Monster Hunter : World War (Soh.Su-K)
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Prologue
狩猟時代から戦争の時代へ


 ここでは、人類史における大きな転換期である、狩猟時代の終焉について深く掘り下げてみたいと思う。

 現代、狩猟時代は終焉したと言っても過言ではない。

 『史上初のハンター』『ハンターの祖』『ココットの生きた伝説』『ココットの英雄』など様々な呼称を持つ、かの伝説的竜人から始まる人類の狩猟時代。

 自然そのものに対して成す術なく、抗う事の出来なかった我々弱き人類は、武器を手にモンスターへ挑む勇者たちを敬意をこめて『ハンター』と呼んだ。

 ハンターは自然との共存の一つの形として成り立っており、決してモンスターの殲滅が目的ではなく、自然との共生こそが人類の理想であった。

 幾人もの命を散らしながら、それでも強敵を倒した者は英雄と称えられ、憧れと尊敬の的となっていった。

 

 だがある時、モンスターを手懐ける者が現れた。

 太古より、性格の大人しいモンスターを家畜として飼う事はよくある話なのだが、この者は違った。

 凶暴な大型モンスターを手懐け、意のままに操る事が出来たのである。

 まるで心を通わせているかのようなその能力者を人々は『フィーダー』と呼ぶようになる。

 フィーダーの出現により、狩猟は飛躍的に容易になった。

 それにより、工業技術が飛躍的な発展を遂げる。

 狩猟時代の崩壊はこの時から始まったと言えるだろう。

 

 やがて、フィーダーは国の軍事力となり始める。

 その頃からフィーダーは『騎士(ナイト)』と呼ばれるようになった。

 それまで曖昧であった国家と言うものが急速に強固に形成され始め、工業技術の発展と共に資源や領土、思想や宗教と言ったものでの対立が激しくなっていく。

 騎士の出現により、人類は自然を相手とする狩猟の時代から、人同士が争い合う戦争の時代へと足を踏み入れたのである。

 

 ハンターという職業が完全になくなってしまった訳では、勿論ない。

 しかし、最盛期から比べ『ハンターズギルド』が抱えるハンターの数は三分の一以下にまで減っているのが現状である。

 まさに、斜陽産業と言えよう。

 騎士もフィーダーもいなかった狩猟時代、人類は自然と共に生きていた。

 今、人類は自然を全く顧みていない。

 人類は自然と共に生きてきた筈であり、人類も自然の一部の筈である。

 自然との共存について、我々が慎重さを欠いていた事を未来の世代は決して許さないのではなかろうか。

 これは私の主観ではあるが、その様な気がしてならないのである。

 

 

 

 

『人類史Ⅱ』狩猟時代から戦争の時代へ―――冒頭より一部抜粋



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第一章
柳緑の群、鮮血の洗礼


 ミズガル神聖帝国領内北部、辺境の村・ココット。

 フィロータ山の南西の裾野にあるその村は、百人程度の住民が暮らしている。

 年間を通して涼しい気候で、麦と畜産が主な産業だ。

 特産品として、近くの森で摘採される『特産キノコ』があり、帝都やその他の都心部で高級食材として有名である。

 しかし、ほぼ帝国の北の端で他の村とも離れており、わざわざ訪れる人間と言えば行商人くらいで、人の往来など殆どないに等しい。

 そんなココット村で、モンスターハンターを目指す若者二人の最終試験が始まろうとしていた。

 アルバート・ウィルジナ、十七歳とバーニエル・ロイスダール、十七歳。

 憧れのモンスターハンターになるべく、今から始まる最終試験に臨む為、教官の前に並んで立っていた。

 

「という訳で、今日が最後の訓練だ!内容は頭に叩き込んだか?アルバート!」

 

 クエスト内容が記載されているであろう羊皮紙を片手に、教官はアルバートを指名した。

 

「え?その!アレだよ、アレ!」

「バッカモーン!」

 

 あたふたしているアルバートの頭に教官のゲンコツが風を切って飛んできた。

 

「イデッ!」

 

 鈍い音とアルバートの間抜けな声が室内に響く。

 

「バーニエル!ミッション内容を言ってみろ!」

 

 バーニエルは返事をした後に、スラスラとよどみなくミッション概要を喋り始めた。

 

「ミッションは『ジャグラス』の討伐。数は七。最近になって個体数が増え、村の農作物への被害が出始めたため、村長から討伐依頼が出されました」

「流石はバーニエル!」

 

 自分が答えた訳でもないのに、何故か得意げになるアルバート。

 

「よし!アルバートはバーニエルを見習え!馬鹿はすぐ死ぬ!」

 

 アルバートの様子に呆れた様に教官が言った。

 

「誰が馬鹿だ!」

 

 再びゲンコツが飛んでくる。

 

「イデッ!」

「お前だ馬鹿モン!」

 

 教官に殴られた頭をさするアルバート。

 

「いいか、常に『自分はどう行動すべきか』、『次に何が起きるか』、『生き残るには何をしたらいいか』を考えろ!常にだ!」

 

 教官の説教が始まった。

 

「こうなると長いんだよな……」

 

 アルバートは不満げに呟いた。

 

「教官に聞こえますよ」

 

 バーニエルが小声でアルバートを諫める。

 

「アルバート!貴様だ!貴様に言っている!」

「分かってますよ!『常に考えろ、思慮深くあれ』でしょ?」

「分かっているなら行動しろ!このミッションを終えれば、正式に村のハンターとしてギルドに登録されるのだ!そうなったら、自分の知恵と力のみで生き抜かねばならん!短慮な行動は死に直結する事を忘れるな!」

 

 三度のゲンコツがアルバートを襲う。

 

「いってぇ!」

「とにかく!気を引き締めていけ!」

 

 教官の言葉を合図に、二人はジャグラスの討伐が始まる。

 無理やり追い出されるようにして、アルバートとバーニエルは狩猟場へと向かうのだった。

 

「教官殿」

 

 小さな影が教官の背後に音もなく現れた。

 

「村長……」

 

 教官が振り返る。

 そこには年老いた小さな竜人が立っていた。

 杖を突いたこの老年の竜人こそココット村の村長、モンスターハンターの祖とされ、『ココットの英雄』とも呼ばれる人物だ。

 まだハンターという職業が存在せず、人間が今以上にモンスターの脅威に脅かされていた時代に、彼が三人の仲間と共にモンスターを狩ることを生業としたことがモンスターハンターの始まりと言われている。

 今では飛竜などを相手にした大規模な討伐作戦は国の『騎士団』が行うが、村や地域単位の小さな依頼は未だにハンターが担当しており、ハンターズギルドも全盛期ほどではないが、しっかりと機能している。

 国の騎士団とギルドも連携しており、ハンターが現地調査し、その情報をギルドと国が共有、場合によって『騎士団』を出動させるというシステムが構築され、被害が広範囲に及ぶ場合は騎士団とハンターが共同で作戦を行う事もある。

 騎士の登場により、狩猟は飛躍的に楽になったが、騎士団だけでは手が回らないのも現実で、何よりも騎士は既に『国の軍事力』であるため、災害規模の被害が出る、もしくは出ると予測されない限り、騎士団は動かせないのも事実だ。

 ココット村のような辺境の土地は、ギルドへ依頼を出したとしても、ハンターが派遣されるには時間が掛かる。

 村専属のハンターを抱える事は、村にとって非常に有益である上、ギルト側からしてもココット村周辺の異常をすぐに察知できるのはありがたいのだ。

 

「二人は出立したようじゃな」

 

 村長は窓から外を眺めながら言った。

 

「はい。バーニエルは問題ないでしょう、あいつは常に思慮深い。考えすぎて動きが止まってしまうのが玉に瑕ですが、そこは現地で経験を積めばどうにかなるレベルかと」

「うむ、そのようじゃな」

「問題はアルバートです」

 

 教官は溜息をついた。

 

「向こう見ずで頭より身体が先に動いてしまう。土壇場で博打を打つ癖も良くない。バーニエルとのツーマンセルならまだしも、単独での狩猟には向かないでしょう」

「フォッフォッフォ、ワシの若い頃の様じゃ。なに、アルバートこそ、現場での経験を積めば化けるかもしれんぞ?」

「……、村長もそうお考えでしたか……。実際、いざとなった時の状況判断の早さはアルバートの方が上ですし、なにより適格です。向こう見ずされ治れば……」

「そう急くでない。今日のミッションが終われば、正式にギルドへ登録してやればよい。あとは他のハンターたちと共に切磋琢磨するのが良いじゃろう」

「だといいのですが、森が既に……」

「大丈夫じゃ。今は見守るしかない」

「……、はい」

 

 二人は静かに外を眺めた。

 

「そうじゃ、ここ数日のうちに客人が訪れるやもしれん」

「客人?誰です?」

「ワシにも分からん。来るかすら分からん。じゃが、用意だけはしておくように、皆に言っておいてくれ」

「承知しました」

 

 会話が終わると、二人はそれぞれ仕事に向かった。

 

 

 深い森と見晴らしのいい丘陵地に、その間を流れる川と遠くには高い山々が見える。

 緑豊かなこの森と丘を北に行けば、ヘ=ニヴル福音連邦との国境がある。

 国境と言っても綺麗に線引きされているわけではない。

 このシルクォーレの森を抜ければ連邦、その手前が帝国、その程度の境だ。

 森の東側には険しい山々が続き、人が越えられるものではない。

 実際、連邦の国境警備隊がウロウロしているのは森の北側のみで、東の山脈に人はいない。

 森の北部へ下手に近付けば、国境警備隊に見つかり、拘束されることになる。最悪の場合、その場で殺害される事も有り得る。

 そんな物騒な森になってしまった原因は、ミズガル神聖帝国とへ=ニヴル福音連邦の約百年前の戦争だ。

 元は大ミズガル帝国と言う一つの国であった。

 全ての始まりは今から百七年前、大ミズガル帝国の首都・トールキンで十数名の学生による小さな民主化運動だった。

 やがてこの運動を『革命』や『聖戦』と称し帝国内に潜伏していた反政府武装組織が表立って介入し始め、帝国領内の各地に飛び火し、大きな内戦に発展した。

 事態は日増しに泥沼化し、これを重く見た当時の帝国政府は早期収束の為に、帝国の正規兵である『騎士団』の投入を決行。

 『騎士』の力は圧倒的なものだった。

 学生の活動家と小規模な反政府武装組織の寄せ集めでしかなった『自称革命軍』は、反撃もままならないまま北へと後退せざるを得なかった。

 そして革命軍が逃げ込んだこの北部の深い森で、後に『シルクォーレ戦役』と呼ばれる、帝国が大敗を期した一年に渡る長き戦闘が起きる。

 帝国軍に対し、革命軍はゲリラ戦を敢行し、攻めあぐねさせた。

 支援として他国の正規騎士団が革命軍へ秘密裏に派遣されたとも言われている。

 何十人もの騎士が日ごとに行方知れずになり、その多くが原形をとどめない死体となって、帝国軍が進む進路に待ち構えていたと言う。

 補給線は早々に潰され、前線は孤立、前進も後退も出来ない程に帝国軍は追い詰められ、疲弊した。

 四六時中、何処から襲われるか分からない状況の中、正気を保てる兵士など皆無に等しかった。

 精神的負荷が極限の状態のまま進攻するには、このシルクォーレの森はあまりに広過ぎた。

 結果、帝国軍は進攻を断念し、シルクォーレの森以北の土地を放棄、そこに新たなへ=ニヴル福音連邦と言う国家が生まれた。

 それ以来、帝国と連邦は『薄氷条約』とも揶揄される停戦条約を締結する事で、形式上の終戦を向かえたが、睨み合いは未だに続いている。

 そんな緩衝地帯とも言える森の手前に、ココット村から一番近いベースキャンプがある。

 

「さて、到着っと」

 

 アルバートとバーニエルはそのベースキャンプへと降り立った。

 ベースキャンプとは、ハンターが狩猟の準備を整えるたり、休息を取る場所である。

 岩壁と木々に囲まれたこのベースキャンプには、ハンターズギルドからの支給品を納めた箱に、納品用の箱、休息用のテントの中には仮眠のためのベッドもある。

 テントの裏手には小さな池があり、数種類の魚が泳いでおり、ちょっとした釣り堀になっている。

 

「アル、応急薬と携帯食料はちゃんと持ってて下さいね」

「りょーかい」

 

 装備や持ち物の確認をしている間に、二人をここまで運んできた二匹の翼竜が飛び去って行った。

 村とベースキャンプを結ぶルートを覚えさせた翼竜を使う事で、この二カ所を難無く移動出来るようになっている。

 特にこのベースキャンプは、陸路による出入り口が狩猟場となる丘の方向を向いた一つしかなく、村から直接ベースキャンプへ入るには、翼竜を使って空から降り立つ以外にないのである。

 ベースキャンプを迂回すれば、狩猟場から直接村へ戻るルートもあるが、そこを使う人間は滅多にいない。

 ベースキャンプ唯一の出入口も人間一人がやっと通れるくらいの小さな穴で、中型以上のモンスターは入ってこれない。

 ハンターが安心して利用できる作りになっている。

 

「よし、準備完了!」

「行きましょう、アル」

 

 それぞれの武器を背負い、二人はベースキャンプを出た。

 出入口を通り、モンスター避けに作られた段差を降りる。

 左へカーブした道沿いに歩くと、すぐに開けた場所へ出る。

 浅い川が横切る広い草原。

 川の手前で左に曲がれば森へ向かう道、川を越えれば山へ向かう上り坂だ。

 草食種・アプトノスが絨毯のように生い茂った草をゆっくりと食んでいる。

 

「いつ来ても、ここは長閑だな~」

「アル、今日は討伐なんですから、もう少し緊張感を持ってくださいよ……」

「そういうバーニィだって緊張してないじゃんかー」

「それを言われたら、僕の説得力がなくなるじゃないですか」

 

 二人は談笑しながら、森へと続く道へ向かった。

 胸くらいの高さの段差をよじ登り、獣道へ分け入る。

 

「アル、そろそろジャグラスのテリトリーです。あまり騒がないでくださいね」

「わーってる」

 

 二人は中腰に屈んだまま、コソコソと移動する。

 森の中でも開けた場所に出た。

 壊れて朽ち始めたテントの残骸、潰れた焚火跡、地面に残る爪痕。

 ここは以前利用されていたベースキャンプの跡地だ。

 モンスターから襲われにくい造りだった筈だが、一匹の飛竜によって無残に破壊された。

 その際、三人のハンターが犠牲になったらしい。

 それ以来、ベースキャンプは現在の場所に移され、ここはモンスターの縄張りになった。

 

「バーニィ、ジャグラスいねーじゃん」

 

 アルバートが小声でバーニエルに訊ねる。

 討伐依頼に添えられた現地調査書類には、このエリアにジャグラスが数頭目撃されているとの記載があった。

 しかし、いくら辺りを見渡してもジャグラスなどいなかった。

 

「ここがジャグラスの巣になってるんじゃないかとの情報だったんですけど……」

 

 バーニエルが隈なく辺りを探る。

 

「アル、見てください!」

 

 バーニエルがアルバートを呼んだ。

 

「なんだ?」

「これ、比較的新しい捕食跡です。大きさからすると子供のアプトノスでしょう。肉食のモンスターが根城にしてるのは確かなようです」

 

 アルバートが不意に空を見上げた。

 

「アル?」

 

「バーニィ!茂みに隠れろ!」

 

 咄嗟にアルバートが指示を出す。

 二人は近くにあった茂みに身を隠した。

 息を潜めていると、何処からともなくワラワラとジャグラスが二十匹近く現れた。

 

「やはり、ここがジャグラスの根城になっていたみたいですね。それにしても数が多過ぎます」

 

 バーニエルがアルバートに耳打ちする。

 

「バーニィ、嫌な予感がする……。こいつらだけじゃないみたいだ……」

 

 アルバートはある方向を睨みつけていた。

 その嫌な予感はすぐさま現実となる。

 大地を踏みしめる一際大きな足音が、アルバートが睨んでいる方向から近付いてくる。

 バーニエルも茂みの中から、足音の聞こえる方向に目を凝らす。

 その音の主は、木々の間からゆっくりと姿を現した。

 

「ドス……ジャグラス……」

 

 牙竜種・ドスジャグラス。

 ジャグラスの群れを率いるリーダーで、『賊竜(ぞくりゅう)』の異名を持つ。

 『森の大食漢』とも呼ばれ、大柄なアプトノスすら丸呑みにする大型モンスターだ。

 気性は荒く、空腹時はさらに拍車がかかる。

 ここで見つかってしまっては命がない。

 二人はとにかく気付かれないように息を潜めた。

 ジャグラスたちはしきりに匂いを嗅いでいる。

 アルバートたち人間の匂いを嗅ぎつけているのだろう。

 しばらく警戒していたが、二人を探し出せずにいた。

 もういないと判断したのだろう、ドスジャグラスとジャグラスはそのまま去っていった。

 

「はぁ……、まさかドスジャグラスがいるとは思いませんでした」

「けど、アイツも倒しちまえば、ここらを縄張りにしてる群れもいなくなるんじゃねーの?」

「僕らにドスジャグラスはまだ早いです」

「そうか?いけるんじゃねーの?」

「アルは能天気過ぎです……。それより、ミッション内容を変更する必要が出てきましたね。一度、村に戻って教官に指示を仰ぎましょう」

 

 バーニエルは来た道を帰ろうとする。

 ドスジャグラスの存在は予想していなかった。

 ジャグラスのみであれば、見習いの二人でも問題なかったが、ドスジャグラスもいるのであればギルドへ正式に依頼を出し、ハンターを派遣してもらわなくてはならない。

 二人はまだ見習いで、ギルドへ正式に登録された訳ではなく、言ってしまえばまだ民間人扱いである。

 経験や知識が不十分な民間人による大型モンスターの狩猟は禁止されているのだ。

 それは常識であり、帝国の法律でも禁止されている。

 

「いや、指定された数だけ、ジャグラスを倒せばいいんだろ?だったら、ドスジャグラスに気付かれないようにやればよくね?」

 

 あっけらかんと言うアルバート。

 

「能天気の程があります……。ドスジャグラスだけじゃなく、他の大型モンスターまで出てきたらどうするんですか?」

「大丈夫だろ、いこいこ!」

 

 アルバートがずんずんと森の奥へ進んでいく。

 

「ちょっと!もう……」

 

 バーニエルはしぶしぶアルバートについて行った。

 

 

「いたいた!」

 

 旧ベースキャンプ跡から少し山側に進んだ場所、まるで誰かが意図的に作ったような真っすぐに伸びる林道を抜けると、山の中腹に出る。

 アルバート達はその林道にいた。

 茂みに身を隠しながら、三匹のジャグラスがじゃれ合っている様子を見ている。

 

「バーニィ、行くぞ!」

「はい!」

 

 アルバートが茂みから飛び出す。

 バーニエルも茂みから立ち上がった。

 

「おら!」

 

 アルバートが武器を手にした両手を前に突き出した。

 手にしているのは双剣。

 片手剣から盾を捨て両手に一本ずつ短剣を構えるスタイルだ。

 片手剣以上の連撃による徹底的な攻めが持ち味の攻撃特化型の武器である。

 

「アル!無茶はダメですよ!」

 

 バーニエルはアルバートがジャグラスの攻撃を躱す瞬間を見極め、引き絞った矢を放つ。

 バーニエルの武器は弓。

 スタミナと引き換えに弓を引き絞り、その時間によって矢の攻撃性能が変わってくる。

 最大火力となる距離を把握し、常にその距離を維持する事が重要な武器である。

 

「わーってる!大丈夫だ!」

 

 そう言って、ジャグラスの噛みつきや飛び掛かりを紙一重で躱し、肉薄する距離を保ったままアルバートがジャグラスを刻んでいく。

 

「アル!後ろ!」

 

 バーニエルが叫びながら矢を放つ。

 背後から噛みつこうとしていたジャグラスの胴体に、深々と矢が刺さる。

 のけぞったジャグラスをアルバートは振り向きざまに斬り伏せた。

 

「まだいます!」

 

 バーニエルの声と同時に、先程切り伏せたジャグラスの更に後ろに隠れていた一匹がアルバートへ飛び掛かった。

 

「くっそ!」

 

 避けきれない。

 アルバートはさらに一歩踏み込み、左の剣を振り上げた。

 

「アル!!」

 

 一瞬の出来事だった。

 アルバートもジャグラスも立っていない。

 バーニエルが駆け寄る。

 アルバートは立っていた位置から少し離れた場所に倒れていた。

 

「アル!大丈夫ですか!」

 

 バーニエルが身体を揺すると、アルバートが目を開けた。

 

「痛たたたた……、何とか無事だ」

「もう……、心配させないでください……」

 

 アルバートは無事だった。

 

「さっきのジャグラスは……?」

 

 バーニエルが見回すと、上下真っ二つになったジャグラスの死体が近くに転がっていた。

 

「倒したんだけどな、死体からの攻撃を喰らっちまった」

 

 そう言って、アルバートは胸をさする。

 防具の胸の辺りが綺麗に切れ、少し素肌が覗いている。

 ジャグラスの爪で切り裂かれたのであろう。

 出血している訳ではないので一安心と言えよう。

 

「もう……、無茶な戦い方はやめてください……」

 

 怪我という怪我もしておらず、ひとまずバーニエルは胸をなでおろした。

 

「これで、あと二匹だな!」

 

 アルバートは、倒したジャグラスから素材を剥ぎ取りながら言った。

 

「早めに引き上げましょう。何だか嫌な予感がします……」

 

 バーニエルが周りを見渡しながら言った。

 この場所は比較的モンスターの往来が少ない。

 大型モンスターの目撃情報も皆無ではないが、他の場所に比べて極めて少ないので、気楽に採取などに勤しむことができる場所の筈だった。

 しかし、ここ最近ではジャグラスの往来が多くなっているようだ。

 そこら中にジャグラスたちが食べ散らかした跡がある。

 空気の綺麗な林道だった筈が、今は死臭の漂う禍々しい雰囲気だ。

 

「不吉なこと言うなよ、バーニィ。用心の為に、ドスジャグラスが来た方向に向かったんだろ?鉢合わせする心配はないだろー」

 

 緊張感の欠片もないアルバートは、さらに奥へと進んでいく。

 

「アル!戻って下さい!」

 

 バーニエルが大声でアルバートを引き留める。

 

「何だよ?」

 

 アルバートが振り返ると、バーニエルは大きな木の根元近くに付着した黄色い粘液を採取し、その匂いを導蟲(シルベムシ)に覚えさせる。

 

「何だ?これ」

「アンジャナフのマーキングです」

 

 獣竜種(じゅうりゅうしゅ)・アンジャナフ。

 くすんだ桃色の鱗と背中から尻尾にかけて生えている黒い体毛、普段は背中に格納されている翼、更に下顎を覆うように生え揃った大きな棘が最大の特徴。

 獣竜種としては珍しい外見の大型モンスターで、戦闘では口を大きく開き、獲物や外敵に荒々しく喰らい付く攻撃を得意とする。

 獲物を見つければ即座に襲い掛かるほどに獰猛なその姿から、『蛮顎竜(ばんがくりゅう)』の異名を持つ。

 また、トサカのように展開することが出来る大きな鼻を持ち、その鼻からマーキング用の体液を噴射することができ、岩や木に吹き付けることで縄張りを主張する。

 

「アル、帰りましょう。アンジャナフの相手は流石に無理です」

 

 そう言ってバーニエルが来た道を帰ろうとした時、アルバートが咄嗟にバーニエルを引っ張り、近くの茂みに隠れた。

 

「アル?」

「シッ!」

 

 アルバートは口の前に人差し指を立て、声を出すなという指示を出し、茂みの向こうを指差した。

 すると、アルバートたちが来た方向から、、先程のドスジャグラスがジャグラスを数匹引き連れて現れた。

 ジャグラスが仲間の死体を見つけて鳴き声を上げる。

 注意しろと言っているようだ。

 ドスジャグラスは悠然と歩き、周りのジャグラスは忙しなく辺りを見回し、警戒している。

 見つからずに、何とかやり過ごしたい。

 ドスジャグラスの通過を待つのが、まるで無限の時間のように感じる。

 早く通過してくれ。

 バーニエルがそう願った時だった。

 ドスジャグラスの進行方向に、巨大な影が大きな音と共に現れた。

 

「アンジャ……ナフ……」

 

 思わず声が漏れる。

 しかし、既にアンジャナフとドスジャグラスは睨み合いながら、咆哮で互いを威嚇していた。

 

「縄張り争いだ!」

 

 アルバートがそう言った瞬間、アンジャナフが容赦なくドスジャグラスの首根っこに喰らい付いた。

 噛みつかれたドスジャグラスはなす術なく、何度も地面へ叩きつけられる。

 

「アル!今の内に逃げますよ!」

 

 バーニエルがアルバートの腕を引きながら茂みから飛び出した。

 

「縄張り争いで僕らの事なんか見えていません!逃げるチャンスです!」

 

 二人は全速力で来た道を戻る。

 木々の間をすり抜け、すぐに旧ベースキャンプ跡地に出た。

 さらに走る。

 アプトノスたちが呑気に草を食んでいた草原へ繋がる道が視界に入った。

 あの道に入ればもう安全だ。

 二人がそう思った時だ。

 青白いしなやかな影が二人の行く手を阻んだ。

 

「トビカガチ!?」

 

 バーニエルが思わず声を上げた。

 牙竜種・トビカガチ。

 青白い身体の背面の首から尻尾にかけてを包み込む純白の体毛、そしてその身体の配色から一際目立って見える赤い眼が特徴的な牙竜種の大型モンスター。

 体格は小柄で細身だが、尻尾は胴体以上に太く見える。

 四肢には湾曲した鋭い爪を持ち、これを駆使して木々にしがみつくように張り付き、素早くよじ登る。

 前後の脚の間には皮膜が存在し、空中で広げるとある程度の滞空や滑空が可能だ。

 また、トビカガチの体毛は非常に静電気を溜め込みやすい性質を持ち、外敵に遭遇した際にはその身を震わせて体毛同士を擦り合わせる事で帯電状態となる。

 俊敏な身のこなしと電撃を纏った肉弾戦法で激しく攻め立てる姿から『飛雷竜(ひらいりゅう)』の異名を持っている。

 通常、トビカガチは大型モンスターの中でも大人しい部類だ。

 危害を加えない限り、自分から攻撃はしないし、威嚇行為もしない。

 しかし、今は違う。

 何故か分からないが、アルバートとバーニエルを威嚇し、今にも飛び掛かろうとしている。

 

「バーニィ、流石にこれは……」

「何故か分かりませんが、戦うしかありませんね……」

 

 二人が武器を手にする。

 

「強走薬持ってくればよかった……」

「今から嘆いても仕方ありません。僕だって強撃ビン持って来てないんですから」

「フフ、バーニィ、援護頼むぞ!」

「ええ、いつも通りに!」

 

 アルバートが地面を蹴った。

 

「うらぁ!」

 

 アルバートの双剣がトビカガチに斬りかかる。

 

「父と子と聖霊の御名において……」

 

 バーニエルが呟きながら弦に矢を番える。

 ステップを踏み、3本の矢を放つ。

 トビカガチはバック宙で後退しながらそれらを難無く避けてしまう。

 

「やはり、素早い……」

 

 バーニエルが苦々しく漏らした。

 

「こんのぉぉぉ!」

 

 アルバートは何とかトビカガチのスピードになんとか喰らい付いていた。

 ほぼ密着状態でトビカガチの攻撃を躱しながら斬撃を当てる。

 青白いトビカガチの身体が少しずつ赤く染まっていった。

 

「バーニィ!いけるんじゃねー!?」

 

 アルバートの声が躍っている。

 その様子を見てバーニエルは焦った。

 トビカガチはまだ怒り状態でも帯電状態でもない。

 本気ではないのだ。

 モンスターを甘く見るべきではない。

 特に、大型モンスターと対峙するのは今回が初めてなのだ。

 見習いでしかない二人には重荷過ぎる。

 

「アル!冷静になってください!」

 

 バーニエルが叫んだ瞬間、トビカガチは一度素早く後退し、咆哮と共に全身を振るわせ、帯電状態へ移行した。

 より一層素早くなり、アルバートへ襲い掛かる。

 アルバートはトビカガチの攻撃を何とか避け続ける。

 攻撃に転じる隙がない。

 

「チッ!」

 

 バーニエルが舌打ちをしながら矢を放つ。

 トビカガチは矢を確認する事もなく、太い尻尾で払いのけた。

 

「強い……」

 

 バーニエルはもう一度矢を番え、引き絞る。

 大きく咆哮した後、トビカガチは木々の中に消えた。

 

「バーニィ!気ぃ付けろよ!」

 

 アルバートがバーニエルの傍に駆け寄った。

 トビカガチが木々を飛び回っている音がする。

 しかし、姿が全く見えない。

 

「アル……」

 

 二人は背中合わせに立ち、周りを警戒する。

 張り詰めた緊張感から、冷たい汗が頬を伝う。

 

「バーニィ!」

 

 叫ぶと同時にバーニエルを突き飛ばし、アルバートも飛び退く。

 二人のいた場所にトビカガチの鋭い攻撃が飛んでくる。

 

「アル!」

「バーニィ、俺がカガチの注意を引いてる間に逃げろ!」

 

 トビカガチは再び木々の間に消える。

 

「そんな!アルはどうするんですか!」

 

 もう一度、二人が背中合わせに立つ。

 

「何とか巻いて逃げるしかない」

 

 殺気が目まぐるしく二人の周囲を移動する。

 

「一人で戦うより、二人の方が生存率は上がります!」

「上がったとしても、二人ともやられる可能性もある」

「でも!一人では無理ですよ!」

「倒す訳じゃない、ちょっと戦って逃げるだけだ!大丈夫だ!」

 

 アルバートはニカッと笑って見せた。

 

「行け!」

 

 再びバーニエルを突き飛ばし、アルバートは反対方向へ飛んだ。

 突き飛ばされた勢いでバーニエルは茂みに突っ込んだ。

 トビカガチが現れる。

 すかさずアルバートが斬りかかる。

 トビカガチとアルバートの攻防を茂みの中から伺うバーニエル。

 アルバートはじりじりと茂みから遠ざかっていく。

 トビカガチはそれに釣られ、茂みに背を向ける形になる。

 アルバートが目で逃げろと言っていた。

 バーニエルは唇を噛み締めながら、アルバートに背を向け、中腰のまま走り出した。

 

「すぐに誰か呼んできます……!」

 

 バーニエルが呟くと、背後で一際大きい咆哮が響く。

 思わず振り返るバーニエル。

 トビカガチがアルバートに向かって飛び掛かっていた。

 アルバートは避けるどころか、更に一歩前に出た。

 

「アル!」

 

 アルバートの剣はトビカガチの身体を捉えた。

 しかし、硬い鱗と皮に阻まれ、弾き返された。

 斬れ味が落ちていたのだ。

 刃物には斬れ味が存在する。

 どんなにいい刃物でも、長く使っていれば刃は摩耗し、潰れ、欠ける。

 その場合、砥石で研ぎなおす必要があるが、トビカガチとの激戦でそんな暇はなかったのだ。

 弾かれた勢いで、アルバートは大きく体制を崩した。

 そこにトビカガチの攻撃がヒットする。

 アルバートは五メートル程宙を舞い、地面に落下した後はゴロゴロと転がり、木の根元に叩きつけられようやく止まった。

 

「アル!」

 

 バーニエルはアルバートのもとへ駆け寄った。

 抱き起こす。

 完全に意識を失っている。

 胸はトビカガチの爪で引き裂かれ、鮮血が溢れ出していた。

 

「アル!しっかりして下さい!」

 

 バーニエルはアルバートの頬を叩くが全く反応がない。

 振り返るとトビカガチが威嚇しながらジリジリと距離を詰めてくる。

 バーニエルは右腕でアルバートの身体を支えながら、左手に弓を握りしめた。

 この体制では矢を番える事すら出来ない。

 もう駄目だ。

 諦めかけた時だ。

 

「上位のトビカガチに喧嘩売るんは感心せぇへんけど、ここまでよう持ち堪えたな」

 

 何処からともなく聞こえてきたその独特の喋り方。

 バーニエルはその声の主を探す。

 木の上から高速回転しながら何かが落ちてきた。

 それはトビカガチの頭部に直撃し、地響きと共に土煙を上げた。

 

「ハンマー……?」

 

「そんな駆け出しみたいな防具で、ようトビカガチなんかに挑んだなぁ。こいつは上位種やで、いつもこの辺をうろついてる奴とは格がちゃうぞ?」

 

 蒼い防具に身を包んだ男がそこに立っていた。

 手にしているハンマーは、鉄塊にしか見えない。

 重量を誇る槌で並みいるモンスターを叩き潰す。

 そのシンプルな外見通り非常に攻撃的な武器。

 それがハンマーだ。

 

「若くて血気盛んなんはええが、相手を見誤るんはハンターとして致命的やで」

「状況説明も後でします!お説教も後にして下さい!アルに治療を!」

「中々言うやん、気に入ったわ。とりあえず、このカガチの坊やをいてこますさかい!」

 

 そう言って男はハンマーを構え、力を溜める。

 トビカガチが男に襲いかかる。

 男は回転して避け、再び力を溜め、大きく踏み込みながらハンマーを振り上げ、トビカガチの頭部を殴る。

 トビカガチの攻撃を躱し、ハンマーを振り上げ頭部を殴るを繰り返す。

 頭部を殴られ続けたトビカガチは脳震盪で倒れ、もがき始めた。

 

「恨みはないが、許してな!」

 

 男は更に、倒れたトビカガチの頭部目掛け何度もハンマー振り下ろす。

 牙は折れ、鱗は剥がれ、皮は破れ、トビカガチは既に虫の息だ。

 

「これで、しまいや!」

 

 一際大きく振りかぶり、渾身の力でハンマーを叩きつけた。

 血だらけになった頭部を一度大きく持ち上げ、トビカガチは力なく地面に倒れ込んだ。

 

「ざっとこんなもんやな。大丈夫か?」

 

 男が振り返ると、バーニエルはアルバートに応急処置を施していた。

 上半身の服を脱がせ、傷口を水で洗い流し、綺麗な布をポーチから取り出し傷口に当てがった。

 

「アル!しっかりしてください!」

 

 何度も呼びかけるが全く返事がない。

 完全に気を失っている。

 

「とりあえず、帰るで!」

 

 男はアルバートの身体をバーニエルに支えさせ、傷口を押さえている布を包帯で固定した。

 男の指示で、バーニエルはアルバートを後ろから抱きかかえるようにして立たせる。

 男はアルバートの臍が自分の首の後ろに来るようにして肩に担ぎあげた。

 

「村はどっちや!」

 

 軽快な足取りで男は歩き出した。

 

「村へ行くにはベースキャンプを回り込む道に出る必要があります!案内します!」

 

 バーニエルはアルバートの双剣を拾い、男の後を追った。



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第二章
白銀の月、恋路の二人


 フワフワと、まるで身体が宙に浮いているかのような感覚。

 全てが曖昧で、アルバートは夢と現の間を彷徨っていた。

 真っ白な世界に、自分だけ一人プカプカと浮かんでいるようだ。

 

「うぅん……」

 

 まどろみの中を、このまま深い眠りに落ちそうで落ちない、何とも不思議な状態が延々に続きそうな気がする。

 

「ア………ト!……て!…ルバ……!」

 

 何処か聞き覚えのある声が、遥か遠くから聞こえる気がする。

 

「何だよ……、もう少し寝かせてくれ……」

 

 子供のような事言っているなと自分で思ったが、果たしてこれは向こう側に伝わっているのだろうか。

 ふとそう思った瞬間、途轍もなく巨大な不安に足を掴まれ、ズブズブと深みへ引きずり込まれるようだ。

 浮上しなければ、このまま沈むと()()()()()()

 しかし、いくらもがいても身体は沈んでいくばかり。

 焦りで息が詰まる。

 もう駄目かもしれない、そう思った時、再び自分を呼ぶ声が聞こえた。

 さっきよりも力強く、鮮明に。

 

「アルバート!起きなさい!」

 

 その声に応えるように手を伸ばす。

 

「バーニィ!」

 

 名前を呼んで気が付いた。

 この声はバーニエルではない。

 涼やかにしてハリがあり、芯の強さを感じる声。

 

「ユリーナ!」

 

 勢い良き飛び起きた。

 ベッドの上だった。

 横を見ると、涙をいっぱいに溜め込んだ目でアルバートを見詰める女の子がいた。

 

「ユリーナ……」

「私が起こしてやってるんだからさっさと起きろ、このバカ!」

 

 涙を流しながら抱き付いてきた。

 胸の傷に響いたが今は言わないでおこう。

 彼女はユリーナ・アレクシオ、アルバートやバーニエルの一つ下だ。

 

「もう少し寝ててもいいだろ?」

「アンタね!三日も寝てたのよ!三日!」

「え?そんなに?」

 

 窓から外を見る。

 茜色に染まりつつある村が見えた。

 てっきり半日程度しか過ぎていないかと思っていた。

 

「そんなに寝てたのか……」

 

 ユリーナはアルバートに抱き付いたまま離れる気はないようだ。

 アルバートがユリーナの頭を優しく撫でた。

 

「そんなんじゃ許さないかなね!」

 

 顔を布団に埋めたままユリーナが言う。

 

「はいはい」

 

 そのままアルバートが頭を撫でていると、勢い良く扉が開いた。

 

「アル!起きましたか!」

「起きたんか?」

 

 バーニエルと蒼い鎧の男が顔を覗かせた。

 咄嗟にアルバートから離れるユリーナ。

 ユリーナもアルバートも、耳まで真っ赤になった。

 

「なんやー、早速イチャイチャしてるやーん」

 

 男がニヤニヤしながら遠慮の欠片もなくズカズカと部屋へ入ってきた。

 

「まぁ、三日もイチャイチャ出来なかったんだから多めに見てあげて下さい」

 

 そう言いながらバーニエルも部屋に入ってくる。

 

「バーニィ、そのセリフを言うんだったら、普通退出するだろ……」

 

 アルバートが頭を抱える。

 

「何言ってるんですか、僕はアルの相棒ですよ?心配してたのは僕も同じなんですから!」

「せやで?バーニィがおらんかったら、死んでたかもしれんで?」

 

 確かに、今回はかなり心配を掛けてしまっただろう。

 ユリーナだけじゃなく、バーニエルや村の人達にもだ。

 

「それは……、確かに。スマン……」

 

 アルバートは素直に頭を下げた。

 頭を下げた所で、ふと疑問に思う。

 

「ところで……、どちら様……?」

 

 男を見上げながらアルバートが尋ねる。

 

「おお、アルには自己紹介がまだやったな!ワイはソラタ!ソラタ・ヒノガミ、二十五歳のハンマー使いや!」

「ソラタさんが僕らを助けてくれたんだよ」

 

 アルバートが気を失ってからの事のあらましをバーニエルが簡単に説明した。

 

「事情はバーニィから聞いたでー。肝が据わってるのはええが、状況判断が悪いで、アル。バーニィが帰った方がええ言うた時に村へ戻るべきやったんや。そこで戻らんかったから上位種のカガチとかち合ってもうた訳や。異変を感じたらすぐに戻って状況報告!その情報を踏まえてギルドや他のベテランハンターが判断すんねん。見習いのペーペーが自己判断で狩猟に乗り出したらあかんねん。基本やで!基本を疎かにしちゃあかん!」

 

 捲し立てる様にペラペラと喋るソラタに、アルバートは呆気にとられた。

 

「おーい、聞いとんのか?」

 

 アルバートの目の前でソラタが手を振る。

 

「いや、聞いてますけど……、めっちゃ喋るなぁと……」

 

 アルバートの感想を聞いて、豪快に笑いだしたソラタ。

 

「正直でええ!なかなかオモロいやんけ、自分ら」

「気に入ってもらえたなら光栄です……?」

「なんで疑問形やねん!」

 

 妙な訛りで良く喋る気さくな兄貴分、アルバートのソラタに対する印象はそんな感じだった。

 しかし『()()()』という名前、何処かで聞いたことが気がする。

 

「……、ソラタ……。う~ん……」

 

 アルバートが頭を抱え始めた。

 

「どうしたんですか?アル」

「ソラタ……、なんか聞いた事あるんだよなー」

 

 頭を捻っているアルバートを見ながら、ソラタはニヤニヤとしている。

 

「思い出せませんか?アル」

 

 バーニエルも笑っている。

 

「その様子だと、バーニィは知ってるんだな?」

「はじめは驚きましたけどね」

「う~ん……」

 

 アルバートは頭を抱えながら、ふと部屋の隅に置かれた小さな本棚に目が行く。

 そこには聖書と共に、一冊の情報誌が無造作に置かれていた。

 『月刊 狩りに生きる』

 新米からベテランまで、全てのハンターを対象に定期的に刊行される月刊情報誌だ。

 内容は各地の狩猟場の解説、武器の案内、モンスターの情報などハンターライフに役立つものばかりで、活躍中の有名ハンターへのインタビュー記事なども載っている。

 騎士が現れ、現在の国家の礎が出来るより遥か前、ハンターによる狩猟がメインだった時代から全世界で購読されれている超長寿雑誌である。

 それを見てアルバートはピンときた。

 

「あぁ!若手のハンターチーム『Ark Angelz(アーク・エンジェルズ)』のリーダー!ハンマーのソラタ!」

「ご名答ぉ!」

 

 ソラタが満面の笑みでアルバートの背中を叩く。

 

「痛っ……」

 

 衝撃が胸の傷に響いた。

 

「おぉ、忘れとった、堪忍な!」

 

 アルバートは胸をさする。

 包帯でガッチリと固められ、出血は既にないようだ。

 鎮痛剤が効いているのだろう、あまり痛いとは感じない代わりに、少し身体がフワフワする。

 

「いえ、大丈夫です。それより、なんでソラタさんがココットに?他のメンバーは?」

「チームは六年前に離脱したんや。今はフリーみたいなもんで、一人で旅しながら狩猟やってんねん。ちょうど近くを通ったさかい、食いモンやらを分けてもらおうか思うてな」

 

 あっけらかんと答えるソラタ。

 しかし、こんな国境近くをウロウロするのは危険なのではないだろうか。

 ハンターとしては雑誌の取材を受ける程の腕前があるだろうが、国同士の睨み合いが続く因縁の『シルクォーレの森』付近をうろつくのは不用心にも程があると、バーニエルは密かに考えていた。

 

「なるほどぉ、でもそんな昔の記事だったのか……」

 

 アルバートは特に何も疑問に思っていない様子だ。

 心配し過ぎなのかもしれない、そう自分に言い聞かせるバーニエル。

 アルバートとソラタの会話を聞く事にした。

 

「確か、ワイらが取材受けたん七年前やで?ようそんな昔の記事知ってんな?」

「村長が一番最初の第一号から全部をコレクションしてるんです、それを置いておくための図書館まで作って。みんな自由に読めるんで、俺も小さい時からずっと読んでました」

 

 アルバートは少し昔を思い出した。

 物心が付いて、母親が病気で亡くなった後、まだバーニエルがこの村にいなかった頃。

 同性の遊び相手がいない村で、アルバートはずっと図書館にこもり、『狩りに生きる』を読んでいた。

 その頃から、アルバートはハンターに憧れていた。

 十年前、バーニエルがこの村に来た時、アルバートが真っ先言った言葉が「俺の相棒になってくれ」だった。

 それ以来、アルバートとバーニエルはいつも一緒にハンターを目指して切磋琢磨してきた。

 

「そいつは凄いやん。ワイの記事もあるやろか」

「探すのは大変ですけど、ある筈ですよ。探してみます?」

 

 バーニエルがからかうように言った。

 

「いやー、なんや恥ずかしゅうてあかんな!」

 

 おどけた様に言うソラタ。

 アルバートとソラタも馴染んだようだ。

 バーニエルは立ち上がった。

 

「とりあえず、僕は教官に報告してきます。アルが起きた事と今後について話し合わないと」

 

 バーニエルがドアノブに手を掛ける。

 

「ほな、ワイらは飯にでも行くか!三日も寝てたんや、腹減っとるやろ!」

 

 ソラタがズカズカと、バーニエルの開け放ったドアから廊下に出る。

 アルバートはベッドから立ち上がろうとした。

 三日も寝ていたせいか、足元が少しふらつく。

 

「立てる?」

 

 ユリーナが肩を貸してくれた。

 肩を借りてゆっくりと立つ。

 

「ふぅ、ありがと」

「アルを支えるくらいの事、私にも出来るんだから……」

 

 口を尖らせながら言うユリーナ。

 そんなユリーナの頭を、アルバートはワシワシと撫でた。

 

「ちょっと!子ども扱いしないで!」

「してないしてない」

 

 ニヤニヤと笑うアルバートの顔を見て、ユリーナは頬を膨らませる。

 

「乳繰り合っとらんで、さっさと行くでー」

 

 ニヤニヤしながらソラタが顔を覗かせた。

 再び耳まで赤くなるアルバートとユリーナだった。

 

 

「教官?いらっしゃいますか?」

 

 バーニエルはドアをノックしながら訊ねた。

 

「バーニエルか!中に入れ!」

 

 部屋の中から教官の声が聞こえた。

 

「失礼します」

 

 ドアを開け、中に入る。

 教官はデスクに向かっていた。

 

「教官、アルバートが目を覚ましました。怪我以外、問題はなさそうです」

 

 それを聞いた教官は、バーニエルに目を向ける事なく、「そうか」と答えた。

 

「教官、その書類は……?」

 

 教官が書類を書いているのが珍しかった。

 どちらかと言えばそういう事務処理は苦手な筈だった。

 ギルドへ提出する書類はバーニエルが書かされる事もあった。

 

「これか?これはギルドに提出するハンター登録用の書類だ、お前たちのな」

 

 それを聞いて、バーニエルは慌てた。

 

「教官、ちょっと待ってください!最後のジャグラス討伐の試験は失敗だったんですよ?もう一度試験をお願いした筈です!正式なハンター登録はもう少し待って下さい!」

 

 あの試験は明らかに不合格だった。

 狩猟場の状況変化を未報告、独断でのミッション続行、討伐目標でない大型モンスターとの戦闘による負傷。

 ソラタが助けに来なかったら二人とも死んでいた。

 とてもではないが、正式なハンターと認められる結果を何一つ残していないのだ。

 

「僕らはまだ未熟です!あと半年!半年後にもう一度試験をお願いします!」

「バーニエル、今回の結果は確かに不甲斐ないものだ。しかし、これ以上お前たちに教える事がないのも事実。森の様子がおかしかったと言うイレギュラーな要素が今回の大きな原因だ。お前たち二人なら、ハンターとして充分にやっていけるだろう。そう私と村長が判断した」

 

 その言葉にバーニエルは疑問を持った。

 

「待って下さい、あんな結果しか残せなかったのに、村長も教官も僕らをハンターに推薦するんですか?何故ですか!」

「登録が完了するまでに一週間程掛かる。とにかく、登録だけでも済ませておいた方がいい」

 

 教官は書類を手に部屋を出ようとした。

 

「くっ……!」

 

 バーニエルは咄嗟に教官の手から書類を奪い取り、近くの燭台の火で炙った。

 羊皮紙は端を焦がしながら縮れ、書類としては使えない状態になってしまう。

 

「バーニエル!」

「何をそんなに焦っているんですか!説明してください!ここ数日、何もかもがおかしい!いつもは一ヶ月分の食料や消耗品を持ってくる行商人が、先日は半月分にも満たない量しか持ってきていない!村の人達はいつも以上に妙に陽気だ!森だってそうです!何故あんなにもざわついているんですか!普段はいない上位種のトビカガチがうろついてるのは何故なんですか!」

 

 全てをぶちまけた。

 ここ数日で感じていた違和感を全て。

 大人たちは知っているのだ。

 知らないのはアルバートやバーニエル、まだ成人していない若者だけだ。

 ユリーナも知らされていないだろう。

 

「バーニエル……、登録用の羊皮紙を取り寄せるのに、最短でも三日は掛かるんだぞ……。どうしてくれるんだ……」

 

 教官の予想外の反応にバーニエルは少々面食らった。

 

「どういう事ですか……?」

「もういい、お前は帰りなさい。あとの事は村長と私で段取りする……」

 

 そう言い残して、教官は部屋を出て行ってしまった。

 一人残されたバーニエルは頭を抱えるしかなかった。

 大人たちは何か隠している。

 しかし、それが何なのか、全く見当もつかない。

 外は既に日が沈み、濃い紫色の空が広がっていた。

 

「ソラタさんは……、何か知ってるんじゃないかな……」

 

 この様な時期に突然現れたさすらいのハンター。

 彼なら何か知っているかもしれない。

 ソラタたちがご飯に行くと言っていた事を思い出し、バーニエルは村で唯一のパブへ向かう事にした。

 

 

「うんまぁ~!」

 

 ソラタがカウンター席で肉を頬張りながら叫んだ。

 ここは村唯一の食事処・『銀の月光亭』。

 食事処と言っても、食事だけではなく、酒も出すし、奥には客室もあるので宿泊も可能である。

 村の人々は気軽に『パブ』と呼んでいる。

 村を訪れる人間が滅多にいないため、食事や宿泊で利用する客がいないのがパブと呼ばれる所以だろう。

 

「久々にこんなに旨いモン食ったわー!旅してると干し肉くらいしか食えんさかいなー」

 

 バクバクとすごい勢いで肉や野菜を口へ運ぶソラタ。

 

「嬉しいねぇ、そんなに気持ちのいい食べっぷり見るのは久々だよ!ねぇ、アンタ!」

 

 恰幅のいい女が豪快にガハハと笑う。

 彼女がここの女将だ。

 

「全くだ!兄ちゃん、これも食べな!サービスだ!」

 

 小さな覗き窓の奥はキッチンになっているようだ。

 その窓から顔を出した男が女将の旦那で、ここ料理長である。

 小窓から出された大皿の料理を女将がソラタの目の前に置く。

 

「デカッ!これ魚か?」

「おうよ、ソイツは村の近くで獲れたキレアジよ!臭みがなくて脂も乗ってて旨いぞぉ!」

「キレアジ?ヒレが砥石替わりになる()()?」

「そうとも!ウチの旦那にかかれば、キレアジだって絶品料理になっちまう!」

「ホンマにこれ、キレアジか?メチャクチャデカいやん!ドスキレアジとちゃうん?」

 

 ソラタはナイフとフォークでキレアジの身をほぐす。

 ジューシーな身がホロホロとほぐれ、美味しそうな湯気が立ち上がった。

 

「うまそぉ……」

 

 ほぐれた身をフォークに乗せ口へ運ぶ。

 

「うんまぁ~!なんやこれ、うんまぁ~!」

 

 その声を聴いて、女将と料理長ガハハと笑った。

 

「気に入ってもらったみたいだね!そら、遠慮せずドンドン食べな!」

「おおきにな、女将はん!」

 

 ジョッキに注がれたエールを煽るソラタ。

 

「アルも食っとるかぁ?栄養付けてさっさと怪我治しぃや!」

 

 ソラタがアルバートの方を見ると、ユリーナに説教されている所だった。

 

「アル、ちゃんと聞いてる?」

「……、はい」

「いつも言ってるでしょ、無茶はするな、バーニエルの言う事聞けって!アンタが決断するとロクな事が起きないんだから!」

 

 アルバートはソラタの隣で小さくなっていた。

 

「まぁまぁ、とりあえず飯食ってからにしよや、な?」

「ソラタさんは黙ってて下さい!」

 

 烈火のごときユリーナの怒りに、流石のソラタも黙り込んだ。

 まるで葬式のような陰鬱な空気が立ち込め始める。

 

「ユリーナ、その辺にしときな!折角の料理が冷めて不味くなっちまう」

 

 見かねた女将がユリーナに言った。

 

「でも、女将さん!これで何度目だと思います?いつもいつもバーニエルや周りの人たちに迷惑かけて、心配かけて!少しは成長しなさいよ!」

「とりあえず生きて帰って来たんだからいいじゃないか」

「生きて帰って来たから怒ってるんです!死人に説教なんて出来ないですから!」

 

 助け舟を出した女将にすら、ユリーナの怒りを止められない。

 ユリーナの声は店内に響いており、勿論他の客にも聞こえている。

 店内全体が重い空気になり始めていた。

 

「ユリーナ、その辺にしてあげて下さい」

 

 バーニエルがユリーナの隣の席に座った。

 

「でもバーニィ!」

「今回の件は止められなかった僕にも責任があります。それに僕らを助けてくれたソラタさんに噛みつくのは間違ってますよ、ユリ」

 

 バーニエルの言葉にユリーナの勢いも削がれる。

 

「聞いてたの?」

「ええ、外まで丸聞こえですよ。店内もこんなに静まり返ってるお陰で、しっかりと」

 

 そこで初めて店内の様子に気が付き、顔を赤くした。

 

「ごめんなさい、女将さん。これじゃ営業妨害よね……」

「いいんだよ!悪いのはアルバートなんだから!」

「とりあえず、飯や飯!バーニィもほれ!」

 

 ソラタがエールの入ったジョッキを滑らせ、バーニエルが受け取る。

 

「ソラタさん、お酒はちょっと……」

「飲めへん訳やないやろ?」

「バーニィは滅法弱いんです」

「そう言うアルは飲めるんやろ?」

 

 ソラタがなみなみとエールの注がれたジョッキを乱暴にアルバートへ渡す。

 

「まぁ、俺は多少飲めますけど……」

「ソラタさん!アルは怪我が!」

「大丈夫や、ユリちゃん!体の中からアルコール殺菌すんねん!」

 

 無茶苦茶な理論だ。

 流石のアルバートも反論するかと思いきや。

 

「なるほど、確かにそうですね!」

 

 などと納得してジョッキを呷った。

 

「ちょっとアル!飲んじゃダメでしょ!」

「え?アルコール消毒しないと、傷口が化膿するだろ?」

「本気で言ってんの?」

 

 ユリーナは頭を抱え、ソラタは腹を抱えて笑っている。

 

「まぁ、アルらしいですね」

 

 バーニエルも苦笑いしながらジョッキに口を付ける。

 ユリーナはまだ不満なのだろう、ブツブツを呟いていた。

 

「そういやバーニィ、ワイちょっと村長はんに話があんねんけど、何処行ったらええ?」

「村長ですか?だったら、このパブの裏が村長のお家ですよ。夜はお家にいると思います」

「なるほど、サンキュー!」

 

 バーニエルは席を立ち、アルバートとは反対側のソラタの隣に腰掛けた。

 

「なんや?バーニィ」

「ソラタさんもご存じなんですね?」

 

 バーニエルはソラタの顔を覗き込む。

 

「何の話や?」

「最近、村が変なんです。妙に浮足立ってるというか……。ソラタさんもその原因をご存じなんですね?」

「なんや、浮足立っとるんか?確かに気前がええし、陽気な村やとは思うけどなぁ」

「しらばっくれないで下さい。村長に会うのはその事でですよね?」

「そんなん言われたかて、ワイにはサッパリやで?ワイが村に来たんが三日前や。そんなん分かるわけないやろー」

 

 そう言って、ソラタは再びジョッキに口を付ける。

 

「じゃあ、何故村長に会うと?」

「そら、宿無しのワイに寝床と食べモンをくれたお礼や。あと二日は村におるさかい、手伝えることがあったら手伝うで?」

「そうやって、いつも僕らは子供扱いで蚊帳の外……。僕らだってこの村の一員なのに……」

「気にし過ぎとちゃうか?とりあえず、飯食ってから考えようや!」

 

 ソラタは女将から取り皿を一枚もらい、そこに自分の目の前の料理を山盛りに取り分けた。

 

「いや、ソラタさん!量多すぎです!」

「このくらい軽く食わな!ハンターは身体が資本やで!」

 

 ソラタがガハハと笑い、女将もガハハと笑う。

 バーニエルは腑に落ちないまま、ソラタから分けてもらった料理を口に運び始めた。

 

「バーニエル」

 

 ソラタが真面目なトーンで言った。

 

「え?何です?」

「村長や村の人たちは、お前たちの事を大切に思ってる。それだけは何があっても覚えときや」

 

 妙に真面目なソラタの言葉に疑問が浮かぶ。

 バーニエルがその事について尋ねようとした時、再びソラタの向こう側が賑やかになった。

 

「だから、酒を飲むなぁ!」

「アルコール消毒をぉ!」

「アル!ユリーナ!喧嘩しないで!」

 

 咄嗟に二人の間に入るバーニエル。

 

「そんだけ元気なら心配いらんな」

 

 ソラタがケラケラと笑っている。

 

「夫婦喧嘩は家でやれよ、ガキども!」

 

 他の客からも二人を茶化す野次が飛ぶ。

 

「いいぞぉ、ユリちゃん!アルバートをはっ倒しちまえ!」

「アルバート!女の子に手ぇ上げんじゃねーぞ!」

 

 アルバートとユリーナの喧嘩が完全に酒の肴にされている。

 

「アルもユリも落ち着いて下さい!」

 

 バーニエルはとにかく二人を引き離す。

 アルバートの手からジョッキを奪い取った。

 

「だって、ソラタさんがアルコール消毒しろって」

 

 奪われたジョッキを取り返そうと手を伸ばすアルバート。

 既にアルバートの身体からはアルコールの匂いは漂ってくる。

 

「既に酔っぱらってるじゃないですか!」

 

 バーニエルは女将から水を受け取り、アルバートに飲ませようとする。

 

「酔ってないよー」

 

 そう言ってアルバートは水を拒否して、ジョッキに手を伸ばす。

 

「酔っぱらいはみんなそう言うんです!」

 

 そのジョッキをアルバートに取られる前に女将に渡し、下げてもらった。

 

「私の言う事聞かないで、三杯も飲んだのよ!」

 

 ユリーナが怒っている。

 どうもユリーナも酔っているようだ。

 

「ユリも飲んでるじゃないですか……」

 

 バーニエルはガックリと肩を落とした。

 アルバートの飲酒を止めるべきユリーナが何故飲酒しているのか。

 

「女将さん、誰がユリに飲ませたんですか……?」

「自分で飲んだんだよ、アルバートから奪ってね」

 

 もうメチャクチャである。

 

「アルバート、聞いてんのか!いっつもいっつもバーニィや私に迷惑かけて!村の人たちにまで心配かけて!」

「うるせーな!生きてんだからいいだろ!」

 

 また言い合いを始めるアルバートとユリーナ。

 

「いい加減にしてくださいよ、二人とも!」

 

 もう一度二人を引き離すバーニエル。

 

「もうアルなんて知らない!勝手に死んじゃえバーカ!」

 

 ユリーナがパブを飛び出していった。

 

「なんなんだよ……」

 

 アルバートはブツブツ言いながら元の席に座った。

 すると女将がコップの水をアルバートの顔に勢いよく浴びせ掛けた。

 

「ぷっは!何すんだよ女将さん!」

「なぁに座ってんだい!女が行っちまったんだ!追い掛けるのが男だろ!」

 

 女将の言葉に、パブの客から歓声が上がる。

 

「追い掛けろアルバート!」

「男なら行けぇ!」

「行かねぇならこの場でお前の()()を切り落とすぞ!」

 

 他の客は最高潮に盛り上がっている。

 

「アル、酔いは醒めただろ。さっさと追い掛けろ!」

 

 女将がアルバートの頭をワシワシと撫でた。

 アルバートは立ち上がってユリーナの跡を追い掛け、飛び出していった。

 パブの中でより一際大きな歓声が上がる。

 

「バーニィ、この村はいつもこんなオモロいんか?」

 

 ケラケラと笑いながらソラタがバーニエルの肩に手を置いた。

 

「そういう訳では……、今日は特に賑やかですね……」

 

 ソラタはジョッキのエールを一気に飲み干し、バーニエルに耳打ちするように言った。

 

「あの二人、何処行ったか分かるか?」

「ええ、ある程度の予測は」

「覗きに行こや」

 

 ソラタがニヤニヤしながら言った。

 

「ソラタさんも好きですよね、こういうの」

 

 クスクスと笑いながらバーニエルが突っ込む。

 

「バーニィがノリ気ちゃうんやったら、ワイ一人で探しに行くで?」

「僕は二人の幼馴染として、二人の行く末を見届ける義務があるんで」

 

 尤もらしい事を言っているが、バーニエルもあの二人がどうなるのか気になる。

 

「そう言うて、覗きたいだけやろ?」

 

 ソラタが肩を組んでくる。

 

「ソラタさんと一緒にしないで下さい」

 

 バーニエルもニヤニヤしている時点で、ソラタと同じである。

 

「一緒や一緒!とにかく行こや!」

 

 二人はパブを出て、アルバートとユリーナが向かいそうな場所を探す事にした。

 

 

 アルバートは走っていた。

 目指す場所は一カ所。

 そこにいなければ、ユリーナは家に帰っているだろう。

 

「あそこ以外、考えられない!」

 

 しかし全力で走ったお陰で、再び酒が回りだした。

 

「やべぇ……、吐きそう……」

 

 アルバートが走る速度を少し緩める。

 身体が異常なほど熱を帯びているせいか、火傷しそうなほどの熱気の呼気を口から吐いている。

 グルグルと目が回り始め、視界が歪む。

 アルバートは遂に足を止め、木の幹に手をついた。

 

「ダメだ……」

 

 アルバートは耐え切れずに嘔吐した。

 あんなに飲むんじゃなかったと、今更ながら後悔する。

 一通り吐いた所で、少し身体が軽くなった気がした。

 頭も少し冴えてきたようで、自分の嘔吐物を見て、後で土を被せておこうなどと考える。

 

「ひとまず、ユリを探さないと……」

 

 アルバートが再び走り始める。

 

「あぁ、吐いてもうたー、勿体ない」

 

 茂みの中からソラタとバーニエルがアルバートの後を追い掛けていた。

 

「とりあえず僕は、アレを処理します」

 

 バーニエルはアルバートの嘔吐物の元へ行った。

 折り畳み式のシャベルを取り出し、土を掘る。

 

「スコップも持ってんのか」

「ええ、一応念のために。いざと言う時はナイフの代わりにも、ノコギリの代わりにもなりますから」

「ハンターとして習慣付けたんか?」

「いえ、その前からです。この村に来る前からですから」

「ふーん」

 

 ソラタはバーニエルを見るが、下を向いていて表情が読めない。

 

「バーニエルは移住してきたんか」

「ええ、よく言えば移住。悪く言えば難民でした。ここの村の人たちが快く迎え入れてくれたので、僕の故郷はこの村になりました」

 

 バーニエルは小さな穴を掘り、アルバートの残した嘔吐物をその穴の中に入れ、土を被せた。

 

「ふむ、まぁ喋りとうないなら無理に喋らんでええ。詮索は野暮っちゅーモンやからなぁ」

 

 ポンポンとシャベルで土を固めるバーニエルの背中を見ながらソラタが言った。

 

「ソラタさんって、何気に優しいですよね」

()()()は余計やで?」

「フフフ、さて、アルを追いかけましょうか」

「見失ってもうたで?」

「予想は出来てるので、そこへ行きましょう」

 

 バーニエルの後をソラタが付いて行った。

 アルバートはまだ走っていた。

 もう少しだ。

 目の前の木々の間から、キラキラと光が漏れてくる。

 やがて視界が開け、小さな湖が現れた。

 森の中からキラキラと見えていたのは、湖面に反射する月の光だった。

 

「ユリーナ!」

 

 湖岸に一人、ユリーナが立っていた。

 しかし、アルバートの声に全く反応を見せない。

 ゆっくりとユリーナに近付くアルバート。

 

「ユリーナ……?」

 

 恐る恐る呼びかけるアルバート。

 

「……、何しに来たのよ……」

 

 刺々しい言い方である。

 

「いや、その、謝りに……」

 

 おずおずと喋るアルバート。

 完全にユリーナに気後れしている。

 

「謝りに?何を?」

 

 ユリーナの言葉は相変わらずナイフのようだ。

 

「今回は、本当に悪かった……。ユリやバーニィ、初対面のソラタさんにまで迷惑掛けて……」

 

 ユリーナは黙って聞いていた。

 

「特に、ユリには看病までしてもらって……、その、悪かった、ゴメン……」

 

 アルバートが気を失っていた三日間、ずっと付きっ切りで看病してくれていた事をバーニエルから聞かされていた。

 

「……、他に言う事は……?」

 

 ユリーナの声は刺々しいままだ。

 

「他?……、その……、あ、ありがとう……?」

「なんで片言なのよ……」

「いや、ゴメン……」

「他には?」

「他?……えーっと、……、その……」

 

 アルバートが必死に頭を回転させる。

 

「大丈夫なんか?」

 

 アルバートとユリーナから離れた茂みの中に、ソラタとバーニエルが隠れて二人を見ていた。

 気付かれないようにコソコソと話している。

 

「傍から見たら、答えは簡単なんですけどね……」

「アルバートに乙女心が分かるんか?」

「そう願うしか……」

 

 二人のギャラリーがいるともつゆ知らず、アルバートは必死に頭を捻っていた。

 

「他に言う事はないの?」

 

 溜息混じりにユリーナが言った。

 

「いや、その……」

「はぁ……」

 

 ユリーナが深い溜息を吐き出す。

 

「もういい、私帰る」

 

 ユリーナが帰ろうとした時だ。

 

「ユリ!」

 

 アルバートは咄嗟にユリーナの腕を掴む。

 

「何よ……、もう言う事ないんでしょ……」

 

 アルバートに背中を向けたまま、ユリーナはアルバートの腕を振り払う。

 

「ユリ!まだ言ってない事があった!」

 

 ユリーナの肩を掴み、自分の方へ向き直させるアルバート。

 

「何よ……」

 

 ユリーナは不機嫌そうにアルバートから目を逸らす。

 

「愛してる!」

 

 そう言ってユリーナを抱き締めた。

 

「ヒャッハー!」

 

 思わずソラタが声を上げた。

 バーニエルが咄嗟にソラタの口を塞ぐ。

 

「何やってるんですか!」

「もががが!」

 

 ソラタの奇声が聞こえたのだろう、アルバートとユリーナは訝し気にソラタたちのいる茂みの方を見ている。

 

「何?なんかいるの……?」

「分からん。けど、なんか聞こえたよな……?」

 

 アルバートとユリーナが恐る恐る茂みに近瑞てきた。

 このままではバレてしまう。

 バーニエルは左腕に装備したスリンガーに捕獲用ネットを装填し、近くにいたウサギのような生物を捕獲した。

 そして、その生物を茂みの中からアルバートたちの方へ優しく投げた。

 

「うわ!なんだ、ヨリミチウサギかぁ……、ビックリした……」

「可愛い~!あれ?なんかこの子、白くない?」

「え?あ、ホントだ!暗くて良く見えなかったけど、これミチビキウサギじゃん!」

 

 ヨリミチウサギとは、森などに生息する環境生物と呼ばれる小さな生物の一種類だ。

 茶色い身体は細長く、狭い道も難なく通れる。

 自分の身体よりも長い特徴的な耳は、普段はペッタリと垂らしているが、警戒している時だけピンと立たせるその愛らしい姿に、ペットとしても人気だ。

 ただ、臆病な性格で、不用意に近づくとすぐに逃げてしまう。

 そんなヨリミチウサギより、一回り程身体が大きく、ピンク色の身体をしているのがミチビキウサギだ。

 ヨリミチウサギのアルビノ種と考えられている珍しい種類で、滅多に見かけないため、ペットとして高額で取引される。

 天候の良いときにのみ姿を現し、道を失った迷い人を導くとも言われている。

 

「夜に見掛けるのは珍しいんじゃないかな?」

「この子、人に懐くの?」

 

 ユリーナがしゃがみ込んでミチビキウサギに手を伸ばす。

 

「あ、そうだ。私、パン持ってたんだ!食べるかな?」

 

 ユリーナがポーチの中から小さなパンを取り出した。

 

「パン?」

「アンタが寝てる間、私だってご飯食べないと死んじゃうじゃない」

 

 そう言いながら、パンを小さくちぎってミチビキウサギの目の前に投げる。

 最初は警戒していたミチビキウサギもパンの匂いを嗅いだ後に、ハムハムと食べ始めた。

 

「可愛い~。この子連れて帰っていいかな?」

「いいんじゃないか?ユリに懐いてるみたいだし」

 

 ミチビキウサギは既にユリーナの手から直接パンを食べている。

 

「おいで」

 

 ユリーナが手を出すと、ヨリミチウサギは手から腕を伝って、ユリーナの肩に登った。

 

「機嫌直った?」

 

 アルバートがユリーナに訊ねる。

 

「ふふーん、この子に免じて許してやろう」

 

 ユリーナは肩に乗ったミチビキウサギの頭を撫でながら言った。

 

「ミチビキウサギに助けてもらった訳か……」

「アルはこの子に感謝しなさい!」

「はい……」

 

 そう言って二人は村の方へ帰っていった。

 

「はぁ~、バレるかと思った……」

 

 バーニエルが脱力し、ソラタの口を塞いでいた手を放した。

 

「だぁー!バーニィ、息出来ひんかったで!殺す気か!」

「奇声上げるソラタさんが悪いんでしょー!」

 

 アルバートとユリーナの姿が見えなくなった所で、二人は茂みの中から出てきた。

 

「上手く行ったから良かったですけど……」

「まぁ、オモロかったからええやん?」

 

 ソラタがあっけらかんと笑った。

 

「とりあえず、僕らも帰りましょう。ソラタさんは村長に用事があったんですよね?」

「せやせや、忘れるとこやった!」

 

 ワイワイ喋りながら二人も村へ戻っていった。

 

 

「村長はん?いてはりますかー?」

 

 ソラタは村長の家の玄関をノックしていた。

 間もなくして、玄関のドアが開けられた。

 

「ソラタ・ヒノガミ様ですね、お待ちしておりました」

 

 中から初老の女性が現れ、ソラタを家の中へ招き入れる。

 

「お手伝いはん?」

「村長の秘書のようなものです。仕事以外では家政婦と同じですが」

 

 ソラタは村長の家の奥、立派な扉の前に案内された。

 女性が扉をノックする。

 

「村長、ソラタ様をお連れ致しました」

「うむ、入ってもらいなさい」

 

 部屋の中から村長の声が聞こえた。

 

「失礼いたします」

 

 女性が扉を開け放ち、ソラタに入室を促す。

 広い部屋だった。

 応接室や執務室ではない。

 壁には数種類の武器が飾られ、様々な資料と一緒に大型モンスターの角や爪も並んでいる。

 さながら、『ココットの英雄博物館』と言える。

 村長が現役ハンター時代に打ち立ては記録の数々を並べている様だ。

 

「今日はもう大丈夫じゃ。下がってよいぞ」

 

 村長が女性にそう言うと、失礼しますと言って女性は去っていった。

 

「ソラタさん、一杯いかがかな?」

 

 村長はニコニコしながら、棚から高そうな酒瓶を取り出す。

 

「いえ、結構です。それより、火急の知らせがございます」

 

 先程までの気さくなソラタの姿はそこになかった。

 その姿に、村長も酒瓶を棚に戻し、ソラタに向き直った。

 

「うむ、()()からわざわざご側路頂いて痛み入ります、ミズガル神聖帝国騎士団・中央近衛騎士団、通称・第一軍所属、第三師団師団長、ソラタ・ヒノガミ殿」

 

 ソラタは少し目を見開いたのち、片膝をつき、頭を下げた。

 

「お見逸れ致しました、ココットの英雄殿」

「フォッフォッフォ、いくら辺境とは言え、中央の事情に疎くなる程、呆けてはおりませんぞ?ささ、頭を上げてくだされ」

「いえ、今回私はただの伝令役です。このままお聞きください」

「いや、ソラタ殿、()()()は既に皆知っておる」

「はい、村の様子を見てそれは分かりました。しかしどうか、帝国の考えをお聞き頂きたい」

「想像はついておるよ、ソラタ殿。じゃが、ワシらはもう決めてしもうた。ただ、ソラタ殿にはお願いしたい事があるのじゃが」

「……、承知しております。しかし、時間がございません。私だけではどうにも……。一度中央に戻り、兵を連れて戻りますが、間に合うかどうか……」

「うむ、ワシの方でもいくつか手は打っておる。ソラタ殿は最後の砦としてお願いしたい」

「はっ、出来る限り尽力致します」

 

 その後、ソラタが村長の家を後にしたのは、明け方近くなってからであった。

 

 

「ただいまー!」

 

 アルバートが家のドアを開け、ドカドカと中へ入った。

 

「お邪魔しまーす」

 

 その後にミチビキウサギを連れたユリーナが続く。

 

「エミー!帰ったぞー」

 

 アルバートが声を上げると二階から女の子が降りてきた。

 

「うっさいなバカ兄!目ぇ覚ましたって連絡があってから今まで何処で油売ってたんだ!」

 

 小さな身体を目一杯使って怒っていた。

 彼女はエミリア・ウィルジナ、十四歳、アルバートの妹だ。

 

「ちょっと飯食ってたんだよ」

「酒くさっ!アンタ怪我人でしょ!なんで飲んでんの!てか、ゲロ臭いし、最悪!」

「しょーがねーだろ、色々あったんだから」

「何それ!酒飲む理由になんないでしょうが!バーカ!」

 

 そこまで言って、エミリアは腰に手を当て、仁王立ちになった。

 と、やっとエミリアはアルバートの後ろにいたユリーナが目に入る。

 

「なんだ、ユリ姉ぇも来てたの?いらっしゃい」

「お邪魔してます、エミちゃん」

「ごめんね、バカ兄の看病なんに三日も付き合わせて……」

「いいのいいの、私も好きでやってるんだし」

「そんな、悪いよ。元々はこのバカが調子にのったせいなんだから。とりあえず、兄貴はそのゲロ臭いのをどうにかして、鼻が曲がる」

 

 アルバートを指差しながらエミリアが言う。

 

「うがいして、歯ぁ磨いてくる……」

 

 妹からバカと罵られた兄は、トボトボと洗面台へ向かった。

 

「ごめんエミちゃん、お風呂貸してもらっていいかな……?」

「いいよいいよ!ちょうどさっき沸いたところだから!疲れてるだろうから、ゆっくり入って!」

 

 エミリアはタオルなどを取りに、パタパタと走っていった。

 入れ替わるように歯磨きをしながらアルバートやって来る。

 

「ちょっと、行儀悪い」

「ふがががが!」

「え?何言ってんの?」

 

 少し上を見ながらアルバートが必死に喋ろうとするが、全く聞き取れない。

 

「もういいから、洗面台でやりなさい!それとも、私と一緒にお風呂入る?」

 

 ユリーナがニヤリと笑う。

 アルバートは顔を真っ赤にしながら洗面台へ逃げた。

 

「もう、ヘタレなんだから」

「ユリ姉ぇ!着替えなんだけど、私のじゃ小さいだろうから、お母さんのでもいい?」

「え、悪いよ、そこまでしてもらっちゃ!」

「同じ服着たら、お風呂入る意味ないじゃん?いいから使って!」

 

 そう言って、エミリアはユリーナにタオルと着替え用の服を渡した。

 

「それに、この時間なら泊っていくでしょ?」

「え?まぁ、うん……」

「私はバー兄ぃのとこに行くからゆっくり休んで!」

 

 エミリアはささっと身支度を整える。

 歯を磨き終えたアルバートがエミリアと鉢合わせした。

 

「あれエミ、何処行くんだ?」

「ユリ姉ぇが泊まるんでしょ?邪魔者は退散するの。じゃあユリ姉ぇ、おやすみー」

 

 エミリアはユリーナに手を振って行ってしまった。

 

「エミちゃんは相変わらずしっかりしてて可愛いね」

「可愛いか?ただのマセガキだろ?」

「少なくとも、アルよりもしっかりしてるわよ」

「それはまぁ……、確かに……」

 

 ぐうの音も出ないアルバート。

 

「ホントに似てない兄妹よね」

 

 アルバートとエミリアは全く似ていない。

 髪色も瞳の色も、顔つきもまるで違う。

 アルバートは栗色の髪に金色の瞳、エミリアは金色の髪に、黒い瞳だ。

 ちなみに二人の母親は、栗色の髪に黒い瞳だった。

 二人が似ていないのも当たり前で、父親が違うと()()()()からだ。

 と言うのも、二人の母親であるクローデッド・ウィルジナは首都周辺の繁華街にある娼館で働いていた。

 アルバートが物心付く前は住み込みで働いていたらしいのだが、その娼館で火事が起きた。

 当時、エミリアを身籠っていたクローデッドは働き口を失い、このココット村へ流れてきたらしい。

 当然父親が誰なのか分からないし、興味もない。

 村の人たちはウィルジナ家へ優しく、村で不自由を感じた事は一度もなかった。

 アルバートとエミリアにはココット村が心休まる故郷なのである。

 

「似てなくても兄妹は兄妹だからな」

「どっちが年上か分かんないけどね」

 

 ユリーナがからかいながら言う。

 

「どういう事だよー」

「うっさいヘタレ!」

「ヘタレじゃねーよ!」

「じゃあ、一緒にお風呂入る?」

 

 ユリーナがニヤニヤとアルバートを見つめる。

 

「いや……、俺は怪我人だし……」

 

 途端に顔を赤らめ口ごもるアルバート。

 

「やっぱりヘタレじゃん!」

 

 ケラケラと笑いながらユリーナは浴室へ向かう。

 

「……、女はズルい……」

 

 アルバートは赤くなった顔をそのままに、口を尖らせながら言った。



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