真っ黒だ。
「これはちょっとしたチャレンジ要素さ。入ると幹部でも場合によっては手こずるレベルの奴が居る。腕っぷしに自信があるんなら挑んでみると良い。内容如何では評価が上がるかもしれないさね。ただし……ふぅ~。どんな目に遭おうとも自己責任で」
なるほど。追加得点のチャンスってわけね。面白そうじゃない。
「あと失格者の対応だけど、失格者は速やかに最寄りのチェックポイントかこの建物に移動すること。自分で動けない場合はしばらく待機してな。位置情報を頼りに係員が回収に向かうから」
先にそう言うってことは、途中でへばる人がやっぱり多いんだろうな。まああたしはそんなことないけどさ!
「もう他に質問はないかい? ……なさそうさね。じゃあ、そろそろ試験開始といこうか」
ああやっとね。待ちくたびれたわ。あたしはさっき確認したチェックポイントの内、ひとまず一番近い所へ向かおうと足に邪因子を込め、
ビーっ! ビーっ!
その直前急にまたアラームが鳴り始めた。今度は一体誰が……って!? 鳴ってんのあたしのじゃんっ!?
そしてあたしのだけでなく、気づけば周り中から一斉にアラームが鳴り始めた。ああもううるさいっ!
「その前に……ふぅ~。もう一つだけ縛りを追加しようか。
え~っ!? 誰かと組むの? ……まあ良いか。この次期幹部候補筆頭美少女のネル様が一声かければ、それこそ3人くらいすぐだよね!
2分後。
……おっかしいな。ピーター以外誰も組んでくんない。……どうしよう。
ケンやマーサの懸念通り、ハブられて出発できないネルでした。事前にもっと他の幹部候補生とコミュニケーションが取れていれば良かったのですが。
この話までで面白いとか良かったとか思ってくれる読者様。完結していないからと評価を保留されている読者様。
お気に入り、評価、感想は作家のエネルギー源です。ここぞとばかりに投入していただけるともうやる気がモリモリ湧いてきますので何卒、何卒よろしく!
同時連載中の『遅刻勇者は異世界を行く 俺の特典が貯金箱なんだけどどうしろと?』の方もよろしくです!
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雑用係 友人と上司の行動に眩暈がする
あ~。やはりこうなったか。俺はチームが組めずにまごまごしているネルを見てため息を吐いた。
ここは昨日と同じ試験会場の一画。今日も朝からたらふく食って弁当まで持って行ったネルを送り出した後、俺は部屋の仕事をさっさと終わらせてこうして観戦に来たという訳だ。
『さあ。あと2分さね』
画面の中のマーサが急かす中、もう全体で見ればざっと8、9割はチームを組んでいるな。
これは、以前挑んでチーム戦だと知っている奴らが事前に誰と組むかを考えているのが大きい。毎回試験の一月前くらいから幹部候補生同士で話し合い、自然と根回しやら何やらが済んでいるのだ。
残るは今回初参加の奴ばかりだが、そこでネルのコミュニケーション不足が祟ってくる。いっつも一人で過ごしていたから、どうしてもこういう時にハブられるのだ。
「さあどうするクソガキ? ……おっ!?」
『ちょっとピーターっ! あたしと組みなさいよ』
『えっ!? いやだけどネルさんとだとどう考えても振り回されるイメージしか』
『良・い・わ・ねっ!?』
『あっ。はい』
哀れピーター。ネルの圧に負けて渋々了承した。ピーター君だけなら他の奴と組む手もあっただろうに……不憫な。
だが幸いピーター君なら多少だが気心も知れている。ネルが組む相手としては悪くない。だが、
『あと1分。組んでない奴は急ぎな』
おっと。もう時間がないぞ。
『ネルさ~ん。全然組んでくれる人居ないじゃないですかっ!?』
『分かってるわよっ!? ……おっかしいなぁ。このあたしが組んであげるって言ったらもうホイホイ誰か来ると思ったんだけど』
ネルは不思議そうに言っているが、なんてことはない。誰が好き好んでこの暴走機関車みたいな奴と組みたがるかという話だ。
才能は間違いなくピカイチだが、どう考えてもチームプレイは下手くそ。課題次第では足を引っ張る可能性の方が高いからな。
『あれ~? ま~だチームを組めてないんですかぁ? フヒヒ。ほ~ら急いで急いで』
『ああもうっ! うっさいうっさい! 邪魔すんじゃないわよ!?』
ミツバの軽い煽りにもめげず、ネル達はまだ余っている候補生を探す。しかしもう余っている面子なんて、
『オ~ッホッホッホっ! だ~れもチームを組んでくれませんわぁ!? 私ただいま絶賛チームメイト募集中でしてよ~!』
……居たよ。今日も元気に高笑いを響かせながら、ガーベラ嬢が一人ぽつんとチームの輪に入れず浮いていた。
おかしいな。ガーベラ嬢のコミュ力なら一人や二人チームを組めても良い筈なんだが。
ちなみにこれは後で知ったが、ガーベラ嬢は試験初日に他の幹部候補生全体にケンカを売るような発言をしていた。なので普段ならまだしも、試験中ではヘイトを買ってやっぱりハブられていたらしい。
しかしこれはチャンスだぞ。ガーベラ嬢ならいざという時のストッパーとして……いや、一緒に暴れて2倍被害が出る可能性もあるか。しかしピーター君も居るし、まあ即席チームとしては悪くない。
ネルもガーベラ嬢も互いに今の状況に気が付いたか、仕方ないといった感じでいったん手を組もうと歩み寄る。これには巻き添えを食ったピーターもにっこりだ。だが、
『当然チームリーダーはあたしだよね!』
『何を言ってますの我がライバル。当然私に決まっておりますわっ!』
『あたしっ!』
『私ですわっ!』
まずい。リーダー決めで揉めだした。まあどっちも我が強いし予想は出来ていたが。それにリーダーかそうでないかで評価の内容も多少変わってくるんだよな。
『あと30秒。チームで互いのタメールを翳し合って……ふぅ~。その状態で登録ボタンを押した奴がリーダーだからね。間違えないように』
『……っ!? 急がなきゃ。さあ早く皆翳して早くっ!』
『分かりましたわ!』
『こうですかね!』
こうしてあたふたしながらもどうにかチーム登録は完了。そして、
『じゃあリーダーはあたし!』
『私ですわっ!』
『あたしだってば!』
『二人ともいったん落ち着い』
『『ピーター(さん)は黙っててっ!!』』
『はうっ!?』
ドンっ! ……ポチっ!
【リーダー登録 完了しました】
何故かどさくさで、
「おいおい。何やってんだあいつら」
気づいた時にはもう後の祭り。慌ててネルとガーベラ嬢がマーサに変更を要求しているが、一度決まったリーダーはこの試験中変更できない。
チームリーダーは幾つかの権限と縛りを課せられる。評価が変わってくるのもあるが、一番大きな点は
なのでリーダーにはチームを率いる統率力と、どんな状況でも生き残る危機対応力が要求される。
それを聞かされたピーターはもう顔が真っ青だ。まあそのくらいの重圧は幹部は全員背負う物なので、ここは一つ気合を入れて頑張ってほしい。
『ふぅ~。今回はどうやら誰もチームを組めずに失格にはならなかったみたいだね。少しは人数が減って楽になるかと思ったのに……まあ良いさ。じゃあスタートね』
『頑張ってくださいねぇ~』
いや軽っ!? 本当に無造作でおざなりな開始の合図に戸惑いながらも、幹部候補生達は各々それぞれのチェックポイントに向けて出発していく。
『ったく。何でピーターがリーダーなのよ』
『ボクだって、代われるもんなら代わりたいですよ! うっかりボクが落ちて巻き添えにしたらネルさんからどんな目に遭わされる事か』
『まあまあ。決まってしまった事は仕方ありませんわね。今は気持ちを切り替えて、早速どのチェックポイントに向かうか決めるとしましょうか! さあリーダー様。腕の見せ所でしてよ!』
う~ん。悪の組織の幹部昇進試験という側から見たらアレなものだけど、それはそれとして青春してんなコイツら。受かるにしても落ちるにしても是非頑張ってほしいもんだ。……それにしても、
「こういう場面で真っ先に騒ぎそうな奴が今日は居ないな」
そう。試験を見守る幹部達の中に、何故かレイの姿が見当たらない。アイツのことだから絶対今日もガーベラの様子を見てハッスルするかと思っていたんだが。その時、
「おい見ろっ!?」
「えっ!? 何でこんな場所に?」
急に部屋が騒がしくなり、俺はそちらの方を見る。そして……思わずまぶたを良く揉み解してもう一度確認し、どう見ても本物だと確信して眩暈がする。それは、
「ああ。失礼。全員そのままで。今回は私的に試験を見学に来ただけなんだ。気楽にしていてくれ」
「ははっ。失礼致しました。
普段の認識阻害を解き、邪因子をあまり抑えることなくレイがやってきた。そのまま頭を下げる幹部連中に手をひらひらさせて俺の方に歩いてくる。
「すまないね。隣良いかな?」
「はっ! どうぞ」
プライベートならまだしも今は公の場。きちんと一礼し、席を
「……おいレイ。これはどういう事だ? いくら何でもバレたらシャレにならんぞ」
「分かってるって。だけどこれでも妥協してもらった方なんだ。なにせ最初は普通に阻害無しでいらっしゃるおつもりだったんだよ!?」
周囲に聞こえないよう小声で俺はレイに問いただす。
レイの能力の強みは、他人にも認識阻害をかけられる事だ。人数、距離、その他諸々によって変動するが、大抵の相手なら自分も含めて存在を薄めることが出来る。
だが、今回はレイ自身にまで手が回らずに仕方なく素でやってくるハメになった。何故なら、
「ふふっ。な~に。ワタシの事は路傍の石か何かだと思って気楽にするが良い。流石に直接見に行っては邪魔になりそうなのでな。ここで観戦させてもらうぞ」
「こんな存在感のある石ころが道端にあってたまるかって話ですな。お願いですから本気で邪因子を抑えてくださいよ。
普段の軍服を軽く着崩して、僅かだけオフの雰囲気を漂わせるリーチャー首領が、ゆっくりと俺の隣に腰かけて微笑んだ。
という訳で、上級幹部及び首領に挟まれた雑用係です。一般人なら圧だけで意識を失うレベルですがオジサンは一般人(自称)なので。
この話までで面白いとか良かったとか思ってくれる読者様。完結していないからと評価を保留されている読者様。
お気に入り、評価、感想は作家のエネルギー源です。ここぞとばかりに投入していただけるともうやる気がモリモリ湧いてきますので何卒、何卒よろしく!
同時連載中の『遅刻勇者は異世界を行く 俺の特典が貯金箱なんだけどどうしろと?』の方もよろしくです!
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雑用係 予想外の能力に少し驚く
さて。試験の三つのチェックポイントだが、ざっくり言うとそれぞれが山岳、草原、森林のエリアに一つずつ配置されている。
島の中央に位置する建物、管理センターから一番近いのは森林エリアだ。なので参加者の大半は森林エリアに向かう。なのだが、
『ここは山岳エリアから向かいましょう』
『どうして? 一番近い森林エリアに行くんじゃないの?』
『他の参加者の多くもそう思って森林エリアに向かう筈です。そうなったら確実に混雑します。他のチームとぶつかり合って無駄に体力と邪因子を削りたくありません』
なるほど。ピーターも中々リーダーらしい真っ当な意見だ。実際以前の試験では一度に挑める人数が決まっているものもあったし、ネルだけなら強行突破もできるがこれはチーム戦。足並みを揃えないといけない以上混雑は避けたい。
『私も山岳エリア行きには賛成ですわ』
『ガーベラも?』
『ええ。と言っても私の考えとしては、単に体力に余裕がある内に険しい道を行った方が良いというものですが』
『……まあどうせ全部回るんだし良いか。じゃあそれで』
うんうん。一応だがちゃんと話し合って決めてるな。そういうのは重要だ。
『決まりですわね。オ~ッホッホッホっ! では早速行きますわよ! 皆様私に着いていらしてっ!』
『あっ!? ずるいっ!? あたしが先頭なんだからっ!?』
『ちょっと!? リーダーを置いて行かないでくださ~いっ!?』
こうしてネル達は、最初のチェックポイントに向けて移動を開始した。
「さっすがマイハニー! 先頭に立って皆を引っ張っていく姿が実に良い。幹部としての資格十分じゃないかな?」
レイも普段よりかは若干テンション抑えめにガーベラ嬢を称賛している。何故なら、
「ふむふむ。あれがお前達が気にしている逸材達か。……成程。面白そうな者達だ」
うちのトップが興味深そうな顔して堂々と隣で見物してるからだよっ!? いやまずそれよりもだ。
「しかし首領様。何でまたレイと一緒に?」
「ああ。折角これからのリーチャーを担う幹部の卵達の晴れ舞台だ。ぜひ生で見ようと思い立ったのだが、ワタシが直接現地に行っては実力を発揮しづらかろう。ならこちらで見るかと移動中にレイナールと会ってな。訳を話すと快く協力してくれた」
快くっていうか、逆らえる筈もないっていうか。もう自室に映像機器を設置した方が早いんじゃないかって気がしなくもない。
「ちなみに御公務の方は? 今日はどこぞの国を侵略するという話だったのでは?」
「うむ。何分時間がなかったのでな。とりあえずめぼしいデカブツを片端から潰して黙らせてきた。後は他の連中だけでも余裕だろう」
「……そうですか」
確かその国って半分ディストピア化した管理社会で、国民の生命力を税として徴収することで動く
本来なら数か月がかりで制御装置やら何やらを抑え、極力戦闘を抜きにして侵略する筈だったんだがな。この首領様時間短縮の為に、真っ向からロボットをぶっ壊して周ったらしい。
まあ下手に時間をかけ過ぎれば何人命を吸い殺されていたか分からんからな。きっと首領様もそれを憂慮して自分から突撃していったのだろう。うん。……決して試験を生で見たいがためにやったんじゃないと信じたい。
ちなみに普段の護衛士達はさぞ苦い顔をしただろう。というか多分今もしてる。さっきからこの部屋の外や天井から微妙に気配がするしな。お疲れ様としか言えない。
「しかし、他の候補生達は今どのような具合なのだろうな?」
「はいはい。幸い今はネル達は移動中だし、森林エリアに向かった者達の動きでも見てみましょうかね。ちょっとチャンネルを変えるぞレイ」
「オッケ~」
首領様の意向に従い、俺は森林エリアの方に映像を切り替えた。
『行くぞ~!』
『『『おおっ!』』』
ピーターの読み通り、森林エリアへの道を参加者達の約半分程、つまりはおおよそ百人ぐらいの人数が爆走していた。
もしこちらを選んでいたら、ネルだけならまだしもチームでは群に飲み込まれていた可能性が高い。そんな中、
『へへっ! 一番乗りは貰ったぁっ!』
『おっさき~っ!』
何人かが邪因子を一気に活性化させ、怪人化して一気に群の先頭に躍り出た。どうやら足の速い動物系怪人で組んだチームらしい。
これに関しては良いとも悪いとも言えない。まだ序盤なので消耗は避けたい所だが、最初にチェックポイントに辿り着けばその分余裕をもって挑むことが出来る。だが、
『はっは~! 追いついてみ……おわあっ!?』
『何っ!? どわぁっ!?』
先頭を走っていた内の二人が急に姿を消した。いや、よく見ると、道に仕掛けられていた
しかも中にはネバネバのとりもちのオマケ付き。二人は必死にもがくが、簡単にははがせない。
『あ~あ~。マイクテストマイクテスト。こちら管理センターのミツバです。言い忘れていましたが、道中にも皆さんを妨害するための罠が仕掛けてありますのでご注意を』
『『『それを先に言えっ!!』』』
管理センターからの放送に、参加者達は憤りを露にする。当然だがわざとこれは言わなかった奴だ。ただ走れば良いなんて甘い考えはさっさとなくした方が良いからな。……まあ序盤なので動きを止めるだけの罠だったが、これからは進めば進むほど危険な罠になっていく。
『うぎゃあ~っ!? ペイント弾が目にっ!?』
『うっ!? 何かが足に……うわあっ!?』
『誰かひもで逆さ吊りにされたぞぉっ!』
『待ってろっ! 今助け……ぎゃあっ!? こっちにも落とし穴だぁっ!?』
うん。阿鼻叫喚って奴だ。しかも下手に数が多いから、一人引っかかると連鎖的に他の奴も巻き添えを食っている。
「懐かしいなあ。私がやった時も大変だったよ。一度なんか仕掛けられていた火炎放射器で丸焼きにされかけたしね」
「最近は非殺傷型を多めにしているらしいが、昔はもっとえげつなかったらしいからな。一つ間違えば弾丸が飛んできたり電撃で気絶させられたりもあったそうじゃないか」
昔は悪の組織だけあって命がけの内容だったらしいが、最近は少しだけマイルドになっている。それを当時幹部になった者の中には不満に思う者もいるとか。
「ふふっ。良いぞ良いぞ。その調子だ。おっと。そこは足元に気を付けるのだ。……ああ。まったく。困った奴らだな」
しかしなんだかんだこの様子を、首領様は微笑ましいものを見る目で見つめていた。これからリーチャーの未来を背負って立つだろう者達に、やはり何かしら思う所もあるのだろう。
「なるほどなるほど。ではそろそろお前達の本命に戻るとするか」
「もう良いのですか?」
そう尋ねると、首領様は鷹揚に頷く。じゃあ早速アイツらの方に戻すとするか。山岳エリアの方の罠にでも引っかかっているかな?
『そこっ!? ネルさん。足元にありますっ!』
『了解っ! とおりゃあっ!』
画面を切り替えた瞬間、ピーターの指示で思いっきり足に力を入れ、
『こほっ!? ちょっと我がライバル!? 罠を撤去するにしてももうちょっとスマートにやってくださいませ。砂埃までは防げなくてよ』
『砂埃くらい良いじゃん。大きめの石とかはバッチシ止められてるでしょ? それにしてもやるじゃないピーター。ちょっと見ただけで罠の場所が分かるなんて』
『えっへん! 自慢じゃないですけど、ちょこっとだけ眼には自信があるんですよボクっ! これを機に見直してくれても良いんですよネルさ……ピギャっ!?』
『調子に乗らないのっ!』
察する所、まずピーター君が何らかの方法で罠を察知。一番安全なのはガーベラ嬢が罠を解除することだが、いちいち解除していては時間が掛かり過ぎる。
なので罠と思わしき場所ごとネルが持ち前のパワーで吹っ飛ばし、その際飛んでくる破片からガーベラが髪をネットのように伸ばして皆を守るって所か。
一見すると一番目立っているのはネルだが、特筆すべきは罠を的確に察知しているピーター君。そして岩の破片
「ほう! やるではないか!」
むっ!? 首領様が食いついた。
「見るとこのネルという者。実力はあるが些か大雑把で物事を力業で解決するきらいがある。本来ならここでも罠に掛かり、そのまま力ずくで突破していただろう。しかし他の二人がサポートすることで消耗を大きく抑えた。良い! チームというのはこうでなくてはな」
俺の知る限り、首領様程個人の能力が高い人は居ない。ぶっちゃけた話、首領様一人でリーチャーの全戦闘員と喧嘩しても多分勝つだろう。
だがそれはそれとして、首領様は力を合わせることを否定はしないし寧ろ推奨している。じゃなかったら悪の組織なんて作らないしな。
「そうでしょうそうでしょう! そしてきっちりとサポートに徹しているハニーはやっぱり凄い! ……まあそれは当然としてもだ。ネル嬢は分かっていたけどピーター君も中々どうして。良く気づいたものだよ」
そこに関しては俺も予想外だった。ネルとの訓練の時からなんか良い眼を持っているとは思っていたがここまでとは。球の訓練もダメだったのは邪因子の操作だけで、
これは、ワンチャンこの中の誰かが幹部に昇進という目もあるかもしれないな。だが、
『あっ!? 見えてきたよ! あれじゃない? チェックポイント』
まずはチェックポイントごとの課題に向き合わないとな。
さあ。最初の関門だぞ。
割と試験の内容を楽しんでいる首領様の隣で、ピーター君の評価を上方修正するケンでした。
チームとしては意外にちゃんと機能している一行ですが、果たしてどうなることやら。
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ネル 第一関門にてガーベラの言葉を考える
「ようこそ。山岳エリアのチェックポイントへ」
道中仕掛けられていた罠をピーターの機転で取っ払いながら、あたし達は遂に一つ目のチェックポイントに辿り着いた。
棒を立ててテントを張っただけの簡易的な詰め所で、先に着いていた何組かのチームと一緒に係員の説明を受ける。
「このエリアのお題は、ズバリ“崖登り”。その崖の上にある特設台に設置された機械を手持ちのタメールに翳し、再びここに戻ってきてください」
「崖の上って……この崖!?」
ピーターがぐぐっと首を上に向ける。そこに見えるのは明らかに首が疲れそうなほど高い崖。ほとんど直角と言っても良い急勾配で、回り込めそうな道もあるにはあるけどそれでもやっぱり急な坂道だ。
「手段は問いません。崖登りと銘打ってはいますが、横の坂道を進んでもらっても結構です。ただ遠回りになることは先に言っておきます。そして一つだけ注意事項を。機械が反応するのは
「……ですってよ? 我がライバル。一人でさっさと登るのは無しって事ですわね」
「分かってるよ」
ちぇっ! あたしがリーダーだったら速攻で一人で登って片付けてたんだけどな。
という事で説明もそこそこに、早速どう行くか作戦を練る。
「だけど、一つ目の課題は結構楽勝っぽいね!」
「いや。それはネルさんぐらいですからね!? ボクがここを登ろうと思ったらかなりキツイですよ!? まだ序盤だしここは安全を取って横の坂道を」
ガシッ!
「よっし。じゃあ行くよピーター」
「へっ!? いやちょっと待って!? 何でネルさんボクの服を掴んでいるんでしょうか?」
「そんなの簡単だよ。手っ取り早く
あたしが懇切丁寧かつすぐに済むナイスアイデアを披露すると、何故かピーターは青い顔をしてジタバタする。もう。暴れないでよ。持ち上げている手元が狂ったら危ないよ。
「しかし我がライバル。結構ここから高さがありますけど、本当に大丈夫ですの? 最悪崖にぶつかりでもしたらリーダーさんが潰れたトマトみたいにクシャって行きますわよ? あまり危険すぎるやり方であれば止めさせてもらいますけど」
「大丈夫大丈夫! え~っとピーターの重さがこれくらいだから……うん。イメトレもばっちり! 9割方あの崖の少し上辺りに飛ばせたから」
「それ1割はボククシャっていってますよねぇっ!? いやいやいや勘弁してくださぁ~いっ!?」
ピーターが涙目になってる。……うん。なんかゾクゾクしてイケナイ気分になる。だけどまあぶつかっても受け身さえちゃんと出来れば骨の一本折れる程度で済むでしょ! それくらいなら邪因子の活性化を強めればすぐ治るし!
「仕方ありませんわね。安心してくださいませリーダーさん! 本当にいざとなったら私がフォローに入りますわ」
「じゃ! 行っくよぉ~っ!」
「ぎょえ~っ!?」
ピーターの絶叫を聴きながら、あたしは思いっきり振りかぶり……。
「ヒャッハー! 先行かせてもらうぜぇ!」
そこへ、ばさりと音を立てながら黒い影が上に飛び立っていった。見ると、猛禽類的な何かの怪人が大きな翼を広げて凄い勢いで進んでいく。
「あっ!? ズルいっ! 山登りなのに飛んでくなんてありっ!?」
「チームメイトをぶん投げようとしてた奴に言われたかねえなっ! それに手段は問わねえんだろ? バカ正直に登るなんてやってらんねぇや」
ぐぬぬっ~! だけど確かにあの鳥型怪人の言う通り。実際今から普通に登らない手で行こうとしていた訳だし。……でもやっぱりシャクだから撃ち落としてやろうかな。
そうして見る見るうちに鳥型怪人は崖上近くまで舞い上がり、
「ハッハ~! ゴールは頂……んなっ!?」
バランスを崩した鳥型怪人は、何とか体勢を立て直そうとする。だけど風の勢いは想像以上で落っこちないようにするのがやっと。おまけに、
「なっ!? 上から何か……へぶっ!?」
崖上から落ちてきた掌大のボールが頭に直撃。そのままくるくると回転して地上に落下してくる。そして地面に激突する直前、
「おっと。危ないですわよ」
髪の毛を伸ばし、クッションのようにしてガーベラがキャッチした。結構衝撃があるかと思ったのに、まるで綿みたいに柔らかく。どうやらピーターにフォローするって言ったのはこの事だったみたい。でも、
「ちょっと!? 何でそんな奴助けんの? 邪因子の無駄なだけだし、怪人化してるんだから怪我こそしても死にはしないよ?」
「それはそうでしょうけど、放っておくというのもあれでしょう?
「あ、ああ。ありがとう」
髪を器用に使って鳥型怪人を運び、チームメイトらしい奴らに預けに行くガーベラ。だけど、あたしは今ガーベラが言った言葉に引っかかっていた。
「競争相手であって敵じゃない……か」
分からないな。競争相手って要するに敵じゃないの? 今だってチーム戦だからガーベラやピーターと一緒に行動しているだけで、結局は幹部の座を争う相手だと思っているけど。
あたしがちょっとだけ考えていると、すぐにガーベラはこっちに戻ってきた。いけない。今はこっちに集中集中っ!
「お待たせいたしました。……しかし、あの方が先走ってくれたおかげで厄介なことが分かりましたわね。頂上付近に吹き荒れる暴風と、時折上から降ってくるボール。リーダーさんを放り投げていたら間違いなく風で崖に叩きつけられるかボールで迎撃されていましたわ」
「……まあね」
流石にあんなに風が酷くちゃ狙いが定まらないし、ボールが飛んでくるのに受け身を取って着地するのはあたしならまだしもピーターにはキツそう。
「仕方ない。ここは地道に登るしかないね」
「そ、そう。それは、良かった。なので……降ろしてください」
あっ!? 今までずっとピーターをぶん投げようとして振りかぶったままだった。ごめんピーター。すぐ降ろすからね。
ちなみに以下、本文で使われなかった裏話です。
「あっ!? そういえばガーベラさん。さっきネルさんに持ち上げられている間地面を視たんですけど、ここら一帯に邪因子が張り巡らせてありましたよ」
「地面にですか? 罠にしてはまるで発動していないですが……成程! 多分崖から落ちた参加者のための安全装置か何かですわね! 私達はここに最初に来たのでまだ人が少ないですが、本来ならもっと混雑しているはず。確実に崖から落ちる者も出るでしょうから」
「じゃあ、完全にアンタのやったこと無駄じゃん!」
「オ~ッホッホッホ! 結果論ですが、まあそういう事もありますわ!」
という訳で、一応安全装置くらい用意されていたりします。まあ分かっていたとしてもガーベラの場合咄嗟に動いたかもしれませんが。
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雑用係 クソガキ達の崖登りを見守る
さて。幹部昇進試験だが、初日の筆記、体力テストはともかく二日目の内容は毎年変わる。
例えば去年はチーム戦であるというのは同じだったが、一定以下の人数になるまで演習場の中でサバイバルをするというものだった。
だがおおよその傾向で言うと、何人かで協力する必要があるものや初日よりも実戦的かつ総合的な能力を見られるものが多い。
『ふっ……ふっ……はぁ』
『せいっ! こらぁピーター! ペースが落ちてるよっ!』
『いやこれが普通なんですって!? ペース配分を考えないとこの後がキツく……おわぁっ!?』
フワッ!
『大丈夫ですかリーダーさんっ!? 私が髪で支えている内に早く掴まってっ!』
『あ、ありがとうございますガーベラさん』
ネル達は山岳エリアの関門。崖登りに挑戦していた。
あくまで崖上に到達しなくてはならないのはリーダーであるピーターのみ。しかしネルが先に登って安全を確保しつつ、ガーベラが地上から髪を伸ばして時折バランスを崩すピーターを支えるという布陣で少しずつ進んでいた。
この崖は単純な高さもさることながら、全体の地質がやや脆い。なので力を入れすぎると岩は簡単に砕けてしまうし、逆に力を入れなさすぎると身体を支えられない。おまけに途中一息付けそうな出っ張りもほとんどない。
実際今もピーターは四肢だけ部分変身して消耗を抑えつつ進んでいたのだが、うっかり掴んだ岩を砕いてしまいバランスを崩していた。下からガーベラ嬢が支えて事なきを得たが。
「ふぅ。危ない危ない。どうにか無事みたいだねピーター君。だけどナイスフォローだよハニー!」
下手なアクション映画よりハラハラする展開に、レイもほっと一息。いくら地上には転落時に怪我を防ぐ仕掛けがあるとしても、それでも危険なことに違いはない。
「しかしこれは中々難しいな。体力勝負に見せかけて、実際は邪因子の持久力と細かな出力調整を試される課題か」
もちろん飛行能力持ちであの風を強引に突破できるだけのパワーがあるならそれでも良いし、坂道を遠回りする選択肢もある。
だがそこまでの飛行能力持ちはほとんどいないし、坂道は坂道で時間がかかる上罠だらけ。やはりメインルートはこの崖だ。
そして、ネル達はどうにかこうにか突き進み、いよいよ崖上付近。つまりは暴風及びボール射出ゾーンにさしかかる。
『うっ!? 風が強いっ!? 気を抜くと飛ばされそうだっ!? こうなったら……変身っ!』
吹き飛ばされそうな暴風の中、ピーターは全身をトカゲのような怪人体に変え、そのざらついた肌でピッタリ岩肌に張り付く。そう来たか。確かにあれなら四肢だけよりも安定する。だが、
『ふんっ! やぁっ! ピーターっ!? 大丈夫っ!?』
『何とかっ! でも、あんまり長くはキツイかもですっ!』
片腕で全身を上手く支えながら、もう片方で上から降ってくるボールを弾きつつピーターを心配するネル。
実際怪人化は邪因子の消費が大きいので、吹き飛ばされこそしないがこのままでは厳しい。おまけにタメールに流れている分も考えるとますます不利になる。
『こうなったら…………はああっ!』
何かを思い立ったかのように、ネルは片腕に邪因子を集中させ、
『う~りゃりゃりゃりゃぁっ!』
当然その間ボールはネルを襲い、次から次へとぶつかるが防ぐこともなく掘り進める。
『……っ! そういう事ですか! 援護しますわライバル!』
しかしそこで何かに気づいたガーベラが髪を伸ばし、ピーターの支えに一部残してそれ以外をボールを弾くことに使う。そして、
『りゃりゃりゃ……出来たっ! ピーターっ! 掴まってっ!』
『はいっ! ネルさん!』
ネルは
いやそんなのありか? 休憩スペースがないからって自分で作るとか!
『はぁ……はぁ。ちょっと休憩しよ』
『そうですね……ふぅ』
流石に少し疲れたのかネルは壁に寄りかかって休み、ピーターも怪人化を解いて座り込む。タメールに流れる邪因子の消費自体は止まらないが、体力の回復は出来るからな。そのまま少し休んでいると、
『……ネルさん。すみません』
『すみませんって何が?』
『ネルさんだけならこのくらいの課題なんでもないのに、足引っ張っちゃって』
ピーターが神妙な顔をして頭を下げた。確かにさっき、ネルは穴を掘ることに集中してボールを食らいまくっていたからな。ネルはそれを見て、
『な~に辛気臭い顔してんのよ』
『ぴぎゃっ!?』
笑いながら軽く指でピーターの額を弾いた。まあ本人的には本当に軽くなのだろうが、ピーターは思ったより痛かったのか目に涙が浮かんでいる。
『仕方ないとはいえアンタがリーダーなんでしょ? リーダーが倒れたらあたしもアウトなんだから、手を貸すのは当たり前じゃない。それに自分の下僕一人助けられないでどうするのかって話よ』
『……ネルさん』
まだ下僕扱いは変わっていなかったらしい。だが多少歪んではいるものの、チームメイトを助けるという発想がちゃんと出てくるようになっただけ成長か?
ピピっ! ピピっ!
『こちらガーベラですわ。地上から観察した限りですが、どうやら降ってくるボールには規則性らしいものがあるようです。収まるタイミングをこちらでお知らせしますので、それまで少しお待ちくださいませ』
『了解。……そんじゃ、ちょっと待つとしましょうか!』
『ではボクはその間、吹いてくる風の方に何か規則性がないか視てみますね』
さあ。目的地はもうすぐだ。がんばれよお前ら。
「雑用係よ。お前ならこの課題、どう攻略する?」
ネル達の奮闘を見ていると、ふと首領様がそんなことを尋ねてきた。突然だな。
「どうも何も、普通に崖を登りますよ。坂道は時間がかかりすぎますし、罠の解体も大変ですしね」
「ふむ。存外普通の答えだな。つまらぬ」
「詰まる所、普通とは大半にとって一番理に適ったやり方ってことですからね。その人だけしかできない奇策があるなら話は別ですが。……レイだってそうだろ?」
私に振るなよって顔でレイがこっちを見る。俺だけに首領様の相手をさせる気かこの野郎。
「私なら……そうだね。誰か力の強そうな人を探して、自身の存在を薄めつつその人に掴まっていくかな。認識阻害の消耗よりも、崖を登る方が疲れそうだから」
レイのやり方はズルくはあるが悪い手ではない。自分の能力を活かして崖上に到達するという面だけ見れば寧ろ正しい。
「俺にはレイのような特殊能力はありませんからね。真っ当に崖を登るだけですよ。……ちなみに首領様でしたらどのように……いえ。考えるまでもありませんね」
なにせ首領様ならあのくらいの崖ジャンプするだけで飛び乗れそうだ。坂道を走るにしても、落とし穴とかとりもちで止まるとも思えない。
すると首領様は少しだけ考え込んで、
「……そうだな。私なら
今なんて言ったこの人?
「飛び上がって崖上に行くにしても、坂道を進むにしてもだ。それは要するに
首領様はニンマリと笑ってこう締めた。
「たかだか目的地が崖の上にある程度で私を動かそうなどと片腹痛い。
あのぉ。その場合下手すると設置された機械とか係員の詰所がヤバいので、もうちょっと控えてもらえると助かります。
休憩所がなければ作れば良い。という理論で崖の途中で一休みするネルとピーターです。これには首領様もにっこり。
この話までで面白いとか良かったとか思ってくれる読者様。完結していないからと評価を保留されている読者様。
お気に入り、評価、感想は作家のエネルギー源です。ここぞとばかりに投入していただけるともうやる気がモリモリ湧いてきますので何卒、何卒よろしく!
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ネル 第一関門を突破する
「……ホントに良いのねピーター?」
「はい。一思いに……やってください!」
あたしに掴まれたピーターが、カタカタ震えながらも腹を括った表情で頷く。
『それにしても、リーダーさんも思い切ったことを考えますわね。まさか風とボールが
「出来れば僕も普通に登りたいんですけど、この調子で足を引っ張り続けたら皆さんの消耗が激しい。なら、ここはネルさんの腕を信じます!」
流石のあたしも暴風とボールの中でピーターを上手く投げ上げられるかはちょっぴり不安。だけど、地上からボールの動きをガーベラが知らせ、ここからピーターが風の流れの規則性を読むなら多分行ける、
顔だけ外に出し、今いる地点から崖上までの距離をざっくり計算。腕に力を込めて待つことしばらく。
『今ですわっ!』
「今ですっ!」
「せ~の……とりゃああっ!」
あたしはピーターを全力で投げ上げた。
「うわああああっ!?」
悲鳴を上げつつピーターは風の隙間をぬってぐんぐんと上昇。
「あああっ……っととっ!?」
ほんのちょっぴり高さがズレて崖っぷちギリギリに着地し、必死でバランスを取りながらも上手く転がり込んだ。
よし。次はあたしね!
あたしも後に続いて外に飛び出し、再び吹き荒れる風とボールをものともせずにガンガン登っていく。ピーターさえ気にしていなければ、このくらいの崖も風もボールも余裕余裕!
『相変わらずの体力バカですわね』
ガーベラの通信が聞こえてくるけどそれは登ってこない奴の遠吠え。あたしは意にも介さずにそのまま崖上まで辿り着く。そこには地上にあったような詰所があって、係員と一緒にピーターがそこで待っていた。
それっぽい機械を係員が手渡そうとしているけど、ピーターは何故か断っている。
「何よ。まだ翳してなかったの?」
「あっ!? ネルさん! だってこういうのはネルさんを待ってやった方が良いじゃないですか!」
へぇ~。そうなの。あたしが来るのを待っててくれたんだ。……ふ~ん。中々殊勝じゃない。
「もう良いですか? ではチームリーダーの方はこちらをタメールに」
係員から手渡された機械を、ピーターはゆっくりとタメールに翳す。すると画面に“認証完了”の文字が浮き出てきた。
「はい。これにて完了です。扉のヒントは下の係員から貰ってください。お帰りはあちらです」
そう言って係員が指さしたのは、どうやら下の坂道へ続く道のようだった。そりゃああるわよね。だけど、
「分かりました。じゃあネルさん。邪因子の消耗を抑えつつ急いで……ってアレっ!? 何でまたボクは掴まれているんでしょうか?」
「何でって消耗を抑えるんでしょ? ならそこの坂道を行くなんてまどろっこしい事せずに、もっと
『アナタ人をマットか何かと思っていませんことっ!? ……まあ良いですわ。いつでもどうぞ』
「オッケ~! そんじゃ行くよピーターっ!」
あたしは硬直するピーターを抱きかかえると、そのまま崖から身を躍らせる。落ちながらちらりとボールを射出するっぽい機械を見たけど、自分から落ちていく者には反応しないようだった。
「うぎゃああああっ!?」
「ピーターうっさい!」
汚い悲鳴を上げるピーターと共にあたしは自由落下していく。途中崖を登る他のチームの奴がこっちを見て驚いた顔をしていたけど、それすらもすぐ過ぎ去っていく。
どんどん近づく地上。このまま地面に叩きつけられればあたしでもそれなりにダメージを受けるし、ピーターはぺちゃんこになる。一応地面には落下の際の仕込みがしてあるらしいけど未確認。……でも大丈夫。
ぽふんっ!
「オ~ッホッホッホっ! 我ながらナイスキャッチですわ~!」
「た、助かった」
ガーベラが自慢の髪で優しくあたし達を受け止め、ドヤ顔しながらいつものように高笑いを上げる。
普段なら黙らせる所だけど、今のあたしはそれなりに機嫌が良いから許してあげる。
「それで? 首尾の方はいかがかしら? お二人とも」
「ふふん! あたしが失敗なんかするわけないじゃない。余裕だよ!」
ピーターは疲れたのか、明らかにこわばりながらもグッと親指を立てて見せる。だらしないなぁ。……まあちょっとは頑張ったんじゃない? それでこそ下僕二号だね!
「じゃあ、係員に貰うとしましょうか! 正解の扉のヒントって奴をねっ!」
◇◆◇◆◇◆
管理センターにて。
参加者達を送り出した後も、マーサを始めとした職員達は忙しい。島のあちこちから送られる映像や、タメールに付いている装着者の体調管理機能の確認。脱落者の対応など試験全体の進行を滞りなく進めるべく働いている。そんな中、
「ふぅ~。早速山岳エリアのチェックポイントにクリアチームが出たって?」
「はいは~い。こちらですよ」
マーサは手伝いに来ていたミツバからパソコンのデータを見せられる。
「速いね。予想していたタイムより20分は早い。おまけに一番最初に挑む人数が少ないと踏んでいた山岳エリアで。一体誰が…………成程ね」
画面に並ぶ名前に、マーサはどこかあのチームならあり得るという気がした。
チームの
純粋なチームの質だけで言えば、全体で見ても上位に食い込むレベルだろう。だが、
「草原エリアでもクリアチーム出ました! 例のチームですね」
「おっと。一歩遅かったね。だが……ふぅ~。
今回のチーム戦。最低人数が3人なだけで、実は
実際チーム戦だと知っている参加者は、平均して4、5名でチームを組むことが多い。とは言うものの、互いの利害関係や性格などからそれ以上の人数になることは少ない。それに数が多いほど移動も困難になる。
だがそんな中、1人のある幹部候補生を中心とする
これは今回の試験参加者237名中の実に8分の1。我の強い幹部候補生達をまとめ上げたその手腕に、試験の運営側も一目置いていた。
「この調子だと……次に向かうのは森林エリアですかねぇ。そして」
「あの子達の向かうのも距離的に多分森林エリア。場合によっては……かち合うかもね」
この試験。無理に参加者同士で戦う必要はないが、幹部になるのに邪魔になりそうな参加者を潰すというぐらいなら日常茶飯事だ。
「さ~て。どうするねクソガキちゃん達。戦うか、避けて通るか、共闘か。判断力が試される所さね。……ふぅ~」
無事一つ目のチェックポイントクリアでした。ちなみに落下する際ピーターはお姫様抱っこされていたりします。腕力的に仕方ないね。
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雑用係 持ってるクソガキに感心する
さて。山岳エリアの課題を突破したネル達だったが、次に向かうは一番近い森林エリアのチェックポイント。……なのだが、
『あのぉ……ネルさん?』
『……何よ』
『もしかしてですけど……
『迷ってないっ! ただちょっと道から逸れた所をあてどなくぶらついていただけだもんっ!』
『いやそれ……迷ってるってことですわよね』
絶賛森の中で迷子になっていた。
「まったく……何やってんだアイツら」
「う~ん。迷子になる人のお手本みたいな迷い方したね。特にネル嬢が」
折角地図があるのにあのクソガキときたら、
『コースに沿って行ったらずいぶん遠回りだよね。それに途中また罠もありそう。なら地図上では近いんだから、このまま森を突っ切って真っすぐ行けば早いんじゃない?』
『あっ!? ちょっとネルさんっ!?』
という理論で森に突撃。厄介なことにガーベラも、
『コース外にまで罠を仕掛けるのは労力が掛かるでしょうから少ないのは確かですわね。成功すれば大幅なショートカット。最悪失敗しても先ほど予想より早くクリア出来た分で帳消し。……勝負に出るのも悪くないかもしれませんわね』
『ガーベラさんまでっ!?』
とネルに追随。こうなってはピーター君もついていくしかない。というかリーダーなのに我の強い二人に引っ張られている調子だ。
そうして森を彷徨う事既に一時間近く。
これにはレイも苦笑い。あと首領様は周囲にバレないよう声を抑えてニヤニヤ笑っていた。
先頭のネルが落ちていた木の枝で道を切り開き、ピーターがすぐ後ろから念のため罠等を確認。ガーベラが最後尾で周囲の警戒。そうやって進んでいたのだが、
『大体この地図が分かりづらいのよっ!? もっと解像度の高い画像に出来なかったのっ!?』
『その辺りは敢えてぼかしているんでしょうね。 それを探すことも試験の内……とかありそうじゃないですか?』
『……ってことは、なんだっ! やっぱり迷ったのはあたしのせいじゃないじゃんっ!』
『いやそこはネルさんのせいじゃないですか? ……あと迷ったって認めちゃうんですね』
森を長く彷徨って、少しだがピーターの言葉に棘がある。ネルも言い返そうとするが、自覚があるのかぶすっとした顔で何も言わない。
ややチームの雰囲気が悪くなり始めていたのだが、
『コホン。お二人共。ケンカするのは結構ですが、歩きながらで良いので今は先ほど貰った
『そう……ですね。良いかもしれません』
さりげなくガーベラが話題を逸らして雰囲気を変える。上手いぞ。ガーベラが雰囲気を変えようとしたのが分かったのか、ピーターもすぐに矛を収める。
『ああ。さっきの奴ね。確か“森林 課題 自身の兵の数”だったっけ?』
『はい。渡されたデータにはそうありました。どうですの我がライバル? この情報から何か読み取れることは?』
『へっ!? そ、そうねぇ』
ネルが枝を振るいながら、もう片方の手を顎に当てて考える。……本当に考えているよな? 考えている振りじゃないよな?
『変だなって思ったのは、なんで山岳エリアのヒントに森林エリアの言葉が出てきたのかって事かな?』
『そうですわね。リーダーさんはどうですの?』
『ボクですかっ!? ……兵の数って所が気になりますね。例えば森林エリアの課題は一般職員の何人かに協力してもらう形式……とか?』
『確かに。それもありえますわね。つまりこれは正解の扉のヒントであると同時に、
一つずつヒントを解読していくガーベラ嬢。性格と言動が破天荒なだけで、実際はかなり冷静かつ論理的な性格してんだよな。
『次に兵の数という言葉。これは実際何人なのかは分かりませんが、数字で扉に関係するものと言ったら……多分番号のことでしょうね』
『あっ!? そういえば管理センターにあった扉に、5って番号が振ってあった!』
『もちろん番号だけで特定できるというものでもないでしょうから、他にも何かしらの特徴がヒントとして出るのでしょう。だから三つのチェックポイントを全て回る必要がある訳ですわね』
「すんばらしいっ! 流石マイハニーっ! もう略して流ハニ! こんな状況でも要点をしっかりまとめている知性溢れる姿に私はもうメロメロだよ!」
「わっ!? 急に奇声を上げるなよ。周りがこっちを見てるだろうがっ!?」
急に叫びだすレイに周囲は何事かと見てくる。これでも上級幹部だからな。一挙手一投足が注目の的だ。なので周囲から見えないように軽く肘で小突いて抑える。そんな時、
「……ふむ。雑用係よ。何か動きがあるようだぞ」
頬杖をついて微笑みながら画面を見ていた首領様が、急に何かに気づいたように声を上げる。おっ!? 遂にネル達が森を抜けたとかかな?
画面に映っていたのは、
『ネルさん。これって……』
『うん。真っ黒いね』
『影になっているとかそういう事でもなく、普通に黒いですわね』
ネル達の前にしっかりと立つ、
黒い扉。事前に説明がされたがチャレンジ要素だ。試験の本筋とは関係がないが、入って中の強敵と戦うことで追加評価のチャンスとなる。これは毎回多少の違いはあれど、試験の度に似たような物が出る。
だが勿論リスクもある。中に居るのはシミュレーションで言うと少なく見積もってもエキスパート級。
この時点で戦闘向きでない幹部候補生には厳しい上、今は試験の真っ最中。勝とうが負けようが大きく邪因子を消費するのは間違いなく、チャレンジした結果試験を脱落する羽目になった候補生も多い。
おまけに毎回これは試験中どこにあるか
「まさかショートカットしようとして道に迷った結果これにぶち当たるとは」
「これは……ある意味で持っているって奴かな?」
レイが呆気にとられたようにそう呟く。まあ普通道には迷わないし、それで偶然見つけたんなら確かに持っていると言えなくもない。そういう運も大事と言えば大事だ。
『へ、へへ~ん! どうよ! 迷っただのなんだの散々言ってたけど、実はあたしはこれを探していたんだよ~だっ!』
『嘘おっしゃい。適当に歩き回っていた時、偶然リーダーさんが察知しただけじゃありませんの。この場合称賛されるべきはピーターさんですわ』
『えへへ! 褒められるとなんだか照れますね! 明らかに森にあるには似つかわしくない強烈な力の流れが視えたから、何だろうなぁって伝えただけなんですけど。……でも、どうしましょうコレ?』
『どうしましょうって……当然入るでしょ?』
何言ってるのという感じのネルを、ピーターは必死に引き留める。
『ただでさえ道に迷って体力と時間をかなり食ってしまったんですよ? 次の課題がどんなものかも分からないですし、今はチェックポイントを優先した方が良いですってっ!』
『時間を消費したからこそここで評価を稼いでおくんじゃないっ! 折角見つけたチャンスなのよ? ここは勝負でしょ?』
これはどちらにも理がある。試験をクリアするだけならピーターの方が正しいし、リスク承知で上を目指そうというネルの考えも間違ってはいない。
悩ましい所だが、こういう時の判断もまた評価対象だ。じっくり話し合って決めてもらおう。そう思って見守っていると、
『またケンカ……っ!? 皆様っ! 警戒をっ!?』
突然のガーベラ嬢の緊迫した声に、ネルはスッと意識を切り替えてピーターを背にして構える。
ワンテンポ遅れてピーターも周囲を探り、ひぇっ!? と小さく叫んで顔を青くした。
『嘘でしょっ!? いつの間にか囲まれてるっ!? ……5人……10人……いやもっとっ!? 少なくとも20人は居ますっ!?』
『油断しましたわね。知らず知らずの内に私も、思わぬ展開に胸躍って警戒を怠っていたようですわ』
ガーベラ嬢が口元に扇子を当てつつ、シュルリと髪の一部を伸ばして臨戦態勢を取る。
気づかれた以上隠れても無駄だと判断したのか、あちらこちらの木の陰から誰かが姿を現していく。その数ピーターが睨んだように少なくとも20人以上。だが、
『クスクス……こ~んなか弱い女の子とその下僕。あと悪役令嬢相手に大勢で寄って集ってなんて、大人げないんだぁ。……けどね』
ドクンっ!
ネルがメスガキムーブから一転。一歩前に出て全身から邪因子を漲らせるのを見て、取り囲む何者か達は僅かに後ずさりする。
『
まさに一触即発。このまま大乱闘開始かと思われたその時、
『待ってほしいっ!』
その言葉と共に、謎の集団の中から一人の青年が歩み出る。それこそが、
『こちらに戦うつもりはない。まずは話し合いをさせてもらえないだろうか?』
アンドリュー・ミスラック。
以前首領様と対談した時、ガーベラ嬢と同じく昇進できるかもしれないと語った幹部候補生である。
という訳で新キャラです。次回ちょっとした交渉編。ネルの明らかな苦手分野ですが果たしてどうなるか。
この話までで面白いとか良かったとか思ってくれる読者様。評価を保留されている読者様。
お気に入り、評価、感想は作家のエネルギー源です。ここぞとばかりに投入していただけるともうやる気がモリモリ湧いてきますので何卒、何卒よろしく!
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ネル 何か覚えのある課題に戸惑う
森の中に隠されていた黒い扉を、あたしのファインプレーで見つける事が出来て喜んでいたのも束の間。そこにピーターが言うには少なくとも20人以上の変な集団が現れた。
だけどそこらの候補生が束になったってあたしの敵じゃない。ちょびっとピーターを庇いながらだとめんどくさいけど、まあそこはガーベラに任せれば何とかなるでしょ!
……ああ。さっきガーベラは、参加者は競争相手であって敵じゃないとか言ってたけど。
あたしはとりあえず手近な奴から仕留めていくかと、飛び出すべく足に邪因子を溜め、
『待ってほしいっ! こちらに戦うつもりはない。まずは話し合いをさせてもらえないだろうか?』
集団の中から一人の男がゆっくりと歩いてくるのを見て、一旦だけど動きを止める。
そいつは一見眼鏡をかけた優男。物腰は穏やかそうで、見た目は二十を少し過ぎたくらい。といっても邪因子は老化を抑える力もあるから本当の年齢は知らないけど。
そんな中、ガーベラが油断なく髪を伸ばしながら男に合わせて一歩踏み出した。
「これは驚きましたわね。こんな序盤に攻めかかるような方とは存じませんでしたわよ。アンドリューさん?」
「それは誤解だ。僕はこれでも臆病なのでね。話し合いをしようと機を窺っていたら、メンバーが君に気づかれてなし崩し的にこうなってしまっただけの事。不幸な事故だよ」
「どうだか? ここで私達を落とせればそれはそれで良し。とでも思っていませんでしたか?」
「さあ? どうだろうね」
男とガーベラは互いに黒い笑みを浮かべながら対峙する。二人共目は一切笑っていない。
「ガーベラ。コイツアンタの知り合い?」
「ええ。アンドリュー・ミスラック。幹部候補生の中では割と有名でしてよ。なにせ昨日の邪因子量測定テスト。あれでネル。アナタに次いで
「へぇ~。やるじゃん。道理で」
あたしは邪因子を察知する力は高くないけど、それでもはっきりと分かる。コイツ
「大差をつけられた1位に褒められるというのも妙な話だがね」
アンドリューは苦笑しながらこちらに向き直り、軽く手を上げる。すると同時に話しやすいよう気を遣ったのか、集団がそれぞれ数歩下がった。
「改めて言うが話し合いをしたい。どうか邪因子を抑えてはもらえないだろうか? 戦うにしてもなんにしても、それからでも遅くはないのではないか?」
「……だってよ? どうするのピーター?」
「ふぇ!? な、何でボク!?」
突然の事に固まっていたピーターが、急に名前を呼ばれてビクッとこちらを見る。何ビビってんのよ。
「何でって一応リーダーはアンタでしょ? あたしが全部決めても良いけど、その場合面倒だからとりあえず皆ボッコボコにして終わらせるよ」
「普通にあり得そうなのが何とも言えませんわね。まあそれはそれとして、我がライバルに交渉事が出来るとも思えません。私がやっても良いですが……ここはリーダーさんの交渉力に期待いたしますわ!」
「え、トップが実質幹部候補生ナンバー2の集団と交渉しろって……え~っ!?」
ピーターが涙目になりながらも交渉を引き受けたのは、それから一分後のことだった。
「じゃあ、あくまでもアンドリューさんとしては、
だけど一度話し合いが始まると、ピーターは意外にも腹を括って堂々と喋り始めた。……ちょっぴり足が震えてるけど、それくらいならまあ良いんじゃないかな?
「その通りだ。こちらは既に草原エリアのチェックポイントをクリアしている。そちらは……」
「フンだ! こっちは山岳エリアの課題を済ませちゃったもんね! タイムじゃ負けてないんだから!」
軽く自慢すると、ピーターが慌てて指を口に当てる。ちょっと何よ?
「つまりもう山岳エリアの課題も
「えっへん! こっちの手に入れたヒントはねぇ」
「あ~っ!? ネルさんっ!? それ以上は本気でダメな奴ですよっ!?」
あたしが話そうとすると、ピーターが慌てて口を塞いでくる。見たらガーベラもあちゃ~って顔して額に手を当てている。どうしたんだろう?
「我がライバル。そういうことは互いに少しずつ開示していくのが交渉というものですわ」
「……知ってたよ。これくらいは良いかなぁとちょっと余裕を見せただけだもん!」
あたしは軽く口笛を吹いて誤魔化す。危ない危ない。あたしの口を滑らそうだなんて、なかなかやるじゃないアンドリュー。
「なるほど。ではこうしよう。こちらが先に情報を開示する。その後でなら教えてもらえるか?」
「先に? ……書面か何かにして同時に出すのではなく?」
「先にだ。勿論そちらが情報だけ持って逃げるという事はあり得るが……ネル・プロティともあろう方がそんな程度の低い手を使う筈もない。まあ用心の為に互いにヒントそのものは出さないとするが」
ふふん! 分かってんじゃない!
「では草原エリアでの課題だが、簡単に言うと
……あれっ!?
「ちょっと待って? それってさ。もしかして幾つも色があって、色によって邪因子に反応したりしなかったりする奴?」
「その通りだ。なんだもう既に情報を握っていたのか」
「いや。知っていたっていうか」
な~んかそれ覚えがあるんだよねぇ。ついこの前オジサンが訓練とか言って出してくれた奴。ピーターもおやって顔してるし。
「形式はリーダーに加え、欠員が居ない限り最低2名以上の参加。定められた範囲から出ずに一定時間耐え凌ぐタイプだ。時間経過で球の種類が増えていき、
「……ネルさん。これって」
小声で話すピーターの言いたいことは何となく分かる。オジサンが試験に一枚嚙んでいるんじゃないかってことだよね。だけど、
「うん。多分偶然かな?」
しばらく一緒に住んでいたからなんとなく分かるけど、あのオジサン悪の組織の職員なのに不正が苦手だ。
そのオジサンが、試験前に課題そのままみたいな訓練をやるだろうか? 答えはNOだ。他の参加者に対してズルになるとか言いそう。だから今回はたまたま被っただけだと思う。
まあ予習したみたいになっちゃったけど、偶然なら仕方ないよね!
こうしてアンドリューが話し終えた後、こっちもピーターが山岳エリアであった事を話した。崖登りをした事。上の方で暴風と落ちてくる球の罠があった事とかだ。
「やはりリーダーが動くことは必須か。となるとこの試験の本質は……」
話を聞いてアンドリューは口元に手を当てて考え始めた。気になることでもあったんだろうか?
「……んっ!? すみません。ちょっと良いですかガーベラさん?」
「なんですの? 何かありまして?」
そして今度は、ピーターがガーベラにちょっと耳打ちする。
「……そうでしたか。確かにあり得ますわね。分かりました。気を配っておきますわ」
「お願いします」
「ちょっと!? 二人でこそこそ内緒話なんかしちゃってさ。なんの話?」
「オ~ッホッホッホっ! 何でもないですわ! それはそうと向こうはまだ話があるみたいでしてよ」
その言葉通り、アンドリューも考え事が終わったのか、再びこちらに視線を向ける。
「情報感謝する。このことを念頭において次は動くとしよう。……さて。もう一つ。肝心な事をまだ話していなかった」
「肝心な事? やっぱりヒントが欲しくなったとか?」
そう尋ねると、アンドリューはいやいやと首を横に振る。そして、次に続けたのは、
「そこにある黒い扉。
あたしの見つけた扉を横取りさせてほしいという申し出だった。何よそれ!?
という訳で、交渉はここからが本番です。
ちなみに課題が被ったのはネルの予想通り偶然です。現在ケンがこの状況を見て頭を抱えています。
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閑話 とある新米幹部候補生の交渉
◇◆◇◆◇◆
やあ皆様! ボクピーター! ただいま絶賛大乱闘寸前です!
事の始まりは森の中で黒い扉を見つけ、そこでアンドリューさん率いる大勢の候補生に囲まれた事。
互いに情報交換しようという事からそれなりに和やかに始まった話し合い。ネルさんが危うく口を滑らせそうになったけど、実際途中までは上手く行っていました。ただ、
「そこにある黒い扉。
アンドリューさんのその言葉を皮切りに、事態は大きく動きます。いやそんなに動かないでほしいんだけどなぁっ!?
「……それはつまりこう言いたい訳? あたしが先に見つけた扉を横取りしようっての?」
その言葉と共に、ネルさんからグンと周囲に放たれる圧が増す。正確にはボクが見つけたんだけど。
「横取りではない。先に挑戦させてほしいとそう言っているだけだ」
「同じことでしょっ!?」
「無論タダとは言わない。譲ってくれるというのなら、森林エリアのチェックポイントの場所を教えよう。案内人を付けても良い。道に迷っている君達には良い話ではないか?」
こっちが迷子だって普通に読まれてるよ。まあ最初から扉狙いならさっさと入っている筈だし、こんな所をうろうろしているから迷子って当たりを付けただけかもしれないけど。
「べ、別に迷子なんかじゃないし!」
ネルさん。その焦り方じゃ自白してるみたいなもんですって。
「そもそも君達は、この扉がどういうモノか詳しく知らない筈だ」
「あら? その言い方からするに、ただのチャレンジ要素という訳ではないようですわね」
「その通り。この試験は全てのチェックポイントを周って正解の扉を見つけるのが
「この黒い扉……そういう訳ですのね?」
ガーベラさんの問いかけに、アンドリューさんは静かに頷く。
「僕は事前にこれまで行われた幹部昇進試験の記録を調べた。その結果、普通にクリアしているのにも関わらず誰も昇進していない試験が何度かあった。
「普通にクリアしただけでは合格まで届かない可能性があるということですか」
え~っ!? それはマズいよ!? だってボクこれまでネルさんとガーベラさんにおんぶにだっこだよ!? そういう形式なら普通に行ったってボクはどうにもならないよっ!?
「勿論前日のテスト結果も考慮はされるだろう。しかしどの辺りが合格ラインか分からない以上、評価を上げておくに越したことはない。そしてその黒い扉は純粋に戦闘力を試す類の物。邪因子に余裕があり、次の課題の内容も分かった以上今が攻め時だと判断した」
そこでアンドリューさんが再び手を上に揚げる。すると、囲んでいた人達がネルさんに対抗するように邪因子を高めて一歩踏み出す。
この人達の一糸乱れぬ動き。これだけの人数をここまでまとめ上げるなんて。
「流石はアンドリューさんと言った所ですわね。ここまで仕上げるのにさぞかかったでしょう?」
「三か月といった所だ。少しずつ僕に賛同してくれる者を集め、普段の候補生としてとは別に連携の訓練も積み重ねた。……断言しよう。今のこの戦力なら、
感心するように言ったガーベラさんに、そう力強く断言するアンドリューさん。そこからは確かに人を率いるに値するカリスマのようなものが感じられた。だけど、
「へぇ。……やるの?」
そのカリスマと集団の士気を、一歩前に出たたった一人の“小さな暴君”が相殺する。
これまで散々一緒に訓練に付き合わされ、いつの間にか半ば身内認定されているボクが断言する。
アンドリューさん、ガーベラさんも含めて、幹部候補生の中で間違いなく個人での強さなら
「幹部に引けを取らない? クスクス。おっかしいのっ! これから幹部になろうってのにそんなの当たり前でしょ? そこは
「……フフフ。オ~ッホッホッホっ! よく言いましたわ! 幹部になろうという者が、この程度の人数相手に尻込みしている訳にはまいりませんものね!」
負けじとネルさんに並ぶようにガーベラさんも前に出る。そして、
「……リーダーさんの仰った通りですわ。
「えっ!? そこもボクにぶん投げるのっ!? ……仕方ない」
小声でガーベラさんの報告を受け、予想より多かったのでこれはもう腹を括る。
このまま大乱闘になったら、
それを避けるには……やっぱりこの手しかない。ネルさんがめちゃくちゃ怒りそうだけど、なんとかガーベラさんにとりなしてもらおう。
「あの~。ちょっと良いですかアンドリューさん?」
「何かな?」
アンドリューさんが注意をネルさんに向けながら返す。そりゃボクよりネルさんの方が明らかにヤバいから当然だよね。だから、
「その提案。受けようと思います。案内人を付けてくれるんでしたよね? よろしくお願いします」
そう言った時のアンドリューさん、そしてネルさんの困惑した顔は、結構衝撃的なものだった。
「ちょっと!? どういうことなのよピーター!?」
「ちょっ!? 落ち着いてっ!? 訳は後で話しますからああぁっ!?」
予想通りネルさんに肩を掴まれ、そのままぐわんぐわん揺さぶられてボクはもうすっかりグロッキー。タメールにちゃんと邪因子を流し続けられたのは奇跡だと思う。
その後はとんとん拍子に話は進んだ。
そもそもアンドリューさんもこちらと戦いたい訳じゃない。こっちが提案を受けると喜んで候補生の一人を案内人に付けてくれた。自分たちが通ってきた道らしく、罠らしき物も粗方解除されている。
と言ってもどうやら距離だけで言えば近かったらしくて、森を数分ほど行くとすぐに切れ目らしき場所に出た。後はここから道なりに行けばすぐに辿り着くらしい。
「ここまで案内ありがとうございます。アンドリューさんによろしく!」
地図を確認したけど、確かにチェックポイントの近く。わざと迷わされる可能性もあったけど杞憂に終わり、そのまま案内人とはそこで別れる。
「……あ~もうっ! やっぱりボク交渉事は向いてないですよっ!? 心臓なんかバクバクで、いつ倒れるんじゃないかと怖かったですもん! もうヤダ! 次はガーベラさんお願いします!」
「中々の交渉っぷりでしてよリーダーさん。次回もよろしくお願いしますわ」
ボクは大きく息を吐いてその場に座り込んだ。ネルさんには悪いけどちょこっとだけ休ませて。
「……ねぇ。いい加減教えてよ。なんであそこで扉を譲ったの? あんなのギッタギタにしちゃえばライバルも減って扉もゲット出来て良い事尽くめだったじゃん?」
そこで、それまで機嫌悪くぶすっとした顔で黙っていたネルさんが口を開く。一応リーダーに任せるという態度を取った以上、今まで我慢してくれていたらしい。
「リーダーさん。そろそろ腹芸の出来ない我がライバルにも説明して差し上げては?」
何よと軽く反応するネルさん。ガーベラさん。あまりからかわないでください。こっちに飛び火するから。
「一言で言うと、あそこで戦っていたら勝敗はどうあれ扉は取られてました。だってあれ、
「えっ!? そうだったの?」
「ボクも最初の一人を見つけたのは偶然だったんですけどね。ちょっと離れた所に居るからおかしいなと思って、念のためガーベラさんに髪の一部を伸ばして調べてもらったんです。あの扉をどさくさで狙うんじゃないかって」
「そうしたら同じような方が5、6人もいらっしゃるじゃありませんの。これはマズいとリーダーさんに報告したという訳ですわ」
おそらくアンドリューさんは、戦いになった場合の保険としてチームを分けておいたんだろう。そうすればアンドリューさん達がボク達を引き付けている間に、残りのメンバーが扉を奪取できる。
「一人二人ならガーベラさんが抑える事もできたでしょうけど、それだけ居るとなると全体をサポートしながらではちょっと厳しい。つまり最初からどっちに転んでも向こうが有利だったんです」
ネルさんに知らせてこっそり伏兵を狙うという手もあったけど、アンドリューさんに気づかれた時点で乱戦。おまけにネルさんは腹芸が壊滅的に下手だ。これじゃ隠し切れない。
後はどれだけこっちが得をするように動けるかどうか。なら最初から提案に応じるのが一番得をする。こちらは道が分かって、向こうは消耗無しで扉に挑める。
「ぶぅ~。理由は分かったけどさぁ。それって結局向こうの掌で転がされただけじゃん」
「まあそうですね。……だけど、こっちも道が分かる以外に良い事がありますよ!」
ボクは座り込みながら、ゆっくりと空を指さす。そこには中天近く上る太陽の姿があった。
この試験は午前9時に始まったのに、これまで山岳エリアから来て森を彷徨いもう正午近い。
「扉の場所はもう移動されない限りは分かってる。だから
まあそういう口実で、ボクがすっごく休みたいだけなんですけどね。そう締めくくると、
ぐぅ~~。
「……し、仕方ないなぁ。こうしてお腹が鳴ってる
「フフッ! そうですわね! 盛大にお腹の虫が鳴いている誰かが居る事ですし、まだ試験も半ば。少し休憩としましょうか!」
明らかに顔を真っ赤にしてそんなことを言うネルさんと、それを見てニヤニヤ笑うガーベラさん。
そんな二人を見て、少しほっこりするボクなのだった。
という訳で、交渉自体は負けたけどどうにかちゃんとした終わりに持って行ったピーターでした。
ちなみにもし戦闘になった場合、アンドリュー達はほどほどの所で煙幕やら何やらで目くらましをしながらとんずらし、扉がなくなったことに気が付いてネルが怒り狂うという結末になった可能性が高いです。
ただその場合アンドリュー達も消耗が激しく、扉を攻略する余力があるか微妙という流れになって双方が泣きを見るという結末もあり得ました。
この話までで面白いとか良かったとか思ってくれる読者様。評価を保留されている読者様。
お気に入り、評価、感想は作家のエネルギー源です。ここぞとばかりに投入していただけるともうやる気がモリモリ湧いてきますので何卒、何卒よろしく!
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雑用係 首領様にパシらされる
さて。突然だが、この試験は道具の持ち込みが許可されている。
例えば武器。これは幹部級になると邪因子の関係上、生半可な重火器より自分の身体の方が速くて強いという場合があるので使う者は極端に減るが、候補生の内は牽制や威嚇の為に持つ者もそれなりに居る。
例えばロープやフック等の道具。これは試験で何をするか知らされていない以上、様々な状況に対応するべく持ち歩く者は多い。武器として転用する者も居る。
そして……食料。これに関しては試験の時間的に考えて、ほぼ全員が事前に用意している。ただしこういう場合いかに嵩張らないか、いかに栄養を重視するかに重点を置くため、どうしてもカロリーバーやゼリーと言った物が大半だ。……なので、
パクッ! パクッ!
『ムフ~! この炊き込みご飯美味し~! こっちのコーンのかき揚げも甘くて良い! それになにより……オジサンの卵焼きは最高っ!』
『ほう……お野菜たっぷりでヘルシー。それでいてボリューミーさを残し、食べたという実感を持たせる逸品。意外とダイエットに向いているかもしれませんわね。……ですがうちのメイドたちの用意したこのスペシャルサンドイッチも負けてはおりませんわ!」
画面の中で
まあ俺のせいでもあるんだけどな。
どうにか森を抜け、次のチェックポイントを目前としたネル達。それが課題に挑む前に食事休憩を取るというのは別に間違っていない。
ただ試験中なのに思いっきりピクニック風になってしまった事が問題なだけだ。
『いやおかしいでしょっ!? なんでアンタら普通に森の木陰でランチタイムやってんのっ!? 一人だけカロリーバーを持ってきたボクおかしくないよねっ!?』
一応常識人のピーターが突っ込みを入れる。場所が場所だけに尚更旅行感が強い。
いや、聞こえてはいないが俺からも弁解させてほしい。これに関しては俺も最初はネルに栄養補助食品系を勧めようとした。
だがネルに「ヤダヤダ! 最近はもう錠剤だけじゃ全然満足できないんだもん! オジサンのご飯がなきゃヤダ!」と駄々をこねられ、その後で手作りのデザートも要求されたのだ。
ホントに以前の「栄養? 錠剤で良いじゃん」と言っていた頃とはえらい違いだ。……あの頃よりかは些かマシな顔つきになったので良しとするが。
『まあまあ落ち着きなさいませリーダーさん。貴族たる者、試験の最中であろうと優雅にあらねばなりません。それは食事時であろうともですわ。よって栄養補助食品などではなく、ちゃんとした昼食を摂ることは必須ですのよ。……リーダーさんも紅茶はいかが? まだ余分がありますわよ?』
『そうだよピーター。もぐもぐ。それだけじゃお腹が減るよ。ガーベラにちょびっと分けてもらいなよ! ……あたしのはあげないけど』
『……はぁ。ここまで予想より邪因子の消費が激しいし、カロリーバーだけじゃ厳しいか。じゃあ……お言葉に甘えて』
もうこれは素直に混ざった方が良いと、ピーターもカロリーバーを齧りながら湯気の立つ紅茶を貰う。
しかし決して警戒していない訳ではなく、時折ピーターが周囲を窺ったりガーベラが数本の髪を周囲に張っていたりする。ネルだけは何が来ても対応できるという自信からか自然体だったが。
そして、それを画面で見ていた俺はというと、
「遅いぞ雑用係」
「そうだよぉケン君。この上級幹部を待たせるなんてよろしくないんじゃない……むぐっ!?」
「ほらっ! 頼まれてたオレンジジュース。それにお前は元々ガーベラ嬢とお揃いのサンドイッチがあるだろうがっ!? ……お待たせしました首領様。こちらご所望の品。とりあえず焼きそばパンとメロンパンとホットドックと……まあ一通り買ってきました」
「……ほぉ。つまりは知らぬ事とはいえ、あの者達に事前に課題と同じ訓練をしてしまったと?」
「仰る通りです」
俺は首領様の前で静かに正座してそう答えた。
確かに昔、雑用係の仕事で一部の職員の訓練に付き合ったことがある。そこでも今回と同じ訓練をやったので、それを参考にしたという事だろう。まさかこんなピンポイントで被るとは思っていなかったが。
しかし偶然とはいえ、事前に試験の内容そのままを教えるのは不正行為。候補生が自分で突き止めるならそれは悪の組織として正しいので問題ないが、普通に教えてしまってはマズイ。
よって先んじて頭を下げて、あくまでこちらの失態でネル達の責任ではないという風に持って行こうとしたのだが、
「……フフッ。まったくこの堅物め。何を慌てることがある。偶然課題と同じ物を訓練した。
「……感謝します」
首領様はニヤニヤと笑いながらそう鷹揚に返し、俺は再び深く頭を下げる。
まあ首領様の性格上流してくれる可能性が高いとは思っていたが、それはそれとしてきちんと詫びておかないと後々責められるネタが出来るんだよ。
「だが……あれだな。責は問わぬが、それではお前も納得すまい。そこでだ。
「じゃあついでに私も飲み物を! オレンジジュースをよろしく!」
「お前は自分で買いに行けよレイっ! かしこまりました首領様」
という事で代金俺持ち(首領様なら全部タダだが、それでは罰にならない)でパシリを務める事になった訳だ。
まあ別に罰じゃなくとも、首領様の頼みとあれば大抵の事は普通に引き受けるが。無茶ぶりでなければ。
「フフッ。時間があれば、お前に手料理などを作らせて久方ぶりに楽しむという手もあったのだがな」
「お時間を頂ければご用意しますが、今は試験中ですのでご容赦頂ければ」
「分かっているさ。またいずれな」
そう言いながらパンに齧り付く首領様なのだが、
ポロポロ。ポロポロ。
「ああもうっ!? メロンパンを食べる時はもう少し気を付けてっ!? 皮がこぼれてますよっ! それと歯に焼きそばパンの青のりが付いてます。後で歯磨きをする事を勧めます」
「う、うむ。まあ良いではないか。床は後で掃除しておけ」
首領様ときたら、いくらレイの認識阻害で見えないからってすっかりオフモードになってだらけてる。カリチュマ全開だ。
まあオフの状態を知っている俺とレイ、及び近くに潜んでいる護衛の一部しか見えていないからこれであり、誰か一人でもそれ以外が居たらすぐにまたビシッとするのだが。
そうして和やかなネル達の食事風景を見ながら、こちらものんびりと買ってきたパンに齧り付いた。
「そう言えば雑用係よ。あのアンドリューとかいう幹部候補生。お前が以前幹部に昇進するかもしれないと言っていた者の一人ではないか?」
もしゃもしゃと食べていると、ふと思い出したように首領様がそう声をかけてきた。
「はい。ガーベラ嬢と並んで、俺が見る限り運が良ければ昇進できると判断した者の一人です」
「え~っ!? そうかなぁ? 流石にマイハニーと並べるにはちょっとあれじゃない?」
「お前はガーベラ嬢に肩入れしすぎなんだよ。単純なスペックだけ見ればアンドリューは大体同格。こと邪因子量と単純な身体能力だけなら上だ。どちらもあのクソガキには劣っているが、そっちには頭脳戦では圧勝できるしな」
俺は憤慨するレイを嗜めながら首領様にもう一度以前のように報告する。
「将としても兵としても傑物。個人の戦闘力も高く、頭も切れる。昇進は十分あり得るでしょうね。……
「……? ちょいちょいさっきから運って挟んでくるね。今回の試験ってそこまで運に関わることあったっけ?」
レイの疑問に俺は静かに首を振る。
「いいや。そうじゃない。ガーベラ嬢に関しては彼女の気性に合うチームメンバーが見つかるかどうかの運。そしてアンドリューに関してはもっと単純だ」
俺は一拍置いて、単純明快に答えを告げる。
「
はい。ネル達が昼休憩に入ったので、ケン達もそれに合わせて休憩に入りました。
ちなみに首領様は非常に健啖家のため、ケンはかなりの量(大きめのビニール袋が二つパンパンになるくらい)買い込んでいます。これでも首領様にとっては小腹満たし程度ですが。
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閑話 アンドリューは今日も悪運に立ち向かう
◇◆◇◆◇◆
アンドリュー・ミスラック。
彼は一言でいえば
日常生活に支障があるレベルではない。せいぜいくじ引きでハズレが出やすかったり、二分の一の勝負でよく外れたり、まあその程度の事だ。
だがその悪運は、彼にとっての
子供の頃の初恋の相手との初デートは、その最中急に高熱を出した。
近所に住んでいた悪タレとの決闘は、前日に交通事故に遭って片腕を捻挫した。
リーチャーに入る際の面接では、面接直前に入ったトイレの鍵が壊れて遅刻しかけた。
だが、その体質を自覚しているアンドリューは、
熱が出たなら常備している解熱剤を飲んでデートを続行(色々あって結局別れたが)し、
決闘は事前に審判に賄賂(審判の好きな相手の好みの映画ペアチケット)を贈ってどうにか判定勝ちに持ち込み、
トイレは扉を破壊して脱出し、面接では非常時の為仕方なかったと予防線を張りつつ素の運動能力をアピールする方向に切り替えた。
リーチャーでも降りかかる逆境を乗り越える度アンドリューは実力を伸ばしていき、遂には幹部候補生にまでなった。
そしてこの試験でも、彼は綿密に情報を集め、候補生の多くに根回しをして極秘裏にチームを作り、どんな状況にも対応できるよう連携の訓練を続けた。
その甲斐あって、アンドリューのチームは真っ先に草原エリアの課題をクリアし、森林エリアに訪れ
しかしその際最初の映像から当たりを付けた黒い扉の場所。どこかの森の中であると判断して偵察させていたチームメンバーが黒い扉を発見し、まだ余裕のある内にと急行してみればそこには先客が。
一つ間違えば、個人では候補生中ほぼ最強かつ好戦的なネルを敵に回す状況。おまけにネルのチームには、気性的な問題から誘うことが出来なかったが候補生の中でも上位の能力を持つガーベラ。そして邪因子量こそ平凡だが、自分と普通に交渉の席につけるピーターが居た。
最悪の場合の保険も仕込んではいたが、どうにか穏便に切り抜けた時はアンドリューも内心ほっとしていたほどだ。
そして案内人としてつけていたメンバーも合流し、万全の状態で黒い扉の中に突入するその瞬間まで、アンドリューは悪運に打ち勝てると信じていた。
だが、この時一つだけ彼は忘れていた。
黒い扉で転移した先は、燃え盛る夜の市街地。月明かりどころか星の光さえほとんど見えない暗闇を、燃え盛る炎が明るく照らす。
燃えているのが民家だったりビルだったりしなければ、それなりに風情のある光景だったかもしれない。
そしてその中心。町の大通りか何かだっただろう場所の中央に集まる
「……本当にツイてないな」
アンドリューはもう生涯何度目になるか分からない、己の体質への怨嗟の呟きを漏らす。
それらは人型で全身に黒い靄を纏ったような敵。本来訓練用シミュレーションで言うなら“エキスパート”モードに登場する特別種。
明らかに幹部候補生の手に余るそれらを前に、またいつもの悪運かと彼は嘆く。
アンドリュー自身も戦ったのは以前ハードモードで偶然出た時の一度だけ。その時はギリギリの敗北。しかも1体でだ。
その上今はタメールの縛りが付いている。邪因子の消耗は普段より激しく、常に流し続けられなければ即失格。
撤退は奴らを倒さなければ不可能であり、戦うにしても圧倒的不利。アンドリューはどうするべきか逡巡し、
『……!?』
相手に気づかれて先手を取られるという最悪の出だしで戦いの幕が上がった。
迫る特別種。その速度はそこらの幹部候補生を軽く凌ぎ、一歩一歩強烈な踏み込みで近づいてくる。
それも全てが真っ正直に正面からではなく、2体は近くの建物の壁面を蹴ってまるで跳ねるように。
「しまっ……」
ハッとしたアンドリューが指揮を執る前に、特別種達は次々に幹部候補生達に殺到する。そして、
ドカっ!?
弾いただけで大したダメージもなく、特別種達はしゅたっと軽く距離を取って隙を窺う。対して候補生達の方は数人ほど怪人化せざるを得ず、消耗だけで言えばそちらの方が上。しかし、
「リーダー。指示を」
「ここにいる奴らは皆アンタに賭けてんだぜ? アンタについてきゃ間違いねぇってよ。だから……そんなとこで呆けてんじゃねえよ」
真っ先に怪人化して迎え撃った牛怪人と馬怪人。そして各々戦闘態勢を取っている面々が、口々にアンドリューへ発破をかける。
始まりは下心のある者も多かった。機を見て裏切ってやろうという者も居た。単に甘い汁を吸いたいという者も。
しかしこの数か月間。共に語らい、チームとして訓練をし続けた結果、そこには悪なりのではあるが確かな練度と信頼関係があった。
「……そうだったな。僕としたことが、一瞬とはいえ我を忘れた」
アンドリューは自嘲の笑みを浮かべながら、キッと集団の中央に立って特別種達を見据える。
特別種達は間違いなく強敵だ。だがあくまでそれは個々の強さ。協力して戦うという事を知らない。そこが狙い目だ。
「ああ。確かにさっきネルに言われた通りだ」
静かに指示を待つ頼もしき者達を見て、アンドリューは邪因子を昂らせながら吠える。
「今の僕達なら、
「「「うおおおおおっ!」」」
こうしてアンドリューは今日もまた、己の悪運に立ち向かう。
◇◆◇◆◇◆
管理センターにて。
「
「はい。つい先ほど」
ミツバからの報告を聞いたマーサは驚き……しかしすぐに一服して気を取り直した。
「……ふぅ~。これはあれかい? 黒い扉の中でまたアンドリューの悪運が出たかい?」
「出ましたねぇ。あれで特別種が5体も出ました。設定上普通は1、2体。多くて3体ぐらいなんですけどね」
アンドリューの悪運は一部には知られている。なのでマーサもすぐにそれに思い当たった。
今回のチャレンジ要素は、チームの人数や邪因子量、そして
そこで予想を超えて5体を引き当てるという悪運に、ミツバも少々苦笑い。
「流石のアンドリュー達も……ふぅ~。5体相手じゃキツかったかい。幹部でも正直辛い数だしね。……それで何体倒せたね? 3体行ければ上々」
「
「……はい?」
「だから、5体倒して無事帰還したんですよ。疲労困憊でしたが
その顛末を聞いてマーサも唖然とする。そして、
「……仲間を庇って結局全滅したんじゃ指揮官としては失格さね。メンバーだって責めるだろうさ。ただ……嫌いじゃないね。そういうのは」
少しだけ輝かしいものを見るような目をしながら、マーサはゆっくりと次の煙草に火を付けた。
という訳で、アンドリュー達はここで失格です。勝負に勝って試合に負けました。
なお黒い扉に挑まず普通に試験をクリアした場合、アンドリューだけが評価点が合格ラインに届いて幹部になるという結末を迎えていました。
ちなみに以下失格になった直後のチームメンバーとのやり取り。
「リーダーァッ!? 最後の最後で何やらかしてんだこの野郎っ!」
「これは糾弾不可避」
「責任取れっ!」
「……皆。すまない」
「責任取って……次回もまたチームに入れてくれよっ!」
「貴方なら、また下についても良い」
「……ありがとう」
まあざっくりこんな感じになってます。一度の失敗で壊れるような信頼関係ではありませんので。
この話までで面白いとか良かったとか思ってくれる読者様。完結していないからと評価を保留されている読者様。
お気に入り、評価、感想は作家のエネルギー源です。ここぞとばかりに投入していただけるともうやる気がモリモリ湧いてきますので何卒、何卒よろしく!
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雑用係 クソガキのこれからを考える
さて。昼食休憩を終えたネル達だったが、いつアンドリュー達が終わるか分からないため先に森林エリアのチェックポイントに向かうことにした。
そしてどうにか辿り着き、早速課題に挑んだのだが、
『オ~ッホッホッホっ! 楽勝ですわっ!』
『珍しく意見が一致したねガーベラ。こんなのちょろいちょろい!』
『いや、それお二人だからこそ言える事ですからねっ!? 普通はそう簡単じゃないですからっ!?』
二つ目の課題は
これは事前に用意された邪因子を動力とする五体の人形兵士を操り、同じく係員が操る人形の妨害を乗り越え重要物資という設定のボールを特設ステージのスタートからゴールまで持って行くというもの。いわば候補生達がやっている試験の縮小版だ。
ちなみにこの人形、以前兵器課の一件で暴走した
参加できるのはチームリーダーを含めた最大五名。そしてそれぞれが指揮官役、人形達に邪因子を流す役、人形を操作する役など分担して行動する。
単純な邪因子量に、それぞれ別の人形を操作する制御技術。モニター越しに全体を俯瞰して的確に行動を決める判断力。
様々な能力を試される割と難易度の高い課題なのだが、
『右前方から少し邪因子の反応あり。多分罠ですね。左から行きましょう』
『了解しましたわリーダーさん。ほら我がライバル。ボールを持っている2番と3番にもっと邪因子を流してくださいませ。多少量が多くてもこっちで調整しますから』
『む~。良いけど、量が多すぎて泣き言言わないでよねっ!』
本来一人につき一体か二体操るのが限度の人形らしいが、そういう物の同時制御ならガーベラ嬢の得意分野。一人で隊長機以外の全てを制御し、ピーターは隊長機の制御及び全体の指揮に専念。
そして高い邪因子量を誇るネルが全機体を動かす邪因子を負担し、人形全体の出力がかなり上昇。妨害を普通に潜り抜け、無事課題をクリアしたという訳だ。
「これに関しては普段よりも更にハニーの活躍が光っていたね! 見ただろ係員の操る人形との戦いを! 順番待ちをしていた他のチームも驚く一戦だった」
うんうんと頷きながら、レイはドヤ顔でそう語る。相変わらずガーベラ嬢がらみになるとコイツは。
「ああ。あれは文句なく見事だった。ただ一応補足しておくが、上手くタイミングを見極めて指示を出したピーター君。それと邪因子の出力を常に高水準に保ち続けたネルも評価すべきだろ?」
「それはそうさ! 特にネル嬢は、あれだけの邪因子を流し込んでおきながらほとんど疲労が見られない。まさしく逸材と言えるね」
そう。あのクソガキは間違いなく逸材だ。
類まれなる圧倒的な邪因子の質と量。少し戦っただけで相手の技を感覚的に理解し身につける戦闘センス。多少歪んではいるが、誰かの為に自分を高めようという強い意志。
そして、どこか首領様を思わせる特徴的かつ強烈なプレッシャー。何故か変身できないという点を補って余りある力だ。
このまま成長すれば幹部……いや、きちんとした教育役がつけばいつかは
性格面や家庭の事情的な事で少し……と言うよりかなり問題があるが、最近は友人と言える者も出来始めた。改善の余地は十分にある。
しかし俺の仕事はあくまでもこの試験が終わるまで。結果が出るまでとしても数日程度。それ以上ネルに付きっきりでは第9支部の仕事が疎かになる。
名残惜しくなどない。ネルのあれこれにこれ以上首を突っ込む気もないしな。クソガキの面倒を見なくてすんでありがたいくらいだ。
だがまあ……うん。時々飯をたかりに来るぐらいなら許してやるとするか。食材が余ってたらだが。
「……ふむ」
そこでふと気づくと、首領様がなにやらネルを見て考え込むような仕草をしていた。
「首領様? 何か気になることでも?」
「少しな。……まあ良い。この調子ならおそらく幹部昇進は成ろう。その時に直接見定めれば良いか」
おいおい。何やらかしたあのクソガキ!? パッと見で俺には気になる所はなかったが、首領様式典でお目通りする時に直で話す気だぞ!?
流石に首領様にまで無礼な態度は取らないだろうが、それはそれとして下手すると俺の頭と胃が痛くなりかねない。
そう戦々恐々としていると、
「おや? 見てみなよケン君。首領様も。ネル達が向かう先は……」
レイの言葉に画面を見ると、ネル達は草原エリアではなくさっきの黒い扉に向かっていた。どうやら課題をクリアした勢いそのままにこちらに挑むらしい。
実際今のネル達の流れはすこぶる良い。残る草原エリアの課題は既に内容が割れている以上、ここで追加評価を得るため余裕がある内にチャレンジ要素に挑むのは選択肢としてアリだ。
それに中で戦うのはエキスパート級の敵が多くても三体程。そして何かの間違いで五体位出てきたとしても、今のあのチームならきちんと連携が取れれば勝機はある。
「さあ。ここが正念場だぞ。気合を入れろよ」
◇◆◇◆◇◆
「さあ! 戻ってきたよ黒い扉っ!」
「二度目はまっすぐ来れましたわね。また迷うようなことがあったらどうしようかと思いましたわ」
「そんなことある訳ないじゃない」
ガーベラの揶揄うような言葉を、あたしはばっさりと切り捨てる。
まあ確かに百歩……一万歩位譲ってさっきはちょっとだけ道に迷うようなことがあったかもしれない。
だけどあたしはそんな失敗を繰り返さないレディ。ちゃ~んとタメールの地図機能にこの場所をマーキングしておいたのよ!
「それはそうと、本当にこの扉に挑むんですか? さっきはしっかり休んでからこっちは挑戦できるなんてカッコつけて言っちゃいましたけど、わざわざやらなくても良いんですよ?」
「ふふん! な~に言ってんのよピーター」
あたしは心配性なピーターに胸を張って言ってやる。
「次の課題の内容も分かったし、あとはどれだけ評価を伸ばせるかでしょ! それに、アンドリュー達にやられっぱなしっていうのもシャクじゃない」
「ボクは別にやられっぱなしでも良いんですけど」
「私はこういうのはきちっとお返しして差し上げる派ですわ!」
ほら二対一でこっちの勝ちと言うと、ピーターは「もっとリーダーの威厳が欲しいなぁ」とぼやいていた。……まあ威厳はないけど少しは役に立ってるし、一時的にリーダー扱いするくらいはしても良いんだけどね。
「うぅ~。よっし! こうなったらもう腹を括っていきますよボク!」
「その意気ですわリーダーさん! さあ。どうぞ」
ガーベラに背を押され、ピーターはゆっくりと扉に手を伸ばす。本来ならあたしが一番に開けたい所だけど、どうやらリーダーが中に入ることで周囲のチームメイトごと転移されるらしいから仕方ない。
さあ。扉の先に居るのは一体どんな相手かな? 仮にもチャレンジ要素っていうくらいだから、それなりに歯応えのある相手だと良いな。
ゆっくりとピーターが扉を開けて中に入ると、ちょっとした浮遊感と共にあたし達の身体は森の中から姿を消す。
そして、着いた瞬間あたしは急に襲われる可能性も考えて構えを取り、
「…………どこ? ここ?」
目の前の光景に目を丸くした。
そこは元居た場所のような森の中でも、訓練用シミュレーションでよく使われるようなどこかの市街地でもない。
目の前に広がるのは見渡す限りの水平線と砂浜。
空は青く、白い雲が所々に浮かび、太陽が眩いばかりに燦々と光っている。
砂浜にはぽつぽつとヤシの木が生え、穏やかに寄せては退く波がザザ~ンと音を立てる。
はい。明らかにアンドリューとは違う場所に跳びました。当然中に居る相手も別です。一体どうなることやら。
これは余談ですが、先日新作短編『とある転生管理者の趣味と記録』を投稿いたしました。
私の作品のある意味全てに絡んでくる“元”神が悪行三昧をやらかすという話ですが、宜しければご一読いただければ幸いです。
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ネル 南国にて変なお姉さんに出会う 第三部中編(終)
扉を開けた先は南国だった。
なんか……拍子抜け。もっとこう殺伐とした雰囲気を予想していたんだけど。
ざっと見た限り急に襲い掛かってきそうな奴も居ないし……えいっ!
試しにちょこちょこ砂浜を歩いていたカニを指でつつくと、カニは慌てて逃げてった。流石にあんなのが倒すべき相手じゃないよね?
「お~いっ! ネルさ~んっ!」
「探しましたわよ我がライバルっ!」
そこにピーターとガーベラが走ってきた。どうやら二人して迷子だったみたい。はぐれないでよね。
「しかし不思議な所ですね。試験の場にしては何と言うか」
「ええ。やけに穏やかですわね。リゾート地と言われた方がしっくりきますわ。本当にここがあの黒い扉の中なんですの?」
「その筈……なんですけど」
聞かれたピーターも何となく自信がなさそう。そりゃそうだよね。
「ところでさ。ここで戦うって相手は結局どこにいるの?」
「そういえば見当たりませんわね。もしかしてそれを探すのも試験の一環という事かしら?」
探すったって……あたしは周囲をざっと見渡す。
ここにあるのは砂浜と、海と、反対側にはジャングルっぽい森。どう見ても元の森とは植生が違うし、湿度高めでムシムシしてそうで入りたくない。
試しにタメールの地図機能を広げてみるも、現在位置がぼやけててまともに表示されない。
「……そうだ! こんな時こそピーターの出番だね!」
「それが、この辺り邪因子がそこら中に漂っていて、はっきりこれだっていうのが分からないんです」
えっ!? そうなの?
そういえばさっきから身体の調子が良い。タメールを起動する時も、
「妙な感じですわね。私はあまり感知能力は高い方ではないのですが、それでもこう……何かに包まれているというか、穏やかな気分になるというか」
そうなんだよね。ガーベラの言うように、なんかこう落ち着くというか。日差しも暖かいし断続的に聞こえる波の音も悪くない。
このままここでもう二、三十分くらいのんびり……はっ!? あたし今何考えてっ!?
「分かった! これが
「なるほど。それも一理ありますわね」
ガーベラもそれを聞いて慌てて自分の頬をパチパチとはたく。
こんな搦め手で来るなんて中々やるじゃない。流石チャレンジ要素。……ってピーターっ!? 寝るんじゃないわよっ!
「へぶっ!? ……むにゃっ!?」
「気が付いた? これ以上ここでのんびりしてたらまた眠くなるよっ! さっさとここに居る奴をぶっ飛ばして戻らなきゃ! 行くよっ!」
寝ぼけてるピーターを軽く張り倒し、あたし達はひとまず砂浜沿いを探ってみる事にした。そして、
「ねぇ。多分アイツ……だよね?」
「おそらく。でもどうしましょうねネルさん」
青い上下の水着にパレオを巻き、明るい茶髪を肩まで垂らした女が。ただそいつはビーチチェアーに身を預けてスヤスヤと眠っている。
「あれを倒せって……寝てるじゃんっ!?」
「思いっきり隙だらけですわね。どうしますの我がライバル? 今の内にこっそりと一撃入れます?」
ガーベラは試すようにこちらに問いかける。
実際あの女がここに関わっていることは間違いない。寝てる今なら簡単に倒せるだろう。効率を求めるならその方が良いし、以前のあたしなら多分そうしてた。……でも、
「馬鹿にしないでよ。寝てる相手をこっそり仕留めたって何の自慢にもならないし、そんな課題をこなして幹部になってもオジサンに呆れられるだけだよ」
多分オジサンなら「おいクソガキ。それは悪としては間違っちゃいないが、いくら何でも小物過ぎねぇか? そんなんじゃ名前で呼ぶのはやや恥ずかしいぞ。約束だから言うけどな」とか言いかねない。あたしの凄さを分からせるのにも支障が出る。
それにお父様にだって、胸を張って幹部になりましたと報告しづらい。寝ている所を狙うのは無しだ。
「だから一度起こしてシャキッとさせてから、正面切ってぶっ飛ばすわ。……文句ある?」
「いいえ。それでこそ我がライバルですわ。もしここで寝ている所を襲おうなどと仰るのなら、少々失望していましたもの」
ガーベラは軽く微笑みながらそう返した。やっぱし試してたか。まあ良いけどね。
「という訳でピーター。アンタちょっと起こしてきてよ」
「えぇ~っ!? 何でボクっ!? これは明らかにネルさんが起こしに行く流れではっ!?」
「アンタ仮にもリーダーでしょ? 出会って即バトルならまだしもルールとかを決めなきゃいけないし、そういう細かい交渉はリーダーの役目よ」
「そんなぁ……分かりましたよ。行けば良いんでしょ行けばっ!? 危なくなったらすぐ割って入ってくださいよっ!?」
どこかヤケクソ気味に情けない事を言いながら、ピーターはゆっくり寝ている女の下に歩いていく。
実際起きた瞬間ピーターに襲い掛かる可能性もあるし、あたしとガーベラは少し後からいつでも動けるよう静かに邪因子を高めて見守る。そんな中、
「……すぅ……フフッ! もう……ダ~メ! アシュちゃんたら……そこ弱いんだから……すぅ」
「一体どんな夢を見てるんだこの人? ……コホン。え~っと、もしもし? 起きてくださいよ」
気持ち良さそうに寝言をぶつくさ言っている女を、ピーターは軽く肩を掴んで揺らす。すると、
「……むにゃ? ん~っ。何? もう朝? もう少し寝かせ……あらっ!?」
女は目を擦りながら起き上がり、何かに気づいたかと思うとピーターの方をじっと見る。
そして一瞬妙な沈黙が漂ったかと思うと、
ガバッ!
「うわっ!? えっ!? 何っ!? むぐぐっ……気持ち良いけど苦しいっ!?」
「か~わいぃ~っ! な~に? アタシモーニングコールでも頼んでいたかしらん? それともまだこれは都合の良い夢の中? ……まあどっちでも良いわ! 目覚めにアタシ好みの子が出迎えてくれるなんてサービス良いわねぇ! ウフフっ!」
女がとても上機嫌な様子で笑っている中、ピーターは胸に顔を押し付けられるような態勢になってジタバタしている。
……なんか知らないけどムカつく。人様の下僕にちょっかいを出すなんて良い度胸じゃん!
「ちょっとっ!? うちのピーターに何してんのよっ!」
もうコイツが倒す相手であろうとなかろうと関係ない。急いで引きはがすべく前に踏み出す。
狙うはこの女のにやけた顔面。一発平手打ちを食らわせて力業で引きはがしてやる。あたしは大きく腕を振りかぶり、
「おっと!? 危ないわよ?」
女がピーターを抱きしめたまま軽く指を振った。そう認識した直後、
ぶにょん。
変な擬音のつきそうな感触。それが手に伝わったかと思うと、急に腕が重くなる。見ると、
「ネルっ! 掴まってっ!」
「……っ!?」
あたしのもう片方の手にガーベラの伸ばす髪が巻き付き、その引っ張る勢いを利用して距離を取りつつ腕に着いた液体を振りほどく。
「あら? あららら? もうどこまで今日は良い日なの! これまたアタシ好みの子が二人も! ウフフフっ! 夢だとしたらもうしばらく醒めないでほしいわねん」
「ネル……あの方」
「分かってる。あの女……かなりヤバい」
もう喜色満面って感じの笑みを浮かべる女。しかしさっきの一瞬、あたしの腕を受け止めていた液体は、あと数秒振りほどくのが遅かったら確実に腕を伝って身体まで伸びていた。
全然本気じゃなかったとはいえ、あたしの平手打ちを受け止めるような奴が身体に絡みついてきたらちょっと危ない。
「ふがふが……息が……出来ない」
「ああ。ごめんなさいねぇ。苦しかった? なにせあまりにもしばらくぶりのお客様だからつい興奮しちゃって」
そこでようやくピーターが呼吸困難になりかけている事に気づいたのか、女は申し訳なさそうな顔をして抱きしめている手を放す。
「ぜーはー。ぜーはー。し、死ぬかと思った」
「ピーターっ! 無事っ!?」
あたしは慌ててピーターを引っ掴み、そのまま引きずるようにして女から距離を取る。
「いきなりよくもやってくれたねオバサンっ! アンタがここの課題の相手なのっ?」
「オバサンだなんて酷いっ!? これでも肉体年齢は二十台前半をキープしている筈なんだけどねん。まあ良いわ。折角のお客様だもの。まずは自己紹介から始めましょっ!」
女はオーバーに傷ついたような態度を見せつつも、明るい大輪の花のような、それでいてどこか妖しげな笑みを浮かべて大きく一礼した。
「アタシの名はイザスタ。
それが、この変なお姉さんことイザスタとの最初の出会いだった。
スマヌ。スマヌ。最初のプロットでは第三部は前後編の予定でしたが、書いてる途中で予想よりあれやこれや追加要素が長引き、急遽ここでいったん区切って前中後編とさせていただきます。
大体見物しているケン達とアンドリューと別の拙作から友情出演してきたイザスタが悪いのです。俺は悪くねぇっ!
と茶番は置いておいて、ここから割と一気に物語は進行していきます。曇らせタグが出張ってくる展開が途中ありますので、心の準備をしておいてもらえれば。
それと次の投稿はしばらく間が空く予定です。他の止まっている作品もぼちぼち書き始める予定ですので、気が向いたら読んでいただければ。
それではここで恒例のおねだりを。
この話までで面白いとか良かったとか思ってくれる読者様。完結していないからと評価を保留されている読者様。
お気に入り、評価、感想、あとここすきは作家のエネルギー源です。ここぞとばかりに投入していただけるともうやる気がモリモリ湧いてきますので何卒、何卒よろしく!
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閑話 “煙華”は“謀操”と対峙する
◇◆◇◆◇◆
「
アンドリュー率いる三十人のチームの全滅と言うやや大きいアクシデントはあったものの、今回の幹部昇進試験は滞りなく進んでいたはずだった。
だが、ミツバからの思わぬ報告にマーサはその顔を険しくする。
「はい。反応が消えたのは三名。ピーター君をリーダーとするチームです」
「ちょっと待ちな……ふぅ~」
マーサは自らを落ち着かせるため一服し、そのまま考えられることを幾つか列挙していく。
「単にタメールが壊れたってことは?」
「三人共扉に入った瞬間同時にというのは考えづらいですねぇ」
「じゃあ扉の誤作動で、予期せぬ場所に跳ばされたかい? 別の訓練用シミュレーションとか」
「現在、その可能性を踏まえて全シミュレーション内を捜索中です。しかし……この通り」
そっとミツバが部屋に備え付けられた大型スクリーンを指し示すも、そこに映るのは捜索中という冷たい文字のみ。
そして周囲に居る他の職員達が先ほどよりも慌ただしく動く様を見て、どうにもこれは芳しくないとマーサは軽いため息を吐く。
「私の端末で扉に入った瞬間の反応も解析していますが、そっちはもう少し時間がかかりそうです。
ミツバの言ったこのどうとは、どの程度の人員を捜索に割くか? 場合によっては試験そのものの進行に関わることになるがどうするのか? という意味も含まれていたが、
「……OK。じゃあ各自
マーサは一瞬考えそう決断する。
「おやぁ? 何名かを捜索に回さなくても良いのですか?」
「一チームだけの為にそう何人も人手を割けるかい。だから……この件は
「まあ当然ですね。ですけどあの変な匂いの子かぁ。イマイチやる気が起きないんですよね」
ミツバは自分の席に着くも、両腕を頭に組んで椅子にもたれかかる。そこへ、
「……ふぅ~。じゃあ仕方ない。他の奴に頼むとするかい。ケンのお気に入りを助けたとあれば、義理堅いアイツの事さ。大抵の
「さあちゃっちゃと見つけちゃいましょうか! ケンさんに恩を売りつつ……フヒッ! 何をお願いしちゃいましょうかねぇ!」
素知らぬ顔でマーサが言い放った言葉を聞き、ミツバは不気味な笑みをこぼしながら猛然とキーを叩き始める。
かくして運営本部はまたある程度の落ち着きを取り戻し、
「……さてと、アンタが不在だったから勝手に決めたけど、何か変更はあるかい?
「
瞬間、その部屋に居るほぼ全ての職員が反射的にその人に対して一礼をした。単純に圧倒的邪因子差による強制によって。
そうしなかったのはマーサやミツバと言った大小あれど
部屋に入ってきたのは、金の長髪を靡かせる美丈夫だった。青い礼服を身に纏い、きびきびとした動作で歩く様子はどことなく軍人や政治家といった雰囲気を漂わせる。
「諸君。少々予想外の事が起きているようだが、我々のやるべき事は変わらぬ。正しく試験を進行させ、ゆくゆくは
男はまるで演説するかのように部屋中の者に語り掛ける。
張りのあるその声、やや大仰なその仕草の一つ一つが、男の放つ邪因子と共にまるで染み入るように職員達に響いていく。
「そのためにも、我らはどんな状況であろうとも冷静に対処しなくてはならない。それを踏まえ先ほどのマーサの対応は正しい。一チームの事だけに人手を割き、全体の流れを見誤ってはならない。各員通常業務に戻り、これからに備えるように。以上っ!」
「「「はっ!」」」
先ほどよりさらに機敏に業務に取り組み始める職員達を見て(ミツバは元々凄いやる気だったが)、男はゆっくりと空席だった自分の席に座る。そこへ、
「……ふぅ~。言うねぇ。たった一チームがピンチになった程度じゃ動かない? 先にワタシが言った事とはいえ、えらく冷たいもんだ」
相変わらず煙草の煙を漂わせながら、マーサはどこか皮肉めいた態度を取りつつ歩み寄る。たとえ上司の前であっても煙草を外す気はないようだ。
「お前か。その態度は頂けないが、特別に許すとしよう。お前のこれまでの功績と、今もなお組織にそれなりの利益をもたらしている故にだ。……それで何用かね?」
男は眼光鋭くマーサを見据える。並の職員ならそれだけで邪因子差によって膝を折るのだが、マーサは軽く一息煙草を吸うだけでそれを流す。
「いや何。簡単な質問さね。居なくなった一チーム……それが
「
即答だった。
まるで朝食のメニューでも尋ねられたかのように自然に、迷いも悩みもなく、男……フェルナンドはそう答えた。そしてカマをかけたマーサの方が軽く舌打ちする。
「……チッ。やはりこっちが掴んでいるのを知っていたかい」
「当然だ。まあ予想より深い所まで探り、その痕跡も簡単には掴ませなかったその能力は評価している。ただの羽虫如きなら
「へぇ。名高き上級幹部にそこまで言われるとは光栄なことで」
「私は使える者はその分評価する。ただそれだけの事だ」
マーサは言葉とは裏腹に嬉しくもなんともないという顔をし、フェルナンドはニコリともせずに続ける。そして、
「重ねて言おう。私はお前の能力を評価している。潜入能力、情報収集能力、戦闘能力もだ。多少のはねっ返りを許容する程度にはな。だが、それを超えるようなことがあれば……分かっているな?」
それは脅迫に近い忠告。
今はまだ使い道があるから見逃してやる。ただしこれ以上嗅ぎまわるようであれば容赦はしない。
そう言外に述べるフェルナンドに対し、
「……まあね。正直ワタシはケンやうちの支部の連中。要するにワタシの知り合いにさえ手を出されなきゃ良いんだ。内情を探ったのだってちょいと気になったからだけだったしね」
マーサはどこか遠い目をしながらそう口にする。
実際マーサは自身を人でなしの部類だと考えていた。ケンや支部長を始めとする第9支部の悪の組織にしてはお人好しな馬鹿共。自分のような者がそんな中に居るのは、全体のバランスを取るためだと。だが、
「ただね……ワタシよりはねっ返りの奴がアンタの娘に世話を焼きまくっているんでね。こっちとしても黙って見てるってぇ訳にもいかない」
マーサは一歩踏み出し、敢えて漂う煙を自身の身体に纏わせる様にしてフェルナンドに対峙する。
「こっちはこれ以上動くつもりはない。だがそっちもせめてあの子に対して父親としての姿ぐらいとりな。……
「あのぉ。火花バチバチの所悪いんですけど、見つかりましたよ。ピーター君達のチーム」
フェルナンドとマーサが静かに睨み合う中、どこかのほほんとした声が場の空気をぶった切った。
マーサは素早くちょっと失礼と言い残して呼びかけたミツバの方に向かう。
「見つかったのかい? 場所は?」
「それがそのぉ……妙な所に跳んでます」
モニターに映るそこを一目見て、
「これは……ちょっとケンに連絡した方が良さそうさね。アンタの昔の同僚がクソガキちゃんに色々やらかしてるよってさ。だけど、見つかって良かった」
マーサは苦笑いしながら、無事発見できたことにホッと胸を撫で下ろすのだった。
このように、試験の裏でも色々と動いています。大人は大変なのです。
本編はもう少しお待ちを。
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ネル お姉さんからもてなしを受ける
深夜テンションのせいで少々開幕から飛ばしていきます。ご注意を。
「……はぁ……はぁ……そこ、触っちゃ……くぅっ!?」
「ウフフ。恥ずかしがらなくて良いのよん! お姉さんにぜ~んぶま・か・せ・てっ♪」
イザスタの手が艶めかしく伸び、汗にまみれた背をぬるりと撫でさする。
「あら~? 見かけより良い身体してるわねぇ。華奢に見えて意外と中身はしっかり。あたし好きよそういうの! 良いわぁ! 触り甲斐がある」
そしてイザスタはゆっくりと指を開き、
ドスッ!
「はうぁっ!?」
「あら? 痛みはない筈だけど……これは相当疲れが溜まっちゃってるわねぇ。さしずめそこのネルちゃん達に付き合って思いっきり頑張ったのね。大丈夫! お姉さんに掛かればすぐに良くなるからね!」
「ちょっ!? ちょっと待ってくだ」
「ダ~メ!」
メキャ!
イザスタは輝くような笑顔で骨をこきこきと鳴らしながら、ピーターの
時間は最初に女がイザスタと名乗った時に遡る。
「それじゃあ次はそちらの番よ。まずはお名前から聞かせて!」
何とかピーターを引きはがし、いつでも突撃できるよう軽く構えながら様子を窺ってみたのだけど、イザスタはこんな調子でまるで敵意も悪意も感じられない。……仕方ない。
「名前? ネルだよ。ネル・プロティ。アンタを倒してもうじき幹部になるレディ」
「まあ名乗られたら名乗り返すのが礼儀ですわね! 私ガーベラ・グリーンと申します。よろしくお願いいたしますわ」
「その、ピーター……です。よろしく」
「うんうん! ネルちゃんにガーベラちゃんにピーターちゃんね! よろしくっ♪」
名前を言うと、イザスタはとても嬉しそうにまたころころと笑う。
しかしどうしよう。自己紹介中も探ってみたけどこの女、身のこなしにまるで隙がない。おまけに、
「ネル。気づいていまして?」
「うん。まともに行ったらさっきの二の舞だよ」
液体だから砂浜に染み込んで終わりかと思ったら、さっきのドロドロがそのまま不自然な動きでイザスタの周囲に集まっている。また絡みつかれたら嫌だなぁ。
「う~ん。気合入れないとよく視えないですけど、微かにあの人から何かあのドロドロに繋がりを感じます。というかこれ……」
呼吸困難から立ち直ったピーターが、目を凝らして何か妙な顔をしている。
「というか……何?」
「いえ。何でもないです。……まさかいくらなんでもそんな事ないよね」
なんか変な事を言ってるけど、今はまあ置いておこう。それよりどうやってあのドロドロをどうにかしつつイザスタをぶっ飛ばすかだよ。
試しにもう一度さっきより速度を上げて突っ込んでみようか。そんな事を考えていると、
「あら? あらあらあら!? その胸に着けてるのって!?」
何かに気づいたような声を上げ、イザスタはあたしの方に普通に歩いてきた。な、何よ?
すると、イザスタはあたしの胸ポケット。正確に言うと胸に付けているオジサンから借りた砂時計のお守りを凝視する。
「……やっぱり。ねぇネルちゃん。アナタ
「えっ!? オジサンの事知ってるの?」
「勿論よ! だってケンちゃんはアタシの……っと!?」
ピカ~っ!
急にイザスタの胸元から、正確に言うと胸に付けていたネックレス。そこに付いている赤い砂時計の飾りが光りだした。……あの砂時計。このお守りと似てる。色はこっちは灰色だけど。
「何ですの?」
「ちょっと待っててね! ……はいもしもし! こちらイザスタお姉さんよ~! ……あらケンちゃんじゃない!? うふふ! どうしたの突然?」
えっ!? オジサンが何でこの女に連絡を!?
どうやら砂時計は通信機になっているみたいで、イザスタはこっちに背を向けて何か話し始めた。口元が見えず声もよく聞き取れない。そしてしばらくすると、
「……ゴメンって。悪かったとは思っているのよホント。お詫びにこっちは責任もって頑張っちゃうから……えっ!? そんなに張り切らなくて良い? まあそう言わないで! 任せといて! ……じゃあねケンちゃん! その内また遊びましょうねん。ば~い! ……待たせちゃってごめんね皆」
通話が終わったのか、振り向くなりイザスタはさっきよりもご機嫌な表情でこっちに笑いかける。
「や~っと終わったのオバサン。それで? アンタをぶっ飛ばせばここの課題はOKってことで良い?」
「もぅ。オバサンじゃなくお姉さんと呼んでほしいのになぁ。まあ良いけどね。……え~っと、実は伝えなきゃいけない事があるのよん」
「ルール説明ですか? それが課題として必要なのであればお聞きしますが」
ガーベラがそう尋ねると、イザスタは少し困った顔して首を横に振る。
「そうじゃなくて……なんて言えば良いかしらねぇ。色々と手違いと言うか
そこでイザスタは一拍置くと、
「実はここ。完全に
そうあっけらかんとした態度でめちゃくちゃな事を言い出した。
そうして話は今に戻る。
一応リーダーとしてピーターが詳しく聞いてみると、ここはちょっと特殊な場所にあって普通の方法では出る事は出来ず、扉の復旧を待つしかないんだって。
試しにガーベラが思いっきり髪を伸ばして周囲を探ってみると、少なくとも数キロ以上は広がっていてそれ以上は調べるのが大変になったとか。それだけ広くてプライベートルームとか。
復旧までどのくらい掛かるか分からないという事でちょっと……ちょびっとだけ慌てたけど、あくまで事故という事でこの分のタイムは運営側も考慮してくれるらしい。あと、
「さあさあ。事故とはいえ折角のお客様ですもの! 扉が直るまでた~っぷりおもてなしさせて頂戴な! 心も身体も満たされるようすっごく大歓迎しちゃうから!」
「あのぉ……そう言いつつ何でボクの服を掴んでいるんでしょうか? あと何で手をワキワキとさせていらっしゃるんでしょうか?」
「
なんかピーターがまた攫われた。
目にも止まらぬ早業で上の服を脱がされ、素早く用意されたシートに寝かされ、イザスタの手が動く度にピーターの身体から普通鳴っちゃいけないような音が鳴る。
その間、あたし達はと言うと、
「
「さあね。分かんない。……あっ!? このリンゴ美味しい! もう一つ食べよっと!」
イザスタが用意したビーチチェアーに横たわり、ちょいちょい備え付けの果物を摘まんでいた。結局これは試験とは関係ないんなら、わざわざイザスタをぶっ飛ばして下手に体力を使うより出た後に備えた方が良いもんね! あたしってばあったま良い!
あっ!? そうだっ!
「ねぇイザスタ。そういえばさ」
「うん? なぁに?」
リンゴを齧りながら呼びかけると、イザスタはマッサージの手を休めずに応える。丁度良いから待ってる間に聞いておこう。
「その砂時計と言い、オジサンにやけに馴れ馴れしい感じだしさ。アンタオジサンの何なの? 今オジサンはあたしの下僕一号だからあげないよ」
「それは私も気になりますわね。あの方の交友関係が相当広いのは知っていましたが、一体どういう御関係ですの?」
「ケンちゃんとアタシの関係? ……う~ん。なんて言えば良いのかしらね。元同僚とか友達とか色々あるけど一番ピンとくるのは……」
そう尋ねるとイザスタはしばらく考え、
「………………
「……は?」
グシャっ!
それを聞いて、あたしはいつの間にか食べていたリンゴを握り潰していた。
スマヌ。第三章後編スタートにこれは本当にスマヌ。
でも筆が止まらなかったんですものしょうがないよね? 特にピーター君の所は筆が進む進む。その調子だピーター君。
この話までで面白いとか良かったとか思ってくれる読者様。完結していないからと評価を保留されている読者様。
お気に入り、評価、感想等は作家のエネルギー源です。ここぞとばかりに投入していただけるともうやる気がモリモリ湧いてきますので何卒、何卒よろしく!
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ネルはお姉さんに挑み、雑用係はお姉さんに頼む
「おっ!? おおおっ! なんかすっごく身体が軽いですよっ!」
「うふふっ! ちょこっと骨と筋と血管を正してあげただけよ。邪因子にせよなんにせよ、力が滞りなく身体を巡るにはそれに応じた経路が必要だもの。ほ~ら! この腰回りなんか明らかに分かるくらいシュッとして」
「ひぇっ!?」
マッサージが終わり、軽く飛び跳ねて身体の調子を確かめるピーターだけど、イザスタに優しく腰の辺りを撫でられて小さく悲鳴を上げる。
ああ。イライラする。微妙に顔を赤らめているピーターの事もそうだけど、あの女オジサンの幼馴染って何よ。それ以上の関係もOKって何よっ!?
「は~いお待たせ! 次はガーベラちゃんねん。こっちへどうぞ! 流石に服を脱いだ状態をピーターちゃんに見られるとまずいから、簡単だけど仕切りを用意したわ」
そうガーベラを呼ぶイザスタの後ろには、いつの間にか簡易的なテントみたいな物が出来ていた。ならピーターの時から出せば……まあピーターは見られても良いか。
「オ~ッホッホッホっ! よろしくお願いいたしますわっ! ……ちなみに私、明らかな施術以外のおさわりには反撃いたしますのでそのおつもりで」
「あ~ら怖い。それじゃあ真面目に施術しないとねん!」
「えっ!? じゃあボクの時は真面目じゃなかったんですか?」
「勿論真面目にやったわよん! ちょっとそれ以外にも触っただけで。さあどうぞ中へ」
「分かりましたわ。ではネル。折角の申し出ですし、ちょっと行ってきますわね」
そう言って笑いながら、ガーベラはイザスタと一緒にテントの中に入っていく。完全には警戒を解いてはいなさそうだけど、その顔はどこか落ち着いていた。
……何よガーベラの奴。あれだけあたしの事をライバルだのなんだの言っておいてさ。あんな女にホイホイ着いて行っちゃうなんて。
「ネルさん! イザスタさんのマッサージとっても効きますよ! もうここまでの疲れなんか吹っ飛んじゃって! 今だったら体力テストをまたやっても前より良い線行きそうです」
「……あっそ。良かったね」
あたしの手はいつの間にか腰のホルダーに伸びていた。そこからお気に入りの棒付きキャンディーを掴み取ると口に放り込む。
ドクンっ!
そうして口の中で転がすのだけど、それでもこの胸の内のモヤモヤは収まってくれない。お父様の事を思い出して力が湧いてくる気はするけど。モヤモヤは何で収まんないのっ!?
思わずキャンディーをガリっと噛み砕き、棒の部分を捨てようとして思い直し、ホルダーの棒入れに押し込む。
「……っと……ネルさん?」
そうだ。こういう時は甘い物だ! 本当は試験が終わってから食べようと少しとっておいた、オジサンのホットケーキを取り出してかぶりつく。
大体オジサンもオジサンだよ。ただでさえあの
そりゃああの性格だから色んな人にお節介を焼くのは分かるけどさ、でもオジサンはあたしの下僕なのっ! あたしを一番に見てくれなきゃダメなんだもんっ!
ドクンっ! ドクンっ!
さっきからやけに鼓動の音がうるさい。なのに周囲の音は少しずつ消えていくような感覚があった。
「……さん? ……ルさ……ってば!?」
それにピーターもあたしのなんだ! 邪因子はあんまりだけどそこそこ使えるしちょっぴり……ちょっぴり面白いあたしの下僕二号なんだよ。
ガーベラだって、珍しくあたしに突っかかってきてくれる奴なんだ。やっと少しだけ楽しいと思えるようになってきたんだ。
それを……それを皆持って行こうとしないでよっ!? あたしから……取らないでよ。
「……はぁ……はぁ……は、謀りましたわね?」
「え~? ちゃ~んとアタシは施術に必要な場所以外触れてないわよん! ただその分ちょ~っと念入りに身体をほぐしただけ。うふふっ!」
「くぅ~。確かに全身の疲れが取れているのがなんか悔しいですわ」
そこへ、テントの中から何故か少し顔を赤らめたガーベラと、さっきより心なしか顔がつやつやしているイザスタが出てきた。それを見た瞬間周囲の音が戻り、あたしの頭に冴えたやり方が浮かんでくる。
ああ。そうだ。簡単な事じゃないか。
つまりはあたしから諸々取っていこうとする奴。
「はいは~い! じゃあ今度はネルちゃん! お待た」
「オバサンっ! あたしと勝負よっ! 幼馴染だか何だか知んないけど、オジサンはあたしの下僕一号なんだものっ! ぜ~ったい渡したりなんかしないんだからっ!」
またさっきのドロドロが出てきても、それごと吹き飛ばすだけの力があれば良い。
あたしは身体から溢れんばかりの邪因子を放ちながら、イザスタに向けて突撃した。
◇◆◇◆◇◆
「……ホント頼むぞ。くれぐれも張り切り過ぎないように。……ああ。またその内な。じゃあな」
俺はイザスタへの通話を切ると、ふぅ~と大きくため息を吐く。
「ククッ。手を焼いているようだな。自由気ままな所は実に奴らしい」
「笑い事じゃないですよ。まったくこっちは頭が痛い。……アイツここしばらく見ない内に無茶苦茶しやがって」
首領様が愉快そうに笑うのを見て、俺は頭をガシガシと掻く。
「妙な事になったねケン君。そのイザスタって人が
「……ああ。勿論意図してやったって訳じゃないけどな」
レイが不思議がっているのを見て、俺は一つずつ事の経緯を説明していく。
まず事の次第を知ったのは、俺の方にミツバから連絡を受けた時だった。
『はぁっ!? あいつらがイザスタの所に跳ばされたっ!? 一体どうしてそんな事に!?』
『それがですねぇ。どうもあの方
嘘だろっ!? アイツ何やってんだよっ!?
無茶苦茶厳重なロックを誰にも気づかれずに壊していたのは驚かない。イザスタだしな。どうせ制約で自分が外へ出られない代わりにその内誰かを引き込もうとか考えていたんだろう。
だがそこに何でネル達がピンポイントで直撃するんだ!? ……いや待て!? まさか
『分かった。イザスタにはこっちから言っておく。苦労をかけてすまんな。いずれ埋め合わせはするよ』
『埋め合わせだなんてそんな……期待してます! ひゃっほ~い!』
そうしてミツバとの通話を終え、今度はイザスタの方に連絡。時間もないので説教は短めにした後、扉の復旧が終わるまでネル達の事を頼むとキツく言い含めた。
ついでにネルの身体を診てくれと言っておいたから、これ以上何かをやらかすという事はひとまず落ち着くだろう。アイツ基本は自由人だが仕事は真面目にこなすからな。
という事を説明すると、レイは分かったような分からないようなと微妙な反応をする。まあ口で言っただけじゃイザスタのやらかしっぷりはピンとこないだろうしな。
「しかし復旧までの時間はノーカウントとしても、折角のチャレンジ要素がフイになったんだ。マイハニーやピーター君はともかくとしてネル嬢は怒るんじゃないかなぁ? そのイザスタって人は大丈夫かい? 暴れるネル嬢にやられたりしない?」
「……ふっ。ハッハッハッハ!」
その言葉を聞き、首領様が珍しく大笑いする。当然声を抑えてだが。
「首領様?」
「ッハッハ……いやすまん。
「ああ。イザスタなら心配いらない。むしろネルが返り討ちにあうシーンしか想像できないな」
首領様が腹を抱えて笑うっていう方が珍事だと思いますけどね。レイがそれを見て目を白黒させている所に、俺が軽く補足説明を入れる。
「ロックなんか最初から只の気休め。イザスタが本気を出したら……そうだな。
それを聞いたレイは、ひどく引きつった顔をして笑った。
という訳で次回、ネル対イザスタ戦です。といってもガチに戦ったらどうやってもイザスタが圧勝するのでどうしたものか。
これは余談ですが、最近連載再開した拙作『異世界出稼ぎ冒険記 一億貯めるまで帰れません』もよろしくです!
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ネル お姉さんに力の差を分からせられる
ああ。空が見える。
あたしの視界には、世界が閉じられているとは思えないほど広い空があった。
あれっ!? 何であたし……
……そうだ。確かさっきイザスタに勝負を挑んで、
◇◆◇◆◇◆
『もう。いきなり殴りかかってくるなんて危ないわよん』
そうまったく危なげのない態度で言ったイザスタには、あたしの攻撃は届いていなかった。
先ほどのドロドロがまたもやあたしの腕に絡みつき、イザスタに届く直前で受け止めていたからだ。
『それにしても……うふふっ! 慕われてるわねぇケンちゃんってば。こ~んな小さな子に嫉妬されるっていうのも中々新鮮』
『なっ!?』
絡みつくドロドロを振り払おうと注意を向けたその一瞬。いつの間にか背後を取っていたイザスタに抱きしめられるような形になる。おまけに、
ペロっ!
『う~ん美味しっ! この絶妙なチョコレートソースとクリームの配分。食べかすからでも分かるケンちゃんお得意のホットケーキの味付けね! そう言えばアタシも最近食べてないわねぇ』
『ななっ!? この……離れなさいよっ!?』
今、頬を舐められたっ!? コイツミツバと同じ変態だっ!? 慌てて全身から邪因子を放出し、ドロドロごとイザスタを引き剥がして距離を取る。
『それでえ~っと……なんだったかしら? 勝負?』
『そうだよっ! ここでアンタをボコボコにして、もうオジサンに近づかせたりしないんだからっ!』
『あら可愛い。嫉妬に加えて独占欲もばっちり。それはそれで好きよ!』
そう言って微笑ましい者を見るような眼をするイザスタに、ますますイライラが募っていく。
『だけど勝負って言ってもねぇ。アタシはただ扉が直るまで皆をおもてなししたいだけだから、勝負を受ける必要ないんだけどなぁ。それにアタシ好みの子を傷つけるのも嫌だし……じゃあこうしましょう!』
そう言ってイザスタは、ゆらりと両手を広げてまるで迎え入れるような構えを取る。
『今から十分間、
一撃でもって……馬鹿にしてっ!? あたしがそんな簡単な事出来ないとでも思ってるのっ!?
『……良いよ。だけどその時になってやっぱ無しなんて言い訳しないでよねっ!』
だけど、イザスタの実力は本物だった。
『“液体操作”。どこかの世界では
どうやらあのドロドロは、元々そこら中にある水を一部操った物らしい。
その言葉通り、こっちの拳も、蹴りも、時には邪因子を触れるほどに放出しても、全てあのドロドロに邪魔されてイザスタに届かない。
しかもドロドロの厄介な点は、動きだけじゃなく濃度や性質まで変えられるという所だ。だから、
ぶにょん! ガキンッ!
『ぐっ!? 関節が……』
『どう? 液体なら簡単に振りほどけても、固まってしまえば結構大変でしょ? その間に』
『ひゃんっ!?』
『なるほどなるほど。良い身体してるわぁ。もうピーターちゃんと言いガーベラちゃんと言い、触り甲斐のある子達で困っちゃう!』
一撃貰ったら負けだというのに、自分からこっちに近づいてきてあたしの腕や足を服ごしに触れて微笑んでいる。
ならばと掴もうとしても、水でも掴むみたいにゆらりと躱される。……おもいっきり遊ばれていた。
『まだ……まだだよっ! あたしは、こんな所で、負けたりなんてしないっ!』
もっとだ。もっと。もっと力を、邪因子を昂らせないと。
心臓から全身に邪因子が行き渡る感覚。身体中がカッカと熱くなり、イザスタだけにより集中を深めていく。
いつの間にか、自分の身体から邪因子に混じり、薄い黒と紫の混じったような靄が出始めていた。
『……もっと……もっと……モットッ!』
『あ~らら。……これはちょ~っとマズいわねぇ』
ここにきて、少しだけイザスタが困ったような表情になる。
ふん。今更勝負を無しにしようったってもう遅いんだからっ!
『―――っ!?』
『――――っ!』
誰かの声が聞こえたような気がした。
だけど、今はそんなのどうでもいい。
こいつに勝つんだ。勝って、何も持って行かせたりなんかしないっ! 何も、あたしから奪わせたりしないっ!
ダンッ!
足に限界まで邪因子を溜めこみ、それを一気に解き放つ。
『ウルアアアァッ!』
それなりにあった距離が一気に縮まり、ドロドロがまた受け止める前にあたしはイザスタの目前まで潜り込む。
『これでも……喰らええぇっ!』
並の戦闘員なら怪我じゃすまないだろうけど、コイツなら死にはしないでしょ。
あたしは右腕に邪因子を纏わせ、本気の一撃をイザスタの胸めがけて振り抜き、
『しょうがないわねぇ』
パシッ!
『…………えっ!?』
これまでのドロドロによるものじゃなく、イザスタ自身の手によって。
どこまでも気楽に。まるで衝撃までかき消されたみたいに。
『こんな……こんな事って』
『今のは結構良かったわよん! でも、理性が飛びかけるのはちょ~っと問題ね』
そう言っていたずら気味に笑うイザスタに、ピンっと指で額を弾かれる。
それは攻撃とすらいえないもの。事前に言ったルールに抵触もしていない。だけど、
そう脳裏によぎった瞬間、ふっと身体の力が抜ける。
『……あっ』
気の抜けたような声が出て、あたしはそのまま仰向けに倒れこんだ。
◇◆◇◆◇◆
そうだ。あたし……勝てなかったんだ。
勿論これまで組織の色んな人に会って、同じように
だけどそれは、例えばこのくらいまで邪因子を高められたら勝てるようになるというビジョンが一緒に浮かぶのが大半だった。それが浮かばなかったのは知ってる限りお父様ぐらい。
なのに、この女からもまるで勝てるビジョンが浮かばない。
イザスタはそんなあたしを見て軽くため息を吐くと、勝者の余裕かゆっくりと歩いてくる。
「う~ん。惜しい。惜しいわねん。間違いなく邪因子の量も質も一級品。身体との相性も
「あたしが……使われてるって、何をバカな」
「じゃあ勝負の間、
その言葉に、あたしは倒れたまま首を後ろに向ける。そこには、
「ネル……」
「ネルさん」
険しい顔をするガーベラと、明らかにおろおろしているピーターの姿があった。
「あの二人、勝負の間ずっとネルちゃんに声をかけていたのよん。一対一の勝負だから割っては入れない。でも応援だけは出来るから。……だけどネルちゃんったら、アタシに勝つために邪因子を上げる事ばかり考えてま~るで聞いていないんだもの。最後の方なんか半暴走状態になってたし。それじゃあ二人が可哀そうじゃない」
「……う、ううぅ~」
悔しい。いつの間にか目から涙が溢れていた。
何が何も奪わせたりしないだ。あたし、自分から背を向けてたんじゃん。
負けた事もそうだけど、何よりあたしが、この次期幹部のあたしが、仮とはいえチームメンバーに心配されるような姿を晒したのが何より腹が立つ。
だけど、さっきから身体が動かない。そこら中に邪因子が満ちているから普段よりやりやすい筈なのに、まるで火が消えてしまったみたいに自身の邪因子が昂らない。
「あと三分あるけど邪因子切れ……というより心が折れたって感じかしらねぇ。いくら邪因子量が凄くても、それを昂らせる精神が疲れちゃうと色々反動が来るのよねん。特に今みたいに邪因子が暴走しかけた時なんかね」
イザスタはどこかつまらなさそうにそう言って、胸から提げた赤い砂時計の飾りを弄ぶ。
「それでどうする? もう降参しちゃう? 勝負を始めたのはネルちゃんだから、そこはネルちゃんの口から聞きたいな」
「……そう……だよね」
どのみちこのままじゃ勝ち目はない。もう負けを認めてしまおう。そうすれば、楽になれる。
あたしは上手く動かない口で降参を宣言しようとし、
「オ~ッホッホッホっ! ざまあないですわね」
トンっと軽くステップを踏んで、そんなあたしの前にガーベラが躍り出る。
「どうしました我がライバル? もう立てませんの? 情けない姿ですわねぇ」
何か言い返してやろうとしたが、情けない姿なのは間違っていないのでそのまま力なく頷く。
「……がっかりですわね。仮にもライバルとした者がこんな体たらく。こんな調子では幹部になんてとてもとても」
ガーベラは大げさにため息を吐くと、そのまま今度はイザスタに向き直る。そして持っていた扇子を力強くつきつけて言ったのだ。
「ねぇイザスタさん。残り時間三分で、そこに倒れてる
いかがでしたでしょうか?
どうもたま~に少女の心をバッキバキにへし折りたくなる今日この頃です。
何故って? 可哀そうは可愛い。
そして、心折れて尚立ち上がる姿はさらに輝かしいのだから。
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ネル ライバルを分からせるべく立ち上がる
急にあたしに代わって戦うと言ったかと思うと、ガーベラはイザスタに戦いを挑んだ。だけど、
「はああああっ!」
「ふっ……ほっと! 中々良いわねん!」
「お褒めに預かり光栄ですわね……せいっ!」
分からない。何故ガーベラは、あそこまであの女に向かっていけるのか?
今もガーベラの髪はまるで蛇のように伸び、幾重にも分かれて多方面からイザスタに襲い掛かる。
そしてイザスタもそれに応じてあのドロドロを分裂させ、一つ一つ弾いたり受け止めていく。
それは一見すると普通に打ち合っているよう。でも、
「邪因子を同時にこれだけ、しかも個別に制御するのはお見事。でも……ほ~ら! 脇が甘いわよ!」
「くぅっ!? なんのっ!」
二人の力量差は歴然としていた。いくらガーベラが手数を増やしても、それに応じて同じに増やせるくらいに向こうには余裕がある。
今も髪の弾幕をするりと抜け、ガーベラはイザスタに脇腹をスッと撫で上げられた。
すぐに反応してガーベラが中段蹴りを見舞うも、イザスタはフフッと笑ってまた距離を取る。
やっぱり勝てない。
ガーベラも馬鹿じゃない。それくらいは分かってる筈……なのに、
「何で……諦めないの? 何で勝てないのに立ち向かっていけるの?」
少し離れた所でどうにか身体を起こし、あたしはそうぽつりと漏らす。すると、
「確かに状況は不利ですわね。向こうの方が圧倒的に格上で、おまけに時間も残り僅かですわ」
その言葉を耳聡く捉えたのか、ガーベラがそうこちらに背を向けながら返してきた。
邪因子の連続多数制御は消耗が激しいのだろう。反撃を受けていないのに既に満身創痍。息も荒く僅かに身体もふらついている。だというのに、
「でも、たかがこのくらいの逆境で諦められるほど、私行儀の良い方ではありませんので」
その背中はまだ闘志を失っていなかった。
「たかがって言われちゃうと、ちょっぴりアタシも傷ついちゃうわねん」
大して傷ついてもいなさそうなイザスタに対し、ガーベラは静かに言葉を紡ぐ。
「あらごめんあそばせ。ですが私、これでも幹部になろうとしている身。そして、
その最後の言葉は、あたしに向けられた気がした。
……あたし、こんな所で何をしているんだろう?
あたしはネル。ネル・プロティ。お父様の娘で次期幹部筆頭。なのに何で今こんな砂浜で力なく倒れたままでいるの?
「良いわねぇ良いわねぇっ! 誰か大切な人の為にも負けられない。そういうモノがある人って好きよん! 応援したくなっちゃうっ! それがアタシ好みの子なら尚更ね。……でも勝負は勝負。わざと負けてあげても喜びはしないでしょう?」
「当然ですわね。それに、実力差があるからと言って勝てないというのは早計でしてよ。私が……
ガーベラのその言葉に、何故か身体を抑えてニマニマしながら身悶えていたイザスタが顔色を変える。次の瞬間、
ドドドドッ!
ガーベラが
地面から伸びる髪によって、イザスタはまるで髪の檻に閉じ込められたような形になる。
「あららららっ!?」
「やっと虚が突けましたわね。少々悔しいですが、実力で勝てない相手には奇襲奇策が一番。ここが柔らかい砂浜で助かりましたわ」
効いてる。殺到する髪はまだ当てられてはいないけど、さっきまでの余裕ある避け方とは違いイザスタの顔からは僅かに焦りが見える。
ドロドロの迎撃をすり抜けた髪の一束がイザスタの目前まで迫り、
「よっと!」
パシンっ!
遂に躱しきれず自分の手で弾き始めた。対処が追いつかなくなってきた証拠だ。そして、
「さあ。このまま押し切らせてもらいますわよっ!」
髪の大半を地面に潜り込ませたまま、ガーベラ自身が突貫する。
砂浜をザッザッと駆け、押し留めようとするドロドロを手に持った扇で振り払いながら、自身も髪の檻に入って今もなお髪に対処しているイザスタに迫る。
「貰いましたわっ!」
「おっとっ!? やるじゃない!」
ガーベラが扇を振りぬいて一閃すると、イザスタは身体を大きく反らしてそれを回避。そのままドロドロでガーベラを絡め捕ろうとするも、同じようにガーベラも髪で絡め捕ろうとしていたので髪の方を相殺。
そのままイザスタは距離を取ろうとするけど、包囲している髪がそれを許さず自然とガーベラとの白兵戦に持ち込まれる。
「……行け……行けえええっ!」
どうしてか分からないけれど、自然とそう口をついて出てきた。
おかしいな。あたし……自分が幹部になること以外どうでも良いと思っていた筈なのに。
そのままで数分間、ガーベラの攻めをイザスタがいなしていく展開が続き、
「……あっ!?」
「……ここまで、ですわね」
「そうみたいね。残念」
「邪因子切れ……ですか。もう身体がまともに動きませんわね」
周囲に伸びた髪がシュルシュルと戻っていき、ガーベラは大きく息を吐いてその場に座り込む。
普通ならガーベラが邪因子切れを起こすなんてまずない。だけどイザスタを相手取るには常に髪に邪因子を流したまま全力を出し続ける必要があって、なおかつ自分自身も攻撃に参加していた、その負担は相当なものだっただろう。
「残り時間一分って所かしら。ガーベラちゃんの邪因子制御技術は群を抜いていたけど、その分ペース配分を間違えると一気に消耗が激しくなる。残り時間いっぱいまで続けられたならまだ可能性はあったけど……惜しかったわね」
「よく言いますわ。配分を考えていたらそもそも焦らせることすらできなかったでしょうに。ハンディ有りでここまで差を見せつけられるとはとても……と~っても悔しいですが、良い経験になりましたわ」
ガーベラは本当に悔しそうだった。
全力を出し切り、あと一歩の所まで追い詰めたというのにその手は届かない。
あたし……本当に何をやっているんだろう? ぐっと拳を痛いほど握りしめる。
身体をまともに動かせなくなったのはあたしも同じ。でも、正しく全力を出したガーベラとは違う。
あたしは先に心が折れた。全力を出し切るでもなく、実力差によって諦め、膝を突いた。そしてあまつさえ、そんな状態でガーベラに戦いを代わってもらった。
……ふざけないでよ。
ドクンっ!
ああ腹立たしい。負けた事も、チームメンバーに情けない姿を晒した事も、相手が強いってだけで心が折れかけた事もっ! そして、
ドクンっ! ドクンっ!
「ガーベラに諸々気づかされた上、最後まで戦った
「……ぁぁぁああああっ!」
いつまでも怠けてないで、とっとと動きなさいよあたしの身体っ! 叫びと共に、動かない身体に無理やり邪因子で喝を入れる。
一度動き出すと、さっきまでの調子が嘘のように身体の重みが取れた。あたしは一度トンっと跳ねて調子を確かめると、何か良い感じに握手して終わろうとしている二人の間に割って入る。
「やっと、立ってきましたか。
「……チッ。その来るって分かってたわよって態度も腹立つのよガーベラっ!」
座り込んだままニヤッと笑うガーベラに、軽く舌打ちしてあたしはイザスタと向き合う。
「あら? ちょっと予想外ね。もうしばらく放心状態かと思ってたけど」
「馬鹿にしないでよ。あれは……軽く休憩してたのよ。その間コイツが勝手に勝負に乱入してただけ。あたしが戻った以上やっぱりあたしが戦うのは当然でしょ?」
「……成程。確かにネルちゃんは降参宣言はまだしていないし、時間もまだ残ってるわよねん。だけど良いの? 今はタイマーをストップしてるけど、もうあと一分くらいしかないわよ?」
確かめるように聞いてくるイザスタに対し、
「クスクス。
あたしは敢えて挑発混じりに薄く笑ってそう返す。
実はさっきの戦いで邪因子量自体かなり減ってるから、逆に数分と言われてもキツイのは内緒ね。
「だからお姉さんだって……そういえばまだこの勝負。アタシが勝った時の内容を決めてなかったわよね! 決めたわっ! アタシが勝ったらお姉さんと呼んで頂戴な!」
「それで良いよ。だって、勝つのはあたしだから」
呼び名を変えてもらうなんて単純な……はっ!? あたしもオジサンに似たようなこと頼んでるんだった。う~ん真似された。
あたしはそこでふと気が付いて、座り込んだままのガーベラの方に歩み寄る。そして、
「ほら。邪魔だからさっさと退いてあっちで見てなさいよ。……ああ! 自力で動けないんだ? 何なら向こうまで運んでってあげようか? 元ライバルのよしみで」
「オ~ッホッホッホっ! 御冗談を。これくらい……やっ! 自分で歩けますわ」
ガーベラはよろよろしながら高笑いしつつどうにか立ち上がる。無理しちゃって。足プルプルじゃん。
「そちらこそ、お一人で大丈夫ですの? 何ならまた代わりに戦ってあげましょうか?」
「ふんっ! ちょっぴりあたしより頑張ったからって調子に乗らないでよ。これは要するにアレね! やることは何にも変わらない」
ボロボロなのに軽口を叩くガーベラに対し、あたしは腕を大きく上げて人差し指を伸ばす。
「あの女に一発喰らわせて、ついでにアンタにも分からせてやるわ。
「……それでこそ我がライバル。では、戦いの前にちょっとした
そう言うとガーベラは、あたしの耳元に顔を寄せてその激励を語り始めた。
なお、その頃のピーター君。
「ふぬぬぬっ…………あ~目が痛い。目薬持って来れば良かったっ! ……だけど、やっと見つけたぞ! 中継点っ!」
何か裏でこっそり動いているピーター君でした。
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ネル 雑用係との訓練を思い出す
「それじゃあラスト一分。この小石が地面に落ちた瞬間から再開ってことで。……行くわよ。えいっ!」
イザスタがどこか気の抜ける声で、空高く小石を放り投げる。
さて。どうしよう? 啖呵を切ったは良いものの、今のまま戦っても勝ち目は薄い。
認めたくないけど、アイツの実力は幹部級……いえ。まさかとは思うけど、ワンチャンお父様の足先くらいには手が届きそう。
ハンディはあってもさっきみたいにドロドロの邪魔もあって有効打を当てるのは難しい。
おまけに……
タメール含め周囲から邪因子が少しずつ流れ込んでいるので回復している筈なのに、体感で今の邪因子量は普段の半分ちょい。
考えてみたら、いくら全力戦闘とはいえたかだか数分であのガーベラが邪因子切れを起こすだろうか? あたしの消耗も考えて、何かからくりがあるっぽい。
高く上がった小石が速度を落とし、あとは一気に落ちるだけ。
ああもうっ!? せめて万全の状態なら……。
そんな時、ふと以前オジサンとシミュレーション室で模擬戦した時の事を思い出した。
あの時、あたしは互いに邪因子が同じくらいになるよう調整してた。
だからまあ邪因子の少ない状態に慣れるまでの間、一度くらいはもしかしたらまぐれでオジサンが勝つこともあるかもなぁって。でも、
『もうっ! 何で同じ邪因子量の筈なのに勝てないのっ!?』
『そりゃあお前、年期と経験の差だな。あと単純に
何回やっても勝てず地団駄を踏んで悔しがるあたしに、オジサンは軽く息を整えながら言う。
『お前さんは動きの筋は良い。技も見様見真似でどんどん上達してる。だけど元々の邪因子が有り余っている弊害だな。どうしても必要以上に使っている。だから普段の調子で使っているとガス欠になるわけだ』
確かにその時、あたしは体力はともかく邪因子がすぐに切れて、そこをオジサンに突かれて負けていた。オジサンの方は逆に体力の方が減っていたらしいけど。
『対してだ。俺はいつも身体の邪因子の流れを意識している。常時全開にするんじゃなくて、
『ぶぅぶぅっ! 何さ何さ。勝ったからってえっらそうに。……良いもんね。そんなことしなくても、普通に邪因子を高めまくって押し切れば良いもんね~っだ!』
『……まあ常時活性化させ続ける事で隙を減らしたり、邪因子の鍛錬をしている
あの時は碌に聞きもせず、また次の勝負をせがんで結局負けたんだったっけ。
「身体の邪因子の流れを意識……か」
いつもはなんとなく意識を集中するだけで、そこの邪因子が昂って活性化していたからやる必要もなかった。消耗ったってそんな気にするほどの状況もあまりなかったし。
強いて言うなら球避けゲームや邪因子制御テストの時ぐらいだけど、前者は反応速度が高ければ誤魔化せたし、後者はどっちかというと手先の器用さで失敗した。
正直ぶっつけ本番。だけど、
「オジサンに出来たのに、あたしに出来ない筈がないじゃないっ!」
ポトッ。
そんなしたかしないかという再開の合図と共に、あたしはイザスタに向けて走り出す。
「あらあら。また真正面から? 懲りないわねぇ」
どこか呆れるような声を出しながら、イザスタは今度は堂々とドロドロをあたしの目前に出現させる。
だけど、それくらいは予想済み。あたしはドロドロに捕まる寸前、
「……ここっ!」
いつものように思いっきり
「ふ~ん。フェイントを混ぜてきたわねん。じゃあ……これはどう?」
イザスタが軽く指を振ると、今度はドロドロが薄い壁のように前方に広がる。これは横っ飛びしても当たってしまうし、かといって普通に殴ったんじゃ受け止められて絡め捕られてしまう。
「ネルっ!」
……ああ。後ろからガーベラの声が聞こえる。さっき邪因子を高める事ばかりに気を取られていた時も、こうして声をかけていたのだろう。あたしは聞くことすらしていなかったけど。
「大丈夫っ!」
でも、今はちゃんと聞こえてる。
ドクンっ!
鼓動と共に邪因子が活性化し、心臓から肩、腕、そして拳へと伝わっていく。だけど邪因子を本気で昂らせるのは一瞬だけで良い。あたしは走りながら腕に力を込める。
そして、目前まで迫ったドロドロがあたしに絡みつこうとした時、
パパパンっ!
あたしは一気に邪因子を昂らせ、拳を振りぬくのではなく拳圧を連続で当ててドロドロを吹き飛ばした。そして空いた風穴を潜ってまた前進する。
「なるほど。こういう感じか。
「やるじゃないの!」
さあ。待ってなさいよオバサンっ! 今度こそ一発決めてやるんだからっ!
◇◆◇◆◇◆
(う~ん。もうちょっとって所かしらね)
イザスタは自分に挑みかかるネルに対し、冷静に状況を分析していた。
(何があったか知らないけど、間違いなくさっきよりグッと動きは良くなったわ。高い邪因子に振り回されていたのが、動きや出力に緩急が付き始めた。触る暇がないわねん!)
「うららららぁっ!」
ネルが放つ乱打を、イザスタはドロドロを壁のように目前に展開して防御。すかさず前のように絡め捕ろうとするが、ネルは絡め捕られる前にステップを踏んで躱していく。さらに、
「これなら……どうっ!」
「おわっと!? あっぶないわよん!?」
遂に蹴りにまで邪因子を込め、斬撃に近い威力になってドロドロ越しに狙ってきた時は流石のイザスタもヒヤリとした。
何かのきっかけ一つで戦闘中に急成長する者は稀にいる。それがネルはたまたま今だったのだろう。そう考えるイザスタだったが、
(あと20秒。時間が足りなかったわね)
もし今の勢いがさっきの戦いの時に有ったのなら、成長度合いを加味して僅かにだがイザスタに一撃入れる可能性もあった。
だけど現実はこの通り。ガーベラの奮戦がきっかけになったとはいえ、心折れかけたネルはその大事な時間を無駄にした。
今も懸命に隙を狙うネルの拳を、イザスタは余裕のある身のこなしで躱している。
(わざと当たってあげても良いけど、ネルちゃんやガーベラちゃんみたいなタイプにそれはダメよねぇ。……残念だけど、このまま勝たせてもらってお姉さんって呼んでもらっちゃうわよ!)
残念がりつつも喜ぶという器用な真似をしながらも、イザスタは迫りくるネルの拳を躱そうとし、
……バチンッ!
「どうしたの? 何か具合の悪い事でもあった? 例えば……大事な物にちょっかいを出されたとか」
「……まいっちゃったわね。そういえばさっきからピーターちゃんが居ないと思ったら、まさか
ネルの言葉にイザスタは軽く苦笑いする。それは大事ではあるが代わりは効くし、抑えられたとて今すぐどうにかなる物でもない。ただ何かされたという事に反応して意識が逸れた結果がこれだった。
「詳しくは聞いてないんだけど、うちのリーダーは物を見つけるのは得意なんだよね! ……さあ。
素早く拳を開いて互いの指を絡め合わせると、ネルは凄みのある壮絶な顔で笑った。
残り時間10秒。最後の応酬が始まる。
という訳で、幾つかのサポートを受けながらネルにやっとチャンス到来です。
次回イザスタ戦決着予定。お楽しみに。
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ネル お姉さんに頭を使って立ち向かう
◆◇◆◇◆◇
ピーターが違和感を覚えたのは、互いに自己紹介をした時の事だった。
イザスタと変なドロドロに邪因子の繋がりがあるのは分かる。分からないのは、イザスタから周囲に放出されている邪因子と、逆にイザスタへ島のあちこちから流れ込んでいる邪因子。
それだけなら不思議な事というだけで済む話。ただし、ネルとの一度目の戦いを見る内、ピーターだけがその異常性に気が付いた。
この場所に来た時から感じていた包み込むような邪因子。
いくらイザスタが強いとしても、普段に比べて異常なほど激しいネルの邪因子の消費率。
そして、
「まさかとは思ったけど……いやホントにまさかだよ。普通そんな事出来るわけがない。
イザスタから放たれる邪因子。本来なら広い世界に溶けてしばらくすれば消え去るそれだが、ここは外と隔絶された場所。
コップの水にある一定以上砂糖を溶かすとそれ以上は溶けずに残るように、その空間の限界値まで邪因子が溜まり続けた結果、消えずに邪因子はそのまま大気に残る。
ネル達がこの場所に来た時身体の調子が良くなったのも、大気中の邪因子を無意識に吸収していたから。つまり自動回復エリアだった。
しかし、それはどこまで行ってもイザスタの邪因子。
もてなすべき客人としてあるならまだしも、敵対すれば回復する道理もなく、むしろなまじ身体に取り込んだ分が
客人には癒しを。敵対者には脱力を。それこそがこの空間。イザスタのプライベートルームだった。
全貌とまではいかずとも、ピーターはそれに気が付いてガーベラに報告。そして戦っているネルにも知らせようとするが、
「まったく。ネルさんったら半分暴走状態でこっちの声なんか聞いちゃいないんだから。しかも結局力尽きて途中で動けなくなっちゃうしさ」
仕掛けを知らせる前にネルがダウンした時、ピーターは内心少し呆れていた。勝手に突っ走って暴走してこれだよと。だが、
『仕方ありませんわね。どうせ数分したら立ち直るでしょうが、その間私が出るといたしましょう。あれだけの方にお相手頂けるというのも良い機会でしょうし。リーダーさんはどうします?』
ネルはすぐに戻ってくると信じて疑わないガーベラの言葉に、ピーターは困惑した。
しかし実際その可能性はネルの性格上高いし、半分自滅とはいえチームメンバーがやられて何も動かないというのも気分が悪い。なので、
『ええっ!? あれに乱入するんですかっ!? ……ああもうっ!? やれば良いんでしょ!? じゃあボクはさっき言ったように、イザスタさんに流れ込んでいく邪因子を辿ってみます。あれだけちゃんとした流れだ。どこかにきちんとした道筋を作る中継点か何かある筈。それにちょっかいを出せば、少しでも意識が向いて隙が出来るかもしれません。タイミングは連絡よろしく』
当然ここで戦っても勝ち目はない。だが、今回の勝利条件は
卑怯? 盤外戦術? 悪の組織ですがそれが何か問題でも?
そうして邪因子の流れを辿っていき、
「ふぬぬぬっ…………あ~目が痛い。目薬持って来れば良かったっ! ……だけど、やっと見つけたぞ! 中継点っ!」
流れを見逃すまいと酷使した眼を瞼の上から押さえながら、ピーターは密林に隠された物を見つけてホッとしていた。
それは一見するとただの木だったが、幹に小さな石のような物が埋め込まれていてそこから邪因子が流れている。
「罠は……ないよね? あとはタイミングを合わせてっと……上手く行けば良いんだけど。頼みますよガーベラさん。ネルさん」
◇◆◇◆◇◆
残り10秒。
指が絡まった状態に、イザスタはやっと焦った顔をした。身を翻そうとしたけどがっちり掴んでいる。これはあくまで有効打ではないけど、やっとここまで来たんだ。もう逃がさないよっ!
「はあああっ!」
「……っ!?」
パシパシパシパシパシパシ!
あたしの拳は全て空いた方の手で阻まれ、一発も身体に届いていない。だけど、
7秒。
「ほらほらほらっ! どうしたのさっきの余裕はっ!?」
「イタタタ。地味に全部受け止めるの痛くなってきたわね」
少しずつ、少しずつ。イザスタの反応速度が痛みで遅くなっていく。……いや、こっちが速くなっているのかも。
ドクンっ! ドクンっ!
心臓が高鳴る度、邪因子もまた昂って身体中に流れていく。
なんかさっきから勝手に身体から放出される分があって消耗が激しいけど、そんなの気にならないくらいに……ああ。
どうすればもっと効率良く動ける? 残り少ない邪因子をどのタイミングで高め、そして緩める? オジサンの言っていた事を思い出しながら、瞬間瞬間に浮かんだ手を試していく。
圧倒的格上? 実力じゃ勝てない?
なら、
5秒。
「……ふっ!」
「危な……って!? 今の動き……まるでケンちゃんの」
見様見真似でオジサンが前見せてくれた型をやってみると、思ったよりすんなり身体が動いた。
それを見てイザスタが一瞬驚いた様子を見せる。今だっ!
「やあああああっ!」
「ウソ。踏ん張りの効かない砂浜でこんな……きゃああっ!?」
あたしは掴んでいた手に思いっきり邪因子を込めてそのまま振り上げた。掴まったままのイザスタは一瞬だけど足が地面から離れて宙に舞う。
3秒。
「きゃあああ……なんちゃって!」
だけどイザスタもそれで慌てたのは一瞬だけ。おどけた様子で笑いながら軽く指を振ると、地面からドロドロがあたしの足元に絡みついてくる。
このまま放っておいたらどんどん上がってきて、あたしの身体はまともに動かせなくなるだろう。だけど足元を振り払っていたら時間が、
「さあ。どうするの?」
「こうすんのよっ!」
「あらっ!?」
あたしは咄嗟に全身から邪因子を放出し、ズンッと足を踏み下ろしてドロドロを吹き飛ばしながら真上のイザスタを一気に引き寄せる。
1秒。
残るあたしの邪因子は、ありったけを振りかぶった右腕に。
心臓から肩に。肩から腕に。腕から拳に。そして、
「いっけえええぇっっ!」
あたしは全力で拳を振るい、
「惜しかったわね」
バシイッ!
微笑むイザスタにギリギリで拳を受け止められた。
0秒。
「
ズガァンッ!
ピピピッと時間らしきアラームが鳴るのと、あたしがそのままの勢いで落ちてくるイザスタの額に頭突きを食らわせたのは、ほぼ同時の事だった。
これにてネル対イザスタ戦決着です。
久々のバトル描写でかなりの難産になりましたが、楽しんで頂ければ幸いです。
この話までで面白いとか良かったとか思ってくれる読者様。完結していないからと評価を保留されている読者様。
お気に入り、評価、感想等は作家のエネルギー源です。ここぞとばかりに投入していただけるともうやる気がモリモリ湧いてきますので何卒、何卒よろしく!
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ネル やる気になったお姉さんに攫われる
あたしは今、とんでもない屈辱に甘んじていた。
「は~いネルちゃん! それじゃあ言ってみましょうか!」
「……うぅ~っ。…………さん」
「え~? 元気ないわねん。もう一度大きな声で、セイっ! トゥっ! ミーっ?」
どうにかこうにか声を絞り出すも、この女はこちらをいたぶるようにニマニマしながら再度要求する。
う~。相手の逃げ道を塞ぎ、じわじわと追い詰めるこのやり口。どこかオジサンのやり方にも似たそれをやるこいつこそ、間違いなく“悪”という奴だ。
「え~いもう分かったよっ!? イザスタ…………
「よく言えましたっ! ああそんな涙目になっちゃって。その姿も可愛いったらないわねんっ! ほ~らっ! 良い子良い子っ!」
「わぷっ!? 抱きついてこないでよっ!?」
満面の笑みでうっとおしいほど頬ずりしてくるイザスタを手で押しやりながら、あたしはどうしてこうなったか思い出していた。
イザスタに渾身の頭突きを食らわせた後、あたしは勝利を確信していた。だけど、
「むきぃっ! アラームの音と同時に当てたんだからこっちの勝ちでしょっ!?」
「いいえ。セットした
この女。ああだこうだ理由を付けて負けを認めようとしない。なんて大人げない奴だ。あたしが軽く睨みつけていると、イザスタはクスっと笑って冗談よと手を振る。
「でも流石にここまでぎりぎりの判定になるとは思ってなかったし、ここは間を取って
引き分けか。今のはぜ~ったいあたしの勝ちだと思うけど、確かにこのままじゃ埒が明かない。もう一回やれと言われても少し面倒だし。
それに、こっちは頼んでないけどガーベラとかピーターにちょっと……本当にちょこっとだけど助けられたような気がしないでもないし、その点では一人だけで勝ったとは少し言いづらい。
「……仕方ないなぁ。じゃあ引き分けで良いよ」
「オッケ~! じゃあ
要求? ……あっ!? 確かお姉さんと呼ばなきゃいけないんだった!? ぐぬぬ~。こんな手にひっかかるなんて悔しい。
でも、逆に言えばこっちの要求も通るという事。この厄介な女がオジサンに近づかなくなると考えれば、お姉さんと言うくらいは……まあ我慢しようじゃないの。
そうしてイザスタをお姉さん呼びする(ただし今日一日だけ)という屈辱に耐え忍び、あたしは一度ガーベラの所に向かう事にした。
「オ~ッホッホッホっ! やりましたわねっ! 見事あの方に一撃当てるとは流石我がライバルですわっ! まあ途中へこたれたアナタが立ち直るまでの
ビーチチェアーで横になりながら高笑いするガーベラは、もう大分回復しているみたいだった。じっと休んでいるだけで勝手に周囲から邪因子が流れ込んでくるんだから当然か。
「うっさいうっさい! アンタ達が居なくたって、あたし一人で勝ってたもんね~だ。……まああの女に隙が出来たのは確かみたいだし、アンタが割り込んでなかったら負けにされてたかもだし、その点はちょこ~っとだけ助かったかもね。だから……その…………ありがと」
あたしが顔を背けながら言うと、ガーベラは一瞬呆気にとられたような顔をして、すぐにさっきのイザスタみたいにニマニマしてた。
「このあたしが礼を言ってあげたんだから、少しは感謝しなさいよっ!」
「まあ!? 減らず口もここまでくるとご立派ですこと。はいはい。ありがとうございました。ところでイザスタさんは?」
「ピーターを迎えに行ったよ。なんでも、中継点にちょっかいを掛けたは良いんだけど、防犯システムに引っかかって解除しないと動けないんだって。詰めが甘いんだからピーターってば」
あたしも勢いよくビーチチェアーに寝転がりながら言うと、ガーベラは「そうですか。と言ってもあの方ならそこまで悪いようにはしないでしょう」と笑う。
なんでさっき会ったばかりの奴をそこまで信じられるのか分かんない。でも、言われてみるとあの女にはどこかそういう雰囲気がある。安心感っていうの? どこかオジサンと同じ雰囲気。……そういう点も腹立つんだけど。
「たっだいま~! 待たせてごめんねぇ!」
「おっそいわよ! ……って!? どうしたのピーター!? なんか真っ白に燃え尽きたって感じになってるけど」
しばらく回復がてら果物をむしゃむしゃ食べていると、やっとイザスタがピーターをドロドロに運ばせてやってきた。
だけどピーターはどこかゲッソリしていて、逆にイザスタはなんかつやつやしてる。
「……き、聞かないでください。思い出すだけで……う~ん」
「ちょっとイザスタ……お姉さん? あんたピーターに何したの?」
まさかあたしに負けそうになった腹いせにピーターに八つ当たりでもした!? だとしたら人様の下僕に手を出した事を後悔させてやる必要があるけど。
ピーターを虐めていいのはあたしだけなんだよ!
「特に何もしてないわよん。ただ中継点で何かあると、自動でそこに居た人を捕らえる罠が作動したってだけ。流石のピーターちゃんも、
不思議に思ってイザスタにさらに深く聞いてみると、ピーターは罠に拘束された上でイザスタが来るまで身体の隅々まで
「あと強いて言うなら、いくら勝負のためとはいえ勝手に機材を弄ろうとしたので軽くお仕置きはしておいたわ! ああ大丈夫!
「……ぐすっ。全身くまなくねっとりみっちり触られちゃった。おまけに悔しいけどとっても気持ち良かったし……もうお婿に行けないかも」
「リーダーさん……ご愁傷様です」
手をワキワキさせて微笑むイザスタの後ろで、すっかり涙目になってへばっているピーター。それをガーベラがどこか優しい口調で慰めていた。
まあ怪我とかは一切していないみたいだし、疲れてるみたいだけどここで少し休めばすぐ回復するだろうし……良いのかな。うん。
「さ~てと! ピーターちゃんもガーベラちゃんも終わったし、ずいぶんと待たせちゃったわねネルちゃん。早速施術を始めましょうか! 二人はまたそこで寛いでいてね!」
「えっ!? 嫌だけど? 誰がアンタの前でわざわざ無防備に肌なんか……ひゃっ!?」
ガシッ!
「まあまあそう言わずに! ケンちゃんにも頼まれてるし、個人的にもと~っても好みだからもう思いっきり気合入れてアタシ頑張っちゃうわよん!」
このっ!? コイツニコニコしてる割にすっごい強引だ!?
イザスタはあたしの身体を抱きかかえると、そのまま鼻歌交じりにさっきのテントに歩きだした。
うわ~ん!? さ~ら~わ~れ~る~っ!?
罠に掛かったピーターとイザスタの一幕。
「た~すけてぇっ!? 頭以外全身ドロドロに呑まれちゃって動けな……ひゃうっ!? なんか溶かされてるっ!?」
「今解いてあげるからねピーターちゃん。大丈夫大丈夫。この子は肌の老廃物だけを溶解・吸収するように仕込んであるから害はない筈よん! ……下手に暴れなければ」
「早く助けてくださ~い! ……ふぅ。助かりました。このままだったら一体どうなるかと……ところでそのワキワキさせてる手は?」
「うふふっ! これはね、裏で勝手に罠に引っかかった悪い子に、お仕置きをするための手なのよん! さあまた服を脱ぎ脱ぎしましょうね!」
「ぎょ、ぎょえ~っ!?」
この後めちゃくちゃ触られました。
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ネル お姉さんから診断結果を告げられる
グッ! グッ!
シートにうつぶせになるあたしの背を、イザスタの指がリズムよく押しながら揉み解していく。
「ふんふふ~ん♪ どうネルちゃん? 気持ち良い?」
「……別に気持ち良くなんかないもん」
「あらそう? それにしては……ちょっと顔が夢見心地に蕩けちゃってるんじゃないかなぁ? 寝ちゃっても良いのよん」
揶揄うようなイザスタの言葉通り、どこか心地よい眠気があたしの目蓋を重くする。だけど、
「寝ないもんっ! ……それよりホントだよね? ホントに
「絶対とは言わないけど、原因が身体の不調であるなら大体何とかなるわ! ど~んとお姉さんに任せなさい!」
イザスタは軽くパチンとウインクすると、また力強く指を押し込んだ。
「うふふっ! 肌ももちもちでスベスベ。それでいて力強く繊細。触り甲斐があるわねん!」
「いいからさっさとやってよっ!」
さて。何でこんなことになったのかと言うと、
「さあネルちゃん! マッサージするから服を脱ぎ脱ぎしましょうねん! それとも……アタシが脱がせた方が良いかしら? それはそれでクルものがあるけど」
「ちょっ!? 寄るな触るなこのヘンタイっ!?」
テントの中に連れ込まれたあたしは、そこで解放されるや否やイザスタに向けて構えを取った。
「あたしはマッサージなんか要らないってのっ!? 疲れだってどうせここでならすぐ取れるんでしょ? なら別にいいよっ!?」
「そんなつれないこと言わないで。ほ~ら。痛い事なんかないんだから!」
イザスタはにこやかに笑ってそんな事を言っているけど、あたしは騙されない。さっきのガーベラやピーターの有り様を考えるに、この女に少しでも気を許したらすぐへにゃへにゃにされちゃうんだから。
いざとなったらこのテントごと邪因子で吹き飛ばして逃げてやろうかと考えていると、
「……これがケンちゃんの頼みだとしても?」
「なんでそこでオジサンの名前が出てくんの?」
「さっき頼まれたからよ。ネルちゃんが何故か変身できない症状に悩まされているから、時間があったら診てやってくれって」
急に真剣な顔でそう告げるイザスタ。オジサンめ。余計な事をペラペラと。
“変わらずの姫”なんて一部の幹部候補生から揶揄されているように、あたしは何故か変身できない。
何度か“お父様”に頼んで精密検査をしてもらったけど原因は不明。
『それは体質に依るもので考えずとも良い。今はただ邪因子の向上に励め』と言ってもらったから意識しないようにしていたけど、それでも他の幹部候補生達が気軽に出来るようになっていくのを見るとどこかモヤっとした気分になった。
それが今日会ったばかりのこんな女にどうにか出来るとは思えない。おまけにここには検査用の機材も何にもないし、オジサンは一体何を考えて。
「ふふん。ここには機材もないし出来っこない……とか思っているんでしょう? 実はアタシ、ちょ~っとした
「へぇ。そうなんだぁ。スゴイネ~」
「とっても棒読みなお返事ありがとう! まあいきなりこんなこと言われても信用できないわよねぇ。……だけど、一つだけ信じてほしいの」
「へぇ。何を? イザスタ……お姉さんの腕を?」
あたしがちょっぴり皮肉っぽく言ってやると、イザスタは軽く笑って首を横に振る。
「いいえ。アタシを信じろって言っても難しいから、アタシを見込んで頼んできたケンちゃんを信じてあげて。それならまだハードル低いんじゃない?」
「…………じゃあ、良いか」
イザスタにあたしの事をペラペラ話した事は試験の後で責めるネタにするから良いとして、オジサンの顔を立てると思えば受けても良いかも。
変身の件云々は流石に無理だろうけど、ガーベラ達の反応から疲れ自体はとれるっぽいしね。
あたしは素直に上着を脱ぎ、シャツ一枚になってシートにうつ伏せになる。
「
「あら生意気。だけどそんな所もまた可愛い! ……大丈夫」
イザスタは胸元に提げた砂時計を軽く弄ぶと、あたしを安心させるような人好きのする笑みを浮かべて宣言する。
「好みの子に頼りにされたお姉さんは、もう普段の数倍頑張っちゃうのよん! だから安心して身も心も曝け出してねっ!」
一気に最後の一言で胡散臭くなったよ。やっぱ止めた方が良かったかも。
という事があって今に至る訳なんだけど、
「…………うん……うん。成程ねぇ」
さっきまでお喋りしながら身体を全体的に触れていたイザスタが、急に背中の中央辺りに手をやったまま目を閉じ、そのまま何か一人でぶつぶつ言い始めた。
「……うん…………うん? ……あれぇ? 何これ?」
「ちょっと? 何一人でぶつぶつ言ってんの!?」
一人で勝手に納得しないでよと声を挙げると、ハッと気づいたイザスタはゴメンゴメンと苦笑する。
その後数分そんな状態が続いたかと思うと、大きく息を吐いてイザスタは軽く背伸びした。マッサージ自体はまだそんなにやってないけど、さっき言ってた奴は結構な体力を消費するらしい。
「それで? なんか分かったの? まあ本部で散々検査したのに原因不明だったんだから、何も分からなかったとしても別に「大口叩いたけど分からなかったですゴメンナサイ」って頭下げてくれるだけで」
「いや、
「分かったのっ!?」
嘘だっ!? いくら何でもこんな短い時間でこうもあっさり。でも、イザスタは良くも悪くも掴み所がなくて、案外すんなり出来てしまいそうな雰囲気もあるにはある。
たっぷりの諦観とほんの僅かな希望を込めて改めて聞くと、イザスタはどこか困ったような顔をして首を縦に振る。
「理由は分かったし、治療法もあるわ。……だけどそれを説明する前にちょっと質問させてほしいの」
「質問? 別に良いけど」
それからイザスタはどこかから紙とペン、そして小さな椅子を取り出して腰かけると、よく分からない事をつらつら聞いてきた。
あたしが検査したのは本部のどことか、担当した職員の名前とか、
“お父様”に迷惑をかけるのは忍びないからそこはぼかし、それ以外は正直に話す。イザスタは答えを聞く度に、何かしらをメモに書き付けていった。そして、
「う~ん……こんな所かしらね。あとはケンちゃんとマーサちゃん辺りを交えて話し合いを」
「ねえねえ。もう良いでしょ。早くあたしの変身できない理由について教えてよ」
「ああ……そうねぇ。じゃあ手っ取り早く結論から先に言っちゃうわね。落ち着いて聞いて」
イザスタはそこで一度姿勢を正し、ゆっくりと結論を口にする。それは、
「ネルちゃん。アナタの身体……意図的に
他のチームメンバーをマッサージしたイザスタの所見。
ガーベラの場合。
「良いわねぇ! かな~り好み。ちょっと触らせてもらったけどあの縦ロールと身体は日頃の手入れの賜物って感じ。邪因子も精度だけなら圧倒的にネルちゃんより上だけど、才能と言うよりと~っても努力した結果っぽいわねん。そういう頑張り屋な子も良いのよねえ。もうっ! あの子の意中の人が羨ましいわ。……何で分かるのかって? ふふっ! 秘密!」
ピーターの場合。
「……グッド。もうドストライク! 一目見てグッとくる物があったわね。あと見かけだけじゃなくて中身の方もまた良いのよ! 面白い邪因子の質も、魂の色もね。リーチャー所属じゃなかったらウチに勧誘してたのに残念。……まあ先の事は分からないし、ちょこっと仕込みくらいはしちゃうけどね!」
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閑話 雑用係は少し昔を振り返る 前編
ネル達が扉に入り、イザスタの所に跳んでから経つことしばらく。
「よ~しよ~し。良いぞ。そのまま邪因子を一定に保ちながら……ああ違う!? そうではないそうでは……あっ!? 落ちたぞ」
「ここのチームはチームリーダーの発想力は中々。まさか道に仕掛けられていた罠を回収して、小道具として再利用するとは思わなかったよ」
「だが全体的に邪因子のコントロール自体はやや難ありだ。時々タメールへの配分を間違えて必要以上に消耗している。チェックポイントを周り切る前に邪因子切れになりかねないぞ」
イザスタの所までは流石に映像も繋がらず、一番の注目株が観れないとはいえ他にも幹部候補生は多い。
俺達はテレビをザッピングするように映像をちょくちょく移動させ、あちらこちらの動向を見守っては野次を飛ばすという事をやっていた。いやまあここで観戦している幹部連中は大体そんな感じだが。
試験も時間的にはもうすぐ終盤。それなりに脱落者も多くなり、また評価はともかくチェックポイントを二つ、三つ周って扉探しを始めるチームも出始めた頃。
「しかし……あれだねぇ。考えてみたんだけど、やはりどうにも気になるというか」
丁度見ていたチームの一つが崖登り中、途中ネルが空けた岩肌の穴で一休みしている時、レイが急にそんな事を言い出した。
「何がだ?」
「さっきのイザスタという人の話さ。断片的に聞いた話をまとめてみると、君の幼馴染で昔の職場の同僚。っていう事はつまり……あの“始まりの夢”のメンバーってことだよね?」
「ああ。その通りだ」
「それっ! それがまずおかしいんだよ」
俺が頷くと、レイはビシッとこちらに指を突き付ける。急に人を指さすんじゃねえよ。驚くだろ。
「かつて
「あ~……その事か」
レイはおどろおどろしく両手を前に出して見せる。確かに字面だけ見ると結構な問題なんだよな。懸念するのももっともだ。
だが、よく見ればレイの表情はそこまで暗いものでもないのに気が付く。
「ハハっ! 冗談さ! もしそんな大事になっているなら君が動かない筈がない。なら今の所は問題のない内容って事だ。ただそれはそれとして私は悲しいよケン君。これでも一番の新人とはいえ上級幹部だよ? それなのに知らされていないなんて。およよ」
レイはどこかいじけたように泣き真似をする。子供ならともかく男の泣き真似は一体誰に需要が? 俺は呆れたように頬杖を突く。
「まあ実際アイツの事を知っているのはリーチャーでもほとんど居ないし、捕まえたっていうか本人からすればちょいと長いバカンスっていうか。……ちょっとここに来た経緯が複雑なんだよな」
どうやって説明したもんかと悩んでいると、
「
そこにモニターを眺めて楽しんでいた首領様が口を出してくる。ああもう余計話がややこしく!?
「首領様が!? ああいえいえ。そういう事なら問題などありませんですはい……本当かいケン君」
「本当だ。この首領様ときたらあろうことか、戦っている最中の相手を力ずくでスカウトしやがったんだ。
もう大分昔になるが、あの時の事は今でも忘れない。
◇◆◇◆◇◆
??年前。
とある荒野にて争う三人の男女が居た。
片や右手に赤い砂時計の飾りがついたグローブをはめ、黒いジャケットを着てロッドを構える青年。
そして、そこに並び立つのは青と白を基調としたラフなシャツとズボンを身に付け、首から同じ砂時計付きのネックレスを提げた一人の女性。こちらは身の丈ほどある十字槍を構えている。
それに向かい合うは、腰まで届く長い青磁色の髪を靡かせ、どこか軍服のような格好をした威圧感のある女性。
「……はぁ……はぁ」
「……ふぅ。まいっちゃうわね」
青年と槍使いの女性は、全身傷だらけで息も荒く満身創痍。
だが対する軍服の女性は全くの無傷。そして他の二人とは違い、構えるでもなくどこまでも自然体だった。
そう。構えなど必要ない。これは彼女にとって争いなどではなく、ただの
「ふんっ」
「がはぁっ!?」
軍服の女性の剛拳が、構えていた筈の青年のガードをたやすく抜いてボディに突き刺さる。
けっして青年は武術の素人と言う訳ではない。才能こそどちらかと言えば平凡寄りであったが、むしろその愚直なまでに鍛え上げられた技は努力だけで天才の領域に限りなく近づいていた。
しかし、軍服の女性の身体から放たれる圧倒的な邪因子。それによって強化された肉体は、ただの天才の領域を歯牙にもかけなかった。
「ケンちゃんっ!? このおっ!」
仲間がそのまま吹き飛ばされて砂埃を上げるのを横目で見ながら、槍使いの女性は追撃させまいと十字槍を大きく薙ぎ払うように振るう。
それは鋭いが力任せの単調な一撃。一目見て分かったのだろう。軍服の女性は軽く指で摘まんでやろうと片手をあげ、
グンっ!
「……ムッ?」
突如
それはよく見れば水の刃。使い手の手から槍を伝って放たれた水が、振るわれた瞬間刃先から飛び出したのだ。
「ほう。小細工を」
「まだ終わってないわよん!」
躱したと思った水刃はそのまま弾け、軍服の女性に付着した。そして槍使いの女性が軽く指を振ると、そのままドロドロと粘性を帯びて絡みつき動きを封じていく。
「今よケンちゃん!」
「おうよっ!」
そこへ砂埃の中から弾丸のように飛び出した青年が、軍服の女性に突撃した。
「小癪な。だが無駄なことだ」
しかしドロドロによる拘束も一瞬の事。全身から噴き出す邪因子はすぐに拘束を振り払い、そのまま指向性のある衝撃波として青年を迎撃しにかかる。
まともに喰らえばただでは済まないそれを、
「どおりゃああっ!」
青年は走りながらロッドを地面に突き立て、棒高跳びの要領で高く飛び上がって回避した。
ロッドは衝撃で弾き飛ばされるも、青年はそのまま空中で態勢を整える。
「飛び上がってその後どうする? 格好の的だ。撃ち落としてくれよう」
「させないわよっ!」
ゆらりと片手をあげて邪因子を放出しようとする軍服の女性に、槍使いの女性の振るう槍が襲い掛かった。
当然その程度のことでは軍服の女性は焦りもしない。今度こそ槍を掴み取り、そのままねじり取ってやろうと力を込めたその時、
「よいしょっと!」
ねじったその方向やタイミングと全く同じに、槍使いの女性は自分からくるりとその身を躍らせる。それはまるで、
「ふん。触れた槍ごしにワタシの
「感心してもらえるのは嬉しいけど、うふふっ! 頭上注意よ!」
それは本当に僅かな隙。
手を放すでもなく、取られるでもなく、予想外のやり方で返してきた事へと向いた感心によるもの。だからこそ、
「せいやああああっ!」
空中からの青年の跳び蹴りが僅かにとはいえ頬を掠めたのは、奇跡のようなものだったのだろう。
という訳で、ちょっと昔のお話です。
まとめて書くと普段よりやや長めになりそうなので、今回前後編に分けさせていただきます。
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閑話 雑用係は少し昔を振り返る 後編
「ちいっ! これだけやって一発掠めただけかよ。嫌になるぜ」
ズザザザっと勢いよく地面を削って着地を決める青年……ケン。武器を失い徒手空拳になったというのに、その眼からまるで闘志は消えていない。
「本当よねぇ。せめて近くに水場があればもう少しやれるんだけど、ここは見事にカラッカラの荒野。……無い物ねだりはしょうがないわよねん!」
ケンと同じく槍使いの女性……イザスタも、どうにか手放さなかった槍を振るって再び構える。
その間軍服の女性はと言うと、何も言わず軽く自らの頬を撫でていた。
そしてその手に付いた血。薄皮一枚切れて一滴染み出しただけのそれを見て、
「…………ククっ! ハハハハハっ!」
ただ、笑った。
それはいかにも楽し気で、愉快そうで、それでいてどこまでも凄絶な、ただの笑顔。たったそれだけで、
「ぐっ!?」
「これは……本気で洒落になんないわね」
他の二人への圧力が急激に跳ね上がった。
それまでも常人では意識を保っていられないほどの精神的な圧だったが、今度は物理的にぺしゃんこにされるような圧力に全身が悲鳴を上げ、足元が軽くひび割れる。だが、
「んっ……なろっ!」
「むぅ~……やあっ!」
二人は常人ではなかった。気合を入れて必死に圧力を耐え、ボロボロになりながらも尚立ち続ける。
「ハハハ……ふぅ。良いぞ。“煙華”が珍しく手こずっていると聞いて侵略前の戯れにしばし遊んでみたが、流石は始まりの夢。中々どうして粒揃いよ。……名を聞こう」
その様子を見て気を良くしたのか、軍服の女性は圧を解いて二人に話しかけた。
この瞬間、ただ蹂躙する対象から興味の対象になった事で、この場に居る者達の運命は変転する。
「はぁ……ケン。ケン・サード。
「あら自己紹介? そういうのは大好きよ! アタシはイザスタ。イザスタ・フォルス。ただのお姉さんよん!」
ケンはどうにか息を整える時間を作るべく、イザスタは純粋に会話を楽しむべく話に乗る。
「
軍服の女性……首領は、どこか納得したように頷く。
「言っとくが番号は実力順じゃねぇからな。俺は単にそれなりに長く在籍してるのと、あちこちに顔が利くからこの席に据えられただけだ」
「まあ戦闘力って意味じゃケンちゃんウチでは上の下ぐらいだものね。だけど他の十指や長く在籍している人は皆ケンちゃんに一目置いてるわよ! 頼りになるって!」
「皆して俺に雑用係を頼みたいだけだよなそれっ!? やれ料理作れだの道具の整備手伝えだのスパーリングの相手だの。俺も仕事が忙しいんだってのっ!?」
「でもなんだかんだ最後は手伝ってくれるのがケンちゃんなのよねん」
ケンはどこか嘆くようにぼやくのに対し、にこやかにそう返すイザスタ。その様子を見て首領はまるで面白がるように笑う。
「ククク。その戦闘力上の下の雑用係が、他の十指と二人がかりで加減しているとはいえこのワタシに一撃入れて見せるか。褒めてやろう」
「はぁ。お褒めに預かり光栄だよ。リーチャーの首領様。褒めついでに帰ってくれるとこっちは助かるんだけどな。……ちなみに加減してたってどのくらいだ?」
「そうだな……これくらいだ」
首領は少し思案して、軽く手を広げて見せる。
「5……5割くらいは出してたってか?」
「
「……マジかよ」
苦い顔でケンは隣に立つ相方に目線を向ける。すると、
「う~ん……多分ホントっぽいわよん。さっきちょろっと槍ごしに読み取ったけど、本当にこの人そのくらい加減してる。さっきのパンチだって、拳が
「それはまた……えらく絶望的な戦力差なことで」
イザスタが苦笑しながらもそう返し、ケンはそうかと額を手で押さえて天を仰ぐ。そして、
「……うっし。そんじゃ疲れもそれなりに取れてきたし、せめて10%は引き出させてやるとするか」
「OK。もう一踏ん張りするとしましょうか」
それでもなお、二人の戦意は揺るがない。再びしっかりと構え直すその様子を見て、
「ふむ。勝てぬと知ってもまだ足掻くか。……それは
首領はそう言って二人の後方のはるか先、この場所からでも微かに見える街、この国の首都を指差す。
「始まりの夢のやり口は知っている。誰かの依頼、願いを、支払われた対価の分だけ実行する。要するに
「……まあそんな所だ」
そうポツリと返すケンの表情は固い。何故なら、
「正確に言うと、あそこの王族に
「イザスタ。喋り過ぎだぞ。……まああまり良い依頼人でなかったのは確かだがな」
イザスタがは~いと肩をすくめるのを見て、ケンも軽くため息を吐く。
「なんだ? 見た所元より乗り気ではないようだな。どれほどの対価を積まれたかは知らぬが、自らの国も民も見捨てて逃げるような愚者の為にワタシに挑むというのか?」
その言葉と共に、首領から再び圧が放たれる。今度は肉体そのものに干渉するレベルではないが、それでも圧倒的な実力差を知らしめるには十分。それでも、
「当然だろ? これは単に
ケンは大きく一歩踏み出すと、首領を見据えて堂々と啖呵を切る。
「
「ケンちゃんったらこんな状況でも真面目さんなんだから。……ま、アタシ的には正直あんまり好みじゃない人達の為に動くのはやる気が出ないんだけど」
そう言いながらも、あまり気負わず飄々とした様子でイザスタもまたケンのように前に出る。
「それはともかくとして、あの街にはそれなりにアタシ好みの子が居るのよねん。だから、あそこにちょっかいかけようって言うんなら……お姉さんも
「首領ちゃんって……気が抜けるからその言い方は止めとけ」
「え~!? 可愛いじゃない首領ちゃん。こういう時こそ楽しまなきゃっ!」
そんな二人の様子を見て、
「気骨はある。実力も悪くない。それに何より……気に入ったぞ!」
首領は笑いながら右腕を胸の高さまで上げると、そのまま手を差し出すようにして広げて宣言した。
「お前達。
◇◆◇◆◇◆
「というのが首領様との最初の出会いだったな……どうしたレイ?」
「いや……なんというか滅茶苦茶な話だなって。その辺りの事は詳しく聞いたことがなかったけど、よく首領様相手に啖呵切って生きてたね」
「あの時は良く生きてたなと自分でも思うな」
軽~く昔の話を終えると、レイがなんか複雑な顔をしてそう返してくる。
あの後すぐ別動隊が駆け付けた事でいったん首領様は退いてくれたが、問題だったのはそれで完全に顔を覚えられた事だった。
ただでさえマーサにレイといった奴らとよくぶつかっていたのに、低確率で仕事中にラスボスとエンカウントするようになった俺の胃は当時ボロボロだったんじゃないだろうか?
おまけに俺の体質の事が普通にバレるし、いつの間にかイザスタが普通に首領様と仲良くなってオフの日に一緒に茶を飲むような間柄になってたし。
それから色々あって俺がリーチャーに来てからは、首領様の素がカリスマならぬカリチュマって判明して余計手がかかるようになったし。
「最近はあのクソガキの面倒まで見るハメになって大変だし、まあそこはどうせアイツがこの試験で幹部になって終わる訳だが……んっ!? どうしましたか首領様?」
ふと見ると、先ほどまで楽しそうに画面を見ていた首領様が何やら難しそうな顔をしていた。
「どれどれ……これは先ほどのチームですね。見なよケン君。さっきとは打って変わって凄い勢いだ。どこにこんな力を残していたんだろうね?」
レイに言われて俺も画面を見ると、そこには先ほど邪因子切れ寸前だった筈のチームが、全員変身を維持する余力を残して崖登りをクリアした様子が映し出されていた。
「それだけではない。こちらも見てみよ」
首領様の指差す画面のあちらこちらで、邪因子の活性化率が急激に上昇した者が現れ始めていた。
実際極限状態の中能力が引き出される事例がない訳ではない。ネルも以前あったしな。しかしここまでの人数が出来るとは予想外だった。
「これは……俺の見立て違いでしたかね。良い意味でですが」
「……全てがそうだと良いのだがな」
首領様がそう呟く中、いよいよ試験は終盤を迎える。
さあクソガキ。ここからが勝負所だぞ。
という訳で、ちょっとした雑用係の回想シーンでした。
ここから一気に話は進んでいくのですが、私用により次の投稿はしばらく先になります。少々お待ちいただければ幸いです。
この話までで面白いとか良かったとか思ってくれる読者様。完結していないからと評価を保留されている読者様。
お気に入り、評価、感想は作家のエネルギー源です。ここぞとばかりに投入していただけるともうやる気がモリモリ湧いてきますので何卒、何卒よろしく!
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ネル お姉さんとお別れして試験に復帰する
「何よそれ……何なのよそれはっ!?」
「その様子だと心当たりはないみたいねん。まあ落ち着いて」
「これが落ち着いてなんていられるもんかっ!? 誰がそんなふざけた事をっ!?」
あたしはたまらずベッドから立ち上がってイザスタに向き直る。
身体に意図的に変身出来ないようリミッターが掛けられていた? つまりこれは体質のせいなんかじゃなくて、誰かが意図的に妨害していたって事。
ふつふつと怒りがこみ上げ、それに呼応するように邪因子が身体から少しずつ吹き上がる。指向性のない邪因子が、内側からテントをバタバタとはためかせる。
これまでいくら邪因子を高めても、あたしは一切変身出来なかった。
他の幹部候補生、さらに言えばそれ未満の一部の一般職員でさえ出来るのに、あたしはそんな奴らを横目で見るしか出来なかった。
それでもお父様は責める事もなかったし、あたしも体質に依るものならばとある程度は自分に折り合いもついた。きっととんでもなく必要邪因子量が多いか、もしくはもうちょっと大きくならないとダメなんだと。
でも、今その前提が一気に覆された。
「あたしが……ぐすっ、あたしがこれまでどんな気持ちで……あああああっ!」
「はいストップ」
目に涙が滲み、怒りに任せて邪因子が一気に溢れ出そうとした時、ぎゅっとイザスタが抱きしめてきた。そのままポンポンとあやすようにあたしの背をさする。
なんだろう? 何でか知らないけど、ちょっと落ち着く。
「落ち着いてってば。……大丈夫。今は怒るより、一つ一つ片付けていきましょっ! ねっ♪」
「…………うん」
確かに、今ここで暴れてもどうしようもないよね。癇癪を起こして暴れ狂うのもレディのやる事じゃないし。
「……ねぇ。もう少し、このままで良い?」
「良いわよん……と言いたい所だけど、ネルちゃんを支えるにはアタシよりもっとうってつけの子達が居るみたいね」
えっ!? それってどういう……。
バサッ!
「ネルさんっ!? 急に滅茶苦茶な邪因子を出してどうしまし……あっ!?」
「ちょっと我がライバル。暴れるにしてももう少し邪因子を抑えめに……あらっ!?」
テントの入り口から慌てて駆け込んできたのはピーターとガーベラ。二人は何故かこっちを見てぽかんとした顔をする。一体何が……ちょっと待って。
あたしはゆっくりと今の状況を整理する。
あたしは今の今まで診察されていた訳で、当然だけど上は薄いシャツ一枚しか着ていない。それを真正面からイザスタに抱きしめられている状態で、しかもちょっぴり涙目。そんな場所を客観的にはたから見ると、
「……ボク……ボク何も見ていませんからっ!? 失礼しましたっ!?」
「あらあら我がライバル。それとイザスタさん。人様のご趣味に口出しはあまりしないのですが、この状況でこれは些かどうかと思いますわよ」
顔を真っ赤にしてそっぽを向くピーターに、扇を口元に当ててジトッとした目で見てくるガーベラ。
いや待ってっ!? これは違うっ!? 違うんだからぁっ!?
やっとまた扉が繋がったと連絡が入ったのは、あたしが
帰りの扉はあたしがここに来た時の場所にぽつんと立っていて、
「ねぇ。本当にもう行っちゃうの? もっとゆっくりしていきましょうよん! た~っぷりおもてなししちゃうわよ!」
「だ~から試験があるんだってばっ!? 行かなきゃいけないのっ!」
扉の前で思いっきり名残惜しそうな顔でこっちに寄って来るイザスタを、あたしはどうにか腕で押し留める。まあ色々としてもらった事もあるから比較的優しくだけど。
「申し訳ありませんわイザスタさん。ですが私達もこれ以上はゆっくりしていられませんの。どうかお許しくださいませ」
「ボクはもう少しくらいゆっくりしても……分かってます分かってますってネルさんっ!? 急ぐんですよね? 冗談ですからその振り上げた拳をそ~っと下ろしてくださいっ!?」
奇麗な姿勢で別れの挨拶をするガーベラの横で、そんなとぼけた事を言うピーターに軽く睨みを利かす。
時間は大事だ。いくらここに居た分のタイムロスは考慮してくれるとは言え、それでもまだあたし達はチェックポイントを二つしか周っていない。
三つ目の課題の内容はアンドリューから聞いて分かっているけど、正確な場所は分からないから探さなきゃいけないしね。それに何より、
「実際のタイムはさておき、あたしより先にゴールされるのってなんかムカつくじゃない。だからさっさとここを出発して追い上げるよっ!」
「んもうっ! せっかちさんねぇ。じゃあ……はいっ!」
あたしがむんっと気合を入れていると、イザスタが何かの封筒を渡してくる。何なの一体?
「さっきの質問の事なんかをまとめた物よ。試験が終わったらケンちゃんに渡して。これを読んだら絶対力になってくれるから」
別にオジサンに見せなくても、お父様に事の次第を説明すれば妨害者云々も含めて何とかなりそうだけど……まあ良いか。試験の後でオジサンと会う良い口実になるし。あたしは封筒を受け取って荷物に入れる。
「あとこれっ! こっちがアタシの連絡先ねっ! それとこれが
「いや多いよっ!? こんなに持ってけないってっ!?」
ごちゃっと色々押し付けられた上に、他の二人も渡されて目を白黒させていた。というか依頼って、イザスタもオジサンみたいな雑用係でもやっているんだろうか? ……お揃いでなんか悔しい。
「じゃあ行く前に……えいっ!」
「うわっ!?」
「わぷっ!?」
「私もですのっ!?」
イザスタは急にまたドロドロを呼び出したかと思うと、そのままあたし達を大きく包むように引き寄せてそのまままとめて抱きしめる。
「急にやらないでよ!? びっくりするじゃんっ!」
「うふふふっ! やっぱり良いわねぇっ! こういうのっ! じゃあ最後に皆にアドバイスを。……ネルちゃん。
「分かってるって! ふふん!」
右腕一本でも十分よ! ……へへっ! これを知ったらお父様も喜んでくれる! オジサンも見せたら驚くよ絶対!
「ホントに大丈夫かしらねぇ。じゃあ次ね! ガーベラちゃん。アナタの邪因子コントロールは間違いなく一流よん。だけど、
「行き詰まる……ですか。オ~ッホッホッホっ! まあ私にそのような事があるとは思いたくありませんが、もしもの時はそうさせていただきますわ」
ガーベラは大きく高笑いしながらも、きちんと耳を傾けているみたいだ。
「あとはピーターちゃんなんだけど……あらっ!? ごめんなさい」
「ふがふが……はぁ……はぁ……ああ苦しかった。でも……ちょっぴり嬉しかったりも」
静かだと思ったら、ピーターの奴抱きしめられたままずっとイザスタの胸に顔を埋めてたっ!? ……後でお仕置きだね下僕二号。
「ピーターちゃんは珍しい才能があるんだけど、それを活かしきれてないのが問題ね。眼に身体が追いついてないし、邪因子も技術はともかく量は平凡。分析官や技術者の道ならそれで良いけど、幹部を目指すのなら地力をもう少し上げる必要があるわねん。……もし気が向いたら、お姉さんの所にいらっしゃいな。た~っぷりね~っとり付きっきりでレッスンしてあげる!」
「え、遠慮しときます。……ハハハ」
イザスタの獲物を前に舌なめずりするような眼に、ピーターは乾いた笑いをしながら後ずさる。……イザスタめピーターにまで粉を掛けて。やっぱそこら辺注意して見てないと。オジサンに言いつけてやるんだから。
「じゃあアタシからのアドバイスはこれでおしまい! 皆、行ってらっしゃい! 試験頑張ってね! アタシは頑張る子達の味方なのよん!」
その一瞬だけ、タイプはちょっと違うけど、どこかイザスタの姿がオジサンと重なった感じがした。やっぱり似た者同士なんだろうね。
仕方ないか。これならオジサンに近寄るのも、ちょびっとだけは許可してあげても良いかな。うん。ちょびっとだけ。
そう言って軽くウインクをするイザスタに、
「それじゃあね。
「私が幹部になったら、またご報告に伺いますわ! ごきげんよう」
「えっと……マッサージ、凄く身体が軽くなりました。ありがとうございましたっ!」
あたし達はそう言い返して、帰りの扉に歩いていった。
さあ。狙うは一つ。幹部の座。この手で掴んでやろうじゃないの。
長らくお待たせいたしましたっ!
急に私事で忙しくなり筆を置いていた不甲斐ない作者でございます。
私事が終わってもどうにも書く気になれず、ついつい他の作品ばかりにかまけていました。
こんな作品ではありますが近々また不定期に書き始める予定です。気が向いたらで良いので、また読んで頂ければ幸いです。
ちなみに余談ですが、先日新作長編『悪の組織の新米幹部 死にかけの魔法少女を拾いました!』を投稿いたしました。
この作品でも登場しているある人物にスポットを当てた話となっておりますので、興味のある方はご一読してみてはいかがでしょうか?
それはそれとして久しぶりのおねだりを。
この話までで面白いとか良かったとか思ってくれる読者様。完結していないからと評価を保留されている読者様。
お気に入り、評価、感想は作家のエネルギー源です。ここぞとばかりに投入していただけるともうやる気がモリモリ湧いてきますので何卒、何卒よろしく!
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閑話 暴走開始
◇◆◇◆◇◆
「……で? これもアンタの描いたシナリオ通りかい? 運営委員長様」
「さて。何の事だ?」
「とぼけんじゃないよ」
試験も終盤。ちらほらと二つ、あるいは三つ目の課題をクリアしてゴールへと向かい始めるチームが出る中、マーサは悠然と座って状況を見るフェルナンドを問いただしていた。
「
「ほぉ。良い事ではないか。窮地に立たされた時こそ、邪因子の活性化はより激しくなる。これはデータによって裏付けられた事実だ。偶然それが多く出た。それに何か問題があると?」
「ああ大有りさね。そりゃ極限状態で化ける奴は居る。それが偶々今年は多いって事もあり得るだろうさ。だがね……これを見てもまだそんな事が言えんのかい?」
マーサが取り出して机に広げたのは、試験参加者のリスト。その中で印を付けられた欄をマーサは指し示す。
「印を付けたのはこの試験中、突如として邪因子がめちゃくちゃ急上昇した奴らさ。だがおかしな事に、どいつもこいつもワタシは見覚えがないんだよ。
そう。マーサが訝しんだのはそこだった。
一日目の個人面談。マーサが担当していたのは、一定以上の邪因子持ちか探知能力持ちでないと気づけない
しかし、今回邪因子が急上昇した者達の中にそれは誰も居なかった。
「いくら化ける可能性は0じゃないと言っても、それは基本的に元々ある程度の才能がある奴。もしくは才能の引き出し方がギリギリで分かった奴が大半。実際例年化けるのは大抵そういう奴さね」
マーサはそこで煙草を一服すると、ふかした煙を書類にふぅ~と吹きかける。
「だがその印が付いている奴は、前日予測で試験突破率が低いと判断された奴ばかり。率直に言えば能力か性格に難がある奴さ。しかもこいつらは共通して」
「
フェルナンドの返答に、マーサは静かに頷く。
もう一つの共通点。それは全員が、少なくとも数回以上試験に挑戦しているベテランだという事。
一つ一つなら偶然で片付けられる事柄であっても、ここまで揃うとそれは必然。そしてマーサはこの一件に、どの程度かは不明だが目の前の上司が絡んでいると睨んでいた。
「そうだな。一つ、話をするとしよう」
フェルナンドはそう言って席を立ち、一度マーサに視線を向けるとゆるゆると部屋を出る。あたかも着いて来いと言わんばかりに。
「内緒話ってかい? 良いだろう。ミツバ。数分ほど席を外すよ」
「はいは~い。行ってら~」
マーサは不思議に思いながらも、手をひらひらとさせて画面から目を離さないミツバを置いてフェルナンドを追った。
管理センター。休憩室にて。
「一つ訊ねよう。最近の幹部候補生は質が悪くなったとは思わないかね?」
ゆったりと革張りのソファーに腰かけると、そうフェルナンドは口火を切った。
「質……ねぇ。問題になってる事は間違いないね」
「ああ。幹部候補生の数が少しずつ増えているのに対し、全体の質も幹部への昇進率も低下傾向にある。実際に試験の様子を見てそれが分かった筈だ」
確かにとマーサも内心思う。
筆記テスト、体力テストはまだ良い。学力も邪因子の量も、訓練すれば自然と伸びる。だが問題なのは精神面。今回はそれが特に酷かった。
任務の最中気を抜かないのは当たり前。チェックポイントに向かう最中、何か妨害がある事は予測して当然。なのに幹部候補生の多くが道中の罠に引っかかった。
おまけにそれが罠を見抜けなかったからではなく、
実戦なら手痛い被害を受けているというのに、控えめに言って弛んでいる。
罠に引っかかりこそすれすぐに対処したり、多少時間が掛かっても罠を避ける行動をした場合でもそれはそれで評価できた。
だが所詮試験と舐めてかかって文句を言うような奴をどう評価しろというのか。
(ピーター達の班はピーターがきっちり移動しながら確認し、ガーベラが周囲の警戒。ネルは……まああれは油断というより何が来ても突破できるという自信による余裕だったしね)
ピーター達を筆頭に、きちんと対処したチームを思い返して多少なりとも落胆を抑えるマーサ。
「幹部候補生は幹部に準ずる待遇を受ける。食事、娯楽、幹部としての教養を高めるための道具や施設の提供。そして給与もだ。だというのに、それに見合った成果を上げている幹部候補生のなんと少ない事か。加えて」
フェルナンドはほんの少しだけ熱が入ったように弁舌を続ける。
「ここ十数年程。ずっと幹部候補生と一般職員を交互に繰り返して停滞する者が増えているのは気づいているかね?」
「……成程。制度を悪用してるって訳かい」
幹部候補生には期限がある。就任から三年を過ぎると強制的に資格を剥奪されるのだ。
三年もあればある程度は進退の見極めも出来るだろうというものだが、実は資格を剥奪されても特定の条件を満たせば再び幹部候補生に戻れる。その方法が、
「幹部昇進試験二日目。この課題を昇進の合否は別として最後までやり通した者は、一般職員に戻っても申請すれば一年後に再び幹部候補生に戻れる……だったっけ?」
「ああ。たとえどんなに無様な内容だろうと、最後までやり通すだけで良い。結果として、幹部になるためのスキルアップをするでもなく、
実に嘆かわしいと、フェルナンドはやや大げさに手で顔を覆う。
「無論制度の方も見直しを進めるべきだろう。しかしこうなった理由の一つに、試験の難易度が最近少々易しすぎるという事も挙げられる」
「……まあ間違っちゃいないね」
そもそも試験の難易度が上がれば、自然と舐めた態度で挑む者は減るだろう。厳しい試験なので幹部候補生で居るためだけに挑む者も減り、数はともかく質は保たれる。
極論ではあるが完全否定も出来ず、マーサも一応の肯定を示す。
「しかし、やけに饒舌だね運営委員長様。いつもならもう少しダンマリなくせして。……それで? さっきやけに邪因子が上がった奴らが今の話で出てきた制度を悪用している奴ってぇのは大体察しがついたけど、結局そいつらはどう」
ドンドンドンっ! ガチャっ!
「失礼しますっ!? 至急お戻りくださいませお二方っ!?」
マーサがさらに問いただそうとした時、急に勢いよく扉が開いて職員の一人が走りこんでくる。息を切らしてやってきたその様子に、マーサは何か緊急事態が起きたとすぐにピンとくる。
「落ち着きな。何があったの?」
「ぼ、暴走です」
なんだとマーサは拍子抜けする。
邪因子の暴走。何らかの理由で自身の邪因子が制御できなくなり理性を失って暴れだす事。試験中は精神および肉体に負荷が掛かるため、毎回一人や二人はそうなる。
「……ふぅ~。特に問題ないさね。誰がなった? 場所は? 近くのチェックポイントの職員に鎮圧に行かせるか、ここから近いならワタシが直で行ったって」
「それが……確認できただけでも
「十人以上っ!?」
いくら何でも多すぎる。予想を超えた事態にマーサも一瞬我を忘れ、すぐさまハッとしてフェルナンドを見据える。
「アンタっ!? 一体何をやらかしたっ!?」
「……さてな」
フェルナンドはそこで言葉を切ると、口元だけ不敵に笑って見せた。
さて。そろそろシリアスタグがアップを始めました。
悪の組織の試験がたかだか崖登りや人形操作や球避けだけで終わりはしませんとも。
気合を入れろ候補生。舐めてかかった奴からあの世行きだぞ。
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閑話 ある幹部候補生チームの壊滅
◇◆◇◆◇◆
「あ……あぁっ」
ワタシは目の前の異常事態に対して震えていた。
『グルアアアっ!』
目の前で咆哮する元チームメイトには、まるで理性の欠片も見当たらない。
それが邪因子の
なのでその変わり様にすっかり委縮し、足に怪我をさせられて逃げる事もままならない。
(何で? どうして……こんな事に?)
じりじりと近づいてくる怪物を前に、ワタシはこんな事になった経緯を思い出していた。
「俺達と手を組まないか?」
そう言ってこの男が近づいてきたのは、昇進試験が始まる三日前の事だった。
話を聞くと、試験の内容は毎回伏せられているが、毎回二日目は他の候補生と協力する場面があるという。なので前に挑戦した者は予め、試験前に協力する相手を見繕っておくのだとか。
本当は試験初参加の候補生には知らせない事が暗黙の了解だが、実質二日目はチームを組めなかった時点でほぼ失格。
自分は試験に三回も挑戦しているベテランであり、それを知らない新米候補生が落ちていくのがしのびない。なので一人ずつ声をかけているのだという。
怪しいとは思った。どう見ても目の前の男は親切心で声をかけるタイプに見えない。しかし自分は新米で相手は先輩。ここで断れば後々面倒な事になるし、もしチーム云々が本当なら入れば有利になる。
それに、既に同じく新米の幹部候補生が一人入っていたのも決断を後押しし、ワタシはチームに入る事となった。
その後も結局チームは五人まで増えた。やはり新米は皆不安もあったのだろう。ピーターという人以外の誘った人は皆参加した。
「五人か。まあこれだけ居れば足りるだろう」
男がチーム結成の時にそう妙な事を言っていたのをもう少し問いただせば、或いは今の状況も変わっていたかもしれない。
初日の筆記テスト、体力テストは特に問題はなかった。
筆記テストはきちんと勉強していれば解ける問題ばかりだったし、体力テストも最後の最後で邪因子の配分を間違えて変身が解けたけれどどうにか終わらせた。
個人面談では幸い面接官は優しそうな男の人で、落ち着いて質問には答えられたと思う。
流石に最後の組織と自分の命のどちらを優先するかって質問には自分の命と答えたけれど。絶対あれ組織って返すのはNGよね。そこまで覚悟は決まっていないもの。
そうして初日を終えいよいよ二日目。
情報によればここでチーム戦の告知があるという。そこで参加者が集合した中でさりげなくチーム同士で集まっていると、
「ふへへ。これさえあれば」
ワタシを誘った男が、何かの小箱を大事そうに手で持って上機嫌な笑みを浮かべていた。それはもう不気味なほどに。
チームメイトの誰かがそれは何かと質問するが、男は秘密兵器だとしか答えなかった。
結論から言えば、男の情報は間違っていなかった。
チーム戦であり、予め決めていた通りに男をリーダーに設定。ワタシ達はチェックポイントに向けて走り出し……すぐに気が付いた。
この男は、チームメンバーをただの盾代わりにしか考えていなかった事を。リーダーである自分の消耗を減らすために、自分達新米を使い捨てにする気なのだと。
でも一度リーダーに設定してしまった以上、リーダーが倒れた時点でチームは失格。なので思惑通り消耗を抑えるべく動かなければならなくて。
「……ちっ! まだ半分だってのに三人も落ちるなんて、だらしのねえ奴らだ」
(皆アナタを助けるために身代わりになったんでしょうに)
ワタシは内心で男にそう毒づく。メンバーの一人は草原エリアで飛び回る球から男を庇って倒れた。次の一人は移動中に仕掛けられていた罠を解除している際、男が無理に進もうとして罠が作動してしまい代わりに捕まってしまった。
そして最後の一人は崖登りの最中、男が落下しかけたのを下から支えたのにそのまま足場代わりにされて自分が落下した。
だけどワタシ達の奮闘も虚しく、三つ目の課題人形戦争に挑む際もう男の邪因子は大分減っていた。これまでこれだけ頑張ってきたっていうのに。
ただ、これでやっとこの嫌なリーダーから解放される。そんな暗い気持ちもある中で、
「仕方がない。コイツの出番だ」
男は懐から小箱を取り出し、その中の物をゴクリと飲み下す。その瞬間、
「……来た。キタキタキタァっ!」
男から感じる邪因子が、どこにそんな力を残していたのかというくらい一気に高まった。
そうして男はどこか興奮気味に、人形戦争を邪因子によるごり押しで通過した。ワタシは一応全体を俯瞰する役目に徹してナビをしたのだけど、罠が有ろうと敵が居ようとお構いなしに進むのであまり意味はなかったかもしれない。
とは言えこうして課題を全てクリアし、ゴールの扉の位置も
「ハハハハハ! 身体から力が溢れてくる。アイツは効果が長続きしないって言っていたが、全然そんな事ないじゃないかっ!」
相変わらず男は興奮しっぱなし。こちらは後ろについて追いかけるだけで精いっぱいだっていうのに、まるでこちらの事は眼中にない。
それにしてもさっき飲み込んだ何か。何か
これなら合否はどうあれ何とかクリア出来るかもしれない。そうすればこれまで失格になっていったメンバーも少しは報われる。
そう思っていたのに、それは突然起きた。
「ハハハハ……うぐっ!?」
突如高笑いしながら突っ走っていた男が立ち止まり、胸を押さえて苦しみだす。そして、
「がっ……ああアアアっ!?』
一際絶叫したかと思うと、見る見る内に怪人に変身……いや、
元々男はオーソドックスな犬型怪人だった。だが四足歩行となって目は血走り、涎をだらだらと流す様はまさに獣のよう。
ワタシはこの時点で、即座に邪因子消耗度外視で変身して逃げるべきだったのだ。だけどこれが邪因子の暴走であるという事が頭に浮かんでこず、
『ギャオンっ!』
「きゃっ!?」
振るわれたその爪で足を切り裂かれ、ゴロゴロと転がって必死にその怪物から距離を取る。
だけどどうやらワタシを獲物と認識したのか、獣は一歩一歩近づいてくる。
「いやぁ……来ないでよ」
腕だけでズリズリと離れようとするけど、どうやったって向こうが近づく方が早い。
(もう……ダメっ!?)
怪物が大きく口を開けたのを見て、ワタシは咄嗟に目を瞑り腕を翳す。せめて迫りくる死を見ないで済むように。少しでも命を長らえるように。
次の瞬間、生暖かい怪物の吐息が顔に迫り、
「どおぉりゃああぁっ!」
バキッという音と共に、目の前の怪物の気配がフッと消える。
おそるおそる目を開くと、そこには、
「ふふ~ん! あんた運が良かったじゃん! さっきの課題がどうも簡単すぎてあたし不完全燃焼だったからさぁ……あんたが食われる前にそいつをボコっちゃっても問題ないよね!」
怪物に跳び蹴りを叩きこんだのだろう体勢で、
お待たせいたしましたっ! 同時連載中の新米幹部シリーズが一区切りしたので戻ってまいりました。
相変わらずの不定期更新になりますが、また暇つぶしにでも読んで頂ければ幸いです。
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ネル 暴走するワンちゃんを躾ける
さて。イザスタの所から張り切って出発したあたし達だけど、
「よっし! 楽勝!」
「オ~ッホッホッホっ! 余裕でしたわね!」
「な~んかちょっとズルなような気もしないでもないけど……まあ良いか」
だって草原エリアのチェックポイントの課題は、以前アンドリューが言ったようにまんまオジサンとやった飛び回る球を避ける奴だったんだもの。というかこっちの方が簡単くらいなまである。
当然あたしは楽勝で、ピーターも途中危なっかしい所があったけど何とかクリア。ガーベラは初見だけど、元々あたしよりちょび~っとだけ邪因子コントロールは上手いしやっぱりクリア。
こうして全ての課題をクリアして、ゴールのヒントを手に入れた訳なんだけど、
「え~っと、まず山岳エリアにあったのが“森林 課題 自身の兵の数”で」
「森林エリアのヒントが“草原 課題 三番目の色”でしたわね」
「そしてさっき手に入れた草原エリアのヒントが“山岳 課題 機械の位置”……ですか」
あたし達はそれぞれ課題とヒントの内容を思い出して照らし合わせる。
確か森林エリアの課題『人形戦争』は五体の人形を使っていて、草原エリアの球避けは三番目に出た球は青色……ちょっと待って? 青色で五?
「……あぁ~っ!?」
「ちょっと何ですの?」
「分かったんだよゴールの扉っ! あれだよあれっ!
出発直前で一例みたいにマーサが指さしたあの扉。あれは確か青色で5って番号が振ってあった! 正解だと思うんならあれを選べなんて言ってくれちゃって……そのまんま答えだったんじゃんっ!
「こうしちゃいられないっ! 早速管理センターに戻るよっ!」
「ちょっ!? ちょっと待ってくださいっ!? それだけだとまだ草原エリアのヒントの意味がっ!?」
「そんなのまず行ってから考えれば良いでしょ! ほら早く早くっ! 走るよっ!」
ピーターが何か言っているけど、考え過ぎて時間が無くなっちゃったら意味ないもんね。
あたしが走り出すと、ピーターとガーベラもすぐ後を追ってくる。さあ行くよ! のんびりした分を取り戻さなきゃっ!
と、思っていたんだけど、
「わわっ!? イタタ……急に立ち止まらないでくださいよっ!?」
「おっと!? 大丈夫ですかリーダーさん?」
管理センターに向かい速度重視であちこちに仕掛けてある罠を力づくで突破していく中、遠目に妙なものを見つけていったんストップする。
急に止まったからピーターがつんのめってずっこけ、ガーベラが心配して立たせようとしているけど今はそれよりも、
「あれ見て……あれも試験の一環かな?」
あたしが指さした先。ここからだと少し距離があるけど、そこには一体のデカい獣が女の人に向けて唸り声をあげていた。
獣の方もどうやら幹部候補生っぽいとは分かるんだけど、通常の変身にしては服がビリビリのぼろきれみたいになっているし、なんか理性がどっか旅行にでも行っちゃったみたい。
一瞬昨日の個人面談の、重要物資を届ける任務中に友軍と敵が戦っていたらどうするかって質問が頭を過ぎる。だからこれも試験かと思ったのだけど、
「何ですかねアレ? ……うわぁ。あの獣っぽい人の邪因子。ここから視ても酷い事になってます。どう視ても自分でコントロールできてないですよ」
「いけませんわっ!? あれは邪因子の暴走ですわよっ!?」
引き気味のピーターの言葉の後に続くガーベラの言葉に、試験の一環かもという考えは吹き飛ぶ。
ついさっきイザスタの所で半暴走状態になっていたから言えるけど、どう考えてもあの状態で手加減なんて出来そうにない。このままじゃ相手の幹部候補生の人はただじゃすまないだろう。下手すると死んじゃうかも。
「そっか……じゃああのでっかいワンちゃんを軽~く躾けてあげないとね」
「えっ!? 助けに行くんですか? ネルさんなら「あんなの放っておいていこいこっ! あたし達には関係ないし」とかなんとか言うかと思ったんですが」
あたしが軽く腕を回すと、ピーターが少しだけ驚いた顔をする。まあ普段ならそれで間違っちゃいないけどさ。
「べっつに~。単なる気まぐれ。折角のゴール間近で妙なケチをつけられたくないし~。それに……ガーベラも前言ってたじゃん」
あたしはガーベラの方を向いてニヤリと笑って見せる。
「他の幹部候補生は
「……ふふっ! いいえ。それでこそ上に立つ者の振る舞い。我がライバルが動かぬようでしたら私が行こうかと思っていましたが、杞憂でしたわね」
ガーベラがまるで微笑ましい物を見るような眼を向ける。なんか腹立つな。まあ良いけど。
「OK。そんじゃ……行っくよぉぉっ!」
そうと決まればさっさと行こう。あたしは力強く地面を蹴って飛び出した。
「どおぉりゃああぁっ!」
相手が気づけない位置から一気に飛び込み、デカい獣の横っ腹に跳び蹴りを叩きこむ。そのまま少し先まで吹っ飛ばして距離を取ると、あたしは地面にへたり込んでいた女の人に声をかける。
「ふふ~ん! あんた運が良かったじゃん! さっきの課題がどうも簡単すぎてあたし不完全燃焼だったからさぁ……あんたが食われる前にそいつをボコっちゃっても問題ないよね!」
その人は半ば呆然としていたけど、つられるようにうんうんと頷く。これで言質は取った。やっぱり大義名分があった方が色々都合が良いもんね。
だけど見た所足に怪我をしているようで、思ったより深いのか血がどくどくと流れ出ている。
(邪因子で回復は……まだかかりそうかな。それに)
『グルルルル』
「……へぇ。今の一撃で意識が飛ばないなんて結構タフじゃん」
吹き飛ばした獣は、少しふらつきながらも威嚇するようにこちらを睨みつける。
さっきの感触から骨の一本くらいは折れたかもだけど、暴走するほどに活性化した邪因子なら時間が経てば普通に治る。そこまで戦闘に支障もなさそう。
『グルアアアっ!』
「よっとっ!」
お返しとばかりに地を蹴って襲ってきた獣の爪を、あたしは軽く横にステップを踏んで回避する。
続けて二撃、三撃と振るわれる爪を横から打撃を当てて受け流し、躱しざまにまたボディに一発二発。だけど、
「チッ……こいつ全然倒れないなぁ」
ダメージがないわけじゃない。一当てする毎に、なんとな~く目の前の獣から感じる邪因子が少しずつ削れている感じがする。
だけど、まるで痛覚がないみたいにダメージ無視で向かってくるんじゃ少々困る。
「大丈夫ですかっ!? 飛び出すにしてもタイミングを合わせてくださいよっ!?」
「考えるより先に身体が動くおバカさんに言ってもしょうがありませんわよリーダーさん。……ネル。加勢は必要ですか?」
そこに後から追いついてきた二人が合流する。誰がバカよガーベラっ!
「はっ。冗談っ! むしろアンタ達はそこの人を連れて下がってて。ピーターなら怪我の把握はあたしより得意でしょ?」
「分かりましたっ! さあ。こっちへ」
あたしが獣と向き合う中、ガーベラが髪で女の人を運びつつピーターが全身の邪因子の流れを確認する。応急処置ならピーターの事だから試験に持ち込みくらいしてるでしょ。
「さて。どうしようか」
目の前で全然倒れる様子のない獣に対して、あたしは内心ちょっぴり困る。
女の人を二人が守っている以上、もうこっちに負ける未来は見えない。でもこの調子じゃ行動不能にするまでどれだけ掛かるか分からない。早くゴールに向かいたいのに。
(今必要なのは、時間を掛けずに一発で意識を刈り取れるだけのパワー……ってとこかな。と来れば)
ニヤァ。
あたしが口の端を上げて少し嗤うと、獣がどこか一瞬だけ怯えたように動きを止め、だけどすぐに立ち直る。
「ふ~ん。逃げないんだぁ? それじゃあ仕方ないよねぇ。本当はこんな所で使うつもりはなかったんだけど……ゴメン。ちょっぴり嘘。多用は避けろってイザスタ……お姉さんに言われたけど、実はどこかで使う機会がないかなあとうずうずしてたんだよね」
あたしの身体の中の邪因子が昂り、そのまま右腕に集中していく。
普段ならどうってことない仕草。でも、
熱を持った邪因子が右腕に纏わりつき、そのまま細胞レベルで変質していく。つまり、
「ありがとうね。試し打ちの相手になってくれて。お礼に、一発で終わらせてあげるから」
「……
カチリと、何かが外れる感じがした。
やっと書きたかったシーンの一つに辿り着きました。
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知らぬは暴君ばかりなり
それに気が付いた者はごく僅かだった。なにせ事は十秒もせずに終わったのだから。
『へへっ! 気分爽快っ! そうよ。これがあたしの正しいあり方なのよっ! もう“変わらずの姫”だなんて呼ばせたりしないんだからっ!』
端的に言えば、ネルが暴走する幹部候補生に対し、
暴走した犬型怪人の懐に一瞬で飛び込み、そのまま反応する暇を与えずどてっ腹に軽い一撃。
あくまで軽くに留めたのは、本気で殴れば暴走状態だとしても腹に風穴が空くと本能的に察したからか。
だがそんな軽い一撃ですら、相手を行動不能に陥らせるには充分だった。
倒れ伏してぴくぴくと痙攣する獣を前にネルはふんっと鼻を鳴らすと、襲われていた者の事を思い出したのか跳ねるようにチームメイトの方に駆ける。
『どうよあんた達。あんなワンちゃんあたしに掛かればこの通りよ! さっきの人はどんな具合?』
『……ふぅ。ひとまず応急処置は済ませました。視た所邪因子の流れは特に問題ないし、疲れて気を失ったけど安静にしていれば大丈夫。……しっかし強い強いとは思ってましたけど何ですか今の? あんな隠し玉があるんなら教えておいてくださいよ』
失血の為か助かった安堵の為か、目を閉じてぐったりしている幹部候補生の傷に布を巻きながら、ピーターはぼやくようにそうネルに返す。そして、
『傷も血管の一部のみで、骨も筋も目立ったダメージがなかったのは不幸中の幸いでしたわね。最悪私の髪で無理やり縫合する事になるかと思いましたがホッとしました。それでも試験続行は難しいでしょうが。タメールも機能停止していましたし』
『そっ。それなら良かった。助けたのに嫌なオチがつくのはゴメンだし。それと……な~んでこっちを向いて話さないのかなガーベラぁ? ま・さ・か、あたしがこ~んなパワーアップをしたから悔しいのかなぁ? んっ?』
いかにもドヤ顔をしながら煽るネルに対し、ガーベラはその内心複雑そうな顔を扇で隠しつつ片手を止めろとばかりに軽く振る。
『そ、そんな事……ほんの少ししかありませんわっ!? ほらっ!? 先ほどアナタがノックアウトした方。意識を取り戻しても暴れられるとは思えませんが、簡単に拘束しておくとしましょうか』
『あっ!? こっちは終わったから手伝いますよガーベラさん。ちょっと気になる事もあるし。ネルさんはそこの陰で怪我した人と一緒に休んでてください』
すたすたと獣に向けて歩いていくガーベラ。そこへ怪我人の処置が終わった事で一息入れつつ、ピーターがさっさとばかりに走っていく。
(別にそのくらいなら手伝ってあげても良いんだけどなぁ。初めて変身したからか、さっきからこう昂ってしょうがないんだよねぇ。変身して邪因子をどれだけ消耗するかと思ったら、体感だとむしろ
それはほんの僅かな違和感。初めて片腕だけとはいえ変身したのに、疲れるどころか邪因子が充実しているという矛盾。
しかし、単にそれは気分が高揚しているからそう感じるのだとネルは軽く考える。
(暴走した候補生を制圧。怪我人を救助。後はゴールに辿り着けばいよいよ幹部の座に手が届く。そうすれば……ふふっ! これでお父様に振り向いてもらえるっ! それにオジサンを分からせる計画も一歩前進! 良い事尽くめだよっ!)
そう幸せな未来を思い描きながら、ネルは意識を失っている幹部候補生の横に座り込んだ。
『……どう思います? 私よりもリーダーさんならより正確に分かりますでしょう?』
倒れ伏す獣を自身の髪で縛りながら、ガーベラはネルに聞こえないようにこっそりとピーターに話しかける。ピーターは少しだけどう伝えようか戸惑い、
『一言で表すなら……不自然ですかね。この人の状態も、
『ですわね。しかしあの調子では、自分でも何をやったのか分かっていない様子。……まったく。困った我がライバルですわ』
離れた場所で、にやにやと幸せな何かを夢想するように締まらない笑みを浮かべる自身のライバルをちらりと見て、やれやれと言わんばかりにガーベラは顔を小さく振る。
『にしてもこの人達はどうします? 試験優先でここに置いていくという手もありますけど』
『いいえ。おそらくですが、今のネルなら見捨てはしないでしょう。評価の為でもあるでしょうが、最寄りの施設まで連れて行くくらいはしそうですわね。それに……ただの暴走にしては何やら妙な感じが致しますし』
それを聞いてピーターは大きなため息を吐いた。元来性格的に自分から危険や厄介事に首を突っ込むのは避けたい性分ゆえだ。しかし、
『はぁ。正直僕としては面倒事になりそうだから放っておきたいんですけど、メンバーの意向も汲まなきゃいけないんですよねぇリーダーってば』
『あらっ!? リーダーとしての自覚があるようで感心しましたわ! ではこの方の拘束を早く終わらせて、これからの事を話し合うとしましょうか! 内容次第では放っておいて離脱という事もあり得ましてよ?』
『まずそうはならない気休めをどうもありがとさんですよっ!?』
そんな軽口を叩き合いながら、二人はてきぱきと事を進めていった。元気な暴君が力を持て余して乱入してこない内に。
◇◆◇◆◇◆
というどこかほのぼのとした中継を観戦していた俺達だったが、どうにもこちらはそうほのぼのとはしていられなくなった。何故なら、
「……ねぇケン君。今の見たかい?」
「……ああ。俺の目がおかしくなったか、レイが変な幻術を掛けたんじゃないならばっちりと。個人的にはお前がいたずらを仕掛けましたってだけなら軽く張り倒して笑って済ませられるんだが……違うよな?」
そう僅かな期待を込めて尋ねるも、レイは真面目な顔で首を横に振る。……そうか。となると、
「今のシーン。俺達以外に見て勘づいた奴どれくらい居ると思う?」
「そうだねぇ。知らない人が見てもただ邪因子が高いとか珍しいで済むとして……」
レイはそう言って部屋中をこっそり見まわし、周囲の幹部連中の反応を確認する。
「顔色を変えてるのが数名ってとこかな。まあ単純に出力に驚いたって人も居るだろうけど」
「そうか。思ったより少なくて何よりだ。……すまねぇがちょっと牽制して来てくれないか? 場合によっては口止めも。俺が言うよりは上級幹部に言われた方が効き目もあるだろ」
「分かった。……申し訳ありません首領様。少々席を外しますが、認識阻害はそのままにしておきますので。それでは」
レイは静かに考え事をしている首領様に一礼すると、スッと消えるようにその場を後にした。……さて、どうするか。
「……フェルナンドめ。ここ十年ほど進捗がないので遂に諦めたかと思っていたが、まさかここまでやるとはな」
そうぽつりと漏らす首領様の視線は、さっきから画面のネルに向けて注がれたままだ。その表情は、どこか慈しむようにも悲しんでいるようにも見える。
普段なら声をかけるべきではないのだろう。しかし、その言葉を聞いて俺も腹を括る。
「首領様。何やらお考え中のようですが、少々失礼いたします」
「……ああ。何だ? 雑用係」
「片腕だけ。それに形状もややおとなしめで色もくすんでいた。しかしあの邪因子の圧力と、
イザスタのように限定条件で似た事が出来る者は居るが、俺が知る限り純粋な邪因子の支配及び吸収能力持ちはこのリーチャーの中でただ一人。おまけに、
「前々から……なんとなく
首領様は何も言わず、静かに俺の言葉を聞いている。
「首領様に娘が居たなんて聞いた事はない。それに仮に居たとしても俺個人には何の関係もない。ですがね、あのクソガキは……ネルは俺の
今の俺は“始まりの夢”ではない。だが、今も昔も依頼を受けたらそれをきちっとこなす
「あの子の面倒を見るのが今の俺の仕事。そのためにも、何か知っているならどうか……教えてください。首領様」
大変お待たせいたしました。
急になんにも書く気が無くなって燻ること約一月。どうにかやる気をチャージして戻ってまいりました。
しばらくは不定期更新になるかと思いますが、またこの作品が読者様の暇つぶしにでもなれば幸いです。
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接続話 ある幸せな記憶
また、胸糞展開もあります。
そしてここは一部先の展開のダイジェスト及び盛大なネタバレになっており、最悪ここを見なくても本編は進めます。
以上の事を踏まえて、のたうつ覚悟のある方はお進みください。
◇◆◇◆◇◆
これは……ある幸せな記憶。
『アハハハハ!』
風が爽やかに吹き抜ける草原にて、一人の幼女が元気に走り回っていた。
薄い水色の髪をたなびかせ、身に着けるのはその心の無垢さを示す様な純白の子供服。……いや、散々走り回り、時には転びすらして土も草も付いているので純白とまでは行かないが、幼女の輝かしいばかりの笑顔がそれすらも汚れと認識させなかった。
幼女は自分の事を、世界一の幸せ者だと思っていた。
世界はこんなにも広く、駆け出せばどこまでも行ける。
大地を踏みしめる感触。草木の香り、空の高さ。どれをとっても幼女にとっては新鮮であり、そして愉快な事だった。
そして、なにより……。
『アハハ……あっ! お父様っ!』
幼女には素晴らしき家族が居た。
ザッザッと土を踏みしめ幼女の近くにやってくるのは、彼女の大好きな父親だ。
『お父様。ほら見て見てっ! そこにお花が咲いてますよ! あそこにもっ! お一つどうぞ!』
幼女は無造作に近くに咲いていた花を一輪摘むと、自慢げに父親に差し出した。
なんの事はない。それは子供心にただ褒めてもらいたかっただけの行動。奇麗な花を見つけたから見てもらおうと思っただけの事。
父親はそれを見て、ゆっくりと手を伸ばし、
『そうか。
花を受け取って胸ポケットに差し込むと、そのまま幼女の頭をそっと撫でて穏やかに微笑みかけた。
えへへと幼女がくすぐったそうに笑うと、
『……さあ。そろそろ向こうで昼食の準備が出来た。走り回るのはその辺りにして頂くとしよう。今日はこのピクニックの為にサンドイッチを作ったと言っていたぞ』
『わ~い!
そうして幼女が伸ばした土と草塗れの手を、父親は優しく手に取って歩き出す。
そう。幼女は間違いなく幸せだった。
自分に笑いかけてくれる自慢の父親と、
しかし、
『お前は■■■ではない』
そのたった一言で、幸せは無残に崩れ去る。
◇◆◇◆◇◆
これは、少しだけ未来の話。
「誰なのよ……何なのよアンタっ!?」
ネルは目の前の相手が、今の状況が理解できなかった。
自身の輝かしい未来の為に挑んだ幹部昇進試験。数々のイレギュラーはあったものの、ネルのチームは間違いなくゴールまであと一歩だった。
全てのチェックポイントを突破し、何故かそこら中から湧いて出た暴走する別の参加者達を殴り飛ばしながらゴールの近くに到達。
そこまでは間違いなく順調だった。だが、
「……ごふっ!?」
「しっかりっ!? 意識と邪因子をしっかり保つのですリーダーさんっ!?」
ネルの背には、
周囲には、
「私は……
ネルの目の前に立つのは、ネルとまるで瓜二つの少女だった。違いと言えば薄い水色の髪をツインテールではなくそのまま伸ばしている事と、その顔にまるで感情というものが見られないという点ぐらいか。
暴走しかけたネルと真っ向から打ち合い、仕切り直しとばかりに少し距離を取った瞬間被っていたフードが取れ、驚愕からネルの暴走が僅かに収まるほどに……二人はよく似ていた。
「ふ……ふざけないでっ!? ネルはあたしだよっ!? ……ピーターを早く医者に見せなきゃいけないの。邪魔だからアンタはさっさと消えてっ!」
半暴走状態ながらも、ピーターを助けるべくネルはもう一人のネルと戦いを繰り広げる。そんな中、必殺の一撃を相手の身体に叩きこもうとしたその時、
「どうして……どうしてなのですかお父様っ!?」
乱入してきたお父様ことリーチャー上級幹部の一人フェルナンドに、ネルはその身体を拘束された。
それだけならまだ良かった。ネルが聞きたいのはそんな些細な事ではなかった。
「どうして……そいつの傍に居るのですかっ!?」
「親が子の傍に居るのはおかしいかね?」
ネルはどうにかなりそうだった。そう言ってフェルナンドがもう一人のネルに向ける表情こそ、ネルが渇望してやまない物。
自身の幸せな記憶の中で自分に向けられていた、笑顔なのだから。
「なら……ならっ! どうか……娘のあたしにも、笑いかけてくださいっ!」
ネルは心の限りに叫んだ。かつてケンに言われた事を思い出して、遠慮せずに。
「小さい頃みたいにお父様が笑いかけてくれるなら、穏やかに撫でてくれるなら、一緒に……居てくれるならっ! ……それだけで、良いんですっ! だからっ!」
そんな子供から親に向けてのささやかなわがままは、小さいけど確かな幸せの形は、
『
そのたった一言で、無残にも圧し潰された。
「………………え?」
「記憶はただの捏造。身体こそ私の遺伝子を混ぜて造られたので便宜上親子の関係だったが、それもここまで。こうして
「試験体……って、お父様。何を言って?」
ネルにはフェルナンドが何を言っているか分からなかった。分かりたくなかった。
しかしこれまでの話から、ある一つの仮説が浮かんでしまう。
(やめて……止めてっ!? その先を言わないでっ!?)
そう。自分はただの、
「お前は我が娘が完成に至るための試験体。ただの
それを聞き、心が砕けたネルがその場で膝を突くのと同時に、
「親が子供になんてこと言ってんだこの野郎っ!」
現れた怒れる雑用係の鉄拳が、フェルナンドの顔面に突き刺さった。
お久しぶりです。……本当にお久しぶりです。
ここを読んでいるという事は本文にも目を通していただけたかと思うのですが、実はこれが自身でも筆がまるで進まなかった理由でして。
ダイジェストと最初に述べたように、こんな感じでこれからの展開上これまでで最大の曇らせがネルを襲います。その描写を考えている内に自分が精神的ダメージを負ってこれまで止まっていました。
……だって別作品の『悪の組織の新米幹部』の方がネルが明るくはっちゃけて動き回ってくれるんですもんっ! そっちの方が書きやすいんですよっ!
まあ愚痴は置いておいて、待っていただいていた読者様には感謝を。新米幹部の方が一区切りつきましたので、そろそろこちらの方も書き上げていく所存です。
最後に恒例となりましたがおねだりを一つ。
読者様方のお気に入り、評価、感想は作家のエネルギー源です。本当に苦しい時は、優しいコメントを見る度に気持ちが楽になります。……まあ厳しい物を見るとダメージも受けるのですが。
まだ完結はしていませんが、軽い応援のつもりでポチっとしていただければ作者は飛び上がって喜びますよ! ……いやホントに。
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雑用係 クソガキの出生を知る
さて。突然だが首領様の
かく言う俺も見たのはたった数度だけ。内一つは前の職場の上司や自重を完全に止めたイザスタ。それに当時の“十指”の中でも戦闘特化の奴数名を、たった一人で変身して三日三晩相手取った時の事。
結局最後までまともに立っていたのは首領様と前の上司のみ。それも決着の内容ときたら、
『これ以上は我らの勝負が終わる前に
と、体力的にはまだまだ余裕だが場所の問題で中断となったレベルでシャレにならない。
そんな変身体によく似た姿に一部とはいえネルが変身した時、正直冷や汗が出るほど驚いたし焦った。これはレイの奴も表情にこそ出さなかったが同じだったと思う。
今もさりげなく事に勘づき始めた幹部連中に、レイがこっそり口止めをするべく奔走している。そんな中、
「……そうだな。今はネル達が傷ついた職員達を運んでいるようだし、少しだけ時間はある。あの娘の保護者となったお前になら、多少は話しても良かろうな」
そう前置きをして、首領様は静かに語り始めた。自身の知る、ちょっとした昔話を。
◇◆◇◆◇◆
「
そうリーチャー首領がフェルナンドから持ち掛けられたのは、今から大分昔の事だった。
「はっ。
玉座に腰かける首領の前で跪いたままそう進言するフェルナンドの声は、一切の淀みなく堂々としていた。
フェルナンドが語った計画の概要はこうだ。
いくら首領が絶大な力を持つとはいえ、それでもいつ何時不測の事態により組織の指揮をとれなくなってもおかしくはない。
肉体・戦闘面では無敵であろうとも、精神面・日常での素がアレである事は当時の上級幹部や一部の幹部には知られていた事実だった。
リーチャーは首領を……正確に言えば首領の邪因子を大きな基盤としている。それが使えなくなれば、組織の崩壊とまでは行かずともかなりの痛手を受ける事には変わりない。
また、邪因子は多くの職員達を纏め上げるのにも有効だ。首領の持つ“他者の邪因子を支配・吸収する能力”も含め、絶大なカリスマ(日常を除く)があるからこそ従っている者も一定数居る。
勿論それらを防ぐため、フェルナンドを始めリーチャーのメンバーは邪因子以外の拡張性を常に模索している。侵略した先の技術や物質、人員を積極的に取り入れようとするのもその一環だ。
しかしその不測の事態が起きた場合に備えて行動するのも大切。そこでフェルナンドが考えたのが、
「
「……つまり、ワタシのクローンを造るという訳か」
それなりの厚さにまとめられた企画書をペラペラとめくり、首領はその麗しい指をあごに触れてしばし黙考する。
倫理観云々の話ではない。個人的に思う所はあるかもしれないが、悪の組織に入っている以上最優先事項ではないからだ。
問題なのは
「知っているだろう? ワタシの細胞をそのまま培養しようとしても」
「はい。まるで増えないか、増えたとしても一定以上になった瞬間
首領の細胞が強靭過ぎる為か、或いは別の要因か。増やすのも加工するのも難しい。これは首領の持つ邪因子の原型、それを職員達の持つ今の邪因子に作り変えるまでの長い試行錯誤の中で判明した事実だった。
「当然長い時間も予算もかかりましょう。しかしやってみる価値はあります。何卒承認いただければと」
「ふむ。……少し興味が湧いたな」
首領は玉座から立ち上がると、ゆるりと跪いたままのフェルナンドに歩み寄る。そして、
「つまりはこういう事か。次なる組織の王を生み出し、
ズンっ!
目に見えぬ圧を掛けながら、鋭い目つきでどこか試す様に尋ねる首領に対し、
「それが……
そう一言。必要であれば上司であろうと追い落とすというある意味下克上ともとれるような返答を、フェルナンドははっきりと言ってのけた。
その後常人ならとっくに意識を失うようなプレッシャーの中、微動だにせずに両者沈黙する事約十秒。
「……ふふっ。冗談だ。お前の忠誠心の高さは良く知っている。
ふっと圧を解き、少し面白そうな顔をして首領は玉座に座り直す。
「好きにやるが良い。何年かかっても構わぬし、予算は……言わずともお前の事だ。組織運営に悪影響が出るような使い込みはせぬだろう。細かな差配は一任する。成果が上がったと判断したら知らせろ」
「ははっ。必ずやご期待に応えて見せます」
フェルナンドは立ち上がって深く一礼し、そのまま部屋を退出しようとする。その時、
「あ~。少々待つが良い。今一つ気になる疑問が出来た」
「と、仰いますと?」
そこで首領様はこほんと咳払いすると、大真面目な顔でこう言った。
「この場合、生まれてくる者は
◆◇◆◇◆◇◆◇
「……という事が昔あったのだ」
「もろに今現在進行形のこれじゃないですかっ!?」
俺は首領様の昔話を聞いて、つい人目もはばからず突っ込みを入れてしまった。
何事かと周囲からの視線が突き刺さり、俺は慌てて声を潜める。
「っと……何で名前を聞いた時点で気が付かなかったんですかっ!? しかも計画の主体がフェルナンドって事は、必然的にネルの言う“お父様”は奴って事になるじゃないですか」
リーチャー上級幹部の一人“謀操”のフェルナンド。以前俺が始まりの夢に居た頃から名の知れた大物で、上級幹部の中でも搦め手の名手だ。そいつが関係している時点で何が起きてもおかしくない。
しかもそれがネルの“お父様”となれば、嫌な予感をひしひしと感じてきた。
「仕方ないだろう。まさか計画名をそのまま名前にするなんて誰が予想するか。偶然同じ名前の新人かと思ったのだ。……それにその話をしたのはもう十年以上昔の事。それ以来特にここ一、二年は進捗がほとんどなく、奴も遂に諦めたかと注意を払っていなかったのだ」
くっ!? 今は半分オフだから、微妙にカリチュマ風味が漂ってるよこの首領様。
「ネルがワタシに似ているというのも当然の事。なにせ大本は同じだからな。まあそっくりではない所を見ると……私の細胞をそのまま培養に成功したのではなく
他の細胞という言葉に俺は何となくピンとくる。おそらくつなぎに使ったのはフェルナンドの物。だからネルにとってフェルナンドは親なわけだ。
「しかし妙だな。どうも計画は順調に進んでいるように見える。それはネルの片腕がワタシの変身体に似た姿になった事と、能力を一部使用できた事から明らかだ。なら何故ここしばらく進捗の報告がなかったのか?」
確かにそうだ。変身できるようになったのは今日が初めてだが、それはそれとしてネルはこうして幹部昇格試験に出るレベルにまでなっている。なら一言知らせても問題ない筈だ。
昇格試験に合格した新米幹部は、全員式典で首領様にお目通りする事になっている。もしやそこで大々的に打ち明けるつもりだったのだろうか? ……ダメだ。疑問が多すぎる。
こうして思わぬネルの出生の秘密に頭を抱えていると、
ビーっ! ビーっ!
突如として、
という訳で、ケンが遂にネルの出生に触れる事になりました。地味にこれまでケンはネルの“お父様”の正体を知らなかったという事実っ!
ちなみに首領様の妹か娘かという悩みですが、一応結論として娘扱いにしようとは考えています。
先日正月記念で、新作短編『見滝原に魔法少女(幻想体)が居るのはおかしくないよね?』を投稿いたしました。宜しければご一読どうぞ!
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閑話 そして、彼女は目を覚ます
◇◆◇◆◇◆
それは、ケンがネルの出生の秘密を知る少し前に遡る。
「邪因子の暴走個体。十を超え尚も増加中っ!」
「場所も森林エリア、山岳エリア、草原エリアそれぞれに分散。もう近くの幹部候補生チームと交戦している個体もあります」
「現在死者までは出ていませんが、戦闘による負傷及びタメール停止による脱落者多数。既に試験開始時の半分を切っていますっ!?」
試験全体の状況をチェックする管理センターの運営本部では、悲観的な状況確認の声がまさに飛び交っていた。そんな中、
「
そう大きくもないが重く威厳のある声が響くなり、僅かにパニック状態になりかけていた職員達が一斉に姿勢を正し一か所を注視する。
そう。部屋に入ってきた運営委員長ことフェルナンド。そして一緒にやってきた元幹部にして試験官のマーサだった。
「……ふぅ~。皆、テンパってる所すまないけど、ちょいと運営委員長様の言葉に耳を傾けておくれ。……じゃあ委員長様。
マーサはいつものように煙草で一服を決めながら、どこか睨むようにフェルナンドを見てこう言った。言外にさっさと何やらかしたか吐けという圧をひしひしと乗せて。
「良かろう。……諸君っ! 現在起きている暴走個体大量発生についてだが、これは
その言葉に職員達に緊張が走る。暴走を故意に引き起こすなど前代未聞だったからだ。
「現在本部兵器課で秘密裏に開発中の邪因子増強薬。その成分を悪用し、摂取した者を強制的に暴走状態にする粗悪品が一部の候補生達にばらまかれていたという情報が入った。件の暴走はこれによるものだろう」
その一瞬、マーサがちらりと兵器課課長であるミツバの方を見ると、ミツバは小さく首を横に振ってノーを示す。
(
マーサが考えている間にも、職員達はただただフェルナンドの言葉を傾聴している。
上級幹部ほどの邪因子持ちとなると、その一言一言が並の職員にとってちょっとした甘い毒である。じわじわと精神を蝕むくせに、邪因子高揚の意味では有用なので質が悪い。
「しかし、考えてみるとこの事態はチャンスでもある。こういうイレギュラーに参加者達がどう対処するかもまた試験の一環として非常に有効だ。よってっ!」
そこでフェルナンドは一度言葉を切ると、大きく腕を掲げて周囲に宣言した。
「運営委員長の名の下に、
「では諸君。五分後に以上の事を島全体に発令する。その後は暴走個体の動きにも留意しつつ通常業務に戻る様に」
「「「はっ!!!」」」
フェルナンドの号令に、職員達は先ほどまでのパニックなど知らぬと言わんばかりに業務に集中し始めた。これが高邪因子持ちのカリスマの成せる技である。
「……はっ。上手くやったもんだねぇ。そもそも一連の事全部アンタの仕込みだろ? それも事が済んだら薬をばらまいた奴が
「ふっ……さてな。強いて言うなら、丁度潰した敵対組織の残党が数名生き残っているらしいので、
「いざって時のスケープゴートも準備済みってかい。抜け目ない事で。……流石にそこの兵器課課長には話を通しては居なかったみたいだけど?」
マーサはフェルナンドの演説中も大欠伸をかまし、今も我関せずとばかりにパソコンの画面を眺めているミツバをあごで指し示す。それを見て、珍しくフェルナンドは顔を歪めた。
「奴は囲い込もうとするだけ無駄だ。能力こそ高いがとても言う事を聞かん。なら下手に関わらず好きにさせた方が利益になる。幸い開発業務をきちんと行う最低限の分別はあるのでな。……そして、それはお前も同じ事だ。そろそろ推測だけで物を言うのは止めて、素直に業務に戻るが良い」
「へいへい。そうさせてもらいますよ。でも……ふぅ~。これだけは言わせてもらうけどね」
マーサは咥え煙草のまま、挑戦的にフェルナンドを見る。
「試験全体の方向性を決めるのは運営委員長のアンタだ。しかし試験中のアクシデントにはこちらも勝手に対応させてもらう。アンタも幹部候補生の質を上げたいだけで、むやみやたらに死人を増やしたい訳じゃないだろう?」
「そこは好きにするが良い。こちらの事前予測以上の結果を出すのなら何も言わぬよ」
マーサの睨みを悠然と受け流しつつ、フェルナンドはゆったりと自身の席に戻ろうとし、
「ありゃっ!? いつの間にか
そうどこか気の抜けたミツバの言葉に、その足を止めてその方向に顔を向ける。そして画面内でネルが右腕だけ変身して暴走個体を殴り飛ばす様を見るなり、
「……っ!? どけっ!」
「ちょっ!? 今見てるのにもぅ」
机に頬杖をついていたミツバを押しのけ、フェルナンドは食い入るように画面を見つめる。その表情を見てマーサは驚いた。このどんな時でも冷徹で弱みを人に見せない男が……
「バカな。何故一部
「ロック? なんの事だい?」
マーサの疑問に答えることなく、フェルナンドは計器を一部調べて映像が本物であることを確認。すると懐から通信機を取り出してどこかへ連絡を取り始めた。
「私だ。プランに若干の変更があった。至急
◇◆◇◆◇◆
同時刻。フェルナンド私設研究所にて。
全体を薄緑色の照明が妖しく照らし、大小様々な培養液入りのポッドが設置されている部屋の中で、
「はっ。承知いたしました」
通信を終了し、一人の白衣の男はてきぱきと作業を始める。良く見ればその男は、かつてネルの定期検査を行っていた男だった。
「やれやれ。本来なら試験が終わってからの予定だというのに。まあいつでも目覚めさせられるよう準備はしてあるので問題はないのですが」
ねぇ? とでも言うかのように、白衣の男は一際大きなポッドの中に浮かぶ一人の少女に軽く手を差し出す。
薄い水色の髪を伸ばして眠る、
「さあ。お目覚めの時間ですよお姫様。試験体……いえ、
そっと、ポッドの中の少女がその目を開けた。
なにやらネルが変身(片手)したことに驚いて色々計画を早めているフェルナンドさんでした。一体どこのお姉さんの仕業なんでしょうかね?
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ネル 運営委員会からの通達を聞く
それはあたし達が、意識を取り戻した候補生から簡単に話を聞いている時の事だった。
「すると、急にその人が苦しみだしたかと思ったら、突然変身して暴れだしたんですね?」
「はい。一体何が何だか」
少しだけ顔色も落ち着いてきた候補生に、何があったのか聞き出そうとするピーターだったけど、あまり思わしくはないみたい。
「ガーベラ……どう思う?」
「一言で言えば不自然ですわね。暴走自体はありえるでしょうが、理由が分かりません」
「珍しく意見が一致したね」
暴走自体はあり得ない話じゃない。当人の精神状態が酷く悪化したり、邪因子に酷い負担が掛かると時折発生するんだから、こういう厳しい試験で発生する事は理に適っている。
でも、この人の話だと急に暴走が始まったらしいんだよね。それも戦闘中とかではなく
「他に何かありませんでしたか? 実は向こうも怪我を我慢していたが限界を迎えたとか」
「特に何も……あっ!? そう言えば、一つ前のチェックポイントで彼、持っていた何かを飲み込んでいました。すると急に邪因子が活性化してそのまま課題をクリアしたんです」
「飲み込んだ? 薬か何かですか?」
試験中のドーピングは、推奨こそされていないが禁止もされていない。
どんな手を使ってでも目的を果たそうとするのは悪の組織としては間違っていないけれど、それはそれとして薬に頼るのは自分の力だけじゃ出来ないという惰弱さと見られるからだ。バレたら当然減点対象になる。
「多分……でも見かけは薬っていうより、ただのキャンディーみたいな」
その時だった。
ビーっ! ビーっ!
いきなり腕のタメールから警報音が鳴り響いた。ちょっと!? あたし別に邪因子を流し損ねてなんかいないけどっ!?
「落ち着きなさいな我がライバル。私のもリーダーさんのも、なんならそこで倒れたままの人の分も鳴っていますわ。誤作動という訳でもなさそうですわね」
「ふ、ふんっ! ちょっと慌てただけだよっ!?」
ひとしきり警報音が鳴り響いたかと思うと、急にばったりと音が止み、
『試験を受けている全候補生に通達する。こちらは試験運営委員会である』
代わりに聞こえてきた言葉を聞いて、あたしの胸は一瞬とくんと高鳴る。
『現在この試験会場にて、候補生の一部が突如暴走するという事例が多数報告されている。これは偶然ではなく故意に引き起こされた物である』
そこからお父様が語ったのは、本部兵器課で開発中の邪因子増強薬の粗悪品が、一部候補生達にばらまかれたというものだった。
『本来なら試験の中断も止む無しの状況だが、運営委員会は合議の下、この事態も試験の一環として加える事とした。つまり、
「なっ!?」
その言葉にピーターが愕然とした顔をする。ガーベラは……少し顔を険しくしていた。
『無論本件はイレギュラーであり、どう対処しようとも
お父様はそこでいったん言葉を切り、
『試験終了まであと1時間と少々だ。時間的に厳しい者も、体力的に厳しい者も居るだろう。或いは……
そう言い残して、タメールからの全体通信は切れた。……もっと、喋ってほしかったな。
通信が終わったけれど、残った面子に微妙な雰囲気が流れていた。
「……はぁ。どうして暴走したのかは今ので分かりましたが、厄介な事になりましたね」
「ええ。まったくですわ」
「えっ!? どしたの二人共? 要するにこれはお父ゴホンゴホン……ごめん。運営さんからのボーナスステージって事でしょ? 良い事じゃんっ!」
あたしがそう不思議そうに言うと、二人を顔を見合わせて大きくため息を吐いた。何よその態度は。
「良いですかネルさん? この状況をボーナスととらえられるのネルさんくらいのものなんですよ? ……どうですかガーベラさん。さっきの暴走個体、
「オ~ッホッホッホっ! 当然勝てますわ! 一体どころか二体でも三体でもどんと来いですわっ! ……ただ、これが
と、ピーターの質問にガーベラは少し自信がなさそうに返す。これはガーベラにしては珍しいね。
「ボクの知る限り、ガーベラさんは今回の候補生達の中でもかなりの上澄みです。そのガーベラさんがこう言うぐらいには暴走個体は危ないんです。正直言って……ボク一人だったらボッコボコにされます。運よく勝てたとしてもその後邪因子切れになって失格になります。そんなのがあっちこっちに居るなんて悪夢ですよっ!?」
なるほど。言われてみれば確かに。
あたしならさっきの奴くらい四、五体いっぺんに来ても勝てる。今のやけに調子が良い状態なら尚更だ。
でも普通の候補生にとっては結構な強敵で、まともにやり合っていたら手こずって試験にならない訳か。
「勿論それを補うためにチームがある訳ですけど、今は試験の終盤。当然全員疲労も溜まっていて、脱落者もそれなりに出ている筈です。とても万全なんて望めないんですよ。そんな相手をボーナスなんて言えませんって」
「それに、先ほどの動きを見る限り理性なんてほとんど見受けられませんでしたわ。死なないように手加減なんて期待はしない方が無難でしょうね。……この試験、下手をすれば死傷者がゴロゴロ出るハメになりますわよ」
「さらに加えてさっきの通信の言い回し。どこか
「それは……ちょっとマズいね」
ここでガーベラが以前言った“他の候補生は競争相手であって敵じゃない”という言葉を思い出す。
怪我の一つや二つはほっといても治るけど、死ぬのはダメだ、将来あたしが幹部になったら、その時に部下になる奴も居るかもしれない。
「じゃあ分かってもらえた所で……これからどうします?」
「そんなの決まってんじゃん!」
あたしは腕を大きく上に揚げて拳を握る。
「
「何と言うか……机上の空論も甚だしいですね」
「まったくですわ。全部やるだなんて欲張りも良い所ですわよ」
そうあたしがバッチシな計画を立てると、何故かピーターもガーベラも呆れたような、或いは
「何よ? 悪の組織が欲張って何が悪いの?」
「フフフ。いえ。な~にも悪くはありませんね。リーダーさん。ここから最寄りのチェックポイントはどちらですの?」
「そう言うと思って調べてます。ここからならさっきの草原エリアに取って返すのが近いですね」
「……だそうですよ?」
「オッケー。……よっと!」
あたしはまだ変身から戻らないでっかいワンチャンを担ぎ上げる。同じくガーベラも、髪でまだ怪我が治り切っていない候補生を支えながら背負った。
「さあ。行くよっ! 幹部の座を分捕りに!」
「「お~っ!!」」
見ててくださいねお父様。オジサン。二人に誇れるようにあたし、頑張るからね!
ちなみに、ネルは無意識にですが他のメンバーも一緒に幹部にするべく加点を狙っています。最初は自分一人が幹部になればそれで良い筈だったんですけどね。
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雑用係 気づいた時には後手に回る
俺が首領様からネルの出生について聞いた直後、
ビーっ! ビーっ!
突如として画面の中から、甲高い警報音が鳴り響いた。
「なんだこの警報は?」
「敵襲かっ!?」
多少ざわついたものの、流石にここに居るのは歴戦の幹部連中。すぐに大半が落ち着きを取り戻し、情報を得ようと動き出そうとした時、
『試験を受けている全候補生に通達する。こちらは試験運営委員会である』
画面内の会場のあちこちに設置されているスピーカーから聞こえてきたのは、運営委員会からの通達だった。……というかこの声フェルナンドじゃねえかっ!?
『現在この試験会場にて、候補生の一部が突如暴走するという事例が多数報告されている。これは偶然ではなく故意に引き起こされた物である』
候補生の暴走っ!? 俺はハッとしてモニターのチャンネルを幾つか回す。
すると居るわ居るわ。あちこちに暴走個体らしき影がうろついている。……マズいな。さっきのネル達の奴は単なる偶然かと思っていたが、どうやら島中で起きているらしい。ネル達ばかり気にかけていたのが裏目に出た。
暴走個体がこんなに出るなんて異常事態だ。おそらくこの放送は、大事を取っていったん試験を中断すると言ったものだろうな。そう考えていた俺だが、
『本来なら試験の中断も止む無しの状況だが、運営委員会は合議の下、この事態も試験の一環として加える事とした。つまり、
「はあっ!?」
「静かにせよ。続きが聞こえぬだろう」
「はっ。申し訳ありません。……しかしこれは」
思わぬフェルナンドの発言につい声が出て首領様に窘められたが、肝心の首領様も難しい顔をしている。
『無論本件はイレギュラーであり、どう対処しようとも
そして始まった時と同じく唐突に放送は終了した……のだが、
「あの野郎。どう考えても暴走個体と参加者をぶつけ合わせる気満々じゃねえかっ!」
そもそも
「ただいま~……と、のんびりしていられる状況じゃないみたいだねぇ」
「ああ。今の放送を聞いた限りじゃ、フェルナンドは試験の難易度を無理やり引き上げる気だぞ。このままじゃ下手すると怪我じゃすまない」
「強硬なタカ派のフェルナンドらしいな。奴は前々から最近の幹部昇進試験は生温いとこぼしていた。おそらくこの暴走個体も奴の仕込みと言った所か」
静かに戻ってきたレイにそう言うと、首領様は難しい顔のままそう呟く。確かにフェルナンドなら、証拠を残さぬまま仕込みの一つや二つしてもおかしくはない。……仕方ないか。
「首領様。少々席を外す無礼をお許しください。レイ。首領様を頼む」
「どこへ行く?」
「当然現場に。暴走個体の対処には人手が要りますので」
テストの進行自体は首領様直々にフェルナンドに委任されているため、仮に同じく上級幹部だろうと口出しは出来ない。
撤回できるのは首領様のみだが、ここで首領様が出張ったらそれはそれで試験が滅茶苦茶になる。あと撤回しようが暴走した奴らは止まらないしな。
なら直接向こうに跳び、少しでも鎮圧に手を貸した方が良い。試験の邪魔にもならないしな。
俺は早速現地のマーサと連絡を取ろうとして……まるで繋がらない事に気が付く。それだけでなく、
「何っ!? 直通のゲートが一時的に使用不能になっていると連絡がっ!?」
「現地との通信もさっきからダメだっ!? 完全に遮断されてるっ!?」
周囲の奴らのがやがやとした声を聞いて、俺は完全に出遅れた事を察した。
(ネル、ピーター君、ガーベラ嬢……無事でいてくれよ)
◇◆◇◆◇◆
突如発令された運営委員会からの通達。
それは一部の幹部候補生が、裏からばらまかれた邪因子増幅薬を使用する事で邪因子が暴走し、イレギュラーとなって試験進行を妨げているというものだった。
しかし、その暴走個体への対処もまた加点対象になるというルール追加により、一部の候補生達は考える。
初日の筆記、体力テストで良い結果を残せなかった者。或いは現在進行中の試験内でのチェックポイント。そこの課題で試験官からダメ出しを受けた者。もしくは単純にこのままだと試験に受からなさそうな者。
そういう者はこの事態を好機と捉えた。少しでも活躍し、幹部への道を開こうと。そうでなくともせめて、少しでもこれを見ているであろう運営へのアピールチャンスとして。
その結果、
ギャオオオンっ!
「ぐっ……うぐぐっ」
考えてみれば当然の事なのだ。
この状況で自分から暴走個体に向かって行くのは、一部の戦闘狂を除けば自身の試験の評価に不安のある者が大半。つまりは言い方は悪いが、能力の劣っている者達である。
それに今は試験の終盤。邪因子の消費は著しく、チームによっては既に欠員の一人や二人は出ている。とても万全とは言えない。
おまけに本当に幹部になりたいのなら、そもそも装着したタメールに邪因子を流し続ける必要がある。そちらにも気を配りながらでは、並の候補生ではまともに集中できるはずもない。
さらに言えば、暴走個体自体の戦闘力もかなりの物。なにせ暴走とは宿主の肉体的、精神的負荷に対して邪因子が異常に活性化、理性が飛んだ状態だ。例えるなら火事場の馬鹿力のようなものである。
それも一般職員ではなく、まがりなりにも自分達と同じ幹部候補生のそれ。いくら理性がなかろうが強くて当然と言える。
それでも、或いは
なにせこの試験の本質は最初から、
チームを組んでチェックポイントを周る……というのは最低ライン。この試験、実は最初から自分のチーム以外の者と協力してはいけないとは言われていない。ゴールタイムが評価に影響するのは間違いないが、着順には精々一位や二位などでもない限りプラス評価の差はない。
つまりは理論上、三組のチームで協力して三つのチェックポイントをそれぞれ巡り、その内容を知らせ合って有利に進めたとしても何の問題もない。むしろ運営側としては、その抜け道に気づいて行動した時点で加点対象だった。
……残念ながら、それに一番近い行動をしたアンドリューのチームでさえ、自分のチームの人数を増やしまくって先行偵察、及びネル達のチームとの扉の挑戦権の交渉ぐらいまでしか行きついてはいなかったが。
しかしそれに気づかぬ者が大半。寧ろ場合によっては、自分達だけで手柄を得ようと独断プレーに走る者まで出る始末。それが敗北の大きな原因となった。
加えて、さらにあるチームにて問題が発生する。
「ちっ!? ……逃げるぞ。走れ走れっ!?」
一当てして勝てないから逃げる。そこまでの過程はどうあれ、逃走を選ぶ事自体は間違っていない。
ズタボロになりながらも、タメールが機能停止しようとも、どうにか全メンバーが逃げる余力を残していたのも良い。
逃走先に最寄りである草原のチェックポイントを選んだのも、これは運営から事前に説明があったのだから正しい。
問題だったのは二つ。
「……ウソだろ!?
ちゃんと追ってくる暴走個体を撒かなかった事と、同じ事を考えたチームが他にも居た事だ。
つまり、
これには詰めていた職員も焦りを隠せなかった。勿論この試験の為に選ばれた職員だ。幹部級とまでは行かずとも、平均的な候補生の一人や二人普通に抑え込めるくらいの実力のある者が大半だ。
しかしそれでも暴走個体を数体まとめて相手取るのは簡単ではない。おまけにここには次から次へと怪我人や邪因子を消耗した候補生がやってくる。つまりは要救助者。足手まといだ。
不利に次ぐ不利。そして相手も暴走個体とは言え元は候補生という事から止めを刺す事も憚られ、乱戦の中少しずつ候補生達を庇って削られていく体力。
職員達も限界であった。いよいよもって候補生達の救助を諦めるか、暴走個体の生死を問わないやり方に切り替えるか。決断を迫られようとしていた。
そんな中、
ギャウウっ!?
突如、少し離れた所に居た暴走個体の一体が、どこかから吹き飛ばされてきた別の暴走個体に巻き込まれてゴロゴロと転がる。それを成した者こそ、
「あれっ!? コイツだけかと思ったら結構居るじゃんっ!? やった! 加点チャンスね!」
「いやチャンスってか……すっごい修羅場って奴じゃないですかねここっ!?」
「落ち着きなさいな二人共。まずは倒れている方々を救けませんとね」
そう。小さな暴君一行の登場である。なお、
「総員迎撃態勢っ! 要救助者を下げつつ、ここで奴らを食い止めるぞ」
「おう! あの特別種共に比べれば、こんな奴屁でもないぜっ!」
「それにもうタメールに気を遣う必要もないしな! それでやられたリーダーと違って」
「そこチクチク言わないっ! ここで活躍すれば、合格とは言わずともそれなりの評価は得られると試験官殿のお墨付きだ。……まだ完全に怪我も邪因子も回復してはいないが、皆っ! ここが踏ん張り所だぞっ!」
別のチェックポイントでは、
悲報! 雑用係締め出される。そう簡単にお助けキャラが来られると思うなよ?
そしてここからは幹部候補生達の地力が試されます。……ちなみにアンドリュー達は、途中失格となって森林のチェックポイントで休んでいた所、この状況になってすぐ自分達を試験官に売り込みました。まだ回復しきっていないですががんばります。
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ネル 呼びかけに引き戻される
ズンっ!
軽く放った拳が胴体にめり込み、倒れていた候補生に追い打ちをかけようとした鹿っぽい暴走個体が悶絶する。
「ガーベラっ!」
「お任せですわっ!」
暴走個体を蹴り飛ばし、ガーベラが候補生を確保したのを確認、すぐさま次の獲物を見定める。
あぁ。なんだろうこの感覚。
「皆さんっ! ネルさんが奴らを抑えている内に、倒れている人達を早く安全な所へっ!」
「ケッ! どうして俺達が従わなきゃ」
「だまらっしゃいっ! 勝手に突っ込んでやられて恥を晒したままで終わる気ですのっ!? 仮にも幹部候補生を名乗るのなら、せめて仲間を助ける気概くらい見せなさいなっ!」
「こっちだっ! スペースは確保してある。怪我人はそこに並べるんだっ!」
視界の端で、ピーターとガーベラがまだ動ける奴らに呼び掛けて、倒れている候補生をどんどん職員達の下に運び出すのを捉えながら、あたしは次々やってくる暴走個体をまとめて相手取っていた。
迫る爪や牙を受け止め、時には流し、お返しにと相手を一打ちする度に、身体に流れる邪因子が熱くなる。昂っていく。
体調はかつてないほど絶好調! 使っても使っても邪因子が減った感覚はなく、寧ろ溢れてくるような錯覚さえ覚えるほどに。
何ならこのまま一昼夜戦い続けても問題なさそうなハイテンションで、
「さあもっと。もっとかかってきなさいよっ! アッハハハハっ!」
知らず知らずの内に、あたしの口元に笑みが浮かんでいた。……そっか。あたし、楽しいんだ。
「……っ!? ネルさんっ!?」
ギシッ!
「っと。危ない危ない」
いつの間にか、邪因子が強く流れ過ぎていたようで、タメールが悲鳴を上げていた。ピーターの呼びかけでハッと我に返り、慌てて少し流し込む分を減らす。
そしてもう一つ気が付くと、とっくにここに居た暴走個体は全部鎮圧し終わっていた。ちぇっ! もう少し多くても良かったのにな。
「ちょっとネルさん。気を付けてくださいよ。いくら調子が良いからって、邪因子を上げ過ぎてうっかりそれを壊したらそれだけで失格なんですからね」
「あ~。な~んかさっきからずっと調子が良過ぎてちょいちょいブレーキが。何と言うか、
「それボクが貧弱ってディスってますよねっ!?」
駆け寄って注意してきたピーターにそう返すと、ピーターったらちょっぴり気落ちしたみたいに大きくため息を吐く。
「ゴメンってピーター。まぁあたしに比べたら貧弱だけど、そこらの奴に比べたらまあマシな方だと思うよ? これはホント」
「……まぁ良いですけど。それよりも、鎮圧したは良いけどこのままって訳にもいかないですからね。とりあえず動けないように拘束しますから、ネルさんは終わったら向こうに運んでくださいよ」
ピーターは一度こっちをジト目で見た後、倒れた暴走個体を適当な紐やら服の切れ端やらで縛っていく。
……面と向かっては恥ずかしいから言わないけど、これでもピーターやガーベラにはちょっぴりだけ感謝しているんだ。
ピーターに返したように、こうして片腕だけとはいえ変身できるようになってからは、自分でも少しハイテンションになり過ぎている感がある。
まあこれはイザスタ……お姉さんに、まだ不安定だから多用は控えろと言われたけどつい何度も使っているからって事もあるかもだけど。だってやっと出来たんだもの。時折使って確かめないと、ちょっとだけ不安になるのだから。
不安になって、使って、一気に湧き上がる力に気分がハイになって。
さっきなんかいつの間にか、イザスタ……お姉さんと戦った時みたいに自分で自分が制御できなくなりつつあった。
だから大丈夫。あたしがまたついうっかりやらかしそうになっても、二人が引き戻してくれる。だからあたしは安心して、また変身できるのだ。
「貴方達。何ものんびりやっておりますのっ!? もうこちらはすっかり終わってしまいましたわよ?」
「は~い。分かってますっ! ……ほら出来た。これ以上ガーベラさんに怒られる前に、早く連れてっちゃいましょう」
「仕留めた獲物を見せびらかしてこいって事ね。オッケ~! 他の候補生達の度肝を抜いてやるわ」
あたしはひょいっとあたしより一回りも二回りも大きい暴走個体をまとめて担ぎ、そのままピーターを従えて意気揚々と歩きだした。
草原エリア。チェックポイント兼職員の詰所にて。
「ありがとう。君達のおかげで、この非常事態に被害が少なくて済んだ。感謝する」
「感謝は良いからちゃんとこの事は評価に加えといてよね! このネル様が暴走個体を千切っては投げ千切っては投げの大活躍をし、ついでにピーターとガーベラがそこそこの数の怪我人を助けたって」
どうにか近くにもう怪我した候補生が居ない事を確認し、暴走個体を全部縛り上げた上で、あたしとガーベラは職員達に対峙する。
ピーターと他のまだ動ける候補生達は、怪我人達に付き添う役とまた誰かが逃げてこないか外で見張る役だ。
大半がもうとっくにタメールが機能停止して失格扱いになっていたり、少しでも休みながら邪因子を流し込み続けている者ばかり。戦いになったら役には立ちそうにない。ピーターは……まだ余裕はあるけど、ここからは一気に行くから少し休ませておかないとね。
「誰がついでですって? ねぇ試験官様? この場合人命救助の方が重要度が高いのではありませんこと? ならばそちらに回った
「あ~っ!? やけにあっさりあたしに獲物を譲ったかと思ったら、最初からこれが狙いっ!? ずるいわよガーベラっ!」
「オ~っホッホッホっ! 真っ先に貴女が突っ込んで行ったので、方針を切り替えたまでの事ですわ!」
相変わらずの高笑いを響かせるガーベラにむき~っとなるけど、職員は苦笑しているからその辺りは微妙なんだろう。まあイレギュラーの対応だしね。
そして一応口約束ではあるけど、今回活躍したあたし達の加点を約束させた所で、
「大変だっ!?
「何ですってっ!?」
別室に居た候補生の一人が駆け込んできたのを見て、ガーベラは真っ先に走り出した。それを追って怪我人達を寝かせている場所に行くと、
「ぐああ……アアアっ!」
「気をしっかり持ってっ!? ……良い所にガーベラさんっ! この人を押さえつけるのを手伝ってくださいっ!」
野戦病院のような部屋。幾つか置かれた簡易的なベッドの一つで、半分変身が制御しきれていないヤギ怪人へ、必死に声を掛けながらしがみ付くピーターの姿があった。
慌ててガーベラが四肢を髪で縛り付け、ヤギ怪人は暴れながらも身動きが取れなくなる。
「何があったっ!?」
「分からねえっ!? さっきまでそこで気を失っていた奴が、目を覚ましたと思ったら急に苦しみだして変身を。……そいつが変身する直前、そこの候補生が急に「いけないっ!? 暴走するっ!?」とか叫んで飛びつかなかったら今頃どうなっていたか」
一緒にやってきた職員が問いただすと、同じ部屋に寝ていた候補生が青い顔をしながらそう返した。
つまり、何かの弾みで怪我人の一人が暴走しかけていたのを、ピーターが未然に防いでいたって訳? やるじゃないピーター。
「はい大きく息を吸って……吐いて。溢れ出そうな邪因子をむりやりタメールの方に流し込む感覚で。ガーベラさん。髪を導線みたいにして、この人が邪因子をタメールに流すのを補助出来たりします?」
「他人の邪因子を制御するのは難しいのですが、やってみせますわ!」
「ネルさんは最悪拘束を振りほどかれた時、力づくでおとなしくさせるために少しそこで待機を」
「あたしに指図するなんて生意気だけど……まあ従ってあげるわ」
ちょっぴりだけどリーダーらしくなった
……ちょっとそこの試験官。何こっちを見てほうほうって顔して笑ってんのっ!? 試験官じゃなかったら殴ってるわよ!?
間違いなくネルの邪因子は減っている。減っているのです。
ただその分どんどん内から湧き上がるし、外からも喰らっているのでそれ以上に増え続けています。放っておくと爆発しかねないほどに。
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ネル チームを離れて単独行動する
暴走しかけた候補生への処置は、大体数分ほどで終わった。
今はどうにかタメールの方に無理やり活性化した邪因子を流し込む事で、暴走が抑制できたのかまた眠りについている。
「ふぅっ。何とか上手く行きましたわね」
「助かりました。ガーベラさんが居なかったら、多分この人も暴走状態になっていたと思います」
達成感と疲労の混じったような顔で軽くため息を吐くガーベラを、ピーターが汗だくになりながらも労わる。
そんな中、一緒に部屋に入っていた試験官が二人に近づくと、
「二人共。先ほどの事に加え、今回の事も重ね重ね感謝する」
がしっと二人の手を取ってぶんぶんと振った。ちょっとオーバーだけど、二人を評価してるって言うのは間違いなく伝わってくる。
……確かにあたしよりかはガーベラの方が少しだけこういった邪因子の制御は得意だろうし、ピーターも珍しく凄い所を見せたけどさぁ。なんか自分だけ蚊帳の外って感じでモヤモヤする。
「彼女が今にも暴走しそうな体内の邪因子を外側から操作したのも見事だったが……特に君」
「えっ!? ボクが何か?」
「他の候補生に聞く所によると、君は少し見ただけでその候補生が暴走しかけていると見抜いたそうじゃないか? それは何故かね?」
「あのっ!? ボクは少し珍しい体質だそうで、何となく相手の邪因子の流れが視えるんです。それで明らかにその人の邪因子が乱れているなって思って、気になって寄ってみたら急に。……
何故か少し興奮気味の試験官に、ピーターは軽く引き気味にだけど、一瞬チラリとこちらを見てからそう答えた。何よあたしの事をチラチラ見て。すると、
「なるほど。それは確かに珍しい才能だ。……本来こんな事を頼むのは試験官としてどうかと思うのだが、もし良ければ他の怪我人も確認してもらえないだろうか?」
「それは……」
「ちょっと待ちなさいよっ!?」
試験官はそう前置きをすると、とんでもない事を言い出した。何か考え込むような素振りを見せるピーターだったけど、それは流石に黙ってはいられないとあたしは急いで割って入る。
「いくら試験官でもそれはないんじゃない? あたし達はもうここの課題はクリアしている。ここに戻ったのは、たまたま途中で怪我人と躾のなっていないワンチャンを見つけたから加点狙いで引き渡しに来ただけ。何? 試験官なのに試験の邪魔すんの?」
「珍しくネルにしては正論ですわね。残り時間から考えるに……また何人か今みたいなことになって対処に時間を取られれば、ちょっと余裕がなくなってきますわよ」
ここからゴールだろう管理センターの扉までの距離を考えると、イザスタ……お姉さんの所の時間を差し引けば、ここに残って何かやるにしても大分余裕が出来る。
でもどうせなら、正規の時間内に余裕をもってクリアした方が周りからいちゃもんをつけられる事もないだろう。ガーベラも時間を確認しながらそう補足する。
「もちろんこれは強制ではない。時間や体力的に余裕がないと判断したのなら、このまま出発してもらって一向に構わない。しかし今は暴走個体の大量発生という非常事態。おまけに先ほどのように、
そう。さっきの人は薬のせいで暴走しかけたんじゃない。単純に負荷がかかり過ぎて、邪因子が異常活性を起こしたんだ。これはさっきそこの人が意識を失う前にピーターが質問して確認した。
そういう相手でも普通に反応できるピーターが居れば、確かに暴走の被害はぐっと少なくなるだろう。でもそれはあたし達には関係がないよね。薬によるイレギュラーでもないんなら評価はまた別になるだろうし。
「加点ならさっきの奴で充分でしょ? ほらっ! ピーターもガーベラもさっさと行くよ」
「どうしましたのネル? 普段のアナタなら、ギリギリまで加点を狙った上でリーダーさんを背負って全力で走るくらいの事は言い出しそうですのに」
「……別に」
ガーベラは不思議そうな顔をするけど、今は本当にそんな事をする気がないってだけ。またあたしだけのけ者って言うのも気分が悪いしね。だからさっさとゴールまでひた走ろうとした時、
「試験官さん。その申し出、受けさせてもらおうと思います」
「おお! 引き受けてくれるかっ!」
「ピーターっ!?」
ピーターが勝手に仕事を受けてしまったのを見て、なんか無性に腹が立ってピーターの襟元を掴んで軽く睨む。
「あんた何言ってんの。これ以上ここで時間を食ってる暇ないわ。さっさと行くのっ!」
「ネルさんこそ何を言ってるんですか?
ほんの少し身体ごと視線を下げて、ピーターはあたしの目を見ながら静かにそう語り掛ける。ガーベラ始めここに居る奴らは皆、口を挟む事なくあたし達を見つめていた。
「正直……ボクは自分が幹部になれるだなんて思っていませんでした。この試験を受けたのだって、半分は候補生の義務としてです。やるからにはそれなりに頑張って、それなりに後に幹部になる誰かに評価されれば良いなってだけで。……でもっ! ボクにも欲が出来ました」
そこでピーターはぎゅっとあたしの手を握り、いつになく熱の入った声を上げる。
「ボクだって、なれるのなら幹部になりたいっ! ……いえ、お二人に劣っているのは百も承知だけど、ネルさんと、ガーベラさんと、
それは、紛れもなく本気の言葉だった。
どこかヘタレで、いつもこっちの顔色を伺うようなビビりで、時々は役に立つけど邪因子はそれほどでもなくて、どこか事なかれ主義のピーターが、あたしの凄みを手をプルプルさせて必死に堪えながらもそう堂々と返したんだ。
そのまま、少しの間この場に沈黙が流れて、
「すぅ…………ふんっ!」
「痛っ!? 何するんですかっ!?」
あたしの頭突き(威力弱め)が額に直撃し、ピーターは涙目になって手で押さえる。
「ピーターのくせに生意気なのよっ! ……良いわ。あんたはそこで存分に怪我人を視て、試験官様にた~っぷり加点を貰っておけば。あたしはさっさと先にゴールに行くから」
「ネルさんっ!?」
呼び止めようとするピーター達を置いて、あたしは一人さっさと詰所を出た。
さてと。これまではピーターに合わせて速度を抑えていたけど、久々に全力で突っ走るとしますか。
「……何?」
一人追ってきたガーベラに、あたしは軽く身体を伸ばしながら振り向く事無く尋ねる。
「ネル。仮にもチームリーダーから勝手に離れるというのは感心しませんわね」
「別にリーダーから離れようが失格にも減点にもならないよ。なるんだったらアンドリューとやり合いそうになった時、こっちに道案内をつけるなんて事は言わなかった筈だしね」
「いえそうではなく、きちんと説明をしないで行くなと言っているのです。……どのみちリーダー様でしかゴールの扉は開けない。なのに一人で先走ろうとする時点で、
「そのくらい……言わなくても分かるでしょ? 言うだけ時間の無駄だよ」
どれだけこっちで時間が掛かるかは分からないけど、その間あたしだけぽつねんと突っ立っているというのも落ち着かない。
ならあたしだけ先行し、道中の罠とまだ居るかもしれない暴走個体を一掃すれば、それだけタイムロスもなくなるって寸法よ。
「アンタはピーターの傍についていてあげて。もしまた暴走しそうな人が居ても、アンタならさっきと同じ要領で抑え込めるでしょ? ……あたしも自分に出来る事をするから」
あたしには敵を倒す事しか出来ない。なら、邪魔になりそうなものを片っ端からこの拳で黙らせるくらいの事はしないとね。珍しく頑張っている
「……確かに引き受けましたわ。精々後から追いかける私達が進みやすいように道を慣らしておいてくださいな」
「そっちこそ。あんまり遅かったら、着くまでに無理やりにでも何でも扉を見つけて入っちゃうから! ……じゃ。行ってくるね」
あたしは最後にガーベラに向けてニヤッと笑ってみせると、そのまま力強く一歩を踏み出した。
よくウザ絡みされて、無茶ぶりされて、失言するとしばかれる。
あっちこっちに引っ張りまわされ、いつもお姫様の下働き。
……でも、その輝きに知らず知らずの内に魅せられていた。
けっして張り合えはしないけれど、どうにか近くで着いていけるように、彼は自分の欲を曝け出す。
この話までで面白いとか良かったとか思ってくれる読者様。完結していないからと評価を保留されている読者様。
お気に入り、評価、感想は作家のエネルギー源です。ここぞとばかりに投入していただけるともうやる気がモリモリ湧いてきますので何卒、何卒よろしく!
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暴君の進撃 そして迫る第三者
ダッダッダッダッ!
ネルは一人、草原エリアのチェックポイントから管理センターまでの道を駆けていた。
その踏み込みは力強く、誰かが傍から見れば一歩ごとに地鳴りが起きているように錯覚させるほど。……いや。
ゴゴゴゴゴッ! バシュッ! ダンッ!
本当に地面は揺れていた。正確に言えば、本部までの道に仕掛けられていた罠が次々に作動していたのだ。
道の脇に仕掛けられていた鳥もち弾が乱射され、一拍遅れて強烈な勢いで丸太が射出される。
さらにそれを越えて一息つこうとすれば、急に地面が割れて上を通る者を飲み込もうとする仕掛けまであった。
どれも一つ一つは大した事のない罠だが、けっして直撃を無視できるものでもない……のだが、どれもこれも暴君の足を止めるには力不足に過ぎた。
ネルは走りながら近くにまばらに生えていた木の一本に手をかけ、まるで花でも手折るように
「うりゃりゃりゃりゃっ!」
前進しながらまるで扇風機のように木を振り回す。鳥もち弾は受け止められ、飛んでくる丸太は弾き飛ばされる始末。その上、落とし穴は簡単に飛び越えられた。
そしてご丁寧にも、すれ違いざまにネルは罠の射出口を粉砕し、わざわざ落とし穴に掴んでいた木を差し込んで開閉できなくする始末。
自分が進むだけならあまり意味のない行為だが、
それからも暴君の進撃は、仕掛けられていたどんな罠でも止める事は出来なかった。
直接的な刃物などの凶器は普通に弾かれるし、催涙ガスなどは噴霧されて吸い込むまでに駆け抜けられて終わり。そもそも少しでも危険な物であれば、周囲の地面ごとえぐり取る様にして破壊していくのだから効く筈もない。
唯一僅かにでもネルが足を止めたものと言ったら、
「……誰かぁ。助けてくれぇっ!?」
「お~いっ!? チーム全員絡まっちゃって動けないんだぁっ!?」
罠ではなく、罠に引っかかって動けなくなっていた候補生達の助けを呼ぶ声だった。
なにせこの試験会場はイレギュラーの真っ最中。本来回収に来る筈の職員も人手が足りない。危険性の少ない罠に引っかかったままの候補生や、体力や邪因子が尽きてそこらに倒れている候補生はほったらかしにされていたのだ。
地面から網で巻き上げられ、空中で身動きできないほどチームごと雁字搦めにされた候補生が口々に声を上げる。しかし、
「……邪魔っ! あとは勝手に逃げれば?」
「へぶっ!?」
そこは流石の暴君。足を止めたのは一瞬だけでさっさと先を急ぐ。……すれ違いざまに吊り下げられた部分を手刀で切り飛ばし、チームごと地面に落として動けるようにしただけまだ有情かもしれない。
そうして突き進む事しばらく、ネルは遂に目的地である管理センターに辿り着いたが、
「……何よこれ?」
管理センターの有った場所は、
ネルが煙に手を伸ばすと、ただの気体の筈なのにどこか押し返してくる感覚がある。
(無理やりに入れなくはない。でもちょっと手こずりそう。これだけの
ネルが思いついたのはあの煙草臭い女マーサ。今回の試験にも噛んでいるアイツなら出来るだろうと考え、同時にどうしてこんな事をしたのかにもすぐに思い当たる。そう。
グルルルル。
(こいつらが管理センターに入らないようにしたって訳ね)
煙に阻まれ、周囲をうろうろしていた暴走個体達が、ネルに気が付いて唸り声をあげる。さらに、
『グウウッ……オレガ……カツンダ……ナントシテモ』
『アトスコシ……アト……スコシデ……カンブ二』
『コンナハズ……コンナハズジャ』
(どいつもこいつも、ガーベラはともかくピーターじゃあちょっと厳しい相手。一体でも取りこぼしたらマズいわね)
ネルが一目で察したように、そこに溜まっていたのはただの暴走個体ではなかった。
ゴール間近まで辿り着くも、そこで遂に限界を迎えて暴走状態に入った者。暴走しても尚本能を越えた執念でここまでやってきた者。邪因子こそ低かったものの、諦めきれない願いと意地で僅かに理性を残した者。
つまり、暴走個体の中でも上澄みの者達であった。
そんな無念の声を上げる者達を前にして、
「くだらないわね」
暴君は無慈悲にバッサリと切って捨てる。
「要するに、アンタ達はゴール手前で進めないからって、あとから来る奴に八つ当たりしたいだけじゃないの。ハッ! バッカじゃないの? そんな暇があるんだったら、一丸となって煙を散らすくらいの事はやんなさいよ! ……あっ!? ごっめ~ん!」
そう言うとネルは、敢えて煽る様にくすくすと嗤いながらさらに続ける。
「たとえ煙を散らせても、中にある扉に触れても、もうタメールが壊れてるから意味ないんだよねぇ? それじゃあこんな所でうじうじたむろってるのも仕方ないよねぇ?」
グウウッ。
暴走個体達から明らかに怒気を感じる。理性が完全に飛んでいるならまだしも、ほんの僅かに残っているのなら馬鹿にされているのは分かるのだ。
それを見たネルはニヤリと笑い、ちょいちょいと指で手招きする。それは、自分へとヘイトを集める行為にして、彼女なりのここまで来た者達への激励。
「せっかくここまで来たんでしょ? ……ならここでうじうじしてないで、溜まった鬱憤全部ぶちまける気持ちでまとめてかかってきなさいよ。その方がここで止まってるよりず~っとマシだよっ!」
グルアアアアアっ!
(お父様。見ていてくださいね!)
殺到する暴走個体達を前にして、片手で腰のホルダーから棒付きキャンディーを取り出し、大きく口を開けて齧り付くように口に放り込むネル。
それはネルにとっての大切な繋がり。負けられない戦いの時や、沈みそうな自分の気持ちを高めたい時に舐めると、お父様の事を思い出せて気合が入る特別な品。
いつものように食べた瞬間、じんわりと胸の奥が温かくなるような感覚に包まれ、同時に邪因子が強く昂る。
「さあっ! 来なさいっ!」
ネルは暴走個体達を迎え撃つべく、大きく息を吸って構えを取る。そして、
ドックンっ!
内側から感じる一際大きな鼓動に一瞬違和感を感じながら、戦闘状態へと移行した。
◇◆◇◆◇◆
一方その頃。
山岳エリアのチェックポイントにて。
草原、森林エリアと同様、このチェックポイントも暴走個体の襲撃を受けていたのだが、ここは立地が上手く働いていた。
早々に崖下の職員は緊急用通路を使い、まともに動けない候補生達と共に崖上まで退避。登ってこようとする暴走個体を試験用の罠で押し留めながら、逃げてくる候補生を収容していた。
勿論暴走個体もぞくぞくやってくるが、防衛のみなら職員だけで充分。あとは時間を掛けて事態の収拾を待てば良い。その筈だった。
「何だ……何なんだこれは!?」
山岳エリアの試験官は、眼下で起きている出来事に目を疑っていた。そこに見えるのは、
その何者かは、突然ふらりと現れて暴走個体達に襲い掛かった。
変身している様子もなく、使うのは己の邪因子と肉体のみ。身に纏ったフード付きのローブで顔も体型も分からず正体不明。しかしタメールを着けていない事から、試験の参加者ではない。
その拳を、脚を振るう度に、的確に暴走個体を打ち据え沈黙させていくその様は、どこか合理的過ぎて機械のようにも見えて。
「……むっ!?」
そこで試験官はふと気づく。
近くで見ればさらに気が付いただろう。倒れている者達は限りなく0に近い域まで邪因子が減少し、逆にその何者かから感じる邪因子が跳ね上がっている事に。
そして、ついに最後の暴走個体が沈黙した後、何者かは倒れている者達を一瞥し、
「……無力化及び
そのまま管理センターの方に向けて疾風のように駆け出した。
そのフードの横から一瞬、薄い水色の髪をたなびかせながら。
それを一口食べる度、確かに少女は繋がりを感じていた。
力が湧き、気分が高揚するのは、大切な人からの贈り物だからだと信じ、無邪気に喜んだ。
それは間違いではないのだろう。確かに繋がりではあるのだろう。
ただ、当たり前の愛情に飢えるばかりで、その贈り物に込められた何かに気づこうとしなかっただけの事。
積もり積もった何かが顔を出すまで、あと……。
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ネル その弾丸が貫いたのは
「……はぁ……はぁ」
(おかしいな。……こんな筈じゃ)
あたしは息を荒げながら、片手で構えを取りつつ額から流れる汗を拭っていた。
目の前には所々に倒れる暴走個体達と、残った割と手強い上澄みが三体。
グルルと唸りをあげる白い毛皮の虎。バサバサと羽ばたきながら空中で様子を窺う赤い翼の大鳥。黒光りする甲羅を背負ってどっしりと構える亀。
雑魚共は粗方片付けたけど、残ったこいつらが地味に鬱陶しい。それというのも、
グルアアアアアっ!
咆哮と共に、白い虎が左右にフェイントを織り込みながら飛び掛かってくるのを、あたしはその場で迎え撃とうとして、
バサッ!
「ちぃっ!?」
それに合わせて空から急降下してきた大鳥のかぎ爪を身を翻して躱す。ならば鳥から先に叩き落としてやろうと腕を振りかぶれば、
ドンっ!
見た目とは裏腹な俊敏さで、亀がタックルしつつ固い甲羅でインターセプト。そして動きが止まった隙をつき、虎がこちらを鋭い爪で引き裂こうとしてくる。
そう。
『グゥッ…………カツ……ナントシテモ』
『ウオオオオン』
『キ……エロ』
喋っている言葉は片言だし支離滅裂。それなのに最低限息を合わせるというか、互いの邪魔をしない程度にはなっていた。
これは大分後で分かった事だけど、この三体は薬によって暴走した個体……
武力で、知略で、或いは幸運で。何にせよ実力でここまで辿り着いた上で他の暴走個体と戦い、そのまま自身の邪因子の暴走によってこうなった個体。マーサが言う所の“極限状態で化けた”奴らだった。
なんなら倒れている個体の内二、三体はあたしが来る前から倒されていたし、元々チームを組んでいた奴も居た。連携が出来ているのは体が覚えているからって事もあるのかもしれない。
勿論それだけならこのあたしが苦戦する道理はない。手を組もうが何だろうが、力でねじ伏せるのがあたしだもの! ……ただ、
「こんのぉっ!?」
何度かの虎の爪を打ち払い、鳥も亀も邪魔が途切れた僅かな一瞬を見計らい、あたしは拳を虎のどてっぱらに打ち込もうとして、
ドクンっ!
(ダメ。
「くっ!?」
くんっと当たる直前で力を抜き、虎にボディブローを決めるものの、力を抜き過ぎたのか大したダメージにはなっていない。
そのまま反撃に振るわれる爪が僅かにあたしの腕の表面を裂き、軽い痛みと共にあたしはバックステップで距離を取る。
ぽたぽたと地面に滴るのは、腕から流れる血かそれとも額からの汗か。……まあこの程度の怪我戦いながらでもすぐ治るから良いけど。
「……ほんっとやりづらいなぁ。
これがあたしが苦戦している理由の二つ目。
さっきから身体の調子が良過ぎて、上手く手加減が出来ないでいるのだ。
心臓の高鳴りと共に、身体の奥底から次から次へと邪因子が湧き上がってくる感覚。戦いの中で強くなるなんて言葉があるけどそれすら生温い。
一分一秒ごとに邪因子の質が、量が、勢いが跳ね上がっていく感覚。多分今のあたしは、十秒前のあたしより普通に強い。
だけどそのせいで、丁度良く相手を無力化出来るぐらいの一撃を放とうとしたら、決まる直前で無力化どころか致命レベルの威力になりかけているから困る。今の一撃も、あのまま普通に殴りつけていたら虎の腹に風穴が空いていたと思う。
相手が一体だけとか、さっきのワンチャンみたいにただ暴れているだけならどうにでもなるけど、下手にそこそこ手強くてタフで連携が取れているから面倒だ。
……あとついでに言えば、邪因子は間違いなく上がっているのにどうにも身体に違和感がある。なんだろう? カッカと燃えるような熱さが全身を巡っているのに、さっきからずっと
チェックポイントで暴走個体を鎮圧した時はそうでもなかったのに、この戦闘が始まってからずっとだ。……もしかして、
『……ネルちゃん。
あたしの脳裏にイザスタ……お姉さんの言葉が過ぎる。まだ不安定って言ってたのに、ちょっと使い過ぎたのかもしれない。
(この試験が終わって、お父様とオジサンに見せたらしばらく使うのは止めた方が良いかもね。……でも、この試験の間だけは)
やっと一部とはいえ手に入ったこの力。それが嬉しくて、喜ばしくて、ついつい見せびらかすように使い過ぎてしまったのかもしれないと、あたしはちょっぴり反省する。
そして、ぎゅっと黒く染まった拳を力強く握り締め、
「あ~もうヤメヤメ」
あたしはニヤッと嗤い、ズンっと邪因子を纏わせた拳を大地に叩きつける。すると、地面に邪因子が波紋のように広がり、
「ごちゃごちゃ考えるよりも、こういうのはまとめて吹っ飛ばした方が早いよね! ちょっと当たり所によっては大怪我になるかもだけど、そうなったら運が悪かったと諦めてよ」
突如として、あたしの周囲の地面が爆発した。正確に言えば、地面に邪因子を流し込んで周囲に噴出させたのだ。
質量のある邪因子はビシビシと音を立てて地面を割り、空を飛んでいた大鳥以外の二体に襲い掛かる。
『ガアアアッ!?』
『ウギッ!?』
邪因子は虎と亀の足の一部を抉り取り、その場に縫い留めるようにそのまま絡みつく。
イザスタ……お姉さんを相手取ったガーベラが、髪を地中から伝わらせたのを参考にしてみたけど、これは案外上手く行ったみたい。
『キィエエエエッ!』
鳥型がこれはマズいと頭上から襲ってくるが、他の奴が動けないのに一体だけ来ても良い的だってのっ!
あたしが躱しざまに手刀で翼の一部を切り裂くと、大鳥はどうにか再び上昇したものの左右のバランスが乱れたのかふらついている。後は、
『ウガアアアッ!』
そこへ無理やり邪因子の枷を引きちぎり、脚から血を流しながらも虎型が突進してきた。でも、
「へへん。速さを売りにしている奴が、脚を怪我してまともに動けるわけないでしょ!」
明らかに精彩を欠く動きの虎の懐に潜り込むと、そのまま腹の辺りに手を置いて直接邪因子を叩きこんだ。邪因子は身体の内部へと浸透し、そのまま内臓をシェイクされて虎は白目を剥いて倒れ伏す。
打ち込んだ邪因子の量は本当にごく僅か。こっちで増え続ける分を踏まえてもなおちょっぴり。それでも内臓にダメージが行ったと思うから、いくらタフでも治るまでそれなりの時間が掛かると思う。
そして、最後にもう一体。まだ邪因子の枷から抜け出せていない亀は、もがきながらも甲羅で守りを固める。……だけどさぁ。
ドン。ドン。
「動けないんじゃただデカくて固いだけ。そんな鈍亀に」
ドン。ドン。ドン。ドン。
「このあたしが……負ける訳ないよねぇっっ!」
ドドドドドドドドドッ!
一発でダメなら二発。二発でダメなら四発。四発でダメなら……ありったけっ!
一撃に込める邪因子は最小限に。パワーよりも手数を重視。いくら甲羅が固かろうが、その衝撃やダメージが全くない訳もない。
甲羅の上から打ち込まれる連打に最初は亀も防げていたけど、十発辺りから顔色が変わり、二十発辺りから苦しげに唸り、三十発目でたまらずその場で膝を突いた。
「これで……終わりだあっ!」
これで決めると違和感を無視して右腕を振りかぶり、甲羅の上から確実に意識を断てるだけの一撃をくらわそうとして、
「…………は?」
周囲が突如スローモーションになる感覚。加速する思考の中、あたしは目の前に迫るそれを見る。
それは水の弾丸……と言うよりレーザービームのようだった。そして放たれた元には、
(……ちっ。もう一体居たのね)
少し離れた先。ギリギリ周囲を覆う煙に紛れ、口から超高圧の水流を吐く一体の大きな青い蛇が居た。
そう。これは狙撃だ。
本能的にあたしに正攻法では勝てないと察し、最初からずっと身を隠してあたしが他の暴走個体を倒そうとする瞬間。勝利を前に気が抜ける瞬間を待っていたんだ。
(これは……避けきれないな。どうする? どうしよう?)
顔面直撃コース。着弾まで一秒もない。最悪痛いじゃすまないかもしれない一撃を、それでもどうにか限界まで首を傾けつつ、邪因子を頭部に集めて防ごうとし、
「危ないっ!?」
そう声が聞こえたと同時に、トンっ! と身体を押されてあたしはギリギリ直撃コースから外れる。その横をレーザーが通り過ぎ、あたしは咄嗟に受け身を取って体勢を立て直した。
「よっと! 誰だか知らないけどお礼を言ってあげるわ。ありが…………えっ!?」
振り向いたその先、そこには、
「…………かふっ」
胸を血で真っ赤に染め、口元から血を滴らせて崩れ落ちるピーターの姿があった。
愛を知らぬ少女は、大切な物を手に入れた。
それは親愛であり、友愛であり、僅かながらの慈愛であった。
間違いなく、それは少女にとって一つの幸福の形だった。
それを奪われた時……少女は、何を想うのか。
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