初恋を探す物語 (庭鳥)
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初恋と言う名の探し者







 あの時あの人のことを嫌いになったのが初めてだの、あの時が人生で初めて嬉しさを感じただの、そういうことを覚えている人は中々いません。しかし、どういう訳か多くの人は初恋の記憶は覚えています。初恋には、何か人を惹きつける不思議な魔力があるようです。それは昔を懐かしむ郷愁なのでしょうか?それとも失ったものを惜しんでいるのでしょうか?

 どんな時節であろうと、月の見える夜は恋の季節であります。今夜も、この国にはきっと月が訪れることでしょう。

 

 

 

 

 

 私の記憶は、甘い初恋から始まる。もっとも、その時私は八歳であったから、それより昔のことを覚えていてもいいのだが・・・・。きっとその思い出が美しすぎたせいだろう。それまでに起きた素敵な事を塗りつぶしてしまったのだ。今だって忘れたことはない。厚いコートに、甘い香りの立ち上るパイプ、あの素敵なお方のことを。

 

「・・・・そういうわけで、犯人は貴方だ!大臣!!」

 

「うぐぅ!!」

 

 男に指さされた大臣は、呻き声をあげると力が抜けたように地面に膝をついた。反論の余地もない、完璧な推理であった。

 ある王国のまだ八歳であった王女の誘拐未遂事件は、たまたま居合わせた『探偵』の手によって見事に解決された。誘拐されかけたはずの王女・・・・まあつまりは私であるのだが、彼女はさっきまで泣いていたのも忘れて目の前の美丈夫に見惚れていた。呑気なものであるが、今となってもその気持ちはわかる。思い返すだけで、胸が熱くなるお方であった。彼女は王と談話をしていた彼に突然抱き着いた。

 

「おっと?どうしました、レディ?」

 

「ふふふ、探偵様!!」

 

 それは無邪気さ故である・・・・と、あの方は思ったようだ。しかし、昔も今も、私はそれを否定する。私は真に恋心から彼の腕の中に居たいと思ったのだ。柔らかな腕で抱き留められた私を、彼は子供の様にあやし始めたのだ。私は頬を膨らませて、不満をあらわにした。

 

「もう!探偵様!そんなの子供にすることよ!レディって言ったくせに!!」

 

「ははは、これは失礼!」

 

 私は頬を膨らませて、怒ったふりをしつつも実はタイミングをうかがっていたのだ。王と会話を再開しようとした彼の頬に短く、しかし周囲にわざと聞こえる様に口づけをした。わが父である王も、探偵さんも、顔色を変えるのが分かった。勿論私の顔だって、真っ赤だった。しかし、私は恥ずかしさをこらえて言ったのだ。

 

「私、将来は貴方様と結ばれたいわ!!・・・・探偵様、私と結婚の約束をしてくださらない?」

 

「・・・・これはこれは。」

 

 彼は帽子で顔を隠した。ちらりと見えた頬が、少し朱色に染まっているのを見てうれしく思ったのを覚えている。しかし、王は大慌てであった。彼は玉座から降りると、おろおろと娘にしがみついた。

 

「む、娘よ!一国の王女がおいそれと婚約などいかん!ましてや・・・・。」

 

王の言葉は、途中で遮られた。探偵は指を立てて、注目を集めてから言った。

 

「王女様、王様、それではこうしましょう。私は十年後の同じ日に、一日だけこの城に戻ってきます。その時に私を見つけることができたら、もしその時にまだ私を愛しているのであれば、プロポーズをお受けしましょう。」

 

 探偵はそう言うと、王と私に向かって笑いかけた。王の不安そうな目線が、私と探偵の間を行き来した。しかし、諦めたように息をつくと、彼は口開いた。

 

「・・・・好きにするがよい。」

 

「・・・・!約束よ!探偵様!!」

 

「ふふ、勿論です。」

 

 彼とは指切りを結んで約束をした。重なり合う、小さな私の手とそれよりも少しだけ大きい彼の手。本当は、それが愛の誓いであれば良かったのだが・・・・。まあ、それは良い。お楽しみは取っておくものなのだから。

 ここ最近、私の胸はおさまる事を知らない。理由はもちろん、わかっている。きっとそれが十年前の思い出だからであろう。私、王女レイチェルの十八歳の誕生日。今日が約束の日である。

 

 

 

 

 

 私こと、王女レイチェルの胸は高鳴っていた。もしかしたら、今日って人生最高の一日じゃないかしら。そう思えば、自然と笑みがこぼれた。

 

「ふふ、うふふふ!」

 

「楽しそうですね、お嬢様。」

 

 私の髪をとかすメイド、マリアがそんな風に話しかけてきた。彼女とも長い付き合いである、きっと声に出さずとも悟られていた事であろう。ああ、私は何と幸せな女なのだろう。

 

「勿論よ?今日は約束の日・・・・あの方はそれを違えるような人ではないわ。来てるのよ、この

国に!!」

 

「うふふ、そうですね。」

 

 彼女は笑って、今度は私にドレスを着せにかかる。それは豪奢ではあるがどこか垢ぬけた印象を与える、白く美しいドレス。私のお気に入りの品である。

 あの方は、気に入ってくださるかしら?そんなことを想像しただけで、私の胸は張り裂けそうなほど早く動き始める。

 

「ねえマリア。着替え終わったら、窓を開けてくれないかしら?ありえないだろうけど、あのお方がそこから見えるかもしれないでしょう?」

 

「もちろん、良いですよ。・・・・見えたらロマンチックですね?私もそんな恋がしてみたい

ですッ!」

 

「うふふ、するがいいわ。あのお方には駄目だけどね。」

 

 私も人のことは言えないが、マリアはずいぶんと恋愛脳である。しかし、だからなのか彼が来ないなどとは思ってもいない様子だ。勿論、それは私もである。あのお方は、必ず来ている。そう思う、いやわかるのだ。ああ、早く会いたいな。

 

「それでは、お嬢様。窓を開けますよ。風が冷たいかもしれません。」

 

「ふふ、構わないわ!」

 

カーテンが開け放たれ、窓が開く。一瞬閉じた目を開ければ、そこには見慣れたはずの光景が・・・・広がっているはずであった。

 

 

「えっ?」

 

 しかし、目に映る光景は全然違っていた。耳に届いたのは、絶叫にも似た歓声であった。厚いコートに、パイプを咥えた青年、懐かしいはずのそれが城下の広場一杯に集まっていたのであった。何人も何人も、各々勝手にやんややんやと騒ぎ立てていた。

 彼らは、開いた窓から美しい王女の姿が見えたのを知ると、一斉にその声を響かせ始めた。

 

「王女様ー!レイチェル様ー!結婚してください!」

 

「・・・・いいえ私こそが、約束の男、探偵であります。ここに参上しました。」

 

「何言ってやがる!てめえら、この俺っちが約束の探偵様でい!!」

 

「えっ?あ、えっ!?」

 

 私は動揺も抑えきれぬまま、慌ててカーテンを閉めた。一体これはどうしたことであろうか?探偵様が一人、探偵様が二人・・・・。いや、違う。全然。よく考えれば、べらんめえ口調の似せる気があるのかすら知れぬ者までいた。

 

つまりこの状況は・・・・。

 

「あ、あのお嬢様?」

 

 メイドのマリアが、心配そうに私の顔をのぞき込んできた。しかし、私はそれどころではなかった。私の身体は震えていて、それを抑えるのに必死であったからだ。勿論、悲しみなどでではない。湧き上がる怒りを抑えていたのだ。私は顔を上げると、鼻を鳴らしながら言った。

 

「まったく!お父様の仕業ね!!」

 

 足を踏み鳴らしながら歩く私の後ろを、マリアが慌てて付いてくる。恐らくの犯人に、事情を聴きに行かなくては。

 

 

 

 予想をしていた事ではあるが、扉の向こうから軽くはあるが踏み鳴らすような足音が聞こえてくる。一つため息をついてから、王は執務のためにかけていた眼鏡をはずして、それに備えた。

 それほどの時間を置かずに、ドアが乱暴に開けられる。その奥に居たのは、眉を吊り上げた王女であり、自身の娘レイチェルであった。そして、その奥で困ったような顔をしているメイドのマリア。王女はマリアが止めるのも聞かず、王の前に進み出た。

 

「お父様!仕組んだわね!?」

 

「・・・・ち、違う!私ではない!」

 

 王女は、興奮を隠さずに獣の様に息を荒げて王に詰め寄った。それもそのはずである。十年前の約束を知っているものなど、片手で数えられるほどしかいない。広場にあふれかえっているコートの青年達、その目的が王女であるとするならば、約束をばらしたものがいるはずなのだ。その疑いが王に向くのも当然であった。しかし、王は焦ったように手を振ってをそれを否定した。

 

「違うのだ・・・・聞いてくれ。広場の前のコート連中のことを言っているのだろうが、本当に私は知らんのだ!」

 

「十年前に約束してくれたじゃない!!好きにしろって言ったはずだわ!!」

 

 そんな風に、王女はものすごい剣幕で王に詰め寄った。しかし、王はたじろぐばかりで言い訳すら洩らさなかった。王女は思わずその様に目を丸くした。王は顔から苦渋をにじませながら口を開いた。

 

「神に誓ってその通りじゃ!そう言ったし、今でもその気持ちは変わらん!もしお前たちが望むならば、婚約でもなんでもすればよい!だが本当に私は何もしていないのだ!!」

 

「・・・・嘘よ。酷いわ、こんなこと。」

 

 レイチェルは、吐き捨てる様に言うとそのまま足早に扉から出て行った。それ以上問い詰めなかったのは、王の顔があまりにも焦っていたから、嘘をついているようにはどうしてか思えなかったからだ。彼女は時計塔の方に歩いて行ったようである。マリアは慌てたように、彼女の後を追いかけようとして、扉の前でぺこりと王に一礼をしてからスカートの裾をつまんで走り出した。

 部屋に一人残された王は疲れたように椅子に腰かけていた。彼は窓を開けて広場に蔓延ったコートの男たちを見ると、げんなりと肩を落とした。

 

「一体、どうしてだ・・・・?」

 

 彼の呟きは、何処にいるとも知れぬ人間に向けられていた。正直なところ、彼とて流れ者の探偵などに愛娘をくれてやりたくはなかった。しかし、そのために愛する者たち・・・・それは一方的な感情かもしれないが、それを引き裂くなどお人好しなこの王には出来るわけはなかった。広場の連中、あんなどこの誰かもしれぬ欲深に渡すよりだったらそれは勿論・・・・。

 そこまで考えると、大きい息が胸の内より自然と出でる。私ではない、あの反応では王女でもなかったのだろう。であれば・・・・。

 

「探偵、なぜ約束を漏らした?」

 

 彼は十年前に見たあの男、誠実であったはずの探偵を思い出して言った。それに答えるのは、冷たい春風だけであった。

 

 

 

 

 王女は、時計塔に腰かけて騒ぎ立てる民衆を見下ろしていた。コートに煙管、姿は似ているのに、心の内はどうしてこうも違うものなのか。あの欲深い人々の中に、たった一人あのお方がいるのだろうか?彼女の吐いたため息は、春風にさらわれてどこかへ消え去ってしまった。傍で心配そうにしていたマリアは、おずおずと口を開いた。

 

「ど、どうしましょう。お嬢様?」

 

「・・・・うーん。」

 

 その言葉を聞くと王女は顎に手を当てて、うんうんと唸り始めた。マリアは慌てたように手をわたわたと動かした。

 

「お嬢様のお気持ちはよくわかります・・・・!でも安心してください!どんなことになっても、このマリアはお傍にいますから!!」

 

「あー、違うわよ。私はねぇ、悲しんでなんかいないわ。」

 

 王女は指を立てて、マリアを黙らせた。そしてクスリと笑うと、広場に視線を向けた。その顔は、悲観に暮れてなどいなかった。さっきまでの恋する表情でもなかった。幼き日のようなお転婆な王女の顔であった。

 

「愛に障害はつきものよ?・・・・私が考えていたのはねぇ、どうやってあの方を探し出すかってことよ!」

 

「・・・・お嬢様!!」

 

 マリアの顔にも笑顔が戻る。王女は、何処からか煙管を取り出した。火もついていないそれを、満足げに咥えると記憶にある彼の様に、自信満々に指示を出した。

 

「さあ、広場の連中を集めなさい!今日は忙しくなるわよ!!」

 

「はいッ!!」

 

 マリアが階段を駆け下りていく。ふふふ、そうよ。今日が人生最良の日じゃないって言うなら、私が最高の日にして見せるわ。逃げられるなんて、思わないでね。探偵さん。

 

 

 

 

 

 

 

 城内に設けられた一室では、一人の探偵・・・・風の男と王女が向かい合って腰かけていた。厚手のコートの上からでもわかる、そのふくよかな体型は、王女の眉をひそめさせるには十分であった。しかし、時は残酷なものである。私は少しの可能性を信じて、彼の話を聞くことにした。

 

「お、王女様!フ、フヒヒ!」

 

「違ーう!!全然!!マリア、次よ!」

 

「はっ。ただ今!」

 

 私が憤慨したように立ち上がると、すぐにそれを聞きつけたマリアが扉を開けた。そして、彼を羽交い絞めにして椅子から無理矢理引っぺがす。

 

「フ、フヒー!!!」

 

「・・・・。」

 

 マリアは、目の前の男が尚も幸せそうな声を上げるのを聞いて表情を嫌そうに歪ませる。しかし額に汗を浮かべながらも、どうにかこうにか彼を扉の奥へ引っ張っていった。

 王女はあの変なのが居なくなったのを確認すると、椅子にどっかりと腰かけた。ああ、もう。日がそろそろ頂上に上るというのに・・・・。

 

「全然見つからないわ~!」

 

 そう、全然見つからない。それどころか、手掛かり一つさえつかめないのである。こうして一人一人面接をしてはいるが、勿論それだけではない。当時のことを知っている者たちを使って、探偵さんらしき人物を探させているのだ。まあ我儘な行いかもしれないが一国の王女に求婚者が、こんなにも現れている異常事態である。どうか許してほしいものだ。

 ・・・・問題は、それらしき情報が全然入ってこないことだ。全然、全く、一切、である。探偵さんはもしかして来ていないのだろうか?約束の情報だけ流して、私を誤魔化したの・・・・?

 しかし、それを私は頭を振って否定する。あの人は、あの短い出会いでもわかった。約束を違える様な人ではなかった。・・・・必ずいるはずだ。

 

「さーて!じゃあ張り切っちゃおうかしら!次よ・・・・ん?」

 

「お嬢様。」

 

 マリアは探偵風の男を連れてきてはいなかった。その代わりに、手にした盆には料理と温かそうな湯気を立てるポットが載せられていた。彼女は、それを机に載せながら言った。

 

「もう良い時間です。お昼にしましょう。」

 

「・・・・そんな暇ないわ。」

 

 私はふてくされたように、頬を膨らませて言った。正直なところ、私は焦っていた。期限は今日この日までである。そりゃあ、今日が過ぎたって私の思いは変わらないだろうが・・・・。しかし、彼の方はどうかわからない。今日を逃せば、もう永久に会えない気がしたのだ。

 

「いいえ、お嬢様。健康な肉体を保つのも、愛に生きるものの宿命です。探偵様もお腹が空いてヘロヘロなお嬢様など、会いたくないと思いますよ。」

 

「むっ!」

 

 あのお方のためと言われると、私はどうにも弱い。しょうがないので、しぶしぶ料理に手を付け始める。・・・・美味しい。私が料理に舌鼓を打っていると、マリアが思い出したように口を開いた。

 

「そうだ、探偵様ではないのですが、お嬢様にぜひ会いたいという方が・・・・。」

 

「えっ、誰かしら?」

 

 その瞬間、扉がノックされ部屋の中に小気味よい音が響いた。王女が頷いて合図を出すと、マリアはその扉を開いた。そこには、一人の女が立っていた。深々とフードを被り水晶を持って、甘ったるい香りを纏っている、いかにも占い師とでもいうような出で立ちであった。彼女はこちらを見てくすりと笑うと、対面した椅子に音もなく座った。

 

「王女様・・・・今日はわたくしの占いが役に立てると思い、ここに参りましたわ。」

 

「うらない~?」

 

 私は半目になって彼女を睨んだ。意外かと思われるかもしれないが、私は恋占いだろうがなんだろうが、そういう類を一切信じていない。なぜなら愛というものは運命などで決められるものではなく、自分で勝ち取るものだと思っているからだ。私が彼を好きになったのも、彼と出会ったのも、決して運命のおかげなどではない。その幸運に感謝することはあっても、占いなどで一喜一憂してなるものかと常々思っている。だから目の前のこの人物も、ただの胡散臭い人間としか映らなかったのだ。

 

「お、お嬢様!この方は最近市井で当たると評判の占い師さんでして・・・・。」

 

「ふーん。」

 

 いくら評判がよくたって、私は占いを信じていないから余り関係ないと思うのだが・・・・。それより、なぜ占い師という奴は顔を隠したがるのだろう?少し覗き込んでやろうと顔を下に向けるが、それより早く占い師は私の手を掴むと、ぐいと胸元に引き寄せた。

 

「ほう、これはこれは。」

 

「ちょ、ちょっと!!」

 

 彼女はその柔らかな腕で私の手の平を握ると、右に左に傾けてその様子を観察した。そして、声を潜めて占い師らしい謎めいた雰囲気でゆっくりと語り始めた。

 

「王女様・・・・これはあまり良い手相ではありませんわ。」

 

「えっ!?何!!あのお方に会えないって言うの!!」

 

 私は、焦ったように占い師に掴みかかった。信じていない、そりゃあ信じていないが、しかしそれは別の話だ。乙女の心は繊細なのだ。例え本当にそんな手相であったって、黙っていてくれればいいのに・・・・。しかし、それは杞憂であるらしかった。占い師は崩れたフードを直しながら、落ち着き払って答えた。

 

「ははは、違いますよ・・・・そうではありません。どうやら貴方様の身に危険が迫っているようです。今夜、色男に注意なさい。きっと貴方の不幸を招くでしょう・・・・。」

 

「・・・・え?」

 

「色男・・・・?それって・・・・。」

 

 マリアは不安そうに、呟いた。色男、それはもしや・・・・。いや、この状況だ、どこからどう考えても探偵の事を言っているのだろう。

 主君の事を思えば、考えない方がいいであろう想像であった。しかし、考えずにはいられない。つまりこの者は今夜、探偵に会うなと忠告しに来たのだ。それは、それは・・・・あまりに酷いのではないか?愛するものと、一目会えもしないなんて。しかし、王女は黙って占い師を睨んでいるだけであった。

 

「それでは、私はこれで・・・・。あ、お値段二千ルークになります。」

 

「え、お金・・・・。ああもう払いますから、もう出て行ってください!」

 

 マリアから代金を受け取ると、占い師は笑いながら部屋を出て行った。彼女は、占い師が入ってきた時とは逆に憤慨したように言った。

 

「まったく・・・・酷い人です!あの人は!探偵様・・・・いえ、色男に注意しろなんてこの日に限って酷い占いです!」

 

「・・・・。」

 

 マリアは、酷い占いだとは言ったが嘘の占いだとは言わなかった。わからないのだ。真偽が、彼女の中ではまだ迷っているのだ。そしてそれは私も同様だ・・・・。私は大いに迷っていた。頭を冷やすように、大きく息を吸い込んでから私は口を開いた。

 

「マリア・・・・。あなたって、探偵さんに会ったことあったかしら?」

 

「え?い、いえ会ったことはありません。十年前はお嬢様のお付きでもありませんでしたから・・・・。」

 

 わからない。わからないのだ。ああ、どうして?それは震えていてか細いものだったと思う。私は何かに縋る様に、振り絞るように声を出した。

 

「・・・・あなたは、探偵さんを信じるかしら?」

 

「・・・・。」

 

マリアはその大きな目を一度閉じてから、少し笑って口を開いた。

 

「私は探偵さんを知りません。でもレイチェル様を信じます。あなたが愛するというなら、私も探偵様を信じます。」

 

「・・・・そう。安心した。」

 

 その声には、少しも嘘を感じさせなかった。どうしてか、彼女の言葉を聞くと酷く安心してしまった。私は椅子に腰かけると、もう冷めてしまったお茶を喉に運んだ。うん、冷めてもおいしいわね。

 私はカップを空にすると、覚悟を決めたように目を見開く。くよくよしたのは終わりにして、朗らかな私に戻ることにしよう。そうでなくては、恋を勝ち取ることなど出来ようものか。

 

「マリア・・・・。これから私にちょっと付き合ってくれるかしら?」

 

「え・・・・?それは勿論良いですが、よろしいのですか?探偵様探しは・・・・。」

 

「良いのよ。あの占い師も言ってたでしょ?」

 

私は獰猛に笑って言った。

 

「運命は夜に現れるみたいじゃない!」

 

 ああ、()()は逃がさないわよ!探偵さん!!そして日は沈んでいく。約束の日が終わりを迎えていく。しかし、ロマンスとは総じて夜に始まるものである。

 

 

 

 

 

 空では月が空高く輝き、遠くで冷たい春風が木々と共に鳴いている。城の窓より漏れた明かりは、ぼんやりと辺りを照らしていた。

 ・・・・良い夜。あの人は、来てくれるかしら?私は城の高台、月が照らす塔の上で運命とやらを待っていた。

 

「・・・・王女様。」

 

「・・・・。」

 

 はたして現れたのは、記憶のままの探偵さん・・・・ではなかった。それはある意味当たり前のことだ。十年も前の話である。()()()()姿()()()()()()()()()()()。しかし厚手のコート、咥えた煙管、あの頃とは違う伸ばされた髭、その全てが()()()()()()()()()姿()()()()()

 私はクスリと笑うと、彼の方に振り返った。明るい月明りは、彼の姿をはっきりと映しだしていた。

 

「・・・・王女様。お久しぶりです。」

 

「探偵さん・・・・。」

 

彼の手が私の腕をつかむ。私は彼の胸の中に抱き留められた。

 

「王女様・・・・今日は貴方様の大切なものをいただきに参りました。」

 

「そう・・・・嬉しいわ。」

 

私は、彼の腕の中で本当に幸せそうに笑った。彼が私を握りしめる腕も、強く、固くなる。

・・・・いやちょっと強すぎ、ないかしら!?私の肩が、ミシミシと悲鳴を上げ始める。

 

「王女様ぁ・・・・!今日は、貴方の!!大切な命を頂きに参りましたぁ!!」

 

「や、やめてっ!!」

 

私は必死に拳を振り上げて抵抗する。彼はその内のいくつかが直撃し、少し怯んだ様だった。

 

「い、痛い!!ええい、大人しくしてくださ・・・・。」

 

「だから言ったじゃないですか・・・・。」

 

「・・・・!!ぐっ!?」

 

 私の横を漆黒が駆け抜けた。途端、私の前に居た探偵は、地面に組み伏せられた。その上に、あの占い師が不敵な笑みを浮かべて座っていた。彼女はその美しき肢体を惜しみなく、春風の中に晒している。私は、何も言わずに呆然と彼女を見つめていた。

 

「今夜は色男に注意なさいと言ったのに。」

 

「・・・・。」

 

 

占い師は、私を安心させるかのように手を振りながら説明をつづけた。

 

「この方はきっと、あなたがお探しの探偵ではありません!わたくしの占いによると、この男は身代金目的の誘拐犯で・・・・?ん?な、なんだお前一体!!」

 

 占い師は、途端に何かに気づいたかのように飛んで逃げた。探偵はゆっくりと起き上がりながら、失敗失敗と言って笑った。

 

「へー、そうですか。あの人たちは本当は誘拐犯だったのですね。」

 

「な、お前は・・・・。」

 

 ()()はすぐにその変装を解き、普段通りのメイド装束に戻る。そこに居たのは、探偵などではなくメイドのマリアであった。

 

「メイドの変装・・・・?」

 

「そうです、占い師さん。()()()()()、私、レイチェル様お付きのマリアと申します。」

 

「な・・・・。」

 

 占い師は言葉に詰まったように押し黙るが、すぐに取り繕ったように笑い声をあげる。その様を、私はじっと見つめていた。

 

「成程、成程。今晩の占いはどうやら思い過ごしであったようです。ご無事で何よりでございました。それでは、良い夜を・・・・。」

 

 占い師は、そう言って塔から扉を開けて出て行こうとする。しかし、その進路をマリアが塞いで妨害した。

 

「行かせません。」

 

「・・・・。」

 

 その様子を見ながら、私はカツカツと音を立てて占い師に歩み寄る。何かを考える様に、一つ一つ言葉を漏らした。

 

「考えてみれば・・・・同じなはずないのよ。十年も前の事、同じ見た目なわけがないのよ・・・・。」

 

「・・・・それは探偵さんの話ですか?それは勿論、彼も立派な大人になっていることでしょうね。」

 

占い師は、振り向かずにそんなことを言うが、私はそれを気にせず話し続けた。

 

「探偵さんは・・・・当時確か十六歳か、十五歳・・・・きっと身長も伸びているだろうし、外見ではわからなくなっているかも・・・・。」

 

「・・・・。」

 

 王女は、占い師の肩を掴むとぐいと引き寄せて、その顔をこちらに向けさせた。占い師は、何も言わずに遠くを見やっていた。

 

「でも、変わらないものもあるわ・・・・。それは例えば、推理力。貴方の警告通り、確かに私の身には危険が迫っていた。貴方がしているのは、占いなんかじゃなかったのよ。」

 

「・・・・。」

 

 占い師は、私が言葉を言い終わるとようやくこちらを見た。私もフードの下の顔をはっきりと覗き見た。ああ、この顔は・・・・。昼間にもちらりと見えたこの顔は・・・・。それは確信ではなかった。しかし、今ようやく・・・・。

 

 

「探偵さん・・・・貴方は女だったのね。」

 

「・・・・。」

 

 その占い師は、否定もせずに顔を俯かせた。ああ、それはもう肯定しているのと同じではないか。マリアが彼女にコートと、煙管を渡した。彼女は諦めたのか、慣れたようにそれを身に着けていく。そこにいたのは、探偵さんであった。勿論、十年前の姿そのままではない。身長が多少伸びたように思えるし、体も以前より曲線を描いている。しかし、その恰好を見れば否が応でも悟らざるを得ないのだ。目の前にいるのは、本物の探偵さんだ。彼、いや彼女は女性であったのだ。彼女は、一つため息をつくと柵から乗り出すようにして街を眺め始めた。その瞳はどこか寂しげに見えた。

 

「・・・・できれば気づいては欲しくなかった。君の初恋を壊したくはなかったんだ。」

 

「そうかしら?」

 

私は彼女の隣に並び立った。いつの間にか、私は彼女と並ぶくらい大きくなっていたようであった。

 

「じゃあ、なんでここに現れたのかしら?本当に気づかれたくないなら、ここに来なければ良かった。それなのに、あなたは現れた。」

 

「・・・・。」

 

 

 探偵は何も答えなかった。ああ、もう・・・・しびれを切らした。私は、彼女の顔を両手で掴むと私の顔と近づける。お互いの吐息が白く霧散し、重なり合った。彼女は寒さからか、顔を赤くして黙っていた。それはきっと私も同様であろう。・・・・これを聞くには覚悟がいる。しかし、逃げる気はさらさらなかった。

 

「ねえ、探偵さん。私を気遣っているならやめて・・・・。貴方はどうして現れたの。約束を果たすため、それとも私を守るため?ねえ、正直に答えて・・・・。」

 

「そんなの・・・・。そんなの・・・・。」

 

 探偵は、目を逸らして逃れようとした。しかし、王女の手がそれを許しはしなかった。しばしの間、口をもごもごと動かしていた彼女であったが、ついに堪えきれなくなったかのように口を開いた。

 

「そんなの、君が忘れられなかったからだ!!」

 

「・・・・!」

 

 王女の顔が途端に月明りの中でもはっきりと分かるくらいに真っ赤に染まる。探偵は、息も切れ切れにその想いを吐き出し始めた。

 

「ここに来たのは君を守りたかったからだ!傷つく君など見たくはなかった!この国に来たのは、他の奴に君を渡したくなかったからだ!自分で約束を漏らしたくせに、君が誰かのものになるのは許せなかった!それだって、君に嫌われたくなかったからそうしたんだ!約束を破る人間だと、君を失望させたくなかった!」

 

彼女はそのようにまくし立てると、向こうに向き直りながらこう言った。

 

「僕は・・・・君に嫌われたくなかった。否定されるのが怖かった。」

 

 零れ落ちた涙が、星の色を反射しているのを王女は見た。王女は静かに近づくと、探偵をそっと後ろから抱きしめた。

 

「・・・・そうだったのね。でも私は貴方を否定しないわ。私が愛するのは貴方様、ただ一人。それだけよ。それ以外なんてないのよ。」

 

「女だぞ・・・・僕は。君だって・・・・。」

 

「関係ない。そんなの私たちには関係ないのよ。」

 

 彼女らはしばらくそのままであったが、王女の手に探偵の手が添えられた。探偵は、声を震わせながら言った。

 

「君がそうであったとしても、民は許しはしないだろう・・・・。君は王の娘で、僕は女だ。君はきっと王女ではいられなくなる。」

 

「地位に執着などないわ。貴方と共に行けるのならば、私はただのレイチェルになります。」

 

 王女の手は、優しく探偵の手を包み込んだ。彼女は少しの間震えていたが、向き直ると王女の手を取った。息は緊張したように荒かったが、しかしもう震えてはいなかった。その目は、覚悟を決めたかのようであった。

 

「・・・・西門に馬を用意しているんだ。船のチケットも二枚ある。それに乗って、一緒に僕たちの事を誰も知らない国まで行こう。」

 

「まあ、いけない人!初めから私を連れ去るつもりだったのね!」

 

王女は、言葉とは裏腹に心底嬉しそうにそう言った。探偵は、心配そうに言った。

 

「嫌いになってしまったかい?」

 

「まさか!!」

 

 彼女らは連れ立って走り始めた。その顔は、花が咲き誇るような笑顔で・・・・。とても止めることなど出来はしなかった。

 

 

 

 

王はその様子を、城の内部からそっと伺っていた。マリアは、その部屋に入ると口を開いた。

 

「・・・・よろしかったのですか?」

 

「愛しあう二人に、愛するのを止めよと申したとて無駄であろう。・・・・良いのだ。

王位など他の子が継いでくれる。娘に会えなくなるのは寂しいが・・・・。」

 

 王は地平の彼方を見つめていた。遠くでは、春風が嘶いている。今はまだ、レイチェルは手の届くところにいるが、今にもこのあたたかな風の中に消えてしまうことだろう。

 だが・・・・。王は悲しみをこらえると楽器を取り出し、音を奏で始めた。彼女が遠くに行ってしまっても、きっと春風がこの音を運んでくれることだろう。せめて、さようなら。レイチェル。それは、恋をたたえる曲であった。

 

 マリアはそれを聞きながら、遠くなっていく二人の背中を見送った。彼女は、窓に手を当てて最後に一つ呟いた。

 

「さようなら、お嬢様。いえ、レイチェル。」

 

その呟きは、少しの寂しさをにじませていた。

 

 

 

 

 

 探偵が馬の綱を持ち、王女・・・・レイチェルはその後ろにしがみついて荒野を疾走していた。彼女はただ幸せそうに抱き着いているだけであったが、何かに気が付いたかのように口を開いた。

 

「ねえ、探偵さん。名前を教えてくれないかしら。私って貴方の名前も知らないわ。」

 

「ん?それなら十年前に名乗らなかったかい?僕はクラウス・・・・。」

 

 そう言いかけた、探偵の口をレイチェルは指を立てて制した。彼女は、悪戯っぽく笑うと再度口を開く。

 

「それって偽名でしょう?あなたの本当の名前が知りたいわ。貴方が女だって、もう私は気づいてしまってるのよ?」

 

「・・・・ふふ、そうだね。でも実のところ、この名を名乗ったことはないんだ。」

 

探偵は、一瞬緊張したかのようにつばを飲み込み、そして笑ってから言った。

 

「クラウディア・・・・それが僕の名前さ。」

 

「そう、これからよろしくね。クラウディア、私はレイチェルよ。」

 

 そう言うと、レイチェルはクラウディアに近づき、一瞬口づけをした。それは一時の交わりであったが、彼女らにとっては永遠に感じられた。二人は満足そうに白い息を吐いたが、それはすぐに風の中に溶けていく。クラウディアは綱を引いて、馬の足を急がせた。彼女たちは、すぐに砂煙の中に消え・・・・そして遠くの彼方に去っていった。

 

 

 









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