見習い商人の見るヒスイ (Cicla)
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1.空と挨拶

少女にとって、この世界は見たことがないもので溢れている。

 

今まで出会ったことのない文化と価値観に生きる人々。

知っているのに全く違うすがたをみせるポケモンたち。

どこまでも続くかのような草原と、満点の星を瞬かせる夜空。

 

ヒスイ地方と呼ばれるその地は、生まれて初めて親元を離れた少女にもホームシックを感じさせないほど興味を惹かれるものばかりだった。

ショウが正式にギンガ団の調査隊となってしばらく。今日も昨日までと同じく、昼は外で調査、夜ムラに戻り彼女とその先輩、そして博士の3人で夕餉を共にしたところだった。

こちらに来て初めて食べたイモモチは、それまで食べたことのある食べ物とはまるで違っていた。すっかり気に入ってしまったイモモチが主食として毎夜ふるまわれるという現実に至福を感じている。

 

食後の上機嫌な気持ちで帰路を歩いていたショウは、通りすがりにふと目についた、イチョウ商会と呼ばれる人たちの露店を見やる。

最近初めてムラで見た彼らは、しかし前から定期的にムラに来ていたと聞く。ギンガ団の本部の前に陣取り、樽の上でランタンの明かりを煌々と灯して、まだ営業しているらしい雰囲気を醸し出しているが、そこには昼間見た一組の男女ではない、別の人影がいた。

 

「こんばんは、調査隊さん」

 

ランタンの隣にもう一つ置かれた樽の上に腰掛けた人影はショウに気づくと声をかける。

幼い顔立ちの少女だった。サイズが足りないのか彼らと同じ制服に着られて足をぶらぶらとさせつつ、意図せず目深に被った帽子の隙間から人好きそうな目を覗かせている。

 

「こんばんは。イチョウ商会にはあなたみたいに小さな子もいるんだね」

 

自分より5歳ほど年下だろうとあたりをつけたショウは、ムラの子供にそうするようにやさしく声をかける。しかし彼女の意に反して少女は苦笑を浮かべ、小さく年はそう変わらないよと呟くと、揺らしていた足を止め、ぴょんと立ち上がる。

相対してみればなるほど、彼女が思ったよりは背が高く、けれどショウよりは頭半個分ほど低いところで少女は淡い茶色の髪を揺らしてねえ、と口を開いた。

 

「お姉さんの名前ってさ、ショウでしょ? 空から落ちてきてギンガ団の人になったって」

 

村の人にも飽きるほど問われたことにやはり何度もそう答えたように首肯すれば、彼女はやっぱり! と目を輝かせた。何度もやり取りしたように質問攻めに合うのだろうと予想すると、食後で舞い上がっていた気持ちが沈み、覚悟を決めた、しかし直後に商会の少女から続けられたのは予想だにしない種類の質問攻めだった。

 

「空から落ちてよく生きてるよね! どうやって着地したの? どんなポケモンに助けてもらったのかしら?」

「え……? あ、私、気が付いたら浜で倒れてたの。博士は落ちてきたって言ってるけど、私には記憶がなくて……」

 

一瞬反応が遅れて回答した。どこから来たのか、どうやって来たのか。今までムラの人間から聞かれたのは、主にこの二つだった。

 

それはショウにとって、どうとも答えられない困った難題でもある。故郷が同じ人がもしいれば、面識がないことで怪しまれるかもしれない。

未来から来たと言ったところで、信じてもらうことも難しければ面倒ごとに巻き込まれる可能性だってある。

ここに来た方法など私が聞きたいレベルだ──聞かれるたびに心の内でそう吐き捨ててきたものをもう一度繰り返そうとしていたところから大きく離れ、少女が訪ねたのは空から落ちたことについて。

自身が何度も言葉を変えて言われたように少女もちょっとした変わり者なのかもしれない──驚きに目を見開いてから、質問に回答するために何度か思い返したことを、もう一度思い返してみる。

 

彼女の主観では、アルセウスと名乗ったポケモンらしき存在との邂逅の後、目が覚めれば浜に倒れており、そこをラベン博士に起こされた──それ以上でも、それ以下でもない。空中落下の感覚も無ければ、なにかに助けを求めるなんて不可能。

だからとショウが結論付けたのは、空から落ちたというのは博士の見間違いか、そうでなければアルセウスの悪戯かの二択であった。前者はほとんど冗談のようなものだが。

 

「へえ……てことはあなた、ポケモンに好かれているのね! 指示も出さずに助けてもらえるなんて、きっとそうだもの」

 

ショウの答えを聞いた少女は満面の笑みでそう一人合点すると、どんなポケモンなんだろうなあ、と思考を巡らせる。

しばらくそうして二人の世界が交わらない状態が続くと、少女の方がふと我に返ったようにはっとして会話に戻ってくる。

 

「ごめんなさい、熱中しちゃった。自己紹介もまだだよね」

「あはは……知ってると思うけど一応。私ショウです。よろしくね」

 

先ほどの推測をさらに強め、少女は間違いなく変わり者だと結論付け苦笑を浮かべる。しかしそれは不快ではなく、どこまでも周りを引っ張っていくような明るさをはらんでいて、好印象を彼女に与えていた。ショウが差し伸べた手ににこやかに答えて少女は口を開く。

 

「よろしく。わたしシクラって言います。あなたと──」

「お前さんもサボりか?」

 

シクラ、と名乗った少女の言葉を遮るように私の背後から声がかかる。振り返れば昼間見た商会の二人が立っていた。

ショウと比べて高い身長と表情の読めない男に怒っているのだろうかと自分が矛先ではないものの威圧感を感じていたところに一歩少女が前に出て、相対する。

 

「あら、おかえりなさいギンナンさん、ツイリさん。 いいえ、お客さんにご挨拶してただけです」

 

ね? とシクラが振り返ってショウにウインクを向けたのに肯定を返す。実情は最後の最後こそ挨拶をしようとしていたところではあったがそれまでは一方的に少女が聞きたいことを聞いていただけだったところをそうかと納得してもらえた事実が少しおかしくて、少女たちは顔を合わせて二人小さく笑った。

 

「じゃあ、私明日も調査なのでこの辺で。ありがとシクラちゃん」

「またのお越しをお待ちしてます。またね、ショウちゃん」

 

手を振りその場を後にする。

あなたとはいい友達になれそうだね、と心の中で告げて、ショウは与えられた宿舎に軽やかな足取りで戻っていった。

 

 *

 

「あーあ。ちょうどいいところでこわーい大人の人が帰ってきちゃうから、びっくりして逃げちゃったじゃないですか」

 

 去りゆく調査隊員の背中を見つめながら、少女はその上司である男を詰った。最も、皆それがほんの冗談であることを理解していたため、女はふふ、と小さく笑い、男も「戻らなければ商品でも買ってもらえたのか」と受け流した。

 

「ウォロさんがポケモンを戦わせるのが上手いんですよー、って言うから気になっていたのだけれど……普通に面白い子ですね。これは勘ですけど、将来大物になりますよ」

 

ショウに話しかける前にしていたように、樽の上に飛び乗りながら満足そうな笑みを浮かべる。商品の調達を終えてムラに向かう直前、別行動と言う名のサボりをしていた青年から聞いていた話を思い返して、でもバトルの腕はわかんなかったなと続けた。

 

「ふふ、見習いなのに商人の勘が鋭いのね」

 

揶揄うような目線を向けたツイリに、シクラは胸を張って「経験はありますから」と答えれば、商会の中で一番若い少女から似合わぬ言葉が出たものだから二人して笑いを堪えることができなかった。そしてそれに少し気を悪くした当人は弁明の声を上げる。

 

「知っている人とどうにも面影が重なるんです。どうしようもなく世界に愛されてる人。きっと芯も強そうだった。だから勘が働いたんです」

 

分かりましたか?と念を押せば、二人は各々相槌を打つ。しかしそれが少女の目にはどうにも投げやりなものに思えて、更にはギンナンの口元は未だに小さく緩んでいるのを見つければますます不機嫌になる。

 

「も──!良いですもう、わたしは夕餉を食べます!頼んでた握り飯をください!!」

「ミルタンクみたいな鳴き声を上げないの。はいこれ。折角ムラにいるんだから野営の時みたいな携行食じゃなくて、食堂でちゃんとした夕餉を取れば良いのに」

 

シクラが差し出した両の手のひらの上に、ツイリが食堂の人に頼んで作ってもらった握り飯をポーチから取り出して載せていく。

 

「あまり食にこだわりはないですし……それに店で出してもらう量は多くて一度じゃ食べきれないんですよ」

「その理屈がよくわかんないけどねえ……このサイズの握り飯10個は大人でもよく食べないよ」

 

一つ二つまでは良かったが、少女の小さな手のひらには乗り切らず、彼女のリュックを開いてそこに順次詰めて行って、ようやく10個の大振りな塊はシクラの手に渡った。

 

「胃が小さいのに燃費はすこぶる良いんですよ〜わたし。じゃあ、休憩行ってきますね」

 

夜の海が風流なので浜で食べてきます!と走り去りながら手を振って、少女は露店から離れていった。後に残された二人は小さくそれに返していたが、しばらくして姿が見えなくなるとツイリが言葉を発する。

 

「リーダー。たまにあの子がわかんなくなるよ」

「ウォロとよく似ている」

 

サボり癖がつかないと良いがな、と冗談めかして呟けば、家路を急ぐギンガ団の制服が見えたので揃って「良い物入ってますよ」と声をかけたのだった。




商会はヘキ


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2.風と悪戯

時系列順に書こうとしていないので後に間の話を挟むかもしれません


夕刻の海は淡く橙に染まり、波の音が穏やかに浜を行き来する音が響く。遠くにポケモンの鳴き声が届く中、少女が一人、岩に腰掛けて黄昏ている。

夕陽を受けた栗色の髪は海と混ざり、溶けて消えてしまいそうだと、その光景を遠目に見たショウは杞憂をしてしまう。彼女はそんな幻想から引き戻すかのように、あえて大きな声で少女の名前を呼んだ。

 

「シクラちゃん!」

 

名を呼ばれた少女は緩慢な動きでこちらを振り向くと、ギンガ団の友人の姿を認めてぱっと表情を明るくした。

 

「ショウちゃん? どうしたの、こんなところに」

 

少女の浮かべる人懐っこい笑みが、いつも露店の前を通りかかった時に向ける笑顔と同一のものであることに安堵を覚えながら、依頼を受けて調査に来た旨を伝える。

子供と遊ぶフワンテを見なかったかとショウが告げれば、まるで商品があるかと尋ねた時と同じような気軽さでそれなら、と指を差した。

 

「さっき来てそこの小屋の周りで遊んでいたよ。その裏にいるんじゃないかな」

 

ありがとう、と言って確認すれば、そこには確かに子供とフワンテがいた。ただし、子供が連れていかれそうになりながら。ショウがその手を強く引き、フワンテが離れていくのを確かに確認すれば、ほっと一息つく。

 

そこで初めて彼女は自分が焦っていたことに気づいた。否、事実そんな場面だったと冷静に考える。

フワンテに連れ去られそうになってもなおあのポケモンは友達だと言う少年と、その一幕を変わらず岩に腰掛けたままにこやかに見つめていた少女。二人ともポケモンに対しての緊迫感がなさすぎるのである。ムラの大人たちが過剰に持っているその恐れを、吸い取られ尽くしたかのように無垢で、ショウは幾許かの不安と恐怖を抱いた。

少年がムラに戻っていくのを見届けると、それまで黙っていた少女が「役に立った?」と口を開いた。

 

「うん、ありがとう。警備隊にも見回りを強化してもらえないか聞いてみるけど、もし、連れ去られそうになっているのを見かけたら……シクラちゃんも声をかけてあげてほしいな」

可愛いけれど、フワンテはちょっと怖いところもあるから、と付け加えれば、わかっているのかわかっていないのか曖昧な笑みで「うん」と答えた。

 

「ところでさ、ショウちゃん。あれ見てよ」

話を変えたシクラが沖の方を指差した。落陽の眩しい空に、黒い影がぽつぽつ見える。

風下に向かって不規則な群れを作っているのは、目を凝らせば1匹のフワライドと、それに付き従うように飛ぶ何匹かのフワンテだった。

思わずきれい、と呟いたのはどちらの少女だったか。一呼吸遅れてふふ、とシクラが笑う。腕を下ろすと、よいしょと立ち上がった。やはり顔立ちのわりに高い上背が、今日は地面の起伏で同じところに瞳を置いて視線を交わす。

 

「フワンテもフワライドも、人を連れていっちゃうんだってね」

「うん。可愛く見えて怖いところだよね」

 

ここ、ヒスイに来る前にもショウはそのポケモンに関する話を聞いたことがあった。神隠しのように人を連れ去ってしまうという話と、しかし実際は風に流されるだけで連れ去るような力はないとする話、そのどちらも。彼女が実際に調査隊として見てきた限りでは、風に飛ばされていることが多い気もするが、先程の件は本当に連れ去ってしまいそうな不気味さもあった。おそらくどちらも真実なのだろう、と彼女は考えている。

 

「彼らが特に子供を連れて行こうとするのはなんでか、わかる?」

「さあ……体重が軽くて連れ去りやすいから?」

 

理由を挙げてから、すぐさまショウは自分自身で「いや、違うか」と打ち消した。そんな単純な話をわざわざ眼前の少女が問わないだろうという期待もあったし、そもそも何故人を連れ去るのかという謎の答えにならない。

そういう考えに至ったことをシクラは嬉しがったのか、そうだねと笑ってから本当のことはわたしも知らないけれど、と前置きして続ける。

 

「子供は曖昧な存在なの。7つまでは神の子って言われがあるくらいには」

 

シクラは言葉を続けながら、地面に重ねて置いてあった5,6枚の大きな葉を拾う。

何を拾ったのか、何故拾ったのか一瞬ショウにはわからなかったが、明らかにこの周辺とは植生の異なる葉に、この間ムベに家で食べる用とイモモチを包んでもらった時のことを思い出して、お弁当箱の代わりかと理解した。

 

「だから、ああやって漂流するだけの彼らは、そんな存在を連れて行こうとする傾向にあるんじゃないかって、わたしは思う。大人よりも、ずっと魂があちら側に近い存在を」

 

物質的には風に任せて飛ばされているだけの存在。しかし、彼らが人を連れ去ろうとしているとき、捕まえているのはその手ではなく魂であり、それを捉える力は強いのだとしたら──相反する説が現代においても唱えられていることへの一つの答えを見つけたような気がして、ショウの言葉は詰まった。

 

「それは、そうかもね」

「……だからかなって」

「え?」

 

俯きがちに小さくつぶやかれた言葉と、後に言葉を続けたそうな少女の様子にショウは聞き返す。

少し強くなったように感じる風に髪の毛をはためかせながら、シクラの、見え隠れする口元は何かを紡ごうとしていたが、やがてきゅっと一文字に結んでもう一度目を合わせた。

 

「なんでもないよ。ところで──あの群れ、こっちに来てると思わない?」

 

先程指した沖の方にもう一度指先を向ける。

風下はこちらではなかったのに、風に逆らって浜に向かっているのが確認できる。先ほどよりも大きくなった影は、こちらを見ているような気すらして警戒する。

オヤブンは1匹もいないようだが、5は超える数の群れを一度に追い払えるほど簡単な相手でもない……そうショウは判断して、ひとまず応援を呼ぶと同時に友人を逃がそうと口を開く──が、声が形になる前に、少女のゆったりとした歩みが一歩、浜の──群れの方に向けられる。

 

「びっくりしちゃった? ふふ、ごめんね。ワッて言わせたかっただけなのだけど、それどころじゃない反応されちゃった」

 

フワライド、と一声少女が呼び掛ければ、答えるように鳴き声を上げて近寄る速度を上げる。それに置いて行かれたフワンテたちは追いつけないどころか風に抗うこともできずに、元の軌道へと戻されて離れていく。

ぷわー、と能天気に少女の側まで近寄ったのを見ると、シクラは申し訳なさそうに、けれど誇らしげに「わたしの悪友です」と紹介した。

 

呆気に取られたままのショウは腰のモンスターボールにかけていた手もそのままに、ほとんどオウム返しで「あなたの、ポケモン」と繰り返す。シクラが笑いながらそれを肯定すればやっと硬直が解けて、呆れたような安心したような特大のため息を吐いた。

 

「心臓に悪いよ……」

「いつもああやって浜で遊ばせているのだけれど、進化してるからかこの辺りのフワンテは子分にしちゃってるみたい」

 

風を操って、群れごと近寄ってくるものだから、最初はわたしも驚いたのよ、と告げると、確かにとショウも相槌を打つ。とっくにフワンテたちが視界から消えてしまったのを確認すると、青と黄色のコントラストが眩しい帽子の傾きを正して「じゃあ、そろそろ休憩終わりだから」とムラへの道を歩き出す。

 

「またねショウちゃん。かっこよかったよ、さっきの」

「怖いからもうやめてよね! バイバイ!」

 

フワライドを側に侍らせて遠くなって行く背中をどうにも追う気になれず、ショウはそのまま用もないのに日が沈むまで浜で立ち尽くすことになった。

流されていないフワンテは他にいなかったのか、この日はもう姿を見ることはなかった。

 

 

「どーも! 休憩から戻りましたよー」

 

妙に上機嫌に、今にもスキップを始めそうな勢いで帰ってきた見習いに、ギンナンは怪訝な目を向けながらも特に言うことはなく「ああ、おかえり」とだけ口を開いた。あるいは今横にいる青年もまた、彼にはよくわからない理由で陽気になることがあるから慣れ切っていたのかもしれない。

当の似た者であるウォロは磨いていたキズぐすりの瓶を置いて「おかえりなさいシクラさん、気分良さそうですね」と微笑んだ。

 

「友人のちょっとかっこいいところ見ちゃったので。流石、ポケモンの手合わせに積極的なウォロさんを二度も下すだけありますね」

 

少女が語れば、次の瓶を手に取った青年が「ああ、彼女ですか」と言い、曖昧に口を開けたまま次の音を探している。探し物の正体に一瞬で気が付いたのかシクラは「ショウちゃん」と話題の少女の名前を呼んだ。

 

「あなたから見てどうでしたか」

「ちょっとフワライドで驚かせてみただけで、バトルはしていないけれど……うん、状況を認識してからの判断が早くて的確。あなたと同じくらい、正解を導き出す才能に溢れている」

 

ウォロの質問にそう答え、加えて自分で状況を見る力はまだみたいだけど……じきに育つでしょと少女を印象良く評すと、「やはりそうですよね、ショウさんはお強い人だ」とまるで我が事のようにウォロは笑みを浮かべた。

 

「バサギリを鎮め、アヤシシ、ガチグマに認められたと聞きますしね」

「キング? でしたっけ。神様のお使いとかなんとか言われてるようなポケモンも下すなんて、度胸あるなあ」

 

青年が眉尻を釣り上げて笑うのに逆に少女が眉を下げて笑うと、そのままの流れで二人はポケモンや神話の話を始める。ギンナンも適度に相槌程度に話に混ざりながらヒートアップする会話は、食事から戻ってきたツイリに商品の手入れが全く進んでいないことを叱られるまで続いたのだった。




風に負けるほどなのになぜ彼らは人を攫う、なんて話が出るのか?に対する私の解釈です。
ところでフワライドさん、なんでひこう技捨てたんですか??????????


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2-2.夜と旅路

前話投稿以降、目次ページの注意書きの方更新しました。追加されている事項があるためそちらを確認、理解の上お読みください。めちゃくちゃ捏造。


じっとりと張り付くような湿気が満ちる中、大きなリュックと荷馬車で大量の商品を運ぶ一行はようやく川のせせらぎを聞くことができた。3人と一匹は会話を交わすこともなくただ歩みだけを続けていたが、川の直前まで辿り着いたところで男がふと口を開いた。

 

「大丈夫か?」

「だいぶダメです」

 

掠れた声で、それでも即座にきっぱりと否定を返す。ただでさえ湿気の高い中、ほんの小さな少女には過酷な旅路を歩いた上、先ほど足をもつれさせて沼に突っ込んだせいで、指紋も溶けてしまいそうなほどにびっしょりと濡れていた。

沼地の真ん中で立ち止まって休憩するわけにも行かず、しかも鮮度が大事なきのみもいくらか積んでいるため速度を落とすことも出来ない。少女であるとはいえ見習いの身分で、無理矢理休憩を取ってもらうことも難しかった。

 

「川を越える前に休憩しましょう。さすがにシクラも限界そうだし」

 

川を渡るのも大変だしね、とツイリが口にし、ギンナンがそれに同意すればシクラはまるで救いの手が現れたかのように顔を輝かせたのだった。

 

 

「とりあえず下流で泥まみれのブーツを洗ってきます!」

 

比較的乾いた草の上に荷物を下ろし、水を口に含んだシクラはそういうとタオル一枚を引っつかんで走るように歩き出す。子供特有の素早さで急速に遠ざかる少女に、水筒から口を離したツイリが慌てて口を挟む。

 

「乾かす時間があるほどは休まないよー!」

「ポケモンに乾かしてもらいますから!」

 

二人からは本来朱と白のコントラストが眩しいはずのモンスターボールが一色にしか見えないほどの遠さでそれを掲げると、そのまま相棒であるフワライドを繰り出しながら少女は駆ける。

100メートルほど離れたところなら問題ないだろうと小さく見える二人を横目に川縁に腰掛けると、腕を捲ってからするりとブーツを脱いで水につける。擦らずとも染み込んだ泥が川を茶色に染めて流れていくのを見ると、そのままじゃぶじゃぶと水中を暴れさせ、汚れを落としていく。

 

「フワライド、好きにしてていいよ」

 

ポケモンが来たときだけよろしくね、と声をかけると、所在なさげに浮いていたフワライドは一声返事をあげてどこかへ飛んでいく。

 

そのまま両方のブーツを洗い、ついでに汚れていた服の裾も水につけ、汚れが落ちたところで相棒に風を起こしてもらおうと名前を呼びながら周囲を見渡すと、それではないがよく知る人影を見つけたのであ、と少女は呟く。

 

「ウォロさんだ」

「おや、どうしたんですかこんなところで」

 

声をかけられた長身の青年は少女の近くまで歩み寄ると、また転んで泥に突っ込みましたか? と商会の荷馬車から離れていることを冗談めかして指摘する。少女は苦虫を噛み潰したような顔を一瞬浮かべるも、努めて無表情にその通りですが、と渋々肯定した。

 

「ウォロさんもまたサボりのくせに。今度はなんで言い訳するのかしら? 道に迷った?」

返す刃で突くも、青年は「ちゃんとした理由ですよ」とどこ吹く風だ。

それが強がりではないことを少女は知っているが、商会の皆が納得するような理由なのかは信じがたかったため「それはそれは楽しみね」と嘲った。

「わたし、フワライドに靴を乾かしてもらわなきゃいけないの。あの子はウォロさんのこと苦手だから、先に二人のところへどうぞ」

 

しっしっ、と手から滴る水分を飛ばしながら追いやると、笑みを崩さないままながらも少し気分を害した様子で上流へ向かっていった。

しばらくしてどこからともなく戻ってきたフワライドに「ほんと彼と相性悪いのね」と微笑むと、シクラはもう一つ別のモンスターボールを繰り出して、二匹がかりで服の水分を飛ばしてもらう。生ぬるい空気が重く漂う湿地で、冷たくはなくとも風が優しく頬を撫で上げるのは大層心地よかった。しばらく経ち完全にからっと乾いた後には、満面の笑みで感謝を告げると、少女が大食漢と誤解されているように、内緒でもう一匹に携行食を分け与えるのだった。

 

 

「それでその方はなんと、時空の裂け目から落ちてきたとか! 不思議な方で──」

「裂け目から?? なになに、わたし抜きで面白い話してるんですか?」

フワライドだけをボールから出したまま三人に増えた仲間の元に戻れば、ウォロが「ちゃんとした理由」を説明しているところだったらしい。興味を持ったシクラが食い気味に尋ねれば、ツイリが呆れ顔で「ここは興味持つと思った」と肩をすくめる。

 

「コトブキムラに時空の狭間から落ちてきた少女がいるのですよ。キテレツな格好でしたが、ポケモン勝負がべらぼうに強かったんです」

 

ギンガ団の入団試験でポケモンを捕獲するとか言ってましたが、きっと合格したでしょうね、と言えば少女は目を一層輝かせる。

「素敵ね! 空から落ちてきただなんて、童話でもそう見ませんよ?」

 

ムラに着いたらぜひ会ってみたいですね、と高揚を隠しきれない様子の少女に、周囲の大人たちは一様に呆れ笑いを浮かべる。

ギンナンも小さく笑った後「止めはしないが、仕事はサボるなよ。誰かみたいにな」と少し戯けて釘を刺す。ツイリもそれに便乗して「誰かさんはコンゴウの集落で合流する予定だったのにね」と彼がよくするように右の人差し指を真似て立てれば、それに少し申し訳なさそうながらも「でもお客さんと良好な関係を築く為ですから!」と弁明を始め、堪えきれなくなった女性二人は腹を抱えて吹き出した。

 

ひとしきり楽しんだ後、4人に増えた一行はコトブキムラへの旅程をまた歩み始めた。川を越え、湿地を抜け、原野の比較的乾いた、穏やかな風が感じられるようになる頃には陽が傾き始め、空も地も淡く朱色に色づき始める。

水辺に程近く、しかしポケモンの邪魔はしないであろうあたりに目をつけると、今日はここで野営だとギンナンが一声。沼地よりは歩きやすいとは言えそれでも歩いた距離が距離のため、シクラは元よりツイリも少し疲れた顔でそれを受け入れた。

比較的けろっとしている男性陣が率先する形で火を起こし、野営の準備を整えると、荷物の中から鍋と適当な食材を取り出した女性陣が何を入れる入れないと話し合いながら、実際はツイリのワンマンでシクラがそれを手伝いながら夕餉を作る。スープを椀に注ぐ頃には、夕日は完全に落ちきってしまい、闇夜を焚火だけが照らしていた。

 

 

深夜。不寝番としてぱちぱちと燃える焚火を眺めていたウォロの背後で、ぱきりと枯れ枝を踏む音が鳴る。音の高さからその人物を判別した彼は、特に振り返ることもなく声をかけた。

 

「寝とかないと明日体力持ちませんよ」

 

特にアナタはね、と言われれば少女は決まりが悪そうに舌を出し、笑って誤魔化す。

 

「疲れてはいるのだけれどね。まだ湿地に近いからかしら、どうにも寝苦しくて」

 

シクラは昼間商会でかけあっている時とは違って少女性を抑えた口振りでそういうと、寝汗を拭ってウォロの左隣に腰掛けた。しばらく居座るらしい様子に彼はため息をついて「明日知りませんよ」と咎めるも、彼女はあっけからんと「もう諦めた!」というものだから、彼もまた諦めてそのまま静寂を過ごす。

 

「……しんどいですか、商会の仕事は」

 

唐突に口を開いたウォロの顔をシクラは仰ぎ見る。表情は前髪に隠されて読み取れない。今更何を、と声に出しかけたのをすんでで留まり、努めて冷静に言葉を紡ぐ。

 

「めちゃくちゃしんどいに決まってるでしょう。わたし、箱入り娘だもの。旅なんて名ばかりの散歩しかしたことないし、野を駆け回ることもほとんどなかったし」

「やめたいですか? やめても行く当てはありませんよ」

 

初めてこちらを見たウォロの目は挑発的な表情を浮かべていた。その目を見て少女が商会に入りたいと言ったときのことを思い出した。

大人と比して小柄な少女でしかない彼女に過酷な行商はできやしないと、一度は嘲笑った彼の顔を思い出して、ああざまあみろやっぱできないじゃないかと責めているのか、と理解して反抗的に振る舞いたい気持ちがふつふつと沸き上がる。

「やめたいとか言ってないけど」と前置きしてから、彼女にできる満面の笑みで答えてやる。

 

「仮に辞めたら、あなたがわたしの面倒を見てくれるの? 拾った子供の世話は責任持ってやってくださるのよね、ウォロさん?」

「アナタに拾われた自覚があったとは。あの時ご自分で否定されたのでは?」

 

バチバチと煽り合い、数秒睨みを交わした後、ふっと少女は笑って降りた。そのまま立ち上がると、昼間荷馬車をずっと引いてくれていた仲間であるゼブライカを撫でる。もうウォロに目線を寄越すこともなく、ゼブライカに着いてくるよう言うと、ひらひらと手を振り「お花摘んできますね」と言い捨てて歩き出した。

 

野営地から少し離れると、そこは森と林の中間とでもいうべき木々の密集具合で、視界はそれなりに通るがまっすぐ歩くことが難しそうだった。少女は不意に立ち止まり、一匹もそれに従うのを見ると、静寂が覆う森の中声を発した。

 

「いるのでしょう、野盗さん」

 

気になって眠れないわと眉を顰めて吐き捨てれば、所在のバレた野盗が三人、木々の隙間から出て来る。女性三人組と言うところでシクラははた、と以前も彼女らに商会が襲われたことを思い出した。答え合わせのように「久方ぶりだね、お嬢ちゃん」と揶揄うような視線を向けられるも、少女は頭の中で前はどうやって撃退したんだっけ、わたし荷台で半ば寝てたんだっけなどと能天気に考えていた。そのまま数言放たれたのを聞き逃していたが、一人がドクロックを繰り出したことで現実に引き戻される。ゼブライカ、と名を呼ぶまでもなく、そばに連れ立った仲間は一歩前に出て戦闘体制を整えた。それをみてにやり、とポケモンを、繰り出した一人が意地悪そうな笑みを浮かべる。

 

「甘ちゃんだね、ちょっと痛い目見てもらうよ! ドクロック、ベノムショック!」

「でんこうせっかで避けてほうでん!」

 

シクラ側が指示した通りに行動すれば、それが予想外だったようで野盗は目をぱちくりと見開く。信じられないと言いたげな表情のまま固まった主人の様子に、相棒であるそのポケモンが対応できる由もなく。倒れるとまではいかないが良い一撃の入ったドグロックの様子に、少女は満足げに笑みを浮かべた。女は叫ぶ。

 

「なぜだ?! そのポケモンは商会長のあのおっさんのだろう? お前みたいな小娘の言うことをなぜ聞く!?」

 

自分の身の丈より強いポケモンや、人から譲り受けたポケモンは言うことを聞かない。そんな常識から離れて、以前商会を襲った時にも彼女らが苦しめられた俊敏にて強靭なポケモンを、まるで自分のものかのように的確な指示を出して扱ってみせた少女の異様さに驚いた。一方の少女は心当たりのなさそうな顔を浮かべると、薄っぺらな愛想笑いをわざとらしく浮かべて「わたしが弱い少女ですから、憐んで手を貸してくれているんですよ」と嘯いた。

 

「戯言を……! もう一度ベノムショックだ、前方を狙え!」

「動くな。そのままもう一度ほうでん」

 

指示を出したのはほぼ同時だった。読み合いとも言えぬほど完璧に行動を掌握したシクラによって、なすすべもなくグレッグルは倒される。

顔を歪めながらボールに相棒を戻す様子を横目に「ま、嘘どころか全く真逆なんですけどね」と冷たい視線を向け、エプロンの内側に隠したホルダーからボールを取り出した。

 

 

遠くから微かな戦闘音と、野生の生物とは思えない鳴き声を聞きつけたウォロは、見張り番を放棄して少女が先程去っていった方向に向かう。

木々を数本超えたところに本来ヒスイには生息しない、確実にギンナンの手持ちであろうゼブライカを目にしたため、それに案内してもらいつつも少女の元に辿り着いた。

 

そこは戦闘の跡か、おそらくほうでんあたりによって黒く焦げた枯れ木と不自然に抉れた地面があり、その中心で揺れるボールを片手にシクラは立ちすくんでいた。

赤いモンスターボールばかり使う彼女は、しかし一つだけ青いボールも持っていることをウォロは知っていた。現在手に持っているのは青。

面倒くさそうな予感を感じつつも、平静を装ったまま声をかける。

 

「摘む花もない荒地のど真ん中で何やってんですか」

「野生のポケモンがいたから脅かしただけよ」

 

ただの野生にしては脅かしが過剰すぎるだろうに。そう思ったのを飲み込んで「そういうことにしますか」と匙を投げる。

これが寝ている二人にバレなければ良いが、と明朝どう意識を逸らそうか算段をつけながら、深呼吸をした少女がボールをポケットにしまうのを確認して、ウォロもまた更なる厄介ごとが起きなかったことに安堵した。

 

「完全に御しきれないものは利用しないでください。それがバレると、アナタを招いたジブンの立場も危うくなりますから」

 

戻りますよ、吐き捨てると踵を返し、先ほど通った道をまたわけ入っていく。その後にゼブライカが続き、更に数歩後ろに少女。

二人と一匹はしばらく会話もないままだったが、焦げた匂いが消える頃になるとシクラがようやく口を開く。

 

「招かれざる客、と呼んだのは誰かしらね。……大丈夫よ。ギリギリのところは見極めているから」

 

現に今回も、万が一これが暴れてもあなたがいるでしょう? と首を傾げる。

ちらりとウォロが背後を確認すれば、その瞳になんとかできなきゃ困るだろう? と言う挑発じみた信頼が託されていることに気分を悪くし「出来た試しはないでしょう」と吐き捨てる。予想した通りに「試したのも一度でしょう、次はできるって!」と強者の余裕から来る能天気さが返ってきたため、青年の機嫌は地の底まで下降するのだった。




捏造は捏造ですが、別に根拠なくゼブライカを手持ちにしたわけじゃなくて。
そもそも商会の露店の後ろの荷台、確実に手押しの構造をしていないので馬(にあたるポケモン)に引いてもらう前提のはずです。素直に考えればリーダーのギンナンさんがポケモンを持ってるでしょう。
馬形、かつ子孫繋がりから電気タイプ。公式設定として商会は他地方から来てるのでヒスイ外のポケモンを持っていても不自然ではない、というかそっちの方が自然かもしれない。該当するゼブライカさんはたしかPWTあたりで子孫が手持ちに加えていたので……まあ、良いよねって。
どちらかと言うとモチーフ的に馬力出すよりは早駆けする方に適性はあるでしょうが、どのみち人間よりは力あるだろうしいっかと思っています。

続きは友人の2週目限界オタク晒し上げライブで続きのストーリー再確認したら書きます。お前これ読んでるだろ、早く予定空けてね♡


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4.志と同胞

捏造妄想幻覚嘘


一月ほどぶりにコトブキムラの門に姿を現した少女は、イチョウ商会の青と黄色のコントラストを揺らしながら、暗い空に似合わぬ明るい顔で警備隊の男と話していた。

 

「こんにちは、今日は天気がいいですねーなんちゃって。いつもは顔パスなのに警備が厳しくなったのはやっぱり、空の影響ですか?」

 

荷を検める男はそれが空元気なのか本音でそうなのか計りかねた様子で、しかし困惑に手も口も止めることはなく答える。

 

「まあ……一概にはそう、だな」

 

少女はその一言の奥に含意があることを認識しつつも、それが何かまでは伝わっていない様子で首を傾げた。お互いに理解し合えず戸惑っていたが、その空気も男が荷を確認し終えたところで霧散する。足を踏み入れることを許可されると、シクラはムラの中に目を向ける。そこには門口まで歩いてくる少年の姿があり、制服と、目を引く赤い帽子に伝え聞いていた人物であると思い至り、声をかけた。

 

「あら調査隊の……先輩さん、でしたっけ?」

「ああ、イチョウ商会の。えっと、見習いだったか?」

 

こんにちはとテルとシクラが挨拶をする。ショウとの縁でお互い顔は見知っていたが、会話をするのは初めてであり、よそよそしくもある程度お互いのことは話に聞いているが故の親しみを抱いていた。世間話のような気軽さで、少女が口を開いた。

 

「ここにいらっしゃるということはやはり、異変に際して調査はお休みで?ショウちゃんも今日はムラにいるのかな」

「……あいつならいない。追放された」

 

いつもの軽い調子でムラに寄る理由の八割である友人の所在を尋ねる。元より笑みを浮かべていたわけではなかったが一層に重苦しい、苦虫を噛み潰したような表情で少年より告げられた事実に、思わず少女は「は?」と冷たく聞き返した。

いつでも、それこそ今のような状況でも笑みを絶やさないでいたシクラの無表情に薄寒いものを感じつつも、繰り返して「追放されたよ」と告げれば、いよいよ少女の表情は険しくなる。

 

しばらく何を言おうか迷う様子を見せた後、ばっと少年の袖口を掴むと手頃な建物の裏に向かって引っ張っていく。少女相応の力にテルは抗うことも考えたが、チラリとこちらをみた瞳が僅かに揺れているのに気付いて、そのまま彼は写真屋と宿舎の間に吸い込まれていく。

 

「どういうことですか」

 

建物と建物の隙間、暗がりで袖を離したかと思えば、今度は胸倉を掴むようにしてシクラは詰問した。力の弱い手にテルは「やめてくれ、服が伸びる」と振り払うも、一つ深呼吸をすれば真面目な顔をして経緯を語って聞かせた。

 

曰く、ギンガ団の長であるデンボクがショウを疑っている。

曰く、ショウこそがキングを荒ぶらせ、それを自ら鎮めることでムラの信用を得てきたのだと。

曰く、その懐疑が晴れるまではムラを追放すると。

 

語るにつれ、他人の胸の代わりに自らの服の裾を握っていた手が強くなり、その表情が無表情を通り越して暗い笑みに変わっていくのを見て恐怖を募らせていたが、終ぞテルが負けずに次第を語り終えれば、怖いくらいにいつもの調子で口を開いた。

 

「探しにいきましょう」

 

 

「ギンナンさん、しばらくムラでの仕事を免じていただけますか」

 

仕入れ頑張りたい気持ちなんですよねー、とにこにこしながら開口一番にそう宣った少女に、ギンナンはサボる気だろ、とテルも同様に抱いた感想をぴしゃりと言い放った。

もう少し何とかならなかったのか、と見え見えの演技を見抜かれた後輩の友人に小さく突っ込むも、当の本人は聞いているのかいないのか、そんなことないですよーと語尾を伸ばした。

 

「見習いに暇を出せるほど商会は甘くないよ」

「甘くないだなんて。太客をみすみす失っておいて良く言いますね」

 

ツイリが横から投げた言葉にそう皮肉を返すと、やっぱりそうかという顔を二人とも浮かべる。外に出たいという要求の裏にある目的を察したのだろう。

少女たちの仲が良いのは周知の事実だ。しょっちゅう露店の前で話し込む姿を見るし、自分が後輩から友人のバトルが強いだとか、面白い話をしてくれるだとか聞かせてくれるように、彼らの見習いも友人のことを語り聞かせているに違いない。

まだ若者であるテルとは違いしかし彼らは大の大人。絆されることはなく、しかし僅かに悲痛そうな顔を浮かべて一言だけ告げた。

 

「……事情が事情だ。受け入れろ」

「無理です」

 

小さな少女の駄々は数回に渡り「受け入れろ」「できません」と応酬を繰り返していたが、埒があかないと素早く判断したのか早々に「じゃあ諦めますよ」と両の手のひらを上げた。

 

「代わりに、ではありませんが──わたしショックを受けまして。しばらく寝込みますね」

 

健康的な顔色で説得力のない休養宣言を少女が放つ。幼子でもそれが嘘と見抜けそうだが、しかしそれにくすりと笑って大人たちは騙される。

 

「……体調不良なら仕方がないな。ゆっくり休むといい。風邪ならうつってはいけないから見舞いにはいけないが、案じていよう」

「先んじて見舞い品を渡しておくよ。お大事に」

 

今のどこに騙されたのか少年には全く理解ができなかった。ツイリから袋に包んだキズぐすりや包帯を受け取りながら、「ありがとうございます」と少し弱々しく微笑むと、では、と露店から離れて行く。しばらく置いていかれていたテルが我に返って走り出す直前、二人のどちらかが「よろしく頼むよ」と告げた気がしたが、立ち止まることは出来なかった。

 

 

さて、と今度はギンガ団の本部の裏、窓から視認されないところで少女が立ち止まり、テルの方を振り向く。いい加減察せるようになった愛想笑いではない、こちらを探るような不敵な笑みで「あなたも行くでしょう、当然」と言葉を投げかける。

 

「……行けるわけないだろ。おれはギンガ団所属だ」

 

なんと言付けを頼むか悩んでいたところだぞ、とため息をつく。一日でこう何度も連続して放たれる少女の破天荒さに驚かなくなってきた自分に呆れながら。

突飛なことなど何一つ言っていないとでも主張したげに首を傾げれば、シクラはテルとまた違った理由で呆れ顔を向ける。

 

「頭硬いですねえ……どっかの誰かさんみたい。ほら、さっさと遠方調査の許可でも取ってきてください」

 

そうすればムラから消え放題ですよ、と背中を押す。ぐいぐいと体重をかける全力の少女を体を逸らすことで避ければ、よろける彼女に向かって強い語気で断言する。

 

「だから探しには行けない!見習いのお前と違っておれは一隊員だ!!……諦めるしかないんだよ」

 

声量は抑えめながらも荒げた言葉に少女は驚いた。しかしそれは声だけの話で、内容は癇に障るところがあったのかすっと目を細めると、諭すように滔々と言葉を連ねる。

 

「調査隊は何のためにあると思っているのですか?!長に従うため?恐れに二の足を踏むため?──違うでしょう。

晴れ間がなくなったからと言ってヒスイの調査という使命がなくなったわけではないわ。どこへだっていつだって繰り出していく。それがヒスイの全てを詳らかにすることに繋がるのでしょう!

ならばいくらだって調査に繰り出したいと言うべきだし、それは許可されて然るべきよ」

 

敬語もやめ、それまでの少女を捨てて語る姿は、テルよりも年下に見えてずっと大きなもののように感じられた。圧倒されて返事のできない彼を見て、彼女が加えてそれにどうせあの調子だと調査隊自体もこの決定を快く思っていないのでしょう?なら上はいくらでも誤魔化せるよ、と悪戯好きそうな少女らしい笑みを浮かべれば、心の底にすとんと入る言葉にとうとう流されて首肯してしまう。

 

「……わかったよ」

 

 

「許可する」

「え?」

 

テルは上司の言葉を聞き返した。聞こえなかったわけではない。ただ、自らの予測に反して、あるいは背中を押した少女の予想通りに、シマボシがそう発言したことに理解が追いつかないだけであった。それを知ってか知らずか対面の執務机に座ったままのシマボシは言葉を続ける。

 

「許可すると言った。どこを調査するつもりだ?」

「えっと……」

 

答えを用意していない問いに言葉が詰まり、目を泳がせる。頭を回しながら、ふといつも窓際にいたケーシィがいないことに気付き思考が止まる。一向に答えが出ないテルに対し、シマボシがならば、と口を開く。

 

「決まっていないのなら、ここを調査せよ」

 

机上の地図で指された地点に、ここは?と問い返す。湿地というには北すぎて、山嶺と言うには麓よりなお離れているところは、ギンガ団の調査が足を踏み入れてない場所だった。2年もの間、一切手を付けていない地域に今今赴くのは何故か。テルの脳裏に浮かんだ疑問に答えられるものはいない。

 

「今まで調査の手が及んでいない地帯だ。強い野生のポケモンはいないと思われる」

 

行くといい、と淡々と告げる上司に、抱いたなぜを問う余裕はなかった。

 

 

「許可出ちゃったよ……」

 

本部の裏まで回り、変わらず外壁にもたれて待っていた少女に報告すれば知ってる。窓から見てたとあっさり返答され、この状況に違和感を抱いていたテルに自らの方がずれているのかと疑念を抱かせる。

 

「じゃあ、明朝原野ベースに集合ね」

「?一緒に出るわけじゃないのか」

 

どこまでもこの少女に袖を引っ張られることになるだろうから、帰ったら制服を新調しなければならなくなるだろうかと考えていたところにベースまでは別行動だといわれたテルは思わずそう聞き返す。

それに笑って「一緒に行く気だったの?」と少女が指摘すれば、間髪入れずに否定が飛んで帰る。少女の誤解が形ばかり解けたところで、少女も少年の勘違いを解くために口を開く。

 

「わたしはしばらくムラで寝込んでて人前に出れないことになってるの。白昼堂々門を通れるわけないでしょう?」

 

夜に出るからあなたを待たせはしないよ、と安心させるように告げれば、少年の顔も見ずにじゃあねと去っていった。

仮眠しなきゃと独り言を言いながらどこまでもマイペースなシクラに、テルは将来の己の胃を案じつつも、調査のために出立の準備を始めるのだった。

外へ踏み出す理由はいつもと違うが、それでも気持ちはなるべくいつも通りを装いながら、暗い空の下少年少女は前を向いた。




ガイドブック。商会。現場からは以上です。


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5.旅と真綿

空が曇っても、原野に吹く風の心地よさは大差ないように思われた。警備隊に感謝を告げ、テルは深呼吸をする。朝の空気、という匂いがあるわけではないものの、そこにある朝露の気配は確かにあった。

そのことに安心感を覚えながら、よし、といつも被っている帽子の角度を正し、気合を入れてから待ち合わせ相手を探す。夜の内にと言っていた少女のことだから、普通に考えれば先に着いているはずだが、と坂の先を見下ろすが、ポケモンたちがいるばかりで人の姿はとんと見ない。

後輩から聞いた話が正しいならば雪原を全速力で駆け回り、オヤブンを笑いながら赤子の手のように捻り倒す傑物だとか言うのだから襲われて怪我をするなんてことはないだろうが。ショウの話がどこまで本当なのか、筋骨隆々な男かと疑いそうな逸話と、テルが実際見た昨日の華奢な様子の乖離に疑念を呈さざるを得なかった。

 

「いないなあ」

ぽつり、と呟く。ふわりと吹く風を浴びながら、しばらく腰を下ろして休みながら待っていようかとも考えたとき、不意に彼の頭が軽くなったことに気付いた。

 

手をやって確かめれば帽子がなく、代わりに真綿が髪の毛に絡まっていた。きょろきょろと焦って周りを見渡せば自らの象徴たる赤帽子はすぐ見つかった。坂を少し下ったところで、真白い綿の塊のようなものに攫われている。

 

坂を駆け下りればそれも速度を上げ、風に逆らって西に逃げていく。それを見てテルはポケモンの仕業であることを理解した。一瞬ちょこんと見えた暗い手足に、がらるのポケモンだといつか見せられたウールーに少し似ているような気もしたが、それにしては小さい。

まだ見ぬポケモンにしてやられたのか、と調査隊として不甲斐ないようなわくわくするような気持ちを抱きながら、途中からピカチュウもボールから出して共に追いかける。坂を斜めに転げ落ちた後、急旋回して今度は開墾地の奥へと飛んでいく。

 

付かず離れず、あるいは遊ばれているのか。体力が尽きかけ、帽子も泥沼に飛び込まれてしまうと思った矢先、数十歩先の木の陰からぬっと手が出てきて、帽子ごと跳ねていた綿の塊をがしりと掴んだ。

そのままテルが息を切らしながら近づけば、姿を見せて帽子を手渡しながら「思ったよりは早かったわね」と呟いた。シンジュ団でも着ないほど丈が長く分厚い外套をテルは見た覚えがなかったが、緩くまとめられた栗毛と人好きそうな丸い目は、昨日さんざ目にした色だった。ありがとう、誰かと思った。そう一言だけ先に言ってから呼吸を整え、帽子についた綿を払って被り直してから頭の中で用意していた言葉を紡ぐ。

 

「……なんだその奇天烈な服。遠征なめてるのか袴みたいなの着て。商会がいつも着てるつなぎでいいだろ」

 

ただのお説教から始められた会話が不服な様子で口を尖らせると、少女は「奇天烈じゃないもん!」と吠えた。

 

「商会関係なく動くんだから制服着れるわけないでしょう?」

 

コート、なんて言ってもあなたには通じないでしょうけどね! と捨て台詞のように少女は吐くが、少年には何も伝わっておらず、ただ曖昧にはあ、とため息のような相槌を打った。なおざりな対応にさらに腹を立てたシクラは左手に掴んでいたままのポケモンを振りかぶり、そのままテルの顔面目掛けて投げつける。

 

「エルフーン! 綿まみれにしちゃって!」

「わわっ!」

 

エルフーン、と呼ばれたポケモンは主人に似て悪戯好きそうに鳴き声を上げ、指示された通りにテルにまとわりつく。よく見ればくさタイプらしい見た目をしている、白と緑のコントラストを振り払おうと暴れ回るテルを満足げに少女は眺め続けた。

足元のピカチュウになんとかしてくれ! と一度叫んだが、技を放てば主人も倒してしまう。以前ならそうしていたかもしれないが、最近ではショウの影響を受け主従関係は至って良好になってしまっている。

 

躊躇して結局何もできなかったピカチュウを尻目にエルフーンが綿をつけきった頃には真っ白なテルと幾分かすっきりとしたシルエットになったエルフーンを胸に抱くシクラがいた。

 

「あー楽しかった。じゃ、行きましょっか」

 

流石に可哀想だから払ってあげなさい、と胸元のエルフーンに言いながらも歩いていくシクラに追いつくために走りながらなんと恨み言を言おうか、それとも諦めた方が早いのかと迷ってれば少女の肩越しにぼうふうを放たれ、そのことにさらに文句を叫ぶことになる。もみくちゃになりつつ追いつけば、疲れた身体には腹正しいほどのいい笑顔でさらに神経を逆撫でにされることになる。

 

「ところであなたの名前ってなんだっけ」

「テルだ!!」

「そっか。わたしはシクラね」

 

よろしく、と能天気に微笑む少女に鬼の面影を感じつつ、テルは酷く今後を憂うことになった。

 

 

「そういえば、ショウを探すと言ってもアテはあるのか?」

 

二人の腹時計が揃って太陽が中天に差し掛かったと告げる頃、川浜を視界に入れながらどちらともなく休憩を提案した。テルとピカチュウが揃って喉を潤したところで、先程まで迷いなく歩みを進めていた少女に問いかければ、シクラは通りがかりにもぎ取ったきのみをエルフーンに与えながら答える。

 

「別に確信があるわけじゃないけれど……まあ、おおよそは。あなたもそうでしょう?」

「アテが? そんなもの……いや、まさか」

 

あるわけないと否定しかけて、しかしはたと思い至って胸元から紙を取り出す。ヒスイを大まかに形取っただけの粗末な地図には、今まで調査をしながら自ら書き込んだ覚書と共に、出立前に隊長から指示された地点に印が付けられている。一目それを覗き込んで「そう、そのへん」とだけ頷いてもう一切れきのみを手持ちに給していた。

 

「シマボシ隊長がなんでここを……? お前もどうしてここだとアテが付いてるんだ?」

 

自分が気付いていない、見落としている証拠でもあるだろうかと日々の記憶をフル動員する。ヒスイのあちこちでキングやクイーンを鎮めて回った後輩でもこの場所を訪れたとは聞いていない。隊長の立場で知り得る情報があったにしては、しかし目の前の少女はギンガ団ですらない。悩むテルを見て少し気怠げに「説明が面倒くさいなあ……行けば分かるよ」と先延ばした。

 

「あなたたちも食べる?」

 

自らの相棒を満足させた少女は自分の分を数個分けると、余ったきのみを投げて寄越す。慌てて地図を片手にまとめてから空いた手でテルが受け取り、軽く礼を言いながらその内のひとつをピカチュウへ流した。きのみをほおばるテルの相棒を二人で見つめ、しばし静寂が流れる。

川のせせらぎと自らの咀嚼音がうるさくなるほどに、二人は他人だった。

十分に休んだ頃にシクラが静寂を破り「よし」の掛け声と共に立ち上がると、近くで転がっていたエルフーンの綿をむんずと掴み上げれば、テルはピカチュウをボールに戻して歩き出す。

 

「今日中に原野は抜けたいなあ」

「同感。もう少しスピード上げないか?」

 

テルが提案すればすぐさま同意が返ってきた。沼地を横切らなければならない都合上、歩きやすい今のうちに距離を大きく稼いでおきたいという結論に両者とも至るのが必然だった。共有こそしていないが、片方は行商、もう片方は調査であの沼に苦しめられた経験がある。

 

穏やかなせせらぎが小さく聞こえる中で、しかし清澄な昼下がりというには空は暗かった。




あにめたのしみですね
友人の誕生日近くに公開日があるせいで本人発狂してました。あーあ


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6/2.雪と戦闘

いつも見てくださってありがとうございます


「ショウちゃん! 元気にしてた?!!」

 

真っ白な雪原にぽつんと目立つ黄色と青のコントラストがうっすらと見えると、吹雪に混じって鈴のように高い声でショウの名を呼んだ。久しく会えなかった友人の声は、どうやら同じように白の中に藍の隊服を見つけていたようで、積雪の中猛スピードで駆け寄ってくる。

初めての豪雪地帯、先程までまともに歩くことすら難しかったショウにとっては異様な光景を見せながら、シクラは頭半分高い友人に抱きついた。よろめいた彼女はそのまま踏ん張ることも難しく尻餅をつくと、冷たくも柔らかい雪の上で二人笑い合う。

 

「久しぶり……よく走れるね」

「ふふ、故郷もこんな風に雪が積もるからね。コツがあるの」

 

しばらくして立ち上がり、お互いの服や髪についた雪を払いながら尋ねれば、シクラは胸をとんと叩いて「雪での動き方はお任せあれ」と豪語する。

十分雪に苦しめられた後のショウにはそのコツというのは喉から手が出るほど欲していたため、食い気味に「教えて、シクラ先生!」と手を取り嘆願した。

 

シクラは気前良くその申し出を受け入れた。元より彼女にとってそれはなんてことのない常識であったし、他でもない友人の頼みだ。

転びにくい歩き方に始まり、吹雪の中でも方向を見失わないにはどうすればいいか、雪中での野営はどうすれば良いか、あるいはポケモンを戦わせるときに普段より何に注意すべきかなどなど、次から次へとショウが抱きもしなかった疑問にも答えていく。

雑談も交えながらベースの近くで話し続け、夕日が沈みつつあるのにようやく気付いたとき、少女はやってしまったと言わんばかりの表情でやば! と口を手で押さえた。あまりにもショウのよく知る若者像で、懐かしさと同時に友人の年相応に子供っぽい部分に可愛らしさを覚える。

 

改めてベースまで戻れば、ラベン博士をはじめとした面々も快諾してシクラのベース利用が許可され、明日の朝までやけにテンションの高い友人と共にいられることが決まった。

皆の前で「よろしくお願いしまーす」と気の抜けた声を上げる少女に博士が「この前は大丈夫でしたか?」と問うた。ショウはその二人が関わりを持っていたとは知らず驚き、つい何かあったのか尋ねてみれば、世間話のしすぎで時間を忘れ、シクラがツイリに叱られたらしい。

彼女にとってどこか既視感を覚える状況に不安を覚えていると、それを読みとった少女は「今回凍土で合流する予定なのはサボりの伝道師、ウォロさんだから全く問題ないわ!」と胸を張った。

 

晩御飯はスープだった。特別な具材も味付けもされていない、至ってありふれた味。ショウが戯けて「ギンガ団流のおもてなし!」と椀を手渡せば、くすくすと少女は笑いながら「これはイチョウ商会流のお礼なのだけど」と言いながらカバンから香辛料を取り出して分けてくれた。

いつもよりぴりりと辛くなった夕餉に体が温まったため、一同がシクラにいたく感謝をしながら、また彼女の雪国講座が始まった。

 

 

夜半、少女たち二人きりの天幕の中で、寝袋に包まれながら隣り合って座り、微かに隙間から覗く夜空を眺めていた。既に警備隊が不寝番をしている以外では全員が各々の天幕で眠りについており、なお話し足りない二人の少女だけが、ひそひそと声を静め、ぽつりぽつりとおしゃべりしていた。

 

「明日改めて、ギンガ団流のおもてなしをしなきゃなあ」

 

結局夜のはまたお世話になっちゃったし、と不満そうに言えば「別にいいのに」とシクラは答えた後、加えて十分笑わせてもらったからねとまた思い出し笑いをした。それでも気が済まないショウはしばらくあれこれ考えていたが、ついぞ思い浮かぶこともない。

 

「じゃあ、何か一つ。シクラちゃんのお願いごと聞くってのはどう?」

 

最終的にショウが選んだのは、相手に考えさせるという暴挙だった。普段からムラのみんなから頼まれごとしてるし、ギンガ団流っぽいよね! と言い訳をしながら投げかければ、案の定シクラは困ったような顔をして何かあるかなあ、と思案する。

 

「……じゃあ、朝になったらポケモンバトルしよう」

 

数秒唸った後、彼女が選んだのは手合わせだった。ショウは軽く放たれたその言葉に少し驚くことになる。今までセキやカイ、テルらと何度も腕比べを、と言われたことはあるが、それは彼らがショウの人となりを見極めるためだとか、あるいは自身の成長や覚悟のためだとか、ショウの価値観にとっては少し重い理由が多かった。

それこそちょっと遊ぼう、くらいのニュアンスでバトルを挑んでくるのは、ウォロ以来ではないだろうか。イチョウ商会にはつくづくバトル好きが集まるものなのか、と未だポケモンを持ってる姿すら見た記憶のない他の商人たちへ偏見を募らせながらも、申し出自体はなんら負荷になるものではない。

快く「いいよ、明日ね」と首肯すれば、少女は嬉しそうにありがとうと告げた。

 

「シクラちゃんはさ、商売のために故郷を離れてるんだよね」

 

それから少し経っても、まだ少女たちは起きていた。とはいえ二人とも既に横にはなっており、今に寝てもおかしくないような表情を背中合わせに浮かべあって、しかし見えずともお互いの眠そうな声で落ちる時が近いことを悟っていた。

 

「そうだね。商会の人たちはみんなそう」

 

ギンナンさんも、ツイリさんも、ウォロさんも、わたしも……と指折り名前を挙げて確認すると、みんなそうだね、と繰り返した。

 

「シクラちゃんはさ、家族とか、恋しくならないの?」

「いないよ、もう」

 

「……そっか、ごめん」とショウは呟いた。彼女がヒスイに落ちてきて、家族に会えない寂しさを共有できないものかと思ったが、それよりもなお悲しい現実を告げられ、軽い気持ちで話を振ったことを恥じた。つくづくヒスイには、彼女自らの価値観と違うことが多すぎる。親がいないという現実が、思っているよりもずっと身近であることを失念しがちであった。

 

「物心ついた頃には亡くなったから、わたし、そもそも両親のことを覚えていないの」

 

だから気にしてないよ、と友人を安心させるように見えない微笑みの表情を向けると、音を立てて寝返りを打つ。眠そうな目をショウの背中に向けて言葉を紡ぐ。

 

「ショウちゃんの話聞きたいな。家族の話。わたしが知らない分も、あなたと家族のことを聞かせて」

 

ね、と強請る声に応えて始まったショウの話は、しかし何を話したかお互いに記憶のないまま夢に落ちていった。

 

 

明朝。昨日とは打って変わった好天に恵まれ、降雪はなく、陽光が眩く降り注いでいた。

心地良さにシクラが伸びをし、手持ちのフワライドがそれに合わせて体を傾げていると、朝の支度を整えたショウが天幕から這いずり出してくる。まだ少し寝ぼけまなこの友人が、しかし慣れない寒さに体を震わせるのを見て、目が覚めたかななんて少女は思いながら、博士や警備隊に続いて朝の挨拶をする。

 

「おはよショウちゃん。調子はどう? あなたと、あなたの相棒の」

「おはよう。調子は良いけど、シクラちゃんほどじゃないかな……」

 

なんでそんなに元気なんだと言いたげな表情に少女は人懐っこい笑みだけを返して「大丈夫なら目覚まし代わりに、今からやっちゃう?」と提案する。細められた好戦的な目に呼応するように、斜になっていたフワライドがくるりと一回転する。こちらは万端だと言わんばかりのその仕草に主従が似た物同士であると悟ると、ショウは負けないくらいの笑顔で「うん!」と頷いた。

 

「おいで、ジュナイパー!」

 

ボールを投げ、相棒を繰り出す。威勢の良いショウの相棒にシクラのそれも触発されたのか、答えるように鳴き声を上げて少女の前に躍り出る。主人達の指示を待ちながら、その時を待っていた。

 

「朝一だし、体力のこと考えてちょっと抑え目に……1-1がいい? それとも2-2?」

「シクラちゃん、2体いるんだ。どんな子か見たいけど流石に手加減するよ、1-2で」

 

一人で海に山に走り回り、ポケモン相手に勝負を挑みまくっている調査隊のショウと、仕入れとしてあちらこちらに赴いてはいるが商会では見習いとされるシクラ。直接どんなものか聞いてこそいないが、ギンガ団の採取隊がよくポケモンに追われて怪我をしているのを耳にすれば、腕前の差のほどは推し量れるだろう。そうショウは判断して、ハンデを付ける提案をした。彼女はそれにきっぱり首を横に振って否定する。

 

「要らない。わたしこう見えて強いから。バッジも8つ集めたのよ」

「そうなんだ……バッジ?」

 

少女の自慢げな主張を聞き流しかけ、しかし聞こえた耳慣れない言葉を聞き返す。しかしそれは、ヒスイで聞かないというだけでショウは何度も聞いたことがある単語だった。

 

「あれ、知らない? ジムで、ジムリーダーと戦って、認められた証に──」

「知ってるけど!! なんでシクラちゃんが知ってるの?!」

 

ショウはシクラに詰め寄るも、当の友人はその剣幕の真剣さが理解できないようで、不思議そうに首を傾ける。しばらくの後、ああ、と思い至ったようで首を戻して手で槌を打つ。

 

「そういや言ってなかったっけ。わたしも空から落ちてきたの」

 

あまりに彼女が呆気からんと言うものだから、少女たちの遊びを微笑ましく見ていた博士らが驚くほどの悲鳴をあげることになった。

 

 

「結局バトルできなかったねー」

「バトルするより疲れたよ……こう、精神的に」

 

黄色と青のコントラストが雪原に眩しい少女が、飄々とした様子で隣を歩くもう一人の少女に話しかける。黒髪に藍の隊服を纏う彼女は非常に疲弊した様子で、時々雪に足を取られかけながら歩いていく。谷を越え、山を左手に沿うような形で進軍は続く。

しかし黒髪の少女の昨日までの酷い様を見ていれば、それがだいぶ改善されたものだと思うだろう。時折友人は「もうちょい足上げないと」なんてアドバイスを飛ばすが、彼女は恨めしそうな視線を向けつつ「無理」と即答している。

 

周りの全てを驚かせるような驚愕の声を上げた少女は、その元凶たる友人に詰問した。あるいはそれは、支離滅裂になんでどうしてと戦慄くのみだったと表現できるかもしれない。

友人たるシクラはなんでそんなに驚かれているのか分からない様子で苦笑を浮かべ、しかし律儀に聞かれたことには答えていく。

 

記憶はあるのかと聞かれて曰く「ある」と。ショウが山嶺にて出会ったノボリはないと言っていたから、予想外だった。

次いでアルセウスと言う名前に覚えはあるか尋ねれば、名前だけは聞いたことがあるのだと答えた。文字としての話のようで、ショウのように邂逅したわけではなさそうだと分かると少し落胆する。

 

少女は両親に学校でのことを話すかのような気軽さで、その友人に自身のことを話していった。ガラル出身で、スクールに通って、ジムを回った。それが一年と少し前の話だと言うから、現在11か12だろうとショウは見立てる。それは昨夜、家族のことを含めた生い立ちを寝物語に語ったショウへの返答でもあった。

 

 

朝食も交えながらひとまずのショウの疑問が解けた後、少女たちはベースから出立する。

ショウは雪に慣れつつポケモンの調査を行う為、シクラはこの真っ白な凍土のどこかでサボりに勤しむ黄色と青の青年が目的だが、手がかりがないために、ショウについて回って会えたらラッキーだ、と肩をすくめていた。

雪国慣れした少女の、ともすれば雪がないところより早いようにすら思える速度に、慌ててショウもジュナイパーをボールにしまって追いかけていたのが半刻ほど前の話。

 

「しかし、結構大きい声だったよね。オヤブンとか引き寄せないといいけど」

「流石にそこまで大声出したつもりないよ」

 

ベースからは遠い場所でしか見かけないし、大丈夫だと思うなあ、と黒髪の少女──ショウが呟く。そんな楽観論に喝を入れるようにチッチッ、と下手な舌打ちをしながら指を振れば、彼女が合流を目指しているのだと言うウォロが癖でよくやるように人差し指を踊らせながら忠告する。

 

「いくら雪で音が吸収されるとはいえ、普段からこういうとこに暮らしているポケモンはその分耳敏いの。おあいにくさま、今日は晴天。絶対聞こえないなんて油断はせずに──」

 

気を引き締めて、と続こうとしたシクラの声は消え、口を曖昧に開けたまま立ち止まる。釣られて足を止めたショウが「シクラちゃん?」と呼びかけたその瞬間。

 

割れ鐘のような大音声。僅かに風が強まったて感じられるほどの轟音、あるいは咆哮。その方向に在った黄色と黒の縞模様は、その色が与えるイメージのまま威圧感を撒き散らしこちらに向かっていた。

オヤブンの、エレブーだ。

 

「回収早いねえ」

「いやいやいや」

 

ショウは調査隊として培ってきた本能のまま、呑気な様子の友人の腕を引っ掴む。エレブーが攻撃を放つ姿勢に既に入っていたからだ。

体裁の何一つ整わないまま回避すれば、先ほどまでいた空間に一条の光が走る。雪に倒れ込んだままなんとかボールを取り出して繰り出せば、ジュナイパーが出てくるや否やその脚力で敵と一合切り結んだ。

 

しかし、積雪に慣れていないのはトレーナーであるショウだけではない。沼地でも経験しなかった種類の足場の悪さにジュナイパーが押し負けるものだから、なんとか立ち上がったショウは勝つのは難しいと計算する。

であれば、逃亡。アヤシシなら、あるいは崖を飛び降りればなどと算段を立てながら、まずは友人を引き剥がすために時間を稼ぐことにする。

 

「シクラちゃん! ベースまで走って! それから──」

 

ベースの人たちに警戒するように、と言いかけて、しかし当の少女が口を噤むよう手を掲げたのに抑止される。そんな間も応戦を続けるジュナイパーとエレブーをじっと見ると、いつもの人好きそうな笑顔を浮かべた。

 

「オヤブンって、やっぱりちょっと大きいけど誤差の範囲だと思うの」

 

フワライド、と名前を呼べば、いつの間にかボールから出ていた少女の相棒がぬっとエレブーの背後から攻撃を放つ。いや違う。ショウはシクラがボールを取り出していないことに気付き否定する。

今繰り出したのではなく、起床時に、あるいは出立時に。いつの間に、ではなくずっと少女は相棒を仕舞わずボールの外に出していた。

不意を打たれたエレブーを二匹で挟み撃つようフワライドに位置取りを指定して、心底楽しそうに笑う。シクラはこのオヤブンを目の前にした状況で、ショウが緊迫に支配されて今まで一度も感じたことのないというのに、わくわくを覚えているようだった。

 

「ガラルのダイマックスポケモンに比べたら、誤差だよね!! そう思わない?」

「見たことない!」

 

ダイマックスという文化は、記憶には残っていないが一度や二度は聞いたことがあるかもしれない。しかし実際その文化の担い手でなかったショウには終ぞ理解できそうもない現象だろうと友人の姿を見て確信する。

 

「フワライド、シャドーボール」

「っ──ジュナイパー、三本の矢!」

 

戦闘は続く。タイムなど存在しない。嬉々としてオヤブンに立ち向かう友人に合わせ、ショウも思考を無理やり切り替えて応戦する。シャドーボールが掠ったところを背後からの矢で射止めて、ダメージを与えていく。

 

「絶対に攻撃を喰らわないようにね」

 

シクラがそう発すると、電撃を走らせるエレブーからフワライドが大きく距離をとった。フワライドにとって電気は弱点だ。だから被弾を避ける、という判断は妙手のようでしかし悪手と化す。

位置取りを崩すことで挟み撃ちも解消され、エレブーが背後に意識を割く必要が薄れてしまう。もう一度フワライドで仕掛けようにも、一度割れた種が通じるかどうか。

 

地面タイプのポケモンがいいのだけれど、とショウは歯噛みした。

彼女自身の相棒に地面技を覚えたポケモンもいなければ、バッジ8つだと言っているシクラがわざわざフワライドで応戦するあたり、飛行タイプや水タイプばかりなのか、あるいはそこまで鍛えられた相棒ではないのだろうと予想できる。本人の目から答えを探ろうかと表情を窺うが、判別できなかった。

 

「ジュナイパー、距離を詰めて!」

 

迚もかくても、戦況を動かすには正攻法しかなかった。有効打が近接戦にしか望めないジュナイパーを、その健脚で肉薄させる。そこをフワライドが自在な軌道を描くシャドーボールで抑えるというやりとりを数度繰り返せばそれは上手く機能したようで、オヤブンは着実に疲れを見せていく。

 

そうなれば技を交わし合っているポケモンはともかくとして、トレーナーである二人は会話をする余裕も多少見えてくるというもので。過度な緊張を適度に緩ませたショウに、終始緊張などない調子のシクラが話しかけた。

 

「もう一撃くらいかな。ショウちゃん、捕獲する?」

「捕まえない。倒しちゃおう」

 

ボールの手持ちはあるが、今日は捕獲をメインにする予定ではなかった。生態調査、あるいは雪慣れ。目的以上の無理はしない判断を下すと、シクラは了解、と短く呟いてから、大きく声を張り上げる。

 

「全力で叩き込んじゃえ!」

 

最大打点を最大出力で。主人のともすれば脳筋と誹りを受けかねない命に、フワライドが答える。その鳴き声が呆れ声であったのは主従だけに通じることで、ショウはそれを気合を入れたのだと感じ取った。

動きを止め、ジュナイパーやショウにだって判別がつくほど大きなシャドーボールを作り上げる。それは練度が高いようで、しかし隙を作るという点ではすこし未熟だった。

エレブーも一矢を報いるためにバチバチと電気を操る。早業の、かみなり。早業とはいえオヤブンポケモンに突かれる弱点は痛いなんてものではない。その兆候に気付いたショウは、危ない、と口を開く。

 

「動くな!」

 

音が空気を震わせる前に、風が声を轟かせる。友人の警告を聞くより早く、速くシクラは動いた。

エプロンの下に隠していたポーチから乱暴に物を取り出すと、空に目掛けて全力で放り投げる。放たれる何かの正体は、本人ですらほとんど本能だったものだから終ぞ誰にもわからなかったが、それは避雷針としてフワライド目掛けて落ちてくるかみなりの軌道を逸らして、疎らに生えている木々の一本を焦がす誘導灯になった。

 

斯くして、攻撃の準備を安全に整えたフワライドのシャドーボールと、エレブーの牽制をずっと続けていたジュナイパーのリーフブレードが同時に命中する。ぐらり、と傾いて倒れるのを、二人と二匹で静かに眺め、やがて静寂が支配すると二人で安堵の笑みを浮かべた。

 

 




実際複数人でとはいえロクに役に立たない腕前の人たちと巣穴に顔突っ込んで暴れまわるのと比べたらなあ、とはちょっと思います。
NPC、ガン不利タイプ出してくるのだけはやめてください。普通に倒せるのに味方が倒されまくって吹き飛ばされたの一生許さない

webアニメ…アニポケ……ありがとう……


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7.学と自然

ぱちり、と算盤を弾くと少女は玉を動かさないよう向きを変え、眼前のもっと幼い少年少女たちに見せる。

ずい、と覗き込む子供たちが玉を動かしてしまわないよう軽く制しながら、明るく「さて、これはなんでしょう!」と問いかけた。

 

 

ラベンが放牧場のポケモンを観察しようとムラを歩いていると、川縁で群れている子供たちの姿があった。何をしているのだろうかと通りすがりに覗き込んでみれば、そこにあったのは算盤。ショウが友人になったと話すイチョウ商会の少女が、ムラの子供たちに算盤の読み方を教えている様子だった。

百が二つある、いやもう五つあるぞと相談しあって少女が掲げる数字を考えているらしい。ラベンが玉を数えれば773。この分だと順調なようだと立ち去ろうとした時、イチョウ商会の帽子がクイと持ち上がった。

 

シクラと言ったか、少女の翡翠の目が驚きで少し丸くなったから「こんにちは」と声をかければ、それを細めて「良い天気ですね、博士」と答えた。

世間話でもしようかとラベンが口を開きかけた時、その時子供たちが口々に「七百と七十三!」と威勢よく叫んだ。どうやら正解が導けたらしい。

あまりに唐突に声量が変わったものだから、二人して「ワッ」と小さく声を上げる。少女は変わり身が早いのか、すぐに喜色満面になって「正解!」と幼年者たちを褒めた。

 

「みなさんよく学べていますね。シクラくんもありがとうございます」

 

やっと身が変わったラベンも続き、将来先生になってみては? なんて軽口を叩けばそこでようやく子供たちは彼に気づいたのだろう。「あ、がくしゃせんせーだ!」「せんせい!」などと騒ぎ立てる。

改めて「こんにちは」とそれぞれに挨拶をする男に、算盤の数字を崩しながら立ち上がった小さな先生は笑いかける。

 

「最近、休憩してるとどうにもせがまれちゃって。博士はこれから研究ですか?」

「はい、放牧場に。きみもそろそろ仕事に?」

 

それに少女は肯定すると、休憩終わりだからもう今日はおしまい、と子供たちに告げた。ぶーぶーと文句を言うが仕方がない。また明日と宥めても尚年長の少女にまとわりつく様子に眉尻を下げて乾いた笑いをする少女を見かね、ラベンが「では、ぼくがポケモンのことを教えましょうか」と提案すれば、軽々と子供たちはせんせー、せんせーとラベンの周りに集う。

申し訳なさそうに「ありがとうございます」と一礼して商会の露店の方へと駆けて行った。観察が碌に進みそうにないことを予感しつつも、こう言った教育は本来、本職の教師がいなければそこに住まう我々の仕事であり、彼ら行商人に頼りすぎてはいけないのだと自身に言い聞かせた。

 

 

「あ、博士。先日はありがとうございました」

 

後日。亜麻色の毛先を多少濡らした少女とギンガ団本部の廊下ですれ違えば、先日は助かりましたとあの日も聞いた礼を言われる。どうやら外は雨らしい。

ラベンは資料の山を両手に抱えていたのでその横から顔を出して返答しようとすると、バランスが悪かったのかそのままバサバサと束を落としてしまう。

即座にシクラに拾われたものだからラベンが謝罪を入れると、ついでだからこのまま持っていきますよと拾った紙束を抱えて笑った。ありがたいことこの上ない申し出に甘えて、男と少女は彼の研究室に入ることになる。

 

ラベンの研究室は作りとしては広いのだが、それを感じさせない程に資料、研究用の機器、あるいはポケモンのためのスペースに費やされている。限られた貴重な足の踏み場に一旦資料を積むと、その横に彼女も倣って書類を置く。

 

「いやあ、助かりましたよ」

「お互い様です。……あ、これガラルのマダドガスじゃないですか」

 

ラベンが運んでいた山の一番上にあった紙に目を止めると、それを手に取って眺める。本部の装飾で建築隊が使うからと、彼が昔撮った写真とスケッチを貸し出していたものだった。

少女のその目その声には、珍しいものを見た感動だとか、あるいは正面に作られた像と同じものだと気付いた驚きとかの感情とは無縁に、どこか懐かしいという感情が浮かんでいるようだったので「ガラルに行ったことが?」と尋ねれば、彼女は「出身なんです」とはにかんだ。

 

「ガラルの出身でしたか! あそこは……ナックル城とかが有名ですよね」

「ええ。すなあらしの中でもぼんやり見えるほどに巨大で、荘厳でしたよ」

 

ガラルの話に花が咲く。マダドガスのようにラベンがガラルでスケッチを残していたポケモンをいくつか引っ張り出して、ウールーの毛の丈夫さだとか、アーマーガアの大きさなどを語らう。

 

ヒスイではポケモンを両の手で数えられるほどしか知らない者もいるというのに、少女はラベンも驚くほどガラルのポケモンについて詳しかった。それでいてヒスイのポケモンの話をしても問題なく付いてくる。

同じ商会のウォロと以前語らった時、ヒスイの遺跡や歴史に対してかなり造詣が深いことに驚いたのが記憶に新しい。彼女はそれほどの深みはないものの広く知識を揃えているようで、ショウやテルと変わらぬほどの子が、と内心舌を巻いた。

 

「博士、ガラルのポニータはご存知ですか?」

「いえ、あの燃え上がる駿馬はガラルでは見たことがありませんね」

 

シクラは、ギンガ団以外でラベンのことを博士と呼ぶ数少ない人間だ。博士という称に慣れぬヒスイの人々は、彼のことを名前で呼んだり、学者先生と呼んだり、あるいは単に先生と呼ぶ。それにこだわることはないが、博士という響きは彼に気を引き締めさせる。

 

「ガラルのポニータは燃えないんですよ。エスパータイプなんです」

「なんと! それは興味深いですね」

 

メモ用紙を取り出し、詳しい話を催促する。

曰く、空色と薄紫が混ざり合った毛は真綿のように心地よい。

曰く、人の心を読むことができ、邪な心の者には近付かない。

曰く、傷を癒す力を持っている。

これくらいで、と腰ほどの高さに手を掲げるのと既に完成していたヒスイのポニータのページを見比べれば、ガラルのそれの方が小柄らしい。

 

「ありがとうございます。とても詳しいようですが、ポニータを手持ちとしていたことがありますか?」

「いいえ。けれど、友人のポケモンとしてよく見ていたんです」

 

後学のためにとメモを書き上げ、感謝の言葉を告げればそれを少女は興味深そうに覗き込んでいた。

ラベンは本心から少女は研究者になる素質があると告げたが、シクラは男のそれを世辞と受け取って「お上手ですね」と返した。彼女の友人が手懐けているらしいそれとはいえ、恐れず近寄り、ここまでの情報を得るのは並大抵ではないというのに。

 

「わたしは純粋にポケモンについて知りたいとか、そんな高尚な気持ちはこれっぽっちもありません」

 

茶目っ気を出しながらも本音からそう言い切った少女は、ラベンには少しの遠慮のように映る。

「ではなぜ詳しいので?」と問えば、それは簡単だと言わんばかりに大きく一つ「知識は助けになりますから。いかようにも」と胸を張った。それは幼くして得た真理のようにして、経験則のようだった。

 

 

ラベンの部屋で寛いでいたミジュマルが小さく鳴いた。何かを訴えるように水槽から身を乗り出すのをシクラは不思議そうに見ていたが、その横で彼は手を打った。

 

「もう給餌の時間ですか。早いですね」

 

いつも夕餉より先にあげているんですよ、と言えば、なるほどと少女も合点がいく。と、一瞬遅れてあ! と大きな声を上げたものだから、驚いてミジュマルは水の中に潜ってしまう。それも気にしていられないほど焦った様子でシクラは口走る。

 

「仕事の続きがあるんでした。また今度お話ししましょう!」

 

彼が挨拶を返すことすらできないほどの速さで廊下に飛び出し、そのまま少女は表に出ていく。しばらくしたら表の露店で怒られている彼女が見られるのだろうと思えば、引き留め過ぎたことへの慚愧に堪えなくなる。

今度謝罪をしなければと考えていれば、静寂がまた訪れた部屋でミジュマルがチラリとこちらを伺うのと目が合う。ラベンは苦笑して今準備しますよと伝えれば、目敏いもう一匹と同時にがばりとこちらに身を乗り出した。

 

 

「──ってことがありましてね」

 

シクラくんには悪いことをしました、とラベンは帽子のまま頭をかく。先が赤くなった指が動くのを見ながら、至極どうでもよいものを多少取り繕いながらもウォロは「そーなんですね」と相槌を打った。

 

「ジブン、その時はムラの外にいたので見ていませんが、普段とそう変わらない様子でしたしそんなにこっ酷く怒られてもないと思いますよ」

 

心配いりませんよ、と笑みを向ければほっと男は胸を撫で下ろす。それと同時に吐いた息が白く漏れ出るのを見て、ウォロ自らも息を吐く。

 

今日の凍土は一段と冷え込み、さほど慣れているわけではない者にとっては厳しいほどだ。一方でラベンが送り出したショウも、ウォロが見送ったシクラも、きっと少年少女特有の快活さでそれに負けず──後者に至ってはむしろ一等元気に──駆け回っているのだろうが。

シンジュ団のカイほどではないにしろ、彼女からは寒さという感覚が抜け落ちているように見られた。

 

「しかし、彼女の見識には目を見張るものがあります。算術に、ポケモンの知識。雪中での活動方法やバトル……さぞ高名な師がいたのでしょうね」

 

ご存知ですか? と問われ、首を横に振る。ウォロとシクラは度々共に仕事──体裁としては見習いに対しての教育──をするし、語らったことも少なくはないが、お互いの個人的なことは何一つ共有しなかった。

 

そも、商会の者同士で過去を詮索し合うことすらない。生まれ育った集落を離れ、行商などという道を選ぶのは大概が訳ありなのである。自分が突かれて痛いものは他人のそれも触らない。

痛みを感じる閾値の個人差によってたまに行き違うこともあれど、基本的な不文律はそれだった。そして、彼もシクラも商会の中で、一等に過去を探りたがらない──探られたくない部類だ。

 

「そうですね、ジブンは彼女についてほとんど何も知りませんが、一つ言えることは……並ぶものが少ないくらい遠いところから来たという点でしょうか」

「ええ、ガラルと聞きました」

 

ラベンの相槌に否定も肯定もせずに続ける。

 

「ですから、ジブンたちとはものの考え方がかなり違うのでは? 算盤を弾いて、ポケモンに触れて、雪原を歩き、さまざまなものを知る──それが、彼女にとって"普通"なことなのかもしれませんね」

 

ムラの中で、憂い何一つなく仲間と友誼を深めるのがあなたたちの"普通"であるように。これは、意図せずウォロのちょっとした皮肉も混じっていた。とはいえ対面の男が気付くこともなく、確かにと頷きを繰り返していた。

 

「ところで、ジブンたちイチョウ商会の"普通"は、機会があればなんでも売り込むことなのですが……昨晩は辛いもので身体を温めたとか。偶然マトマのみをいくつか持っているのですが、いかがですか?」

 

身体が十二分に温まりますよと笑いかければ、ラベンはお上手ですねとその手に乗った。

 

 

 

「そんな次第で、いい儲けが出ましたよ」

 

しばらくサボれますねと長身の男が愉快そうに笑うのを、小柄な少女は呆れた目をして見ていた。夜も更け、世界は色を失っていく。しかし白銀だったその大地は月明かりをわずかに反射して、雪のない地ならば失っていたであろう輪郭を辛うじて繋ぎ止めていた。

 

「儲けが出るほど買わずとも、少量でもとても辛いものを……詐欺師に金を毟り取られるなんて、博士も可哀想だわ」

 

よよよ、と目を覆うが、その影に見える口元は愉快そうに歪められていた。悪戯好きには、それが大層面白く聞こえたのだろう。あるいは、ウォロが後日「おっと伝え忘れていましたね!」などととぼけるところまで想像したのかもしれない。

それに痛快さを覚えないわけではないが、性格の歪んだ少女に詐欺師とまで言われるのは本意ではなかった。

 

「商人ですが。不出来な見習いに灸を据えましょうか?」

「おっと。それはバトルのお誘いで?」

 

少女が目を合わせる。夜な夜な繰り広げる腕比べの直前に、彼女は決まって視線を合わせる癖がある。数瞬の後、ウォロはボールに手をかけ、最近進化したトゲチックを繰り出す。

 

「トゲチックになったんですね」

 

手合わせをするのは久々だった。少女がムラで幼子に囲まれている一方で、男は山嶺にまたフラフラと誘われていたのだと本人から、そしてショウからも聞いた。だから暫くぶりに見るウォロのポケモンが進化していたことに驚きの声を漏らす。

 

「ええ、少し目を離せばこんな姿に」

「……いいじゃないですか。おめでとうございまーす」

 

シクラは博識だった。この世界のこと、ガラルで得た知識。スクールでは誰よりも勉強のできる子供として育った経験がある。

だから少し考えてそのポケモンの進化条件に思い至り、この男も隅に置けないなと笑った。と同時に本人には絶対にそれを伝えないことを決意して、トゲチックと目線を合わせる。

 

「ねえ、あなた。もっと強くなりたい?」

 

主人を守りたいか。幸せにしたいか。そのために力を求めるか。

そんな種類の問いかけに元気よく答えるトゲチック。その目を見て少女は満足そうに数回頷いた。

 

シクラは基本的にはポケモンが大好きである。何があっても、嫌いにはなれなかった。そういう性分だろうと彼女は諦めていた。

だから、人間に好意的なポケモンに対しては全力の好意を贈りたいというのが少女の信条であったのかもしれない。

 

「じゃあ、強くしてあげるね。もっと、もっと」

 

ボールが開発されるまで、ヒスイの人々はポケモンをほとんど使役しなかったし、そうされているポケモン同士で戦うなんてことは絶対になかったと聞いた。

それに比べて、生まれる遥か前からそれが当たり前だった世界で生きてきたシクラや、あるいやショウや記憶こそないがノボリの実力は、この時代の人の何者よりも洗練されている。ノボリのような現代でも明らかな強者だとしても、虚勢こそ張っているがなんとかバッジを集めた程度のシクラでも、等しく強いと思われているのが詳細なところだが。

 

とまれ、ポケモン慣れしてるのは事実だ。それを見越したウォロから「是非ポケモンの戦わせ方を教えてください!」とせがまれ、渋々胸を貸していた少女だったが、献身的な手持ちには答えてあげようと、本腰を入れて取り組むことを決意する。

 

「始めようか、バトルを」

 

焚き火はとうに消していた。明かりで野生のポケモンに気取られたくないし、何より暴れ回るのだ。ほのおタイプを扱うわけではないのだから、火なんてものは邪魔になる。

 

少女が背に隠し持っていた紅白のコントラストを取り出せば、それは一筋の光を反射していた。




投稿する話の時系列と書いてる順番があべこべなのに、あっち出さなきゃこの話出せないな~みたいなのありすぎて困る ので不定期投稿です


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8.獣と嵌合-1/3

コズミックホラーと少しのサバイバルホラーを混ぜたみたいなものもどき。
文中で怪獣や陸上生物などの言葉が出て来ますが、たまごグループから表現をいただいています。当然ですが学術的にそのような区別は当時存在しないので、大体こんな感じの姿形を取るポケモン、くらいのイメージによるラベリングだと思ってください。



男の呼吸は浅かった。息を吸い損ねて、悲鳴にならない悲鳴を吐き出してを繰り返す。眼前の怪物と同調して、心の臓は早鐘よりも早く響いている。

 

夜闇の中、貌の見えない獣は唸っていた。男を敵と認め、威嚇をしていた。

男はその怪物の名を知らない。元々、ポケモンという生き物についての知識は乏しい方だった。一つ理解していたのは、よくムラに侵入しては木材を齧っているポケモンが「ビッパ」という名前なのだと、学者をしているという物好きが話していたのを聞いただけ。

 

ムラの畑ではなんとかというポケモンが耕しているだとか、門番が何某というポケモンを連れているだとか、話を聞いても身近には感じられなくて、右から左に流れていっていた。だが、遠目にその姿はよく見るので、それらが精々赤子、どれだけ大きくても大人の男より大きくないのを知っている。

名も知らぬ彼らとは似ても似つかぬその体躯を認めて、死を覚悟しているばかりであった。

 

そうして相対を続けて、その均衡を崩すようにばう、と獣が小さく吠えたとき、男はようやく逃げるという行動を思い出す。ほうほうの体で走り出し、背中を見せるという本来悪手である行動をしつつも運良く襲われず、命を繋ぐことができたのだった。

 

 

「──だから、しばらくは商会の皆さんにもムラに留まるか、外に出るにしても昼に大人数で出るだとか、気を付けていただきたくて」

 

ギンガ団のお得意様が眉尻を下げてそう言ったので、リーダーはわかったと答えると、仕入れをしばらく中止することを仲間に伝える。

横に立っていたツイリはほっとしたのも束の間、あの二人は大丈夫かな、と心配の声を漏らす。一人は誰よりも仕事ができるのに歴史に傾倒してしまうサボり癖のある男で、もう一人は眼前の少女の友人にして彼らの大事な見習いだ。元より早々帰って来そうにない組み合わせだし、シンジュ団、コンゴウ団と順に回ってから帰る予定だから、当初の予定でもうそろそろだとしても、普段考えられる以上に誤差が生じるのも詮方なきことだが。

ムラには微かな恐怖が漂っていた。外に出る者、そしてその家族は強く、それ以外は弱く。二種類の温度感は、しかし一つの事件によって齎されている。

 

 

その男が、夜番をしていた門番のところに転がり込んだのは、四日ほど前の話。木工を生業としていた彼は、それまで採取隊に任せていた木材の調達を初めて自らで行うため、単身ムラの外に出たそうだ。

不慣れな自然に手間取り、すっかり更けてしまった夜道を急いでいたとき、"それ"に出会ったそうだ。

 

そのポケモンがなんなのか、は未だに判然としていない。男から話を聞いても、恐怖の最中だったためか要領を得ない説明しか得られなかった。唯一得られたのは「四つ足の巨大な獣」という言葉だけ。オヤブンのレントラーにでも出くわしたのではないかとラベンやショウが推測し、実際にスケッチを見せてみたものの、男が放ったのは「もっとおどろおどろしい姿だった」という言葉だった。

図鑑にした情報を片っ端から振り返り、四つ足のポケモンを全て当たる勢いで見せてみるも、全く異なる姿だったと言うのだからお手上げだった。

成人男性よりも頭ひとつ分以上背の高いポケモン。既知のポケモンが暗闇で全く違う姿に見えたか、そうでなければ未知のポケモンということで、この時点ではまだ調査隊の中にはワクワクした気持ちもあっただろう。

彼はそのポケモンから攻撃は受けてないものの、何度も転んでいて傷だらけだった。それが癒えた後、テルとショウという調査隊の二人のエースと共に、あの日辿ったという森を確認しにいった。そして昨日、少年少女は凄惨な光景を目にすることになる。

 

 

木々が薙ぎ倒され、少し開けていたその森は、痕跡から正に数日から一週間ほど前に被害を受けたばかりだとテルは判断した。

なぎ倒され、執拗なほどに多種多様な種類の傷をつけた樹木。少し焦げたような跡のある草木に、えぐるように踏み固められた地面。ちょっとした広場になっていたのは、男の話通りそれが巨大な体躯を持っていることの裏付けだろう。しかし、それにしては妙だとショウは首を傾げる。

 

「これ、複数のポケモンが戦った後じゃないかな。こっちと、あっちと、そっち。足跡が何種類かある」

 

指摘を受けて見てみれば確かにそうだ、とテルも同意する。足跡だけでなく、木に付いた傷もそうだった。二人で周囲への警戒を緩ませない程度に、じっくりと痕跡を紐解いていく。虫のような爪の跡、怪獣のような太い足跡、不思議なことに、川が近いわけではないのに水中生物のヒレのようなものが当たった跡もある。

 

「少なくとも五匹かな。虫の爪、陸上生物の足跡、怪獣の足跡、水中生物のヒレ、それと飛行生物の翼のようなもの」

「不思議な組み合わせだな。水辺はうんと向こうだし、この辺りの森に怪獣なんていない。それが件の大きなポケモンで、近場のポケモンが立ち向かって乱戦だった……とか?」

 

虫の爪もこの辺りじゃ見ない、とショウが呟く。ここまで歩く途中で見かけたミツハニーやケムッソに鋭い爪はない。あるいは一番近いのはストライクだが、ショウが記憶する限り水辺よりもっと向こうの奥まったところにいたはずだから、魚が森のど真ん中で争うことと同等にありえないことだった。

 

「考えれば考えるほど奇妙で気味が悪いね……。ちなみに見かけたポケモンって、どんな姿だったかもう一度教えてもらってもいいですか?」

 

随伴していた男にショウが問いかける。男はああと恐怖を顔に滲ませながら、何度も話したであろう文句をもう一度繰り返した。

 

鋭く切り出した岩よりも鋭利な牙。歯のようで、石のようで、鋼のようでもあったそれ。

詳細を掴ませない顔は、目がどこにあるのか、そも一つ目なのか二つ目なのかすらも分からない。

その背中には、死神の鎌のような鋭い光がこちらをじっと見下ろしていた。

 

レントラーでも、ウィンディでもなく、ましてやヌメルゴンでもない、未知の怪物。うんと悩んだあと、怪獣の足跡がその可能性が高いと結論付けると、テルも足跡などのスケッチを描き終えたため、その場は帰ることになった。

 

 

男が出会ったポケモンが未知のものか否かは更に調査する必要があるが、少なくとも森でポケモン同士が酷く激しく争った跡があるのは事実だ。それを鑑み、ムラでは人々が外に出るのを抑制するような動きを取った。

採取隊は全面的に活動を停止し、商会には行商を控えるように警告した。警備隊も夜警を増やし、警戒態勢を取ることになる。そうなれば、解決は調査隊の仕事だ。

 

ショウとテルを筆頭に、隊総出で、数日かけてあの広場とその周辺の状況を探ることになる。近くの水場と、その向こうのストライクの住処にも立ち入り、集団の気が立っていないか、怪我をした個体がいないかを確認する。

あれだけ暴れた後だ、争いの気配に気付いてはいたのだろう。ポケモンたちは少し不安が漂っている様子は見られたが、当事者としてというよりはムラのように何が起こっているか分からず、と言った風な表現が正しいと思う、とは調査したショウの弁。激しい戦闘が繰り広げられたにしては重い怪我をしたポケモンもいないとのことなので、辛うじて推測が立っていた虫の爪と、水中動物のヒレの正体までもが霧の中に隠れてしまったのだった。

 

そしてそれは、他の痕跡についてもだ。いくら調査範囲を広げても大怪獣の姿もなければ、採取でよく立ち入られる森だったために散見される人の足跡しか見当たらない。

あの広場だけ時空の歪みで別世界と入れ替わったのではないか。根拠も何もない妄言だったが、それが妙な信憑性を隊員らに与えたのは、あまりの手がかりのなさからだろう。

 

 

「まるでゾロアークに化かされているのではないかとも言いたくなるほどだな」

 

普段なら冗談一つ吐かないシマボシも、ため息と共にそう愚痴る。隊長として今回の調査の指揮を取る彼女の執務室には、所狭しと資料が並べられていた。

各隊員が危険を賭して集めてくれた情報一つ一つを整理し、吟味し、考察する。シマボシとラベンが主体となって行なっている後方での仕事もまた、成果を得られないものだった。

何ヶ月と前の記録を持ってきて見比べても答えが見えない状況。只事ではないと採取隊の業務を全面的に停止してもらっている以上、短期間で決着をつけなければ。そんな焦りだけが募る状況だった。耕作だけでムラ中の食料を賄える──なんてこともなく。備蓄の面でも、限界は近かった。

 

「姿が見当たらないなりに、どこに向かったかだけでも判断できれば良いのですけどね」

 

ラベンも唸った。ヒスイの外のポケモンかとも思い、研究室中をひっくり返すのは2日前にもうやった。結局ラベンの持つ情報の中に該当するものはなく、博士を名乗る者として不甲斐ない思いを抱いていた。

あるいは商会の博識な男と少女なら、とも考えたが、運の悪いことに二人揃って帰ってきていないのだという。当初想定されていた付近からまる一週間が経過して、いくら何でも遅い! と少女を妹のように思っていた女が心配していたのを思い出す。

 

ショウ曰く、彼女はじむばっじとやらを持つ人──つまり、ポケモンを戦わせるのがとても強い人だそうだが、それでも不安は拭えない。もしかしたら、巻き込まれているのか。嫌な憶測に過ぎない悪夢もよく喚起されるようになっていた。

 

「昼間、いくら調査をしても姿が見当たらないのは、夜行性という認識で良いのか」

「わかりません。現状夜間調査は一切行っていませんから。昼間何処かに隠れているのか、そもそも遠くに行ってしまったのか──夜に見つかるか、あるいは連絡を出しているコンゴウ・シンジュ団の集落付近で確認されるかでもしないと、断定できません」

 

基本的に、昼より夜の方が世界は過酷だ。人間にとって月光しかない視界は見えないに等しいし、夜行性のポケモンは総じて人間に対する敵意が高い。昼の生き物である人間は、夜に馴染みにくかった。

木々が抉れるほどの戦いをして、恐らく生きているであろう──死体は見つかっていない──ポケモンは少なくとも五匹。そして、爪痕と足跡以外のヒントはない。毛の一本、鱗の一枚すら見つかっていない状態で、夜間調査は危険すぎた。

 

「……だが、行わなければ手詰まりだと推測する。どうだ」

「研究者として、はっきりそうだと思います。──しかし、実際のところ」

 

夜間調査は必要だ。だが、それを行うのは誰だ。ラベンは言い淀む。その危険性を明文化して、あるいは排除して送り出すのがラベンたちの責務だと彼は考えていた。調査隊の後方業務としても、大人としても。いくら自分たちが責務を果たせないからと、果たせないからこそ、重荷を誰かに背負わすようなことには否定的だった。そして、その誰かも容易に推測できるのだから。

 

「わかっている。だが、背に腹はかえられない。……昼間の脅威はないと判断し、早めに切り上げて帰ることを条件に採取隊の活動を再開してもらう。そして」

 

ショウに、夜間調査を命令する。乾いた声が、執務室に響いた。

 

 

「お疲れ様でーす! みなさん大丈夫でした? なにかおかしなことは?」

 

日が傾き始めるかどうかといった頃、一週間ぶりに採取の仕事を終えた隊員たちがコトブキムラの門をくぐる。数人でまとまってでこそあれ、ひとまず日常を取り戻したことに安堵する声がどこからか聞こえる。

ショウは彼らとすれ違いざまに夜間調査に出かけることになる。労いと、異常がないかの確認のために、門の近くで帰ってきた人々に声をかけていた。

 

「ああ、お疲れさん。怪我はないよ。ただ……ううん、何と言ったらいいか」

 

一番近くにいた男がそう言い淀み、仲間と顔を見合わせる。どうにも歯切れの悪い様子に首を傾げ、続きを促せば、もう数秒悩んだ後に口を開いた。

 

「強いて言うなら何もおかしいところがないのがおかしいんだよな。ほら、一週間も出てないだろ? きのみももっと実をつけてて良いし、草花も伸びきっているはずだ。なのに、いつも通りなんだ」

「それはつまり、何者かがきのみや草花を食べたってことですか?」

 

調査隊は足跡やポケモンたちの様子を主に調べたが、植生の様子など気にも留めなかったし、そも詳しくもなかった。行方不明の獣の足跡へのヒントになるかもしれない。少し食い気味にショウが尋ねれば、男は「何者かが食べた、か」と言葉を繰り返して噛み砕くと、首を横に振る。

 

「あれは食べた跡じゃなく、それこそ採取した跡だ。食い荒らした跡じゃあねえ」

 

人間の仕事か、そうでなければ大層賢いポケモンだろう。それを聞いたショウは眉を顰める。全くの無関係と断じるには、時期が悪すぎる。それとこれが関係あるならば、五匹以上の混戦を生き延びるほど力強く、そして人間と同じように丁寧に草花を摘み取る知能を持ったポケモンがいると言う話になる。

 

「採取した……ですか。不思議な話ですね。ありがとうございます、博士や隊長にも話しておきますね」

「ああ頼む。あんたも気をつけて」

 

顎に手を当てて思案する。

激しい戦闘、その跡地に残された五種のポケモンの痕跡。ヒレや足と言った一部分だけで、何のポケモンかも分からない。

死体はない。どこかに向かった痕跡も見つからない。森の中には人の足跡だけ。

その周辺に住むポケモンに異常はない。騒動に気が立ってはいるが、当事者では無さそう。鋭い爪や巨大な足もない種類ばかり。

そして、ギンガ団が普段採取する木々や草花に手をつけられていた。それも人間のように丁寧に。

 

何かが繋がりそうで、後一手のところで繋がらない。喉元に突っかかった魚の小骨のように、気持ちが悪かった。

 

 

「──博士はどう思います?」

 

大志坂の上からの眺めは絶景だ。ショウはラベンにそう尋ねながらも、カメラを向けるように両の手でフレームを模って、シシの高台に横から指す斜陽を収めてみる。もうじき完全に夜になる。そうなれば、少女の仕事が始まるのだ。その前に、道すがらラベンに採取隊から聞いた話を伝えたので、それに対する所感を求めてみる。

 

「関係はあってもおかしくないでしょうね、あの広場からどこに行ったのか、痕跡は全く残っていませんし、姿も見せません。強さも賢さも持ち合わせているポケモンというのは珍しいですが──ここまで手強い相手なのです、関係ないと断じることはできません」

 

じゃあ関係があるかと言われたら、まだ何とも言えませんけどね、と補足もする。奔走し続け、ショウ自身もかなりの報告書を提出したものの、結局は情報が足りていなかった。骨が折れるなあと肩を落としつつ、写真を撮りますかとカメラを勧めてくるラベンに断りを入れ、腕を下ろす。

まだ辛うじて形を崩してなかったフレームの隙間に、一瞬原野に似合わぬ原色が夕日に染まっていたように見えて、二度見する。それは見知った二色のコントラストだった。

 

「シクラちゃん! ウォロさん!!」

 

坂の下、蹄鉄ヶ原の方向からベースの方向へ登ってきたイチョウ商会の二人にショウが声をかける。少女の方が友人の声に反応して大きく手を振ると、そのまま男を置いて走り出した。呆れたような仕草を見せた後ウォロもその後を追い、数十秒の後二人とも揃って丘の上まで登り切る。

 

「こんにちは、今日は原野の調査だったのね! よかったら今晩──」

「無事だった? 怪我してない? 何もなかった?!」

 

何も知らないのだろう、いつも通りの挨拶を始めたシクラの弁を遮って、ショウは彼女に詰め寄るほどの距離で無事を問う。戸惑いながらも「何もなかったよ?」と答えたのに安心したのか掴んでいた肩を解放すると、軽く息を整えていたウォロが首を傾げる。

 

「普段通りの旅路でしたが……どうかしましたか、ショウさん?」

 

しどろもどろにショウが説明しようとしたのを遮ってラベンが簡潔に経緯を話す。

 

「一週間と少し前、森で謎のポケモンたちが暴れたようです。巨大なポケモンの目撃情報と、五種類のポケモンの痕跡があって。今も調査中なのですよ」

「ツイリさんも心配してたよ。二人がムラに着くのが遅いって」

 

二人の顔は反応としては微妙、少し不思議そうな表情であった。簡潔にまとめすぎたためか、事態を掴みきれていない様子で「五種類?」とだけどちらともなく呟いた。

 

「そう。川が近くないのにヒレの跡がついてたり、その辺りにそんなポケモンいないのに鋭い虫の爪の跡があったり。どこ行ったか分からなくて……ウォロさんたちは何か変なものを見たりしていませんか?」

「なるほど、それは心配でしょうね。とはいえ、ジブンたちが通ったところはいたって普段通りでしたよ」

 

ウォロがそう答える間、シクラは何か思案するように黙りこくっていた。数秒考えて、ふっと顔を上げると微笑みを湛えて静かにショウの名を呼ぶ。白桃色の瞳には、普段通り世界の全てが面白そうな表情もありつつ、珍しく真面目な色も混ざっていた。

 

「わたしも調査についていっていい?」



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8.獣と嵌合-2/3

できれば3/3まで一気に投稿したいものの3/3書き切れるかは微妙なところ


少女が二人、森の中を進んでいる。小声で童話的に楽しげな様子で会話をしながら歩いているが、真夜中の森林では狂気的に映っただろう。

二人と、護衛として出しているそれぞれの相棒以外に気配はない。人っ子一人いない木々の隙間にも普段ならポケモンがいるはずだったが、森の異変に怯えてしまったのか疎らになっていた。少女の片割れがここ数日何度も通って出来た微かな獣道の向こう側に、ようやく"広場"が見えた。

 

「結構奥まっていたのね」

「そう。私も夜に来るのは初めてだから、気を付けてね」

 

無防備に草むらから飛び出そうとする少女をショウが引き止める。

彼女からすれば、いくら友人たる少女の腕が確かだとはいえ、夜間の、しかも初めての調査に同行するのは反対だった。行きたい、いや駄目だというやりとりを何度も繰り返して、シクラの先輩に当たるウォロが「ジブンはベースで荷物番してますから。行って来たらどうですか」と横から舟を出したために、そのまま押し切られる形でショウが同行を認めたのだった。商会のトレードマークの一つでもあるリュックを置いてきたシクラは、最低限の装備を制服のポケットなどに詰め込んでいる。

 

「……ん、とりあえず安全そう。ここが、例の場所。木が薙ぎ倒されて広場になってるの」

 

ポケモンの気配がないのを確認して、シクラを制していた手を離す。一度雨が降ったせいで地面の凹凸はもう大分均されていた。

短く生えつつある雑草も相まって、乱雑に倒された木々とそこに残る爪の跡にさえ目を向けなければただの開けた場所である。唯一の痕跡を指差して、二人並んで観察する。

 

「こっちの傷は虫ポケモンらしき鋭い爪で出来たもの。あっちは鳥ポケモンの翼っぽくて、向こうは魚の尾びれ。でも全部、この辺りのポケモンじゃないし、何のポケモンかはっきり断定できないの」

 

たくさんの調査をしてる私でも、とショウが暗く呟く。独り言のように「なるほど、それで五種類ね……」としばらく思考の海に沈んだと思えば浮かんでくる。

 

「見つけたのは、ポケモンの痕跡だけ? 人の足跡とかはないの?」

「勿論あるよ。ここ、元々採取隊がたまに立ち入る場所だもの。雨で流される前は点在してたよ。詳しく調べてないけど」

 

同じように、シクラが短く質問し、ショウがそれに答えるというやりとりを数度繰り返す。

 

──野生のポケモンだって断定できているの? 

──この時代、モンスターボールは開発されてそんなに経ってないんだって。これだけ暴れられるほど強いポケモンは従えられないと思うよ。仮にそれができるほど強いトレーナーの手持ちだったら、それだけで容疑者絞れちゃうんじゃないかな。

 

──五種類って言ってるけど、何匹かわかるの? 

──同じ形で大きさがはっきり違う跡は見つけてないけど、はっきり一種類一匹とも言えないみたい。

 

──目撃情報があるって言ってたけど、どういう情報? 

──四つ足の恐ろしい獣で、大の男よりも大きなポケモン。するどい牙を持っていて、鎌のようなものを持ってるんだって。

 

「鎌?」

 

少女が首を傾げる。更なる説明を求めたが、ショウは聞いた話をそのまま繰り返しただけであったため、答えることができなかった。シクラは無事に残っている近くの木の幹に持たれかかると、人好きそうな笑みと共に、もうめっきり癖になった青年と同じ仕草を始める。

 

「アブソルってポケモン、知ってる?」

 

 

災いを知らせる時人前に姿を見せるというそのポケモンを知っていたのは、シクラの他にほとんどいなかった。ショウも名前に心当たりはあったが、姿は数度メディアで見たか見なかったか。名前を聞いて思い出せるほどではない。

シマボシもその名前を故郷で聞いたことがあるそうだ。ただし、災いを連れてくる不吉なポケモンとして。当然その姿を見たことはない。

 

「わたしも天気が()()と悪い日に()が良ければ目にできたってだけなんですけどね、なんちゃって」

 

シクラはそうお茶目にウインクしながら絵を描いてみせた。言葉を選べば少女らしい味のある絵だ、とショウは内心感じつつも、目撃者の男に以前描いてもらったものと比べてみる。

どちらもお世辞でギリギリ上手いと言えるレベルだった。数人で微妙な顔をしながら見比べてみる。似てるとも言えず、かと言って全く違うとも言えない、玉虫色の結論しか出なかった。

 

しかし今まで出てきた候補の中では一番似ている。結果的には、シクラの話とシマボシの知る話のどちらが正しいにせよ、姿を見たことと災いがあったことの因果関係、すなわち姿を見た後にその場を訪れれば大乱闘の跡があったという結果が言い伝え通りのことが起こった証左なのだ、と半ば無理矢理に解釈して、暫定的に目撃されたポケモンをオヤブンのアブソルとすることになった。通常の個体ならば小さな子供くらいの高さしかないという少女の弁に多大に依拠した推理である。

 

「この辺の鳥ポケモンは粗方調べました。……結果はお察し。ここまで何の痕跡も見つからないとなると、生き残ってるのは隠れるのが上手い一匹だけで残りは全部食われたとかなんじゃないか?」

「一匹だけの場合、きのみも食べてることになるから肉食はないはず。あと、流石に食べられたなら食べられたで骨とか落ちてると思う」

 

今日も今日とてシマボシの執務室で調査隊が頭を突き合わせていた。テルの推理をショウが否定する。その前はラベンの推理をシマボシが否定し、ショウの推理はラベンによって否定された。浮かんでは否定されていく数多の推理は、アブソルというヒントが見つかったからと言って調査が順調ではないことを示していた。

 

「ううん……そもそもこの痕跡。翼と呼んでいますが、この傷は樹木に対してまるで攻撃するような打ち付け方をしています。飛ぶための翼ならこんな自傷も厭わないことはできないと思いませんか?」

 

ラベンが目に焼き付くほど眺めた翼状の傷のスケッチをなぞりながら言葉を発する。先が枝分かれしたような形状のそれを翼だとしたのは単純な形からの結びつけだった。

鳥だけでない、生物が重力に逆らい飛ぶための翅や翼は空気を捉えるのに適した形状をするものだ。ショウらの時代の知識では、揚力を得やすい形とも言うだろう。

この時代で未だ解明されていない複雑な物理法則に従うには、その器官のデザインは緻密にならざるを得ない。それこそ、傷がつけば鳥は空を飛べなくなるのだ。それを忘れたかのように木には翼状の凹みがつけられている。それは、尻尾を打ち付けるように乱暴に翼をぶつけたことを意味している。

 

「例えばエンペルトの翼みたいな、腕に近い役割を担う翼ってことですか」

「ええ。ですからそれこそエンペルトのように、翼を持っていても飛行タイプではない可能性があります」

 

鳥ではなく、武器として使えるような翼を持つポケモン。該当するものが記憶の中にないか全員で頭を捻る。ジュナイパーは脚力自慢だが翼も同じくらい使う。エンペルトの翼は先の尖った楕円形に近く、先が分かれていない。推論のその先に辿り着けないでいつものように議論が停滞していたが、テルとショウが同時に話を動かした。

 

「アブソルの鎌を翼っていうのは無理が……あるね」

「時間忘れてた! 調査行きます!!」

 

しかし議論が進むような結果は得られない。テルが広げていた調査メモ用の冊子を急いで懐にしまって走り出すのを残りの三人で見送って、埒が開かないから解散しようかという空気感を誰ともなく醸し出したところで、部屋を飛び出すテルとすれ違いざまに「ごめんくださーい」と気の抜けた調子で少女の声がする。猛ダッシュをする少年を不思議そうな目で見送りながら執務室に入ってきたのは、ショウやラベンに聞き覚えがあったようにイチョウ商会の見習いであり、本件に関して協力者という名目を得たシクラであった。いつも緩くまとめていた髪を邪魔にならないようにきっちりまとめ、腕まくりもしている様子から何がしかの作業後のようにも見えた。

数秒テルに視線を向けていたがやがて興味を失ったのか部屋の主であるシマボシに向かって「今お邪魔しても良いですか?」と尋ねれば、淡々と「許可する」という返事が返ってきたため、お決まりのようにショウの隣に寄る。

 

「進捗どう?」

「ダメそうかな。どうしたの?」

 

普段は主にアブソルについて、その生態だったり姿だったりをギンガ団側から聞きに行ってそれに答えるという受動的な協力者だった。団が呼んだわけでもなく、商会としての納品の仕事でもなさそうな様子で本部を訪れるのはこの場の誰もが知る限り初めてだろう。

シクラは不思議そうな三人を意に介さず懐のものを机の上に乗せた。オレンジ色の眩しい長方形だった。細部のデザインはともかくとして、図鑑より小さく、ペンよりは大きいそれを、ショウはよく知っている。

 

「スマホ?」

「そう。スマホロトム」

 

ロトム、と呼び掛ければ、その薄っぺらの直方体は浮かび上がり、画面を明るく照らし始める。スマホ以前にロトムすら知らない二人は勿論、ロトムとスマホという組み合わせの実物を初めて見たショウも「ワッ」と小さく悲鳴を上げる。

驚かせることが目的の一つだったのだろう、悪戯が成功した幼子のようにくすくすと笑うと、シクラはそのまま画面が三人全員に見えるような角度でロトムを止まらせ、口を開く。

 

「アブソルの動画、前に撮ったなって思い出してデータをサルベージしてきたの。見るでしょう?」

 

元より拒否する理由もなかったが、未知の技術や調査へのヒントへの渇望から三者とも食い入るように確認する。動画の再生を始めさせれば、轟音の吹雪と共に映像が動き始める。

 

その生物はアブソルであると予測できるが、強い吹雪の中輪郭は霞み、体色が白っぽいのも相まってほとんど判別はできそうになかった。風に煽られてか映像の視点もぐらぐらと揺れ続ける。風音に混じってシクラと思われる少女の声と、その後ろから男が会話しているのがたまに聞こえるが、内容も判然としない。記憶を頼りに会話も高い解像度で思い起こせているのか、少し端末の隣に立つシクラの顔から歪んでいるのにショウは気付いた。

 

『──でもな────わ──で────』

『あはは。────んみた──こと言って──』

 

「これが元動画で、こう、良い感じに加工したのがこっち」

 

ある程度のところで動画を停止し、別の写真を表示する。先程の一場面と構図は全く同じだが、シクラの言う「良い感じ」に調整が加えられており、アブソルの姿がはっきりと見えるようになっていた。

 

「あの人に見せれば、本当にあれがアブソルなのかどうなのか分かるでしょ? ね、呼んでもらえないかな」

 

一頻り少女の持ち込んだ未来の技術に主にラベンとシマボシが感嘆した後、そう提案された通りに目撃者の男を再三呼んで同じ物を見てもらう。写真機すら名前しか知らなかった男は浮遊する映像記録に腰を抜かしかけるほどに驚いたが、落ち着いて映像を確認させればよく似ている気がすると発言した。

 

 

最初の目撃から三週間。アブソルではないかと言う話が持ち上がって、それがどうやらそうかもしれないと言われ始めてから一週間。全く動きのない事件は、採取隊が駆け足でシマボシの執務室に入ってきたことで急展開の予感を見せる。

 

「根こそぎ? それは事実か」

「ああ。今朝出たら木という木からきのみが消えてて……あと薬草の類も無くなってるんだ!」

「隊長!! 例の森のポケモンが異常なほど少なくなっています!」

 

調査隊の部下までもが滑り込むように入ってきたのに対してそうか、と冷静を装って応じる。しかし騒がしいとそれを咎めるのも忘れてしまうほど只事ではないという焦燥に駆られながら、人を呼び集めることを決意した。




鋭利な虫の爪、陸上生物の足跡、怪獣の足跡、水中生物のヒレ、先分かれた翼、鋭利な牙、詳細を掴ませない顔、死神の鎌、異変らしい異変のない森、採取されたきのみ、アブソルとよく似ている、白いそれ。

その世界観をロクに継承せずにシステム上の借用だけするのはあまり好きではないのですがINTと心理学にはことごとく失敗してます。逆に言えば探索技能はほぼ成功しています。
カレーの具材全部あるけどルーの使い方がわかんなくてポトフとチョコレートによく似たものができました、みたいな


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8.獣と嵌合-3/3

書きにくい長いしんどい誰ですか三日連続で投稿できるでしょとか思った人


アブソル。災いポケモンと呼ばれる彼らは、災いを呼び込むと言われているが実際は人間には察知できない領域でそれを予感し、伝えにきてくれるありがたいポケモンなのだと、それを知る数少ない人物である友人は言った。

彼女の故郷である雪深い山岳にしか現れず、そこに住んでいても一度姿を見て、それをスマホロトムに記録させただけだというほど相見えること自体珍しいポケモンだ。嘘はついてなさそうな雰囲気ではあったが、しかしそれが事実であることとイコールではなかったのだと、今まさにそれと相対するショウは友人を恨みたい気持ちになる。

 

大きな体躯だが、巨大というほどではない。異様な雰囲気を持つポケモンだった。いや、ポケモンなのかすら怪しい。硬質な面持ちと、無機質に鋭い目からは有機生物のような本能を感じない。淡々と獲物を前に戦闘態勢を整える姿からは、当然他のポケモンからは幾許かは感じられるはずの、縄張りから出ていけだとか自身の身を守らなくてはだとかといった類の感情を読み取ることができなかった。

鶏冠のように、あるいは後から付け足したように頭頂部から垂直に伸びた翼は硬質に後方の空を向いており、逆説的にクロバットにもあるような鉤爪が頭突きと共に対面の人間の肉を抉ろうとして前を向いていた。それこそ死神の鎌のように。

はがねタイプのような顔面とは裏腹に今にも地を蹴り、肉薄する勢いのままにショウを射止めんと力が込められた前脚は種類の違う鋭さを持っている。猛禽類でもない、肉食昆虫でもない独特な形状の爪はしかし陸上を疾走するのには不向きなように見受けられる。

不恰好なスケッチを並べてみたときは、悩みながらも同じ存在だと結論付けたが、あれとアブソルを実際に見たならば、それらを同一視することなど正気ではできそうになかった。曖昧な人の記憶を更に曖昧に図示するという行為の不正確さと愚かさを痛感しながらも、ショウは相棒に指示を出す。

 

「ジュナイパー、矢で牽制して!」

 

月が頂点にて輝いている。とはいえ人の目で認識できる視界は精彩を欠いていて、ショウは勿論、夜目が特別効くわけではないジュナイパーにとって特別得意なフィールドではなかった。

蛇行しながら辿った森を頭の中で再度マッピングする。ベースは直線方向なら4時、しかし明るさを求めて森を抜け、平野に出るなら7時方向が早い。

ショウがこれまで積んできた調査隊としての判断がそう告げると、トレーナーとしての経験がどちらに行くべきか頭を回り始める。森に留まる、という考えは初手で投げ捨てた。くさタイプであるジュナイパーは森に慣れているが、その主人であるショウは自由に戦えるほど慣れていない。樹木を薙ぎ倒せるほどの怪力を持つポケモンを前にして、それ本体だけでなく倒れてくるかもしれない周囲に注意を割きたくなかった。

 

ジュナイパーの矢が連続して放たれ、その間隙に鋭い蹴りが刺さる。おおよそ2メートルを超える巨躯であったが彼女の相棒よりは素早い。避けきれず当たった矢も大して痛がらない様子を見て、その正体不明のポケモンのタイプはひこうかそれともエスパーか、と推測するが、どちらもそれらしい姿ではなく、それと何かを複合しているようにも見えなかった。

 

「走ろう!」

 

重たい一撃がジュナイパーに返される。効果は抜群なようで、よろけたのと同時に折られた枝がジュナイパーより遥かに後ろにいたはずのショウの近くまで飛んできたのを見て、7時、平野に出ることを選択する。当然逃がしてくれるはずもなく、また彼女としても逃さず事件をこのまま解決することを望んでいたため、適度な技の応酬を交えながら、じわじわと森を進んでいく。

 

「シャドーボール! 弾かれたらリーフブレードで詰めて!!」

 

ジュナイパーの使える技を片っ端から使わせた。かくとう技はいまひとつ、ゴースト技は普通で、今切り結んだ草の剣も等倍に見える。あの見た目でフェアリーだろうか、いや何らかとの複合かなどと思案する。人間にとっては小走りに近い速度でもつれあいながら走り続け、森をもうすぐ抜けると言うところでまばらになった木々を縫うようにもう一匹のポケモンを繰り出す。二匹同時に出せば混戦になり、指示が出しにくいと普段なら嫌うことも、今回ばかりはそもそも押し負けることを嫌った。

 

「レントラー! 回り込んででんじは」

 

ジュナイパーに矢を放たれ、気を取られているところを背後からレントラーが襲った。動きを鈍らせる敵を横目に、最後の木をすり抜けた。

 

同じ夜でも、葉で月光が遮られない分平野の方が明るい。闇に慣れ切った視界で動きにくそうに森から飛び出る影の詳細を初めて見て、そして驚愕する。

 

それはアブソルでもなく、レントラーでも、ウィンディでもなく、ましてやヌメルゴンでもない。虫の爪に似た肉を抉り切り裂くのに向いた前脚と、地を蹴り疾走するのに向く陸上動物の後脚、鳥の翼のようで死神の鎌のような硬質な鶏冠を頭部に持ち、水中生物のヒレのように力強く空を掻く尻尾を持ったポケモン。あちらこちらの生物を連れてきて、強い部分だけを嵌合させたかのようなちぐはぐなポケモン。

自然界にありふれたそれではないのは一目瞭然だった。異質な存在、しかしアルセウスのような近寄りがたい神聖さを感じるものではない、ただひたすらに狂気的な歪さだった。恐ろしさに言葉を失う。

 

「……っ」

 

釘付けになっていたその一瞬は、麻痺したとはいえ間隙を暴力的に突くには十分なもので。体当たりでも、捨て身タックルでもない、エネルギーを纏った突撃に対応できなかったジュナイパーがショウの後方まで突き飛ばされる。

トレーナーの責務を放棄しかけていたことにはっとするが一歩遅く、目を回していた相棒はもう戦えないと判断し、手早くボールに戻した。悔いることを後回しにできたのは手持ちたちとの絆と、少女の双肩にかかる村を守らなくてはという義務感だろう。深く息を吐いた。下手をすればキングやクイーンよりも苦戦するだろう。シズメダマなどないのだから。

 

「レントラー、必要以上に間合いを詰められないで」

 

レントラーもジュナイパーも接近戦に比重が傾いているタイプだ。そして、おそらく眼前の存在もそうだとショウは予想していた。遠距離が得意な誰かをもう一体、と考えながら警戒行動を取るように指示を出す。今のショウの手持ちにあの破壊力を余裕で耐えられるようなポケモンはいなかった。前衛と後衛という役割を持たせた二匹の組み合わせは、前衛が安定できることが前提条件だろう。前衛二匹で相手の狙いを定めさせない動きをとろうとした瞬間、夜の原野に似合わぬ閃光が走る。

 

「なに──」

 

視界が一瞬塗りつぶされる。強くはないが確かに暗い洞窟を照らすように、それは敵の新手かと体をこわばらせる。甲高い小さな鳴き声が聞こえれば、何も見えないままにレントラーの名前を呼んで、そのまま後方に大きく回避をした。攻撃が見えたわけではないが、来る可能性が高いと感じた故だった。

一瞬の光が消えて周囲が再び鮮明に見えるようになると、空を舞う小さな物体が目に入る。毛皮のような、しかしどこか人工的に整えられた造形は心当たりがあった。このヒスイに存在しないみがわりのぬいぐるみは怪物とショウたちの間に滑り込むように落ちると数回小さくバウンドした。夜闇への目の慣れがリセットされた中でも原色だとわかる二色のコントラストが森から出てきたのに気付いて、いつかの挟み撃ちと同じ構図に少女はどこか安堵を覚えた。

 

「コットンガード」

 

シクラの声が聞こえる。商会の制服こそ着ているが帽子はなく、髪も解いた状態だからかショウの知るいつもの彼女とは印象が違って見えた。フラッシュを使ったのだろうロトムスマホと珍しい、草タイプのようなポケモンを連れている。光や声によって、十分に気を引けていたのだろう、怪物はシクラの方に再度同じ技と思しきものを繰り出すが、その直前、少女の腰より小さなポケモンがその身に纏う綿を増大させることで身を守る。コットンガード、と呼ばれた技なのだろう。

ショウの知らないポケモン、知らない技を繰り出す様は、確かにジムバッジを8つ集めた一端のポケモントレーナーだと納得させられるような、毅然とした佇まいだった。フラッシュを焚いたきり遊ぶように空中に浮いていたスマホロトムを乱暴に掴んで引き寄せると、ショウに向かって「怪我はない!?」と大声を張り上げる。いつだったかと逆転した立場であることを思い出しつつ、返事代わりにレントラーに10まんボルトの指示を出す。

 

「……?」

 

苦しそうに呻く怪物の様子を見て、ショウは眉をひそめた。違和感を確かめるように記憶を繰り返そうとしたが、そんな隙はない。盾だったみがわりがどこかに突き飛ばされていく隙に回り込んできたシクラに駆け寄って、頼もしい仲間を傍近くにする。

 

「怪我はない? 大丈夫? 痛いところは?」

「大丈夫。心配してる暇じゃないでしょ今は……かみなり!」

 

心配気な少女をいなして指示を出す。先程のロトムよりもあたりが眩しく照らされるが、ショウら自身が意図的に呼んだものであったため驚くこともなく、閃光から一瞬視線を外すことで目を潰されることもない。効果抜群のそれに何とか耐えた怪物がレントラーに向けて反撃を送るが、するりと割り込んだシクラのポケモンがその綿毛で受け止めた。

痛くも痒くも、どころではなく楽しそうですらある鳴き声を主に向けると、それを聞いた少女は白桃色の目を細めて笑う。恐怖を吹き飛ばすように、どこにも恐怖なんてなかったように、どこか芝居がかって指を鳴らすと「やっちゃえ」と主語も目的語もない指示を出す。あるいはパチンという軽快な音が彼女たちにとってその言葉足り得たのだろう。

任されたとも訳せそうな気合いのこもった声は、ふわふわの真綿の声だったか、けてけてと笑う電子の妖精の音だったか、あるいはそれを受け止めようとする鋼の嵌合体の雄叫びだったか。

 

三度世界は白に染まる。それがマジカルシャインだとショウが感じたのは、半ば本能的な判断によるものだった。くさタイプのような見た目だったシクラの相棒はどうやらフェアリータイプの技を扱えるらしい。

これこそ予測していなかった眩さが今日一番の強さで襲いかかり、咄嗟に小さく呻き声を上げてショウは腕で顔を覆うことになった。完全に目を潰される中で耳をそばだてて周囲を探る。彼女のものよりも苦しそうな呻き声。勝ち誇ったような緑の妖精の声。何かが倒れる音と、そのすぐ後に鳴る電子音。少女の安堵したようなため息と、また笑うロトムの囀り。

 

視覚が戻ったとき、何事もなかったかのような静けさと対称的に原野に残る爪の跡と黒く焦げた草原に息を呑むことになる。どこかで見たようなものと完全一致する爪痕に広場の正体を見たが、当のポケモンの姿がどこにも見当たらず、ショウの背中に冷たい汗が流れかける。シクラに問えば、霞のように消えていったと言う。自分で指示したという事実以上にクリアな視界に内心驚く。

 

「しっかり打ちのめしといたから、きっともう二度と人前に姿を現さないと思うわ。きっと」

 

ポケモンをボールに仕舞って、ロトムをポケットに押し込んで「それより」と少女は調査隊の制服を風に靡かせる友人に詰め寄った。柔らかく腕を取り、いつになく真剣な表情に意図せずショウの顔が強張る。

 

「あれの攻撃を食らってない? 腕とか噛まれてない? 突き飛ばされて頭とか打ってない? それと──」

 

考えうる怪我の仕方を列挙しながら腕や足を確認して回る。左側面から始まって背中、右側へと回る途中、制服の袖が少し切れていることに気付くと名状しがたい悲鳴と共に「ショウちゃん!!!?」と名前を呼んだ。初めて見る友人の過保護すぎる様子に名を呼ばれた彼女はくすりと笑いながらも腕を確認し、それがごくごく浅い切り傷で、恐らく森を抜けるときに小枝で引っ掛けた程度のものだと伝え、安心させた。

 

 

それは後にアブソル事件と呼ばれる。あの夜を皮切りに不審なポケモンの影もなく、きのみが極端に減ることもなかったことから、ムラは徐々に警戒を緩めていき、やがて起こったことも言われなければ思い出せなくなるほど人々から印象が薄れていく。

大量に積み上げられた調査記録の書類と、不自然に開けた広場だけがその痕跡として残り続けることになる。地面の跡は雨の日に混ざり合ってしまい、焦げた草も裂けた木も、若く生えた生命力に覆い隠されてしまった。

あの日、商会がなるべく控えていた仕入れに一人出ていたという少女は「だって売れるでしょう?」などと宣ってシマキの力強い抱擁という名の攻撃に悲鳴を上げていたが、数日も経てばそのことを忘れるようにけろりとしていたのを見ると反省はしていないのだろう、とショウは能天気さを羨んだ。対称的に夜、暗いところで自分より大きな四足歩行のポケモンを見るのが少し苦手になってしまった。

 

 

「今思えば、ぜんぶ、出来レースだったってわけだ」

 

腹立つなあ、と英雄となった少女が吐き捨てながら道端に設置されていた長椅子に腰掛けるが、不機嫌そうな声色ながらもどこか愉快な感情が潜んでいて、本気で苛立っているわけではないことが窺えた。

夜空はあいもかわらず暗くヒスイを覆っているが、そこにはもう丸々と大口を開けていた裂け目は消えて無くなっていた。そんな澄み切った空の下、煌々と明かりという明かりを付けて回って開かれた祭りは、色鮮やかに夜を彩っている。

 

友人の子供っぽい苛立ちを向けられたシクラは返事をしなかった。先程ショウが座った長椅子の端を占拠しながら、屋台で配られていたのだろう、飴でコーティングされたきのみを頬張って、口を動かすので忙しかった。

英雄に「ね、いい加減種明かししてよ。あの子のタイプ」と横腹を突かれて初めて、飴から口を離すと嚥下を済ませて「種明かしって、何を知りたいの?」と首を傾げた。心当たりがないのか、それともありすぎて絞りきれないのか。意図的に語らないことを多用する彼女のことだ、絶対に後者だろうと確信したショウは「アブソル事件」と短く呟いた。ムラを脅かし、そして英雄ではなかった少女たちが撃退した正体不明のポケモンによる事件。本物のアブソルには風評被害に他ならないが、通称として広く呼ばれたのはその名だった。

 

「結局あれは何タイプなの? ──ううん。どうやってタイプを変えているの? あれ。えっと、シル……」

「シルヴァディ」

 

アブソルでもなく、レントラーでも、ウィンディでもなく、ましてやヌメルゴンでもない、未知であった怪物の名をシクラが呟く。馴染みないポケモンのタイプが戦う度に、あるいはその途中でも急に変化していることにショウは気付いていた。

格闘がいまひとつ、ゴーストと草が普通、電気が抜群。パズルのようにいくら18のタイプを組み合わせても成り立たない複合タイプだった。怪物としてではない、シクラのポケモンとして相対した時は、そもそも戦闘の中で同じタイプの技が効いたり効かなかったりしたのだ。机上のモヤつきが確信に変わったのはそこであったが、そのマジックの仕掛けは皆目見当がつかないでいた。

 

「そうそれ。どんなポケモンなのか知りたいの。あとついでにアブソル事件のこと、なんで暴れたのか、どうして採取され尽くしていたのか、裏話というか、種明かし? とにかく全部洗いざらい吐いて欲しいんだけど」

「なんでどうしてって、小さな子供みたいに質問するのね」

 

淡紅色の瞳が細められる。皮肉めいた挑発をするが、はぐらかす気はないようで、口元に近い位置にあった飴を膝の辺りまで下ろすと滔々と、それが義務だろうと言わんばかりに真実を語り始める。

 

「シルヴァディね、人工的に作られたポケモンなの。ほんとはメモリを持たせるとタイプを変えられるんだけど……ほら、不便じゃない? 持ち物固定になるのって」

 

さらりと放たれたのは驚愕の事実。人工的に作られたポケモンはいくらかいると聞いたことはあるが、実際ショウはそれを見たこともなければ名前も知らなかった。「え?!」と声を上げるが、彼女はその反応を予期していたのかショウを置いてけぼりにしたまま話を続ける。

 

「だからメモリのデータを色々いじって、ロトム越しにデータを送れば戦闘中でもタイプが変わるように……ショウちゃん? 聞いてる?」

「聞いてるけど、軽々しく常識を歪めてこないで欲しい」

 

造られたポケモンで、持ち物によってタイプが変わる生態を持っていて、かつそれを少し服の裾を調整するくらいの気軽さで改良した。嘘だと吐き捨てるのは楽だが、しかし事件に関して抱いていた疑問を全て解消させる、まさに種爆弾であることを明かされた。パンクしそうな頭と戦う姿を横でけらけらと笑いながら見つめられるが、待つ気はさらさらないようだ。

 

「元々、わたしフワライド以外の手持ちは隠しておくつもりだったの。自分の身は守る必要があるし、そもそも元の時代でも気軽に出せる子じゃないし、過ごしてみればポケモンと距離の近い人間なんてほとんどいないし」

 

ショウも思い返せば、初めて会った時から彼女はそうだったことに気づく。ボールの出し入れを見せようとしなかったのは、ヒスイの技術ではないボールを見せたくなかったから。エレブー相手に相性不利なフワライドを繰り出したのも、その一つ。ロトムスマホは何気なく見せてきたが、それが戦闘もこなせる手持ちだとはすぐには明かさなかった。

 

「でも、ボールにずっと仕舞っているからってポケモンもお腹が減らないわけではないでしょう? ご飯の手配ってすごく大変だったんだよね」

「わかる。特にこの時代、ポケモンフーズとかないもんね」

 

ショウがうんうんと首を振る。拘ろうと思えばいつの時代だってどこまでも拘れるが、ショウたちの生まれた時代には科学技術の努力の結晶による手抜きも出来た。一日に数度、袋から適量を器に出してやるだけで最低限事足りた。

しかしそれはここでは遥か未来の話。きのみをもぎ、切り、あるいはすり潰し、手間をかけて与えなければならない。フーズの一粒、きのみの一つ、大きさは後者に軍配が上がれどそこに詰まっている栄養は逆転する。

 

「わたしもフワライドも大食らいだってことにして、ちょっと多めにご飯を手に入れて、商会のサボりだと思われない程度にきのみ余分に拾ってきて……って誤魔化しながらやってきたけど、五匹ものポケモンお腹が膨れることはないわけで。だから結局、アブソル事件って言ってるけど、単にわたしのポケモンが、ずっと腹八分しか食べられなくて、空腹で癇癪を起こしただけ」

 

トレーナーとしてなってないよね、と自嘲的に笑ったが、ショウも釣られて笑える話ではなかった。

空腹状態であそこまで暴れられるのは彼女のトレーナーとしての技量を鑑みれば不思議なことではない。シクラが、恐らくショウと会うよりもずっと前から、一人で手持ちの腹事情と戦ってきたことが驚きだった。野営が続いた時の、数日の食料調達だってショウは苦手で、ムラやベースキャンプに頼りきりで調査を続けてきた。体の大きなポケモンが二匹もいる少女にとって、それは長く苦しい戦いだったのだろう。

 

「大変だったんだね。じゃあ、アブソルの名前も出したのって手持ちを隠すため?」

「……ん。半分はそうかな」

 

話がひと段落ついたところで飴をまた齧ったシクラは、それを溶かしてから話を続けた。

そも、シルヴァディなるポケモンの存在を知らなかったとはいえ調査隊の推理は、五種のポケモンなどという的外れなところに進んでいた。そのうち4つが、一体のポケモンのものだとはおおよそ想像もできないだろう。少女が森でポケモンが暴れたという話を聞いた時、付け加えられた五種類という言葉に戸惑ったが、詳しく話を聞くに連れそれを利用しようという発想になったという。

 

「まあ、一種の茶目っ気だよね」

「その茶目っ気、あってもなくても大分苦しめられたけどね」

 

でも仮の形と名前が与えられただけ、少し楽にはなったでしょう? と何の他意もなさそうに、純粋な好意として返されれば、ショウも詰るような視線を収めざるを得なかった。

 

「しかし、あの夜は焦ったなあ。わたし、進化する前のシルヴァディに怪我させられたことがあるの」

 

あなたは無事でよかった、と呟いたのでようやくあの日の少女の心配性に合点がいった。今までショウを心配したことなどほとんどなかったのに、シルヴァディと相対した後だけは執拗に無事を確かめてきたのだ。

 

「何も言わずに利用したとはいえ、お礼は言わなきゃ。──あなたのおかげで、今度こそ、誰も怪我をせずにあの子たちを抑えられました。ありがとう」

 

腰のベルトに付けられた、現代的な意匠のモンスターボールを撫でる。その顔は元の時代に帰りたいと呟いていた時より随分穏やかで、ショウも同じくらいにとびきりの笑みを返して「どういたしまして」と呟いた。




シクラちゃんを描いていただきました→
https://twitter.com/0ocep/status/1533035080599252993?s=20&t=VMIwc8HvXrT8RJyYfFzl6Q
これがあるから3話一気に上げたかったんですー。むりでしたー。
二人で「ポケットモンスターハンターレジェンズコライドン/ミライドン」とか深夜テンションでゲラゲラ笑ってる場合ではなかった

さて、次は何を書くか


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9.姿と本質

「お前ってよく食うよな」

「か弱い女子の前でその発言をしない方がいいわよ」

 

かつて二人とも苦しめられた沼地を、二の舞を踏まぬよう慎重に進む。急がねばなるまいという思いはあれど、泥まみれになって体丸ごと洗わなければならない状況になる方が時間がかかると判断した上での行軍だった。とは言ったものの、本日出立してから何本目かの木からきのみを頂戴している最中、少年から投げかけられた不躾な言葉を聞いて、シクラは一度沼に叩き落とした方がいいだろうか? と逡巡する。

通りすがりに見かける度、少女はエルフーンに木を揺らすよう指示していた。二人旅かつ、いくらかの準備をしてからの旅立ちであったにも関わらず、採取隊もかくやというほどの量を毎日得てきては、テルが気付いた時にはすっからかんになっているものだったが故の彼の疑問は、しかし文脈を欠いていたためにただの不躾な質問に成り下がっている。最も、少女はお前とそのポケモン、という隠された修飾語の存在に気付かなかったわけではない。一般的に失礼に当たらないような質問をされたとしても、単に答えたくない事情があったがためだった。

 

「ああ、いや、すまん。そのえるふーん、というポケモンって、綿の中に食い物を溜め込んででもいるのか?」

 

質問が絶妙だ。シクラは内心歯噛みしつつエルフーンが落としたきのみを拾う。誤魔化したいが、嘘は嫌い。それは少女らしい拘りだったが、それに背けるほど大人になれもしない。最後の一つを拾いきると、褒めて褒めてとずっとすり寄ってきていた相棒を抱き上げて、少年に差し出す。

 

「……綿の中に何か入っているか、持ってみる?」

「金輪際御免だ。二度と綿まみれにされたくない」

 

心底嫌そうな顔をしたテルがどうにもおかしくて、シクラは思わず吹き出した。上手く追求を躱せたことに安堵しつつ、腕の中で引っ付きたそうにしているエルフーンを無理矢理ひっぺがすと頭の上に置いた。綿を汚すと後が大変だが、常に出しておかないと野生のポケモンへの対応で遅れるかもしれない。葛藤の上での定位置だった。重いし、アフロヘアーのようで少女は好きになれそうにない。

 

「しかし、相変わらず懐かれてるな。おれとピカチュウもこれくらい……いや、いいや。重くて首が折れそうになる」

 

彼が足元のピカチュウを見やると、側で呑気に欠伸をしていた。以前──ショウが調査隊に入るより前──と比べれば威嚇されることは無くなったし、戦う時に指示は聞いてくれるし、多少ならテルが触れても怒らなくなった。しかしそれでも執拗であればにべもなく跳ね返される程度の仲でしかない、というのが彼らの今の限界だった。

少女にべったりどころか、波長のあった様子で時折テルを毛まみれにして遊ぶ姿を見れば、遥かに好感度の差があることがわかる。それを羨むような、これで良いような気持ちでテルが苦笑を漏らせば、少女は数秒の沈黙の後小さく笑った。

 

「そんなことないよ」

 

話題が広がらなかったために、会話が途切れ、遠くに鳥の囀りが聞こえる以外は静かになる。足だけを進めながら、シクラは頭上の重みを感じながら懐かれる、か、と独白する。

そんなものではなかったはずだった。少女とポケモンの関係は、もっと、冷え切っていたように思われた。主観的なことであるため比べようがない中、必死に回想を重ねる。彼女とは、本当に信頼関係にあったか否か? 

 

 

“はじめて”彼女とエルフーンが会話をしたのは、まだ少女がほんの5つの時だった。

親の手持ちだったそれは主人の娘である少女が気に入らないらしく、敵意を全面に押し出して睨みつけていた。少女はそれに反応を示さない。ベッドも、床も、カーテンも白で埋め尽くされた部屋の中、綿毛に隠されたエルフーンの焦茶の肌に、目立つからと言うだけで視線を向けている。無感情そのものであったのは、おそらく彼女を襲っていた疲労感のせいだ。開け放たれた窓から柔らかな光と風がカーテンを数度揺らした後、徐に「ねえ」と舌ったらずな少女が語りかける。それに主人の面影を感じたのか、単に急な呼びかけに驚いただけか。わずかに目を見開いたそれに、微睡むようにシクラが語りかける。

 

「あなた、わたしのことが好きでしょう?」

 

 

同じ顔、同じ声、けれど表情だけが異なった少女のことを、端的にエルフーンは嫌っていた。だが、そのかたちに愛着を抱いていたのもまた事実。

大好きで、大嫌い。屈折した感情を抱き、やや八つ当たり気味に周囲に悪戯を振り撒くエルフーンを見て、事情を知らない大人たちは、大好きな主人の形見を守る健気なポケモンだと的外れな評価をした。

常に側にいるが、一定間隔以上の距離には絶対に近付かない。少女が撫でることは断固拒否する。喋りかけても無視。軽い怪我までなら少女に迫る危機は放置する。ただ、車に轢かれそうだとかの、命に関わりそうな時だけその手を引いて繋ぎ止めた。

それらの行動を具に見ていたのは、そして理解していたのは、皮肉なことにエルフーンが大嫌いなシクラだけだった。ポケモンに進んで関わろうとしなかった彼女とエルフーンは、どこか事務的に、険悪に、けれど互いの存在を大事に思いながら大きく育っていく。

 

「わたしの大切なフェアリー。わたしの、唯一の命綱」

 

折りに触れて、彼女はエルフーンのことをそう呼びかけた。

それは、強いポケモンと戦う時。

それは、ドラゴンやあくのポケモンを倒す時。

それは、大きなポケモンに挑む時。

それは、大切な話をしたい時。

 

それ以外では気まぐれにしか言うことを聞かない困りもののポケモンに対する「ここぞ」を、少女は外したことなどなかった。

 

 

閃光が収まると共に朧げな輪郭が傾き、まともに機能し続けている耳が倒れる音を拾ってようやく、眼前の敵に打ち勝ったのだと少女は理解した。その輝きの中心にいた真綿の妖精が振り返ると、ぱあっと表情を明るくして後方の主のところまで擦り寄ってくる。彼女が構えてもいない胸に飛び込んで来ても、反射的に動くことができなかった。だって、今までポケモンと抱きしめあったことなど一度もないのだ。

 

違和感をずっと感じていた。

フワライドとは元より有効な関係を築いていたが、ヒスイに来てからはより献身的になった。彼らの種族的な特性、そこからくる言い伝えとは真逆にどこにも連れて行こうとしないという特異な個性は変わらないが、子分にしたフワンテの群れを連れて来たり、野営をすれば言ってもないのにきのみを集めて来たり──そう、放っておけば全てのものをシクラの元へ連れて来ようとするようになった。

他の手持ちも、多かれ少なかれ変わっている。それはネットワークに接続できないだとか、慣れていない気候だからか、あるいは全く違う世界だからか。感情的に振る舞うことも多くなったし、良くも悪くも距離が近すぎるのだ。

そして、その最たるものはエルフーンだった。シクラがそれと結んでいた関係の名は「契約」だったと彼女自身は認識している。当然ポケモンと書類を交わしたわけでないから「約束」と言い換えてもいい。とにかく、そんな関係だった。こちらから与えるものと、あちらから与えられるものがあって、その天秤が傾かないように、なるべく遠くで、一定の距離を保っていたもの。どちらが間違っても距離を詰めない。エルフーンは少女の姿だけが好きで、少女はポケモンと密着することに慣れていなかった。

ならばなぜ、エルフーンは一方的にそれを破棄したかのようにシクラに強い情を抱いているのか。彼女を悩ませ続ける命題に、答えは出なかった。

 

「──ねえ、テルくん」

 

野営地を定め、薪を燃えやすいように成形しながら、きのみを集めて戻ってきた旅仲間に問いかける。あまり会話のないところに投げかけられたシクラの声に彼は少し驚いたような顔をした後「どうした」ときのみを下ろして聴く姿勢を作った。

 

「例えば、積年の仲の悪いやつがいて。喧嘩した翌日、急に親しく接してきたら、きみはどうする?」

「怪談話の一種か?」

 

例えばの話、と強調して、呆れ顔の少年に弁明する。彼にとって突拍子もない話を彼女はしがちであったためか、まともに取り合うか絶妙な反応だったが、しばらく少女の顔を見た後、口を開く。

 

「驚くと思うし、ゴーストタイプにでも憑かれたかと疑うけど……なんで喧嘩したかによるかな」

「喧嘩の理由かあ……自分が悪い場合は、どう?」

 

出来上がった焚き火の原型から立って離れると、シクラはテルを見やった。会話をしながらの無言の合図に彼は応じて、組み上がった木々に火をつける。石と金を鳴らす音が数度響く間に、少年はその言葉を反芻する。同時に、その裏にある彼女の意図を測ろうとしていた。

 

「その喧嘩の原因で、相手の人格が壊れたんなら申し訳なく思うけど──別にそんなんでもないんだろ? じゃあ、普通に接するかな」

 

少女の妙な問答の意図を、テルはなんらかのお悩み相談だと捉えていた。追求をされないように抽象化して、それとなく伝えているのだと。ならば喧嘩した相手が豹変したと言うのはおよそどこかでは事実だろうと思った。それが誰かはわからない。二人にとって接点のないか、あっても薄い人物だろうと思われたが、それで除外できるのはショウくらいだった。範囲が広すぎる。

ただ、ポケモンに憑かれたと言わんばかりの豹変振りを見せたのなら、ヒスイにいる限り風の噂だろうと伝わってくるだろう。なんなら、調査隊になんとかしてくれと駆け込まれたかもしれない。そんな話を聞いていないのなら、本当に、物忘れ程度の変わりようなのだろうと思った。ならば、彼がするようなことはない。

 

「そっか」

「ところでなんの話?」

 

妙に納得したような顔をして解決したかのように調理の準備を始める少女をたまらず制す。しかし彼女は「なーいしょ」と意地悪そうな笑みを浮かべると、奇天烈なその服の下、腰元につけていたポーチから幾つかの小瓶を取り出す。かれえ、という少年にとって耳慣れない名前の料理を作ると昼間言っていたことを思い出させると共に、更に彼の意識から今の話を忘れさせようと別の話を持ち出す。

 

「ところで、今日はどこまで進んだ?」

 

シクラが組んで来た水を鍋に入れ、きのみを物色する横で、テルが地図を取り出し、焚き火に照らされながらある地点を指差せば、道のりは順調だった。「明日か……明後日の昼前には着くな」と、少年が頭の中で算盤を弾く。

 

「いえ、ルートをこっちに取れば明日の……ちょっと、重い!」

「やっぱり懐かれてるな」

 

エルフーンが少女の頭の上に登って来て、重さに耐えられず首を垂れる。喚く少女とその上で幸せそうにしている相棒を見て、テルは愉快そうに目を細めた。不機嫌そうな少女は特に何も言わなかったが、後に振る舞われたカレーはエルフーンが嫌いで、かつテルも慣れていない辛口に仕上げられたことで逆襲を済ませたのだった。




何も見てなかったのでポケマス開いた時の感想は「ビ……??!?!?!」でした。なんかうしろにおる


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10.罪と贖罪

「ねえ、ショウちゃん」

「ガラルのダイマックスは知ってる? オヤブンよりもずっと大きなポケモンが、強い技を繰り出すの。天気を変えて、全てを薙ぎ払って、場を支配する強大な力なのよ」

 

「ねえ、できるよ。わたしなら」

「全部壊しちゃおっか。あなたを追い出したムラも、あなたを迎え入れなかった集落も」

 

魔が差した、とは少し違う。非常に良くないことに純粋な好意と献身から、彼女は失言を犯したのだ。少女自身がそれと気付かないまま。

やっと自覚したのは、いつも柔和な笑みを浮かべるその友人がシクラの予想に反して、冗談でしょうと笑い飛ばすのではなく、咄嗟に鋭い目と共に胸倉を掴んだ後だ。

 

「──いくらあなたでも、言って良いことと悪いことがある。二度と、そんなことを口にしないで」

 

私は誰も恨んでなんかいない。絶対に、と呟きながら、ショウはその手を離した。友人という立場では終ぞ見ることの叶わなかったであろう真剣な面持ちに対する感慨か、あるいは単純に踵が不意に浮いたことへの驚愕か。僅かに目を見開いた少女だったが、やがて大層気まずそうな顔を浮かべて一言告げる。

 

「ごめんなさい。冗談が過ぎた」

 

物理的なものか、心的なものか判別のつかない胸の痛みを、掴まれた手を軽く振り払うことで誤魔化しながら、「ウォロさんと話してくる」と言って逃げるようにその場を離れた。

 

 

再会は突然だった。森の中で偶然出くわした男女の二人組は、心の用意のできていないままお互いの無事を確認し、喜びあった。ショウとウォロが現在拠り所としている庵の主は「うるさくなったのう」などと嫌そうな表情を浮かべていたが、それがおよそ本心でないだろうことか理解できたのは旧知のウォロただひとりである。

一通りお互いの持つ情報を交換した後、これからどうするか、何をするかまで話し合おうとすれば、日が暮れても終わらない。そう判断した彼らは、とっくに忘れていた昼餉の分も併せて、盛大な夕食を囲もうという話になって、準備している最中での一幕だった。小さな祝いの雰囲気を台無しにしてしまったことへの罪悪感を抱きながら、シクラは火を起こし終わったらしいウォロの側に水を汲んだ鍋を置いた。

 

「辛気臭い顔ですね」

「嫌われちゃったかなあ」

 

昼間も見たのと良く似ている、しかし心底嫌そうな表情の男にせっつかれ、起こったことを話せばそれは呆れ一色に変わり「馬鹿ですか」とだけ漏らす。ただ、見習い商人であるところの少女に対して本気で咎めたり叱ったりしないのは、本質的なところでのお互いに対する無関心が故だった。

 

つくづく謝らなければいけないことが多すぎる。声に出したことはないが、シクラが内省する時の決まり文句だった。

人間は他人に迷惑をかけながら生きていくものだとは言うが、彼女のそれは一種の悪癖のように他人を振り回すのだと自覚するのに時間はかからなかった。肝心なことをあえて語らなかったり、誤解を招くように嘘ではない範囲で事実を歪めたり、あるいは空気の読めない発言をしたり。

それらの行動が何かしら不都合な結果をもたらす度に、やらかしたことを自覚こそすれ、それが少女に重く苦い後悔を与えるのは初めてのことだった。

 

今までは。何があっても、何が起ころうとも、シクラは反省こそすれ自戒しなかったし、誰かがそれを罪だと糾弾することもなかった。

ほんの10になったばかりの少女に罰を与えてくれるほど、世界はやさしくもなければ、周囲の人々も厳しくなかった。

きっと、今回初めてその感情に気付けたのは、ショウがこのヒスイでほぼ唯一、同じ世界を共有しているからだろうか。同じ境遇だというノボリとは歳も立場も差があることからほとんど関わったことのないため、それが正しいかを確かめる手段は彼女の中にはなかった。

 

「今の目標は」

「泉の3匹。あかいくさりの入手ですね」

 

少女が短く呟けば、端的な答えが返ってくる。周囲には誰もいないのがわかりきった上で、誰にも聞こえないように抑えられた声量のやりとりは数度続く。

 

「ふうん……鎖で捕物でも始める気ですか?」

「さあ。それが良いとコギトさんが」

 

彼女の話は信用できますよ、と語る男は、周りのほとんどを信じてなどいないことをシクラは知っていた。珍しい、と漏らすと同時、鍋の水が充分に沸騰したことに気付く。

 

「今日のご飯はなんですか?」

「カレーは作らないんですか? アナタ、お好きでしょう?」

 

今度の会話は、いつも通りの声色で始められた。遠くまで届く少女らしい甲高い声と、世の中の全てが楽しそうな笑顔。最も、先のことがあってかそれは少し控えめだが。

遠くの足音に言って聞かせるようなニュアンスを含んだ調子に、同時に気付いたウォロも合わせてやる。

 

「昨日食べましたよ。スープにしましょうよ。イモモチでもいいですよ」

「残念ながらスープは昨日食べました。イモモチなんてものここでは作れませんし、カレーにしましょうよ、いろんな味があるから飽きないでしょう?」

 

話は堂々巡りだった。シクラがふざけて「ガラル人の七つ道具」と称したそれが真面目に受け取られるほど自然に所持していたスパイスを、同じ商会として野営を何度も繰り返してきたウォロは当然のように味わったことがあった。

別段カレーがすきだというわけでもなかったが、持っていても持ち腐れだし──粉末状のスパイスに腐敗という概念はないが──と時折振る舞ってきた彼女にそれを頼むのは、暗に「作るのが面倒だから代わりに作れ」と投げるのと同義だ。

 

「味は入れるきのみ次第なんですけど──あ、テルくんおかえりなさい。きのみは見つかった?」

「お、おれは辛いきのみは拾ってないからな!!」

 

採取から帰還して早々向けられた視線にたじろぎながらも少年が主張する。昨日嫌というほど味わった、口の中を焼くような辛み、口直しにと渡された温かい茶を飲めば更に増す痛み。わざとだと明らかに察せられるほど良い笑顔の悪夢が想起させられる。

テルは少女の笑い声に紛れて「洗礼ですねえ」とどこか懐かしそうに遠くを見る青年を見て、再び少女の正気を疑った。

 

「全く、騒がしい」

「何やってるの……」

 

少年を横目にきのみの見分と、同時に料理のシミュレーションも済ませたシクラは、それぞれの方向から食器と水を汲んだ大鍋を抱えて来た女性二人にも向かって「今晩はあまくちカレーだよ」と目を細めれば、ショウが嬉しそうな、気まずそうな曖昧な声色で「そっか」と小さく笑ったのが彼女の視界の端に映り、また胸が小さく痛んだ。

 

 

「さっきはごめんね」

 

再度の謝罪は、月明かりの下で囁くように告げた。疲れたと言いながら早々に寝たコギトを除いた全員での交代制の夜番、その僅かな重なりの時間。

およそ時間通りに出てきたショウに視線を向けると、皆の前で見せる元気いっぱいの無邪気さを潜めた様子で謝罪をした。

昼間はティータイムの場であったガーデンチェアの片方にショウが腰掛ければ、対面の少女は茶会の主人を装うように、端に置かれたポットの中身を注いで手渡す。就寝前にも入れていたハーブティーを、継ぎ足しながらずっと飲んでいたのだろう。僅かに煮詰まったような、けれど変わらず美味しい茶を一口飲みると、口を開いた。未だに燻り続ける篝が仄かに二人の影を揺らしている。

 

「……別に、もう怒ってないよ」

 

また、少女に罪などないことを告げる言葉は、寝ている者たちに配慮している以上に小さく、彼女が耳をそばだてても途切れてしまいそうなほどだった。

静寂が夜を支配する。シクラは席を立って眠りについても良かったし、ショウがそれを促しても良かった。ただ、どちらもその選択をすることはなく、ただただ二人して庵の庭を見つめていた。

 

「……ジムチャレンジの」

 

シクラが不意にそう語り始めて、しかし正気に戻ったように口を噤んだ。5秒ほどの沈黙をショウが切り裂いて「続けて」と促せば、目を閉じて、言葉を選ぶように語り始める。

 

「……恩を、返そうと頑張ってる子がいたの。ジムチャレンジの同期に。ガラルのジムは、偉い人に推薦してもらわないと挑戦できないから」

 

懐かしむような目だった。あるいは、海を眺めていたときに似ていて、あるいは、曇り空を見上げたときのようだった。回想はむしろショウにというより、シクラ自身に語り聞かせるおとぎ話のような調子で続けられる。

 

「必死に頑張ってたけれど、結局報われることはなくて。……いや、ジムに勝てなかったわけじゃないの。星を集めろなんて言われたから、たった一度やりすぎて、遺跡を壊しちゃっただけ。それで失格だって」

 

星、とは何かの比喩だろうか。ショウには検討がつかなかった。バッジのことではないだろう。相槌すらないが、不思議そうな顔は浮かべていた彼女に気付けば、少女は懐を弄って小さな塊を机上に差し出した。

 

不思議な色だった。夜空の青い黒のような、その中に鮮烈な赤の印象もあるような結晶体をひとつ、月の輝きに透かして見せる。

 

「ねがいぼしって言うの。ガラルの地中にはこれがたくさん埋まっていて、エネルギーを秘めてるんだとか」

「へえ……」

 

これはその小さな一欠片なのだけれど、とシクラが手渡したねがいのかたまりを、ショウもまた手のひらで転がしてみる。ほしのかけらのような不規則の多面体だが、それらとは違う、温度のない熱を感じた。

 

「それで……失格になったときね、誰も庇ってあげなかったの。見損なったってさ。その瞬間だって、あの子は彼のために尽くしていたのにね。チャレンジの世界から、モラトリアムの終着点でいられたあの世界から弾き出されたあの子は、ちょうど今のあなたと似ている」

 

ショウから返された欠片を、ポケットの中に突っ込み、強く握りしめているのだろう、肩を僅かに震わせたのは、その人物が、おそらくは少女と親しかったからだろう。ゆっくり閉じて、そして開かれた瞳は、深い後悔と、固い決意の色を宿していた。

 

「あのときのわたしは、何もしなかった。だから、さっきは空回った。あの時の焼き増しのように感じたから」

「けれど、その人と私は違う。シクラちゃんも、テル先輩も、ウォロさんだってここにいる。ここにいなくても、隊長は私のことを案じてくれたし、セキさんとカイさんだって陰ながら手を貸してくれた。誰にも庇ってもらえなかったのは錯覚でしかない。ひとりじゃないのよ」

 

半ば言い聞かせるようにショウが彼女の錯誤を否定する。究極的には世界の全てが敵になったかのような絶望は事実であれど真実の全てではなく、名も姿も知らない友人の友人は、ショウのことではないのだと言い聞かせるべきだった。

知っている、と。既知を勿体振っておそわった時のような辟易と安心とをないまぜにしてシクラが答えた。友情の衝突は、それで幕引きにしてよかった。

 

 

「わたしはシンオウ神殿の麓に行くわ」

 

4人所帯に現地で1人、計5人での探索を想像して、その賑やかさが脳裏をよぎれば自然に笑みが漏れてくる。表情筋が緩み切ったそんな状態でさあ発とうとショウが意気込んだその時、少女ががちょっとそこまで、と告げるような軽い口調でそう言うものだから、彼女の口からえ、という音が吐き出されると同時、思考が歩みを止める。なんで、と問いたくても追いつかない口元を見兼ねたシクラが、その思考を受け取って答えた。

 

「ギンガ団としては何がなんでもあの裂け目を調査しに行かなきゃいけないもの。きっと彼らは麓にやってくる。それがいつなのか、誰かがそれを見張ってないといけないでしょう?」

 

それを否定する者はない。ショウとテルには言葉が浮かばなかったし、その気もないウォロはさっさと「そうですね」と同意した。テンガン山は危険だと言おうにも、少女の実力ならそれが問題ないと言うことを目にしてしまっているし、そんなことする必要はないと言おうたって、ぞろぞろと意味もなく大人数でいることの方が必要のないことだと言われてしまうのが目に見えている。結局ショウがなんとか「大丈夫なの?」とだけ口にして、ノータイムで大丈夫と返されたことで離別は決定付けられる。

 

「正直裂け目には興味があるもの。観察日記でも付けてよっかな」

 

そういうものだから能天気なのか、それともその後に続けられた「何かあったらフワライドに手紙でも持たせるね」と言うほどに真面目なのかわからないまま、少女たちと少女は真反対に歩き出した。




ひとりになるということ


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