神々の戯れ (彼岸花ノ丘)
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目覚め

 ずどんっと、強烈な衝撃が『彼』の頭を打った。

 惰眠を貪っていた彼は予期せぬ衝撃により目を覚ます。痛みと熱が身体を駆け巡り、寝惚けた彼の頭を大いに混乱させた。ややあって覚醒した意識は、何かしらの敵が攻撃してきたのかと判断し、身構える。

 ところが周りに敵の姿はない。

 彼の目の前に広がるのは深海の風景。光の届かない領域には海藻どころか魚や甲殻類の姿も疎らで、暗く静かな水の色が何処までも続いていく。彼に危害を為すような存在は何処にも見えない。気配も探ってみたが、これといって感じられなかった。

 はて、気の所為だろうか? 彼は一瞬そう考えたが、しかし身体の痛みは今も残る。やはり気の所為なんかではないと確信し、更に考え込んで……自分の周りの大地がすり鉢状に凹んでいるのを見て、ようやく答えに辿り着く。

 成程。()()()()()()()()()、と。

 それも恐らく数十メートル級の、それでいて細長い、比較的空気抵抗や水の抵抗を受け難い形状のものだ。そうでなければ自身がいる海底四百メートル地点まで届く事はないし、ましてや自分を叩き起すほどの衝撃を起こす事もないのだから。

 今頃地上では、津波やら水蒸気やらで被害が出ているかも知れない。しかしそんなのは彼にとってどうでも良い事だ。原因が分かれば、もう気に留める必要はない。さぁて二度寝しようと海底を掘ろうとして、ふと思う。

 自分が眠りに就いてから、どれだけの時が流れたのだろうか。

 疑問を抱いた彼は、二度寝を止めて動き出した。そして海底に沈んでいたその身体を、ゆっくりと動かす。

 彼は細長い、丸くて細長い胴体を持っていた。

 胴体の長さは()()()()()()ほど。胴体の先端は丸みがあるものの細くなり、一応は円錐と呼べる形を取っている。胴体には上下左右に一枚ずつ、合計四枚の三角形をしたヒレが付いていた。ヒレは胴体の端から端まで伸びており、幅は最も広い場所で五十メートルほどはあるだろうか。表皮は分厚いものの軟体質で出来ており、鱗などがない滑らかな質感をしていた。

 そして胴体の先には頭があり、頭の先に足が付いている。

 足の数は六本。触手のように細長く、内側には無数の吸盤が等間隔で並んでいる。吸盤の内側には三本の『爪』が生え、更に足先には鉤爪が付いているなど、攻撃性の高さを窺わせた。六本の足が生えている頭の中心には口があるのだが、その口は四枚の嘴が合わさって出来たもので、どんなものでも噛み砕いて食べる姿が想像出来るだろう。

 頭には角も触角も生えておらず、三分の一ほどの大きさがある目玉が二つ嵌っていた。魚よりも無機質で、一切の感情を感じさせず、されどこちらの全てを見透かすような印象の目だ。その目には上下に開閉する『瞼』のような膜があり、パチパチとこれを動かして瞬きする。

 足の数や瞼の存在などの違いはあれども、彼の姿は『イカ』と呼ばれる生物に酷似していた。そして彼はそれを自覚出来るほどに、優れた知能も持ち合わせていた。

 彼は六本の足を広げ、海中の『成分』を分析する。カリウム、カルシウム、金、ウラン……あらゆる元素の同位体を調べていき、自分が眠った頃の海水と比較。

 恐らく、四百万年ほど眠っていたと計算した。

 思っていたよりも時が過ぎていて驚いた。それと同時に疑問も抱いた。今、この世界はどうなっているのだろうか。どんな面白いものがあるのだろうか。

 誰が間抜けにも、支配者面をしてのさばっているのか。

 幸いにして、彼の目覚ましとなった隕石は大した大きさではなかった。津波の被害は限定的であるし、巻き上げた水蒸気の量は環境に大きな影響を与えるものでもない。地上は隕石激突前と然程変わらぬ様相を保っているだろう。

 『観光』するのに支障はない。

 だから彼は地上を目指す事にした。好奇心と欲望の赴くままに、やりたいようにやりたい事をする。彼は、彼等の種族はそうやって生き、繁栄してきたのだから。

 全ては戯れのままに。

 しかし戯れが、時には大きなものを生み出す事もある。彼自身の運命だけでなく、彼等の種族の行く先すらも。

 そして今の地球を支配する種族、人間の命運すらも、彼の戯れが生み出すものから逃れられないのだ――――



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好奇心

 彼等の種族が地球に誕生したのは、彼が目覚めたこの時代からかれこれ四億年前の事である。

 軟体動物の一種から派生した彼等……彼等は自身をクトーラ族と呼ぶ。個人名は持たないが、目覚めた彼は『クトーラ』と呼ぼう……は、外敵との生存競争を勝ち抜くため巨大になる進化を遂げた。更に脳の肥大化で知能も高くなり、仲間同士で協力する術も得た。奇跡的な突然変異を短期間で幾つも得たクトーラ族は、強大な力と知恵で深海を支配。生物の本能として勢力を広げようと、やがて浅瀬や陸地への進出を試みた。

 しかし事はそう簡単にいかなかった。

 当時、強大な生物が誕生したのは深海だけではなかったのである。浅瀬や陸地でも様々な生物が力を得ており、自らの勢力を広げようとしていたのだ。中にはクトーラ族を遥かに上回る力を有した種族もいて、思うがままに暴れ回っていた。

 脅威となる存在とクトーラ族は戦った。時には勝利し、時には敗北し……一進一退を繰り返し、遅々として勢力は広がらず。戦いは一億年以上続き、クトーラ族は徐々に数を減らしていった。種族としての敗北は明確であり、直ちにではないが、絶滅の時が迫っていた。

 その時、『幸運』が訪れた。

 大規模な気候変動が起きたのである。気温が急上昇し、酸素濃度が急激に低下していった。火山活動の活性化により酸性雨が多発し、太陽光は遮断されて日照不足に。そして環境変化により起きた大量絶滅で、餌となる生物が激減した。

 様々な環境変化も辛かったが、一番の問題は餌の減少だった。クトーラ族やその敵達も、食べ物がなければ生きていけない。このままでは戦いどころではないと判断したクトーラ族は、危機を乗り切るため一つの決断をした。

 その決断は、休眠によりこの気候変動をやり過ごそう、というもの。

 海底深くの地中に潜り、深い眠りに就くのだ。気候変動が終わり、再び生命に溢れた世界が戻る時まで。

 作戦は成功した。生物種の九割以上が死に絶えた絶滅も、一千万年も経てばそれなりに回復していた。また休眠を行ったのはクトーラ族ぐらいなもので、他の種族は気候変化を乗り切れずに絶滅していた。全くのいない訳ではなかったが、クトーラ族ほど勢力を保てていたものはいないし、休眠から目覚める気配もない。

 更に二億年も経った頃には、地上にも海底にも空中にも、クトーラ族の脅威となる存在はすっかり姿を消していた。邪魔者はもう誰もいない。今度こそクトーラ達は世界を自分のものに出来る。

 だが、一族の勢力拡大をしようと考える者は殆どいなかった。

 理由は()()()()()。脅威が存在した時は、自分達の生存圏確保の意味もあって全力を尽くした。何より死力を尽くさねば勝てない、尽くしても勝てない時がある戦いは、スリリングで胸が躍るもの。そうした『刺激的』な日々を過ごしていたため、ライバルがいないとどうにも気持ちが燃えない個体ばかりになっていた。やる気をすっかり失ってしまったのである。

 これが昆虫のように単純な生物ならば、種族繁栄のため身体が勝手に動いただろう。しかしクトーラ族は少々賢くなり過ぎた。やる気が本能を凌駕してしまったのである。眠ったままではいずれエネルギー不足で死んでしまうが、起きる気力がないのだからどうしようもない。

 そうしてこの時代まで大した行動を起こさず、だらだらと生き延びてきた一族の一体が、此度隕石の激突により覚醒したクトーラという訳だ。彼は昔からちょいちょい目覚めては活動している『変わり者』で、直近の目覚めは四百万年である。

 

【シュオオオオオオオ……】

 

 久しぶりに泳ぐ海原の感触を楽しみながら、クトーラは一気に深海から海上まで昇っていく。

 通常、海洋生物にとってこのような動きは自殺行為だ。理由は水圧の違い。海底深くは水深が高く、そこに適応した生物は水圧に対抗するため身体の圧力を高めている。これでもし急に水圧の低いところに行ってしまうと、自らの高い圧力によって、内臓などが飛び出してしまうのだ。網で引き上げられた魚が、口から浮袋がはみ出しているのが良い例である。

 だが、クトーラにとっては問題ない。

 彼等の体表面は特殊なタンパク質で出来ており、この表皮により水圧に耐えている。つまり純粋な硬さで、内部の気圧変化を遮断しているのだ。呼吸器系も表皮と同じく頑丈な組織で出来ているため、一千メートルの深海から海上程度の水圧変化であればビクともしない。

 

【シュオー】

 

 悠々と泳いだクトーラは海上から顔を出す。それから大きく発達した目で、空を見上げた。

 空に浮かぶのは、燦々と輝く太陽。

 そういや四億年前()と比べるとちょっと眩しくなったなぁ、とクトーラは思った。事実太陽の輝きは年々強さを増している。核融合により水素が使われた結果、外側に向かう圧力が低下し、勢いを増した重力によって中心部が今まで以上に収縮。更に激しい核融合が起きるようになり、その分多くエネルギー……光を放つという理屈によるものだ。その変化は四十五億年で三割強くなった程度で、百年二百年で分かるものではないが、四億年前を知るクトーラであれば少しは認識可能なものだった。

 太陽の明るさを染み染みと感じたところで、クトーラは次に海面付近の景色を眺める。

 通常、水中と大気中では屈折度の違いから、それぞれに合った目で見なければちゃんとした映像は見えない。陸上生物が水中で目を開けても、ぼやけて見えるのはそうした理由からだ。

 しかしクトーラ族の目は違う。彼等の眼球内を満たすのは特殊な油分を数種類含んだもの。この油分の比率を調整する事で屈折率を変化させ、水中でも大気中でも透き通った景色を見る事が出来る。

 尤も、どんなに優れた視力でもないものは見えない。大海原のど真ん中にいたクトーラの目に見えるのは、変わり映えしない海原だけだ。

 

【シュゥゥ……シュオオオオオッ】

 

 ならばとクトーラは、大空へと飛び上がった。

 クトーラ族の体組織には大量の鉄分が含有されている。本来これは身体の頑丈さを増すための仕組みなのだが、その鉄分に生体電気を流して磁石化。強力な磁力を発生させる事も出来た。

 この磁力で地磁気を捉え、身体を引っ張り上げる事で浮遊する。

 地磁気を利用しているため、消費するエネルギーは体内の鉄分を磁石化させるために使う生体電気の分だけ。極めて効率的な飛行能力だが、欠点が一つだけあった。

 どうしようもなく遅いのだ。頭を含めれば二百三十メートル、頭から伸びている腕も含めたら四百十メートルもあるクトーラの巨体が、たったの時速百キロほどしか出せていない。水中であれば、電気を使うまでもなくこの十倍以上の速さで泳ぎ回れるというのに。

 ()()を出せばもっと速く飛べるが……疲れるのでクトーラは理由もなく全力を出す気もない。何より飽きっぽいのと同時に、クトーラ族は割と暢気な性格でもあった。何しろ大量絶滅を目の当たりにして「寝れば良いんじゃない?」と考える種族である。遅いなら遅いで、四百万年ぶりに見る景色を楽しむぐらい心は余裕に満ちていた。

 ちなみに呼吸も生体電気で水を分解して得ている。しかも鰓にはカリウムなどのイオンが多量に含まれており、これにより浸透圧の働きで空気中の水分が体内に取り込まれる仕組みだ。砂漠など空気が乾燥した環境に長時間留まらない限り、大気中でも呼吸に支障はない。

 

【シュオ、オオ〜。シュォォー】

 

 暢気に『歌』を口ずさみながら、クトーラは適当に前進を続けるのだった。

 ……………

 ………

 …

 かくして数時間と海上を進んでいたクトーラは、ついに地平線に陸地が見えるところまで辿り着いた。さてさてどんな環境が広がっているのかと、その大きな目を突き出すようにして観察する。

 そして驚きから、更に大きく目を剥いた。

 陸地にあったのは森だった。しかし樹木によるものではない。白い岩のようなものが乱立して、森染みた景色を作っているのだ。岩は高さ数十〜百メートル以上、クトーラの身体よりも巨大なものも少なくない。更に岩は歪みない四角形、或いは円形など、種類はあるがいずれも自然に形成されたとは思えない形状をしている。

 多くの動物は、それがなんであるのか理解も出来ないだろう。そもそも違和感すら抱かないと言うべきか。しかしクトーラは違う。彼の優れた知能は目の前の景色の異様さを感じ取った。そしてそれがなんであるのかにも気付く。

 これは『都市』だと。『文明』なのだと。

 何故なら彼には、文明と接した経験があったからだ。

 

【シュォォー】

 

 クトーラは過去、前回の活動期である四百万年ほど前について思いを馳せる。

 当時、彼は『文明』を築いた。

 強大な肉体を持つクトーラ族は文明など必要としなかったが、文明を作り上げるだけの知能は持ち合わせていた。四百万前に(海底火山の噴火が直撃して)目覚めたクトーラは、当時一番知能が高いように見えた猿の一種の前に君臨。戯れに、その猿達に文明を授けたのである。

 与えた知識は食物の効率的な生産方法、それと外敵の撃退方法。

 食料と安全を手にした猿共の文明は存分に発展し、その個体数は十数万程度には増えた。分業化や政治も始まり、余暇を楽しむため様々なエンターテインメントが発達した事も覚えている。尤も、五百年ぐらい観察したところで飽きてきたので、『文明破壊ごっこ』として跡形もなく破壊したが。あの時の猿共の逃げ回り方は見ていて面白かった。とはいえこれも所詮遊びであって、猿達を根絶やしにしようとした訳ではない。

 もしかするとあの猿達が進化して、今度は自力で文明を得たのだろうか。いや、それとも自分が与えた文明の知識を下地にして発展させたのか。だとするとどうして中々、感慨深いものがある。

 あの文明がどんなものか、見てみたい。

 どうせ暇なのだ。思うがままに行動すれば良い。それがクトーラ族の有り様だ。

 

【シュオオオオオオオー】

 

 クトーラはゆったりと、海岸線に並ぶ都市に接近していく。

 ある程度近付いたところで、彼の目は都市に暮らす生物の姿を視認した。体長一〜二メートル程度。二足歩行をしていて、尻尾は生えていない。大抵の個体で頭部以外の体毛が非常に薄く、地肌が露出している。

 その肌を守るように薄いひらひらとしたもの……確かアレは『服』と呼ばれるものだっただろうか。四百万前の猿共も似たようなもの作っていた、とクトーラは思い出す……を纏っている。見た目は結構変わったが、全体的なフォルムや骨格は四百万年前に接触した猿とあまり変わりない。

 あの時の猿から進化した生物で間違いなさそうだ――――クトーラは初めて見た文明の主達、人間をそのように認識した。四億年の時を直に観測してきた彼等は、生物進化の概念も持ち合わせているのだ。

 

「キャアアアアアアアアッ!?」

 

「アヒィィィアアア!?」

 

 都市のすぐ傍までやってきたクトーラを目にした人類は、大きな悲鳴を上げて逃げていた。同種を押し退け、我先にと逃げていく。

 なんとも身勝手な一族だ……等とクトーラは思わない。いざとなれば自分だけは助かろうと、仲間を突き飛ばしてでも逃げていく。生き物として極めて正しい振る舞いだ。クトーラ族も同じ境遇に立てば、同じように振る舞う。

 それはそれとして、早速文明について調べようとクトーラは考える。

 六本ある触腕の一本を伸ばし、手近なところにあった四角い建物(ビル)に巻き付けた。高さ五十メートルほどあるそれを、引き抜くためだ。ところが力を込めると外壁はあっさりと崩れてしまい、思ったように抜けなかった。建物内には大勢の人間がいて、崩れた際の瓦礫に何人か押し潰されたようだが、クトーラは気にしない。

 

【シュー……シュオォー……】

 

 むしろ建物の中の構造が気になってきた。触腕を二本挿し込んで、中身を開くように動かす。しかし建物が脆過ぎて、上手く裂くように出来ず。轟音と粉塵を撒き散らし、中の人間を巻き込んで建物は瓦礫の山に変わった。

 あちゃー。

 言語化すると大凡このような感情を抱くクトーラであるが、特段後悔もしていない。周りには建物がいくらでもあるのだ。中身が気になるなら、他の建物を壊してみれば良い。

 勿論、この建物を作り上げたであろう生物――――人間にも興味はある。

 

【シュォー】

 

「ワ、ワ、ワアアアアアッ!?」

 

 近くにいた(走って逃げていた)一人の人間を、触腕の先にある爪で引っ掛けて持ち上げる。人間が服を纏っていなければ突き刺して持ち上げるところだったが、幸い大昔の猿共と同じく服を着ていた。この服に爪先を引っ掛ければ、生きたまま持ち上げる事が出来る。

 人間は最初バタバタと暴れていたが、ある程度高くなったところで大人しくなった。恐らく落ちるのが怖いのだろう。どうやら空は飛べないらしい。

 じゃあ、落としたらどうなるか?

 

「ァ?」

 

 触腕を軽く振り、爪先に引っ掛けていた服を外す。人間は呆けた表情を浮かべた後、悲鳴を上げながら手足をバタつかせて……大体百メートルほど下にある地面に激突。

 衝撃によって身体が変な風に曲がったが、手足が千切れた様子はない。見た目相応には頑丈な生物のようだ。ただし痙攣なども見られず、即死したらしい。

 ついでに味も見てみようかとクトーラは思ったが、こんなに小さいと味見は難しい。それに以前猿共が百人ぐらい出してきた生贄は、正直大して美味しくなかった。猿から進化した人類も、あまり違わないと思うので興味が湧かない。

 しかしこのちっぽけな頭で、これだけの文明を築けた事には素直に驚いた。どれだけ複雑な脳が詰まっているのだろうか。中身がどうなっているか気になったクトーラは、今し方自分が落とした人間をバラそうと触腕を伸ばす。

 だが、その動きはすぐに止めた。

 何かが接近している。それも鳥なんかよりもずっと大きく、何より速いものが。

 正体は不明だが、確かに気配を感じ取った。まさか四億年前に戦った『敵』の一部が、この時代で活動していたのか? 疑問と警戒心からクトーラは好奇心を後回しにし、その気配の方に目を向ける。

 結果を言えば、現れたのは敵ではなかった。だが、それでも彼はまたしても驚いた。

 金属の塊が空を飛ぶ光景なんて、彼は見た事がなかったのだから……



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接触

 四億年。

 クトーラが生まれてから、今日までに流れた年月だ。まともに活動していたのはそれから一億年程度で、以降殆どの時間を寝て過ごしていたが……しかし四億年間この地球にいて、時代の節目節目をこの目で見てきた。

 それだけの時間を生きてきた彼でも、金属が自在に飛ぶところなど見た事がない。

 

【シュオオオオー】

 

 自分の周りを旋回するように飛ぶ金属を目の当たりにし、クトーラは感嘆した。この奇妙な金属の塊が文明の産物だと気付き、人類が持つ技術の高度さを思い知ったのだ。

 今までたかが猿の末裔だと侮っていたが、これほど優れた文明を持つとは。果たして自分達に、このような物を作れるだろうか? クトーラにその自信はない。

 だからこそ興味深く、故にじっと観察していた。一体どのような原理で飛び、どのような推力を持ち、どれほどの力があるのか。全てが興味深い。

 それは金属の塊から、何かが光と共に放たれたのを見ても変わらない。放たれたものが身体に当たったところで痛くも痒くもなかったので、クトーラは稚児のように金属の塊を目で追う。

 クトーラは知らない。その金属の塊が、戦闘機と呼ばれているものであると。

 クトーラには知る由もない。彼のいる場所が西暦二〇三三年のアメリカ合衆国ニューヨーク州である事も。彼の傍にやってきたのは米国空軍の戦闘機。都市を防衛するため、強力な機銃やミサイルを装備した戦闘機による攻撃が開始されたのだ。

 

【シュオー。シュオオー!】

 

 尤も、地肌どころか眼球に機銃を撃ち込まれても、クトーラは怯みもしなかったが。

 痛みを感じないのではない。金属分を多く含むその身体は、機銃掃射でも穴一つ開かないほど頑強なのである。クトーラとしては攻撃されている感覚すらなく、なんらかのコミュニケーションを試みているように感じた。

 成程、自分との対話を求めているのか。戦闘機及び人間の『殊勝な心掛け』に、クトーラも触腕を大きく広げて応える。更に【シュオオオオオオーッ!】と何時も以上に力強く鳴いた。クトーラ達に文字はないが、鳴き声による言語ぐらいはあった。人間達に通じるとは思わないが、だがこれほどの文明を持つ生物であれば、こちらが意思疎通を図っている事は伝わるだろう。

 猿共に文明を与えた時は、言葉が通じなかったのも途中で飽きた一因だった。しかし人間達の知能の高さは、飛び回る戦闘機(金属)を見れば、猿など比にならないのは明らか。ならばこちらと意思疎通を取る事も、或いは可能かも知れない。

 果たしてこの生き物達は自分をどれだけ楽しませてくれるのか。そんな期待に胸を躍らせていたところ、戦闘機からまた光と、そして今度は大きな塊が飛んできた。

 一体どんな挨拶を返してくれたか。期待感から飛んでくるものをじっと見つめていたクトーラの顔面に、物体は勢いよくぶつかる。

 次いで、大きな爆発を引き起こした。

 

【……シュー?】

 

 爆発によるダメージはなし。しかしその光景と衝撃は、クトーラに一つの疑問を抱かせる。

 ひょっとすると、これはコミュニケーションではないのだろうか?

 生物によってコミュニケーションは様々だ。声だったり光だったり仕草だったり。しかし爆発を用いる生物がいるとは、ちょっと考え辛い。人間が爆発に耐えられるぐらい頑丈ならばあり得るかも知れないが、死んでしまうような一撃でコミュニケーションなど取れる筈がない。

 色々と考えてみるに、どうやらこれは攻撃のようだった。

 

【…………………………】

 

 途端、クトーラから『暢気さ』は消えた。

 代わりにその身体を満たすのは、激しい『闘争心』。

 クトーラ族は寛容だ。

 気紛れでいい加減な性分ではあるが、基本的にはどんな生物にも友好的に接する。ただその強大な力と無邪気さが合わさり、相手を死なせてしまったり、遊びと称して大虐殺をしてしまうだけ。相手が何かをしてきたとしても、それが攻撃でない限り大概は許す。対話を試みるなら、それに応える事も喜んでしよう。

 だが、攻撃となれば寛容さは終わる。

 何故なら彼等は寛容である以上に、血と闘争をこよなく愛しているから。戦う意思を見せる者には、同じく戦いの意思を示す。こちらの血を見ようとするなら、万倍の傷を与えて応える。それが彼等にとっての敬意であり、愛情であり、最上のコミュニケーションなのだ。

 人間が自分達の感性を理解しているとは、クトーラも思っていない。だがそんな事は重要な話ではない。

 戦いこそがクトーラ族の在り方なのだ。

 

【シュアオオオオオオオオオオオオッ!】

 

 闘争の咆哮を上げ、クトーラは人類に対しその感情をぶつける事にした。

 とはいえ猛り狂おうとも、クトーラの知能は高い。攻撃してきた戦闘機達は今や遥か上空を飛んでおり、いくら触腕を伸ばしても届かない事はちゃんと自覚している。

 そして地磁気を利用した飛行方法でもその高さまで行けなくはないが、戦闘機達の速度は明らかに地磁気飛行するクトーラよりも上だ。飛んでいくそれを追ったところで、あっさり逃げられるのは目に見えている。クトーラの頭脳であればこの簡単な事実を認識するなど訳ない。

 ならばどうするか? 難しく考える必要はない。要は届けば良いのだ。

 幸いにして、周りには投げ飛ばせるものがいくらでも存在している。おまけにお膳立てでもされているかのように、金属が山ほど見られた。知らない故仕方ないとはいえ、このような場所で自分に喧嘩を売る人類を、クトーラは心底間抜けだと思う。

 

【シュゥオオオオ……】

 

 クトーラは全身の細胞を活性化させ、電力を生産。これを身体、特に一本の触腕の先に集中させ、強力な磁力を生み出す。

 その強さたるや、数キロ彼方にある自動車を引き寄せ、宙に浮かべてしまうほど。

 車は中に人間がいる事などお構いなしに浮かび、磁力を発するクトーラの触腕へと集まる。次々と集まる車の圧によって、最初に触腕に到達した自動車は潰れていく。勿論、中の人間諸共だ。誰一人として逃れられず、中で挽肉に変わっていく。

 更にクトーラは集めた自動車に生体電流を流す。これは生き延びた人間を焼き殺すため、ではない。金属に電流を流す事で、磁石を作り出しているのだ。文明を作り出す事が出来るだけの知能を持つクトーラ族にとって、この程度の基礎科学は小さな幼体でも知っている。

 磁石化した自動車達は違いにくっつき合って一塊となり、クトーラの触腕に張り付く。その『手触り』からクトーラは、自動車達の磁石化完了を把握。

 

【シュオッ!】

 

 すると細胞から作り出していた電気の流れを逆転。触腕が帯びていた磁極を瞬時に反転させた。

 磁石同士がくっつく時というのは、磁極が異なる時だ。磁石化した自動車塊とクトーラの触腕の先も同じであり、N極とS極でくっついていた。されど電流の変化により触腕の磁極が一瞬で反転。今や同じ極が隣り合っている。

 この時起きるのが、磁石ではおなじみの現象である反発。互いに離れようとする。

 クトーラの触腕は、クトーラ自身の筋力に支えられているため動かない。だが車の集まりは違う。金属故に重くはあるが、クトーラが生み出した磁力の強さと比べれば小さな質量だ。得られた反発力は数百トンの質量だろうと難なく突き動かす。

 故に、一塊となった車達は猛烈な勢いで空を飛ぶ。

 車達の飛行速度は秒速一キロに達する。戦闘機達の飛行速度を遥かに上回るそれは、瞬く間に距離を詰めていき――――戦闘機は躱しきれず、命中。

 当たり方は翼の片側部分を半分ほど吹き飛ばした程度。だが戦闘機はぶつかった衝撃からかぐるんと回転し、錐揉み状態に陥る。壊れた面から火災も発生し……ついに爆発。よもや落とされるとは思っていなかったのか、仲間が一機落とされただけで戦闘機全体の隊列が僅かに乱れる。

 

【シュシュゥゥ、シュシュシュシュ……】

 

 知的と言っても所詮はこの程度かと、クトーラは嘲笑う。

 しかし人間達は未だ諦めず、攻撃を続けてくる。小さな無数の金属を撃ち込んできたり、はたまた爆発する大型の金属を放ったり。その度にクトーラは車を集め、射出して撃ち落とすが……どうやらこの国は相当たくさんの戦力を持っているらしい。数機撃ち落としても、続々とやってくる。

 最初こそ諦めの悪さを笑っていたクトーラだったが、段々と代わり映えしない攻撃に飽きてきた。クトーラ族は戦いを好むが、飽き性でもある。いくら攻撃といえども、単調なものは好みではないのだ。性懲りもなく同じ攻撃を繰り返す人類に、クトーラは少しずつ苛立っていく。

 そんな時に、今までよりも少し強い衝撃が彼の表皮に突き刺さった。

 

【……シュォ?】

 

 巨大な眼球を動かして攻撃された方を見遣ると、三キロほど離れた位置にある小高い丘に大型車両がある事を確認出来た。

 車両の総数はざっと十両。都市にある車両と違い、車輪部分が履帯で出来ている。また上に細長い筒状の装備があった。

 これが人間達が戦車と呼ぶ兵器である事を、クトーラは知らない。しかしクトーラの優れた知能はあれがなんらかの(恐らく金属類)物体を高速で射出し、その運動エネルギーで対象を破壊する兵器だと見抜いた。それと同時に勘違いも起こす。

 人間達は力の出し惜しみをしていたのか、と。

 実際には出し惜しみではなく、単純に戦車よりも戦闘機の方が『速い』ため、先に攻撃してきただけなのだが……クトーラの優秀な知能は、その時間差を理解しない。優秀であるが故に、()()()()()()()()()()事自体を戦略の一つだと認識したのだ。まさか人間達が「たかがイカの化け物にこんなにも苦戦するなんて」と考えているとは、夢にも思わずに。

 クトーラの心は再び踊り出した。今までの単調な攻撃は戦略的行動であり、人間の力はこんなものではないらしい。思えば自分はよく母親に「アンタは早とちりする性格なんだから落ち着いて行動しなさい」と叱られたものだ……

 懐かしき過去に思いを馳せて止まるクトーラを、人間達はどう見たのか。更に苛烈な砲撃とミサイル攻撃を仕掛けてきた。効いていると思ったのかも知れない。

 

【シュゥオォォォ……】

 

 しばらく砲撃を受け続けていたクトーラだったが、やがて六本の触腕を大きく広げた。人間で言うならば、降伏を意味する行為である両手を上げるように。

 無論、クトーラは人間に下るつもりなど毛頭ない。折角戦いが面白くなってきたというのに、ここで止めたら()()()()()()()()()()。即ちこれからやるのは返礼。心躍る戦いへの感謝を伝えるべく、今まで見せていなかった自らの力を披露するためのもの。

 クトーラの全身が光り始めた事が、その力の行使が始まる合図なのだが……人間達に、それを知る術などなかった。



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神の雷

 クトーラの身体を作る無数の細胞が、大量の電力を生み出す。

 生体電流の一種であるがその発電量は凄まじく、五百ギガワットアワー……人間が作り出した原子力発電所三百基以上の発電量を誇る。

 それと同時に細胞内に含まれている金属元素が、次々に細胞外へと排泄される。金属元素は体液により運ばれ、やがて触腕内部にある螺旋状器官へと辿り着く。この螺旋状器官には発電して得た電力の大半が集められていて、凄まじい電磁力を有していた。

 金属元素は螺旋状器官の中に入ると、流されている電磁力により加速。最終的に触腕の先端に辿り着くが、この先端には『円形』の器官が存在していた。ぐるぐると螺旋内を駆け巡る中で加速していた金属元素は、この円形状器官――――()()()()()の中で更に加速しながら、次々に集められる事で密度を増していく。

 そして最高速度に達するや、クトーラは円形加速器の一部を盛り上げて『坂』を形成。坂にぶつかった金属元素はその道に沿って駆け上り、触腕の爪の根元部分……そこに開いた小さな穴から射出される。

 射出前の予兆として、高エネルギー状態の金属原子の熱量により触腕の先が光り出す。昼間であっても観測可能な程度には強い輝きだ。

 人間達もこの光を目視で確認する事は出来る。何か、不穏なものも感じ取ったのだろう。戦闘機はこの場から飛び去ろうとし、戦車は後退していく。逃げようとしているようだが、クトーラがこれから繰り出そうとしている攻撃に対してはあまりに遅く、そしてクトーラは彼等を見逃すつもりがない。

 

【シュゥ】

 

 小さな呻きと共に、クトーラは触腕に溜め込んでいた金属原子を撃ち出した。

 放たれた金属原子が持つ膨大なエネルギーにより、通過点にある大気分子がプラズマ化。強烈な閃光を放つ。それが一直線に伸びていく様は、正に『レーザー』光線。実際には金属原子の射出であるそれは、レーザーではなくビームと呼ぶのが正しく、また光速よりも遅い。それでも放たれた金属原子の最高速度は光速度の九割ほどに達する。この桁違いの速さと金属原子の質量により、対象を物理的に破壊する。

 高出力金属原子砲――――これはクトーラ族が好んで使う技の一つだ。

 この技の好ましいところは、数多ある技の中でも特に『派手』である事。クトーラ族は戦い好きであるが、その戦いの中でも鮮やかで過激なものを好む。眩い閃光という派手な技で戦場を染め上げるのは、彼等にとって極めて重要な要素。クトーラも種族の一般的な思想に乗っ取り、六本の触腕から六本の高出力金属原子砲を放つ。加えて自らの身体も(余剰電力を光に変換して排出するため)眩い光を放つため、姿も極めて神々しいものとなる。

 とはいえこれは実用的な利点ではない。戦闘面での利点もちゃんと存在している。

 戦う上での大きな利点の一つが、単純故に通じやすい事。やっている事は要するに重たいものを高速で投げ付けているだけで、クトーラに撃ち込まれた戦車砲や機銃と、相手にダメージを与える理屈はそう変わらない。大雑把に考えればただの投擲なのだ。

 ただし光速の九十パーセントもの速さに達する投擲であるが。ほぼ光と変わらぬスピード故に、視認した時と着弾はほぼ同時。神経伝達にも速度があり、例えば人間の場合、目で見てから反応するまでに〇・一〜〇・二秒ほどを必要とする。見えたところで反応を起こす前に命中するのだから、狙いが正確である限り『必中』の攻撃となる。

 更に撃ち出すものが小さな原子ともなると、当たった後の反応が他の投擲攻撃とは少々異なる。

 光速に近い速さでぶつかってきた金属原子は、対象を構成する原子と激突する。凄まじい物理的衝撃を受けた原子は、その形を保つ事が出来ずに崩壊。原子を構成していた陽子や電子、中性子を周辺にばら撒く。

 飛び散ったそれら粒子はどうなるか? 勿論すっと消えてしまう訳ではない。飛び散った勢いのまま飛んでいき、近くの原子に激突する事がある。その時の勢いが十分に強いと、また原子が崩壊して陽子などを撒き散らす。すると今度はこの粒子が他の原子を破壊し……といった具合で連鎖反応が発生。原子の密度が低ければ反応は止まるが、『固体』を形成する密度では高確率で次の崩壊が起こるため、連鎖反応は続くどころか勢いを増していく。

 人間はこの反応を臨界と呼ぶ。

 即ち核爆発――――クトーラが高出力金属原子砲を撃ち込んだ戦闘機や戦車も、次々と核爆発を起こして吹き飛んだ。質量そのものを燃料にして引き起こす爆炎は、半径数百メートルにも及ぶ。衝撃波は更に十数キロと渡って広がり、近くにいた人間達の兵器を巻き込んだ。ついでに、人間達の都市も吹っ飛ばす。巻き込まれた人間達は、自分が何故死んだのかも理解する事が出来ていないだろう。クトーラの頑強な肉体だけが、この破滅的な力に耐え抜く。

 とはいえ一回の爆発で、全ての人間と兵器を巻き込んだ訳ではない。空にはふらふらしながら飛ぶ戦闘機が、地上には遮蔽物の影から現れる戦車がいた。

 ここで活躍するのが、二つ目の利点。効率の良さだ。

 

【シュゥオオオオオ……】

 

 六本の触腕の向きを変え、次々と高出力金属原子砲を放つ。その数は十や二十どころか、百に迫ろうとしていた。

 攻撃時に放つ金属原子の量は極めて僅かなもの。また、要するに重たい原子であればなんでも良いので、体内で余っている原子を使える。しかも身体で発生させた磁力を用いれば、土壌から金属をいくらでも引き寄せる事が可能だ。補給面での問題はない。

 実質消費するのは発電に用いたエネルギーぐらいなものだが、この消費エネルギーもクトーラの体力から見ればごく僅かなもの。人間で例えるなら、ちょっと重たいものを片手で持ち上げる程度の気軽さで撃ち出せる。

 クトーラからすればこの技は、それこそ軽めのパンチといったところ。だが人間達からすれば、神から下された鉄槌が如く破壊力を宿していた。そしてこの(クトーラ)は、人間達が期待する慈悲深さや愛を持ち合わせていない。

 敵対者は塵一つ残さずに消し飛ばす。逃げる者を執念深く追う事はせずとも、逃げる者の背中を見送る事もしないのだ。

 

【シュゥオオオアオオオ!】

 

 薙ぎ払うように高出力金属原子砲を撃てば、核の炎が一直線に広がる。地上の戦車はこれで一つとして残らない。

 空には数で勝負。人間が使う銃弾のように、連続かつ多数の高出力金属原子砲を乱れ撃ちして戦闘機を貫く。爆風が空に広がり、紅蓮の炎と灰色の煙が青空を埋め尽くす。 

 アメリカ合衆国ニューヨーク州。人類文明でも有数の、或いは中心的な大都市。

 その大都市が、クトーラが放った数十発の『ビーム』により一瞬で跡形もなく消え去った。二千万人の市民を巻き込んで。それも何処かの敵対国が撃ち込んだ新兵器でも、高度な文明を持つ異星人の攻撃でもなく、たった一体の生物がこの惨事を引き起こしたのだ。

 

【……シュオッ、オッ、オッ、オッ】

 

 その光景を生み出したクトーラは、無数の爆発の中心地で笑う。

 中々面白い戦いだった。空飛ぶ金属や、地上を走る金属など、人間の文明力はこちらを幾度となく驚かせてくれた。『強さ』は特筆するほどのものではなかったが、戦いとはぶつかり合った強さだけで語るものではない。様々な驚きもまた戦いの魅力である。

 そしてクトーラは、もう人間と戦う意思を持っていなかった。彼等にとって戦いは楽しみの一つ。痛みも傷も彼等からすれば楽しさの証でしかない。仮に目玉を抉られたとしても、それで相手を恨んだり、ましてや種族ごと根絶やしにしてやろうなんて梅雨ほども思わないのだ。むしろ爽やかな気持ちになり、相手に親しみすら感じるほどである。

 

【シュオー……シュオッ】

 

 気分がスッキリしたところで、また人類の文明を見て回ろうかとクトーラは思う。戦いを愛するのと同時に、戦いだけが世界の全てでない事も彼は知っていた。面白い戦いを見せてくれた人間達は、他にも面白いものを見せてくれるかも知れない。

 とはいえこの都市は戦いの余波で、すっかり破壊し尽くしてしまった。何十と起きた核爆発により瓦礫すら残らなかった、灰ばかりの平坦な大地を見ても流石に退屈である。

 ちょっとばかり調子に乗り過ぎたか。自分の『失敗』を認識するだけの知能を持つクトーラは、自らの行いを反省した。ただしそれは好奇心を満たす機会を失った事に対するもの。人間を消し飛ばした事に一切の罪悪感は抱いていない。

 それにクトーラは決して考えなしにこの都市を跡形もなく破壊したのではない。これだけ高度な文明を築いた人間の勢力が、この都市一つに収まるとは考え難い。繁栄と共に広範囲に広がっていくのは、生物が持つ基本的な本能と性質なのだから。

 それに巨大な都市を維持するには、莫大な量の資源が必要だ。鉄鋼や燃料、食糧などの資源を全て都市の近くで賄うのは困難であるし、それら原材料を加工に適した『地形』や『環境』も異なる。加えて、原材料の加工にも労働力が必要だ。そして労働力が豊富であるなら、分業化・専業化した方が効率的であるし、様々な競争にも勝ちやすい。

 ならばこの都市以外にも、様々な産業に特化した都市がある筈だ。クトーラの高度な知能は、人類文明の基本的な構造を既に見抜いていたのである。

 ……奇跡的にもあらゆる産業が存在出来る、多種多様な資源がドバドバと溢れ出る特別な地域という可能性もゼロではなかったが。その場合この小さな都市の壊滅は人間の滅びを意味していたが、それならそれでまぁ良いかとクトーラは思っていた。所詮こんなのはただの暇潰し。失われたなら「残念だなぁ」で終わる話に過ぎない。

 

【シュォオオオオン】

 

 果たしてどちらの可能性が正しかったのか。クトーラはそれを確かめるため、とりあえず北に向けて進み出すのだった。



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物見遊山

 クトーラの考えは、半分ほど当たっていた。

 破壊した都市(ニューヨーク)の外へと向かってみれば、そこには小規模ながらも都市が隣接していた。都市からは他の都市に続くであろう、人間の手によるものと思しき加工が施された『道』がある。道は四方八方へと伸びていて、人間という種がこの地でとても繁栄している事が窺えた。

 ここまではクトーラの予想通り。

 そして予想と違っていた点は、想像以上に繁栄していた事だ。クトーラは人間の勢力図が、精々この大陸の一部に収まる程度だと考えていた。しかし大陸の半分ほどを横断しても、それでも町は存在している。巨大な石造りの建物は減ったが、平たく小さな建物が無数に並んでいて、現在この大陸に住まう人間の数が凄まじく多い事も窺えた。

 よくよく考えてみれば、金属の塊を飛ばすほどの科学力があるのだ。その力を応用すれば、人間達にも大陸を横断する能力はある筈。人間の歴史がそれなりに長ければ、地球全域に分布を広げていてもおかしくない。

 広範囲に分布しているなら、様々な環境に都市が存在しているだろう。環境ごとに独自の都市が見られるかも知れない。それに自然環境にも変化があると思われる。

 多様性があるというのは、『観光』をする身としては好ましい事だ。飽き性であるクトーラ族にとっては特に。

 

【シュゥー。シュゥゥー】

 

 かくしてクトーラは上機嫌な鳴き声と共に北へ向けて前進し、人間の作り上げた都市の上を横断していた。燦々と降り注ぐ朝日を浴びながら、優雅に空を泳ぐ。

 そしてこの観光を始めてから、既に三日の月日が流れている。しかも大陸横断中は海に戻らず、ずっと地上で活動していた。

 大気中でも呼吸が行えるのは、海から出た時に披露した通り浸透圧を利用しているため。この大陸は決してじめじてとした気候ではないが、クトーラ族の身体はこの環境下でも難なく活動を維持出来る。それだけ鰓の水分吸収能力が優れているのだ。クトーラの感覚では、あと二百日ぐらいは余裕でいられるだろう。雨が降れば、降雨量次第だが更に長期間の滞在が可能だ。

 これはクトーラが地上にいられる原理。そして地上に()()理由は複数存在していた。

 一つは考えていたよりも人間の文明が多様で、見ていて飽きなかったから。クトーラ族全般に言える事だが、彼等は非常に飽きっぽい。もしもどの町も最初に見た都市……ニューヨークと同じ風景や作りだったなら、とうの昔に飽きていただろう。だが人間達が作り出した町並みは場所によって様々。ビルばかりの都市もあれば、今訪れている場所のように小さな家ばかり並ぶ町もある。変な形の建物や、奇妙なオブジェクトもたくさんあった。仮に似たような作りの町並みでも色合いや並びは独自のもので、その土地に合った暮らしをしているのが窺えた。

 人間など虫けら程度にしか思っていないクトーラであるが、別段虫が嫌いという訳ではない。むしろ面白い虫は好きだ。好奇心が刺激され、観察していたくなる……かつて猿共に文明を与えた時のように、暇潰しとして。

 もう一つの地上に留まっている理由は、人間達が定期的に『ちょっかい』を出してきたから。ニューヨークで圧倒的な力を見せ付けたにも拘らず、人間達は度々クトーラを攻撃してきた。人間の国家、そして軍としては当然の行動であるが、知的ではあっても基本的に獣の思考回路を持つクトーラには新鮮な行動だった。普通の獣なら勝ち目のなさを悟れば、戦わずに逃げるものである。

 瀕死の状態なら兎も角、元気な時に戦いを挑まれたのなら応えるのが礼儀だ。決して苦戦するものではないとはいえ、毎日戦いがある事はクトーラ族にとって喜ばしい。

 何より、その戦いが面白い。というのも砲弾も機銃も通じないクトーラに、人間達は様々な『知恵』で挑んできたのである。

 ある時は高高度から強力な爆撃。

 ある時は全方位からの砲撃。

 ある時は絶え間ない炎による焼却。

 よもや人間達がこれほど多様な武器を持っていたとは思わず、次々と繰り出される攻撃にクトーラは感嘆していた。手応えこそないが、鮮やかな攻撃の数々に心が躍る。次はどんな攻撃をしてくるのか、どうやってそれを破ろうか。それを考えるのが楽しくて楽しくて仕方ない。無論、最後に勝つのは自分だという自負はあるが。

 この二つの気持ちが、クトーラが何時までも海に帰らない理由だった。一つ目の方は兎も角、二つ目に関しては何もしなければ人間側の被害は減っただろう。尤も、クトーラ族について何も知らない以上、それを指摘しても仕方のない事ではあるが。

 

【シュゥオー。シュシュー、シュォー】

 

 今日は一体どんな景色が見られるのか、どんな戦いを挑まれるのか。ワクワクしながら、クトーラは町の上を飛んでいく。

 ……しばらく飛んで太陽が頂上で輝き始めた頃、クトーラは違和感を覚えた。

 妙に周りが静かなのである。普段ならば逃げ惑う人間達の、悲鳴や怒号があちこちから聞こえてくるというのに。

 それに人間達からの攻撃も、しばらく途絶えたままだ。元々闇雲に攻撃してくる訳ではなく、一定の準備期間を設けて攻撃してきていたが、今回その準備がやたらと長い。何か大規模な『ドッキリ』を考えているのだろうか?

 

【シュゥゥゥ……?】

 

 様々な疑問を覚えたクトーラは、周囲の様子を探ってみる事にした。

 そのために用いたのが電波エコーという技である。

 クトーラの全身の細胞から作り出した電気を、電波の形に変換して放出する。電波は金属に当たると跳ね返り、また水や木材などは透過しつつも減衰を起こす。これを利用すると、反射により戻ってきた電波を解析する事で周りに何があるか、ある程度『透視』する事が出来るのだ。見える映像はかなり不鮮明であるが、本来見えないものが把握出来るのだから十分強力な技と言えよう。

 電波エコーの有効範囲は約三百キロ。都市を包み込むように展開された電波は建物の中を透過し、周りに存在する生物や金属について教えてくれる。

 

【……シュゥゥ】

 

 その結果を知り、クトーラはますます困惑した。

 人間達は、ごく少数ながらも都市に存在していたのだ。しかし逃げようとする素振りはない。誰もが家の中にいて、大人しくしていた。

 多くの建物の中に人間の姿はないが、元々空っぽだったと考えるのは不自然。恐らく中に暮らしていた人間達は既に、そしてごく最近避難している。

 だが町の規模から考えて、それなりの数の人間がいた筈だ。その移動の手間は相当に大きなものであろう。時間も掛かったに違いない。だとすると大規模な人員で、かなり前から用意をしていた事になる。

 だが、()()()()()()

 クトーラは人間を見下している。面白い戦い方をするので好感は抱いているが、戦闘能力は『虫けら』の類だと本心から思っていた。強さでは自分が圧倒的に上回り、何をしてきたところで打ち破れるという自負を持つ。

 しかし同時に、人間の知性が自分達を上回るものだと素直に認めている。能天気で自信家ではあるが、現実を歪めて相手を過小評価するほど『愚か』ではない。人間の知能ならば、損得勘定ぐらいは出来ると評価していた。

 労力と時間を投じたならば、相応の何かをしている筈。

 クトーラは考えを巡らせた。しかし疑問の答えは、クトーラが何かしらの考えに辿り着く前に明らかとなる。

 

【……………シュゥ】

 

 展開していた電波エコーが、新たな存在の接近を察知した。

 例えば航空機。今までもしつこいぐらいクトーラを攻撃してきたその機体達は、しかし此度は少々様相が異なっていた。これまでは多くて数十機程度の編隊だったが、此度やってきた数は……数え切れない。何百という航空機がぐるりとクトーラを包囲している。

 地上に展開された車両の数も尋常でない。こちらは何百どころか、何千と集まっているように見えた。種類も豊富であり、そしてそれ以上にたくさんの人間達が動いている。

 これまで度々人間からの攻撃を受けてきたクトーラであるが、これほどの大軍団を目にするのは始めて。おまけにこれすら戦力の一部らしく、電波エコーの圏内に続々と新たな戦力が押し寄せていた。

 何が起きているのか? 何を企んでいるのか? 考えてみれば、クトーラはすぐに人間達の思惑を理解した。

 人間達は此処を決戦の場にするつもりなのだ。

 戦力の逐次投入は愚策。クトーラも知っている戦の大原則だ。今まではこちらの戦闘能力を測ったり、戦略の有効性を調べるために全戦力を投じてこなかったのだろうが……言い換えれば大量の戦力を一度に投じてきた事で、此度の人間達の本気が窺い知れる。そしてこれだけの戦力で戦いを始めれば、人間側の攻撃でもかなりの破壊をもたらす。言うまでもなく、此処に残る人間達は巻き添えになって死ぬだろう。

 だとすると町に残る逃げない人間達は、逃走を諦めたという事か。クトーラには理解出来ない考えだが、元より人間など大して理解出来ないし、理解するつもりもないのでどうでも良い。

 それよりも重要なのは、戦う人間達は、この逃げない人間達を巻き込む事を厭わないであろう事。文明を持つには多少なりと仲間意識が必要だと、クトーラは猿達に文明を与えた時に知っている。その仲間を巻き込むからには、相応の覚悟、何より成功させるという意気込みがあるに違いない。

 

【……シュゥ、ウゥゥゥッ】

 

 故に、面白いとクトーラは思う。

 つまりこれから始まるのは、人間達の形振り構わない本気という事だ。今までも色々な技を人間達は見せてきたが、今回は今までとは比にならない、激しい戦いを繰り広げてくれるだろう。

 手を変え品を変え、様々な方法で挑んでくる人間達をクトーラは楽しんでいた。それが本気で挑んでくるとなれば今まで以上にワクワクするのも当然。無論、その考えの土台にあるのは自分の強さに対する絶対的な自信だ。全てを受けた上で、きっちり叩き潰す。それが強者としての礼節だとクトーラ族は考える。

 そして歯応えのある相手ほど、それを打ち破った時の『興奮』が大きい事をクトーラは知っている。

 

【シュゥウゥウウウオオオッ!】

 

 クトーラは六本の触腕を大きく広げた、臨戦態勢と呼ぶべき構えを人間に見せ付ける。

 それを合図とするかのように、本気の人間達の攻撃がついに始まるのだった。



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総力戦

 人間達が最初に行ってきた攻撃は、航空機から巨大な金属の塊――――空対地ミサイルを撃つ事だった。

 クトーラは未だ人間がこれをなんと呼ぶか知らないし、そんな事は興味もないが、武器としての特性はよく理解している。内部にある化学薬品の反応により、熱エネルギーと衝撃を生み出して対象を攻撃するものだ。おまけに飛んでくる速さは時速一千二百キロを優に超えている。クトーラの動きでは回避など出来ない。

 それが一度に何百発と飛んできた。軌跡が白い靄として残り、まるで霧のように辺りに立ち込めるほど。

 更にその精度は極めて高く、一本と外さずにクトーラの身体に命中した。頭部を狙っていたようで、頭の周囲に特に多く撃ち込まれる。爆炎が燃え上がり、クトーラの半身を包み込んだ。

 尤も、クトーラの感じた事は「煙い」の一言だけであったが。

 体細胞に含まれている金属原子、それと結合した有機物の働きにより、クトーラ族の肉体は鋼よりも頑強にして肉のように柔軟だ。この程度のミサイルでは傷も付かない。

 

【シュゥウオオッ】

 

 触腕の一本を大きく振るい、クトーラは煙を払う。しかし人間達の攻撃は止まず、後続としてやってきた戦闘機からまた新たなミサイルが放たれた。それが終われば次のミサイルが、それが終わればまた次が……整列した編隊による絶え間ない攻撃が続く。

 直撃を受ける事は問題ないが、煙たいのは単純に不快だ。よってクトーラはこの攻撃を『無力化』する。

 身体から発する電気を用い、強力な磁力を発生させた。ミサイルの中身は兎も角、外側は鉄などの金属で出来ている。更にその中に積まれているのは電子部品。これがミサイルの姿勢を制御していた。強力な磁力はミサイルに強引な軌道変更を強いた上に、中の電子部品を破壊してしまう。

 クトーラを狙っていたミサイルが、ぐるぐると回転するように姿勢を崩して何処かへと飛んでいく。そのミサイルはやがて地上に墜落し、市街地で爆炎が無数に起きた。今頃人間達は慌てふためいているのだろうか。頭上の航空機の動きに変化はないが、中身の様子を想像するとちょっと楽しい。

 さぁ、次はどんな手に出る?

 航空機のミサイル攻撃をいなし、クトーラがワクワクしながら待っていると、今度は頭上を跳ぶ爆撃機から一つの爆弾がクトーラ目掛けて落ちてきた。

 大きな爆弾だ。電波エコーによりその存在を感じ取っていたクトーラであるが、撃墜はせず受けてみる事にした。頭上から爆弾を落とされるという経験はもう何度も受けたが、その時はいずれも何十何百という数で攻められている。なのに今回は一個だけ。まさか何もないという訳があるまい。

 試しに受けてみると、その爆弾は緑色の爆炎を撒き散らした。

 

【シュゥゥ……】

 

 威力は大したものではない。だとすると煙自体に何か秘策があるのかとクトーラは考える。

 その予想は的中した。

 爆弾により撒き散らされたのは、毒ガスだったのだ。しかもこれは『対人用』に作られたものではない。軟体動物に特に効果的な『殺虫剤』を詰め込んで作り出したもの。

 即興で作ったもののようだが、しかし毒ガスを顔面に届けられるのならばそれで十分。成程、知性が高いと危険な毒の生産まで行い、それを上手く利用するのか――――クトーラはまたしても人間の英知に感嘆した。

 だが、これもまたクトーラの脅威足り得ない。毒自体は有効なのだが、この程度なら対処法はいくらでもあるのだ。

 

【シュゥオオオオオオオオ……!】

 

 クトーラは全身の細胞から電機を生み出すと、その電流を自らの身体に流し、周囲にも放電を始めた。

 放電により毒物を電気分解し、解毒を行う。また身体に流した電気により、呼吸器系から入り込んだ毒素も分解した。自分の身体に流れる電気で傷付く事は心配いらない。体組織にある金属原子が電線の役割を担い、体細胞が傷付くような電気は他所に流してしまうからだ。

 無力化を示すように、舞っていた毒ガスはやがて透明になっていく。完全に毒ガスの色が見えなくなったところで、勝利宣言とばかりにクトーラは一際強く放電。本来電気は通りやすいところにしか流れないが、クトーラが放った超高圧電流は空気をも切り裂く。一直線に飛んでいき、空飛ぶ爆撃機を黒焦げにして落とす。

 人間達にとって、毒ガスが無効化される事は想定内だったのかどうか。それはクトーラには分からないが、しかしこれが通じなかった時の手は考えていたらしい。すぐに次の攻撃が始まった。

 周囲に展開していた車両……戦車から次々と砲撃が開始。クトーラに砲弾が撃ち込まれたのだ。何千もの金属の塊がクトーラ目掛けて飛び、そして狂いなく命中してくる。

 とはいえただ命中するだけなら、クトーラにとって大した問題ではない。砲撃程度でやられる軟な身体ではないのだ。

 しかし今回の砲弾は、少し性質が異なる。

 

【シュオ……ォオオ……!】

 

 クトーラは気付いた。この砲弾にも『毒』が仕込まれていると。

 されどそれは化学物質ではない。砲弾に含まれている元素そのものが発揮する毒性だ。

 クトーラには知る由もないが、これは劣化ウラン弾と呼ばれる砲弾だった。ウランは鉄などよりも遥かに重く、そのため同じ大きさ・速度の砲弾で撃ち出した際の威力が大きくなる。これにより重装甲の戦車の装甲などを打ち破る、というものだ。

 それに加えて劣化ウラン弾は毒性がある。ウランは重金属の一種で生物体にとって有害なのだ。着弾時の衝撃で砲弾は粉塵となって舞い散り、呼気などから体内に入り込む。

 またウランは放射性物質でもある。劣化ウラン弾に使用されるウランはウラン燃料を作る際の残りであり、燃料として使えない、つまり核分裂し難い状態のものだ。そのため理論上放射線量はあまり多くないのだが、『不純物』として同位体ウランが混ざっており、この同位体ウランは放射線量が高い。そのため粉塵を吸い込めば内部被曝を起こす可能性がある。

 優れた知性を持つクトーラ族は、海中に漂う様々な物質を『研究』している。ウランもまたそうした物質の一つであり、クトーラ族はその性質を熟知していた。クトーラも電波エコーの反射状態から物質の比重を観測し、自分に撃ち込まれたものにウランが使用されていると知った。

 人間側の思惑としては、単純な威力の大きさが一番の期待だろう。しかし仮に倒せずとも、重金属中毒や放射線被曝で弱らせる事が出来れば……という目論見もあるに違いない。小賢しい手であるが、化学的・物理的性質を利用するとはなんと知的な作戦か。流石は独自にここまでの文明を築いた存在だと、クトーラは心から称賛を送る。

 ただし自分には通じないが、という前置きもひっそり心に抱いていた。

 

【……………】

 

 種さえ分かればどうという事もない。要は吸い込まなければ良いのだ。クトーラ族の呼吸はイカと同じく外套膜(胴体部分を形作る分厚い皮)の隙間から入り込んだ水及び空気で行うが、クトーラはこの隙間を閉じた。人間で言えば、口を閉じたような状態である。

 人間であればやがて苦しさから耐えられなくなるところだが、クトーラ族は違う。電気分解を行う事で、二酸化炭素を炭素と酸素に分離出来る。その酸素をまた呼吸に使い、そして生じた二酸化炭素を電気分解する。これにより永続的な呼吸が可能だ。

 無論これは決して楽なものではない。電気を作り出すにもエネルギーが必要なのだから。ただの呼吸と違い、急速に体力を消耗していく。

 とはいえ数時間程度であれば、問題なく継続可能だ。そして数時間あれば、この場にいる人間達を一掃する事など造作もない。

 

【……………】

 

 クトーラがじっとして攻撃に耐えていると、頭上から大きな爆弾がパラシュートと共に投下される。

 それは人間がMOABと名付けた爆弾だ。現在の人類が持つ通常兵器としては(真偽が定かでないものを除けば)最大の威力を持つ。通常の爆撃機では輸送出来ず、落とし方もパラシュートを用いたもの。規格外過ぎて色々と不便な点が多い。

 だがその不便さを補って余りある、圧倒的な威力を有す。

 クトーラの頭に直撃したものも、莫大な熱量と衝撃波を撒き散らす。まだ人間達が残っている家は熱に焼かれ、衝撃波で跡形もなく吹き飛ばされた。

 クトーラとしても驚きの破壊力だ。人間とは脆弱なものであるのに何故このような破壊力の武器が必要なのか、クトーラには見当も付かない。しかしそれでもクトーラの身体に傷を与えるには到底足りない。

 物理的な破壊力でもそうだが、浴びせてくる熱量もクトーラの身体に影響を与えない。彼等の身体は受けた熱を電磁波に変換し、更にこの電磁波を電流に変換する機能が備わっているのだ。高々数千度程度の熱量であれば、全身の細胞を働かせれば全て電力に変換出来る。

 変換した電力は細胞に蓄積し、別の用途に使える。例えば……二酸化炭素を分解する際の電力など。人間達は劣化ウラン弾と最強の爆弾でこちらを仕留めようとしているのだろうが、残念ながら自分で自分の攻撃を無力化している。クトーラ族の生理機能を知らないとはいえ、あまりにも滑稽な姿にクトーラは笑いが込み上がってきた。

 ――――さて、様々な攻撃を受けてきたクトーラであるが、そろそろ受け続けるのにも飽きてきた。

 人間達の攻撃はどんどん苛烈化している。車両に乗っていない人間も筒のようなもの(ロケットランチャーと人間は呼んでいるもの。クトーラは勿論知らない)を構え、そこから爆発する砲弾を撃ち込んでくるようになった。遥か遠方からの援護射撃として、無数のミサイルが飛んできている。激しい攻撃が、次々と浴びせかけられていた。

 だが、それだけだ。確かに攻撃の数を増やせば威力は高まるが……それではクトーラは驚きを覚えない。

 

【……………シュゥオオオオオ……】

 

 そろそろ人間達の『底』が見えた。そう判断したクトーラは、今度は自分が攻撃を行う事にした。

 ただ殲滅するだけなら、高出力金属元素砲を乱射すれば十分。しかしクトーラはあえて別の方法を選ぶ。

 まずは全身の細胞を活性化。大量の電気を生み出す。電気は細胞内で電磁波へと変換。体表面の細胞に集めていく。電磁波というのは、つまるところ光だ。正確には電磁波の一種が光である。変換過程で『不純物』として可視光が生成され、それを放出するためクトーラの身体が煌々と光り出す。

 劣化ウラン弾とMOAB、その他諸々の爆炎で見えなくなっていたクトーラの姿が、それよりも眩しい輝きにより浮かび上がる。人間達は動揺しているだろう。今までクトーラがこのような現象を起こした事は、少なくとも人間達の前では一度もないのだから。

 これはクトーラなりの敬意。

 この技はクトーラにとっても大きく体力を使う技だ。今でも人間の事は虫けら程度の存在と認識しているが、自らの技を見せるほどではないと考えていた。しかしここで見せられた数々の攻撃と知略を見て考えを改めた。

 こちらの実力の『一端』を見せる。その程度には強者であると認めたのだ。

 そしてクトーラは既に見抜いている。

 人間達が操る兵器の弱点を。

 

【シュオオッ!】

 

 クトーラは溜め込んだ電磁波を、一気に解き放った!

 放たれた電磁波はその莫大なエネルギーにより、大気分子をプラズマ化させる。さながらその光景は光の波が押し寄せるかのよう。

 プラズマを引き起こすほどのエネルギーを至近距離……クトーラから二キロ圏内の位置で受けたものは、悲惨な末路を辿る。生体であれば体内の水分が加熱され、内側から沸騰する形で焼き殺される。機械であれば過剰な電流が流れ、あちこちで発火・放電を起こす。燃料などに引火し、小さな爆発を無数に引き起こした。

 これより離れていても安全ではない。薄まった電磁波であるが、生物体であれば生体電流が狂わされて不調ないし生命の危機を起こす。しかし何より致命的ダメージを受けるのは電子機器。中の回路に強力な電流が流れ、ショートしてしまうのだ。それがクトーラの半径三十五キロ圏内で引き起こされる。

 人間の言葉を借りれば、電磁パルス攻撃と呼ばれるもの。ただし人間が思い描いたものより遥かに強力であり、破滅的現象を引き起こしている。

 名付けるならば()()()()()()だ。

 本来、これは小さな虫などの有象無象を滅するのに特化した技である。しかし巨大な光がドーム状に広がり、あらゆるものを破壊していく様は恐怖を通り越して美しさすら感じるだろう。その華麗さがクトーラ族の好みであり、クトーラとしても相応の敵と認めた相手にしか出さない『奥義』だった。

 強力な電磁パルスにより、人間達の機械兵器は一瞬で沈黙した。戦車などの車両は一つ残らず動かなくなり、通信機は全て音信不通。上空を飛んでいた戦闘機は次々と墜落し、ミサイルも落下して爆散する。今でも使えるのは生身の人間と、火薬式の銃ぐらいなものだ。

 一発の攻撃で、人間側は戦闘能力の大半を失った。最早抵抗する力は残されていない。

 

【……シュゥオオオオ……】

 

 唸るような声を出し、クトーラは六本の触腕を構えた。

 人間に抵抗する力は残っていない。それはクトーラも理解している。電気を自在に操る彼は、人間達の使う兵器が電気で動いている事を察知していた。その電流が細かな回路に沿って流れている事、故に過剰な電流を流せばどうなるかも予測している。

 しかし、戦えないからといって見逃すつもりはない。逃げる者を地の果てまで追い駆けて仕留めるつもりはないが、視界内にいる間は『戦い』の最中だ。ここで手を抜くなど()()()()()()()

 触腕から放たれた高出力金属原子砲が、戦う事も逃げる事も出来なくなった人間達に浴びせ掛けられた。

 ……………

 ………

 …

 ざっと、十分ほど経っただろうか。

 クトーラが高出力金属原子砲を散々撃ち込んだため、辺りはすっかり焦土と化していた。もう人間はおろか、建物も戦車も跡形もない。隠れるような場所も残っておらず、半径数キロ圏内で生きている生物は、地中深くにいる単細胞生物ぐらいだろう。

 

【シュオオオオォー……フシュウゥー】

 

 破壊の限りを尽くし、クトーラは大きな息を吐く。さながら晴れ晴れとした気持ちを現すように。事実クトーラは勝利の余韻に浸り、清々しい気持ちに満たされていた。

 人間達の強さは想像以上だった。

 それ故に、打ち破る快感も想像以上だった。戦いで得られるあらゆる快楽は、敵が強ければ強いほど刺激的なものとなる。

 しかし、此度の戦いは人間達の総力戦だった筈だ。

 だとするとこれ以上の楽しみを得るのは、難しいかも知れない。そう思うと楽しい気持ちも萎えそうになるが、それもこれも自分達の種族が強過ぎるのがいけない――――等と考えていたクトーラだったが、ふと、展開しっぱなしだった電波エコーが新たな接近物を捉えた。

 それは、一発の金属の塊。

 『ミサイル』だ。今更何百発受けようと、痛くも痒くもない攻撃が、人間達が消え去った戦場に落ちてくる。

 なんとも暢気な攻撃だ――――と思ったクトーラだったが、しかし彼の本能は違和感を覚えた。飛んできたミサイルは今までその身に受けてきたものより随分と大柄であり、また落ち方もほぼ真上からやってきている。

 何より、妙に大きな『エネルギー』を感じた。

 一体あれはなんなのか。疑問を抱き、けれども自分の力に絶対的な自信を持つクトーラは撃墜する事もしなかった。人間達の企みを真正面から叩き潰す。それが一番楽しいのだから。

 故に彼は大人しくそのミサイルが自分の目の前に来るまで待ち……

 そしてミサイルは、その中にある『神の炎』を炸裂させた。



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神の炎

 クトーラの目の前に落ちてきたミサイルが、その中に秘めた原子の力を開放する。

 ミサイル内部に格納されていたのは、ウランなどの核物質と水素、そして通常の爆薬。まずは爆薬が炸裂し、そのエネルギーで核物質がふっ飛ばされる。飛ばされた核物質は行く先にある他の核物質と激突し、この『圧力』により密度を高めて臨界状態へと以降。核分裂反応を起こし、瞬間的に大量のエネルギーを放出する。これだけでも莫大な、都市一つを吹き飛ばす破壊力があった。

 だが、このエネルギーすらも『前置き』でしかない。

 放出されたエネルギー(爆風)を用い、中心部にある水素を圧縮。都市一つ吹き飛ばす圧力を加えられた水素達は、あまりに強過ぎる圧力により原子が持つクーロン力(静電気的な反発力)を乗り越えて融合してしまう。

 水素原子が四つ集まり、出来上がったのはヘリウム原子。しかしこのヘリウムの重さは、材料となった水素四つ分よりも幾分軽い。何故なら融合時に質量の一部がエネルギーに変換され、熱や光として放出されたからだ。

 この反応過程を、核融合と人間は名付けた。そして核融合反応を用いた爆弾を、水素爆弾と人間は呼ぶ。

 クトーラの前に落とされたのは、その水素爆弾だった。

 

【――――!】

 

 クトーラの全細胞がざわめく。これは危険だと、本能で察知したがために。

 予感は正しい。クトーラの身体は戦車の砲撃も、爆撃も通じないほどに頑強だ。また自身が撃つ高出力金属原子砲による『核分裂』の爆発だって、余波なら難なく耐えられる。

 だが核融合の炎は格が違う。()()と同じ原理で生み出されたその熱は中心部で四億度、そこから離れるほど急速に温度は低下していくが……ざっと十万度以上の高温がクトーラに襲い掛かる。

 これほどの温度になると、物質的な硬度は意味を成さない。全ての物質がプラズマと化し、その形を失うからだ。プラズマは広い意味では気体の一種であり、つまり自由に原子が飛び交っている状態。一旦プラズマと化せば全身がバラバラに飛び散り、そして消滅する事になる。

 クトーラの身体も、神の炎の前には跡形もなく消えるしかない。

 ――――と人間達は思ったであろう。故郷を跡形もなく吹き飛ばす事を代償に、クトーラを確実に葬り去れるならば良しとしたのだ。

 だが、甘い目論見だった。

 

【シュオオォッ!】

 

 クトーラは炎が迫る直前、自らの細胞をフル稼働させた。大量の電気を生み出すためである。

 作り出した電気は細胞を通じ、全身を循環させる。電気が通る事で強力な磁力が発生。超高出力の磁力はクトーラの身体の周りに『力場』を形成した。

 この時クトーラは無数の波形の電磁波を、さながら糸を編むように絡めている。相互に絡み合った電磁波はまるで『物質』のように物理的干渉を跳ね除けるのだ。しかも実際には非物質であるため、熱や物理的衝撃で破壊する事も出来ない。さながら盾のように働き、クトーラの身体を守る。

 これがクトーラ族の誇る無敵の守り、『電磁防壁』である。

 水素爆弾の放ったエネルギーは、街だった場所を跡形もなく焼き払う。戦術核と人間が呼ぶ兵器にはそれを可能とする力があった。

 されど電磁防壁を破るには全く足りない。

 

【……シュオオオオオオオオオ】

 

 水爆の炎が消えた時、クトーラはその形を悠然と保っていた。

 電磁防壁は寸分も揺らがず存在。クトーラの身体には一切のダメージを通していない。今は濛々と漂う爆煙と、先程撒き散らした電磁パルスの影響で、人間達はクトーラの姿を見失っているだろう。

 やがて人類は知る。クトーラ族という存在が如何に絶対的で、自分達の手に終える存在ではないのだと。その時こそ、人間がクトーラに精神的にも敗北した瞬間となるのだ。

 ――――しかしクトーラの胸のうちにあるのは、勝利の喜びなどではない。

 むしろ、今まで以上に激しい闘争心が込み上がってきていた。

 クトーラは自らの種族が最強だと疑っていない。過去に『強敵』は幾つか存在したが、いずれも一種ずつ相手していたなら勝っていたと、クトーラ自身は確信している。人間達の戦いに真正面から付き合い、その攻撃を全て受けてきたのも、自分の身体ならば難なく耐えられるという自負故の行動。人間相手なら何をされても負けないという自信があった。

 されど核兵器を目にした事で、その自信が揺らいだ。

 

【シュゥゥオオオオオオオオ……!】

 

 クトーラは気を昂らせていく。ちっぽけな猿モドキが、自分の『本気』を一端でも使わせた事実が心を燃え上がらせる。

 クトーラが今まで人間に対し全力で立ち向かわなかったのは、人間の力に合わせた結果だ。虫が自分の手を刺してきたとして、それに対し本気で殺そうとはしても、『全力』を出そうとはしないように。戦い自体への真剣さと、力の全てを絞り出すのは、必ずしも同じ意味ではない。

 だが、クトーラは知った。人間が作り出した武器の中には、油断した自分達であれば殺しかねないものがあるのだと。

 この事実に怒りを感じる事はない。見下していた自分の認識が誤っていたのだから、何故相手に対して怒るというのか。むしろ舐め腐った自分の認識に苛立ちを覚えるというもの。

 人間は『強敵』だ。そして強敵に手加減はしない。完膚なきまでに、こちらの全力を以てして叩き潰す。それがクトーラ族が強敵に対して示す、敬意の形である。 

 ――――人間にとっては、最悪の展開であったが。

 

【シュゥオオオオオオオオオッ!】

 

 雄叫びと共に放つは、体内に溜め込んだままの余剰電気。電磁防壁を展開するための発電で出た残渣であるが、それは電磁パルスの形で放たれていた。

 クトーラの電磁パルスは世界中に広がっていき、星を包み込まんとする。光の速さで数千キロと飛んでいく。とはいえこの電磁パルスは極めて薄いものであり、人間達が使う機器を破壊するほどの威力はない。精々、モニターに微かなノイズが走る程度だ。

 それで問題はない。この放電はあくまで身体をリフレッシュさせ、『戦闘態勢』に入る事が目的なのだから。

 

【……シュゥウウウ……!】

 

 綺麗になった身体に対し、クトーラは新たな電流を循環させる。

 これまでクトーラは生み出した電気を主に体表面に流していた。だが、もうそんな手抜きはしない。内臓にも強い電気を流していく。

 クトーラ族の細胞は電気を生み出す力があるのと同時に、電気を利用して性能を高める事も可能だった。つまり電気が流れた事で、全ての内臓機能が向上する。五感は研ぎ澄まされ、消化器官は躍動し、筋肉が増大する。

 そして特筆すべきは、脳機能。

 莫大なエネルギーを得た事で脳細胞が活性化し、知能が大幅に向上した。ここで言う知能とは、主に演算能力を指す。受け取った情報を瞬時に解析し、その意味を理解するための力だ。

 これで何が出来るのかといえば、惑星中を飛び交う『電波』を理解出来る。

 クトーラ族は電波による会話を行える種族だ。しかもクトーラ族は地球上空に存在する電離層の性質(波長の長い電波を反射する)を理解しており、これを利用して超長距離通信も行っていた。その気になれば星の裏側の救援要請、或いは雑談に応える事も出来る。

 無論、クトーラの仲間が誰も目覚めていない今、地球の何処からも仲間の信号など飛んできやしない。クトーラが把握しようとしたのは、人間達の文明がどの程度の規模であるのかだ。これまでの戦いと三日間の観察で、人間達が電波を出す機械を使用しているとクトーラは知っている。つまり電波が放たれていれば、そこに人間達の文明が存在しているに違いない。出力も解析すれば、文明の規模も掌握可能だ。

 電離層の反射だけで地球の裏側まで電波を届けるのは、条件が良くなければ難しい。故にこの方法で分かるのは大まかな情報だけ。しかし無理に全てを把握する必要はない。どうせ星の裏側まで自ら出向くつもりなのだ。三分の一も知れば十分。

 

【……………シュゥオオ】

 

 探知したところ、人間文明は陸上のかなり広範囲に存在している事が分かった。また、その発展度合いが地域によってその大きく異なる事も知る。クトーラがいるアメリカ(地域)周辺はかなり発展しているようだが、南側に広がる地域はそこまでではないようだ。北側は南の地域よりも発展しているが、この地域ほどではない事も把握した。

 偶然にも此処が人間文明最強の地だった、という可能性はクトーラも否定出来ない。そしてそれは事実だ。この時代においてアメリカは未だ世界の覇権を(懐疑的な見方も出ているが)握り、圧倒的な軍事力と経済力を誇る世界最強の大国である。アメリカ以上にクトーラを苦戦させる国は、少なくとも単独では存在し得ない。

 されど何十万年も眠っていて、三日前に初めて人間と接触したクトーラにはその事実を知る由もない。そして人間を強敵と認識したクトーラは甘い考えを持たない。もっと強い地域が存在し、この戦いで得た知見を元に更なる戦術を練ってくるかも知れないのだ。また全ての地域が力を合わせ、一斉に攻撃してくる可能性もある。電磁時空防壁があれば単純な火力は全て無効化出来る自信がクトーラにはあるが、相手は自分達を上回る知性の持ち主。どのような手を使ってくるか分からない。

 確実に、徹底的に、効率的に叩かねば勝利は得られないだろう。ただし狭い範囲に留まるのは非効率だ。見えていない場所に人間文明の本命があるかも知れない。

 生産力の高い、発達した都市部の攻撃を優先しつつ、未探知領域に向かう。クトーラは頭の中に電波から得られた人間文明の地図を描き、どのように攻略するか考える。自らの生命の懸かった、危険な戦いであるが……クトーラは目覚めてからの三日間で、最高にわくわくしていた。

 ――――死ぬかも知れない戦いとは、なんて刺激的なのか。

 今のクトーラを突き動かすのは、種族の本能である闘争心。それと戦いをこよなく愛する意識。これらの衝動を止める術は瀕死に追い込む以外にない事を、クトーラ族は知っていて、人間達には知る由もない。

 

【シュゥオオオオオオオオオオッ!】

 

 人間達には通じない、クトーラの宣戦布告の雄叫びが、人間の世界(二十一世紀の地球)に響き渡るのだった。



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ランチタイム

 本気で人間と戦う事を決めたクトーラは、すぐさま行動を始めた。

 優れた知能の持ち主であるクトーラは、知性ある存在に対し、決してやってはならない事を知っている。

 それは時間を与える事だ。

 高い知能の持ち主は研究や開発により、様々な技術や対策を編み出す。クトーラ族もそうして外敵への対処方法を探ったし、クトーラが手伝った猿達の文明を同じように発展した。恐らく人間達も似たようなやり方をしているだろう。

 だが、見方を変えれば研究には時間が必要とも言える。原因を追求し、詳細を解析し、それが正しいかを検証しなければならないがために。もっと言えば見付けた対策を仲間に周知したり、道具が必要ならば作り出したり、材料を集めたり体制を変えたり……あらゆる事に時間が必要である。時間を与えなければ、知性の『本領』は発揮出来ない。

 短時間で文明に壊滅的打撃を与える。そうすれば自分の勝ちだと、クトーラは理解していた。

 とはいえクトーラが普段使っている地磁気浮遊は、時速百キロ程度の極めて遅いスピードしか出せない。これでは地球を一周するのに、一直線に進んでも百時間以上掛かる。ましてや世界中を巡るとなれば、一体何百日掛かるか分かったものではない。それだけ時間を費やせば、形振り構わず研究すれば対処法の一つぐらいは考え付くだろう。その一つがクトーラにとって致命的なら、敗北は必須。

 移動もまた本気を出さねばならない。そこでクトーラは特別な移動方法を使う。

 

【シュゥゥウウオオオオオ……!】

 

 全細胞で作り出した電気を用い、体内の金属元素にエネルギーを注ぎ込む。

 そして触腕から、高出力金属原子砲を放つ。

 ただしそれは六本の触腕全てから、同時にである。また攻撃時は金属元素を放つ際極めて小さな範囲に束ねていたが、此度のそれは十メートル近い幅に拡散している。

 これは金属元素ジェットという技だ。攻撃のためではなく、ジェット推進を得るためのものである。

 得られた推進力により、クトーラの身体は猛烈な勢いで加速。今までは時速百キロで()()()()と飛んでいたが、ジェットを噴出して十秒も経てばこの十倍にもなる時速一千キロもの速さが出ていた。これだけのスピードがあれば十二時間で地球を一周出来る。寄り道や蛇行も自由自在。

 勿論、北アメリカ大陸も瞬く間に横断可能だ。

 

【シュゥオオオオオオッ!】

 

 人間文明を完膚なきまでに叩き潰すために、クトーラは一直線に飛んでいく。

 ところで人間文明を『倒す』には、何をすれば良いのか?

 頭の悪い獣なら、兎に角人間をぶっ殺す、という答えを返すだろう。実際それが可能であれば、この方法も悪くない。継承者がいなければ文明は根絶可能である……だが非効率だ。時間も掛かるし、手間も多い。

 賢明なクトーラは違う。獣と違い効率的な勝利条件を設定し、その条件を満たす行動を考えられる。

 まず、文明を滅ぼすために、人間を皆殺しにする必要はない。

 というより、人間の皆殺しはクトーラでも流石に無理だ。クトーラは人間が何体いるか知らないし、何処に暮らしているかも分からない。洞窟や森に隠れられたら見付けるのは困難で、皆殺しに出来た事を確認する術もないのだから。故にこのやり方は馬鹿げている。

 では、どうすれば良いのか? その答えは文明の作りを知れば見えてくる。

 文明というのは単体で成り立つものではない。例えば一着の服を作るとして、服職人だけを用意しても服は永遠に出来上がらない。原材料を生産する麻畑、裁縫道具を作る工場やそれらを送る輸送路、道具の原材料である金属、そして労働者が必要とする食糧の生産者が必要だ。実際には安定した生活に必要な住宅の建築、それらを維持管理する技術者などもいると良い。技術が高度になれば文字の読み書き程度の知識は必要なため、教育機関も欠かせない。無論、教材を作り出す技術者も、だ。

 作り出すものが高度になればなるほど、こうした繋がりは複雑かつ長大になる。人間の文明も、基本的には同じ作りだとクトーラは見抜いていた。

 こうした技術の繋がりを絶ってしまえば、文明というのは存続が出来ない。なら繋がりは何処にあるのか? それは人間が住んでいる場所……都市である。

 要するに『文明』の象徴とも言える都市を破壊し尽くせば良いのだ。これも中々途方もない話であるが、人間を一人残らず殺し尽くすよりは遥かに現実的である。そしてこれをするのは、クトーラにとって難しくない。

 人間の文明の機器は、そのエネルギー源を電気に頼っている。電気を流せば電磁波が生じるのは避けられない。そしてクトーラは、電磁波を感じ取る事が出来る。

 大量の電磁波を出している場所を、片っ端から叩き潰す。そうすれば文明に致命的打撃を与えられるだろう……そう考えたクトーラは、自分の考え通りの行動を起こした。

 ……………

 ………

 …

 そう、クトーラは行動を起こした。かれこれ二日前に。

 この二日間でクトーラは数多の都市を破壊した。ワシントン、ロサンゼルス、サンフランシスコ……クトーラにそれらの都市の名前は分からないが、人口の多いところは粗方破壊し尽くした。最早アメリカに、大都市と呼べるような場所はない。

 アメリカの破壊を一通り終えたため、クトーラは北上して(勿論クトーラは呼び名など知らないが)カナダに侵入した。カナダの人口は三千七百万人以上。三億三千万の人口を持つアメリカと比べれば、なんとも小さな国家だ。人口などのデータはクトーラの知るところではないが、地域一帯から放たれる電磁波の量から文明の規模・生産能力は概算出来る。遊んでいた期間を含めても僅か五日間でアメリカを叩き潰したクトーラからすれば、一日でどうにかなる程度の存在だ。

 そのため、クトーラは自分の身に迫る『危機』への対処を優先する事にした。

 食糧問題である。

 

【シュゥゥゥ……】

 

 カナダを横断中のクトーラの口から、弱々しい声が漏れ出る。人間達が聞けば希望を持ちそうなその声の意味するところは、「腹減ったなー」ぐらいのものであったが。

 クトーラは常に細胞で発電を行っており、エネルギーを消費している。この発電時の予熱で体温を維持するなど無駄なく使っているが、それでも一日に莫大な量のエネルギーを消費していく。

 つまり、たくさんの食べ物が必要なのだ。草食動物よろしく草が食べられるなら、これは大した問題ではないのだが……クトーラ族の消化管は植物を食べるのに向いていない。食べ物になるのは動物だけだ。

 クトーラが生きていた時代なら、地上にはいくらでも食べ物があった。自分達の陸上進出を阻んでいた『強敵』達、その強敵の餌になっていた動物がいくらでもいたからである。しかし今の地上に、クトーラ族の腹を満たせるほど大きな動物はいない。今の地球は、そういう環境ではないのだ。おまけにそこそこ大きな動物(馬や牛の仲間)は人間が大昔に絶滅させている。勿論人間達はクトーラ族なんて知らず、欲望のままに滅ぼしただけだが、結果的にそれはクトーラを苦しめる一因となっていた。

 では、このままクトーラは飢えるしかないのか? いいや、なんの問題もない。餌は既に見付けてある。

 他ならぬ、人間達だ。

 最初は猿の仲間だからとあまり食欲が湧かなかったが、一度食べてみれば中々味は悪くないものだった。特にこってりとした脂身(人間達は健康問題として気にしていた)が、クトーラの好みに合致したのである。他に食べ物がない事もあって今では毎日頂いている。

 

【シュウゥゥゥウウン……】

 

 お腹を空かせたクトーラは早速カナダの大都市・バンクーバーへと向かう。

 バンクーバーはカナダ、そして北米でも有数の大都市。その人口は市域で六十七万人を超えており、ビルが建ち並んだ発展した景色を形作っている。

 無論人間達も、これまで数多の都市を滅ぼしてきたクトーラを、簡単に侵入させるつもりはない。カナダ軍が出撃し、クトーラに苛烈な攻撃を加えてくる。尤も、腹ペコとはいえ満身創痍には至っていないクトーラにとって、通常兵器で攻撃してくるだけのカナダ軍など脅威とはなり得ない。そして手加減もしない。高出力金属原子砲を細かく撃ち込み、軍隊だけを一掃。町にはあまり傷を付けず撃滅する。

 邪魔者を排したクトーラは、悠々と都市バンクーバーへと侵入した。音速に近い速さでクトーラが来たため、人間達の避難は間に合っていない。わーわーと叫び、荷物も持たずに走り回る人間の姿がクトーラの眼下に広がる。とはいえ鍛え上げた競技者ですら時速四十五キロしか出せない人間の走りなど、クトーラからすればアリの全力疾走みたいなもの。悠々とその頭上に陣取った。

 

【シュゥオオオオオオ】

 

 続いて六本の触腕を大きく広げながら、走る人間達に向けて唸り声を発する。

 するとどうした事か。人間達の身体が、()()()()()()()()()()()

 これは電磁トラクタービーム。電磁力を用い、対象を引き上げる技である。生物体には金属が含まれており、これを磁力で引き寄せる……なんて事はしていない。生物体内にある鉄分はイオン化しており、磁石にくっつくものではないからだ。

 ではどうやって引き寄せているのかといえば、強力な磁力によって大気中の空気の流れを操作する事で成し遂げている。超高出力磁力であれば、酸素などを吹き飛ばす事が可能だからだ。『トラクタービーム』と言いつつ、実態は空気搬送というのが正しいだろう。何にせよこの空気の流れにより、人間達のような小さなものを吸い込む事が可能だ。

 人間達にとっては予期せぬ事態で、浮かび上がった人間は誰もが四肢をバタつかせている。しかしその抵抗は全く意味を持たず、どんどん高度を上げていく。落ちたら死は免れない高さになると、人間達の恐怖はピークに達したようで、肺が破けそうなほどの叫びを上げ始めた。

 そして自分達の行く先にあるのがクトーラの口だと気付くと、限界を超えた叫びを発する。

 人間達にとって残念な事に、クトーラは冗談でこの行動を取った訳ではない。老若男女、幼子だろうが老人だろうがカップルだろうがクトーラは関係なく、数十の人間を口の中に飲み込んでいった。口にはオウムのような嘴があるものの、この口は人間のような『小さなもの』を噛み砕くには向いていない。仕方ないので丸呑みだ。

 飲み込んだ人間達は胃袋に入り、そこで分泌された胃液に晒される。

 巨大な怪物の肉すら消化する胃液だ。人間がそれに浸されれば、瞬く間に身体は溶けていく。尤も、頭を噛み砕かれるよりは絶命に時間が掛かるが。腹の中で過去最大の悲鳴が上がったが、分厚い胃壁はその叫びを遮断。クトーラに腹からの悲鳴は聞こえてなかった。

 

【シュゥオッ、オッ、オッ】

 

 消化した人間達から得た、タンパク質や糖が身体に満ちると空腹感が癒えていく。その感触を楽しむようにクトーラは笑う。

 しかし数十人かそこらを吸い込んだところで、飢えを癒やしきるには不十分だ。クトーラの体重は二十万トン。対して人間の体重は精々六十キロ前後しかない。これは人間と米粒(二十ミリグラム程度)の差よりも大きい。たった百粒の米粒で人間は空腹を癒せるのか? 残念ながら、答えは否だ。

 だからクトーラは次々と人間達を吸い込んでいく。百人集まれば六トン、千人集まれば六十トン……五千人も吸い込めば、人間換算で茶碗一杯分程度の食事になる。

 今のクトーラが満腹になるには、三万人程度は必要だ。バンクーバーの人口であれば、それを得る事は難しくない。丸飲みの食事は淡々と続けられた。

 人間達も無抵抗ではない。一部の人間は、自らの死を覚悟した作戦を行う。

 その作戦は身体に手榴弾などの爆弾を巻き付け、腹の中で爆破するというものだ。当然、逃げられない腹の中でそんな事をすれば自分の命を失う。アリのように自分の命に頓着しない生物はいるが、それはあくまで最終的に自分の遺伝子を残すための合理的行動。種の存続やら信仰などで命を捨てる生物は人間以外にいない。野生動物的な考えの持ち主であるクトーラからすれば、理解出来ないやり方だ。

 しかし人間は、守りたいモノのためなら命を投げ出せる。それが社会に混乱を起こす事もあったが、多くの命を守る事もあった。

 ただ、同時に人間は勘違いしていた。自分達が()()命を投げ出せば、何かを変えられると。

 

【……シュー?】

 

 腹の中で自爆した人間が現れても、クトーラはちょっと違和感を覚えるだけだった。

 クトーラ族の胃壁は分厚く、頑丈なのだ。クトーラ族が生きていた時代には、体長三メートル以上の甲殻類も数多く生息していた。この電磁トラクタービームは、本来そうした生き物を吸い込むのに使っていた技。この巨大甲殻類が暴れても穴が開かないよう、彼等は進化してきた。ただの爆薬では威力が足りない。

 ちなみに爆弾だけでなく、農薬などの化学物質を山ほど身に纏って飲み込まれる人間もいた。しかしこれも大きな成果を出さない。大抵の毒物は強力な胃液で分解されてしまうし、仮に体内に入り込んでも肝臓では電気分解による『解毒』が行われている。生半可なものでは効果すらないのだ。

 そして最大の問題は量。体重二十万トンもあるクトーラを死に至らしめるには、例え人間なら一グラムで死ぬような毒でも、三・三トン以上の量が必要である。計画的に飲ませるなら兎も角、即席の自爆特攻で特定の毒物をそれだけ飲ませるなんて真似は、笑い話のような奇跡が起きねば成し遂げられない。

 それでも諦めずに続ければ、もしかすると奇跡も起きたかも知れないが……人間達の目線では自爆しても駄目、毒を飲ませても駄目という結果だ。意味のある死は出来ても、無意味な死を厭わない人間はあまりいない。

 

【シュゥ、オッ、オッ、オッ】

 

 爆弾と毒を飲んだ事にも気付かず、満腹になったクトーラが上げた高笑いは、人間達の心をへし折るのに十分な威力を持っていた。

 腹を満たした後は、人間の文明を破壊する。高出力金属原子砲で逃げ惑う人間達を跡形もなく吹き飛ばす。腹を満たしてくれた事への感謝なんてない……どれだけ知能が高くとも、クトーラ族は野生の『獣』なのだから。

 北欧有数の大都市バンクーバーの住人が消え去るのに、それから一時間も掛からなかった。

 ――――軍事力は通じず、毒も自爆も意味もなさず。もう、人間の力でクトーラを止める事は出来ない。

 人間には認められないだろう。いきなり現れたイカの怪獣に、何もかも破壊されるなんて。

 決して考え方や方法を誤った訳ではない。脅威を打ち破ろうと人間は奮闘していただけ。罪業を背負う覚悟と共に禁断の力を振るっただけ。その時々で、考えられる限りの最善を選択している。しかし結果的にクトーラの関心をより引いてしまった。クトーラと穏便な対話をしていたなら、核兵器の使用を最後まで思い留まっていたなら……この結末を知っていれば他の選択肢もあっただろう。

 されど人間は全てを知っている訳ではない。全てを『正しく』選択する事など不可能だ。

 人類の繁栄はここで終わる。意図せず神をやる気満々にさせた結果、数万年の努力は跡形もなく消え去るのだ。

 何も、なければ。

 因果応報なんてものはない。この世にあるのは善や悪ではなく、様々な事象の結果に過ぎない。しかしそれ故に、神の如く力を持つクトーラであろうとも、自分の行いにより生じた結果から逃れる事は出来ない。何よりクトーラもまた、人間と同じく全てを知っている訳ではないのだ。

 クトーラの目覚めにより()()()()もまた蘇る。

 クトーラにとってもそれは想定外の出来事だった……



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好敵手

 その『気配』は、突然現れた。

 

【……シュゥゥゥゥ】

 

 カナダを一通り破壊し尽くし、次の標的であるロシアを横断している最中であったクトーラは、ふとその動きを止めた。

 今、彼はロシアの大軍と戦っている。米軍とカナダ軍を打ち破ったクトーラに、ロシア軍は百五十発の核兵器を撃ち込んだ。その跡地に被爆を恐れない陸空軍が突撃し、猛攻撃を行っている……尤もクトーラの電磁防壁は揺らがず、陸空軍は既に壊滅状態になっていたが。今はただ、撤退命令が出る事を祈る兵士達が、ちまちまと攻撃しているだけ。

 そのような有象無象もクトーラは敬意を持って見逃さないつもりだったが、しかし状況が変わった。

 ――――()()()()()()()()

 クトーラは感じ取った気配を、そう理解した。気配といっても超常的なものではなく、その存在が放つ生体電流、これに伴う電磁波を感知したもの。近くであれば弱い生物の気配も感じ取れるが、遠くであれば相当強くなければ無理だ。少なくともクトーラの視界内に、気配を発するほど強そうな存在はいない。

 そしてクトーラは、この気配を無視つもりなど微塵もない。人間文明? そんなものは後回しだ。素晴らしい戦いを提供してくれているのに失礼極まりないとは彼自身思うが、此度ばかりはそうもいかない。

 幾千万年と戦い続けた種族が現れたとあって、すっかり心が踊ってしまっているのだから。

 

【シュ、ゥウウオオオオオオオッ!】

 

 壊滅寸前のロシア軍を捨て置き、クトーラは猛然と動き出す。

 目指す方角は南。

 その気配が何処にいるのか、正確には分からない。だが気配が南の方からするのだけは確かだ。だから南へと向かう。

 道中で人間の都市と軍に幾度となく遭遇した。されどクトーラはこれを無視する。高出力金属元素砲を撃つ事もなく、精々電磁トラクタービームで逃げ惑う人間を吸い込むだけ。理由は、少しでも体力の消耗を抑えるためだった。

 やがてクトーラはロシアを通り抜け、中国に辿り着く。中国人民解放軍の攻撃はロシアのそれよりも更に苛烈だ。核攻撃、生物兵器、化学兵器……あらゆる攻撃でクトーラを撃滅しようとする。自然環境はおろか、自国そのものの汚染さえも気に留めない。人道に反する作戦は、クトーラにとってこれまでで最も苛烈な攻撃となっていた。

 だが、クトーラが纏う電磁防壁は健在。

 精々苛立ったクトーラが、道中の人民解放軍を高出力金属元素砲で焼き払った程度。その後は上海で『食事』を行いつつ、都市の破壊はせずまた南へと向かう。

 その頃になって、人間達の攻撃の手が止んだ。

 屈服した、という訳ではない。人間達も今のクトーラが都市の破壊を優先していない事に気付いたのだ。その行く先が、人間にとっても『脅威』である存在だと。

 敵と敵をぶつけて、弱ったところを叩く。

 聡明なクトーラは人間達の思惑に気付いていた。強敵との戦いを生き甲斐とするクトーラ族は好まない戦術であるが……他の種族がそうした行動を取る事に、侮蔑や嫌悪は抱かない。人間的な表現を用いるなら、()()()()()、というものだ。むしろ知的な作戦を仕掛けられるのは、過酷な戦いを楽しむ上では好ましい。

 何より感じ取った気配との戦いに水を差さないのならば、それに文句を言うのは逆効果というものだ。

 

【シュオオオオオオオオオ……!】

 

 邪魔がなくなり、クトーラは更に加速する。時速一千キロで直進すれば、五千キロと進むのに五時間も掛からない。

 人間が使用する時刻にして、十三時頃。ロシアから一直線に突き進んだクトーラが辿り着いたのは、フィリピンの首都マニラであった。

 フィリピンという国自体は、所謂発展途上国だ。農村で生活する国民の半分以上が一日一ドル未満の生活という、最貧困層と呼ばれる経済水準にあると言われている。だがこうした国ではよく見られる特徴であるが、首都の発展は著しい。高層ビルが乱立し、先進国に負けないほど巨大な都市が出来上がっている。マニラも高層ビルが建ち並び、スラムなどはあるものの、極めて高度な発展を遂げた大都市であった。

 ……ほんの数時間前までは、という文言が今は必要であるが。

 原型を留めていない、というほどではない。だが乱立していたビルの五分の一近くが倒れ、炎と煙が都市のあちこちから上がっていた。

 地上では人々が逃げ惑っていた。ひっくり返った戦車が道を塞ぎ、広がる火災が人々を飲み込んでいく。大人が子供を突き飛ばし、女が老人を押し退け、自分だけでも助かろうと藻掻き苦しむ。正に地獄絵図といった様相だ。

 そんな都市には『道』が出来ていた。

 巨大な生物が這いずったような、土が抉れた道が出来ている。いや、ような、ではない。確かにそこにいるのは、這いずるように進む巨大生物だとクトーラは知っているのだ。

 そして道の先――――クトーラの真正面にいる生物が、此処マニラを破壊した元凶である事も知っている。

 

【シュオオオゥ……!】

 

 クトーラは唸り、その身体に満ちる力を高めていく。巨大な眼球を突き出し、目の前の存在を凝視する。

 体長二百八十メートル。触腕を含めなければクトーラより巨大な身体は、ごつごつとした岩状の表皮に覆われている。質感だけでなく、黄土のような色合いからも岩らしさが感じられるだろう。棘や翼は生えていないが、岩のような肌には小さな穴が無数に空いていて、近くで見た者の精神に『気味悪さ』という名のダメージを与えてくる。

 体型はずんぐりとしていて、尚且つ長い。イモムシや地虫のような形態だ。身体の半分が地面に付いており、これを引きずるようにして進んでいる。二本の足が付いているのはそんな身体の真ん中辺り(つまり下半身のように見えた部分は、胴体と同じぐらい太く長い尾である)、これが上半身を支えていた。足は太く、ずんぐりとした身体を支えるのに不足はない。指と爪があり、大地をしっかりと踏みしめている。

 上半身は背筋を曲げた状態ながらも持ち上がり、だらんと二本の腕が垂れ下がっている。この腕にも指と爪があるが、足の爪よりも鋭く長い。攻撃のための器官であるという事は、本能的に察せられる。腕自体も太く、大きなパワーを秘めている事が窺い知れるだろう。

 そして頭。

 大きさは三十九メートル程度。身体に対して決して大きなものではなく、丸みを帯びた形は、多くの人間にとっては『可愛い』系統に属するだろう。嵌っている目玉も真ん丸で、獰猛さなど欠片も感じられない。むしろ惚けたような面に見える。しかし開いた口の中には、鋭い針のような歯が無数に生えていて、口内からはだらりと舌が垂れる。溢れ出す口臭は腐肉に似たもので、この可愛らしい顔の生物が獰猛な捕食者だと物語っていた。

 クトーラはこの生物について知っている。

 クトーラ族はこの巨大生物を、ハースと呼んでいた。クトーラ族よりも後に生まれた両生類の一種で、三億五千万年前の陸上、その中でも主に沿岸部を支配していた存在だ。

 何より、クトーラ族が激戦を繰り広げた『強敵』の一つである。

 

【シュウゥゥゥ……】

 

【……………】

 

 クトーラが睨むと、ハースもクトーラを見つめる。つぶらな瞳を見ながら、クトーラは過去を思い返す。

 クトーラ族とハース族は、古来から争ってきた。他にも様々な種族と敵対していたのでその中の一体であり、特別強かったとか、厄介だったとかの記憶はないのだが……どうやら彼等もクトーラ族のように休眠し、方法は分からないが四億年の月日を生き抜いていたらしい。

 そしてクトーラの目覚め(というよりその後の活発な破壊活動)を刺激にして、同じく目覚めたのだろう。世界の様子を探ろうとしてか、はたまたクトーラの気配を求めてかは分からないが、周りの邪魔者(人類文明)を破壊しながら。

 ハース族がクトーラ族衰退の全ての原因、とまでは言わない。四億年前のクトーラ族には、ハース族以外にも宿敵が数多く存在していた。しかしこのハース族の所為で沿岸部からの進出が滞り、思ったように勢力を広げられなかったのは事実。奴等がいなければ、大量絶滅が起きる前にクトーラ族が地球を支配出来たかも知れない。

 それを理解した上で、恨みや憎しみという感情をクトーラは特に感じなかった。本質的に野生動物である彼等は、種族の本能として繁栄を求めるが、至上命題として意識に刻まれている訳でもないのだ。

 では、クトーラは目の前のハースを()()のか?

 それもまた、否である。

 

【シュゥオオオオオオオオオ!】

 

 クトーラが激しく吼える。威嚇と宣戦布告を意味する雄叫びだ。

 全身に滾らせた力を声にすれば、空気が震え、小さな衝撃波となる。残っていたビルは振動により窓が割れ、壊れかけていたビルは崩れ落ちた。ただ鳴いただけで都市が崩れていく様は、この都市でまだ生きている人間達の心を一瞬でへし折る。

 だが、ハースの心をどうこうするには、全く足りない。

 

【フェギィイイィイアアアアアアアッ!】

 

 それどころか更に大きな声で、威嚇を返された。

 クトーラの声でも崩れなかったビルが崩れ落ちる。クトーラの叫びは押し返され、彼の身体もビリビリ震えた。

 向こうに退く気はないらしい。

 分かりきっていた展開だ。ハース族は間抜けな面構えをしているが、その性格は好戦的なクトーラ族から見ても凶暴そのもの。誰彼構わず戦いを吹っ掛ける性質に加え、相手を執拗に嬲り殺す残虐性も持つ。巨体相応に強い事もあって、当時生きていた多くの種族から嫌われていた。

 唯一彼等を嫌っていなかったのが、クトーラ族。

 挑めば応えるその性質は、好戦的なクトーラ族にとって好ましいもの。繁栄の邪魔ではあるが、それはそれ、これはこれ。これから強いモノと戦えるのに、ああだこうだと考えるのは無粋というものだ。人間が繰り出す知的な作戦も楽しませてもらえたが、やはりクトーラ族としては、己の肉体をぶつけ合う血と闘争が一番の好み。

 

【シュオオオオオオオオオオッ!】

 

 クトーラが咆哮と共に、喜々としながらハースに戦いを仕掛ける理由はそれだけで十分なのだ。

 

【フェィイギィアアアッ!】

 

 そしてハースにとっても、戦う理由はクトーラと変わりない。人間の都市と軍隊を一通り壊したハースは、今頃きっと飽き飽きしていただろう。残虐な彼等であるが、虫けらを潰して歩く事を楽しむよりも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()方が好きなのだ。同格の種族にして、高慢ちきなクトーラ族は彼等にとっても好ましい。

 どちらにとっても、この戦いは楽しいものでしかない。ならば威嚇で終わって平和的に済む訳もなく。

 古代からの敵同士は双方喜々としながら、けれども激しい闘争心を露わにして激突するのだった。



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激戦

 音速に迫る勢いで突撃したクトーラに対し、ハースが取った行動は『構え』だった。

 どっしりとした二本足で大地を踏み、胴体とほぼ変わらない太さの尻尾を地面に叩き付ける。小規模な地震が起きるほどの打撃により、その身は地面に少なからず埋もれた。

 そして大きく両腕を広げて、クトーラを待ち構える。

 このまま進めばハースの構えた胸元に、クトーラはみすみす飛び込む。相手の思惑通りの行動であるが、果たしてそれで良いのか?

 何も問題はない。

 ここで組み合わないと、戦いの面白味がなくなってしまうではないか!

 

【シュオオオオッ!】

 

 戦略でもなんでもなく、ただ楽しいというだけの理由で、クトーラはハースの胸に頭から激突する! その衝撃の大きさは、撒き散らされた衝撃波により付近のビルが崩れた事からも察せられる。

 だがクトーラは怯まない。彼の身体の表面には無敵の電磁防壁が展開されているのだから。核攻撃すら難なく耐える壁に、高々体当たりの衝撃が防げない筈もない。

 そしてハースの身体にも、『特別な守り』が存在している。

 クトーラが激突した瞬間、ハースの身体から『ガス』が噴出。激突したクトーラの身体を押し返し、衝撃を緩和したのだ。このガスはハースが呼吸により取り込んだ空気を体内で加工し、高圧縮した状態で岩状の表皮に溜め込んだもの。表皮がなんらかの刺激を受けると表皮が凹み、その勢いで噴出するという仕組みだ。

 名付けるならば、空気防壁だろうか。

 この噴出したガスは勢いは凄まじく、クトーラの体当たりは勿論、人間が繰り出す核爆発の威力も押し返す事が出来る。息をしている限りハースの身体は常にガスを生成するため、余程連続的かつ強力な攻撃をしない限りガスが尽きる事はない。加えて、クトーラが纏う電磁防壁が常に最大出力なのに対し、空気防壁は攻撃(押してくる力)の強さによって出力が調整される。常に過不足ない出力で防御するため、エネルギー効率が良い。つまりスタミナに優れるという訳だ。

 何億年も前の情報であるが、かつての宿敵の『強み』をクトーラは未だ覚えている。持久戦に持ち込まれたなら、自分に勝ち目はないだろう。

 しかし策はある。空気防壁は表皮内のガスがあるから展開出来るもの。そしてこのガスは打撃により目減りするため、呼吸による補充が欠かせない。

 なら、呼吸をさせなければ良いのだ。

 

【シュゥオッ!】

 

 体当たりの直後、クトーラは六本の腕を広げ、ハースに巻き付ける。

 触腕二本はハースの首を締め上げ、一本は口に巻き付いた。空気防壁のもう一つの弱点として、ガスの補充に多少時間が掛かるため、締め付けなど持続的な攻撃を受けると弱い攻撃でもガスが枯渇しやすい。しかも補充される空気は表皮の隙間に入る形になるので、押されて凹んだ状態の皮膚には少しのガスしか入らない。

 締め上げる攻撃をすれば、比較的簡単にガスを無効化出来る。クトーラの細長い触腕はそうした攻撃をするのに向いていた。ハースの首と顎の守りは少しずつ弱まり、じわじわと締め付けていく。気道が狭まれば息が弱くなり、ガスの回復力も落ちていく。勿論、窒息そのものもハースを弱らせる要因だ。 

 残る三本の触腕のうち、二本はハースの腕に巻き付いた。振り解こうとする動きを阻むためだ。最後の一本はハースの身体を殴るのに使う。一撃与える度、表皮からガスが抜けていく。

 窒息死させるも良し、ガスが尽きて無防備になった身体を引き千切るも良し。どうあれこのままいけばクトーラの勝利だ。

 と、簡単に事が進めば良いのだが、強敵ハースはそれをみすみす許すような真似はしない。

 

【フィ……ギ……ィアァッ……!】

 

 ハースは腕を上げる。クトーラが束縛していたが、ハースの腕はクトーラの触腕よりも遥かに太い。高々一本分の力では、動きを鈍らせるのが限度だ。

 まずハースが掴んだのは口に巻き付く触腕。がっしりと巻き付くそれを、両手の力で引き剥がす。クトーラも必死に巻き付こうとするが、パワーではハースの方が上だ。クトーラの触腕は口から無理やり解かれてしまう。

 そして口に巻き付いていた一本の触腕を、ハースは両腕で引っ張り出す。

 何をするつもりなのかは明白。クトーラはすぐに触腕を引っ込めようとしたが、掴まれた状態ではどうにもならない。

 

【フィィィッ……!】

 

 更にハースは力強く、クトーラの触腕を握ってきた。

 クトーラの触腕は電磁防壁に守られている。核の炎だろうと、その身に傷を付ける事すら叶わない。

 だがハース族は、この守りの破り方を知っている。

 電磁防壁は特定周波数帯の電磁波を、幾重にも纏う事で展開している。電磁波そのものがあらゆる攻撃を防ぐ鎧。殴ったり熱したり光線を撃ち込んだりして、電磁波が消えるだろうか? 無論、消えない。故に無敵の守りなのだ。

 しかしこれは言い換えれば、電磁波を部分的にでも消されると強度が大きく落ちてしまう。束ねた電磁波が強いのであり、ただの電磁波に物体を止めるほどの力はないのだから。

 無論、クトーラもその弱点は自覚している。そして電磁波消失を実行するのは極めて難しい事も。外から電磁波を浴びせた程度で揺らぐものではなく、雷が直撃しても大した影響は出ない。肉体を形作る十二垓個の細胞が個々に発電しているため、平均化された電磁波には『揺らぎ』すら生じない状態だ。十万発の核弾頭で数日間絶え間なく攻撃しようと、電磁防壁はビクともしない。

 しかしハースの指先は違う。電磁防壁に

を掴んだその手は、電磁波そのものを()()していく。

 これは体質的なものであり、ハース族の特徴である。そして吸収された分、電磁防壁にハースの指は喰い込む。食い込めばまた億の電磁波を吸収し、更に食い込んでいく……

 電磁防壁の内側に達すれば、そこにあるのはただの肉だ。確かにミサイル程度であれば耐える強度はあるが、『同格』の相手の力をもろに受けて耐えられるほどではない。

 

【フィアアアアアアアッ!】

 

 一際大きな叫びと共に、ハースはクトーラの触腕を一気に引っ張る!

 クトーラは力を込めて抗おうとしたが、ハースの力には敵わず……触腕の一本を引き千切られてしまった。

 

【シュギッ……!?】

 

 走る激痛に、クトーラは呻きを漏らす。腕を千切られたのだ、大抵の生物にとっては身動きすら出来なくなるほどの激痛が走るだろう。

 だが、クトーラ族は違う。

 クトーラ族にとって触腕は再生可能な部位だ。少々時間は必要だが、必ず元の姿に戻る。それ故に痛覚は僅かしかない。クトーラの呻きも、数億年ぶりの痛みを少々大袈裟に感じただけ。

 そして大して痛くもないなら、反撃も即座に行える。

 

【シュアアアアアアアッ!】

 

 クトーラは痛みで仰け反るフリをしながら距離を取るや、残る五本の触腕を束ねて――――力強く振るう!

 更に触腕から磁力を放出。身体で生じている磁力との反発を利用して加速し、ハースの下顎に触腕を叩き込む!

 ハースの顔面も空気防壁で守られている。だが渾身の一撃は、ハースの顔に溜め込まれた空気だけでは耐えられない威力を生み出した。頭に走った衝撃でハースの顔は仰け反り、浮かんだ拍子に転ばないよう着地に意識が向く。

 その隙をクトーラは見逃さない。束ねていた触腕を解き、全身の細胞から生み出した電気を集めていく。宿敵ハースはクトーラが何をするつもりか気付いたようだが、崩れた体勢から攻撃に転じるまで僅かに時間が掛かる。精々一〜二秒だが、それだけあれば十分。

 クトーラは渾身の力を溜め込んだ五本の触腕から、高出力金属元素砲を撃った!

 亜光速で飛翔する高エネルギー元素。これを躱す事など、いくらクトーラに匹敵する身体能力の生物でも出来やしない。ハースの胸部に光が照射され、大気の膨張圧により噴出した濃密なガスがこれを受け止める。光そのものの直撃は避けたが、ガスと金属元素の激突による核分裂はどうにもならない。至近距離で生じた核爆発により、ハースの身体は何百メートルと吹き飛ばされた。

 

【フィ、ギィイ……!】

 

 空気防壁により無傷で耐えたハースはなんとか立ち上がろうとしたが、どっしりとした身体は転がった際の復帰には不向き。四肢をバタつかせるも中々立てない。

 クトーラはそこで容赦などせず、高出力金属元素砲を転がるハースに向けて撃ち続ける。ハースが展開する空気防壁により、高出力金属元素砲はハースの手前で炸裂。ハースは直撃こそ避け続けていたが、核爆発の衝撃で大量のガスを消費している。

 また爆発時に生じたプラズマが周りの空気を吹き飛ばしており、呼吸によるガスの回復も妨げていた。窒息ほど完璧ではないが、しかし圧倒的力による『暴力』は抵抗のチャンスそのものを与えない。

 

【シュオオオオオオオオンッ!】

 

 このまま嬲り殺しにしてくれる――――クトーラの叫びを意訳すればこうなる。

 だが、その叫びが現実になる事はない。クトーラ自身すら、あり得ないと考えていた。

 こんなやり方で勝てるほど、ハース族は甘くない。

 

【フィイアアァァァ……!】

 

 繰り返される爆炎の中で、ハースの呻きが響く。爆発音の方が遥かに大きく、ハースの声は掻き消えていたが……炎の奥底で高まる『力』をクトーラは察知していた。

 クトーラには見えない。だが三億年以上前の経験から、何が起きるかは知っている。それに備えて電磁防壁の出力を高めた、瞬間、ハースは行動を起こす。

 体表面に溜め込んだガスを逆流させ、口内で凝縮。大気圧の数万倍にも圧縮された空気は熱を持ち、プラズマへと変化する。ハースの口内はガスで保護されているが、涎などが沸騰して口からぶすぶすと白煙が昇り出す。

 そして溜め込んだプラズマ化した空気を、一気に吐き出した。

 吐き出された空気、否、プラズマは周辺大気を巻き込みながら膨張・加速。発射一秒で秒速二十キロもの速さに達し、目標(クトーラ)に着弾する。プラズマは物理的衝撃により崩壊し、内部に保持されていた、特に高温高圧の部分を外に曝け出す。

 その瞬間、空気は火薬庫と化した。

 炸裂したプラズマに反応し、空気分子が崩壊する。崩壊時には質量の一部が熱へと変化し、新たなプラズマの燃料となる。それが連鎖反応的に続き、半径五百メートルに達する超巨大なプラズマ現象を引き起こす。

 これがハース族の得意技・プラズマキャノンだ。

 

【シュ、ゥウギュウゥ……!】

 

 プラズマキャノンの直撃を受けたクトーラは、その衝撃で数キロとふっ飛ばされた。ここまで離れるとビル街はまだ無事で、クトーラはそれら巨大建造物に激突。何十というビルを突き破り、爆撃染みた土埃を舞い上げながら転がっていく。

 電磁防壁を最大出力で展開していたが、それでも衝撃を()()()()()()()()。プラズマキャノンの効果範囲は半径五百メートルほどしかないが、その圏内での破壊力は核兵器を大きく上回る。無敵の電磁防壁を純粋な力で追い詰められるのは、クトーラが知る限りハース族だけだ。

 クトーラの体勢が崩れた事で、ハースに浴びせられていた高出力金属元素砲も逸れる。ハースはこの隙に立ち上がり、大地を二本足で踏み締めた。そして爆炎の中から姿を現す。

 度重なる高出力金属元素砲により、ハースの胸部は僅かに焼け爛れていた。空気防壁で身を守っていたが、熱を遮断しきれず火傷を負ったのである。とはいえ少し表面が焼けた程度で、戦闘に支障はあるまい。

 クトーラもビルの残骸を吹き飛ばしながら空中に浮かび上がって、再びハースの方へと向く。千切れた触腕は再生を始めており、既に断面は丸みを帯びている。ただし機能が完全に戻るのは、もう少し後になるだろうが。傷を治した分体力も減っている。

 戦いは仕切り直し。しかし進展は僅かながらにある。人間の文明相手には傷一つ負わなかった両者は、互いの攻撃により少しずつ傷を増やしている状態だ。同時に、闘争心も強めていく。

 戦いはここからが本番。クトーラはそう考え、全身の力を高めていく。

 だが、それはハースも同じ事。

 ハース族の厄介な力が、間もなく発動しようとしていた――――



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窮地

 第二ラウンドを始めようとした時、クトーラは自分の身に降り掛かる『異変』に気付いた。

 身体が、乾いていく。

 しっとりとした粘液に覆われていた身体が、徐々にその湿り気を失ってきたのだ。さらさらとしていた粘液は粘つき、やがてパキパキと音を鳴らす乾物に変わってしまう。

 軟体動物であり、そもそも海洋生物であるクトーラ族にとって、身体の湿り気は生存に関わる重要な問題だ。水分自体は鰓から大量に取り込んでいるが、粘液はその水分の蒸発を防ぐ。粘液がない状態というのは、穴の空いたバケツのようなものだ。これではいくら水を補給しても、やがて身体が干からびる。

 しかしMOABの直撃を受けても平然としていたのに、どうしてなんの攻撃も受けていない今になって乾き始めたのか? クトーラはその答えを知っている。

 原因は、目の前にいるハースだ。

 

【フオオオオオオオオォォォォ……】

 

 大きく息を吸い込むような音が、ハースの『全身』から鳴っている。

 いや、ような、ではない。ハースは実際に全身から、体表面に開いた穴を通じて空気を吸い込んでいた。吸い込んだ空気は口から吐き出されており、一見ただそれだけの行為に見えるだろう。

 しかしハースの行動は、ただの呼吸ではない。

 吸い込んだ際、空気から水分を除去しているのだ。そのため周辺の空気がどんどん乾燥していく。

 砂漠の湿度は二十〜二十五パーセントほど。日本の真冬でも十パーセント程度はあるものだが……ハースの行動により、半径数キロ圏内の湿度は一桁代を突破。〇・〇〇二パーセントまで急速に失われた。ここまで低い湿度は、自然界ではまずあり得ない。

 とはいえこれだけでは、クトーラの粘液を乾かす『補助』にはなっても、決定打にはならない。ハースは更なる『攻撃』を行っていた。

 それは呼気に含まれる、高吸水性高分子である。

 大気中の窒素や二酸化炭素、水と酸素も材料にして、高吸水性高分子を体内で生成。ハースはこれを吐き出していた。高吸水性高分子はその名の通り、大量の水分を吸収・保持する機能を持つ分子。人間では紙オムツなどの用途に使用されている。これが空気中に漂っており、クトーラの周りにも大量に浮かんでいた。

 クトーラは今も電磁防壁を展開しているが……高吸水性高分子は呼吸により体内へと侵入。消化管や呼吸器系などが乾燥していき、臓器の水分維持を身体が優先した結果、粘液など直接生命活動に関わらない水分が減少した。結果、粘液の乾燥という事象が引き起こされたのである。

 更に、新たな危機がクトーラに降り掛かる。

 

【シュ、シュォ、オ、オギ……!】

 

 クトーラは唸り、触腕をじたばたと暴れさせる。

 息が出来ない。鰓は十分湿っているのに、どれだけ体液を巡らせても酸素が取り込まれないのだ。

 この現象もまた、ハースが引き起こしたもの。ハースは水分のみならず、酸素も高吸水性高分子の材料にしている。言い換えれば、それは周辺から酸素が失われる事と同義だ。それだけなら更に遠くの大気から、空気が流れ込んでくるのだが……ハースは代わりに高吸水性高分子を排出している。大気中を形成する分子の総数は常に一定(アボガドロの法則、と人間は名付けた)だ。高吸水性高分子が増えれば、その分酸素などの比率はどんどん下がっていく。

 今やハースの周囲数キロ県内は、酸素濃度が一桁にまで減っていた。クトーラとハースの戦いが始まったばかりの頃、都市には地下鉄などに逃げ込んでハースの破壊行為から生き延びていた人間が大勢いて、クトーラ達の激戦に巻き込まれなかった者も少なからずいたが――――もう、誰も生きていない。全員が窒息により死亡した。

 クトーラにとっても酸欠は危険な状況だ。巨大な身体を動かすエネルギーは、酸素を大量に消費して生成している。本質的には人間よりも酸欠に弱いと言えよう。

 それでも彼が未だに生きているのは、電気分解により酸素を作り出しているからなのだが……今までは空気中の水分を使用していた。しかしハースが高吸水性高分子を生成する過程で、大気中の水分も奪っている。これでは原料がなく、酸素を作り出せない。

 緊急措置として体内の水分を利用しているが、これは長く持たない。身体が必要としている酸素を全て作り出そうとすれば、瞬く間に脱水症状に陥ってしまう。故にある程度制限しなければならないが、そうなると酸欠の症状は残り、消費自体はしているのだから脱水が回避出来る訳でもない。

 体表面の乾燥、酸欠、脱水……様々な体調の不良がクトーラを襲う。これでは戦闘能力を維持出来ない。

 対するハースは、身体に力を漲らせている。彼の分厚い表皮は高吸水性高分子や大気の乾燥など全く気にせず、吸い込む過程で血中に溜め込んだ酸素があるので酸欠もしばらくは問題にならない。自ら作り出した環境だけに、クトーラとは備えが違う。

 クトーラが圧倒的に弱り始めた時を、力を保っているハースが見逃す筈もなかった。

 

【フィィイイオアアアアッ!】

 

 猛然とハースは駆け出す! 狙いは動きの鈍ったクトーラだ!

 クトーラは触腕を構え、これを受け止めようとする。だが酸欠と乾燥により弱った身体は、思ったほど素早くは動かせない。ハースの突進には間に合わず、クトーラはその直撃を受けてしまう。

 踏ん張って耐えるのにも、身体の力が必要だ。堪えきれなかったクトーラは、一キロ以上の距離をふっ飛ばされてしまう。すぐに体勢を立て直そうとするが、乾いた粘液が動きを阻む。触腕が素早く動かず、元の体勢に中々戻れない。

 その間にハースは肉薄し、クトーラの触腕を掴む。

 迫りくるハースの爪先を電磁防壁が(短時間ではあっても)防ぐ。そう、今までは防いでいた。だが今の防壁は、ハースが少し力を込めると呆気なく食い込み、触腕の肉にまで達してしまう。

 酸欠でエネルギーが作り出せない以上、電気を作り出す細胞の活性も低くならざるを得ない。無敵の守りである電磁防壁が弱まるのは、必然の事態だった。

 

【シュ、シュオオオオオオッ!】

 

 それでもクトーラは力を振り絞り、触腕をハースの腕に巻き付ける。絞り上げる事で空気防壁を無効化し、自分の触腕の一本を掴むハースの腕を握り潰そうとした。

 だが、それを果たすには力があまりに弱い。数分と続ければ叶いそうだが、好戦的で獰猛なハースはそれほど悠長な生物ではないのだ。

 

【ィイアアアッ!】

 

 ハースは掴んだクトーラの触腕を引っ張る! 千切るためではなく、クトーラの身体を引き寄せるために。

 クトーラの身体はハースの剛腕に逆らえず引き寄せられ、その勢いで地面に叩き付けられた。巨大な地震が起き、数キロと離れていてクトーラ達の戦いから逃れたビルが次々と崩れ落ちる。クトーラの身体にも、弱まった電磁防壁では緩和出来ない衝撃が走った。

 ハースはまだまだ容赦などしない。未だ掴んでいる触腕ごとクトーラを持ち上げ、人間が背負投と呼ぶ技のように、大地に叩き付ける。それも一回だけではなく、二回、三回、四回……その度に大地震が起こり、フィリピンの大都市マニラは完全な更地に変わっていく。

 クトーラはまだ死んでいない。だが貫通してきたダメージにより、身体に擦り傷が刻まれていく。電磁防壁を作り出そうとフル稼働させた細胞が、エネルギー不足と過労により『ショート』して弾ける。その様はクトーラの体表面でバチバチと迸るスパーク、それと混ざる体液が物語っていた。

 

【シュ……シュゥウギィオオオオオッ!】

 

 しかしクトーラの闘志は未だ折れない。

 蓄積するダメージを堪えながら、クトーラは触腕にエネルギーを溜め込む。原子崩壊により核爆発を引き起こす、神の(いかずち)こと高出力金属原子砲。これを直撃させれば、ハースといえども後退は避けられない。

 ハースの展開した酸欠には、範囲が存在する。高々数キロの、クトーラ達からすれば然程広くない面積だ。クトーラはそれを知っており、一旦距離を取れば十分な酸素を得られると理解していた。逃げるつもりは更々ないが、聡明な彼はこのまま突撃を繰り返すほど猪武者でもない。

 しかしハースの方も、自分の弱点は把握している。クトーラの思惑を理解しており、此処から逃がすつもりはない。

 

【フィギャアッ!】

 

 だからか、ハースは五度目の叩き付けの後、クトーラを踏み付けた。

 踏まれたクトーラは、不味い、と感じた。踏み付けという体勢により、ハースは攻撃と踏ん張りを同時に行えている。これではちょっとやそっとの攻撃では動かせない。

 普段の高出力金属原子砲であれば、踏ん張るハースを押し退ける事など造作もないだろう。だが酸欠と水分不足により弱った今のクトーラに、普段通りの威力の一撃を放つ事など出来ない。仮に放ったところで、核爆発の衝撃はクトーラにも及ぶ。後ろに空間があれば吹き飛ぶ形で衝撃を流せる(加えて離脱の助けとなる)が、踏み付けられた状態では背後に地面がある。衝撃の殆どが身体に伝わる事となり、弱体化した電磁防壁でこれを耐えるのは困難だ。

 どうすべきか? 耐えられる限界まで高出力金属原子砲の力を溜め込むべきか、或いは別の技を用いるべきか。酸欠で鈍る頭が決断を下す前に、ハースは次の行動を行う。

 クオーラを踏み付けたまま、触腕を掴み、引っ張り始めたのだ。

 

【シュ、シュギ、ギ、ギ……!】

 

【フィアアッ!】

 

 引っ張られた触腕に力を込めて抗おうとするも、弱りきったクトーラの身体がハースの力を上回る事はない。ハースも手加減なくその触腕を引っ張り……そして引き千切る。

 二本の触腕は真ん中辺りで千切れ、ハースはそれを放り捨てた。触腕はびちびちと跳ねたが、間もなく活動エネルギーを失い、動かなくなる。反撃のため触腕に溜め込んでいた高出力金属原子砲の力も、生命と一緒に霧散してしまった。

 正常に機能する腕は今や半分の三本だけ。

 

【シュキギィアアアアアアアアッ!】

 

 その三本を引き千切られる前に、クトーラは高出力金属元素砲を放つ。

 閃光がハースの胸部を打ち、防壁として展開された空気と反応して核爆発を起こす。だが、爆発の規模はあまりにも小さい。健全な時には半径数百メートルにも及ぶ爆炎が生じたのに、今ではたった数十メートル程度。ハースの胸をちょっと煙で隠すだけ。

 ハースは衝撃で僅かに仰け反ったが、それたけだ。まるで堪えていない。

 なんだこの程度か? そう言いたげに覗き込むハースの顔面を、クトーラは触腕で殴り付ける。強力な物理攻撃だが、ハースの身体はびくともしない。もっと来いよと言わんばかりに近付く間抜け面を幾度も殴るが、ハースは垂れ下がる舌をへらへらと揺れ動かすばかり。

 元々身体能力ではハース族の方が、クトーラ族よりも上だ。どれだけ死力を振り絞ろうと、肉弾戦でクトーラ族がハース族を圧倒する事はない。

 

【フィィィィィィィ……】

 

 もう反撃は怖くないとばかりに、ハースはクトーラの頭を両手で掴み、持ち上げる。とはいえ顔面を見て嘲笑うような、()()()な趣味をハース族は持っていない。

 これは止めを刺すため、クトーラの頭を両手で押し潰そうとしているのだ。神の如く力を持つクトーラも、頭を失えば死ぬしかない。

 クトーラは全身に力を込めてこれに抗おうとするも、身体能力の差は歴然としている。電磁防壁があれば少しはマシだったが、酸欠と水分不足により細胞が弱り、ついに消失していた。身体の力だけでは一分と持たない。

 絶望的状況。しかしクトーラ族は戦いをこよなく愛する誇り高き一族だ。今更命乞いなどしない。仮にしたところで、獰猛で凶悪なハース族は聞く耳を持たないだろう。

 戦いの決着は、相手の死以外にあり得ない。

 この戦いを終わらせるには、相手を殺すしかない。

 だからクトーラは切り札を使う。

 自分の命すら危険に晒す、『奥の手』を使う事にしたのだ……



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必殺技

 クトーラの頭を掴んでいたハースは、その手で異変を感じ取っただろう。

 クトーラの身体が、徐々に冷たくなっていると。

 最後の悪足掻きをしようと、細胞のエネルギーを温存しているのか? 等とハースは思ったかも知れない。しかし、だからなんだと言うのか。どれだけ抵抗しようと、酸欠と水分不足でクトーラは十分な力を出せないのだ。大した技など繰り出せまい。むしろ時間を与えて、何か技を繰り出す猶予を与える方が危険だろう。

 下手に警戒するより、早期決着が好ましい――――そう考えたと、頭に加わる力が強まった事でクトーラにも伝わる。

 クトーラは思った。()()()()()()、と。

 残った力を振り絞るように、クトーラは三本の触腕をハースに巻き付けた! 首と腕二本にしっかりと、簡単には解けないよう念入りに。

 

【フィイ……?】

 

 クトーラの行動に、ハースは怪訝そうに顔を顰める。こんな貧弱な力で自分を倒せる筈がない、こんなしっかり巻き付けたら一旦距離を取る事も出来やしない。そう言いたげだ。

 この時点でクトーラは自分の勝利を確信した。

 このハースは、クトーラ族との戦いを経験した事がない。クトーラ族が眠りに就いた後に生まれたのか、戦いのない地で育ったのか。いずれにせよクトーラ族について知らないからこそ、こうも暢気でいられるのだ。

 追い詰められたクトーラ族に密着される事は、死を意味するというのに。

 

【シュォォォォォォォォ……】

 

 唸るような声を絞り出すクトーラ。その身体の表面に、バチバチとスパークが迸る。

 攻撃を受けて苦しんでいた時と同じもの、ではない。ハースの攻撃を受けていた時のそれは、無理をした細胞が破損した時に生じていた。故にスパークが走った部分には小さな傷が出来ている。だが、今のクトーラが発しているスパークは、小さな怪我すらも生じさせていない。

 更にスパークは時間と共に激しくなり、絶え間なくクトーラの身体の表面を流れていく。そしてその電気は、掴んでいるハースには流れていかない。流れようがない。ハースの身体には空気防壁……強力な絶縁体があるのだから。

 流れたスパークは、クトーラの体表面に吸い込まれるように消えていく。正確には、ような、ではない。金属分子を多分に含むクトーラの身体は電気を通しやすく、スパーク……大気中に放出された電流の新たな通り道となっている。

 放たれた電気が逃げずに身体へと戻るのだから、その身体にはどんどん電気が溜まっていく。

 数十秒もすれば、クトーラの身体は漏れ出る電気により煌々と輝いていた。

 

【フィ……ギ……】

 

 ここに来て、ようやくハースは危険を察した。何か不味いと思ったようで一度離れようとする……だが、もう手遅れだ。クトーラが巻き付けた触腕が、ハースの動きを封じるのだから。

 そのハースにクトーラは、自ら近付いて密着する。最大最後の『奥義』を繰り出すために。

 ――――クトーラはこれまで、様々な技を披露してきた。

 電磁防壁。高出力金属原子砲。電磁トラクタービーム……どれもこれも電気を変換して使った技だ。いずれも人間の文明では成し得ない高出力を誇るが、しかし肝心な事を忘れてはならない。

 エネルギーというのは、変換を経ると損失が発生するのだ。

 より正確に言うなら、熱に変わってしまう。人間文明でもこの性質は大きな問題と認識されており、例えば電線を通る時にも多量の電気が熱に変わって失われている。この損失を少しでも減らそうと、様々な研究が行われ、技術も進歩した。しかしそれでも、未だただ電気を送るだけで三・四パーセントの電力が失われている。

 それはクトーラも同じだ。彼が今まで作り出した電気も、電磁防壁や高出力金属原子砲のエネルギーに変わる度、一部が熱に変わっている。その熱は体温維持などに使っていたため、決して無駄になっていた訳ではないが、『攻撃』という用途に使い切れていなかったのは間違いない。故に最大発電量と最大出力には、大きな開きがあった。

 その開きをなくす方法は、簡単だ。変換すると損失が発生するのだから、変換を一切行わなければ良い。

 クトーラの身体が冷めていったのは、電気の変換を止めたため。身体の中で作り出した電気を可能な限り放出せず、うっかり漏れ出たスパークは即座に回収し、身体の中に溜め込んでいく。今のクトーラの身体には、純粋な電気エネルギーがぎっしりと溜め込まれている。

 クトーラ自身、今にも爆発しそうなほどのエネルギー量だ。直撃を受ければハース族といえども耐えられるものではない。

 

【シュォアアアアアアアアアアアッ!】

 

 猛り狂った叫びを上げ、クトーラは電撃を解き放った!

 天然の雷はおろか、人間が使う原子力発電所すら悠々と超える大電力が放出。それは密着した状態のハースに、直に注ぎ込まれていく!

 

【フィ、フィイィイイイッ!?】

 

 ハースが悲鳴染みた声を上げた。彼の身体は空気防壁に守られている。空気は絶縁体であり、本来は電気を通さない。だが絶縁体はある一定の電圧を加えられると、絶縁体として振る舞う事を止めてしまう。

 空気防壁も同じだ。クトーラの攻撃を防げず、貫通した電撃がハースの身体を駆け巡る。ダメージを負い始めたハースは逃げようと藻掻くが、クトーラの三本の触腕がその身を掴んでいた。離れられなくなったのは自分の方だと、今になってハースは気付く。

 これまでクトーラがこの技を使わなかった理由は二つあり、その一つは制御が全く出来ない事が挙げられる。放った電流は流れやすい方に勝手に進んでいくため、一メートルすら真っ直ぐ飛んでくれない。なのにクトーラ達の大きさでは、百メートルもあれば至近距離。この距離ですら何処に飛んでいくか分からない技を、通常の技として採用する事は出来ない。今まで高出力金属原子砲という形に変換していたのは、無制御な電気を、直進する原子にするためだったのだ。

 無論そんな弱点はクトーラ自身も把握している。わざわざ触腕を絡めたのは、身体を密着させ、そして敵を逃さないため。

 ハースは藻掻いて触腕を振り解こうとしたが、残る三本の腕はぐるぐるに巻き付いている。根本から引き千切られない限り纏わり付くのは止めず、そして一本一本根本から引き抜くには、ハースと言えども時間が掛かってしまう。

 その時間を惜しめば拘束は解けず、ハースは逃げられない。

 

【フィ、フィギ、ギ、ギビ、ビ、ビ……!?】

 

 電流を受け続けていたハースは、やがてその身体を痙攣させ始める。空気防壁が分解され、肉体に大量の電気が流れ始めたのだ。

 そしてこれが、ハースにとって終わりの始まりだ。

 超高出力の電流は、単に物体を『予熱』で焼くだけに留まらない。超高出力の電気エネルギーにより、体組織内の物質が崩壊を始めるのだ。原子が崩壊すると、その残骸である電子やイオン化した元素が、電気エネルギーにより加速して飛び出す。それら小さな粒が持つエネルギーは周りの原子も破壊し、新たな崩壊を引き起こす。連鎖反応は止まらず、範囲は拡大していくばかり。

 クトーラ族最大の『必殺技』――――放電。単純だからこそ、これまで発現させてきたあらゆる技を凌駕する高出力の奥義は、ハースの肉体を原子レベルで蝕んでいく。ハース自身自分の身体がどんどん壊れていくのを感じたのか、一層強く四肢を暴れさせたが、クトーラはこれを逃さない。むしろ更に触腕に力を込め、身動きを封じていく。

 

【シュオオッ!】

 

 最後に一際強く、クトーラはハースを抱き締める。

 クトーラの放電現象は、ついにハースの身体の一部をイオン化させた。連鎖反応は加速し、ハースの全身に瞬く間に行き渡る。核爆発にも耐えた身体が光り出した、その時にはもう勝負は決している。

 光がハースの胸から噴き出す。

 噴水のように溢れたそれは、電子とイオンの流れ。分解された身体の一部が変性して生まれたそれは、さながら出血のように溶けた閃光と化す。ハースは慌ててその光を塞ごうと手を胸に当てた、が、噴き出す光の勢いは収まらない。抑えるために当てた手が、光の勢いで粉々に砕け散る。

 

【フィ、フィィ……!?】

 

 驚き、戸惑い、声を発する。

 生物として当然の反応は、彼自身の身体に最後のひと押しを行う。辛うじて保っていた身体の形が声の振動で崩れ、その刺激で更なる崩壊を誘発していく。

 ハースの身体が一際強く輝いた時、細胞の全てが電子とイオンへと変貌し。

 そして両手で抱き締めるクトーラの力により潰れたハースは、光の帯となって散り散りになるのだった。



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大ピンチ

 ハースの身体は光と電子とイオンに変わり、大気に飛び散った。

 光は真昼の太陽よりも眩しく煌めき、電子は稲光よりも激しく飛び散り、イオンは兵器の如く破壊を撒き散らす。閃光としてハースが完全に霧散した後、そこには爪で抉ったような痕跡を幾つも残した、不気味なクレーターが出来上がる。

 クトーラはその中心にいた。抱き締めるような体勢でしばらくじっとしていたが、やがてその触腕をゆっくりと広げる。

 

【……………シュ、ウゥッ】

 

 そして力尽きるように、大地に倒れ伏した。

 放電はクトーラ族最大の威力を持つ必殺技だ。だが、迂闊に使う訳にはいかない切り札でもある。

 というのも放つ電力があまりにも強過ぎて、クトーラ自身も感電してしまうのだ。それは単に痛いというだけでなく、体細胞に含まれる金属元素が必要以上に磁化して身体の動きを妨げたり、刺激を受け続けた神経が鈍くなった結果麻痺が起きたり、全身が焦げたり……色々と不具合が生じる。

 身体へのダメージは時間があれば回復可能だが、技を使った直後では身動きも出来ないほど深刻である。万が一にも敵が生きていたなら、逆に追い詰められてしまう。絶対に仕留められる、ここぞというタイミングでなければ使えない。

 また大量の電気を生み出すべく、酸素も相応に消費している。呼吸で確保出来ない状態だったので、身体の水分から無理やり作り出した。今のクトーラは極めて重篤な脱水状態に陥り、酷い目眩と吐き気に襲われている。口から胃液がどろどろと流れ出し、大きな目玉の焦点が定まらない。

 しばし休息が必要だ。一息吐いたら一度海に戻ろう。そう考えていたクトーラは、一つ重要な事をうっかり忘れていた。

 この世界には、もう一つの『強敵』がいる事を。

 

【……………シュゥ?】

 

 地面に伏したクトーラは、ふと、違和感を覚える。

 空から、妙な音がする。

 鳥の鳴き声ではない。風の吹く音でもない。妙に甲高くて、それでいてこっちに向かってくるような音。聞き覚えはあるのだが、はて、これは一体なんだったか――――

 考え込んでいるうちに、音はクトーラのすぐ傍まで接近……いや、激突。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

【シュゥオオッ!?】

 

 突然走った痛みに、クトーラは大きく呻いた。それと同時に霞がかっていた頭が幾分晴れ、故に空に目を向けようという判断が行える。

 大きな目玉が捉えたのは、空を飛ぶ三つの影。

 『戦闘機』だ! クトーラを攻撃してきたのは、人間達が操る戦闘機、そこから放たれたミサイルだったのである。

 そしてこれを合図とするように、今度は地平線から砲弾が飛んできた。

 何時の間に来たのか。クトーラがいるクレーターの周りを、ずらりと囲うように戦車が並んでいる。それらが倒れているクトーラに砲撃してきたのだ。

 次々と飛んでくる砲弾はクトーラの身体に命中。鋭い針に刺されたような痛みをクトーラにもたらす。

 ――――人間達は自分とハースの戦いを見て、一網打尽にしようとするだろう。

 これはハースと戦い前に、クトーラが考えていた人間側の作戦である。その予想は見事的中していた。

 クトーラは知る由もないが、今、クトーラの周りには人間の軍隊が集結している。それも此処フィリピンの軍だけではない。米国、中国、ロシア、日本、NATO……様々な国や組織の軍隊が集結している。戦車や歩兵はフィリピン軍が主体だが、高速で飛べる航空機には海外の軍隊が多い。フィリピン以外の軍は、急いで駆け付けた事が窺えるだろう。また普段であれば反目し合う者達すら協力体制を敷いている状況だ。クトーラ(及びハース)という脅威を前にして、人類は一致団結していたのである。

 そしてクトーラにとって大問題なのは、この総攻撃が極めて有効な事。

 ハースを討ち倒した放電現象により、クトーラは全身の細胞に含まれている金属元素が磁化していた。これにより金属元素同士が互いに引き合い、細胞内で小さな塊を作っている。クトーラの身体は本来電磁防壁など張らずともミサイルに耐えるほど頑強だが、それは細胞が金属元素を含み、鎧のように頑強だったからに他ならない。この金属が一箇所に集まってしまった事で、細胞全体としては柔らかくなってしまっていたのだ。

 今のクトーラは一般的なイカよりちょっと丈夫なだけ。ミサイルや戦車砲でも十分傷付く。ましてや核兵器を投下されたならどうなるか。

 電磁防壁を展開出来ればなんとでもなるが、そのためには大量のエネルギーが必要だ。ハースが消えた事で周りの酸素は徐々に戻りつつあるが、未だ酸素濃度は薄い。そして身体は脱水状態。こんな疲弊した状態では、とても電磁防壁の再展開など望めなかった。

 このままだと人間達に討ち取られる。そう予感したクトーラは、即座に決断した。

 逃げるべし、と。

 戦い好きの誇り高き種族なのに逃げるのか? 人間ならばそう思うかも知れない。しかしクトーラ族はそうであるのと同時に、野生動物に近い性質を持つ。好んで戦いはするが、負けを認められず命を粗末にする事はしない。人間の奇襲攻撃を卑怯だと思わないように、そこから逃げ出す自身や相手を臆病だとは感じないのだ。勿論、逃げる自分の背に攻撃してくるのは、正当な攻撃だと考えている。

 よって全力で、一切の容赦なく、逃げる。

 

【シュゥオオオオオオオオオオオオッ!】

 

 渾身の雄叫びを発し、クトーラは挨拶代わりの電磁波を放つ!

 極めて強力な電磁パルス。これで人間の兵器を無力化、と言いたいところだが、一部兵器を除いて効果はない様子だ。

 人間達も電磁パルス攻撃の存在は(あくまで人間が繰り出す想定だったが)、クトーラ出現以前から知っていた。そのため対策は研究されており、兵器にも搭載されている。それでも体調万全のクトーラならば力押しで無力化出来たが、今の彼の電磁パルスにそこまでの出力はない。

 しかしクトーラは動じない。元よりこの電磁パルスは攻撃のために放った訳ではないのだから。

 『挨拶』を終えたクトーラは触腕を大地に突き刺し、身体を引きずって前進する!

 三本の触腕を縦横無尽に動かし、土煙を上げながら進む姿は、飛行するよりも獰猛な雰囲気を人間達に感じさせるだろう。だが、その速度は精々時速八十キロ程度。普通に飛ぶ方が速いし、引きずらないので身体も傷付かない。つまりこれは飛行するだけの体力がない故の、苦し紛れの移動法に過ぎない。

 人間達が気圧されたのは一瞬だけ。クトーラの状態が良くない事を見抜いたのか、すぐに戦闘機と戦車からの攻撃が再開された!

 

【シュ、シュゥウウオオオアアッ!】

 

 撃ち込まれるミサイルと砲撃により、クトーラの身体から血肉が飛び散る。致命的な傷ではない。だが確かなダメージに、クトーラの闘争心が湧き立つ。

 反撃として繰り出すは、得意技である高出力金属原子砲。触腕の一本を差し向け、クレーターの縁に並ぶ戦車に向けて撃ち込む。

 亜光速の粒子の反応により起きた核爆発が、戦車を巻き込む大爆発を起こす。ところがその半径はほんの数十メートル。疲弊しているがために、大きな力を出せなかったのだ。直撃した戦車は跡形もなく消え、巻き込んだ車両は粉々になったが、数にしてほんの二〜三両。クレーター縁に並ぶ戦車は何百もの数があり、たった数両破壊しても砲撃の激しさは殆ど変わらない。

 これでは戦車を掃討するよりも、体力が尽きる方が早い。それに電磁防壁を展開出来ない今、核ミサイルに対処する術は高出力金属原子砲で撃ち落とす事のみ。あまり無駄撃ちは出来ない。

 

【シュオォォォォ……!】

 

 クトーラは砲撃を無視して前進を続行。並ぶ戦車達が後退を始めたが、それも無視して突撃していく。触腕の下敷きになった戦車が一両爆散し、されどクトーラはそれに見向きもせずに突き進む。

 手痛い攻撃を無視して進む様はがむしゃらにも見えるが、クトーラは理知的に進むべき方角を定めている。

 クトーラが目指す先にあるのは、海だ。クトーラにとって海は棲家であり、本来の活動空間。地上の生物である人間を振り切るには、水に潜るのが一番確実である。

 幸にしてフィリピンの首都マニラは海沿いの都市。全速力に程遠い速さでも、海までの距離が遠くなければ短時間で辿り着く。

 ハースとの激戦区から少し離れた位置である海沿いには、まだビルが残っている。クトーラの巨体はそのビルを押し退け、蹴散らし、海までの道を切り開いた。無論、その中にいる人間の事などお構いなし。道路も建物も通り道にあるものは全て引っ剥がす。

 もうすぐ海に辿り着く。だが、クトーラはその事に安堵せず、むしろ気持ちを引き締める。

 目覚めてからずっと戦ってきたから分かる。人間の優れた知能ならば、自分が海から来た生物であり、何かあれば海に逃げ込む三段なのは読まれていると。

 海沿いに戦車と歩兵がずらりと並んで待ち構えている事は、クトーラも想定していた。想定していたが、それでも顔が歪むぐらいには厳しい状況なのだが。

 

【シュ、ゥギゥウウ……!】

 

 まるで豪雨の中のように、無数の砲弾と縦断がクトーラに襲い掛かる! 今のクトーラにとっては銃弾でも防ぎきれず、クトーラの身体は僅かながら抉れて傷が出来る。皮一枚程度の傷も繰り返せば深手となり、体液が滲み出る。

 全身から青い体液を流すクトーラは、しかしその身に力を滾らせていく。何故なら視界内に海の青さが見えてきたから。ゴールが迫ってきたのであれば、もしもに備えて力を温存する必要はない。

 

【シュゥウオオオオアアアアアッ!】

 

 猛り狂った叫びと共に、クトーラは触腕の一つから高出力金属元素砲を撃つ!

 ただし此度放ったそれは、扇のように拡散させたものだ。面積当たりの威力は著しく下がるが、しかし生身の人間や機械相手ならこれで十分。淡い光を浴びた人間と機械は小さな核爆発を起こし、身体や車体の一部が弾け飛ぶ。戦車は機能不全に陥り、人間は無惨な死を遂げる。

 広範囲の人間と兵器を一層し、その中を辛うじて生き延びた輩は踏み潰し、クトーラはついに海に辿り着く。渾身の力で身体を浮かせ、這いずった勢いのまま飛び込んだ。

 一週間ぶりに味わう水の感触。出来ればこのまま浸っていたいが、流石にこの浅瀬でそれをやるのは間抜けというもの。人間の生活空間から遥かに離れた深海を目指し、身体から生える四枚のヒレを動かして泳ぐ――――

 最中、突如クトーラの周りで爆発が起きる!

 

【シュォアッ!?】

 

 これにはクトーラも驚愕。混乱から動きが鈍ってしまう。

 クトーラを襲った爆発の正体は、人間達が仕掛けた機雷だ。クトーラにしろハースにしろ、生き延びた方が海に逃げ込む事態を人間達は予期していた。そのため逃げ道に機雷を設置しておいたのである。クトーラはまんまとその罠に引っ掛かったのだ。

 機雷の威力は凄まじく、ミサイル以上の打撃をクトーラに与えた。傷付いた身体から多くの体液が流れ出し、ただでさえ衰弱した肉体が更に弱っていく。

 しかし人間達の攻撃の手は緩まない。

 遠くから、何かが近付いてくる音がする。なんだ? とクトーラが思ったのも束の間、それはクトーラの側面を直撃。大爆発を起こし、クトーラに更なる打撃を与えてきた。

 

【シュオゥゥ!?】

 

 またしても起きた爆発。しかも今度は遠くから飛んできた。困惑するクトーラに、次は反対側で爆発が起きる。皮膚が傷付いただけでなく、ついに傷だらけの触腕が一本千切れてしまう。

 何か不味い状況にあるのではないか。そう思ったクトーラは電波エコーを展開し、自身の予感が正しい事を悟る。

 クトーラは今、人類の海軍に包囲されていた。

 海中には何十という数の潜水艦が存在し、次々と水中を飛ぶ武器……魚雷を撃っていたのだ。更に海面にも駆逐艦や巡洋艦が多数展開し、クトーラ目掛け対潜ミサイルを射出。何百ものミサイルがクトーラに迫っている。

 クトーラは海中に逃げ込めば、もう人間達の手は届かないと思っていた。だが、それは甘い目論見だったらしい。人間達の技術はクトーラが思っていたよりも進んでいて、水中でも戦う力を失わないようだ。

 

【シュ、シュウゥゥゥ……!】

 

 電波エコーから得た情報が正しければ、全方位からミサイルや魚雷が迫っている。幾度となく攻撃を受け、ボロボロになった今のクトーラの身体ではこの猛攻撃を耐える事が出来ない。仮にこの攻撃を耐えたとしても、周りに潜水艦と戦闘艦がいる限りいくらでも再攻撃は可能だ。

 どうすればこの状況を切り抜けられる? 思考を巡らせ、自分の状態を鑑みて……クトーラは決断を下す。

 残り少ない体力を振り絞る。全身の細胞から電気エネルギーを作り出し、体表面に溜めていく。金属が偏った細胞は上手く電流が流れず、余計なところまで『感電』。全身からぶくぶくと白煙が昇り始めたが、それでもクトーラは発電を止めない。

 弱りきった身体では少しずつしか力を生み出せない。電波エコーでミサイルの位置を確かめ、限界まで引き寄せて――――間近に迫った瞬間、クトーラは溜め込んでいた力を開放した!

 

【シュオアアアアアアアアアッ!】

 

 全身から放出したのは、電気エネルギーにより加速した亜光速の粒子。水分子と激突を起こした粒子は崩壊し、強烈な光エネルギーを生み出す。

 強い光エネルギーは物理的衝撃を伴い、ミサイルや魚雷の装甲を凹ませる。更に物理的打撃により生じた熱が、ミサイル内の爆薬を着火。クトーラに着弾する前に爆破し、ダメージを防ぐ。そしてその輝きは、海中のみならず海上すら白く染め上げた。

 クトーラ族の最終奥義『体内放射光』だ。尤も最終奥義呼ばわりな理由は、逃げる時しか使い道がないため。全方位に拡散するエネルギーに強敵を打ち倒す力はなく、目眩ましが精々である。

 しかし人間の兵器相手なら、これでも十分対処出来る。勿論目眩まし効果により人間達の目は一時的に潰れ、周囲の認識を難しくした筈だ。見えなくなった今のうちに、海の深い場所に潜ってしまえ。

 クトーラのそんな目論見は、残念ながらまたも失敗する。確かに海上を浮かぶ戦闘艦には、強烈な閃光は効果的に働いた。されど潜水艦は元々ソナーやレーダーで海中を見通しており、眩い光を放っても船員は気付きもしない。

 海中を潜るクトーラを、潜水艦達が追跡してくる。潜水艦の移動速度は六十〜八十キロ程度。対して今のクトーラの遊泳速度は七十キロ以上。簡単には追い付かれないが、引き離すにはまだ足りない。

 追跡してくる潜水艦達から、新たな魚雷が放たれた事をクトーラは電波エコーで察知。魚雷の速度は時速二百キロを超えており、これを振り切るのは不可能だ。しかしもう、身体に電気エネルギーを作り出す余力はない。

 だが、それでもクトーラにとって海はホームグラウンドだ。例え電気を作り出せずとも、海であればいくらでも戦う術はある。

 

【シュゥオオオオオオオオッ!】

 

 クトーラは身体を高速で回転させ始める。この時胴体にある四枚のヒレを小刻みに動かし、細かな水流を無数に引き起こす。

 生じた水流はさながら小さなミキサーのように、触れたものを引っ掻き回しながら切り裂く。

 迫りくる魚雷であろうとも、クトーラが作り出した波の前ではバランスを崩す。大きく傾き、他の魚雷とぶつかった衝撃で爆散。衝撃や破片で他の魚雷も次々と爆発する。これで何十という数の直撃は回避した。

 それでも全ての魚雷を潰せた訳ではない。難を逃れた魚雷が二発、クトーラの身体に着弾する。

 

【ジュギィイッ……!】

 

 魚雷によるダメージで、クトーラのヒレが一枚、原型を留めないほど形が崩れた。

 傷口から溢れ出る体液。だが、それよりも大きな問題がある。ヒレを失っては、もう水流を起こせない事だ。まだ三枚残っているが、先程より無効化出来る魚雷は格段に少なくなる。泳ぐスピードも落ちてしまい、もう振り切る事は出来ない。

 動きの鈍ったクトーラを、潜水艦達は再び包囲する。今度こそ絶対に逃さないとばかりに距離を詰め……追撃の魚雷を放った。

 流石に、クトーラにこれ以上力は振り絞れない。

 細胞が硬さを失い、水流も電気も生み出せない今のクトーラは、ただの巨大なイカだ。魚雷の直撃を受ければ、胴体に大穴が空いて大量失血や臓器の欠損など、生命に関わる重症に至るだろう。宿敵ハースとの戦いで弱った状態ではあったが、それでも人間はクトーラをここまで追い詰めた。強いモノには敬意を払うのがクトーラ族。クトーラも人間達に敬意を示し、感嘆と祝福の眼差しで見つめる。

 この勝負、人間達の勝ちだ。クトーラもそれを認めた。

 ――――ただし、クトーラの敗北は、彼の死を意味しないが。

 

【シュブブププ】

 

 ()()()()()。そう思いながらクトーラは、体液中に含まれる僅かな金属を体表面に集める。集められた金属元素は細胞の働きで結晶化……巨大な『鉄塊』をクトーラの頭の中に生み出した。

 瞬間、クトーラの身体が海中目掛けて急速に沈んでいく。

 クトーラは力を込めていない。というより金属の塊を作り出したところで、ほぼ全ての力を使い果たした。今や息をするだけで精いっぱい。にも拘らずその身体は時速三百キロ以上の速さで海底に沈んでいく。

 突然の、しかも猛攻を受けてボロボロにも拘らず生じた加速に、人間達は戸惑いを覚えた事だろう。それでも即座に潜水艦は、放った魚雷と共にクトーラの後を追うように近付いてくる。

 弱った相手を逃すまいとするのは、悪い手ではない。だが此度の人間達は結果的に焦り過ぎた。

 クトーラに近付いた途端、それらの兵器は強烈な電波障害を引き起こしたのだから。

 精密機器は不調を来たし、外壁は歪み、次々と破損していく。軽度のうちに咄嗟に引き返した潜水艦は難を逃れたが、判断が僅かに遅れたり、手柄を求めて深追いした潜水艦は電子機器が物理的に潰れて破損してしまう。航行不能に陥った潜水艦、それと機能停止した魚雷は、潰れながらクトーラと共に海底へと沈む。そこに生きた人間がいようがいまいが、お構いなしに。

 潜水艦に襲い掛かった異常事態。その原因は、クトーラを加速させた力――――強力な磁力によるものだ。

 沖合まで出てきたクトーラは知っていた。ごく狭い範囲にだけ、強力な磁力が展開されている事を。クトーラは身体中から集めた金属を用い、その磁力に引き寄せてもらったのだ。潜水艦や魚雷が破損したのも、この磁力により金属部品が引き寄せられ、装甲や電子機器が歪んだ結果である。

 そしてこの磁力は間もなく消える。人間達が後から調査に向かっても、痕跡は何も残らない。

 何故ならこの磁力は、『仲間』の一体が生み出しているものだから。

 クトーラとハースの戦いにより、近くにいた仲間が目覚めていたのだ。遠くから観戦するだけで、地上に現れる事はなかったが……クトーラが死物狂いで発した救援要請(電磁パルス)に応え、磁場を生み出してくれていた。深海に辿り着くまでは誘導してくれるだろう。

 

【シュウゥゥゥゥゥ……】

 

 仲間がいなければ死んでいた。そう考えながら、クトーラは海底深くに潜っていく。

 勝者である人間達を完全に振り切り、傷を癒やすべく()()()の居場所へと戻るために。

 その心に感動と感謝、そして『闘争心』を燃え滾らせながら……



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神々の戯れ

 フィリピン沖の海底まで沈んだ後、クトーラは這いずるように進んで、更に海底深くまで移動した。

 人間達の追跡がない事は、目視により確認を行った。電波エコーでは人間に感知され、居場所を特定される恐れがある。太陽光の届かない深海での目視確認は不確かなものであるが、人間達が海中深くまで潜る技術を持っている以上、迂闊に情報を発信する訳にはいかない。

 とりあえずの安全を確保したクトーラは、まず眠った。傷付いた身体を最低限でも再生させ、力を回復させるために。

 身体から減っていた水分は、海水を飲み干せば簡単に吸収出来た。放電現象引き起こした時に磁化して固まった金属も、細胞分裂を繰り返す中で少しずつ再び細胞全体に行き渡る。

 唯一補給が難しかったのが身体の元となるタンパク質。こればかりは他の生物の肉を喰うしかない。

 酸欠と水分不足が回復したところで、クトーラは一度起き、海底に暮らす動きの鈍い動物……例えばダイオウイカなどのイカ類を喰らう。同じイカの仲間なのに、と人間は思うかも知れないが、クトーラと現生のイカ類は、人間とキツネザルよりも遥かに遠い関係だ。そもそも同種でもない存在を食べる事に、特別な感情を抱く理由なんてない。

 タンパク質を補給したら眠り、身体の再生を待つ。足りなくなったらまた目覚め、再びタンパク質を摂取する。それをただただ繰り返し……幾ばくかの月日が流れた時、クトーラは完全なる再生を遂げた。

 

【シュオオオオオオオオオ……!】

 

 六本の触腕をうねらせ、四枚のヒレを波立たせる。身体には全盛期の力が滾り、電磁防壁も復活した。溢れ出るエネルギーによりクトーラの身体は発光し、太陽光の存在しない海底一千メートルの世界を昼間の地上よりも眩しく染め上げる。

 もう、都市を焼き尽くす爆弾も、地殻を穿つ弾頭も、神の炎さえも怖くない。

 完全なる蘇生を経たクトーラは、その胸のうちにぐつぐつと湧き立つ想いを自覚する。

 敗北。

 クトーラ族は獣だ。屈辱なんてつまらない感情は抱かないし、復讐なんて益にもならない事はしない。だが誇り高き一族の性として、敗北したままというのは我慢ならない。何より自分を負かすほど強い相手ともう一度戦える事に、全身の血流が加速するほどの興奮を覚える。例えそれが奇襲の結果だとしても、だ。

 早く戦いたくて仕方ない。このまま活動を再開し、地上の人間文明を焼き払いに行くか?

 それも悪くない考えだ。だが、クトーラは高慢ちきであるのと同時に、聡明な種族でもある。人間達の高度な知能を思えば、先の戦いでクトーラ族に関する様々な知見を得た筈。自分が切り落とした触腕や肉片を解析し、新たな武器を作り出しているかも知れない。

 そうした武器相手に、負けるつもりは微塵もない。核兵器以外は脅威ですらなかった存在が、ちょっと強くなったところで精々手こずる程度だろう。しかし油断は禁物だ。それにこんなにも面白そうな相手を()()()()するというのは、仲間に対して申し訳がないというもの。

 

【シュオオオオォォォォォォォォォンッ】

 

 そこでクトーラは、一際強力な電波エコーを発した。

 地球全土に行き渡る強力な電波は、光速で地球の裏側まで広がっていく。地表にあるだろう人間文明にも気付かれるだろうが、そんなのは構わない。もう、居場所がバレたところで問題はないのだから。

 電波エコーを発した後、クトーラはしばしじっとする。

 そうしていると、()()()()()()()()()()()()()()()

 強烈な、身体を揺さぶるほどの電波エコー。そしてその電波を解析すれば、そこにはクトーラ族の『言語』が含まれていた。返ってきた言葉の意味は、クトーラにもすぐに分かる。

 「こっちは寝てるのに何をギャーギャー騒いでいる。くだらない理由なら引っ叩くぞ」だ。

 いきなり飛んできた暴言。その回答にクトーラはにやりと笑みを浮かべる。暴言に続き、次々と電波エコーが返ってきた。

 「ちょっとーまだ二度寝したばかりなんたけどー」「あーよく寝た。今どんな感じなの?」「何々ー? なんか面白いの出たー?」……個々の返答を人間的な言葉に直すと、大凡このようなもの。能天気かつ好戦的な返答が多い。

 それはクトーラ族の言葉。

 クトーラ以外の、地球に眠っていたクトーラ族から返事が来たのだ。クトーラが放った強烈な電波エコーにより、休眠中の仲間が次々と覚醒している。誰彼構わず発する電波エコーが混線し、詳細な数はクトーラにも分からないが……ざっと()()()ほどが返事をしてきた。黙ったままの奴もいる事を考えると、三百体は目覚めただろうか。

 これでも休眠した全ての同族が目覚めた訳ではあるまい。クトーラが知る限り、二億年以上前眠りに就いた同族はこの三倍はいたのだから。多少減ったとしても、あと百〜二百体はいるだろう。しかし全員を起こす必要はない。これだけいれば十分。

 

【シュオオォォォオオオオォ。シュオォン】

 

 クトーラが説明を行う。

 自分達が寝ている間に、人間(サルの一種)が文明を築いていたと。その文明は高度な技術を持ち、自分達の外皮を傷付け、殺しうる力を有していた。自分はそれを滅ぼそうとしたが、ハース族の横やりの所為で弱り、そこを攻撃された事で逃げ帰るしかなかった。

 今でも人間の文明は地上を支配している筈。自分の肉片などからより高度な兵器を作り出し、自分の行動からより効果的な戦術を編み出している筈だ。今の人間達は、自分が戦った時より強くなっているに違いない。

 そんな敵との戦い、実にわくわくするだろう?

 

【シュォオオオオオオオオン】

 

【シュオオオオオオオオオッ!】

 

【シュコォオオオオオンッ】

 

 クトーラが演説を行うと、仲間達から次々と賛同の声が上がる。そしてその内容はどれも同じ。

 胸の中に湧き出す喜びを、表に出したような叫びだ。

 クトーラは知っている。自分達がこういう煽りに途轍もなく弱い事を。自分も逆の立場なら、意気揚々と参加を表明しただろう。クトーラ族の好戦的気質は、それぐらい強いのである。

 中には賛同しない個体もいるが、その理由は人間的言語に直すと大抵が「どうせならもっと育てよう」。つまり文明が発展するのを待ち、もっと手応えのある時に潰したいというものだ。刺激を求める老個体に、そうした回答がよく見られた。

 しかしクトーラは賛同しない。人間達の文明の手強さは、実際に闘った彼はよく把握していた。それを可能とする知能の高さは、クトーラ族以上だと認めている。どれだけの速さで進歩するか分からない以上、待たずとも十分な力を持っている可能性が高い。

 クトーラとは違う思惑だろうが、仲間達から次々と出てくる意見は、大半が好戦的なもの。民主主義という思想はクトーラ族に根付いていないが、多数決の概念はある。仲間の多くが賛同したなら、それは決定事項として進められる。

 いざ、人間達の文明と戦おう。クトーラがそう思い、地上目掛けて動き出そうとした、その時の事であった。

 

【シュコー。シュォーオー】

 

 とある若い個体が、軽薄な口調でクトーラに意見した。

 その意見にクトーラはぴたりと動きを止める。人間への攻撃を止めるよう説得された、という訳ではない。軽薄な口調に含まれていた、重要な言葉が全てをひっくり返したからだ。

 語る若者は、人間の言葉に直すとこんな事を話した。

 ごめーん。多分その文明、オレっちが()()()()()()()()()()()()()()()

 

【……シュオー?】

 

【シュオシュオー】

 

 マジで? というクトーラに、マジマジと返す若者。

 若者曰く、ガリガリとドリルで頭を掘られた刺激で目覚めたところ、いきなりドカンドカンと攻撃された。喧嘩を売られたので高出力金属原子砲であちこち吹き飛ばして回った……らしい。

 クトーラは唖然とした。若者の言葉が信じられなかった、という訳ではない。自分もハースという横槍がなければ、難なく滅ぼせたであろう相手だ。多少進歩してもその程度だった、という事はあり得る。また百年という月日も、クトーラ族からしたら刹那の時だ。身体を休めるため寝ていた合間が十年二十年というのは、よくある事。何時の間にか過ぎていても不思議はない。

 クトーラが唖然とした理由は、自分を倒した強者を自分の手で倒したかったという、願いが永遠に叶わなくなった事への虚脱感だ。

 既に文明が滅びたと聞いて、クトーラは意気消沈してしまう。出来ると思っていたお返しが、二度とやれなくなってしまったのだから。他のクトーラ族についても、意気込みが急に挫かれてテンションが急落。もう用はないと言わんばかりに、即座に眠りに入る者まで現れる。

 クトーラも胸にぽっかりと穴が開いたように感じる。しかし失われた文明は、もう戻らない。ため息を吐きながら、クトーラもまた眠りに入ろうとした。

 

【シュコォォーン。シュオオオーン】

 

 だが、その眠気を覚ましたのは若者が続けた言葉だ。

 若者は自分と人間達の戦いを語り出したのだ。彼が言うには、人間達は様々な兵器を繰り出してきたらしい。

 例えばクトーラ族よりも巨大な船で突撃してきたり、光線を弾く飛行物体が現れたり、電磁パルスで体調を崩そうとしてきたり……人間達は戦う度に新たな技を繰り出してきた。住民の避難などはスムーズに行われ、都市機能も分散しており簡単には叩き潰せない。化学物質や微生物を用いた攻撃も、一筋縄ではいかないものばかり。

 特に面白かったのは、クトーラ族を模したような形態の巨大な兵器。電磁防壁までも模倣しており、熱く、激しい戦いを繰り広げる事が出来た。四億年前に戦った強敵達ほどの強さではなかったものの、腕を二本失う怪我を負わされた。

 

【シュオー、シュオー、シュオオーン】

 

 かくしてオレっちの勝利で終わりましたとさ……と若者は話を締め括る。彼としては、自慢話をしたかったのだろう。

 こんな面白い敵と戦えた、と。

 それはクトーラ族にとって、最も羨ましい事だ。ハースとの戦いも楽しかったが、人間達が繰り出した兵器は一体どんなものだったのか。気になって気になって、クトーラはおちおち二度寝も出来ない。

 そして、気付いてしまう。

 人間達が面白兵器を作り出したのは、間違いなく自分との戦いがきっかけであると。クトーラとの戦闘経験から、対クトーラ族対策を発展させたのだ。あの戦いの後、一体どれだけ人間達が強くなったのか。これからどれほど強くなったのか。想像するだけで胸が踊るのに、もう確かめる術はない。

 嫌な考えは更に過る。

 クトーラが電波エコーで調べた限り、地上の至るところに人間達は文明を築いていた。ならば地上のあらゆる場所を、人間達は調べ尽くしている筈である。

 クトーラが全盛期を誇った四億年前、殆どの強敵は地上や浅瀬に暮らす生物だった。それらが休眠しているとすれば地上の何処かであるが、クトーラと出会ったばかりの人間達は巨大生物との戦いに慣れていない様子だった。自分と戦った後の人間は多様な対策を繰り出している事から、巨大生物に出会っていればそれなりの兵器を作っていた筈だ。

 つまり人間達はクトーラが目覚めるまでの間、一度もかつての巨大生物(強敵達)と出会った事がなかったのだろう。

 偶々見付けられなかった、と考えるより、当時生きていた強敵の殆どが死滅しているという方が自然だ。あの時戦ったハースは例外だと思われる。

 強敵が滅びたなら、自分達と互角に戦える生物はもういない。そして人間文明が滅びた事で、強敵となり得る文明も消えた。もう、自分達を楽しませてくれる存在はいない。これからはただただ惰眠を貪るだけの、つまらない日々がやってくる。血湧き肉躍る戦いがないなんて、それでは一体なんのために生きているのか。

 人間が生き延びていればまた文明を築いたかも知れないが、滅ぼしてしまったならそれも期待出来ない――――

 

【……シュ?】

 

 ここでまたしてもクトーラは気付く。

 この若者、文明を滅ぼしたとは言ったが……人間を滅ぼしたとは言ってないではないか。

 

【シュオォォォォン】

 

 クトーラは早速尋ねた。文明を破壊した後、人間はどうしたのか?

 若者はすぐに答えた。「生き残りはたくさんいたけど、もう戦う力はなかったみたいだから無視した」と。

 戦いが楽しくなってきた事で文明は滅ぼしたが、人間は皆殺しにしていないのだ。ならば今でも地上には人間がいる筈。そして人間がいるのなら、生き延びるためにまた文明を築いているに違いない。

 とはいえゼロから文明が発展するには、百年二百年では足りない。別にそのぐらい寝て待てば良いが、隕石などの自然災害で不運にも壊滅するかも知れないし……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 なら、育てれば良いのではないか?

 自分がかつて猿達に文明を与えた時のように、適度に手助けしながら、いい感じに文明を育てていけば……何時か、面白い強敵になるのではないか。

 

【シュゥオオオオオオンッ! シュオオオオオオオ!】

 

 脳裏を過ぎった名案。クトーラは早速それを仲間達に伝えてみる。

 最初、多くの仲間がキョトンとしていた。考えてもみなかったとばかりに。

 

【シュォォーン。シュオオオオ】

 

 しかし一体の雌個体が、こんな事を言い出した。「私もやりたい」と。

 自分の案が受け入れられた。その事にクトーラは興奮し、勿論構わないと電波エコーで送信する。すると他の仲間達からも、自分もやりたい、私も参加したい、そんな意見が次々と出てくる。勿論、誰であろうとクトーラに拒む理由はない。

 むしろ仲間は多い方が良い。『育て方』によって様々な、面白い文明(強敵)が出来上がるに違いない。奇妙な技術で挑んでくる文明、物量で立ち向かう文明、他の追随を許さないほど品質に特化した文明……他に一体どんな文明が出来上がるか、予想も出来ない。もしかすると想像以上に強くなった文明を滅ぼすべく、仲間達と協力して戦う事になるかも知れないのだ。

 多種多様にして苛烈な戦い。クトーラ族にとって、こんなにも胸躍る事はない。

 

【シュゥゥゥウウウオオオオオオンッ】

 

 やる事は決まった。早速生き延びた人間達を探し出そう……クトーラが上げた号令を受け、世界中に眠る仲間達が活動を再開する。あらゆる海から、何十という数のクトーラ族が出現し、世界のあらゆる地域に散っていく。

 自分好みの文明を作るべく、生き延びた人間を捕まえるために。

 ――――壊すために育てる。

 ――――弄ぶために繁栄させる。

 命を玩具として消費する行動も、クトーラ族からすれば悠久の時の中で行う暇潰しの一つ。目的を途中で変える事もあれば、飽きて捨てる事もある。新しい遊び方を見付ければ遊び方を玩具の方に強いていく。その行いに、天罰が下る事もない。何故なら今、この星における神々(強者)はクトーラ族だけ。クトーラ族を阻むものは全て滅び、何一つとして存在しないのだから。

 そして彼等は自覚していないが、彼等自身の滅びすらも回避していた。

 滅びの名は『退屈』。全ての敵がいなくなった事を察したクトーラの心に開いた穴……本来ならば、生きる意味を見失った彼のように、クトーラ族は無為に時間を過ごして滅びる筈だった。しかしクトーラが見付けた新たな遊びが、彼等の心を蘇らせた。成長し、変化する文明に、一つとして同じものはない。彼等の心に退屈が戻る事は二度とない。

 神々(クトーラ族)は再び、いや、かつて以上の繁栄を遂げるだろう。

 かくして幕を開けたクトーラ族の新たな、そして終わりなき全盛期は、弄ばれる文明の主である人間やその末裔達から、何時か何かが変わる事を祈ってこう名付けられる。

 神々の戯れ、と――――



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