名状し難き烏賊と人類種の天敵な山猫は呪いなんて信じない (犬(ゆきいろ))
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1

上位者ベイビー狩人は、赤ちゃんなので寝るのも仕事である。

すよすよと微睡み数多の世界の夢を見る。

でもそれは、本当に狩人が夢見て居るのか、狩人の夢が世界になるのか……低次元の存在にそんなものは判別出来ないし、新たな可能性を獲得したばかりのベイビーちゃんでしかない狩人自身も分からない。

 

分からなくても良いのだ。

 

何も分からないまま、目の前の動く物を、獣も血に溺れた狩人も気狂いの医療者も上位者も全て殺して居たら求める場所に辿り付くのだ。

だからまた、成長を望むのなら進めばいい。

 

それはそうと最近は夢を見続けているばかりで、狩人としての存在が鈍ってしまっているかもしれない。

しかしヤーナムに蔓延る悪夢は既に狩りつくし、巡り続けたせいで、ただの作業と化して仕掛け武器を握ろうがそれで人間性を誇示する事も出来ない。

 

いや、私に人間性を誇示する必要はあるのだろうか?

 

わからない。

わからない時は目の前のモノを狩り殺そう。そうだ、今までに見た事も無いような強大な獣。きっとその先に何か『答え』があるかもしれない。

 

上位者の赤子はそんな事を考えて、ぐるりんと寝返りを打つと星の瞬く揺り籠の中からころりと転げ落ちた。

 

落ちた先は何とも風情の欠片もない廃墟群の只中で、白い小さな『獣』が憚る事無く声を上げて泣いている。

とことこと近寄っても獣は何の反応も示さない。

 

びぃびぃ泣き続ける白毛玉の耳(くせ毛)をむしゃりと掴む。

 

掴んだ瞬間反射の勢いで肘鉄が飛び、足を払われ仰向けに転がされ、あっという間にマウントポジションを取られ、眼窩を形作る骨を砕く勢いで拳が降って来る。

 

狩人等という、得体の知れない薬やら血やらついでに自分はへその緒やらを含有した生き物に言われたくないだろうが、白毛玉は小さな子供の姿に見合わない筋力と速度を持っている。

なる程。確かに強大な獣なのかもしれない。

 

それならば狩ろう。

 

そう意気込んだのに、白毛玉はダイナミックな目つぶしを避けられてしまえば再び、うぇぇえ……と声を上げて泣き出す。

子供の泣き声というのは何とも落ち着かない気分にさせる。

 

何だかこんな、意思薄弱そうな獣を狩る気も起きなくて、人形がしてくれるのを思い出しながらよしよしと頭をなでてみる。

 

そうすれば、少しは落ち着いたようで静かになった。

ふと見ると獣の細い首には赤い柔らかな皮の首輪が着いている。金具が外れ今にも滑り落ちそうなのに気づき、何となく金具を止め直す。

獣は獣でも、何者かに飼われた愛玩動物か。それならこんな薄っぺらな意思なのも納得できる。狩ったところで大した遺志も遺さないだろう。

 

何処か適当な所に放してやろう。

 

「どこに行きたい?」

 

「セレンのとこ」

 

夢を持たない生き物が死んだ先に何処に行くのか、狩人は知らない。あの慈悲深い女狩人が夢を見ずに何処へ消えたのか、上位者と成っても分からない。青年期を迎えればそれも『知る』日が来るのだろうか。

 

ともかくも、赤子でしかない今の狩人には分からず静かに首を振る。

 

「……じゃあ人間が沢山暮らしてて発展に貪欲で、競い合って殺しあって奪い合って騙して足蹴にして、羨んで憤って呪って、疑心と怨嗟いっぱいなとこ」

 

白毛玉は少しまよってからそんな風に答えた。

傭兵が、武力が、強大な力が存在意義を持つ所。人間が貪欲に覇権を争う所。

 

「分かった」

 

狩人は右腕に抱えた布製の『人形』を抱え直し、銃を握る左手で白毛玉の右手を取る。白毛玉の獣は一瞬きょとんとし、気味の悪い程鮮やかな緑色の目を瞬かせるが、直ぐに嬉しそうに笑い手を握り返して来る。

 

巡り続けた夜の中、あの少女の手もこうして握って進めば良かったのだろうか。父親を殺して来た手を彼女が取ってくれればだが。



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2

首輪付きと言う呼び方はカラード所属のリンクスへ、若干の皮肉が籠っているがリンクスなんて殆どカラードに登録されているから、所謂テロリストに首輪付きと呼びかけられても別段気に成らない。

誰かが人の言葉を解さない獣となじったきもしたけれど、ヒューマンもアニマルなのだから、別に何でも良いやという感じ。

言葉が通じた所で相互理解不可能なのも良くある事だ。言葉が通じて解決するのなら、国家解体戦は起きなかったし、リンクス戦争も無く、傭兵なんて存在せず、ありとあらゆる戦争は発生しない。

 

むしろヒューマンはビーストなのだ。

己の利益の為に、動物では考えられない様な手段と道具と手間をかける。

 

しかしリンクスは正しく生物なのだろうか?

 

個人差はあるけれど、皆多かれ少なかれ強化人間だ。

BFFのお友達はあまり弄ってないらしいけど、脳の方はそれなりに機械で補強していたし、アスピナのお友達はむしろ脳と脊椎以外殆ど捨てて、消化器官等は入れ替えさえ無く排除していた。あれは最早生物というより生体パーツ。

 

まあそんな事、どうでもいいのだけれど。

重要なのは『セレンのリンクス』で在る事。セレンに『最高傑作』と誇って貰える事。それだけでいい。

『セレンのリンクス』という存在に成れるだけでいい。

 

セレンの教えを自分の物に、セレンに誇って貰える傭兵に、どんな依頼だってこなして見せる。

セレン、せれん、ねえ聞いて! 沢山たくさんたくさん殺したよ!

沢山褒めて、ほめてほめて!

 

セレンと戦うの? いいよ! 任せて! 見ていて! セレンが育てたリンクスの実力だよ!ねえセレン! 勝ったよ! 貴女を殺せて見せたよ! ほめて! ねえ! 褒めて!

 

セレン?

ねえ、セレンどこ? どこに居るの? どうして褒めてくれないの?

 

何か間違えた? 何か違った? セレンの期待に応えられなかった?

 

ねえ、おかあさん、どこ?

 

誰も何も答えてはくれない。

 

 

 

 

 

子守歌の様なオルゴールの音が聞こえる。眠いっていたのだろうか?

 

セレンはあまり歌が上手では無かったし、子守歌を強請った事も無かった。企業が認可し放映する物はセレンが余り好きでは無かったから、眠る時はただひたすら彼女の鼓動だけを聞いていた。

それはとても穏やかな眠りだった。

オルゴールの音なんか比べ物に成らない程。オルゴール何かが代りに成る訳もない。それでも突然ピン、と音階板が中途半端に跳ね曲が止めば、それなりに気にはする。

ぴくりと『耳』が勝手に動き変化の正体を無意識に探ろうとする。

 

「おや、驚いた。またこんな所を訪れる物好きか」

 

古臭い調子の、気取った印象を受ける『狩人』の声がする。誰か来たのだろうかと『前足』をぴんと伸ばし、背を伸ばす。ぐっと伸びる背骨に『尻尾』がひょこりと自然に上がる。

 

『前足』?

普通人間に前足なんてものは存在しない。四脚機体に繋げると自身に後脚を持った様な認識になるが、『足』と『脚』では文字の通りに感覚も大分違う。ちなみにタンク脚部は正座で滑空している感じだったりする。

今のは間違いなく『足』の感覚だった。

 

頭はギリギリぶつからないけれど、『耳』の先が天井を擦り擽ったい。擽ったいままにぶるぶると首を振ると、ナニカがPAに接触したのか、ばちっと軽い音がする。

なんだろう。寝起きでよく分からない。くぁ、と欠伸をして見るが頭ははっきりしない。

 

『狩人』と誰かが話して居るみたいだけれど、不思議な事に狩人以外の言葉は上手く聞き取れない事が多い。

むしろ狩人は誰とでも会話が成立する。

セレンは知らない人、特にBFFのロリコンみたいのとは口を聞くなと言っていた。あとORCAの……おるか……? なんだっけ。

寝ぼけた頭でぽやぽやしていると、再び何かが干渉したのか跳弾したように、さっきから耳の先を擽る天井にめり込む。

コジマじゃなきゃいいや。コジマは不味い……。

 

もう一つ欠伸をして寝転んだところで、狩人のくつくつと大人ぶって控え目な笑い方が聞こえる。大人ぶっているが、あいつはずっと人形(nanny)を抱えている。ずるい。こっちはセレンが見当たらないというのに。

 

「気にするな。あれは唯の首輪に繋がれた可愛らしい仔猫でしかない」

 

しかも何かばかにされてた。

 

時々ハイテンションでやって来る人達に良くある、若い男女の組み合わせ、しかも今日は二人っきり! これは間違いなくアレだ。サベージビーストの人が言ってた。若い男と女が連れ立ってこそこそ人気の無い所に行くのなんか、うんんたらかんたら、と。

複数人で騒がれるのも嫌だが、自分達の秘密基地で見知らぬ男女の青姦とか繰り広げられたら堪らない(この新しい知識をセレンに披露して以来、何故かサベージビーストが僚機として雇えなくなった)。

いつもはただ騒ぎにくる若者を見ているだけの狩人が、今日は何事か話していると思ったら、急にこっちの悪口を言って来た。

 

ごろりと再び寝転んだばかりだけど、頭を持ち上げて突然の悪口に遺憾の意を表明する。

ぐるぐると、喉の奥で唸り声がなる。

仔猫だなんて評されては、傭兵の商売に影響がでてしまうじゃない。依頼が無ければセレンに褒めて貰えない。

 

……セレンは、どこ……?

 

最も重要な事を思い出し、慌てて視線を彷徨わせた先に苛烈なまでに強い、揺ぎ無い真っ直ぐな視線の女が映る。

 

せれん(おかあさん)……!」

 

機体()』との接続を切り離して、彼女の元に駆け寄って抱き着いた。

 

 

 



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五条悟は夢を見た。

 

世界が壊れる夢を見た。

世界を壊す悪夢を見た。

 

『俺は地獄からやって来たんだ。ほら!見つけてみろ、食らいついてみせろよ!』

 

真っ白な獣が駆け抜ける。

 

『独りでだってやってきたんだ。抵抗して見せろよ!叩き潰してやる!』

 

眩い鮮やかな緑が爆ぜる度に世界が瓦解する。

 

『俺は地獄だって越えたんだ。貴様を逃す訳がないだろ!?ぶっ殺してやるよ!』

 

目的もなく、ひたすらに人類を屠る事のみに執心する獣。

 

『まだ独りでだってやれる。さあ、楽しい遊びを始めようか』

 

おおよそそんな意味の歌を幼げな声で歌う、白く大きな山猫の形をした強大な呪い。

 

それを、なんとか祓った。

戦闘の余波で世界人口が半分強が消えた。日本を中心に地球の陸地が盛大に削られた。生物が真っ当に生存できる環境は限られてしまった。

呪術師だとか、非呪術師などとうに関係なく、『人類』は生存競争へ駆り立てられた。

 

そんな、そんな滅びの夢を見た。獣の首輪を外してしまったばっかりに。

 

『だから、また、目覚めをやり直すのだろう?』

 

何時何処で誰だったのか、記憶に存在しない何者かの問いかけに、当然だと頷く。悪い夢は、早く目覚めてしまうに限る。

 

 

五条悟は夢を見ていた。

内容は何一つ覚えていないが、酷い悪夢だった事は確かだ。

 

睡眠をとって居たとは思えない倦怠感の残るを身を起す。かさりと、握りしめた手の中に紙片が存在した。

紛れも無く彼自身の文字。何の変哲もないただの純然たるメモ書き。自分自身の筆跡の筈なのだが、その内容も文体も、違和感しか抱かない。

 

『夏の病 気を   』

 

強く握り過ぎたせいか、短い一文が擦れて読み取れなく成っている。

 

梅雨も明け、もうすぐ夏が来る。

 

単純に考えれば『注意:熱中症』程度の事なのだろう。

そんな事をわざわざ書き記すなんて、おかしな話だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

虎杖悠二は夢を見た。

地上から遥か遠い、広大な空を往く夢だ。

雲も眼下に、信じられない程大きな鉄の塊が五つ程、渡り鳥のように並んで飛行している。現実感の無い姿と大きさの飛行物体だが、夢とは脳が記憶の整理の為に体験をこねくり合わせて再生しているらしい。

 

恐らくここ最近、名作からB級(どころか脳が死滅しそうなクソ)映画にじゃぶじゃぶに浸かっていたせいだろう。だから夢までこんなSFチックなのかもしれない。ただし、うっかり集中が切れるとイイのをお見舞いしてくれる、熊っぽいゆるキャラと言えなくもない呪骸は不在だ。

 

代りに抱えて居るのはちいさな白いふわふわ。猫の子にも見えるが、それにしては些か大きい。虎の子供と言われた方が腑に落ちるような、太い足。

 

「なーぅ!」

 

と、なんらかのネコ科の子供は元気に鳴く。毒々しい程鮮やかな緑の目玉がじぃっと見上げて来るが、残念ながら彼は今、推定肉食動物の子供に与えられそうなものは持って居なかった。

夢の中なのだから、仕方がない。

 

仕方がないので、わしわしと喉辺りを撫でておく。ひらひら動く指先を玩具だと思ったのか、或いは撫で方が気に食わなかったのか、白い獣の子は指先にじゃれかかりまだ小さな口で噛みついて来る。甘噛みなせいか、そこまでは痛くない。現在ご不在な呪骸の冴えに冴えてる一撃の方が普通に痛い。

だが本気で噛みついて来ないという事は、彼のナデナデは気に入ったらしい。喉を鳴らしたりはしなかったが。

 

がじがじと猫科に齧りつかれながら、相変わらずどこまでも広がる澄み切った青空を見渡す。足元にも相変わらず大きな人工物が鳥のように編隊を組んで平穏に飛行している。今の所、雲の切れ間からトンチキキメラと化したサメが飛び出して来る様子はない。

 

平穏な夢だ。

 

ふと、穏やかな空に何とも渋い男の鼻歌が聞こえる。気取った風もない、何とはなしに口ずさんだ歌、といった印象。どこから、とは定かではない。強いて言えば、耳元で通話アプリでも起動している距離感だ。

勿論スマホなど持って居ない。手元にあるのは白い猫だけだ。

 

猫にもその男の声が聞こえたのか、指にじゃれつくのを止め、三角形の耳をピクリと立たせる。

 

一瞬男の歌に気を取られた間に、眼下を悠々と飛んで居た超巨大な飛行物体の一つが次々と爆発を起こし、黒煙を上げながら急激に高度を落としていく。

 

『一基落とした。これで二千万ほど死んだ』

 

鼻歌と同じ温度で、姿の見えない男が言う。

 

二千万。にせんまん。20000000。

そうか、あれで二千万が死んだのか。

爆発音さえ耳には届かず、ましてやあの鉄の中の命が上げる悲鳴など聞こえる筈もない。それでも、確かに失われてゆくのだ、という確信が頭にはある。

 

まるで常識の様に確信があるのに、何の感慨も湧かない。澄み渡る空のままに、気分はすっきりと凪いだまま。早起きして、様々な事をこなして満ち足りた桜の季節の休日の夕方に似た充足感さえある。

ああ、死んだのか。という理解のまま、ただ白い猫を撫でる。

 

大きな『揺り籠』が一基落ちる度に、失われた人命をカウントしていた男の声が『一億』と呟く。

腕の中の猫はごろごろと喉を鳴らした。

 

なんの姿も無くなった空は、相変わらず青く広く、清々しかった。

 

 

虎杖悠二は夢を見ていた。

内容は何一つ覚えていないが、何だかとても穏やかな夢だった気がした。

 



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3

「月が……月が追いかけて来る!どこまでもどこまでも!ずっと見てるんだ!!」

 

 

 

 

そんな悲鳴を上げた者がいた。

 

最初はよくある話。

閉院し、廃墟となった山奥の精神病院へ行くと帰ってこれない。なんてそんなありきたりな噂。

 

しかも実際は精神病院ではなく、静かで空気の綺麗な山間部に建てられたホスピス病棟。すぐ麓には今も運営がされている大元の病院がある。ただ施設の老朽化と利便性を考慮し、病棟を移しただけだ。

 

死が重なった廃墟には違いはないのだが、怪談としての雰囲気はだいぶ変わる。

 

曰く、その山奥(実際はしっかりと道があり、暇を持て余した免許持ち大学生が易々と辿り着ける)の(便宜上)精神病院の更に奧、謎の(謎でも何でもなく緩和ケアの一環として設けられた)礼拝堂へ足を踏み入れると二度と帰って来れなく(小さな礼拝堂の存在が広がって居る時点で、確認し、帰還し、吹聴してい)る。

 

本当に、よくある怪談話だ。

ただ、ごく稀に、本当に帰って来なかった者も居る。道はあるとは言え、老朽化を理由に閉鎖された山中の病棟だ。事故だってあり得る。

 

などと言っている間に事情は変わった。

 

いつの間にか、そこを訪れた人間はもれなく正気をなくすようになった。

どこまで行っても、建物の中でも、窓が無くても、布団を被っても、自分の目玉を繰り抜いても、月が見ている追って来ると喚くのだ。

存在しない視線から逃げようと暴れ、周囲の眼球を抉り、自身の眼球を抉り、人の言葉を忘れて尚怯え叫び続ける。

 

以前の噂のおりに調べられた範囲では、廃墟となった病棟内に四級やら三級程が4、5程。と言っている内に件の全員発狂キャンペーンに切り替わったらしい。

 

それが発覚したのが丁度、ここ数日先輩方にしごかれていた伏黒と釘崎が現地に到着したと同時にキャンペーン開催の一報が入った。

あまりの間の悪さに顔を顰めたが、病傷ならともかく身内の気狂いなど余りに表には出したいものではない。隠しおおせない深刻さになって、漸く露呈したのだろう。

 

 

踏み込む病院の敷地は厭に静かだった。

山の中だと言うのに、鳥の声も風が木の葉を揺らす音も聞こえない。何の気配も存在しない。

 

現実味が無いほどに何もない。細部が粗雑な夢でも見ている気分に成る程に、無い。

索敵を命じた玉犬さえ、困惑し、妙な耳の角度に成ってしまう位、何も無い。

 

いや、幽かに音がする。

どこか不気味な、だが子守歌のように穏やかなオルゴールの音がする。

 

不思議と危機感さえない。

 

ない。ない、無い?

 

だってゆめだもの。かりゅうどのゆめはあんぜんなんだもの。

 

そのか細い音源を辿る。

 

建物の至る所に落書きがあり、一階の窓ガラスは無傷の物を探すのが難しい程だ。

変に現実味が無い以外は本当に、マナーとかモラルを疑う連中が良く訪れる肝試しスポットといった有様。件の小さな教会等も酷い有様で、いっそう下品な落書きに、扉は無理にこじ開けられ蝶番の壊れてほぼ用をなしていない。

 

子守歌はそこから響いて居た。

 

二人は目配せし、そっと扉の先を覗き込む。

 

中も同様荒れていた。

お決まりのエロ本やら、ツマミや酒のゴミが散乱している。まさかの屋内で火をたいたのか、花火の残骸まであった。どこまでいっても肝試しスポット感が満載だ。

 

ただ一角だけが絵画のようだった。

小さな、よくても五歳程度の男の子がぽつりと座って居る。古い肖像画のモデルのような衣装に、きっきちりと銀髪を撫でつけているのが年代物の油彩といった雰囲気を作って居る。

 

その子が抱えたオルゴールから、子守歌が響いて居た。

日本人には見えない出で立ちに、非現実的な光景を作って居る子供だが、間違いなく『人間でしかない』。

 

まあ、ゆめなのだからげんじつみなんて、さいしょからなかったけれど。

ぱたり、と小さな手がオルゴールの蓋を閉じると、当然のようにどこかおどろおどろしい曲が止む。

 

「おや、驚いた。またこんな所を訪れる物好きか」

 

小さな子供に有るまじき行儀の良さで、破壊を免れた木製の長椅子に腰掛け、隣には子供が両手で抱きしめるのに丁度良さそうな、女の姿をした縫いぐるみが座らされている。

子供は両の瞼はおろしたままに、顔だけを向けてこくりと小首を傾げた。

幼ない少年の声の筈なのに妙に重い。それはどことなく古風な装いのせいなのかもしれない。

 

声を掛けられたのだから仕方ない、と二人は教会内に進む。

すぐ傍まで近寄って、やっと子供は目を開く。

 

すっと持ち上げられた瞼の向こう、覗いた瞳が青い。

 

海の、底の底、ずっとずっと遠くの未知の青さ。

または、空の先、ずっとずっと遠くの星々の青。

或いは、月の褪めた光の色。

 

見つめ続けてはいけないような、悪寒を伴う色の瞳が、じっと二人を見詰める。

 

「あんたこそこんなとこで何やってんのよ。親に怒られても知らないわよ」

 

できるだけ、気負う事なく、それが当然であるように、廃墟の中で小さな子供を見つけた年長者としての言葉を選ぶ。

何だかほんの少し前に、子供に警戒された様な気がしないでもないが、敢えて小さな子供に向けるにしてはざっぱりとした物言いをする。

 

できるだけ、(無意識にだが)子供の瞳も、(こちらは意図して)その背後も見ないように。

後ろに居る『モノ』を子供が気取らないように。

気付いている事を隠すように。

 

そこに、礼拝堂の奥に居るのは『Lynx』。哺乳綱食肉目ネコ科オオヤマネコ属オオヤマネコ。別名ユーラシアオオヤマネコ。

金茶の地に黒の斑点を持つ筈だが、その山猫の体毛は白い。目前の子供も少年少女も気にした風もなく、獣がよくやるように伸びをする。くぁっと大きく開けられた口とは対照的に、鮮やかに過ぎる緑色の目を細める。一通り伸びをした後も、まだ眠いのか目は細められたままぼんやりと『お座り』の体勢を取っている。とてもじゃないが、警戒心の強い野生動物には見えない。

現に、何かの冗談か赤い首輪を着けていた。

 

だが問題はそこではない。

本来のオオヤマネコは大きなもので体高70㎝程。超大型犬と呼ばれる辺りはそれを越える種もある。あり得ない程大きな生き物でもない。

ないはずなのだが、その、礼拝堂の奥に座り込んでいる大山猫の凡その体高さは3M程。

身を低くし牙を剥く玉犬にさえ反応せずに、ぼんやりと座り込んでいる。

 

毛足の長い、真っ白なふかふかの動物に見えるそれは、間違いなく呪いなのだ。

何故目視するまでこれ程のものに気づかなかったのかと息を飲む。それ程異質な『獣』がそこ居る。




高次元に存在する烏賊がマジで厄介だから、早く鯉の餌にしたほうがいいかもしれない。


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4

 

狩人は、さてどうしようか、と両腕に抱いたぬいぐるみの『人形』をぎゅっと抱きしめ思考する。

 

フリをした。

 

本心で言えば、どうなったっていい、というものだが忠実に人間として再構築された身としては、こういった場合『どうしよう』と考えるのが普通であろう、と結論を出しそれらしく戸惑い、頼りの『人形』に縋りつく幼気な少年の動作を取って見せた。

 

例えるなら、過干渉極まりない『親』元から逃亡し、ひっそりと隠れて居たら見知らぬ人間に連れ去られた様なもの。

そのような場合なら、現在子供を模倣した私も少しばかり困惑し、途方に暮れるべきかとも考えたのは正しいのだろう。だがやはりどうでもいい、という思考が勝り人形へ頬を寄せたままに瞼を下ろす。

上位の存在へ、人類の新たなステージへと至った狩人からみれば、彼らの世界など何の興味も沸かない。起伏のない平らな次元だ。

 

首輪の付いた、意思薄弱な仔猫を引き取ってさえくれれば良かったのだが、残念な事に完璧に人間を模倣し過ぎたせいで自分自身まで『保護』されてしまった。

全く、面倒な事だ。

本物の幼子のように手を引かれ、狩人が人として生きた時代からは随分と進歩のある車に乗せられてしまった。

別段全てに興味がないので『セレン』、『セレン』と燥いだ声を上げる仔猫と否定する事を止め、適当に相槌を打ち続ける女の声を聞きながら、眠ったフリをした。

 

自分の殺した女を幻視し疑いもせず呼びかけ続けるとなんて随分と狂った獣だ。

ヤーナムの外にも頭のおかしい連中は大勢いるらし。赤子の次は母を求める声がする。狩人には関係ない話だが。

 

暫く乗り物に揺られ、眠った様な形をとっていた狩人の目玉が瞼の下でピクリと動く。おや、と口の中だけで呟いた。

シートベルト無しのままに転寝した子供が転げ落ちないかと、ちらちら視線を向けていた隣の男が起きたのかと覗き込むが、瞼は閉ざし『人形』に頬を寄せたままだ。

 

狩人はただ、何かを覆い隠すモノを見ただけだ。あの白痴の蜘蛛の様な。

 

仔猫は獣でしかないのでそんなモノ気づいた風もなく相変わらずだ。狩人と仔猫を連れて来た男と女は見えているのか気にして居ないのかは分からない。

人間の頭の中身を見ることは、赤子の狩人には難しい。勿論、物理的に頭蓋の中に詰まった物を外気の中にぶちまけるのは大得意だが。

 

そもそもこう成ったのは、殆ど仔猫のせいだ。

狩人は仔猫の望んだ通り、人が人らしく低次元で甘んじて存在する場所に放してやろうとやって来た。だがどうもここの人間は珍妙だった。

 

獣性(の様なもの)を垂れ流している。隠す事なく垂れ流して、内に獣などいないといった顔をして生きている。それがあまりに滑稽だったものと、(成り代わられた癖に)いつまでも支配者気取りで見つめてくる魔物がうっとおしかったので、しばらくここでぼんやりと低次の生物を眺めていた。

 

子供が一生懸命に水たまりに落ちた雨粒の波紋や、蟻の行列を見ているようなものだ。

 

そうやって狩人が幼子らしいひとり遊びをしている間に、意思薄弱な獣も好きな場所に行くだろうと思っていた。だが狩人が考えた以上に仔猫の意思は耗弱だった。蒙昧ないきものを観察する狩人の後ろをついてくるだけだ。

 

狩人はひとり遊びで忙しいので、つまらない獣に何をするべきかなんて『答え』を与えてやる気はなかった。記憶を無くした唯の病人でしかなかった自分だって、殺し続けて狩り続けて辿り着いたのだから、仔猫だって自力で辿り着くべきだ。力そのものは有るのだから。

 

そう考え放置していた結果、いつのまにか『獣』になっていた。

どうやらこの子猫は人類の怨嗟憤怒敵意等々を集める質らしい。

人類に敵視されている。

 

まあ、行いに即した順当な結果だろう。知ったこっちゃないが。

 

なのでそれも放置していた。

放置した結果、人類が多少削減されたり正気を失ったりしても狩人には関係ない。後者の要因が狩人だったとしてもだ。

 

今回だって勝手にやって来た人間が、仔猫に集る人類の怨嗟にあてられるか、狩人を見詰め続けるモノに気づいて正気を失うかで終わる筈だった。

 

だが実際は、意思薄弱に壊れた感覚で『母親』を誤認し、引っ付いて行ってしまった。それに狩人まで巻き込まれた。

その腑抜けた獣だけ連れて行ってくれという言葉は受け入れられず、この有様だ。

まるで子供のようなあつかい。赤子ではあるが。

 

セレン抱っこ!

 

「しないわよ?ほら、自分で歩くの」

 

あの蜘蛛が覆い隠した様なモノの内側で、進行は停止した。

目的地に着いたようで、仔猫の甘ったれた発言が聞こえる。獣の脳は残念な仕様らしく、周りの人間には上手く伝わらないことが多い。どっかの誰かが頭を開いて脳に細工でもしたのだろう。ヤーナムで頭の中に瞳を探した連中は、仔猫のそれを見て、一体どんな反応をするだろうか。

 

兎も角も、真実を見詰める目的とは真逆の用途で切り開かれた仔猫の脳は、言語化能力が著しく低いらしい。

だが今回は、ぱっと満面の笑みで両腕を伸ばす事でその意図は伝わった様だが。そして素気無くあしらわれている。それでも伸ばした片手を握られ、手を引かれれば嬉しそうに横を付いていく。

 

私は相変わらずの眠ったフリを続行する。

 

横で終始様子を伺って居た男が、遠慮がちに肩を揺する。それが起こそうとしての挙動なのは理解しているが、寝たふりを止める気はない。

 

戸惑った空気を感じ取ると同時に、その空気は発砲音に揺れた。

間髪入れずに6発分、火薬の爆ぜる音がしたが、獣狩りに使う銃とは比べ物に成らない程に軽く慎まし音だ。

 

肩に手をかけていた男に緊張が走ったのは分かったが、狩人にしてみれば大した脅威は感じない。

世の中には骨髄の灰を使った大砲を、対人でぶっぱなすキチガイもいる。あんなちんけな銃弾に狼狽える方がどうかしているのだ。

 

 



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5

 

首輪つきは愛情いっぱいに育った、コジマ色のくりくりした可愛いお目目の男の子だ。実年齢は兎も角、殺す事と育て親以外への認識が薄いので、子供と言って差し支えはない。

自身も家族というものに縁遠く親子関係と言うモノを掴めない霞スミカがそれでも全力で愛情を注ぎ育てた自慢のリンクスだ。

 

ただその愛は、ミッションの成果が芳しく無ければ真っ向から失意を辛辣に告げ、組んだばかりの機体テストだろうが容赦なくレールガンをぶち込んで来るようなものだ。

それだって、めちゃくちゃに己の弟子であり養い子を可愛がっているつもりだったのだ。おそらく世間のソレとは大きな隔たりがあったが、愛して居た事に間違いは無く、首輪付き自身も愛されている事を自負していた。

 

騙して悪いがをしようもんなら、企業との兼ね合い等も放り捨て、ノリノリで『見せしめだ』などと言って破壊命令をだし、よくもうちの子をコケにしたなと過激な文句を連ねる。

首輪付きがすっかりリンクスとして開花した後は、ソブレロコアに社長砲を積んでマザーウィルを割に行ったり、弾薬費企業持ちと知れば、馬鹿みたいに高い弾薬をばら撒き焦土を作りに行く弟子を止める事もせず、『私のリンクスは可愛いな!』と誇らしげに見ている程に好きさせていた。

 

要は親馬鹿だった。(実年齢は兎も角)汚染物質色のきらきらしたお目目でセレン、セレンと呼びかけて来る弟子が可愛すぎた。

溺愛する弟子に不埒な輩を寄せ付けまいと、元の苛烈な性格も相まって、過剰なまでの防犯意識を備えさせた。

 

実際、目障りなアホの様に強いリンクスを仕留める方法は?と言えばそんなもん、ネクストに乗ってない時に暗殺。とかの方がよっぽど建設的だったため、ある程度の自衛手段は必要だった。

その辺は、各企業、抱え込んでるリンクスたちへそれぞれの指示なり措置などがあったりする。

そして完全独立傭兵であるセレンの最高傑作は、彼女の血気盛んな教えのままに不審者と見れば容赦なく急所を突く事を学習した。

 

 

まあ、そんな訳なので、『セレン』の横についてとことこ歩いて居たのに、急に見知らぬ男に抱え上げれたら驚く。驚いたままに、後ろのポッケに雑に突っ込んであった女性の護身用にもピッタリ、全長が15㎝もないコンパクトに可愛いらしい銃を引き抜き、躊躇いなしのノータイムで六発全弾打ち込むのも仕方ない。

 

変態ペド野郎に慈悲は不要。間違いが起きる前に仕留めろとの教えを忠実に守った。

 

忠実に守った筈なのに、自分を無遠慮に持ち上げた推定変態クズ野郎には一発も当らず、ぽかんとしてしまうなどと言う、傭兵に有るまじき醜態を晒してしまった。

 

変態を屠る事もできず、醜態を晒した自分にも苛立ったものだから、全弾撃ち尽くしたちっぽけな拳銃を投げつけ、舌打ちをし、中指立てて唾を吐くぐらい許されても良いだろう。

殆ど様相の分からない顔面に向けてぶん投げた、小さいとは言え鉄の塊がぶち当たる事無く、がしゃりと地面に落ちた事に少々面食らう。

 

なんだこのどこぞのコジマの煌めき大好き企業が作り上げた、PA整波性能19103、KP出力999の企業戦士みたいなショタコン。

首輪付きはぎゅっと顔を歪めて不愉快そうな表情を作る。

 

六発真正面から至近距離でぶち込まれた筈の推定ペド野郎は、見た目にそぐわないガラの悪さを呈し、有害な着色料たっぷりのメロンソーダみたにきらきらした目を眇め、中指突き立てている幼児を見詰めてたった一言呟いた。

 

「いや何コレ?」

 




めちゃくちゃ動ける上に火力も高いアクアビットマンとかいう存在。


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