歯車の姫君と鋼の魂 (機動新世紀なかよしX)
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001:翔べ、プリンセス!
「よくぞ駆けつけてくれた同士。早速だがこれを見てはくれないだろうか同士、尤もこの質問に対する否応は聞かないつもりだが同士」
聖テレサ女学院旧校舎図書室――『象牙の塔』とも呼ばれるそこに、『ユウキ』という男は呼び出された。ほぼ強制的に。
どうも今日ばっかりは変な事になってしまったのかなと感じて、恐る恐るソファーの上で瞳を輝かせる彼女に近づく。目の前の、自分より小さな体の、だが先輩でもあり自分を『助手』と呼ぶ『ユニ』と、ある程度親しい間柄ではある。しかし彼女の態度に今日ほど気味の悪さを感じた事は無い。
もしかしたら冷静を装って興奮を隠し切れない表情のせいかもしれない、そんな事を彼は考えながら、いつもよりも背筋を正して座る彼女の横に座ってみることにした。否応なしとも言われてしまったゆえに。
「────これだ」
一枚の写真。これをいつ撮ったのかとか、そういったこまごまとする質問を前に、勝手に説明が始まる。彼でなくても蒸し返されそうな熱を帯びて。
「これは先週撮られたばかりの物だが影を見てほしい、まあどこからどう見たって人型ではないか。空飛ぶ人といえば以前噂になっていた、ケレスやらイリスでの奥深くで浮遊する幻の少女を思い出すだろうが、そんな代物と全く異なると一目で解るだろう。それにこの後ろの光を見てほしいのだが、これがもし太陽だとしたらフィルムは焼き付いて、この写真どころかカメラが駄目になってしまう可能性もある。要するにこの実体はジェットかロケットだかで飛行していると推察される。未確認飛行物体というのは大抵、航空兵器の試験用に飛ばしていると言われているが、今の時代到底思えないほどの崇高かつ精密な機械で出来ていると推察される。辛うじてできると思われるのが以前当学園に来た『メ団』であるが、であれば『なかよしXアナザースカイ』が独自に完成されているかもしれない」
ユウキは嫌でも混乱している。なんて情報量の多さだ、しかも話は一貫しているので聞きそびれては困る。
すっかりパンクしてフラフラな『助手』に心配もそこに捨てておいて、彼女はその肩を掴んでさらに揺らしていた。
「端的に換言すれば、
ただこういう事を言い出した時には、何を任されるかなど彼は十二分にわかっている。
「これは果たして何なのか、どこから来てどこへ行くのか。何かのしかし無為にはならない学びがあると見た――ともに調査を手伝ってくれないだろうか?」
だけれども────彼には、断るつもりはどこにもなかった。
◇
「さぁ同士よ、森の奥まで、レッツゴー!」
抑揚のない声の割には、感情を込められている。本当に興味が涸れる事は無いのだろう、それはユウキも
「今日は、大丈夫?」
「同士よ……何の心配だね。ついでに言うと、その生優しく生暖かい目をまっすぐに向けてくるのは止してほしい」
「うっかり倒れたら、怖いよ」
「体調管理の一切の問題はないと断言しよう。何せ山程のカロリーメイトを持ち込んだ上、口パッサパサにならないように水筒も持ってきたのだ。心配してくれるのはとてもありがたいが、杞憂はあまり褒められはできない。端的に換言すれば、ボクはもう無敵……!」
ダメかもしれないという予感を、考えるのでなく心の奥底でヒシヒシと感じる。茶色い皮のリュックサックを上下に跳ねさせて元気に進むユニを、後ろから不安げにも追いかけるユウキ。
「そう言えば話していなかったな、本件の概要を」
彼が実は割とどうでもいいと思っていたのも話してはいない。正しくはこの感情をわかっていないだけだが。
「その顔本気でどうでもいいと思っていたな……とにかく、君が分かる範囲で説明しておこう」
◇
始まりは女学院の部活動、つまり何の前触れのない日のことである。彼女らは理数系を専攻に、自然工学を研究している最中のことであった──ユニは理数系女子はあまり好きではない。
さてイリス森林の生態調査の為に立ち入った彼女らは、早速調査に当ったのだが────。
彼女らは恐らく、見てはいけないものを見てしまった。
或いは──
超高速で飛行する人間、空を引き裂くような音、そして前触れのように聞こえてきた
信じ難いものを目撃してしまった彼女らは、全く無事な身体で帰っては来れたが、暫く恐怖との戦いと未知なる存在の信憑性によって口を固く閉ざしていた。ところが先日のこと、先輩でもあるユニを恐る恐る──あるいはもう限界なのか、頼ってくれたようだ。
彼女曰く、もっと早期に話してくれていれば色々とやりやすい、と言っている。
とかく心象を気にしなければ、これはチャンス──ユニが換言するなら好機──である。
誰も知らない謎めいた存在、それがもし彼女の想定以上の代物であるとしたならば、知的な利益が得られるとするなら、ユニ自ら動くことも吝かである。そして今回、証拠となる3枚の写真──こちらを頼ってすら来た彼女らから譲り受けたものだ──の、特に写真写りのいい物を握りしめ、学院やギルドや管理協会が感づく前に調査してやろうと言う魂胆である。
◇
────だがあのテンションをして、やはり調子が良いのは今の内だけだと彼女は思い知る。
暫くしてとうとう人の出入りも少ない畦道に出る頃、少しペースが速いのか少し息が上がってきたような気がするその時。彼女もはあはあと汗を垂らしながらしゃがむと、顔だけユウキに向けてくるのだが。
「はぁ……ひぃ……つ、着いたぞ。ここ。ここであの影は、撮られたと言うのだ、はぁ……!」
「今にも倒れそう……」
「まだだ……まだ終わっては、いないぃいいぃいぃぃ……ぱたりこ」
そもそも彼女は引きこもりにも近い生活をしている。象牙の塔と呼ばれる一室に閉じこもって、努々世界への疑問を投げかけるばかりなのが彼女の本質である。
すなわち「天は二物を与えず」の習わしの通り、ユニには知識と知恵を与えた代わり、体力と筋力という二物を与えなかった。そういう意味では寧ろ、ちゃんとこの場所──奥地とまでは言えないが、森を分け入って入らないと行けない場所に着いたのは、褒めてあげるべきだと彼は思う。
ユウキは倒れた姿にどこか既視感を覚えながらも、遠慮なく地面の上に倒れた彼女をおぶって土塊を叩いて落としてあげた。
「す、すまない……みっともない姿を見せてしまった」
この元気の無さは疲労もあるが、勿論気遣ってあげないと青年は思う。
「大丈夫?」
「あ、ああ……自己分析の結果、この場所に近づくたびに、得体のしれない高揚感に襲われてしまった。しかしそれは君もどうやら同じだろう。やはり男の子はこういうモノに心惹かれる傾向にあると見た。いやそもそも人が未知なるモノに惹かれないのは無理難題も同然であるが……」
「うん……」
難しい話に付き合えるほど彼の頭は良くない。彼女の頭の回転が速いのもあるが、
「まあ要するにだ、ここでしばらく例の影を待つ」
「……え?」
「だから、もう一度言う。もうここは彼奴のテリトリーだぞ。いいかね同士、ここで待っていれば自然と彼奴は現れる。勿論運という不明細な物に頼らざるを得ない、正直我が身としてみれば不甲斐ない格好だが、情報と証拠は確かに掌握している」
「そっか…………いつまで待つの?」
「かの釣りの名手たる、太公望の尊称を戴く呂尚牙に倣い、根気を持って挑もうではないか。急いては事を仕損じると言う、しきりに針糸を動かすような真似ばかりするならば、相手も当然怯え逃げていく。要するに、果報は寝て待て」
「わかんないや」
「相変わらずストレートな物言いをするな君、いいやますますもって……」
彼は困った顔を浮かばせるばかりだから、相変わらずガマン弱いなとユニは思う。だがそれで済ませられるはずもなくどこかよそ見をし始めて、さてこれから大丈夫なのかとにわかに不安が立ち込める最中――――。
『──────Sing……Sing a song』
その時。
「あ!」
「む……これは、早速来たな。一応見計らっていたとはいえ、こうもあっさり来るとみると……。いや考慮は後に回そう。さあ『ロゼッタ』、映像記録の準備を。つまりそれいけユニコプター」
『ポーン。録画録音開始』
歌が、響いて来る。どこか心落ち着かせられるような歌、だけれども清らかさな音色を奏でるのではなく、むしろ楽しくもなる歌とリズム。ロゼッタという人工知能を植えられた平たい石のような何かが、精密制御の魔法で空高く飛んでいく。但し羽根の意匠は飛ぶという意味を持つだけで、ぶっちゃけたところ伊達に過ぎない。
「ふむ、歌謡曲やポップスの類という確信に自他共に疑問はない。しかし気になるのはこんなものを垂れ流していて、本当に誰にもバレないと思っているのだろうか? 端的に言うと、頭隠して尻隠さず」
尻どころか何もかも丸見えではあるが、ユニが『頭』と比喩したのは空を飛ぶ羽音などのことである。耳を澄ませば確かに聞こえてくる飛翔音は、垂流されている朗らかなな音楽によってかき消されているほど静かだ。
しかしこの音楽に夢中になるユウキには、到底その理屈も、そしてユニの発言自体も気に留めることはしなかった。
分からないはずの言葉、未知なる言語。英語の『え』もABCの『A』も知らないユウキは、ところがなぜだがその歌を口ずさみたくなるリズム。魔性というにはほど遠く偉大な、それこそ正しく太陽の様な暖かさを感じていたからだ。
「……フン、フフ、フフーン……」
「おい同士! 確かにあの曲が世代や国家のカルチャーという枠組みという話を飛び越えて、万人に馴染みやすいという意見に同意はしてやるが、今するべき事はあれが何なのかを突き止める事だ。追及と歌というコミュニケーションはそれからでもいい。端的に言うと、しっかりしろ」
「!!」
ユサユサと無理くり揺さぶられて正気を取り戻したユウキは、とても好いものだと心の片隅にこびりつかせながらも、首を何度も横に振ってから急に森の奥へと走り出していく。ユニを置いて行ってしまってだが。
「おおい待ちたまえ。ぼくは君程に体力が有り余っているわけじゃあないんだ、これ以上体を酷使させないでくれたまえ」
「待ってー!」
「大体こういう時の為の転写魔法なのだ、落ち着き給えよ同士!」
捉えるにはどうしても『ユニコプター』と『ロゼッタ』に任せるほかはないが、あの先はもう雪山の方角なのだからそこまで飛んでいける確証はない。しかしある程度の情報が収集できると思って小石に問いかければ、そこから映像がホログラムで転写されたのだが――――。
「んなぁっ、ジャミングだと!?」
「あっ、あれ、あれっ!!」
「むおぅっ、あれは……!」
その時である。ユウキそしてユニは遅れて消え去っていこうとしている人型の、ある決定的瞬間を目撃するのに成功する。人型のシルエットがバラバラになっていくあの光景を。ユウキは何かまずい事でも起きたのかとユニを見たが、彼女は寧ろ先ほどよりますます目を輝かせている。一瞬怪訝な目を浮かびかねなかったユウキが再び空を見上げれば答えは一目瞭然。
頭部が格納されて小型の飛行機に。上半身そして下半身はその航空機に付随するように折りたたまれ、そのシルエットに再加速がかかる。つまりあれは――変形機構である。
「お、お、おおおおおお!!」
「……いっちゃった――――」
「見たかね同士! 大気圏内であんなスムーズな分離変形は見たことない、いやあのなかよしXですらアレを成し得たかどうか測りかねないぞぉ! 三つのパーツが分離して航空機になる様子。あれは一見無頓着かつ無意味でエゴの塊に見えるがその実それぞれの役割がきちんとあると見た、つまりあの変形合体は浪漫だけでは無く機能的でもあるという贅沢仕様、最早芸術と言って差し支えないだろう!!」
ユニはあの変形機構にも興奮冷めやらぬ様子で小さな腕を振り回している、強力なジャミングを食らって落っこちていく『ユニコプター』に目もくれない程。結局あの機体は取り逃がしてしまい、高度を上げて北の方へ逃げ去ってしまうのをじっと眺めているほかは無かった。『ユニコプター』が健在であったとしても、遥か雲の向こうまで追いかけらるような高性能でもない。
『♫la-lalala-la la-lalala-la……♪』
柔らかな歌声もまた消えていく。朗らかな男の人の、強かな女の人の、賑やかでピュアな子供の声が。
だけれどもユウキがそのシルエットから目を離せなかったのは、そして遠くなる影を見つめる目がさらに細められて眉も僅かに顰められたのは、ほんの数瞬だけ人の顔が見えたからだ。青年が見間違えたか気のせいかも知れないが、空を背にして見えた彼女の瞳は――――確かに彼をまっすぐに見つめているようであった。
「……なんだろう、一体」
もう過ぎた事だが、彼の心を掴んで離さないものがまた一つ増えたのは間違いない。零れた独り言を耳に入れたユニが、何を勘違いしたか一方的な推論を展開している横で、ユウキは他のどんな事にも囚われずにずっと青空を眺め続けていた。暫く眺め続けていた。
(需要は)あったらいいな
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