『裏山で保護した野良犬がニホンオオカミだった。』 (ウーメン梅田)
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鶏肉とサツマイモ、キャベツ

山間に姿を現す小さな集落、山形県 西置賜郡 ひさし村。電車は通っておらず、買い物には隣町のスーパーまで車を出さなければならない。

村の若者は、高校の進学を機にこの地を離れる傾向が強く、村全体の高齢化が進みつつある。

 

例に漏れず、自分もそのひとりだ。

高校卒業後は関東の大学に進学、都内の小さな会社に就職し、千葉に住んでいた。就職から数年経った頃、突如会社が倒産し職を失ったので村に戻ってきた。

 

今では亡くなった両親の持っていた家を一人で管理しつつ。知り合いの米農家の元で働かせてもらっている。元来、都会の喧騒に飽きつつあった俺にとって、緑豊かなこの地は心の拠り所となっていた。

 

悠々自適な生活を送っていたある日のこと。夏が過ぎ去り、ジメジメとした湿気が霧散した時期、裏山に面した家の窓をカリカリと掻く一匹の野良犬を見つけた。毛並みは金色(こんじき)が混じった美しい黒色だったものの、痩せこけていてあばら骨が浮いた状態だった。

 

犬にしてはかなり大きい方で、全長は大型犬に匹敵していた。

腹が空いて村まで降りてきたのかは定かではないが、このままでは餓死しそうなので、家の中に入れて人肌程度に温めたミルクを与えてみた。

最初はボウルの中に入った謎の白い液体に警戒していたものの、一口舐めると勢いよく飲み始めた。

 

飲み物だけでは心もとないと思い、スマホでドッグフード以外に犬に与えて良い食材を調べた結果、家に腐るほどあるサツマイモとキャベツ、鶏胸肉を与えることにした。

 

サツマイモとキャベツはカットした後、茹でて火を通し、鶏胸肉は食べやすいように一口大にカットした。犬ゆえに塩で味付け等はせず、ボウルに盛ってそのまま与えた。正直いって俺が食いたいくらい美味しそうに出来たので、食わせるのが少し悔しかった。

 

腹を満たした犬は、満足したようにその場で寝転がった。

全身泥だらけだったので、畳が盛大に汚れた。

 

完全に脱力している犬を抱きかかえ風呂場まで連れていくと、ぬるま湯で体を濡らしボディソープで体を洗ってやった。泡まみれの濡れた体を勢いよく震わせたせいか、顔面に泡が被弾した。

 

体を拭き、ドライヤーで太い毛並みをブラッシングしながら整えてやると、かなり見違えた姿に様変わりを遂げた。凛々しく、優雅で、猛々しい。ガリガリのくせに王者の風格があった。

 

「お前、どっから来たんだ...?」

 

「ワヴッ」

 

小さくほえた犬を撫でながら、近場の動物病院に予約を入れることにした。

 

 

 

 

 

 

「ウワッ、お前これどうしたんだよ」

 

朝起きて顔を洗っていたら、玄関の先に首を噛み砕かれたような雉の死骸が転がっていた。首からつたう血がまだ乾いていないことから、死後それほど時間が経っていないことは察しが着いた。

犯人はもちろん、先日保護した野良犬。

 

口元にべっとりと赤い血が付いていたのを見るに、明け方に一人で狩ってきたものと思われる。田舎では普段家の鍵を閉めることは無い、俺の寝ている間に一人で引き戸を開けて家の外に出るくらい犬にとっては造作もないだろう。

 

しかし律儀に扉を閉めて行くとはかなり賢いと思った。

それでも、知らぬ間に雉を狩ってくるのは勘弁願いたい。

 

「ほら、行くよ」

 

今日は朝から市街地にある動物病院に向かう予定だ。

ひさし村から車で1時間程度、着く頃にはちょうど開いてる時間だろう。

犬を軽トラの助手席に乗せて道を進む。

 

田畑の広がる村は道路も舗装されていて、比較的車も走りやすいが、山道に入ると上下に揺られながら街に向かうことになる。痔になったら大変だ。

道路に散り始めた木々の葉っぱが、風に煽られ舞い散る。すっかり錆びて苔の生えたガードレールは、到底何かをガードできるほどの強度は感じられない。

 

ひび割れた道路、汚れたカーブミラー。

街灯ひとつ無いが故に、夜通ることはまず無い山道。暗闇を明かりひとつで進むのはさすがに怖いため、朝早くに動物病院を予約したのはこのためである。

 

山道を進むこと20分、ひさし村より少しだけ栄えた田舎に到着した。ここからは街に向かって平坦な道を進むだけ、何も怖いものは無い。

オンボロの軽トラックを走らせ、やがてたどり着いたのは、あかねケ丘にある動物病院『ひまわり動物病院』だった。

 

ほかの利用客にめちゃめちゃ見られながら受付を済ませ、椅子に座る。

動物病院は初めて来るが、システムは人間用の診療所と何ら変わらないらしい。受付を済ませ、名前を呼ばれれば診察室に行くだけ。

 

待つこと2分。予約していたおかげかかなり早く呼ばれた俺は、診察室へと入った。

 

「お待たせしました...えぇと、昨日裏山で保護されたそうで」

 

「はい」

 

「じゃあ、簡易的な診察はしてしまいますね」

 

若年の獣医師に診察台に乗せられ、気だるげそうにしている犬を見ながら、何が行われるのかと興味深く見つめる。

 

ふと、医師が動きを止めた。

 

「...裏山で保護、されたんですよね」

 

「はい」

 

「あの、この子...犬って言うよりも、どちらかと言えばオオカミに近いような...」

 

「狼?」

 

「はい、狼の血を濃く継ぐ犬は居るにはいます。シベリアンハスキーだとか、もっと濃ければ狼犬なんか...ですけどこの子はなんて言うか、毛並み、色...姿かたちがいずれの犬に該当しない...」

 

「じゃあ、こいつは野生のオオカミだと」

 

「いや...可能性はほとんど...0.1パーセントすら無いです。あるとするならば、外来種の狼...いや、それも考えがたいです。こんな個体...ちょっと待っててください」

 

慌てたようにその場を去った医師は、分厚い本を片手に苦悩しながら戻ってきた。やがて、彼の上司と思われる壮年の獣医師が電話をかけながら入ってきた。

 

「はい...はい、だからそうなんですって。今いるんです、ウチに」

 

「あ、あの...笹壁さん。驚かないで聞いてください」

 

「はい...」

 

「私としても非常に驚いているんですが...この子、恐らく...日本在来種の狼。ニホンオオカミなんじゃないかと」

 

「ニホンオオカミ?」

 

「はい、ニホンオオカミというのは...今から約100年前。正確に言うと1904年に目撃例が途絶えた日本在来の狼でして...その、絶滅したと言われている動物なんです」

 

「絶滅...?こいつが?」

 

「ええ...日本で最も有名な絶滅動物と言っても過言ではありません。まだ生息しているんじゃないかと言われていますが...それはあくまで憶測に近いんです。もしもこの子が本当にニホンオオカミなら...それこそ、日本の生物学者は軒並み飛び上がりますよ...なにせ、標本ですら超希少...ニホンオオカミを収めた写真や記録も極わずか...半ば幻獣ですよ。この子」

 

「...なんか、よくわからんけど。とりあえず俺はそのニホンオオカミを保護したと?」

 

「そういうことになります...」

 

我々が話している後で、壮年の医師が興奮したように電話をしている。

 

「どこに電話してるんですか?」

 

「...ここよりも大きな動物病院に...うちでは到底この子を診察するのは...もっと設備の整った場所で見た方が」

 

「一応、簡単な診察はやって貰えませんか」

 

「えぇ、ただ...東京にある『リムテックアニマルホスピタル』にも行ってもらったほうが良いかと...なにせあそこは獣医師の権威がいますから...」

 

「わ、分かりました」

 

 

その後の診察では、栄養失調状態にあること以外、特になんら異常は無いとの事だった。

 

 

「食事は与えているとのことですので、このまま野菜、肉の摂れるお食事を与えてください。ニホンオオカミは...もしかしたらドッグフードをあまり好まないかもしれません、もしも購入されるのなら少量の方がよろしいかと」

 

「はい」

 

「あと、ノミやダニ等の予防や狂犬病、混合ワクチン等の摂取が必要になります。あと一応、自治体に申請をする必要があります、確かニホンオオカミは特定動物なので飼育するのは許可が降りなければ難しいかと。こちらで連絡は取っておきますので行けば何時でも申請できる状態にしておきます...ただ万が一ですが、この子は超希少な絶滅種...国による保護対象になるかもしれません。長くは家に置いておけないと考えた方がいいかと...」

 

 

ワクチンの金額や申請料などの金銭面に関することはあらかた説明を受けた。記念撮影の後、何か異常があれば気兼ねなく連絡してくださいと、獣医師さんの電話番号を貰った。

 

 

「おまえ、凄い犬だったんだな...」

 

「バフッ」

 

 

帰り道、車に揺られながら遠目に何かを見つめる犬に、狼特有の凛々しさを感じた。

 

 

 

 



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裏山

1話目の話の流れを少しだけ変えていますので、既読の方は1話目の後半部分を見直していただけると幸いです。(2022年1月17日午後3時54分 1話目編集済)


帰りがけ、早速自治体に寄って諸々の申請をすることにした。オオカミは人に危害を加えることの出来る特定動物であるが故に、飼育には特別な許可がいるとの事で、初日の保護は致し方ないものではあるものの、ニホンオオカミと知っていながら申請をせずに保護するのは完全に法律に引っかかる。

 

悲しいが、しばらくの間はこの狼とはお別れである。

 

一応動物病院から自治体に連絡は行っていたので、自治体側も万全に迎え入れる準備はしてくれていた。それでも、かなりパニックになっていた。何せ絶滅したはずの動物がやってきたのだから、てんやわんやの大騒ぎである。

 

申請にかかるお金を近場のATMでおろし、申請をした後、やってきた警察官に狼は保護された。許可が降りる間は当然、飼育保護することは出来ないため暫くは警察が厳重に保護するとのこと。

 

警察側もかなり慎重なようで、超貴重な狼の保護であるが故に、常時獣医師が付き添いながら体調の経過を見るらしい。かなり事が大きくなっているので、このまま国によって保護されるのではないかと思えてきた。

裏山に放されるのか、特別な施設で管理するのかは定かではないが、殺されないことだけを願うばかりである。

 

 

 

 

 

 

翌日、自宅の前に数台の車が停まった。

戸を開けるとそこには、警察官数名と眼鏡をかけた男性一人が佇んでいた。

 

「突然の訪問申し訳ありません、私こういうものです」

 

男性は、懐から名刺を取りだした。

 

「東京大学...教授...花神 誠治(はながみせいじ)さん...」

 

「はい、私東京大学で教授兼生物学の研究をしている花神と申します。本日伺った用件はですね、一昨日保護されましたオオカミについて少々お話をお聞かせ願いたいと思いまして」

 

「は、はぁ...まぁ、汚いですが上がってください...」

 

「失礼します」

 

男性と警官数名を招き入れ。茶を沸かす。

ふと、花神さんは驚いたように声を上げた。

 

 

「こ、この畳は...もしやニホンオオカミが寝転がった畳ですかな...泥が付いておりますが」

 

「え、えぇ...なかなか落ちないもんで...」

 

「左様ですか...いやはやしかし、ニホンオオカミが現代になって現れるとは...驚きですな」

 

「あまり...実感は湧きませんが。あ、茶が沸きましたよ...どうぞ」

 

「あぁ、すいません...いただきます」

 

ちゃぶ台の上に茶を4つ出し、向かい合うように座る。花神さんは持ってきていたバッグから数枚の資料を取り出すとちゃぶ台の上に広げた。

 

「実はですね、ニホンオオカミが発見されることは我々としても想定はしておらず...如何せんもろもろの決まりを作るにはかなり時間がかかっておりまして...単刀直入に言いますと、このままニホンオオカミを笹壁さん宅で保護されるのは困難かと思われます」

 

「なるほど...」

 

「えぇ、不満に思うのもご尤もですが、如何せんニホンオオカミは絶滅していたと思われていた生物ですからね、それが見つかったとなれば厳重な保護が必要になるわけですよ...それも国レベルで...」

 

「...まぁ、覚悟の上ですが」

 

「検査や保護の方法等これから行われることは多くありまして...まずは保護されました笹壁さんに当時の状況をお伺いしようかと」

 

「簡単にでいいのなら」

 

「えぇ、ぜひとも」

 

その後、あの狼と出会った顛末を話した。

裏山に面した窓を引っ掻いていたこと、食事を与えたこと、体を洗ってやった事、動物病院に連れていったこと、簡易的にであるものの詳細に話したつもりである。

 

「あの...保護されるってなると...動物園とかですかね」

 

「動物園も極めて難しいですね...そもそも公衆の面前に晒すか否か...元の生態系に返す可能性もありますが...そこで死んでしまった場合取り返しがつきませんからな...」

 

「自分としては...また会いたいので。動物園で大切に育ててもらいたいんですけど...」

 

「健康状態に関する検査が済み次第……ですがね。いずれにせよ調査目的等で殺すことは決してありません。かのオオカミが日本最後のニホンオオカミとならぬように大切に保護していくことが我々の使命ですから……もしかしたらですが、クローン等の作成も十分にありうるやも知れませんな」

 

「クローン?」

 

「えぇ、山に(つがい)や子供がいることが証明されない限り、個体数の増殖を図るためにも最新のクローン技術を使う可能性もあります。恐らく...いるとは思いますがね」

 

「じゃあ、裏山は国とかが管理する可能性もあるってことですか」

 

「えぇ、たしか裏山は笹壁さんが所有する土地でしたよね」

 

「はい」

 

「だとすると笹壁さんの言っていた通り、裏山を国が買い取って直接自然環境を保護する可能性はありうるでしょうな。売ってくれと言ってきた場合、如何程で手放しますか」

 

「...土地は俺が、保護管理は国が...っていう方式には出来ないんですか」

 

「うーむ、難しいところですな...でも、あくまで山を購入するのは狼の保護のため...裏山を切り開こうなどという考えは毛頭ありません」

 

正直いって裏山に踏み込んだことは人生で一度もない。せいぜい両親が山に自生する松茸や山菜を採ってくるだけで、さして役には立っていなかった。利点があるとすれば山の奥に綺麗な沢がある程度だ。

まぁ、そのせいで夏場の夜になると虫が大量に寄ってくる。蛍が見れる分にはまだいいが、デカい蛾は来て欲しくないのが本音である。

 

「売ってもいいですけど...」

 

その時である。

裏山に面した窓が再び何かによって叩かれた。

コツコツという音とともに、爪か何かで引っかかれているようだった。

 

何事かと思い窓を開けてみると、そこには一匹のイタチのような生物がいた。

 

「イタチ...」

 

「カワウソだ...」

 

「は?」

 

「...ニホンカワウソ。紛れもなく」

 

 

また面倒なことになりそうだ。

 

 

 



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『茶啜ってたら、ニホンカワウソが来た』

タイトル変更(2022年1月19日 午前1時44分)


「ニホンカワウソ?」

 

「えぇ...しかしどうなってるんですかこの裏山は...ニホンオオカミに続いてニホンカワウソまで...」

 

「もしかしてこの子も絶滅した...?感じの」

 

「そうです、ニホンカワウソは1979年を最後に目撃例はなく...2012年に絶滅種に指定された生物です...信憑性の低い目撃例はあったんですよ?しかしですな...確証には至らず」

 

「でも、いま目の前にいると」

 

「えぇ、もう今、わたし卒倒しそうです」

 

「...で、どうしますか」

 

「どうしようも何も...いやどうするか...これほどの生物、おいそれと触れないですし」

 

ふとその時、ニホンカワウソは器用に窓のふちまで登ると、トコトコと歩いてちゃぶ台の上にゴロンと丸く収まった。まるでコタツで寝る猫のようだ。

 

「...」

 

「...どうするんですかこれ」

 

「と、とりあえず刺激しないように...」

 

花神さんは、静かにその場から立ち去ると電話をかけ始めた。

 

「うん、うん...今すぐ来て。え?お昼ご飯?そんなものよりも凄いのが見られるぞ、ニホンカワウソだ...ニホンカワウソ」

 

どうやら誰かを呼んでいるようだ。

 

 

「あ、あの...誰に?」

 

「実は、大学の研究室に所属する学生も何名か来ておりまして...大勢で来るのはどうかと思い、隣町に置いてきたんですよ」

 

「なるほど...」

 

「あっ、すいません...興奮しすぎて、了承貰う前に呼んじゃいました...無理なら来ないように電話しますが」

 

「いや、全然。裏山に入らないのなら来てもらっても」

 

「そ、そんな真似できませんよ...この裏山は日本国が厳重に管理するレベルの超々貴重な自然遺産ですよ...おいそれと踏み入れませんて」

 

「まぁ、それなら...なによりです」

 

1時間後、家の前にこれまた数台の車が停まった。白衣を着た若い男女数名と、警察官が降りてきた。

 

「また警察...」

 

「すいません、笹壁さん...山形県警としてもこの事態は見過ごせないわけでして」

 

警察のうちの一人であるスーツを着た壮年の男性がそう呟いた。制服警官とは違い、結構偉い地位に就いているようだった。

一方、学生は花神教授を見つけるや否や、彼よりも興奮した様子でニホンカワウソの件を聞いていた。

 

「あ...もしかしてちゃぶ台の上に乗ってるのが」

 

「ほ、ほんとだ...あれは間違いなくニホンカワウソ。なんて神秘的なんだ...」

 

「こらこら、あんまり騒ぐとあの子がビックリしちゃうでしょう」

 

学生の一人が、ちゃぶ台の上に乗っているカワウソに気づくや否や、興奮した様子で凝視した。

 

「...あの、この子。どうするんですか」

 

「ひとまず...ニホンオオカミと同じように厳重に保護した後、なんら健康状態に問題の無いようでしたら、どうするかを決めたいと思います...あとは、今回ニホンオオカミ並びにこのニホンカワウソがどこに生息していたのか...ということに関しては、マスコミに対する情報規制を敷きたいと思っています。裏山の警備のためですね...その辺は県警の春島さんに」

 

「申し遅れました、山形県警の春島です。今回の件で警察庁から招聘されて来ました、裏山に関する警備等々を受け持つことになりますのでよろしくお願いします。もちろん、プライベートは遵守するつもりですので私領に許可なく立ち入る気はありません。あくまでこの村にある貸家に泊まり込む予定です...2日おきに県警の人間が来る予定ですので悪しからず」

 

壮年の警察官、春島さんはそう告げると頭を下げてそそくさと去っていった。恐らく泊まり込みになる貸家に向かったのだろう。

 

「...なんか事が大きくなってますね」

 

「そりゃそうですよ」

 

「あ」

 

ここでふと、動物病院に行った際に聞いた東京のアニマルホスピタルの話を思い出した。

 

「ニホンオオカミを動物病院に連れてった時に、そこの獣医さんがリムテックアニマルホスピタルに連れてった方がいいみたいなことを言ってたんですよ」

 

「はいはいリムテックですね。なるほど、その獣医さんなかなかに優秀ですな」

 

「あの、リムテック...って?なんです」

 

「東京にある獣医学の総本山みたいな場所でしてな。前身は国際動物医療センター、うちの研究室にも将来的にそこに就職したいと熱望する者が多いんですよ」

 

「へぇ」

 

「恐らく、その獣医さんがリムテックを勧めたのは、獣医学の権威と呼ばれるアイザック・ジェイコブ氏が居るからでしょうな」

 

「アイザック・ジェイコブ...?」

 

「今現在、最も腕の立つ獣医師のうちの一人です。こと内科においては右に出るものはおりません。近いうちにこちらへ呼ぶ予定でした」

 

「なるほど...これならオオカミも、この子も安心ですね」

 

「えぇ、彼に任せれば安泰でしょうな」

 

その後、ニホンカワウソが寝たのを見計らって、中がクッションで覆われた大きな動物用のケージに入れて花神さんらは隣町に去っていった。残ったのは警察官数名のみ、今後は厳重な警護のもと村で生活しなければならない。少しだけ窮屈ではあるものの、それよりも裏山の動植物の豊かさにある種の感動を覚えつつあった。

 

 

 

 

 

 

 

3日後

 

テレビをつけると朝からニホンオオカミとニホンカワウソが発見されたことがニュースで取り上げられていた。現在どこで保護されているのか、どこで発見されたのかは公表されておらず、少ない情報量でありながらも、有名人の結婚報道レベルで朝から晩までワイドショーを賑わせていた。

 

SNS上でも、今回の件はかなり話題になっているようで。自然の豊かさや、他にも絶滅した生物が生きているのではないかと言った憶測が飛び交う中、やはり最も白熱したのは、生きているニホンオオカミとニホンカワウソを拝むことが出来るのか否か...という点であった。

 

環境省の見解では今のところ、自然に返すのか厳重に保護するのかは定まっていないとの事だが、世論的には厳重に保護、なんなら一度でいいから写真や映像を見てみたいという声が多数挙がっていた。

 

完全にパンダ状態である。いや、パンダよりもフィーバーしてる。

 

今回、絶滅種2体が短期間で見つかったという事実は日本のみならず世界中でも拡散され、大きな反響となっていた。特に世界的権威のある数々の大学に所属する生物学者たちは、我が国でも絶滅種が見つかってないだけで、未だにいるのかもしれないと本格的な調査に乗り出したようだ。

 

今回の流れが今後の生態系にどう影響してくるのか気になるところである。

そんな矢先、大学時代に知り合った埼玉の友人から一本の電話があった。

 

 

「もしもし?」

 

『おぉ、もしもし...そっちは今、朝か』

 

「朝...?なに海外にでもいるの」

 

『おん、いまオランダいんよ』

 

「オランダ?なんで」

 

『卒業後、外資系の会社に就職してよ。優秀ってことで、本社のあるオランダに来たわけよ…いいぜ、オランダ。俺の彼女オランダ人なんだけどよ、これがまためちゃくちゃ美人なんよ』

 

「ほんで?電話した理由は?」

 

『ほらお前、会社潰れて田舎帰るって言ったろ?で、暇かなーって思って』

 

「で、オランダまで来いと」

 

『そういうことよ』

 

「...急すぎるだろ」

 

 

大学時代、海外旅行に行った時のパスポートがあったはずだと戸棚を探す。近いうちにまた海外旅行に行くかもしれないと、5年でなく10年の有効期限を要する、いわゆる赤色のパスポートを持っていて良かった。

 

期限が切れるまでちょうどあと2年、そろそろ更新時だろうか。

 

 

「パスポートはあるけど...」

 

『なら来いよ、金はこっちで払ってやるから』

 

「ほんとだな...?てか目的は?」

 

『...実は俺の彼女の友達がよ、すこし複雑な事情で彼氏を家族に紹介しなきゃならんらしい』

 

「ほう」

 

『でも、本当は彼氏いない...だから信用できる人を彼氏役に任命してくれってさ...てわけでお前に頼みたい』

 

「マジで言ってんのか、それ現地の友人とかに頼んだ方がいいんじゃ...?」

 

『いや、現地に友達はいない』

 

「...あぁ」

 

『なんだよ、「...あぁ」って。いいだろ!彼女いるんだから』

 

「まぁ、彼女いるならいいんじゃねぇの。てか本当に金払ってくれるんだよな」

 

『モチのロンだ』

 

「古いんだよ...」

 

 

急遽オランダに飛び立つことになった。

一応、裏山の警備をしてくれている春島さんに事の顛末を伝えた後、その日の夜にパッキング、翌日の午後の便のチケットを取ってリフトオフした。

 

 

 

 

 

 

 

ドーッ

 

 

 

ドーッ

 

オランダでは鳥が鳴いていた。

 



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喝采~The Country Girl〜

長いフライトに首を痛めながら、ようやくの思いで入国したオランダは、チューリップの匂いがする訳でもなく、特段オランダ特有の何かがある訳でもない...言うなればヨーロッパ感のある平凡な景色が広がっていた。

 

ターミナルの出入口でフォルクスワーゲンのボンネットに腰をかける、サングラスをかけたイキリ野郎こと田中。埼玉の片田舎から東京に出て都会色に染まり、そのままオランダに飛んだ生粋の成り上がり放浪者。

実家が俺の住んでる場所と同じぐらい田舎な癖して、時たま見せる偽東京人感がかなり鼻につく男である。

 

「よぉ」

 

「はい、お金ください」

 

「はえーよ、てか久方ぶりの再会なのに第一声それかよ」

 

「こちとら色々大変な時期だったんだよ、にも関わらずオランダにいるだかよくわからん理由で呼びつけよってからに、これで工面してくれなかったら蜂蜜塗りたくって夏の野山に放置するぞ」

 

「仕返しがエグいんだよ...」

 

俺の住んでるひさし村では夏場になると子供が虫取りに出かけては大量の虫を採ってくる。樹液すら塗りたくっていない木々にカブトムシやクワガタなどが普通に止まっているのだ。そんな山の中で蜂蜜を塗りたくった田中を放置したらどうなるか、後は想像におまかせしよう。

 

お食事中の方は申し訳ない。

 

そんなイキリ野郎こと田中の運転するフォルクスワーゲンの助手席に乗り込み、オランダの街に出発した。

 

「とりま目的地はアムステルダム。オランダの中枢都市、首都だな」

 

「道理で聞いたことある名前だと思ったよ...首都か」

 

「あぁ、有名どころで言うとゴッホの美術館がある。名前もそのまんまファン・ゴッホ美術館。ちなみに、『ゴッホ』って言っても現地の人間には伝わらないから、美術館の場所聞く時はちゃんとフルネームで聞けな」

 

「行く予定あんの?」

 

「行きたきゃ連れてくけど...お前あんま芸術興味無いよな」

 

「そうだな、芸術より飯だな...俺の中では秋といえば食欲と読書だけなんだ」

 

「偏屈な野郎だぜ」

 

「うるせぇ」

 

 

車は空港から少し進み、田畑の広がる地域をぬけた後、建物がチラホラ連なり始める都市部との境界線に入り始めた。

 

 

「オランダって料理は何があんの」

 

「んー、正直いって日本で有名なものはまず無い。俺も現地にきて『あ、これオランダ料理だったんだー、知らなかったー』っていう経験がないから言ってもピンと来ないと思う...まぁ、ニシン料理だとか...フライドポテトにソースぶっかけただけの料理だとか...せんべいみたいなワッフルだとか...」

 

「あ、それ全部知ってるわ。今、日本でめちゃくちゃ流行ってんだよ...へぇ、オランダ料理だったんだ」

 

「なに、日本で流行ってんの!?オランダ料理」

 

「嘘」

 

「嘘かよ。」

 

 

深い付き合いだから出来るような、他愛もない会話を繰り返しながら、車はやがてオランダの首都、アムステルダムに入った。想像していたオランダのチューリップが広がるのどかな雰囲気はどこへやら、さすがは首都といった感じで、多くの人や車で賑わっていた。

 

 

「一応、俺の住んでるマンションにゲストルームはあるけど...どうする?ホテルにする?」

 

「いや、ゲストルームでいいよ。オランダ語はさっぱりだから」

 

「オーケー、わかった。実の所、俺の彼女もお前が来るの楽しみにしててよ、うちに泊まるって聞いたらきっと喜ぶぞ」

 

「そこは嫌がるとこじゃないのかよ...同棲中の生活にいきなり男が入ってくるんだぞ」

 

「男だからいいんじゃねぇか、女性だったらさすがに彼女も良しとしないだろ」

 

「今はそういう時代じゃなくなってきてるって言うぞ。性別にとらわれないんだから」

 

「じゃあ、俺とお前の間になにか芽生えるとでも?」

 

「隕石に直撃するくらい確率は低いだろうな」

 

「ちなみに、それよりも宝くじに当たる方が確率が低いらしいぞ」

 

「なら宝くじよりも確率は低いだろうな」

 

例え話の間に知識という名のマウントを放り込んでくる田中の肩に、思いっきりグーパンをしてやろうかと思ったが、運転中なのでやめた。

 

車はやがて、アムステルダムの中心部に佇む大きなマンションの地下駐車場に入った。車をおり、エントランスをぬけてエレベーターに乗り込む。いわゆるタワマンと言うやつだ。

 

エレベーターが開くとそこはすでに部屋だった。玄関で靴を脱ぐという文化が無いせいか、入口とリビングが直結していた。

白い清潔感のある床と、大きな窓、暖炉にグランドピアノまであるなかなかの豪邸、いつの間にやら田中は成金になっていたらしい。

 

「彼女は今、お前が彼氏役を演じる相手を迎えに行ってる。もうすぐ戻ってくるはずだ」

 

「今日顔合わせなのか」

 

「あぁ、こういうのは早い方がいいだろ」

 

「まぁ...」

 

待つこと数十分。

開いたエレベーターの向こうには、モデルかと見間違うほどの金髪美女が2人並んでいた。赤いコートに身を包んだ女性が、どうやら田中の彼女らしい。その彼女の後ろに佇んでいたポニーテールのグレース・ケリー似の美女が、今回俺が彼氏役を演じる御相手だという。

 

 

「はじめまして、わたしのなまえはカローラ・デ・ビュールです」

 

「あ、笹壁です。日本語うまいですね」

 

「わたし、にほんにいったことある。すこしだけ」

 

「カローラは過去日本に2回来たことがあるらしくてよ、いずれも半年程度滞在したらしい。仕事絡みでな」

 

「へぇ、あ、よろしくお願いします。こんな俺で良ければ、彼氏役引き受けます」

 

「よろしく」

 

176cmの俺と同じくらいの身長のカローラさんは、笑顔で握手した後、田中の彼女の元へ駆け寄って楽しそうに談笑を始めた。

 

「...そう言えば田中の彼女の名前は?」

 

「フィリシア・アッペル。アムステルダムの小学校で先生をやってる、担当科目は科学」

 

「へぇ、インテリで美人か。俺が田中だったら口喧嘩絶対負けるだろうな」

 

「なんで喧嘩するの前提なんだよ」

 

急に自信が無くなってきた。

相手はかなりの美人、ハイヒールでも履かれれば確実に俺の方が頭1つ身長が下がる。彼氏を演じるのならば、自分は全くと言っていいほど釣り合っていない。かなり不安である。

 

 

「そうだ、ささかべさん」

 

ふと思案していると、カローラが話しかけてきた。

 

「はい、なんでしょう」

 

「ニッポンできちょうなどうぶつがみつかったって、ききましたけど...NEWSはみましたか」

 

「え、えぇまぁ」

 

「どんなきもち?」

 

「え?」

 

「どういうきもちになりました?」

 

「え、あぁ...嬉しいなぁって...」

 

「やっぱり、うれしいですね」

 

「はい...」

 

突然何事かと思えば、質問の内容がタイムリーすぎてかなりビビった。

 

「実はカローラってこう見えても大学で生物学を研究してる科学者でな。獣医師の免許も持ってるめちゃくちゃ凄い人なわけよ、そらもう若き彗星なんて言われてる。」

 

カローラの素性を聞き驚きが隠せない。

この人が白衣を着たら、それこそオシャレなトレンチコートみたいになってしまうだろう。まさかのフィリシアに続いてカローラまでインテリだとは思わなかった。

 

「ほら日本でニホンオオカミとかニホンカワウソが見つかったろ、でカローラも刺激受けてよ、オランダでもそういった絶滅した生物の手がかりが自然を探せばあるんじゃないかって、張り切ってるわけよ」

 

「なるほど...夢を追う内の一人って訳か」

 

「そういうこと、だから彼女にとって笹壁は、今現在ニホンオオカミが見つかったときの、日本の人々の様相や雰囲気を生で感じとってる生き証人って訳よ」

 

「...だからさっきの質問を」

 

「まぁ、なるべく答えてやってくれよ。彼女の好奇心はここ最近天井知らずだからな」

 

 

その後、質問攻めにあいながらも昼食を摂ることになった。マンションの屋上には入居者限定のレストランが併設されている。毎週金曜日限定、メニューはその日獲れた新鮮な魚介類や野菜をふんだんに使用したヘルシーなものばかり。週替わりによって変わるコース限定のレストランで、客入りは大盛況のようだ。昼時はさほど利用客は見受けられなかったものの、夜になるとそれはそれは賑わうらしい。

 

 

「じつはここだけのはなしですけど」

 

「はい」

 

「ここオランダでもかくにんされたみたいです。ぜつめつした、せいぶつ」

 

「へぇ」

 

「これです」

 

カローラは片手に持っていたスマホを操作し、動画を開いた。

 

「Twitterにとうこうされた、どうがです」

 

動画にはオランダの田園広がる風景の中にポツンと、一羽の鳥が遠くの方で動いている姿が映っていた。遠すぎて、かろうじて鳥だとわかる程度の大きさであると同時に、異様に画質が粗いため、フェイク動画の可能性が高いとの事。

 

動画のタイトルは翻訳すると『見たことの無い鳥』で、珍しい外来種であるか、ただのカラスなのか真相は定かではない。カローラはこの動画に映る鳥を、絶滅種の鳥である可能性が往々にしてありうると唱えているが、信憑性は極めて低いと本人も言っている。

 

「この動画に映ってる場所って、ここからほど近いんですか」

 

「ちかいですよ」

 

「近いぞ、だって空港のすぐ近くだから」

 

「じゃあ、ここに来る途中眺めてた景色がこれ?」

 

「おぉ」

 

「マジか...案外近くにあるもんだな。疑惑の現場は」

 

「おかあさんとおとうさんに、あいさつおわったら、みんなでいきましょ」

 

「まぁ...すぐ近くなら」

 

急遽、オランダでバードウオッチングすることになった。

 

 



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翌日、アムステルダムから少し離れた湖のほとりにある小さな村、マイデンへと向かった我々は、カローラの実家である大きな邸宅に訪れていた。彼女の実家は、周辺地域の土地を所有する地主であり、骨董品の売買で成功を成した、リアル華麗なる一族だった。父は骨董商及び地主、母は弁護士、娘は生物学者で獣医師、ご近所にこんな一家がいたら周辺住民の注目の的だろう。

 

レンガ造りの大きな御屋敷でディナーをいただくことになり、多少身構えていたが、ナイフやフォークを使うような、マナーを試されるものではなく、ラザニアやポトフといった庶民的な料理を出してくれたため、心配は杞憂に終わった。

 

特になにか起こったという訳でもなく、ヨーロッパ産の強い酒が盛り上がりに拍車をかけ、和やかかつ楽しい雰囲気で食事会は終わった。

二日酔いから数日が経ち、そろそろ日本に帰ろうかと思っていた矢先、約束通りカローラがゴリゴリのバードウオッチングコスチュームで田中の家までやってきた。

 

「やくそくどおり、いきましょうバードウオッチング」

 

「え、何も準備してないけど」

 

「いいんですよ、もりのなかに、いかないですから」

 

「田中は?」

 

「あぁ、俺もついてくよ…フィリシアは学校があってついてけないから」

 

「OK…」

 

カローラが乗ってきたジープの後部座席に座ると、我々は謎の鳥を捜索するために例の草原へと向かった。

 

さながら川口浩探検隊のようだ。

 

空港へ向かう高速道路をしばし走り、途中で降りて田畑の広がる平原に到着した。アムステルダムに比べ住居も極わずか、所々小さな家が建っているのみだ。本当にこんな見晴らしのよい場所に怪鳥がいるのだろうか。

 

車を路肩に停め、周辺の家々に謎の鳥を見なかったかという聞き込みを開始した。

 

『ここら辺で見たことの無い鳥を見なかった...?大きさは小型犬から中型犬の間、ニワトリよりもすこし大きいくらい』

 

『いや...見たことないな。ただ、もっと奥の方に住んでるカルロスの倅が見たらしい、ほらTwitterやらに動画を上げたのも奴の息子だよ』

 

『そうなのね...ありがとう、早速向かってみるわ』

 

『あ、あんた達の他にも鳥を調査しに来たグループが居てな、ほらアニマルプラネットっていうテレビ局のクルーだよ』

 

『え?』

 

オランダ語がさっぱり分からない俺は、カローラと住人の会話が意味不明だった。

 

「どうかしたの?」

 

「どうやら、テレビ局が来てるらしい。アニマルプラネットっていう動物のドキュメンタリーを専門で流してるところ。大方、怪鳥の捜索に名乗りでたんだろうよ」

 

「へぇ」

 

田中の説明で状況がハッキリした。

急遽、カローラはそのテレビクルーたちと接触し、共同で怪鳥の捜索をしようと俺たちに言った。もとより、人手は多い方が捜索も捗るだろう。

特段、誰かを出し抜く気なんてサラサラ無いため、快く彼女の提案を了承した。

 

再びジープに乗り込んで、聞き込みをしたカルロス氏の家まで向かう。日本の田舎とはまた違った景色ではあるものの、緑豊かなこの平原風景はどこかノスタルジックな気持ちにさせる。

 

オランダに居るようで居ないような...少し不思議な気持ちだ。

しばし車に揺られ、到着したのは納屋が併設された一軒の建物、牧畜をしているのか納屋の傍らには、藁のブロックが積まれていた。建物の駐車スペースには小さなバスとアンテナのついたトラックが停まっていた。いかにもテレビクルーの車であることは察しが付いた。

 

家のベルを鳴らしたカローラは、早速持ち前のコミュニケーション能力で挨拶をすると同時に、単刀直入に怪鳥のことについて尋ねた。

 

『こんにちは、私生物学者のカローラ・デ・ビュールといいます。お察しいただけてるとは思いますが、ここで目撃された怪鳥について少し話を伺いたいと思いまして』

 

『入りな』

 

『失礼します』

 

家の主人に案内され、玄関に足を踏み入れる。

中では複数人のカメラマンと、インディ・ジョーンズのような帽子をかぶった男性が、鳥の動画を撮影したであろう青年に向けて話を聞いているようだった。

 

『...ふむふむ、それで...不思議な鳥だと思ってカメラを回したと。』

 

『そ、そうです』

 

『いやぁ、実にラッキーだね。あの鳥は.....て、誰?君たち』

 

話に夢中になっていた男性は、我々に気がついたのか首を傾げながらカローラを見た。

 

『カローラ・デ・ビュールです。オランダの生物学者で、鳥の調査のために来ました』

 

『えっ!?あのカローラ・デ・ビュール!?ナショナルジオグラフィックに何度も取り上げられた生物学界の若き彗星...本物ですか』

 

『え、えぇ...』

 

『それは心強い...!私、論文読みましたよ!』

 

興奮気味に立ち上がった男性に早速俺たちはついていけてない。

男性と同じようにテレビクルーも皆、彼女のことは知っているらしく、興奮した様相でカメラを向けている。

 

「田中...カローラってそんなに有名だったのかよ」

 

「あぁ、何度も世界的な雑誌に取り上げられてるし、ここ数年で新種もめちゃくちゃ発見してる。鳥類と昆虫に関して、右に出る者はいないほどの超優秀な科学者だよ彼女は」

 

「知らんかった...」

 

「そりゃ、その分野に携わる人間には有名だろうが...お前が知ってたら、逆にすげぇわ」

 

そんなに有名なら先に言って欲しかった。

おそらく日本に来たことがある、と言っていたのも、生物学者として調査や講演会を行うためだろう。

 

「いずれは宇宙飛行士を目指してるらしいぞ」

 

「マジかよ...」

 

大志を抱け。とは言うが、宇宙飛行士を目指す人間が一体この世にどれほどいるだろうか。目指すだけならまだいい、彼女はその夢を本当に達成出来てしまいそうだから怖い。

 

「後でサインもらお...あ、花神教授に自慢しようかな」

 

「花神?」

 

「ん?あぁいや、なんでもない...そういやタバコ吸いたいんだけど、どっか場所ない?」

 

「あぁ、そっかお前喫煙者か...ちょっと待ってろ聞いてくる」

 

驚愕の事実が立て続けに襲ってきたせいか完全に疲れたので、一発ヤニを入れたくなってきた。田中は、家に招き入れてくれた主人に喫煙スペースを聞くと、親指をグイっと玄関に向けてこう言った。

 

「外」

 

「了解」

 

懐からタバコを取り出しつつ玄関をあけ、煙草に火をつける。

ひと吸いし、口から紫煙を吐き出すと、なにやら足元に違和感を感じた。何事かと見下げると、そこには丸っこい鳥が、クチバシで俺の靴紐をつついていた。

 

「な、なにお前...ッ」

 

「...」

 

靴紐を餌と勘違いしているのか、夢中になってクチバシでつつきまくる謎の鳥。全身が羽毛でおおわれているものの、顔の部分だけが全身タイツを着たようにまっさらになっている。

 

目はギョロっとしており、顔全体が黄色く、クチバシは漆を塗ったようなツヤで覆われている。全長は俺の股下にまで及ぶほど大きく、鳥にしては翼が小さい。何より、ほかの鳥は見られない淡い水色の羽毛を全身にまとっており、鶏よりも太い足を持つその姿は、さながらダチョウをそのまま縮小したようだ。

 

「...誰、お前。誰なの」

 

「ドーッ」

 

「いや、ドーッじゃなくてさ……」

 

鳥は、クチバシで靴紐を咥えながらグイグイっと引っ張った。

 

「付いて来いってことか」

 

「...ドーッ」

 

「そのドーッは肯定なのか否定なのか、よく分からんて」

 

ちょこちょこと歩くその鳥にしばし付き合ってみることにした。



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『一服してたらドードーに出会った』

誤字脱字報告ありがとうございます。助かります。


「まだ歩くのか...」

 

平原に、長く続く一本の道。

広大な農場と道路の脇を流れる小川を飛び越えた鳥は、草を摘む羊の間を通り抜けながら同じ方向に向けて歩みを進めていた。

 

「そこ羊の場所だから、入っちゃだめだって」

 

「ドーッ」

 

「ドーッじゃないよ全く」

 

迫り来る対向車を避けつつ、傍らで歩みを進める鳥を追いかけた。

 

「おまえ、どこに連れていきたいんだよ」

 

「...」

 

「...無視かよ」

 

晴天の平原、のんびりと歩く鳥。

一体、自分は何をしているのかと自問自答を繰り返したくなる昼下がり。傍から見れば、デカい鳥の散歩をしている飼い主のようだ。

鳥は、飛ぶわけでもなく走るわけでもなく、時たま地面の牧草を(つつ)きながらゆっくりと脚を動かした。

 

「...あ、花神教授に聞いてみるか」

 

今現在、目の前にいる鳥は何なのか。東大の教授をこんな使い方するのは失礼にも程があるが、もしかしたらカローラが探しに来た目的の怪鳥かもしれないと、専門家の意見を問うことにした。

 

「...電話番号聞いてなかったな。とりあえず東大に電話するか」

 

スマホから電話番号を調べあげ、東大理学部に電話をかける。

受付が出たところで用件を伝えた。

 

「花神教授に用がありまして...あの、笹壁という名前を出して貰えれば本人も分かると思います」

 

『笹壁さん...ですね、少々お待ちください』

 

保留の音楽を聴きながら、鳥を追う。

しばし音楽が流れた後、唐突に息の上がった花神教授が電話に出た。

 

『ハァ...ハァ...あ゛い...こぢら、はながみです』

 

「大丈夫ですか、すごい疲れてるようですけど」

 

『...。...ハァ...大丈夫...ハァ...』

 

「...」

 

『ごめん...はしって...来たから...。今、家に...帰ろうとしてて』

 

「あ、そっち夜でしたよね、すいません。...落ち着いたらまたかけ直しましょうか」

 

『いや...ハァ...じんぱいない...七時半、オ゙ホッゴホッ...あ゛ーッ』

 

()せてるじゃないですか...」

 

『大丈夫...だから』

 

電話の向こうで花神教授が、机に腕をつきながら肩で息をしているのが容易に想像できる。あまり無理させないように、用件はできるだけ早めに伝えた。

 

「あの、今オランダにいまして...で目の前の鳥の正体知りたくて電話したんですけど、写真送っていいですか」

 

『……ビデオ゛通話は』

 

「あ、ビデオ通話ですね...それならすぐ映せますよ」

 

目の前を歩く鳥に向けてカメラを向ける。

 

「はいっ、君。ちょっとストップ」

 

「...ドーッ」

 

手でステイするように指示を出すと、鳥は意図をくみ取ったのかその場で立ち止まった。ビデオ通話をつけ、外カメラにして鳥を映す。

 

『...』

 

「花神教授?見えますか?」

 

『...』

 

「花神教授...?」

 

『...笹壁さん、これ本当にビデオ通話ですか』

 

「そうですけど」

 

『あぁ...いや、ニホンオオカミとニホンカワウソが見つかっているから...信憑性が高いですけど...まさかねぇ、いや...まさか』

 

「信用できませんか?ならツーショットでも撮りましょうか」

 

俺は牧草地に足を踏み入れると、鳥の真横に顔を近づけ、内カメラで花神教授にツーショットを見せつけた。

 

「見えてますかー?」

 

「ドーッ!」

 

『...マジですか。』

 

「見てわかる通り、この鳥かなりデカいんですよ」

 

『うん、まぁそりゃね...諸説じゃ七面鳥よりデカいって言うし...笹壁さん...その子、世界的にどれだけ貴重か分かります?』

 

「はい?」

 

『うん、その子ドードーね。ドードー...マダガスカル沖のモーリシャス島に居たって言う絶滅種...ほら飛べないでしょう?うん、完全にドードーだわ』

 

「ドードー...鳴き声から名前が来てるんですか」

 

『うん、まぁ諸説あるけど...名前の由来すら明確じゃないくらいデータも少ないし貴重なわけですよ...その子が生きてるってなったら全世界ひっくり返りますよ...。実は記録上ドードーを初めて見つけたのがオランダのファン・ネックって人なんですよ』

 

「ほう」

 

『多分モーリシャス島じゃなくてオランダにいるのも、それが関係してるんじゃないですかね...ドードーは肉も固くてあんまり好まれてなかったらしいですから...生きたまま持って帰って来たんじゃないですか?観賞用とか...そういった用途のために』

 

「なるほど、だからここに居ると...そうだ、こいつなんかどこかに案内してくれてるみたいで...花神教授も電話越しに見ますか?どこに行くのか」

 

『う、うん...是非お願いします』

 

キョロキョロと周りを見渡すドードー。どことなくアホっぽいこの鳥に俺は指示を出した。

 

「よし、行くんだドードー」

 

「ドーォォッ!」

 

『ポケモンじゃないんだから...』

 

今度は小走りを始めたドードー。後ろからスマホを向けつつ走る俺...さながらめざましの『今日のわんこ』にて、走る犬を撮るカメラマンにでもなった気分だ。そもそも『今日のドードー』なんて誰が見るのだろうか...。

 

先程よりもスピードアップしたおかげか、気づいた頃には、平原のはるか遠くに見えていた分かれ道に着いていた。道の脇に広がる鬱蒼とした原っぱにドードーは突進した。胴体が草に隠れ、頭だけがひょっこりと出た状態で原っぱの奥にずんずん進んでいく。

 

やがて、草に頭を埋めると。再び顔を上げた時には、首が二本になっていた。先程まで後をつけていた顔の黄色いドードーとは違って、もう一つ出てきた顔は鮮やかな青色に覆われていた。

 

(つがい)だよ!』

 

「そうですね...どっちがメスだろ」

 

『それは調べてみないと...』

 

「...で、どうしますかドードー」

 

『とりあえず保護、あとは情報を漏らさないように。海外じゃ普通に密猟者の危険が及ぶから気をつけてください。』

 

「了解」

 

とりあえず、近くで見張れるように原っぱに足を踏み入れた俺はドードーのすぐ近くに座り込んだ。二匹の近くには、枝と地面に掘った穴で形成された巣がぽっかりと空いており、中にはベージュ色のソフトボール大の卵が2つ入っていた。

 

『卵だよ!笹壁さん!ドードーの卵!』

 

「美味しいんですかね」

 

『絶対だめだよ!食べたら!鳥獣保護法とかワシントン条約とかのレベルじゃないよ!大罪だよ大罪!』

 

「冗談ですって...あ、そうだ...今、近くの民家にカローラ・デ・ビュールと一緒に来てまして、そっちに電話するんで一回通話切っていいですか」

 

『カローラ?ホントに?』

 

「はい、有名な生物学者って聞きましたよ。知り合いですか?」

 

『まぁ、知り合いですけど...下手したらノーベル賞取るレベルの人なんで、雲の上の存在っていうか...まぁ、カローラさんが居るなら安心ですな。すいません、年甲斐もなく興奮してしまって』

 

「いえいえ、こちらこそ迷惑をお掛けしました」

 

電話を切った後、田中に連絡をする。

二匹のドードーは物珍しそうにスマホを覗き込んだ。

 

「画面見えないよ...」

 

大きなクチバシが邪魔をして、スマホの画面が思うように見れない。腕を高く伸ばし、スマホを真上に向けると、今度は頭を脇腹に擦り付けてきた。

 

「あぁ、もう...ステイ」

 

鬱陶しすぎて、犬を制するかのように『ステイ』と叫ぶと、大人しく二匹の猛攻は止まった。何故か言うことは聞くらしい。従順さでいえば犬よりも賢いのかもしれない。見た目の割に頭がいいのだろう。

 

ようやくの思いで電話をかける。

 

「もしもし」

 

『おう、もしもし。今お前どこにいんだよ...急に居なくなるから心配したぞ』

 

「いや、タバコ吸ってたらドードーが来てさ。付いてったら巣があったから電話したんだけど」

 

『は?』

 

「ドードーだって。ドードー」

 

『...か、カローラ!!!』

 

電話の先が騒がしくなり始めた。

 

『どこだ!今どこにいる!』

 

「家の真正面にある平原のずっと先、歩いて10分くらい」

 

『わ、わかった!すぐ行くからそこから動くなよ!てか1ミリも動くな!』

 

そこで電話は切れた。

 

「...お前たち、ここでずっと暮らしてたのか?」

 

「ドーッ」

 

「……相変わらずドーッしか言わねぇな、お前」

 

「ドーッ!」

 

しばらくドードーを撫でながら日向ぼっこをしていると、カローラ率いる大所帯がこちらへとやってきた。

 

「...ドードーだ。ほんとうにいた!」

 

(つがい)だってよ、足元に卵もある」

 

「さ、笹壁...お前随分と懐かれてないか」

 

「そんなことないけど...」

 

「いや、もうお前の懐で寝てるのは完全に懐かれてるって」

 

膝の上で眠る二匹のドードー。体温の温もりが心地よいのか、ぐっすりと眠っている。

 

「とりあえず保護だってさ。」

 

「そ、そうですね...けいさつにれんらく」

 

「分かった...俺が電話かけるよ」

 

テレビクルー達は皆、唖然としていた。

今目の前に、幻の絶滅種、ドードーが二匹もいること。さらにその二匹をまるで飼い犬のように手懐けている謎の東洋人。

カオスな光景をどう切り取って放送するべきか、早速悩みどころであった。

 

 

 

 




ちなみに今回ドードー発見したとされる原っぱはここです。


『52.420886, 4.671703』

↑Googleマップの座標

※青い看板の近く、鬱蒼とした草の中に住んでいたようです。



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社会現象

書きたてほやほや。
誤字脱字修正その他諸々に関しては、今日中にやる予定です。


数分後、片田舎の草原には似つかわしくないほど、大量の警察官がやってきた。白衣を着た学者も何名か来ている。

 

『おぉ、カローラくん。君も来ていたのか』

 

『えぇ、ようやく見つけまして』

 

『やはり噂は本当だったか...しかし、ドードーをこの目で拝む日が来ようとは...』

 

『私も感動してますよ』

 

膝の上でぐっすりと寝ているドードー。

警察側は専門家の意見を聞きながら、慎重に保護しようと作戦を練っている。

 

『とりあえず...周辺2キロを全て封鎖しよう。』

 

『了解』

 

すぐさま規制線が張られ、民間人は誰も入ることの出来ない状況になった。線の中に残ったのは、最初にドードーを発見した俺と、カローラさん及びテレビクルー率いる調査部隊、警察及び専門家、ついでに田中。のみとなった。

 

警察は発見当初の状況を聴取するとともに、保護対策本部を設置した。平原に建てられた専用のテントの中で、専門家を交えて話し合いが始まる。

一方、俺はそのまま動かないようにと言われたためドードーの膝枕に徹していた。

 

「しっかしすげぇーな...超重装備だよ」

 

日本の警察では普段お目にかかることの出来ない、銃を携えた警官数名が数メートル間隔で配置されている。密猟者対策にしてはやりすぎじゃなかろうか。

 

「...ドードー、お前すげぇVIP対応だぞ」

 

「...」

 

眠っているため返事はない。

それから時間はさほどかからなかった。

 

保護方法は、麻酔を使わずできるだけ刺激を与えないように大きいカゴの中に入れる、という至ってシンプルなもので、何十人もの警官が大掛かりな規制線を張っていたものの、捕獲から保護までの流れはものの数分で終わった。眠っていたことも幸いして暴れることなく、大人しくカゴの中に収まった。

 

卵も厳重に保管され、落として割ることのないように分厚いボックスの中に入れられた。

 

保護したあとも規制線が緩和されることは無く。我々は警察による詳しい事情聴取のためアムステルダムの警察本部へ連行されることになった。

まさかこのまま豚箱行きか...と不安に思ったが、あくまで当時の状況を聞くためとのことで、なんら拘留されることは無かった。

 

そんな中、聴取中に現れた専門家に謎の要求をされた。

 

「DNA?」

 

『そうだ、君のDNAを採取したい。もちろん検査目的だ...カローラ博士からも要望されている』

「検査目的のためにDNAを取りたいと...カローラ博士からも要望されてるそうです」

 

「別にいいですけど...変なことに使わないでくださいよ」

 

通訳を介してオランダの専門家にDNA摂取を迫られる人間なんて、この世に何人存在するのだろう。

頬の粘膜を綿棒で擦りとって、唾液も摂取された。その他、爪や髪の毛、身につけている衣服の繊維までこと細かく取られた。

 

『ありがとう、ご協力感謝する』

「協力に感謝致します」

 

「ま、まぁ...」

 

聴取は1時間足らずで終わった。途中出されたお菓子やら紅茶やらが異様に美味しかった。13時00分過ぎということもあって、聴取と言うよりアフタヌーンティーを嗜んでいる気分になった。

 

その後、必ず日本の大使館に行くように言われた。

 

 

翌日、キャリーケースに荷物を詰め込んだ俺は田中の運転で日本大使館に向かった。

 

「うわすげ、大使館ばっかだ」

 

「ここは大使館やら大使公邸、政府の機関が密集した場所だからな。日本で言う永田町とかに近い場所だ」

 

「見た目は普通の住宅街なのに...」

 

右を見ても左を見ても大使館ばかり。そんな中、一際目立つ真っ白な建物、安心安全の日の丸印、ゆらりとはためく赤い点は故郷の情景を脳内にフラッシュバックさせる日本のシンボル。

 

日本大使館がぽつんと建っていた。

ちなみにその向かいはアメリカ大使の公邸である。

車から降り入口のドアベルを鳴らすと、中から見慣れた顔が現れた。

 

「春島さん!」

 

我が家の裏山の警備を任された警察庁のお偉いさん、春島さんがそこにいた。

 

「お久しぶりです。しかし、まさかオランダでドードーが見つかるとは」

 

「災難でしたよ...」

 

「お疲れ様です...さ、柵越しに話すのもなんですし早速中へ」

 

中に入るように促される。ここで田中とはお別れだろう。

 

「じゃなあ、田中。色々ありがとよ」

 

「おう、またオランダ来たら言ってくれよ。カローラも会いたがってる」

 

「あぁ、また来るよ」

 

別れを告げ、大使館の中に足を踏み入れる。ここは治外法権、正真正銘の日本だ。一時帰国に伴い、諸々の手続きや身体検査を済ませた俺は、春島さんの案内でだだっ広い部屋に案内された。

 

部屋の奥には日の丸の旗と、書斎机で電話対応をしている一人の男性がいた。

 

「はい、はい...えぇ今回の件につきましては.....あ、いまいらっしゃいました。はい笹壁さんです」

 

「どうぞ」

 

春島さんに促され、歩みを進める。

 

「笹壁さん初めまして、私、在オランダ日本大使館で大使をしております生田目(なまため)といいます。よろしくお願いします」

 

「あ、笹壁です。よろしくお願いします」

 

「実はですね、こうして日本大使館にお呼びしたのは深いわけがありまして」

 

「はい」

 

「笹壁さんがオランダで活躍されている間、日本でもニホンオオカミ及びニホンカワウソの保護に関してだいぶ進歩したんです...今後この二匹の保護は都内の上野動物園および国立科学博物館、リムテックアニマルホスピタル...そして東京大学、京都大学等々に在籍される生物学者、日本政府が合同で行うことになりました。」

 

「なるほど...」

 

「動物の保護、飼育は上野動物園が。万が一のために常に獣医師が数名管理する他、生体調査等は大学、博物館の研究員が行う予定です。二匹の展示等を行う予定はありませんが、写真や映像などを政府から発表するとともに...有識者会議が開かれ、国民の動植物に関する保護の観念を高めようという働きが大きく動いています。」

 

「国全体ですか...」

 

「えぇ、ここ最近の日本のニュースはご覧になりましたか?」

 

「いえ」

 

実の所、オランダにいる期間、日本のニュースは全く見ていなかった。というのも、テレビで見る機会がかなり減っていたことと、普段スマホでニュース記事を読まないことが影響して、ニホンオオカミとニホンカワウソの件がどれだけ騒ぎになっているのか、全く情報が入ってこなかった。

 

生田目さんは、傍らに置かれたパソコンからネットニュース、机の下から新聞を取り出して俺の前に並べた。その全てが二匹のことについて書き連ねたものばかり、どの記事を見ても動物だらけだ。

 

更にニュース番組に至っては、動物に関する専門家が毎日のように呼ばれ、朝の帯番組のほとんどを動物に費やすカオス状態が巻き起こっていた。

 

 

「面白いでしょう、朝のニュース番組が動物番組に変わっちゃうんですから...なんて言うか、凄いことですよほんとに」

 

「...とりあえず、これは...今日本でニホンオオカミとニホンカワウソの大フィーバーが起きてるってことでいいですかね」

 

「ブームだとか...ナントカフィーバーとか、そんなレベルじゃないですね。なんて言うか、一種の社会現象...いや、それ以上ですよ。すごいんですよ、この二匹のグッズがここ数日でどれだけ作られたか...売れ行きも好調ですし。まぁ、絶滅動物に興味を持ってもらえるのはすごくいい事なんですがね」

 

「まぁ、そうですね...」

 

この社会現象を巻き起こした当事者としては、パソコンの画面をスクロールしても途絶えることの無い、オオカミ&カワウソの関連ニュースが非常に不思議にうつった。

 

「実の所、今回の有識者会議『ニホンオオカミ及びニホンカワウソの保護並びにレッドリスト動物の管理に関する会議』において、笹壁さんに出席願いたいと...首相直々に連絡がありまして」

 

「え?有識者...?」

 

「はい」

 

「...俺、全然有識者じゃないんですけど...」

 

「花神教授が大体のことをサポートしてくださるらしいので、大丈夫かと。笹壁さんは、今回の件に関して自身の一般的見解に基づく意見を言っていただければ結構です。」

 

「は、はぁ...」

 

自分は全くの門外漢。専門家の集まる会議に一般人が放り込まれたような今回の会議...不安しかない。

 

「今回の会議で、笹壁さんがニホンオオカミとニホンカワウソを発見した当事者ということが(おおやけ)になってしまいます...政府側としても無理に出席願うわけではありませんので、嫌だと言うのなら大きくその意見を尊重します...ただ、発見された場所などは公表する予定はありません。もちろん、会議出席後には警備や警護がつく予定です。マスコミに関する対応も、政府が全て請け負います...その他、何か要望あれば進んでそれを反映する予定です。例えば顔出しNGだとか」

 

「...なるほど」

 

「あと、有識者として出席する場合、専門家の一員として二匹の管理に携わることができますよ。お給料も出ます」

 

「あ、じゃあまたあの二匹に会えると?」

 

「えぇ、もちろん」

 

「あ、やります」

 

即答だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




日本に帰国後、しばしニホンオオカミ達とのふれあいを書いた後、裏山の調査、そしてインドに...。


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誓い

オランダを離れ、日本へ帰国した。春島さんによる同伴で成田空港を降りた俺は、促されるまま出口付近に止めてあった白いアルファードに乗り込んだ。当然、迎えを頼んだ記憶もなく、警察か何かが用意した車両であることは察しが付いた。

 

車内には、運転手と若い男女が二名。SPのような黒いスーツに身を包んでおり、耳には連絡用の通信機器が取り付けられていた。

 

「笹壁さん、こちら左から(つつみ)、中川です。運転手は柳原...運転手の場合は、毎回変わるので長く顔を合わせることになるのは堤と中川です」

 

女性が堤さん、男性が中川さんと言うらしい。

 

「東京にいる間はこの2人が警護をしますのでよろしくお願いします。」

 

「もう警護つくんですか」

 

「えぇ、オランダでドードーと接触した事は公にはなっていませんが、もしかしたら情報の漏洩があるかもしれません。その情報をもとに笹壁さんに接触してくる人間もいるかもしれないので、念の為。」

 

「なるほど」

 

二人とも見るからに年下だろう。

なんか、こんなよく分からないアラサーのおっさんを警護することになった二人には申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

なるべく負担がかからないよう、不要な外出は避けるとしよう。

 

「宿泊先はこちらで用意してます、有識者会議終了後、1日経過するまでそのホテルに宿泊してもらう予定です。ある程度状況が収まり次第、護衛をつけての帰宅になります。帰宅後、海外に行かれる予定がありましたら私のところまで連絡してください。これ電話番号です」

 

渡された名刺にはきっちりと電話番号が記されていた。

 

「海外で何かありましたら、日本大使館及び私にすぐさま連絡してください。すぐに駆けつけます」

 

「あ、ありがとうございます...なにからなにまで」

 

あらかた説明が終わったところで車は走り始めた。

 

「一応、今から宿泊先のホテルで荷物を預けたあと、ニホンオオカミとニホンカワウソが保護されている上野動物園に向かいます。専用のガラスに覆われた部屋の中で保護していますので、直接の接触と言うよりもガラス越しでの対面になります」

 

「分かりました...」

 

厳重に保護されている二匹、もう撫でることは出来ないのだろうか。

 

車は田畑を抜け、京葉道路を進み、江戸川、荒川、隅田川と三つの川を横断し、半蔵門のホテルに到着した。チェックインを済ませ、荷物を預けるとそのまま再び車に乗って上野に出発した。

 

「上野動物園は緊急用の出入口から入ることになります、動物園通りから続く園内の動物医療センターに直結する入口です。非公開ですが、そこにニホンオオカミとニホンカワウソがいます。」

 

「なるほど...」

 

「今現在、医療センター付近はあらかた進入禁止となっています。」

 

上野公園からひとつ外れた細い道。その名も動物園通りを左折し直進後、ぽっかりと開かれている大きな門に車両を乗り入れる。車をおり『関係者専用入口』と書かれた扉を開けると、長い廊下が続いていた。

 

階段を上り、忙しなく動く職員の間を縫いながら、事務室と記されている部屋に入った。

 

「おぉ、笹壁さんおかえりなさい」

 

「あ、花神教授」

 

事務室の真ん中には大きな机に大量の資料が載せられ、壁際のホワイトボードは訳の分からん専門用語で埋め尽くされていた。机を取り囲む難しい顔をした研究者の一人が、花神教授だった。

 

「いやいや、オランダでの出来事はびっくりしましたよ...日本じゃまだ限られた人しか知らないけど、関係者の間では笹壁さんの話題がもう尽きませんよ」

 

「知らないところで話題になってる...」

 

「で、ドードーはどんな感じでした?」

 

「従順な大きい鳥...って感じでしたよ。羽毛もふさふさで、けっこう重かったです。」

 

「なるほど……実質、人類で初めて絶滅後のドードーに触れた人間ですからな。貴重な意見です……ささ、長旅でお疲れでしょう、椅子でもどうぞ」

 

「あ、すいません」

 

事務椅子に腰をかける。

一方、先程まで机を取り囲んでいた研究員が軒並み、俺をガン見していた。

 

「あ、あの...」

 

「みんな笹壁さんに会えて嬉しいんですよ、我々にとってここ数日、笹壁さんは話題の人物でしたから」

 

「そうなんですか...」

 

「えぇ、ニホンオオカミ、ニホンカワウソ、それに加えドードーに接触した功績は計り知れませんよ。しかもいずれも保護確率100%、表彰もんですよこれは...いやはや、世間に知れてないのが実に惜しい。まぁ、数日後の有識者会議で知れ渡るわけですが...そうすれば、教科書に載ること待ったナシですな」

 

「はは、大袈裟な...」

 

「...そうだ、今度うちの大学に講義に来ませんか。日程が合えばですけど」

 

「...話すことないですよ。調査して見つけたってよりも、単なるラッキーで遭遇しただけですから」

 

「それでもいいんです、生徒に夢を与えるには十分ですよ」

 

その後、研究チームとの挨拶を済ませた俺は、ようやくあの二匹と再会することが出来た。

 

「久しぶりだな」

 

「バフッ...バウッ」

 

尻尾を振りながら嬉しそうにジャンプするオオカミ、ガラスをカリカリとかきながら元気に駆けずり回るカワウソ。俺の顔を覚えていたのだろうか。

 

「悪いな...今は撫でてあげられないんだ」

 

嬉しそうにする二匹を目の前にしながら、ガラス一枚に隔たれていることが残念でならない。しばらくガラス越しに触れ合っていたが、完全に消毒された餌を、さながら無菌室のように防護服を着た職員が与えている様は、動物の保護と言うより未確認生物を拘束、管理しているようだった。

 

エリア51で行われてそうな扱いをこの子達にしている事に、少しだけ心が痛む。希少な存在であることはわかっているが、もう少し自由を与えて欲しいと思った。ただこういう生物が、本来の居場所である森の中に生息していることが知れると、密猟者に狙われるリスクも高まる。

 

私利私欲のために法を破って、動物を狩る人々の思考がわからない、否、その思考を理解するなんてたまったもんじゃない。

 

今後もしかしたら、オランダのドードーみたいに絶滅種が現れる可能性もある。そんな時に、無法者の集団に攫われ、剥製として売られることは絶対に避けなければならない。

 

俺は、数日後行われる有識者会議の場において、絶滅種及び絶滅危惧種の強固な保護を、日本のみならず世界に訴えかけることを誓った。

 

 

 

 

 

 



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笹壁の話は長い。

衝撃の事実が全世界を駆け巡った。かのオランダにて、絶滅したはずの幻の鳥、ドードーが発見されたのである。オランダ政府及び欧州連合は、ドードーに対する迅速な保護及び生態調査を行うと同時に、(つがい)であることを利用して、慎重な繁殖活動を行っていくことを発表した。プロジェクトチームのリーダーはオランダの生物学者、カローラ・デ・ビュール。彼女の功績もさることながら、その美貌も注目の的になりつつあった。

 

日本で発見されたニホンオオカミ、ニホンカワウソに続いて三件目の絶滅種の発見は、大いなる盛り上がりを見せており、SNS上ではリアルジュラシックパークの到来だと話題になった。

 

ドードーの発見は日本にも大きな影響を及ぼし、この流れならもしかしたら、エゾオオカミや野生のトキも探せば見つかるのではないかと、調査に乗り出す人もチラホラ見受けられた。

 

そんなドードーの話題に尽きない日本において、それを覆しかねないニュースが発表の翌々日に駆け巡った。

今まで発見されたニホンオオカミ、ニホンカワウソ、そしてドードー。これらの生物は全て、同一人物によって発見された。という、にわかには信じられないニュースが全国に流れた。

 

名を笹壁 亮吾。28歳の男性で、数日前までオランダにいたことも明らかになっている。真相の解明が急がれる中、内閣官房長官定例会見において、一人の記者が満を持して質問した。

 

「昨今、絶滅種と思われていた生物が見つかったというニュースが流れていますが。政府として、絶滅危惧種及び絶滅種の保護の指針、そして絶滅種発見の功労者と噂されている笹壁 亮吾氏の真相をお聞かせ願えますか。」

 

「まず、絶滅危惧種及び絶滅種の保護の指針に関する質問ですが。その答えは、早急な保護を政府としても推し進めていると共に近く開かれる有識者会議において、必要事項等を練り上げていく予定であります。そして笹壁 亮吾氏に関しましては、えぇ...

 

 

 

 

 

紛れもない事実であります。」

 

 

笹壁 亮吾とは一体何者なのか、全国のマスコミが調査したものの、確信に迫る情報は掴めなかった。彼の大学の同期や勤めていた会社先の人間にも連絡をとってみたものの、出てくるのは過去のエピソードばかり。彼が今どこで何をしているのか、知る人間は極わずかで、当のひとりはオランダにいるため情報を得るのは困難であった。

 

元々、笹壁の住んでいる村は半ば外から隔離された超田舎、ご近所付き合いも限られ、彼の住居を知っている人間もかなり少ない。マスコミはかなり苦戦していた。

 

そんな最中(さなか)、ついに有識者会議が開かれることになった。首相官邸で開かれるこの会議は報道陣立ち会いのもと行われる公開会議で、普段に比べ多くの有識者の出席、そして会議の議題も相まって日本国民にかなり注目されていた。

 

フラッシュが焚かれる中、首相の挨拶によって会議の開会が宣言される。まず初めに議題に挙がったのが、レッドリストの見直し及び記録されている絶滅危惧種の動植物に対する保護法案であった。

既に『絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律』は施行されているものの、より詳細かつ厳重な保護を行うために新たな項目及び改正案を加えるべきだという認識が強く、様々な意見が飛び交った。

 

今まで国内希少動物に関しては、販売目的の陳列や広告、そして譲渡、捕獲、採取、殺傷や損傷、輸出入が固く禁じられていた。しかし今回、絶滅種の発見により捕獲及び保護しなければ生命に危機が及んでいた可能性があったことを踏まえ、一時保護に際する民間人の捕獲は軽減されるべきではないかという声が上がった。

 

この案に関しては賛否両論分かれたものの、実際、ニホンオオカミ発見時は栄養失調状態にあり、保護しなければ大変に危険な状態だったという実例がある。

 

当然ここで待ったをかけた者もいた。

 

ニホンオオカミ発見時、当時の状況は捕獲ではなくオオカミ自ら民家に上がり込んだに過ぎない、よって今回の捕獲に対する案とニホンオオカミの件は全くの筋違いであるという意見が上がった。

 

そうだとしても、絶滅種が危篤状態にある場合、その実情が捕獲であろうがなかろうが、生命の持続が必要と判断されるのならば捕獲もやむを得ないだろうという声が大多数だった。

この議論の決定打になったのは東京大学教授 花神 誠司教授だった。

 

「確かに、今現在の法律では絶滅危惧種及び絶滅種の保護に関して、膨大な申請を要すると共に、安易な捕獲が禁止されていることから、目の前に傷を負っているイリオモテヤマネコなどが居たとしても、簡単に保護できる状況でありません。これは由々しき事態です。一時的な保護によって助かるはずだった希少動物はかなりの数がいます。実際に私も調査しました、人間の手を加えることは野生生物にとって必ずしも良いとは言えませんが、生命に危機のある状態ならば、野良猫だろうが野良犬だろうが、ニホンオオカミだろうがドードーだろうが、全て平等に救済の余地は与えられるべきだと思います。迅速な対応をするためにも、申請の簡略化及び特別措置は十分に必要だと考えられます。

 

 

我々は学者です。専門家です。絶滅危惧種が倒れていれば保護して自然に返そうという思考に至るのは当然のこと。しかし一般の方々はどうですか、絶滅危惧種だから触らない方がいい...という意識や、捕獲後に非常にめんどくさい手続きがあっては、保護する気も失せるでしょう?確かに、捕獲を安易にすることによって、希少性のある動物に危険が及ぶ可能性もありますが、法の厳罰化と現実のすり合わせは必要です。いい塩梅にするべきです。今のこの厳しすぎる法案は辛すぎます、生命の存続のためにも緩和は必要だと思います。」

 

彼の意見に、その場の専門家たちは深く頷く結果となった。

どれぐらい緩和されるのか、についてはまた深く話し合いが続いた。複数の案が出され、そのほとんどが考慮しうるものとなった。

 

次に、レッドリストの見直しであるが。

これはかなり早く終わった。ニホンオオカミとニホンカワウソを最も絶滅の可能性が高いとされる絶滅危惧ⅰ類に加えようという結果で満場一致となった。個体数や繁殖状況の善し悪しから見て、向こう20年程度はⅰ類のままだろうという見解であった。

 

次は絶滅種の生存状況に関する見解である。

絶滅したと思われる生物三種が新たに発見された、だとするのならば、今後さらに発見される可能性も往々にしてありうる。生きている可能性の高い生物、そして低い生物はどのようなものか。一見多くの意見が出そうなこの議案については完全なる憶測なため、専門家たちの意見は終始、出詰まることとなった。

 

 

そんな中、一人の男が手を挙げた。

 

 

 

 

 

 

 

渋谷、スクランブル交差点のビジョンを多くの人々が見上げていた。

今現在、生放送で中継されている有識者会議。国民の興味も高い絶滅種の議案は白熱を迎えたかと思いきや唐突に鎮火した。

最後の議案、絶滅種の生存の可能性の有無。半ば妄想に等しいこの議案、専門家たちもどう答えていいか分からない状況だった。

 

「...先輩、ニホンオオカミって展示されるんすかね」

 

「いや無理だろ...確かに見たいって気持ちもわかるけど、展示してストレスで死んじゃったら元も子もないだろ」

 

「俺は見たいですけどね...でも想像してるのより迫力は無さそう」

 

「映像を見る限りは、結構かっこよかったけどな」

 

人混みの中で大型ビジョンを見上げながら話すサラリーマン二人。片割れの上司は、最近娘と妻がニホンカワウソのグッズにドハマリしているせいで、カワウソを飼いたいと強請(ねだ)られた、一家の大黒柱。

 

もう片割れは、秋田に住む母親が、飼っているミックス犬をニホンオオカミだと言いふらしたことにより、地元の友達から笹壁 亮吾なのかとひっきりなしに連絡が来て困っている新卒の社会人。ちなみに下の名前が同じ亮吾のせいで、笹壁に改姓したのかと疑われている。もちろん、改姓した覚えもないし年齢も20代前半のため、笹壁 亮吾の特徴からは大きく外れるだろう。

 

そんな二人が見上げるビジョンに大きく映ったのは、20代後半と思われる若い男性だった。特徴的な点はなく、平凡な顔をした彼は軽く自己紹介をした。

 

『あ...笹壁 亮吾です。』

 

瞬間、周囲の人がざわつき出した。スマホを向ける人もちらほら。

 

「アイツが笹壁 亮吾か...」

 

「なんていうか、フツーって感じですね」

 

「俺もてっきり、髭を蓄えてるだとか、銀縁の眼鏡をかけてるだとか...もっと学者とか探検家っぽいのかな...って思ってたから...うん、普通すぎて逆に驚いたわ」

 

「...なんて掴みどころのない見た目なんだろう。」

 

平凡of平凡。

見た目が普通すぎてイジり甲斐も無ければ褒めるところも特にない。いや、功績はめちゃくちゃ褒められるものである。

 

「何話すんだろ」

 

「さぁ...」

 

画面が真っ白になるほどフラッシュが焚かれる中、笹壁はマイクを手に取り話し始めた。

 

『絶滅した生物がいるかどうか...についてですが、私はほとんどの生物が生きている可能性があると思っています。そうですね、生きてる可能性はどちらかといえば高いかと...』

 

『どうして、そう思われるんですか』

 

『ニホンオオカミやカワウソ、それにドードーと触れ合った時、どことなく感じたんです。ちゃんとこの子達は知恵を振り絞って、どんな環境になろうと生きてきたんだな...と。いずれの生物も絶滅した理由は人間が影響しているということは花神教授から聞きました。この有識者会議に選ばれた時に...』

 

『...』

 

『全てとは言いません、ただまだいると思います。一匹でも二匹でも、少ないでしょうが、世界を探せば絶対にいるはずです。大事なのは、彼らをどのように扱うかです。今までの議論を聞いていて思いました、確かに絶滅の危機にある動物は保護すべきだと思うし、この世から存在を消してはいけない大切な存在である...と』

 

『...』

 

『動物の保護に関する働きが本格的になったのは、長い歴史を見てもここ最近だということも聞きました。それまでの過ちや悲惨な出来事を鑑みて、積極的に保護しようという動きがあるのはいい流れだとは思います。ただ、そういう状況になってしまったのは、全て過去の出来事が影響しているからに過ぎません。大規模な乱獲や開拓によって失われた命は多く存在します。今現在もそうです...オランダでドードーを発見した時、重装備の警察たちがすぐさま駆けつけて、ネズミを一匹も通さないような意思でドードーを守っていました。密猟者の危険があるからです。』

 

『...』

 

『動物を保護する流れが主流になってきているのはいいとも思います。ただ、世の中には動物たちを違法に搾取する人間がいるのも事実です。日本は密猟者に対する意識がかなり低いと思います。実例が少なかったこと、例はあれど実感しにくいこと...原因は多くあると思いますが、もっと密猟者に対する意識を強めるべきだと思います。』

 

『...』

 

『動物の保護も大事ですが、その後のことも考え...彼らを自然に帰してあげるためにも、そういった人間は一刻も早く居なくなるべきです。今後、絶滅種が見つかったら、もしかしたら密猟者に先を越されているかもしれない...由々しき事態です...本当に。』

 

 

 

 

「...なんか異様に長かったけど、ようは密猟者絶対許さん、いなくなれってこと?」

 

「そういうことだと思います。で、結局...絶滅種はいるんですか?」

 

「確実にいる、とは言ってたけど全てじゃないともいってたろ。」

 

「あぁ...そんなこと言ってましたっけ。でもそうっすね...野生のニホンオオカミが増えたらちょっと怖いけど...なんかかっこいいっすね。自分はいいと思いますよ、密猟者が居ない...どの動物も野生で安全に暮らしていける世界」

 

「まぁ、密猟なんて正直アフリカとか、海外の話だと思ってたけど...ニホンオオカミとかニホンカワウソなんてレートで言うと今一番高いんじゃないの?」

 

「そうですね、いま密猟者が一番欲しいのはその二匹とドードーでしょうね」

 

「なんか...日本が狙われてる感あるな...」

 

「だから、危機感持てって言ってたじゃないですか。笹壁が」

 

「そうだな」

 

笹壁の意見は、異様に話が長いことが多少は影響したものの、結果密猟者に対する意識が全国民改まったと確実に言えた。『密猟者から動物を守るためのボランティア基金』がネット上で開設されたこと、その年のチャリティー番組の主題が『動物保護』に決定したこと等、反響は随所で見られた。

 

 

そんな中、当の笹壁は防護服に身を包んで自宅の前にいた。

家の中には簡易的な研究本部が設置され、パソコンやトランシーバーなどが大量に導入された。山岳救助隊の隊員や、科学者、自衛隊員等で構成された調査部隊は総勢12名に及んだ。全員が防護服に身を包んでいる。病原菌を持ち込まないように消毒もされた。

 

調査には最新のX線スキャナー、サーモグラフィーを搭載した望遠鏡や、同じくサーモグラフィーを搭載したドローンが導入された。

 

ついに魔境 笹壁家の裏山の完全攻略の時が来たのである。



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裏山調査

「目の前にある山...とその隣の山、奥にうっすら見えるアレもうちの所有してるものです」

 

「随分と広いんですね...」

 

「えぇ、親父がしょっちゅう山に入ってましたけど、その全容は分かっていないと...聞くに曽祖父が子供の頃から所有していたそうです。戦時中も、この村が山奥すぎて疎開に来る人はほとんど居ませんでしたし、広いだけであまり利用価値もないらしく...ゴルフ場にしてしまおうって計画もあったらしいですけど、ヘリコプターで通わせる気かって言われて頓挫しました」

 

「まぁ、それだけ...人の手がついていないということですから。我々生物学者にとってはこの上ない環境ですよ」

 

「それは良かったです」

 

全身を真っ白な防護服で覆った謎の集団。

そのうちの一人こと俺は、裏山調査隊のメンバーと素顔の見えない顔合わせを済ませると、早速山に足を踏み入れた。

 

傍から見れば、組織的に蜂の巣の駆除をしに行く怪しい団体にしか見えないが、こんな怪しい格好をしているのには深い訳がある。

希少生物が生息している可能性が高いこと、かつほとんど人の手が入ってない裏山を調査するにあたって、病原菌を持ち込むことはタブーであり、当然、毛髪や汗等を森の中に落とすことも禁じられている。それを防ぐために、安物のストームトルーパーのような格好をしているのである。

 

今回調査するにあたって編成された部隊は二つ、一つは裏山を調査する調査チーム、そしてもう一つは無線やドローンなどで裏山を解析し、常時通信を続ける管制チーム。俺は調査チームに配属された。

 

夏が過ぎ去り、紅葉を見せつつある涼しい秋ということもあり、防護服はなかなか快適だ。山の奥に進むにつれて気温も低下していくため、体感温度はちょうどいい感じになる。

救助に長けた山岳救助隊と自衛隊員数名、動植物に詳しい生物学者数名、念の為猟銃を携えた猟師数名で結成された調査チームの中に、一人紛れながら山を進んでいく。

 

斜面は比較的緩やかで、かなり歩きやすい。土も固く、今のところ足場の悪い場所には当たっていない。しばし歩くと、水溜まり程度の浅い小川がチョロチョロと流れているのを発見した。チームのうちの一人である水生生物学者が、専用のケースから小さな遠沈管を取り出し、その中に水を少量入れる。

 

進む度にこうして採取しては周りを観察する。

探索とは言っても案外地味だ。小川に沿って登り続け山の中腹部まで来たところでしばし休憩となった。

トランシーバーで下と連絡を取りながら周りを観察する。

 

ふと、肩に何か留まった。

 

「あ、あの...」

 

「シーっ、動かないで」

 

「...はい」

 

何が留まっているのだろうか。

 

「...ゴキ、ですか」

 

「いや鳥...」

 

「...鳥?」

 

カメラで写真を撮ると、鳥類学者のいる管制チームにそのデータを送った。しばし連絡が来るのを待つ。

 

一方、肩に乗っていた鳥はそのまま俺の頭に留まった後、そのまま飛び去っていった。後ろ姿が美しい鳥だった。

 

「返信は来ましたか?」

 

「えぇ、来ました...」

 

「なんて?」

 

「『よく分からない、見たことない』だそうです。ただカワセミの仲間であることは確かかと」

 

鳥類学者が分からないのなら我々も分からないので、仕方なく先に進むことにした。数分後、再び返信が来た。

 

「返信です『恐らくズアカショウビンじゃないか』」

 

「ズアカショウビン...」

 

答えを聞いてもよく分からない、かなりニッチな鳥ということだろう。暫し登ると、大きな岩肌が姿を現した。

 

「迂回しますか」

 

「そうですね」

 

防護服を着ているということもあり、機動性に難がある影響で、岩肌を登ることは困難だった。幸い、岩が突き出ているのは山の中でもごく一部で20mも横に歩けば、先程と同じような土の地面が続いていた。

 

そこから登ること10分、山頂までもう少しという地点に到着したところで綺麗な沢を発見した。緩やかかつ浅い谷間を流れる沢は底が見えるほど透き通っており、水深もかなり深かった。

 

「汲んだら飲めますかね」

 

「飲めそうなほど綺麗ですけど...まぁ、検査しない限り断言はできません...」

 

すぐそばに居る水生生物学者に問うたものの、確証にいたる答えは返って来なかった。

 

「ん?」

 

しばし沢の近くで休憩していると、チームの一人であるベテラン猟師白柳(しらやなぎ)さんが何かを見つけた。

 

「いま...なんか動いたような」

 

「...」

 

水の透明度が高いものの、木々が陽の光を遮断してよく見えない。

刹那、川底の岩場の隙間で大きな影がゆっくりと動いた。

 

「あっ...」

 

「動きましたね...それもかなりの大物が」

 

影でも判断できるほど、かなりの大きさを有する謎の生物。

 

「どうしますか...おびき出します?」

 

「いえ...写真だけ撮りましょう」

 

だいぶ暗くて見えづらいものの、しっかりとカメラでその姿を撮影する。偏光フィルターを取り付けてもあまり明確には見えなかった。分かるのは岩場からエラと思われる大きなひらひらが出ていたことと、しっぽが焦げ茶色だったことのみ。

 

まるでオオサンショウウオの首にウーパールーパーのエラを取ってつけたような謎の生物。姿形は分からずとも、そこら辺に当たり前のように生息している生物でないことは、その場にいる誰もが察していた。

 

後々分かった事だが、X線でその生物の形を確認してみたところ、かつて中国に生息していたチュネルペトン、又はその近縁種ではないかという見解が上がった。根拠はかなり薄いが、カラウルスの可能性もあるという。

 

ちなみに、山の中腹で出会った鳥は、ズアカショウビンよりもミヤコショウビンではないかという説が浮上した。真偽の程は定かでないが、本当ならば遥か遠い宮古島からここ山形県に渡ってきた経緯は謎に包まれるばかりである。

 

二種とも既に絶滅している。

 

 

 

 

 

 

2日ぶりに訪れた上野動物園 動物医療センター。今回は特別にオオカミとカワウソの餌付けをさせてもらえることになった。

当然、触れることは出来なかったが、ガラス越しで無い分、かなりマシと言えるだろう。二匹とも餌をバクバクと食べる姿が可愛らしい。

 

「出会った頃よりもだいぶ肉付きが良くなりましたね」

 

「まぁ、ここに来てからもかなり食欲旺盛で。餌は自然に近いよう、採れたてのボタン肉やモミジ肉を使ってるんですよ。もちろん殺菌済みの」

 

「だいぶお金もかかりますよね」

 

「まぁ、ライオンに比べれば多少はマシですけどね」

 

花神教授がここ最近の彼らの様子について語ってくれる。話を聞く限り、村での保護から上野に来るまでの間、なんらトラブルは無かったようで安心した。

 

「実は興味深い事実が発覚しましてな」

 

「というと?」

 

「このニホンオオカミ、亜種に近い可能性が出てきたんですよ」

 

「亜種...?モンハンとかのあれですか」

 

「それです」

 

ニホンオオカミの生態調査の中で課題に上がっていた疑問点が二つあったという。一つは、今まで確認されてきたニホンオオカミの個体(標本や剥製)に比べ、今回保護したこの個体は体が大きく、体長は大型犬に匹敵するという点。

そしてもう一つは、通常のニホンオオカミに比べ毛の色が黒色に近いという点。

 

様々な憶測が飛び交う中、最も有力となった説が花神教授が唱えた『亜種説』である。

 

「ガラパゴス諸島に生息しているガラパゴスゾウガメっていうリクガメがいるんですよ。その子がピンタ島で繁殖したのがピンタゾウガメです。元々は同じ種類だったのに、環境などの様々な要因が重なって姿形、色までが完全に変化した状態...それが亜種です。」

 

「じゃあ、我が家の裏山は他と違う環境だったということですか」

 

「恐らくは...ただ考えられるのは、高度経済成長期後の環境汚染によって、気候変動が活発化した影響で、昔よりも冬季の気温が寒くなったのが起因してるのかと...ベルクマンの法則というものがありまして...寒い地域にいる生物は温暖な地域の生物に比べ体長が大きくなる傾向がある...という摩訶不思議な法則です。」

 

「気候変動の影響で気温が下がったから...それに合わせて大きさが変化したんですか」

 

「可能性としては十分に有り得ると思います。体毛が黒いのも、寒さが影響してると思います。黒い方が熱吸収がいいですからね、パンダの耳や手が黒いのもそのためです」

 

「なるほど...」

 

あくまで憶測ですが、と付け加えた花神教授は急遽かかってきた電話に応対するためその場を立ち去った。

 

「...お前、亜種だったのか...なんか強そうだな」

 

腹を満たし眠くなったのか、床に伏せながらウトウトと半目を開けているオオカミを見やる。ここ最近の忙しさも相まって、動物を眺めるつかの間の休息に浸っていると、教授が慌てて戻ってきた。

 

「さ、笹壁さん...!」

 

「はい...」

 

「今、外務省から連絡が来まして...インドから、なんか要請が来てるそうです。私と、笹壁さんに!」

 

「インド?」

 

「謎の生物の目撃情報があったと!人型の、それも超巨大な」

 

どうやらインドにキングコングが出たらしい。

 

 

 

 



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ギカントピテクス捜索作戦

「はい、インディアでもササカベさんの名前は有名です。その知名度は既にニッポンだけじゃないです」

 

「そんな名前知れてるんですか」

 

「ササカベさん絶滅動物たくさん見つけた、だからインディアでもササカベさん呼べば見つけてくれるって思いました」

 

インドで目撃された謎の人型生物、その捜索を名指しで依頼された原因は数日前の有識者会議での出来事だった。

『ニホンオオカミ及びニホンカワウソの保護並びにレッドリスト動物の管理に関する会議』は日本のみならず世界各国の報道機関が取り上げた注目の会議で、俺が絶滅動物三種を発見した功績は世界中に広まるほどの一大ニュースとなった。

 

インドはアジアでも有数の広大な自然保護区が複数存在することから、他国と比べて今回のニュースがかなり注目されたらしく、インド国内の大学では絶滅動物の研究が活発になりつつあるらしい。

 

そんな矢先、北東部に位置するカジランガ国立公園にて、およそ3.5mから4mの超巨大な人型生物が目撃された。以前から、この国立公園では謎の草食動物によって森林の草木が食い荒らされる現象が多発しており、その現象と人型生物に何らかの因果関係があるのではないかと調査を進めてみたものの、手がかりを掴むことは出来なかったという。

 

ならば、今まで誰も成し得なかった絶滅動物三種の発見を成功させた、期待の生物学者、笹壁 亮吾に人型生物の捜索を協力してもらおうと、インド政府直々にオファーしたというわけだ。

 

 

いろいろツッコミたい部分はある。有識者会議で、俺は生物学者と紹介されたことは無いし、自ら名乗ったことも無い。絶滅動物三種を見つけたのも単なる偶然で、学術的知見からその人型生物を捕獲することも出来ない。

 

つまるところ、インド政府が今回、俺に捜索協力願を出したのは壮大な勘違いというわけである。国や言語が変わると、事実とは違う脚色されたニュースが流れるなんてことは世界的に見ればザラである。

一つのニュースに対して、その国の国民ごとにどのような意識を持っているのかは必然的に変わってくる。

 

ただ仮令(たとえ)そうであったとしても、もう少しちゃんと調べてから依頼するべきだ。俺は何とか弁明するために、正真正銘、事実を大使に伝えた。

 

「自分は生物学者でもないですし、絶滅動物を見つけたのも単なる偶然です。今回、インド政府が依頼してくださったのは大変に光栄なことですが、私では力不足だと思います。」

 

「ダイジョウブです。仮令(たとえ)生物学者じゃなかったとしても、誰も責めません。」

 

「いや...でも」

 

「ハナガミさんは正真正銘の生物学者、アナタがそうじゃなかったとしても、一緒に来て貰えるだけでけっこう。我々インディアはあなたのパワーを信じたい」

 

どんなに事実を伝えようと、大使が折れることはなかった。これで、見つけられませんでした、となってガッカリされたらたまったもんじゃない。

予想外にも今回の依頼に関しては花神教授も賛同しているようで...

 

「笹壁さん。広大な土地から一つの生物を見つけることは、仮令(たとえ)どんなに深い知識を持っていても、そう簡単にできる事じゃありません。運も必要なんですよ。相手は動物、こちらの予想とは違った動きをすることもある。科学的根拠だけで発見できるなんてそう甘いもんじゃないんです。」

 

「...」

 

「だからですね、私は...笹壁さんが今回の調査に協力するのは深い意味があると思います。たとえ偶然でも、笹壁さんが絶滅種を発見してきたことは紛れもない事実でしょう。専門家否々は置いといて、私としても是非調査に参加してくれるとありがたいですし心強いです。」

 

「...そこまで言われたら...」

 

俺は、魅惑のカレー大国に飛んだ。

 

 

 

 

 

 

飛行機を乗り継ぎ、カジランガ国立公園に到着した。公園の入口付近には、軍関係者や専門家が待機していた。公園は封鎖され、通常行われている観光客向けのツアーも中止となっていた。

ガイド兼通訳のラーヒズヤさんが現状を説明してくれる。

 

「今、公園は封鎖されてカンケイシャ以外立ち入れない。ハナガミさんは知ってると思うけど、カジランガはインドサイが多く生息してるから密猟者に狙われやすい、大きな怪物も狙われてる可能性がある」

 

「サイがいるんですね...てっきりインドだから象が多いと思ってました」

 

「ラーヒズヤさんの言う通り、この国立公園はインドサイがかなりの数生息してて、近年ではその『中実角』つまるところツノを狙った密猟が横行してるんです。サイのツノは漢方として高く売れますから、かなりの数が標的にされてるんですよ。しかも殺して奪うからタチが悪い」

 

「...許し難いですね」

 

「安心して、ササカベさん。この国立公園、密猟者ぶっ殺してもOK。ショクインみんなShot Gun持ってるヨ」

 

「えッ!?ぶっ...!?」

 

「密猟の横行が影響して、密猟者に対する銃殺が最近合法化したんですよ。今回の調査にあたって、密猟者と鉢合わせる可能性も往々にしてありうるので、警備員の他、軍も国から派遣されてます。」

 

 

どうりで軍関係者が多いはずだと納得する。ヘリコプターや重機関銃を積んだ装甲車も用意されているあたり、今回の人型生物調査にインドはかなり本気のようだ。

 

 

「ニッポン、オランダ。ふたつの国でゼツメツ動物みつかった、次はインディアの番だってみんな気合い入ってる」

 

「まぁ、この光景を見れば気合いの入りようは頷けますね」

 

オランダでドードーを見つけた時よりも、自宅の裏山を調査した時よりも、倍以上の人間が国立公園に集まってる。招集された研究者の中にはインドのみならず世界中の生物学者が顔ぶれを揃えていた。

 

その中には顔なじみもいて。

 

「あぁ!ささかべさん!」

 

「カローラっ!?」

 

妙にスタイルのいい美人がいるなと思ったら、オランダで知り合った生物学者、カローラ・デ・ビュールだった。

 

「はながみさんも、ひさしぶりです」

 

「えぇ、お久しぶりです。昨今のご活躍、日本でも聞き及んでいますよ」

 

「はながみさんのはなしも、オランダでゆうめいです」

 

知り合い同士が挨拶するのを見るのは妙に感慨深い、世間は...いや、生物学界は広いようで狭いなと実感する。霊長類の調査に鳥類と昆虫学を得意とするカローラが招集されているあたり、今回の調査で集められた生物学者は分野問わず様々なようだ。

その中の一人に、かなり個性的な人がいた。

 

目測身長2m、筋骨隆々の格闘家のような見た目をした男性。白衣の袖を捲りあげ、腕から覗かせるイカついタトゥーと筋肉のスジが印象的だ。カタギだろうか?と一瞬疑ってしまうほど、インテリ感のある白衣を霞ませる益荒男。

 

「彼の名はゴルジェイ・アスタプチェンコ。ロシアの哺乳類学者で、最近はシロイルカとバイカルアザラシの研究で名を轟かせている天才だよ」

 

「へぇ...なんか、大きいですね」

 

「元軍人だからね」

 

花神教授の説明で、彼の素性は把握したものの、それでも威圧感は半端ない。一歩間違えて癪に障るような事をしたら、(なます)にされそうだ。

 

その後、続々と人や荷物が集合し、特設のテントや通信機器の設置が完了した。調査する前に軍関係者、専門家問わずミーティングが行われた際、今回の保護目標となる生物の写真(・・)が公開された。

 

『これは数日前、ここの職員が撮影した写真です。画像は荒いですが、周辺の木々に比べかなりの大きさを誇るオランウータンの近縁種である可能性が高いと思われます。』

 

「でっか...」

 

『信じ難い話だとは思いますが、この生物に類似した霊長類がここインドで生息していたことは記録にも残っています。ベトナム、中国、そしてインドに生息していたギガントピテクス、それの生き残りか、または酷似したオランウータン属の新種か、写真だけでは確証に至りませんが、確実にここカジランガ国立公園に生息していることは確かです。くれぐれも調査の際には細心の注意を払って挑んでください。以上になります。』

 

 

俺は、巨大オランウータンの写真を見て完全に怖気付いていた。

でかいモノは怖い、動物であろうが人であろうが。



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『ピース吸ってたら、ギガントピテクスに攫われた』

人生で初めて装甲車に乗った。

武装した軍人に囲まれながら、国立公園の奥を目指す。広大な敷地を駆ける巨大な装甲車、座り心地はお世辞にも良いとは言えない。目の前に座る、ロシアの哺乳類学者 ゴルジェイさんは腕を組みながら堂々と座っている。

さすがは元軍人、装甲車には乗りなれたものだろう。

 

巨大オランウータン捜索のために編成された部隊は三つ。

一つは捜索部隊、実際に現場まで行ってオランウータンを探す役目を担っている。そして管制部隊、通信機器やGPSなど管理する中枢部隊である。ここまでは、規模は違えど裏山捜索をした際の編成と全く同じだが、日本では見られなかった部隊がもう一つ設置された。

 

その名も、密猟者対策部隊。この部隊は、銃器等々を使用して密猟者を排除、確保するとともに、捜索部隊を裏から支えるための超実働部隊である。装甲車に同乗している軍人がこれに該当する。

なお、捜索部隊と密猟者対策部隊は何班かに別れ、広範囲に調査することになっていた。

 

 

 

車を走らせること20分、平原が終わり、鬱蒼とした木々が姿を現した。

日本とはまた違った異国の森、自然に囲まれた生活をしてきた俺でも、密集する植物にはなかなか慣れない。

着実に歩みを勧め、他の班と連携を取りながら奥に進んでいく。

 

高い草をナタで切り開きつつ、道を確保していくその様は、インドらしいワイルドさを感じさせた。しばし歩いていると、根元からへし折られている細い広葉樹を発見した。細いと言っても、俺が全体重をかけてもへし折ることの出来ない太さだ。例えるなら、2リットルのペットボトルぐらい。

 

ロープをひっかけて、車で引っ張ったとしても折れるかどうか怪しい。そんな木をいとも容易くへし折ったような痕跡、サイや象レベルの巨体を持たなければ、到底なし得ない力技だろう。

 

唐突に巨大オランウータンの生息に現実味が帯び始めた。

探せば絶対にいる、そう確信しながら歩みを進めるものの一向にその姿らしきものを確認できていない。それどころか『へし折られた木』以来、オランウータンの痕跡になり得る物が一切見つかっていない。

 

さては生息域から外れたか?

しばし歩き、代わり映えのない森林が続いたところで、進路変更をすることにした。他の捜索班も一向に決定打となりうる痕跡は見つけられていないという。

 

休憩を繰り返しながら捜索を続けるが、進展はなかった。時刻は正午を過ぎ、日は傾き始めた。日が沈むと、凶暴な夜行性の猛獣が活動を始めるため、夜間の捜索は森の中に設置した夜間カメラか、サーモグラフィーを利用したドローンに限られる。我々は一度帰還することにした。

 

帰還すると立派なキャンプサイトが作られていた。

今回の調査はインド政府が全面的にバックアップしてくれるだけでなく、インド国内の企業やラージャと呼ばれるインドの超金持ちな貴族までもが協賛してくれているため、予算は莫大である。建てられたテントは最新式の大型テント、仮設トイレやシャワーまでついている。軍から派遣された調理班が振る舞う料理は温かく、寝心地の良いベッドまで用意されている。

 

野宿すら覚悟していたが、めちゃくちゃ快適だ。

 

夕飯に用意されたカレーを片手に、花神教授と今回の調査についてしばし話し合うことにした。

 

「今回調査する予定の巨大オランウータンって、かつて存在していた生物に似てる...とか言ってましたけど」

 

「ギガントピテクスっていう史上最大の霊長類と言われてるオランウータンです」

 

「史上最大...」

 

「大きさは約3m、体重も300~450kgくらいだったと言われてます。」

 

「熊じゃないですか」

 

「ホント、怪物ですよ。噂によると、雪男やイエティなんかのモデルはこのギガントピテクスと言われてます。ただ、化石は顎の骨しか見つかっていないので、詳細な姿を確証するには至ってません...ただ今回の調査に際して確認した写真では、ほとんどオランウータンでしたから...まぁ、仮説は当たっていたと思います。」

 

「...そんな怪物と遭遇したら、足震えて動けないでしょうね。」

 

「多分、叫び声すら出せないでしょう。ただ、発情期だとか...そういった気性の荒い時期でなければ、襲われる可能性はあまりないと思いますよ。それでも注意は必要です。遭遇した場合は自分ではなく他のものに注意をそらすように、例えば所持品を傍らに放り投げるとか」

 

「...やっぱ、怖いですね。」

 

「相手は人間の約2倍の大きさを誇る生物ですからね」

 

「...........そうですね。.....やっぱ辛いな」

 

「ラッシー持ってきます」

 

「すいません」

 

本場のインドカレーは、唇が赤くなるほど辛かった。

 

 

その後シャワーを浴びて、夜の調査に向けて仮眠をとることになった。

 

「...ヤニ入れたいな」

 

なかなか寝付けなかった。気候が違うと安眠することもままならない、体は疲れていたとしても就寝時間がかなり早いこともあって、生活リズムが追いつかなかった。案の定、目を覚ましてしまった俺は、持ってきていたタバコを一本吸うことにした。

 

夜もまだ浅い。地平線の緣は微かな黄色と藤紫色に染まっていた。空を埋め尽くす星空は、村で見ていた光景に似ていた。煌々と光る白い月は満ち、摩天楼に遮られることも無く広大な自然の大地を照らしていた。

 

シュッとヤスリを回し、火花を散らして火をつける。口にくわえたピースの先を炙り、煙を吹かす。

 

 

 

タバコが落ちた。

 

 

 

 

 

夜間調査を前にして、キャンプサイトに衝撃が走った。

笹壁 亮吾が忽然と姿を消したのである。食堂横に設置された休憩用のベンチ、そのすぐ傍に、彼の吸っているタバコ ピースが落ちていた。フィルターギリギリまで灰に変わっていたことから、少なくとも姿を消してかなり時間が経ったことが推察された。

 

調査チームはすぐさま捜索用にヘリやドローンを飛ばし、車も走らせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

目を覚ますとそこは暗闇だった。ゴツゴツとした岩肌に寝かされていた俺は、うっすらと目を開けながら周りを見やる。幸い夜目は利く。ふと真っ暗闇の空間に一筋の微かな光が差していることに気がついた。

 

月明かりだ。

 

歩みを進め、光のすぐ真下まで来る。ぽっかりと空いた穴はとても手の届く位置にはなかった。ポケットの中に入っていたライターを取り出し火をつける。僅かな光源を持っているだけでもだいぶ心の余裕が生まれた。

 

刹那

 

「あ...」

 

「...」

 

「...」

 

「...」

 

目の前に、超巨大なオランウータンが鎮座していた。

大きさは?3mどころじゃない、座高でこの高さならもっとあるはずだ。

はるか上を見上げてようやく顔があることに気がつく暗いのデカさ。およそ4、5m近く。

 

足がすくんで声すら出せない。

 

更にその奥、目視することの出来ない暗闇から、7匹、ほぼ同じ大きさのオランウータンがノッシノッシと出てきた。

 

「...」

 

でっけぇ。

 

 

怖ぇ。

 

 

 




実は今、別の小説の構想が浮かんでいます。いつ執筆して投稿するかは未定ですが、この小説と世界観を共有した、いわゆるユニバース化をしたいと思っています。と言っても、それぞれの物語に深くかかわり合うことはなく。テレビを見ていたら『ニホンオオカミが見つかりました』というニュースが流れる程度の関係性です。

ちなみに話の内容としては、未だ発見されてないお宝(琥珀の間、サンミゲル号等)や歴史的遺跡を発掘するトレジャーハンター系。



ただユニバース化すると、この世界の地球がやばくなりそうです。


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デカさは強さ

幼少の頃、生前の父に連れられ地元の動物園に象を見に行ったことがある。幼いながらに、その雄大な様に感動を覚えた。父は言った

 

『でかいものは動物だろうが車だろうが強い』

 

と。体積と強さは比例する。小さなキャラが大きい敵を倒す姿をアニメや特撮を通して見てきた自分としては、大きさと強さがイコールで結びつく自然の摂理は、妙に生々しく残酷に思えた。

 

今よりも昔、地元の猟友会が盛んだった頃。隣町に現れた熊を駆除しに行った父は、その猛威にやられこの世を去った。父の与えた一発は熊の命を刈り取るには十分だったものの、如何せん距離が近すぎた。

 

父が生涯で最後に狩った獲物は、初めて見たイノシシよりも、博物館にハンティングトロフィーとして飾られた巨大な雄鹿よりも、ずっとずっと大きかった。こんな怖いものに父は立ち向かったんだと、尊敬の念を込めながら、俺は告別した。

 

 

 

 

 

 

俺は今、死を覚悟していた。

 

眼前に聳え立つ怪物は、月明かりに照らされた黄褐色の目で俺を見下げていた。分厚い胸板、太い腕、姿形はオランウータンであれど、その筋骨隆々な様は同じ霊長類である、ゴリラに匹敵する。

 

腕を一振でもされれば、体は真横にへし折れるに違いない。生物として、明確なる劣等感と、敗北感、そして圧倒的絶望感を感じざるを得ないこの怪物。

 

「...」

 

デカい。あまりにもデカい。

こんな生物が、現代に居ていいのか。と、問いたくなるほどに大きく、そして強い。しかもそれが見た限り8匹は居る。

 

「...な、なんだよ」

 

オランウータンは不気味に笑うと、長い腕を伸ばし、俺の右腕を指さした。

 

「火...?」

 

右手に握られたライター。その先から出る小さな炎を、怪物達は奇妙に見つめていた。ここで、花神教授の言葉を思い出した。

 

『遭遇した場合は自分ではなく他のものに注意をそらすように』

 

俺はゆっくりと足を動かすと、何か着火性のあるものはないかと周りを見渡した。幸い、洞窟の中だが枝はある。ライターを掴む指先を痛めながら炎を絶やさず、つけ続ける。ゆっくりと動きながら枝をかき集め、片っぽの靴下に火をつけ枝の中に放り込んだ。

 

炎はみるみるうちに大きく燃え盛った。オランウータン特有の雄叫びを上げながら、怪物たちは喜んでいるようだ。図体も大きければ声も大きい、痛いほどの爆音に思わず耳を塞いだ。炎に夢中になっている隙に、俺は踵を返した。

 

よし、このまま彼らから逃げ切ろうと、早歩きでその場を去る。

 

「......」

 

もう一匹居た。

 

俺の後ろに。

 

しかもこいつは明らかに違う。後ろで炎に夢中になっている、怪物たちとは一線を画している。雰囲気、そして口元の傷、鋭い目付き。

 

こいつ、怪物たちの親玉だ。ギガントピテクスのボス猿に違いない。

この一匹の咆哮ひとつで、周りにいる怪物は躊躇なく俺に襲いかかるに違いないと確信した。

 

ふと、ボス猿の片腕から血が流れていることに気がついた。微かではあるが、ぽたぽたと床に垂れ、小さな血溜まりを形成していた。

 

「...片腕、どうした」

 

言葉なんて通じるはずもないのに、恐怖を忘れ、つい目の前の怪物に問うた。すると、それに応えるように怪物は血の垂れている右腕を差し出した。

 

「...ちょっと、待っててくれ」

 

焚き火から一本枝を拝借し、火のついた枝先を腕に近づけ照らす。

 

「撃たれたのか...」

 

狩猟をしていた父が狩ってきた鹿、そいつの胸あたりに小さな穴が空いているのを見たことがある。父が言うに、ライフルで撃った時に出来た傷跡らしい。銃弾は貫通し、心臓部分に見事命中していた。

 

その傷跡に似ているのだ。このボス猿の片腕から溢れ出る血の元凶が。

 

「...貫通してない。まだ腕の中に銃弾が残っているのか」

 

血が出ているの上腕二頭筋の面のみ。裏側の上腕三頭筋から血が出ている気配はない。つまるところ、骨や筋肉に阻まれ弾丸が貫通しきれなかったということだ。

 

「...どうしよう。俺治せないしな...」

 

よく映画で、体内の弾丸を取り出すシーンが描かれている。煮沸したピンセットで弾を取り出し、ホッチキスか何かで傷跡を閉じる荒治療。あんなもの現実で出来るはずがないし、何しろ相手は意思疎通の困難な巨大オランウータン。痛みを加えて暴れられでもしたら大変だ。

 

麻酔が無い限り治療することは不可能だと言える。

振り返ると、彼に付き従っている怪物たちが不安げに見つめていた。

 

とりあえず、キャンプまで戻って助けを呼びに行くしかない。

しかし出口は見る限り、人間では届きそうにない天井穴のみ。当然、ハシゴもなければトランポリンもない。ここから出るすべは、怪物たちに協力してもらう他ないのだ。

 

意を決して言った。

 

「...こっから出して」

 

「.....?」

 

首を傾げていた。

次はジェスチャーを混じえて出して貰えるように頼んだ。

 

「はい、ここから……出して」

 

「...?」

 

これも通じない。

壁画でも描いて、絵で説明してみるかと思ったが、自分の絵心が壊滅的であることを忘れていた。

 

なんなら、この場で怪物相手にレクチャーする他ない。

俺は奴らの前に出ると、腕を突き出した。真似するように促すと、皆同じように腕を突き出した。

 

まるでヨガのインストラクターにでもなった気分だ。ここはインド、教えれば猿でもヨギーになるかもしれない。腕をのばし、火を吹く(ヨガファイヤー)オランウータンなんて御免だが...。

 

レクチャーすること数分。オランウータンたちは俺の教えた動きをそのまま出来るようになっていた。腕を突き出し、それを真上に上げるだけの簡単な動作。俺はその突き出された腕に乗って、エレベーターのごとく天井穴から出るという寸法だ。

 

いざ尋常に。

 

腕に体を支え。そのまま腕を上げるように指示する。

 

「よし、よしいいぞ...」

 

と思いきや。

そのまま担ぎあげられ一緒に外に出た。

 

「...猿式エレベーター教えてた時間はなんだったんだよ」

 

今までの努力が水の泡となり消え去った。

俺を担いだ一匹と、もう二匹。計三匹が地上に出る。残りはきっとボス猿を見守っているのだろう。

 

「とりあえず、キャンプ...えぇーと、あっち」

 

適当に指をさすと、そのまま歩き出した。担がれながら移動する感覚は、久しく感じていなかった赤ん坊の頃の記憶を甦らせた。誰かに担がれて移動するなんて何年ぶりの話だろう。

 

ちなみに、乗り心地はあまり良くない。盛大なおんぶをしてもらってる気分だ。

 

とりあえずはキャンプサイトとは違う方向だとしても森から出ようと思う。木々という弊害物がなければ、平原の中で誰かが見つけてくれるだろうという希望を信じ、移動を続ける。

 

ふと、遠くから光が近づいて来るのが見えた。明らかに懐中電灯だ。俺は手を振りながら「ここにいるぞ」と叫んだ。段々近づくに連れて光は強まり、ついに合流することに成功した。

 

「...あれ」

 

懐中電灯を持つ集団だが、来ている服がインド軍のものとはだいぶ違う。かなり粗末で、寝巻きでも着ないようなボロボロのシャツばかり。いつからこんなだらしないファッションに軍服から統一したのだろうか。

 

一人の男が、手に持っていたライフルを構えた。

 

「もしかして...密ッ...」

 

瞬間、俺を抱えていた怪物が大きく叫んだ。後方の二匹がその声を合図に、密猟者に飛びかかる。一瞬だった。

蹂躙という言葉が生ぬるいと思えるほどに一瞬。密猟者たちが立っていた場所には、藁座布団のような何かがあった。その正体については考えたくもなかった。

 

ちなみに、今しがた叩き潰した密猟者たちが、近年インドサイを頻繁に狩っていたことで、インドの警察組織からマークされていた極悪集団であると同時に、ボス猿の片腕を撃った張本人であることはあとから知った。

 

ひしゃげたライフルと肉座布団の傍らに落ちていた懐中電灯を拾い上げ、辺りを照らしながら着実に移動する。

 

次第に、ヘリの音が聞こえ、俺の名を叫ぶ声が森に響き始めた。

 

 

 

 

 

 



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手術

人間というものは時にして、経験したことの無い強烈な光景を目の当たりにすると一歩も動けず硬直してしまうことがある。世の中で、ましてや日本において、コンビニ強盗に遭遇したことのある人間はまぁ少ないと言ってもいい。何万人に1人...という確率は定かではないが、遭遇する確率はそれこそ、当たり付きのアイスキャンデーを当選させる確率よりもずっとずっと低い。

 

確率が低いということは経験したことの無い人間が多い、そんな彼ら彼女らが、いざ目の前で強盗の現場を目撃するようなことがあればどうするだろうか。後ろから飛びかかって犯人を取り押さえる?または、犯人にバレないように盗撮し、犯人逮捕の手柄を打ち立てる?

 

はっきり言おう、いざコンビニ強盗の現場に出くわすと、大半の人間がその場で何もすることが出来ないはずだ。我々は客であり一般人、強盗が来た時の完全マニュアルを熟知しているわけでもなければ、映画のように犯人をコテンパンに伸すことは不可能である。

 

なぜなら殺されたくないから。

相手が容易く命を刈り取れる武器を持っていれば、命の危険を犯して大手柄を立てることは余程正義感の強い人間か、緊張感というリミッターが少しだけ外れている人間に限られる。

 

純然に相手を取り抑えようと考える人間は恐らく、相手よりも自分の方が強いであろうと確信している人間に限られるだろう。

 

 

さて、こんなに長ったらしく無駄話を展開していたのには訳がある。

 

大量の銃を携えた兵士とて、眼前に現れた巨大な怪物を前には何もすることが出来ない。のである。

 

 

 

 

森林を突き進む調査隊が遭遇したのは、超巨大なギガントピテクスであった。

 

『...銃をおろせ...一歩も動くな』

 

調査隊を率いていた指揮官が、囁くように呟いた。静けさに包まれた真夜中の森林、小さな囁きは嫌な程に全員の耳に届いていた。

銃を下ろせ?一歩も動くな?そんなことは端からやっている。

 

全員が銃口を真下に向け、冷や汗を背に滲ませながら三匹の怪物をただひたすら眺めていた。

 

ふと、そんな怪物の背から、緊迫感の流れる状況に似つかわしくない明るい声色で、顔をひょっこりとだす東洋人が現れた。

 

「笹壁です!」

 

失踪した張本人、笹壁亮吾。さも彼は、眼前の怪物の子のようにその巨体から体を乗り出していた。軍が率いる調査隊に対峙する怪物とその怪物の背に担がれた東洋人 笹壁。カオスである。

 

「さ、笹壁さん!無事でしたか!」

 

調査隊の後方から顔をのぞかせた花神教授が、笹壁の安否を図る。

 

「えぇ、無事です!ちょっと担がれてますけど」

 

「無事でよかったです!いま、そちらに向かいますので!ちょっと待っててください!」

 

「はい!あ、銃とか向けないように言って貰えますか!!かなり警戒してます!!」

 

「分かりました!!」

 

花神の説得により、調査隊は銃をその場に捨て丸腰状態になった。拮抗していた状況が少しだけ緩和し、四足で臨戦状態だったピテクス達は、ゆったりとその場に腰をかけ、笹壁を地面に下ろした。

 

しかし座ってもなおデカい。その場にいる大半の人間が、巨大なギガントピテクスを見て未だビビっている。

 

「いやぁ、良かったですよ。急にいなくなったんで...つい密猟者に拉致されたかと...」

 

「あはは...それらしき人とは遭遇しましたけどね」

 

「え、大丈夫でしたか!?」

 

「えぇ、...彼らが撃退してくれました」

 

「そうですか...」

 

笹壁とて、この状況で『ギガントピテクスが密猟者をぶっ殺した』と言えば状況が悪化することは察しが付いていた。笹壁は彼らが決して凶暴な生き物ではないと考えていた。

たった1、2時間程度共に過ごしただけで、動物の性格が分かるというのは甚だ無理な話ではあるものの、実際、笹壁自身、彼らに乱暴に扱われた記憶は無いし、臨戦状態ではあったものの調査隊と血で血を洗う激闘を繰り広げた訳でもない。

 

相手は動物でも人間に限りなく近い霊長類の一種だ、もしかしたら密猟者を覚えていただとか、敵対心を持った人間が銃を発射したことを皮切りに反撃しただとか、何かしらの分別をつけているのかもしれないと笹壁は思った。もしも凶暴なら、とっくに銃を携えた調査隊に襲いかかっているはずだ、攻撃しなければ反撃はしてこない、少なくとも良心的な気持ちで接すれば危険性は極めて低いと思われる。

 

「この大きさなら、密猟者を撃退できるのも頷けますな」

 

「まぁ.....そうだ、こんな悠長に話している場合じゃないんですよ」

 

「どうかしたんですか?」

 

「あの、自分...彼らの巣穴に行ったんですけど。その、ボス猿の腕に傷があって...恐らく撃たれたのかと」

 

「...。Let's go to their den right now.

It is a situation to compete for moment when I would like a request in the medical group!」

 

「英語...」

 

急に流暢な英語で調査隊に指示を飛ばした花神教授を見て、呆然と立ち尽くす。

 

「ヤバいです。一刻を争う事態...急いで巣穴に向かいましょう。緊急手術をします」

 

「わ、分かりました...あの。付いてきてください!」

 

「えぇ... Please arrive and go to the den.」

 

俺は全速力で道を引き返した。

 

 

 

 

巣穴に到着したのは20分後の事だった。

巣穴のすぐ側に木を切り開き、簡易的な平原を整えた後、救難信号用の真っ赤なスモークを焚いた。すぐさま駆けつけたヘリコプターが平原に着陸すると、中から大量の医療器具を携えた軍医や看護師、それにカローラも降りてきた。

 

『花神教授、状況は?』

 

『笹壁さんの話によると、右上腕部分に銃創が認められました。外出血量は少量、ただ...笹壁さんが遭遇したときから銃創が見られていたことから撃たれてかなり時間が経過しているかもしれない。銃弾は抜けておらず、未だ体内に残っている、衰弱した様子はないものの、危篤な状態に変わりはありません』

 

『分かりました。直ぐに銃弾の摘出を図ります』

 

大型のライトが巣穴を照らす。俺と花神教授が先陣を切って中に入った。

洞窟の中央に鎮座するボス猿の腕は赤く染っているものの、血溜まりは出来ておらず、幸いにも主要な血管を貫いてはいないようだった。

 

『..血液型が分からない限り輸血は出来ません。最悪の場合に備え、ここにいる個体から輸血用の血液を採取しつつ、弾丸を摘出しましょう』

 

『分かりました...準備を終え次第早急に手術を始めます』

 

洞窟内という特殊な立地ではあるものの、ものの数分で大規模な手術設備が構築されていく。他のギガントピテクスたちはそんな様子を物珍しそうに眺めていた。

 

「大丈夫だからな...オマエたちのボスはきっと治る」

 

「...」

 

言葉を理解したように小さく頷く一匹の傍らで、俺は手術の様子を見守った。

 

 

 

簡潔に言おう。

手術は成功した。弾丸による右上腕部における筋組織の裂傷は確認されたものの、銃弾の熱により組織が熱凝固したため、空気漏れは認められず裂傷部分の感染リスクもかなり低かったという。

撃たれたのがライフル弾だから良かったものの、散弾であれば出血量はもっと酷かったという。弾丸は分厚い筋組織に阻まれ骨に辿りつくこともなく比較的、上皮に近い部分で止まっていた、どちらかと言えば弾丸が撃ち込まれたのではなく、すこしだけ深く食い込んだという状況に近いらしい。

 

銃を撃たれてこんな平然としているのは、分厚い筋肉と体毛がクッションになったからだと言う。また、撃ち込まれたライフル弾が比較的低威力であることも起因しているのだとか。密猟者が使っている銃器が粗悪品で型が古いことが幸いした。

 

術後は経過観察のため、巣穴近くに緊急の拠点が設営された。心電図の異常があればすぐさま医療スタッフが駆けつけるようになっている。また、巣穴付近の警備が信じられないほど厳重になった。それこそ、日本の首相官邸なんか目じゃないほどに。

 

半径1キロをぐるりと囲むように土嚢が積まれ、簡易的な見張り台が設置された他、大量の監視カメラや重機関銃が置かれた。巣穴に入るのにも、特別に誂えた関係者用の証明書を提示する必要がある他、密猟者の一斉捜索が公園内で実施された。

 

 

ギガントピテクスの厳重な保護は超順調かつスピーディーに行われ、比例するように公に発表するのも早かった。インドのネロー首相は、今回発見された9匹のギガントピテクスは我々の国の宝であると豪語し、今後も継続的な保護を行っていくことを発表した。

 

国民が多ければそれだけ盛り上がりも大きくなり。

インド国内はギガントピテクス一色に染まりつつあった。SNSのトレンドは1週間連続1位を維持し続け、ギガントピテクスの歴史や生態について取り上げた番組に関しては視聴率30%を上回った。これは実質インド国内で4億1400万人が同じ番組を見ていたことになる。

 

さらに、ギガントピテクスのグッズ、キャラクターが作られた他、映画の制作を大手ボリウッド映画会社が発表した。経済効果は計り知れず、ギガントピテクス保護の発表をしてからインド国内の株価は全体的に右肩上がり。

インド国内は未曾有のギガントピテクス大フィーバーに沸いたのである。

 

そんな中、ネロー首相が会見の最中(さなか)で放った一言が、全世界に大きな影響を及ぼした。会見の一部を抜粋する。

 

『今回、我が国で発見されたギガントピテクスですが。最初に発見したのが日本から招聘しました、ササカベ リョウゴ氏であります。彼は日本国内でニホンオオカミやニホンカワウソを発見した他、オランダではドードー発見の功績に多大なる寄与をしております...』

 

絶滅種を四種も発見している謎の日本人。

その名は俺の知らぬところで瞬く間に広まりつつあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




誤字脱字については後々修正する予定。ただ、気付かない点等々ありますので報告して頂けると、ものすごく有難いです。


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帰国したその日に

帰国したのはギガントピテクス発見から10日後のことだった。ボス猿の容態は安定し、今では一日約60キロの餌を余すことなく平らげているという。保護後、彼らの食生活はかなり変化したようで、それまで草木を食べてきた彼らにとってバナナやリンゴといった果物類は、それはそれは魅惑の食べ物と化していたらしい。特に味を気に入ったのはグワバやマンゴーといったトロピカルフルーツで、間食として出されるフルーツの盛り合わせは既に彼らの大好物だという。

 

夏になったら日本のスイカでも送ってあげようかと、花神教授と話し合っているところだ。

 

ギガントピテクスといえば、今まで主食が竹や笹とされており、雑食の可能性が高いと推察されたのはつい最近の出来事だという。彼らが絶滅した理由は、かの上野動物園の人気者、ジャイアントパンダに笹を巡って淘汰されたという面白い理由で、ここインドで生き残ったわずか9体は、笹ではなく木々を主食とすることを選んだが故に、今日まで繁栄をし続けられたと花神教授は考察していた。

 

個体数が少ないのも、繁殖より食料の確保に重きを置いた生態系を形成していた可能性が大きく起因していると思われる。子供を産むペースは必要最低限であり、食料である植物を枯らさないように木々を転々と捕食しているその様は、かつて食糧危機に喘ぎ絶滅寸前まで追い込まれた彼らの過去が強く影響しているように思えた。

 

史実より体が大きいのも、太い広葉樹をへし折るために力をつける必要があったのと、サイや象が生息する地域で生き残る上で、彼らとの闘争に負けないように進化の過程で強さを選んだからという考えが定説になりつつある。

 

検査してみたところ、たとえ通常のオランウータンサイズに縮尺したとしても、その筋肉量はゴリラを上回り、子供の個体でも自然界で十分に通用する強さを持っているらしい。ただ、性格は極めて温厚で、比較的人間になつきやすい傾向がある。

 

なにより一番世間を賑わせたことは、彼らが恐らく地球上で二番目に頭の良い生物になりうるという点だ。一番目が人間だとしたら、二番目がギガントピテクスということになる。体の大きさに合わせて脳も肥大化し、物事を考える能力が他の霊長類に比べ格段に高く、教え込めば、道具の使い方や手話、簡単な料理すらも容易に会得できるポテンシャルを秘めているという。

 

森の賢者とはまさにこの事。強さと頭脳を両方兼ね備えた自然界の天才動物こそがギガントピテクスである。このスペックで凶暴性が極わずかであったことが今回の調査における何よりの救いであった。

でなければ、動物パニック映画さながらの展開になっていたかもしれない。

リアルキングコングは御免被りたい。

 

 

 

 

 

調査を終え、帰国した俺を待っていたのは眩いフラッシュの嵐だった。

よくオリンピック選手や海外スターが帰国、来日した際に、マスコミが焚きすぎだろってレベルでフラッシュをチカチカとさせている映像が、午後のワイドショーなんかで流れているが、まさか自分がその当事者になるとは思わなかった。

 

出国する時はそれらしき人間すらいる気配がなかったのに、今では至る所に記者が列を生している。花神教授ですら何が何だか分かっていなかった。柵越しに手を振る大勢の人々が我々の名前を叫んでいる。

中には俺の事を『笹壁博士』なんて呼んでいる人もいるが、俺は博士号を取った覚えはないし、『みんなもポケモンゲットじゃぞ』と言った覚えもない。

 

どういう経緯で、【元会社員 笹壁亮吾さん 28歳 男性】から【笹壁亮吾 博士】に変わったのか、皆目見当もつかない。フラッシュを浴びながら困惑の表情全開で歩みを進める。テレビのアナウンサーと思わしき人から何か質問が飛んできているが、周りが騒がしすぎて何言ってるのか全然分からない。

 

とりあえず会釈だけしておいた。

キャリーケースを転がしながら移動していると、スーツを着た大人数十名が我々を出迎えた。その中には我が家の裏山を警備してくれている春島さんもおり、いよいよ只事じゃなくなってきた。

 

「初めまして私、内閣府特別機関 絶滅危惧種及び絶滅動物保護管理研究総合統括事務局局長の錦戸 智洋(にしきど ともひろ)と申します」

 

「同じく副局長の鈴木 光一(すずき こういち)と申します。お疲れの中大変申し訳ありません、このようなお出迎えになってしまうとは」

 

「いえ、あの...それよりこの事態は一体、何事(なにごと)ですか」

 

噛んでしまいそうな肩書きの錦戸さんが、事のあらましを噛み砕いて説明しだした。

 

 

数日前、インドのネロー首相が(おこな)ったギガントピテクス発見及び保護に関する記者会見において、日本の笹壁 亮吾氏が多大な貢献をしたと発言したことを皮切りに、世界各国ではミスターササカベの名が波紋の如く急速に知れ渡った。

 

その影響を当然、笹壁の母国である日本国が受けないはずもなく、経歴にして4種目の絶滅種発見の功績を各所メディアが讃えた。それまで、テレビで取り上げられる絶滅種の話題といえば、動物主体のテーマが大半を占めていたが、今回の大発見の影響で、世の中の興味は絶滅動物から笹壁 亮吾にシフトチェンジすることになった。

 

国民栄誉賞を与えるべきだとか、ノーベル賞を受賞するべき功績である...とか、とにかくメディアが持ち上げまくった影響で俺は今、話題の人になりつつあるらしい。マスコミもこぞって翌日の一面記事を彩るために、わざわざでかいカメラ担いで俺を撮りに来たのだという。

 

俺を新聞の一面記事にするなんて世も末である。こちとらただの一般人だぞ。

 

俺の写真が揚げ物の油切りに使われる未来は確定したところで、錦戸さんに言われるがままに車に乗り込んだ我々は、そのままホテルオークラに向かうこととなった。

 

チェックインを済ませ矢継ぎ早に向かった先は中央合同庁舎8号館と呼ばれる、内閣官房が入った大きな建物だった。普段なら立ち入ることすらない異様な雰囲気に怯えつつ、あたりを見回しながら館内を進むと、会議室と書かれた扉の真横に『内閣特別機関 絶滅危惧種及び絶滅動物保護管理研究総合統括事務局』と長ったらしく書かれた紙がデカデカと貼られた部屋に辿り着いた。

 

扉を開け、中に入るとそこにはオフィスと見間違うほどの大量のデスクが置かれた空間が広がっていた。

鳴り止まない電話、忙しなく動く人々。めちゃくちゃちゃんと仕事をしている場所に来てしまった。

 

部屋の中心に置かれた円卓には、大量の書類と多くの人間がまるで何かを話し合うように密集しており、そのいずれも雰囲気的に官僚でなく外部の有識者であることは察しがついた。それどころか、有識者会議や上野動物園の動物医療センターで見たことのある顔ぶれがちらほらいる。

 

名前からして絶滅種や絶滅危惧種を保護するために設置された事務局であることは予想していたものの、ここまで規模が大きいとは思いもしなかった。職員との挨拶も早々に錦戸さんは、今回我々が招かれたこの場所に関する詳細を述べ始めた。

 

「ここは入り口に張り紙もありました通り、内閣府特別機関 絶滅危惧種及び絶滅動物保護管理研究総合統括事務局と呼ばれる場所です、出来立てほやほや、まだ正式な本部すら準備中の段階です。本部はおそらくこの建物内の別の部屋になるか、違う建物になるか…まあ場所が変わるのは必然的かと思われます。新設された部署にしては人員はそれなりに居り、私を含め総勢70人はいます。今後の状況に応じて人員の増強が図られるようです」

 

「実はこの部署は最近行われた有識者会議を機に設置されまして、一応管轄としては環境省と外務省が合同で構築している複合的な組織になります。今回、笹壁さんと花神さんをお迎えしました理由は、有識者として特別顧問という形でご協力を要請するかもしれないから...というか、するんですよ。」

 

「はぁ…なるほど」

 

「それに先立って本日、お二人をこうして本部にお誘いしたわけです。ご連絡が遅れたのは、笹壁さん達がインドに行っている間にこの部署が設立されたからでして…いずれにせよ連絡が遅れたこと、また唐突な案内になってしまい大変申し訳ありません」

 

「あ、いえ...それで、この部署は具体的に何を?まぁ、事務局の名前で大体は察することができますけど...一応詳細は聞いておきたいです」

 

「えぇ...では笹壁さん達が直接関わる上で絡んでくる事柄と、主な活動方針について部屋を紹介しながら説明します。ささ、こちらへ」

 

錦戸さんの説明によって分かったことは大まかに分類すると3つ。

国外の場合は外務省伝で要請があり次第対応する予定で、今回のインド ギガントピテクス捜索調査がそれに該当するという。

 

なぜ日本の部署なのに国外を担当するのかと問うてみたところ、幸か不幸か偶然にも今までの絶滅動物再発見は、全て日本人である笹壁 亮吾こと俺が深く関わっており、今後この部署に顧問として雇われることから、笹壁 亮吾への絶滅動物調査要請はこの部署を通して行った方が円滑に進むからだという。

 

つまるところ、笹壁 亮吾への調査要請は外務省を通してから行ってください。というわけだ。随分と大層な扱いを受けている気がするが、肩身が狭い。

 

2つ目は『レッドリストの策定及び管理』だ。

レッドリストとは、簡単に言えば絶滅危惧種が一覧でわかる資料である。どの生物が絶滅危惧種としてどのレベルに位置づけられるかというのを分かりやすく示したもので、今までは環境省が行っていたが、今回この部署が設置されたことで一手にその仕事を請け負うことになったのだとか。基本的に人員70名の大半はこの仕事を担っており、全国各地の有識者や地方自治体と協力体制を敷きながら作成するという。

 

そして3つ目。これは我々にも深く関係する事柄で『絶滅動物の調査及びそれに準ずる検査、捜索等々における諸々の申請を円滑に進める』という、分かりやすく言えば、絶滅動物調査する時に必要な面倒臭い過程を全てすっ飛ばすことができるという内容だ。国外を調査するときに必要な入国審査や、調査保護をする時に必要な報告や申請を、我々でなくこの部署が全て担ってくれるという訳だ。当然国外へ行く時は緑色のパスポート...公務として向かうための特別なパスポートを利用することが出来る。超ありがたい。

 

何せインドの入国審査ではかなり時間がかかった上に、ギガントピテクスを発見した際の、様々な申請で四苦八苦していた。政府への報告から確認までめちゃくちゃ時間がかかった記憶がある。正直いって発見から帰国までの10日間はこの面倒臭い過程のせいで生まれたと言っても過言ではない。それだけ、絶滅動物の発見というのは国が絡むほどの重要事項なのである。

 

「なお調査に向かう際にはこちらの部署から所謂護衛官をつける予定です。国外でのトラブルがあった際に笹壁さんらを守ることの出来る人員を一人...あと、外務省から通訳兼秘書官も同行する予定です。いま、こちらにいるのでご紹介します...桃谷さーん」

 

「あ、はーいっ...」

 

名前を呼ばれ走ってきたのは小柄な女性だった。

 

「こちら、桃谷 千歌(ももたに ちか)さんです。」

 

「おっ...桃谷さんじゃないですか。久しぶりですね、花神です...覚えていますか?」

 

「あ!はい。大学時代はお世話になりました。」

 

「お知り合い...ですか?」

 

「えぇ、実は私のゼミに来ていた子でして。外国語学部にも所属していたので語学も堪能で...生物学にも精通している、すごい生徒でしたよ。あまりにも幅広く勉強していたので我々講師陣にも印象が強い子なんです。東大ではオールラウンダーの天才君子として半ば伝説でしたな」

 

「そこまで褒められると...恥ずかしいですって...」

 

東大出身で色んな勉学に精通している頭脳明晰人間。それでいて容姿端麗。

 

 

住む世界が違う人だ。

 

 

「どんな研究を?」

 

「藻です...主にマリモを」

 

「なるほど、北海道の丸いヤツですね」

 

「そうです、可愛いですよね」

 

そう言いながら彼女が取り出したスマホには、いつぞや流行った『まりもっこり』のケースが付けられていた。

 

「えーと、桃谷さんの紹介に戻っても...?」

 

「え、あぁ...すいません。どうぞ」

 

「花神さんは既に面識があるようですので...少し噛み砕いて紹介しますと。彼女は英語 中国語 ロシア語 スペイン語に堪能な外務省の官僚でして、今回この部署が設立されたことを皮切りに御二方の秘書官として迎え入れることになりました。今後の国外調査は彼女も同行する予定なのでよろしくお願いします」

 

「初めまして、桃谷 千歌です。よろしくお願いします」

 

「あ、よろしくお願いします」

 

 

奇跡の出会いと言うべきか...

 

 

 

 

 

 

 

 

なにせこの女性が将来の伴侶となるとは、この時ばかりは思ってもなかったのである。

 

 




誤字脱字等の修正については後々行う予定です。報告も大歓迎です。むしろありがたいです。


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Last Christmas

翌朝、ホテルのドアを誰かがノックしたので何事かとドアスコープを覗いてみると、そこにはリクルートスーツのような硬派な服に身を包んだ桃谷さんがちょこんと立っていた。急いで寝癖を洗面台で直し、最低限身なりを整えた上で、ようやく扉を開けた、この間わずか30秒、マイペースな自分としては頑張った方だ。

 

「おはようございます」

 

「お、おはようございます」

 

「朝刊、要りますか?」

 

「あ、もらいます」

 

俺と花神教授の姿がデカデカと掲載された新聞を受け取る。

 

「今日の予定を簡単に……まず、朝10時から首相官邸にて表敬訪問があります」

 

「……はい」

 

「その後に、簡単な記者会見……といっても、2、3分で終わる囲み取材程度です。答える内容はあらかじめこちらから指示しますので、それに沿って応答していただけると幸いです。」

 

「具体的には……」

 

「国際問題になりうる事柄や宗教、右翼左翼どちらかに偏った思想を連想させる発言は控えることと、絶滅動物などに関すること以外の関係のない質問には答えないでください」

 

「わかりました……」

 

「暗記するようなめんどくさい作業はないので、安心してくださいね」

 

「はい」

 

「服装に関しましては、こちらで用意した複数の中からお選びください。朝食後、部屋に運んでおきますので、9時15分前後までには諸々の用事は済ませておいてください」

 

失礼しますと去っていった彼女を見て肩の力が抜ける。

早朝に女性に突然訪問されるのは心臓に悪い。

 

 

 

朝食は花神教授と桃谷さんの三人で食べた。ホテル内にある和食屋で朝の定食を存分に堪能させてもらった。他の利用客に顔を見られるたびに「笹壁博士だ」と小声で囁かれ、『おい、笹壁!』的な指名手配でもされている気分になった。

鯖の塩焼きを平らげ、部屋に戻るとラックにかけられた大量のスーツがドンと置かれていた。全11着、その中から一つを選ぶなんてファッションに疎い自分にとっては、無理難題にも程がある。

 

と思いきや、ほとんどのスーツが同じようなシックな色合いで、唯一変わっている点といえば、わかりにくい柄のみだったので心配は杞憂に終わった。選んだのは少し明るめの紺色が印象的なシンプルなスーツ。ネクタイも暗めの赤色。シンプルイズベスト、である。

 

着替えを終え、髪を整えたら、荷物を持ってロビーに向かった。合流した花神教授の服装もシンプルなもので、奇抜な服装をしている人間は誰もいなかった。エントランスに横付けされた車に乗り込み首相官邸に向かう。天気はあいにくの曇り、12月中旬に差し掛かりつつあるこの時期に、太陽が出ていないのは少し辛い……と、東北育ちの自分が言うくらいには結構寒い。

 

ものすごい数の警察官が強固に守る入り口から車は入り、無事首相官邸に到着した。ここに来るのは二度目になるがいまだに慣れることはない。たくさんのフラッシュを浴びながら近代的な建物の中に入る。控室に案内され待つこと30分、桃谷さんに呼ばれ会談するための部屋に入った。その部屋にもびっしりと記者がおり、少し動いただけでもシャッターを切られるので、なかなか落ち着かなかった。

 

それから10分後、内閣総理大臣が現れた。

 

 

 

話したことは、特に当たり障りのない質問や激励の言葉ばかりだった。ギガントピテクスは大きかったかと聞かれた時は、大きかったですと答えただけで特に深掘りされるわけでもなかった。特段、思案に浸るような質問は無かったため緊張は後半になるにつれて薄れていった。

 

表敬訪問が終わり、記者たちからの囲み取材も行われたが、普段政治を専門としている記者ばかりのため、質問の内容は専門的なものでなく、一般的なものにとどまった。まだドードーを見つけたときの友人、田中の方がいい質問をしてた気がする。それでも囲み取材の時間がオーバーするわけでもなく時間通りに終わったため、結果として良かったと言えよう。

 

一体、首相官邸に向かう前の緊張はなんだったのかと問いたいほど、あっという間に表敬訪問は終わった。ホテルに帰っている途中、隣に座っている桃谷さんが電話に出たと思ったら衝撃の事柄を伝えてきた。

 

「笹壁さん、テレビに出られますか?」

 

「はい?」

 

「今、NHKから連絡があって。笹壁さんを是非今年の紅白のゲストに迎えたいと。審査員は既に決定しているので、特別ゲストって感じですかね……」

 

「紅白……ですか?」

 

「はい。12月31日にご予定は?」

 

「あ、いや……無いです。てか紅白...ですか?」

 

「そうです、紅白です。花神教授もご一緒です」

 

「……なるほど。紅白……ですか……」

 

あまりにも唐突すぎて2回も聞き直してしまった。

 

「どうされます?」

 

「考えておきます……」

 

「12月20日までにお返事願います」

 

「はい……」

 

「あと、内閣総理大臣顕彰授与式、インド大使館表敬訪問、オランダ大使館表敬訪問等の予定もありますので、今日はホテルで静養してください。テレビの取材や、顧問として事務局での会議出席なんかもありますから」

 

多忙すぎて、早く山形に帰りたい。

 

 

 

 

結局、少しでも休みたい気持ちから紅白に出ることを見送った後、多忙な予定を次々と消化し12月も終わりを迎えつつあった。イルミネーションで彩られた街中はすっかりクリスマスムード一色になり、ラッピングされた大きなおもちゃを片手に帰宅するサラリーマンもチラホラ見受けられた。

 

我が家のクリスマスの思い出といえば、食卓に並ぶのはケンタッキーや七面鳥でなく、専らカモや雉などの野生生物に限られた。わざわざ隣町の百貨店に行って、クリスマスのチキンを予約することも無いため、父は張り切って狩りに出かけた。

 

不作の年は、近所の米農家からカモを譲って貰うため、脂身の美味い肉をつまみながら、酒を飲んでしょぼくれている父が時たま現れることになる。病気で父の後を追うように早く死んだ母の作るケーキは、素朴ながらもかなり美味しかった思い出がある。村で取れる栗をふんだんに使用した、栗の味が濃すぎるモンブランは俺の大好物になりつつあった。

 

母の残したレシピは今でも家の戸棚に入っているので、通常の2倍栗を入れる濃厚モンブランを作ることは今でも可能である。今度帰ったら久方ぶりに作ってみようか……。

 

ホテルの部屋に籠り、ニホンオオカミの動向について記された書類を読んでいると、扉がノックされた。桃谷さんだろうかと思いながら扉を開けるとそこには花神教授が立っていた。

 

「こんばんは」

 

「こんばんは……どうしたんですか」

 

「少しいいですか」

 

「嗚呼、はい……コーヒー淹れますね」

 

「いやいや、いいんだ。立ち話程度で終わりますから」

 

そう言うと、教授は神妙な面持ちで話し始めた。

 

「実はしばらく諸事情で実家に帰ることになったんです。いわゆる法事ってやつで」

 

「それは……ご冥福をお祈りします」

 

「すいません……で、その間、桃谷さんをどうかお願いできませんか」

 

「おねがい?」

 

「えぇ……実はクリスマスに私とそして妻と、桃谷さんとですこし予定を入れてたんですよ。笹壁さんも誘おうと思ってたんですけど……如何せん兄がぽっくり逝ってしまいまして……だから、妻と一緒に実家に帰るので計画はおじゃんに……」

 

「なるほど」

 

「桃谷さん、楽しみにしてたんですよ……」

 

「用事の埋め合わせをしてくれ……ってことですか。それ俺でいいんですか」

 

「そりゃもちろん……あ、これは言わない方が良かったかも……忘れてください」

 

「……あやしい」

 

焦って訂正した教授に若干目を細める。

 

「とにかく……彼女をお願いします。お金はこちらで払いますから」

 

「いや、いいんですよ全然。ちょうどクリスマスイブに孤独死しそうだったので、桃谷さんと過ごせるなんて逆にラッキーですよ」

 

「それは良かった……えぇと、年明けまで会うことはないのでこれでしばしのお別れですね……良いお年を」

 

「良いお年を」

 

 

今日は12月23日。明日はクリスマス・イブだ。

俺はスマホでWham!の『Last Christmas』を流した。この曲、失恋の曲らしいけど、聴いてる限り華やかなクリスマスソングにしか聞こえない。英語の意味が分かる桃谷さんと俺では、この曲に対する捉え方が違うのかもしれない、なら他にもそういう曲があるんじゃないか……? とどうでもいいことを思案してしまう、『おい、笹壁!』こと俺であった。

 

 

 



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上野

午後。

白く染まった息が雑多な上野の喧騒にかき消された。イルミネーションに彩られた駅前で、ポケットの中のホッカイロの温もりをかすかに感じながら、沈みかけている夕日をビルの窓から反射した建物の影を通してひたすらに観察していた。

 

待ち合わせ、というのが元来苦手である。

他人を待つことに対して嫌悪感を抱いているというわけでもないが、待っている間の独特の緊張感が漠然と嫌いだ。

 

果たして、時間通りにやってくるのか、それどころかこの場に現れるのか。要らぬ不安が胸中で蓄積し、さらには相乗して、歯医者の待合室で感じるものよりも濃密な緊張感をじわじわと感じさせる。

 

その不安が霧散したのは、わずか2分後のことだった。

初めはわからなかった。普段自分が見ている彼女の雰囲気とはあまりにも違いすぎて、同一人物であると確信するに至るまで、数十秒時間がかかった。

 

「お疲れ様です」

 

「あ、お疲れさまです…桃谷さん…ですよね?」

 

「はい」

 

「いや…だいぶ雰囲気が違いますね」

 

「いつもはお堅い格好をしてますけど…普段はピアスも結構しますし」

 

「なんていうか、ロックというか…」

 

待ち合わせにやってきた桃谷さんは、エレクトリックライトオーケストラのバンドTシャツに革ジャンを羽織った、かなり弾けた服装を身に纏っていた。

 

「高校、大学時代にバンドをやってまして…」

 

「楽器は何を…?」

 

「…ドラムです。本当は上京してその道で生きて行こうかと思ってたんですけど…将来的に安定した仕事を選びまして…」

 

「…なるほど」

 

ギャップの強さはある種その人のステータスに直結してくると思う、ギャップ萌えという言葉があるのもそのせいだ。普段とは違う面を見せることでたちまち、その人の好感度は爆上がりする。昔からある、モテる人間の典型と言えよう。

冴えない男子がいきなり超絶技巧を要するピアノの楽曲を弾き始めたら、誰だってびっくりはするし比例するようにその人に対する興味も湧いてくるものだろう。

 

この人のことをもっと知りたいと思わせることは、好きにさせたことと同義なのだ。

 

だから、

 

今目の前にいるこの桃谷 千歌という女性は、強烈とも言えるほどの興味を俺に抱かせた。

 

「とりあえず、美術館にでも行きますか?」

 

「そう…ですね」

 

我々は上野の森美術館に向かって歩みを進めた。

 

 

 

「マニエリスム展…」

 

「1500年代に最盛を見せた、ルネサンス後期の美術を総称して言うらしいですよ。人体をいかにして美しく描くか、という流れがあったらしいです。彫刻家であり画家の、ミケランジェロが無双してた時代ですね」

 

「へぇ…よく知ってますね」

 

「…調べただけです」

 

館内に入ると、係員にパンフレットを渡された。

 

「ミケランジェロのクレオパトラ像…ゴリアテ像、すごいですね、目玉になりそうな展示物が二つも」

 

「どっちも同じ時代に作られたことと、同じ場所、エスパニョラ島から出土したのでニコイチみたいな扱いなんですよ」

 

「二つ揃えば集客数も倍になりそう…」

 

「実際、かなり人気みたいですよ、マニエリスム展」

 

芸術のことは右も左も分からないが、そんな自分でもミケランジェロの彫刻には衝撃を受けた。人間の肉体美を細部まで再現した巨大な彫刻。思っていたよりもかなりデカく、ゴリアテ像に至っては、天井に軽々と届きそうなくらい大きかった。

 

「なんか、見れて良かった気がします。」

 

「普段は大英博物館に飾られているらしいですから、日本に来ること自体かなり貴重なんですって。この展覧会を担当してる文部省の友達が言ってました」

 

「まぁ、あのミケランジェロですからね」

 

人間、思わぬ形で価値観を変えるほどの出会いが訪れる。今日の衝撃はまさしくそれに近いものがあった。

 

「...次は確か上野動物園でしたっけ」

 

「え、えぇ」

 

「すぐそこでしたよね」

 

「歩いて5分もかからないと思います」

 

道路を挟んだ向こう側。

クリスマスイブということもあってか子供連れの家族層がチラホラと見受けられる。

 

確か、正門から入るのは初めてだったか。

 

パンダが刻印されたチケットを係員に見せ、園内に入ると、動物の鳴き声が微かに聞こえてきた。入口付近に設置された鳥小屋にはフクロウからキジまで、ありとあらゆる鳥類が展示されていた。

 

「...なんかあれ思い出しますね。ヒッチコック」

 

「鳥...でしたっけ?簡潔なタイトルですよね」

 

「...てか、なんかみんな俺たちの方見てくるんですけど」

 

「鳥に好かれるフェロモンでも出してるんじゃないですか?」

 

動く度に鳥がこちらに顔を向けてくるので異様に怖い。フクロウに至っては、首をグリンと回して凝視してくる。

 

「次は猿ですね」

 

「猿...直近でデカいのと会ってきたんで、親近感が湧きます」

 

「やっぱり怖かったですか?」

 

「怖いって言うよりもなんか...すげぇ...ってなりましたね。やっぱりデカい生物を間近に見ると、恐怖心もありますけど生命の神秘を感じますよ」

 

「私も会ってみたいです」

 

「息できなくなりますから、目の前に立つと」

 

エリアに入ると、先程までグッダリとしていた猿たちが一斉に起き上がって雄叫びを上げ始めた。

 

「ギガントピテクスの匂いでもついてたんですかね、なんかみんな興奮してる...」

 

「まぁ、ギガントピテクスは最近、世界中のマスコミでKing of monkey(猿の王)って言われてますから...匂いだけで反応するのも有りうるかも...」

 

「でも帰国して10日以上は経ちますよ」

 

「猿にしか知覚できない匂いがあるんじゃないですか」

 

「マタタビみたいな」

 

猿版のチュールにでもなった気分だ。

 

「あ、虎だ」

 

「虎ですね...来年の干支」

 

『トラの森』と名付けられたエリアには、スマトラトラという、インドネシアはスマトラ島に生息する虎が展示されているらしい。お座敷遊びのような名前がついたこの虎は、虎の中でも最小だという。ちなみに最大の虎はアムールトラでロシアのシベリアに生息しているのだとか。

 

以前、花神教授からニホンオオカミの考察を聞いた際に耳にした、ベルクマンの法則が如実に現れている。暖かい地域にいるスマトラトラは小さく、寒い地域にいるアムールトラはデカい。

 

これなら、インドで出会ったロシアの生物学者、ゴルジェイさんの立端がデカいのも理屈が通るだろう。

 

ガラス越しに広がる鬱蒼としたジャングル。この中に虎が飼育されているらしい。深い緑と、日の沈みかけた夕方故か、視認するのはなかなか難しかった。もしかしたら既に展示される時間は終わったのかもしれない。

 

と思っていたら。

 

眼前に虎の顔が迫っていた。

 

周りで観ていた利用客が一様に驚きの声を上げる。

素早いスピードで、いきなり窓に飛びついてきたのだ。しかも俺に向かって。

 

「窓無かったら食われてた...」

 

「...お腹すいてたんですかね」

 

この場にいることが気まずくなったので、とっとと先に進むことにした。

 

 

 

桃谷 千歌の独白。

 

 

 

12月24日の予定は空白になりつつあった。

本来予定していたクリスマス会が諸事情によりまっさらに消え、今年も例年と変わらず官舎で孤独なクリスマスイブを過ごすかと思いきや、笹壁さんからお誘いがあるとは思わなかった。

 

待ち合わせ場所は上野。

 

大学時代に博物館によく入り浸っていた思い出がある。東京藝術大学の音大生と仲良くなったり、アメ横の怪しい洋服屋さんで掘り出し物のバンドTシャツをゲットしたり、上京したての若かりし頃の思い出が沢山詰まった街だった。

 

 

駅前で笹壁さんと合流し、上野の森美術館を観覧したあと、上野動物園に向かった。

 

笹壁さんが入園するなり、園内の動物たちが興奮したように騒いでいたけど、動物に好かれるような匂いでも発しているのだろうか。人間の嗅覚では到底感じることの出来ない、特殊なフェロモンが分泌されているに違いない。

 

後で検査を打診してみよう。

 

虎に襲われつつ、到着したのは動物治療センターだった。上野動物園の左端にある動物のための病院。ここ最近ニュース番組でよく見た建物ということもあってか、お客さんが記念撮影をしていた。

 

建物に隔たれているけれど、ここには確かにニホンオオカミとニホンカワウソがいる。隙間からその二匹の姿が見れないかと、窓を覗こうとしている人もいるみたいだけど、そう簡単な場所に保護はされていないだろう。

 

関係者以外立ち入り禁止と書かれた大きな鉄の扉を、笹壁さんは躊躇もなく開けた。困惑している私を他所に、彼はセキュリティのかかったロックを解除すると、さぁどうぞとばかりに私を迎え入れた。

 

「あ、あの...笹壁さん?」

 

「事前に連絡は入れてあるので大丈夫ですよ。桃谷さんは絶滅動物を担当する事務局の局員ですし、何より自分の秘書官ですから...誰も文句は言いません」

 

「...でも、入っていいんですか」

 

「もちろんです」

 

階段をのぼり、二階の奥にある部屋をノックすると慣れた職場のように彼は扉を開けた。

 

「笹壁なんですが...あの、今二人入れますか」

 

「面会ですか」

 

「えぇ」

 

「分かりました.....これ、保護観察面会証とマスク、手袋です。服は消毒を...やり方は?」

 

「分かります...あ、桃谷さんには自分から説明しておきますんで」

 

何が何だか分からない。

首から下げるような小さなカードと、医療用の手袋、マスクを受け取った我々は入念に手を洗い、所持品を全て預け、全身に消毒薬を噴霧した後、異質な空間に足を踏み入れた。

 

既に沈んでいるはずの太陽の光が差し込んだような暖かい空間、ガラス越しの向こう側には草木と小さな岩がぽつんと置かれている。清流のような綺麗な水が湧き出る水飲み場まであった。

 

その箱庭の中に、二匹はいた。

 

「ほ、ホンモノだ」

 

「桃谷さんにはこれを見せたくて...上野に誘ったのもニホンオオカミとニホンカワウソに会ってもらうためです」

 

「で、でも...いいんですか?」

 

「事前にアポも入れて許可も得てますから、大丈夫ですよ。桃谷さんも全くの部外者というわけじゃないですから」

 

「...ありがとうございます。あの、窓に触れても?」

 

「えぇ、大丈夫ですよ」

 

「じゃ、じゃあお言葉に甘えて」

 

私は窓に屈みながら近寄ると、手を優しくガラスに添えた。

オオカミは眠たそうにゴロンと転がっているけれど、カワウソは興味を示したようにちょこちょこと近寄ってきた。

 

首を傾げながら不思議そうに、ガラス越しの手に鼻を近づけた。

 

「か、かわぃぃぃ」

 

「2匹とも好奇心旺盛で人懐っこいんですよ」

 

「どうりで警戒心無く近づいてくるわけですね」

 

「まぁ、二匹とも人間が来たら餌を貰えるもんだとばっかりに思ってるので、自然と寄ってくるんですよ」

 

「なるほど」

 

ガラスをぺろぺろと舐めるカワウソを、頬をほころばせながらひたすらに見つめる。このまま2、3時間はここで過ごせてしまいそうだ。

 

「前まではこの二匹と会うのに規制も結構厳しかったんですけど、今では深夜と早朝を除いて好きな時間に会いに来れるので、インドに行く前はほとんどの時間をここに費やしてましたよ」

 

「まぁ、永遠に見てられますからね。可愛い動物は」

 

(さわ)れたら1週間はここにいるんじゃないですか?桃谷さん」

 

「まぁ、その自信はあります。」

 

笹壁さんが屈みながらガラスに近づくと、先程まで眠っていたニホンオオカミがすっくと立ち上がり、しっぽを振りながら笹壁さんの元へ歩み寄った。

 

「このニホンオオカミも、ニホンカワウソも...みんなかつては日本中に分布してたっていうのが...信じられないけれど...こうして触れ合っていると何となく実感が湧くんですよね」

 

「...まぁ、そうですね。標本なんかよりも、生きてる個体を見た方が現実味はありますし」

 

「いずれ、繁殖に成功して。もっと個体数を増やすことが出来たらいいんですけど...如何せん難しいらしく...」

 

「...笹壁さんは、今回のインドの件のように...また海外から要請があったら迷わず行きますか?」

 

「...行かざるを得ない...と思ってます」

 

「...なるほど」

 

「腕に傷を負ってたんですよ?ボス猿が...もしかしたらまだ発見されてないだけで密猟者の危機に遭う絶滅動物もいるかもしれませんし...なにより、二度と同じ過ちを繰り返さないためにも、迅速な保護は急務ですし」

 

「その過ちって...」

 

「まぁ、人間のことですよね...」

 

 

その時。何も、笹壁さんがその過ちの清算を全て背負うことは無いのに...と思ってしまった自分が少し悔しかった。人間は常に誰かに責任をなすり付けあって生活している、自己責任を取ろうと言う真人間でも、些細な罪は誰かと共有したがる癖がある。

 

彼は、人類の犯した罪だけでなく...自然の摂理という名の、茫漠とした概念が生み出した生物絶滅の過ちを、なんとなくだけど一人で背負おうとしている気がして...そんな彼に要らぬ逃げ道を作ろうとしていた自分は、完全に彼の覚悟を蔑ろにしていた。

 

帰宅して、クリスマスになる深夜0時に至るまで、ずっと悶々としていた自身の胸中を、一生彼について行くという覚悟で拭ったのは、彼の動物に対する愛情を真に受け、人生における価値観が変化したからかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 




誤字脱字については後々修正していく予定です。






前回のあとがきを完全に砂塵の如く抹消しました。
まぁ、既に見られた方には意味は無いかもしれませんが...。新ヒロインに対する焦りからの設定の開示は得策じゃなかったですね...。

それにしても意外なのはカローラが案外人気だったと言うことで...これからの話で桃谷さんの魅力を存分に出していければなと思っております。
いずれは桃谷しか勝たんと言っていだけるような、キャラクターに仕上げていきますので今後ともご愛読の程よろしくお願い申し上げます。


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ドードーと笹壁

諸事情によりロシア編は少し見送るのと、私生活の忙しさから更新する機会がなかったことをここで謝罪します。今後、定期的には無理ですが、できるだけ更新していく予定です。


元旦、オランダでは世界を巻き込む一大ニュースが発表された。

 

開園から183年、アムステルダムの中心に位置するオランダ屈指の動物園。アリティス動物園にて、期間限定約2週間の短期間ではあるものの、ドードーの展示が行われることが発表された。

 

観覧は抽選で、一日限定100組の超難関。世界中のセレブがあらゆるコネを使ってその権利を勝ち取ろうとしていたが、オランダ政府は権利を売買する行為や、競売にかける行為は禁止事項とし、平等な抽選を行った。

 

オランダ国民の大半が抽選に申し込んだ他、北アメリカからアフリカまで、インターネットの繋がる国の全てから少なくとも、それぞれ1万人以上の応募があり、国内の巨大サーバーがフル稼働状態だった。

 

抽選の中には幸運にも日本人が2名居り、そのうちの一人が偶然、テレビでよく見かける大物芸人だったことは連日ニュースで取り上げられるほどだった。

 

超高倍率の抽選のさなか、幸運にもドードーを発見した張本人として、オランダ政府に招待された俺は、日本政府からも背中を押され日本を発った。

 

 

国賓待遇で迎えられた俺は、滞在初日に首相に挨拶しに行き、翌日には国王に謁見することになった。桃谷さんや、外務省から派遣された外交官が傍らに居てくれたものの、英語の疎さに定評があった俺は終始愛想笑いをしながら頷くしか能がなかった。

 

 

オランダのドードー展示に伴い、世界各国の反応は多種多様で、既に絶滅動物の保護に成功している日本とインドでは、この動きに乗じて我々も展示を行うべきだという声が多数相次いだが、インドは乗り気で日本は完全に首を横に振っていた。

 

インド国内において、ギガントピテクスの人気はうなぎ登りで、ボリウッドの映画ではギガントピテクスを主題とした映画の版権を奪い合うほどの白熱さを見せていた。森の賢者を、猿の王として崇め奉り、ハヌマーンの再来と声を高々に上げる者も少なくはなかった。

 

これだけ国民の興味が高ければ当然国側も同様の姿勢を見せており、いずれは彼らの中から1~2匹を、国内の動物園に移送する考えを示している。それに伴った動物園の選考や、セキュリティの厳正化推進で計画は思うように進んでいないようだが、展示に関しては前向きな考えを見せているのが現状である。

 

対して日本は、かなり慎重に事を進めているせいか、そもそも展示するしないの領域に入っていなかった。

研究をするか否か、したとしてもどれほどリスクがあるのか、同種の追随的な発見はあるのか...様々な疑問を検証している段階の日本では、展示という選択肢は今のところ論外である。

 

国側も当然、絶滅した幻の生物二匹を見たいという気持ちは分かっているが、如何せん個体数がわずか一体のため、無闇矢鱈な真似は出来なかった。この方針については賛否両論様々な声があるが、今のところ世の中の意見は賛成が半数以上を占めており、これが内閣支持率にモロ影響していた。

 

さて、今のところ絶滅動物発見に至っていないとある先進国では異常なほどの焦りと、熱心な研究が行われていた。というのも、アメリカ合衆国では、何としてでも絶滅動物の発見をしてみせると、かの破天荒な大統領が宣言してしまったため、世界のリーダーとしてのプライドが国民を駆り立てている状態となっていた。

 

宣言したからには逃げ場がない...否、それ以前に他国に先を越されてどうする...と、超絶躍起になって現在進行形で捜索中である。ハーバード、MIT、さらにはGoogle等のIT企業、NASA、陸軍、海軍、空軍、海兵隊、宇宙軍、様々な分野に専門のチームが作られ、片っ端から研究が行われている。

 

一度、アメリカの西海岸沖にて巨大な魚影が発見されたというニュースもあったが、真相は分かっておらず、如何せん難航していた。

 

その他先進国は、それほど必死になって捜索しているアメリカを遠目で見ているのが現状であり、世界有数の組織や機関が躍起になっている様に若干引いていた。資本主義大国アメリカが無理なら我々も無理だろう...と思うのも無理からぬ話だ。

 

そしてアジア圏でも有数の経済力を誇るチャイナマネーこと中国は、何をとち狂ったか、莫大な予算をかけて我々は麒麟を見つけると発表した。

 

これに関しては、他国はノーリアクションを貫いた。唯一、日本のネット掲示板が愛のあるツッコミの嵐を送ったのが救いだろうか。

 

エイプリルフールは3ヶ月も先である。

 

今や、絶滅動物の個体別保護数1位の日本を羨望の眼差しで見る国も多く、外務省を通して日本国内の研究者に様々な依頼が届くのは日常茶飯事になっている。特に、既に世界的に名高いミスターササカベを招聘する声が多く、高い報酬を支払う約束もされている。

 

彼の身を案じて、日本政府は厳重な護衛をつけることとしているが、国外へ向かう際はそれに付随してその国の精鋭部隊が彼の周りを囲むことが常である。

 

 

というのも、近年不穏な存在が明らかになったことが要因している。笹壁がインドにてギガントピテクスの発見をし、日本に帰国した直後、アメリカのFBIが10大最重要指名手配犯に追加した人物と、インターポールが発表した国際指名手配犯が同一人物だったのである。

 

奇しくも同様の人物でありながら、それぞれの容疑は異なり、FBIはメキシコ アメリカ間における麻薬取引の最重要人物として、インターポールでは国際的な密猟組織の中枢人物として一人の男を指名手配した。

 

名は バルロ・エル・グアトロ。麻薬カルテル 『バサネラル・カルテル』の主要幹部にして、密猟組織 『No.91』のトップのうちの一人とされている。インドの密猟者を斡旋したのは彼とされており、近年問題になっている日本領海内における赤珊瑚の密猟にも関わっていることが分かっている。その厄介さは折り紙付きで、国の内部と繋がり、安易に手の出せない形で密猟を行うことから、他国の捜査を困難なものとしている。

 

主にメキシコや中国、ブラジルの一部の政治家と繋がりを持っており、民間軍事会社を裏から運営していることから、容易に手を出すことは出来ない。一度メキシコが潜入捜査官を送り込んだ際には、語るのもおぞましい結末を迎え捜査を中止したという。

 

アメリカは、いずれ発見するであろう絶滅動物保護の弊害になりうるとして、今現在彼の周りを徹底的に潰しているらしいが、確実にその身柄を確保できるのは目処として数年を要するという。

 

そんな男が笹壁に目をつけないはずがないとする見方も多く、笹壁の警護は厳重になっている。

 

 

さて、そんな当の本人はさしてこの状況を深刻に受け止めることもなく、一足先にドードーと再会して喜びを感じていた。日本と違って、消毒殺菌の後、ゴム手袋をしていればドードーと触れ合えることが出来ると聞いた笹壁は、遠慮なく展示ケースの中に入り、存分に触れ合った。

 

「元気だったか?」

 

「ドーッ!」

 

相変わらず笹壁に懐っこいところは変わっていないようで、嘴で甘噛みしながら胡座をかいた懐に潜り込んでくる様は、長年連れ添ったペットと飼い主のようだと、現地職員を驚愕させた。これほど擦り寄ってくることは餌を与えている担当の職員でさえ無いのだという。

 

一度、笹壁から特殊なフェロモンが出ていて、それが特定の動物に対するマタタビのような要素を発揮しているのではないかという疑念から、彼のDNA等をオランダが採取したこともあったが、未だ特定の何かが検出されてはいないとのこと。

 

となったら、神秘的な何かの力が働いているようにしか見えないが、本人の出自を辿ってみてもこれといった記録はなかった。

 

動物に、それも異様なほど好かれる体質(・・)である。としか現状、言いようがない。

 




誤字脱字ありましたら報告していただけると幸いです。


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イギリスからの依頼

唐突だが、ズグロモリモズという鳥を知っているだろうか。

 

ニューギニア島固有の鳥の名前で、その他5種を総称してピトフーイと呼ぶ。

大きさは街中でよく見かけるムクドリ程度で、重さは65gと、さほど大きくはない。南国特有の特徴的な色合い故に、日本の空を滑空していたらまず目立つに違いない。

 

ただこの鳥の特徴は色合いではなく、その特殊能力にある。

もしもアナタが、ニューギニア島でディスカバリーチャンネルが如く、裸一貫でサバイバルをすることになったら。

 

耐え難い飢え、ようやくありついた貴重なタンパク源がこのズグロモリモズだったとしよう。熱湯をかけて、羽をむしり、枝をさして、火を通し、まるで居酒屋の焼き鳥のように頬張る。

 

うまいうまいと咀嚼し、飲み込んだ結果どうなるか

 

 

 

『死ぬ』

 

そう、死ぬのである。もちろん人間が。

このズグロモリモズ、羽と筋肉にヤドクガエルと似た毒を持っている。

 

毒を持つ鳥は数種類いるが、その代表的な例がこの鳥である。毒を持つ虫を食べ、その毒を体内に保有し、獲物から安易に捕食されないようにする、生存競争の上で毒という最大の武器を手に入れたこの鳥は、今や絶滅危険度低レベルの地位を欲しいがままにしている。

 

食物連鎖という残酷なカーストを覆す最大の武器は、他者を死に至らしめるほどの圧倒的な武器だ。虫のほとんどが毒を持っているのも、カースト底辺の地位にいる彼らが、唯一捕食者に一矢報いるための苦肉の策に過ぎない。

 

その苦肉の策を、いつの間にか身につけていた生物がいることが研究でわかった。

 

 

「ドードーが毒?」

 

「えぇ」

 

「...自分とか...あとカローラさんとか...ドードーと少なからず触れ合った人は毒の影響を受けてると?」

 

「ソレにかんしては、だいじょうぶです。わたしも、ささかべさんも、humanにはきかない、とくしゅなどく...」

 

「そんなものが地球上にあるとは...」

 

「Avocadoですよ、ささかべさん」

 

「え?アボ...?」

 

「あぼかど...Nachos(ナチョス)によくつけるアレです」

 

「へぇ...アボカド。」

 

森のバターと名高いオシャレ食材、アボカドは人間以外の生物が摂取した場合、強力な毒薬に変化を遂げる。アボカド内に含まれるペルシンという殺菌作用のある成分をもしも鳥類や犬、猫なんかが摂取した場合『痙攣』『呼吸困難』『心筋の損傷』『嘔吐』『下痢』等、動物によって様々な症状が発症する。

 

標本や化石を調べた限り、ペルシンを保有する個体は見られなかったが、今回保護されたドードーは、羽や筋肉はもちろんのこと、嘴の下にある特殊な毒腺から濃縮したペルシンを分泌することがわかった。

 

ドードーのクチバシは甘噛みである分には問題ないが、本気で噛まれれば傷を負う程度に鋭利で、もしも外敵が襲ってきた場合、クチバシで小さなかすり傷一つつけるだけで、相手は死と隣り合わせの危篤状態になるという。

 

日本で発見されたニホンオオカミは、独自の進化を遂げていたことが明らかになり、世界的にも様々な憶測を呼んだが、ドードーも例外でなく、論文が出来次第大々的に発表され、全世界の生物学者の度肝を抜くのだとか。

 

思えば、ギガントピテクスも文献で記された大きさより巨大化していた。絶滅したと思われる生物が新たに見つかり、更に独自の進化を遂げていたともなれば、未だ見つかっていないだけで環境に適応した絶滅生物がまだまだ居ると考えられる。

 

なんなら、今までUMAだと思われていた生物が実は絶滅生物でした...なんてことも有り得るわけだ。にしても、モスマンやチュパカブラは到底存在しているとは信じきれないが...。

 

 

保護されたドードーは個体の研究の傍ら、繁殖の研究も行われており、国をあげた一大プロジェクトとなっている。抜けた羽毛や糞でさえも、研究材料としてはかなり希少で、アメリカの経済誌によると、もしもドードーの老廃物がオークションにかけられたら、数十万ドルから数百万ドルはくだらないという見立ても出ている。

 

なお、今回の展示にあたって惜しくも抽選が外れてしまった人に対しての救済措置は既に検討されているらしく。二度目の展示に際した二次募集をする他、展示ルームに設置された小型の定点カメラをYouTubeから生配信する試みも行われるという。

 

現在、絶滅動物が同時多発的に発見された事象について様々な憶測は飛び交っているが、そのどれも信憑性には乏しい。原因の解明をするべきだと言う科学者もいる中、シンクロニシティのように説明の難しい超常的な現象であるという見方も多数あり、世界的な議論になりつつある。

 

いずれにせよ注目度は非常に高く、かの風刺芸術家による絶滅動物を描いた作品がニューヨークの街に突如現れるなど、何かと人々が騒ぎ立てる話題になっている。

 

 

 

 

 

 

オランダ滞在3日目、午後に帰国を予定していた笹壁の元に緊急の連絡が入った。

 

「スコットランド?」

 

「はい、数年前から確認されていた謎の巨大生物の調査...が依頼の内容でして。昨今の絶滅動物の連続的な発見を機に、国をあげて本格的に調査したいと」

 

「...なるほど」

 

「で...その、調査場所なんですけど...。ネス湖って知ってますか?」

 

「あぁ、はい。ネッシーの」

 

「...まぁ、そうですね。その、今回の依頼は巨大生物と言いましたけど...」

 

「まさか...ネッシー探せって依頼ですか」

 

「...はい」

 

「いーや、無理無理無理。ネッシーは無理でしょ...」

 

スコットランドもとい、グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国。通称、イギリスからの依頼は、かの有名なネス湖の怪物、ネッシーの捜索であった。

 

「...生物学を学ばれていた桃谷さんに質問しますけど...ネッシーっていると思いますか?」

 

「...ゼロではないかと」

 

「ホントですか?」

 

「ま、まぁ...断言はできませんけど...。」

 

「...今まで見つけてきた生物って絶滅はしたけど化石とか標本が残ってるやつですけど...ネッシーにいたっては、完全に架空の存在じゃないですか」

 

「まぁ、一説にはケルピーだとか...些か疑わしいものもありますけど。でも、何らかの理由で古代から首長竜が生きてたとしたら、ありうると思いますよ」

 

「...竜って。もうほぼ架空じゃないですか...それに、なんか数年前にネッシーの正体は巨大な鰻であるって発表してた学者をニュースで見た気が...」

 

「ま、まぁ!国のご依頼なんでね。やりましょうよ、笹壁さん!見つからなかったとしても誰も笑いませんて」

 

「...なんか生物学者からオカルト研究家のレッテルに、すげ替わりそうな依頼だな...」

 

ホテルを出る笹壁の足取りは重たかった。




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ネス湖

スコットランドののどかな田舎、木々の生い茂る道を車で進み、街道のすぐ側を揺れる水面の光を浴びながら、我々はスコットランドはネス湖に到着した。1933年以降、周辺の道路整備が成されたことをきっかけに、人通りが激しくなったここネス湖では、度々ネス湖の怪物と呼ばれるネッシーの目撃談が後を絶たない。その中には当然、根拠の無いガセネタも含まれるが、火のないところに煙は立たないと言ったように、未だネッシーの存在を疑う人々は多い。

 

2019年、オタゴ大学の調査によってネス湖からウナギのDNAが多数検出され、その存在を否定的な目で見るものも多いが、ネス湖の湖底にクレバスがあることが判明していることもまた事実で、本格的な調査をしない限りは居るとも居ないとも断定できないという結論に至った。

 

ネッシーを写した写真は世界的に有名なものであるが、写真を撮影したロンドンの外科医 ロバート・ケネス・ウィルソンは、潜水艦のおもちゃにネッシーの首をつけただけの偽物であると晩年否定している。

 

世論的にはネッシーの存在を否定する声が大きいものの、近年、またネス湖においてネッシーと思わしき目撃談が多数散見されたことは、一般的に知られてないことである。

 

ウナギのDNAが検出された翌月、ネス湖で運営される遊覧船に乗っていた数名の観光客が、灰色の巨大な何かを見たという証言があがっている他、2021年10月、湖岸に打ち上がった10センチの脱皮殻と思わし物体を検査した結果、蛇やワニといった巨大な爬虫類のいずれとも類似しないことが明らかになった。

 

極めつけに、2021年12月29日、専門のチームによる潜水カメラとソナーを利用した調査において、全長7メートルに及ぶ巨大な生物の影をソナーによって捉えた。

 

にわかには信じ難い話だが全て事実である。

急遽イギリスは周辺地域に規制線を張り、観光客の立ち入りを禁止した。調査依頼のために外務省を通じて事務局に笹壁亮吾の招聘を依頼した。

 

イギリスからの要請を受けて笹壁が到着したのは翌日の事だった。

 

 

「うわ、すごい人」

 

「観光客は規制されてますけど、周辺住民の見物が連日のように続いているらしいです。調査チームは湖の近くにある仮設の拠点で24時間体制で調査を続けている他、セントアンドリュース大学との合同研究も同時に進行しているようです」

 

「毎度ながら大掛かりですね」

 

「まぁ、国レベルの事案ですからね」

 

プレハブで建てられた建物の前に到着すると、スーツを着た、いかにもお偉い地位に着いているであろう英国紳士に案内され、我々は研究室に入った。

 

『Hello』

 

「あ、ハロー」

 

『よく来てくれましたねミスター笹壁、到着早々見てもらいたいものがあります、こちらへ』

 

「あ、はい...」

 

桃谷さんの通訳を通しながら、研究室の真ん中に置かれた巨大なボードを見上げる。犯罪組織を追っている刑事の寝室のような、赤い紐と資料で埋め尽くされたボードには、一際目立った大きな写真が貼られていた。

 

『今現在、我々の見立てでは俗に言うネッシーの正体をプレシオサウルスに類似した生物、またはプレシオサウルスの生き残り...と考えています。当初は蛇やうなぎ、ワニ、イルカなど様々なものの想定がされていましたが、1ヶ月前、プレシオサウルスの化石からDNAを採取し、今回の脱皮殻と比較した結果、配置にかなり似た要素が見られ、断定に至りました』

 

「プレシオサウルス...復元画を見る限りほぼネッシーですね」

 

『実の所、1934年に撮影されたネス湖の怪物の写真以前に、ネッシーと思わしき生物を見たという目撃例が多数あることが、調査の結果判明し...それ以前にも同様の目撃例が長い歴史の中で多数挙がっています』

 

「仮にプレシオサウルスがネッシーの正体だったとすると、姿形をほぼ変えずに生き残ることなんて可能なんですか」

 

『仮説ですが、プレシオサウルスが生息していたのは約1億4000万年前、生きた化石と呼ばれるシーラカンスは3億年前から姿を変えていませんから...有りうる話ではあると思います。生きた化石と呼ばれる生物は大半が深海生物なので...種の存続のために深海に生息域を移したとなれば、信憑性は増します』

 

「なるほど...でもよりによって深海から湖に生息域が変わりますかね...」

 

『それに関しては疑問も多いです。ネス湖は海につながっていますからそこから侵入したことも考えられますし、人間が文献も残っていないほどはるか昔にプレシオサウルスの卵をネス湖に持ち込んだということも考えられます。当然憶測の域を出ませんが...』

 

「人間が持ち込んだ...」

 

『いずれにせよ、UMAの正体が明確に化石として残っている生物だったというだけでも、存在の信憑性は高くなると思います』

 

「見つかりますかね」

 

『見つけますよ。それに我々には笹壁さんがいます、アナタがいてくれれば百人力ですよ』

 

「はは...荷が重いなぁァ」

 

プレッシャーのあまり下手くそな愛想笑いしか浮かべられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

メキシコ プエルト・エスコンディト

 

 

『まぁ...予定外に1人殺しちまったのはいただけねぇが、目撃者だし...後始末はつけたんだろ』

 

『えぇ。口止めもしてあります』

 

『...しくじるなよ』

 

『Yes my セニョール グアトロ』

 

執務室から出ていくスーツ姿の男を、口髭を生やしたポロシャツの中年が見送る。

 

『...アイツには監視をつけとけ、賄賂の時点でチンコロしたことが分かったら、肝臓でもなんでも売って後は鮫に食わせりゃいい』

 

『はい』

 

『...倉庫に行ってくる、車回せ』

 

『はい』

 

席から立ち上がった男、グアトロはサングラスにスーツを着込むと、懐にべレッタを差し込み、分厚い防弾ガラスや内包する機関銃で武装された車に乗り込んだ。

 

街から車を走らせること20分、干からびた丘にひっそりと立つ倉庫に到着すると、中で椅子に縛りつけられた男性を見ながら大笑いをうかべ、部下に指示を出した。

 

水をかけられた男性は猿轡越しに叫びながら、グアトロに何かを叫んでいる。

 

『俺は優しいからな...別に殺す時は苦しめながらっつうマネはしねぇんだがよ...あんたが頑なに拒否するってんなら、話は別だ...んで、誰の差し金だ』

 

『...くたばりやがれゲス野郎』

 

『...ふふふ。この期に及んでバックれるのはアメリカ人の常套句だもんなァ...おい、指でも刻むか...?』

 

『...地獄に落ちろッ...!』

 

「ッ...この阿呆、舌噛みやがった...」

 

舌を噛んで死んだ男を他所にグアトロは部下から渡された書類に目を通す。

 

『あらかた薬で自白させたんだろ』

 

『えぇ、あとは殺すだけでした』

 

『そうか...まぁ情報が取れたならいい。で、差し金は...FBI?メキシコ政府じゃなくてか』

 

『えぇ、どうにも最近本元じゃなく、うちの別組織がマークされているようでして』

 

『FBIはコカイン関係だろ』

 

『おおかた、インターポールと手を組んだのかと』

 

『んでこの男に指令が来たと...あぁ、クソがめんどくせぇなマジで』

 

『どうします、身を隠しますか』

 

『いや、必要ねぇ。その前にアレはどうなってる、日本人の』

 

『監視はしてますが、如何せん近づけない状態でして……近いうちにアメリカから要請があった時に攫う計画は立ててますが、まだ実行段階には移ってません。情報ではスコットランドに飛んだとか』

 

『よりによってイギリスかよ...監視してる奴には揉めないように釘刺しとけよ』

 

『はい...』

 

 

男の名はバルロ・エル・グアトロ、麻薬カルテル 『バサネラル・カルテル』の主要幹部にして、密猟組織 『No.91』のトップである。

 

 




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深夜ネス湖遊覧ツアー ネッシー付

ネス湖で行われた調査は、超がつくほどの大規模で、最新の機器や300に及ぶドローン、ソナー付きの船、そして動員される圧倒的な数の人員。これまで日本、インド、オランダと様々な国で調査を行ってきたが、イギリスに至っては気合いの入りようが頭一つ抜きん出ているといった印象を受けた。

 

捜索主任のミケランジェロさんは、今回の調査に際して国から特任を受けた古生物学者で、捜索のために編成された大隊は全て彼の指揮下にあった。さらに資金に関しては直々に予算が組まれており、膨大な研究費を余すことなくつぎ込むことが出来る、まさに国を上げたプロジェクトと言っても過言ではなかった。

 

かの女王陛下も今回の調査に対して、大変期待していると明言しているだけあって国民全てが注目するニュースとして、連日新聞を賑わせている。

発見した際の迅速な保護を行うため、法案も可決されている他、万が一のための保護施設の建設も完了しているという。

 

こんな期待を向けられながら、いざ捜索して見つかりませんでしたとなれば、帰国するまでの間、白い目で見られそうで怖くて仕方がない。

プレッシャーに押しつぶされそうになるが、ミケランジェロさんが言うにネス湖には必ずプレシオサウルスがいると断定しているため、不安要素はゼロだと言う。

 

国内外問わず注目される今回の調査、日本からも向けられる期待の眼差しも、今の俺には針に刺されるような痛みにしか感じなかった。

 

 

 

到着の翌日。

ようやく調査に参加することになった俺は、専門家の輪に小さく紛れ込みながら意見交換会を行い、船に乗った。

広大な湖にソナーとX線を照射しながら、魚影などを記録していく。基本的にネス湖は周辺の土地の関係で水がにごっているため、湖底を視認することは困難であった。

 

これまでの調査であらかたネス湖全体の捜索は終わっているものの、より水深の深い位置には未だ目の届いていない所もあるので、最近は専らクレバスを入念に調査しているという。

 

水深の深い位置には調査用の小型潜水艦が導入され、水面のソナー船、上空のドローン、そして湖底の潜水艦と三段構えで捜索しているという。ここまでしておきながら影すら見せないプレシオサウルスは余程警戒心が強いと思われる。

 

俺に至ってはそもそも存在するか否かを疑っているが…。

 

 

 

結局明朝から日没にかけて入念な捜査を行ったものの、手がかりとなり得る釣果はゼロであった。目撃が相次いだ昨年に比べて、圧倒的にその痕跡が減少しつつあるのは、先日ここに到着した俺でも雰囲気からわかった。大規模な調査も、若干の焦りが見えつつある。

 

その日の夜は完全にお通夜状態で、シーンっとした拠点はなかなかに異様だった。国からの期待を向けられているのは、捜索している現地の研究員も同じこと、このまま見つからなければ、少なくとも非難されるのは目に見えている。

 

 

 

 

 

翌日。

 

 

また翌日。

 

 

3日。

 

 

5日。

 

 

1週間。

 

 

時は経過し、調査を続けるものの手がかりは無し。

忽然と姿を消してしまったのだろうかとすら思えてくるほど、しっぽを掴むことが出来ず、ついにはネス湖全体の調査は完了し、また振り出しに戻ることとなった。今までの努力が水泡と化し、もう一度隅々から調べあげる事に、ため息を吐くものさえ現れた。

 

 

 

 

 

夜中3時。

 

拠点の消灯時間がとっくに過ぎた頃合、つい飲みすぎたせいでトイレが近くなった俺は、夜な夜なベッドから身を起こし、用を足した後、寝巻き姿で外に出た。ここしばらくの調査の停滞は深刻で、相当な忍耐力を要していた。

 

通常の生物調査であれば長期間の捜索は当たり前のことだが、今回はイギリス国民から期待の眼差しが向けられているということもあって、意識せずとも焦ってしまうことが当たり前になっていた。早く見つけなければという気持ちが先行してしまうと同時に、膨大な予算にも限りがあるという事実がタイムリミットのように重圧となっている。

 

 

飲みすぎたことを後悔しつつ、月夜の闇に紫煙を燻らせた。

頭を抱え、2,3度肺に煙を送り込み、髪をぐしゃぐしゃにかく。岸から大きく続く水面に映る月の明かりは大きく揺れ、海のような錯覚さえ覚える。

 

ちくしょうと愚痴を呟いても、空虚に語りかけるだけで誰も聞いてはくれない。眠い目をこすりながら、拠点の近くに作られた大きな桟橋を歩いた。傍らに停泊する巨大な船を横目に過ぎながら、端まで歩くと水面スレスレに足を放り出して腰をかけた。

 

「…やっぱりネッシーは無理だって」

 

当初から疑念を抱いていたネッシーの存在に、ついぞや弱音を吐いてしまう。

難易度という言葉は似合わないとは思うものの、今回の調査は圧倒的に難しい。それまで、見つけてきた絶滅種達は自分から擦り寄ってきてくれたと言うだけあって、比較的生物の調査は簡単に思えていたが、今回で考えを改めなければと若干猛省する。

 

生物は気まぐれで、人間の意思が通じない個体も多く存在する。我々の都合に合わせて彼らが動いてくれると思ったらそれは大間違いだ。ましてやネッシーなんてこれまで幾度となく人間が見つけようとしてきた存在だ。未だ詳細が不明な存在という事実は、それまで我々人間から上手く隠れてきた圧倒的なスキルを有していると体現している。

 

「無理ゲーだろ…」

 

上体を倒し、桟橋に寝転ぶとそのまま手足を広げため息をついた。

しばらく東京で過ごしていたせいか、見ることのなかった夜空に懐かしささえ覚えた。

 

そろそろ帰ろうと、伸びをしながら立ち上がった時、湖の遠くに小さな影があることに気がついた。小指の爪程度の大きさに見えるその影を見た時、俺は駆け出した。

 

皆に伝えよう…と思う前に、小さな手漕ぎのボートに乗り込んだ自分はつくづく阿呆としか言いようがない。

 

寝起きの体に鞭を打ちながら力いっぱいオールを漕ぎ、ひたすらに沖合に向かって船を進める。

 

影は。

 

 

まだある。望みは高い。

 

もしも日中に見つけられなかった理由が、夜行性でしかも警戒心が高く、ソナー船や潜水艦のモーター音に過剰に反応していたとしたら、ボートで近づくことが偶然にも最良の選択だったのかもしれない。

 

腕に乳酸が溜まる感覚を気合いで乗り切る。必死に進み、たまに振り返りながら影の動向を観察する。必死に漕いで15分、小さな影と思われるソレの全容が見えた時、俺は思わず呟いた。

 

「はっはは…まんまネッシーじゃん」

 

20m先に見える巨大な生物。水面から首をのばし、月夜に光り輝く灰色の肌。

 

肩を上下に揺らしながら息をしつつ、それを見上げた。

 

 

 




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『夜空眺めて湖見つめたら、月光輝く水面にプレシオサウルスが出た』

オカルトという存在に対する印象は胡散臭いの一言に尽きたが、目の前でガッツリとこちらを凝視する巨大生物を視認しては、そう易々と疑心な目を向けることが出来なくなった。

 

子供の頃、一度は本やテレビで見た幻の存在を確認できたことに感動を覚えるが、今まであらゆる媒体でその存在を知っていたが故に、初めて遭遇したという新鮮な感覚はなかった。

 

絵やCGでは感じ取ることの出来ない生き物ならではの体温と、肌の感触、真っ青な炎が燃え盛るような美しい瞳、穏やかな表情。化石で見たプレシオサウルスに比べて、鋭い牙は無く、大きさもほんの少しだけ小さく感じられる。

 

彼らも長年生きてきた過程で環境に順応するため進化していることは、重々承知しているが、逆にここまで姿を変えていないことに驚きを隠せない。恐らく、この凛々しくも優しい姿を一枚写真に収めただけでソレは超貴重な研究材料になるだろう。

 

もう少し漕いで、手を伸ばせば触れる位置に居るものの、残念ながら不用意に触れ合うことは、つい最近できたイギリスの法案に反してしまう。

 

「めっちゃ守られてるぞ、おまえ」

 

ネス湖に潜む巨大生物保護のために制定された法律は、以下の通りである。

生物に対する無許可の接触を禁ずる、ただし生物側からの接触は例外とする。

生物に対する無許可の餌付けを禁ずる。

生物に対する暴力行為を禁ずる。

ネス湖への不法投棄を禁ずる。

生物への意図的な接近を禁ずる(生物から半径15m以内)、ただし生物側からの接近は例外とする。

 

これ以外にも約8個の法案が可決された。

法律によって守られた特別な存在。過保護にも程がある。

 

口を開け小さく鳴きながらこちらへと近づいてきたネッシーは、船体に頭を寄せると、船首に括り付けられた停泊用のロープを口にくわえそのまま泳ぎ始めた。

 

「ちょ、どこに…」

 

止めようとしても言葉が通ずるはずもなく、船を引くようにしばらく遊泳するとやがて桟橋付近にたどり着いた。

このまま沖合に出されていたら…という不安は杞憂に終わったが振り返ると、その姿は無く、再び湖底へと潜り帰って行った。

わずか数十分の出来事に若干、夢見心地だったが、船から降りたと同時に、俺はベッドへと戻ることにした。

 

 

 

翌朝。

拠点に併設された食堂で朝食を摂っていた際に、昨夜のことを思い出した。

 

 

「そう言えば昨日、プレシオサウルスに遭遇しましたよ。」

 

『!?ッ』

 

朝っぱらから驚愕の事実を投下したせいで、椅子から崩れ落ちる者もチラホラ。

 

『ど、どこで!』

 

「ここから離れた沖合です。夜中に起きて桟橋で休憩してたら、遠くに影が見えたもんですから急いで手漕ぎのボートで…おかげで腕がパンパンですよ」

 

『てことは、監視カメラに写っているかも…直ぐに確認を!』

 

忙しなく動き出した研究員を尻目に、朝食のヨーグルトを頬張る。

 

「さ、笹壁さん。本当なんですか?」

 

横で朝食を摂っていた桃谷さんに問われたので、間違いないと返すと興奮した様子でパンを口に詰め込んでいた。

 

朝食後開かれた緊急の会議では、拠点にいた全研究員が集められた。

解析した監視カメラの映像では、昨日、俺がネッシーにボートを引かれ帰宅した様子が映っており、そのまま帰っていく姿も確認された。

 

これには一同大きな歓声があがった。

手がかりが一切掴めず消沈していた昨日とは大違いの気合いの入りように、予想外の筋道で発破をかけてしまったと苦笑いをうかべる。

 

ネッシーがいることが確実となったことで、調査の範囲を絞ることが出来た。

 

 

『まずは昨日、人類で初めて公式にプレシオサウルスと接触したミスター笹壁に賛辞を送りたい。みな拍手を』

 

大勢の人から向けられる拍手に思わず照笑をうかべる。

 

『まぁ、私を叩き起してくれなかったことには少々恨みを覚えるが…それでも彼の功績は調査を始めて以来の快挙と言っても過言ではない。さて…前置きはこのくらいにして』

 

真剣な様相のミケランジェロは、投射された昨日の監視カメラの映像を指しながら言った。

 

『この子を確実に保護する。出来ればここネス湖の中で絶対なる安寧を保証するために我々はありとあらゆる危険因子を取り除かなければならない。この子の存在はいずれ公になることは確実だけど、その後の全面的な保護及び支援は急務だ。今後は生態の調査と同時に保護するための本格的な整備をする必要がある。従って、今まで地道に調べてきた研究段階から一歩前進したとことを皆に伝えたい』

 

「…」

 

『調査段階レベル2 Project Conservation(保護計画)を実行する』

 

 

さながら指揮官のように全研究員に伝えるミケランジェロさんは、いつにも増してナイスガイだった。

 

 

話し合いの結果、調査の方法を改めることとなった。

主な調査時間を夜に移行し、警戒心をできるだけ取り除くため遠方からの監視の他、ソナー船や潜水艦は使わず、エンジンも必要としない手漕ぎのボートひとつを使用することにした。乗員は極力人員を減らして近づきやすくするための2人のみ。音声および映像を残す記録係と接触係だけとなった。

 

夜までの間、ありとあらゆるプランが練りに練られ、プランAからプランUまで数多のパターンの予測が行われた。

 

ちなみに、昼の間はボートに括り付けられていたロープからDNA採取が行われた他、聴取による詳細な姿かたちがこと細かく描き取られ、無駄な時間は一切なかった。

 

また監視カメラの映像に記録されたという事実を上に報告した他、より一層な警備の厳重化が図られた。

 

 

 

そして夜、全研究員が拠点の中から息を殺して冷や汗を流しながら監視する。ジーッとモニターを観察しながらその姿を映るのを待った。

やがて、見覚えのある影が水面に姿を現したことを皮切りに、外に出た。

 

乗員は俺とミケランジェロのみ。接触は俺、記録はミケランジェロ。

拠点を出る時、まるで試合前のボクサーかのごとく声援を受けながら桟橋へと向かった。

 

 

船に乗り込み、オールを漕ぐ。姿を現した場所は昨日よりも少し遠い場所だった。漕ぎ始めて23分、ついに近くまで到着するとそのままじっとその姿を観察した。今にも感涙を流しそうなミケランジェロさんは、その感情を押し殺してカメラをひたすらネッシーに向ける。

 

奴はこちらの姿をゆっくりと動きながら確認すると、まるで再会を喜ぶように鳴き声をあげながらこちらに近づいてきた。

 

 

「昨日ぶりだな」

 

 

返事に対して嬉しそうにぐるりと回るネッシー。

種族の垣根を越えて行われるコミュニケーションに生命の神秘を感じた。

 

ふとネッシーは見せつけるように自身の体を横に回転すると、肌の色を変色させた。

 

赤、黒、緑、灰、茶。カメレオンのように次々と肌の色を変えると、凄いだろと言わんばかりに船の周りを泳いだ。

 

なるほど、これなら今までの長い歴史でネッシーが見つからなかった理由がわかる。ネス湖の水は濁っており、土が溶出した茶色に近しい水質だ。そんな天然のカモフラージュに、相乗する変色という特性。視界の悪い湖の中なら無敵の擬態能力だ。

 

だとすれば擬態をものともしないソナーに反応しなかったのは何故だろうか。疑問が疑問を呼ぶが、思案するのは拠点に戻ってからだ。

 

我々はしばし、眼前の幻の生物との戯れに興じた。

 

 

 

 

 

 



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発見による余波

発見の翌日。興奮のあまり寝付くことの出来なかった研究員一同は、軒並み、ボートの上で撮影した映像から様々な解析を行い考察を羅列していった。

映像に残されたプレシオサウルスは体表の色素を変化させる特性を持ち合わせており、まだ断定はしていないもののカメレオンやイカなど体色変化能力を有するこれまでの生物とは全く異なる組織を保有している可能性が高いという。

 

通常、色素の変化は気温や環境に応じて決められた色に変化するのが常識であるが、プレシオサウルスの色素変化は幅広いどころの話ではないらしく、寒色系から暖色系までありとあらゆる色に擬態することが出来るのだという。

 

あくまで未だ推論の域はでないが、これほどまでに幅広い体色変化を有している生物は前代未聞。科学的分野における応用の余地は無限大だという。

 

発見及び研究の進捗は翌日の昼頃には上層部に伝えられた。マスコミに対する情報を規制するため、発見のことについての箝口令が敷かれ、リーク防止のため研究員のSNSを一時的に使用禁止とし、調査の更なる遂行を発出した。

 

また、研究に際してプレシオサウルス関連の法案は適用されないとし、節度を保ちながらの接触を今後とも続けていくべしとのお達しだった。

 

発見から2日後の夜、再び湖へとボートを漕ぎ出した我々は先日とはまた違ったポイントでプレシオサウルスと接触を図った。

今度はミケランジェロさんの助手であるエミリーさんも乗せて、より詳細な研究のために体表から粘液を採取することを目的とし、今まで以上に慎重な調査となった。

 

水面に現れたプレシオサウルスは既に我々の顔を覚えているのか嬉しそうに鳴きながらこちらへと寄ってきた。それまで影すらも見せなかったのに、慣れれば人懐っこいというツンデレな性格は非常に人間らしい。

 

ボートの先から身を乗り出し、体温を伝えないために手袋を入念にはめた後、体液の採取を行う。試験管の口をツルツルとした皮膚に滑らせれば、少量の透明度の高い体液が取れ、その場で小型の冷凍保存装置にしまわれた。

 

本来ならこれで調査は終了だが、貰うだけ貰って早々に帰るのは相手もいい気がしないので、今度はこちらからプレゼントを行うことにした。

ボートに敷き詰められた保冷バッグの中から大量の食材を取り出す。無菌状態にした様々な食材をこれでもかと持ってきた。一応類似の生物と思われる、鳥、クジラ、ワニ等々、様々な動物の捕食可能な食材を考慮してその中の範囲を持ってきた迄に過ぎない。

 

単にこれは餌付けをするための安直な行為ではなく、普段どのようなものを食べているのかを知るためにも必要不可欠な調査の一環だ。

 

なので決して餌付けでは無い、可愛いからと言って餌をあげようとは思わない、美味しそうに食べる姿をうっとりしながら見る気もない。決して。

 

『さぁ、何が好きかなぁ…よしよし』

 

『博士…ずるいです』

 

「…ずるいですはおかしいよね…。調査ですよこれ」

 

『さぁさぁ、好きなだけお食べ』

 

「もう顔から笑顔がこぼれ落ちてる…ダメだこの人、ネッシーにデレデレになってるわ…」

 

感情を隠しきれない博士と助手を尻目に、映像を撮影する。

食べてる姿も貴重この上ない、この瞬間を余すことなく文明の利器を使って後世に残すことは重要な役割だ。

 

肉。

 

野菜。

 

果物。

 

藻。

 

花。

 

蜂蜜。

 

様々な食材を与えて様子を見る。

中でも気に入ったのはリンゴだった。皮ごとムシャムシャと食べて満足そうに首を振ると次々と口の中に運んで行った。

 

結局、全ての食材を平らげてしまったプレシオサウルスは満足したのかこちらに一礼し湖の中へと戻って行った。また来るからねーと手を振りながら別れを惜しんでいたミケランジェロ博士は、帰りのボートでシュンとしていた。

 

 

 

 

採取された粘液はそれはそれは慎重に扱われた。

捕食物調査の際に副産物として採取できた唾液も同様である。様々な鑑定が行われた結果、目撃例のあったプレシオサウルスであることは間違いないという結果が出た。

 

古生物の解明は難しく、化石という僅かな手がかりのみで憶測しなければならない。しかし今回プレシオサウルスが生きた状態で見つかったという事実は、生物学における歴史的瞬間に他ならない。

 

体色変化能力を疾うの昔から有していたかは定かではないが、その姿形を変えぬまま進化し現代に至る所以や、複数の個体が居るか否かの調査も今後行われる予定だ。

 

調査は順調。

 

と思われた。

 

 

 

発見から6日後、政府が正式にプレシオサウルスの発見を大々的に発表して翌日の出来事である。ネス湖周辺にこれでもかと言うほどの観光客がごった返していた。当然、調査にあたって立ち入りを禁止しているため部外者は立ち入ることが出来ないが、問題はネス湖周辺に住まう地域の人々だった。

 

ネス湖は言わば観光名所、ネス湖の怪物というある種のおとぎ話で活気を見せ、生計を立てていた人は大勢いる。当然お土産ショップ等もネス湖周辺に建てられ、帰り際に買って帰る観光客も少なくはない。

 

ここ連日の封鎖に伴い観光客の足取りは必然的にゼロになった。

政府からの補助金は出ていたので今までとやかくは言わなかったが、本当にネッシーが見つかったとなれば話は別で、いわば、かきいれ時の今日この頃、せっかく来てくれた大勢の観光客をネス湖に入れないとは何事だと抗議が殺到したのである。

 

警察による事態の沈静化は図られたものの、未だ落ち着きは見せず騒ぎは夜まで続いた。

 

さらに、ネス湖が海と繋がっているせいで船で湖内に侵入してくる不届き者も現れた。不届き者は海外では有名な迷惑系の動画配信者でネッシーの捕獲をするために大型のクルーザーを借りてわざわざ川を上って来たのだという。当然その男は警察に移送された。

 

ここまではなんら問題ない。

ハプニング程度の軽い出来事だ。

 

ただその後のことがやばかった。

具体的に述べると、アメリカのIT企業の社長がネス湖周辺の土地を買収すると言い出したのである。周辺の土地を買収した後、リゾートホテルの建設を行いプレシオサウルスを掲げて本格的な観光産業に乗り出すと大々的に発表した。

 

そのせいでさらに熱は加速していき、マスコミによるヘリの空撮や、リゾートホテル建設に反対する近隣住民の大規模なデモ等々、騒ぎはかなり大きくなってしまった。

 

騒ぎのせいで調査は続投できなかった。

というのも、何を察知したのかデモが起こり始めた日からプレシオサウルスの姿が全く見られなくなったのである。

 

長年姿を隠してきた警戒心の強い生物だ、当然異常を嗅ぎつける察知能力は並の動物を凌駕しているだろう。恐らくプレシオサウルスは平穏に暮らすことを望んでいるに違いない。

 

かと言ってネス湖から移送するのはデモの業火に油を注ぐようなものだ。そもそもプレシオサウルスの身体が大きくて短時間で簡単に移動できないため、秘密裏に…というのは実質的に不可能だ。

 

このままでは調査を行うことは困難だという結果に至った我々は、プレシオサウルスを移送することに決めた。

 

ちょっと待て。上記に移送するのは色々なデメリットがあるし、そもそも無理だと言っていたでは無いか…と思う者もいるだろうがまず全容を聞いて欲しい。

 

プレシオサウルスの移送は確かに難しい、正当な理由がなければ近隣住民は納得してくれないだろうし、移送するにしても巨体を安易に動かす装置がない。

ならばどうするか、正当な理由がなければ作ってしまえばいい、移送する装置がなければ生物自身で泳いでもらえばいい。

 

そうと決まれば実行に移すのみ。

 

近隣住民には本当と嘘が混じったこれでもかという理由を書類にして配布し、了承の署名まで取る事に成功した。理由は挙げればキリがないが、本当のことは1割程度しか含んでいない。署名を集めれば後は移送するのみ、移送先はどこか…実はネス湖は海にも繋がっているが川を通じて様々な湖にも繋がっている。

 

選択肢は無限大だ。

 

ただしあまり遠すぎてもプレシオサウルスに負担がかかってしまう。であればどうするか。

 

ネス湖から隣にあるオイック湖まで誘導し、そのまま曲がってガリー湖まで向かう。ガリー湖では建前で水質検査用の施設が臨時で建つ旨を周辺住民に伝えておき、湖の端にある広大な一帯をぐるりと網で囲んでしまうのである。網の中にプレシオサウルスを入れ、極秘で調査を行った後、そのまま隣のロッキー湖に移送して終了だ。

 

ロッキー湖に移送後は、ネス湖にプレシオサウルスは戻したと嘘のニュースをばらまけば存在しないネス湖の怪物を作り出すことは容易である。つまるところ、調査のためにガリー湖へ、そして新しい生活拠点のためにロッキー湖へ移送するという壮大な計画である。

 

プレシオサウルスの捕食物は雑食なため、ネス湖同様の環境であるロッキー湖ならば容易に生きることは可能だ。

移送中にマスコミにバレないよう人のいない時間帯を狙って静かに移動する。移動中、明朝になったらその場で停滞し再び夜になったら移動を繰り返していく。かなり地道な作業だ。

ちなみにフェイクの調査目的の移送先として、本来使う予定だった保護施設を近隣住民にも説明しているためなんら問題は無い。

 

さて肝心の我々の移動手段だが。

 

 

なんと手漕ぎボートである。

 

 

 

 

 

 

 

 




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動向

我らとて馬鹿ではない。

 

プレシオサウルス移送作戦の決行に伴い、様々な下準備をすることは当たり前で、周辺住民に対する説明(嘘)はもちろんのこと、偽装に伴う様々な仕掛けも済ませた状態に持っていくのはさほど時間もかからなかった。

 

長距離を手漕ぎボートで移動する。それだけで無謀にも思えるが、こちとら人員だけは余るほどいるので、疲れ知らずのローテーション作戦で攻めまくった。それも派遣された警察や軍、及び腕っ節に覚えのある体育会系の研究者を集めて即席で設立されたボート部はそれはそれはすごい活躍を見せてくれた。

 

真夜中に行われる移送作戦は綿密に組まれた計画により順調に進んで言った。基本的に夜行性のプレシオサウルスは明朝になると活動を止めて眠りに入ってしまう。日中は体色変化を行って周辺の環境に擬態しているので、水面から肉眼で視認することは常人には困難である。

 

水の底に沈む岩の質感や、川の流れ、日照による陰影等々、完璧に再現し、ステルス能力宜しく完璧に姿を消す。すぐ近くで動向を監視していた我々ですら、一瞬消えてしまったかと勘違いしたほどだ。

 

この性質が幸いし、移送はかなり順調に進んだ。

 

一方、ボートに乗って先導している我々は周辺住民に怪しまれぬよう、基本的に野営を行うボーイスカウトの集団に変装していた。

日本国内でボーイスカウトはかなり珍しい存在だが、諸外国では広く知られており年齢層も幅広い。極秘での移送の関係上、子供がいないせいでイカつい男共が短パンを履いてキャンプをしているその様は、傍から見れば異様だが、怪しまれた際には適当な理由をつけて誤魔化せば問題ない。

 

日中は基本的に電波を使って本拠地と連絡を取りながら今後の予定を詰めたり、夜中の先導に伴って仮眠をとったり割と暇だった。

 

夜中にボートを漕いで、昼には寝てを繰り返しているせいで完全に昼夜が逆転しており、精神的な疲れは否めない。ボートを漕ぐ人員は日中に二陣、三陣と別働隊と交代しているため、さほど苦労は無さそうだが、先導のためにリンゴの切れ端を水面に付け続ける俺は、初日からずっとキャンプ生活をしている。ミケランジェロ博士も同様にボートに乗りながらプレシオサウルスの容態を逐一観察している。

 

早く終わってくれと願い続け、ようやくガリー湖にたどり着いたのは作戦の決行から3日後の事だった。時々、ネス湖に向かう観光客の車列に出くわして冷や汗をかいたこともあったが、ここまで順調に作戦を遂行できたのも偏に皆のおかげである。

 

イギリス政府は、極秘裏に今回の移送計画をサポートしてくれており、衛星カメラからの映像をストップさせ、移動中のボート周辺をサーモカメラを使って監視する等、万全な助力を全身全霊で行ってくれた。

 

さて、安心するのもつかの間。

ガリー湖に着いたはいいものの、研究するための区域にプレシオサウルスを誘導する必要がある。まだまだ道のりは長い。

 

ガリー湖の入江から研究所までのルートは、湖を突っ切るのではなく湖岸に沿ってもぐるりと周回する必要がある。何故かと言われれば、もしもの時に岸が近い方が何かと便利だということと、明朝までに研究区域に誘導できなかった場合、我々は湖上でキャンプを設営するか、湖のど真ん中にプレシオサウルスを放置して岸に向かう必要がある。

 

そんなことしたら、ろくに監視することも出来ない。故に岸沿いにボートを進め誘導していく。ガリー湖はネス湖と同じように細く長い、したがって移動時間は比例するように長くなる。

 

幸い研究区域は人気(ひとけ)のない湖の岸辺に作られており、湖の端に位置しているという訳では無い。今まで移動してきた距離に比べれば格段に近い位置に研究所はある。もうすぐ着くぞという期待を胸に、水面を滑ること、数時間、ポツンと建つ小さなトタン製の小屋から微かな光が漏れていることに気がついた。

 

一見ボロボロの小屋のようだが、これこそが新しい研究所なのである。

小屋付近にプレシオサウルスを誘導したところで、数百メートル先の岸辺から高速で移動できるエンジンを積んだボートが一気に扇形に散った。

 

瞬間、白い浮き玉が小屋の周りを大きく覆うように展開された。

 

一瞬にして研究区域の完成だ。等間隔に並ぶ浮き玉の間には鎖状の網が貼られており、区域の外には出られないようになっている。ただこれだけでは心もとないので、更に二重、三重と網を展開しさらに強固な檻を作った。

 

少し可哀想だが、研究のためと水深15メートルのガリー湖で放し飼いにするのは少々リスクが高いため、逃げれないようにする策を講じる他なかった。

 

湖底の至る所には湖の中を見ることができるように、水中の暗視カメラが設置されている。監視カメラの映像はリアルタイムでネス湖とここガリー湖の研究所に送られ、何時でも容態を見ることが出来る。

 

さて肝心なガリー湖の研究所だが、ボロ小屋の下に巨大な地下研究室を設置したので、何ら問題は無い。むしろ以前に比べて秘匿性に優れていることから、内心ワクワクしている。

ボロ小屋の木板の貼られた床をめくると、地下へと続く狭い階段が新研究所の入口だ。どうやったらこんな短期間で巨大な地下研究室を作れたのかは疑問が生まれるが、世の中詮索しない方がいいこともあるだろう。噂だと、イギリス王室やら、MI6が関わっているとかいないとか…真相は謎である。

 

地下研究室には湖底を覗くことが出来る巨大なガラスが貼られており、プレシオサウルスの動きを見ることが出来る他、前の研究室同様、様々な機器が所狭しと並べられ、様々な検査をすることが可能である。

 

何もかも順調。

 

 

 

 

 

そう思っていた矢先の出来事だった。

 

 

ガリー湖での研究が進む中、一人の研究員がマスコミに匿名でタレコミをしたのである。プレシオサウルスの居場所から生体、活動時間についてこと細かく話したせいで、翌日の新聞に一面記事で我々研究員しか知らない情報がでかでかと掲載された。当然、政府は記事の発行をすぐさま止めるよう指示したものの、新聞社側はこれを拒否、訴訟も辞さない構えをチラつかせても一向に首を縦に振らないせいで、どんどんと情報が流出し我々の苦労は水の泡と化したのである。

 

すでにタレコミをした研究員は判明しており、それ相応の処罰が下るという。秘匿義務のある契約書にサインして、違約した場合の措置もこと細かく伝えられていたのにも拘らず、目先の金欲しさに取り返しのつかないことをしたのは到底許し難い事だが、今やることは犯人に対する責任の追求ではなく、ゾロゾロと集まってきたマスコミや観光客への対抗策だ。

 

当初は研究所周辺を立ち入り禁止区域として制定し、立ち入ったものを不法侵入者として取り押さえることができるよう、国側も色々と対策を進めていたが、一人二人と拘束者が増えていくにつれて、人数はどんどん増していき、更には拘束を振り切って中に侵入しようとするものが現れるため、一日に数十人の逮捕者が出るのは当たり前となった。

 

更には集まってきた人間が暴徒化、及び無断の宿泊や占拠をし始めたため我々だけでは手に負えず軍が出動する騒ぎになった。

軍の出動で一度騒ぎは収まったものの、未だ収束は見られず、徐々に見物人も雪だるま式に増えてきて、手の施しようがなくなってしまった。

 

 

ここまでかと半ば諦めていたが、さすがは先進国イギリス、正攻法がダメならと強硬手段に打って出た。

 

プロパガンダを出したのである。それもインフルエンサーと呼ばれる影響力の強い人間や、国とズブズブの関係の広告会社が全面的に手を組んで、プレシオサウルスに関する情報の捏造及び、生態系を脅かすことをやめようという運動を次々と流行らせて行った。

 

ネット社会の現代において、ネット上の出来事は世論に大きく反映される。もしも海外の著名人が多発的にプレシオサウルス生体保護運動と銘打って、ガリー湖周辺の野次馬を批判したら世間はどう言った反応を見せるだろうか。

それまで、大多数の意見がプレシオサウルスへの関心だったのにも拘らず、今回のプロパガンダで静観しようという動きが主流となり、強行的な取材を行うマスコミや野次馬たちに対する視線は必然的に厳しくなっていった。

 

プロパガンダは時に恐ろしい事件を生むことが多々あるだろう、ナイラ証言がその典型的な例だが、時に嘘の情報を流布することは良い結果に流れることもある。

 

 

 

ちなみにその後のプレシオサウルスの動向について知るものは数少ない。俺とミケランジェロ博士と国のお偉いさん数名のみ。生態についての研究が終わった現在は、ロッキー湖で悠々自適と生活しているとかいないとか…。

 

いずれにせよ、今回の調査は失敗と言ってもいい。なにせ、調査を始めたせいでプレシオサウルスが発見され、本来住んでいたネス湖を追われることになったのだから。

 

 

余談だが、プレシオサウルスは単為生殖である。つまるところ、メスオスの個体はなく、生涯に2匹だけ子供を産み、片方は生き片方は必ず死んでしまうという。それまで人間から隠れ続けるためにあえて個体数を減らして種の存続を図る生物は極めて稀だとか。

 

 

 

 

 




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インドからのお客様。

本日2話目


自分の中でプレシオサウルスの発見は決して褒められたことでなかったが、帰国後はその歓迎ムードに拍子抜けしていた。今までネス湖の怪物と言われてきたネッシーの発見は相当な衝撃だったらしく、東洋の島国にもそれは伝わっていたらしい。

 

空港での取材という熱烈なお出迎えを受けながら、政府が用意した車に乗り込んでその足で事務局へと向かった。報告書の提出をして、早々に山形に帰ろうと思っていた矢先、衝撃的なことを伝えられ思わず愛想笑いを浮かべてしまった。

 

「ギガントピテクスが来日します」

 

巨大猿、日本上陸。

 

 

 

 

 

 

 

大統領専用機から降りてきた人の良さそうなおじさんと、大きなターバンを巻いた仙人の正体は、日本が丁重に国賓としてもてなすべき相手である。

来日の記念式典に列席して欲しいと大統領閣下及び、ターバン姿のマハーラージャに指名されれば、おちおちと山形に帰ることも出来なかった。

 

久しぶりですねと笑顔で手を差し出すのは大統領閣下、初めましてお会いしたかったですと手を差し伸べるのはインドの大貴族マハーラージャ。国のトップと超絶お金持ちから握手されるなんて、総理大臣ですらそうそう経験できるものではなかろう。

 

緊張しながら会釈しつつ2人を案内する。

言っておくが俺は外交官じゃない。山形生まれの一般男性だ。

 

ギガントピテクス来日に先立って日本へやってきた御二方は、公式訪問や首脳会談も兼ねた日本観光をするために、成田空港に降り立った。

空港職員やSPに厳重に警護されながらレッドカーペットを歩く。隣にはわざわざ御出迎えにきた総理大臣が英語を交えながら会話をしていた。

 

この四人の中で完全に俺だけ浮いている。なぜにこんな超VIPの中を歩かなくてはいけないのかと心の中で悪態をつきながら、分からないヒンディー語や英語に愛想よく振る舞う。

 

通訳の人もそばに居るが、ヒンディー語で発した言葉と通訳が話す日本語が重なってて聞き取りにくすぎる。何言ってるかわからん。

 

「「आप あなたहमारे दकेた लिए बहुत わला हैं। おおआपकाり बहुत बが धन्यवाद।とう」」

 

「え、えぇ…こちらこそ〜」

 

最後にありがとう的なことを言っていたのは確かなので、こちらこそと会釈を返す。レッドカーペットの先にある車に到着すると国賓2人が乗り込んだのを見て、総理大臣専用の車両へと乗り込んだ。

今回の来日では、俺と総理が2人に付きっきりのため特別に専用車両に乗ることを許可されていた。

 

洗練された車内で緊張していると、天下の総理大臣が優しい口調で話しかけてきた。

 

「大丈夫ですよ。緊張しないで、外交は我々に任せてください。笹壁さんは傍に居てくれるだけで心強いですから」

 

「はは…どうも」

 

傍にいてくれるだけって…俺は何かバフでもかけているのだろうか。

周りを白バイに囲まれながらゆっくりゆっくりと移動していく。規制のかけられた高速道路は渋滞知らずで、要人専用の道路に車列が入った際は思わず感動を漏らしてしまった。一般人にはなかなか体験することの出来ない超絶VIP体験に口元が緩む。

 

やがて一行は首相官邸に入った。

 

来日後の短い首脳会談は俺を除いた3名で行われた。その間、何をしていたかと言うとギガントピテクスの来日に際した段取りの確認と、今後の予定の把握である。首相官邸の別室で柔らかいソファに腰をかけながら落ち着くことが出来たのは、なかなかラッキーだった。このまま会談に混じってこいと言われたら緊張で息が出来なかったと思う。

 

しばしの休憩の後すぐさま車両に乗り込んで会食に向かう。

会食場所は都内の有名和食料理店で、旬の魚と野菜を味わうことの出来る、言わば高級店だった。インドの方に日本食が合うかと言われれば首を傾げてしまうが、日本なりのおもてなしでいきなりカレー屋に連れていくのもおかしな話だろう。

 

首相およびマハーラージャ来日から2日後、東京から一気に移動して関西国際空港の滑走路へと降り立った俺は、巨大なジェット機から姿を現したギガントピテクスの姿を見て思わず笑みがこぼれた。久しぶりの再会はやはり人間だろうが動物だろうが感動する。

 

今回日本にやってきたのはオスのギガントピテクス一頭で、群れの中でも極めて温厚でかつ人間になつきやすい性格だという。ギガントピテクス発見後からインド国内での研究は加速しており、彼ら彼女らも人間と同様にそれぞれ性格や価値観が存在していることがわかった他。極めて知能が高く、モールス信号を教えたところ1ヶ月でマスターしてしまったという。

 

またギガントピテクスを題材にしたボリウッド映画は記録的な大ヒットを収めており、既に国民的なアイドルになりつつあった。今回の来日は、単に日印の友好性を示すだけでなく、日本人の俺が発見したことで感謝の意味を込めた凱旋を行いたいという大統領の意向が大きく反映されたが故だ。

 

そのため、ギガントピテクスの研究や保護に資金を提供しているマハーラージャも同様に来日したというわけである。

 

透明なアクリルケースの中で大人しそうに座るその様は、普段の迫力とは程遠い可愛さがあった。その図体からさぞ凶暴な生物かと思いきや、意外と臆病で心優しき性格というギャップに萌える日本人もかなり居るほどだ。

 

ギガントピテクスはそのまま大阪の天王寺動物園へと移送され、十分な健康状態の検査を受けた後、満を持して1週間限定の展示がされるという。来日した個体数がわずか一体のみということもあり、孤独感と緊張感を与えてはならぬとその間、俺は彼に付きっきりだ。

 

観覧客の抽選はもう済んでおり、来場者用のゲートとは別に入口が設置されるという。日本国内は完全にギガントピテクスフィーバーと化していた。インドであれほど話題になった生物が日本にやってきたという事実に羨望の眼差しを向ける国は多く、次は我が国にと声を上げる首相もいた。

 

トラックに乗せられた彼の後を車で追い、検査を受けている間も静かに見守る。ようやく広い部屋へと移された彼との交流はバナナの受け渡しから始まった。手に取ったバナナを皮ごとむちゃむちゃと食べるその姿は、まるで巨大な赤子のようだ。

 

発見後から彼らは様々なフルーツを食して来たせいで今ではかなりのグルメ思考になったらしい。その中でも特にスイカやバナナなど、日本人にもお馴染みの果物や、幻のフルーツと名高いポーポーも好んで食べるという。

 

俺よりいい食事をしてやがる。

 

 

複数の個体が発見されたギガントピテクスだが、それぞれの個体に名前をつけることになり、公募が行われたのだとか。ただ上記にも述べた通り彼や彼女らはインドのアイドル、応募された総数がとんでもなく膨大だったせいで未だ結果が出ていないという。

 

 

というわけで目の前でバナナを頬張っているコイツの名前もまだ付いていないということだ。じゃあなんと呼べばいいのかと疑問に思うかもしれないが、頭がいいので手招きをすれば自ずと近寄ってくるらしい。

 

これなら動物園の職員も楽にコミュニケーションをとることが出来るだろう。

 

 

 

 

ギガントピテクスが環境になれ始めた3日目、ついに展示が行われた。

動物園前には朝から各局の報道陣がカメラを回し、並ぶ観覧客に取材を行っていた。

 

一応観覧のルールとして、フラッシュや大声等、驚かせてしまう行為は一通り禁止となっており、観覧できる時間も決まっている。なかなかにシビアだが上野動物園のパンダもこれぐらいの措置を取っているため、なんら不思議なことではないという。むしろ、観覧するために数時間も並んで一瞬しか見れなかったという事態を防ぐために、一度に観覧できる人数をこと細かく調整している。なかなかの親切設計だ。

 

ちなみに、展示時には俺も展示スペースに入って世話をしていたため、SNS上にギガントピテクスの横で箒をはく俺の姿が話題となった。

 

 

 

 

恥ずかしい。

 

 

 

 

 

 

 




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アメリカ合衆国

唐突だが、動物の危険性について理解している人間がこの世にはどれだけいるだろうか。

 

 

確かにライオンや虎、狼に熊といった、いわゆる猛獣の類が危険であることは常識的なものだが、ペットの猫や犬、カラスといった日常に潜む生物を危険視する人間はそうそう居ないだろう。

 

時に、動物が人を襲い死に至らしめるという事件は年間でかなりの数に及ぶ。病原菌を媒介する蚊を含めたら相当数になるだろう。

今回の調査で俺は、動物の恐ろしさを身をもって体感した。それまで触れてきた生物達がいかに温厚で、かつ人間との共存性に優れているかが身に染みて分かった。最後に一つだけ述べたい。

 

 

他種を死に至らしめるためだけに進化した生物は、確かにこの世にいる…と。

 

 

 

 

 

テレビのニュース曰く、昨今アメリカの西海岸で停泊するやいなやヨットや大型のタンカーがサメなどの獰猛な海洋生物に襲われると言った事件が相次いでいるという。幸い未だ死者は出ていないものの、かなりの額の損失が出ているせいで海岸を管理する市に苦情が相次いでいる。また同時期に、海岸に巨大なサメの死骸が打ち上がる等、なかなか不気味な事件がUSAを賑わせており、警察当局による調査も現在進行中だという。

 

ここまでこの事件が話題になり、日本で報道されるのもちゃんとした理由がある。というのも、これまで襲われたヨットやタンカー、そして海岸に打ち上がった巨大なサメの死骸にはいずれも妙な共通点が見られた。

 

船が襲われた際にできた傷は、まるで鋭利な刃物で切り落とされたようにきれいさっぱり穴ができており、サメの死骸は横半分に骨ごと切断されていた。しかも切り口が異様なほど綺麗で、誰かがイタズラ目的に切ったとしか思えない程だった。

 

ただ船が襲われた際に乗っていた乗船員は、皆一様に巨大な魚影を見かけたと言って聞かず、夜も眠れぬほど怯えているらしい。

 

インタビューに応じたタンカーの船長は後にこう述べている。

 

『ソイツを初めて見た時、私は悪魔だと思った。これでも海の上で仕事してきて色んな生物を見てきたから分かる、あれはクジラでもなければシャチでもサメでもない。もっともっと恐ろしくて、それでいて凶暴な奴だ。我々が乗っていた船が巨大なタンカーだったからよかったさ。私は趣味で小さい船を運転してカジキを釣ることもあるんでね、もしもカジキ釣り中に奴と遭遇していたら高確率でこの世から、おさらばしていただろうさ。もう暫くは趣味が出来なくなるほど、奴には生物としての格の違いと圧倒的な恐怖を感じたよ。』

 

人が生物に対してここまで恐怖することがあるだろうか。確かに野生生物の恐ろしさは普段山や海に入ることの無い人間からしてみれば、想像が難しいだろう。例えばあなたが、山道をハイキング目的で歩いていたとして、眼前に巨大な熊が降りてきたらどうするだろうか。

 

逃げる?戦う?

 

恐らくだが高確率で動くことが出来ないだろう。バイクや車ならまだしも徒歩で熊に遭遇した時、誰しもが死を覚悟するはずだ。

 

死を覚悟するほどの恐怖、しかもたった1匹がソマリアの海賊を切り抜けてきた巨大タンカーの屈強な船員を余すことなく、恐怖のドン底に突き落としてしまうのだから、今回の事件がいかに異様かは想像も容易かろう。

 

 

 

 

 

さて唐突だが、俺は、そんな恐怖の海洋生物の調査をアメリカ合衆国から依頼されてしまった。

 

 

 

 

 

桃谷さんや護衛兼外交官の人々ともにアメリカへと飛んだその日に、ホワイトハウスへと招かれた俺はプレジデントと通訳交じりの会談を終え、一泊。翌日飛行機に乗って巨大生物の発見例があったアメリカ西海岸はサンディエゴへと向かった。

 

目撃例が多発しているコロナド・ビーチは現在完全に封鎖されており、州軍や海兵隊による警備が続いている。ビーチの砂浜に乱立する巨大なテントでは忙しなく白衣姿の研究者や警察、消防関係者が動いておりネス湖の調査を思い出す。

 

我々が到着したのが伝わると、何ともアメリカらしく指笛と盛大な拍手に包まれながら、今回の調査を受け持つことになった海兵隊指揮官のブルース・プレスリー大尉がアメリカンスマイルを浮かべながら歓迎してくれた。

 

『よーく来てくれた!髭が伸びるほど待っておりましたぞ、ドクターササカベ!』

 

「こちらこそ…来れるのを楽しみにしてました」

 

『HA ha ha!!そいつはいい!!さて、このモンスター映画がエンドロールになったら、店の酒樽全部開けて、盛大にパーティーといこう!』

 

「楽しみにしてます…」

 

『HA ha ha!!』

 

めちゃくちゃテンション高い。

 

 

さて、今回の調査には実はもう1人責任者がいる。先程のプレスリー大尉は言わば実働部隊で、実際に現場に向かうことを目的とした前衛。つまるところ、後衛にもリーダーがいるということだ。後衛はもちろん、調査隊の頭脳とも言える研究者たちの事で、アメリカ中の超優秀な大学から現役の学生を引っ張り出してきた他、シリコンバレーの有名企業からも協賛として人員が派遣されている。世界随一の頭脳が一堂に会しているという訳だ。

 

そんな頭脳の親玉である カレン・リン・ジョプリン博士は海洋生物及び爬虫類の権威で、彼女の執筆した論文は世界中の大学で教材として引用されている他、近年では深海生物を生きたまま捕獲する技術の開発も行っている、生物学と工学のエキスパートだ。

 

『こんにちは会えて光栄です』

 

「こちらこそ、実はオランダでカローラさんから貴方のことを聞いてまして…」

 

『あらカローラちゃんが…嬉しいわ…あの子は私が助教授だった頃の生徒でね、それはそれは優秀だったのよ』

 

「へぇ、世の中狭いもんですね」

 

『まぁ、生物学者で括ってしまえば因果律も少しは変わってくると思うけど』

 

 

以前オランダに行った際、彼女の実家を訪れた時に酒の席で何かとカローラさんが話題に出していたのが、カレン博士だった。カローラさんの敬愛する師匠であり、ライバルであり、恩人。生物学にのめり込んだのもカレン博士の影響だと言っていた。

 

『これから暫くは海上で過ごすことになるだろうけど、くれぐれもお身体には気をつけて』

 

「はい」

 

労いの言葉を頂き、そのまま泊まっているホテルに戻って翌日。

 

ビーチのすぐ近くにある岸壁に、沿うように浮かぶ大きな船をみて唖然とする。流石は超大国アメリカ。調査する際に使用する船はなんとイージス艦だった。いわゆる灰色の船体が特徴の、レーダー探知機やらミサイルやらがいっぱい付いてるアレだ。

 

ただし今回は特別仕様。あくまでも航海の目的は巨大生物の調査のため、重荷になるミサイルや機関銃は下ろしている。

 

早速船に乗り込むと、調査に際したミーティングが行われ、数十分後に出航した。まずは大型のタンカーが襲われた地点に向けて船を動かす。

甲板に出ると激しい潮風が身体を打ち付けた。

 

テレビで見る船の映像はあまり速度があるように思えなかったが、こうして実際に乗ってみるとかなり速く航行していることが分かる。

 

「中に戻りませんかー!」

 

風の音で必然的に声が大きくなった桃谷さんが、前髪を押さえながら叫んだ。どうやら船の外が怖いようだ。無理をさせてはいけないと艦内に戻る。

 

「すいません、ちょっと怖くて」

 

「いえいえ」

 

「私、船にあんまりいい思い出がなくて。お気に入りの帽子は飛ばされるし…ケータイは海に落とすしで…」

 

「まぁ風強いですからね」

 

「あぁ…沈まないかなぁ…」

 

「大丈夫ですよ…」

 

ちなみに桃谷さんがこれ程、船を怖がる原因になったのは映画で見たタイタニックと、大学時代に研究のため阿寒湖に行った際、真冬の湖に落ちたからだという。

 

 

 




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最強の生物

しばし船に揺られ到着した地点はビーチからかなり離れた沖合だった。

ここでタンカーが何者かに襲われるという事件が起きたらしい。分厚い鉄に大きな穴を開ける生物なんてこの世に存在するのか大変疑わしいが、実際報告も多数挙がっているため嘘とは断定できない。

 

巨大なソナーを海面に垂らし、しばし様子を見る。周辺の海域の地形や魚影がすぐさま分かるので大変便利だ。釣りのお供にいかがだろう、今なら120万円ほどで購入出来る。

 

待つこと数十分、特に目立った魚影は見られなかった。並行して海中に沈めていたラジコン型の潜水カメラも、怪しそうな岩陰を捜索してみたが手がかりは掴めなかった。海底には襲われた際の船の破片が散乱しており、当時の惨状がいかなるものだったか、想像は容易い。

 

捜索を続けても一向に影は見えず、今度はポイントを移動して可能性の高そうな場所を同様の調査方法で探索してみる。

 

しかし結果はおなじ。

 

これはネス湖の時よりもだいぶ厄介だ。湖という限られた区域を探すならまだしも、広大な海ともなれば干し草の中の針を探すようなもの。

被害にあったタンカーの船員が言うに、襲われた時はまだ太陽が昇っていたというし、夜行性ということも考えにくい。

 

どこかに身を潜めているか、はたまた遥か遠くへ移動してしまったか。可能性としては後者の方が確率は高いと思われる。常にその場に停滞して獲物を狙うよりも、餌のありそうな場所に移動するのは生物として当たり前の行動だ。ただそうなってくると、捜索はさらに困難を極める。

 

我々だけでは完全にキャパオーバーだ。

 

 

 

とりあえず念には念を入れて夜の調査も行ってみたものの、姿は見られなかった。いくつかの痕跡を残し、ここ近辺の海域からは遠く離れてしまったに違いない。そう断定し調査は翌日に持ち越しとなった。

 

 

 

翌日。念には念を、さらに念を入れて海中に設置できる暗視機能の付いた監視カメラをいくつかばらまいた。

今日はそれの回収及び、もっと広域の調査を行うために数隻の捜索用小型船を四方八方に向かわせた。

 

小型船の分隊とイージス艦の本隊の間では常に連絡が飛び交っており、怪しいことがあれば逐一報告が来る。ただ特にこれといった変化はないようで、分隊の帰還を指示しようとした時だった。

 

『α-4 α-4、こちらβ-9、緊急の連絡…どうぞ』

 

『β-9、こちらα-4。緊急の連絡を許可する、どうぞ』

 

『α-4、こちらβ-9、11:42タンカーが襲われた地点に設置したNo.7のカメラが粉砕されていることを確認…どうぞ』

 

『…粉砕された?』

 

至急、ビーチに設営された拠点のコンピューターチームに連絡を取る。

 

『こちらα-4、コンピューターチーム、応答願えるか』

 

『こちらコンピューターチーム、どうした』

 

『今しがた調査に向かった分隊β-9からタンカーの被害を受けたポイントに設置したNo.7のカメラが粉砕したと受けた、そちらにデータはあるか』

 

『あぁ、あるとも』

 

今回、海中に設置した監視カメラはもしも紛失及び故障した時のため、映像データは遠隔で逐一陸上のコンピューターチームの所へと転送される仕組みになっている。したがって、たとえ粉々に粉砕したとしてもそれまでの映像は綺麗に残っているということだ。

 

何者かが粉砕したのか、はたまた噂の怪物か。

 

映像の解析を行っている間に、カメラの粉砕に対しての考察が交わされた。陸上にいる後衛隊の研究チームと船上にいる前衛隊の研究チームが、リモートで話し合いを進めている間、我々は更なる探索をすすめていた。

 

20分後、データの確認が取れたという連絡が来たので映像を船内に送ってもらい、巨大なモニターにそれを移した。

 

 

記録は深夜2時30分を過ぎた断片的なものだった。暗視のためモノクロに映る暗闇の海水の中から徐々にうっすらと姿を現す巨大な影、全体像は見えなかったが、その直後、巨大な牙と共にカメラが噛み砕かれ映像は終わっている。わずか15秒程度の短い動画ではあるものの、ここから推察されることは無限大だった。

 

研究者たちがあれやこれやと話し合いを進め、ついに至った結論を発表してから、今日の調査は今すぐ切り上げるべきだと指摘を受けるまでさほど時間はかからなかった。

 

『この生物は恐らくですが、今から3億8200万年前から3億5800万年前、古代デボン紀に北アメリカ大陸の海を欲しいままにしていた海洋生物界頂点の捕食者…ダンクルオステウスだと推察します…牙の形状から今まで襲われてきた船に切り取られたような傷があることは想定できますし…小型船がもしも遭遇したら一溜りもないでしょう。』

 

映像越しのカレン博士の顔が引き攣るレベルにやばいことはこちら側にもヒシヒシと伝わってきた。

 

 

『映像から見るに大きさは化石から考察された記録と同様に8.5~9mの間、頭部は板皮類と呼ばれる所以とも言える、非常に硬い装甲で纏われています。牙は爪切りのように薄く鋭い天然の刃が上下にふたつ付いており、噛まれれば人間の肉なんて簡単に切断できます。分厚い船に穴を開けるほど強固とは考えられませんが…これまで見つかってきた絶滅動物も進化を遂げています。恐らくこの個体も同様と思われます。』

 

すぐに戻ってくるように、という言葉を受けた我々は冷や汗を流しながら船を旋回させた。

 

 

 

岸壁に停泊し、しばらく移動した後拠点の後衛チームと合流する。

後衛では既にダンクルオステウスの研究が行われており、活動範囲、進化の有無、対処策等々、協議は白熱していた。

 

その中でも特に熱を帯びていたのが、どうやって捕獲するか…という点である。絶滅動物と分かってしまった今、無闇矢鱈に弱らせてから運ぶことはその生物の生命の根幹に関わる重大な事態だ。捕獲したとしても、留めておけるほどの檻もないし、どこで引き取るのか、どうやって研究するのかまだ決まっていない点が多い。

 

長い時間協議したとて、その間に人的被害が出てしまったら大変なことになってしまうし、ならば退治するか…ということも出来ない。

プレスリー大尉は更なる応援要請は急務とし、既に上層部と連絡を取りあっている。いつも通り大事になったが、予定よりも早く見つけられたことは結果オーライと言えよう。

 

そんな中、協議していた中でひとつの疑問が投げかけられた。

 

 

 

簡単に説明するために、まずダンクルオステウスがどう言った生物かを噛み砕いて説明する必要がある。

 

ダンクルオステウスは体長が8mを超える化け物で、頭が分厚い装甲に覆われており、爪切りのような鋭い牙を持ち合わせている。しかしその発見されている化石は未だその装甲の付いていた頭骨のみで、体は軟骨であったと推察されておりそれが定説である。

 

しかし今回発見された個体を映像で見てみると、軟骨を有する片帯から尾にかけて光沢を有する大きな鱗に覆われているということと、頭骨部分の装甲も同様の光沢に覆われていることが判明した。

 

更に研究ではダンクルオステウスの噛む力は約540キロ程度とされていたが、タンカーの分厚い鉄板を食いちぎるほどの力を持っているとすれば、540キロを優に超える可能性が高いという。

 

本来なら絶滅動物が生きていたと喜ぶべきではあるものの、今回の相手はあまりにも色々な意味で厄介すぎる。こんな生物が現実世界にいて良いのかと神に問いたいほとだ。

 

さらに追い打ちをかけるように語り始めたカレン博士の推察に、研究者たちは冷や汗を流した。

 

『ウロコフネタマガイという生物をご存知ですか?みなさん』

 

『もちろん…て、まさか』

 

『もしもこのダンクルオステウスくんが同様の力を有していたら…それこそ分厚い金属を噛みちぎることなんて容易いと私は思います。』

 

何が何だか分からなかったので、隣にいる桃谷さんに問うた。

 

「ウロコふね?」

 

「ウロコフネタマガイです。2001年にインド洋で発見された貝のことで熱水鉱床に生息している生物です。その特徴は…」

 

「特徴は?」

 

「骨格、そして体表の鱗に硫黄鉄を持っているんです。つまるところ、金属を身にまとった生物ってことです。」

 

「金属を身につけた生物なんて世の中にいるんですか」

 

「いますよ、例はものすごく少ないでしょうけど…でカレン博士はその希少な仲間の中にダンクルオステウスが入るんじゃないかって…」

 

「てことはデカくて、凶暴で、噛む力も強くて、さらに金属製の強固な鎧を身にまとっていると。」

 

「そういうことです。」

 

「最強じゃないですか…」

 

「それに分厚い鉄を噛みちぎるほど、牙が鋭利ですからね…天然の刃物を搭載した生物…悪夢ですね。」

 

そんな生物が浅瀬にやってきたら、被害は甚大なものになるだろう。人間程度、切り刻むことも簡単だ。強力な咬合力に加え鋭利な刃、イージス艦の船体に穴を容易に空けられる姿を想像すると寒気が止まらない。

 

 

 

 

前衛隊の戦意は完全に消失していた。

 

 

 

その日の夜、サンディエゴのレストランに訪れた俺は、目の前を覆うフラッシュを見て、昼間から引きずっていた戦々恐々とした気持ちが完全に拍子抜けしてしまった。

 

というのも、プレスリー大尉とに夕飯を一緒に食べないかと誘われたため、桃谷さんと日本から付いてきた護衛官数名を引き連れて、待ち合わせ場所のレストランへと入店した時、店内が騒ぎに包まれた。

 

皆、俺の姿を見るなり、まるで著名人でも見たかのような様相で片手に持っていたスマホで写真を撮り始め、ついには噂を聞き付けたパパラッチまで登場してしまい、とんでもないことになってしまった。

 

どういうことですかと桃谷さんに聞いてみれば、大統領とお会いした有名人なので当然の反応ですと半笑いで返されてしまった。

いつからこんなに有名になったのか…一切自覚がない。

 

ちなみにたらふくご飯を食べたあとは無事にホテルに戻ることが出来たので、護衛官を連れてきて本当によかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はい、今サンディエゴにいます」

 

一人の男が物陰から様子を見つつ何者かに電話をかける。

 

「えぇ、明日きっかり明朝に…はい、はい分かりました。ロスディネフェネスで落ち合いましょう…失礼します。」

 

 

 




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殺人

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「どこ…ここ。」

 

朝起きたら船の上だった。

ゆらゆらと揺れる水面と、青空のコントラストがなんとも美しい。

 

手足に付けられた結束バンドもいい味出してる。

もう一度言おう。

 

「どこ…ここ。」

 

なぜベッドで就寝して、朝起きたら海の上にいるのだろうか。

ふと船の奥から数名の男がビール瓶片手にやってきた。

 

『…おい起きてるぞ』

 

『日本人は早起きなこって…どうする、もう1発ぶん殴って眠らせちまうか』

 

『いや、死なれちゃ困る。それにもう朝だ、人間誰でも普通に起きんだろ』

 

おそらく英語ではなかろう言語で話している数名の男たち。腰から覗くギラギラに輝いた(チャカ)。絶対に堅気ではない。

 

「(人相悪いなぁ…)」

 

いかにも日頃からドンパチしてそうな見た目で、かなり怖い。ここは逆らうのは凶だとし、静かに再び目を閉じた。

まぶたの裏で、船が動き出したことを感じる。頭に麻袋が被せられる感触も、船員の誰かが逐一どこかと連絡をしている声も鮮明に聞き取れる。

 

人間、ピンチになると火事場の馬鹿力が働くというのは本当だったのかと場違いに感心しながら、何をされるのかという想像はしないでおく。

先は不安だ。ただ俺を攫った理由はよからぬ事であることは確実…というか攫ってる時点でよからぬ事なので、何かに利用される可能性は往々にしてありうる。

 

 

死にたくはない。だけど死なないだろうという確信はどこかあった。

何かあったら、きっと誰かが助けてくれる、子供の頃から漠然とそう確信している。

 

自分は何かに守られている気がするのだ。だから本当に死にそうになったら、命からがら助け出してくれる存在がヒーローのように参上してくれる。

今はただ祈るばかり、誰でもいいこの状況をひっくり返せるほどの圧倒的な力を持つ何かよ、俺を助けてくれ。

 

心の中で繰り返すようにつぶやく。

 

 

思えば、俺が過去にピンチだった時、助けてくれたのは友達でも大人でも先生でもなかった。子供の頃、山にカブトムシを取りにいって迷子になった時、鹿みたいな生物に服を引っ張られて無事下山することが出来た。今思えば、あれは紛うことなき天然記念物のカモシカだった。

 

川で遊んでいた時、ふとした瞬間に岩から足を踏み外して激流に飲み込まれたことがある。その時も俺のことを何かが引っ張りあげてくれた。

人間、人生の中で死にそうになったことなんて一回や二回はあると思う。そんな時に命からがら今まで生きているのは、なにか不思議な力が働いているか、誰かに助けて貰ったからの二択に分かれるだろう。

 

自分の場合は後者のみだ。

子供の頃から山奥で過ごしていたこともあって動物という存在に対して並々ならぬ信頼を寄せている。山形から千葉の会社に行った時もその気持ちは変わらなかった。

 

社会人として働き始めた頃、当時付き合っていた彼女が小さなチワワを連れていた。警戒心が強くて、普通なら初対面の人を見ると吠えてどこかへ逃げてしまうのに、自分にだけは妙に懐いて仕方がなかった。

 

人生において動物園や水族館に行ったことは数回しかないが、大きな水槽の前に立っていると巨大なシャチ数匹がまるで、興味深そうに俺の周りによってきてじーっと凝視されたことがある。動物園内のサファリではライオンに餌をあげる時に、他の客を無視して自分のトングにのみ集まってくる。

 

小さいながら、その事が怖くて、子供の頃はあまり動物園には行きたがらなかった。動物に愛される体質…にしては異様すぎると一度病院に連れていかれたこともあったが、原因は未だ不明だ。

 

高校が山形の市街地にあり、一人暮らしをするようになってからしばらく実家に帰ることはなくなった。高校の休み時間中、ふと窓を開けて外を眺めていたら、肩にカラスが止まったことがあるし、校内で飼っているうさぎが脱走した時、見つかったのが俺の机の上だったこともある。

 

自分自身、そんな特性を持っていることを大変気味悪く思っていたけど、高校の頃の友人は凄い凄いと笑顔で接してくれたし、なにより、自分の中でこの特技とも言えるか分からない体質が誰かに認められるのが非常に嬉しかった。

 

社会人として生活し、彼女ともいつの間にか別れ、働いていた会社が不景気で倒産して山形に帰ってきたとき、自分の夢は潰えたと思っていた。田舎者特有の都会に対する強いあこがれ。本当は東京で生活したかった、でも両親が共に亡くなった影響で実家を管理する人間がいなくなってしまった。

 

初めてニホンオオカミと出会ったあの日、今思えばあれが自分の人生の転換期だったのかもしれないと、考えることがある。もしもニホンオオカミに出会わなかったら、自分はどうなっていただろうか。

 

貯金を崩しながらずっと田舎で生活していたに違いない。それもそれでアリだとは思うが…。

こうして世界中を飛びまわる仕事につけたことは幸運だ。自分の中で生物に対する趣向が変わったと確実にいえる。

 

今回の調査で、初めて経験した生物に対する本当の恐怖心、それまでギガントピテクス等、人間を簡単に死に至らしめることが出来る生物と対峙してきた自分でも、この個体だけはどうしても近寄りがたい。

 

だけど、果たして生物を見た目だけで判断していいのだろうか。

本当にその生物が人間を襲うような生態だったとしても、その要因は我々に無いとも限らない。相手は生きるために他種を殺し、そして明日の糧にしている。

 

皮肉にも無益な殺生をする生物なんて大半が人間だろう。

 

 

 

『おい、着いたぞ…起きろ』

 

麻袋を外され、太陽の眩しさに目を細める。目の前にいる小太りの男がこちらを品定めするかのように鋭い目線で睨みつけていた。

 

『確かに笹壁で間違いありません』

 

『おし、よくやった。早速こいつを使ってプレシオサウルスをおびき出すとするか。』

 

『アニキ、どうしますか。逃げれねぇようにアキレス腱でも切っておきますか』

 

『いんや、自分で歩いてもらわねぇとめんどくせぇからな。確かこの前、自白させる時に使った首輪型の爆弾があったよな、あれ着けれねぇか』

 

『試してみます』

 

『おうし、んじゃとっとと引き上げちまうぞ』

 

小太りの男は、船に横付けされた大きなヨットに乗り込んだ。おそらくあいつがこの中の親玉だろう。こいつらに不幸が訪れますようにと、心の中で最大限の罵声を浴びせる。

 

ふとその瞬間である。水面が大きく揺れ始めた。

 

 

『おい、何だこの揺れは』

 

『ひ、ひぃ…ッ!?』

 

『あ?どうした!』

 

『船の下に…尾っぽが…』

 

『な、撃て! 撃ちまくれ!』

 

水面に向かって銃弾を撃ちまくる男たち、その様相は先程までの楽観的な雰囲気とは一転し焦りが見えていた。

 

『クソッ、銃弾が効かねぇ!おいエンジンは!早く動かせ』

 

『も、モーターが食いちぎられてます。』

 

『クソが!ヨットの方は!!』

 

『ダメです、同じくエンジンがやられてます。』

 

埒が明かないと焦った男は、俺の首根っこを掴むと、銃口をこめかみに突きつけ。叫んだ。

 

『今すぐここから離れねぇと、こいつのど頭に風穴ぶち空けるぞゴラァ!』

 

瞬間。海面が大きくゆれ、現れた巨大な顎に男の体は持っていかれた。海面が深紅に染まる。再び鳴り始める銃声。

 

『クソ!3匹も居やがる!!』

 

『いや、違ぇ!周りにもいるぞ!8匹だ!』

 

『とにかく撃ちまくれ!』

 

船の下を泳ぐ3匹の巨大な影、そして船の周りを泳ぐ5匹の影。

やがて銃弾が尽き辺りが静寂に包まれた数秒後、隣に浮かんでいたボートが次々と食いちぎられて行った。男たちは叫びながら海の中に飛び込むものの、その末路は説明するまでもなかろう。

 

ならばと、男のうちの一人が俺の事を持ち上げて海の中に投げ捨てた。

全身を冷たい感覚が襲う。深い深い海の中に吸い込まれていくような感覚に意識が遠のきそうになる。しかしその体を押し上げるように背びれが結束バンドで繋がれた俺の両手の間にするりと収まった。

 

間近で見たがやはり大きい。自分の身長の4倍はあろうかというデカさ。しかも肌に触れる感触が並の生物とは異なる、まるで鋼鉄の甲冑を触っているようだ。海面に引き上げられると、そこに広がっていたのは黒煙を上げながら炎上する船と、海面に浮かぶ人だったもの。

 

思わず唾を飲み込む。

これを今自分が捕まっているこの巨大生物がやったと思うと、恐怖のあまり固まってしまう。失禁しなかったのは救いだ。

 

よく見れば8匹どころか10匹程度はいる巨大魚たちの群れ。

思わぬ形で遭遇してしまった、海の王者ダンクルオステウス。

 

屈強な見た目とは裏腹に彼らの巧みな連携プレーには思わず心の中で賛辞を送ってしまった。敵として遭遇したらどれだけ恐ろしいことか、しかし今は少なくとも自分の味方…だと思いたい。

 

群れは陸へ泳ぎを進めると俺を岸に下ろして海の底へと帰って行った。

 

生物に対して感謝の気持ちを述べたことはそうそうなかったが、今回ばかりは頭を深く下げてしまった。

 

 

 

 

 

やがて姿を現したイージス艦をみて安堵のため息を吐いた。

今回の事件の顛末は、明朝に自分の泊まっていたホテルに忍び込んだ密猟者の集団が、イギリスで発見されたプレシオサウルスを捕獲するために俺をわざわざ拉致し、飼い殺しにしようと画策したと聞いた。警備の目を掻い潜っての一瞬の犯行は目的が違えば殺されていた可能性もありうるため、今後は24時間体制でアメリカ合衆国側の手も借りながら警備を続けていくという。

 

さてダンクルオステウスによる密猟団惨殺事件はそう易々と収束に向かうはずもなかった。

 

今回の件でダンクルオステウスにより襲われ死亡した事例が実際に発生したこと、更に個体数が10匹もいることが明らかになった以上、政府側も看過することは出来ないとなった。

 

政治家の中には早急に駆除するべきだと血相を変えて叫ぶ者も居たが、結局議会で出た結論は駆除ではなく、早急な保護だった。これまで人間を襲ってこなかったこと、今回死亡した人間はダンクルオステウスにむけて危害を自ら加えたことが加味されて、すぐさま殺すべき危険生物ではないという結論に至った。

 

実はアメリカ国内の世論はダンクルオステウスの保護が圧倒的に支持されており、駆除は超少数派だった。その証拠に、ニューヨークでダンクルオステウスが既に人気になり始めている他、化石を展示している博物館や水族館の来場者数が3倍に膨れ上がっている。

 

アメリカのセレブもダンクルオステウスの保護を求めており、保護したら是非とも水族館で展示して欲しいという要望も多く挙がっている。

 

ダンクルオステウス自身にとって人間の保護は余計なお世話かもしれないが、はっきり言ってこれは人間のエゴで、保護=安全化を図るに等しい。実際、このまま野生に放置していたら両者にとって非常に危険な事態を招くことは明白だ。人間側はダンクルオステウスに襲われる可能性があるし、ダンクルオステウスは希少性から動物の死骸ばかり集めてる悪趣味なトロフィーハンターの餌食になるやもしれない。

 

死者数をゼロにするため、種の存続のため、一見すれ違っているようで利害は一致している。

 

そうと決まればありがた迷惑でも、こちらから保護させてもらうとしよう。その代わり、水族館での生活は最高のものにするとカレン博士が約束していた。

 

そのためにはまず8m以上の大きさを有する捕獲用の檻を10個作る必要がある。ただそこはアメリカの技術がいかんなく発揮され、わずか1週間足らずで分厚いアクリル製の檻が出来てしまった。言っちゃあなんだが、ほぼでかい水槽だ。

 

ただ、保護に際する法案が可決せず、保護施設の建設も若干遅れていた。米国内の水族館で体長が8m越えの生物10匹を管理保護できる施設は皆無だった。海上に半ば強引に保護用の区域を作る案も出たが、保護と並びに重視される、厳重な隔離に関して確実性に欠けるとされ、処遇は難航した。

 

そんな中、事件が発生した。

 

発見から1週間後、西海岸のとある街で、ダンクルオステウスに襲われ死亡した80代の男性の遺族が国に対する訴訟を起こしたのである。

 

もっと早く駆除していれば死ぬことはなかったと、国民の同情を買った。この裁判はアメリカ中で話題になった、なぜなら時のダンクルオステウスに関する裁判と言うだけでなく、訴訟された中には今回の調査の際に招聘された研究者も含まれていたからである。

 

専門家としての視点でダンクルオステウスの危険性を国に訴えていれば、確実に結果は変わっていたと主張する遺族。

 

つまるところ。

 

訴訟を起こされた研究者の中には、笹壁 亮吾も含まれている…ということだ。

 




実は今この小説を、一二三書房のWEB小説大賞に応募しています。文字数規定はなかったのですが、大体ライトノベル1巻分の約10万文字近く書いていた方が、選考にも有利だと推察し木曜日に怒涛の更新をしたという訳です。

あと嬉しいことに、有名な作家さんがこの小説を読んでくださっているらしく、暇な時に始めた趣味の範疇とも言えるこの小説が、随分と大層なものになったなと客観的視点から見て感じざるを得ません。

今現在、就活に勤しんでいる若輩者の私が将来的に食いっぱぐれることなく生きていくために、今後とも小説を更新していく予定ですので、何卒よろしくお願い申し上げます。めざせチリツモ。


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裁判

今回の話は色々と難しく、かなりの校閲が必要かと思われます。アメリカの裁判については調べたつもりですが、素人知識のため多分間違ってる部分が多々あるかと思います。ご了承ください。


アメリカの世論は2つに割れた。

 

 

ダンクルオステウスによる80代男性の死亡事件は、それまで絶滅動物だと楽観視していた人間を恐怖のどん底に突き落とした。今まで、目撃例が多発していた時点で西海岸沿岸部に住まう人々の間では、海に入ること自体を自粛するほど恐怖が蔓延している傾向があったが、それもごく一部で、アメリカ全体を見ればかの生物の捕獲や保護を推進することの方が重要視されていた。

 

それも偏に、今まで人的被害がなかったからこその賜物であり、内陸部に住まう人々はダンクルオステウスをマスコット的存在として囃し立て持ち上げた。

しかし、事件が起こって以降その傾向も以前に比べ陰りを見せ始め、それまで保護一色の良好な総意が見て取れたアメリカの世論も、排他的意見が点在するように起こり始め、ダンクルオステウスの処遇について様々な考えが生まれたのは無理からぬ話だ。

 

そんな中でも、今回行われた訴訟に関して疑問視する声が多く上がったのは意外だった。確かにダンクルオステウスによって人の命が失われたことに、世論の分割が巻き起こるのも必然的と言えよう、しかし、その責任を研究者達や国に押し付けるのは如何なものかという声が相次いだのである。

 

今回の事件は当然軽視されるべきものではないが、責め立てるべき人間は完全なるお門違いで、そもそも誰の責任でも無かろうという声は大きく、やれ国が悪いと非難する人間は変なアナーキストに限られた。

 

 

一方、被告人側となった笹壁 亮吾の処遇に対して日本政府は僅かながらの遺憾と擁護をチラつかせつつ、静観を決めることとした。今回の裁判は単に個人間の問題ではなく、国が絡む重大な案件であり、真相の解明が成されるまで余計な口出しをすれば日米関係だけでなく事実上の反米国主義国家との関係悪化を招きかねないとし最低限の補助は確約したものの、大胆に動くことは困難だった。

 

今現在、笹壁はアメリカの日本大使館で保護されており厳重な警護が付けられているが、その間は当然、ダンクルオステウスの調査が中断され予定帰国日時を大幅に過ぎた滞在となっていた。

 

 

アメリカ政府側は今回の訴訟に対して断固反骨的な姿勢を貫いており、様々な組織をフル動員して早急な事件解明に尽力している最中だった。ただ、絶賛難航中で、ダンクルオステウスの生態が明らかにならない限り今回死亡した80代男性が、本当に襲われたのか、それとも見せかけの他殺なのかを断定するのはかなり難しかった。

 

今回見つかった遺体は右手の肘から手首までの前腕と、片足、下顎のみで、遺体の身元判明が成されたのはかろうじてDNA判定が可能な状態だったが故だ。

ダンクルオステウスの糞便を採取することは困難であるし、仮に海上で襲われたとしたら目撃者は限りなく0に近いだろう。

 

遺族に対する事情聴取を行っても黙秘を貫いているせいで真相は闇の中だ。

 

 

政府は当初、今回の事件をかなり軽視していた。というのも、たとえいくら個人が国を訴えようが、裁判の判決を簡単に覆すほどの力を持っているのは国である。つまるところ、様々な手段を使って簡単にもみ消すことが出来るだろうと高を括っていたのだ。しかし蓋を開けてみれば、連日ニュースで報道されるほどの話題性と、政府内部に潜む原告側の賛同者が予想以上に多かったため、裏工作は実質的に不可能だった。

 

向けられる目が多いほど、下手な動きをすれば不利になる。

イギリスのようにプロパガンダを打てば事態はマシになるだろうが、アメリカは多民族国家かつ個人の主義主張は多種多様。ましてやインターネット社会の現代において、人々を半ば洗脳するほどのプロパガンダを流布することは極めて困難であった。一人がこれを嘘だと言えば追従するように暴動が起きるだろう。

 

邪道な手段は潰え、正攻法による完全勝訴を目指さなくてはならない。

疑惑の目を向けられれば不利になるのは国側である。

 

さらに追い打ちをかけるように、とある証言がインターネット上に公開された。アメリカでも有数のネットメディア大手が、一人のインド人の少女に取材を行ったのである。

少女は顔を隠し、声を加工した状態で自身の父が遭った惨事を赤裸々に語った。

 

少女の父はインド陸軍に従事し、かつてのギガントピテクス捜索作戦に参加していたうちの1人だった。インド国内においてギガントピテクスを発見した際の顛末は既に広く周知されており、密猟者を退治し、怪我をしていたボス猿の為に笹壁と協力して調査チームと接触した事実は、半ば英雄視されるほどの勇敢な行為という認識が強く、『神の使い』や『武と知を司る賢者』と崇める者も多かった。

 

しかし少女が言うには、笹壁 亮吾は人間に匹敵するほど賢いギガントピテクスを懐柔、利用し、密猟者たちを一方的に虐殺するよう仕向けたのが事実であり、その現場を父は目撃したと語った。

 

この大手ネットメディアは自分の手を下さず、動物に殺すよう仕向ける笹壁を悪魔だと強く非難した。

 

 

当然この記事に対して嫌疑の目を向けるものは少なからずいたものの、今まで裁判に対する批判的な意見を述べていた世論は、強く影響を受け、事態は沈静化した。

 

今まで圧倒的に有利だと思われていた被告側の力は公判を前に完全に弱りきっていた。

 

 

 

 

 

 

 

裁判が行われる7月の中頃、法廷となるカリフォルニア州の裁判所には多くの人々が詰めかけた。現段階で代理人同士で行われる裁判ではあるものの、その話題性から傍聴人の抽選が行われるほどの注目を浴びている。

 

動画共有サイト上に公開された裁判の様子は述べ80万人もの視聴者が見届け、ニュースでも専門家の意見を混じえながらその様相が伝えられた。日本においても同様である。

 

冒頭陳述が行われる中、裁判の話題は笹壁 亮吾に対する告発に焦点が変わった。記事の内容が事実であるかという確認は現在弁護士や警察組織を通じて調査中であり、これを覆さない以上被告側は圧倒的不利な状況に立たされていると言っても過言でなかった。

 

ならば証人として、少女の父を召喚しようとしたものの、すでに父は他界しており決定的な証人となりうる人間はいない状態だった。

 

であればどうするか。

 

 

 

 

 

そうだ……

 

 

 

 

ギガントピテクスを証人にしよう。

 

 

 

これにはネット上も大いに盛りあがった。動物を証人として召喚するのは前代未聞の出来事である。しかもインドが国宝よりも大切に保護している絶滅動物を、アメリカの裁判所に呼び出すのはあまりにも非現実的である。

 

そんな呼び掛けに対してインド首相のネロー氏は二つ返事でOKした。

そもそも、今回の事件で被告側が不利となったインド人少女による証言は、原告側の予想に反してとある致命的なミスを2つ起こしており、その誤算が壊滅的な被害をもたらしたのである。

 

というのも、ギガントピテクスを神聖視するインド国内において今回の証言は、冒涜に等しいという声が次々に上がっており、神の使いと初めて接触を果たした笹壁氏を、悪魔と表現したことは大変に許し難い行為であった。

つまるところ、大手ネットメディアは今回の証言のせいでインド国内の人々の膨大な怒りを買ってしまったのである。これが1つ目のミスだ。インドにおけるギガントピテクスの価値観をあまりにも軽視しすぎていた。

 

さらにもうひとつ。

 

これはメディアだけでなく、この証言を鼻高々と有利な材料として用意した原告側のミスとも言えよう。

 

彼らは、ギガントピテクスに対して単なる平凡な動物という認識を持ったまま、記事および裁判に持ち込んでしまった。

 

ギガントピテクスといえば、今や生物上2番目どころか人間に匹敵するほどの頭脳を持つ、賢いという言葉を逸脱した生物だ。

 

ここまで言えば分かるだろう。

 

ギガントピテクスは通常の人間と同様、証人としての能力は十分にある。つまるところ、裁判官からの質問に対して的確に答えることが出来るほどの知能を有している…というわけだ。

 

従って、被告側の弁護人はギガントピテクスを証人として召喚するように提言したのである。

 

 

 

裁判が行われてから5日。

テレビ通話を利用して行われたギガントピテクスに対する証人尋問は、極めて被告側に有利な状況を生み出した。

 

なにせ『笹壁 亮吾氏はあなた達に密猟者を殺すようけしかけたか?』という問に対して、首を横に振りながら手話でハッキリと否定したのである。

 

加えて当時調査部隊を指揮していた陸軍の関係者は、記事で述べられていた状況と実際の状況が一致しないことを明らかにした。

 

この証言を機に、ネット記事が真っ赤な嘘であることが一気に広まり、再び世論は被告側の絶対的な擁護に傾いた。

 

 

 




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事の顛末及び帰郷

7月26日、被告人として笹壁 亮吾本人の召喚が命じられ、秘書官とともに出廷した彼は、原告側からの問いに対して通訳を交えながら的確に答えた。中には裁判と全く関係性の感じられない誘導尋問のような質問が投げかけられることもあり、裁判官からの注意が言い渡された原告側の弁護士は、早々に質問を切り上げ席へと戻ることとなった。

 

 

その日の夜、笹壁が宿泊するホテルに手榴弾を括りつけた小型プロペラ機が突っ込んで、のべ数名が重傷を負う事件が発生した。犯人は40代のアメリカ人男性で、警護のために巡回していたシークレットサービスによって即時射殺された。

 

 

元々アメリカでパイロットをしていた男性は、2009年頃にメキシコの市長が所有するプライベートジェットの操縦士として3年間単身で赴任しており、それ以来帰国後も家族と顔を合わせることがなかったという。結婚もせず独身を貫いており、再びアメリカの航空会社に勤務していた時は主に国際貨物の輸送を行うことが多く、旅客機の操縦は非常に稀であった。

 

30代中頃でパイロットを退勤し、以降は、今回ホテルに突っ込んだ小型プロペラ機を使用して、遊覧飛行業を営んでいた。

 

 

2017年3月4日 麻薬取締局によってアメリカの航空会社が摘発される事件が発生した。自社に勤務するパイロットを使用して、メキシコの麻薬カルテルから大量のコカインを輸入し、国際線を利用して諸外国に輸出する、言わば中継地点のような役割を果たしており、主な輸出先はヨーロッパであった。

 

摘発に伴い、過去に勤務していたパイロットが芋づる式に検挙されるなか、男性のみメキシコに一時亡命しており、早急な逮捕は不可能としてマークこそされるものの、半ば野放しにされていた最中に起きた、今回の事件。

 

笹壁を狙った犯行であるかは定かでないが、憶測上は完全にクロと推察するものが大半だった。しかし何故9.11の真似事をしたのか、当の本人が死んでしまった現在、真相を聞き出すことも出来ない。

 

 

新たな謎が浮かび上がりつつも、捜査が難航せんとしていた翌日。

 

 

 

 

原告側の遺族が遺体で発見された。

 

検死解剖の結果死後それほど時間が経過しておらず、昨夜のプロペラ機突入事件のすぐ後に殺害されたことが分かった。しかも死因は銃殺。眉間やこめかみ、片目から貫通した弾丸から発砲された銃の種類は欧米製拳銃のコピー品であることがわかった。

 

遺体は自宅のすぐ側にある物置小屋から発見され、ラップと黒いゴミ袋に包まれていた。

 

一連の出来事が点と点で繋がっていく。

 

 

 

 

80代男性死亡事件から約2ヶ月が経過しようとしていた時期に、FBIが事件のあらましについて発表した。

 

 

まずダンクルオステウスによって殺された80代男性だが、死亡日から約2年ほど前、アルツハイマー型認知症の診断がなされており、遺族の介護を受けながら生活していた。しかし事件が発生する2日前から失踪し、身体の一部分のみが発見され、裁判に至った、というのが建前である。

 

本当は遺族によって殺された後、何者かの手によって隠蔽工作が図られたというのが真相で、死因は撲殺だった。実際に、殺害の数日前に遺族が地元スーパーで少年野球用の木製バットを購入した記録が存在する。

 

遺族による保険金殺人が行われた際、彼らに協力者がいたことも明らかになった。

 

『バサネラル・カルテル』の構成員である。

カルテルの主な収入源はコカインの輸出だが、アメリカ国内にいる構成員の主な役割は地域における麻薬の売買や、土地・建物の占有、金融、詐欺、殺しだった。遺族は保険金殺人のためにその道のプロと協力して男性を殺害、死体を遺棄した。

 

しかしここで疑問が生ずる。

 

バサネラル・カルテルの殺しは本職の殺し屋も舌を巻くほど巧みで、事故や事件に見せかけて人間を殺害することは容易かった。彼らの常套手段はどちらかと言えば平凡かつ無難で、ダンクルオステウスに噛み殺されたという突拍子もないデタラメな死因の偽装は、あまりにも悪手と言えた。

 

ここから何が見えてくるのか…というと。

バサネラル・カルテルは今回の事件を利用し、笹壁 亮吾の身柄を再び拉致しようと考えたのである。笹壁の評判が下がることにより科学者としての仕事は減り、必然的に厳重な警護は薄くなる。

 

もはや警護対象ですら無くなった一般人を攫うことは赤子の手をひねるよりも容易い。日本という国はたとえ被害者であろうが、不祥事に巻き込まれたという事実に悪印象を抱きやすい、それまでの笹壁に対する意識が悪い方に傾けば上記の計画は遂行しやすくなる。

 

しかし蓋を開けてみれば、非難どころか世界各国の人々が笹壁に対する声援を送り、アメリカの世論すら彼を擁護する声が大きい。

 

カルテルはこれまで笹壁のしてきた功績に伴う名声と徳望を見誤っていた。一度はプロパガンダで世論の声を押さえつけたはいいものの、まさかギガントピテクスが証言するとは思わなかった。

 

計画とは大きく乖離したせいで、指揮していたグアトロが焦り笹壁の暗殺を命令。飛行機事故に見せかけて殺害しようとしたが、結局は失敗に終わり、原告として担ぎあげた遺族を証拠隠滅のために抹殺。粉微塵に遺体ごと消し去ろうと考えていたが、隠していた死体がFBIに見つかり計画もおじゃんになった。そこからはずるずると協力者を摘発していき、計画の全容も取り調べで明らかになり、プロパガンダを作成した大手ネットメディア内や政府の中にも複数のシンパ及び賄賂を受け取った協力者がいた事から、一応調査は継続していくという。

 

つまるところ今回の事件の顛末は、計画が頓挫して焦ったカルテルが自ら墓穴を掘って自滅したという、なんとも呆気ないものとなった。

 

FBIは皮肉混じりに『こんな、素人と見間違うほど馬鹿なバサネラル・カルテルは今まで見たことがない』と苦笑した。

 

 

 

起訴内容が全くのデタラメであったことが功を奏し、晴れて政府と研究者らは勝訴となった。

 

 

 

アメリカで起きた一連の騒動から、笹壁はダンクルオステウスの調査を一時的に断念し、急遽帰国することとなった。暗殺未遂が行われたということもあって、旅客機は専用のものを使用し、より厳重な警護を形成するに至った。

 

一般人にここまでの対応をするのは如何なものかと一部政治家から反発はあったものの、状況を鑑みて適当な対応と言えることは誰が見ても明白だった。帰国後は自宅に戻りしばらく静養した後、暫くは国内の調査に従事することを本人も了承した。

 

 

「中途半端な感じで、なんか落ち着かないですね…」

 

「まぁ、状況が状況ですし…調査に関しては引き続きアメリカのチームが継続していく予定ですけど…まぁ、悔しい気持ちも分かります」

 

ひさし村の自宅で茶をすする2人。笹壁 亮吾と桃谷 千歌はアメリカの調査の動向を、局長の錦戸を通して逐一確認していた。調査の離脱はのっぴきならない理由があるものの、くだらない原因で帰国せざるを得ない状況には、悔しさを感じざるを得なかった。

 

笹壁の帰国に際して、秘書の桃谷は事務局から、彼の身辺をサポートするよう仰せつかっており、ここ数日は事実上の同棲が続いていた。大きなキャリーケースを転がして自宅前にやってきた彼女を見た時、笹壁は心底驚いたが、特段不純な気持ちを持ち合わせていなかったため、つまづくことなく2人暮らしがスタートした。

 

笹壁の自宅周辺にはいつの間にか臨時の駐在所が建設され、24時間体制で彼の警護が行われている。

 

これまで色々な場所を飛び回り、調査を続けてきた彼らにとって今回の束の間の休息は、かなりの好都合だった。久方ぶりの安息を、見慣れた田舎風景と共に過ごすことが出来る…こんな贅沢な休みがあるだろうか。

 

季節は夏。

涼しげな風がたなびく笹壁邸、団扇を仰ぎながら風鈴の音に耳を傾ける風流な雰囲気を満喫していた彼らの下に、珍客が訪れた。

 

 

 

「…花神教授、に…おまえ」

 

「ワヴッ…」

 

ふさふさの金色の毛並みを揺らしながら、颯爽と現れたニホンオオカミ。

彼も彼とて、久しぶりの帰郷であった。

 

 

 

 

 

 

 

 




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ニホンオオカミとの一夜。

日常回です。


笹壁そこ変われ。


『はァ、はァ、待ってくれ...俺ァ、あんた達の言った通りに絵かいたじゃねぇかよ…へへ、なぁ…頼む…この通りだ…一等のシマもそっちに譲るし…上納金ももっと…グァッ!!?』

 

『黙れ、チンピラ風情がいい気になって利口ぶるから、こんなことになる。絵を描いた? まずは、我々のシナリオに汚ぇアドリブ加える愚行をしたことを恥じて詫びるべきだろう?』

 

『…んな事してタダで済むと思ってんのか、俺たちァ、バサネラル・カル…っ………』

 

『…はぁ、てめぇらの親はもうあの世だっつぅのに…』

 

一発の銃声が響き渡る。

 

『もしもし…えぇ、始末はしました。やつが最後です。』

 

凶弾に倒れたグアトロを見下げる男は、電話越しに笑う声を聞きながら内心ため息をついた。

 

 

 

 

 

 

「外に出て大丈夫なんですか?」

 

「えぇ、あれから検査も無事進んで、笹壁さんがイギリスとアメリカに行ってた間に外に出られるよう色々な認可がおりましてね。今やカワウソくんも動物園内の屋外プールで元気に過ごしてますよ。あぁ…一般公開はされてませんからね?そこら辺は色々難しかったみたいです。」

 

「なるほど、いずれにせよ外に出れて良かったです。」

 

「私も同感です…ところでこれ初耳ですか?」

 

「えぇ…まぁ、色々と立て込んでて聞く時間もなく…」

 

「まぁ、色々災難もありましたし…でも今はこうしてゆっくり出来てるので、ほんと良かったですよ、ニュースを見た時不安で不安で」

 

心配をかけさせてしまったなと内心少し反省する。

傍らで寝転がるオオカミの背を撫でながら、談笑しつつ今回ここに来た理由を問うと、そうでしたと思い出したように花神教授は語った。

 

「実は外出許可が出たのは様々な理由もありますが、大きな理由としてこの子の同種を探すための調査の一環でして」

 

「へぇ、調査」

 

「えぇ、明日駐在所に裏山調査を行った際の調査隊が到着する予定で…ちなみに予めここに、この子を連れてきたのは環境に順応させ調査を円滑に進めるため…というのは建前で本心は笹壁さんと一日でもプライベートな時間を過ごしてもらいたくて…と思いまして。事務局の方に色々と根回ししてもらいましたよ」

 

「それは…ありがとうございます。」

 

「いえいえ、この子にとっても笹壁さんといる方が幸せでしょうから…今回はこの子だけですけど、今度はカワウソくんも連れてこれるように我々の方で頑張ってみます」

 

「何から何までありがとうございます」

 

すやすやと小さく息を立てながら眠るその姿は、王者の風格とは程遠い可愛らしさがあった。

 

「ほわぁぁ…かぁわいい…」

 

桃谷さんに至っては先程から目がハートになって、表情から尊い感情が溢れ出ている。恐ろしやニホンオオカミ、愛玩動物としての才能も兼ね備えているとは。

 

肉付きもすっかり良くなって、犬のくせに俺よりイケメンになっている。口に剣でも咥えたら、強キャラ感半端ないだろう。

 

「では遠慮なく失礼して」

 

生身で触れるのならこれをやらぬ手はないだろう。昔から大型犬にしてみたかった夢の行為。

 

横に寝そべり、体に手を回してそのままギュッと顔を毛に埋めた。背中の毛並みは少し硬いが、腹部は毛も細くふかふかだ。

 

「さ、笹壁さん…?気持ちはわかりますけど…」

 

「いいなぁ、私もそれやりたいです」

 

「桃谷くん!?自制して!」

 

肌越しに呼吸の音や心臓の鼓動が伝わってくる。生きている。という感覚が脳内を駆け巡る。

 

あぁ、ダメだ。これはダメだ。

極楽浄土はここにあったか。

 

暖かい日差しと、何にも変え難いふかふかの感触が眠気となって襲いかかる。

 

俺はそのまま意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

あぁ、いかんと目を覚ましたのは午後3時過ぎだった。

 

「あ、おはようございます」

 

「ンっ…すいません、寝ちゃいました」

 

「いえいえ、花神教授は私がお見送りして隣町のホテルに向かわれましたよ」

 

「ごめんなさい、何から何まで」

 

「いいんです、それに凄い熟睡してたので起こすのも悪いと思って」

 

欠伸をしながら、身体を伸ばす。パキパキと関節のなる音とともに立ち上がると、ちょうど同じタイミングで起きたオオカミを見下げた。

 

「お前も起きたんか」

 

「…」

 

ジト目でこちらを見つめてくるので何事かと思ったら、桃谷さんが笑いながら説明してくれた。

 

「実は30分前から起きてたんですよこの子。笹壁さんが自分を抱き枕代わりにしてるもんだから、じっと待ってたんです」

 

「あぁ、だからか」

 

スクッと立ち上がったニホンオオカミは、スタスタと浴室に向かうと桶を口に咥えて戻ってきた。

 

「ワヴッ…」

 

「シャワー浴びたいのか?」

 

「はは、物好きだな…おしっ」

 

一番最初にシャワーをしたように、その巨体を持ち上げ抱っこする。

 

「うぉっも…太ったんじゃないのか」

 

力む俺を構い無しに首をぺろぺろと舐めるニホンオオカミ。

浴室で下ろしてやり、ぬるま湯をかけてやる。嬉しそうにしっぽを振りながら泡だらけにしてよく揉みこんでやると、気持ちよさそうにゴロンと寝転がった。

 

水で泡を洗い流し、ドライヤーをしながらブラッシングを行う。これだけでもかなり毛が抜けて、大きな毛玉ができた。ふとゴミ箱に捨てようとしたところ、桃谷さんに止められた。

 

「あぁ、それは貴重な研究材料なので、袋に保管しといてください。」

 

「あそっか、毛一本まで超貴重なんだった」

 

目の前にいる動物は世界でたったの一頭だ。毛やらヨダレやら全部が希少な研究材料となる。オークションにでも出せば数千万の価値が付くだろう。某鑑定番組にでも出品してやろうか…というのは冗談で、歩く財宝そのものと言っても過言ではない。

 

「お前も世知辛いな」

 

「ワヴッ」

 

ボディソープの香りを纏う金色の毛並みを優しく撫でた。

 

 

お風呂上がり、夕食の準備を行う。今日の夕飯は蒸し豚バラとねぎ塩、グリーンサラダ、しめじとナスの味噌汁、お米は健康に気を使って一丁前に玄米ご飯を食べている。

 

料理は日による交代制で、今日のメニューは桃谷さんが考えたものだ。いつも美味しい料理をありがとうと言いたいところだが、桃谷さんも同様にお互い様ですと返されてしまうため、感謝してます感が出し切れてない。

 

お礼に納得出来ないことが、最近の悩みの種だ。

 

「そう言えばオオカミの食事は?」

 

「あぁ、それなら花神教授から預かってます。そこに置いてある大きい箱に入ってますよ」

 

そう言えばと目線を見やると、リビングの端を占領する巨大な箱がそこにあった。妙に近未来チックで、ヤバいものでも入ってるんじゃないかと恐る恐る開けてみたら、予想に反して普通の冷蔵庫だった。

 

「ニホンオオカミとニホンカワウソの食事に際して特注で作られた専用の冷蔵庫らしいですよ。24時間殺菌できる機能がついてて、大容量のバッテリーを交換すれば最大1週間は持つらしいです。コンセントも対応してますけど、電気代が馬鹿にならないので、予備用のバッテリーも複数本貰っときました」

 

「…開発費いくらしたんだろ」

 

「まぁ、数千から数億でしょうね…」

 

「…我々庶民との規模が違うな」

 

冷蔵庫からパック詰めされた食材を取り出し、同じく専用のお皿に盛り付ける。滅菌かつ使い捨ての器に肉や野菜を盛り付け、目の前に差し出すとゆっくりと食べ始めた。

 

「なんかガッツかない所が、ニホンオオカミの凛々しさを感じさせますよねぇ…」

 

「そうですか?」

 

やけに美味しそうに食べるので、見てるこっちまで腹が減ってきた。

 

 

 

夕飯後は歯を磨いて就寝。

翌朝10時には裏山の調査が始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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裏山調査Part2

厳重な警護。20人を超える科学者や医師、その他各分野の専門家たち。

一度目の裏山調査の約2~3倍の規模。

 

ニホンオオカミの捜索を目的とした今回の調査には、国から相当な期待が寄せられており、比例して予算もたんまりと下りている。

防護服等の装備が一新され、以前よりも調査員の人数は増えたが基本的にやることは変わらなかった。

 

入山の前にお祓いをして、身を清める。他国を例に見てもこういったことをするのは日本独自だろう、山に対する神聖視、今日(こんにち)まで日本が自然豊かな環境を築いてきた要因のうちの一つだろうか。

 

傍らに控えるニホンオオカミは昨日のデレデレな状態から一転し、凛とした表情を見せており、調査に同行する猟友会の方の中には、その姿を見て畏まる姿もチラホラあった。普段はシャワー大好きな甘えん坊でも、真神と呼ばれるほど神格化されていた存在だ、背筋を伸ばすのも無理はないだろう。

 

機器類を担当する本拠地の陣営の準備が整った午前10時過ぎ、裏山の調査はスタートした。以前の調査をした際にレーザースキャナーで山の全体像は大体把握出来ているので、歩きやすい道順を解析し、逐一進路方向の無線を受けながら歩みを進める。それでも緩やかとは言い難い斜面が続いているため、研究者の中には息が上がっている者もいる。自分はまだまだ余力があるものの、息が深くなる。ここで5分間休憩だ。休憩中は、調査隊の中から体力のある自衛隊員らが数名、先に進んで道の状況を確認していた。頼もしすぎて涙が出てきそうだ。

 

人間が、つかの間の休憩を満喫している一方、ニホンオオカミは素知らぬ顔で余裕そうな雰囲気を見せていた。さすがは元野生、スタミナが底を尽くことは無さそうだ。ふと、お手を指示してみると、手のひらをハムッと甘噛みしてきた。

 

「そうじゃないんだよ…てか牙すごいな」

 

口の隙間から見えた大理石のような犬歯の鋭さに少し驚く。こんなのに思いっきり噛みつかれたら痛いどころじゃ済まないだろう。

 

程よい甘噛みを受けた後、再び歩みを進めた。

前回、ミヤコショウビンと遭遇した地点まで到着した。

 

ちなみに、一回目の裏山調査で発見したミヤコショウビンとカラウルスは未だ捕獲が出来ていない。ミヤコショウビンは捕まえる機会を逃したこと、カラウルスの場合は純然に安全と言える輸送方法がなかったことが理由だ。

 

それでもカメラや映像に収められただけで奇跡だ。

 

と思っていたら、肩に数匹の鳥が止まった。

 

「久しぶり…」

 

鮮やかなオレンジ色が美しい。以前は一匹だったが今は五匹もいる。白雪姫にでもなった気分だ。かのミヤコショウビンがおいで下さった。小鳥特有の小さな鳴き声で羽を休めるミヤコショウビン。

 

「これ、どうすれば…」

 

こちらをガン見しながら固まっている他の調査員に問いかける。

 

「いやぁ…どうするって…保護…するしかないけど…」

 

「笹壁さん、20分ぐらい動かないでもらえます?」

 

「ま、まぁ…いいですけど。」

 

「………こちら調査隊、こちら調査隊、応答願いますどうぞ」

 

その後、応答の呼び掛けに答えた拠点部隊に対して保護用の籠を輸送するよう要請した。短時間かつ、わざわざ斜面を登ってまで籠をデリバリーするのは些か非現実的すぎるかもしれないが、予想外にも上空から、バトルロイヤルゲームの物資のように籠が落ちてきたもんだからめちゃくちゃびっくりした。

 

60×60の正方形の籠の中に鳥を移す。カーボンファイバー製のこの籠は、ミヤコショウビンのために作られた特注品で、今回の調査を想定して用意された代物だ。本来であれば、この籠の中に餌を入れてしばし放置すると、鳥がとまった際にセンサーが反応し、なんやかんやあって、99.9%の確率で鳥類を捕獲できるようになっている。日本の技術は凄まじい。

 

上記からもわかる通り、今回の調査は単にニホンオオカミの同種を探すだけでなく、前回の調査で遭遇した生物の保護も目的としており、研究者たちが丹精込めて開発した捕獲用のアイテムが総導入されている。さすがに全ては持ち運ぶことが出来ないため、捕獲する際は拠点部隊に連絡してドローンで輸送してもらう必要がある。

 

保護したあとは、慎重な検査が行われ、種の繁殖になんら危険因子が無いと分かり次第裏山に戻される予定だ。もっとも、あまりにも個体数が少なすぎるため、まずはDNAやら色々なものを採取して()()()()()必要がある。

 

昨今、ニホンオオカミの発見に伴い、国内で動物のクローン研究が一大躍進を遂げている。一部では倫理に反するという声が上がっているものの、種の存続のためにはやむを得ない。ただそれはあくまでも最終手段であって、大体の科学者は生物同士の生殖によるごく自然な個体数の増大を推進している。

 

まぁ、世の中には単為生殖によって種の繁栄を秘伝のタレを継承するかのごとく、極僅かに展開しているプレシオサウルスという例外もいるわけだが…。

 

ただ、ニホンオオカミに至っては、同種が複数匹いる可能性が高いことは既に学会で定説となっており、探せば日本全国に数十匹は存在する可能性が高いという。そもそもニホンオオカミはその昔、日本全国に生息していた言わばありふれた存在であり、様々な要因が重なって絶滅してしまったものの、未だ未踏の地も数多く存在する。

 

自然豊かなジパングの山奥にひっそりと生息している可能性も捨てきれない。というか、人目のつかないところで生活していることは確実だ。

 

ソースは?

 

傍らにいるこいつが生きていること自体が動かぬ証拠である。

 

 

要らぬ思案に浸りつつ、保護したミヤコショウビンを本拠地に運ぶ隊員を見送った我々は、更に奥深くへと足を踏み入れた。

沢を越え、奥へ奥へと続く斜面を進んでいく。やがて山の中腹部を過ぎ、広くなだらかな地帯に到着した我々は、テントを設営することにした。

 

予めドローン輸送によって下ろされていた巨大なテントを展開する。これも今回の調査のために作られたハイテクテントで、ボタンひとつで展開・収納ができる他、空気を注入して膨らむ仕様のため、大きさの割にかなり軽い。

 

また透明なビニール製であるにも関わらず、防寒防音で、太陽光を遮るためにエレクトロクロミックゲルを使用しており、電気を流すことで黒く変色し遮光することが出来る。当然断熱性にも優れているため中はエアコンを使わずとも快適なほど涼しい。

 

円形のドーム状で大きさは直径8m。平らで広い場所、さらに強い風の日には使えないというデメリットがあるものの、防護服を着て過ごす必要のあるこの裏山においては、菌を持ち込むことなく快適なキャンプライフを過ごすことの出来る必需品だ。

 

まぁ、通常のキャンプで使うことは無いだろう。ちなみにお値段2500万。これでもかなり抑えられている方だというが、桁が違いすぎて少し引く。ちなみに換気扇も、菌を放出しないようフィルターを重ねまくった特注品なので、テントに対してめちゃくちゃデカイのはご愛嬌である。

 

このテントを4つ並べ、中にそれぞれ小さなテントを2つずつ設営し拠点は完成だ。今日から数日の間、基本的に山中に設営したこの拠点から広域に調査を続けていき、大体の範囲を調査し終えたら、別の場所に投下されている同様のテントに向かって移動する…という言わば、チェックポイントを回る遊牧民のような生活を続けていく。

 

その間にニホンオオカミを見つけられればいいが、研究者の予想だと半年からそれ以上の期間を要する可能性が高いという。

 

 

つらい。

 

 

 

 

 




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久しぶりすぎて、キャラの口調がおかしくなってるかも知れません。


翌日。

 

平坦な道のりをしばし進み、鬱蒼とした木々が階段のように連なる山頂付近にたどり着いた。土から根が飛び出て(つゆ)で濡れている、雨季の明けた夏といえど東北の山奥は明朝、霧が出ることもある。何ら不思議ではない光景だ。

 

ふと一人の調査員が呟くように一言。

 

「なんか、下が温かくないですか?」

 

「え?」

 

「…確かに、ちょっと温かいです」

 

湿った地面に触れてみると、土越しに微かな温もりを感じた。

 

「これ、地熱じゃないですか」

 

「てことは温泉?」

 

確かに、夏場だからたまたま地面も温かいだろう…と仮定するには妙に熱を発しているように思える。

 

「裏山に温泉があったなんて…なんかラッキーだな」

 

「秘湯ってやつですな…調査のついでに拠点部隊に探してもらうよう手配でもしますか?」

 

「そんな簡単に…」

 

「サーモカメラ使えば一発だと思いますよ」

 

「…じゃあ、お願いします」

 

お言葉に甘えて、サーモカメラを搭載したドローンを要請する。上空から熱を検知することが出来るハイテク技術、ある程度低空飛行して地熱を探索すれば湧き出る温泉を探すことも容易である。

 

実際、ものの10分程度で温泉の流れる川を発見するに至った。

 

「温泉なら…温泉微生物を採取したいんですが…」

 

申し訳なさそうに手を挙げるのは、前回の調査にも同行していた水生生物学者の嶋佐さん。東京海洋大学で教授を務めるお偉いさんで、海水から淡水までありとあらゆる生物に精通したプロフェッショナルだ。実際、『プロフェッショナルとは?』と問われたことがあり、放映されたものを記念として録画しているお茶目な部分もある。余談だが、10歳年下の奥さんがいて、その人はドラマや映画で主演を務めるレベルの国民的人気女優だ。

 

数年前に夕方のニュースで『一般男性との婚約を発表』と速報で伝えられた時は、心底ナイーブな気持ちになったが、まさか結婚相手が嶋佐教授だったとは思わなかった…。今は主に、ニホンカワウソの研究を国から依頼されているせいか、なかなか家に帰れてないという。

 

帰ってやれよ…日本男児全ての推しが家にいるのに、ニホンカワウソの方が大事なのかよ…と目尻から流れる汗を拭きながら、心の中で『お幸せに』としか言えない自分が心底惨めだった。

 

話が脱線したところで、そんな今世紀最大の幸せ者が目をギラッギラに光らせながら、是非とも温泉を採取したいと言うので、快く了承した。

 

歩くこと数分、苔の生えた大きな岩が連なる神聖な場所にたどり着いた。岩と岩の間をチョロチョロと流れる温泉、あからさまに人が入ったら大火傷を負うぐらいの湯気をモンモンと漂わせながら、小川のように流れている。

 

嶋佐教授は、持ってきていた専用バッグの中から遠心管を取り出して、湯や苔などを採取した。

 

「あ、完了です。お騒がせしました」

 

採取は直ぐに終わり、再びルートに戻る。

研究員の中には、湧き出る温泉に興奮を覚えていた者もいたようだが、明らかに人間の入れるタイプの温泉じゃないことを察すると、落胆したように肩を落としていた。

 

そもそも、入れるぐらいの温度かつ大きさの温泉が自然にできていたとしても、防護服を脱ぐことは出来ないので、最初から肩までゆったり浸ることは不可能だったんだぞ…と肩を叩きながら追い討ちをかけるのはやめた。

 

 

気持ちを切り替えつつ、しばし歩みを進め、山頂に登頂した我々はようやく折り返し地点に到達したことを喜んだ。

 

途中途中、広域な探索をしつつの登山だったので大分時間がかかった。ここからは山を越えるために斜面を下る必要があるため、より慎重な探索が必要となる。

 

下山して400メートル地点、第2の拠点ポイントが見えた時には思わず安堵の声が漏れてしまった。

 

緩やかな斜面に置かれたアイテム。

簡易的に展開できるテントはもちろんのこと、設営が簡単な斜面用のハイデッキ、巨大な熊、極めつけにシャワールーム。その他、見たことの無い最新アイテムetc。

 

 

「熊…?」

 

 

岩のようにでかい毛の塊。いびきをしながら寝そべる褐色の猛獣。

すぐさま猟友会の人間が銃を構える。

 

「デカい…」

 

大きさから推察するに300キロはあると思われる。

人間の気配を察知したのか、ゆっくりと身体を持ち上げた熊は森に君臨する王者のように、力強く闊歩した。

 

「人間を…恐れていない…」

 

熊が人間を襲う理由は、その臆病さが起因している。人間を恐れているからこそ、排除しようと牙を剥くことが大半で、捕食するために向かってくるのは極めて稀なケースだ。

 

しかし、眼前の熊は恐れるどころかまるでこちらを挑発するように睨みながら、ゆっくりと歩いている。

 

「こいつは、一度人を襲っているな…」

 

人間が弱い存在であることを知った熊ほど厄介な存在はない。当然、人を食えばその味を覚えて、再び人を襲う。

 

猟師がゆっくりと狙いを定める。刹那。

傍らにいたニホンオオカミが遠吠えをあげた。

 

 

 

 

 

捜索から1日が経過した、ひさし村の拠点ではこれまでにない緊迫感と、静寂の中に響き渡る無線の音で、冷や汗を浮べる者がチラホラ居た。

熊が現れたという報せを受けた調査員らは、すぐさま発砲による射殺を伝えたが、返答はなく、なにか不測の事態があったのかと右往左往する者ばかりだった。

 

さすがにあれほどの人数を擁する調査団が、無線を使用する間もなく襲われるとは思えない…と楽観的に仮定する者も居れば、最悪の事態を想定している者もいた。まさか、ニホンオオカミごと食われたとなったら、それこそ取り返しのつかない事態になる。

 

現場近くを確認できるようなドローンは無いのか。

救助隊を編成しろ。

 

という怒号が飛び交う。

無線から得た情報では、遭遇したクマは大層大きくかつ人間を恐れていないらしい。危険極まりないのは明らかだった。腕の一振りで人を殺せる生物だ、ベテランの猟師が数名ついているとはいえ、不安は拭えなかった。

 

そんな最中、まるで緊迫から一拍置いたような、焦りが過ぎ去った後の静けさを、気高い遠吠えが響き渡った。

静寂を一気に支配する、あまりにも異様なその遠吠え。

 

ありえない、調査隊は拠点からかなり離れているはずだ。遠吠えなんて届くはずがない…と誰もが頭の中に思い浮かべた妄想を振り払った途端、再び鳴り響いた木霊するような遠吠えは、山全体から力強く発せられたような、幾重にも重なった重厚なものへと変貌を遂げた。

 

そんな空間に割って入るように、通信が入った。

 

『こちら調査隊』

 

「ど、どうしましたか…そちらは大丈夫でしょうか」

 

『えぇ、大丈夫です』『信じられない!』『奇跡だ!』

 

通信の主は、笹壁だった。安堵したような声の裏に、調査隊のうちの誰かと思われる声が途切れ途切れに聞こえる。一体何が起こったのか…と問う前に、笹壁は落ち着いた様子で語り始めた。

 

『クマに襲われそうになったところを、助けてもらいました…この山に住まう狼たちに…なんて言うか、気高いの一言で…いやぁ、すごい』

 

「…ということは」

 

『えぇ、発見しましたよ…というよりも我々をこの山にようやく迎え入れてくれました。ニホンオオカミの群れが』

 

「むれ…群れっ!?」

 

その声を聞いたと同時に、再び慌ただしくなる拠点。

山全体から響き渡る遠吠えは、正しくかのニホンオオカミの群れのものであった。先ほど以上にてんやわんやとする拠点を、傍らに通信していた研究員は、冷静に問うた。

 

「ぜ、全部で何匹ですか」

 

『…あっはは、これが凄くて、今見えてるだけで8匹…多分遠吠えからしてもっといるとも思います。毛並みはほとんど黒と金で、白と金の色をしたオオカミもいます』

 

「ほ、ほんとに?」

 

『えぇ』

 

想像以上だった。

逆にこれほどいて、なぜ今まで見つからなかったのか疑問に思うばかりだった。今までニホンオオカミの発見例は確かに報告されているが、ひとつの山にこれだけの個体数がいるとなれば、広域に分布している可能性もある。

 

となると、今まで想定されてきた日本国内の山における生態系の構図はガラリと変貌を遂げる。唖然としている研究員は、ふと我に返り状況の確認を急いだ。

 

あちらは今、熊と遭遇した直後だ。

負傷者はいないか、熊はどうなったのか…聞いてみれば、あまりにもあっさりした声で驚きの内容が返ってきた。

 

『オオカミが倒してくれましたよ』

 

「群れでですか」

 

『いや、単体で』

 

「え…」

 

今、とんでもないことが聞こえた気がする…。耳を疑うしか無かった。オオカミと言えば主に群れを成して、獲物を捕獲するのが通常だ。というか、野生動物の殆どは、余程の力があったとしても強い動物に単体で挑むことはまず無い。

 

あの百獣の王ライオンですらそうだ。

 

『いや、俺のそばに居たオオカミ(こいつ)が遠吠えをしたと同時に…いきなり一匹のオオカミが森の中から飛び出してきて、熊に噛み付いたんですよ』

 

「それで」

 

『そのまま、首を噛み砕いて倒しました』

 

「噛み砕いた?熊の首を…というか骨を?」

 

『そうです』

 

熊の骨なんて、相当な力がなければ砕くことは容易じゃない。噛む力の強いワニでさえ出来るかどうかも分からない芸当だ。それをオオカミがやったなんて、聞いたことがない。

 

「…と、とりあえず無事だと言うことですね」

 

『はい』

 

思わぬハプニングには見舞われたが、笹壁一行は熊の脅威を潜り抜け、ついに山に生息するニホンオオカミの群れと遭遇することに成功した。

 

 

 

 

 

 



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甘噛み

「今は、ニホンオオカミの危険性ではなく…とにかく彼らをどう保護していくかが重要な論点でしょう」

 

「しかし…熊をも殺すとなれば…いささか…」

 

ニホンオオカミの群れの発見からわずか1日。

政府の会議室では、非常に激しい議論がかわされていた。

最初の1匹を保護してから、群れを発見するに至るまで、政府の人間は日本国内に野生のニホンオオカミを繁殖させることを目的とした計画を立てる予定であった。

 

しかし今回、偶然調査隊が遭遇した群れ…そして彼らの凶暴具合、食物連鎖上位内における圧倒的な強さを目の当たりにした途端、急に怖気付いてしまった。当然ながら計画案は白紙になりかけつつあり、現在、その計画を実行に移すべきか変更するべきかの可否を煮詰めている状況だった。

 

「絶滅種の発見は確かに素晴らしい出来事です、発見し次第、保護し…丁重に扱うことは当然の対応だとは思います。しかしながら…アメリカの出来事もありますしね…考えてみればギガントピテクスも人間を容易に殺すことの出来る危険生物と判断してもおかしくは無い…今回の出来事から鑑みても、人間を死に至らしめる可能性のあるニホンオオカミを無理にでも急速に繁殖させ…野に放つのは些かリスクが大きすぎると思うのですよ…」

 

「そんなこと最初から分かっていたことだろう…そもそも現在、絶滅種では無い野生生物も人間にとっては脅威になりうる存在のものも多くいる…」

 

「だからですね、別に根絶やしにしろと言っているわけじゃないんですよ。例えばワニやライオンなどの危険生物を繁殖させて野に放てば、当然ながら人的な被害を被るのは目に見えているでしょう?一定のニホンオオカミを保護して繁殖させる程度ならまだ問題ありません…ただ、野に放つのが危険と言ってるんです」

 

その様子を、リモートで参加している笹壁は、ミュートしているのをいいことに…その場にいる人間に対して言った。

 

「…うーん、めんどくさい」

 

「まぁ、会議室にいる人間には分からないことかもしれませんね」

 

調査隊が設営したキャンプの中には、リラックスしながら寝そべるニホンオオカミの群れの姿があった。野生生物でここまで人馴れしているのはなかなか見たことがない。

 

「ラーテルのような勇敢さと、ステラーカイギュウのような人懐っこさを併せ持った生物なんて…人間に愛玩されるために生まれてきたみたいな才能…他にありませんよ」

 

「なーんで甘噛みが得意なんでしょうね」

 

調査員の防護服越しに、手をハムハムと咥えるニホンオオカミ。

 

「子供を咥えて運ぶ時とかに使うからじゃ?」

 

「でも、それホモ・サピエンスに使うか?この鋭い牙を見る限り、他の生物に対して圧倒的な強さで狩りを行うような猛獣だぞ?」

 

「…うーん」

 

「もしかしたら、笹壁さんが関係してるのかも?」

 

「え、じ、自分がですか?」

 

急に、専門家の議論に自身の名前が上がって肩を震わせる笹壁。

 

「なに、フェロモン出してるとか?まさかオカルトじみたことは言うまいな」

 

「ちがうって…たとえば、笹壁さんの祖先が…それこそまだニホンオオカミが存在しているような時代に、彼らに対して友好的で…あぁ、もう説明がめんどくさいな…要約すると笹壁さんの祖先がニホンオオカミと仲良かったから回り回って、人に対して友好的になったんじゃないかってこと」

 

「つまり…ニホンオオカミ側が共通言語を介して現在にいたるまで、人間に友好にしろとか…伝えてた…その原因が笹壁さんの祖先ってこと?因果関係ないし、そもそもそれじゃあ、今までの笹壁さんの活躍の辻褄が合わないだろう?笹壁さんの祖先が、イギリスにもオランダにもインドにも行って、ドードーやギガントピテクスを手懐けてた、江戸のムツゴロウみたいになるじゃないか」

 

「…そうか」

 

「でも、笹壁さんが要因ってのは何となくわかる気がするなぁ…だって、これだけ絶滅動物、いや動物を手懐けてるような人、俺知らないもん…てか人間業じゃないもん」

 

「分かるわ…なんでなんですか笹壁さん、猫で言うマタタビみたいなフェロモンとか出してるんですか」

 

「…さぁ、自分でもよく分からないのですよ」

 

そういえばオランダがなんか自分のフェロモンやらなんやらを調査していたな、と思い出す笹壁。

笹壁が持つこの謎の才能は、必ずしも全ての動物に対して有効であるわけじゃない。上野動物園に行った時は、飼育されていた動物が興奮状態であったものの、街中を歩いている時に鳩に集られることもないし、ヒッチコックの『鳥』

のように、家を埋め尽くさんばかりの鳥が現れる訳でもない。

 

かと言って鳥類に対してだけ有効でないかと言われれば、ドードーの件から見てもそうとはいえなかった。

海に入れば魚が寄ってくるわけでもないが、水族館に行くとやたら自分のいる方向にサメやシャチなどの大型の魚や哺乳類が興味深そうに、触れ合って来ることもある。

 

基準は非常に曖昧だが、ほぼ全ての動物に対してその才能が有効であると、本人も推察していた。

 

「1回、検証してみたらどうです?動物に対してどれだけ有効か、下手したら微生物にも有効かも」

 

「やだなぁ…それ」

 

「気になったらうちの大学にいつでも連絡を…あと、ついでに講演会なんかもちょろっとして頂けると…」

 

「話すことないんですけど…」

 

「じゃあ、質問会で」

 

「おい!抜け駆けはずるいぞ!」

 

「うちの大学にもぜひ!」

 

場はいつの間にかオファー合戦になりかけていたが、会議の途中で入った緊急の電話によってその喧騒は遮られた。

 

「笹壁さん、緊急で連絡が」

 

「え」

 

「ちょっと会議抜けられます?」

 

「あー、はい」

 

笹壁はミュートを解除にし、席を外す旨を伝えると、カメラをオフにしたあと軍用のごつい衛星電話を受け取ると、応答を始めた。

 

「もしもし」

 

『あ、申し訳ありません。絶滅危惧種及び絶滅動物保護管理研究総合統括事務局の鈴木です』

 

「あ、鈴木さん」

 

内閣府に設置された特別組織であるこの名前の長ーい事務局。日本国内の絶滅動物や危惧される動物の保護を行うと同時に、海外からの調査協力依頼の対応を行うこの組織は、端的に言うと私の現在の職場である。正確に言うと職員と言うよりかは特別顧問的な大層な待遇を受けているが、それは後にして、事務局の副局長である鈴木さんから緊急の連絡を受けた俺は、一体何事かとおずおずと聞いた。

 

「どのような…」

 

『それがですね…再びアメリカから依頼が来まして』

 

「…ダンクルオステウスですか」

 

『いえ…海洋生物であることには変わりないのですが…今度はハワイ諸島の沖合で巨大な魚影を目撃したという報告が…』

 

「ハワイ…ですか」

 

『えぇ』

 

内心嬉しさでいっぱいになるが、調査のために行くのだと言い聞かせる。

 

『いやはやしかし、今回目撃された魚影の情報は我々としても半信半疑にならざるを得なくて…』

 

「なぜです?」

 

『大きすぎるんですよ』

 

「…ほう」

 

まさかゴジラが存在していたとか言うまいな…。

 

『史上最大の生物と言えば、シロナガスクジラであることはご存知かと思います。その体長は約30m、生で見るとその大きさは誇張されたかのように凄まじいものですが…今回発見された魚影の大きさは約50m、しかも魚影ですからね、実際はそれよりも確実に大きいと言えます』

 

「…まじすか」

 

『はい…』

 

「そもそもそんな大きい生物が自然界で生きていけるもんなんですか?」

 

『大きさに比例して骨格がそれなりに進化していると推察できますが、些かなぜ見つからずに現在に至るのか…と言った方が謎でして』

 

「で、その超巨大生物の調査に…いつ頃行くんですか?」

 

『なにぶん急を要する事態でして、恐縮ですが笹壁さんには現在行っている裏山の調査を切り上げて頂きたく…』

 

「分かりました…自分がいない間も、裏山の調査は継続ということですか?」

 

『えぇ、そうです。連絡はこちらからしておきますので』

 

「はい、了解です」

 

 

巨大生物の調査…というのもあるが、その時の俺は常夏の南国ハワイをいかに傍らで満喫するかを思案するばかりであった。

 




たでぇま


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大富豪

『信じられません、この巨大な影は依然としてゆったりとホノルル沖を回遊しています。この映像は現地の海上を飛行していた追跡用の警察ヘリのカメラがたまたま捕らえたもので、現在この巨大生物の消息は分かっていません。沿岸警備隊による周辺の警備が行われる中、いよいよ明日午後、日本からミスターササカベが調査のために、オアフ島へとやってくる予定です、我がアメリカ合衆国において史上2種目の絶滅動物発見となるか、私含め注目が集まっています。』

 

アメリカのニュース番組では女性キャスターによる紹介でほぼ全土の家庭に今回、ハワイで起きた巨大生物の発見に関する報道が流れた。

特に盛り上がりを見せたのはSNSで、しばしばトレンドを占領するほどの勢いだった。

 

インフルエンサーやセレブなども今回の出来事に関して前回のダンクルオステウス同様の反応が飛び交い、Twitchやポッドキャストでは度々注目の的としてトークの話題に挙がっていた。

 

そんな中、笹壁がハワイへと飛び立つ12時間前、とある人物が声明を発表したことにより事態は急速に転換した。

 

シリコンバレーに本社を置くテクノロジーコングロマリット『H・A・D』の創設者にして、世界長者番付第2位に名を連ねる大富豪 ケヴィン・ロスウェルド氏が、自身の所有する動物保護法人とアメリカ政府との共同研究及び生物保護を行うことが決定した…という声明を出したのである。

 

今まで、絶滅動物の保護や研究に関しては政府が主体となって行われてきたが、今回初めて民間の団体が介入したことにより、世論は不安と期待が入り交じる結果となった。

 

というのもアメリカ政府は前回のダンクルオステウス保護に失敗した影響で、その信用は低迷し、批判の声が殺到している渦中の最中だった。一方、ケヴィン・ロスウェルド氏が所有する法人は違法な密猟の摘発や絶滅危惧種の保護及び繁殖に多大なる貢献をしており、その功績はノーベル賞ものと言われているほどだった。

 

実の所、前回の調査でケヴィン氏は、いの一番に調査協力の名乗りを挙げていたにも関わらず、政府はこれを却下していた。当初は当然の判断だという声が多かったものの、保護失敗を皮切りに、あの時法人の協力があれば…という掌返しという名の後悔の念が後を絶たなかった。

 

そして今回、満を持しての参加協力。

『H・A・D』と言えば、世界有数の大企業、クリーンエネルギーの開発や宇宙関連事業、インターネットサービス、オンラインゲーム、OS並びにスマートデバイスの開発、他にも音楽、映画、自動車産業など様々な分野に裾野をのばしそのいずれもが業界内売上でもトップクラスを誇り、当然ながら慈善事業に関しても非常に積極的である。

 

最新の科学技術及びテクノロジーを使用した調査がどのような影響を与えるのか、超巨大絶滅生物発見の中で、注目を集めているひとつと言えた。

 

 

さて一方で、成田空港国際ターミナル。いわゆる北ウイングと呼ばれるこの場所に、複数の専門家や官僚、警備を伴って、笹壁亮吾は日本を出国せんとしていた。

 

「…アロハシャツ着たかったな」

 

笹壁は同じ便に乗るであろう一般の観光客を遠目に羨望の眼差しを向けていた。子供連れの一家が転がす巨大なキャリーケースを見て、一体何泊するんだろう、どこのホテルに泊まるんだろう、予算はいくらだろう…という要らぬ妄想及び詮索を脳内にめぐらせる。想像する度に、仕事でハワイに向かうことに内心ため息ばかりつくのだが、なぜかやめることが出来ない。

 

心底羨ましいと思う他なかった。

 

これは公務だ、当然入国審査の時に審査官に向かって「さいとしーんぐ」と言い放つことは出来ない。空き時間で街を練り歩き多少の買い物をすることは可能だろう、ただあまりにはっちゃけすぎると国民からの心象は最悪になる。海に膝丈の水着を着て入ることも、アクティビティを楽しむことも、ウルフギャングステーキやパンケーキを食べることも、自重しなければならない…ということは笹壁も十分自覚していた。

 

なにより、ハワイを楽しむことを最低限に…と政府側の人間から口酸っぱく言われているため人生初ハワイに興奮する感情を叩き殺すしかなかった。

 

緑色のパスポートを見せた後、水平エスカレーターに乗って搭乗口へと向かう。せめて飛行機の中では好きに満喫しようと、免税店で抹茶味のお菓子を買いまくる。外国人向けにやたらと揃いまくっている、和を前面に押し出した菓子をあらかた買うとパンパンになったビニール袋を両手に引っさげていよいよ飛行機に乗り込んだ。

 

綺麗なCAさんに案内されたのは、機内の後部にある座席だった。混乱を避ける目的で一部の座席を貸切状態にしてくれたため、人っ子一人居ない。なんか不思議な気分になる。

 

その後はいつも通り単調で、何らハプニングもなく飛行機は飛び立った。

食事を取り、お菓子を食べ、歯を磨いて寝て起きたら、もうハワイに着く頃合になっていた。

 

まぁとにかく、いつも通りのフライト、平凡。特にこれといって特筆するべきことは無い。

 

飛行機をおりて入国手続きをする。公務のため特段こじれるような質疑応答もなくすんなりとゲートをくぐると、そのままコックピットへと逆戻りするように案内された。一体何事かと疑問を抱きながら歩みを進めると、そこには大層でかいヘリコプターが鎮座していた。

 

「へ?」

 

『ミスターササカベ!待っておりました!!』

 

ヘリコプターの傍らには高身長のナイスガイが、ティアドロップのサングラスと胸元まではだけたシャツという出で立ちで迎えてくれた。

 

「見たことある…」

 

テレビやニュースでよく目にする話題の人物…瓜二つというか恐らく同一人物。世界有数の大富豪ケヴィン・ロスウェルドといえば、日本人でも名前や写真くらいは見たことがある超有名人だ。

 

そんな超が恐らく10個つくほどの大金持ちから握手を求められ、動揺しながらも握り返すと嬉しそうにヘリコプターへと案内してくれた。

 

というか、このバカでかいヘリコプターの持ち主こそがケヴィン・ロスウェルドだとは思いもしなかった。ゆっくりとホバリングをしながらみるみるうちに小さくなる空港。上空から見るハワイの綺麗な海をひたすらに眺めていると、ケヴィンが嬉しそうに話しかけてきた。

 

『僕はミスターササカベのファンなんだよ!!僕のガールフレンドも君のことはとってもクールだって言ってるぜ』

 

「あ、ありがとうございます…」

 

 

彼が話すと同時に、流暢な日本語が音声として流れる。ケヴィン氏の声質そのものの滑らかな音声は、まるで映画の吹き替えがなされているようだった。

彼の会社がつくりあげた最新の技術、日本でも度々ニュースに採り上げられた話題の技術。超高性能自動通訳エンジンは、IT業界に革命を起こした。

 

未だに実用化はされていないものの、その名称を聞けば如何様なものかは想像も容易いだろう。

 

今まで翻訳アプリというものは存在していたがH・A・Dが開発したこの技術は使用者本人の声質に似た音声を流暢に、かつ細かいニュアンスまでを完全に補完するほどの性能を誇り、彼の会社が作っているOSを搭載したスマートフォンに近々に実装予定とされている。

 

このシステムを使用すれば、海外旅行の難易度が格段に下がると言われており、下手すれば通訳の仕事が皆無になる可能性もありうる。

H・A・Dの発表会では、その実用性はあくまで字面やプレゼンテーション、広告用のイメージビデオでのみ世間に知られていたが、実際に目の前で体感すると、本当に吹き替えられているようにしか聞こえなかった。

 

しかしこんなものがまだまだ序の口であるとは、この時ばかりは思いもしなかった。

 

 

 

 

ヘリコプターで飛ぶこと数十分、やがて見えてきたのは石油や海底鉱山の掘削などに使われる人工建築物、洋上リグだった。しかしこれまで見てきたものとは一味どころかかなり違う。まずその見た目、普通であれば鉄骨と支柱のコンクリートで構成された無骨なものだが、非常にスタイリッシュで、よく見れば建物全体がカーボンファイバーのようなプラスチックでできていた。

 

ヘリポートに着陸すると、身長130cm程度の人型のロボットが、案内してくれた。

 

ロボット自体は大して珍しくもない、特に日本においては人型ロボットの開発はかなり前進していると言えるが、このロボットのすごいところは受け答えがまるで人間のようで。二足歩行かつ歩き方がロボット特有のぎこちなさを一切感じない。ロボット状の着ぐるみに人間が入っていると考えた方がまだ頷けるほどだ。

 

我々は世界最新の技術を目の当たりにしながらも、調査を行うためリグの中へと足を踏み入れた。

 

 

 

 



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甲板の上で

人間が想像出来ることは、人間が必ず実現出来る…とは誰が言ったものか。確か稀代のSF作家であるジュール・ヴェルヌだった気がする。我々が足を踏み入れた建物、リグと呼ばれるそれは、通常海底資源の掘削に用いられる、言わば拠点のようなものだが、目の前に広がる光景はスターウォーズなどのスペースオペラの世界をそのまま切り抜いたかのような非現実味があった。建物自体は何ら特別なものでは無い、ドアの全てが宇宙船に搭載されているうような自動ドアであること以外、普通の海上リグと見分けはつかない。

 

とはいいつつも、普通のリグがどのようなものかは皆目見当もつかないわけだが、そんなことは今どうだっていい。リグ内を縦横無尽に駆け回るドローンや人型のロボット、やけに近未来チックなデバイス機器。節々に見えるサイバーパンク感と油汚れが似合いそうな無骨なリグの組み合わせがなんとも不思議だった。

 

ケヴィン・ロスウェルド本人の説明を受けながら、館内を進んでいく。元々この建物は、彼が動物保護に関する法人を設立した際に建てられた海上リグで、海洋生物の学者らも度々利用する施設としてその世界ではかなり有名だったという。建築された数年前には度々ニュースにもなったそうだ。単純に俺が無知なだけだった。

 

ただそれでも、施設内部の様子を写した写真はインターネット上にも存在せず、その秘匿性から一部では都市伝説的にアメリカ軍の極秘施設と噂されているようだがその真相は、単に文明が少し進歩している鉄骨性の建造物であることに他ならない。

 

『よーしみんな、少しだけ手を止めてくれ』

 

建物中央に位置する巨大なモニターが設置された管制室。インカムをつけた優秀そうなスタッフらが海洋の観測を続ける中、場違いにもその空間に現れた色男ケヴィンは、アメリカのビジネスドラマでよく見る『手を叩きながら注目を集める社長や上司』をさながら、実際にやって見せた。すると一斉に視線がこちらへと向く、ザッという音ともに、こちらに向いた目線を受け、思わず背筋が伸びた。

 

『事前に報せていた通り、今日この場にミスターササカベが来てくれた。今を輝く天才生物学者の彼が来てくれたことだ、今回の調査は99…いや100パーセント上手くいく!』

 

『おぉ!!』

 

歓声と共にアメリカらしい指笛が鳴り響く。拍手に包まれながら迎えられ少し恥ずかしさもありつつ、この期待に絶対に応えなければという強いプレッシャーを抱いた。

 

『ミスターササカベ、なにか一言、みんなが最高に盛り上がれる言葉をくれないか』

 

「え…」

 

『なぁに、そんな難しく考えなくていい!直感で思ったことを一言』

 

「えぇ…」

 

フリが効いている上に、直感で一言とは、いちばん困ること言われた。ここで思案するあまり変な間を開けても空気は最悪になるし、下手なことは当然言えない。あまりにも難易度が高すぎてこの場から逃げ出したい気持ちにもなるが、海上を漂流して死ぬのはごめんだ。

こうなったら無難でいいや…と開き直った俺は、日本人の奥ゆかしさを前面に押し出した挨拶をかましてやった。

 

「えぇ、紹介預かりました笹壁亮吾と申します。これから色々お世話になるとは思いますが、何卒よろしくお願い致します。頑張りましょう!」

 

シーン。

 

もういいよ。どうだって。俺にはインディペンデンスデイの大統領みたいな、みんなを鼓舞する演説をかます才能は皆無なんだ。期待すんな。初対面の丁寧さ、腰を折り曲げ深く頭を垂れる謙虚さ、これが日本人じゃ、悪かったか。

 

と内心、ダサすぎる悪態をつくが、挨拶の反応は思ったよりも悪くはなかった。

 

『頼むぜ!ササカベ!』

 

いかにもムードメーカーっぽそうなアフリカ系の男性が声を上げると、その場が一気に明るい空気に包まれた。ちなみに彼の名はエイジャックス・ブッカー。海洋生物の博士課程を主席で卒業した天才である。後々彼とは、再び調査を共にすることになるのだが、今のところそれは置いといて、我々は挨拶を済ませたあと各自の部屋に案内された。

 

「先程から気になってたんですけど、こういうロボットとか近未来的な技術がさも当たり前に運用されてるのは…アメリカでは普通なんですか?」

 

この場に来てからずっと抱いていた疑問を、ここぞとばかりにケヴィンに問いかけた。

 

『一部のセレブリティ向けにこういったロボット販売はしているが、普通の企業でロボットを労働力として雇っているところ数少ないだろうさ、それを言うならニッポンの方が余程ロボットを日常で使っているじゃないか』

 

「…そうですかね」

 

『ほら、ペッパーやロボホン、ラボットなどの愛玩目的のロボット開発は、ずっと前から日本でも行われてきただろう?AIBOが発売されたのなんて僕がまだパブにも入れない頃だった。それに最近、ニッポンのフードチェーンではロボットによる配膳が行われているそうじゃないか、僕達から見れば君たちの国の方が余程SFチックだぜ』

 

「…まぁ、そうですけど…こんなにクオリティが凄いのは、一度も見たことがないというか」

 

『HAHA,一応僕たちの優秀なスタッフが頑張って作ってくれたものだからね、凄いのは当然さ!』

 

「ちなみに一体あたり、いくらするんですか」

 

『そうだなぁ…モデルにもよるけれど、この場にあるのはあくまで最新の優秀なAIを搭載したものだから参考にはならないという前置きをしといて…希望小売価格は210万ドル。当然、ミスターササカベが買うとなれば安く着けといてあげるよ?』

 

「あ、いや…検討しておきます」

 

2億9千万円とかいうとんでもない金額がでてきた気がしたけれど、日本特有のやんわりとした断り方『検討しておきます』を発動して何とか乗りきった。そもそも最初から買う気なんてサラサラなかったが…。

 

そうこうしている間に宿泊するための部屋にたどり着いた我々は、とりあえず時差ボケを治すために軽く仮眠を取ったあと、早速調査を行うために、用意された船に乗り込んだ。

 

調査用の船は約7隻で構成された小船団で。主要となるアメリカ軍のイージス艦1隻と小回りの聞くボート6隻という内訳だった。船上における司令本部となるイージス艦に乗り込んだ我々は、まだ調査の進んでいない海域へと向かった。

 

「キレイダナー」

 

甲板から見える真っ青な海と照り輝く日差し。

まさにハワイアンと言った感じの光景をゆったりと眺めながら、調査ポイントへと向かう最中、唐突に電話がかかってきたのでなんぞやと思いながら耳に当てると、少し興奮した様子の桃谷さんの声が聞こえてきた。

 

『も、もしもし!』

 

「え、あはい…」

 

『桃谷です!』

 

「あぁ、桃谷さん…どうしましたか?」

 

『今、嶋佐さんから連絡がありまして!東京海洋大学の』

 

「あぁ、嶋佐さん」

 

嶋佐さんとは、我が家の裏山調査(パート2)において、共に同行した水生生物の専門家である。東京海洋大学の教授を務める彼は、今現在日本政府からニホンカワウソの調査及び研究を任されており、その世界では知らない人は居ない天才である。

 

そんな彼から桃谷さんを通して緊急の連絡があったのは、調査ポイントへと到着する数分前の出来事であった。

 

『以前、裏山の調査で温泉を発見したことは覚えていますか?』

 

「はい」

 

『その温泉を、嶋佐教授が採取したことも知ってますよね』

 

「もちろん」

 

裏山の調査を行った際に発見した小さな温泉。温泉微生物がいるかもしれないと嶋佐さんが採取を行ったことは覚えているが、一体それがなんなのかと問う前に、桃谷さんは興奮した様子で言った。

 

『オンセンクマムシです!!!』

 

「ん?」

 

どうやらやばい微生物が採れたらしい。



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微生物プロデューサー

2話前の文章だと、さも巨大生物が現在進行形でホノルル沖を回遊している…と捉えられてしまいますが、実際は今までの絶滅生物同様隠密している状況です。一応冒頭の文章を修正しました。

分かりにくくてすんません。



イマイチなぜ桃谷さんが興奮しているのか分からない。

そんなテンションの差を彼女も電話越しに感じたのか、いかにその『オンセンクマムシ』とやらが凄いのかということを力説し始めた。そういえば彼女は元々、マリモなどを研究していた過去があった。

 

コケなどに生息しているクマムシなどの微生物にも明るいのだろう。

 

『オンセンクマムシは単純に言うと、カッパと同じです!』

 

「ん?カッパ?」

 

『はい!ほぼ幻獣ですよ!』

 

「幻獣って…クマムシが?」

 

『えぇ!』

 

幻獣なんて大層なワードが飛び出してきた。世界広しと言えど、微生物の幻獣なんて聞いたことがない。

 

『まぁ、幻獣って言うのはあくまでものの例えですが、実際にそれぐらい凄いことでして…1937年にスイスの学者が発見したと"言われています"。真偽は不明ですが』

 

「ん?どういうことです?」

 

『長崎県の温泉から発見したと論文で発表されたんですけれど、その存在は後に一度も確認されず、存在自体があやふやだったわけですよ!』

 

「嘘だぁ…だって1度発見されてるんですよね」

 

『"発見した"と、言われてるだけです』

 

「それで、そのオンセンクマムシが今回発見されたと」

 

『はい!』

 

「有り得るんですかそんな事」

 

『有り得ます!!』

 

堂々と言い切る桃谷さんに、思わず困惑する。

 

『前例があります!』

 

「前例?」

 

『笹壁さんはカモノハシをご存知ですか』

 

「そりゃもちろん」

 

カモノハシと言えば、あのカモノハシだ。

アヒルみたいな見た目をした哺乳類で、見た目は可愛らしいけれど蹴爪に毒針がついているロックなギャップのある生物。某天才発明家少年兄弟の日常を描いたコメディアニメのペットとしても登場し、珍獣としてはあまりにも有名だ。

 

『カモノハシもかつてはその存在は幻と思われていましたが、今は笹壁さんもご存知のメジャーな動物になりましたよね!なので前例はあります!』

 

「まぁ、そう言われると納得せざるを得ないですね」

 

電話越しに頷いてしまう。

しかしそんなとんでも生物が見つかったとなれば、さぞ日本では騒ぎ立てられているのだろうと思いきやそうでもなかったようで。

 

『世間の反応は、なんというか結構薄いですね』

 

「…そうですか」

 

『なんでだろう…クマムシだからかな』

 

ニホンオオカミとクマムシとなればやはり見劣りしてしまうのは仕方の無いことだと思う。別に特段注目度が重要という訳では無いが、興奮気味の桃谷さんにとっては少し拍子抜けだったようだ。

ここで疑問に思ったのは、なんで今まで見つからなかった生物がこんなあっさりと発見できたのか…という点である。逆を言うと、なぜ今まで見つからなかったのか。

 

『まだ研究途中だったんですけど、実はオンセンクマムシの発見には採取する工程でとある共通点が見つかりまして』

 

「といいますと?」

 

『嶋佐教授は採取した検体を様々な方法で保存してまして、その中で検体を温泉の温度と寸分たがわず保温させたものからのみオンセンクマムシの個体が発見されたんです』

 

「へぇ…保温」

 

『はい、それで調べてみたんですけれど、オンセンクマムシのサンプルをシャーレに出して電子顕微鏡で様子を観察していた際に、3℃温度が下がった瞬間、クマムシが分解しまして』

 

「え」

 

『どうやら特定の温度、今回発見した温度だと約62℃なんですが、水温の差が60°Cから±5℃の中でしか生物としての原型を留めることが出来ない特殊な個体であることが、仮定されたんですよ。それが今までオンセンクマムシを発見できなかった理由と考察されてます』

 

「クマムシってどんな環境にも適応できる、最強生物のはずじゃ」

 

『まぁ、オンセンクマムシは他のクマムシに分類できない特殊な個体ですからねぇ、今までの常識が通用しないのは、往々にして有り得ます』

 

「史上最弱じゃ…」

 

『寿命も短いんですよ、わずか1日で分解されちゃうんですから』

 

「儚な…」

 

『でもそれに反比例して繁殖力が凄まじいんです。無性生殖でなんと一日に1京匹増殖するんです』

 

「1京!?」

 

『まぁ、あくまで標識再捕獲法と呼ばれる、一部を数えた時の想定数なわけですけど…でもそれぐらいいることは確かです』

 

「よくそんな壮大な数字割り出せましたね」

 

『大変だったみたいですよ、でも文明の利器である自動カウントシステムを用いれば、一定範囲の個体数を数えることが出来たみたいです。まぁ1c㎡数えるのに20時間くらいかかったみたいですけど』

 

「…つまりオンセンクマムシは、死んでは生き返りを繰り返す、100万回生きたねこ的な生物だと?」

 

『そういうことです!』

 

繁殖しては分解するという哲学的な生物とはなんとも面白い。

もっと世間も注目していいはずだが、その魅力に多くの人が気がついていないようだ。まぁ、自分もついさっきまではその1人だったのだが。

 

『私は推していきますよ、オンセンクマムシを!期待してください笹壁さん!笹壁さんがハワイから帰国するまでに、日本全体からオンセンクマムシを注目の的、果ては流行語大賞に選出されるような存在にしてみせますから!』

 

「桃谷さん、あなた微生物初のプロデューサーになる気ですか?」

 

『はい!』

 

「あ、そうなんだ」

 

桃谷さんはその後、興奮冷めやらぬまま惜しみつつも電話を切り上げた。

なんか彼女の熱に当てられて、すっかりオンセンクマムシに並々ならぬ興味を抱いてしまった自分がいて、本当に彼女が日本全国にオンセンクマムシの名を轟かせる偉業を成し遂げてしまうんじゃないかと思えてきた。

 

さてそれは置いといて今は、ハワイの巨大生物の調査に集中しよう。

 

甲板から船内に戻り、館内の中央に置かれた大きなデスクに近づく。巨大な卓上モニターに映されているのは今までH・A・D及びアメリカ政府が捜索してきた海上ポイント。今回はそこから割り出された、比較的出現率の高そうなポイントを重点的に周辺を調査する予定だ。

 

ポイントに到着すると無人の潜水カメラを20台、海中に投げ入れ、並行して空中からの偵察を行うドローンも飛ばした。

有人の小型ボートを使用した調査も並行して行われるが、小型ボートの主な任務は周辺海域の警戒である。

 

俺はイージス艦に篭って偵察の様子を確認する…のではなく、実際にその小型ボートに乗り込んで現場調査を行うことを希望した。

もちろん日本から共に来た、専門家や護衛を務める防衛省の官僚も伴っている。

 

しかし、小型ボートをかっ飛ばすのは随分と爽快なもので、まるでジェットコースターに乗っているような気分だった。

 

このまま何かの奇跡で遭遇できないものかと少しの期待を抱いていたが、そう上手く行くはずもなく。

結局日没直前まで捜索を続けたものの魚影の端すらも観測することが出来なかった。

 

あんな巨体なのにも関わらず、どうやって姿を隠しているのか疑問を抱かざるを得ない。最新の技術を駆使してまでも見つからないこの霞のような巨大生物、俺は若干、今回ばかりは発見することも難しいのではないかと不安に思い始めていた。

 

 



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生体反応

5日目。はっきり言うが成果は皆無だ。これまでただ美味い飯を食って、寝るを繰り返してきただけ。早く見つけなければという焦りを感じつつも、相手は動物ゆえに気まぐれなので、思う通りにはいかないという事実を納得するしかない。

 

50メートルという巨体であるにも関わらず、発見することが難しいとは難儀なもので、研究者たちは四六時中頭を抱えていた。ちなみに余談だが、今回この巨大生物の発見及び保護に至った場合、政府が結構な金額を突っ込んで急遽誂えたハワイの保護施設へと移送する流れになっている。

 

一体全体、小学校の校庭ぐらいはあろうかという巨大生物をどうやって移送するのかは甚だ疑問だが、それ用のシステムもH・A・Dは作り上げたのだという。

 

ちなみにこのシステムは何気に凄くて、今まで飼育が不可能であった巨大なクジラをも容易に水族館へと運ぶことが可能だという。初めて説明された時はそんなことが可能なのかと疑問を抱いた。原理はシンプルで、対象の生物を麻酔で眠らせたあと、体表を薄い膜で覆うと同時にこの膜、つまるところフィルムを急速に硬化。対象の生物の体型ぴっちりに合わせたカプセルを即席で誂え、そのまま牽引する…という方法。

 

ちなみにカプセル内部には一定の圧力がかかっており、これを調整すれば深海生物すらも無傷で移送することが可能なのだという。1回の運用に際した費用は莫大だが、生物を安全に運ぶことが出来る技術は生物学史上、大きな可能性をもたらす大発明だと研究者らが興奮していたのを、今でも覚えている。

 

不安要素を取り除くために補足で説明するが、呼吸のために必要なエラ部分には専用の機械が取り付けられる。言わば水生生物版の酸素マスクのようなものだ。

 

ちなみにこのフィルム、硬化した時の硬度はかなりのもので、魚雷の直撃すらも傷一つなく防げるというのだから驚きだ。既に防弾ガラスへの応用もなされているようだが、生物の移送に利用するとは目からウロコである。

 

まだ少し、想像しにくい人のために簡単に説明すると、平成の名作アニメ"新世紀エヴァンゲリオン"に登場するプラグスーツのようなものだ。

 

そんな最新の装備を引っさげてはいるものの、見つけなければ話にならないわけで。

 

ただ、ユナイテッドステイツはかなり寛容で、捜索期間に対するタイムリミットが存在しないため、実質無限に探すことが出来る。一部ではこんなことに税金を使うなと言う声も挙がっているが、反対意見は今のところ0.1割程度で9.9割が期待の眼差しを向けている。

それでも、長引けば長引くほどその眼差しも手のひらをくるりと返して、反対意見になりかねないので、結構焦ってはいる。

 

巨大生物が、巨額損失の負の象徴にならないように、我々も必死になっているところだ。

さてそんな捜索開始から5日目の午後、日中の捜索を主だった今までとは違い、今後は朝、昼、夕の各時間帯事に特定のポイントを捜索する運びとなった。

 

「キレイダナー」

 

ハワイの夜空はめちゃくちゃ綺麗だ。池袋サンシャインシティのプラネタリウムみたいな光景が広がっている。流れ星とか来ないかなという子供みたいな思案を拭い捨て、船に乗り込むと夜間の捜索がスタートした。

 

「…」

 

一面に広がる真っ暗な海。飲み込まれそうな錯覚に陥るが、白波を立てながら進むイージス艦が実に頼もしい。

 

『無人潜水艇投下』

 

船の側面から投げ込まれる全長80cm程度の金属製の筒。これは小型の無人潜水艇で、海底調査などに使われる代物だ。一台3000万円。それを十数台海底に沈めて調査を行うというのだから、驚きだ。当然、一台もぶっ壊すことは出来ない。

それだけでは無い、一億もくだらない最新のドローンや生体反応を検知するために衛星も運用している。規模感が半端なさ過ぎて、特殊部隊の極秘任務に参加している気分になる。

 

捜索の開始が始まると同時に、俺はボートに乗り込んだ。後衛にいるのはどうにも性にあわない、やはり間近で捜索を行うことにこそ意義があると考える俺は、無茶を言って真夜中の太平洋に今こうして足を下ろしている。

 

当然、船に乗っているのは俺一人ではなく、とりわけ優秀な軍人数名を選抜した特別チームである。全員いずれも海難救助に置けるプロフェッショナルで、どうやら俺が海にドボンをしても万全に引き上げられるような人員となっているらしい。ちょっと過保護すぎやしないかと疑問に思うが『要人扱いですので』の一点張りで、わざわざ優秀な隊員をお借りする形になってしまった。

 

彼ら彼女らも本当はこの時間帯に夕食後のリラックスタイムを楽しみたかっただろうに、非常に申し訳ない。

 

小型ボートに乗り込み、人数が揃っていることを確認すると問題なくボートは進み始めた。

スピードを上げながら進むボート、時折飛ぶ水しぶきが最高に気持ちいい。夜の海上というのも乙なものだ。

 

叫びたくなるような爽快感を全身に受けながら、ポイントに到着するとこのまま踵を返すように船は旋回した。四方八方に散ったボートはこうしてイージス艦へとゆっくりと戻る。ジグザグと船を動かしながら広範囲を20隻のボートでリカバリーを行いつつ、漏れのないように探知機に映る気配を目を皿のようにして探していく。

 

「うん、なんにも居ない…」

 

探知機に生物の反応があるにはある、ただ巨大生物かと言われると、首を傾げる。一度大きな生体反応があって、急行してみたらただのザトウクジラだったことがある。ホエールウォッチングしに来てるなら大喜びできるが、あいにく我々が探しているのは未知の巨大生物だ。

 

『ほ、本当にいるのでしょうか…ミスターササカベ』

 

「いる…と思います」

 

調査チームの中でも既に巨大生物の存在自体に疑念を抱き始めている者も少なくは無い。SNS等では多くの人々が今回の計画に対して期待の眼差しを向けているが、現場は既にその熱が冷めつつあり、仕事はしてくれているが、チームの士気が下がっているのを肌で感じている。我々が来たのはおよそ5日前だが、彼らはそれよりもずっと前から調査を続けている訳だし、モチベーションが低下するのも無理はないだろう。

 

ただ実際に巨大生物の魚影が映像として残っているわけで、フェイク映像の可能性も解析した結果0%だった。居ないはずがないのだが、イギリスのプレシオサウルスぐらい隠密性能が高すぎる。あれはまだ湖だからよかったけれど、広大な太平洋となれば干し草の山から針を探しているようだ。

 

「…うーん」

 

頭を抱え、ため息を着く。

 

 

 

 

 

 

 

 

その時、探知機には巨大な生体反応が5つ映っていた。

 



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再会

『こちらVFR、第5挺近辺に巨大な生体反応を確認、状況を伝えてくれ』

 

機械越しに聞こえてきたのは、イージス艦内に設置されたVFR...つまるところ管制室からの緊急の連絡だった。手に持ったモニターを眺めるとそこにはどんどんとこちらに近づいてくる赤い点が5つあった。大きさを表すポイントも今までのものとは比べ物にならない。クジラの群れかと錯覚するほどの大きさだった。

 

連絡を受けて乗っていた軍人の一人が応答した。

 

『こちら第5挺、モニター上で接近を確認した、目視は出来ないが警戒を続ける』

 

『了解した、念の為そちらに救護用のヘリを向かわせる』

 

『了解』

 

一連の会話に緊張感が高まる。生体反応を示す赤い点はスピードを落とすことなくこちらへ近づいてきた。2マイル、1.5マイル…とどんどんと近づいてくる巨大生物。小型ボートのエンジンを止め、念の為積んであった麻酔銃を俺以外の全員が構えた。クジラ用の麻酔銃だと言うが、威力に関しては心もとない。

プロペラの音がだんだん大きくなってきた。もしも巨大生物に衝突され転覆した際に、迅速な救護ができるよう予め上空をホバリングしながらスタンバイをしている。めちゃくちゃ段取りが良くて感心する。

 

0.5マイル、つまるところ800m地点に接近したところで暗視スコープ越しにようやく魚影を確認することが出来た。

 

「…あれ、なんか見覚えあるな」

 

海中から出てきた背鰭。サメ映画を彷彿とさせるような小さな影がこちらにどんどん近づいてくる。独特の光沢感、鼠色の背鰭。間違いない…久方ぶりの再会だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ダンクルオステウスだ…」

 

『マジか!?』

 

ここにいるメンバーは初めて古代生物を目の当たりにしたのだから驚くのも無理は無い。

 

ダンクルオステウス、俺の窮地を救ってくれた命の恩人もとい、海のマーダーインク(殺し屋)。彼らの前では、海のギャングと称されるシャチでさえも竦んでしまうだろう。1匹自体の大きさが約15mという規格外の化け物であるのに、更に群れを成しているというのだから…彼らに勝てる海洋生物は恐らくこの世に居ないと言っても過言では無い。全身を覆う金属。コンクリートでさえも容易に噛み砕く咬合力、何もかもを切り裂くギロチンのような歯。日本国内では愛称を込めて"海の爪切り"と言われている。

 

余談中の余談だが、絶滅動物が見つかってから日本の民放番組で度々動物関連の特番が放送されるようになった。今まで見つけた生物の生態や、今後発見されるであろう可能性を秘めた生物まで、あらゆる趣旨で放送される中に、生物界における強さをランキング形式で発表するという番組があった。

 

今まで、生物の中で最強格を争っていたのはゾウやサイ、カバなどの陸上に生息する大型哺乳類がほとんどだったが、最新のランキングで専門家が軒並み口を揃えて1番強いと豪語したのが、何を隠そうダンクルオステウスそのものなのである。専門家の中には、武装した軍艦ですら勝てるかどうかも怪しいと言う物も入れば、新たなる海の支配者と興奮気味に答える者もいた。

 

つまるところ何が言いたいかと言うと。

彼らを刺激したら我々は海の藻屑となって終わるということだ。

 

故に最低限、刺激しないように息を殺して近づいてくる海の殺し屋を静観することにした。

 

 

のだが。

 

「…こ、こんばんは」

 

ダンクルオステウスとの距離。現在約1メートル。

海面から装甲車のようなイカつい顔を出しながら、さも挨拶するようにこちらへ近づいてきたダンクルオステウスはじっとこちらを見つめたまま動かない。ボートの周りを他4匹がグルグルと周遊している。

 

ボートに乗った一流の軍人ですらも、息を呑み、冷や汗を流している。

 

『こ、わ』

 

『しずかに…』

 

恐怖のあまり誰かの声が漏れる。

初めて地球上最強の生物と間近で触れ合えば誰しもそんな反応になるだろう。しかし改めて見ると本当にイカついフォルムをしている、何かを殺すために生まれてきたと言っても過言ではないほどの凶暴な見た目。歯なんて触れただけでも指がスンッと飛んでしまいそうなほど鋭利で、金属製の体表は対戦車ライフルをも防げそうなほど分厚くイカつい。

一部の学者では彼らが体表に生成する金属は、独自の物質である可能性が高いという見方も挙がっている。生物学者のみならず鉱物学者をも魅了するダンクルオステウスには、無限の可能性が秘められていると言っても過言ではないだろう。

 

そんな彼の額部分に手を置く。

見た目に反して紳士的で人間慣れをしている。怒ると手が付けられないが、怒らせない限りは襲ってくることは無い。

しかし初めて手で触れたけどマジで硬い。銀行の最奥にある重厚な金庫の扉を触っているような感覚だ。

 

腕を食いちぎられるんじゃないかという懸念は不思議と抱かなかった。

彼らは暴力の権化でもなければ神の化身でもない。ただの生物に他ならない。

 

今まで動物に傷をつけられたことがない俺だからこそ、恐怖心を忘れ去り彼らに触れることが出来たのかもしれない。

 

「しかし何故ここに…前見た時はカルフォルニアだったはず」

 

ハワイからカルフォルニアまでの距離はかなり…というかメチャクチャ遠いはずだ。正確な値は知らないが恐らく5000km(実際は約6300km)ほどあると思われる。

 

「ここまで、なんで来たんだ…」

 

俺の問いかけに答えるはずもなく、ダンクルオステウスはじゃれ合いながら周りを泳いでいた。

とりあえず本部へ連絡するべきだと判断した俺は、チームに指示を飛ばした。

 

「すいません、本部に連絡をお願いします」

 

『了解、こちら第5艇聞こえていますか』

 

『こちらVFR聞こえている、状況報告をしてくれ』

 

『了解、現在我々の船をダンクルオステウスと思われる海洋生物が目算のべ5匹周回している、ボートの損傷もなく、全員無事だ』

 

『了解、そちらに向かわせたヘリコプターから状況は確認している、今応援をそちらに向かわせているところだ、くれぐれも刺激しないよう静観を貫いて欲しい…とは言いたいが、ミスターササカベ』

 

「あ、はい」

 

『貴方は、かの海の殺し屋を随分と手懐けているようですな』

 

「まぁ…恐らくは懐いてくれているかと」

 

『では、彼らをその場に留めて置いて頂きたい、迅速な保護を行うためにもできるだけ刺激せずに』

 

「あ、分かりました…」

 

その時、ダンクルオステウス達が周遊をやめ、急にボートの下に回った。まさかこのままパックンといかれるんじゃ…と内心ヒヤヒヤしていたが、次の瞬間ボートが海面から浮き上がり、ダンクルオステウスの屈強な背中に、乗り上げた。

 

「え、」

 

『おいマジかよ…』

 

『あぁ…神よ…』

 

勢いよく進み始める。今までボートで感じていた速度間の更に倍、捕まっていないと振り落とされそうなほどの凄まじいスピードで、ズンズンと移動し始めた。

我々の進行方向と真逆の位置にイージス艦があるため、本部からどんどん離れていっていることになる。

 

一体彼らは我々をどこに案内する気なのか…。

 

 



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白鯨

3ヶ月以上空き、懲りずに投稿。


切腹しようかな。


急速に航行する船。もはや航行と言っていいのかは定かでは無い。

ダンクルオステウスの鋼鉄製の背中に載せられ、ボートはどんどんと未知の海域へと進んでいる。

 

同乗している軍人が、先程から逐一VRFとの連絡を取り続けているが、イージス艦が追いつけるかは定かでは無い。正確な速度は皆目見当もつかないが、下手したら80キロぐらい出てる可能性がある。

つまるところ、ほぼ高速道路。高速道路を走る車のボンネットに身一つで鎮座すると考えれば、如何様な怖さかは想像も容易いだろう。

 

しかも今我々がいるのは海のど真ん中。もしもそんな場所に放り出されたらと考えるとさぶいぼが止まらない。

したがって、我々はなんとしてでも振り落とされてなるものかとボートの縁に着いているロープを死んでも離すものかと、一様に強く握りしめていた。

 

やがて、速度が段々と緩やかになった。

船が進み始めて約6分程度、ついに動きが止まった。先程まで我々を運んでいたダンクルオステウスはさながら任務完了と言わんばかりに、ボートを海面に下ろすと、そのまま深い海へと沈んで行った。

 

どうやら、我々ごと海底へ向かうことは無いらしい。人間が水棲生物でないことを知っているかのような動きをしているが、その知識の有無は定かでは無い。

 

『第5艇、GPS上の動きは停滞しているが、状況報告を頼む』

 

『こちら第5艇、現在ダンクルオステウスと思わしき生物にボートを移動させられた、8時の方向へ航行を開始し6分程度移動した地点で停泊、現在地の把握は可能か』

 

『現在地の把握は出来ている、すぐさまそちらにヘリを向かわせる、あと数分もすれば我々も追いつくところだ』

 

『了解』

 

「…すげぇ」

 

先程まで必死でロープに捕まっていたというのに、切り替わったように的確な状況伝達をこなすエリート軍人に思わず感心してしまう。

 

通信を終えると、気力が抜けたようにため息をついた、やはり現状冷静沈着を保つのは難しいらしい。軍人は縋るように俺に問うた。

 

『ミスターササカベ、我々は…助かるのでしょうか』

 

「…なんとも言えません」

 

実際、ダンクルオステウスは人を襲った過去がある。そのせいでアメリカでは色々拗れたことになったが、彼らのその凶暴性をいくら懐いているからと言って無視することは出来ない。相手は体長15メートルもある生きる潜水艦だ。戯れと称した体当たりでも、人間という脆い生物は簡単に死ぬ。

 

「そうですか…」

 

分かりやすくシュンとする軍人。こういった時は嘘も方便で安心できるようなことを口にした方が良かったのだろうか。

 

一同、海よりも深く沈みきった顔をしていると、希望の光が彼方から見えてきた。

 

『…ヘリだ』

 

けたたましいプロペラ音をはためかせながら、煌々とした光をスポットライトがごとく海面に打ち付けるヘリコプター。

押し寄せる膨大な安堵感。良かった、これで食われることは無い。

 

 

 

そういうことを思ってしまうと、意図知れずそれはフラグとなってしまうわけで。

 

 

 

 

 

水柱があがった。何かが大量の海水を一気に押し上げ、水しぶきを四方八方に飛び散らせながら、浮上した。

 

何が起きたのか、と考える前についに船は横転した。身につけていた救急ベストが大きくふくれあがる。視界の大半をその黄色が占めるなか、俺は見たのだ。

 

 

山のようにデカい、もはや生物と言うよりも強大な自然とすら錯覚してしまう…大きな。

 

 

そう。

 

 

 

 

大きな『白鯨』を。

 

 

 

 

 

耳をつんざくような鳴き声が辺りに響き渡る。

体表は白く、滑らかで、しかし口から覗く巨大な乳白色の牙。鋭い目。

 

俺は確信した。こいつはダンクルオステウスよりも確実に強いと。

圧倒的な生物としての力の差、人間の本能と言うべきか、普段は気づかない備わった力と言うべきか。圧倒的な恐怖心と絶望感。

 

白鯨の身体は、目算大きさにして50から60m。

現在、地球上最大と呼ばれている生物がシロナガスクジラの30mであるから、その倍と考えればどれほど壮大な存在であるかは想像も容易いだろう。

 

それが、まるで俺を捉えるようにゆったりとこちらに向き動き始める。

 

あ、死ぬのかな。

 

そう思いきや、白鯨は俺をすくい上げるように校庭ほどの大きさの巨体を、俺の真下に滑り込ませた。白い大地に膝を着く。

肌は非常に固く、さながらタイヤを触っているようだった。

 

イルカに乗った少年ならぬ"白鯨に乗った中年"とかマジで笑えねぇぞ。

 

 

 

俺はおそらく人類でただ1人、小説にも描かれた怪物の背に座った人間になった。

 

 

 

一方、VRFこと管制室の置かれたイージス艦内では、けたたましいほどの大騒ぎ…という訳でもなく、ただひたすら静寂が続いていた。

白衣を着た博学そうな科学者が呟く。

 

「おい、誰か…俺の頬を引っぱたいてくれ」

 

と。

 

目の前の光景が幻想かと思い込んでしまうほど、有り得ないと言わざるを得ない。ひょっとして、誰かが映画の一部を切り取って、監視用のモニターにBluetoothで接続してるんじゃなかろうか。と辺りを見回す者も入れば、歴史的というよりももはや伝説を目の当たりにしたことに感涙を流している者もいた。

 

それはもちろん、今回の作戦における第一人者である大富豪 ケヴィン・ロスウェルドも例外でない。

 

「ハーマン・メルヴィルの記したことは真だったのか…」

 

世界十大小説のうちの一つであり、アメリカ文学史においても名作と名高い小説がある。

 

名を『白鯨(モヴィ・ディック)』という。

作者ハーマン・メルヴィルが実際に捕鯨船に同乗し、後に創作されたと言われるこの作品は、1851年に発表され、なおもその人気は留まることを知らない。

題名通り、作中には白鯨が登場し、さながら怪物のように畏怖されている。

 

体長約30m 重量80トン。

平均的なマッコウクジラの約2倍に相当する化け物だ。

 

そんな空想上の怪物が現在、そのスケールを遥かに上回る大きさで人類の目の前に現れた。

幻覚と錯覚するのも無理はないだろう。

 

しかし、いつまで経ってもぼーっとしている訳には行かない。

研究員はすぐさま、映像から確認できる程度の僅かな情報から生物の特定に急いだ。全くの新種なのか、はたまた再び蘇りし絶滅生物なのか。

 

 

断定は困難を極めた。

そして一行はある仮説に行き着いた。

それは白鯨の口、上顎と下顎に並んだ鋭い乳白色の牙。これが仮説の断定を加速させた。

 

そして研究者らが出した結論。それはあのクジラは、極めて特異的な進化を遂げた古代生物であること、その名は『リヴィアタン・メルビレイ』かつて、メガロドンと共に海の覇者として君臨した海洋生物だ。

 

発見されている上記の生物は、体長12mから20mと、現代のマッコウクジラと何ら変わらない大きさである。肉食で、その特徴は両顎に鋭く大きな牙を持っている事だ。通常、マッコウクジラは下顎にしか牙は存在しない…たったそれだけ?と思うかもしれないが、この生物はかつてあらゆる海洋生物を捕食し、近類種のクジラをも捕食していた可能性が高いのだ。

 

であるからして、今現在あの背中に乗っている笹壁という男は、凶暴なクジラをも手懐けつつあるとんでもない存在だった。

 

しかしながら謎が残る。

 

 

 

なぜ白鯨は急に人類と接触を図ろうとしてきたのか。

 

 

 




さっき書いたので誤字脱字ありましたら申し訳ありません。
秋葉原のロイホで書くと捗りますね。


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