灰色世界と空っぽの僕ら (榛葉 涼)
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船着場の2体

 数年ぶりに訪れた港町は、相も変わらず騒々しかった。

 

 細い路地を抜け、橙や黄の光が眩しい大通りに差し掛かかるや否や、青年は目深(まぶか)にフードを被った。視界が半分くらいになってしまったが、青年にとっては慣れたものだった。

 

 幽霊のようにスッと、歩行する大衆へと紛れ込んだ青年は、フードの奥から覗く鋭い目でキョロキョロと左右を見やった。

 

 イヤリング、指輪、宝石、骨董品、大きなものだと家具の類。物じゃなければ占い、賭け事など……。

 

 雑踏と店主共の大声が飛び交う最中は、少なくとも青年にとって心地よいものではなかった。彼は静寂を好む訳ではなかったが、騒がしい場所よりは幾分もマシだった。

 

「はァ」

 

 特に隠すことなく、青年は溜息を吐いた。白濁のソレは、間もなくして冷たい空気の中に溶けて消えてしまった。

 

 やっとのことで屋台通りを抜けた青年は、すぐに路地裏へと身を移した。壁によりかかり、空を仰ぎ見る。

 

 黒を黒で塗りつぶした、真っ黒な闇が広がる空。相も変わらず虚しいソレを目に捉えた後、青年は“オド”を出発する直前に手渡された一枚のメモ用紙を眼前に広げた。

 

「性別は女。白銀色の髪、小柄な体型。それに錫杖(しゃくじょう)を提げている。愛想がいい……」

 

 箇条書きで書かれたそれらを淡々と読み上げて、彼は顔を顰めた。

 

「意味分かんねぇよ……容姿はともかく、何で名前の情報すら届いてねんだよ」

 

 愚痴をこぼしつつ、青年はメモ用紙の右下に目を移す。そこには1つのイラストが。恐らく……いや、間違いなく探索者(ターゲット)を模したものだ。

 

「こんなので、分かればいいけどよ」

 

 丁寧に折りたたむのも億劫で、適当にポケットの中にしまいこんだ青年は、再び目深にフードを被り歩き出す。その行先にあったのはこじんまりとした船着場だった。視界にソレを捉えたその時――

 

 ボーーーーーーーーー

 

 身体全体を震わせる重低音が港中へと響き渡った。出不精(でぶしょう)の青年でもすぐに分かった。汽笛の音に間違いない。遥か闇に染まりきった海の向こうから、大勢を載せた船がやってきたのだ。

 

 そう思った青年は口角を僅かに上げた。そして、喉の奥で笑う。

 

「ようこそ“ホロウ”たち。……ここだって、何もねえよ」

 

 そう呟いた彼の口元は既に下がりきっていた。

 

 

 

※※※※※

 

 

 

 間も無くして辿り着いた船着場には、どこから湧いて出たのだろうか? そこらかしこがホロウ共でごった返していた。

 

 既に船は漂着しており、港へと下ろされた簡易の橋の上をゾロゾロとホロウたちが歩いている。すぐに退いたらいいものを、その場で話をしだす者がいるのだから困ったものだ。こちとら、数行に(まと)められた容姿の特徴(1つは性格)と、想像で描かれたイラスト(結構上手い)しか手がかりがないのだ。探す難易度を上げないでもらいたい。

 

(……鎌でも振るうか?)

 

 そんな考えすら頭の中に思い浮かんだ瞬間、青年の服の裾がちょいちょいと引かれた。

 

「あの……これ」

「んぁ?」

 

 間抜けな声を出しながら青年が振り返ると、そこには真っ白のフードを被った……恐らくは女性が立っていた。彼女は目深にフードを被っているせいで、青年の眼からはその容姿を確認できない。

 

「これ、落としましたよ」

 

 凛と、透き通った声とともに青年に何かを差し出す女性。ソレは青年が丸め込んでポケットにしまったはずのメモ用紙だった。

 

「あぁ……ども」

 

 軽く会釈をして青年はソレを受け取ろうとしたが、青年が軽く引っ張っても、メモ用紙は彼女の手から動かなかった。

 

「……何か?」

「もしかして、何ですけど。ホロウを探してますか?」

「ホロウを……」

「ただのホロウじゃなくて、“アーク”の」

「…………あぁ、あんたが?」

 

 パチクリと瞬きをし、青年は眼前の女性を今度はマジマジと見た。小柄な体型、それに布に巻かれた細長いものを背中に背負っている。あとは……

 

「白銀の髪……」

 

 青年はそう呟くと、女性のフードをめくった。

 

「ちょっと……!」

 

 ファサッとフードを取ると、女性の顔立ちがあらわとなった。

 

 琥珀に透き通った大きな眼。筋の通った鼻筋、僅かに紅潮した頬、薄桃色の唇。そして……白銀色をした長い髪。間違いなかった。

 

「やっぱりだ。あんたが中央から来た……」

 

 そこまで言いかけた時、青年の右手がパシッと跳ねられた。

 

「勝手に! ……勝手に触らないでください」

 

 すぐに目深にフードを被った女性。青年の口から「あぁ」と声が漏れ出た。

 

「悪い……あぁ。悪かった……です」

「……私の方も、手を叩いちゃって……痛くなかったですか?」

「いいよそっちは。 ……えっと、名前か」

 

 1歩、2歩距離をとって、青年は自身のフードをまくった。冷たい空気を肺の中に溜め込み、少女のフードを捉えながら言った。

 

「辺境区のアーク、『オド』に所属している“シヅキ”だ。役職は“浄化型”」

 

 そこまで言い、青年……(もと)いシヅキはぎこちなく手を差し出した。

 

 数秒の後、差し出した手が恐る恐るといった手つきで取られた。その掌は思ったよりも柔らかくて、シヅキの眉が軽く上がる。

 

 今度は自らフードをとった女性の琥珀色の眼つきは、シヅキからは随分と怪訝な表情をしているように映った。真意がどうかは分からないが。

 

 間も無くして、女性は声を発した。

 

「中央区から来ました、今日から辺境区にお世話になる“トウカ”です。役職は“抽出型”です。えっと……よろしくお願いします」

 

 雑踏と喧騒に巻かれた船着場。2体のホロウの出会いは、あまり出来の良いものではなかった。

 



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灰色世界

 

 行きと同じように、屋台が並ぶ大通りを突っ切ろうとする。スイスイと群衆を掻っ切り進むシヅキ。一方で……

 

「お嬢ちゃん、アクセサリーとか欲しくはないかい。 今なら安くしとくよ」

「よければあなたの運命を占って差し上げましょうか?」

「ここらじゃ見ない顔だなぁ。もしかして引っ越してきたのかな? なら、家具はウチで買ってもらわないとね!」

「あ、えっと……ごめんなさい! 遠慮しておきます……」

 

 一々頭をぺこりと下げ、群衆共に揉みくちゃにされるホロウが1体。シヅキは冷ややかな眼でその姿を見ていた。

 

「あんな奴ら、無視しておけばいいだろうが」

 

 無論、その声が誰かの耳に届くことはない。

 

 いつまで経っても前に進めないトウカ。とうとうシヅキは痺れを切らした。今度は群衆の流れを逆流し、金物屋に捕まっていた彼女のもとへと辿り着いた。

 

 着くや否や、シヅキは首からぶら下げていたタグを店主の眼前に突きつけた。

 

「俺たちゃアークだ。先を急いでいる。悪いな」

 

 冷たく、そして速い口調でそう言うと、張り付いた笑みを浮かべていた金物屋の店主の口元が真一文字に結ばれた。その眉間には皺すら寄せられる始末だ。

 

「……それは、悪いことをしちまったなぁ」

 

 怒気の篭った声でそう言った店主は、自身の右手を2度払った。

 

「行こう」

「……はい」

 

 目深にフードを被り、再び群衆を掻っ切る。今度はトウカが声をかけられることはなかった。

 

「ありがとう、ございます」

 

 大通りを抜けて少し落ち着いたところで、トウカが取ってつけたようにそう言った。

 

「……一々相手にしないほうがいいと思うぞ。あいつらしつこいから」

「そういうものなのですね」

「そういうって……中央だって、似たような奴らが居たろ?」

 

 しかしこのシヅキの問いかけに、トウカは(かぶり)を振った。

 

「そういうものかい」

 

 ハァ、と息を吐く。そろそろ街を出ておきたい時間だ。その旨をトウカに伝えると、彼女は首を縦に振った。

 

「中央がどうだったかは知らねえけど、辺境(ここ)のアークは高台の森を抜けた先にあんだ。距離もまぁまぁある」

「分かりました」

「行こう」

 

 事務的な会話を終え、シヅキとトウカの二人は港町を……造られた灯りでのみ着飾られた町を後にした。

 

 

 

※※※※※

 

 

 

 道の整備がおざなりな、高台へと続く細い道を登ってゆく。出来るだけペースを落として歩いていたシヅキだが、それでも抽出型のトウカとは歩調に差が生まれてしまった。

 

「先に行ってもらって結構ですよ」

 

 口元に笑みを浮かべてトウカはそう言ったが、シヅキはその指示に従うことは出来ない。

 

「その、錫杖? だったか。持とうか?」

「いえ……これは。何かあった時には」

「まぁ、それもそうか」

「お気遣いありがとうございます」

「別に。いいって」

 

 歩調を合わせるようにして、坂を上がる。……バカみたいに静かな空間に、土を蹴る足音とトウカの少し荒い息遣いだけが聞こえてくる。シヅキは自身の首裏をポリポリと掻いた。別に静寂が好きなわけではないのだ。

 

 何か話でも振ろうか、しかし何を? そうやって逡巡している中で、最初に口を開いたのはトウカの方だった。

 

辺境(ここ)でも、アークへの目は少し厳しいものなのですね」

 

 先ほどの金物屋の対応を思い出したのか、トウカは寂しげな顔をしてみせた。シヅキの眼には、それがショックというよりは辟易の部類の表情に映った。

 

「……中央だとか、辺境だとか。そんな違いはねえんだろうな。ホロウ共は人間を崇高している。心酔も、憧れも、尊敬も。畏怖しやがる輩だってな。だからこそ、“人間の末路”に刃を振るう奴らにはいい顔出来ねぇんだろ。たとえ、それが必要なことだとしてもな」

「……」

 

 それを聞いて、何も返事をしないトウカ。シヅキはわざとらしく伸びをした。

 

「ようは俺たちゃ嫌われ者なんだよ。嫌われるから、拠点だって辺鄙(へんぴ)な場所にならざるを得なかった」

「難しい問題ですよね……」

「そうか? 放っておいたらいいだろ」

 

「そうしねえと、一々疲れるだけだぞ」という言葉は寸のところで飲み込んだ。

 

 会話を終え、黙々と丘を上がる2体。間も無くして、丘の頂上が見えてきた。トウカは息を切らしていたが、休憩なしで頂上まで上がることが出来た。

 

 丘上には大規模な森林が生い茂っている。正式な名前がついている訳ではないが、一般的にここは『廃れの森』と呼ばれていた。

 

(ふもと)でも言ったが、オドは丘上の森の中に拠点を構えている。ここからもう少しだけ歩くんだが……ん?」

 

 トウカがこちらを見ていないことに気がついた。彼女の目線は麓の方向へと向けられている。

 

「トウカ……さん?」

「え? あ、ごめんなさい。私……」

「いや、別にいいけどよ。なんか見えたのかよ?」

「……世界を見ていました」

 

 随分と壮大な言い方だった。トウカの顔は冗談の類を言っているようには見えなかったし、シヅキにはその言葉の意味がなんとなく分かった。

 

 この日何度目か分からない溜め息を吐き、シヅキは言う。

 

「どこだって変わんねえよ。こんな絶望で満ちた……クソみたいな世界はよ」

 

 吐き捨てるように言ったシヅキ。その眼が捉えたのは……闇に満ちた風景だった。

 

この世界には光がなかった。比喩的な表現ではない。

かつて世界中を照らしたという“太陽”がなかった。

かつて夜を彩ったという“月”が、“星”がなかった。

この世界には命がなかった。

動物が、虫が、自然が生きることは許されなくなった。

かつて世界中を支配したという人間はその姿を維持できなくなった。

 

 結果、現状の世界とは物理的にも、或いは精神的にも闇に覆われた惨状でしかなくなったのだ。

 

 魔素の力で明かりを灯すカンテラの光で満ちた港町と、どす黒い空。そして、人間を模して造られたホロウというひどく曖昧な存在のナニカ。そんなものしかない、味気ない世界を目の前に1体のホロウが自虐混じりにこう言った。

 

「灰色世界」

 

 “暗黒世界”と形容しないのは、まだ終わりたくないという意識が働いているのか彼には分からなかった。

 

 



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人間の末路

 

 廃れの森は相変わらず歩きづらかった。

 

 空の闇とは異なり、気味が悪いほど真っ白の大樹が覆うここは視界の効きが良くない。幸いにも地面はある程度の舗装が行われているため歩行自体に支障は出ないのだが。

 

 シヅキは少し後ろを歩くトウカへと声をかけた。

 

「ここで(はぐ)れると見つけ出すのが少し面倒だから、あまり離れねえよう……またかよ」

 

 つい先ほどの丘上と同じく、トウカは話そっちのけに今度は頭上を見ていた。

 

「何をそんな見るものがあんだよ……」

 

 溜息混じりに文句を吐き、トウカに話しかけようとしたが、それは阻まれることになった。

 

「すごい……」

 

 口を半開きにし、その琥珀の眼を輝かせ(シヅキにはそう見えた)廃れの森を見渡すトウカ。とてもじゃないが声をかける雰囲気ではない。

 

(変な女だな)

 

 (しばら)くはあのままだろうと思い、シヅキは放っておくことにした。任務が遅延した原因は自分にはないのだから別にいいだろうなんて。そんな考えだ。大樹の1つにその背中を預ける。特に疲労感もない身体だ。休憩なんて意味を成さない。

 

(中央のホロウからしたら、物珍しいのか? こんなとこが)

 

 真っ白の大樹共は別に、だからって他に特徴がある訳ではなくて、結局は生きていた樹の末路に過ぎない。生命が生きられなくなったこの世界では、眼に見える全ては“生命を持つ者の紛い物”でしかない。それを彼女は理解できていないのか、それとも理解した上であんな真似をしているのか……どちらにせよ、関係のないことだが。

 

「ふぁあ……」

 

 押し寄せた欠伸を遠慮なく出し切り、シヅキはゆっくりとその眼を閉じた。一眠りでもしようか? いや流石に――

 

「シヅキさん!!!」

 

 急に大声で呼ばれた為、身体がびくっと跳ねた。目の前には張り詰めた表情をしたトウカが。

 

「悪かったよ……本当に眠るつもりは……」

「そうじゃなくて! おそらく“魔人”が……」

 

 魔人。その言葉を聞いたシヅキの身体がボゥと熱くなった。反射的にその場に立ち上がる。

 

「……方向と、数と、武装は?」

「分かりません。ただ、反応の小ささからして規模は大きくないです」

「だろうな。 トウカ……さんは武装の準備と、あとは情報の提供を頼む」

「分かりました。えっと敬称は要らないので」

「そうか」

 

 大きく深呼吸をした。全神経を索敵に集中させる。視線をギョロギョロと動かす。僅かな音すら拾うために耳を(そばだ)てる。魔素のノイズを検知するために皮膚の感覚を研ぎ澄ます。いつもやっていることだ。

 

……………………

……………………。

 

「シヅキさ……」

「黙れ」

「け、検知情報……」

「あ、あぁ。すまない。言ってくれ」

 

 コクと小さく頷いたトウカが恐る恐るの口調で言う。

 

「シヅキさんから正面。数は1人。武装はダガーです」

「ダガー?」

「短剣です」

「あぁ、了解」

 

 武装が短剣なら、敏捷(びんしょう)が高いか? 防御は薄いだろう。一撃叩き込めれば……。

 

 そこまで思考をしたところで、シヅキにも反応が検知できた。自然魔素に明らかなノイズが走っている。ここまで乱れきったノイズをホロウは出せない。ホロウが魔素に与えるノイズは僅かなものだ。であるならば、この反応は1つしかない。

 

 ゆっくりと、しかし確実に近づいてくるソレ。口内に溜まりきった唾液をゆっくりと飲み込んだシヅキは、(おもむろ)に武装の展開を始める。

 

 右手を自身の目の前に掲げる。そして、意識をする。体内の魔素の流れ……これを、意識。

 

「すー…………ふぅ…………」

 

 長く時間をかけ、息を吸い、そして吐く。身体を徹底的に弛緩させる。少なくともシヅキにはこれが必要だ。

 

 やがて襲われたのは、身体中が熱を帯びる感覚。体内の魔素が活性化しているのだ。その魔素を無碍にはしない。体内をゆっくりと移動させて、右腕付近の体内魔素の濃度を上昇させる。

 

 濃く、そして太くなった体内魔素から造形を行う。イメージするのはいつだって同じだ。何人(なんぴと)を刈り取るための……

 

 バチバチと音が鳴るほどに魔素が荒ぶる。痛いほどだ。それを歯を食い縛り耐える。耐える。耐える。

 

 間も無くして、シヅキの右手に握られたのが――

 

「……武装、完了」

 

 その刀身が、柄が、真っ黒に染まった刃渡り1mにも及ぶ大鎌だった。これまでも、これからも魔人を刈るための愛刀だ。

 

「トウカ、戦闘になったら、あんたが思う以上に距離をとってくれ」

「分かりました!」

 

 顔だけ振り返り、姿を捉えたトウカの手には棒状のナニカが握られていた。

 

(あれが錫杖(しゃくじょう)ってやつか?)

 

 典型的な抽出型がよく使う杖とは異なり、錫杖とやらは曲線を描いておらず、先端付近には小さな球状のものがいくつも吊り下がっている。 ……あれは、鈴? なんにせよ中央から来た抽出型だ。実力はちゃんとあるだろう。シヅキは正面を向き直した。白濁の大樹共の間へと意識を集中させる。

 

 柄の部分を長く持つ。鎌の射程範囲を上げるためだ。牽制用の構え。そろそろ来る……来る。

 

 魔素のノイズが皮膚を振るわせるほどに大きくなったその時――

 

「――っ!」

 

 視界の上端……そこからソレは降ってきた。

 

ガギィン!

 

 瞬間、持ち手の鎌に大きな振動を得る。同時にけたたましい高音が鳴り響いた。シヅキの眼前に現れたのは……

 

「魔人……」

 

 バックステップをし、距離をとる。巻き起こった白色の砂塵の先に居たのは一人の魔人だった。

 

 全身を覆うのは、黒色の灰のような粒。無数の粒の集合体がその身体を造っている。衣服を纏っているためだろうか、所々灰の粒が露出していない部分がある。しかし、衣服はすっかり身体と結合してしまっているようで、繋ぎ目が酷く曖昧だ。

 

 トウカが言っていた通り、その右手には小ぶりの短剣が握られていた。右手を自身の胸前に構えている。 ……臨戦態勢だ。すぐにでも来る。

 

 鎌を持つ手から余分な力を抜いた時、魔人が何かを喋ろうとした。

 

「ドゥドゥドゥ……」

「あ? んだよ」

「ドゥ……ドゥ…………」

「何言ってんのか分かんねーよ。人間様」

 

 シヅキの挑発に乗せられた訳ではないだろう。しかし、彼が吐き捨てた瞬間に魔人は突っ込んできた。

 

 その短剣を振るう。シヅキを殺すためだけに振るう。シヅキもそれに応戦し、大鎌で受け止める。細かい息遣いと鳴り響く刃の衝撃音だけが場を支配する…………。

 

 ――人間の末路である魔人。人間を模して造られたホロウ。その闘いの火蓋が廃れた森の中で落とされた。

 

 

 



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肉薄する魔人

 

「ドゥ……ドゥ……ドゥ」

 

 謎の破裂音を発しながら、魔人は猛攻を仕掛けてきた。推定刃渡り15cmほどの短剣が(くう)を切り裂く。シヅキは短剣の間合いに入らないように、大鎌で牽制を繰り返していた。

 

ギィィィン

 

 何度目かの(つば)迫り合いの後にシヅキは(さと)った。

 

(こいつ、強いな)

 

 力とスピードはシヅキの方が上だ。その確信があった。しかしながら未だ魔人の身体へ一撃も御見舞い出来ていないのは、技量の差に原因がありそうだった。

 

 魔人(やつ)は徹底的に一定の距離を保っていた。保つように、確かな意図があり動いているのだ。振るう大鎌の先端……そこにちょうど短剣の腹が当たるように位置の微調整をしていやがる。是非とも足の動きを確認したいものだが、視線を動かす余裕はない。

 

 おかげで、鍔迫り合いで魔人を押し込んだとしても、ほんの少しのバックステップで間合いから離脱されてしまうのだ。そしたらまた、間合い取りからやり直しだ。

 

(厄介だ)

 

 眉間に皺を寄せながらシヅキは舌打ちをした。経験上、単純な能力よりも技量の勝る相手の方が面倒なのだ。

 

 大鎌の持ち手を少し短く調整する。牽制よりは攻めに行った方が良さそうだ。

 

「ふぅ……」

 

 呼吸を整える。弛緩させた身体の中で、体内魔素を脈立たせる。速攻と破壊……それに戦術をシフトチェンジする。

 

(浄化型舐めんな……)

 

 人間には出来ないやり方で、技量を凌駕してやる。

 

 魔素の運動を激しくさせることで得られる効能。それは一時的な……

 

(身体強化)

 

 右脹脛(ふくらはぎ)に力を込めた。すると、自身の身体はいとも簡単に左に飛んだ。

 

「ドゥ……!」

 

 魔人の声から動揺を感じ取ったのは気のせいではないのだろう。急に目の前の相手が消えた……そう見えるほどの速度で動いたのだから。魔人は1テンポ遅れて左を見た。

 

 しかし、その遅れを見逃せるほどシヅキは愚かでない。

 

「ラァ――――!」

 

 腰回りよりも低い姿勢から放ったのは渾身の斬り上げだった。肉薄(にくはく)の距離は、魔人に回避の隙を微塵も与えない。

 

ズシャ

 

 確かな手応えと共に、魔人の左腕を捉えた。ただ一片の遠慮なく大鎌を振り上げると共に、魔人の左腕は宙を舞った。

 

 手応えを確認した刹那、シヅキは魔人から大きく距離をとった。追い討ちはかけない。魔人に痛覚は存在しないと言われている。大傷を与えたとしても、奴らはノータイムで反撃を繰り出してくるのだ。

 

 現に、魔人は失った左腕を気にする様子なく短剣を構えている。無論、身体を削いだ分こちらが有利なことに変わりはないが。

 

「ハァ……ハァ……」

 

 肩で息を整える。体内魔素を強引に循環させた身体強化の反動は大きい。不快な倦怠(けんたい)が全身を纏った。

 

 魔人は先ほどまでと異なり、攻めてこなくなった。明らかにこちらの出方を(うかが)っている。奴らの内部構造に思考回路が残存しているのか……それは知ったこっちゃないが、戦闘中の奴らからは多少の知能が垣間見られる。

 

(次は……正面)

 

 視界から消えたように見せるやり方はもう通じない……そんな確信があった。なら、この強化した身体で正々と押し切る他ない。

 

 今度は姿勢を低くすることなく、正面に飛んだ。遠心力を利用し、後方から大鎌を振るう。

 

 しかし――

 

ギィィィィィィン

 

 けたたましい高音。シヅキの大鎌は魔人に捉えられたのだ。さらに……

 

ズッ

 

 鈍く、小さな音。しかしそれは確かに鳴った。

 

「くっ……!」

 

 食いしばった歯の間から鋭く息を吐くシヅキ。彼の左足に斬撃が走ったのだ。

 

 右脚に力を入れ後退を試みた。しかし、魔人は逃すまいと距離を保つ。間合いは奴が有利だ。

 

 肉薄の距離感から振るわれた短剣。反射的に曲げたシヅキの首は、なんとそれを寸のところで避けてみせた。結果、魔人の顔面がシヅキの肩に乗る。

 

 やれる――――!

 

 そう思った時にはシヅキの鎌が魔人の背中を捉えていた。

 

 重力により地面に叩きつけられるシヅキと魔人。魔人の背中には……確かに大鎌が突き刺さっていた。

 

「ハァ……ハァ……ハァ……」

 

 荒い呼吸を繰り返すシヅキ。ブレる視界と早鐘(はやがね)の心音が鬱陶しい。

 

 重い身体を転がし、下敷きにされた魔人から抜け出す。鎌を支えにし、起き上がると目下(もっか)には大量の血を流す魔人が一人。ピクリとも動かなかった。

 

「やれた……危ねえマジで……」

 

 久々に繰り広げたギリギリの闘いは本当にギリのギリだった。ゼロ距離で魔人が振るった短剣を避けられたのはただのマグレだった。もし寸でも首を曲げるのが遅れていたならば……そう思うと身震いした。

 

 なんとか息を整え、シヅキは背後を見た。大木の傍には……トウカの姿が。半身の彼女は目の前に錫杖を構えている。

 

「終わったぞ……もうだい――」

 

 瞬間。

 

「は?」

 

 背後から感じたのは……魔素のノイズ。反射的に振り返ると、そこに居たのは先ほどやった筈の魔人。

 

「ドゥ………!」

 

 放たれる……いや、放たれている一撃は、奇しくもシヅキが放ったのと同じ、低姿勢からの斬り上げだった。既に回避は出来ない間合いにある。

 

「――――っ!!!」

 

 せめて致命傷だけは……そう思い、左腕でガードしようとした時だった。

 

「シヅキ! 叩いて!」

 

 そんな大声と共に……なんと魔人の動きが一瞬間止まったのだ。

 

「ヌッ――!」

 

 大鎌の持ち方や振り方なんて考える暇なかった。ただただ刃先を魔人の頭蓋に振り下ろした。

 

ズシャ

 

 鈍く、そして確かな音。本当の決定打だった。

 

 大鎌を振り下ろしたシヅキは尻餅をつきそうになったが、なんとか堪え、半ば這いつつ魔人から距離をとった。ブレる焦点で、どうにかこうにか魔人を捉える。

 

 今度こそ魔人は…………動かなくなっていた。

 

「なんだってんだよ……クソが」

 

 幾度の予想外の連続を前に身体的な、そして精神的な疲弊を感じざるを得ない。身も心も……擦り切れる感覚。本当に、クソみたいな感覚だ。

 

 

 



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浄化と抽出

 

 後ろからザッザッと何かが来る音が聞こえる。

 

 魔素のノイズ的に魔人であることはあり得ない。しかしながら反射的に振り向いてしまった。

 

「……お疲れ様でした。治療します」

 

 そこに居たのは錫杖を手に、深刻な表情を浮かべるトウカだった。シヅキは眼を合わせないようにして言った。

 

「いや……それより……“浄化”は完了したんだ。“抽出”……抽出しねえと……あんたの仕事だろ」

「……そうですね」

 

 そうは言ったものの、トウカは抽出に移行しようとはしなかった。代わりに、シヅキの前に座り込む始末だ。

 

「おい……」

「足、負傷しましたよね? 見せてください」

 

 トウカの瞳は大きく開かれていた。琥珀色のソレは……見ているだけで、どこか吸い込まれそうに思えてならなかった。詰まるところ、抵抗の余地がないということで……

 

 ハァ、と溜息を吐きシヅキは負傷した左足を差し出した。

 

「……これだ」

 

 裾を(まく)った足。そこには10cm弱の傷痕が走っていた。それを眼に捉えたトウカの眉間に皺が寄った。

 

「おそらくだが、あいつ……靴に仕込み刃をつけてやがった。近づいた時にそれで斬られたんだろうな」

「痛みますか?」

「別に……」

「嘘ですよね?」

「…………少し、痛む」

 

見ると、傷痕からは血が滲んでいた。ドクドクと魔素の減少を感じる。それは確実に“存在が薄まっている証”に相違なかった。

 

「あくまでも応急措置ですから、ちゃんとした治療はアークに帰還した時にお願いします」

「……ああ」

「では……少しだけ動かないでください」

 

 その場で立ち上がったトウカは、錫杖をシヅキの足元に向けた。琥珀の眼が少し鋭くなる。

 

「ん……!」

 

シャン

 

 小さく息を吐く声と同時に、錫杖の鈴が綺麗な音を奏でた。すると――

 

 襲われたのは、体内魔素が(うごめ)くような感覚。不快感を憶えるものではなく、むしろ心地の良さを感じた。ゆっくり、ゆっくりと失われた魔素が補われていく。

 

「ごめんなさい……」

 

 治療の最中、トウカがそう謝ったもので、シヅキは疑問符を浮かべた。

 

「何に謝ったんだ?」

「もう少し上手く、戦闘の支援が出来たら良かったのですが……ギリギリになってしまいました」

「ギリギリ……」

 

 思い出されたのは、魔人が一瞬間だけ停止した出来事だった。あれは……やはりと言うべきか、トウカが起こした隙だったか。少なくともあれ以外で、彼女の存在を感じることは全くなかった。

 

「そう、だな……」

 

 現在進行で傷痕が塞がっている足元を見下ろしながらシヅキは言った。

 

「何も、立ち回りとか……合図とか? そう言うのを決めていなかった。即興でやったんだ。トウカは、それを気遣ったんじゃねーのか? 無断で支援を施すと、ペースが乱れるって」

 

 シヅキはトウカの反応を見ることなく話を続ける。

 

「だったら、正解だった。少なくとも俺の場合はよ。あんたは、あんたの責任を終えていたと思う」

「そう、ですか……」

「だからこそ、意味分かんねえのがよ」

 

 今度はピクリとも動かない魔人の方を見ながら低い声で言った。

 

「なぜ俺の治療を優先した?」

 

 睨むようにしてトウカを見る。

 

「あんたは、抽出型だ。浄化が済んだ後の魔人から、任意の魔素情報を抽出して運搬する……それが役割だ。魔素の抽出は、浄化直後の魔人からじゃないと意味を持たないんじゃないのか? 空気と混ざって希薄しちまうとかでよ。 ……俺の治療より、よっぽど優先度が高い筈だ。あんたがやったのは……職務の放棄だ。分かってんのかよ」

「…………」

 

 トウカは何も口を挟むことなく、粛々としているだけだった。

 

「……優先度を、履き違えないでくれよ。いちホロウの存在なんて、たかが知れているんだ。“理想の未来”を達成するためにも、魔素の回収をしてくれ」

 

「もう手遅れだろうけどな」最後にそう付け足して、シヅキは仰向けに倒れ込んだ。そして眼を(つむ)る。トウカがどう思ったのか知らないが、少なくとも自身が介入するべきではないだろう。

 

(説教……まさか、する側になるなんて思わなかった)

 

 溜息が喉元まで上がってきたが、それは唾液と共に飲み込んだ。もうこれ以上トウカを刺激するような真似は不要だろう。

 

「…………ないくせに」

 

(……?)

 

 冒頭は聞き取れなかったが、空気混じりの声が確かに聞こえた。無論、トウカの声だ。聞こえないように愚痴の類をこぼしたのか? にしては、どこか声に寂しさのようなものを感じたのだが…………。

 

(わざわざ中央から来て、周りのものに一々興味を持って、治療を優先して……分かんねえ)

 

 明らかに、周りにいるタイプのホロウではなかった。それは、性質の差という一言で片付けられる範疇を超えているようで。どちらかというと、彼女には異質という言葉が似合っているように思えた。

 

 

 

※※※※※

 

 

 

 治療を終えた後では、案の定、魔素の抽出は間に合わなかったらしい。希薄しきった魔人の魔素は、既に自然魔素と同化してしまっており、これでは“解読”しようにもどうにもならない。

 

 魔人に軽く手を合わせた後、シヅキとトウカはアークに向けて移動を始めた。……とは言っても、もう話すことはなかったが。

 

 歩を進める足に、もう痛みは残っていなかった。傷痕だって無い。衣服だけはどうにもならないが。

 

 道中で唯一交わした会話が、そんな傷の具合についてだった。完治した旨をトウカに伝えると、彼女は「良かったです。でも一応診てもらってください」と、微笑んでいるのかなんとも言えない顔で言った。

 

 あとは淡々と歩いていくという感じで。次にシヅキが口を開いたのは、無骨な大洞窟の入り口でだった。

 

「着いたぞ。ここが辺境区のアーク……通称『オド』だ」

 

 ようやく護衛任務が終わるという達成感は頭になく、さっさとシャワーを浴びて寝てしまいたい……シヅキはそんな思いに駆られた。

 

 ……無論、そう上手くは行かないのだが。

 



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オド

 

 アーク。それは魔素の収集と解読を一辺に行う大規模な組織群の総称だ。中央区に構えられた本拠地を中心に、世界中の様々なところに設置されており、日々“ホロウ達の悲願を達成するため”に躍起となっている。

 

 俗に辺境と呼ばれるこの地方にも、例外なくアークは存在した。辺境区のアーク……通称、オド。

 

「玄関口、いい加減どうにかならねーのか? 手抜きにも程があるだろ」

 

 腰に手を当て常套(じょうとう)の文句を吐くシヅキ。トウカは物珍しそうに見上げていた。

 

 オドの入り口は特に装飾が施されていない。一見するとバカでかい洞窟にしか見えなかった。 ……とは言っても、これは偽装の類では無い。元からある地形を利用しているに過ぎないのだ。

 

「ここが……アークなんですか?」

 

 困惑気味のトウカの声も無理なかった。シヅキにとってのアークはここしか無いのだが、どうせ中央のアークは、もっと整備だの何だのが為されているだろう。

 

「行こうぜ。中は意外とちゃんとしてるから」

「は、はい……」

 

 慣れた足取りで洞窟を潜るシヅキ。中に入るとすぐに、青白く着色された魔素の炎が洞窟内を照らした。

 

「おお……」

「足元、気を付けろよ」

 

 硬い地面を踏むたびに、カツカツと靴の反響音が響く。

 

「なんだか……すごいですね」

「質素だろ?」

「質素というか……インパクトが……」

「まぁ、なんでもいいけどよ。 ……ほら、アレ」

 

 まっすぐと洞窟を進むこと数分。シヅキが指さした先はちょっとした小空間が出来上がっていた。

 

 特に何かモノがあるという訳ではない。洞窟の一部を切り抜いて作り上げたような、そんな空間だ。

 

「地面が土じゃない……それに行き止まりですね」

 

 岩肌を撫でながらトウカが困惑気味の声で言った。

 

「そこで待っててくれ。動かすから」

「うご……え?」

 

 タイルが張り巡らされた円状の床。シヅキはちょうどその中心付近に座り込んだ。そこには細長く彫られたような窪みが。

 

「今日は1回で反応するかね」

 

 そう独り言を吐きつつ、シヅキは胸元にしまいこんでいたタグを取り出した。そこには複雑な形をした紋章が刻み込まれている。

 

 シヅキは躊躇(ためら)うことなく、ソレを窪みの中に突き刺した。

 

すると――

 

 ズズズズズズズズズ………

 

 小空間がそんな鈍い音を出しながら振動を始めたのだ。

 

「よし、かかった」

「あの……これって、もしかして」

 

 トウカが言葉を言い切る前に、小空間は大きく動きを見せた。なんと、空間全体が下降運動を始めたのである。

 

 眼を丸くしたトウカが、一言こう呟いた。

 

「しょ、昇降機……」

「これでオドの内部まで移動すんだ。手すりとかなんもねえから、あんまり端には寄らねえ方がいいぞ」

 

 直径10mほどの巨大な昇降機は時折、ギギだのジジジだのと軋む音を出しながら、下へ下へと降っていく。周りは壁に覆われているというわけではなく、完全に吹き抜けの状態だ。ゴツゴツとした岩共が、魔素の光により色を帯びている。

 

「こんな大規模な穴を掘ったんですか……?」

「どうなんだろな? そら手は加えただろーけど、自然物をそのまま流用してるだけだと思うがな」

「……中央区のアークは完全に人工なので、すごい新鮮です」

「一つの建物なのか?」

「ここのように、大きな建物の中でアーク関係者は一括管理されているのですが、もっと大きな範囲……街という範囲を含めて“アーク”と言われることの方が多いです」

「なんだそれ、市民はアークに支配されてるってか?」

 

 シヅキは冗談混じりにそう言ったが、寸刻の思考の後、トウカは眉を潜めながらこう言った。

 

「あながち間違いではないと思います」

「……そうかい」

 

 慣性に揺られつつ、下降することおおよそ2分。昇降機の速度がどんどん落ちていく。

 

ギギギギギギギギギ……

 

 やがてそんな大きな音とともに、シヅキとトウカの眼前には新たな景色が広がった。急に眩しい光が広がり、トウカは腕で眼を覆った。

 

「着いたぞ。オドの内部だ……『体内』って呼ぶやつもいるな」

 

 無骨な岩の集合で覆われていた玄関口、そして昇降機構部とは異なり、壁や床部分は岩肌が剥き出し……というわけではなくちゃんと整備が行き届いていた。昇降機を降りてすぐの空間は大広間となっており、天井が随分と高い。いわゆる吹き抜けの構造で、見上げると2Fの連絡通路が架かっていた。

 

「……随分と、ホロウが少ねーな」

 

 首を傾げながら歩き出すシヅキ。トウカはその後を慌てて追う。なお、案の定彼女の目線は行ったりきたりだ。

 

「ここって……いわゆるロビーですよね?」

「ロビー?」

「えっと、任務前の手続きとか、ホロウたちの集合場所になっていたりとか、報酬の譲渡が行われる場所……みたいな感じのです」

「あぁ、そうだな。アーク外部のホロウもここまでなら立ち入りが許可されてる。 ……普段はもっとホロウ共がウロウロしているんだがな。今日は随分と少ねぇ。なんで――」

 

 と、シヅキがそこまで言った時だった。

 

「あガッ!!!」

 

 そんな声と共に頭を大きくぐらつかせるシヅキ。突然の出来事にトウカの身体が少し跳ね上がった。

 

「シ、シヅキ……さん!? 大丈夫ですか!?」

「痛ってぇ……………マジで痛え……………」

 

 その場にしゃがみ込んで自身の頭を抱えるシヅキ。彼の後方には1体のホロウの影が。

 

「おかえり〜シヅキ! 任務の遂行、お疲れさま。ちょっと遅過ぎだけどね」

 

 ふわふわとした声色ながら最後に毒を吐いた女性。彼女の手元には随分と分厚い本が握られていた。

 

「“ソヨ”……お前なあ……加減ってやつ考えろよクソが」

「クソって言わないでねーシヅキ。あんまり酷いこと言うと上に報告するからね? あと、私は新入りさんと話があるから。暫く口を開かないでもらっていい?」

「こいつほんとに……」

 

 魔人と対峙していた時と同等か、それ以上の殺意を込めて女性を睨み付けるシヅキ。対して、つゆも気にする様子なくニコニコの女性。 ……トウカは目まぐるしい状況に、呆気にとられる他なかった。

 

 シヅキとのやり取りを終え、今度はトウカの方を向く女性。心なしか、その佇まいは丁寧なものに変化していた。

 

「……さてと。あなたが中央区から来た新入りさんですよね?」

「え、あ……はい」

「わざわざ辺境の地までご足労いただきありがとうございます。わたしは――」

 

 自身の胸部に片手を添え、深々とお辞儀をする女性。数秒後顔を上げた彼女は言った。

 

「辺境区のアーク……『オド』にて雑務型として勤めております、“ソヨ”です。以後お見知りおきを」

 

 (あで)やかな笑みを浮かべるソヨを前に、トウカの自己紹介は1テンポ遅れた。

 

 

「あいつ……マジで覚えてろよ………」

 

 シヅキは痛みに悶えていた。

 

 



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優先度

 

「このまま立ち話を……という訳にもいかないよね?」

 

 ということでシヅキとトウカは、ソヨにある一室へと通された。そこは異様に物の少ない小部屋だった。部屋の中心には何組かの椅子、そして長机が備え付けられている。

 

「んだこの部屋? 知らねーんだけど」

「え……なんでシヅキが知らないの? 来たことあるはずだけど?」

 

 呆れ口調のソヨ。シヅキは首を傾げるだけだ。

 

「応接室だよ、ここ」

「おうせつ……あー、あるかもしれん」

「あるんだって。もう、何にも知ろうとしないんだから」

「うるせ」

「さぁ。トウカさんも座ってください」

「は、はい」

 

 軽く頭を下げ、トウカが椅子に腰掛けたところでソヨは本題とばかりにこう訊いた。

 

「シヅキさぁ、魔人の浄化したよね?」

 

 クセのある茶髪の間から覗くソヨの眼がシヅキを捉える。シヅキはそれをしばらく凝視した後、

 

「そうだな……したよ、浄化」

 

 細い眼を逸らしながら答えた。対してソヨはわざとらしく溜息を吐く。

 

「来るのが遅れたのはいいけど、そういうことはちゃんと現地で伝えないといけないんだよ? 分かってる?」

「……急に魔人が現れてよ。そっちの対処で手一杯だったんだ」

「はいはい、言い訳はいいから。まずは連絡……魔人と対処しながらでも出来るはずなんだから。分かってる? 規則なんだよ? ()()()()()()()()()()()

「あ、おい」

 

 突然立ち上がったシヅキにソヨは眼を丸くする。

 

「どうしたのよ、急に」

「いや、その……」

「優先度……」

 

 トウカが小さく呟いたのをシヅキは聞き逃さなかった。シヅキの頬を一滴の汗が流れていく。「優先度を履き違えるな」 ……そのセリフは寸刻前にトウカに言ったこととまるで同じだった。

 

「ば、罰があるなら後で受けるから……とりあえず連絡の件は次から気をつけるって。すまない」

「えーシヅキが素直に謝った。ビックリした〜」

 

 両手を広げ驚いたようなリアクションを取るソヨ。演技っぽいソレをシヅキは癪に感じたが、今回ばかりは不満を言えない。

 

「優先度ですか……」

「………………」

 

 トウカの呟きに、シヅキは酷く冷ややかな何かを感じた。 ……悪い。体裁が悪すぎる。彼は大きく咳き込んだ後、頭をフル回転させた。何か、ないか……。

 

「ま、魔人について……そうだ。ちょっと報告する情報がある。真面目なやつだ」

 

 無理に腕を組みそう言ったシヅキ。それは話題を逸らすための抗弁であり、同時に伝える必要がある事実でもあった。

 

「報告? どうしたの?」

 

 素直にソヨが食いついてくれたことに胸を撫で下ろし、シヅキは先刻の出来事を思い出しながら言った。

 

「いや、ちょっと特殊な個人(こたい)だったからよ」

「特殊……?」

「やけに知能が高かったんだよ。足に短剣を仕込んでいやがって、斬られたんだ。あと……恐らくだが死んだふりもしていた。奇襲されたんだよ」

「……なる、ほど」

 

 顎に手を当てて考え込む素振りをするソヨ。

 

「……トウカさん。中央区にはこれほどに知能の高い個人(こたい)はいましたか?」

「確かにだ。訊いときゃよかったな」

 

 2体から視線を寄せられるトウカ。しかし、彼女は(かぶり)を振った。

 

「いえ……中央区は人形(ひとがた)がほとんどいなくて。ごめんなさい、お役に立てず」

「いえいえ! トウカさんが気にする必要はないですから!」

「記録……なかったんだよな」

「そうだねー、ない。だからこのことは上に報告させてもらうからね」

「ああ頼む」

「ところでさ〜、シヅキ」

 

 急に立ち上がったソヨ。彼女はシヅキの返事を待たずに、彼の元へと机を回り込んでやって来た。

 

「な、なんだよ?」

「斬られんだね。足」

 

 満面の笑みでシヅキの足を指差すソヨ。

 

「……斬られたな」

「治療。医務室。早く」

「お、応急措置は受けた」

 

 シヅキがそう反論すると、後ろからトウカがひょっこりと顔を出した。

 

「あくまでも、減少した魔素を補填しただけですから。シヅキさん……戦闘中に自身の身体を強化(エンチャント)してましたよね? 悪影響がないか調べてもらうべきですよ」

「はい、医務室ゴー。決定ね?」

 

 苦虫を噛んだような表情をするシヅキ。反論の材料を探すが…………そんなものはなくて。

 

「だーっもう! 行きゃいいんだろ! 行きゃあな!」

「初めから素直に行きなさいよバカシヅキ」

「うっせえ……んじゃ、トウカのこと後は頼むぞ」

「言われなくても分かってるから〜」

「ああなら頼む……ったく」

 

 ブツクサと文句を言いながら部屋を出て行こうとするシヅキ。

 

「あ、あの!」

 

 彼がドアノブに手を掛けたところでトウカがそう呼びかけた。

 

「色々とありがとうございました。道中、すごく頼りになりました」

 

 ぺこりと頭を下げ、微笑むトウカ。シヅキはそれを見て、

 

「……ああ。また後でな」

 

 軽く手を上げて部屋を後にした。

 



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オリジナルとホロウ

 

「ハァ……」

 

 昇降機に乗りながら吐いた溜息は、機構部のギギギと軋む音により掻き消された。

 

 オド内部の昇降機は、玄関部に備え付けられているものより古い型が使用されている。メンテナンスの頻度も高くないため乗り心地は良くない。

 

 普段は階段を利用するシヅキだったが、今日は疲労感を強く感じるために昇降機の利用に至った次第だ。

 

「くっそ……別に、診てもらう必要なんてねーのによ」

 

 捨て台詞のように吐いたシヅキ。彼の記憶の中ではトウカの面影が浮かんでいた。

 

「……なんなんだよ、あいつ」

 

 シヅキにとって本当に分からなかったことが、魔人浄化後の彼女の対応だった。彼が受けた負傷はそんなに深手ではなかった。ましてや受けたのは脚だ。別に1本失おうが致命傷なんかになりやしない。だとすれば、シヅキは放っておかれるべきだった。

 

 そもそも前提として間違っているわけで。魔素回収の優先度とホロウの存在の天秤とはあまりにも明白なのだ。規則とか何だかに関わらず、彼女の取るべき行動は決まっていた。決まっているはずだった。

 

「中央と、辺境との違いか?」

 

 呟いて、シヅキはすぐに(かぶり)を振った。やはり、彼女は異質なんだと思う。異質で、中央とは合わなかったから、辺境にやって来たのか……なんてのは、邪推だろうか?

 

「何はともあれ、面倒なのが来たな。ほんと」

 

 再び昇降機が軋む音を立てたのは、彼の呟きから間もなくのことだった。

 

 

 

※※※※※

 

 

 

 医務室の中に入り、シヅキはすぐ顔を顰めた。

 

「魔素臭えな……」

 

 皮膚がジリジリと逆立つような感覚に襲われ、身体がゾワリと震えた。絶対に慣れることがないだろう感覚。医務室の“あいつ”は、よくもまあこんなところで生活できるなと、シヅキはある意味で感心した。

 

「はいはーい。今行くよ」

 

 そんなことを考えていると、医務室の奥から声が聞こえて来た。噂をすれば……というやつだ。そいつはひょこっと顔を出した。

 

「やあ患者さん。今日はどういった症状で……あ、シヅキくんか」

「……よお。“ヒソラ”。しばらくぶりだな」

 

 目の前に現れたのは一見すると、医師らしからぬ容姿をしたホロウだった。小柄な体型のトウカより確実に低い背丈に、ぶかぶかの白衣。そしてあどけない表情と女性とはどこか異なる高い声。そのくせして医者らしく知的で聡明なのだ。シヅキには違和感が凄かった。

 

「先月ぶりかな? 診察でしょ? 奥に来てね」

 

 ひらひらと手を振りシヅキを呼ぶヒソラ。愛想がいいやつだな、と思いつつ彼は指示に従った。

 

 医務室の奥に入ると、一段と魔素臭さが際立った。再びシヅキが顔を顰めると、ヒソラは苦笑いを浮かべた。

 

「君たちの診察もそうだけど、それとは別に魔素の解読も行っているからね……身体には影響が及ばないと思うけど、ちょっと濃度が高いかも」

「ちょっとじゃねーっての。普通にたけぇ。 ……魔素の解読って、医務の方にも役立つのか?」

「何を言ってるのシヅキ君。“解読型”が医者やってる理由……考えたことある?」

「……それもそうか」

「この前、還素薬(かんそやく)を支給したでしょ? あれだって、解読の賜物なんだから」

「還素薬?」

 

 シヅキは数日前の記憶を思い返してみて、すぐに思い当たる節があった。液体状の何かを飲まされた記憶があるのだ。

 

「あーあれか。飲んだけど、よく分からんかった」

「プレ版だから薬の配合量自体は少ないよ。効果に気づかなかっただけだと思うけど、あれは傷ついた魔素を回復する作用があるんだ。魔人と戦闘する浄化型には必須だと思うよ」

「……どうだかな」

 

 椅子の背もたれに身体をあずけるシヅキ。淡く光を灯す魔素の照明が見えた。

 

「で、今日はどこを診ればいいのかな?」

 

 白衣のシワを伸ばすヒソラ。ぶかぶかの袖がひらひらと揺れていた。完全に診察モードになっている。そう悟ったシヅキはハァと溜息を吐き、

 

「……左足だ。魔人に斬られた。応急の措置は終わってるけどな」

 

 と言ってみせた。対して、それを聞いたヒソラの眉が上がる。

 

「応急措置終わってるんだ。 ……誰にやってもらったの?」

「中央から来たやつだ。抽出型。さっきまでそいつの護衛任務をやってたんだよ」

「その途中で魔人に襲われた、と?」

「……ああ」

「一度診るね。暴れないでよ?」

「誰がんなことを……しそうに見えんのか? 俺」

「はーい診るよー」

 

 シヅキの話を軽く流しながら、彼の患部に触れるヒソラ。じんわりと温かいヒソラの手がこそばゆい。ただ触れられているだけではないのが嫌でも理解できた。魔素の消耗状態を参照されている……言い換えれば、“魔素が見た記憶”を観られているのだ。

 

(解読するなら、するって言えよな。プライバシー的にどうなんだよ)

 

 あえて口に出さないのは、シヅキの優しさ……というよりは諦めからのものだった。

 

「うーん。なるほどね」

 

 やがて患部から手を離したヒソラは、そう意味深に呟いた。

 

「んだよ、なんかあったのか?」

「ないよ。いつも通り。だから困ってるんだ」

「……どういうことだよ」

 

 シヅキがそう聞き返すと、ヒソラは小さく溜息を吐いた。

 

「いつも通り魔素の使い方が荒い。荒すぎるんだシヅキ君は。魔素の循環を一気に速めてるでしょ? ……そうするとね、魔素同士が“乖離”しちゃうんだ。身体が(ほつ)れるような感覚はなかったかい?」

「……ああ、あるな」

「なら止めるべきだよ。もっと自分の身体を(いたわ)ってくれないかな? ……医者の端くれとしては、そう言わざるを得ないね」

「労わる……な」

 

 それを聞いたシヅキの拳に力が入った。漠然と、怒りに似たやるせなさがこみ上げて来たのだ。

 

 彼は言う。その口調は完全に自虐の類だった。

 

「……ヒソラ。あんたはよ、医者である以前にホロウだ。俺と同じさ」

「そうだね」

「ホロウはよ、別に独自(オリジナル)のわけじゃねえ。かつて()()()()()人間の姿……それを模して、ずっと昔に造られた存在だ」

「うん」

「ただ……人間とは決定的に違う。俺たちに“命”とか“生きる”のような言葉が該当するわけがねえ。そもそもの話、生命が生きられなくなった世界……それに抗う(すべ)として造られたのがホロウのわけだ」

 

シヅキの視線は(おもむろ)に自身の手を捉えた。

 

「……身体だってよ。人間と同じ物質で出来てねえもんな。何だったか……水とか炭素ってやつ? んなもんじゃなくてよ……魔素だろ? 全部。魔素で出来ている。そんな俺たちが何やってるかっつったらさ、人間の復活に向けて奔走することだ。全ては独自(オリジナル)である人間のために」

 

シヅキはギュッと拳を握り込んだ。すると、腕が勝手に細かく震えだした。

 

「光もねえ、希望だってねえ。生命がなくなって……闇ばっかに覆われてる世界はよ、全然居心地が良くねえよ。 ……そんなゴミみたいな世界を観てると(たま)に思うんだよ。俺は一体、何で存在してるのかなってさ。 ……“空っぽ”のホロウである俺は一体何がしたいんだろうな」

 

 だから、身体を労われない……そう締め括ったシヅキは真っ黒のフードを被った。魔素の照明の光が鬱陶しかったから。照らさないで欲しかったから。

 

 その言葉を聞き終えたヒソラは一言だけ言った。

 

「……難しい問題だね」

 



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あなたは誰?

 

「ほんとにもう……世話がかかるんだから」

 

 シヅキが退出してから間も無くして、ソヨはそう嘆くように言った。頬杖をつき扉の方をボーッと見るソヨ。一方で、トウカは一連のそんなやり取りを見てその顔に微笑みを浮かべた。

 

「ふふっ」

 

 トウカが笑っていることに気づいたソヨの口元が「あ」という形にみるみる変形する。

 

「申し訳ございません。わたしったら……」

「仲がいいのですね。シヅキさんと」

「……そう、見えました?」

「ええ、とても」

 

 トウカが優しげな口調でそう言うと、ソヨはその場を誤魔化すように笑った。自身の頬をポリポリと掻く。

 

「あいつとは……シヅキとはいわゆる昔馴染みというものなのです」

「昔馴染み、ですか」

「今からちょうど18年前……わたしとシヅキはこのオド深くで造られました。それから一緒の時を過ごすことが多かったのです。軽口を言い合ったり、は日常茶飯事というものでして」

「……そういうの羨ましいです」

「そんないいものじゃないですって! あいつは口が悪いし、捻くれているし。全然周りに馴染もうともしないんだから……一緒にいて大変なんです」

 

 ハァ、と大きく溜息を吐くソヨ。

 

「その溜息の吐き方……シヅキさんに似ていますね」

「……ほ、本題に! 入りましょう!」

 

 上擦りの声で言いながら、ソヨは傍に置いていた分厚い本を目の前に広げた。しかしそこは白紙のページである。文字も、絵も、何も書かれていない。

 

 ソヨはそのことを気にする様子なく、次に自身の指を一度払ってみせた。すると……なんと白紙の上に数行の文字が浮かび上がったのだ。

 

 ソヨが言い慣れた説明口調で話す。

 

「これは、わたしの中にある()()()()()()()を視覚化したものです。ここにはわたしが受け取ったトウカさんの情報が記載されています。一度目を通してもらっても宜しいでしょうか?」

 

 トウカは1つ頷くと、差し出されたその本を見る。容姿の情報と出身しか記載されていないページを、トウカはすぐに読み終えてしまった。

 

「訂正箇所などは宜しいでしょうか?」

「……ええ。ありません」

「そうですか、分かりました。 ……トウカさんに関して、中央から回ってきた情報が極端に少ないんですよね。普通は、名前、役職、年齢、経歴、容姿の画像は最低限手元に回ってきている筈なんです」

 

 ふう、と息をつき本を閉じるソヨ。

 

「わたしは上のホロウから指示を受けました。それも昨日の話です。新たなホロウがやってくるから、その手続きを頼むと。驚きましたよ……こんなに情報が不足しているなんて。指示を寄越した上司も困惑していました」

「そうですか」

 

 淡々とそう返事をするトウカ。一方でソヨは、その様子をじっとりとした視線でただ見る。

 

「何か心当たりはありませんか? トウカさん」

「……いえ、ありませんね。私の移転における手続きは、中央部の雑務型の方が為された筈なんですが」

「そうですよねー。雑務型の方でそこらへんの手続きは済む筈なんですよ」

「その……言ってなかったんですけれど、辺境区のアークに知り合いがいるんです。その方に話が届いている筈なんです」

「それって、“レイン”ですか? 雑務型の」

 

 その名前を聞いたトウカの身体がピクッと跳ねたことをソヨは見逃さなかった。

 

「そうです……レインさんです。私の移転手続きには彼女が関わっていた筈なんですが!」

 

 捲し立てるかのように言ったトウカ。その言葉を聞いたソヨの口元がより一層に引き締められた。ソヨの表情にはもう……シヅキに悪態をついていた時の親しみやすさの片鱗なんて残っていなかった。

 

「トウカさん。一つ知っておいて欲しい情報があります。紛れもない事実です」

「な、何ですか……」

 

 スッと息を吸ったソヨ。彼女は一息にして言った。

 

「………………え」

 

 茫然の声とともに、トウカの眼が大きく見開かれた。

 



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最強の浄化型

 

 ジリリリリリリリリ

 

 突如として鳴ったのは甲高いベルの音だった。無意識的にシヅキは天井を見上げる。

 

「なんだよ、この音は」

 

 しかし、シヅキの問いかけへの答えは返ってこなかった。代わりに聞こえてきたのは、慌ただしい足音だけだ。

 

 視線を戻すと、そこには医務室を駆け回るヒソラの姿が。シヅキは彼の表情に緊張を感じた。

 

「なぁヒソラ。どうしたん――」

「シヅキ君。急患なんだ」

 

 シヅキの発言に重ねるようにそう言ったヒソラには、明らかに余裕がないようだった。

 

「あぁ、そういう合図な。 ……俺はどいたほうがいいよな?」

 

 既に身体の治療(メンテナンス)を終え、ただ身体を休めていただけのシヅキ。火急になるであろう現場には明らかに邪魔な存在だった。

 

「ごめんね。 ――ちゃんと、身体を大事にするように。いいね?」

「……善処するよ」

 

 棚やら引き出しから治療用の薬や器具を引っ張り出しているヒソラを尻目に、シヅキは医務室を退出した。すると――

 

「すまん! 通るぞ!」

 

 鋭く刺さるような声色とともに、担架を担ぐ2体のホロウが医務室へと駆け込んでいった。

 

 そして、医務室の外には多くのホロウ達が。皆がシヅキ以上に疲弊しきっていることは火を見るより明らかであった。状態は様々で、一見無傷な者もいれば、顔中に泥や(すす)を被った者、布の巻かれた腕を押さえつける者、床に座り込んで全く動かない者……

 

 その惨状を見やってシヅキは口内の唾を飲み込んだ。

 

「……随分とまぁ、やられたんだな」

「そうだな。しかし、新地開拓となればある程度の消耗は避けられないものだよ」

「え?」

「失礼。邪魔だったかな」

 

 落ち着いたトーンでシヅキの呟きに答えてみせたのは、1体の女性だった。長身の、長髪。髪は黒色でそれを一括りに縛っている。そして何より印象的なのは……右眼に付けられた眼帯。

 

 その姿を見るや否やシヅキの眼は大きく見開かれた。

 

「……あんたは、えっと……や、あなたは」

新地開拓大隊(しんちかいたくだいたい)隊長……コクヨだ。今回の肩書きだがな。 ……お前は確か、私と同じ浄化型のシヅキだったな」

 

 その口元に僅かに笑みを浮かべてそう言った女性……(もと)いコクヨ。シヅキはまさに、開いた口が塞がらなかった。それもそうだ。何てったって、あの“コクヨ”なのだ。

 

 コクヨ。オドという組織の中で、その名を知らない者は存在しないだろう。人呼んで彼女は……“最強の浄化型”だった。

 携えるは1本の長刀。気が遠くなるほどに細く、それでいて鋭利な刀だ。コクヨはそれを振るい、魔人共を打尽する……らしい。今まで数千は葬ったとかなんとか。

 

 “らしい”と言ったのは、あくまで伝聞なのだ。シヅキは彼女が戦場で舞う姿を見たことがなかった。主に単独か極少数で任務にあたることが多いシヅキ。一方で大隊か中隊を先導するのが殆どのコクヨだ。彼らがまともに交えたのは今回が初めてだった。

 

 しばしばその態度を指摘されるシヅキですら、今回ばかりは姿勢を正した。

 

「浄化型のシヅキです。名前を覚えてもらっているようで、光栄というか……」

「なに、同じ型の者くらいは把握していないとな。シヅキは単独での任務が完了した後か?」

「は、はい。一応医務室に寄ってという感じで……」

「そうか。それはご苦労だったな。知ってはいると思うが、私が率いた大隊も先ほど帰ってきたところだ。結構な数の負傷者を出してしまったよ」

 

 医務室付近に座り込むホロウ達。見ると先ほどよりも数が減っていた。どうやら、傷が深い者から優先して中に呼び込まれているらしい。それでも数十人ほどいうホロウ達は、やけに広い廊下とも広間とも言いづらい医務室付近の空間を覆い尽くさんとしていた。

 

(なるほどな、だから俺たちが帰ってきたときはホロウ共が少なかったのか)

 

 ソヨが聞いたら、「シヅキねぇ、無理してでも周りに馴染めとは言わないけれど、せめてそういう大事なイベントくらいは知っておいてよね? 分かってる?」くらいは言いそうだ……とシヅキは思った。

 

 細い記憶の糸を辿って、今回の新地開拓について思い出そうとした。

新地開拓……名の通りホロウの活動拠点の拡大を目指す、そして比較的に()()()()()魔人の浄化を目的とした遠征の一種だ。そして今回行った先が……あぁ。

 

「確か……新地開拓って『棺《ひつぎ》の滝』周辺でしたよね。“不侵領域”に設定されていた」

「そうだ。かつての人間の名残だろうが、魔人は水辺付近に多く存在する。その分、魔人から魔素の回収を行うには理に適っているのだがな……どうも獣形(けものがた)の数が目立つ」

「……獣形は強いですよね、やっぱ。人形(ひとがた)とは別格って感じで」

「今回の遠征でも、3人と対峙したよ。なんとか浄化して、魔素の回収まで出来たが……この有様だ」

「あれすかね。全部、コクヨさんがとどめを刺す……みたいな」

 

 シヅキのそんな疑問に対し、コクヨはくつくつと笑って見せた。自身の口元を押さえる様子は、普段の厳格というか、荘厳な感じとは異なり……なんというか無邪気な笑みだった。そもそもコクヨは痩せぎすだが、顔が整っており、かなりの美人だ。そのように表情を崩す様子はたいへん絵になっているものだとシヅキは思った。

 

「私が全て浄化できるのなら、大隊なんて引き連れずとも単独で潜るさ。十数人の浄化型で叩いて、やっと浄化……という感じだ」

 

 そう言い、小さく息を吐いたコクヨ。彼女の顔にも疲弊の色が滲んでいた。

 

「すんません、その……立ち話に付き合わせてしまって」

「いや、いいんだ。元は私が呼び止めたことだ。前々からシヅキとは話がしたかったからな」

 

 予想外のコクヨの言葉にシヅキの眉が上がった。頭の中に疑問符が浮かんだ。

 

「それって……どういう――」

 

 しかし、そんなシヅキの問いかけは1体のホロウにより遮られてしまう。

 

「コクヨ隊長。隊長も検査の方を」

「ああ、すぐに行く。 ――ではな、シヅキ」

「は、はい……」

 

 軽くお辞儀をするシヅキ。彼の視線の先で、コクヨの一括りにされた長い黒髪が揺れていた。

 

 ――これが後に起こる“ホロウ事変”における渦中の1体となるホロウ、“コクヨ”との出会いだった。



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らしくない

 

 コクヨとのやり取りを終え、ロビーへ戻ろうと昇降機に乗っていたシヅキ。そんな彼の体内に、彼のものとは異なる魔素が流れ込んできた。

 

 シヅキはそれに焦ることなく、まず()()()()を確認する。魔素そのものは目に見えなければ、触れることもできない。唯一“ノイズ”と呼ばれる方法で、身体が漠然的に感じ取ることしか出来ない。

 

 しかし、ホロウはそのノイズを目に見える形に変容させることができる。身体中を魔素で構成する者共だからこそ出来る芸当だ。 ……最も。魔素の濃度が薄かったり、意図的に工作されている場合はその限りではないが。

 

 シヅキは頭の中でイメージする。それは、モヤモヤとする煙状のものに鍵を挿し込む奇妙な感覚だ。でも、これで上手くいくのだから仕方がない。鍵をゆっくりと回し、解錠(視覚化)する。

 

(ソヨからの通心(つうしん)か)

 

 概ね予想通りの人物からのメッセージが魔素内には含まれていた。シヅキはそれを読み上げる。

 

「キョウ オワリ ネロ ……やっとかよ」

 

 ドッと身体が重くなる感覚に襲われた。身体を弛緩させると毎回これだ。「休ませろ、休ませろ」とアピールしてくるのだ。無論、シヅキの意志もこれには大賛成だ。

 

「シャワー浴びて飯は……いいや、起きてからで。寝よう」

 

 大きく欠伸をしたシヅキ。彼が降りたのは1Fのロビーではなく、ホロウ共の住居スペースとなっている地下階層だった。

 

 

 

※※※※※

 

 

 

 シャワーをたっぷりと浴びた後に、シヅキは薄暗い廊下を歩いていた。幅3m程度のソレの左右には、同じデザインの扉が等間隔に設置されていた。ホロウ達の住居スペースだ。

 

 カツカツと音を鳴らしながら廊下を歩くシヅキ。彼が自身の部屋のある廊下の角へと差し掛かった時だった。

 

「あ」

 

 何かを見つけたかのような、そんな声がくぐもった廊下内に反響した。声の主を目の端に捉えたシヅキは、思わず上擦り気味の声を上げてしまった。

 

「トウカ? え……や、なんでここに?」

「えっ……と。私も同じこと聞きたいんですけ、ど」

 

 廊下の途中には休憩用のスペースとして、ベンチが敷かれた小空間がある。そのベンチの真ん中にトウカはちょこんと座っていた。シヅキと同じように困惑の表情を浮かべるトウカ。彼女の服装や持ち物は応接室で別れた時と変わっていた。

 

 服装は出会った時に着ていたフード付きのローブではなく、もっと緩い格好……いわゆる寝巻きだった。しっとりと水分を含んだ髪と紅潮した頬や耳を見るに、シャワーを浴びた後らしい。持ち物についても、布に巻かれた錫杖と小さなポーチに加えて、手提げ付きの大きなカバンが追加されていた。

 

 彼女の身なりと持ち物たちを見て、シヅキは恐る恐るの口調で尋ねた。

 

「……部屋に行く途中だったのか?」

「そうなんですけど。ちょっと、待ってて……」

「待つ? 誰を」

「雑務型の方です。えっと……私が入るはずの部屋の鍵が見つからないみたいで」

「あー。そういう」

 

 シヅキは自身の後ろ髪を掻いた。まぁ、変なタイミングで帰ってきてしまったみたいで。

 

「シヅキさんはどうしてここに……?」

「治療、終わったからよ。今日はもう上がりだ」

「そうでしたか。 ……容態の方はどうですか?」

「問題ねえよ」

「お医者さんから、魔素の使い方で指摘とかありましたか?」

「……」

「……やはり、ありましたか」

 

 そう言って俯いたトウカ。悲しそうにしやがる横面を見て、なんでてめぇがそんな顔をするんだと思った。 ……そうやって文句を言ってやろうか? ……いや、いい。今日はもういい。疲れている。

 

 ハァ、と大きく溜息を吐いたシヅキ。彼の部屋はもう目の前にある。

 

「……じゃあ、俺はもう部屋帰るから」

「あ、分かりました。えっと……今日は本当に――」

「いーってもう。聞き飽きたくらいだ」

 

 ベンチから立ち上がろうとするトウカを右手で制止して、シヅキは歩を進める。

 

 そうやって、ちょうどトウカの前を通り過ぎた時だった。

 

「――くしゅっ!」

 

 小さな何かが破裂したような音。それが後方から聞こえてきたのだ。 ……いや、聞こえてしまったのだ。

反射的に振り返ったシヅキ。そこにはトウカがいた。左腕で鼻を押さえつけているトウカがいた。無論、眼が合う。琥珀色の綺麗な眼だ。

 

「…………」

「……え、っと」

 

 何かを言わんとするトウカ。しかし、それ以降に言葉が続くことはなかった。シヅキだって何も喋ろうとしない。結果訪れたのは、バカみたいな静寂だった。 ……そして、シヅキは静寂が好きなわけではなかった。

 

「……あー」

 

 後ろ髪を何度も掻くシヅキ。彼の脳内には一つの考えが生まれてしまったのだ。それはあまりにもシヅキらしくないもので、それを言おうとする自身への抵抗が凄まじかった。でも、このままというのも………………あぁ、だるい。

 

 上歯で唇を強く噛んだ後、シヅキは捲し立てるように言った。

 

「俺の部屋こいよ。コーヒーくらいなら入れる。そこで待ってろって言われたなら、雑務型が来やがった時に部屋から行きゃいいからよ。どうすんだ」

 

 言い終えてから妙に身体が火照った。シャワー上がりだからだ。それしかない。

 

「…………え?」

 

 少し間を置いてから素っ頓狂な声を上げたトウカ。見開かれた琥珀の瞳が、シヅキの眼を貫かんとしているようだった。

 

 どうもシヅキはトウカのこの瞳が苦手だった。出会った時もそうだし、魔人を浄化した後にシヅキを治療しようとする時もだった。吸い込もうとするような、貫かんとするような……綺麗にも程がある瞳。本人が意識してかどうかは知ったこっちゃないが、見られる方はたまったもんじゃない。

 

「で、でも……」

「……風邪引くだろ。上辺の遠慮とか、そういうのいらねえから。自分の本心に従えよ」

 

 廊下の隅の、やけに黒く変色した壁を見ながらシヅキは吐き捨てるように言った。

 

 

 



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死ぬほど不器用な……

 

 ドアノブ付近には、厚さ数ミリ程度の四角の形をした窪みがある。シヅキがそこに手を押し当てると数秒の後にガチャと扉が鳴った。

 

「あんま広くねえけど、我慢してくれ」

「は、はい。 ……お邪魔します」

 

 真っ暗の部屋の中。シヅキは廊下から漏れる僅かな明かりと、記憶を頼りに手探りでランタンを見つけ出した。指で弾くようにしてごく少量の魔素を流し込んでやると、ランタンに橙の明かりがジワリと灯った。

 

「一応大丈夫だと思うけどよ、あんまモノとかいじらないでくれ。荷物は適当にその辺のテーブルとかベッドの上に置いてもらっていいからよ」

「それは、もちろん……」

 

 そう言って小さく頷いたトウカ。シヅキも頷き返した。

 

「コーヒー淹れる。寒かったらよ、適当に毛布とか使ってくれて構わねえ。 ……あぁ、このベッドの上だ」

「お、お気遣いなく……」

「……あんたを部屋に入れた時点で、気遣いだのどうの話は終わってる」

 

 トウカを見ないようにして答えたシヅキ。コートだの何だのを丸めてベッドの隅に投げ、彼は部屋奥の水回りまで入っていった。

 

 購買で適当に買ってきたコーヒー。既に豆は砕かれており、すっかり粉状だ。そのせいか知らないけど、美味しくなんかない、苦いだけの汁だ。ただ安いから買っている。それを2つのマグにぶち込んだシヅキは、備えつきの鍋に汲み置きの水を入れた。魔素を流し込んでコンロを点火させてしまえば……あとは待つだけだ。

 

「……」

 

 そうやって手持ち無沙汰になってしまうと、余計なことを考えてしまう。本当に余計なことだ。 ……主には先ほどの自分の行動について。

 

(一体全体何でこんなことしたんだよてめえは)

 

 壁に寄りかかりながら腕を組むシヅキ。彼の足はトントンと床に何度も打ち付けられていた。苛立ちとも困惑とも取れない変な感情が彼の中でふつふつ沸き立つ。

 

 ともかく、だ。これ以上にトウカを気遣う必要はないのだろう。そもそものところでシヅキは浄化型であり、トウカは抽出型だ。今日以降で何か接点を持つわけじゃあるまい。だったら……もう、放っておいていい。

 

 いつトウカの部屋の鍵が見つかるかは知ったこっちゃないが、まさか今日一日彼女がこの部屋にいるわけじゃないだろう。なら、多くても数時間だ。それが終わればシヅキとトウカは赤の他人だ。そうなるに決まっている。

 

「……よし」

 

 やっと気持ちの着地先を見つけたところで、鍋の中の水がふつふつと泡を立てていることに気がついた。マグに熱湯を入れて、コーヒーを揺らしかき混ぜたところで、シヅキは居間へと戻ってきた。

 

 そこにはベッドに腰掛け、足をぷらぷらと揺らしていたトウカの姿があった。その琥珀の瞳はひたすらに床を凝視している。 ……何を考えているのだろうか? シヅキには見当もつかなかった。

 

「んん゛っ」

 

 シヅキがわざと咳払いをすると、トウカの顔が勢いよくこちらを向いた。

 

「水、沸騰させちまってよ。熱いから気ぃ付けろよ」

「……ありがとうございます。ほんとにありがたいです」

「そうかい」

 

 両手でマグを受け取ったトウカは湯気が立つマグにふぅふぅと息を吹き、ゆっくりと傾けた。

 

「――っち!」

「言わんこっちゃねえ」

 

 舌を出し顔を歪ませたトウカを尻目に、シヅキは口をつけることなく、机の上にマグを置いた。10分もすればまともに飲めるようになるだろう。

 

 一方で、トウカはまだ諦めないらしい。今度はもっと息を吹きかけた後、よりゆっくりコーヒーを飲もうとした。 ……今度は飲むことができた。

 

「美味しい、ですね」

「くそ安い豆だぞそれ。苦くて熱いだけだろ?」

「……ちょっと苦すぎるかも」

「そういや、コーヒーで良かったのか?」

「い、いえ! ブラックでも平気ですから」

「……そうかい」

 

 そんなやりとりを終えた後、シヅキは木組みの椅子に背中を預けた。凝り固まった背骨を背もたれに押し付けると、バキバキと音を立てた。

 

「あぁ…………疲れた」

 

 ほとんど無意識的にシヅキが吐いた言葉。口に出してから、トウカの前では言うべきではなかったと後悔した。

 

「あの……しつこいかもしれないんですが、今日はありがとうございました」

 

 ――こうなるから。何回目だよそれ。案の定しつこいし。

 

「ああ……」

 

 ただ、そうやって指摘することすら怠くて、シヅキは空返事を返した。

 

「別によ、疲れてるのはお互い様だろうが。むしろ、あんたは長い船旅の後だろ? 俺よりよっぽどじゃねーか」

「……そうですね。結構、身体が重かったりします」

「ねみぃなら、勝手に寝てくれていいぞ。俺は起きてるから」

 

 そうしてくれた方が不必要に会話しなくて助かる。とはもちろん口に出さないシヅキ。

 

「……眠いんですけど、ちょっと考えることが多すぎて」

「まあ、初めての土地だからな」

「いえ、それもあるんですけど…………その、ソヨさんと」

「……ソヨ?」

 

 シヅキが反芻(はんすう)すると、トウカは口を大きく開いた。 ……きっと、その名前を出すつもりはなかったのだろう。彼女の表情からその動揺っぷりが窺えた。

 

「えっと……その……!」

「ハァ……別にいいってもう。詮索しねえし。ソヨになんか問題があったのなら、話くらいは聞いてやるけど」

「いえ、ソヨさんは別に悪くなくて……私、私? 私が悪いの、かな? いやでも……」

「落ち着けって」

「落ち着いてられないの! これはすごく大事な問題だから……あ、違った。えっと……問題……です」

 

 その琥珀の眼を行ったり来たりさせながら、ゴニョゴニョと言葉を紡ぐトウカ。 ……魔人を探知していた時のあの冷静さなんて、見る影がなかった。

 

「ハァァァァァァ………………………………………」

 

 この日一番の大きな溜息を吐いたシヅキ。正直、もう見てられなかった。

 

「もう一回言うけど。詮索する気はねぇし興味もねぇ。だから忘れろ。 ……あと、これは余計なお世話だと思うんだけどよ」

 

 コーヒーを注いでいた時にした決意はどこへ行ってしまったのだろう。シヅキは苛立ちを隠すことなくトウカにぶちまけた。

 

「あんた……敬語とか慣れてねえだろ。呼称だってそうだ。愛想をよく見せるためか? だったら止めた方がいいぞ。ボロ出しすぎだし」

「べ、別に……そんなこと……」

 

 苦虫を噛んだかのような表情。そして、決して合わない眼。それらがもう口ほどに物を言ってやがる。

 

「……じゃあさ。少なくとも俺の前ならそういう態度は止めてくれよ。敬称だって、いらねぇ。無理されながら話される方だって、しんどいんだよ」

「…………」

 

 ふん、と鼻息を吐いたシヅキ。彼はわざと自身の身体を仰け反らした。今の言葉で嫌われた自信がある。でも、もうそれでいいだろう。どうせ明日からトウカとは赤の他人。今更、仲良くする義理なんて――

 

「シヅキ!」

「……は?」

 

 そうやって考えている時に、大声で自身の名前を呼ばれたもので、シヅキは思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。

 

「え、何だよ急に……」

「シヅキ! シヅキ! シヅキ!」

「こわ……」

 

 壊れたように名前を連呼するトウカ。必死だ。必死すぎて引く。

……追い込まれたホロウはこうなってしまうのだろうか? 呆気に取られながらシヅキはそんなことを考えた。

 

「シ、シヅキ……」

「ほんとにお前……何言ってんだよ」

「練習、してるの」

「練習?」

「名前を呼ぶ練習……」

「……あぁ?」

 

 冗談だと思った。けど、至極真剣な表情をしてやがる。琥珀の大きな瞳は若干涙ぐんでいた。

 

(こいつ……こんなやつだったのか)

 

 もはやドン引きするしかないシヅキ。一方でトウカは俯いた顔でポロポロと言葉を漏らす。

 

「……そう。私は無理してたの。今日一日ずっと。頑張って、作り込んだキャラクターになろうとしたの。でも……全部バレてた……。初めて来たのに……ソヨさんにもたくさんのボロ出しちゃった。これじゃあ……計画が……」

 

 俯いたトウカの表情も、サラッと(こぼ)した“計画”とかいうクソほど重要そうなワードの意味も、或いはソヨに出したとかいうボロの内容も……何もかもが分からない。分からねーことだらけで、シヅキはもはや詮索する気が起きない。

 

 ――ただ一つ確信して言えること。それは、トウカという目の前の女が自分を取り繕うことが絶望的に下手くそで、死ぬほど不器用なホロウだということだ。

 

「……もう、ついてけねぇーよ」 

 

白銀の頭を見ながら、シヅキは嘆くように呟いた。

 

 

 



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おかしな秒針

 

 タク、タク、タク、タク

 

 橙の灯り一つが照らす、小さな部屋。響き渡るのは壁時計が秒針を刻む音……これ一つだけだ。

 

 備え付けられている年季のある壁時計。シヅキがこの部屋に棲みだした頃からあるソレは、いつからだろうか? 秒針の進み方がおかしくなってしまった。突如止まってしまったり、かと思えば遅れを取り戻そうと高速で動き始めたり……そんな状態だ。

 

 幸い、短針と長針は問題なく動いているためシヅキは今までこのおかしな秒針を放置していた訳だが……なるほど、重なるところがあった。

 

「このコーヒー苦い……」

 

 存分に顔を顰めながらコーヒーを啜る目の前のホロウ。それを見てシヅキは鼻で笑った。

 

「な、なに? 急に笑って」

「別に。何でもねぇよ」

 

 吐き捨てるように言ったシヅキは、トウカと同じようにマグのコーヒーを啜った。 ――あぁ、本当に苦いなこれ。そう思いながらもシヅキは表情を崩さなかった。

 

「マズい……」

 

 崩してしまったら、目の前のこいつと変わらないと思ったからだ。

 

「文句あんなら飲まなくたっていいんだぞ」

「も、文句は言ってないって……事実を言ってるだけ。身体温まるし……あ、でもコーヒーは本当に嬉しい。ありがと」

「そうかい。……ちなみにだが砂糖みたいな嗜好品はこの部屋にねーからな」

「……そう」

 

 残念そうに言って、コトとマグを置いたトウカ。しかしすぐにマグを持ち上げてコーヒーを啜って……再びマグを置く。さっきからソワソワと落ち着きがないのだ。

 

「……さっきからなんだよ。別にもういいだろ? 取り繕わなくたってよ」

「そ、そういうんじゃなくて……えっと」

 

 琥珀の眼を泳がせるトウカ。無意味に髪を手で梳かしだす始末だ。引っ込み思案なところは出会った時の印象から変化ない。むしろ増した。

 

「……その、私のことは内緒にしてほしくて」

「私の……あぁ。他の奴には愛想の良い自分を見せるってことか?」

 

 シヅキがそう訊くと、トウカは不満ありげに口をへの字に曲げた。

 

「愛想良いって……そんなふうに見てたの?」

「“見てた”じゃねぇよ、“見えた”だ。さっき言ったろ? ボロ出てたってよ」

「……ぐ、具体的には?」

 

 顎を引き、上目でシヅキを見るトウカ。シヅキはハァと軽く溜息を吐いた。

 

「それ、説明しねーといけない?」

「お、お願い……」

「……初めに違和感があったのは俺が魔人と対峙してた時だ。あん時トウカ、『シヅキ、叩いて!』とか叫んだろ? それ聞いてよ、普段は丁寧な言葉遣いに慣れてねぇやつなんだろうなと薄々思ったんだ」

「……やだった?」

「嫌じゃねーよ。あん時は、まぁ……助かった」

「そ、それはどうも……」

 

 ぎこちなく頭を下げたトウカ。対してシヅキは後ろ髪を強引に掻くだけだ。

 

「んでも、初対面ならまぁ………んなもんかって思った。なんつーの? 行儀よくするのはな」

「シヅキ……も最初は無理に丁寧な言葉遣いしてたよね。すぐ止めたけど」

「うるせ。 ……俺には向いてねんだよ」

 

 ぶっきらぼうに答えると、トウカはなぜかくすくすと笑った。「そこ笑うとこかよ」とは口に出さず、代わりにシヅキは溜息を吐いた。

 

「……んで、まぁあとは何となくだよ。勘だ。さっきトウカがソヨの名前を出した時に確信した」

「わ、私……そんなに違和感あった?」

「突然のことに弱いだろ? お前。変なことが起きると口が回らなくなる」

 

 シヅキの指摘に対して、トウカはすぐに返事をしなかった。しばらく何も言うことは無かったが、彼女がシーツをギュッと握る様子にシヅキは気がついた。

 

「そう、かも……」

 

 やがて彼女が発したのはそんな言葉だった。何をそんなに気にすることがあんだ、とシヅキは思う。

 

「ともかくだ。変にキャラを作るとしても、もう少し詰めた方がいいと思うが。 ……何で俺がアドバイスしてんだよ」

「ぐ、具体的に――」

「知らねぇ自分で考えろ。どうせ今日が終われば、お前とは赤の他人だ。そこまでする義理がねぇ」

 

 そう捲し立てたシヅキはマグのコーヒーをぐっぐと一遍に飲み干した。

 

 ドンと机にマグを降ろすと、そこにはシヅキを見据えるトウカが。その表情はきょとんとしている。

 

「……なんだよ。ただの事実だろ?」

 

 シヅキがそう言っても、トウカは首を傾げるだけだ。彼女の頭の上には大きな疑問符が見えた。

 

「えっと……シヅキ、聞いてないの?」

「あ? 何をだよ」

「私とシヅキのこと」

「……いや」

「そうだったんだ。 ……えっとね? 私とシヅキは明日から同じチームだから」

 

………………

 

 ん?

 

「……チーム?」

「うん。その……シヅキが私の監視役……みたいな?」

 

 頬をポリポリと掻きながら、また、バツが悪そうにしながらそんなことを(のたま)いやがったトウカ。シヅキはというと、まだその事実を処理しきれていなかった。

 

「えっと……よろしくね? シヅキ。明日からも」

 

 無言で座り尽くすシヅキに対し、トウカは手を伸ばした。ちょうどそれは、船着場でシヅキがしたように。

 

 眼前の手を眼に捉えたところで、やっとシヅキはトウカが発した言葉の意味を理解した。

 

「はぁぁぁぁぁぁぁ!?」

 

 シヅキらしからぬ大声が、秒針音を消し去るかごとく部屋中に響き渡った。

 

 

 



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長い1日の終わり

 

 ……その後。そう、衝撃的な事実をトウカが突きつけたその後。

 

「じゃ、じゃあね。シヅキ! また……」

 

 手を振りながらそう言ったトウカは、逃げるように(シヅキにはそう見えた)して部屋を後にした。部屋の鍵が見つかったのだ。

 

「……」

 

 一人部屋の中に取り残されたホロウ、シヅキ。やり場のない感情が渦巻くだけで、どうするべきなのかが分からない。

 

 神妙な面持ちをしていたシヅキは、不意に言葉を紡いだ。

 

「明日から……トウカとチーム」

 

 事実なのだという。ソヨがそうやって、トウカに伝えたらしい。無論シヅキはそんなことを聞いていない。

 

 トウカが嘘を吐く理由なんてないし、正真正銘の事実なのだろう。しかし、それ以上にシヅキの中には“腑に落ちる”ものがあった。思い浮かんだのは……ソヨのことだ。

 

「あいつ、仕組んだか?」

 

 思えば、廊下でばったりトウカと出会したこと。そして彼女の部屋の鍵が一時的に行方不明だったこと……偶然が2回も重なるものだろうか? ……雑務型であり、シヅキと通心(つうしん)可能なソヨであれば簡単に状況を作り出せるのではないか。

 

 疑えば疑うほど、シヅキの中の疑念は確信へと変わっていった。

 

「あぁ……やられた」

 

 モノに当たる代わりにシヅキは拳を掌へと叩きつけた。 ……大方、ソヨ自身を噛ませずにトウカと話をさせるためだろう。

 

「あいつ……次会った時は……」

 

 大きく舌打ちをしたシヅキはベッドに大の字となる。

 

 ――色々とありすぎた。体力的にも、精神的にも色々と。トウカ……あの女のせいだ。気が弱いくせして何かを企んでやがる女。それと明日から行動する? 監視役だと? 冗談じゃない。そんな面倒な役回りがよりによって何故自分なのだ。

 

(思えば……港町まで迎えに行かされたのだって)

 

 疑心暗鬼だろうか? でも、ソヨは事前に何か気掛かりがあって、シヅキ(都合のいい駒)に案件を投げたのではないか? ……あぁ、辻褄が合ってしまう。

 

「どうせ、聞いても教えねーんだろうな」

 

 そう思いながらも、シヅキはソヨに対して通心を行う。あわよくばというやつだ。

 

 送る側が行うことは、受け取る側の逆をすればいい。メッセージを“魔素”という形で、ホロウにぶん投げる……それだけだ。

 

(トウカのことで話がある。ソヨの都合のいい時間に合わせる)

 

 端的に頭の中でメッセージを作る。魔素を介したこのやり取りでは、自分の言葉がそのまま伝わるわけではない。メッセージが一度魔素に変わることで、“言語”としての性質を失うのだという。魔素の中に残存するのは、送信者の“意思”だけだ。従って、細かな言葉のニュアンスや長すぎる文はまともに相手へと伝わらない。

 

 それでも、意思を残せるこの芸当は利便性がいい。魔素へと変換しソヨに送りつけたシヅキは、トウカがまともに取り合うことを願いながら眼を閉じた。

 

 精神的にも肉体的にも疲弊している身体。瞼はひどく重いくせに、頭の中では色々と考えてしまう。ちょうど、トウカがそうだったように。 ……そう、トウカ。

 

(明日から、トウカとチーム……)

 

 今度は心の中で反芻したシヅキ。否応もなく、彼女のことが思い出された。

 

 背が小さくて、気も小さくて……何考えているのか、よく分かんねえ。

 それに、下手くそなくせして、自分のことを取り繕おうとしやがる。

 後は……やけにシヅキの傷のことを心配していた。そうだ。ホロウの身体のことを……

 所詮は人間の代替に過ぎないのに。

 

 ――でも、そんな変なやつだけど。

 

「あの琥珀色の眼は……綺麗だったな」

 

 口に出してシヅキは酷く後悔した。妙に小っ恥ずかしくて、シヅキは自身の舌を強く噛む。

 

「寝る! 寝ろよもう、バカが」

 

 毛布を頭の先までかけたシヅキ。寝ろ、寝ろ、寝ろ……何度も言い聞かせた意識を手放すのに至ったのは1時間も後だった。

 

 

 

※※※※※

 

 

 

 ソヨから手渡された鞄は、今日以前に辺境区宛てに送ったものだった。

 

 中には生活に必要なものが一式入っていた。主に衣服類で、後は最低限のコスメ類とかお気に入りの小物類。そして……

 

「よっと――」

 

 胸いっぱいに抱えた本を机にドサっと置いたトウカはふぅと一息をついた。

 

「ちょっと持ってきすぎた……かな? いやでも、削れなかったし……」

 

 それらは中央区に居た際に齧り付いていた本の中の一部に過ぎなかった。以前の彼女の部屋には一般的なホロウの体格よりも一回り、二回り大きな本棚があった。無論、そんなに持ってくることなんか出来なかった為、こうして厳選した次第だ。

 

 その琥珀の眼をゆっくりと閉じてトウカはコクコクと頷いた。自分にしては量を削れた方だろうなんて、そう思ったのだ。

 

 最低限の荷物整理を終えたトウカ。床や机の上は未だに荷物が散乱したままだったが、流石にこれ以上どうにかすることは気が滅入った。ランタンの灯りを消して、少し硬いベッドに横になる。

 

 真っ暗な天井を見上げて、トウカは呟いた。

 

「……ほんとに来ちゃったんだ。こんな遠くまで」

 

 中央を脱してからというものそこそこ長い旅をした。辺境へは船1つで辿り着くことが出来なかった。陸路という陸路の移動を繰り返し、どこか炭臭い船に何日も揺られてようやく着いたのだ。

 

「……こんなに頑張って着いて、でも……」

 

 ギュッと眼を瞑ったトウカ。枕に顔を埋めて「うーーーーー」と長く唸った。

 

「出鼻がぁ……最悪だ」

 

 トウカが頭の中に思い浮かべたのは、入念に練った筈の……信頼できるほんの一握りのホロウたちと作った筈の計画だった。

 

「レイン……」

 

 ソヨという雑務型から発せられた言葉を思い出す。一言一句思い出せるその言葉……

 

「……みんなに顔向けできないや」

 

 込み上げてくるものがあった。どうしても抑えることが出来ず、唇を噛んだくせに嗚咽が漏れてくる。それでもトウカは声を上げはしなかった。

 

 トウカは自身に強く言い聞かせる。 ……励ませるのは、もう自分しかいないのだから。

 

「……悪いことだけじゃなかったんだ。前向きにならないと――」

 

 トウカは思い浮かべた。それは今日1日の間、ずっと行動を共にしたホロウのことだった。

 

 初めは怖いな、って思ってしまった。 ……いや、今もちょっと怖い。言葉遣いのせいだろうか? それとも三白眼のせいだろうか? チクチクとしたトゲが胸に刺さる感覚が何回もあって、ちょっと痛かった。

 

(でも……)

 

 なんだかんだ言いつつ、自分のことを気にかけてくれたように思う。だから、不思議な気分になった。あのホロウは冷たくもあって、温かくもあったのだ。そんなちぐはぐな……まだよく分からないその存在のことを……少なくとも今のトウカは嫌いになれなかった。

 

「不器用……なんだろな。シヅキは」

 

 まだ彼のことを何も知らなかった。性格だって、今日はそう思っただけで明日見るときには何もかも別に見えてしまうかもしれない。 ……そうだと、ちょっと嫌だなと思う。

 

 だから、チームを組むってなってもよく分からなくて。ソヨは「監視役」だなんてはっきり言ってたけれど。 ……果たして彼はその役回りのことをどう思っているのだろうか?

 

 疑問に思えることは両手の指なんかには収まらなくて。たくさんありすぎて、前が見えなくなってしまいそうだけれど。

 

 ――それでも。

 

「私のやることは……変わらないよ」

 

 思い浮かべたのは当然あの記録(きおく)だった。小さくて、儚くて、弱い。でも何よりも真っ直ぐで、綺麗な……記録だった。

 

 それをゆっくり、ゆっくりと咀嚼しながらトウカも眠りの世界へと落ちていった。

 

 長い1日が終わる。

 

 



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ソヨソヨそよ風

 

 フード付きの真っ黒の外套は何年も前から愛用している品だった。

 

 港町や別の街……偶にそこからホロウがアークを訪れてくる。彼らは皆、商売を生業としている者達だった。図太いのか豪胆なのかは知らないが、アーク内で簡単な店を開くのだ。いわゆる露店というものである。

 

 不定期的に現れる露店と物珍しい品は、アークに属するホロウ達にとって数少ない娯楽の一つだった。シヅキは自ら赴くことがなかったが。

 

 だから、急にソヨが服を渡した時にはシヅキは眼が点になった。彼女曰く、『シヅキさ〜ずっと同じ服着てるじゃん。たまには別のも着なって』とのこと。同じ服と言ったって、アークから支給されている制服なのだからいつも着ているのは当然のことだったが、異様に服の枚数が多いソヨは制服ばかり着るシヅキが気に入らなかったのだという。

 

 シヅキはその服を返そうとした。でも、その返し方がいけなかったのか……それとも返そうとする行為が要因となったのか。涙ぐむソヨを前にして、シヅキは慌てて外套を羽織った。

 

 『似合ってるじゃん』 胸の前でグッドマークを作るソヨを見て、嘘泣きだったと思った。腹を立てたものの、それから何年間も、(ほつ)れや破れを繕いながら着続けている。

 

 それは今日も同じことだった。ハンガーに掛けることなく、ベッドの隅で丸くなっていた外套を羽織るとシヅキは部屋を出た。

 

 起床直後の時間は、他のホロウと出会すことが多い。しかし、今日はその限りではなかった。恐らく、コクヨが引き連れた新地開拓の大隊が原因だろう。少なくとも彼らは今日1日休養をもらっている筈だ。

 

「俺だって休みてーけどな」

 

 ギギギと軋む昇降機に一人乗るシヅキ。単独で任務に当たっていたシヅキは休めるわけではない。

 

 正確には休もうと思えば休めるが……それは避けたい行動だった。アーク内に居場所がなくなったシヅキは果たしてどうなるだろう。行く宛もなく、放浪するのだろうか? それとも、()()()()()()()のだろうか? 何にせよ、居場所があったらいい。屋根があって、飯が食えて、棲む場所がある……それだけで十分だった。

 

 やがてロビーに着いた。地下階層の狭苦しい空間とは異なり、そこはバカみたいに広い。キョロキョロと見渡し手ごろなソファを見つけると、シヅキはそこにドカっと座り込んだ。

 

「おっはよ〜シヅキ。昨日はよく眠れた?」

 

 間も無くして、そう言いながら小走りで駆けてくるホロウの存在に気がついた。シヅキの眉間に軽くシワが寄る。

 

「ソヨ……お前な――」

「ん? どうしたの?」

 

 ソヨはシヅキの言葉に重なるようにそう訊いた。あたかも、私は知らぬ存ぜぬと。

 

「ハァ……」

 

 シヅキは小さく溜息を吐いた。まさか本当にシラを切れるとでも思っているのか? そもそも、昨日のうちに送った通心への回答がまだ来ていないのだ。『トウカのことで話がある。ソヨの都合のいい時間に合わせる』そんな通心への――

 

(いや……今がソレか?)

 

 シヅキは改めてトウカの顔を見上げた。 ……茶髪のくせっ毛。そこから見える表情は、いつものちゃらんぽらんなソヨと相違ない。そもそもこいつはポーカーフェイス? というのか、表情を隠すことが上手いのだ。

 

 自身の後ろ髪をポリポリと掻いたシヅキ。変な探りを入れるのは性に合っていない。

 

「……この際、トウカとチームを組めとか監視しろだとかはもういい。文句言ったってどうせ覆らないだろうからよ。 ……気に食わねえのがやり方だ、ソヨ。せめて自分の口で伝えろよ。まどろっこしいことしやがって」

「え〜何の――」

「答えろって。いいから」

 

 (しら)ばくれていることは分かりきっていた。

 

「……それはごめんね。悪気があったわけじゃないの。ただ……わたしが間に入るとややこしくなりそうだったから」

「ややこしいってのは?」

「ちょっと……色々あってね」

「……ボロを出したってやつか」

「ボロ?」

「トウカが色々と言っちまったんだろ? お前に」

 

 その言葉を聞いたソヨの眉が軽く上がった。

 

「シヅキが言わせたの?」

「まさか。自分から言っちまった。すげぇしどろもどろになってたな」

「あちゃー、あの子ねぇ」

 

 その顔を右手で覆い、やれやれと項垂《うなだ》れるソヨ。演技臭く見えるが、流石に意外だったのだろう。

 

 間髪入れずにシヅキは言う。

 

「でも、内容までは聞いてねぇよ。あくまでソヨに色々と言っちまったことだけだ。俺が知ってるのは」

「そうなの。 ……内容は聞かなかったの? 気になるでしょ?」

「……別に。俺が介入する理由がねーよ」

 

 視線を逸らしながらシヅキが言うと、ソヨはくすくすと笑った。

 

「あ? 何がおかしいんだよ」

「いや、そういうところ良いなって思っただけよ」

「そういう……?」

「モテるよ、シヅキ。あとはその捻た性格を直して、もうちょっとオシャレしたら尚いいかも」

「訳分からん。俺のことは今どうでもいいだろ」

 

 どうも居心地が悪くなり、シヅキは後ろ髪を掻いた。

 

「……そういやよ、肝心のトウカはどこだよ。ソヨの方で色々と管理してるんだろ? まさか寝坊か?」

「んーん、あの子は今色々と手続きをしているとこ。役職が同じ抽出型への紹介とか、あとは諸々の契約書とかね。昨日のうちに出来なかったから」

「……なら、俺がここに来る時間もっとズラして良かったろ? そういう手続きって時間かかるんじゃねーのか?」

 

 シヅキがそう言うと、ソヨは明後日の方向を向いた。自然とシヅキの目線も彼女に釣られる。

 

「んーん。来たみたい」

 

 ロビーの奥の方。そこから一体の影が近づいてくる。

 ソレは真っ白の外套を羽織っていた。まるで、自身のことを全て覆い隠さんとばかりに。

 

「じゃっ! わたし行くから」

 

 それが見えた途端に、ソヨは駆け足で行ってしまう。真っ白の影と交差する時に挨拶を交わしたのが分かった。ソヨは相変わらずの笑みを浮かべたのに対して、影はぎこちなく頭を下げていた。

 

 ソヨが完全に通り過ぎた後に影は再び歩みを始める。小さな歩幅の彼女と目が合ったのは、シヅキが声を出した時だった。

 

「……よぉ、トウカ」

「ひっ……! シ、シヅキか……おはよう」

 

 ぎこちなく手を上げて挨拶をするトウカ。琥珀色の眼はシヅキを捉えて離さなかった。

 



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今日もまた

 

『マソチュウシュツ スタレノモリ セントウキロクテイシュツ ツギ』

『バショジョウホウツイキ マーク アカ ツギ』

『ジョウカタイショウ ヒトガタ ツギ』

『ケモノガタ ニゲロ イジョウ』

 

 ギギギと軋む昇降機の中で、シヅキが受け取ったのは一連のメッセージだった。それらに目を通した後、彼は『4件を受け取った。承諾』と返す。

 

「シヅキ、どうしたの?」

 

 トウカが首を傾げながら訊いた。やりとりは全てシヅキの体内で行われていたため、端からはただボーッと突っ立ってるように見えているのだ。

 

「……管理部からの連絡だ。浄化対象の位置とターゲットの情報。お前には届いてねーのか?」

「届かないというか、届けられないの。“コネクト”が済んでいないから」

「……あ? コネクト?」

「えっと、魔素媒介の意思やりとりのこと」

「通心か。 ……ああ、そうか」

 

 魔素を介して任意の相手とやりとりを行う……通心。汎用性と利便性ともに優れているが、これは誰もが行えるわけではなかった。シヅキも詳しくは知らないが、確か()()()()()()()()()()()()()()()()()だ。 ……つまり、辺境を訪れたばかりのトウカには通心を行えない。

 

「しばらく不便だな」

「……だから、シヅキには結構頼るかも」

 

 自身の顔の前で両手を合わせたトウカ。眉を潜めたその表情を見て、シヅキは溜息を吐いた。

 

「都合よく扱いやがってよ」

「ご、ごめん……そんなつもりは……」

「いいって。そうするべきだろうしな。俺が面倒ってだけだ」

 

 自身の後ろ首を摩りながら、シヅキは管理部から届いた情報をトウカに伝えた。コクコクと頷きながら聞いていたトウカが、口元に手を当てながら言う。

 

「やっぱり、獣形(けものがた)は大人数じゃないと難しいよね」

「中央部は獣ばっかだったんだろ。こんな少数での任務は初めてじゃないのか?」

「……うん」

 

 小さく首肯したトウカは背負っている錫杖の柄をギュッと握った。

 

「別に、やることは変わんねーよ。基本的に戦闘は俺がやる。トウカは索敵と魔素の抽出……これを頼む」

「うん」

「トウカから何か言っておくことは?」

「え?」

「俺が全部決める権利はねーだろ」

「そ、そっか……うーん」

 

 今度は顎元に手を添えるトウカ。しばらく考えて、考えて、やがて彼女が口に出した言葉は――

 

「……あまり無理はしないようにしてね」

 

 ギギギギギギギギ

 

 昇降機が大きく軋んだ。地上は近い。ポッカリと空いた穴を見上げながらシヅキは言った。

 

「……互いにやれることをやろう。今日はそれで及第点だろう」

 

 

 

※※※※※

 

 

 

 黒を黒で塗りたくったような闇に覆われた空の下。そこには相も変わらず白濁に染まった森が広がっていた。

 

 オドを出てすぐに飛び込んだそんな景色に、シヅキは辟易(へきえき)の溜息を漏らした。生きていないくせして、かつての自然と同じ形であろうとするこの森のことが、シヅキは嫌いだった。

 

 一方で――

 

「やっぱりすごいな……」

 

 バカみたいに森を見上げながら口をポカンと開けるホロウが一体。やはりこちらにもシヅキは溜息を漏らした。もはや、指摘を遠慮する理由はないだろう。

 

「こんなもの見て何が面白いんだよ」

 

 それを聞いたトウカがやっと顔を下げた。その表情はムッとしている。

 

「こんなに自然の形が残っているんだよ? すごく感動するし、観てて全然飽きないって」

「形だけな。形だけ。所詮生きてなんかいねえ紛いもんだ。くだらねえ」

「くだらないって……」

「もういいだろ。今日の任務は観光か? ……ちげえだろ」

 

 シヅキがそう言うとトウカは口を噤んだ。それを確認したシヅキが淡々と言う。

 

「マークは赤だ。今日の任務はその付近にいる人形(ひとがた)の魔人を浄化して、その魔素を回収することだ。ここまではいいか?」

「うん」

「そうか。じゃあ行こう」

「……あのね、シヅキ」

「んだよ」

「ちょっと言いたいことがあって。その……」

「いいから。話してみろよ」

 

 いつも以上に恐る恐るな様子のトウカ。自身の白銀の髪を触りながら彼女は言った。

 

「昨日は結構危なかったから……シヅキだけでも大丈夫なのかなって……」

「……」

 

 昨日の記憶をシヅキは思い浮かべた。ハッキリと思い出されるソレは……肉薄の距離まで迫ってきた魔人だった。ドゥという独特の鳴き声は未だに脳裏へこびりついて離れない。

 

………………。

 

「いや……」

 

 やがて首を大きく横に振ったシヅキが口を開いた。それはまるで、自分に言い聞かせるように。

 

「あいつは特殊な個人(こたい)だった。毎回、あんな奴とやり合うわけじゃねーよ」

「そうかも、しれないけど……」

 

 未だに心配そうにするトウカを尻目にシヅキは言う。

 

「……まぁ見てろって。俺はそんな(やわ)じゃねーよ。 ……魔人を刈るくらいしか俺に出来ることはねぇんだ」

 

 真っ黒のフードを被ったシヅキは、大きな歩幅で廃れの森を歩いていく。

 

「ま、待って……」

 

 トウカがそんなシヅキの後を追う。魔人刈りが今日もまた始まる……。

 

 

 



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篝火が導く先

 

 浄化型。それはアークに所属するホロウたちに与えられた役職の一つだ。

 

 浄化型がやることは単純だ。かつて世界を席巻したという人間……その末路である存在、魔人を刈る。ただそれだけだ。

 

 しかし、ひたすらに戦闘だけをこなす彼らのことを“それだけしか出来ない存在”として評定してしまうのは(いささ)か早計だ。そもそもの話、浄化型になれるのはその素質があるからな訳で。

 

 シヅキは意識を集中させる。イメージするのは、体内魔素が脈打つ感覚と魔素の流れ……それを操る。操って、放出する――

 

 すると――

 

 ボォ

 

 周りの空気が一遍にくぐもるような音とともに、シヅキの目の前には真っ赤な炎の塊が浮かび上がった。

 

「少し離れろ」

「う、うん……」

 

 トウカが1歩、2歩と後ずさったのを確認した後に、シヅキはその炎を自身から()()()()()。フヨフヨと浮遊する炎。それはまるで意思を持つかのように、シヅキの周りを悠々と回り続ける。

 

「……まさか、篝火(かがりび)は分かるよな?」

 

 シヅキがそう尋ねると、トウカは頬を膨らませながら答えた。

 

「分かるって、それくらいは」

「中央と辺境で環境がちげえんだ。俺の常識とトウカの常識が一致してるわけねーだろ。確認は必要だ」

「……確かに。そうかもだけど」

 

 尻すぼみに声が小さくなっていくトウカを置いて、シヅキは道の先を歩いていく。すぐに後ろから忙しない足音が近づいてきた。

 

 乾いた大地を踏みしめながら移動するシヅキ。先ほどまで周りを回っていた真っ赤な炎は、シヅキよりも1歩か2歩先をフヨフヨと浮かんでいた。まるで、シヅキたちを導かんとばかりに。 ……いや、実際にこの炎は導いているのだ。

 

 ――これをアークでは篝火と称していた。もちろんただの炎ではない。これは()()()()()()炎なのだ。というのもこの炎は魔素で構成されており、いわば“炎”の紛い物に過ぎない。

 

 魔素の塊である篝火。当然魔素を動力に動いているため、外側から魔素が与えることで動かすことが出来る。オド内部にある管理部はこの篝火を操作し、浄化型や抽出型のホロウたちを任意の場所まで移動させる。そのようにして、ホロウを遠隔から導かす媒介装置としての役割を果たすのが篝火なのだ。

 

 ではそもそも篝火とは一体なんなのだろうか? 突如としてシヅキの掌から現れた炎……その答えは至極単純なもので、その正体はシヅキの身体の一部に過ぎない。

 

 浄化型は自身の体内にある魔素操作に優れた者たちだ。身体を構成する魔素を動かすことにより、一時的に身体能力を向上させたり、身体の一部を切り離すことができる。大鎌や篝火がまさにソレだ。文字通り身を削り魔人共を叩く……ソレが浄化型の本質である。

 

 トウカがシヅキの顔を覗き込むようにして言った。

 

「……いつも気になっていたんだけど、篝火を出すのって疲れないの? 自分の魔素からモノを生成する感覚って私には分からなくて」

「別にまぁ。生成してるっつっても所詮は俺の一部だからな。篝火を消したら俺ん中に返ってはくるし、どちらかというと貸している感覚が正しい」

 

 シヅキがそう言うと、トウカの表情が歪んだ。

 

「身体を貸すって……ちょっと、分かんない。なんか怖いな」

「好きでやってんじゃねーよ。慣れだ慣れ」

 

 そうやって篝火を追いかけながら暫く歩き続ける。すると、白濁に染まった木々の連続は相変わらずだが、少しだけ地形に変化が見られるようになった。

 

「根っこが大きくなってる」

 

 足元の木の根を跨ぎながらトウカが呟いた。

 

「根っこというより、樹自体がな。北側は植物の肥大化が顕著だ。道の整備だって間に合ってねーし歩き辛いったらありゃしねえ」

 

 舌打ちをしつつ、シヅキは大木に蹴りをかました。ドンと音が鳴るとともに、白濁の葉が何枚か落ちてきた。

 

「それに……魔素の濃度が」

 

 口元に手を添えるトウカ。さすがに吐きはしないだろうが、シヅキにも彼女の行動が理解できた。

 

 やけに魔素の濃度が高い。身体中がジリジリと逆立つような感覚と意識のブレに襲われる。気を抜いてしまえばその場に倒れ込んでしまいそうだ。 ……そういうわけにもいかないが。当然のことだが、魔素の濃度が高いというのはいつもと状況が違うということだ。

 

――そして、状況が違うということは……

 

「っ……!」

 

 一瞬間、トウカの身体が跳ね上がったかと思うと、彼女は背中に提げていた錫杖を抜いた。

 

「シヅキ!」

「ああ」

 

 彼女が何を言わんとしているのかはすぐに分かった。シヅキもすぐに体内の魔素を脈立たせる。

 

「体内魔素の操作……急速はダメだから。適宜情報は伝えるからゆっくりね……!」

「……わーってるよ」

 

  軽く舌打ちをしつつ、シヅキは頭の先の先にイメージを浮かべる。ソレはいつだって同じだった。

 

「シヅキから見て右方向。数は二人。武装は大剣とダガ……短剣!」

「ああ……こっちも準備できた」

 

 トウカが叫ぶように言ったと同時に、シヅキの武装も完了した。手に握られたのは無骨で、禍々しい……漆黒に染まった大鎌だ。

 

 

 



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牙を剥く大鎌

 

 ブゥゥゥゥゥン…………

 

 魔素のノイズが体内を震わせる。震えは心臓から始まり、そこから各器官に伝播を重ねていく。そして最後には、皮膚を喰いちぎらんとばかりに全身を暴れ回るのだ。……シヅキはこの感覚が大嫌いだった。

 

 しかしそんな震えもずっとは続かない。もうやめてくれ、そう思うほどにノイズが大きくなった時……奴らは姿を現す。

 

「……魔人」

 

 すぐ背後にいるトウカにも聞こえない声量でシヅキは呟いた。

 

「…………」

「…………」

 

 目の前の空間が一瞬間だけ捻れた。白濁の木々とドス黒い空が混ざり合い、澱みきった灰色を浮かべる。そこから這い出るようにして2体の魔人が現れた。

 

 奴らは喋らない。代わりに武器を構えやがる。1体は骨ごと抉りとらんとする巨大な大剣を持つデカブツ。身長は2mあるだろう。もう1体は喉元を掻っ切るためだけに尖った短剣を持つ痩せぎす。シヅキより小柄だ。

 

 言語を用いた交渉なんて、存在しない。あまりにも理不尽な殺意がシヅキをブッ刺す。跡形の理性を失った魔人が闘う理由は果たして何だろうか? そんなものは知ったことではないが……

 

 ――シヅキもそれに応えてやる。

 

「大剣持ちからだ。速攻でやる」

 

 普段よりかなり低いトーンでシヅキは言葉を吐いた。無論これは、裏に居るトウカに向けたものだ。

 

 (おもむろ)にシヅキは武器を構える。空の闇にも負けないほどにドス黒い大鎌。何十、何百の魔人を刈りとった凶器……シヅキはその刃先を魔人共へと向けた。

 

「……殺す」

 

 その言葉と共にシヅキは駆けた。熱暴走を起こしているのではと言わんばかりに熱を帯びた身体。体内の魔素が脈打ち、疾走するシヅキを常識の向こう側へと連れていく。

 

 理性を失い、僅か程度の尊厳すら手放そうとする魔人。しかし、奴らは腐っても人間の末路だ。刃を交わす中で見出される知性は、時折“意表”という言葉を纏い顕現する。 ――ちょうど、以前に対峙した短剣持ちのように。

 

 だから、シヅキは策もなしに突っ込まない。汚らしく、泥臭く、搦手を用いる。彼の常套手段だ。

 

 無骨な大剣を構える魔人。真正面から接近するシヅキは、大鎌の矛先が魔人を捉える瞬間に、

 

 ザクッッッ

 

 ソレを地面へとぶっ刺した。

 

 しかし、それで助走の勢いが殺せるわけが無い。慣性に流されるシヅキの身体は、地面に刺さった大鎌を軸にして空中で弧を描いた。 ……そこから繰り出されたのは、遠心力を利用した渾身の蹴りだ。

 

「ラァ―――!」

 

 構えられた大剣の真横を掠め、シヅキの脚が全長2mはある魔人の頭上へと降りかかる。それは一切の容赦無く、魔人の脳天を直撃した。

 

「ギィィィィィィィィイイイ」

 

 その瞬間、今まで黙りこくっていたデカブツの魔人が声を上げた。頭蓋をひしゃいだ……脚に残る感覚にシヅキは確信を覚えた。痛みを感じないと言われる魔人も、存在(いのち)を危ぶむ大衝撃には怯まざるを得ない。

 無論、シヅキは追撃を仕掛けない。怯んでいるとはいえ、相手は魔人だ。反撃のリスクが高い。それに――

 

「――っ」

 

 痩せぎすの魔人……短剣を構える魔人が、飛びかかるようにシヅキとの距離を詰めてきた。身軽なフットワークながら、その動きはかなり大胆だ。

 

 ――それはそうだ。今、シヅキの手には鎌が握られていないのだから。

 

 デカブツの眼前に倒れる大鎌を横目で見やり、すぐに視線を戻した。痩せぎすとの距離は近い。短剣の射程範囲は目と鼻の先だった。

 

 シヅキは叫ぶ。

 

「トウカ!」

「うん!」

 

 シャン

 

 トウカの返事の後、鈴が揺れる音が辺り一面に響き渡った。ただ地面を杖で叩くだけで、こんなに音が鳴るものかとシヅキは舌を巻く。

 

「ジジジジ……」

 

 その音の後、痩せぎすの動きが完全に止まった。錆び付いた歯車のような声は、苦痛に歪んでいるように聞こえなくもない。当然だ。魔人は己の生命線である、()()()()()()()()()のだから。

 

 痙攣を繰り返す痩せぎす。それを前に、シヅキは自身の右手を胸前に突き出した。そして、心の中で念じる。

 

(来い)

 

 その一言の後、彼の手の中には大鎌が現れた。代わりに、デカブツの手前で倒れていたモノは跡形もなく消えている。

 

 シヅキは大鎌を構えた。その刃先は空を穿かんとする。

 

「ジジジジ……ジジ……ジジジジジ…………」

 

 未だ痙攣の連鎖に囚われ続けている痩せぎすの魔人。(いびつ)で奇怪な声で喚き続ける(それ)に、シヅキは一言こういった。

 

「すまんな」

 

 斜め下方向へと急速に落ちる大鎌。それは振り子のようにぐわんと揺れて、痩せぎすの首を捉えた。

 

ザシュ

 

 シヅキの耳に纏わりついたのは、肉と骨を抉りきった音だった。吐き気を催すゴミみたいな音だった。

 



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眩しい音

 

「ギィィィィ……ギィィィィ……」

 

 甲高い声で喚き続けるデカブツの魔人。その場に膝をつき、全くと言っていいほど動かない。頭蓋がひしゃげたからだ。唯一の武装である大剣すら手から滑り落ちていた。

 

「ギィィィィ………………」

 

 魔人共は皆、その身体に黒色の粒子を纏っている。だから顔とか身体つきとか……そういうものを確認することが出来ない。それに、粒子は人型を形成しているが、輪郭は酷く曖昧だ。だから、魔人と対峙するときには『人間』というより、『化け物』を相手にしている気分になれた。

 

 ――もし、魔人が似非人間(ホロウ)と同じ姿をしていたならば、シヅキは躊躇いなく鎌を振れるだろうか?

 

「ギィィィィィィ……」

「……ああ、止めを刺すよ」

 

 大鎌を振り下ろす。肉と骨を断った。

 

 今日もまた魔人を浄化した。2体浄化(ころ)した。

 

 

 

※※※※※

 

 

 

 抽出型。浄化型と同じく、アークにより与えられた役職だ。主な役割は浄化が終了した魔人から魔素の塊を抽出すること。その魔素を“解読”することで、“ホロウの悲願”は達成に近づく訳だから、結構重要な役割であろう。

 

 無論、その抽出においても素質が問われる。自身の魔素を自在に操れる浄化型に対して、抽出型は誰かの魔素を操ることが出来る。

 

『ジジジジ……』

 

 シヅキの頭の中で、つい先ほど浄化したばかりの魔人が鳴いた。トウカが鈴を鳴らした瞬間、奴はぱったりとその動きを止めたのだ。 ……トウカが、やつの体内魔素を弄ったからだ。

 

「あそこまで、足止めできるものなのか」

「……? シヅキ、どうかした?」

「何でもねーよ。 ……じゃあ浄化の方を頼む」

「うん……シヅキ、怪我は――」

「ねーよ。ねーから」

 

 無傷を証明するように、シヅキがバンザイの格好をとると、トウカはゆっくりと首を縦に振った。

 

「じゃあ、抽出するね。できれば話しかけないでもらえると助かるかも」

「ああ。あそこの木陰にいる」

「うん」

 

 トウカから十数メートルほど離れた白濁の大樹。その下にドカっと座り込んだシヅキは膝の上に頬杖をついた。

 

 向こうには錫杖を構えるトウカと、首の無い魔人が2体……奴らはその存在を終えようとしていた。

 

 魔人は……ホロウだってそうだが、その存在活動(せいめいかつどう)を終えた後、身体は跡形も残らない。その肉体は消失し、唯一魔素のみが空気中に拡散する。空気に希薄して無かったものになるのだ。

 

つい先ほど浄化を終えた魔人共も、5分もあればいとも簡単に消えてしまう。ほんとにあっけなく消えてしまう。シヅキの腕にはまだ肉と骨の感覚が残っているというのに。

 

「ハァ……」

 

 首を前に傾けた後、勢いをつけて後ろに倒した。ドンっと大樹に後頭がぶつかり、鈍い痛みが走る。

 

「……くだんねーこと、考えてんじゃねーよ」

 

 シヅキが思い出したのは先刻に発した自身の言葉だった。

 

『魔人を刈るくらいしか俺に出来ることはねぇんだ』

 

 ……じゃあ、それだけ考えろ。魔人の心理とか、素顔とか、感情とか……それは魔人を刈る時に必要な情報か? 要らない。一切要らない。なら求める必要は無い。そうだろう? 

 

 ……そうだ。トウカの“計画”とやらもそうなのだ。変に勘繰りなんて入れる必要は無い。そういう頭を使うとか、心理を読み解くとか……他の誰かにでも任せればいい。

 

 自分に言い聞かせた後、シヅキは大きく舌打ちした。

 

「監視……ソヨめ。なんで俺なんだよ」

 

 眉間に皺を寄せつつトウカに目をやる。彼女は錫杖を高々と掲げていた。素人目にもそれが抽出が始まる合図だと理解できた。

 

 トウカが杖を持つ手を僅かに振るわせた。すると――

 

シャン シャン シャン シャン シャン シャン

 

 鈴が鳴る。森の中に反響して鈴の音が響き渡る。反響するせいで音が残るくせして、トウカは鈴を鳴らし続けるため、音は何重にも重なる。

 

シャン シャン シャン シャン シャン シャン

 

 綺麗な音だとは思う。どことなく神聖で、気高さ? そんなものをシヅキは感じた。 ……ただ、いつまでもソレを聞いていたいのかと言われれば、シヅキは間違いなく首を振る。

 

 彼は自身の胸を押さえた。真っ黒の外套の上から強く握り締める。それだけじゃ足りなくて、舌を強く噛んだ。ジワジワと血の匂いが広がる。

 

「……なんだこれ」

 

 小さく呟いたシヅキの声は酷く弱々しかった。物理的に痛いわけじゃ無い。身体機能に影響が出ているわけでもない。ただ……胸が一気に締め付けられたような感覚に襲われた。

 

(眩しい……)

 

 決して、音に対して抱く感想ではない。でも、今のシヅキにはこの音をそう形容する他なかった。

 

 

 



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素直じゃない

 

「終わったよ、シヅキ。 ……どうしたの? 眠い?」

 

 額の汗を拭う仕草をしながらトウカが近づいてきた。彼女が手に持つ錫杖、その鈴の部分は淡く緑に光っている。どうやら魔素の抽出は上手くいったみたいだ。

 

「……」

 

 それを普段よりずっと細い目で捉えた後、シヅキは眼を閉じた。

 

「シヅキ……え、ほんとに平気?」

 

 シヅキの眼前にしゃがみ込むトウカ。彼女が心配そうに覗き込む一方で、シヅキは眼を閉じたままだ。

 

「シヅキ?」

「…………」

「……シヅキ?」

「…………」

「えい」

 

 呼吸が止められる感覚に、シヅキはその眼を大きく見開いた。見ると、トウカの小さな手がすぐ傍にある。 ……傍というか、ゼロ距離。鼻を摘まれているのだが。

 

「あ、起き……いてっ!」

「……てめぇ何やってんだよ」

 

 軽く指を弾いてトウカの額を小突くと、トウカは大袈裟に押さえ込んだ。

 

「だって、身体に異常もないのに起きないから……」

「自分で言ってたろ? 眠いのってよ」

「言ったけど! 言ったけど、ここで眠るのはどうなの……」

「……ちょっとそういう気分だっただけだ」

「き、気分で寝ないでよ」

 

 未だに額を抑えているトウカを余所にシヅキは立ち上がった。小さく息を吸って、吐く。 ……胸の締めつけはもう無くなっていた。

 

(何だったんだ、あれ)

 

 そんな疑問が頭の中に浮かんだが、シヅキはそれを振り払うように首を振った。今はこの疑問に固執する時では無いだろう。

 

 外套についた皺を伸ばしながらシヅキは言った。

 

「ここでの刈りは終わりだ。篝火の指示に従うが……トウカは動けるか?」

「……痛い」

 

 不貞腐れた声で呟くトウカ。

 

「そんな強く弾いてねーだろ」

「……釈然としないんだけど」

 

 トウカは琥珀の眼を細めながらシヅキを見上げた。その顔は「謝ってくれ」と言っている。まるで分かりやすかった。

 

(随分とまぁ、表情を出すようになったものだ)

 

 自身を取り繕っていたことを差し引いても、昨日の面の皮の厚さに比べればトウカはかなり砕けたように思う。別にそれが悪いことだとは思えない。シヅキからしてみても、へんに気を遣われるよりよっぽどマシだった。

 

「ハァ」

 

 小さく溜息を吐いた後にシヅキは言う。

 

「……悪かった。次からしねーようにする」

「ん、分かった!」

 

 シヅキの言葉を聞いたトウカは、何事もなかったかのように勢いよく立ち上がった。

 

「じゃあ次の場所に移動……だね」

 

 得意げに笑ってみせるトウカ。してやったりの表情を前に、シヅキは眉間に皺を寄せた。

 

「撤回するか」

「え」

 

 

 

※※※※※

 

 

 

 真っ赤に炎を灯す篝火。本物の“炎”とは異なり、全く熱くもないソレの後を追いシヅキとトウカは白濁の森の中を歩いていく。

 

 膝下まである木の根を跨いだところで、すぐ後ろを歩くトウカが呟いた。

 

「さっきまでよりも樹が大きくなってる……」

「……俺も、ここまでは久々に来たな」

「シヅキでもそうなの?」

「この辺りは魔人の数が結構多いんだよ。単独だとな、多少荷が重いんだ」

「え……それ」

 

 不安げに辺りを見渡すトウカ。無論、シヅキも警戒は怠ってはいなかった。

 

「……多分、今は大丈夫だけどな。魔素の濃度だって下がっている。こういう時は魔人は出づらい」

「でも、ゼロじゃないから……」

「出たら出たで刈るだけだ。むしろ、雑務型のホロウ共はそれが目的で俺たちを寄越してるだろ」

 

 後続のシヅキとトウカをお構いなしに篝火は前を進んでいく。

 

「シヅキ……ちょっと消耗してるから、できれば慎重に行きたい」

「あ? 俺は訊いたぞ。動けるかってな。トウカお前、行けるっつってたじゃねーか」

「そうだけど……」

 

 ギュッと錫杖を握りしめるトウカ。どこか煮えきらない態度のトウカを見てシヅキは小さく溜息を吐いた。

 

 怖気づいた……とまでは言わない。ただ、トウカが臆病な性格だということは、ほんの短い付き合いだが十分に分かっていた。後はまぁ、経験が無い極少数の任務ということもあるかもしれない。

 

(面倒だ)

 

 シヅキ1体なら何も躊躇うことはないのに。現れた魔人共を大鎌で打尽するだけだ。そこで傷つこうが、腕の1本を失おうが……浄化型としての責務を果たせたのなら及第点だろう。

 

 シヅキはゆっくりと振り返った。

 

「な、なに?」

 

 トウカと眼が合う。琥珀色の綺麗な眼だ。だからどうしたって話だが……ああ。

 

 シヅキは眼を伏せて言った。

 

「……少しルートを外れるが、この辺りに拓けた土地がある。起伏も少ねえ丘だ。完全に安全地帯ってわけでもねーが、森の中よりは身を休められる筈だ」

 

 最後にハァと大きく息を吐いたシヅキ。彼は意味もなく自身の後ろ首を右手で掴んだ。

 

「シヅキ」

「んだよ」

「ありがとね」

「……行くぞ」

 

 篝火を身体に戻したシヅキ。彼の歩幅は先ほどよりも少し広がっていた。

 



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理想論

 廃れの森はバカみたいに広い。それは、20年弱という期間を森に囲まれた施設で存在してきたシヅキが、全貌を知らないほどには。

 

 しかしながらそんな森においても……いや、そんな森だからこそ、身を休められるような地形の存在がホロウ間では周知されていた。

 

「この先だ」

 

 無数の枝葉を伸ばす白濁の木々。その間をスルリと抜けながら、シヅキとトウカは歩いていく。

 

「シヅキ、あれ……」

 

 後ろのトウカが何かに気づいたような声を挙げた。彼女を一瞥すると、その視線はずっと前方を見据えている。

 

「……ああ。あそこだ」

 

 先ほどまでの真っ白の大樹の連続とは異なり、ずっと前方には闇に覆われた空がその顔を覗かせていた。

 

「廃れの森の中には、ああいう何も木が生えてねえ空間ってのがいくつか存在する。理由は知んねーけどよ。なんかあった時の避難場所みたいなものだ」

 

 俺は殆ど使わねーけどな、と最後に付け足したシヅキ。瞬間、彼は魔素のノイズに変化を感じた。

 

 魔素のノイズは、魔人の出現でのみ変わるものではない。むしろ刻一刻とブレを生じさせている。そんなブレが絶え間なく起き続けている時こそが平常状態なのだ。

 

 しかし、シヅキたちが拓けた土地へと近づくと、一切ノイズのブレが無くなってしまった。不気味なほどの“静寂”……これにはトウカの脚が一瞬止まった。

 

「平気だ。ここの平常がコレなんだよ」

「……うん」

 

 森の出口まで足を進めると、視界の闇が酷く大きくなってくる。やがて、空の黒が真っ白の木々を覆い尽くさんとばかりに大きくなった時……その土地は全貌を露わにした。

 

 

 ――大きく心を揺さぶられる不思議な土地だった。

 

 

 真っ黒な空の下、白濁の木々に囲まれる拓けた土地。そこは少々の傾斜がある丘だった。見上げた丘の頂上には1本の樹がポツンと生えている。複雑に枝を伸ばし、無数の葉を纏った大きな樹だ。星だって、月だって……一切の灯りがないくせに、その樹は酷く目立っている。どうしたって眼が惹きつけられてしまうのだ。

 

 そんな樹の元へ(いざな)うかのように、丘には無数の花が咲いていた。花びらが大きなもの、小さなもの、背が高いもの、低いもの、寄り添い合うもの、ポツンと一輪……形も、大きさも、在り方も様々な花々。遥か遠くまで花は群生をしている。

 

「……」

 

 思わずシヅキは息を呑んだ。そうか……まともに訪れたのはかなり久々だが、ここはこんなにも…………

 

「シヅキ」

 

 茫然とそこに立ち尽くしていたシヅキは、自身を呼ぶ声で我へ帰った。

 

「どうした、トウ……え」

「すごいね……ここ」

 

 シヅキは思わず言葉を詰まらせた。隣に居るトウカを見て驚いたからだ。

 

「トウカ、お前……」

「え……?」

 

 大きく見開かれた琥珀色の瞳。その眼は透き通っていた。涙で濡れて透き通っていた。一度でも瞬きをしたら溢れてしまいそうなほどに。

 

「や、やだ……私……」

 

 自身が泣いていることに気づいたトウカは、溢れてくる涙を両手で拭おうとした。しかし、ボロボロとこぼれ落ちる雫は、そんなトウカの手を伝い地面へと落ちていく。目下の花びらが雫を受け、揺れた。

 

 やがてその場にしゃがみ込んでしまった彼女。その肩は、その背中は細かく震えている。絶え間なく聞こえる嗚咽だけが、闇空のもとを響き渡る。

 

「えっ……と」

 

 無論、普段から交友関係が少ないシヅキにはどうすることも出来ず、ただただ立ち尽くす他なかった。

 

 

 

※※※※※

 

 

 

 緩やかな丘をシヅキとトウカは登っていく。

 

 灰色の花々を踏みしめながら足を進めていくにつれて、丘の頂上にある樹が大きくなってきた。もしかしたらここまで来るのは初めてかもしれない……とシヅキは自身の記憶を振り返りつつ思う。

 

「……シヅキ、ありがとね。私のお願いを聞いてくれて」

 

 すぐ傍を歩くトウカが言った。

 

 お願いというのは、泣き止んだトウカが言ったものだった。曰く、丘の頂上まで行ってみたいと。吸い込まれてしまいそうな琥珀色の瞳を前に、シヅキは首を縦に振らざるを得なかった。案の定。

 

「……ああ」

 

 都合良く扱われることに慣れているシヅキは、半ば諦めの返事をした。

 

 やがて2体は頂上まで辿り着いた。そこから観える景色を一望する。

 

 とは言っても先ほど見た景色と何かが変わるわけではない。灰色の花々の群生と、その先には白濁した木々。頭上に広がるのは黒を黒で塗りつぶした空だ。 ……トウカはこの景色に何を思ったのだろうか? 何を思い、涙を流したのだろうか?

 

「ねぇ、シヅキ」

 

 しばらく無言で景色を眺めていたトウカがシヅキを呼んだ。今度は泣いてなんかいない。

 

「あのね、私思うんだけどね……えっと」

「……なんだよ」

「うん。あのね……変な話かもしれないんだけど」

 

 トウカは回り込んできて、シヅキの正面に立った。彼女は1つ深呼吸をした後にこんなことを言ったのだ。

 

 

「もし……世界が命を取り戻して……遙か昔のように生命が芽吹くようになったらね……ここから観える景色はきっと……すごく、すごく綺麗だと思うんだ」

 

 その口角を上げて、琥珀の瞳を輝かせて、そんなことを言ってみせたトウカ。一方でシヅキは何かを言うことはなかった。

 

 

 命を取り戻す……

 

 命を取り戻す、か。

 

 そうか。

 

 トウカはこの景色を観てそんな理想論を思っていたのか。

 



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募る苛立ち

 結局その後、魔人と対峙することはなかった。

 

 真っ赤に染まっていた篝火の炎はすっかり色を褪せ、真っ黒に変貌してしまっていた。シヅキは何も操作をしていない。これは、管理部からの通達を意味していた。「戻ってこい」と。

 

 丘を抜け、白濁の森の中を帰る。大股で黙々と歩くシヅキ。その一方で、トウカの足取りは落ち着きがないように思われた。左右に揺れたり、立ち止まったり、突然速くなったり……まるで浮かれているようで。

 

 それを見て、シヅキは真っ黒のフードの奥で顔を歪ませた。喉の奥でくつくつと笑う。

 

 

 ――やがて彼らはオドに辿り着いた。昨日と同じ手順で昇降機を動かし、シヅキとトウカはそれに乗り込んだ。

 

 ギギギと軋んだ昇降機が大きく揺れ動き始める。

 

「お疲れさま、シヅキ」

 

 昇降機の端で意味もなく底を見下ろしていたシヅキ。そんな彼に、トウカは優しげに声をかけた。

 

「ああ」

「無事に帰ってこれて、よかったね」

「ああ」

「私……こんな少人数の任務って経験がないからちょっと緊張してたの。でも……上手く出来て良かった」

「ああ」

「シヅキも怪我がなくて良かった……魔素の活性化も、今日は身体に負担があまりなさそうだったから、安心した」

「……ああ」

「あと、あの丘の――」

「……おい」

 

 饒舌に喋るトウカを遮ったシヅキの声は、自身でも驚くほどに冷たかった。

 

「…………疲れてんだよ。ちょっと黙っててくれ」

「え……あ、ご、ごめん」

 

 真っ黒のフードの奥から覗くようにシヅキはトウカを見た。その表情は悲しみというより困惑だ。それを見てシヅキは小さく舌打ちをした。

 

「……シヅキ、帰り道でずっと黙ってたけど、もしかして……機嫌……悪い?」

「……別に。いつも通りだろ」

「そう……」

「ハァ」

 

 隠すこともなくシヅキは大きく溜息を吐いた。 ……昇降機に重い沈黙が漂う。

 

「…………」

 

 何も話すことなく、頬杖をつくシヅキ。彼の頭の中には一つの光景が思い出されていた。つい先ほどのことだ。

 

 

『もし……世界が命を取り戻して……遙か昔のように生命が芽吹くようになったらね……ここから観える景色はきっと……すごく、すごく綺麗だと思うんだ』

 

 

(くだんねえ。本当にくだんねえよ)

 

 シヅキは苛立っていた。何故なのか……それはシヅキ自身も分からなかった。とにかく、あんなセリフを言ったトウカのことが気に食わなかったのだ。

 

 ギギギギギギギギ

 

 やがて昇降機が軋んだ。甲高い歯車の音がやけに耳に残ってしょうがない。

 

 

 

※※※※※

 

 

 

 昇降機を降りたシヅキとトウカを迎えたのは1体のホロウだった。

 

「おかえり〜シヅキ、トウカさん」

 

 その右手をひらひらと振りながら笑みを浮かべるソヨ。シヅキにとっては、今現在会いたくない相手だった。

 

「……ああ」

「た、ただいま……帰りました」

 

 2体の態度を前に、ソヨはその眼を細めた。

 

「なんでシヅキ、そんな機嫌悪いの?」

「……別に、悪くねーよ」

「うっそだ〜めちゃめちゃ悪いじゃん」

「悪くねーっつーの」

 

 その腕を前に組み、目線を逸らしまくるシヅキ。ソヨは怪訝な表情を浮かべた。

 

「……トウカさん、シヅキと何かありましたか?」

「え……いやぁ…………」

「……」

 

 ソヨは首を傾げる他なかった。

 

「まぁ、何はともあれ2体とも無事で良かったわ。今日は負傷もないのね」

「ええ。そう、ですね」

「うん。じゃあ今日はもう身体を休めて……と言いたかったんだけどね」

「……あ?」

「ちょっとそういう訳にもいかなくてね」

「……何か、用事があるんですか?」

 

 トウカが恐る恐るの口調で聞くと、ソヨはコクリと頷いた。その表情は先ほどまでより少し引き締まっている。

 

「コクヨさんからオドのホロウ全体に話があるのよ。悪いんだけど、すぐに着替えてまた戻ってきてくれないかしら」

「コク……ヨ?」

「あーそうでしたね。トウカさんは会ったことなかったですものね」

 

 ソヨが簡単にコクヨというホロウについて説明すると、トウカは「なる、ほど」と一言。

 

「シヅキも参加ね」

「……ああ」

「それまでにちゃーんと機嫌を直しておくんだよ?」

「だから俺は――」

「あーじゃあ私はお仕事あるから。詳細は後で通心するね」

 

 捲し立てるようにそう言うと、ソヨはそそくさとロビーの奥まで引っ込んでいってしまった。

 

「あの女……」

「えっと、シヅキ」

 

 振り向くとそこには上目遣いで見るトウカの姿が。まるでそれは顔色を窺っているようだった。

 

「……なんだよ」

「えっと……私のせいだったら、ごめん。機嫌悪いの。でも……理由が分からなくて」

「…………」

 

 頬をポリポリと掻きながら謝罪の言葉を口にしたトウカ。本当に恐る恐るの口調だ。分からないから、少しだけ触れて感色を確かめようとしているようで。

 

 しかし、そんな態度を取られると、余計にムキになってしまうのがシヅキというホロウだった。

 

「何でもねーよ。トウカには……お前には分かんねーよ」

「……どういう、こと?」

「……叶わねえ夢を見ようとして、虚しくなんねぇのか?」

「夢……? ねえ、シヅキ、はっきりと――」

「俺は部屋帰る。一度着替えたいからな」

 

 トウカの返事も待たず、地下階層へと向かうシヅキ。トウカは何度も制止の声をかけたが、ついにシヅキは振り返ることはなかった。

 



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大ホールにて

 

 部屋で着替えを済ました後にシヅキが向かったのは大ホールと呼ばれる場所だった。

 

 ロビー奥に設けられており、その名の通りかなり広い部屋だ。オドに所属するホロウ全員が集まったとしてもスペース的な余裕がある程度には広い。

 

 更に言えば、この部屋は横のみにならず縦……つまり頭上にも広かった。ロビーよりも高い吹き抜けとなっており、少し声を出すだけでもかなり反響する。よって、ホロウ全体への話がある時などにはよく使われる部屋だった。

 

 深くフードを被ったシヅキは例の如く、その奥からキョロキョロと周りを観た。

 

(……ほぼ全員だな)

 

 何十という規模のホロウたちがそこには居た。ホールの中央部で立つ彼らは、特に騒ぐ様子なく、だからって黙っているわけでもない。仲のいい奴らでつるみ合って、小さく談笑していた。

 

 一方でシヅキは中央部には向かわずに、ホール隅の壁へと向かう。そこに背中をドンと押しやり、腕組みをした。そして眼を瞑る。彼は誰かと話すことなく、ただその時をじっと待っていた。 ――何故なのか? 彼には仲のいいホロウが極端に少ないからである。

 

(早く始んねえか)

 

 心の中でシヅキは吐いた。

 

 その矢先、ホールの入り口付近が少々騒がしくなっていることに気がついた。談笑の類とは別の……何というか、ヒソヒソと隠すような声だ。

 

 壁に沿うようにホールを移動する。入り口に眼を向けたシヅキの口から「あ」と声が漏れた。

 

「あいつ……」

 

 その両手に細長い棒を持つホロウが1体。誰かを探しているのか、それともホールを見渡しているのか、キョロキョロと首を動かしていた。その度に印象的な白銀の長い髪が靡く。

 

 シヅキは、その大きな琥珀の瞳に見つからないようにフードを更に深く被った。そして小さく舌打ちをする。

 

 ロビーでほぼ無視するかのようにトウカと別れたシヅキ。その後は何の接触もしようとはせず……というよりトウカと会うことを避けていた。 ……何となく、今の自分自身が話すべきではないと思ったからだ。

 

「ねぇ、あんな子……オドにいたっけ?」

「さあ? 知らない顔だ」

「何型かな?」

「杖持ってるし、抽出じゃないだろうか? つーか大ホールは武装禁止のはずなんだがな」

 

 近くにいた2体のホロウたちの会話がシヅキの耳に入ってくる。見ると、彼らの表情には困惑が宿っていた。悪く言えば、異物を眼にした時のアレだ。

 

「…………」

 

 改めて、入り口付近を見る。周りのホロウはトウカに話しかけるわけでもなく、だからと言って完全に無視するわけでもない。遠巻きにその様子を眺めるだけだ。そのトウカと言えば、相も変わらず入り口からは動いていない。ただずっと……何かを捜すようで。

 

 シヅキは自身の頭を掻いた。強く、強く掻いた。酷い居心地の悪さが彼の中に渦巻いていた。

 

(バカめ……ほんと。何を拘ってんだよ)

 

 徐に眼を閉じ、でもすぐに開いた。腹の中でゴロゴロと蠢く感情はどうしたことか? すっぽり収まるスペースなんて有りやしない。ズキズキと心がトゲなんかに刺される感覚に襲われる。

 

「怠いな」

 

 鋭く息を吐きながらシヅキは呟いた。その脚を動かそうとする……その時だった。

 

「只今より、新地開拓大隊の隊長を務めたコクヨによる話を始める! 皆、ホール中央に集まるように!」

 

 ホール奥の壇上になっているスペースから、1体のホロウが大きな声でそう言った。あのホロウは見たことがあった。コクヨとの関わりが深い奴だ。

 

 流石にそのように声をかけられてしまえば、指示に従わざるを得なかった。周りのホロウ共だって一切の私語をすることなく、黙って中央へと歩いていく。

 

 シヅキは眉間に皺を寄せた後に、ハァと溜息を吐いた。当然その脚は入り口とは異なる方向へと向かう。

 

 間も無くして、ホールの中央部には数十というホロウが集まった。それを確認した後、壇上の眼鏡をかけたホロウが言う。

 

「急な呼び出しにも関わらず、迅速に集まってくれたことに感謝する! 本日は、昨日の新地開拓に関して、隊長を務めたコクヨより話がある。心して聞くように! ……では」

 

 鋭利な声色でホロウたちに呼びかけた眼鏡。彼が壇上から退くと、すぐに別のホロウが歩いてきた。長い黒髪を後ろで一括りにした、眼帯のホロウ……彼女は小さく咳払いをした後にその口を開いた。

 

「昨日まで新地開拓大隊を率いていたコクヨだ。久方の者も多いな。直接は新地開拓に携わっていない者も多いだろうが、どうか心して聞いてほしい」

 

 淡々と述べるコクヨ。その漆黒の瞳からはどのような感情なのかが掴めない。シヅキには、彼女がホロウを見渡しているようにも、あるいは虚空を見ているかのようにも見えた。

 

 ――そんなボヤけた雰囲気だからこそ次に続くコクヨの言葉は、より衝撃的だった。

 

 一息吐いてコクヨは言う。淡々と言う。

 

 

「まずは単刀直入に言おう。魔素の多量流出により3体のホロウが消滅した(死んだ)。 ……魔人にやられた」

 

 



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“絶望”

 

 コクヨの言葉の後、ホール内は一時ザワついた。節々からホロウ達は声を上がる。

 

「また消滅したのか……」

「相手は誰だ? 獣形だろうか?」

「魔素の多量流出ね…………」

「ただでさえホロウの数が足りないのによ」

「でも魔素の抽出は上手くいったのだろう? なら……」

 

 シヅキはフードの中で軽く舌打ちをした。

 

(うるせーな)

 

 流石に声には出さなかったが、どうやらシヅキと同じことを思っていた者がいたらしい。

 

「静粛に、静粛にしろ! 話の腰を折るな」

 

 先程のメガネをかけたホロウが、偉そうに腕を組みながら言った。ザワつきはすぐに収まっていく。

 

 すっかり静寂に包まれた後、コクヨは一つ頷きこう続けた。

 

「……話の続きだ。昨日、新地開拓の大隊は不侵領域に設定されている“棺の滝”へと出向いた。目的は新たな魔人の捜索と、ホロウの活動範囲の拡大のためだ。だが皆も知っての通り、不侵領域に設定されている地域は特に魔素が濃い。つまり、強力な魔人の数が多いということだ」

 

 シヅキは昨日のコクヨの言葉を思い浮かべた。 ……そうだ、コクヨが率いる大隊は獣形と戦ったのだ。

 

 彼女は話を続ける。

 

「我々は計3人の獣形と会い(まみ)えた。1人は四足歩行で動き、大きな牙を持つ魔人。1人は人形と同様の二足歩行だが、全身を毛で覆った魔人」

 

 それぞれの姿を、シヅキは思い浮かべてみた。確か古い文献でそのような形状の生き物の存在を見たことがある。何だったか……その名前が出てこない。

 

(どうでもいいか)

 

「そして……」

 

 コクヨは軽く息を吸い、ゆっくりと話す。

 

「もう1人は……脚が無かった。手も、顔も無かった。かつての人間や我々ホロウ達とは似ても似つかない姿をしていた。全身を支える太い脚部のような器官と、細く(しな)う腕部のような器官。顔部は肥大化を繰り返した結果なのか、まるで膨張をしていた。我々は……ワタシの大隊に居た3体は、その魔人にやられた」

 

(昨日の……ヒソラの元へ運ばれていた奴か)

 

 医務室から出た直後のシヅキは、担架を担ぎ、焦燥に塗れたホロウ達とすれ違った。あいつは間に合わなかったのか。それに、2体はもう……運ばれることすらなかったのか。

 

 コクヨは話を続ける。シヅキの心情など考える筈がなく話を続ける。

 

「今の説明で、皆も気づいたろう。我々が対峙したのは……魔人の中でも最も危険性が高い、植物と成った者だった」

 

 “植物” ……コクヨが発したその単語を、周りのホロウは微かな声で反芻した。

 

 人間の末路……魔人。彼らは皆が同じような姿をしている訳ではない。体格や武装の差はもちろん、人という形状すら放棄した者もいる始末だ。そんな彼らのことは“獣形”と一括りに呼ばれていた。

 

 では獣形が皆共通した姿をしているのかと言われれば、そう言う訳ではない。そもそも“獣”という、広範の生物を内包する言葉を彼らに当てはめているのは、その姿が十人十色だからだ。移動する際の脚の本数、体の器官が存在する位置、有している知能……その違いは多岐に渡る。

 

 そんな獣形の魔人の中で、最も殺傷力に優れている者……平たく言えば、最強と謳われる者こそが植物の形をした魔人だった。

 

「そうだ。過去に幾多のホロウを葬ったとされる植物形状の魔人。我々はソレに対峙し、戦い、痛手を負い、撤退を余儀なくされた。未だソレは存在をしている。棺の滝付近を徘徊しているだろうな」

 

 淡々と、本当に淡々と話すコクヨ。そうやって事実だけを簡潔に伝えるからこそ、現実味が強い。

 

(昨日俺と話したコクヨは……植物形状の魔人と戦った直後だったか)

 

 珍しくコクヨが笑ったあの記録(きおく)を思い出した。あの笑みは……どうだったか。心の底から笑っていたのだろうか。

 

(何にせよ……エグいのが出やがったな)

 

 シヅキは上歯と下歯を噛み合わせた。ギギと軋むほどに噛み合わせた。

 

「今回、緊急でホロウたちを集めた主な理由は、先ほどの通りだ。万が一の話だが、廃れの森等の地域で植物形状の魔人と出会った時はすぐに管理部に連絡。そして、逃げろ。徹底を頼む。 ……我々は、植物形状の魔人を“絶望”と呼ぶことにした」

 

(絶、望)

 

 イカれてる名前だ。

 

「絶望……」

「辺境の地で……植物形状が……」

「これは、なかなか……」

 

 案の定、ホロウ達の口からはそのような言葉が漏れた。彼らの表情は不安、困惑、恐怖のうち一つ、あるいは全てだ。

 

 すっかりホールの中の雰囲気は負に押し潰されていた。それこそ、絶望と形容できるような雰囲気だ。

 

 そんな中でシヅキは一つの未来を想像した。最悪の未来だ。

 

(もし……“絶望”に見つかったら。戦うことを余儀なくされたら……俺は消滅するのだろうな。跡形もなく、身体を失うのだろうな)

 

 シヅキは眼を閉じた。それはまるで、何もかもを拒絶するかのように。

 



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ホロウの悲願

 

「何も、悲観するだけの話ではないだろう」

 

 すっかりと落ち込んだ空気の中、そのように切り出したのは、他でもないコクヨだった。

 

 眼帯で隠れていない左眼でホール内のホロウ全体を見渡して、彼女は言う。

 

「魔人は、強大であればあるほど有する魔素は質が高い。つまり、“絶望”を穿(うが)ちさえすればそれ相応の対価を得られるということだ」

 

 コクヨは徐にその指を動かし、やがて1体のホロウを差した。

 

「そこのお前。なぜ我々ホロウは、人間の末路である……魔人に刃を向ける?」

「そ……それは……」

 

 完全に怯んだそのホロウ。しかし、彼はぎこちなくだが言葉を紡いだ。

 

「それは……人間を復活へと導くため、です」

「そうだ。悪いな急に」

 

 コクヨがその腕を下ろすと、男性ホロウは胸を撫で下ろした。

 

「我々は、かつて世界を生きた人間を復活させるために活動するホロウの集団、アークだ。そのために、ホロウが持つ能力を最大限に発揮しているな」

 

 再びコクヨは指を動かした。次に差されたのは、シヅキの隣に居たホロウだ。

 

「そこのお前。アークの中のホロウはどう分類される?」

「ま、魔人を倒す浄化型と魔素を回収する抽出型……そして、回収された魔素の持つ様々な情報を理解可能にする解読型……です」

「もう1つあるだろう?」

 

 やけにコクヨの声は冷たく聞こえた。

 

 指差されたホロウは、その顎を震わせながら返答する。

 

「そ、そんなホロウたちをサポートする……雑務型です」

「そうだな。我々は大別して4つの役職を軸に動いている。そして――」

 

 今度は指を下ろすことなく、別のホロウを差した。コクヨは問いかける。

 

「何故、魔素を操作する行為が人間の復活へと繋がる?」

「……それは」

 

 差された指の先を見据えて、シヅキは答えた。

 

「魔素という存在が持つ性質にあります。魔素は、()()()()()()()()()()()()()()()。つまり、かつての人間が有していた記憶……それが魔素の中には吹き込まれているということです。魔素が有す記憶を読み解くことにより、俺たちホロウは生きていた頃の人間が有した記憶を得ることが出来ます」

 

 シヅキは一度、口内にたまった唾液を飲んだ。

 

「魔素は記憶の内外出力のみならず、“可視化”と“形成”を行える。つまり、物質の形を作ることが出来ます。俺たちは……ホロウの身体はその賜物(たまもの)です。辛うじて()()()()()人間が存在した生命末期の時代に、ホロウは、人間の手により魔素から創造されました。 ……人間の代替として」

「話がずれているな」

「あぁ、すみません。 ……現在のホロウは魔素が持つ“形成”の性質を利用し、人間そのものの創造を目指しています。しかし、ホロウの身体が魔素のみで出来ている一方で、人間はそうじゃない。だからホロウは今、()()()()()()()()()()()()()()()()

「もういいだろう」

 

 シヅキがそこまで言ったところで、コクヨは話を打ち切った。

 

「十分すぎる答えだ。ありがとう、シヅキ」

「あぁ……はい」

 

 まさか名指しでお礼されるとは思わず、シヅキは一瞬たじろいだ。

 

「そうだ。先ほど説明があったように我々は今、魔素から魔素以外のものを“形成”しようとしている。炭素、水、塩……他にもあるが、かつての人間を構成したそれらの物質を造り出そうとしているのだ」

 

 コクヨの言葉に対して、ホール内のホロウが一斉に頷いた。

 

「人間の創造へ活用する……そのために、我々ホロウは質の良い魔素を必要としている。しかし、空気中を漂う魔素は空気に希薄、或いは他の魔素と混合し煩雑に絡み合っている。つまり、それ以上に“形成”の仕様がないということだ」

 

 コクヨは再び指を動かした。1体のホロウがその餌食となる。

 

「これで最後だ。お前に問おう。では、どのようにして“形成”が可能な魔素を回収する?」

 

 指の方向はシヅキから少しだけ逸れた箇所だ。具体的には、シヅキの1つか2つ奥……

 

「ま……魔人は――」

 

 その声を聞いて、シヅキの口が「あ」の形に歪んだ。

 

(よりによって、トウカかよ)

 

「魔人は……人間の身体が魔素を取り込んでしまい、歪みきった存在……です。だ、だから……人間を形成するために最も有力な記憶を持っています! だから……いや、それに? それに、魔人を形成する魔素はこ、固体です。よって、空気に希薄していることも……あ、ありません!」

 

 常時上擦りの声で、どもりまくったトウカ。シヅキの口からは思わず「うわ」と漏れ出た。

 

「……ああ。そうだな。ありがとう」

 

 しかしながらコクヨはそのことを気にする素振りすら見せず、ただ一つそう返した。

 

「先ほどまでワタシが尋ねたことは全て、アーク内のホロウで共有されている常識だった。何も、君たちが本当に理解しているのかを試したつもりはない。ただ、改めて思い返して欲しかっただけだ」

 

 言い切った後、鋭く息を吐いたコクヨ。彼女は再び指を動かした。しかし、それはホール内のホロウへ向くことなく、頭上へと差し出される。

 

 間も無くして、彼女が伸ばした手には一本の刀が造られた。体内の魔素から行われた剣の生成だ。

 

 長物(ながもの)の剣をホロウに突きつけながら、コクヨは言う。

 

「我々ホロウの目的は何だったか……それは、人間の復活を目指すことだ。そのために我々は、かつての人間であった魔人に刃を向ける。魔素を回収し、人間の復活へとにじり寄るのだ。その為であれば、己が存在など惜しくはない。全ては人間の為に……我々は全てを差し出すだけの覚悟がある。そうだろう!」

 

 コクヨの声は大ホール内にこれでもかと響き渡る。腹の内側から響く、力強い声だ。

 

 ホール内のホロウもそれに負けないように、「はい!」と返事した。

 

「我々ホロウの存在意義は! ホロウの為にある筈がない! 全ては、創造主たる人間の為だ! それが達成されるならば、後はどうでもいい筈だ! 人間の復活こそが“ホロウの悲願”なのだから!」

 

 再びホール内に「はい!」という返事が響き渡る。シヅキも便乗して言う中で、彼の意識は他のところにあった。

 

(ホロウの悲願……)

 

 口内で反芻したコクヨの言葉。シヅキはそれを飲み込もうとした。しかし、どうもつっかえてしまう。唾液と一緒にして、強引に飲み込んだ。

 

(……そうだ。ホロウの悲願。それだけ考えろよ)

 

 浄化した魔人の姿を頭に浮かべながら、シヅキはそう思った。



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嘘だよね?

 

 コクヨの話が終わり、解散となった。

 

 続々とホール出口へと向かうホロウたち。シヅキもその中に幽霊のように紛れ込んでいたが……

 

「シヅキさん」

 

 その声がハッキリと聞こえてしまった。ほとんど反射的に首を向けると、琥珀色の瞳と眼があってしまう。

 

「……トウカ」

「少しだけ、お話宜しいですか?」

 

 ぎこちない言葉遣いとともにトウカはそう言った。 ……周りからは多くの眼を感じる。見知らぬホロウが一匹狼(シヅキ)なんかに話しかけているからだろう。遠慮のない周囲の視線がシヅキを刺していた。

 

(狙って話しかけたか?)

 

 このタイミングであれば、シヅキは対応せざるを得ないとでも考えたのかもしれない。 ……いや、そこまで頭が回るだろうか? 何にせよ、ぞんざいに扱えないことは確かだった。

 

「……ああ」

 

 

 

※※※※※

 

 

 

 トウカというホロウは変に目立ってしまう。白銀色なんて髪色は珍しいし、身長が低いくせして長物の武装をしているのだから。シヅキも周りからジロジロと見られ続けることは、当然本望では無かった。

 

「よいしょっと……」

 

 変な掛け声とともに、トウカがベッドへと腰掛ける。誰のベッドか? ……シヅキのものだ。

 

「ハァ」

 

 小さく溜息を吐いたシヅキ。結局のところ、話し合いの場としてシヅキの部屋がちょうどいい落とし所となってしまった。

 

「ごめん、シヅキ。今日もお部屋借りちゃって……」

「別に。 ……で、話って何だよ」

 

 早速シヅキがそう切り出すと、トウカは「うん」と頷きつつ俯いてしまった。暫くそうした後にゆっくりと顔を上げる。

 

「その……しつこいかもしれないんだけど、やっぱり気になっちゃって。今日の任務が終わった辺りから……シヅキ、あんまり機嫌が良くないかなっ……て」

「……」

「そのっ! やっぱりチームだから……こういう問題はちゃんとした方がいいかなって……」

 

 尻すぼみに小さくなっていくトウカの声。何となく、そこに恐怖感を抱いていることを感じとった。……だからこそシヅキはズキズキと心が痛む感覚に襲われるのだが。言い換えればそれは罪悪感だ。

 

「……」

 

 トウカからしてみれば、たまったものではないか。気がつくと隣のホロウは勝手にツンケンとしていたのだから。自分に落ち度なんて考えられない訳で。 ……そうだ。俺は丘の上でトウカが放った発言……それに感じた漠然とした気に食わなさをずっと引き摺っているのだ。

 

(なんて幼稚なんだ、ほんと)

 

 自身に対して大きく溜息を吐いたシヅキ。出来るだけ口調柔らかに言葉を紡ごうとする……

 

「いや、俺は――」

 

 その時だった。シヅキの中にジワリとノイズが走る感覚が襲った。その感覚は、何度も経験をしたことのあるものだった。

 

小さく舌打ちをしたシヅキが呟く。

 

「今かよ」

「……どうしたの? シヅキ」

通心(つうしん)だ。しかも、ホロウ全体へ一斉に行われてやがる」

「いいよ。先にそっちで」

「……ああ」

 

 ホールの時といいタイミングが悪い、と思いつつシヅキは魔素情報を読めるように形を変える。

 

「雑務型からだ。読み上げる」

「うん」

「ツイキ ヒトガタホロウ トクシュコタイ ホウコク アリ ジョウカ チュウシュツ トモニケイカイ イジョウ」

「これって……」

「ああ。俺が報告上げた個人(こたい)だな」

 

 昨日戦った人形(ひとがた)のホロウ。異様に知能の高い個人(こたい)だったことをソヨに報告していたが……どうやら、既に上へと話は通っていたらしい。

 

「コクヨさんのお話でもあったけど、魔人の動きが……おっきいね」

「昨日、今日の話だ。何なんだろうなほんと」

「植物形状の魔人ね、中央に居た頃に何人か見たことあるの。 ……たくさんの、ホロウが消滅した」

 

 下唇をギュッと噛みながら語るトウカ。もしかしたら知り合いのホロウがその中にいたのかもしれない。

 

「……面倒なのが出たな」

 

 頬杖をつくシヅキ。彼の頭の中はトウカに述べる言葉ではなく、コクヨが発した“絶望”についてでいっぱいになっていた。それはトウカも同様のようで、その小さな手を握り拳へと変える。

 

「きっとまた、たくさんのホロウが消えちゃう」

「仕方ねえよ。コクヨだって言ってたろ? 俺たちは……ホロウは、人間の為にその存在を懸けねえとならねえんだ」

 

 シヅキは自身の掌に眼を移した。ソレは今まで多くの魔人を浄化(ころ)した掌だ。何十、何百という単位の魔人を。 ……そう、全ては――

 

「ほんとに」

 

 やけに大きなトウカの声にシヅキの肩がビクッと跳ねた。見ると、トウカがまっすぐシヅキのことを見ていた。琥珀の瞳がシヅキを捕らえて離さない。

 

 

「ほんとに……そうなのかな。人間の為なんて」

 

 

 要領を得ないトウカの呟きに、シヅキは首を傾げた。

 

「何が言いたいんだよ」

「……中央の時も、同じだった。全体の指揮をとっていたホロウも、同僚のホロウも、街に暮らすホロウたちだって、皆が『人間の為に』なんて言った。その為に、たくさんの魔素を流して、たくさん消滅して、昨日まで居たホロウはもう居なくて……そんなのが当たり前だったの」

「……トウカ?」

「でも、私は思うの。人間の為になんて……そんなのおかしいよ。ホロウは……ホロウにだってちゃんと意志がある! 怖いものは怖いし、痛いものは痛い。それなのに、何で私たちは私たちのことを第一に思えないの?」

「やめろって」

「だって……」

「トウカ!」

 

 ドン、とシヅキは机を叩いた。激情するトウカはその口を塞ぎ、静寂が場を包み込む。

 

 シヅキは長く溜息を吐いた後、静かに言葉を放つ。

 

「……それは、全てのホロウへの冒涜だ。ホロウの在り方を全部否定したんだよお前は」

「……シヅキだって、魔人を刈るのは嫌でしょ? 苦痛に思ってるよ」

 

 トウカの言葉に対して、シヅキは大きく表情を歪ませた。

 

「勝手に決めんなよ。俺はただ……与えられた役割をこなすだけだ。魔人の刈りだって……苦痛なんかじゃねえよ」

「嘘だよね?」

「あ?」

 

 眉間に皺を寄せてトウカを睨み付ける。しかし、気弱なトウカは眼を背けなかった。

 

「嘘だよ……だってシヅキ、魔人を浄化した後すごい苦しそうな顔をしてた」

「黙れ」

「自分に言い聞かせてるんだよね? 魔人を刈らないとって」

「黙れ!」

 

 再びドンと机を叩いたシヅキ。今度はそれに収まらず、その場に立ち上がった。

 

 肩で呼吸をしながらシヅキは言う。自重や遠慮なんて言葉はシヅキの中からすっかりと飛んでいた。

 

「何が気に食わなかったのか今分かった。 ……トウカてめぇ、お前は自分のことしか考えてねえんだよ。世界が命を取り戻すなんて理想論語ってよ。そんな叶わねえ夢を想像していい気になってんだ。おまけに何だ? 人間の為にあろうとするホロウを否定するのか? 傷心が辛いからってよ。 ……甘えてんじゃねえよ。現実を見ろよ。ホロウが取れる選択なんて他に何がある? もしそんな思想を他のホロウの前で語ってみろ。 お前の居場所なんてもうねえぞ」

 

 頭の片隅ではもうマズいなと思っていたことは確かだ。でも、止めることなんて出来なかった。

 

「それに、俺が魔人の浄化を苦痛に思ってるってか? 勝手に決めつけんなよ。勝手に推し量ってんじゃねえよ。てめえが俺の気持ちを決める権利なんて、そんなものある訳がねえだろ!」

 

 怒気が篭ったシヅキの声。それは静かに、しかし確かに大気を震わせた。再び訪れたバカみたいな静寂を前にシヅキは自身の頭を強く掻く。

 

 そして最後に言葉を吐いた。

 

「……もう帰れよ、お前。帰ってくれ」

 

 ――その後、トウカが何か言葉を呟いたか、それとも無言のままだったか……それは分からない。ただ気づいた時にはポツンと1体、シヅキだけだった。

 

 



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変な子

 

 目の前に並ぶ2体を交互に見やった後、茶色の癖っ毛が印象的なホロウは露骨に怪訝な表情を浮かべた。

 

「……あなたたち、何があったのほんと」

 

 サポートが主な役回りの雑務型……その1体であるソヨは、心底呆れた声で訊いた。

 

「シヅキとトウカさん……2体がチームを結成してから数日が過ぎて、そろそろ慣れだしたかなー? なんて思っていたけど。蓋を開けてみたら、あらあらまあまあ」

「……チッ」

「あー! 今シヅキ舌打ちしたよね? いいのかなー? ソヨさんにそんな態度とっちゃって」

「うっせーよ黙れ。虫酸が走んだよ!」

 

 ドスの効いたシヅキの声はオドのロビー中に響き渡る。2Fの連絡通路から数体のホロウが覗き込んだ。

 

「……クソがよ」

 

 吐き捨てるように言ったシヅキ。彼が頭上を睨み付けると、すぐに野次馬たちは顔を引っ込めた。

 

「シヅキねぇ、もうちょっと低圧的な態度にしてくれない?」

「あ? 低圧?」

「高圧的の対義語。雑務型の中で流行ってるのよ。嘘だけど」

「……今日の任務はこなしてんだ。俺はもう帰んぞ」

「ちょっと、シヅキさぁ」

「……付き合ってやる義理はねーんだよ」

 

 漆黒のフードを目深にかぶったシヅキ。睨むようにしてソヨを見た後に、そそくさとロビー奥へと消えていってしまった。

 

「あー……もう」

 

 額に手を当てて、首を横に振るソヨ。シヅキを呼び止めることも諦めてしまったようだった。

 

「……ごめんなさい」

 

 そんなソヨを見て、小さな声で謝罪するホロウが1体。両手にギュッと握られた錫杖は小刻みに震えていた。

 

「初めにオドを訪れたときは、あなたたち……相性は悪くないかなって思ったんですけどね」

「あまり、良くなかったみたいで……」

「今のシヅキはちょっと会話出来ないみたいで。厄介なんですよ。あそこまで怒ってしまうと」

 

 そう言いながら、シヅキが消えていったロビー奥を一瞥したソヨ。視線を戻した先にあったトウカの表情は、今にも泣き出してしまいそうだった。

 

「私の、せいで」

「トウカさん……」

 

 すっかりと、どんよりしてしまった雰囲気。ソヨは自身の頬をポリポリと掻いた。

 

(どうしたものかなぁ)

 

 心の中で呟いたソヨ。こればかりは2体の問題であろう。雑務型という役職は、他の型のサポートはすれど、個人間の友好関係にまでは踏み込まない。

 

 トウカから提出される魔素は、他のホロウと比べて別段少なすぎる訳ではなかった。魔人を浄化して、魔素を回収する……そんなやるべきことはやっているわけだ。任務の遂行に支障は出ていない訳だから、ソヨとしては、2体の問題に我関せずの態度を取ってしまっても問題ないわけだが。

 

「……」

 

 改めてトウカを見た。白銀の髪が少しだけ掛かった琥珀色の瞳は、ひたすらに足元を見つめている。 ……というよりは前を見られないのかもしれない。本当にシヅキとのことについて落ち込んでいるのだろう。

 

(いい子なんだろうなぁ)

 

 それは、数回会話を交わした程度のソヨにでも分かることだった。そこに関しては演技でも何でもない、性格なんだろうなと。

 

 ――だからこそ、企みを抱きオドへとやって来た彼女の動機が気になるのだが。

 

ソヨは、トウカが溢してしまった“あの言葉”を思い出しながらそう思わざるを得なかった。

 

「ハァ」

 

 どこかの誰かのように溜息を一つ吐いたソヨ。兎にも角にも、対話しなければ分かるものも分からないだろう。

 

「……変な子が入ってきたなぁ」

「え」

「あ、やば。口に出てた」

 

 ソヨは口元にサッと手を当てたが、当然それは意味のある行為ではない。ソヨを見上げるトウカの表情は訝しげだ。

 

 そんなトウカを見て、ソヨは明るい口調でこう提案した。

 

「トウカさん、少しだけお話しましょうか」

「お、お話ですか?」

「ええ。 ……ですが、雑務型は個人間の問題まで踏み込むことはできません。プライバシーと呼ばれるもののせいで、です。なのでここは業務をサボろうかと思います」

「え……?」

 

 呆気にとられたようで口を半開きにしたトウカ。それをを気にすることもなく、ソヨはトウカの手を強引にとった。そしてニッと笑う。

 

「ガールズトークでもしようか! トウカちゃん」

 

 



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シヅキというホロウ

 

 ホロウとは魔素が有す“形成”の性質により造られた人間の模倣である。

 

 人間と限りなく近しいが、決して人間ではない()()()。その原点は人間により造られたものであったが、今現在はホロウ自身の手により造り出されている。目的は何か? ホロウの繁栄を目指す為だろうか?

 

 ――違う。全てはかつての人間を復活させる為である。それこそが、唯一のホロウの悲願であった。

 

 シヅキも、そんなホロウの悲願を達成するために造られた1体だ。体内魔素の操作に優れていたシヅキは、魔人を刈る浄化型としてアークで働くこととなった。

 

 彼は自身の魔素を削ることで、大鎌を生成した。それを振るい、何十・何百という規模の魔人を浄化(ころ)し続けてきたのだ。 ……そう、全ては人間の為に。

 

「シヅキというホロウはね……“ホロウ”として、かなり理想型なのよ」

 

 静かな声で言ったソヨ。彼女はトウカの返事を待たずして、話を続ける。

 

「あいつは、魔人を浄化してくれる。雑務型が指示した内容を、愚直に、一切の反論なくこなしてくれる。それは、帰還率が低いと言われる、単独の任務であっても同じ。 ……躊躇なくやってくれるのよ」

「……それは、シヅキが望んでやっているのですか」

「一緒に行動していたトウカちゃんなら分かると思うわよ」

 

 トウカはふるふると首を振った。

 

「魔人を刈った後シヅキは……苦しそうな顔をしていました。自分の掌をずっと見ていて……」

「……なるほど。喧嘩の原因はソレね」

「え?」

「トウカちゃん、そのことをシヅキに指摘したでしょう?」

「……はい。その、思わず」

 

 トウカが思い返したのは、つい数日前の出来事だった。今になっても、激高したシヅキの表情は思い浮かべることが出来た。

 

 トウカは力弱く笑いながら言う。

 

「……分かるものなのですね」

「前にも言ったと思うけれど、シヅキとは一緒に製造されてからの付き合いなのよ。だから18年になるかしら? 何やったら怒るかくらいは分かる。 ……トウカちゃんのことはまだ分からないけどね。変なことを企んでいるし」

「それは……」

 

 トウカはまともにソヨの眼を見ることが出来なかった。ただ、応接室の扉を見つめるだけだ。そんなトウカに向けて、ソヨは細い眼を向けた。

 

「……あまりあなたを追い込むようなことはしたくないんだけれど、一応訊いておくわよ。シヅキに『虚ノ黎明(からのれいめい)』のことは言ってないわよね?」

 

『虚ノ黎明』……その言葉を聞いたトウカの表情は分かりやすいほどに変化した。

 

「まさか……」

「い、言ってません! 不意にソヨさんがその名前を出すから……驚いちゃって」

「そういうことね。 ……表情に出すぎね。トウカちゃんは」

「うう……」

 

 顔を引き攣らせるトウカ。それを見たソヨは、頬杖をつき、鼻で笑って見せた。

 

「まさか、中央からやってきたホロウからその名前が出るとは思わなかったわ。 ……ボロにしては出し過ぎね」

「……ありがとう、ございます」

 

 露骨に嫌味を言ったつもりなのに、そんなお礼が返ってきたのだから、ソヨは眉を潜めざるを得なかった。

 

「何でお礼を言うのよ」

「だって、色々と秘匿にしてくれているので。 ……きっと、通告されていたら私はもう」

「……様子見してるだけよ。現に、シヅキを監視役にしているでしょ」

「まぁ、そうですね」

 

 肯定しながらもその頬に笑みを浮かべるトウカ。ソヨは肩を竦めた。

 

「ほんと、変な子ね……まぁいいわ。今はシヅキとのことをどうするか、ね」

「そう、ですね……」

「あー……急にテンション下がらないでほしいわ。やり辛い……」

「ご、ごめん――」

「いい、いい! いいから謝罪は。とにかく、これからのトウカちゃんの対応だけど……」

「は、はい……」

 

 ソヨはスッと息を吸い、言った。

 

「いつも通り、ね」

「……え?」

 

 ただでさえまん丸の眼を、さらに丸くするトウカ。その半開きの口を見て、ソヨはフフと笑った。

 

「なんだかんだで、シヅキも気にしている部分があると思う。ずっと怒ってばかりなんてなんて居られないもの。だから、トウカちゃんに出来ることはいつも通り接することね。変に謝罪したりすると、きっとムキになるよシヅキは」

「いつも、通りですか……」

「あー、もちろん喧嘩のことを掘り返したりなんてしないようにね」

 

 トウカは返事することなく小さく頷いた。

 

「いつも通りって……でも、どうすれば」

「口癖でも連発すればいいんじゃない? 『うひぇ』みたいな」

「わ、私! そんなこと言ってませんよ!」

「そう? わたしの中でトウカちゃんは結構()()()()だけど」

「へ、変キャラ……」

 

 ははは…‥と空笑いをするトウカ。コロコロと変わる表情……それこそがトウカのいつも通りだと、トウカはあえて言わなかった。

 

「……まぁ、あと数日もすれば元通りになるって。 ……そうだ。仲直りしたら今度の休みにでも2体で港町にでも行ってきたら?」

「に、任務ですか?」

「休み、って言ったでしょ。買い物して、何か甘いものでも食べてきたらどう? シヅキ、意外と好きだから。甘いものね」

「なる、ほど……」

 

 自身の顎元に手を当てて、考える素振りをするトウカ。 ……素振りというか、実際に考えているとは思うが。

 

(良い傾向、かな。何とか一仕事(ひとしごと)は出来たみたい)

 

 満足げに前髪の先端を(よじ)りながら、ソヨはそんなトウカの様子を見ていた。

 

 

 

 

 

 ――まさかその翌日。どうしようもないほどの絶望を見ることになるとは、この時のソヨは思いもしなかった。



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むせ返る

 

『……シヅキだって、魔人を刈るのは嫌でしょ? 苦痛に思ってるよ』

『勝手に決めんなよ。俺はただ……与えられた役割をこなすだけだ。魔人の刈りだって……苦痛なんかじゃねえよ』

『嘘だよね?』

『あ?』

『嘘だよ……だってシヅキ、魔人を浄化した後すごい苦しそうな顔をしてた』

『黙れ』

『自分に言い聞かせてるんだよね? 魔人を刈らないとって』

『黙れ!』

 

 ……数日前の会話(ゴミみたいな夢)を見た。寝覚めは酷く悪い。

 

「チッ……」

 

 大きく舌打ちをしたシヅキ。彼はすぐに部屋の奥にある水回りへと移動した。

 

 質素なシンクの上に置かれたコーヒーの粉。シヅキはそれをカップの中にぶち込むと、粉で濁ることお構いなしに、水桶の中へ潜らせた。

 

 並々に注がれたコーヒーの粉入りの水。シヅキは何の躊躇いもなく、ソレを喉へと流し込む。

 

「ゲホッ……ゲホッ……ゲホッ………………ああ゛っ……!」

 

 満足に粉が溶けていないコーヒー未満の代物(しろもの)。そんなものを一気に飲み干そうとすれば、むせ返ることなんて当然だった。

 

「ああ……クソ…………不味い」

 

 ビシャビシャに濡れた口周りを強引に拭いながら、シヅキは言葉を吐いた。今日という日を、そうやって迎えたのだ。

 

 

 

※※※※※

 

 

 

 いつまで経ったって、世界が変わることはない。目の前に広がるのは黒を黒で塗りつぶした闇の世界だけだ。太陽とやらも、月とやらも、星とやらも……そんな眩しい光は微塵もない。あるのは辟易の景色だけだ。

 

 そんな闇とは対照的に、真っ白に染まりきった森。ソレは“純白”や“雪白(せっぱく)”なんて綺麗な表現では言い表せられない。濁りきった澱みの白色だ。そんな中を今日もまた、歩く。闇の空と白の木々に囲まれながら、シヅキは歩く。 ……そう。全ては人間の為に。

 

「シ、シヅキ! ちょっと足速いよ……」

 

 篝火に従って、廃れの森を奥へと進んでいたシヅキ。そんな彼の背後からは、制止を呼びかける声が聞こえてきた。

 

「……」

 

 しかし、シヅキがその声に応えることはない。むしろ、彼の歩幅はより大きくなった。

 

 目深に被ったフードの中で、彼は舌打ちをする。

 

(何なんだ? 今日は)

 

 シヅキが激昂してからの数日間、彼がトウカと口を利くことは殆どなかった。あの日以来、いつまでもどんよりとした空気を引き摺ったまま、ひたすら任務に当たっていたのだ。トウカの方も、魔人との戦闘中を除けば、一切口を開くことはなかった。そこにはゴミみたいな静寂だけが渦巻いていた。

 

「ま、待ってってば……」

 

 しかしながら、今日ときたらこのザマだ。トウカはあの日のことを気にしている素振りを見せず、慌ただしく話しかけてきやがる。 ……すっかり忘れてしまったのだろうか? そう思えてしまうほどに。

 

 まるでそれは……

 

「いつも通り」

 

 僅かな声で呟いた後、シヅキは溜息を吐いた。彼の中には行き場のない感情が渦巻き始めていたのだ。

 

 数日前。トウカの言葉に対して、シヅキは大きく感情を動かした。無論それは怒りでしかなかった。自身の在り方を推し測ってきたトウカに対する怒り……シヅキはソレを引き摺り、引き摺り、引き摺り……そして今に至る。

 

 しかしどうだろう? 今、トウカに抱いているこの感情は、激昂した時と同じままだろうか? ……未だに、“怒り”として機能しているだろうか? シヅキというホロウはあの時と変わらずにいるだろうか?

 

 闇に染まった空の下、どうもシヅキは首を動かせずにいた。ただモヤモヤとした気持ちだけが、胸の内を揺蕩(たゆた)うばかりだ。

 

(気色悪い……)

 

 この怒りだけは決して失くしてはならない……そんなふうにすら感じていたくせして、時が流れてみればどうだろうか? 酷く曖昧なものになりつつある。シヅキには、ソレは受け入れ難いことだった。

 

『自分に言い聞かせてるんだよね? 魔人を刈らないとって』

 

 脳裏に呼び起こされたのは、やはりトウカのあの言葉だった。何度も、何度も脳内でソレを反芻し、自分の胸に問いかける。「お前はちゃんと怒れているのか」と。

 

 今度は、首を縦に振ることができた。そうだ……しっかりと否定することが出来た。

 

 ゆっくりと息を吐いたシヅキ。後ろからは、相変わらず歩幅の小さな足音が絶え間なく聞こえてくる。「それでいい」と思いつつ、更に歩速を上げようとした時だった。

 

「……あ?」

 

 急に後方から音が止んでしまったのだ。パタパタと地面を踏む音が止み、シーンと空気が主張をする。

 

 これにはシヅキも反射的に首を向けてしまった。向けてそうして……眼を見開く。

 

「……トウカ?」

 

 眼前には地面に(うずくま)るホロウが1体。肩で呼吸を繰り返している。心底苦しそうに。何の突拍子もなく。

 

「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ…………」

 

 思考を放り棄て、シヅキは駆け寄った。

 

「トウカ? おい、トウカ!」

「シ、シヅキ…………! ま、まず…………い」

「まずい? ……何がだよ?」

 

 その首を震わせながらシヅキを見上げたトウカ。それを見たシヅキは大きく表情を歪ませた。真っ青に染まったトウカの顔……それはあまりにも尋常ではない様子だったのだから。

 

「な、何だよ……何があったんだよ!?」

「ぜ……ぜ……!」

「“ぜ”? んだよ?」

「ぜ……ぜ…………ウォェ!」

 

 トウカの喉が一瞬膨らんだかと思うと、彼女は大きく顔を下に向けた。ビシャビシャと液状のモノが溢れ落ちる音がする。嘔吐したのだ。

 

 シヅキは首を大きく横に2度振った。

 

「ほんとに……何が――」

 

 

 

 ズズズズズズズズズ……………

 

 

 

「――っ!?」

 

 瞬間、訪れた違和感。強烈すぎる違和感。それは波紋のように、シヅキの体内を急速に駆け巡り、広がり、内側から蝕んでいく。 ――魔素の、ノイズだ。

 

「こ、これは…………っ」

 

 むせ返ってしまう程の体内異常を感じる。否応もなく感じさせられる。 ……それは悪寒となって、或いは発作となってシヅキを襲った。

 

「クソッ……!」

 

締め付けられる胸を握り潰すように強引に掴み、シヅキはその場にしゃがみこむ……

 

「ハァ……ハァ……ハァ……」

 

 荒い呼吸の最中、シヅキは確信を持った。トウカが何を伝えようとしたのか……そのことについての確信だ。

 

 

 シヅキは呟いた、震える声で呟いた。

 

「“絶望”だ……」

 

 

 



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今日が終わったら……

 

 バクバクと暴れる心臓を抑え込みながら、シヅキは一音一音をハッキリと言った。

 

「とにかく……ここを離れるぞ。“絶望”と近すぎる」

 

 トウカは何も言うことなく、首を落とすかのように頷いた。 ……今の彼女にとってはそれが精一杯の意思表示なのだろう。

 

「歩けねえだろ……おぶる」

 

 今度は返事を待つことなく、シヅキはトウカを自身の背中に寄せる。幸いトウカから首元に腕を回してくれたため、後はやり易かった。

 

 背中にトウカが密着した後、ふらつく身体を一気に持ち上げた。長身の錫杖を持っているくせして、彼女は酷く軽かった。

 

(よし……歩ける)

 

 下唇を強く噛みしめる。冷静だ。冷静に。出来ることだけを考えろ。

 

 長く息を吐きながら、シヅキは歩を進めようとした――

 

「……どこへ………行くの」

「え?」

「ノイズ……酷いから……丘の方向、へ……」

 

 絞り出したトウカの声。途切れ途切れの言葉だったが、彼女が言わんとしていることは伝わった。

 

(俺は、どこ行こうとしてたんだ?)

 

 心の中で問いかけた後、シヅキは大きく舌打ちをした。何が冷静だ。自分に言い聞かせてるだけで……テメェは何も考えちゃいない。

 

「方向、分かる……?」

 

 耳元でトウカが囁くように言う。シヅキは一呼吸を置いて答えた。

 

「……ああ」

「ノイズが…………消える前に……早く…………」

 

 

 ズズズズズズズズズ

 

 

 身体を内側から蝕むノイズは、ゆっくりと、でも確実に大きくなっている。もし……ノイズが完全に止んでしまえば……つまりは、“絶望”の魔人が目の前に現れてしまえば……間違いなく、(ころ)される。

 

 長く息を吐いた。“冷静になれ”なんてもう念じない。その言葉は、今の自身が動揺していることを認めているに過ぎない。そうじゃないだろう。

 

(いつも通りに……やれ)

 

 シヅキは通心を開始した。当然、相手はオドの管理部だ。そこへ短く、簡潔に意思を伝える。

 

(“絶望” ノイズ反応あり。シヅキとトウカは丘へと退避。救援あるいは指示を要請)

 

 メッセージを魔素へと圧縮し、送りつけた。

 

「よし……」

 

 一つ頷いた後、シヅキは足を動かした。大きな歩幅で歩き出した。

 

 

 

※※※※※

 

 

 

 神経を擦り減らしながら歩き続けたシヅキ。何とか、先日訪れた丘へと辿り着くことが出来た。

 

 トウカを滑り落とさないように慎重に地面へと下ろす。その後、シヅキは灰色の花畑へと背中を預けた。

 

「……辿り着けた」

 

 精神的な疲労感が酷い。何日分かの心をまとめて削ぎ落とされてしまったかのようだ。こういうのを虚脱感と言うのだろうか? 

 

「ありがとう、シヅキ。ここまで運んでくれて」

 

 真っ黒の空を見上げていると、そんな声と共にトウカが映り込んできた。 ……やはり、その顔色は悪い。しかしノイズに苦しんでいたあの時と比べると、幾分かマシに見えた。

 

「……大丈夫かよお前」

「大丈夫では、ないよ? 頭がクラクラする」

「休めって」

 

 トウカはふるふると首を振った。

 

「誰かが見てないと……何かあった時に、早く行動しなきゃだから」

 

 そう言って、なんとトウカは笑みを浮かべて見せた。焦点の合わない眼で彼女を見たシヅキは困惑する。

 

(よくもまぁ……そんな表情を出来るよな)

 

 体調に異常を来すほどに大きな魔素のノイズ。現物を見なくたって何者かが分かるくらい程に(おぞま)しいソレは、間違いなく“絶望”が発したものだ。それが今もまだ近くに居る。きっとホロウを探している。 ……それは、トウカも分かっている筈だ。

 

 闇空からゆっくりと視線を動かした。次に焦点が合ったのは、自身の右腕である。

 

さっきから……震えが止まらない。小刻みに、振動を繰り返しているのだ。止めようと思っても、どうにもならない。

 

(何も笑えねぇよ。ほんと)

 

 擦り減った心が思い描くのは……最悪の結末ばかりだった。

 

「……シヅキ、腕どうしたの?」

「え」

 

 視線を戻すと、琥珀色の瞳と眼が合った。

 

「これは――」

「怖いんだね」

「ち、(ちげ)えって! こいつはただ……」

「えい」

 

 シヅキが自身を取り繕おうとする一方で、トウカはそんな小さな掛け声とともにシヅキの腕をギュッと掴んだ。

 

「やめろって!」

「いいから」

「いいとかそういう問題じゃねえだろ! 俺は別に…………あ?」

 

 トウカの手を振り解こうとしたシヅキ。しかしその時気づいてしまった。

 

「トウカ……お前も、手が」

「怖いよ、私も。怖い」

 

 シヅキよりも、一回りも二回りも小さなトウカの掌。それは細かく、でも確実に震えていた。

 

「前に、『植物形状の魔人を何人か見たことがある』なんて言ったの覚えてる? ……あれはね、ほんとに見たことがあるだけなの。遠くから、薄っすらとだけ。だからあんな強力な魔素のノイズを感じ取ったのは初めてだった。 ……大きすぎて、怖いね」

「だったら……怖いんだったら、何でそんな笑えんだよ」

「笑う? 私、笑ってた?」

 

 きょとんとした表情でそんなことを()かすトウカ。シヅキは開いた口が塞がらなかった。

 

「無意識だったのかよ……」

「無意識……うん。そうかも。気持ちが表情に出ちゃったみたい」

「……どういうことだよ」

「私ね。シヅキに背負われている時にね、今度のお休みの時のことを考えてたんだ」

「は、はぁ?」

 

 あまりにも突拍子なトウカの言葉に、シヅキは耳を疑った。そんなシヅキを知ってかしらずか……トウカは話を続ける。

 

「昨日ね、ソヨさんが言ってくれたの。今度のお休みにでもシヅキと港町に行ってきたらって。その……仲直り? みたいな」

「仲直りって……いや、そうじゃなくて! 何でんなことを今なんかに……!」

「目先の理由が欲しかったんだ。楽しみに思えることがあったら、頑張ろうなんて思えそうだったから」

「何だよ、それ……意味分かんねえ」

 

 トウカが言わんとしていることが全く分からない。シヅキの口からは、困惑の嘆きしか出やしなかった。

 

「“絶望”のノイズを感じて、すごく怖かったから。もしかしたら、今日私は消滅しちゃうんじゃないかなって考えちゃって……でも、そのことで頭がいっぱいになるのは辛いから。前を向ける未来が欲しかったんだ」

「……それが、港町に行くことなのか?」

「シヅキと、ね。甘いもの好きって聞いた。一緒に食べよ?」

 

 ニッといたずらな笑みを浮かべたトウカ。 ……そんな彼女を見て、まるで自分とは対照的だとシヅキは思った。

 

 トウカは最悪の結末に悲観するのではなく、今日が終わった後のことを考えている……そうやって、前向きになろうとしているのだ。それは見方を変えれば現実逃避でしかないのかもしれない。もしそんな考えの奴が居るなんて噂で聞いたならば、シヅキは簡単に嘲笑うだろう。

 

(でも……)

 

 そうやって未来を描こうとするトウカが……希望を見出しているトウカが…………今のシヅキにはやけに眩しかった。闇で覆われた世界における唯一の光源だなんて思えてしまった。

 

 (おもむろ)に眼を閉じた。ちょっとだけ、眩しすぎたから。

 

 

 



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帰還作戦

 

 それから(しばら)くの時間が過ぎた。 ……暫くと言ったって、十数分程度だが。

 

 流石にそれだけ時間が過ぎれば、ある程度体力は回復する。未だに虚脱感はあるが、シヅキは何とか上体を起こした。

 

 それに気づいたらしいトウカがシヅキの方を向いた。

 

「もう、大丈夫そう?」

「あぁ」

「無理はしてない?」

「してねぇよ」

「……ほんとに?」

 

 琥珀の眼はジトっとこちらのことを見ていた。

 

「……まだ心が(だり)ぃ。でも、戦える」

「うん、良かった」

 

 そう言って小さくグッドのポーズを作ったトウカ。心無し、その表情は得意げに見える。シヅキは怪訝な表情を彼女に向けた。

 

「調子乗りやがってよ」

「え、いや……ごめん! そんなつもりは……」

「本気で言ってねぇよ。小心者がよ」

「しょ、小心者……」

 

 ぶつぶつと言葉を溢すトウカ。それを全無視して、シヅキは話し始めた。

 

「……身体も心もある程度は休めたんだ。俺たちは次の行動に移るべきだ。“絶望”が付近にいるであろう現状で、何とか帰還しなくちゃいけねぇ」

「う、うん!」

 

 トウカは自身の姿勢を正した……何故か正座だ。

 

「その為に考えられる選択肢が3つあると思っている」

 

 トウカは返事の代わりに、首を大きく縦に振った。シヅキも頷きを返した。

 

「まず前提として、この丘は魔素のノイズが無い特殊な土地だ。だからよ、魔人特有の魔素のノイズ反応から“絶望”の位置をあぶり出す方法は取れねえ」

「……“絶望”に限った話では無いんだけど、外側の魔人からは分かるのかな? ホロウがこの丘に居るって」

「視認以外の方法は取れねえだろな。奴らがどうやってホロウを見つけているのか、正確には分かってねーだろ?」

「うん……一応、ホロウが出す魔素のノイズを感じ取っているなんて仮説はあるけど」

「まあな。でも、その方法は無理だろ。ここにいる限りはノイズが0だ」

「そうだね」

「……よし、前置きが長くなったが、この前提を元に話すぞ。手短にな」

 

 シヅキは左手の人差し指を立てた。

 

「一つ目に、今すぐ丘を抜け出す方法。もちろん、俺たちが入ってきた方向とは別からだ。“絶望”に発見される以前に速攻帰還してやる」

「ここからだと走って1時間くらいかな?」

「トウカの脚だとな。俺が背負って、身体強化すれば15分は切る」

「せ、背負われるの……私」

「あ? さっきもやったろーが」

 

 それを聞いたトウカはぎこちなく頷いた。

 

「ただ、色々問題が多い。身体強化……つまり魔素を強引に走らせれば、俺が出すノイズは強まっちまう。“絶望”にノイズを探知される可能性は上がるだろうな。それに、今ならそんなの関係なしにバッタリ出会(でくわ)すリスクだってある」

「あと……私もそうだけど、“絶望”の魔素のノイズにまともに当てられたから、シヅキの身体が上手く動かせる保証も……ちょっと」

「あーそれもあるか。 ……とにかく、不確定事項が多すぎる。賭けの選択肢だ」

「……うん。私は、取らない方がいいと思う」

「ああ」

 

 慎重派というか、臆病なトウカであればそう言うことは想定されていた。シヅキとしてもこれは下策の部類だった。

 

「だから、二と三どちらかを取りてえってのが本音だ」

 

 そう言いながら、シヅキは中指を伸ばした。

 

「二つ目。丘でひたすら待機する。“絶望”に見つかるリスクは低いだろうな。それに、管理部からの通心を待つことも出来る」

「遅いもんね。アークの外と中に居ると、伝え合うのに時間が掛かっちゃう」

 

トウカが言う通り、言語を魔素へと圧縮して意思をやりとりする行為……通称、“通心”には時間差(タイムラグ)という弱点が存在する。特に、対象の距離が離れていたりするとその影響は顕著だ。

 

 シヅキは小さく溜息を吐いた。

 

「不便なところだな。つべこべ言ったってどうにもなんねーけどよ。 ……続けるぞ。この方法だったら、“絶望”と急に対峙することが防げる。仮に、奴がこの丘に入ってきたとしても、ある程度の距離は保証されているだろうしな」

 

 トウカが眉を潜めて言った。

 

「……逃げきれるかな?」

「どうだろうな。“絶望”と接触したコクヨの大隊は撤退できたんだ。完全に不可能って訳じゃねえだろうよ」

「でも、2体は消されちゃった……」

「……対峙してから逃げんのも不確定要素が多いな。ただ、1つ目の案よりはマシだろ」

 

 トウカは自身の顎に手を当て、考え込む素振りをした後にコクリと頷いた。

 

「よし。 ……で、まぁ、3つ目の選択肢だ。思うに、こいつが一番帰還率が(たけ)えやり方だ」

 

 シヅキは薬指を立てた。

  

「どうするの?」

「あぁ……3つ目、だが……」

「……シヅキ?」

「いや、すまん」

 

 長く息を吸って、吐いた。ジトリと掻いた汗が頬を流れていく。 ……気持ち悪い感触だ。

 

 ソレを右手で強引に拭ったシヅキ。乾いた唇を舌で舐めて、声を出す。

 

「……言うぞ。俺が、“絶望”と――」

 

 

 

 ザシュ

 

 

 

 ……突然、そんな音が走った。後から感じる、鋭い風。そして鼻につく臭い。

 

 

「………………は?」

 

 理解が追いつかなかった。それは、感知できなかったからでは無い。五感はちゃんと機能している。 ……原因は脳のほうにあった。入ってくる情報の全てを、脳は拒絶したのだ。

 

 

 ――拒絶せざるを得なかったのだ。

 

 

 間も無く、彼女が吐いた。言葉では無い。

 

「ゴハッ…………………!」

 

 赤い液体が飛び出た。ソレは後ろへと派手に飛び散っていく。 ……俺はソレを震える眼で追ってしまった。

 

 1本の、細長い、まるで、枝のような、ナニカ。

 

「植物…………」

 

 震える顎が勝手に呟いた。言語化して、現実が追いついてくる。白々しいほどに、情報の理解が始まる。

 

「トウ、カ……?」

 

 シヅキの呼びかけに彼女は答えない。その代わりに再び吐いた。

 

 ビシャビシャと音を立てて、飛び散る。似非血液(魔素)が、飛び散る。

 

 ――それを見て、シヅキはやっと理解しきることが出来た。伸ばされた枝が、トウカの身体を貫いたと理解出来たのだ。

 

 叫んだ。

 

「トウカァァァァァァァァ!!!」

 

 



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有す価値

 

「なんて……こと」

 

 茫然の声を上げたソヨの身体は左右にフラフラと揺れ動き、やがて崩れ落ちてしまいそうになった。

 

「ソヨさん!」

 

 しかし、そう呼びかける声とともに、ギリギリで支えられた。支えた手の主は、ソヨと同じ雑務型のホロウだった。

 

「しっかりして下さいよ!」

「え、ええ……ありがとう。もう大丈夫よ」

 

 肩を掴む手を優しく(ほど)いたソヨは、近くの壁に身体を預けた。 ……クラクラとする視界が捉えたのは騒然とする現場だった。

 

 雑務型のホロウ達は持てる手段全てを使って対応にあたっていた。ある者は通心を行い、外へ出向いているホロウ達とのやりとり(コンタクト)を。ある者は専用の装置を使い篝火の一斉操作を。そしてある者は自らの足を運び、オド内のホロウたちへと伝達を。魔人と対峙するホロウのサポートを行う雑務型たち……通称“管理部”は大きな焦燥と緊張で満ちていた。

 

 ――それもそうだった。予想にし得ない事態が勃発してしまったのだから。

 

「まさか、廃れの森に“絶望”が現れるなんて……驚きましたよ」

 

 先ほどまで肩を支えていた女性ホロウがどこか演技味のある声で呟いた。

 

「……そうね」

 

 空返事で答えたソヨは、意味もなく天井を見上げた。思い返したのはほんの十数分前のことだ。 ……あるホロウから“絶望”出現の旨の連絡があったのだ。ホロウは2人組というごく少数のチームであり、報告の場所は廃れの森。 ……そう。廃れの森だった。棺の滝周辺に居ると予想されていた“絶望”は大きく移動していたのだ。

 

 現在管理部は、廃れの森周辺のホロウへと、“絶望”出現の連絡を流布している。しかし、具体的にどう対応するのかは指示していなかった。 ……というよりは出来なかった。現場で動くホロウたちの指揮を取る司令官らは、絶賛緊急の会議中だ。その結果が出るまで管理部はまともに動けやしない。

 

「慎重なのは結構だけど、間に合わなかったら本末転倒よ。 ……シヅキ」

「連絡があった浄化型って、確かソヨ先輩の……」

「昔馴染み、ね。減らず口を叩き合ってばかりのね」

 

 サラッと流すように言ったソヨ。しかし、女性ホロウは眉を(ひそ)めた。

 

「心配ですね」

「誰からの通心でも関係ないわよ。私たちは、私たちに出来る最善を尽くすだけ……そう。全ては人間の為、ね」

「それは……分かってますよ」

「ならいいのよ」

 

 ソヨが溜息混じりに答えた時、管理部奥の扉からゾロゾロと複数のホロウたちが現れた。管理部一帯を包む喧騒が一瞬だけ落ち着いたかと思うと、すぐに私を含めた雑務型の面々は、姿勢を正した。

 

 退出したホロウの1体が、張り詰めた空気の中で言った。

 

「皆ご苦労だ。どうか楽な姿勢で聞いてもらいたい……と言いたいところだが、そうも言ってられなくてな。事態は急を要する。単刀直入に言おう」

 

 毅然とした態度で雑務型に呼びかけたのは、糸目で大柄の男性ホロウだった。 ……司令官である。

 

 ソヨは軽く空気を吸い込むと、唾液と混ぜて飲み込んだ。鼓動がジンジンと脈打つ感覚を自覚した。

 

「通心内容『ゼツボウ ノイズ オカ タイヒ キュウエン シジ コウ』について、上層部で話し合った結果だが……対象ホロウ“シヅキ”と“トウカ”については、丘で待機をするように指示をしろ。2体を除くホロウについては、オドへの避難命令を出せ。以上だ」

 

 淡々と指示内容だけを述べる司令官。 ……ソヨにはその声が酷く冷たいものに聞こえてならなかった。

 

「さて、では各自――」

「……司令官。身勝手ながら、お聞きしたいことがあります。宜しいですか?」

 

 場の視線が一遍に集まったのが分かる。前方はもちろんのこと、後方にいる同胞たちからもだ。目の端に、一体の雑務型の表情が映った。 ……ギョッと見開いた眼でこちらを見ている。

 

「ソヨか。なんだね?」

 

 酷く穏やかな口調だ。 ……だからこそ怖いと思ってしまう。ソヨは自身の爪を掌に食い込ませた。再び口内の唾液を飲み込む。 ……よし。

 

「司令官の……仰ったことは、2体のホロウについては救援を出さず、(ころ)されることも止むを得ないということですよね?」

 

 震える声で言い切ったソヨ。当然のことながら、場は驚愕の息遣いで包まれた。声にならない声が管理部の面々から上がる。

 

 それでもソヨは動じない素振りを見せた。気が抜いたら崩れ落ちてしまいそうになる足で床を踏み抜く。震える身体は、千切れるほどに舌を噛んで我慢しようとした。そして、両眼は……貫くほどに司令官を直視する。

 

 司令官である男性ホロウは「ふん」と鼻を鳴らした後、自身の顎髭を2度撫でた。彼は何も話すことなく、少しだけ時間が過ぎる。 ……永遠のような時間だ。

 

 しかし本当に永遠の訳はなく、やがて司令官は大きな口を開いた。

 

「そうだ。我々は、シヅキとトウカ……この2体を()()()()()()()()()()()()と取ってもらって構わない」

 

 本当に率直に言い切った司令官。後ろに立つ上層部の連中が口を挟もうとしたが、彼は手を伸ばし、彼らを制止した。

 

 ソヨは自身の唇を噛み、言う。

 

「ありがとうございます。正直に述べていただいて」

「ソヨ、お前はシヅキと古い付き合いだったな」

「……私情が入っていると?」

「それを詮索する気はない。このような場だ」

「……お心遣い、痛み入ります」

「しかし、勘違いはするな。我々の決断が(くつがえ)ることはない。これは、確定事項だ。 ……理由は必要か?」

「……はい」

「済まない。ソヨ以外のホロウは先ほど述べた指示通りに頼む。決断の理由については……そうだな。後ほど共有しよう」

 

 司令官が右腕を大きく払うと、管理部の面々は「はい!」とだけ返事し、各自の持ち場へと戻っていった。

 

「すみません。後ほど合流と言う形を取らさせていただきます」

 

 司令官が後方に居る上層部に呼びかけ、大きな背を折り曲げた。彼らは何も言うことなく、ただ頷くと、管理部を出て行ってしまった。

 

ソヨは大きな背中に向かって、恐る恐る声をかける。

 

「申し訳ありません! 私の――」

「もういい。次の酒代ででも誠意を見せろ。 ……理由だな。ソヨ、お前が考えていることと大方一致していると思うが」

「そう、ですか」

「言ってみろ」

「……天秤にかけたのですよね。シヅキたちの帰還率と、救援によるリスクとを」

 

 それは聞くまでもなく、当然のことだった。相手はコクヨの大隊を追い込んだ魔人、“絶望”だ。 ……救援のためにホロウを寄越すことは、大きな代償を払いかねない。

 

 

 ――そんなことは、分かっている。ソヨは、分かっているのだ。

 

 

「ソヨ。分かることと、呑み込むことは全く別の話だ」

「え……」

「今にも決壊しそうな表情を見れば、何を考えているかくらい理解できるつもりだが?」

「…………」

 

 何も言うことが出来ないソヨ。司令官は構わずに話を続ける。

 

御託(ごたく)をつらつらと並べてもいいが、それは本望ではないだろう? ……だからオレが言うことはただ一つだけだ。 ……割り切るんだ。ソヨ」

「今までと同じように、割り切るんですね」

「そうだ。 ……全ては人類の為だ」

 

 それは先刻前にちょうど自身が発した言葉だった。後輩のホロウを諭すために使った言葉……自分は今、一言一句同じ言葉で諭されているのだ。

 

「司令官、最後に……一つだけいいですか?」

「なんだ」

 

 嗚咽が漏れ出すのを必死に耐えながらソヨは言う。

 

「もし人間なら……人間だったら。私たちと同じように……見捨てる決断を……選んだと、思いますか? ホロウと比べて! 人間の有す価値はよっぽど上です! なら人間は同胞を見捨てる決断を、するのでしょうか!?」

 

 感情を抑えることが出来ず、声を荒げてしまったソヨ。何体かのホロウが眼を向けたのが分かった。

 

 ここまで毅然と答えてくれた司令官も、ソヨのこの問いかけには言葉を窮しているようだった。

 

 捻り出すかのように、彼は言おうとする。

 

「……それは、とてもじゃないが――」

「司令」

 

 その時、そんな声がソヨから見て左側から聞こえてきた。反射的に視線を向けるソヨと司令官。意外なホロウの影に両者とも眉を上げた。

 

「ワタシから提案があるのだが、一つ耳を貸してもらえないだろうか?」

 

 飄々とした態度で、そのホロウは言ってみせた。耳を疑うようなその言葉を。

 

 



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私はまだ……

 

 ………………

 

 ………………

 

 ………………。

 

 ――あれ? どうなったんだっけ?

 

 あまり意識がハッキリとしない。何があったのか、何をしているのか……よく分からない。

 

 夢を見ているのだろうか? 眠った覚えなんて全然ないのに。でも現実か夢どちらか? と訊かれれば、夢と答えてしまうだろう。 ……なら、夢? 

 

 ――よく、分かんないや。

 

 思考が上手く働かない。考えようとすればするほど、煙に巻かれたかのように辺りは白んでしまう。

 

 どうしたものかと途方に暮れていたところ、突如としてボンヤリとした影のようなものが現れた。

 

 酷く輪郭が曖昧で、影の正体はイマイチ掴めない。

 

 ――なんだろ、あれ。

 

 直感的に、眼を離してはならない代物(しろもの)だと思った。だから凝らすように見る。

 

 不思議とそれを見るだけで、ひどく心が高鳴り、全身が熱を帯びた。 ……そうやって、私を大きく突き動かしてくれるものなんて、たった一つしかなかった。

 

 ――ああ、そうだったんだね。なんですぐに気づかなかったんだろう。

 

 私は、その影に手を伸ばそうとした。別にそれで()()()()が叶うなんて思ってはいない。 ……ただ、手を伸ばしたいと思える自分が居ることを、再確認したかっただけなのだ。

 

 しかしながら、そこで私は状況を(ようや)く理解できた。

 

 ――手が、ない?

 

 視界に映るのは曖昧な影だけで、そこに自身の手が映り込むことはなかった。それどころか、身体が()()()()すらも……無い。

 

 ――なん、で? 私はどうなったんだっけ?

 

 そうやって最初の疑問に帰結したところで、遠くから声が聞こえた。

 

「………………カ!」

 

 やはり初めは分からなかった。でも何度も声は聞こえる。

 

「………………ウカ!」

 

 ――わた、し?

 

 最後はハッキリと聞こえた。 ……聞き慣れかけている声だ。

 

「トウカ!!!」

 

 呼ばれてる。自分の名前を何度も、呼ばれている。すごく悲しそうな声だった。

 

 ――行かないと、いけないね。また怒られちゃう。

 

 不思議とどう行けばいいのかは、迷わなかった。

 

 

 

 ※※※※※

 

 

 

「………………あぁ…………」

「――っ! トウカ?」

「シ……ヅ…………キ?」

 

 焦点の合っていない眼、掠れきった声、常に小刻みに震えている頬……状態は最悪だ。いつ終わりを迎えても、おかしくないほどに。それでも……

 

「トウカ……お前、まだ……良かった」

 

 まだ、トウカは(いきてい)るのだ。その事実が身体中を駆け巡り、シヅキは一遍に脱力した。途端に溢れてしまいそうになったが、強引に腕で擦り付けて誤魔化す。

 

「だい……じょう…………ぶ?」

「……バカ野郎。俺のことはいいだろ。それよりお前……傷が」

「き……ず?」

「刺されたんだよ、トウカ」

 

 シヅキがそう言うと、トウカは固まってしまった。状況が未だ理解できていないらしい。思考が鈍っているのだろうか? その眼で辺りを見渡して、漸く彼女の口は開いた。

 

「…………魔素の、流出が」

「……そうだ。お前、このままだと消えちまうって。でもよ……頭悪いから俺分かんねぇんだ。どうしたらお前を……助けられる?」

 

 自身の赤黒く染まった掌を見ながら、シヅキは(すが)った。他に道なんて、無かった。

 

 浅い呼吸を繰り返しながら、トウカは話さない。考えているのか、それとも考える力も残っていないのか……後者であれば、もうトウカは。

 

 しかし幸いにも、彼女の口は動いてくれた。

 

「かん…………そ…………やく」

「え? なんだ?」

「還素薬……応急……措置」

「! ヒソラの……」

 

 シヅキが思い返したのは、先日医務室を訪れた時のやりとりだった。

 

 

『この前、還素薬(かんそやく)を支給したでしょ? あれだって、解読の賜物なんだから』

『還素薬?』

 

 シヅキは数日前の記憶を思い返してみて、すぐに思い当たる節があった。液体状の何かを飲まされた記憶があるのだ。

 

『あーあれか。飲んだけど、よく分からんかった』

『プレ版だから薬の配合量自体は少ないよ。効果に気づかなかっただけだと思うけど、あれは傷ついた魔素を回復する作用があるんだ。魔人と戦闘する浄化型には必須だと思うよ』

『……どうだかな』

 

 

「あれか!」

 

 シヅキは、腰元のベルトに装着された、布製の袋を強引に(まさぐ)った。彼が取り出したのは、真っ黒の小瓶が2本。

 

「こいつ浄化型用のものじゃないのか?」

「体内……魔素が…………空気に触れたら……希薄…………する……から。魔素の……状態を…………維持する……ために」

「ああ、そういう使い方もあるのか」

 

 大きく頷いたシヅキ。細かく震える手を押さえ込みつつ、小瓶の蓋を開けた。すぐに濃い魔素の臭いが鼻につく。

 

「……いいか? 飲ませるぞ」

 

 トウカが僅かに頷いたのを確認した後、シヅキは彼女の顎を上げた。そして、ゆっくり、ゆっくりと流し込んでいく。先ほど派手に吐血をしたばかりではあったが、トウカは瓶を1本、飲み干した。

 

「これで、いいか?」

「う、ん。 …………シヅキ…………私…………まだ終わり……たく……ない」

「――っ!」

 

 (うつろ)な琥珀の瞳。トウカの綺麗な瞳は、すっかりと澱みきっている。 ……それでも、綺麗なままだった。綺麗でならなかった。

 

 シヅキはその場に立ち上がった。自身の表情を見られたくなかったから。気を抜いたらポロポロと溢してしまいそうになる喉を、首ごと強引に掴んで押さえ込む。低いトーンで彼は言った。

 

「……終わらせるかよ。港町、行くんだろ」

 

 シヅキは目線を逸らした。それ以上、トウカを見ることが出来なかったから、というのもある。 ……しかし、それ以上に。

 

 

 ――灰色に染まった花畑。シヅキはそこに異分子を見つけた。どす黒い異分子だ。ソレは灰色の花に紛れるようにポツンと在るが、擬態なんて全く出来ていない。

 

 彼が眼を向けたからか、それとも単なる偶然か……ソレは笑うように鳴いた。

 

「ミィミィミィミィミィミィ」

 

 シヅキは大きく舌打ちをする。

 

「さっきから気色(わり)いな、マジでよ」

 

 体内魔素を操作。間も無くして彼の手には大鎌が宿った。

 

「ミィミィ」

「残念だったな。奇襲は失敗に終わった。同じ手はもう効かねえよ。 ……俺が効かさねえよ」

「ミィ」

 

 最後に小さく鳴いたソレ。間も無くして、奴の近くの地面から蔦が生えた。 ……先端が鋭く尖った蔦だ。

 

 対してシヅキも武器を構えた。漆黒の大鎌は、まるで闇空に溶けている。

 

 口元を歪ませながら呟いた。

 

「……真っ黒だな。俺も、お前も」

 

 眼に捉えたソレの正体は、黒色の花だった。花のくせして左右に揺れ動くし、ミィと鳴く。そんな奇怪な存在を見ることは、当然初めてだった。

 

 しかしシヅキには検討がついている。 ……流れからして、正体なんて一つしかなかった。

 

 フゥと息を長く吐く。乾いた唇を舌で湿らせる。そして、随分と低いトーンでシヅキは問うた。

 

 

「お前、“絶望”か?」

 

 



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俺はずっと……

 

 ビュン、と(しな)(つた)が高速で飛んでくる。

 

 シヅキが半身になってそれを(かわ)すと、すぐ後ろから乾いた破裂音のようなものが聞こえてきた。蔦が伸びきった音だ。

 

 すぐさまシヅキはバックステップをした。すると、やはりビュンと空気を裂く音と共に、今度は後方から蔦が襲いかかってくる。ソレはシヅキが立っていた場所に派手に叩きつけられた。土煙が舞う……

 

 グシャグシャに潰された花々と地面を眼に捉えたシヅキは口元を歪ませて言った。

 

「イかれてんだろ」

 

 汗と土で塗れた袖元で顎元を拭う。シヅキが凝視する漆黒の花……“絶望”は相変わらず左右に揺れ動いていた。奴の周りには5本の太い蔦が生えている。それらは上下左右に撓らせながらシヅキのことを狙い続けていた。

 

「……っ!!」

 

 何度も、何度も飛んでくる蔦共。シヅキはそれらを避け、鎌で流し、なんとか対処をしている。彼の背後には気を失ってしまったホロウ……トウカが居た。

 

 再び伸びてきた蔦を受け流したところで、シヅキは自身の胸元に手を当てた。

 

 鼓動と熱、それを感じる――

 

(さっきから、なんか変だな……)

 

 “絶望”の蔦に襲われ続けているのに、シヅキは恐怖感に(さいな)まれることなく、怒りに狂う訳でもない。それどころか穏やかな気分なのだ。 ……何故なのか? シヅキの中にはボンヤリとした答えがあった。

 

 困惑気味な声で呟く。

 

「トウカが……()きていたから」

 

 だから自分は今、安心しているのだろうか? 

 

「……」

 

 否定したい衝動に駆られた。別にトウカに限った話ではない。 ……たかが1体のホロウの安否に対して、自分の心がこんなにも揺れ動いたことを受け容れたくなかったのだ。

 

 小さく溜息を吐く。

 

「こんな葛藤……初めてだ」

 

 闇空に再び、鋭利な蔓が飛んでくるのが見えた。1本は身を(ひるがえ)し避け、もう1本は鎌の峰で受け流した。

 

 そして、最後の1本は――

 

「フッ――!」

 

 出来るだけ刃の中心で捉えるように、鎌を小さく振った。

 

 ブチッッッ

 

 確かな手応えと共に、鈍い音が響いた。シヅキの眼の先には……一刀両断された蔓が確かにあった。

 

 そそくさと“絶望”のもとへと引っ込んでいく破損した蔓を見ながら、シヅキは拳を固めた。

 

「よし、斬れるな」

 

 鎌の峰で何度も攻撃を受け流す中で、蔓にそこまでの強固性が無いことは分かっていた。思いきって斬り伏せることを試みたが……上手くいった。

 

 鎌を構え直す。刃先を向けた“絶望”は、心なし先ほどまでより花弁を(うね)らせているように見えた。止むことなく飛んできていた蔓の攻撃も、今は飛んできていない。ある程度は損傷を負わせたろうか?

 

「……」

 

 それを確認したところで、シヅキは首を少しだけ捻り、改めてトウカに眼を向けた。 

 

 ……魔素の流出はもうしていない。還素薬が効いているのだろう。未だ気を失ったままだが、呼吸は安定しているようだった。

 

 

 ――改めてトウカを見て、ふと気付いたことがあった。

 

 

(思えば、俺の心は……あいつに出会ってからずっと揺れているのかもしれない)

 

 18年前に造られてから、周りの同胞は「人間の為に」なんてひたすらに言い続けていた。だからシヅキも「人間は復活させた方がいいのか」なんて、漠然と思っていた。それを達成すべく、文字通り身を削り、鎌を生成し、魔人を刈り続けた。  ……それ位しか、自分に出来ることはないと思っていたから。

 

 

『人間の為になんて……そんなのおかしいよ。ホロウは……ホロウにだってちゃんと意志がある! 怖いものは怖いし、痛いものは痛い。それなのに、何で私たちは私たちのことを第一に思えないの?』

 

 

 ――でも、トウカは違った。

 

 

 あいつは「人間の為に」なんていうホロウの在り方を、真っ向から否定した。ちゃんと自分の意志があって、明確な目的があって、周りに流されない強さを持っている。まるで他のホロウたちとは真逆だった。

 

 それに気がついた時、最初はバカなんじゃないかと思った。闇に染まりきった救いのない世界で、そんな在り方は無意味なだけだと……そうやって信じきっていた。だから、その全てを否定しようとした。 ……激昂して、一蹴した。

 

 ああ。

 

「バカなのは、どっちだよ」

 

 琥珀色の瞳を思い出した。吸い込まれそうなほど、貫かれてしまいそうなほどに綺麗な瞳。何故あんなにも魅入られていたのか……今になって(ようや)く分かった。“トウカ”というホロウを失いかけて、漸く分かったのだ。

 

 シヅキは言う。

 

 

「あの眼には、トウカの“信念”が篭っているのか」

 

 

 信念……正しいと信じて止まない、自分の考え。瞳の琥珀にはそんなものが宿っているんじゃないかって。

 

 本当に自分らしくない言葉だ。よくもまあ、そんな綺麗事を考えられたものだと思う。

 

 でも、不思議と嫌悪感は抱かなかった。何もかもを諦めた思考より、ずっとマシに思えたから。

 

「ふぅ…………」

 

 小さく、長く溜息を吐いた。戦闘中にも関わらず簡単に身体は脱力した。

 

 そして、呟く。

 

「俺はずっと……羨ましかったんだ。トウカの在り方が」

 

『やーっと素直になったか〜! ほんとに(ひね)くれているんだからもー』

 

 そんなソヨの呆れ声が、どこからともなく聞こえた気がした。

 



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慟哭

 

 シヅキはまるで空を飛ぶように跳躍した。

 

 彼の真横を先端の尖った蔦が通り過ぎていく。すぐ後ろで乾いた破裂音が響いた。

 

 間髪入れず、2発目が飛んでくる。シヅキから見て左の方向からだ。

 

「ふぅ」

 

 走り続けながらもシヅキは肩の力を脱力させた。大鎌の刃先を、蔦そのものを穿(うが)つかのように向けた。

 

 いや、実際に穿った。

 

 今度は姿勢を低くすることで伸びる蔦を(かわ)す。蔦が伸びきると一瞬だけ動きが止まる瞬間があった。 ――反撃の機会だ。

 

 腕に濃縮した魔素を一気に解放するように、シヅキは大鎌を振り下ろした。

 

 ブチッッ

 

 鈍い音と、確かな手応え。直径20cmはある極太の蔦はものの見事に切り裂かれた。

 

「ミィミィミィ」

 

 遠くの方でやけに耳につく声が聞こえてきた。それは漆黒の花弁を持つ花……“絶望”だ。

 

 シヅキはその姿を眼に捉えると、口元を僅かに歪ませた。

 

「これで3本目……あと2本だ」

 

 “絶望”の周囲の地面から生える5本の蔦。シヅキが鎌で刈った3本が、その後飛んでくることはなかった。残り2本だけが闇空に向かって畝りながら伸びている。まるで攻撃の機会を窺うように。

 

 改めて大鎌を握り直す……妙に手に馴染む感覚があった。それどころか、全身が軽いのだ。調子が良いと言い換えてもよい。

 

「魔素、だいぶん回したんだけどな」

 

 普段なら身体の中で魔素を脈立たせると、特有の疲労感が襲ってくるものだが、今回に限ってはまるでそんなものが無かった。頭の中で思い描いたように、身体は機能してくれる。ノイズが響かない丘で戦っているおかげだろうか?

 

「いや」

 

 小さく呟いて、シヅキは(かぶり)を振った。彼は胸に手を添えた。声に出すことは憚られ、心の中で言った。

 

(気持ちに整理をつけたからか……)

 

 ここ数日間に感じていた漠然とした思い。トウカのことをどう思っているのか、そこに一つの答えを出した。身体の調子との因果関係は無根拠だが、完全に別問題とは思えなかった。

 

「……だとしたら、単純すぎるだろ。お前」

 

 小さく溜息を吐いたシヅキ。その表情は彼らしからぬ柔和(にゅうわ)なものだった。

 

「ミィ」

 

 再び“絶望”が鳴いた。それと同時にやはり蔦が伸びてくる。

 

「さっきから攻撃が単調なんだよ。テメェ」

 

 身体を前傾に倒したシヅキ。鋭く息を吐き、走り出す。闇空を泳ぐように飛んでくる2本の蔦を眼に捉える。縦に、横に、不規則に揺れ続けながら動く蔦はなかなか距離感を掴みづらい。しかし、何度も同じ動きをされていては流石に慣れてくるものだ。

 

 1本目は鎌の峰で流しながら地面を転がった。間髪入れず飛んできた2本目はシヅキの心臓を目掛けて来る。

 

 鎌を構え直したシヅキは、

 

「らァ――!」

 

 小さな雄叫びと共に、鎌の中心を蔦へと噛ませた。再び鈍い音が走る。

 

 急ブレーキで速度を殺したシヅキ。振り返ると、やはり見事にぶった斬られた極太の蔓が灰色の花畑に転がっていた。

 

 シヅキはそれを冷ややかな視線で見た。

 

「植物が鎌に勝てるわけ……」

 

 ビュン

 

 すぐ背後から風を斬る音が聞こえた。残り最後の蔦……それがシヅキを(ころ)そうと不意打ちをしてきたのだ。

 

 しかし――

 

ブチッッ

 

 水平方向に、鎌を這わせるように当てたシヅキ。蔦の先端が大きく裂けた。こうなってしまえば、攻撃する余力が蔦には残っていない。

 

 止めの一撃を振り下ろしたシヅキ。両断された蔓の残存部がズルズルと地を這いながら、“絶望”の元へと戻っていった。

 

 それを見送りながらシヅキは言い切った。

 

「……勝てるわけねーんだよ」

 

 ついに“絶望”の武装である蔦をすべて斬り伏せたシヅキ。遠くで咲く“絶望”は大きくその花弁を畝らせていた。 ……それはまるで動揺しているように。

 

 シヅキは背後に目をやった。

 

「トウカ」

 

 まだその身体はちゃんと残っている。ホロウも魔人も……魔素で形作るモノ達の終わりとは、その存在の消失だ。つまり、その身体は世界から綺麗さっぱり消え失せてしまう。

 

 まだ残っているということは、トウカが(いきてい)るという確かな証だ。 ……無論、一刻も早く治療する必要はあるだろうが。

 

 シヅキは長く息を吐いた。荒い呼吸を整える。

 

「さて、どうするか」

 

 シヅキには2つの選択肢があった。1つは、このまま“絶望”を浄化してしまうというもの。武装が剥がれた今、またとないチャンスだ。そしてもう1つは、このままトウカを背負いオドまで逃げるというもの。

 

 ホロウとしての正解は無論、前者だ。トウカが気を失っている今、魔素の抽出を行うことは不可能だ。だが、同胞の仇を撃てるならば……躊躇いなどあってはならないだろう。

 

 

 あっては、ならないはずだが。

 

 

「……」

 

 シヅキは(おもむろ)に眼を閉じた。乾いた唇を舌で湿らせる。魔素の熱を帯びた身体が少しだけ冷めてきた。

 

「いや……」

 

 小さく呟いたシヅキ。彼は“絶望”を眼の端に捉えながら、トウカの元へ駆け寄った。

 

「トウカ、大丈夫か?」

 

 肩を軽く揺すってみるが、トウカが眼を覚ますことはない。シヅキはトウカの頬へと手を触れた。

 

(冷てえな)

 

 普段よりもずっと低い体温は、トウカの身体に起きた異常性をまるで体現していた。事は一刻を争う……シヅキにはそう思えた。

 

「ほんとは救援を待ちたかったんだが、まぁ、しゃあねえわな」

 

 シヅキが取った選択は後者だった。ホロウとしての在り方より、それは……優先したいものだった。

 

「ほんとらしくねぇよ。お前」

 

 そうやって自身を非難しつつも、シヅキがとる動作には何一つ躊躇いなどないようだった。

 

 彼が布袋から取り出したのは1本のロープだった。次に、トウカの上体を起こし自身の背中へと引き寄せる。

 

 ロープを伸ばし、自身とトウカを囲うように縛り付ける。結目(むすびめ)を複数作ったため、少しの衝撃で落ちることはないだろう。

 

「錫杖は……いや、置いてくか」

 

 地面に転がる錫杖を一瞥した後、シヅキは再び“絶望”を眼に捉えた。

 

「ミィ、ミィ」

 

 遠くで、鳴いている。漆黒の花弁は今、一体何を思っているのだろうか? 周りにはまだ5本の蔦が生えていたが、それらはすっかり動いていない。色だって、毒々しい緑から、周りの花畑のような灰色に変貌していた。もう使う事は出来ないだろう。

 

「……気持ち悪い」

 

 吐き捨てるようにそう言ったシヅキ。彼は“絶望”へと背を向け歩き出した。

 

「……」

 

 数歩進んで、振り返る。それを何度も繰り返した。“絶望”から意識を逸らすことは出来なかった。

 

 シヅキが逃げるという選択を取ったのは、何もトウカの身を案じてだけではない。彼の中には大きな懸念がいくつもあったのだ。それを考えると、これ以上“絶望”を相手にすることは不策だと考えたのだ。

 

 頬をツーっと一滴の汗が伝った。口内に溜まった唾液を飲み込む。懸念を考えれば考えるほど、シヅキの中で不安感が押し寄せてきたのだ。

 

 ついに耐えきれなくなったシヅキ。小さく震えた声で、彼は吐露しようとした。

 

「あいつ。本当にもう――」

 

 

「グギィエアアアアアアアアアァァァアアアアアアア!!!!!!」

 

 

 

 ――シヅキの声は、慟哭(どうこく)のような鳴き声に掻き消された。

 



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逆撫でる

更新が空いてしまって申し訳ございません……


 

 何もかもをぶち壊さんとする轟音と共にそいつは現れた。

 

 立ち上る土煙に思わず顔を覆ったシヅキ。腕の隙間から覗く眼でその姿を見上げた。

 

 ――腕も、脚も無い。その全身を無数の細長い脚部のような器官が支えていた。その上部で(しな)っているものは……腕のようだ。顔部には人間の面影なんて残っていない。花弁だ。漆黒の花びらを咲かせているに過ぎない。

 

 その時、撓い続ける腕部から、小さな花が咲いた。恐ろしく既視感のあるソレは、シヅキを嘲笑うように鳴いた。

 

 

「ミィ」

 

 

 瞬間、身の毛がよだった。胃から何かがこみ上げてくる感覚に襲われる。魔素を脈立たせていないくせして、動悸が荒げた。

 

 全身5mは優にある、その植物を見上げながらシヅキは震える顎で言う。

 

「それが……“絶望”の本体かよ」

「グアアアァァァアアア!!!」

 

 再び鳴いた化け物……基い“絶望”。奴は脚部代わりの枯れ枝をシヅキへと向けた。

 

「――っ!」

 

 シヅキは声にならない声を漏らし、反射的に後ろへ跳んだ。

 

 瞬間、彼の立っていた地面に無数に枯れ枝が刺さった。 ……あれは。

 

「トウカを、刺したやつか」

 

 クソ! と吐き捨て、シヅキは全身に魔素を回した。“絶望”を視界に捉えながら、全力で距離をとろうとする。

 

 灰色の花畑を駆け抜ける。揺れないようにと、背負うトウカを腕で押さえながらシヅキは叫んだ。

 

「やっぱ……全部演技(ブラフ)かよ!」

 

 シヅキの中でずっと転がっていた懸念。それは、“絶望”が力を出し切っていないことだった。

 

 丘に逃げ込む以前に感じた魔素のノイズ……身体に悪影響を及ぼすほどに尋常じゃないソレは、間違いなく“絶望”が発したものだ。シヅキはそう確信していた。

 

 やがて丘で対峙した植物形状の魔人、“絶望”。奴が伸ばしてくる蔦を捌きながらも、シヅキはその手応えの無さに首を傾げていたのだ。浄化型最強と名高いコクヨ……そして彼女が率いる大隊は、本当にこの魔人にやられてしまったのか? 彼の中で疑問符は積もる一方だった。

 

 しかしそれを確認することは出来なかった。丘の空間では、土地の特性故に、ノイズを感じとることが出来ない。結果として、シヅキは正体不明の“絶望”? と戦わざるを得なかった。

 

 もし対峙していたのが“絶望”とは異なる他の魔人だったら。 ……そんな期待があったのは事実だ。だが、実際に正体を現したソレはどうだろう?

 

「クソッ!」

 

 シヅキは再び吐き捨てた。突きつけられた現実は、彼の想定の中で最悪のものだった。

 

 シヅキの脳内では、完全に逃げるという選択にシフトしていた。背中にトウカを背負っているというハンデもあるが、それ以上に勝機を見出せなかった。 ……身体が小刻みに震えている。“絶望”の叫びを聞いてから、恐怖感が再び訪れたのだ。

 

 間もなくして、シヅキは丘と廃れの森との境界部に辿り着いた。何の得策も思いつかないまま、シヅキは白濁の木々の中へと飛び込もうとする……

 

 

 それを、本性を現した“絶望”が許す筈がなかった。

 

 

 突如として、シヅキの行手……灰色の地面が大きく盛り上がった。這い出るかのように生えてきたのは太い蔦共だ。 ……道を塞ぐ意図があることは明らかだった。

 

 シヅキはすぐに進路を逸らした。丘の外周を沿うように走る。しかし、シヅキの先を遮断する蔦が生える。生える。5本なんかじゃない。気づいた時には何十本という規模の蔦に囲まれていた。

 

 大きく舌打ちをしたシヅキ。仕方なく来た道を振り返った。

 

 

 ……振り返って、悟った。

 

 

「ミィ、ミィ、ミィ、ミィ、ミィ」

 

 逃げることなんて不可能だと。

 

「……ざけんなよ、マジでよ」

 

 眼前に(そび)え立つは、“絶望”。漆黒の花が、脚部の枯れ枝から無数に生えている。奴らは嘲笑うかのように鳴きまくっていた。 ――お前はここで(ころ)す、と。

 

「ミィミィミィミィミィミィミィミィ」

 

 シヅキはギリギリと歯を噛み合わせた。襲われたのは、恐怖心よりも苛つきだ。もっと上手く出来たはずだ、そんな過去への後悔が降り積もってゆく……。

 

「クソがよ!!!」

 

 怒気の篭った声で荒らげたシヅキ。体内の魔素を操作……大鎌を生成。

 

「がァッッッ!!!!!」

 

 決してホロウが上げたとは思えない、魔人のごとき叫び。刃先を絶望へと向けた。

 

「ミィミィミィミィミィミィミィミィ」

 

 再び漆黒の花が咲いた。“絶望”の身体のみならず、花畑から生える。背後の蔦からも生える。無数に……生え続ける。

 

 

ミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィミィ

 

 

 シヅキを逆撫でる挑発的な鳴き声。魔素のノイズが無い静かな丘の中でコダマする。耳を塞ごうが、そんなの意味を持たない。圧倒的な物量を前に、空間は支配される。

 

 

 ――あぁ

 

 

 残された選択肢はもう、一つしかなかった。

 

「やるしか、ない」

 

 無骨な大鎌を構え直す。震える手で柄を持ち直す。刃先を“絶望”へと向けた。

 



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一閃

 

 今日だけで何度行ったろうか? 再び、魔素を脈立たせる。先程走るために使用した魔素の熱が未だ身体に残っている。そのせいで、体内がまるで沸騰しているようだ。

 

 熱い、痛い、苦しい。

 

 空気を喘ぐ。調子が良かった筈の身体は、既に擦り切れていることに気がついた。それでも、やるしかない。やるしか、トウカが(いきのこ)る手立てはない。

 

「やる、やる、やる…………」

 

 呪詛のごとく、何度も何度も繰り返し吐く。あからさまにシヅキが臨戦態勢に入っているというのに、“絶望”から攻撃を仕掛けて来なかった。奴は出方を窺っているというより、シヅキを見くびっているように思えた。

 

 ……いや、実際にそうなのだろう。初めから本体が現れなかったことも、蔦が5本しかないように見せていたことも、「ミィ」という耳につく鳴き声も。全て、シヅキの心を弄んでいたのではなかろうか。

 

「浄化型……舐めんな」

 

 ボロボロの身体を、それでも動かす。息を一つ吐いた。

 

(ぶった斬ってやる……)

 

 最後に心の中で吐いたシヅキ。灰色の大地をその脚で踏みしめる。姿勢を低く落とし、重心を一歩前に出した左脚に預けた。

 

(3……2……1!)

 

魔素を一気に脈立たせようとした。 ……脈立たせようとはしたのだ。

 

 

「ミィ」

 

 

 ――鳴き声が聞こえて、その後何が起こったのかすぐには分からなかった。

 

 

 一瞬だけ腕に振動が伝わったかと思うと、手にかかっていた重みが、全て消え失せていた。ゆっくりと首を動かすと、その手の中にある大鎌をナニカが貫通していた。 ……トウカを刺したものと同じ、枯れ枝だった。

 

 間もなくして、バリンと音を立て大鎌は粉々に砕け散った。刃も、柄すらもバラバラになっていた。漆黒の欠片たちが、地へと落ちてゆく。

 

 それを見届けることしか出来なかったシヅキ。 ……眼前に突きつけられた現実は、度し難いほどに無慈悲だった。

 

「…………」

 

 何も言わず、何も言えず、シヅキは前側へと崩れ落ちた。

 

 “絶望”が鳴く。

 

 

「グギャオオオオオォォォォォォアアアアアア!!!」

 

 

 襲われたのは、途方もない虚無感だった。思考したって、争ったって、何をしようとしたって……無意味なのだとシヅキは悟った。

 

 退路はない。“絶望”には勝てない。救援も来ず。

 

 シヅキの口元が歪んだ。

 

「はは……」

 

 乾き切った笑いが溢れた。視界が霞み、歪む。小刻みに震える身体は、まともに動かなくなっていた。

 

 言葉が漏れる。

 

「トウカ…………ごめん」

 

 シヅキは一つの記録(きおく)を思い出した。

 

 

『……そう。私は無理してたの。今日一日ずっと。頑張って、作り込んだキャラクターになろうとしたの。でも……全部バレてた……。初めて来たのに……ソヨさんにもたくさんのボロ出しちゃった。これじゃあ……計画が……』

 

 

 トウカと初めて会った日のこと。彼女は“計画”なんて言葉を漏らしていた。 ……結局のところ、彼女が求めるものは何だったのだろうか? ただシヅキが知っていることは、彼女が確固たる意志を持っていることと、褪せやしない琥珀の瞳をしていることだけだった。

 

「トウカ……お前、何がしたかったんだよ。こんな世界で、何を見ていたんだよ」

 

 背負うトウカの重みを背中に強く感じる。彼女はまだ存在している。 ……存在しているのだから、これから起こることが余計に辛い。

 

「ミィ」

 

 頭上から聞こえた鳴き声。見上げた視線の先に一輪の花が居た。漆黒の花弁が畝り揺れている。

 

 苛立ちも、あるいは激昂も無く、シヅキはただそれを見るだけだった。大鎌は物語った。奴の前で、シヅキというホロウはあまりにも無力なのだ。何も出来ず……空っぽで…………。

 

「ああ……」

 

 

 ――これが絶望か。

 

 

 カサカサと脚部の役割を果たす枯れ枝が(うごめ)いた。枝先がシヅキへと向く。トウカの胸を、シヅキの大鎌を瞬く間に貫いた枝だ。ボロボロの身体が、それに抗える筈なかった。

 

 ハァ、と溜息を吐いた。ゆっくりと眼を閉じる。 ……シヅキにはもう、()()()を待つだけだった。

 

 “絶望”が、シヅキを(ころ)す。そのための枯れ枝を伸ばした。

 

 

 グシュ、と。鈍い音が走る。

 

 

………………

………………

………………。

 

 

「……え?」

 

 強烈な違和感に、シヅキはバッと眼を開けた。そして、目の前の光景に大きく眼を見張る。

 

「シヅキ、それにトウカか。どうやら間に合ったようだな」

 

 そこに立っていたのは“絶望”ではなかった。いや、正確に言えば“絶望”とシヅキの間に1体のホロウが居た。そのホロウは……彼女はシヅキに背を向けていた。手には1本の刀を携えている。風が吹き、一括りにされた黒髪が靡いた。

 

「あ、あんたは……」

「酷い声だな。魔素の過剰使用で身体中が損傷しているか。無理はするな」

 

 淡々とした声で述べ続けるホロウ。こんな状況下だって、いつもと調子は変わらずに。だからこそ、シヅキは圧巻された。

 

 

「グガァァァァァァァァァ!!!」

 

 

 “絶望”が叫ぶ。先程までより音圧が高い。怒りめいたものが篭もっていると、シヅキは感じた。

 

 間も無くして、枯れ枝が蠢き、膨張した。 ……攻撃の合図だ。

 

「マズ……!」

 

 シヅキは叫ぼうとしたが、上手く声が出ない。咄嗟に伸ばした右腕は、何も掴むことなく、ただ空を斬る。

 

 瞬間。

 

 シン、という甲高い音ともに、シヅキの眼前に白色の光が真横に一閃走った。遅れて、“絶望”の態勢が大きく傾いた。見ると、枯れ枝の一部分が真っ二つに切断されている。 ……大鎌を一瞬でぶっ壊した、あの枝共がだ。

 

「有り得ねえ……」

 

 シヅキは口をポカンと開け、首を横に2度振った。呆気に取られたシヅキを知ってか知らずか、ホロウはやはり淡々とした口調で言う。

 

「ワタシのことは気にかけるな。後のことは全て任せろ」

 

 今まで背を向けていたホロウ。彼女はこちらを振り返った。その真っ黒な左眼が、シヅキのことをハッキリと捉える。

 

 

「……魔人は全て、根絶やしだ」

 

 

 先程までとは異なり、随分と低いトーンで述べたホロウ。彼女は瞬く間にシヅキの元から消えた。そう思わせるほどのスピードで動いたのだ。

 

 気づいた時には、シヅキの背後から鈍い音が連続で鳴った。退路を塞いでいた蔦共が一遍に斬られたのだ。

 

「グガァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!」

 

 再び、“絶望”が鳴いた。斬られた枯れ枝を再び伸ばし、ガサガサと動き出す。その行く先には先程のホロウがいた。いつの間に、あんなに距離を取ったのだろうか?

 

 間もなくして、けたたましい金属音が鳴り響いた。ホロウは、無数に伸び続ける“絶望”の蔦と枯れ枝共を捌き続けていた。 ……明らかに善戦している。

 

「なんだよ、あれ……」

「そっすよねー! 初めてコクヨさん見たらそうなっちゃうすよねぇ!」

 

 突然後ろから聞こえてきた陽気な声に、シヅキの肩がビクリと跳ねた。

 

 振り返った先には赤毛のホロウが。ボサボサの髪で、目鼻立ちがハッキリとした男だ。しかし、その表情からは軽薄な印象を受けた。彼はニッと笑い、ヒラヒラと手を振る。

 

「雑談などしてる場合か。迅速に命令を遂行するぞ」

 

 そいつの隣には眼鏡をかけた堅物そうなホロウ。こいつは見たことがあった。

 

「あんた……大ホールで喋ってた……」

「貴様も貴様だ。コクヨ隊長から『無理はするな』と指示をされていたのではないか? 口を開いて無駄に体力を消耗するな」

「……なんで、こんなところに」

「はァ。救援の通心をしたのはお前じゃなかったか?」

 

 救、援……救援。 

 

 ――あぁ、そうか。

 

 呂律が回っていない口でシヅキは呟いた。

 

「トウカは……助かった…………の……か」

 

 一気に身体から力が抜けて、唯一その身体を支えていた両腕すら折れてしまった。

 

「うっわ! だいじょーぶすか!?」

「ふん……気を失ったか」

 

 赤毛と眼鏡のホロウがそれぞれ言葉をかける。しかし、既にその言葉はシヅキの耳に届いていなかった。

 

 微睡みを飛び越え、深い、深い眠りの世界に沈んだシヅキ。彼が次に目を覚ましたのは、それから丸2日後のことだった。

 



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目覚め

 

 真っ黒な闇の中で眼を覚ました。

 

 普段、生活を送っている闇空の下。そんな世界とは比にならないほどに暗い闇だ。上下左右すら曖昧な空間はひたすらに静寂だった。

 

 ――なんだここ。

 

 戸惑いながらも辺りを見渡す。しかし、一切の視覚が効かない闇の中では意味を成さない。

 

 (しばら)くその場に立ち尽くしていたが、それで何かが起きるわけでもなかった。仕方なく、歩いてみることにした。

 

 1歩、また1歩と足を進める。その度にカツ、カツと足音が響いた。その反響音がこの闇には何もないことを強調しているようだった。

 

 ――気味が悪いな。

 

 やはり暫く歩いてみても、何かが起きるわけではなかった。溜息を溢し、再びその場に立ち尽くす。

 

 なぜ自分はこんなところにいるのだろうか? どうも意識が曖昧で、思考が働かない。ただ自分から何か行動をしたところで、この闇の中からは抜け出すことは出来ないのではないか? と直感的には思った。

 

 ……そう。()()()()は、だ。

 

 

 ズズズズズズズズズ

 

 

 その時、身体が一気にひり付くような感覚に襲われた。この感覚には嫌なほどに覚えがある。そう、魔人が近くに居る合図だ。

 

 考えるよりも先に、反射的に身体が動いた。体内の魔素を脈立たせて、応戦を試みようとする……しかし。

 

 ――魔素が……回らない!?

 

 明らかな異常だった。いつもとは異なる変な世界の中に居るせいだろうか? 自分の身体を制御出来ないことに気がついた。

 

 焦燥に駆られながら齷齪(あくせく)としている間にも、ノイズは段々と大きくなってくる。間も無くして、周囲一体が濃いノイズ反応で囲まれてしまった。

 

 ――くそ! んだよこれ!?

 

 相変わらず空間は闇のままだ。何も見えず、何も聞こえない。ただノイズだけが身体を大きく蝕んでいく……

 

 ただ、いつまでもそのままという訳ではなかった。自身が発したものではない音が聴こえてきてたのだ。

 

「…………」

 

 何の音かは分からない。ただ、物音の類いでは無さそうだった。掠れ掠れのその音の最中には息が混じっていた。 ……つまり、声だ。

 

 ――魔人が発したもの?

 

 再び声が聞こえてくる。

 

「………イ」

 

 だんだん鮮明になってくる。

 

「……シイ」

 

 大きく衝撃を受けた。

 

 ――言語を話そうとしているのか!?

 

 魔人は、魔人特有の声を発する。それはホロウが普段遣いする言語とは程遠いものだ。だからこそ、耳を疑わざるを得ない。

 

「クル……シイ」

 

 ――苦しい?

 

 男か女かも判別できない声だった。それを認識してからというもの、あらゆる方向から、いくつもの声が一斉に降りかかってきた。

 

 

「クルシイ」「ツライ」「ダルイ」「シンドイ」「ユルサナイ」「シニタイ」「タスケテ」「シンデクレ」「オワリタイ」「オワレナイ」「ナニモナイ」「カワイタ」「オナカヘッタ」「アツイ」「サムイ」「オモイ」「コワイ」「カエシテ」「カエリタイ」「クライ」「イタイ」「トホウモナイ」「ジカンガナイ」「ジカンシカナイ」「ナニモナイ」「ヒトリダ」「サビシイ」「キボウガナイ」

 

 

 ――やめろ。

 

 止まない。

 

 

「センソウ」「デンセンビョウ」「テロ」「ジサツ」「キガ」「フサク」「ジシン」「カサイ」「ツナミ」「サギ」「ドレイ」「スリ」「コロシ」「イジメ」「ムシ」「ボウリョク」「リョウジョク」「オセン」「ゼツボウ」「ゼツボウ」「ゼツボウ」「ゼツボウ」「ゼツボウ」

 

 

 ――やめろ!!!!!

 

 止まない。いくつもの負の言葉が浴びせ続けられる。制止の声を叫んでも、耳を塞いでも……何一つ変わらない。

 

 ――やめろ、やめろ。

 

 何度も、何度も繰り返す。無数の声は、それでも増え続け、闇に覆われた空間は完全に支配された。

 

 反響を続ける声の圧に耐えきれず、その場に(うずくま)る。身体の自由は効かなくなってしまった。

 

 ついに自分の中のナニカが決壊し、弱々しく呟いた。

 

 ――何なんだよ……お前ら。

 

 ふと、すぐ傍にナニカの気配を感じた。耳元に誰かが居る。しかし、石のような身体は全くといっていいほど動かない。

 

 何も抵抗できず、為す術はなく。その気配はゴソゴソと動いた。耳元で言葉を囁いたのだ。

 

 

 

 

「ナニモシラナイクセニ」

 

 

 

 

 

「ああああああああああ!!!!」

「うぉ……ビックリしたなぁ」

 

 激しい動悸と共に、シヅキは眼を覚ました。

 

 肩で息を繰り返しながら、辺りを見渡す。すぐに真横に居る見知った存在に気がついた。

 

「ヒ……ヒソラ?」

 

 そこにいたのは頭身がやけに低いホロウ。性別は男だが、他と比べて声も高く、背も小さい。故に一目見れば誰か分かるくらいには印象的なホロウ……ヒソラだった。

 

「うん。僕だよ。おはよう、シヅキくん」

 

 自身の胸元あたりで手を小さく振ったヒソラ。その顔に親しげな笑みを浮かべていた。

 

「医務室か……ここ」

「そだよー。さすがシヅキ。状況把握が早いね」

「……じゃああれは夢だったのか」

「あれって?」

「いや、今はいい」

 

 シヅキが軽く首を振ると、ヒソラは口元をへの字に歪めた。

 

「シヅキくん、ここ数時間くらいずっと(うな)されていたよ? いくら夢でも、現実の身体に影響は出てくることもあるんだ。話してみてよ。一応、ボク医者だし」

「……」

 

 シヅキはヒソラのことが苦手だった。毎回話すたびに会話のペースを握られてしまうからだ。ヒソラの指示には逆らえない……とまでは言わないが、どうも従う癖のようなものが身についてしまっていた。

 

 ハァ、とシヅキは溜息を吐いた。思い出したくない記憶を掘り返し、出来るだけ細かくヒソラに伝える……

 

 

………………。

 

 

「――って感じだ」

「なるほどねぇ」

 

 両腕を組み、ウンウンと頷いたヒソラ。シヅキには、まるでそれが心当たりのあるように見えた。

 

「なんも分かんねーだろ。こんなの聞いたって」

 

 吐き捨てるように言ったシヅキ。しかしながら、予想に反してヒソラは(かぶり)を振った。

 

「……いや、特定のホロウには起こる症状だよ。稀なケースだけどね」

「特定の……ホロウ?」

「言い方がクドイかな。ホロウの中にはそんな夢を見る個体も居るってこと」

「病気の類いか?」

「んーーー言い切れないかな? サンプル数が少ないから。でも、僕が知っている限りはその系統の夢が、身体に影響を及ぼしたことはないね」

「……そうか」

 

 ヒソラの言葉を聞いても、シヅキの表情は晴れなかった。ただ悪夢を見るだけ……だったら良いかとは割り切れない。

 

「ま、心理面でのサポートも行うことはやぶさかじゃないよ? 医者だし」

「別に、んな(やわ)じゃねーって。 ……それより、俺の身体はもう治っちまったのか? 魔素の過剰利用だろ」

「完治はしてないよ。ボッロボロだったからね。暫くは絶対安静だよ」

「……分かった」

「まぁ、傷の具合で言ったらトウカちゃんよりは――」

 

 トウカ。その言葉を聞いた瞬間、シヅキの身体がビクリと跳ねた。

 

「トウカ……そうだ。トウカはどうなったんだよ!?」

 

 ベッドに横たわっていた身体を無理に起こし、ヒソラの両肩を強く掴む。

 

「おぉ、ビックリしたなぁ。トウカちゃんなら……あっち」

 

 ヒソラは人差し指を自身の首元に寄せた。それが指していたのは部屋奥のスペースだ。

 

「話は後だ」

「ちょっと! あんまり無茶は……あぁ、もう」

 

 ヒソラの注意の声を聞くことなく、シヅキはベッドから飛ぶように降りた。身体を引き摺り、部屋奥の空間を目指す。

 

「んだこれ……重い」

 

 全身に重りでも纏っているように、身体は自由が効かなかった。地面に押さえつけられる感覚がシヅキを襲う。それでも、歯を食いしばり歩を進めた。

 

 1歩、2歩、3歩。眼前に現れたのは、巨大な布で仕切られた小空間だった。

 

「〜〜〜〜〜〜」

 

 近づくと、小空間からはくぐもった声が聞こえてきた。中に……誰かが居る。脚を懸命に引き摺り、シヅキはついに布へと手をかけた。

 

 シャッ

 

「ちょっと誰……シヅキ!? 眼を覚ましたの!?」

 

 勢いよく布を引いたシヅキ。するとそんな驚嘆の声が飛び込んできた。

 

「……ソヨか」

 

 普段の制服ではなく、私服を着たソヨがそこには座っていた。驚き半分、呆れ半分の声で彼女は言う。

 

「あんた……急に開けないでよ。デリカシー考えて!」

「説教は後で聞く。 ……それより、トウ――」

「シ、シヅキ」

 

 凛とした、しかしながらどこか頼りのない声。聞き覚えのある声が聞こえた。ハッと息を呑んだシヅキ。ソヨに合っていた焦点をゆっくりとズラした。

 

 

 ――琥珀に透き通った大きな眼。筋の通った鼻筋、僅かに紅潮した頬、薄桃色の唇。そして……白銀色をした長い髪。

 

 

「あ……」

「急に現れるから、ビックリしちゃった。でも……良かった、シヅキもちゃんと眼を覚ましたんだね。私もちょっと前に起きたばかりで、あんまりよく把握できていないんだけど、ソヨさんが色々と話してくれているとこ…………わっ!」

 

 その少女の声は、途中で小さな悲鳴へと変わった。彼女にとって予想だにしないことが起こったからである。

 

「シ、シヅキ? ど、どうしたの急に……」

 

 困惑の声を漏らす少女。一方で、その光景を見ていたソヨは開いた口が塞がらなかった。

 

「トウカ」

「は、はい……え? な、なに?」

「……良かった」

「そ、それはどうも。 ……ぇっと、急に抱きつかれるとは思わなかった」

「…………」

「な、何か喋って欲しいんだけど」

 

 右に左に視線を向ける少女……基いトウカ。何を言えばいいのか、何をすればいいのかよく分からない。助け舟を求めようにも、ソヨは固まったままだし、ヒソラはただニコニコと笑みを浮かべるだけだった。

 

「あー……うぇ……」

 

 情けない呻き声のみを発し続けるトウカ。彼女が最終的に搾り出した言葉は、何ともまあ他愛のないものだった。

 

 

「お、おはよう……シヅキ」

 

 シヅキの胸の中で、トウカはぎこちなく笑いながらそう言った。



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戯れる

 一つ、長く息を吐いた後、シヅキはゆっくりとその上体を起こした。

 

 腕と、胸の中にあった温もりが離れていく。すぐに視線の先に映ったのは、何とも言えない表情を浮かべたトウカだった。

 

「も、もう大丈夫そう……?」

 

 少しだけ首を傾げて、恐る恐るの口調で訊いたトウカ。シヅキは返答の代わりに、その腕を徐に伸ばした。

 

「……え?」

 

 そして――

 

「いてっ!」

 

 軽い力で弾いた指は、見事にトウカの額を捉えた。テチ、という間の抜けな音が響く。

 

 トウカはいつかのように額を抑えながら叫ぶように言った。

 

「な、なんで私デコピンされたの!?」

「うるせ。病室だぞここ」

「ひ、酷すぎる……」

 

 睨むように見てくるトウカを目の端に捉えつつ、シヅキはそっぽを向いた。

 

「ねぇ、シヅキ?」

 

 そんなシヅキに声を掛けたのは、ソヨだった。やけに声が高く、機嫌が良さげだ。 

 

「んだよ」

 

 そのことを訝しく思いつつも、無防備に振り向いたシヅキ。彼のおでこにピトリと何かが当たった。目の前に映ったのは、満面の笑みのソヨだ。

 

「おい待て。何を……」

 

 バチン

 

 乾いた破裂音とともに、脳天が揺れた。少し遅れて鋭い痛みが走る。

 

「いっっってぇ!!!」

「当然よ? 本気で額を弾いたんだから」

「何すんだよ!」

「こっちのセリフだけど?」

「あぁ?」

 

 涙目で見上げたソヨは、随分と冷めた目をしていた。

 

「着替えしているかもしれないのに、いきなりカーテン開けて? トウカちゃんに抱きついて? かと思ったらデコピンって……あらあらまあまあ」

「ソヨが怒ることじゃねーだろ。それ」

「うっさい。懲戒免職ね」

「イカれてるだろ」

「い、いくら何でもやりすぎですよ……それは」

 

 トウカは眉を潜めてを言った。

 

「……でも釈然としないので、次は指3本でデコピンしてください」

「おっけー。任せて!」

「おい」

 

 片目を瞑り、右指をパチパチと弾くソヨ。向けられたその先にあるのは、無論シヅキの額だ。

 

 シヅキはハァ、と溜息をついて、その場からサッと移動した。

 

「あ、コラ! 逃げないでよ!」

「わざわざやられる訳ねーだろ」

「やられる義務があるから言ってんだけど」

「んなもん行使してんじゃねぇよ」

「誇張して上司にチクるわよ?」

「権力に訴えようとするな」

 

 その時、パチンと大きな音が鳴った。シヅキとソヨは反射的にその方向を見る。

 

「2体ともいい加減にして。ここは病室で、ましてやシヅキは病人。分かってる?」

 

 その眉間にシワを寄せて、呆れた表情をしているヒソラ。ソヨはその姿勢をただし、サッと身を退いた。

 

「すみませんでした……」

「シヅキくんも、トウカちゃんに謝ってね」

「……チッ、わーったよ」

 

 バツが悪そうな表情を浮かべながら、トウカに向き直ったシヅキ。鼻から一つ息を吐き、言った。

 

「その……すまなかった。急によ」

「べ、別にそんなに怒ってはないよ? デコピンもそんなに痛くなかったから」

「トウカちゃん。抱きつかれたことはいいの?」

「おい、掘り返すなよ」

 

 横目で睨んだソヨは、ヒソラに気づかれないように、小さく舌を出していた。

 

(あいつめ)

 

 さらに眉間にシワを伸ばしたシヅキ。一方で、そんなやりとりをツユも知らないトウカはというと、その首を傾げつつ、こう言ったのだ。

 

 

「抱きつかれたのはちょっとビックリしたけど……そんなに嫌ではなかった、かな」

 

 

「「え?」」

「え! そ、そんなおかしなこと言ったかな……私?」

 

 慌ただしく、シヅキとソヨへ交互に視線を向けるトウカ。対する彼らは間抜けに口を半開きに開けていた。

 

 

…………。

 

 

「とにかく。2体ともしっかりと謝罪したってことで。そうやって(たわむ)れるのもいいけど、そろそろ話を進めよう」

 

 場に流れた変な空気を遮ったのは、ヒソラだった。年長者の彼らしい立ち振る舞いだが、如何せん容姿のせいで強烈な違和感があった。

 

「? どうしたの、シヅキくん?」

 

 そのクリクリとした大きな瞳でシヅキを見上げるヒソラ。シヅキは自身の唇を舐めた後、後ろ髪を掻きながら言った。

 

「……いや、何でもねーよ。続けてくれ」

「うん。そうさせてもらう。 ……ということで、シヅキくんとトウカちゃん。2体とも植物形状の魔人、通称“絶望”に遭っておきながら、よく帰ってきてくれたね。まずはそのことについてお礼をしたいと思うよ。ありがとう」

 

 ペコリと頭を下げたヒソラ。カクンと深く折れ曲がった背中が、彼の感謝の大きさを物語っていた。

 

「わ、私は……何も出来なかったです。お礼なら、シヅキへと全部……」

「トウカちゃん、そんな真似できないね。出来た出来なかったなんてこと、どうでもいいんだ。今あることが全てだから……分かるかな?」

「は、はぁ……」

 

 トウカは自身の前髪を人差し指に巻き付けた。くるくると回し、解くのを繰り返す。

 

「シヅキも、トウカちゃんを守ってくれてありがとうね」

「……ああ」

 

 そうやって謝辞を受け取りながらも、シヅキの中では1つの記録(きおく)が思い返されていた。 ……それを思うと、胸を張ることなんてとてもじゃないが出来やしなかった。

 

「そのことについては、わたしからも言わしてね? ……シヅキ、トウカちゃん。よく帰ってきてくれたね……おかえり」

 

 珍しくソヨが素直にそんな言葉を投げかけてきたことに、シヅキは眼を丸くした。揶揄(からか)おうかとも思ったが、寸で辞めた。

 

「た、ただいま?」

 

 トウカはというと、少しだけぎこちなく、そんな返事をしてみせた。

 

(律儀なもんだ)

 

 パン、と音が響く。先ほどのように、ヒソラが手を叩いた音だ。

 

「さて。(ようや)く当事者が揃ったから、色々と話さないといけないことがあるんだ。 ……ちょっとだけ、長い話になるし、きみたちに訊きたいことも多い。でも、きみたちは病み上がりもいいところだし、何より頭を整理する時間が欲しいと思うんだけど……」

 

 ヒソラはハァ、と小さく溜息を吐いた。代わりに話を続けたのはソヨだった。

 

「わたしたちに命令が下されているのよ。シヅキとトウカ……2体が眼を覚まし次第、早急に“絶望”に関する全データを回収するようにってね。 ……だから、悪いんだけど――」

「その話を今からしろってことだろ? ああ、俺はいいぜ」

 

 ソヨの話を遮って、シヅキが返事をしてみせた。トウカほどとは言わないが、ソヨも他者のことを気にしすぎる節がある。シヅキはそのことを十分に知っていた。

 

「わ、私も! 上手くお力添え出来るかは分かりませんが……」

 

 両手の拳をギュッと握り、そう答えたトウカ。シヅキが見るに、今のところそこまで疲れ切っているようには見えなかった。

 

「……そっか。うん、分かった」

 

 シヅキとトウカの表情を交互に見比べたヒソラ。彼は大きく、そしてゆっくり頷いた。

 

「出来るだけ短くなるようには努力するよ。 ……じゃあ、まずは一番大きなところからいこうか。“絶望”の存在有無についてだね」

 

 ヒソラはゆっくりとその瞳を閉じて、長く息を吐いた。そして、一息に言ってみせる。

 

 

 

「朗報だよ。ちょうど昨日、浄化型コクヨと彼女が率いる大隊の一部によって“絶望”はものの見事に浄化されたよ」

 



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