灰色世界と空っぽの僕ら (榛葉 涼)
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船着場の2体

 数年ぶりに訪れた港町は、相も変わらず騒々しかった。

 

 細い路地を抜け、橙や黄の光が眩しい大通りに差し掛かかるや否や、青年は目深(まぶか)にフードを被った。視界が半分くらいになってしまったが、青年にとっては慣れたものだった。

 

 幽霊のようにスッと、歩行する大衆へと紛れ込んだ青年は、フードの奥から覗く鋭い目でキョロキョロと左右を見やった。

 

 イヤリング、指輪、宝石、骨董品、大きなものだと家具の類。物じゃなければ占い、賭け事など……。

 

 雑踏と店主共の大声が飛び交う最中は、少なくとも青年にとって心地よいものではなかった。彼は静寂を好む訳ではなかったが、騒がしい場所よりは幾分もマシだった。

 

「はァ」

 

 特に隠すことなく、青年は溜息を吐いた。白濁のソレは、間もなくして冷たい空気の中に溶けて消えてしまった。

 

 やっとのことで屋台通りを抜けた青年は、すぐに路地裏へと身を移した。壁によりかかり、空を仰ぎ見る。

 

 黒を黒で塗りつぶした、真っ黒な闇が広がる空。相も変わらず虚しいソレを目に捉えた後、青年は“オド”を出発する直前に手渡された一枚のメモ用紙を眼前に広げた。

 

「性別は女。白銀色の髪、小柄な体型。それに錫杖(しゃくじょう)を提げている。愛想がいい……」

 

 箇条書きで書かれたそれらを淡々と読み上げて、彼は顔を顰めた。

 

「意味分かんねぇよ……容姿はともかく、何で名前の情報すら届いてねんだよ」

 

 愚痴をこぼしつつ、青年はメモ用紙の右下に目を移す。そこには1つのイラストが。恐らく……いや、間違いなく探索者(ターゲット)を模したものだ。

 

「こんなので、分かればいいけどよ」

 

 丁寧に折りたたむのも億劫で、適当にポケットの中にしまいこんだ青年は、再び目深にフードを被り歩き出す。その行先にあったのはこじんまりとした船着場だった。視界にソレを捉えたその時――

 

 ボーーーーーーーーー

 

 身体全体を震わせる重低音が港中へと響き渡った。出不精(でぶしょう)の青年でもすぐに分かった。汽笛の音に間違いない。遥か闇に染まりきった海の向こうから、大勢を載せた船がやってきたのだ。

 

 そう思った青年は口角を僅かに上げた。そして、喉の奥で笑う。

 

「ようこそ“ホロウ”たち。……ここだって、何もねえよ」

 

 そう呟いた彼の口元は既に下がりきっていた。

 

 

 

※※※※※

 

 

 

 間も無くして辿り着いた船着場には、どこから湧いて出たのだろうか? そこらかしこがホロウ共でごった返していた。

 

 既に船は漂着しており、港へと下ろされた簡易の橋の上をゾロゾロとホロウたちが歩いている。すぐに退いたらいいものを、その場で話をしだす者がいるのだから困ったものだ。こちとら、数行に(まと)められた容姿の特徴(1つは性格)と、想像で描かれたイラスト(結構上手い)しか手がかりがないのだ。探す難易度を上げないでもらいたい。

 

(……鎌でも振るうか?)

 

 そんな考えすら頭の中に思い浮かんだ瞬間、青年の服の裾がちょいちょいと引かれた。

 

「あの……これ」

「んぁ?」

 

 間抜けな声を出しながら青年が振り返ると、そこには真っ白のフードを被った……恐らくは女性が立っていた。彼女は目深にフードを被っているせいで、青年の眼からはその容姿を確認できない。

 

「これ、落としましたよ」

 

 凛と、透き通った声とともに青年に何かを差し出す女性。ソレは青年が丸め込んでポケットにしまったはずのメモ用紙だった。

 

「あぁ……ども」

 

 軽く会釈をして青年はソレを受け取ろうとしたが、青年が軽く引っ張っても、メモ用紙は彼女の手から動かなかった。

 

「……何か?」

「もしかして、何ですけど。ホロウを探してますか?」

「ホロウを……」

「ただのホロウじゃなくて、“アーク”の」

「…………あぁ、あんたが?」

 

 パチクリと瞬きをし、青年は眼前の女性を今度はマジマジと見た。小柄な体型、それに布に巻かれた細長いものを背中に背負っている。あとは……

 

「白銀の髪……」

 

 青年はそう呟くと、女性のフードをめくった。

 

「ちょっと……!」

 

 ファサッとフードを取ると、女性の顔立ちがあらわとなった。

 

 琥珀に透き通った大きな眼。筋の通った鼻筋、僅かに紅潮した頬、薄桃色の唇。そして……白銀色をした長い髪。間違いなかった。

 

「やっぱりだ。あんたが中央から来た……」

 

 そこまで言いかけた時、青年の右手がパシッと跳ねられた。

 

「勝手に! ……勝手に触らないでください」

 

 すぐに目深にフードを被った女性。青年の口から「あぁ」と声が漏れ出た。

 

「悪い……あぁ。悪かった……です」

「……私の方も、手を叩いちゃって……痛くなかったですか?」

「いいよそっちは。 ……えっと、名前か」

 

 1歩、2歩距離をとって、青年は自身のフードをまくった。冷たい空気を肺の中に溜め込み、少女のフードを捉えながら言った。

 

「辺境区のアーク、『オド』に所属している“シヅキ”だ。役職は“浄化型”」

 

 そこまで言い、青年……改め、シヅキはぎこちなく手を差し出した。

 

 数秒の後、差し出した手が恐る恐るといった手つきで取られた。その掌は思ったよりも柔らかくて、シヅキの眉が軽く上がる。

 

 今度は自らフードをとった女性の琥珀色の眼つきは、シヅキからは随分と怪訝な表情をしているように映った。真意がどうかは分からないが。

 

 間も無くして、女性は声を発した。

 

「中央区から来ました、今日から辺境区にお世話になる“トウカ”です。役職は“抽出型”です。えっと……よろしくお願いします」

 

 雑踏と喧騒に巻かれた船着場。2体のホロウの出会いは、あまり出来の良いものではなかった。

 



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灰色世界

 

 行きと同じように、屋台が並ぶ大通りを突っ切ろうとする。スイスイと群衆を掻っ切り進むシヅキ。一方で……

 

「お嬢ちゃん、アクセサリーとか欲しくはないかい。 今なら安くしとくよ」

「よければあなたの運命を占って差し上げましょうか?」

「ここらじゃ見ない顔だなぁ。もしかして引っ越してきたのかな? なら、家具はウチで買ってもらわないとね!」

「あ、えっと……ごめんなさい! 遠慮しておきます……」

 

 一々頭をぺこりと下げ、群衆共に揉みくちゃにされるホロウが1体。シヅキは冷ややかな眼でその姿を見ていた。

 

「あんな奴ら、無視しておけばいいだろうが」

 

 無論、その声が誰かの耳に届くことはない。

 

 いつまで経っても前に進めないトウカ。とうとうシヅキは痺れを切らした。今度は群衆の流れを逆流し、金物屋に捕まっていた彼女のもとへと辿り着いた。

 

 着くや否や、シヅキは首からぶら下げていたタグを店主の眼前に突きつけた。

 

「俺たちゃアークだ。先を急いでいる。悪いな」

 

 冷たく、そして速い口調でそう言うと、張り付いた笑みを浮かべていた金物屋の店主の口元が真一文字に結ばれた。その眉間には皺すら寄せられる始末だ。

 

「……それは、悪いことをしちまったなぁ」

 

 怒気の篭った声でそう言った店主は、自身の右手を2度払った。

 

「行こう」

「……はい」

 

 目深にフードを被り、再び群衆を掻っ切る。今度はトウカが声をかけられることはなかった。

 

「ありがとう、ございます」

 

 大通りを抜けて少し落ち着いたところで、トウカが取ってつけたようにそう言った。

 

「……一々相手にしないほうがいいと思うぞ。あいつらしつこいから」

「そういうものなのですね」

「そういうって……中央だって、似たような奴らが居たろ?」

 

 しかしこのシヅキの問いかけに、トウカは(かぶり)を振った。

 

「そういうものかい」

 

 ハァ、と息を吐く。そろそろ街を出ておきたい時間だ。その旨をトウカに伝えると、彼女は首を縦に振った。

 

「中央がどうだったかは知らねえけど、辺境(ここ)のアークは高台の森を抜けた先にあんだ。距離もまぁまぁある」

「分かりました」

「行こう」

 

 事務的な会話を終え、シヅキとトウカの二人は港町を……造られた灯りでのみ着飾られた町を後にした。

 

 

 

※※※※※

 

 

 

 道の整備がおざなりな、高台へと続く細い道を登ってゆく。出来るだけペースを落として歩いていたシヅキだが、それでも抽出型のトウカとは歩調に差が生まれてしまった。

 

「先に行ってもらって結構ですよ」

 

 口元に笑みを浮かべてトウカはそう言ったが、シヅキはその指示に従うことは出来ない。

 

「その、錫杖? だったか。持とうか?」

「いえ……これは。何かあった時には」

「まぁ、それもそうか」

「お気遣いありがとうございます」

「別に。いいって」

 

 歩調を合わせるようにして、坂を上がる。……バカみたいに静かな空間に、土を蹴る足音とトウカの少し荒い息遣いだけが聞こえてくる。シヅキは自身の首裏をポリポリと掻いた。別に静寂が好きなわけではないのだ。

 

 何か話でも振ろうか、しかし何を? そうやって逡巡している中で、最初に口を開いたのはトウカの方だった。

 

辺境(ここ)でも、アークへの目は少し厳しいものなのですね」

 

 先ほどの金物屋の対応を思い出したのか、トウカは寂しげな顔をしてみせた。シヅキの眼には、それがショックというよりは辟易の部類の表情に映った。

 

「……中央だとか、辺境だとか。そんな違いはねえんだろうな。ホロウ共は人間を崇高している。心酔も、憧れも、尊敬も。畏怖しやがる輩だってな。だからこそ、“人間の末路”に刃を振るう奴らにはいい顔出来ねぇんだろ。たとえ、それが必要なことだとしてもな」

「……」

 

 それを聞いて、何も返事をしないトウカ。シヅキはわざとらしく伸びをした。

 

「ようは俺たちゃ嫌われ者なんだよ。嫌われるから、拠点だって辺鄙(へんぴ)な場所にならざるを得なかった」

「難しい問題ですよね……」

「そうか? 放っておいたらいいだろ」

 

「そうしねえと、一々疲れるだけだぞ」という言葉は寸のところで飲み込んだ。

 

 会話を終え、黙々と丘を上がる2体。間も無くして、丘の頂上が見えてきた。トウカは息を切らしていたが、休憩なしで頂上まで上がることが出来た。

 

 丘上には大規模な森林が生い茂っている。正式な名前がついている訳ではないが、一般的にここは『廃れの森』と呼ばれていた。

 

(ふもと)でも言ったが、オドは丘上の森の中に拠点を構えている。ここからもう少しだけ歩くんだが……ん?」

 

 トウカがこちらを見ていないことに気がついた。彼女の目線は麓の方向へと向けられている。

 

「トウカ……さん?」

「え? あ、ごめんなさい。私……」

「いや、別にいいけどよ。なんか見えたのかよ?」

「……世界を見ていました」

 

 随分と壮大な言い方だった。トウカの顔は冗談の類を言っているようには見えなかったし、シヅキにはその言葉の意味がなんとなく分かった。

 

 この日何度目か分からない溜め息を吐き、シヅキは言う。

 

「どこだって変わんねえよ。こんな絶望で満ちた……クソみたいな世界はよ」

 

 吐き捨てるように言ったシヅキ。その眼が捉えたのは……闇に満ちた風景だった。

 

この世界には光がなかった。比喩的な表現ではない。

かつて世界中を照らしたという“太陽”がなかった。

かつて夜を彩ったという“月”が、“星”がなかった。

この世界には命がなかった。

動物が、虫が、自然が生きることは許されなくなった。

かつて世界中を支配したという人間はその姿を維持できなくなった。

 

 結果、現状の世界とは物理的にも、或いは精神的にも闇に覆われた惨状でしかなくなったのだ。

 

 魔素の力で明かりを灯すカンテラの光で満ちた港町と、どす黒い空。そして、人間を模して造られたホロウというひどく曖昧な存在のナニカ。そんなものしかない、味気ない世界を目の前に1体のホロウが自虐混じりにこう言った。

 

「灰色世界」

 

 “暗黒世界”と形容しないのは、まだ終わりたくないという意識が働いているのか彼には分からなかった。

 

 



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人間の末路

 

 廃れの森は相変わらず歩きづらかった。

 

 空の闇とは異なり、気味が悪いほど真っ白の大樹が覆うここは視界の効きが良くない。幸いにも地面はある程度の舗装が行われているため歩行自体に支障は出ないのだが。

 

 シヅキは少し後ろを歩くトウカへと声をかけた。

 

「ここで(はぐ)れると見つけ出すのが少し面倒だから、あまり離れねえよう……またかよ」

 

 つい先ほどの丘上と同じく、トウカは話そっちのけに今度は頭上を見ていた。

 

「何をそんな見るものがあんだよ……」

 

 溜息混じりに文句を吐き、トウカに話しかけようとしたが、それは阻まれることになった。

 

「すごい……」

 

 口を半開きにし、その琥珀の眼を輝かせ(シヅキにはそう見えた)廃れの森を見渡すトウカ。とてもじゃないが声をかける雰囲気ではない。

 

(変な女だな)

 

 (しばら)くはあのままだろうと思い、シヅキは放っておくことにした。任務が遅延した原因は自分にはないのだから別にいいだろうなんて。そんな考えだ。大樹の1つにその背中を預ける。特に疲労感もない身体だ。休憩なんて意味を成さない。

 

(中央のホロウからしたら、物珍しいのか? こんなとこが)

 

 真っ白の大樹共は別に、だからって他に特徴がある訳ではなくて、結局は生きていた樹の末路に過ぎない。生命が生きられなくなったこの世界では、眼に見える全ては“生命を持つ者の紛い物”でしかない。それを彼女は理解できていないのか、それとも理解した上であんな真似をしているのか……どちらにせよ、関係のないことだが。

 

「ふぁあ……」

 

 押し寄せた欠伸を遠慮なく出し切り、シヅキはゆっくりとその眼を閉じた。一眠りでもしようか? いや流石に――

 

「シヅキさん!!!」

 

 急に大声で呼ばれた為、身体がびくっと跳ねた。目の前には張り詰めた表情をしたトウカが。

 

「悪かったよ……本当に眠るつもりは……」

「そうじゃなくて! おそらく“魔人”が……」

 

 魔人。その言葉を聞いたシヅキの身体がボゥと熱くなった。反射的にその場に立ち上がる。

 

「……方向と、数と、武装は?」

「分かりません。ただ、反応の小ささからして規模は大きくないです」

「だろうな。 トウカ……さんは武装の準備と、あとは情報の提供を頼む」

「分かりました。えっと敬称は要らないので」

「そうか」

 

 大きく深呼吸をした。全神経を索敵に集中させる。視線をギョロギョロと動かす。僅かな音すら拾うために耳を(そばだ)てる。魔素のノイズを検知するために皮膚の感覚を研ぎ澄ます。いつもやっていることだ。

 

……………………

……………………。

 

「シヅキさ……」

「黙れ」

「け、検知情報……」

「あ、あぁ。すまない。言ってくれ」

 

 コクと小さく頷いたトウカが恐る恐るの口調で言う。

 

「シヅキさんから正面。数は1人。武装はダガーです」

「ダガー?」

「短剣です」

「あぁ、了解」

 

 武装が短剣なら、敏捷(びんしょう)が高いか? 防御は薄いだろう。一撃叩き込めれば……。

 

 そこまで思考をしたところで、シヅキにも反応が検知できた。自然魔素に明らかなノイズが走っている。ここまで乱れきったノイズをホロウは出せない。ホロウが魔素に与えるノイズは僅かなものだ。であるならば、この反応は1つしかない。

 

 ゆっくりと、しかし確実に近づいてくるソレ。口内に溜まりきった唾液をゆっくりと飲み込んだシヅキは、(おもむろ)に武装の展開を始める。

 

 右手を自身の目の前に掲げる。そして、意識をする。体内の魔素の流れ……これを、意識。

 

「すー…………ふぅ…………」

 

 長く時間をかけ、息を吸い、そして吐く。身体を徹底的に弛緩させる。少なくともシヅキにはこれが必要だ。

 

 やがて襲われたのは、身体中が熱を帯びる感覚。体内の魔素が活性化しているのだ。その魔素を無碍にはしない。体内をゆっくりと移動させて、右腕付近の体内魔素の濃度を上昇させる。

 

 濃く、そして太くなった体内魔素から造形を行う。イメージするのはいつだって同じだ。何人(なんぴと)を刈り取るための……

 

 バチバチと音が鳴るほどに魔素が荒ぶる。痛いほどだ。それを歯を食い縛り耐える。耐える。耐える。

 

 間も無くして、シヅキの右手に握られたのが――

 

「……武装、完了」

 

 その刀身が、柄が、真っ黒に染まった刃渡り1mにも及ぶ大鎌だった。これまでも、これからも魔人を刈るための愛刀だ。

 

「トウカ、戦闘になったら、あんたが思う以上に距離をとってくれ」

「分かりました!」

 

 顔だけ振り返り、姿を捉えたトウカの手には棒状のナニカが握られていた。

 

(あれが錫杖(しゃくじょう)ってやつか?)

 

 典型的な抽出型がよく使う杖とは異なり、錫杖とやらは曲線を描いておらず、先端付近には小さな球状のものがいくつも吊り下がっている。 ……あれは、鈴? なんにせよ中央から来た抽出型だ。実力はちゃんとあるだろう。シヅキは正面を向き直した。白濁の大樹共の間へと意識を集中させる。

 

 柄の部分を長く持つ。鎌の射程範囲を上げるためだ。牽制用の構え。そろそろ来る……来る。

 

 魔素のノイズが皮膚を振るわせるほどに大きくなったその時――

 

「――っ!」

 

 視界の上端……そこからソレは降ってきた。

 

ガギィン!

 

 瞬間、持ち手の鎌に大きな振動を得る。同時にけたたましい高音が鳴り響いた。シヅキの眼前に現れたのは……

 

「魔人……」

 

 バックステップをし、距離をとる。巻き起こった白色の砂塵の先に居たのは一人の魔人だった。

 

 全身を覆うのは、黒色の灰のような粒。無数の粒の集合体がその身体を造っている。衣服を纏っているためだろうか、所々灰の粒が露出していない部分がある。しかし、衣服はすっかり身体と結合してしまっているようで、繋ぎ目が酷く曖昧だ。

 

 トウカが言っていた通り、その右手には小ぶりの短剣が握られていた。右手を自身の胸前に構えている。 ……臨戦態勢だ。すぐにでも来る。

 

 鎌を持つ手から余分な力を抜いた時、魔人が何かを喋ろうとした。

 

「ドゥドゥドゥ……」

「あ? んだよ」

「ドゥ……ドゥ…………」

「何言ってんのか分かんねーよ。人間様」

 

 シヅキの挑発に乗せられた訳ではないだろう。しかし、彼が吐き捨てた瞬間に魔人は突っ込んできた。

 

 その短剣を振るう。シヅキを殺すためだけに振るう。シヅキもそれに応戦し、大鎌で受け止める。細かい息遣いと鳴り響く刃の衝撃音だけが場を支配する…………。

 

 ――人間の末路である魔人。人間を模して造られたホロウ。その闘いの火蓋が廃れた森の中で落とされた。

 

 

 



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肉薄する魔人

 

「ドゥ……ドゥ……ドゥ」

 

 謎の破裂音を発しながら、魔人は猛攻を仕掛けてきた。推定刃渡り15cmほどの短剣が(くう)を切り裂く。シヅキは短剣の間合いに入らないように、大鎌で牽制を繰り返していた。

 

ギィィィン

 

 何度目かの(つば)迫り合いの後にシヅキは(さと)った。

 

(こいつ、強いな)

 

 力とスピードはシヅキの方が上だ。その確信があった。しかしながら未だ魔人の身体へ一撃も御見舞い出来ていないのは、技量の差に原因がありそうだった。

 

 魔人(やつ)は徹底的に一定の距離を保っていた。保つように、確かな意図があり動いているのだ。振るう大鎌の先端……そこにちょうど短剣の腹が当たるように位置の微調整をしていやがる。是非とも足の動きを確認したいものだが、視線を動かす余裕はない。

 

 おかげで、鍔迫り合いで魔人を押し込んだとしても、ほんの少しのバックステップで間合いから離脱されてしまうのだ。そしたらまた、間合い取りからやり直しだ。

 

(厄介だ)

 

 眉間に皺を寄せながらシヅキは舌打ちをした。経験上、単純な能力よりも技量の勝る相手の方が面倒なのだ。

 

 大鎌の持ち手を少し短く調整する。牽制よりは攻めに行った方が良さそうだ。

 

「ふぅ……」

 

 呼吸を整える。弛緩させた身体の中で、体内魔素を脈立たせる。速攻と破壊……それに戦術をシフトチェンジする。

 

(浄化型舐めんな……)

 

 人間には出来ないやり方で、技量を凌駕してやる。

 

 魔素の運動を激しくさせることで得られる効能。それは一時的な……

 

(身体強化)

 

 右脹脛(ふくらはぎ)に力を込めた。すると、自身の身体はいとも簡単に左に飛んだ。

 

「ドゥ……!」

 

 魔人の声から動揺を感じ取ったのは気のせいではないのだろう。急に目の前の相手が消えた……そう見えるほどの速度で動いたのだから。魔人は1テンポ遅れて左を見た。

 

 しかし、その遅れを見逃せるほどシヅキは愚かでない。

 

「ラァ――――!」

 

 腰回りよりも低い姿勢から放ったのは渾身の斬り上げだった。肉薄(にくはく)の距離は、魔人に回避の隙を微塵も与えない。

 

ズシャ

 

 確かな手応えと共に、魔人の左腕を捉えた。ただ一片の遠慮なく大鎌を振り上げると共に、魔人の左腕は宙を舞った。

 

 手応えを確認した刹那、シヅキは魔人から大きく距離をとった。追い討ちはかけない。魔人に痛覚は存在しないと言われている。大傷を与えたとしても、奴らはノータイムで反撃を繰り出してくるのだ。

 

 現に、魔人は失った左腕を気にする様子なく短剣を構えている。無論、身体を削いだ分こちらが有利なことに変わりはないが。

 

「ハァ……ハァ……」

 

 肩で息を整える。体内魔素を強引に循環させた身体強化の反動は大きい。不快な倦怠(けんたい)が全身を纏った。

 

 魔人は先ほどまでと異なり、攻めてこなくなった。明らかにこちらの出方を(うかが)っている。奴らの内部構造に思考回路が残存しているのか……それは知ったこっちゃないが、戦闘中の奴らからは多少の知能が垣間見られる。

 

(次は……正面)

 

 視界から消えたように見せるやり方はもう通じない……そんな確信があった。なら、この強化した身体で正々と押し切る他ない。

 

 今度は姿勢を低くすることなく、正面に飛んだ。遠心力を利用し、後方から大鎌を振るう。

 

 しかし――

 

ギィィィィィィン

 

 けたたましい高音。シヅキの大鎌は魔人に捉えられたのだ。さらに……

 

ズッ

 

 鈍く、小さな音。しかしそれは確かに鳴った。

 

「くっ……!」

 

 食いしばった歯の間から鋭く息を吐くシヅキ。彼の左足に斬撃が走ったのだ。

 

 右脚に力を入れ後退を試みた。しかし、魔人は逃すまいと距離を保つ。間合いは奴が有利だ。

 

 肉薄の距離感から振るわれた短剣。反射的に曲げたシヅキの首は、なんとそれを寸のところで避けてみせた。結果、魔人の顔面がシヅキの肩に乗る。

 

 やれる――――!

 

 そう思った時にはシヅキの鎌が魔人の背中を捉えていた。

 

 重力により地面に叩きつけられるシヅキと魔人。魔人の背中には……確かに大鎌が突き刺さっていた。

 

「ハァ……ハァ……ハァ……」

 

 荒い呼吸を繰り返すシヅキ。ブレる視界と早鐘(はやがね)の心音が鬱陶しい。

 

 重い身体を転がし、下敷きにされた魔人から抜け出す。鎌を支えにし、起き上がると目下(もっか)には大量の血を流す魔人が一人。ピクリとも動かなかった。

 

「やれた……危ねえマジで……」

 

 久々に繰り広げたギリギリの闘いは本当にギリのギリだった。ゼロ距離で魔人が振るった短剣を避けられたのはただのマグレだった。もし寸でも首を曲げるのが遅れていたならば……そう思うと身震いした。

 

 なんとか息を整え、シヅキは背後を見た。大木の傍には……トウカの姿が。半身の彼女は目の前に錫杖を構えている。

 

「終わったぞ……もうだい――」

 

 瞬間。

 

「は?」

 

 背後から感じたのは……魔素のノイズ。反射的に振り返ると、そこに居たのは先ほどやった筈の魔人。

 

「ドゥ………!」

 

 放たれる……いや、放たれている一撃は、奇しくもシヅキが放ったのと同じ、低姿勢からの斬り上げだった。既に回避は出来ない間合いにある。

 

「――――っ!!!」

 

 せめて致命傷だけは……そう思い、左腕でガードしようとした時だった。

 

「シヅキ! 叩いて!」

 

 そんな大声と共に……なんと魔人の動きが一瞬間止まったのだ。

 

「ヌッ――!」

 

 大鎌の持ち方や振り方なんて考える暇なかった。ただただ刃先を魔人の頭蓋に振り下ろした。

 

ズシャ

 

 鈍く、そして確かな音。本当の決定打だった。

 

 大鎌を振り下ろしたシヅキは尻餅をつきそうになったが、なんとか堪え、半ば這いつつ魔人から距離をとった。ブレる焦点で、どうにかこうにか魔人を捉える。

 

 今度こそ魔人は…………動かなくなっていた。

 

「なんだってんだよ……クソが」

 

 幾度の予想外の連続を前に身体的な、そして精神的な疲弊を感じざるを得ない。身も心も……擦り切れる感覚。本当に、クソみたいな感覚だ。

 

 

 



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浄化と抽出

 

 後ろからザッザッと何かが来る音が聞こえる。

 

 魔素のノイズ的に魔人であることはあり得ない。しかしながら反射的に振り向いてしまった。

 

「……お疲れ様でした。治療します」

 

 そこに居たのは錫杖を手に、深刻な表情を浮かべるトウカだった。シヅキは眼を合わせないようにして言った。

 

「いや……それより……“浄化”は完了したんだ。“抽出”……抽出しねえと……あんたの仕事だろ」

「……そうですね」

 

 そうは言ったものの、トウカは抽出に移行しようとはしなかった。代わりに、シヅキの前に座り込む始末だ。

 

「おい……」

「足、負傷しましたよね? 見せてください」

 

 トウカの瞳は大きく開かれていた。琥珀色のソレは……見ているだけで、どこか吸い込まれそうに思えてならなかった。詰まるところ、抵抗の余地がないということで……

 

 ハァ、と溜息を吐きシヅキは負傷した左足を差し出した。

 

「……これだ」

 

 裾を(まく)った足。そこには10cm弱の傷痕が走っていた。それを眼に捉えたトウカの眉間に皺が寄った。

 

「おそらくだが、あいつ……靴に仕込み刃をつけてやがった。近づいた時にそれで斬られたんだろうな」

「痛みますか?」

「別に……」

「嘘ですよね?」

「…………少し、痛む」

 

見ると、傷痕からは血が滲んでいた。ドクドクと魔素の減少を感じる。それは確実に“存在が薄まっている証”に相違なかった。

 

「あくまでも応急措置ですから、ちゃんとした治療はアークに帰還した時にお願いします」

「……ああ」

「では……少しだけ動かないでください」

 

 その場で立ち上がったトウカは、錫杖をシヅキの足元に向けた。琥珀の眼が少し鋭くなる。

 

「ん……!」

 

シャン

 

 小さく息を吐く声と同時に、錫杖の鈴が綺麗な音を奏でた。すると――

 

 襲われたのは、体内魔素が(うごめ)くような感覚。不快感を憶えるものではなく、むしろ心地の良さを感じた。ゆっくり、ゆっくりと失われた魔素が補われていく。

 

「ごめんなさい……」

 

 治療の最中、トウカがそう謝ったもので、シヅキは疑問符を浮かべた。

 

「何に謝ったんだ?」

「もう少し上手く、戦闘の支援が出来たら良かったのですが……ギリギリになってしまいました」

「ギリギリ……」

 

 思い出されたのは、魔人が一瞬間だけ停止した出来事だった。あれは……やはりと言うべきか、トウカが起こした隙だったか。少なくともあれ以外で、彼女の存在を感じることは全くなかった。

 

「そう、だな……」

 

 現在進行で傷痕が塞がっている足元を見下ろしながらシヅキは言った。

 

「何も、立ち回りとか……合図とか? そう言うのを決めていなかった。即興でやったんだ。トウカは、それを気遣ったんじゃねーのか? 無断で支援を施すと、ペースが乱れるって」

 

 シヅキはトウカの反応を見ることなく話を続ける。

 

「だったら、正解だった。少なくとも俺の場合はよ。あんたは、あんたの責任を終えていたと思う」

「そう、ですか……」

「だからこそ、意味分かんねえのがよ」

 

 今度はピクリとも動かない魔人の方を見ながら低い声で言った。

 

「なぜ俺の治療を優先した?」

 

 睨むようにしてトウカを見る。

 

「あんたは、抽出型だ。浄化が済んだ後の魔人から、任意の魔素情報を抽出して運搬する……それが役割だ。魔素の抽出は、浄化直後の魔人からじゃないと意味を持たないんじゃないのか? 空気と混ざって希薄しちまうとかでよ。 ……俺の治療より、よっぽど優先度が高い筈だ。あんたがやったのは……職務の放棄だ。分かってんのかよ」

「…………」

 

 トウカは何も口を挟むことなく、粛々としているだけだった。

 

「……優先度を、履き違えないでくれよ。いちホロウの存在なんて、たかが知れているんだ。“理想の未来”を達成するためにも、魔素の回収をしてくれ」

 

「もう手遅れだろうけどな」最後にそう付け足して、シヅキは仰向けに倒れ込んだ。そして眼を(つむ)る。トウカがどう思ったのか知らないが、少なくとも自身が介入するべきではないだろう。

 

(説教……まさか、する側になるなんて思わなかった)

 

 溜息が喉元まで上がってきたが、それは唾液と共に飲み込んだ。もうこれ以上トウカを刺激するような真似は不要だろう。

 

「…………ないくせに」

 

(……?)

 

 冒頭は聞き取れなかったが、空気混じりの声が確かに聞こえた。無論、トウカの声だ。聞こえないように愚痴の類をこぼしたのか? にしては、どこか声に寂しさのようなものを感じたのだが…………。

 

(わざわざ中央から来て、周りのものに一々興味を持って、治療を優先して……分かんねえ)

 

 明らかに、周りにいるタイプのホロウではなかった。それは、性質の差という一言で片付けられる範疇を超えているようで。どちらかというと、彼女には異質という言葉が似合っているように思えた。

 

 

 

※※※※※

 

 

 

 治療を終えた後では、案の定、魔素の抽出は間に合わなかったらしい。希薄しきった魔人の魔素は、既に自然魔素と同化してしまっており、これでは“解読”しようにもどうにもならない。

 

 魔人に軽く手を合わせた後、シヅキとトウカはアークに向けて移動を始めた。……とは言っても、もう話すことはなかったが。

 

 歩を進める足に、もう痛みは残っていなかった。傷痕だって無い。衣服だけはどうにもならないが。

 

 道中で唯一交わした会話が、そんな傷の具合についてだった。完治した旨をトウカに伝えると、彼女は「良かったです。でも一応診てもらってください」と、微笑んでいるのかなんとも言えない顔で言った。

 

 あとは淡々と歩いていくという感じで。次にシヅキが口を開いたのは、無骨な大洞窟の入り口でだった。

 

「着いたぞ。ここが辺境区のアーク……通称『オド』だ」

 

 ようやく護衛任務が終わるという達成感は頭になく、さっさとシャワーを浴びて寝てしまいたい……シヅキはそんな思いに駆られた。

 

 ……無論、そう上手くは行かないのだが。

 



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オド

 

 アーク。それは魔素の収集と解読を一辺に行う大規模な組織群の総称だ。中央区に構えられた本拠地を中心に、世界中の様々なところに設置されており、日々“ホロウ達の悲願を達成するため”に躍起となっている。

 

 俗に辺境と呼ばれるこの地方にも、例外なくアークは存在した。辺境区のアーク……通称、オド。

 

「玄関口、いい加減どうにかならねーのか? 手抜きにも程があるだろ」

 

 腰に手を当て常套(じょうとう)の文句を吐くシヅキ。トウカは物珍しそうに見上げていた。

 

 オドの入り口は特に装飾が施されていない。一見するとバカでかい洞窟にしか見えなかった。 ……とは言っても、これは偽装の類では無い。元からある地形を利用しているに過ぎないのだ。

 

「ここが……アークなんですか?」

 

 困惑気味のトウカの声も無理なかった。シヅキにとってのアークはここしか無いのだが、どうせ中央のアークは、もっと整備だの何だのが為されているだろう。

 

「行こうぜ。中は意外とちゃんとしてるから」

「は、はい……」

 

 慣れた足取りで洞窟を潜るシヅキ。中に入るとすぐに、青白く着色された魔素の炎が洞窟内を照らした。

 

「おお……」

「足元、気を付けろよ」

 

 硬い地面を踏むたびに、カツカツと靴の反響音が響く。

 

「なんだか……すごいですね」

「質素だろ?」

「質素というか……インパクトが……」

「まぁ、なんでもいいけどよ。 ……ほら、アレ」

 

 まっすぐと洞窟を進むこと数分。シヅキが指さした先はちょっとした小空間が出来上がっていた。

 

 特に何かモノがあるという訳ではない。洞窟の一部を切り抜いて作り上げたような、そんな空間だ。

 

「地面が土じゃない……それに行き止まりですね」

 

 岩肌を撫でながらトウカが困惑気味の声で言った。

 

「そこで待っててくれ。動かすから」

「うご……え?」

 

 タイルが張り巡らされた円状の床。シヅキはちょうどその中心付近に座り込んだ。そこには細長く彫られたような窪みが。

 

「今日は1回で反応するかね」

 

 そう独り言を吐きつつ、シヅキは胸元にしまいこんでいたタグを取り出した。そこには複雑な形をした紋章が刻み込まれている。

 

 シヅキは躊躇(ためら)うことなく、ソレを窪みの中に突き刺した。

 

すると――

 

 ズズズズズズズズズ………

 

 小空間がそんな鈍い音を出しながら振動を始めたのだ。

 

「よし、かかった」

「あの……これって、もしかして」

 

 トウカが言葉を言い切る前に、小空間は大きく動きを見せた。なんと、空間全体が下降運動を始めたのである。

 

 眼を丸くしたトウカが、一言こう呟いた。

 

「しょ、昇降機……」

「これでオドの内部まで移動すんだ。手すりとかなんもねえから、あんまり端には寄らねえ方がいいぞ」

 

 直径10mほどの巨大な昇降機は時折、ギギだのジジジだのと軋む音を出しながら、下へ下へと降っていく。周りは壁に覆われているというわけではなく、完全に吹き抜けの状態だ。ゴツゴツとした岩共が、魔素の光により色を帯びている。

 

「こんな大規模な穴を掘ったんですか……?」

「どうなんだろな? そら手は加えただろーけど、自然物をそのまま流用してるだけだと思うがな」

「……中央区のアークは完全に人工なので、すごい新鮮です」

「一つの建物なのか?」

「ここのように、大きな建物の中でアーク関係者は一括管理されているのですが、もっと大きな範囲……街という範囲を含めて“アーク”と言われることの方が多いです」

「なんだそれ、市民はアークに支配されてるってか?」

 

 シヅキは冗談混じりにそう言ったが、寸刻の思考の後、トウカは眉を潜めながらこう言った。

 

「あながち間違いではないと思います」

「……そうかい」

 

 慣性に揺られつつ、下降することおおよそ2分。昇降機の速度がどんどん落ちていく。

 

ギギギギギギギギギ……

 

 やがてそんな大きな音とともに、シヅキとトウカの眼前には新たな景色が広がった。急に眩しい光が広がり、トウカは腕で眼を覆った。

 

「着いたぞ。オドの内部だ……『体内』って呼ぶやつもいるな」

 

 無骨な岩の集合で覆われていた玄関口、そして昇降機構部とは異なり、壁や床部分は岩肌が剥き出し……というわけではなくちゃんと整備が行き届いていた。昇降機を降りてすぐの空間は大広間となっており、天井が随分と高い。いわゆる吹き抜けの構造で、見上げると2Fの連絡通路が架かっていた。

 

「……随分と、ホロウが少ねーな」

 

 首を傾げながら歩き出すシヅキ。トウカはその後を慌てて追う。なお、案の定彼女の目線は行ったりきたりだ。

 

「ここって……いわゆるロビーですよね?」

「ロビー?」

「えっと、任務前の手続きとか、ホロウたちの集合場所になっていたりとか、報酬の譲渡が行われる場所……みたいな感じのです」

「あぁ、そうだな。アーク外部のホロウもここまでなら立ち入りが許可されてる。 ……普段はもっとホロウ共がウロウロしているんだがな。今日は随分と少ねぇ。なんで――」

 

 と、シヅキがそこまで言った時だった。

 

「あガッ!!!」

 

 そんな声と共に頭を大きくぐらつかせるシヅキ。突然の出来事にトウカの身体が少し跳ね上がった。

 

「シ、シヅキ……さん!? 大丈夫ですか!?」

「痛ってぇ……………マジで痛え……………」

 

 その場にしゃがみ込んで自身の頭を抱えるシヅキ。彼の後方には1体のホロウの影が。

 

「おかえり〜シヅキ! 任務の遂行、お疲れさま。ちょっと遅過ぎだけどね」

 

 ふわふわとした声色ながら最後に毒を吐いた女性。彼女の手元には随分と分厚い本が握られていた。

 

「“ソヨ”……お前なあ……加減ってやつ考えろよクソが」

「クソって言わないでねーシヅキ。あんまり酷いこと言うと上に報告するからね? あと、私は新入りさんと話があるから。暫く口を開かないでもらっていい?」

「こいつほんとに……」

 

 魔人と対峙していた時と同等か、それ以上の殺意を込めて女性を睨み付けるシヅキ。対して、つゆも気にする様子なくニコニコの女性。 ……トウカは目まぐるしい状況に、呆気にとられる他なかった。

 

 シヅキとのやり取りを終え、今度はトウカの方を向く女性。心なしか、その佇まいは丁寧なものに変化していた。

 

「……さてと。あなたが中央区から来た新入りさんですよね?」

「え、あ……はい」

「わざわざ辺境の地までご足労いただきありがとうございます。わたしは――」

 

 自身の胸部に片手を添え、深々とお辞儀をする女性。数秒後顔を上げた彼女は言った。

 

「辺境区のアーク……『オド』にて雑務型として勤めております、“ソヨ”です。以後お見知りおきを」

 

 (あで)やかな笑みを浮かべるソヨを前に、トウカの自己紹介は1テンポ遅れた。

 

 

「あいつ……マジで覚えてろよ………」

 

 シヅキは痛みに悶えていた。

 

 



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優先度

 

「このまま立ち話を……という訳にもいかないよね?」

 

 ということでシヅキとトウカは、ソヨにある一室へと通された。そこは異様に物の少ない小部屋だった。部屋の中心には何組かの椅子、そして長机が備え付けられている。

 

「んだこの部屋? 知らねーんだけど」

「え……なんでシヅキが知らないの? 来たことあるはずだけど?」

 

 呆れ口調のソヨ。シヅキは首を傾げるだけだ。

 

「応接室だよ、ここ」

「おうせつ……あー、あるかもしれん」

「あるんだって。もう、何にも知ろうとしないんだから」

「うるせ」

「さぁ。トウカさんも座ってください」

「は、はい」

 

 軽く頭を下げ、トウカが椅子に腰掛けたところでソヨは本題とばかりにこう訊いた。

 

「シヅキさぁ、魔人の浄化したよね?」

 

 クセのある茶髪の間から覗くソヨの眼がシヅキを捉える。シヅキはそれをしばらく凝視した後、

 

「そうだな……したよ、浄化」

 

 細い眼を逸らしながら答えた。対してソヨはわざとらしく溜息を吐く。

 

「来るのが遅れたのはいいけど、そういうことはちゃんと現地で伝えないといけないんだよ? 分かってる?」

「……急に魔人が現れてよ。そっちの対処で手一杯だったんだ」

「はいはい、言い訳はいいから。まずは連絡……魔人と対処しながらでも出来るはずなんだから。分かってる? 規則なんだよ? ()()()()()()()()()()()

「あ、おい」

 

 突然立ち上がったシヅキにソヨは眼を丸くする。

 

「どうしたのよ、急に」

「いや、その……」

「優先度……」

 

 トウカが小さく呟いたのをシヅキは聞き逃さなかった。シヅキの頬を一滴の汗が流れていく。「優先度を履き違えるな」 ……そのセリフは寸刻前にトウカに言ったこととまるで同じだった。

 

「ば、罰があるなら後で受けるから……とりあえず連絡の件は次から気をつけるって。すまない」

「えーシヅキが素直に謝った。ビックリした〜」

 

 両手を広げ驚いたようなリアクションを取るソヨ。演技っぽいソレをシヅキは癪に感じたが、今回ばかりは不満を言えない。

 

「優先度ですか……」

「………………」

 

 トウカの呟きに、シヅキは酷く冷ややかな何かを感じた。 ……悪い。体裁が悪すぎる。彼は大きく咳き込んだ後、頭をフル回転させた。何か、ないか……。

 

「ま、魔人について……そうだ。ちょっと報告する情報がある。真面目なやつだ」

 

 無理に腕を組みそう言ったシヅキ。それは話題を逸らすための抗弁であり、同時に伝える必要がある事実でもあった。

 

「報告? どうしたの?」

 

 素直にソヨが食いついてくれたことに胸を撫で下ろし、シヅキは先刻の出来事を思い出しながら言った。

 

「いや、ちょっと特殊な個人(こたい)だったからよ」

「特殊……?」

「やけに知能が高かったんだよ。足に短剣を仕込んでいやがって、斬られたんだ。あと……恐らくだが死んだふりもしていた。奇襲されたんだよ」

「……なる、ほど」

 

 顎に手を当てて考え込む素振りをするソヨ。

 

「……トウカさん。中央区にはこれほどに知能の高い個人(こたい)はいましたか?」

「確かにだ。訊いときゃよかったな」

 

 2体から視線を寄せられるトウカ。しかし、彼女は(かぶり)を振った。

 

「いえ……中央区は人形(ひとがた)がほとんどいなくて。ごめんなさい、お役に立てず」

「いえいえ! トウカさんが気にする必要はないですから!」

「記録……なかったんだよな」

「そうだねー、ない。だからこのことは上に報告させてもらうからね」

「ああ頼む」

「ところでさ〜、シヅキ」

 

 急に立ち上がったソヨ。彼女はシヅキの返事を待たずに、彼の元へと机を回り込んでやって来た。

 

「な、なんだよ?」

「斬られんだね。足」

 

 満面の笑みでシヅキの足を指差すソヨ。

 

「……斬られたな」

「治療。医務室。早く」

「お、応急措置は受けた」

 

 シヅキがそう反論すると、後ろからトウカがひょっこりと顔を出した。

 

「あくまでも、減少した魔素を補填しただけですから。シヅキさん……戦闘中に自身の身体を強化(エンチャント)してましたよね? 悪影響がないか調べてもらうべきですよ」

「はい、医務室ゴー。決定ね?」

 

 苦虫を噛んだような表情をするシヅキ。反論の材料を探すが…………そんなものはなくて。

 

「だーっもう! 行きゃいいんだろ! 行きゃあな!」

「初めから素直に行きなさいよバカシヅキ」

「うっせえ……んじゃ、トウカのこと後は頼むぞ」

「言われなくても分かってるから〜」

「ああなら頼む……ったく」

 

 ブツクサと文句を言いながら部屋を出て行こうとするシヅキ。

 

「あ、あの!」

 

 彼がドアノブに手を掛けたところでトウカがそう呼びかけた。

 

「色々とありがとうございました。道中、すごく頼りになりました」

 

 ぺこりと頭を下げ、微笑むトウカ。シヅキはそれを見て、

 

「……ああ。また後でな」

 

 軽く手を上げて部屋を後にした。

 



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オリジナルとホロウ

 

「ハァ……」

 

 昇降機に乗りながら吐いた溜息は、機構部のギギギと軋む音により掻き消された。

 

 オド内部の昇降機は、玄関部に備え付けられているものより古い型が使用されている。メンテナンスの頻度も高くないため乗り心地は良くない。

 

 普段は階段を利用するシヅキだったが、今日は疲労感を強く感じるために昇降機の利用に至った次第だ。

 

「くっそ……別に、診てもらう必要なんてねーのによ」

 

 捨て台詞のように吐いたシヅキ。彼の記憶の中ではトウカの面影が浮かんでいた。

 

「……なんなんだよ、あいつ」

 

 シヅキにとって本当に分からなかったことが、魔人浄化後の彼女の対応だった。彼が受けた負傷はそんなに深手ではなかった。ましてや受けたのは脚だ。別に1本失おうが致命傷なんかになりやしない。だとすれば、シヅキは放っておかれるべきだった。

 

 そもそも前提として間違っているわけで。魔素回収の優先度とホロウの存在の天秤とはあまりにも明白なのだ。規則とか何だかに関わらず、彼女の取るべき行動は決まっていた。決まっているはずだった。

 

「中央と、辺境との違いか?」

 

 呟いて、シヅキはすぐに(かぶり)を振った。やはり、彼女は異質なんだと思う。異質で、中央とは合わなかったから、辺境にやって来たのか……なんてのは、邪推だろうか?

 

「何はともあれ、面倒なのが来たな。ほんと」

 

 再び昇降機が軋む音を立てたのは、彼の呟きから間もなくのことだった。

 

 

 

※※※※※

 

 

 

 医務室の中に入り、シヅキはすぐ顔を顰めた。

 

「魔素臭えな……」

 

 皮膚がジリジリと逆立つような感覚に襲われ、身体がゾワリと震えた。絶対に慣れることがないだろう感覚。医務室の“あいつ”は、よくもまあこんなところで生活できるなと、シヅキはある意味で感心した。

 

「はいはーい。今行くよ」

 

 そんなことを考えていると、医務室の奥から声が聞こえて来た。噂をすれば……というやつだ。そいつはひょこっと顔を出した。

 

「やあ患者さん。今日はどういった症状で……あ、シヅキくんか」

「……よお。“ヒソラ”。しばらくぶりだな」

 

 目の前に現れたのは一見すると、医師らしからぬ容姿をしたホロウだった。小柄な体型のトウカより確実に低い背丈に、ぶかぶかの白衣。そしてあどけない表情と女性とはどこか異なる高い声。そのくせして医者らしく知的で聡明なのだ。シヅキには違和感が凄かった。

 

「先月ぶりかな? 診察でしょ? 奥に来てね」

 

 ひらひらと手を振りシヅキを呼ぶヒソラ。愛想がいいやつだな、と思いつつ彼は指示に従った。

 

 医務室の奥に入ると、一段と魔素臭さが際立った。再びシヅキが顔を顰めると、ヒソラは苦笑いを浮かべた。

 

「君たちの診察もそうだけど、それとは別に魔素の解読も行っているからね……身体には影響が及ばないと思うけど、ちょっと濃度が高いかも」

「ちょっとじゃねーっての。普通にたけぇ。 ……魔素の解読って、医務の方にも役立つのか?」

「何を言ってるのシヅキ君。“解読型”が医者やってる理由……考えたことある?」

「……それもそうか」

「この前、還素薬(かんそやく)を支給したでしょ? あれだって、解読の賜物なんだから」

「還素薬?」

 

 シヅキは数日前の記憶を思い返してみて、すぐに思い当たる節があった。液体状の何かを飲まされた記憶があるのだ。

 

「あーあれか。飲んだけど、よく分からんかった」

「プレ版だから薬の配合量自体は少ないよ。効果に気づかなかっただけだと思うけど、あれは傷ついた魔素を回復する作用があるんだ。魔人と戦闘する浄化型には必須だと思うよ」

「……どうだかな」

 

 椅子の背もたれに身体をあずけるシヅキ。淡く光を灯す魔素の照明が見えた。

 

「で、今日はどこを診ればいいのかな?」

 

 白衣のシワを伸ばすヒソラ。ぶかぶかの袖がひらひらと揺れていた。完全に診察モードになっている。そう悟ったシヅキはハァと溜息を吐き、

 

「……左足だ。魔人に斬られた。応急の措置は終わってるけどな」

 

 と言ってみせた。対して、それを聞いたヒソラの眉が上がる。

 

「応急措置終わってるんだ。 ……誰にやってもらったの?」

「中央から来たやつだ。抽出型。さっきまでそいつの護衛任務をやってたんだよ」

「その途中で魔人に襲われた、と?」

「……ああ」

「一度診るね。暴れないでよ?」

「誰がんなことを……しそうに見えんのか? 俺」

「はーい診るよー」

 

 シヅキの話を軽く流しながら、彼の患部に触れるヒソラ。じんわりと温かいヒソラの手がこそばゆい。ただ触れられているだけではないのが嫌でも理解できた。魔素の消耗状態を参照されている……言い換えれば、“魔素が見た記憶”を観られているのだ。

 

(解読するなら、するって言えよな。プライバシー的にどうなんだよ)

 

 あえて口に出さないのは、シヅキの優しさ……というよりは諦めからのものだった。

 

「うーん。なるほどね」

 

 やがて患部から手を離したヒソラは、そう意味深に呟いた。

 

「んだよ、なんかあったのか?」

「ないよ。いつも通り。だから困ってるんだ」

「……どういうことだよ」

 

 シヅキがそう聞き返すと、ヒソラは小さく溜息を吐いた。

 

「いつも通り魔素の使い方が荒い。荒すぎるんだシヅキ君は。魔素の循環を一気に速めてるでしょ? ……そうするとね、魔素同士が“乖離”しちゃうんだ。身体が(ほつ)れるような感覚はなかったかい?」

「……ああ、あるな」

「なら止めるべきだよ。もっと自分の身体を(いたわ)ってくれないかな? ……医者の端くれとしては、そう言わざるを得ないね」

「労わる……な」

 

 それを聞いたシヅキの拳に力が入った。漠然と、怒りに似たやるせなさがこみ上げて来たのだ。

 

 彼は言う。その口調は完全に自虐の類だった。

 

「……ヒソラ。あんたはよ、医者である以前にホロウだ。俺と同じさ」

「そうだね」

「ホロウはよ、別に独自(オリジナル)のわけじゃねえ。かつて()()()()()人間の姿……それを模して、ずっと昔に造られた存在だ」

「うん」

「ただ……人間とは決定的に違う。俺たちに“命”とか“生きる”のような言葉が該当するわけがねえ。そもそもの話、生命が生きられなくなった世界……それに抗う(すべ)として造られたのがホロウのわけだ」

 

シヅキの視線は(おもむろ)に自身の手を捉えた。

 

「……身体だってよ。人間と同じ物質で出来てねえもんな。何だったか……水とか炭素ってやつ? んなもんじゃなくてよ……魔素だろ? 全部。魔素で出来ている。そんな俺たちが何やってるかっつったらさ、人間の復活に向けて奔走することだ。全ては独自(オリジナル)である人間のために」

 

シヅキはギュッと拳を握り込んだ。すると、腕が勝手に細かく震えだした。

 

「光もねえ、希望だってねえ。生命がなくなって……闇ばっかに覆われてる世界はよ、全然居心地が良くねえよ。 ……そんなゴミみたいな世界を観てると(たま)に思うんだよ。俺は一体、何で存在してるのかなってさ。 ……“空っぽ”のホロウである俺は一体何がしたいんだろうな」

 

 だから、身体を労われない……そう締め括ったシヅキは真っ黒のフードを被った。魔素の照明の光が鬱陶しかったから。照らさないで欲しかったから。

 

 その言葉を聞き終えたヒソラは一言だけ言った。

 

「……難しい問題だね」

 



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あなたは誰?

 

「ほんとにもう……世話がかかるんだから」

 

 シヅキが退出してから間も無くして、ソヨはそう嘆くように言った。頬杖をつき扉の方をボーッと見るソヨ。一方で、トウカは一連のそんなやり取りを見てその顔に微笑みを浮かべた。

 

「ふふっ」

 

 トウカが笑っていることに気づいたソヨの口元が「あ」という形にみるみる変形する。

 

「申し訳ございません。わたしったら……」

「仲がいいのですね。シヅキさんと」

「……そう、見えました?」

「ええ、とても」

 

 トウカが優しげな口調でそう言うと、ソヨはその場を誤魔化すように笑った。自身の頬をポリポリと掻く。

 

「あいつとは……シヅキとはいわゆる昔馴染みというものなのです」

「昔馴染み、ですか」

「今からちょうど18年前……わたしとシヅキはこのオド深くで造られました。それから一緒の時を過ごすことが多かったのです。軽口を言い合ったり、は日常茶飯事というものでして」

「……そういうの羨ましいです」

「そんないいものじゃないですって! あいつは口が悪いし、捻くれているし。全然周りに馴染もうともしないんだから……一緒にいて大変なんです」

 

 ハァ、と大きく溜息を吐くソヨ。

 

「その溜息の吐き方……シヅキさんに似ていますね」

「……ほ、本題に! 入りましょう!」

 

 上擦りの声で言いながら、ソヨは傍に置いていた分厚い本を目の前に広げた。しかしそこは白紙のページである。文字も、絵も、何も書かれていない。

 

 ソヨはそのことを気にする様子なく、次に自身の指を一度払ってみせた。すると……なんと白紙の上に数行の文字が浮かび上がったのだ。

 

 ソヨが言い慣れた説明口調で話す。

 

「これは、わたしの中にある()()()()()()()を視覚化したものです。ここにはわたしが受け取ったトウカさんの情報が記載されています。一度目を通してもらっても宜しいでしょうか?」

 

 トウカは1つ頷くと、差し出されたその本を見る。容姿の情報と出身しか記載されていないページを、トウカはすぐに読み終えてしまった。

 

「訂正箇所などは宜しいでしょうか?」

「……ええ。ありません」

「そうですか、分かりました。 ……トウカさんに関して、中央から回ってきた情報が極端に少ないんですよね。普通は、名前、役職、年齢、経歴、容姿の画像は最低限手元に回ってきている筈なんです」

 

 ふう、と息をつき本を閉じるソヨ。

 

「わたしは上のホロウから指示を受けました。それも昨日の話です。新たなホロウがやってくるから、その手続きを頼むと。驚きましたよ……こんなに情報が不足しているなんて。指示を寄越した上司も困惑していました」

「そうですか」

 

 淡々とそう返事をするトウカ。一方でソヨは、その様子をじっとりとした視線でただ見る。

 

「何か心当たりはありませんか? トウカさん」

「……いえ、ありませんね。私の移転における手続きは、中央部の雑務型の方が為された筈なんですが」

「そうですよねー。雑務型の方でそこらへんの手続きは済む筈なんですよ」

「その……言ってなかったんですけれど、辺境区のアークに知り合いがいるんです。その方に話が届いている筈なんです」

「それって、“レイン”ですか? 雑務型の」

 

 その名前を聞いたトウカの身体がピクッと跳ねたことをソヨは見逃さなかった。

 

「そうです……レインさんです。私の移転手続きには彼女が関わっていた筈なんですが!」

 

 捲し立てるかのように言ったトウカ。その言葉を聞いたソヨの口元がより一層に引き締められた。ソヨの表情にはもう……シヅキに悪態をついていた時の親しみやすさの片鱗なんて残っていなかった。

 

「トウカさん。一つ知っておいて欲しい情報があります。紛れもない事実です」

「な、何ですか……」

 

 スッと息を吸ったソヨ。彼女は一息にして言った。

 

「………………え」

 

 茫然の声とともに、トウカの眼が大きく見開かれた。

 



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最強の浄化型

 ジリリリリリリリリ

 

 突如として鳴ったのは甲高いベルの音だった。無意識的にシヅキは天井を見上げる。

 

「なんだよ、この音は」

 

 しかし、シヅキの問いかけへの答えは返ってこなかった。代わりに聞こえてきたのは、慌ただしい足音だけだ。

 

 視線を戻すと、そこには医務室を駆け回るヒソラの姿が。シヅキは彼の表情に緊張を感じた。

 

「なぁヒソラ。どうしたん――」

「シヅキ君。急患なんだ」

 

 シヅキの発言に重ねるようにそう言ったヒソラには、明らかに余裕がないようだった。

 

「あぁ、そういう合図な。 ……俺はどいたほうがいいよな?」

 

 既に身体の治療(メンテナンス)を終え、ただ身体を休めていただけのシヅキ。火急になるであろう現場には明らかに邪魔な存在だった。

 

「ごめんね。 ――ちゃんと、身体を大事にするように。いいね?」

「……善処するよ」

 

 棚やら引き出しから治療用の薬や器具を引っ張り出しているヒソラを尻目に、シヅキは医務室を退出した。すると――

 

「すまん! 通るぞ!」

 

 鋭く刺さるような声色とともに、担架を担ぐ2体のホロウが医務室へと駆け込んでいった。

 

 そして、医務室の外には多くのホロウ達が。皆がシヅキ以上に疲弊しきっていることは火を見るより明らかであった。状態は様々で、一見無傷な者もいれば、顔中に泥や(すす)を被った者、布の巻かれた腕を押さえつける者、床に座り込んで全く動かない者……

 

 その惨状を見やってシヅキは口内の唾を飲み込んだ。

 

「……随分とまぁ、やられたんだな」

「そうだな。しかし、新地開拓となればある程度の消耗は避けられないものだよ」

「え?」

「失礼。邪魔だったかな」

 

 落ち着いたトーンでシヅキの呟きに答えてみせたのは、1体の女性だった。長身の、長髪。髪は黒色でそれを一括りに縛っている。そして何より印象的なのは……右眼に付けられた眼帯。

 

 その姿を見るや否やシヅキの眼は大きく見開かれた。

 

「……あんたは、えっと……や、あなたは」

新地開拓大隊(しんちかいたくだいたい)隊長……“コクヨ”だ。今回の肩書きだがな。 ……お前は確か、私と同じ浄化型のシヅキだったな」

 

 その口元に僅かに笑みを浮かべてそう言った女性……改めコクヨ。シヅキはまさに、開いた口が塞がらなかった。それもそうだ。何てったって、あのコクヨなのだ。

 

 コクヨ。オドという組織の中で、その名を知らない者は存在しないだろう。人呼んで彼女は……“最強の浄化型”だった。

 携えるは1本の長刀。気が遠くなるほどに細く、それでいて鋭利な刀だ。コクヨはそれを振るい、魔人共を打尽する……らしい。今まで数千は葬ったとかなんとか。

 

 “らしい”と言ったのは、あくまで伝聞なのだ。シヅキは彼女が戦場で舞う姿を見たことがなかった。主に単独か極少数で任務にあたることが多いシヅキ。一方で大隊か中隊を先導するのが殆どのコクヨだ。彼らがまともに交えたのは今回が初めてだった。

 

 しばしばその態度を指摘されるシヅキですら、今回ばかりは姿勢を正した。

 

「浄化型のシヅキです。名前を覚えてもらっているようで、光栄というか……」

「なに、同じ型の者くらいは把握していないとな。シヅキは単独での任務が完了した後か?」

「は、はい。一応医務室に寄ってという感じで……」

「そうか。それはご苦労だったな。知ってはいると思うが、私が率いた大隊も先ほど帰ってきたところだ。結構な数の負傷者を出してしまったよ」

 

 医務室付近に座り込むホロウ達。見ると先ほどよりも数が減っていた。どうやら、傷が深い者から優先して中に呼び込まれているらしい。それでも数十人ほどいうホロウ達は、やけに広い廊下とも広間とも言いづらい医務室付近の空間を覆い尽くさんとしていた。

 

(なるほどな、だから俺たちが帰ってきたときはホロウ共が少なかったのか)

 

 ソヨが聞いたら、「シヅキねぇ、無理してでも周りに馴染めとは言わないけれど、せめてそういう大事なイベントくらいは知っておいてよね? 分かってる?」くらいは言いそうだ……とシヅキは思った。

 

 細い記憶の糸を辿って、今回の新地開拓について思い出そうとした。

新地開拓……名の通りホロウの活動拠点の拡大を目指す、そして比較的に()()()()()魔人の浄化を目的とした遠征の一種だ。そして今回行った先が……あぁ。

 

「確か……新地開拓って『棺《ひつぎ》の滝』周辺でしたよね。“不侵領域”に設定されていた」

「そうだ。かつての人間の名残だろうが、魔人は水辺付近に多く存在する。その分、魔人から魔素の回収を行うには理に適っているのだがな……どうも獣形(けものがた)の数が目立つ」

「……獣形は強いですよね、やっぱ。人形(ひとがた)とは別格って感じで」

「今回の遠征でも、3人と対峙したよ。なんとか浄化して、魔素の回収まで出来たが……この有様だ」

「あれすかね。全部、コクヨさんがとどめを刺す……みたいな」

 

 シヅキのそんな疑問に対し、コクヨはくつくつと笑って見せた。自身の口元を押さえる様子は、普段の厳格というか、荘厳な感じとは異なり……なんというか無邪気な笑みだった。そもそもコクヨは痩せぎすだが、顔が整っており、かなりの美人だ。そのように表情を崩す様子はたいへん絵になっているものだとシヅキは思った。

 

「私が全て浄化できるのなら、大隊なんて引き連れずとも単独で潜るさ。十数人の浄化型で叩いて、やっと浄化……という感じだ」

 

 そう言い、小さく息を吐いたコクヨ。彼女の顔にも疲弊の色が滲んでいた。

 

「すんません、その……立ち話に付き合わせてしまって」

「いや、いいんだ。元は私が呼び止めたことだ。前々からシヅキとは話がしたかったからな」

 

 予想外のコクヨの言葉にシヅキの眉が上がった。頭の中に疑問符が浮かんだ。

 

「それって……どういう――」

 

 しかし、そんなシヅキの問いかけは1体のホロウにより遮られてしまう。

 

「コクヨ隊長。少し中へ……」

「ああ、すぐに行く。 ――ではな、シヅキ」

「は、はい……」

 

 軽くお辞儀をするシヅキ。彼の視線の先で、コクヨの一括りにされた長い黒髪が揺れていた。

 

 ――これが後に起こる“ホロウ事変”における渦中となるホロウ、コクヨとの出会いだった。



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らしくない

 

 コクヨとのやり取りを終え、ロビーへ戻ろうと昇降機に乗っていたシヅキ。そんな彼の体内に、彼のものとは異なる魔素が流れ込んできた。

 

 シヅキはそれに焦ることなく、まず()()()()を確認する。魔素そのものは目に見えなければ、触れることもできない。唯一“ノイズ”と呼ばれる方法で、身体が漠然的に感じ取ることしか出来ない。

 

 しかし、ホロウはそのノイズを目に見える形に変容させることができる。身体中を魔素で構成する者共だからこそ出来る芸当だ。 ……最も。魔素の濃度が薄かったり、意図的に工作されている場合はその限りではないが。

 

 シヅキは頭の中でイメージする。それは、モヤモヤとする煙状のものに鍵を挿し込む奇妙な感覚だ。でも、これで上手くいくのだから仕方がない。鍵をゆっくりと回し、解錠(視覚化)する。

 

(ソヨからの通心(つうしん)か)

 

 概ね予想通りの人物からのメッセージが魔素内には含まれていた。シヅキはそれを読み上げる。

 

「キョウ オワリ ネロ ……やっとかよ」

 

 ドッと身体が重くなる感覚に襲われた。身体を弛緩させると毎回これだ。「休ませろ、休ませろ」とアピールしてくるのだ。無論、シヅキの意志もこれには大賛成だ。

 

「シャワー浴びて飯は……いいや、起きてからで。寝よう」

 

 大きく欠伸をしたシヅキ。彼が降りたのは1Fのロビーではなく、ホロウ共の住居スペースとなっている地下階層だった。

 

 

 

※※※※※

 

 

 

 シャワーをたっぷりと浴びた後に、シヅキは薄暗い廊下を歩いていた。幅3m程度のソレの左右には、同じデザインの扉が等間隔に設置されていた。ホロウ達の住居スペースだ。

 

 カツカツと音を鳴らしながら廊下を歩くシヅキ。彼が自身の部屋のある廊下の角へと差し掛かった時だった。

 

「あ」

 

 何かを見つけたかのような、そんな声がくぐもった廊下内に反響した。声の主を目の端に捉えたシヅキは、思わず上擦り気味の声を上げてしまった。

 

「トウカ? え……や、なんでここに?」

「えっ……と。私も同じこと聞きたいんですけ、ど」

 

 廊下の途中には休憩用のスペースとして、ベンチが敷かれた小空間がある。そのベンチの真ん中にトウカはちょこんと座っていた。シヅキと同じように困惑の表情を浮かべるトウカ。彼女の服装や持ち物は応接室で別れた時と変わっていた。

 

 服装は出会った時に着ていたフード付きのローブではなく、もっと緩い格好……いわゆる寝巻きだった。しっとりと水分を含んだ髪と紅潮した頬や耳を見るに、シャワーを浴びた後らしい。持ち物についても、布に巻かれた錫杖と小さなポーチに加えて、手提げ付きの大きなカバンが追加されていた。

 

 彼女の身なりと持ち物たちを見て、シヅキは恐る恐るの口調で尋ねた。

 

「……部屋に行く途中だったのか?」

「そうなんですけど。ちょっと、待ってて……」

「待つ? 誰を」

「雑務型の方です。えっと……私が入るはずの部屋の鍵が見つからないみたいで」

「あー。そういう」

 

 シヅキは自身の後ろ髪を掻いた。まぁ、変なタイミングで帰ってきてしまったみたいで。

 

「シヅキさんはどうしてここに……?」

「治療、終わったからよ。今日はもう上がりだ」

「そうでしたか。 ……容態の方はどうですか?」

「問題ねえよ」

「お医者さんから、魔素の使い方で指摘とかありましたか?」

「……」

「……やはり、ありましたか」

 

 そう言って俯いたトウカ。悲しそうにしやがる横面を見て、なんでてめぇがそんな顔をするんだと思った。 ……そうやって文句を言ってやろうか? ……いや、いい。今日はもういい。疲れている。

 

 ハァ、と大きく溜息を吐いたシヅキ。彼の部屋はもう目の前にある。

 

「……じゃあ、俺はもう部屋帰るから」

「あ、分かりました。えっと……今日は本当に――」

「いーってもう。聞き飽きたくらいだ」

 

 ベンチから立ち上がろうとするトウカを右手で制止して、シヅキは歩を進める。

 

 そうやって、ちょうどトウカの前を通り過ぎた時だった。

 

「――くしゅっ!」

 

 小さな何かが破裂したような音。それが後方から聞こえてきたのだ。 ……いや、聞こえてしまったのだ。

反射的に振り返ったシヅキ。そこにはトウカがいた。左腕で鼻を押さえつけているトウカがいた。無論、眼が合う。琥珀色の綺麗な眼だ。

 

「…………」

「……え、っと」

 

 何かを言わんとするトウカ。しかし、それ以降に言葉が続くことはなかった。シヅキだって何も喋ろうとしない。結果訪れたのは、バカみたいな静寂だった。 ……そして、シヅキは静寂が好きなわけではなかった。

 

「……あー」

 

 後ろ髪を何度も掻くシヅキ。彼の脳内には一つの考えが生まれてしまったのだ。それはあまりにもシヅキらしくないもので、それを言おうとする自身への抵抗が凄まじかった。でも、このままというのも………………あぁ、だるい。

 

 上歯で唇を強く噛んだ後、シヅキは捲し立てるように言った。

 

「俺の部屋こいよ。コーヒーくらいなら入れる。そこで待ってろって言われたなら、雑務型が来やがった時に部屋から行きゃいいからよ。どうすんだ」

 

 言い終えてから妙に身体が火照った。シャワー上がりだからだ。それしかない。

 

「…………え?」

 

 少し間を置いてから素っ頓狂な声を上げたトウカ。見開かれた琥珀の瞳が、シヅキの眼を貫かんとしているようだった。

 

 どうもシヅキはトウカのこの瞳が苦手だった。出会った時もそうだし、魔人を浄化した後にシヅキを治療しようとする時もだった。吸い込もうとするような、貫かんとするような……綺麗にも程がある瞳。本人が意識してかどうかは知ったこっちゃないが、見られる方はたまったもんじゃない。

 

「で、でも……」

「……風邪引くだろ。上辺の遠慮とか、そういうのいらねえから。自分の本心に従えよ」

 

 廊下の隅の、やけに黒く変色した壁を見ながらシヅキは吐き捨てるように言った。

 

 

 



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死ぬほど不器用な……

 

 ドアノブ付近には、厚さ数ミリ程度の四角の形をした窪みがある。シヅキがそこに手を押し当てると数秒の後にガチャと扉が鳴った。

 

「あんま広くねえけど、我慢してくれ」

「は、はい。 ……お邪魔します」

 

 真っ暗の部屋の中。シヅキは廊下から漏れる僅かな明かりと、記憶を頼りに手探りでランタンを見つけ出した。指で弾くようにしてごく少量の魔素を流し込んでやると、ランタンに橙の明かりがジワリと灯った。

 

「一応大丈夫だと思うけどよ、あんまモノとかいじらないでくれ。荷物は適当にその辺のテーブルとかベッドの上に置いてもらっていいからよ」

「それは、もちろん……」

 

 そう言って小さく頷いたトウカ。シヅキも頷き返した。

 

「コーヒー淹れる。寒かったらよ、適当に毛布とか使ってくれて構わねえ。 ……あぁ、このベッドの上だ」

「お、お気遣いなく……」

「……あんたを部屋に入れた時点で、気遣いだのどうの話は終わってる」

 

 トウカを見ないようにして答えたシヅキ。コートだの何だのを丸めてベッドの隅に投げ、彼は部屋奥の水回りまで入っていった。

 

 購買で適当に買ってきたコーヒー。既に豆は砕かれており、すっかり粉状だ。そのせいか知らないけど、美味しくなんかない、苦いだけの汁だ。ただ安いから買っている。それを2つのマグにぶち込んだシヅキは、備えつきの鍋に汲み置きの水を入れた。魔素を流し込んでコンロを点火させてしまえば……あとは待つだけだ。

 

「……」

 

 そうやって手持ち無沙汰になってしまうと、余計なことを考えてしまう。本当に余計なことだ。 ……主には先ほどの自分の行動について。

 

(一体全体何でこんなことしたんだよてめえは)

 

 壁に寄りかかりながら腕を組むシヅキ。彼の足はトントンと床に何度も打ち付けられていた。苛立ちとも困惑とも取れない変な感情が彼の中でふつふつ沸き立つ。

 

 ともかく、だ。これ以上にトウカを気遣う必要はないのだろう。そもそものところでシヅキは浄化型であり、トウカは抽出型だ。今日以降で何か接点を持つわけじゃあるまい。だったら……もう、放っておいていい。

 

 いつトウカの部屋の鍵が見つかるかは知ったこっちゃないが、まさか今日一日彼女がこの部屋にいるわけじゃないだろう。なら、多くても数時間だ。それが終わればシヅキとトウカは赤の他人だ。そうなるに決まっている。

 

「……よし」

 

 やっと気持ちの着地先を見つけたところで、鍋の中の水がふつふつと泡を立てていることに気がついた。マグに熱湯を入れて、コーヒーを揺らしかき混ぜたところで、シヅキは居間へと戻ってきた。

 

 そこにはベッドに腰掛け、足をぷらぷらと揺らしていたトウカの姿があった。その琥珀の瞳はひたすらに床を凝視している。 ……何を考えているのだろうか? シヅキには見当もつかなかった。

 

「んん゛っ」

 

 シヅキがわざと咳払いをすると、トウカの顔が勢いよくこちらを向いた。

 

「水、沸騰させちまってよ。熱いから気ぃ付けろよ」

「……ありがとうございます。ほんとにありがたいです」

「そうかい」

 

 両手でマグを受け取ったトウカは湯気が立つマグにふぅふぅと息を吹き、ゆっくりと傾けた。

 

「――っち!」

「言わんこっちゃねえ」

 

 舌を出し顔を歪ませたトウカを尻目に、シヅキは口をつけることなく、机の上にマグを置いた。10分もすればまともに飲めるようになるだろう。

 

 一方で、トウカはまだ諦めないらしい。今度はもっと息を吹きかけた後、よりゆっくりコーヒーを飲もうとした。 ……今度は飲むことができた。

 

「美味しい、ですね」

「くそ安い豆だぞそれ。苦くて熱いだけだろ?」

「……ちょっと苦すぎるかも」

「そういや、コーヒーで良かったのか?」

「い、いえ! ブラックでも平気ですから」

「……そうかい」

 

 そんなやりとりを終えた後、シヅキは木組みの椅子に背中を預けた。凝り固まった背骨を背もたれに押し付けると、バキバキと音を立てた。

 

「あぁ…………疲れた」

 

 ほとんど無意識的にシヅキが吐いた言葉。口に出してから、トウカの前では言うべきではなかったと後悔した。

 

「あの……しつこいかもしれないんですが、今日はありがとうございました」

 

 ――こうなるから。何回目だよそれ。案の定しつこいし。

 

「ああ……」

 

 ただ、そうやって指摘することすら怠くて、シヅキは空返事を返した。

 

「別によ、疲れてるのはお互い様だろうが。むしろ、あんたは長い船旅の後だろ? 俺よりよっぽどじゃねーか」

「……そうですね。結構、身体が重かったりします」

「ねみぃなら、勝手に寝てくれていいぞ。俺は起きてるから」

 

 そうしてくれた方が不必要に会話しなくて助かる。とはもちろん口に出さないシヅキ。

 

「……眠いんですけど、ちょっと考えることが多すぎて」

「まあ、初めての土地だからな」

「いえ、それもあるんですけど…………その、ソヨさんと」

「……ソヨ?」

 

 シヅキが反芻(はんすう)すると、トウカは口を大きく開いた。 ……きっと、その名前を出すつもりはなかったのだろう。彼女の表情からその動揺っぷりが窺えた。

 

「えっと……その……!」

「ハァ……別にいいってもう。詮索しねえし。ソヨになんか問題があったのなら、話くらいは聞いてやるけど」

「いえ、ソヨさんは別に悪くなくて……私、私? 私が悪いの、かな? いやでも……」

「落ち着けって」

「落ち着いてられないの! これはすごく大事な問題だから……あ、違った。えっと……問題……です」

 

 その琥珀の眼を行ったり来たりさせながら、ゴニョゴニョと言葉を紡ぐトウカ。 ……魔人を探知していた時のあの冷静さなんて、見る影がなかった。

 

「ハァァァァァァ………………………………………」

 

 この日一番の大きな溜息を吐いたシヅキ。正直、もう見てられなかった。

 

「もう一回言うけど。詮索する気はねぇし興味もねぇ。だから忘れろ。 ……あと、これは余計なお世話だと思うんだけどよ」

 

 コーヒーを注いでいた時にした決意はどこへ行ってしまったのだろう。シヅキは苛立ちを隠すことなくトウカにぶちまけた。

 

「あんた……敬語とか慣れてねえだろ。呼称だってそうだ。愛想をよく見せるためか? だったら止めた方がいいぞ。ボロ出しすぎだし」

「べ、別に……そんなこと……」

 

 苦虫を噛んだかのような表情。そして、決して合わない眼。それらがもう口ほどに物を言ってやがる。

 

「……じゃあさ。少なくとも俺の前ならそういう態度は止めてくれよ。敬称だって、いらねぇ。無理されながら話される方だって、しんどいんだよ」

「…………」

 

 ふん、と鼻息を吐いたシヅキ。彼はわざと自身の身体を仰け反らした。今の言葉で嫌われた自信がある。でも、もうそれでいいだろう。どうせ明日からトウカとは赤の他人。今更、仲良くする義理なんて――

 

「シヅキ!」

「……は?」

 

 そうやって考えている時に、大声で自身の名前を呼ばれたもので、シヅキは思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。

 

「え、何だよ急に……」

「シヅキ! シヅキ! シヅキ!」

「こわ……」

 

 壊れたように名前を連呼するトウカ。必死だ。必死すぎて引く。

……追い込まれたホロウはこうなってしまうのだろうか? 呆気に取られながらシヅキはそんなことを考えた。

 

「シ、シヅキ……」

「ほんとにお前……何言ってんだよ」

「練習、してるの」

「練習?」

「名前を呼ぶ練習……」

「……あぁ?」

 

 冗談だと思った。けど、至極真剣な表情をしてやがる。琥珀の大きな瞳は若干涙ぐんでいた。

 

(こいつ……こんなやつだったのか)

 

 もはやドン引きするしかないシヅキ。一方でトウカは俯いた顔でポロポロと言葉を漏らす。

 

「……そう。私は無理してたの。今日一日ずっと。頑張って、作り込んだキャラクターになろうとしたの。でも……全部バレてた……。初めて来たのに……ソヨさんにもたくさんのボロ出しちゃった。これじゃあ……計画が……」

 

 俯いたトウカの表情も、サラッと(こぼ)した“計画”とかいうクソほど重要そうなワードの意味も、或いはソヨに出したとかいうボロの内容も……何もかもが分からない。分からねーことだらけで、シヅキはもはや詮索する気が起きない。

 

 ――ただ一つ確信して言えること。それは、トウカという目の前の女が自分を取り繕うことが絶望的に下手くそで、死ぬほど不器用なホロウだということだ。

 

「……もう、ついてけねぇーよ」 

 

白銀の頭を見ながら、シヅキは嘆くように呟いた。

 

 

 



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おかしな秒針

 

 タク、タク、タク、タク

 

 橙の灯り一つが照らす、小さな部屋。響き渡るのは壁時計が秒針を刻む音……これ一つだけだ。

 

 備え付けられている年季のある壁時計。シヅキがこの部屋に棲みだした頃からあるソレは、いつからだろうか? 秒針の進み方がおかしくなってしまった。突如止まってしまったり、かと思えば遅れを取り戻そうと高速で動き始めたり……そんな状態だ。

 

 幸い、短針と長針は問題なく動いているためシヅキは今までこのおかしな秒針を放置していた訳だが……なるほど、重なるところがあった。

 

「このコーヒー苦い……」

 

 存分に顔を顰めながらコーヒーを啜る目の前のホロウ。それを見てシヅキは鼻で笑った。

 

「な、なに? 急に笑って」

「別に。何でもねぇよ」

 

 吐き捨てるように言ったシヅキは、トウカと同じようにマグのコーヒーを啜った。 ――あぁ、本当に苦いなこれ。そう思いながらもシヅキは表情を崩さなかった。

 

「マズい……」

 

 崩してしまったら、目の前のこいつと変わらないと思ったからだ。

 

「文句あんなら飲まなくたっていいんだぞ」

「も、文句は言ってないって……事実を言ってるだけ。身体温まるし……あ、でもコーヒーは本当に嬉しい。ありがと」

「そうかい。……ちなみにだが砂糖みたいな嗜好品はこの部屋にねーからな」

「……そう」

 

 残念そうに言って、コトとマグを置いたトウカ。しかしすぐにマグを持ち上げてコーヒーを啜って……再びマグを置く。さっきからソワソワと落ち着きがないのだ。

 

「……さっきからなんだよ。別にもういいだろ? 取り繕わなくたってよ」

「そ、そういうんじゃなくて……えっと」

 

 琥珀の眼を泳がせるトウカ。無意味に髪を手で梳かしだす始末だ。引っ込み思案なところは出会った時の印象から変化ない。むしろ増した。

 

「……その、私のことは内緒にしてほしくて」

「私の……あぁ。他の奴には愛想の良い自分を見せるってことか?」

 

 シヅキがそう訊くと、トウカは不満ありげに口をへの字に曲げた。

 

「愛想良いって……そんなふうに見てたの?」

「“見てた”じゃねぇよ、“見えた”だ。さっき言ったろ? ボロ出てたってよ」

「……ぐ、具体的には?」

 

 顎を引き、上目でシヅキを見るトウカ。シヅキはハァと軽く溜息を吐いた。

 

「それ、説明しねーといけない?」

「お、お願い……」

「……初めに違和感があったのは俺が魔人と対峙してた時だ。あん時トウカ、『シヅキ、叩いて!』とか叫んだろ? それ聞いてよ、普段は丁寧な言葉遣いに慣れてねぇやつなんだろうなと薄々思ったんだ」

「……やだった?」

「嫌じゃねーよ。あん時は、まぁ……助かった」

「そ、それはどうも……」

 

 ぎこちなく頭を下げたトウカ。対してシヅキは後ろ髪を強引に掻くだけだ。

 

「んでも、初対面ならまぁ………んなもんかって思った。なんつーの? 行儀よくするのはな」

「シヅキ……も最初は無理に丁寧な言葉遣いしてたよね。すぐ止めたけど」

「うるせ。 ……俺には向いてねんだよ」

 

 ぶっきらぼうに答えると、トウカはなぜかくすくすと笑った。「そこ笑うとこかよ」とは口に出さず、代わりにシヅキは溜息を吐いた。

 

「……んで、まぁあとは何となくだよ。勘だ。さっきトウカがソヨの名前を出した時に確信した」

「わ、私……そんなに違和感あった?」

「突然のことに弱いだろ? お前。変なことが起きると口が回らなくなる」

 

 シヅキの指摘に対して、トウカはすぐに返事をしなかった。しばらく何も言うことは無かったが、彼女がシーツをギュッと握る様子にシヅキは気がついた。

 

「そう、かも……」

 

 やがて彼女が発したのはそんな言葉だった。何をそんなに気にすることがあんだ、とシヅキは思う。

 

「ともかくだ。変にキャラを作るとしても、もう少し詰めた方がいいと思うが。 ……何で俺がアドバイスしてんだよ」

「ぐ、具体的に――」

「知らねぇ自分で考えろ。どうせ今日が終われば、お前とは赤の他人だ。そこまでする義理がねぇ」

 

 そう捲し立てたシヅキはマグのコーヒーをぐっぐと一遍に飲み干した。

 

 ドンと机にマグを降ろすと、そこにはシヅキを見据えるトウカが。その表情はきょとんとしている。

 

「……なんだよ。ただの事実だろ?」

 

 シヅキがそう言っても、トウカは首を傾げるだけだ。彼女の頭の上には大きな疑問符が見えた。

 

「えっと……シヅキ、聞いてないの?」

「あ? 何をだよ」

「私とシヅキのこと」

「……いや」

「そうだったんだ。 ……えっとね? 私とシヅキは明日から同じチームだから」

 

………………

 

 ん?

 

「……チーム?」

「うん。その……シヅキが私の監視役……みたいな?」

 

 頬をポリポリと掻きながら、また、バツが悪そうにしながらそんなことを(のたま)いやがったトウカ。シヅキはというと、まだその事実を処理しきれていなかった。

 

「えっと……よろしくね? シヅキ。明日からも」

 

 無言で座り尽くすシヅキに対し、トウカは手を伸ばした。ちょうどそれは、船着場でシヅキがしたように。

 

 眼前の手を眼に捉えたところで、やっとシヅキはトウカが発した言葉の意味を理解した。

 

「はぁぁぁぁぁぁぁ!?」

 

 シヅキらしからぬ大声が、秒針音を消し去るかごとく部屋中に響き渡った。

 

 

 



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長い1日の終わり

 

 ……その後。そう、衝撃的な事実をトウカが突きつけたその後。

 

「じゃ、じゃあね。シヅキ! また……」

 

 手を振りながらそう言ったトウカは、逃げるように(シヅキにはそう見えた)して部屋を後にした。部屋の鍵が見つかったのだ。

 

「……」

 

 一人部屋の中に取り残されたホロウ、シヅキ。やり場のない感情が渦巻くだけで、どうするべきなのかが分からない。

 

 神妙な面持ちをしていたシヅキは、不意に言葉を紡いだ。

 

「明日から……トウカとチーム」

 

 事実なのだという。ソヨがそうやって、トウカに伝えたらしい。無論シヅキはそんなことを聞いていない。

 

 トウカが嘘を吐く理由なんてないし、正真正銘の事実なのだろう。しかし、それ以上にシヅキの中には“腑に落ちる”ものがあった。思い浮かんだのは……ソヨのことだ。

 

「あいつ、仕組んだか?」

 

 思えば、廊下でばったりトウカと出会したこと。そして彼女の部屋の鍵が一時的に行方不明だったこと……偶然が2回も重なるものだろうか? ……雑務型であり、シヅキと通心(つうしん)可能なソヨであれば簡単に状況を作り出せるのではないか。

 

 疑えば疑うほど、シヅキの中の疑念は確信へと変わっていった。

 

「あぁ……やられた」

 

 モノに当たる代わりにシヅキは拳を掌へと叩きつけた。 ……大方、ソヨ自身を噛ませずにトウカと話をさせるためだろう。

 

「あいつ……次会った時は……」

 

 大きく舌打ちをしたシヅキはベッドに大の字となる。

 

 ――色々とありすぎた。体力的にも、精神的にも色々と。トウカ……あの女のせいだ。気が弱いくせして何かを企んでやがる女。それと明日から行動する? 監視役だと? 冗談じゃない。そんな面倒な役回りがよりによって何故自分なのだ。

 

(思えば……港町まで迎えに行かされたのだって)

 

 疑心暗鬼だろうか? でも、ソヨは事前に何か気掛かりがあって、シヅキ(都合のいい駒)に案件を投げたのではないか? ……あぁ、辻褄が合ってしまう。

 

「どうせ、聞いても教えねーんだろうな」

 

 そう思いながらも、シヅキはソヨに対して通心を行う。あわよくばというやつだ。

 

 送る側が行うことは、受け取る側の逆をすればいい。メッセージを“魔素”という形で、ホロウにぶん投げる……それだけだ。

 

(トウカのことで話がある。ソヨの都合のいい時間に合わせる)

 

 端的に頭の中でメッセージを作る。魔素を介したこのやり取りでは、自分の言葉がそのまま伝わるわけではない。メッセージが一度魔素に変わることで、“言語”としての性質を失うのだという。魔素の中に残存するのは、送信者の“意思”だけだ。従って、細かな言葉のニュアンスや長すぎる文はまともに相手へと伝わらない。

 

 それでも、意思を残せるこの芸当は利便性がいい。魔素へと変換しソヨに送りつけたシヅキは、トウカがまともに取り合うことを願いながら眼を閉じた。

 

 精神的にも肉体的にも疲弊している身体。瞼はひどく重いくせに、頭の中では色々と考えてしまう。ちょうど、トウカがそうだったように。 ……そう、トウカ。

 

(明日から、トウカとチーム……)

 

 今度は心の中で反芻したシヅキ。否応もなく、彼女のことが思い出された。

 

 背が小さくて、気も小さくて……何考えているのか、よく分かんねえ。

 それに、下手くそなくせして、自分のことを取り繕おうとしやがる。

 後は……やけにシヅキの傷のことを心配していた。そうだ。ホロウの身体のことを……

 所詮は人間の代替に過ぎないのに。

 

 ――でも、そんな変なやつだけど。

 

「あの琥珀色の眼は……綺麗だったな」

 

 口に出してシヅキは酷く後悔した。妙に小っ恥ずかしくて、シヅキは自身の舌を強く噛む。

 

「寝る! 寝ろよもう、バカが」

 

 毛布を頭の先までかけたシヅキ。寝ろ、寝ろ、寝ろ……何度も言い聞かせた意識を手放すのに至ったのは1時間も後だった。

 

 

 

※※※※※

 

 

 

 ソヨから手渡された鞄は、今日以前に辺境区宛てに送ったものだった。

 

 中には生活に必要なものが一式入っていた。主に衣服類で、後は最低限のコスメ類とかお気に入りの小物類。そして……

 

「よっと――」

 

 胸いっぱいに抱えた本を机にドサっと置いたトウカはふぅと一息をついた。

 

「ちょっと持ってきすぎた……かな? いやでも、削れなかったし……」

 

 それらは中央区に居た際に齧り付いていた本の中の一部に過ぎなかった。以前の彼女の部屋には一般的なホロウの体格よりも一回り、二回り大きな本棚があった。無論、そんなに持ってくることなんか出来なかった為、こうして厳選した次第だ。

 

 その琥珀の眼をゆっくりと閉じてトウカはコクコクと頷いた。自分にしては量を削れた方だろうなんて、そう思ったのだ。

 

 最低限の荷物整理を終えたトウカ。床や机の上は未だに荷物が散乱したままだったが、流石にこれ以上どうにかすることは気が滅入った。ランタンの灯りを消して、少し硬いベッドに横になる。

 

 真っ暗な天井を見上げて、トウカは呟いた。

 

「……ほんとに来ちゃったんだ。こんな遠くまで」

 

 中央を脱してからというものそこそこ長い旅をした。辺境へは船1つで辿り着くことが出来なかった。陸路という陸路の移動を繰り返し、どこか炭臭い船に何日も揺られてようやく着いたのだ。

 

「……こんなに頑張って着いて、でも……」

 

 ギュッと眼を瞑ったトウカ。枕に顔を埋めて「うーーーーー」と長く唸った。

 

「出鼻がぁ……最悪だ」

 

 トウカが頭の中に思い浮かべたのは、入念に練った筈の……信頼できるほんの一握りのホロウたちと作った筈の計画だった。

 

「レイン……」

 

 ソヨという雑務型から発せられた言葉を思い出す。一言一句思い出せるその言葉……

 

「……みんなに顔向けできないや」

 

 込み上げてくるものがあった。どうしても抑えることが出来ず、唇を噛んだくせに嗚咽が漏れてくる。それでもトウカは声を上げはしなかった。

 

 トウカは自身に強く言い聞かせる。 ……励ませるのは、もう自分しかいないのだから。

 

「……悪いことだけじゃなかったんだ。前向きにならないと――」

 

 トウカは思い浮かべた。それは今日1日の間、ずっと行動を共にしたホロウのことだった。

 

 初めは怖いな、って思ってしまった。 ……いや、今もちょっと怖い。言葉遣いのせいだろうか? それとも三白眼のせいだろうか? チクチクとしたトゲが胸に刺さる感覚が何回もあって、ちょっと痛かった。

 

(でも……)

 

 なんだかんだ言いつつ、自分のことを気にかけてくれたように思う。だから、不思議な気分になった。あのホロウは冷たくもあって、温かくもあったのだ。そんなちぐはぐな……まだよく分からないその存在のことを……少なくとも今のトウカは嫌いになれなかった。

 

「不器用……なんだろな。シヅキは」

 

 まだ彼のことを何も知らなかった。性格だって、今日はそう思っただけで明日見るときには何もかも別に見えてしまうかもしれない。 ……そうだと、ちょっと嫌だなと思う。

 

 だから、チームを組むってなってもよく分からなくて。ソヨは「監視役」だなんてはっきり言ってたけれど。 ……果たして彼はその役回りのことをどう思っているのだろうか?

 

 疑問に思えることは両手の指なんかには収まらなくて。たくさんありすぎて、前が見えなくなってしまいそうだけれど。

 

 ――それでも。

 

「私のやることは……変わらないよ」

 

 思い浮かべたのは当然あの記録(きおく)だった。小さくて、儚くて、弱い。でも何よりも真っ直ぐで、綺麗な……記録だった。

 

 それをゆっくり、ゆっくりと咀嚼しながらトウカも眠りの世界へと落ちていった。

 

 長い1日が終わる。

 

 



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ソヨソヨそよ風

 

 フード付きの真っ黒の外套は何年も前から愛用している品だった。

 

 港町や別の街……偶にそこからホロウがアークを訪れてくる。彼らは皆、商売を生業としている者達だった。図太いのか豪胆なのかは知らないが、アーク内で簡単な店を開くのだ。いわゆる露店というものである。

 

 不定期的に現れる露店と物珍しい品は、アークに属するホロウ達にとって数少ない娯楽の一つだった。シヅキは自ら赴くことがなかったが。

 

 だから、急にソヨが服を渡した時にはシヅキは眼が点になった。彼女曰く、『シヅキさ〜ずっと同じ服着てるじゃん。たまには別のも着なって』とのこと。同じ服と言ったって、アークから支給されている制服なのだからいつも着ているのは当然のことだったが、異様に服の枚数が多いソヨは制服ばかり着るシヅキが気に入らなかったのだという。

 

 シヅキはその服を返そうとした。でも、その返し方がいけなかったのか……それとも返そうとする行為が要因となったのか。涙ぐむソヨを前にして、シヅキは慌てて外套を羽織った。

 

 『似合ってるじゃん』 胸の前でグッドマークを作るソヨを見て、嘘泣きだったと思った。腹を立てたものの、それから何年間も、(ほつ)れや破れを繕いながら着続けている。

 

 それは今日も同じことだった。ハンガーに掛けることなく、ベッドの隅で丸くなっていた外套を羽織るとシヅキは部屋を出た。

 

 起床直後の時間は、他のホロウと出会すことが多い。しかし、今日はその限りではなかった。恐らく、コクヨが引き連れた新地開拓の大隊が原因だろう。少なくとも彼らは今日1日休養をもらっている筈だ。

 

「俺だって休みてーけどな」

 

 ギギギと軋む昇降機に一人乗るシヅキ。単独で任務に当たっていたシヅキは休めるわけではない。

 

 正確には休もうと思えば休めるが……それは避けたい行動だった。アーク内に居場所がなくなったシヅキは果たしてどうなるだろう。行く宛もなく、放浪するのだろうか? それとも、()()()()()()()のだろうか? 何にせよ、居場所があったらいい。屋根があって、飯が食えて、棲む場所がある……それだけで十分だった。

 

 やがてロビーに着いた。地下階層の狭苦しい空間とは異なり、そこはバカみたいに広い。キョロキョロと見渡し手ごろなソファを見つけると、シヅキはそこにドカっと座り込んだ。

 

「おっはよ〜シヅキ。昨日はよく眠れた?」

 

 間も無くして、そう言いながら小走りで駆けてくるホロウの存在に気がついた。シヅキの眉間に軽くシワが寄る。

 

「ソヨ……お前な――」

「ん? どうしたの?」

 

 ソヨはシヅキの言葉に重なるようにそう訊いた。あたかも、私は知らぬ存ぜぬと。

 

「ハァ……」

 

 シヅキは小さく溜息を吐いた。まさか本当にシラを切れるとでも思っているのか? そもそも、昨日のうちに送った通心への回答がまだ来ていないのだ。『トウカのことで話がある。ソヨの都合のいい時間に合わせる』そんな通心への――

 

(いや……今がソレか?)

 

 シヅキは改めてトウカの顔を見上げた。 ……茶髪のくせっ毛。そこから見える表情は、いつものちゃらんぽらんなソヨと相違ない。そもそもこいつはポーカーフェイス? というのか、表情を隠すことが上手いのだ。

 

 自身の後ろ髪をポリポリと掻いたシヅキ。変な探りを入れるのは性に合っていない。

 

「……この際、トウカとチームを組めとか監視しろだとかはもういい。文句言ったってどうせ覆らないだろうからよ。 ……気に食わねえのがやり方だ、ソヨ。せめて自分の口で伝えろよ。まどろっこしいことしやがって」

「え〜何の――」

「答えろって。いいから」

 

 (しら)ばくれていることは分かりきっていた。

 

「……それはごめんね。悪気があったわけじゃないの。ただ……わたしが間に入るとややこしくなりそうだったから」

「ややこしいってのは?」

「ちょっと……色々あってね」

「……ボロを出したってやつか」

「ボロ?」

「トウカが色々と言っちまったんだろ? お前に」

 

 その言葉を聞いたソヨの眉が軽く上がった。

 

「シヅキが言わせたの?」

「まさか。自分から言っちまった。すげぇしどろもどろになってたな」

「あちゃー、あの子ねぇ」

 

 その顔を右手で覆い、やれやれと項垂《うなだ》れるソヨ。演技臭く見えるが、流石に意外だったのだろう。

 

 間髪入れずにシヅキは言う。

 

「でも、内容までは聞いてねぇよ。あくまでソヨに色々と言っちまったことだけだ。俺が知ってるのは」

「そうなの。 ……内容は聞かなかったの? 気になるでしょ?」

「……別に。俺が介入する理由がねーよ」

 

 視線を逸らしながらシヅキが言うと、ソヨはくすくすと笑った。

 

「あ? 何がおかしいんだよ」

「いや、そういうところ良いなって思っただけよ」

「そういう……?」

「モテるよ、シヅキ。あとはその捻た性格を直して、もうちょっとオシャレしたら尚いいかも」

「訳分からん。俺のことは今どうでもいいだろ」

 

 どうも居心地が悪くなり、シヅキは後ろ髪を掻いた。

 

「……そういやよ、肝心のトウカはどこだよ。ソヨの方で色々と管理してるんだろ? まさか寝坊か?」

「んーん、あの子は今色々と手続きをしているとこ。役職が同じ抽出型への紹介とか、あとは諸々の契約書とかね。昨日のうちに出来なかったから」

「……なら、俺がここに来る時間もっとズラして良かったろ? そういう手続きって時間かかるんじゃねーのか?」

 

 シヅキがそう言うと、ソヨは明後日の方向を向いた。自然とシヅキの目線も彼女に釣られる。

 

「んーん。来たみたい」

 

 ロビーの奥の方。そこから一体の影が近づいてくる。

 ソレは真っ白の外套を羽織っていた。まるで、自身のことを全て覆い隠さんとばかりに。

 

「じゃっ! わたし行くから」

 

 それが見えた途端に、ソヨは駆け足で行ってしまう。真っ白の影と交差する時に挨拶を交わしたのが分かった。ソヨは相変わらずの笑みを浮かべたのに対して、影はぎこちなく頭を下げていた。

 

 ソヨが完全に通り過ぎた後に影は再び歩みを始める。小さな歩幅の彼女と目が合ったのは、シヅキが声を出した時だった。

 

「……よぉ、トウカ」

「ひっ……! シ、シヅキか……おはよう」

 

 ぎこちなく手を上げて挨拶をするトウカ。琥珀色の眼はシヅキを捉えて離さなかった。

 



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今日もまた

 

『マソチュウシュツ スタレノモリ セントウキロクテイシュツ ツギ』

『バショジョウホウツイキ マーク アカ ツギ』

『ジョウカタイショウ ヒトガタ ツギ』

『ケモノガタ ニゲロ イジョウ』

 

 ギギギと軋む昇降機の中で、シヅキが受け取ったのは一連のメッセージだった。それらに目を通した後、彼は『4件を受け取った。承諾』と返す。

 

「シヅキ、どうしたの?」

 

 トウカが首を傾げながら訊いた。やりとりは全てシヅキの体内で行われていたため、端からはただボーッと突っ立ってるように見えているのだ。

 

「……管理部からの連絡だ。浄化対象の位置とターゲットの情報。お前には届いてねーのか?」

「届かないというか、届けられないの。“コネクト”が済んでいないから」

「……あ? コネクト?」

「えっと、魔素媒介の意思やりとりのこと」

「通心か。 ……ああ、そうか」

 

 魔素を介して任意の相手とやりとりを行う……通心。汎用性と利便性ともに優れているが、これは誰もが行えるわけではなかった。シヅキも詳しくは知らないが、確か()()()()()()()()()()()()()()()()()だ。 ……つまり、辺境を訪れたばかりのトウカには通心を行えない。

 

「しばらく不便だな」

「……だから、シヅキには結構頼るかも」

 

 自身の顔の前で両手を合わせたトウカ。眉を潜めたその表情を見て、シヅキは溜息を吐いた。

 

「都合よく扱いやがってよ」

「ご、ごめん……そんなつもりは……」

「いいって。そうするべきだろうしな。俺が面倒ってだけだ」

 

 自身の後ろ首を摩りながら、シヅキは管理部から届いた情報をトウカに伝えた。コクコクと頷きながら聞いていたトウカが、口元に手を当てながら言う。

 

「やっぱり、獣形(けものがた)は大人数じゃないと難しいよね」

「中央部は獣ばっかだったんだろ。こんな少数での任務は初めてじゃないのか?」

「……うん」

 

 小さく首肯したトウカは背負っている錫杖の柄をギュッと握った。

 

「別に、やることは変わんねーよ。基本的に戦闘は俺がやる。トウカは索敵と魔素の抽出……これを頼む」

「うん」

「トウカから何か言っておくことは?」

「え?」

「俺が全部決める権利はねーだろ」

「そ、そっか……うーん」

 

 今度は顎元に手を添えるトウカ。しばらく考えて、考えて、やがて彼女が口に出した言葉は――

 

「……あまり無理はしないようにしてね」

 

 ギギギギギギギギ

 

 昇降機が大きく軋んだ。地上は近い。ポッカリと空いた穴を見上げながらシヅキは言った。

 

「……互いにやれることをやろう。今日はそれで及第点だろう」

 

 

 

※※※※※

 

 

 

 黒を黒で塗りたくったような闇に覆われた空の下。そこには相も変わらず白濁に染まった森が広がっていた。

 

 オドを出てすぐに飛び込んだそんな景色に、シヅキは辟易(へきえき)の溜息を漏らした。生きていないくせして、かつての自然と同じ形であろうとするこの森のことが、シヅキは嫌いだった。

 

 一方で――

 

「やっぱりすごいな……」

 

 バカみたいに森を見上げながら口をポカンと開けるホロウが一体。やはりこちらにもシヅキは溜息を漏らした。もはや、指摘を遠慮する理由はないだろう。

 

「こんなもの見て何が面白いんだよ」

 

 それを聞いたトウカがやっと顔を下げた。その表情はムッとしている。

 

「こんなに自然の形が残っているんだよ? すごく感動するし、観てて全然飽きないって」

「形だけな。形だけ。所詮生きてなんかいねえ紛いもんだ。くだらねえ」

「くだらないって……」

「もういいだろ。今日の任務は観光か? ……ちげえだろ」

 

 シヅキがそう言うとトウカは口を噤んだ。それを確認したシヅキが淡々と言う。

 

「マークは赤だ。今日の任務はその付近にいる人形(ひとがた)の魔人を浄化して、その魔素を回収することだ。ここまではいいか?」

「うん」

「そうか。じゃあ行こう」

「……あのね、シヅキ」

「んだよ」

「ちょっと言いたいことがあって。その……」

「いいから。話してみろよ」

 

 いつも以上に恐る恐るな様子のトウカ。自身の白銀の髪を触りながら彼女は言った。

 

「昨日は結構危なかったから……シヅキだけでも大丈夫なのかなって……」

「……」

 

 昨日の記憶をシヅキは思い浮かべた。ハッキリと思い出されるソレは……肉薄の距離まで迫ってきた魔人だった。ドゥという独特の鳴き声は未だに脳裏へこびりついて離れない。

 

………………。

 

「いや……」

 

 やがて首を大きく横に振ったシヅキが口を開いた。それはまるで、自分に言い聞かせるように。

 

「あいつは特殊な個人(こたい)だった。毎回、あんな奴とやり合うわけじゃねーよ」

「そうかも、しれないけど……」

 

 未だに心配そうにするトウカを尻目にシヅキは言う。

 

「……まぁ見てろって。俺はそんな(やわ)じゃねーよ。 ……魔人を刈るくらいしか俺に出来ることはねぇんだ」

 

 真っ黒のフードを被ったシヅキは、大きな歩幅で廃れの森を歩いていく。

 

「ま、待って……」

 

 トウカがそんなシヅキの後を追う。魔人刈りが今日もまた始まる……。

 

 

 



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篝火が導く先

 

 浄化型。それはアークに所属するホロウたちに与えられた役職の一つだ。

 

 浄化型がやることは単純だ。かつて世界を席巻したという人間……その末路である存在、魔人を刈る。ただそれだけだ。

 

 しかし、ひたすらに戦闘だけをこなす彼らのことを“それだけしか出来ない存在”として評定してしまうのは(いささ)か早計だ。そもそもの話、浄化型になれるのはその素質があるからな訳で。

 

 シヅキは意識を集中させる。イメージするのは、体内魔素が脈打つ感覚と魔素の流れ……それを操る。操って、放出する――

 

 すると――

 

 ボォ

 

 周りの空気が一遍にくぐもるような音とともに、シヅキの目の前には真っ赤な炎の塊が浮かび上がった。

 

「少し離れろ」

「う、うん……」

 

 トウカが1歩、2歩と後ずさったのを確認した後に、シヅキはその炎を自身から()()()()()。フヨフヨと浮遊する炎。それはまるで意思を持つかのように、シヅキの周りを悠々と回り続ける。

 

「……まさか、篝火(かがりび)は分かるよな?」

 

 シヅキがそう尋ねると、トウカは頬を膨らませながら答えた。

 

「分かるって、それくらいは」

「中央と辺境で環境がちげえんだ。俺の常識とトウカの常識が一致してるわけねーだろ。確認は必要だ」

「……確かに。そうかもだけど」

 

 尻すぼみに声が小さくなっていくトウカを置いて、シヅキは道の先を歩いていく。すぐに後ろから忙しない足音が近づいてきた。

 

 乾いた大地を踏みしめながら移動するシヅキ。先ほどまで周りを回っていた真っ赤な炎は、シヅキよりも1歩か2歩先をフヨフヨと浮かんでいた。まるで、シヅキたちを導かんとばかりに。 ……いや、実際にこの炎は導いているのだ。

 

 ――これをアークでは篝火と称していた。もちろんただの炎ではない。これは()()()()()()炎なのだ。というのもこの炎は魔素で構成されており、いわば“炎”の紛い物に過ぎない。

 

 魔素の塊である篝火。当然魔素を動力に動いているため、外側から魔素が与えることで動かすことが出来る。オド内部にある管理部はこの篝火を操作し、浄化型や抽出型のホロウたちを任意の場所まで移動させる。そのようにして、ホロウを遠隔から導かす媒介装置としての役割を果たすのが篝火なのだ。

 

 ではそもそも篝火とは一体なんなのだろうか? 突如としてシヅキの掌から現れた炎……その答えは至極単純なもので、その正体はシヅキの身体の一部に過ぎない。

 

 浄化型は自身の体内にある魔素操作に優れた者たちだ。身体を構成する魔素を動かすことにより、一時的に身体能力を向上させたり、身体の一部を切り離すことができる。大鎌や篝火がまさにソレだ。文字通り身を削り魔人共を叩く……ソレが浄化型の本質である。

 

 トウカがシヅキの顔を覗き込むようにして言った。

 

「……いつも気になっていたんだけど、篝火を出すのって疲れないの? 自分の魔素からモノを生成する感覚って私には分からなくて」

「別にまぁ。生成してるっつっても所詮は俺の一部だからな。篝火を消したら俺ん中に返ってはくるし、どちらかというと貸している感覚が正しい」

 

 シヅキがそう言うと、トウカの表情が歪んだ。

 

「身体を貸すって……ちょっと、分かんない。なんか怖いな」

「好きでやってんじゃねーよ。慣れだ慣れ」

 

 そうやって篝火を追いかけながら暫く歩き続ける。すると、白濁に染まった木々の連続は相変わらずだが、少しだけ地形に変化が見られるようになった。

 

「根っこが大きくなってる」

 

 足元の木の根を跨ぎながらトウカが呟いた。

 

「根っこというより、樹自体がな。北側は植物の肥大化が顕著だ。道の整備だって間に合ってねーし歩き辛いったらありゃしねえ」

 

 舌打ちをしつつ、シヅキは大木に蹴りをかました。ドンと音が鳴るとともに、白濁の葉が何枚か落ちてきた。

 

「それに……魔素の濃度が」

 

 口元に手を添えるトウカ。さすがに吐きはしないだろうが、シヅキにも彼女の行動が理解できた。

 

 やけに魔素の濃度が高い。身体中がジリジリと逆立つような感覚と意識のブレに襲われる。気を抜いてしまえばその場に倒れ込んでしまいそうだ。 ……そういうわけにもいかないが。当然のことだが、魔素の濃度が高いというのはいつもと状況が違うということだ。

 

――そして、状況が違うということは……

 

「っ……!」

 

 一瞬間、トウカの身体が跳ね上がったかと思うと、彼女は背中に提げていた錫杖を抜いた。

 

「シヅキ!」

「ああ」

 

 彼女が何を言わんとしているのかはすぐに分かった。シヅキもすぐに体内の魔素を脈立たせる。

 

「体内魔素の操作……急速はダメだから。適宜情報は伝えるからゆっくりね……!」

「……わーってるよ」

 

  軽く舌打ちをしつつ、シヅキは頭の先の先にイメージを浮かべる。ソレはいつだって同じだった。

 

「シヅキから見て右方向。数は二人。武装は大剣とダガ……短剣!」

「ああ……こっちも準備できた」

 

 トウカが叫ぶように言ったと同時に、シヅキの武装も完了した。手に握られたのは無骨で、禍々しい……漆黒に染まった大鎌だ。

 

 

 



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牙を剥く大鎌

 

 ブゥゥゥゥゥン…………

 

 魔素のノイズが体内を震わせる。震えは心臓から始まり、そこから各器官に伝播を重ねていく。そして最後には、皮膚を喰いちぎらんとばかりに全身を暴れ回るのだ。……シヅキはこの感覚が大嫌いだった。

 

 しかしそんな震えもずっとは続かない。もうやめてくれ、そう思うほどにノイズが大きくなった時……奴らは姿を現す。

 

「……魔人」

 

 すぐ背後にいるトウカにも聞こえない声量でシヅキは呟いた。

 

「…………」

「…………」

 

 目の前の空間が一瞬間だけ捻れた。白濁の木々とドス黒い空が混ざり合い、澱みきった灰色を浮かべる。そこから這い出るようにして2体の魔人が現れた。

 

 奴らは喋らない。代わりに武器を構えやがる。1体は骨ごと抉りとらんとする巨大な大剣を持つデカブツ。身長は2mあるだろう。もう1体は喉元を掻っ切るためだけに尖った短剣を持つ痩せぎす。シヅキより小柄だ。

 

 言語を用いた交渉なんて、存在しない。あまりにも理不尽な殺意がシヅキをブッ刺す。跡形の理性を失った魔人が闘う理由は果たして何だろうか? そんなものは知ったことではないが……

 

 ――シヅキもそれに応えてやる。

 

「大剣持ちからだ。速攻でやる」

 

 普段よりかなり低いトーンでシヅキは言葉を吐いた。無論これは、裏に居るトウカに向けたものだ。

 

 (おもむろ)にシヅキは武器を構える。空の闇にも負けないほどにドス黒い大鎌。何十、何百の魔人を刈りとった凶器……シヅキはその刃先を魔人共へと向けた。

 

「……殺す」

 

 その言葉と共にシヅキは駆けた。熱暴走を起こしているのではと言わんばかりに熱を帯びた身体。体内の魔素が脈打ち、疾走するシヅキを常識の向こう側へと連れていく。

 

 理性を失い、僅か程度の尊厳すら手放そうとする魔人。しかし、奴らは腐っても人間の末路だ。刃を交わす中で見出される知性は、時折“意表”という言葉を纏い顕現する。 ――ちょうど、以前に対峙した短剣持ちのように。

 

 だから、シヅキは策もなしに突っ込まない。汚らしく、泥臭く、搦手を用いる。彼の常套手段だ。

 

 無骨な大剣を構える魔人。真正面から接近するシヅキは、大鎌の矛先が魔人を捉える瞬間に、

 

 ザクッッッ

 

 ソレを地面へとぶっ刺した。

 

 しかし、それで助走の勢いが殺せるわけが無い。慣性に流されるシヅキの身体は、地面に刺さった大鎌を軸にして空中で弧を描いた。 ……そこから繰り出されたのは、遠心力を利用した渾身の蹴りだ。

 

「ラァ―――!」

 

 構えられた大剣の真横を掠め、シヅキの脚が全長2mはある魔人の頭上へと降りかかる。それは一切の容赦無く、魔人の脳天を直撃した。

 

「ギィィィィィィィィイイイ」

 

 その瞬間、今まで黙りこくっていたデカブツの魔人が声を上げた。頭蓋をひしゃいだ……脚に残る感覚にシヅキは確信を覚えた。痛みを感じないと言われる魔人も、存在(いのち)を危ぶむ大衝撃には怯まざるを得ない。

 無論、シヅキは追撃を仕掛けない。怯んでいるとはいえ、相手は魔人だ。反撃のリスクが高い。それに――

 

「――っ」

 

 痩せぎすの魔人……短剣を構える魔人が、飛びかかるようにシヅキとの距離を詰めてきた。身軽なフットワークながら、その動きはかなり大胆だ。

 

 ――それはそうだ。今、シヅキの手には鎌が握られていないのだから。

 

 デカブツの眼前に倒れる大鎌を横目で見やり、すぐに視線を戻した。痩せぎすとの距離は近い。短剣の射程範囲は目と鼻の先だった。

 

 シヅキは叫ぶ。

 

「トウカ!」

「うん!」

 

 シャン

 

 トウカの返事の後、鈴が揺れる音が辺り一面に響き渡った。ただ地面を杖で叩くだけで、こんなに音が鳴るものかとシヅキは舌を巻く。

 

「ジジジジ……」

 

 その音の後、痩せぎすの動きが完全に止まった。錆び付いた歯車のような声は、苦痛に歪んでいるように聞こえなくもない。当然だ。魔人は己の生命線である、()()()()()()()()()のだから。

 

 痙攣を繰り返す痩せぎす。それを前に、シヅキは自身の右手を胸前に突き出した。そして、心の中で念じる。

 

(来い)

 

 その一言の後、彼の手の中には大鎌が現れた。代わりに、デカブツの手前で倒れていたモノは跡形もなく消えている。

 

 シヅキは大鎌を構えた。その刃先は空を穿かんとする。

 

「ジジジジ……ジジ……ジジジジジ…………」

 

 未だ痙攣の連鎖に囚われ続けている痩せぎすの魔人。(いびつ)で奇怪な声で喚き続ける(それ)に、シヅキは一言こういった。

 

「すまんな」

 

 斜め下方向へと急速に落ちる大鎌。それは振り子のようにぐわんと揺れて、痩せぎすの首を捉えた。

 

ザシュ

 

 シヅキの耳に纏わりついたのは、肉と骨を抉りきった音だった。吐き気を催すゴミみたいな音だった。

 



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眩しい音

 

「ギィィィィ……ギィィィィ……」

 

 甲高い声で喚き続けるデカブツの魔人。その場に膝をつき、全くと言っていいほど動かない。頭蓋がひしゃげたからだ。唯一の武装である大剣すら手から滑り落ちていた。

 

「ギィィィィ………………」

 

 魔人共は皆、その身体に黒色の粒子を纏っている。だから顔とか身体つきとか……そういうものを確認することが出来ない。それに、粒子は人型を形成しているが、輪郭は酷く曖昧だ。だから、魔人と対峙するときには『人間』というより、『化け物』を相手にしている気分になれた。

 

 ――もし、魔人が似非人間(ホロウ)と同じ姿をしていたならば、シヅキは躊躇いなく鎌を振れるだろうか?

 

「ギィィィィィィ……」

「……ああ、止めを刺すよ」

 

 大鎌を振り下ろす。肉と骨を断った。

 

 今日もまた魔人を浄化した。2体浄化(ころ)した。

 

 

 

※※※※※

 

 

 

 抽出型。浄化型と同じく、アークにより与えられた役職だ。主な役割は浄化が終了した魔人から魔素の塊を抽出すること。その魔素を“解読”することで、“ホロウの悲願”は達成に近づく訳だから、結構重要な役割であろう。

 

 無論、その抽出においても素質が問われる。自身の魔素を自在に操れる浄化型に対して、抽出型は誰かの魔素を操ることが出来る。

 

『ジジジジ……』

 

 シヅキの頭の中で、つい先ほど浄化したばかりの魔人が鳴いた。トウカが鈴を鳴らした瞬間、奴はぱったりとその動きを止めたのだ。 ……トウカが、やつの体内魔素を弄ったからだ。

 

「あそこまで、足止めできるものなのか」

「……? シヅキ、どうかした?」

「何でもねーよ。 ……じゃあ浄化の方を頼む」

「うん……シヅキ、怪我は――」

「ねーよ。ねーから」

 

 無傷を証明するように、シヅキがバンザイの格好をとると、トウカはゆっくりと首を縦に振った。

 

「じゃあ、抽出するね。できれば話しかけないでもらえると助かるかも」

「ああ。あそこの木陰にいる」

「うん」

 

 トウカから十数メートルほど離れた白濁の大樹。その下にドカっと座り込んだシヅキは膝の上に頬杖をついた。

 

 向こうには錫杖を構えるトウカと、首の無い魔人が2体……奴らはその存在を終えようとしていた。

 

 魔人は……ホロウだってそうだが、その存在活動(せいめいかつどう)を終えた後、身体は跡形も残らない。その肉体は消失し、唯一魔素のみが空気中に拡散する。空気に希薄して無かったものになるのだ。

 

つい先ほど浄化を終えた魔人共も、5分もあればいとも簡単に消えてしまう。ほんとにあっけなく消えてしまう。シヅキの腕にはまだ肉と骨の感覚が残っているというのに。

 

「ハァ……」

 

 首を前に傾けた後、勢いをつけて後ろに倒した。ドンっと大樹に後頭がぶつかり、鈍い痛みが走る。

 

「……くだんねーこと、考えてんじゃねーよ」

 

 シヅキが思い出したのは先刻に発した自身の言葉だった。

 

『魔人を刈るくらいしか俺に出来ることはねぇんだ』

 

 ……じゃあ、それだけ考えろ。魔人の心理とか、素顔とか、感情とか……それは魔人を刈る時に必要な情報か? 要らない。一切要らない。なら求める必要は無い。そうだろう? 

 

 ……そうだ。トウカの“計画”とやらもそうなのだ。変に勘繰りなんて入れる必要は無い。そういう頭を使うとか、心理を読み解くとか……他の誰かにでも任せればいい。

 

 自分に言い聞かせた後、シヅキは大きく舌打ちした。

 

「監視……ソヨめ。なんで俺なんだよ」

 

 眉間に皺を寄せつつトウカに目をやる。彼女は錫杖を高々と掲げていた。素人目にもそれが抽出が始まる合図だと理解できた。

 

 トウカが杖を持つ手を僅かに振るわせた。すると――

 

シャン シャン シャン シャン シャン シャン

 

 鈴が鳴る。森の中に反響して鈴の音が響き渡る。反響するせいで音が残るくせして、トウカは鈴を鳴らし続けるため、音は何重にも重なる。

 

シャン シャン シャン シャン シャン シャン

 

 綺麗な音だとは思う。どことなく神聖で、気高さ? そんなものをシヅキは感じた。 ……ただ、いつまでもソレを聞いていたいのかと言われれば、シヅキは間違いなく首を振る。

 

 彼は自身の胸を押さえた。真っ黒の外套の上から強く握り締める。それだけじゃ足りなくて、舌を強く噛んだ。ジワジワと血の匂いが広がる。

 

「……なんだこれ」

 

 小さく呟いたシヅキの声は酷く弱々しかった。物理的に痛いわけじゃ無い。身体機能に影響が出ているわけでもない。ただ……胸が一気に締め付けられたような感覚に襲われた。

 

(眩しい……)

 

 決して、音に対して抱く感想ではない。でも、今のシヅキにはこの音をそう形容する他なかった。

 

 

 



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素直じゃない

 

「終わったよ、シヅキ。 ……どうしたの? 眠い?」

 

 額の汗を拭う仕草をしながらトウカが近づいてきた。彼女が手に持つ錫杖、その鈴の部分は淡く緑に光っている。どうやら魔素の抽出は上手くいったみたいだ。

 

「……」

 

 それを普段よりずっと細い目で捉えた後、シヅキは眼を閉じた。

 

「シヅキ……え、ほんとに平気?」

 

 シヅキの眼前にしゃがみ込むトウカ。彼女が心配そうに覗き込む一方で、シヅキは眼を閉じたままだ。

 

「シヅキ?」

「…………」

「……シヅキ?」

「…………」

「えい」

 

 呼吸が止められる感覚に、シヅキはその眼を大きく見開いた。見ると、トウカの小さな手がすぐ傍にある。 ……傍というか、ゼロ距離。鼻を摘まれているのだが。

 

「あ、起き……いてっ!」

「……てめぇ何やってんだよ」

 

 軽く指を弾いてトウカの額を小突くと、トウカは大袈裟に押さえ込んだ。

 

「だって、身体に異常もないのに起きないから……」

「自分で言ってたろ? 眠いのってよ」

「言ったけど! 言ったけど、ここで眠るのはどうなの……」

「……ちょっとそういう気分だっただけだ」

「き、気分で寝ないでよ」

 

 未だに額を抑えているトウカを余所にシヅキは立ち上がった。小さく息を吸って、吐く。 ……胸の締めつけはもう無くなっていた。

 

(何だったんだ、あれ)

 

 そんな疑問が頭の中に浮かんだが、シヅキはそれを振り払うように首を振った。今はこの疑問に固執する時では無いだろう。

 

 外套についた皺を伸ばしながらシヅキは言った。

 

「ここでの刈りは終わりだ。篝火の指示に従うが……トウカは動けるか?」

「……痛い」

 

 不貞腐れた声で呟くトウカ。

 

「そんな強く弾いてねーだろ」

「……釈然としないんだけど」

 

 トウカは琥珀の眼を細めながらシヅキを見上げた。その顔は「謝ってくれ」と言っている。まるで分かりやすかった。

 

(随分とまぁ、表情を出すようになったものだ)

 

 自身を取り繕っていたことを差し引いても、昨日の面の皮の厚さに比べればトウカはかなり砕けたように思う。別にそれが悪いことだとは思えない。シヅキからしてみても、へんに気を遣われるよりよっぽどマシだった。

 

「ハァ」

 

 小さく溜息を吐いた後にシヅキは言う。

 

「……悪かった。次からしねーようにする」

「ん、分かった!」

 

 シヅキの言葉を聞いたトウカは、何事もなかったかのように勢いよく立ち上がった。

 

「じゃあ次の場所に移動……だね」

 

 得意げに笑ってみせるトウカ。してやったりの表情を前に、シヅキは眉間に皺を寄せた。

 

「撤回するか」

「え」

 

 

 

※※※※※

 

 

 

 真っ赤に炎を灯す篝火。本物の“炎”とは異なり、全く熱くもないソレの後を追いシヅキとトウカは白濁の森の中を歩いていく。

 

 膝下まである木の根を跨いだところで、すぐ後ろを歩くトウカが呟いた。

 

「さっきまでよりも樹が大きくなってる……」

「……俺も、ここまでは久々に来たな」

「シヅキでもそうなの?」

「この辺りは魔人の数が結構多いんだよ。単独だとな、多少荷が重いんだ」

「え……それ」

 

 不安げに辺りを見渡すトウカ。無論、シヅキも警戒は怠ってはいなかった。

 

「……多分、今は大丈夫だけどな。魔素の濃度だって下がっている。こういう時は魔人は出づらい」

「でも、ゼロじゃないから……」

「出たら出たで刈るだけだ。むしろ、雑務型のホロウ共はそれが目的で俺たちを寄越してるだろ」

 

 後続のシヅキとトウカをお構いなしに篝火は前を進んでいく。

 

「シヅキ……ちょっと消耗してるから、できれば慎重に行きたい」

「あ? 俺は訊いたぞ。動けるかってな。トウカお前、行けるっつってたじゃねーか」

「そうだけど……」

 

 ギュッと錫杖を握りしめるトウカ。どこか煮えきらない態度のトウカを見てシヅキは小さく溜息を吐いた。

 

 怖気づいた……とまでは言わない。ただ、トウカが臆病な性格だということは、ほんの短い付き合いだが十分に分かっていた。後はまぁ、経験が無い極少数の任務ということもあるかもしれない。

 

(面倒だ)

 

 シヅキ1体なら何も躊躇うことはないのに。現れた魔人共を大鎌で打尽するだけだ。そこで傷つこうが、腕の1本を失おうが……浄化型としての責務を果たせたのなら及第点だろう。

 

 シヅキはゆっくりと振り返った。

 

「な、なに?」

 

 トウカと眼が合う。琥珀色の綺麗な眼だ。だからどうしたって話だが……ああ。

 

 シヅキは眼を伏せて言った。

 

「……少しルートを外れるが、この辺りに拓けた土地がある。起伏も少ねえ丘だ。完全に安全地帯ってわけでもねーが、森の中よりは身を休められる筈だ」

 

 最後にハァと大きく息を吐いたシヅキ。彼は意味もなく自身の後ろ首を右手で掴んだ。

 

「シヅキ」

「んだよ」

「ありがとね」

「……行くぞ」

 

 篝火を身体に戻したシヅキ。彼の歩幅は先ほどよりも少し広がっていた。

 



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理想論

 廃れの森はバカみたいに広い。それは、20年弱という期間を森に囲まれた施設で存在してきたシヅキが、全貌を知らないほどには。

 

 しかしながらそんな森においても……いや、そんな森だからこそ、身を休められるような地形の存在がホロウ間では周知されていた。

 

「この先だ」

 

 無数の枝葉を伸ばす白濁の木々。その間をスルリと抜けながら、シヅキとトウカは歩いていく。

 

「シヅキ、あれ……」

 

 後ろのトウカが何かに気づいたような声を挙げた。彼女を一瞥すると、その視線はずっと前方を見据えている。

 

「……ああ。あそこだ」

 

 先ほどまでの真っ白の大樹の連続とは異なり、ずっと前方には闇に覆われた空がその顔を覗かせていた。

 

「廃れの森の中には、ああいう何も木が生えてねえ空間ってのがいくつか存在する。理由は知んねーけどよ。なんかあった時の避難場所みたいなものだ」

 

 俺は殆ど使わねーけどな、と最後に付け足したシヅキ。瞬間、彼は魔素のノイズに変化を感じた。

 

 魔素のノイズは、魔人の出現でのみ変わるものではない。むしろ刻一刻とブレを生じさせている。そんなブレが絶え間なく起き続けている時こそが平常状態なのだ。

 

 しかし、シヅキたちが拓けた土地へと近づくと、一切ノイズのブレが無くなってしまった。不気味なほどの“静寂”……これにはトウカの脚が一瞬止まった。

 

「平気だ。ここの平常がコレなんだよ」

「……うん」

 

 森の出口まで足を進めると、視界の闇が酷く大きくなってくる。やがて、空の黒が真っ白の木々を覆い尽くさんとばかりに大きくなった時……その土地は全貌を露わにした。

 

 

 ――大きく心を揺さぶられる不思議な土地だった。

 

 

 真っ黒な空の下、白濁の木々に囲まれる拓けた土地。そこは少々の傾斜がある丘だった。見上げた丘の頂上には1本の樹がポツンと生えている。複雑に枝を伸ばし、無数の葉を纏った大きな樹だ。星だって、月だって……一切の灯りがないくせに、その樹は酷く目立っている。どうしたって眼が惹きつけられてしまうのだ。

 

 そんな樹の元へ(いざな)うかのように、丘には無数の花が咲いていた。花びらが大きなもの、小さなもの、背が高いもの、低いもの、寄り添い合うもの、ポツンと一輪……形も、大きさも、在り方も様々な花々。遥か遠くまで花は群生をしている。

 

「……」

 

 思わずシヅキは息を呑んだ。そうか……まともに訪れたのはかなり久々だが、ここはこんなにも…………

 

「シヅキ」

 

 茫然とそこに立ち尽くしていたシヅキは、自身を呼ぶ声で我へ帰った。

 

「どうした、トウ……え」

「すごいね……ここ」

 

 シヅキは思わず言葉を詰まらせた。隣に居るトウカを見て驚いたからだ。

 

「トウカ、お前……」

「え……?」

 

 大きく見開かれた琥珀色の瞳。その眼は透き通っていた。涙で濡れて透き通っていた。一度でも瞬きをしたら溢れてしまいそうなほどに。

 

「や、やだ……私……」

 

 自身が泣いていることに気づいたトウカは、溢れてくる涙を両手で拭おうとした。しかし、ボロボロとこぼれ落ちる雫は、そんなトウカの手を伝い地面へと落ちていく。目下の花びらが雫を受け、揺れた。

 

 やがてその場にしゃがみ込んでしまった彼女。その肩は、その背中は細かく震えている。絶え間なく聞こえる嗚咽だけが、闇空のもとを響き渡る。

 

「えっ……と」

 

 無論、普段から交友関係が少ないシヅキにはどうすることも出来ず、ただただ立ち尽くす他なかった。

 

 

 

※※※※※

 

 

 

 緩やかな丘をシヅキとトウカは登っていく。

 

 灰色の花々を踏みしめながら足を進めていくにつれて、丘の頂上にある樹が大きくなってきた。もしかしたらここまで来るのは初めてかもしれない……とシヅキは自身の記憶を振り返りつつ思う。

 

「……シヅキ、ありがとね。私のお願いを聞いてくれて」

 

 すぐ傍を歩くトウカが言った。

 

 お願いというのは、泣き止んだトウカが言ったものだった。曰く、丘の頂上まで行ってみたいと。吸い込まれてしまいそうな琥珀色の瞳を前に、シヅキは首を縦に振らざるを得なかった。案の定。

 

「……ああ」

 

 都合良く扱われることに慣れているシヅキは、半ば諦めの返事をした。

 

 やがて2体は頂上まで辿り着いた。そこから観える景色を一望する。

 

 とは言っても先ほど見た景色と何かが変わるわけではない。灰色の花々の群生と、その先には白濁した木々。頭上に広がるのは黒を黒で塗りつぶした空だ。 ……トウカはこの景色に何を思ったのだろうか? 何を思い、涙を流したのだろうか?

 

「ねぇ、シヅキ」

 

 しばらく無言で景色を眺めていたトウカがシヅキを呼んだ。今度は泣いてなんかいない。

 

「あのね、私思うんだけどね……えっと」

「……なんだよ」

「うん。あのね……変な話かもしれないんだけど」

 

 トウカは回り込んできて、シヅキの正面に立った。彼女は1つ深呼吸をした後にこんなことを言ったのだ。

 

 

「もし……世界が命を取り戻して……遙か昔のように生命が芽吹くようになったらね……ここから観える景色はきっと……すごく、すごく綺麗だと思うんだ」

 

 その口角を上げて、琥珀の瞳を輝かせて、そんなことを言ってみせたトウカ。一方でシヅキは何かを言うことはなかった。

 

 

 命を取り戻す……

 

 命を取り戻す、か。

 

 そうか。

 

 トウカはこの景色を観てそんな理想論を思っていたのか。

 



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募る苛立ち

 結局その後、魔人と対峙することはなかった。

 

 真っ赤に染まっていた篝火の炎はすっかり色を褪せ、真っ黒に変貌してしまっていた。シヅキは何も操作をしていない。これは、管理部からの通達を意味していた。「戻ってこい」と。

 

 丘を抜け、白濁の森の中を帰る。大股で黙々と歩くシヅキ。その一方で、トウカの足取りは落ち着きがないように思われた。左右に揺れたり、立ち止まったり、突然速くなったり……まるで浮かれているようで。

 

 それを見て、シヅキは真っ黒のフードの奥で顔を歪ませた。喉の奥でくつくつと笑う。

 

 

 ――やがて彼らはオドに辿り着いた。昨日と同じ手順で昇降機を動かし、シヅキとトウカはそれに乗り込んだ。

 

 ギギギと軋んだ昇降機が大きく揺れ動き始める。

 

「お疲れさま、シヅキ」

 

 昇降機の端で意味もなく底を見下ろしていたシヅキ。そんな彼に、トウカは優しげに声をかけた。

 

「ああ」

「無事に帰ってこれて、よかったね」

「ああ」

「私……こんな少人数の任務って経験がないからちょっと緊張してたの。でも……上手く出来て良かった」

「ああ」

「シヅキも怪我がなくて良かった……魔素の活性化も、今日は身体に負担があまりなさそうだったから、安心した」

「……ああ」

「あと、あの丘の――」

「……おい」

 

 饒舌に喋るトウカを遮ったシヅキの声は、自身でも驚くほどに冷たかった。

 

「…………疲れてんだよ。ちょっと黙っててくれ」

「え……あ、ご、ごめん」

 

 真っ黒のフードの奥から覗くようにシヅキはトウカを見た。その表情は悲しみというより困惑だ。それを見てシヅキは小さく舌打ちをした。

 

「……シヅキ、帰り道でずっと黙ってたけど、もしかして……機嫌……悪い?」

「……別に。いつも通りだろ」

「そう……」

「ハァ」

 

 隠すこともなくシヅキは大きく溜息を吐いた。 ……昇降機に重い沈黙が漂う。

 

「…………」

 

 何も話すことなく、頬杖をつくシヅキ。彼の頭の中には一つの光景が思い出されていた。つい先ほどのことだ。

 

 

『もし……世界が命を取り戻して……遙か昔のように生命が芽吹くようになったらね……ここから観える景色はきっと……すごく、すごく綺麗だと思うんだ』

 

 

(くだんねえ。本当にくだんねえよ)

 

 シヅキは苛立っていた。何故なのか……それはシヅキ自身も分からなかった。とにかく、あんなセリフを言ったトウカのことが気に食わなかったのだ。

 

 ギギギギギギギギ

 

 やがて昇降機が軋んだ。甲高い歯車の音がやけに耳に残ってしょうがない。

 

 

 

※※※※※

 

 

 

 昇降機を降りたシヅキとトウカを迎えたのは1体のホロウだった。

 

「おかえり〜シヅキ、トウカさん」

 

 その右手をひらひらと振りながら笑みを浮かべるソヨ。シヅキにとっては、今現在会いたくない相手だった。

 

「……ああ」

「た、ただいま……帰りました」

 

 2体の態度を前に、ソヨはその眼を細めた。

 

「なんでシヅキ、そんな機嫌悪いの?」

「……別に、悪くねーよ」

「うっそだ〜めちゃめちゃ悪いじゃん」

「悪くねーっつーの」

 

 その腕を前に組み、目線を逸らしまくるシヅキ。ソヨは怪訝な表情を浮かべた。

 

「……トウカさん、シヅキと何かありましたか?」

「え……いやぁ…………」

「……」

 

 ソヨは首を傾げる他なかった。

 

「まぁ、何はともあれ2体とも無事で良かったわ。今日は負傷もないのね」

「ええ。そう、ですね」

「うん。じゃあ今日はもう身体を休めて……と言いたかったんだけどね」

「……あ?」

「ちょっとそういう訳にもいかなくてね」

「……何か、用事があるんですか?」

 

 トウカが恐る恐るの口調で聞くと、ソヨはコクリと頷いた。その表情は先ほどまでより少し引き締まっている。

 

「コクヨさんからオドのホロウ全体に話があるのよ。悪いんだけど、すぐに着替えてまた戻ってきてくれないかしら」

「コク……ヨ?」

「あーそうでしたね。トウカさんは会ったことなかったですものね」

 

 ソヨが簡単にコクヨというホロウについて説明すると、トウカは「なる、ほど」と一言。

 

「シヅキも参加ね」

「……ああ」

「それまでにちゃーんと機嫌を直しておくんだよ?」

「だから俺は――」

「あーじゃあ私はお仕事あるから。詳細は後で通心するね」

 

 捲し立てるようにそう言うと、ソヨはそそくさとロビーの奥まで引っ込んでいってしまった。

 

「あの女……」

「えっと、シヅキ」

 

 振り向くとそこには上目遣いで見るトウカの姿が。まるでそれは顔色を窺っているようだった。

 

「……なんだよ」

「えっと……私のせいだったら、ごめん。機嫌悪いの。でも……理由が分からなくて」

「…………」

 

 頬をポリポリと掻きながら謝罪の言葉を口にしたトウカ。本当に恐る恐るの口調だ。分からないから、少しだけ触れて感色を確かめようとしているようで。

 

 しかし、そんな態度を取られると、余計にムキになってしまうのがシヅキというホロウだった。

 

「何でもねーよ。トウカには……お前には分かんねーよ」

「……どういう、こと?」

「……叶わねえ夢を見ようとして、虚しくなんねぇのか?」

「夢……? ねえ、シヅキ、はっきりと――」

「俺は部屋帰る。一度着替えたいからな」

 

 トウカの返事も待たず、地下階層へと向かうシヅキ。トウカは何度も制止の声をかけたが、ついにシヅキは振り返ることはなかった。

 



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大ホールにて

 

 部屋で着替えを済ました後にシヅキが向かったのは大ホールと呼ばれる場所だった。

 

 ロビー奥に設けられており、その名の通りかなり広い部屋だ。オドに所属するホロウ全員が集まったとしてもスペース的な余裕がある程度には広い。

 

 更に言えば、この部屋は横のみにならず縦……つまり頭上にも広かった。ロビーよりも高い吹き抜けとなっており、少し声を出すだけでもかなり反響する。よって、ホロウ全体への話がある時などにはよく使われる部屋だった。

 

 深くフードを被ったシヅキは例の如く、その奥からキョロキョロと周りを観た。

 

(……ほぼ全員だな)

 

 何十という規模のホロウたちがそこには居た。ホールの中央部で立つ彼らは、特に騒ぐ様子なく、だからって黙っているわけでもない。仲のいい奴らでつるみ合って、小さく談笑していた。

 

 一方でシヅキは中央部には向かわずに、ホール隅の壁へと向かう。そこに背中をドンと押しやり、腕組みをした。そして眼を瞑る。彼は誰かと話すことなく、ただその時をじっと待っていた。 ――何故なのか? 彼には仲のいいホロウが極端に少ないからである。

 

(早く始んねえか)

 

 心の中でシヅキは吐いた。

 

 その矢先、ホールの入り口付近が少々騒がしくなっていることに気がついた。談笑の類とは別の……何というか、ヒソヒソと隠すような声だ。

 

 壁に沿うようにホールを移動する。入り口に眼を向けたシヅキの口から「あ」と声が漏れた。

 

「あいつ……」

 

 その両手に細長い棒を持つホロウが1体。誰かを探しているのか、それともホールを見渡しているのか、キョロキョロと首を動かしていた。その度に印象的な白銀の長い髪が靡く。

 

 シヅキは、その大きな琥珀の瞳に見つからないようにフードを更に深く被った。そして小さく舌打ちをする。

 

 ロビーでほぼ無視するかのようにトウカと別れたシヅキ。その後は何の接触もしようとはせず……というよりトウカと会うことを避けていた。 ……何となく、今の自分自身が話すべきではないと思ったからだ。

 

「ねぇ、あんな子……オドにいたっけ?」

「さあ? 知らない顔だ」

「何型かな?」

「杖持ってるし、抽出じゃないだろうか? つーか大ホールは武装禁止のはずなんだがな」

 

 近くにいた2体のホロウたちの会話がシヅキの耳に入ってくる。見ると、彼らの表情には困惑が宿っていた。悪く言えば、異物を眼にした時のアレだ。

 

「…………」

 

 改めて、入り口付近を見る。周りのホロウはトウカに話しかけるわけでもなく、だからと言って完全に無視するわけでもない。遠巻きにその様子を眺めるだけだ。そのトウカと言えば、相も変わらず入り口からは動いていない。ただずっと……何かを捜すようで。

 

 シヅキは自身の頭を掻いた。強く、強く掻いた。酷い居心地の悪さが彼の中に渦巻いていた。

 

(バカめ……ほんと。何を拘ってんだよ)

 

 徐に眼を閉じ、でもすぐに開いた。腹の中でゴロゴロと蠢く感情はどうしたことか? すっぽり収まるスペースなんて有りやしない。ズキズキと心がトゲなんかに刺される感覚に襲われる。

 

「怠いな」

 

 鋭く息を吐きながらシヅキは呟いた。その脚を動かそうとする……その時だった。

 

「只今より、新地開拓大隊の隊長を務めたコクヨによる話を始める! 皆、ホール中央に集まるように!」

 

 ホール奥の壇上になっているスペースから、1体のホロウが大きな声でそう言った。あのホロウは見たことがあった。コクヨとの関わりが深い奴だ。

 

 流石にそのように声をかけられてしまえば、指示に従わざるを得なかった。周りのホロウ共だって一切の私語をすることなく、黙って中央へと歩いていく。

 

 シヅキは眉間に皺を寄せた後に、ハァと溜息を吐いた。当然その脚は入り口とは異なる方向へと向かう。

 

 間も無くして、ホールの中央部には数十というホロウが集まった。それを確認した後、壇上の眼鏡をかけたホロウが言う。

 

「急な呼び出しにも関わらず、迅速に集まってくれたことに感謝する! 本日は、昨日の新地開拓に関して、隊長を務めたコクヨより話がある。心して聞くように! ……では」

 

 鋭利な声色でホロウたちに呼びかけた眼鏡。彼が壇上から退くと、すぐに別のホロウが歩いてきた。長い黒髪を後ろで一括りにした、眼帯のホロウ……彼女は小さく咳払いをした後にその口を開いた。

 

「昨日まで新地開拓大隊を率いていたコクヨだ。久方の者も多いな。直接は新地開拓に携わっていない者も多いだろうが、どうか心して聞いてほしい」

 

 淡々と述べるコクヨ。その漆黒の瞳からはどのような感情なのかが掴めない。シヅキには、彼女がホロウを見渡しているようにも、あるいは虚空を見ているかのようにも見えた。

 

 ――そんなボヤけた雰囲気だからこそ次に続くコクヨの言葉は、より衝撃的だった。

 

 一息吐いてコクヨは言う。淡々と言う。

 

 

「まずは単刀直入に言おう。魔素の多量流出により3体のホロウが消滅した(死んだ)。 ……魔人にやられた」

 

 



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“絶望”

 

 コクヨの言葉の後、ホール内は一時ザワついた。節々からホロウ達は声を上がる。

 

「また消滅したのか……」

「相手は誰だ? 獣形だろうか?」

「魔素の多量流出ね…………」

「ただでさえホロウの数が足りないのによ」

「でも魔素の抽出は上手くいったのだろう? なら……」

 

 シヅキはフードの中で軽く舌打ちをした。

 

(うるせーな)

 

 流石に声には出さなかったが、どうやらシヅキと同じことを思っていた者がいたらしい。

 

「静粛に、静粛にしろ! 話の腰を折るな」

 

 先程のメガネをかけたホロウが、偉そうに腕を組みながら言った。ザワつきはすぐに収まっていく。

 

 すっかり静寂に包まれた後、コクヨは一つ頷きこう続けた。

 

「……話の続きだ。昨日、新地開拓の大隊は不侵領域に設定されている“棺の滝”へと出向いた。目的は新たな魔人の捜索と、ホロウの活動範囲の拡大のためだ。だが皆も知っての通り、不侵領域に設定されている地域は特に魔素が濃い。つまり、強力な魔人の数が多いということだ」

 

 シヅキは昨日のコクヨの言葉を思い浮かべた。 ……そうだ、コクヨが率いる大隊は獣形と戦ったのだ。

 

 彼女は話を続ける。

 

「我々は計3人の獣形と会い(まみ)えた。1人は四足歩行で動き、大きな牙を持つ魔人。1人は人形と同様の二足歩行だが、全身を毛で覆った魔人」

 

 それぞれの姿を、シヅキは思い浮かべてみた。確か古い文献でそのような形状の生き物の存在を見たことがある。何だったか……その名前が出てこない。

 

(どうでもいいか)

 

「そして……」

 

 コクヨは軽く息を吸い、ゆっくりと話す。

 

「もう1人は……脚が無かった。手も、顔も無かった。かつての人間や我々ホロウ達とは似ても似つかない姿をしていた。全身を支える太い脚部のような器官と、細く(しな)う腕部のような器官。顔部は肥大化を繰り返した結果なのか、まるで膨張をしていた。我々は……ワタシの大隊に居た3体は、その魔人にやられた」

 

(昨日の……ヒソラの元へ運ばれていた奴か)

 

 医務室から出た直後のシヅキは、担架を担ぎ、焦燥に塗れたホロウ達とすれ違った。あいつは間に合わなかったのか。それに、2体はもう……運ばれることすらなかったのか。

 

 コクヨは話を続ける。シヅキの心情など考える筈がなく話を続ける。

 

「今の説明で、皆も気づいたろう。我々が対峙したのは……魔人の中でも最も危険性が高い、植物と成った者だった」

 

 “植物” ……コクヨが発したその単語を、周りのホロウは微かな声で反芻した。

 

 人間の末路……魔人。彼らは皆が同じような姿をしている訳ではない。体格や武装の差はもちろん、人という形状すら放棄した者もいる始末だ。そんな彼らのことは“獣形”と一括りに呼ばれていた。

 

 では獣形が皆共通した姿をしているのかと言われれば、そう言う訳ではない。そもそも“獣”という、広範の生物を内包する言葉を彼らに当てはめているのは、その姿が十人十色だからだ。移動する際の脚の本数、体の器官が存在する位置、有している知能……その違いは多岐に渡る。

 

 そんな獣形の魔人の中で、最も殺傷力に優れている者……平たく言えば、最強と謳われる者こそが植物の形をした魔人だった。

 

「そうだ。過去に幾多のホロウを葬ったとされる植物形状の魔人。我々はソレに対峙し、戦い、痛手を負い、撤退を余儀なくされた。未だソレは存在をしている。棺の滝付近を徘徊しているだろうな」

 

 淡々と、本当に淡々と話すコクヨ。そうやって事実だけを簡潔に伝えるからこそ、現実味が強い。

 

(昨日俺と話したコクヨは……植物形状の魔人と戦った直後だったか)

 

 珍しくコクヨが笑ったあの記録(きおく)を思い出した。あの笑みは……どうだったか。心の底から笑っていたのだろうか。

 

(何にせよ……エグいのが出やがったな)

 

 シヅキは上歯と下歯を噛み合わせた。ギギと軋むほどに噛み合わせた。

 

「今回、緊急でホロウたちを集めた主な理由は、先ほどの通りだ。万が一の話だが、廃れの森等の地域で植物形状の魔人と出会った時はすぐに管理部に連絡。そして、逃げろ。徹底を頼む。 ……我々は、植物形状の魔人を“絶望”と呼ぶことにした」

 

(絶、望)

 

 イカれてる名前だ。

 

「絶望……」

「辺境の地で……植物形状が……」

「これは、なかなか……」

 

 案の定、ホロウ達の口からはそのような言葉が漏れた。彼らの表情は不安、困惑、恐怖のうち一つ、あるいは全てだ。

 

 すっかりホールの中の雰囲気は負に押し潰されていた。それこそ、絶望と形容できるような雰囲気だ。

 

 そんな中でシヅキは一つの未来を想像した。最悪の未来だ。

 

(もし……“絶望”に見つかったら。戦うことを余儀なくされたら……俺は消滅するのだろうな。跡形もなく、身体を失うのだろうな)

 

 シヅキは眼を閉じた。それはまるで、何もかもを拒絶するかのように。

 



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ホロウの悲願

 

「何も、悲観するだけの話ではないだろう」

 

 すっかりと落ち込んだ空気の中、そのように切り出したのは、他でもないコクヨだった。

 

 眼帯で隠れていない左眼でホール内のホロウ全体を見渡して、彼女は言う。

 

「魔人は、強大であればあるほど有する魔素は質が高い。つまり、“絶望”を穿(うが)ちさえすればそれ相応の対価を得られるということだ」

 

 コクヨは徐にその指を動かし、やがて1体のホロウを差した。

 

「そこのお前。なぜ我々ホロウは、人間の末路である……魔人に刃を向ける?」

「そ……それは……」

 

 完全に怯んだそのホロウ。しかし、彼はぎこちなくだが言葉を紡いだ。

 

「それは……人間を復活へと導くため、です」

「そうだ。悪いな急に」

 

 コクヨがその腕を下ろすと、男性ホロウは胸を撫で下ろした。

 

「我々は、かつて世界を生きた人間を復活させるために活動するホロウの集団、アークだ。そのために、ホロウが持つ能力を最大限に発揮しているな」

 

 再びコクヨは指を動かした。次に差されたのは、シヅキの隣に居たホロウだ。

 

「そこのお前。アークの中のホロウはどう分類される?」

「ま、魔人を倒す浄化型と魔素を回収する抽出型……そして、回収された魔素の持つ様々な情報を理解可能にする解読型……です」

「もう1つあるだろう?」

 

 やけにコクヨの声は冷たく聞こえた。

 

 指差されたホロウは、その顎を震わせながら返答する。

 

「そ、そんなホロウたちをサポートする……雑務型です」

「そうだな。我々は大別して4つの役職を軸に動いている。そして――」

 

 今度は指を下ろすことなく、別のホロウを差した。コクヨは問いかける。

 

「何故、魔素を操作する行為が人間の復活へと繋がる?」

「……それは」

 

 差された指の先を見据えて、シヅキは答えた。

 

「魔素という存在が持つ性質にあります。魔素は、()()()()()()()()()()()()()()()。つまり、かつての人間が有していた記憶……それが魔素の中には吹き込まれているということです。魔素が有す記憶を読み解くことにより、俺たちホロウは生きていた頃の人間が有した記憶を得ることが出来ます」

 

 シヅキは一度、口内にたまった唾液を飲んだ。

 

「魔素は記憶の内外出力のみならず、“可視化”と“形成”を行える。つまり、物質の形を作ることが出来ます。俺たちは……ホロウの身体はその賜物(たまもの)です。辛うじて()()()()()人間が存在した生命末期の時代に、ホロウは、人間の手により魔素から創造されました。 ……人間の代替として」

「話がずれているな」

「あぁ、すみません。 ……現在のホロウは魔素が持つ“形成”の性質を利用し、人間そのものの創造を目指しています。しかし、ホロウの身体が魔素のみで出来ている一方で、人間はそうじゃない。だからホロウは今、()()()()()()()()()()()()()()()()

「もういいだろう」

 

 シヅキがそこまで言ったところで、コクヨは話を打ち切った。

 

「十分すぎる答えだ。ありがとう、シヅキ」

「あぁ……はい」

 

 まさか名指しでお礼されるとは思わず、シヅキは一瞬たじろいだ。

 

「そうだ。先ほど説明があったように我々は今、魔素から魔素以外のものを“形成”しようとしている。炭素、水、塩……他にもあるが、かつての人間を構成したそれらの物質を造り出そうとしているのだ」

 

 コクヨの言葉に対して、ホール内のホロウが一斉に頷いた。

 

「人間の創造へ活用する……そのために、我々ホロウは質の良い魔素を必要としている。しかし、空気中を漂う魔素は空気に希薄、或いは他の魔素と混合し煩雑に絡み合っている。つまり、それ以上に“形成”の仕様がないということだ」

 

 コクヨは再び指を動かした。1体のホロウがその餌食となる。

 

「これで最後だ。お前に問おう。では、どのようにして“形成”が可能な魔素を回収する?」

 

 指の方向はシヅキから少しだけ逸れた箇所だ。具体的には、シヅキの1つか2つ奥……

 

「ま……魔人は――」

 

 その声を聞いて、シヅキの口が「あ」の形に歪んだ。

 

(よりによって、トウカかよ)

 

「魔人は……人間の身体が魔素を取り込んでしまい、歪みきった存在……です。だ、だから……人間を形成するために最も有力な記憶を持っています! だから……いや、それに? それに、魔人を形成する魔素はこ、固体です。よって、空気に希薄していることも……あ、ありません!」

 

 常時上擦りの声で、どもりまくったトウカ。シヅキの口からは思わず「うわ」と漏れ出た。

 

「……ああ。そうだな。ありがとう」

 

 しかしながらコクヨはそのことを気にする素振りすら見せず、ただ一つそう返した。

 

「先ほどまでワタシが尋ねたことは全て、アーク内のホロウで共有されている常識だった。何も、君たちが本当に理解しているのかを試したつもりはない。ただ、改めて思い返して欲しかっただけだ」

 

 言い切った後、鋭く息を吐いたコクヨ。彼女は再び指を動かした。しかし、それはホール内のホロウへ向くことなく、頭上へと差し出される。

 

 間も無くして、彼女が伸ばした手には一本の刀が造られた。体内の魔素から行われた剣の生成だ。

 

 長物(ながもの)の剣をホロウに突きつけながら、コクヨは言う。

 

「我々ホロウの目的は何だったか……それは、人間の復活を目指すことだ。そのために我々は、かつての人間であった魔人に刃を向ける。魔素を回収し、人間の復活へとにじり寄るのだ。その為であれば、己が存在など惜しくはない。全ては人間の為に……我々は全てを差し出すだけの覚悟がある。そうだろう!」

 

 コクヨの声は大ホール内にこれでもかと響き渡る。腹の内側から響く、力強い声だ。

 

 ホール内のホロウもそれに負けないように、「はい!」と返事した。

 

「我々ホロウの存在意義は! ホロウの為にある筈がない! 全ては、創造主たる人間の為だ! それが達成されるならば、後はどうでもいい筈だ! 人間の復活こそが“ホロウの悲願”なのだから!」

 

 再びホール内に「はい!」という返事が響き渡る。シヅキも便乗して言う中で、彼の意識は他のところにあった。

 

(ホロウの悲願……)

 

 口内で反芻したコクヨの言葉。シヅキはそれを飲み込もうとした。しかし、どうもつっかえてしまう。唾液と一緒にして、強引に飲み込んだ。

 

(……そうだ。ホロウの悲願。それだけ考えろよ)

 

 浄化した魔人の姿を頭に浮かべながら、シヅキはそう思った。



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嘘だよね?

 

 コクヨの話が終わり、解散となった。

 

 続々とホール出口へと向かうホロウたち。シヅキもその中に幽霊のように紛れ込んでいたが……

 

「シヅキさん」

 

 その声がハッキリと聞こえてしまった。ほとんど反射的に首を向けると、琥珀色の瞳と眼があってしまう。

 

「……トウカ」

「少しだけ、お話宜しいですか?」

 

 ぎこちない言葉遣いとともにトウカはそう言った。 ……周りからは多くの眼を感じる。見知らぬホロウが一匹狼(シヅキ)なんかに話しかけているからだろう。遠慮のない周囲の視線がシヅキを刺していた。

 

(狙って話しかけたか?)

 

 このタイミングであれば、シヅキは対応せざるを得ないとでも考えたのかもしれない。 ……いや、そこまで頭が回るだろうか? 何にせよ、ぞんざいに扱えないことは確かだった。

 

「……ああ」

 

 

 

※※※※※

 

 

 

 トウカというホロウは変に目立ってしまう。白銀色なんて髪色は珍しいし、身長が低いくせして長物の武装をしているのだから。シヅキも周りからジロジロと見られ続けることは、当然本望では無かった。

 

「よいしょっと……」

 

 変な掛け声とともに、トウカがベッドへと腰掛ける。誰のベッドか? ……シヅキのものだ。

 

「ハァ」

 

 小さく溜息を吐いたシヅキ。結局のところ、話し合いの場としてシヅキの部屋がちょうどいい落とし所となってしまった。

 

「ごめん、シヅキ。今日もお部屋借りちゃって……」

「別に。 ……で、話って何だよ」

 

 早速シヅキがそう切り出すと、トウカは「うん」と頷きつつ俯いてしまった。暫くそうした後にゆっくりと顔を上げる。

 

「その……しつこいかもしれないんだけど、やっぱり気になっちゃって。今日の任務が終わった辺りから……シヅキ、あんまり機嫌が良くないかなっ……て」

「……」

「そのっ! やっぱりチームだから……こういう問題はちゃんとした方がいいかなって……」

 

 尻すぼみに小さくなっていくトウカの声。何となく、そこに恐怖感を抱いていることを感じとった。……だからこそシヅキはズキズキと心が痛む感覚に襲われるのだが。言い換えればそれは罪悪感だ。

 

「……」

 

 トウカからしてみれば、たまったものではないか。気がつくと隣のホロウは勝手にツンケンとしていたのだから。自分に落ち度なんて考えられない訳で。 ……そうだ。俺は丘の上でトウカが放った発言……それに感じた漠然とした気に食わなさをずっと引き摺っているのだ。

 

(なんて幼稚なんだ、ほんと)

 

 自身に対して大きく溜息を吐いたシヅキ。出来るだけ口調柔らかに言葉を紡ごうとする……

 

「いや、俺は――」

 

 その時だった。シヅキの中にジワリとノイズが走る感覚が襲った。その感覚は、何度も経験をしたことのあるものだった。

 

小さく舌打ちをしたシヅキが呟く。

 

「今かよ」

「……どうしたの? シヅキ」

通心(つうしん)だ。しかも、ホロウ全体へ一斉に行われてやがる」

「いいよ。先にそっちで」

「……ああ」

 

 ホールの時といいタイミングが悪い、と思いつつシヅキは魔素情報を読めるように形を変える。

 

「雑務型からだ。読み上げる」

「うん」

「ツイキ ヒトガタホロウ トクシュコタイ ホウコク アリ ジョウカ チュウシュツ トモニケイカイ イジョウ」

「これって……」

「ああ。俺が報告上げた個人(こたい)だな」

 

 昨日戦った人形(ひとがた)のホロウ。異様に知能の高い個人(こたい)だったことをソヨに報告していたが……どうやら、既に上へと話は通っていたらしい。

 

「コクヨさんのお話でもあったけど、魔人の動きが……おっきいね」

「昨日、今日の話だ。何なんだろうなほんと」

「植物形状の魔人ね、中央に居た頃に何人か見たことあるの。 ……たくさんの、ホロウが消滅した」

 

 下唇をギュッと噛みながら語るトウカ。もしかしたら知り合いのホロウがその中にいたのかもしれない。

 

「……面倒なのが出たな」

 

 頬杖をつくシヅキ。彼の頭の中はトウカに述べる言葉ではなく、コクヨが発した“絶望”についてでいっぱいになっていた。それはトウカも同様のようで、その小さな手を握り拳へと変える。

 

「きっとまた、たくさんのホロウが消えちゃう」

「仕方ねえよ。コクヨだって言ってたろ? 俺たちは……ホロウは、人間の為にその存在を懸けねえとならねえんだ」

 

 シヅキは自身の掌に眼を移した。ソレは今まで多くの魔人を浄化(ころ)した掌だ。何十、何百という単位の魔人を。 ……そう、全ては――

 

「ほんとに」

 

 やけに大きなトウカの声にシヅキの肩がビクッと跳ねた。見ると、トウカがまっすぐシヅキのことを見ていた。琥珀の瞳がシヅキを捕らえて離さない。

 

 

「ほんとに……そうなのかな。人間の為なんて」

 

 

 要領を得ないトウカの呟きに、シヅキは首を傾げた。

 

「何が言いたいんだよ」

「……中央の時も、同じだった。全体の指揮をとっていたホロウも、同僚のホロウも、街に暮らすホロウたちだって、皆が『人間の為に』なんて言った。その為に、たくさんの魔素を流して、たくさん消滅して、昨日まで居たホロウはもう居なくて……そんなのが当たり前だったの」

「……トウカ?」

「でも、私は思うの。人間の為になんて……そんなのおかしいよ。ホロウは……ホロウにだってちゃんと意志がある! 怖いものは怖いし、痛いものは痛い。それなのに、何で私たちは私たちのことを第一に思えないの?」

「やめろって」

「だって……」

「トウカ!」

 

 ドン、とシヅキは机を叩いた。激情するトウカはその口を塞ぎ、静寂が場を包み込む。

 

 シヅキは長く溜息を吐いた後、静かに言葉を放つ。

 

「……それは、全てのホロウへの冒涜だ。ホロウの在り方を全部否定したんだよお前は」

「……シヅキだって、魔人を刈るのは嫌でしょ? 苦痛に思ってるよ」

 

 トウカの言葉に対して、シヅキは大きく表情を歪ませた。

 

「勝手に決めんなよ。俺はただ……与えられた役割をこなすだけだ。魔人の刈りだって……苦痛なんかじゃねえよ」

「嘘だよね?」

「あ?」

 

 眉間に皺を寄せてトウカを睨み付ける。しかし、気弱なトウカは眼を背けなかった。

 

「嘘だよ……だってシヅキ、魔人を浄化した後すごい苦しそうな顔をしてた」

「黙れ」

「自分に言い聞かせてるんだよね? 魔人を刈らないとって」

「黙れ!」

 

 再びドンと机を叩いたシヅキ。今度はそれに収まらず、その場に立ち上がった。

 

 肩で呼吸をしながらシヅキは言う。自重や遠慮なんて言葉はシヅキの中からすっかりと飛んでいた。

 

「何が気に食わなかったのか今分かった。 ……トウカてめぇ、お前は自分のことしか考えてねえんだよ。世界が命を取り戻すなんて理想論語ってよ。そんな叶わねえ夢を想像していい気になってんだ。おまけに何だ? 人間の為にあろうとするホロウを否定するのか? 傷心が辛いからってよ。 ……甘えてんじゃねえよ。現実を見ろよ。ホロウが取れる選択なんて他に何がある? もしそんな思想を他のホロウの前で語ってみろ。 お前の居場所なんてもうねえぞ」

 

 頭の片隅ではもうマズいなと思っていたことは確かだ。でも、止めることなんて出来なかった。

 

「それに、俺が魔人の浄化を苦痛に思ってるってか? 勝手に決めつけんなよ。勝手に推し量ってんじゃねえよ。てめえが俺の気持ちを決める権利なんて、そんなものある訳がねえだろ!」

 

 怒気が篭ったシヅキの声。それは静かに、しかし確かに大気を震わせた。再び訪れたバカみたいな静寂を前にシヅキは自身の頭を強く掻く。

 

 そして最後に言葉を吐いた。

 

「……もう帰れよ、お前。帰ってくれ」

 

 ――その後、トウカが何か言葉を呟いたか、それとも無言のままだったか……それは分からない。ただ気づいた時にはポツンと1体、シヅキだけだった。

 

 



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変な子

 

 目の前に並ぶ2体を交互に見やった後、茶色の癖っ毛が印象的なホロウは露骨に怪訝な表情を浮かべた。

 

「……あなたたち、何があったのほんと」

 

 サポートが主な役回りの雑務型……その1体であるソヨは、心底呆れた声で訊いた。

 

「シヅキとトウカさん……2体がチームを結成してから数日が過ぎて、そろそろ慣れだしたかなー? なんて思っていたけど。蓋を開けてみたら、あらあらまあまあ」

「……チッ」

「あー! 今シヅキ舌打ちしたよね? いいのかなー? ソヨさんにそんな態度とっちゃって」

「うっせーよ黙れ。虫酸が走んだよ!」

 

 ドスの効いたシヅキの声はオドのロビー中に響き渡る。2Fの連絡通路から数体のホロウが覗き込んだ。

 

「……クソがよ」

 

 吐き捨てるように言ったシヅキ。彼が頭上を睨み付けると、すぐに野次馬たちは顔を引っ込めた。

 

「シヅキねぇ、もうちょっと低圧的な態度にしてくれない?」

「あ? 低圧?」

「高圧的の対義語。雑務型の中で流行ってるのよ。嘘だけど」

「……今日の任務はこなしてんだ。俺はもう帰んぞ」

「ちょっと、シヅキさぁ」

「……付き合ってやる義理はねーんだよ」

 

 漆黒のフードを目深にかぶったシヅキ。睨むようにしてソヨを見た後に、そそくさとロビー奥へと消えていってしまった。

 

「あー……もう」

 

 額に手を当てて、首を横に振るソヨ。シヅキを呼び止めることも諦めてしまったようだった。

 

「……ごめんなさい」

 

 そんなソヨを見て、小さな声で謝罪するホロウが1体。両手にギュッと握られた錫杖は小刻みに震えていた。

 

「初めにオドを訪れたときは、あなたたち……相性は悪くないかなって思ったんですけどね」

「あまり、良くなかったみたいで……」

「今のシヅキはちょっと会話出来ないみたいで。厄介なんですよ。あそこまで怒ってしまうと」

 

 そう言いながら、シヅキが消えていったロビー奥を一瞥したソヨ。視線を戻した先にあったトウカの表情は、今にも泣き出してしまいそうだった。

 

「私の、せいで」

「トウカさん……」

 

 すっかりと、どんよりしてしまった雰囲気。ソヨは自身の頬をポリポリと掻いた。

 

(どうしたものかなぁ)

 

 心の中で呟いたソヨ。こればかりは2体の問題であろう。雑務型という役職は、他の型のサポートはすれど、個人間の友好関係にまでは踏み込まない。

 

 トウカから提出される魔素は、他のホロウと比べて別段少なすぎる訳ではなかった。魔人を浄化して、魔素を回収する……そんなやるべきことはやっているわけだ。任務の遂行に支障は出ていない訳だから、ソヨとしては、2体の問題に我関せずの態度を取ってしまっても問題ないわけだが。

 

「……」

 

 改めてトウカを見た。白銀の髪が少しだけ掛かった琥珀色の瞳は、ひたすらに足元を見つめている。 ……というよりは前を見られないのかもしれない。本当にシヅキとのことについて落ち込んでいるのだろう。

 

(いい子なんだろうなぁ)

 

 それは、数回会話を交わした程度のソヨにでも分かることだった。そこに関しては演技でも何でもない、性格なんだろうなと。

 

 ――だからこそ、企みを抱きオドへとやって来た彼女の動機が気になるのだが。

 

ソヨは、トウカが溢してしまった“あの言葉”を思い出しながらそう思わざるを得なかった。

 

「ハァ」

 

 どこかの誰かのように溜息を一つ吐いたソヨ。兎にも角にも、対話しなければ分かるものも分からないだろう。

 

「……変な子が入ってきたなぁ」

「え」

「あ、やば。口に出てた」

 

 ソヨは口元にサッと手を当てたが、当然それは意味のある行為ではない。ソヨを見上げるトウカの表情は訝しげだ。

 

 そんなトウカを見て、ソヨは明るい口調でこう提案した。

 

「トウカさん、少しだけお話しましょうか」

「お、お話ですか?」

「ええ。 ……ですが、雑務型は個人間の問題まで踏み込むことはできません。プライバシーと呼ばれるもののせいで、です。なのでここは業務をサボろうかと思います」

「え……?」

 

 呆気にとられたようで口を半開きにしたトウカ。それをを気にすることもなく、ソヨはトウカの手を強引にとった。そしてニッと笑う。

 

「ガールズトークでもしようか! トウカちゃん」

 

 



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シヅキというホロウ

 

 ホロウとは魔素が有す“形成”の性質により造られた人間の模倣である。

 

 人間と限りなく近しいが、決して人間ではない()()()。その原点は人間により造られたものであったが、今現在はホロウ自身の手により造り出されている。目的は何か? ホロウの繁栄を目指す為だろうか?

 

 ――違う。全てはかつての人間を復活させる為である。それこそが、唯一のホロウの悲願であった。

 

 シヅキも、そんなホロウの悲願を達成するために造られた1体だ。体内魔素の操作に優れていたシヅキは、魔人を刈る浄化型としてアークで働くこととなった。

 

 彼は自身の魔素を削ることで、大鎌を生成した。それを振るい、何十・何百という規模の魔人を浄化(ころ)し続けてきたのだ。 ……そう、全ては人間の為に。

 

「シヅキというホロウはね……“ホロウ”として、かなり理想型なのよ」

 

 静かな声で言ったソヨ。彼女はトウカの返事を待たずして、話を続ける。

 

「あいつは、魔人を浄化してくれる。雑務型が指示した内容を、愚直に、一切の反論なくこなしてくれる。それは、帰還率が低いと言われる、単独の任務であっても同じ。 ……躊躇なくやってくれるのよ」

「……それは、シヅキが望んでやっているのですか」

「一緒に行動していたトウカちゃんなら分かると思うわよ」

 

 トウカはふるふると首を振った。

 

「魔人を刈った後シヅキは……苦しそうな顔をしていました。自分の掌をずっと見ていて……」

「……なるほど。喧嘩の原因はソレね」

「え?」

「トウカちゃん、そのことをシヅキに指摘したでしょう?」

「……はい。その、思わず」

 

 トウカが思い返したのは、つい数日前の出来事だった。今になっても、激高したシヅキの表情は思い浮かべることが出来た。

 

 トウカは力弱く笑いながら言う。

 

「……分かるものなのですね」

「前にも言ったと思うけれど、シヅキとは一緒に製造されてからの付き合いなのよ。だから18年になるかしら? 何やったら怒るかくらいは分かる。 ……トウカちゃんのことはまだ分からないけどね。変なことを企んでいるし」

「それは……」

 

 トウカはまともにソヨの眼を見ることが出来なかった。ただ、応接室の扉を見つめるだけだ。そんなトウカに向けて、ソヨは細い眼を向けた。

 

「……あまりあなたを追い込むようなことはしたくないんだけれど、一応訊いておくわよ。シヅキに『虚ノ黎明(からのれいめい)』のことは言ってないわよね?」

 

『虚ノ黎明』……その言葉を聞いたトウカの表情は分かりやすいほどに変化した。

 

「まさか……」

「い、言ってません! 不意にソヨさんがその名前を出すから……驚いちゃって」

「そういうことね。 ……表情に出すぎね。トウカちゃんは」

「うう……」

 

 顔を引き攣らせるトウカ。それを見たソヨは、頬杖をつき、鼻で笑って見せた。

 

「まさか、中央からやってきたホロウからその名前が出るとは思わなかったわ。 ……ボロにしては出し過ぎね」

「……ありがとう、ございます」

 

 露骨に嫌味を言ったつもりなのに、そんなお礼が返ってきたのだから、ソヨは眉を潜めざるを得なかった。

 

「何でお礼を言うのよ」

「だって、色々と秘匿にしてくれているので。 ……きっと、通告されていたら私はもう」

「……様子見してるだけよ。現に、シヅキを監視役にしているでしょ」

「まぁ、そうですね」

 

 肯定しながらもその頬に笑みを浮かべるトウカ。ソヨは肩を竦めた。

 

「ほんと、変な子ね……まぁいいわ。今はシヅキとのことをどうするか、ね」

「そう、ですね……」

「あー……急にテンション下がらないでほしいわ。やり辛い……」

「ご、ごめん――」

「いい、いい! いいから謝罪は。とにかく、これからのトウカちゃんの対応だけど……」

「は、はい……」

 

 ソヨはスッと息を吸い、言った。

 

「いつも通り、ね」

「……え?」

 

 ただでさえまん丸の眼を、さらに丸くするトウカ。その半開きの口を見て、ソヨはフフと笑った。

 

「なんだかんだで、シヅキも気にしている部分があると思う。ずっと怒ってばかりなんてなんて居られないもの。だから、トウカちゃんに出来ることはいつも通り接することね。変に謝罪したりすると、きっとムキになるよシヅキは」

「いつも、通りですか……」

「あー、もちろん喧嘩のことを掘り返したりなんてしないようにね」

 

 トウカは返事することなく小さく頷いた。

 

「いつも通りって……でも、どうすれば」

「口癖でも連発すればいいんじゃない? 『うひぇ』みたいな」

「わ、私! そんなこと言ってませんよ!」

「そう? わたしの中でトウカちゃんは結構()()()()だけど」

「へ、変キャラ……」

 

 ははは…‥と空笑いをするトウカ。コロコロと変わる表情……それこそがトウカのいつも通りだと、トウカはあえて言わなかった。

 

「……まぁ、あと数日もすれば元通りになるって。 ……そうだ。仲直りしたら今度の休みにでも2体で港町にでも行ってきたら?」

「に、任務ですか?」

「休み、って言ったでしょ。買い物して、何か甘いものでも食べてきたらどう? シヅキ、意外と好きだから。甘いものね」

「なる、ほど……」

 

 自身の顎元に手を当てて、考える素振りをするトウカ。 ……素振りというか、実際に考えているとは思うが。

 

(良い傾向、かな。何とか一仕事(ひとしごと)は出来たみたい)

 

 満足げに前髪の先端を(よじ)りながら、ソヨはそんなトウカの様子を見ていた。

 

 

 

 

 

 ――まさかその翌日。どうしようもないほどの絶望を見ることになるとは、この時のソヨは思いもしなかった。



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むせ返る

 

『……シヅキだって、魔人を刈るのは嫌でしょ? 苦痛に思ってるよ』

『勝手に決めんなよ。俺はただ……与えられた役割をこなすだけだ。魔人の刈りだって……苦痛なんかじゃねえよ』

『嘘だよね?』

『あ?』

『嘘だよ……だってシヅキ、魔人を浄化した後すごい苦しそうな顔をしてた』

『黙れ』

『自分に言い聞かせてるんだよね? 魔人を刈らないとって』

『黙れ!』

 

 ……数日前の会話(ゴミみたいな夢)を見た。寝覚めは酷く悪い。

 

「チッ……」

 

 大きく舌打ちをしたシヅキ。彼はすぐに部屋の奥にある水回りへと移動した。

 

 質素なシンクの上に置かれたコーヒーの粉。シヅキはそれをカップの中にぶち込むと、粉で濁ることお構いなしに、水桶の中へ潜らせた。

 

 並々に注がれたコーヒーの粉入りの水。シヅキは何の躊躇いもなく、ソレを喉へと流し込む。

 

「ゲホッ……ゲホッ……ゲホッ………………ああ゛っ……!」

 

 満足に粉が溶けていないコーヒー未満の代物(しろもの)。そんなものを一気に飲み干そうとすれば、むせ返ることなんて当然だった。

 

「ああ……クソ…………不味い」

 

 ビシャビシャに濡れた口周りを強引に拭いながら、シヅキは言葉を吐いた。今日という日を、そうやって迎えたのだ。

 

 

 

※※※※※

 

 

 

 いつまで経ったって、世界が変わることはない。目の前に広がるのは黒を黒で塗りつぶした闇の世界だけだ。太陽とやらも、月とやらも、星とやらも……そんな眩しい光は微塵もない。あるのは辟易の景色だけだ。

 

 そんな闇とは対照的に、真っ白に染まりきった森。ソレは“純白”や“雪白(せっぱく)”なんて綺麗な表現では言い表せられない。濁りきった澱みの白色だ。そんな中を今日もまた、歩く。闇の空と白の木々に囲まれながら、シヅキは歩く。 ……そう。全ては人間の為に。

 

「シ、シヅキ! ちょっと足速いよ……」

 

 篝火に従って、廃れの森を奥へと進んでいたシヅキ。そんな彼の背後からは、制止を呼びかける声が聞こえてきた。

 

「……」

 

 しかし、シヅキがその声に応えることはない。むしろ、彼の歩幅はより大きくなった。

 

 目深に被ったフードの中で、彼は舌打ちをする。

 

(何なんだ? 今日は)

 

 シヅキが激昂してからの数日間、彼がトウカと口を利くことは殆どなかった。あの日以来、いつまでもどんよりとした空気を引き摺ったまま、ひたすら任務に当たっていたのだ。トウカの方も、魔人との戦闘中を除けば、一切口を開くことはなかった。そこにはゴミみたいな静寂だけが渦巻いていた。

 

「ま、待ってってば……」

 

 しかしながら、今日ときたらこのザマだ。トウカはあの日のことを気にしている素振りを見せず、慌ただしく話しかけてきやがる。 ……すっかり忘れてしまったのだろうか? そう思えてしまうほどに。

 

 まるでそれは……

 

「いつも通り」

 

 僅かな声で呟いた後、シヅキは溜息を吐いた。彼の中には行き場のない感情が渦巻き始めていたのだ。

 

 数日前。トウカの言葉に対して、シヅキは大きく感情を動かした。無論それは怒りでしかなかった。自身の在り方を推し測ってきたトウカに対する怒り……シヅキはソレを引き摺り、引き摺り、引き摺り……そして今に至る。

 

 しかしどうだろう? 今、トウカに抱いているこの感情は、激昂した時と同じままだろうか? ……未だに、“怒り”として機能しているだろうか? シヅキというホロウはあの時と変わらずにいるだろうか?

 

 闇に染まった空の下、どうもシヅキは首を動かせずにいた。ただモヤモヤとした気持ちだけが、胸の内を揺蕩(たゆた)うばかりだ。

 

(気色悪い……)

 

 この怒りだけは決して失くしてはならない……そんなふうにすら感じていたくせして、時が流れてみればどうだろうか? 酷く曖昧なものになりつつある。シヅキには、ソレは受け入れ難いことだった。

 

『自分に言い聞かせてるんだよね? 魔人を刈らないとって』

 

 脳裏に呼び起こされたのは、やはりトウカのあの言葉だった。何度も、何度も脳内でソレを反芻し、自分の胸に問いかける。「お前はちゃんと怒れているのか」と。

 

 今度は、首を縦に振ることができた。そうだ……しっかりと否定することが出来た。

 

 ゆっくりと息を吐いたシヅキ。後ろからは、相変わらず歩幅の小さな足音が絶え間なく聞こえてくる。「それでいい」と思いつつ、更に歩速を上げようとした時だった。

 

「……あ?」

 

 急に後方から音が止んでしまったのだ。パタパタと地面を踏む音が止み、シーンと空気が主張をする。

 

 これにはシヅキも反射的に首を向けてしまった。向けてそうして……眼を見開く。

 

「……トウカ?」

 

 眼前には地面に(うずくま)るホロウが1体。肩で呼吸を繰り返している。心底苦しそうに。何の突拍子もなく。

 

「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ…………」

 

 思考を放り棄て、シヅキは駆け寄った。

 

「トウカ? おい、トウカ!」

「シ、シヅキ…………! ま、まず…………い」

「まずい? ……何がだよ?」

 

 その首を震わせながらシヅキを見上げたトウカ。それを見たシヅキは大きく表情を歪ませた。真っ青に染まったトウカの顔……それはあまりにも尋常ではない様子だったのだから。

 

「な、何だよ……何があったんだよ!?」

「ぜ……ぜ……!」

「“ぜ”? んだよ?」

「ぜ……ぜ…………ウォェ!」

 

 トウカの喉が一瞬膨らんだかと思うと、彼女は大きく顔を下に向けた。ビシャビシャと液状のモノが溢れ落ちる音がする。嘔吐したのだ。

 

 シヅキは首を大きく横に2度振った。

 

「ほんとに……何が――」

 

 

 

 ズズズズズズズズズ……………

 

 

 

「――っ!?」

 

 瞬間、訪れた違和感。強烈すぎる違和感。それは波紋のように、シヅキの体内を急速に駆け巡り、広がり、内側から蝕んでいく。 ――魔素の、ノイズだ。

 

「こ、これは…………っ」

 

 むせ返ってしまう程の体内異常を感じる。否応もなく感じさせられる。 ……それは悪寒となって、或いは発作となってシヅキを襲った。

 

「クソッ……!」

 

締め付けられる胸を握り潰すように強引に掴み、シヅキはその場にしゃがみこむ……

 

「ハァ……ハァ……ハァ……」

 

 荒い呼吸の最中、シヅキは確信を持った。トウカが何を伝えようとしたのか……そのことについての確信だ。

 

 

 シヅキは呟いた、震える声で呟いた。

 

「“絶望”だ……」

 

 

 



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今日が終わったら……

 

 バクバクと暴れる心臓を抑え込みながら、シヅキは一音一音をハッキリと言った。

 

「とにかく……ここを離れるぞ。“絶望”と近すぎる」

 

 トウカは何も言うことなく、首を落とすかのように頷いた。 ……今の彼女にとってはそれが精一杯の意思表示なのだろう。

 

「歩けねえだろ……おぶる」

 

 今度は返事を待つことなく、シヅキはトウカを自身の背中に寄せる。幸いトウカから首元に腕を回してくれたため、後はやり易かった。

 

 背中にトウカが密着した後、ふらつく身体を一気に持ち上げた。長身の錫杖を持っているくせして、彼女は酷く軽かった。

 

(よし……歩ける)

 

 下唇を強く噛みしめる。冷静だ。冷静に。出来ることだけを考えろ。

 

 長く息を吐きながら、シヅキは歩を進めようとした――

 

「……どこへ………行くの」

「え?」

「ノイズ……酷いから……丘の方向、へ……」

 

 絞り出したトウカの声。途切れ途切れの言葉だったが、彼女が言わんとしていることは伝わった。

 

(俺は、どこ行こうとしてたんだ?)

 

 心の中で問いかけた後、シヅキは大きく舌打ちをした。何が冷静だ。自分に言い聞かせてるだけで……テメェは何も考えちゃいない。

 

「方向、分かる……?」

 

 耳元でトウカが囁くように言う。シヅキは一呼吸を置いて答えた。

 

「……ああ」

「ノイズが…………消える前に……早く…………」

 

 

 ズズズズズズズズズ

 

 

 身体を内側から蝕むノイズは、ゆっくりと、でも確実に大きくなっている。もし……ノイズが完全に止んでしまえば……つまりは、“絶望”の魔人が目の前に現れてしまえば……間違いなく、(ころ)される。

 

 長く息を吐いた。“冷静になれ”なんてもう念じない。その言葉は、今の自身が動揺していることを認めているに過ぎない。そうじゃないだろう。

 

(いつも通りに……やれ)

 

 シヅキは通心を開始した。当然、相手はオドの管理部だ。そこへ短く、簡潔に意思を伝える。

 

(“絶望” ノイズ反応あり。シヅキとトウカは丘へと退避。救援あるいは指示を要請)

 

 メッセージを魔素へと圧縮し、送りつけた。

 

「よし……」

 

 一つ頷いた後、シヅキは足を動かした。大きな歩幅で歩き出した。

 

 

 

※※※※※

 

 

 

 神経を擦り減らしながら歩き続けたシヅキ。何とか、先日訪れた丘へと辿り着くことが出来た。

 

 トウカを滑り落とさないように慎重に地面へと下ろす。その後、シヅキは灰色の花畑へと背中を預けた。

 

「……辿り着けた」

 

 精神的な疲労感が酷い。何日分かの心をまとめて削ぎ落とされてしまったかのようだ。こういうのを虚脱感と言うのだろうか? 

 

「ありがとう、シヅキ。ここまで運んでくれて」

 

 真っ黒の空を見上げていると、そんな声と共にトウカが映り込んできた。 ……やはり、その顔色は悪い。しかしノイズに苦しんでいたあの時と比べると、幾分かマシに見えた。

 

「……大丈夫かよお前」

「大丈夫では、ないよ? 頭がクラクラする」

「休めって」

 

 トウカはふるふると首を振った。

 

「誰かが見てないと……何かあった時に、早く行動しなきゃだから」

 

 そう言って、なんとトウカは笑みを浮かべて見せた。焦点の合わない眼で彼女を見たシヅキは困惑する。

 

(よくもまぁ……そんな表情を出来るよな)

 

 体調に異常を来すほどに大きな魔素のノイズ。現物を見なくたって何者かが分かるくらい程に(おぞま)しいソレは、間違いなく“絶望”が発したものだ。それが今もまだ近くに居る。きっとホロウを探している。 ……それは、トウカも分かっている筈だ。

 

 闇空からゆっくりと視線を動かした。次に焦点が合ったのは、自身の右腕である。

 

さっきから……震えが止まらない。小刻みに、振動を繰り返しているのだ。止めようと思っても、どうにもならない。

 

(何も笑えねぇよ。ほんと)

 

 擦り減った心が思い描くのは……最悪の結末ばかりだった。

 

「……シヅキ、腕どうしたの?」

「え」

 

 視線を戻すと、琥珀色の瞳と眼が合った。

 

「これは――」

「怖いんだね」

「ち、(ちげ)えって! こいつはただ……」

「えい」

 

 シヅキが自身を取り繕おうとする一方で、トウカはそんな小さな掛け声とともにシヅキの腕をギュッと掴んだ。

 

「やめろって!」

「いいから」

「いいとかそういう問題じゃねえだろ! 俺は別に…………あ?」

 

 トウカの手を振り解こうとしたシヅキ。しかしその時気づいてしまった。

 

「トウカ……お前も、手が」

「怖いよ、私も。怖い」

 

 シヅキよりも、一回りも二回りも小さなトウカの掌。それは細かく、でも確実に震えていた。

 

「前に、『植物形状の魔人を何人か見たことがある』なんて言ったの覚えてる? ……あれはね、ほんとに見たことがあるだけなの。遠くから、薄っすらとだけ。だからあんな強力な魔素のノイズを感じ取ったのは初めてだった。 ……大きすぎて、怖いね」

「だったら……怖いんだったら、何でそんな笑えんだよ」

「笑う? 私、笑ってた?」

 

 きょとんとした表情でそんなことを()かすトウカ。シヅキは開いた口が塞がらなかった。

 

「無意識だったのかよ……」

「無意識……うん。そうかも。気持ちが表情に出ちゃったみたい」

「……どういうことだよ」

「私ね。シヅキに背負われている時にね、今度のお休みの時のことを考えてたんだ」

「は、はぁ?」

 

 あまりにも突拍子なトウカの言葉に、シヅキは耳を疑った。そんなシヅキを知ってかしらずか……トウカは話を続ける。

 

「昨日ね、ソヨさんが言ってくれたの。今度のお休みにでもシヅキと港町に行ってきたらって。その……仲直り? みたいな」

「仲直りって……いや、そうじゃなくて! 何でんなことを今なんかに……!」

「目先の理由が欲しかったんだ。楽しみに思えることがあったら、頑張ろうなんて思えそうだったから」

「何だよ、それ……意味分かんねえ」

 

 トウカが言わんとしていることが全く分からない。シヅキの口からは、困惑の嘆きしか出やしなかった。

 

「“絶望”のノイズを感じて、すごく怖かったから。もしかしたら、今日私は消滅しちゃうんじゃないかなって考えちゃって……でも、そのことで頭がいっぱいになるのは辛いから。前を向ける未来が欲しかったんだ」

「……それが、港町に行くことなのか?」

「シヅキと、ね。甘いもの好きって聞いた。一緒に食べよ?」

 

 ニッといたずらな笑みを浮かべたトウカ。 ……そんな彼女を見て、まるで自分とは対照的だとシヅキは思った。

 

 トウカは最悪の結末に悲観するのではなく、今日が終わった後のことを考えている……そうやって、前向きになろうとしているのだ。それは見方を変えれば現実逃避でしかないのかもしれない。もしそんな考えの奴が居るなんて噂で聞いたならば、シヅキは簡単に嘲笑うだろう。

 

(でも……)

 

 そうやって未来を描こうとするトウカが……希望を見出しているトウカが…………今のシヅキにはやけに眩しかった。闇で覆われた世界における唯一の光源だなんて思えてしまった。

 

 (おもむろ)に眼を閉じた。ちょっとだけ、眩しすぎたから。

 

 

 



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帰還作戦

 

 それから(しばら)くの時間が過ぎた。 ……暫くと言ったって、十数分程度だが。

 

 流石にそれだけ時間が過ぎれば、ある程度体力は回復する。未だに虚脱感はあるが、シヅキは何とか上体を起こした。

 

 それに気づいたらしいトウカがシヅキの方を向いた。

 

「もう、大丈夫そう?」

「あぁ」

「無理はしてない?」

「してねぇよ」

「……ほんとに?」

 

 琥珀の眼はジトっとこちらのことを見ていた。

 

「……まだ心が(だり)ぃ。でも、戦える」

「うん、良かった」

 

 そう言って小さくグッドのポーズを作ったトウカ。心無し、その表情は得意げに見える。シヅキは怪訝な表情を彼女に向けた。

 

「調子乗りやがってよ」

「え、いや……ごめん! そんなつもりは……」

「本気で言ってねぇよ。小心者がよ」

「しょ、小心者……」

 

 ぶつぶつと言葉を溢すトウカ。それを全無視して、シヅキは話し始めた。

 

「……身体も心もある程度は休めたんだ。俺たちは次の行動に移るべきだ。“絶望”が付近にいるであろう現状で、何とか帰還しなくちゃいけねぇ」

「う、うん!」

 

 トウカは自身の姿勢を正した……何故か正座だ。

 

「その為に考えられる選択肢が3つあると思っている」

 

 トウカは返事の代わりに、首を大きく縦に振った。シヅキも頷きを返した。

 

「まず前提として、この丘は魔素のノイズが無い特殊な土地だ。だからよ、魔人特有の魔素のノイズ反応から“絶望”の位置をあぶり出す方法は取れねえ」

「……“絶望”に限った話では無いんだけど、外側の魔人からは分かるのかな? ホロウがこの丘に居るって」

「視認以外の方法は取れねえだろな。奴らがどうやってホロウを見つけているのか、正確には分かってねーだろ?」

「うん……一応、ホロウが出す魔素のノイズを感じ取っているなんて仮説はあるけど」

「まあな。でも、その方法は無理だろ。ここにいる限りはノイズが0だ」

「そうだね」

「……よし、前置きが長くなったが、この前提を元に話すぞ。手短にな」

 

 シヅキは左手の人差し指を立てた。

 

「一つ目に、今すぐ丘を抜け出す方法。もちろん、俺たちが入ってきた方向とは別からだ。“絶望”に発見される以前に速攻帰還してやる」

「ここからだと走って1時間くらいかな?」

「トウカの脚だとな。俺が背負って、身体強化すれば15分は切る」

「せ、背負われるの……私」

「あ? さっきもやったろーが」

 

 それを聞いたトウカはぎこちなく頷いた。

 

「ただ、色々問題が多い。身体強化……つまり魔素を強引に走らせれば、俺が出すノイズは強まっちまう。“絶望”にノイズを探知される可能性は上がるだろうな。それに、今ならそんなの関係なしにバッタリ出会(でくわ)すリスクだってある」

「あと……私もそうだけど、“絶望”の魔素のノイズにまともに当てられたから、シヅキの身体が上手く動かせる保証も……ちょっと」

「あーそれもあるか。 ……とにかく、不確定事項が多すぎる。賭けの選択肢だ」

「……うん。私は、取らない方がいいと思う」

「ああ」

 

 慎重派というか、臆病なトウカであればそう言うことは想定されていた。シヅキとしてもこれは下策の部類だった。

 

「だから、二と三どちらかを取りてえってのが本音だ」

 

 そう言いながら、シヅキは中指を伸ばした。

 

「二つ目。丘でひたすら待機する。“絶望”に見つかるリスクは低いだろうな。それに、管理部からの通心を待つことも出来る」

「遅いもんね。アークの外と中に居ると、伝え合うのに時間が掛かっちゃう」

 

トウカが言う通り、言語を魔素へと圧縮して意思をやりとりする行為……通称、“通心”には時間差(タイムラグ)という弱点が存在する。特に、対象の距離が離れていたりするとその影響は顕著だ。

 

 シヅキは小さく溜息を吐いた。

 

「不便なところだな。つべこべ言ったってどうにもなんねーけどよ。 ……続けるぞ。この方法だったら、“絶望”と急に対峙することが防げる。仮に、奴がこの丘に入ってきたとしても、ある程度の距離は保証されているだろうしな」

 

 トウカが眉を潜めて言った。

 

「……逃げきれるかな?」

「どうだろうな。“絶望”と接触したコクヨの大隊は撤退できたんだ。完全に不可能って訳じゃねえだろうよ」

「でも、2体は消されちゃった……」

「……対峙してから逃げんのも不確定要素が多いな。ただ、1つ目の案よりはマシだろ」

 

 トウカは自身の顎に手を当て、考え込む素振りをした後にコクリと頷いた。

 

「よし。 ……で、まぁ、3つ目の選択肢だ。思うに、こいつが一番帰還率が(たけ)えやり方だ」

 

 シヅキは薬指を立てた。

  

「どうするの?」

「あぁ……3つ目、だが……」

「……シヅキ?」

「いや、すまん」

 

 長く息を吸って、吐いた。ジトリと掻いた汗が頬を流れていく。 ……気持ち悪い感触だ。

 

 ソレを右手で強引に拭ったシヅキ。乾いた唇を舌で舐めて、声を出す。

 

「……言うぞ。俺が、“絶望”と――」

 

 

 

 ザシュ

 

 

 

 ……突然、そんな音が走った。後から感じる、鋭い風。そして鼻につく臭い。

 

 

「………………は?」

 

 理解が追いつかなかった。それは、感知できなかったからでは無い。五感はちゃんと機能している。 ……原因は脳のほうにあった。入ってくる情報の全てを、脳は拒絶したのだ。

 

 

 ――拒絶せざるを得なかったのだ。

 

 

 間も無く、彼女が吐いた。言葉では無い。

 

「ゴハッ…………………!」

 

 赤い液体が飛び出た。ソレは後ろへと派手に飛び散っていく。 ……俺はソレを震える眼で追ってしまった。

 

 1本の、細長い、まるで、枝のような、ナニカ。

 

「植物…………」

 

 震える顎が勝手に呟いた。言語化して、現実が追いついてくる。白々しいほどに、情報の理解が始まる。

 

「トウ、カ……?」

 

 シヅキの呼びかけに彼女は答えない。その代わりに再び吐いた。

 

 ビシャビシャと音を立てて、飛び散る。似非血液(魔素)が、飛び散る。

 

 ――それを見て、シヅキはやっと理解しきることが出来た。伸ばされた枝が、トウカの身体を貫いたと理解出来たのだ。

 

 叫んだ。

 

「トウカァァァァァァァァ!!!」

 

 



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有す価値

 

「なんて……こと」

 

 茫然の声を上げたソヨの身体は左右にフラフラと揺れ動き、やがて崩れ落ちてしまいそうになった。

 

「ソヨさん!」

 

 しかし、そう呼びかける声とともに、ギリギリで支えられた。支えた手の主は、ソヨと同じ雑務型のホロウだった。

 

「しっかりして下さいよ!」

「え、ええ……ありがとう。もう大丈夫よ」

 

 肩を掴む手を優しく(ほど)いたソヨは、近くの壁に身体を預けた。 ……クラクラとする視界が捉えたのは騒然とする現場だった。

 

 雑務型のホロウ達は持てる手段全てを使って対応にあたっていた。ある者は通心を行い、外へ出向いているホロウ達とのやりとり(コンタクト)を。ある者は専用の装置を使い篝火の一斉操作を。そしてある者は自らの足を運び、オド内のホロウたちへと伝達を。魔人と対峙するホロウのサポートを行う雑務型たち……通称“管理部”は大きな焦燥と緊張で満ちていた。

 

 ――それもそうだった。予想にし得ない事態が勃発してしまったのだから。

 

「まさか、廃れの森に“絶望”が現れるなんて……驚きましたよ」

 

 先ほどまで肩を支えていた女性ホロウがどこか演技味のある声で呟いた。

 

「……そうね」

 

 空返事で答えたソヨは、意味もなく天井を見上げた。思い返したのはほんの十数分前のことだ。 ……あるホロウから“絶望”出現の旨の連絡があったのだ。ホロウは2人組というごく少数のチームであり、報告の場所は廃れの森。 ……そう。廃れの森だった。棺の滝周辺に居ると予想されていた“絶望”は大きく移動していたのだ。

 

 現在管理部は、廃れの森周辺のホロウへと、“絶望”出現の連絡を流布している。しかし、具体的にどう対応するのかは指示していなかった。 ……というよりは出来なかった。現場で動くホロウたちの指揮を取る司令官らは、絶賛緊急の会議中だ。その結果が出るまで管理部はまともに動けやしない。

 

「慎重なのは結構だけど、間に合わなかったら本末転倒よ。 ……シヅキ」

「連絡があった浄化型って、確かソヨ先輩の……」

「昔馴染み、ね。減らず口を叩き合ってばかりのね」

 

 サラッと流すように言ったソヨ。しかし、女性ホロウは眉を(ひそ)めた。

 

「心配ですね」

「誰からの通心でも関係ないわよ。私たちは、私たちに出来る最善を尽くすだけ……そう。全ては人間の為、ね」

「それは……分かってますよ」

「ならいいのよ」

 

 ソヨが溜息混じりに答えた時、管理部奥の扉からゾロゾロと複数のホロウたちが現れた。管理部一帯を包む喧騒が一瞬だけ落ち着いたかと思うと、すぐに私を含めた雑務型の面々は、姿勢を正した。

 

 退出したホロウの1体が、張り詰めた空気の中で言った。

 

「皆ご苦労だ。どうか楽な姿勢で聞いてもらいたい……と言いたいところだが、そうも言ってられなくてな。事態は急を要する。単刀直入に言おう」

 

 毅然とした態度で雑務型に呼びかけたのは、糸目で大柄の男性ホロウだった。 ……司令官である。

 

 ソヨは軽く空気を吸い込むと、唾液と混ぜて飲み込んだ。鼓動がジンジンと脈打つ感覚を自覚した。

 

「通心内容『ゼツボウ ノイズ オカ タイヒ キュウエン シジ コウ』について、上層部で話し合った結果だが……対象ホロウ“シヅキ”と“トウカ”については、丘で待機をするように指示をしろ。2体を除くホロウについては、オドへの避難命令を出せ。以上だ」

 

 淡々と指示内容だけを述べる司令官。 ……ソヨにはその声が酷く冷たいものに聞こえてならなかった。

 

「さて、では各自――」

「……司令官。身勝手ながら、お聞きしたいことがあります。宜しいですか?」

 

 場の視線が一遍に集まったのが分かる。前方はもちろんのこと、後方にいる同胞たちからもだ。目の端に、一体の雑務型の表情が映った。 ……ギョッと見開いた眼でこちらを見ている。

 

「ソヨか。なんだね?」

 

 酷く穏やかな口調だ。 ……だからこそ怖いと思ってしまう。ソヨは自身の爪を掌に食い込ませた。再び口内の唾液を飲み込む。 ……よし。

 

「司令官の……仰ったことは、2体のホロウについては救援を出さず、(ころ)されることも止むを得ないということですよね?」

 

 震える声で言い切ったソヨ。当然のことながら、場は驚愕の息遣いで包まれた。声にならない声が管理部の面々から上がる。

 

 それでもソヨは動じない素振りを見せた。気が抜いたら崩れ落ちてしまいそうになる足で床を踏み抜く。震える身体は、千切れるほどに舌を噛んで我慢しようとした。そして、両眼は……貫くほどに司令官を直視する。

 

 司令官である男性ホロウは「ふん」と鼻を鳴らした後、自身の顎髭を2度撫でた。彼は何も話すことなく、少しだけ時間が過ぎる。 ……永遠のような時間だ。

 

 しかし本当に永遠の訳はなく、やがて司令官は大きな口を開いた。

 

「そうだ。我々は、シヅキとトウカ……この2体を()()()()()()()()()()()()と取ってもらって構わない」

 

 本当に率直に言い切った司令官。後ろに立つ上層部の連中が口を挟もうとしたが、彼は手を伸ばし、彼らを制止した。

 

 ソヨは自身の唇を噛み、言う。

 

「ありがとうございます。正直に述べていただいて」

「ソヨ、お前はシヅキと古い付き合いだったな」

「……私情が入っていると?」

「それを詮索する気はない。このような場だ」

「……お心遣い、痛み入ります」

「しかし、勘違いはするな。我々の決断が(くつがえ)ることはない。これは、確定事項だ。 ……理由は必要か?」

「……はい」

「済まない。ソヨ以外のホロウは先ほど述べた指示通りに頼む。決断の理由については……そうだな。後ほど共有しよう」

 

 司令官が右腕を大きく払うと、管理部の面々は「はい!」とだけ返事し、各自の持ち場へと戻っていった。

 

「すみません。後ほど合流と言う形を取らさせていただきます」

 

 司令官が後方に居る上層部に呼びかけ、大きな背を折り曲げた。彼らは何も言うことなく、ただ頷くと、管理部を出て行ってしまった。

 

ソヨは大きな背中に向かって、恐る恐る声をかける。

 

「申し訳ありません! 私の――」

「もういい。次の酒代ででも誠意を見せろ。 ……理由だな。ソヨ、お前が考えていることと大方一致していると思うが」

「そう、ですか」

「言ってみろ」

「……天秤にかけたのですよね。シヅキたちの帰還率と、救援によるリスクとを」

 

 それは聞くまでもなく、当然のことだった。相手はコクヨの大隊を追い込んだ魔人、“絶望”だ。 ……救援のためにホロウを寄越すことは、大きな代償を払いかねない。

 

 

 ――そんなことは、分かっている。ソヨは、分かっているのだ。

 

 

「ソヨ。分かることと、呑み込むことは全く別の話だ」

「え……」

「今にも決壊しそうな表情を見れば、何を考えているかくらい理解できるつもりだが?」

「…………」

 

 何も言うことが出来ないソヨ。司令官は構わずに話を続ける。

 

御託(ごたく)をつらつらと並べてもいいが、それは本望ではないだろう? ……だからオレが言うことはただ一つだけだ。 ……割り切るんだ。ソヨ」

「今までと同じように、割り切るんですね」

「そうだ。 ……全ては人類の為だ」

 

 それは先刻前にちょうど自身が発した言葉だった。後輩のホロウを諭すために使った言葉……自分は今、一言一句同じ言葉で諭されているのだ。

 

「司令官、最後に……一つだけいいですか?」

「なんだ」

 

 嗚咽が漏れ出すのを必死に耐えながらソヨは言う。

 

「もし人間なら……人間だったら。私たちと同じように……見捨てる決断を……選んだと、思いますか? ホロウと比べて! 人間の有す価値はよっぽど上です! なら人間は同胞を見捨てる決断を、するのでしょうか!?」

 

 感情を抑えることが出来ず、声を荒げてしまったソヨ。何体かのホロウが眼を向けたのが分かった。

 

 ここまで毅然と答えてくれた司令官も、ソヨのこの問いかけには言葉を窮しているようだった。

 

 捻り出すかのように、彼は言おうとする。

 

「……それは、とてもじゃないが――」

「司令」

 

 その時、そんな声がソヨから見て左側から聞こえてきた。反射的に視線を向けるソヨと司令官。意外なホロウの影に両者とも眉を上げた。

 

「ワタシから提案があるのだが、一つ耳を貸してもらえないだろうか?」

 

 飄々とした態度で、そのホロウは言ってみせた。耳を疑うようなその言葉を。

 

 



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私はまだ……

 

 ………………

 

 ………………

 

 ………………。

 

 ――あれ? どうなったんだっけ?

 

 あまり意識がハッキリとしない。何があったのか、何をしているのか……よく分からない。

 

 夢を見ているのだろうか? 眠った覚えなんて全然ないのに。でも現実か夢どちらか? と訊かれれば、夢と答えてしまうだろう。 ……なら、夢? 

 

 ――よく、分かんないや。

 

 思考が上手く働かない。考えようとすればするほど、煙に巻かれたかのように辺りは白んでしまう。

 

 どうしたものかと途方に暮れていたところ、突如としてボンヤリとした影のようなものが現れた。

 

 酷く輪郭が曖昧で、影の正体はイマイチ掴めない。

 

 ――なんだろ、あれ。

 

 直感的に、眼を離してはならない代物(しろもの)だと思った。だから凝らすように見る。

 

 不思議とそれを見るだけで、ひどく心が高鳴り、全身が熱を帯びた。 ……そうやって、私を大きく突き動かしてくれるものなんて、たった一つしかなかった。

 

 ――ああ、そうだったんだね。なんですぐに気づかなかったんだろう。

 

 私は、その影に手を伸ばそうとした。別にそれで()()()()が叶うなんて思ってはいない。 ……ただ、手を伸ばしたいと思える自分が居ることを、再確認したかっただけなのだ。

 

 しかしながら、そこで私は状況を(ようや)く理解できた。

 

 ――手が、ない?

 

 視界に映るのは曖昧な影だけで、そこに自身の手が映り込むことはなかった。それどころか、身体が()()()()すらも……無い。

 

 ――なん、で? 私はどうなったんだっけ?

 

 そうやって最初の疑問に帰結したところで、遠くから声が聞こえた。

 

「………………カ!」

 

 やはり初めは分からなかった。でも何度も声は聞こえる。

 

「………………ウカ!」

 

 ――わた、し?

 

 最後はハッキリと聞こえた。 ……聞き慣れかけている声だ。

 

「トウカ!!!」

 

 呼ばれてる。自分の名前を何度も、呼ばれている。すごく悲しそうな声だった。

 

 ――行かないと、いけないね。また怒られちゃう。

 

 不思議とどう行けばいいのかは、迷わなかった。

 

 

 

 ※※※※※

 

 

 

「………………あぁ…………」

「――っ! トウカ?」

「シ……ヅ…………キ?」

 

 焦点の合っていない眼、掠れきった声、常に小刻みに震えている頬……状態は最悪だ。いつ終わりを迎えても、おかしくないほどに。それでも……

 

「トウカ……お前、まだ……良かった」

 

 まだ、トウカは(いきてい)るのだ。その事実が身体中を駆け巡り、シヅキは一遍に脱力した。途端に溢れてしまいそうになったが、強引に腕で擦り付けて誤魔化す。

 

「だい……じょう…………ぶ?」

「……バカ野郎。俺のことはいいだろ。それよりお前……傷が」

「き……ず?」

「刺されたんだよ、トウカ」

 

 シヅキがそう言うと、トウカは固まってしまった。状況が未だ理解できていないらしい。思考が鈍っているのだろうか? その眼で辺りを見渡して、漸く彼女の口は開いた。

 

「…………魔素の、流出が」

「……そうだ。お前、このままだと消えちまうって。でもよ……頭悪いから俺分かんねぇんだ。どうしたらお前を……助けられる?」

 

 自身の赤黒く染まった掌を見ながら、シヅキは(すが)った。他に道なんて、無かった。

 

 浅い呼吸を繰り返しながら、トウカは話さない。考えているのか、それとも考える力も残っていないのか……後者であれば、もうトウカは。

 

 しかし幸いにも、彼女の口は動いてくれた。

 

「かん…………そ…………やく」

「え? なんだ?」

「還素薬……応急……措置」

「! ヒソラの……」

 

 シヅキが思い返したのは、先日医務室を訪れた時のやりとりだった。

 

 

『この前、還素薬(かんそやく)を支給したでしょ? あれだって、解読の賜物なんだから』

『還素薬?』

 

 シヅキは数日前の記憶を思い返してみて、すぐに思い当たる節があった。液体状の何かを飲まされた記憶があるのだ。

 

『あーあれか。飲んだけど、よく分からんかった』

『プレ版だから薬の配合量自体は少ないよ。効果に気づかなかっただけだと思うけど、あれは傷ついた魔素を回復する作用があるんだ。魔人と戦闘する浄化型には必須だと思うよ』

『……どうだかな』

 

 

「あれか!」

 

 シヅキは、腰元のベルトに装着された、布製の袋を強引に(まさぐ)った。彼が取り出したのは、真っ黒の小瓶が2本。

 

「こいつ浄化型用のものじゃないのか?」

「体内……魔素が…………空気に触れたら……希薄…………する……から。魔素の……状態を…………維持する……ために」

「ああ、そういう使い方もあるのか」

 

 大きく頷いたシヅキ。細かく震える手を押さえ込みつつ、小瓶の蓋を開けた。すぐに濃い魔素の臭いが鼻につく。

 

「……いいか? 飲ませるぞ」

 

 トウカが僅かに頷いたのを確認した後、シヅキは彼女の顎を上げた。そして、ゆっくり、ゆっくりと流し込んでいく。先ほど派手に吐血をしたばかりではあったが、トウカは瓶を1本、飲み干した。

 

「これで、いいか?」

「う、ん。 …………シヅキ…………私…………まだ終わり……たく……ない」

「――っ!」

 

 (うつろ)な琥珀の瞳。トウカの綺麗な瞳は、すっかりと澱みきっている。 ……それでも、綺麗なままだった。綺麗でならなかった。

 

 シヅキはその場に立ち上がった。自身の表情を見られたくなかったから。気を抜いたらポロポロと溢してしまいそうになる喉を、首ごと強引に掴んで押さえ込む。低いトーンで彼は言った。

 

「……終わらせるかよ。港町、行くんだろ」

 

 シヅキは目線を逸らした。それ以上、トウカを見ることが出来なかったから、というのもある。 ……しかし、それ以上に。

 

 

 ――灰色に染まった花畑。シヅキはそこに異分子を見つけた。どす黒い異分子だ。ソレは灰色の花に紛れるようにポツンと在るが、擬態なんて全く出来ていない。

 

 彼が眼を向けたからか、それとも単なる偶然か……ソレは笑うように鳴いた。

 

「ミィミィミィミィミィミィ」

 

 シヅキは大きく舌打ちをする。

 

「さっきから気色(わり)いな、マジでよ」

 

 体内魔素を操作。間も無くして彼の手には大鎌が宿った。

 

「ミィミィ」

「残念だったな。奇襲は失敗に終わった。同じ手はもう効かねえよ。 ……俺が効かさねえよ」

「ミィ」

 

 最後に小さく鳴いたソレ。間も無くして、奴の近くの地面から蔦が生えた。 ……先端が鋭く尖った蔦だ。

 

 対してシヅキも武器を構えた。漆黒の大鎌は、まるで闇空に溶けている。

 

 口元を歪ませながら呟いた。

 

「……真っ黒だな。俺も、お前も」

 

 眼に捉えたソレの正体は、黒色の花だった。花のくせして左右に揺れ動くし、ミィと鳴く。そんな奇怪な存在を見ることは、当然初めてだった。

 

 しかしシヅキには検討がついている。 ……流れからして、正体なんて一つしかなかった。

 

 フゥと息を長く吐く。乾いた唇を舌で湿らせる。そして、随分と低いトーンでシヅキは問うた。

 

 

「お前、“絶望”か?」

 

 



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俺はずっと……

 

 ビュン、と(しな)(つた)が高速で飛んでくる。

 

 シヅキが半身になってそれを(かわ)すと、すぐ後ろから乾いた破裂音のようなものが聞こえてきた。蔦が伸びきった音だ。

 

 すぐさまシヅキはバックステップをした。すると、やはりビュンと空気を裂く音と共に、今度は後方から蔦が襲いかかってくる。ソレはシヅキが立っていた場所に派手に叩きつけられた。土煙が舞う……

 

 グシャグシャに潰された花々と地面を眼に捉えたシヅキは口元を歪ませて言った。

 

「イかれてんだろ」

 

 汗と土で塗れた袖元で顎元を拭う。シヅキが凝視する漆黒の花……“絶望”は相変わらず左右に揺れ動いていた。奴の周りには5本の太い蔦が生えている。それらは上下左右に撓らせながらシヅキのことを狙い続けていた。

 

「……っ!!」

 

 何度も、何度も飛んでくる蔦共。シヅキはそれらを避け、鎌で流し、なんとか対処をしている。彼の背後には気を失ってしまったホロウ……トウカが居た。

 

 再び伸びてきた蔦を受け流したところで、シヅキは自身の胸元に手を当てた。

 

 鼓動と熱、それを感じる――

 

(さっきから、なんか変だな……)

 

 “絶望”の蔦に襲われ続けているのに、シヅキは恐怖感に(さいな)まれることなく、怒りに狂う訳でもない。それどころか穏やかな気分なのだ。 ……何故なのか? シヅキの中にはボンヤリとした答えがあった。

 

 困惑気味な声で呟く。

 

「トウカが……()きていたから」

 

 だから自分は今、安心しているのだろうか? 

 

「……」

 

 否定したい衝動に駆られた。別にトウカに限った話ではない。 ……たかが1体のホロウの安否に対して、自分の心がこんなにも揺れ動いたことを受け容れたくなかったのだ。

 

 小さく溜息を吐く。

 

「こんな葛藤……初めてだ」

 

 闇空に再び、鋭利な蔓が飛んでくるのが見えた。1本は身を(ひるがえ)し避け、もう1本は鎌の峰で受け流した。

 

 そして、最後の1本は――

 

「フッ――!」

 

 出来るだけ刃の中心で捉えるように、鎌を小さく振った。

 

 ブチッッッ

 

 確かな手応えと共に、鈍い音が響いた。シヅキの眼の先には……一刀両断された蔓が確かにあった。

 

 そそくさと“絶望”のもとへと引っ込んでいく破損した蔓を見ながら、シヅキは拳を固めた。

 

「よし、斬れるな」

 

 鎌の峰で何度も攻撃を受け流す中で、蔓にそこまでの強固性が無いことは分かっていた。思いきって斬り伏せることを試みたが……上手くいった。

 

 鎌を構え直す。刃先を向けた“絶望”は、心なし先ほどまでより花弁を(うね)らせているように見えた。止むことなく飛んできていた蔓の攻撃も、今は飛んできていない。ある程度は損傷を負わせたろうか?

 

「……」

 

 それを確認したところで、シヅキは首を少しだけ捻り、改めてトウカに眼を向けた。 

 

 ……魔素の流出はもうしていない。還素薬が効いているのだろう。未だ気を失ったままだが、呼吸は安定しているようだった。

 

 

 ――改めてトウカを見て、ふと気付いたことがあった。

 

 

(思えば、俺の心は……あいつに出会ってからずっと揺れているのかもしれない)

 

 18年前に造られてから、周りの同胞は「人間の為に」なんてひたすらに言い続けていた。だからシヅキも「人間は復活させた方がいいのか」なんて、漠然と思っていた。それを達成すべく、文字通り身を削り、鎌を生成し、魔人を刈り続けた。  ……それ位しか、自分に出来ることはないと思っていたから。

 

 

『人間の為になんて……そんなのおかしいよ。ホロウは……ホロウにだってちゃんと意志がある! 怖いものは怖いし、痛いものは痛い。それなのに、何で私たちは私たちのことを第一に思えないの?』

 

 

 ――でも、トウカは違った。

 

 

 あいつは「人間の為に」なんていうホロウの在り方を、真っ向から否定した。ちゃんと自分の意志があって、明確な目的があって、周りに流されない強さを持っている。まるで他のホロウたちとは真逆だった。

 

 それに気がついた時、最初はバカなんじゃないかと思った。闇に染まりきった救いのない世界で、そんな在り方は無意味なだけだと……そうやって信じきっていた。だから、その全てを否定しようとした。 ……激昂して、一蹴した。

 

 ああ。

 

「バカなのは、どっちだよ」

 

 琥珀色の瞳を思い出した。吸い込まれそうなほど、貫かれてしまいそうなほどに綺麗な瞳。何故あんなにも魅入られていたのか……今になって(ようや)く分かった。“トウカ”というホロウを失いかけて、漸く分かったのだ。

 

 シヅキは言う。

 

 

「あの眼には、トウカの“信念”が篭っているのか」

 

 

 信念……正しいと信じて止まない、自分の考え。瞳の琥珀にはそんなものが宿っているんじゃないかって。

 

 本当に自分らしくない言葉だ。よくもまあ、そんな綺麗事を考えられたものだと思う。

 

 でも、不思議と嫌悪感は抱かなかった。何もかもを諦めた思考より、ずっとマシに思えたから。

 

「ふぅ…………」

 

 小さく、長く溜息を吐いた。戦闘中にも関わらず簡単に身体は脱力した。

 

 そして、呟く。

 

「俺はずっと……羨ましかったんだ。トウカの在り方が」

 

『やーっと素直になったか〜! ほんとに(ひね)くれているんだからもー』

 

 そんなソヨの呆れ声が、どこからともなく聞こえた気がした。

 



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慟哭

 

 シヅキはまるで空を飛ぶように跳躍した。

 

 彼の真横を先端の尖った蔦が通り過ぎていく。すぐ後ろで乾いた破裂音が響いた。

 

 間髪入れず、2発目が飛んでくる。シヅキから見て左の方向からだ。

 

「ふぅ」

 

 走り続けながらもシヅキは肩の力を脱力させた。大鎌の刃先を、蔦そのものを穿(うが)つかのように向けた。

 

 いや、実際に穿った。

 

 今度は姿勢を低くすることで伸びる蔦を(かわ)す。蔦が伸びきると一瞬だけ動きが止まる瞬間があった。 ――反撃の機会だ。

 

 腕に濃縮した魔素を一気に解放するように、シヅキは大鎌を振り下ろした。

 

 ブチッッ

 

 鈍い音と、確かな手応え。直径20cmはある極太の蔦はものの見事に切り裂かれた。

 

「ミィミィミィ」

 

 遠くの方でやけに耳につく声が聞こえてきた。それは漆黒の花弁を持つ花……“絶望”だ。

 

 シヅキはその姿を眼に捉えると、口元を僅かに歪ませた。

 

「これで3本目……あと2本だ」

 

 “絶望”の周囲の地面から生える5本の蔦。シヅキが鎌で刈った3本が、その後飛んでくることはなかった。残り2本だけが闇空に向かって畝りながら伸びている。まるで攻撃の機会を窺うように。

 

 改めて大鎌を握り直す……妙に手に馴染む感覚があった。それどころか、全身が軽いのだ。調子が良いと言い換えてもよい。

 

「魔素、だいぶん回したんだけどな」

 

 普段なら身体の中で魔素を脈立たせると、特有の疲労感が襲ってくるものだが、今回に限ってはまるでそんなものが無かった。頭の中で思い描いたように、身体は機能してくれる。ノイズが響かない丘で戦っているおかげだろうか?

 

「いや」

 

 小さく呟いて、シヅキは(かぶり)を振った。彼は胸に手を添えた。声に出すことは憚られ、心の中で言った。

 

(気持ちに整理をつけたからか……)

 

 ここ数日間に感じていた漠然とした思い。トウカのことをどう思っているのか、そこに一つの答えを出した。身体の調子との因果関係は無根拠だが、完全に別問題とは思えなかった。

 

「……だとしたら、単純すぎるだろ。お前」

 

 小さく溜息を吐いたシヅキ。その表情は彼らしからぬ柔和(にゅうわ)なものだった。

 

「ミィ」

 

 再び“絶望”が鳴いた。それと同時にやはり蔦が伸びてくる。

 

「さっきから攻撃が単調なんだよ。テメェ」

 

 身体を前傾に倒したシヅキ。鋭く息を吐き、走り出す。闇空を泳ぐように飛んでくる2本の蔦を眼に捉える。縦に、横に、不規則に揺れ続けながら動く蔦はなかなか距離感を掴みづらい。しかし、何度も同じ動きをされていては流石に慣れてくるものだ。

 

 1本目は鎌の峰で流しながら地面を転がった。間髪入れず飛んできた2本目はシヅキの心臓を目掛けて来る。

 

 鎌を構え直したシヅキは、

 

「らァ――!」

 

 小さな雄叫びと共に、鎌の中心を蔦へと噛ませた。再び鈍い音が走る。

 

 急ブレーキで速度を殺したシヅキ。振り返ると、やはり見事にぶった斬られた極太の蔓が灰色の花畑に転がっていた。

 

 シヅキはそれを冷ややかな視線で見た。

 

「植物が鎌に勝てるわけ……」

 

 ビュン

 

 すぐ背後から風を斬る音が聞こえた。残り最後の蔦……それがシヅキを(ころ)そうと不意打ちをしてきたのだ。

 

 しかし――

 

ブチッッ

 

 水平方向に、鎌を這わせるように当てたシヅキ。蔦の先端が大きく裂けた。こうなってしまえば、攻撃する余力が蔦には残っていない。

 

 止めの一撃を振り下ろしたシヅキ。両断された蔓の残存部がズルズルと地を這いながら、“絶望”の元へと戻っていった。

 

 それを見送りながらシヅキは言い切った。

 

「……勝てるわけねーんだよ」

 

 ついに“絶望”の武装である蔦をすべて斬り伏せたシヅキ。遠くで咲く“絶望”は大きくその花弁を畝らせていた。 ……それはまるで動揺しているように。

 

 シヅキは背後に目をやった。

 

「トウカ」

 

 まだその身体はちゃんと残っている。ホロウも魔人も……魔素で形作るモノ達の終わりとは、その存在の消失だ。つまり、その身体は世界から綺麗さっぱり消え失せてしまう。

 

 まだ残っているということは、トウカが(いきてい)るという確かな証だ。 ……無論、一刻も早く治療する必要はあるだろうが。

 

 シヅキは長く息を吐いた。荒い呼吸を整える。

 

「さて、どうするか」

 

 シヅキには2つの選択肢があった。1つは、このまま“絶望”を浄化してしまうというもの。武装が剥がれた今、またとないチャンスだ。そしてもう1つは、このままトウカを背負いオドまで逃げるというもの。

 

 ホロウとしての正解は無論、前者だ。トウカが気を失っている今、魔素の抽出を行うことは不可能だ。だが、同胞の仇を撃てるならば……躊躇いなどあってはならないだろう。

 

 

 あっては、ならないはずだが。

 

 

「……」

 

 シヅキは(おもむろ)に眼を閉じた。乾いた唇を舌で湿らせる。魔素の熱を帯びた身体が少しだけ冷めてきた。

 

「いや……」

 

 小さく呟いたシヅキ。彼は“絶望”を眼の端に捉えながら、トウカの元へ駆け寄った。

 

「トウカ、大丈夫か?」

 

 肩を軽く揺すってみるが、トウカが眼を覚ますことはない。シヅキはトウカの頬へと手を触れた。

 

(冷てえな)

 

 普段よりもずっと低い体温は、トウカの身体に起きた異常性をまるで体現していた。事は一刻を争う……シヅキにはそう思えた。

 

「ほんとは救援を待ちたかったんだが、まぁ、しゃあねえわな」

 

 シヅキが取った選択は後者だった。ホロウとしての在り方より、それは……優先したいものだった。

 

「ほんとらしくねぇよ。お前」

 

 そうやって自身を非難しつつも、シヅキがとる動作には何一つ躊躇いなどないようだった。

 

 彼が布袋から取り出したのは1本のロープだった。次に、トウカの上体を起こし自身の背中へと引き寄せる。

 

 ロープを伸ばし、自身とトウカを囲うように縛り付ける。結目(むすびめ)を複数作ったため、少しの衝撃で落ちることはないだろう。

 

「錫杖は……いや、置いてくか」

 

 地面に転がる錫杖を一瞥した後、シヅキは再び“絶望”を眼に捉えた。

 

「ミィ、ミィ」

 

 遠くで、鳴いている。漆黒の花弁は今、一体何を思っているのだろうか? 周りにはまだ5本の蔦が生えていたが、それらはすっかり動いていない。色だって、毒々しい緑から、周りの花畑のような灰色に変貌していた。もう使う事は出来ないだろう。

 

「……気持ち悪い」

 

 吐き捨てるようにそう言ったシヅキ。彼は“絶望”へと背を向け歩き出した。

 

「……」

 

 数歩進んで、振り返る。それを何度も繰り返した。“絶望”から意識を逸らすことは出来なかった。

 

 シヅキが逃げるという選択を取ったのは、何もトウカの身を案じてだけではない。彼の中には大きな懸念がいくつもあったのだ。それを考えると、これ以上“絶望”を相手にすることは不策だと考えたのだ。

 

 頬をツーっと一滴の汗が伝った。口内に溜まった唾液を飲み込む。懸念を考えれば考えるほど、シヅキの中で不安感が押し寄せてきたのだ。

 

 ついに耐えきれなくなったシヅキ。小さく震えた声で、彼は吐露しようとした。

 

「あいつ。本当にもう――」

 

 

「グギィエアアアアアアアアアァァァアアアアアアア!!!!!!」

 

 

 

 ――シヅキの声は、慟哭(どうこく)のような鳴き声に掻き消された。

 



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逆撫でる

更新が空いてしまって申し訳ございません……


 

 何もかもをぶち壊さんとする轟音と共にそいつは現れた。

 

 立ち上る土煙に思わず顔を覆ったシヅキ。腕の隙間から覗く眼でその姿を見上げた。

 

 ――腕も、脚も無い。その全身を無数の細長い脚部のような器官が支えていた。その上部で(しな)っているものは……腕のようだ。顔部には人間の面影なんて残っていない。花弁だ。漆黒の花びらを咲かせているに過ぎない。

 

 その時、撓い続ける腕部から、小さな花が咲いた。恐ろしく既視感のあるソレは、シヅキを嘲笑うように鳴いた。

 

 

「ミィ」

 

 

 瞬間、身の毛がよだった。胃から何かがこみ上げてくる感覚に襲われる。魔素を脈立たせていないくせして、動悸が荒げた。

 

 全身5mは優にある、その植物を見上げながらシヅキは震える顎で言う。

 

「それが……“絶望”の本体かよ」

「グアアアァァァアアア!!!」

 

 再び鳴いた化け物……基い“絶望”。奴は脚部代わりの枯れ枝をシヅキへと向けた。

 

「――っ!」

 

 シヅキは声にならない声を漏らし、反射的に後ろへ跳んだ。

 

 瞬間、彼の立っていた地面に無数に枯れ枝が刺さった。 ……あれは。

 

「トウカを、刺したやつか」

 

 クソ! と吐き捨て、シヅキは全身に魔素を回した。“絶望”を視界に捉えながら、全力で距離をとろうとする。

 

 灰色の花畑を駆け抜ける。揺れないようにと、背負うトウカを腕で押さえながらシヅキは叫んだ。

 

「やっぱ……全部演技(ブラフ)かよ!」

 

 シヅキの中でずっと転がっていた懸念。それは、“絶望”が力を出し切っていないことだった。

 

 丘に逃げ込む以前に感じた魔素のノイズ……身体に悪影響を及ぼすほどに尋常じゃないソレは、間違いなく“絶望”が発したものだ。シヅキはそう確信していた。

 

 やがて丘で対峙した植物形状の魔人、“絶望”。奴が伸ばしてくる蔦を捌きながらも、シヅキはその手応えの無さに首を傾げていたのだ。浄化型最強と名高いコクヨ……そして彼女が率いる大隊は、本当にこの魔人にやられてしまったのか? 彼の中で疑問符は積もる一方だった。

 

 しかしそれを確認することは出来なかった。丘の空間では、土地の特性故に、ノイズを感じとることが出来ない。結果として、シヅキは正体不明の“絶望”? と戦わざるを得なかった。

 

 もし対峙していたのが“絶望”とは異なる他の魔人だったら。 ……そんな期待があったのは事実だ。だが、実際に正体を現したソレはどうだろう?

 

「クソッ!」

 

 シヅキは再び吐き捨てた。突きつけられた現実は、彼の想定の中で最悪のものだった。

 

 シヅキの脳内では、完全に逃げるという選択にシフトしていた。背中にトウカを背負っているというハンデもあるが、それ以上に勝機を見出せなかった。 ……身体が小刻みに震えている。“絶望”の叫びを聞いてから、恐怖感が再び訪れたのだ。

 

 間もなくして、シヅキは丘と廃れの森との境界部に辿り着いた。何の得策も思いつかないまま、シヅキは白濁の木々の中へと飛び込もうとする……

 

 

 それを、本性を現した“絶望”が許す筈がなかった。

 

 

 突如として、シヅキの行手……灰色の地面が大きく盛り上がった。這い出るかのように生えてきたのは太い蔦共だ。 ……道を塞ぐ意図があることは明らかだった。

 

 シヅキはすぐに進路を逸らした。丘の外周を沿うように走る。しかし、シヅキの先を遮断する蔦が生える。生える。5本なんかじゃない。気づいた時には何十本という規模の蔦に囲まれていた。

 

 大きく舌打ちをしたシヅキ。仕方なく来た道を振り返った。

 

 

 ……振り返って、悟った。

 

 

「ミィ、ミィ、ミィ、ミィ、ミィ」

 

 逃げることなんて不可能だと。

 

「……ざけんなよ、マジでよ」

 

 眼前に(そび)え立つは、“絶望”。漆黒の花が、脚部の枯れ枝から無数に生えている。奴らは嘲笑うかのように鳴きまくっていた。 ――お前はここで(ころ)す、と。

 

「ミィミィミィミィミィミィミィミィ」

 

 シヅキはギリギリと歯を噛み合わせた。襲われたのは、恐怖心よりも苛つきだ。もっと上手く出来たはずだ、そんな過去への後悔が降り積もってゆく……。

 

「クソがよ!!!」

 

 怒気の篭った声で荒らげたシヅキ。体内の魔素を操作……大鎌を生成。

 

「がァッッッ!!!!!」

 

 決してホロウが上げたとは思えない、魔人のごとき叫び。刃先を絶望へと向けた。

 

「ミィミィミィミィミィミィミィミィ」

 

 再び漆黒の花が咲いた。“絶望”の身体のみならず、花畑から生える。背後の蔦からも生える。無数に……生え続ける。

 

 

ミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィ

 

 

 シヅキを逆撫でる挑発的な鳴き声。魔素のノイズが無い静かな丘の中でコダマする。耳を塞ごうが、そんなの意味を持たない。圧倒的な物量を前に、空間は支配される。

 

 

 ――あぁ

 

 

 残された選択肢はもう、一つしかなかった。

 

「やるしか、ない」

 

 無骨な大鎌を構え直す。震える手で柄を持ち直す。刃先を“絶望”へと向けた。

 



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一閃

 

 今日だけで何度行ったろうか? 再び、魔素を脈立たせる。先程走るために使用した魔素の熱が未だ身体に残っている。そのせいで、体内がまるで沸騰しているようだ。

 

 熱い、痛い、苦しい。

 

 空気を喘ぐ。調子が良かった筈の身体は、既に擦り切れていることに気がついた。それでも、やるしかない。やるしか、トウカが(いきのこ)る手立てはない。

 

「やる、やる、やる…………」

 

 呪詛のごとく、何度も何度も繰り返し吐く。あからさまにシヅキが臨戦態勢に入っているというのに、“絶望”から攻撃を仕掛けて来なかった。奴は出方を窺っているというより、シヅキを見くびっているように思えた。

 

 ……いや、実際にそうなのだろう。初めから本体が現れなかったことも、蔦が5本しかないように見せていたことも、「ミィ」という耳につく鳴き声も。全て、シヅキの心を弄んでいたのではなかろうか。

 

「浄化型……舐めんな」

 

 ボロボロの身体を、それでも動かす。息を一つ吐いた。

 

(ぶった斬ってやる……)

 

 最後に心の中で吐いたシヅキ。灰色の大地をその脚で踏みしめる。姿勢を低く落とし、重心を一歩前に出した左脚に預けた。

 

(3……2……1!)

 

魔素を一気に脈立たせようとした。 ……脈立たせようとはしたのだ。

 

 

「ミィ」

 

 

 ――鳴き声が聞こえて、その後何が起こったのかすぐには分からなかった。

 

 

 一瞬だけ腕に振動が伝わったかと思うと、手にかかっていた重みが、全て消え失せていた。ゆっくりと首を動かすと、その手の中にある大鎌をナニカが貫通していた。 ……トウカを刺したものと同じ、枯れ枝だった。

 

 間もなくして、バリンと音を立て大鎌は粉々に砕け散った。刃も、柄すらもバラバラになっていた。漆黒の欠片たちが、地へと落ちてゆく。

 

 それを見届けることしか出来なかったシヅキ。 ……眼前に突きつけられた現実は、度し難いほどに無慈悲だった。

 

「…………」

 

 何も言わず、何も言えず、シヅキは前側へと崩れ落ちた。

 

 “絶望”が鳴く。

 

 

「グギャオオオオオォォォォォォアアアアアア!!!」

 

 

 襲われたのは、途方もない虚無感だった。思考したって、争ったって、何をしようとしたって……無意味なのだとシヅキは悟った。

 

 退路はない。“絶望”には勝てない。救援も来ず。

 

 シヅキの口元が歪んだ。

 

「はは……」

 

 乾き切った笑いが溢れた。視界が霞み、歪む。小刻みに震える身体は、まともに動かなくなっていた。

 

 言葉が漏れる。

 

「トウカ…………ごめん」

 

 シヅキは一つの記録(きおく)を思い出した。

 

 

『……そう。私は無理してたの。今日一日ずっと。頑張って、作り込んだキャラクターになろうとしたの。でも……全部バレてた……。初めて来たのに……ソヨさんにもたくさんのボロ出しちゃった。これじゃあ……計画が……』

 

 

 トウカと初めて会った日のこと。彼女は“計画”なんて言葉を漏らしていた。 ……結局のところ、彼女が求めるものは何だったのだろうか? ただシヅキが知っていることは、彼女が確固たる意志を持っていることと、褪せやしない琥珀の瞳をしていることだけだった。

 

「トウカ……お前、何がしたかったんだよ。こんな世界で、何を見ていたんだよ」

 

 背負うトウカの重みを背中に強く感じる。彼女はまだ存在している。 ……存在しているのだから、これから起こることが余計に辛い。

 

「ミィ」

 

 頭上から聞こえた鳴き声。見上げた視線の先に一輪の花が居た。漆黒の花弁が畝り揺れている。

 

 苛立ちも、あるいは激昂も無く、シヅキはただそれを見るだけだった。大鎌は物語った。奴の前で、シヅキというホロウはあまりにも無力なのだ。何も出来ず……空っぽで…………。

 

「ああ……」

 

 

 ――これが絶望か。

 

 

 カサカサと脚部の役割を果たす枯れ枝が(うごめ)いた。枝先がシヅキへと向く。トウカの胸を、シヅキの大鎌を瞬く間に貫いた枝だ。ボロボロの身体が、それに抗える筈なかった。

 

 ハァ、と溜息を吐いた。ゆっくりと眼を閉じる。 ……シヅキにはもう、()()()を待つだけだった。

 

 “絶望”が、シヅキを(ころ)す。そのための枯れ枝を伸ばした。

 

 

 グシュ、と。鈍い音が走る。

 

 

………………

………………

………………。

 

 

「……え?」

 

 強烈な違和感に、シヅキはバッと眼を開けた。そして、目の前の光景に大きく眼を見張る。

 

「シヅキ、それにトウカか。どうやら間に合ったようだな」

 

 そこに立っていたのは“絶望”ではなかった。いや、正確に言えば“絶望”とシヅキの間に1体のホロウが居た。そのホロウは……彼女はシヅキに背を向けていた。手には1本の刀を携えている。風が吹き、一括りにされた黒髪が靡いた。

 

「あ、あんたは……」

「酷い声だな。魔素の過剰使用で身体中が損傷しているか。無理はするな」

 

 淡々とした声で述べ続けるホロウ。こんな状況下だって、いつもと調子は変わらずに。だからこそ、シヅキは圧巻された。

 

 

「グガァァァァァァァァァ!!!」

 

 

 “絶望”が叫ぶ。先程までより音圧が高い。怒りめいたものが篭もっていると、シヅキは感じた。

 

 間も無くして、枯れ枝が蠢き、膨張した。 ……攻撃の合図だ。

 

「マズ……!」

 

 シヅキは叫ぼうとしたが、上手く声が出ない。咄嗟に伸ばした右腕は、何も掴むことなく、ただ空を斬る。

 

 瞬間。

 

 シン、という甲高い音ともに、シヅキの眼前に白色の光が真横に一閃走った。遅れて、“絶望”の態勢が大きく傾いた。見ると、枯れ枝の一部分が真っ二つに切断されている。 ……大鎌を一瞬でぶっ壊した、あの枝共がだ。

 

「有り得ねえ……」

 

 シヅキは口をポカンと開け、首を横に2度振った。呆気に取られたシヅキを知ってか知らずか、ホロウはやはり淡々とした口調で言う。

 

「ワタシのことは気にかけるな。後のことは全て任せろ」

 

 今まで背を向けていたホロウ。彼女はこちらを振り返った。その真っ黒な左眼が、シヅキのことをハッキリと捉える。

 

 

「……魔人は全て、根絶やしだ」

 

 

 先程までとは異なり、随分と低いトーンで述べたホロウ。彼女は瞬く間にシヅキの元から消えた。そう思わせるほどのスピードで動いたのだ。

 

 気づいた時には、シヅキの背後から鈍い音が連続で鳴った。退路を塞いでいた蔦共が一遍に斬られたのだ。

 

「グガァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!」

 

 再び、“絶望”が鳴いた。斬られた枯れ枝を再び伸ばし、ガサガサと動き出す。その行く先には先程のホロウがいた。いつの間に、あんなに距離を取ったのだろうか?

 

 間もなくして、けたたましい金属音が鳴り響いた。ホロウは、無数に伸び続ける“絶望”の蔦と枯れ枝共を捌き続けていた。 ……明らかに善戦している。

 

「なんだよ、あれ……」

「そっすよねー! 初めてコクヨさん見たらそうなっちゃうすよねぇ!」

 

 突然後ろから聞こえてきた陽気な声に、シヅキの肩がビクリと跳ねた。

 

 振り返った先には赤毛のホロウが。ボサボサの髪で、目鼻立ちがハッキリとした男だ。しかし、その表情からは軽薄な印象を受けた。彼はニッと笑い、ヒラヒラと手を振る。

 

「雑談などしてる場合か。迅速に命令を遂行するぞ」

 

 そいつの隣には眼鏡をかけた堅物そうなホロウ。こいつは見たことがあった。

 

「あんた……大ホールで喋ってた……」

「貴様も貴様だ。コクヨ隊長から『無理はするな』と指示をされていたのではないか? 口を開いて無駄に体力を消耗するな」

「……なんで、こんなところに」

「はァ。救援の通心をしたのはお前じゃなかったか?」

 

 救、援……救援。 

 

 ――あぁ、そうか。

 

 呂律が回っていない口でシヅキは呟いた。

 

「トウカは……助かった…………の……か」

 

 一気に身体から力が抜けて、唯一その身体を支えていた両腕すら折れてしまった。

 

「うっわ! だいじょーぶすか!?」

「ふん……気を失ったか」

 

 赤毛と眼鏡のホロウがそれぞれ言葉をかける。しかし、既にその言葉はシヅキの耳に届いていなかった。

 

 微睡みを飛び越え、深い、深い眠りの世界に沈んだシヅキ。彼が次に目を覚ましたのは、それから丸2日後のことだった。

 



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目覚め

 

 真っ黒な闇の中で眼を覚ました。

 

 普段、生活を送っている闇空の下。そんな世界とは比にならないほどに暗い闇だ。上下左右すら曖昧な空間はひたすらに静寂だった。

 

 ――なんだここ。

 

 戸惑いながらも辺りを見渡す。しかし、一切の視覚が効かない闇の中では意味を成さない。

 

 (しばら)くその場に立ち尽くしていたが、それで何かが起きるわけでもなかった。仕方なく、歩いてみることにした。

 

 1歩、また1歩と足を進める。その度にカツ、カツと足音が響いた。その反響音がこの闇には何もないことを強調しているようだった。

 

 ――気味が悪いな。

 

 やはり暫く歩いてみても、何かが起きるわけではなかった。溜息を溢し、再びその場に立ち尽くす。

 

 なぜ自分はこんなところにいるのだろうか? どうも意識が曖昧で、思考が働かない。ただ自分から何か行動をしたところで、この闇の中からは抜け出すことは出来ないのではないか? と直感的には思った。

 

 ……そう。()()()()は、だ。

 

 

 ズズズズズズズズズ

 

 

 その時、身体が一気にひり付くような感覚に襲われた。この感覚には嫌なほどに覚えがある。そう、魔人が近くに居る合図だ。

 

 考えるよりも先に、反射的に身体が動いた。体内の魔素を脈立たせて、応戦を試みようとする……しかし。

 

 ――魔素が……回らない!?

 

 明らかな異常だった。いつもとは異なる変な世界の中に居るせいだろうか? 自分の身体を制御出来ないことに気がついた。

 

 焦燥に駆られながら齷齪(あくせく)としている間にも、ノイズは段々と大きくなってくる。間も無くして、周囲一体が濃いノイズ反応で囲まれてしまった。

 

 ――くそ! んだよこれ!?

 

 相変わらず空間は闇のままだ。何も見えず、何も聞こえない。ただノイズだけが身体を大きく蝕んでいく……

 

 ただ、いつまでもそのままという訳ではなかった。自身が発したものではない音が聴こえてきてたのだ。

 

「…………」

 

 何の音かは分からない。ただ、物音の類いでは無さそうだった。掠れ掠れのその音の最中には息が混じっていた。 ……つまり、声だ。

 

 ――魔人が発したもの?

 

 再び声が聞こえてくる。

 

「………イ」

 

 だんだん鮮明になってくる。

 

「……シイ」

 

 大きく衝撃を受けた。

 

 ――言語を話そうとしているのか!?

 

 魔人は、魔人特有の声を発する。それはホロウが普段遣いする言語とは程遠いものだ。だからこそ、耳を疑わざるを得ない。

 

「クル……シイ」

 

 ――苦しい?

 

 男か女かも判別できない声だった。それを認識してからというもの、あらゆる方向から、いくつもの声が一斉に降りかかってきた。

 

 

「クルシイ」「ツライ」「ダルイ」「シンドイ」「ユルサナイ」「シニタイ」「タスケテ」「シンデクレ」「オワリタイ」「オワレナイ」「ナニモナイ」「カワイタ」「オナカヘッタ」「アツイ」「サムイ」「オモイ」「コワイ」「カエシテ」「カエリタイ」「クライ」「イタイ」「トホウモナイ」「ジカンガナイ」「ジカンシカナイ」「ナニモナイ」「ヒトリダ」「サビシイ」「キボウガナイ」

 

 

 ――やめろ。

 

 止まない。

 

 

「センソウ」「デンセンビョウ」「テロ」「ジサツ」「キガ」「フサク」「ジシン」「カサイ」「ツナミ」「サギ」「ドレイ」「スリ」「コロシ」「イジメ」「ムシ」「ボウリョク」「リョウジョク」「オセン」「ゼツボウ」「ゼツボウ」「ゼツボウ」「ゼツボウ」「ゼツボウ」

 

 

 ――やめろ!!!!!

 

 止まない。いくつもの負の言葉が浴びせ続けられる。制止の声を叫んでも、耳を塞いでも……何一つ変わらない。

 

 ――やめろ、やめろ。

 

 何度も、何度も繰り返す。無数の声は、それでも増え続け、闇に覆われた空間は完全に支配された。

 

 反響を続ける声の圧に耐えきれず、その場に(うずくま)る。身体の自由は効かなくなってしまった。

 

 ついに自分の中のナニカが決壊し、弱々しく呟いた。

 

 ――何なんだよ……お前ら。

 

 ふと、すぐ傍にナニカの気配を感じた。耳元に誰かが居る。しかし、石のような身体は全くといっていいほど動かない。

 

 何も抵抗できず、為す術はなく。その気配はゴソゴソと動いた。耳元で言葉を囁いたのだ。

 

 

 

 

「ナニモシラナイクセニ」

 

 

 

 

 

「ああああああああああ!!!!」

「うぉ……ビックリしたなぁ」

 

 激しい動悸と共に、シヅキは眼を覚ました。

 

 肩で息を繰り返しながら、辺りを見渡す。すぐに真横に居る見知った存在に気がついた。

 

「ヒ……ヒソラ?」

 

 そこにいたのは頭身がやけに低いホロウ。性別は男だが、他と比べて声も高く、背も小さい。故に一目見れば誰か分かるくらいには印象的なホロウ……ヒソラだった。

 

「うん。僕だよ。おはよう、シヅキくん」

 

 自身の胸元あたりで手を小さく振ったヒソラ。その顔に親しげな笑みを浮かべていた。

 

「医務室か……ここ」

「そだよー。さすがシヅキ。状況把握が早いね」

「……じゃああれは夢だったのか」

「あれって?」

「いや、今はいい」

 

 シヅキが軽く首を振ると、ヒソラは口元をへの字に歪めた。

 

「シヅキくん、ここ数時間くらいずっと(うな)されていたよ? いくら夢でも、現実の身体に影響は出てくることもあるんだ。話してみてよ。一応、ボク医者だし」

「……」

 

 シヅキはヒソラのことが苦手だった。毎回話すたびに会話のペースを握られてしまうからだ。ヒソラの指示には逆らえない……とまでは言わないが、どうも従う癖のようなものが身についてしまっていた。

 

 ハァ、とシヅキは溜息を吐いた。思い出したくない記憶を掘り返し、出来るだけ細かくヒソラに伝える……

 

 

………………。

 

 

「――って感じだ」

「なるほどねぇ」

 

 両腕を組み、ウンウンと頷いたヒソラ。シヅキには、まるでそれが心当たりのあるように見えた。

 

「なんも分かんねーだろ。こんなの聞いたって」

 

 吐き捨てるように言ったシヅキ。しかしながら、予想に反してヒソラは(かぶり)を振った。

 

「……いや、特定のホロウには起こる症状だよ。稀なケースだけどね」

「特定の……ホロウ?」

「言い方がクドイかな。ホロウの中にはそんな夢を見る個体も居るってこと」

「病気の類いか?」

「んーーー言い切れないかな? サンプル数が少ないから。でも、僕が知っている限りはその系統の夢が、身体に影響を及ぼしたことはないね」

「……そうか」

 

 ヒソラの言葉を聞いても、シヅキの表情は晴れなかった。ただ悪夢を見るだけ……だったら良いかとは割り切れない。

 

「ま、心理面でのサポートも行うことはやぶさかじゃないよ? 医者だし」

「別に、んな(やわ)じゃねーって。 ……それより、俺の身体はもう治っちまったのか? 魔素の過剰利用だろ」

「完治はしてないよ。ボッロボロだったからね。暫くは絶対安静だよ」

「……分かった」

「まぁ、傷の具合で言ったらトウカちゃんよりは――」

 

 トウカ。その言葉を聞いた瞬間、シヅキの身体がビクリと跳ねた。

 

「トウカ……そうだ。トウカはどうなったんだよ!?」

 

 ベッドに横たわっていた身体を無理に起こし、ヒソラの両肩を強く掴む。

 

「おぉ、ビックリしたなぁ。トウカちゃんなら……あっち」

 

 ヒソラは人差し指を自身の首元に寄せた。それが指していたのは部屋奥のスペースだ。

 

「話は後だ」

「ちょっと! あんまり無茶は……あぁ、もう」

 

 ヒソラの注意の声を聞くことなく、シヅキはベッドから飛ぶように降りた。身体を引き摺り、部屋奥の空間を目指す。

 

「んだこれ……重い」

 

 全身に重りでも纏っているように、身体は自由が効かなかった。地面に押さえつけられる感覚がシヅキを襲う。それでも、歯を食いしばり歩を進めた。

 

 1歩、2歩、3歩。眼前に現れたのは、巨大な布で仕切られた小空間だった。

 

「〜〜〜〜〜〜」

 

 近づくと、小空間からはくぐもった声が聞こえてきた。中に……誰かが居る。脚を懸命に引き摺り、シヅキはついに布へと手をかけた。

 

 シャッ

 

「ちょっと誰……シヅキ!? 眼を覚ましたの!?」

 

 勢いよく布を引いたシヅキ。するとそんな驚嘆の声が飛び込んできた。

 

「……ソヨか」

 

 普段の制服ではなく、私服を着たソヨがそこには座っていた。驚き半分、呆れ半分の声で彼女は言う。

 

「あんた……急に開けないでよ。デリカシー考えて!」

「説教は後で聞く。 ……それより、トウ――」

「シ、シヅキ」

 

 凛とした、しかしながらどこか頼りのない声。聞き覚えのある声が聞こえた。ハッと息を呑んだシヅキ。ソヨに合っていた焦点をゆっくりとズラした。

 

 

 ――琥珀に透き通った大きな眼。筋の通った鼻筋、僅かに紅潮した頬、薄桃色の唇。そして……白銀色をした長い髪。

 

 

「あ……」

「急に現れるから、ビックリしちゃった。でも……良かった、シヅキもちゃんと眼を覚ましたんだね。私もちょっと前に起きたばかりで、あんまりよく把握できていないんだけど、ソヨさんが色々と話してくれているとこ…………わっ!」

 

 その少女の声は、途中で小さな悲鳴へと変わった。彼女にとって予想だにしないことが起こったからである。

 

「シ、シヅキ? ど、どうしたの急に……」

 

 困惑の声を漏らす少女。一方で、その光景を見ていたソヨは開いた口が塞がらなかった。

 

「トウカ」

「は、はい……え? な、なに?」

「……良かった」

「そ、それはどうも。 ……ぇっと、急に抱きつかれるとは思わなかった」

「…………」

「な、何か喋って欲しいんだけど」

 

 右に左に視線を向ける少女……基いトウカ。何を言えばいいのか、何をすればいいのかよく分からない。助け舟を求めようにも、ソヨは固まったままだし、ヒソラはただニコニコと笑みを浮かべるだけだった。

 

「あー……うぇ……」

 

 情けない呻き声のみを発し続けるトウカ。彼女が最終的に搾り出した言葉は、何ともまあ他愛のないものだった。

 

 

「お、おはよう……シヅキ」

 

 シヅキの胸の中で、トウカはぎこちなく笑いながらそう言った。



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戯れる

 一つ、長く息を吐いた後、シヅキはゆっくりとその上体を起こした。

 

 腕と、胸の中にあった温もりが離れていく。すぐに視線の先に映ったのは、何とも言えない表情を浮かべたトウカだった。

 

「も、もう大丈夫そう……?」

 

 少しだけ首を傾げて、恐る恐るの口調で訊いたトウカ。シヅキは返答の代わりに、その腕を徐に伸ばした。

 

「……え?」

 

 そして――

 

「いてっ!」

 

 軽い力で弾いた指は、見事にトウカの額を捉えた。テチ、という間の抜けな音が響く。

 

 トウカはいつかのように額を抑えながら叫ぶように言った。

 

「な、なんで私デコピンされたの!?」

「うるせ。病室だぞここ」

「ひ、酷すぎる……」

 

 睨むように見てくるトウカを目の端に捉えつつ、シヅキはそっぽを向いた。

 

「ねぇ、シヅキ?」

 

 そんなシヅキに声を掛けたのは、ソヨだった。やけに声が高く、機嫌が良さげだ。 

 

「んだよ」

 

 そのことを訝しく思いつつも、無防備に振り向いたシヅキ。彼のおでこにピトリと何かが当たった。目の前に映ったのは、満面の笑みのソヨだ。

 

「おい待て。何を……」

 

 バチン

 

 乾いた破裂音とともに、脳天が揺れた。少し遅れて鋭い痛みが走る。

 

「いっっってぇ!!!」

「当然よ? 本気で額を弾いたんだから」

「何すんだよ!」

「こっちのセリフだけど?」

「あぁ?」

 

 涙目で見上げたソヨは、随分と冷めた目をしていた。

 

「着替えしているかもしれないのに、いきなりカーテン開けて? トウカちゃんに抱きついて? かと思ったらデコピンって……あらあらまあまあ」

「ソヨが怒ることじゃねーだろ。それ」

「うっさい。懲戒免職ね」

「イカれてるだろ」

「い、いくら何でもやりすぎですよ……それは」

 

 トウカは眉を潜めてを言った。

 

「……でも釈然としないので、次は指3本でデコピンしてください」

「おっけー。任せて!」

「おい」

 

 片目を瞑り、右指をパチパチと弾くソヨ。向けられたその先にあるのは、無論シヅキの額だ。

 

 シヅキはハァ、と溜息をついて、その場からサッと移動した。

 

「あ、コラ! 逃げないでよ!」

「わざわざやられる訳ねーだろ」

「やられる義務があるから言ってんだけど」

「んなもん行使してんじゃねぇよ」

「誇張して上司にチクるわよ?」

「権力に訴えようとするな」

 

 その時、パチンと大きな音が鳴った。シヅキとソヨは反射的にその方向を見る。

 

「2体ともいい加減にして。ここは病室で、ましてやシヅキは病人。分かってる?」

 

 その眉間にシワを寄せて、呆れた表情をしているヒソラ。ソヨはその姿勢をただし、サッと身を退いた。

 

「すみませんでした……」

「シヅキくんも、トウカちゃんに謝ってね」

「……チッ、わーったよ」

 

 バツが悪そうな表情を浮かべながら、トウカに向き直ったシヅキ。鼻から一つ息を吐き、言った。

 

「その……すまなかった。急によ」

「べ、別にそんなに怒ってはないよ? デコピンもそんなに痛くなかったから」

「トウカちゃん。抱きつかれたことはいいの?」

「おい、掘り返すなよ」

 

 横目で睨んだソヨは、ヒソラに気づかれないように、小さく舌を出していた。

 

(あいつめ)

 

 さらに眉間にシワを伸ばしたシヅキ。一方で、そんなやりとりをツユも知らないトウカはというと、その首を傾げつつ、こう言ったのだ。

 

 

「抱きつかれたのはちょっとビックリしたけど……そんなに嫌ではなかった、かな」

 

 

「「え?」」

「え! そ、そんなおかしなこと言ったかな……私?」

 

 慌ただしく、シヅキとソヨへ交互に視線を向けるトウカ。対する彼らは間抜けに口を半開きに開けていた。

 

 

…………。

 

 

「とにかく。2体ともしっかりと謝罪したってことで。そうやって(たわむ)れるのもいいけど、そろそろ話を進めよう」

 

 場に流れた変な空気を遮ったのは、ヒソラだった。年長者の彼らしい立ち振る舞いだが、如何せん容姿のせいで強烈な違和感があった。

 

「? どうしたの、シヅキくん?」

 

 そのクリクリとした大きな瞳でシヅキを見上げるヒソラ。シヅキは自身の唇を舐めた後、後ろ髪を掻きながら言った。

 

「……いや、何でもねーよ。続けてくれ」

「うん。そうさせてもらう。 ……ということで、シヅキくんとトウカちゃん。2体とも植物形状の魔人、通称“絶望”に遭っておきながら、よく帰ってきてくれたね。まずはそのことについてお礼をしたいと思うよ。ありがとう」

 

 ペコリと頭を下げたヒソラ。カクンと深く折れ曲がった背中が、彼の感謝の大きさを物語っていた。

 

「わ、私は……何も出来なかったです。お礼なら、シヅキへと全部……」

「トウカちゃん、そんな真似できないね。出来た出来なかったなんてこと、どうでもいいんだ。今あることが全てだから……分かるかな?」

「は、はぁ……」

 

 トウカは自身の前髪を人差し指に巻き付けた。くるくると回し、解くのを繰り返す。

 

「シヅキも、トウカちゃんを守ってくれてありがとうね」

「……ああ」

 

 そうやって謝辞を受け取りながらも、シヅキの中では1つの記録(きおく)が思い返されていた。 ……それを思うと、胸を張ることなんてとてもじゃないが出来やしなかった。

 

「そのことについては、わたしからも言わしてね? ……シヅキ、トウカちゃん。よく帰ってきてくれたね……おかえり」

 

 珍しくソヨが素直にそんな言葉を投げかけてきたことに、シヅキは眼を丸くした。揶揄(からか)おうかとも思ったが、寸で辞めた。

 

「た、ただいま?」

 

 トウカはというと、少しだけぎこちなく、そんな返事をしてみせた。

 

(律儀なもんだ)

 

 パン、と音が響く。先ほどのように、ヒソラが手を叩いた音だ。

 

「さて。(ようや)く当事者が揃ったから、色々と話さないといけないことがあるんだ。 ……ちょっとだけ、長い話になるし、きみたちに訊きたいことも多い。でも、きみたちは病み上がりもいいところだし、何より頭を整理する時間が欲しいと思うんだけど……」

 

 ヒソラはハァ、と小さく溜息を吐いた。代わりに話を続けたのはソヨだった。

 

「わたしたちに命令が下されているのよ。シヅキとトウカ……2体が眼を覚まし次第、早急に“絶望”に関する全データを回収するようにってね。 ……だから、悪いんだけど――」

「その話を今からしろってことだろ? ああ、俺はいいぜ」

 

 ソヨの話を遮って、シヅキが返事をしてみせた。トウカほどとは言わないが、ソヨも他者のことを気にしすぎる節がある。シヅキはそのことを十分に知っていた。

 

「わ、私も! 上手くお力添え出来るかは分かりませんが……」

 

 両手の拳をギュッと握り、そう答えたトウカ。シヅキが見るに、今のところそこまで疲れ切っているようには見えなかった。

 

「……そっか。うん、分かった」

 

 シヅキとトウカの表情を交互に見比べたヒソラ。彼は大きく、そしてゆっくり頷いた。

 

「出来るだけ短くなるようには努力するよ。 ……じゃあ、まずは一番大きなところからいこうか。“絶望”の存在有無についてだね」

 

 ヒソラはゆっくりとその瞳を閉じて、長く息を吐いた。そして、一息に言ってみせる。

 

 

 

「朗報だよ。ちょうど昨日、浄化型コクヨと彼女が率いる大隊の一部によって“絶望”はものの見事に浄化されたよ」

 



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返しきれない恩

更新が滞ってしまい申し訳ございません!


  

 ヒソラは大きく分けて3つのことをシヅキとトウカに話した。

 

 1つ目は“絶望”について。シヅキが気絶してからというもの、コクヨと“絶望”の戦闘が続いた。数刻にも及ぶ激戦の果てに……“絶望”は彼女の手にかけられたのだという。

 

 無事に“絶望”から魔素の塊を抽出することも出来たらしい。ヒソラは、ホロウ達にとって大きな躍進となるだろう、と語っていた。魔人の強さと採取できる魔素の質との間には相関関係があるからだ。

 

 2つ目はシヅキとトウカの容態について。2体に共通して言われたことは、数日間は休養に当てろということだった。つまりは、(しばら)く魔人刈りは出来ない。

 

 各々の身体のことも大雑把ではあったが現状を知らせてくれた。

 

 シヅキの身体は、起床直後に言われた通り魔素の流れがボロボロになっているという。

 

 ホロウの身体を構成する魔素。それは絶えず、体内を循環し続けている。そんな魔素を操作することで、ホロウは様々な恩恵を受けることが出来る。浄化型でいうところの、一時的な身体強化だ。

 

 しかし魔素を操作するということは、身体を自然に循環している魔素の流れを強引に変えることに過ぎない。多少の操作ならすぐにその循環機能は回復する。だが、連続的に大きく魔素を操作し続けると、段々と回復が追いつかなくってしまう。深刻化すると、今回のシヅキのように自身では流れを元に戻すことが出来なくなるのだ。

 

 幸い、今回はヒソラが行った治療によって循環機能は回復したらしいが。

 

 次にトウカのこと。話を聞く限りだと、シヅキが眼を覚ます前に大方の説明は為されていたらしい。

 

 “絶望”が伸ばす枯れ枝に刺されたトウカ。彼女の身体からは多量の魔素が流出した。

 

 魔素の流出は視認出来ない。そもそも魔素に形は無いのだ。しかし確かにそこに存在する。空気に触れ、希薄することで魔素は流れゆくのだ。

 

 存在の全てを魔素に依存するホロウにとって、それはあまりにも致命的だ。先日、コクヨの大隊の一部が“絶望”に(ころ)された時だって、その要因は魔素の多量流出だった。

 

 しかしトウカは(いきてい)る。ヒソラ曰く、応急処置が功を奏したらしい。

 

 還素薬。最近、開発部にて作られた液状の薬。これは魔素の流れを自然循環するように維持する役割を持っている。もし空気と希薄しつつあるなら、その魔素濃度を保とうとするらしい。

 

 結果として、トウカの中の魔素は辛うじて存在しうる最低量を保てたのだとか。

 

 そして3つ目。これが最も不可解な内容だった。

 

「実はね? “薄明の丘”周辺に妙なノイズが渦巻いていて、中に入れなくなっているんだ」

 

 薄明の丘。それは“絶望”と対峙した例の丘の俗称らしい。シヅキは初めて聞いた。

 

「ノイズが渦巻く? どういうことだ?」

「そのままの意味だよ。薄明の丘周辺を右から左に、って具合に絶え間なくノイズが流れを作っているんだ。足を進めようとすると強力なノイズに遮られてしまうんだよ」

 

 シヅキもトウカも、首を傾げた。なぜそんな現象が起きているのか、理由が分からないからだ。強いて挙げるとすれば、“絶望”の存在だろうか? しかしながら因果関係が不明だ。

 

 ヒソラがそんなことを説明した後、今度はシヅキとトウカのターンとなった。“絶望”と対峙した時から含めて、事細かく何が起きたのかを訊かれた。

 

 ノイズを感じ丘に逃げたところから、間一髪をコクヨに助けられたところまで。特に秘匿にする理由もなかったため、シヅキは包み隠さず話した。

 

 

 ――そんな数時間に及ぶ問答の果て。ヒソラもソヨも、病室から後にして今に至る。

 

 

「ハァァァァァァァァァ」

 

 シヅキが掠れ気味の溜息を長いこと吐くと、トウカは苦笑いを浮かべた。

 

「疲れたね」

「長えんだよマジで。何時間喋らせんだよ」

「ね」

「いいよなお前は。途中から聞く側に回れてよ」

「あはは……」

 

 トウカは暫くの間、気を失っていた。だから途中からは全てシヅキが全て話さざるを得なかったのだ。

 

「でも、色々と知れて良かった。私、シヅキにずっと背負われていたんだね。全然覚えてないや」

「ロープできつく縛って、な。身体に縄跡でも残ってんじゃねーのか?」

「えー……それは嫌だよ」

 

 ベッドに座るトウカは、自身の腹部あたりを服越しに撫でた。2、3度手が往復する。

 

「……シヅキ、どうしたの?」

「あ?」

「ずっと見てるから。その……私の、お腹」

 

 こちらを覗き込むトウカの頭の上に疑問符が見えた。シヅキはどう答えようか迷ったが、疲労した思考回路は何も良い案を与えなかった。

 

 シヅキはぶっきらぼうに言い放つ。

 

「傷、痛まねぇのかって」

 

 トウカの身体は枯れ枝が貫通し、大きな損傷を負った。しかし、魔素が補われたことにより、その穴はもう完全に塞がりきったらしい。

 

 トウカはふるふると首を振った。

 

「……うん。痛くはない、よ? ちょっと張ってる感覚って言うのかな? 何だか変な感じ」

「魔素が損傷箇所を修復したばっかだから、まだ身体に馴染んでねーんだろな」

「私もシヅキも、暫くは安静だね」

「……ああ」

 

 シヅキが返事をしてから少しの間だけ、2体とも話さない時間があった。 ……静まり返った空気が場を支配する。

 

…………。

 

「こんな落ち着いた時間、久しぶりだね」

「落ち着いた……ああ、そうだな」

「ゆっくり話せるのもいつ以来かな?」

「覚えてねーよそんなの」

「色んなことがたくさんあったよね」

「……さっきから何が言いたいんだよ」

 

 シヅキがそう聞くと、トウカの口元から「うっ」と声が漏れた。

 

「雰囲気作り、しようと思ったのに……」

「なーにが雰囲気だよ。口下手なくせして」

 

 一気にトウカの眼が細まった。

 

「それ、シヅキが言うかな? ……ちょっ、指を構えないで!」

「暴れんなよ。狙いが定まんねえ」

「釈然としない!」

「……お前、それ好きな」

 

 シヅキが指を下ろすと、トウカは大袈裟に胸を撫で下ろした。

 

「結局何が言いたいんだよ、トウカ」

「……う、うん。その……ソヨさんとヒソラ先生が居た時はちょっと言いづらかったんだけど……でも、言わないとダメで」

「ああ」

「だから、言うね」

 

 スゥと大きく息を吸い、吐いたトウカ。徐に閉じられた瞳が開かれた。琥珀色の、綺麗な瞳……

 

 間も無くして、彼女の小さな口が開かれた。

 

 

「ありがとね、シヅキ」

 

 

 たっぷりと溜めたトウカから出てきたのはそんな言葉だった。シヅキは何も言うことなく、次のトウカの言葉を待った。

 

「本当にありがと。私……シヅキが居なかったらきっともう存在していないんだよね」

「そのことかよ。礼を言うんだったらコクヨにしろよ。 ……聞いてたろ。俺は“絶望”に全く敵わなかったんだ」

 

 シヅキが思い返したのはちょうど大鎌を粉々に砕かれた光景だった。何も出来ないまま、たっぷりの絶望感を味わったにがすぎる記録(きおく)……。

 

 しかし、シヅキの思いとは裏腹にトウカは(かぶり)を振る。

 

「ヒソラ先生が言ってた『今あることが全て』って言葉……私、今分かった。シヅキも私も無事に帰ってこれて、こうしてお喋りが出来て、ありがとうなんて言える。私はそれがすごく嬉しいの」

 

 ニッと歯を見せながら笑うトウカ。本当の本当に、心からの言葉のように思えた。

 

…………。

 

「……ああ」

「なんで、そっぽ向くの」

「肩になんか手が乗ってるぞ」

「誤魔化し方が雑すぎる……」

 

 ハァ、と溜息を吐くトウカ。そんな彼女を横目で見て、シヅキは思う。

 

(本当に、変なやつだ)

 

 やっぱり他のホロウと比べて異質だ。「ありがとう」と言えることが嬉しいなんて、付き合いなんて長くないのに、シヅキが無事だったことをこんなに喜べるなんて……おかしい。

 

 でも、そのことを以前のように否定的に捉えることは出来なかった。

 

「……眩しすぎんだよ、お前」

「え、何? シヅキ?」

「なぁトウカ。一つ訊きたいことがある」

「え? な、何?」

 

 少しだけ困惑の表情を浮かべるトウカ。シヅキは小さく息を吸って、言葉を紡ぐ。

 

「お前、俺に恩を感じてるんだよな?」

「どしたの、急に」

「いいから」

 

 シヅキがそう促すと、トウカは恐る恐るといった具合でコクリと頷いた。

 

「うん。それは間違いない。シヅキには本当に、返しきれない恩があると思ってる」

「そうか。ああ、その言葉で十分だ」

「えっと……どういうこと?」

 

 首を傾げるトウカ。その琥珀色の瞳を前に、シヅキはクシャクシャと自身の髪を撫でた。

 

「そんくらいの恩があるならよ。一つだけ、俺の頼みを呑んで欲しい」

「そ、それはもちろん! 私に出来ることなら……」

「ああ、お前にしか出来ねえことだ。」

「わ、私だけ?」

 

 自身を指差すトウカ。シヅキはゆっくりと頷いた後、舌を強く噛んだ。フンと息を吐く。爪を掌に食い込ませる。そして一息に言い放った。

 

 

 

「トウカ、この質問に答えてくれよ。お前、この辺境の地に何しにきたんだよ。前に言ってた“計画”って、なんなんだよ。お前は……何を求めているんだ」

 

 

 ――大きく見開かれたトウカの瞳。吸い込まれそうな、かと思えば穿いてしまいそうな琥珀色の瞳。それは澱んだ空気の中でもひたすらに輝いていた。

 



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和やかな病室

 

 地下に造られたホロウたちの基地、オド。

 

 そこは十三にも及ぶ階層で構成されている。一から十層まではアークに所属するホロウなら自由に出入りすることが出来て、多くのホロウが食堂や談話室といったスペースを利用している。

 

 しかし、残りの三層はその限りではない。

 

 “上層”と呼ばれる十一から十三層は、下位ホロウを管轄する上の立場のホロウ、彼らの居住スペースだ。また、厳重な管理が必要な施設もここには設置されている。ゆえに下の立場のホロウは、原則的に立ち入りが禁止されていた。

 

「はい、これ」

 

 そんな上層の入り口に立つ警備ホロウに、ヒソラは自身のタグを(かざ)した。身分証代わりのソレは、一般的なホロウが身につける黒色のものとは異なり、赤だ。

 

 無言で敬礼を返す警備ホロウ。ヒソラはヒラヒラと手を振った後、上層へと足を踏み入れた。彼の足取りに迷いはない。カツカツと歩いていき、ある一室の扉を開ける。

 

「やあ、ちょっとお邪魔しに来たよ」

 

 ヒソラが明るい口調でそう言うと、目の前のホロウは怪訝な表情を浮かべた。

 

 それは白衣を着た女性ホロウだ。目元に刻まれたクマが印象的な彼女は、ポケットに突っ込んでいた手を外に出した。

 

「消灯直前の時間じゃない。明日にしてもらっていいかしら?」

「ごめんね。ちょっと今日中に片付けたい用なんだ」

 

 ヒソラが胸の前で小さく手を合わせると、彼女はハァと溜息を吐いた。

 

「一体何なの? 言っておくけどわたしは……」

「ああ、君じゃなくてね。患者の方に」

 

 それを聞いた女性ホロウの眉が大きく吊り上がった。

 

「まさか、コクヨさん?」

「正解。よく分かったね」

「……どういう風の吹き回しなのよ。まだコクヨさんに訊くことでもあるの?」

 

 コクヨはシヅキとトウカ同様、“絶望”について何があったのか質問攻めに遭い、おまけに報告書の作成が義務付けられていた。彼女の反応を見る限り、今日中に行われることはすっかり終わったのだろう。

 

 しかしこの問いに、ヒソラはゆっくりと(かぶり)を振る。

 

「いいや、私情だよ」

「仕事じゃないなら余計に謎。 ……ヒソラ、あなたコクヨさんのこと嫌いでしょう?」

「嫌ってるから、だよ。盗み聞きはしないでね」

 

 ヒソラが奥の方へと歩き出そうとしたところ、女性ホロウはその手を伸ばした。ちょうどヒソラの歩行を遮るように。

 

「まだ何かある?」

「あなたが私情でコクヨさんに会いに行くこと、上層部に報告してもいいのよ?」

「……ああ、そういうことね。いいよ。飲み代くらいは出そう」

「羽振りがいいわね」

「診ている2体が無事で、()()機嫌がいいからね。じゃ」

 

 ヒソラはヒラヒラと手を振り、部屋の奥へと消えていった。

 

 その背中を見送りながら彼女は呟く。

 

「……何を企んでいるのよ」

 

 

 

※※※※※

 

 

 

「やあ、失礼するよ」

 

 黙々と報告書を書き連ねていたコクヨ。ノックも無しでズカズカと入ってきたホロウの存在にペンを走らせる手を止めた。

 

「ヒソラか。珍しいな」

「うん、そうかもね。中に入るよ」

「……非常識な時間であることは言及しないでおこう」

 

 ヒソラは眼に入った丸椅子に腰を掛けた。一方でコクヨはその手に持つペンを置き、書きかけの報告書とともに机の隅へとどかせた。そして細い眼をゆっくりと閉じ、息を吐く。

 

「それで、どうかしたか? “絶望”関連のことは、昼間に雑務型のホロウへ伝達した通りだが」

「あはは。急だね、コクヨは。世間話の一つくらいさせてよ」

「……身体に支障が無いのに、医務室のベッドで横になっていると神経質になるものだ。不快にさせたのなら謝ろう」

「それはごめんね? でも今回の一件で久々に多くの魔素を吹かせたでしょ。コクヨはオドの砦のようなものだからね。大事に扱わせてほしいな」

 

 ヒソラが軽い口調でそういうと、コクヨはその口元をへの字に曲げた。

 

「要らん気遣いだ」

「純粋な善意は、純粋に受け取ってほしいけどね。 ……まぁいいや。2つ話をしたいことがあるんだ。いいかな?」

 

 コクヨは何も言わぬまま、(ほど)けた黒髪を手櫛でツーと、根元から先端にかけて梳かした。考え事をする時に彼女がする手癖だ。30年以上の付き合いとなるヒソラは何度も見かけたことがあった。

 

 間も無くしてコクヨは首を縦に振った。

 

「いいだろう」

「ありがとうね、手短に話させてもらうよ。ちょうどシヅキとトウカにしたように、ね」

 

 シヅキとトウカ。その名前を出したところ、ベッドに腰掛けていたコクヨが少しだけ前のめりとなった。

 

「意識を取り戻したのか?」

「うん。2体とも無事だったよ。シヅキなんて、起きた勢いでトウカに抱きついたくらいだよ」

「そうか。 ……安心した」

「まあこの報告が話の1つ目だよ。どうやら喜んでもらえたみたいで、何より」

「今日訪れた誰よりも、ワタシにとって意義のある話だった。礼を言おう」

「シヅキはコクヨのお気に入りだったもんね、確か」

「……? 話したことがあったろうか」

「さあ? 出自(しゅつじ)は覚えてないや」

 

 座る丸椅子をクルッと回したヒソラ。その勢いに任せて立ち上がると、その場で大きく伸びをした。

 

「さて。場の空気も少し和んだところで本命に入ろうか。2つ目の話だよ」

 

 指でピースサインを作ったヒソラ。人差し指と中指をくっつけては離しを繰り返す。

 

「今度はなんだ? まさか“絶望”まで無事だった訳じゃあるまいな」

「はは。もしそんなことがあったなら、またコクヨに頑張ってもらわないとね。 ……まぁ、()()()()()()()()()()()()は置いといてね」

 

 ヒソラの言葉に、コクヨの目尻がピクッと上がった。

 

「どういう意図の発言だ?」

 

 両肩を少しだけ上げ、ヒソラは答える。

 

「なに、他意は無いよ。ああ、ちょうどよかった。話したいこと……もとい、訊きたいことがあってね。まさにこのことだよ」

 

 ドカッと丸椅子に座り直したヒソラは自身の左足を右膝に乗せた。その左足の上で頬杖をつく。

 

 ヒソラは軽く息を吸い、こう言い放った。

 

 

「コクヨさぁ。“絶望”と対峙したのは、薄明の丘が2回目だったよね? ……何の不自由もなく浄化出来たくせしてさぁ。初めて遭った時は、なんで手を出さなかったんだよ。 ……罪のないホロウが3体、(ころ)されているんだけど」

 

 



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分かりきっている

「別にボクは見えない鍵穴を回したつもりも、複雑な迷路を突破したつもりもないよ。ただただ、誰の眼にも見えている事実を突きつけただけさ」

 

 ヒソラが小さく差し向けた人差し指が、コクヨに刺さる。

 

「だってそうじゃん。コクヨが初めて“絶望”と対峙した時に浄化していたら、(ころ)された3体の存在は助かっていたかもしれないでしょ? 僕の眼からは……いや、誰の眼から見ても、君の力の振るい方には大きな違和感があるよ」

 

 普段よりもずっと低い声で言い放ったヒソラ。コクヨは殆ど表情を変えることなく、ずっと黙っていた。

 

「ただ、そのことを指摘するホロウは少ないよね。結局のところ、君は強敵である獣形(けものがた)のホロウを浄化した英雄なのだから。結果を出している以上、仮定は言及されないものさ。まぁ、例外のホロウは居るけれど」

「……ヒソラは、そのことを訊きに来たわけか」

「まぁね」

 

 ハァ、と小さく息を吐いたコクヨ。ヒソラは彼女と古くからの付き合いではある訳だが、表情や仕草から彼女の感情や考えを探ることは出来なかった。それは十数年も前に、とっくに諦めたことだ。

 

「……」

 

 コクヨは暫くの間、その口を開くことはなかった。 ……病室内にはどこか重苦しい静寂が襲う。ヒソラがコクヨから視線を外すことは1秒たりともなかった。

 

 そして、数十秒の後に、コクヨは真一文字に結ばれていた口を(おもむろ)に開く。

 

「特に深い理由は無い。初めてだったか、二回目だったか。不意を突かれたか、突いたか。地形の問題、ノイズの有無……そういった戦闘状況下での違いが結果に現れただけだ」

「君が意図したものでは無い、って?」

「そういうことだ」

「へぇ」

 

 コクヨは再び口を固く閉ざした。もう話すことは話した、なんてふうにヒソラには見える。

 

 ヒソラは軽く息を吐いた後に言う。

 

「まぁボクは解読型だから、戦闘関連のことについて君に反論は出来ないよ。君がそう言うんだったら、少なくともこの場ではそれを信じることしか出来ない」

「やけに素直だな」

「言い方、気を付けたほうがいいよ? 嘘つきが言うセリフだ」

「……そうか」

 

 相変わらず抑揚の無いコクヨの声。募る苛立ちを押さえつつ、ヒソラは言葉を紡ぐ。

 

「ボクがこの話を持ち出した理由だけどね、何も君を問いただすためでは無いよ。忠告が目的さ。前々からだけど、君の大隊はホロウの帰還率が悪い。そりゃあ、“絶望”のような名が付けられるほどの魔人と何度も戦っているんだから、当然かもしれないけどね」

 

 ヒソラは順々に指を立てながら言う。

 

「ボクが知っている範囲で“怨嗟”、“残酷”、“嘲笑”、“憤怒”、“狂気”……過去に君が手をかけた魔人の名前だよ。そして、その戦いで存在を消したホロウの数が計58。いずれも、魔素の多量流出だ」

「……お前は、ワタシの力を買い被りすぎだ」

「だとしたら申し訳ないね。ただ、これだけは覚えておいて欲しい。ホロウは……ホロウという存在は、使い捨てていい訳じゃないよ。彼らは心があって、痛みを感じるんだよ」

「ああ。肝に銘じておこう」

 

 細く、どこか冷たさを感じるコクヨの真っ黒の眼がヒソラを刺す。彼は一つ首肯すると、その場に立ち上がった。

 

「とはいっても、君がホロウを無下にしているとは思っていないよ。現に、シヅキとトウカのことを救ってくれたのは君だからね。そのことについては礼を言いたいよ。ありがとね」

「ああ。 ……もう行くのか?」

「消灯が近いからね。まあ、ボクが言えるセリフじゃあないけれど」

 

 その口角を上げて笑ったヒソラ。一つ手を挙げた後に、病室の扉へと歩いた。ドアノブを回したところで、思い出したかのように言った。

 

「そうそう。最後に一つだけ。負傷した時だけじゃなくて、例の悪夢の症状が酷くなった時もまた医務室までおいでよ。気休め程度にはなると思うから」

「ああ、頭の片隅に入れておこう」

「ボクの言葉が届いていることを願うよ。じゃあ、お大事にね」

 

 バタン

 

 ヒラヒラと手を振ったヒソラ。ゆっくりと扉を閉めた後、(こも)った足音が小さくなっていき、やがて消えた。

 

「……」

 

 暫くの間、彼が出て行った扉を凝視していたコクヨ。やがてその口を小さく開いた。

 

「ああ、それくらい分かりきっている」

 

(うつろ)な目は、最後まで虚のままだった。

 

 

 

 



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「ごめん、待った?」

 

 オドのロビー、昇降機入り口付近。

 

「今日の晩ご飯どうする?」

「んー、昨日はシチューだったから今日はカレーだな」

「ちょっと似てない? それ」

 

 他愛もない雑談とともに、複数のホロウが昇降機へと乗り込んでいく。間も無くして、ギギギと昇降機が軋んだ。

 

「……」

 

 男は壁に寄り掛かりつつ、その音を聴いていた。腕を組み眼を伏せている彼は、まるで石像のように動かない……それはまるで、ナニカを待っているかのように。

 

「シヅキ!」

 

 ふと、自身の名前を呼ぶ声が聞こえて、彼改めシヅキはゆっくりとその視線を上げた。

 

 見ると、ロビーの奥から手を振りこちらに駆けてくるホロウが一体。髪の長い女性だ。たいへん見覚えのある彼女、その名前をシヅキは呟くように呼んだ。

 

「トウカ……」

「ごめん、待った?」

 

 肩をわずかに上下させながら、トウカはそんなことを訊いてくる。シヅキは溜息を吐きつつ、こう答えて見せた。

 

「いや、今来たところだ」

「そうなんだ。良かった……私、待たせちゃったんじゃないかって思ってた」

「ああ……なあ、このやりとり必要だったか?」

 

 シヅキがそう尋ねると、ソヨの表情は神妙なものへと化した。数秒の間を開けて、彼女は答える。

 

「……分からない」

「いや、絶対要らなかっただろ。わざわざロビー前で待ち合わせることもよ」

「だって、デート? をする時は、こういうやりとりをするのが人間のしきたりだって……ソヨさんが」

「あいつの入れ知恵かよ」

 

 シヅキの頭の中には、ドヤ顔をしながらピースサインを浮かべるソヨが思い浮かべられた。

 

「じゃあ、あれか? その服もか」

「うん、ソヨさんが貸してくれたの。あと、この髪型も……すごい可愛い」

 

 若干気恥ずかしそうに自身の髪を触るトウカ。彼女の服装は、普段着ている真っ白のローブではなかった。

 

 白のブラウスに、青を基調としたタータンチェック柄のフレアスカート。髪型だって、いつもの下ろしただけのシンプルなものではなく、編み込みが施されていた。

 

「こんな可愛い服、普段着ないからなんか変な感じする……」

「別に、んな違和感は無ぇと思うが」

「だったら、いいんだけど」

 

 えへへ、と笑うトウカ。シヅキは自身の首の後ろを掻いた。

 

「まぁ、なんでもいいか。ここで喋るのもアレだろ。さっさと行こうぜ」

 

 そう言って昇降機前に移動しようとするシヅキ。しかし、その歩みはすぐに妨げられた。

 

「? なんだよ」

 

 振り返ると、そこにはシヅキの服の裾をちょんと摘んだトウカがいた。それはどこか既視感がある光景だった。

 

「えっと……出かける前に、一つだけ言わないといけないことがあって」

「言わないといけない?」

「その、私の計画のこと……」

 

 計画。その言葉を聞いたシヅキの眼が大きく見開かれた。

 

 

『トウカ、質問に答えてくれよ。お前、この辺境の地に何しにきたんだよ。前に言ってた“計画”って、なんなんだよ。お前は……何を求めているんだ』

 

 

 先日。そう、つい先日だ。シヅキはそんな疑問をトウカにぶつけていた。トウカが恩を感じていることを利用した汚いやり口で、だ。

 

 しかしその時に、トウカが“計画”の内容を話すことは無かった。彼女は申し訳なさそうな表情を浮かべ、「今は都合が悪い」と断ったのだ。シヅキもそれ以上は深追いをしなかった。

 

 ……そうして今日に至る。2体の傷がある程度癒えて、戦闘以外の行動が許されるようになった今日だ。

 

 真剣な表情をしたトウカを前に、シヅキは恐る恐るの口調で尋ねた。

 

「今だったら、都合がいいってことなのか?」

「い、今はダメ! えっと……今日のデートが終わったら、言うから! 今はその……宣言だけ……ごめん」

 

 伏せられた琥珀色の瞳を眼に捉えたシヅキ。いつものように、ハァと溜息を吐いた。

 

「俺だって今言われても頭ん中入ってこねーよ……まぁ、お前のペースに任せる」

「……シヅキ」

「んだよ」

「ありがと」

「……とりあえず、今は行く場所があるだろ?」

 

 ぶっきらぼうにシヅキが言うと、トウカはコクリと頷いた。

 

「うん。甘いもの食べよ? シヅキ!」

 

 

 ――今日は薄明の丘で交わした約束。そう、港町へと赴く日だ。

 



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『人間とホロウの物語』

 白濁とした廃れの森を抜け、緩やかな曲線を描く丘を下ったその先に在るは、相も変わらず騒々しい港町だった。

 

 群衆でごった返した屋台通りを見るや否や、シヅキは眉間にシワを寄せた。

 

「暇かよあいつら……いつ来たって群がってやがるな」

「活気に溢れてるよね。みんな、元気」

「うるせーだけだ」

「静かすぎるよりは私、好きだよ?」

 

 横目でチラッと見たトウカは、その口に微笑みを浮かべていた。

 

「変なやつだ」

「え?」

「なんでもねえよ。 ……んで、どこ行くとか決めてんのか?」

「あ、うん! ソヨさんからね、色々と聞いたの」

「またあいつの名前かよ」

「シヅキと港町に行くって言ったら、色んなことを教えてくれたの」

「……デートってのもか」

「ん? うん」

 

 シヅキは自身の首の後ろを掴んだ。そして、ハァ、と溜息を吐く。

 

「一つ訊くけどよ、お前、デートの意味分かってんのかよ」

「単語の意味は、分かるよ? 男女でどこかへ行ったりすることだよ……ね?」

 

 恐る恐るの口調で答えたトウカ。シヅキは眼を細めた。

 

「恋仲のな」

「恋……」

「アレだ。かつての人間同士に起きた現象だよ。俺たちホロウに適用できる言葉かって言われたら、疑問だろ」

 

 例外はあるかもしれないが、人間は男女間で“恋”と呼ばれる現象を起こしたという。いや、人間に限った話ではない。生命を有す者たちは、互いに恋をすることで新たな生命の糧を得たのだ。

 

 しかし逆に考えると、新たな生命の糧を得られないならば、恋なんて現象は不必要ではなかろうか。 ……まさに、ホロウのことだ。

 

 その存在の全てを“魔素”に委ねるホロウには生命が無い。生殖行為を必要としない。つまり、好き合うことに価値は無いのだ。

 

 小さくトウカが呟いた。

 

「恋、か」

 

 恋という言葉を何度も反芻(はんすう)する(さま)は、何かを考えているようだった……間も無くして、言葉を溢す。

 

「私は……まだ、分かんないや」

「だろうな。俺もだ」

「ねえ、いつか私たちにも分かるのかな? 恋って、何なのか」

 

 そう言いながら、こちらを見上げるトウカ。シヅキは出来るだけ琥珀色の瞳を見ないようにしながら答えた。

 

「知らねえよ。 ……あぁ、話が脱線した。結局お前、どこ行きたいんだよ」

「あ、ごめん! えっと……あった! あそこ」

 

 斜め上方向を指したトウカ。つられてシヅキもその指先を追う。そこには大きなドーム状の屋根が見えた。魔素を燃料にした(きら)びやかな装飾が点滅を繰り返している。

 

 シヅキはあの建物を知っていた。

 

「あそこは」

「劇場、だよ。ソヨさんに薦められて、ちょっと調べてね? どうしても行きたくなったの」

「……一回だけ行ったことがあるな。そのソヨに連れられてだが」

「うん。私ね? 今日の劇の内容を、どうしても観たかったの。シヅキと一緒に」

「俺と?」

 

 コクリと頷いたトウカ。彼女はスッと息を吸うと、一息にこう言ってみせた。

 

 

「『人とホロウの物語』。誰もが知っている、古い、古い、伝承だよ」 

 

 

 

※※※※※

 

 

 

 遠い昔のお話です。まだ、生命(いのち)が世界にあふれていた頃のお話です。

 

 陸地、海、空。世界のありとあらゆる場所を、思うがままにした存在が居ました。人間です。

 

 多種・多様の人間たちには、他の生命が持たない特別な力がありました。人間はその力のことを、“魔法”と呼んでいました。

 

 魔法は、人間の生活を豊かにしました。

 

 炎の魔法は、人間の食生活を変えました。

 水の魔法は、枯れた大地を潤しました。

 植物の魔法は、無限の資源を与えました。

 太陽の魔法は、夜の暗さを打ち消しました。

 星の魔法は、近い未来を観せました。

 

 数多(あまた)の魔法を使って、人間は繁栄を続けました。

 

 しかし、そんな人間を大きな脅威が襲います。流行病(はやりやまい)です。

 

 世界の一点から広まった流行病は、瞬く間に世界全体へと広まります。

 

 流行病は生命を奪いました。人間だけではありません。動物や虫といった、生きとし生ける者たちからです。

 

 急激に数を減らす人間。人間は様々な手を尽くしましたが、流行病は収まることを知りません。

 

 人間は必死に考えました。どうすれば、この脅威を脱することが出来るのでしょうか? 必死に、必死に考えました。そして、一つの考えを思いつきます。

 

 一人の人間が言いました。

 

「生命が生きられない世界であるならば、生命ではない存在を創ればいい」

 

 魔法に長けた人間たちは、失敗を繰り返した後に、生命が無い存在を創ることに成功しました。人間の姿にそっくりの存在です。

 

 一人の人間が言いました。

 

「君たちは生命が生きられなくなったこの世界でも、存在を続けることが出来る。我々、人間が居なくなってしまった後、この世界に残るのは君たちだけだ。君たちは、人間にとっての最後の希望なのだ」

 

 残りわずかな人間たちは、生命の無い存在を前に、両手の指を絡めて祈ります。

 

「いつの日か我々、人間の復活を。あらゆる生命の復活を託す。それが生命無き君たち……ホロウが達するべき使命だ」

 

 間も無くして、残りわずかな人間たちは滅んでしまいました。この世界に残ったのは、ホロウだけです。

 

 ホロウは覚えています。ずっと、ずっと覚えています。人間たちの願いを。自らが、人間にとっての唯一の希望であることを。

 

 

 ――私たちは、ソレを決して忘れてはならないのです。

 



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記憶のパンケーキ

 

 たっぷりの生クリームとシロップがかけられた、淡い黄色の生地をフォークに刺す。シヅキは大口を開けて、ソレを口の中に放り込んだ。

 

 広がったのは、シロップの強い甘さ。それは口内では止まらず、鼻腔を一気に抜けていった。少し遅れて、とろみのある生クリームが舌をくすぐった。

 

 それを堪能した後に咀嚼する。噛むと、柔らかな生地の存在を感じられた。ゆっくりと歯を押し戻そうとしてくるのだ。初めは生クリームとシロップの存在感が強かったが、最終的に鼻を抜けたのは、ほんのりと甘い小麦の風味だった。

 

 ソレをゴクリと喉へ流し込んだシヅキ。つらつらと言葉を並べた訳だが、何が言いたかったかというと……

 

「ん〜〜〜〜〜!」

 

 …………。

 

 「このパンケーキ、美味しい……!」

 

 目線を上げると、そこには口元をデロデロに溶かしたような笑みを浮かべるトウカ。彼女のお皿を見ると、パンケーキはシヅキのものより小さく削れていた。

 

 ハァ、とシヅキは溜息を一つ吐いた。

 

「お前、顔気持ち悪いぞ」

「き、気持ち悪い……」

 

 言葉を反芻して、顔を引き攣らせるトウカ。それを尻目に、シヅキは二口目を食べた。 ……再び、様々な甘みが口の中に広がる。

 

「……あ、笑った」

「あ?」

 

 ジトっと向けられたトウカの視線。シヅキは怪訝な表情を浮かべた。

 

「パンケーキ食べてから、シヅキの口角、上がったよ」

「……そら、モノを咀嚼したら口も動くだろ」

「素直に認めようとしないところ、どうかと思う」

 

 口元を尖らせながら、どこかトゲのある口調で言うトウカ。シヅキは気にも止めずに、三口目を頬張ろうとした。

 

「き、気持ちわるーい」

「……なんか言ったか?」

「ま、また指を……」

 

 こいつも言うようになったものだなと思いつつ、シヅキはフォークを持たない左手で、パチパチと指を弾く。前方のトウカは額を両手で覆っていた。

 

「……ここじゃしねーよ。悪目立ちすんだろ」

 

 溜息を吐き、横目を向けると、大通りを歩くホロウの影がいくつもあった。

 

 演劇を見たシヅキとトウカ。彼らが次に向かったのは、港町の中でも人気だというカフェテリアだった。数十分間、行列に並んだ後に案内されたのはテラスの一席。2体は名物のパンケーキをつついていた。

 

「にしても、こんな店あったんだな。流石に知ってそうなものだと思ったけどよ」

「……なんかね? ……最近……できた……お店………」

「飲み込んでから喋れ」

「んっ。みたいなの。甘いものが食べたいってソヨさんに言ったら、オススメだよーって、教えてくれた」

「……そうか」

「き、気に入らなかった?」

 

 反応が悪かったためか、トウカの表情が少しだけ曇る。どう答えたものかとシヅキは少しだけ迷ったが、流石に素直に答えた。

 

「いや、美味いよ」

「なら良かった……たくさん並んだから、あんまり口に合わなかったらどうしようかと思っちゃった。初めにコレを作った()は、多分天才だね」

 

 その口元をだらしなく綻ばせながら笑うトウカ。しかし一方でシヅキはどこか複雑な表情をしてみせた。

 

「人、な……」

「シヅキ?」

「いや、今俺たちが食ってるパンケーキだってよ。紛い物に過ぎねぇって、改めて思っただけだ」

 

 パンケーキをフォークで切り取って、自身の前に(かざ)す。シロップと生クリーム、それに小麦が主成分の生地。フォークを裏返してみたって、軽く振ってみたって、特に変化が訪れる訳ではない。 ……でも、“本物”とは違うのだ。

 

「所詮は、かつての人間の記憶を……魔素を用いて具現化しただけだ。ホロウたちと何も変わんねーよ」

 

 そう言って、シヅキは喉の奥で笑った。

 

「……」

 

 トウカは何も言うことなく、唇を真一文字に結んでいた。

 

 ――魔素と呼ばれる存在。それは気体の一種なのか、あるいは眼に見えない程に細かな粒子なのか、未だによく分かっていない。しかし、それがどんな性質を持ち得ているのかは自明だ。それは記憶情報の保持と、その記憶を形作る性質である。ホロウたちは、この魔素の性質を用いて、様々な人間の記憶を再現してきた。

 

 例えば、目の前にあるパンケーキ。これは何も小麦や卵といった材料を加工して作られたものではない。 ……そもそも、生命が無い世界でそんな材料は手に入らない。

 

 これは材料を使った“本物”とは違って、かつての人間がパンケーキを作ったという記憶……それを、魔素の性質を通して具現化したものだ。

 

 パンケーキだけじゃない。フォークだって、皿だって、あるいはこのカフェテリアだって……もとは全て、人間の記憶だ。もちろん、ホロウという存在すらも。

 

 胃の中に溜まっていた空気を吐き出すように、シヅキは長く時間をかけて言った。

 

 

「この世界は全て……偽物だけで、造られている」

 

 

 そう呟いた後に、シヅキはすぐ後悔した。

 

「すまん。今言うことじゃあなかった」

 

 手元にあるグラスの中の水を一息に飲み干した。仄かなレモンの風味が口内に広がる……。

 

 どうもトウカの表情を見ることが出来ず、シヅキはすぐに眼を伏せた。意味もなく、ただ魔素の塊(パンケーキ)を凝視する。

 

「ねぇ、シヅキ」

 

 かけられた声に顔を上げると、こちらを見つめるトウカが居た。彼女は神妙な表情をしているように見えた。

 

「……何だよ」

 

 シヅキがそう返すと、トウカは徐に自身の人差し指を立てた。

 

「一つだけ、質問があるの。いい?」

「あ、あぁ……」

「あのね。シヅキはそんな、偽物だけの世界のことを、どう思う?」

 

 トウカの質問の意図が分からず、シヅキは首を傾げた。

 

「どういう意味だ?」

「好きか、嫌いか……みたいな」

「好き嫌いどちらか? ……ハハ」

 

 口元を歪ませながらシヅキは笑った。

 

「……嫌いに決まってるだろ」

 

 好きになれる要素なんて、何一つなかった。偽物に依存しているってことは……ホロウは何も残せていないことと同義じゃないだろうか? そう思えてしまって。

 

「そっか」

 

 シヅキの回答に対して、トウカは一言、それだけ答えた。

 

(……?)

 

 シヅキはソレに少しだけ違和感を覚えた。心なしか、彼女の口調はどこか穏やかなものだったのだから。

 

 



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帰り道

 

 パンケーキを食べ終え、カフェテリアから退店したシヅキとトウカ。

 

 店の前に出ると、トウカはくるりとシヅキの前に出て、こう言った。

 

「じゃあ、帰ろっか」

「もういいのかよ。時間ならまだあるが」

 

 見上げると、少し遠くに背の高い時計塔が建っている。針が指す時刻はまだまだ早い。

 

 しかしシヅキの問いかけに、トウカはふるふると首を振った。

 

「うん。私はもう、満足したよ? 楽しかったから」

「……そうかよ」

「シヅキがまだ行きたいところあるんだったら、全然、付き合うよ?」

 

 こちらの眼を覗き込むようにして言うトウカ。彼女の白銀の長髪がふわりと揺れた。

 

「……いや、どっちだっていい。俺は」

「そっか。じゃあ、行こ?」

「ああ」

 

 そう言って、シヅキより少し前を歩き出したトウカ。彼女の両手はちょうど後ろで組まれていた。

 

 その後ろ姿を眼に捉えながら、シヅキは思う。

 

 (結局、あの劇を観て何が言いたかったんだ?)

 

 

『うん。私ね? 今日の劇の内容を、どうしても観たかったの。シヅキと一緒に』

 

 

 数時間前……港町を訪れた時に、トウカが発した言葉。それはシヅキの喉元にずっと引っ掛かったまま、取れずにいた。

 

『人間とホロウの物語』 ……きっとその内容を知らないホロウは居ない、古くから語られる伝承だ。

 

 (……わざわざ、俺と観たかった理由があったのか?)

 

 もしかしたら考えすぎかもしれない。偶然シヅキと共に出掛けたのだから、“シヅキと一緒に”なんて言葉を付けた可能性だってある。 ……あるのだが。

 

 ハァ、とトウカには聞こえないくらいの声量で溜息を吐く。もしソヨが同じセリフを言ったのであれば、さして気に留めることはなかったろう。 ……しかし、実際はトウカなのだ。だから、困る。

 

 上下に揺れる彼女の肩を眼にしながら、シヅキは心の中で呟いた。

 

 (俺、まともにトウカのこと知らねーんだな)

 

 まだまだ短い付き合いである訳だが、にしたって、シヅキは“トウカ”というホロウのことを知らなかった。

 

 趣味、好きな食べ物、出身、素性、あとは……“計画”とやら。

 

 何も知らないのだから、その言動の全てに意図を求めてしまうのだ。我ながら、神経質すぎる気はするが。

 

「……」

 

 トウカは今日のデート(に似た何か)が終わった後に、計画の内容を話すと言っていた。根拠はないが、シヅキはそこに彼女のことを知るナニカがあるような気がした。

 

 (おもむろ)に眼を閉じて、開いた。喧騒に巻かれた港町の大通りを、トウカは小さな歩幅で歩いている。

 

「知って、どうする気なんだろうな。俺は」

「……? シヅキ、何か言った?」

 

 こちらを振り返ったトウカ。その琥珀色の瞳がシヅキを貫く。彼はぶっきらぼうに言った。

 

「なんでもねーよ」

 

 

 

※※※※※

 

 

 

 いつかと同じように、廃れの森へと続く緩やかな丘を登っていく。時間はまだ早い。ゆっくりしたトウカの歩みを指摘する理由なんて、なかった。

 

 丘を上ること数十分。眼前には白濁の木々が連なっていた。廃れの森の入り口である。

 

「ねぇ、シヅキ。ちょっとだけ景色を観てもいい?」

 

 トウカが指を差した先にあったのは、麓に広がる景色だった。そこには先ほどまで滞在していた港町が見える。

 

「あのキラキラした建物って、劇場だよね?」

「ん? ……あぁ、だろうな」

「すごい、明るい」

「魔素光だって消耗品なんだがな。過剰に使い過ぎだろ」

「でも、暗いよりは明るい方が、いいよ」

「限度があるだろ」

 

 シヅキが溜息混じりに言うと、トウカは口元に手を当てて、クスクスと笑った。

 

「……なんも面白えこと言ってねーだろが」

「そ、そうなんだけどね? 楽しかったから、つい……」

「楽しかった?」

「うん。シヅキと劇を観て、甘いものを食べて、私、結構楽しかった」

「そうかい」

「シヅキはどうだった、かな?」

「俺は…………別に、まあまあだった」

「ま、まあまあか……」

 

 その顔に苦笑いを浮かべるトウカ。それを尻目に、シヅキは再び景色を観た。

 

 

 ――闇のように深い黒の空。太陽も、月も、星も無い。生命の尽きた味気の無い世界。

 

 

「灰色世界」

 

 小さく呟いたシヅキの声は間もなくして、そよいだ風にかき消されてしまった。隣に立つトウカは、自身の髪に手を添えていた。手を添えながら、景色を観ている。

 

 しばらくそうやって、景色を眺めていた。

 

 

…………。

 

 

「……ねぇ、シヅキ」

 

 沈黙を破ったのは、やはりトウカだった。いつもと同じ調子でシヅキの名前を呼ぶ。

 

「なんだよ」

 

 だから、シヅキもいつもと同じ調子で応えた。振り向いた先のトウカは、その顔に朗らかな笑みを浮かべている。

 

「あのね……私ね」

 

 スッ、と息を吸ったトウカ。穏やかな口調で、優しい声で、いつもの調子で。彼女は言った。

 

 言ったものだから、すぐには理解出来なかった。

 

 

 

 

「私ね? 今までに、ホロウを3体(ころ)したんだ」

 

 

 

 

 ………………

 

 ………………?

 

 

「…………は?」

 

 



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革命

どこか肌寒い感覚を覚えたのは、丘の上に立っているせいだろうか? それとも、度々に吹いてくる潮風に当てられるせいだろうか? ……あるいは。

 

 その眼を大きく見開いたシヅキ。彼は何も話せずにいた。それは言葉に詰まったからではない。先ほど目の前の少女が発した言葉……その意味が全く分からなかったからだ。

 

 そんなシヅキのことを知ってか知らずか、少女は……トウカは言葉を重ねる。

 

「1体は、私の大切な友達を(ころ)した……だから、小さなナイフで喉を刺した。1体は、魔素中毒で苦しんでいた。だから、魔素凝固剤を飲ませて、ラクにした。1体は私たちにとって重要な情報を握っていたから、拷問して、用済みになって……だから、魔素中毒を引き起こさせた」

 

 淡々とした口調で語るトウカ。彼女から溢れ落ち続ける言葉は、あまりにも似つかわしくなくて、唐突すぎて、現実感が無い。

 

 シヅキは自身の首を2度横に振った。

 

「魔素凝固剤? 拷問? ……何言ってんだよ、お前」

 

 せいぜいそんな困惑の声を上げることが、シヅキの限界だった。 ……ドクドクと鳴り続ける鼓動が耳の奥で響き渡る。どうにも呼吸が苦しかった。

 

「何、って」

 

 ゆっくりと、顔を上げたトウカ。闇空に浮かぶ彼女の口元には、先ほどまでと同じ、笑みが浮かべられていた。

 

「“計画”に関わる話、だよ」

「……けいかく」

「この前、シヅキは私に計画のことを訊いたよね。それから私……何を話そうか、何から話そうかずっと迷ってた。それでね、決めたの。 ……まずは、私が犯した罪から話そうって」

「それが……ホロウを(ころ)したことだっていうのか?」

 

 震える声でシヅキが聞き返すと、トウカはこくりと頷きやがった。 ……琥珀色の瞳が揺れ動く。

 

 

 …………。

 

 

 ハァ、と。シヅキは溜息を吐いた。

 

「……タチの悪い冗談だ」

「冗談、じゃないよ」

「嘘だ」

「ほんとだよ」

「そんな筈が無い。トウカには……お前にそんなこと、出来る訳が……」

「シヅキは、私のことを知らないだけだよ」

「……っ!」

 

 その身体に強く力を込めたシヅキ。鋭く尖った眼光でトウカを見た。

 

 彼の眼に映ったのは琥珀色の瞳だった。真っ直ぐに、シヅキを捉える透き通った眼。相変わらず綺麗すぎるソレに、シヅキは苛立ちを覚えざるを得なかった。 

 

 自身の胸元にソッと手を添えたトウカ。秘めていたものを全て吐き出すかのように話を続ける。

 

「私にはね? ずっと前から叶えたい願いがあるの。それを叶えるために、私はたくさんのホロウを巻き込んで、たくさんのホロウを傷つけて、それでも歩き続けてきた。辺境区に来たのだって、必要なことだったから」

「……同族を(ころ)す必要があったのかよ」

「同族を、(ころ)してでも……私は」

「てめぇ!!!」

 

 激昂したシヅキ。その地面を抉るほどに強く踏みしめ、跳ぶように1歩進むと、トウカの華奢な肩を強く掴んだ。

 

「……ったい」

 

 トウカの口からそんな声が漏れ出た。苦痛に歪んだ表情に肩を押さえつける右手が緩みそうになったが、寸で我慢した。

 

「お前の言ってること、何も分かんねーよ! それはただのエゴだろ? お前のエゴは同族を(ころ)していい理由に何のかよ!!!」

「……痛いよ、シヅキ」

「否定しろ。今までの自分の発言を全て否定しろ! 嘘だと言えよ、トウカ!」

 

 肩で息を切らすシヅキ。焦点の合わない視線が捉える地面は、ずっと遠くにも、ずっと近くにも見えた。

 

 灰色の世界が見渡せる丘の上。虚無めいた静寂の中にはシヅキの荒い息遣いだけが走る。

 

「嘘だと、言ってくれよ……」

 

 反芻されたシヅキの言葉はどこまでも弱々しかった。

 

「シヅキは、やっぱり、優しいね」

「……は?」

「だって……名前も知らない誰かのことをそんなに思えるなんて、私は出来ないよ」

「今はそんなこと、どうでもいいだろ」

「いいわけ、無いことないよ。シヅキはすごく優しいから……私のことを、話そうと思えたの」

「意味が……分かんねえ」

 

 トウカの肩を押さえつけていたシヅキの右手は、ストンとずれ落ちてしまった。その勢いのまま、シヅキの身体は地面へと崩れ落ちた。

 

「意味は、簡単だよ。シヅキは、私なんかを“絶望”から助けてくれた。風邪を引くかもしれないからって、部屋に入れてくれた。他にもたくさんの思いやりを感じて……それはぶっきらぼうなんだけど、暖かかった」

 

 シヅキの頬を柔らかな感触が包み込んだ。すぐにそれがトウカの手だと気付いた。恐る恐る顔を上げたシヅキ。目の前には、トウカの顔があった。

 

「だから、私は思ったんだよ? 優しいシヅキはきっと……味方になってくれるって思った。じゃないと、私は私を語れない。この世界で()()()()を……語れない」

「……俺だったら、お前が同族を(ころ)したことを容認すると思って、言ったってのか?」

「正確には、ちょっとだけ違う。シヅキが計画に協力してくれることに賭けたということ」

「……この話の流れで、よく言えたな。テメエ」

「魔人を刈ることさえ苦痛に思うホロウに、私のことは(ころ)せないから」

「……っ!!!」

「ほら。シヅキは凄むだけで、私のことを傷つけないもん」

「……クソッ」

 

 やり場のない拳を地面へと叩きつけたシヅキ。それを他所に、トウカは立ち上がった。

 

「ほら、シヅキも立って」

 

 こちらに腕を差し出すトウカを見上げる。 ……シヅキにはもう、今までの“トウカ”と同じようには見ることができなかった。腹の底が知れない、一種の怪物のようにしか映りやしなかった。

 

 その琥珀の瞳を見上げながら、シヅキは口元を歪ませる。

 

「騙された気分だ。何もかも」

 

 己が為に同族を(ころ)したことに対してなのか、それとも、性格に付け込まれたことに対してなのかは分からない。ただ確かなことは、自身が憧れたモノというのは、近くで見てみると、ずっと、ずっと汚かったということだ。

 

「はは……」

 

 それに気付いたシヅキの口から乾いた笑いが溢れ落ちた。喉の奥でクツクツと笑う。それはシヅキの悪癖だった。

 

 歪んだ口元のまま、シヅキはトウカの眼を見据えた。そして、呪詛を吐くかのようにこう言い放つ。

 

「なあ、トウカ。お前の計画って何だよ。言え。 ……俺の返答は、それからだ」

「うん。 ……ごめん、シヅキ」

「何の謝罪だよ要らねえよ今すぐ吐け」

「……そうだね。言わないと、だね」

 

 微かに震えたトウカの声。その震えは何から来たものだろうか? そんな疑問が脳裏を過ぎったが、澱んだ苛立ちの沼の中にあえなく沈んで消えていった。

 

 今、自分は“トウカ”というホロウのことをどう思っているのか? ……分からない。彼女が放ったホロウを消したという言葉は、事実だとは思う。でも、事実だと認めることが出来ない。感情が理解に追いつかないのだ。それは、トウカに憧れを抱いているからだろうか?

 

 募る。疑問が募る。何もかも分からなくて、分かりたくない。でも、遅いのだろう。溢してしまった水を元には戻せないように、もう知らないとならない段階にまで、来てしまったのだ。 

 

 …………。

 

 風が再び吹いた。まともに手入れをしていない前髪が目元にかかる。シヅキは首を振ることも、手で掻き分けることもしなかった。ただ、ただトウカの返事を待つ。

 

 

 間も無く、彼女はその口を重苦しく開いた。ポツポツと言葉を連ねた。

 

 

「私は……この世界に、生命を取り戻すんだ。生命が生きることができない、絶望に満ちた世界を変える……そんな革命を起こすんだよ」

 



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訝しい手がかり

 

「世界に、生命(いのち)を取り戻す……」

 

 先ほど目の前のトウカが吐いた言葉を、シヅキは反芻した。

 

「うん。私は、本気で考えているよ」

 

 真っ直ぐ見つめるトウカを前に、シヅキは自身の眼を細めた。

 

「薄明の丘に初めて行ったときに同じようなことを言ってたな。 ……本気だったのか」

「本気、だよ……そうじゃなかったら、誰かを(ころ)してまで、進み続けることなんて出来ない」

 

 息を吐き切るように言い切ったトウカは、自身の胸元をギュッと握り掴んだ。

 

「私と、私の仲間たちにとって、これは悲願だったの。私たちはありとあらゆる手を使って、たくさんの情報を集めて、世界に生命を取り戻す方法を模索した。回収した魔素の私的流用、アーク外部のホロウとの密談、秘匿にされていた過去の人間文明の資料の閲覧、上層部同士が行っていた通心内容の傍受。 ……必要な時には(ころ)しも」

 

 淡々と過去の罪を語るトウカ。シヅキは先ほどまでとは違い、多少は落ち着いて彼女の言葉を聴くことが出来ていた。“トウカ”というホロウについて少なからず理解した後だからかもしれない。それ位のことを行っていたとしても不思議では無いと思えたのだ。

 

 (それが狙いで先にホロウを(ころ)したことがあると切り出したのか? ……いや、今はどうでもいいか)

 

 そんな思考の後、軽く首を振り、シヅキはこう尋ねた。

 

「必要な時に(ころ)した? じゃあお前は……お前たちか。好きで同族を消していた訳じゃあ無いんだな」

「それは、当然だよ! 無意味にホロウが消えていい道理なんて、ある筈がない」

「お前にだけは言われたくないだろーよ」

「そ、それは……」

 

 苦々しい表情を浮かべつつ顔を俯かせたトウカ。対してシヅキはいつものように溜息を吐いた。

 

「まぁいい。今はどうでもいい。お前の計画とやらは大体分かった。ふざけた幻想を追いかけているってことをな」

「……幻想じゃ、ないよ」

「何だよ。取り返しのつかない罪を重ねて、それで手がかりでも掴んだってのか?」

 

 シヅキが大袈裟に肩を上げて尋ねるとトウカは、

 

「うん。その手がかりが、()()にある」

 

 そう答えてみせた。

 

(ここ? 辺境区ってことか?)

 

 思えば、トウカが辺境区にやってきた時、やけに廃れの森だの、薄明の丘の景色を見回していた記憶がある。 ……単純な好奇心からの行動でもなかったのだろうか?

 

 …………。

 

 異様に長い瞬きの後にシヅキは尋ねた。

 

「で、何なんだよ。その手がかりっつーのは」

「それは……今は、答えられない」

「おい。それは話が違ぇな、トウカ。お前は計画の内容を話すっつったよな? 黙秘は許さねえよ」

「……ごめん」

「逃げんなよ……お前、昨日までと同じ立場にあると思うなよ。裏切り者に優しく出来るほど、俺はオワってない」

 

 自分でも驚くほどに冷たい声が出た。それほどまでに自身の中に苛立ちが湧き出ていることを自覚する。

 

(必要ならトウカに、痛みを与えてでも……)

 

 自身の右手へと眼を移す。 ……今の自分なら、出来る気がした。彼女の表情が苦痛に歪んだとしても構わない。そうだ、それくらい構わない。

 

 しかし、シヅキの決意とは裏腹に、トウカはその口をポツポツと開いた。

 

「私、は……」

 

 意を決したように彼女はその言葉を吐いた。

 

「私は……“虚ノ黎明(からのれいめい)”を探しに来た」

「虚ノ黎明? ……ハッ」

 

 シヅキは口元を歪ませるように嗤った。

 

「クソほどに有名な犯罪集団じゃねぇかよ。アークに所属するホロウを執拗に(ころ)し回るイカれた連中だろ。 ……てめえが言った生命を取り戻すって計画、あれは嘘だったってことか」

 

 挑発的なシヅキの言動に、トウカはその声を荒げた。

 

「嘘じゃない! それに……虚ノ黎明は犯罪集団でもない、よ! 彼らは私と同じで、生命を取り戻す方法を探している……だから!」

「んな話、聞いたこともねえな」

「当然、だよ。情報は全部、秘匿とされている。彼らは犯罪者として……罪をなすりつけられているだけ」

「秘匿? ……アークがその事実を隠しているってか」

 

 シヅキが冗談混じりに尋ねると、トウカはぎこちなく首を縦に振った。

 

「その根拠は?」

「アークの上層部が、資料として隠し持っていたの」

「で、その資料はどこにあんだよ」

「……証拠隠滅のために、捨てた」

「つまり、俺はお前の吐く言葉を信じるしかねえってか」

「私は……嘘は言わない。シヅキには、協力して欲しいから」

「お前、俺を舐めすぎだ」

 

 吐き捨てるように言ったシヅキは、トウカを置いて廃れの森の方へと歩き出した。

 

「ま、待って!」

「待たない。俺を何に加担させようとしてんだよ」

「私はただ……生命を取り戻したくって……!」

「その為に犯罪組織と関われ、と?」

「だから、虚ノ黎明はそうじゃなくって!」

「……それを信じる根拠が、同族を(ころ)した奴の言葉だけなんだろ」

「それは……」

 

 言葉に詰まったトウカの表情は見るまでもなかった。ハァ、と大きく溜息を吐いたシヅキは、淡々と言葉を発した。

 

「お互いに一度頭を冷やそうぜ。今の状態の俺と、お前が……話をするべきじゃねえ」

 

 それだけ言い残してシヅキは再び歩き出した。シャリ、シャリと砂を踏み締める音だけが耳を走る。今度はトウカから静止を促す声がかけられることもなかった。

 

 ただ黙々と廃れの森を歩く。その中で彼が思い浮かべたのは、琥珀の瞳を細めて、暖かな笑みを浮かべたトウカの表情だった。それが、脳裏にこびり付いてならない。

 

「クソ!!!!!!」

 

 ダンッ

 

 大きく声を荒げたシヅキ。白濁しきった大木を蹴ると、痩せた葉が数枚、ヒラヒラと落ちてきた。

 



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苦しみ続ける弱さ

 異質なホロウだとは思っていた。

 

 少なくとも、周りには居ないタイプのホロウだった。気が小さくて、臆病で、不器用で、心配性で。しかし、そんな短所を掻き消すほどに“信念”を持っているホロウだと思えた。

 

 ――“絶望”と対峙した時のことを思い出す。

 

『“絶望”のノイズを感じて、すごく怖かったから。もしかしたら、今日私は消滅しちゃうんじゃないかなって考えちゃって……でも、そのことで頭がいっぱいになるのは辛いから。前を向ける未来が欲しかったんだ』

 

 灰色の花畑で覆われた土地である薄明の丘にて、彼女は現状を悲観することはなかった。

 

 ――大ホールにて集められた直後のことを思い出す。

 

『でも、私は思うの。人間の為になんて……そんなのおかしいよ。ホロウは……ホロウにだってちゃんと意志がある! 怖いものは怖いし、痛いものは痛い。それなのに、何で私たちは私たちのことを第一に思えないの?』

 

 彼女は、ホロウの存在が「人間の為に」扱われていることを嘆き、自身を大切にするべきだと訴えた。

 

 だから、彼は心のどこかで思っていた。彼女が(はか)る計画とは、現状のホロウの在り方……人間の為にとその存在を賭す考え方を(くつがえ)すようなものではないだろうか? と。

 

 無論、確証なんてなかった。彼の推測は、あまりにも規模が大きすぎることであり、現実離れしていたのだから。

 

 

 ――しかし、現実は違った。

 

 

『私は……この世界に、“生命(いのち)”を取り戻すんだ。生命(せいめい)が生きることができない、絶望に満ちた世界を変える……そんな革命を起こすんだよ』

 

 

彼女が求めたものはホロウではなく、生命(いのち)だった。結局のところ、彼女の“意志”は現状のホロウたちと同じ“人間”へと収束したということだ。

 

 別にそのことに対して幻滅することはない。彼が彼女のことを過大評価していただけのことだからだ。 ……それよりも問題だったことは。

 

 唾液が絡み、粘つく口を強引に開き、シヅキは自室の天井へ向けて言葉を発した。

 

「あいつは、同族(ホロウ)(ころ)していた」

 

 具体的な経緯は分からない。しかし、彼女……トウカは自身の私的な目的の為に、同族であるホロウをその手にかけていたのだ。 ……そして、トウカはこう言った。

 

 

『同族を、(ころ)してでも……私は』

 

 

 血が滲むほどに唇を噛んだ後、シヅキは吐き捨てた。

 

「何が“私たちは、私たちのことを思えないの?”だ。お前自身がそれを……ぶち壊しているじゃねえかよ」

 

 群衆でごった返し騒々しい港町にて出会ったあの日から、シヅキは琥珀色の綺麗な瞳に憧れていた。その瞳が見据えているモノは何なのだろう、なんてあまりにもバカバカしい思考回路すらも持った。 ……なのに。それは今日、いとも簡単に崩れ去った。

 

「……クソがよ」

 

 (しばら)く時間が経ち、流石に理性的になることが出来た。物に当たることはない。(ただ)れかけの怒りと悔しさだけが胸の中で(うごめ)き続けている。言い換えれば、それは“失望”だった。

 

 一通りの思考の後、ハァと大きく溜息を放ち、シヅキは寝返りをうった。

 

(これから俺は…………どうすべきだろうか)

 

 行動をしなければならない、という義務感がある。トウカは「私の計画に協力して欲しい」とシヅキに嘆願した。計画に協力……つまり、“生命を取り戻す”とやらに力を貸すかどうか、ということだ。

 

 シヅキの思いは既に決まっていた。

 

「……嫌に、決まってるだろ」

 

 今までのトウカの行いからして、同族を(ころ)すことに加担させられる可能性は高い。それに、彼女が躊躇いながらも吐いた言葉、『虚ノ黎明(からのれいめい)』という単語は懸念にも程があった。

 

 虚ノ黎明。実態の多くは謎に包まれているが、ソレはアークに所属するホロウを(ころ)し回ることで有名な犯罪組織だ。数十年前には中央区のアークがその被害に遭ったらしい。何十体もの精鋭ホロウが消されたのだという。 ……トウカは、彼らは犯罪集団なんかではないと主張していたが、シヅキは聞いたことがなかった。

 

「……なら、計画への協力は断ることになる……か」

 

 とするならば、シヅキには新たな選択肢が設けられることとなる。 ――無視か、密告か、あるいは……消すか。

 

 無視、つまりトウカの言葉を聞かなかったこととした場合は、あまりにも未知数だ。今まで通り魔人を刈る日々が続くかもしれないし、トウカは新たなアクションをとるかもしれない。 ……どのみちシヅキは“我関せず”の態度を貫くだけだ。

 

 一方で、密告が迎える結末は明白的だ。シヅキが雑務型の誰かに、こういうことがあったと話すだけで、トウカは恐らく処刑される。それは理不尽でも何でもない。大義名分の下で裁かれるに過ぎない。

 

 なお、シヅキが嘘を吐いていると判断されることもない。魔素は記憶情報を保持する性質がある。シヅキの体を流れる魔素を調べ上げれば、トウカが発した言葉の全容はいともたやすく公へと晒されることとなる。故に、明白的なのだ。

 

 そして最後の選択肢は……シヅキ自身がトウカを(ころ)すことである。景色を見渡せる丘の上にて、トウカはシヅキに『魔人を刈ることさえ苦痛に思うホロウに、私のことは(ころ)せないから』と言った。

 

 ……別に、その言葉に(そむ)く為の行動というわけではない。どちらかというと、この選択はある種のケジメのようなものだった。

 

 シヅキは小さな声で呟いた。

 

「もし俺が……“絶望”の伸ばした枝で刺されたトウカを見捨てたなら、あいつは助からなかっただろう」

 

 自分のせいで、明らかに害を及ぼすであろうホロウが未だに(いきてい)る……そのことに、シヅキはある種の責任感を感じていた。だとするならば、シヅキが結末を委ねることが道理ではなかろうか? なんて、思わざるを得ないのだ。

 

 魔素の灯りが無き暗い自室の中、シヅキは天井に向けてその右腕を伸ばした。

 

「俺は浄化型だ。 ……やろうと思えば、簡単にヤレる」

 

 浄化型のホロウは戦闘に特化している。抽出型のホロウなら束になろうがシヅキに勝ることは決してない。 ……故にこれは、ただの気持ちの問題なのだ。

 

「……こういうところを見透かされたんだろうな。あいつは俺の躊躇いを、“すごく優しい”と形容した」

 

 右手で握り拳を作る。グググと握り込むと腕全体がブルブルと振動した。

 

…………。

 

 ……何百の魔人を(ころ)しまくっても、一度たりとも無心になんかなれなかった。いくら見て見ぬフリを続けても、いくら自身を誤魔化そうとしても、魔人を(ころ)す瞬間はむせ返る罪悪感に襲われた。魔人刈りの中に、肯定的な感情の一切は存在しなかった。どこまでも、どこまでも、どこまでも……苦しさが付き纏っていた。

 

「誰かを(ころ)すことは……苦しいんだって」

 

 口に出して後悔した。言語化することで、心の奥底に秘めていた曖昧な感情の全てが、明白な事実と化した。  ……誤魔化そうとしたって、もう手遅れだ。

 

「そうだ。俺は……あまりにも弱いホロウだ」

 

 しわくちゃのシーツを握りつぶしながら、シヅキは歯軋りした。何も知らなければどんなに楽だったろう……そんな幻想を思い描いて。

 

 長い1日が終わる。

 

 



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特殊作戦

 

 状況や環境がいくら変わろうが、時間は徹底的に淡々と過ぎていく。シヅキが気がついたときには翌日が今日となっていた。

 

「……眠ぃ」

 

 ベッドから起き上がり、部屋に備え付けられた鏡で姿を映し出すと、すっかりと眼元が充血した自身が居た。込み上げてきた重苦しい溜息を躊躇いなく吐き出す。

 

「今日は、どうすっかな」

 

 ヒソラから告げられた療養期間は今日までだった。つまり、魔人刈りへと逃避をすることは叶わず、胸の中に溜まったこのわだかまりとは、否が応でも向き合わなければならない。それはあまりにも憂鬱なことだった。

 

(部屋に篭るか、適当にどっか出かけるか……)

 

 辟易(へきえき)とする二択に悩まされていた時だった。身体の中に小さな違和感を憶えた。

 

「! ……魔素が流れ込んできやがった」

 

 誰かからの通心(つうしん)だ。流れ込んできた魔素を変質させて、言語へと変換する。

 

(アークの管理部からの一斉送心(そうしん)だ……なんだ?)

 

 そこにはこう示されていた。

 

 

『キンキュウ トクシュ サクセン ガイヨウ ツタエル ダイホール シュウゴウ』

 

 

 眉を潜め、シヅキは呟いた。

 

「特殊作戦? ……んだよ、それ」

 

 困惑しながらも、シヅキは普段着である黒の外套(がいとう)を身に纏った。

 

 

 

※※※※※

 

 

 

「再び、至急の召集となってしまったことを謝罪する。浄化型のコクヨだ。事は一刻を要するのだ。まずはそのことを理解して欲しい」

 

 大ホールの壇上にて、集まった数十という規模のホロウを前に、コクヨが淡々と言葉を連ねる。それはちょうど前回の“絶望”による被害報告の時と同じであった。

 

 ――ただ、前回と異なるのが。

 

(ホールの後ろで立っているホロウ共……あれは上層部の連中だよな?)

 

 アーク関係者に支給される制服を、さらに仰々しくしたモノを着たホロウ達。彼らの殆どをシヅキは見たことがなかった。 ……でも、何となく分かるのだ。どことなく横柄さを感じる彼らの眼は、権力者の持つソレではないだろうか。

 

 シヅキ以外のホロウにも気付いている者が多いのだろう。ホール内の空気は緊張の糸で張り詰めていた。

 

(普段は碌に顔を出さねえくせして、何で今日は)

 

 漠然とした嫌な予感を抱きつつ、シヅキはコクヨの言葉へと耳を傾ける。

 

通心(つうしん)でも記載した通り、オドは特殊作戦を決行する。今から事の経緯、具体的な作戦の内容等を話す故、心して聴くように」

 

 コクヨがそう言うと、眼鏡をかけたホロウ――“絶望”と対峙した時にシヅキとトウカの救援へとやってきた1体――が複数枚の資料らしきものを手渡した。ソレを受け取ったコクヨは資料を一瞥した後に、淡々と話を始めた。

 

「先日、獣形(けものがた)の魔人である、通称“絶望”の浄化と、奴が有す魔素の抽出に成功したことは知らせたな。昨日解読型のホロウから連絡があり、魔素から過去の人間の記憶情報を解読したと報告があった。その結果……」

 

 スッと空気を吸ったコクヨはこう言ってみせた。

 

「棺の滝の奥にある未開拓地、“から風荒野(かぜこうや)”周辺が人間の大きな生活拠点となっていたことが明らかとなった。更に、ここはかなり大規模な施設群がひしめいたらしい。大都市の跡地である……ということだ」

 

 このコクヨの言葉に対し、ホール内が一時ざわめいた。

 

「大都市の発見……」

「人間が密集していたってことは……魔素が充満している可能性が高い、ってことだよね?」

「それって大収穫のチャンスじゃないか?」

「でも……強い魔人がたくさんいるんじゃ」

「そうなるだろうなあ」

 

 シヅキの周りからも、そのような声が重複して聞こえてきた。概ねシヅキが直感的に思ったことと同じである。

 

「静粛にしろ! コクヨ隊長と上層ホロウの方々の前だぞ!」

 

 不機嫌そうに眼鏡をかけたホロウが呼びかけて、ざわめきは沈んでいった。

 

 それから間も無くして、コクヨが再び言葉を発する。

 

「皆が口にしていた通り、人間が密集していた地帯には、人間の記憶が残っている。つまり、人間の復活の手がかりとなる記憶情報が眠っている可能性は非常に高い。調べる価値は十分にある。 ……さて、本題だ」

 

 コクヨが後ろを振り向き、軽く会釈をすると後ろに整列をしていた上層部のホロウ達が一斉に前進した。壇の先端に整列する。

 

「上層部のホロウと話し合った結果、我々オドのホロウは特殊作戦を決行することにした。具体的には、から風荒野の制圧と、そこに存在する魔素の回収だ。当然、それ相応の魔人が存在するだろう。植物形状の魔人が在る可能性もある。この作戦には大きなリスクを伴うが、我々は取るべきだと判断した。全ては、人間の為だ」

「人間の、為…………」

 

 シヅキの隣に立っていた女性ホロウが小さな声で呟いた。

 

(人間の……為か)

 

「あの! 差し出がましいですが、一つ……いいですか?」

 

 その時、挙手とともに恐る恐るの声が上がった。気弱そうな男性ホロウの声だ。

 

「許可する。言ってみろ」

 

 コクヨが答えると、男性ホロウはやはり気弱な声で続けた。

 

「確か、から風荒野付近にはノイズの渦巻きが発生していて侵入が不可だった筈ですが、それはどうするおつもりでしょうか?」

 

(……? ノイズの渦って、薄明の丘で発生していたっていうアレか?)

 

 少し前にあったヒソラの発言を思い出す。彼が言うのは、薄明の丘にはノイズの渦が原因で侵入ができなくなったというのだ。それと同じ現象が別地点で起きていたのだという。

 

「ああ。そのことを加味して話を続けよう。 ……知っている諸君も多いと思うが現状、から風荒野周辺にはノイズの渦が発生している。中へと強引に入ろうとすると、外側へ弾かれてしまうことは既に実証済みだ。故に、まずはこのノイズの渦を破りたいと考えている。特殊作戦の決行はそれからだ。そこで、ノイズの渦……通称、“結界”を破る為に、調査団を結成し、先行的にその調査にあたりたいと考えている」

 

 コクヨはそう言った後に、シヅキを含めたホロウ全体を俯瞰するように見た。 ……そして、一呼吸を開けてこう言ってみせた。

 

「既にメンバーは決定している。悪いが、拒否権はないものと考えて欲しい。調査にあたるのは明日からだ。棺の滝周辺を制圧した後に、簡易的なキャンプ地とする。その他、細かい情報はワタシの話の後、通心にて送るため、そのつもりで居て欲しい」

 

(明日? ……えらく急だな)

 

 そのように考えたのは言うまでもなくシヅキだけではなかった。案の定、再びホロウ達がざわついたが、今度は制止の声以前に収まった。

 

 再びコクヨが言葉を紡ぐ。

 

「それとは別に、たった今から調査団のメンバーの対象を、発表する。リストを配るので皆一度、眼を通して欲しい。 ……では、頼む」

 

 コクヨが1体のホロウに目配せをして、少し経つと、ホール後ろから数体の雑務型のホロウが現れた。彼らは胸元に抱えた紙束から1枚ずつを各ホロウへと配っていった。

 

(知り合いの名前くらいは入っているか……?)

 

 心の中で呟き、寄越された紙にザッと眼を通す。

 

 ……通して、唖然とした。

 

 

「………………は?」

 

 

 

〜下記メンバーを結界の破壊に向けた調査団として結成する。原則的に辞退は許されないが、止むを得ない理由がある際は本日中に管理部まで連絡をするように〜

 

対象者(順不同)

 

浄化型:

 

・コクヨ

・エイガ

・アサギ

・シヅキ

・サユキ

・チコ

・ライカ

・クロウ

 

抽出型:

 

・ソウマ

・トウカ

・リーフ

・フィア

・ヒョウ

 

解読型:

 

・ヒソラ

 

 



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クセの強い面々

 

「おいシヅキ、ちょっといいか?」

 

 どこか覚束無い足取りで大ホールを後にしようと歩いていたところ、後ろからそんな声がかけられた。

 

「よっ! 久しぶりだな!」

 

 振り返るとそこに居たのは、気の良さそうな男だった。随分と長身で、少し見上げないと頭のてっぺんが映らない。 ……シヅキはその男のことを知っていた。

 

「……アサギか」

「おうよ! 覚えられていたみたいで良かった」

「何の用だよ。俺はこの後――」

「ん? なんか予定ある感じ? いやぁさ、調査団の対象になった面子で一度集まろうと思ってさぁ」

「調査団……あぁ、そうか。お前の名前もあったな」

「そうそう! 流石に色々と急すぎるだろ? 明日いきなり現地集合ってのもいただけないからさ。情報の共有がしたくてな」

 

 そう言いながらも、彼は屈託ない笑顔を浮かべた。 

 

 ……アサギは気のいいホロウだ。多分それが彼の素なのだとは思う。否定的に物事を見る傾向が強いホロウ達の中では珍しい性格だった。故に、彼の周りにはホロウが多く集まる。要はシヅキと真逆のタイプだ。

 

 (だから調査団に引き抜かれたのか?)

 

「? どうかしたか?」

「いや、何でもねーよ。 ……集まるって、どこにだよ?」

「7Fの談話室だ。今んとこリーフとサユキには声をかけた。シヅキで3体目だな」

「……トウカは居ないか」

「トウカって、確かシヅキのチームだったよな? 実はさー、俺まだ顔分からないんだよね。今どこに居るとかって分かる??」

「……いや」

「あーそっかそっか。とりあえず、シヅキは参加してくれるってことでいいよな? な?」

 

 顔元に両手を合わせ少しだけ腰を曲げたアサギ。そこには「頼むから来てくれ」という強い意志が滲み出ていた。

 

 …………。

 

「俺の用ってのも、調査団関係のことでヒソラと相談をしようとしていただけだ。情報の共有をしたいのは俺も同じだ」

「ってことは……」

「わーった。7Fだな」

 

 シヅキがそう返事をすると、アサギの表情がパッと明るくなった。

 

「良かったあああ、助かるぜ。俺は他の奴らにも声を掛けてみるからさ、先に向かっておいてくれよ! じゃ」

 

 捲し立てるようにそう言い終えると、既に大ホールを出ていったホロウを追いかけて、アサギは小走りに行ってしまった。

 

 その場に残されたシヅキはハァと溜息を1つ吐いた。アサギとの会話を経て、自身が相当面倒なことに巻き込まれたことを改めて自覚する。

 

 (いや、俺だけじゃねえか。ヒソラとトウカの名前もあった……。どうなってんだよほんとに)

 

 小さく舌打ちを打ったシヅキは、重い足を動かし始めた。気が乗らないのは確かだが、とにかく今は情報が欲しい。

 

 

 

※※※※※

 

 

 

「あ〜また誰かやって来た〜。よろよろ〜」

「こんにちは、シヅキさん。あなたで3体目です」

 

 焦げ茶色をした木製の扉をくぐると、すぐにそんな声が掛けられた。両者とも女性だ。

 

「ああ。サユキと……お前がリーフか」

「そーそー。リーフちゃんだよ〜ん。仲良くしてね〜」

 

 自身をリーフと名乗るホロウは、こちら側に手の甲を向けた独特のピースサインを作ってみせた。しかしながら、その視線は一度たりともシヅキを捉えることはない。彼女はひたすらに自身の指を見つめていたのだ。

 

(ネイル? 今かよ)

 

 邪魔しちゃ悪い、なんて気持ちは一切なかった。しかし、近くに座るのは何となく億劫で、シヅキはもう一体のホロウの向かい側の席に腰を下ろした。

 

「こうして会話を交わすのはちょうど28日前、すれ違い際に肩がぶつかった時以来ですね」

「……全く覚えが無えんだが。よくもまぁ覚えてんな」

「ふふ、当然です。記録(きおく)は私たちホロウを形成する重要な要素ですから」

 

 メガネをカチリと上げたサユキは見事なドヤ顔を浮かべてみせた。シヅキは思わず眼を細める。

 

(クセのつええのが揃ったな)

 

 リーフは初対面だが、サユキとは顔見知りだった。同じ浄化型のホロウというのが大きい。時たまにある浄化型だけの集まり(大抵は、そそくさと談笑やら酒盛りに切り替わるほぼ無意味なイベント)にて、何度か会話を交わしたことを覚えている。確か彼女は6体のチームにて、魔人からの魔素回収に当たっていた筈だ。 ……逆に言えば、それ位しか知らない訳だが。強いてもう1つ挙げるならば、ドが付く几帳面さか。

 

 ほんの小さく溜息を吐いたシヅキに、サユキが尋ねた。

 

「シヅキさんは調査団に抜擢されたことについて、心当たりはありますか?」

「……。お前はどうなんだよ」

 

 シヅキがそう聞き返すと、サユキは口元を真一文字に結んで、(かぶり)を振った。

 

「残念ながら、分かりかねますね。リストのラインナップを分析した結果、唯一の共通点は、私たち皆がホロウであるという点のみです」

「……笑うとこか? それ」

「ウケる〜」

 

 いつの間にか爪の手入れを終えていたリーフは、組んだ脚を机に乗せて、こちらをニヤニヤと見ていた。それを見たサユキはムッとした表情を浮かべた。

 

「リーフさん、また机の上に脚を乗せているじゃないですか。あなたの悪癖ですよ」

「え〜別にいいじゃん。湯呑みや紙束を乗せられるより、リーフちゃんの脚の方が、机だって喜んでそうだし〜」

「……確かに、一理ありますね」

 

 (無えよ。なんだこいつら)

 

 ボケでいってるかと思いきや、サユキは顎に手を添えて真剣な表情を浮かべているし、リーフは気怠そうに欠伸を漏らしていた。

 

 (こいつら知り合いか? ……同じチームか?)

 

 深く被ったフードの中で怪訝な表情を浮かべたシヅキ。何とも言えない居心地の悪さを感じたところで、談話室の扉がコンコンと2回鳴った。

 



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きな臭さ

 

「よっすー! ……お、けっこう集まってんじゃないすか!」

 

 バタンと力強く開かれた扉の先から現れたのは、赤毛が印象的なホロウだった。その後ろからアサギがひょっこりと顔を出す。

 

「待たせてすまんな。結局、エイガしかつかまらなかった」

「ってことで、アサギっちにつかまったエイガっす! 以後よろってことで!」

 

 挨拶もそこそこに、赤毛のホロウ……エイガはズカズカと談話室内を歩き、ドカっと空席に腰を下ろした。 ……そこはシヅキの隣の席である。

 

「シヅっち調子どうすか? そろそろ治ったすかね?」

 

 シヅキの肩をパンパンと強く叩きながらそんなことを尋ねてきたエイガ。唐突に近すぎる距離感に、シヅキの表情が歪んだことは言うまでもない。

 

「……いきなり何だよお前」

 

 その言葉と共に肩を叩く手を強引に振り解くと、エイガはわざとらしく自身の手を押さえ込んだ。

 

「そりゃあヒドいっすよ! オレたちゃダチじゃねーっすか!」

「ダチだと? 知らねーよ、お前なんて」

「えーー会ってるじゃないすかオレたち! ほら、この顔覚えてないっすか? ん?」

 

 眉を潜めた自身の顔を何度も指差すエイガ。ふつふつと沸き上がる嫌悪感を隠すことなく露わにしていたシヅキだったが、エイガの表情には見覚えがあった。

 

 (この軽薄な雰囲気は……そうだ、薄明の丘で……)

 

『そっすよねー! 初めてコクヨさん見たらそうなっちゃうすよねぇ!』

 

 “絶望”にやられる寸前に、シヅキとトウカはコクヨによって助けられた。しかしあの場に現れたのはコクヨ1体だけじゃなかったのだ。眼鏡のホロウと赤毛のホロウ……彼らもまた、あの場には居た。

 

 恐る恐るの口調でシヅキは言った。

 

「……俺の救助に来ていた」

「そっすよー! あん時は大変だったんすからねー」

 

 ケラケラと笑うエイガ。周りに眼を向けると、サユキとリーフと視線が合った。不思議そうにこちらを見ていることが分かる。

 

 (クソ……どう説明すりゃあいいんだ)

 

 眉間に皺を寄せながら適当な説明する文句を考えていると、「よし! じゃあ聞いてくれ!」と大きな声が聞こえてきた。振り向くとそこには、全体を見渡すアサギの姿があった。

 

「全員とは言わないがそこそこの数が集まったし、そろそろ話し合いを始めようか。 ……とは言っても、いきなりのことすぎてどこから手をつければいいのかって話だけどな」

「まずは出席確認からしましょう。今この場にいるのがアサギ、リーフ、シヅキ、エイガ、そして私ことサユキですね。逆にこの場に来ていないのがコクヨ、ライカ、クロウ、ソウマ、ヒョウ、トウカ、チコ、フィア、ヒョウ、ヒソラですね。 ……あ、敬称は略です」

 

 サユキが配られたリストの名前を淡々と読み上げた。

 

 (そうか、これでも半分以上は来ていねえのか。 ……まあ、急に呼び掛けたのならこんなもんか)

 

 アサギは腕を組み、難しい表情をしながら言った。

 

「コクヨ隊長とヒソラ先生はいいだろう。おれたちより上のホロウだし、そこで色々と伝わってるんじゃないか? ……その他のホロウは」

「あーそれなら大丈夫っすよ」

 

 アサギの言葉を遮ったのは先ほどまでシヅキにウサ絡みをしていたホロウ、エイガだった。

 

「ソウマっちも調査団に選ばれたホロウを何体か、集めているらしいっす」

「そう、なのか? すまん、全然把握出来ていなくてよ」

「さっき通心で連絡あったっす。集めている理由は、一緒じゃないっすかね? とりあえず情報を共有しておきたいって感じで」

「……まあ、だったらいいか。じゃあ、おれたちも話を始めようか。 ――正直、おれは特殊作戦だの調査団だのを今日初めて聞いた。だから、なんっっっも分からん。誰か何か知ってることあったら、遠慮なく教えて欲しいと思ってる。頼む!」

 

 パン、と両手を合わせて拝む仕草をするアサギ。シヅキとしても口には出さないが、ほぼほぼアサギと同じ立場だ。故に情報なんて一切持ち合わせていない。

 

 そんな中で唯一手を挙げたのはリーフだった。

 

「リーフか! 何か、知ってるのか?」

「ん〜ん。リーフちゃんも〜急に呼ばれたから何も知らないんだけ、ど〜。急すぎっていうか〜? きな臭さみたいな〜? 感じるよね〜」

「? どうゆうことだ?」

「特殊作戦って言っても〜、いきなりすぎて〜困っちゃうよね〜」

「……もっとまともに喋れねーのかよ」

 

 シヅキがそう口を挟むと、リーフは「だぁ〜」と言いながら机に突っ伏した。

 

「シヅキさん! リーフさんも一生懸命に喋っているのですから、そういう口の利き方はメッですよ! メッ!」

「……これ俺が悪ぃのかよ。意味分かんねえ」

 

 後頭部を掻きながら困惑の声を漏らしたシヅキ。彼が横を見ると、先ほど注意をしてきたサユキは「うー」と項垂れるリーフの頭を撫でていた。

 

「ま、まぁリーフが言いたかったことは大体分かったぞ。特殊作戦なんて大層な名前をつけていて、おまけにその中身だって、人間の復活に大きく影響するかもしれない重要なものだ。それを即興で作ったチームに丸投げするなんて、どう考えてもおかしいよな」

 

 アサギの要約に対し、リーフはグッドマークを作った手を挙げてみせた。

 

(……まぁ、一番気になるところだな。それが)

 

 椅子の手すりの上で頬杖をついたシヅキ。アサギの言葉には全面的に賛同できた。

 

「はいはいはーい! でも、今回おれたちが選ばれたのは、大都市があったっていう“から風荒野”での魔素回収任務じゃなくて、あくまでそこに辿り着くための結界の問題を解決する調査団っすよね? だったら、とりあえず適当に面子を集めて向かわせるのも説明つくんじゃないすか?」

「……確かにエイガさんの言う通り、結界の問題解決に向けたメンバーを揃えて調査をするだけであれば、特殊作戦の本筋でもありませんし、失敗を生む可能性は低いでしょう。即興で調査団を結成して派遣することも頷けます。しかしながら、そのメンバーを名指しで固定するという行為はよく分かりませんね。何故、わたし達は選ばれたのでしょうか?」

 

 結局のところ帰結するのは、調査団のメンバーに選ばれた理由である。サユキが少し前に言っていたが、調査団に抜擢されたホロウの間には共通点らしいものは見られない。型が統一されているわけでもないし、能力の高い者を集めたという訳でもないだろう。少なくともシヅキ自身の実力は並程度の自覚はある。

 

 少しの沈黙の後、ポツリと溢すようにアサギが呟いた。

 

「……解せないよなぁ。まさか無作為に選んだのか?」

「そんなに深い理由とかないんじゃないすか? アサギっちが言ったように、適当にホロウを引っこ抜いただけで、メンバーが名指しで固定なのも辞退させにくくさせるためーみたいな? そんな程度じゃないすか?」

 

 頭の後ろで腕を組み、気楽な様子で発したエイガの発言に否定の言葉を重ねる者は居なかった。皆(机に突っ伏したリーフを除く)が神妙な面持ちで考え込むだけだ。

 

(無作為……か)

 

 (おもむろ)にその眼を閉じたシヅキ。エイガの言う通り、共通点が見られない以上、そのように考えるのは自然なことだろう。 ……しかしながら、シヅキには1つ引っかかる点があった。

 

(ヒソラ、それにトウカ。この2体が居るのは本当に偶然か?)

 

 他ホロウとの交流が極端に少ないシヅキ。そんな彼と定期的な交流があるトウカとヒソラが、両方ともリスト上に存在するのを、偶然という一言で片付けることになんとも言えない気持ち悪さを感じた。

 

『ん〜ん。リーフちゃんも〜急に呼ばれたから何も知らないんだけ、ど〜。急すぎっていうか〜? きな臭さみたいな〜? 感じるよね〜』

 

 リーフは“きな臭さ”なんて言葉を口にしていたが、なるほど、シヅキも漠然とソレを感じざるを得なかった。

 



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ひどい既視感

 

 結局のところ、緊急で集まったはいいものの収穫らしい収穫は無く、その場は解散となった。

 

 帰り際にアサギとサユキは管理部の方に寄ると言っていた。しかし、開示された情報が過剰に少な過ぎることから、「行けば分かる」の一言で一蹴される気はするが。 ……あるいは、管理部すらまともに分かっていない可能性もあるだろうか? なんにせよ、情報を得られる可能性は低い気がする。

 

「ハァ」

 

 時間が経つごとに、調査団への抜擢に対する「困惑」は「不安」へと侵食されつつあった。それを自覚してからというものの、どうも身体が重い。その感覚は、病室で目覚めてから間も無くのモノに近かった。

 

 居住スペースまで降りる昇降機の壁に、シヅキは全体重を預けた。頭の中にこびりつく懸念の大きさに舌打ちをする。

 

 (調査団のこともあるし、それに……)

 

 間も無くして、昇降機はガタンと揺れた。鉄製の扉が不快な金属音と共に開かれる。

 

 ……開かれて、シヅキはぎょっと眼を剥いた。

 

「シヅ、キ」

 

 扉の向こうに立っていたのはその懸念の筆頭であるトウカだった。彼女もまたシヅキと同じように、眼をパチクリとさせてその場に立ち尽くしていた。

 

 そのまま少しだけ時間が流れた後、シヅキはそそくさと外套のフードを被り、早歩きにて昇降機を後にしようとした。

 

「ま、待って! シヅキ!」

 

 ちょうど昨日の去り際のように制止の声がかけられたが、シヅキは従うことなく、自室に続く廊下をスタスタと歩いて行く。

 

そのまま振り切れると思ったのだが――

 

シヅキは唐突にその脚を止めた。

 

「んだよ」

「ご、ごめん…………引き止めちゃって」

 

 角を曲がろうとした時、シヅキの袖元がギュッと握られたのだ。すぐ後ろからはトウカの早い呼吸が聞こえてくる。

 

「その……シヅキと少し、話したくて」

「俺はお前と話をするつもりは無ぇよ」

 

 袖を掴む手を振り解こうとしたが、トウカは思った以上に強い力で握り込んでおり、離れやしなかった。何度も何度も袖を引っ張る。しかしそれでも振り解けなかった。

 

 痺れを切らせたシヅキ。眉間に深く皺を寄せた表情で後ろを振り向いた。

 

「……調査団、のこと。教えて欲しいの」

 

 弱々しく呟いたトウカが浮かべていたのは、かなり切羽の詰まった表情であった。それと同時に、袖を掴む手がふるふると震えているのを見つけた。 ……明らかに普通の様子ではない。

 

「私……“特殊作戦”に急に任命されてて……意味が分からなくて……ソヨさんに詳細を聞きに行ったけど、ソヨもさんも今日初めて聞いたって言ってて……明日から作戦を始める、って……結界の破壊?……意味が分からない。話が急すぎるし、辞退を申し出たけど、合理的な理由が無い場合は不許可だって……上層部のホロウが既に決定した……ことらしくて……」

「トウカ、お前――」

「だんだん不安になってきて……もしかしたら、私のことが……私の過去のことが明るみになったから……私はそんな得体の知れない作戦なんかに選ばれたのかなって……だとしたら、私は……」

「トウカ!」

 

 シヅキが強く呼びかけると、トウカはハッとした表情でシヅキを見た。

 

「シヅキ……私、どうしたら……」

「よくもまぁそんなことを俺に聞けたな」

「だって――あだっ!」

 

 トウカの額を指で軽く弾くと、彼女の顔はすぐに仰け反った。

 

「……お前、なんだかんだ言ってそのバカみたいな臆病さは“素”なんだな。安心したよ」

「いたい……」

 

 額を両手で押さえつつその場に蹲ったトウカ。ひどく既視感のあるその光景に、シヅキは呆れる他なかった。わざとらしい大きな溜息の後に、シヅキは出来るだけ淡々と言葉を並べた。

 

「とりあえず場所を変えるぞ。誰かに聞かれるのはお前が一番不都合だろう? トウカ」

 



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曖昧な関係性

投稿が少々開いてしまってすみません。
というのも、新たに短編集を執筆し始めたのです。メインは『灰色世界と空っぽの僕ら』の方ですが、短編集『生きとし生ける魔女たち より』も息抜き程度にアップします。よければ少しだけ覗いてくださると幸いです。


 

「おらよ、これ」

「あ、ありがと……」

 

 いつかの日と同じようにベッドの上に座ったトウカにシヅキは特製のコーヒーを振るまった。

 

 火傷をしないようにするためか慎重にカップを傾けるトウカ。少しの後、カップを下ろした後のトウカの顔は酷いものだった。

 

「お前、それは不安に駆られてるのかコーヒーの苦味に苦しんでいるのかどっちなんだ?」

「り、両方だよ……」

 

 顔を極限まで顰めたトウカを見てシヅキは鼻で笑った。

 

「ありがとシヅキ。ちょっと落ち着いた」

「……なんだったか。自分が同族消しとバレたもしんねーってか? それとも、虚ノ黎明と絡みたがってる方か?」

「ハ、ハッキリ言うね」

「なんで俺がおめーに気を遣うんだよ。昨日言ったろ? 裏切り者に優しく出来るほどに、俺はオワってねえってな」

「なら、シヅキは“オワってる”ね」

「……あ?」

「デコピン、さっきしてくれた。すごく優しかったよ。痛いけど」

 

 少し赤くなった額をトウカはさすった。それに対してシヅキは大きく舌打ちをうった。

 

「お前さ。話し相手を逆撫でる才能あるよ。ちょうど“絶望”を相手にしたときと同じ気持ちになった」

「……ごめん」

「謝んな。立ち回り下手かよ。 ……呆れて怒りを通り越した」

 

 ハァと大きく溜息を吐きつつ、シヅキは机にドンと頬杖をついた。ちょうどその目線の先には秒針の進み方が狂っている柱時計が見える。指している時刻はまだまだホロウの活動時間帯であった。

 

 トウカは再びコーヒーに口をつけるとポツリポツリと話し始めた。

 

「えっと……その。私けっこう本気で怖くて……その、私の過去が上層部にバレているかもっていう話、なんだけど」

 

 口を真一文字に結んだトウカ。その手はシヅキのベッドのシーツをギュッと掴んでいた。

 

「よく分からねえ調査団なんかに任命されたからか? だがよ、それは別に――」

「私だけじゃない……のは分かってる。でもシヅキとヒソラさんがいるのが……」

「……」

 

 つまるところ、トウカが懸念していることはシヅキと同じだったということだ。

 

 (なんで思考回路が一緒なんだよ、クソ)

 

 後ろ髪をわしゃわしゃと掻いた後、シヅキは不機嫌そうな声で言った。

 

「なぜ調査団なんかに選ばれたのか、5体で集まって話したが結論なんか出なかった。お前に教えられる情報を俺は持ってねえよ」

「そう、なんだ……」

「得体の知れねぇ調査団は確かにきな臭さを感じる。何かしら俺たちに不都合あるんじゃねぇか、なんてな。邪推かもしんねーけどよ」

「……」

「だが……だが、そのこととお前がどこで繋がんだよ。お前は俺以外の誰かに自分の過去がバレるようなボロを一度でも出したのか?」

 

 シヅキがそう尋ねると、トウカは自信なさげに頭を振った。

 

「私は……私の計画は、辺境区に来てから狂っちゃってて……上手く、動けていない」

「なら問題はねぇだろ。中央区でやらかしたことが公に知られているなら、既に中央区で裁かれている筈だろ?」

「それはまぁ……そうだね」

 

 シヅキが言葉を連ねても、トウカの声から不安の色は消えることがなかった。

 

「……別によ。上層部だって深く考えずに調査団を結成したかもしれない。俺たちが思っていること全部が杞憂って可能性の方が高いくらいだ。後は……コクヨさんか。俺とお前を“絶望”から救ったホロウが同行する」

 

 シヅキは“絶望”と対峙した時のことを思い出した。長身の刀を携えたコクヨがシヅキとトウカのことを助けてくれたのだ。そして“絶望”すらを浄化してみせた。

 

 聡明で力があるコクヨが同行する時点で、大抵の不都合は全て跳ね除けてくれそうではある。それほどまでに頼りになるホロというのがシヅキの認識だ。いわば、“最強の味方”である。

 

「気にしすぎなんだよ。俺も、お前も」

 

 シヅキがそこまで言ったところで、トウカはようやく笑みを浮かべてみせた。

 

「……ありがと、シヅキ。少しだけ元気でた」

「俺はただ、考えられる可能性を口にしただけだ。他意は無えよ。実際のところは明日になってみねえと何も分からねえ」

 

 座り込んだ椅子から立ち上がったシヅキはトウカに向かって手を2回払った。

 

「話は済んだろ。ならとっとと出て行ってくれ」

 

 酷く冷淡な対応である自覚はあったが、トウカは素直に頷くと玄関扉に手をかけた。

 

そして、小さな声でこう言ってみせた。

 

「シヅキ。明日からもよろしくね」

「……俺は、お前のことを既に信用なんかして無えよ。少しでも変な動きを見せてみろよ。そん時は……覚悟しとけ」

 

 未だどうトウカを扱えばいいのか分かってはいない。でも今まで通り軽口を叩く仲というのは確実に出来ないし、だからって敵意を剥き出しにし続けることも憚られた。どう扱えばいいのか分からない。

 

 これからのトウカ次第……なんて言い方をすると聞こえはいいが、とりあえず様子を見ることにした。罪のない他者を犠牲にするやり方をシヅキは認められない。もしトウカが語ったような動きを辺境区(ここ)でもしたならば……それを目撃してしまったならば、シヅキは大鎌を振り下ろすのだ。

 

 だから今は、仲間とも友ともチームとも敵とも他者とも形容できない関係に落ち着く他ない。酷く酷く曖昧な関係性……さながらホロウのように。

 

 

 



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肌寒さと共に

 

 いつの間にか翌日を迎えていた。それこそ瞬きを1つした程度の感覚だ。こんなにも時間の進みは早かったものかとシヅキは思う。

 

 後に通心で送られてきた詳細情報では、集合場所と時間、しばらくは野営となる旨が記載されていた。それと同時に少量の私物の持ち込みの許可がなされた。しかしシヅキが持ち込むものなど特に無い。せいぜい、普段制服の上から着ているソヨから貰った外套くらいだ。

 

 いつものように外套へと袖を通したところで、シヅキは他に何か持っていくべきものがないのか部屋を見渡した。

 

「あとは……あぁ」

 

 シヅキの目線が1つのモノを捉えた。実際に手にとってみる。

 

 (……こんなのを持っていったところでか)

 

 一度はそう思って元あった場所に置いたシヅキだったが、他に何かを持っていこうとも思えなかった。手ぶらで向かうのが心許(こころもと)ない……なんて考えた訳ではなかったが、結局のところソレを布製のボロ袋の中に入れた。

 

 袋を片手に持ち、扉に手をかけたところで柱時計の時刻を確認したが、集合時間よりはまだまだ早かった。きっとほとんどのホロウは集まっていないとは考えたものの、シヅキは構わず部屋を出た。

 

 昇降機に乗り、静寂に包まれたオド内部を移動する。地上に出ると肌寒い空気がシヅキを出迎えた。

 

 空も大気も常に闇で覆われているくせして、起床直後の外の空気感は明らかにそれ以外の時間帯とは異なる。シヅキの感覚的な話にはなるが、大気が透き通っているのだ。以前ヒソラに尋ねたことがあったが、彼は『まともに人類が健在していた頃で言う“朝”の感覚じゃないかな?』と言っていた。 

 

「まぁ、だから何だって話か」

 

 そう呟いたところでシヅキは1体で廃れの森の中へと足を踏み入れた。集合場所となっていたのは森を進んでまもなくのところにある、木々が開かれた空間だった。ホロウの手によって木を伐採された円形の広場である。

 

 そんな広場に入るや否や、シヅキは見覚えのあるホロウを1体見つけた。細身の長身で、黒の長い髪を一つ括りにした女性ホロウである。シヅキは喉を鳴らして声を整えたところで、その名前を呼んだ。

 

「コクヨさん」

 

 その声に反応してこちらを振り向いたホロウ……コクヨの眼帯をしていない右眼がシヅキを捉えた。焦点が合っているのか合っていないのか分からない、まるで虚空を見つめているような眼にシヅキは一瞬たじろいだが、すぐに持ち直した。

 

「ああ、シヅキか。早いな」

「眼が冴えちまって。でも体調はまぁ、大丈夫です」

「そうか。それは何よりだ」

 

 淡々とした口調のコクヨに、シヅキは自身の身だしなみを若干整えた後に軽くお辞儀をした。

 

「その……コクヨさん。言うタイミングが遅くなっちまったんすけど、以前はありがとうございました」

「以前? あぁ、“絶望”のことか」

 

 “絶望”。コクヨが発したその単語は、シヅキの頭の中に1つの光景をフラッシュバックさせた。

 

 無数の枯れ枝を脚とし、不気味な漆黒の花弁の胴体を持つ魔人。 ……そして何より、「ミィ」と鳴く小さな花を身体中に咲かせた姿は記録(きおく)から離れることがない。

 

 そんな“絶望”と対峙し、(ころ)される直前にまで追い詰められたところを助けたのが、まさしくコクヨだった。

 

「……コクヨさんが来てくれなかったら、俺とトウカは間違いなく(ころ)されてました。今俺とトウカが無事に存在しているのはコクヨさんのおかげです。その……ありがとう、ございました」

「まだトウカはここに来ていないが」

「え? あぁ……いや、まぁそうですね」

 

 困惑した調子でシヅキが答えると、コクヨはわずかに微笑んでみせた。

 

「すまんな。今のは軽い冗談だ。間に受けてくれるな」

「は、はぁ」

 

 どう返事をしたものかとシヅキが迷っていたところ、広場の奥の方から話し声が聞こえてくることに気がついた。見ると、向こうの方にはやや大掛かりな荷物類と数体のホロウの姿が見えた。

 

「……まだ早い時間なのに、結構な数のホロウが居んだな」

「あれは雑務型のホロウだ。野営に備えたテント類と食料類の準備を行っている」

「あぁ、そういうことですか」

「今回執り行われる特殊作戦は、人間の復活に大きく関与する可能性が高い。上層部の面々も躍起となっているのだ」

「躍起に……まぁそうですね」

 

 大ホールに集まった際も、上層部のホロウたちは壇上に上がっていたのだ。シヅキが知っている限りでは、今までにそんなことは1度たりとも無かった。彼らが言葉を発することはなかったものの、特殊作戦に躍起となっていることは頷ける。 ………きな臭さは拭えないが。

 

「だが今回シヅキ含む調査団の目的は、あくまでも“から風荒野”を覆う結界の破壊だ。気楽でいろ、とまでは言わないが背負いこむ必要性は無いと思え」

「……はい」

「まぁ、万が一のことがあろうなら――」

 

 コクヨは腰から提げた刀を鞘からは出さず、シヅキの前に(おもむろ)に差し出した。

 

「その時はワタシの責務だ」

 

 “万が一のこと”。コクヨはそう言ったが、果たして彼女もこの特殊作戦なるものに違和感を感じているのだろうか? シヅキにとって都合よく解釈するならば、そういうことになる。

 

 不都合の全てをコクヨが祓ってくれるとまでは思わない。ただ“絶望”と対峙した時とは異なり、強力な味方が常に近くにいてくれるとは思っても良さそうだとシヅキは感じたのだ。

 

 

 

 ――そう、感じていたのだ。



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エペ武装の魔人

 

「どりゃああああああああああああ!!!」

 

 ガァァァン

 

 猛々しい雄叫びと鈍い金属音がいっぺんに走った。横目で様子を窺うと、大槌の武装をした魔人の体勢が完全に崩れきっていた。シヅキはその光景に素直に舌を巻く。

 

 (アサギ、あんだけのパワーがあったのか)

 

 どうやら向こう側は問題が無さそうだと思い、シヅキは目の前の魔人に意識を集中させる。 ……無論、常に気を抜いてはいなかったが。

 

「リリリリリ………………リリリリリ」

 

 シヅキの目の前に立ち塞がっていたのは、甲高い声で鳴く魔人だった。細身であるコクヨや、以前に戦った短剣を武装した魔人なんかよりもよっぽど痩せている。それこそ周りに生えている白濁の木々が伸ばす枝のような体躯だ。

 

 武装にしたって、まるで針のように細い剣を携えている。魔人はそれを斬るために使うのではなく、常に突いてくる。剣の中でもいわゆるエペと呼ばれる代物(しろもの)だ。

 

 シヅキは大鎌の柄を出来る限り短く持った。隙を見て、懐に潜り込んだところで魔人の身体を抉るように斬る算段だ。

 

「リリリ……」

 

 短く鳴いたかと思うと、エペ武装の魔人が接近をしてきた。タチが悪いのが、身体よりも先に剣を突き刺してくるところで、腕が伸びきったと同時に胴が付いてくるのだ。なかなか間合いを縮ませない攻撃のせいで長期戦が余儀なくされた。

 

「ダリぃな!」

 

 苛立ちの声を漏らしながら、シヅキは突き続けられる剣を捌き続けた。執拗に胴を狙い続けるために剣の処理自体は簡単だ。しかし動きが速い。剣を弾いたかと思うと、第二の突きが始まっている。もしかすると、消耗戦に持ち込むことがこの魔人の目的か? なんて邪推を繰り広げる。

 

 そうやって対峙する魔人にシヅキが手を焼いていたところ、斜め後方から声がかけられた。

 

「シヅキさん! 魔人との距離を開けてください!」

「……っ!」

 

 返事をする以前に身体が動いた。全身に高速循環させていた魔素の流れを今度は遅める。代わりに脚先に魔素を集めた。急速に熱を帯びてくる感覚……言い換えれば、それは無茶だ。

 

「ラァ――!」

 

 魔人が繰り出す剣撃を弾いた瞬間に、左脚を軸としたかなり豪快に右の回し蹴りを繰り出した。

 

「リリ」

 

 剣を突き出すよりも更に短い鳴き声が聞こえたかと思うと、シヅキの蹴りは見事に空を切った。エペ武装の魔人が後方に距離を取ったのだ。あんなに細身の剣で受けて躱すことは不可能なのだから、当然の行動である。

 

 しかし魔人側からすれば、またとないチャンスだった。なにせ相手のホロウは咄嗟に大振りの蹴りを繰り出したせいで、大きく体勢が傾いていたのだから。こうなれば魔人の行動はただ1つに固定される。

 

 魔人は剣を自身の身体に寄せた。溜めの動作である。

 

「リリリ………」

 

 間もなくして、渾身の突きがシヅキを襲った。細くしなやかに、確実に肉薄をしてくる。それは確かに良いシヅキを(ころ)そうとしてきた。

 

 

 ――その隙を彼女は許さなかった。

 

 

 フッと空を斬るような音が耳元を掠めたかと思うと、シヅキが認識した時は魔人の右肩を群青色の矢が貫通していた。

 

「リリリリリリリリリリ」

 

 喚くように鳴くエペ武装の魔人。速やかに矢を引っこ抜こうとしているが、上手く抜けない。どうやら矢には返しが付いているらしい。

 

「シヅキさん、あとは――」

「わーってる!」

 

 この瞬間を逃すほどにシヅキは愚かではない。鋭く息を吐くと同時に、遠心力に任せた横振りの大鎌を魔人にぶち当てた。

 

 ドゥゥゥン

 

 両手へと確かに響く振動と共に、エペ武装の魔人は大鎌を振りきった方向へ派手にぶっ飛んだ。白濁の大木に背から激しくぶつかり、そのまま地面へと倒れ込んだ。

 

「リリ……リリ……」

 

 どうやら先程の攻撃では細すぎる体躯を分断することはできなかったらしい。しかし、大きすぎる損傷を加えたことは違いなかった。痙攣を続ける魔人の姿には、シヅキの手を焼かせた面影はもう残っていない。

 

「……」

 

 その惨状に激しい罪悪感を覚えつつ、シヅキは大鎌を再び振り上げた。シヅキの体勢は大きく隙があるくせして、魔人は剣を振ろうとはしない。否、振れない。

 

 

 (すまんな。今ラクにしてやる……)

 

 心の中で呟いたシヅキは、重力に身を任せて大鎌を一気に振り下ろした。さながら、かつての人間史の中で処刑に用いられたというギロチンのように。

 

 間もなくしてシヅキの大鎌は、エペ武装の首元を捉え…………

 

「よっ!」

 

 ……ようとしたところで止められた。突如として、眼前に魔人以外の影が映り込んだからだ。

 

 ズシュ

 

 間もなく聞こえてきたのは、そんな肉を剥ぐような音だった。喉の奥から掻っ切り、確実に魔人を(ころ)す手法……短剣武装のホロウがトドメを刺す時の常套手段だった。 ……既にエペ武装の魔人は鳴けなくなっていた。

 

「よーっし! これで5体目すね。順調で何よりっすね〜」

 

 汗をかいていないにも関わらず、額を拭う素振りをした短剣武装のホロウは(おもむろ)に立ち上がった。シヅキの方を振り向いたところで眼があった。 ……薄明の丘で初めて会った時から感じる軽薄な印象の眼だ。

 

「シヅキっちおつーっす! さっきの蹴り良かったすよ。上手く機転が効いてた感じで!」

 

 ニッと歯をむき出しにして笑ったホロウ……エイガがそう言いつつグッドサインをシヅキへと向けた。

 

「ふあぁぁぁぁ……」

 

 そんなシヅキたちの後方では、抽出型のリーフが魔素の抽出を気だるそうに始めたのだった。

 



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マメサユキ

 

 つい昨日に組まれた即興の調査団。彼らはかつてまともだった頃の人間が大都市を造ったとされる“から風荒野”を目指して前進をしていた。

 

 目的はから風荒野への侵入経路の確保である。というのも、から風荒野の周辺には魔素ノイズが渦状に流動をしているのだ。この渦状のノイズは結界と命名された。

 

“結界を破壊できるかどうか。” そこにこの調査の命運が託されているのだ。

 

 (………まぁ、んなことはクソほどどうでもいいんだが)

 

 心の中でそう吐き捨てたシヅキは、改めて自身がこの調査とやらには向いていないことを自覚をした。

 

 第一に士気の低さである。ホロウの悲願である人間の復活にツユほどの興味が無いシヅキが、結界の破壊という得体の知れない調査へ躍起となる理由がある筈無かった。今はただただ、“言われたことを愚直に行うようにする”という今までの自身の在り方へやはり愚直に従っているに過ぎない。

 

「どしたすか? シヅっち〜なんか思い詰めた顔してるっすね〜、ん? ん?」

 

 廃れの森をただ黙々と歩いていただけなのに、エイガはわざわざこちらに駆け寄ってそんなことを訊いてきた。シヅキは軽く舌打ちをした後にこのように応えた。

 

「るせーよ、幻覚だ」

「幻ではないっしょ……」

 

 ケタケタと貼りついた笑みを浮かべるエイガを、シヅキは嫌悪を隠さない表情で見た。

 

 第二に集団での任務。シヅキは自身が他者に対して辛辣である自覚が大いにあった。ちょうど先ほどエイガにとった態度のように。明らかに集団行動には適していないタチなのだから、やはり調査団には向いていない。

 

 手で払い除ける素振りを何度か行って、ようやくエイガは持ち場へと戻っていった。シヅキは溜息を1つした後に、前方を歩く1体のホロウへと視線を寄越した。その横顔が見える。

 

(……トウカ)

 

 そして最後にトウカのこと。先日トウカが吐いた彼女の正体……ソレが静かに、しかし確実にシヅキの思考を蝕んでいた。否応もなく思考せざるを得ないのだ。他のナニカに打ち込むなんて出来る筈なかった。

 

 そんな思考の最中で、シヅキは自分自身のことをちっぽけな存在だと思った。小心者なのだ。ソヨやヒソラ、コクヨであれば気持ちに折り合いなんかを付けられるのかもしれないが、シヅキにはそれが出来ない。自分の中で抱え込んで、抱え込んだモノは濃度が高くなりやがて毒へと変わる……そんなイメージが頭の中にあった。

 

 そんなシヅキのことを知ってか知らずか、調査団の隊列において先頭付近を歩くトウカの面持(おもも)ちは至って平常だった。ただ淡々と誰とも話すことなく前進を続けるのみだ。一見するとそれは、緊張をしているようにもあるいはリラックスをしているようにも見えた。

 

 (前者だろーけどな)

 

 トウカが片手に持つ錫杖(しゃくじょう)。その揺れる鈴を見ながらシヅキはそのように考えていた。

 

「シヅキさん、シヅキさん」

 

 先ほどのエイガのように再び声がかけられた。今度は背後からだ。移動の最中は余計な会話をしないのが原則じゃないのか? と呆れつつもシヅキは振り返る。

 

「んだよ、サユキ」

 

 ぶっきらぼうにシヅキがそのように声をかけると、同じ浄化型のサユキはメガネをカチリと上げつつこう言った。

 

「先ほどエペを武装した魔人を浄化したじゃないですか。その時の感想を率直にお願いしたいですね」

「あ? 感想?」

「ええ。私が近くの木の上から魔人を狙撃しましたよね? 私の立ち位置や矢を飛ばすタイミング、あとは指示についてシヅキさんが思ったことを教えて欲しいです」

「……あぁ、そういうことか」

 

 シヅキが思い返したのはつい先ほどの戦闘のことだった。シヅキが対峙したエペ武装の魔人の肩を1本の群青色の矢が貫いたのだ。あれはサユキが放った一撃だった。

 

 浄化型の武装は各ホロウで様々だ。シヅキは大鎌、コクヨは刀、アサギは大盾、エイガは短剣を同時に2本用いる。サユキは弓矢だった。戦闘時には魔人の足止めや隙作りといったバックアップを行う。

 

 道中では計3回魔人と対峙をした。その中でサユキが放った矢の数は1本だけだった。なぜならそれ以外はシヅキとエイガで事足りたからである。

 

 なので、シヅキはたった1回の狙撃のことを頭に浮かべながら、ぶっきらぼうに答えた。

 

「正直あの一撃は助かった。俺1体じゃあ消耗戦にでもなってたろうしな」

「ほうほう。して、改善点はありましたかね」

 

 コクコクと素早く頷きながら、サユキは懐から取り出したメモ帳とペンを準備した。

 

「……お前、マメな」

「ふふ、当然ですね。私のアイデンティティーですから!」

「アイデ……は?」

「アイデンティティーですよ! 個性ですね!」

「……」

 

 ドヤ顔でメガネを上げるサユキは随分と鼻についたが、流石にそれを口には出さなかった。溜息混じりにシヅキは言葉を口にする。

 

「……そうだな、距離感がいまいち掴めねぇとこか。背後にサユキが居ることは分かるが、どれほど距離が空いているかが曖昧だ。声の調子だけじゃ理解に時間かかるから、他に合図をくれると助かる」

「ほうほうほう」

 

 ザーッという調子でメモをとるサユキ。シヅキが眼の端に捉えたメモ帳はびっしりと黒で埋まっていた。

 

「分かりました。とりあえず木を移った際は脚で幹を叩くようにしましょう。それが聞こえづらければ他に案を考えてみます」

「ああ」

「質問は以上です。ご協力感謝ですね」

 

 やはり最後もメガネをカチリと上げたサユキは、ペコリと頭を下げた後にスキップでもともと居た隊列の位置へと戻っていった。

 

 それを眼で見送った後に視線を戻すと、こちらを見ながら後ろ歩きをするエイガと眼が合った。

 

「ふーん」

「……んだよ」

「シヅっち、意外と喋るんだ〜と思っただけすよ」

「お前には関係ないだろ」

「あるっすよ! オレはシヅっちと仲良くなりてーっすもん!」

「俺は思ってねぇよ」

「え〜ひどいすよ!」

 

 そう言いながらわざとらしくその場で地団駄を踏んだエイガ。その光景を、トウカと同じ隊列の先頭を歩くソウマがギロッと睨んでいた。

 

 そんな2体のを眼に捉えつつシヅキは考える。

 

 (エイガとソウマ……こいつらがコクヨさんと一緒に“絶望”から救助したんだよな)

 

 赤毛で軽薄な態度を崩さないエイガと、堅物な態度をとり続けるメガネをかけたソウマ。一度救助されたからかどうかは不明だが、2体にはアサギやサユキといった他のホロウとは()()()()()が異なると漠然と感じていた。

 

 顎を2度さすった後にエイガがおどけた口調で言った。

 

「シヅっちってば、まーた思い詰めた顔してるすよ? よければ相談乗るっすよ? ん?」

「……」

 

 個体差があるのだから纏う雰囲気が異なるのは当然だろう。だが、それとは別にシヅキの中には2体に共通する“違和感”があった。なぜ自分の中にそんなものがあるのか分からない。 ……ただ、存在するのだ。そして、それはシヅキの思考を蝕みつつあった。

 

 静かに、しかし確実に。

 

 

 



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棺の滝

 

 白濁色に染まった木々の中を通り抜けていく。その中でやはり何体かの魔人と遭遇があった。シヅキ含めた調査団は1体も逃すことなく浄化と魔素の抽出を繰り返した。

 

 数時間程度歩き、ついに廃れの森を抜けた。18年間オドにて生活をしてきたシヅキでさえもこんなところまでやってきたのは初めてだった。

 

 眼前に広がったのは岩肌が剥き出しの拓けた土地。闇空が頭上へと姿を現し、突如として眼に映る景色が“不気味”から“鬱屈”へと変化した。

 

 先の方を見ると、高さ20mはありそうな高い岩壁がそびえ立っている。まるで自身が立つ地面だけが酷く凹んでいるような感覚に陥った。それほどまでに不自然な大地のズレがあったのだ。

 

 そんな岩壁を見上げ、シヅキは心のなかで呟いた。

 

 (ここが……“(ひつぎ)の滝”か)

 

 棺の滝。そこはつい最近まで不可侵領域として設定されていた未開拓の土地だった。滝という名が付いてはいるが、実際には水が流れていない。既に枯れたのか、それとも単に名前だけなのかはシヅキの知るところではない。ここには以前、コクヨが率いる新地開拓大隊が侵入し、数体の獣形ホロウと対峙。その中には植物形状の魔人である“絶望”の姿すらあった。

 

 では、なぜこの土地を調査団は訪れたのか。その答えは至極単純で、向こうに見える岩壁を超えた先にあるのが、目的地であるから風荒野なのだ。ただそれだけに過ぎない。

 

 間もなくして、縦に隊列をとっていた調査団全員が棺の滝へと足を踏み入れた。それと同時に先頭集団を歩いていたメガネの男性ホロウ……改めソウマが無駄にでかい声でその場を取り仕切り出したのだった。

 

「我々調査団が目指すから風荒野はこれより10kmほど北上したところにある! しかし、棺の滝を超えた先は結界が生み出した強力な魔素のノイズ反応の影響が強まる。よってここにベースキャンプを敷くこととする!」

 

 そう言ってバッと手を広げたソウマ。彼の背後には濃い緑色の布で包まれた大きな荷物類が積まれていた。野営用のテント類である。道中を進む中で浄化型で分担して運んできたのだ。戦闘時には一々地面に下ろす手間が面倒だったものだが。

 

 ソウマは続けざまにこう言った。

 

「それに伴い今から役割の分担を行う。各自持ち場にて作業を行うようにしろ!」

 

 威圧的でいて厳しい管理体制を敷こうとするソウマ。シヅキにはその態度が酷く傲慢なものに感じられた。エイガとは別の意味でこちらの神経を逆撫でるモノを持っていると感じる。

 

 それと同時に、シヅキの中に1つの疑念が生まれた。

 

 (こいつ……完全に“あっち”サイドか?)

 

 調査団なるものの、その事前情報がほぼほぼ0であるシヅキやアサギたちとは異なり、ホロウを仕切りたがるソウマは何かしらの情報を握っているように思われる。普段からコクヨと行動を共にすることが多いことも根拠の1つとしてあった。 ……そういう根拠の付け方には少しだけ抵抗があるが。エイガはともかくして、まるでコクヨの裏を探ろうとしているように感じられたものだから。

 

 ――まぁ、何はともあれだ。

 

 シヅキは鼻からゆっくりと息を吐き出して溜息を吐いた。今はソウマの指示に従う他ないだろうという諦めの溜息だった。

 

 

 

※※※※※

 

 

 

 ソウマから離れることが出来たのは幸いだったと思う。まともに会話でもしようものなら、確実に険悪な雰囲気になる自信があったから。

 

 そんなことをシヅキが考えていたところ、横を共に歩く図体のデカいホロウが、腕を空高く伸ばしながら大きく伸びをした。

 

「どうも絡みづらいホロウが多いよな。空気が固くて仕方ないよ。 ……な? シヅキ」

「……なぜ俺に同意を求める」

「別にいいだろう? たまには愚痴の1つにも付き合えって」

 

 そう言うと図体のでかいホロウ……改めアサギはハハハと小さく笑った。シヅキは細い目でその横顔を見上げた。

 

 (絡みづらいホロウって、俺も入ってねーのかよそれ)

 

 そんな突っ込みは喉の手前にしまっておき、シヅキは「あぁ」と適当な相槌を打った。アサギは特に気にする素振りも見せず、(おもむろ)に後ろを振り返った。そこには後ろを小さな歩幅で歩くホロウが1体いた。眼の端で白銀の糸が揺れる。

 

「数時間歩いた後だけど、体調とか大丈夫か? えっと……()()()

「ぇあ……はい。平気、ですよ」

 

 錫杖(しゃくじょう)を両手にギュッと握り締めつつ、アサギの問いかけにトウカはどもりながら答えたのだった。

 

 シヅキも眼だけで後ろを振り返る。強張ったトウカの表情には、若干であるが疲労の色が滲んでいるように見えた。肉体的なものか精神的なものか……あるいは両方か。

 

 (俺には関係ねぇことだ)

 

 特に声をかけることもなく視線を前方へと戻したシヅキは視界ではなく、自身の肌へと意識を集中させた。それは僅かなノイズのブレを察知するためである。

 

 ベースキャンプの設営における役割分担は大きく分けて2つに分けられた。1つは文字通りベースキャンプの設営である。具体的にはテントの組み立てや、その他オドから持ち込んだ装置(シヅキはよく知らない)の設置をする作業である。ソウマやコクヨ、ヒソラといったホロウがその業務に当てられていた。

 

 もう1つがベースキャンプ周りの魔人の浄化である。ホロウが放つノイズの振動は小さなものであるが、ホロウが多く集まる箇所には魔人が集まりやすい。現に廃れの森を進む道中においても頻繁に魔人に遭遇した。

 

 今現在シヅキたちが行っているのが、そんなホロウ達を(ころ)すために虚空から姿を現す魔人を逆に排除することだった。別に魔人だって無限ではない。一度魔人を刈り尽くした地帯には1日以上の単位で再び姿を現すことはないのだ。故に魔人の排除行為は意味のある行動である。

 

 ソウマは、そんな魔人の排除作業を行うチームでさえも名指しで指定したのだった。結果としてシヅキ、アサギ、そしてトウカ……その3体での行動を余儀なくされた。

 

首の後ろをポリポリと掻いた後にシヅキは言葉を吐いた。

 

「……勝手にチーム決めんなよな。こっちだって色々と都合があんだよ」

「だよなぁ! 戦闘での連携とか慣れがかなり重要になってくるのに、毎回メンバーを変えられたら溜まったもんじゃないって!」

 

 シヅキのソレは単なる独り言だったわけだが、アサギはその意見に強く賛同したのだった。無駄にデカい声をまともに聞いてしまい、シヅキは肩を竦めた。

 

「で、でも……色んなホロウの方とお喋り出来るから、そんなに、悪くもないかな、って……」

「まぁそういう側面もあるよな。俺もトウカと話すのこれが初めてだし」

「そ、そうですね!」

「……」

 

 クソが付くほどの違和感で話すトウカの調子に、シヅキは眉間に皺を寄せた。めちゃくちゃに愛想を良く見せようとしているのが見え見えだった。心の中でシヅキは「何だこいつ」を連呼していた。

 

 ……それからというもの、場はなんとも緩い雰囲気に包まれた。アサギとトウカがずっと話していたからだ。といってもアサギの質問にトウカが答えるばかりだったが。

 

 会話の内容も実にありきたりなものだった。好きな食べ物とか、趣味とか、休日に何をするか、抽出型の苦労など。トウカの返答の半分は、シヅキも初知りの情報だった。そして既知の半分は、真実3と嘘7で答えていた。

 

 (しれっと嘘吐くなよ、裏切り者)

 

 温情にて心の中で舌打ちを打ったシヅキだったが、その肩を大きくゴツゴツした手がポンと乗っかった。

 

「どうした? シヅキ。お前も会話に混ざろうぜ! トウカとは普段チーム組んでるんだろ?」

 

 悪い意味で屈託が一切無いアサギに、シヅキは辟易(へきえき)とした。ただでさえ今はトウカと距離を置きたいと考えているのに、その会話に参加を強制されるのは嫌でしかなかったのだ。

 

「うぜぇ……」

 



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煤描きの模様

 

「ハァ」

 

 シヅキは露骨に溜息を吐いた後に、トウカの顔を見ないようにしつつ呆れた様子で言った。

 

「いい加減、真剣に魔人探せよ。言われたことくらいはちゃんとしたらどうだ」

 

 その指摘に対してアサギは即答せず、「んー」と小さく唸った。一度口をへの字に曲げたかと思うと、すぐに戻して言葉を選ぶようにして言った。

 

「そうは言うけどよ……今は居ないものは居ないだろ? それに、ほら」

 

 アサギは横方向に弧を描くようにして右手を挙げようとしたが、その手が空を差すことは無かった。壁により途中で阻まれたからである。アサギは手の動きを阻んだ壁に掌を押しつけた。

 

「俺の経験上、近くに障害物がある場合に魔人は出現しづらい。こんなデカい岩壁なんてもってのほかだと思うぞ?」

 

 シヅキたちが魔人の排除に担当させられた範囲は、岩壁沿いのエリアだった。岩壁……この先には調査団の目的地であるから風荒野が広がっているのだというが。迂回して登るルートでもあるのだろうか?

 

 (今はどうでもいいか)

 

 アサギを細い眼で見ながらシヅキは言う。

 

「……障害物があっても、別に魔人はいるだろーが。何で廃れの森の中で魔人が湧いてんだよ」

 

 アサギと同じように灰色の岩壁に手を触れてみた。ゴツゴツとした冷たい岩肌の感触がシヅキを襲う。視界のずっと先まで続くその景色は、白濁色の木々や光差さない闇空と同様に好きにはなれそうになかった。

 

「まぁいいじゃないか。出るよりも出ないほうがずっとマシに決まっている。なに、魔人なんてこちらから探さずとも向こうの方から姿を見せにくるものさ。そうだろ?」

「……そりゃあ、そうだが」

 

 俯き気味にその言葉に同意をしたシヅキ。眼の端に捉えたトウカもコクコクと頷いていた。

 

「ただ少し雑談は自重するよ。すまん」

「……う、うん。私もちょっと、喋り過ぎた……ました。ごめんなさい」

「チッ……謝んなよ」

 

 その言葉と同時に岩壁から手を離したシヅキは、2体に先行して前を歩き出した。

 

 崖と反対方向には、設営中のベースキャンプの見えた。数張りのテントが既に立っている。

 

 (しばらくオドには帰れねーんだよな)

 

 思いがけず頭をよぎったのはソヨの表情だった。昔馴染みというか腐れ縁である彼女のことを鬱陶しいと思うのがしばしばではあるが、信頼出来るのは確かだ。頭だってシヅキよりもずっとキレる。

 

 (昨日中に調査団について話を聞いときゃ良かったな。あいつの意見が欲しい)

 

 叶わない願いに焦がれたところで仕方がない。そう割り切りつつ、黙々と前進を続ける。そのタイミングとなってシヅキはようやく気がついたのだ。

 

 自然と足が止まる。

 

「…………」

「どうしたシヅキ? 急に立ち止っちまってよ」

 

 後ろからかけられたアサギの声には答えず、シヅキはただ自身の掌をじっと見つめた。先ほど岩壁に触れた左の掌だ。一見するとそれは、灰色の砂が多少付着しているようにしか見えない。

 

 しかしながらシヅキは首を傾げたのだった。

 

「……なんだこの変な魔素」

 

 何にも触れていない右手でその掌を擦る。それを数度繰り返したところで灰色の砂が付着していた掌が……いや、正確には灰色の砂が真っ黒に変色をしたのだ。

 

(これは……(すす)か? なぜ岩壁にこんなものがこびり付いてんだ?)

 

「シヅキ? ほんとにどうしちまったんだよ」

 

 後ろを振り向くと、眉を潜めたアサギと心配そうな表情をしたトウカが居た。秘匿にする理由もなかったため、シヅキはこの異変のことを端的に話したのだった。

 

「砂を擦ると煤が出てきた? どれ……」

 

 やはりというか眉間に皺を寄せたアサギがシヅキに倣い岩壁を何度か擦ってみせた。しかしながら、それは何度擦っても砂のままだ。

 

「変わらんぞ」

「いや、そんな筈は」

「アサギさん、シヅキ……さん。こちらへ!」

 

 ふと声の方向を振り返ると、数メートル戻ったところにトウカの姿があった。何かを発見したらしい。

 

 シヅキとアサギが素直にトウカの元へと行くと、両者とも大きく眼を見開いたのだった。

 

「これは……何かの模様か」

 

 灰色の岩壁には真っ黒な煤が付着していた。それは無作為的ではなく、アサギの言うように何かの模様を描いているようだった。

 

 大きな円の中にはそれよりも少し小さな円が描かれている。円と円の隙間には複雑な形のナニカ……文字のようなものが所狭しと書かれていた。そして小さな円の中には、星模様に似た直線の集合体が編み込まるように走っているのだ。

 

 シヅキがその模様を凝視していると、トウカが恐る恐るとこのように言った。

 

「シヅキさんが触れていた岸壁の箇所を、擦ってみました。そうしたら、砂が変色して、あとはこのような感じで……」

「ふぅむ。まるで砂でこの模様を隠していたみたいだな。 ……よく見つけたな! シヅキ」

「いや、ただのマグレだ。ほんとに」

 

 シヅキは岩壁に描かれた模様へと再び触れてみた。冷たい岩肌の感触は通常の岩壁とは変わらない。しかし、それとは別に肌をひりつく感覚があった。 ……魔素のノイズ反応。それがこの煤で描かれた模様の中に込められている。

 

(だが……一体なぜこんなものがここに?)

 

「おい」

 

 その時、高圧的な声がシヅキ達にかけられた。反射的に振り向くと、そこに居たのはメガネをかけた男性ホロウ……ソウマだった。明らかにその表情は不機嫌の色が見えていた。

 

「何をしている? 貴様らは命令に背いていることを自覚しているのか?」

「ソウマ……いやな? これには訳が――」

「黙れ! お前には聞いていない!」

 

 アサギの言葉をバッサリと切り捨てたソウマの視線は、トウカへと向けられていた。

 

「おい、トウカ。何をやっていたんだ?」

「えっ、えっと…………」

「さっさと答えろ。ボンクラが」

 

 冷徹という言葉が似合うソウマの声。先ほどのアサギの例からして、こちらの言葉は聞き入れてもらえなさそうだ。シヅキはそう思い口を挟まなかった。

 

 口下手なトウカがすぐに答えられないのは当然のことだった。ソウマが数度、急かすような言葉を浴びせた後に震える声にて答えた。

 

「ここに……煤で描かれた、不思議な模様が……あって……それで……少しだけ……見ていたのです」

「模様だと?」

 

 ソウマのどこを見ているのか分からない細い眼がトウカの背後にある岩壁を捉えた。しばらくそれを見つめた後にトウカへ向けて言葉を吐いたのだった。

 

「……そんな指示を一度でも出したか?」

「……いえ」

「初めに立ち止まったのは誰だ……?」

「そ、それは……」

「俺だ」

 

 シヅキが短くそうやって言うと、ソウマがバッとこちらを向いた。ホロウらしさの欠片もないあまりにも冷たい表情……無言でシヅキを見つめた後、やはりその視線はトウカへと戻ったのだった。彼女の顔は眼に見えて青ざめていた。

 

 どこかねっとりした口調でソウマが言った。

 

「……そうか。浄化が事の発端か」

 

 そこからのソウマの行動は早かった。

 

「なっ――!?」

 

 アサギが驚愕の声を上げた。シヅキだってその眼を大きく見張った。

 

「ぐっ…………ガ…………ギ…………」

「抽出型の貴様が……浄化の手綱を握っている貴様がなぜ勝手に行動を許した? 発言しろ」

 

 ソウマの細い手がトウカの首を強く掴み、その身体を岩壁へと叩きつけていた。苦しげな表情を浮かべて、トウカは空気を喘いでいる……。

 

 



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傲慢野郎

 

「おい! お前、いい加減にしろよ!」

 

 初めに動いたのはアサギだった。珍しくドスの効いた声で荒げた彼は、その大きな手でソウマの腕を掴んだ。

 

「ふん、おれに逆らうのか?」

「見て見ぬフリできるかよ! やってること異常だぞソウマ!」

「異常かどうかは貴様が決めることではない。これはおれとトウカ……抽出型の問題だ」

「型なんて今はどうだっていいだろ!」

 

 アサギが叫ぶようにそう言うと、ソウマはあろうことか高笑いを上げた。それは“嘲笑”という表現が適しているかもしれない。不快感がこれでもかと凝縮されていたのだ。

 

 ひとしきり笑った後に、ソウマはその冷酷な瞳をアサギへと向けた。

 

「まるで貴様はおれと対等であると思い込んでいるようではないか! やはり浄化型とは愚かしいなあ!」

「なんだと?」

「覚えておけ浄化。魔人を刈り取ることしか能のない貴様らは抽出、解読よりも下の立場にある。ゆえに貴様らがおれに意見することは許されんことだ」

 

 そんな言葉を捲し立てたソウマはトウカの首を掴む力を強めた。彼女の呻き声がより苦しみを帯びたものとなる。表情だってうっすらと青白んでいた。

 

「その汚い手をどけろ、浄化。魔素臭くて仕方がないのだよ」

「……よくもそんな浄化型を蔑むことが言えたな、ソウマ」

「ほう。歯向かうのか? このおれに」

「ああ! 別に俺たちはお前と対等だからな!」

 

 叫んだアサギの様子が一瞬にして変化を遂げる。彼の周りのノイズがブレを生じさせた。いわゆる戦闘態勢である。完全に怒りに身を任せていることは明白だった。

 

「ソウマ! 俺は手加減が苦手だぞ、覚悟しろ!」

「待てよアサギ。落ち着け」

 

 シヅキはアサギの丸太のように太い腕をガッと掴んだ。

 

「止めるなシヅキ! こいつは一遍でも痛い目に合わせないと――」

「トウカ」

 

 そう呟くと、アサギの動きがピタリと止まった。

 

「優先すべきはこいつをぶちのめすことじゃねーだろ」

「……あ、ああ」

「変われよ」

 

 シヅキの言葉にアサギは大人しくその身を引いた。ソウマの前にシヅキは立つ。

 

「おれはその浄化とやり合ってもよかったのだが? 地に伏せてやろうと思ったがね」

 

 鼻をふん、と鳴らすソウマは相変わらずこちらを見下すような眼で見ていた。正直に言うと虫唾が走るが、まともに相手するのは悪手でしかないとシヅキは確信していた。

 

 ゆっくりと深呼吸をした後に、シヅキはその口を開いた。

 

「お前は浄化を見下してんだよな?」

「見下すとは心外だ。貴様らの立場に適した眼を向けているに過ぎん」

 

(それを見下すっつーんだよバカが)

 

 シヅキは一つ溜息をした後にこう言った。

 

「その言葉、コクヨさんの前でも吐けるか?」

 

 “コクヨ”。シヅキがその名前を出すとソウマの眉がピクリと動いた。彼が口を開く前にシヅキは畳み掛けるように言葉を重ねる。

 

「今から確かめようぜ。コクヨさんは向こうのベースキャンプに居るんだろ? すぐに連れて来てやるよ。そこで同じ言葉吐いてみろ」

「……」

 

 挑発的にシヅキはそう言ってみせた。一方でソウマは口元をピクピクと震わせるだけで何かを言うでもなかった。代わりにトウカを岩壁へと叩きつけていた手をバッと離したのだった。トウカは叫ぶような席と共にズルズルと座り込んだのだった。

 

 再び鼻をふん、と鳴らしたソウマは飄々とした様子でベースキャンプへと向けて歩き出した。さながら何もなかったかのように。

 

「そろそろ集合時間だ。戻れ」

 

 ソウマはそんな捨て台詞と共にシヅキたちの元を去って行ったのだった。シヅキもアサギもその背中をただ見るだけだった。

 

「トウカ! 大丈夫か?」

 

 間も無くしてアサギがトウカの元へと駆け寄った。シヅキも横目で彼女の様子を窺う。深い呼吸を繰り返すトウカの顔はいまだに青ざめていた。とてもじゃないが平常な様子ではない。

 

(あの傲慢野郎、どんだけ力入れてやがったんだよ)

 

 シヅキは一つ舌打ちをした後にトウカの肩へと手を置いた。シヅキの手をトウカがギュッと掴んだ。

 

「あ……ありがと…………シヅキ」

「なんで俺がまだお前を助けなきゃいけねーんだよ」

「……へへ」

 

 力なく笑うトウカの首後ろに手を回し、もう片方の手を膝の後ろへと回す。力を入れて彼女の身体を持ち上げた。

 

「ヒソラんとこ行くぞ」

 

 独り言のように発したシヅキはベースキャンプへと向けて歩を進め出した。間も無くして大きな足音が後を追ってくる。

 

「……すまん。シヅキ、トウカ」

 

 どこか弱々しく響く野太い声。眼だけで後ろを振り返ると、口を真一文字に結んだアサギがいた。

 

「完全に怒りに身を任せていたよ。浄化を否定されたことが……シヅキやサユキのことをあんなふうに言ったことがどうしても許せなくてよ……」

「……そうか」

「ありがとよシヅキ。お前がいなかったらまだトウカは苦しんでいたかもしれない」

 

 アサギがトウカへと眼を向けたが、彼女はまともに返事をすることはなかった。いや、出来なかったのかもしれない。

 

 シヅキはその足を早めつつ、言葉を紡ぐ。

 

「……派手に行動を起こすことはやめといた方がいいだろーな。おそらくソウマは俺たちよりもこの調査団のことについて詳しい。あいつを害するのは危険だ」

「確かに、テキパキと指示を出している感じはそう見えるな」

「いい子ちゃんでいようぜ。許容範囲を超えない限りはな」

 

 トウカを岩壁に叩きつけたソウマの姿を思い出しながらシヅキは言った。

 

「シヅキはすごいな」

「……あ?」

 

 予想にもしないアサギの言葉にシヅキはつい足を止めてしまった。

 

「物事の判断が冷静だ。周りのことをよく見られていると思ったよ。俺にはない、シヅキの強みだな!」

「……自分よりも動揺している奴がいれば冷静になれるもんだ」

「はは! そうか!」

 

 先ほどまでの怒りが嘘のようにアサギは機嫌良く笑った。その声に煩わしさを覚えつつシヅキは前方へと眼を向けた。小さかったベースキャンプの影は随分と近くまで来ていた。

 

(冷静さが強み……)

 

 それだけは無いとシヅキは思った。“絶望”に追い込まれた時だって、トウカがあの事実を口にした時だって、シヅキは冷静な判断は出来ていなかった。本当に大切な場面において、シヅキは思考と行動から逃げるのだ。それは自身の中で最も嫌いなところだった。

 

(いつかまた選択する機会があった時に……俺は上手くやれるだろうか?)

 

 そんな自問に対し、シヅキはすぐに頭を振った。どこまでも弱いホロウである自身が上手くやれる筈が無いだろう。

 

 



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誤魔化せない

 

 ソウマとの一悶着の後にベースキャンプへと戻った。

 

 テント等の準備はすっかりと整っており、シヅキたちと同じく周囲の魔人探索に向かっていたホロウたちも既に帰還していた。その中の1体であるリーフは、シヅキに抱えられたトウカを見るなり眼を丸くした。

 

「……その子〜大丈夫?」

 

 相変わらず緩い口調の彼女だが、声色に緊張感を感じたのは気のせいでは無いだろう。シヅキは舌で唇を湿らせた後にこう言った。

 

「魔素ノイズに当てられて目眩んだらしい。大事をとって抱えてるだけだ。問題ねえよ」

 

 例のいざこざについては伏せておくことにした。それは目立つことを避けるのが主な目的だが、シヅキたちに何か不都合が生じた際の反撃手段としての意図もあった。 ……そう、反撃手段だ。

 

 

『覚えておけ浄化。魔人を刈り取ることしか能のない貴様らは抽出、解読よりも下の立場にある。ゆえに貴様らがおれに意見することは許されんことだ』

 

 

 つい先ほどのソウマの言葉を思い出す。誰が聞いても、あれは偏った思想であるに違いなかっただろう。しかるべきタイミングで、この発言を公の元に晒すことは大きな影響をもたらせる筈だ……とシヅキは考えている。

 

(んな機会が無いのが最善だが)

 

 ハァ、と溜息を吐くのは堪えたシヅキ。その言葉を聞き、普段の眠そうな眼に戻ったリーフは「お大事に〜」とただ一言だけ言うとどこかへと去っていった。

 

 その後ろ姿を見届けたアサギが静かな口調で言う。

 

「少しだけ心が痛むな。心配してくれているのに」

「……まぁ、しゃーねーだろ」

 

 間も無くしてアサギと別れたシヅキは、トウカを抱えたまま十数張りのテント群の中を歩き出した。他のホロウはまだ外で活動中のためか、不気味なほどに静寂だ。シヅキは右へ左へと首を動かし、すぐに目的のソレを発見した。

 

 一見するとソレは他と特に遜色のない一張りのテントだった。しかし他とは異なり、簡易的な張り紙がなされていた。

 

「『身体や心に異常を感じたら遠慮なく来ること ヒソラ』……か」

 

 少し前よりも顔色はマシにはなっているトウカだが、平常かと聞かれればそうには見えなかった。眼はトロンとしているし、常に口呼吸だ。しばらく言葉も発していない。

 

 トウカを一瞥(いちべつ)したシヅキは一つ舌打ちを打った。

 

「なんでこうも厄介事に絡まれるんだろうな……俺も、お前も」

 

 

 

※※※※※

 

 

 

 テントは外と中を一枚の布で仕切っていたが、さらにその中も深緑の布にて分断されていた。治療スペースとそれ以外という分け方だ。

 

 しばらく待った後に中の布がヒラリとめくられた。そこから出てきた白衣のホロウ……ヒソラ。彼の表情はやはり普段とは異なりどこか固いものだった。

 

「体内の魔素の廻りが少し鈍くなっているよ。だから目眩や軽い呼吸不全の症状が出てるんだ」

「治せそうか?」

「うん。 ……とは言っても、ホロウの身体が勝手に自然回復をしてくれるよ。せいぜいボクに出来ることは安静にさせることと、心のケアくらいだね」

 

 そう言ったヒソラは、折りたたみ式の椅子にどっぷりと腰を掛けた。

 

「疲れたか?」

「魔人と戦ってるシヅキくん達ほどでは無いよ。ただ普段の運動不足が祟ったかな? 数時間も歩くと疲れるものだね」

「……そうか」

「まぁボクのことはどうでもいいじゃないか。シヅキくんがここに居られる時間だって限られているでしょ? 今話すべきはもっと他のこと」

 

 そのように言ったヒソラは、彼にしては珍しく脚を組んでみせた。心なしか声のトーンも少し落ちたような気がする。

 

 ヒソラは自身の膝の上で組んだ手を見ながらこのようなことを言った。

 

「シヅキくん、一つ訊きたいんだけどさ。トウカちゃんが負傷した時のことをできる限り語って欲しいんだ」

「……」

「訊かれないと思ったかい?」

「……いや」

「触れられたくなさそうだね。そういう訳にもいかないけれど」

 

 どう言ったものかとシヅキは決めあぐねていた。リーフやサユキには誤魔化しようがいくらでもあると思うが、ヒソラは解読型ホロウである以前に医者だ。素人の適当な出任せなんて簡単に見抜かれてしまうだろう。

 

(それ以前に、こいつに嘘を吐くのもな)

 

 シヅキがこの世界に存在し始めてた時以来、ヒソラにはずっと世話になっていた。魔素の使い方が他のホロウよりも荒い分、シヅキは負傷が多かったのだ。負傷のことをソヨに見抜かれて、半ば強制的に医務室へと向かわされる……そんな流れが何回もあった。

 

 つまるところ、シヅキはヒソラに対して多少なりとも恩を感じていたのだ。だからこそ彼に嘘を吐く罪悪感は他のホロウに向けたものよりも大きかった。 ……無論、その本心をシヅキは認めようとはしなかったが。

 

「……分かった。話す」

 

 しばらくの思考の後、シヅキは全てを白状することにした。岩壁付近で何が起こったのか……それをヒソラへと端的に話した。

 

「――という訳だ」

「……ソウマがトウカちゃんを、ね」

「あのさヒソラ。このことは内密にしておいてくれねえか? 今は事を荒立てたくない」

「急に決まった調査団とかいうものに疑問があるから?」

「あ、あぁ……察しがいいな」

「マグレだよ。分かった、ボクは干渉しないでおく」

「助かる」

 

 シヅキは安堵の溜息を一つ漏らした。これで懸念していたことの一つはクリアしたことになる。むしろ頼りにできる協力者を獲得できたと言っていいかもしれない。

 

「そうだシヅキくん。ボクからもう一つだけ質問があるんだ。いいかな?」

「あぁ、なんだ?」

 

 シヅキがそのように返事をすると、ヒソラは少しだけ間を置いた後にこんなことを訊いてきたのだった。

 

「シヅキくんは、コクヨのことをどう思っている?」

 

 

 



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乖離

「……なんだそれ」

「いいから。忌憚のない意見を頼むよ」

 

 ほら、といった様子で広げた手をこちらに差し向けたヒソラ。どういう意図なのかシヅキは分からなかったが、とりあえず頭の中にコクヨを思い浮かべたのだった。

 

 痩せた長身と一つ括りにした長い黒髪。闇空と同じかそれ以上に濃い黒色の瞳となぜ付けているのかは不明の眼帯。それが浄化型最強と謳われるコクヨの容姿だった。

 

 会話を交わした回数は本当に数回程度だ。どこか掴み所のない声が頭に再生される。そう、彼女は薄明の丘の地に伏したシヅキに向かってこのように言ったのだ。

 

 

『……魔人は全て、根絶やしだ』

 

 

 あるいは肌寒さを感じる白濁の木々の下でこうも言った。

 

 

『その時はワタシの責務だ』

 

 

 

 シヅキにはコクヨに大きな恩があった。彼女は“絶望”からシヅキとトウカを助けてくれたのだ。その事実を忘れてはならない。決して。

 

 信頼出来るものが彼女にあることは確かだった。今回の調査団だって、もしもの時はコクヨが何とかしてくれると思っている。たかが一ホロウの分際だが、コクヨのことを尊敬しているとは自信を持って言えた。

 

「……」

 

 シヅキは時間をかけて瞬きをした後にそんなコクヨについての印象をヒソラへと話した。彼は何も言うことなく、ただただシヅキの話を聴いていた。

 

「――これでいいか?」

 

 一通りシヅキはコクヨの印象について話し終えたが、ヒソラは満足していないのだろうか? その表情が晴れることがなかった。むしろどこか険しくなっている気さえする。

 

(……なんだ?)

 

 シヅキが違和感を感じたのを他所に、ヒソラはたっぷりと時間を置いた後、その口を重苦しく開いたのだった。

 

 まるで言い聞かせるかのようなゆっくりとした口調でヒソラは言う。

 

「トウカちゃんを害したソウマというホロウは、普段コクヨと行動を共にしているよ。そのことをどう思う?」

「そんなことを訊いて、何がしたいんだ?」

「いいから」

「……疑問には思う。ただコクヨさんがあいつの危険性を知らないんじゃないかと予想はしているが。現に、俺がコクヨさんの名前をあいつの前で出したらそそくさと逃げちまった」

「へぇ、逆には考えないんだね。()()()()()()()()ソウマが近くにいるとは」

 

 ヒソラの周りくどい言い回しに対し、シヅキは眉間に皺を寄せた。

 

「……それは、コクヨがホロウを差別するような思想を持っているからこそソウマのようなホロウが集まったんじゃないかってことか?」

「差別、とまでは言わないよ。どちらかと言えば淘汰だ」

「とうた? ……どうだっていいが、大筋は合ってるってことだろ」

 

 強い口調でシヅキが言うと、ヒソラは無言でただ一つだけ頷いた。

 

 シヅキはそれを見届けた後に舌打ちを一つ打ったのだった。

 

「お前がコクヨさんの何を知っているのかは知らねぇよ。俺より付き合いも長いだろうから、そりゃ詳しいだろうよ。 ……でもよ、それでもコクヨさんのことを傲慢野郎(ソウマ)なんかと一緒にするのは止めろ。あのホロウには確かな正義感がある」

「正義感、ね……」

 

 意味深に呟いたヒソラは椅子から跳ぶように勢いよく立ち上がった。その場で大きく伸びをすると、行儀悪く椅子へ腰掛けるシヅキの元へと歩いてきた。そして、その肩にそっと手を置いたのだ。

 

「ごめんねシヅキくん。何もコクヨを悪いように言う気はなかったんだ」

 

 加えて、ヒソラはこのようなことを言ってみせたのだ。

 

 耳を疑った。

 

「シヅキくん、ボクは調査団が活動を続ける間ここで簡易的な医務を行うよ。体調に異常があれば訪れるようにね……ただそれ以外の目的でここに来ることは無しだ。例えばボクに助言を求めたって、その手立てには応じない」

「……は?」

 

 シヅキは一瞬、彼が何を言ったのか分からなかった。なぜなら、あまりにも彼には似合わない言葉だったものだから。“体調以外のことでも相談に来てね”なんてのがヒソラの口癖だった。なのに、どういう風の吹き回しだろうか?

 

 これにはシヅキも困惑せざるを得なかった。

 

「急にお前……どうしたんだよ。俺が苛立ったからか? でもよ、それは――」

「ううん、シヅキくんのせいじゃないよ。これはもっと他の問題だからね」

「……コクヨさんか?」

 

 恐る恐るの口調でシヅキはそう尋ねたが、ヒソラが(かぶり)を振ることはなかった。そこに居たのは、ただ愛想のいい笑みを浮かべているだけのいつものヒソラだ……この光景には酷く見覚えがあった。

 

(過去を語った時の……トウカと同じだ)

 

 自然と拳が握りこまれたのは言うまでもなかった。胃の淵から湧き上がる怒りに酷似した感情に身を任せてしまおうか……なんて思考が頭を過ぎる。

 

 しかし過ぎるだけで形になることは無かった。というより、形にすることは無かったのだ。

 口内で舌を噛みちぎれる程に強く噛んだシヅキは、ヒソラがシヅキにしたように肩へと手を置いたのだった。

 

「……お前には、お前の事情があるんだろ」

 

 いつもより1トーンは低い声で呟いたシヅキに対し、ヒソラはその眼を見開いた。それこそシヅキの腕に抱えられたトウカを見た時よりもだ。

 

「……驚いたよ。数発は殴られることを覚悟していたくらいなのに」

「別に割りきった訳じゃねぇよ。そんな要領なんて俺には無い。ただ自分に言い聞かせようとしているだけだ」

「十分だよ……成長したんだね、シヅキくん」

「良い意味かじゃねぇだろそれ。 ……ただ、失敗から学んだだけだ」

 

 シヅキが淡々とそう述べるとヒソラはひとしきり笑った後に、ただ「そっか」とだけ言ったのだった。

 

 なぜかご機嫌な様子で椅子へと腰を掛けたヒソラの声色が再び緊張感を帯びたものに戻った。とは言うものの、そこに浮つきが混在してはいるが。

 

「シヅキくんの言う通り、ボクにはボクの事情があっての提案だよ。悪いけど今は覆すつもりはない。年長者の力を借りずにどうぞ悩みたまえ」

「あぁ……トウカはもう一体でも大丈夫か?」

「うん、ボクの方でちゃんと診ておくよ。明日には復帰できるから」

「なら俺はもう行く。お前んとこにはもう来ねぇよ、ヒソラ」

「……うん」

 

 もの悲しげに返事をしたヒソラを振り返ることなく、シヅキはテントの入口へと歩き出した。外と中を隔てる深緑の布に手をかける。

 

「シヅキくん!」

 

 そこでヒソラが叫ぶように名前を呼んだ。ちょうど忘れ物を指摘するかのような声で。

 

 そしてヒソラはこのように続けたのだった。

 

「これだけは断言しておくよ! ボクの中の最優先事項は君たちホロウの存在だよ。本当にそれだけは絶対だ!」

「…………」

 

 シヅキは何も返事をすることなく、テントを潜ったのだった。

 

 

 

※※※※※

 

 

 

 シヅキがテント内を去ってからしばらくの時が過ぎたが、ヒソラは座り込んだ椅子から動かなかった。ただ彼が出ていった入口の布を凝視するだけだ。

 

 しかしいつまでもそういう訳にもいかず、乾いた唇を徐に開いたのだった。

 

「さて……予定していたプランは通らなくなったか。後戻りはもう出来ない」

 

 言語化することで現状を把握する。同時に襲われたのは確かな焦燥だった。早打ちする心臓に鬱陶しさを覚える。

 

「大丈夫だ。ボクの思考とシヅキの思考における乖離性 は想定通りだよ。だからこそ2つ目のプランを仕込んできた……大丈夫だ」

 

 大丈夫、大丈夫と何度も繰り返すヒソラ。次第に身体から熱が抜けてゆき、平常を取り戻す。

 

 静寂のテントの中でヒソラは眼を閉じた。彼はたった独りで思いを馳せるのだ。ちょうど昨日に仕込んだ種は……しっかりと花を咲かせてくれるだろうか? と。

 

 ヒソラはこのように呟いた。

 

 

「頼むよ。リンドウ、ソヨ」

 

 



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ソヨとリンドウ

「……」

 

 応接室にある一脚の椅子に腰を掛けるソヨ。そんな彼女の肩肘は常に張っていた。

 

 真一文字に結んだ口元に淹れたての紅茶を運んだ。風味も味もあったものではない。ただ温かな感触だけが唇と喉元をくすぐるだけだ。

 

 こんなにもソヨが緊張状態にある理由……それは無理もないものだった。彼女の目の前に居るのはオドの中でも位がかなり高いホロウなのだから。

 

 ソヨが唇を濡らす程度に紅茶を啜った時に、そのホロウは痺れを切らしたかのように口を開いたのだった。

 

「そんなに緊張をしなくてもいいのよ? わたしだってあなたと何も変わらない……一端(いっぱし)のホロウよ」

「い、一端だなんて仰らないでください。リンドウ先生は上層部のホロウを診るお医者様なのですから……同じではありませんよ」

「あら、立場上はヒソラと同じよ? あなたはヒソラに対してもそんな態度をとるのかしら?」

 

 呆れ口調のリンドウ。彼女がすらりと伸びた脚を組み替えると、腰まで伸びた紫の髪がサラリと揺れた。

 

「……いえ。ヒソラ先生は身近な存在ですので……」

「あら? 距離感で態度を変えるのねあなた。ヒソラに伝えておくわ」

「か、勘弁してください!」

「うふふ。冗談よ」

「……」

 

 同じような事をシヅキが言ったのなら容赦なくパワハラの1つや2つを働きかけるところだが、リンドウ相手にそんなことができる訳が無い。怒りよりもバツの悪さが大きく、ソヨは苦笑いを浮かべることしか出来なかった。

 

(あーーー帰りたい……)

 

 心の中で嘆きつつ、ソヨは少し前の出来事を振り返った。なぜ彼女と話をすることきなったのかを、だ。

 

 

 ――上層部がほとんど強行的に実行を始めた調査団なるもの。その実態をホロウのサポートに従事する雑務型さえ把握していなかった。上官に掛け合ってみても「いいから指示された手筈を整えろ」の一点張りで、漫然とした不安感だけが蓄積をしていったのだった。

 

 トウカが藁にもすがる思いでソヨのもとを訪ねてきたはいいが、残念ながらソヨに出来ることなんて何一つもなかった。せめて根拠のない励ましの言葉を溢さずに、ソヨは「分からない」とその頭を下げるだけだった。 ……影を落としたトウカの表情が頭に浮かび、チクチクと心に針を尖らせた。

 

(シヅキ、トウカちゃん……)

 

 結界の破壊に向け出発をした調査団のことを気にかけながら事務作業をこなしていたソヨ。そんな彼女のもとを訪れたのが医者のリンドウだったのだ。

 

 ヒソラとは異なり上層ホロウの体調を管理するリンドウに声をかけられる理由なんて、皆目見当がつかなかった。困惑に満ちたソヨが応接室を手配したところで、今に至る。

 

「ハァ」

 

 誰かさんの癖がいつの間にか感染ったのだろうか? そうやって大きく溜息を吐き出したところで、こちらを凝視するリンドウと眼が合った。目元に刻まれた隈が印象的な眼だ。

 

「調査団のことが心配かしら?」

「え……えぇ。そうですね」

「そうね、わたしも少しだけ心配だわ。結界の破壊なんて何をするのかしら? 上層部のホロウは何を考えているのかしら?」

「リンドウ先生でも調査団のことは存じ上げていないのですか?」

「あら、言ったじゃない。わたしは一端のホロウよ。あなたと異なるところなんて“型”くらいじゃないかしら?」

 

(雑務型と解読型は天と地の差があるんだけど……)

 

 アークに属するホロウは雑務型、浄化型、抽出型、解読型の4種類に分けられている。ホロウの個体数は左側が最も多く、右側が最も少ない。つまり解読型というのはかなり希少なホロウなのだ。

 

 解読型。彼らは魔素の有する構造と要素全てを解読することで、必要な情報だけを取り出したり、魔素そのものの形を変容させるホロウ。それは人間の復活を行う中での要であり、絶対的に必要な存在だった。

 

 数が少ないにもかかわらず、人間復活というホロウの最終目標における花形を担う解読型。いくらでも換えが利く雑務型のホロウと彼らが対等である訳がなかった。

 

 そのようなソヨの思考を読み取ったかのようにリンドウはこのように続けた。

 

「所詮は同じホロウよ。どちらが上なのか下なのかなんて、定めても虚しくなるだけ」

「そう、ですか」

「えぇ。 ――と、今日はそんな話をしに来た訳じゃないのよ。早速で悪いけれど、本題に移ろうかしら」

 

 わざとらしくパンと手を鳴らしたリンドウ。彼女は白衣の懐へと手を差し入れると、そこから一枚のカードらしきものを取り出した。それを一瞥した後に、ソヨの前へと差し出したのだ。

 

 ソヨはそのカードを……改め写真を見て、眼を大きく見開いたのだった。

 

「わたしがあなたの元を訪ねたのは一つお願いがあったからよ。今は亡き彼女のことを色々と教えて欲しいの」

 

 リンドウの言葉を聞き、ソヨは息を飲んだ。まさか彼女のことを尋ねられるなんて思いもしなかったものだから。

 

 再び写真へと目を落とす。そこに写っていたのは黒に近い紺色のセミロングの髪と右眼の泣きぼくろが印象的な女性……ソヨの元同僚であり、トウカがオドを訪れる少し前に魔人に(ころ)された女性だった。

 乾いた喉でソヨはその名を呟いた。

 

 

「レイン……」

 



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ノイズの流れ

 

 空気中の自然魔素のブレをノイズと呼ぶ。普段から恒常的にブレは発生しているわけだが、魔人やホロウのような存在が近くにいるとそのブレは大きくなるのだ。これを利用することで、ホロウは魔人の襲来に対応することができる。

 

 しかし、ノイズは大きくなればなるほどホロウの身体に悪影響を及ばす。皮膚がジリジリと逆立つ感覚に襲われ、場合によっては嘔吐や頭痛、呼吸困難にまで重大化をする。シヅキは“絶望”が出したノイズを思い出した。あの時はトウカが嘔吐をした。

 

 今回の調査団なるものの目的は、この巨大なノイズの除去にある。ノイズが逆巻いて出来上がった渦……通称“結界”はあらゆるホロウを通過させない程に肥大化してしまったのだ。人間の復活に奔走するホロウにはその問題を解決する必要があるのだと。

 

 ――と、オドを出発した翌日、ベースキャンプの広場にて傲慢野郎(ソウマ)は偉そうな態度で語ったのだった。それを聞くアサギの眼に怒気が籠もっていたことは言うまでもない。

 

 間もなくして調査団一行は結界がある“から風荒野”に向けて出発をした。ソウマが先頭の縦に長い隊列は、昨日に組んだものとそう変わりはない。シヅキたちは黙々と歩き続けた。

 

 まずは棺の滝の岩壁を越える必要があった。高さが20mはある岩壁をよじ登り超えることは、浄化型ならまだしも抽出型や解読型(ヒソラ)では不可能だ。

 

 どうするものだろうか? とシヅキは頭の片隅で考えていたわけだが、ソウマ曰く迂回できるルートがあるらしい。少しだけ起伏がある道を登っていくのだという。

 

 ベースキャンプである棺の滝から足を踏み出し、歩くこと数十分。次第に歩を進める地形が緩やかな坂道へと変化をした。

 

(これをずっと登っていった先に“結界”があるのだろうか?)

 

 トントン拍子で進むことに困惑をしながらも、シヅキは行く道の前方をその眼に捉えた。

 

 一見するとそれはただの坂道で、棺の滝から地続き的にゴツゴツとした岩肌が露出していることが強いての特徴だった。奥の方にはモヤのものがかかっており、掠れて見えづらくなっていた。今のところはノイズを感じることは無かった。

 

「う〜」

 

 本当にノイズの渦なんてあるのか? と疑いを持ち始めた頃に、そのように唸る声が聞こえてきた。反射的に振り返ると少し向こうの方に、頭に手を当てたリーフの姿があった。そのすぐ横には背中を擦るサユキが居る。

 

「抽出型は確か……ノイズの感知に敏感なんだったか」

 

 過去に魔人と対峙した時のことを思い出す。シヅキが魔人を感知するよりもトウカが存在を知らせることが多かった。

 

――そうだ。トウカは大丈夫だろうか?

 

 そう思い改めて前方の景色を眺めたが、モヤのせいでトウカの姿は思うように見えなかった。

 

 とはいっても、トウカの近くにはアサギが居る。ヒソラやコクヨだって周りにはいるのだからシヅキが気にかけることは杞憂に留まるだろう。

 

 大丈夫だ、と自分に言い聞かせたシヅキは自身の後頭部を乱暴に掴むと強引に首を回したのだった。

 

――ちょうどその時。

 

「っ……!」

「おー! 来たっすね! これがノイズの渦すか!?」

 

 妙に楽しそうな声色のエイガに舌打ちをしつつシヅキは視界を右手で半分に覆った。

 

(渦か、なるほどな)

 

 突然として身体全体が震える感覚に襲われた。皮膚がジリジリと逆立ち、心臓の鼓動が速くなる。やけに喉も乾いてならなかった。

 

 それだけならいつものノイズと変わりはないのだが、今回はというと明らかな“流れ”を感じたのだ。ノイズに波があると言えばいいだろうか? ちょうど身体の右側から左側へと身体の震えが伝播をしているのだ。今までにこんな感覚は味わったことがない。しかし確かに言えることは、今現在、不快のカタマリに襲われているということだ。

 

「……」

 

 シヅキは外套の真っ黒のフードをバサッと被ると、静かに歯を噛み締めた。ただ黙々と坂道を登っていく。

 

「もーちょっとすよ! みんな頑張るすよー!」

 

 エイガが周りのホロウにそのように呼びかける。「言われなくても分かってる」と心の中で呟いたシヅキ。彼を襲うノイズの渦は次第に強まっていった。吐き気と頭痛が一遍に押し寄せてきた。口の中には出発前に食べたレーションの臭いが広がる。

 

(少しマズイか……?)

 

 そんな危機感を覚え始めた頃に、改めて前方へと眼を向けた。その時にシヅキはある違和感に気がついたのだった。

 

「……モヤが……消えてやがる?」

 

 先ほどまで不明瞭だった景色がやけに晴れていたのだ。クリアな視界の先には先を歩いていたホロウたちの姿が見えたが、彼らの背中は近づくばかりだ。どうやら止まっているらしい。

 

(あそこが目的地か)

 

 自身の周りのホロウを気にかける余裕はなかった。ただ二重にも三重にもブレる視界が捉えたゴールを独り目指すだけだ。一歩、二歩と脚をだす。ベースキャンプを棺の滝へと張った意味を、この時シヅキは身にしめて理解したのだった。

 

 しばらく歩き、再び前方を見た。晴れたモヤの先には何体かのホロウの姿が確認できた。その内の一体であるアサギがその大きな手をこちらへと振っていた。よくもまぁ

このノイズの中であんなことが出来るな、とシヅキは素直に関心をする。

 

「あと…………少し…………!」

 

 掠れ掠れの声で吠えるようにシヅキは言った。この時になるとノイズのブレは最高潮に達し、まるで自分の身体が自分のものでは無くなる感覚に襲われた。千切れ、離れ離れになってゆく…………。

 

 ただ実際そんな事が起きる筈はない。自分は自分だ、とシヅキは言い聞かせ、手を振るアサギへと向けて一歩一歩近づいてゆく。そしてついにその手を取ったのだ。

 

「よく頑張ったな、シヅキ! 到着だ!」

「はァ……はァ……ああ」

 

 その場に倒れ込んだシヅキは、意識を朦朧とさせながらも大きな違和感に気がついた。

 

「ノイズのブレが……無くなってる?」

「あぁ、どうやら渦の中心部はノイズが無いらしい」

「んだよそれ……」

 

 乾いた笑いをこぼしたシヅキはよろよろとその場に立ち上がった。次第に正常へと戻ってゆく視界に安心感を覚えたのも束の間、シヅキはその眼を大きく見開いた。

 

「景色が……歪んでいる?」

 

 アサギのすぐ後ろに広がる景色が、まるですりガラス越しに前方を見た時のようにボヤけ歪んでいるのだ。少し先と今自分が立つ大地との間には、絶対的な隔たりが存在をしていた。

 

 ゴクリとシヅキは息を呑んだ。初めてソレを見たものだが、すぐにソレが何であるのかを理解した。

 

 静かな声で呟いた。

 

「これが……結界……」

 

 渦状のノイズの正体だ。

 

 

 

 



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虚の眼

 

 最後にリーフを背負ったサユキがノイズの発生地帯を抜け出して、調査団の全員は結界の前に辿り着いたのだった。

 

 サユキの姿を見たシヅキは、困惑気味に声をかけた。

 

「お前……よくもまぁホロウを背負ってこれたな」

「ええ、まぁ。少し頭がクラクラしますけど平気ですよ」

 

 メガネをくいっと上げた後に、シヅキへとピースサインをしてみせたサユキ。一方で背負われたリーフは未だに「う〜」と唸り続けている。

 

「……そいつ大丈夫なのか?」

「リーフさんは歩くことに疲れただけですよ。ノイズの影響はあまり受けていませんね」

「耐性があるってことか」

「シヅキさんは結構しんどそうでしたね。体質の影響かと思いますよ」

「……そうか」

 

 間も無くしてサユキたちはシヅキの元を離れていった。その後にシヅキはゆっくりと辺りを見渡してみた。周辺には数体のホロウの姿がある。体勢や仕草は様々であるが、別段、普段と異なる様子は見られなかった。

 

 一本の木にもたれかかり息を整えていたシヅキは、そんな彼らと自分との間にある“差”に違和感を覚えたのだった。彼らは皆、ノイズの悪影響による倦怠や体調不良をひた隠しているのだろうか?

 

 あるいは――

 

(俺だけだったのか? あんなにもノイズが苦しかったのは)

 

 そんな疑問を頭に浮かべたところで、ソウマから集合の声がかけられた。未だひりつく身体を引き摺るようにして、シヅキは彼の元へと向かう。

 

 調査団の一同が揃うと、ソウマはその細い眼で全体を見渡した後に淡々と話を始めたのだった。

 

「後ろに在るものが渦状となった巨大なノイズである“結界”だ。我々調査団はこの結界を破壊することを期待されている」

 

 シヅキは改めて結界を見上げた。棺の滝とから風荒野のちょうど中間に位置するここは、痩せ細った木々が点々と生えているだけの土地だ。起伏が大してない地面ゆえに、随分と前方まで景色を観ることが出来るはずなのだが、実際にはそう上手くいかない。そこには確かに空間を隔てる存在があった。

 

 磨りガラス越しのようなぼやけた景色を睨み観るシヅキをよそに、ソウマはこのように言葉を続けた。

 

「大ホールにて概要は話したが、この結界は外から侵入をしようとすると強い力で弾かれてしまうのだ。それを今から実際に見てもらう。 ……コクヨ隊長、前へ」

 

 予想外の名前の登場に、シヅキの身体がピクッと動いた。間も無くして整列した調査団の中からコクヨが現れた。飄々とした様子でソウマの隣に立った彼女。相変わらず、虚な眼が印象的だった。

 

「今からコクヨ隊長に結界へ向けて刀を振るってもらう。邪魔にならないように()けろ。 ……早くしろ!」

 

 顎を突き出す仕草をしたソウマ。シヅキは溜息を溢すことを堪え、素直にその指示に従ったのだった。

 

 間も無くしてコクヨの周りに少し開けた小空間が出来上がったところで、コクヨは腰にかけた一本の刀に手をかけた。それはただただ黙々といった様子で。ここまで一言も発していないことに少々の不気味さを憶えた。

 

「ではコクヨ隊長、お願いします」

 

(こいつ……)

 

 浄化型を見下しているくせして、コクヨの前ではその片鱗を一切見せないソウマに、怪訝な表情を向けたシヅキだったが、その視線はすぐに戻した。コクヨの振るう剣をしっかりと目に焼き付けるためだ。

 

 以前……薄明の丘でコクヨを見たときのことはハッキリと覚えていない。“絶望”の印象が強すぎるためか、過剰なまでの恐怖感情のせいか、コクヨが助けてくれたという“事実”だけがシヅキの頭を支配しているのだ。彼女の刀捌きとはどのようなものっだったろうか? 脚の動かし方は? 息の吐き方は? ……同じ浄化型として惹かれるものがあった。

 

 口の中に溜まった唾液を飲み込んだシヅキは、コクヨの姿を凝視した。その動きを見逃さないために。

 

……………

 

……………

 

……………。

 

(……あ?)

 

 しかし、いつまで経ってもコクヨが動き出すことは無かった。刀に手をかけた体勢で、まるで石像のように固まってしまっている。その姿は何かを考えているようにも、ただボーッとしているようにも見えるのだから不思議だ。 ……後者は無いと思うが。

 

「……コクヨ隊長? いかがなされましたか?」

 

 この事態はソウマも予想外だったようで、恐る恐るの様子でコクヨにそう尋ねたのだった。

 

 彼女がその口を小さく開く。

 

「いや。少し気が変わっただけだ」

「気がですか? それは一体――」

「なに、他の者に頼もうと思ってな」

「結界への攻撃をでしょうか? な、なぜ……」

「気だと言ったろう? なんだ不服か?」

「い、いえ」

 

 明らかに動揺とした様子で、メガネをカチリと上げたソウマ。コクヨは彼を他所に周りのホロウ達を見回した。品定めをされている……シヅキはそんな感覚を覚えた。

 

「……」

 

 張り詰めた静寂の中、コクヨの真っ黒な瞳がシヅキを捉えた。 ……捉えられて、何となく嫌な予感がした。

 

 やがて、(おもむろ)にコクヨは口を開いた。

 

「シヅキ、前に出ろ」

「……はい」

 

 見られた時に自分が選ばれるのではないか、と直感的に思ったことは的中だった。ノイズとは無関係に重苦しい脚を一歩一歩と前に動かす。早鐘の心臓を抑えながらコクヨに近づくその時、真横から小さな声が聞こえたのだった。

 

 

「へぇ。選ばれたのは君ね」

 

 

 エイガの声だった。



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結界と温もり

 

 結界から十数メートルほど離れた場所に立つ。視界には磨りガラス越しのような景色と、こちらへと眼を向けるホロウ達が見えた。

 

 その中にはヒソラやトウカの表情もある。柔らかだが底が見えないヒソラの表情は相変わらずで、トウカはこちらに心配そうな顔を向けていた。

 

(トウカのやつ、平気そうだな……)

 

 トウカの表情からは昨日にソウマから首を締められた時のことや、先ほどの渦状のノイズの悪影響は見られなかった。 ……本当にノイズの影響をまともに受けたのは自分だけらしい。

 

「準備が出来たら好きなようにやれ。全力で結界を叩いてみろ」

 

 腕組みをしながらこちらへと指示を飛ばすコクヨ。本来は彼女が結界へと攻撃をする筈だったのに、何故シヅキへと変更をしたのだろうか? もちろん、そんな疑問はあったが考えることは後回しにした。今は結界の破壊に集中すべきだろう。

 

(来い)

 

 心の中で静かに呟いたシヅキ。イメージしたは何人を刈りとるためのモノ……無骨と漆黒以外に特徴の無い、つまらない大鎌だ。

 

 間も無くして、ソレは右手にへばりつくように納まった。ザラザラとした柄の部分を指の腹で撫でる。 ……いつも通りだ。ノイズにより疲弊した身体から造形した大鎌だったが、これなら問題なくヤレる。

 

 声を張り叫ぶように言った。

 

「行きます」

 

 身体を前傾させる。柄を長く持ち、遠心力を得られるようにする。腰をねじり、大鎌を背負うように保つ。浅く長く息を吐いた。身体を緩める。 ……これで準備は完了だ。

 

 次に威力をブーストさせる。自身の中の魔素……“体内魔素”の操作だ。体内に漠然と感じ取れる魔素の流れを速める。心臓から胴へ。分岐し、頭へ、腕へ、脚へ。身体が熱を帯びる。痛いほどに。

 

 魔素の流れを速めたせいで、身体が擦りきれる感覚に襲われた。それでも構わなかった。近くに医者(ヒソラ)が居るからではない。コクヨが全力でやれと言ったからだ。

 

 全ての準備が終わったあとに、シヅキはその三白眼を静かに閉じ、すぐに開いた。

 

 

 疾駆する。

 

 

 景色が迫る。迫る。迫る。まるで躍動をしているようだが、変化しているのは自分自身だ。気がついた時には十分にとっていた助走距離が半分以下となっていた。その時になって初めて、シヅキは大鎌を背負っていた両腕を、肘の関節を軸に動かしたのだった。

 

 視界全面に広がった磨りガラス越しのごとき景色……ノイズの渦の元凶、“結界”。シヅキは己が最大の攻撃に遠心力を加えたものを、遠慮なしにぶち当てた。

 

 叫ぶ。

 

「らァァァ!!!」

 

 ガァァァァァァン

 

 結界に大鎌を突き立てると、そんなけたたましい音が鳴り響いた。

 

 その音は、魔人を刈り取った時のものとは程遠いモノだった。オドと外界を繋ぐ昇降機……ソレを叩いたら同じような音が鳴るかもしれない。

 

 そして感じる強い反発力。来るもの全てを拒むように、シヅキを全力で遠ざけようとするエネルギーを感じたのだ。シヅキはソレに抗うことは出来ない。

 

(吹っ飛ばされる……!)

 

 

 そう思った瞬間だった。

 

 

「ドゥ」

 

 

 そんな耳に残る声が耳を掠めたのだ。

 

「……え」

 

 次の思考は空中だった。物の見事に宙を舞っていたのだから驚きだ。視界から超高速で結界とホロウが遠ざかっていく。そこには残像だけの世界が広がっていた。

 

(マズイ……受け身……!)

 

 その二単語だけが言語化されたが、やはりシヅキに抗う術は無かった。最後には存分に付いたスピードがシヅキの身体を無慈悲に地面へと叩きつけ――

 

「……ぐぁ!?」

 

 られると思ったが、そうはならなかったのだから驚きだ。背後を襲ったのは硬く冷たい地面の感触ではなく、柔らかく暖かいナニカだった。その正体に思考を飛ばす以前に、次に聞こえてきたのはズザザザと地面を擦る音だ。目まぐるしい状況の変化に脳の処理が追いつかない。

 

「え……あ……?」

 

 困惑の声を漏らすシヅキ。痛みと呼べる痛みは無かった。一体何が起こったのだろうか? ソレを考える以前に耳元へと声が投げかけられた。

 

「予想よりも大きく飛んだな。怪我は無いか?」

「コクヨ……さん? あの、これは……」

「状況が分からんか?」

「いや…………」

 

 耳元で囁かれたコクヨの声は妙にくすぐったくて、すぐにでもやめて欲しかったが、指摘するところはもっと別にあった。

 

 シヅキは震える声で呟く。

 

「……あの、俺って今抱きかかえられてるの……か?」

「お前がそう思うなら、そうなのではないか?」

 

 いや、答えを教えろよ。という声は寸のところで飲み込んだ。

 

 完全に宙ぶらりんとなった身体と、後ろから密着されている温かな感触。いわゆる“お姫様抱っこ”の姿勢となっていることをようやく理解したシヅキは、すぐに地面へと脚を降ろそうとした。しかし、ガッシリと太腿を持たれているせいで自力だと上手くいかない。

 

「コ、コクヨさん……俺もう平気だから……」

 

 シヅキらしからぬ弱々しい声で頭上のコクヨへと呼びかけたが、彼女の視線はもうシヅキへと向いていなかった。

 

 コクヨがその声を張り上げる。

 

「このように、結界には物理的に強い衝撃を与えても侵入を拒まれてしまう。故に今調査団では異なるアプローチにて結界を破壊したい」

「あの……話を……」

「とはいえ、物理的手段が通用しない可能性は捨てきれない。何か案があるものは遠慮をなく言って欲しいと思っている」

「聞いて……」

「ワタシからは以上だ。最後に、得体の知れぬ結界に自らの全力を叩きつけたシヅキへ賞賛を送れ」

「……………」

 

 間もなくしてパチパチと乾いた拍手が鳴った。

 

 

(地獄だ……)

 

 



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ろまんちっくな羞恥心

 

 それからすぐに結界の調査が行われた。

 

 指示の中心となったのはコクヨだった。彼女の指示により浄化型が4体、抽出型が3体、そして解読型のヒソラが結界の調査に当てられた。やはり指名制であり、メンバーは初めから決められていたかのようだった。

 

 去り際にコクヨはこのように言った。

 

「なに、ホロウごとに個体差があるだろう。必要ならお前たちを頼らせてもらうだけだ」

 

 そのセリフに、自身の心を見透かしているニュアンスをシヅキは感じ取った。

 

 結界の調査に当てられなかったシヅキのようなホロウはというと、何も仕事が無いわけではなかった。結界周辺の魔人の排除、彼らにはソレが命じられていた。

 

 結界から少し離れたところを歩く。

 

「はぁー! つまんないすねー!」

 

 頭の後ろで両腕を組みつつ、左右へ揺れながら歩くエイガが不満げに嘆いた。

 

「エイガさんは結界の調査をしたかったのですか?」

「そーそー、そーすよ! 魔人を(ころ)すなんていつもやってんじゃないすかー!」

「とは言ってもなぁ。少なくとも浄化型である俺たちが出る幕は無いんじゃないか? 先ほどのシヅキが教えてくれたろう」

「んだよ」

 

 こちらへと視線を寄越したアサギを、シヅキはギロリと睨んだ。

 

「いやいや! 結界に強い力を加えてもビクともしなかったじゃあないか。それ以外に他意は無いって!」

「……そうかよ。ならまぁ――」

「かわいかったよ〜? お姫様抱っこ〜」

「っ――!」

 

 リーフは地雷を踏み抜いた。シヅキの頭に先ほどの記録がフラッシュバックをする。途端に彼の身体が急激に熱くなった。

 

 フードを被り、目を伏せたシヅキの肩にサユキがソッと手を添えた。

 

「シヅキさんが気にする事はないですよ。コクヨさんが吹っ飛ぶシヅキさんを受け止めるためにお姫様抱っこをしただけじゃないですか」

「そうかな〜? ろまんちっく? めるへん? 照れてる〜シヅキくん〜かわい〜」

「リーフさん! シヅキさんはお姫様抱っこをされて、且つ皆さんに見られたことについてとても気にしているのですよ。触れないのが吉です!」

「おい、全部聞こえてんだよ」

 

 シヅキは大きく溜息を吐いた。身体が異様にダルい。もはやノイズの影響か羞恥心のせいなのか分からなくなっていた。

 

「……ふふっ……」

「む? トウカ、今笑ったか?」

 

 アサギの問いかけを機に、皆の視線がトウカへと集まった。シヅキも伏せた目線を恐る恐ると上げる。そこには明らかに頬が綻んだトウカが居たのだった。

 

「い、いえ……笑っては……ふふっ……はは」

「笑ってますね」

「にこにこちゃ〜ん」

 

 釣られて笑いだしたサユキとリーフ、そしてアサギ。場がすっかりと笑いに包まれたところで、シヅキは堪らず声を差し込んだのだった。

 

「おい何がおかしいんだよ! ト、トウカ!」

「え……いや……ハハッ……だ、だって……抱っこで照れてるシヅキ、すごい面白いから……ひひ……」

「後で覚えてろよ……クソッ」

 

 さすがにこの場でトウカを断罪(デコピン)する訳にもいかず、シヅキはただ頭を掻きむしるだけだった。

 

「トウカちゃ〜ん、けっこー可愛い〜。わたし〜ほどじゃな〜〜〜い」

「え……え?」

「リーフさんはトウカさんを褒めているのですよ。トウカさん」

「そ、そうなんですね。あ、ありがとう……ございます?」

「ええん〜やで〜」

「にしてもトウカ、結構喋るんだな! てっきり1体でいる方が好きなのかと思ってたから、少し安心したよ」

「えっ……と……は、はい。楽しい、雰囲気は好き……だから」

 

 声がしりすぼみに小さくなるトウカ。気が小さい彼女の周りに何体ものホロウが集まっている絵面は随分と違和感があるものだった。

 

(あいつ……楽しそうだな)

 

 話題の中心から弾かれたシヅキは、ようやく落ち着いて周りを見られるようになった。改めて見るトウカは明らかに緊張をしていたが、それ以上に楽しそうにわらっていた。 ……それこそ昨日のソウマとの一件や、調査団への不安感が嘘のように。

 

「皆さん楽しそーっすね。頭ん中、お花畑って感じで」

 

 ふと背中に呼びかけられた声。振り返ると左右に振れながら歩いてくるエイガが居た。

 

「適当にその辺ほっつき歩いたんすよ。こりゃ近くに魔人は居ねーっすね」

「あぁ……すまんな。任せちまって」

「別にどーでもいいすよ。 ……放っとかれることは慣れてるんで」

 

 普段の陽気な態度は鳴りを潜めているようで、どこかつまらなさそうな表情を浮かべているエイガ。一体何があったのだろうか? とシヅキは疑問に思ったものだが、それを声に起こすことはなかった。

 

 なぜならば――

 

「――っ」

 

 突如襲ってきた頭痛に、シヅキは自身の頭を押さえた。

 

 結界から離れて、周囲を歩き続けること十数分。会話のしすぎで気づかなかったらしい。どうやら再びノイズの発生地帯に足を踏み入れてしまったようだった。

 



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心を揺するノイズ

「ぐっ…………ガ…………!」

 

 強烈なノイズのブレを感じた直後、シヅキは襟の後ろを強く掴まれる感覚に襲われた。

 

「シヅキ! 引っ張るぞ!」

 

 すぐに後ろから聞こえてきたのはそんな太い声だった。シヅキは何も抵抗することなくずるずると引き摺られていく。揺れ続ける視界の中に調査団の面々の姿が映った。サユキ、リーフ、エイガ……そしてトウカ。早足でシヅキが引き摺られてきた方向へと進んでいる。シヅキとは異なり、皆が自分の足で歩いていた。

 

(こいつら……なんで、平気…………なんだよ)

 

 朦朧とする意識の中で、シヅキはそんな疑問を吐いたのだった。

 

 

 

※※※※※

 

 

 

 ノイズのブレが収まり切ったところで、シヅキの襟を掴む手が離された。シヅキは立ち上がることもままならず、その場で大の字となった。

 

 荒い呼吸に苛まれる中で、頭上に1体のホロウの顔が覗く。

 

「おいシヅキ、大丈夫か?」

「…………助かったアサギ。お前だろ? 俺を……引っ張ったのは」

「いや、まぁそれはいいけどよ。シヅキはノイズが苦手なのか?」

 

 虚勢を張る気力もなく、シヅキはただ首肯した。

 

「シヅキさん、初めよりもお疲れの様子ですね。あのノイズの中では歩けませんでしたか?」

「…………あぁ」

「不覚でしたね。どうやら内側からノイズの渦の中に突入をすると、その影響が一気に出るみたいです」

「ジリジリ〜する〜」

「す、すみません。抽出型の私が……もっと気を張っていれば……」

 

 顔を俯けながらそのように言ったトウカの肩に、アサギはポンと手を置いた。

 

「気持ちの問題で解決が出来たらいいけどな。どうも俺はあのノイズの渦が普段のものとは“違う”感じがしてならない」

「違う、すか? 一体どーいうことすかね?」

 

 突如割り入ったエイガの問いかけに対し、アサギはそっと眼を閉じた。

 

「なんとなくだが……身体のノイズの捉え方がヘンなんだよ。そりゃあ渦状に流れを作っているノイズだから、捉え方が普段とは異なるのは当然だとは思う。しかしな? それを差し引いても違和感があるんだよ」

「へぇ。ちなみにソレってどんな感覚すか?」

「ううむ……何と言えばいいだろうか……こう……身体の内側が……内側から何かが来る……みたいな……」

「“心”が〜ジリジリする〜?」

「そ、そうだ! そんな感覚だよリーフ!」

 

 その言葉に合点がいったのだろうか、アサギは勢いよくリーフに同意したのだった。

 

「へぇ……()()すか。面白いことを言うんすね。ホロウのくせに」

「ん? あぁ、まあな。あのノイズを浴びると不思議な感覚があったんだよ。リーフが言うように、心が揺れて……懐かしい記録(きおく)が思い出されたんだ。仲間と街まで遊びに出掛けたことを」

「わ、私もそうでした! あの……辺境区に来る前のことが思い浮かんで……偶然だと思ったんですけれど」

「おお、トウカもか! サユキとリーフはどうだった?」

 

 アサギがそのように問いかけるとサユキはどこか訝しげな表情にて答えた。

 

「実はわたしもそうでしたね。本を読んでいる自身の姿が見えた気がします」

「リーフちゃんも〜、アグリ〜的な」

「驚きましたね。少なくとも4体はあのノイズの渦の中で、何かしらの記録(きおく)を思い出す体験をしたみたいです」

 

 サユキが今までの発言をそのようにまとめてみせた。おそらく彼女は今、明らかとなった謎の共通点について考えていることだろう。

 

(心を揺するノイズ……記憶の想起……)

 

「な、なぁ。シヅキとエイガはどうだったんだ?」

「…………俺は」

 

 やはりというか予定調和のように尋ねられたその問いに、シヅキは自身の胸にそっと手を添えつつ答えた。

 

「俺は…………何も。そういうことは無かった。ただノイズが痛かっただけだ」

「そ、そうか」

 

 心なしか、アサギの「そうか」にはどこか残念に思う色が滲んでいた。

 

「エイガはどうだった?」

 

 そして最後に尋ねられたエイガ。彼は自身の赤毛を指に何度か巻き付けた後に、茶化すように笑った。笑いながらこのように答えたのだ。

 

「さぁ? どーだったすかね。わっすれちゃいましたね!」

 

 シヅキは地面に張り付いた身体を起こすことなく、ただ闇空を眺めた。

 

 不確定なエイガはともかくここにいるシヅキ以外のホロウには、ノイズの渦を通じて記録(きおく)を思い出すという事象が起きた。シヅキにはそれが単に“偶然”という言葉で片付けられるとは思えなかったのだ。

 

 心の中の片隅でシヅキは思う。

 

(調査団に指名されたホロウ、ノイズへの耐性、そして記録(きおく)の想起。何か関係性があるのか?)

 

 根拠なんて何も無い。そんなものは持ち合わせていない。だからきっとこれは邪推の類だ。そうやって否定をしようとしたが、その思考は脳裏にこびりついてならなかった。

 

そして同時に浮かび上がるもう一つの問い。

 

(なぜ俺には……()()()()()()何も無いんだよ)

 

 漠然とした不安感が煙となり、自身の心に()みようとしていた。自分だけが他者とは異なる……異質である。随分と悲観的な考え方をしたものだが、仮にソレを突きつけられたとしても、シヅキの中には反論できる材料なんて何も無かった。

 

 

 



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降り積もる疑問

 不明点だけを残して組まれた調査団なるモノ。“結界”がある場所まで行けば様々な謎が明らかになると思っていたが、実際のところは疑問が降り積もる一方だった。

 

 シヅキは頭を抱えた。酷く大袈裟に抱えた。それは解けない問題に悩んでいるからではない。“結界”が放つノイズに当てられた後遺症に苦しんでいるのだ。

 

 ノイズに触れれば触れるほどに身体が感じる痛みは増幅していった。ノイズの中で歩くことはもちろん、立つことすらままならなくなってしまった。シヅキ1体だけではあの“結界”の地帯にはもう辿り着くことはもう出来やしない。

 

 “結界”の調査が始まった2日目。昨日に引き続き“結界”に向かって行った調査団の背中を、シヅキはベースキャンプから見送ったのだった。

 

 こちらに大振りで手を振っていたリーフが視認できなくなったところで、シヅキはハァと大きく溜息を吐いた。

 

「なんだシヅキ。随分と暗い表情をしているな」

 

 不意に後ろから掛けられた声は、いつもと同じように淡々とした声だった。シヅキが振り返るとそこには闇空と同じくらいに黒い眼が在った。

 

 シヅキはその名前を口にする。

 

「……コクヨさん」

「“溜息を漏らすと幸せが逃げる”とは、かつて人間が言っていた言葉らしいが」

「俺たちゃホロウですよ。人間とは違います」

「ハハ、それもそうか」

 

 コクヨは笑ってみせたが、眼は虚のままのせいか、不気味な印象の方が強かった。

 

「なに。何か不満があるのなら、ワタシであれば聴こう」

「不満は別に無いですよ。ただ……与えられたことをまともに(こな)せない自身に嫌気が差しているだけです」

 

 ノイズの渦を超えられないシヅキは、“結界”の調査における完全な“お荷物”となった。ベースキャンプに残ることだって、それは当然の結果で。当然の結果すぎて、何も言い返すことは出来なかった。

 

 昨日、軽蔑の視線を向けたソウマの表情が鮮明に思い出される。

 

「……」

 

 シヅキはどこか疲弊の色が滲んでいるその眼を再びコクヨへと向けた。

 

「コクヨさんにも迷惑かけちまって……申し訳ないです。わざわざベースキャンプに、コクヨさんが残るなんて」

「お前1体だけを置いていくわけにはいかないだろう。ヒソラが適切だったろうが、あいつは唯一の解読型だ。“結界”の調査には必須だろう」

「そう、ですね」

「なに。過剰に気にするな。どっちみち“結界”の調査において浄化型の優先度は低い。ワタシだって手を余している」

 

 そう言ったコクヨは小さく息を吸い小さく息を吐いた。棺の滝に吹いた空しげな風が、彼女の一つ括りにした髪を揺らす。

 

 その姿を見ながらシヅキは一つ思う。

 

(コクヨさんは……調査団のことについてどこまで知っているんだ?)

 

 そりゃあシヅキやトウカのように、理不尽に任命をされたホロウ達よりかは詳しいに決まっている。問題なのは、彼女がどこまで干渉をしているのかだ。

 

 シヅキの中では、コクヨが有す裁量権がどれほどのものかがハッキリとしなかった。もっとも、今作戦において最終的な決定権を持っているのは、普段は碌に姿を現すことのないオドの上層部だろう。

 

 対して、現場のホロウ達……シヅキ達へと直接的に命令を下すのは主にコクヨだ。ではこの“命令”の根源には誰の影があるのだろうか? 言い換えるならば、コクヨというホロウも結局は上層部の操り人形に過ぎないのか。それとも、この調査団には彼女の意志が大きく反映をされているのか…………。

 

(直接訊いて……答えてくれるのか?)

 

 きな臭さを感じる今調査団において、派手な行動を起こすことは避けようと主張をしたのは紛れもないシヅキだ。ただ、コクヨを相手に疑問をぶつけることは悪くない手だと思えた。彼女のことは信頼出来るからだ。

 

「……」

 

 

『へぇ、逆には考えないんだね。()()()()()()()()ソウマが近くにいるとは』

 

 

 

 ヒソラの言葉がふと頭の中に浮かんだ。もっとも、即座に振り払ったものだが。シヅキにはシヅキの思考がある。最も尊重するべきはそれである筈だ。

 

「どうしたシヅキ。また難しい顔をしているな」

「あの、コクヨさん。一つ……尋ねたいことがあって」

「ああ。言ってみろ」

 

 トクトクと早鐘を打つ心臓に気がついた。シヅキはいつものように胸元を強く握りしめると、(あらかじ)め言語化していたその言葉を放ったのだった。

 

「あの……この調査団ってコクヨさんが決めたのですか。決めたんなら……なんで俺たちを選んだんですか」

 

 まるで普段のトウカのように、詰まり詰まりに吐いた問い。喉が“閉まっている”感覚を憶えたのだった。

 

「……」

 

 コクヨは即答しなかった。答え方を考えているのか、あるいは答えるつもりが無いのだろうか? シヅキには一瞬分からなかったが、前者が正解だったことはすぐに明らかとなった。

 

 小さく口を開いたコクヨはこのように言ってみせたのだ。

 

「シヅキ。今お前は動けるか?」

「……え」

「鎌を生成し、問題無く振れるのか尋ねている」

「なぜ……あ、いや。まだ頭は痛いですけど、戦闘自体は問題ないです」

「そうか」

 

 コクヨはそのように短く返事をすると、シヅキへと背中を向けた。1歩、2歩、3歩……数歩進んだ彼女とシヅキとの間には近くも遠くもない距離が開いていた。

 

 次に振り向いたコクヨは、なんと腰に携えていた刀に手を添えていたのだ。

 

「な、なにを……」

「シヅキ、鎌を生成しろ。手合わせでもしようではないか」

「……は?」

「言葉が必要か? ……ただで教えはしないということだ」

 

 そう言って不敵に笑みを浮かべたコクヨ。まるで口元を歪ませたような笑みは、時よりシヅキが浮かべるものと似ている部分があった。

 

「……」

 

 突如、戦闘を持ちかけてきたコクヨの意図とは果たして何なのだろうか? やはり答えのない疑問は積もる一方だったが、既にシヅキの脳裏からは消え失せていたのだった。魔素の流れを制御することに精一杯だったからだ。

 

「来い」

 

 無骨で、漆黒で、つまらない大鎌が生成された。

 

 

 



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対コクヨ

 シヅキは風となった。風と一体化した。

 

 魔素の塊であるホロウの身体は、魔素を自由に操作できる。シヅキはこれを応用して、己の肉体を保つ魔素を操作し、融かし、“風”へと変貌を遂げたのだ。風となることで、シヅキは斬撃を受けつけず、代わりに鋭利な鎌鼬(かまいたち)を御見舞いしたのだった。

 

 ……なんてことが出来たのならば、少しは勝ち目を見出せたかもしれない。

 

「ぐガァ――!」

 

 肉体を変貌させることにも限度がある。腕の1本を変質させるだけならまだしも、身体を風に融かすような芸当が出来る訳がなかった。つまるところ今までの言葉は全て、シヅキの空虚的な願望に過ぎなかった。

 

 幾度目かの泥上を転がった後、シヅキは大鎌を支えにヨロヨロと立ち上がった。

 

 揺らぐ視界にて前方を睨む。

 

「どうした? まだやれるだろう」

 

 こちらへと刀を差し向けるホロウが1体。肩の躍動はなし。虚な眼は恒常。無論、外傷なんて見られない。

 

 そんな受け入れ難い現実を目の前に、シヅキは奥歯を噛み締めた。

 

「…………クソがよ」

 

 そして、口内の土塊とともに吐き捨てたのだった。自身の不甲斐なさには強い苛立ちを憶える。ここまで手も足も出ないものだろうか? 認めたくはないがそうらしい。

 

「っ――!」

 

 鋭く息を吐き、幾度目かの跳躍をした。どこからどう見ても無防備に見える眼前のホロウは、無防備に見えるからこそ余計にタチが悪かった。彼女が何処(どこ)に意識を集中しているのかが分からないからだ。

 

 正面に3回、左から4回、右から2回、背中から4回。どの方向から鎌を振り下ろしてもシヅキは返り討ちに遭った。今度は何処から切り込もうか? そんな思考の以前に身体は勝手に動いてしまう。

 

 残り数歩でコクヨと肉薄する距離にて、シヅキは右脚に力を込めた。次の瞬間に身体は左へと飛ぶ。視界の端で彼女の黒髪が靡いた。

 

「フッ――!」

 

 走る最中で、シヅキは大鎌の柄を長く持ち直した。間も無くして遠心力と共にソレを真横へと一気に放った。

 

ガギィン

 

 刹那、甲高い金属音が棺の滝の朽ちた空気を強く揺らした。ジリジリと交わされる刀と大鎌の鍔迫り合い。シヅキは負けまいと立つ地面を強く踏みしめた。

 

「なるほどな。自身の身体をその場に置き、鎌の刃先だけでワタシを捉えようとしたか。攻撃のタイミングをズラす意では有効だろうな」

 

 コクヨの吐く言葉は、こちらの思惑を全て見透かしたものだった。見透かしていたからこそ、彼女は難なく変則的な鎌の動きに対応をしてみせたのだろうか?

 

「だが、それでは刃を捉えられた後が不利となる。ただでさえお前の有す腕力はワタシよりも下なのだ。刃先のみでワタシの刀を弾ける筈がない」

 

 鍔迫り合いの最中に何故、流暢に言葉を羅列する余裕があるのだろうか? コクヨはシヅキへとそのように言い放った後、刀を真横へと振り払った。

 

 必然的にシヅキの身体は大きく背中へと仰け反った。どうにか上体を元に戻そうと、シヅキは体位の修正を試みたがそれ以前に大きな衝撃が腹を襲ったのだった。

 

 ドス、と鈍い音が体内を響く。

 

 身体が地面スレスレを飛行し、すぐに落ち、転がり、鋭利な痛みが横腹を襲った。滲む視界には振り上げた脚を降すコクヨの姿が映っている。

 

「左から斬り込むことが多いのは、ワタシが右眼に眼帯を身につけているからだろう。だが考えてみろ? ワタシが警戒をしない筈がなかろう」

 

 口内に土塊が入り込んだ。鬱陶しいソレを唾と共に吐き出した。鎌を支えにヨロヨロと立ち上がる。

 

「ハァ…………ハァ…………」

「息が荒いな。だが、動けるだろう?」

 

 再び刀をこちらへと向けたコクヨ。シヅキを突き飛ばすたびにその動作を行うのは、彼女の中で一種のルーチンワークとなっているからかもしれない。

 

「んなことは……どうでも……いいか…………」

 

 小刻みに震える手で鎌を握りしめた。再びコクヨのことを睨み見た。この日何度目かの虚の眼が、やはりシヅキの視線を貫いたのだった。

 

 口元を歪ませて、彼女は言う。

 

「もっと狡猾に、意地汚く、不意を突き、何がなんでもワタシを捉えるのだな。正攻法で勝てるとは思うまい。 ……ワタシに、見透かされるな」

「――っ!」

 

 コクヨの言葉が皮切りとなった訳ではなかった。それでもシヅキはコクヨがその言葉を言い放つと同時に駆け出したのだ。

 

 大きくブレる視界の中、シヅキは今回、思考へと集中の矛先を向けた。

 

(体内の魔素を循環……跳躍……叩く!)

 

 ノイズにより蝕まれた身体に魔素を回す。すると、ズキッと節が軋む感覚に襲われた。 ……それでも構わない。構いやしない。不意がつけるのだ。まさか負傷した身体に魔素を回すとは思わないだろう。不意をつく……それは彼の常套手段だった。不意をつき叩く。叩く。叩く。叩く。叩く。叩く。叩く。叩く………………

 

 徹底的に汚く、狡猾にヤル。鎌の柄を長く持ったシヅキはソレをコクヨへとぶち当てなかった。代わりに、地面に突き刺した彼の身体は瞬間に宙を舞った。

 

 狡猾を“慣性”へと預けたのだ。

 

 大鎌を軸とし、その身体を真っ逆さまにひっくり返したシヅキ。大鎌を手放したシヅキの武装とは、その身一つであった。つまり最大限にスピードを乗せた蹴りである。以前に大柄の魔人の頭蓋をひしゃいだ蹴りだ。これをコクヨへとぶち当てる。叩くのだ。叩いて……コクヨを叩いて…………………

 

 

 ……コクヨを……叩いて?

 

 

「ああそうだ。(ころ)してみろ、ワタシをな」

 

 

 徹底的な破壊力を持った蹴りは放たれた。そう、しっかりと叩いてみせたのだ。

 

「はァ、はァ、はァ………ぁぁあああぁぁぁ!」

 

 

 棺の滝の、冷たい地面を。

 

 

 瞬間、横腹に衝撃が加えられる。シヅキの身体はボールのように簡単に転がった。再び泥の上を二転三転して、彼の身体は土塊にまみれた。

 

「シヅキ、お前はお前が思っている以上に頭が回る。どうすれば期待に応えられるのかを考え、それを現実に反映させる力を有している。だがな――」

 

 朦朧とする意識に掛けられたコクヨの声。その言葉はくぐもって聴こえている筈なのに、すんなりと身体へと入ってきた。

 

「あァ………ガ……!」

 

 襟元を掴まれたシヅキの身体が簡単に持ち上げられた。そのまま身体は宙ぶらりんに浮いたのだ。

 

 コクヨは淡々とした口調で続ける。

 

「だがお前には“信念”がない。同族を消してでも叶えたいモノが無い。だからお前は躊躇った。ワタシを叩くことを躊躇ったのだ」

「そ……れ…………は! あ、あんたを……傷つける……道理が………あ゛あ゛あ゛」

「ワタシを傷つける道理が無いからか? 違うな。仮にワタシが本気でお前を(ころ)そうとしたところで、お前はワタシを傷つけまい」

 

 コクヨは喉の奥でクツクツと笑った。そして片方の手を自身の胸に置いてみせたのだ。

 

 狂気を孕んだ声で彼女は語る。

 

「調査団のメンバーを選出したのは他でもないワタシだ。信念があるホロウを選んだのだよ。誰かを、ナニカを犠牲にしてでも叶えたいモノを有している……そんなホロウをな。だがシヅキ、お前だけは例外だ」

「な……………ぜ……………」

「なぜ? あぁ、ソレはな」

 

 胸元に手を添えていたコクヨは、その手をシヅキの頬へと伸ばした。まるで壊れやすいモノを扱うように、慎重に、慎重に、慎重に…………彼の頬を撫でつける。

 

 そしてこのように囁いたのだった。

 

 

「お前はワタシのお気に入りだからだよ。それ以上でも以下でもない。自身の存在に価値を見いだせない空虚なオマエのことを……実に“ホロウ”らしきホロウであるお前のことを気に入っているのだよ。ワタシはな」

 

 



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ソヨとリンドウ②

 

 レインは、トウカと同じく中央区からやって来たホロウだった。物腰が柔らかく、仕事の覚えも早く、愛想だって良い。雑務型の中でも評判の良いホロウだった。

 

 そんなホロウだったからだろうか? 付き合いはそれ程長くないにしろ、ソヨとレインの間には程々に深い仲が芽生えたものだった。

 

 彼女らが話をする内容は専ら仕事への愚痴だったが、たまには服の話や食べ物の話もした。そこそこに波長の合うホロウだったな、とソヨは思う。

 

 

 ――だからこそ、レインが魔人に(ころ)されたという事実には多少胸にクるものがあった訳だが。

 

 

 ソヨは長らく閉じていた瞳をゆっくりと開いた。その目線の先にはリンドウの姿がある。

 

「……」

 

 ソヨは口内の唾液を飲み込んだ後に、その口を小さく開いたのだった。

 

「レインのことを教えて欲しい、ですか。その……何故それをわたしに? 他にもっと適任は居るかと思いますが」

「あら? あなたに尋ねることに不都合でもあるのかしら?」

「い、いえ。そういう訳では…………分かりました」

 

 ソヨは手櫛で自身の前髪を一つ梳いた後に、レインというホロウについて話をした。中央区からやってきたこと、愛想が良いホロウだったこと、評判の良いホロウだったこと……ソヨは、そんな()()()()()()()()()()を話したのだった。

 

 しかし、ソヨの話を聴いてもリンドウの表情は晴れなかった。

 

「わたしが知りたいことはもっと質の高い事よ。あなたに尋ねたことにはそれ相応の理由があっての事……あなたにしか話せないことがあるんじゃないかしら」

「……わたしは他に何も……」

「そう。なら強行手段ね」

「えっ! ちょっと――」

 

 ソヨが言葉を言い終える前に、リンドウは大胆にも応接室に設置されたテーブルを乗り越えたのだった。そして、ソヨの頬に手を添えてみせたのだった。

 

「解読型はホロウの心を読むことが出来る……なんてのは聞いたことがあるかしら?」

「!? ひょっとして今……」

 

 リンドウは、妖艶に且つ不敵に笑ってみせた。

 

「部屋、引き出し、遺書……遺書があるのね」

 

 血の気が引くとはこのような時のことを言うのだろうか? ホロウの身体には血なんて通っていないが、確かにソヨの表情は青ざめたのだった。

 

 頬からゆっくりと手を離したリンドウは、再び自身の席に戻り足を組み直したのだった。

 

「ごめんなさいね。無許可であなたの深層へと踏み込んでしまったわ。でもこれは、仕方のないことだったのよ。()()()()()はどうしても知る必要があったから」

「わたし、たち……?」

「あら言ってなかったかしら? わたしがあなたを訪ねたのはヒソラの指示よ」

「ヒソラ先生が……どうして……」

「言ってるじゃない。わたしたちは知る必要があったのよ。そのカギを握っているのは他でもない、あなたじゃなくて?」

「……」

 

 ソヨはただ俯いて、自身のスカートをぎゅっと握りこんだのだった。

 

「……先ほどわたしに触れた時に、どこまで心を読んだのですか?」

「それは全て口に出したわよ。『部屋』『引き出し』『遺書』わたしがあなたから読み取れたものはたったそれだけ」

 

 そう言うと、リンドウは自身の掌をソヨの方へと差し出したのだった。

「心を読めるなんて言うと、まるで超能力のようだけれどね。実際のところ、そこまで役に立つ力でも無いのよ。理屈としては通心と何も変わらないもの……そうね」

 

 リンドウは目の前にある飲み干したマグを手に取ると、ちょうどテーブルの真ん中辺りに置いたのだった。

 

「話が脱線するけれど、少しだけ講義をするわね。テーマは解読型の能力について」

 

 リンドウは次に自身のことを指差すと、このように続けた。

 

「“通心”と呼ばれる意思疎通手段の仕組みは、雑務型のあなたなら知っているでしょう?」

「……」

 

 とてもじゃないが今はそんな話をする精神状態では無かったソヨ。しかし、流石にリンドウを相手に押し黙り続ける訳にもいかず、重苦しく口を開くしかなかった。

 

「普段、発する言葉を魔素の中に圧縮して、言葉が圧縮された魔素を任意のホロウへと送る……ですよね」

「そうね。ちょうどこのマグに紅茶を注いで提供することと同じ。液体のままでは運ぶことが出来ないのだから、マグという容れ物を用意するの。同様に、言葉はその場に居ない誰かへと届けることは出来ないのだから、魔素という容れ物を用意する訳ね」

 リンドウは一息で言い終えてしまうと、テーブルの上を滑らせながらマグをソヨへと寄越した。

 

「マグが与えられたのなら、その中身である紅茶を飲むわよね? ようは容れ物の中にある要素を取り出すわけね。同様に、魔素という容れ物の中にある言葉という要素を取り出して、私たちはその内容を知ることが出来る……コレが通心で行われていることね」

 

 そんな当たり前のことを話して何が言いたいのだろう、とソヨは考えた訳だが、その気持ちを全て見透かしているかのように、リンドウはこのように続けたのだった。

 



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ソヨとリンドウ③

「解読型はね……魔素からある要素を抽出することが少し得意なだけなのよ」

 

 そう言ったリンドウは、空となったマグをひっくり返した。やがてマグの内側を伝い落ちてくる一滴の雫。それを人差し指で受け止めた彼女はペロリと舐めとってみせた。

 

「魔素の中にはあらゆる要素が込められているわ。それはホロウの記録(きおく)だったり、言葉だったり、心だったりね。そういったものを触れて理解するのが解読型の本質よ。 ……ここまではいい?」

「は、はぁ」

 

 ソヨは明らかに困惑気味に返事をしたものだが、リンドウはそれでも満足気に頷いたのだった。

 

「ただ魔素が含む全ての要素を見られる訳ではないの。例えば、さっき私はあなたから“レイン”に関する記録を読みとったわ。でもね? あなたが普段どんな業務をしていて、普段どのような交友を保っているのかなんてことはきっと読み取れないわね」

「そう、なんですか」

「詳しいお話は省くけれど、魔素内の()()()の問題ね。つまり、あなたがある事柄を意識をすればするほどに、魔素内に含まれる事柄の濃度は濃くなるのよ。解読型はそんな濃くなった要素しか感知出来ないって話、ね」

「……わたしがレインのことを意識したからこそ、リンドウ先生はわたしが持っているレインの記録(きおく)を感知が出来たということですか?」

「そういうことね。 ――はい、これで講義はおしまい。少しは解読型について分かったかしら?」

 

 リンドウの問いかけに対し、ソヨはかねてからの疑問をおそるおそるに尋ねたのだった。

 

「……何故、その話を雑務型(わたし)なんかに?」

「どういうことかしら?」

「解読型の能力の話なんて一端(いっぱし)のホロウの耳には及ばない秘匿事項じゃないですか。なのに……リンドウ先生はそれを……」

「ふふ、そういうことね。 ――簡単な話よ。あなたが知る必要があると思ったからね」

「わ、わたしが……?」

 

 ソヨには全く意味が分からなかった。自身が解読型の能力について知る必要性……その心当たりなんて何一つ無かったものだから。

 

「いずれ分かるわよ。きっと近いうちに……ね」

 

 そう言ってゆっくりと眼を閉じたリンドウの表情は酷く寂しげなものだったが、すぐに眼を開いてしまったのだった。

 

「さて。本題にお話を戻すわね。“トウカ”というホロウが辺境区にやってくる直前、魔人に(ころ)されたホロウ……レインについて」

 

 リンドウは再びレインの写真をテーブルの真ん中に差し出した。

 

「同様に、トウカも中央区からやって来たのよね。近い時期に2体のホロウがこんな辺境の地に、ね。あなたはこのことを偶然だと思うかしら?」

「……」

「何か意図があると思うわよねぇ。トウカが辺境区にやってくる手続きは本来、レインが行おうとしていたのだもの。それに事前に中央区から送られてきていた“トウカ”というホロウのプロフィール……随分と杜撰(ずさん)なものだったらしいじゃない。船着場まで迎えに行ったホロウはトウカを捜すのに苦労したのじゃないかしら?」

 

 ソヨが思い出したのは、シヅキに中央区から来るホロウの迎えを頼んだ時のことだった。プロフィールを簡単にまとめた用紙をシヅキに手渡した時、彼は随分と眉間に皺を寄せていたことを覚えている。

 

 当然、そんなことを目の前のホロウ(リンドウ先生)が知る由はない。ソヨは息を呑み、問いかけようとした。

 

「リンドウ先生は一体、どこまで知って――」

「極めつけは……」

 

 ソヨの言葉を遮って、リンドウはその妖艶な声色でこのように言い放った。

 

虚ノ黎明(からのれいめい)。ホロウを(ころ)すことで有名な犯罪集団。まさかトウカもレインもソレを追い求めていたなんて、ね」

 

 瞬間、ソヨに悪寒が走ったことは言うまでも無い。彼女が最も恐れていたワードがリンドウの口からは飛び出したのだから。

 

「あら、あなた大丈夫? 随分と顔色が悪いけれど」

「…………ご存知だったのですね」

「私なりに調べられることは徹底的に調べ上げたわ。ヒソラと協力をしてね」

「……トウカを捕らえるためにですか」

「え?」

「リンドウさん!」

 

 ソヨは応接室の机をバンと叩くと、彼女は勢いよく立ち上がった。

 

 そしてこのように捲し立てたのだ。

 

「確かにトウカちゃんの素性には怪しい部分が大きく見えます。それでも……わたしがトウカちゃんのことを誰にも広めずに居続けていたのは、とてもじゃないけれど、危害を加えるホロウには見えなかったからです。何度も言葉を交わす内に信じられるホロウだと思えたからです!」

 

 脳裏に浮かんだトウカの表情はどこか頼りない笑顔だった。

 

 その光景を一切振り払おうとせずに、ソヨは素早くテーブルを回り込むとリンドウの肩を強く掴んだのだ。

 

「お願いですリンドウ先生……どうかトウカちゃんのことを見逃してくれませんか……? わたしにとってシヅキとトウカちゃんは……大切な…………大切な友達なんです!」

 

 荒く、熱の籠もった呼吸。緊張のせいで身体中が火照ってならなかった。それでも思考は回り続ける。次に思い出したのはトウカが放った言葉だった。

 

 

『た、退院したら私……シヅキと一緒に、港町に行きたいです。トウカさん、良かったらその、色々とアドバイスが欲しいんです……けど』

 

 

 ベッドの上で照れ臭そうに溢したトウカの言葉を聞き、ソヨは嬉しくてならなかったのだ。帰還が絶望的だと思われていた“絶望”との対峙……救助があったとはいえ、彼らは無事に還ってきた。その事実だけでも胸がいっぱいだった。しかもトウカは、そんな恐ろしい過去に苛まれることをなく、楽しい未来を見つけていたのだ……彼女の姿を見るだけで、ソヨの心は確かに暖かくなった。

 

 だからこそソヨは彼らのために、自分に出来ることを精一杯にやったのだ。かつて異性の人間同士で交わされた“デート”と呼ばれる交流……過去の文献を引っ張り出し、それについて学び、トウカにはふさわしい身なりや作法を教えた。満面の笑みで「ありがとう、ございます!」と言ったトウカの表情を忘れたことは一度たりとも無い。

 

 トウカというホロウについて全てを理解しているなんて言えない。しかしながら、少なくともソヨの眼に映るトウカというホロウは彼女にとって“宝物”に相違ないのだ。

 

「お願い……します」

 

 震える手でリンドウの襟元を掴む。彼女はそれを振り解こうとしなかった。ソヨだって離そうとはしなかった。

 

「……あなたはとても思いやりのあるホロウなのね、ソヨ」

 

 襟を掴み暫く経った時、随分と穏やかな声色でリンドウはそう言ったのだった。そして、ソヨの手に自身の手を重ねた。

 

「ソヨは一つ誤解をしているわ。 ……いいえ、私の伝え方が悪かったのかしら? だとすれば謝らないといけないわね」

「……え?」

「わたしもリンドウも素性の怪しいホロウを(さら)け出すために身辺調査を行った訳じゃないってことよ。私たちの目的はもっと別のところにあるのだから」

「ほんと、ですか……?」

「誓うわよ。我らが崇拝せし人間にでも、ね」

 

 冗談めかしに言ったリンドウの表情は随分と柔和なものだった。それを見上げたソヨは一気に脱力をした。ストン、とその場に崩れ落ちたのだ。

 

「ソヨは“善”なのね」

 

 応接室の小さな空間で、リンドウはそう呟いたのだった。

 

 

 ――それから少しだけ時間が流れた。やっとソヨの嗚咽が治まり、元々居た彼女の席に戻ったところで、改めてリンドウはこのように切り出した。

 

「随分と遠回りになってしまったわね。でも、価値のある道を歩いたとは思うわね」

「……お恥ずかしい限りです」

 

 少し前の自身の必死加減を思い出しながら、ソヨはその身体をひたすらに縮こまらせていた。リンドウは口元に手を当ててひとしきりに笑った後に、話を始めた。

 

「わたしとヒソラが影で探り回っていたのはね、“ある者”に関する情報を掻き集めるためよ。正確に言えば、仮説が真実だと立証するためかしら?」

「ある者、ですか? それは一体……」

 

 当然のソヨの問いかけに対し、リンドウは自身の唇に手を添えたのだった。

 

「それは秘密……と言う予定だったのだけれどね。やっぱり提供することにするわ。ソヨ……あなたが望むのなら、ね」

 

 リンドウの真っ直ぐな視線を受け、ソヨは一瞬だけ(ひる)んだが、やはり縦に頷いたのだった。その姿を見たリンドウは、唇に添えていた人差し指をソヨの前に差し出した。

 

「ただし一つだけ条件ね。私とヒソラに協力をしてほしいのよ。レインが書いていた“遺書”……それを私に提供しなさい」

「ある者のことを知るために、ですよね?」

「ええ」

 

 ソヨはリンドウに倣うように、自身の人差し指を立てたのだった。

 

「なら……ならわたしからも一つだけ質問があります。 ――その御方のことを調べ上げて、リンドウ先生とヒソラ先生は何をなされるおつもりなのですか?」

 

 ソヨにとってそれは当然の疑問だった。誰のことを調べようとしているのかは分からない。だが、そのホロウを知るためにはレインやトウカが深く関わっているのだという。そこの関係性があまりにも不透明なのだ。

 

「……そうね。なら、私たちが“ある者”について調べるメリットを一つ挙げようかしら」

 

 たっぷりと時間をかけた後にそのように言ったリンドウ。重苦しく、口を開き、重苦しく、こう言ったのだった。

 

 その紫の眼差しがソヨを貫く。

 

 

「“結界”の調査に向かった調査団……きっと、このままだと皆んな(ころ)されるわよ。その事実を変えられるとしたら?」

 

 



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『空っぽ』の怯え

 

「…………ぁ」

 

 自身の発した声にて、シヅキの意識は覚醒した。

 

 (おもむろ)に身体を起こし、見渡した風景は実に狭苦しいものだった。すぐにそこが屋内であることは理解できた。

 

「……どこだよ、ここ」

 

 言葉を話して驚いたのが、自身の声の細さだ。水気を含んでいないガラガラの音は、部屋に響くことなく、あっけなく自身の膝上辺りに落下してしまった。それに誘われるようにシヅキの視線も下へと向く。 ……シーツ。

 

「ベッドの上か。あぁ……ヒソラんとこだ。ここは」

 

 そこまで思考が巡ったところでシヅキの中の記録(きおく)は鮮明になっていく。

 

(そうだ……俺、コクヨさんと()()()()をして……それでボロボロに負けて)

 

 目線の先にまで持ち上げた腕は僅かに震えていた。次にその震える手で自身の喉を押さえ込んだ。 ……声が細いのだってきっと、魔素を強引に吹かせた影響なのだろう。

 

「痛いな……痛え」

 

 魔素を吹かせた後はいつだってこうだ。痺れるような痛みが身体の末端をじんわりと、そして残酷に襲う。それはノイズの影響を受けた時と同じで、いつまで経っても慣れるものではなかった。力の代償と言えば聞こえはいいけれど、自損行為と何一つ変わりない。

 

 額を流れてゆく一滴の汗。それを強引に拭ったシヅキは、震える喉で言葉を吐いた。

 

「あぁそうだ。魔素の影響だ。だから、この胸の痛みだってきっと――」

「シヅキ!」

 

 自身の名を呼ぶ声が聞こえた。すぐに誰かが分かるくらいには聞き慣れた声だった。

 

 間も無くして仕切りの役割を担っていた分厚い布がまくられた。僅かに眩しい光がシヅキの眼に差し込む。彼の眼前に立っていたのは白銀の髪と琥珀色の瞳が印象的なホロウだった。

 

「はァ……はァ……シ、シヅキ!」

「……トウカ」

「だ、大丈夫!?」

 

 片手に持っていた錫杖(しゃくじょう)をバッと離したトウカがこちらへと駆けてきた。焦燥と不安にまみれたような彼女の表情。魔人刈りに赴く際に必ず身につけている真っ白の外套を見るに、つい先ほどベースキャンプに帰ってきたところらしい。

 

 トウカはベッドの傍にしゃがみ込むと、遠慮無しにシヅキの左手を包み込むように持ったのだった。

 

「お、おい」

「手が……震えてる。強引に身体強化(エンチャント)を、したんだね……」

「……必要なことだった」

「コクヨさんが、傍に居ながら?」

 

 しまった、とシヅキは思った。どうやらトウカは()()()()()()()を知らないらしい。 ……いや。魔素を吹かせた兆候を見抜かれた時点で、誤魔化すことなんて無理だったか?

 

 ……ああ。

 

「ハァ」

 

 シヅキは重苦しく溜息を吐いた。それは諦めの溜息だった。

 

「……コクヨさんと手合わせをしたんだ。そん時に魔素を吹かせた。それでだ」

「コクヨさん、と?」

「勘違いすんな。俺の判断で身体強化(しんたいきょうか)を行った」

「でも、手合わせを持ち掛けたのは、コクヨさん……だよね?」

「…………」

「そう、なんだね」

 

 ポツリと溢したその声と共に、トウカの手を握る力が強くなったのを感じた。 ……この手の震えは、魔素を吹かせた影響か? 強く手を握られた影響か? もはや分からない。

 

 

 ――ただ一つ。確実なことがあるとすれば、トウカは……

 

 

 心の中で呟く。

 

(俺のことを……俺なんかのことを心配してくれているんだな)

 

 それだけは嫌と言うほどに伝わってくるのだから、困る。シヅキは解読型ではないのだから、触れた者の心を読み取ることは出来ない。でも……確かにこの手は、トウカの気持ちを教えてくれている。

 

「…………」

 

 だからこそ、シヅキのことを思ってくれるからこそ。困惑をするのだ。

 

「あのさ、トウカ」

 

 考えるよりも前に口が出ていた。言葉の取捨選択を出来るほど、今のシヅキに余裕なんて無かった。

 

 どこまでも頼りげのない、枯れかけの声で彼は問う。

 

「お前は……トウカはさ…………ほんとに……本当によ。過去に、ホロウをこ――」

「シヅキ」

 

(ころ)したのか?」 そう吐き切る前に、シヅキの言葉はトウカによって遮られたのだった。

 

 顔を上げた先には、こちらを真っ直ぐに見つめる琥珀色の瞳があった。 ……彼女の呼びかけの意図はすぐに分かった。

 

「……すまん」

「ううん、いいの。 ……その質問の答えは正、だよ。私はちゃんと、悪者だから」

「……俺にはよ。トウカが酷く不器用なホロウにしか映らねえよ。口下手で、ドジで、優しいホロウだ。だからよ」

 

 シヅキはその手を握り込んだ。まるでそれは、彼の中の苦痛を外へと出すように。

 

 彼は唾を飲み込んだ後に、こう言った。

 

「だから、不思議なんだ。お前は俺のことを、“誰かのことを思えるホロウ”だと評価したよな? ……それは、お前だってそうなんだろう?」

「…………」

「なあトウカ。あん時の話の続きを、訊かせてくれねぇか? 取り返しのつかねえ犠牲を払ってでも……払うことに大きな苦痛を伴っていても! 何故お前は“自分”を貫くことが出来るんだ?」

 

 

『調査団のメンバーを選出したのは他でもないワタシだ。信念があるホロウを選んだのだよ。誰かを、ナニカを犠牲にしてでも叶えたいモノを有している……そんなホロウをな。だがシヅキ、お前だけは例外だ』

 

 

 コクヨはそのように語っていた。つまり、トウカは信念のあるホロウだ。ちゃんと“自分”を持っていて、叶えるモノがあるホロウ。眩しいホロウ。自身の存在に意味を見出しているホロウ。

 

 

  ――自身の存在に意味を見い出せない、空っぽのシヅキにとって、ソレは何よりも羨ましかったのだ。

 

 

「なぁ、頼む」

 

 存在して以来、ポッカリと穴を開き続けている、痛んで止まない胸を押さえつけシヅキはトウカへ(すが)った。今にも決壊してしまいそうな眼をトウカへと向けたのだ。

 

 対するトウカは、ぽかんと開いていたその口をゆっくりと閉じ、奥歯を強く噛み締め、再び口を開いたのだった。

 

「私は――」

「ああ。起きたのだなシヅキ」

 

 その時だった。そんな冷たく、空虚な声が響いた。響いて、あえなくトウカの声を掻き消したのだった。

 

「なんだ、トウカも一緒だったのか。お前は明日も早いだろう。さっさと寝床に就け」

 

 瞬間、シヅキの額を冷たい汗が伝った。頭の中が真っ白となり、呼吸が荒くなった。

 

 そしてただ一言。怯えたような声で目の前のホロウへと彼は言ったのだった。

 

「コク、ヨ……さん」

 



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導き手

 

 シヅキは震える声で尋ねた。

 

「ヒソラはどこに……」

「ああ。チコが軽い魔素中毒症状を引き起こした。奴はその治療にあたっている最中だ」

「魔素……中毒症状…………」

 

 シヅキにはソレに聞き覚えがあった。確か、過去にトウカが同族(ホロウ)(ころ)す方法として使ったものだ。

 

 反射的にその顔がトウカへと向いた。 ……彼女は思い詰めたような表情をしているが、その心意はシヅキには分からなかった。

 

 コクヨは淡々と語る。

 

「存在に別状は無いらしい。チコについてはヒソラに任せて問題無いだろう。 ……むしろワタシはお前のことが心配なのだよ、シヅキ」

 

 そう言い終えると同時に、彼女はその痩せぎすの腕をぐゎんと伸ばした。気がついた時にはシヅキの腕はがっしりと掴まれており、すぐ横にはコクヨの顔があったのだった。

 

「ああ。まだ魔素の過剰使用における影響が出ているな。可哀想なことに痙攣を続けているようだ。すまなかったな」

「い、いえ……」

「なに。安静にしておけばすぐに治るだろう。我々は人ではない。ホロウだ。身体が欠けようが、抉れようが。存在を続ける限りは元へと戻る」

 

 淡々とそのように述べたコクヨは、シヅキが言葉を発する以前に、クツクツと喉の奥で嗤った。

 

「いかんな。お前と言葉を交わすと、随分と達者になってしまう。良くないなこれは」

「……コクヨさん」

 

 シヅキは上手く噛み合わない歯を強引に噛み合わせた後、か細く、どこまでも頼りない声でこう尋ねた。

 

「明日、は。明日も俺は……ベースキャンプに……」

「当然だろう。お前はノイズの渦を越えられない。かと言ってお前1体をワタシの独断でオドへ還すことも出来ない」

「それは……その……コクヨさんも……」

「ああそういうことか」

 

 何かに納得したように呟いたコクヨ。彼女が有す虚ろの眼は、手合わせをしていた時と同じモノに見えてならなかった。つまりは、全てを見透かしたようだいうことだ。

 

 コクヨは自身に指を差し、このように言った。

 

「今日と同じだ。ワタシが残ろうではないか。 ……なに。もう手合わせは無しだ。実のところヒソラからこっ酷く言われてな」

「――っ!」

 

 シヅキは自身の胸元へ伸びそうになった手を押さえ込んだ。 ……痛い。胸の痛みが強くなった。それはまるで毒を飲まされたようにゆっくりと、しかし確実に身体を蝕んでゆくようで。今すぐにでもこの場から逃げ出したい感覚に襲われたのだった。

 

 シヅキの頬を、再び冷たい汗が伝った。

 

「どうしたシヅキ? 随分と呼吸が荒いではないか」

「い、いえ……俺は別に、平常……です」

「まさかソレで平常とは言えまい。そうだな、まるでナニカを恐れているようだ」

「――っ!」

「コクヨ……さん!」

 

 その時、拙い声とともに、視界いっぱいに白の華奢な腕が広がった。思わず見上げたシヅキ。彼の頭上には白銀の髪が揺れていた。

 

「トウカ……」

 

 シヅキとコクヨを遮る形でそこに立ったトウカ。彼女はその琥珀の瞳でコクヨを捉えつつ、言葉を重ねた。

 

「シヅキが、苦しんでいる……から。もう止めてください」

「嫌がっている? ああ、ワタシはどこが苦しいか訊こうと……」

「“コクヨさんを”、です」

「おい……トウカ!」

 

 シヅキ はトウカを制止しようと手を伸ばそうとした。しかしトウカはその手を絡めるように掴み取ると、ただぎゅっと握りしめたのだった。

 

 そしてシヅキの方へ振り返ったトウカ。彼女は口角を上げ、優しげに微笑みつつこう言った。

 

「大丈夫だよ。私が居る、から」

「……お前……」

「信じて。今だけでも、いい」

 

 それだけを言い残し、トウカは再びコクヨへと向き直した。一回りも体格が大きなコクヨに臆することなく、トウカは述べる。

 

「シヅキとコクヨさんが、どんなことをお話したのか、詮索するつもりは……ありません。きっと、シヅキが思い出しちゃう、から」

「ほう。それで? トウカ、お前は何が言いたいのだ?」

「単純な話、です。シヅキはもう……孤独にはさせない。私が傍に、居ます」

「それは出来ないな」

 

 バッサリ、と。トウカの言葉を切り捨てたコクヨはその虚ろな眼でトウカを見下ろした。

 

「今日の調査で“結界”の破壊に向けて随分と進展をしたそうではないか。聞けば、抽出型が(かなめ)となったというが」

「……ヒソラ先生が言うには、“結界”を形作る魔素構造は幾層にも束ねられていて、だから堅固だそう、です。でも層が薄い部分から、魔素を取り除くことで、“結界”は一気に崩壊するだろう……と」

「まさに抽出型(おまえたち)の仕事だな」

「……ええ。ですか、ら」

 

 小さく頷くとともにそう呟いたトウカ。何を思ったのか彼女は、握りしめていたシヅキの手を、コクヨに向けて掲げてみせたのだ。

 

「トウカ……なにを」

 

 困惑の声しか出ないシヅキ。トウカが何を考えているのか、まるで見当が付かなかった。ただ彼女から伝わってくるのは、その小さな手の体温だけだった。

 

 そんなシヅキの問いに答えるようにして、トウカは小さく息を吸い、このように言ったのだった。

 

 

「シヅキを、“結界”の前まで導きます。それなら、文句は、無いですよね?」

 

 

 ――拙く、頼りなく、眩しげな言葉だとシヅキは思った。



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全ては×××の為に

 

 遥か遠くまで続く坂を見上げ、シヅキは大きく息を呑んだ。

 

「また俺はここに……」

 

 この坂を上りきれば“結界”に辿り着くことができる。それは酷く簡単な行為のように聞こえてならないが、シヅキにとってはあまりにも高すぎる壁であった。

 

 (おもむろ)に視界を落とす。休養のおかげで既に身体から倦怠感は消えていた。魔素だって正常に循環をしている。 ……ただ一つだけ。腕の震えだけが後遺症と呼べる後遺症として確かに彼には残っていた。

 

「大丈夫、だよ。私が傍にいるから」

 

 声の方向に視線を移すと、そこには真っ白の外套を着たトウカがただ一体。 ……他には誰の姿もない。調査団は既に”結界”へと向かってしまったのだ。

 

 シヅキはその細い眼でトウカを見やると、すぐに溜息を吐いた。

 

「な、なんで溜息を……」

「お前なぁ。よくもあんな啖呵を切りやがってよ」

「啖呵、って?」

「本気で言ってんのかよ。 ……お前が、俺を導くってやつだ」

 

 妙なくすぐったさを覚え、シヅキは自身の首の後ろを掻いた。彼が思い返したのは、口角を吊り上げるようにして嗤ったコクヨの笑みだった。

 

 彼女はトウカの言葉の後にただ一言、こう言った。

 

 

『ならやってみるがいい。無理だろうがな』

 

 

「……」

「シヅ、キ?」

「……正直、俺だってあのノイズを超えるのは無理だと思っている。身体がよ、えげつねえ拒否反応を起こすんだ」

「痛かった?」

「痛ぇは痛ぇよ。でもただの痛みだけならどうとでもなる。そう言うんじゃなくて……触れたくないっていう……俺の気持ちの問題だ」

 

 シヅキは独り言のように呟くと、「ハッ」と自虐的に笑いを溢した。

 

「嗤えよトウカ。ノイズがよ……たかがノイズの筈なのに……クソ怖えんだよ。ほんとに……」

「さっきも言った、でしょ? 私が居るから。必ず、連れて行くから」

「でもよ――」

「シヅキにはベースキャンプに残る選択も出来た、よね? でもここに来たのは、ちょっとでもある、()()()に賭けたかったから」

「…………」

 

 トウカはこの場に似合わない柔らかな微笑みを浮かべてみせた。

 

「私、結構嬉しい、よ? コクヨさんじゃなくて、私のことを選んでくれたの」

「……バカ言ってんじゃねえよ。それで、どう俺を“結界”まで連れてってくれんだよ。まさか何も策が無え訳じゃねーだろ」

「策って呼べる程のものじゃないけど……“考え”はあるの」

 

 そう言ったトウカは、こちらにその小さな手を差し出してきた。まるで、それは握れと言わんばかりに。

 

「んだよ」

「握って?」

 

 握れという意味だった。

 

「握ってどうすんだよ」

「簡単、だよ。握って歩くだけ。そしたら、たぶん超えられるから」

「……は?」

「ちゃんと説明する、から。 ……もう隠し事を続けるの、疲れちゃった」

 

 

 

 ※※※※※

 

 

 

「コクヨさーん! コクヨさーん!」

「…………」

「コ・ク・ヨ隊ちょ〜う! 聞いてるすか〜?」

 

 何度も何度も名前を呼ばれ、コクヨはようやく振り返ったのだった。

 

「ああエイガか」

「はいエイガすよ〜! 酷いっすよ〜ずっと無視されたら流石のオレでも傷ついちゃうすよ!」

「そうは言うが、随分とお前はご機嫌に見えるが」

「えへへへへ! そりゃあそっすよ〜!」

 

 エイガは大きく跳び上がるように移動すると、コクヨの目の前に着地した。そして、その緋の眼を蘭々と輝かせながら饒舌に言葉を紡ぐ。

 

「だってぇ〜コクヨさんがオレに頼みたいことがあるなんてぇ〜滅多にないことじゃあないすか! 流石のオレでもテンション爆上がりすね! ほんと!」

「さほど普段と変わらない気がするが……まあいい。お前は()()()()()()。ちょうど適任だ」

「色が薄い? よく分かんねぇすけど、オレが必要ってことすよね!?」

「ああ。 ……もう少し声量を落とせ」

「あー! さーせんす!」

 

 その虚の眼でエイガのことを一通り睨め回したコクヨは、再びその視線を戻したのだった。はるか遠くに見える豆粒ほどの大きさである彼らを目にし、小さく息を吐いた。

 

「どうせ無理だろうに」

「ひょっとしてシヅっちのこと観てるすか?」

「ああ」

「……ふーん、そっすか。オレには小さすぎて観えねーっすけどね」

 

 そう言いつつ、エイガは近くに落ちていた手ごろな大きさの石を蹴り上げた。宙を待った石はあえなく、崖下まで落ちていってしまったのだった。そんな石の末路を見届けたエイガは、赤毛の髪を弄りながらこう言った。

 

「もしかしてなんすけど、その頼みってのもシヅっちがカンケーしてたりするんすか?」

「察しがいいな」

「その褒めは嬉しくないすよ。 ……んで、オレは何をすりゃあいいんすかね?」

「なに。お前の力を借りるかどうかはあくまでも保険だ。然るべき時に相応の働きをすればいい」

 

 再びエイガの方へと振り向いたコクヨの眼は、先ほどのものよりずっと細く、闇が深いものであった。

 

 エイガはその眼闇(がんこう)を知っていた。その狡猾で、残酷で、しかし慈悲深いその眼差しを酷く知っていた。ずっと昔に“コクヨ”というホロウに出会って以来、一度たりとも忘れたことのない眼だった。ずっとずっとずっとずっとずっと……追いかけ続けてきた、エイガにとっての(みちびき)だった。

 

 その眼が今、自身に向けられている。その眼が今、自身のことを映してくれている。その眼が今、自身のことを求めている。 ……そんな事実は、エイガにとってあまりにも大きな救いに他ならなかった。

 

 エイガは早る心臓を抑えずに、高揚する心を抑えきれずに、ただひたすらにコクヨの言葉に浸ったのだった。

 

 

「――というわけだ。頼めるだろうか?」

 

 エイガはブンブンと縦に首を振った。そして、その震える声で彼はただ一言だけ……こう誓ったのだ。

 

 

 

「全てはコクヨの為に。オレの信じるものは(はな)からアナタだけです」

 

 

 

 ――()()()は、確実に近づいていた。

 



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魔素の正体

 

 

「シヅキはさ……魔素ってどういうものかって、考えたこと、ある?」

 

 果てまで続く緩やかな坂道を登り続けている最中に、トウカはそんな問いを投げ掛けたのだった。シヅキはその歩みを止めそうになったが、実際には怪訝な表情を浮かべるだけに留まった。

 

「んだよそれ。それと、ノイズの渦を超えることに何か関係あんのか?」

「ある、よ。最後まで聴いたら分かる……と思う」

「そうかい。トウカお前、説明すんの下手だからな」

「あはは……昔よく言われた。でもシヅキは、お話を聴くことが苦手、だよね」

「るせ。ほっとけ」

 

 ぶっきらぼうにシヅキが言い放つと、トウカは少しだけ顔を俯かせて「ふふふ」と小さく笑った。それを拍子に彼女の歩調が少しだけ乱れて、シヅキは自身の歩幅を若干小さくしたのだった。

 

(手を繋ぐと歩き辛えものだな……コレの理由もすぐに分かんのか)

 

 繋がれたトウカの左手を一瞥した後、シヅキは彼女の顔辺りへと眼を移した。

 

「魔素のことは知らねえよ。出元なんて考えたこともねえ」

「やっぱり、そうだよね。なら、そこから話さないとだね」

 

 トウカは納得したように小さく頷くと、ゆっくりと、優しげな口調で語り始めた。

 

「少し前に私とシヅキで、演劇を観に行ったことがあったよね。『人とホロウの物語』」

「……ああ。有名な伝承だ」

「うん。世界が流行病(はやりやまい)のせいでピンチになった時に、人間が魔法の力を使って、人間の代わりとなる存在を、創り出した」

「……ホロウ」

「正確には、“ホロウ”とは少し違うけど、ね。人間が直接創り出した“初期の代替”と“今の私たち(ホロウ)”は性質が大きく違うらしいの。創り手が、異なるから。でも、始まりが魔法であることには、変わらない」

 

 魔法……かつて生活を豊かにし繁栄をもたらせたという、人間のみが使える(わざ)。人間を語る上では、切っても切り離せない概念。 ……しかし、時間が流れすぎてしまった現在、魔法の使い方はすっかりと忘れ去られてしまっていた。

 

(だが、なぜ今魔法の話なんてのをトウカは――ぁ)

 

 そこまで思考を巡らせたところで、シヅキは気がついたのだ。別にどうということはない、それは単なる事実同士の重なりである。

 

 トウカはやはり一つ頷いた後に話を続けた。

 

「ホロウが人間の魔法で創られたことって、普段意識しないよね? 結局は伝承の話だから。むしろ私たちの常識になっていることは、ホロウの身体が、例外なく魔素で形成されていること」

「魔法と、魔素の関係ってことか……」

「単に呼称が異なるって訳ではない、よ? “魔素と呼ばれる概念を加工する行為”……それが、魔法」

「あぁ。よく理解出来た」

「うん、良かった。 ……でもこれはあくまでも()()()()()()、だから。ここからが、本題」

「……中央区でやらかしたっていう通心内容の傍受か」

 

 シヅキがいつもよりワントーン低い声でそう呟くと、トウカは眼を大きく開いたあと、苦笑いを浮べた。

 

「察しが、いい……ね」

「この場に俺たちしかいない時点で、何となく検討が付いていた」

「そっ、か」

 

 横目でトウカへと眼を向けたシヅキ。しかし、角度の関係でフードを被ったトウカの表情は見えなかった。彼女が今何を思っているのか……それはシヅキの預かり知らぬところだ。 ただ、過去に起こした()()に後悔の念を抱いて欲しいなんて、そう思うのはエゴが過ぎるだろうか?

 

(……トウカは、トウカだ)

 

 心の中でそう呟いたシヅキは口内で舌を強く噛んだ後に、呟くように言った。

 

「聴かせろよ。今度は、逃げない」

「……! うん。ありがと、シヅキ」

「いいから。気が変わる前に早くしろ」

「……上層部どうしの通心(つうしん)を傍受して判明したことの一つに、伝承内容の秘匿があったの。その内容はね、魔法の素となる“魔素”が一体何なのかってこと」

 

 トウカは自身の喉元に手をやり、軽く深呼吸をした後、意を決したように言った。

 

「魔素はね、“人間の心そのもの”なの。ホロウはね、人間の心で出来ているの」

 

 

 



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心を混ぜて

 

「魔法はね、生き物の中で、人間だけが進化の過程で得ることができた術なの。記憶と感情の紐づき……一言で表せば、心だね。心を自分の中だけで留めるのではなく、ある種の力として外へと解き放ったモノ、又は解き放つ行為そのもの……それが魔法、だよ」

「ちょ、ちょっと待てって!」

 

 シヅキが焦燥を孕んだ声で叫ぶと、トウカは一つ頷いた後にその場に立ち止まった。

 

 …………。

 

「……あ、喋るのを止める、ほう?」

「どう考えても分かるだろ。ここでボケるなよ」

「ご、ごめん」

 

 ぎこちなく謝ったトウカが再び歩みを始めたところで、シヅキは大きく溜息を吐いた。

 

「今の話、マジなんだな」

「マジ、だよ。確かに私たちは、辿り着いたもの。その旨が記載された資料もあったから」

「……ホロウが、人間の心で出来ているだと? 俺たちの中には人間が居る……」

「人間の心から造ったからこそ、人間の模倣たりうるんだと、私は思う」

「……でも、でもよ。本当に人間の心から造られたのなら、ホロウは人間の記憶を引き継いでいないとおかしいんじゃないか?」

 

 魔素には大きく2つの性質がある。1つは形成の性質。魔素の形を変え物質を作り出すというものだ。ちょうどシヅキが自身の魔素から大鎌を生成することがこれに該当する。

 

 そしてもう1つが記憶情報を有していることだ。魔素を適切に加工することで、魔素からその魔素が有す記憶を抽出することが出来る。通心(つうしん)はこの性質を応用したものだ。

 

 シヅキは言わんとしているのは、後者の性質のことだった。魔素が記憶情報を有している以上、その記憶情報で満たされているホロウは、わざわざ人間の末路である魔人から魔素の抽出を行う必要はない筈なのだ。どう考えても不合理的な行動である。

 

 トウカは口元を一瞬だけ真一文字に結ぶと、どこか神妙な面持ちでこのように語り出した。

 

「……それについては、()()も少し疑問だったの。これはあくまでも私の予想、なんだけど、ホロウは記憶喪失をしているんじゃないかな」

 

 聴き慣れない単語にシヅキは首を傾げた。

 

「記憶喪失?」

「え、っと。有している記憶情報が欠けちゃうこと……だよ。病気の一種、かな?」

「……ホロウがその記憶喪失とやらを起こしている根拠は?」

「初めに、人間がホロウを魔法で創り出す時に、一人(いったい)が頑張ったわけじゃないと思う。伝承の内容から考えても、何人(なんたい)もの人間が魔法を合わせたのかな、って」

「まぁ、そっちの方が自然だな」

「だとしたらね? 複数の人間の記憶が、ホロウの中には混濁している筈なの。たくさんの記憶が混じって、薄れて、私たちは覚えられないんじゃ、ないかな?」

「……なるほどな」

 

 トウカがデタラメを言っているとは思えなかった。そりゃあこの状況下でそんな凝った嘘を吐く理由が思いつかないこともある。しかしそれ以上に、トウカの主張は筋が通ったものに思えたのだ。

 

「ハァ」

 

 大きく溜息を吐いたシヅキは、ゆっくりと眼を閉じた。かなり衝撃的な事実ではあった。しかしながら今はより優先することがある。そこの優先度は履き違えてはならない。

 

「……んでよ。んな話を今持ち出したってことは、このノイズの渦を超えることに関係があるってことだろ?」

 

 シヅキのそんな問いかけに対し、トウカは小さく頷いた。

 

「思うに、このノイズの渦はね、私たちの中の心に一定の負荷を与えるものだと思うの。そして、どんな基準かは分からないけど、通すホロウと、弾くホロウを選んでいるんじゃないかな?」

「…………」

 

 

『調査団のメンバーを選出したのは他でもないワタシだ。信念があるホロウを選んだのだよ。誰かを、ナニカを犠牲にしてでも叶えたいモノを有している……そんなホロウをな。だがシヅキ、お前だけは例外だ』

 

 

 (……そういうことなんだろうな)

 

 

「……シヅキ?」

「いや、何でもない。つまりお前は通されるホロウで、俺は弾かれるホロウなんだろ?」

「……ごめん。弾くって言葉はちょっと違うかも。シヅキ、初めの時は“結界”まで来れたもん、ね」

「どっちみち今は進入できねーんだ。変わんねえよ」

「……分かった。えっと、ね? 今のシヅキは“結界”に弾かれちゃうから、“結界”を誤魔化すことが、私の作戦」

「あ? 誤魔化す?」

「私の心は、“結界”を通ることが出来るから、それを今からシヅキの中に流し込むの。……もちろん、一時的にね。魔素中毒が起きるかも、だから」

 

 トウカの言葉にシヅキは大きく眼を見開いた。

 

「心を流し込むって……んなこと出来るのかよ」

「出来る、よ。通心の応用だから。それに……私は抽出型。魔素の中身を参照することはできないけど、魔素の流れを操作することは得意、だから」

 

 そう言ったトウカは、今までずっと繋いでいた手をギュッと握り込んだ。彼女の体温がひどく伝わってくる。

 

「手を繋いでいたのはね、触れていた方が魔素を操作しやすいから。私の心も、シヅキに伝わりやすいはず」

「……そういうことだったのか」

「うん。そういう、こと。 ……そろそろノイズくる」

 

 先にノイズの渦を感知していたトウカが強張った声でそう言った。近いうちにシヅキも感知してしまうことだろう。 ……どうしようもなく痛く、苦しいノイズを。

 

「シヅキ、今から私の魔素をシヅキに流すよ。私の心が、シヅキのことを守る」

「……んだよその言い方。トウカのくせに格好つけやがって」

「シヅキには返しきれない恩があるから。これはその……えっと、その助け?」

「返答になってねえよ。 ……あぁ、流せよ」

 

 ぶっきらぼうに言い放った後にシヅキは自身の指をトウカの指に絡めた。そこまですることに意味があるのかは知らないが、触れ合う手の面積が広いことに越したことはないだろう。 ……それに。

 

 

(……きた)

 

 

 その瞬間、シヅキは確かな()を得た。自身の中の魔素濃度の高まりを感じたのだ。

 

 異物が流れ込んでくる感覚。明らかに“自分”以外の者が自分の中にある。それがひしひしと伝わってきた。

 

 

(そうか。これがトウカの…………………)

 

 

 しばらく口を半開きにしていたシヅキは、最後には小さく笑みを浮かべたのだった。

 



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再会

 

 

 それから何が起こったのか、よく覚えていない。

 

 ノイズの渦を一身に浴びたせいか、はたまたトウカの心が流れ込んできた影響か。何にせよ、気がついたときにはシヅキは渦の中心、ノイズが皆無の空間である“結界”前に立っていたのだった。

 

「よ、良かった。上手く、いったね」

「…………」

「シヅキ?」

「え? あ、あぁ」

 

 ノイズの渦を抜けた達成感なんてものはまるで無かった。シヅキの心はひたすらに困惑で満たされ止まなかった。 ……ノイズによる後遺症も今のところは感じることのない。

 

 首の後ろをポリポリと掻きつつ、シヅキはポツリと溢した。

 

「本当に“結界”を誤魔化したってのかよ……」

「シヅキーーー!!!」

 

 その時、そんな太い声が響き渡った。反射的に眼を向けると、大振りに手を振りこちらに駆けてくる大男の姿があった。

 

「アサギ」

「おお、良かったなあシヅキ! お前に会いたかったぞ!」

「あ、ああ…………なんでお前半泣きなんだよ」

 

 シヅキが引き気味にそう突っ込むと、アサギはズビビと音を立てながら鼻水を啜った。

 

「そりゃあ泣きたくもなるだろう! 俺の大事な友がただ一体苦しんでいたのだぞ!」

「と、友だと……?」

「む? 友に決まっているだろう。頼りになる戦友ではないか」

 

 アサギはニッと笑うと、シヅキの背中をパンと叩いてみせた。そして首後ろに腕を回し、肩を組んだのだ。

 

「お、おい……何を……」

「いいじゃあないか。少しくらい」

「俺が気にすんだよ! 何で今日はこんな馴れ馴れしいんだこいつ……!」

「アサギさん、シヅキさんを守れなかったことを気にされていたのですよ」

 

 肩を上下に揺すられブレる視界に飛び込んできたのは、眼鏡をかけた軽装のホロウだった。

 

「アサギさんは浄化型の中でも魔人の攻撃を集める盾役ですからね。“守る”という行動には大きな責任感が伴っているのでしょう」

「サユキか……」

「こんにちはシヅキさん。お久しぶりというには短すぎますかね」

 

 いつものようにメガネをカチリと上げたサユキは、アサギに肩を組まれたシヅキの周りをグルリと回ると一つ頷いたのだった。

 

「外傷は特に見られませんね。ノイズの渦の影響もありませんか?」

「ど、どうなんだ? シヅキ!」

「お前はもう離れろって! ……別にねえよ」

 

 強引にアサギを引き剥がしたシヅキは項垂れるように大きく溜息を吐いた。

 

「お前らがどこまで知っているか知んねーけど。ノイズの渦を越えるのは、トウカが何とかしてくれた」

「せ、正確には私だけじゃない……ないんですけどね。ここのみんなも知恵を貸してくれました」

「……そうだったのか」

「ええ。とは言うもののわたしやアサギさんは力及ばずでしたけどね」

「全くだ。殆どはトウカとリーフだけで渦の突破案が出されちまった。魔素に関する知識量が違ってな」

「……ん? リーフ?」

 

 キョロキョロと辺りを見渡したシヅキ。しかし今ここに居る彼ら以外にホロウの姿は見られなかった。

 

「なぁ、そういやリーフのやつは――」

「ここよ〜」

「は? ――どわっ!?」

「もと暗しリーフちゃん〜」

 

 シヅキが振り向いた直後、リーフはシヅキの足元から迫り上がるように視界に現れた。思わず姿勢を崩して尻もちをついたシヅキ。見上げたリーフは満足気にニヨニヨと笑みを浮かべていた。

 

「い、居るのなら居るって言えよ……」

「残り物〜ふくふく〜」

「わからん」

「リーフさんは最後に登場した方がサプライズ感が出て良いよね、と仰っているのですよ」

「……ずっと思っていたが、お前のその翻訳ってどうやってんだ」

「長い付き合いですからね」

「あう〜〜〜ん!」

「……そうかい」

 

 傍から見たって分からないものはあるか、と自身の中で割り切った(?)シヅキは、ヨロヨロと立ち上がると周りの景色を俯瞰し、「あー」とただ無意味に声を出した。薄く目を開くと、トウカ、アサギ、サユキ、そしてリーフがこちらを見ていた。

 

「…………」

 

 異様なまでの照れくささを感じた。身体が熱くなる感覚に襲われる。それは今から自身がしようとしている行為への大きすぎる違和感である。 ……でも、だからって躊躇うことは違う。キャラじゃない、とかそういう問題ではないのだ。

 

「あのよ」

 

 意識的に瞬きを繰り返し、その視界を懸命にズラし、シヅキはポツポツと溢すように言った。

 

「俺なんかのために……その、色々と考えてくれてよ……あ、ありが…………とう」

 

 言いきった後に、シヅキは既に逸れつつあった視線を真下へと完全に逸らしてしまった。以前コクヨにお姫様抱っこをされた時と同じ感覚に襲われる。彼の顔は、耳まで真っ赤になっていた。

 

「シヅキく〜ん」

 

 そんな彼に対して、初めに声をかけたのはリーフだった。シヅキは自身の上唇を下歯でギュッと噛んだ後に、本当に恐る恐る顔を上げた。

 

 上げたら真っ暗だった。

 

「シヅキく〜ん、よく言えたね〜かわいね〜」

「お、おい……! 何を……」

「ご褒びぃ〜?」

 

 そこでシヅキはようやく状況を理解出来た。どうやらリーフに頭ごと抱擁されているらしい。

 

「は、離れろって!」

 

 彼がそんな気恥しさに耐えられるわけがなく、リーフの両肩を掴み、強引に引き剥がした。

 

「むふひゅ〜」

 

眼前のリーフは、その眠たげな眼をさらに細め、やはり満足気に笑っていた。

 

「……お前のこと、よく分かんねーよ。リーフ」

「顔好きだから〜頑張った〜ね」

「リーフさんは、シヅキさんの容姿がそこそこ好みらしいですね」

「んだよそれ」

「一番好きなのは〜リーフちゃん〜だけど〜」

 

 屈託なく笑うリーフはずっとご機嫌な様子で。言葉とか、思考とか、そういうのはやはり分からない。分からないが、確かに言えることもちゃんとあった。 ……それは、彼女もシヅキがノイズの渦を抜けたことを喜んでいることだ。

 

 (よくもまぁ、こんな短い付き合いのくせして誰かのことを思えるよな)

 

「ほよ〜?」

 

 しばらく無言でいたシヅキを不思議に思ってなのか、そんな声とともに大袈裟に首を傾げたリーフ。その様子を見たシヅキはフゥと満足気に息を漏らすと、

 

「いい加減、離れろって」

「ニャ!?」

 

 彼女の額を軽い力で弾いたのだった。

 

「あ……」

 

 それを見たトウカがどこか残念そうに息を漏らしたのは何故だろう?

 

 

 



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合理的

 

 間もなくして、シヅキたちに召集の命令が下された。

 

 切れ長の眼と縁の細いメガネが印象的なホロウ……ソウマ。彼が立っていたのは、シヅキがノイズの渦の元凶である“結界”の前だった。

 

 調査団の全ての面々が集まるや否や、ソウマは挨拶も無しに話を始めた。

 

「昨日、主にヒソラ先生の働きによりこの“結界”には脆弱性が発見された。抽出型による魔素の流れの操作により決定的な打撃を与えられ得る。そこで、本日以降は抽出型のホロウ全てを“結界”からの魔素抽出作業に充てる。浄化型は周囲の魔人を警戒し、出現次第討伐しろ」

 

 彼の耳障りな声をある程度聞き流しつつ、シヅキはその首を僅かに頭上に、その目線を彼の真後ろへとやった。そして、うっすらと怪訝な表情を浮かべたのだ。

 

(歪みが……酷くなってやがる)

 

 以前見た“結界”とは、磨りガラスを覗いているかのように向こうの景色が歪んで見えたものだが、現在その歪みはより酷く増していた。向こうの景色は“結界”へと掠め取られ、一部は反射され、随分とぼやけた景色だけが水底のように揺れ透けている。まるで、“結界”の奥には空間なんて無いかのように。

 

(抽出型が魔素を引っこ抜いた影響か? ……いやでも。“結界”の層が壊れ始めたのなら、むしろ景色の歪みはマシになるんじゃ……)

 

「ソウマくん、一ついいかな?」

 

 シヅキが黙々と思考を飛ばしていたところで、そんな声と共に調査団の中からひょっこりと手が挙がった。と言っても

、後方のシヅキから見えたのはヒラヒラと空を仰ぐ白衣だけだったが。

 

 ソウマはそのホロウを眼に捉えたところで、明らかに表情を変えた。

 

「ヒソラ先生! どうなさいましたか?」

「うん。今日ってボクは必要なのかなーって」

「と仰いますと?」

「別に深い意味はないよ。抽出型がメインで“結界”の破壊を行うなら、ボクは別に要らないよねって話」

「……いえ。ここに残ってください」

「どうしてだい?」

「元はヒソラ先生の発案です。何かあったときに解読型の貴方が傍にいないと――」

「その解読型のボクが抽出型であるキミの言うことを聞け、ってことかい?」

「それは……」

 

 常に高圧的な態度を振り撒くソウマだが、この時ばかりはやけにしおらしかった。 ……それはそうだ。奴は型によるホロウの区別を特に重要視している節があるからだ。浄化型であるシヅキ達を見下す言動が鮮明に思い出された。

 

「いい気味だな」

 

 頭上からそんな声が降り注いだ。その方向へと視線を振り上げると、口元を真一文字に結んだアサギが。こいつの中には、あの時の煮えきらない怒りが残っているのだろうか? そう、あの時……トウカがソウマに首を絞められた時のことだ。

 

「…………」

 

 シヅキはソッと眼を閉じた。

 

(そうだ……忘れんな。ソウマは危険なホロウだ)

 

 サユキ、アサギ、リーフ。彼らのようなホロウとの交流が多かったせいで、緊張を(ほど)いてしまう機会が程々にあった。しかしそれはあまり好ましい行動ではない。あまりにも突発的に組まれた調査団なるものは、今となっても“きな臭さ”が付き纏っているのだから。ソウマが指揮をとっていることもその根拠の一つだ。

 

 

(それに………………)

 

 

「ヒソラ。お前は抽出型のホロウの管理をしろ」

 

 突如として聞こえてきた凍つく声。それが誰が発したものかなんて考えるまでも無かった。

 

 大きな歩幅で近づいてきた彼女を見上げ、ヒソラは口元だけ笑った。

 

「コクヨか」

「ソウマの言う通りだ。稀有(けう)だなヒソラ、お前にしては実に不合理な発言ではないか」

 

 ヒソラの目の前に立ち塞がるように立ったコクヨ。彼らは一回りも二回りも身長が異なる。それに、シヅキはコクヨが有すその威圧感を嫌と言うほどに知っていた。

 

 しかしながら、ヒソラは彼女に臆することはなく堂々と言葉を紡いだ。

 

「はは。連日こきつかわれちゃったから肉体的にしんどいんだよね。ちょっと一体になりたい気分なだけだよ」

「そうか。すまんな、ならあと1日だけ頑張ってくれ」

「1日かい? ……今日1日だけでいいのかい?」

「お前が言ったのだろう。“結界”の破壊は間もなくだ、と」

「それもそうだね。ああ、頑張るよ。()()()()()()やるさ」

 

 はは、と軽く笑ったヒソラ。彼は呆気なく引き下がったようで、小さな歩幅にてシヅキ達の元へと歩き始めた。

 

「……あぁそうだ。コクヨ、君は一体どうするつもりなんだい」

「どう、というのは?」

「“結界”の前に残るのか否か、だね」

「ああ。ワタシは魔人を浄化するが。ワタシにはそれしか能が無い」

「ハハハ、謙遜にしては苦しいなあ」

 

 ヒソラはひとしきり笑った後、踵を返した。再び“結界”の前へと戻り、そして……コクヨの腕を掴んだのだ。

 

 

「コクヨ、君もここに残りなよ。君は何かが遭った時の切り札だ。戦闘能力の低いボクたちを是非守ってほしいなあ……そっちの方が合理的だとは思わないかい?」

 

 

 

 



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オドに戻ったら

 

「では、わたしは木の上から援護をしますね」

 

 軽く敬礼をしたサユキが身軽に跳躍をすると、その身体は簡単に数メートルも頭上へと跳んだ。そしていつものように太い枝へと着地をした彼女は、その手に群青色で澱んだ弓を生成した。彼女の武装である。

 

「以前、シヅキさんからあった指摘を取り入れますね。木を移ったときには幹をコンコンと叩きます。判別が難しければ、弓を撃たずに待機か、或いは手信号を出してみましょう」

「おう、サユキ頼むぜ! お前のサポートは(かなめ)だからな」

 

 アサギが調子良くグッドサインをサユキに送ると、彼女も小さくそれに応えた。そして、やはりメガネをカチリと上げたのだった。

 

「うし! シヅキ、エイガ! おれたちも一仕事しようぜ」

「……ああ」

 

 流すように素っ気なく返事をしたシヅキ。しかし一方で普段は元気なエイガはというと、全く異なる方向をただただ向いていた。まるでそこに何かがあるかのように。

 

「エイガ? どうしたんだよ?」

「ん? あーごめんごめん! なんすか?」

「いや、心ここに在らずって感じだったからさ。なんか気になるものでもあったのか?」

「エイガさんの視覚方向には特に何も見えませんね。視力5.0を超えるわたしが言うのだから間違いありません」

「……視力の問題か? それ」

「はは、サユっちは面白いすね〜。 ……何もねすよ。行きましょ」

 

 エイガはいつも通り軽薄な笑みを浮かべると、軽い足取りで先を歩いてゆく。シヅキ達はそれを追うように彼に続いた。

 

「なあシヅキ。さっきのよ、ヒソラ先生の話だけどよ」

「ああ」

「ありゃあ本当なのか? “結界”がもう壊れちまうって」

「んなの俺が知るかよ」

「そうか……シヅキはヒソラ先生と仲が良いから何か聞いていると思っていたが」

 

 アサギはその大きな図体を縮こませながら「ぬぅ」と溜息混じりに唸ったのだった。どうやら彼の中には何か引っかかるものがあるらしい。シヅキだって、それは同じだが。

 

「まあ、無事に帰れるのならそれに越したことはないな。おれも早くパーティーの奴らに会いたいぜ」

「パーティー……お前は4体で組んでたか」

「ミスト、ドギー、トア。みんな気の良い奴でよ? 一緒に居てすげえ楽しいんだ」

 

 そう言うとアサギは随分と優しげな笑みを浮かべてみせた。

 

「ミストはしっかり者の浄化型でよ。作戦とか段取りとか、そういうのを考えるのが得意なんだ。たまに抜けてるとこあるけどよ。ドギーも浄化型なんだが、こいつは調子者でな。ムードメーカーだがやらかしも多い。んで最後はトア。トアは抽出型でバックアップが得意だな。引っ込み思案だが色々と器用なんだ。気がついたときには助けられてたりする」

「よく見てんだな」

 

 シヅキがそのように返すと、アサギは「まあな」と首の後ろで両手を組んだ。

 

「帰ったらよ、あいつらと果実酒でも飲みてえな。ドギーがよ、港町で買ったのがあるらしいんだ。 ……ああそうだ! シヅキも一緒にどうだ?」

「は? んで俺が……」

「お前は戦友だ。一緒に酒が飲みたいんだ」

「さっきは言いそびれたが、別にお前と友達になった気はない。そもそも、“友達”っつったって定義が分かんねーし」

「定義? そんなの簡単だ。一緒に居たいと思えるかどうかだ」

「……何とでも言えよ。雑談もほどほどにしろ」

「ああ、そうだな」

 

 最後にシヅキの肩を軽く叩いたアサギは、軽い足取りにてシヅキの前を歩き始めた。その大きな背中がシヅキの視界の中で揺らぐ。

 

 シヅキは真っ黒のフードを深く被った。

 

(友達か)

 

 縁遠い言葉だと思っていた。自分の弱いところをひた隠す為に取り繕った威圧的な態度と言動……それらはいつの間にか取り繕わずともシヅキの()となっていた。出来る限り一体であろうとした結果、それ相応の孤独を獲得できた。

 

 それでも交流のあるホロウは存在する。でも、ソヨは昔馴染みで“友達”というのは違う。ヒソラだって、あいつは“先生”だ。トウカは……………どうだろう?

 

 何にせよ、何にせよだ。“友達”と言えるホロウはシヅキの中に居なかった。言ってくれるホロウだって居なかった。

 

(アサギは良い奴だ。俺なんかは釣り合わない)

 

 そう思えてしまうから、シヅキの方からアサギを“友達”なんて呼ぶことは出来ない。 ……ただその逆なら。

 

(俺がどう思うか、か)

 

 アサギだけじゃない。リーフと、サユキ……あいつらも一緒で。良い奴で、一緒に居ても別に悪い気はしない。そんなことを考えながらシヅキは少しだけ眼を閉じた。

 

(ああ、そうだ。オドに戻ったら、そうしようか。友達かどうかなんて分かんねえけど……少しくらいなら酒とか一杯くらいだったら…………)

 

 

 ――そうやって、考えて、僅かに頬を緩めた時だった。

 

 

「――――っ!!!!!」

 

 

 ノイズ。ノイズ。ノイズ、ノイズ、ノイズ。全身が痺れ、肌がひりついた。この感覚は“結界”が纏うノイズの渦ではない。…………魔人が顕れるサインだ。

 

「皆さん! 応戦態勢を!」

 

 サユキのよく通る声が走る。数秒前の空気が文字通りに一気に変わった。緊張の糸が張り詰める。シヅキは鋭く息を吸った。

 

「来い」

 

 大鎌を生成。姿勢を落とし、眼を見開いた。ノイズが強まる。 

 

「来るぞ! おれが前に出る!」

 

 自身と同程度ある大盾を生成したアサギ。体躯いっぱいを使ってソレを持ち上げ、ノイズの出所に向かって突き出した。

 

それから間も無くして空間が歪み出した。闇空が解けるように融け、捻れ、壊れたとまで錯覚する。

 

 そうやって、奴らは姿を顕すのだ。

 

 ガギィン

 

「ぬっ……!」

 

 けたたましい金属音が響き渡った。魔人が繰り出した斬撃が、アサギの大盾を捉えたのだ。

 

(…………? んだよこの既視感は)

 

「シヅキ! 一体はおれが食い止める! だから……!」

「――っ!」

 

 

 アサギの叫びと共に一人の影が近づいてきた。小柄な体型のそいつは、姿勢を大きく屈め、細い腕を振り上げ、遠心力を利用して……その手に持つ短剣を振り上げた。

 

 魔人が鳴く。

 

「ドゥ……ドゥ……ドゥ」

 

 やはりシヅキもアサギと同じで、その短剣を捉え、弾いた。短剣武装の魔人は大きく退き、シヅキと距離をとった。

 

 魔人が鳴く。

 

「ドゥ……ドゥ……ドゥ」

「てめえ…………覚えているぞ」

 

 肉薄し、声を聞き、そこでシヅキの記録(きおく)はようやく辿り着いたのだ。今目の前に在るこの魔人をシヅキは知っていた。

 

(トウカ、オド、帰り道に居た……短剣武装、狡猾、仕込み刃…………!)

 

「ドゥ」

 

 漆黒の、細かな灰を無数に纏った姿にて魔人は鳴いた。シヅキのことを(ころ)さんと、高らかに宣言した。

 

「どういう因果か知んねーけど……まだ浄化しきれていなかったみたいだな」

 

 シヅキは小さく息を吐いた。今目の前に居る魔人は……対峙したことのある個体だ。

 

 

 ――ソレの存在の裏にある意図を、この時のシヅキは知る由もなかった。

 

 



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彼の日の魔人

 

「ドゥ……ドゥ……」

 

 喉の奥から絞り出したような濁った声と共に短剣武装の魔人は肉薄を試みた。しかし、それをシヅキは許さない。そんなことをされたら武器の形状からして奴に分があることは明白だった。

 

 ガギィン

 

 故にシヅキは間合いの管理をする。大鎌を小さく振るい短剣を弾いた。奴の動き方は知っている。どれくらいの力で弾けば退くか、予備動作とそこから展開する短剣の軌道……以前の戦闘でそれを知ったのだ。 ……無論それは、今現在対峙している魔人が同個体であることが大前提であるが、そんなことは一度目の鍔迫り合いで杞憂だと確信した。

 

「ドゥゥゥ」

 

 十数度目の鍔迫り合いの後に、痺れを切らしたように、魔人が繰り出した斬撃。それは水平方向に走る大振りの薙ぎだった。シヅキはそれを、鎌では受けず上体を逸らすことで躱した。奴の踏み込みと剣筋を学習したからこそ出来る業だ。

 

 すると何が起きるのか? 鎌を捉えることを前提にした斬撃は簡単に止まれない。振り抜く他ないのだ。

 

「フッ……!!!」

 

 生まれた隙を決して逃さない。シヅキは短く息を吐き、膝を軸とした蹴りを魔人へと繰り出した。それは躱されることなく、簡単に奴の腹を襲ったのだ。

 

「ドゥゥ」

 

 そんな小さな悲鳴と共に魔人が低空を這うように飛んだ。ちょうど“結界”に弾かれたシヅキのように。

 

 

 ――ああ、ここまで来れば後は処理だ。

 

 

 コンコン

 

 幹が鳴る。その次に聞こえたのは空気を裂く轟きだった。

 

 視界に青の線が走ったかと思うと、すぐに肉を断つ鈍い音が聞こえた。地面を強く()った影響で小さく巻き起こった土煙が霧散すると、そこには左胸辺りに矢が突き刺さった魔人が。

 

「シヅキさん!」

「わーってる!!」

 

 背後から聞こえてきたサユキの声に後押しされて、シヅキは駆け出した。サユキの矢は足止めとして非常に優秀だが、決定打としては弱い。やれるのは彼だけなのだ。

 

「ラァ――!」

 

 小さな雄叫びと共に、シヅキは地に(ふせ)る魔人に向かって大鎌を振り上げた。

 

「ドゥ」

 

 しかしほぼ同時に聞こえてきたのは奴の吐く小さな声だ。見ると、先ほどまで魔人が臥せていた地面にその姿は見えない。地を転がり、回避を試みたのだ。

 

(ああ、そうだろうな……“フリ”はテメエの)

 

 肘を身体の内側に強引に入れ込み、鎌の進行方向を急激に変えた。そして、その刃先が捉えたのは――

 

 ギィィィン

 

「領分だったな……!」

 

 魔人が装着した足先の仕込み刃だった。

 

 それらが()り合うことは一切なかった。当然だ。刃の出来だって、加えられた力だって、身体の状態だって……シヅキがずっと上回っていたのだから。

 

 仕込み刃を砕いた大鎌が今度こそ振り下ろされた。その位置は魔人の胸部……ちょうどサユキの矢の隣だった。

 

「ドゥ、ドゥ、ドゥ、ドゥ、ドゥ…………」

「サユキの放つ矢は、体内に流れる魔素を汚染する作用があるらしい。だからよ……」

 

 シヅキは大鎌を抜き、再び振り下ろした。今度は魔人の細い首筋へと。

 

「これで早まるだろ」

 

 シヅキがそう言い終える頃には、魔人はピクリとも動かなくなっていた。

 

 ……ああ。

 

(1人目、浄化完了)

 

「シヅキさん! 終わりましたか!?」

「ああ」

「なら次です!」

 

 

 ギィィィィィン

 

 

 シヅキが立つ場より少し離れたところから再び金属のぶつかり合う音が聞こえてきた。 ……いや、ずっと聞こえてはいた。ただそこにシヅキの意識が移ったに過ぎない。

 

「アサギ!」

 

 シヅキはすぐに駆け出した。激しく動き回る魔人との戦闘で、そこそこの距離を移動していたのだ。

 

 大きく揺れ動くアサギの背中が見えた。金属音が鳴ると、黄混じりの赤の火花が激しく散った。それはアサギが大盾にて魔人を上手くいなしている証だ。

 

「よく耐えた! 畳み掛けるぞ!」

「お……おう!」

 

 アサギを中心とした円を描くようにして魔人の真横へと躍り出たシヅキ。魔人の眼が彼を捉えたことは言うまでもなかった。

 

「ドゥ……!」

 

 魔人が鳴いた。やはり、よく知っている声で。奴との対峙……これで3回目だ。

 

 (複製でもされてんのかよ!)

 

 歯を食いしばったシヅキはその大鎌で魔人に斬りかかった。それは1体目の時とは異なり、酷く攻めを意識した姿勢である。しかし今はそれでも大いに良かった。なぜならば――

 

 

「どりゃああああ!!!!」

 

 シヅキの大鎌をバックステップにて躱した魔人を襲ったのは、そんな大きな雄叫びと、

 

 

 ズゥゥゥゥゥゥン

 

 

 大盾を駆使した豪快な体当たりだった。

 

 

 ――数の暴力はいつだって脅威足りうるのだから。

 



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エイガ

 

「ドゥ………………」

 

 魔人はか細く鳴き果てた後に、呆気なく浄化された。それを見届けたアサギはズンと大きな音を立ててその場に座り込み、空気を喘いだのだった。

 

「あァ、はァ、はァ……きっついな」

「アサギさん、お疲れ様でした。よく一体で頑張ってくれましたね」

「あぁ……だがお前たちが来なかったら危なかったぞ。あの魔人、他の者と比べて技術面に長けていた。ありゃあ知能が高いぞ」

「…………」

「シヅキさん? どうかしましたか?」

「別に何でも……いや」

 

 シヅキはどうするべきか迷っていた。つい先ほど対峙した短剣武装の魔人。奴と……奴らと以前に戦ったことをサユキ達に話すべきだろうか?

 

 シヅキの中には漠然とした予感があった。嫌な予感だ。彼の前に現れた、以前戦ったことのある魔人。同個体が何体もいることは、2体同時に出てきたことで確信出来た。それに――

 

 張り付いた喉を強引に開き、シヅキは問うた。

 

「なぁアサギ、サユキ。 ……エイガのやつ、どこ行った?」

 

 シヅキがそのように尋ねると、アサギとサユキは1テンポ遅れて訝しむ表情を浮かべた。

 

「そういやあいつ、何で居ないんだよ」

「……驚きましたね。何故気づかなかったのでしょう? 幽霊みたいにスッと消えてしまいました」

 

――エイガが消えたという事実。誰からも忘れ去られるように、忽然と姿を眩ませた。 ……このタイミングでだ。

 

 渇いた喉にて唾液を飲み込む。冷えきった汗が頬を伝う。身体に悪寒が走った。焦燥に駆られる。

 

 (落ち着け……一体じゃねえ。とにかく魔人の事実は共有だ)

 

 唇を強く噛みしめ、シヅキは彼らに向き直った。 ……アサギとサユキはシヅキの言葉を待っていた。特にサユキはメモ帳を取り出す始末だ。

 

早る鼓動を確かに感じながら、シヅキは発音を試みた。

 

「あのよ…………ぇ」

「……? どうしたんだよ、シヅキ」

 

 突然としてその声を止めたシヅキ。声だけではない。身体もだ。ピクリとも動かない。

 

 

 ――否。動けない。

 

 

 眼前の彼が卑しく嗤った。

 

 

「ん〜? シヅっちどーしたんすか? ちゃんと最後まで話してほしーっすよ。 ……娯楽には飢えてんすよね」

「なッ……!?」

 

 状況を理解したアサギが唖然の声を上げた。既にシヅキの表情は蒼白に染まっていた。

 

「あーまぁ、仕方ねぇんすかね。オレ、サプライズ得意なんすよ」

「な……………にが……………」

「あ? 聞こえねーっすよ。だから――」

 

 彼は右手のソレをいとも簡単に突き立てた。布切れでも斬るかのような………………そんな…………感覚で。

 

 

「ぐッ……………ァア………………!!!」

「お前ら全員、今オレの掌の上ってことすよ。分かる?」

「エイガおまええええええええええええええ!!!」

 

 魔人と戦っていた時とは比較にならないほどにアサギは吠えた。その大盾を片手に、もう一方の手を赤髪の男、改めエイガに向けて伸ばそうとした。 

 

「いーんすかぁ? コイツ(ころ)すけど?」

 

 ……が、それは叶わない。エイガが差し向ける先の尖った短剣は……その矛先が捉えていたのはサユキの首筋なのだから。

 

「一歩前に出てみてくだせーよ。さっき頬抉ったの、次は首でやるんで」

「テメエ………………エイガァ……!!」

「怒りしか言語化出来ねーんすかぁ? あーいいんすよ、いいんすよ。そーゆうの慣れてんすよね」

 

 そう言いつつアサギはサユキを拘束しつつ1歩、2歩、3歩と下がった。その間も短剣はサユキを捉えて止まなかった。しかし、彼女はその顔を歪ませながらも一言も言葉を発しなかった。

 

「………………」

 

 ただそれはシヅキも同じで。その光景を眼に焼き付けることしか出来ず、何も出来ず、その呼吸だけを荒くして。汗が伝うだけで……身体が震えるだけで……。

 

「シ……ヅキ……さん…………」

「――っ!」

「あー、そーゆう会話とかいーんで。本題入るっすよ」

「本題だぁ? ふざけたことを…………!」

「うるせぇなぁデカブツ。口慎めよカスが」

 

 チラっと映ったアサギの表情は凄まじいものだった。血管が隆起した額に紅潮した頬。シヅキとの再会を祝ったあの面影は見る影もなかった。

 

無言でシヅキの隣にアサギが立ったところで、エイガは一つ頷いた。驚いたことに、普段と同じ……あの軽薄な笑みで。

 

「まァ突然のことで驚いたと思うんすけど。お前たちがほざいてたように裏、あったんすわ。なに? 調査団とかゆー茶番には」

「…………」

「んでま、今日が()()()ってことで。地獄にでもなるんじゃねぇすかね」

「……サユキを、拘束したのは……」

「あーダメっすよシヅっちぃ。話の腰折んなよ」

 

 カラカラと喉を鳴らすようにして嗤ったエイガ。しかし彼の眼はありえないほどに冷めきっていた。

 

「……この女を(ころ)さずに縛ってるのなんて、お前たちの無力化のために決まってるじゃねーすか。都合わりーんすよ。浄化共が居ると」

「何のために……そんな……」

「ハハッ! 話す訳ねぇー! 話してもらえると思ったんすかね? 傲慢すねぇほんと」

 

 そうやって捲し立てたエイガの短剣がサユキの首筋に触れた…………いや、触れたじゃない。刺さった。刃先が首を…………ホロウの首を…………

 

「ガッ…………アァ゛!」

「サユキ……! サ、サユキ!!!」

「やべ。わざとじゃねぇんすよ? ま、いいや。とりあえずお前らにやってほしーのは? その武装解いてくださいよ。んで、地面に伏せてくだせぇ」

 



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そこにただ一つの慈悲は無く。

 

 (地面に……伏せろ…………?)

 

 殆ど回らない思考の最中に、エイガの言葉が復唱された。そんな真似をしたならば、シヅキ達は完全に縛られることとなる。縛られる……つまり、存在を含めた全てを目の前のこいつに委ねることとなるのだ。

 

 エイガは小さく嗤った後に、話を続ける。

 

「したらこの女解放するっすよ。いやぁ、マジっすから。従ってくだせーよ」

 

 (いや……ダメだ。それは悪手にもほどがある)

 

 シヅキはそう思った。エイガの言葉が本当である保証なんてどこにも無い。彼の言葉に従うことはあまりにもリスキーが過ぎる。

 

 だからシヅキは、大鎌を握るその手に力を込めた。身体の震えが大鎌にまで伝わっている。刃先がブレて仕方なかった。緊張感のせいで、時折自分が何を握っているのか分からなくなる。

 

「…………シヅキ」

 

 そんな状態だったから、酷く近い距離から声をかけられたことに、身体は大きく跳ねた。

 

「何やってんだよお前…………はやく…………はやくソレを仕舞えよ」

「……え」

 

 極度の緊張でブレる視界を声の方向へと動かした。そこにはアサギの姿が。驚いたことに、彼の手にはもう何も無かった。ただその大きな背中をひたすらに小さく、小さく縮こまらせてこちらのことを見ていたのだ。

 

「アサギ……お前……」

 

 アサギはその震える声で言葉を重ねる。

 

「サユキが……このままだと……(ころ)されちまう……武器を捨てねぇと……サユキが……サユキが……!」

「ま、待てアサギ…………れ、冷静に――」

「シヅキ!!!!!」

 

 先ほどエイガに放ったものと同じ怒号が、今度はシヅキへと飛んだ。

 

 アサギの様子は尋常ではなかった。ついさっきまで怒りに染まっていた表情が嘘のように、今度はすっかりと青ざめていた。変色した唇がぶるぶると震えている。眼球がこぼれ落ちてしまいそうな程に見開かれていた。肩が大きく隆起している。呼吸が荒い。汗がダラダラとこぼれ落ちている。手足の痙攣が酷い……今に倒れたっておかしくはない。

 

 メトロノームのように、前後へフラフラと振れるアサギ。彼はゆっくりとその顔を上げると、(しゃが)れきった声でこう吐いたのだ。

 

「頼むよシヅキ。おれは……おれの前では……誰も……だれ……も……」

 

 心からの、心の奥からの嘆願である……シヅキはそのように感じてしまった。ソレはもう、“アサギ”とは異なるモノに取り憑かれてしまったかのようで。そんな様子で。 ……コレはなんと形容するのだろうか? シヅキの頭の先端に一つの単語が滲み(よど)んだ。

 

 (呪い……)

 

 

……………………。

 

 

 次に気がついた時には、シヅキの手から大鎌が無くなっていた。外的な要因ではない。確かにそれはシヅキの()()だった。間も無くして、彼の身体は呆気もなく崩れ落ちてしまった。うつ伏せとなり、震える手を背中で噛み合わせた。 ……もうシヅキは、考えることを放棄していたのだ。

 

 間もなくして頭上から軽蔑の混ざった嗤い声が降ってくる。

 

「あァ、いー子ちゃんすね。そう。それでいーんすよ。本当に、本当にいー子ちゃんっす」

 

 ズザザと土を蹴る音が聞こえる。シヅキはその顔を恐る恐る上げた。 ……エイガと眼が合う。冷め切った彼の眼が簡単に貫いた。

 

「あァ……本当に」

 

 エイガは口元を歪ませるようにして嗤った。

 

 

「本当に…………………愚かだ」

 

 

 ズシュ

 

 

 

 ………………。

 

 ………………。

 

 

「……………………え」

 

 何が起こったのか、何が起こってしまったのか。脳が拒む。理解を拒む。現実がシヅキを置いていく。 ……そのままで居られたなら幾分もマシだったろう。

 

 その声がシヅキを引き戻した。

 

「サユキいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!!!!!!!!」

 

 決してソレはホロウが出せるようなモノではなかった。さながら怪物のようなその声は、ひたすらに彼女の名を呼んだ。

 

「サユキ……サユキが……………!! サ、サユキがぁぁぁあ゛あ゛…………!!!」

 

 アサギの、慟哭。慟哭が響く。何度も、何度も彼女の名前を呼ぶ。そんなアサギに、エイガはゆっくりと近づき、彼に肉薄した。

 

 そして、呟いた。

 

 

()()、壊れちまったっすね。今ラクにしてやるよ」

「サユキ…………サユ……………………………………………………キ」

 

 

 アサギの声が止んだ。もう声は出せなくなっていた。だって、その首を、鋭利な刃物が貫いていた。そこにただ一つの慈悲も無かったのだ。

 

 

「……………………………………………………ぇ?」

 

 

 エイガが喋った。取り残されたシヅキに向かって喋った。

 

 

「懐いっすね。“絶望”から救助した時みたいじゃねーっすか? シヅっちさぁ」

 

 

 ニッと笑う彼の後ろでは、アサギとサユキの亡骸(まそ)が、空気に融けつつあった。 ……ゴミみたいな光景だった。

 



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ソヨとリンドウ④

 

「これ、何ですけれど……」

 

 自室からソレを手に入れて戻ってきたソヨは恐る恐るの手つきで机の上を滑らせた。リンドウはソレを手に取ると、その眼を丸くした。

 

「思っていたよりも随分と分厚いものなのね。想定だと少しでも小さくする細工が為されていると思っていたのだけれど」

 

 リンドウが手に取ったものは、とても片手では持つことができないほどの大きさと分厚さをした紙の束だった。そこには細かな文字がビシッと書かれている。

 

 彼女の問いかけに対し、ソヨはふるふると首を振った。

 

「いえ。それはわたしが凝らしたカモフラージュと言いますか。その紙束を横向きに立ててみてください。固定されてるのでバラバラにはなりません」

「? ええ」

 

 首を傾げつつも言われた通りに紙束を真横に傾けたリンドウ。間も無くして彼女は関心の溜息を吐いたのだった。

 

「なるほどね……蝶番(ちょうつがい)か」

「もともとは嗜好品をこっそりと自室に持ち帰るときに使っていたのですけれどね」

「雑務型のホロウが資料を部屋に持ち帰っていく様子なんて、茶飯事だものね。木を隠すなら森の中……とは少しだけ違うかしら?」

 

 ふふ、と笑ったリンドウは蝶番を横方向にスライドした。カチッと小気味の良い音が鳴る。それと同時に紙束は見事に開閉したのだ。

 

「あの、リンドウさん! ソレがあれば本当に……シヅキとトウカちゃんは……助かるのですよね……?」

 

 思わずその場に立ち上がったソヨから飛び出したのは、大きな大きな心配の声だった。リンドウが見上げたその表情は、先ほどのように崩壊してしまいそうだった。

 

リンドウは首を縦にも横にも振らず、ただ伏し目がちに述べた。

 

「確証はないわ。もしかしたら我々の想定が全て杞憂かもしれないし、或いはもうどうしようもないほどに手遅れかもしれない。ただその中間であれば……あるいは」

 

リンドウは作業的に手を動かし、紙束に装われたその箱の中身を取り出した。 ……ソレは、一冊の本だ。

 

「この本に……レインの遺書の中に決定打が書かれている可能性は大いにあるわ。他でもないトウカが教えてくれたもの」

「……どういう、ことですか」

「トウカとレインが中央区で行っていたことは、一部ホロウだけで共有されている情報を奪取する行為だったのよ。この遺書の中にはその情報の群れが書かれているということ」

「トウカちゃん、そんな事を口走っちゃったのですか!?」

「あら、さっきの体験を忘れちゃったかしら?」

「さっきの体験…………ぁ」

 

 

『解読型はホロウの心を読むことが出来る……なんてのは聞いたことがあるかしら?』

 

 

リンドウは不敵に笑みを浮かべた。

 

「そういうこと。トウカが“絶望”の一件で数日間昏倒をした時にヒソラが、ね」

「プライバシーの欠片もありませんね……」

「なんとでも言いなさい。 ――さ、開けるわよ」

 

 そして、一呼吸を置いたリンドウは “DIARY” と表記されたその本を徐に開いた。しかし、彼女はすぐに眉を潜めたのだった。

 

「白紙ね」

「恐らくは煤文字(すすもじ)で書かれています」

「特定の()()()の魔素を流し込むことで浮かび上がる文字ね。情報の保護機能に優れているもの」

「正攻法だと開示出来ません。 ……実はわたしも遺書の内容を閲覧しようとしたのですが、ここで弾かれてしまって。リンドウさん、どうしましょうか? このままでは…………え?」

 

 伏せた眼を戻したソヨはすぐに困惑の声を上げた。白紙だった筈の遺書に文字が浮かび上がっていたからである。

 

 リンドウは不敵な笑みを浮かべて言った。

 

「この世界の全ては魔素でできている。遺書だって例外ではないわ。そして……私は解読型。こんな防御は訳ないわ」

「め、めちゃくちゃですよ!」

「ふふ、冗談。注ぐ魔素の色と量についてはトウカちゃんの記録(きおく)で見ていたもの。私はそれを実行しただけ」

(どちらにせよ、すごいことやっちゃってるって……)

 

 口には出さず、シヅキ譲りの溜息を吐いたソヨ。それを他所にリンドウはレインの遺書の内容に眼を走らせたのだ。間も無くして、彼女は頬を痙攣らせつつ笑ったのだ。

 

「これはすごいわよ。世界を書き変えられ得るレベルの情報が羅列されているわ」

「なんですか……それ」

「目次だけでも色々とあるわよ? 原因不明とされていたホロウを苛む病『個の崩壊』について。魔素は人間の心から出来ている事実。伝承『人間とホロウの物語』における内容改竄と隠蔽の事実。(すす)を用いた人間技術(ロストテクノロジー)『魔法』の再現実験とその結果。革命組織『虚ノ黎明』利用における情報と印象の操作。そして…………これは」

「…………リンドウさん?」

 

 大きく眼を見開いたリンドウ。その時、遺書に挟まっていたナニカがぽろっと落ちた。小さな、小さなソレを拾い上げたリンドウはソヨへと差し出したのだ。

 

「ソヨ、単刀直入に言うわね。ずる賢いあなたなら分かっていると思うけれど、口外は厳禁ね。 …………わたしはダメ。あなたにしか出来ないことよ」

「ちょ、ちょっと待ってください……! わたしまだ何がなんだかで……」

「詳細は通心(つうしん)で送るわ。ただ……今はこれだけ分かって?」

 

 そう言うと、リンドウはソヨに耳打ちをした。それは酷く真剣な声色で。そして……酷く深刻な内容で。

 

「………………ぇ」

「急ぎなさい、ソヨ。それともリンドウが嘘を吐いているとでも証明してみる?」

「……っ!」

 

 それからすぐに、応接室の扉は勢いよく放たれた。ただ一体残されたリンドウは扉の先……オドの廊下を駆けてゆくソヨの背中をただ見送る。

 

「あぁ」

 

紫のその長い髪を掻き分けて、彼女はこう呟いたのだった。

 

 

「本当に……………胸糞悪いわね。何もかも」

 

 



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失望と嫉妬

 

 

 サユキとアサギが(ころ)された。ほんの十数分前には会話を交わしていたくせに、今やもう世界から失せきった。

 

 その光景は目の前で起きたはずなのに、実感はあまりにも遠かった。現実を受け容れられない心が、現実への理解の邪魔をする。 ……夢でも見ていたのではなかろうか? 実はサユキもアサギも無事なのではなかろうか? 真っ暗闇の中に見えたその糸を、シヅキは引っ張ろうとした。

 

 ――しかし、そんな現実逃避すら叶わない。

 

「シヅっち〜ずっと黙りこくってるけど、どしたんすか? それとも、喋ることすらままならないすかねぇアハハ」

 

 カラカラと、あまりにも軽すぎる笑い声がシヅキの耳を撫でた。地に伏せ、泥まみれとなった顔を持ち上げると、そこには下卑た表情を浮かべたホロウが一体。

 

「………………エイガ」

「あーそうそうそう。喋ってくれねーとこちとら暇なんすよね。待機ってあんま柄じゃあねーんすよ」

「…………」

「おっっと。そんな睨まないでくださいよ〜怖いっすよ〜? シヅっち」

「お前……お前、何をやったのか分かってんのかよ」

「んあ?」

「…………サユキと、アサギを(ころ)した」

「ああそっすね。(ころ)したすよ? コレで」

 

 そう言ったアサギの右手には、2本の短剣が滲むように生成された。柄の部分が異様に曲がっており、刃先が普通のものより尖っている歪な短剣だ。

 

「コレ対ホロウの短剣なんすよ。ホロウを流れる魔素は魔人のものより動的なんで、首元に小さな穴開けるだけでもけっこーな魔素が流れ出るんすよね」

「……」

「シヅっち、聞いてます?」

「……なぜ俺の事は(ころ)さない?」

「は?」

 

 シヅキはその眼を改めてエイガへと向けた。生気も気力もない、あまりにも虚な眼で。

 それに対して、エイガは眉間に皺を寄せつつ答えた。

 

「命令っすよ。めーれー。お前を(ころ)さない理由なんてそれ以外にはなんもねっすよ」

「命令…………お前が……お前の意志でやったんじゃないのか」

「そっすね」

「お前の感情でも、お前自身の事情でもなく……言われたから(ころ)したのかよ」

「さっきからなんすか? ホロウを(ころ)すことに理由を求めるんすか。ホロウの価値なんてたかが知れているのに」

「ホロウの……価値…………」

 

 反芻(はんすう)したエイガの言葉が自身の中で何度も反響した。

 

 ホロウの価値。確かにそれはあって無いようなものだ。 ……シヅキだって、そう思う。そうやって思おうとする。

 

 しかし実際にはそんなことはなくて。少なくともサユキとアサギは……あいつらは大事なホロウだった。もし彼らの存在を助けられるのなら、シヅキは何も迷うことなく肩代わりだって何だって出来た。

 

(なのに……現実は……)

 

 滞りなく襲ってきたのは耐え難き後悔の念だった。もっと上手くやれたなら、あいつらが無事だった可能性はある。それがどうだろう? 末路は孤独だ。たった一体残された。まんまと一体……残された。

 

 ………………

 

 ………………

 

 ………………………………。

 

「……(ころ)せよ」

 

 口元から滑り落ちるように、そんな言葉が流れ出た。

 

「あ? 何言ってんすか?」

(ころ)せ。俺を……(ころ)せ」

 

 自己を否定する感情が、自己を否定する言葉が沸き出て止まなかった。自分が今ここに居る理由が解せなくて止まなかった。自己を強く見せるための態度だって、自己を守るための理性だって…………そんなものは忘れてしまっていた。

 

だからシヅキは縋った。救いの無い絶望に縋ったのだ。

 

 

「俺はもう………………耐えられない」

 

 

 閉じ切った喉の、その隙間から声が漏れ出た。それは心の底からの、シヅキの願いに相違なかった。

 

 それから間もなくして。

 

「あぁ……良いっすよ。顔を上げてくだせーよ」

 

 上から降り注いだのは、ある種の救いの声だとシヅキは思った。だからこそ、彼はただ愚直にその顔を見上げたのだ。

 

瞬間、ガクンと首が折れて景色が歪む。

 

「はァ。マジでお前のこと嫌いっすわ」

 

身体が宙吊りにされているとすぐに気がついた。どうやら襟元を掴まれているらしい。その肉薄する距離感にはエイガの顔が。失望と苛立ちに塗れた……そんな顔だ。

 

「オレの感情に従っていいのなら、迷いなくその首に穴開けてんすよ。それくらいお前のこと、ぶっ(ころ)してやりてぇ。 ……そーゆう訳にはいかねぇけどさ!」

 

 ドスッ

 

「ガッ!」

 

 内臓が押し潰される感覚が走る。腹を殴られたのだ。

 

 エイガはソレを何度も何度も繰り返す。

 

「お前見てるとさぁ! 鏡見てるみてぇなんすよ! “コア”を持ってるか持ってねぇか! オレとお前の違いなんてたったそれだけじゃあねぇすか!」

「ぐ………あァ゛………………」

 

意識の遠のきを感じる。

 

「そのくせにお前は気に入られ、オレぁほっとかれ上等! アァ! 嫉妬で狂っちまいそうだァ!」

 

 硬く、冷たい地面に叩きつけられたシヅキ。その眼先に鋭く尖った銀色が鈍く輝いていた。 ……濃密な魔素が鼻をついた。それが誰のモノだったかなんて考えるまでも無い。

 

「あァくそっ……! (ころ)してぇ(ころ)してぇ(ころ)してぇ…………ぶっ(ころ)してやりてぇ…………!」

 

 頭上に写るエイガの表情は、さっきまでとは打って変わって随分と痛々しいものだった。ナニカに苦しんでいるようにすら見える。それこそ(ころ)されかけのサユキを眼にした時のアサギのように。

 

「…………………エイガ、お前――」

 

 

「ガァ! アアアアアアアアアアアアアアア!!!」

 

 

 瞬間、酷く聞き苦しい悲鳴が上がった。シヅキか? ……否。

 

両手で頭を抱えたエイガが地面に倒れ込んだのだ。その脚を振り回し、身体を痙攣させ、地面を這いずり回る。

 

 シヅキには訳が分からなかった。

 

「な、なにが……」

「シヅキ!」

「……え」

 

 

 

 

 ――眼の端に白銀が揺れ動いた。

 

 

 

 

 



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存在理由

 

 

 白銀が靡く。琥珀が走る。彼女が現る。

 

 シヅキの口からその名前が漏れた。

 

「トウ、カ」

 

 すっぽりと白の外套に身を包んだホロウ、トウカ。彼女はちょうど“結界”のある方向から駆けてきた。その表情は焦燥と緊張と辛苦に塗れている。おまけにやけに魔素臭い。泥だらけの外套に魔素がべっとりと付着している。

 

 それだけで何があったのかを悟るには十分だった。

 

 地面に横たわるシヅキの元へと駆け寄ったトウカは、彼の肩を大きく揺らした。

 

「シヅキ立てる? 怪我は…………内臓か」

「…………」

「肩を貸すから。立って。今のうちに離れよ?」

「…………」

「結界の方をヒソラ先生が足止めしてくれてる、から。きっとあっちの方が、安全」

「……いや」

 

 シヅキは小さく首を振った。そして、肩の下に回されていたトウカの腕を振り払ったのだ。

 

「俺はここでいい。逃げることなんて、出来ない」

「……一旦引こ? 今必要なのは情報の共有と体力の回復で――」

「俺は! 俺は……逃げてまで……()きようと思えない」

 

 頭を激しく抱えたシヅキは、まともにトウカの表情を見ることが出来なかった。瞳を瞑り、無理くりに造り出した暗闇の中に思い浮かんだのは彼らの表情だった。柔和な微笑みを浮かべる……彼ら。

 

「もう……放っておいてくれよ」

 

 そう言って、縮こまった彼の背中を小さな手が触れる。それは頼りないほどに小さな手だった。

 

「シヅキ、ダメだよ」

「無理だ」

「ダメだって」

「俺は……逃げねえよ。ちゃんとあいつらに向き合わねえとせめてそうすることが! 俺にできる精一杯の罪滅ぼしで……」

「逃げないでよ。シヅキ」

「……え」

 

 冷たい雫に歪む視界を持ち上げたシヅキ。気が遠くなるほどの闇空が彼方に見える光景で、ソレに決して呑まれない真っ白なトウカがそこには立っていた。

 

 彼女は一時も眼を逸らすことなく、言葉を突きつける。

 

「自分に価値を見出せず、だからせめて犯した罪を償いたくて、自らの存在を終えようとしているの、だよね。すごく、綺麗な考え方だと思う。とても健気で、可哀想で、まさしく悲劇の体現。 ……でも私は、ソレを許さない」

 

 その琥珀がシヅキを刺す。

 

「シヅキがやろうとしているソレは“逃げ”、だよ。シヅキはね? 自分が傷をつけられることで()()()()()()()()()()()、自分を正当化したいんだ。世界を抜け出して、逃げようとしているの」

「……そんなこと! お前に分かる筈が――」

「分かる、よ。私だって自分のエゴのために、何体もホロウを(ころ)しているんだから」

 

 そう言ったトウカは引き攣った笑みを浮かべた。 ……大いに影のあるその笑顔は、初めて見る彼女の表情だった。

 

「ねぇシヅキ。自分が存在する理由、分からない? 自分の存在証明、出来ない?」

 

 トウカがシヅキの両手を握りこむ。

 

「私が同族を(ころ)せるのは、倫理観とか、道徳が欠けているからじゃないよ? 心が強いからでもない。 ……たとえ同族を(ころ)してでも叶えたいコトがある、から」

「…………世界に生命(いのち)を取り戻す……」

「昔、生きている頃の花の映像を見たことがあるの。白くて、小さくて、弱々しい花だった。でも、すごく綺麗だったの。眼に焼き付いて、一時も離れない……一目惚れだった。私はね? きっとその花を見るために存在しているんだって、そう思えたの。だからね――」

 

 トウカが両手に力を込めると、シヅキの身体は簡単に起き上がってしまった。それは大の男を持ち上げるほどの力が働いたからではない。それでもシヅキは呆気なく立ち上がったのだ。

 

 トウカはその小さな口を開く。

 

「シヅキも一度考えてみよ? どれだけ自他を傷つけても、それでも構わないと思えるモノを……似非人間(ホロウ)は見つける必要があるんだよ」

「自他を……傷つけてでも…………」

「うん。 ――ちょうど彼のように」

 

 トウカが(おもむろ)に首を動かす。釣られてシヅキもその視線を向けた。そこには木の幹に身体を擦り付けながら立ち上がる男の姿があった。

 

 赤毛の男は肩で荒い呼吸をしつつ、こちらを睨め回す。

 

「ハハ! そいつに! 何言ったって無駄……すよ。はァ……はァ…………コアがそう簡単に見つかるはずねェ」

「よく、立てるね」

「バカ言えよ……こんなところでくたばれる訳ねェっすわ」

 

 そう言いつつエイガは「ヒヒッ」と引き笑いを浮かべた。見ると、彼の指は木の幹にめり込んでいる。

 

「オレの中の魔素が……狂ったかのように暴れ出した。過度な魔素中毒の症状っすね」

「……ありったけを使ったんだけどな」

「ハハハ! ただ大人しいだけの抽出型にしか見えなかったすけど、やることエグいすわ! ……ありゃあ“煤魔法(すすまほう)”っすよね」

「うん。心を、壊す魔法。」

 

 そう呟くように言ったトウカの懐からカランと空き瓶が転がった。

 

「もう弾ねえすよね? 外套で残数を誤魔化しているつもりかも知んねーすけど、挙動と服の皺の形で丸わかりっすわ」

 

 エイガの両手に再び短剣が握られた。柄が歪に曲がり、刃先が異様に細い短剣……サユキとアサギを消した剣。

 

「トウカっち……あんたは処分対象なんすよね。オレが手を出す筈じゃあ無かったんすけど、まぁいっすわ。喉掻っ切るんで」

 

 その刃先がトウカの方向を捉えた。それは燻んだ銀の光を放っている。

 

「私を、(ころ)せるの?」

「そりゃあアレすか? じんどーとかそういう類の話すかね? ……ええ、(ころ)せるっすよ。あんたを(ころ)したって伝えりゃあ、きっとオレは褒めてもらえる…………クク…………ヒヒ!」

「……そっか。君にはちゃんと存在する理由があるんだね」

 

 ふう、とトウカは小さく溜息を吐いた。そしてシヅキの袖をギュッと握ったのだ。

 

 彼女は一呼吸を置いてからこのように言った。

 

「ねぇシヅキ。一つお願いがあるの」

「トウカ……手が…………」

「うん。怖いから、ね。……だから、助けて欲しいなって」

「助ける…………?」

「そう、だよ。さっき切り札も使い果たしちゃったの。だから私……このままだと(ころ)されちゃう」

 

 “(ころ)される”。その言葉が聞こえた瞬間、シヅキは意識が引っ張られる感覚に襲われた。現実へと引き戻されるような感覚…………。

 

「ねぇ、シヅキ。君は、私のことも見消(みごろ)しにする?」

「…………っ!」

 

 次の瞬間、鈍く光る短剣がトウカの首元を目掛けて振るわれた。

 

 

 ズシュ

 

 

 

 

 

 

 



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希う者

 

 初めに感じたのは熱さ、遅れて痛み。しかし耐えられないものではなかった。むしろそれは、醒めさせた。

 

「――っ!!!」

 

 腕に走ったソレを物ともせず、左脚を軸とした回し蹴りを腹部辺りに叩き込んだ。それと同時に、エイガの身体は体勢を崩しながら背後へと飛んだのだ。

 

 派手に吹っ飛んだエイガはその身体を激しく痙攣させる。震えを隠すことなく、ふらつきながらその身体を起き上がらせた。

 

 口元を歪ませるようにして、彼は嗤う。

 

「シヅっちぃ……お前動けたんすね。ペテンの素質あるすよ? ぜーんぜん気づかなかった」

「…………」

 

 軽薄で、挑発めいたエイガの言葉。シヅキは何も返事をすることなく、ただその左手で闇空を撫でた。背後にはトウカの影が。

 

「シヅキ……」

「こいつを、片付ける。その後少し話をしよう」

 

 背後を振り返ることは無かった。ただ精神を落ち着け、指先に意識を流す。間もなくしていつもの大鎌が握られた。

 

「……俺は二体居るのか? 先ほどまでとは随分と心が変わった。そんな感覚に陥る」

「あ? 何言ってんすか? 全然分かんねーんすけど」

「すまない。思考を言語化したんだ。声に出してよく分かったが、めんどくせぇ邪推が頭ん中を走ってやがるんだ……これは、シヅキだ」 

 

 大鎌を振り上げる。闇空を穿つように。まるでそこに穴を開けるかのように。

 

 それを見たエイガの眉間に濃い皺が寄った。

 

「だっる。コア持ったんすかね……いや、まだ前兆だ」

 

 大きく溜息を吐いたエイガ。彼の短剣が指したのはシヅキ…………ではなく。

 

「……っ! シヅキ!」

 

 トウカが悲鳴混じりに叫んだ。鈍色の短剣が彼女めがけて飛んできたのだ。

 

 ジッッッ

 

 それを大鎌は確かに捉えた。遅れてやって来たシヅキの身体が、エイガからトウカへの射線を遮る。

 

 黒の外套がふわりと舞う。シヅキは背後のトウカへ向けて言葉を紡いだ。

 

「トウカは下がっていてくれ。俺が位置を認識できる範囲で、あとは遮蔽物の裏だ」

「大丈夫、そう……?」

「エイガに手出しはさせねえよ。 ……それに、今の俺なら()()()()()()()()()

「……そっか。じゃあ、また後で」

 

 どこか寂しげな口調で述べたトウカ。真後ろから藪をかき分ける音が聞こえてくる。それを確認したシヅキは一つ息を吐いた。真正面からはカラカラと嗤い声が聞こえてくる。

 

「シヅっちさ〜その女のこと庇うんすね。 ……知ってます? そいつ、中央区に居た頃はアークに属するホロウを何体も(ころ)した過去があんすよ。なんでも虚ノ黎明を探しているんだとか。いーんすかねぇ! そんなゴミを庇っちまって!」

「それならお前もゴミだろ。同じゴミなら、俺は眩しい方がいいよ」

 

 そう言い放ったシヅキの身体が宙を舞う。軽やかに身を動かし、エイガとの距離を詰めてゆく。

 

「クソがよッッッ!!!」

 

 エイガはシヅキへと応戦する。両手に握られた短剣の刃をシヅキの体躯へと向けた。

 

「――――ガァ!!!」

 

 間も無くして迫りきったどす黒い大鎌に、エイガは短剣の刃先を滑らせた。それらが鍔迫り合うことはない。エイガはその身を懸命に低く保ち、大鎌の軌道方向にその身体を転がしたのだ。

 

 地面を這うように移動したエイガは、肩で荒く呼吸をしつつ、よろよろと立ち上がる。

 

「ハァ……ハァ…………あぁ゛!!!」

「エイガ、お前は『ドゥ』と鳴く魔人に心当たりがあるだろう」

「あ? ……………なんの……コトすかねえ」

「一度剣に触れて分かったよ。差異はあるが、あの複製された魔人の源泉はお前だろう?」

「お前が知る必要は……っ! ねーんすよ!!!」

 

 次に仕掛けてきたのはエイガだった。シヅキの懐に飛び込まんと、その体勢を低く保ち二本の短剣を間髪入れず振るう。しかしシヅキはそれをいとも簡単に()なしてゆく。軌道も距離も、加えられる力も……シヅキは既にそれを知っていたのだから。

 

 刃が接触をする度に甲高い金属音が響く。その合間に聞こえてくるのは、すっかりと酸欠となったエイガの呼吸で、それは聞くに耐えないものだった。

 

「クソッ……クソが! なんで斬り裂けねエんすか!」

「もっと狡猾に、意地汚く、不意を突いてこいよ。俺に見透かされるな」

「お前がァ! その言葉を語るなァ!!!」

 

 見ると、エイガの身体の痙攣はより激しくなっていた。なぜ今だにそこに立てているのか不思議なほどに。

 

 すっかりと擦り切れた短剣を手に、エイガはやはり刃を振るう。振るう。振るう。それが数十回と続いた。

 

 しかしついに捉えることすら出来なくなってしまった。短剣は虚しく空を斬り、斬り続けた後にエイガは倒れ込んだ。

 

コヒュウ、コヒュウと弱々しい呼吸音が聞こえてくる。シヅキは大の字となったエイガの手を取ると、ギュッと握り込んだのだった。

 

「トウカは心を壊す魔法、と言っていたか。既にボロボロじゃねえか」

「っる……………せぇ……………………」

「いけしゃあしゃあとしていたのも全て演技か。お前はずっと俺たちのことを欺いていたのだものな」

「シヅっちだって……すっかりとベツモノじゃあねえすか……………」

「なぜ、だろうな。ただトウカが(ころ)されるって考えたらよ、誰かを傷つけたくないって気持ちが()えたんだ。 ……いや、()えた訳じゃねえか。俺にとってはトウカが(ころ)される方がずっと辛かっただけの話か」

 

 シヅキが困惑気味に答えると、エイガは頬を緩ませ笑った。

 

「……ああ、やっぱりオレと一緒っすわ」

「一緒だと?」

「オレの存在はオレん中にはねーんすよ。オレの価値も、意志も、未来も…………一体のホロウのために全て委ね尽くしてるんすわ」

「…………そうかよ」

 

 シヅキは(おもむろ)に右手を振り上げた。その手に握られた大鎌は、一つの躊躇いもなくエイガに向けられる。

 

(ころ)せるんすか? オレを消したら、お前は文句なしの同族消(ホロウごろ)しだ」

「ああ。今の俺なら()()()

「そうすか…………知ってっすかね? その原因はコアすよ」

「コア?」

「闇と絶望に満ちた世界で、ホロウが縋る唯一の希望」

「へぇ、そりゃあいいな」

 

 真っ黒の外套を深く被ったシヅキは大鎌を振り下ろした。その刃先がエイガの首筋寸前で止まる。

 

「最期に言い残すことは?」

「あ? んすかそれ……………………なら『お身体には気をつけて』と伝えてくだせえよ」

「ああ。承った」

 

 シヅキは静かに返事をした後に、静かに大鎌を振り切った。

 

 

 

 ――赤毛が揺れる。揺れる。そこに軽薄な表情はなかった。悲しみも、怒りもなかった。その表情は後悔でもなければ、諦めでもない。強いて言うのであれば…………(こいねが)う者の末路だった。

 

 

 

 魔素が舞う。暗闇の空を渡る。そこに終着点はあるのだろうか。その答えを誰も知らない。

 

「………………」

 

 シヅキはその光景を無言で眺めていた。しばらく眺めた後に、徐に手を持ち上げる。するりと大鎌が地面へと落ち、カランと乾いた音を立てた。

 

「肉と、骨と、魂を斬った。俺の意志がそう決めてやった。 …………ホロウを、(ころ)した」

 

 彼の頬を何滴もの雫が伝った。嗚咽が漏れて止まなかった。身体が震えて止まなかった。

 

「シヅキ、ありがとう。 ……辛いね」

 

 その縮こまった背中を、トウカは優しく包み込むのだった。



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大丈夫ではないけれど

 

 ホロウを(ころ)した。自らの意思で(ころ)した。

 

 その事実は時間が経っても変わることはなくて。断ち切った肉と、骨と、魂の感触だって()えることはない。たった大鎌を振り抜く1秒にも満たない時間は、エイガが存在していた6億秒余りの果てしない積み重ねを簡単に奪い取ったのだ。6億秒……約20年という月日の秒換算…………。

 

 罪悪が心を渦巻く。サユキとアサギを見消しにした時の比ではなかった。襲われる自身の存在の否定感情、これ以上ない自虐心の発露、自尊を少なからず支えていた理性の決壊…………言語化の仕様が無い絶望の連鎖。  ――なぜ俺はのうのうと(いきてい)るのだろうか? その問いに対する答えなんて。何をすれば解放されるかなんて。そんなことは分かりきっていた。

 

 

 分かりきって、いたのだが。

 

 

 ………………。

 

 

 シヅキは(おもむろ)にその視線を落とした。大鎌の柄を持つ右手……そこに絡められているのはトウカの両腕だ。

 

「トウカ」

「うん」

「もう平気だ。離してくれよ」

「うん……やだ」

「やだ、って何だよ」

「離したらシヅキ、自分のことを斬らないのか、怖いから」

「ハァ……斬らねーよ。第一、お前が加えてる力で俺を抑えられているつもりか? その気になりゃあどうだって引き剥がせんだよ」

「なら、そうしたらいい、じゃん」

「…………」

 

 シヅキは返事をすることなく、その視線を今度は頭上へと向けた。穴が開くほどに、でも決して開くことはない闇空が広がっている。冷たい空だ。今のシヅキとは正反対に。

 

 腕の中にトウカの熱を感じる。彼女の体温は少し高いからよく感じられる。温かい、暖かいのだ。それが…………その熱が、今のシヅキにとってどれほどの救いとなっているのだろうか? そんな問いに対する答えから眼を逸らした。今は考えるべきではないのだ。考えてしまったらそれは、サユキ、アサギ、そしてエイガのことを忘れてしまいそうになってしまうから。

 

 だからシヅキは本音を隠し、荒い言葉遣い(いつもの取り繕い)にてトウカに相対する。

 

「ああ、そうさせてもらう」

 

 溜息混じりに零したシヅキは自由に動く左手を首横まで持ち上げて見せた。首横……改めトウカの額。

 

「え? ――だっ!」

 

 パチンという乾いた音とトウカの短い悲鳴は、ノイズの無い小空間の空気を小さく震わせた。

 

「な、何で……な、ん、で?」

「お前が腕を引き剥がせっつったんだろ」

「引き剥がせ、とは! 言ってないし!」

 

 赤くなった額を押さえつつフラフラと立ち上がったトウカは、ジトっとした細い眼をこちらに向ける。

 

「後でソヨさんに言う、から。クビにしてもらお」

「ハッ、無茶言うなよ。それに……アークにはもう俺の居場所なんてねーだろ」

「それは…………」

「勘違いすんな。今のは自虐でも悲観でもなくて単なる事実だ。身の振り方は()()()()()()()()考えるさ」

 

 土埃(つちぼこり)を払いながら、シヅキは立ち上がった。しばらく地面に倒れ込んでいたせいだろうか?足がジンジンと痺れている。エイガに何度も殴られた腹部だって、回復しつつあるがまだ痛む。全快とは言えない状況だ。

 

(でも、まだ戦える)

 

 魔素がこびり付いた大鎌に眼を向ける。よくもまあ、これほど首を刈りやすい形状をしているものだ。この大鎌はシヅキの具体的なイメージが生成したものではなかった。かつて人間が使っていた鎌の形状を、漠然とイメージして造ったものに過ぎない。それから後は勝手に造られた。誰が造ったか? ……ホロウを形成する魔素が人間の心である以上、人間の記憶が補完したのだろう。

 

「……今はそんなこと、どうでもいいか」

「ん? 何か、言った?」

「なんでもね。見ての通り俺はもう平気だ。 ……いや、()()()()()()()()()。行くんだろ? “結界前”に」

 

 真面目なトーンでシヅキが尋ねると、トウカは額を押さえていた両手を降ろした。その琥珀の瞳がシヅキを貫かんと捉えた。そして、大きく頷いたのだ。

 

「ヒソラ先生が“結界”前に居る、と思う。私はね? 隙を突いてここまで来たの。シヅキを助けるために」

「そうか」

「大丈夫、では無いよね」

「お前の言う“大丈夫”の定義は知らねーけどよ。この鎌は振るえるさ……たとえ、誰が相手でも振るうよ」

「何かあったら、また私が傍にいるから。決して一体だとは思わないで」

「ああ」

 

 シヅキの返事を皮切りに、トウカは歩き出した。シヅキはその背中を一歩離れて追いかける。ちょうど港町に“デート”をしに行った帰り道のように。でも、今度はちゃんと“トウカ”のことを知っていた。知ることが、出来ていた。

 

 その彼女は小さく息を吐き、言葉を紡ぐ。

 

「今ままで、色んなことが曖昧になっていたけれど、きっとそれもすぐに分かるよ。私たちは、真実に立ち向かうの。立ち向かわないと、犠牲になった彼らは無駄になる」

「……ああ」

 

 忘れたわけじゃない。忘れるわけがない。ただ、悲観を彷徨(さまよ)うのは今ではない。時間が落ち着いた時に、精一杯の(とむら)いを上げよう。

 

(その為にも、俺はまだ()きてやる)

 

 

 左右にふわりと揺らぐ白銀の髪を捉えつつ、シヅキは確かに歩みを進めた。

 

 

 



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鎖と真実

 

「やぁシヅキくん、トウカちゃん。2体とも無事みたいで良かったよ。君たちが1番の懸念だったんだ。まだ少しだけ役者が足りないけれど、あの子もすぐに来るだろうし。 ……あぁそうだ。肉体も精神もたくさんすり減ったろう? 少しだけでも腰を落ち着けたらどうかな?」

 

 シヅキとトウカが“結界”前へと辿り着くやいなや、ヒソラは(まく)し立てるように言った。いつものように(ほが)らかな笑みを浮かべており、魔素で塗れたぶかぶかの白衣以外は普段と相違ない状態だ。

 

 シヅキはその光景を前にして、すぐにトウカを下がらせた。1歩、2歩、3歩。その足音を確かに確認した後に右手を前に突きだす。間もなくして大鎌が生成された。

 

 刃先をヒソラの方向へと突き立てる。

 

「急だねシヅキくん。そんな呆気なく武装を始められると少し怖いな。ほら、解読型なんてのは原則的に戦闘を行わないからね。こういうシチュエーションにボクは慣れていないんだ。 ……あぁ、ところでさ」

 

 ヒソラは(おもむろ)に自身の左手を持ち上げると、自身の真後ろを指差してみせた。

 

「シヅキくんが突き立てたその大鎌って、ボクのことを狙ったもの? それとも、こいつらのことかな?」

「…………」

 

 シヅキは返事をすることなく、ただその光景を見上げた。 ……複数の赤黒い鎖で繋がれた彼らの光景を。

 

 “結界”を中心とした少し開けた空間に、見覚えのない不自然なオブジェクトが立っていた。地面を穿ち生える赤黒に塗りたくられた5本の鎖。そのどれもがアサギの腕回りほどの太さを誇っていた。鎖は闇空へと向かって重苦しく伸びており、最後には、1つの頂点に集結されているものであった。

 

 しかし、鎖が頂点に結ばれる過程……そこには2体のホロウが巻取られていた。鎖は彼らの両腕と片脚をキツくキツく拘束しており、酷く痛々しい。普段のシヅキであれば簡単に眼を逸らせてしまえただろう。今日に限っては、そういう訳にもいかない訳だが。眼の前に広がるコレは、確固たる真実なのだから。

 

「…………」

 

 一つ息を吐き、口内の唾液を飲み込んだ。大鎌の柄を持ち直し、ゆっくりと瞬きを。

 

 そうしてシヅキは、鎖に繋がれた2体のホロウの名前を口にした。

 

 

「ソウマ……コクヨ、さん」

 

 

 切れ長の眼と縁の細いメガネが印象的な男性ホロウ、ソウマ。ホロウを“型”ごとに徹底的に差別していた男だ。この調査団なるものにおいて指示()を果たしていた。

 

 そしてもう一体が……コクヨ。闇空よりも漆黒の長髪と、右眼に装着されている眼帯が、確かに彼女であるとシヅキに教えてくれた。ただ一つ、異なる点があるとするならば腰に差されている刀が1本足りていない。

 

「ソウマの杖とコクヨの刀は事前に回収しているよ。万が一に備えてね」

 

 そんなヒソラの声にシヅキは目線を落とす。 ……確かに、彼のすぐ真横にはそれらしき棒状のモノが2本、横たえられていた。

 

「コレは……この惨状はお前がやったんだな、ヒソラ」

「うんそうだよ。ボク一人でやった。そう認めたら、君はどうするつもりだい?」

「…………」

 

 シヅキが答えることなく沈黙をしていると、彼の外套がクイと引かれた。

 

「シ、シヅキ! ヒソラ先生は――」

「わーってる。 ……分かってるよ」

 

 掴んだトウカの手を優しく払ったシヅキは再びヒソラに向き直る。

 

「ヒソラはトウカを逃してくれたんだろう? それにその鎖は初めて見たが、臭いは知っている。すげえな。煤魔法ってのは鎖を造ることだって出来るのか」

「トウカちゃんが煤を分けてくれてね。事前にトウカちゃんの記録(きおく)から煤魔法の存在について知っていたから、後は簡単だったよ」

「……サラッとエグいことを言う」

「ははは、同族を(ころ)す選択を取るホロウには言われたくないけどね。 ……さて、と」

 

 ヒソラはパチンと手を鳴らした後、地面に生える鎖の一本に近づくと、それをギュッと握ってみせた。

 

「今のボク達に必要な行為……それは情報の共有だ。肩の力を抜いてなんて言いたいところだけれど、実際問題そういう訳にもいかないからね。手短に済ませよう」

 

 そう言いつつ丸みを帯び、くりくりとした瞳をシヅキ達へと向けたヒソラ。それは柔和な眼つきではあるが、奥底に光はなかった。

 

 

 ヒソラはやはり、淡々と語る。

 

 

「まずは結論から。ソウマとコクヨ、こいつらは何百という単位のホロウを(ころ)す計画を企ている。それは長い月日をかけて既に実行されているんだよ。この調査団なるものも…………選別された消去対象のホロウを、秘密裏に(ころ)すための偽装工作として結成されたんだ」

 



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全てが繋がっているとしたら

 

 ――コクヨには大量のホロウを(ころ)す計画がある。確かにヒソラはそう言った。

 

「…………」

 

 はァ、とシヅキは大きく溜息を吐く。その細い眼が捉えるのは、微風に揺れる白衣とそれを纏うヒソラであった。

 

「君にとっては衝撃がすぎるかい、シヅキ。君が大きく恩を感じ、頼りにしていた背中とはどうしようもないほどに汚れていた訳だけれど」

「……エイガ。あいつが(した)っていたホロウがコクヨさんだということは分かっていた。あいつは名前を出さなかったけどよ、そんくらい馬鹿(おれ)でも気付ける」

「そうかい」

「だからよ、だから……コクヨさんに恩を感じているのは確かで。今でもその気持ちを拭うことは叶わねえけどよ……コクヨさんが調査団を危険に追いやったことは、飲み込めちまう」

 

 自身の腕が震えていることに気がついた。止めようにも止められない震え……コクヨと手合わせをした時に感じた震え。痛みよりも辛いソレは、奥歯を噛み締めることなんかではどうにもならないものではあるが、何もしないよりはマシだった。

 

 しばらくその震えの中に浸った後に、シヅキは重苦しく口を開いた。

 

「ただよ」

 

 伏せ気味であった眼を再び持ち上げる。

 

「ただ……“そのこと”と“何百ものホロウを(ころ)す計画”があるってことは、繋がらねえだろ。飛躍っつーか……根拠はあんのかよ。だってそんな規模のホロウを(ころ)すなんて! そりゃあまるで“虚ノ黎明”みたいで――」

「察しがいいね、シヅキ」

「……え?」

 

 シヅキよりも先に困惑の声を漏らしたのはトウカだった。反射的に彼女の方へと視線を向ける。見開かれた琥珀の瞳に、曖昧な輪郭をしたヒソラが写っていた。

 

 彼は何も躊躇をすることなく、つらつらと語る。

 

「“虚ノ黎明”は有名だよね。度々にアークに属するホロウを狙い、今まで何百体も(ころ)してきた危険な集団だ。しかしその存在は闇に包まれているわけで。規模も、やり方も、誰であるのかも……それは全て謎だ。今となっては、本当にそんな集団が存在するのか、と疑いを向けられる対象と成り果てている。 ――でも、虚ノ黎明は確かに存在する。ちょうどボクの真後ろにね」

「おい……ソウマと、コクヨさんが虚ノ黎明だと?」

「正確には()()()()()()()()()さ。元来はもっと別モノなのでしょ? トウカちゃん」

 

 ヒソラの問いに対してトウカは何も言うことなく、ただ首をコクリと振った。

 

 

 『嘘じゃない! それに……虚ノ黎明は犯罪集団でもない、よ! 彼らは私と同じで、生命を取り戻す方法を探している……だから!』

 

 

 ……シヅキの中に思い出されたのは、いつかのトウカの言葉だった。虚ノ黎明……元来は、生命を取り戻すことを目的とした集団であり、しかしその名前が罪をなすりつけるために利用されているとトウカは語っていた。

 

(トウカのあの話は本当のことだったのか? ……いや、今はそうじゃあねえだろ)

 

 突きつけられる事実の規模が大きすぎて、整理がつかない。ヒソラの言葉を聞けば聞くほどに、シヅキは自身の中のナニカを消費している気分になってならなかった。何も考えず、知らず、全てから逃げてしまいたい……そんな気持ちに襲われる。

 

 しかし実際にそうする訳にはいかなかった。 ……逃げた先の末路なんて、碌なものでないことをシヅキは嫌というほど知っていた。それにシヅキは決心をしていたのだ。真実を知るという決心を。

 

「…………」

 

 口内に溜まりきった唾液を飲み込んだ。たじろぐ脚を無理やりに動かし、ヒソラの前に対峙する。

 

「……何故そう思ったヒソラ。コクヨさんが、語ったのか?」

「いいや。コクヨは自身のことを語らないよ。強く促さない限り、あいつはそんな真似を絶対にしないからね」

「ならそれは、憶測だと?」

「いいや」

 

 (かぶり)を振るヒソラ。彼のくりくりとした大きな瞳が捉えたのは、シヅキではなく……トウカだった。

 

「ボクがその結論に至ったきっかけ。それはトウカちゃんの存在が大きかった。君が真実をもたらせたといっていい」

「……私の、記録を覗き見た、からですか?」

「それもあるけれどね。君が辺境区にやって来てからというもの様々な不可解が起こった」

 

 そう言うと、ヒソラは華奢な手から細い指を順々に伸ばしていった。

 

「“ドゥ”という鳴き声が印象的な魔人、漆黒の花を咲かせる“絶望”、棺の滝でシヅキが発見した煤描きの奇妙な模様、いつからそうなっていたのか正体不明なノイズの渦。 ……トウカちゃんが辺境区にやって来てからの短期間で、これだけの出来事が起きたよ。 ……ところでこの一連の出来事ってさ。全て独立した事象だと思う?」

「どういう意味だよ」

「コクヨにとって色々と都合いいんじゃないかなと思わないかい?」

「…………は?」

 

「もし()()()()()()()()()()()()()()()()? “ドゥ”と鳴く魔人にも、“絶望”にも他の魔人とは異なり、意志めいたものは感じなかったかい? 前者がトウカちゃんを(ころ)すために差し向けた刺客だとすれば? 後者がシヅキの信頼獲得を主目的とした存在で、薄明の丘で起きた出来事の全てが()()()()()()()()()()()()()()()()()? そういえば棺の滝って、コクヨの大隊が“絶望”に襲われた場所だよね? なんで魔法を起こすための煤が、岩壁に塗りたくられていたのだろう。 そして……ノイズの渦は、ノイズの渦が無ければ、調査団なんて結成されなかった訳だよね」

 

 自身の脳内を全て語り尽くすように、言葉を重ね続けたヒソラ。その時の彼の表情を、シヅキは見たことがなかった。表では、シヅキの前では決して見せやしなかった…………愁いと、苦しさと、怒り。絵具のように混ざり合って、完成したどす黒さ。

 

 ソレを前にして、シヅキごときが言葉を紡ぐことなど出来るはずがなかった。

 

 「シヅキくん、トウカちゃん。全て繋がっているんだ。コクヨの心の底が何を求めあぐねているのか、知ったこっちゃないけどさ…………あいつは、あいつらはボクの信念を…………“多くのホロウの存在を繋ぐこと”を踏みにじったのさ。胸糞悪いったらありゃしないよ」

 



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淘汰

 

「ククク……ふふ……ヒッ……ヒ……」

 

 どこからともなくではなかった。頭上から、確かに頭上からその声は落ちてきた。

 

「ヒソラ、お前の体格は随分と小さい。小さいにも関わらず、その内部に在る思考の広さは誰をも寄せつけないな」

「コクヨ……起きていたんだね」

 

 ヒソラの声のトーンが明らかに落ちた。ただでさえ普段の声色より様変わりしていたものであったが、もはや原型を止めていない。目の前のホロウは本当にヒソラなのだろうか? ……ヒソラなのだろう。

 

 であるならば、鎖に繋がれた彼女もまた紛れなくコクヨだ。彼女は僅かに首を動かし自身の身体を一瞥した後、喉の奥で不気味に笑った。

 

「直前の記録(きおく)が酷く曖昧だ。この鎖は少々苦しいな」

「心を壊す魔法だよ。人間の心を壊す……それイコール、似非人間(ホロウ)の身体を壊すことだからね。苦しいに決まっているじゃないか」

「そうか。それは苦しいな」

 

 極限にほど近い状態にも関わらず、不気味なほどに抑揚の無い声。そして、相も変わらない闇空より深い黒の瞳。その瞳がギロと動き、確かにシヅキのことを捉えた。

 

「シヅキからヒソラに言ってくれないか。鎖を解けとは言わないが、より緩めて欲しいと」

「…………」

「どうした? 発声できないか?」

「…………コクヨさん。さっきの、ヒソラの話は本当なのですか?」

「シヅキくん、あいつと会話をしないほうがいい。今の君には――」

「ヒソラは! ……ちょっと黙ってろ」

 

 冷静を欠いている自身が在ることに気付いていた。正気か、と聞かれれば自信はない。ただ判断を誤ることは無いと思えた。

 

(後ろにはトウカが居る)

 

 過ちは、すなわちトウカの危険へと繋がる。それだけは決してあってはならない。 ……そんな思考が、シヅキの意識を引っ張ってくれていた。

 

 渇ききった喉で、無い唾を飲み込む。

 

「ヒソラが言ったことが、嘘だというなら……そう言ってください。俺ぁ、俺はよ。コクヨさんの言葉で訊きたい」

「嘘、と言ったらお前は信じるのか?」

「それは…………分かんないです」

「そうか。お前は臆病で、打たれ弱いからな。下手な決断は自身で下さないだろう」

「――っ」

「シヅキ!」

 

 すぐ背後から囁く声が聞こえた。それとほぼ同時に、震える手が握られる。

 

「大丈夫、大丈夫だから」

「…………ああ」

 

 鼻から大きく息を吸い、口から長く、浅く、吐いた。 ……コクヨが見透かしている“シヅキ”とはこのような部分なのだろう。以前の模擬戦闘の時や、その後病床を訪ねて来た時もそうだった。彼女はシヅキの“取り繕い”を突いてくる。シヅキが悟られたくない劣等と後ろめたさに、いとも容易く触れてくるのだ。肉と骨を透かされ内臓を直接撫でられているかのような感覚であり、不愉快の甚だしいものであった。

 

 しかし、ここで一つの疑問が生じる。

 

 ――なぜ、今そんな行為を?

 

 頭の中に滲み出たソレに、シヅキは答えを出すことにした。

 

「コクヨさん。俺のことはどうでもいい……じゃないですか」

「どうでも良くないことは無いが。以前にも言葉にしたが、ワタシはお前のことをいたく気に入っている。言い換えれば傍に欲しいのだ。自らの存在理由に悩むお前のことをな」

「…………話を俺のことにすり替えないで下さい。質問に答えて、くださいよ」

「そうか。あくまでお前は真実を望むのか。ああ、そうか、そうか」

 

 喉の奥で発する不気味な笑い声。それが口元から漏れ出るたびに、彼女の頭が小さく揺らいだ。心のうちでコクヨが何を考えているのか……シヅキには知ったことで無かった。知りたいとも、思えなかった。

 

 

 ガシャン

 

 

 そんな彼女の笑い声が止んだのは、大きく鎖が揺らぐ音が起きてからだった。見ると、ヒソラが鎖の根元を思い切り蹴り上げていた。

 

「シヅキに同意だよ。コクヨとソウマ、君たちに触れても記録(きおく)を読み取れなかったんだよね。どんな細工をしたのか知ったことではないけどさ。要は、君には言葉を紡ぐ余地があるんだ。ボクが妄言吐きとでも言うなら、そう言ってみなよ」

「…………ワタシも、少々この鎖には疲れてしまった。そうだな、ならば一つお前達に聴いて欲しいものだ」

 

そう言った後、コクヨは酷く間隔が長い瞬きをした。それが彼女の中での合図だったのかは知らないが、コクヨはポツリポツリと言葉を吐き始めたのだ。

 

「…………ホロウの本質とは底知れぬ闇だ。光と未来の閉ざされた世界に、我らホロウは投げ出され、理不尽極まりない闇と共に在る。それは適性がある訳ではない。人間を模して造られたのだから当然だ。我らは闇の中で在り続くを余儀なくされ、しかしながら闇に苦しみ続けている。この矛盾に、ホロウは苛まれている」

 

 コクヨの眼が再びギロと剥かれた。

 

「故に我らは、“救い”を探し求めてきた。かつて人間が神を発明し自らの拠り所としたように。我らは光無き世界に救いを見出すのだ。救いを見出す手段こそ“信念”、手に入れた救いこそ“コア”…………ワタシも例外なくその内の一体であった」

「どういう、意味ですか?」

「以前お前に告げたな。この調査団とは共通して“信念”のあるホロウが選ばれている、と。そこに自覚の有無は関係なかった。ただワタシは見極めたかったのだ。彼らは、ワタシが目指す“救い”の……助けか、弊害たり得るか」

「……は?」

 

 

 困惑の声を上げたシヅキ。それに対してコクヨはただ笑みを浮かべたのだった。

 

 

「ワタシ、は。ワタシは世界平和を達成したいのだよ。人間を信仰することは、我々の救いにはならず。過去の人間を忘れ、今の魔人をかなぐり捨てる。 ……我々は闇に慣れる必要があるのだ。この世界を“絶望”と捉える価値観を(ころ)さなければ、殆どのホロウは自身の“救い”にすら気が付かない。つまるところ、だ」

 

 

 ギチギチギチギチギチギチギチ………………………

 

 

 突然、鎖が擦れた。それも酷く、酷く大きく擦れた。まるで痙攣をしているかのように細かく震えている。震えは共振を引き起こし、鎖の悲鳴とはたちまちに大きくなっていった。

 

「な、何が起こっている……?」

「シヅキくん! コクヨを(ころ)せ!!!」

 

 背後に立つヒソラが、焦燥に青ざめた声色にて叫んだ。

 

「コクヨが鎖を破壊する! その前に君が仕留めるんだ! ボクはボクのコアに縛られているから……」

「な、なんだよそれ! ……トウカ、俺ぁどうすればいい?」

「…………」

「トウカ!!!」

「こ、(ころ)すのはダメ! 動けない状態にさせて!」

「簡単に言う!」

 

 シヅキはそう言いつつも、その手に大鎌を呼び出した。途端に鎖に向かって走り出す。その間にも思い浮かぶのはコクヨのことだった。

 

 「俺を気に入ってるだの、魔人は根絶やしにするだの……あんた一体何なんだよ! クソ!!!」

 

 地を蹴り、跳躍。見ると、コクヨの片腕はもう鎖が壊されてしまっていた。時間はあまり残されていない。言うまでもないことだった。

 

シヅキは大鎌を振りかぶった。自身の跳ぶ勢いに合わせてソレを振るう――

 

 

 ――その瞬間だった。

 

 

「なっ……」

 

 シヅキは空を舞う最中、絶句をした。眼を見開き、確かにソレを直視する。 ……見間違う訳がなかった。忘れる筈がなかった。言うならばソレは、ヒソラの発言を裏付けるソレであり、シヅキとトウカにとって忌々しきソレであった。

 

 唖然とさえしたシヅキを前に、コクヨは言葉をかける。

 

「つまるところ、ワタシの行いとは淘汰(とうた)なのだよシヅキ。ワタシを邪魔する者を今に捨て置き、未来に必要とすモノを拾う……ただそれだけでしかない」

 

 

『ミィ』

 

 

 ――腕あたりから無数の枯れ枝を伸ばしたコクヨは、やはり至極淡々と語った。

 

 



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取引

 

 あの日、あの時と重なりきっていた。見間違う筈がなかった。

 

「すまないなシヅキ。ワタシはまだ在らねばならぬのだ」

 

 そんなコクヨの声と共に、視界を覆い尽くさんと広がってゆく無数の枯れ枝。それらが狙いを定めたのは、シヅキが手に持つ大鎌であった。

 

 間も無くして腕を介し伝わってくる大きな振動。空を仰ぐと、もうそこに大鎌は無い。無作為に枝が散らかっているだけだった。 ……そう。あの時と同じで。

 

 シヅキは怒りとやるせなさに叫んだ。

 

「ばかやろう……!」

 

 

 ガシャァァァァァン!!!

 

 

 肌を震わせるけたたましい金属音。それと共に背中にドンと痛みと衝撃が走った。跳躍の慣性を失い、その場に落ちてしまったらしい。

 

「いってえ…………」

「シヅキ離れて!!!」

「――っ!?」

 

 トウカの声に呼応し、反射的に身を地面に転がす。その勢いと共に素早く立ち上がると、目の前には鎖の残骸が積み上がっていた。先程のけたたましい金属音とは、この鎖の崩壊を意味していたのだ。

 

 

 ――さらに言えば、それが意味するのはもう一つあって。

 

 

「随分と身体が痛んだ。精神の方にも影響が出ている。気を抜くと簡単に狂い得るか」

「コクヨ……君ってやつは」

「まさかここまで追い込まれるとは思っていなかった、ヒソラ。人間が人間のために作った魔法(モノ)を最大限に利用したか」

 

 疲弊した眼にて前方を睨んだシヅキ。彼の眼が映すのは鎖の縛りから解放されたコクヨの姿だった。その場に棒立ちとなっているように見て取れる彼女の胸元には、ぐったりとした様子のソウマが抱えられている。

 

 彼女はソウマへと一瞥をくれた後に、シヅキ達をその闇色の眼で見渡したのだった。さしずめそれは……獲物を刈り取る眼であった。

 

「さて、どうしたものか。ワタシは決めあぐねている。何が正解だろうか?」

「……なんの話だい?」

「聡明なお前ならもう分かっているだろう、ヒソラ。取引をしたいのだよ」

「と、取引…………」

 

 小さく呟いたトウカが喉をゴクリと飲み込むと、コクヨの視線が容易くトウカを捉えた。一方でシヅキはコクヨの視線を遮るようにして大鎌を構える。

 

「…………」

「そうか、お前は恵まれているな。 ……まあいい。今、話があるのはヒソラだ。ソウマの傷を治してくれやしないか?」

「ホロウの身体は放っておいても勝手に修復されるけど」

「何を言うか。このままでは長く()たぬだろう。お前の力が必要だ」

 

 淡々と言葉を連ねるコクヨであったが、その一方でソウマはピクリとも動きやしない。自らを支える力すらないのか、コクヨの腕からはみ出したソウマの顎は、すっかりと真上を向いていた。

 

「ソウマを失うことはお前にとっても耐え難い筈だ。お前の“コア”とはホロウの存在を繋ぐ、ことだろう? 裏を返せば、救えるホロウを失うは(おの)が存在価値に傷をつけることだ」

「……バカを言いなよ。鎖から解放された君がボクたちに手を出していないのは、ソウマの存在があるからでしょ」

 

 ヒソラが皮肉混じりにそのように返すと、コクヨは「ヒヒッ」と甲高く笑ってみせた。 ……この状況でだ。狂っているとしか言いようがない。

 

 頬を伝う汗を拭ったシヅキは、体内で張り詰めた空気を吐き出した。

 

(落ち着け、落ち着け…………俺はコクヨに勝てない。トウカを守れない。今もまだ無事で居るのはソウマの()()()がかかっているからだ)

 

 

 ――なら俺に今できることはなんだ?

 

 

 大鎌を持つ手に力を注ぐ。自身を流れる魔素がジンジンと疼いていることを自覚した。 ……不意を突く。()ぎった思考。コクヨの意識がヒソラに持ってかれている今なら、視線が外れた時に…………いや。

 

 どれだけ有利な立場であったとしても、コクヨに刃を届かせられる気がしなかった。きっと、本能の奥底に擦り込まれているのだ。“絶望”と対峙した時の経験と、手合わせをした時の経験……その2つがシヅキに絶対的な畏怖感情を植え付けている。

 

 頭の無いシヅキには、鎌を振るうことしか出来ない。ならば、それすら封じられたシヅキに出来ることは?

 

 …………。

 

(何も、無い)

 

エイガと対峙したときに、エイガを(ころ)せたときに、トウカを守れたときに、多少自分は変われたと思えた。しかし、どうやら杞憂だったらしい。

 

 

「……あ、あの一ついいですか?」

 

 

 ――膠着状態だった現状を動かしたのは、突如として背後から聞こえてきたトウカの声だった。震えを帯びた声だ。

 

 



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宣戦布告

 

「わ、私が回収をしていた還素薬の隠し場所をお教えします。なので、ソウマさんの治療はソレを使って、ください」

「……ほう」

 

 辿々しくトウカが言い終えると、コクヨは自身の眉を大きく上げてみせた。

 

「驚いたな。まさかお前にそのような手助けの意志があるとは」

「手助け? ……そんな訳ない。今あなたに(ころ)されないための最善策、だよ」

「ああそうだろうな。であるならば、その言葉はハッタリだろうか?」

 

 喉の奥で笑いながらコクヨが近づいてくる。それだけでもシヅキにとっては大きすぎるプレッシャーであった。決して彼女には敵わないという“絶望感”……それが否応もなく加速してゆく。

 

 でも、どうしても大鎌だけは離さなかった。

 

 そんなシヅキの肩にポンと手が添えられる。

 

「シヅキ、ありがと。大丈夫だから。 ……あの、嘘だと思うなら私の頭の中を覗いて、みたら?」

「……どういう意味だ」

 

「コクヨさんって、()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

「……え」

 

 シヅキの口から細い声が漏れた。コクヨが浄化型ではない? トウカは確かにそのように言った。

 

 …………。

 

(いや、そんな筈がない)

 

 心の中で否定をしたシヅキ。一方でコクヨは淡々と尋ねたのだった。

 

「なぜ、そのように思った?」

「……いいの? 長話すると、ソウマさん助からなくなる、よ」

「お前の言葉の真相を識別する必要があるだけだ」

「答えに、なってない。今必要なことは、ソウマさんを助けることじゃない、の? 私が嘘を言ってると思うなら、確かめればいいよ」

「――っ! おい、トウカ!」

 

 いつの間に移動したのだろうか? 気がついた時には、トウカはシヅキの目の前に立っていた。それだけでも危険にも程があるが、なんと彼女は(おもむろ)にその手を伸ばし、コクヨの腕を掴んだのだ。

 

「ほら。これで、思考でもなんでも読み取ったらいい、よ」

「……お前。想定よりもよほど狂うているな」

「怖いけど、あなたがたった今に手を出すことはない、と思ったから」

「ああそうか……そうか……ヒヒッ、そうか」

 

 コクヨは何度も「そうか」と反芻をしつつトウカのことを軽く押し返した。それだけでもトウカの身体は簡単に後ろへと倒れそうになったものだが、最終的にはシヅキの胸の中にポスっと収まったのだった。

 

「シヅキ、相応に気を遣うがいい。コレは無謀を知らぬ。 ……ヒソラを媒介し、還素薬の場所を通心にて教えろ。篝火と共にな」

「…………」

 

 そう言い放ったコクヨはシヅキたちの間をスルリと抜けるようにして、“結界”から遠ざかってゆこうとする。

 

「いいのかい? トウカちゃんを覗き見なくて」

「なに。お前が口出ししない事が何よりの裏付けだ。さて、どこからが筋書きか?」

「……うるさいなぁ」

「まぁ良い。 …………いいか? ()()()()()()()()()

 

 その言葉を聞いたヒソラの表情が明らかに不快へと歪んだものだったが、ついにその手をポケットから出すことはなかった。

 

 ソウマを胸辺りに抱いたコクヨ。その細い脚がシヅキ達の真横を通り過ぎて行った。その間に彼女の眼がシヅキ達のことを捉えることは一度たりともなかったのだった。

 

「あの、コクヨさん。最後に一つだけ、いいですか?」

 

トウカの呼び掛けに対し、コクヨの脚がピタリと止まる。それを確認したトウカはこのように言い放った。

 

 ――シヅキにはとてもじゃないが()する事の出来ない言葉を、言い放ったのだ。

 

「あなたの計画にとって(トウカ)が邪魔なように、私にとってあなた(コクヨ)のことがすごく邪魔、なの。だから……だからね……必ず(ころ)すよ」

「ヒッ! お前がか?」

「私には無理。一体じゃ何も出来ない、よ。せいぜい誰かに頼ることくらいだもの。 ――シヅキ」

 

 シヅキの袖部分がギュッと握られる。既にシワだらけの外套に、更にシワが刻まれる。

 

 トウカはなんの躊躇いもなく、再び言葉を紡いだのだった。

 

「シヅキが、(ころ)す。コクヨを、(ころ)す。私のために、やってくれる。 ……そういう宣戦布告」

「ククク、ヒヒッ! そうか……そうか!」

 

 バッと後ろを振り返ったコクヨ。彼女の凄惨たる黒の眼が、確かにシヅキを捉え尽くした。

 

「シヅキ、暫く後にベースキャンプまで来い。ワタシのことを(ころ)しに来い。全力にて応えてやろうか」

 

 口元が裂けるほどに吊り上げられた笑いを見せたコクヨの姿が一瞬にして()えた。呆気もなく。理不尽的に。あたかも夢のような。 ……しかし、決して夢ではなかった。胸の中に抱いたトウカの体温がソレを教えてくれたのだった。

 



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だからここまでやって来た

 

 コクヨが去り、元の静寂を取り戻した“結界”前の空間。そこには崩れ去った鎖の残骸だけが痕跡として残されていた。

 

 それを確認したシヅキの体勢は、間もなくして、浄化した魔人のように崩れきった。その場にドンと尻もちをつく。

 

「いたたた……」

 

 胸のあたりにすっぽりと収まったトウカと一緒に。

 

「シ、シヅキ。大丈夫?」

「…………」

「シヅキ? ――わっ!」

 

 小さく悲鳴を上げたトウカ。シヅキの腕が彼女の身体を縛りつけるようにして巻き取ったからだ。やがて密着したトウカの背中にシヅキの体重がグイと乗る。

 

「ど、どうしたの。ちょっと疲れちゃった……?」

「うるせーよ」

「少し重いから、は、離れて欲しいかなって」

「なら約束しろ。 ……あんな無茶は二度としねーってよ」

「ぁ…………ごめん」

「“しない”とは言わねぇんだな」

 

 ハァ、と溜息を吐いたシヅキ。あんなこと(コクヨとのやり取り)があったのに、思いの外落ち着いている自身が居ることに驚いていた。やはりエイガと戦闘をした辺りからおかしい。得体も知らないナニカに突き動かされている……そのような感覚に陥っている。

 

 

 ――しかし、そんな心状況(しんじょうきょう)を差し引いたとしても、現実には一筋の光すら無い訳だが。

 

 

「ヒソラ」

「ああ」

 

 自身が呼ばれると(あらかじ)め分かっていたかのように、ヒソラがシヅキの前に立つ。そこに焦りの色は見えない。あたかも想定通りだと言わんばかりに飄々としている。

 

「お前、こうなることが分かっていたのか?」

「まさか。あの場でシヅキくんがコクヨのことを(ころ)してくれると思っていたよ。ボクにとっての課題は君をどうやって懐柔(かいじゅう)するかってことだったからね」

「……そうか」

 

 懐柔。シヅキには心当たりがあった。調査団が棺の滝に到着した当日、首を締められたトウカをヒソラの元へ連れて行った時、ヒソラは意味深な問いかけをしたのだ。

 

 

『へぇ、逆には考えないんだね。()()()()()()()()ソウマが近くにいるとは』

 

 

 ……ヒソラは基より知っていたのだ。コクヨがどのようなホロウなのかを。ヒソラは彼女を(ころ)すために動き続けた訳で。彼の想定の中には、浄化型のシヅキを説得することも含まれていたのだろう。コクヨが言っていた“筋書き”という言葉は、おそらくこのことを指しているか。

 

「……」

 

 ――そう思うからこそ、シヅキには納得がいかない。

 

「ならよ。コクヨさんが鎖を抜け出して手がつけられなくなった今、どうするって言うんだよ。煤魔法……だったか。鎖が破壊された時に使わなかったところを見るに、少なくとも手元にはもう無えんだろ」

「まあね」

「……じゃあ本当に詰みじゃねーか。逃げるったってよ…………逃げきれるのかよ」

「いいや、逃げはしないよ。コクヨは必ず(ころ)す」

「どうやってだ?」

「トウカちゃんが言っていたじゃあないか」

「……おい。正気かよ」

 

 チッ、と舌打ちを一つしたシヅキはヨロヨロと立ち上がった。

 

「ま、まだこのままなの……」

 

 困惑をするトウカと一緒に。

 

「こいつが言ったコト本気にするなよ。他の誰でもねえ俺が一番よく分かっている。 ……コクヨさんに俺が勝てる訳ねえ。精神とか、技術とか、運とかそういうのじゃなくてよ……“質”だ。あまりにも質がかけ離れていて、戦いにすらならないって」

 

 再び自身の身体が震えていることには気付いていた。去り際にこちらを振り向いたコクヨの、眼。近くにトウカが居なければ、地に膝を付けることなんて何てことないのだ。 ……トウカさえ、居なければ。

 

「シヅキ。私は本気で出来ると思ったから、コクヨに宣戦布告をしたの」

「お前は俺のことを過大評価している」

「過大評価、かな? 私は一体だけじゃ何も出来ないホロウ、だよ。……でも、()()()()()()は自信が、ある」

「ハッ! なら……ならよ、俺の何を見定めたってんだ」

 

 投げやりに尋ねられたシヅキの問い。全て、目下のトウカへと降り注ぐ。琥珀色の瞳と眼が合った。綺麗な、綺麗な、綺麗な色で。こんな状況にも関わらず、シヅキは眼が離せなくなった。

 

 数秒間眼が合った後、トウカがその小さな口元に笑みを浮かべる。そして彼女は何の躊躇いもなく言ってみせたのだ。

 

 

「シヅキは優しいから……誰かに尽くしちゃう(たち)だから。きっと()()()()()()

 

 

 ガサッッッッ

 

「――っ!?」

 

 突如として、近くにある茂みが揺れた。そこに誰かが居ることに違いはなかった。なぜ今まで気がつかなかったのか? 後悔したって遅いが。

 

 思考するまでもなく、シヅキはトウカを手離し、彼女の一歩前に出た。大鎌を構える。

 

「ま、待ってシヅキ! 大丈夫だから、友達!」

「あ? 友達だと?」

「うん。友達! 私たちを助けにきてくれた、友達だよ」

「……こんなところまで? 誰なんだよ、それ」

 

 

「――さ、誰でしょうね?」

 

 

「え……あガッ!!!」

 

 理解をするよりも先に、脳天へと加えられた強烈な打撃。一瞬だけ頭がくらっと来て、ハッキリと意識が醒める感覚。言い換えればそれは“ありふれ”で、“日常”で、“昔馴染み”だった。

 

 揺れ動く視界の中に栗色の髪がふわりと動く。

 

「シヅキ、トウカちゃん……久しぶり。ヒソラ先生、お疲れ様です。大変身勝手ながらここまでやって来てしまいました。頼まれていたモノを届けるために。友達を……助けるために」

 

 

 深くお辞儀をした彼女、改め“ソヨ”は堂々と挨拶をしてみせたのだった。



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知恵の種

 

知恵の種(インデックス)。かつて世界を支配した人間が有す膨大な記憶、その“索引”。

 

 楕円状の形をしたソレは、掌にすっぽりと収まってしまうほどの大きさで、表面はカラカラに乾いてしまっている。色は黒にほど近い茶色ゆえに、地面にでも落ちていようものなら誰にも気づかれることはないだろう。

 

 そんな無価値的な形状をしているのは偽装の類だろうか? あるいは生命が滅んだことにより劣化をした末路だろうか? ――まあ、何であったところで。

 

 ヒソラが、種を模したソレを闇空へと(ささ)げるかのように(かか)げた。

 

「これは人間の記憶を圧縮した種……ボクたちにとったら超高濃度な魔素の凝縮体だね。一口飲めば、ホロウを文字通りのバケモノへと変える“禁断”さ」

「…………」

「どうしたの、シヅキくん。何か言いたげな顔をしているけれど」

「察したんだよ。コクヨさんは、ソレを飲んだんだな」

 

 呟くように言ったシヅキ。その言葉を聞き、ヒソラはやはり眼を丸くしたのだった。

 

「いいね、シヅキ。勘と雰囲気が研ぎ澄まされているよ」

「バカ言え。頭悪くたって分かる。普通、身体能力において解読型が浄化型を上回れる訳が無ェ。タネ()があったんだ」

「ん? まさか種だけにってこと? え、くだらなっ」

「あ?」

「はー?」

「ソヨちゃん、シヅキ……今は喧嘩ダメ、だよ」

「トウカちゃんね。シヅキは放っておくとこっちの粗を探して煽り散らかしてくるんだから。図に乗らせないのがせーいかい」

「おい聞こえてるんだよ」

「……そしたら、デコピンも止めてくれる、かな」

「お前も便乗すんじゃねーよ。あと止めねえから」 

「え」

 

 引き攣った顔にて固まるトウカを他所に、シヅキは知恵の種(インデックス)をヒソラから受け取った。闇空に透かすように見上げ、観察をする。

 

「……ノイズが全く()がねェ」

「ノイズを遮断する殻、ってことだろうね。原理は“結界”周辺や薄明の丘と同じじゃないかな」

「ってことは、後者はやっぱり自然発生したものじゃないってことかよ……」

「コクヨだよ。全部彼女さ」

 

 そう言ったヒソラの表情に、一瞬間だけ影が落ちる。しかし彼が咳払いをした直後には普段の調子へと戻っていたのだった。

 

「ソヨちゃん、わざわざ知恵の種(インデックス)を届けてくれてありがとうね。ボクたちはこの空間に縛られていたからさ、外で自由に動ける君の存在はすごく助かったよ」

「いえ、わたしはただシヅキとトウカちゃんが助かるのなら何でも良かったのです」

「自分が犠牲になる可能性は十分にあったわけだけど」

 

 ソヨはこのヒソラの問いかけに対して、ふるふると首を振ったのだった。

 

「何でも、良かったので。ただ帰りを待ち続けるだけはもう……嫌」

「ソ、ソヨちゃん……」

「わたし、泣きそうなの我慢してること分かる?」

 

 朗らかに笑ったソヨのことをトウカが抱擁する。角度的にシヅキからはソヨの表情を見ることが出来なかったわけだが、間もなく聞こえてきた僅かな嗚咽で、全てを理解したのだった。

 

「…………」

 

 ――あのようなソヨの様子を初めて見た。いつもソヨは気丈に振る舞っていたし、ハッキリとした物言いをするものだったから。それは“絶望”に襲われ、病室にて目覚めた時だって同じだった。 ……十数年間の付き合いの中で、彼女はシヅキの前に()()()()()を見せないでいたのだと恥ずかしながら今知ったのだ。

 

 彼女たちの様子をただ傍観していたシヅキ。そんな彼の肩にぽん、と手が添えられる。

 

「人間を崇拝することが使命だなんて、ホロウにとっての常識になってるけれど。実際ボクたちは目の前のホロウのことが大事でならないんだ。 ……失うことに耐えられるだけで、気分はすこぶる悪いよ」

「……もう、否定しねえよ。トウカが中央区でホロウを消す決断をとったことも、俺がエイガを消したことも……あいつを犠牲にしてでも俺はトウカを守りたかった。それだけだ」

 

 心臓に手をやった。 ……鼓動が伝わる。自分は確かにココに居るのだ。あんな罪を犯したにも関わらず、のうのうと存在をしているのだ。 ――そして、今からもう一つ取り返し用のない罪を、犯す。言い換えれば、それは犠牲であった。

 

 ゆっくりと眼を閉じて、開く。息を吐いて、言葉も吐いた。

 

「ヒソラ。俺やるよ。知恵の種(インデックス)飲んで、バケモノにでも何でもなってよ……コクヨさんを(ころ)す」

「シヅキ、それ本当なの!?」

 

 隣から素っ頓狂な声が聞こえてきた。振り向くと、そこには目元を赤く腫らしたソヨの姿が。

 

「お前、トウカと抱き合っていたろうが」

「誤解を招く言い方をしないでよ……まあ合ってるけれど。それより、コクヨさんに勝てるの……?」

「勝てるかどうかって次元の話じゃねえんだよ、もう。 ……ヒソラ、それでいいよな? 俺はいいぜ」

 

 しかし、シヅキのこの問いかけにヒソラは即答をしなかった。彼には珍しく、言い澱んでいる様子で、シヅキは違和感を憶えた。

 

「ヒソラ?」

「……知恵の種(インデックス)は飲むだけじゃ意味はないよ。種そのものに価値はない。成長して、果実となって、やっとそこに存在意義が生まれるんだ」

「あ? 成長って何だよ」

「はは、ホロウは姿形が変わらないからね。 ……つまりね、種が育つ“土”と“栄養”が必要があるって話だよ。前者はシヅキくんの身体だね」

「……後者は、一体何なのでしょうか?」

 

 恐る恐るといった様子にてソヨが尋ねた。これに対してもヒソラは即答をしない。 …………? さっきからトウカと眼が合わない。そこには悲しげな横顔があった。酷い既視感を憶える。

 

 

 ――嫌な予感がした。

 

 

「シヅキくん……ちょっと頼みがあるんだけどさ」

 

 

 

 ――――――――――――

 

 

 ――――――――

 

 

 ――――――

 

 ――――

 

 ――

 

 ―

 

 



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世界平和

 

 ワタシたちは、創られた。人間の悪質なエゴにより創られた。それを知ったのはかつての暦を引用し、おおよそ50年前のことであったか。

 

 中央区、バリケードの向こう側。広がるは砂。砂。砂。砂。砂。魔人。

 

 ホロウは腐るほどに居た。魔素からホロウを()()()()技術の革新が進んだからだ。質の低い魔素より造られる似非人(えせびと)。そんな彼らがぞんざいに扱われるは当然の出来事だった。

 

 

 ――全ては人間のために。

 

 

 誰がそのような馬鹿げたことを言い出したろうか? ホロウの数の増加とともに言葉の流布は加速の一途を辿った。この時に言語の恐ろしさを知った。“名は体を表す”とは紛れなき事実なのだと。

 

 茨の蔦を無尽蔵に有す球状の魔人。無謀に突撃を繰り返す数多のホロウ。 ……某日、中央区。失ったホロウの数は実に300を超えた。手に入れたのは、魔人が有す鋭利な棘がたった6本。それでもホロウは感を極めた。微々たる距離ではあるが人間の復活に近づけたからだ。仲間の亡骸(なきがら)を踏みつけて、戦利品を闇空へと掲げた。大きな雄叫びを上げた。ワタシもソレにまんまとつられた。

 

 剣、槌、弓、鎖、鎌、刀、盾、銃。何重にも武装をした超大柄の魔人。体躯は5mあったか? 2本の腕ではなく、左に4本、右に4本の計8本。そのような魔人が出現した際には、コレは“阿修羅”と呼ばれたものだった。 ……雄叫びを上げた男のホロウが、いとも容易くぶった斬られたとどこかの誰かが言っていた。

 

 犠牲に次ぐ犠牲。昨日言葉を交わした者が、次の日には既に闇空へ立ち昇っていたのは茶飯事であった。そのような光景が我々の当然であったもの故に、我々はそこに感情のベクトルを向けなかった。 ……我々は狂っていた。否、狂わざるを得なかった。50年前の、中央区に在籍する、似非人(えせびと)の大半は、薄っぺらな伝承でのみ語られる“創造主(にんげん)”に己が全てを、依存していたのだ。

 

 

 ――そのような環境故に、ワタシが狂いから抜け出せたのは奇跡に酷似した幸運だったろう。

 

 

 きっかけは何でもなかった。解読に次ぐ解読。魔素の中身を参照し、ソレを上層部へと提出する。自らの仕事には誇りを持っていた。

 

 某日、風の吹き荒れが激し日だった。今でも覚えている。身体中に仲間の魔素を浴びた抽出型がワタシの元へと立ち寄った。曰く、誰にも何も言わず魔素の解読を施せ、と。

 

 無論、秘匿的な魔素の独占と解読は禁じられた行いであった。当然、ワタシは紳士に断ったものだったが、彼の抽出型は引き下がることのなかった。

 

 数度の押し問答、痺れを切らした末に、彼の抽出型はこのように言い放ったのだった。

 

 

『人間は自らの復活など、全くもって望んでいない』

 

 

 ※※※※※

 

 

「……いかんな。意識が飛んでいたか」

 

 コクヨの視界に映ったのは、自身の身体と、手と、脚。座り込んでいる間に眠りについていたらしい。

 

(何とか凌いだ故に、身体が弛緩したか)

 

 上下にブレつつ視界を大きく回すと、そこには数軒の建物群が見受けられた。ベースキャンプ。赤の十字架を掲げたテントの中にはソウマが横たわっている。

 

 コクヨは眼帯を装着していない左眼にてゆっくりと時間を掛け瞬きを行った。ヒリヒリとしたノイズが傷ついた身体を刺激する。ヒソラにくらわされた煤魔法の影響が身体へと色濃く出ているのだ。

 

「…………」

 

 自らの心臓あたりを強く握り締めつつ、コクヨはつい先程までのやり取りを思い返したのだった。

 

 失望へ塗れたヒソラの冷めた眼、宣戦布告をしたトウカの言葉、未だに裏切りを呑み込めない困惑混じりのシヅキの表情。

 

 思い返すことで心臓の痛みが強くなり、コクヨの口元から「ヒッ!」と甲高い声が漏れた。

 

「傷つく心が未だに残っていたとは……知らなかったな」

 

 色々なモノを失った。奪われたモノが大半であったが、中には自ら手放したモノもあった。 ……そう。先刻の彼らとのやり取りにて、その“手放し”がまた一つ増えたのだった。

 

 コクヨは「ヒッ」と再び笑った。気味の悪い引き笑いであることを彼女自身、充分に自覚していた訳だが、最近になってコレを抑えきれなくなってきた。

 

 引き笑いの最中に彼女は言葉を吐いた。

 

「世界平和」

 

 自らの“行い”はその言葉から最も程遠いコトではないか? 数えるのもバカらしくなるほどには葛藤を繰り返した。しかし、行き着く先は同じで、確固たる肯定でしかなかった。

 

 あの時のことを思い出す。中央区の、隠された人間の真実を知ったあの時。知恵の果実に成り損ねた種を、おっかなびっくり呑み込んだ。呑み込んで……人間の記憶を垣間見て…………ああ、全てを知ったのだ。

 

「そこに居るのだろう?」

 

 大きな岩壁に向かってコクヨは声をかけたのだった。間も無くして聞こえてくるしっとりとした足音。不明瞭な視界より奴はまんまと現れた。

 

 震える脚に力を注ぎ、立ち上がる。眼帯を付けていない左眼にて姿を捉えた。奴は大きくなっていた。先刻会い見えた時よりも、醜く大きくなっていたのだ。

 

(可哀想に)

 

 心の底からそう思えた。純度100%の同情。過去の自分と重ね合わせた。

 

「ヒッ! フヒヒ!!!」

 

 湾曲(わんきょく)を描いた口元より、汚い汚い笑いが漏れた。笑いたくて笑ったのではない。この引き笑いは……要は嗚咽と似たものなのだ。コクヨはソレを伝えることが出来なかった。信じさせることが出来なかった。彼女は昔から、自らの本心を伝えることが苦手だったのだ。

 

「こんちは」

 

 そんな裏事情を知り得ないだろう奴は、あたかも何も考えていないかのように、そう声を掛けてきた。あたかも偶然を装ったかのように。 ……違うだろう? お前はお前の意志でここに来た。自らの“かなぐり捨て”を、誰にも見える形にて体現したのだから、やって来たのだろう?

 

 

 ――なあ。そうなのだろう?

 

 

「シヅキ」

 

 



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俺の全てだ

 

「シヅキ」

 

 抑揚の無い声にて、その名が呼ばれた。ソレを皮切りにした訳では無かったが、

 

「――っ!」

 

 地面を精一杯に踏みしめた。

 

 

 ギィィィィィンンンッ!!!

 

 

 けたたましく響く超高音。肉薄する距離で刀を振るい上げているコクヨの表情が目に映った。

 

 ぎょっとしている。あのコクヨが眼をひん剥いている。意表をつけたことに間違いなかった。別にそういう意図があったわけではなかったけれど、これはこれでいい。

 

 自らの腕に加える力を弱めると、彼女の押し返す力がこちらに勝り、刀の振り切り方向へ身体が吹っ飛んだ。ズザザザと靴が地を擦る。

 

 身体に籠もった熱を排出するように、息を吐き出した。頭が冷却され、1つの確信が過ぎる。

 

(今の俺なら、コクヨさんを(ころ)せる)

 

知恵の種(インデックス)……!」

 

 抑揚の無いくせに叫んでいる、そんな矛盾を孕んだ音が響いた。目の前に在るのは、遠慮なしに刃先を差し向けるコクヨ。つい先ほど眼をひん剥いていたのは、幻覚なんてオチではなく、現実だったと知る。

 

 ピクピクと目尻をひりつかせたコクヨが再び叫ぶようにして言う。

 

「適応が速すぎやしないか。想定外だ」

「適応……? あァ、コレですか」

 

 首を動かすことなく、自身の目線だけ下げきったシヅキ。そこにあったのは……いや、彼の右手とは、とてもじゃないが正常と言えるものでは無かった。

 

 コクヨの眼と同じ位にどす黒さに染まった“腕”。そこには指が存在しなかった。手先とは、鋭く尖っており、振るってしまったならば、もうソレは凶器と相違のない。まるでシヅキの腕には大きな剣が寄生しているかのようで。“魔人の手”なんて言えば、うまく言語化出来ているだろうか? 

 

 シヅキというホロウは、そんなものを手に入れてしまったのだ。無論、望みではなかった。それに取り返し用の無い大きな痛みを伴った。罪を犯した。 ……しかし、選択に後悔は無い。

 

 シヅキはどこか気まずそうに苦笑いを浮かべる。

 

「醜いですよね、これ」

 

 肩を落としたシヅキの右腕が、鈍い音ともに泥を跳ね上げた。 ……コクヨの眼がその跳ね上げを確かに捉える。喉が膨らみ、唾が通過した。

 

 彼女が慎重に言葉を発する。

 

知恵の種(インデックス)は、ホロウの在り方そのものだ。自らの救いを叶えるべく、ソレ以外の全てを切り捨てる。 ……シヅキ。お前は種を発芽させる為に、一体何を捨て置――」

 

 言葉を話し終える前に、ヒュンと空気を裂くかのような音が鳴り響いた。反射的にコクヨがその身を翻す。その寸のところを群青が駆けていった。ソレを見届けることはなく、コクヨはただ眉間をひくつかせた。

 

「まだ、話の途中だが」

「すんません。俺、あんたを(ころ)しに来たんです」

 

 虚に光を失ったシヅキの眼。その声に抑揚は無く、実に淡々とドライなものだった。

 

「……お前」

 

 コクヨは彼に自身を重ね合わせる。否、重ね合わせてしまえた。目の前に在るシヅキとは、先刻までの“シヅキ”ではない。似たような経験を随分と前にしたことがあった。50年前の中央区。種を食べ、人間の記憶を垣間見て、コクヨはその日に“世界平和”を決意した。

 

 

 ――コクヨは確信をする。シヅキは光無き世界へと“救い”を見出したのだと。存在の証明理由を、コアを見つけた。

 

 

「…………(ころ)し合う前に、最後に一つだけ答えろ」

 

 自身の眼帯に手をかけたコクヨ。華奢な指でソレを握り締め、ゆっくりと外してみせた。中から覗いた琥珀色に透き通った眼が、シヅキのことを確かに捉える。

 

「お前にとって、“トウカ”とはなんだ」

 

 シヅキは間髪入れることなく、即答をした。

 

 

「俺の全てだ」

 

 

「クヒッ!!!」

 

 醜くコクヨが鳴いた。その腕が変形する。間もなくして無数の枯れ枝が生え散らかした。その影響は彼女自身の身体に収まることを知らず、辺り一面へも影響を与える。

 

「ミィ」

 

 耳障りな雑音を、真っ黒の花が発した。

 

「ホロウの幸せの為に、ワタシはお前たちを排除する! 世界に光などを取り戻してたまるものか! 生命の片鱗を世界に戻してなるものかっ!」

 

 コクヨの声に呼応して、僅かに地面が揺れた。咄嗟にシヅキは大きくバックステップをする。次の瞬間、極太の蔦が地面を抉り立ち昇っていった。

 

 視界前方、十数という規模の蔦が(うね)り生えている。その中心にコクヨの姿を見つけた。刀を携える手が震えている。怒りに身を任せ震えているのだ。

 

「はぁぁぁぁぁぁぁ…………」

 

 シヅキはそんな彼女に向けて左手を差し向けた。その手には大きな得物が握られている。青を青で塗りたくった、深い深い群青の弓。矢を携え、器用に片手一本で弓を引いた。

 

 喉の奥からの排熱と同時に、一音一音を大切に、発音する。

 

「技を借りるぞ、サユキ」

 

 バビュンと音を立て、群青色の細い矢が、コクヨへ向けて飛んでゆく。

 

 

 ――このようにして、たった2体のホロウは、事変に似た戦いの火蓋を落としたのだった。

 



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対 コクヨ②

 

 無数の蔦、蔦、蔦、蔦。

 

 斬り捨てた側から新たに生成され、縦横無尽にシヅキへと襲い掛かる。以前のモノとは比べモノにならなかった。(ころ)すという強い意志……斬り払いながらシヅキはソレを感じた。

 

 時折、蔦の中央に佇むコクヨと眼が合う。闇空よりも黒き(うつろ)なる右眼、そして眼帯の下に隠された琥珀色の左眼。一方でシヅキは知恵の種(インデックス)を飲んだ影響で、右眼の視力をすっかり失ってしまった。どうなのだろうか? やはり、大いなる力には代償が必要なのだろうか? シヅキだって、自身の存在ごときでは代替のしようが無いモノを、確かに捨て置いてきた訳だが。

 

 

 ブチッッッッッ

 

 

 蔦の繊維を見事に横断するように横薙ぎつつ、シヅキはそのような思考を重ねていた。彼が薙いだ蔦の数は実に100を越えていた。

 

「はァ……はァ…………はァ」

 

 遠くの方で、枯れ枝に変化を遂げた腕を抱き、肩で呼吸をするコクヨがこちらを睨み見ていた。彼女の腰元には得意の長身刀が携えられているが、蔦の猛攻中にソレが引き抜かれることはなかった。 ……蔦と枯れ枝による攻撃と刀による斬りかかりは両立が出来ないらしい。安直に考えるとそういうことになる。

 

 加えて、蔦による攻撃とは随分と燃費の悪いものらしい。なんてったって、あのコクヨが大きく疲弊をしている。先刻、鎖に囚われていた時にでも余裕そうな素振りを見せていたのに。 ……もしかすると、鎖の破壊をすぐに行わなかった理由はそこにあるのだろうか? 自身の身体に大きく影響を及ぼしうるのだから。

 

 異形と化した自身の腕をシヅキは撫でる。そのような仮説とは、コイツが()()()()()()。 ……ああ、実に頼りになるものだ。

 

 乾いた唇を舌で舐めたシヅキは、意味もなく右腕をコクヨへと向けた。

 

「本気を出してくださいよ、コクヨさん。 ……俺が知っているあんたは、もっと圧倒的だった筈です」

「……逆撫でているつもりか」

「“ミィ”とでも鳴きましょうか?」

「アレはワタシの複製だ!」

 

 パン、と周りの蔦が破裂をすると同時に、コクヨがこちらへと駆けてくる。その手には得意の刀が握られていた。どうやら非共存にある考えとは合っていたらしい。

 

 シヅキは自ら動くことなく、コクヨのことをただ待ち構えた。

 

 

 ――その間、たった一言を呟く。

 

 

「アサギ、頼む」

 

 

 ガギィィィィィン!!!!!

 

 

 耳の内側で音の波紋が広がってゆく。心地の悪い音だ。だがその金切り音とは、シヅキの無事を知らせるものであった。

 

 構えられた大盾の隙間より、歯を軋ませるコクヨの表情が見える。シヅキがグッと脚を踏み出すと、途端に盾を押す左手の力が弱まった。コクヨが後ろへと後退をしたからだ。

 

「コクヨさん、俺はエイガを失っちまったあんたとは違って、一体じゃない。これは正々堂々とした勝負じゃ無ェ。残酷な袋叩きですよ」

「……自身の記録(きおく)を、有り余った魔素により再現しているのか」

「あんたはずっと、エイガとソウマとつるんでいたからさ。こういうことは出来ないですよね」

 

 コレにコクヨは答えなかった。ただその刀を振るう。振るう。振るう。力任せでは無い。軌道と強弱、タイミング、間合い全てを変え続け、シヅキを(ころ)さんとした。

 

 シヅキはソレを弾く。ひたすたに弾く。腕を折り、大盾を自身の身体へと密着させる。盾に刀が擦れるたびに橙の火花が飛び散った。時折飛んでくる盾にて対処の出来ない攻撃は、自身の右手にて弾いた。その度に罪悪感が積もってゆく。

 

 そのような剣撃がしばらく続いたところで、コクヨがついにボロを出した。

 

 盾の正面を捉えた甘い一撃。当たったのはちょうど刀の先端のみで、作用された力とは、先ほどまでのものと比べて、半分程度しかなかったのだ。

 

 

(今だ!!!)

 

 

 自身のものではない声が耳鳴りのように響く。ほぼほぼ反射と同じ速度にてシヅキは全体重を盾へと預けた。地面を踏みしめ、コクヨのことを弾き飛ばす。

 

「ッ……!」

 

 彼女の口元から息が漏れ出たと共に、シヅキは大盾を自身の身体へと仕舞った。開けた視界へと映ったのは、地面を横転するコクヨの姿である。

 

 それは好機以外のナニモノでもなかった。

 

 

「ラァ――――!」

 

 

 その身を全て投げ捨てるかのように、シヅキは右腕を振りかぶる。狙いはコクヨの首だった。そこには躊躇の一つもない。

 

 

『シヅキ!』

 

 

 脳裏を支配するトウカの表情。シヅキは不乱にトウカのことだけを思い、その右腕を振り下ろしたのだった。

 

 

 ――否、振り下ろそうとしたのだった。

 

 

「………あ?」

 

 シヅキは愕然とした。なぜ振り下ろせないのだろうか? まるで腕が動かない。空中で固定されてしまったようで……いや、固定されている……?

 

 

「シヅキ……ワタシとは、ワタシの願いを届かせる」

 

 

 独特な言い回しをするコクヨの声が聞こえてくる。頭から尾まで震えた声だった。執念と、信念に満ち満ちた声……。

 

 ここでシヅキはようやく状況を把握したのだった。振り上げた右腕が地面から生えた蔦にて巻き取られていること、そして、自身の胸を1本の枯れ枝が貫いていること。フラフラと立ち上がったコクヨの手には確かに刀が握られていた。

 

「……ブラフとは、ワタシの得意分野だ」

 

 剥き出された琥珀の瞳がシヅキを捉える。彼女もまた同様に、何の躊躇もなく、その刀を振るい上げたのだった。

 

 

 グシュ

 

 

 肉と骨を裂く、最低な音が棺の滝にて虚しく鳴った。

 



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闇空へと堕ちる

 

  次に気がついた時には、空へ向かって堕ちていた。

 

 眼を失い、肌を失い、感覚を失い…なのに堕ちていることはすぐに理解ができたのだから不思議だ。堕ちている。落ちているのではない。堕ちているのだ。

 

 無いはずの眼を開いた。そこには闇が広がっている。黒を黒で塗りつぶしたどす黒い闇……一体、この闇の正体とは何なのだろうか? 答えを出せないその疑問にはとっくの前に背を向けた筈なのに。空へと堕ちていく過程にて、脳裏をチラついたのだった。

 

 ふと横を向く。見知った顔ぶれがそこには在った。

 

 

 アサギ、サユキ、エイガ、レイン。他にもたくさん……知っている者から、知らない者まで。

 

 彼らを認知し、自らを悟った。捨て置かれたのだと。

 

 

 ……………。

 

 

 無いはずの眼を閉じる。自らの中に、自らでは無い存在を感じ取った。ただ、彼らは入ってきたのでは無いのだ。ずっとずっと昔から。それこそ自らが存在を始める前から、自らの中にあり、自らを象っていた。故に、“忘れていた”という表現が最も近しい。

 

 自分は、自らへと“確認”を行うことにした。

 

(ごめん。たくさん混ざり過ぎちゃってて、今まで声に気がつかなかったけどさ。君たちは、生命があった頃の人間だね? )

 

 そう尋ねると、自分の中で自らの声が反響をした。無いはずの耳で確かに聞き取る。

 

(そうか……この闇の原因はやっぱり人間だったんだね。取り返し用の無い罪を……隠す? 美談? そうかい。教えてくれて、ありがとう。ありがとう)

 

 お礼を言うと、人間の声は聞こえなくなってしまった。多分だけれど、人間が語ることを止めたのではなくて、自分の方に問題があったのだ。

 

 

 ――もう、思い出せない。自分とは……一体どのように呼称をされていたのだろうか? 横に在る顔ぶれとは、一体誰なのだろうか?

 

 

 無いはずの頭を使った。記録(きおく)を探し求める。記憶ではなくて、記録。自分たちを人間以下の存在として位置づけるためのケジメ。

 

 

 自分はたった2つを追録(ついおく)した。1つは、自分がとても強い信念を持っていたということ。でもその内容を思い出せない。すごく大事なことだったのに……忘れちゃいけないことなのに、忘れてしまったなんて。

 

 

 ――でも、もう1つのことはちゃんと覚えていた。その名前を繰り返す。

 

 

(シヅキくん、シヅキくん、シヅキくん…………)

 

 

 自分を捨て置いたホロウ。自分を犠牲とし、己が力として取り入れたホロウ。その目的とはとてもくだらなくて……自分はシヅキの為に犠牲となった。犠牲、犠牲となった……。

 

(でも……それは、君が救いへと辿り着くために必要だったんだね)

 

 その原動力は痛いほどに理解ができた。99と100、どちらを選ぶかって訊かれれば、後者を選ぶことは当然で……。これはそのような話なのだ。つらつらと語るは、たったソレだけなのだ。

 

 無いはずの眼を再び閉じた。1つ目の追録、その内容がポッカリと抜けているのはきっと、自分の半分程度が()()()()()()()のだと悟った。残った自分が持っている。まだこっちに受け渡したくはないようだ。

 

(自分は……酷い奴だね)

 

 闇空へと堕ちる、堕ちる、堕ちる。末路とは闇だった。 ……闇で待っているよ。また会えたら、その時は少しくらい愚痴を聞いてもらってもいいかな? それくらいは許しておくれ。 

 

 

 ――たださ、それまではさ。

 

 

 (今は、君のことを手伝うよ。シヅキ)

 

 

 無いはずの心に、誓いを立てた。

 

 

 

 ※※※※※

 

 

 

 ……………………

 

 ……………………。

 

 ……………………!

 

 腕が熱い。熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 

 魔素がみなぎる。なんだこれは? 余力なんて言葉は不適格だ。 ……だとするならば、この力の名前とは何なのだろうか?

 

 それについて思考を巡らせる前に、幻覚がシヅキの前に現れた。

 

 

 ――ダボダボの白衣を着た、背の低いホロウが、何を言うでもなく、通り過ぎていく。

 

 

「……ブラフとは、ワタシの得意分野だ」

 

 次の瞬間、視界一杯にコクヨが映る。蔦で拘束をしたその身に向けて、剥き出しの刀を振るい上げていた。このままでは(ころ)される。突破には力が必要だった。

 

 故に、シヅキは(こいねが)った。

 

 

『仕方ないなあ。分かったよ、シヅキ』

 

 

 その幻聴が、後押しをした。

 

 「…………っ!!!!!!!!!!!!!!」

 

 

 グシュ

 

 

 肉と骨を裂く、最低な音が棺の滝にて虚しく鳴った。

 

「ガ…………アァア゛…………!!!」

 

 

 

 

 耐えがたい痛みに、コクヨがその顔を歪める。

 

 



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根絶やし

 

 知恵の種(インデックス)を摂取したことにより、肥大化し、黒に染まり、尊厳など失くしたシヅキの右腕。そこに確かなる幻聴が彼を後押しし、体躯を縛る茨を破壊した。そうして、その勢いのままに、シヅキの右腕とはコクヨを穿ったのだった。

 

 両断、と言えるほどに刃は通りきらなかったが、自己修復するにはあまりにも無謀な程に内臓をぶった斬った。それと同時に、周辺の魔素濃度が急激に上昇。コクヨを象っていた膨大な魔素が、空気中へと融け出したのだ。

 

 地面に倒れ込んだコクヨは、痙攣を繰り返している。

 

「あ゛ぁぁ……………アァァァァ………………!!!」

 

 棺の滝の、体温よりもずっと冷たい地面にて彼女が苦痛を訴える。ひん剥いた眼も、唾液塗れの口元も、土埃に塗れた頬も、乱れ切った髪も。それらは全て彼女らしく無い惨状で。いや、彼女が表には出さなかった心の奥深くの……苦痛と憤怒。ソレを全て灰色世界へと引きずり出した者とは、紛れもなくシヅキだった。

 

 震える膝を折り、コクヨの傍へ座り込んだ。シヅキは何も喋らない。トドメを刺す真似もせず、ただ座り込むだけだった。棺の滝には、コクヨの荒れた息遣いのみが残酷に響いていた。

 

 

 ………………

 

 ………………

 

 ………………。

 

 

 しばらくの時間が経った。魔素の濃度はもう上がらない。出るところまで出てしまったのだ。コクヨの身体とは、ホロウとしての体躯を保とうと自らの修復を試みている。欠けた内臓と骨を……傷のついていない脚や頭を形成する魔素を希薄することで、補わんとしている。

 

 コクヨの指先が僅かに動いた。すぐ近くに在った布切れを掴み取る。布切れとはシヅキが着る外套の端くれであった。弱々しく握るその手とは振り解くことなど造作なかったが、シヅキはそれを受け容れる。

 

 間も無くして荒い口呼吸とともに、掠れきった声にてコクヨは尋ねたのだった。

 

知恵の種(インデックス)を摂取したということは、お前は知ったのだろう? 人間が犯し、我々にひた隠してきた罪を。ワタシ、は。ワタシはどうしても認められなかったのだ」

 

 コクヨの漆黒の眼が闇空を捉える。シヅキも仰ぎ見た。

 

 

 ――種を食べた瞬間、命ありし人間の記憶が流れ込んできた。ソレは、一介のホロウが有すにはあまりにも膨大な量であり、しかし全てを取り込めたのはやはり右腕(ヒソラ)が肩代わりをしてくれたからだろう。

 

 そこでシヅキは知ったのだ。極一部のホロウのみが共有し、ひた隠しにしてきた“人間の罪”を。

 

 

「生命が生きられぬ世界となったのは、伝承で謳われる“流行病(はやりやまい)”などではなく、人間と人間による()()()()()()()()()

 

 

 コクヨの言葉とは、紛れなき事実であった。

 

 人間の有す感情を外へと発露した現象……魔法。人間は魔法により、物質の生成や簡単な未来視といった超常を創り出し、世界の支配をも達した。 

 

 しかし問題はその後にあった。世界を支配した人間にとって最大の障害とは何だったか? ……それは同種、つまり人間であった。

 

 思想あるいは意志の対立が争いへと発展し、大きなコロニーを巻き込んだものは戦争と呼ばれた。人間が人間の命を奪い、奪い、奪い。戦争により国が痩せると、二次被害的に犠牲者が出た。

 

 やがて人間は望むようになった。魔法の力を人間の発展ではなく、人間の破壊へ差し向けることを。やがてそのような感情とは体現をされた。戦友が殺された恨みが、痩せた国にて生き残るの覚悟が、殺人への快楽感情が、愛国の想いが……業火の魔法となり、雷の魔法となり、猛毒の魔法となった。

 

 果てに人間は倫理をも殺した。このような破壊を及ぼす過激な魔法を、人間そのものにかけたのだ。理性を失うこと、異形と化すことを代償に、肉体が強烈に強化された者……通称“魔人”とは兵器として運用をされ、大量の人間を殺したのだった。

 

 繰り返される犠牲。そして束の間の栄光。連鎖し環状する負の感情。このような惨状とは、ついに世界の理を壊してしまったのだ。いや、それとも星の持つ防衛機構だったのだろうか? いずれにせよ生命の減衰とはここから始まった。

 

 あまりにも、あまりにもドス黒い負の感情から生まれ続く魔法を、ついに大気は飽和しきれなくなった。魔法の素となる物質、魔素が空気の汚染を始める。一人間の心の中へ、不特定多数の人間の負の感情が侵入。精神を汚染し、心を狂わせた……つまるところ、犯罪者や一部の下等兵士へと運用をされた“魔人化”とは、自然現象的に発生をするようになったのだ。

 

 人間がその原因に気がついた時には、もう手遅れであった。人間の大部分は既に魔人化、あるいは精神汚染に耐えきれずに狂死。動物と虫には精神汚染の症状は見られなかったものの、軒並みが変死を迎えた。

 

 呆気なく迎えた終末世界。僅かに残った人間は、人間の存続をついに諦めたのだった。その代わりとしてホロウと呼ばれる人間に酷似した魔素の集合体を創り出してしまったのだ。

 

 

 ――そのコンセプトとは、“無条件に人間を崇高すること”と“人間が犯した大罪を美談として語り継ぐこと”であった。

 

 

 

 ………………

 

 ………………。

 

 

 闇空(たいざい)を仰ぎ見るコクヨが、自身の感情にその身を全て任せ、震える声にて吐き出すのだった。

 

 

 「ワタシは、人間を根絶やしにしたかったのだ。過去に在りし人間の記憶、そして今に在りし人間の末路を根絶やしにだ。そうせねば、ワタシたちは囚われ続けることとなる。大罪人が生み出した……最期の大罪として……負の感情にて構成された罪の化身として……。ワタシは人間を、根絶やしにしたかったのだ」

 



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これはそういう物語だ。

 

 土埃と自身の体内魔素に塗れたコクヨがシヅキへとすがる。外套を掴む華奢な手に力がこもり、血の通わない血管が浮き出た。

 

「ワタシはホロウがホロウを尊重する世界を構築したいだけなのだ。そこに命が……光があってはならない。陰と鬱で満ちた黒の世界……今よりもずっと闇に満ちた世界だ。しかしそこには――」

「コクヨさん」

 

 小さく名前を呼んだシヅキ。彼はただ、ゆっくりとその首を横に振ったのだった。

 

「そこにトウカは居ないなら、俺は肯定できねえよ」

「……ああ、そうか」

 

 呆気なく、コクヨは引き下がった。シヅキの答えを分かっていたのかもしれない。彼女はずっと外套を握っていたその手を離すと、闇空へと向けて伸ばしたのだった。

 

 彼女の琥珀の瞳から、涙が溢れてくる。

 

 

 ………………。

 

 

「俺は、俺はよ。トウカの眼が好きなんだ。琥珀に透き通ってて綺麗で……アレは光を見ているんじゃないかって思う。だから俺は惹かれたんだ。自分の望みをちゃんと持っていて、ソレを叶えるために歩いているあいつがずっと羨ましかった」

「……ワタシのコレも、同じモノだと言うか?」

「きっと出会うタイミングの違いだけだったんです。トウカを知る前にコクヨさんのことをちゃんと知れていたなら、俺はきっとあんたを選んでいました」

 

 静かに立ち上がったシヅキ。そして異形に果てた腕を、弧を描くようにしてゆっくりと動かした。ソレが最後に行き着いた先とは、コクヨの首元である。

 

「俺さ、頭悪いからよ。あんたを選ぶのが道理なんだろうけど……出来ないんです。トウカは俺を頼ってくれて……俺ぁそれに応えたい」

「……狂うてる」

「ごめんなさいコクヨさん。俺ぁあんたのことを今でも尊敬しています」

 

 腕を振り上げた。重心が上方向に一気に動き、身体がぐらつく。重みが重い。なんて重いのだろうか。

 

 その光景を見たコクヨは、自身の瞳を閉じたのだった。その意図とは何なのだろうか? 自身が(ころ)されることへの諦めか、あるいは瞼の裏に楽園を描いているのだろうか。 ……あぁ、きっと後者なのだろう。

 

「最期に一つだけ、言伝があります。 ――お身体には気をつけて、と」

「……エイガ、か」

「コクヨさんはありますか?」

「ヒヒ! フヒヒ! ………………無念だ」

 

 

 ――“コクヨ”というホロウの最期の言葉は、そのようなものであった。

 

 

 霧散し、立ち昇る魔素。闇空に融けてしまう魔素の末路とは一体何なのだろうか? そのような答えの分からない問いが、頭の中に浮かんだ。

 

 間も無くして、シヅキは今までに経験したことのない妙な感覚に襲われた。それが解読の能力だということをすぐに理解する。

 

 そこでシヅキは、口下手な彼女のことをいたく知ったのだった。

 

 もとのコクヨとは人間を畏怖していたこと。

 密告により人間の罪を知り、怒りにまみれたこと。

 それから人間の“根絶やし”を心に誓ったこと。

 初めて同族を(ころ)した時、大きな自責の念に苛まれたこと。

 知恵の種(インデックス)の発芽の為に、何十という単位のホロウを(ころ)したこと。

 魔人あるいはホロウを複製できる者に出会ったこと。

 精神が擦り切れ、歪な笑い方が悪癖となったこと。

 同様の理由で、自身が裁かれる悪夢が習慣化したこと。

 本物の虚ノ黎明を追い、辺境区へとやってきたこと。

 

 

 犠牲に次ぐ犠牲。重ね続けた罪。その全てをコクヨは忘れたことの無かったのだ。 ……だからどうだって、そういう話ではないのだが。

 

 シヅキはその場に膝をついた。嗚咽と涙。叫声を上げた。

 

 もっと他にやり方はなかったのだろうか? 俺たちとコクヨさんは分かり合えなかったのか? 犠牲を生む方法以外にも何か……策はあったんじゃあないか?

 

 

 ――例えば、トウカかコクヨ……どちらかが自身の望みを諦めてしまえれば。

 

 

「……出来る訳が……無えだろ」

 

 涙でぐちゃぐちゃになった視界に右腕が映る。望みを諦めることの無謀さなんて、自身が一番分かっているのだ。

 

 

 ――1秒でも長く、トウカの傍に居たい。

 

 

 その願いのために、一体誰を捨て置いた? その捨て置きへの後悔はあるか?

 

 

 人間の罪……つまり、自身の望みの為にその他あらゆるを犠牲とする在り方を、人間の罪の化身である“ホロウ”はなぞっていることに、頭の悪いシヅキはようやく気がついたのだった。

  

 

 

 そう。これはそういう物語だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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酷く自分勝手な言葉

 

 真っ黒な闇の中で眼を覚ました。

 

 普段、生活を送っている闇空の下。そんな世界とは比にならないほどに暗い闇だ。上下左右すら曖昧な空間はひたすらに静寂だった。

 

 

 ――このような世界をシヅキは既に知っていた。

 

 

 コクヨの複製である“絶望”との戦闘後、眠りについたシヅキが観た悪夢。今は無きヒソラが“特定のホロウに起きる現象”と語った代物だ。

 

 (特定のホロウ……か)

 知恵の種(インデックス)、同族(ごろ)し。心当たりはあった。しかし、それらを悪夢の原因としてしまうと、前回に観たソレの理由とならない。或いはもっと別の……?

 

「シヅ、キ……」

 

 

 頭の中に直接語りかけるような、くぐもった声。聴き違える筈のないその声に、シヅキは背後を振り返った。

 

 

 ――なるほど、悪夢だ。

 

 

「シヅキ…………助けて」

 

 そのような言葉を呪いのように吐き続けるホロウ……トウカ。彼女の胸を細く、しなやかな一閃が貫いていた。漆黒かつ長身の刀……差し向け手とはあろうことかコクヨであった。

 

 串刺しにされ、宙ぶらりんのトウカ。白銀の髪が真下へと垂れ彼女の横顔を隠す。

 

「シヅキ…………」

 

 呪いを吐き続けるトウカ。暗に“なぜ見捨てたの?”という意思を忍ばせたその呟きとは、呪いに相違無かった。

 

「…………」

 

 この光景を目の前にして、シヅキはゆっくりと眼を閉じた。異形と化した右手を振り上げる。自身の首元に刃先を立てた。

 

 もし同様の事が現実に起きたのであれば、シヅキが取る選択肢とはコレだ。それは悪夢の世界でも同様で……つまり、今のシヅキにとってトウカの居ない世界というものは、

「意味が……無ェんだよ」

 

 震える喉を掻っ切った。意識がぷつんと切れる。

 

 

 

 ※※※※※

 

 

 

 ヅキ…………

 

 

 シヅキ………

 

 

「シヅキ!」

 

 

 反響を繰り返す自身の名前に、ハッと眼を覚ます。何重にもブレる焦点が次第に合っていき、闇空に覆われた世界を映し出したのだった。

 

「シヅキ……あぁ良かった。ちゃんと眼を覚ました……」

 

 こちらを覗き込み、視界の半分ほどを埋め尽くす1体の女性。彼女は酷く安堵を浮かべていた。シヅキはその姿を見るなり怪訝な表情を浮かべる。

 

「んだよソヨか」

「トウカちゃんじゃなくて、わたしで悪かったわね」

「いいや……お前でよかったよ。こんな情けねェ表情はトウカの前でよ、あんま見せたく無ェ」

「なーんだ、自覚あるんじゃない」

 

 不敵に笑ったソヨを押しのけて、魔素の回っていない身体を強引に立たせる。大きな木の下に寝かされていたことに初めて気がついた。少しだけ向こうに、棺の滝が見える……。

 

 

 …………。

 

 

「シヅキ、何があったか覚えてる?」

「バカ言えよ。忘れちゃいけねェ」

 

 視線を自身の腕へと寄越す。この腕が全てを物語っていた。膨大な魔素のカタマリ、知恵の種の末路、記憶と記録を継ぐ武装……。いくら名称を取り繕ったとしても、拭いきれない事実がそこには在る。

 

 勝手に腕が震える。止めようにも、その止め方を知らない。止める気にもなれなかった。

 

 

 …………。

 

 

「シヅキ、わたしはね? シヅキとトウカちゃんが無事だったことがすごく嬉しいのよ。それこそヒソラ先生とコクヨさんが犠牲となった悲しみよりもずっと……」

「ソヨ、お前……」

「わたしはシヅキの考えていること、大体分かるわよ? 腐れ縁だから。 ……でも、あなたの隣に立つのはわたし(ソヨ)じゃない。シヅキの為にわたしが出来ることなんて何もないわよ」

 

 棺の滝を眺めながらそのように語ったソヨ。吹き荒れる強い風に、自身の栗色の短髪を押さえた。

 

 ソヨは振り返ることなく、更に言葉を重ねる。

 

「ただ、ね。わたしじゃないと言えないこともあるの。シヅキの気持ちなんて何も考えていない、すごく自分勝手な言葉なんだけどね……いいかな?」

 

 シヅキは肯定も否定もしなかった。何かを発することも。何か行動を起こすことも。

 

 しかし、ソヨはそんなことを全く気にする様子もなく、ゆっくりとシヅキの方を振り返ったのだった。 ……涙で濡れて透き通った眼にて、シヅキを捉える。

 

 

 彼女は言った。確かに宣言していた通りに、それは彼女にしか言うことが出来ず、そして酷く自分勝手な言葉でしかなかった。

 

 

「おかえり、シヅキ」

 

 

 取り返し用のない罪を犯したシヅキにとって、その言葉とは全くもって謂れのないモノであった。

 

 

 乾ききった風が肌を撫でる。傷口に染みて痛みが走った。

 

 

 



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一触即発

 

 涙が枯れても泣き続けたソヨ。彼女の昂った気持ちが落ち着いたのはしばらく後になってからだった。

 

 ようやく泣き止んだソヨの丸まった背中に、シヅキは優しい口調にて声をかける。

 

「もういいか?」

「……うん。ありがとうシヅキ」

「お前も……アレだ。取り繕うの上手かったんだな。ここまで取り乱すとは知らなかった」

「もっと背中撫でてよ」

 

 座り込んだシヅキの胸にその顔を埋めているソヨ。弱々しく発せられたその要望にシヅキは溜息にて返したのだった。今だに人形(ひとがた)を保っている左手にて再び彼女の背中を撫でる。

 

「俺がヒソラを(ころ)した時にも、お前そんなに感極まってなかったろ。よりにもよって何だって今に――痛いって。爪食い込ませるな」

「うるさい。黙って言うこと聞きなさい」

「あぁ。その図々しいところは前と変わんね――だから痛いって」

「ばぁか。 ――わたしはもう平気だから、シヅキはトウカちゃんの処に行ってあげて」

「……トウカは、眠っているのか?」

「いいえ。魔素の回収にって、少し出掛けているわよ」

「そんなことをして、今さらどうするつもりなんだよ」

「トウカちゃんなりのケジメじゃないかしら」

「……そう、か」

 

 ケジメ。その言葉が妙に耳に残る。抽出型のトウカにとっては、魔素を回収することがソレに該当するのだろうか? んなことやったって、自身が犯した罪は無くならないだろうに。

 

 そこまで思考を巡らせたところで、脳裏をある一単語が過ぎった。それはシヅキの記録(きおく)に基づいたモノではない。知恵の種(インデックス)の恩恵……人間の記憶だ。 ……風習? 人の死へのケジメ…………。

 

「墓か。そういうのがあるんだな」

「シヅキ? ぶつぶつとどうしたのよ?」

「いや何でもねェ。分かった、俺行くよ」

 

 何はともあれ、今はトウカに会いたい。トウカの傍に居たいと思える。先ずはこの気持ちを大事にしたい。

 

 

 

 ※※※※※

 

 

 

 棺の滝の荒れ果てた岩肌の地面を進み、ベースキャンプ跡地を抜ける。間もなくして辿り着いたのは、コクヨとの戦闘跡地であった。

 

 

 ――そこに白銀の影を見つけた。

 

 

「……トウカ」

 

 自身の身長より僅かに背の低い錫杖を胸前に差し出すトウカ。その表情は、なんとも言えない憂いを帯びていた。

 

 間もなくして音色が響く。

 

 シャン、シャン、シャン、シャン

 

 錫杖の鈴が鳴る。眩しい音が。音に眩しいなんて変だけれども、きっとアレにはトウカの心が反映されているのだ。

 

 いつもと変わらない抽出の行為。それでもいつもと違って見えてしまうのは、シヅキが変わったからなのだろうか? 肉体的にも、精神的にも。シヅキは悪い意味で大きく変わった自覚があった。

 

 …………。

 

 (いや、俺自身のことは今どうでもいいだろ。それより早くトウカに――)

 

 

 ――その時、複数の“眼”を感知した。

 

 

「――っ!?」

 

 

 ガギィィィィン

 

 

 激しく鳴り響く金属音。その音源の一端とはシヅキの右腕であった。鈍色の長物(ながもの)が鍔迫り合う。

 

 誰だ、と思考を飛ばすより前に背後へ気配を感じた。そうだ、眼とは複数なのだ。

 

「寄越せ!!!」

 

 誰に向けたものでもない叫びが響く。瞬間、シヅキの左手には大盾が構えられた。魔素を急速に回した身体にて、左手一本でソレを操る。間もなくして2度目の金属音が響いた。

 

「なんだよそれ……!」

 

 目の前で鍔迫り合いをする男のホロウが小さく困惑を上げた。自身の右腕に伝わってくる感触……もう少し負荷をかけさえすれば、押し勝てる確信があった。それと同時に、浄化型2体を優に相手できる自身の力量ぶりを自覚する。

 

 

――ならば、やらない手はないだろう。

 

 

 シヅキは背後を守る大盾を向こう側に蹴りつけ、手放した。目の端に映る背後のホロウが、勢いよく倒れる大盾に一瞬間だけたじろいだことを確認する。それだけで十分だった。

 

 重心を前傾へと寄越す。更に右腕へと力を込めた。ソレを急速でやったものだから、鍔迫り合うホロウの武装が呆気なく弾き飛んでしまった。度肝を抜かれた表情と(ふところ)がいっぺんにガラ空きになる。

 

 シヅキは自身が前へと倒れてゆくスピードに任せ、その懐がに回し蹴りを叩き込んだ。

 

「ガッ……!」

 

 肺から漏れ出た鋭い息を吐き出しながらホロウは横方向へと吹っ飛んでゆく。

 

 間髪を入れず、シヅキは背後を振り返った。

 

「く、くそっ! バケモノめ!」

 

 怒りと困惑と絶望。それらに塗れた槍武装のホロウが渾身の突きを繰り出してくる。その矛先とはシヅキの首元だ。一切の躊躇がない。(ころ)そうとしている。コイツは同族を(ころ)そうとしているのだ。

 

 そこまで思考を巡らせたところで槍先がシヅキの顔元を掠めた。翻した身を一回転させながら、槍武装のホロウへと肉薄し、その腕を左手で掴み取った。グッと真正面へと押し込んで、肩を外す。

 

「……躊躇いなく(ころ)そうとするの、止めろよ」

 

 今度は左手を真下へとグッと引っ張った。岩肌の乾いた音と身体が軋む鈍い音にて、槍武装のホロウは地面へと叩きつけられた。そのままピクリとも動かなくなってしまった。

 

 …………。

 

「これで……終わりか」

「あら。圧倒的ね」

 

 油断をしていたつもりはない。だがそのホロウの気配には一切気が付かなかった。身体がいっぺんに熱くなる感覚……声の方向へと振り向く。

 

「……トウカから離れろ」

 

 トウカのすぐ隣には、紫の長い髪をした女のホロウが一体。メガネの奥にある眼光からは何を考えているのか察しがつかない。

 

知恵の種(インデックス)の力、凄まじいものね」

「離れねェんだな」

 

 魔素を急速に回し、接近する。

 

 感覚としては、自身が光にでも化けたものだった。その間にて右腕を低く構え、ソイツの足を狙う。

 

 

 ――そうやって、自身の腕を通す直前。

 

 

「シヅキ、ダメだよ」

 

 トウカの声がかかった。反射的に襲われたものとは、身体を縛る感覚……抗いようのないソレに、シヅキはほぼ無意識的に身を任せる。

 

 ズザザザザザ

 

 振るう筈だった腕を地面へと突き立て、自身の勢いを(ころ)す。結果として、シヅキはトウカ達のほぼ目の前で止まったのだった。

 

「……トウカ。こいつは」

「うん。大丈夫、だよ? シヅキ。この方は、リンドウさん」

「リンドウ? それってソヨに知恵の種(インデックス)を渡したっていう……」

「その“リンドウさん”ってこと、ね。初めまして」

 

 紫の長い髪をした女ホロウ、改めリンドウは自身の横髪を指で掻きあげつつシヅキの隣に座り込んだのだった。

 

「ごめんなさいね。少しだけその腕を借りるわね」

「え?」

 

 シヅキが何かを言う前に、リンドウは異形と化したシヅキの右腕を優しく握る。そのまま彼女の眼前へと持ち上げると…………ソッと口付けをしたのだった。

 

 

「……久しぶりね、ヒソラ」

 

 

 

 



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バケモノ

 

 トウカを自身の傍へと引き寄せたシヅキ。軽く息を吐き出し、リンドウと対面する。

 

 リンドウ……紫の長髪と大きな丸メガネが特徴的な彼女は、ヒソラと同様に裾の長い白衣を身に纏っていた。その風貌をシヅキは今まで知らなかった。トウカだってそうだ。 ……ただリンドウが何者であるか、それは言伝(ことづて)にて認知をしていたのだ。

 

 トウカが頭を下げる。

 

「リンドウ、さん。私とシヅキが助かるように、裏で色々と手筈を整えて下さり、ありがとうございます」

「どういたしまして、なんて言うつもり無いわよ? 謙遜でもない。わたしは頼まれたことを頼まれたようにやっただけだもの」

「頼まれた、こと……」

「ヒソラか」

 

 シヅキの呟きとは独り言に近しいものであったが、リンドウはゆっくりと首を縦に振り肯定の意を示した。 ……レンズの向こう側にて佇む紫の瞳をシヅキは捉える。寂寥(せきりょう)に溢れたソレに、シヅキはズキリと胸を痛めた。

 

 故に、思わず口走ってしまったのだ。

 

「俺ぁ、ヒソラを(ころ)した。確かにこの手でよ……ヒソラを消した。すま――」

「待ちなさい。あなたはそれ以上に言葉を紡がないで。不愉快を憶えるわ」

「……ああ」

 

 まともにリンドウのことを見られず、シヅキはすっかり傷んでボロ切れに近しい黒の外套を目深に被ったのだった。

 

「ごめんなさいね。私情を漏らすつもりは無かったのだけれど。 ――解読型であるリンドウ(わたし)がわざわざこのような地に出向いた理由とは2つあるわ。1つは先にこちらに赴いたホロウであるソヨを回収することね。そうしてもう1つは……あなたたちに警告を伝えるため」

「け、警告ですか……」

「トウカは察しがつくかしら?」

 

 先ほどまでより低いトーンにてリンドウが問いかける。それに対しトウカは、シヅキの袖をギュッと掴みつつ答えたのだった。

 

「私とシヅキ……2体のオドへの帰還は許されない、ことですか」

 

 

 …………!

 

 …………。

 

(それも、そうか)

 

 頭の中を駆け巡る悪い可能性の群れ。シヅキは邪推を展開することが悪癖であったわけだが、今回に関して言えば実に真実めいたものとまで思えてしまった。 ……それもそうなのだ。先刻の出来事がもはや裏付けであった訳なのだから。

 

 トウカの答えに対し、やはりリンドウは首を縦に振った。

 

「正確に言えば、シヅキというホロウをオドへと帰す訳にはいかないわ。その理由とは犯した罪の重さでも、精神状態を鑑みた結果でもない。それらは本質と少しだけズレている。もっと単純なのよ」

 

 リンドウがゆっくりと手を伸ばす。指先が差す末路とは、シヅキの腕であった。

 

「真っ黒に変色し肥大化した腕と、無数の黒の蔦もどきが這い覆った顔部の右半分……ホロウとは程遠い見た目ね」

「…………」

 

 ズキリ、と。先ほど感じた胸の痛みとは毛色の異なる痛みが走った。ぽっかりと穴が空いた感覚だ。

 

 

『く、くそっ! バケモノめ!』

 

 

 思い出されたのは槍武装のホロウが放った言葉だった。あの時は戦うことに必死で、その言葉の重みを感じられなかったが、今はそうじゃない。あのような拒絶とは、シヅキにとって初めての体験であった。

 

「疎外、感……」

 

 人間の記憶、その断片が実に抽象的な煙のごときイメージで再生をされる。疎外、差別、迫害。異分子と称された者共の末路。自分は今そこに立っているのだ。

 

 

 …………。

 

 

 すっかりと黙りこくってしまったシヅキを見かねたのか、リンドウが言葉を重ねる。

 

「見た目を直せばいいなんて話でもないけれどね。浄化型のあなたであれば、その右腕もその顔も繕えないのかしら」

「……俺はそんなに器用じゃない。それに、こいつぁ俺の罪だ」

「それを聞いて安心したわ。 ……是非戻ってこないで頂戴」

 

 リンドウの強い言葉に、身構えていたにも関わらずクラッとシヅキの身体はよろけてしまった。しかし、その身体を支えてくれた者が居た。 ……トウカであった。

 

「リンドウ、さん。あなたは、私の帰還も許されない、って言いましたね。 ……正確に言えば、私はオドに帰還しないってこと、ですよね」

「……! トウカお前」

 

 常軌を保っているその左眼にてトウカの姿を捉える。琥珀色の、眼。

 

 トウカは柔和な笑みを浮かべた。

 

「シヅキ、安心して。もともと私はね? オドに帰るつもりはなかったの。考えがあって。だからえっと……身の振り方は後で一緒に、考えよ?」

 

 拙くて、途切れ途切れの言葉遣い。今となってシヅキは、トウカとまた会えたという実感を得たのだった。そしてこれからも一緒に居られるのだという確信を。

 

「……あぁ。そうだな」

 

 自分はもはやバケモノだ。他所から見れば魔人と等しい。(ころ)される対象でしかない。 ……でも、そうなる道とはシヅキが自ら選んだのだ。改めて実感する。

 

 トウカの手をとった。トウカの温もりが伝わってくる。トウカと眼が合った。琥珀色の綺麗な眼だ。トウカの傍にいられる。それ以外全てを捨て置ける。

 

 

 もはやバケモノでも構わない。



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身の振り方

 

 間もなくしてソヨと合流をした。

 

 これからの身の振り方について、どのように彼女へと説明をしたものかと考えた訳だが、実際に説明をしたのはリンドウであった。

 

「――という訳だから、シヅキとトウカはここでお別れになるわね」

 

 最後にそのように締め括ったリンドウ。一言も口を挟まずに話を聞いていたソヨは、ただ一言「そうですか」と呟くだけだった。

 

 袖がくいくいと引かれる。

 

「シヅキ……少しだけ、2体だけにさせて欲しい、の」

 

 トウカの要望に、当然シヅキは首肯をした。

 

 ここでタイミングが良かったのは、シヅキが気絶させた2体のホロウが意識を取り戻したことであった。彼らはリンドウを連れてベースキャンプ跡地へと歩いてゆく。シヅキは随分と距離を置き、かつ目線を寄越さないようにしていたが、目の端に映る彼らからは明らかな動揺が見て取れた。

 

 そんな彼らとは逆方向へと歩きつつ、シヅキは思考を巡らせる。当然、トウカとソヨのことだ。

 

 トウカ、そしてソヨ。きっと彼女らの間にはシヅキが知り得ない関係性がある。

 

 “絶望”の一件の後くらいからだろうか? トウカとソヨは仲良くなっていた。別に初めから2体が険悪だったことはないけれども、それでも距離間が縮まったことは確実で。その現れを、シヅキはソヨの言葉にて体感したことがあった。

 

 結界前にてソヨが言った言葉。

 

 

『シヅキ、トウカちゃん……久しぶり。ヒソラ先生、お疲れ様です。大変身勝手ながらここまでやって来てしまいました。頼まれていたモノを届けるために。友達を……助けるために』

 

 

「友達、か」

 

 シヅキが知っているソヨとは、きっとあの場面で「仕事だから」などと言った筈なのだ。事実ソヨはリンドウ(或いはヒソラ)に頼まれて種を届けに来た訳で。

 

 ……ソヨは、ソヨの意志にてここまで来てくれた。非戦闘要員のくせしてたった1体で。友達を助けたい、なんて灰色世界には実に似つかわしくない理由なんかで。 ……あいつは良い奴だ。本当に。コアなんて無いくせに。

 

 しばらく荒れ果てた地面を進み続けたシヅキ。おもむろに後ろを振り向く。霧がかった棺の滝の空間とは、薄ぼやけた白に満ちていた。それが彼方を覆う闇空と混ざり合い、まばらに灰色を見せる。

 

「……そろそろ戻ろうか」

 

 口に出したシヅキは早歩きにて来た道を歩いてゆく。無意識的なその速さとは、心の端に芽生えた願望への期待であった。「もしかしたら」なんて思いがシヅキを突き動かす。

 

 間もなくしてシヅキは元の場所へと戻った。そこに漂う2体の影。シヅキが彼女らに声を掛ける前に、こちらを呼ぶ声があった。

 

 腰に手をかけた声の主とは、陽気な調子で言う。

 

「あぁシヅキ。もう話は終わったわよ。あんたトウカちゃんに迷惑かけないようにしなさいよ」

 

 ニッと笑いながらそのように言ったソヨ。彼女はシヅキの胸元を握りこぶしで軽く小突くと、すぐに踵を返してしまった。ソヨが走り去った方向にはリンドウ達の姿がある。

 

 シヅキが何か口を開く前に、彼らの影は呆気もなく小さくなっていった。ソヨが遠ざかってゆく。

 

 再びくいくいと袖が引かれた。

 

「シヅキ……行こ。2体で、行くんだ」

 

 トウカが歩き始める。彼女のか弱い引力に従い、シヅキは歩みを再開した。すると、あっと言う間に淡い霧へと巻かれて、2体きりになってしまった。

 

 …………。

 

 俯き続けるトウカへと呼びかける。

 

「……トウカ」

「うん。 ……うん」

「辛いな」

 

 ふるふると震えるトウカの背中へ手を置く。小さく、すぐにでも壊れてしまいそうなソレとは、以前と比べてどうだったろうか?

 

「シヅキ……私って、物分りがすごく、悪いの。自分のやりたいこととか、望みをね? 叶えたくて、たまらないの。すごくわがまま」

「あぁ」

「ソヨちゃん、に……ぶたれた。叱って、くれた」

「あいつは、良い奴だからよ。優しすぎねェんだ」

「『非戦闘員のわたしが旅をするなんて、迷惑でしかない』って……!」

「……あぁ。トウカ、よく諦められたな」

 

 静かに嗚咽を漏らすトウカ。それ以上にシヅキが口を挟むことはなかった。

 

 棺の滝にかかる、淡い霧が晴れてゆく。浅い傾斜の坂道を登ってゆく。この先にあるのは結界だ。シヅキとトウカはそこを目指した。

 

「……じゃあな。ソヨ」

 

 きっと二度と会うことはないだろう。そのような予感とは、無根拠だけれども確信めいたものがあってしまった。



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根源の意味

 

 結界を目指し、数度目となる坂道を登ってゆく。するとすぐに空気の違和感を感じ取った。

 

 初めのうちは辛く、苦しい対象でしかなかったソレも、今となっては肌がピリつく程度であり訳がない。足取りを緩めることなく坂道を進むことができた。

 

 そのような現象の名前を、シヅキは呟く。

 

「ノイズの渦、か」

 

 横凪に身体を切り裂かんとするノイズ。結界周辺を円状に纏うソレのことを、今は無きアサギは『心を揺するノイズ』と表現した。冷静に思い返してみればこのノイズの渦と呼ばれるものとは、信念(コア)の有無を判別するための仕掛けだったのだろう。シヅキのみを結界から外へと切り離すための。 ……その元凶とは、既に世界から落ちてしまった訳だが。

 

「……いや」

 

 脳裏を1体のホロウが掠める。

 

「ソウマ……あいつ、どうなったんだ」

 

 浄化型を見下すメガネのホロウ、ソウマ。彼はコクヨの右腕にあたる立ち位置だったとシヅキは認識をしている。最後に確認をしたソウマとはボロボロの姿で気を失っていた訳だが……コクヨにより逃された彼のその後を、シヅキは何も知らない。

 

 もちろんコクヨほどの脅威性は無い筈だが、懸念にはなりうる。そう考えたシヅキは、共に足を進める彼女へと尋ねることにした。

 

 緊張を孕んだ声色にて問う。

 

「トウカ。ソウマってよ、あの後どうなって――」

「うぅ……ぐす…………ぅぅぅぅぅ」

「おい」

「ソヨちゃぁぁん…………ぅぅぅ」

「お前、いい加減に立ち直れって。鼻水出てるし」

 

 シヅキが自身の外套の端くれを差し出すと、トウカはズビビビと鼻をかんだ。

 

「遠慮なしだな」

「だ、だって……シヅキがくれた、から」

「まぁそうだけどよ。あーーやり辛え」

「ご、ごめん」

 

 小さな声で謝り、トウカはそれから黙ったままだった。鼻をすすり、嗚咽を漏らす。それらが地面を踏みしめる足音と混ざり合い、耳へと届く。

 

 とてもじゃないがモノを尋ねられる状態ではなかった。シヅキはすっかりと傷心をしているトウカを通じて、ソヨという存在の大きさを確信する。 

 

 アサギやコクヨのように失ってしまった訳ではない。むしろ失わない為の選択を取った。

 

 しかし、心の中のどこかで考えてしまう。もう会えないのであれば、それは存在していないことと同義なんじゃないか、と。通心だって、届くかどうか分からないし、シヅキとトウカの存在を悟らせるリスクがある。やるべきではない。やるべきではないのだ。

 

「…………」

 

 シヅキは後ろを振り返らなかった。足を止めることもしなかった。トウカがそうしなかったからだ。

 

 傷心と共に坂を登り続ける。結界まで間もなくの距離まで来ていた。

 

 

 

 ※※※※※

 

 

 

――結界前。鎖の塔跡地。

 

「着いた、ね」

 

 その空間に足を踏み入れたトウカは風に吹かれる自身の髪を抑えつつ、呟いた。もう嗚咽は混じっていない。きっと涙が枯れ果ててしまったのだろう。

 

 トウカに倣い、シヅキは広がる景色を眼に捉える。

 

 以前にコクヨとソウマを拘束していた鎖の塔とは、その痕跡を全く残していなかった。眼前に広がる景色とは、歪んだ風貌の荒野地帯だけである。

 

 シヅキはゆっくりとした足取りにて結界へと近づいた。

 

 歪んだ景色の原因である結界。エイガが“茶番”と称した調査団の目的とは、その結界の破壊であった。この先に広がる“から風荒野”では、魔素の回収が大いに期待出来る……つまり、人間の復活の足がかりとなるとコクヨは言っていたのを思い出す。それが心無き発言であったことを、今になって理解する。

 

「シヅキ……まだ私、どこに行きたいのか、言ってなかったね」

「……この先か」

「うん。きっとこの先に、私の求めているモノが、ある」

「求めている、モノ?」

 

 反射的にシヅキはトウカの方へ振り返る。ちょうど鎖の塔が建っていたところにトウカは立っていた。琥珀色の眼はもう潤んでいない。それが見つめる先とは、結界の奥先であった。

 

「シヅキがエイガと戦っていた時にね? 結界の破壊をしてた抽出型とヒソラ先生は、コクヨとソウマに、一時的に拘束されたの」

「あぁ。言ってたな」

 

 トウカが隠し持っていた煤の入った小瓶。ヒソラがそれを煤魔法として使用し、鎖にコクヨたちを縛りつけたことでトウカは解放をされた筈だ。

 

 シヅキの相槌に、トウカは大きく頷いた後に続ける。

 

「拘束された時にね、コクヨがボソって……独り言? を言ってたんだけど、それが聞こえたの。『止むを得ない。根源はいずれだな』って」

「……根源だと?」

「その時に思ったの。コクヨが結界の破壊をする状況を作り出したのって、秘密裏に“淘汰”をするための建前では無いのかなって」

「結界の破壊自体は本当にやろうとしてたってか?」

 

 異形と化した右腕に意識を集中させて、記憶を辿る。調査団について、コクヨの意図とは何だったのか。その記憶をこの腕は持っていないだろうか、と。

 

 …………。

 

「……空振りか」

「シヅ、キ?」

「何でもねェ。続けてくれ」

「う、うん。そもそも、障害となるホロウを(ころ)すだけなら、結界の破壊なんてまどろっこしいことをしなくてもいいはず。私が盗み聞いたコクヨの言葉も合わせると、ね? 結界の破壊は、本当にしようとしてたかもしれないって思ったの」

「……この先に何かがあるってことか」

「コクヨの成したかった世界平和。その手段として実行された、不都合なホロウの(ころ)し。結界の先を、目指す意味。根源という言葉が指すモノ…………全部、繋がっている」

 

 トウカが羅列したコクヨの行動と発言。それらがトウカが結界の先を目指す理由とどう結びつくのか、すぐにはピンと来なかった。

 

 

…………

…………!

 

 すぐには、だ。

 

 コクヨを(ころ)した際に、彼女の記憶が大量に流れ込んできた。その内の一つが今、強烈に思い返される。コクヨが中央区から辺境のこの地までやって来た理由だ。

 

 その眼を大きく見開いたシヅキ。そんな彼を前にして、答え合わせとばかりにトウカはこう言ったのだった。

 

 

「から風荒野か、あるいはその先には……“虚ノ黎明”が居るんだ」

 

 



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から風荒野

 

 遠くに結界を見据えたシヅキは息を吐き脱力した。 ……以前にもこのように助走距離を取ったことがあると思い出す。あの時は結界の破壊を試みるシヅキのことを、たくさんのホロウが見ていた。

 

 …………。

 

 あまりにも静かで、あまりにも(うつろ)な気配。その中心にてシヅキは自身の重心を極限まで下げた。頭から腰にかけて地面と平行になる。

 

 そうして自然と下がりきった視界が捉えたのは異形と化した自身の右腕だ。真っ黒に変色した醜いソレに向けて、シヅキは一言呟いた。

 

「ヒソラ、頼むぜ」

 

 穿つようにして地面を蹴る。

 

 目まぐるしく変化を続ける視界と、空気を裂く感覚。それらを一身に感じた頃には、既に結界は目前の距離となっていた。腕を構える。

 

「らァ――――――!!!」

 

 託した魔素の全てを開放するイメージにて、シヅキは薙ぎ払った。

 

 

 ガシャアアアアアアアアアアアアアアアアアン

 

 

 腕へと伝わってくる確かな手応え。それとほぼ同時に、けたたましい音が辺り一帯に鳴り響いた。

 

 ズザザザと地面を滑り、シヅキの勢いは収まった。後ろを振り返る。そこには今まで見たことのない光景が広がっていた。

 

 魔人とホロウの侵入を防ぐ出自不明の巨大な防壁、“結界”。シヅキが腕を振るいその一端を破壊したことにより、結界全体が音を立てて崩れ始めたのだ。結界の破片が闇を浴び、黒に染まる。まるで腐敗をしているようだとシヅキは思った。

 

 重力に従い、結界だったソレは地面へと落ちていった。本当に、本当に呆気なく。その光景を目の当たりにしつつ、シヅキは自然と呟いていた。

 

「……元から結界なんて無かったらよ、もっと別の未来があったのか?」

 

 すぐに(かぶり)を振る。事の発端とはコクヨの野望であり、結界を前提とした特殊作戦なんて銘打たなくたって、きっと“淘汰”は行われたのだ。結界とはその助けに過ぎない。

 

 しかし。そう思っているはずなのに、心のどこかで考えてしまうのだ。 ……もしあの時、結界を破壊するための力をシヅキが有していたのであれば、何か変わったのではないかと。

 

 再び右腕へと視界を移す。

 

「ヒソラ……どうだったろうな」

 

 その力を得るために犠牲となった彼にシヅキは問いかけた。当然、答えなんて返ってくる筈もない。

 

 

 

 ※※※※※

 

 

 

 から風……湿気を伴わない乾いた風が吹き荒れる。ゆえにから風荒野だ。そういえば棺の滝付近でも風が強い時があったが、この荒野が起因の風だったのだろうか? そのようなことを考えながら、シヅキは次の岩の窪みへと手をかけた。

 

「シヅキ大丈夫? 登りきれそう、かな?」

 

 真下に居るトウカが心配そうに声をかけた。眼を向けてみると、風のせいで外套が激しく揺れ動いているのが見えた。正直、巨大岩を登攀(とうはん)する自身よりもトウカが風に飛ばされてしまう方が懸念である。

 

「浮き始めたら声出せよ」

「ん? ……ご、ごめん! 聞き取れなかった!」

 

 大声で叫ぶトウカを他所にシヅキは左手一本で器用に登ってゆく。そして、高さが10メートルはある巨大な岩の頂上へと辿り着いたのだ。

 

 砂塵が目に入らないようにフードを被りつつ、一面に広がる荒野を見渡した。

 

「……何もないな」

 

 植物の類は確認できない殺風景な荒野地帯が、地平線の先まで続いている。それ以外の特徴は多少の起伏があること位だろうか? 何にしたって、この土地を住処にしているホロウなんてのは酔狂にも程があるだろう。とても考えづらいと思えた。

 

「本当に居んのかよ。虚ノ黎明は」

 

 溜息と共にシヅキは岩から飛び降りた。すぐにトウカがこちらへと駆け寄ってくる。

 

「よかった。飛ばされなかったのか」

「飛ばさ……え?」

「お前小っちゃいから心配だったんだよ。風に飛ばされねェか」

「も、もう少し身長が欲しかったなって、思ってるよ……」

「いやそんくらいでいいよ。持ち運びやすいしな」

「また意地悪、もう……岩の上から、何か見えた?」

 

 収穫がなかった旨についてをシヅキが説明すると、トウカはポリポリと自身の頬を掻いた。

 

「とりあえず、この大きな岩を目指して歩いてみたけれど……目標を変えないと、ね」

「どうすんだよ。闇雲に歩き回るってのもセンス無ェしな」

「あはは……どうしよっ、か」

 

 バツが悪そうに笑うトウカ。シヅキが眼を細めると、トウカは顔を引き攣らせつつ自身の額に両手を置いた。

 

「何やってんだよ」

「ガ、ガード……最近になって、シヅキがデコピンをする時が、分かってきた、から」

「そうか。なら別の方法を考えねえとな」

「べ、別の……え?」

 

 1歩、2歩と近づいたシヅキはおもむろに左手を伸ばした。「ひゃ」と変な悲鳴を上げたトウカは身を縮こませたが、シヅキの手がトウカの額を捉えることはなかった。

 

 代わりに、左手を大きく広げたシヅキは、目深に被られたトウカの白の外套を(まく)る。そして露わとなった白銀の髪を、

 

「ひょ……! うわっシ、シヅキ……え、なになに? う、うぉぉぉぉぉ……」

 

 わしゃわしゃとかき乱したのだった。

 

「デコがダメなら、次はこっちだな」

「や、やめてほしい……デコピンの方がまだ……」

「痛くはねェだろう」

「そ、そういう問題じゃ、なくて……もう」

 

 再び目深にフードを被ったトウカが先頭になり、再びから風荒野を進み始めた。そんな彼女の背後を歩きつつ、シヅキは密かに考える。 ……それは失う選択肢を取ったことで、何を得たのかということだ。

 

 

 ――その答えは目の前にあった。あってくれた。

 

 

 …………。

 

「なぁトウカ」

「ん? どうしたの、シヅキ」

「ああ。あのよ、どこか落ち着いた時にでもよ――」

 

 続くシヅキの言葉を聞いたトウカは、寂しげな表情と共にその顔に笑みを浮かべた。

 

 琥珀色の眼を細める。

 

「うん。 ……そうしよっか」

 

 



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魔素の痕跡

 

 

「わっ……!」

 

 小さく悲鳴を上げたトウカの手を引く。幸い彼女が転んでしまうことはなかった。

 

「大丈夫かよ」

「う、うん……ありがとシヅキ」

 

 腕に力を込めてトウカを引っ張り上げる。多少の時間はかかったが、なんとか彼女も勾配の強い丘を登りきることができた。

 

 景色を見渡す。

 

 …………。

 

「何も、ないね……」

「だから言ったろう。誰が見たって、何も手がかりなんて掴めねェよ」

「うん。あ、ありがとシヅキ。私が登ること、手伝ってくれて」

「……あぁ」

 

 相変わらず一面に広がるのは荒れ果てた大地だった。植物(正確には植物だったモノ)の類いは無く、枯れ果てた土壌が続くだけの土地だ。それは、以前に巨大岩から見渡した景色と代わり映えのないものであった。 ……強いて言うならば、半球状に抉れた大穴がぽつぽつと見つかるようになったくらいだろうか?

 

 吹き荒れる風に溜息を吐く。シヅキは丘上にて器用に寝転がった。

 

「……懐かしい、景色」

「んぁ?」

 

 トウカがポツリと呟いた言葉に、シヅキは間抜けな返事をした。

 

「懐かしいって……似たようなのを見たことあんのか?」

「う、うん。中央区もね? 似たような景色だったから。バリケードでぐるって囲った中に、大きな街とアークがあるの。バリケードの外は、何もない荒れ地」

「……あぁ、そうだったな。間接的にだが、その景色を俺も()()()()()()()

「コ、コクヨの記録(きおく)?」

「いや人間の記憶(きおく)だ。俺の意志に関わらず、定期的に流れ込んでくるんだよ。知恵の種(インデックス)に詰まってたもんだ」

「それって……どんなのが、あるの?」

「……少し前に喋ったろう。人間が犯した罪とホロウの存在を」

 

 シヅキがどこか投げやりな口調に言うと、トウカは少しだけ唇を尖らせた。

 

「そうじゃなくて、他にも色々とあるなら、私も知りたい」

「……歩きながら喋ろうぜ」

 

 トウカの手を引き丘を降りたシヅキ。どこを目指すわけでもなく、風の流れに逆らうようにして歩を進めてゆく。 ……隣を歩くトウカはシヅキへ催促をするように、彼の袖を握り込んでいた。

 

 シヅキは自身の後ろ髪を掻きながら語る。

 

「この種が何故造られたかって言うのは分からねェ。記載が無ェんだ。ホロウが莫大な力を得るための工作だったのか、それとも別の目的があったのか……いずれにせよ、製作者は人間だ」

「ヒソラ先生も、言ってた。この種が人間の記憶を圧縮したものだって」

「……碌でも無ェものばっかだ。人間同士の闘争だとか、いつどの国が滅びただとか、経済の崩壊だとか。追想をするだけで鬱になる」

「シヅキは、人間のことって……嫌い?」

 

 トウカのこの問いかけにシヅキは目線を寄越した。小さな彼女はじっと彼のことを見つめている。おずおずとしているようにも、堂々としているようにも見えるのだから不思議だ。

 

 シヅキは自らが手をかけた真っ黒のホロウに思いを馳せながら答えた。

 

「好き嫌いで言うなら嫌いだけどよ。本音を言っちまえば“どうでもいい”だ」

「ふふ、なら私と同じ、だね」

「……お前は世界に生命を取り戻すんじゃあねェのかよ」

「人間の復活は、含まれてないよ。生命っていってもね? 私はただ生きている花が見たいだけ」

「……あァ。言ってたな」

 

 以前にトウカが言っていた言葉を思い出す。

 

『昔、生きている頃の花の映像を見たことがあるの。白くて、小さくて、弱々しい花だった。でも、すごく綺麗だったの。眼に焼き付いて、一時も離れない……一目惚れだった。私はね? きっとその花を見るために存在しているんだって、そう思えたの』

 

「……一目惚れ、か」

「ど、どうしたの? シヅキ」

「何でもねェよ。 ……残念ながら、生命の盛期についての記録はほぼ残ってねェ。花の記載は無いな」

 

 淡々とした口調でシヅキが言うと、トウカは寂しげに笑い、ただ一言「そっか」と呟いた。シヅキの胸にチクリとした痛みが走る。

 

 

 

 ※※※※※

 

 

 

 小一時間を歩き続けたシヅキとトウカ。やがて彼らがたどり着いたのは、地面が半球状に抉れた地形が連なる地帯であった。

 

 直径10m、深さもそれ位だろうか? そこそこに大きな半球だ。そのような穴が無作為にぽっかりと空いているのだ。

 

 実際に近くで見て、シヅキは違和感を覚えた。

 

「なァトウカ、この穴ってよ……」

「うん。たぶんだけど、造られた、モノ」

 

 ゴクリと唾を飲んだトウカ。彼女の身体が少しだが震えていることが分かった。シヅキだって心意的には彼女と近しい。身体は張り詰めた緊張を感じていた。

 

 …………。

 

「降りてみる。トウカは残っていてくれ。何かあれば、小さいことでもいいから教えろよ」

「あ、ありがと」

「今さらだ」

 

 穴底には何も無いことを確認しつつ、シヅキは意を決して中へ滑り降りていく。

 

 ズザザザと靴底を擦る地面は固い。砂が溜まっていない証拠だ。この穴の存在がそこそこに新しいことをここで確信する。

 

 無事に滑り降りたシヅキは穴底の中心まで歩く。さすがに底は吹き溜まりとなっているせいだろう、砂塵がいくらか溜まっていた。だが少ないと思える。

 

 ソレを踏みしめつつ、ぐるりと周囲を見渡してみた。

 

「異常は無ェか」

 

 穴をよじ登ったシヅキは、今度はトウカを連れて穴へと入ってゆく。彼女も同様に、穴を一望した後に闇空を仰ぎ見たのだった。

 

「……まだ新しいね、この穴」

「あァだからよ――」

「うん、分かってる。 ……魔素の抽出してみる」

 

 一つ頷いたトウカは、背中に提げていた錫杖をその手に持った。ソレを包んでいた布を受け取ると、シヅキは穴の中心から少し離れた。

 

 ――魔人と比べたら微小だが、ホロウも魔素の痕跡を残す。ノイズだ。

 

 通常、抽出の対象とは魔人であるが、ホロウにだって使用することは可能だ。魔人だってホロウだって、その根源とは人間なのだから。

 

 …………。

 

 

「……おかしな話だよな。心の狂った元人間と、狂った心で造られた似非人間が(ころ)し合うなんてよ」

 

 

 そんな当たり前の事実をこぼした時だった。

 

「シ、シヅキ!」

 

 動揺に満ちた声にてトウカが名を呼んだ。シヅキはノータイムにて彼女の元へと駆け寄る。その肩を抱いた。

 

「どうしたトウカ! 何があった!?」

 

 その顔を覗き込むと、トウカの表情はすっかりと青ざめていた。さながら有り得ないものを見てしまったように。

 

 シヅキは深呼吸をし、辺りを睨め回した。 ……周りには何も無い。気配も無い。舌打ちをこぼす。

 

「ち、ちがうの……! 敵とか、そういうのじゃなくて……その、魔素の痕跡があって……」

 

 しどろもどろに語るトウカ。シヅキが振り返ると、彼女はすっかり地面へと座り込んでいた。

 

「その……あの、魔素の痕跡が……」

「落ち着いて話せ。聞いているから」

 

 シヅキの声にトウカが頷く。ギュッと錫杖を握り込みつつ、彼女はこのように言い放った。

 

 

「この魔素の痕跡は……リーフちゃんのものなの。コクヨに、(ころ)されたはずなのに……」

 



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リーフであろうがなかろうが

 

 リーフという抽出型が居た。居るではなく居た。

 

 見た目こそ、眠たげな眼とカールのかかった髪以外はいたって普通であったが、それ以外の面が特に印象に残るホロウだった。

 

 突拍子のない仕草、妙に語尾を伸ばす口調、そして緊張感に欠けた思考。それらがシヅキの理解が遠く及ばない所で繰り広げられていたのだ。特に口調は妙に鼻につき、苛立ちに似た感情が常にシヅキの根底で息を潜めていた……と今になって思う。はっきり言ってしまえば、アサギやサユキと比べて“苦手”なホロウだった。

 

 しかし、同時に彼女の良い面も知っていた。

 

 シヅキは(おもむ)ろに眼を閉じる。リーフの容姿がふわりと脳裏へ浮かんだ。

 

 ………………。

 

『そーそー。リーフちゃんだよ〜ん。仲良くしてね〜』

『かわいかったよ〜? お姫様抱っこ〜』

『あう〜〜〜ん!』

『シヅキく〜ん、よく言えたね〜かわいね』

 

 

「……碌な思い出が無ェな。碌な奴じゃ無かったからか」

「シヅ、キ? どうしたの? ぼーっと立ち止まっちゃって……」

「なんでもね。 ――それでどうだ? 手がかりとか」

 

 先ほどまで穴の中心にて錫杖を鳴らしていたトウカ。彼女はシヅキの問いかけに対して、ふるふると首を振った。

 

「前に、観測をした時よりもちょっとだけ魔素の気配は濃い……かな? でも、誤差の範囲、だと思う」

「時間経過で魔素は空気に溶け出して薄れてくものだろ? 気配が変わってねェってことはやっぱ近づいてるんじゃないか?」

「そう、かもね。 ……探してあげないと。リーフちゃんのこと」

 

 錫杖の柄を握り込みながらトウカは言う。ギュッと結ばれた彼女の口元こそ、その言葉が本心からのものだという裏付けだった。

 

「…………」

 

 そんな彼女の隣にてシヅキは穴の底から闇空を見上げる。

 

 から風荒野にてぽつぽつと出現するようになった直径10mほどの大穴地帯。その中で抽出型のトウカが探知をした魔素とは、魔人なんかのものではなく、コクヨに(ころ)された筈のリーフのものだった。

 

 空気中に融け出す前、魔素がその場に残留をする時間はあまり長くない。調査団が結成される以前に、何らかの方法でリーフがこの場へ魔素の痕跡を残す行為をしていたと仮定しても、時間経過を考慮するとそれは有り得ない事象だった。

 

 ということは、今もなおリーフは存在している? 

 

 (……いや、どうだろうか)

 

 「結界前にてリーフは(ころ)された」とトウカは確かに言っていた。嘘ではないだろう。何らかの方法で、第三者がリーフの魔素と見せかける為の痕跡を残すことは可能だろうか? 魔素の……操作。

 

 シヅキの脳裏に一体のホロウの姿が浮かび上がる。切れ長の眼と、メガネ。傲慢な態度。

 

(ソウマ……奴はエイガやコクヨの力を複製した魔人を造っていたようだが、どうだ?)

 

 ドゥと鳴く短剣武装の魔人と、植物形状の魔人である“絶望”。実際に刃を交えたそれらとは確かに魔人だった。しかし、“複製”という言葉がどうにも引っかかる。

 

 …………。

 

 シヅキは左手をギュッと握り込んだ。

 

「なぁトウカ――」

「シヅキ!」

 

 突如として鋭く自身の名前を呼ぶトウカの声。緊張を纏った表情と雰囲気。たったそれだけでも彼女が何を言わんとしているのか理解ができた。

 

 先ほどまでの思考をパッタリと打ち切り、すぐさま体勢を落としたシヅキは警戒を始める。

 

「数、距離、武装は?」

「ハッキリ、とは分からない。でも……魔素の感じとか、似てる、かも」

「似てるって誰にだ」

「リーフ、ちゃん」

「マジかよ」

 

 トウカを連れて大穴の底から抜け出す。相変わらず吹き荒れる風にシヅキは舌打ちを打った。

 

「どうだトウカ、何か感じるか?」

「うん。 ……居る。居る、よ…………」

 

 やけに語気が弱々しいトウカにシヅキは違和感を憶えた。横目を向けると、彼女は口を真一文字に結んでおり、片目の目尻だけが少し吊り上がっていた。疲弊している……だけではないようだ。

 

 シヅキは唾を飲んだ。

 

「……大丈夫か?」

「ちょっとだけ、頭が痛くて……でも平気」

「無理すんなよ」

「ノイズ、来る……」

「ああ」

 

 トウカの言葉は本当で、間もなくして痺れるようなノイズが肌をひりつかせつつ襲った。 ……トウカのことが第一優先であることは変わりない。しかし今はこのノイズへの対処だ。

 

 ノイズがじりじりと強くなっていく。その過程で確信をしたこととは、コレがリーフのものであるということだ。間違えるはずがない。シヅキは異形と化した右腕を構えた。

 

 目の前に現れる者がリーフであろうがなかろうが。どんな事情があろうがなかろうが。ソレが害を及ぼす存在であるならば、何をするのかはもう決まっている。

 

 トウカが震える口調にて言った。

 

「来た……!」

 

 急に景色の輪郭が曖昧になったかと思うと、空間が次第に歪んでゆく。ノイズが最大限に大きくなり、空気がすっかりと変わった。陰鬱に満たされる。

 

 やがてソレは姿を現した。足が2本、手が2本、体幹が1……人形(ひとがた)だ。

 

「……っ!」

 

 シヅキはその容姿を捉え、息を鋭く吐いた。思わず退きそうになる足をその場で留める。上歯と下歯を強く、強く噛み合わせた。

 

 目の前に映る景色とは現実か? 本物と決め打つことは愚かな行動か? 決めあぐねているということはそうなのだろう。

 

 …………。

 

 深呼吸の後に、シヅキは尋ねた。

 

「なぁ……お前、リーフか?」

 

 少し遠くからシヅキたちを見る少女。少女はシヅキの問いかけに対し、何も答えることなくただ不敵に笑った。

 



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正体

 

 

 不敵に笑うだけの「リーフ」が無言でこちらへと近づいてくる。シヅキは躊躇なく刃先をソレへと向けた。

 

 唾を飲み込み、シヅキは言う。

 

「なぁ、俺たちは今決めかねてるんだ。お前がリーフなのかどうかってよ。だから言葉で証明してくれ」

 

 緊張を一身に纏ったシヅキの問いかけにソレは答えない。無言だ。リーフらしからぬ不気味さがそこにはあった。

 

 距離が近づくにつれ、段々とその輪郭がくっきりと映るようになる。本当に容姿はリーフそのものだ。眠たげな眼も、カールのかかった長い髪も。それはシヅキの知っている彼女の構成要素だった。

 

 だからこそシヅキは息苦しさを憶える。まるで「実は(ころ)されたはずのリーフは無事でした。信じて?」と無言で訴えかけられているようで。 ……そんな都合のいい話を、都合よく飲み込めと言われているようで。

 

 長く時間をかけて息を吐いた。シヅキは言葉を重ねる。

 

「なんか言えよ。俺バカだからよ、疑わしきは罰するぞ」

 

 それでもリーフは答えない。にじり寄るかのように、規則正しい歩調にてこちらへ歩いてくる。

 

 シヅキは更に言葉を重ねる。

 

「お前が知っているシヅキじゃあ無ェんだよもう。守るものがある。トウカが傍に居て俺は…………トウカ?」

 

 その時までシヅキは気付けなかった。先ほどまでの緊張感が嘘のようにスッと消える。そうして出来上がった穴を埋めるようにシヅキの存在を満たしたものとは、途方のない悪寒だった。

 

 

 錆び付いた機械仕掛けのように、シヅキは振り返る。

 

 

 叫声を上げた。

 

「トウカ! おい……トウカ!!!」

 

 から風荒野の枯れた土壌の上に倒れているトウカの肩を揺する。 ……返事はない。うつ伏せから仰向けへと姿勢を変えた。眼は開いていない。彼女は荒れた呼吸を繰り返しており、肩が露骨に上下していた。トウカの表情とは先刻の苦しげな様子の延長にあり、それはまるで……

 

「あく……む…………」

 

 突如として背後から聞こえてきた絞り出したような掠れ声。シヅキが反射的に振り返った先には、トウカを覗き込むリーフが在った。

 

 掠れきった声でソレは続ける。

 

「悪夢を……見ている。可哀想に」

 

 シヅキは怒号を飛ばした。

 

「おいテメェ!!!」

 

 伸ばした左手でソレの襟元を掴む。グッと体重をかけてソレを地面へと伏せるまでは一瞬の出来事だった。異形と化した右腕を振るい上げる。

 

「お前、トウカに何をした!? リーフじゃあ無ェだろ!」

「……ああ」

「答えろ! さもねェと――」

「僕は……僕は何もしていない。彼女は彼女を起因として一時的に意識を失ったに過ぎない」

「何だと?」

 

 シヅキの困惑の声に、リーフの姿をしたソレは不敵に微笑み返した。 ……その眼は笑っていない。感情を意図的に見せていないのだろうか。

 

 ソレはこのように続ける。

 

「君はトウカというホロウが絡むと血の気が昇る。普段の広い視野における分析力と、常に最悪を考える臆病さは鳴りを潜める。 ……端的に表すと向こう見ずになる。ホロウが苛まれる呪いの一種である」

「何が、言いたい」

「冷静となってきた。良い傾向である。 ……僕は危害を加えることのない。君たちの前に姿を現したのはその意思を伝えるためである。君が誤解を受けているのは時機が悪かったに過ぎない。どうかその手を下ろしてくれないか」

 

 声色はまんまリーフだ。しかしながら口調と抑揚が異なるだけで、まるで別物だった。ソレが言うに、自身はリーフではなく、しかし無害な存在だと。

 

 …………。

 

「……ソウマの差し金か」

「あのメガネは関係のない。消息は不明である」

「ならば俺とお前は初対面か」

「意によって肯定とも否定とも返せる」

「リーフの容姿をしている理由」

「少し前より、この身体を“宿主”とした」

「嘘だろ?」

「事実だ。 ……この問答をいつまで続ける?」

「いや、もういい」

 

 ソレの襟をパッと手放したシヅキは倒れ込むトウカを抱え上げた。 ……体温は高い。魔素の乱れもない。ならば倒れたのは疲弊由来のものだろうか? 一時的に意識を失っている、というソレが下した評価は正しいらしい。

 

 間も無くしてリーフの姿をしたソレが立ち上がった。シヅキが伏せ倒したせいで乱れた服もそのままに、ソレは言う。

 

「君たちは身体と精神を休める必要がある。なので僕の住処へと案内をする」

「……助かる」

「途端に素直になった。僕の魔素を解読出来たのだろうか」

 

 独特の抑揚と話し方のせいで、それが質問であると理解するのに1テンポ遅れる。シヅキは胸の内から出しそびれた緊張と怒りの感情を吐き出すように、かと言って静かな口調で返答をした。

 

「いや。あんたはあまりにも“複雑”過ぎた」

「複雑か。そうだろう。 ――さぁ行こう」

 

 吹き荒れる風をまるで気に留めることもなく、ソレは懐から小さな麻袋を取り出した。

 

 風に乗り、僅かに鼻をついた臭いでシヅキはその中身を察する。

 

「……煤か?」

「そうだ」

 

 シヅキの問いに肯定をしたソレは麻袋から黒に染まった粉を取り出した。シヅキも何度か見たことがある。 ……煤魔法。ホロウの心を壊す魔法だ。

 

「俺が知っているそいつの使い方は、()を傷つける方法だけだ。 ……何故、今取り出した?」

「簡単な話である。コレを用いて空間を捻じ曲げる。僕の現拠点はその狭間(はざま)だ」

 

 あまりにも突拍子の無いソレの話に、シヅキは思わず「ハハッ」と笑い声を上げてしまった。

 

「煤魔法ってのは、何でもありなのかよ」

「異なる。客観的に見て、僕が規格外」

 

 ゆったりとした口調にてそのように言い放ったソレ。浮かび上がった不敵な笑みとは、シヅキを(あざけ)ているように捉えられても可笑しくはない代物であった。だが、不思議とシヅキはそう思えない。ただ彼は得体の知れないモノに対する、恐怖感情と酷似をした圧倒に伏すだけであった。

 

 

 ブウウウウウウウウウウン…………………

 

 

 間も無くして、ノイズが走った。ソレの眼前の空間が曖昧となり、世界にぽっかりと穴が空いた。闇空が落ちてきたと勘違いをするほどに真っ黒の輪。シヅキは思わず、一瞬だけ呼吸の方法を忘れてしまった。

 

 出来上がった真っ黒の輪。ソレは躊躇いなく、縁に足をかける。

 

 …………

 

「……なぁ。あんた、名前は?」

 

 その時シヅキは声をかけた。カマかけや探りの意図は皆無だった。ただ彼は心に滲んだ純なる疑問へと無抵抗に従ったのだ。

 

 ソレはすぐに答えない。その代わりに、えらく時間をかけて瞬きを一つだけした。眠たげな……しかし決して眠気はないだろう視線がシヅキを襲う。まるで見定られているようだと感じた。

 

 しかし、そのような永遠に似た対峙の時間とは、トウカによって遮られてしまった。

 

「ぅ……アァ…………」

「――っ! トウカ!」

「彼女が苦しんでいる。手短に済ませる。 ……僕の名前は変遷を遂げている。その時期と都合により自らの正体を変え続けている。“宿主”という単語はその事実を端的に表現しているに過ぎない。かつての僕は“ラヴァ”であり“ステラ”であり“クロウ”だった。しかしながら、リーフという宿主の名前とは君たちを前では適さないだろう。これからは“シーカー”という呼称を要求する」

「……シーカー」

「あぁ。 ……後は」

 

 穴の縁に足をかけていたリーフを宿主(?)とする者、シーカーは輪の中へゆっくりその身体を沈めていく。

 

 半身ほどを沈めてしまったところで、シーカーは途中であった言葉の続きを最後まで吐き出した。

 

 曰く。

 

 

「“虚ノ黎明”」

 

 

 まるで輪がその身を喰らい尽くすかのように、背中越しに呟いたシーカーは闇の中に紛れ消えた。

 



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住処

 

 不思議な輪の中を潜るとすぐに、その魔素濃度の高さに意識がクラっとした。急に来たものだから、体勢を崩すことはなかったが、シヅキは多少よろけてしまう。

 

「こっちに来る」

 

 くぐもった場所で声を出しているかのように、シーカーの声が反響をして聞こえてくる。それは不規則な方向からかかり続けるノイズの影響だろうか? 何にせよ、この輪の近くに滞在を続ける意味はない。

 

「……ああ」

 

 空返事気味に答えたシヅキは恐る恐ると歩みを始めた。

 

 シーカーの声を頼りに視界の悪い闇の中を進む。それは永遠に続くかと思われた……なんてこともなく、すぐに奇妙な匂いが鼻を付いた。

 

「……土?」

 

 から風荒野に充満していた乾いたソレでも、廃れの森の白濁したソレでもない。その匂いとはより濃いものだ。なんと言えばいいだろうか? 

 

(もっと……内面的な……………あ? 内面?)

 

 この匂いに対して、なぜそのような言葉が思い浮かんだのだろう? 疑問が頭を()ぎった時だった。

 

「着いた。僕の住処(すみか)

 

 いつの間にかシーカーの声は反響を止めていた。思考へと意識が引っ張られていたシヅキは、ハッと顔を上げる。

 

 

 ――そこには見たこともない、奇妙な光景が広がっていた。

 

 

 最初に視界へ入ったのは随分と背が高い建築物だった。スラリと細い形状であるソレの全長はどれ位だろうか? 見上げる角度が悪いせいか、測りかねるが優に100mは有りそうだ。その色彩は白を基調としており、黒のラインが所々に入っている。とても住むための建物では無い、とシヅキは直観的に感じた。

 

 そのような塔(らしき建築物)が建つ土地の周りには芝生の地面が広がっている。そして、そこを敷き詰めるように花々が咲いていた。かつて“絶望”と対峙をした薄明の丘を彷彿とさせるソレを前にして、シヅキは静かに息を飲んだ。

 

(花……花か)

 

 視界が下がり、自身の胸元に抱かれたトウカを映す。虚ノ黎明と花畑……彼女にとってなんと都合の良い巡り合わせなのだろう、そう思わざるを得ない。 ……ただ。

 

 その視線の意味を悟られないように、シヅキは慎重に眼を向けた。そこに映るのはリーフの姿。リーフの姿をした得体の知れないナニカ…………。

 

 上歯で下唇をゆっくりと噛む。

 

シーカー(こいつ)は……何を企んでやがる?)

 

 そのようなシヅキの思考に呼応をした訳ではないだろうが、シーカーの眼がゆっくりとこちらを向いた。

 

「魔素量を常に固定化している空間がある。今の彼女には最適。ついてくる」

「……分かった」

 

 塔へ向かい、規則正しい足取りで歩き出したシーカーの後ろをついていく。その中でもシヅキは不審にならない程度には視線を動かし続け、情報を得ようとした。

 

 闇と、塔と、芝生と、花畑で満たされた空間。そもそもここはどこだろうか? シーカーは空間を捻じ曲げたその狭間(はざま)、なんて評していたが、現実味がまるで無くてイメージなんて付かない。

 

 シヅキは小さく溜息を吐いた。

 

(これに関してはこいつに訊くしか無ェ…………ん?)

 

 静かに歩みを続けていたシヅキの足が止まる。その視線はとある一点に集中していた。彼はぱちくりと瞬きをする。

 

「どうした」

「いや……アレって」

 

 シヅキが顎で方向を示した先……塔のすぐ横に在ったのは、芝生と花畑の光景に突如として現れた石の群であった。それは明らかに自然物ではない。石は表面が平べったくて、まるで地面に挿しているかのように埋められている。それらが無造作ではなく、一定の距離感覚を保ち並べられていた。

 

 ソレを見たシーカーは小さく「ああ」と言う。そしてこのように続けた。

 

 

「あれはホロウ達の、墓」

「墓……そうか。墓ってこういうものなんだな」

「墓を知っている。驚いた。人間の営みの中でも、最も早い時期にホロウは切り捨てたのに」

「切り捨てた? よく知らねえけどよ。 ……墓って、消えちまった奴らへのケジメみたいなものだろう? 取り返しなんて付かねえけど……俺はせめて…………」

「是非そうして欲しい。やっぱり、君達をここに呼んで良かった」

「……え?」

 

 意味深なシーカーの言葉に顔を上げたときには、既にソレは歩みを再開していた。

 

 シヅキもまた、墓を一瞥(いちべつ)した後に歩き始める。

 

 …………

 …………。

 

 塔の入り口にて、振り返り際に彼は呟いた。

 

「……後でな」

 



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心の塔

 

 塔の内部はオドを彷彿とさせる吹き抜けの構造だった。

 

 そこは外壁と同じく、彩色の一切ない真っ白に包まれた空間だ。見上げると階段や柱、渡り廊下などが張り巡らされており、まるで迷路のようになっている。塔外部から見上げた時でさえも、その現実味のなさに圧倒をされた訳だが、内部はことさらに顕著だ。

 

 材質か、あるいはこの空間の影響なのか。やけにその影を反射させる床。そこにぽつんと佇むシーカーは、シヅキが歩みを止めたところでゆっくりとその口を開いた。

 

「心の塔、と僕は呼んでいる。通常の建物より超高密度な魔素で形作った建築物……それがこの塔」

「……何をするための建物なんだ」

「二つ役割がある。 ……説明をすると長い。まずは移動する」

「ああ」

 

 大きな広場らしき空間を抜け、天井のある通路を進む。 ……こんな巨大な建物にたった1体で住んでいるのか? なんて疑問を内心で燻らせつつ歩き、辿り着いたのは円形の空間だった。先程の大広間のように吹き抜けの構造となっており、シヅキはすぐに察した。

 

「昇降機……」

「当たり」

 

 間も無くして自身の身体が床に張り付く感覚に襲われた。オドに設置されている古いものとは異なり、かなり静かに動いている。それこそ気がつかないほどに。

 

 円の向かいに立つシーカーはそのような静寂に満たされた空間にて無機質な声色で語り出した。

 

「この塔には二つの役割がある。一つはありとあらゆる記憶と記録の保管庫。ここは人間、ホロウに関わらずその真実を魔素の中に取り込んでいる。故にこの建物は超高密度……その片鱗を“結界”で見たはず」

「……! やはりアレはお前の仕業だったのか」

「そう。僕は敵が多いから。 ――二つ目の役割は、世界に生命を取り戻すこと。その研究施設」

「……そうか」

「君は思うところがある」

「あんのは俺じゃ無ェよ」

 

 腕から滑り落ちそうになるトウカを抱き直したところで、昇降機が止まる。部屋の外へ出ると、そこは吹き抜けの一角だった。現在居るのが先刻に見上げていた渡り廊下だと理解する。下には縦横無尽に走る渡り廊下や階段が見え、入り組んだその奥底には大広間が見えた。

 

 そのような眼下の光景を睨みつけるように見ながら、シヅキは心の中で呟く。

 

(最悪……飛び降りれば逃げられるか)

 

 それからさほど時間はかからなかった。廊下を渡り終えた最終地点にあったのは高さ3メートルほどの大きな扉だった。シーカーがその手で扉の表面を撫でるように触れると、それは真横にズレるようにして開いた。

 

 振り返りシーカーが言う。

 

「ここは居住スペースである。好きに使ってもらって構わない。この先に定量の魔素を保っている部屋がある。あとはホロウの身体が自己修復をするはず」

「……その部屋にトウカを寝かせればいいんだな」

「そう。その後は君の自由。何か望みがあるなら言う。大抵の行動は認める」

 

 相変わらず淡々と言葉を連ねるシーカーに対し、シヅキは何を言うでもなくただ俯いた。その視界には眠りについているトウカの横顔が映る。 ……先刻と比較して呼吸は落ち着いている。しばらくしたら無事に眼が覚めるだろう、というのはシヅキでも分かった。

 

 

 ………………。

 

 

「警戒している」

「……当たり前だ」

「無理もない。君にとって彼女の存在はその全て。一方で僕という存在は、彼女が探し求めていたもの。君は僕の扱いを決めかねている。或いは僕を知りたがっている。或いは――」

「お前は! ……お前は俺たちのことをどこまで知っているんだ?」

「知っていることだけ」

「答えになってねえよ」

「情報を求めているなら、案内をする。塔の最上階」

 

 あっさりとシーカーの口から出た言葉。どうやら情報を伝える意志はあるらしい。自然とシヅキの視線は上を向いた。入り組んだ柱と廊下と階段。 ……オドの上層には秘匿された情報が保管されていた事実を思い出す。

 

 シヅキは絞り出すように声を出した。

 

「……ここじゃあダメなのか」

「五感は少ない。ホロウは第六感を使う」

「んだよ、それ」

「彼女に害は与えない。今、この塔に存在をするのは僕と君と彼女だけである。もし不安なら彼女が目を覚ますまで残るといい。その場合、僕は散歩でもする」

 

 不敵にシーカーが笑う。表情の作り方はかつてのエイガと同じであるはずなのに、不思議と軽薄さは感じなかった。つらつらと事実だけをありのままに語っていると、そのような印象を受ける。 ……受けることまで、折り込み済なのか? 

 

 …………。

 

 (どんな行動を取ろうが、リスクはあるか)

 

 重苦しく、シヅキは口を開いた。

 

「案内を、してくれ。今は情報が欲しい」

「賢明な判断。君のそういうところを僕は好んでいる」

「……なんだよ、急に」

 

 不敵な笑みを浮かべたまま、シーカーは扉側へ立っているシヅキの元へと歩いてくる。カツ、カツとやけに反響をする足音が否応もなく鼓膜を震わした。

 

 そして。シヅキの隣を通り過ぎる間際に、ソレは囁くように、或いは挑発的に問いかけた。

 

 

「或いは…………僕に嫉妬をしている」

 

 

 通り過ぎて行ったシーカーの方を、反射的に振り向く。ソレが見せるのはリーフの背中だけだった。ついてこいと言わんばかりに、細かな足音を反響させる。

 

 シヅキは小さく舌打ちをした。

 

「……俺が関わるホロウって、なんでこんなダルい奴らばかりなんだ」

 



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最上階

 

 渡り廊下を歩く最中に、シヅキはその異変に気がついた。下に映る景色を見渡す。

 

「形が……変わっているのか?」

 

 張り巡らされた階段が、塔を支える巨大な柱群が、ある二点を繋ぐ渡り廊下が。トウカをベッドへと寝かせる前後でその位置を変化させていた。

 

 呟いたシヅキの言葉に隣のシーカーは首を縦に振る。

 

「心の塔。心は常に移ろい続くもの。施しがなければ塔はその形を時の流れに依存する。精神状態が露骨に自らの能力に影響する君たちと同じ」

「……おい待てよ。なら俺たちが離れている間にトウカは何処かに行っちまうってことか?」

 

 ギロと睨みつけたシヅキの眼。しかしながらシーカーは動揺の色を見せない。

 

「施しをしてある。多用する部屋と地形はその場に固定している」

「……トウカは無事なんだな」

「肯定する。 ――基より心は人由来。当然、人の心を内面に持つ僕達は、この塔を操ることが出来る」

 

 

 そのように言ったシーカーはリーフの手をゆっくりと上げた。釣られてシヅキの視線も塔の上層を見上げる。

 

………………。

 

「こいつは……」

 

 間もなくしてすぐに変化があった。音も立てず、地形が降りてきたのだ。落ちてきたのではなく、降りてきた。ワイヤー等の支えが何も無いのになぜ……?

 

 シヅキの問いを無視し、円形の地形……改め昇降機が渡り廊下と平行になるところで止まった。シーカーは躊躇いなく昇降機へと身を移す。

 

 そして、シヅキへとその手を差し出した。

 

「僕は嘘をつかない。君達には嫌われたくない」

「……んだよ、それ」

 

 シーカーから飛び出たその言葉の後、シヅキは意味もなく瞬きを繰り返し、自身の後頭部を掻いた。

 

 昇降機へと飛び乗る。

 

「案内しろよ」

 

 

 

 ※※※※※

 

 

 

 

 最上階は床以外がガラス張りである、ドームの形をした大部屋だった。

 

 やけに透き通ったガラス越しに、眼に穴が開くまで見続けてきた闇空が映る。しかしながら、どこか印象が異なって見えてしまうのはいつもと環境が異なるからだろうか?

 

 視線を落とし、部屋を見渡した。床に埋め込まれている魔素カンテラの仄かな光が規則正しく部屋の奥まで続いている。かなり広い……それこそ、から風荒野で中へ入った大穴よりも広い。しかしながらここは実に殺風景な空間だ。モノなんてほとんどない。

 

 故にシヅキの視線はある一点ですぐ定まった。それはおそらく、シーカーがシヅキを最上階(ここ)まで連れてきた、その目的である。

 

 その装置を見たシヅキの口が自然とこう動いた。

 

「星の観測……天体望遠鏡」

 

 すぐにシヅキは自身の口元に左手をやる。眉間に寄せられた深い皺は彼の困惑を大いに表していた。

 

「そう。眼の前にあるのは、天体望遠鏡。星の上に在りながら、星を観ることに憧れを抱いた人が造り出した装置」

「その単語を、シヅキ(おれ)は知らねえ」

「種の副作用。無断で知識が君に介入をする」

「知っている! ……あぁクソ」

 

 派手に舌打ちをするシヅキを他所に、シーカーは望遠鏡の傍に立った。

 

「残念だけれど、この装置は星を観られない。その姿を模倣しているだけ。 ――代わりにもっと別のモノを見られる」

「……何をだよ」

「研究の成果」

 

 そう言ったシーカーの傍にある天体望遠鏡が勝手に動き出す。その場でジリジリと回転を始め、本来星を観るはずの接眼レンズがシヅキの方向を向いた。

 

 シヅキは口内に溜まった唾を飲み込む。要は覗けと、そういうことだ。ただ何となくそんな気はしていた。天体望遠鏡は予想外だったが、きっと生命に関連することだろうなんて。

 

 ……………。

 

(……トウカよりも、先に覗いちまっていいのか?)

 

 接眼レンズに手を触れながらふと思う。これはトウカが切に願っていた行為じゃないのか? あろうことか先に自身が及んでしまっても……いや、何が起こるか分からない以上、確認はしておくべきだろうか。そもそものところで覗くこと自体どうなのだろう……。

 

 振れる自身の考えに、シヅキは一度顔を上げる。別に助けを求めるつもりは無かったが、なんともなしにシーカーの方向を振り返った。

 

 

 ――否、振り返ろうとした。その視線が中途半端な位置で止まる。

 

 

 働かない思考。無意識に固まる身体。半開きとなる口元。風らしきものが吹き、そんなシヅキの髪を揺らした。

 

 シヅキは意味もなく瞬きを繰り返し、自身の後頭部を掻いた。

 

 

「…………どこだよ、ここ」

 

 

 



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燦然とした世界

 

 優しい青色で塗りつくされた空の上に、輪郭が曖昧な白の煙めいた塊がまばらに浮かんでいる。

 

 それをしばらく眺めた後、自身の足元へと視線を向ける。透き通った黄混じりの緑を纏った草原とは、ある一点だけではない。地続きに向こうの方まで広がっていた。

 

 向かって右方向に続く草原は鬱蒼と茂る森へと変化を遂げた。背の高い木が生やす枝は、無数に分岐を繰り返している。そこには、手のひらよりも少し小さい程度の葉が敷き詰められていた。そのせいで森の奥先の景色は見られない。 ……ピィ、と甲高く鳴くあの音とは一体何なのだろうか?

 

 燻った疑問から逃げるように、最後に前方の光景を眼に映した。

 

 ……丸みを帯びた輪郭の草原が崖となり、ストンと高度を落とす。それからなだらかな丘が続き、ずっと遠くの方には建築物の群れを見つけた。ひどく淡い茶色の壁に、赤基調の屋根。高い建物もあれば、低い建物もあった。

 

 そのような建物群の更に向こうには、所々に黒のラインが入った群青色の液体が遥か彼方まで続いている。よくよく見るとそれは、大袈裟に動いていることが(うかが)えた。(うね)り、という表現が適しているかもしれない。

 

 

 ………………。

 

 

 あら方の景色を眼に捉えたシヅキはゆっくりと眼を閉じた。

 

 シヅキはこの景色を知っていた。闇空の下、白濁の草原に、廃れの森と港町。その先に続くのは真っ暗な海だ。 ……それらを一望できるここは高台の上。トウカが同族を(ころ)していたことをシヅキへ告白した場所だ。

 

 それは間違いない。地理的にはあっている筈なのに。 ……しかしながらまるで。

 

 シヅキは口元を震わせるようにして呟いた。

 

「…………まるで別物じゃねえか」

 

 空は闇色に染まっておらず、草原は緑だ。森には廃れの要素が見られず、港町は景色に調和をしていた。海は黒になんか濁っていない。

 

 これは何だ。何なのだ。当に違和感の範疇は超えていた。先ほどから鼓動の音が内側で鳴り響いている。それがやけにうるさい。シヅキは自身の胸元を強く握り込んだ。そして体内に溜まった異物を吐き出してしまうように、言葉を絞り出したのだ。それは彼の中の察しだった。

 

 

「ここは………………生命の生きている世界だ」

 

 

 断定をする。疑いはなかった。そう出来てしまえたのは、知恵の種(インデックス)を飲み人間の記憶に直接触れたからだろうか。それとも似非人間の本能めいたものか。 ……何にせよ、理解が出来てしまえた。

 

 その理解を後押しするように、ささやかな風とともに土の匂いが運ばれてくる。芳ばしいソレは心の塔の入り口で嗅いだものと同じだった。あの時もこの匂いが妙に気になっていた。内面的な、なんてそんな変な感想を抱いて。

 

「……そういうことだったのか」

 

 気怠い身体を強引に動かし、眩む視界を頼りに歩こうとする。行く宛はない。何故歩こうとしたのかも不明だった。どうも思考が鈍い。 ……生命を前にして自分は今、何を思っているのだろう。

 

 それを確認するために、シヅキは改めて世界を見た。

 

「生命……これが生命」

 

 

 青い空、白い雲、緑の草原、豊かな森と人間が暮らす街。それらは比喩的な意味でひたすらに燦然(さんぜん)と輝いている。なんて、なんて綺麗なのだろう。そこに在るのは自分には無いものばかりだ。手に入れようの無い全てがここには在る。

 

 ………………。

 

 なんて綺麗なのだろう。それと同時に……なんて――

 

 

「ぐ……ァ………………」

 

 5、6と歩みを進めたところでシヅキは崩れ落ちた。意識が朦朧とする。今よりも1秒先が苦しい。2秒先はもっと苦しい。生命に囲まれることは、こんなにも苦しいのか。

 

 ますます鼓動が速くなってゆく。魔素なんてもので再現された偽物の心臓が、偽物の鼓膜を震わせる。偽物の呼吸を荒げるシヅキは小さくその場に(うずくま)った。

 

 左手へ更に力を込める。

 

「心臓…………痛ぇ…………………」

 

 ノイズの渦を越える時に、同じような経験をしたことがある。痛みの走り方も似ていた。 ……あの時の原因とはシヅキの心の在り方に問題があった訳だが、今回はどうだろう。正直手に負える気がしなかった。

 

 もうシヅキの身体は動かなくなっていた。もう眼を開ける訳にはいかなかった。

 

 

 青い空、白い雲、緑の草原、豊かな森と人間が暮らす街。生命の生きている世界。

 

 

 なんて綺麗なのだろう。それと同時に……なんて残酷なのだろう。

 

 

「俺たちは……俺たちが在る世界って………………」

 

 

 闇空の下、白濁の草原に、廃れの森と港町。その先に続くのは真っ暗な海。生命の生きられない灰色世界。

 

 

 そんなシヅキにとっての現実がたった今、燦然と輝く世界によって掻き消されてしまった。その代償に得てしまったものとは、途方もない虚無感と劣等感だ。

 

 シヅキの眼を一滴の涙が伝う。

 

「灰色世界は……なんて空っぽなんだ。何も無い。何も無いじゃないか。価値が無ェんだ。 ……それってこんなにも哀しいことなのか」

 

 ボロボロと涙が溢れ落ちていく。灰色世界を諦めることなんて、とっくの昔に済んでいた筈なのに……そうでは無かったというのか?

 

 その問いに対する答えを探し求めるように、シヅキは彼女の名前を口にする。

 

「…………………トウカ」

 

 トウカが求めているのは、このような景色だというのか? このような景色の中に花を見つけるというのか? それが彼女の望みだというのか?

 

「ダメだ……………………ダメだろ、そりゃあ」

 

 間も無くしてシヅキの意識がだんだんと遠のいていく。それは元の世界へと連れ戻される感覚だった。その最中にシヅキは最後の理解を遂げる。

 

 

 ホロウにとって生命は、毒そのものなのだ。



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際限なき再現

 

「“虚命障害”と僕は呼んでいる。ホロウと、広義な意での命を有す概念とは共存が不可能。何度も宿主を変えてきた僕が出せた答えはソレである」

 

 実に無機質な魔素カンテラの淡い光に当てられたシーカーは、その場に座り込むシヅキへと淡々と語る。

 

 シーカーは傍にある天体望遠鏡へとそっと手を置いた。

 

「コレは星の観測装置を模してはいるが、実態は集積した記録と記憶から世界を際限なく再現する装置。君はあの命在る再現世界に、魔素感知という第六感で繋がった」

「…………」

「ごめん。いきなりだった」

「トウカは……!」

 

 今だに朦朧とする意識の中、シヅキは唐突に叫んだ。勢いに任せ、その場に立ち上がろうとするが上手くいかない。あえなく彼の身体はバランスを崩してしまった。

 

 その身体を華奢な腕が支える。

 

「まだ動かない方がいい」

 

 シーカーに正面から抱きつく形となったシヅキは、思わず突き放してしまう衝動へと駆られたが、それは寸のところで止まった。

 

 その代わりに、ソレの肩を強い力で掴んだのだった。鎖骨の凹みへと指を食い込ませるようにして掴む。するとソレの呼吸が少しだけ乱れた。

 

 行為に反して、彼は静かな口調にて言う。

 

「頼む。トウカは……さっきのモノをトウカには観せないでやってくれ。いや……そもそも存在を教えないでやってくれ頼む。 ……じゃねえと、あいつは――」

「それを」

 

 シヅキの言葉は遮られる。シーカーの声は近くに居てやっと聴き取れるほどには小さい。にも関わらず、言葉を掻き消してしまうほどの力があった。

 

「それを決められるのは君なのか」

「決め、るとかじゃ無ェだろ。危ねえことなんだから……未然に防ぐのは当然で…………」

「そう考えるなら、直接彼女に言えばいい」

「直接言っちまったら……トウカに存在がバレちまうだろ! なら元から無かったように振る舞うしか――」

「そう、君は彼女の意志決定を曲げられない。正確には曲げられる気がしない」

 

 シーカーはその淡緑の瞳でシヅキを捉える。ゆっくりとその口を動かし、ゆっくりと……しかし確実に言葉を紡いだ。

 

 曰く。

 

 

「君は推測を働かせた。或いは察してしまった。“もしかするとトウカの目指すモノとは己が存在の犠牲を伴うものではないか”と」

 

 

 シーカーは僅かに首を横へと傾ける。

 

「異なるか」

「……………………そうだ」

 

 言語化の仕様が無いものも含め、あらゆる感情が混ぜこぜとなったシヅキの肯定。彼は左手で自身の前髪を掴むと、強引に引っ張った。

 

 間もなく、その場に座り込む。

 

「“コア”ってものがあるのだろ? ホロウとかいう奴らの中にはよ……」

「人には備わっていない、ホロウ独自の性質。有り体に言えば“他何もかもを犠牲にしてでも叶えようとする願い”。主に起こりと生活環境が原因で、価値あるものを見出せなかったホロウが有す、呪いの希望。或いは希望の呪い」

 

「……難しいことは俺には分かんねェよ。ただ、俺がトウカの傍に居たいって思っていることをよ……同じように、トウカは生命ある花に願ってるのだろ? なら、もう止めようがねェんだって……俺は……俺はよ」

 

 ダン!

 

 尻すぼみになってゆく言葉に反して、シヅキはかなり強い力で床へと拳を下ろした。そこはやけに硬質で、シヅキの左手には衝動的な痛みが走る。それでも構わず、彼は再び床を殴る。鈍い音が僅かに反響をした。

 

 その反響が虚しく融け消えた時に、彼は言葉の続きを紡いだ。

 

「……ようやくよ、落ち着いたんだ。コクヨの計画をぶっ潰して、同族を(ころ)して、挙げ句自らの身体を変えちまってよ。投げ出せるもの全て投げ出して今があるんだ」

 

 右腕(ヒソラ)をガラス越しの闇空へと掲げた。生命ある世界ならば、月明かりにでも照らされるのだろうか。ここにはそんなものある筈ないが。

 

「……俺はよ」

 

 込み上げてきた嗚咽が漏れてしまわないよう、シヅキは口元をギュッと結んだ。ガクガクと顎が震える。

 

 

「俺ァ今、幸せだよ。失いたくなんか、ない」

 

 

 トウカが、トウカの姿が、トウカとの記録(きおく)が思い起こされる。碌じゃないモノも含めて。当時に刻まれた痛みだって……もはや古傷だ。

 

 口を閉ざしたシヅキに代わるように、シーカーは時間をかけた瞬きの後に、こう言った。

 

「知ってる。痛みを伴う幸せ」

「なんなんだよテメェは……あぁそうだ。肝心な……テメェの実態をまだ何も知らねェ」

「シーカー。記憶と記録を集める。あるべき姿に世界を造り替える」

「分かるように、言えって……」

「人の手により初めて創られた26のホロウ。通称、虚ノ黎明にはそれぞれ役割が与えられた。うち1体の僕は観測者。記憶と記録を集め、その全てを後世へ遺す。」

 

 流れるように発せられたシーカーの言葉。これにはすっかりと参っている今のシヅキですら、聞き逃す訳にはいかなかった。

 

 バッと顔を上げる。

 

「おい……お前、今なんだと? 直接、人の手でって……」

「そう。僕の話もする必要がある。君は彼女のことで精一杯だけど、時間は有限。 ――ちょうど彼女もここへと来た」

「……え」

 

 目の前に映るリーフの姿。その背後、昇降機の到達地点へと焦点を移した。 ……そこに、白銀の影を見つける。

 

「…………トウカ」

「役者が揃った。でも繰り広げるのは劇ではなく現実。 ……始めよう」



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徒ら

「なぁ、トウカ」

 

 気丈と平常を強く意識しつつ、シヅキは震える喉にて声を発した。それは床に反響をし、遠くの方まで響いてゆく。

 

「トウカあのよ……お前まだ目覚めたばかりだろ? まだ安静にしないと――」

「ごめん、シヅキ……少しだけ、静かにしてて欲しいの」

 

 その視線の一切を虚ノ黎明(シーカー)から離すことの無く、トウカは言った。さながらシヅキのことなんて軽くあしらってしまうかのようで。 ……いや、現にそうなのだろう。

 

「…………ああ」

 

 口の中に溜まった不快な唾液を飲み込んだシヅキは、ただその場に立つだけだった。

 

 一方でトウカはその小さな歩幅でシヅキの横を通過し、シーカーの前に立った。その口を開く。

 

「は、初めまして。か、虚ノ黎明……さん、ですよね? あの、リーフちゃんの姿をしているのって……」

「現在の呼称はシーカー。 ……かつて僕の身体を形作っていた魔素は、それ単体で実体化するにはあまりにも希薄した。だから他のホロウの魔素と混ざり合い、身体を形作る。宿主への寄生、表現としてはこれが適っている」

「す、すごい……そんなことが出来ちゃう、なんて。この建物も虚ノ黎明さんが、造った……ということ、ですか!?」

「正確には異なる。この建物は生命末期の人が多目的に利用した基地。その再現」

「な、なら……あなたはやっぱり、生命の復活を目指していて……あの……えっと、そういうこと……なん、なんですよね?」

 

 あまりにも辿々しいトウカの言葉に、さすがのシーカーも小さく息を溢した。

 

「心臓が速い。身体に負担。 ……落ち着いて」

「す、すみません……わ、私……」

「君が僕を探し求めていたことを僕は知っている。君が求める願いは僕のものにほど近い。故に良い協力関係を築きたいと思っている。 ……虚命障害。元より僕一人ではもう、どうにも出来ない。だから――」

 

 カツカツと床を鳴らしこちらへと近づいてきたシーカーは、そのしなやかな手をシヅキへと、もう片方をトウカへとさしだした。握られた手の、その高い体温が伝わってくる。

 

 困惑をするシヅキとトウカ。そんな彼らを前にして、シーカーはこのように言葉を続けたのだった。

 

 

「だから君たちが、僕にとっての最後の希望。ホロウと生命の共存する世界は、僕と君たちで創る」

 

 

 淡緑の、リーフの透き通った眼がシヅキを貫く。あろうことかソレは、琥珀の瞳にも引けを取らないほどに美しかった。

 

 

 

 ※※※※※

 

 

 

 シーカーと出会ったその日からしばらくの時間が経過した。人間の暦に当てはめると、おおよそ3日間ほどだろうか? その間をシヅキとトウカは塔の内部で過ごしていた。 ……とは言うものの、(いたず)らに経過する時間は多かったが。

 

 変わったことがあるとすれば2つ。1つはシーカーがその姿を殆ど現さなくなったことだ。

 

 先日のシーカーが提案した協力関係……ホロウと生命の共存する世界という代物について、それを聞いた当時のシヅキは深く胸を撫で下ろした。何故ならそれは、シヅキの願いとトウカの願いの両方が共に叶えられる理想なのだから。

 

 ……ただ、ならどうすればソレは達成できるのかという話なのだ。再現をした世界で、ではある訳だが、シヅキは虚命障害と呼ばれる「ホロウと生命の非共存関係」を実感してしまった。要はその障害を取り除く必要があり……そもそも、再現ではなく現実に生命を取り戻すことも出来ていない訳で。

 

 更に言えば、シーカーはシヅキとトウカに研究の協力を求めた訳だが、具体的に何を行えばいいのかを示さなかった。あろうことか「少し考える。遊んでて」という一言ともに、重厚な両開き扉の向こうへとその姿を隠してしまったのだ。 ……あんな大口、叩いていたのに。

 

 

「はァ」

 

 やけに背もたれの高い椅子にて姿勢を大きく仰け反らせたシヅキは、大きな溜息と共に天井を仰ぎ見た。その高さはオドにあった自室の天井と同じくらいだろうか? だがこちらの方が酷く無機質な印象を受けてしまう。白とは冷たい色なのだと初めて学んだ。

 

 …………。

 

「あいつんとこ、行くか」

 

 上体を起こしたシヅキは、ガラガラの居住スペースの内で、勝手に自室としたその部屋を出た。同じく無機質な廊下には(どういう原理か知れないが)自動で開閉が為される扉が備え付けられている。

 

 以前にシーカーが言っていたが、心の塔は人の心を反映する性質を持っている。その言葉は本当で、あの時居住スペースで眼を覚ましたトウカは、偶然にも渡り廊下にて昇降機を手繰り寄せたらしい。シヅキだって階段の生成や扉を媒介した2点間の“渡り”に成功した。

 

 ただ、例外的に居住スペースや大図書館といった高頻度に使う施設はシーカーの手により“固定化”が為されており、空間の移動は出来ないようになっている。 ……何が言いたいかというと、目の前にあるこの扉の先には確実にトウカが居るということだ。

 

 10の番号が振られた扉の前に立ったシヅキは扉をノックする。

 

「トウカ、部屋に入るぞ」

 

 そう呼び掛けてからしばらくしても、中からの返事はない。

 

「入るぞ」

 

 痺れを切らしたという訳では無いが、小さく呟いたシヅキが意志を飛ばすと、扉は音を立てることなく開いた。

 

 部屋の構造は実に単純で、間取りはシヅキのソレと変わらない。机、椅子、簡単な棚とベッド……それだけだ。部屋の中に入ったシヅキは椅子を手繰り寄せると、ベッドの前に置いてそこに座った。

 

 そして、目の前の彼女を見る。

 

「……寝るんだったら、ちゃんと横になれよ」

 

 彼女は……トウカは壁を背にしてベッドの上で座り込みながら眠っていた。その手の中には大きな本が抱えられている。そのタイトルは『補完記録42:魔素汚染による主な植生の変遷とそれに伴う人類への影響』。

 

 下唇を噛んだシヅキは、トウカの手から本を取り上げると、彼女の上体を寝かせてしまった。そして、ホロリと眼に差し掛かった白銀の前髪を優しく横に流してあげる。

 

「また、夢を見ているのか」

 

 シヅキの問いかけに、トウカが答えることはない。彼女は今、深い深い眠りの中に沈んでいるのだ。 ……それは分かっている筈なのだが。

 

「……トウカ」

 

 再び小さく呼び掛けたシヅキは、トウカの小さな手を握った。その体温は低い。冷んやりとしている。当然なのだが、彼女がその手を握り返してくるなんてことは無かった。

 

 

 ――シーカーとの出会いから3日目。徒らに時間を過ごす中で変わったことの2つ目……それは、トウカの睡眠時間が異様に長くなったことだった。それこそシヅキの倍以上に長い。長い。 ……長い。

 



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大図書館

 

 トウカが眼を醒ました時、自身の手が握られていることをすぐに理解した。

 

 大きく、骨骨しく、硬い手だ。ソレに自身の手が結構強い力で握りこまれており、トウカは苦笑いを浮かべた。

 

「シヅキ、ちょっと痛いよ」

 

 そう呼びかけるが、彼の身体は椅子の上で丸め込まれている。呼吸を繰り返す度に、その背中が膨らみ縮む様は少し面白かった。意識がある時の彼とは、隙らしき隙を見せようとはしないものだから。その現れが彼の右腕ではないだろうか、とトウカは密かに思っていたりする。

 

 その姿をもう少しだけ見ていたかったから、トウカはそれ以上に呼びかけはしなかった。手に走る痛みだって我慢出来る程度だったし(むしろ加減出来る方がすごいのかもしれない)、それも放置。背後の枕を自身の胸元に抱いた。

 

 無機質な部屋の中に、彼の規則正しい寝息だけが聞こえてくる。

 

 

 …………。

 

 

 しばらくその姿を琥珀の眼に写していたトウカの、その眼が次第に透き通っていく。輪郭が曖昧となり、焦点を失い、ぼやけていった。

 

 しかし、ついに彼女が涙を流すことはなかった。 ……コレが流してはならない涙だと、悟ったからだ。だから奥歯を噛みしめ、嗚咽を抑え込み、シヅキの体温の高い手を必死に握り込んだ。

 

 だが全てを抑え込むことは出来なかった。溢れ出てしまったものは、涙というの代わりに、言葉という形でトウカの口を突いて出てしまう。

 

 震える喉にて彼女は呟いた。

 

 

「時間……ないなぁ」

 

 

 

 ※※※※※

 

 

 心の塔をトウカと歩くことは随分と久しぶりに感じられた。

 

 エントランス頭上に入り組まれた渡り廊下、その一つにシヅキとトウカは立っていた。足場は結構広いくせに、視界が真横まで開けているものだから常に浮遊感に襲われる。高いところが苦手なソヨであれば悲鳴の一つでも上げたかもしれない。

 

 シヅキはそんな廊下のちょうど中央あたりでゆっくりと眼を閉じた。そして頭の中でイメージを働かせる。それは煙に似たナニカ……魔素の形……意志を飛ばす、そのことだ。ホロウ独自の伝達手段である通心がちょうどソレに近い。

 

 そうして、音もなく眼にも見えず。しかし確かに達成のされた事象……それは扉の“呼び寄せ”であった。複雑な模様なんて何一つない実に無機質な真っ白な扉が、廊下の中央という実に似つかわしくない所へ現れた。それは他ならぬ心の塔が持つ性質だった。

 

 そのドアノブを握ったシヅキは、しかしすぐには開こうとせずに後ろを振り返る。

 

「……ん? どうした、の? シヅキ」

「いや、その……体調は大丈夫なのか? 外になんか出ちまってよ」

 

 おそるおそるとシヅキが問いかけると、トウカは口元に手をやり、くすくすと笑った。

 

「平気、だよ。別に体調がどうとか、じゃないから」

「でもお前、ずっと眠っちまっててよ」

「今は平気……平気、だから。 ――だから行こ? 私たち、は見つける必要があるの」

 

 そのように言ったトウカはシヅキの袖をギュッと掴む。細められた琥珀の眼からシヅキはすぐに視線を逸らした。

 

「……ああ」

 

 決して抵抗のできないその視線にシヅキは突き動かされ、ついに扉を開いた。 ……漠然とした不安感をその表情に滲ませながら。

 

(今は、か)

 

 

 

 ――扉の先に広がっていたのは渡り廊下なんかではなく、強く圧迫感を感じる空間だった。

 

 とは言うものの、そこは狭い空間ではない。むしろ横にも縦にも広い大部屋だ。ではなぜ圧迫感を感じるかという話だが、それは膨大な量の本が詰め込まれているせいだろう。 ……ここは大図書館。心の塔の役割の一つである“記憶と記録の保管庫”、その筆頭だ。

 

「わぁ……」

 

 そこに足を踏み入れたトウカは、ずっと向こうまで続く巨大な本棚の群れに感嘆の溜息を漏らした。

 

「すごい……ここに、人間とホロウの全てが、詰め込まれているんだ……!」

「全てかは知らねェけどな。ほら、トウカに渡した植生の本もここにあったやつだ」

「わぁ……わぁ……わぁ…………」

「聞いちゃいねぇ」

 

 右往左往へとそのキラキラした視線を飛ばすトウカに、シヅキは呆れの溜息を吐いた。知識を蓄えることが何よりも好きだったサユキならあぁなるのも頷けるが、トウカはそうではないだろうに。

 

 そんな彼女を視線の端に捉えつつ、シヅキも本のタイトルをつらつらと見ていく。しかしそれは何気のない行動ではなく、意味のあるものだった。

 

 先ほどトウカが言ったその言葉を思い出す。

 

 

『私たち、は見つける必要があるの』

 

 

 そう、シヅキたちも探しにきたのだ。生命とホロウが共存する世界……それを実現するための方法を。その足掛かりとしてまずは人間が何をしたのかを知る、記憶を(さかのぼ)る。監視者であるシーカーですら見つけられなかったナニカがあるのではないか、とそんな淡い期待を込めて。

 



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遡る

 

 

『魔素の汚染が生命に与えた被害の概要』

 

 魔素が人間の負の感情を多く取り込む現象は「汚染」と呼ばれる。また、負の感情を取り込んだ魔素は「汚染魔素」と呼ばれる。その起源は紛争地帯の一端だと記録されているが、真相は定かでは無い。(次頁に続く)

 

 汚染魔素は空気を媒介し、生命体の体内に侵入することで魔素の汚染を伝播していった。ただ人間や渡り鳥の移動によりその範囲が更に拡大したことは記録されている。その危機性は早い段階で知られたが、具体的な対処法が確立される前に変死や魔人化といった結果を生み出し、生命文明は破壊された。

 

 

『汚染魔素を生命が取り込んだケース』

 

 汚染魔素を取り込むことで、生命体には2種類の影響が出る。変死と魔人化である。

 

 実際ほとんどのケースは変死である。被汚染者は精神系に大きく異常をもたらされた後に、その影響が身体へと現れる。肉体の融解や脳の急激な萎縮などが散見されたが、被汚染者に共通する症状は無かった。最も危険な変死体は身体の膨張後に破裂するものとされており、これは「爆魔」と呼ばれた。なお人間以外の動物は後述する魔人にはならず、全て変死を遂げた。(次頁に続く)

 

 一方、人間の中には変死を遂げず汚染魔素と身体が融け合い一つとなった存在である「魔人」へ果てるケースが見られた。これは当時、人道と倫理が主な理由により使用が厳禁とされていた「加害魔法(生命に致命的な損害を与えうる魔法の全て)による人間身体の加工行為」の結果と酷似をしていたという。また、人形(ひとがた)の魔人以外にも動物や植物を模した姿のものも見つかっている。その原因は不明だが、人形の魔人に比べて戦闘能力が高いことから、魔人は人間の容姿から乖離すればするほどに力を増すものと思われる。

 

 これら変死と魔人、不本意に魔人化した人間による実害行為が折り重なり、生命時代は急激な衰退の一途を辿った。

 

 

『ホロウの創造』

 

 生命時代末期となってもなお、その理性を留めていた僅かな人間は「心の塔」と呼ばれる基地を造り、汚染魔素の克服方法を探った。有効的な方法は案として上がったが、それが実行されることはついになかった。汚染魔素拡大による資源量と時間の大幅な不足が原因である。(次頁に続く)

 

 最終的に理性を留める人間が下した結論とは「汚染魔素に対抗できる存在」の創造だった。それを実現するには、その身体が生命を持たないことが必須だった。結果、人間は汚染魔素をその源とした存在「ホロウ」の創造に成功した。

 

 

『ホロウの存在目的』

 

 無条件に人間を崇高すること。人間が犯した大罪を美談として語り継ぐこと

 

『ホロウの特徴』

 

 ホロウは汚染魔素に対抗出来る唯一の理性的存在である。汚染魔素を源に人間の手によって創られた彼らの外見は人間そのものであり、美形の男女がほとんどである。

 

 しかしながら思考回路については必ずしも人間と一致しない。負の感情に汚染された魔素の影響が顕著に現れており、物事に対して否定的な態度を取る傾向が強い。その代わり、ホロウ本体が肯定的な感情を抱いた概念・モノに関しては病的な執着心を有すことが記録されている。その対象は創造主である人間がほとんどのケースである。しかし存在した環境や、個々のホロウが経験した物事によっては人間以外への執着を見せる事もある。このケースは問題だ。(次頁に続く)

 

 本来、ホロウの創造目的とされた“無条件に人間を崇高すること”と“人間が犯した大罪を美談として語り継ぐこと”から考えると、人間以外のモノやコトへの執着は不本意な結果であると言える。上層部のホロウはこの類稀なる特定のホロウを「害を与える存在」とした。なお、何故このようなイレギュラーなホロウが造られたのか、その真相については明らかとなっていない。

 

 

 

 ※※※※※

 

 

 

「ふぅ」

 

 床の上に本を積み上げたシヅキは、読後特有の虚脱感に襲われていた。本棚を背にその場へと座り込む。

 

 記述されていた内容の多くは既に知っている情報だった。かつて、人間と人間の記憶の根絶やしに尽力をしていたコクヨはこれらの記載を中央区にて見ていたのだろう。そして、知恵の種(インデックス)も同様の記憶を有していた。

 

 しかしながら、気になる点がいくつかあったことも確かで。シヅキはその一つを口に出した。

 

「汚染魔素の克服方法が案として上がっていた……?」

 

 “克服”という単語が何をどうするものなのか抽象的ではあるが、人間が案として出したものということは、それイコール人間の存続に深く根差したモノだろう。次にシヅキは考えられる可能性を2つ挙げてみた。

 

「人間が汚染魔素に適応して、生命の生きられない世界に存在すること。もしくは世界から汚染魔素を無くし、生命が生きられる世界を取り戻す……」

 

 前者はまるでホロウの創造過程だ。 ……だが案とは「実行されることはついになかった」という記述がある。ならばソレはホロウの創造は指していない筈だ。

 

 そして後者であるならば願ったりだ。トウカとシーカーの目的に合致しているのだから。 ……資源と時間が不足していたという記述も、世界を変えるなんて無謀の実現を考えると筋は通っているか。

 

「これはもっと調べる価値あるか……あと気になることは」

 

 シヅキは積み上げた本の中から1冊を取り出すと、それをパラパラと捲り覚えていたページ数を開いた。それは『ホロウの存在目的』の要項だ。

 

 改めてそのページを読んで、シヅキは眉間に皺を寄せた。

 

「ホロウの存在目的の内容だけ……異様に薄いな」

 

 

『無条件に人間を崇高すること。人間が犯した大罪を美談として語り継ぐこと』

 

 

 記載内容はたったこれだけだ。その内容自体もシヅキは既に知っていたし、追加の補完情報もない。 

 

 ……ただそれだけなら手掛かりは無いか、なんて流せたかもしれない。しかし彼はそうすることが出来なかった。ぼんやりとした違和感を憶えたからだ。

 

 その正体を掴むために、シヅキは記載内容の一部を拾い上げる。

 

「創造……人間……ホロウの存在目的」

 

 

 ……………

 ……………!

 

 

「そうか。これは――」

「シヅキ!」

 

 突如として呼ばれた自身の名前にシヅキは顔を上げる。見ると、本棚の群れの奥の方からトウカがこちらへ手を振っているのを発見した。その周囲にはシヅキと同じく乱雑に本が積み上がっている。彼女も何かを見つけたらしい、シヅキはそう思った。

 

「今行く!」

 

 聞こえる程度の声で返事をしたシヅキは、散らかした本をそのままにトウカの元へと駆け出した。確かな綻びをその胸に抱きながら。



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邪推と苛立ち

 

 

「これ、なんだけど……」

 

 トウカが手渡してきたのは一つの紙束だった。本、というには表紙が繕われていない。同じ大きさの紙に穴を開け、そこに紐を通しただけの代物だ。

 

 シヅキはそれをパラパラとめくり、その口を半開きにした。

 

「こいつは、ホロウの……リスト? なんのリストだ……」

「えっ、と……シーカーさんが、虚ノ黎明って26居るって、言ってたよね。どうやらその詳細、みたいな? 特徴とか、役割を示した記録みたいなの」

「1号が製造者、別名をメイカー。2号が使用者、別名をユーザー。3号が再生者、別名をリジェネレーター。4号が反復者、別名をリピーター。 ……なるほどな」

 

 随分とレイアウトが取り繕われたそのリストには、事細かく各ホロウについての情報が載せられていた。“号”という呼び方は現ホロウに対して扱われるものでは無いし、ホロウの名称が役職となっていることだって、監視者(シーカー)と合致する。虚ノ黎明を記したものというのは間違いなさそうだ。

 

 途中まで資料の大枠を読んだところで、シヅキはその顔を上げた。

 

「トウカ、これがどうかしたのか?」

「う、うん。 ……あのね? このリストに載っているホロウって、25体だけなの。項目の23が飛ばされてて……」

監視者(シーカー)が無いのか」

「そう! そうなの。もしかしたら、シーカーさんがそのページだけ抜いちゃったのかなって……他の理由が、あるかもしれないけど……」

 

「それが気になって」と付け足したトウカの視線がシヅキから逸らされる。自信がないというのもあるかもしれないが、困惑の表情に近しいとシヅキは思った。

 

 自らの記録を別で保管しておくという意図は何となく分かる。しかしそうするのであれば、リストごと持っていってしまえばいいのだ。何故わざわざ抽出する真似をしたのだろうか。

 

 以前のシーカーの発言を再び思い出す。

 

 

『君が僕を探し求めていたことを僕は知っている。君が求める願いは僕のものにほど近い。故に良い協力関係を築きたいと思っている。 ……虚命障害。元より僕一人ではもう、どうにも出来ない』

 

『だから君たちが、僕にとっての最後の希望。ホロウと生命の共存する世界は、僕と君たちで創る』

 

 

 …………。

 

 

 シヅキはゆっくりと瞬きをした後に、トウカの華奢な手を握った。

 

「ど、どうしたの? シヅキ」

「……あいつ、結局自分のことを全然喋って無ェんだよ。だから、確認しに行こうぜ」

「か、確認って……」

「そのままの意味だ。 ――すまん、俺の足元にある本持ってきてくれ。この右腕じゃあ切り刻んじまう」

 

 コクと頷き、真っ白の本をその片腕に抱きかかえたトウカ。それを見たシヅキは歩幅の小さな彼女に合わせるように、ゆっくりと出口へ向かった。

 

 

 

 ※※※※※

 

 

 

 シヅキたちがやって来たのは心の塔の中で最も大きな扉の下だった。高さは5m程あるだろうか? 重厚感のある、両開きの扉だ。

 

 彼はギュッと握り込んだ拳で殴るようにソレを叩いた。

 

「シーカー、話がある」

「………………なに」

 

 少し時間を置いてから返ってきたシーカーの声は、扉越しのくせにくぐもっていない。その事実に少し驚きはしたが、シヅキは一呼吸を飲んだ後に冷静な声色でこのように続けた。

 

「別に俺たちは、お前と駆け引きをしたいと思っていない。同時に敵対だってな」

「うん。それは僕も同じ」

「ああなら助かるよ。一つ確認したい事があるのだが……俺たちとお前は協力関係にあるだろう?」

「以前、僕たちはソレを結んだはず。君たちには“遊んでて”って言った」

「手がかりが無ェんだから、それを掴むまで俺たちを自由にしておくって意味なら分かる。正直言うと、急に眠りが深くなったトウカを気にかけられたから、俺は助かったよ。 ……いや、それすら息がかかっている可能性はあるか」

「…………何が言いたいの」

「お前、その手がかりってやつをよ。隠してるだろ」

 

 一息に言い放ったシヅキの言葉。ソレに対してシーカーはすぐに反応をしなかった。表情が分からないのだから、言い澱んでいるかどうかは不明だ。

 

 だからシヅキは、ただ寂しげに俯くトウカの手からその本を受け取った。

 

「何の根拠があって俺とトウカをこの塔に呼び寄せたのかが不明確だったり、虚ノ黎明のリストからお前の資料だけ抜き取られていたりよ……解せない点はいくつかあった。そして極め付けはこの本の『ホロウの存在目的』の項目だ」

 

 左手だけで器用に本を捲ったシヅキは、対象のページを扉の前に掲げた。

 

「人間は自らの存続の手段を探し、有効的な案は上がった。だが実行不可能だったから、代わりにホロウという存在を創ったのだろう? 『汚染魔素に対抗できる存在』としてな。ところがこの項目には『無条件に人間を崇高すること。人間が犯した大罪を美談として語り継ぐこと』と書かれている。 ……おかしくねェか? それこそその有効的な案を試行させる為に創ったという方がよっぽど自然だ。伝承で語られていたような、希望としてのな」

 

 長く言葉を連ねたシヅキは、口内の唾液をいっぺんに飲み込んだ。額にかいた不快な汗も拭いとる。そして最後に、彼の中の邪推を苛立ちと共に吐き出したのだった。

 

 

「お前、本当はどうすればいいのか知っているのだろう? 生命が生きられる世界の取り戻し方を」



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真実の監視者

 

 

 間もなくして開かれた重厚な扉のすぐ先にはリーフの形をしたシーカーがあった。

 

 淡緑の眼にてシヅキとトウカを一瞥したソレは、特に何を言うでもなく彼らに背を向ける。そして淡々とした口調にてこのように言ったのだった。

 

「ついてくる」

 

 動揺、狼狽の色は一切に無かった。この得体の知れない雰囲気とはコクヨと対峙した時のことを思い起こさせる。

 

 シヅキは音を鳴らし、唾液を飲み込んだ。先ほどの自身の発言は図星だったか、それとも的外れだったかは分からない。ただ事態が良い方向へと動くことを願うばかりだ。

 

 この扉の先に何があるのだ。 ……何が。

 

「行こう、トウカ。 ……トウカ?」

「…………うん」

 

 振り返った先のトウカはつい先ほどよりもずっと弱っているようだった。精神的なものか、あるいは肉体的なものだろうか。前後に振れる彼女の身体を見て、シヅキはすぐに悟った。

 

「また眠いのか?」

「……ごめん。大丈夫、歩ける、よ」

「手は繋げ。限界が来る前には言ってくれよ」

「あり、がと……」

 

 か細い彼女の声がもたらせる不安と焦燥感、シヅキにとってはそれこそ慣れることの無い代物だった。そのような心状態を穴埋めするように、シヅキは彼女の手を握り込む。指を搦め、彼女の存在を実感する。 ……それでもこの心は落ち着くことがない。彼女の体温とは、ここまで低いものだったろうか?

 ………………。

 

「シヅ、キ……」

「え……?」

「行こ。 ……たぶん、()()()()()()

 

 柔和にトウカが笑みを浮かべる。それだけがシヅキを突き動かす理由だった。頭を過った居住スペースへの帰還という選択肢は消え失せ、汚れきった靴はただ前進をする。

 

 そのようにしてシヅキとトウカは重厚な扉の先へ、その闇の先へと足を踏み入れてしまった。

 

 

 

 ※※※※※

 

 

 

「よく辿り着いたね。もう少し時間を食うか、或いはそれ以前で終わると思っていた」

 

 長い、長い廊下を抜けて辿り着いたのは古い空気が溜まり込んだ、袋小路のようなそんな所だった。辿り着いた……いや、追い詰めたの方が適切かもしれない。

 

 周りを見渡したシヅキは高圧的な声色にてシーカーに尋ねる。もはや遠慮や躊躇をする気持ちは無かった。

 

「ここは何だよ」

「秘密基地。監視部屋。真実の宝箱」

「いい加減にしろよ、分かりやすく言え」

「心の塔は記録と記憶の保管庫。ここに在るのは、ただそれだけ。 ……ごめんね、本来君たちには全部見せるつもりが無かった」

「図星の方だったってことかよ」

「何の話」

「テメェのことだよ。 ……お前、(はな)から俺たちを利用するつもりだったんだろ。情報を渋って……いや、隠してまでしてよ」

 

 自身の声がやけに響く。想定していたよりも部屋は狭い。これ以上奥への広がりはないのだろう。シーカーは逃げられない。逃すわけにはいかない。シヅキは静かに決心をした。

 

 改めてその細い眼をソレに向ける。

 

「シーカー、洗いざらい全部吐けよ。生命の在る世界の実現方法……そして、トウカの眠りが深くなったこともな。お前は知っているのだろう?」

「…………」

「何も話さねェのなら、力づくでも――」

「なぜ。なぜ僕は君たちを招いたと思う」

「……なんだよ、急に」

 

 急に問いを投げかけられ、答えに詰まったシヅキ。そんな彼に失望をしたのか、或いはそれ以外の理由か……シーカーは溜息を吐いた。

 

 そしてこのように続ける。

 

「前にも言った。僕は嘘をつかない。君たちは生命世界の実現が出来る可能性がある。ただその為には君たちが全てを知ることは不都合だった」

「不都合って……情報の共有は必須だろ! お前、何言って――」

「知らなければ良かったことなんていくらでもある、シヅキ。かつてコクヨというホロウが目指したのはそのような無知の世界。人間を知れない世界。手に入らない幸福を失くした世界」

「……なぜ、今になってそんな話を」

 

 恐る恐るとシヅキが尋ねると、シーカーが僅かに眼を細めた。眉間には皺が寄っている。明らかな苛立ちの感情がそこにはあった。

 

「察しが悪い。或いは察しが悪いと自らに言い聞かせようとしている」

「……俺ァ馬鹿なんだ」

「思考を拒絶できるのは聡い者だけ。 ……分かった。見せる。君は真実を知りたがっている。彼女は真実を知ってもなお、前に進もうとしている」

「彼女……トウカが? 真実を? 何だよ、それ」

 

 反射的に振り向いたシヅキの眼に映るトウカ。 ……琥珀色の、透き通った、虚な眼が。焦点の合っていないソレが。

 

「トウカ……おい眠いのか? 眠ぃんだったらほら、背負うからよ」

 

 軽くトウカの肩を揺する。 ……反応はない。でも意識が無いわけではないのだ。振り子のように前後に振れながらも彼女はそこに立っている。

 

 明らかな異常だった。明らかな、異常だった。

 

 シーカーは言う。

 

「トウカ、君は花の映像を観た。生きている花を観て、かつての君は救われた。それって……こういう花?」

 

 

 ブゥン

 

 

 突如、耳を細かく震わせる鈍い音が走った。視界が急に明るくなる。眩しい明滅を繰り返すナニカが……いや、生きている花がそこには在った。

 

 

 風に揺れる、小さな花。6枚の花びらは薄らと黄がかっている。茎は細くしなりがあり、風に揺れて倒れそうになってしまう。 ……でもすぐに元へ戻った。

 

 

「はな………………!」

 

 隣のトウカが上げたのは、空気が濃く混じったか細い叫び声だった。尋常では無いソレに、シヅキは一瞬だけ反応が遅れてしまう。

 

 

 荒げた呼吸の中、トウカは言葉を吐き続ける。

 

 

「花が…………花…………! 私は……………花を………………花が……………私を……………存在、存在している私は…………花を……………見たくて……………それだけが…………花、花、花が………ゴホッ……! ガ……グァ………アアアアアアアアアア!」

 

 

 その場に崩れ落ちたトウカは、それでも前方に映る花の映像からは一瞬足りとも眼を離すことはなかった。縋り付くように、まるで救いを見つけたかのように……盲目的に、ただ。

 

 そんなトウカに、シヅキは後ろから抱きつく。

 

「やめろトウカ! お前、変だって! どうしちまって……」

「存在の理由が……………花を…………ハナ……………はなが」

「なんでお前……泣いて……泣いてるんだよ」

「私は……本物の花が……ソレさえ見られれば…………」

 

 徐々に小さくなっていくトウカの声は、ついに途絶えてしまった。先ほどまで限界まで開かれていた琥珀の眼は閉ざされ、論理の破綻した言葉を吐き続けていた口からは細い寝息が漏れ出し始めた。

 

 そんなトウカのことを、シヅキは自身の胸の中に抱く。彼も同様に、その眼には涙が流れていた。

 

「尋常じゃ無いよ。花ごときに狂う彼女も、狂う彼女に狂う君も。まるで呪われている。可哀想に」

 

 語るシーカーにシヅキは返事をしない。いや出来ない。声が出ないのだ。喉が焼かれたように熱く、空気が足りない。

 

 大きく呼吸を繰り返し、その度に隆起するシヅキの肩。シーカーはそこに、そっと手を置いた。

 

「“個の崩壊”って知ってる? ほとんどのホロウは知らないよ。人間は、僕らにソレだけは秘匿しようとしていたから。 ……簡単に言うと、寿命という概念の無いホロウを(ころ)す仕掛け。個の存続を許さない、矛盾の呪い」

 

 シーカーはその場にしゃがみ込む。熱を帯びたシヅキの耳元に、その口を近づけた。

 

 そして吐く。ホロウ存在の黎明期から今に至るまでを監視し続けた、その唯一無二の真実を。

 

 吐いてしまった。

 

 

 

 

 

「断言する。近いうちにトウカはしぬよ」

 



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事の崩壊

 

 

『ホロウの創造における課題』

 

 生命時代の崩壊後、人間の代替としてホロウの創造が計画された。この時大きな課題として上がったことに、各ホロウの“存在可能性”の設定があった。存在可能性とは、あるホロウが造られた瞬間から基準となる年月が経過した時に、そのホロウがまだ存在を続けている可能性のことである。

 

 魔素にて身体を構成するホロウには生物が有す“肉体”の概念が存在しない。よって肉体の衰えによる死は起こり得ない。これは魔法により肉体と魔素の配分が大きく改造された生物兵器、魔人の寿命が数百年という単位であった記録が根拠にある。

 

 よって、未来会議においてホロウの存在可能性の設定は早い段階で議題として上がった。この時、大きく分けて3つの論点について話し合われた。

 

 初めに「本当に存在可能性を設定するのか」というところから。次に「存在可能性の設定をどう実現するか」を。最後に「設定した事実を公開するかどうか」である。

 

 大きく物議を醸した論争だったが、最終的に人間はホロウの存在可能性を設定した。その方法とは“個の崩壊”を意図的に起こすことである。

 

 魔素は大きなエネルギー源という側面を持っているが、その源は人間の心であり記憶である。不特定多数の魔素が混ざり合うことで、魔素は肉体と精神(に類似するモノ)の両方を形成する。そして、ホロウはこの不特定多数の魔素をある種の力として曖昧に捉え、創造主への崇高を本能の主軸として存在を続ける。言い換えれば『たくさんの魔素が混じり合い、一定以上の思考が制限された人間の後継種』がホロウだ。

 

 ただし、この魔素を混ざらせることでの肉体と精神の形成には大きな問題があった。それは“個の崩壊”という特定の現象が起こる個体が存在したことだ。

 

 混ざり合った魔素をホロウが曖昧に捉えること……つまり、その魔素の中に包含される数多の人間の心と記憶を読み取ろうとしないのはホロウの性質だ。とても個の手に負えないソレには触れようが無いからだ。深海や宇宙への理解がほんの極一部に留まっていた人間にも同じことが言えよう。

 

 しかし混じり合っているとはいえ、魔素とは心であり記憶だ。例えば、感情が大きく動かされる事象や過去の記憶を刺激する経験に対峙をした時……不特定多数の魔素は大きく揺れ動く。意図をしない記憶の懐古や既視感、感情の発露が行われるのだ。

 

 この事象は魔素を曖昧な力として捉え、その上に自らが有した記録(きおく)(人間のソレと分類わけする意図により“記録”と表記される)と心を形成するホロウにとって大きく有害なモノ足りうる。ホロウが有した記録(きおく)と心……つまりホロウの“個”が数多(あまた)の人間のソレに侵蝕されてしまうのだ。 ――コレは便宜上、“個の崩壊”と呼ばれた。

 

 その症状は悪夢と眠りによって体現される。数多の人間の負の記憶、或いは個のホロウが想定する最悪の未来を、ホロウは悪夢という形で体験する。

 

 この悪夢を見る周期と長さは、時間或いは刺激的体験により悪化の一途を辿る。特に、ホロウが有す性質である“肯定的にとらえた物事について病的に執着心を抱く”事との相性は非常に悪い。この性質によりホロウは刺激的体験を達成し、個の崩壊が促される。

 

 そして一定以上の“個”が侵食をされ、自我を保つ事すら曖昧となった段階で、ホロウは世界に存在が出来なくなる。これは彼らにとっては事実上の死と言えよう。

 

 ――さて。未来会議において人間は、個の崩壊が意図的に起こるようホロウを創り上げることにした。時間経過、或いは“個”の増長が一定の基準に達した瞬間、個の崩壊が確率100%で起こるように魔法をかけたのだ。少量の時を司る魔法である“星魔法”の応用によるものである。

 

 そして、最後の議題である「設定した事実を公開するかどうか」では満場一致にて全ホロウへの秘匿が決定された。秘匿された故に、なぜそのような結論に至ったのかは永遠に闇の中である。

 

 

 …………ただ、肝心なる秘匿された事実とは、今資料の通り明るみとなってしまった。目の前の君はこれからどのような行動をとるのだろうか。せめて後悔のないようにと、我々“不特定多数の魔素”は切に願う。

 

 



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現実

 

 

 それからどうなったのか、よく憶えていない。シーカーが色々と語っていた気はするが……何だったか。

 

 気がついた時には天井を仰いでいた。無機質な天井だ。モノトーンな白色。白は冷たい色。一方で黒は…………。

 

「……起きねェと」

 

 カラカラの自分の声をきっかけに、シヅキは硬い床の上に上体を起こす。全身に鈍い痛みが走るのはバケモノになってからも変わりない。痛覚が変わらないのに、無駄にタフになってしまったのだから困りものだ。

 

 それからすぐに、シヅキは自身の右腕…基いバケモノの由来へと指を這わせた。

 

 フッと笑みを浮かべる。

 

「すまんなヒソラ。寝てる間ずっと下敷きにしてたな」

 

 真っ黒に染まった、剣未満の無骨なナニカ。洗練という言葉の対極に位置する武器紛いのソレとは、外見こそ見苦しいものではあったが、シヅキにとってこの世界で2番目に大事なものであった。

 

 故にシヅキは丁寧に、丁寧に撫でる。

 

「ありがとよ……お前の存在はデケェよ。それこそ、俺はまだ認めきっていないからさ。 ……いや、分かってる。精神的な話だって。お前の身体は確かに消えちまったんだ」

 

 ポツポツと呟いた自身の言葉に、そういえばここに来てからまだやれていなかったことを思い出した。

 

「墓……まだ行けてねェ」

 

 心の塔のすぐ傍に、規則性のある石の連なりがあったことを覚えている。初めてこの土地を訪れた時に、シヅキは身勝手に彼らと小さな約束を交わしたのだった。

 

 

 サユキ、アサギ、ヒソラ、エイガ、コクヨさん。あとはリーフ。

 

 

「行かねぇと。行かねェとな」

 

 シヅキはゆっくりとその場に立ち上がった。クラクラと視界が歪み、足元が覚束ない。やはり身体はダルい。それでも動けるのは、タフだからか。

 

 そして、間も無くして彼の視界にその光景が写った。彼は思わず眼を逸らしてしまいたい衝動に駆られたが、そう出来なかったのは何故だろう。彼にもよく分からなかった。

 

 ベッドへと横たわる彼女。規則正しく寝息を立てる彼女は……彼女は。

 

 

 シヅキは笑った。

 

「なぁトウカ。嘘だよな? あいつさ、俺たちを弄んでるんだよ。こんなところに閉じこもってるからよ、頭がおかしくなっちまったんだ。個の崩壊? 何言ってるんだろな。トウカはトウカだよ。何が蝕むだ。何が個の崩壊だ。何が……何を言ってるのだろうか」

 

 震える自身の手を伸ばす。そして、だらんと力の篭もっていない華奢な手を取った。シヅキはそれにゆっくりと指を絡める。あまりにも色白なトウカの手とは、あまりにも冷たかった。

 

 ………………。

 

「……俺たちの身体と心の境界は曖昧だ。心の蝕みが眠りや体温へ影響を及ぼしていると考えるのが合理的だ」

 

 そんなことは分かっていた。シヅキは分かっていた。シーカーが嘘を吐いていないことも、ソレが提示した資料に記載された情報が事実であることも。

 

 シヅキはそのような現実を、分かっていたのだ。 ……ただ、それと認めることとは、決して同義では無かった。

 

 硬く、硬く握りこぶしをつくる。

 

「……よりによって、なんでお前なんだよ。よりによってよ、なんで病気なんだよ」

 

 個の増長と共に促進される不治の病、個の崩壊。存在するホロウを消すために、人間が細工した最終手段。それはこの世界の誰もが手に負えないモノであることを、シヅキは容易に察することができてしまった。 ……誰もが、だ。監視者でさえも。或いはバケモノにさえも。

 

 己の無力感をこんなにも感じたのは初めてだった。

 

「クソがよ…………」

 

 腫れぼったその眼を静かに閉じる。

 

 

 ………………

 

 ………………

 

 ………………?

 

 

「……………あ?」

 

 その違和感に気がついたのはしばらく経った後だった。僅かに伝わってくるその感覚は、震え。細かに足先から全身へと巡る。

 

 やがて音が鳴り始めた。腹の底を執拗に鳴らす鈍く低い音。それは同時に訪れの予感に相違なかった。

 

 

 そしてそれは的中する。

 

 

 ズガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガ

 

 

「……っ!」

 

 大きな震えと音に、シヅキはその場にしゃがみ込み、ベッドにしがみ付いた。歯を食いしばり、その細い眼で部屋を見る。本棚からはパラパラと本が落ちていた。

 

「いつまで続くんだ!?」

 

 怒鳴るように叫んだシヅキ。その声に呼応をするように、次第に揺れと音は収まっていく。間もなくして揺れは完全に収まりきった。

 

 ドクドクと激しくなる心臓を掴みつつ、シヅキはその場に立ち上がった。まだ揺れていると錯覚しているのか、小刻みに震える足元に舌打ちをする。

 

 改めて辺りを見渡した。震えの被害らしい被害と言えば本棚から落ちきった本と、乱雑に転がった椅子くらいだろうか。トウカが無事なことは揺れの最中にも確認をしていた。 ……彼女はあの揺れの中でも眼を覚ますことはなかった。

 

 乱れきったシーツを整え、彼女の姿勢を直したところでシヅキは扉の方を睨むように見た。

 

「……一度、シーカーに会わねェと」

 

 まさか奴の仕業だとは思わない。でもナニカを知っていてもおかしくないのではないか? と。

 

 案外、簡単にドアノブへ手をかけることが出来た。相変わらずトウカの事で頭も心もいっぱいいっぱいではあったが、先程の揺れがきっかけに多少はメリハリを付けられたのかもしれない。

 

 ………………。

 

「…………いや」

 

 すぐに頭を振った。どちらかと言えば、これは現実逃避の類いだ。

 

 

 



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雨宿り

 

 

 居住スペースをするりと抜け、塔を縦断する渡り廊下へと差し掛かったその時、シヅキの脚は簡単に止まった。

 

 ぱちくりと瞬きをし、シヅキは唖然とする。

 

「な、なんだよこれ……」

 

 無機質な白の床を叩く無数の透明な水滴を前に、シヅキは力なく呟いた。それは彼にとって見たこともない光景であったのだ。

 

 源を欲し、恐る恐ると天井を見上げる。 ……灰色に薄ぼやけており、先を見通せない。ちょうど高度の把握が出来なくなった辺りから水滴群は降っているようであった。

 

 彼は自身の後ろ髪をポリポリと掻く。

 

「自然現象……なのか? さっきの床の揺れといい、何が起きてるんだよ」

 

 明らかに状況がおかしい。やはりシーカーが必要だという結論に至ったシヅキは、渡り廊下へと差し掛かろうとしたが直前で足を止めた。この水滴は触れてしまってよいものなのだろうか、と。辺りに漂ってくる空気は湿気を伴っており、なんとも言えない独特な臭いが鼻をついた。棺の滝にかかっていた霧のようだ。直感的には有害性を感じないが。

 

 …………。

 

 その拳を握り込む。

 

「……我が身可愛さなんか、クソだろ」

 

 そのように吐き捨てたシヅキは、今度は躊躇わずに足を繰り出した。一気に無数の水滴が降りかかる。冷たい。軽い。やはり害はないようだ。それこそ、かなり弱めなシャワーでも浴びているような…………ん?

 

 渡り廊下の前方に、小さな影をひとつ見つけた。それが誰かなんて言うまでもなかった。

 

「…………シーカー」

 

 その髪先からぽたぽたと水滴を垂らしつつも、シーカーはそれを気にする素振りは見せない。ただ、引きこもっていたあの部屋を出て、ここまで来たということには大きな意味があるのだろう。

 

 ソレはシヅキを十分に視認できる範囲まで歩いてくると、ただこう呟いた。

 

「タオルか代用出来るもの、ここにある。急な雨だったから」

 

 

 

 ※※※※※

 

 

 

「感謝する。風邪をひくところだった」

 

 部屋に備え付けられていたタオルで自身の髪をわしゃわしゃと掻き乱したシーカーは、やはり抑揚のない声で礼を述べた。

 

 ソレに対してシヅキは視線を逸らしながらぶっきらぼうに言う。

 

「……礼はいいから、さっさと服着ろよ」

「濡れている服は不適切。不満があるなら新しいものを所望する」

「んなもの無ェって」

「……不思議なこと。生殖をしないホロウにも性概念が残っている。雨は無いのに霧はある。つまり人間の記憶が引き継がれたもの、なかったものが――」

「んな堅ェ考察を今すんなボケ! あぁクソこれでも着てろ!」

 

 吐き捨てたシヅキは自身の外套を強引に脱ぎさると、それをシーカーへと投げ渡した。そして、ソレが外套へ袖を通した時に初めて視線を向けたのだった。

 

 ……そこにはブカブカで、ヨレヨレで、しわくちゃな服未満のナニカがあった。

 

 思わずシヅキは左手の指を差し向ける。

 

「その服……」

「なに」

「いや、少し驚いただけだ。んなボロボロだったんだなって……」

「今まで自らを省みる余裕はなかった」

「……あぁ、そうだな」

 

 そう吐いたシヅキが徐に向けた視線の先は案の定、トウカだった。バカみたいに静かに眠る彼女でしかなかった。

 

 シヅキは溜息を吐く。

 

「シーカー、さっきの床の振動とあの水滴が落ちる現象はなんなんだよ。 ……お前の仕業なのか?」

「異なる。さすがの僕でも地震や雨といった自然現象の創出は手に負えない」

「地震? 雨?」

「かつて星が起こしていた自然現象。霧や風の類い」

「人間の記憶が引き継がれたってのはそういうことか。 ……ん? 待て!」

 

 突然大声を上げたシヅキがその場に勢いよく立ち上がる。遅れてシーカーの淡緑の瞳が見上げた。

 

 恐る恐るシヅキが尋ねる。

 

「お前今、“かつて”って言ったよな? 何だよそれ。生命時代の現象が呼び起こされたってのか?」

「正解。人間が滅んでから初めて見た。監視者(ぼく)が言うんだから間違いない。君のもとを訪ねたのは、異常事態だったから」

「……マジか。どうなんだそれ」

「どうなんだ、とは」

「さっきの現象は俺とトウカに益があるのかってことだ。正直、今は心の整理なんかつかなくて――」

「何を言う。生命を取り戻す兆候としては十分すぎる。それもこれも君たちのおかげ」

 

 シーカーの言葉にシヅキは首を傾げる。咀嚼できないその言葉を口の中で反芻し、尋ねる。

 

「地震や雨には俺とトウカが関係をしているのか?」

「関係どころの話ではない。トリガー」

「何の自覚も無ェぞ。そもそも生命の取り戻し方なんて知ったこっちゃ無えしよ」

「君は知らなくても、僕は知っている」

「……お前そんなことを一度も――」

「話した。君が聴き逃しているだけ。ひょっとして、個の崩壊を知ってからというものの、しばらく絶望でもしていた」

 

 淡々と言葉を重ねるシーカー。相変わらず要点は分かりづらいが、今回ばかりはソレの発言意図を読み取ることが出来た。

 

 シヅキは頭を搔いた。気がついた時にはこの部屋に座り尽くしていた……そういうことだ。

 

「すまんがもう一度頼む」

「うん。別に難しい話じゃない。 ――生命世界が滅んだのは、魔素が負の感情に満たされた……“汚染”されたから。ならその負の感情を書き換えればいい。有り体に言えば、不特定多数の魔素へ正の感情をぶつけ、中和させる。正の感情ってどういうものか分かる」

「……楽しいとか、嬉しいってことか?」

 

 無い頭を絞りシヅキが出した言葉だったが、シーカーはすぐに(かぶり)を振った。

 

「それらでは弱い。負の感情に満たされても、楽しいとか嬉しいは感じるよ。一時凌ぎにしかならないけど」

「なら、強い正の感情ってのはなんなんだよ」

「尋ねる。君はトウカに救われている。光と捉えている。傍に居たいと。役立ちたいと。守りたいと。頼られたいと。認められたいと。花なんかよりも自分のことを見てほしい。そして、しんで欲しくない。喜怒哀楽の全てが彼女にかかっている…………合ってる」

「…………………あぁ」

 

 たっぷりと時間を置いた後に、シヅキはシーカーの問いを肯定する。そこには妙な気恥しさを伴った。……身体が熱い。

 

 それを気にする様子もなく、シーカーは続ける。

 

「人間もその営みの中で、君と同じ感情を抱いた。あまりにも多くの人間が、君と同じ感情を様々なモノとコトへ抱いた。殊更に同種の人間へと。故に、人間はこれら全ての感情を包含する言葉を創ったよ」

「…………何なんだよ、それ」

 

 

「“愛”だよ」

 

 

 ……シーカーが言い放った言葉に、シヅキの中の時間が止まる。愛、愛、愛。反芻すればするほどに、心が熱を帯びてゆく。何だこれは。何なんだこれは。

 

 そんなシヅキに追い打ちをかけるように、シーカーはこう言った。

 

「地震と雨が起きたのは、塔内の魔素が君の愛感情に共感を覚えたから。負の感情の一部が打ち消されたから。 …………ピンと来ない。つまり、君はトウカのことを何よりも愛していて、その愛こそが生命世界への必須条件。 ――最期に星を救えるのは、愛だけだよ」

 

 



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差し出された手

 

 

 ずっと昔から自分は頭のおかしなホロウであると思い続けている。

 

「何をやっているのだろう」「何を追いかけているのだろう」「このような犠牲の果てに何を見るのだろう」

 

 (のり)でくっ付いたようにビクとも動かないナイフ。その切っ先……その向こうには、血にそっくりの魔素を流す名も知らぬホロウが居た。先刻、大切な友を容易く(ころ)したホロウだった。

 

 彼女はその日、自分の犯した過ちを認められず、取り乱し、過呼吸症状に陥った。幸い共に密会へ参加をしていたレインが介抱をしてくれた訳だが。 ……何にせよ、これこそがトウカが初めて犯した同族消(どうぞくごろ)しだった。

 

 それからも懲りることなく、何度も何度も何度も。直接的なモノとそれより多い間接的なモノを含め、トウカは大きな罪を重ね続けてきた。傷つけることに傷つき、或いは傷に慣れてゆく過程を自覚し更に傷ついた。

 

 

 ……かつてこのようなことを尋ねられたことがある。

 

 

『何故お前は花なんかのために、このようなことを続けられるのか?』

 

 

 人間の復活を目指す巨大組織、アーク。ホロウを浪費するそのやり方に疑問を感じ、行動に起こした者共が集まり、密かに結成された反乱軍が中央区にはあった。

 

 そこに属していたホロウが尋ねた言葉への合理的な解なんてものを、トウカは持ち合わせていなかった。だから当時、彼女は精一杯の作り笑いを浮かべるだけだった。 ……もっとも、心の中では投げやりに叫んでいたものだが。

 

(そんなの、私ですらよく分かってないよ)

 

 煤が入っていた空き瓶がカランと転がる。

 

  

 ……花は好きだ。生きている花がみたい。その強い気持ちは衝動なんかではなく本物だ。

 

 

 しかし、だからといって、他のあらゆるものを犠牲にすることを躊躇わない自分が、確かに自らの内へ存在することはどうにも受け入れ難かった。

 

 しかし、だからといって、自らの望みをあっさりと諦める訳にはいかなかった。

 

 

 ボーーーーーーーーー

 

 

 故に彼女はただ単独であっても、質の悪い炭と油の臭いに塗れた貨物船へと乗り込んだのだ。

 

 持ち物は錫杖。普通、抽出型は杖を使うのに自分は錫杖だった。なぜ錫杖なのだろう。気がついた時にはコレを使っていたのだ。

 

 後は分厚い本が数冊入ったカバン、口を塞ぐ目的だけの乾いたパン、身分を証明する中央区の制服、ソレを包み隠す白のフード付き外套。 ……最後に自分のことが大嫌いな自分自身。

 

 そのような物だけを携えて、トウカは辺境区を目指していた。甲板の上、細い錫杖の柄を握り締めた彼女は闇空を仰ぐ。

 

 そして彼女は僅かな声量で呟いた。

 

「…………この先に、幸せが、あるのかな」

 

 不快な潮風が吹き荒れ、トウカは靡く外套を手で押さえつけた。そして乾いた笑みを浮かべる。自分は決して幸せになってはならない存在なのに、そんなものを望んでいることがとても汚いコトだと思えてしまったのだ。

 

 (でも……花を見たら、私は、きっと幸せになってしまう)

 

 自身の爪を、立てた膝へと食い込ませる。刺激的に走る痛みとは、爛れる暇なく広がり続ける心の傷を誤魔化そうとする行為でしかなかった。心の傷……ソレは罪を重ねることでの罪悪感情と、一方で生きている花を見たいという希望感の増幅。相反すそれらとはとても苦しいものでしかなかった。

 

「…………希望を持つって、こんなに痛いこと、なんだ」

 

 間も無くして煌びやかな橙の光を、船の行末に見つけた。

 

 

 ………………。

 

 

「辺境区のアーク、『オド』に所属している“シヅキ”だ。役職は“浄化型”」

 

 

 随分とぶっきらぼうな様子で自らを『シヅキ』と名乗ったホロウ。背は高く、眼は切れ長で怒っているように見える。真っ黒な外套は闇に紛れるカモフラージュなのかな、と思った。

 

 第一印象は“怖い”だった。ソレは容姿のせいもあるし、無断でフードを捲ってきた行動のせいでもあった。

 

 だがその出会いは同時に、自身が新たな土地へやって来てしまったことを痛感させた。文字通りに痛みを伴うその感覚を悟られないよう、雑踏が鳴り止まない小さな港の真ん中で、トウカは自らを取り繕う愛想の良い笑みを浮かべつつ、差し出された大きな手を取ったのだ。

 

 

「中央区から来ました、今日から辺境区にお世話になる“トウカ”です。役職は“抽出型”です。えっと……よろしくお願いします」

 

 

 今思えば、シヅキとの出会いは激変でしかなかった。

 

 

 

 ――そして今。またあの時と同じように大きな手が差し出されている。

 

 

 

 「トウカ」

 

 一面が真っ白な部屋の中、自身が(ふせ)るベッドの真横にはシヅキの影があった。港町で出会った時と同じ、一見怒っている切れ長の眼が再び向けられていた。

 

 状況がよく分からなくて、困惑気味にトウカが尋ねる。

 

「ど、どうしたのシヅキ……何の手……? あと、その格好はどうしたの……?」

 

 眼の前に写るシヅキの格好とは、普段の()れた黒の外套に包まれたものではなく……正装と言えばいいのだろうか? 上層部の連中が普段身につけているような黒のスーツ姿だった。髪型も普段とは異なり、ちゃんと整えられている。悪い言い方をすれば、シヅキらしからぬ風貌だ。

 

 そんな彼はトウカの問いかけに一瞬だけ眼を泳がせたかと思うと、すぐに向き直り、僅かに口元を綻ばせながらこのように言ったのだった。 ……言ってくれたのだった。

 

 

 曰く。

 

 

「トウカ、俺とデートしてくれないか?」

 

 

 何かが崩れ落ちていくような音が、自身の胸の内で確かに響いた。



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最後のデート

最近、更新が滞ってしまい申し訳ございません。



あと10話前後で完結します。結末を見届けてください。


 

 

「この革靴歩き辛ぇ……」

 

 デートが始まって間もなくして、シヅキは自身の足元へ苦言を呈した。くるぶしが不快に擦れる感覚に顔を歪める。

 

 そんな彼の様子にトウカはくすくすと笑った。

 

「サイズ感とか違うと、すぐ痛くなっちゃうよね」

「既に痛ェよ……ったく。似合わねェ格好なんてするものじゃねェな」

「あはは、似合ってるよ。すごく」

「そうかよ。 …………トウカも似合ってると思う、ソレ」

「ありがと。でも、ソヨちゃんが選んだ服だから、当然と言えば当然、かも」

 

 辿々しく言い終えたトウカはその場でひらりと踊るように一回転して見せた。

 

 白のブラウスに、青を基調としたタータンチェック柄のフレアスカート。髪型だって、いつもの下ろしただけのシンプルなものではなく、編み込みが施されていた。

 

 ……そう。トウカの格好とは以前に港町へ赴いた時のモノであった。

 

 自身の服を見下ろしたトウカは満足げな表情で言う。

 

「すごい完成度。前に着たときのモノよりも、質が良いのがすぐ分かった」

「原料が心の塔を漂う魔素だからな。濃度が一定だから、魔素を編んで物を拵えるのだって存外に簡単だった」

 

 シヅキのその言葉に、トウカはその眼をハッキリと丸くした。

 

「この服って、シヅキが用意したの? てっきり私……虚ノ黎明さんだと……」

「……お前と港町に行った時の記憶を頼りに創ったんだ」

「す、すごい……すごいよ! シヅキ! 私びっくりしちゃった!」

 

 予想以上の反応を見せたトウカは、その場でぴょんぴょんと飛び跳ねた後に大きくよろけた。見かねたシヅキがその腕を取る。

 

 白銀の髪がその重力に任せて、はらりと垂れた。

 

「お前バカだろ。スカートなのに」

「……シヅキ」

「なんだよ」

「今ね? 私すごい、嬉しいよ」

 

 繕いなんて何一つない笑顔にて、トウカは眼を細める。その影には何も見せない、強い強い光のような。

 

 …………。

 

 その眩しさにシヅキは眼を逸らした。

 

「…………まだデートは始まったばかりだろう。どこへだって行ってねェのにさ」

「どこかに、連れて行ってくれるの?」

「連れて行く。デートってそういうものだろ。その為に練習したからよ」

 

「練習?」理解が出来ず、そのように反芻をしたトウカの反応とは至極自然なものだった。シヅキだって理解が出来ると思い吐いた言葉ではない。

 

 

 ――ソレは言葉としてではなく、ちゃんと現実として彼女に突きつけてやりたかったからだ。

 

 

「ほら、手を貸せよ」

 

 シヅキは言い終えるより先にトウカの手を取り、その華奢で体温が低いその手を包んだ。

 

「トウカは眠っていたから知らねえだろうけどよ。心の塔はもともと、生命時代末期の人間が生命奪還に向けて抗い続けた研究施設を再現した建造物だ」

「……それは、私も知ってるよ?」

「違ェ、ここからだ。 ……虚ノ黎明の一員であるシーカーはその研究施設で創られたんだとよ。そして人間が滅んだ後に、奴は独断で人間の研究を引継ぐことを決めた。そしてこの心の塔を築いた。人間の容姿を完全に再現したホロウ(おれたち)のように、シーカーは生命世界を再現する研究を幾星霜と続けてきたらしい」

 

 シヅキの脳裏に塔の最上階で観たあの光景が思い浮かぶ。そしてそこで体験した“現実”を。 ……虚命障害。

 

 当時の事を振り切るようにして、シヅキはわざとらしく溜息を吐いた。そして言葉の続きを進める。

 

「何が言いたいかって話だけどよ……心の塔は再現の場として適しているんだよ」

 

 トウカの歩幅に合わせるようにゆっくりと進み続けてきた渡り廊下の終点にあったのは一つの扉だった。それを見つけたトウカの口元から小さく息が漏れる。

 

「この扉って……」

「懐かしいよな。もう還ることなんて出来ないのによ。偽物と分かっていても、どこか心が満たされちまう」

 

 そのドアノブにトウカが手を触れる。感触を確かめるように何度も握る。やがて彼女は後ろを振り返った。

 

 真っ黒の隻眼が彼女を見つめる。

 

「その先だよ。その先に用意した」

 

 シヅキはそれ以上に何を言うでも無かった。トウカは自身の胸の高鳴りに名前を付けることを出来ずにいた。期待か、緊張か、困惑か。或いはソレ以外のものか?

 

 ドアノブを持つ指が僅かに震える。大袈裟に息を呑んだ後に、彼女はその指に力を込めた。

 

 ガチャ、と音が鳴る。

 

「…………開ける、よ?」

 

 呟き、間も無くして、扉を……かつてオドの住居スペースを隔てていたものとそっくりの扉を、トウカは開いた。

 

 

 薄ら冷たい空気が肌を刺す。

 

 

「あ、あァ………………」

 

 

 

 ――先に広がる港町の光景に、トウカは感嘆の溜息を吐いた。

 



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最後のデート②

 

 

 焦燥と喧騒に塗れた港町の中を歩く。

 

 その間、トウカの目線とは縦横無尽だった。石が積まれた建物の壁、規則正しい模様の道、こじんまりとはしているが無数のモノが詰め込まれた屋台の一つ。そしてその奥に広がる路地裏の闇。 ……間違いなく、ここはあの港町だった。

 

 ぽっかりと開いた彼女の口に冷たい空気が入ってくる。

 

 

 …………。

 

 

「おいトウカ。 ……トウカ?」

「わっ! シ、シヅキごめん」

 

 気がついた時にはシヅキの顔が目の前にあった。眉間に皺を寄せた表情で覗き込んでおり、一見するとそれは辟易や嫌悪の表情に見えてしまうが、実際はそうじゃない。

 

 トウカは少しだけ困ったふうに笑った。

 

「私まだ夢の中なんじゃないかなって、思っちゃって。 ……で、でも夢だとしたら、すごく現実感がありすぎて、だったら本当に現実かなって……ごめん。言葉がまとまらないや」

「無理はねェよ。かなり強引に連れてきちまったからさ。 ……今も眠いか?」

「ううん、眠くない。眠くないよ? シヅキ」

「そっか。ならいいんだよ」

 

 簡単に言葉の交わし合いが終わると、シヅキはすぐにトウカの隣へとついた。ゴツゴツとした手で包み込まれるように握られる。

 

 そのようにして再び雑踏の中を歩き始めた。

 

 

 …………。

 

 

「ねぇ、シヅキ」

「なんだ」

「どうして、港町なの?」

「……前にトウカとデートしたのが、ここだったろ?」

「うん。そうだけど……いや、そうだよね」

「ここしか思いつかなかったんだ。デートなんて俺、勝手とか分からねえからさ」

「ち、違うの! い、嫌だったとかじゃなくて……そうじゃなくて、あの……ちょっと遠回しに、聞こうとしすぎた。その……なんでデートに誘ってくれたのかなあって」

 

 ずっと訊きそびれていた疑問をぶつけてみた。先刻に目が醒めてからというものの、トウカにとっては予想だにしない展開が続いている。それはシヅキがデートに誘ったことはもちろん、この不思議な港町の存在だってだ。

 

 トウカはおそるおそると言った様子で言葉を続ける。

 

「落ち込んでいる私のことを、慰めるため?」

「……まぁそれもあるけどよ」

「他にもある、の?」

 

 追い討ちの問いかけに対し、シヅキはすぐに口を開くことはなかった。その唇をもごもごとさせたかと思うと、バツが悪そうに顔を逸らし、「あーーー」と間延びした声を漏らした。

 

 間も無くして彼が吐いた言葉とはこのようなものだった。

 

「後で言う、ってことでいいか?」

「そ、それはもちろんいい、けど」

「……すまんな」

「全然いいよ。私だってほら……ぁ、前のデートの時もそうだったね。私の“計画”のこと言うの、ずっと引き伸ばしてた」

「……お前からあん時のことを掘り返すのかよ」

 

 シヅキは再び眉間に皺を寄せる。今度はそれが辟易の表情であるとすぐに分かった。だからトウカは自身の発言を誤魔化すように「あはは」と笑う。

 

「でもあの時、昔のことを告白したから、今の私とシヅキが在るんじゃないかな、って思ってるよ。だからね? 私は全部話しちゃったことを、全然後悔していないの」

 

 それは紛れもなく、トウカの心からの言葉だった。精一杯の感謝を込めた口下手な彼女なりの有りったけだった。

 

「……………そうかよ」

 

 

 ――それに対して、シヅキは寂しげに一言返すだけだった。

 

 

 

 ※※※※※

 

 

 

 あの時と同じように劇を観に行った。隣に座るシヅキは武器になってしまった腕を座席の中で狭苦しそうにしていて、その様子が少しだけ面白かった。

 

 あの時と同じようにカフェでパンケーキを食べた。その味が全くと言っていいほど完璧に再現されており、驚いた。ただ啜ったコーヒーがやけに苦いものであった訳だが。知っている苦さだった。以前にシヅキが淹れたコーヒーの味だ。

 

 あの時に出来なかったことをした。初めてシヅキと出会った船着場にまで足を運んだのだ。船着場を照らす真っ黄色の魔素光がやけに眩しくて、私は視界を手で覆った。すると、目深にフードを被っていたあの時の視界と重なり、思わず笑ってしまった。

 

 たくさん会話をした。今になったら懐かしいことをたくさん話した。途中からはソヨの話で持ちきりになった。シヅキから飛び出るエピソードのほとんどは愚痴だったけれど、そこにはトウカの知らないシヅキとソヨの一面があり、聞いていて羨ましい気持ちになった。

 

 手を繋ぎ、たくさん歩き、たくさん話して、それがどれだけ嬉しかったことか。シヅキと一緒に居ると安心感があまりにも増幅されてしまう。我が身の全てを委ねたくなってしまう。守られたい。守ってほしい。しがらみとか呪いとか……そういうの全部を取っ払ってほしい。

 

 トウカは口元を綻ばせるようにして笑った。

 

 

 (望みすぎ……望みすぎなんだよね、きっと)

 

 

 シヅキの見ていないところで、密かに自身の目を擦る。ボヤけた視界が少しだけマシになって……しかしすぐにまた曖昧へ変わった。

 

 先ほどから眠気が押し寄せてきてならない。瞬きの周期が増え、黒の視界が幾度と訪れる。飽きるほどに仰ぎ見ている闇空と同じ程度の黒だ。 ……その中に花を見つけた。

  

 トウカは漏れ出てしまいそうな溜息を寸で堪えて、ただ俯いた。

 

 (楽しいなぁ、楽しいのになぁ)

 

 その思いを知ってほしくて、トウカはシヅキの手をギュッと握り込んだ。しかし――

 

「…………ぁ」

 

 トウカが小さな声を上げる。間も無くしてシヅキの方からその手を離してしまったからだ。

 

 恐る恐るの様子で顔を上げる。シヅキの視線とはトウカを差していなかった。知恵の種(インデックス)を飲んだ代償である、真っ黒の荊棘(いばら)めいたモノが張り付いた彼の横顔とは、一つの光景を見渡していた。

 

「ここは…………」

「トウカと観るのは3回目だな。俺はこの前にまた観ちまったけどよ……まァ、その話はいいか」

 

 そういえば港町を出て丘を登っていたことを思い出す。今立っているこの土地とは、その頂上……港町とその向こうに広がる海、闇空を一望できる場所だ。

 

 吹き抜ける冷たな風に、前髪を押さえつける。以前のデートがここで幕を閉じた事は当然忘れていない。後味の悪過ぎる、考え得る限りに最悪の結末だった。 ……もっとも、誰が悪かったのかという話ではあるけれど。

 

 その時の記録(きおく)が色濃く残っているからだろうか、恐らく最後のデートとなる今回もここが終着点である気がしてならなかった。

 

「なぁ、トウカ。俺さっきはぐらかしたよな。デートに誘った理由ってのをよ」

「う、うん……」

「別に覚悟が足りていなかったからじゃねェんだ。ただ伝えるなら、この場所が適していた……ただそれだけでよ」

 

 シヅキはこちらへと近づいてきたかと思うと、目の前で上体を低くした。そして、トウカの背中へと似非人間(ホロウ)の原形を留めている左手を優しく回したのだ。

 

 視界と匂いがシヅキに満たされる。そして、彼の鼓動が異常に速いことに気がついた。

 

 

「なァトウカ。俺さ、バカだから気の利いた伝え方なんて思いつかねェんだ。だからよ、単刀直入に、言っちまうけどさ」

 

 シヅキの息遣いが聞こえてくる。彼はスッと息を吸い込んだかと思うと、それをゆっくりと吐き出した。 …………そして、一息にこのように言ってしまったのだ。

 

 

「俺はトウカのことを愛している。だから、トウカも俺のことを愛してくれ。花なんかのことよりも、ただシヅキを見てくれよ」

 

 



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最後のデート③

 

 

 腕の中にトウカの温もりを感じる。一方で高台を吹き抜ける風には肌寒さを感じた。

 

 その温度差が確かな現実感をもたらし、先ほどの自身の言動が、自分の口から飛び出たもので有ると突きつけられたような感覚に陥った。

 

 

 ………………

 ………………

 ………………。

 

 

「俺は、何を言ってるんだ……」

 

 ボソッと呟いたシヅキの姿勢が大きく崩れる。背後に回していた右腕により偏った重心……それに抗うことが出来ず、間も無くしてシヅキは盛大に尻餅をついた。

 

 下半身に鈍い痛みがすぐに走ったが、今のシヅキにソレを気にする余裕なんてものはなかった。その代わり、無意識に自身の左手を胸にやる。 ……鼓動が怒鳴っている。それこそ“絶望”やコクヨと(ころ)し合ったあの時よりもずっと。体内の魔素循環が乱れているせいか、頭だってクラクラだ。

 

 そんなシヅキの視界上半分をナニカが覆った。見上げた先には腰を少し屈めてこちらを見るトウカが。そのまん丸な琥珀の瞳が……確かにこちらを捉えている。

 

 シヅキは小刻みに顎を震わせた後に、このように(まく)し立てた。

 

「い……今言ったことは全部本当だ。ああ、本当だ。俺はただ……俺の中のエゴを押し付けるために……お前と一緒に居たくてよ……………それだけで」

 

 熱を帯びた額に手をやる。

 

「すまん……冷静じゃねェ。今、舞い上がってるんだよ」

「シヅキ」

「シーカーが“愛している”を教えてくれてさ。俺の中のこの“執着心”ってのは、まさにソレなんじゃねェかってさ……」

「シヅキってば」

「な、なんだよ――ぅお」

 

 シヅキが恐る恐ると視界を上げた瞬間、突然、重みが降ってきた。視界が大きくブレたものの、倒れ込んでしまうことはなんとか堪える。

 

 結果地べたに座り込んだシヅキ。そんな彼の膝の上には……ちょこんと座るトウカが在った。

 

「ト、トウカ…………?」

 

 シヅキからの呼びかけにトウカは答えない。その代わり、彼女はそっと、華奢な両手をシヅキの両肩の上に乗せた。そして――

 

 

「ありがと、シヅキ」

 

 

 満面の笑みでそのようなことを言ったのだった。

 

 唖然とするシヅキを他所にトウカは続ける。その涙で透き通った琥珀の瞳を、決してシヅキから離すことなく。

 

「わ、私ね? 前に言ったことがあったかな。自分のことがずっと嫌い、なの。引っ込み思案で、口下手なこと、力なんてないくせに負けず嫌いで……同族を(ころ)した」

「そうだったな」

「知っていても、私のことを愛してくれた、の?」

「あァ。 ……気でも狂ったかな」

「狂ってるよ」

 

 冗談交じりにシヅキが言うと、トウカは簡単に即答した。そして両肩に乗せていた手をシヅキの首へと回す。

 

「バカだなぁ、シヅキ。バカだよ。 ……でも、嬉しすぎる」

「…………ずっとトウカは光だった。それこそ、俺の中の世界に火を灯したんだ」

「大袈裟、だよ」

「事実を述べただけだ」

 

 緊張なのか、別の要因なのかは分からない。ただ現実、その震える手で再びトウカのことをひしと抱きしめた。

 

 …………。

 

 もはやシヅキの中には、取り繕いなんて言葉は存在しなかった。とにかく必死だった。改めて彼女のことを抱きしめて、時間がない、もう残っていないことを実感する。

 

 喉を絞り切ったような声でトウカが言った。

 

「シヅキは、温かいね」

「お前が、トウカが冷たすぎるんだ」

「風に当たりすぎた、かな。少し……眠いや」

「返事をくれよ」

「返事?」

「俺のことを愛してくれ」

「…………私に愛されたい、の?」

「シーカーがよ、言ったんだ。トウカの“執着”を少しでも逸らすことが出来れば、“個の崩壊”を遅らせられるかもしれないってさ」

「個の崩壊……この眠気と悪夢はそういう名前、なんだね。そっか……執着か。花への執着…………」

 

 花、花、花。その言葉を何度も反芻しながら、トウカはコツンとシヅキの胸へ頭を埋める。 ……ジワリと服が湿ってゆく感覚が、間も無くしてもたらされた。

 

 

 闇空の最底にて、トウカが言葉を吐く。

 

 

「シヅ、キ」

「なんだ」

「私ね……わ、私は……花を愛しているの。愛さざるを、得ないの。きっと、そう造られた」

「ああ」

「今も、求めてるの」

「ああ」

「シヅキは……そんな目的達成の、手段に過ぎなかった」

「……ああ」

 

 トウカはシヅキのことお構いなしに、彼の胸元へと爪を立てた。

 

「シヅキは…………優しいから」

「お前だけに向けたものだ」

「うん。 ……シヅキ」

「なんだ」

「…………………………ごめん」

 

 反響する。反響される。トウカの「ごめん」がシヅキの中で。

 

 初めから分かっていた。結末なんてものは、とっくに分かっていたのだ。だからこそ、このデートとはシヅキのエゴに他ならなかった。

 

 トウカが花を愛するように造られたように、シヅキはトウカを愛するように造られていた。空っぽの二体に与えられた唯一のモノとはたったそれだけだったのだ。

 

 

 ――あァ。

 

  

「…………………報われねェな」

 

 

 胸の中で寝息を立てるトウカを抱きしめ、シヅキは闇空を仰いだ。



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自分の末路

 

 彼らにとって人間を除くモノへの執着とは、倒錯(とうさく)といって過言ではなかった。一部始終を淡緑の瞳で捉え、改めてそう思う。

 

 ふと眼を閉じる。ある光景を脳の水底から(すく)う行為に、視覚情報は邪魔だったからだ。間も無くして呼び起こされた記憶……否、記録とは随分と古いモノであったが、諸々が変わり果てた現在においても再現は出来る。

 

 何故なら、その記録内容こそがシーカーにとっての執着であった訳だから。()()()を目蓋裏へと描いたシーカーは小さく息をついた。

 

「シヅキ、トウカ。僕が君たちを見つけ出したことは必然だった」

 

 このようなことを口走ったならば、きっとシヅキは(いぶか)しぶるに違いない。かといって情報量を渋ることが悪手であるとは以前の経験から学んだ。 ……どうもその塩梅が難しい。

 

 自分は対等なコミュニーケーションを取ることが苦手だ。ソレを初めて教えたのは、それこそあの人だった。「君は賢いからね。孤独を愛さないと」などと。

 

 …………。

「懐かしい」

 

 心の塔で過ごした歳月とは、あの人の言葉を理解するのに十分過ぎるものであった。環境が変わり、それに伴い常識が大きく変わった。己が姿さえ幾度と上書きしてきた筈なのに、自分には友と呼べる者は誰も居なかった。

 

 ずっと孤独に、ずっとやり方を模索し続けている。世界に生命を取り戻す……なんてバカげたことを目指し続けているのだ。

 

 シーカーは再び息をつく。

 

「カエデさん。僕はついに孤独を愛せなかった。 ……さて」

 

 長く時間をかけ息を吐き出したシーカーは立ち上がる。シヅキとトウカに希望を持てなくなった今、新たな希望を探す必要がある。再び世界の監視を始めるのだ。膨大な時間と精神を擦り減らし、灰色世界という海から一粒の砂金を探し当てなければならない。

 

 

 ――そう決意し、ひたすらに闇空を仰ぐシヅキに背を向けようとした時だった。

 

 

 バリィィィィィィィィィィィィィィィィィィン

 

 

 硝子を壊したような音が、けたたましく鳴り響いたのだ。

 

 

 ※※※※※

 

 

 何が起きたのかすぐには分からなかった。

 

 ただ耳を(つんざ)くほどの轟音が辺り一面に響いたかと思うと、すぐさま視界全体が真っ白に染まる。反射的に麓の港町へと眼を向け、その光景にシヅキは絶句した。

 

「町が……無ェ」

 

 正確に言えば、そこに町の原型が無かった。石が積まれた建物の壁、規則正しい模様の道、こじんまりとはしているが無数のモノが詰め込まれた屋台……その全てが有るべき形を失い、重力を忘れたように空へと昇っているのだ。さらに言えば彼方まで広がっていた無限の闇の海は、チカチカと白に瞬いていた。

 

 そのような異常な光景を前に、眠るトウカを抱えたシヅキが吐く言葉とは言うまでもなかった。

 

「……なんだよ、これ」

「シヅキ」

 

 困惑、或いは思考に浸る間もなくモノトーンの声がかけられる。見上げた前方に写る影……シーカーはいつの間にかそこに立っていた。

 

 シヅキが何かを言う前に、ソレは言葉を重ねる。

 

「想定外の事態が起きている。ここを離れたほうがいい」

「何が起こっているんだ」

「外的な要因。おそらくは、“世界”」

「……どういう意味だ。世界じゃ分からねェよ」

「灰色世界が、僕と君たちを(ころ)しにきた」

「なんだ? 灰色世界様が自ら“生命を望む異物”を排除しに――」

「そう」

「あ?」

「そう。一言一句正しい」

 

 思わぬ肯定の言葉にシヅキは言葉に詰まる。見れば、シーカーの表情は実に険しいものであった。あのシーカーが、だ。

 

 ソレは港町の方向を一瞥(いちべつ)した後に言う。

 

「たった今、塔周辺の分析が完了した。僕の結界を破ったモノを1体確認。結界を破り、あろうことか君の創造したこのささやかな世界にも穴を開けた」

「……へぇ」

「だから――」

 

 

 ガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガ

 

 

 再び響くけたたましい音の壁。今度のソレは酷く鈍い音であり、更に言えば強烈な振動を伴っていた。

 

 足元を揺らがす地響きにシヅキの体制は崩れかけるが、体幹を意識すればついにそうなることはなかった。しかし一方で、シーカーは地面に叩きつけられてしまった。

 

 しばらくして揺れが収まったところで、土塊(つちくれ)に塗れたシーカーがよろよろと起き上がる。打ち所が悪かったのか、額からドロリと赤が垂れた。ソレを強引に拭ったシーカーは言う。

 

「僕はこの通り。ホロウの上書きは完全な行為じゃない。身体を入れ替えるたびに僕の精神をすり減らし……身体能力の悪影響は(はなはだ)だしい。だからシヅキ、君に委ねを所望する」

「……俺にその侵入者を(ころ)せっていうのか」

「そう」

「……その道理は……もう俺には無ェよ」

 

 見下ろした視線の先にあるトウカ。彼女の瞼は硬く閉ざされ、もはや眠っているのか、それとも気を失っているのか判断は付かなかった。

 

 ただ、たった一つだけある絶対的な確信。その残酷な現実をシヅキは言語化する。

 

「……トウカは起きねェんだ。やがて個の崩壊に蝕まれて……こいつは人間のエゴに(ころ)される」

「シヅキ」

「デートはもう出来ない。会話だってな。笑った顔だってよ、もう二度と見れねェし、もう二度と……トウカは帰ってこない」

「ほ、他に頼る宛が無い。僕の望みの為にはこの塔の存在が絶対条件」

「ああ。()()()とってはそうだろうな」

 

 淡々と、淡々と言葉を吐くシヅキ。シーカーは彼の言葉を聞き、少しだけ黙り込んだかと思うと、「そう」とだけ呟いた。やがて、揺れ動く地面をポツポツと歩き始める。

 

「……今までの協力に感謝をする。あとは僕だけで何とかする」

 

 借り物の身体を引き摺りつつシーカーが歩みを進める。地響きに何度も足を取られ、何度もその場にしゃがみ込んだ。そうやって揺れがマシになると再び歩き始める。それは実に痛々しい姿だった。

 

 

 ……………………

 

 ……………………

 

 ……………………。

 

 

「シーカー、待てよ。俺は別に道理が無いと言っただけだ」

「……どういう意味」

「分からねェか? 気が変わったって事だ」

 

 その下唇を強く噛んだシヅキ。彼はシーカーに呆気なく追いついたところで、片腕に抱いていたトウカを差し出した。

 

 シーカーが淡緑の瞳を細める。

 

「何を」

「丁寧に扱ってくれよ。気を失っていても、痛いものは痛いだろうからさ」

「だから、何を」

「その侵入者をぶっ(ころ)すってことだ。この俺がな」

 

 シーカーから少しだけ距離をとったところで、シヅキは真っ黒に染まった異形の腕を縦に、横に振るった。その衝撃に空気がブワンと(たわ)む。

 

 その空気に紛らわせるように、彼は一つ溜息を吐いた。

 

「シーカー、俺に任せろ。お前のご都合を叶えてやる。 ………………そういや俺も、“自分の末路”ってやつを捜していたんだ」



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観て、触れて、知った

 

 僅かな弾みをつけて動き始めた円状の昇降機の上に、シヅキは座り込んでいた。

 

 真横へと眼を向ける。シヅキが再現をした小さな世界が壊されたの同様に、心の塔とは大きな悲鳴を上げていた。不安定ながらも絶妙な均衡を保っていた柱群、階段が少しずつ崩落をしているのだ。

 

 昇降機よりも速く落ちてゆく真白の柱を横目に、シヅキは溜息を吐いた。

 

「……もう終わりなんだな。何もかも」

 

 呟いたその直後、酷く鈍い音と共に昇降機が震えた。それでも昇降機は止まることなく下降を続ける。まるでその先に待つ者のところへとシヅキを誘うように。

 

 シヅキは昇降機の上に仰向けとなると、先刻のシーカーの言葉を反芻(はんすう)した。

 

 「『灰色世界が、僕と君たちを(ころ)しにきた』か」

 

 以前のシヅキであれば、その言葉を分かりづらい比喩表現とでも捉えていたはずだ。しかし今は違う。観て、触れて、知ってしまったのだ。 ……何をか? 残酷なその全てを。

 

 シヅキはふと眼を閉じた。

 

 

 ………………。

 

 

『中央区から来ました、今日から辺境区にお世話になる“トウカ”です。役職は“抽出型”です。えっと……よろしくお願いします』

 

『そうだったんだ。 ……えっとね? 私とシヅキは明日から同じチームだから』

 

『もし……世界が命を取り戻して……遙か昔のように生命が芽吹くようになったらね……ここから観える景色はきっと……すごく、すごく綺麗だと思うんだ』

 

『シヅキと、ね。甘いもの好きって聞いた。一緒に食べよ?』

 

『ヒソラ先生が言ってた『今あることが全て』って言葉……私、今分かった。シヅキも私も無事に帰ってこれて、こうしてお喋りが出来て、ありがとうなんて言える。私はそれがすごく嬉しいの』

 

『私ね? 今までに、ホロウを3体(ころ)したんだ』

 

『自分に価値を見出せず、だからせめて犯した罪を償いたくて、自らの存在を終えようとしているの、だよね。すごく、綺麗な考え方だと思う。とても健気で、可哀想で、まさしく悲劇の体現。 ……でも私は、ソレを許さない』

 

『ありがと、シヅキ』

 

 

 …………………………。

 

 あの時の光景が蘇る。観て、触れて、知った。 ……何をか? 綺麗で、汚くて、かけがえのないその全てを。

 

 シヅキは呟くように言った。

 

「なぁトウカ。俺は生命だとか世界なんてよ、(はな)からどうでもよかったんだ」

 

 視界が霞んでいく。それが鬱陶しくて強引に眼を擦った。それでも間も無くして視界が悪化する。シヅキは舌打ちを打った。

 

「あァ……くそ…………眠ぃ」

 

 

 ※※※※※

 

 

 心の塔の白の床が土へと変わった。足元の感触が柔らかになり、スッと緑の匂いが香る。シーカーが生命世界を部分的に再現したこの箱庭は、シヅキの創ったソレよりも緻密で繊細だ。やはり実物を知っているからだろうか。

 

「ふぅ」

 

 溜息というよりは弛緩の為の呼吸だった。脱力し、ぐちゃぐちゃな脳の中を一度リセットする。実際にはそんなことが出来るはずないけれども。 ……それでもせめて、身体くらいは切り替えないとならない。

 

 呆れるほどに黒い、暗い闇空の下。シヅキが立つ地面の先には一つの影があった。もちろんそれはトウカでもシーカーでもない。

 

 シヅキは前方を見据え、小刻みに震える異形の右腕を自らの後方へと()いた。

 

「お前が侵入者だったのか。そうだったんだな」

 

 とは言うものの、目の前の者とはシヅキが知っている彼では無いのだろう。先ほどからやけに煩い魔素のノイズがその危険性を警鐘しているのだ。無論それは“絶望”やコクヨの比ではない。

 

 きっとアレは、シーカーがリーフの身体を借りているのと原理は同じだ。彼の内面を司っているのはもはや彼ではない。そう確信出来たからこそ、口からはつらつらと言葉が出た。

 

「ソウマ……いや、灰色世界。俺やトウカのような異物の存在はお前らには不都合か? 人間だけを愛し、人間の復活のために躍起となるホロウだけを認めるのか? …………エゴが過ぎるぞ」

 

 シヅキの言葉にそいつは応えない。しかし、細縁のメガネの奥から覗く虚の瞳がその全てを物語っていた。失望……或いは諦めだろうか? いずれにせよ今のシヅキには関係のないことだった。

 

 

 ――体勢を沈める。身体中に魔素を回す。それでも足りなくてシヅキは「あ゛ァァ」と唸った。フラッシュバックしたトウカの表情を、頭の片隅へと大切にしまい込む。

 

 

 ………………

 ………………

 ………………。

 

 

「………………じゃあ、やり合おうぜ」

 

 

 ズォン

 

 

 空気を裂くかのような重い、重い音と共にシヅキの姿が一瞬で消えた。その次の瞬間、一本の腕が闇空を舞ったのだ。

 

 



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対 世界

 

 その瞬間、確かな手応えを自身の右腕へと感じる。シヅキの眼の端には飛び散ったソウマの腕が映っていた。

 

 ズザザザザザザザザ

 

 初動の勢いをそのままに奴の腕を斬り落としたシヅキは、空中で身を翻し、緑の地面を滑りながら着地する。その勢いが収まったところで、中距離に映る奴の全貌を捉えた。

 

 シヅキは舌打ちを打つ。

 

 (あいつ、なんで無抵抗なんだ……)

 

 奴はこの一連の流れの中で全く動かなかった。自身の腕が斬り落とされたにも関わらずだ。虚の眼は虚のままで、乱れたメガネを直す素振りも見せない。 ……その傷口からはビシャビシャと漏れ出す黒い液体が痛々しく流れ続けていた。

 

 シヅキは低い姿勢を維持しつつ奴の様子を窺う。その場に留まり続けると意識が飛びそうで仕方がなかったので、大きな円を描く様にして動いた。それでも否応なしに瞼が下がりならなかった。視界と思考が断続的に機能を停止する。

 

 シヅキは再び舌打ちを打ち、その無骨な刃先を奴の喉元へと向けた。 ……迷っている暇はない。決めるなら一撃だ。

 

 標的の視界がこちらを捉えられるギリギリのところで、再び体勢を極限まで落とす。異形の右腕を振り上げ、シヅキは地面を踏み抜こうとした。

 

 ――しかしその時。

 

 

『ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛! ! ! ! !』

 

 

 叫び、という言葉では足りなかった。より暗く、黒い声らしきナニカ。それが痛々しく箱庭を貫いたのだ。

 

 あまりに突然の圧に、シヅキはまだまともな左手で片耳を塞いだ。先ほどとは別の意味で視界が大きく揺らぎ、「クソがよ!!!」と大きく叫ぶ。

 

 ぐらつく中で見ると、奴の様子が大きく変わっていた。両手で頭を大袈裟に抱え込み、痙攣のような症状が出ている。その視線とはひたすらに闇空を仰いでいた。

 

 

 叫ぶ、叫ぶ。痛々しく叫んでいる。明らかに尋常ではなかった。

 

 

 すぐにシヅキは口内の息を鋭く吐き切ると、その不安定な脚で地面を踏み抜いた。経験上、あのような者に時間を与える行いとはもはや悪手でしかないと判断したからだ。風を斬るようにして距離を詰め、ゼロ距離の寸前で大きく跳躍をした。そうして大きく広がった視界の真ん中に居座る標的へと……

 

「らァ――――!」

 

 ……その腕を躊躇なく振り下ろした。

 

 ギィィィィィィィィィィィン

 

 けたたましく甲高い音がシヅキの耳を(つんざ)く。シヅキの放った一撃がついに奴の喉元を捉えることはなかった。より前の段階で阻まれる形となったからだ。

 

 しかしそれ以上に問題だったのは、ソレを阻んだ者達の正体だった。

 

「んだよそれ!!!」

 

 言葉を吐き捨てると共に、反動をつけ大きく距離をとる。しかし間髪を入れずに猛攻がシヅキを襲う。

 

 左右から、上下から、或いは背後から鋭利な刃が射し込まれる。一つと鍔迫り合いになった瞬間に他に叩かれると悟ったシヅキはその全てを右腕で受け流した。

 

 一つ一つの攻撃は大したものではない。大したものではないのだが。やはり困惑の感情を振り払うことは出来なかった。その攻撃群の隙に出来た僅かな隙を突き、再び大きく距離を取る。そして、体勢を整えつつ、シヅキは初めて彼らの姿を凝視出来た。

 

 眉間に皺を寄せ、シヅキは小さく呟く。

 

「おい魔人共……その大鎌は記憶のどっから引っ張ってきやがった……?」

 

 

『ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛! ! ! ! !』

 

 

 その尋ねに応えるように、奴は再び叫び散らした。するとビシャビシャと地面に垂れていた黒の液体がぐつぐつと泡立つ。 ……間も無くしてカタチを変え、大鎌武装の魔人共が現れた。

 

 攻撃の再開。

 

「逆撫でるような真似ばかりしやがって!!!」

 

 シヅキだっていつまでもしどろもどろで居る訳ではなかった。もう自分には何も残っていない、その認識を脳内で改めてかき乱した後に、かつての自らの面影共へ向け容赦なく右腕(ヒソラ)を振るう。振るう。振るう。

 

 真っ向から振り下ろされる大鎌をへし折り、喉を一閃に掻っ切った。背後から近づく魔人を後ろ蹴りし、複数体巻き込んだ後に串刺しにした。真横からの斬り上げ攻撃を寸のところで(かわ)し、心臓紛いを貫いた。

 

 

『ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛! ! ! ! !』

 

 

 そしてあの叫び声が聴こえてくる。シヅキが眼の端に捉えた奴の姿とはもうソウマの原形を保ってはいなかった。身体を構成するその全てが一体化するようにドロドロとした黒の液体へと変貌を遂げてゆく。喉はもうその機能を果たせないはずなのに、あの叫び声はどこから出しているのか。

 

 悲痛な、辛苦に塗れた、絶望の慟哭(どうこく)めいたあの叫びを。

 

 

「あああああああああああアアア!!!!!!!」

 

 

 とうとうシヅキは我慢の限界だった。闇空の最底における(ころ)し合いは続く。

 



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対 世界②

 

「てめェらが!!! 苦しんでるんじゃ……ねェよ!!!」

 

 息が上がる肺の中に発声へ消費する酸素が残っている筈なかった。シヅキは詰まり詰まりに、実に荒い声色で怒鳴り散らす。

 

「お前ら人間のせいだろォが……お前たちのエゴがかつての世界をぶっ壊して、灰色世界(ゴミ)を生み出したんじゃアねェのか!? ならそれは自業自得だろ!?」

 

 しかし、そうやって好き勝手に喚く一ホロウを魔人共が放っておく筈がなかった。大鎌で武装をした彼らはシヅキを襲う。何体も、何十体も、何百体も。それらの処理に右腕を酷使し続けた影響で、その刃には大きなヒビが入っていた。

 

 そんな事実にすら気づくことが出来ず、(ころ)し合いの最中、心身ともにボロボロなシヅキは思いの丈をぶち撒け続けた。

 

似非人間(ホロウ)は苦しんだぞ! アサギも、サユキも、リーフも、エイガも、コクヨさんも、ヒソラだってなァ! 俺たちは確かに(ころ)し合ったぜ…………でも、元を辿れば……元凶は人間じゃアねぇか!!! 俺たちは一度だって創れだなんて頼んでいねェのによ!!!!!」

 

 

『ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛! ! ! ! !』

 

 

「何言ってんのか……ワカンねェんだよ!!!」

 

 ひとしきり魔人を(ころ)しきり、ぽっかりと拓いた箱庭の一角に“世界”を捉える。

 

 

 ――もうシヅキを止める者は誰も居なかった。

 

 

「あああああァァァ!!!」

 

 右腕を振り上げ、ドス黒い“世界”に叩きつけるよう振り下ろす。しかしそこに一切の手応えはなかった。もはや“世界”とは融けきってしまい、粘度の高い液状の姿に変わり果ててしまっていたからだ。

 

「クソが! クソがよ!!!」

 

 それでもシヅキは構わなかった。コレが無意味で無価値な行動だと分かっていても、もはや自分を止める術はない。長い時間をかけ、自分の中に蓄積を続けてきた感情……今まで言語化も具体化もせずに、ただただ燻らせ続けてきた感情が爆発してしまったのだ。

 

 何度も、何度も右腕を叩きつけた。何度も、何度も、何度も。 

 

 

 ……その中でどうしても思い出してしまう光があった。思い出す度に心が締め付けられ……だから頭の片隅に鍵をかけていた筈だったのに。

 

 涙のせいで視界がグチャグチャだった。

 

 「クソ……クソぉ……トウカを……トウカだけでもよ! なんなんだよお前たちは……本当に人間の復活のために俺たちを創ったのか…………? ただ、俺とトウカをいたぶらせたかっただけじゃアねぇのか……?」

 

 ついにシヅキは膝から崩れ落ちてしまった。真っ黒な闇の液溜まりに座り込んだせいで、びしゃりと滴が跳ね、乱れた水紋が広がった。

 

「トウカに……愛されたかった」

 

 震える右腕を高々と上げる。重心が大きく変わることでぐらついた。それでもとうとうシヅキが倒れ込まなかったのは、せめてもの意地だったのだろう。この一撃だけは叩きこまないとならない……そのような。

 

 

「何も……かも…………消えちまえ」

 

 

 シヅキは真っ直ぐに右腕を振り下ろした。真っ黒な液溜まりの……どこが身体だったかも分からないソレに。

 

 

 ガシャン

 

 

 しかしソレが実現をする前に右腕(ヒソラ)(ひず)みに耐えかねて壊れた。そして間も無くして……

 

 

 ビシャ、ビシャ、ビシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャ

 

 

 幾重にも重なる水滴音が突如として聴こえてきたのだ。何が起こったのか分からないまま、シヅキの身体中に鋭い痛みが走りまくる。同時に特有の浮遊感に襲われた。

 

 見ると、先ほどまで足をつけていた地面があんなにも遠い。何故だろう、心の塔の頂上を見下ろせた。コレは……あぁそうか。

 

 シヅキはようやく理解することが出来た。あの液溜まりから生えてきた無数の枯れ枝に、己が身体を連れ去られてしまったということを。

 

「“絶望”か……………」

 

 ビシャビシャと自らより垂れ流れ続ける真っ黒な液体を眼に捉え、シヅキは満足げな表情を浮かべた。

 

 

 出来損ないの似非人間(ホロウ)の末路として、これ以上のモノはないだろうと。

 

 



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祈り、願う

 

 心の塔へ向けて華奢な腕を伸ばしていたソレは、溜息と共にその手を下ろしたのだった。

 

 

 闇空を見上げる。天へと伸びるドス黒い茨の束……その末端で串刺しとなったシヅキはピクリとも動かない。四肢と心臓、そして肺を軒並み貫かれたのだ。規格外のバケモノの身体でも耐えられないほどの傷を負ったのだ、彼は。

 

 その姿を確認したシーカーは小さく呟く。

 

「シヅキ」

 

 次にシーカーの視線は背後へと向けられた。簡素な円状の床の奥、そこで布切れのように(うずくま)る彼女へ。

 

「トウカ」

 

 心の塔の中層辺りにひっそり築かれた剥き出しのテラス。その片隅で横たえられたトウカがシーカーの呼びかけに応えることはない。 ……当然のことだ。個の崩壊の症状とは既に末期まで来ている。トウカの記録(きおく)がついに蝕まれ、身体がその姿を保てなくなることは時間の問題だった。

 

 

 …………。

 

 

 彼らの惨状を眼にしたシーカーは自身の……正確にはリーフの長髪を押さえつけ、ぐぐぐと手櫛を通す。そして粘着質な瞬きを繰り返した。

 

 胸の内で言語化された感情を(あぶく)のように溢す。

 

「この胸の内の騒めきを、僕は心の塔が壊され得る焦燥だと思い続けていた。しかしそれだけでは足りない。 ……不思議。君たちを失いかけてこうも心が動くか」

 

 間も無くしてシーカーは自身の胸元を強引に掴み取ると、長く時間をかけ深呼吸する。そして淡緑の瞳で改めて茨の束を捉え、その冷たい床へ片膝をついたのだった。

 

 

 最後に改めて闇空を見上げたシーカーは、肺いっぱいに空気を吸い込むと、

 

 

「人間様、人間様、人間様。お聞こえになりますか、お聞こえになりますか。貴方の創造体、ホロウ、虚ノ黎明……その1体、監視者でございます」

 

 

 静かに声を張り上げた。

 

「僕の言葉が届いているのなら、どうかお聞きになってほしい。 ……シヅキを解放してくれないでしょうか。彼にはまだトウカを看取る責務があります」

 

 

『ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛! ! ! ! !』

 

 

 シーカーの言葉を理解しているのか否か。再び“世界”は慟哭を上げる。シーカーは表情こそ歪めたものの、ついに体勢を崩すことはなかった。

 

 穏やかな口調でこう続ける。

 

「貴方の怒りと苦しみを僕は知っています。人間様……貴方は自らが許せなかった。自らが星を傷つけ、未来を潰したこと。それでも生きたい一心で、子供未満の“僕ら”を生み落としてしまったこと。そして、晴らすことの出来ない罪悪感情を抱いたことを僕は知っています」

 

 それは灰色世界でたったシーカーだけが紡ぐことが出来る言葉だった。孤独に世界を傍観し、その時代の変遷を見通してきた監視者(シーカー)だけが。

 

 その両手を茨の束へと掲げる。

 

「人間様、人間様。きっとこれが最後のチャンスです。僕の声が聞こえているなら、どうかシヅキを傷つけないでください。これ以上罪を重ねないでください。これ以上嫌われるような真似はやめてください。闇に呑まれないよう……どうか」

 

 

『ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛! ! ! ! !』

 

 

「お願いします、お願いします、お願いします、お願いします、お願いします」

 

 何度も何度も言葉を反芻する。非力なシーカーに出来る事ととは祈り、願う……たったそれだけだった。

 

 それがなんの意味も持たない空虚な行いであることは自覚している筈なのに心が止めてくれない。さざ波のような感情の震えが波紋をもたらし、シーカーの中を広がってゆくのだ。

 

 祈りの最中、シーカーは自身へと問う。

 

 自分は似非人間(ホロウ)である筈なのに……何故このような感情を抱けてしまったのだろうか?

 

 

 ――シヅキには()()()ほしくない。どうか()()()ほしい。

 

 

 と。

 

 

 …………………………

 …………………………

 …………………………。

 

 

 それから暫くの時間が経過した。声が枯れ、握り込んだ両手がくっ付いたように固まり、床についた膝の感覚が無くなる程の時間だ。

 

 “世界”も長く叫びを上げていない。箱庭を自身の空虚めいた声が否応もなく響いている……そのような実感が沸々と湧き上がってきたところで、シーカーは随分と乾いた声にて呟いたのだった。

 

「……やはり無駄な行いだったか」

 

 そうして、いつの間にか閉じきっていた視界を再び開き、その惨状を眺めたのだ。徐々に焦点が合ってくる。

 

 

 黒を黒で塗り潰した闇空、天へと伸びる茨の束、その末端で串刺しとなったシヅキ。それらを見上げる白銀の影。

 

 

 ………………。

 

 白銀の、影……?

 

 

 シーカーは大きく眼を見開いた。ふらつく身体を強引に立ち上がらせる。

 

 すぐに彼女の元へ駆け寄った。



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トウカの最期

 

 

「トウカ」

 

 その華奢な腕を伸ばし白銀の影へと触れる。シーカーはその肌の異常な冷たさに驚きはしたが、とうとうその手を離してしまうことはなかった。

 

 剥き出しのテラスの上、シーカーは彼女へ矢継ぎ早に問う。

 

「何故、起きられた。君はもはや“トウカ”ではない域に達していたはず」

「………………」

「それとも彼女の“個”とは既に崩壊した後か。人格は消えど、何らかの作用で肉体が残ったか」

「………………」

「答えろ。君は何モノ」

「…………………………」

 

 しかし、いくら問いかけても答えが返ってくることはない。その琥珀色の瞳とは、どこか焦点が合っていないようで。シーカーが今まで見てきた彼女とはまるで別モノだった。

 

 ………………。

 

「やはり異なる、か」

 

 そのあまりの手応えのなさに、シーカーは肩を掴んでいた手を解こうとした。 ……だが。

 

「何を」

 

 その直前、小刻みに震える白の手が伸ばされシーカーの袖が握られたのだ。間もなくして、簡単に振り解けてしまう程に弱い力で持ち上げられる。

 

 そうやって不安定に差し向けられた自身の指先へ映る景色を……ぴくりとも動かないシヅキの姿を捉え、

 

 

「……そういうことだったか」

 

 

 シーカーは全てを察したのだった。そして、その身体を温めるようにトウカの顔を両手で包み込む。

 

「トウカ、君にはもはや言語機能も理性も残っていない。挙句、自分のことすら認識できなくなったにもかかわらず、眼を醒した」

 

 人形のように無機質で味気のないその頬を撫でる。その中に弱りきった魔素の反応を見つけた。これが、この燃え尽きる寸前の魔素反応こそが”トウカ”の全てなのだ。

 

 シーカーは一つもまばたかない琥珀の瞳に自身の指の背で触れた。

 

「君も僕と同じ。存外に(ほだ)されていた。依存といっていい。シヅキが君を求めたように、君だってシヅキを求めていた。 ……言い換えればソレは――」

 

 

『ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛! ! ! ! !』

 

 

 ”世界”による幾度目かの慟哭が響き渡り、シーカーの視線は茨の束へと吸い寄せられた。見ると、先刻と比べ茨の束は太く、大きくなっていることが分かる。その先端とは心の塔を差していた。

 

 下唇を上歯で噛む。やはり祈りも願いも人間には届いていない。届いていたとしても聞き入れてもらえなかったようだ。そのことを十分に理解した上で、シーカーは小さなトウカの身体を抱え立ち上がる。

 

「……シヅキを助けるには、最後の手段を取る他ない」

 

 言語化し思考を整理する。そしてこれから何を行うのか、その結末に何が待っているのかを思い描き……シーカーはごくりと唾液を飲み込んだ。

 

 最後、その視線を彼女の瞳へと寄こし、シーカーは柔らかな笑みを浮かべる。

 

「トウカは綺麗な眼をしている。琥珀色は、その色は太陽の明かりを思い出させる。太陽は眩しくてまともに観ることは出来ないけれど、君の眼は違う。 ……シヅキにとって、君は正しく光だったろう」

 

 口を半開きにし、今にも融け消えてしまいそうなトウカ。シーカーはその額に自身の額を合わせる。

 

 小さく、小さく、小さく。シヅキには聞こえてしまわないよう囁くようにシーカーは言った。

 

 

 

 

「おやすみ、トウカ。君にはありったけの生きている花を手向(たむ)けよう」

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――――――――

 

 

 ――――――――

 

 

 ――――――

 

 ――――

 

 ――

 

 ―

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……………………………………………………

 

 

 ……………………………………………………

 

 

 ……………………………………………………

 

 

 ……………………………………………………。

 

 

 

 スッと鼻をついた緑の匂い。僅かに香ったソレがシヅキの意識を徐々に覚醒させていった。

 

 しかし、それは同時に感覚の自覚を意味する。

 

 身体と、手と、足。その全てが痛い。ただし全身をナイフで刺されたような鋭い痛みではなく、鈍く重い痛みだ。

 

 (まぶた)は否応もなく張り付き、開かない。視界には何も映らない。

 

 そして、思考が働かない。何故このような状態なのか。そもそも自分とは誰なのか。 ……それを上手く思い出せない。

 

 

 何か大切なことを忘れているような?

 

 

 ………………

 

 ………………。

 

 ………………!

 

 

「トウカ……」

 

 枯れきった声で彼女の名前を呼ぶ。それだけでは飽き足らず、シヅキは張り付いた眼を強引に開き、その上体を起こした。

 

 辺りを見渡す。

 

 そこに広がっていたのは見慣れた景色……シーカーの箱庭だった。どうやら自分はその中心、灰色の花畑の上に倒れ込んでいたと気づく。

 

 シヅキは視線を落とし左手をグー、パーと開き閉じた後、舌打ちを打った、

 

「まだしぶとく(いきてい)るのかよ。俺ァ」

 

 全身を隈なく走るこの痛みの正体も、今思い出した。これは、この傷は“世界”との戦いにより負った傷だ。茨の束に身体中を串刺しにされ、そこから先の記録(きおく)が一切無い。 ……辺りを見渡してもドス黒い液体や茨の束とは広がっていなかった。

 

 シヅキは先刻に失った右腕(ヒソラ)の付け根に手を押し当て、怪訝な表情を浮かべた。

 

「あの後、何があったっていうんだ……?」

 

 

 

「“世界”は(ころ)した」

 

 

 

 突然聞こえてきたその声にシヅキはバッと振り向く。振り向き、そして絶句した。とても信じられない光景が広がっていたからだ。

 

 永遠にほど近い数秒の後、困惑の声がシヅキの口をつく。

 

「え……ァ…………は?」

 

 なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ。頭の中をその単語が覆い尽くしてならない。寝起きの思考回路ではとても制御しきれなかった。

 

 故にシヅキは目の前の光景を有りのままに見ることしか出来なかった。有りのままに……その琥珀色の瞳と、白銀の影を。

 

「トウ、カ…………?」

 

 いつの間にか崩れ落ちていた脚をほぼ引き摺る形で、シヅキはその影に近づいてゆく。

 

 真っ白に染まった彼女は距離を詰めても逃げも隠れもしない。その事実が幻覚の類いではなく、本物の彼女だとシヅキを確信させる。確信し、そこでようやく喜びの感情が湧き上がったのだ。

 

「は、はは…………ァ……アハハ!!!」

 

 口を引き攣らせ笑ったシヅキはとてもぎこちない足取りながらついに彼女の元へと辿り着いた。そして、いとも容易く手を伸ばしたのだ。

 

 思考を彼女が支配する。思い出が甦る。

 

 彼女にまた触れられる。

 一緒にいられる。

 あの温かな光の傍で。

 ずっと。

 

 

 そうやって、彼女へ触れようとした時だった。

 

 彼女が小さく息づいたのだ。

 

 

()()

 

 

 そして彼女は、

 

 

「僕はトウカじゃない」

 

 

 彼女(?)は、

 

 

「トウカの意思その全てを上書きし、身体を乗っ取った」

 

 

 ソレは残酷に、

 

 

「僕はシーカー。数日前、トウカを()()()

 

 

 淡々と真実を述べた。

 

 



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葬いと大鎌

 

 心の塔の最上階には、人間の記憶を基に生命世界を『際限なく再現する装置』がある。巨大な天体望遠鏡を模したソレを起動することで、一時的とはいえ、生命に直接触れることが出来るのだ。

 

 しかしこの装置には……正確に言えば、『この装置が映し出した事実』には致命的な問題があった。それは、人間が灰色世界で原形を保てないことと同様、ホロウはまともに生命世界に存在出来ないという問題だ。“虚命障害”とシーカーが呼称したソレの空虚的な痛みと苦しみをシヅキはよく知っていた。

 

 さて。バケモノじみた力を持つシヅキでさえも無数の茨により串刺しとした“世界”とは、この虚命障害を引き起こし、やはり原形を保てなくなったのだ。燦然(さんぜん)と輝く陽光を体験し、やがて跡形無く消え失せたのだという。

 

 では、どのようにして装置は起動したのだろうか? シヅキは花畑の中心で塔を見上げる。

 

「なんだよ……アレは」

 

 塔は酷く(いびつ)な形状をしていた。至る外壁が崩れ、或いは曲がり、融け、塔内部が剥き出しとなっている。その高さも随分と縮んでしまっていた。それでも完全に崩壊しきっていないのが不思議だ。

 

 そんな塔のちょうど中心付近に構えられたテラス。そこに……闇空を見上げたあの装置を発見した。

 

 

「人の心を内面に持つ僕達は、心の塔を操ることが出来る。僕はトウカの身体を上書きし、彼女の意思を総動員して塔を大きく変形させた。それこそ階層ごと呼び寄せてしまう程の」

 

 

「……シーカー」

「約束のものを持ってきた」

「あァ。ありがとう」

 

 塔内部から戻ってきたシーカー。シヅキはその姿を出来るだけ見ないよう顔を逸らしつつ、頼んでいたモノを受け取った。

 

 シャラン、と僅かに音が聴こえる。

 

「トウカの錫杖、随分と久しぶりに見たな」

 

 シヅキが浄化型として魔人の首を刈り取ったように、トウカは魔人を構成する魔素の抽出を行なっていた。その時に用いられた装いこそが錫杖……要は、これはトウカの形見なのだ。

 

 そんな錫杖を携え、花畑を歩く。そして塔の傍にある広場へと足を踏み入れた。そこはいくつもの墓碑が規則正しく並んだ小さな墓地だ。

 

 そんな墓碑の一つの前に屈み、錫杖をそっと置く。緑の匂いが香る風が吹き、シヅキの髪を揺らした。

 

 

 ………………

 ………………

 ………………。

 

 

「アサギ、サユキ、リーフ、エイガ、ヒソラ、コクヨさん、ソウマ。 …………トウカ」

 

 爪を食い込ませるほどに左手をギュッと握り込んだ。小刻みに震える手から感覚が引いていき、力を緩めるとじんわりと熱が広がった。

 

「………………あァ」

 

 

 全てを失った。比喩的な表現では無く、本当にその全てを。

 

 

 無い筈の右腕に感じる痛みを押さえつけながら、シヅキは闇空を仰いだ。黒を黒で塗りつぶしたその空の果てに……彼らが眠っているとは到底思えない。あんな陰鬱の空の果てに閉じ込められるなんてのは、(こく)にも程があるだろう。

 

「だからって……どこに行っちまったって話なんだけどさ」

 

 身体中に魔素を回す。くらくらするシヅキの身体を構成する魔素濃度は薄い。きっと今ならエイガにすら負けてしまうだろう。それほどの衰えを感じている。

 

 

 ――でも、それでも。あと一体くらいなら(ころ)せる筈だ。

 

 

「……っ!」

 

 僅かな痛みを代償に身体を切り売りする。すると、左手の中にズシンとした重みを感じた。手触りも温度も……全てが懐かしいソレを掲げるように持ち上げる。

 

 ………………。

 

「シヅキ、何をするつもり」

 

 間も無くして背中から声をかけられた。首だけで振り返る。そこには強張った表情を浮かべたシーカーがいた。 ……アレはシーカーだ。

 

 淡々としたトーンでシヅキは答える。

 

「何って、何だっていいだろう」

「その大鎌は今必要ないと思う」

「必要だから取り出したんだ、シーカー」

 

 シヅキが腕全体で大鎌を振るうと、シンと鋭い金切音が耳をついた。疲弊した身体でもそこそこの質のモノを造り出せたことに安心をする。

 

「こいつなら一閃だな」

 

 呟いた直後、シヅキはその大鎌を構えた。

 

 しかし。

 

「やめて今すぐに」

 

 ソレが振るわれる直前、シーカーが邪魔をした。シヅキの左腕にしがみつきその行動を阻止しようとする。そしてあろうことか、トウカの琥珀色の瞳にて訴えかけてきたのだ。

 

「君のその行動を、僕は許容できない。君はまだ()()()()()。そしてこれからも」

「あ? なぜお前が止めるんだ。俺なんてもう用済みだろう?」

「目的じゃない。感情の話」

「相変わらず、解せねェ言い方だ」

「君を助けたのは僕とトウカの意思。トウカは君を助けたがっていた。彼女が最期に見たのは花ではなく君だった」

「……そんなこと、信じられる訳ねェだろう」

「これは紛れもない事実で――」

「なぁシーカーよ」

 

 苛立った口調にてシヅキはシーカーの言葉を遮る。深く眉間に刻まれた皺と左腕に浮き出た血管が彼の怒りを物語っていた。

 

「その面とその声をよ、俺に向けないでくれ。そいつァ、そいつはよ。トウカのものだ」

「……ごめん」

「謝って済む問題じゃァねえだろ。お前がやった行為ってのは、トウカの尊厳を踏みにじったことで……なんでお前泣いてるんだ」

 

 無表情のシーカーの、その琥珀色の瞳とは透き通っていた。そして、大粒の涙が頬を伝い重力に従い落ちていく。

 

 シーカーはそれでも抑揚少なく、このように言った。

 

「お願いシヅキ。自らの()を絶つなんてことを……どうかやめてほしい。君が居なくなれば僕はまた孤独になる。もう嫌だ。耐えられない。耐えたくない」

「……言ってたなお前。もう一度会いたい人間が居るってよ」

「カエデさんは、周囲に馴染めなかった僕と唯一話してくれた。ガラス越しでも嬉しかった。 ……君は触れられる」

「……すまんな。そいつァもう、叶わねェ」

 

 バッサリと切り捨てたシヅキが腕を軽く押し返すと、いとも簡単にシーカーは解けた。そして、シヅキはソレに背を向ける。くらくらとする視界にて、トウカの墓碑を見下ろした。

 

 スッと息を呑む。

 

「俺はよ、幸せなんだ。きっと今が最高に幸せで、もうこれ以上に幸せになることは無ェ。トウカが居たから……トウカが俺の存在理由だった。だからトウカが居なきゃさァ、俺は昔のシヅキなんだよ。灰色世界に唾かけているだけのクソッたれだ。 ……光があったからこそ、俺は輝いていられた」

「シヅキ」

「じゃあなシーカー」

「シヅキ!!!」

 

 張り裂けんばかりのシーカーの声も虚しく、シヅキはその大鎌を闇空へと向けた。

 

 歪な笑みを浮かべる。

 

「じゃあな灰色世界。 ……………………ざまあみろよ」

 

 くるりと手首を返す。

 

 

 

 グシュ

 

 

 

 ――肉と骨を断ち、自身の首を掻っ切った。

 

 

 

 

 

 

 シヅキは死んだ。

 

 

 

 

 

 





次話、最終回です。


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紫の月

 

 オド外部へと繋がる大きな昇降機にソヨとリンドウ、あとは護衛の浄化型ホロウ2体が乗り込み、やがて廃れの森へと辿り着いた。

 

 白濁した木々の隙間を縫うように歩みを進める。雑草が揺れる音と、時折に混じる朽ちた枝きれを踏み折る音以外には何も聞こえない。その静寂と肌寒い気温が、独特の不気味さをもたらせていた。

 

 ソヨは軽く溜息をつく。

 

「まさかオドの外にまで出るとは思ってもいませんでしたよ。お話ってそんなに内密な内容ですか?」

「半分は正解ね。もう半分は……。 ……最近調子はどう?」

「と、突然何ですか?」

「少し気になっただけよ」

「最近、ですか」

 

 抽象的な問いかけだとソヨは思った。ついつい言葉の裏を考えてしまう。一昔前なら特に意識することなくサラッと答えてしまっていただろうに。

 

 ………………。

 

 ソヨは数十秒ほど考えた後、結局のところ無難に答えたのだった。

 

「平和なものですよ。魔人の出現数は減少傾向にありますし、帰還率も高水準を保っています。少し前までは“例のモノ”の出現に騒ついていましたが、調査が滞っている現状、今は穏やかなものです」

 

 そのように言い切った後、ソヨはわざとらしく伸びをした。何となくの気恥ずかしさを覚えたものだから。とは言うものの、模範的な回答は出来たのじゃないかと満足する。

 

 だからソヨは、つまらなさそうに唇を尖らせたリンドウの様子を(うかが)おうと、目線を寄越したのだった。

 

「うふふ」

 

 もっとも、彼女は含みをもたせた笑みを浮かべた訳なのだが。その笑みのままに彼女はこう言った。

 

「おかしな話ね。ホロウたるもの魔人の出現が少なくなったことは嘆くべきじゃないかしら? 魔素の抽出量が減るのだからねぇ。 ……一体、誰の影響かしらね」

「なっ!?」

「いいのいいの。ちゃんと分かっているから」

 

 カッと身体が熱くなる感覚に襲われる。「やられた」と。それこそ先ほどまでの肌寒さが嘘のようだった。

 

 ソヨは意味もなく自身の髪を数度撫でたあと、恨めしげにリンドウのことを見た。

 

「まさかもう半分って、わたしをからかう為ですか……?」

「今のはただの興味本位よ。 でも……ソヨちゃんも言ったじゃない、“例のモノ”なんて遠回しな言い方で」

 

 少し前を歩くリンドウが白衣の袖を揺らし、その長い指を差し向ける。その所作だけで何を言いたいのか察しは付いたが、ソヨは深い瞬きの後、空を見上げたのだった。

 

 

 間もなくして、彼女らは“薄明の丘”へと辿り着いた。

 

  

 

 ※※※※※

 

 

 

 “例のモノ”とは今から半年ほど前に突如観測された、巨大な輪のことだ。

 

 黒を黒で塗りつぶした闇の空に、その輪はあたかも「自分はずっと此処に居た」と言わんばかりに現れ、あろうことか闇空に初めて光をもたらせた。

 

 当然、前代未聞の事態だった。巨大な組織であるアークと言えどこの事実を隠せる筈がなく、やがて、一般のホロウを中心に大混乱が起きた。呪い、救い、希望、絶望……正体不明の輪には大層な言葉が付き纏い、無根拠のデマが蔓延。挙句の果てには乱闘騒ぎに発展した。普段は閑散としたオドにもホロウが殺到し、まともに眠れない日々が続いたことをソヨはよく覚えている。

 

 

 ………………。

 

 

 乾き冷えた空気を吸い込み、吐き出す。空を見上げた。やはり木々の間より、拓けた土地から眺める方がより大きく鮮明に見えならなかった。

 

 薄明の丘、その穏やかな起伏の頂点には一本の木が生えている。その傍に立ち尽くすソヨは、目線を寄越すこともなく、リンドウへと問うた。

 

「まさかリンドウさん、知っていらしたのですか? わたしが此処へ足を運んでいることを」

「護衛のホロウも付けることなくたった一体で、ね」

「……ごめんなさい」

「もう少しだけ、自分を大切にして欲しかったわね」

 

 溜息混じりでリンドウはそのように言った。「大切にして欲しかった」と。 ……その言葉が向けられた相手は、本当に自分なのだろうかと疑問に思う。

 

 もしかしたらリンドウも同じ気持ちなのかもしれないとソヨは思った。だからこそ、“あの時の記録(きおく)”を共有するソヨとこの地を訪れたのだろうか? ……もっとも、そんなことを尋ねたとしても(はぐ)らかされてしまうだろうが。

 

 

 そう考えたからこそソヨは、粗末な空想を語ることにしたのだ。

 

 

「あの輪って、“月”だと思うんです。わたし」

「月? 生命世界に観測されていた天体?」

「根拠なんてありませんよ。公で主張しようものなら妄言だと一蹴されるでしょう。 ……でも、あの届かない光をシヅキと重ねてしまいまして」

「月とシヅキくん……語感の問題?」

「あいつはバカだからそういうことはサラッと言いますよ」

「ふふ、なにそれ」

 

 ソヨの言葉にリンドウはひとしきり笑ってくれた。ソヨだって笑った。薄明の丘を訪れる度にその眼を涙で濡らしていたものだから、こんな楽しい気持ちは新鮮でならなかった。しかしそれと同時に……いつもよりひどい懐古感情に襲われる。

 

 

 ………………

 

 ………………

 

 ………………。

 

 

「ねぇソヨちゃん」

 

 気がついた時にはリンドウが目の前にいた。突然黙ってしまったことを不思議に思われたのかもしれない。そう考えたソヨは自身を取り繕おうとしたのだが、それ以前にリンドウが言葉を重ねた。

 

 曰く。

 

「あの輪が本当に月なら、光がないとね」

「光……ですか?」

「月は自ら輝けないのよ。照らす光が存在して、初めて月は“月”たらしめられるもの。だから……ね?」

 

 リンドウは柔らかな笑みを浮かべる。それだけで彼女が何を言わんとしているのかはすぐに理解できた。ゆえにソヨは改めてあの輪を見上げたのだ。闇空を照らす、大きな、紫の光の……“月”のことを。

 

 

 ………………。

 

 

 大きなあくびをこぼしたソヨの目元が霞む。ぐっと背伸びをして、懸命に手を伸ばした。そのような無意味な一連の行動の後、ソヨは最後にこう呟いた。

 

 

「綺麗……だったわね」

 

 

 ――そんな彼女らの様子を見守るように、琥珀色の一輪の花が薄明の丘を灯していた。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『灰色世界と空っぽの僕ら』

 

 〜Fin〜

 

 

 




 

 読者の方々へ

 こんにちは。
 いつもお世話になっております。

 作者の榛葉(しんば)です。この度は『灰色世界と空っぽの僕ら』をお読みいただき誠にありがとうございました。

 本来この作品は10万文字程度、2022年の4月までに終わらせる予定だったのですが、気がついてみるとここまで膨らんでしまっていました。ですが第一目標としていた「作品を書ききること」を達成できたことをまずは安心しています。もしよろしければご感想・ご意見等をいただけると幸いです。

 その他色々と語りたいこともあるのですが、あまり長くなってしまうと冗長的になってしまいそうなので、ここまでにしたいと思います。

 改めまして、今作品を読んでいただきまして本当にありがとうございました。次作品のプロットも現在制作中ですので、形になり次第投稿させていただく所存です。よろしければ追って読んでいただけると幸いです。


 以上、榛葉でした。


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