逆行したら天才イケメン騎士様がロリ巨乳美少女騎士様になってた (ちぇんそー娘)
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1章 再出発
1.二度目


 

「ジョイ……嘘だろ、目を開けてくれジョイ!」

 

 

 うるせぇな。

 目は開いてんだろよく見ろよ。

 

 なんて言葉を吐こうとしたが血の塊と掠れた二酸化炭素しか吐けずに思わず笑ってしまう。こんなはずじゃなかったのになと、腹の傷に触れようとしたら腹が無くなってることに気がついた。どうやら腹を抉られたのではなく、下半身ごと吹っ飛ばされてしまったらしい。なるほど、これはもう助からないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 ジョイ・ヴィータという人間は天才だった。何よりも本人がそう思っていた。

 彼は御伽噺の英雄に憧れ、辺境の農家に生まれた境遇すらまぁ主人公とは突然変異で産まれてくるものだと前向きに捉えて鍛錬を積み重ね、実際に才能に恵まれていたのか辺境の農家の息子でありながら国で一番の騎士学校の入学試験に受かっちゃったりもした。

 

 彼は何より楽しいことが好きだった。

 何かで一番になるのは楽しいし、気持ちよくなれるようなことをするのは楽しい。

 だから平民にして初の騎士学校首席入学、首席卒業という偉業を成して歴史に名を残したらさぞや楽しいだろう。さぁ輝かしい未来に進もうと意気揚々と都会に出て……。

 

 

 

 もうびっくりするくらいボコボコにされた。

 まず首席入学じゃなかったし、それならまぁ在学中に真の力を見せて首席卒業してやろうと思って適当な奴に決闘挑んだらボコボコを通り越してボコボコボコボコとしかいいようがないくらいに負けた。具体的に言うと2秒で意識を奪われた。

 

 騎士学校は端的に言って、化け物の巣窟だった。俺は初めて剣を握るよ〜とか抜かしてたやつに負け、同じような田舎出身だと言っていたやつに負け、明らかに世の中舐め腐ってる典型的なダメな貴族の子供みたいなやつにも負け、もう負けまくってプライドが完全に死んだ。

 

 そんな二度と思い出したくない学生時代を何とか生き延びて、特にパッとするような成績も取れずに卒業し、流れるように騎士になってそのまま俺達は現代に目覚めた『魔王現象』と戦うことになった。

 俺達の世代は黄金世代と呼ばれていたらしく、なんだかんだその末席に加わっていた俺も今代の『魔王現象』……確かなんとかの魔女とかって名乗ってたソイツの軍勢と最前線で戦い、何とかその魔女様の首元まで俺達は迫ったのだ。

 

 

 結果はこのザマだ。何とか勝って視界の端には魔女がもう俺以上の死に体で転がってやがるが、残念ながら俺の方も確実に死ぬ。魔女を倒した栄光は受け取れそうにない。

 

 

「ジョイ、君が、君が死んでいいはずがない! 君がいたから魔女を倒せたのに! 僕は……」

 

 

 そう言いながら俺の事を抱き締める金髪碧眼の男。声がでけぇし顔も近いし距離も近いが、まぁ目の前で死にそうになってる仲間に対しての態度だと思えばギリギリ許せる。そうでなければ、こんなやつ視界にも入れたくはない。

 

 デウス・グラディウス。

 俺と同じくド田舎に農家の息子として生まれ、にもかかわらず騎士学校に主席で入学しそのまま圧倒的才能で首席卒業。卒業後はそのまま直接この国に4人だけしかいない騎士団長の位に登りつめ、今まさに魔女殺しの英雄の名も手に入れた男だ。

 

 この男は俺の輝かしい人生に突如として現れ、天才であった俺をただの下位互換に引きずり下ろした憎き男だ。まぁ一方的に俺が嫌ってただけなんだけど。だって悔しいじゃん、俺がやりたかったこと全部やってのけて。きっとこいつの名前は永遠に歴史に刻まれる。羨ましいと思わない方がおかしいってもんだ。

 

「ジョイ……君が生きるべきだったんだ! 僕なんかを庇って、なんで……」

 

 そんなことを言いながらデウスは涙を流していますが、全然そんなことは無い。

 

 なんか俺はたまたまみんなが魔女の配下達を足止めしてる中で、ちょっと手が余ってしまいとりあえずデウスについて行ったら気が付けば魔女の元に辿り着いてしまい、なんやかんやで戦闘になったけどほぼ巻き込まれる感じで特に役に立てるようなことも出来ず、最後にデウスが魔女を倒した瞬間に魔女の最後の一撃と思われるビームが飛んできたけど、普通に疲労で避けきれずに食らってその時転んだ感じがたまたまデウスを守ったようになっただけだ。

 

 ちなみに消し飛んだ下半身からわかる通り、それでビームは止まらなかったし、デウスは普通に片手でビームを弾いたので俺がコイツを庇った事実はデウスの中にしか存在しない。

 

 まるっきりの無駄死に、と言うやつだ。本当にこんなの全然楽しくない。一体俺の人生どこで間違えてしまったのか。

 

「すまない……僕にもっと力があれば……」

 

 お前にもっと力があったら俺の心がとっくに折れてんだよ。あ、待てよ。確かに俺の心が折れてたら騎士を辞めてこうして戦場に出ることも、戦死することもなかったかもしれんしある意味正しいかもしれん。

 でもまぁ、それは楽しくないと俺はそうはしなかっただろうし、語っても無意味な話だ。どちらかと言えば俺がもっと強ければ死ななかったとか、そういう話だ。お願いだからデウスはこれ以上人間をやめるな。才能の差を見て俺が死ぬ。もう本当に死ぬけど。

 

「死なないでくれジョイ、君がいなければ、僕は……」

 

 マジでコイツどんだけ俺の事好きなんだ? 学生時代も一発俺がぶっ飛ばされたくらいしか絡みなかったのに。でも、こんな世紀の大天才様が端正な顔をぐちゃぐちゃにして泣き腫らす顔を最後に見られるなら、俺の人生はそこそこ楽しい人生だったのかもしれない。

 

 なんてったって、デウスのこんな顔を世界で見られるのは俺だけだろうからな。なんとも嬉しくない、世界で唯一だ。

 

 あ、そんな事考えていたら本格的に感覚がなくなってきた。

 目も耳も使えなくなって、最後に残ったのは触覚。デウスのゴツイ膝と腕の感覚だ。

 

 どうせ最後だ。本当にこういうの言っちゃあれだけど、欲望として…………

 

 

 

 

 どうせ死ぬならイケメンの腕の中じゃなくて美女のおっぱいの感触とか確かめながら死にたかったなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「とか思ってたからバチが当たったのかねぇ」

 

 俺は大きな溜息を吐いて、部屋から外の快晴を見渡した。

 今日も今日とてうちの親は畑仕事に精を出しているし、世界は平和そのもの。高い建物がろくにないド田舎の光景があるのみだ。

 

 そして俺の体は下半身が消し飛んだりしておらず、ぷるぷる潤いタマゴ肌になっているし、身長もだいぶ低くなっていて……早い話6歳の頃のそれになっている。早い話であれからもう6年経つのだ。

 

 あれからの『あれ』とは、俺が魔女に殺されてからという意味だ。

 どういう訳かあのまま死ぬはずだった俺は、何故か目を覚まして気が付けば赤子になっていた。

 最初は何が起きたかわからず走馬灯かと思って成されるがまま、本能のままに泣いたり漏らしたりお袋の乳吸ったりしてたが、あまりに体感時間が長すぎて走馬灯ってこんな長いものか? って疑問を持ち始めた1年目くらいに、うっかり屋のお袋が俺を高い高いから見事に地面に叩きつけて二度目の他界他界しかけた時の痛みでようやくこれが現実だと気が付いた。

 

 何の因果か、俺は人生をやり直すことになったらしい。

 意味わかんねぇよ。だがどれだけ頭を巡らせてもそれ以外に結論は出ないため今はこれからどうするかを考えていた。

 

 正直、俺にとって楽しくないこと、前の人生のようなことを繰り返すことは拷問に等しい。だからこそもう一度人生を繰り返しても良い、なんて言う神様からのご褒美のような現実すらバチが当たった、と思ってしまうのだ。

 

 嫌だな〜。

 また騎士団入って、自分が天才じゃないと思い知って、そっからずっとボコボコにされ続けるだけの楽しくないだけの人生送り続けるの。心を折られる辛さというものは生半可なものでは無い。

 自分を構成していた足場が、世界が崩されて奈落の底に叩きつけられるかのような苦痛。あんなものをもう一度味わうだなんて耐えられない。本当に楽しくない。

 

 では、どうするか。

 生まれてしまった以上死ぬことは楽しくない。というか普通に苦しい。このままのほほんと生きていては結局魔女が活動始めてなんやかんやで死んでしまうかもしれない。

 

 

 では、もう一度騎士になるか? 

 もう一度天才達と出会い、もう一度己の無才を知りもう一度心を殺すか? 

 いいや、せっかく人生二週目なのだ。もっと違う方法があるだろう。と言っても、努力の限界と才能の差は身をもって知っている。幾ら限界まで努力しようと、越えられない才能の壁は、認めたくはないが存在する。

 

 というかほんとうにあるんだよ。偉そうな奴がいっちょ前に努力に限界はないとか言うけれど絶対あるからな? 

 なんだよ生まれつき全属性の魔力扱えるとか、加護で筋力が狂ってるとか、なんか剣が止まって見えるとか。そういう連中がうじゃうじゃいる世界怖すぎだろ。しかも騎士学校に来る奴らはその才能の上で努力も重ねてきた存在だ。

 

 普通にやってたんじゃ勝てない。心が折れて、諦めて前と同じように死ぬだけだ。

 

 しかし俺は人生二週目。前世で引き継いだ剣技は残念ながら役に立つとは言い難いが、スタートダッシュとしては十分だろう。そして何より、俺は挫折を知っている。

 本来の俺ならば、今頃の年齢は自分の才能に胡座をかいた上で努力をしていた。だがもう俺は自分を天才だと思えない。これホント認めたくないが思えないのだ。悲しいことに。

 

 ……賢い人間は他の生き方を志すのだろう。

 魔女を倒す事だって道は一つじゃない。やり方はいくらでもあるだろうが、なんだかんだ俺にだって憧れがある。

 

 目指したら楽しいと思える、遠い遠い憧れが。

 

 

「母さん」

 

「どうしたのジョイ? もう少ししたらご飯出来るからちょっと待っててね」

 

「大事な話があるんだ。……俺、騎士になりたい」

 

 

 どれだけ苦しくても、俺は楽しく生きたいんだ。一度死んでも治らないバカは、もう呪いとしかいいようがないだろう。

 

 

 

 

 

 

 そんなわけで俺は両親に相談し、土下座までして村の近くに住んでいるという昔騎士をやっていたという謎の人の弟子にしてもらい、そこで幻術と魔術について学ぶことにした。

 

 俺の唯一の武器はモチベと志だ。他の奴らが情操教育と共に得ていくその気持ちを、俺は実質生まれつき持っている。ならもうさっさと体が鍛えられるくらいになったら鍛えるしかないじゃん? 

 もちろん前だって訓練はしていたが、その程度じゃない。もっと自分を追い詰めて、天才との差を埋めるような地獄のような訓練──────

 

 

 

 そう注文したのは俺だけどね? 

 この師匠がもうとんでもねぇ馬鹿だった。一応尊敬出来る人物なので出来る限りオブラートに、尊敬を込めた表現で言うと白を見て黒と唱えるような大馬鹿野郎だった。

 弟子入りをお願いしにいって、俺の「この世界で一番の存在になりたい!」と言ったら笑顔でOKしたまではいい。そのままの足で俺を谷底に突き落としやがった。俺が受身を学んでいなかったら本当に死んでいた。

 何とか谷を登ったらそのまま俺を掴んで魔獣ひしめく森の中に投げ込んだ。だから馬鹿じゃねぇの死ぬって。俺が魔獣について前世の知識があって、習性を利用して効率的に狩りとか出来なかったら6歳の子供は死ぬんだよ。

 

 そんな感じで師匠が俺を殺そうとするから、それを潜り抜けてはまた殺されかけ。まともな魔術の勉強をさせて貰えたのは2年後くらいからだった。

 

 確実に強くはなった、なりましたよ。

 でも人間性を捨てたかった訳では無い。もうちょっとこう、楽しく強くなりたかった。なんかすごい技を見て、なんかすごい指導を受けて成長するってのが理想だった。魔獣の唸り声に怯えながら息を殺して眠ることすら許されない密林生活や、少しでも魔力の流れを誤ると首ごと爆散して死ぬ首輪を付けられての生活はもう修行を通り越して虐待か拷問なんだよ。

 

 しかし強くなりたいと言ったのはこっちであるし、しかもなんだかんだそれで俺は前世よりも圧倒的に強くなってしまったので何も言えない。

 

 

 そんなこんなで16歳。いつの間にか俺も騎士学校を受験できる年になり筆記と実技試験を受け、見事合格した。

 まぁ受かるのは知っていた。これで受からなかったらもうこの世界のアベレージは狂ってるので俺なんか居なくても何も問題は無いし俺は才能のないゴミムシなので諦めて田舎で畑耕している。それでも師匠は飛び上がって喜んでケーキも作ってくれたので、喜ぶフリはしておいたが。

 

 ……俺にとって重要なのは何番で合格かだ。

 

 首席合格。

 俺の最初の目標にして、最初に砕け散った夢。これを叶えるためにここまで頑張ったと言っても過言ではない。他に目標があった気がしなくもないが今はそれしか見えない。

 

 だって、ここで首席合格すれば俺は平民で初めて、騎士学校に首席合格した逸材になるのだ。そんなのもうめちゃくちゃ主人公じゃん。なったら楽しいに決まってるじゃん! 

 

 しかもここで朗報がある。

 なんと、どうやらこの世界では前世で俺のプライドを粉々に砕いたあのデウス・グラディウスという男は存在しないらしいのだ。

 ちょっとなんやかんやでアイツの生まれた村のヤツらと関わる機会があった時に聞いたので間違いない。アイツの出身村では、デウスという男どころか俺と同い年の男の子すらいないそうだ。

 

 いやーもうこれは勝ったわ! 

 今の俺は師匠のアホみたいな修行のおかげでそれなりに強くなったしな! 筆記は絶対に勝てない相手がいるので2位だとしても、実技は1位だろうから総合では確実に1位。つまり首席入学ということだ! 

 

 いやー困っちゃうなぁ! スピーチの内容とか考えなきゃいけないが、そこは人生二週目の圧倒的な語彙力を見せてやるしかないな。もう今から楽しみだ! 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『では続いて、新入生代表挨拶──────』

 

 

 誰もが神妙な顔でその拡音器越しの声を聞く中、俺はお手本のような美しい姿勢と、真っ青な顔で聞いていた。

 

「──────はい!」

 

 名前を呼ばれ、元気よく応えた凛と響く高い声。

 立ち上がってもその背丈は周囲の人間と比べて明らかに小さく、場違いなくらい所作にも無駄が多い。

 

 なんてったって、今年の新入生代表、首席入学者は平民だと言うのだ。優秀な血を継ぎ、幼い時から相応の厳しい世界で生きて鍛錬をしてきた者や、そういう者を『高貴でない』と一括りに見下す頭の固い貴族様からしてみれば気持ちの良いものでは無いだろう。

 

 そんな冷たく鋭い視線を小さな体に受け、それでも少女は式場の中で最も輝いていた。

 角度によっては純白のヴェールのようにも見える煌びやかな金髪。陽の光を受け輝く澄んだ海のような蒼い瞳。剣すら握ったことがなさそうなほど細く見える手足の先、丈の合わない制服から僅かに出て見える指先は決して綺麗な指先とは言えず、それだけで見るものが見れば少女がなにかのまぐれでそこに立っているのではないとわかる。

 

 ──────そして、その胸元は豊満だった。

 何もかもお子様サイズで、制服を着た姿も妹が見栄を張って姉の服を着込んだかのようなアンバランスさだったはずなのに、胸元だけはギチギチに詰められて布とボタンが悲鳴をあげている。

 

 

 そんなロリ巨乳金髪碧眼美少女は壇上に立ち、マイクに背が届かない事に気がついて慌てて踏み台を用意してもらってその上で改めて俺達を見下ろしながら、スピーチを始めた。

 

 

『はじめまして同級生の皆さん! この度、僕はこの誉ある騎士学校に皆さんを飛び越えてイチバンで入学した──────()()()()()()()()です! どうか皆さん、在学中に僕に追いつけるように頑張ってください!』

 

 

 そのあまりに不遜過ぎる言葉に、会場にざわめきが生まれる。

 明らかに不機嫌になるもの、驚愕で反応が遅れているもの、ただじっと、自分たちを見下ろすその女を見つめるもの。ちなみに俺は心臓が止まって三度目の他界他界してた。

 

 だって、そんなことあっていいのか? 

 俺はその言葉を知っている。だって聞くのは二度目だ。その昔、もう16年と更に前に聞いたことのある言葉。

 

 

『──────()()()()()()()()()()です! どうか皆さん、在学中に僕に追いつけるように頑張ってください!』

 

 

 

 頭の中に響いたのは、かつてであった天才の入学スピーチ。名前と声以外、全てが同じであるそのスピーチを聞いて驚かないわけないだろう。

 恐る恐る顔を上げる。

 デウスは世間知らずから、悪友に騙されてこんなスピーチをしたと言っていたがエアと名乗った少女は自信満々の顔で佇んでいた。そして、偶然にも俺と目が合った少女はニッコリと花が咲いたように笑った。

 

 ここまで来てねと、そう言うように笑う男を俺は知っていた。

 

 

 

 

 なんでお前が女になってんだよ。

 しかも、俺好みのロリ巨乳美少女騎士に。というか女になってもお前は俺のずっと前に進んでるのね。

 

 

 

 

(ふざけんなよ、なんなんだよいるのかよもぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!)

 

 

 

 

 誰にもぶつけられないどうしようもない気持ちを心の中で叫びながら、俺の最悪の二度目の入学式は終わりを告げた。

 

 

 

 

 

 



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2.う〇こ我慢王

 

 

 

 

 入学式が終わり生徒達が皆教室に戻っていく中、俺だけはその流れとは全く別の方向、教職員がいる方向へと足早に進んでいた。廊下は走っては行けないので早歩きでだ。

 

 そして俺は目標となる人物を見つけた。

 男と比べても目立つ長身、真っ黒で腰まで伸ばされた髪の毛はなんだか夜のカーテンみたい。それでいて社交界に出るかのような髪の毛と同じ真っ黒なドレスの上から白衣という独特な服装。俺に気がついて振り向いたのか、左目を隠した眼帯が目に入ればもう人違いの可能性はない。

 

 

「師匠ゔー!」

「げ、や、やぁジョイ良い入学式だったね改めて見るけど制服きまって、ひぃん!? 近い近い!」

 

 俺よりも背がでかくて強い成人女性のくせに、師匠は俺に詰め寄られただけで身を縮こまらせて泣きそうになってしまう。これだけでなんか俺が悪いヤツみたいになってしまうから困りものだ。実際は被害者は俺なのに、俺まで悪いことしてる気分になる。

 

「ま、待ってね、私一応先生だから、このままじゃ生徒の前で号泣してるところ見られて先生としての尊厳があれだから、保健室、保健室で語ろうね!」

「えぇそうですね。俺もこのままでは嫌がる先生を泣かせた極悪人になってしまうのでそれは賛成ですがちゃんと事情は話してもらいますからね?」

 

 

 

 

 

 

「いやうん、そもそもジョイはグラシアスくん除いても1位じゃないよ。筆記全体でも8位とかだし、実技も6位くらいだったかな?」

「前提条件から崩すのやめてもらえます?」

 

 保健室で二人だけの空間になった瞬間、泣き落としは無駄だと悟ったのか開き直った態度で保健室の冷蔵設備を使ってキンキンに冷やしていたであろうコーヒーを飲み始めたこの女こそ、今世での俺の師匠であるアルム・コルニクス。

 

 前世ではこの学校に教師としていなかったが、今世は俺が入学すると決まった時に「心配だから来ちゃった♡」で栄誉ある騎士学校の教員として転がり込める何もかも謎の女だ。

 

「師匠は知ってますよね? 俺がこの学校に首席入学することが目標だったの」

「そりゃあねぇ。寝言ですら首席入学って言ってる男だもん」

「師匠は教員ですから、結果は知ってたはずですよね?」

「そりゃあねぇ。私も採点には参加したからねぇ」

 

「じゃあなんで事前に教えてくれなかったんですか? 俺がぴょんぴょん期待して喜んでたのをずっと笑顔で見つめるだけで」

「だって言わなければジョイってば楽しい反応するでしょ? それが見たくてね」

 

 

 コイツ〜〜〜。

 師匠にこういうこと言うのはいけないかもしれないが、本当にいい性格してやがる。だが俺も自分が楽しくなるからという理由だけで人生を進んでいる身。根本的にちょっと似てるせいであまり強くは言えないが、それでもやっぱりこの人は大人としてダメだと思う。

 基本的にこのアルム・コルニクスという女は人畜無害どころか守られなければ生きていけないような顔をしておいて、他人が苦しんでいるところを見るのが大好きな人格破綻者なのだから。

 

「というか、俺言いましたよね? 金髪碧眼でやたら強い奴がいたら、事前に教えてくれって。心が折れる準備が欲しいので」

「心が折れる準備なんて戦場では出来ないよ。いつだって、人はなんの準備もなく死ぬのさ」

「弟子を嬉々として死地に突っ込ませるのは師匠のやることじゃねぇって言ってんだよあんまニヤニヤ笑ってるとシワが増えるぞ年増ァァァァァァ!!!」

 

 瞬時に腕の関節をキメられて死にかけの馬みたいな悲鳴をあげてしまった。この師匠、本当に何者なんだってくらいに無駄に強くて腹が立つ。そうでなければ、こんな人間性をよく飛びそうだからと河原で水切りに使って投げ捨ててそうな女の弟子にはなっていない。

 

「ジョイ、私と君は気楽な関係だからいいけど、そういう言葉は普段一番言ってはいけない相手に出るものだ。目上の人にはいつでも礼節を忘れないようにね?」

「はい……すいませんでした。ところで、あの首席入学の女の子、何者ですか?」

 

 師匠のペースに呑まれ忘れかけていたが、俺が一番聞きたかったのはその事だ。

 

 エア・グラシアス。

 俺の知る天才、デウス・グラディウスと名前も容姿も仕草も似ていたし、何より入学式の代表スピーチであんなセリフを吐ける肝を持つ人間がこの世界にそうそういてたまるかという話だ。

 

「彼女はあんまりデータがないんだよね。豪商、グラシアス家の一人娘って話だけど、病弱であんまり外に出られなかったとか」

 

 貴族、病弱。

 俺が知るデウスという男は田舎の農家の息子だったし、真冬に裸でランニングしても全く問題ない病弱とは世界で一番縁遠い男だ。そもそも容姿が整っていて特徴が一致するだけで、あのイケメン最強騎士様とロリ巨乳首席様が同一人物だと思うだなんてイカれてる。

 

 

 でも、俺のボキボキに折られた自尊心が叫んでいるんだ。

 かつて俺の心を折ったのはアイツだと、あの女とデウスは同じだと、壇上でこの世界の中心であるかのように輝いていたあの姿を見て、そう思い込んでしまっている。

 

 いやだ〜〜〜!!! アイツみたいなのとまた会うの嫌すぎる! たとえ女の子だろうと絶対天才じゃんよ〜! もう田舎に帰って畑耕したい。

 しかもなんであんな無駄に美少女なんだよ感情壊れる〜! 

 

 

「……なんで君がグラシアスくんの事をやたら気にかけているんだい? もしかして、金髪碧眼でああいう小さいのに大きい子がタイプかい?」

「いいえ違いますが? 俺のタイプは包容力のあってそれでいて幼さがあって煌めく華やかさのある女性です。あんな女眼中にありませんが? 向こうも俺なんか見てないだろうし」

「少しくらい性欲隠せよドンピシャじゃん」

 

 そう言いながら、何やら不機嫌そうに師匠は濡羽のような長い黒髪を弄って指先を離すと、ほんの一瞬だけ真っ黒な髪の毛の毛先が金色になるが、すぐに黒に塗りつぶされてしまう。

 それを見て大きく溜息を吐いてから、慣れた手つきでコーヒーを片付け始めた。

 

「さて、お喋りはこれくらいにしておこう。君も、一度きりの学生生活だ。私のような年増と話してないで若くてピチピチの同級生と話してきてはどうだい友達いなくなってしまうよ私のような年増と話してたら」

「あ、結構気にしてたんですねすいません。師匠、年齢言ってくれませんけど見た目は20代前半で大人の色気と若々しさの間のいい感じなアレ出てると思いますよ」

「んんっ、そうかそうか。そこまで大人をからかいたいか。なら私も久々に本気で遊んでやろうかなー?」

 

 師匠の周囲にゾワゾワと黒色の魔力が流出し始め、そっぽを向いて眼帯を外そうとしていた。やばい、これは師匠がガチで怒ってる時のアレだ。結構色気云々は本気だったのに。

 なんだかんだ精神性が最悪でも俺からすれば色々世話して貰ってる年上の美人な女性だ。そういう感情がない方が不健全というものだろう。

 

「いやーすいませんでした先生! では、俺は教室に戻るんでまた今度」

「そうそうそれでいい。さっさと行け」

 

 急いで教室を立ち去る前に、一つ確認とばかりに聞いておくことにした。

 

 

「『魔女』の動向は最近何かありましたか?」

「……子供が考えることじゃない。君達はまず一度しかない青春を楽しみ、そして一人前の騎士になってから聞きに来な」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人生一周目の頃の俺は、優秀な人間ではあっただろう。これは自意識過剰とかではなく、客観的な事実だ。あくまでデウスのような天才がいた上で、その下にいる常識的な範囲で要領よく何事もこなす人間という意味で。

 

 そんな俺はそれなりに出世していた。それでも戦力としては一人の騎士以上のものではなかった故に、俺が『魔王現象』、俺たちの世代での呼称は『魔女』。奴について知っていることは少ない。

 何が出来るのかもよくわかってないし、結局今から魔女の対策とか未来を知ってるからとできることはない。

 師匠が言う通り、子供らしく今は青春を謳歌するのが正解だろう。一応、わかっていて最終的に人類側にとって有益な情報はあるが、今は口にしても意味がなかったり、逆に俺の立場が危うくなりかねないことの方が多い。

 

 だからまずは俺の失われた青春を取り戻す! 

 デウスという天才にボコボコにされ、他にも色んな天才にボコボコにされ、ゴミクズのようにボロボロにされ続けた青春を払拭する。

 

 そう胸に誓いながら俺は教室の扉を開けた。

 

 

 

「…………ん?」

 

 

 

 先程まで外にも聞こえるくらいの雑談をしていたはずの生徒達が一斉に静まり、俺に視線が向けられる。デウス……ではなくエアとか言う少女に向けられたような視線ではなく、何となく軽蔑とか憐れみとか、恐怖とかそういうのが感じられる。

 え、俺何かやったか? それともあれだろうか。俺の溢れ出る『強者』としてのオーラに圧倒されちゃってるかみんな? 師匠との地獄の特訓で俺は前世とは比べ物にならない、とまではいかずともかなり強くなってるからな。そりゃあみんな恐れてしまうのも当然か……。己の実力が怖いぜ。才能はあんま怖くないからな。

 

 そう思いながら席に向かって進もうとすると、みんな俺を避けて勝手に道ができる。わかってるじゃないか。俺の邪魔にならないように気遣ってくれてるんだろ? 決して、敬遠されてるとかじゃないよな? 違うよな? 

 

 席に座っても全員遠巻きに見つめながら、なにかヒソヒソと話すだけで誰も話しかけてこない。

 さすがにこれは何かおかしいぞ。俺何かしたかな? それとも師匠、背中になんか張り紙とか貼ったかあの女? そう思い背中に触れてみたりしたが特に何もない。一体なんなんだマジで。

 さすがにそろそろ泣いちゃうぞ。そうやって俺を恐れてくれるのはいいけど、なんだかんだ自己肯定感はボキボキに折られてるから誰かに褒められたい欲求は人一倍にあるんだ。すごいと思うなら近づいてきて褒めてくれ。せめて、話しかけてくれ。前世でも友達ほとんど居なかったからこっちからは話しかけられないんだよ。

 

「あの……」

「はい! ジョイ・ヴィータです!」

「えっと、うん、よろしくね」

 

 ようやく話かけてもらえて嬉しくてつい食い気味に反応してしまった。

 あのぶかぶかロリ巨乳とかと違って制服もしっかり着こなしてるし、何より貴族らしい上品さもある女の子が救いの女神にすら見えてくる。

 綺麗な髪留めをつけた瑠璃色のショートカットなんてもう上品すぎて宝石かなにかに見える。ありがとう、俺に話しかけてくれて。正直めちゃくちゃ不安でした。

 

「とりあえず、これあげるね。あんまり気にしちゃダメだよ。私も、あんまり大きな声で言えないけどお腹強くなくて……緊張するとね?」

 

 そう言いながら彼女は俺に小さな瓶を手渡してきた。

 これはどうやら香水のようだ。ん、どういうことだ? なんで俺は初対面の女の子から香水を渡されてるんだ? 

 

「これは?」

「臭い隠しの香水だよ。兄さんが何かあった時の為に使えって」

 

 なるほど。全くわからん。貴族の子ってこんな意味わかんない会話をするのか、それとも俺がノブレスな会話についていけてないのか。

 反応に困ってるのか、小さく震えてアワアワし始めちゃってるし、これはどうすればいいんだろうと考えてると、俺の前の席に座り、机に突っ伏して寝ていたであろう男が眠たげな目を擦りながら話しかけてきた。

 

 

「よ、トイレは間に合ったんかウ〇コ我慢くん?」

 

 

 とりあえず周囲を確認して、この謎の男が話しかけた相手を探してみる。俺の周りには瑠璃色の髪の彼女以外人はいないし、彼女に目を向けると全力で否定された。

 

 

 え? 

 ウ〇コ我慢くんって、俺? 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんでも、そいつはなんかやたら良い姿勢でずっと式典に参加していたと思ったら、新入生代表の挨拶のタイミングで急に顔を真っ青にして震えだしたとの事。

 そして式典が終わるまでずっとそんな感じで、心配して話しかけた隣の子の言葉すら耳に入らない様子で、生徒が退場するタイミングになると同時に慌てて何処かへと走り出していった。

 

 その後どうなったのか、ある生徒の証言によればその生徒は救護教論と一緒に保健室に入っていったとの事。

 

 

 

 

「まぁだから噂になってるで。君が式典中ずっとウ〇コ我慢してて、結局間に合わず保健室で着替えてから戻ってきたんじゃないかって」

 

 

 

 最悪じゃねぇか。

 俺は前世で何か大罪でも犯したのかってレベルの最悪の勘違いが広まってるじゃねぇか。普通そんなことある? 

 

「しかも君が平民出身だと知るや否や、脱糞平民だの嘲笑う連中の多いこと。いやぁ、さすがに可哀そうになってくるわ」

 

 嘘だろ……? 

 これが我が国最高峰の教育機関の民度だと言うのか? そんなウ〇コで盛り上がるなんてガキじゃあるまいし。

 俺はこれから、あらゆる初対面の相手に入学式で漏らした男として認識されるのか? 何をやってもでもアイツ漏らしてるんだよなって思われ、何かやらかせばやっぱ漏らすやつはダメだって思われて生き続けるのか? 

 

「い、嫌だァァァァァァァァ!? 転校したい! もう転校したい!」

「お、落ち着いてジョイくん。私はとりあえずその、も、漏らしてないことはわかったから! どうにか噂が嘘なこと広めてあげるからね?」

「俺も君が漏らしてないことは知れたし、これから可能な限り訂正してやるからな、元気だしな」

 

 うぉぉ……暖かい……。これが友情の暖かさか。師匠の言うとおり、しっかりと友達を作っておくことの大事さが身にしみてきた。何かあった時、こういう友達がいる事でメンタルへのダメージが軽減することが出来る。

 

「せっかく面白そうな感じになってきとるっちゅーのに、転校なんてされたらつまらんやん、何か困ってたらいつでも俺に頼ってくれな! 君面白そうやし」

「俺も今まさに転校する気無くなったわお前後で絶対泣かす。俺はジョイ・ヴィータだよろしくな。あとその取ってつけたような訛りやめろムカつく」

「ははっ、勝負なら受けて立つで? 俺はリエンや。よろしく頼むでウン……ジョイ」

 

 相当いい性格してるらしいリエンの頬に一発ビンタを入れようとして防がれるやり取りをしつつ、とりあえずこれからどうするかを考える。

 さすがに漏らした疑惑が広まっていることをそのままにして学業に励むのは嫌すぎる。かと言って俺が漏らしてないと言い回っても絶対に信じて貰えないだろう。そんな気しかしない。

 

「おっ、なんか第二闘技場の方に人集まっとる。なんかやるんかな?」

「あー……そう言えばさっきグラシアスさんに誰かが突っかかってたし、それ関係じゃないかな?」

「なに!? じゃあ噂のエア・グラシアスの戦いが見れるってことやろ!? よし、一緒に見にいこうや親友!」

「親友じゃないから離れろ」

 

 しかし、入学式のその日からいきなり決闘とは血気盛んなやつもいるもんだ。

 

 まぁ、俺も前はそうだったんだが。

 懐かしいというか思い出したくもない。自分が首席入学じゃない事実に納得がいかず、入学式が終わってその足でデウスへと決闘を挑みにいったあの頃の俺。

 

 正直見に行きたくはない。だって、もしもエア・グラシアスの戦闘を見たら、あの頃のことを思い出す羽目になりそうなんだもん。本当に恥ずかしい過去なので出来れば一生思い出したくないのに。

 

「まぁまぁそう言わず。……この学校で悪評を吹き飛ばす簡単な方法、君なら知ってるやろ? なら闘技場に行くのは必然なんやから、もののついでに、な?」

 

 ……まぁ、エア・グラシアスという存在がいようがいまいが、この学校に所属する限りはどうせいつか足を運ばなければいけない場所なのだから。楽しくないことはさっさと済ませてしまうのが吉だろう。

 

「あ、二人とも闘技場に行くの? じゃあ私も一緒に行っていいかな?」

「別に俺は構わないけど、リエンの方が良ければな」

「俺は可愛い女の子はいつでもOKですわ。そう言えば君、名前は?」

 

 可愛い、と言われてちょっと顔を赤くしている瑠璃色の髪の彼女。さすがにこの軽薄が擬人化した男に言われて顔を赤くするようじゃ将来が心配な彼女は、少し言い淀むようにして名前を口にした。

 

「……アーリス。私はただの、アーリスだよ。よろしくねジョイくん、リエンくん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この学校は卒業時にも順位が付く。

 俺の時はもちろん首席卒業はデウスだった。当時1位を目指し続けていた俺からすればそれは屈辱であり、同時に当然のことだと感じられて酷く虚しかったからよく覚えている。2位にすらなれず、呼ばれていく名前を別の世界のことのように聞いていた。

 

 

 

 そして、4番目に呼ばれた少女のことだって忘れはしない。

 炎のような()()()()()()と自信に満ち溢れたその立ち振る舞い。優秀な騎士を輩出してきた名家、イグニアニマ家の御令嬢にして、『猛炎(フレア)』の名を冠した、この国でも最高峰の天才の1人。

 

 

『第4位、アーリス・イグニアニマ』

 

 

 

 そして同時に、未来では『魔女』の尖兵に堕ち歴史に残る大虐殺を繰り広げる最悪の騎士の名前だ。

 

 

 

 

 

 

「どうしたのそんな私の顔見て? もしかして何か付いてる、かな……あはは、はは? ……ねぇ本当に何か付いてる?」

 

 

 顔のパーツはよく似ているが、燃えるような赤とは真逆の瑠璃色の髪の毛と自信なさげに笑うその姿は、何度見直しても俺の知ってる『猛炎(フレア)』のアーリスとは繋がらなかった。

 

 

 デウスがロリ巨乳美少女になってるし、もうマジで一体なんなんだこれは!? 

 

 

 

 




・ジョイ
苦い経験ばかりだったのでいい声で鳴く。

・アルム・コルニクス
ジョイの師匠。専門は治療。性格が悪いし背が高い。




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3.輝くロリ巨乳

 

 

 第二闘技場には結構な数の人が観客として集まっていた。

 そりゃあ注目もするだろう。なんて言ったって戦場に立つのは入学式で不遜な態度でとんでもない発言をしでかした現在騎士学校で最も注目されている女、エア・グラシアスなのだから。

 

「あんなちっこい子が本当に首席入学なんて、俺は信じられんなぁ」

「じゃあお前ちょっと挑んでこいよ」

「まさか! あんな可愛い子に俺みたいな紳士が全力を出せるわけないやろ!」

「でも、確かにそうだよね。見た目は全然、なんと言うか……ちんまくて可愛らしいよね。あんな妹欲しいかも」

 

 俺は絶対にいらないな。あんな兄の心を容赦なく折ってくるような妹。

 闘技場の真ん中で屈伸したり、腕を伸ばしたりして最後には大きな欠伸すらしてしまってる緊張感のない少女。動く度に制服の胸の辺りの生地が悲鳴をあげてるので早く採寸し直してあげて欲しい。

 

「ちなみに相手は結構有名どころやな。イミテシオ家の次男坊のファルセ……」

「別に相手のことなんてどうだっていいだろ」

「おや、その心は?」

「じゃあ逆に聞くが……お前らはエアが負けると思うか?」

 

 リエンもアーリスも、その言葉に対しては否定の意味の籠ったジェスチャーを見せた。

 そりゃそうだ。よっぽど才能がないか、現実が見えていない大馬鹿者でもない限りはデウス……ではなく今はエアか。彼女に挑むだなんてことはしないだろう。

 一目見れば誰だって、アイツとの格の違いを思い知らされる。アレはそういう存在だ。

 

 

 この学校は生徒同士の模擬戦を奨励していて、登録して行ったそれの結果は成績にも反映される。だからこそ、学生時代から切磋琢磨した修羅が騎士団に入るというものだ。

 しかもこの模擬戦は、基本的に相手を殺すつもりでやる。よっぽど肉体が消し飛ぶような致命傷でもなければ、優秀な救護班がどうにかしてしまうからだ。ちなみに俺の師匠ことアルム・コルニクスも救護班の一人だ。弟子だからわかるが、あの女が近くにいてしかも設備が整ってる場所ならば死ぬほうが難しいってものだ。

 

「あ、始まるで!」

「うぅ……大丈夫かなぁ? 負けるとは思わないけどさ、あの子あんなに小さいのに」

 

 身の半分以上はありそうな、かと言ってサイズ的には大剣と言うほどでは無い剣を杖代わりにして待機するエアの元に、対戦相手と思わしき男が現れた。

 なるほど。対戦相手も相当な強者だろう。見ただけでもよく鍛えられているのが分かるし、その表情は自信に満ち溢れている。

 

「心配するだけ無駄だよ。この戦いは大した怪我人も出ずに終わるだろうからな」

 

 

 ああ、思い出したくもない。

 かつて、俺も似たような感じでここに立った。

 

 自分と同じ、平民の男が俺が目指していた史上初の平民での首席入学を掠めとった。当時の視野の狭い馬鹿な俺はそうとしか考えられずに、決闘を挑んだのだ。

 だって楽しくない。自分が一番だと思っていた世界で、他人から『お前は一番ではない』と言い渡されたようで、俺の全てが否定されたようでどうしてもそれを覆してやりたかった。

 

 

「では、始めっ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 幼い頃から、英雄に憧れがあった。

 己の極めた剣と魔術で騎士が『魔王現象』に立ち向かう御伽噺。俺は本気でそれに憧れていた。剣の一振で天地を分け、悪を払う大魔術を扱うそんな騎士。

 そして自分にはそうなれる才能があると信じていた。大人にだって負けない力が実際にあった。

 

 誰かを特別にするのは背景なのか? 

 そんなことあるわけが無い。あったとしたならば俺がそんな常識壊してやる。

 

 英雄の血を引く武人だから? 

 生まれた時から何か特別な固有魔術を受け継ぐ素養があったから? 

 聖剣に選ばれたから? 

 誰かに期待されたから? 

 

 

 違う違う! 

 俺は、()()()()()()()()()()()()()()()、心の底から英雄になりたいと思ったのだ。歴史に名を刻み、何もかも一番に成れれば楽しいのだろうと、絵本を開いて目を輝かせた。

 

 もちろん俺は己の才能の上にあぐらをかいていたわけではない。

 毎日毎日、腕が動かなくなるまで剣を振ってたし両親に頼み込んで色んな本も買って貰って勉強だってした。人並み以上、その倍は努力だってした。

 

 

 

 だから認められなかった。

 俺と同じ農民で、特別な背景なんて何も無い、その男。俺が目指していた場所に何食わぬ顔で立っている金の髪と蒼の瞳を持った、世界の中心のような存在感のあるその男を。

 

 

『俺と勝負しろ! お前の不正を暴いてやる!』

 

 

 子供の癇癪であった。けれど、子供の俺にとってそれは世界全てから否定されたも同じようなショックだったんだ。だからそんなことを叫んで、デウスに勝負を挑んだ。

 背格好や体格は殆ど同じ。コイツにはあって俺には無いものなんて無いはずだ。絶対に、戦ってみれば俺が勝つ。そうじゃなければおかしいんだ。これまでの全てを賭けてその場にたった俺に対して、デウスはと言うと。

 

『えっと、ジョイくんだったかな? よろしく。周りは貴族だらけで、正直緊張していたんだよ。声をかけてくれてありがとう』

 

 俺のドロドロとした汚い感情なんて全く知らないような、輝くような笑顔でそう言って軽く体を動かし始めた。

 よし、絶対に倒してやる。こんな何も抱えてないやつに、俺が、俺の夢が負けていいはずがない。

 

 

 そう思いながら、試合開始の合図が鳴った。

 一定の距離を保って、まず剣を抜こうとした時に目の前のデウスと目が合った。

 

 

 思い出すともうなにかおかしくて笑ってしまう。

 俺が剣を抜いた時、デウスは既に間合いを詰めて剣を振り下ろそうとしていたんだから。そんなアイツと目が合って、おかげで何とか反応ができたくらいだ。アイツが俺を()()()()()()()()()きっとそれで終わってた。

 でも、アイツが俺を見ていたおかげで本当に咄嗟に、脳で考えるよりも先に脊髄が体に指令を出してデウスが剣を振り下ろす前に頭上に剣を構えて受け止め、流そうとした。

 

 ここまでで1秒。

 

 そして、デウスは俺の動きを見てから()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()剣から手を離した。

 それを見ることが出来ただけでも当時の俺からすれば上出来だ。そこから先は何が起きたか分からないまま意識を刈り取られて俺は負けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………瞬殺、やな」

「え、え、なに……あの速さ。なんであんな動きが、できるの?」

 

 リエンが目を見開き、アーリスが泣きそうな声を絞り出した。

 

 その試合を見て確信できた。

 エア・グラシアスという少女は間違いなくデウス・グラディウスと同じ何かを持つ存在だ。

 

 二振りの剣が地面に落ちる。

 1本はエアが振り下ろす寸前に手を離して放った剣。もう1本はその対戦相手が意識を失い、手から離れた剣。

 

 静寂があった。

 何が起きたか分からないものの意識が、2秒前に置いてかれたまま。

 目の前の光景に圧倒されたものが、呼吸すら忘れて。

 頂点を見せられたものが、目指す先を無言で見つめて。

 

 

「ふぅ……改めまして皆さん。僕はエア・グラシアス。今年度入学した中で、現在最強の騎士見習いです」

 

 

 音も光も置き去りにしたその金の輝きは世界の中心で星のような笑顔を浮かべ、小さな手で大きくVサインを見せつけながら。

 

 

「どうか皆さん。僕に並んでみせてください」

 

 

 大言壮語、分不相応。どんな人間が口にしてもそうとしか取られないような言葉を、少女は当然のように口にする。

 そして、今まさにその言葉を許されるほどの土台を作って見せた彼女のその言葉に文句を言う者は誰もいなかった。

 

 ゆっくりと、会場を見渡すエアの蒼色の瞳。

 目を合わせるのが怖いのか、それとも内心に秘める闘志を見透かされるのを躊躇ったか。誰もその瞳と目を合わそうとはしない。

 そりゃそうだろう。今の戦いを、戦いとも言えないような一方的な蹂躙を見せつけられれば誰だってエアという少女の怪物性を理解する。理解できない馬鹿者は、()()()()()()という恐怖故に目を逸らす。

 

 並んでみせて、という言葉への無言の応え。

 お前に並べる者なぞこの世に居ない。お前が頂点だと。

 

 

 

(認めるわけ、ねぇだろうが!)

 

 

 

 精一杯の強がりだった。

 俺はその瞬間、エア・グラシアスから目を逸らさなかった。驚いて、宝石のような瞳をさらに大きくして俺を見つめるその瞳を、その視線を全て受け止めてそれどころか向こうが目を逸らすまで瞬きすらせずに見続けてやった。

 

 

「──────」

 

 

 数秒間、或いは数分の視線の交差を終え、エアは闘技場から最後まで余裕たっぷりのままその姿を消した。

 俺はと言うとなんてことは無い、ただ目を合わせていただけだと言うのに尋常じゃない量の手汗をかいており、腰が抜けてその場に崩れ落ちそうになるのを必死に抑え込んでいた。

 

「ははっ……」

 

 けれど、漏れたのは笑いだった。

 前とは違う。最後までアイツの事を目にしていた。アイツを世界で唯1人にしてやらなかった。その達成感とその程度のことに達成感を覚えている情けなさでぐちゃぐちゃになりながら、先程の試合を思い返す。

 

 

 あの一瞬で距離を詰めた上で、剣はフェイント。

 本命は投げ捨ててからの格闘戦。素早く顔を殴り付け、そのまま顎を蹴りあげてから宙を一回転。放った剣が自分や対戦相手に当たらないように足で掴んで少し遠くに投げ捨てて、向かい合う形で着地する。

 

 なんとも鮮やかな攻撃だった。

 一度同じような技を受けたことがある身として出てくる感想は、喰らったファルなんとか君の心が折れてないことを祈るばかりと言った感じだ。

 

 

「今度は見えたぞ大天才。お望み通り並んで、追い越してやるよ」

 

 

 確かに目で追ったその動きを思い返して俺は高揚からか、それとも恐怖を誤魔化す為か。威嚇するような笑みを天才の背中に送り続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……はぁ〜! 緊張した緊張した! あんなに見つめられるなんて!」

 

 さすがにもう角度的に見えない場所に来たと、闘技場の選手控え室で鏡に向かって僕は自分の顔を確認した。

 何とか血流を操作してたがそれも限界。耳まで茹でダコみたいに赤くなった女の子の顔がそこには映っていた。

 

「でも、見つめてくれた。前と同じだ。うん」

 

 ジョイ・ヴィータ。

 灰色の髪の毛と同じく灰色の瞳が特徴の、平民出身の同級生。なんだか入学式で漏らしたとか変な噂が流れてきてるけれど、きっと彼の事だ。『この程度の空間は俺にとっては便器と同じ』みたいなそういう心構えを式典会場に発揮して見せたのだろう。僕ではちょっと意味わかんないけど。

 

 

「やっぱなにか声くらいかけるべきだったかな? 少しくらい、想いを伝えるべきだったかな?」

 

 今でも目を閉じれば思い出す。

 入学してすぐ、まだ右も左もわからずに心細かった僕に声をかけてくれた、同じ平民出身の彼の姿。

 2秒で決着が着いてしまい、意識を失った彼と人では無いものを見るかのような観客席からの視線。

 

 そして──────

 

 

 

『あれは何かの間違いだ! 次戦う時こそ、俺がお前に勝つからな!』

 

 

 

 次の日、何も変わらずそうやって口にして、僕をただの人間として見ていた彼の瞳。

 忘れるものか、世界が何度終わって、何度繰り返したって忘れてやらない。あの瞳だけがデウス・グラディウスを人間として繋ぎ止めてくれたのだから。

 

 

「今度は見えたぞ大天才。お望み通り並んで、追い越してやるよ」

 

 

 耳を澄まして、聞こえてきたのはそんな言葉。

 鏡に映る少女の顔は、恋するお姫様みたいですごく気恥しい。

 

 

「ああ、待ってるとも。たとえ君が僕を知らなくとも、僕は君が目指す()()であり続ける」

 

 

 一際輝く地上の星に願いを託す。

 星に願うことくらいはきっと、星にだって許されるのだから。

 

 

 

 




・リエン
取ってつけた訛り。師匠(アルム)と性格が似てる。

・アーリス
震える仔犬。将来は大量虐殺者。

・エア
天才。



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4.国辱の猛炎 1

 

 

 

「おはよう親友! 今日は漏らしてないかい?」

 

 朝からリエンの頬にハイタッチ(ビンタ)しようとしてそれを止められつつ、俺は机に白紙のノートを広げ、現状を整理していた。

 

 もうエアの事はある程度理解した。まぁ、俺がこうして人生二週目になってるんだからデウス・グラディウスという金髪碧眼天才イケメン騎士様が才能そのままにロリ巨乳美少女騎士様になってることもあるだろう。そういうことにしておかないと俺の一番欲と性欲がぶつかり合って大変なことになる。

 

 改めて思い返してみると、エア・グラシアスはとんでもない美少女だ。元々デウスが美形だったから当然だろうが、それに加えてあのこじんまりとしているのにどこか雄大な大地を感じさせる包容力とか、おっぱいが大きいこととか、色々と俺の好みすぎるが、奴に性欲を向けると俺の中の何かが壊れる。

 

「朝から何難しい顔しとるん? もしかして腹痛いの我慢しとる?」

「一応聞くけど俺が漏らしたって風評広めたのお前じゃないよな?」

「俺が広めるんやったらもっと情けない噂にするやろ」

「それもそうだな」

 

 まだ出会って一日なのに、リエンという生き物のクソっぷりは何となく理解したというか、多分こいつ本当に俺の師匠と気が合うんだろうなぁとどこか遠い目で親友を名乗る不審者を眺めていた。

 

 本当なら俺はこういう奴は嫌いなはずなんだが、何故かこうしてコイツが近くにいるとなんだかんだで落ち着くというところがある。これは多分、今世では親と過ごした時間より師匠と過ごした時間の方が長いことも影響してるのだろう。なんだかんだ言いつつあの人は凄い人だから、一緒にいると安心するのだ。

 

「……ジョイ。俺のことじっと見つめるのはええけど、他の女の顔を思い浮かべながら俺を見るのは、さすがにその……キモイ」

 

 ナチュラルに思考を覗いてくる所もよく似ているな。今度師匠に血縁居ないか聞いておこう。前に結婚してるかどうかを聞いた時は何故か顔を真っ赤にされてはぐらかされたからな。

 

「お、おはよう二人とも」

「おはようさんアーリス。アンタもどや、情報交換でも。ちなみに俺が出せる情報は、ウチのクラスの魔術基礎担任がちびっ子教師で有名なマグノ先生やってことやで」

「それ私も何か言わなきゃダメ……えっと、えーっと……わ、私の今日の下着の色は」

「OK。俺が悪かった。アーリスはどうか、そのまま()()を知らぬままでいてくれや」

「俺を見ながら汚れを強調するな」

「ズボンは汚れとるのに?」

「お前ホントいい加減にしろよ?」

 

 遅れてやってきたアーリスも会話に加わり、席が近いこともあってか完全に俺も巻き込んで『三人組』という雰囲気が出来上がっている。

 それ自体は悪くない。むしろ前世では色々と余裕がなくて友達がほぼゼロだったし、なんだかんだこうして話を出来る奴がいるのは楽しい。

 

 

 ただ問題は……今やってきた瑠璃色の髪の毛のこの少女、アーリス・イグニアニマについてだ。

 

 

 

 

 

 アーリス・イグニアニマは優秀な騎士を代々輩出してきたイグニアニマ家の長女で、確か3学年には兄のアロー・イグニアニマがいたはずだ。

 

 申し分ない家柄に相応の実力。

 女性ながらも勇ましく戦い凛々しく佇むその姿は同性からも人気であり、人望もあった。本人の努力については俺が知る由もないが、間違いなく恵まれた人間ではあったはずだ。

 

 

 そんな彼女は将来的に自らの兄を斬り殺し、突如として人類の全てを裏切って『魔女』の側へと寝返った。

 騎士団の中でも次期騎士団長候補と言われていて、既に相応の権力を与えられていた彼女の裏切りは戦局に大きく影響し、更に『魔女』による強化を受けた彼女の炎は、剣を一振しただけで視界の全てを焔に染め上げたと聞く。

 

 最終的に彼女を倒したのはデウスで、俺はその場にいなかったから詳しいことは知らない。

 だが、聞いた話によれば彼女の最期は壮絶なものだった。手足の腱を切り裂かれ、どう考えても絶命した肉体に自らの炎を流し込んで無理やり動かしながら、死んだ後ですら延々と怨嗟、呪いの言葉を吐き続けて、その肉体が完全に塵になるまで近づくことが出来なかったと言う。

 

 

 

 

 

「ん、なんやアーリス。教室で朝飯食うんか?」

「朝と昼の間のご飯。朝ごはん食べてから教室に来るまででお腹減っちゃわない?」

 

 そんな未来の『猛炎(フレア)』は何も考えてなさそうな顔で俺の昼飯よりも量がありそうな弁当箱を開けて物凄い勢いで食べ始めていた。

 本当に、コレがアーリス・イグニアニマで間違いないのだろうか? 顔のパーツはそっくりだが、印象と何よりもイグニアニマ家の特徴でもある赤色の髪の毛が、彼女の場合真逆とも言える瑠璃色の髪の毛になっている。

 

「ジョイくんも食べる? お腹が減ったら、授業に集中できないよ?」

「俺は朝はあんま食べないタイプだからいいや」

 

 炎系に適正が高い者は大食いの傾向があると風の噂で聞いた事があるが、それでも限度があるだろう。

 とにかく、やはり目の前の瑠璃色大食い気弱女のアーリスが俺の中で将来『国辱の猛炎(フレア)』なんて呼ばれる紅の騎士と結び付かない。

 

 何か、一応調べておいた方がいいのだろうか。

 でも正直俺は『魔女』に関することにあまり知識がない。故にそこら辺に下手に干渉するのは危険だと思ってるし、師匠からも暗に関わるなと言われているし、やはりそこは考えすぎずに今は普通に学園生活を送っておくべきか。うーむ。

 

「ご馳走様っと。そうだジョイくん、もし良かったらの話なんだけどさ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやーまさか俺の親友二人が争うことになろうとは。これも因果か」

 

 闘技場の控え室にまで侵入してきてケラケラ笑ってるリエンを無視して、俺は精神統一を続けていた。

 

 

『まだ模擬戦の予定とか組んでないんだったら、私と一回勝負しない?』

 

 

 あんなに弱気なアーリスからその提案をしてきたことに多少面を食らったが確かに一応友人と呼べるくらいの関係ではあるであろう相手を最初の相手にしたいという気持ちは分からないでもなかったし、何より断る理由が特に思いつかなかった。

 

「でもいい機会かもな。なんだかんだ、アーリスはあのイグニアニマ家の御令嬢さんや。彼女を倒したとなれば、漏らしたなんて言う風評被害は収まるかもしれんしな」

 

 ……リエンの言う通り、それもちょっと思ってる。

 正直割とマジで辛い。学校のどこに行ってもヒソヒソヒソヒソ、漏らしたの漏らしてないのってめちゃくちゃ見られるし、トイレに入ろうものなら笑い声まで聞こえてくる。栄えある騎士学校のくせにあまりに陰湿だ。こんな学校生活は楽しくない。

 

「さて。じゃあ俺はそろそろ観客席に戻るから、頑張れ〜」

「呼んだ覚えないんだがな」

「まぁまぁ。せっかくこの会場に()()()()()()()()()()()んやから、ちゃんと結果出してくれんと無駄な出費になってまうから」

 

 そう言い残してリエンは控え室から飛び出して行ってしまった。

 アイツ、なんだかんだで俺の『漏らした』という風評被害を減らす為に今日一日ずっと遠回しに噂のすり替えやら手回しやらをしていてくれたのを俺は知っている。

 性格は悪いが、悪い奴ではないのだろう。いや性格が悪い奴は悪い奴かもしれないけれど。少なくとも、そばにいて居心地が悪くない変な奴だ。

 

 

「愛弟子〜! ジョイの初試合だから応援に来たよ〜!」

 

 

 そして入れ替わりで似たような性格の奴が入ってきてしまった。どうしよう。もうマジでめんどいから追い出してもいいんだけどそれやると後日マジギレされるかもしれないんだよな。

 

「師匠……。今は事前に集めた情報とか整理したいし、集中したいんですよ」

「だからこそ私が検査に来たんだろう。言っておくけど、私が君と過ごした10年で授けた『切り札』は切るなよ? アレは負担も凄まじいし、何より君の目標がグラシアスくんのような生徒であるならば、一度見せれば『切り札』ではなくなる」

 

 そこのところについては心配は全く必要ない。

 俺と師匠の切り札であるアレを使うつもりは全くない。むしろ、こんな言い方は失礼だがアーリスに切り札を使ってしまってはまずエアには勝てない。

 

「心配しないでください。アレがなくたって、俺には師匠と積み上げた10年がある。3倍の時間にしても、それよりもずっと濃厚で大切なあの時間が」

 

 実際、俺の30年近くの前世よりも師匠との10年の修行の日々の方が実りあるものになったと思う。多分今の俺と前世での全盛期の俺が戦ったら今の俺が勝つと思えるくらいに。

 加えて俺にはアーリスの、イグニアニマ家の『切り札』である『猛炎(フレア)』の情報がある。

 

「──────絶対に負けません。だから、安心して治療の準備していてください」

「……ふん、治療の準備もしなくていい、くらい気の利いた事を言え若造」

 

 俺なりに感謝と敬意を込めたつもりだったが、師匠のお気には召さなかったようでろくに顔を合わせずに師匠は出ていってしまった。

 一応、切り札の検査とかしてもらいたかったけれど問題があったならあの人が見逃すはずがないし大丈夫だろう。

 

 

「よし、行くか」

 

 

 いよいよ俺のやり直しが始まる。

 緊張してるかしてないかでいえば確実にしているが、リエンと師匠のおかげで多少は解れた。

 俺の努力は天才達に通じるのかとか、いらない心配が頭を過ぎって全部吐き出してしまいたい気持ちもあったが、それ以上に楽しみで口角が吊り上がっていた。

 

 今度こそ、俺は絶対に一番になってやる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 会場に入ってみれば、既にアーリスは準備万端……なのだろうが、足を震わせて顔面蒼白で立っていた。

 

「その、大丈夫か?」

「ふふふ、大丈夫に見える? 緊張と後悔で思いっきり吐きそうだよ」

 

 それすると多分、俺よりも色んな意味で有名になるだろうから俺としては助かるけど、女の子に付き纏う話題としては最悪の物が付き纏う学園生活を送ることになるから我慢した方がいいだろうな。

 

「なんでそんなに嫌そうなのに、自分から俺に勝負を申し込んだんだよ」

「知ってるだろうけどさ。私、イグニアニマの人間だから。兄さんは一日目すぐに快勝の報告してきたぞって、お父さんからね……」

 

 ごめんね、と何に対して謝っているのかも分からないまま、申し訳なさそうにアーリスは紙を丸めたみたいな笑顔を見せた。

 

「一応言っておくと手加減とかはしないからな? 俺は一番になるためにこの学校に来たんだから」

「もちろんそれでいいけど……私は、何となく知ってる人と最初は戦いたいなーって。もしも蓋を開けてみたらグラシアスさんみたいなの飛び出してきても怖いし」

「あんなもんがポコポコ飛び出してくるんならもう世界はおしまいだから安心しろ」

 

 嫌だわエア級の怪物が闊歩するような学校。

 だがエアには及ばずとも決して劣らない天才がそんな風にポコポコ現れるのがこの学校だ。そしてアーリスも間違いなくそのうちの1人に入るだろう。

 

 試合開始の合図と共に、両者剣を抜いて向かい合う。

 

「……ごめんね。私を知ってる人なら、油断してくれるかなって」

 

 

 瞬間、視界の全てが赤色で覆われた。

 何が起きたか。そんな判断をしている余裕は一切ない。全ての魔力を防御に回しながら、全力で後ろに跳んだ。だがそれが間違いだったことには足を地面から離した時になってからようやく気がついた。

 

 炎を切り裂くように、その内から飛び出してきた赤色の柱が横薙ぎに俺の体を殴打した。身を捩ってどうにか勢いを殺そうとしてもそんなことが出来るサイズや速度ではない。メキボキゴキ、と聞こえちゃいけない音が体内で響くのを聞きながら体が吹き飛ぶ。

 

 

「……っぅ、は、は? え、何? 何?」

 

 

 あまりに情けないそんな感想が漏れてしまう。

 ようやく視界が元の色を取り戻して対戦相手の姿が見えた時、そこに立っていたのは瑠璃色の髪の毛の少女ではなかった。

 

 

「弱気でビクビクしてる私を知ってるなら、油断してくれるだろうなぁって。だってジョイくん、お人好しだろうからね」

 

 

 

 赤色の毛を靡かせ、他人を食い殺すような凶暴な笑みを浮かべるその少女。

 背中から炎の翼、イグニアニマ家相伝の固有魔術である『猛炎(フレア)』を起動させたその姿。

 

 前世での俺のイメージが良く似合う、アーリス・イグニアニマがそこには立っていた。

 

 

 ……別に騙されたつもりは無いんだよな。

 普通に警戒してたけど、今の一撃は反応が追いつかなかっただけだ。と言うかなんだこの魔力量。勢いに任せてあんな放出しといて余裕綽々で立っているなんて、多分この学校での平均でもその10倍以上はあるだろう。

 

 加えて、今の一撃で右腕が痺れて上手く動かない。

 

 

 うん。

 

 

「これ、勝てるか……?」

 

 

 

 改めて、本物の天才を前に俺の頬を伝ったのは身を焦がす炎熱によるものでは無い、己の内の焦りから生じる汗だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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5.鍍金

 

 

 

 

 

 それなりに強くなった自信はあったのに、その自信が一撃でへし折られた。出力から何から何まで桁が違う。これが『猛炎(フレア)』の称号を与えられた最高峰の騎士になる予定である怪物、アーリス・イグニアニマという事だろう。

 

 そして一撃目を何とか凌いだ俺を見て、アーリスは深紅の色に染った髪をかきあげながら魔力を昂らせた。

 

 ……こっちが素なんだろうか。

 同じ人物とは思えない豹変ぶりに確かに面を喰らいはしたが、それよりもどっちが素なのか割と気になりはする。なんてったって、もしもこっちが素ならあのオドオドした態度が全部演技だということだ。だとしたら騎士なんかより舞台役者とかの方が向いてるだろう。

 

 そして逆に普段が素で、こっちが何か別のものなら……。

 

「いや、どうでもいいか」

「何考えてるか知らないけれどそうだよ。今ジョイくんが考えるべきなのは、どうすれば出来るだけ痛くなく私に負けられるか、ってことだけなんだから」

 

 前世で知る凛々しいアーリスでも、最近知り合った弱気なアーリスでもない。凶暴でどこか俺を見下す仕草を見せるアーリスの背中から吹き出した炎が一対の翼の形で固定される。

 

 固有魔術。

 通常の一般的な学問として広まった魔術ではなく、それは初めから何かの形でこの世界に存在し、様々な発動条件を課すことにより出力を高めた秘技。

 わかりやすいもので言うと、特定の血族にしか使えない。髪の色が決まったものにしか使えない、特定の日に生まれたものにしか使えない、みたいな条件。それに加えて扱いも難しく、学術的な魔術とは別の位置にあり相伝する一族にすら取扱説明がない場合もある。

 

 だが、その分それは単体で戦況を覆すことすらも有り得る極大破壊現象になり得る。まさに英雄等が振るうに相応しい力。

 

 

「さぁ、灰にならないように頑張ってね! 『猛炎(フレア)』!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「君、自分が天才だと思ってるよね? その思い込み捨ててくれない? 見てて痛々しい」

 

 未来ある若者に対して、師匠はなんの遠慮もなくそう言ってきた。

 全く失礼だ。俺以上に自分を天才だという思い込みを思いっきり地面に叩き捨てた人間なんてそうそういないって言うのに。

 

「違う違う。君がどんな人生を経てそうなったか知らないけどさ……変な言い方になるけどジョイは動きのイメージの理想が高すぎるんだよ」

 

 普通の人間は実際に体を動かす時に、知らないことをイメージするのは難しい。だからこそ、誰かから教わって経験を重ねていくのだと師匠は言った。

 

「理想と現実なんて噛み合わないものだけど、君はその典型。君は自分を客観視することができてない。自分の非力さを容認できてない」

「さす、がに……泣きますよ俺で、もっ……けほっ」

 

 あまりにも酷すぎる評価に抗議をしてやりたかったが、今まさに師匠にボコボコにされたばかりの俺は血反吐を吐くばかりでろくに抗議の言葉を吐き出すことが出来なかった。

 

「君は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。だからそれが邪魔してるんだよ」

 

 確かに、肉体的にはそりゃあずっと鍛えたからと言って子供の俺と大人の俺では身体能力に差が出る。魔力による強化だって限界がある。

 しかし後者については納得出来ない。俺はあんな動きをできると微塵も思っていない。

 

「……憧れてるのさ君は。手が届かないから、憧れるしかないって諦めてる。君の心は、決定的にどこかで折れている」

 

 なんですか。

 じゃあ諦めろって? 一度折れてしまったら、もうどうにもできないとでも師匠は言いたいのか。俺は魂の底から、自分を打ちのめした天才達に敵わないと、屈服してると言いたいのか。

 

「ああそうだ。君は豊かな想像力で自分が負けることをイメージしてしまっている。だから、発想を逆転しろ」

 

 倒れ込んだ俺の胸ぐらを掴んで、師匠は俺を無理やり立たせる。足腰に力なんて入らないし、正直目を開けてるのもしんどいけれど、その真っ直ぐで真っ黒な瞳に見つめられては倒れることもできやしない。

 

 

「君は心が折れても、魂でここに立っている。だからイメージしろ。自分が敗北するイメージを。そして抗え。それに絶対に負けないと!」

 

 そうすれば君は、自分以外の誰にも負けない。

 いつも胡散臭い笑みを張りつけ、巫山戯たことを言っているアルム・コルニクスがその時だけは口角をピクリとも上げずに、何かに怒るように俺にそう説いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 うん。

 だからと言ってそれがイメージできるまで『全力で』俺をぶちのめし続けたのはやり過ぎだとは思うけれど。

 

 でも、それのおかげで想像力は随分と豊かになった。特に、圧倒的な格上に容赦も情けもなく負けることの。

 俺の前に立っているのは、『国辱の猛炎(フレア)』。全盛期のアーリス・イグニアニマだ。俺のような凡人では逆立ちしても勝てないような、本物の天才の一人。

 

 なんだ、そう思えば随分と想像よりも。

 

 

「遅いじゃねぇか、第4位!」

 

 

 実際相手の速度は何も変わっていない。

 だが、俺のイメージするアーリス・イグニアニマの速度と比べたらそれは()()()()()。体が反応するかどうかは別であるが、心構えさえあれば無理やり動かすのはお手の物。こちとら内臓が殆ど潰れても最善の動きが出来るように、師匠に常に叩きのめされ続けてきた。

 

「これも避ける……? ならこれなら!」

 

 アーリスは炎の翼を地面に差し込んで、魔力を一気に流し込んだ。瞬間、膨張する爆炎に耐えきれなくなった地面が捲り返り、俺とアーリスはその勢いのまま空中に打ち上げられる。

 

 大丈夫だ。想定よりも()()()()()! 

 

 

「空中なら、これは!」

 

 

 上下逆転。

 平衡感覚の揺らぐ上昇と落下の急動作の中でもアーリスは正確に俺の位置を特定して螺旋巻く炎の翼を打ち込んでくる。さらに加えて周囲に暴風を吹き荒らして瓦礫を吹き飛ばす。これでは瓦礫を足場にして避ける、というのも簡単ではない。

 

 炎と風の二重属性の精密操作。さらに劣悪な状況でも揺るがない判断力。さすがは第4位。

 

 でもまだまだだ。

 俺の知っているお前なら、もっと()()

 

 自分の脳内では既に俺は左右から挟み込むように迫ってきた炎の翼に対処しきれずに、貫かれている。だが現実ではまだ翼は俺に到達していない。

 当然だ。今目の前にいる彼女は幾ら強くても俺が『見たことのある』全盛期の彼女ではない。

 

 

 

 

 俺の師匠であるアルム・コルニクスは人体、思考、そして生死の概念を専門にする魔術師だった。

 師匠は言った、思い込めと。お前は自分の理想の動きを、相手の最高の動きを思い込めと俺に何度も教えながら、自分の魔術の最奥の全てを見せつけた。

 

 相手を知り、己を知る。

 単純だが一番重要なこと。相手の限界を見定め、己の限界を見定め。相手の限界に対処し、己の限界を打ち破る。

 皮肉なことに、敗北のイメージを誰よりも強く持ってしまった俺だからこそ、それは逆に揺るぎない勝利のイメージへと繋がった。

 

 得られるのが勝利であるならば、そこに至ることが楽しみであるのならば。ジョイ・ヴィータは諦めない。星の光に目を焼かれようとも、決して立ち止まらない。

 

 

 

「輝け、鍍金(アルデバラン)!」

 

 

 

 俺の脳内での速度より一段遅いなら、それだけ思考に余裕が生まれる。対処出来ない速度が、限界を振り絞って自分の限界を少し超えれば対処出来る速度になる。

 

 思っていたよりも一段遅く、一段弱い左から迫りくる炎の翼に向けて、俺は全身全霊で最大出力の魔力障壁ごと刀を叩き付ける。

 

「は? 自滅する気!?」

 

 ぶつかった瞬間衝撃で左肩の感覚が消し飛びかけながら、何とか剣を握り込む。足場もなく自由落下。渦巻く炎に体を持ってかれないように全身の筋肉に力を込めて、真正面から炎を受け止める。

 しかしそれでは右から迫ってくる炎の翼に対処出来ない。だから、渾身の力を込めて炎の螺旋に抗い、ほんの少し、ほんの少しだけその勢いをズラした。

 

 僅かに俺の横をすり抜けていく左からの炎の翼が、右から迫っていた炎の翼と正面からぶつかり、反対方向に巻き込むような炎熱の暴風はぶつかった衝撃で、爆ぜた。

 

 爆風と熱で体が削られるのを防ぐことはしない。

 この風は俺の勝利への道を作り出してくれるから。

 

 空中で、2枚の翼は爆発を起こし制御不能。加えてこの位置。俺が吹き飛んだ先にいるのは。

 

「私の『猛炎(フレア)』の爆発を、推進力に!」

「悪いな、すげぇ威力だから使わせてもらったぜ」

 

 左手は先の一撃でろくに力が入らない。何とか感覚の戻ってきた右手で剣を握りこみ、爆風に押されながら俺はアーリスへと切り込む。

 多分ヒビが入ってるのかめちゃくちゃに痛むが痛いだけ。痛いだけなら我慢出来る。

 

 アーリスも剣を構えて応戦しようとするが遅い。あれだけの大規模で緻密かつ、二重属性の暴威だ。当然ながら意識を大きく割いて、一瞬で近づかれないように気をつけるに決まっている。だからこその隙。大規模魔術を使えるものだけに存在する意識の穴。

 

「取った!」

「取ったのは、こっちだ!」

 

 アーリスが剣を突きの構えにした。瞬間、刃が岩で覆われて急速に伸びる。あぁ、そうだ。アーリスは天才だった。

 

「私の適正は炎と風、そして土属性なの。隠していてごめんね」

 

()()()()()()()。お前が努力家で、天才で、強いことを」

 

 そうなんだよな。

 普通、一属性だけを極めるのが魔術の基本、多くても二属性でやりくりする。それ以上の複数属性を使うのは限られた天才で、しかもアーリスの場合は『猛炎(フレア)』が超高等な火と風の二重属性なのだから。

 

 それでもコイツは第三の刃として土属性の魔術も多く修得している。

 でも俺は知っていた。『猛炎(フレア)』で相手を一方的に削り倒し、弱ったところにこの土属性の巨刀を叩き込む。

 第4位、アーリス・イグニアニマが完成させた戦闘方法を知っている。この学校で散々、それに負ける自分をイメージしては絶望していた。

 

 

 準備していたから。

 何とかギリギリで身を捻って躱す。でもその際に右腕が掠めて肉が抉り取られてさらに力が入らなくなった。わかっていても避けられない速度だから仕方ないが、それにしても掠めただけでこれとか直撃したら治療の暇もなく即死しているかも知れない。

 

 だが避けた。

 残ったのは刀身に岩を纏わせた為に満足に振ることが出来なくなった剣から手を離し、急いで『猛炎(フレア)』を解除して防御態勢に入ろうとするアーリス。

 

 あとは俺が剣を振り下ろすのが速いか、アーリスが対処するのが速いか。地面に落下していく中で俺は右腕に力を込めて剣を──────。

 

 

「──────あ」

 

 

 剣が、すっぽ抜けた。

 もう右手に握力がほとんど残ってなかったのか、急に右手が軽くなる。

 

 それを見てアーリスはすぐさま防御ではなく、攻撃の準備に入った。『猛炎(フレア)』を再構築して、この至近距離で爆発させるつもりだろう。この距離ではたとえ魔力障壁を使っても吹き飛ばされるし、これで俺は詰み。

 

 

 

 ……だと、アーリスからは見えたのだろう。

 俺は()()()()剣から手を離して、最後の力を振り絞ってアーリスに接近した。

 コイツが防御に回るなら、俺はそれを叩き割れない可能性があった。この期を逃せば俺は負けだ。もう着地する体力も残ってないし、受身を取ってもそこから立ち上がれなくなる気しかしない。そしてそうなれば、まだ体力が有り余ってるアーリスに勝てる可能性はゼロだ。

 

 だからここで確実に決める。

 己の誇りである剣を囮に、奇しくも何処かのロリ巨乳野郎が見せた戦法と同じように。意識を剣に向けた相手が、それを見て生まれた油断に。

 

 

「俺の、勝ちだ!」

 

 

 アーリスの顔面に思いっきり頭突きを叩き込む。

 お互いに電気でも浴びたように目をチカチカさせて、そのまま俺とアーリスは揉み合いながら地面に叩き付けられた。

 

 

 やったか? やったよな? 

 視界の端に移るアーリスは立ち上がる気配は無い。渾身の頭突きに加えて着地の瞬間に引っ掴んで受身を取らせなかったから、相当ダメージを受けたはずだ。

 

 

 10秒ほど経っても、アーリスは立ち上がらない。顔は角度的に見えないが、浅い呼吸を繰り返すだけで殆ど動かない。

 まぁ俺もそれは同じだ。両腕ともまともに力が入らないし、無理やり動かした体は筋繊維が引きちぎれて悲鳴を上げている。そんな死に体を何とか立ち上がらせて、歓声と審判の声に耳を傾けて。

 

 

 なんともカッコ付かないが、どうやら勝てたようだ。何とか憧れに、少しだけ近づけた。

 

 

 

 それを確認してから、俺は地面に倒れ込んで意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 








・『鍍金(アルデバラン)
アルム・コルニクスがジョイに仕掛けた暗示の仮名称。
1つ目の効果は自身の理想の動きを再現する為に、肉体への負荷を無視するリミッターの解除。
もう1つは相対する相手の戦力を把握することで、『自分が勝てない相手』をイメージする。敗北を予測し、ただその未来に抗うために1つ目の効果をより強く発動させる。それだけの力。


・『猛炎(フレア)
イグニアニマ家相伝の固有魔術。
炎の翼を生み出し、操る術式であり属性としては火と風の二重属性。純粋に爆発を引き起こし広範囲を攻撃するだけでも強力だが、翼は炎が高速で渦巻くミキサーのようなものであり、シンプルに叩きつければ超高速回転で対象をぐちゃぐちゃに引き裂く破壊力もある。ただし、制御がかなり難しく反対方向二回転する2つの翼を接触させると制御不能になり爆発を起こして一時的に術式が使えなくなる弱点がある。




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6.国辱の猛炎 2

 

 

 

 

 控え室で目を覚まして、自分が負けたことを理解した。

 体はほとんど万全に近かったが、無責任な救護担当であろう先生の書き置きには「殆ど無傷だったから軽く治したよ。魔力の使用は大きかったから多少だるいかもしれないけどそれ以外は治したから、何か他に違和感があったら保健室に来てね」と書かれていた。

 

 負け、負けてしまった。

 平民に、初めて出来た友達を騙してまで、精一杯やったのに。

 

「負けちゃった……」

 

 父さんにどう言い訳しようとか、まずジョイくんに謝らなくちゃいけないとか、色々と思考が堂々巡りをして。多少後遺症があるのか、ピリリとした頭痛でふと、ジョイくんの言葉を思い出した。

 

 

()()()()()()()。お前が努力家で、天才で、強いことを』

 

 

 鏡に映る自分は酷く醜く笑っていた。

 生まれて初めて肯定して貰えた。アーリス・イグニアニマを、褒めて貰えた。騙し、はぐらかし、罠にはめようとした相手を、彼は強いと認めてくれた。

 

 

 思い出すのは、罵倒の言葉。

 私を産んでから体調を崩し、死んでしまった先代『猛炎(フレア)』の母の事。母が死んでから私を見る目に憎しみを宿し、厳しく育ててきた父の事。

 兄さんは『猛炎(フレア)』を使えず、私も上手く扱えなくて毎日毎日ズタボロになるまで訓練させられて、気が付けばストレスからなのか髪の毛が真っ青になっていて、『猛炎(フレア)』の使用条件である『赤い髪の持ち主であること』を満たせなくなり、父は私をもはや母の仇として見るようになったこと。

 

 

『辛かったんだね。でももう大丈夫。君の願いを私が叶えてあげるよ』

 

 

 そんなある日、誰かが私に語りかけてきた。

 姿は見えなかったけど、とても優しくて、聞いてるだけで泣きそうになってしまうその声は私の味方になってくれた。

 

 私はその声に、認められたいと願った。

 誰かから、存在を認めて欲しかった。

 お前は凄いと、君といると楽しい、落ち着くと。生まれてきてくれてありがとうと、認められたかった。

 

 それから私は戦闘の時に限り、魔力を灯らせると髪の毛を赤色に戻せるようになった。

 そうしてる間は少しだけ、ほんの少しだけ自分が自分でないようで、うじうじしていてそれなのに姑息で、意地汚くて、誰かが大切にしてるものほど欲しくなるような誰にも愛されない自分じゃなくて。強い自分になれているようで嬉しかった。

 

 父さんはそれでも私を認めてくれなかったけど、これならきっと、いつか認めてくれる。母さんのような、『猛炎(フレア)』の騎士になれば、誰かが私を必要としてくれる。

 

 勝って、勝って勝って勝って。

 己の有用さを、己の強さを示していけばいつか──────。

 

 

 

「私って、強かったんだ」

 

 

 

 対戦相手の平民の彼が言っていた言葉を繰り返す。

 控えめに言って彼は、才能が無いのだろう。多分、魔術も基礎的な障壁の展開くらいしか出来ないんだろう。彼にならば勝てると、浅はかな考えで挑んだ自分が恥ずかしくあったが、同時に彼に挑んでよかったと思った。

 

 強かった。

 まっすぐで、目の前の敵じゃなくて遠い星を見て駆け抜けて。私を倒してみせた。その彼に強いと認めて貰えたことがたまらなく嬉しかった。

 

 謝ろう。

 許して貰えなくていい。騙したこと、侮ったこと、全部謝って。また一から始めよう。それからお礼が言いたい。出来れば彼と、リエンくんとはもっと仲良くしたい。今なら私にも友達が作れるような気がした。

 

 世界は広いんだから、どこかで私を認めてくれる人がいる。だから、私は今の私を否定するんじゃなくて、自分を認めて自分の強さを示してやろう。

 

 そう思って、ベッドから飛び降りた時。

 

 いつか聞こえたあの声が聞こえた。

 

 

 

 

『違うでしょアーリス。貴方は誰も認めてくれないのよ』

「……え?」

 

 

 いつもと変わらない優しい声色で、その声は何より強く私を否定した。

 

『貴方は意地汚くて、姑息な女。誰かのモノをいつも奪う。愛した女を、才覚を、奪って無自覚に微笑む。存在するだけで誰かを苛立たせる』

 

 ここにはいないはずの父さんの、兄さんの視線が私を串刺しにする。呼吸が落ち着かない。頭が割れそうだ。鏡に映る私の髪色が、戦い場でもないのに徐々に赤色に侵食されていく。

 

『だから力を貸してあげたの。姑息な欲張りさん。さぁ、本音を言ってみなさい。貴方は認められたいんじゃないでしょう?』

 

 違う、違う! 

 私は認めて欲しかった。ここに居ていいんだと、誰かに言って欲しかっただけなのに。

 

 そうじゃないんじゃないか。

 この声の言う通りなんじゃないかって。

 

 私は、愛されたくて友情を感じて欲しくて敬意を持ってほしくて常に思って欲しくて感じて欲しくて欲しくて欲しくて欲しくて欲しくて欲しくて欲しくて欲しくて。

 

 

 思ってもらうことが。

 正の感情を向けられるあの快感が欲しくて、自分勝手にそれを望んだんだから。

 

 

「わかってます。魔女様。私は、その為にあなたと契約をしたんですから」

 

 

 

 鏡に映る赤色の髪の毛の私は、とってもかっこよくて。

 きっと誰からも愛してもらえる。何をしようと羨望の的になれる。だから、欲しいものは手に入れるとしようか。

 

 さようなら、臆病な私。

 手始めにまずは貴方が変わろうとしたきっかけを奪ってあげるとしましょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あのさぁ……。そりゃね? 死んでさえなければ治せるよ? だけどさぁ……両腕の骨がバキバキ、足もバキバキ。力んで歯もボロボロ。内臓シェイクの筋繊維ブチブチ。これじゃあ勝ちって言えないよ」

 

 治療を受けながら、俺は師匠の小言を聞き続けていた。

 俺の、と言うより俺と師匠の『鍍金(アルデバラン)』はあくまで自己暗示。強大な相手をイメージして、その敗北のイメージを達成させない為に限界まで力を引き出す諸刃の剣。

 代償は端的に言えば無理やり使った体への酷いダメージだ。治癒魔術でも疲労と筋肉痛はどうしようもない。下手に筋肉痛の方を治すと成長が止まるらしい。

 

「とりあえず、傷自体は動ける程度には治した。ただ、体力が削れ過ぎてて完治は出来なかったから、明日続きを行うから」

「ありがとうございます……。あと、どんな結果であれ勝ちは勝ちですから」

 

 そう、俺は勝ったのだ。

 師匠曰く、実際に戦場での戦いであれば意識を取り戻したアーリスがろくに動けない俺を殺すから負けだと言っていたが、少なくともこの学校の模擬戦のルールでは俺の勝ち。

 

 今までの努力は無駄ではなかった。

 臓腑を焼かれるかのような激情に耐えながら、この学校でデウス達の戦いを眺め続けていたことも。

 師匠と共に積み上げてきた鍛錬の日々も。何も無駄ではなかった。

 

「師匠、俺……」

「言い忘れてた。おめでとう、ジョイ。君は本当によく頑張った。君が言ってたんだ。楽しい時は、笑うものだろう?」

 

 そう言って、師匠は俺を抱きしめてくれた。

 酷い顔をしているのが、世界の誰にも知られないように。真っ黒な髪の毛のカーテンで世界の全てから俺を隠して、頭を撫でてくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 と、そんなこんなで俺は帰路に着いていた。

 リエンはちらっと現れたが、俺の噂が『糞尿漏らし』ではなく、『イグニアニマに勝った男』という方向に流れてきていることを伝えると、さっさと帰って寝た方がいいとだけ告げてどこかに行ってしまった。

 

 多分酷い顔してるんだろうな俺。

 年甲斐もなく嬉し泣きしてしまったし、それ以上に疲労がやばい。立って歩くのも精一杯だし、治りきらなかったであろう左腕が熱を持って痛む。

 一刻も早く寮に戻って寝よう。そうして体力を回復させないと、明日師匠にこっぴどく怒られてしまう。

 

 

「さっきぶりだねジョイくん。……えっと、体大丈夫?」

「アーリス……。見てわかって欲しい。お前がめちゃくちゃに強かったおかげでボロボロだわ」

 

 

 人気の無い寮への道の途中で、俺に話しかけてきたのは先程激戦を繰り広げたアーリスだった。

 髪の色が()()で、強い意志の光が灯ったその立ち姿を見るに、普段の青髪の方が演技であったようだ。

 

「まずはごめんね。騙してたこと」

「別にいいよ。情報収集の時点から勝負だ」

 

 そもそも違和感はあれど、さすがにアーリス・イグニアニマを相手に気を弛めることは俺にはとても出来なかったから効果も薄かったしな。

 

「ところでその髪の色は?」

「赤色だと『猛炎(フレア)』を撃てるってバレちゃうでしょ? これも戦略。()()()()()()()()()

 

 なるほど。確かに『猛炎(フレア)』の使用条件である赤色の髪は有名な話だ。初戦限定であるが、確実に勝ちを拾いに行く為としては賢い手段だろう。

 まぁ俺はその手のフェイクが何一つ効かない特例だからな。なんせ、そもそも3年生になった時のアーリスのことすら俺は知ってるのだから。そうでなかったら絶対勝てなかった。人生二週目でなければ、確実に負けていた。

 

「改めて、今回俺が勝てたのはマグレだ。お前は本当に強い。自慢でもなんでもなく、事実だ」

「そうだね。君が私への哀れみからそう言っているのでは無いのもわかる。私も同じこと考えていたしね」

「……なんだよ。意外といい性格してるな」

「そっちこそ。私達、似たもの同士かな?」

 

 どっちかって言うと師匠とリエンとアーリスみんな似た者同士って感じだよ。俺の周りに来るやつらはなんでこう、ちょっと性格がいい感じなのか。

 そもそもまさかあのアーリスとこうして実力を認め合い、同じ目線で語り合うことになるとは。まだ現実感がなくてフワフワしている。

 

 そのせいか、少し足腰から力が抜けてその場に倒れ込みそうになってしまい、それを情けないことにアーリスに支えてもらってしまった。

 

「ちょ、本当に大丈夫!?」

「悪いな、あんまり大丈夫じゃねぇ。気抜いたらそのまま寝そう」

 

 参ったなコレ、自室まで戻れるか? 変に強がらず師匠かリエン辺りに送ってって貰うべきだったかもしれん。今アーリスに頼むのはなんか厚かましいし、そもそも女子であるアーリスは特別な理由でもなければ男子寮に入れない。いや、模擬戦の疲れで動けないはまぁまぁ特別な理由か? 

 

 

 

 そんなことを考えていると、唇に突然柔らかな感触が伝わってきた。

 声を漏らそうにも、口が塞がれている。目の前にはアーリスの顔だけが映っていて、真っ赤な熟れた果実のように上気したその顔は弱々しさや凛々しさよりも先に妖艶な雰囲気が滲み出ていて、目の前にいる生き物が『女』であることを理解し、そこまで来てようやく現実に脳が追いついた。

 

「おまっ、はぁ!?」

「うわっと?」

 

 慌ててアーリスを突き飛ばしたが、体幹がしっかりしてるのに加えて俺の方がフラフラだったせいか俺が反発に負けて地面に転がる形になってしまった。

 

 いやそれよりも、今何したコイツ? 

 口の中には桃の味、自分以外の誰かの味。柔らかさも匂いも現実離れしていて、それでいて現実だった。

 

「その反応、もしかして初めてだった? ならよかった。ジョイくんの初めて、美味しかったよ」

 

 してやったりと笑うアーリスだが、俺はまだ混乱している。

 いやだって、彼女の言う通り初めてではあったがこんな急に、何? 貴族ってみんなこんな感じなの? この距離感が貴族の中では普通、なのか? ダメだそれよりも考えることとかあるかもだけど、普通に童貞である思考回路が邪魔をしてくる! 

 

「ジョイ・イグニアニマ……アーリス・ヴィータ。うーん、どっちの方が語呂がいいかな? でもジョイくんがこっちに来てくれた方が、色々と便利だと思うけど」

「待て待て待て待て何言ってるのお嬢様!?」

「何って……ジョイくんに私との結婚断る理由がある?」

「そういうことじゃなくてな!」

 

 何言ってんだこのお嬢様は。

 だって結婚って、こう、もうちょっと段取りを踏むものと言うか。

 もっとお互いの距離感を図りつつ、何年かかけて愛を育んでその末に気持ちの確認として言葉を紡いで結ばれる感じのものじゃ、ないんですかね!? 

 最低でも10年くらいさぁ!? 

 

「そっか、ジョイくんは平民だから知らないよね。貴族の女の子は負けた相手と結婚するんだよ」

「そうなの!?」

「そうだよ」

 

 いや、それでもこれは詐欺と言うかほぼ当たり屋だろう。

 幾らアーリスが容姿端麗、成績優秀、家柄も申し分のない女の子だからって……いきなりこれは……断る理由、ねぇな。

 

 いやそうじゃない。落ち着け童貞。

 明らかにアーリスの様子がおかしいだろう。もっとよく観察しろ。ホント人生でモテたことがないせいで頭が茹だってるぞバカ。

 

「ジョイくんは初めて私を認めてくれた。アーリス・イグニアニマを強いって、認めてくれた。きっとこれは運命だから。私は、君が欲しいの」

 

 袋のネズミを追い詰めるように、アーリスは尻餅を着いている俺にまた1歩近づいてくる。

 夕日に照らされるその姿は息を飲むほど美しく、意思が捻じ曲げられるように喉から声を漏らしそうになった時。

 

 

 

 

 

 唇に触れた彼女の唾液から、魔力から思い出した。

 なんで、何故、どういうことだ。鮮明に浮かぶ死のイメージ。人生で最も死を想起し、そして実際に()()()()()()()()()

 俺の肉体を消し飛ばして、血と臓器を体の外に吐き出させて、殺した光の奔流。魔力の結晶。

 

 忘れるわけが無い。

 ジョイ・ヴィータとデウス・グラディウスだけがその魔力の持ち主と真正面から対峙したからこそ、確信を持って言えた。

 

 この魔力の持ち主の名前。

 

 

 

「──────魔女!」

 

 

 

 そう口にした瞬間、世界が閉じた。

 周囲一帯が先程の闘技場の様に円形の空間で閉ざされ、俺の逃げ場はどこにもなくなる。間違いなく、この世界で最も優秀な結界術師が生み出した稀代の大結界。内部と外部を強大な魔力の渦で隔離し、一対一の決闘を強制させる術式。

 

「……残念。アーリスが欲しがってたから、私が奪ってやろうと思ったのに。あの方のことをなんで知ってるのか知らないけど、知る者は全て鏖殺が命令だからね。ごめんね」

 

 そう言って、目の前の少女は炎の翼を出現させた。

 そこに立っているのは学生であるアーリス・イグニアニマではなかった。呪いと死を振りまき、大虐殺を行った魔女の尖兵。

 赤い髪と凛々しい表情。俺が最もよく知るアーリス・イグニアニマの姿がそこにあった。

 

 

 

 



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7.国辱の猛炎 3


感想、お気に入り登録、評価ありがとうございます。執筆の励みにさせていただいています。
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 魔王現象。

 

 魔術や魔力のルールを超えて、単体で国を相手取れる理性のある災害。『枝』、『孔』、『白夜』。時代によってその現象に付けられる名前は違うが、俺達の時代に現れた時代のソレの名前は『魔女』だった。

 

 詳しく知っている訳では無い。

 優れた魔術師であるということと、放っておけば世界を滅ぼす厄災であること。それだけしか分からない。

 

 それだけ分かれば十分な程、それは強大であった。

 言葉巧みに人を操り、都市を落とし、国を蝕み、多くの人を殺した。そして、俺も一度下半身を吹き飛ばされて見事に殺されてしまった。

 

 

 

「魔女の魔力……アーリス、お前は……」

「契約したの。私の願いを叶えてくれる代わりに、あの方に全てを捧げるって」

 

 

 

 目の前にいるのは間違いなくアーリス・イグニアニマだ。

 けれど、彼女の中に渦巻く出自不明の強大な魔力。そして俺と彼女を閉じ込めた結界は間違いなく『魔女』のものだ。

 

 一体どうして、彼女ほど優秀な騎士が魔女の手に落ちたのかなんて考えていたがどうやら前提が逆だったらしい。俺達がよく知る彼女というのは、最初から魔女の手の内にあったのだ。それをさも優れた騎士が魔女の手に落ちたかのように演出するとは、どいつもこいつも戦いなんかやってないで仲良く劇団にでも身を転じてくれれば世界は平和になるってものだ。

 

「言っておくけど、今の私はさっきまでとは違うからね? 確実に、君を私だけのモノにして(コロシテ)あげる!」

 

 紅の髪が風になびき、背より出る翼が生き物ようにうねりながら俺へと向かってくる。

 

「クソッ! こっちは疲れてるってんだろ!」

 

 どうにか『鍍金(アルデバラン)』を起動して体を無理やり奮い立たす。それだけでもう顔が歪むほどの痛みと倦怠感が身を包むが、ここで踏ん張らなければどう足掻いても殺される。

 

 アーリスの言葉に嘘偽りはないようで、彼女の『猛炎(フレア)』の速度、威力は先刻戦った時のものではなく、俺の知る全盛期の彼女のモノに近い。それが、今臨戦態勢に入った俺に迫る。

 

「──────あ」

 

 強力な自己暗示が示す未来。触れれば防御なんて意味無く、削り取られて炎で焼かれて消し炭になる。回避出来る速度ではない。

 明確に敗北のイメージと現実が重なってくる。こうなってしまっては、もうどうしようもない。

 

「ごめん、師匠」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……んー? あれ、今のどうやって避けたのかな? 凄いねジョイくん。君本当に平民かな?」

 

 肩で、なんてものでは無い。

 全身の筋肉を使ってどうにか酸素を肺に取り込みながら、顔を上げると、俺が先程まで立っていた場所は抉れ、溶解しアーリスは嬉しそうに、楽しそうに笑っている。

 

 使わされた。

 師匠から対エアに備えて2人で作り上げた最後の『切り札』。一瞬だけの使用であったため反動も少なく、相手も何をしたかを理解していない様子だが、2度目はない。アレは俺が万全で何とか起動できる代物だ。今の状態では半端に使って自滅が関の山。

 

 どうする、どうする!? 

 幾らなんでも魔女なんて、魔女の手先なんて、完成されたアーリス・イグニアニマなんて、俺には荷が重すぎる。二度目の人生で、死ぬほど努力して、何とか俺はこの学園に来てすぐのろくに経験も積んでいないアーリスに辛勝出来る程度の実力なんだぞ!? 

 そんな奴に『魔王現象』に侵された相手をどうにかしろなんて、出来るわけねぇだろ。『鍍金(アルデバラン)』に映る予想も全て、次攻撃されたら死ぬということしか分からない。対処法が分からない。

 

「ねぇジョイくん。私が怖い? 私が強く見える? 私を畏怖してる?」

「当たり前だろ。怖くて怖くて、仕方がない。今だって、結界が無ければ糞尿漏らしながら逃げ惑ってるさ」

「ふふ、うふふ、そう、そうだよね! 今の私、強くて素敵だものね! あの方が作ってくれた、(アーリス)はね、強くてかっこよくて美しいの! 誰からも好かれて、この世界に認められるの!」

 

 あの子と違ってね、と言って。

 誰かを嘲る笑みを浮かべながら翼が動く。もう後はない。生き残るためには、一か八かで『切り札』を起動するしかない。

 

「やってやるよ……俺に負けた分際で偉そうにしてるんじゃねぇぞ!」

「負けたのは私じゃない。今の(アーリス)なら、魔女様の力を借りた私なら、君なんて簡単に殺せるんだよ。ほら、まだ気が付かない」

 

 何を、と言いかけて足元から迫ってくる熱にギリギリのところで気が付いた。

 視界の端、地面を抉っていた炎の翼。いつの間にそれを伸ばして地下を溶かし、掘り進めていたのか。確かに精密性も破壊力も速度も、俺と戦った時とはレベルが違う。

 そもそもこれは回避出来るか? 『猛炎(フレア)』で溶解し始めた地面の熱が、到達する前に体が動く、動かないかそう言う勝負。

 

「づぅ──────」

 

 そんなここ一番で、治りきってなかった足の骨のヒビが傷んで踏み込みが遅れた。足の裏にジリジリとした熱を感じ、本格的に自分の終わりを感じ取る。

 一度目が魔女に殺されたように、二度目も遠回しに魔女に殺されることになるなんてさすがに笑えない。絶対的な死の予感と、裏付けされる足に迫る灼熱と焼け始めた足を見ながらそれでもまだ、諦めずに回避しようとした時だった。

 

 

「アレ、なんで……? ……! まだ、残ってたか(アーリス)!」

 

 

 ギリギリのところで、アーリスの『猛炎(フレア)』が解除された。更に、俺の足元の地面の石畳から熱が急速に引いていき、陥没しないように地下で何かが組み込まれている音がする。多分、土属性の魔術だ。

 

 アーリスの髪の色が、僅かに瑠璃色に戻っていた。

 イグニアニマ家相伝『猛炎(フレア)』の発動条件の一つ、使用者は赤い髪の毛を持つことが満たされなくなり、『猛炎(フレア)』が解除された。

 それに加えて彼女の反応。恐らく、魔女の支配からほんの少しであるが解放されている。

 

「ぅ、ジョイ、くん……。ごめん、ごめんね」

「アーリス、お前、すげぇな……」

 

 こんなこと言ってる場合じゃないのに、教室で最初に出会った時の弱々しい雰囲気に戻った彼女に、俺は素直に感嘆の言葉を漏らしてしまった。

 間違いなくアーリスは『魔女』の魔術によって支配されている。恐らく人格から意志まで、全て掌握か、変更されているはずなのに。その中で自我を貫くことの凄さを俺はよく知っている。

 

「巻き込んじゃって、傷つけて、騙して、本当にごめん!」

「わかった許す! 許すから待ってろ! もう少し耐えて──────」

「ごめんなさい……早く、私を殺して!」

 

 そう叫ぶアーリスの髪の色が、徐々に赤に覆われていく。

 

「いきなり諦めんな! 主導権奪って結界解いて、そうすりゃ俺の師匠がどうにかしてくれる!」

「これは、明確な契約に従った結果なの。私が、あの声に願ったの! 誰かに必要とされたいって……ここに居ていいって、認められたかった!」

 

 瞳から大粒の涙を零しながら、顔をぐちゃぐちゃにして虚ろな目でアーリスは何とか俺を見つめながらそう叫んだ。

 

「私が弱かったから、魔女にその隙を突かれた。だから、これはもう私の命でしか終わらせられない。お願いジョイくん。私は私を抑えるので精一杯で……」

 

 だから殺してと、そう言える強さを、瑠璃色の少女は持っていた。

 

 

「本当なら、私は消えていた。でも、君が認めてくれた! 私は強いって、アーリス・イグニアニマはここに居るんだって! 認めてくれた! だから私は──────最後まで、君に言ってもらったように、強い自分でいたい」

 

 

 魔女の力は強大だ。

 軟弱な意志を持つ者が、魔力に当てられただけで傀儡になったのも見てきたし、一度魔女の手に落ちた者で自力で戻れた者は1人としていなかった。

 

 けれど彼女はほんの僅かにであるが、自我を取り戻した。契約という一方的なものではなく、子供の心に付け込んだものであろうと両者合意のルールを意志の力で捻じ曲げて、魔女の楔に打ち勝った。

 

 

「だから殺して。こんなことお願いするなんて最低だって、自業自得だってわかってる。それでも、君を殺したくない」

「嫌だ」

「……え? 待って、話聞いてた!?」

「嫌に決まってんだろ。人殺しなんて」

 

 

 魔女に操られた仲間を殺したことはあるが、アレは嫌な経験だった。命を奪う感覚はまったくもって、驚くべきほど()()()()()

 

 そんなこと俺がしたいと思うのか? 

 そんなわけないだろう。ジョイ・ヴィータという人間は、己が楽しいと感じる事のために動く人間だ。

 

「楽しくねぇ。全然! 楽しくねぇ! そんなこと誰がやってやるか! おいアーリス!」

 

 焼け爛れた足を無理やり動かして、目を丸くしている彼女に近づく。

 頭を引っ掴んで、涙で滲む瑠璃色の瞳を真っ直ぐ見つめる。怯える彼女を何処にも逃がさないとばかりに。

 

「いいか、お前は強い! 俺が知ってる中で……2番目に強い!」

「2番目なの!?」

 

 仕方ねぇだろ一番があまりに不動過ぎるんだよ。

 

「実質1番だから安心しろ!」

「安心出来ないよ! そもそも何の話!?」

「お前は強い。だから、()()()()! お前の事は俺が認めてやる。お前なら、絶対に魔女に勝てる」

 

 誰もできなかった偉業を成し遂げてみせた、目の前にいる泣き虫な瑠璃色の少女は間違いなく、魔女によって生み出された赤色のアーリスよりもずっと強い。

 

「でも、無理……! もう、意識が……」

「それでも自分の強さを信じられないなら、俺を信じろ! 俺がこれだけ強いって言うアーリス・イグニアニマに勝った、この俺を信じろ! お前は絶対魔女に勝てる!」

 

 もう自分でも何をしてるかわからなかった。

 殺した方が手っ取り早いし安全とか、そんなことは全部置き去りにして。とにかくこうするのが楽しいと、アーリスをここで殺すのは楽しくないと、こんなに『強い』人間が、こんなところで消えてしまうことが心の底から楽しくなくて、心の底からブチ切れながら叫んだ。

 

「お前は強い! 強い! 強い! 復唱!」

「ぇ、私は……私は強い! 強い! 強い!」

 

 そう話している間にも彼女の髪の色は徐々に赤に侵されて、背中からは『猛炎(フレア)』がジワジワと湧き出している。それでも、俺はとにかく叫んだ。

 

「アーリス・イグニアニマは強い! お前なら魔女に負けない! まだ負けてねぇ! 敗北なんて認めるな!」

「ひぐっ、負けてない! 私は、負けてない! 私はここに居る!」

 

 果たしてこの意味のわからない行動で稼げたのは何秒程度だったのか。

 涙でぐちゃぐちゃの顔で、申し訳なさそうにでは無く嬉しそうに笑うアーリスの顔を最後に見て。

 

 

「──────ありがとう。ジョイくん」

 

 

 アーリスが剣を抜いた。

 そしてその剣先を俺の腹に押し当てて何かを呟くと、刃が岩に覆われて急速に伸びる。元からボロボロの俺は抵抗も出来ず、その延長の勢いに吹っ飛ばされて結界の端まで転がされて、その数瞬後にアーリスの周囲を炎が包み込んだ。

 

「けほっ、アーリス!」

「うん、私を呼んだかな。ジョイくん?」

 

 炎が晴れた時、そこに立っていたのは真っ赤な髪と炎の翼を携えた魔女の眷属だった。

 唇を噛み締め、反射的に殴りかかろうとしたがもはや距離を縮めることも出来ずに地面に倒れ込むことになった。

 

(アーリス)の意志の力には驚かされたけど、君はそれに比べてあまりに愚かだ。ほんの一瞬、取り戻しただけであの方の契約に勝てるわけがないのに。それを思い上がって勝てるだなんて。(アーリス)を殺せば、君だけは生き残れたのに」

 

 上から目線で俺を馬鹿にするその態度。

 前世の俺には腹が立つ。俺はこんな奴に負けたのか。こんな奴を憧れの目で見つめてしまっていたのか。あまりに目が曇り過ぎだ。こんな奴よりも、ただ『猛炎(フレア)』が使えるだけのやつより、ずっとアーリスの方が強かったというのに。

 

「最後の土属性の魔術は君を庇ったのかな? それとも、私に殺されるくらいなら自分で殺そうとしたのか。どっちでもいいか。すぐに君も同じところに送ってあげるから、答え合わせは直接聞くといい」

「……最後に、いいこと教えてやるよ」

 

 俺を完全に見下している奴は、負け犬の遠吠えを聞く感覚だろう。何を言っても未来は変わらないからと。慈悲と言うよりは嘲笑で耳を傾けた。

 

 

 

 

 

「俺とアーリスの勝ちだ。バーカ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 始めから、時間を稼げれば良かった。

 アーリスが意識を取り戻した時点でそれを長引かせることが俺達の勝利条件だったのだ。

 

 だって、この学校にはアイツがいる。

 俺が実際に魔女本人と戦った時、結界に閉じ込められた俺を助ける為に、どれだけ強力な魔術を叩き込んでも破壊できないこの結界内に侵入した男がいた。

 

 

 とぷん、と。

 水に石が落ちるように結界が歪んだ。

 

 魔女の結界は高密度の魔力の渦。侵入や退場を試みるモノを弾き、無理やり出ようとするのならばその高密度の渦で削り取る攻勢結界。

 例えるならば高速で回転する刃の海。その中を悠々と泳いで現れたのは、黄金の騎士だった。

 

「なんで……魔女様の結界を、どうやって」

「……なるほど」

 

 現れた騎士は状況を一目で確認し、倒れている俺に一言声をかけた。

 

 

「よく耐えたね。君は本当に凄いよ」

「その言葉は、アイツに言ってやってくれ」

「わかった。ちょっと、助けてくるね」

 

 耳に届いた声があまりに可憐で儚い声だったから、そういえばと思い出した。

 そいつ、今は女だったな。

 

「私を……私を無視するな! 私は誰よりも強くて、誰よりも認められるんだ!」

 

 赤い髪の女はその会話を、自分が無視されていると捉えたのか炎の翼を俺達に向けて放った。高熱と暴風の掘削機。俺に対しては手加減していたようにすら感じるそれを見て、黄金の騎士──────エア・グラシアスはただ一言。

 

 

「遅い」

 

 

 物質を溶解、切断する死の嵐に対して真正面から剣を叩きつける。

 魔力障壁も使わず、そんなことをすれば剣は溶け肉体は切り裂かれ待っているのは避けようのない死である、はずなのに。

 

 

 殺されたのは、そんな死そのものの方であった。

 

 

「……何? 私の『猛炎(フレア)』が、切り裂かれ」

 

 

 呆然とする赤い髪の女に一息で距離を詰めたエアは、その腹に剣を刺して、碧の瞳を大きく開いた。

 

 アイツの瞳は少々特殊な構造をしている。

 本人から聞いた話によると、目に見えない魔力という概念がその視界の中では『カタチ』を持っているのだと言う。

 目に見える、カタチがあるなら叩いて壊せる。カタチがあるなら切って消せる。そんなバカげた理論で、あらゆる魔術を切り裂く魔術文明に対する最強のカウンター。

 

 人の形をした文明の否定者。

 それこそがエア・グラシアス。

 

断魔(プレアデス)の名を冠した、唯一無二の騎士。

 

 

 

「見つけた。その契約(かなしみ)は、僕が断ち切る」

 

 そう言ってエアはほんの少し刃を動かした。

 ただそれだけで、魔女の支配が物理的に断ち切られる。意識を失って倒れる。その時の彼女の髪の色は、夕日よりもずっと眩しい瑠璃色だった。

 

 

 

 

 ……これにて一件落着。

 

 うん。

 

 それはそれとしてめちゃくちゃ悔しい。

 だって、これ100%エア頼りだったし。エアが来るまでの時間を稼ぐ、あまりに情けない。

 

 でもまぁ、今日のところはいいだろう。

 いつか絶対に、実力的な話でもエアに追いついてやるとして。

 

 素直に誰かにあんなに褒めて貰えたのは嬉しかった。そんな風に俺を褒めてくれた誰かを救ってくれた。

 

 

「ありがとな、エア」

 

 

 それだけ呟いて限界が来て、俺は本日二度目の気絶へと落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




・アーリス・イグニアニマ
幼少期に魔女と契約し、魔女の理想通りに動く仮想人格を承諾の上で生成。『前回』ではデウス・グラディウスに圧敗し、その際に更なる力を求め対価として元の人格は完全消滅し、魔女の傀儡として潜伏し続けていた。
父親からの虐待同然の教育と環境から承認欲求を拗らせており、自己評価が異常に低いが入試の成績は実はジョイよりも高い。魔女の与えた仮想人格も戦闘技術等はアーリス本人のモノを借り受けているのでセンス面で言えば普通に天才であり、魔術の三属性適正も本人の努力の賜物なのだが、それを自分の努力と認められない精神性が魔女に利用された。



・『断魔(プレアデス)
デウス・グラディウスとエア・グラシアスが所有する先天性の生態的特徴、魔眼の一種。
魔力を可視化し、物質として捉えることで本来魔力でしか干渉出来ない現象を物理現象に貶める瞳。魔力そのものを切ったり破壊することで魔力によって発生した現象を一方的に破壊する。また、デウス(エア)は魔力の流れを察知して相手の行動を先読みしたりもする。
この世界は大半のものが魔力を纏っている。そんな世界で魔力を可視化する瞳を持つ者が見る世界は常人とは全く異なった世界となる。


・『切り札』
師匠とジョイくんの決戦兵器。使うとジョイくんが次の日丸一日動けないことが確定するが、アルム曰く「クソザコナメクジのジョイでも天才を食い殺せる可能性を生み出す」技。



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8.妄炎鎮火

 

 

 

 

「……むすー」

「あの、師匠。ほんとすみませんでした」

「別に? そもそも君は悪くないだろう? 襲われた側が何を謝るんだい?」

「だって怒ってるじゃないですか」

 

 目が覚めたらめちゃくちゃ不機嫌そうに俺を見つめている師匠と目が合った。もう、私は不機嫌ですと全身で表して、なんならむすーって自分の口で言って頬を膨らましてるんだから。

 

「怪我、治したよ」

「ありがとうございます師匠」

「よろしい。本当に、手のかかる弟子なんだから。と言うかなんで? なんでこんなことになるの? あと少し遅かったり、無理してたら二度と戦えなくなってたよ?」

 

 大きく大きく息を吐いて、師匠はそっと俺の頬を撫でた。治りきってない傷があるのか、少しだけ傷んだが手を振り払う程ではない。

 

「君さぁ。何か変なやつおびき寄せるフェロモンとか出てない?」

「師匠、遂に自分の思考回路が常識から飛び出してることを理解出来アアアアアアア! 俺怪我人!」

 

 怪我人にも容赦のないアームロックにより完全にノックダウンさせられた俺はそのまま師匠にさらわれるように車椅子に乗せられて、何処かへと連れていかれることとなった。

 

 

 

 アーリスの一件は、エアの見事な活躍により終息した。

 俺が危うく死にかけたし、アーリスもしばらく意識が混濁して危うく自我が崩れるところだったらしいが、二人とも何とか回復した。

 

 元々、未来で魔女の眷属になった彼女が齎していた被害と比べたら本当に最小限の被害で済んだというもの。

 俺としては素直に喜びたい状況なのだが、師匠の珍しい真面目な表情からそんなこと言ってられない状況なのはわかる。

 

 あのイグニアニマ家の令嬢まで魔女の手にかかっていることが判明したのだ。

 しかも、その子が何食わぬ顔で騎士学校に入学し、誰もそれに気が付かなかった。これは騎士学校どころか人類を揺るがす一大事だ。既に何人魔女の支配下になっているかわかったものでは無い。

 

 

 と言うわけで、お偉いさん方で重要な話があるそうなのだが。

 それは俺が眠っている間に全部終わってしまったらしい。まるまる3日といえば長く感じるが、3日寝込んだ程度で話を終えてしまうとは優秀な上層部だ。

 

 

 

 

 師匠はぷんすこと擬音が出そうな怒り方をしながら部屋から飛び出していってしまったので、仕方なくぼーっと天井を見つめている。

 

 

 いやぁ、それにしても……。

 

 

 

 あんなに頑張ったのに! 

 全然褒めて貰えない!!! 

 

 俺はめちゃくちゃ頑張ったはずだ。魔女の眷属を相手にもう筆舌に尽くし難いくらい頑張ったはずなのに、起きてすぐ師匠に怒られて誰にも褒めて貰えてなかった。

 

 そりゃあ結果としてはアーリスが頑張って、エアが全てを終わらせたというのが正しい。

 俺はいてもいなくても変わらないただの被害者。それが結果であるのだが、だからと言って俺が生き残るためにめちゃくちゃ頑張った事実は消えない。

 

 でも何もしてないのも事実だ。結局すげぇのはアーリスとエアであり、今回の事件は俺の凄さは何も関係ない。

 

 ……それでも。

 そういえばエアは俺の事を褒めてくれた。頑張ったと、言ってくれた。

 

「……何思い出してんだよ」

 

 無意識にあの時のアイツの顔を思い出してしまう。

 本当に英雄みたいで、それがあんな可愛い女の子になってしまっていて、なんていえばいいかも分からないぐちゃぐちゃの感情が喉の奥で暴れている。

 えぇい、もう寝よう。まだ疲れが取れてないのか体がひたすらだるいし、これ寝るしかない。

 

 

「失礼するぞ。ジョイ・ヴィータだな」

「うー……はい。俺がジョイです、けど……?」

 

 

 なんとも間が悪いタイミングで来訪者が来た。

 誰かと思って体を起こすと、そこに居たのは小さな女の子だった。エアのように年齢の割には幼く見えるとかじゃない。正真正銘、騎士学校には不相応な10歳前後にしか見えない小さな女の子。真っ白な長い髪の毛を2つ縛りにし、強気そうな墨色のつり目で俺を睨みつけている。

 だと言うのに、服装は貴族が社交界に出るような上品さと、娼館にでも居そうなほど大胆に腹と背中を見せた深紅のドレスに身を包んでいるのだから何か、不思議なちぐはぐさがある。

 

「あの、お嬢ちゃん? お母さんとはぐれたり……とか?」

「ッチ。魔力でただの嬢ちゃんじゃねぇことくらいわかるだろ。アルムの野郎どんな教育してんだか」

 

 イライラを隠そうともせず、師匠が座っていた椅子に飛び乗るようにして座ったその女の子は、懐から煙草を取り出して怪我人の前で堂々と吸い始めた。

 え、何? この子誰? なんとなく師匠と同類の匂いがする。

 

「おい、アルムと俺を同類扱いすんじゃねぇぞ? これは見た目煙草だけど周りに害はないし煙も出てねぇから安心しろ」

 

 心を読んでくるあたりますます同類としか思えないのだが、師匠のことを知っているしどうやら師匠が俺を育ててることも知っている。つまりは師匠の知り合い。まさか……。

 

「師匠の、娘!?」

「とんでもねぇ悪口飛び出したなぶっ殺すぞ!?」

 

 

 

 さすがに俺も言いすぎた感じはした。うん、師匠の娘はさすがに誰だって怒るだろう。

 何とか怒りを納めた謎幼女は、改めましてと自己紹介を始めた。

 

「ギガト・レムノだ。まさかこの名前を知らねぇとは言わねぇだろうな?」

 

 ギガト・レムノですか。

 そりゃあ当然だとも。『巨人(タイタン)』の異名を持つ、現代最強の魔術師の1人。この騎士学校の学園長でもある超人だ。滅多に表に姿を表さないが、彼の現れた戦場の破壊規模や戦闘跡を見ればその強さは誰でも知っている。

 

 ……同時に、俺の前世では魔女との一騎打ちの末敗れ、その死は人類全体に大きな絶望を与えたのだからよく覚えている。

 

「で、ギガトさんはどこに?」

「俺。まぁ、見た目と一致しねぇ自覚はあるから今の失礼はなかったことにする」

「んー?」

「俺が、ギガト・レムノだよ」

 

 ……はぁ。

 もうさぁ、何? 

 

 デウスはロリ巨乳美少女だしアーリスは最初から魔女の眷属だし、加えて憧れの超人が目付き悪い変態服装ロリとかさぁ!? 俺の情緒がめちゃくちゃになっちゃうじゃんどうしてくれるんだよもう! 

 

「変態服装で悪かったな。趣味なんだよ、コレが」

 

 そしてナチュラルな思考盗聴はやはり師匠の同類としか思えない。あんまり失礼なことは考えないようにしておこう。

 

「さて、俺がここに来たのは他でもねぇ。アーリスについてお前にひとつ言っておこうとな」

「ッ! アーリスのこと、ですか?」

「あぁ。アイツが死刑になったことをな」

 

 言葉を失った。

 叫びそうになった何かを、グッと飲み込んだ。

 まぁ、わかっていたことだ。魔女との契約、殺人未遂。わかっている罪状でも十分過ぎる。それも、彼女の家はイグニアニマ家。魔女の、『魔王現象』の危険さはよく知っていたはずだ。その上で契約をした以上、弁護の余地はない。

 

「……すまねぇな。俺だって未来ある若者を殺したくはねぇ。だがな、ルールはルールだ。法ってのは自分で身を守れねぇ雑魚ばっかの人間が、それでも社会をより良くして仲良く手を取り合って生きてくために曲げちゃいけねぇもんだ。そこに例外を作れば、ウジが湧くように平和が崩れる」

 

 学園長はかなり口が悪いが、言っていることは何も間違っていない。

 今回はたまたま未然に防げただけで、アーリスのやった事は何万という無辜の民を殺す未来に繋がる、その可能性があったことを俺は確かに知ってしまっている。彼女は明確な罪を犯した。

 

 わかっている。

 わかっているけれど、あまりにやるせない。アーリス・イグニアニマの本当の強さを知れて、これからだったってのに。あの瑠璃色の少女の意思の輝きに、心の底からワクワクしていたからこそこの報告は全く楽しくなかった。

 

「……気落ちしてるところ悪いが、ここからだ。これからは魔女の対策に本格的に挑む必要がある。だからと言って、その為に若者の青春まで侵すのは世界が許しても俺が許さねぇだから、頼む」

 

 突然、最強の魔術師である学園長は頭を下げた。

 俺のような、今回何も出来なかった1人の被害者に対して頭を下げて、お願いをしてきた。

 

「お前たちの未来は俺達大人が責任をもって守る。だが、大人は万能じゃねぇ。そこでお前の力を借りたい。ジョイ・ヴィータ」

「お、俺……?」

 

 いや俺今回本当に被害者だったんですが。

 あの『巨人(タイタン)』、ギガト・レムノが頭を下げてまで協力を願うような戦果は出せていない。褒められたいとは思ったが、俺自身誰よりもそれは理解している。

 

「アーリス・イグニアニマからの証言だ。お前は、アーリスとの接触でいち早く彼女の魔女への影響に気が付いた」

「あ──────」

 

 魔女を直接捉え、その魔力によって殺された経験。

 それにより俺はアーリスの中に潜む魔女の魔力をいち早く発見した。だがそれだって本当にたまたま、アーリスがキ、……肉体的に非常に密接な接触を行ってきたからに過ぎない。

 

「それに推薦があった。既に協力してくれている2人の生徒からな。お前は今は弱くても、必ず強くなる、役に立つとな」

「2人……?」

「あぁ。この件に学生で最初の協力者として名乗りを上げ、今回も俺ですら破壊に手間取ってた魔女の結界の中に一足早く乗り込んだ、エア・グラシアス。そして──────」

 

 

 学園長の言葉を遮るように、1人の少女が部屋に入ってきた。

 何か決めたかのような強い意志を秘めた瞳を煌めかせ、瑠璃色の少女は改めてありがとう、と。

 

 たったそれだけで、頑張ってよかったと思えるもんだから人間というのは安いもんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アーリス・イグニアニマの死刑()()。エア・グラシアスに対する騎士団クラスの特権付与、さらにジョイを秘密対策委員に推薦。……権力の乱用はやめとけって言ってるじゃんギガト」

「アルムこそてめぇ弟子にどういう教育してんだ? 中々愉快なガキだったからうっかり叩き潰しそうになっちまったじゃねぇか」

 

 どことも分からない空間で、二人の大人が言葉を交わしていた。

 黒い髪と白い髪。人を見下すような高身長と人を見上げる低身長。丁寧ながら他人を嘲る口調と乱暴ながら他者を思いやる口調。正反対の、けれども何処か息の合っているような2人。

 

「魔女が出たんだ。使えるもんは全部使って抑え込む。それはそれとしてあのジョイとか言うガキを使うってのは俺はどうかと思うが……エア・グラシアスが言うんだから間違いねぇだろうなァ」

「私は反対だけどね。ジョイはそんなこと出来ない。彼に才能なんてないよ」

「テメェのソレには説得力がねぇよ。じゃあなんで、アイツにお前は自身の全てであるその『眼』を託した?」

 

 アルムの眼帯を指差すと、わかりやすく彼女は動揺しコーヒーを白衣に少しこぼしてそれを見てギガトは楽しそうに笑った。

 

「テメェはそういう奴だ。無才同士、惹かれるものがあったんだろ。今度紹介してくれや」

「……嫌だ?」

「あ? なんでだよ。確かに才覚はねぇが面白いとは思うってのに」

「……嫌なものは、嫌だ」

 

 アルムは何かを誤魔化すように、ただコーヒーを啜った。

 

「ひとつ言っておくよ。彼には、出来るだけ普通の学園生活を送らせてくれ」

「最初からそのつもりだよ。俺がジョイを誘ったのは他2人の熱い勧誘と、単純に魔女の魔力にいち早く気づいた点だ。先天的なものじゃねぇなアレ。魔力への察知が敏感だ。多分、死ぬ程魔力動作を眺め続けたんだろな。お前の教えか?」

「言わない。ジョイにちょっかいかけないで」

 

「…………お前、幾つになってもガキだな」

 

 お互い様ね、と。

 アルムはコーヒーを口にしようとしたが、気がつけばコップの中の黒い液体は何処にも残っていなかった。その気まずさを隠すように彼女は空間から一足早く抜け出した。

 

 とっちらかった自室。

 足の踏み場はあるが、物を置くスペースが無い中途半端な散らかりよう。弟子が居てくれれば掃除してくれたなぁとか考えつつ、アルムは汚れた白衣を魔力で動く自動洗濯機に投げ込んだ。

 

 

「魔女。今度は奪わせはしない。お前にも、誰にも私の黒耀(ひかり)は渡さない」

 

 

 

 

 どれだけ時間をかけても、どれだけ優秀な技術があっても。

 白衣に落ちた黒いシミは少しも落ちそうにはなかった。

 

 

 







一章終了です。






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2章 唯一の月
9.次席






前章まとめ
・憎き天才が好みどストライクのロリ巨乳美少女で、天才同級生が魔女の眷属で、憧れの魔術師が口が悪いけど優しいロリだった事実で感情も内臓もぐちゃぐちゃのジョイくん。







 

 

 

 

 

 

 

「ふざけんじゃねぇぞ! 俺はもう疲れた! これ以上歩きたくねぇ! 大体なんだあの雑魚ども! 弱いくせに、なんで助けた俺達に対してあんな態度出来るんだよ!?」

「落ち着きなってギガト。彼らだって私達が嫌いなわけじゃない。ただ、私達を秩序に含めることはリスクが大き過ぎる。賢くて優しい人だからこそ、大勢の人間の為の選択をしたんだよ」

「うるせぇ知るか! 何がルールだ! 俺を守ってくれねぇモノの為に、なんで俺が損しなきゃならねぇんだよ!」

「ギガト……レヴィの言う通りだよ……。私達は、化け物なんだもん。怖がるのは仕方ないよ……」

「聞こえねえんだよアルム! テメェはいつもそうだ! 声は腹から出せ! 何か言いてぇならレヴィのじゃなくて自分の言葉で語れ!」

 

 何処かで見た事ある人達が喧嘩をしていた。

 暴れる真っ白な髪の毛の小さな女の子を、落ち着いた灰色の髪の毛の女の子が窘め、真っ黒な髪の毛の女の子が灰色の子の後ろで白の髪の子に怯えて隠れてしまっている。

 なんとも似てない3人であったが、瞳の色は全員落ちて行ってしまいそうなほど黒く、何となく姉妹のように感じられた。

 

「しっかし、どうしようか。また宿無しの旅だよ。■■■?」

 

 レヴィ、と呼ばれていた灰色の髪の毛の少女が困ったように誰かに語りかける。

 

「俺はともかく、ギガトが不機嫌になるのは困るよなぁ」

「はぁ!? 俺は不機嫌じゃねぇぞ! お前が一緒にいるんだからな、どんなところだってあの暗い部屋よりはずっとマシだ!」

「それ、褒めてるのか? 褒めてるでいいんだよな?」

「褒めるわけねぇだろ調子乗るな!」

 

 ギガトと言う女の子はどうやら少し難しい性格をしていて、素直でないらしい。少し頬を赤らめて笑顔で言うのだからそれは素直でないと言うよりも照れ隠し、と言うべきなのかもしれないが。

 

「アルムは大丈夫か? 疲れたりしてないか?」

「だ、大丈夫です。私も、貴方が助けてくれたあの日から、毎日がずっと楽しいから……」

 

 アルムと言う少女は弱々しく丁寧に、だけど本心からの言葉だからか何処かよく通る声で笑顔でそう語る。

 

「私は言うまでもないよ。さぁ行こう■■■」

「そうだな。……ゴメンな3人とも。もう少し、もう少しだけ俺に付き合ってくれ。全部終わったら、みんなで楽しく暮らそうな」

 

 そうして、また4人は歩き出す。

 誰もいない荒野の風から、身を寄せあって互いを守るように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………変な夢見た」

 

 時刻は夜明け前。

 朝練の為にはちょうど良い時間だが、なぜだか調子が出ない。多分今朝見た夢のせいだ。

 内容は全く覚えていないが、なにか大事でとても楽しい気持ちになったあの夢。覚えていないのにずっと見ていたいと思う不思議なもの。

 

 まぁ、忘れてしまうならその程度のことなのだろう。

 雑念を振り払い、俺は朝練の為に自室を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、ジョイお兄ちゃん! あのね〜、お姉ちゃんからお手紙もらってきたんだ! はい!」

 

 

 朝、普通に登校してきた俺に対してぶりぶりの幼女演技を見せてくださってるのはこの学園で一番偉くて強い、『巨人(タイタン)』ことギガト・レムノさんだ。

 

「ありがとねうん。お姉ちゃんによろしくねはい。うん……」

「……俺が学園長だってバレると面倒だし、威厳がな? こういうのは結構見た目も重要なんだよ。じゃなきゃこんなダセェ幼女服なんて着てられっか」

 

 小声で非常に不満そうに愚痴を漏らして、ギガトさんは元の偽装幼女笑顔でてとてと足音を鳴らして教室を出ていった。ちなみに彼女は偽幼女なので、本来てとてと音はならないが魔術で誤魔化しているらしい。世界一どうでも良い幼女の足音に関する知識を得てしまい、俺は虚無に至りそうになっていた。

 あのてとてとって音、なんなんだろう。

 

「……何? ジョイ、いつの間にロリコンになったん? また変な噂流れるで? 漏らした上にロリコンは社会性ゴミやろ」

「お前が口に出さなきゃ広まらないからマジで黙ってろリエン」

「安心せぇ。俺は口が堅いお前の親友や」

「おはよう、2人とも。なんの話ししてるの?」

「ジョイがロリコンって話」

「お前を親友だと思える瞬間が一度もないのやめてくれるか?」

「えっと……。ジョイくんは、小さい方が好き?」

「別にぃ? 女性の体に興味とかございませんが?」

 

 脇でめっちゃ楽しそうな笑顔を浮かべてるリエンの足にキックしようとして躱されつつ、アーリスがこうして元気……ちょっとしょんぼりしてるが肉体的に元気に学校に来れてることを改めて実感する。

 

 

 アーリスの一件から2週間。

 俺は案外普通に学園生活を満喫していた。以前はデウスに負けて以降ずっと何かに取り憑かれるようにして生きてきていたが、今回はなんだかんだで余裕が出来たのが大きい。

 

 リエンはクソ野郎だが、なんだかんだコイツは隣に置いておくと面白いし、3週間ですっかり腐れ縁みたいな仲になってしまった。解せぬ。

 アーリスの方は、ギガトさんが無罪放免……というわけにはいかないが、魔女討伐への協力と自分への弟子入りを条件に監視だけで、こうして現在も普通に学校に通っている。最初はすごく不安そうにしていたが、最近は笑顔も増えてきたし良いことだろう。

 それにしても、アーリスのやった事は本当に大罪であるはずなのに、一体ギガトさんはどうやってそれを一時保留とはいえ止めたのだろうか。本当にすごい人だ。

 

 ちなみに2人とも模擬戦は積極的にやっていて、アーリスは『猛炎(フレア)』を完全に使えなくなってしまい苦戦中、リエンはなんか意外と勝ってるらしい。コイツ俺が見に行けないタイミングに試合入れるせいで詳しいことが分からない。

 

 俺はと言うと、アーリスとの戦い以降実はまだ一戦もしてない。あの後師匠が拗ねてしまって、しばらく戦うの禁止と言われてしまった。

 元からアーリスとの戦い以降、イグニアニマに勝った男として少々注目されてきてしまっていたが、皮肉なことにアーリスが苦戦中なこともあってその噂も下火。最近ようやく、特に注目されない一生徒に落ち着いてきた。

 

 

「おはよぉー3人組! 今日も元気かな? 僕は今日は調子がいいよー!」

 

 

 ……落ち着いてきた、と言うのにさぁ! 

 他のクラスのくせに元気よく教室飛び込んできた金髪碧眼。そしてちっこい背丈に採寸し直したのか特注でコルセットが入ってるかのように彼女の豊満な胸元と括れた腰が服の上からでもわかるようになった、凡そまともな教育機関が出したとは思えない体型がよくわかる制服を身に纏った、その女。

 

「やぁ、おはようございますグラシアスさん。ところでもうすぐ始業の時間だから教室に戻った方がいいんじゃないかな?」

 

 隣でリエンが吹き出す音が聞こえた。コイツやっぱ後でシメよ。

 

「なんかジョイくん僕に冷たくない? 命の恩人だぞ〜このこの!」

「なんのことでございましょうか? アーリスさん、心当たりは」

「えぇ!? さ、さぁ……。ごめんなさい、私2人の仲についてはよく知らなくて…………ずるいなぁ、グラシアスさん

 

 口外禁止であるアーリスの一件を余裕で仄めかしてる口の軽すぎる、それに反して胸の重すぎる女ことエア・グラシアス。

 あの一件を通して、俺とコイツは不覚にも今世でも知り合いということになってしまった。そして更に、その過程で元々コイツは田舎の村出身で、両親が亡くなった後になんやかんやで豪商のグラシアス家に養子として引き取られたらしい。

 

 昔の名前は、エア・グラディウス。

 

 なんてこったい、もう逃げ道が無くなった。

 コイツはデウスだ。聞いてもないのに「僕の両親は僕が男だったらデウスって名前にするつもりだったんだって」とこっちをチラチラ見ながら言ってきたので俺は死んだ。

 

「相変わらず元気やなぁエアは。その元気さを万年しかめっ面のジョイくんにも分けてやってや」

「良いでしょう。お代としてリエンくんは今度都合があったら私と模擬戦してね!」

「都合があったらな。それ、はよしないとしかめっ面が治らんくなる」

「俺のしかめっ面の原因1号と2号で楽しそうにするな!」

「私はジョイくんのしかめっ面! 好きだからね!」

「それフォローになってねぇよ……」

「ご、ごめん……。私いつもミスばっかで……」

 

 エアは普通に明るくて元気な陽キャなので、リエンともアーリスともすぐに仲良くなってしまった。特にリエンとは変なところで波長が合うのかこんな風に俺の胃がキリキリするやり取りをしてるし、アーリスとは監視員と監視される側という立場でありながらも女の子同士意外と仲良くしてる。

 

 俺はと言うと、無理に決まってるだろ。

 デウスは俺にとって雲の上の、目障りな憧れだ。認めたくないが俺は間違いなくアイツに憧れていた。そして、魔女の結界と炎の翼を切り裂いたエア・グラシアスの剣を見て。

 

 

 コイツのことが、俺は本当に■■なんだと。

 そんな感情が、とめどなく溢れてきた。

 

 ムカつくけれど、誰かの窮地に駆けつけてまるで下手くそな演劇の終わり方みたいに、全てを切り裂いてご都合主義なハッピーエンドにしてしまう、天の光。

 

 ムカつくほどにかっこよくて、呆れるほどに強くて、吐き気がするほど憧れる。

 

 そんな相手なんだけど……コレが俺好みの美少女なのだから色々と拗れる。ほんと拗れる。

 

「ジョイもいつか僕と戦ってね〜。並んで、追い越して見せてよ〜」

 

 そうして抱きついてくるエア。

 もうなんなんですか乳が、お乳房がお当たりになっていらっしゃいますわよ。全く淑女がはしたないですわね。

 マジで恥の概念どうなってんのお前? 女の子として育ったならその、デウスの時と同じ感じの距離感やめてくれないか? 

 あ、あ、柔らかいですわね。なんというか、師匠にボコボコにされて全身の骨が全部砕けてから再生させられて3日寝ずに走り回らせられた後にベッドに倒れ込んだ時と、全く同じ幸福感ですわ。

 吸い付くようで、それでいて突き放すよう。相反する2つの幸福が俺の背中を人類の原罪から解放して、しかもほんの少し俺の耳に当たる長い金の髪から甘い匂いがァァァァァァァ感情が壊れる! 

 

 

「う、うわぁぁぁ、ぁぁぁぁ……」

「え、ジョイ……? 泣いちゃったぁ……」

「なんで!? ごめんね、そんなに僕に抱きつかれたの嫌だった!?」

抱きついてください(絶対にお前には負けない)!」

 

 

 エアに勝てるのとか、魔女についてどうするかとか。

 それ以前に俺は生きて学園生活を無事に終えられるか分からなくなってきた。もしかしたら先に魂が拒否反応を起こして死ぬことになるかもしれん。

 

 

 

 

「……抱きつくと泣いちゃうんだ。ふふ。可愛いかも?」

 

 

 

 あとなんかアーリスが不穏なことを呟いてる気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんなこんなで放課後。

 リエンとエアは今日も元気に模擬戦やらその準備やら。アーリスは未だ自由行動とはいかず、放課後は学園長に呼び出しをくらってしまっている。本当はこうしてシャバで学園生活出来てるだけでもおかしいのだから、その辺は仕方ないだろう。

 

 というわけで、朝に渡された謎の手紙に記された場所に行くとそこは女子寮だった。

 ふふん、どういう意味だ? 俺に不法侵入して命を失えということか? 自慢じゃないが俺はここの女子寮に侵入したら死ぬ自信がある。なんなら、この女子寮に侵入して生きて帰って来れる男はデウスくらいだったが、今では奴もここに住む側だ。

 お手ごろにアーリスが魔女の眷属になったあの時以上の絶望を味わえるな。

 

「来たな。ジョイ・ヴィータ」

「あれ、ラクシャ先生。こんにちは」

「ん、こんにちは。では案内する」

「いや待ってくださいよ」

 

 ラクシャ先生は主に武術系の総合担任を務める学園きっての武闘派教師。今の俺では近接戦闘では勝ち目がないくらいには強い人なのだが、教師とは思えないくらい説明が足りない人だ。それでいて、別に分かりにくい授業をする人では無いので不思議な人だ。

 

「いや、学園長から困ったことがあったらお前を好きに使って良いと言われた」

「好きに」

「あぁ。どんな雑用であろうと、彼ならばこなしてくれると。ちなみに何かあったらアーリス・イグニアニマの名を出せとも」

 

 あのロリババアー! 

 尊敬してたのに! やっぱ根っこは師匠と同じじゃないか! めちゃくちゃ良い事言ってるいい人だと信じてたのに! 前世では真面目に強くて凄い人だって憧れてたのに! 

 

 クソーッ! 

 やっぱロリなんてクソだ! 俺は大人なお姉さんが好きだー! 

 

「ん、大丈夫かヴィータ。何やら苦しそうだが」

「先生……俺、将来が不安です」

「その目は恋愛関係だな。わかるぞ。私も何度も鏡にお前と同じ目をした自分を見てきた。安心しろ、異性は星の数ほどいる」

「先生……」

「そして星は手が届かないからこそ、手を伸ばしてしまうものだ」

「先生!」

 

 俺はこの人と気が合うかもしれないと思ってしまった。

 ラクシャ先生は異性、俺は天才達。相手は違えど同じ星を目指す者同士。

 

 

 そんな愚かな傷の舐め合いはやめておこう。これお互いが傷付き合うだけだ。トゲトゲドラゴンのジレンマと言うやつだ。

 

 

 

 

 

「生徒が引きこもりに?」

「ん。私の受け持ちクラスの子1人。しかも、その子は私と親戚筋にあたる子なんだ」

 

 やっぱり良い先生なのか、ひきこもりの生徒は心配なのだろう。

 

「親に入れてもらった学校で親に何も言わず不登校はダメだ。せめて理由を聞き出す。しかし私は先生。そこで君がやれ」

 

 腐れ脳筋学園め。

 実力でしか物事を測れないのか? 

 

「何言ってるんだ。そんな物騒なことしてみろ。人が死ぬ」

「じゃあ何をやればいいんですか。とりあえず俺が犯罪者にならない方向でお願いしますよ?」

「大丈夫。君がなるのはせいぜいがモルモットとかその辺り」

 

 猛烈に嫌な予感がしてダッシュで逃げようとしたが、それよりも早くラクシャ先生が俺の関節を完全に固めつつ部屋の扉を開いた。

 

「あの子はちょっと……かなり……まぁまぁ……だいぶ性格に問題があるが。君ならどうにかできると学園長が言っていた。頼むぞ」

「俺は厄介性格請負人じゃねぇ! 職権乱用はやめろ!」

「……私達ではどうにもできないんだ。頼む。と言うか、こうしないと出ないと言うんだ、()()()()の奴!」

「……は!?」

 

 出された名前に驚いて一瞬力が抜け、部屋に押し込まれてしまう。

 部屋に入った瞬間、空間がねじ曲げられているのが肌で感じ取れた。部屋は真昼の砂漠のように明るく、それでいて夜の水底のように冷えている不思議な空間。服を着替えるのもダルいとか言い出した時の師匠の部屋よりも散らかった部屋に倒れ込み、顔を上げようとした時に俺は彼女と目が合った。

 

 

 

「やぁやぁやぁやぁ。はじめまして凡人くん! そしておめでとう! 君はこの天才様の栄えある実験体に選ばれた! まずは投薬? 身体検査? 魔術素養解析? 何がいい? もちろん最後は全てやるが、私は鬼じゃないからねぇ。ハジメテは君に選ばせてあげようじゃないか!」

 

 

 

 まず最初に、その女はデカかった。

 背丈は俺より、師匠より、なんなら、デウスよりもデカい。あらゆるものを見下すかのようなその目付きと非常に相性が良い。それでいて、赤と青のメッシュの入った銀の長髪を伸び放題にし、下にクマのできた琥珀と翡翠のオッドアイ。

 極めつけは女子であるがジェンダーフリーのズボンタイプの制服の上から羽織った金色のローブ。何もかも目に悪い配色をしている派手で狂ったテンションをしているこの女。

 

 この女は騎士学校の生徒でありながら、騎士ではない。

 この女は魔術が大好きで、だが魔導研究の道に進まず何故か騎士学校に来て、ひたすら魔術の研究を続けた異端の騎士。

 

 ほぼ授業に出席せず、ひたすらに自分の道を進み続けて最終成績、第2位。

 デウス・グラディウスとの相性不利さえなければ彼女こそが首席卒業であった、俺の大嫌いな天才の1人。

 

 

「この私、リィビア・ビリブロードの実験体になれたことを末代までの誇りにするといい。実験体(ヴィータ)くん♡」

 

 

 

 卒業と同時に姿を消した伝説の第2席。

 唯一絶対の魔術師、『月虹(メイガス)』の名を冠した最強の異常。

 

 

 ──────名を、リィビア・ビリブロード。

 天上天下、己以外の誰も認めない最悪最強の平等主義者(ロクデナシ)だ。

 

 

 

 

 

 



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10.天才を殺せ

 

 

 

 

 

 

 魔術には幾つか系統がある。

 色々と細かいのだが、分かりやすく大雑把に分ければ火、水、風、雷、土。そして光と闇の7つだろう。前半5つはそのままだし、後半2つは専門用語が多すぎて俺には理解できない領域だ。

 

 そして魔術というのは得意系統がある程度人によって決まっている。

 だいたい多くても2つ、後天的に1つくらいなら鍛え続ければ開花すると言ったところか。それでも『猛炎(フレア)』などのような複数属性の上級魔術を必要とされる高等技術は一生をかけても修得できないものがいる。ちなみに俺は雷にだけ適正がある。

 その点でいえばアーリスはめちゃくちゃ優秀だ。火と風、さらに後天的に土も極めている。

 エアは知らないが、デウスは基本5属性に加えて光を後天的に使えるようになっている。

 

 

 ではリィビア・ビリブロードは? 

 少なくとも彼女の証言が正しいならば、ではあるが。

 

 彼女は生まれつき7つの属性の魔術を全て扱えたと言う。

 簡単に例えれば生まれてすぐに剣を振るって達人を倒すとか、難解な計算式を解いてみせるとかそういうレベルの存在。

 リィビアは天才と言うよりは、人の理から外れた存在。奇特な見た目も相まって彼女は異形、異能として恐れられている。

 

 実際俺も怖い。

 実は前世でボコボコにされているのだが、アレはデウスより酷かった。どうせ魔術頼りのやつは接近すればいいと思ったら接近する前に属性飽和掃射を喰らい、乱入してきた先生が守ってくれてなければ多分そこで死んでいた。あれからしばらく、激しい光を見るとその時のことがフラッシュバックして変な悲鳴をあげるくらいにはトラウマになったものだ。

 

 一体これから俺は何をされるのだろうか。

 今なら恐怖で普通に師匠にすら泣きつける自信があるくらい、内心震えながら俺の肌をぺたぺたと触り何かを確かめるリィビアの動きに、全神経が集中する。

 

 

「うっわつまんね……。計測してもなんも特別な値出ないんだけど。よし、帰っていいよじゃあね。うん、じゃ」

 

 

 それだけ言うとリィビアは俺を放って机に向き合い、なにかの計算に戻ってしまった。

 

 ……………………そう。

 

 別にね? 隠された才能とか気がついてなかったとか期待してないけどさ。

 幾らなんでもこの扱いはあんまりだろ。

 

「あの、リィビアさん?」

「うるさい。早く出てって」

「まずなんで俺を呼んだのかと、何故部屋から出ないのかを教えてくれると、嬉しいなって」

「説明? 説明しないとダメ? しかも一から? 私が?」

 

 あまりに不思議そうに見つめてくるのだから一瞬俺がおかしいことを言ったような気がしてきたが、間違いなく俺は普通のことを言っているはずだ。

 

「いや、ごめんね? ほら私は一を聞いて十を知る天才だからさ。説明とかそういうものを他人にして貰った試しがなくて」

「はいはいそうですか。そういう自慢はいいから、さっさと部屋から出てきてくれ。ラクシャ先生、なんだかんだ多分心配してるぞ」

「ウケる」

 

 このままでいいんじゃないかなぁ。

 コイツ、確実に人間社会で生きていけない感じの性格だよ。できることなら、一生部屋から出ないで貰っていた方が世の中の為だ。

 

「いやぁでも、せっかくラクシャが玩具を持ってきてくれたんだ。ちょっとくらい遊ぶとしよう」

「俺はアンタみたいなのと話してると本当に、心の底から疲れるから嫌なんだよ……。出る気がないなら俺も帰って……」

「ジョイ・ヴィータ。適正は雷、後天的に闇も鍛えてる。特筆した能力は見当たらないが、強いていえば特殊な暗示にかかってるね。あとは……その眼。君の師匠は最低だな! そんなもの人間に仕込むとか何考え」

 

 反射だった。

 何も考えず、リィビア・ビリブロードの口を手で封じた。俺はコイツに自分のことを何も教えていない。そのはずなのに、コイツは俺の個人情報、『鍍金(アルデバラン)』のこと、そして俺と師匠だけの秘密、『切り札』のことも見抜いた。

 これ以上喋られたら、何を話されるか分からない。そんな未知の領域への恐怖から冷や汗を垂らしながら体を動かしていた。

 

「……なんだよ。人の個人情報喋って。なんの真似だ?」

「いやー、()()()()()()()()()()を言っただけでも何故か凡人って焦るだろう? その感情の機微が観測しがいがあるからね」

 

 魔術による人工的な光が照らす。

 生命を否定する砂漠。そんな光の在り方とリィビアの笑顔が重なる。この女はきっと、人間じゃない。今の表情は人間が人間に向けるものじゃない。

 同じ人間を弄り回して楽しむくそ野郎共が身近にいるからよくわかる。リィビアのそれは、昆虫の四肢をもいで楽しむかのよな無邪気な好奇心と、ただ純粋な侮蔑。

 相手を自分と同じ人間として見てないからこそできる顔だった。

 

「ほーら、これ以上自分も知りたくなかった自分の秘密を私に言われたくなければ帰った帰った。凡人と絡んでる時間は私には無いのだよ」

 

 自分から呼んでおいてこの態度。どこまでも自分勝手で自由な女だ。

 そんな態度にめちゃくちゃ腹立つが、無理やり引きずり出そうとしても多分俺が死ぬんだよね。

 

 しかしここまで徹底的に舐められ、弄ばれるのも楽しくない。一発くらい鼻を明かしてやりたいし、そもそも多分リィビアをちゃんと部屋から出さないと学園長にできるまで同じことやらされ続ける気もする。

 

「あーあ、これならアーリスとかを呼ぶべきだった。もうほとんど消えてるだろうけど、魔女についてもちっと知れたかもしれないのに」

「アーリスって……アンタ魔女のことまで知ってるのかよ」

「そりゃ一瞬変な反応あったからなんだろって見に行ったら魔女の結界があったから解析してたし、中も覗いてたよ。いやぁその点に関しては良いデータが取れて良かった良かった」

 

 サラッとこの世界で最高硬度の結界である魔女の結界に干渉してたり、その上で俺達を全く助けようともしてなかった事実を知ってしまいさらに嫌になる。本当に俺達のことなんてどうでもいいのだろう。そういう相手と話しているとあまりに疲れる。

 

 だから、うっかりとこんなことを呟いてしまった。

 

 

 

「それなら俺達じゃなくて最初からエアを呼べよ」

「──────は?」

 

 

 

 空間が、濡れた。

 そうとしか表現出来ない現象。目の前の何もかもが、水でも吸ったかのように膨らみ、ぼやけ、重さを増して溶けていく。崩れる世界で唯一形を保つリィビアの周囲が、徐々に色も形も失い黒一色に落ちていく。

 

 

「え、な、何だ急に!?」

「凡人、今なんて言った?」

「はぁ!?」

「私の前で、誰の名前を口にしたかってことだ!」

 

 

 急に感情を剥き出しにして俺の胸倉を掴んでくるリィビアの豹変っぷりに、気圧されてしまい言葉が出てこなかった。

 先程までの人の形をした殺人機構(ギロチン)のような淡々と相手を処理していくかのような態度はどこにも無く、初めてリィビア・ビリブロードと話しているように感じて、少しだけ嬉しく感じてしまった。

 

 

「なんだ? お前、エアの知り合いか?」

「知り合いのわけあるかあんなバケモノ。アレは世界の異常だ。魔術の全てを否定する、存在してはいけないものだ」

 

 全くもってその意見には賛成ではある。

 アレはどう考えてもこの世界の法則を歪める生まれる世界を間違えた人間だ。

 

「あんなモノ認めない。あんなモノ、この世界にあってはいけない。私より優れたものなんて、この世界に存在してはならない……」

 

 大きく目を見開き、ブツブツと俺ではない相手に話しかけるリィビアは拳を血が出るほど強く握り締めながらしばらくそうしていて、落ち着いてから感情の見えない笑顔で改めて俺に顔を向けた。

 

「ふぅ。ありがとう。こんな気分を害されたのは久しぶりだ。殺す」

「おいおい、そんなに殺気立つなよ天才様。……泣くぞ? 土下座とかすれば許してくれるか?」

 

 あまりに理不尽で天才と言うより天災。本気でどう生き延びるかだけを考えて既に床に膝をつけて土下座をする体勢を整えた俺を見て、リィビアは膝を付いてここに来て初めて視線を合わせて、俺の目を見て言葉を吐いた。

 

 

「殺してやるのはエア・グラシアスに決まってるだろ。あの女は私が否定する。あんなイレギュラーは、私の世界にいらない。だから、ジョイ・ヴィータ。協力しろ。──────神殺しの一端を君のような凡人に背負わせてやると、この私が言ってるんだぜ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そんなことがあって、俺しばらくリィビアの奴隷になることになりました」

「寝盗られた〜〜〜!!! いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

 絶叫して床に倒れ込んだ師匠をとりあえず起こしてやる。そしてまずそれは寝てから言え。そもそも俺はリィビアと寝てない。

 

「ジョイを面白おかしく弄っていいのは私だけなのに、ジョイは、ジョイは誰でもいいの!? 私の技術だけが目当てだったのかい!? 顔と能力さえ良ければ誰でもよかったんだね!?」

「師匠、顔と能力以外良いところがないって自覚あったんですぬげぶっ!?」

 

 背中を地面に着けた状態から跳ね飛んだ師匠の蹴りを食らって俺も床に倒れ込む。さすがに今の動きは言い逃れできないくらい人間離れしてるぞ。

 

「っぅ……だってしょうがないじゃないですか。Noと言えば確実に殺されていましたよ俺」

「だとしても他にあるだろ〜。私と言う師匠がいながら、酷いよ……。うぅ……」

 

 普通に学生生活してると同級生に殺される確率があるのそこそこクソみてぇな状況だが、天才の牧場みたいな場所で考えるだけ無駄なことなのかもしれない。

 

 それにしても、エアの名前を出した瞬間のリィビアの反応。アレは異常だった。俺でもあそこまでの反応はしない。

 親の仇とか、友の仇とか、祖国の仇とか。そういうものを抱えた人間の目は何度か見てきたがその類の中では最も重い何かを見る目。世界の仇と言わんばかりのあの瞳。

 

 俺の知る限りではリィビアは別にデウスのことを嫌っていたとかそんなことは思い当たらないが、だからといってエアだから、同性になったからって急に殺意の対象になるとかそういうこともあるものか? 

 

「師匠、俺生きて帰れますかね?」

「背中刺されて死ね」

 

 師匠も拗ねちゃったしこれはもう話し合いにもならないか。

 とりあえず当分はリィビアを苛立たせないようにしつつ、それでいて情報を引き出して授業に参加させるように誘導。

 

 たったこれだけなのに、魔女の支配下のアーリスを相手するよりも命の危機を感じるのだから、リィビアという存在の規格外さを思い知らされる。

 

「師匠、真面目にリィビアについて知ってることとかあります?」

「筆記試験で模範解答と全く別の回答して、その横に何故そうなるかを汚ったない字で的確に説いて問題製作担当の教師の心をへし折った女。伝統あるビリブロード家の一人娘、人格面に多大な問題を抱えている。なんだコイツ! こんなの碌なやつじゃないぞ! 今すぐこんな奴とは縁を切れ!」

「師匠ってブーメラン投げるの上手いっすね」

「今ここで君の首から上でブーメランしてやってもいいんだからな?」

 

 それにしても改めて聞くと本当にすごいやつだ。

 あー! なんで俺はこんな奴のご機嫌取りをする羽目になってるんだ!? 俺は一番になる為にこの学校に来たのに、自分より強いやつにビクビク怯えながらご機嫌取りなんてする羽目になってるんだ。

 

 

 こんなの全く楽しくない。

 

 

 それに、だ。

 エアを倒すのはこの俺であり、俺と師匠が全てを捧げたこの『切り札』だ。例え相手が第2位の天才であろうとも、譲ってやるつもりなんて毛頭ない。

 

「その笑顔……ふふ、いいよジョイ。何かあったら『切り札』の使用を許可する。あのいけ好かないガキにギャフンと言わせな」

「使うまでもありませんよ。あのクソアマ、俺を弄ぼうとしたことを後悔させてやりますよ……」

 

 多分今の俺も師匠もものすごく悪人な顔をしているだろう。

 リィビア・ビリブロードというカスを相手にするのだ。こちらだって相手の全てを利用して、絞り尽くしてから捨ててやるくらいの気持ちを持つこと。そうでもしなければ、俺なんかではリィビアは出し抜けないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ジョイ・ヴィータという青年のことを常に考えている。

 命の恩人なのだから、それ自体はきっと特別なことじゃない。特別なことじゃないからこそ、こんなにも苦しんでいる。

 

 アーリス・イグニアニマは自分を強いと思えない。

 心の弱さに負けて、大勢の人を、アレだけ私を認めてくれた人を殺そうとした。こうして今もここに居れることは奇跡に近い。

 

 学園長は『結果を出せ』とだけ言って私を徹底的に修行と称して殴り倒すだけでそれ以上は何も言ってくれない。

 

 でも結果って何? 

 何をすれば私は許してもらえるのか。何をすれば自分を許せるのか。

 

 何をすれば。

 彼に私を見てもらえるのか。

 

 

 最悪、最低、下衆だ。

 寝ても覚めても彼の事ばかり。彼に好かれたいと、愛されたいと、その気持ちを独占したいと。そればかりを考えている。あまりに卑しく、あまりに愚か。

 それでも求めてしまう自分の醜さを否定しきれない自分が何より嫌だ。せっかく助けて貰えたのに、認めて貰えたのに何も変われていない。

結局、魔女に認められた気になっていたことの『魔女』の部分がすり変わっただけで。

 

 

「強くなれば、私も何か変われるのかな?」

 

 

 思い浮かんだの一人の少女の顔。

 学年首席、現在私たちの学年で最も強い女の子。

 

 もしも彼女を倒せたなら、私は──────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 








魔女の結界を破れる生き物。

・デウス(エア)
魔力の流れを読んで結界をすりぬける。バグ生命。

・ギガト
数分あれば殴って割れる。

・リィビア
数分あれば解除できる。







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11.天才様の殺神講座 基本編

 

 

 

 

 

 

「という訳でエアを殺す為に情報収集だよヴィー太郎」

「俺の呼び方他にないのか?」

 

 そういうわけで、と連れてこられたのは近くの書店だった。

 騎士学校の近くは治安が良いし、そもそも国内最高峰の教育機関の一つなので俺の村とかと違ってめちゃくちゃ色々ある。まぁ初見なら興奮しただろうが、さすがに二度目ともなると別に興奮したりしないもの。

 都会ってこういうものだよね。一度来た時は興奮するけど、二度目だったりいざ住んでみたりするとなんか違うな……ってなるアレ。

 

「うぉ……刀身から炎が出る剣売ってる……欲しい……」

「騎士学校じゃ刀身から炎出すやついっぱいいるだろ。君、アーリス・イグニアニマと戦ってただろ?」

 

 そういう問題じゃないんだよこれは。炎が出る剣っていえば一番有名な御伽噺の勇者の武器だから男の子はみんな憧れてるんだよ仕方ないだろ。かっこいいじゃんファイアーソード。しかも俺は火に適正ないからあんまり使えないし。

 だいたいアーリスは炎の翼で敵を蹴散らすのであって、剣に纏わせるのは大抵岩だからな。あいつ、綺麗な顔してパワーで相手を叩き潰す戦法なの改めて考えると結構怖いな。

 

「男児ってこういうの好きだよな? やっぱ聖剣とか好きなのかい?」

「そりゃあ俺だって『聖剣』を使いこなす勇者に憧れないわけないだろ」

「まぁ君は自前の才能が頭打ちになって自分以外の力に選ばれれば、とか考えそうだもんね」

「おいおいお前やめろ、本当にやめろ。子供の頃の憧れを大人になってからの邪な気持ちで汚さないでくれ」

「言われて傷つくような邪な気持ちを持ってる方が悪い」

 

 剣の形をした固有魔術、選ばれし者にしか扱えない剣、『聖剣』。

 現存するのはたった4本であり、それに選ばれればそれだけで大いなる力を得られる代物。男の子は誰だって憧れたに決まってるだろ。

 

 もちろん、デウスは前はこれに選ばれてた。ホントあいつなんなんだろな。元から才能持ってるやつが選ばれちゃいけないものだろう。

 

「そもそもこんな街中にエアをどうにかするヒントあるのか?」

「あるわけないだろ。アイツを既存文明の技術でどうにかできると思ってるのか? 今日は私の趣味の時間だ」

「は?」

 

 何かおかしいかな、と言いたげな顔で言ってるけど何もかもおかしいだろ。

 

「君は私の気分を害した。ならまずは害した分私を楽しませるのが当然だと思うけど?」

「なら俺も気分を害したのでおあいこにならないか?」

「なんで私が君を楽しませなきゃならないのさ。なんで?」

 

 ……ヨシっ! 

 会話はやめておこう。

 デウスとかとは違う方向の天才だ。思考回路とか何から何まで俺達とは違う。会話をするだけ疲れるタイプだ。せめてアーリスくらい話が通じる感じが良いな。

 同じ性格が悪いやつでも、リエンみたいなタイプのありがたさが今になってわかってきた。アイツは普通に痛い目を見た方がいいと思うが。

 

「だいたいお前、今更そこら辺に売ってる本から学ぶことなんてあるのかよ」

「ないよ。趣味と言ってるだろう。そこらに売ってる本から間違ってる箇所を見つけて徹底的に解説して作者と出版社に送り付けるのが私の趣味なんだよ」

 

 コイツホント人格終わってるな。

 そう思いながらリィビアを見てると、彼女は適当な書店で何冊か魔導書を物色して、そのうちの一冊を自分の鞄の中へ……

 

「いやちょっと待て」

「何?」

「万引きは良くないよな?」

「万引き? 何? なんで?」

 

 何言ってんだコイツ。

 コイツ文明人だよな? 

 

「犯罪だよ」

「そうなんだ。知らなかった」

「え、お前、え、え?」

「何せ書店というものに今日初めて訪れた。犯罪者は嫌だからやめておこう」

 

 ちょっと待て、コイツ、あんなに尊大な態度をしておいて、まさかだけど。

 

 

「リィビア……。お前、街とかに出たことって……」

「ないけど?」

「無いって、はぁ!?」

 

 

 コイツの家、ビリブロード家はアーリスの実家であるイグニアニマ家に並ぶ名家、早い話コイツはこれでもお嬢様だ。しかも一人娘。そんな人間が街に出てきたことがないって、そんなこと普通あるはずがない。

 

「私はそもそもあの家の娘じゃないぞ。養子だ養子」

「養子って、本当の娘じゃないってことか?」

「聞けばわかるだろなんでそんなこと聞く。バカか? ……私は自分の苗字も誕生日も知らない、スラム生まれの女だよ」

 

 つまりコイツの才能は突然変異、血筋によるものではなく個人で生まれた突然変異ということか。

 

 頭に浮かぶのは、平民出身にして騎士学校に首席入学したどこかのデカ乳。アイツも突然変異の天才だ。

 そして目の前にいるのもスラム出身の天才次席。

 

 

 なんなんだよもぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!! 

 

 

 俺の周りこんなんばっか! 俺の平民出身という唯一に近いアイデンティティがワンツーフィニッシュで消し飛ぶのやめてもらえるか!? 俺に残されてるセールスポイント完全になくなっちゃうじゃん。

 そもそもそれじゃあ前世での騎士学校ワンツーが平民出身だとか、人類の未来は本当に明るいな。俺の未来はすごく真っ暗だけど。

 

「しかしへぇ……こんな間違いだらけの本に対価が必要だとは。厚かましい人間もいたもんだ」

「誰だって知らない状態からは何も出来ないだろ。お前だって最初はその間違いだらけの本で基礎知識を得ただろ?」

「私は全部独学だから、そこら辺の感覚は分からない。凡人は大変だね」

 

 段々、このままコイツと一緒にいると劣等感でおかしくなってくる気がしてきた。エアとかもたまに訳の分からないことを言うけれど本当の天才というのはこういうものなのだろう。

 俺達とは見えている世界、感じるもの、常識な倫理、何もかもが違う。会話が成立しないというか、会話をするために最低限必要な共通の認識がないのだ。そりゃあ会話なんてできるわけが無い。

 

 コイツらの見てる世界はどんなものなのだろう。

 

「しかしどうしよう。お金……金銭か。君持ってない?」

「俺が持ってるわけないでしょう。あったらお前に使わずあのファイアーソード買ってる」

「どう考えても私のために使った方が人類全体の益になるのに」

「俺は人類のこととか考えてないんだよ。自分が楽しい方がいい」

 

 じーっと俺を見下ろしてくるリィビアの視線に耐えながら、俺は財布をひた隠しにする。俺だって実家からの仕送りとか支援金とかでちまちまやりくりしてる身なのだ。決して金持ちとは言えず、リィビアが適当に手に取ったお高い魔術の参考書を買えるようなお金は持ってはいない。

 

「……買って♡」

「嫌だけど」

「なんだ君。背が小さくて金髪碧眼で胸が大きい相手じゃないと興奮できないのか?」

「ハァ〜!? 俺は包容力があって煌めく髪と瞳を持つ母性溢れるけど少し子供っぽいところがある女性がタイプだが? よく見たらお前タイプだな〜! 買ってやる買ってやる!」

「チョロッ」

 

 おっと危ない危ない、危うく初歩的な煽りに引っかかるところだった。しかし俺はこんな背がでかいだけのガキには負けない精神力と精神年齢を持つため、何とか一冊買って財布の中身がほぼ消し飛ぶだけで済んだ。前世の俺だったら間違いなく2冊買ってたので成長だなこれは。

 

 

「ん……アレ? ジョイくん!? おーい! ジョイくーん! こんなところで何してるのー?」

 

 

 そんなことをしていると、遠くからよく通る鈴の音のような声が聞こえてきた。同時に、俺は呼吸が止まるような感覚を覚えた。

 だって、今の声は間違いなくエアの声だ。そして俺の隣にいるのはエアの名前を出した瞬間にとんでもない殺意を見せた女、しかもとんでもない大天才のだ。

 

「ん……あの魔力、あの声……」

「人違い人違い! もう帰らないかリィビア! ほら、本買ってあげたし! な!?」

 

 まずいなこれは。

 リィビアをエアに合わせたら、間違いなくめんどくさい事になる。具体的に言うと、街が一つ消し飛ぶくらいの面倒くさいこと。本当にそうなるかは分からないが、リィビアにはやるかもしれないという『常識のなさ』がありやがる。

 

「あれー? 気づいてない? おーい僕だよー! エアー! エア・グラシアスだよー?」

 

 くっそあの野郎乳をブルンブルン震わせてぴょんぴょん跳ねながら叫びやがって。おかげで無視しようにも視線がどうしてもアイツの方に引き寄せられてしまう。

 

「……エア・グラシアス? エア・グラシアスだよなアレ」

「ヒュエッ」

 

 あまりに怒りと殺意に満ちた声を出すリィビアを見て、前世のトラウマが甦って変な声が出てしまった。どうする、どうすればいいんだコレ? とりあえず俺はどうすればいい? これが子供の喧嘩とかならまだしも、エア(1位)リィビア(2位)となると話が違う。こんなところで騎士学校の頂上決戦が起きたら、俺に止めることなんて出来はしない。

 

「……ジョイくん。そっちの女性、誰?」

 

 しかも、俺の隣にいるリィビアを見てエアの方も何故か煌めく碧の瞳から光が少し消えて、獣の唸り声みたいな聞いた事ない低い声を出してきた。

 もしかしてこの2人、前にどこかで会ってそこでとんでもない因縁があったとかなのだろうか? そうなるともうおしまいだ。今すぐここから逃げたいのだが、何故かリィビアがものすごい力で俺の腕を掴んできて逃げられないし、それを見てエアもものすごい圧を放ちながらリィビアを睨みつけている。

 

 どうやら俺の2度目の人生の終焉はここのようだと、終わりを悟り始めた頃になってようやく、リィビアはエアに向けて口を開いた。

 

 

 

「あ、あの……初めましてエアしゃん……、あ。私は、同じ学園のリィビア、リィビア・ビリブロード、です。ここであったのもなにかの縁なので、良かったら、お、お茶……いや、握手、あ、サインとか……へへ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 近くの喫茶店。

 何の変哲もないこのお店なのに、中の空気は空が落ちてきたかのような圧で呼吸することにすら注意したくなる世界になっていた。

 

「……それで、リィビアさんはジョイくんとどんな関係なのかなぁ? かな?」

 

 騎士学校首席入学、『断魔(プレアデス)』の騎士、エア・グラシアス。何故かめちゃくちゃ怖い。

 

「ふひ、その……私達は、どれ、ん、なんなんでしょうねへへ……知り合いとか、ですかねへへへ」

 

 騎士学校生徒、『月虹(メイガス)』の名を冠する最高位の魔術師、リィビア・ビリブロード。顔を真っ赤にして挙動不審。

 

「友達というか……アレだな。荷物持ち。うん、荷物持ちだよ! 知り合ったの昨日だし!」

 

 そしてその隣に座る俺は状況が飲み込めなくてとりあえずエアの機嫌を取ろうと必死な俺。どうしてこうなってしまったのだろうか。

 リィビアはあれだけ殺意を持っていたのに、いざ話し出した瞬間俺よりデカイ背丈を仔犬みたいに縮こまらせてモジモジしちゃってるし、エアの方はめちゃくちゃキレてる。何にキレてるかは分からない。

 

「ふーん。まぁいいけど。ところでリィビアさんは僕に何か用?」

「そんな用だなんて……お茶を、ご馳走しようなと、ついでにお話出来ればと……」

 

 コイツ本当にリィビアか? 

 周囲を見合わしていつの間にか偽物と入れ替わってないかと確認してみるが、いなさそうだし本物のリィビアで良いのだろう。

 

「あ、あの私……エアさんのことが、す、すごく……大きいなと」

「…………えっと、セクハラ?」

 

 エアが確認するように俺に視線を向けてくる。うん、セクハラだね。視線が間違いなく胸に向いてるもん。

 

「あ、いや、違うんです! 私は胸のことが大きいって言いたいんじゃなくて、……胸も大きいけど、ほんと大きいですね!? すごいです!」

「いやうん、ありがとう。……ありがとう?」

「ほら! ヴィー太郎もそう思うでしょ!?」

「なんで俺に振るんだよ。別になんとも思ってねぇ」

「あ?」

「めちゃくちゃ大きいのだ!」

「ジョ、ジョイくん!?」

 

 あくまで客観的事実を述べただけだ。別に机の下で魔術の掃射の構えをされたから言った訳では無い。

 

「しかも強くて可愛くて、まず顔のパーツが全部美しくてですね! プロポーションもみんな胸ばかりみますけど腰細いですよね!? 筋肉とかどうなってるんですか! 足はいつも晒していて分かりますけど……太腿とかすごくムキムキで固くて! ヴィー太郎もそう思いますよね!?」

「いや別に……足とか見たら俺の何かが壊れそうで……」

「思うよね?」

「全くもってその通りなのだ!」

「う、うそ……ジョイくん、心拍とかからして嘘は言ってないし……えぇ!?」

 

 そんな俺は脅されてるだけなんです! 本心からこんなこと思ってるわけじゃないんです信じてください! エアが踏み込む時の足をみてぇ太いなとか思ってません。ムチムチだよまったく。

 

「あー!? ごめんなさい僕ちょっと急用! 急用思い出したから帰るね! お代ここに置いていくから! ごめんね!!!」

 

 そう言うとエアは顔を真っ赤にして、何も頼んでいないのにお金を置いて喫茶店を飛び出していってしまい、後にはめちゃくちゃ気持ち悪い顔をしているリィビアと虚無を湛えた顔をしてるであろう俺が残された。

 大丈夫だよな? 俺、今度会った時にいきなり変態とか言われないよな? アイツに変態って言われたら、多分俺の中で何かが崩れる気がしてならない。

 

「あの、リィビア。お前……」

「…………ふぅ。いやぁ! 見たかいあのエア・グラシアスの滑稽な姿! あの程度で顔を真っ赤にするなんて生娘みたいでここが外でなければ抱腹絶倒していたところさ!」

「お前の方が滑稽だったと思うよ普通に」

「…………黙れッ!」

 

 リィビアもエアと同じくらい顔を真っ赤にして顔を伏せて叫び始めてしまった。

 その、俺はどうすればいいんだろう。なんかとんでもないものを見せられた気がして放心してたけど、なんだったんだコレ? 

 

「とりあえず、なんだあの姿。本当に滑稽過ぎて一周回って面白くないぞ」

「君の肝の太さには驚かされるなヴィー太郎。焼き払ってもいいんだぞ?」

 

 俺は楽しいことしかしたくないからな。

 楽しくない気分にさせられた分は弄りまくってせいぜい楽しくさせてもらう。言い返せない相手に言葉プロレスで勝つのはとてつもなく楽しいし、師匠みたいに殴り返してこない相手なら尚更だ。

 

「最低のゲス男が。モテないぞ君」

「お前にだけは言われたくない。そしてなんだあのザマ。お前、エアを殺したいんじゃなかったのかよ」

 

 リィビアはエアに間違いなく強い殺意を向けている。さすがにそこに嘘は感じられなかったし、殺意ではないにしても敵意、少なくとも好意と呼ぶにはあまりにも粘ついた泥のような気持ちであった。

 

「お前の機嫌を取ろうにもな、お前が何も喋らなきゃ俺何もわかんねぇんだよ」

「……君程度に言って何がわかる。特に、君のような凡人は分からない。貴族共よりはわかるだろうけど」

「かと言って何も言われなきゃわかんねぇぞ」

 

 二色の瞳が俺を睨みつける。だがそこに激しい感情はなく、面倒くさそうに、諦めるようにため息混じりの声でリィビアは言葉を続けた。

 

「君はエア・グラシアスを見た時どう思った」

 

 俺の場合は、デウスを初めてみた時のことであるが。

 きっと口にすべきなのはその時に感じたこの思いのことだとすぐにわかった。

 

「絶望したさ。同じ平民。特別じゃないはず、自分が一番だと信じてた世界を全部壊した、容赦のない破壊者だな」

「凡人のくせによくわかってるじゃないか。アレは破壊者だ。何もかもめちゃくちゃにして、滅ぼしてしまう存在」

 

 多分俺はリィビアの事を理解出来ない。

 それは最初から変わらないけれど、その顔を見てすぐにわかった。俺達はある一点において、全く同じ部分を共有できるのだと。そして、それは俺達だからこそ、感じ取ってしまう絶望なのだと。

 

「そんなものを見たら、殺してしまいたいと思うだろう? あんなやついなければって、心の底から、憎んだ」

「同意したくないけど、わかるよ」

「君のような凡人が私のような天才の気持ち、わかるものか」

「わかんねぇから話してくれって言ってんだろ」

「はぁ……もっと他人の気持ちを汲み取ってくれる人間を注文しとけばよかった」

 

 結構その面では優良物件であるラクシャ先生を蹴って、俺なんかを呼び付けたのが運の尽きだろう。残念なことに俺は天才共の気持ちを理解できることは絶対にないだろうからな。

 

 

 

 

 

「……あの女は壊したんだよ。私の世界を。だからこそ、絶対に破壊しなくちゃならない。私が、リィビアである為に」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 










師匠「デートじゃん!デートじゃんこれ!寝盗られた!」






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12.信じた道

 

 

 

 

 

 

 リィビアは孤児だった。

 親の名前は知らない。生まれた日は知らない。自分で物事を考えて行動する頃には1人で他者から盗むことで生を維持していた。

 

 どのようにすれば誰にも怒られずパンを食べられるのか知らない。どのようにすれば誰にも追われず暖かな寝床を確保出来るかは知らない。

 

 リィビアが知っていたのは自分にある力だけだった。

 

 魔術という言葉も知らない、スラム生まれの汚いガキであるその少女は小さな世界で全能を振るっていた。

 

 火があれば寒さは凌げた。

 水があれば喉を潤せた。

 風があれば、雷があれば、土があれば、身を守るには十分だった。

 光も闇も、生きることには要らない力だった。

 

 

 そもそも生きることとは何なのか。

 そんなことを考える程の心の余裕も、リィビアには最初から存在していなかった。

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

「それでドブネズミ焼いて食ったりするのが日課。今の生活から考えたら本当に地獄だったよ。当時はなんとも思ってなかったけれど。……何か言ったらどうだい?」

「いや、すげぇ……真っ当に反応に困る。いきなり、結構重い過去をそんな気軽に」

「そーそー。こういう反応してくれるから悪いものじゃなかったかもって思えるんだぜ? ありがとう凡人くん」

 

 軽い調子のおちょくりも腹立っていいのか分からないくらいに、普通に重い話だ。

 俺は才能には恵まれてないけれど、自分が恵まれてないとは決して思わない。それに対してリィビアの生まれは才能以外ほぼ何も持っていないに等しい。

 幸せや生まれに価値基準がないとしても、笑って話せる内容ではないのは確かだろう。

 

「まぁ別にもう昔の話だしね。今ではこうして良い布使ってる制服を着て、体も清潔に保って学校にも通える。6年前までは想像も出来なかった環境、世界だ」

「それで。その普通なら思い出したくもないって言いそうな過去とエアがなんの関係があるんだよ」

「無いけど」

「は?」

「君が私の嫌がることをしたから私は君が嫌がることをしただけだけど? それが何か?」

 

 どんな育ち方をすればここまで性格がひねくれるのか、なんて言葉ももう気軽に言うことも出来ない。本当に、ひねくれてもおかしくない環境でこの女は育っているのだ。

 

「君みたいな凡人はわかりやすいからね。こう言えば、私が何言ったって『仕方ない』とも思ってしまう、だろ?」

「……なるほど。天性の下衆ってわけか」

「失礼だなぁ。可哀想な環境で歪んでしまった子、と言ってくれよ。泣いちゃうぞ」

 

 オレンジジュースが注がれたグラスの結露を指で拭い、わざとらしく目元に塗りつけてリィビアは嗤う。翡翠と琥珀の宝石のような瞳には湿り気はなく本当に岩石のようだった。

 唾でも吐きつけてやりたくなる気持ちを喉の奥にと、俺は水を流し込む。

 

「そんなところで暮らしてたけど、いくら私が天才でも一人で生きてはいけない。保護者っていえばいいのかな? 1人のおっさんが私を守ってくれてたんだよね」

「おっさん」

「汚いおっさんかな?」

「命の恩人にあんまりな言い方だろ」

「仕方ないだろう。名前覚えてないんだから」

 

 命の恩人なら名前くらい覚えといてやれよ。

 

「おっさんがなんで私を守ってくれてたのかは知らない。血縁では無いのは間違いなかったし、私は自分の力でおっさんを一度として守ろうとしなかった。おっさんが複数人にボコられてるのを見ても何も思わなかったしね」

「助けてやろうとか、思わないのかよ……」

「思わなかったねぇ。その気になれば倒せる相手でも、なんで私がこんなおっさんの為に頑張る必要があるのかとしか思わなかった。あとあのおっさん臭かったし」

 

 多分その頃はお前だってそれなりに臭いだろうに。

 驚く程に他人を馬鹿にして、見下す言葉しか吐いてこないリィビアと話していると逆になんだか気分が良くなってくる。

 コイツは多分、どんな人間にもこうして最悪最低な態度で話すのだろう。国王であろうと浮浪者であろうと、聖人であろうと悪人であろうと、全身全霊で見下すゴミみたいな性格。ある意味裏表がなくてやりやすい。良い奴とは微塵も思わないが。

 

「いつくらいだったかなぁ。私がね、もっと色々書かれてる魔術の本が欲しいなぁって言ったら。おっさんが本を買ってきてくれたの。高い本、くしゃくしゃになってない紙、綺麗な装丁、ワクワクして開いた中身は……子供騙しの絵本だった。どう思う?」

「どうって……色々聞きたいけど、まずなんで?」

「そうだね。まずなんでって聞いたらね、おっさんってば『誕生日くらいどんな子供でもプレゼントを貰う権利はある』って言ってね」

 

 誕生日なんて私も知らないのにね、とリィビアは笑いながら話した。

 

「あ」

「ん、どうした?」

「いや……なんでもない」

「おいおいおいおい。凡人の癖に一丁前に隠し事かい? どうせバレるんだから失礼なこと考えたなら早く答えな?」

 

 初めてリィビアが誰かを見下す意図もなく笑ったな、と思ったということを指摘したら、多分こいつはキレるので言わないでおく事にした。

 

「ふーん。まぁいいか。そもそも私その時は文字すら読めなかったから絵本というセンスは悪くはなかった。おかげで多少ながら文字は覚えたけど」

「は!? 文字覚えてなかったの? それで魔術を!?」

「最初に言っただろ全部独学って。さすがに発展系は文字を覚えて基礎知識を得てからだが、私は生まれた時から魔術の基礎部分は全て扱えた。どうだい凡人。これが天才というものだ」

 

 悔しいが、文字も覚えてないのに魔術を扱えるという時点でもうリィビアは天才と言うより化け物に近い。そこは認めなければいけない。

 ホントなんなんだよコイツ。まるで御伽噺でも聞いてるかのような神童っぷりだ。

 

 

「それからしばらくしておっさんはリンチにあって殺された。おっさんを殺したのは、おっさんと何も変わらない浮浪者だった」

「え?」

 

 

 突然ガツンと頭を横から殴られたみたいな衝撃を孕んだ言葉に、思わず素で聞き返してしまった。

 

「とりあえず適当な1人捕まえて理由を聞いたら、これが面白いことに『あんないい紙の本を買う余裕があって妬ましかった』って、笑ってしまうような理由だったよ。おっさんは絵本を買うためにしばらく飲まず食わずで金を稼いで、もうヘロヘロだったからろくに抵抗も出来なかったときた」

「それで、お前はどうしたんだよ」

「──────()()()。私は、怒りすらしなかった。悲しみも憎しみも、何も感情が動かなかったよ」

 

 今度は一体誰を見下しているのか。

 矛先の分からない、唸るような笑みでリィビアは嗤っていた。

 

「絵本という対外的な人間観を得て、ようやく私は自分が他の人間とは違うことを理解した。私は他者への感情がまるっきりない。誰をどう見ても、何も感じない」

 

 ギョロリと、生気のない石のような瞳が俺を見る。

 

「まず私は人間の顔を認識できていなかった。今こうして君をジョイ・ヴィータとして認識しているのは君の魔力を知っているからだ。俗に言う相貌失認と言うやつかな?」

「相貌失認?」

「人の顔を見ても、それを顔と認識できない。記号の組み合わせにしか見えない。人の顔を、人間のモノとして脳が認めていないんだよ」

 

 壊れた玩具でも叩くように銀の髪を纏った頭をコンコンとリィビアは叩いた。その手にはかなりの力が籠っていて、聞き分けのない子供を殴りつけるみたいだと何となく思ってしまった。

 

 

「何を与えてもらっても無感動。伽藍堂。私は自分が人間ではないと知ったよ。……人間であるならば、あのおっさんの顔を覚えていたはずだ。名前を呼んでいたはずだ。涙くらい流してやれたはずだ。それを思いつきすらしなかったのは、私が人間でないからだ」

 

 悲しむでもなく、後悔するでもなく。

 淡々とリィビアは事実だけを語った。すっかり温くなったオレンジジュースに手を翳して温度を下げてから一口だけ口に含み、本当になんとも思っていないように続きを話す。

 

「それからも酷いもんだったよ。今までおっさんがやってたことを自分でやらなくちゃあならないから、ますます自分の非人間性を知る羽目になった。聖人も罪人も、老若男女、誰であろうと私は同じ記号の集合体のゴミとしか認識出来なかった。……誰であろうと同じだったんだよ」

 

 自分を殺そうとした相手と、自分を拾ってくれた相手と、自分を助けようとしてくれた相手と、自分を拒んだ相手。

 誰も彼もリィビアの目には同じに映り、リィビアの心には響かない。

 

「なんでだろうって考えて、私なりに出した結論は私が人でないから。そして、私が人でないならば、人で無い意味はなんなんだろう。生まれた意味はなんなのか」

 

 それは絵本の言葉のようだった。

 子供を慰めるようなでまかせで、真実味を帯びた柔らかい、けれど深く突き刺さって抜けなくなってしまう言葉。それを大真面目にリィビアは語った。

 

 

「私が人でないならば。私は私以外の全てを人として認める秤になる。私以下の全てを、生まれも才覚も強さも何も関係なく、無条件に人にする。それがリィビアという女の使命だと、定義した」

 

 

 馬鹿じゃねぇのか、と言ってやりたかった。

 けれど言葉が出てこない。あんまりに真面目にリィビアがそう言うのだから、否定する勇気が出なかった。

 

 どうしてこう、才能のあるやつというのは変な方向に拗らせるのだろうか。

 生まれた時から優れているからって、役目なんてあるわけが無い。自分の好きにしていいと、神様からハンコを貰えてるようなものなのに、なんで勝手に何かを背負おうとするのか。

 

 

 

「なのに……なのに! あのエアと言うやつ! 私より強い! 私より強かった! 悔しいけどアイツを見て、生まれて初めて目を逸らした。勝てないと、心の底で理解した! ……そして、美しいと思ってしまったんだ」

「……へ? 美しい、え、それって」

「私は人を人として認識出来ない。なのに、アイツだけは顔も形もよく覚えている。認識出来てしまった。誰かを、アイツを人間だと思ってしまったんだ」

 

 物語のお姫様ならそれを運命と呼んで喜ぶはずなのに、この女はそれを許せなかったのか。

 

「私は、全ての人間を平等に扱う。誰であろうと例外があってはいけないんだ。全てを下に見て初めてリィビアは存在が許される。だから、エア・グラシアスは私の世界にいてはいけないんだ」

 

 

 それは愛と呼ぶべきか、憎しみと呼ぶべきか。

 少なくとも、かける言葉というものは見つからず、ぐちゃぐちゃの感情を湛えるその女を眺めることしか俺には出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺、どうすればいいと思う?」

「なんやその人間性ミキサーにかけたみたいな女。救いようがないんちゃう?」

 

 全くもってその通りなのだ! 

 その通りだからこそ、困ってるんだよ。

 確かにリィビアは性格はドブのカス煮込みって感じの女ではある。だけどそれはアイツがそうとしか他人との関わり方を知らないから、それ以外の人間の扱い方を知らないからそうなってしまったものとも言える。

 かと言って思い込んだ天才ほど厄介なものは無い。元々、何か言って聞くような性質ならアイツはあんな拗れていないだろうし、なるべくしてなったとも言える。

 

「お、おはようジョイくん、リエンくん……」

「アーリス、なんでボロボロになっとるん?」

「ちょっと学園長……じゃなくて、新しい師匠にボコボコに……」

 

 ごちゃごちゃ考えているとアーリスが登校してきた。ギガトさんが一対一で稽古をつけていると聞いていたが、全身ほぼ全てを包帯で覆っていて逆にどんなことしたらこんな怪我をするか分からない。やっぱりあの人、師匠と同じタイプなんだろうなぁ。

 

「治癒とか受けてきた方がええんやないそれ?」

「治癒は体力使うし、頼りっきりになると痛みを覚えないからやめとけって……。でも本当はいい師匠なの。私の事、愛してくれてるから……」

「発言が大丈夫そうに聞こえねぇんだけど。お前本当に騙されてないよな?」

「師匠のことを悪く言わないで……ちょっと私を殴る時に嬉しそうにするだけで、本当はいい人なの……」

 

 将来ダメ男に引っかかりそうな雰囲気がすごいけれど、少なくともギガトさんは見た目が殺人ロリなだけで多分、恐らく良い人だろう。本当に最低な方ならばわざわざアーリスの死刑を覆すなんてこともしなかっただろうし。

 

「しかし、なんで急にそんなハードメニュー組んどるん? なんか目標でも出来たん?」

「うん、実は今度グラシアスさんと戦うことにして、それに向けてね」

「え」

 

 さすがに声が出た。

 言っちゃあ悪いけど勝ち目ないだろそれ。

 

「その……頑張りぃや?」

「わかっていたけど、そんなに勝ち目ないように見えるかな?」

「そりゃあまぁ……少なくとも賭けがあったら全員エアに賭けるだろうな。でも急にどうしてアイツに?」

「何となく、負けたくないなって思ったの。ジョイくんだっていつかは勝ちたいと思ってるでしょ?」

「それはそうだけど、急すぎないか?」

 

 こういうのもあれだが、アーリスがエアと戦うのはあまり気が進まない。

 今まさに、アイツの才能を見て色々と狂ってしまっているリィビアという女と関わってるのもあるが、やっぱりアイツは特別なんだ。下手にアイツと同じ場所を目指そうとすれば、御伽噺の太陽に近づきすぎてその熱に焼かれ死んだ愚かな男のようになるだろう。

 

 特に、これは前は知らなかったけどアーリスは意外と精神面が強くない。魔女に打ち勝ってる点で言えば強いだろうが、だからと言って気軽にアイツに挑んではいけない。アイツがどれだけ俺達のような人間をボコボコにできるかは身をもって知っている。

 

 うん……。

 やめた方がいいと思う。本当に、アレは心が折れる。絶対にやめておいた方がいい。

 

「正直私もそう思うけどさ。それでも──────挑みたいと思ったの。壁にぶち当たって、それでも手を伸ばすことがどんなことなのか、自分で確かめてみようと思って」

「おー、おう? まぁ止めないけど、本当に心折れないように気をつけろよ?」

「…………別に期待はしてないけど、うん。もうちょっと自分を客観的に見れたりしないのかな? 応援は受け取っておくけどさぁ、ね?」

 

 なんかアーリスは不機嫌になってしまったけど、あの様子なら何となく大丈夫な気はする。なら俺が今考えるべきはやはりリィビアの事だろう。

 

 壁にぶち当たって、手を伸ばすか。

 そういうのは本当に疲れるから好きでは無いのだが、そうすることでしか見えないものがあるだろう。世界を壊すってなれば、それくらい頑張らなければ。

 

 

「うん。壊すか、世界」

「頭おかしくなったん?」

「正気だよ。それくらい出来なきゃ、あの星には追いつけねぇだろうしな」

 

 

 かつてデウスが、エアがやったこと。

 それを俺も出来なければ追いつけるはずもない。それに、非常に個人的な話として。

 

 リィビア・ビリブロードを他人のように感じない。アイツにこんなこといえば凡人と一緒にするなと言われるだろうし、俺自身も天才と比べるなって言うだろうがそれはそれとしてだ。

 

 

 

 

 

 最初の宣言通り、ぶっ飛ばしてやるとしよう。

 普通にアイツ、ムカつくし。

 

 

 

 

 

 

 

 



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13.凡人くんの殺神講座 煉獄編

 

 

 

 

 

 

 生まれて初めて、他人の顔というものを見た。

 人間ってこんな姿をしているのかと思ったし、同時にそれがあんまりに綺麗で驚いた。大きな瞳、天使の輪のような光沢を持った金の髪、現実感の無いアンバランスで、肉感的で、引き締まった不思議な体。

 

 

 鼓動が狂った。

 呼吸が狂った。

 汗腺が狂った。

 

 何か、知らない言葉を口が紡ごうとした。知らない気持ちを心が伝えようとした。きっとそれは、昔読んだ絵本のお姫様が持っていた、自分には遠すぎた何か。

 

 

 そして、人間の剣は魔術を切り裂いた。

 リィビア・ビリブロードが信じた全てを、存在の全てをたった鉄の剣の一振で無に帰してみせた。

 

 ムカつく。

 否定したい、殺したい、そんなはずはない。あれが人間のはずがない。もしもそうなら、リィビア・ビリブロードは天秤足りえない。誰よりも強くないと、全ての上でないと、全てを見下ろす絶対の一がなければ人は平等になれない。

 

 

「……殺してやる」

 

 

 それをどう名付けるかは、人によって違っただろう。

 だがリィビア・ビリブロードにはその言葉以外がなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「リィビアを倒したいかー!」

「おぉー!」

「というわけで訓練相手を連れて来たで。お馴染み、エア・グラシアスや」

「僕だよ〜!」

「うわぁー!!!」

 

 とりあえずリエンをぶん殴ってやろうとしたけれど、相変わらずひょいひょいっとゴキブリみたいな動きで避けやがる。コイツに人の心はない。間違いなく虫畜生、いやそれ以下のゴミだ。ドブだ。とりあえず一発死ね。

 

「というかお前ら2人何? そんなに仲良い感じなの? 何? ゔー!」

「感情が行方不明になっとるね。最近ジョイもアーリスも忙しそうやからね。2人でイチャついてるんぎっ」

「勘違いしないでね。仲良くしてるけど、友達としてね?」

 

 えげつない勢いのパンチでリエンが吹っ飛ばされた。アレ、普通に内臓がイカれてる気がするけど大丈夫なんだろうか。

 それはそれとしてよかった。もしもエアが男と付き合い始めたらマジで狂ってた。別にエアが誰を好きになろうがいいんだけど、どうしても頭にデウスが掠めちゃう。

 

「俺らは友達やからね。ジョイがあのリィビアと戦うってなれば幾らでも力を貸すよ」

「ならせめて人選をな? もうちょっと考えてくれよ」

「安心せぇ、もう一人連れてきとる。カモン、アーリス!」

「い、いぇい……アーリスだよ……」

「こっちはもう帰してやれよ……」

 

 訓練場に続いて入ってきたのは全身包帯で産まれたての子鹿みたいな足取りのアーリスだった。1秒でも早く眠りたいという疲労が顔に書いてあるレベルなので、どうか帰してあげて欲しい。

 

「気にしないで……明日は友達と練習があるって言ったらなら明日会えない分扱くって……うぅ……怖かったよぉ……」

 

 ガチ泣きじゃんこれ。一体ギガトさんはアーリスにどんな修行内容を叩きつけたのか。

 

「まぁアーリスちゃんが泣いてるのは割といつもだから置いておいて」

 

 置いておくな。可哀想だろ。これだからナチュラルに人の心がない天才は。

 

「リィビア・ビリブロード。この前一緒にいた子だよね。……戦うの? 僕とは戦ってくれないのに?」

 

 上目遣いで頬を膨らませてくるエアちゃんってば本当に、うん。これがコイツじゃなければ俺はきっと恋に落ちていたであろう。いやぁ、デウスのことを覚えておいてよかった。いや、覚えてなければ楽になれたかもしれない。

 

「僕は逃げも隠れもしないのに。ずっと、誰からの挑戦でも待ってるのに」

「俺はメインディッシュは最後まで取っておく派なんだよ。心配しなくても倒してやるから、まずはその前に肩慣らしだ。それにまず、お前の相手はアーリスだろ」

 

 基本エアは上級生くらいにしか自分から模擬戦は申し込まず、同級生相手には来る者拒まず、な感じであるため意外なことにまだ予定が埋まっていて、俺とリィビアの戦いよりあとの話であるが。アーリスとエアの模擬戦の予定も既に決まっていた。

 

「でも僕負けないから」

「本人の前で言うのやめてやれよホントさ」

「? でも僕負けないよ?」

「……あはは。まぁ、そうだよね。そう思うよねうん。……うぅ」

「ちょっと天才ー! アーリスちゃん泣いちゃったじゃん!」

「えぇ!? えーっと、強くてごめんね?」

 

 ナチュラルボーン煽りストをアーリスから引き離す。コイツは人間の、特にアーリスのような繊細な生き物と絡ませてはいけない。

 

「この人の心がない女はほっといて、なんでエアとアーリス呼び出したんだよリエン」

「俺はジョイの親友やで? 意味の無いことなんてせぇへんし、お前が嫌がることもせぇへん」

「いきなり矛盾が発生してるが?」

「リィビア・ビリブロード。筆記1位で入試通過。入学以降1回だけ模擬戦もやっとるけど、圧勝やね。タイムは1秒。速さだけならエアを超えとる。戦法は魔術メインの典型的な遠距離スタイル。……ほらな、嬉しい情報やろ?」

 

 大半は知っている情報であったが、入学後の模擬戦については知らなかったな。

 1秒かぁ。相手も全力で頑張ってるのにタイムアタックするのはやめて欲しいなほんと。

 

「む。僕なら0.5秒でもいけるよ」

 

 やめろって言ってんだろ。

 

「俺はその場面見てたけど、開始と同時に砲撃でドカン。複合属性砲を3つ同時。防御しようにも1つ防御すればそれと反対の属性で叩き割ってくる。……まともにやれば勝ち目ないでこれ」

「まともにやるつもりは無いからな」

「最後まで聞きぃ。複合属性の同時射撃なんて使えるやつはそうそういない。やから、再現するためには最低3人必要やと思ってな?」

 

 うん。

 うん? 

 え、待って? なんでアーリスもエアも、ついでにリエンもなんか構えてるの? 

 

「私は炎と風と土、とりあえず撃てばいいんだよね?」

「俺はこう見えて水と雷、あと風も使えるからなぁ」

「あとは僕が他を全部担当すればいいんだね! 闇以外は全部使えるから任せて!」

 

 おいおいおいおい! 

 待て、心の準備とかそう言うの、それ以前にシャレにならねぇぞこれ。訓練のくせして、これ気を抜いたら死──────

 

「あ、なんかさっき外でアルム先生が何が起きても治してやるから好きにしていいって言ってたで」

「あんのクソババアァァァァァァァァァァァァ!!!」

 

 俺の叫びは七色の光の中に掻き消された。

 なんかこのメンバーでは俺以外使えない闇属性の砲撃も混ざってた気がしたけど、多分気の所為だろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「その……お疲れな? ホンマに」

 

 リエンが飲み物を差し出してきたので無言で受け取り一気に飲み干す。別に拗ねているとかではなく、単純に疲れて声も出せない。トラウマになるくらいの攻撃を喰らい続けたのだ。叫びすぎて声が枯れた。

 

 俺の訓練が一段落したからと、貸切の訓練場ではアーリスとエアが剣で打ち合っている。いや、どちらかと言うとエアがアーリスに指導してやってると言った感じだろう。

 

「どや、なんか掴めたか?」

「少なくとも、初撃でやられるってことは避けられそうだよ助かった」

「礼は楽しい試合で返してくれや。俺はジョイのファン1号なんやからな?」

 

 なんでリエンがこんなに俺にベタベタしてくるのか分からないが、多分コイツのことをわかるやつなんていなさそうだし考えるのは無駄そうだ。

 

「楽しい試合になるかはわからねぇけど、まず礼は言っておくよ。ありがとなリエン」

「…………お礼とか言えたんやなジョイ。礼節という言葉を知らんものかと」

「お前は自分の株を下げなきゃ気が済まないのか?」

 

 一発引っぱたいてやろうと思ったが、避けるのだけは一流でまともに当たらない。付き合うのも疲れるだけだし、寝っ転がってアーリスとエアの訓練に目を向ける。

 

 ……なんか、これすげぇ青春してる感あるな。

 前世でも共同訓練とかはやったけど、事務的なもんだったしこんなワチャワチャした付き合いとかしてる心の余裕もなかったし、俺自身そういうのを避けていた節がある。

 

 一番になれなかった自分に価値が見いだせなくて、それを誰かに見られるのを酷く恐れていた。

 

 ギガトさんも師匠も言っていたが、学生らしく楽しむことは意外と大事なことなのかもしれない。10年後や20年後、もう一度魔女に殺されてなければあるかもしれない未来で、あの人達を良き大人だと思うことが……………………。

 

 それはそれとして前科が多すぎるんだよなあの大人達は。

 

「はぁ……はぁ……。今日はここまで! ここまでにしよう! 僕もう疲れた!」

「もうちょっとお願いします! あと少しで、何か見えてきそうなんで」

「無理無理! 待って、僕もう限界!」

 

 一方、アーリスとエアの訓練は意外な結果になっていた。

 終始勝負自体はエアが圧倒しているのだが、先に音を上げたのは何とエアだった。大きな胸をさらに大きく上下させ、精一杯全身に酸素を回そうとしているところは演技には見えない。

 

「なんやアーリス。まだ動けるんか? 俺なんかジョイとの訓練だけでヘトヘトやのに」

「うん……。疲れてはいるけど、これくらいじゃへこたれてられないからね。空は、随分と遠いから。私の折れた翼じゃまだ届かない」

「んー? なんかポエミーなこと言っとるなぁ」

 

 まだまだ頑張れる、といった様子のアーリスであるが、残念ながら俺は既にグロッキー。エアもリエンも疲れ切っていてまともに相手出来そうにもない。

 

「今日は、解散だなさすがに。アーリスは久しぶりに体でも休めた方がいいんじゃないか? 明日からまた……お前の師匠にボコボコにされるだろうし」

「……そうだったね。はぁ、悪くは無いんだけど、優しいんだけど、せめてもう少し優しく殴ってくれないかな」

 

 いそいそと片付けや訓練場の整備を始める俺達。明らかに度を越していたが、時間が経ったおかげで程よいレベルにまで収まった疲労感のおかげで今はかなり眠い。さっさと飯食って風呂入ったら一切待たずに眠ることが出来そうだ。

 

「……そうだ。アーリス、前から思ってたんだけど、グラシアスさんって呼び方ちょっと固くない?」

「そうかなぁ?」

「せっかくこうして一緒に訓練したんだ。僕のことはエアくんか、エアちゃん、もしくは呼び捨てでいいよ」

「えー、じゃあ俺も気恥しいけどエアちゃんって呼ばせてもらうわ」

「リエンくんはエアでいいよ」

「エアちゃん」

「エアでいいよ」

 

 しつこくエアちゃん呼びを続けた結果、リエンは脇腹に蹴りを入れられて吹っ飛ばされたけどまぁ自業自得だろう。

 

「じゃ、じゃあ……エア。うん、改めて今度はよろしくね、エア」

「うん。それと、さっきはごめんね。少し心のないことを言ったかも」

 

 エアはアーリスの手を取って、ぎゅっと握手を交わした。2人の身長差はアーリスが大きくエアを見下ろす形になっているが、何故か俺には2人の視線が同じ高さにあるように見えた。

 

「君が空を目指すならば、僕は正々堂々、真っ向から君を叩き落とす」

「記念勝負のつもりは無い。私だって教えてあげる。星は1つじゃないんだよ」

 

 なんか、仲が良さそうな、それでいてどこか剣呑な雰囲気がある2人の間に踏み込むのはよしておこう。

 それに、アーリスが前を向けているのは良い事だ。なんだかんだで意外と心配だったからな。精神的に辛い道を歩ませることになったのは、結果からいえば俺のエゴだったし。かと言って責任が取れるほど今の俺には力はない。

 

 まずはリィビア・ビリブロードだ。

 アイツに勝って教えてやらなきゃならない。どれだけアイツの空が狭くて寂しいものなのかを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 改めて思うのは、衆人環視の戦闘というのはあまり慣れない。

 勝利も敗北も、奇策も愚策も、王道も邪道も全て誰かに見られる。気持ちは良くないが、示せるものがあるならばこれ以上の環境はない。

 

「君が私に勝負を挑んできた時は、頭がイカれたのかと思ったよ。まさか君程度の凡人が、私の時間の邪魔をするなんてね」

「俺は楽しくないことはしたくないんでね」

 

 挑んだのも俺、後から出てきたのも俺。

 長身の魔術師、銀の髪のリィビア・ビリブロードは挑戦者を待ちわびたかのように剣型の杖を構えた。武器としての性能よりも、魔術的意味に重きを置いた魔術師型の騎士の武装。

 

「だいたいこの私が来いって言ってもすっぽかして。おかげで結婚できないラクシャを弄り回して泣かせてしまったじゃないか。酷い男だ」

「それは泣かせたお前が悪いだろ。……あの先生、かなりいい人だからやめてやってくれ」

「私に命令するな、凡人。こうして君に時間を割いてやってるのも優しさだと理解しろ」

「別に受けなくても良かっただろ。両者合意でないと、模擬戦は基本は出来ないんだぞ」

 

 そういうとリィビアは、嗤った。

 しっかりと、その背丈と与えられた才能の全てを持って俺を見下して。

 

「君のような雑魚の凡人に挑まれて逃げたと思われても癪だ。徹底的に痛めつけて、示してやるよ。私が人の秤、人の標だということをね!」

「ならせいぜいこっちは教えてやるよ。テメェがどれくらい世間知らずのお嬢様か、どれだけ寂しい空に浮かんでた孤独なお月様かってことをな」

 

 俺も剣を抜いて構えた。試合開始の合図があれば、俺とリィビアの戦いは始まる。リィビア相手に持久戦はまず不利、一撃、一瞬で決めるしかない。

 

 

「そうだ。もしも君が勝ったら、何でも言う事を聞いてやるよ」

「……はい?」

「何でもだ。私の事を、好きにしていい」

 

 空気の読めるんだか読めないんだか、そんな風がリィビアの目に悪い配色のローブを少しだけ翻す。動きやすいようにか、それとも他の理由か。制服は普段のズボンタイプのものではなくスカートになっていてスラリとした彼女の長く、病的に白い太腿がロングブーツとスカートの合間でてらてらと光っている。

 

「なん、でも」

「そう、何でもだ。好きにするといい」

「いやまぁ、普通に授業出ろって言うけどな」

 

 そもそもその為にこんなことまでしてやってるんだ。リィビアをぶっ飛ばしたいし、ついでに学園長からの依頼も果たせて一石二鳥。

 

「ハハッ、無欲、いや愚かだね。じゃあもしも私が勝ったら……君は一生私の奴隷だ。せいぜい神殺しに、その『眼』も使ってやるよ」

 

 ……おっと、そう来るか。

 そう言えばリィビアは見抜いていたんだったな。俺の切り札を。そうなってくると話が変わる。

 

 

 

「覚悟しろよ天才。負けない気持ちと、負けられない意思はこの学園一、ジョイ・ヴィータ。我が師、アルム・コルニクスから受け継いだ誇りに賭けて、この眼は俺と師の神殺しにだけ使わせてもらう」

「一丁前に名乗るか。……リィビア・ビリブロード。人の秤にして、『月虹(メイガス)』の名を冠する唯一人の騎士。我が月の下、万人に平等に敗北を!」

 

 

 

 

 

 

 

 



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14.月虹閃夜

 

 

 

 

 

 

 

 

 二度目の模擬戦。

 しかし前世を含めれば何度目かは分からない戦いの度に思うことがある。

 

 ──────なんだコイツら? 

 

 目の前に迫り来る7色の極光を前に、凡人はそんなことしか思うことが出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

「あれ? 意外だね。生きてるんだ」

「死んでたら問題だろ……。いきなりバカスカ撃ちやがって。頭の悪い戦法だ」

「凡人にはこういう策も何も無い力押しが、効くだろう?」

 

 土煙の晴れた向こうで、余裕綽々で周囲に光球を侍らせているリィビアは相変わらず獣のような笑みを浮かべていた。

 俺の周りの女、笑うと獣みたいなやつばっかりだな。

 

 俺の『鍍金(アルデバラン)』は相手を強くイメージできていればいるほど、行動予測と身体強化の暗示の精度が上がる。最初の砲撃も、前の特訓がなければイメージしきれなかった。

 

 それでも、捌き切るのにマジで心臓が縮んだ。

 

 訓練の時は3人が個別に撃ってたのに、リィビアの場合1人でその処理速度を上回っている。二重属性の魔術は単純な砲撃でも組み合わせるのに集中して、一般的には10秒程度かかる。エアは1秒もかからずにやるし、アーリスもそのくらいでやるが、リィビアはレベルが違った。

 

 複数の二重属性の砲撃をタイムラグなしで合成していた。器用さとか並列処理の分野が尋常じゃない。加えて精度も威力も十分。偶然火、風と水、雷というわかりやすい相克し合いそうな砲撃があったからそれを引っ掴んでぶつけてどうにか初撃はいなしたけど……これはまともに受けてたら削り殺される。

 

 剣を握りこんだ左手の掌に痛みが走る。

 咄嗟に障壁を手に集中させながら砲撃をぶん殴り、軌道を逸らしてから防御に集中。悪くは無いが捨て身すぎるなコレ。

 

「……なるほど。君は意外と魔力操作が得意みたいだね。魔力障壁や身体強化。特別優れたものは感じないが、とにかく繊細で緻密だ。瞬間的に出力を上げたり、局所的に使ったりが得意なんだねぇ」

 

 しかも俺の得意技が一つバレた。

 俺を凡人って呼ぶなら慢心してくれよと心から思うぜまったく。俺は真正面から戦えば天才に勝てない。だからこそ、小手先の奇策、騙し討ち、初見殺しでしか張り合えない。

 

「どうだ? 俺に倒される心の準備は出来てきたか?」

「ちっとも。ギアを上げさせてもらうよ。次はこう行こうか」

 

 ちょちょいと動かされるリィビアの指先。その動作で3つの光球がタイムラグなしに一つの光球に合体する。

 

 嘘だろおい。3属性複合もそんなあっさり出来るのかよ。

 これが才能ってやつか。それにしたって次元が違い過ぎる。こんなことを生まれつき直感でできてたのだとしたら、そりゃあ自分を人間と思えなくなるのもしかたがないのかもしれない。

 

「火、雷、光。この3属性の組み合わせは私は好きだ。魅力はなんと言っても純粋な破壊力だからね」

「俺は嫌いだよ! というか複合属性の魔術はみんな嫌いだチクショー!」

 

 高熱の光線が景気よく飛び交う、飛び交うと言うか一方的に飛んできている。一撃でもまともに当たれば防御の暇もなく上から叩き潰される! 

 かと言って、逃げ回ってるだけでは本当に何も始まらない。

 

「近づけば勝てると思ってるんだろう? それは机上の空論、それが出来ないから君はこれから一方的に、嬲られるように負けるんだよ」

「近づかれたら負けるもんなお前。引きこもりじゃぁろくに鍛えて無さそうだし」

「近づかれたら負けるんじゃない。近づかれないから負けないんだよ」

「同じだろ!」

 

 しっかしこれどうしようか。

 近づこうにも避ける為に走りまくってる現状から、少しでも接近を試みたら確実に包囲射撃で殺されるんだよな。訓練のおかげでイメージはギリギリできるんだが、それよりもなおリィビアが速いのはさすがにインチキだ。

 

 けれど、勝ち筋はある。

 リィビア・ビリブロードには弱点が幾つかある。卑怯と言われようが、俺はそこにしか勝ち筋を見出していない。

 

 

「さて、なんか希望を見てそうだしそれを握り潰してあげようか」

 

 

 そう言ってリィビアは砲撃を続けながら、違う色の光球を合わせ始めた。複数同時に3属性複合も出来るのかよ。

 

「水、風、土。今度はこっちを使わせてもらおうかな」

 

 放たれた光線は変わらず俺に向けて一直線に放たれた、かと思ったらその軌道の途中で突然何本もの細い光線に枝分かれして、空中で急に曲がる奇妙な軌道を描きながら背後以外の全方向を覆うように俺に迫ってきた。

 

「複合しておいた土属性をあとから反応させて結晶化し、光線を分割、軌道変更させる高等技術さ」

 

 俺を舐めてもらっちゃあ困るぜ。確かにそれはかなりの高等技術だが、リィビア以外誰も使えないわけではない。対処出来るとは言わないが。

 

 いやでもこの複雑な軌道と枝分かれの数は狂ってるな。これはリィビア以外出来ないと言うかやらないだろう。そもそも3属性複合を複数同時使用も出来るやつならこの世にそれなりにいるだろうが、難しすぎて効率が悪いからやらないだけだ。

 

 それを平然と、実戦に耐えうる速度で使っているからこそこの女は頭がおかしいんだよ。

 とにかく光線が迫ってきてない背後に跳ぼうとしたが、横目で後ろを見てみれば先程の砲撃の合間に火、雷、光の方の高火力の光球を一つ俺の後ろに配置してあったようだ。

 低威力高密度の散弾で逃げ道を封じ、唯一の逃げ道に高威力の攻撃。まるで教科書に載ってるようなお手本のような追い詰め方。戦いじゃなくてボードゲームにでも付き合ってるみたいだ。

 

 だからこそ、穴だらけなんだ。

 コイツにとって人間ってのは等しく自分より下、自分より下で全員平等と。そんな風に思うことでしか無感情な自分を許せないこの女はだからこその、隙。

 

 一応名誉の為にかっこよく言ってやったが、本心はもしかしたらめんどくさいからさっさと勝負を決めにきたのかもしれないけどそこはどうでもいい。重要なのはリィビアが悪手を取ったことだ。

 

 

「──────行くぞ」

「ッ、正気(マジ)?」

 

 

 体の前面に防御を集中させ、鳥籠のように迫る幾つもの光線に真正面から突っ込む。幾ら枝分かれさせたとはいえ3属性の複合砲撃。俺の防御では防ぎきれず肩、脇腹、足が貫かれるし防ぐことに魔力の殆どが持ってかれる。

 

「その傷、走ることはもう無理だろ! なんで走ってんのキモ!?」

 

 うるせぇな痛いけど頑張ってんだよこっちは! 

 とにかく、これで距離は僅かに縮まった。ついでにキモがってくれたおかげで精神的動揺も誘えたのか、反応が一手遅れている。

 

「もう防御用の魔力は少ないだろう! 君、魔力量も大したことないからね!」

 

 リィビアは5属性の複合光球を敢えて不安定な形で放った。あれならば多少の衝撃で無理やり合わせられていた複数属性の魔力が反発して爆発を引き起こす。

 2属性とかならまだしも、5属性とか今の俺が至近距離で受けたら塵になるぞ。ホント加減ってものを知らないのかこの女は。

 

 

 ……いや、本当に知らないんだろう。

 リィビアは戦いを知らない。最低限の力で相手を追いつめ、最大限の力量を叩き込むことを知らない。リィビアにとって人間の相手をすることは蹂躙することと何も変わらない。リィビア・ビリブロードは『勝負』というモノを知らない。魔術論理に関して言えば間違いなく天才であろうが、戦いという場においてはあまりに思考が幼い。

 

「そんなもん周囲に集めて、火遊びはガキのすることじゃねぇぞ」

 

 拾った石ころを握りしめる。もちろん、石を全力で投げた程度では起爆しないだろうが、だから()()()()()()()

 お前だって知ってるだろリィビア。こう見えて俺は、雷属性に関してはちゃんと適正があるんだよ。

 

「雷よ、穿て!」

「──────しまっ」

 

 雷光を纏った投石が光球を貫いた。

 威力もそうだが、無理矢理外部から大量の魔力属性を流し込んだことにより不安定な光球の魔力バランスが崩れ、爆発が連鎖的に引き起こされる。

 至近距離では無いとはいえ、俺もこの派手な爆発にはもちろん巻き込まれる。飛び散る砂利が皮膚をすりおろして、一番感じたくないヒリヒリした痛みが全身を覆う。だが今はこの痛みより、防御に使う魔力が惜しい。

 

 煙の向こう、リィビアはもちろん自前の高出力の防御で無事だろうが今が一番余裕が無い。

 残り2m。一息で踏み込んで、一撃で倒す! 残りの力を振り絞り剣を振り下ろして終わり。リィビアが俺を凡人だと侮っている間に、この女が俺に対して全力を出して来る前に。

 

 

 

 

 

「──────月虹(メイガス)

 

 

 

 

 

 

 間に、合わなかった。

 瞬間、俺の剣が止まった。振り下ろしているはずなのに、いつまで経ってもリィビアに剣が届かない。

 彼女の周りの空間が濡れるように黒く染まっていき、7属性混合魔力球──────黒色の光球の照準が俺を四方八方から取り囲む。

 

「クソッ! 失敗した!」

 

 堪らず飛び退いて、あれ程近づきたかったリィビアに俺から距離を取る。今まではリィビアに近づけさえすれば勝てたが、今は違う。

 リィビアの周囲の黒色の空間こそ、この世で最も危険な領域に変貌した。その黒の中でただ一人、虹の輝きを湛える銀の女こそその名の由縁。

 

 

「想定外、想定外だよ凡人。これを使わされるとは、私が甘かった。君は、君のような私に小手先の手品で勝てると思い上がっていた凡人は、しっかりと完全な実力差を見せて黙らせて上げないとね」

 

 ──────正式名称は、『空間魔力飽和現象』。

 7属性の集合光球で周囲の空間の魔力濃度を異常な値まで無理矢理引き上げ、小規模な空間の情報量を狂わせる。

 結果として起きるのは、観測できない領域の生成。この空間は見た目の数百倍の情報量を持つ。

 

 難しい話は分からないが、端的に言ってしまえば。

 リィビアの周囲5m程の黒の空間。そこを駆け抜けてリィビアに俺が干渉するには、最低でもその数百倍の距離を一瞬で駆け抜け、リィビアの防御を数百回破壊する攻撃を与えなければならなくなる。

 

 自分でも何言ってるか分からないけど、俺はとりあえずリィビアの周りの『距離』が数百倍に引き伸ばされてると認識した。常人にはそれくらい簡潔に言ってようやく理解できる現象だ。

 

 しかし本気のリィビアだぞ? 

 あの空間に飛び込んだら、リィビアの元に届くまで俺の方は近づく為に強制的に数百分の一の速度でしか進めなくなる。その間に砲撃されておしまいだ。

 

 この札を切られた時点でどうしようもない。もちろん、リィビアと言えどこれを長時間展開は出来ないだろうが、7属性複合攻撃を始めたリィビアを相手に今の疲弊した体では勝ち目はない。

 

 誰がどう見たって俺の負け。

 

「……なんで、笑ってるんだよ」

「そりゃ笑いたくなるさ。ここまで()()()()()()に事が運べばな!」

 

 これはリィビアの切り札。

 そして、切り札ってのは切った時点で勝負を決めなきゃいけない奥の手だ。もしも互いに切り札を持つのならば、『使わされた』形ではなく『使った』方が有利なのは至極当然。

 

 

「師匠、すいません! 今使います! 負けたくないので!」

 

 

 闘技場の結界は観客席からの声が聞こえない。

 だから、口パクで何となく、観客席から立ち上がった眼帯の女の口元を見て言いたいことを予測する。

 

 

 

 

 

『ふざけんな、馬鹿弟子ィィィィィィィィィィィ!!!』

 

 

 ホントごめんなさい師匠! 

 でも、ここで負けたくない。リィビアは、こんなことを言ったら怒るだろうけど昔の俺なんだ。

 才能があって、未来があって、なのに諦めてしまった、折れてしまったコイツが俺は許せない! 

 

 俺には二回目の人生という、リィビアには持って生まれた才能という奇跡があるのだから。こんなにも輝ける女が、こんなところで諦めてしまうのを見るのはもう全く楽しくない! 

 

「終わりにしてやる凡人! 消し飛べェ!」

 

 闘技場の全てを包み込むような黒の光。

 誰もが目を背けるグロテスクな極光を前に、俺は左目を見開いた。

 

 

 

 

 

「耀け、黒耀(バロール)!」

 

 

 

 

 

 

 切り替わる視界、負担で内臓が裏返るような気持ち悪さと生命力が直接搾り取られるかのような忌避感。

 それら全てを無視しながら、俺は愚直に、鍛え続けた剣を振るう。

 

 

「……は? その、力は。いや、なんだそれは! なんでお前が! それは、エア・グラシアスの!」

 

 

 黒色の砲撃は、俺が剣を振るうと同時に切り裂かれて霧散した。

 確かに、それは傍から見ればエア・グラシアスの『断魔(プレアデス)』のようにも見えるだろう。しかしやって見せた本人からすればそんな考えはあまりに見当違い甚だしい。

 

 これはアルム・コルニクスが引き継いだ魔術媒体。彼女の左目そのものを、俺の左目として移植することで発動する術式。

 

 効果は解析。

 発動した瞬間、この目はあらゆる魔力を極小単位まで解析し、世界の全てを顕にする。極小単位の観測により魔力制御の質が上昇し、身体強化も今までの比にならない精度になる、が。

 

「づぅ、おぇっ……ぁが、ぁぁ!」

 

 処理しきれない情報量に脳が悲鳴をあげている。使える時間は本当に短いからこそ、速攻で決めるしかない! 

 

「そんなはずはない、あんなものが、あんなものが溢れてたまるか! 魔術(わたし)を否定するなァ!」

 

 子供が駄々をこねるような乱雑な砲撃。戦略も智略も何も感じない馬鹿正直な砲撃であるが、それでも逃げ場もなければ防ぐ手段も普通ならないさいこうにあたまのいいこうげき、であろう。

 

 だが今なら見える。

 あらゆる魔術は魔力を人間の脳という変換器で術式に変換して放つ技。つまりは魔力という糸を編んで作った一つの芸術だ。

 そんな人の努力をたった一振で掻き消すのだから『断魔(プレアデス)』は恐ろしい。俺に出来るのはせいぜいが、編んだ時にどうしてもできてしまう『ほつれ』を突くことだ。

 

「うぉらァ!」

 

 一番近くにあった砲撃を力の限り切り裂く。『黒耀(バロール)』で捉えたそのほつれを切り裂いた瞬間、術式は効果を保てずにただの魔力に戻り、先程の不安定な魔力球に近い状態になって爆散する。

 今ので指がちょっとすり減った。精度を上げた身体強化の術式が、『鍍金(アルデバラン)』と併せて俺の肉体の限界を越えてるせいか骨がギシギシ痛むし頭が茹だってるように熱を持つし1秒後には意識を失いそうだ。

 

 それでも。

 

「……来るな」

「孤独の空から堕ちるときだぜ、天才様。お前のいる場所は、俺なんかでも手が届くんだ」

「私を、見下ろすなァァァァ!!!」

 

 最後の一歩。

 足が折れる勢いで跳んで、リィビアが次の術式を使う前にその間合いに入る。もちろんそれは、『月虹(メイガス)』の空間に飛び込むということ。

 だがもちろん、『月虹(メイガス)』もまた魔術である以上、人が生み出したものである以上完璧は有り得ない。『黒耀(バロール)』はその術式のウィークポイント、ほつれを見つけ出す。

 

「ぶった斬れぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」

 

 俺の剣が空間を切り裂く。

 黒色に世界を染めるリィビアの魔術そのものが、解けて効果を霧散させる。

 

「何やってんだ……お前」

 

 そう言えば忘れてたけど、この術式って空間が歪むほどの魔力量を持つ7属性複合空間だったな。つまり、そのエネルギーの全てが行き場を失って、不安定な状態になり、発散する。

 

「やべっ──────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 飛び退こうとしたけれど間に合わなかった。

 闘技場の結界が叩き割られて、瞬時に師匠の魔力を感じたところからあの人が上から結界を張り直したのだろう。

 俺は為すすべもなく残った魔力全てを叩き込んだ防御が割られて、一個くらい内臓が飛び出したんじゃないかって勢いで壁に叩きつけられた。

 

 手足が動かない、全身が痛い、肌の色が内出血を起こしすぎて変な色になってるし、骨も歪んでる。

 視界は『黒耀(バロール)』の為に使ったエネルギーが多すぎてか、左目は血管が破れて真っ赤だし右目は血が回ってないのか白黒になってる。何とか呼吸をしているが、呼吸以外の動作が思いつかないくらい脳が疲弊している。

 

 やったか? やったよな? やれたよな!? 

 

 煙の向こう、リィビアがいるはずの場所を凝視し続けて、俺は言葉を失った。

 

 

 

 

「……クソバカ凡人が。前言撤回だ。こんな中途半端なモノが、あのバケモノと同じのわけがあるか。クソが。馬鹿だろ。私が防御してやってなかったら、下手したら死んでたぞ、ボケ」

 

 信じられねぇ。

 服がほとんど吹き飛んで、頭から血を流して半身が焼けているが立っている。普通に立って、俺を見下ろしている。

 

 

「……次は、勝つからな」

 

 

 それだけ言って。

 リィビアは白目を剥いて鼻血を出しながら仰向けに倒れた。多分、アイツも防御と魔力制御に瞬間的に脳を酷使し過ぎたんだろう。舌を出してみると俺もすげぇ量の鼻血を流してたし。

 

 まぁ、ともかく。

 リィビアが倒れたなら、あとは俺が立ち上がれば俺の勝ちだな。

 

 

 そう思いながら、俺は足に力を入れて息を吸って、吐いて。

 

 ん、おかしいな? 

 まず立ち上がるために息を吸って、吐いて。吸って、吐いて。ダメだこりゃ。呼吸以外出来ねぇ。思考が最低限の生命維持以外に働かない。

 

 何も出来ることはないと諦めて、仕方なく俺は目を閉じた。

 

 

 

 

 








・『月虹(メイガス)
リィビア・ビリブロードが1代で生み出した大魔術。空間そのものを高密度の7属性混合魔力で埋めて、周囲一体の空間の情報量を爆発的に増大。歪ませることで自身の支配下に置く。
彼女すらその効果の全てを発揮出来ておらず、現状ではリィビアを中心に半径5m程度の空間が、彼女に近づくにつれて実際の距離より数百倍の距離を持つようになるのが主な効果。彼女と彼女の魔力のみは通常通りに動く為、この空間内においてはエアですらも月虹を破壊しなければリィビアには押し負けることになる。


・『黒耀(バロール)
全容不明。アルム・コルニクスがジョイ・ヴィータの左目に刻んだ呪いに近い魔術。魔力解析の精度を飛躍的に上昇させ、魔術の効果を増大させる。ジョイは主に全身の強化魔術の効果を上げて使用中のみ人体の限界を超えた速度を実現する。
アルムは魔術の生死というものの研究を重ね、辿り着いたのがこの『術式のほつれを突くことによる魔術の強制終了』。あらゆる魔術を発動する前の魔力の集合体に戻すことにより魔術効果を削ぎ落とす、遠い星に及ばぬ不完全な力。それでも魔術文明に対する『切り札』なり得る可能性を秘めている。
使用者への肉体的負担は凄まじく、リィビアの見立てではジョイですら『考えられる限り最高に近いレベルで相性が良い』人間。




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15.有明月

 

 

 

 

 

 

 

「おはようクソボケ灰色燃え尽きガキ。言い訳することある?」

 

 目が覚めて最初に見た師匠はキレてた。

 まぁそうだよな。2回の模擬戦、両方終わったら気絶してんだから怒るよな。

 

「すいません師匠。強くなるって約束したのに、心配ばっかりかけて」

「ぅぇ……? …………あっ、違う! そこじゃない。『黒耀(バロール)』の事だ! 話を逸らすな女たらし!」

 

 なんかあたふたしてるけど、師匠の言ってることがよく分からない。まだ頭がぼーっとしている。えっと、女たらし……? なんだっけそれ、どういう意味だ? 

 

「そこじゃない忘れろ馬鹿! 『黒耀(バロール)』! 私の目の方! 思い出せ! 君はリィビアとの戦いで使っちゃったんだよ!」

「ヒュウ、そうでしたね。目覚めてすぐにとんでもない美人が目に入ったから忘れちまってましたよ」

「………………おかしいよな。うん、いやこれはこれで……いやいや。まだ頭がイカれてるようだから少し電気流すよ。はい我慢」

 

 比喩なしに視界が点滅して肉の焦げる良い匂いととんでもない衝撃で意識がある程度覚醒した。代わりに手足の痙攣が止まらなくなったが。

 

 ついでに全て思い出した。

 

「結果は」

「同時ノックアウト。試合結果上は引き分けだけど……結果は一番君がよくわかってるだろう?」

「えぇ、わかってますとも。完敗でしたね」

 

 最後の最後、『月虹(メイガス)』を切り裂いて発生した大爆発の瞬間リィビアは自分よりもまず先に()()()()()()()()。それがなければ、リィビアの勝ちだったはずなのにだ。

 相手の甘さ故の引き分け。しかもこっちは対エア用の奥の手まで切ってだ。

 

「加えて取っておきの『黒耀(バロール)』も、リィビア・ビリブロードなんて大物相手に使ってしまってはもう隠し技になり得ない。これから戦う相手は、みんな君にアレがある前提で戦うだろうねぇ。もちろん、エア・グラシアスも」

「痛いこといいますね」

「今の君の肉体よりよっぽど痛くないと思うけど、ねぇ?」

 

 師匠が俺の脇腹を強めに押してくると、もう一回電気が走り抜けたみたいな感覚がして視界が点滅した。

 なるほど。ここまで負担がすごいものなのか。

 

「『黒耀(バロール)』の後遺症。術式精度の上昇により身体強化も通常時とは比にならないが、君の方がそれに耐えられない。加えて普段見えないものを無理やり『視る』のだから脳への負担、その為に体全体を回路として使用する機構……まぁ丸一日は動けないだろうね。今の君なんて赤子でも殺せるよ」

「いやでも、ホントすごいですねアレ」

「私の研究成果の1つだ。そりゃあすごいとも。……そして今その性能は重要じゃない。アレの切り時は大事にしろと教えたよね?」

「でも師匠使ってもいいって言ってましたよね」

「冗談に決まってるだろバカ! だいたい君の方も『使うまでもありませんよ』とかキメ顔で言ってただろうアホのヴィータ!」

 

 言ったか俺そんなこと? 

 言ったな俺そんなこと。

 でも仕方ないだろう。リィビア・ビリブロード程の相手をするのには、今の俺の全身全霊のさらにその先を出してようやく並べるギリギリだったのだ。使わない、なんて選択肢を取る余裕はあの場では一切なかった。

 

「私だって遊びや享楽で君に付き合ってるんじゃない。──────地獄へ片道切符の泥船に、笑顔で乗り込んでやってるんだ。ジョイ・ヴィータと言う凡人を1番にするためにアルム・コルニクスが付き合ってやってることを忘れるなよ」

 

 師匠は俺の瞼を指で止め、左目をじっくりと見つめてくる。

 

「君が私を裏切るってなら、私はその眼を起爆して君の首から上をいつだって吹き飛ばすことが出来ることをしっかりと覚えておいてくれよ。ジョイ」

「わかってますよ。師匠と俺は、共犯者だ」

 

 だけど。

 それを理解した上で。

 

 俺が一番になるために、この勝負もこの切り札の使い方も、何もかも必要なかったとしてもだ。

 

 リィビア・ビリブロードの世界をぶち壊してやらないのは、俺が楽しくないと思った。この先もしもエアを倒して俺が1番になれたとしても、俺はそれを心の底から喜べない。ずっと後悔して生き続けることになっただろう。

 

「モヤモヤしながら、後悔ばっかりで生き続けるのは辛いんですよ。俺は、師匠にそんな俺の1番を見せたくないし、アイツほどの天才がそんなところで燻ってるのも見たくない。楽しくないのは嫌いだって、知ってますよね?」

 

 師匠は、何も言わず俺から手を離して髪の毛を掻き上げた。長い黒髪の奥で、同じ黒色の眼帯がほんの少しだけ動いたような気がする。

 

「女たらし」

「俺、そんなにモテませんよ?」

「いいよ。うん、いい。そこまで言うなら、やって見せろよ。この泥船に賭けた私に、最高の1番をプレゼントしてくれよ。──────愛弟子」

 

 そう言って師匠は部屋から出て行ってしまった。結局、機嫌が良くなったか悪くなったかは分からないけれど、嘘は言っていないからこれ以上怒る人ではないだろう。理不尽だけど、子供っぽくて分かりやすく、それでいて大人な人だ。

 人間性は最悪だしクズなところあるし、信頼できないけれど。アルム・コルニクスという師匠のことを俺は信頼している。

 

 だからこそ、次に示すのは結果だ。一度裏切ってしまった期待を覆せるのはそれしかない。

 

 

 

 

 ……などと考えていると、どうやら来客が来たようだ。

 誰かはわかっている。まぁワンチャンからかいに来たリエンとかの可能性もあるが、多分アイツで間違いない。

 

 

 

「……醜い姿だな、凡人」

「そっちは随分と元気そうだな、リィビア」

「当たり前だ。瞬間的な魔術使用による脳や回路へのダメージが大きかっただけで、君よりよっぽど軽傷だからね」

 

 カツカツとヒールの音を鳴らして歩いてくるリィビア。あのロングブーツ、ヒール入ってるのかよ。ただでさえ身長が高い上に俺はベッドに寝かされた状態から動けない為に見下されている感が凄まじい。事実見下しているのだろうが。

 

「それで、私に言うことない?」

「ありがとな。お前が防御してなかったら、俺死んでたか──────」

 

 

 リィビアは、ゆっくりと俺の首に手をかけた。

 今の状態なら抵抗しても勝てないだろう。このまま彼女が少し力を込めれば、気道が絞まる。ただそれだけで、俺は死ぬ。

 

「……私自身の油断だ。甘さだ、恥だ。凡人に並ばれた。どんな事情があろうと、私はお前に追いつかれた。同じ目線で語られた。屈辱だ」

「…………」

「私を引きずり下ろしやがって。しかもお前みたいな凡人がだ。エア・グラシアスくらいのバケモノならまだしもだ。お前に追いつかれたということを考えると、憎くて憎くて堪らない。殺してやりたい」

「殺人罪は重いから、やめておいた方がいいぜ」

「やるかバカ。殺すにしてもなんでお前みたいな凡人の為に私が社会的地位を投げ出さなければならない」

 

 冗談だ、と言うように手をプラプラさせて無害さをアピールしてくる。

 ……冗談か。よかった〜。本当に逆鱗に触れちゃったかと内心心臓が弾け飛ぶかと思ってたんだよね。

 

「というかなんだアレ? 魔力観測器だとは思ってたけど、あんな無理やりじゃなくてやりようあるだろう? 似たようなことは私も出来なくないが……人体への負担が馬鹿すぎる。あんなもん模擬戦なんて言う遊びに使うか普通!?」

「その遊びにマジになってるのは、俺みたいなアホとそれを心配してるお前みたいなバカ。この学園に沢山いる大バカ野郎たちくらいさ」

「〜〜〜ッ! ああ言えばこう言って! この天才様が! お前みたいな凡人に教授してやってるんだぞ!? 少しはありがたいと思え!」

 

 見るからにリィビアにはいつもの余裕が無い。顔を真っ赤にして、血液が沸騰するんじゃないかってくらいキレて、呂律が追いつかない勢いでまくし立ててどうにか論破しようとしてるけど、その道が浮かんでこなくなってる。

 これまで散々言い負かされてきたから、それをこうしてベッドの上から眺めるのはそれなりに気分がいい。ざまぁみろだ。

 

「はぁ……あー! 屈辱だよ! こんな凡人に、並ばれた! 自分の未熟を思い知らされた。君が憎い、嫌いだ、ぶっ飛ばしてやりたい! あんなバカげた方法でエア・グラシアスに追いつこうなんて! 言っておくけど、引き分けだから試合前の話はノーカンだからな!?」

 

 ぷいっと、そっぽ向いてリィビアは舌打ちをしながら貧乏ゆすりまではじめて、多分爪も噛んでいるという育ちの悪さ全開の機嫌の悪さを見せていた。

 そうして、しばらくしてぽつりと一言呟いた。

 

 

「……凡人。君は、努力したのかい?」

「したさ。それしか俺には無いからな」

 

 努力は裏切らない、とは言わない。

 どれだけ積み重ねても届かない場所がある。俺だって、師匠と出会えなければきっとどれだけ努力しても足りなかった。才能と、運と、努力と、環境と。何から何まで揃ってようやくこの舞台に辿り着いた。

 

 でもここにいるヤツらはみんなそれに恵まれている。ここに辿り着いたならば、皆が皆同じ結果を出す可能性があった。

 だって、俺が知るリィビア・ビリブロードもまた、今の彼女とは比べ物にならないくらい強かったのだから。

 

「そうか。……おかしい話だ。努力したって、人に翼は生えないのに。君の剣は私に届いた」

 

 

 一歩、彼女は踏み出した。

 部屋から出る。その行為が不思議と俺にはものすごく勇気が必要な一歩に感じられた。世界を壊す覚悟を持った、はじめの一歩に。

 

 

「次は負けない。誰にも負けない。ジョイ、君が私に届いたように、私も星を追うとする。君と私は今日から共犯者では無い。ライバルだ」

「……負けねぇよ。リィビア・ビリブロード」

「勝ってもないのに偉そうな口を。まぁ、楽しみにしてるさ。ジョイ」

 

 

 窓の外はいつの間にか夜になっていた。

 

 今日は快晴。

 月は沢山の星に囲まれて、なんとも賑やかな空模様だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 制服を着た自分を鏡で見る。

 窮屈、似合ってない。あんまり人に見せたいとは思わない。今まで誰かの視線なんて気にならなかったのに、いざ気持ちを切り替えるとどうも調子が狂う。

 

 髪もこれでいいのか? 

 化粧ってこんなものなのか? 

 この制服なんか体のラインがやたら出てないか? 

 

 悩んで悩んで、気が付けば時間があっという間にギリギリになってしまっている。めんどくさい、関係ない、私は他の人とは違う。そう言った思考が絡みついてくる。

 

 

『え? 天才のくせに何? ビビってんの? ……ふっ』

「ビビってねぇよ! このボケヴィー太郎!」

 

 

 寮中に響く声と共にドアを蹴破る。

 偶然近くにいたであろう生徒が、腰を抜かす勢いでビビり散らしてしまっていたのが目に入った。

 

 何やっているんだ私は。今この場にあのバカは居ないのに、何故かアイツの声が聞こえてきた気がしたのだ。

 だって、私が扉の前でモジモジしてたら多分あんなこと言ってきそうだと思ったから。

 

「あぁ……すまない。立てる?」

「え、あ、はい。とりあえず、ドアは静かに開けた方がいいですよ……?」

「ありがとう凡……いや、君名前は?」

「えっと、カウム・グッタカヴトっすけど……」

「リィビア・ビリブロードだ。よろしくカウム」

 

 それだけ言って彼女とは別れる。

 今の彼女、顔はやっぱり覚えられないが良い魔力だ。適正は水と土、加えて火も嗜んでいる。特に水の魔力は練られていて非戦闘状態でも凪の海のような穏やかで力強いものを感じる。

 

 私ほどではないが、優れている。

 

 寮から出てすれ違う生徒は、誰も彼も似たように優れているところがあった。

 一人一人違って、一人一人魔力の中に研鑽の跡が見える。

 

 

 その上で、これだけは言える。

 私の方が強い。同じように鍛えて、同じように努力すれば、私は誰にも負けない。負けてやらない。負けてなるものか。

 

 鞄の中に入った一冊のボロボロの絵本。リィビア・ビリブロードの始まり。誰も彼もがその力の前に平伏した悪逆の王。その王の前ではどんな人間も等しく同じだった。

 

 おかしな話だが、それはきっと憧れだったんだろう。

 随分時間はかかったが、ようやくそれを理解できた。憧れなんて、するわけが無いと思っていた、していたのに、認めたくなかったのに、何処かの馬鹿に無理やり認めさせられてしまった。

 

 案外星は、手の届くものだ。

 それを望んで血反吐を吐いて進み続ければ、いつの日か手に届いてしまう。全て同じとしてきた凡人がそれを示して見せたんだ。

 誰だって届くかもしれない。誰だって、星に手をかけることは自由なんだ。

 

 天才である私に出来ないはずがない。空を覆う天蓋なんて、この手で簡単に壊してやろう。

 

 

 私はリィビア・ビリブロード。

 人の秤、人の限界、人の裁定者。そうなりたいと望んで、そうなりたいと憧れて、そうなりたいと再出発する。

 

 

 

「責任は取ってもらうからなライバル。負けたら君は、私のモノだ」

 

 

 

 

 今日から増えていくであろう『トクベツ』を1つ増やして。朝だと言うのに空に浮かぶ月を眺めて学び舎へと向かう。

 

 

 

「ん〜、あ! この前の! あの時は急に飛び出しちゃってごめんね〜! えーっと、名前は確かリィビア……」

「キィヤァァァァァァァァァ!!!??? え、え、エアさささささ!」

 

 

 

 それはそれとして、だ。

 あの金髪碧眼の彼女を見るとどうして私はこうも変なことになるのだろうか? 

 この感情は、果たしてジョイに抱くものと同じなのか。まぁこれからじっくり学んでいくとしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 








2章、リィビア・ビリブロード編終幕です。




・リィビア・ビリブロード
情緒が育ってない天才。少ない情報で自己を完結させてしまっていたが故に未熟な蛹のまま、歪に翼を成形してしまっていたが無理やり殻を壊されて、歪な翼のまま空に羽ばたいた夜の蝶。
ジョイの前世においては、デウス・グラディウスに対して一方的に敗北感を覚え、その後目的意識もなくフラフラと生きて卒業後は失踪。魔女と遭遇し何処ともしれぬ荒野で死亡している。目的意識無しで適当に物事を済ませて騎士学校を2位で卒業している本物の天才の1人。

魔王願望のある乙女。
『均衡』の原理保持者。
魔王現象適性:B+






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幕間
16.楽しい休日




幕間です。






 

 

 

 

「ファイヤーソードええなぁ。俺も欲しいわぁ」

()()()()()ソードいいよな。久しぶりにお前と同じ気持ちだよ」

「ジョイも思う? ええよな、()()()()()()()()

「…………」

「…………」

 

 さすがに街中で殴り合いはダメだということで、お互いに握手して渾身の握力で互いの手を痛めつける男の約定をリエンと結ぶ。せっかくの休日なのにコイツの手汗を手に染み込ませたの最悪だよもう。

 

 リィビアとの模擬戦から数日。体も治ってきたし包帯とか薬とか買おうと思って買い物しに来たら、何故かリエンと出くわしてなんやかんやで2人でブラブラしてしまっていた。

 

「それにしてもリィビアとの戦い凄かったなぁ。引き分けまでもってくなんて」

「実質負けだろ。てか見てんのかよお前」

「当たり前や〜。俺はジョイの試合は全部いるものと思ってくれてもええで?」

「今度はお前の予定を確認して見に来れない時に入れておくよ」

「俺が見に行けないのは俺が試合の時……つまり、俺とジョイの試合の時だけやで」

 

 ヘラヘラ笑っているが、今のところリエンの成績はかなりいいらしい。コイツ、前世の限りでは全然記憶にないのだが、果たして何者なのだろうか? 

 

 それはそれとして今のところ男友達がコイツしかいないのも考えものだな。俺までこの胡散臭さが染み付いて来てしまいそうだ。悪いやつじゃないんだろうけど。

 

「ジョイそういえば魔術使えたんやな。あの雷の投擲。個人的にそこが一番驚いたわ」

「そりゃ魔術の才能なしにこの学校来る愚か者はいねぇだろ」

「なら投げナイフ使わへん? 俺、結構そっち方面の戦い方詳しいから教えられるけど」

「んー……悪くは無いけどなぁ」

 

 俺の戦闘スタイルは基本的には身体強化による接近戦。だからと言って魔術が使えないということはなく、むしろ人並み以上には使える自信がある。なんて言ったって普通の学生より2倍以上の人生経験があるのだから。

 

 ただ、単純に俺は雷と『黒耀(バロール)』の扱いの為に身につけた闇くらいしか手札がない。この学園でやり合うなら、二重属性くらいは使えないといけないが闇属性は撃ち合いに向いてないのだ。

 

 それに、魔術に頼る戦い方ではエアに絶対に勝てない。

 

「リエン、お前投擲でどう戦ってるんだ?」

「俺は風適正あるから、それで操作やね。やっぱ実体あるモノを操るのは出力上げなあかん代わりに難易度下がるし、一方的にアウトレンジから削られる危険性も減る」

「けどなぁ。俺は雷と闇だからバカ正直な高速投擲しか出来ねぇんだよ」

 

 リィビア相手に『黒耀(バロール)』を使ってしまった以上、これから先は何か別の戦い方で伏せ札という失った強みを補おうとアレコレ考えてみるが、やはり簡単に見つかるものでは無い。

 さすがに今は新戦法の開拓よりも基礎部分の鍛錬に時間を回した方がいいだろうか? だが、実際勝率の良いリエンから投擲について学ぶのは、リエンの人格面に目を瞑ればなしでは無い。

 

「やっぱ武器も剣だけ愚直に振るよりは幅持たせた方がいいよなぁ」

「リィビアもあの杖剣、多分手作りやで」

「武器も作れんのかよアイツ……。まぁ俺は魔術効果を全部刀身強化につぎ込んだ武器の方が相性いいんだろうけど……うーむ」

 

 いかんな、考えれば考えるほど良くない方向にいってる気がする。この辺りは師匠……いや、接近戦ならラクシャ先生に聞いてみるべきか? せっかく騎士学校にいるんだから、もっと先生に色々聞いておくべきだったと学校出てから何度も後悔したしなぁ。

 

「ジョイくん。ジョイくーん」

「ん、誰……」

 

 振り返ると同時に、頬を指で突かれた。

 

「えへへー。引っかかった」

 

 満面の笑みでしてやったり、としてるその女の子はどこからどう見ても、金髪碧眼のロリ巨乳ことエア・グラシアスさんでございますね。

 

「すまない今俺は友人と休日を過ごしていて忙しいからそれじゃ」

「友人……? 周りに誰もいないけど」

「は? え、リエンあいつ、は!?」

 

 周囲を見渡すがリエンの影も形もない。アイツ何時だ、いつの間に消えやがった!? 絶対エアが近づいてきてたの気付いてたくせにあの野郎〜。やっぱいつか一発くらいぶっ飛ばしておくべきだな。

 

「それにしても奇遇だねー。また街で会うなんて。ジョイくん意外とヒマ?」

「俺は用がある時しか来ねぇよ。お前こそ、何しに来たんだ?」

「僕は薬の調達かな。ちょくちょく来てるんだよね」

「クスリ……薬?」

 

 え、必要なの? 使う機会とかあるの? 

 

「失礼なこと考えてるでしょ……。僕だって訓練とかすれば怪我はするよ。剣は振らなきゃ強くならない。当然でしょ?」

 

 ばっ、とエアは小さな掌を広げて俺に見せつけてくる。

 遠くからではまるで白亜の彫刻のようにしか見えないその手も、近くで見てみると印象が変わってくる。よく見れば、何度も皮が剥けてか、皮が分厚くなり幾つもの古傷が垣間見える。

 

 紛れもない努力の跡。

 そりゃあそうだ。天才だって、努力しないで勝てるほど甘い世の中じゃない。俺が天才達に勝てなかったのは、天才達に勝てるだけの努力が足りなかったから。俺が3日かけて覚えることを1日で熟すヤツらに追いつく程の何かを怠っていたからだ。

 

 そんな当たり前の事実を見せつけられて、少し複雑な気分になる。

 

「それはそうとジョイくん。ちょっとお話したいことがあるんだよね」

「俺は無いが?」

「この前の試合。『黒耀(バロール)』だったよね。あれ……もしかして、その……僕の『断魔(プレアデス)』……」

「違うからな!? 断じて違うからな!? 別にお前とか意識してないし!」

 

 確かに色々と似ているのは自分でもわかっている。でも本当にこれは偶然なんだ。

 俺の『黒耀(バロール)』は師匠曰く、正確には精密な魔力操作が必要な際に用いる観測具なのだが、それを攻勢転用した結果が身体強化術式の強度をぶち上げて、高速で魔術を破壊しながら動き回るアレになった。

 そもそも、エアの『断魔(プレアデス)』が天然の最高精度の魔力観測具なのだから似るのは必然であろう。

 

「そりゃそっか〜。そもそも、僕達知り合ったのだってつい最近だもんね。その眼、少なくとも入学してから急造で仕込めるようなものでもないだろうし」

「そ、そうに決まってるだろ……。俺とお前はつい最近会ったばっかなんだから、な?」

「……僕はそんな気がしないんだよね」

 

 怖い怖い怖い! 

 エアというかデウスもそうだったが、コイツらの目は何から何まで見通してしまってそうだと思わせるだけの何かがある。まさか俺の前世の事を知ってるのかと、思ってしまうくらいには何か疑いの眼差しを感じる。

 

「ジョイくん。なんで騎士学校に来たの?」

「なんだよ藪から棒に」

「僕はね、体が小さいし、農家の一人娘だった。特に騎士になりたいとか思ってなかったんだ」

 

 ……確かに、エアは小さい。女性の平均身長と比べても小さいし、騎士学校にいる女性はちびっこ教師で有名なマグノ先生や、同級生にいる怪力チビを除けばみんな平均以上の背丈だ。

 体格というのは、近接戦においては大きく影響する要素だ。たとえエア・グラシアスがデウス・グラディウス並の才覚を秘めていても、体格差を考えればもし勝負すれば厳しい戦いになるだろう。

 

 そもそも、確かデウスは偶然名のある貴族を助けてそのツテで騎士学校に入ったとかだった気がするし。

 

「けれど僕がまだ小さい……今でも小さいとかはなしで、小さかった頃にね。すっごく強い人に助けてもらったの」

「お前ほどのヤツが……助けてもらった?」

「僕だって小さい頃はただの女の子だったってことだよ。とにかく、その人は僕を助けてくれた。それが僕の憧れなのさ」

 

 エアを助けるって一体どんな化け物なのか。出来ることなら会ってみたい……いや、会ったら心が折れそうだから会いたくないな。コイツを助けてやれるとか、一体どう育ったらそんな風になれるのか。

 

「ジョイくんはどうなの? 僕が答えたんだから言ってよ」

「勝手に言っただけだろ。俺に答える義理はない」

「えー、教えてよー!」

 

 強請るように身を寄せてきたエアの胸元が俺に当たる。

 わかった教えます、教えますのでどうかそれをやめてください。そういう事されると、ホント性欲と理性となんかその他諸々が混ざって血涙が出そうになる! 

 

「……かっこいいじゃん。英雄」

「英雄……?」

「御伽噺のだよ! 悪いかよ、あんな風に1番になりたいって思った! 以上! 解散!」

「えぇ!? ちょ、待ってよ〜!」

 

 早足にその場を抜け出すが、本気で追ってこない辺りエアも人の心が分からない訳では無いらしい。

 多分今の俺顔真っ赤なんだろうな。あ〜、めちゃくちゃ恥ずかしい〜。

 

 だって、英雄と言って確かに最初に憧れた御伽噺の英雄のことを思い浮かべた。

 けれど、もっと強くデウスのことを思い浮かべた。

 

 そして、今はそれよりも強くエアのことを思い浮かべた。

 

 あんなにボロボロの掌が、アイツにあんなにマジになって夢を見るような覚悟があったなんて知りもしなかった。

 なんだかそれはすごく悔しくて、すごく自分が情けなく感じたのだ。アイツはすごいやつなんだ。すごくかっこよくて、キラキラしてて、手を伸ばしたくなる魅力がある。

 

 アイツはデウス。何故かこの世界では女であるアイツ。そう思ってないと何かを間違えてしまうような、吐き出してしまいたい胸の中で渦巻く何か。

 

 

 

「負けねぇ、負けねぇ負けねぇ負けねぇ! 絶対に負けねぇぞ。絶対に!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『デウス・グラディウス』という人間の記憶を持った、別人の少女。

 

 それが自分なんだと思う。

 彼の記憶の一部があり、それは未来の記憶でもあった。けれど、他人の記憶だった。

 

 だって、デウス・グラディウスには自分はなれないと。彼の優秀な知識が答えを出してしまっていたから。

 

 肉体の素養が違いすぎる。

 そうやって、最初は諦めた。けれど、不思議なことに、僕の目の前にはもう一度()が現れた。

 

 

 ボロボロになりながら、潰れた左目で未来を見据えて勝利宣言するその姿。

 デウス・グラディウスすら知らない、エアという少女だけが知る灰色の髪の少年の勇気。本の向こう側の知識だけの憧れが、恋に変わったあの日のことを、僕は絶対忘れない。

 

 

 だから僕は負けたくなかった。

 記憶の中のデウス・グラディウスにだけは、自分にだけは負けられない。ジョイ・ヴィータのあの想いを、あの眼差しを、あの羨望を。彼に人間として認めてもらうのは僕だ、彼に追いかけてもらうのは僕だ。

 なんて卑怯、だとも思わなくもない。

 

 僕はデウス・グラディウスという孤独な天才をずっと追いかけてくれた、つなぎ止めてくれた凡人の物語を見て、勝手にデウスに感情移入して、勝手にその凡人と知り合いになった気で目を輝かせていて。向けられる思いを知り、何もかもを盗んだ最低な盗人なのかもしれない。

 

 でも、でもでも! 仕方ないじゃないか! 

 

 お前は知らないだろう。

 黒の瞳で僕を追いかけてくれる、エア・グラシアスだけのジョイ・ヴィータを。

 お前は知らない。なら、僕の方がこの思いは上だ。

 

 

「待ってるよ。ジョイ。デウス()の更に向こうで、僕は君を待ち続ける」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そう言えば。

 これは誰かの遠い記憶。

 

 

 

『そんなに望んでいたのなら、私は優しいから叶えてあげる。愚かで傲慢な魔王様』

 

 

 

 

 ズキリと頭が痛む。

 思い出した記憶はそれで消えてしまったけれど。思い出せないのならきっとそれは大したことではない。

 

 少なくとも、僕の中では。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「黒耀、か」

 

 自室で一人、ギガト・レムノは愚痴でも呟くように声を漏らした。

 

 先日のリィビア・ビリブロードとジョイ・ヴィータの1戦。それ以降リィビアが授業に出るようになったと報告を受けて彼に任せて正解だったと思うと共に、その記録を見て複雑な気持ちを抱いた。

 

 思い浮かべた顔は、アルム・コルニクスの顔。

 アイツは一体、どんな気持ちで自身の瞳を彼に預け、『黒耀(バロール)』なんて名前を付けたのだろうか。

 

「どいつもこいつも、なんで割り切れないんだよ……」

 

 もう何年も前になる、『孔』を倒した時のこと。

 横にはビクビク怯えた何もかもダメダメな女、姉さん気取りの気に入らない女、そしてムカつくけどその隣は居心地が悪くない男。

 

 幼い自分はそういう風に思っていたけれど、実際は違う。

 

 怯えていたのは誰かが傷つくことへの恐怖。彼女は誰よりも優しかった。

 気取っていたのは覚悟の証。自分を自分で騙す為、彼女は誰より勇気があった。

 ムカついたのは知らない気持ちのむず痒さ。きっと自分は、彼のことが好きだった。

 

 

 でも全部終わったこと。

 時計の針は巻戻らず、死者は蘇らない。だからこそギガト・レムノは大人になった。教育機関を作り、来るべき災厄に備えることにした。

 

 

 

「レヴィ。お前のことは、私達が終わらせてやる。青春のロスタイムは、そろそろ終わりにしようぜ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 







・エア・グラシアス
英雄の剣を握る少女。
歪な愛は未熟な魂の形を捻じ曲げた。






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3章 黄金世代
17.星翳る





三章です。






 

 

 

 

 

「うーん、ヴィータくんは魔力量は多くは無いので実物質に干渉して攻撃力を上げる付与や強化は相性いいですからねぇ。はい、投擲はいいと思いますよぉ」

「ほらな、な? 言ったやろ〜? マグノ先生からのお墨付きや!」

「じゃあやっぱそっち方面も取り入れてくか……マグノ先生、お願いできます?」

「え、俺やなくて? 俺得意言うたやん」

 

 グイッと顔を近づけてくるリエンを引き離しつつ、俺は先生に相談を続ける。

 

 先日、ちょっと色々あってエアが最初に相手した……なんだっけな。ファル……なんとかと言う奴に試合を申し込まれて受けた。

 結果はもちろん勝ったに決まってる。相手はこの学校でも平均的な相手だった。平均で本来の1体操作するのも十分高等技術のゴーレムを10体同時操作とかしてきたのでこの学校のアベレージは本当におかしいと思うが、さすがにアーリスやリィビアの後に相手したこともあってちょっと余裕に感じた。

 

 いや……そりゃぁこの学校で1番を狙うなんて、平均的な相手には圧勝出来るくらいじゃないといけないとはわかってるけど、あの鮮やかな勝利は褒めてもらってもいいと思うのに。

 

 

『はぁ〜? 私と引き分けた相手があんな凡なる凡人に負けたら私も恥だしそれで喜ばれるのも恥なんだけど? やめてくれる?』

 

 

 わざわざそれだけ言ってリィビアは帰ってくし。

 

 

『ジョイくんって些細な事で笑顔になれて、そういうところ素敵だよね。……え、なんで泣いてるの!? 褒めたよね私!?』

 

 

 アーリスはシンプルに刺さること言ってきて泣かされそうになるし。

 

 

『…………フッ』

 

 

 師匠は鼻で笑ってくるし。

 褒めてくれたのはリエンくらいだけどコイツの口から出る言葉は9割でまかせなのでカウントしないとして、幾らなんでもあんまりだ。

 

「それにしても……。この前のイミテシオくんとの戦いは見事でしたね。彼の『十使(メンブルム)』によるゴーレムの猛攻をギリギリまで引き付けて、油断した彼に剣をぶん投げて一撃! もしも防がれてたら、という点もありますが……間違いなくこの勝利はヴィータくんの努力の賜物です!」

 

 暖けぇ……。

 これが褒めて伸ばす教師、国内最高の教育機関の教師かぁ。何処かの鼻で笑ってきた教師に爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。

 

「なので今更私が教えられることもないと思いますが……長距離攻撃は私の専門ですからね! 一緒に色々考えていきましょう!」

 

 えいえいおー、と我が事のようにキャピキャピしてる可愛らしい先生。こういう癒しこそ今の俺の生活に足りてないものだと思うんだよね。

 

 ……でも、こう見えてマグノ先生はめちゃくちゃ強いんだよな。

 そもそもこの学校の教師をやってる人は、普段リィビアに婚期で弄られて泣いてるラクシャ先生も含めて、一線級の戦力だ。多分、ラクシャ先生が本気で得意な状況に引き込んで倒す気で戦えば、リィビアも負ける可能性があるくらいだ。

 

 何度か実践授業もあったが、出来るなら今回は誰とも正面切って戦いたくない。

 

「せっかく頑張ってこの学び舎に来てくれましたからね。リエンくんも投擲は得意分野ですし、お友達同士でも協力して色々試しましょう」

「ありがとうございますマグノ先生。あと、俺とリエンは友達じゃないんで」

「え……でもヴィータくん彼以外の男の子と喋ってるところ見たことないですよ?」

「俺くらいになるとですね。やっぱ、相手がビビって近づかないんですよ」

「先生は心配なんですよ。『獣みたいな女侍らせてるやたら目つきの悪いやつ』とか『強者のみを追い求める狂戦士』、『アルム先生の彼氏』とか噂が流れてて……みんな距離を取ってるので」

「なんて?」

 

 全部根も葉もない噂だし最後のヤツ流したの誰だおい。

 まず俺は女を侍らせてない。最近アーリスは対エアに備えて忙しくしてるし、リィビアはたまに会うとめちゃくちゃ罵倒してくるだけだし、エアは侍らせてるというか向こうから絡んでくるし、師匠は師匠だし。

 ついでに実は俺はまだ自分から望んで模擬戦組んでないんだよ。アーリスは向こうからだし、リィビアは……戦いたいというかこうするのがいいってだけだし、ついこの間のイミテシオくんとの戦いも向こうから挑まれて受けただけだ。

 

 そして俺は師匠の彼氏では無い。

 師匠とは……そういう関係じゃないんだよ。うん。

 

 なんで俺はこんなに変な噂に悩まされなきゃならないんだ。一体前世で何かしたのかというレベルだよ。実際の俺の前世は何もなしえてないのに。

 

「という訳で教員のみんな心配してるので、友達で困ることがあったら言ってくださいね? 私、こう見えて既婚者だし友達も多いので!」

「先生、そのくらいにしておいてあげてください。こう見えて、ジョイは意外とメンタル弱いんです」

「……泣いてないが?」

 

 これは心の代謝。傷ついたハートが剥がした表皮みたいなものだから。頬を伝う液体は別に涙とかではない。断じてない。

 

「今度の1年()()()()は集団戦になると思いますから……。騎士になったあとも、連携は大事ですよ? 学生のうちから交友は広げておかないと、大人になったら急に社交性ができるなんてことはありませんからね」

「……ん、今なんて?」

「大人になったら急になんでも出来るとはならないという……」

「その前!」

「ラクシャ先生が最近もう女の子でもいいかなって……」

「どこまで戻ってるんです?」

 

 これ以上ラクシャ先生を虐めないであげて欲しいのだが、それよりもまず気になる単語が出てきてしまっていた。

 

 合同授業? 

 それ自体はあるのは知っている。前世で毎回それが憂鬱だったので覚えているけれど、こんな時期にあったか? 

 

 

「今期の生徒はみんな精鋭揃いってので、アルム先生が考案して学園長もそれを承認したんですよ! いやー、確かに私の担任のクラスでも有望な子がいますからね。連携はできるだけ早く身につけた方がいいですからね」

 

 あの大人達!!! 

 ほんと、なんなんですかあの大人達! 何も間違ったことはしてないけど、なんでこうも俺が嫌がる方向に!? 

 

「というか聞いてないんですけど!? え、何時ですか!?」

「……? 来週にはありますけど、既に告知は……あ、多分ジョイくんがリィビアさんとの試合の後の休んでる期間ですね……。おかしいなぁ、ジョイくんには伝えておくってアルム先生が言ってたはずなのに」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「師匠! いやクソアマァァァァァ!!! さすがに今回のは出るところに出てもらうぞ! せめてちゃんと教師しろ!」

 

 俺は激怒した。

 必ずかの、邪智暴虐の教師をクビにしてやらねばと決意した。

 

「伝えたよ? 君が寝てる時に」

「それは伝えてないって言うんですよ!」

「だって……言わなければそういう反応してくれるから。ゴメンね。悪いとは思ってるけど、欲望には勝てなかった」

 

 本当に申し訳なさそうにしてるけれど、理由が最低すぎるんだよ。魔女相手に耐えたアーリスの精神力を見習って欲しい。どうしてこう、この人は自分の欲望を優先してしまうのか。

 

「まぁ始まる前に知れたんだから良いとしておこうよ。私に怒るより、考えた方がいいんじゃない色々?」

「もっと早く言ってくれれば助かったんですけどねぇ!?」

「……仕返し。『黒耀(バロール)』使ったじゃん」

 

 師匠は唇を尖らせてぷいってそっぽ向いてしまうが、それを言われると俺も弱い。今色々と考えているとは言え、アレを使ってしまったのは確かに痛手だ。

 この前戦ったファルなんとかくんも、明らかに俺に『黒耀(バロール)』がある前提の動き、近づけさせずにひたすら消耗させる戦いをしてきた。

 言い方はアレだが、彼があんまり強くなかったからどうにかなったものの、もっと強い相手には厳しいだろう。

 

「なら、こういうことは今度から事前に言ってください。せっかく用意してた新技を不本意な形でお披露目することになってたかもしれないじゃないですか」

「ふーん、私以外とー? 新技を? ふーん、そっかふーん?」

 

 めんどくせぇなこの人。この前のことは10割俺が悪いけど、それにしたって、こう、めんどくさい。

 

「もっと私を頼っていいんだぞ? 他の生徒にも『私はジョイだけの師匠だから治療以外で教えるのは彼だけだ』ってちゃんと宣言してる私の一途さに対してなんだい君の尻軽さ! この前はアーリスにエアとコソ練、リィビアと会う度にイチャコラ、さっきだってマグノ先生に教えを乞うなんて……」

「おい、ちょっと待て」

 

 この人本当に『私はジョイだけの師匠だから治療以外で教えるのは彼だけだ』とか言いふらしてんのかな? 

 外面は良く、腕も良く、何も知らなければミステリアスな長身美女である師匠が、そんなことを言えばどうなるだろうか。

 

 もしも俺が一生徒だったら、出来てんだろなあの二人ってなるよね。少なくとも俺はなる。

 

「アンタ本当にさァァァァァァァ!!! 社会性ゔー!!!」

「ひぇ!? い、いつにも増して血気迫る! さすがに私もびっくり、あ、待って白衣にコーヒーかけようとしないできゃぁぁぁぁ!!!」

 

 この人は長い間山に籠ってたからなのか社会性が欠如している。自分が周りからどう見られてるかとか、行動がどういう風に見られるかという客観的な視点が欠如しているのだ。

 

「え、私何かいけない事言ってる? そんなに?」

「ありますよ。師匠は美人なんですから、発言一つ一つ、深読みするやつも沢山います」

「はぇ?」

 

 リエンから聞いたが、師匠は『男子学生が思う美人な教師ランキング』でトップらしいちなみに俺はこの集計からハブられてる。特別扱いってことだな。泣いてないぞ? 

 実際顔は美形だし、意外にも治療に関しては巫山戯たりすることもないから、怪我した生徒とかは救いの女神にも見えてしまうのもあるだろう。俺も始めは御伽噺のお姫様みたいな雰囲気の人だと思ってたし。実際は御伽噺の魔女とかそっち系の人だけど。

 

 

「俺以外とは気軽に話さないでください。普段の師匠は、俺にだけ見せてくださいよ」

「うぉぉぉい!? そんな口説き文句どこで覚えてきたんだか!? 誰に似たんだまったく!」

 

 口説き文句なわけがあるか。俺に触れ合う調子で他の生徒に手を出されたら俺はこの学校に居られなくなる。

 10年も師匠と一緒にいる俺だからこそ流せてるけど、この人は根本的に色々とズレてるし。

 

 それに、確かに師匠が俺以外の師匠になってしまうのは俺も少し嫌なところがある。我ながら、他人のことを言えない独占欲だが。

 

「とりあえずわかったよ。これからは、教師として発言に気をつけるさすがにクビにされてはたまったものではない」

「そうしてください。俺も師匠を告発したくないんで」

「お詫びも込めて、どうせ今日詳細公開だし、許可は得てるから今回の合同授業の詳細」

 

 そう言って師匠は俺に数枚の紙を手渡してくる。この人、はじめからこうして俺に伝えるつもりだったんだろうな。なんと言っていいやら。

 

 

「君はもうわかってると思うが、これからの世代は『魔女』との戦いを前提に動いてもらうことになる。アイツは面倒な結界があってタイマンに持ち込んでくるから、1vs1の基本はもちろん、眷属も相当作ってるはずだ」

「それを見越した訓練、ってことですか?」

「そうだね。長期戦を見越したものになる。……悔しいけどギガト、アイツ色々考えてるなぁ」

「そりゃ師匠よりは考えてるでしょうよ。学園長ですよ?」

 

 軽く読んだあたり、3チームに別れたチーム戦といった様子。制限時間内で戦って生き残る、シンプルな形だが、各チームに『トップ』となる生徒が1人いてその生徒が倒されるとアウト。

 

「エア・グラシアスとリィビア・ビリブロード。あれなんだい? おかしいよ。とにかく、あの二人は魔女の結界を破れる可能性がある」

「だからできるだけ多くの生徒が彼女達と連携できたりするようにしたい、と?」

「そういうことなんじゃないかな?」

「とりあえず今はエアと同じチームになれることを祈っておきましょう。アイツと戦うのは、ここではない」

「へーい、ビビってんのかー?」

「ビビってませんが? 今の俺は手札の欠けた状態。アイツを倒すならば俺もパーフェクトコンディションでなければ失礼でしょう」

 

 ふと、時計を見てみるとそろそろ良い時間だ。師匠との戯れもこの程度にしておこう。今日はいかなければならない場所がある。

 

「じゃあ私も行こうかな」

「あれ、師匠も来るんですか?」

「エア・グラシアスの試合は念の為できるだけ私も控えてるよ。ミスって対戦相手の首とか飛ばされたらさすがにその場にいないと間に合わないし」

 

 これから第4闘技場で行われる模擬戦。

 対戦内容はエア・グラシアス対アーリス・イグニアニマ。アーリスは事前に勝つつもりで戦うと言っていた。どんな結末になろうと、この試合を見ないという選択肢は俺にはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 闘技場は静まりかえっていた。

 

 誰もが開いた口が塞がらない、といった様子だった。

 いつも薄めなリエンすらも大きく目を見開いて呆然としていたし、俺すらも目の前の光景が信じられなかった。

 

 

 炎を纏い、『猛炎(フレア)』は使えない様子ではあったものの剣を構え無傷のアーリスもまた、声を失い固まっていた。

 

 

 

 

 

 無敵の星。

 エア・グラシアスはアーリスの前で血を吐いて倒れ伏していた。

 

 

 

 

 




・アルム・コルニクス
保健室の主。7割くらいの生徒はジョイと付き合ってると思ってるし、残りの生徒はジョイが弱みを握られてると思ってる。

・マグノ・キティ
ジョイのクラスの魔術基礎担当の教師。ギガト以上エア以下の低身長でちびっこ教師として有名だが、ラクシャと同期で『疫竜戦線』では最後に竜にトドメをさした英雄。現在は前線を退いて教職に専念。バツイチ。

・ラクシャ・ジノアビス
リィビアの遠縁の先生。強く凛々しいその振る舞いに一周まわって男が寄ってこないのが悩み。『疫竜戦線』ではマグノと共に前線で戦い、現在は一線を退いている。




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18.魔女の軛:エア・グラシアス

 

 

 

 

 

 

 その記憶を自覚したのは、だいたい6歳になったくらいの時だっただろうか。高熱に魘される中で見たのは、自分と同じ瞳を持つとある男の生涯だった。

 

 最初の方の感想は、なんとなく嬉しかった。

 自分が父親や母親と違う世界を見ていることは幼いながら何となく理解していて、もしかしたら世界に自分だけしかこの目を持つ人間はいないとすら思っていたから、デウス・グラディウスという男の存在はエア・グラディウスにとって救いだった。

 

 デウスは天才だった、英雄だった。

 幼い時から優れた身体能力を発揮し、御伽噺の英雄のように本当に活躍してしまう彼の物語。

 

 

 病弱で、ちょっと動くだけで熱が出てしまうような僕とは大違いだと思った。

 デウスの真似をして剣を振ったこともあったが、すぐに咳が止まらなくなったし、しばらく食器も持てないくらい手が痛かったし、何より体が全然動かなかった。

 だからこそ余計に、自分と同じ目を持ち、同じ孤独を抱えながら戦い続けた彼の記憶はエアにとっては一番最初の憧れ。

 

 ──────言い換えれば、初恋だったのかもしれない。

 大抵叶わないという点でもよく似ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あれ」

 

 目を覚まして最初に見た天井は、見慣れないものだった。でも見覚えはある。学校の保健室、この学校は保健室が沢山あるから何処のかは分からないけれど、少なくともそのどれかだろう。

 

「っぅ……」

 

 頭が痛い、胸が痛い、息が苦しい。

 少し寝ていた間に魔力操作を怠った反動か。すぐに呼吸を整えて、魔力を流して呼吸器の動きを補わせる。

 

「よう、お目覚めかエア・グラシアス」

「学園長……僕、何が……」

 

 小さな女の子のようで、巨人のような魔力のうねりを体内に宿した学園長は苛立ちを少しも隠さない様子で僕の寝ているベッドの隣にあった椅子に飛び乗るように腰をかけて何やら紙を取りだした。

 

「お前は倒れたんだよ。アーリス・イグニアニマとの試合中に」

「倒れ、……そう、ですか」

「さすがにこれは怒るぞ。診断結果、お前健康状態偽装してただろ。アルムの野郎はムカつくが人体の治療に関しては優秀だからな。洗いざらい全部出してくれたぜ?」

 

 渡された書類は、僕がこの学校に入学するためにお義父さんに偽装してもらった健康診断書と、アルム先生がその偽装書類との差を的確に書き上げたであろう書類。

 

「先天性の呼吸器系の病か。そもそも体質として騎士なんかになれるわけがねぇよこれは。本当なら一生を、なるだけ外に出ず、穏やかに陽の光でも浴びて本でも読みながら過ごすべき人間の体だ。殺し合いになんざ、向いてない」

「向いてないから、諦めろって言うんですか?」

「当たり前だ。お前の場合はな、弱いやつが強くなりてぇってのとはわけが違う。……今までどうやって訓練してたんだ?」

 

 確かに、僕は人よりも体が弱かった。すぐに寝込んでしまうし、特に呼吸器が弱くて長い運動が出来ない。肌も筋肉も弱いし、長時間の負荷をかけられないから訓練の効率も悪い。

 

「……僕の目は、世界の魔力を濃く映します。だから、魔力操作は得意なんです。雷や風、便利なこれを使えば臓器の動きの補佐なんて幾らでも出来ます」

「常にか? そんな馬鹿な真似をずっとやってたっていうのか!?」

「ずっとなんかじゃないですよ。たった4年間です」

 

 確かに最初は苦しかった。常に体内という繊細な世界に、局所的に魔力で干渉しなければならないから脳は焼けるような痛みを発し続けるし、補助という名目で無理やり動かされる臓器達が悲鳴をあげているのもわかる。

 

 でも、()()()()()

 

「……お前がやってる事は感覚的にも痛覚的にも命を搾り取る行為だ。この学校に入学してから、お前は訓練も挑まれる勝負も何一つ休まずに続けていた。今までの無理が一気に吹き出したのが今回だ」

「そうですね。次回からこんなことが起きないように、もっと鍛えないと」

「やめろって言ってんだよ。エア・グラシアス。学園長として、お前のこれ以上の騎士学校での活動を禁じることも俺は出来んだよ」

「断固抗議します。嫌ですもん」

「首席は言うことが違うな。俺を前に、笑顔でそんなこと言えるとは」

 

 ギガト学園長の中で渦巻いていた巨大な魔力が、瞬間的に倍になる。増加が止まらない。まるで自然のエネルギーを見ているかのように、際限の無い増殖に視界の全てが彼女の魔力で埋まってしまってもはや小さな彼女の体が見えないほどに。

 

「……ビビらねぇんだな。やりづれぇ」

「もっと怖いものを、見てきましたから」

 

 ギガト学園長は怖いけれど、優しい人だ。

 デウスの記憶の中にはもっと怖い相手が沢山いた。人を人とも思わなかったり、全てが自分を中心だったり、戦闘狂だったり、他人の不幸だけでしか喜びを得られなかったり、そういう人が沢山いた。

 

 特に魔女のことなんて考えるだけでも吐いてしまいたくなる。

 単体で国を相手取る狂嵐。世界を滅ぼせる災厄そのもの。デウス・グラディウスは本当にすごい人だ。アレを相手に一歩も引かず戦い続けた。最後まで、隣で戦ってくれた彼の為に剣を振るった。

 

「……俺は教育者である前に魔女の対策もしなくちゃならねぇ立場だ。お前がアーリスの時、魔女に対抗できるって自薦したのは忘れてねぇ。そして実際に対抗出来る力がある以上、お前が魔女と関係ないところでくたばる可能性があるなら、この学校からつまみ出して一切の権利を無視して魔女専用の兵器として運用する、ってこともできる」

「脅しですか?」

「逆だ。それをしねぇのは、俺がしたくねぇからだ。かと言って、俺は権力があるが独裁者じゃねぇ。……結果を出せ。俺が上の連中を黙らせられるくらいの結果を無理をせず、命を賭けず、明日を生きることを考えて出せ」

 

 言いたいことはそれだけと、学園長は保健室から去っていった。

 

 明日を生きろ。

 それは正しいことなんだろうけれど、そんな生き方では僕には無理だった。デウスはとても強くて、魔女もとても強い。エア・グラシアスという女がデウスのように戦って、魔女に勝つには死ぬほど訓練し続けるしかないんだから。

 

 

「……負け、ちゃったのかなそう言えば」

 

 

 デウス・グラディウスなら負けなかった。

 彼の記憶の全てを思い出せるわけでわはない。重要な部分、魔女との戦いの肝心な部分や最後の記憶が抜け落ちているが、少なくとも彼は学生時代の模擬戦では一度も負けてなかったはずなのに。

 

 負けてしまった。エア・グラシアスとデウス・グラディウスにまた一つ大きな差が生まれてしまったと、嘔吐してしまいそうな自己嫌悪を胸の奥に飲み込んでベッドから立ち上がる。

 

 終わってしまったのならば仕方ない。もとよりデウスのようにはなれないと知っているのだから、この悔しさと焦燥感はいつも感じているものより少し辛い程度でしかない。

 

 超えるんだ、何があっても。

 デウスを超えなければ、エアはこの世に在ることができない。デウスを超えることだけが、彼の記憶を持ってしまった非力な女の使命。そう自分に言い聞かせて、また彼の顔を思い出す。

 

 デウスにとって人から外れた自分を見つめ続けてくれた只人の彼。彼の記憶を知る僕にとっても、彼の事は忘れることは出来ない。

 

 

 

 

 

 でも、これだけはデウスのものでは無いエアの想い。

 

 

 

 

 4年前、流行病に罹り両親が死に、僕も死にかけた。

 苦しくて苦しくて、死んでしまうんじゃないかってずっと魘されて、不安で不安で子供のように泣きじゃくってしまっていた。

 

 そんな折、僕を治療施設に運ぶ荷車が魔女の眷属に襲われた。デウスの記憶にもあった、巨大な黒色の獣。

 動きは遅い、力も弱い、この獣を瞬殺したことがデウスが騎士になる道の始まりの一つだった。

 

 けれどエアにはその力はなかった。

 病に魘されていることもあったが、そもそもその年までエアはまともに剣を握ったことは無かった。握ったとしても、次の日には腕は動かず何も続かない。どれだけ鍛えようとしても呼吸が追いつかない。

 

 

 僕はデウスじゃない。だから何も出来ず、殺されるはずだった。

 

 

 

 

 

 

『うぉぉぉぉぉぉぉぉ!!! バケモンが止まれクソがァ!』

 

 

 

 

 

 現れたのは、同い年くらいの灰色の少年だった。

 荷馬車が大腕に叩き潰される直前に横から飛び込んできて、蹴っ飛ばした。救いの手の登場にみんな目を輝かせて、ボロボロにされた姿を見て

 すぐにその輝きは失われた。

 

 少年の名前はジョイ・ヴィータ。少し幼いけれど、16歳の彼の面影があるから間違いなかった。デウス・グラディウスの記憶を見て最も鮮明に焼き付いた彼の姿を僕が間違えるはずがない。

 

 なんで彼がここにいるのかは知らない。そもそも彼は相変わらずそこまで強くなかった。デウスならば瞬きの間に倒せた獣相手に何度も殴られ、骨が折れ、内臓を潰され、目を潰され、血を吐いて転がされて。

 

 痛くて苦しくて辛い思いを散々させられて、倒れて動けなくなって、興味を無くした獣が僕達の方に視線を直して。

 

 

『……おい、テメェの相手は俺だ。テメェがこの世で最後に見るのは、俺の勝利宣言になるんだからよ』

 

 

 それでも、ジョイ・ヴィータは立ち上がった。

 誰も期待なんてしてない、勝てるわけないと思っていた。僕だって幾ら彼でも今の彼では勝てないと思っていた。それなのに彼は戦い続けて、肉が裂けて骨が飛び出して、肌の色が血の色で覆われるくらいに戦い続けて。

 

 

『けほっ、頑張れ……頑張れッ!』

 

 

 気がつけば人生で一番大きな声だったんじゃないかって勢いで彼を応援していた。

 諦めず、目の前の敵のさらに遠くを見つめるように、記憶の中のデウスの剣を真似するかのような不細工で、世界で一番カッコイイ剣技で、彼は獣と戦い、いつの間にか動かなくなった獣の上に立って、勝利の雄叫びを上げていた。

 

 

『ぁ……クソ、なんも見えねぇ! 見えねぇけど、さっき応援してくれたやつ! ありがとな!』

 

 

 

 

 黒曜のような黒い血の海で、唯一輝く星の光。

 初恋は終わり、僕は星に焦がれる二度目の恋をした。それがエア・グラシアスにかけられた呪いのような始まりの魔法。

 

 

 彼に追いかけられたい。

 デウス・グラディウスを人間として繋ぎ止めて、ずっと見つめてくれた彼。ジョイ・ヴィータに自分もずっと見ていて欲しい。

 僕はデウス()に届かない、そのくせ人にもなれない特別な『眼』を持ったバケモノ。そんな僕が、彼に追いかけてもらって人として追いかけてもらう方法はただ一つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……デウスにならなきゃ、追いつかなきゃいけないのに」

 

 

 頭痛は止まず、呼吸も戻らない。それどころか少し熱っぽい。

 アレからずっと努力してきたのに。グラシアスさんに引き取られてからはずっと剣を振っていた。魔術で臓器を無理やり動かして、手の皮が剥けても我慢して剣を振り続けた。体が動かなければ最低限治癒を施してまた剣を振る。

 騎士学校に彼が入学するまで、たった4年。ここまで痛みに脅えて引きこもっていた女はなんて愚かだったんだ。それだけの時間でエア・グラシアスがデウスに追いつくには普通の努力の、更に上の努力の、更に狂った努力を積み重ねるしかない。

 あらゆる肉体の悲鳴や弱音を無視して剣を振るい、ようやく最低限満足できるくらいに、かつてのデウスのように振る舞えるくらいの自信がついたのに。

 

「恥ずかしい……。入学式であんなこと言わなきゃ良かった」

 

 まさか1年生の2ヶ月程度で敗北してしまうなんて。

 ここからやり直すにしてもどうしようか。頭を捻って考えを出そうにも、熱と痛みで思考がぼんやりする。こういう時は外の空気を吸って、剣を振るい続けるのが一番だ。そうすれば、体が本当に死ぬ寸前になった時にはもう気にならなくなる。

 

 そんなことを考えながら、保健室を出ようとして扉を開けた時に。一際激しい頭痛に襲われ、平衡感覚が吹き飛んで前のめりに床に向かって体が落下していくような感覚。

 

 

 …………が、いつまで経っても受け身も取れずに硬い床に叩きつけられる痛みが襲ってこない。

 それなりに硬いけれど、全然冷たくない。随分前に忘れてしまった、母の胸の中のような、それより硬いけれどそれに近い感覚。

 

 

「……アーリス、ちゃん?」

「その、お見舞いに来たんだけど……とりあえず、ベッドに戻った方がいいよ。顔色、死人みたいだし」

 

 目の前にいたのは、今日僕の相手をするはずだった、不戦勝になったであろう相手。色々と言わなきゃいけないこと、言いたいことがあったし、背後に2人くらい男子の影が見えた気がしたけれど。

 

 

 不思議なくらい頭が回らなくて、人の体温に安心して弛緩しきった肉体が意識を強制的に遮断してしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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19.魔女の足音






エルデンリングに囚われてました。







 

 

 

 

 

 

 結局、エアは絶対安静とのことでそのまま暫く目を覚まさず。

 俺達は俺達でやることがある為に普段通り学生生活に勤しんでいた。

 

「リエン、お前何組になった?」

「ジョイと同じ組やで」

「俺お前に何組か教えてないよな?」

「個人配布以外にも誰が何処に分けられたかは張り出されとるよ?」

 

 間近に迫った学年合同練習。

 今回の内容はチーム戦。生徒を3グループに分け、それぞれにリーダーを据えてそのリーダーが倒されないように、かつ時間内で可能な限り多く他のグループの生徒を倒す。

 

 ちなみに俺は赤組。リエンとアーリスも赤組らしい。

 

「というか戦闘時間長いな。これ俺厳しいかもしれない」

「私は意外と長時間戦闘は得意だけど……ジョイくんも得意なんじゃないの?」

「体力には自信はあるが……長時間戦闘や連続戦闘になると、『黒耀(バロール)』が使えねぇ」

「あ、そっか……」

 

 実際この学年でも体力というか、無茶な暗示の使い方をしてるおかげで体がぶっ壊れていても、悪環境でも自分の力を引き出すということにはそこそこ得意な意識はあるが、かと言ってそれがなんだってくらいに厳しいものだ。

 

 更には心配しなきゃらならないことは他にもある。

 まず、他のグループのトップとなる相手。俺の性質上勝ちに行くにはコイツらを倒せばいいんだが……。

 

「リィビア・ビリブロード、アウル・ノムト。他のグループのリーダーもエグいなぁ」

「やっぱ他のグループの子達もリーダーを倒すよりは他狙いのタイムアップで残り人数勝ち狙いに来るかなぁ? さすがに、この2人を倒すのもあんまり現実的じゃない、よね?」

 

 青組のリーダーはご存知リィビア。

 そして緑組は……アウル・ノムト。コイツもやばい。エア、リィビアに並ぶ時点でやばいし、何よりこいつの事は()()()()()()()()()()

 この世代でもトップクラスの化物。エアやリィビアが突然変異の怪物なら純粋培養の血統からして特別な完璧超人。戦いたくねぇ〜。

 

「かと言って……うちのリーダーは長期戦不利やもんなぁ」

「グラシアスさん、病気らしいもんね。一応参加予定ではあるらしいけど、他の組はみんなそこを狙ってくるだろうし」

 

 エア・グラシアスの先天性の疾患。

 デウスにはなかった明らかな異常。これについて色々と考えなければならない。なんだかんだ、俺は魔女について最終的にアイツが、エアが倒してしまうからと安心しきっていた部分がある。

 だが、魔女は数の力も凄まじい敵だ。眷属の数で人類という巨大な組織相手に個人で戦う厄災。もしも、もしもエアがその途中で動けなくなったら? 

 

 

「ジョイくん……? おーい、聞いてる?」

「ん、あぁ……悪い。ちょっと考え込んでた」

「考え込むのもわかるくらい厳しいもんなぁ。いっその事、俺ら全員でエアをサポートして、他のグループのリーダーぶっ倒して貰うとか?」

「リィビアもアウルも広範囲攻撃持ちだ。下手にエアを補佐しようとしても邪魔になる。それに、幾らエアでもあの2人相手は瞬殺は無理だろうし、何より相手もまともに戦わないだろ」

「それもそやな。まー考えても埒が明かん。話し合いの日程は設けられてるんやから、そん時までに考えとくしかないな」

 

 

 学生生活のこと、魔女のこと。色々と思考が行ったり来たりしているが、いまいち纏まらない。

 自分で思うよりも俺は動揺してるかもしれない。俺にとって、エア・グラシアスは完全に女になったデウス・グラディウスだった。だからこそ、彼女に弱いところがあるなんて考えたこともなかった。

 

 だって、デウスは一度も負けなかった。

 実際、アーリスとの勝負は無効試合になった為戦績としてはエアにも敗北はない。けれど、デウスならあんなところで倒れたりもしなかったはずだ。なのに、なんで。

 

 

 モヤモヤとした熱を持った頭では、何を考えても結局最後は何も分からない、という結論になってしまった。

 

 

「グラシアスさんのこと、考えてるんでしょ」

「……そんなに顔に出てるか?」

「さすがに俺でもわかるわ。お前さん、ベタ惚れやもんね」

「お前次そういうニュアンスの発言したら殴るからな? アイツは、そういうのじゃねぇんだよホント」

 

 エアのことは確かに見た目は好きなタイプではあるが、それ以上に女子として生まれたデウスって言う部分が大きすぎる。アイツが女だったらこんな感じなんだろうなぁ、と思わせられる部分が沢山あって、アイツと変わらない部分があって。

 

 それでいて、アイツと決定的に違う部分がある。名前をつけることが出来ない難しい感情がずっと渦巻いてしまってアイツとの会話はいまいち思考が纏まらなくなる。

 

「2人はこの学校で初めて会ったんだよね? ずっと思ってたんだけど、その割には距離が近いというか……なんか特別な秘密とか、あったりするの?」

「……ないんだよな。うん、ないはず」

 

 アーリスのその言葉を聞いてそう言えば、と思い出した。

 確かにデウスは距離感が近い男ではあったが、幾らなんでも異性にまで踏み込むような男ではなかった。その点で言うとエアは少々、俺との最初の距離感から何処かおかしかった気がする。

 

 異常に馴れ馴れしい。

 まるで昔からの知り合いに会うかのような気軽さと、本の中でしか知らない英雄に会うかのようなたどたどしさ。相反する2つの反応が1つに合ったような不思議な反応だった。

 

「さすがに、もうエアは起きてるよな」

「え、まぁ。起きてるんじゃないかな」

「ちょっと会いに行ってくるわ」

「え、今? 急だね……あ、ホントに行くの?」

 

 居ても立ってもいられない。アイツのことで1度気になると自分を抑えられない。

 とにかく何か、エア・グラシアスという女をデウスとして見られるような何かを求めて、俺は自分の意思では無いかのように勝手に足を動かしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ずるいよね、グラシアスさん」

「なにが?」

 

 心の中で呟いたはずの言葉が声に出てたと気がついたのは、リエンくんが間の抜けた声で返答してきた時にようやくだった。

 すぐに言い訳をしようと思ったけれど、彼ならばまぁいいかという気持ち半分、残り半分はこのまま抱えていたらいつか刺々しい感情になってしまうのではと。

 

 忍び寄る魔女の足音が怖くて、言葉にしていた。

 

「だって、今だってただ寝てるだけなのにあんなに思って貰えて、羨ましいと思うのはおかしいかな?」

「心配されるのは病人の特権や。そして、病人ってのは得てして誰かにそういう気持ちをさせるのを申し訳なく感じてごめんって謝る。本人は悪くないし誰も悪くないから救われない。羨ましがるものやないやろ」

「リエンくん、捻くれてない正論吐けるんだね」

「そう言うイグニアニマのお嬢様は、案外口悪いよなぁ」

 

 口が悪いと、そういう自覚はなかったが多分それは私が性格が捻くれているからなのだろう。表面的に捻くれてるように見せようとしてる彼と、内面的に捻くれてしまってる私は、変なところで話が合う。だからこうしてなんだかんだで友人のような間柄になってしまってるのかもしれない。

 

「私、ジョイくんのこと好きなんだよね」

「知っとるわ」

「………………みゅぇ!?」

 

 クラスの他のみんなに聞こえないように。そっと呟いた言葉への反応が予想外過ぎて思わず変な声が飛び出してしまった。

 

「アレで隠せてるつもりな方がおかしいやろ。時々ジョイを見る目怖くて夜中に思い出してトイレ行けなくなってたわ」

 

 確かに隠しているつもりは無いが、そんな大っぴらに好きですとアピール出来るほどの肝の太さも私は持ち合わせていない。むしろ、それくらいになれたらと思わなくもないが、さすがにそれは卑し過ぎる。

 

 まず私は死罪保留人。

 その罪を濯ぐことが出来なければそういう気持ちを伝えるのは相手にとっても迷惑な事だ。

 

「妬ましいって、時々思っちゃうの。それは悪いことなのかな?」

「アーリスは16なんか? そんなもん、普通の人間はもっと小さい頃に気がつくもんやで」

「それ、馬鹿にしてる?」

「褒めてるんよ。子供の純粋さを忘れないまま大人になれたんやなって」

「馬鹿にしてるよね?」

 

 でも、子供のままというのは言い得て妙だと思った。

 私が魔女と契約した、髪の色が変わってすぐのあの日。あの幼い日の思い出から、私はまだ1歩くらいしか進めていない。

 

 

 指先で弄んだ髪の毛は、相変わらず瑠璃の色。

 

 

「それでも、やっぱりズルいよ。勝ち逃げは」

「逃げるのはあかんよな。でも、追い詰める努力もせずに逃げられたと口にするのは待ちぼうけの愚者やで?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 頭を冷やすがてら、俺はとりあえず保健室に向けて歩いていたがなんということでしょう。学校内で軽く迷子になってしまっていた。

 前世で通っていたとはいえ学校の内部構造まで完璧に覚えてないし、それに加えてこの学校は広すぎるんだよ。保健室も何個あってエアがいたのは何処だったか。

 

 そもそもすぐ前に一度訪れたことのある場所なのに忘れてたあたり完全に気が動転している。冷静じゃないのが自分でもわかる。

 

 

「エア・グラシアスのいる保健室なら進む方向と反対だよ」

 

 

 廊下を歩いていると、誰かにそんな声をかけられてしまう。

 顔に出ていたのか、それとも師匠の類のバケモノ特有の読心術なのか。今は微妙に判断がつかないがとりあえず声に感謝しつつ踵を返して来た道を戻ろうと、体を動かした。そのつもりだった。

 

 

 あれ、と声を出そうとしたがそもそもそれが音にすらならない。

 

 

 俺の意思に反して体は視線を動かすことすら許されず、細胞一つ一つを丁寧に鎖で縛られたかのように動かなくなっている。力が入らないが崩れ落ちることも無く、ただその場に停止している。

 

「さて、と。さすがに私でも世界を止めるのはあんまり長くは厳しいからね。早めに話を済ませてしまおう」

 

 すれ違った声が無音の世界でカツカツと、時計の音のように規則的にハイヒールの音を立てながら近づいてくる。真綿のように、麻縄のように、断頭台のように。近づく度に強く強く首を絞めてくるかのようなその声。

 

 知っている。

 知らないはずがない。

 忘れられるはずがない。

 

 その声は死だ。

 ジョイ・ヴィータという人間にとって、それは間違いなく死であった。本来なら経験するはずのない、1度目の死という概念。それを俺に与えた最強最悪の存在。

 

 

「喋っていいよ。()()()()()()。ジョイ・ヴィータ」

「魔女……ッ!」

 

 

 無機物めいた笑みを浮かべる灰色の髪の女。

 彫刻のように美しい其の名は『魔女』。

 

 魔術世界における、机上の空論たる破壊の権化。

 神話の世界のような力を振るうことを許された『魔王現象』と呼ばれる厄災の一つ。

 

 

 そして、前世で俺を殺した張本人。

 

 

「可愛い女性に話しかけられたんだ。もう少し、嬉しそうにしてもいいんじゃないかな? それとも、やっぱり腹に風穴を開けた相手は怖いかな?」

 

 知るはずの無い言葉をペラペラと、当然のことのように魔女は語る。

 それはジョイ・ヴィータという男の最期の話であり、この世界で俺以外誰も知る由のない未来の話。

 

「忘れるわけないじゃない。貴方は、私の死の原因の一つだった男なんだから」

 

 こちらの考えを先読みしてくる、俺の周りの人間がよくやってくるその行為も、いつもの相手ならば訝しみながらも流せるが魔女が相手となると思考が白になりかける。

 どこまで読まれている、なんのために読んでいる、そもそもなぜ、なぜ、何故。

 

「なんで知ってんだよ、俺の事を」

「今日はお話に来たんだ。私の駒の一つ、アーリス・イグニアニマをよくも壊してくれたねって」

 

 話を聞く気がないのか、聞こえていないのか。

 笑顔から表情を少しも揺らがせないまま魔女は勝手に話を続けていく。

 

「アレの呪いはそれなりに強めに設定してたのに、どうやって破ったのかな? あのクソ野郎は使い物にならないように丁寧に潰したし、クソアマ共はまだ対策を整えてないはずなのに」

「お話に来たなら、俺の話も聞けよ。これじゃあ壁に喋ってるのと何も変わらねぇだろ」

「ふぅん……。あの男の後ろでビクビク震えていただけの雑魚が、随分と言うようになったね」

 

 そうして魔女が一歩、俺との距離を詰めるだけで正直胃の中身を全て絞り出されるかのような気持ち悪さが全身を駆け抜ける。

 目の前にいる相手は間違いなく俺を殺した相手だ。平静を装ってるだけで、内心はもう涙流して命乞いしてしまいたくなっている。でも、そうしていないだけきっと俺は成長しているのだろう。

 

 それに、だ。

 その情けない内心を見透かされている気がしない時点で魔女の底というものが見える。

 

「あ、ちなみに今の私は分体みたいなもので。本体と比べたらあらゆる出力が低いから絶望していいよ」

「どいつもこいつも……俺の心の中を読みやがってホントなんなんだよ……」

 

 喋る以外のことに体はピクリとも動かない。

 意識してみるが『黒耀(バロール)』の起動もままならない。勝負を挑めば勝率はゼロ、だろう。俺の命は魔女の掌の上。殺す気になればいつでも殺せる。逆にそれをやらないということは、それなりの理由があるはずだ。

 

「言っただろう。今日は貴方とお話に来たの。……まず、()()()は誰にも言わない方がいい。何が起きるか、私ですら分からないから。もう一つ。この世界では、私を倒せるのはもう貴方だけだ。貴方が頑張るしかない。全ての命運は貴方に託されている。世界は、貴方が救うしかないんだよ」

 

 魔女は英雄になれ、と。

 宣告でも通達でも告知する様子でも無く。お前には無理だと、絶望を叩きつけるように俺にそう囁いた。

 

 それは明確な嘲笑だった。

 俺を弱者として見ているからこそ、そんな言葉が言えるのだと、貼り付けられた笑顔を見ればすぐに分かる。

 

 

 それはムカつく。楽しくない。

 俺をバカにされるのはいい。実際俺は自分が才能がないことはよく理解しているし、俺一人では英雄になんてなれないとわかっている。

 

 ……でも、俺は出逢いと機会に恵まれた。

 俺が英雄になれないとしたら、それは俺の過失だ。最初から決めつけるのは、この学園にいる、俺の周りにある全ての出逢いへの侮辱に他ならない。

 だから言ってやらなければならない。巫山戯るな、馬鹿にするなと声を出してやらなければならない。

 

 

 なのに、声は形にすらなってくれない。

 目の前の女が恐ろしくて、震える声帯は明確な死をイメージして、音を作り出そうともしない。

 

 

「その様子じゃ、心配は要らなさそうだけど忠告ね。──────私の邪魔をしようだなんて、考えない方がいいよ。雑魚。次があったら、前よりも残酷に殺すから」

「おい、何俺の生徒に粉かけてんだ灰被り」

 

 

 魔女が声のした方向に振り返るよりも速く、その頭部に拳が叩き込まれて水風船が割れるような音ともに魔女の首から上が消し飛んだ。

 

「おいおいおい、時間停めたんだよ? どうやってここまで走ってきたんだよちびっ子学園長」

「答えはてめぇが今言っただろ。全部ぶっ壊して、走ってきた」

「……脳筋が」

 

 口もないのに、それだけ吐き捨てて魔女の体はボロボロと灰のように崩れ始める。

 同時に魔女の力が解けたのか俺の体は動くようになる。動かした視線の先では、この学校の長である少女、ギガト・レムノが風に流されていく魔女の体の破片をいつまでも目で追い続けていた。

 

「……無事か、ジョイ・ヴィータ」

「は、はい。助かりました、学園長」

「いや、悪かった。本来ならここに魔女に侵入されている時点で俺の負けだ。……少し調査が必要だ。お前は、今は寮に戻っていろ。あそこは学園で一番安全な場所だ。送っていく」

 

 断ろうと思ったけれど、魔女のことを思い出すとそれすら出来ずに俺は学園長に着いてきて貰いながら寮へと戻ることにした。

 

 途中の道では、恐らく学園長が俺の元に駆けつけるためにぶち壊したであろう壁の修繕やら、魔女の痕跡を探るために先生達が忙しなく駆け回っていたりと、まるで戦場のように空気がピリついていた。

 

 途中で遠くに先生に混じって何かの解析を行っているリィビアや、俺と目が合ったのに先を急ぐ様子で早足でどこかに去っていってしまう師匠やらが目に入った。

 

 彼女達は、何か出来る側の人間なのだろう。

 魔女程の敵が出てきても、対処をするために戦う側の人間。

 

 

 

 俺は結局、デウスの後ろで震えていただけのあの頃から何も変われてはいなかった。

 

 

 

 

 

 



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20.粉砕騎士

 

 

 

 

 それはいつかの俺の記憶、だったと思う。

 

 鮮烈な思い出、という訳では無いそれは、きっかけがあれば思い出せるけれどきっかけがなければ永遠に記憶の蓋の底。そんな曖昧で、大切な記憶。

 

 あれはどこの戦場だっただろうか。

 どのみち魔女との戦いも終盤。あの女は節操なしに眷属を増やして幾つもの都市があの女の手に堕ちて、そうしてその全てと斬り合えば如何に百戦錬磨の騎士団と言えど疲弊する。

 

 仲間が何人も死んで、仲間だったはずの人間を何人も斬り殺して、そんな毎日。

 

「──────ふぅ、これで終わりだ。ここの敵はみんな倒した。誰か、生きてる人はいる?」

 

 大将首を落として、デウスは戦場のど真ん中とは思えない街中で友人に話しかけるみたいな調子で呟いた。だが彼の後ろにあるのは屍の山だけで、返事をしたのはその中に隠れてやり過ごしていた俺だけだった。

 

「ジョイ、良かった。君は生きてたんだね。他に誰かいる?」

「全滅だよ。元々不意打ちだったんだ。お前が駆けつけてくれなきゃ、俺も死んでた」

「それはそうかもね。それじゃあ僕は君の命の恩人だ。……本当は、皆の命の恩人になりたかったけれどね」

 

 デウスすら肩で息をして、俺も腹が抉られてかなりギリギリの怪我の中でどうにか屍の山に潜ってやり過ごしたそんな戦いだ。

 むしろ、俺が助かって敵を逆に壊滅させてる時点で戦果としては十分。かと言って、これを勝利と呼べるほど俺達の戦いに希望はなかった。

 

 もう騎士団の仲間も数える程しか残っていない。

 優秀だった同期も殆ど殺したか殺された。国の統治すらボロボロであり、言葉一つで人を纏めあげられるような人物はみんな死んだ。魔女に勝ったとして、俺達にまともな未来があるかは正直厳しいところだろう。

 

「それでも僕達は今日の戦いを生き残った。本陣に戻ろう。そろそろ、魔女の方も手札が切れてきたはずだ。支援術式も反応が近いし、近いうちに見つけられるはずだよ」

「はいはい……いつつ、あー、いってぇ……」

「大丈夫? 肩を貸そうか?」

「大丈夫だ。というかお前、なんで立ってられるんだよ……」

「?」

 

 デウスは魔術の一斉掃射を受けて俺よりも深く腹が抉れて零れそうな腸を魔術と筋肉で無理やり抑えてるし、敵の大将との戦いで首にナイフが1本刺さっている。俺よりも多く働いて、俺よりも傷ついている。

 

「心配いらないよ。僕は人より体が丈夫だからね。知ってるだろ? 学生時代から一緒なんだし」

「知ってるけどよ、それはそれとしてだろ。っぅ……あー、もういい肩を貸せ。俺も貸す」

「え、いや僕はいいけど」

「お前に貸しとか作りたくない」

 

 もう既に何度目かの命の恩人な訳だがそれはそれ。

 デウスに貸しを作るのは、なんか嫌だった。ここまでボロボロになって、世界の未来がコイツに頼らなきゃどうにもならないようなこんな状況でも。俺は一つだけずっと変わらずに思ってることがあった。

 

 一番になりたい。

 デウスに勝ちたい。

 

 頭も体も無理だと叫んでいるその思いをずっと抱えて。

 そんな救いようのない魂だからなのか、俺はこんな楽しくない戦いを延々と生き延びてきてしまっている。

 

「……ははっ、ジョイは学生の頃から本当に変わらないね」

「お前に俺の学生時代の何がわかるんだよ」

「わかるさ。だって僕は首席だからね」

 

 コイツが言うと本当に何故かわかってそうだから冗談にならない。いつの間にか読心術くらい習得していてもおかしくない怖さがある。いつの間にか酸素がなくても生きていけるようになってたとか、腕が6本生えてきたとか、そう言うとんでもない何かを習得しそうなんだよコイツ。

 

「失礼だな。僕はこれでも人間だから呼吸はしなきゃ死ぬし、腕は2本だよ」

「読心術は人間の能力の範疇じゃないんだよなぁ」

 

 誤魔化すみたいに笑いながら、結局デウスは俺に半身を預けるように肩を借り、俺も半身をデウスに預けて支え合うようにして屍の道を歩き始める。

 思ったより、デウスが俺に体を預けてくるなと思った。

 

「ありがとう。誰かに肩を貸してもらうなんて初めてだし、こんな時なのに、こんなに穏やかな気持ちは学生時代以来だ」

「そうかよ。俺は少なくとも学生の時から穏やかな気持ちになれたことなんてねぇから羨ましい限りだ」

 

 傍らに感じるデウスの重さ。

 それを感じられることがたまらなく嬉しくて、同時に吐き気がするほど嫌だった。

 

 そんないつかの記憶を思い出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やべぇよやべぇよ……これマジでやべぇよ」

 

 学校敷地内への魔女の侵入という一大事件から数日。俺は部屋の天井を見つめながら危機感を口にし、とりあえず何かやった気になる作業に勤しんでいた。

 

 一時期は合同訓練も中止になるという話があったが、魔女に侵入された今だからこそ、対魔女に備えて更なる戦力強化のため訓練は予定通り行うとの強気の姿勢を見せたものの、ここ数日先生陣はいつもどっかほっつき歩いて俺にちょっかいかけに来る師匠ですら手が離せないらしいほどの激務に追われ、俺やアーリス等の魔女と関わりがあった生徒は万が一に備え一時外出禁止状態になってしまっていた。

 

 大変なことになっていると感じるが、そもそもこの程度のことで収まってること自体が奇跡なのだ。

 

 魔女とは、現在世界を生きる全ての生命を呪う厄災『魔王現象』。魔術世界における、特異点にして最大の異常。何らかの因果により自身以外の存在全てを破壊する為に世界そのものから力を引き出す終局装置。

 それが堂々と姿を現して、日常を続けられるようにしている時点でこの学校の教師陣の優秀さを痛感させられる。

 

 

 だが、今の俺が気にするべきなのは魔女の脅威じゃない。

 あの女が俺のこの人生二週目という現象について何か知っている様子であり、俺個人に狙いをつけて接触してきたのは明らかではあるが、俺からの接触手段もなければ相手の目的も分からない。

 前世でアイツが死ぬところまで見た俺ですらこれなのだ。これ以上魔女の情報を手に入れる為には極秘事項に踏み込むくらいしか手は残されてないだろうから、現状はあまり考えることではない。

 

 言葉を鵜呑みにするのは癪だが、この現象について誰かに口外するのもリスクが大き過ぎる。

 口にする、というのは最も原始的な魔術の一つだ。この秘密を口にすれば、言ってしまった相手が魔女に呪い殺されるなんてリスクも発生するわけだし。

 

 

 それに情けないけど、本当に情けないけど。

 魔女はめちゃくちゃ怖いんだよ。マジで泣き出さなかったのを褒めてやりたいくらい怖い。俺一度アイツに殺されてるし、俺より強い奴らが虫けらみたいに殺されたり、死ぬより酷い目に合わされたりしてる所を何度も見てきたのだ。

 逃げたい、思考したくない、忘れてしまいたい。あんなものがこの世に存在することを認めてしまいたくない。原始的な恐怖がせりあがってきて喉の奥から掠れた悲鳴が漏れてしまう。

 

 

 だから考えないように、間近の問題である合同訓練について考えることにした。

 まずうちの組はリーダーであるエアが現在も体調不良続行中、アーリスと俺は魔女絡みの騒動で外出禁止。組内での作戦会議にはもちろん3人揃って不参加。

 

 

「…………はぁ」

 

 

 思わずデカいため息が漏れた。

 いやこれ無理じゃん。幾らなんでも、さ? ね? 別に俺達の組の奴らが弱いという訳では無い。むしろ確認した限りはリエンを含め、安定したメンバーだとすら思う。

 

 だが、俺達の世代は『黄金世代』と揶揄されるような天才達の犇めく万魔殿。

 

 青組のリーダーは学生にして月の名を冠する異名、『月虹(メイガス)』を手にした天才、リィビア・ビリブロード。

 緑組のリーダーは四人の騎士団長の1人にして現代最強の騎士団長レジェ・ノムトの息子であり、『輝剣(フォトルム)』と称される剣技を持つ剣鬼、アウル・ノムト。

 他にも滴穿(セイレーン)とか、影縫(ハウンド)とかの有名な人はだいたい他の組。そもそも、このチーム分けは一体どう言う基準で分けられたものなのだろうか。

 

 エア、リィビア、アウルの3人が分けられてそれぞれ別のチームのリーダーなのは、まぁ当然だろうとなる。コイツら3人は少し格が違うし、どこか一つのチームに入れるのはバランスが崩れる。

 かと言ってバランスが良いかと言われると少し首を捻る。単純に優秀な生徒、と言うだけならアウルの緑組が若干多いように感じるし、リィビアの青組はリーダーのリィビア以外は近接戦闘で優秀な奴が多いように感じる。そして、俺達赤組はその辺がよく分からない。

 そもそも俺、リエン、アーリスの時点で速攻近接とよく分からん戦法、中遠距離バランス型と共通点が薄いし、考えれば考えるほど分からないし、エアが不調となると勝てる気がしなくなる。

 

 更にエアの不調は先天性の病から来るものだ。たとえ体調が良かったとしても、長時間の戦闘は彼女の負担になる、らしい。

 敵からすればこの弱点を突かない理由はない。入学式であれだけデカい口を叩いた以上はエアを狙うやつは多いだろう。

 

 

 ……うん! 

 考えれば考えるほどこれは無理だ。

 

 毛布にくるまって、じっと天井を見つめても現実は何も変わってくれやしない。

 

 もしも、もしもエアがデウスだったら俺はこんなことを考えなかったのか? 

 

 そんなことを考え出すとモヤモヤと嫌な不安がまとわりついてくる。エア・グラシアスという少女とデウス・グラディウスという男のこと。あの男なしで、魔女に勝てるのか。あれだけ全能の神のような存在感のあったデウスが、エアが人間見たく血を吐いて、倒れて、弱々しく呼吸をして。

 

 

 

「おーいヴィータくーんや。暇だからボドゲしようぜ」

「帰れ」

 

 

 思考を切り裂くように、ノックを2回の後扉越しでもわかるクソでけぇ声で俺を呼ぶその声は間違いなくリエンだろう。

 

「酷ないか? なんか魔女に出会ったらしくてトラウマ刻まれて部屋で震えとる思うて元気づけに来た友人に対する態度か?」

「だってお前、俺をからかうつもりだろ?」

「以心伝心やね。さすが親友や」

「帰れ」

 

 優しくすると調子に乗るからいつもの調子で冷たくあしらっておくが、コイツのこの間の抜けた会話の雰囲気は正直思考がぐちゃぐちゃになっている時には非常に助かる。今も、少しだけ気が楽になったりした。本人には死んでも言わないが。

 

 そんなわけで、それに免じて部屋に入れて茶くらいは出してやろうと部屋の扉を開いて。

 

 

「……あ、はじめまして。君がジョイ・ヴィータですね?」

 

 

 扉を開くと、何故かそこには俺より頭2つくらい小さく見える、栗色の髪の女の子しかいなかった。

 

「リエンが、美少女になった?」

「あの失礼の擬人化扱いとは酷いですね。私、常識はある方だと思うのですが」

「あ、ごめん。普通に今のは酷い罵倒……だった、ぎゃ!?」

 

 そうして落ち着いてその女の子の顔を見て、俺は潰されたカエルみたいな悲鳴をあげることになった。

 何故かと言われれば、それは目の前にいる女の子が原因だ。エアよりも小さい背丈と綺麗に編み込まれた栗色の髪の毛。エアが『ロリ』と形容される幼さのある少女なら、こちらは背は小さいながら背の低い『女性』と感じる落ち着いた雰囲気のあるこの女の子。

 

 これだけ特徴的ならば見間違うはずもない。

 

 

「気を取り直して。はじめまして、この度君と同じ赤組で頑張ることになった、クラキア・ソナタです。クラキアでもクララでも好きに呼んでください。ソナタと呼ばれるのは、あまり好きじゃないので」

 

 

 卒業時、第7席。

 特殊体質『顎獣アトラスの巫女』を持って生まれた怪力無双、絶対破壊の粉砕騎士。固有魔術『土葬(クラッシュ)』の継承者、クラキア・ソナタ。

 

 綺麗な薔薇には棘どころではない、猛獣だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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21.負けたくない

 

 

 

「粗茶です」

「どうも」

「粗茶です、ってそれ断言するもんじゃないやろ。断言するなら出すのは失礼ちゃうん?」

 

 仕方ないだろ。女の子を部屋に招き入れてお茶をご馳走するなんて初めてなんだよ。今まで師匠くらいにしか茶なんていれた事ないし。

 いつの間にか生えてたリエンを無視しつつ、とりあえず出した茶をフーフーしながら飲もうとしてるクラキアに視線を移す。

 記憶の中にあるクラキアという人間と瓜二つ、まぁ本人なのだから当然だろう。あいも変わらず感情の読めない鉄面皮でずっと息をふきかけてお茶を冷ます。自分用に淹れたのを口に含むが、うん、そこまで熱くないよな? 

 

「ふー、ふー……うん。まだやめておきましょう。まず、突然の来訪を失礼しますね。もう合同訓練まで時間がないので」

「どうせ暇してたから俺はいいけど、許可とかよく降りたな」

「安心してください。何か間違いが起きたら窓の外からマグノ先生の狙撃で私も君もリエンくんも首から上が吹き飛ぶので」

「え、俺もなん?」

 

 窓の外を見てみるが、マグノ先生の姿は見えない。冗談、と思いたいがあの人が本気で隠密したらそう簡単には見つけられない。そう考えると自然と姿勢が良くなってしまう。

 

「それで、本日のご要件は……?」

「なんで急に敬語なんですか? 肩の力を抜いてください。話なんて合同訓練のことに決まってるんですから」

「すいませんほんと、女の子と話すの慣れてないんで……あと、マグノ先生云々はホント?」

「警備はしてますが変なことしたり魔女がゴキブリみてぇに汚く湧いてこねぇと何もしませんよ多分。……うん。まだ熱い。それに、君はいつも女の子侍らせてるって噂を聞いてますが」

 

 また流れてるのかよその類の噂。そろそろ俺は風評被害で訴えたら勝てると思うんだよね。

 

「具体的にどんな感じの噂が?」

「アーリスさんが君を見る目がいつも獲物を見つけた狼の目になってたり、リィビアさんが登校した時ずっと君かエアさんの話しかしてなかったり、エアさんはなんかずっと君とベタベタしてるらしいし、アルム先生と人目をはばかって密会してるとか……」

「全部事実やん」

「ゔー! 最後! せめて最後くらい否定させろ!」

「最後以外は認めるんですね。モテモテですね。女誑し」

 

 最後以外は俺も身に覚えがあるので否定はできない。最後のは……最近なんか俺と師匠のことで明らかにやばい感じの噂があったから、そう言うのに気を付けてただけなのに。もう俺と師匠は喋らなくても倦怠期とかの噂が流されるんじゃないのか? 噂の流れ方の治安が最高峰の教育機関のそれじゃねぇぞ。

 田舎のおばちゃん達の井戸端会議の方がまだお上品な噂の流れ方してたぞ。

 

「……まぁ、そんなわけで君は実は結構うちの学年では有名人なんですよ? そりゃ、あのリィビア・ビリブロードと相打ちな訳ですし」

「やっぱそれだよな……でも今やったら100%負けるから期待しないでくれよ」

「期待してませんよ? だって君、今やったらリィビアさんに多分一撃で負けるじゃないですか」

「あ、ジョイが泡吹いて倒れた」

 

 事実は時としてどんな言葉より残酷に人の心を抉るからね。

 謙遜はしてるけど、リィビアとの相打ちはめちゃくちゃ頑張ったと思ってるし、話題に出されるとちょっと嬉しい部分があったりする。

 実際もう一度やったら同じ結果にはならないだろうけど、もっと言い方あるだろ泣いちゃうぞ。

 

「あ、ごめんなさい。君を悪く言ったんじゃなくて、事実として……」

「ダイジョウブ。キニシテナイヨ……」

「かなりダメージくらっとるやん」

 

 悪気はないと思いたいが、クラキアはあまりに表情が変わらないのでいまいち感情が読めない。

 けど、実際もう一度リィビアとやれば俺は確実に負けるだろう。

 アイツは正真正銘の天才で、正真正銘の努力家だ。一度したミスを繰り返すような女じゃない。

 

「メンバーも見ましたけど、私達の組は火力や防御面で特筆した子は私くらいで他の子はオールラウンダーや、君やリエンくんみたいな特筆した何かを持ってる子が多いからね。戦法としては持久戦の方が向いてるんだけど」

「……やっぱエアのことは噂になってるよなぁ」

「そうですね。エア・グラシアスが長期戦に向かない、と言うのは知れ渡ってますよ。皆そこを突いてくるでしょうし、私達の組はそこをどうにかしなければならない」

 

 他ともかく、リィビアやアウルと言った敵の大将戦力を落とすにはエアが必要不可欠だ。そしてそれを止めるのもエアが必要不可欠。どんな戦いになるにしろ、彼女が長期的に戦う必要性は大きくなる。

 

「一瞬で終わらせる、ってのは……」

「本人に話は通せてませんが、その対策を相手もしてくるだろうし幾らエアさんでも無茶でしょう。そこで、お話に来ました」

 

 クラキアは冷まし続けていた茶を一口含もうとして、熱そうだと思ったのかそれを止めてから口を開いた。

 

「エアさんが一瞬だけ戦えればそれでいい。そんな作戦を考えてきました」

「……そんな都合の良いモノあるのか?」

「ご安心を。私の計算が正しければ、2%の確率で成功します」

「そうか……いや、待て。今なんて?」

「……だいたい1×2%の確率で成功します」

 

 濁したけどそれ何も変わってないよな? 掛け算で盛ろうとしたけど全く意味がないよな? 

 

「2%って、それ無理だろ」

「なんですか。2%じゃ無理だって言うんですか。むしろ2%も可能性を開いた私に感謝してもいいと思いますが」

 

 無表情のまま開き直ってるクラキア。コイツ無表情で機械的な冷徹な女かと思ってたけど違うな。割とリィビアとかそっち系の面白女だぞコレ。

 

「まぁ、他の作戦やと1%もないんやから2倍は偉大なんやない?」

「そうだそうだ。リエンさんの言う通りです。ちなみに他のチームメイト全員には『無謀』って言われました」

「ダメじゃん」

 

 なんか頭痛くなってきたな。

 どうしてこう、俺の周りの天才は色々と話してみるとアクが強い奴が多いんだろう。手元にあった茶はすっかり温くなっていたが、その温さがピリピリと痛む頭には心地良かった。

 

「ちなみに、参考程度に聞くけど内容は?」

「この紙に纏めておきましたので、軽く目を通してください。数分もあればわかるように分かりやすくしておきました」

 

 本当に薄い数枚の紙にまとめられたその作戦とやらに目を通す。

 なるほど。確かにこれは全員に言うだけ言って、俺に相談すれば実行は出来なくないな。

 

 完遂が不可能という点に目を瞑れば。

 

「いやこれ無理だろ……。特に俺とかクラキアの負担がデカすぎる。そりゃあエアをカバーしなきゃならねぇのはあるけど、アイツをカバーしようだなんてそんな……」

「…………」

 

 さすがにそれは理解しているのか、クラキアは表情を変えないままゆっくりと目を逸らして、椅子から立ち上がり、床に寝転んだ。何故? 

 

「あの、クラキアさん……?」

「やると言ってくれるまでここから退きません」

「はい?」

「やると言ってくれるまで、ここから、退きません」

 

 これは、もしかして。

 駄々を捏ねているのか……? 

 一応16歳であろう女の子が、初対面の男の前で。

 

「再考を申請します。もう一度、どうかもう一度」

「リエン、この子ってお前みたいな扱いしていいタイプ?」

「ダメに決まっとるやろ。俺みたいな扱いをしていいのは俺みたいなクズだけや」

「お前自覚してるなら直せよな。うーん、どうしよう」

 

 断固、という感じで固まってしまったクラキアを2人で囲んでぐるぐるし始める。これじゃあ何かの儀式みたいだなとどこか他人事のように思いながら、改めてクラキアの作戦というものに目を向ける。

 彼女の面子の為作戦と言ったが、これはお世辞にも作戦とは呼べない。希望的観測と、死ぬ気の努力と、幸運が積み重なって奇跡的に実現する現実感のない夢のような何か。

 

 それが出来れば苦労しない、と言いたくなるような代物だ。

 

「……あんまこういうこと言わん方がええんやけど、クラキアはな。ここまでチームメイト全員に丁寧に頭下げて回っとるねん。自分の作戦に付き合ってくれって」

「全員に?」

「そんで全員に断られとる」

「全員に!?」

「全員にやね。ジョイの言う通り無茶な作戦やからね。こんなんやるなら、各々で頑張って見た方がまだ希望がありそうやし、もしもジョイとか俺とかクラキアが一つでもミスったり、相手に気が付かれれば修正なんで全く効かない。作戦とも言えないお粗末なモノや」

「リエン、お前やめろ。正論で叩くな」

 

 クラキアが表情一つ変えないまま瞳を潤ませて震え始めてしまっている。これ以上正論で叩けば多分ガチで泣き始めるだろう。

 

「いえ、知ってます。私は別に自分が優れてる人間だとは思っていませんし、作戦が作戦とも呼べないのもわかっています」

「……なんでこの流れでジョイが苦しそうな顔しとるん?」

 

 いやだって、だってよ? 

 

「クラキア、お前普通に優れた人間だろ」

「……」

 

 彼女には生まれつき特殊な体質がある。それを活かす為の努力だってある。

 扱いが難しく、継承しているだけで取説もないような固有魔術『土葬(クラッシュ)』を扱う冷酷無比な粉砕騎士。

 

 ……そんなイメージとは少しだけ違うが、それでもクラキアは優れた人間だ。コイツが優れた側の人間じゃないとしたら俺が普通に辛い。何も無ければこのまま俺たちの世代で7番目になるような存在だぞ? 

 

「まぁ、そうですね。きっと私は人並み以上に優れてるのでしょう。今君と勝負すれば多分勝ちます」

「言わなくていいだろそういうこと」

「事実ですもん。それとも、私に勝てる秘策とかあります?」

「無い。お前には俺は勝てないよ」

「君に勝っても嬉しくありません」

「一言多いんだよ。友達いないだろお前」

「……2人います」

「はい俺は4人いるから俺の勝ちな」

 

 アーリスにエアにリィビアにリエン。俺には信じられる友人が4人もいるからな。このコミュニケーション能力を表情筋と共に失ってる鉄面皮ナチュラル毒舌女よりずっとマシだ。

 

「普段は友達カウントしてくれへんのにこういう時だけとかなんや? 俺達みんな都合の良い女なんか?」

「こういう使い方くらいさせて貰えないと普段迷惑ばっか被ってる俺が不憫だろ」

「……でも私の方が強いですよ」

 

 何でコイツはここまでしてマウント取ろうとしてくるんだろう。

 段々と、俺の中でのクラキアの評価がアーリス(マトモ)寄りからリィビア(ヤバい)寄りになりつつあるが、距離感を測りつつ会話を進めていく。

 

「いやほら、負けるのって悔しいじゃないですか。私嫌いなんですよ、負けるの。勝って気持ちよくなりたい。負けて悔しい思いとか、したくないです」

「リエン、コイツ帰らせろ」

「了解。ほな帰ろうな〜」

「断固拒否します。ボイコットです」

 

 ついに本性を見せたな。俺の周りにまともな女が現れるわけがなかったんだちくしょう。

 

「いーやーでーす。負けたくないんです。私はぶっちゃけ、勝って気持ちよくなるためだけにこの学校に来てるんですから。あと私以外の人が勝ってるの見るとなんとなく、イラッと」

「カスだ! カスがここにいるぞ! 騎士の誉れに謝れ!」

「うーん……なぜだかわからんけどジョイと気が合いそうに感じたんけどなぁ」

 

 なんて失礼な。

 俺は自分が1位になって気持ちよくなって楽しい思いをしたいだけだからな。こんな敗北アレルギーの性根がねじ曲がった無表情と一緒にして欲しくない。ここまでのセリフを全て表情一つ変えないで吐ける様な女がマトモなはずがない。

 何とかクラキアを部屋から引きずり出そうと、リエンと一緒にこの女の手足を掴んで先程から動かそうとしているがピクリとも動きやしない。

 

「無駄ですよ。『土葬(クラッシュ)』は土属性の最高位魔術の一つ。私を動かすことは大地を動かすこと。それに今動いたら負けな気がして来ました」

「もう負けでいいから! 帰れ! 俺の負け!」

「そういうの……逆に負けた気分になって嫌ですね」

「うわぁー! めんどくせぇ〜!」

 

 でも、ちょっと分からなくもないのが複雑な気分になるところ。

 確かに譲られて勝つのって負けるよりもなんか嫌だもんな。よく師匠がめんどくさくなると『じゃあジョイの勝ちでいいよおめでとうよかったね〜』とか言ってきて死ぬほど腹立ったのをよく覚えている。

 

 もう諦めてこのまま飽きるまで待っていようかと、放って置こうとしたところでほんの少しだけ、抑揚のないクラキアの声が一段暗さを纏って口に出された気がした。

 

 

「君は、負けるのが嫌いじゃないんですか?」

「……嫌いだよ。楽しくないことは、嫌いだ」

「私も嫌いです。敗北は何も得られない。何かを失い、暗い影を心に落とし込む」

「それは極論なんやない? 負けない方がそりゃあ精神的にええけど、負けることで得られるものも確かにあるやろ」

 

 リエンの言う通り、俺だって敗北から学んだことは幾つもある。

 むしろ、前世での数多の敗北がようやく今世での1勝1分に繋がってると考えれば俺ほど敗北のありがたみを知ってる人間は多くはないだろう。

 

「敗北から学べることは確かにあれど、それは敗北から学べることではありません。──────後悔も準備不足も実力不足も、結局は言い訳に過ぎない。敗北で得たと感じているものは、勝利する為に足りなかったモノを補っているに過ぎない。敗北すれば失うだけです」

「それは……」

 

 違う、とは言いきれなかった。

 敗北すれば失うだけ。反省も後悔も、敗北する前に強くなっていればしなくていいもの。その通りであるけれど、それを認めてしまうのは人間の生き方に反しているような気がしてしまう。

 

 でも確かに失ってしまうのだ。

 脳裏に浮かぶのは、クラキア・ソナタの最期。内臓を空にされ、腹の中に蟲を詰められ死した後でも飼籠として全身を犯され続け晒されていたあの死体を思い出す。

 

 

「期待も、未来も、大切なものも。勝てなければ失う。そうやって負けることを恐れることは、臆病と言うんでしょうか?」

 

 

 彼女の言葉は正論ではなく、彼女の中での自論である。

 その前提の上で、そりゃあそうだと俺は納得していた。

 

 戦う前から負けるかもしれないと考えて戦って、それで得た偶然の勝利なんて、いつ崩れるかも分からない砂上の楼閣。

 負けるかもしれないと考えて戦って、当然負けて得られるのは負けた事実だけ。勝とうとしなければそこに反省は伴わない。

 そして負ければ何かを失う。自尊心や成績ならまだいい。けれどそれはいつか未来や命、命より大切なものに置き換わっていく。

 

 

 魔女と戦うというのは、そういうことだ。

 ビビって震えていてもこの先あの女との戦いは避けられない。

 

 やるべき事は考えることではない。

 まずは情けなく震えずに済むだけの強さと自信。それが無ければ話にすらならないのだから、今はとにかく強くなるしかない。

 

 

「……はぁ、お前の作戦さ。俺が死ぬ気で頑張れば成功率上がるんだよな?」

「良かった。君と私は、似たもの同士みたいですからね」

 

 

 表情は何も変わっていないのに、クラキアは確かにニヤリと笑った。そんな気がした。

 どうしてこう、俺の協力者というものは弄れた性格をしているのか。それでも一つ言えるのは、多分クラキアと共に挑む合同訓練は、中々に楽しいものになる。そんな予感がしてつられて俺も口角を吊り上げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ただいまー」

「ここ俺の部屋です」

「知ってる。寝る場所無くなっちゃったからここに避難してきた」

 

 俺の返答なんて聞かず、師匠は床に倒れ込んで器用にもそのまま服を何枚か脱ぎ捨てて肌着だけになっていた。

 

「こんな時間まで勉強かい? 偉いねぇ学生は」

「合同訓練が近いので情報は出来るだけ詰めておこうと。師匠こそ、遅くまでご苦労様です」

「うんー。さすがに魔女のこととなると他人事じゃないからね。それに、私がちゃんと解析結果出さないと、合同訓練中止になっちゃうかもだから」

「中止、なるんですか?」

「まさか。君達の青春を、あのおじゃま虫には食わせはしないさ」

 

 たはは、と力なく笑う師匠にはいつものキレがない。

 相当疲れているのか、それとも何か他に理由があるのか。俺には判断がつかないが、とにかく今は目の下のクマが酷いので1秒でも長く寝た方がいいだろう。

 

「ジョイ、コーヒー」

「いつものやつもう淹れてあります」

「うむ。苦しゅうない」

 

 何故か俺の部屋には師匠が来た時のためにコーヒーが常備されている。なんだかんだ、今世では親よりも長く付き合ってる人だ。もう俺にとって師匠のためのコーヒーを用意しておくことは日常の1つであり、用意しておかないと不機嫌になるので必需品でもある。

 

「……ごめんねぇ。魔女のことで、心配かけたよね」

 

 コーヒーを一口含んで、師匠は弱々しくそんな言葉を呟いた。あぁこれ、相当疲れているな。少なくとも数日は寝てない感じの疲れ方だ。

 

「魔女のことは師匠は関係ないでしょう。むしろ、師匠が解析とか頑張ってくれてるからみんな安心できてるんですよ」

「ううん。ダメだよ私。もっと、ジョイを安心させてあげられるような、かっこいい師匠になりたいのになぁ……ダメだダメ。うー……」

 

 カフェインを摂っていると言うのに、師匠はそのままモゴモゴと言葉にならない声をしばらく出した後に、力尽きてか寝息を立て始めてしまった。

 おかしなことに、俺は床で寝てしまった女性の介抱の仕方を完全に理解している。いつも通りに師匠を起こさないように持ち上げて、俺のベッドに寝かしてから俺も寝るためにソファに寝転んだ。

 

「なんだかんだ、期待してもらってるんだよな」

 

 師匠との関係は一言で言い表せるものでは無いが、少なくともこの人は俺に期待をしてくれている。

 だからこそ、こんなに頑張ってくれてるし、『黒耀(バロール)』を俺に預けてくれた。

 

 負けるということは、この人の期待を裏切るということでもある。

 それは全く楽しくない。アルム・コルニクスからの期待を裏切ることだけは、絶対にしてはいけない。

 

 だからそろそろ期待に答えなくちゃいけない。

 俺が、ちゃんと戦えるところを見せる。そうして少しでもこの人を安心させられれば、それは師匠孝行になるだろう。

 

 

 

 

 

 

 





・『顎獣アトラスの巫女』
巫女とは、神獣に仕える家系に極たまに生まれる生まれつきの特殊体質持ちのことである。現在正式に継承を行なっている家系は2つで、現代で確認されている巫女は3人。ソナタ家は正式に継承を行なっている家系ではなく、先祖が巫女の血族であるためクラキアに隔世で素質が顕在した。
顎獣は巨大な顎と百足を持つ獣。降り星すらその顎で砕いたとされるこの獣の巫女に与えられる加護は『剛力』。通常の人間とは比べ物にならない筋力、骨密度を得る。

ついでに体重が増える。


・師匠の秘密
お菓子の最後の1つをジョイとジャンケンで取り合って負けると大抵めちゃくちゃ嫌味言ってくる。



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22.黄金世代 1

 

 

 

 

 

「いえーい! 何とか間に合ったよみんな! 僕がきたからにはもう安心だ。赤組に勝利を約束……する、から。もうちょっと明るい感じで……ね?」

 

 赤組の控え室は控えめに言って地獄だった。

 別にそれまでは今日は頑張ろうなーくらいの雰囲気だったのだが、開始ギリギリになって現れたエアの顔色が死んでるんじゃないかってくらい生命の色が失われている色だったのだから、誰だってそうなるだろう。

 別に俺は心配なんてしてないけどな。エアに心配なんて必要なわけが無い。なので決して顔色とかの心配はしていない。

 

「グラシアスさん……その、大丈夫なの?」

「大丈夫だよ。学園長も『無理しないって約束できるなら参加してもいい』って言ってくれたもん」

 

 顔を顰めて舌打ちしながら言っている学園長の姿がありありと想像できる。

 あの人は何より学生の自由を潰すことは嫌いだが、学生に無理させることも嫌いそうだし、苦渋の決断をさせられたのだろう。それなのに本人はこの有様である。それとも我慢できずブチ切れて説教したがエアが聞いてないだけか。

 

「エアさん、一応元気になったようで何よりです」

「ありがとう……えっと、クラキアちゃん、だったかな?」

「む、名前を教えた覚えはありませんが……私が有名人だということにしておきましょう」

 

 誰もが話しかけづらい雰囲気になっていた中で、先陣を切ってエアに話しかけたのはこの空気の中でも無表情を貫いていたクラキアだった。

 

「君は普通に上手く逃げ回ってさえいてくれれば、私達が華麗に赤組を勝利へと導いてみせるさ。だから安心して逃げてくれたまえ」

「でも僕強いから、僕が頑張った方が勝率高いと思うよ」

「……………………うん」

「諦めんなよ」

 

 思わず声が出てしまった。

 なるほど、クラキアはマウント取れない相手とだと全く自分の意見を出すことも出来ないのか。相手見てマウント取りに行くの普通に最悪じゃねぇか。知りたくない性悪さばっかり知る羽目になる。

 

「大丈夫だって。自分で言うのもなんだけど、あれだけ入学式で大きな口を叩いたんだ。大言壮語にはしないさ。実際、僕は強いからね」

 

 そうやって力強く笑うエアを見ると、何故だか大丈夫なんじゃないかっていう根拠の無い自身が湧いてきてしまう。

 だって、その笑った顔はあまりにデウスにそっくりで。アイツならこんな状況いつも通りサラッと解決してしまうと本気で心の底から思えてしまう。

 

 デウスという男を知らない他の奴らですら、その根拠の無い説得力に呑まれているのに、デウスを知る俺が信じてしまうというのは当然の話だろう。

 

「よーし、じゃあみんなで頑張ろー!」

 

 

 

 そんなわけでとりあえず、みたいな雰囲気のまま最後の作戦会議の時間も終わってしまった。

 もうあとは始まるだけなのだが、やっぱり不安なのかクラキアは遠目から見てもソワソワとしている。

 

「……ジョイくんってソナタさんと知り合いなの?」

「うおっ、何だアーリス急に」

「いや、なんか、ジョイくんさっきからずっと目で追ってるなーって」

「許してやってくれやアーリス。ジョイはな、ああいうちっこい女が好みなんや」

「俺の好みは包容力があってそこに幼さと愛らしさを感じられる、できるだけ俺を褒めてくれる女だが?」

「おっと、最後の条件でジョイの周りには一生現れなさそうになったな」

 

 なんでそんな悲しいこと言うんだよ。俺だって薄々勘づき始めてるから口にしないようにしてたのに。

 そしてそもそもクラキアを目で追ってたのはそういう訳じゃない。あんな性格が終わってる女はこちらからノーセンキューだ。

 

 単純に、今回の訓練はアイツはどう動くんだろうなという心配だ。

 

「別にエアが動き回ったら出来なくなる作戦でもないんや。ジョイはあの子の言う通りにしとけばええんちゃう?」

「そうだなぁ……。アーリスはどうするんだ?」

「私は、結構広範囲攻撃が主体だから、出来るだけ味方のみんなには私を見つけても近づかないでって言ってあるよ。……じゃ、また後でね」

 

 それだけ言うとアーリスはそそくさとその場から離れて行ってしまった。なんだか少しいつもと様子が違うような気がする。眉間にシワがよってたし、割と目が怖いのはいつもかもしれないが何度が怖かった。

 

「向こうから話しかけておいて、なんか釈然としないな」

「そろそろジョイはアーリスの気持ちを汲み取った方がええで」

「いや……勘違いとかだと怖いじゃん。自意識過剰みたいで気持ち悪いし」

「自意識過剰の化身みたいなもんのくせに変なところでチキンやな」

「うるせぇ。女の子と喋ったことあんまねぇんだよ」

「よくそんなポンポン景気よく情けない発言出せるな?」

 

 なにか言い返してやろうと思ったけど、特に思いつかなかったので黙り込んでしまった。しかしこれは認めたくない。情けないのはわかってるけど、それはそれとして自分の非は認めたくない。

 

 

『はーい、待機中の学生のみなさーん。これより訓練を開始しまーす』

 

 

 ようやく何か言い返そうと紡いだ言葉は、気の抜ける甲高いマグノ先生の声でかき消されてしまった。

 

『各自、事前に渡したバッチはつけてますね? それは戦闘続行不可能になった時、またはそうなったとこっちで判断した時に転移が働くようにするための機材なので外さないでくださいね〜。あと、第三大規模闘技場の外に出ても働かなくなるのでご注意を。まぁ闘技場の外に出たら失格なのでそんな事しないと思いますが』

 

 改めて思うのは、学校の授業の為にとはいえそんなポンポン転移を出来るようにしてあるの凄いな。

 転移は場所等の条件がかなり揃ってようやく使える高等術式なのに、それを大規模かつ精密に行うためのシステムが組まれてしまっている。開発者はもちろん学園長だ。

 

『それじゃあ転移が始まるので、皆さん頑張ってくださいね〜。初期配置はランダムになりますので、何が起きても恨みっこなしですよ』

 

 拡声器越しの声が途切れると、ゆっくりと待機室に魔力の流れが集まっていくのが感じられる。あと数十秒でいよいよ合同訓練は始まってしまうだろう。

 

 

「始まる前に、ジョイ。アーリスの様子がおかしいって話やったけど、それはちゃうで」

「え、何それ今しなきゃいけないやつか? 緊張してきたから瞑想とかしたいんだけど」

「うーん、肝心なところでかっこ悪いやつやな。まぁ言っとくで。()()()()()()()()。俺も含め、ここにいる黄金はみな本気。それだけやで」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一瞬視界が光に呑まれて、次に目を開けると見渡す限り岩、岩、岩、な岩山って感じの地形に俺は立っていた。そして遠くには周囲を取り囲む城壁のような壁。ちょっとした町くらいの広さを誇る大規模闘技場のどこかであることは一目瞭然だ。

 

 とりあえず周囲に誰かがいる気配はない。それに安心して大きく息を吐きつつ、とりあえずどう動くかを考える。

 まずは敵の大将の居場所の確認だ。派手に動いてくれるはずだから、これはきっとそんなに手間取らないだろう。

 

 

 なんて、俺の甘っちょろい考えを吹き飛ばすかのように、空に月が輝いた。

 

 

「……リィビアだな。何するつもりだ」

 

 

 七色の光を纏ったその飛翔物は間違いなくリィビアだ。一応青組のリーダーであるのだから、アイツが落とされたら青組は負けになるはずなのに随分と強気だ。

 まぁ、アイツが他人に落とされることを考えて行動するやつじゃないというのはわかる。じゃあアイツは何をやってるんだろうと考えて、背骨を氷柱に置き換えられたみたいな寒気が体を貫いた。

 

「やば、おいおいおい、嘘だろアイツ!?」

 

 嫌な予感が現実になっていくように、魔力の収束が肉眼でも確認できて、リィビアお得意の七属性飽和による空間飽和の黒色の魔力球が現れる。俺はと言うと、もうなりふり構って居られずにとにかく壁になりそうな場所を見つけ、その裏に隠れてから地面を切り裂いて穴を掘る。

 

 

『こんにちは凡人諸君! これは私の挨拶代わりの一撃だ! 受け取りたまえ!』

 

 

 心底楽しそうな叫びの後、沼に鉄球が落ちるみたいな重い水音が大地に響く。そして一拍遅れて、叩きつけられた魔力が爆発を引き起こして黒色の極光で全てを覆い尽くした。

 

 

 

 

 

「……はは、ははは。ははははは!」

 

 爆発からしばらく。

 ゆっくりと瓦礫を退けて地面から顔を出して。その光景を見てもう何が何だかで笑うしかなかった。

 

 先程までの岩山の光景が、そこにはない。

 せいぜいが瓦礫の山で視界は砂塵を除けば随分とスッキリしてしまった。

 

 改めてリィビアという女の格の違いを見せつけられる。もしかしなくても、この一撃で敵味方問わず吹っ飛ばされたやつはいるだろうし、何よりアイツがなんでこんなことをしたのか一瞬で理解出来てしまった。

 

 

 この攻撃は地形破壊が目的だ。

 障害物を除き、身を隠す場所を可能な限り消し、見通しを良くして、逃げが通じないようにしている。

 

 そして、リィビアがそんな対策をするような相手なんて一人しかいない。そう思っているとまた遠くで黒色の爆発と、それを切り裂く閃光が視界に入る。

 

 やっぱりだ。

 アイツ、エアを倒すつもりでいやがる! 

 真正面から、正々堂々、削り倒してやるつもりなんだ。そして俺が思いつくようなことはリィビアは当然二手三手先まで読んでいるに決まっている。すぐにリエンかクラキアと合流する必要があると駆け出そうとした時、俺のすぐ近くで青色の煙が立ち上った。

 それが何か、なんて考える必要も無い。知らない煙が立ち上るなら、この戦場ではもう理由は一つ。

 

 

「こんにちは。ジョイ・ヴィータくん、ですよね? はじめまして」

 

 

 煙の向こうから現れたのは、少し褐色めな肌の色をした薄い青色の髪の少女だった。

 

「なんだよ、俺有名人か?」

「そりゃそっすよ。うちら青組からすれば、大将のリィビアと相打ちした危険因子、ですからね」

「アンタほどのやつにそう思われるんなら、光栄なのかもしれないがマジで過大評価だからやめて欲しいんだよな」

「謙遜しないで欲しい、ですねぇ。アタシじゃリィビアと相打ちなんて出来ない、ですよ」

 

 剣を構える俺に対して、目の前の少女は軽くジャンプを二回してから拳を構える。

 騎士の戦い方は基本的には魔術と剣術を合わせた中距離戦。その中でも近距離特化の俺のようなやつは少々少なく、目の前にいるような拳で戦う相手は尚更少ない。

 

 そして、少ないからこそ知っている。

 少ないからではなく、強いからこそ彼女は有名である。

 

 

「『滴穿(セイレーン)』、カウム・グッタカヴト」

「ありゃ、アタシも意外と有名人、ですかね? じゃあ知らない仲でもないようっすし肩の力を抜かせてもらうっす」

 

 

 騎士学校で拳で戦い、しっかりと結果を出してしまうバケモノだ。覚えてない方がおかしいと言うもの。

 

「リィビアがうっさいんすよね。ジョイ・ヴィータは邪魔だから抑えとけって。でもあの子、頭だけは確かなんでね。それに、改めて見るとアンタってなんか急に飛び出てきて何もかもめちゃくちゃにしそうな雰囲気あるっすから」

「俺にそんな大層な力あるわけねぇだろ。マジでやめてくれよ」

「アタシの勘はよく外れるっすけど。リィビアは頭がいいんでとりあえず殴るっすね」

 

 貴族教育の敗北みたいなことを口走り拳を構えるカウム。一応グッタカヴト家も貴族のはずなのに彼女からはそういうオーラは一切感じない。それどころか、()()()()()()()()()()()()()()()。目で見えているから存在が確認できる。

 ふわふわと、掴みどころがなく、湖に浮かぶ羽根みたいな女だなという印象。

 

 周囲でも戦闘が始まったのか、徐々に爆発音やら剣戟の音が耳に届く。いやこれ剣戟か? 隕石衝突みたいな音も混じってるんだけど。爆発音もエグいし、耳が痛いし常に振動で大地が揺れている。

 

「それにしてもすげぇっすよね。同級生みんなバケモノばかりで、これが都会の学校かぁと驚いたっすもん」

「都会で済ますな。普通にこの学校が、その中でも今年がおかしいんだよ」

「そうなんすか? ま、そこはいいんすよ。大事なのは、ここにいるヤツらはみんな一人一人この大地を揺らせるくらい強いんすよ。リィビアが言ってたっす」

 

 豪脚動地。

 踏み込んだその衝撃で瓦礫が跳ねる。

 

 

「星は一つじゃない、ってね」

 

 

 逃亡は、無理だろう。瞬間的な速さは向こうが上回っているし、機動力という点で『滴穿(セイレーン)』に勝てる術者はそうそう居ない。

 腹を決めるしかない。何はともあれ、カウムを倒さない限りは何も始まりはしない。

 

「行くっすよジョイくん! 対戦よろしくお願いします!」

「よろしく頼むぜ、カウ──────」

 

 距離を詰めるために足を一歩踏み出した時、足の裏に違和感が走った。

 明らかに何かおかしい魔力の流れ。反射的に、俺の体は前に跳ぶのではなく後ろに跳んだ。

 それは目の前にいたカウムも同じだったようで、彼女も俺から距離をとるように後に跳ぶ。

 

 

 そしてそれとほぼ同時に。

 

 地面を突き破るようにして地下から()()が姿を現した。

 

 

「は、はぁ!?」

「ちょっとぉ!? 他のみんな何してるんすか! 私がジョイ・ヴィータ止めるから他はどうにかしろって言ったのに!」

 

 巨人、どう見ても巨人だ。

 人型も保っているがそれは人と言うには大きすぎる。こんな巨大な土人形、ゴーレムを操るやつは赤組に覚えはないし、カウムの反応から青組でもない。

 

 ……考えられる限りの最悪ではないが、最悪から3番目くらいの状況だ。

 いきなり三つ巴。しかも青組の作戦だろうか、周囲に他に人が居ない。敵を2人確実に自分の手で倒さなければ、逃げ出すことすらあまりに危険な『場に縛られる』状態。

 

「コラー! タイマンの邪魔とはいい度胸っすね!」

「今回のルールでタイマンなんてしてる方が悪いだろ!」

 

 カウムの怒声に対して、ゴーレムの主であろう男はその肩の上から見下ろしながら答える。俺はその声に聞き覚えが……あるような、気がしなくもない。

 別に俺だって学年全員覚えてるわけじゃないからね。普通に目立って強い奴以外は忘れてる。

 

「それに、だ。ふん……僕の目的は君じゃない。そっちの男、ジョイ・ヴィータだ」

「どいつもこいつもなんで俺なんだよ!」

「イグニアニマを倒してビリブロードと相討ちしてるんだぞ! もっと自分が有名な自覚を持て!」

 

 なんともまともな正論が飛び出してきてちょっと安心しつつ、太陽の逆光でよく見えないゴーレムの主の顔を目を凝らして確認する。

 

 

「覚悟しろよジョイ・ヴィータ。イミテシオ家次男、ファルセルダ・イミテシオ! 君にリベンジを申し込む」

「えっ、誰?」

 

 

 素で声が出た。

 マジで特に記憶がない。なんかくすんだ茶髪とか、顔立ちとか、よく居そうな感じで印象が薄いし、誰だっけな……。

 

「いや、この前戦ったじゃん。僕負けたけどさ、それなりに頑張ったよね?」

「あ、あ〜!」

 

 そうだ、この前戦った相手か。そして思い出した。コイツアレか。

 

 

「エアに入学早々ボコボコにされたやつね」

「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!! 人の逆鱗をよくもぉぉぉぉぉぉぉぉ!!! 潰れろ!」

 

 

 怒りのままにゴーレムが地面に拳を叩きつけ、それが巨大な三つ巴の戦いの、小さな三つ巴の開戦の狼煙となった。

 

 

 

 

 

 







・カウム・グッタカヴト
名前だけは出てる。リィビアの友達。

・ファルセルダ・イミテシオ
名前だけは何回か出てる。




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23.黄金世代 2

 

 

 

 

 

 

 

 

 状況は概ね良好。

 自分が天才であることを、リィビアは再確認した。

 

 空にふわふわと浮かんで、本物の月のように下を見下ろす。見晴らしの良くなった地上ではところどころで激しい戦闘が繰り広げられており、その中には無謀にも月を撃ち落とそうと魔術による射撃を試みる者もいたが、自分の意識内に入るということがどう言うことか、一撃で葬ることでリィビアは敵の身に刻み込んだ。

 

 ……つもりであったが。

 

 

「やはり一筋縄ではいかないか、な?」

 

 

 一方的にはやらせてくれない。特に緑組に割り振られた生徒。

 こちらに攻撃するにあたって、何人かと連携している。防御と攻撃。更に通じないと分かればすぐに身を隠して索敵から逃れている。

 

「アウル・ノムトか。所詮は凡人だけど、かなり厄介な凡人だな。それより今は……」

 

 忘れるはずのない魔力を戦場の中に探る。

 星のような煌めきを持つ魔力の持ち主。エア・グラシアス。リィビアの目標は初めから彼女一人。

 

「……いや、いないな」

 

 相手は魔力を瞳で捉え、捉えられるなら触れられる、触れられるなら壊せるの理論で魔術をぶち壊してくる異常生命体。

 見えるものならば見えないものよりも扱いやすいだろう。魔力を隠すのもお手の物。あの速度に合わせて隠密性も高いとは清々しいほど完璧だ。

 

「だからこそ、落とし甲斐のある星だ」

 

 ローブの下に仕込んだ対エア用魔術礼装達が、今か今かと起動を待っているような気さえしてくる。

 視界の端ではジョイ・ヴィータがカウムと、なんかデカいゴーレムと戦っている。リィビアの予想では彼ではカウムに勝てないが、彼の前で自分の予想程当てにならないものは無い。

 

 頬に汗が伝った。

 今は自分の掌の上。だが、盤面がいつ崩れるか分からない。誰が、どんな風に自分の予想を上回ってくるか。当然だけれど予想が付かない。地上では幾つもの魔術の煌めきが空の星よりも輝いている。

 

 一秒後には撃ち落とされているかもしれない空で、リィビアは確かに笑っていた。

 さぁ来い、エア・グラシアス。私はここに居るぞ。逃げも隠れもしない。お前相手には逃げる方が正しくても、餌を見つけて行儀正しく待てをしている飼い犬なんてクソ喰らえだ。

 

 どうせならば、生きた肉に喰らいつく腹を空かせた猟犬くらいの方が人生は楽しい。頬を紅潮させ、胸を高鳴らせながら空で月は勇士の到来を待ち続ける。

 

 

 まるで、待ち合わせの時間に早めに駆けつけた乙女の様に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(なにこれなにこれなにこれなにこれ!)

 

 エア・グラシアスは動転していた。

 開始早々、地形が大規模に変化するような攻撃がぶっぱなされた。もちろん、それでどうにかされるほどヤワな鍛え方はしてないけれど、改めて敵を見せられて、あんなもの見せられて動揺しないなんて人間をやめている。

 

 リィビア・ビリブロード。

 前にジョイと話をしていたし、デウスの記憶にも彼女は登場している。なんだかデウスを見つめる目が怖くて、自分に向ける視線も怖くて一方的に苦手意識のある子。見た目はすごく美人さんだと言うのも、なんかちょっと苦手。

 

 

 かと言って負けるつもりは無い。

 実際、デウスは負けてないしなら自分も負けられないと思っていたけれど、これは()()()()

 

 デウスの記憶の中でも、最後に見たリィビア・ビリブロードよりも今の彼女は強い。何がどうなったらそうなるのか。騎士学校の3年を吹っ飛ばして成長してる。

 

 それでも負けるはずがない。負けるわけがない、負けていい理由がない。

 だけど、頭の片隅にある負けるかもしれないと、粘つくような思考が手足を萎縮させるみたいだった。

 そもそもこんな訓練も、デウスの記憶にはなかったし、この時期に魔女が来るなんてこともデウスの記憶にはない。

 

 まるで誰かに、お前はデウス()では無いと宣告されてるみたいで嫌な気分だ。

 

 

「いいや、なってやるさ。神だろうと、超えてみせる」

 

 

 元々、感情を操るのは得意である。

 臓器を魔力で補助するくらいできるのだ。心拍もどうにか出来るし、脳内の電気信号を弄れば、焦りや不安も落ち着けられる。

 

 勝てばいい。

 自分だって努力したんだから、それを発揮すればいい。それに今回は彼のチームメイトなんだから、かっこ悪いところは見せられない。

 ひとまずは空に浮かんでいるリィビア・ビリブロード。まるで自分を誘っているかのようだと、エアは思った。

 

 エアだって、空を飛行するのは簡単ではない。そんなことより魔力で足場を作って跳ぶ方が理論的にも楽なのに、敢えて空を飛ぶのは、リィビアの趣味であることをエアは知らない。

 

 だがそれを知る必要も無い。理由なんてどうだっていい。とにかく、まずは彼女を地面に叩き落とそう。

 魔力の流れを目で捉えられるエアだからこそ、戦況は理解している。最初の一撃で赤組の生徒は運悪く一番多く巻き込まれた。まだ戦闘不能にはされてなくてもダメージを負った生徒も多く、戦況的には一番不利だ。だからこそ、自分が頑張らなければいけない。

 

 

「そこのお嬢さん。なにやら思い詰めた顔をしていますね。ですが、何かに悩み考えることが出来るその思慮深さと真剣な顔は実に魅力的だ。良ければ、僕と婚姻を前提としたお付き合いをしてくれないか?」

「ふえ?」

 

 

 間の抜けた声が思わず出る。

 そんな自分より間の抜けたセリフを吐いた相手が、目の前にいる。

 

 いや、なんで人が居るんだろう。

 物陰に隠れて、今は魔力も切っていた。探索魔術からすれば今のエアは透明人間。あらゆる魔力的な観測では発見できないはずなのに。

 

「女性がいたならば口説く。これが僕のモットー故に、こんな戦場の真ん中というロマンのない場所での言葉を失礼」

「いや待って! なんで僕の場所がわかったの!?」

「はっはっはっ。君ほどの美人、世界のどこに隠れていようと見つけてしまうに決まっているだろう? ……ねぇ、エア・グラシアス?」

 

 目の前の敵が剣を抜こうとする。瞬間、エアには彼の体に張り巡らされる身体強化の魔術が視覚的に捉えられる。そして、体内を流れる魔力の動きが彼の次の動きを予測する。

 

 剣を抜いて、魔力を纏わせた振り下ろし。対応するように剣を構えて魔力で強化をする。

 

 

「ぎっ!?」

「ここは戦場だ。女性への蛮行、許したまえ。話の続きはお茶でも混じえながらだ」

 

 

 エアの予測した未来とは全く別。

 剣すら抜かず、男の蹴りがエアの無防備な腹に突き刺さりその華奢な体をゴム毬みたく、瓦礫と共に吹き飛ばした。

 

「けほっ、なん、で?」

 

 内臓を叩かれるのはまずい。すぐさまいつものように全身に魔力を巡らせるが、それが意味することを思い出して瞬時に真上に障壁を張る。

 

「見つけた! エア・グラシアスゥゥゥゥゥゥゥゥゥ……さん、あの、お久しぶりですね、へへ……」

 

 砲撃が浴びせられ、煙が晴れたその向こうには何故か顔を真っ赤にしてちょっと目を逸らしているリィビア・ビリブロードが浮かんでいた。

 すぐに跳んで彼女を切り落とそうとするが、もう一つの視線を感じてエアは跳ばずに、両者に牽制を入れるように軽く炎を放つ。

 

「うわっ、……は? まさか牽制? そんなもの、私達の舞台に必要だと? エアさん?」

「落ち着きたまえリィビア・ビリブロード。何事も初手から踏み込むのは良くない。まずは距離感を探るのは恋愛でも定石だろう」

「出会い頭に告ってくる頭のおかしい凡人のセリフじゃないだろ。アウル・ノムト」

 

 アウル、とリィビアに呼ばれた男を見てエアは思い出す。

 アウル・ノムト。緑組のリーダー。『輝剣(フォトルム)』の名を冠する男。デウスの記憶でも、かなり鮮明に映っていた強者。騎士団長の一人であるレジェ・ノムトの息子。

 

「何を言ってるんだいリィビア。女性に対して口説かないのは無礼だろう」

「清々しくカスなこと言ってんじゃあないよ。これ以上汚ぇ口でエアさんの前でお喋りになさるようならばお消し炭にして差し上げますぞクソが」

「ははっ、エア・グラシアスの前だと挙動不審になり、そこに僕がいることで口調がバグり始めてる君も素敵だね」

「バカにしてやがりますだろ!? テメェ!」

 

 ……エアはちょっと引いた。

 知ってる相手の、密かにすごいと思っていた相手の知りたくない一面とショートコントみたいなやり取りを見せられて、ほんの少し、帰りたいなという気持ちが湧いてきた。

 

「おっと、油断」

「したね?」

 

 そう思って僅かに筋肉に籠っていた力が抜けた瞬間、空からの砲撃と魔力の斬撃がエアへと飛んでくる。だがそれは攻撃の一瞬前に魔力の流れで読めていた。

 淡々と、単純作業を繰り返すような手並みでエアは砲撃を切り捨て霧散させ、斬撃を反対の手の指で止める。

 

「ロジェーナ、今だ」

『了解』

 

 その攻撃に合わせるように、両手を動かして隙の生まれたエアの頭部へと遠方からの狙撃が着弾する。

 防げないタイミング。それを指示したアウルは若干口角を上げ、すぐにそれを下げる。

 

「は、はふらいらぁ……」

 

 魔力によって形成された弾丸を、顎の力だけで噛み砕きエアは何事も無かったかのようにその場に立っていた。角度的に首が折れる勢いで回ったはずだが、そんなものは関係ないとばかりに無事な彼女という現実が立ち塞がる。

 

『ちょっとちょっと。今のベストタイミングのショット防がれるのは話が違うんだけど。首、気持ち悪いくらい回ったんだけど』

「悪いねロジェーナ。僕のミスだ。今度一日、僕持ちでデートをするから許してくれ」

『それはいいね。アウルが居なければ最高の一日になりそうだよ。次の地点に移動しまーす』

「照れ隠しも教養が感じられて素敵だ。それじゃ、言った通りに頼むよ」

 

 アウルは狙撃手と思われる相手と通信を終わらせ、改めてエアとリィビアを視界に入れて臨戦態勢になる。

 

「さて、リーダー全員が顔を合わせることになるとは。僕達の誰かが落ちればその時点でその組は敗北だから緊張するね」

「仕組んだのはそっちだろうに。よくもまぁ偶然みたいなツラできるものだね。誰が来ようとやることは変わらない。エア・グラシアスを倒して、()()が勝つ」

 

 続くようにリィビアも周囲に侍らせていた魔力球の照準をエアとアウルへと向けて、いつでも発射できるように構える。

 

 威圧感が凄い。

 エアからすれば、それはデウスの記憶と言う物語の英雄そのものの姿だった。第2席と第3席。月の魔術と輝きを纏った訓練用剣を構えるその姿は記憶の中の彼女と彼と全く同じ。

 だからこそ、怖かった。本当に自分がこんな天才達を超える唯一無二の頂点になることが出来るのか。

 

 

 無論、ならなければならない。

 エア・グラシアスが自分である為には、(デウス)を超える必要があるのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アルム・コルニクスは不満があった。

 そもそも、彼女は仕事というものが嫌いだった。社会というものが嫌いだった。

 自分が他者より優れている自覚はあるし、自分がいなければ回らない社会の為に歯車になるのはナンセンス。昔の昔の大昔、嫌な記憶のあの日から自分の為に、復讐の為に生きることを決めていた。

 

「わー! 逃げて逃げてロジェーナ! グラシアスさんに見つかってますよー!」

「幾ら弟子のことだからって慌て過ぎだマグノ先生。幾らグラシアスでもリィビア達に囲まれては簡単に逃げられまい。しかも赤組は最初のリィビアの砲撃でかなりダメージを貰ってる。これは厳しいだろう」

「あ〜どうでもいい。オレは早くリィビアの仕込みが見てぇぜ。アイツが持ち込んだ器具、オレも製作に協力したからよォ〜。オレの息子みてぇなもんなんだよ」

 

 合同訓練は大規模なイベントだ。

 負傷者だって沢山出るから、それに備えて治療系統の責任者であるアルムは開始早々、主にいきなり地形を変える勢いの攻撃をぶちかました天才のせいで忙しなく治療に動いている。

 

「所詮学生のお遊びだと思ってたけど、こりゃ面白くなりそうだな。酒持ってくりゃあ良かったな」

「いいですね〜。私もオベリ先生とはお酒でも交しながら教育方針についてお話したいです。ラクシャ先生も今度どうです?」

「ん、マグノ先生……一応勤務中」

「一応どころか君たちの後ろでめちゃくちゃ忙しく働いてる人がいるんだけど!」

 

 休日みたいな雰囲気を出している3人の先生を見て、さすがのアルムも文句を漏らした。何故自分がこんなに働いてるのに、コイツらは寛いでいるんだろう。

 

「いやー、私達は前日までほぼ休み無しで働いてましたし……この後地形整備も待ってますし、今くらいはどうか……」

「オレは転送装置系全部組んで提出するってやることはやってんだ。文句言わせねぇぞ」

「ん。私は治癒系統の才能が全くない。手伝えることも無い」

「いーやーだー! 働きたくない〜! 疲れた! おぎゃー! ジョイー! コーヒー出してー!」

 

 労働への抵抗感からか、赤子帰りを起こしたアルムは目の前に同僚がいる中でみっともなく地べたに寝っ転がって駄々を捏ねだした。あまりに憐れなその姿は、弟子が見たらいつものようにとても悲しい目をすることになっていただろうが、同僚達は「いつもの事か」と特に反応をしなかった。つまりいつも通りである。

 

「前から疑問だったんだけどよォ。なんでアルムはそんな働くことが大嫌いな社会不適合者のお手本みてぇなセリフ吐き出すくせに、わざわざこの学校の教師になんてなったんだ?」

 

 アルム・コルニクスは謎が多い。

 名門である騎士学校の教師なんて、なろうと思ってなれるものでは無い。マグノもラクシャもオベリも、3人とも学園長であるギガトによりスカウトされた人物だ。そして元々3人とも前職でそれなりに有名になっている。

 対するアルムは何もかもが不明。前歴、前職、経歴から出自。唯一わかっていることは学園長の古い知り合いであり、ジョイ・ヴィータの師匠であるということ。

 

 そんな怪しさ満点の女ながら、顔を出して教師をさせろと学園長に言うだけで何故か治療系統の責任者に抜擢されている。

 

「私は教師になんてなりたくなかったさ。なんで知りもしない人間の治療なんて面倒なことしなきゃならないんだ。しかも、それをしなきゃ金が得られない。最悪。私は私の為に生きて金とか欲しい」

「えっと……教師、ですよね?」

 

 恐る恐る確認を取るマグノに対して、アルムは静かに首を振った。

 お世辞にも、自分は教師やら何やらに向いているとは思えない。

 嫌いなのだ。何かのために生きるという行為が。誰かに、未来に期待を込めるという行為が。

 

 それが良い方向に動いた試しがない。期待して、償って、謝って、祈って。そういった行為を信じて生き続けた結果として、アルムは人里離れた山小屋で何時かアイツを殺すことだけを考えて暮らすろくでもない復讐者に身を堕とすことになっていた。

 

 ……そんなろくでもない人間でも、光というのはつい見てしまう。

 

 

 こんなろくでもない生き物を師匠と呼んでくれた。

 こんな私を慕って、頼って、共に生きて欲しいと願ってくれた。

 懲りずにこの人の未来を見てみたいと、黒の瞳が願ってしまったのだ。同じ夢を見たいと思ってしまった。

 

 

「期待したいと思ったからかな。だから、見守っていたいと思ったんだよ」

「……なんだ。アルム先生、きっと教師にすごく向いてますよ」

「それはないよ。それより、観戦ばっかしてるならうちの馬鹿弟子はどうなってるか教えてくれる」

「はーい。ラクシャ先生さっき近接戦闘系の子のやつ見てましたよね? そこにそれっぽい影いませんでした?」

「ああ……グッタカヴトのところか。ちょっと待て。ん、居た」

「居ましたよ〜。えーっと…………アルム先生」

「どうした? あの馬鹿弟子、また無様を晒してないだろうな?」

「その、多分もうすぐ戦闘不能で転送されてきますねコレ」

「は?」

 

 訓練開始から約6分。

 まだまだ序盤、これからという時の事だった。

 

 

 

 

 

 









・アウル・ノムト
緑組のリーダーで騎士団長の息子。目に入った美しい女性を口説かないと死ぬ。そしてすべての女性を美しいと思っている。生まれて最初に口説いた女性は母親。
マザコンかファザコンかで言うと圧倒的にファザコン。

・ロジェーナ・ディスカベル
緑組に分けられた生徒でマグノ先生の弟子の狙撃手。アウルとは週二でお茶をしたり、毎日一緒に昼食を摂る程度の仲で付き合ってるつもりはない。平均的な背丈と蜜柑色の三つ編みが逆に目立つくらいこの学校にはデカいか小さいかの二択しかない。

・オベリ・ヒエロミッド
魔導器具の開発担当。比較的最近教師になったので社会性がないが、師匠よりはある。最近は研究室にリィビアがよく出入りするので面倒を見ている。だらしなく髪を伸ばして髭も伸ばしっぱなしだが既婚者。




・アルム・コルニクス
社会性×の師匠。
他には恋愛×とか付いてる。




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24.黄金世代 3

 

 

 

 

 

 ここまで面倒な三つ巴と言うのもそうそうないだろう。

 ファルセルダの『十使(メンブルム)』は複数体のゴーレムの精密操作、カウムの『滴穿(セイレーン)』は予測不能の高速攻撃。そして俺はファルセルダに対しては一度勝っているという事実があるが、カウムの方はリィビアが対俺にけしかけてきてるように、自他ともに認めるくらい相性が良くない。

 

 こうなってくると誰も下手に動けないと言うのが定石。じゃんけんでも全員違う手ならば仕切り直しになるというもの。

 だがそれは、あくまでじゃんけんならばの話。残念ながら現実ではそううまくは行かない。具体的には、感情やら何やらの理由で一人が集中的に狙われる時があったりするからだ。

 

 今回でいえば俺がね。

 何故か2人に対して因縁作っちゃってるんだよね。

 

「お前、邪魔するんじゃないぞ! ヴィータにリベンジするのは僕だ!」

「なんなんすか〜! 先に見つけたのはアタシっすよ!?」

「そんなもの戦場なら関係ないだろ!」

 

 だが、ファルセルダとカウムは協力して俺を倒す、と言った様子ではなくあくまで自分が倒したいのに相手が邪魔、と言った感じだ。俺はこれを上手く利用してとにかく誰でもいいから味方と合流。最高の未来はクラキアと合流できることだろう。

 

 アイツはアレでも未来では6席に名を連ねるような天才であり、俺とアイツが合流出来ればアイツが言ってた作戦の成功確率も上がる。

 

 遠くに見えた爆発と閃光。

 ほぼ間違いなくリィビアがエアを捉えた。そしてそうなってくると間違いなく多勢に無勢の状況をエアは強いられてるはずだ。

 

 ……だが、エアならば心配する必要は無いだろう。

 防御に回られたら攻めきれないまでも、負けるようなことは無いはずだ。デウスが同じような状況になったらそうだろうからな。ならばやはりエアの事は一旦置いて、今はクラキアとの合流が先だ。

 

「……よーしわかったす。全員ぶん殴って終わり! わかりやすいっすね!」

「僕も決めたよ。邪魔をするならば蹴散らすのみ! 僕の絶技をとくと身に刻め!」

「頼むから2人で仲良く殴りあっていてくれ!」

 

 善は急げ。

 先程までは体の正面を敵に向けながら後退していたが、決めたのならばもう一直線。背を向けて走り出す。

 

「あ! 逃げたっすよ!」

「そうだな。ほら、先に追っかけたらどうだ? 僕も後から追っかけてやるよ」

「むー、後ろから刺される気しかしねぇっすねぇ」

「この戦いはそういうものだろう。ほら、行った行った」

「うん、じゃあ不安要素は排除してから行くっすね」

「え?」

 

 次の瞬間、土砂崩れのような岩が崩れる音とファルセルダのものであろう悲鳴が俺の耳に届く。そしてそれから間も無く誰かが俺の後を追って走ってくる音。

 何が起きたかは振り返ってはいないので推測の域でしかないが、とりあえずファルセルダは、うん、ドンマイ。多分エアに続いてカウムのこともトラウマになったことだろう。

 

「なんで逃げるんすかー! もう邪魔者は倒したからタイマンするっすよ〜!」

 

 誰があの岩山みたいなゴーレムを拳で砕いたであろう女とタイマンするものか。あんな拳をまともに受けたら体が抉れること間違いなし。幾ら治療担当に師匠が控えているからといって進んでミンチになるほど馬鹿ではない。

 ミンチになるとね、治癒してもらう時も筋繊維が絡まるような感じになってめちゃくちゃ痛いんだよ。

 

 

 そうこう逃げていると、遠くで爆発が起きる。

 遠い戦場で光を纏った剣士と真っ黒な輝きの月が目に入る。アウルとリィビアだろう。という事は、近くでエアが戦っているはずだ。

 

「そういえばこういうの鬼ごっこって言うんすかね? アタシ、あんまりこう言う遊びしたことないから楽しいっす!」

「俺は全然楽しくないけどなァ! 背後から殺人パンチが迫ってきてるんだよ!」

「失礼な。まだ殺したことは無いっすよ」

 

 まだってなんだよまだって。殺す予定あるのか? 

 全く、これだから天才というものは本当に困る。いつだって、どんな時も楽しそうに戦いやがる。俺が負けないように必死に知恵を搾って戦ってる時も、コイツらは負けるかもしれないギリギリの焦燥と、勝機を捉えた快感で本当に楽しそうに戦ってくる。

 

「……羨ましいよ、本当に楽しそうで」

「そりゃ楽しいっすからね。こんなにワクワクするイベント、初めてっすよ」

 

 カウムはつり上がっている口角を、抑え込むように、はたまたさらにつり上げるように指で弄りながら呟く。

 

「みんなが本気で、自分の強さを証明しようとする。自分を自分で示そうとしている。こんなに誰かを近くで感じられる場所は、きっとこの学校にしかない! こんなに自分が自分でいられる場所は、きっとこの戦いの中にしかない!」

 

 だから、と言いたいのか。

 カウムは俺を指さして、この学校の人間であることを示すかのように獰猛に笑ってみせた。

 

 

「そんなに楽しそうに笑って。こっちの方が羨ましくなるくらいっすよ」

 

 

 あぁ、そりゃそうだ。

 俺にとって、カウム・グッタカヴトは手の届かない星、目指すべきで、越えられなかった壁の1つ。そんな相手が俺を見て、そんな相手と同じ土俵で戦ってる。

 俺は戦うのは決して好きじゃない。でも、強くなることで自分を満足させる道を選んだ人間だ。

 

 そうである以上、結局のところ俺も獣だ。

 こんな悪夢のような戦い、嫌で嫌で仕方ないと同時に、楽しくて仕方がない! 

 

 全身の細胞がお前は負けると叫んでいて、それでもなお負けない為に叫びを飲み込んで全力を搾り出す。

 

 

「お前みたいな戦闘狂と一緒にするな。俺は、楽しくなりたいから戦って勝つんだよ。あくまで手段だ!」

「つれないっすねぇ。どうせ笑うなら、2人で楽しく笑い合いましょうっす! ──────そっちの方が、ずっと楽しいから」

 

 

 満面の笑顔でカウムが踏み込む。

 対して俺は逃げるのをやめて、体の正面からカウムに向かい合う。想像より速い、動きも鋭い。ただの拳なのに、当たれば肉体がひしゃげる嫌なイメージが頭を過る。まだ間合いの外なのにそこまで思わせる何かを彼女の拳は秘めている。

 

 けれど、それがわかっているのならば問題ない。

 負けるかもしれない、そんなイメージこそ俺の『鍍金(アルデバラン)』は糧として出力を上げる。

 

 剣と拳が交わるまで、あと1秒未満。

 そんな瞬間に、大地が揺れた。

 

「ッ!」

「この揺れ……まさか!」

 

 俺よりもカウムの方が一瞬早く反応した。

 その場から飛び退いて、俺から大きく距離を取る。この揺れは間違いない。と言うか、単身で遠距離からでもわかる揺れを引き起こせるやつなんて向こうで戦ってるトップ3人以外でそうそういてたまるか……と思いたいが、カウムも踏み込みで似たようなことできるんだよな。

 まぁ、それはそれとしてだ。この揺れ方は俺が体で覚えている。なんせ、前世で一度蹴散らされた揺れだからだ。

 

「『土葬(クラッシュ)』!」

 

 瓦礫の山を粉微塵にしながら、揺れの主が現れる。

 小さな身の丈の二倍近くはあろうかという大槌を振り回しながら暴れ狂う粉砕騎士、クラキアの登場だ。

 

「うわぁ!? なんすかあの槌、食らったら死ぬ死ぬ!」

 

 先程まで人が死ぬタイプの拳を振り回していたカウムも、さすがに焦る程の威容の大槌。実際、単純な破壊力で言えばリィビアの砲撃すら上回るであろうクラキアの大槌の見た目は対人というよりもはや対城塞。小さな家ならそのまま叩き潰せるような代物だ。

 とにかく、今ここでクラキアと合流できたのは大きい。まずは協力してカウムを倒して、それから……。

 

「──────あ?」

 

 何かがおかしい、と遅れて気がついた。

 クラキアの視界に俺が入っているならば、彼女はまず最初に声をかけてくるはずだろう。そもそも、合流は彼女の方にメリットが大きい。この後、クラキアの言っていた『作戦』を実行するなら、俺は近くにいてくれた方が助かるだろう。

 

 クラキアは味方だから。

 そう考えていたからこそ、カウムのように対処することが出来なかった。

 表情一つ変えず、何人かの生徒を跳ね飛ばしながら突っ込んできたクラキアの視界に。

 

 

 俺が()()()()()()()()()()

 

 

 

「クラキ──────」

「あれ、今の声……あ」

 

 

 大槌が振るわれて、全身を衝撃が貫く。

 巨大な魔獣にでも轢かれたかのような衝撃と共に、ぼんやりと左半身が動かねぇなと俺は考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……え、ちょっと待って、あれ死」

「死んでませんので安心してください。一応、まだ戦闘継続は出来そうですけど……痛そうですね。でも、ビリブロードさんとの戦闘の時の方がボロボロでした大丈夫じゃないですか?」

「いやあれ左腕イカれただろ。さすがに終わりだよ。治す準備しといてやれよアルム先生」

 

 この世の終わりのような顔をしてちょっと泣きそうになっているアルムと、それを慰めてるのか追い打ちをかけてるのか分からないマグノとオベリを他所にラクシャだけは中継をずっと眺めていた。

 

「クラキア・ソナタ。……おかしいな。冷静で、視野の広い生徒という印象。なにか精神系の干渉?」

「いえ、多分違いますね。あの子は……ちょっと事情があるんですよね」

「うちの弟子を危うくミンチにしかけるような事情? さすがに、フレンドリーファイアで弟子が退場は……テンションが……」

「……あの子は7年ほど前、『魔女』の被害にあっています」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい。私、急がなきゃって、気が動転して、どこに行けばいいのか、分からなくて」

 

 クラキアが周囲をとにかくぶっ壊してできた瓦礫の僅かな隙間に身を隠して俺とクラキアは体を休めていた。相当数の生徒をぶちのめしながら進んでいたのと、カウムもクラキアが突っ込んできたゴタゴタで俺を見失ったのか、辺りは先程までの戦闘の喧騒が嘘のように静かになっていた。

 

「気にすんな。お前みたいな大規模攻撃持ちは集団戦ではこういうリスクも付き物だ。リィビアを見てみろ。アイツ間違いなく味方を巻き込んでいるのに全く気にしてる様子なかっただろ」

「それはどう考えても彼女に人格的問題があります」

 

 相も変わらず、クラキアの表情は感情が感じられない冷たい無表情のまま。声色にもいまいち焦りや不安は見えない。

 ただ、瞳や舌が不安や焦燥でなんとなく震えているように見えて、呼吸も不規則になっている。

 

「クラキア、大丈夫だ。俺は……まぁ何かに跳ね飛ばされるのには慣れてる。魔獣に師匠に、魔女の眷属。色んなものに跳ね飛ばされてるから余裕だから……」

 

 彼女を落ち着かせる為にそうは言ったが、今のはかなりいい一撃だった。

 もう少し反応が遅れてたら意識を狩り飛ばされて退場だっただろう。左腕はどう考えても折れてるし、左足も力が上手く入らない。笑ってしまうくらいの満身創痍だ。

 強がっているというか、強がってないともう倒れてしまいそうなくらい体が痛い。

 

「魔女……魔女、魔女、魔女……!」

「クラキア……? おい、どうした?」

「大丈夫、大丈夫です。潰すのは得意ですから、壊すのも砕くのも、私に任せてください。どんな物も私が砕いて見せます。私はもう負けませんから」

 

 しかも何やらクラキアの様子がおかしい。

 瞳がどこを向いているのかも分からないし、これはずっとだが表情も何を考えているか分からない。どこか、俺でもここでもない遠くを見ながらブツブツと呟き続けている。

 

「心配しないでください。いつも通り、全部叩き潰しますから」

「おい待て、本当に大丈夫なのか?」

「大丈夫ですよ。()()()。私は、体が頑丈ですから──────」

 

 初めて、クラキアの顔に感情が見えた。

 血の気が引いた、というのだろうか。表情が変わった訳では無い。けれど、確かに『ロゼア』という名前は今、クラキアにとって口にしてはいけない言葉だったのだろう。

 

「ロゼア……?」

「あ、違う、違うんですジョイくん。君は、ロゼアじゃない、ロゼアは、だって、あの時……」

 

 ざり、と。

 クラキアの爪が彼女の頬を抉った。血がポタポタと垂れて、そんな血の流れを見てクラキアが人間であることの証明だと、誰かがホッと胸をなでおろした気がした。それが俺の内心なのか、クラキアの気持ちなのかは分からない。ただ。その血を見て誰かが確かに安心した。

 

「……お見苦しい所をお見せしました。まずは、ごめんなさい。焦って、視野が狭まって、味方を、それも私に協力すると言ってくれた君を、殴るなんて、どうかしてますね」

「だから事故だから大丈夫だって言ってんだろ。あんま気にするな」

「これ私が言うのは絶対におかしいんですけど、『土葬(クラッシュ)』を喰らってそんな平気で済ませるのは絶対おかしいですよ? あれは、破壊しか出来ない、破壊にこそ特化した血塗られた術式です」

 

 それはそうなんだけど、俺の周りの奴らそういうのを誤爆しても誤爆されてもみんな笑顔で済ませそうな奴らばっかりだから感覚がおかしくなってるのかもしれない。アーリスですら「避けられない方が悪いんじゃないかな?」とか言うタイプだし。

 

「君は優しいんですね」

「この学校の天才共は常識が無さすぎるだけだ。俺は普通のことしか出来ねぇよ」

「いいえ、責を背負うということはどれだけ優秀な人でも簡単に出来ることじゃないです。他人の咎を自分で背負い、自らのモノにして許す。君は、優しすぎますよ」

 

 それに比べて、と。クラキアの台詞に段々と自嘲の言葉が増えてくる。先程の失敗が相当堪えているのか、以前見せていた無表情な強気さは影を潜めて心做しかただでさえ小さい体躯がさらに縮んでいるような気がする。

 

「そんなものじゃないよ。負けた時、誰かのせいにしたくないだけだ」

「それを強さだって言ってるんです」

「違うんだって。俺が嫌な思いをしたくないからそうしてるだけだ」

 

 俺は自分が楽しいと思えることだけをしたい。

 誰かが俺に関することで悩んで、苦しんで、そういうことを考えると楽しい気分のどこかで喉の奥に小骨が突っかかったみたいな気分になる。それは、最初から楽しくないのよりもずっと嫌だ。

 言語化できないけれど、なんか嫌なのだ。

 

「結局、嫌なことから逃げてるだけってことだ」

「変に気取らないのも、凄いですよ。私だったらきっと自慢してしまう。私はこんなにすごい人間なんだと、誰かに言ってしまう」

「めんどくせぇなホント」

 

 クラキアが呆気に取られたような顔をしているのに気が付いて、今の言葉が口に出ていたことに気がついた。

 いやだって、コイツ何言っても自分を下げることに繋げるんだもん。しかも俺からすれば、クラキア・ソナタという人間は憧れ焦がれた天才の1人だ。腹立ちはしないけど、ここまで自己肯定と自己否定を拗らせてると面倒臭いと思うのは仕方ないだろう。

 

「ふふ、前も言われましたし、私ってやっぱりめんどくさいんですかね?」

「あ。あぁ、結構面倒だと思うぞ」

「なら直せるようにしたいですね。私は、強く在ることが出来ないのなら、少しくらい他の部分を良くしなきゃ」

「……そうだな。強くなれないならその方がいい」

 

 そこで会話が途切れた。

 静かな二人きりの空間では、戦いの音がより近くに聞こえる。実際、先程よりも近くで戦闘が起きている。あんまりゆっくりはしていられなさそうだ。

 

「えっと、じゃあそろそろ体、動く? これ私が言うのはなんか違う気がしますけど……」

「その前にいいか? 実はな、俺はこう見えて昔は絵本とかが大好きだったんだ」

「なんですかいきなり」

 

 困惑しているクラキアを他所に俺はそのまま話を続ける。

 

「その中にな、めちゃくちゃカッコイイ英雄がいたんだよ。どんな苦境も、なんでもないように切り裂いて、流星みたいに駆け抜けて、いつだって俺の前に立って……いるみたいに思える、そんな絵本の中の英雄がさ」

「そ、そうなんですか……」

「俺は一度、そいつに絶対に追いつけないと心が折れた。でも、チャンスがもう一回だけ許されたんだ。……どうしたいのかはまだよくわかってない。でも、追いついて、アイツが見ている景色を見てみたいと思ったんだ。そうしたら、きっと楽しいんだろうなって」

「……君は、その英雄さんが大好きなんだね」

「そうじゃねぇよ」

「君はその人を一人したくないんだよ。だって、1人はきっと楽しくないだろうからね」

 

 ……そうなんだろうか? 

 俺はアイツを、デウスを、エアを。そんな風に思ってるんだろうか。困ったな、そんなつもりじゃなかったのになんか変な方向に思考が飛んでいってしまう。このことは考えちゃいけない。

 

「で、なんですか急に」

「俺は昔の話をした。小っ恥ずかしい昔の話を。お前も言わなきゃ不公平じゃないか?」

「ふふっ、なんですかその気遣い。ちょっと気持ち悪いですよ」

「お前な〜! 人が気を遣ってるのにお前な〜!」

「褒めてるんですよ。君って、結構女の子にモテるでしょう。そうされちゃぁ、喋らないわけにはいきませんね」

 

 クラキアの自己肯定感のブレは、何となく覚えがあった。

 多分こいつは、昔大きな挫折をしている。決してシンパシーを覚えたとかそういうのではないが。

 

 何となく、見過ごせなかった。

 俺は師匠にその辺りを助けて貰えたからこそ、俺にとっての師匠に巡り会えなかったであろうクラキアを。

 

「じゃあ、言いますよ。……めんどくさいとか言わないでくださいね。傷つきますから」

 

 クラキアはゆっくりと口を開く。

 起伏なく、淡々と、記録書の中身を語るように事実だけを淡々と。

 

 

 

「7年前、私は人を殺しました」

 

 

 

 

 







・カウム・グッタカヴト
ナチュラルな戦闘狂。特に過去に何かあった訳では無いが、殴り合って自分の骨が折れたり相手の血管が破れたり、そういうのを感じるのが好き。故郷や家族からの扱いが狂犬なので反動で同級生に対してやたら距離が近い。リィビアと会話が出来る貴重な人材。なんとリィビアと会話が出来る。しかもリィビアと会話が出来る。





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25.魔女の軛:クラキア・ソナタ

 

 

 

 幸福というものがどういうものなのかは分からない。

 どんな色でどんな形なのか、想像すらつかないけれど一つだけ言えること。

 

 自分はきっと幸福というもので満たされている。

 

 それが、クラキア・ソナタという人間が幼いながらも強く感じていたことだった。

 自分は幸福に包まれていて、でも世界は優しいばかりじゃない。だから守るための力がある。この力は、誰かを守る為に使えと。顎獣様がそうやって力を授けてくれたんだと。

 

 その前提を全て失う日まで、盲目的に信じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、どこから話しましょうか。私が幼い頃からスーパーパワーの天才つよつよガールだってことは聞きたいですか?」

「やっぱ戦いに戻るか」

「冗談です。まぁ、前提の部分なので軽く聞き流してください」

 

 相変わらず感情が読み取れない表情だが、何となく楽しそうなクラキアを見てどんな感情で聞いていればいいのか分からず、自然と感覚が麻痺している左腕に手が伸びてしまいそうになり、思わずクラキアの顔を見てしまう。

 

「ソナタ家は普通の……平民の君からすれば普通の貴族ってなんだって話かもしれませんが、私の価値観からすれば普通の貴族です。小さな田舎を治めていて、私は草原で走り回ったり、たまに木とかを植えなおしたり、建築を手伝ったりして暮らしてました」

「ごめん、なんて?」

 

 草原で走り回ったり、っての後に続いたのが明らかに子供がすることじゃなかった気がするんだけど。

 

「私は顎獣様の巫女ですからね。生まれつき力が強いんです。人間の頭とか握り潰せます」

「俺の頭を触りながら言うのはなんだ、脅しか?」

「君は私を年下の女の子か何かだと思ってそうなので、これでも誕生日は早い方なので、少し威厳を出そうと思いまして」

 

 威厳の出し方までマウントを取ろうとするの本当に悲しきマウント生命って感じだな。

 でも、そういう人間性も仕方ないところがあるんだろうか。例えばリィビアは生まれとその天才性故にどうしようもないほど性格が歪んでいたし、結局人間を作るのは過去なのだ。

 その点でいえば、俺は人生2週目なので実年齢は今のクラキアの倍以上ある、経験豊かなナイスガイということになる。ちょっと冗談っぽく考えたが事実として豊富な人生経験というのは俺の数少ない強みだったりする。

 

「残念ながら、俺に大人の魅力を見せつけたいならあと10年は歳取ってからにするんだな」

「私は遺伝的に間違いなく背丈はともかく胸はこれくらいのサイズで成長終了ですよ」

「その俺が巨乳好きみたいな風潮、どこから流れてるの?」

「さぁ? 有名ですよ、君はおっぱいの大きな母性と無邪気さを兼ね備えた女の子が好きって」

 

 なんで俺の性癖が有名な話になってるんだよ。一体前世で俺が何をしたと聞きたくなるレベルだ。強いていえば何も成せてないだろうけどそれが罪なら人生は人には厳し過ぎる。

 

「って、さっきから露骨すぎるんだよ」

「何の話ですか?」

「お前の過去のこと。はぐらかしてるだろ」

「…………まぁ、そうですね。聞いて欲しいけれど、いざとなったらなんか、怖くて」

「お前……ホントめんどくさいな」

「言わないでって言ったじゃないですか。もう、じゃあ言いますよ?」

 

 クラキアは深呼吸をして、やっぱりやめたさそうにチラリと俺の方を見る。別に俺としては強制する訳では無いけれど、多分これは聞かないといけないものだとは思う。

 挫折は、1人で抱え込むには重すぎるから挫折なのだから。

 

「ソナタ家の当代当主、つまり私の父ですね。彼には子供が2人居ました。双子の兄妹です。ロゼア・ソナタとクラキア・ソナタです」

 

 兄、か。

 クラキアに兄弟がいるという話は今世でも前世でも聞いたことは無い。つまり、そういうことなんだろう。

 

「私はあまり頭はよくありませんけど、ロゼアは優秀な子でした。真面目で、思慮深くて、優しい人でした。きっとソナタ家の、その周りの人を良い方向に導いてくれる。いつでも私を笑顔にしてくれる、そんな優しい兄でした」

 

 クラキアの手が、無意識に先程引っ掻いた自身の頬の傷に伸びた。

 カリカリカリと、逃げ場を求める袋のネズミのように藻掻くその指が傷口を抉る。ぐちゃぐちゃと、残酷な水音が響くのに反してクラキアの呼吸は落ち着いていった。

 

「痕になるぞ」

「こうでもしてないと、罪悪感で頭がおかしくなりそうなんです」

「そうか」

「止めないんですか?」

「止めて欲しいのか?」

「……優しい人ですね」

「そこは厳しい、だろ」

 

 コイツはほかの天才の例に漏れず、感性が独特なんだろう。俺が何をしても、優しいという言葉で括ってしまう。それほど普段から優しくされ慣れてなくて、なんでも優しさだと思ってしまうのか。

 でもあのマウント魔は普通に親以外優しくしてくれないだろうしなぁ。自業自得かもしれない。

 

「あの日は、雨が強い日でした。私は、外で遊びたいと駄々を捏ねて、ロゼアがさすがに風邪をひくよと止めて、2人で部屋で本を読んでました。そんな私達2人の部屋に、アイツはあらゆる警備をすり抜けて、まるで自分の部屋に戻ってきたみたいに、入ってきたんです」

「アイツって、魔女か?」

「はい。綺麗な女の人だと、最初は思いました。私は、腹立だしいことに最初彼女を妖精か何かだと思ってしまったんです」

 

 確かに、魔女は見た目だけならば絶世の美女と言っても過言ではない。

 本当に美しく、だからこそ恐ろしいのだ。あんなに美しく見えるものの内側が、あそこまで醜く汚らしく歪み果てているという事が。

 

「それで、私はホントに美人だと思ったので、挨拶しようとしたんですね。今思えば、本当に間抜けですね」

「でも仕方ないのもあると思うぞ。魔女は見た目だけなら本当に美しいと思う」

「どうでしょう。結局、私の判断力の低さが原因だったんでしょう。だって、ロゼアはすぐに何かおかしいと気がついたのか、引き寄せられるように魔女に近づいた私の手を引いて、立ち位置を入れ替えるように、庇って」

 

 クラキアの口が止まり、頬を大粒の汗が伝う。

 頬の傷に染みたのか、ほんの少しだけ彼女の瞼がぴくりと動いた。殆ど無表情である彼女の表情の中だと、その仕草はまるで眉を顰めているようにも見えた。

 

「……意識を失って、目を覚ましたら私の目の前にはロゼアの服を着た、虫の頭のバケモノがいました」

 

 舌打ちしそうになった。

 あの野郎、幾らなんでも性格が悪すぎる。もしも俺の前世と同じことをしていたとしたら、そんなことをした上で、その上でクラキアをあんな殺し方をしたのだ。

 ……どれだけ他者を踏み躙ることに快感を覚えられれば、そこまでのことを出来るのか。俺の頭では理解できないし、したいとも思えない。

 

「魔女は笑顔で、君のお兄ちゃんは頭まで虫になっちゃったから、3時間で元に戻るから我慢してねと言いました。虫になったロゼアは、魔女の言う通り目の前の餌に何も考えず食いつくみたいに、私を襲ってきました」

「俺が言うのもなんだけど、大丈夫か?」

「過去の事です。事実を語るだけなんて、誰にだってできることなんですよ」

 

 当たり前、という言葉はきっと彼女に対しては意味を成していない。

 だって、生まれつき特別な力を持っていて、その時点でも普通とは違う『当たり前』を持っていた彼女が、更に自分の肉親を化け物に変えられて、それに襲われるなんて経験をすれば、きっと大切な何かが歪んでしまう。

 

「言われた通り私は耐えました。必死に押さえつけて、ずっと呼びかけて。ロゼアの頭が裂けて、中から飛び出してきた触腕が私の腹を貫いて、信じられないくらい臭い液体が肉を溶かしてジュースみたいに吸い上げて、我慢して、我慢すればどうにかなると信じて。幸い体が丈夫なのが取り柄だったので、頑張って引っこ抜いては抑えてを繰り返して……もうすぐ3時間ってところで魔女は言いました」

 

 

『意外と大丈夫そうだし、あと1時間追加ね』

 

 

 拳が血が出るんじゃないかってくらい強く握りこまれていた。

 感情の無い瞳が、燃え上がるように揺らめいて。それを告げられた時の幼いクラキアの絶望と、楽しそうな魔女の姿が目に浮かんでしまう。

 

「耐えました、耐えてやりました。そしたらまた1時間って、なんで誰も助けに来てくれないのかとか、なんで私がこんな目にあってるかとか、だんだん何を考えても苛立ちと恐怖で脳が締め付けられるみたいに痛くなって、何も考えられなくなって、チクタクチクタク時計の音が頭を割るみたいで」

 

 遂にプツリと、何かが切れる音がして一筋の雫が地面に落ちて、地を赤く染める。

 

 

「私は、耐えられずにロゼアを殴り殺しました。思いっきり頭を殴り付けて、風船みたいに中身が弾け飛びました。それを見て、もう大丈夫だって、あの時の焼け付くような安堵を今でも覚えています」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやースッキリしました。聞いてくれてありがとうございます」

「お前どういう情緒してるの?」

 

 なんかスッキリしたような雰囲気を出してるクラキアに対して、俺はと言うと普通に重い過去を話されてどういう反応をすればいいかわからなくなっていた。

 

「まぁそれからは、魔女は私を散々煽り散らした後に帰って、私はその時のショックで物理的に表情筋が上手く動かせなくなってこの無表情になったってことです」

「ねぇ待って、ほんと待って。どういうテンションで俺聞けばいいの?」

「さぁ、笑ったりしたらどうですかね? 私はちなみに今笑顔です」

「分からないし今の話聞いた後だと更に重いんだよ」

 

 うわぁ……、俺結構酷いことコイツに言ってきてなかったか? 

 無表情なことも触れちゃいけないことだったかもしれないし、過去の自分を殴るまではしなくともこのこと教えておきたい。

 

「本当に気にしないでください。所詮は過去のことです。……ただ、そんな過去のことにいつまでも囚われているのが私なんです。負けたくないのは、あの時自分の弱さが原因で大切な人を失ってしまったから。あんな思いをしたくなくて、怖くて怖くて、逃げ続けているんです。私は、臆病者です」

「それは、なんか違うだろ」

「違くないです。私は弱いんです。弱いから、負けないことしか考えられない。嫌なことから逃げる腰抜け。あぁ、魔女も言ってましたね。『何かあったら駄々を捏ねて現実から目を逸らす──────」

「あぁもう! 魔女のこととか、一旦考えるのやめろ! お前ホントにめんどくせぇ!」

「あ、言わないって約束したのに」

 

 だってコイツ本当に面倒くさいもん。

 ネガティブのくせに自分を認めようとして。

 自分を認めようとしてるのに、その為の手段が自分を否定することで。

 

「そりゃあ、自分を許せないのは分かるけど。悪いのは魔女であってお前じゃないだろ」

「そうかも、しれません。でも私は魔女に負けた自分がダメだと思うんですよ。勝てれば、何も失わなかった」

「無理だよ。ガキの頃のお前じゃ魔女には絶対勝てなかった」

「だから忘れろって、言うんですか? そんなもの忘れてしまえと、あの後悔も何も無かったことにしろって言うんですか?」

 

 そうじゃない、そうじゃないんだ。

 絶対に勝てない相手ってのは、確かにいる。今の俺がエアに勝てないみたいに、魔女に勝てないみたいに、あらゆる可能性が上手くいったとしても越えられないものは確かにある。

 

「……でもわかんねぇよ」

「え?」

「いや、悪い。わかんない。お前がどうすればいいのか、俺がどうすればいいのか、分からないんだ」

「は、はぁ」

「ほんとごめん……」

 

 何か、クラキアの為になることをしてやりたいとは思った。でも聞いてみるとやっぱり俺がどうこうできるほど単純な話でもなくて。

 自分には前世の記憶があり、精神年齢が周りよりも上だから悩み事の相談とかなら何か力になれると思ったけれど、本当の意味で『大人』になることが出来てないんだと自覚する。

 

「俺は、どうしたらいいんだろうな? なにか力になってやりたいんだけど」

「……そんなの、私には分かりませんよ」

「そうだな……お前の言葉を借りるなら、1人はきっと寂しいから」

 

 失うことを恐れて、1人で何もかも頑張るのは強い事だけど。

 それはきっと寂しいから。誰かが1人で居ることを俺はあんまりよく思えないのだろう。孤独が好きとか、1人がいいとか思ってる奴でもない限りは、その背中はあまりにも寂しそうなものだから。

 

「だから、もっと誰かに頼っていいと思う」

「私は最初から自分1人で勝てないから、負けたくないからと君に協力を申し込んだはずですよ」

「そうじゃなくて……なんなんだろうな。もっと頼れって話だよ。歩けないなら杖を付くんじゃなくて、誰かの肩を借りてもいいとかそういう感じ」

「全然何言ってるかわかんないです」

 

 今ちょっと師匠のことを尊敬し直した。

 あの人、褒めたりする時はしっかりと本人に伝わる言葉で伝えてくれたし。誰かを支えたり励ましたりすることが出来るのってすげぇ事なんだな。こんなに難しいって思わなかった。

 

「でも……言いたいことは伝わります。励ましたりしてくれるんだって、分かりますよ。それくらいは伝わりました」

「それだけでも伝わってくれたなら、まぁ及第点ってことでいいか、な?」

「はい。──────100点満点の及第点ですよ、きっと」

 

 これでいいのかは分からないけれど、何となく多分これでいいんだろうと思うことにして立ち上がる。

 そんな俺にクラキアが手を伸ばした。

 

「立ち上がるのが辛いので、手を貸してもらってもいいですか?」

「俺の方が辛いんだよな。お前にやられた傷で」

「じゃあ、立ち上がったあとは私が支えます。だから、今は立ち上がる勇気をください」

「本当にめんどくさいな、お前」

 

 手を取って、立ち上がったクラキアの体は先程までよりも一回り大きく見えた。相も変わらず感情の無い瞳を何処か輝かせて、繋いだ手に少しだけ力を込めて。

 

「私は負けたくありません。だから、臆病な私を助けてください」

「任せろ。助けられるのは慣れてるから、その経験を活かすときが来た」

「なんとも頼りない肩ですね。でも、……はい。少しだけ、歩くのが楽になった気がします」

 

 満身創痍、勝機なし。

 それでも支え合って歩く俺達の足取りはこの戦場の誰よりも軽いものだと信じたい。

 

 

 

「それで、何か作戦とかあります?」

「ある訳ねぇだろ。そっちこそなんかないのか?」

「助けてください。1人で歩くのは、少し疲れました」

 

 ホントいい性格してんなこいつ。

 しかしアレだけカッコつけたこと言っておいて何も出来ないのはいくら何でもダサすぎる。何かこう、一発で状況を好転させられる何かが無いものか。

 

 そんなことを考えていたら、俺達が隠れていた岩の隙間に見知った影が転がり込んできた。

 

「うひゃー死ぬ死ぬ! ……って、何やっとるんお2人。俺が死にそうになりながら駆け回ってる間にイチャコラ仲良しそうに」

 

 それは満身創痍、ボロボロで髪も乱れて限界寸前という様子のリエンだった。

 冷静に考えたら、一応うちの戦力としてはエアに次ぐクラキアが戦場から離れていたのだ。もうここから逆転は難しいくらい追い詰められているはずだろう。

 

 ……いや、待て。

 

 

「リエン、ちょっといいか?」

「なんや? こっから勝つ作戦とか思いついたん?」

「その通りだ。というわけでお前は死んでくれ」

「理不尽〜」

 

 

 

 まだ戦ってる奴がいるんだ。

 諦めるのは、終わってからでも遅くはない。

 

 

 

 

 

 








・クラキア・ソナタ
敗北恐怖症の無表情マウント魔。自己否定で自己肯定をする矛盾系怪力少女。基本的に自分のことを本心では認めていない。






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26.黄金世代 4

 

 

 

 

 

 

「ハハハッ! これが噂の『断魔(プレアデス)』! 僕でなければ見惚れて手も足も出なかったな!」

「凡人、さっきから邪魔。エア・グラシアスは私が倒すって言ってるだろう?」

「レディーファースト、といきたい所だが。こればっかりは早い者勝ちというものだろう」

「なんなのこの人達……僕と関係ないところで争ってよ!」

 

 3陣営のトップの戦いは、周囲の者から見ればもはや別次元のモノだった。

 何が起きているか理解ができない。瞬きの度に大魔術が展開され、それが切り裂かれ消えたと思えば彗星のような剣戟が始まるその戦闘についていけているのは、せいぜいが様子を遠くから俯瞰するように眺めていた狙撃手のロジェーナくらいだっただろう。

 後の者は、何が起きているか理解できないまま自分の組のリーダーが倒されないことを祈ることしか出来なかった。

 

「……けほっ」

 

 小さく漏らした咳が、他の2人に聞こえていないことをエアは祈っていた。

 胸が苦しい。自分の肺の動きが鈍っているのが分かる。その気になれば踏み込んで、片方を落とすことは出来るがその隙にもう1人から攻撃を受ける。

 

 いや、そんなもの自分なら対処出来るともどこかで思っている。思えているのに同時に、失敗するんじゃないかと恐れている自分がいる。

 

 期待してもらってる、信じてもらってる、期待されてる。

 そう考えれば考えるほど剣が重くなって動きが鈍くなっていく。それは嬉しいことのはずなのに、それだけがエア・グラシアスの望みのはずなのに、どうしてなのだろうか。

 

「……考える必要は、無いよね」

 

 目を見開き、魔力の流れを読み取る。

 エアの視界は人間のモノとは違う。魔力を可視光以外の『ナニカ』で捉えている。流れ、淀み、その動きを見れば限定的であるが相手がどう動くかを読み取ることだってできる。

 

 

 リィビア・ビリブロード。

 魔術特化の、魔術特化でも前線で戦える程の逸材。前に見た『月虹(メイガス)』は幾ら自分でも展開されれば簡単に破ることは難しい。

 

 アウル・ノムト。

 こちらはバランスの良い教科書のような魔術騎士スタイル。だが、単純な剣の腕だけならば自分でも敵わない。

 更に、彼には1度不意打ちを喰らっている。未来を見えるはずの自分が、何故か全く予測出来なかった攻撃をされた。

 

 

 どちらも踏み込むのは危険、負けるかもしれない。

 いや、そんなことを考えること自体が『デウス』ならしなかったはずだ。勝てる、絶対に勝てると思い込んで、勇気のある1歩を踏み出す。

 

 こんなの全然エア・グラシアスらしくない。

 こんな様子では誰も憧れない、誰も目指さない。臆病な自分を引っぱたいて、足腰に力を込める。

 狙うならアウルから。彼の方が防御面ではリィビアより劣るから。そして魔術主体であるリィビアの方がタイマンになった時にやりやすいとどこか他人視点でそう判断し、視線を動かした瞬間。

 

 

 目が合った。

 アウルとリィビア。2人が同時に自分を見ている。当然であるが、この三つ巴は単純なモノでは無い。エア・グラシアスは自分がどういう存在か理解している。自分でそう振舞っているのだから、誰よりも知っている。

 

 2人ともずっと狙っていたんだ、僕が攻勢に出る瞬間を。

 そう思って、素早く懐に飛び込むのをやめようとしたエアの足が誰かに掴まれる。

 

 

「ナイスだ、ティード。そのまま死んでも離すな」

「無茶なことを。まぁ、アンタの命令なら死ぬ以外では離しませんよ」

 

 

 どこからともなく現れた男が、自分の足首を掴んでいる。

 周囲の状況、相手の顔、それらの情報からエアは刹那の間に相手の情報をデウスの記憶と自身の情報から叩き出した。

 

 ティード・ギオデスタン。

 固有魔術『影縫(ハウンド)』を使う幻覚の使い手。魔術的、視覚的において潜伏という分野に限れば現役の潜入任務などを任される騎士達に並ぶ程の『天才』の1人。

 

 考えるより先に、掴まれていない方の足が動き彼の顔面を3度殴打する。普通ならばそれで意識が刈り取られ、今回の戦闘のルール上意識が無くなったものは強制的に脱落となるはず。

 

「っぅ……聞こえなかったか? 死なねぇ限りは、離さねぇよ」

 

 焦った、攻撃が浅い。

 その程度では意識を刈り取ることもできない。仕方なく剣を振るい、首を切り落とすつもりで攻撃して、刃が首を半分ほど切り裂きかけたところで彼の姿が消える。間違いなく今の消え方は脱落したということだ。

 

 だがそれは決定的な隙を見せたことになる。

 

 エア・グラシアスの1秒。まさに値千金の隙。見逃すほど甘い者はここには誰もいない。

 

「あ」

 

 未来が見えるからこそ、エア・グラシアスはすぐにそれを悟り、体から力を抜いた。

 これはどうやら、自分が2人はいないと捌ききれなさそうだ。天才であるが故に、この場の誰よりも早く自分の敗北を察知した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『それ、俺の負担大きすぎん?』

『だから死ねって言ってんだよ』

『まぁ私達全員、死ぬほど負担がありますから、変わって欲しいなら役割変わりますよ?』

『だいたいいつもお前が言ってるだろ。──────俺達、親友だろ?』

『それ言ったら否定してくるやんジョイ』

 

 

 

 本当に困ったものだと思いながら、走る。

 これが半分がクラキアにかかっている。残り半分は2人で担当すればいいのだから気楽なものだ。そうは言っても乳酸の溜まった手足は限界を訴えてきてる。

 

 それでも、自分の役割をこなすしかない。

 

 

「…………見つけたっすよ。逃げ足が速いとは聞いていたっすけど、まさかあの状況からここまで逃げるとは」

 

 

 振り向いた先にいたのは、頭から血を流し荒い呼吸を繰り返すカウム・グッタカヴトだった。

 この乱戦だ。彼女も彼女でここまで何人もの相手と戦い、疲弊しているのだろう。条件が同じとまでは言わないが、有利不利が発生するような余地はない。誰も彼もが全力で、己の力を振り絞って、勝つ為に120%の底力で立っている。

 

「アンタも大概しつこいな。なんでそこまで俺を追うんだよ」

「んー、アタシ自分があんまり賢い人間だと思えないんすよ。だから、賢いリィビアの言った通りにやってるってのもあるっすけど」

 

 カウムは軽く体を伸ばしてから拳を構える。

 それだけの動作で、彼女の体から重さが消えたように感じられる。最高の状態だと、構えが吠えている。

 

「リィビア、気難しいところあるんすよ。いっつも誰かを見下してないといけないって、肩に力入れて。だけど、ジョイくんのことを話す時だけっす。見下してないんすよ。頭のおかしい奴だって、可笑しそうに笑う姿を見て思ったんす」

 

 

 

 

 

「あぁ、リィビアをこんなに楽しませられる相手と殴りあったらどんなに楽しいんだろうって」

「つまり戦闘狂ってことでいいんだな?」

「そっすね。ぶっちゃけお互いの骨を砕いて砕かれて、そういう関係になりたいっす」

「どういう関係か全く想像つかないな。仇敵とかそういう?」

「友達以上恋人未満っすかね」

「結構踏み込むな」

「殴りあってくれる人は、好きっすからね。この学校のみんな、私は好きっすよ」

 

 カウムの周囲、全てを取り囲むように水で出来た蜘蛛の巣のような紋様か宙に浮かぶ。

 2度目の『滴穿(セイレーン)』。彼女の魔力量では現在一日に2回が限度のそれを見せたということは、ここで勝負を確実に決めるという覚悟の表れ。

 

 ……だからこそ、申し訳ないと思う。

 

「申し訳ないんだが、うん。このしゃべり方はやっぱ疲れる。()()()()()()()

「…………え!?」

 

 ジョイ・ヴィータの姿がぶれる。

 灰色の髪色が、立ち姿が、顔の形が変わっていく。

 

「初歩の初歩の幻術やから、バレんかホンマに不安やったんやけど……悪いなカウム・グッタカヴト」

「っぅ……いや、いいよ。見抜けなかった私のミスだ。それに、君も面白そう!」

「あの大バカ程楽しませられる自信はあらへんけど、期待には答えられるよう頑張るとするかな」

 

 投擲用のナイフを構えて、カウム・グッタカヴト相手にリエンは真正面から立ち塞がる。

 今の自分では絶対に勝てない相手を前にして、リエンはそれでもなお楽しそうに笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リエンもクラキアもきっと上手くやってくれてる。

 そう信じる以外に道はない。結局上手くやらなければ負けるだけだから、考える必要も無い。

 

 あー、もう寝っ転がりたい。

 クラキアにやられた左半身、カウムにボコられた腹、何から何まで痛い。魔力にはまだ余裕はあるが、元から俺の魔力量は決して多く無い。こんな俺が本当に、1番になることが出来るのだろうか。

 そんなマイナスなこと、考えてる余裕はない。信じてもらった、託してもらった、ならば俺は示すだけだ。

 

 そうでなければ、楽しくない。

 

 痛む体を引き摺るように、この戦場で最も激しい戦闘へと足を進めていく。

 

 

「……見つけた。やっぱり、君は脱落してないと思ったよ」

「おいおい、俺はお前は脱落したと思ってたよ」

 

 

 立ち塞がるように現れた男を、今度は忘れていなかった。

 自身の周囲に5体のゴーレムを侍らせ、その内1体の肩を借りるようにして立っているその男の名前は、ファルセルダ・イミテシオ。

 

「カウムは騙せたのに、お前の方は騙せないとはな」

「騙すも何も、僕は偶然ここに居た。もうボロボロだったからね。うちのリーダーのアウルが耐えきると信じて、身を隠していた方が残り人数でのタイムアウト勝ちが一番現実的だから」

「じゃあなんで出てきたんだよ」

「タイムアウト勝ちなら、敵は1人でも減らした方がいいだろう?」

 

 本気で言ってるのか、とは口に出さないしそれを一瞬でも思った自分を恥じた。目の前にいる敵は、間違いなく強敵だ。ここまでの乱戦を戦い抜いて、こうして俺の前に現れているその事実だけでそう評価できる。

 

「僕はエア・グラシアスに負けた。そして、君にも負けた。それでようやく、自分の弱さを知ったんだ。自分が、井の中の蛙だと理解した」

「俺も、この学校に来て改めて思い知ったよ」

 

 二度目の人生、死ぬほど努力してもまだ追いつける気のしない背中が幾つもある。追い抜いたつもりだった姿が幾つもある。

 多分、前世の俺はファルセルダにも負けたことがあるんだろう。悲しいことに負けすぎて印象的な敗北でもないと覚えていないけれど、もしかしたらそういうこともあったかもしれない。

 

「僕は弱い、今は弱い。それは認める、認めるしかないさ。それでも、僕は肯定したい」

 

 ほんの少しの苛立ちと、そのすぐあとにそんな自分への自己嫌悪。そしてそれら全てを覆して押し流してしまう、脳内麻薬の分泌。

 

 

「お前にリベンジして、チームでエアに勝って、誰かに、自分に認めさせたい! 僕だって黄金だと証明したいんだ!」

「じゃあ、俺はどうすればいい?」

「どうもないさ。戦って、僕が勝つ」

「ふざけんな。俺は負けねぇぞ」

 

 

 鏡ということすら烏滸がましい。ファルセルダ・イミテシオは数多の天才と比べれば、天才の中での平均かそれ以下の男だろう。だが、彼は努力をすることを選択した。辛い道を選択した。その勇気だけでも、彼は黄金足り得ている。

 

 そして、目の前にいる騎士を見て改めて思う。

 本当に、この学校は化物の巣窟だ。平均的だと思ってたやつが、少し皮剥ければこんなにも恐ろしいなんて。

 

「……イミテシオ家次男、ファルセルダ・イミテシオ。ジョイ・ヴィータ、君に再戦を申し込む」

「アルム・コルニクスの弟子、ジョイ・ヴィータだ。その再戦、受けて立つ」

 

 

 余計な言葉はそれ以上なかった。

 勝ちたい、負けたくない、勝って強さを証明したい、輝きたい。色んな思いがあれど、結局最後に行き着くのは勝つことで示すことだけだ。

 

 

 ファルセルダのゴーレムは5体。周囲に隠せるような場所は見当たらず、足元から異常な魔力の反応もない。だから、お互い見えているものが手札の全て。

 まず向かってきたのは2体のゴーレム。残り3体のうち2体はいつでも動けるように構え、1体はファルセルダを支えつつ明らかに俺の投擲を警戒している。同じ負け方はしないと言わんばかりだ。

 

 もちろん、勝つことだけを考えるなら『黒耀(バロール)』を使えば多分一瞬で勝てる。けれど、今ここで使えば結果としては相討ちになる。だから使えない。

 

 それがこの状況に俺を追い込んで、勝負を仕掛けたファルセルダの強さだ。決して、『黒耀(バロール)』が使えたら勝てた、なんて甘い思考じゃない。油断するな、目の前にいるのはお前が焦がれた天才の1人に他ない。

 常に自分が負けることだけを考えろ。あまりに情けなく、あまりに拙い勝利の道筋。だけどこれだけがジョイ・ヴィータにあるものだから。

 

「教えてくれ、『鍍金(アルデバラン)』。俺は、どうしたら負ける?」

 

 浮かぶのは、ゴーレムに真正面から殴られてすっ転ぶ自分。1体目を避けたところを2体目に足を引っ掛けられて転ぶ自分。それを避けたところで避けたと思った1体目に体を捕まれ体勢を崩される自分。

 呆れるほどに敗北の選択肢は多い。ならばその選択肢全てから逃げ切って見せれば。

 

 

「「勝つのは()だ」」

 

 

 1体目が迫ってくる。

 コイツは動きが素早いが力が弱い。そういう風にできていると、予測を付けて一か八かで拳が振り下ろされる前に胴体をぶん殴って粉々にする。

 すかさず迫ってきた2体目は力比べするだけ無駄。身を低くして振りかぶった左手を見てから、左半身側に滑り込むようにして抜ける。

 

「まだ、2体だけ!」

 。

 ファルセルダの『十使(メンブルム)』は最大10体のゴーレムの同時操作。5体しかいないのは恐らくは本人の限界が近いのだろう。

 そして、この操作は自動(オート)ならともかく、意識的(マニュアル)で動かすにはかなりの集中力が必要だ。だから、この間ファルセルダ自身は無防備になる。

 

「本人より動けるんじゃねぇのかコイツら!?」

「もちろん僕より強いさ。なんてったって、僕がそういう風に操作している!」

 

 3、4体目もこちらへと向かってくる。

 左から来る方の魔力の流れがおかしい。多分、自爆してくるつもりだ。右から来た方の腕を掴み、逆の手で顔を殴りつけられながらも足を止めずに勢いのまま左から来る方へぶん投げて叩きつける。

 

 一拍遅れて、背後から爆音と爆風。煽られて転びそうになるのと少しの熱を耐えながら、改めてファルセルダとの位置関係を確認する。

 

 殴られた時少し皮が切れたのか血が流れ、左眼が開かない。距離を詰めることだけが勝機の戦いで距離感が掴めないのはまずいが、残るゴーレムは1体。押し切れる。

 

「僕の『十使(メンブルム)』は自分と感覚を共有することで操作精度を上げる。最大でも10体が限界。それ以上は僕の処理能力が追いつかない。1度壊されればもう一度生み出すにはそれなりの時間と集中力が必要だ」

 

 ──────悪寒がした。

 立っているのもやっとという様子のファルセルダが、自らを支えていたゴーレムを俺に向かわせる。追い詰められているのは向こうで、追い詰めているのは俺。

 その事実を丸ごと覆す、大蛇のような悪寒が俺を丸呑みにしようと迫ってきている。

 

「10体出さないのはそれほどの力が残ってないからじゃない。こうした方が、お前を倒せると思ったからだ」

 

 走り出したゴーレムを一目見てわかった。

 動きが違う。速度から何から何まで、さっきまでの4体とはレベルが違う。思わず足を止めて迫る拳を受けた瞬間、反撃のことが頭から吹き飛んで少しでも衝撃を減らす為に後ろへと飛び退いた。

 

「配分を変えた、のか」

「前にみせた巨大なゴーレムと仕組みは一緒さ。ちょっと、僕への負荷が大きいだけだ」

 

 本来ならあと5体を操作出来るだけの余裕を全て1体のゴーレムの操作に注ぎ込むことで能力を底上げしたのだろう。それが5体のゴーレムを出さないことに見合うかどうかは判断しかねるが、この状況において、俺の不意を付くという目的なら間違いなく最善手だ。

 痺れる左半身、荒い呼吸。この状態で強力な1体を倒すのは物理的にも骨が織れる。

 

 繰り出される拳は先程までのゴーレム達と比較にならない。剣で何とか受け止めながら隙を伺うが、ジリジリとファルセルダとの距離を離されるだけだ。

 土人形の拳は単純な重さが人間より重い。加えて関節技やちょっとの損傷は無視して俺を倒しに来る。コイツを無視して術者、つまりファルセルダを倒すのは良くて相討ちだろう。

 向こうも全力だ。なんだかんだで近接特化で訓練してきた俺を止めるほどの速度でのゴーレム操作だ。ファルセルダも鼻血を流し、目が飛び出すんじゃないかってくらい大きく開いて操作に集中している。

 

「ぐっ、そっ!」

 

 左半身に力が入らないのがかなりここに来て響いている。防御は出来ても攻撃に移れない。相手もそれを理解して攻撃の手を緩めない。時間を稼がれる。

 こうなったら、相討ち覚悟で『黒耀(バロール)』を使うのも視野に入ってくる。ここで延々と時間を稼がれたり、負けるよりはずっとそちらの方がいいだろう。

 

 僅かに緩んだ防御の隙間から、左の太腿に蹴りが入れられる。

 振動が全身に伝わり、陸地に上げられた魚みたいに体が跳ねる。体が限界を訴え、覚悟を決めて左目に力を込め──────

 

 

 

 

 

 

 

 

 視界の先。

 遥か空の戦場で星が瞬いた。

 

 こんな昼間にそんなことがあるわけないとわかっている。でも、そうとしか形容できない赤と金の煌めきが、まだ戦っていた。

 それを見たら、元気が湧いてきた。本当にムカつくくらい眩しくて、輝いていて。それでいて、あんなにも儚く煌めくんだから。

 

 

 

「……悪いな、負けられない理由が増えた」

「気にするな。それは勝敗には関係ない」

 

 

 体勢が崩れた俺に、ゴーレムはトドメの一撃を加えようと大きく振りかぶる。

 ここだ、最後の隙。これを逃せばもう勝利はない。剣を杖にするように全力で地面に突き刺して、それを軸にして体を跳ねさせる。

 

「う、ぉぉぉぉぉぉぉ!」

 

 そして、跳ねた体勢のままにただ剣をぶん投げる。

 攻撃の、防御の要を投げ捨てる。ファルセルダに向けて、投げつける! 

 

「同じ負け方はするかァ!」

 

 当然、警戒していたであろう投擲は防がれる。だがただで防げるほど俺の投擲は安い一撃じゃない。空に浮いた俺の体を捉え、トドメの一撃を加えようとしたゴーレムの動きが、ほんの少しだけ遅くなる。ファルセルダが防御の為に一瞬だけ操縦を自動(オート)に切りかえたであろうその瞬間、俺は全身を使ってその腕に絡みついた。

 

 関節技は人形には意味が薄い。だから、これは攻撃が目的ではない行動だ。ほんの一瞬体から力を抜いて、関節を外し、人間の骨格では信じられない動きで、ゴーレムの体を這い回りその背後へと回る。

 

 トッ、と地面に足が付けば。

 俺とファルセルダの視線を遮るものはもうそこにはなかった。

 

「すごいな、軟体動物かよ」

「縄抜けと締めからの抜けは師匠に死ぬほど仕込まれて、なッ!」

 

 あとは走る。

 背後からゴーレムが追ってきているのを感じながらただ走る。追いつかれてぶん殴られて負けるより早く、ファルセルダをぶん殴って倒し、術式を停止させる。

 

 ファルセルダが逃げるより早く追いついて、ぶん殴る。

 そう思っていた俺の目に映ったのは、拳を構えて駆けてくるファルセルダの姿だった。

 

「案外ノリがいいんだな」

「君には負けたくない。それだけだ」

 

 

 結果として。

 さすがにいくら疲弊していても同じく疲弊しているならば体格、経験、何から何まで俺に分がある。ファルセルダの拳は空を切り、俺の拳は奴の顔面を殴り飛ばした。

 

「……俺の、勝ちだ」

「あぁ、この勝負は僕の負けだ。でも、まだ、()()は負けていない」

 

 最後の最後に、アイツは殴ってくると見せかけてゴーレムの操作に意識を集中させた。

 背中に激しい痛みが走る。ゴーレムの腕が刃になり、俺の背中を刺している。だが、深い所にまでは至らずその体はぼろぼろと崩れ土塊に戻り、ファルセルダも意識を失い転送される。

 

 

「あぁ、クソ。強かった。本当に強かった」

 

 

 限界はとっくに超えていた。そうしなければ勝てない相手だった。

 けれどまだ走るしかない。まだ戦っている仲間がいる。ファルセルダの言う通り、まだ()()の勝負は決していない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 









・ティード・ギオデスタン
アウルと同じ緑組に割り振られた生徒。
固有魔術『影縫』を継承するギオデスタン家の長男。口も態度も悪いがアウルとは同じ夢を見る誼で仲が良く、だいたいの命令ならなんでも聞いてやっていいと思ってる。
この学校に通う天才の中で珍しく常識がある人間。人を見下さないし、ナンパもしないし、価値観がズレてないし、戦闘狂でもない。

・ファルセルダ・イミテシオ
アウルと同じ緑組に割り振られた生徒。
前世ではジョイがやってたムーヴをして見事にエアに負け、そのあとジョイにも負けて世界の味方が変わったタイプ。元々平民を見下していたし、自分の非力を理解していてその上で劣等感を隠すためにそのようなことをしていたが、ジョイに負け、アウルに焚き付けられて本気で自分のことを黄金だと、誰でもない自分に言えるようになりたいと立ち上がった。
将来性は十分だが、何かと余計な工夫を組み込もうとするのでまずは良い師が必要。





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27.粉砕燦華

 

 

 

 ずっと狡いと思っていた。

 あんなに夜空の星みたいに、キラキラと笑えることが羨ましかった。

 

 アーリス・イグニアニマは自分に自信がなく、ついでに言えば自分が嫌いだった。それはここまでの人生で彼女を形作る要素が組上げた結果であり、幾ら人生を変えるような肯定に出会おうとも簡単に変わるものでは無い。

 

 

『せっかくこうして一緒に訓練したんだ。僕のことはエアくんか、エアちゃん、もしくは呼び捨てでいいよ』

 

 

 彼女にこう言われた時、心の底でこう思ってしまった。

 

 

 

 

 何言ってんだこの脳みそまで能天気を詰めたみたいなアホ面女は? 

 

 

 

 

 命を救ってくれた恩人だと頭では理解している。でも、嫌いなんだ。

 自分に自信があって、いつでも笑えて、前に出ることに躊躇いがなくて、誰かと話すことを当たり前のことみたいにやってのけて、自分にないものを持っていて。

 嫌いで嫌いで仕方がない。目に入るだけで虫唾が走る。正直、死んで欲しいとすら思ってしまう。

 

 だから、と言うべきか。

 なのに、と言うべきか。

 

 まるで全てを受け入れるように目を閉じた彼女を見て──────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、あれ……?」

 

 衝撃も痛みも、本来来るべきものが何も訪れないことにエアは驚き、そして目を見開いた。

 

「アーリスちゃん……?」

「…………ハァッ、ァ! しんどい!」

 

 衣服も破け全身血だらけの彼女を見て失礼にも最初に思ったことは、どうやって今の一撃を防いだか、だった。

 エアの瞳には捌ききれないと映ったその攻撃を、お世辞にも自分より能力が高くないと思う人間がどうやって。

 

「……グラシアスさん。貴方、未来が見えるんだよね」

「そんな便利なものじゃないけど、断片的には」

「じゃあ、私がどう動くか見て」

 

 いつもより一段声を低くしてそう告げたアーリスに言われるがまま、彼女の体の魔力の流れを見て、彼女がどう動こうとするかを予測する。

 一歩踏み出して、腕を上げて、それを一気に振る。その動きは何かを叩くようで、位置や動きから逆算すれば何を叩こうとしたかわかる。彼女がどう動くか予測できる。

 

 アーリスが自分の頬を引っぱたく未来が、エアの瞳には映し出された。

 

「えぇ……なんで?」

「嫌いな相手の顔、引っぱたきたいと思ったから」

「嫌いって、僕のこと?」

「……もっと落ち込むかと思った」

 

 エアとて自分が万人に好かれるような質ではないことはわかっている。大きな力は、それだけ反感を買うことがある。だからこそそれ以外では好かれようとできるだけ笑顔を浮かべていた。それはデウスも同じだったから。

 

「落ち込んでるよ。アーリスちゃんは、友達になれたと思ってたから」

「私は、貴方のことが嫌いだったよ。これから先も好きになれない。ねぇ、なんで諦めたの?」

「なんでって、そりゃあ……」

 

 目で見て、ダメだと思ったから。

 解決方法が思いつかなかったから。

 

「はぁ? それだけで諦めたの? だらしなっ!」

「それだけって……だって……」

「私なら諦めない。ここにいる誰も、同じ状況になっても諦めない。そんな臆病者、貴方だけだよ」

「……さっきから聞いてれば、好き勝手言って!」

 

 臆病者という言葉がきっかけだったのか、それとも他の何かか。本人すら分からないままエアは遂に怒りを顕にして小さな手を伸ばしてアーリスの胸ぐらを掴んだ。

 

「同じ状況になっても諦めない? それならなってみてよ、僕と同じものを見て、僕と同じ孤独を感じて、僕みたいに苦しんでよ!」

「苦しんでるよ!」

 

 負けじと言わんばかりに、アーリスもエアの胸ぐらを掴み、突き放すようにしてエアの手を自分の胸ぐらから離させる。

 

「誰だって違う孤独を感じてて、誰だって苦しんでる。同じものなんて見れない。それに、貴方の背負ったものは自分で背負ったものでしょ。自分で、追いかけられることを選んだんでしょ」

 

 そうだ、その通りだ。自分は自分でこの道を選んだ。

 でも果たしてそれは本当に自分で選んだのか。そう言われると、声が詰まる。

 

「みんな貴方を信じてる。私だって信じてた。だからこそ、あそこで諦めるのは赤組全員への裏切りだよ」

「でも、無理だった。僕では、どうしようもないって、未来が見えた」

「じゃあ、諦めるの?」

「無駄なことだとわかっていて、諦めるのはそんなに悪いことなの?」

 

 無理だとわかった時、エアはどこか他人事のように体から力を抜いていた。どこまでも合理的で、非人間的な思考を弾き出す頭は本能的に無駄を嫌う。

 意味が無いことはやってもやらなくても同じなんだから。それを悪だと言うならば、きっと自分は生きることそのものが間違いになってしまう。

 

 

「悪いことだよ。だって、まだ貴方は自分の全力から目を背けてる」

 

 

 アーリス・イグニアニマは自分を優れた人間だとは思わない。

 何故今自分がエア・グラシアスが諦めるような攻撃を防いでギリギリであるが立っていられるのかも、正直よく分からないし、自分がダメで性格の悪い人間だとも思う。

 

 

「まだ、誰も頼ってない。辛くて苦しいなら助けてって言わなきゃ、そうしなきゃ誰も気が付かないよ」

 

 

 でも、憧れた人はいる。

 助けてくれた人はこんな自分を肯定してくれた。だから、好かれる自分じゃなくて好きになれる自分を目指したいと。

 

 思ってしまったんだ。

 堂々と笑顔で、悩みなんてないみたいに誰かの前に立てるあの子はすごくかっこいいって。

 

 だからここがスタート地点。好きになれない自分も、嫌いな自分も飲み込んでアーリス・イグニアニマは燃え盛る。

 

「勝負はまだ終わってない。私も貴方も負けてない。そうでしょう、エア!」

 

 伸ばされた手を掴むことに抵抗があった。

 それを取ってしまえば、自分はまた(デウス)から遠ざかる。1人でなんでも出来た彼と違うと、自分で認めてしまうことになる。

 

「……負けたくないなら、僕を守って」

「言い方、偉そうじゃない?」

「僕はこの組のリーダーなんだ。偉いもん」

 

 でも、今は目の前の瑠璃の少女に言いたい放題させたままにしておく方が我慢ならない。僕ってこんなに子供っぽい性格をしていただろうか? 

 

「作戦会議は終わったか?」

「律儀に待っててくれてありがとう、アウルくん、リィビアちゃん」

「べ、別に待ってなんかいませんが? 私は今のうちにアウルを叩き落とそうとしただけですがー?」

「これは勝負だが、勝負だからこそ公正でなけらばならないし、全力で無ければならない。それに、女性2人の友情の間に割り込むのはマナー違反だからな」

「違うよ」

「ん?」

 

 アーリスは否定した。

 

「私とエアは友達じゃない。私、きっとこの子のこと好きになれない」

「奇遇だね。僕も、そんな風に突き放されたらさすがに友達になれないや」

 

 そんなことを言いながら笑いあって、互いに背を合わせて剣を構える動作はまるで相手のことを全て知ってるかのように息が合っていた。

 

「では、友人じゃないなら2人の関係は?」

「「仲間」」

 

 同じ黒耀を目指す2人の少女は、お互いを奮い立たせるように小突き合いながらそう口にした。

 

 

 それが、終盤戦の開始の合図だった。

 リィビアのローブの内側から、節足動物のような器具が飛び出して彼女の腕に絡み付き、アウルの握る剣が太陽のような輝きを纏う。

 それを見てエアは一際大きく息を吸い込み、アーリスは青の炎を燻らせる。

 

 

 

「あ」

 

 

 

 緊張走るその戦場で、声を漏らしたのは遥か遠くからそれを俯瞰していた緑組の狙撃手、ロジェーナだった。

 隠密が得意な彼女は、自分の息すら殺してひたすらに狙撃に徹し、撃ったあとはすぐに行方を眩ませるように師匠であるマグノに叩き込まれた。それなのに、声を漏らしてしまったのは何となく予感があったから。

 

 あの黒い輝きは、何もかもを壊してしまうそんな予感が。

 

 

 

 

 

「耀け、黒耀(バロール)!!!」

 

 

 

 

 王者の戦場に極大のジョーカーは、叫び声と共に登場した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「遅いんよ、ホンマにあのアホ!」

 

 顔の形が変わるほど殴られ、失神寸前の状態でもリエンはその声を聞いた瞬間に嬉しそうに左手を掲げた。

 

「今の声、ジョイくんっすか。何をするつもりっすかね」

「それはお楽しみやな。少なくともアンタは、俺を退場させられんかったことを後悔すると思うで」

「だって、逃げに徹されたら厳しいっすよ。まぁもう脚折ったっすから大丈夫っすけど」

「そうやなぁ、もう逃げられへん。だから、俺はここで退場や」

 

 リエン・テンプリァスという生徒についての情報は非常に少ない。

 投擲が得意で、本人もそれを公言していて、風属性の魔術を多用すること。それ以外はよくわかっていない。

 相対したカウムですら、リエンの使う魔術は『投擲した物体の補助』以上の詳細は終ぞ掴めなかった。そしてカウムは分からないなら殴って倒すがモットーで、実際にそれをやってのけてしまうタイプだった。

 

「答え合わせはな、俺の術式は投げたもんの軌道調整を手伝ってくれるもんでまぁ便利やけど強いかは微妙やな。しかも、一度に補助できるのは手1つにつき1つ。つまり最大でも2つしか投擲物を効果の対象に出来へん」

「確かに便利っすけど強くはないっすね」

「あぁ、しかも今回は1()()()()使()()()()()()()()

 

 リエンは空を指さした。

 何かが空中を駆け上がる。巨槌を持ったその影がまるで空に向かって()()()()()()()()()()

 

「……あれは、まさか!?」

「跳ぶくらいは自分で出来るって言ってたけど、念の為や。なんて言ったって、高いところから落ちた方が強いってのはガキでも分かるこの世の真理やからな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺の『黒耀(バロール)』はそれなりに有名らしい。

 あのリィビアと相打ちになった俺の切り札。使えば俺自身も長くは活動できなくなる代わりに、全身の感覚が研ぎ澄まされ、魔術を切り裂く力を得る。

 

 叫びながら登場した瞬間、リィビアは自らの周囲に『月虹(メイガス)』を展開させながら距離を取り、アウルを含め緑組の奴らは素早く姿を隠しながら俺から距離を取る。

 全く酷いもんだ。俺にはこれしかないのに、それまでこんなに徹底的に対策されては何が残るって言うんだよ。

 

「ジョイくん、あれ、え?」

「アーリス、無事だったのか。エアも……まぁ無事だろうけど無事でよかった。それより、聞いてくれ」

「いや待って待って。さっき『黒耀(バロール)』って……」

「叫んだな」

 

 叫んだだけだけど。

 なんとなーく、『黒耀(バロール)』って叫びたくなったんだよな。いやー、そうしたらなんか知らないけれどみんな攻撃やめて防御やら逃げの姿勢になってくれて助かっちゃたぜ、ホント。俺の『切り札』を潰しちゃう分、手加減でもしてくれてるのかな? 

 

 

 

「あんの……クソバカジョイ・ヴィータァァァァァァ!!! 私をコケにしやがって、ぶっ殺す!」

「そっちが勝手にびびっただけだろ! 引き撃ちの空から落ちてこいよリィビア!」

「消し飛ばす!」

 

 さすがに煽りすぎたのか顔を真っ赤にしたリィビアは腕に巻き付けた節足動物のような物体を蠢かせたと思ったら、それが、腕を巻き込みながら変形して巨大な砲身のような姿になる。

 

「『月虹(メイガス)』は防御に関してはピカイチだが攻撃力不足だったからね。ジョイ・ヴィータ、これは君のおかげで思いついたんだぜ? 対エアの予定だったけど特別に君に叩きつけてやる」

「遠慮せずエアにぶつけてやれ! おい! こっち向けんな!」

「うるせぇ死ね! 『月虹堕落(メイガス・フォール)』!」

 

 なんか明らかにヤバそうなエネルギーの収束が、『黒耀(バロール)』を使わなくても感じ取れる。これやばくないか? 避けられる速度じゃ無さそうだし、直撃したら肉体が削げる感じの死ぬダメージが入りそうな気がするんだが。

 

 リィビアの手元が光る。

 俺の力では回避も防御も間に合わないその一撃。

 

 防いだのは、岩と炎の盾……ではなかった。

 月の光を防ぐには脆すぎるその盾は、ほんの一瞬だけしか其れを止められなかった。けれど、一瞬あれば十分だった。

 

「見えた、『断魔(プレアデス)』!」

 

 エアの剣が破壊の月の光とぶつかり合う。本来ただの剣で押し止められるはずのない魔力の奔流を真正面から受け止め、触れられないモノを捉え、全力でそれを無条件に叩き斬……

 

 

「き、斬れない〜!」

「嘘ォ!?」

 

 

 予想外のエアの反応に俺も思わず叫びながら、押し負けたエアごと2人仲良く吹き飛ばされる。何とかリィビアの攻撃自体は逸らしたが、エアですらギリギリだったのか掠めた光が彼女の肩を抉り少なくない量の血が流れ出していた。

 

「いつつ……大丈夫ジョイくん……?」

「な、何とか……」

「通じた……通じた通じた通じた! クソッ! 仕留めきれないなんて屈辱だ! あぁ、ムカつく!」

 

 喜んでるのか苛立ってるのか分からないリィビアは瞳をキラキラさせながら次弾を装填しようとしている。アレをもう一回放たれたらさすがに負けるだろう。

 エアがそうはさせまいと切り込もうとしたが、それを俺は止めた。

 

「え、なんで止めるの?」

「もう時間は稼いだ。アーリス! 今からすごく情けないこと言うけどいいか?」

「ジョイくんの頼みなら、情けなくても聞いてあげるよ」

「わかった。……俺を守ってくれ!!!」

「情けなっ!?」

 

 仕方ないだろ、これから起きるのは『破壊』だ。俺は空を見上げて、遠くで槌を構えた彼女と目を合わせる。

 その存在に気がついたリィビアも、アウルも、誰もが「しまった!」と言いたそうな顔をしていた。

 

「意識を逸らして、時間を稼ぐ。そして戦場のど真ん中でリィビアに防御用の『月虹(メイガス)』のリソースを吐かせる。これで準備は完了だ。あとは俺達の仲間が全部消し飛ばす!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦場を一番上から見下ろしていた。

 大きく跳ねて、リエンくんの術式でさらに空高くに投げてもらって、みんなの魔力索敵から逃れた場所でチャージを済ませて。

 槌に籠る熱は最高潮。これ以上無いくらいに調子も絶好調。

 

「やれるよね、私」

 

 答えるまでもない言葉を口にして、リエンくんの術式が途切れるのを感じながら私自身も最低限の高度維持の術式を切る。始まるのは地面への墜落。しくじればやり直しは効かない、1回きりの責任重大な一撃。

 

 けれど不思議と恐怖はなかった。むしろ楽しみですらある。

 何かをする時、いつも負けるかもしれないと不安だった。失うかもしれないと不安だった。そんな震えが、腕の力を鈍らせた。

 でも今は違う。一緒に背負ってくれる誰かがいる、支えてくれる人がいる、そう思うと震えは止まって力は無限に湧いてきた。

 

 まだ君が戦ってるんだ。

 そう思えることが幸せだから。

 

 

「全部砕くよ」

 

 

 槌が火を噴いた。

 ソナタ家相伝のこの術式は、特別な術式の刻まれた槌を出現させ、操ることである。それだけ聞けば地味なこの術式。それだけの単純さでこの術式はかつて多くの血を吸ってきた血塗られた術式に成り果てた。

 

 取り込んだ土を内部で火薬に変換し、炸裂させる。さらに使用者の魔力を吸い上げて槌本体も巨大さを増す。生まれつき強大な魔力量を誇り、怪力無双を誇るアトラス様の加護を持つ自分ですら、その負担は思わず手を離してしまいたくなるほどだ。

 

 地上が見える。

 灰色の髪の彼が……青い髪の女の子に抱かれながらこっちを見ている。

 なんだろう、どうして最後までカッコつけてくれないんだろう。いくら何でもそれはちょっと、アレだろう。

 最後までカッコつけきれられない、けれど私の前でカッコつけてくれた彼のそんなダサい姿を見てクスリと笑って、最後の緊張が解れた。

 

 地上に落ちる私の前に、残った生徒達がみんなで防御壁を展開してくる。今更起動変更なんて出来るわけないし、するつもりもない。

 

 目の前にあるもの全てを粉砕する。

 それが私のやり方だ。

 

 

「────── 轢殺(マッシュ)!」

 

 

 衝突! 

 衝撃で肩が外れそうになるのを押さえ込みながら、1枚目の防御壁を叩き割る。あとは地上に叩きつけるだけ、というところでさらに巨大な壁が現れる。

 

「させるわけないだろ! 異常火力の凡人!」

 

 名前はリィビアさんだっただろうか。

 銀の髪の彼女が生み出した壁は沢山の生徒のものを合わせた先程の壁よりもずっと手強い。永遠に地面にたどり着けないんじゃないかと錯覚するほど、分厚い。

 

「────── 圧殺(スマッシュ)!」

 

 だからもう一段階ギアを上げる。槌が更に大きさを増し、力を込め過ぎて腕の血管が引きちぎれそうになるのを感じながら、無限とも思える壁を突き進む。

 

 

 でも、これはダメかもしれない。

 

 

 そう思った時、急に壁は掻き消された。

 

 

「──────エア・グラシアス!」

「悪いね、リィビアちゃん。君の相手は、天才()だよ」

「望むところ、です!」

 

 

 私はまだまだだなぁ。

 みんなに助けて貰ってしまった。全部助けられるようになりたかったのに、これでは逆だ。

 だからせめて、この一撃は完璧に決めよう。重力と自由落下と仲間の思いと、私の全力。全てを込めた一撃を大地へと叩きつける。

 

 

 

「──────土葬(クラッシュ)!」

 

 

 

 

 なんの比喩もなしに大地が爆ぜた。

 誰も彼も、何もかもが吹き飛ばされていく。地面の全てが爆発して、砂塵が吹き荒れ地表を根こそぎ削ってしまう。近くにいた人は地面に槌が叩きつけられた衝撃で意識を失い、遠くにいた人も爆風に巻き込まれて吹き飛ばされる。何とかそれを防いだ者達も遅れて発生した爆発に巻き込まれてどんどんと姿を消していく。

 

 

「全工程完了、です。『土葬(クラッシュ)』、排熱形態に移行します……」

 

 

 全てが終わったあと、握っているのが馬鹿らしくなるくらい熱を持った『土葬(クラッシュ)』に対して、私の体には1ジュールも熱が残っていないかのような寒さがあった。

 魔力切れ、内出血、あと鼻血がいっぱい出て出血多量。もうこれ以上は戦闘は不可能だ。

 

 

『そこまで! お疲れ様でした! 本訓練は現時刻を持ちまして終了です。残っている方は順次転送、治療になるのでその場で待機していてくださいね〜』

 

 

 幸いにも、訓練はこれで終わりのようだ。

 結果はどうなったとか、味方は私の一撃を凌げたのかとか、凌がれてたらそれはそれでなんか嫌だなとか、色々なことを考えたけど。

 

「うん。私、負けなかった!」

 

 どんな結果になったとしても、それだけは胸を張って言える。それが堪らなく嬉しくて、ピクリとも動かない口角に反して私の心は晴れ模様だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 








・アーリス・イグニアニマ
誰かのヒーローになれる女の子。性格は悪い。

・リエン・テンプリァス
信じるし信じられる男の子。性格は悪い。

・エア・グラシアス
ヒーローになりたい女の子。性格は良くはない。

・クラキア・ソナタ
1人で振るうには重い槌。でも、みんなとなら。性格は悪い。




・『月虹堕落(メイガス・フォール)
リィビアの『月虹(メイガス)』の攻撃形態、もといぶっぱなしモード。情報量の飽和した空間を特殊な砲身に格納し、砲弾として射出する。砲撃と言うよりは、あらゆる物質を押し退けながら進む虚無の槍。対人用に調節してあるらしいが、ジョイに対してはまぁいいかと割と本気で放ってる。
試作段階であり、リィビア本人も出来にはあまり満足していない。


・『土葬(クラッシュ)
その槌は要塞ごと敵を砕き、土に還す破城の一撃。
大槌を形成し、それを振るう固有魔術。
単純だがシンプルな破壊力が異常であり、かつてはこの魔術を継承した者が単身で城を崩したとも。周囲の土を吸い上げ、内部で爆発に変換し叩きつける攻撃形態があるが、とにかく燃費が悪く、チャージに時間もかかるため基本的には槌で殴ることばかり。単純な最大火力ならばリィビアやアウルすら超える戦略兵器。地面に着弾すれば連鎖的に周囲の土を爆発させて地形そのものを武器にして破壊する。




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28.昨日を砕いて

 

 

 

 

「いやー、今年の1年生は凄いですね。最後のソナタさんの『土葬(クラッシュ)』とか」

「凄いのは間違いねぇけど、凄いですませていいのかよマグノ先生よ……こりゃ異次元だぜ」

「そうですか? みんな可愛い生徒ですよ。それに、これくらいできなきゃ騎士としてやっていけませんからね。意外と厳しいんですよ?」

 

 元々研究職であるオベリは、実際に以前は騎士をやっていたマグノがそう言うならば騎士学校ではこれが普通なのか、とも思ったがその隣にいる同じく元騎士であるラクシャがドン引きしていたのでマグノの感覚がおかしいだけであると察した。

 

「ん、しかし結果は意外なものだな。私としては、もっと別の結果になると思っていた」

「やっぱりアウルくんは優秀ですね。さすがは団長の息子さんです」

「まぁリーダーとして誰が一番優秀だったか、ってのを見返したら当然だがアイツだな」

「他2人がリーダーとしては……ってのも少しありますけれどね」

 

 全て自分がやる、を地で行ってしまうようなエアやリィビアと違い、アウルはチームメイトの能力を把握し、指揮も行っていた。当たり前のことではあるが、相対評価が高くなる。

 

「んー、でもリィビアの方はちゃんと考えてるんじゃねぇか? 考えた上で、自分が一番優秀だから、自分がエアを倒せばいいって答えを出してる。事前にその旨自体は全員に伝えて、行動も一貫してた」

「ん。多少グラシアスに執着している節こそあれど、あの子は単純な頭の出来ならば筆記試験の結果の通り」

「確かに、そういう見方もありますね。ではグラシアスさんは」

「あれはダメだ。自分がなんでも出来るって思ってるけどリィビアとは逆。明確なビジョンがねぇ」

「自分が何でもすればいい、って思っている。何をすればいい、が頭になかったから、他の組の作戦に後手に後手に回される結果になった」

「それでもなんやかんやで凌ぎ切るんですから、さすがとしか言いようがないんでしょうけどね……」

 

 訓練が終わり、残っていた生徒が全員転送されてきたのか。遠くから治療担当のアルムの悲鳴が聞こえてくるのを他所に3人の教師は分析を続けていた。

 

「2人はリーダー除いて優秀だなって思った生徒はいますか?」

「ん……。テンプリァス」

「あ、そんなヤツいたか?」

「リエン・テンプリァス。……オベリ先生も教師なら生徒の名前はしっかり覚えて」

「リエンくんの家名テンプリァスだったんですね……」

「…………んんっ、とにかく接敵が少ない。動きを見ればわかるけれど、自分が不利だと思ったり混戦になるような場所を避けて動いている。探知能力と俯瞰的な視点に優れているんだと思う」

「オレのイチオシはアイツだな。なんだっけ、マグノんとこの弟子のアイツ」

「ロジェーナちゃんの事ですかね?」

「アイツ、グラシアス以外の誰にも最終的に位置補足されてないだろ。シンプルに隠密が上手いし、自分の役割に徹している」

「えへへ、ですよねですよね! まぁあの絶好の機会でグラシアスさんを落とせないのは減点ですけどね」

 

 マグノの顔からスっと笑顔が消え、少々厳しい顔でロジェーナがエアを狙撃したシーンの映像を見直していた。

 

「ここ、頭は相手も意識する場所だし、高速軌道が得意な相手には狙うのではなく射撃を置くイメージで撃てって言ったのに、狙ってますよ」

「でもまだ1年だろ? 技術的な話はこれからにして今回は立ち回りが上手かったって褒めてやった方がいいんじゃねぇの?」

「私、自分で言うのもなんですが甘いので。ちゃんとダメだったところも覚えておかないと褒め殺しちゃうと思うんで今のうちに探しておこうと思いまして」

「……ん、グラシアスで思い出した。あの時のやつ」

 

 ラクシャが端末を弄り、表示したシーンはエアとアーリスが2人で何かを話しているシーン。そして、そこから少しだけ巻き戻す。

 

「ここ、グラシアスは完全に動きが止まってる。ここから防ぐのは無理」

「でも実際は……間にイグニアニマさんが割り込んで、防いでるんですよね」

「アイツは優秀っちゃ優秀だけど、幾らなんでもこれはなぁ。なーんかおかしいよな」

 

 エアにはその場にいる全員、更にはリィビアとアウルの2人が常に攻撃の機会を狙って全力を叩きつける準備をしていた。そうして放たれた攻撃は、単身で防げる生徒なんていないだろう。

 

「なのに、状況的にはこれどう考えてもイグニアニマさんが1人で防いでるんですよ」

「ん……、各自の攻撃が着弾の瞬間に打ち消しあって、威力が下がったとか?」

「こんだけの人数と属性の術式がそんな都合よく打ち消し合うかよ。第一、そんな都合良いことが起きても1人はリィビアだぜ? アイツならそんなことになりそうなら見てから自分の術式弄れるだろ」

「それもそうですね。うーん……確かに言い方が少し酷いですけれどこれはイグニアニマさんが防げる攻撃では無いですね。着弾の瞬間は煙で良く見えませんし、各自提出のレポートを見て、本人から話も聞いてみましょう」

「だな。さーて、これから面倒な評点の時間だ。ダリィぜまったく」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで、最後の最後に女の子に守ってもらいながらも味方の攻撃に巻き込まれて衝撃で意識失って脱落。うん……いや、うん」

「何か言いたいことがあるなら言ってくださいよ」

「いや、ダサいなって」

「あ、ごめんなさい。もっとオブラートをください」

「情けない」

 

 容赦のない師匠からの口撃を喰らいその場で悶えることしか出来なかったのが、さらにダサさを極めているような気さえしてしまう。

 最後の最後、まさか飛んできた瓦礫に頭をぶつけて失神してしまうとは。アーリスは普通に対処していて、目の前で俺がそんな初歩的なミスで失神する直前に信じられないものを見る顔をしていたのを思い出してさらにダメージが深くなる。

 

「でもいいじゃないか。試合結果は緑組と赤組の残り生徒数同数でそこ2つの引き分けだ」

「だからこそですよ! 俺が気絶してなきゃ勝ちってことじゃないですか!」

「それはそうだね。やーい戦犯」

「言い返せす余地がなかったり、ブーメランになってない言葉は俺達の口喧嘩では禁止ですよね?」

 

 でも、本当に、本当にやってしまった。クラキアの『土葬(クラッシュ)』を侮っていた訳では無いが、それにしたってあそこまでの破壊力があるだなんて思っていなかった。最後の最後、集中力が切れたほんの一瞬で対処を怠って巻き込まれてしまった。

 

 そのせいで勝てなかったことも悔しいが、もう1つはクラキアに申し訳が立たない。

 アイツ、俺を間違って攻撃したことをめちゃくちゃ気にしてたのに。ちゃんと凌いでやらなければ、またどこかで、俺のせいでアイツの手が震えてしまうかもしれないのに。

 

「それはそうと、ジョイってばあのチビちゃんと何話してたの?」

「どっちのチビちゃんです?」

「新しく引っかけたチビちゃん」

「その言い方やめてくれません? ……別に、チームメイトとして最低限の会話ですよ」

「ほんとぉ〜?」

 

 蛇みたいに長いからだをくねくねとさせながら師匠は真っ黒な瞳で俺を見つめてくる。文字通り、蛇に睨まれたカエルみたいに動けない。

 コイツ、束縛の魔術使ってきてやがる……! なんて大人気ない。

 

 しかし、まぁ。

 師匠に隠すようなことでもないかもしれない。言いたくないのは、単純に気恥しいからだ。

 

「はぁ、じゃあ言いますよ。クラキアが可愛かったので、惚れて力になってあげたいと思いました」

「え」

「と、そんな冗談は置いておいて……師匠?」

 

 話を続けようと思ったら、何故か師匠が時が止まってしまったみたいに動かなくなっている。

 

「あの、師匠……え、これ時間が止まったとか、魔女がでてきたとかじゃ、ない、よな……?」

 

 話しかけてみるけれど、師匠はピクリとも動かない。それどころか周囲からも音が消えて、まるで俺だけが別の世界に来てしまったかのような、心地よくない静寂が場を支配している。

 次第に冷や汗が滲み出てきて、心臓の音がバクンバクンと耳を裂く程に大きく聞こえてくる。

 

 

 

 

 

 

「魔女だよー」

「ウォォォォォォォォ!?」

 

 

 

 

 突然耳元で誰かの声がして、反射的にベッドから転がり落ちるように距離を取る。

 急いで顔を上げると、そこには少し目を細めて俺を睨みつけている師匠の顔があった。

 

「あの魔女(ビビり)がそうぽんぽん出てくるわけあるか。これに懲りたら大人を揶揄うのはやめろ」

 

 師匠が指を鳴らすと、周囲の雑音も元に戻ってくる。どうやら師匠がいつの間にか周囲の音を遮断していたらしい。本当にいつしたんだこの人。

 

「いや、マジでもうやめてくださいねこういうの。俺ほんと、魔女のこと、苦手なんで……」

「自業自得だろ。今後私を出し抜こうとしたら魔女の声真似とかするからな? 夜にトイレとかにいる時に送り付けるからな?」

「やり方が陰湿〜」

「いいから話せ。話さないと今からずっと魔女の声真似で話しかけるぞ」

「話すって言ってますからやめてくださいそれ。まぁ、クラキアは1人だったんですよ。俺にとっての師匠がいない。だから、そういう奴になってやれれば少しは楽になるって、楽しくなるって思った。それだけです」

「そりゃあなんとも、偉そうな話だ」

「実際、師匠みたいに上手くいきませんでしたよ」

 

 それでも、あのクラキアの最後の一撃に巻き込まれた身としては、だ。

 きっとそれなりのことが出来たはずだ。意味があったはずだと思える。あの迷いのない槌の一振を見れば、それだけで俺も嬉しくなれた。

 

「どうですかね。師匠みたく、強くなれましたかね?」

「50点かな。100点満点中」

 

 俺結構いい感じのこと言ったと思った確信あったのに半分かよ。

 

「……採点のやり直しを要求します」

「最後気絶してなきゃ赤組の単独勝ちだったのに気を抜いて瓦礫直撃して落ちた。マイナス50点」

「ふん……言い訳の余地がないのはやめてくださいと言っているでしょう」

 

 完全に師匠はしばらくこのネタで弄ってくるだろう。そんな風に楽しそうにニマニマと俺の顔を眺めて口角を歪めている。

 顔を見れば何を考えているか大体わかる程に長い付き合いだ。この予想が外れることは多分ないだろう。明日からしばらく師匠と長話しないようにしよう。

 

「まぁでも? 『黒耀(バロール)』を使わずに戦い抜いたのは褒めてあげるよ。切り札は『持ってる』って思わせるだけでも切り札になるんだ。上手く使えよ」

 

 

 

 最後にほんの少しだけ褒めて、師匠は忙しいからとパタパタと小走りでどこかへと去ってしまった。

 今回は『黒耀(バロール)』も使ってないし、怪我の治癒は済んでいるから普通に出歩ける。思えば俺、毎回気絶してボロボロになって運び込まれてるな。よし、次は気絶しないで師匠に結果を報告できるように努力しよう。

 

 そう思いながら外に出るための扉を開けると、廊下に出てすぐ横に人影がいることに気がついた。

 

「あっ、クラキア」

「あっ、て顔じゃないですよそれ。げっ、て顔してますよ」

 

 そんな顔をしたつもりは無いのだが、顔を合わせたいか合わせたくないかで言うと今は後者に入る。正直、あれだけのこと言っておいて俺が原因で勝てなかったとなると、恥ずかしいし。

 

「気にしないでください。私の一撃が少々君では耐えきれないくらいに凄まじかっただけなので。仕方ないですね、普通なら耐えきれませんよあんな一撃。ええ。私は強いですからね」

 

 ああ、ダメだ。

 これはしばらくクラキアにも出来るだけ会わないようにしないとひたすらマウントを取られる。小さな身体をできるだけ大きく見せるように胸を張って背伸びをしているクラキアは、明らかに俺を弄ることを目的として今喋ってる。

 

「とまぁ、マウント取って気持ちよくなるのはこれくらいにして」

「それを口に出せる前向きさ見習いたいよホント」

「どうぞ見習ってください。見下ろしてあげるので」

 

 マウントにより無敵状態になっているクラキアには何を言っても通じ無さそうだ。

 ……でも、この様子ならあんまり俺を巻き込んでしまったことは気にして無さそうだ。それはそれで俺がちょっと傷つくけれど、クラキアが傷ついてないならそれで良いだろう。

 

「まず、お礼を言いに来ました。ありがとうございました。私は、君のおかげで今回誰にも負けなかった」

「おう。……いや、ほんとごめんな最後。いやほんとごめんなさい! 申し訳なさが勝ってきた! 正直、このまま恩人ってことで押し切れるかなとか考えてました!」

「大丈夫ですよ。君が情けないところもあることは何となくわかってますから。むしろ情けない方が私が安心できるのでそういう所はもっと見せて私を安心させてください」

 

 お互いに発言のカス度があまりに高い気がするがそれは気にしないでおこう。

 

「君のおかげで、私は今日誰にも負けずに済みました。しかもずっと勝てなかった相手に、勝つことが出来ましたから」

 

 

 だから、と。

 クラキアは指でVサインを作り、それを口元に押し当てる。無理やり押し上げられた口角は上がり、表情のない彼女の顔に、歪で無理やりな感情が見えてくる。

 

 

「なんだよ、それ」

「私は今とても嬉しいんです。それを君に知って欲しいんです」

 

 

 クラキア・ソナタの渾身の笑顔を見て、俺もつられて笑ってしまった。

 それだけで、この笑顔が世界で1番強い笑顔だという事を認めざるを得ないだろう。

 

「本当に凄いやつだよ、お前」

「当たり前です。私は強いですからね。だから、もしも次君が困っていたら助けてあげます。そして次に私が困っていたら助けてください。そうやって、末永くよろしくお願いします」

「こちらこそ、これからもずっとよろしくな。クラキア」

「ッ! ……はい。ずっと、ですからね? ずっとずーっと、助け合っていきましょう」

 

 差し出された手を握り返し、たくさんの感情を込めた握手を交わす。相変わらずクラキアの顔に表情は無く、今も何を考えているのかイマイチ読み取ることは出来ない。

 

 

 ただ、握った手が焼けた鉄みたいに熱を持っていた。それが何を意味するかは、俺には分からなかったけれど。

 

 

 

 

 

 






多分3章終わりです。






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4章 学びの時
29.青春融解


 

 

 

 

 

 

「はぁ……」

 

 昔母さんに、憂鬱な時にため息すると余計に気分が落ち込むからしない方が得と言われたが、それでも憂鬱な時は大きく溜息が漏れてしまう。

 改めて俺は天才という生き物が嫌いだ。嫌いというか、怖い。天才は俺達のような凡人とは視点も世界も何もかも違う。同じ種族の生き物なのに、まるで別の生き物かのような挙動をしてくる。

 

 そう、怖いんだ。

 誰だって訳の分からないものは怖い。目の前で人間のように振る舞うそれが、一枚皮を捲れば化け物になってしまうんではないかという不安が付きまとう。異質な異物はそれだけで恐怖の対象になる。

 

「……えっと、ジョイくんもしかしてなんか難しそうなこと考えてる?」

「アーリス、お前まで思考を読んでくるようになったら俺はもう何も考えずに生きるしか無くなるんだが?」

「だってすごい眉間にシワよってたもん。なにか辛いことがあるなら、いつでも相談に乗るよ」

 

 合同訓練が終わって大きな変化の1つとしてアーリスが少しだけ明るくなった。前は常に何か隠しているようだったが、最近はそのつっかえが取れたようによく笑顔を見せるようになってきた。そして、何かと俺を助けようとしてくれるようになった。

 それはまぁ、ありがたいのだが……地味にアーリスは最近勉強の方の成績が芳しくないのに、授業の時までそんな感じなので逆に申し訳なくなってしまう。

 あと、エアとの仲は何故か悪くなった。些細なことで言い合いをし始めて、軽い取っ組み合いまで良くするようになったが次の日には何故か普通に話しているもんだからよく分からない。

 

 分からないのだ。元々不安定な彼女であるため何か変化があると少し怖いと思うのは、どうやら俺だけではないらしい。

 

「というかお前よく笑顔でいられるよな」

「え、あー……それは、悪いことばかりの中で良いことを探すのが得意だからかな? それだけあれば笑顔でいられることって世の中あるでしょ?」

「それはそうだな。俺も俺が楽しけりゃあ他のことはどうだっていいってなる時もあるし」

「たまにジョイくんって発言が三下みたいになるよね」

「アーリスはたまにめちゃくちゃ鋭い罵倒飛ばしてくるよな」

 

 そんな会話をしてお互い少し笑いつつ、結局俺は溜息を吐いてしまった。

 

 

「……いやぁ、これはどう考えても楽しいと思えねぇよ」

「私は裸で外に締め出された時とかあるからまだ楽しいかなぁ」

「急に重たい話ぶち込んでくるのはアレなのか? ジョークとして受け取っていいのか?」

 

 手足を縛られ、磔にされて周囲になんか仮面を付けた変な奴らが取り囲んでいるのだ。これを楽しいと思えるんだったら俺の人生に努力は間違いなく必要ないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほい、検査は終わったからもう帰っていいぞガキども」

「あの磔本当に検査に必要だったんですか?」

「アーリスはともかくお前は必要ないけど?」

 

 じゃあなんで俺は磔にされたんだろう。地味に手首が痛いんだけどな。

 仮面を付けた怪しい人達に笑顔で挨拶をしているアーリスをちょっと遠くから学園長と一緒に眺めつつ、跡が残ってしまってる手首を摩る。やっぱ痛い。

 

「と言うかあの人たち誰なんです? 仮面がめちゃくちゃ怪しいんですけど」

「俺の正体を知ってる、俺専属の術師団だよ。全員今のお前くらいならボコれるくらい強いから」

「舐めてもらっちゃ困りますよ。見ただけでこれ俺勝てねぇなってのはすぐわかりました」

「お前メンタルが強いのか弱いのかわかんねぇな。扱いづらい」

「割と弱いので優しくしてくださいね」

「前言撤回だ。お前のメンタルはイカれた硬さしてるよ。自分が誰に話しかけているのかわかってるのか?」

 

 学園長がそう言いながら軽く睨んでくるだけで背筋がへし折れそうな圧があるけれど、何となくこの人からは持っている魔力以外の圧を感じない。やっぱり、どこか師匠と似ていると感じてしまうからだろうか。

 

「それで、検査の結果はどうだったんですか?」

「アーリスの身体にあった魔女の魔力はほとんど抜けきってる。既存の魔術体系の話であれば、もうアイツは完全に魔女の影響から解放されてるよ」

 

 それを聞いて今度は安堵から大きく息を吐いた。

 アーリスがもう心配いらないことなのか、それとも魔女がアーリス越しになにか攻撃をしてくる心配がないことに安心したのか、両方なのか。自分でも分からないが。

 

「既存の、ってつけるってことは……」

「そもそもエア・グラシアスの『断魔(プレアデス)』喰らってんだ。普通ならそれであらゆる魔術的な契約はぶった切れる。相手が普通じゃねぇからこんな検査をしてるんだよ」

 

 アーリスが魔女の眷属として生きていた時間は8年。『断魔(プレアデス)』はあらゆる魔術効果を一方的に切り裂いて消滅させるとはいえ、彼女の体にどれだけの変化が起きているのかは未だ未知数らしい。

 そもそも、魔女の眷属になってそれから解放された人間は今までにサンプルがない。大抵は追い詰められれば自殺するようになっていて、アーリスの場合は一時的にでも魔女の支配にアーリスが抗い、エアが間に合ったことで起きた奇跡なのだ。

 

「アーリスちゃんお疲れ様。飴食べる?」

「え、いいんですか!? いただきます!」

「私も飴あるから食べな、ほら食べな」

「ありがとうございます。甘いものなんてこの学校に来るまでほとんど食べたこと無かったので嬉しいです」

 

 ちょっと涙目になりながら齧歯類みたいに頬に大量に飴を詰め込んでるアーリスと、仮面の下から近所のおばちゃんみたいな声でアーリスに飴を詰め込んでる仮面の術師達という光景がかなりシュール。多分学園長と同じで見た目と印象と中身が一致しない人達なんだろう。

 

「けど、逆になんもねぇとなると……1つ不可解なんだよな」

「何がですか?」

「合同訓練の時な、お前がエアの元に駆けつけた時にアーリスもいたと思うんだが……その時にアイツはエアが対処しきれねぇ攻撃をどうにかして防いだんだ」

「はぁ…………。はぁ!?」

「はぁはぁうるせぇな。犬か?」

 

 いやだってそれは驚くだろう。

 別にエアは防御が上手いとかそういう訳では無いし、守りだけならばエア以上のやつは学校に2人いるけれど。それでもエアが対処出来ないような状態になったとして、それを1人でどうこうできる程の能力は『猛炎(フレア)』が使えたとしてもアーリスにはないだろう。そもそもそれはできる方がおかしいし。

 

「本人もどうしてできたか分からねぇらしいし、他の奴らのレポートやデータの解析しても何も()()()()()()()()()()()()()()。まるでその瞬間がそっくりそのまま消えちまったみたいにな」

「それって……ヤバいってことですか?」

「そうなのかどうかも分からねぇ。ただ一つ言えるのは……それ以降少しだけアイツが明るくなったってことだ」

「それは……いいことなんですか?」

「ガキが笑顔になれることに悪いことなんてあるわけねぇだろ」

 

 やっぱこの人いい人だな。教育機関の長をしているだけのことはある人だ。

 

「不安なのはあの現象が起きた時、アーリスの感情が昂ってたってことだ。嫌悪、好意、怒り。そう言った類の感情が噴出する形で何が起きる可能性がある、ってのが俺達の見解でな。だから今日はお前も呼び出して話をした」

「あ、俺が縛られたのやっぱり意味あったんですね」

「いや、来てくれりゃ良かったから拘束する意味はなかったが?」

「じゃあ俺本当になんで拘束されたんですか。見てくださいよ手首真っ赤」

「アーリスがそうして欲しいって言ったんじゃないか? 俺は知らん」

 

 やっぱこの人師匠と同類かもしれん。

 

「失礼なこと考えんな」

 

 心読んできたし間違いなく同類だな。

 

「とにかく言いてぇことはだな……。アーリスは元々家庭環境に起因する精神的な弱さを魔女に付け込まれて眷属にされていた。今でも精神状態はあまり良好とはいえねぇ。特にアイツは自分が好きじゃねぇんだよ。誰かに自分を認めてもらいたいって、そうすることで自分を好きになりたいって思ってるんだ」

 

 学園長は小さな背丈を背伸びして俺と目線を合わせ、俺の目を見つめてくる。今から言う言葉を決して聞き逃すなと、その目が語っているようだった。

 

 

「アーリスはお前に惚れている。自分を救ってくれた相手、憧れとしてな。その気持ちに答えるも答えないもお前次第だがこれだけは約束して欲しい。──────助けたなら最後まで、一緒に責任を果たしてくれ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「せっかくの休日なのにごめんね、私の検査に付き合わせちゃって」

「俺も元々学園長に呼ばれてたからいいよ別に」

「……でもほら、魔女関係のことって、ジョイくんも前に怖い思いしただろうし、あんまり思い出したくないかなって……あ、ごめんね掘り返しちゃって」

「いいって。そんなすぐに謝らなくて。なんも悪いことしてないだろ」

「そ、そうだよねごめんね……あ!」

 

 アーリスは慌てて口を抑えて見るからにしょんぼりとしてしまっている。いざ話してみるとネガティブなのはあまり治ってなくて、どうやって話せばいいかがイマイチ掴みづらい。

 と言うか、あんまり相手に指摘ばっかりするのも良くないんじゃないか? 何故かいつもしている会話のテンポが掴めない。思えば俺達二人の間にはいつもリエンがいて、普段の気楽さはあいつの独特の雰囲気があってのものだったのかもしれない。そう思うと途端にアイツが恋しくなってきた。普段は地面に埋まんねぇかなコイツとか思ってるのに。

 

 気まずい沈黙かしばらく続き、アーリスは手持ち無沙汰に蒼色の髪の毛を指先で弄びながら、どこか遠くに視線を移していた。

 時間は夕方、寮への帰り道と言う場所もあって何となく俺と魔女に支配されていたアーリスが戦ったあの時のことを思い出す。

 

 

「アレ怖かったな……」

「……ふふっ」

 

 

 すぐ隣から小さな笑い声が聞こえてきて声に出ていたことに気がついた。

 

「私がジョイくんを殺そうとした時のこと、思い出してるんだよね?」

「あー……怖いというのはお前の事じゃなくて魔女のことで……」

 

 ダメだ、何言っても墓穴を掘る気がする。改めて思うのは、俺って女の子と二人きりで喋るとなんか言おうとするけど何も言えなくて変な雰囲気にしてしまう。リエンがいればこんなことにならないのに、いなくなって初めてわかるアイツの重要さに涙が出そうになってきた。今度なんか奢ってやろう。

 

「ジョイくんって、意外と情けないところあるよね」

「なになに急に抉りこんでくるな」

「ふふ、ごめんね。……うん、ごめん。でもそういうところが好きだなぁって」

 

 その言葉で足が止まった。

 そんな俺に目を向けず、アーリスは数歩前を歩いてから足を止める。

 

 

「怖くても苦しくても、一生懸命だなぁって。救ってくれたからじゃなくて、そういうところが好きになっちゃうのは恩知らずかな?」

 

 

 じゃあね、とそれだけ言ってアーリスは足早に女子寮の方へと駆けて行ってしまう。追いかけようにも、俺の体は上手く動かない。沸騰した神経が手足への信号を上手く出さなくて今歩こうとしたらすぐに転んでしまいそうで。

 

「どうしよう……めちゃくちゃ嬉しいな」

 

 そんな情けない言葉しか漏らすことが出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああああああああぁぁぁ!!! 何あのタイミング!? 何あの発言!? 重い! めんどくさい! 困るでしょ普通バカ!」

 

 部屋に帰ってから全てを思い出して思わずベッドを叩きながら叫んでしまっていた。

 自分でもなんであんなことを言ってしまったのか分からない。なんか、何故か、なんでだろう。

 

 夕焼けが赤いなぁと思ったら、気持ちが抑えられなかった。

 

 前にリエンくんにも指摘された通り、私はジョイくんのことが好きだ。

 最初は困っていたところを助けて貰えた、魔女に対するあの時の気持ちのような依存だと、弱い気持ちなのかもしれないと悩んでいた。

 

 でも、合同訓練で改めて。

 エアちゃんと向き合って自分と向き合って、気が付いたのは苦しそうに眉をひそめ、それでも笑顔を崩さなかった彼の顔だった。

 

 下衆な言い方をすると顔が好みだ。表情がコロコロ変わって、笑う時は楽しそうに笑って、嫌そうな時は本当に嫌そうに顰めて、悲しい時は悲しそうにする。

 一生懸命に生きるという、当たり前で、難しくて、自分には無かったもの。だからこそ好きになったんだなぁと。

 

「どうするのが正解だったんだろう、お母さん……」

 

 父と母の馴れ初めは、確か父が母に一目惚れして、自分より弱い男なんて眼中に無いと一蹴して、何度も何度も父が母に勝負を申し込み最後は父が勝って母も父を認めたとかだと幼い時に聞いた気がする。

 自分には冷たくて恐ろしい、夜の鉄のような人というイメージしかない父にもそんな頃があったのかと、なんだか少し寂しくなることを思い出して、それからそんな父にもそれだけ熱くなれるようなものがこの気持ちなのだろう。

 

 こんな熱に浮かされたからこそ、父はその火種を失って冷たくなってしまったのかもしれない。

 

 そう考えると少し嫌になる。

 この気持ちは良いものかもしれないけれど、良いばかりでは無いかもしれない。

 

 

 それでも生まれて初めて、自分を好きになれた。

 

 

 鏡に映る自分が輝いて見えた。今日の私なら、彼に好きって言ってもらえるかもしれない。なら明日の私はもっと好きって言って貰える気がする。

 きっと自分を好きになるってこういうことだろう。少なくとも私の中ではそういうことなんだ。

 

 

 あの笑顔も、あの悲しそうな顔も、苦しそうな顔も。

 ……縛られている姿も。

 

 全部全部、私だけのものにしてやりたい。そう醜く微笑む自分の姿すら好きになってしまいそうで、どこかの誰かの『恋は麻薬』なんて言葉を思い出して私は一人、変なツボを刺激されたみたいに笑ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 






・ジョイ
ヘタレ。

・アーリス
強欲の原理保持者。




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Error.30

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦場は炎に包まれていた。

 相手の強襲を見越しての焦土作戦。かつて自分が学び、育てて貰った母校。今では対魔女用の要塞となっている。学生の時からただの学校とは思っていなかったけれど、あの学園長は一体どれ程のことを想定していたのだろうか。

 

「……予想外だ。まさか、君が私を倒すなんて」

「倒したのは私じゃない。この世界を生きる善なる人、平和を願った全ての人、それを踏み躙ったお前への怒りが、今お前を襲っている」

「心外だね。何人か君たち騎士団に怒っている人もいるだろう。ねぇ、守るべき人たちを囮にしたこの作戦で勝って誇らしいかい? 騎士団長、アーリス・イグニアニマ様」

 

 剣の柄をへし折ってしまうのでないかと思うくらいに、強く握り込む。既に相手は致命傷。勝敗はほとんど決している。あとは、確実にトドメを刺せば『魔女』であろうとも終わりだ。

 だから焦るな、決して相手のペースに乗るな。学生の時よりも伸ばした赤色の髪の毛が風を受けて靡く。もしもまた魔女と戦うことがあったら、今度は邪魔だから短めにしようと彼女は心の隅で思った。

 

「答えなさい。何故こんなことをしたの?」

「魔王現象だからだよ。そういうものだからさ」

「そうね。貴方と話しても時間の無駄なんでしょう。……でも」

 

 最後の魔力を込めて、騎士は己の背に紅い翼を練り上げる。

 イグニアニマ家が代々継承し、彼女が母から受け継いだ固有魔術『猛炎(フレア)』。誰かを守る為の炎の翼。

 

「もしも理由があるのならば教えて欲しい。解決策があるのならば、貴方と話がしたい」

「今更かい? ここまで執拗に私の命を狙っておいて、都合がいいなぁ」

「それは貴方が逃げるからでしょう。話をしようにも逃げるなら、貴方が会話の席につくように強引に半殺しにするしかないかなって」

「優しくて強くて厳しい。あぁ嫌だ。嫉妬するくらいに英雄(ヒーロー)だね、君は」

 

 魔女以外の人達にも何度も自分はそう呼ばれた。

 でも、彼女はその言葉を受け取る気にはなれなかった。誰かを守っているのは、誰かに認められたいから。そうでもしてないと、常に自分を満たしていないと苦しくて苦しくて仕方がない。誰かが不幸になるのも、自分が不幸になるのも認めることが出来ない潔癖症。

 

 ……それが騎士団長の1人にまで上り詰めた女の本性。しかし彼女本人はそれを特に悪い事だとは思っていない。

 

「出来るなら、私は貴方も救うよ。これは私のエゴ。私がしたいからやること。だから、遠慮せず言って。なんでこんなことをしたの?」

「知るかよ。全員死んでくれれば私が嬉し」

 

 

 炎の翼が魔女の左半身を抉り飛ばし、それ以降魔女の口から音が漏れることはなかった。それっきりその戦場で呼吸をするものはアーリス・イグニアニマただ1人となった。

 

「……終わった」

 

 魔女の息の根が完全に止まり、空を覆う結界が解けていくのを見てようやく彼女は肩の力を抜いてその場に崩れ落ちた。

 既に傷は限界、魔力もとうの昔に尽きている。侵食する魔女の呪いがゆっくりと呼吸する力すら奪っている。多分、味方の治療は間に合わないだろう。この戦場にはもう生きている命は自分以外に存在しないのだから。

 

「ここで終わりかぁ、終わりなのかぁ……結構、頑張ったと思うんだけどなぁ」

 

 ふと、燃えているかつての学び舎の姿が目に入って思い返す。学生時代はあまり楽しいと感じるようなことは無かった。恵まれた家庭に生まれて、何一つ不自由なく育って、満たされているからそう感じないだけだと思っていた。

 

 けれど違う。

 人生の残り時間が数秒にまで迫ってようやく気がついた本音。

 

 私はこの幸せに何ひとつとして満足していなかった。

 騎士として弱きを助け強きをくじくことも、父と母や兄に愛されることも、誰かに尊敬されることも。それだけでは決してアーリス・イグニアニマの強欲は満たされていなかった。

 けれど、この幸福を満たされていないと否定してしまえば自分はどこかへと堕ちてしまう。そんな予感がずっと本能を蓋していた。

 

「いやだ、死にたくない……こんなところで、死にたくないよ」

 

 呼吸が苦しい、痛みで思考が纏まらない。

 学生時代、魔術に優れた同級生がいた。卒業して直ぐに行方不明になってしまったけれど、もしも彼女がいたらこの魔女の呪いも解呪できたのだろうか。

 もしもこの戦場に駆けつけたのが私ではなく、彼だったなら。最強の騎士である■■■だったなら、私も死なずにもっと上手くやれてたんだろうか。

 

 もしも、やり直せるなら。

 もう我慢はしない。痛いも苦しいもやりたくないも、弱気な言葉を全部吐き出してやる。だから、どうか、誰か助けて欲しい。

 

 

 

 

 

『──────それじゃあ、契約しましょう?』

 

 

 

 命の炎が消える間際、聞こえてきた甘い囁きにどう答えたか。

 それを考える程の時間はアーリス・イグニアニマに残されておらず、脳の動きは止まり猛炎の騎士も積み重なった死骸の1つに成り果てた。

 

 

 

 

 

 

 

──────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 久しぶりにその匂いを嗅いだ。

 懐かしく忌まわしい血肉の香り。死に満ちた場所でしか嗅ぐことの無いその香りが、何故扉の向こうからするのか理解できないし、したくもない。それでも彼女はその扉を開けるしかなかった。そこが彼女の全てであり、帰るべき場所だったのだから。

 

「ぁ……な、なんで……?」

「久しぶりだねアルム。まずは挨拶じゃないのかな?」

 

 彼女とその弟子の2人だけの小さな小屋は、元々の内装が分からないほど真っ赤になってしまっていた。一歩進む度にぴちゃり、ねちゃりと知りたくもない粘付きと熱が足の裏に伝わって、もう取り返しのつかないことが起きてしまったのだと自覚させられる。

 

「あの子は、あの子をどこにやった! 『魔女』!」

「……酷いなぁ。昔みたいに名前で呼んでよ。なんなら、お姉ちゃんでもいいんだぜ?」

「質問に答えろ!」

「なんだよ。自分は私から大切なものを奪っておいて、のこのこ幸せになろうとしてそれを()()()()()このザマって。──────都合が良すぎるんじゃないか、屍肉漁りしか脳のない鴉が」

 

 奪われた。

 その言葉で思い出したのは、もう随分前の最後に目の前の『魔女』と会った時のこと。

 

 

 そしてその記憶に浸るよりも早く、脊髄が言葉の意味を理解する。

 奪われた。奪った。血肉のカーペットの中に、魔女と同じ色の、アルム・コルニクスが心を許した『彼』の灰色の髪の毛が混じっているのを見つけて、目を背けていた事実に嫌でも目を向けさせられた。

 

「この子は、関係なかった……」

「関係あるだろ。君の弟子だよ」

「お前とこの子になんの関係があったんだ!」

「私から大切なものを全部奪ったお前が幸せそうなツラしてるとムカつくからに決まってんだろ! 死体の食いすぎで頭まで腐ったか?」

 

 目の前の相手が憎い。生まれて初めての激情が魔力の形になって暴れ、ドス黒い奔流となって体から溢れだしている。

 この女を、魔女を殺してしまいたい。悔しい、腹立つ、ムカつく、穢したい、苦しませたい。それだけの激情を向けられた魔女は、アルムに視線を合わせて心底楽しそうに口を歪ませた。

 

「それだよ。その顔、その顔が見たかった。全てを奪われて、相手が憎くて憎くて仕方なくて、絶望するその顔! そうだよ、みんなその顔になっちゃえばいいんだ! あースッキリした! やっぱりアルムはいつまで経っても弱虫で泣き虫で意気地無し! ここまでされてまだ私を殺すために行動出来ないなんて、弱さもここまでくると可愛そうになってきちゃう!」

 

 何か言い返してやりたかった。出来ることなら殺してやりたかった。

 どんな最後を迎えたかも分からない、染みになってしまった彼が受けたであろう苦痛を何百倍にしてこの女に叩き込んでやりたいと心の底から思っていた。

 それでも勝ったのは恐怖だった。

 アルム・コルニクスという女は目の前の『魔女』の強さを知っていた。ただそれだけで怖くて動けなかった。

 

 

 しばらくして、魔女はひとしきり考えられる限りの罵詈雑言をアルムに浴びせてから、壊れた玩具が遂に寿命を迎えて動かなくなるように止まった。

 

「安心しなよ泣き虫アルム。私はアルムを殺そうだなんて思ってないよ。お前は私に大切なものを奪われて、何も出来ずにここで永遠にビビって震えながら無力を噛み締めてろ。お前は、この世界で最も苦しむべき罪人なんだから」

 

 

 それだけ言って、魔女は堂々と小屋から出ていった。

 アルムはただそれを見送り、その気配が完全に消えてからようやくその場に崩れ落ちて、もう体温の無い散らばった肉塊を手で集め始めた。

 そこにもう彼の面影は、特徴的な灰色の髪の毛しか残っておらずそれが本当に彼のものなのかアルムにすら判断がつかない。それでも、そうせずにはいられない。下を向いて、涙を零さなければどうにかなってしまいそうだった。

 

「ころしてやる……ころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやる!」

 

 それは正しく、負け犬の遠吠え。

 泣き虫で弱虫な臆病者はそうすることしか出来ずに肩を震わせ、自らの弱さを嘆いた。

 そして同時に、生まれて初めて自分の中の『原理』というものを理解した。『魔女』が全てを憎むように、自分にも進むべき道があるのだと悟った。

 

 

「必ず殺してやる。待ってろレヴィ。私の全てを賭けて、お前を殺してやる」

 

 

 その日、黒耀(ひかり)を失いようやく『白鴉(スカベンジャー)』は覚醒した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あー……眠っ」

 

 

 そう呟かなければ眠ってしまいそうなくらい眠かった。睡眠は大切と理解していても、昨日はろくに眠ることも出来ないくらい目が冴えていた。

 

「告白……あれ告白だよなぁ。うん」

 

 女の子に告白されてしまった。

 思い返すとそれだけでなんか気恥ずかしくて死にそうになる。何か返答するべきなのだろうが、困ったことにどう答えればいいか何も浮かんでこない。

 分からないことは考えるべきではないと、今は目先のやることを優先するため師匠の元に足を運んでいるが、これは絶対に放っておいていいことじゃない。

 

「責任……責任ってそりゃあわかってるよ」

 

 アーリス・イグニアニマを救ったのは紛れもなく自分だ。彼女を苦しむことになる茨の道に引きずり込んだのも自分だ。だからこそ、どのような返事であれ彼女が俺を光にして進んでくれたなら、導くことは救った者としての責任だ。

 頭ではわかっていても、色恋というのはそう単純なものでは無い。そもそも俺は女の子に告白されるなんて初めてなんだよチクショウ。

 

 しかもそのせいか、アーリスの出てくる夢を見た気がする。

 赤色の髪をした彼女が、誰かと戦って……どうなるかまではよく覚えていない。だが確実に彼女の夢を見た気がしたのだ。

 アレは一体なんなんだろうか。ただの夢のはずなのに、妙に気になる。耳の脇で羽虫が飛んでいるかのような、むず痒い感覚だけが残っている。

 

 

 結局、まともに思考が出来る気がしなくてすぐに保健室に辿り着いてしまった。

 

 

「失礼しまーす。ししょ、アルム先生いますかー?」

 

 ノックして返答を待つが返事はない。扉に触れると鍵が空いているし、中から師匠の魔力を感じられることから不在では無いのだろう。さてはあの人、またサボって寝ているな。

 

「アルム先生、サボってんならまた学園長にチクリます……よ?」

「あ、……ジョイか。ごめん、少し寝ていた。うん、どうしたのかな?」

 

 師匠の病的に白い右の目元は少しだけ赤くなり、頬には液体が伝ったかのような痕が残っている。

 

「えっと、泣いてたんですか……?」

「は、はぁ!? 私が泣いていた訳ないだろう! これは、欠伸したら出た生理現象だ!」

 

 返答にもいつものようなキレはなく、慌てて机の上に散らばっていた書類を整理しようとする動きもどこかぎこちない。

 

「だいたい、私が泣いてるところなんて見たことあるかい? 勝手な憶測で物事を語るな。私みたいな大人になると泣いてるだけで風評が悪くなるんだから気をつけてくれよまったく」

「俺の風評に関してめちゃくちゃ酷いことにしてるアンタが言います? あれ、そもそも……」

 

 師匠が泣いているところは、確かに見たことは無い。……そのはずなのに、何故か俺は師匠の泣いている顔をよく覚えている。ぐしゃぐしゃに顔を歪めてみっともなく鼻水を流してすぐに泣く『アルム・コルニクス』を、何故か記憶している。

 

「師匠、俺に泣いてるところ見せたことありますよね?」

「はぁ〜!? 仮に泣いたとして私がそんな弱みを握らせるわけないだろ〜?」

「自信満々に言える要素あります?」

 

 しかしその通り、師匠は俺にそうそう弱みを握らせる人間では無いのは確かなので納得していいのか分からないけど納得してしまう。

 

「うっさいうっさい。それで、なんの用なんだい? 私は見ての通り忙しい先生なんだが?」

「寝てませんでした?」

「寝てないが?」

「まぁいいですよ。今度の長期休暇の外出申請、師匠に渡してもいいんですよね?」

「あぁ……それか」

 

 魔女のアレコレやこれから先のイベントの関係で少し例年とはずれているらしいが、騎士学校にはこの時期に長期休暇が存在する。

 本当ならその時期も学園に残って鍛錬を重ねることは出来るが、さすがに俺にもやらなくちゃならないことがある。

 

「実家に帰るのかい?」

「そりゃあ、両親は向こうから会いに来てくれたりでちょくちょく顔を合わせてるとはいえもう10年戻ってませんからね」

 

 実家に戻ったら気が緩んでしまうかもしれないと、合意の上で俺は師匠との鍛錬を始めてから一度も戻っていなかった。冷静に考えたらとんでもないことのはずなんだけど、俺の両親は中々個性的な人だから、山奥の師匠の家の方にちょくちょく会いに来てくれるという中々にぶっ飛んだ妥協案でOKしてくれるような人だったからな。

 さすがに入学して生活も落ち着いてきたなら、一度ちゃんと自分から会いに行かなければさすがに親不孝者だ。

 

「もちろん、師匠も着いてきてくれますよね?」

「んー……あー……ごめん。ちょっと用事があって一緒には行けないかもしれない。行けたら行く」

「それ絶対来ないやつじゃないですか」

「行けたら行くし。行けたら」

 

 言い方こそ絶対来る気のない人の言い方ではあるが、本当に師匠は最近魔女関係のことで忙しそうだし多分本心から行けたら行くを使っているのだろう。問題は日頃の行いのせいで信頼がない事だ。

 

「それじゃ、申請書渡しましたからね? ちゃんと提出してくださいよ?」

「するよ。ったく、師匠のことを信頼してないのかい?」

「してますよ。してるからこそ、寝ぼけてコーヒーぶっかけないか心配なだけです」

「お前私の事舐めてるだろ。おぉん?」

 

 そろそろキレた師匠が暴力に訴えかけてきそうなので退出することにしよう。

 そうして扉に手をかけると、師匠が声色を変えて一つ問いを投げかけてきた。

 

 

「もしも、私がろくでもない怪物だったとしたら。君は私の元を離れるかい?」

「え、なんですか急に」

「心理テストだよ。ちなみに10秒以内に答えられない人間の10秒後の生存率は0%らしい」

「なんで心理テストでそんな恐ろしい未来がわかるんですか、あ、待って答える答える!」

 

 テストというか脅迫に近い内容であったけれど、幸いにも悩まずにすぐ答えられる内容で助かった。

 

「何度も言ってますけど、師匠がろくでもないのはわかってますよ。それでも俺の師匠なんだから、可能な限り一緒にいる努力はします」

「……そこは何があっても、って嘘でも言えないの?」

「師匠に嘘をつくような弟子にはなりたくないんでね」

「前に私のデザート勝手に食ったの隠したよな?」

「それは……保身の方が大事とその時判断しました」

「そ。じゃあ第二問」

 

 あれ、てっきり普通に殴ってくる流れかと身構えたが師匠は何故かちょっと落ち着いた声色になってそのまま第二問へと移ってしまった。

 

「えーっと……もしもだよ。もしもだからね? もしも私が君の父親と不倫して子供こさえて君の実家では今私の子供が君の両親の世話になってることを私が隠してたら……どう思う?」

「なになになに急にめちゃくちゃ具体的かつ怖い質問! え、怖い! なんでそんなこと聞くんですか!?」

 

 ちょっと考えただけで背筋が氷点下爆発しそうなくらいの発言が飛び出してきて、思わず甲高い悲鳴を上げてしまった。

 

「例えだよ? 例えだから何も言わず答えろ!」

「い、嫌だ! 例えでも考えたくない! 強いて言うなら両者合意の元なら一夫多妻は認められているので合意ならいいと思います! というかそうでないと俺もう実家に気まずくて帰れませんから!」

「私のこと嫌いにならない!? もしそうでも私の弟子やめたりしない!?」

「うーん……やめ、やめ、やめないと思います!」

「OK! 今日は帰って寝な!」

 

 お互い変なテンションのまま、俺は廊下に投げ出されてしまった。

 ……まさか、な。師匠に限って俺の親父のような悪い人ではないけれど甲斐性のあるとは言えない男とそんなまさか、ね? ないよね? だいたい修行中に10ヶ月師匠の姿を見なかったことなんてないのだからそんなこと有り得るはずがない。ないよな? 

 

 そもそもその例えだと師匠のことよりも親父の方がキツイだろ。家に帰ったら父親が二股してたとか、いきなり聞かされる中ではトップクラスにキツイ話題だ。

 

「おや、ジョイくんじゃないですか。何故地面にキスしてるんですか?」

「クラキアか。ちょっと俺たちを支えてくれてる大地に感謝を捧げようと思ってな」

「そうですか。でも校舎の床よりは私の方が強いですよ?」

「そこと張り合うんだ」

 

 相も変わらず天地がひっくりかえっても表情が動かなさそうな無表情のクラキアは、手に何枚かの書類を抱えて立っていた。状況からして、だいたい俺と同じような理由で師匠のところに向かっていたのだろう。

 

「クラキアも実家に帰るのか?」

「いえ、私は長期休暇中にやっておくべき用事を済ませてしまおうと思いまして」

「あー、まぁ貴族の家には色々あるのか?」

「んー、貴族じゃなくてもだいたいみんなやるんじゃないですかね?」

 

 なんのことかと思い、チラリと彼女の持っている書類に目を通す。

 だいたい行先と目的が書いてあるその書類を一度見て、ちょっとよく見えなかったので目を擦ってからもう一回見てみる。それでも何故かそこに書いてある文字を脳が理解しようとしてくれない。

 

「……これ、俺の出身村だよな行先」

「そうですね」

「目的、『挨拶』ってなにこれ?」

「挨拶ですね」

 

 困ったな、どういうことだこれ? 

 

「もう手紙は出してありますよ? いつでも来ていいと君のご両親にも言われました」

「ちょっと待て。俺の両親のこと知ってるの? え、いつ知ったの?」

 

 そう聞くとクラキアの頭にはまるで、はてな、が浮かぶかのような仕草で首を傾げ、おかしなことを聞くものだと言わんばかりにはっきりと告げた。

 

 

「でも、『婚約者』の家に挨拶に行くことってそんなにおかしいことなんですかね?」

「婚約……?」

「え。しないんですか、結婚?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 








・アーリス・イグニアニマ
真正面から殴りに行くスタイル。

・クラキア・ソナタ
外堀から埋めていくスタイル。

・師匠
ザコ。




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31.帰郷と集合

 

 

 

 

 

「それで、訳わかんなくなってとりあえずその場から逃亡してとにかくクラキアより早く実家に辿り着くために寮から飛び出して荷馬車に飛び乗ったと。……情すぎひんか?」

「うるせぇ。気が動転してたんだよ。それと、なんでお前ここにいるんだ?」

「親友、やからな」

「帰れボケ」

「罵倒にキレがないなぁ。マジで相当参っとるなこれ」

 

 荷馬車の荷台でリエンと軽く取っ組み合いをして心を落ち着けてから、現状を整理する。

 アーリスに告白されてどうしようか考えてたら師匠がなんかめちゃくちゃ恐ろしいことを言ってきて震えていたらクラキアと婚約を結んだことになってたので訳分からないので実家に帰ることにしたら何故かリエンが付いてきてた。

 よし、何も分からないな。もう寝るか。

 

「いや本当にお前なんでいるの?」

「なんかアルム先生が血相変えて飛び込んできて、『ちょっと心配だからもし暇ならジョイを見といてくれないか』って言っててな。あとクラキアももし見かけたら注意しとけって」

「マジで俺の実家には今何があるんだよ……」

 

 いや、単にクラキアの外出申請書を受け取って内容にビビってのことかもしれない。師匠、俺が師匠の元から離れようとすると急にビビり出すからな。仮にクラキアと結婚したとしても別に俺はずっと師匠の弟子なのに。

 

「しかしアーリスにクラキア。随分とまぁ面倒くさそうな女に惚れられたもんやな。何したん?」

「何もしてないのに……告られた」

「そんな古い歯車時計みたいな女ちゃうやろアイツら」

「嘘です。本当はそれなりに告られた理由とか分からなくはない」

「ならええやん。女の子にモテモテで羨ましいなァほんまに」

 

 問題はそこなんだよ。

 俺だって男の子だからアーリスやクラキアのような美少女に恋愛感情を向けられて悪い気はしない。むしろめちゃくちゃ嬉しいくらいだ

 

「だからこそ怖いんだよ。俺、あんま自分に自信がねぇから……めちゃくちゃ優秀な相手に好かれるってプレッシャーがな?」

「あー……まぁ、分からなくもないなぁ。あれやろ? 相手が優秀過ぎて自分が釣り合うと思えない的な?」

「いやどうしたら嫌われないで返事を2人とも保留に出来ねぇかなって」

「ゴミがよ」

 

 だって……仕方ないじゃん。

 アーリスもクラキアもめちゃくちゃ美人でめちゃくちゃ優秀でめちゃくちゃいい家のお嬢様だぞ? それに対して俺はそこら辺の農家の息子だ。玉の輿どころの騒ぎじゃないんだよ。正直今の何もかもを投げ捨ててどっちかの扶養に入って安定した暮らしをしたいかと聞かれたらかなり揺らぐ。

 

「なんにも苦労せず楽しいことだけ考えて生きていけるように貴族のお婿さんになって生きていくのも、悪くないんじゃないかなって……それが正解なんじゃないかって……」

「ええんか? 頑張って騎士学校入ったんやないの? その夢を捨ててええんか?」

「だから……ッ! ちょっと3ヶ月くらい考えさせて欲しい……! いや、もしもエアに勝てなさそうだったらいつでも方向転換できるように、キープしたい……!」

「死ねカス」

 

 リエンからエセの方言が取れるレベルの軽蔑を食らうのもわかるし、自分が情けないことを言っているのもわかる。さすがに多少誇張表現があるとはいえ、真剣に悩んでいるのは事実だ。

 俺は俺が楽しいように生きていきたい。そして、その自分勝手な気持ちでアーリスにもクラキアにもお節介を焼いてしまった。その責任は、取らなければいけないだろう。

 

「……んー、真面目やなぁ。助けた人間が勝手に惚れてくるのなんて事故みたいなものやん。なんでわざわざ責任なんて重い言葉に言い換えるねん」

「それは、そうかもしれないけどよ」

 

 デウス・グラディウスという人間は。

 最後まで前を向いていた。アイツが何かに対して後ろを向いた時なんて、俺の記憶にはないのだから。

 魔女の術式に侵され、死んだ方がマシな状態になった人間なんて腐るほど見てきた。アイツは、助けられるやつは寝る間も惜しんで刻まれた幾千もの呪いを解いていた。救えないと判断したやつは、躊躇なく殺した。そういう時、決まってアイツは「どうか僕を恨んでくれ」と言っていた。

 

 アルム・コルニクスという人間は。

 絶対に甘い道を提示しなかった。

 俺の進む道には苦難と後悔、絶望と苦痛が待っていると宣告し、やめていいと、降りていいと。幸せに生きていいと教えてくれた。その上で俺は自分が楽しい選択をした。

 

 

「俺が憧れた奴は、自分の選択に責任を持っていた。そんな風になれるとは思ってないけど、やれる範囲で俺なりに責任は果たしたい」

「大いなる力には大いなる責任、ってか? 今どき自己犠牲なんて流行らんやろ」

「流行る流行らねぇじゃねぇんだよ。俺がどうしたいかだ。つまり、自分勝手な人間ですって言ってんだよ。自己犠牲なんて、そんな高尚なものじゃねぇ」

 

 どんな形であれ、他人の人生を歪めるとはそういうことだ。

 無意識ならまだしも、意識してそれを行ったなら尚更のこと。

 

「じゃあもしも、もしもの話やで? ジョイが楽しく生きる為には、そうやって誰かの人生を捻じ曲げて、責任なんて全部ほっぽり出して、やりたいようにやらなきゃならんくなったとする。──────そうなったら、お前はどうするんだ? 教えてくれよジョイ」

「……そんなの、妥協案を探すだろ」

「0か1か。放棄か束縛か。人生にその道しか残されていなかったら、どうするんだい?」

 

 いつになく真面目に、間の抜けた雰囲気を捨ててリエンが問いかけてくるものだから真剣に考えてみる。

 

「俺は俺の楽しいことを優先するだろうなぁ。だってよ、誰かの為に自分の人生がめちゃくちゃになるなんて本末転倒だろ? 人助けって、結局助けたやつが救われる為にやるもんでもあるだろうし」

「…………ん〜、50点やなぁ! カスさが拭えきれんのに変に良い人ぶってる辺りが腹立つわぁ〜」

「はぁ? 結構かっこいい答えだったろ今の!」

「自分で言う辺りがダサいんよなぁ〜」

「どっち選んでもどうとでも言えるような質問でダサいダサい言う方がだせぇだろこの野郎!」

 

 そうしてまたリエンと軽く荷台の中で揉み合いになり、御者が何事かと心配そうにこちらに視線を向けていたのに気が付いて、2人で咳払いをしながら正座の体勢になって、何となく顔を見つめ合わせてお互い吹き出してしまった。

 

 すっげぇムカつくことに、どうやら俺とコイツはそれなりに気が合うらしい。

 

「ま、ええんやない? 自分が楽しいと思う選択をする、ってのは人間の生き方の大正解やと思うし。楽しみの無い世界なんて、滅んでるのと変わらないだろうしね!」

 

 

 そう言って笑うリエンの顔は、心の底から楽しそうだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あー……遠かったなぁ。ようやく着いた」

「俺もまさかこんな遠いとは思ってなかったな……。俺の実家、田舎なんだな」

「そやな。見渡す限りなんもあらへん」

「失礼な。家とか畑とかあるだろ」

「それをなんもないって言うんやで」

 

 確かにその通りではあるが、仮にも俺の故郷であるのでなんか言おうと思ったけど特に思いつかないので黙っておくことにした。

 うん、やっぱ田舎だな。でも久しぶりに帰ってきたからなのかそんな風景も何処か風情を感じて鼻の奥にツーンと来る。やばい、ちょっと感動で涙が出てきそう。

 

「でもええなぁこういう長閑な雰囲気。ほら、向こうで畑仕事してる人…………あー。うん、はいはい。ジョイ、ちょっとあっち見てや」

「今感動してるところなんだからちょっと待て、なんだよ……」

 

 リエンの見る方向に目を凝らすと、当然ながら畑で農作業をしている人の姿が映る。元気よく鍬を操り畑を耕すその人影は大人と言うにはあまりに小さく、恐らく手伝いをしている子供だろう。

 いや、それにしては手際がめちゃくちゃいいな。大人でもありえないくらいの速度とパワーで次々と土をふかふかにしていくオーバーオールを纏った栗色の髪の女の子。

 

「……クラキアだな」

「クラキアやなぁ」

 

 とりあえず、そっとバレないように距離を取る。

 まさか先回りされているとは思いもしなかった。高い金払って足の速い竜車や魔術で強化された馬の引く馬車とかに乗っておくべきだったか? 

 

「おいおい何逃げようとしてるんや? さすがにここまで来たら覚悟決めた方がええと思うで?」

「さすがに気まずい気まずい! それにまず普通に家族に挨拶させて欲しい!」

「ええ加減覚悟決めときや。でもそれもそうやしはよ言ってきな。俺はしばらく暇つぶししとるから家族水入らずの時間を過ごしや〜」

 

 サンキューリエン、と心の中で気遣いが出来るのか出来ないのか分からない男に感謝をしつつ、俺は速やかに実家へと向かう。

 両親自体とは何度も会っているが、家に帰るということ自体は本当に10年ぶりになる。緊張しているかいないかで言えばめちゃくちゃ緊張しているし、結構楽しみだったりする。

 

 そんな風に、実家に思いを馳せながら道を歩いているとちょうど俺の懐かしの実家の前に女の子が、木の棒で地面に落書きをしていることに気がついた。

 歳は10歳かそれに足りないくらい。まだまだ幼さの目立つ顔つきだがかなりの美人、少し黒ずんだ灰色の髪の毛に灰と黒色の僅かに色の違うオッドアイと、少し目立つ風貌をしている。

 

 

 何となく、雰囲気が師匠に似ていると思った。

 

 

 さすがに、出立する前に聞いた話を真に受けた訳では無い。だけどなんだか嫌な予感がして足が止まった。同時に、こちらに気がついた女の子が視線を向けてきて、怪しみながら距離を詰めてくる。

 

「お兄さん、どなたですか?」

 

 まだ甲高い少女の声には視線に負けず劣らずの怪訝が含まれている。小さい女の子にそうされると不思議とこちらが悪い気になってしまい、一歩後ろに足を引いてしまう。

 

「えっと、そういう君はどこの子かな?」

「質問しているのは私です。お兄さん、どなたですか?」

「あ、いや、俺は……えっと……」

 

 この村出身のそこの家の息子だって正直に言えばいいものを、つい言葉選びに迷って挙動不審になってますます怪しくなってしまう。

 

「なんですか、言えないような事情があるんですか? 最近、この辺りで怪しい人影をよく見るって話があります。近頃は見たことも無い獣が出るとおじさん達も言ってました」

「あ〜、わかった。あやしい者じゃない。俺はジョイ・ヴィータ。そこのヴィータさんの家の息子だよ。聞いた事ないか? 騎士になる為に騎士学校に行ってる一人息子だ」

 

 そう言われると、女の子は納得したのか大きく息を吐いて頭を下げ、それから。

 

 

 

「息子が居るなんて話、聞いたことありません」

「へ?」

 

 

 

 女の子が視界から消えた。いや、背後に回り込まれた。足さばきや動きの速さが子供離れしていて一瞬本当に消えたと思うしか無かった。

 女の子は手に持っていた木の棒を握りしめ、寸分の狂いもなく俺の喉仏を突こうとしている。

 

「いや、はっ、はや!?」

「その動き、盗賊だな! 最近この辺りで出るって、みんな不安になってたもん!」

「待て待て、本当に俺はジョイ・ヴィータで……」

「間抜けな盗賊。よりにもよって、私に絶対に通じない嘘を吐くなんて」

 

 間一髪で避けて距離を取るも、構えからしてこの女の子只者じゃない。

 明らかに強化魔術の心得、剣術の心得、それから対人戦闘の経験のある人間の動きだ。

 人間の視界、関節、そう言ったものを熟知している。歳の頃的に俺が知らない可能性は高いし、前世にもこんな女の子記憶にない。

 

 なんだ、何者だこの女の子は。

 

「俺は嘘なんか言ってないし、そういうお前は何者だよ!」

「盗賊に名乗る名前は無い!」

 

 そう言って女の子は木の棒を持ったまま再度こちらへと向かってくる。負けることは無いだろうが、そうなると女の子に怪我をさせてしまうかもしれない。事情が分からない以上それは避けたいが、あまりに相手について何も分からない。

 手を抜いて俺が勝てるかすら、分からない程に動きが素早い。

 

 

 

 

「──────ねぇ、君何しようとしてるの?」

 

 

 

 

 俺も女の子も、突然現れたその声を聞いて体の動きが止まった。

 昔、巨大な獣に睨まれた時と同じ感覚だった。縄張りに入られた不快と怒り。それを暴力に訴えず瞳や唸り声だけで空間を支配し、消耗なく相手を硬直させ、力の差を伝えることで勝負を終わらせる、そう言った原始的な威圧。

 

「こんな棒でも人は殺せるんだよ。危ないと思わない、ねぇ?」

 

 獣との違いは、その声の主はいつの間にか女の子の持っていた木の枝を指先で弄び、粉々に砕いていた。既に間合いを詰め、殺し合いをしても良いと相手に意思表示をしていたことだろう。

 

 体格的には9歳程度の女の子とは変わらないはずの金の髪の少女。

 怒り方からデウスにそっくりだからわかる。エア・グラシアスは今めちゃくちゃにブチギレている。

 

「え、え……だって、え……?」

 

 急に現れた獣よりも怖いエアを見て、女の子はわけも分からずその場に尻餅を付いて瞳を潤ませてしまった。かく言う俺もエアのことを知ってなければ失禁していたんじゃないかってくらい怖い。俺の視点からでは見えないが、顔を直接見たら多分失禁してたよコレ。

 と言うか、なんでエアがここにいるんだ。

 

「ちょっとエアちゃん! 急に走り出して何処に……あれ、ジョイくん!? と、え、何この状況!?」

「アーリス!? え、待ってなんでいるの!?」

「私が聞きたいんだけど! とりあえずエアちゃんはなんで女の子泣かせてるの!?」

「……えっと、木の枝を振り回してたから、危ないよって注意をしようと思ってね?」

 

 誤魔化すように笑うエアだったが、俺の鳥肌は全く引きそうになかった。アレ叱るとかそういうレベルじゃないガチギレだったよ。返答によっては有無を言わさず相手の首を捩じ切るとか、そう言う感情が間違いなく篭ってた。

 

 そんな俺達の混乱に乗じて、女の子はエアから距離を取って泣きそうになりながらも立ち上がって俺達3人全員を視界に入れて、果敢にも構えていた。

 

「……何人仲間がいたって、私が倒してやる。この極悪非道な盗賊め!」

「え、ジョイくん盗みをしたの!? なんで!? 私に言ってくれればお金くらい貸したよ!?」

「誤解だから! 盗みなんてしねぇよ!」

 

 しかしこの村の子なのに俺の事を知らないなんて一体どういうことだ? 

 前世では両親がうるさいくらい自慢してたって帰った時に村のみんなから聞いてたし、そもそも狭い村だから住んでる人達の家族構成なんてだいたい知ってるし、それを根拠に襲ってくるくらい詳しいならやはり俺の事を知らないというのはおかしい。

 

「僕はあの子がジョイに危害を加えようとしていた。事情はどうあれ、話は聞く必要はある。抵抗の意思があるなら、抑えつけた上でね」

「やれるもんならやってみろ、乳でかオバケ」

「クソガキが、腸引きずり出す」

「あーもうエア落ち着いて! そっちの子も人の身体的特徴を馬鹿にするのは良くないからね!? まず事情を教えて! 私はアーリス・イグニアニマ、そっちの金髪の子はエア・グラシアス。私達は騎士学校の生徒で、この辺りで最近正体不明の獣が出るって聞いて調査に来たの。そっちの男の子はジョイくんって言って、私達の同級生! 怪しい者じゃないし、証拠の学生証もある!」

 

 アーリスは素早くエアと女の子の間に割り込んで、女の子に学生証を見せつけながらお互いに構えを解くように促している。だが、それでもエアと女の子は唸り声を上げながら互いに睨みつけたままでエアの方に至っては腰の剣に手をかけようとしている。

 

「アーリス、どいて。その子は、少し痛い目を見た方がいい」

「落ち着いてってば! と言うか、ここで問題が起きたらエアが監視してる私の方に問題があったってなって最悪私の首が飛んじゃうから! ホント落ち着いてね!?」

「……やっぱり信用できない! 騎士学校の人がそんな獣みたいな目で私を睨みつけてくるなんておかしい! 殺意の込め方が人間じゃない!」

「エーアー! 殺意引っ込めて! ジョイくんも助けてよ〜!」

「すまん、俺が入ると話がややこしくなりそうで……」

 

 しっかしこれどうしたもんか。とりあえず村の人かリエンを呼びたいが俺が動いたら多分女の子とエアが戦うよな。そしたらあの子、下手したら殺されてしまう。ここはどうにかエアを宥めなければ。

 

「えーっと、エア!」

「ジョイ。ちょっと待ってね、ちゃんとあの子に謝らせるから。絶対泣かす」

「その子は……えっと、俺の妹だ! 久しぶりに会って、興奮してチャンバラごっこをしてたんだよ!」

「……あんまり、似てなくない?」

「はぁぁぁぁぁ!? 勝手にアンタみたいな目つきの悪い知らないオッサンの妹にしないでくれる!?」

「口の利き方がなってないね。やっぱり、僕が相手するよ」

「ジョイくん……ごめんちょっと黙ってて?」

「あ、ハイ」

 

 とりあえずエアを落ち着かせようと思ったが、逆に2人とも刺激してしまった。もうちょっと、エアにだけ聴こえるように言えれば違ったかもしれないが。そもそもさすがに髪色以外あんまり似てないし兄妹は無理があったか。

 

「それでえーっと、妹ちゃんはなんでジョイくんを攻撃したのかな?」

「妹って言うな! 私のどこが! そこの優柔不断で情けなさそうな男と似てるって言うんだ!」

 

 怒り心頭の女の子の言葉にエアはついに剣を握ったが、アーリスは静かに目を逸らしていた。おいやめろこんな時にまでそんな態度されたらさすがに傷つくだろ。

 そして悲しいことに俺と同じにされて激しく傷付いたのか、女の子は遂にポロポロと涙を零しながら堂々と口を開いた。

 

 

「よく覚えておけ盗人ども!私はハピ・ヴィータ! ヴィータ家の次女にしてこの村サイキョーの用心棒だ! そんな怪しい情けなさそうな盗人の妹なんかじゃない!」

 

 

 

 

 いや……うん。はいはい。

 

 

 

 

「妹じゃねぇか!!!」

 

 

 

 

 



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32.知らない妹

 

 

 

 

 

「も〜、ジョイったら帰ってくる時は事前に連絡してって言ったのに。急に帰ってくるんだからびっくりしちゃったなぁ」

「そうだぞジョイ。俺達だってアルムさんのところに訪ねる時はちゃんと事前に連絡した。報連相は家族であれ基本だぞ」

 

 ふわふわニコニコしていて綿毛のような印象を持つ俺の母さん、ニチ・ヴィータ。

 そしてその隣にいる俺とそっくりな灰色の髪の毛で腕を組んで威厳を出そうしてるけど、童顔のせいでいまいち威厳が無く、母さんと並んで立つと知らな人から見ると母と息子に勘違いされるせいで一時期距離を置かれたのがトラウマで髭を伸ばしてる悲しいエピソードを持つ男、俺の父親であるフクジュ・ヴィータ。

 

「あのさ、報連相が大事ならさ? まず俺に報告、連絡、相談しなくちゃいけないこと、あるよね?」

「「…………」」

「あるよね、父さん母さん? ねぇ? あの子、あの子何!?」

 

 俺が指を指した方向にいるのは、こちらを警戒して預けられた猫みたいに物陰から睨みつけてきている10歳程度の女の子。

 ハピ・ヴィータ。少女はそう名乗り、この家の()()を名乗っていた。

 

「……次女って、待って長女いるの!? え、まだいるの!?」

「ジョイ、落ち着いて、ね? これはその……ね?」

「頼む母さん! 正直に言ってくれ! 誰の子!? よく見たらちょっと師匠に似てない!? ねぇ、父さん! 浮気とかしてないよな!? 俺の師匠、見た目はめちゃくちゃいいから一晩の過ちとかなかったよな!?」

「落ち着けジョイ……あ、待ってニチ。俺が浮気とかそんなことするわけないだろ、待て待て拳を握るな! 俺がお前に暴力で勝てるわけないだろ! やめろー! ジョイ、母さんを止めてくれ! 話す前に俺が死ぬ!」

 

 

 笑顔でちょっとキレ気味に父さんに迫る母さんを何とか落ち着かせ、話を続けることにした。

 

「あー、まぁいきなりで驚いたかもしれないが。あの子は間違いなくうちの娘だ。名前はハピ。年齢は今年で9歳だ」

「つまり……俺がいない寂しさを夫婦で乳くりあって癒して、結果出来た子……?」

「違う。だいたい、最低でも年に一度は俺達の方からお前を訪ねていたんだ。それならその時に母さんの様子で気が付くだろ」

 

 それもそうだ。でもだからこそ、混乱しているんだ。

 もしも俺が家を離れていたから、結果として出来た妹なら納得が出来る。だが、このハピという子は来歴が分からない。前世を含めて、全く知らない存在なのだ。それが久しぶりに家に帰ってきたらいると来た。

 神経質かもしれないが、つい最近『魔女』と出会ってる以上は何事も神経質にならざるを得ない。

 

 チラリ、と父さんが視線をハピの方へと向ける。

 そこに彼女の姿はなく、玄関の方から外へと出ていったのだろう。それを見て安心したように息を吐いて、話を続けた。

 

「あの子は4年前に、拾った子だ。この村の近くに捨てられていて、俺が見つけた。記憶も身分を示すものも何も持たず、言葉も知らない子だった」

「捨て子、ってことか?」

「それで見捨てられなくてね。私達で引き取って育てることにしたの。変な言い方だけど、ウチは色々と余裕のある家じゃない?」

「…………そうかぁ、なんだよ、師匠の娘じゃねぇのかぁ……よかったぁ」

「なんでアルムさんの娘がうちにいるんだよ。そもそもあの人はずっとジョイにかかりっきりだったし……なんか目が怖くて、俺の好みじゃない」

「親父の好みかどうかは聞いてねぇよ」

 

 素性は分からないが、4年間育てられてこうして両親が健在ならそこまで警戒すべき相手ではないのかもしれない。それに、師匠が変なことを言うから想像してしまっていた最悪のケース出ないことがわかって一気に気が楽になった。

 

 

 うん、それはそれとしてね。

 

 

「4年前って、なんでそんな長い間俺に隠してたんだよ」

「「…………」」

「待て、逃げようとするな大人。ちゃんと息子に妹について話せ。こちとらいきなり兄になってしかも妹に喉仏潰されかけてるんだよ」

 

 不穏な存在でないとなると、次は何故それを俺に画していたかになる。

 しかも向こうも俺を知らない様子だったししかもあの子、次女って言ってたからな。じゃあ長女は誰だよって話だ。

 

「長女は……お前だ」

「は?」

「お前は……女の子なんだジョイ! そういうことにしてくれ!」

「母さん。父さんは何か、頭の病気なのか?」

「最近抜け毛が増えてるけど病気ではなく加齢だと思うわよ。つまり普通におかしいだけよ」

「そっか。困ったなこれは……」

「ジョイはともかくなんでニチまで俺を頭おかしい扱いするんだよ。そこは乗ってくれよ。だからその憐れなものを見る目をやめて話を聞いてくれジョイ」

 

 コホン、と父さんが咳払いするとその声は少しだけ低くなった。真面目な話をするぞという合図のようで、俺も少しだけ姿勢を正した。

 

「あの子は、男性恐怖症なんだ。怯える、と言うよりは強い敵意を示す。今でこそ懐いて父親として認めてくれているし、この村の男性になら心を許しているが最初は酷いものだった。あの子を孤児院に預けなかったのも、それが1つの理由だ」

 

 少しだけ衣服をはだけさせた父さんの胸には、後になるほど深い引っ掻き傷があった。服で隠せば確かに気が付かないが、痛々しい痕。そしてその大きさは獣のものではなく、小さな女の子の手のサイズと考えるとしっくりくる大きさ。

 

「ある程度経って、すぐに言葉を覚えたあの子は当然ながらジョイの痕跡に気が付いた。お前の部屋、そのままにしてあったからな」

「でも、ハピは男性不信だし、その頃はようやく落ち着いてきた頃でもあったから……咄嗟にね、吐いちゃったの。嘘」

「……まさか」

「ハピには……お前はお姉ちゃんという事にしていた」

 

 なるほどね。だからあの子は次女を名乗っていたと。

 長女は俺だったのね。死ぬほどくだらない三文小説の伏線回収をされた時みたいな、感情の矛先が行方不明になってどんな顔をすればいいかも分からなくなったが、ひとまず疑問が解決したのでよしとしよう。

 

「……いや、でもやっぱ他にやりようあったよな。俺がお姉ちゃんは、普通に無理があったろ」

「大変なんだぞ子育てって! 特にハピはなぁ……少しでも知らない男を見かけたらとりあえず殴りつけようとしてなぁ……」

「それ本当に男性恐怖症なの? むしろ男性側の方が恐怖だろ」

「そうよジョイ。子育ては大変なの。だから多少のアレには……目を瞑って欲しいなって」

「まぁね、うん。そうだよなごめん。ちょっと俺も興奮してた」

 

 父さんと母さんは、6歳の息子が騎士になるって言って修行に出るのを許可してくれるような常識のない人ではある。でも、それと同じくらいにめちゃくちゃに優しい人だってことは修行中にたまに会う時の嬉しそうな顔と、前世での記憶でもわかっている。

 この人達なら、もしも捨て子がいたとしたら黙って捨てることは出来ないだろう。

 

 ……なんだかんだ、自慢の両親なんだ。親父はちょっと情けないところあるとは思うけど。

 

「で、なんで俺の方には4年間存在を隠してたんだ? 別に言ってくれても良かったのに。たとえ浮気相手の子でも、父さんを軽蔑するだけで邪険に扱ったりしないのに」

「息子から軽蔑されるのは普通に辛いんだが? いや、そもそも浮気なんてしてないぞ。ニチには俺の方から告白したのに」

「そうよジョイ。昔から何度も聞かせたでしょう? ちょっとやんちゃだった私に物怖じせずに話しかけてきて、何度ぶちのめして骨を折ってもめげずに告白してくる彼を見て私は……」

「あーはいはい、いいから。惚気は何度も聞いたから話の続き」

 

 もう結婚から20年以上経つのに未だに新婚気分でいるものだから困ったものだ。前世ではもう少し控えめだった気がするが、俺が近くにいなかったから2人きりの時間が増えたことで熱が少しは冷めてるかと思ったら逆の結果になっているとは。

 

「別に俺達としてはお前にやましいことがあるから隠した訳じゃなくてな? アルムさんにお願いされたんだよ」

「師匠が? なんで?」

「『可愛い妹ができたって聞いたらジョイが帰っちゃうかもしれないじゃん! 何があっても厳しく指導してくれとお願いされた以上師匠として妹と会うのは少なくとも騎士学校入学までは認めません!』って。ぷりぷり怒ってたわよ」

「ぷりぷりって……あの人はほんと、ほんとさぁ……」

 

 そんなことで俺が修行を止めるわけないのに、一体何を心配していたんだか。

 でも、理由を聞けて安心した。聞いてしまえばどれもそうなるのも仕方ないかと納得出来るものだし、ハピの出自こそ不明だが師匠が検査をしてるなら安心出来る。

 幾つもの要素が重なって最初こそ心臓が飛び出るくらい驚いたけど、蓋を開けてしまえばなんてことの無い話なのだから笑ってしまう。いや、義理の妹が増えたってあんまり笑って流していい話題でもない気がするが。

 

「それよりも、よ。ジョイ。あのクラキアちゃんって子のこと……」

「ゔっ、いや、それは……」

 

 俺の質問が終わると、反撃の機会を待っていたと言わんばかりに母さんが一番聞かれたくない部分に切り込んできてしまった。

 

「その、アイツは俺のことなんて言ってた?」

「手紙では婚約者って言ってて、実際に来てからはジョイが来てから話すって言って村の農作業のお手伝いをしてるわね。すっごく良い子でびっくりしちゃった」

「そっかぁ……」

 

 とりあえず変なことをしてなくて安心、と思ったけれど知らない間に俺より先に両親の元に挨拶に来てるのは普通に変なことにカウントした方が良いのかもしれない。

 

「しかもあの子、あのソナタ家のご令嬢さんでしょ? すごいわねジョイ、昔私も追われたことあるからソナタ家の凄さはよーく知ってるわよ」

「待って追われたって何? 母さん昔何やったの?」

「私の話より今はジョイの話よ。聞いた話では、なんでも末永く2人で支え合っていく的なことを話したって言ってたけど」

 

 そんなこと言ったけなと思い返してみると、何となく言った気はしなくもない。

 割と追い詰められたりギリギリになると、俺は思ったことをそのまま何も考えず口に出してしまうので告白とも取れるようなこと言ってるかもしれないんだよなぁ。

 そのくせ自分では咄嗟に出た言葉なのであんまり覚えていない。

 

「それはまぁ、言葉の綾と言うか……」

「あの子、ジョイに助けて貰ったって言ってたわよ。その時の姿がかっこよくて、好きになったって」

「それは、嬉しいな……」

 

 ちょっとカッコつけて助けようとしたのも、俺の本心であり事実だし。可愛い女の子にかっこいいと言われて嬉しくないわけが無い。

 

「でもあの子思い込んだら一直線なところありそうだし、ちゃんとジョイもビビってないで気持ちに答えてあげなさい?」

「わかってるよ。……わかってるけどさぁ」

「せっかく家に帰ってきたんだから、何か困ってることがあるなら私たちに相談しなさい。息子の恋の相談とか、1回くらいされてみたかったのよね」

 

 父さんも母さんも、しょうがないなと言わんばかりに少し呆れた笑顔を浮かべている。別に俺がヘタレと言うよりはクラキアが行動派なだけな気がしなくもないけれど。

 

 せっかく俺には頼りになる両親がいるのだから、相談しないのは損だろう。

 

 

「実は今もうひとりめちゃくちゃ美人な貴族の女の子に告白されてるんだけど、正直悩むからどうにかして2人とも保留にする方法とかない?」

「自分で考えろバカ息子」

「正直に言って殴られなさいドラ息子」

 

 全くもっての正論でお悩み相談室は終了した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハピ・ヴィータは天才無敵のサイキョーの用心棒である。

 これは自己評価ではなく、他者評価だった。村の大人の誰にも負けないし、今や母さんにだって真正面からなら滅多に負けない。

 両親からも愛されて、順風満帆な人生を送っている。その自信があったのにそんな日々は突如として崩された。

 

「……ジョイ・ヴィータ」

 

 自分には騎士学校に通うために遠くで修行をしている姉がいるということを聞かされてはいた。

 美人で強くて、あと強い。ついでに強くて、さらに強い、すごい姉なのだと。父さんと母さんがそう言うのだから、実際そうなのだろうと信じていた。

 

 しかし実際に現れたのはなんか目つきの悪いやさぐれた変な男だったでは無いか。

 両親が自分に嘘を吐いていた? そんなこと考えたくもない。ハピ・ヴィータは両親に愛されている。そんな確証があるからこそ、両親が嘘を吐くならば相応の理由が必要になる。

 

「まさか、父さんたちはあの男に弱みを握られて……ッ!?」

 

 そう考えれば全て合点がいく。

 きっとあの目つきの悪い情けなさそうな男は両親を脅して何らかの理由で息子を名乗っているに違いない。そして、何らかの理由で自分を家から追い出そうしているのだ。

 その肝心の『何らかの理由』はハピには想像がつかない。だが、現実として自分の居場所が脅かされようとしている。

 

 手足が震え、その震えが内臓までも揺らしてるような猛烈な吐き気が込み上げてくる。

 寒い寒い、外の風。誰も温めてはくれない夜の檻。声の届かぬ孤独の原風景。記憶にはない、本能的な恐怖がハピの子供じみた妄想を核心へと変えてしまう。守らなきゃ、自分の居場所は自分で守らなければ。

 

 また自分は全てを失ってしまう。

 

 

 そうと決まれば作戦会議だ。

 両親に迷惑のかからないよう、この村の中で両親の次に信頼している近所のブラデおばさんの家で案を練ろう。小さな体のどこにそんなに筋力が秘められているのか、疑問になるような速度でハピはブラデおばさんの家へと駆けていく。

 

 

 その途中で空気が濡れた。

 そうとしか形容できないような世界の切り替わり、空間の支配、存在の確立をハピの肌は感じ取った。

 

「お、第一村人発見。そこの凡人、私はちょっと旅してる者なんだけど。魔術で大抵の悩みは解決してやるから一晩の寝食を保証してもらいたいな」

 

 現れたのは、とてつもない存在感を放つ長身の女性だった。

 この場合の存在感というのは第六感的な話ではなく、視覚的な話だ。銀の髪に派手なメッシュが入り、サングラスをかけていて大きな荷物を宙に浮かせて持ち歩く、長い脚をさらに強調するようなズボンスタイルの、こんな辺境の村にいることが何か世界が狂ってしまったと感じさせるような派手な女性だった。

 

「む、子供だったか。まぁいいか。凡人ちゃん、お父さんとお母さんのところに案内して貰えないかな? あぁ、私は怪しいものでは無いよ。通りすがりの天才だから」

 

 怪しさしかない見た目と言葉にさすがにハピもちょっとこの人やばいんじゃないかと1歩引きそうになるが、目を閉じて意識を集中させる。

 

 やっぱりだ。

 この人の魔力とその操作技術の精度は今まで見てきたどんな人よりも優れている。母さんより、兄を名乗る不審者より、そしてアイツの近くにいた乳でかお化けよりも。

 

「わかりました。両親に話を聞くだけなら、いいですよ」

「ふーむ、まぁいいか。私はなんでも出来るしね。どうせ泊めてもらえるはず」

「代わりに、お願いなんですけど……」

 

 知らない人に、怪しい人にこんなことを言うのは間違っている。悪い子だとハピは思った。

 それでも、ハピは良い子でありたいなんて少しも思わないから。欲しいのは今の、両親との穏やかで暖かな生活だけ。

 

「私の師匠になってください! 私を鍛えて、悪いヤツをやっつける方法を教えてください!」

 

 その為だったら、ハピはどんなことだってやってやると思っていた。幼い彼女にとってこの小さな村の家族だけが世界であり、それ以外のことを考える余裕は、育まれていなかった。

 

「うん、いいよ。なかなか見所がある凡人なようだし」

「あ、ありがとうございます! じゃあお家に案内しますね! 言っておきますけど、もしも怪しい人だったら倒しますからね。私、この村で1番強い用心棒なので!」

「そんな事しないよ。もしも子供攫いにしても、君みたいな子を攫うなんてリスクに対してリターンがないもの」

 

 褒められているのか貶されているのか、よく分からないけれど目の前の女性からハピは敵意を感じはしなかった。

 それどころか不思議なことにハピに対してなんの感情も向けていないような気さえする。まるで、草花や動物を見るかのように、不思議なくらい彼女の心は凪いでいた。

 

「そう言えば、お名前はなんて言うんですか?」

「リィビア・ビリブロードだよ。心配なら今から村長の家に私と行こうか? 彼には挨拶はもう済ませてある。羨望や嫉妬は天才である私だからこそ仕方ないことだが、謂れの無い曖昧な『怪しい』という感情をぶつけられ続けるのは不快だ」

 

 不快だ、という言葉を包み隠さず告げられてハピは少し肩を震わせてしまった。まさか初対面の人から不快という言葉をまっすぐ告げられるとは思っていなかった。

 

 なんというか、普通の人とは違う人だ。

 

「それで凡人ちゃん、君の名前は?」

「え?」

「シツレーだろ。私が名乗ったんだぞ? 対価くらいだしたまえ」

 

 あまりにも態度が大きくて、脅したりしてきてる訳でもないのに圧が強くて、怪しい人に名前を教えちゃいけないなんて両親の言葉も忘れてハピは自分の名前を名乗ってしまった。

 

「ハピ・ヴィータです」

「ほんほん……ハピ…………ヴィータァ!?」

 

 

 人間じゃないみたいなすごく強そうで不思議な魔法使いは、ハピの前で初めて人間らしく驚愕の声を上げた。

 

 

 

 

 







・ニチ・ヴィータ
ジョイのお母さん。ジョイのことが好きだけどドジってジョイを3回ほど殺しかけてるのでジョイは本能的に少しだけ苦手らしい。
料理以外の家事が死ぬほど下手くそ。前世ではジョイに稽古をつけて上げたり、ハピが武闘派に育った原因。
好物は食べられる野草。

・フクジュ・ヴィータ
ジョイのお父さん。口癖は金塊掘り出して1発当てたいとかそんな感じ。そうは言いつつ家族の為に普通に頑張って働いているし、前世でも今世でもジョイは結構お父さんっ子。たまに情けないとは思う。
料理を含めて家事はだいたい得意。ジョイは父親似。
野菜が嫌い。

・ハピ・ヴィータ
ジョイの知らない妹。前世でも一切面識がない。男と余所者が嫌い。家族は好き。4年で読み書きを完全に覚え大の大人を軽く倒す体術を身につけている天才。会ったことは無いが密かに凄いらしい姉に憧れていた。
食べられるものはみんな好き。





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33.兄妹布舞






ガンダムSEEDと00がとても面白かったです。シュタインズ・ゲートも面白かったです。






 

 

 

 

 昨日はそりゃあ疲れてた。長旅の果てに実家に帰ってきたら知ってるやつが3人居るのに知らない妹が生えてたのだからもう疲れてそのまま泥のように眠った。

 

 そのおかげか知らないが、久しぶりに昼前まで惰眠を貪ることが出来た。

 さすがにやばいと思わなくもなかったけれど、やはり実家のベッドというのは安心感が違う。心做しか肩もいつもより軽い。

 

「おはよう、いやもうこんにちはの時間ね。よく眠れたかしら?」

 

 リビングに行くと、母さんは机に座り眼鏡をかけて何やら本を読んでいた。

 申し訳ないけれど、少し幼くてぽやぽやした顔立ちをしている母さんには全くメガネが似合わない。これならまだ、いつも通り農具を小枝みたいに振り回してる方がなんだか様になる。

 そもそも、読書とか柄じゃないだろう。猪を殴り殺してる方がだいぶ似合ってるぞ。

 

「今、親に対して失礼なこと考えてるわね?」

「滅相もありません母上。これでも騎士の卵、両親への敬意を忘れたことなんて一度もありませんよ」

「顔に出てるわよ。そういうところ、本当にあの人にそっくりなんだから。……確かに、私は読書嫌いだけどこれは副業よ。古文書の解読」

「え、読めるの?」

「まぁ……読めるわよ」

 

 ちょっと目を通してみたが、俺では理解できない言語が並んでいるのに母さんは何故かその内容を別紙にいくつかの解釈を交えて纏めている。どうやらなにかの部族の民話のようだ。

 

「アルムさんが手伝ってくれたら報酬は弾むから、っていって紹介してくれてね。かなり沢山貰えるのよ〜」

「待って、なんで母さんこれが読めるの? ねぇ?」

「それは母さんの過去に関わるからトップシークレットよ」

 

 ヘラヘラ笑って誤魔化しているけれど、母さんの過去に関しては息子である俺も全く知らないくらいに本当に謎なのだ。前世でも結局最後まで教えてくれなかったし、こんなよく分からない言語が読めるなんてのも驚きだけど、本人が言う気がないなら別にわざわざ知るようなことでもない。

 どんな過去があろうと、この人が俺の良き母である事実は変わらない。

 

 あぁ……平和だな。

 別に騎士学校での日々が辛いとかそんなことは決してない。強くなることは俺が望んだ事だし、でもそれはそれとしてこういう呑気に過ごせる時間が恋しいという思いはある。俺は楽しく過ごすのに必要だから努力するだけで、本質的には怠惰な人間なのだ。

 

「そういえば、昨日貴方が寝た後貴方の同級生を名乗る人が押しかけてきたわよ」

 

 だから頼むからもう少し平和に浸らせろ。

 俺、この村をなにかの集合場所にしたか? ってレベルだぞ。

 

「……えーっと、誰だ?」

「そう言えば名前を聞いてなかったわね。ハピが拾ってきて、『ししょー』って呼んでたから私達もししょーさんって」

「名前が分からない人家にあげたの!? 正気!?」

「でも……クラキアちゃんにアーリスちゃん、あとリエンくんにエアちゃんも知り合いだって保障してくれたから」

 

 確かにあのメンツが保証するならたとえ悪人でも下手なことは出来ないだろうしいいけど、それはそれとして俺精神安定に良くない。

 

「どんなやつだよ。知り合いなら、特徴言ってくれれば分かる」

「変な子だったわねぇ。変だけど、実力は折り紙付きってみんなが言ってたわ」

 

 うーん、それじゃ特定無理だなぁ。思い当たる知り合い、変だけど強いやつしかいない。

 

「多分、アーリスちゃんと仲悪いのかしら? 嫌そうな顔してたわよ」

 

 ダメだ結構いる。というかアイツ意外と他者に厳しいところあるから結構思い当たる奴がいる。もっと本人を特定できる要素が欲しい。

 

「あと何故か室内でもサングラスをかけていて、背が高くて派手な服装をしたかわいい女の子だったわよ」

「なんだリィビアか。驚かせやがって」

 

 とりあえずその奇天烈さはリィビアで間違いないだろう。なんでアイツが俺の村に来てるのかは知らないけれど。なんで実家に帰ってきたはずなのに学校にいるのと変わらないメンバーが集結してるんだよ。

 

「ジョイ、なんだか疲れた顔してるわね」

「なんで母さんは楽しそうなんだよ……」

「息子が家にお友達を連れてきたのよ? 悪い人じゃないなら、それを喜ばない親なんていないわ」

 

 リィビアとリエンは良い人ではないからじゃあ悲しんで欲しいな。

 

「というか……ハピが拾ってきたって。あの変人を? アイツ、見た目だけなら絶対不審者だろ。村の用心棒名乗るならあんなの家に連れ込まないで欲しいな」

「そうよねぇ。あの子、村の外の人にはすごく敵意を剥き出しにするから、私達もハピの成長だって浮かれちゃってよく考えてなかったわねぇ」

 

 …………これはあくまで推測だ。

 俺とハピに血の繋がりは無い。しかし同じような環境で、同じ両親に育てられた人間だ。人格形成において、似た所が出る可能性はある。

 もしもその推測が当たってたとしたら、正直あんまり嬉しくないんだよなぁ。

 

「ま、子供が外の世界に興味を持つことはいいことなんじゃないの? いつまでもこの狭い村で世界が完結してるってのも、寂しいしさ」

「……ジョイ、どう? ハピと仲良く出来そう?」

「なんとも言えん。ファーストコンタクトが最悪だったし、母さんと父さんのおかげで相手からの印象も最悪だよ。綺麗な姉さんだと思ってたらこんな目の死んだ情けない男が出てきたんだぞ? ショックだろ?」

「それは……うん、ごめんね。その時その時は最善を選んでたつもりだけど」

 

 父さんも母さんも特別頭が良いわけでも、悪い訳でもない。普通の人間だ。普通の人間は常に最善手を選べるものでは無い。常に、良き結果になるように祈りながら最善と思える選択をする。

 

「ハピだって、母さん達が悪いやつじゃないって知ってるだろうし、問題は無いよ。俺も仲良くなるよう頑張るからそんな落ち込まないでくれ」

「うー……ごめんねジョイ。ダメなお母さんで。ハピ、かなり拗ねちゃってるから気をつけてね? 骨とか折られないように」

「言っただろ? これでも騎士の卵、妹に負ける程やわな鍛え方はしてないよ。……骨とか折りに来るの?」

「関節技、教えてないのに得意よ」

 

 それはちょっと怖いが、しかし兄妹仲良くというのが両親の願いだ。

 

 前世では、親孝行することは叶わなかった。

 俺が騎士として認められる頃には、この村は焼け野原になって俺は天涯孤独になっていたのだ。

 

 どんな些細なことでも、この優しい両親が喜んでくれるなら難題であろうと頑張ってみるとしよう。そうでなければ、楽しい帰省になりはしないだろうし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おらー! ジョイに勝ちたくないのかー!? あのネズミみたいにチョロチョロする口の悪いネズミの内臓を引きずり出したくないのかー?」

「ちょ、ま、待って待って待ってししょー!? 死んじゃう! 一旦これ止めてー!」

 

 早速修行と言って、師匠は私を村の外れに連れてきたと思ったらいきなり魔術をぶっぱなしてずっと狙い続けるから避け続けろ、なんてことを言い出した。

 

「私は、今ぶっぱなされてる魔術について、知りたいんですー!」

「じゃあ見て覚えてろ。まずは基礎的な身体強化からだ。身体をひとつの回路と認識して全身に組まなく循環させろ。魔術の基本は『始まり』と『経過』と『終わり』だ」

 

 リィビア師匠が空に手を翳すと、そこに魔術陣が浮かび上がる。その内側から魔力が漏れだして、氷の矢が幾つも形成された。器用にも刃は潰れているけれど、まともに当たったら打撲で済めば運が良い程度には威力がある。

 

「魔術というものは『流転』が基本だ。永続させようとしたり、状態変化や魔力流動の少ない魔術は効果が落ちる。循環の理をまずは全身強化で叩き込め」

「だからって……」

 

 これは、いくらなんでもあんまりだ。

 魔術ってもっと勉強して、なんだかすごい難しいことをして、学ぶものじゃないんだろうか? 

 確かに私は……

 

「だって君、座学嫌いだろう?」

「え……なんで知って」

「私は天才だから。それに君は天才側の人間だ。私のような感覚派の人間が教えるよりも今は感覚で理解して、それから基礎を固めた方が手っ取り早い」

 

 なんだかよく分からない。リィビア・ビリブロードという人はまるで何もかも見通してるようで、すごく不思議な人だ。

 そしてきっと、すごくすごい人だ。なんだかすごい気がする。この人が師匠なら、きっと私はすごく強くなれる。

 

「ほら、進歩しなきゃ当てるぜ? きっとこれは君の兄さんなら簡単に避けるだろうねぇ」

「ッ!」

 

 その言葉を聞いて、一瞬思考が紅に染まる。

 あの灰色の髪の男。兄を名乗る、知らない男。私の世界に現れた異物。

 

「あんな人、兄じゃありません!」

 

 怒りに任せて魔力を体に流す。

 今まで腕や足に鎧のように纏わせていた魔力が、体を内側から補い、血管の内で全身を駆け巡る感覚。怒りというポンプが、その感覚を加速させる。

 世界の動きが遅くなり、自分の動きが速くなる全能感に近いその感覚。

 

 先程放たれた5本の氷の矢の動きがわかる。4本は今の速度で駆け抜けていれば追尾速度的に振り切れる。けど、1本は特別だ。撃ち落とさなければ、避けるのは厳しいだろう。

 

 体の内側に魔力を流す感覚を理解したらすぐに世界は開けた。血液のように流れる魔力を、頭の中で1つの『門』に通すように。そうすることで、魔力という不確かなものに『色』を付ける。私の中にある門は6つ。その内の、赤色の門に向けて魔力を流し込む。

 

「火は、こうですね」

 

 バチリ、と世界を書き換えるかのような音が響いた。

 体から漏れだした魔力が、色と指向性を持って形を変える。炎を形作り、標的を決めて、放つ。その工程を1つの式として頭の中で理解してしまえばあとは簡単だ。

 

 放たれた火は氷の矢とぶつかって、お互いを相殺して弾けるようにして消えてしまった。

 

 

「ヒュウ、予想以上だ。まさか感覚だけで初歩的とは言え戦闘用に式を短縮した魔術を使うとは」

「当たり前です! 私は……最強の用心棒なんですよ。舐めないでください」

「ああ、それくらい胸を張っていた方がいい。君の才覚は普通の凡人とは比べ物にならないさ」

 

 褒めてもらうこと、肯定されている実感が魔力強化に成功して覚醒している脳に染み込んでイケナイ何かを生成している。すごく、嬉しくて思わず頬がにやけてしまうのを抑え込むので精一杯だ。

 

「過信は良くないが相応の実力には自信を持て。自己分析は魔術の基本だ」

「じゃ、じゃあ私、ジョイ・ヴィータより凄いですか」

「すごいに決まってんだろ。何? 君あの才能も大してない男と自分を較べていたのかい? 比べ物にならないくらい君の方が優れてるに決まってるだろ」

 

 少し否定されるかもという恐怖がありながらも、どうしても知っておきたかった比較対象について聞いてみたら、リィビア師匠は想像の斜め上の早口でジョイ・ヴィータをめちゃくちゃに貶めてきた。

 

「し、ししょーとあの男って知り合いじゃないんですか?」

「知り合いだから仲良しこよし、贔屓目で評価した方がいいのかい? 違うだろ? アイツ馬鹿だし、物覚え良くないし、まぁ凡人の平均値は超えてるけど、かなり優れた凡人の中でも選りすぐりの凡人の君と比べたらもう悲しいくらい才能ないよ。まず魔力量からして、まだまだ成長の余地のある今の君が100だとしたら、あの男は……」

「10、くらいですか?」

「0.1」

 

 希望的観測を込めた意見を出したら、師匠は想像を超えてあの男を下げ散らかしてきた。もしかして、師匠もあの男が嫌いなのだろうか。

 あまり良くないことだと思いつつも、そうだったら嬉しいなと何となく思ってしまう。

 

「ししょー、あの……ししょーは私の事、好きですか?」

「え、何急に? 別にどうとも思ってないよ。ビジネスライクな関係だよ」

 

 真顔で答えられて、ちょっぴり傷ついた。

 もしかしたらこの人は、あの男に冷たいんじゃなくて全人類に冷たい人なのかもしれない。昨晩も誰に対しても態度を変えてなかった……いや、あの金髪の女に対してだけは目を合わせようともしなかった。

 

「逆に言えば、贔屓無しの意見を言ってくれてるんですよね?」

「当たり前だ。贔屓という言葉は私は嫌いだ」

「じゃあ私は、あの男に勝てると思いますか?」

「無理だよ」

 

 ここまで、少しだけ期待を積み上げていた。この人は自分を認めてくれていて自分は普通の人よりすごい人間で、だから目をつけて貰えて、機会を与えて貰えたのだと。

 

 そんな淡い期待は即答で叩き潰されてしまった。

 

「でも、あの人すごくないんでしょう? 私、勝てないんですか?」

「アイツは無才だし、馬鹿だよ。でも弱くはない。一体どこでそんな経験をしたんだか知らないが、アイツの戦闘経験は常人ができるようなものじゃない。まるで()()()()()()()()1()0()()()()()()()()()()()()()()()みたいな生存本能の賜物さ。アレは才能で易々と真似できるものでは無い」

 

 

 リィビア師匠があの男について語る口ぶりは。

 ムカつくやつ、イラつくやつ、腹立つやつ。そんな負の感情があるのに。どこにも、彼への嫌悪が感じられなかった。むしろ、信頼や信用と言った、聞いてるいるこちらの胸が安らぐようなどこか心地よくて柔らかな感情が混じっている。

 

 

「……ずるい」

 

 

 ジョイ・ヴィータなんて人は知らない。私の人生に、今までそんな人はいなかった。

 

 

『さっきはごめんねハピちゃん。ジョイくんも、エアも悪気があったわけじゃないんだ……いや、あっちの金髪のお姉さんは多分悪気あったから後で顔に落書きとかしていいよ』

『聞こえてるから! 聞こえてるからねアーリス!』

 

 とっても綺麗で優しそうな2人は、あの男の学校での友人らしい。

 

『ジョイ・ヴィータ……ジョイくんですか。とてもいい人ですよ。えぇ、いい人なんです。私の好きな人ですから』

 

 少し前から村に来ていて、無表情で怖いし何故か農具の扱いでやたらマウントを取ってくるけれど頼りになって優しいクラキアさんも、あの男について語る時は楽しそうだった。

 

 あとなんか、怪しい男もいた。あいつはちゃんと同性の友達もいるらしい。私には、そんなものいないのに。

 

 

『ごめんなハピ、今までずっと騙してて……。実は、お前にいるのはお姉さんじゃなくてお兄さんなんだ』

『でも大丈夫よ。貴方のお兄ちゃんはすごく優しいから、心配する必要は無いわ』

 

 

 わかってる。

 あの男が自分の義兄で、お父さんとお母さんの本当の息子で、沢山の人に好かれて、私には無いものを沢山持ってる人間だってことくらい、目を背けてるだけでわかっていた。

 

 でも、じゃあ認めろって言うのか? 

 そんな私に無いもの、私がそれだけあればいいと思っていた家族と言う居場所すら。

 

 

 奪ってしまうほど魅力的な。

 あんなにキラキラと輝いたやつがいることを。

 

 

 そんなに持ってるなら、もういいじゃん。私には、お父さんとお母さんしかいないのに。どうして私の前に現れてしまったんだろう。

 

 

 

 

「……どうしたハピ?」

「ししょー。私、負けたくない。勝って、私の価値を示さなきゃ、そうしなきゃ……」

「しなかったら、どうなるんだい?」

 

 肌が思い出したのは刺し貫くような冷たい風の感触。あんなものもう味わいたくない。1人になるのは、孤独になるのは、捨てられるのは嫌だ。

 私は誰かに愛されていたい。

 

「私は、捨てられちゃう。アイツより自分の価値を示さなくちゃいけないの」

「じゃあやってみる?」

「え?」

 

 リィビア師匠はまるで玩具を見つけたみたいに、夜闇のようなサングラスの向こう側で瞳を輝かせていた。

 

 

 

 

 








・リィビア・ビリブロード
この前の合同訓練で実質自分がリーダーを務めた青組だけ負けたことをかなり気にしている。この村には武者修行の途中で訪れた。






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34.暗雲跳舞






リエンくんが出ないので初投稿です。






 

 

 

 

 

 

 

「ふんふんふふーん、まじょまじょまーじょ〜」

 

 大衆がごった返す街の中を、少女は歩いていた。

 灰色の髪をたなびかせ、日に照らされた笑顔はもう一つの太陽のようで。まるでこれから誕生日を迎えるような上機嫌な鼻歌を添えて。世界の主役が自分だと言わんばかりな自信ありげな大股で。

 

 誰かの楽しげな自慢話、他愛もない世間話、幸福そうな言葉の数々。そういった物に溢れる世界から目を背けるように少女は路地裏へと入っていく。

 日陰に入った瞬間、まるで演劇の場面が切り替わったかのように少女の雰囲気が切り替わる。

 輝いていた笑顔は太陽の光を映した虚像だったかのように作り物めいたものになり、希望に光る少女の様相は何もかも失った未亡人のように。

 

 妬みに、怒りに、呪いに。

 厄災に蝕まれた『魔女』へと変貌した。

 

「よう、アンタが噂の魔女……でいいのか?」

「いいのかって、何かなその疑問形は」

「いやぁ、『魔王現象』ってのが随分と愛らしい姿してるもんだなとよ」

「だって女の子だもん。いつまでも可愛くなくちゃね。年にあぐらをかいて可愛さよりも大人の余裕とかみたいな目に見えないものを頼りにしてるどっかのバカとは違うんだ」

 

 くるりとその場で回る魔女。

 広がるドレスは花の花弁のようで、さしずめそれを纏う彼女は花の妖精。何も知らない者が見ればそう例えてもおかしくないほどに彼女は可憐で、儚く、美しかった。

 

「んで、依頼ってのはなんなんだよ」

「この紙に纏めてある人間を生け捕りにしてきて欲しいの」

 

 そう言いながら魔女が渡してきた紙を見て、男は少しだけそれを手に取るのを躊躇った。

 

「……騎士学校の生徒情報じゃねぇかよ」

「なに、まさかビビってるの?」

「当たり前だろ。騎士学校のガキなんて賢いやつは狙わねぇんだからな」

 

 そうは言いつつ、男は自分は賢い人間ではないと言わんばかりに魔女から乱暴に紙束を取り上げて軽く目を通す。

 

「ビリブロード家の養子、イグニアニマのところの長女、ソナタ家の令嬢。おいおい、こんな強そうなやつばっか狙わせるつもりか?」

「さすが依頼はなんでも受ける何でも屋さん、随分と情報通だねぇ。ダグザ・ファール」

「……家名を誰かに明かした覚えはねぇんだがな」

 

 ダグザ・ファールと呼ばれた男は、自分を上目遣いで舐めとるように見つめてくる魔女を厄介なものを見る目で見つめる。

 

 彼は魔女の言う通り何でも屋であり、良き社会を生きる良き人々の視点から見れば金の為ならなんでもやる犯罪者と言うやつだった。

 騎士団がたくさんのものを守っているこの国でも、法を犯してでも利益を得たい、誰かを不幸にしてでも幸福になりたいと考える人間は幾らでもいる。

 そして彼もその1人であり、そんな醜さのおかげで飯を食えてる立場である以上文句もない。

 

 ただまさか、客がこの世界を滅ぼすために生きる『魔王現象』。この世を生きる全ての生命の敵である魔女だとはさすがに思いもしなかった。

 

「どう、受けてくれる?」

「全然気が乗らねぇなぁ。今から断っていいか?」

「ダーメ。やってくれなきゃ今ここで叫んじゃうよ? 怖いお兄さんに連れてかれそうになったって」

 

 路地をひとつ抜けた大通りでは何も知らない人々の普通の生活がある。当然、ここで魔女が一般人の振りをして叫べば誰かが来る。一応は指名手配もされている身分であるダグザは、間違いなく追われることになる。

 

 

「馬鹿か? 一般人もこの街の腑抜けた騎士も、数人殺して混乱に乗じて逃げさせてもらうに決まってんだろ。脅しがしてぇならそんな可愛こぶったこと言ってねぇで、やんなきゃ殺すくらい言ってみろ」

 

 

 自分が追われている立場であること、この会話の場において拒否権がないこと。

 それを踏まえた上でダグザは笑ってみせた。魔女はそんな楽しそうな様子を見て、不快そうに彼の足を踏みつける。

 

「楽しそうに笑うの、禁止ね。私はそれが嫌いなの」

「おっと悪い。ついつい楽しくて仕方なくてよ」

「楽しい、何が?」

 

 客観的に見て、ダグザという男は今何も楽しくないはずだ。気軽に首を突っ込んだ依頼で魔女にあってしまい、依頼を受けるか殺されるかの二択を迫られている。加えて依頼は名家の娘を何人も生け捕りにしてこいなんて無茶難題。

 普通は絶望するところ。魔女自身少しそれを楽しみにしていたというのに、苛立ちを隠そうともせず魔女は踏みつける足に力を込める。

 

「いやぁ悪い悪い。魔王現象ってのを改めて見て、こんな化物に俺達人間が勝てるわけねぇって思ってな。つい嬉しくなっちまったんだ」

「なに、マゾヒストなの?」

「おいおい気持ちわりぃこと言わねぇでくれよ。俺はお前みたいな美人を一方的にブチ犯すのが大好きなノーマルだ」

 

 指にまで毛が生えた無骨な手が魔女の柔肌を撫でる。それだけで傷がついてしまいそうな触り方であったが、魔女もダグザも何も気にせずに話を進めていった。

 

「依頼は受ける。だが、これは俺一人じゃ厳しい」

「わかってるよ。私の配下の魔獣を、足がつかない程度に使わせてあげる。計画が出来たら、襲撃予定日には周囲の騎士団と主力戦力がすぐに駆けつけられないように政治側にも細工をしとく」

「あ? そんなの当然だろ。魔女ともあろうものがケチケチしたこと言ってんじゃねぇぞ? 俺が言いてぇのはだな……」

 

 魔女の頬を撫でていた手が、彼女の柔らかな胸へと伸びる。果実をちぎりとるような乱暴な手先が、その胸肉の形を歪めた。

 

 

「テメェ程の美人は裏でもそうそうお目にかかれねぇ。抱かせろ、そうすりゃやる気100倍で依頼を受けてや」

 

 

 言い終わる前に、魔女はダグザの腕を引きちぎった。

 元から着脱可能な鎧みたいに、簡単に取れてしまった腕をダグザは目を丸くして見つめ、彼が出血と痛みで騒ぎ出す前に魔女はその腕を繋ぎ合わせた。

 

「下品、そして不遜。私はそんなに安い女じゃないよ。なんせ、世界を滅ぼせる女だ」

「……ったく、だから抱きてぇって言ってんだろうがよ」

 

 目の前にいるのは、間違いなく世界を滅ぼせる女なのである。

 軽く引っ張っるだけで成人男性の腕を引きちぎり、瞬きの間に傷一つなくそれを治してしまうなんて現代の魔術では考えられない奇跡の業。

 圧倒的な格上であり、上位存在。まず間違いなく世界はいつかこの女に滅ぼされてしまう。この女を殺さない限り、その運命は決して変わらない。

 

 形を持った滅亡、世界が恐れるべきカタチ。

 

「そんなものを組み伏せたら気持ちいいだろ絶対。しかも見た目は最高の女だ。ヤリたくねぇって男は枯れたジジイだろ」

「恐れとかないの?」

「どうせアンタがいるなら世界は確実に滅ぶ。遅かれ早かれ死ぬんだから、その時まで好き勝手して生きるのが賢い生き方ってもんだろうよ。今アンタに殺されるか、未来でアンタに殺されるか。それってそんなに違いのあることか?」

 

 刹那的な破滅思想。

 快楽主義のその言葉の裏側には、諦念と屈服が存在していた。こんなに楽しそうに、未来がないことを嘆く人間は今まで見た事がない。

 

「さすがは評価を改めよう。君は最高に私好みの人間だよ。うん、そうそう。人間なんてみんなそうやって絶望して諦めるように生きてしまえばいいんだから」

「褒め言葉って捉えておくぜ。それはそうと前金は追加しろ。死ぬかもしれねぇ依頼なんだから、やりきる前に好きなだけ遊んでおきてぇからな」

「わかったよ。金で動く人間ってのは、わかりやすいけど気が知れないね」

「俺は小悪党だからな。何でもかんでもルールを破るわけじゃねぇ。楽しいことするには、人間社会では金がいるのさ」

「だからそこの彼も殺したの?」

「ん、あぁ。こいつは依頼でな」

 

 魔女の指差す方向には、1つの箱が置かれていた。適度に汚れていて街の風景の一つであるその箱の中には、とある男の死体が詰め込まれていた。

 

「法ってのは人を守るためにあるんだろ? これさえ守れば安全な未来を保証しますよって。馬鹿だよなぁ、滅ぶことが決まってる世界でそんなもん御行儀よく守って何になるってんだ」

「君のそういうところ、大好きだよ。愚かで弱くて情けなくて、最高の人間だ」

「ありがとよ。そんなに好きなら成功報酬はアンタとの同衾にしてくれ」

「うーん、いいよ。成功したら、たっぷり可愛がってから殺してあげるよ」

 

 お互いを刺し殺すような軽くて鋭い返答の中で、魔女がその言葉を口にした瞬間ダグザの眉間にほんの少し皺がよる。不機嫌そうな様子を隠そうともせず、一度開いた魔女との距離を何も恐れることなく彼は詰めてしまった。

 

「その言い草、アンタ俺が生きて戻ってくるって微塵も思ってねぇだろ」

「当たり前だろ。お前みたいな下品な下衆の下の下のゲロ男」

「さっき最高って言っただろが。ツラばっかで中身は腐った果実かってんだ」

 

 確かに難しい依頼だとは思った。だが、信用商売である以上依頼者に舐められるのは気に食わない。

 

「生け捕りにするのは、さっきの3人のうち1人でいいんだな?」

「書類はもうすぐ消えるから全部覚えてね。出来れば『均衡』……リィビア・ビリブロードがいいな。その生け捕りとジョイ・ヴィータとハピ・ヴィータの殺害。よろしくね」

「ジョイ・ヴィータ、ねぇ」

 

 ダグザは何でも屋だ。

 そう名乗っているだけの盗賊くずれの犯罪者ではあるが、彼には実力と実績がある。その豊富な経験は魔女の口先の言葉からも感情というものを読み取った。

 

「そんなに気をつけなきゃいけねぇ相手なのか、ジョイ・ヴィータってのは」

「まさか。雑魚だよ雑魚。問題は彼のことがだーいすきな面倒な『鴉』と『クソ野郎』だよ。前者は情報で釣って来れないようにするけど、後者は気をつけてね。アレは私なんかよりも、よっぽどクソッタレな終末装置だ」

 

 それを最後に、魔女の姿は暗がりに溶けるように消えてしまった。

 ダグザの足元にはしばらくは好き放題遊んで暮らせる額の金が袋に乱雑に詰め込まれて転がされていた。

 

「ったく、こんな剥き出しの金を持ち歩いてちゃ帰るのにも一苦労だぜ」

 

 魔女の気配はもうない。逃げることも、騎士に助けを求めることだって出来る。間違いなく死刑の犯罪者である自覚はあるが、魔女の情報を持っていけばそれだけで死刑は免れるくらいの恩赦は貰えるかもしれない。

 

 もちろんダグザ・フォールはそんなつまらない真似はしない。

 信頼商売である以上、客を裏切るような真似は最も気をつけなければならないからだ。

 

 それに、自分で言った通り遅かれ早かれこの世界はあの魔女に全て滅ぼされてしまうのだ。ならばその時までやりたいようにやって、稼げるだけ稼いで、最高に楽しく暮らす。

 

 何も知らずに平和に暮らす人々を嘲笑うかのように下卑た笑みを浮かべ、彼はそれから目を背けるようにして路地裏へと足を進めていく。

 

 

「ジョイ・ヴィータねぇ……。はてさて、魔女があんな分かりやすく嫌ってるなんて、前世でどんな罪しでかしたらそんなことになるのか。会うのが今からおっかねぇぜ」

 

 刹那的に、快楽を至上に。

 世界が終わるその日まで、ダグザ・フォールは楽しくやりたいように生きると決めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 世界のどこかで盗賊が笑っていた、その少し後。

 

 世界の片隅の小さな村で、ジョイ・ヴィータは義妹に手袋を叩きつけられていた。

 

 

「ジョイさん、私と決闘してください。負けた方が、何でも言う事を聞く約束で」

「3回勝負でいい?」

「1回に決まってるでしょう」

 

 

 幾らなんでも義妹相手にびびった訳では無い。

 だが、その背後にいる月の名を冠する魔術師にして最高のロクデナシのとても良い笑顔を見ると、もう帰りたくて仕方がなかった。それだけだ。

 

 

 








・ダグザ・フォール
何でも屋を自称してる強盗犯。好きなことは楽しいこと。

・魔女
極めて性格が悪く、美人で小物で感情的。しかしとても強い。厄介な生き物。





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35.兄妹喧騒





ガンダムがめちゃくちゃ面白いのでガンダムで見た展開とかでてきても許してください。MSまでなら許してください。




 

 

 

 

 

 リィビアの野郎が一応俺の義妹であるハピに何かよからぬ知識を吹き込んでないか心配に思い、こっそりと見に来てみれば開幕これだよ。

 

 リィビアのやつはご丁寧にどこからともなく訓練用の剣をこちらへと投げてきて、あとはご自由にとばかりに高みの見物を気取っていやがる。

 ハピの方も俺の事をよく思ってないのはわかっていたが、やる気満々な様子はさすがにちょっと気がつく。まぁそもそも、初対面で有無を言わさず殴られそうになってるが。

 

「よし、ちょっと待ってくれ。リィビアと話がしたい」

「ししょーとですか? いいですけど、さっさとしてくださいね」

 

 口では許してくれてるが、不機嫌そうに見つめてくる視線が暗に「さっさとしろ」と言ってるのでワシっとリィビアの肩を掴んで早めに済ませることにしよう。

 

「お前何吹き込んだ?」

「効率的な対話手段を提案したまでだけど?」

「剣や拳で語り合うのはお前の友達(カウム)とかの変なやつだけだからな?」

「でも、私はこれでどうにかなったよ」

「はァ?」

 

 何言ってんだお前、というニュアンスの返答をしてみるとリィビアは睨みつけたり溜息を吐いたり反論したりする訳でもなく、本当に俺の返答が意外であったかのように目を丸くして、少し腹立つことに可愛らしく首を傾げてしまった。

 

 

「……なんだよその反応。お前っぽくないからやめろ」

「でも、私の時はこれで分かり合えただろう? ジョイとさ」

「え?」

「だから、前に私と殴りあったろ。それで私達は通じ合えたじゃないか」

 

 

 何がおかしいんだ、とばかりに眉をしかめて俺の顔をじっとリィビアは見つめている。

 ちょっと待って欲しい、いつもあんな態度を取りながら、リィビアって俺の事をそんな風に思っていたのか? 

 

「私と君は勝手知ったる好敵手(ライバル)だろう? 1回の戦闘でそれほど距離を縮められるなら効率が良いだろうから再現したまで……おい、なんだそのニヤついた顔は。何考えてる」

「……待て、それ以上喋るな。俺にはクラキアとアーリスがいるんだ。マジで悩んでるから頼む」

「何勘違いしてるか知らないが今の発言でハピの中での君のランクは2段くらい下がったぞ」

 

 そう言われてハピの方に視線を向けると、その目の鋭さは嫌いな相手に向けるものから嫌いな二股してるクズに向けるものへと進化していた。

 

「早く構えてください。そして死んでください」

「待てハピ。勘違いしてるようだが俺はリィビアを可愛いとか思ってないぞ」

「そうだぞ、私は美人系だ」

「ハイハイわかったから審判でもしてろ」

 

 何とかリィビアを離れさせてからハピに目を向けると、睨んでこそいなかったがやはり瞳からは敵意というものが滲み出ている。少し近づいて見れば、感情のままに放出されているであろう魔力を肌が感じ取る。

 改めて、かなりの魔力量だ。単純な量の話ならばリィビア程ではないにしろ、クラキアやエアを上回っているだろう。

 我が義妹ながらあまりに恐ろしい。こんな才能の塊を雑草感覚で俺の周りに生やすのは本当にやめて欲しい。そろそろ劣等感で死にそうになってくるんだよほんと。1回死んでるけどさ。

 

「……とにかく準備してください。ルールはその訓練用の剣を体に当てられた方が負け。負けた方が勝った方の言うことを1つなんでも聞く。いいですか?」

 

 なるほど。当てるだけでいいならお互い加減が効くだろうしまぁどうにか。

 

「ってなるわけねぇだろ。妹に剣なんて向けられるか。これでも騎士の卵だぞ。俺の剣は敵を切るためじゃなくて守るべきものを守るためにあってだな……」

「負けるのが怖いんですか?」

「煽ってきたやつは敵って俺の師匠が教えてくれてな。今から泣く準備しとけクソガキ」

 

 つい反射的にそう口にした瞬間、脳内に鉄が落ちたような音が響いてほんの少し息苦しくなる。これは、魔術でなんらかの誓約を無理やり結ばされた時の感覚だ。

 

「はい、契約成立だね。ちゃんと勝負は受けるんだよジョイ・ヴィータ?」

「この人マジでこんな簡単な煽りで乗ってくると思いませんでした」

「ジョイはバカだからね。君も困ったら適当に煽るといいよ」

 

 リィビアめ、兄の威厳を削り取ると共に術中に嵌めてくるとはなんて恐ろしい女なんだ。

 ヘラヘラと楽しそうに笑いやがって。義理とはいえ妹に舐められるのは死活問題なんだぞ。元から嫌われてるからあまり変わらないかもだが。

 

 

「随分と、楽しそうですねジョイさん」

「お前にはそう見えるんだな……。本人としては胃が痛いことばかりなんだよ」

「いいえ、楽しそうですよ。……貴方の周りにいる人は、みんな楽しそうで」

 

 

 

 

 

「溶けてしまうほど、(ねた)ましい」

 

 

 

 そう口にしたハピの姿が視界から消えた。

 だが、膨大すぎる魔力が体が溢れ非励起状態の『黒耀(バロール)』でもその軌跡を確認してしまう。

 

「は、速くねッ!?」

 

 対応、なんて呼べるものでは無い。魔力の痕跡を辿って予測を立ててその位置に剣を突き出すと高速で突っ込んでくる剣の重みが重なって鍔迫り合いが起きた。

 そう思ったら重さが消えてまた高速で動き始める。なんだこれは。

 

「おいリィビア! お前マジでうちの妹に何教えたんだバカ!」

「初歩的な身体強化と基本的な魔術だけさ。いやぁ、すごい才能だね!」

 

 それは分かっていたが、こんなの予想外だ。

 ギリギリ対応出来ているのはまだ初歩的な身体強化しか教えて貰っていないからだ。

 

 膨大な魔力量に任せて火を吹き、風を纏い、血流と電気で肉体を刺激してスピードを生み出している。普通は燃費や隠密性を考えて身体強化はメリハリをつけた魔力出力を行うのだ。

 例えるなら常に全身に光を纏ってるからギリギリ相手の動きを目で追えてる状態だ。

 

「ジョイさんは騎士なんでしょう? 強いんでしょう? 受けてるだけじゃ勝てませんよ!」

 

 声がした方向には既にハピの姿はない。ピンボールみたいに跳ね回るその様子から彼女自身まだ自分の速さに付いてこれていない節がある。

 だがそれであまりに十分。単純な速さだけならば、騎士学校の同級生でもトップクラスの速さを持つ固有魔術である『滴穿(セイレーン)』を起動したカウムに匹敵する速さだ。

 

 いやおかしいだろ。

 なんでこんな田舎に捨て子としてこんなのが生まれ落ちてるんだよ。しかもこれが俺の義妹とか信じたくない。

 

「う、羨ましいー! なんだその魔力と才能! 俺に寄越せー!」

「ッ、上げられるならこんなもの上げますよ! いくらでもくれてやりますよ!」

 

 思わず出た叫びは、ハピの逆鱗に触れたのかすれ違った刃の重さがほんの少しだけ増していた。沸騰した感情に任せて振った剣でバランスを崩したのか、視界の先では自分のスピードを制御しきれなくなったハピが転がるようにして減速してから立ち上がっていた。

 

「あ、怪我とかしてないか?」

「私の心配より、自分の心配、した方がいいんじゃ、ないんですか?」

「息切れしまくってるけど大丈夫か? 水あるぞ?」

「……あのっ! 私の事ナメてるんですか!?」

「んなわけねぇだろ!? あ!?」

「なんで貴方が怒ってるんですか!?」

 

 だってこいつめちゃくちゃ強いし……。

 これでまだ10歳で本格的な訓練なんて何もしてないなんて聞いたら誰だってこうなる。少なくとも前世の俺だったら帰ってきてこんな妹が出来てたら奇声あげて泡吹いて倒れてショック死してた。

 

 才能、というものを数値にして表すんだったらハピは間違いなく天才側の人間だ。

 

 でも、それはそれとして、だ。

 

 

「お前に何かあったら父さん達心配するから……」

 

「…………は?」

 

 

 俺の人生経験は、前世と今世を合わせればそれなりになる。

 その経験が、今まさに人間誰しもにある絶対に触れてはならない逆鱗に触れてしまったことを理解した。

 それを理解してしまうこの独特の嫌な空気は今まで3度。母さんと大喧嘩して思わず手を出してしまったのを父さんに見られた時、魔女とデウスが対峙した時、そして師匠の服にコーヒーを零した時だけだ。師匠やっぱり器が小せぇな。

 

「えっと、父さんって意外と過保護なところあるだろ? そのくせ察しが悪いからどんな普通な怪我しても誰かに殴られたんじゃとか心配して」

「知らない」

「え?」

「父さんのそんなところ、知らない」

「…………あー」

 

 さすがに悪い事をした自覚が湧いてきた。

 なんでハピがここまで俺を敵視しているのか、そしてそこに繋がってやっぱり血は繋がってなくても兄妹だなと思うが、これは口に出したら今はそれこそ火に油を注ぐと言うやつだ。

 

「とりあえず……剣を置かないか? やっぱりまずは話し合いからした方がいいと思うんだよね俺」

 

 ブチっと血管が切れる憤怒の音が聞こえそうなくらいハピの顔が歪んだ。

 俺に女心は分からぬ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヴィータさんの家の『義理』の娘。

 小さな村、狭いコミュニティの世界だ。私が知らない人が、私のことを私以上に知っている。そういうのは好きではないけれど別に嫌いという程でもない。

 

 両親のことは大好きだ。

 私にはこれしかない。両親だけが私に温もりを教えてくれる。それさえあれば何もいらないとすら思ってる。

 

 私はあの人たちの娘であれれば、それだけでいいのに。

 

 

 人より優れた存在になんてなりたいと思わない。

 誰かと切磋琢磨なんてしたくもない。好きなものは自分の部屋と読書、あと両親。

 優れた才能なんて欲しいとも思わない。

 

 

『ハピちゃんのお姉ちゃんは騎士学校に通ってるすごい人なのよ』

 

 

 だから、なんだって言うんだ。

 騎士学校に通ってたら偉いのか? 強ければそれは偉いのか? ジョイ・ヴィータという人間はそこまですごいやつなのか? 

 誰もそんなことは言っていない。ただ、この田舎の生まれで騎士学校に通っている姉という存在は常に私を比較に晒す。

 

 部屋の中で本を読んで、木漏れ日の中でうたた寝して、両親と何も変わらない穏やかな時間を過ごして。

 

 そんな時間を過ごしても誰も悪いとは言わない。けれども、姉とは違うのねと言う目で見られる。

 そりゃぁ『血が繋がってないから』似ないのも当然ね、と。

 悪意のない納得の快感を得るためだけの結論がヤスリみたいに自尊心を削り取ってくる。

 

 何かになりたいなんて贅沢言ってない。

 誰かを超えたいなんて上を目指してない。

 これ以上が欲しいなんて欲張りは言わない。

 

 

 だから、お願いだから。

 私よりも劣っていて欲しかった。

 

 

 私は卑怯な人間だから、姉は嫌な奴であったらいいなと思ってしまっていた。私の方が優しくて、私の方が優れていて、素直にこんな人と仲良くしたくない、こんな人姉じゃなければいいって思えるような人が良かった。

 嫌味ったらしくて、才能を鼻にかけてて、私を見下して、余所者のように扱ってくれれば嫌いになったって私は悪くないから。

 

 少し背が高くて、目付きが悪いけれど笑うと目尻が下がって柔らかい印象になる、色んな人に好かれるような兄なんて。

 

 

「盗らないでよ……私の世界を! 奪わないでよ!」

 

 動き回って全身に血が巡り体温が上がっているはずなのにどんどんと寒くなる。

 話せば話すほど、どうしようもない男だけど嫌われる人間じゃないのがわかる。多分優しい人なんだ。根本的に、誰かを想える人なんだ。だから沢山友人がいて、色んな人に認められて、私に無いものを沢山持っているんだ。だからこそ。

 

「いなくなって! 消えてよ! 私を惨めな孤児にしないで!」

 

 リィビア師匠は言っていた。

 ジョイ・ヴィータは腐っても騎士学校の生徒。幾ら才能があろうと積み上げた『経験』には敵わない。私の現在値ではその壁を越えられない。

 ならばどうする。経験が介在しない分野で戦うしかない。

 

 私の速度はとても凄いらしい。

 騎士学校でも類を見ないその速さ。別に戦うことなんて好きじゃないけれど、リィビア師匠がそれを言ってくれた時嬉しくなった。

 

 速さだけなら、ジョイ・ヴィータより優れてる。

 

「お前を、置いていってやる」

 

 自分の全てをかけて踏み込む。

 ただ愚直に、真っ直ぐに突っ込む。でもそれだけじゃ足りないかもしれない。だから私はどんな手を使っても自分の全てを叩き込む。

 

「ッ、おいリィビア! お前ハピに何仕込んだ!」

 

 気付いたようだけど、もう遅い。

 ジョイの後ろに炎の壁を魔術で作りだしておいた。別に動いたり追い立てたりするようなものでは無い。

 

 ただ、もしもジョイ・ヴィータが私の渾身の突撃を避ければ。

 私がその炎に頭から突っ込む位置だと言うだけだ。

 

 汚いとか卑怯とか、思わないわけじゃない。

 でもこうすれば、こうでもしないと勝てないとわかっているから。悔しいけれど、こうすれば優しい私の義兄は絶対に避けない、避けられない。それならば剣さえ当てれば勝ちのルールならば私の勝ちだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「とか甘いこと考えてんだろうけどなァ! 兄ナメんな生意気世間知らずの引きこもり駄妹がァァァァァ!!!」

 

 

 このバカ妹が考えることはもう手に取るようにわかる。

 なんて言ったって、たとえ血は繋がらなくとも同じ両親に育てられた血を分けずとも血よりも濃い経験で繋がった兄妹だ。

 もしも俺が『絶対に譲れないもの』を見つけたならば、俺はまず最初に自分の存在を賭けに出す。

 

 突っ込んでくるハピの体を、避けることなく真正面から受け止める。

 幾らわかっていてもとんでもない速度だ。小さな質量(からだ)でも速さが加わればその運動量は俺の全力で受け止められるものではなくなる。

 

「え、あ──────」

 

 そしてハピ自身その速度を制御できていない。

 このままでは2人まとめて炎の壁に突っ込むことになる。所詮は初歩の火属性魔術の壁だ。2人とも軽い火傷程度で済むだろう。

 

 かと言って火傷は結構きつい。痕に残ったら俺はともかくハピは女の子だからな。

 

 

「──────『黒耀(バロール)』、限定解放」

 

 

 剣も必要ない。拙く、解れまみれの所持者の魔術ならば一目見ただけで、触れただけでも破壊することが出来る。

 切り裂かれた炎の壁は僅かな魔力を放ちながら四散し、蛍火のような煌めきを残して空に溶けていく。

 

「……綺麗」

 

 まるで時間が止まったような。

 火属性の魔力の煌めきに目を奪われているハピの姿は、ようやく年相応の子供に見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まずリィビア。ハピに何教えてんだボケがよ」

「君のことを信頼してだよ。君は絶対に止めてくれるだろう?」

「それはそうだが、限度があるだろ!」

 

 ジョイさんとリィビア師匠は声を荒らげて取っ組み合いを始めてしまった。体格的にはジョイさんの方が有利だけれど、何故か腕の関節をキメられている。

 

 本当に仲が良さそうで、少し所ではなく妬ましい。

 勝敗から言えば、私の完敗だ。いつの間にか剣を落としていた私に対してジョイさんはしっかり最後まで握っていて、私の頭を少し強めに訓練剣で叩いて「これに懲りたら二度とこんなことするな」、なんて余裕ぶった言葉まで吐いて。

 

 完膚無きまでの完全敗北。

 手を抜かれたどころか助けられて説教されてしまった。

 

 そりゃぁ、完璧な人ではないだろう。それでも私なんかよりはずっとすごい人だ。私のような卑怯で弱虫で、嫌なことからすぐ逃げて、楽ばっかりしようとする意気地無しとは大違いだ。

 誰だって私と彼とじゃ彼の方が好きになる。純然たる事実でしかない。

 

 

 わかっていた事なのに涙が抑えられない。

 ポロポロと滴る水に魔力は通っていなくて、どんなに強く意識してもその流れを操ることが出来ない。

 

「あー、ジョイ泣かしたー」

「お前のせいの可能性の方が高いだろ。あー、泣くなハピ」

「だって、私、このままじゃ価値が無くなっちゃう、捨てられ……」

「子供がそんなこと考えるな。親子ってのはお互い無条件に愛しあってそれで支え合うもんなんだからよ。少なくとも、うちはそうだ。俺の方が優れてるからとか、お前の方が可愛いからで態度を変えるような人に見えるか?」

 

 そんなこと、あるわけない。

 でも、もしも、そう思うと怖くて怖くて仕方がない。

 

「ほら、帰るぞ。一旦家に帰ってゆっくり話そうな」

 

 私は弱くて、世界のことを何も知らなくて。

 それでも一つだけわかったことがあった。それはジョイさんの掌の暖かさは、父さんの掌とそっくりの温もりだってことだ。

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

「勝負ふっかけてきたと思ったら自爆しかけて、号泣して泣き疲れてそのまま眠る。子供ってよくわかんねぇよホント」

「そうかい? 彼女、すごく分かりやすいじゃないか」

「わかりやすいならあんなことしないようにしろ。人様の妹に特攻魂を仕込むな」

「でもこの場で君たち二人の距離を縮めるのはあれが最適解だったろ?」

 

 絶対に他にやり方があった……とは言いきれない。少なくとも、リィビアがいなければハピが今こうして俺の背中で寝息を立てていることは無かっただろう。

 

「その子は口ではなんて言ってようが本質的には家族という形質に執着しているんだ。しかしジョイを家族の輪からつまみ出すってのは現実的じゃない。なら、仲直りが手っ取り早いだろ?」

「最初からそう言え」

「答えを教えるだけでは教えにならない。導いてこその師匠というものさ。自分で理解するより、他人に理解させることは数百倍の経験になる……私は、その子を導けたのかな?」

 

 珍しく少しだけ弱気な声がリィビアから漏れた。

 

「いや、その、なんだ。この前の合同訓練の敗因は私の指揮力の不足だと思っただけだ。私がいて負けるなら理由は私だけ。だから反省をだな……」

「お前に反省って概念があるのが意外だよ」

「反省は人の最大の強さだ。もちろん、私は人より優れているので人よりも深く反省するものだ」

 

 コイツは割と言ってることがコロコロ変わるけれど、少なくともこんなセリフは前世でのリィビアなら絶対に言わなかっただろう。

 リィビアが誰かの為に、そこまで考えて動くようになっているなんて。面白いこともあるもんだ。

 

 

 そんなこんなで口喧嘩をしながら帰路を歩き、俺達の足は俺の家の前で止まった。

 目的地についたからではなく、足を止めざるを得なかった。

 

 

 

 

「お、その気配はジョイやな。ちょっと今おもろいことになってるから助けてくれへん?」

 

 

 

 

 人の家の前でリエンが頭から地面に突き刺さっていたので、とりあえず俺とリィビアはそれを無視することにした。

 

 

 

 

 

 

 

 








・ハピ・ヴィータ
インドア派光速系妹。用心棒を名乗っているのはジョイへの対抗心からで正直朝早く起きるのも長時間外にいるのもキツイ。




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36.終日饗宴

 

 

 

 

 

「ジョイくーん? 私ですよ? 私、クラキア・ヴィータですよぉ。えへへ〜」

 

 とりあえずドアを閉めて、リエンを掘り起こして状況を聞いてみることにした。

 

「おい何があった雑草」

「聞く時はちゃんと賢いイケメンリエンくんって言うんやで」

「図太い雑草野郎、良いから何があったか言え」

「見ての通りしか言いようがない」

 

 扉をもう一度開けてみると顔を真っ赤にしたクラキアが床に向かってなにか言っている。呂律が回ってなくていまいち聞き取れないが、多分「私の方が強いですよ」って言っているのだろう。

 

「見ての通り酔っ払ってるんやな」

「あぁ、あれ酔っ払ってるんだ」

「顔真っ赤にして床に話しかけてて酔っ払ってる以外なんかあるんか?」

 

 顔真っ赤はともかく、クラキアは床であろうとマウントを取ろうとするのは既に一度見てるので、床に話しかけるくらいならギリギリ正常な可能性があった。

 

「おいジョイ。見てないで助けてくれ。お前の将来のお嫁さんがとんでもない痴態を晒す前に」

「親父、まず言うが酒飲ませるな。それとも何? 酔っ払わせて悪いことしようとしたの?」

「母さんがいるのにそんなことするか。居なくてもしないけど。いや、俺が飲む様の酒だったんだけど、あの子がスープ飲んだ瞬間熱って急に酒の入ったコップ奪って一息に……」

 

 そう言えばクラキア、お茶を出した時もずっと息を吹きかけてたしもしかしてめちゃくちゃ猫舌なんだろうか。

 

「ハピ、起きろ〜お家着いたぞ」

「ん……え、あ! おはようございます。……ジョイさん」

「お前達いつの間にそんなに仲良くなったんだな」

 

 まだ呼び方は他人行儀だが、少しだけ距離が縮まった俺たち兄妹を見て父さんは嬉しそうに頬を緩ませていた。というわけで俺は野宿場所を探そうかなっと。

 

「おい待てジョイ、なに逃げようとしてるんだ」

「離してくれ親父。俺は、酔っ払ったクラキアとか正直近づきたくない」

「ではジョイ。お前の父親は今何を考えてるかわかるか?」

「酔っ払った息子の友人とか、何かあったら怖いので近づきたくない。だろ?」

「さすが我が息子だというわけで逃げるな、逃げるなぁ!」

 

 だってクラキアだぞ? アイツ、アトラスの巫女だのなんだで常人とはパワーが違うので、下手に触れ合うと手足が飛ぶ。腕相撲とかしたら腕がちぎれ飛ぶそういう出力してる女なのに加えて、色々すっ飛ばして両親に挨拶に来る行動力の女だぞ。

 良くて貞操、最悪命を失うことになる。

 

「大丈夫だよジョイくん。命は失う前に僕が助けてあげるから!」

 

 なんかナチュラルに思考盗聴してくるエアもいるし、真面目にこの晩餐に参加したら最後の晩餐になる気しかしないんだよな。

 

「悪いけど、みんなで楽しんでくれ。俺はまだ生きていたい」

「えー! ジョイくんのお母さん、張り切ってジョイくんの好物作ってたよ? アーリスも僕も張り切って手伝ったのに……」

 

 そう言ってエアはらしくなく、瞳に涙を貯めながら訴えてきやがる。クソ、こいつめちゃくちゃ顔がいいな。見た目が好みどストライク過ぎて反射的にOKしそうになるが、今はそういう欲求より命だ。

 

「……僕、友達と一緒に大勢で食卓を囲むってやってみたかったんだよね。お父さんもお母さんも死んじゃって、村には同世代の友達なんか居なかったし」

「わかった! 参加するからそういう過去話やめろ!」

「やったー!」

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

「ジョイくん見てください星が飛んでますよ〜。まぁ私の方が綺麗ですけど」

「ほし!? おほしさまどこー? みえないー!」

「ちょ、アーリス!? 待って待ってそれ僕の目だから! 星じゃない!」

「…………」

 

 食卓は混沌としていた。

 クラキアに加えて、何故か酔っ払って幼児退行を起こしてるアーリスが暴れ回り、あのマイペースの極地であるエアすら押されていて、エアの向かいに配置されてしまったリィビアは無言のポンコツになってしまった。

 

「ジョイさんジョイさん、なんか皆さん人が変わってません?」

「いいか妹よ。人間ってのは大人になると余所行きでは基本猫を被るんだ。全員騎士学校でいつもこんなもんだよ」

「……大人って、なりたくないですね」

 

 多分ハピから見ればコイツらは都会の大人のお姉さんくらいに映ってたのだろう。特にクラキアは数日前から居て村の農作業手伝ってたらしいし。

 

「おいリエン、なんでアーリスまで酔っ払ってんだよ」

「知らん。俺は割と早くに酔っ払ったクラキアからかって今の今まで埋められてたんよ」

「お前よく生きてるな……」

「ジョイくん! いまわたしのことよんだよね! なになに? ひみつのおはなし?」

 

 ちょっと名前を出しただけなのに、興奮したご様子の子供アーリスが席を立ち上がって机を飛び越えてこっちへと突っ込んできた。完全に中身が子供になってるが、見た目はいつものアーリスなので距離感がバグってるのかめちゃくちゃ近い。ほんのりと酒気を帯びた彼女の吐息が肌で感じられる程の距離だ。

 

「そうだ秘密のお話だ。だから子供はちょーっと向こうで遊んでてくれな?」

「ジョイくん、私16歳で同い年だよ?」

「お前もしかして素面?」

「よってるよ〜」

 

 確かに、素面のアーリスならこんな猫撫で声で抱きつこうとしてきたら己の行動の恥ずかしさで自害とかしそうだし、これは酔っているのだろう。そして近い、とにかく近い。

 

「…………僕も喉乾いた」

「あ、俺の酒……」

「あ、じゃねぇよ止めろ!」

「俺にそんなこと出来ると思うのか!? お前の父親だぞ!?」

「クソッ! 自分を使って俺を貶めるな父親として最悪だぞ!」

 

 なんとも情けないことに自分の息子と同い年の女の子に酒を奪われて無抵抗の親父。いやまぁ、抵抗しても絶対敵わないってわかってるんだろうから賢いし、同じ立場なら俺も同じことするけどそれはそれとしてもうちょっと粘って欲しい。

 

「……なにこれ、アルコールじゃん美味しくない」

「そりゃあ酒はアルコールだろ……」

「……あー、酔うってそういう感じなのかぁ。やっぱり僕じゃダメか」

 

 酒を一息に飲み干して、エアはつまらなそうに唇を尖らせて口直しにと水を口に運ぶ。恐らくそんなに沢山飲んでないだろうに我を忘れるほど酔っ払ってるクラキアとアーリスがおかしいのだが、エアの反応も少しおかしなものだ。

 

「多分、彼女の体は特別なんだろうね。魔力を可視化する瞳とその影響で魔力に触れられる肉体だ。現代の薬学と魔力の概念は密接な関わりがある以上、毒や薬といった代物は彼女に対して効果が薄いとしても不思議なことは無い」

「うん、お前は誰に向かって話してるんだ?」

 

 エアと向かい合っていることに耐えられなくなったのか、壁に話しかけているリィビアが解説を挟んでくれた。

 そう言えばデウスも酒を飲んでいるところは見たことあるが、あまり美味しそうにはしてなかったし酔っている姿も見た事ない。

 

「あー、そういや前に薬の調達とかしてたよな」

「前に街で偶然あった時ね。僕、何をするにも薬は自分で色々試さないといけないから大変でさ」

「でも私の方が強いですよ」

「いや僕の方が強いよ」

「何と戦ってんのお前ら?」

 

 まずいな、この空間予想よりもずっと疲れる。

 飯もそっちのけで俺ずっとツッコミしかしてない気がするし、消去法で一番頼りになりそうだったリィビアはエアと向かい合いすぎた結果バグって壁に話しかけてるし。

 

「それよりジョイくん。そろそろ決心してくれました?」

 

 アーリスと入れ替わるように、テーブルの下からひょっこりとクラキアが顔を出してきて椅子から転げ落ちそうになった。現れ方が妖怪じみてるし普通に気配がなかったんだよな。

 

「決心? ……あ、待て」

「婚約ですよ。こーんーやーく。イエスかノーか、聞きたいなーって」

 

 

 

 すぐさま周囲に視線を向ける。

 両親は話を聞いてるだろうから特に変わりはない。リエンもニヤついてるし、リィビアは興味が無いと言わんばかりに壁と口論を始めている。

 エアは……何その顔。見たことない顔をしていて感情が全く読めない。一言で表すなら『無』だ。とりあえずいいだろう。

 ハピは「なんでこの人がモテるの?」みたいな顔で俺を見ている。さすがに失礼じゃないか? 

 

 そして、一番肝心なのはアーリス・イグニアニマ。

 

 

 

「クラキアちゃんもジョイくんのことすきなのー! わたしもー!」

「え〜、アーリスちゃんも好きなんですか。なんですかあげませんよ」

「おそろいだねおそろい〜、わたしおともだちいなかったからうれしいな! はんぶんこしよ! 9割わたしでのこりはクラキアちゃんにあげる」

「算数のお勉強してきてくださいねクソガキ〜」

 

 なんだこれは。

 酔っ払ってる影響なのかクラキアもアーリスもギリギリ仲良く、仲良さそうだけど今にも殺し合いしそうなギリギリのところにいる。これはどう判断すべきだ? セーフか? セーフなのか? 

 

「ジョイくんー! ジョイくんはわたしとクラキアちゃんどっちがすきー?」

 

 アウトだ! 一番聞かれたくない質問をダイレクトにぶち込まれたちくしょう! 助けてクラキア! 

 

「モテモテですねジョイくん。……でも私の方が強いですよ?」

「で、でもわたしもけっこうつよいし……」

「でも私の方が強いですし学校の成績もいいですよ?」

「わ、わたしも……しんちょうとかかってるし……」

「ストップクラキア、アーリスそろそろガチで泣くぞ」

「でも強さなら僕が一番だと思うよ」

「お前は入ってくんな」

 

 チラリ、とリエンに視線で助けを求めるが何故か俺の母さんと楽しく談笑してやがる。リィビアはちょっと壁にめり込み始めてる。事態は何一つとして収束することなく、誰も彼もが勝手に騒ぎ始めてもう何がなんだか分からなくなって頭が痛くなってくる。

 

 

「はぁ……なんなんですか、これ」

 

 

 大きな溜め息を、ハピが吐いていた。

 呆れ、失望し、嫌がっている。そんな感情が伝わってきそうなうんざりとした表情に対して、その口元は不思議と笑っているように見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あーもうホント疲れた。ハピも手伝ってくれてありがとな」

「一応、兄のお客さんですからね。当然のことをしただけです」

 

 あの後しばらくしてアーリスとクラキアは完全に酔いつぶれて寝てしまったので、何とか適当な部屋に寝かせてきたがクラキアの体重が想像よりも重くてハピにまで手伝ってもらってしまった。アイツ、あの小さい体の中身に何詰めたらあんなに重くなるんだろう。

 

「今日、楽しかったか?」

「まぁまぁ楽しかったですよ。貴方に気を遣われなくても、パーティーを楽しむことくらいできるのでご心配なく」

 

 少し距離が縮まったと思ったがやはりまだトゲがある。

 

「あの乳でかお化けと怪しい男以外はまともだと思ったのに、みんな五十歩百歩で変な人で、ししょーもなんかおかしくなってたのは正直割とショックでしたけど」

「普段は変なやつだし肝心な時も変なやつだけど、いいヤツら……な時もあるんだよ。基本ちょっと性格悪いけど」

「それ、あんまりフォローになってなくないですか?」

 

 俺でフォローできるような奴らじゃないし仕方ないだろ。

 

 

「ハピ、お前好きなことは?」

「……読書、裁縫、惰眠です。ちまちま手を動かして集中したりすることが好きです」

「裁縫以外は分かるぞ。体を動かさないことは最高だもんな」

「一緒にしないでください。私は体を動かすのがあまり好きではなくて、ゆっくりとした時間を過ごすのが好きなんです」

 

 

 この会話なんか兄妹っぽかったなと何となく笑顔になったが、ハピはお気に召さなかったようで分かりやすく眉毛が下がる。その癖が、母さんそっくりで誰が育てたのか一目瞭然で何となく面白かった。

 

 

「……じゃあ、なんでこの村を出ていったんですか?」

 

 

 さすがに、子供のものとは思えないくらいに乾いた声でそう聞かれては笑顔が引っ込む。これは真面目に答えなければいけない質問だということはどんなに空気が読めない人間でもわかるだろう。

 

「騎士になんてならなくても、きっと貴方なら父さんにも母さんにも、村のみんなにも、それ以外の人にも、それなりに好かれてそれなりに良い人生を送れたじゃないですか」

「それは……そう」

 

 前世でもわざわざ騎士になる必要はなかったし、今世でもまた騎士になる必要なんて無い。

 正直師匠との授業とか思い出したくもないし、鍛錬はキツいし周りは天才だらけだし、やめたくなる時もある。

 

「でも、楽しいんだよ」

「……矛盾してる」

「そうかもしれないけど、そうとしかいいようがないんだよ」

 

 憧れを曲げて妥協するのは楽しくないし、それ以上に今の毎日は楽しい。この先どうなるかは分からないけれど、少なくとも今こうして友人達と過ごしている時間は間違いなく楽しいのだ。

 理由なんてそんなもので十分だろう。戦う理由なんて高尚である必要は無いと。

 

 

「昔……()()に言われたんだよ。どんなにくだらなくても、どんなに苦しくても笑って進める道を行かなければ、人は人で居られないって」

 

 

 思い出した一人の男は、何故だか昔よりも近しい人に感じた。

 

 

「あの……感傷に浸るのはいいんですけど私これでもまだ10歳いくかいかないかの子供なんです。難しい話にするのやめて貰えますか?」

「なるほど、お前俺の妹だよ」

「両親に似ているという意味でなら褒め言葉。貴方に似ているという意味なら……」

「「罵倒、もしくはセクハラと解釈します」」

 

 続く言葉を言い当てられ、被せられたハピは驚いた顔をしてすぐに喜怒哀楽の混じった複雑な顔のまま俺の脛を軽く蹴ってきた。さすがにからかい過ぎただろうか。ぷいっと分かりやすくそっぽを向いてる様を見るに、機嫌を損ねてしまったようだ。

 

「とにかく、俺が言いたいのはだな……気にするな。ハピはハピだ。うちの両親の娘で、リィビアの弟子で、俺の……いや、とにかくハピなんだよ」

「全然伝わってこないんですけど」

「はい……すいません」

 

 ハピの本当に何を言ってるんだこの人、と言いたげな顔を見て自分の伝心能力の低さに呆れてしまう。どうにかして励まして、あわよくば仲良くなりたかったのだが、簡単なものでは無い。

 ……そりゃあ、ハピから見れば俺は自分の居場所を侵してくる侵略者で、なんだかんだ距離が縮まったとはいえそう簡単に受け入れられる存在では無いだろう。

 

「ま、これから家族になるんだ。機会は幾らでもある。お互い、ゆっくり理解していこうぜ」

「……貴方が悪い人じゃないことくらいわかってます。今後とも、よろしくお願いします」

 

 それでも、ほんの少しだけ誰かを理解しようと。

 互いに大きな一歩を踏み出せた、そんな気がしただけでも両親には俺たち兄妹を存分に褒めてもらいたいものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、ジョイくん。お話終わった?」

「なんだ寝てなかったのかエア」

「うーん、騎士学校に入るって決めてから修行してたら、あんまり寝なくても動けるようになったんだよね」

 

 一応寝ないと動けなさそうな発言で心底安心した。これで寝なくても大丈夫とか言い出してたらもう俺はコイツの才能を何かしらもぎ取らなきゃ気がすまなかっただろう。

 

「押しかけてきたとはいえ、客に色々手伝わせて悪かったな」

「どう考えても酔っ払ってるあの二人が悪いし、気にしなくていいよ。僕は楽しかったしね!」

 

 社交辞令とかではなく、エアの笑顔は本当に楽しそうなのでこちらも気にすることでもないだろう。

 

 そう思って、ふと気がついた。

 気がついたから、それを口に出そうとしたが言葉はそれよりも先にエアの言葉で遮られた。

 

「そういえばジョイくん、結局アーリスとクラキアちゃんだったらどっちが好きなの?」

 

 何とか誤魔化した部分をついてきやがったよコイツ。

 

「まーどっちでもいいけどね。でもアーリスはやめた方がいいよ。アイツ性格悪いし」

「そんなに悪いかぁ?」

「うーん、たまになんか背筋がゾワゾワするんだよね。生理的嫌悪?」

 

 いくら何でも同級生に対してあんまりな罵倒だし、エアの口からそんな言葉が飛び出てくるのも驚きだ。ハピに対してもそうだったけれど、基本的に明確に誰かに

 

「ねぇ、ジョイくん。君にとって、一番強い騎士って誰?」

 

 

 そんなの、考えるまでもなかった。

 デウス・グラディウス。あの男より強い騎士なんて俺の知る世界には存在しない、存在していいはずがない。あれは間違いなくこの世界という法則の中での最上位。コップの中に収まる水の量が決まってるように、人間という器に強さを注いだ時に表面張力のギリギリまで注いだ限界点だ。

 

 でも、アイツは今この世界のどこにも存在しない。

 少なくとも、俺はアイツを見つけることは出来なかった。

 

「お前以外、誰がいるんだよ」

「そう言ってもらいたかったから、聞いたんだ」

「なんだ嫌味か?」

「違う違う」

 

 エアは何か言おうとしたがそれをやめて、ただ窓の外の星空に目を向けた。

 彼女の蒼い瞳に、夜の空が映し出されている。それは偽物、本物の夜空ではないはずなのに本物よりも暗く、本物よりも眩く。

 

 本物よりも遠く、綺麗な星空だと思った。

 

 

「……君が目指してくれるなら、きっと僕はもっと頑張れるから。その言葉が欲しかったんだ」

「なんだよ、それ」

 

 

 それってつまり、どういうことだ? 

 言葉の意味を理解しようとして、その前に神経が絶たれたみたいに思考が連続してくれない。

 

「あ、あと学園長と連絡取り合ってジョイくんと一緒にいるって伝えたら、ちょっと気になることがあるからできるだけ早く帰ってきてって言ってたよ」

「えっ、お前そういうことはもっと早く言え!」

「ごめんごめん、今日本当に楽しくてさ。じゃ、おやすみー」

 

 あまりに藪から棒だったので小難しい思考は、去っていくエアと一緒に吹っ飛んでしまった。

 まぁ、久しぶりに両親にも会えたし学園長が呼んでいるならすぐにでも帰った方がいいだろう。ドタバタとした短い帰省であったが、なんだかんだ楽しかったし。

 

「……もうちょっと、話したかったけどな」

 

 強いて言えば、ハピのことは気がかりであるが多分アイツは大丈夫だろう。なんて言ったって、俺の父さんと母さんの娘なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この家の中の声は全て把握出来ていた。

 心拍まで聞けば嘘か本当かくらいの区別は容易い。妹との会話は問題なかったが、彼は一つだけ嘘を吐いた。

 

 

「まだ、届いてないのかな」

 

 

 別にジョイくんが誰が好きでも構わない。

 アーリス・イグニアニマだろうがクラキア・ソナタだろうが誰であろうと構わない。

 

 最終的に、全部塗り潰せばいいのだから。

 夜の星なんて優しい輝きではなく、太陽のような極光で。

 

 君が前世よりもずっと輝くなら、僕も相応しくならなくちゃいけない。光が眩む程の光、英雄が霞むほどの英雄。今はたとえ届かなくとも、英雄もまた変われることを君が教えてくれたのだから。

 

 つまり、大事なのは最後なのだ。

 かつて君の最後をあの英雄が独り占めしたみたく、ね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「似てるわけないじゃん、バカ」

 

 頑張れる人間と、頑張れない人間。

 そこに優劣なんてないと思う。頑張ったから偉い、頑張れないから駄目。頑張ったから愛される、頑張れないから愛されない。

 

 そんなことは一切ない。

 荒野の果ての新天地を目ざして突き進むものと、家族を養う為に荒れた土地を開拓するもの、そのどちらも当たり前に尊く、優しいものなのだから同じように尊敬され、愛されるべきだ。

 

 ハピ・■■■の最初の記憶は『失望』だった。

 それはハピ本人のものではなく『親』と呼ぶべきものがハピに抱いた感情。言葉も理も知らない兄弟達が皆あの『■■』の英雄に切り刻まれ、殺されていく地獄の中で、有能だからではなく無能故に生き延びた。

 

 不必要だから要らないと、不細工だから捨てると、不十分だから廃棄すると。そうやって存在を否定された。

 だから、今の両親に愛されていることを実感した時は本当に嬉しかった。自分は必要とされている、自分は幸せなんだ、満たされているんだ、そう感じることが出来るだけで良かった。

 この人達の一番になれるなら他には何もいらない。そう、心の底から思える人に出会えて。

 

 また、本当の光を知る。

 自分と同じくあまりにその構成は不揃い。星とも呼べないその歪な輝きは、一番星を夢みた鍍金の粗鉄(アルデバラン)

 

 それでも、彼は星を見る。星を見るその瞳は、星よりも美しく輝いて多くの人を魅了する。

 自分には無い彼の魅力がわかる。決して特別ではない、決して凡庸ではない、決して愚鈍ではない。ただ頑張って、我欲があっても善良であろうとする。その様はきっととても尊いものなのだろう。

 だから人は彼に惹かれる。私だって、彼がいい人なのは分かる。何となく、彼の隣にいると笑顔になれるんだ。

 

 

 

 

 

 

 あぁ、なんでそれは私では無いのだろうか。

 

 

 

 

 

 そんなものに、なりたいなんて思わない。

 それでも思ってしまうのは、なんで自分は『アレ』では無いのだろうという妬みだった。

 

 それがハピ・ヴィータの本質。

 決して最上にはなれず、常に誰かの次かその次。首が痛くなって目が焦げ始めてもソラの光を眺めて羨むことだけを定められた『羨望』の原理保持者。

 

 

「あんなに眩しかったら、そりゃあ憧れちゃうよね」

 

 

 されど、枕を濡らすその涙がハピ・ヴィータという少女の本音。原理として決められていない、彼女が育てた心だった。

 

 

 

 

 

 

 








・ジョイ・ヴィータ
元々前世では騎士になって直ぐに家族を失っているので、家族は大切だし弟や妹に憧れはあった。


・エア・グラシアス
目下成長中の天才。無垢。




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37.斬月毒牙

 

 

 

 

 

 

 朝起きたら、ジョイさん達は居なくなってしまっていた。

 

 なんでも、急に学校の偉い人に呼ばれたらしく朝早くに起きて去っていってしまったらしい。あれほど夜まで騒いでいたのに、私が起きた頃には跡形もなく去ってしまうとは腐っても騎士の卵ということか。

 

 心残りはリィビア師匠にちゃんとお礼をいえなかったことくらいだが、多分また来ると去り際に言っていたらしい。

 

 

 だからもう気にすることではない。

 静かになった家の、大好きな静寂が落ち着かずに私は何となく外に出ていた。

 太陽は隠れていて、天気も私の大好きな曇り。こんな日は部屋か木陰で読書するに限るのに何故だかそんな気持ちが湧いてこない。寂しいとか、そういうものでは無い。モヤモヤするのだ。

 

 君は君でいい、と言われて大抵の人は嬉しいだろう。存在を認めてもらえることは、人間の根源的な欲求だと本に書いてあったし私もそうだと思う。

 でもそれは自分のことが好きな人間、或いはその人に認められれば自分を好きになれる人間だ。私は違う。自分のことは好きじゃないし、好きな人に認めて貰えたからって、自分に価値を見いだせない。

 

 根本的に、誰かの為に戦えない臆病者なんだ。痛いのとか、辛いのとか、嫌だし。

 できるできないじゃなくて、やりたくない。それの何が悪いのかもよく分からない。

 

 

 もう帰ってくるなー! 

 

 

 ……なんて、思ってもないことは言うだけ無駄だ。

 だってあの人、悪い人じゃないもん。たまに会って、程々の距離感で、この人は私と違うんだなって嫌な気持ちとなんだかんだいい人だなって言うふわふわした気持ちを味わう、そんな仲。きっとこれから何度あってもそんな関係のままだろう。

 

 私は怠惰な人間だ。

 楽しいことしかしたくないし、楽しくないことはしたくない。そうやって妥協して、諦めて、中途半端に生きていきたい。

 夜空には星が沢山あるけれど、どれも手が届かないからちょうど良いのだ。手が届いてしまうと、自分もそうなれるかもと勘違いしてしまう。

 

 酷く惨めな気分になる。

 やっぱり兄も姉も私にはいらない。全部が遠い、夢の絵本のお話であるくらいが私にはちょうど良いのだ。

 

 長い夢から覚めるように、私は帰路に着く。何のための外出だったのか意味も見いだせず、ただただやることが無いという消極的な理由で、いつも通りの帰路に着く。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん、あー……おい、アイツがハピ・ヴィータでいいのか?」

 

 出迎えたのはよく知る声ではなく、知らない男だった。

 大柄で、目付きが悪くて、見ただけで怖くて憎くて腹立たしくなるような、男。

 

 足蹴にされているのは、よく知っている誰か。2人揃って血の海に沈んでいて呼吸も弱々しく不規則。けれど、何も口にしようとはせずただ私の目を見て、いつもの日々と何も変わらない笑顔を向けてくれた。

 何も心配しなくていいって、言ってるようなそんな笑顔。

 

 恐怖、憎悪、憤怒。

 本で知った、教えてもらった感情を表す言葉が一気に実体験を伴い理解した。目の前の怨敵を殺したい、消えて欲しい、という殺意。肉体の全性能を発揮して人間1人をすり潰して殺せと私の『原理』が叫んでいる。

 

 既存の在り方を否定しろ。

 非常識を認めぬ常識という檻を壊せ。

 我々だけに、『原理』だけにはその資格があると。

 

 魔女がそうしろと。

 お前達はその為に生まれたのだと、出来ないのなら死ねと。

 

 

 

『ほーら、はやく原理を使わないと『英雄』が君達を殺しちゃうよ?』

 

 

 

 

「……ひっ」

 

 足が震えた。

 それを皮切りに、何もかもが崩れた。怖い怖い怖い怖い! 目の前の敵が、殺意が、死ぬかもしれない予測が怖くてたまらない。戦闘を行う、なんて思考が頭から抜け落ちてその場に座り込んでしまう。

 

「少なくとも貴族のガキじゃなさそうだしな。……なんかちょっと顔が違う気がするがまぁ、よし。殺しておくか」

 

 男は短刀を持ち、何も躊躇することなく私の方へと向かってくる。

 奪うことに慣れた目だ。誰かから奪うことを、なんとも思っていない。忌避されるべきその行為を当然の理として日常にしてしまえている目だ。

 文字通りに住む世界も常識も違う、別世界の怪物のような男の凶刃が私の頭を貫こうとした、まさにその時。

 

 

 

「悪いがその子を殺したいなら、まずは師匠であるこの私の許可を取ってもらおうか、盗賊」

「お、リィビア・ビリブロードじゃねぇか。俺はツイてるな」

 

 

 空間が歪み、その内側から現れたリィビア師匠の杖剣と男の短刀がぶつかり、耐え難い金属音が響いた。

 

「し、ししょー……」

「ハピ! すぐに両親を連れて外に出ろ! この男は、私が止める!」

「止めるだなんて優しいこと言いやがって、騎士の卵なら殺すくらいの言葉使えよ。柔らかい言葉ばっか使ってるといざって時罵倒の語彙が死ぬぜ?」

「私は君と違って天才なんでね。使わない語彙も必要となれば直ぐに引き出せる優秀な頭脳があるんだよ」

「そうかい、優秀な頭脳はおっかねぇからじゃあ無力化させてもらうぜ」

「おいおい、そういう時は悪党らしく『殺してやる』くらい言えよ、下衆」

 

 短剣と杖剣が再び交差する。

 リィビア師匠と目の前の男。どちらが強いかなんて明白だ。

 

 誰がどう見ても、リィビア師匠の方が強い。

 近接戦闘では男に分があるかもしれないが、魔術のポテンシャルがそんなものは簡単に覆せる程度には次元が違う。それなのに、何故か、リィビア師匠は目の前の敵を瞬殺出来ない。

 

「……っぅ、慣れないな、こう言うのは」

「お優しいねぇ、騎士の卵様はよ」

 

 光線を撃ち出そうとした光の玉を、リィビア師匠は引っ込めて光を帯びた剣で男に対抗する。けれど、剣術ではやはり男に分があるのか師匠は守ってばかりだ。

 

「ハピ! 今すぐ君の両親を抱えて家から出ろ! 早く!」

「ご、ごめんなさい! 今すぐ……」

 

 わかってる、リィビア師匠が追い詰められてるのは私を守りながら戦ってるからだ。さっきから男の視線がチラチラと私や両親に移り、その度にリィビア師匠の集中がブレる。

 大規模な砲撃や魔術を伴った破壊は家の崩壊を招いて最悪私の両親は身動きが取れず圧死。だから、今すぐ私は両親を抱えて逃げなきゃいけないのに。

 

「ごめんなさい……ごめんなさいごめんなさい! 腰が、足が、動かないんです!」

 

 足腰に力が入らない。感じられるのは股の周りの嫌な湿り気と意識とは無関係の痙攣だけ。鼻につく異臭と自らの情けなさに涙がポロポロと溢れ出る。

 

「あーあ、可哀想になぁ。辛い思いさせてよぉ。希望を与えちまってよ」

「ッ、お前が居なければ、あの子はそんな思いしなくて済んだろ」

「そういうことじゃねぇ。どうせこの世は虚しく無意味なんだからよ。希望なんて与えちゃ可哀想だろ。夢を見るってのは代価がいる。疲れるんだよ。天才様でもそれは知らなかったか?」

 

 まくし立てるような男の短刀による連撃が師匠を壁際へと追い詰める。もうその様子は剣戟ではなく狩りのようだった。逃げる師匠を、男が追う。しかし師匠は逃げられない。

 私という、あまりに大きすぎる足枷がそれを邪魔している。

 

 リィビア師匠ならば一瞬でも男の気をそらせばこの状況を解決できる。両親と私を外に出すなり、男を一瞬で無力化するなり、何か出来るとわかっている。だから、一瞬でも私が男の予想外の動きを出来れば何かを変えられる。

 

 足腰にどうにか力を込めて立ち上がる。

 恐怖に震える全てを意志の力で無理やり縛り上げて、一歩を踏み出す。まずはやってみる、やってみせれば、何かが変わるかもしれない。リィビア師匠が教えてくれたことだ。

 

 

 

 

「忠告はしたぜ? 夢を見るのは代価がいる。特にお前みたいな夢見がちなガキは、ちと代価は高くつくぜ?」

「え?」

 

 

 バシュン、と何かが放たれる音がした。

 

 

 

 

 

 

「し、ししょー……?」

 

 

 何処かから放たれたクロスボウの弓矢。

 鏃の消し飛んだそれが、部屋の端に転がっていて。

 

 

「お前も、あのガキも夢を見すぎた。自分さえ頑張れば世界がいい方向になるなんて、絵本の中の夢物語はオシメが取れるまでには卒業しておけ」

 

 代わりにリィビア師匠のお腹に、深深と短刀が突き刺さっていた。

 

「しかし……まさか3()()()()防ぐたぁ、さすがに思ってなかったぜ。ちゃんと有利な状況で戦闘を始めて正解だったな」

 

 男の発言でようやく、私は自分以外のことに意識が向いた。

 父さんと母さんの方を見ると、私に向けられたのと同じく鏃を失った矢が傍に転がっている。

 

「暴発、誤射にビビらずあの一瞬で3発。正確に矢だけ叩き落とすとかバケモノかよ。入念に準備してたこっちの身にもなって欲しい、なっ!」

 

 男は丸太のように太い腕でリィビア師匠の顔をまるで人形を壊すかのように乱雑に殴り付けた。

 腰の入った大振りの一撃。リィビア師匠の体は平均的な女性よりもかなり背が高いとはいえまだ少女の体。木の葉のように吹き飛ばされるはずなのに、彼女の体は微動だにしなかった。

 

「さてと。解除だ」

「──────ッ!?」

 

 男の声と共に、身動き一つ取らなかった師匠がなんの前触れもなく吹き飛んだ。

 何が起きたか分からない、という顔を浮かべながら壁に叩きつけられた師匠は、それでもすぐに何かを理解して魔術を展開しようとしたけれど。

 

 

「天才っても所詮はガキだな。思考が遅い、判断が遅い、命のやり取りに慣れていない。自分より弱い相手ならと少しも油断しなかったって言えるか? リィビア・ビリブロード」

 

 

 何故か、師匠の指先から魔術は顕れなかった。

 だから当然の結果として師匠の腹にはもう一度短剣が突き刺されて、瞬きの間に切り裂かれた師匠の右の手首から先が地面に落ちて、潰れた果実のような音を立て、また現実に起きたことと一拍遅れてリィビア師匠の悲鳴が漏れた。

 

「実際お前は天才なんだろうな。でも、賢くはなかったな。求めすぎてるお前が、捨ててる俺に身軽さで勝てるわけねぇだろ?」

 

 内臓を磨りつぶすような重い蹴りが傷を抉るように腹に叩き込まれた。リィビア師匠は胃液を吐きながら地面に転がり、立ち上がることも出来ずに呻き声を上げている。

 

「こ、これは……」

「あぁ。毒だよ。ナイフに塗っておいたんだ。まぁお前ならすぐに解析して分解できるだろうけどよ。その前に手首の止血して、あのガキと親助けてってやってたら間に合うもんも間に合わないぜ?」

「……っぅ」

 

 師匠は何も言わず、私に視線を向ける。早く逃げろ、立ち上がれと訴えかけているのがすぐにわかるけれど、恐怖に支配された体はまだ動いてくれなかった。

 

「賢くなかった。諦めきれなかった。何事も妥協が肝心ってことだよガキ共。……だから守りたいものも守れねぇ。安心しろリィビア・ビリブロード。お前は殺しなしねぇよ。ただ……」

 

 再び男がリィビア師匠の足にナイフを突き立て、それと同時に師匠の体の動きが停止した。

 

「ハピ・ヴィータ。お前は殺せとのご依頼だ。恨むんならどうぞご自由に。悪いけどどんだけ恨もうが意味はねぇからな。意味のねぇことは好きだぜ俺は。可哀想で面白いからな」

 

 両親は強くて、師匠も強い。

 でも目の前の男は悪辣だ。私達には無いものを確かに持っていて、苦境の中で生き抜く知恵と覚悟を持っている。

 戦場を整える暇を男に与えなければ、私がちゃんと逃げることが出来れば、戦場が閉所でなければ。そんなもしもがひとつでも起きていれば負けていた賭けを男が通しただけの事。

 

 男の言う通り、仕方ないと諦めて受け入れるのが一番楽な事なんだ。諦めて受けいれなくても結果は残酷に訪れるのだから、それが一番楽な手段だとわかっている。

 

 何も出来なくて、何にも成れない。意気地無しの女がその無力の結果として当然のように死ぬ当たり前の現実。

 

 

 

 でもそれは、きっと楽しくない。

 そんな人生は楽しくない。どんなに苦しくても、どんなに辛くても。

 目の前に振りかかる困難を仕方がないと諦めてしまうのは、楽しくなんかない。

 

 

 

「……助けて、お兄ちゃん!」

「この期に及んで他人頼みか。お前が動けてりゃ何か変わったかもしれねぇってのに、どこまでも救われないガキだな」

 

 

 

 情けないことはわかってる。自分がどれくらいダメかなんてお前に言われなくてもわかってる! 

 妥協して、諦めて、頑張りたくなくて、そんな中途半端な人間が私で。意気地無しで臆病で役立たずで、そんな駄目な人間が私だってわかっていても。

 

 ここで諦めたくはない。

 嫌なものは嫌だと、子供のように叫びたい。我儘で傲慢でも、助けてと叫ぶことくらいは許して欲しい。こんな自分でも好きになれるように、私は私に出来る最大でなくとも、最善を行いたい。

 

 両親も師匠もこれ以上傷つかなくて、私もそこで笑っていられる一番楽しい道を、ただただ望みたい。

 

 

 

 

 

 

「悪い、遅くなったな」

 

 

 

 

 

 

 

 遙か遠くの星はきっと、その願いに応えてくれるのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ギリギリ僕達も結界の中に閉じ込められたみたいだね」

「今回ばかりは寝坊して忘れ物して靴紐解けて結んでた俺に感謝して欲しいわ」

「あぁ、さすがに今回ばかりは感謝しておくよ」

「……冗談やったんやけど、悪い。さすがに今は返す余裕はあらへんか」

「いや、助かる。お前がへらへらしてくれてなきゃ冷静さを忘れて駆け出してたよ」

 

 エアとリィビアが結界の詳細を確認しているが、ほぼ間違いなく俺の村の周囲を覆うように展開され、内部には何体も魔女の眷属である魔獣が現れているのが感じられる。

 

 これは『攻撃』だ。

 明確に、魔女が何らかの意図。例えば俺の家族を殺すだとかそういうことのために仕掛けてきた攻撃だ。

 リエンが忘れ物をして出発が遅れてなければ、俺達は間違いなく結界の外にいることになったのだから間違いない。

 

「解析終わったよ。アーリスの時とパターンは一緒。魔女と繋がりのある人間を起点にして作り上げられてるタイプだ。だから……」

 

 リィビアの言葉に続くように、エアが結界を剣で斬りつける。

 一瞬、結界が解けて外の景色が見えたがすぐに再び結界が現れる。

 

「僕だけなら外に出たり、小さなものを外に出すくらいなら出来るけれど、僕以外の人間を出入りさせるのは難しいかな」

「私もだ。魔女めパターンを変えてきた。1時間もあれば解析できるが……」

 

 リィビアの視線は村の方に向けられ、更にその先にある森にも向けられる。

 混沌の色の魔力が蠢き、草木が悲鳴をあげながら枯れ始めている。現存する生物の醜点を掻き集めたかのような恐ろしい異形の魔女の眷属、魔獣が何十、下手すれば何百体も蠢いている。

 

「……みんな、お願いが」

「さーて、騎士学校の生徒として人命救助が最優先ですね」

 

 俺の言葉を遮るように、クラキアが槌を出現させ一歩前に出た。

 

「リィビアさんですよね、座学1番成績いいの。暫定指揮官お願いしますよ」

「ハイハイ、んじゃ、無表情凡人(クラキア)とエアさんと凡人(アーリス)は魔獣の殲滅。私、ジョイ、訛り凡人(リエン)で村人の避難と防衛、そして結界の起点の発見ね」

「えー、僕が結界の起点探しした方が良くない?」

「エアがいないとあの数の魔獣の足止めは厳しいでしょ。それに……」

 

 アーリスは俺を見て、何も言わずに自分の髪留めを指で触れた。

 確かあの髪留めは、アーリスが兄から貰った大切なものだと言っていたはずだ。不器用ではあるが、何が言いたいかは伝わってくる。

 

「みんな、ありがとな」

「クラキアちゃんの言う通り、これは騎士学校の生徒として当たり前の行動だからね。それ以上の意図はないよ」

「せやなぁ。あ、ジョイ。一応言っておくけど殺したらあかんで? 非常時やから防衛行為は認められるけど、基本殺しはアウトや」

「わかってるって。そこまで冷静さを失ってるつもりはねぇよ」

 

 不安とか怒りとか、そういう感情は確かに湧いている。

 けれど、こいつらがいれば安心だし何より俺の両親もハピもそう簡単に死ぬようなタチではない。

 

 ここは焦らず、落ち着いて人命救助に勤しむべきだ。

 

 ……いくら頭でそう考えても、チラつくのは前世での凄惨な両親の死体の姿。

 それを思うと、剣を握る手はいつの間にか柄を砕いてしまうのではないかと言うくらいに力が入ってしまっていた。

 

「冷静になれジョイ・ヴィータ。君の両親と妹は私が様子を見てくる」

「……いや、俺が」

「君と私なら、私の方が状況への対応力が高いし手札も多い。それに私はハピにマーキングしてあるから、一方通行で一度だけだが今すぐあの子の元に駆けつけられる。対して君は私よりも人命救助と走り回るのは得意だろう? 何事も適材適所だ」

「…………頼む」

 

 リィビアは大きく溜息を吐いてから、俺の太ももを力一杯に引っぱたいた。騎士学校の生徒にあるまじきその力の弱さに、逆に驚いた。

 

「君の家族には傷一つ付けさせない。これが君の同級生としての約束。そして、君の妹には傷一つ付けさせない。これは師匠としての私の役目だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 本当に本当に、情けない。

 情けなさ過ぎて涙すら出てくる。

 

 自分を納得させた。一時の安心、その時だけの楽になれる思考のために、俺は決して許されないミスをした。

 

 考えてみろ、敵は一つの村を滅ぼすのにこれだけ大掛かりな仕掛けを用意する悪意だ。幾らリィビアが強くても、決して1人では行かせるべきではなかった。

 俺には、俺とその家族が狙われているという確信があったのに。確信があったからこそリィビアに頼った、頼ってしまった。コイツならきっと何とかしてくれるのだから、と。

 

 誰よりも『人間』を平等に扱い庇護する責任感が強い、リィビアという女の子が見せた精一杯の強がりと優しさに頼りきってしまった。

 

『命を懸けた戦い』に、自分ではなく友達を赴かせた。

 まだ騎士の卵で、その先の世界を知らない彼女に。

 その結果としてリィビアを危険に晒し、妹の心に消えない傷まで刻み込んだ。自分の無力で大切なものを奪われるかもしれない恐怖を、ありありと刻み付けた。

 

 

 謝罪、償い、それらはもちろんする。自分に出来ることならなんだってする、首を切れと言われたらもう俺が居なくても問題ないなら喜んで切ってやる。腹を裂けと言うなら喜んで裂いてやる。

 

 だが、それは後の話だ。

 自分の弱さを嘆くのも、償いをするのも全て終わってから。

 俺が弱いのは当然として、かと言って悪いのは俺だけではない。当然の事実から目を背けて自責で自分だけ気持ちよくなっている場合では無いのだから。

 

 

「おい」

 

 

 両親を傷つけ。

 友人を傷つけ。

 妹を泣かせた。

 

 

「テメェ」

 

 

 悪いのはこの男だ。

 俺が何かしたとか、魔女がどうとか、そんなことは関係ない。ただ善良に生きて、良心に従い、何気ない平和を守ろうとした人々を傷つけたこの男を見てると何も()()()()()

 

 怖い思いをしてぐちゃぐちゃに泣き腫らして、何も出来ないことが悔しくて仕方がなくて、子供が誰かに助けを求める当たり前のことにすら自分の無力さを責められるような恐怖を感じて。

 そんな掠れるようなのような助けを求めたハピの泣き顔を見て。

 

 この男の存在が我慢ならない。

 

 

 

「──────ぶっ殺してやるよ」

 

 

 

 魔女との戦争以来、俺は随分と久しぶりに誰かに本気の殺意というものを抱いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 



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38.『楽』を追い求めた者

 

 

 

 

 

 

「ジョイ、お前は家族のとこに行った方がええ」

 

 まだ村人の避難が完了してない時に、リエンは唐突にそんなことを口にした。

 

「俺の家は村の中心部から離れてる。人数から考えても後回しだ」

「あとは俺だけで確認できそうやし、あの範囲火力三人娘のおかげで魔獣もそう数は来ぃへん。それよりも、リィビアがすぐ戻ってこない方がおかしいやろ」

 

 それでも、リィビアに任せるべき理由の方が多い。俺よりもリィビアの方が強く、万が一リィビアが負けるような敵ならば避難を完了させてから俺とリエン2人で相手にするべきだ。

 

 それはリエンもわかっている。その上で、コイツは俺が行くべき理由を語っている。

 

「……ありがとう。行ってくる」

「なんでお礼を言うんや。あぁ、これ持ってっとき」

「ん……ってうわっ!?」

 

 何かを投げてきたと思ったら、なんとリエンの野郎ナイフを投げつけてきやがった。何とか綺麗に柄を掴んだが、下手すりゃ一大事だったぞ。

 

「大丈夫大丈夫。俺は狙った的は外さへんし、逆に狙わない的には当てへん。お守り代わりに持ってっとき」

「ったく。んじゃ、遠慮なく行かせてもらうぞ」

「ああ。すぐ行った方がええ。嫌な予感がする。遅れたら、致命的な何かが起きる」

 

 

 いつになく真面目に語るリエンを見て、俺は迷わず『黒耀(バロール)』を励起させた。

 ここ最近の訓練で、出力を低下させて安定させ使用可能時間を伸ばすことには成功している。それでも、負担は大きいし起動できる時間が短いことに変わりはない。

 

 それでも、そのリスクを背負ってまで急がなければならない。

 リエンの表情と俺の直感はそんな何かを告げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「遅くなったってか、もう遅いだろ馬鹿じゃねぇのか?」

 

 恐らくこの事件の主犯格である男がそう言って、ハピに短刀を振り下ろそうとする。迷っている時間は一切ない。

 最高速度で突っ込んで、男ではなくハピを抱える。

 

「なるほど、速いじゃねぇか」

 

 そのまま()()()()()リィビアを目標に室内を跳び回って抱え、父さんと母さんも回収して一度家の外に飛び出した。

 

「兄さん……兄さんごめんなさい! 私のせいだ、私が頑張ってれば父さんも母さんもししょーも、ごめんなさいごめんなさいごめ」

「謝るな。お前のせいじゃないだろ。悪いのは、傷つけたやつだ。それに、お前がお兄ちゃんって呼んでくれたから少しだけ速く駆けつけられた。ありがとな」

「……カッコつけてるところ悪いが、ここからどうするんだ」

 

 両親は傷も浅く意識を失っているだけだが、リィビアは顔が青く呼吸も不規則だ。何より、右の手首から先が切り落とされていて出血が酷い。

 

「リィビア、何があった」

「悔しいが油断したという他ない。あの男、固有魔術持ちだ。条件は恐らく相手を刃物で傷つけること。……だが、それだけなら魔術の理に反する性能だ。何か、他にも条件があるはずだが、とにかく相手からの攻撃は一撃でもまともに受ければ詰みになる可能性がある」

 

 最低限の情報を伝え、リィビアの焦点が少しブレる。この症状は恐らく毒物だ。失血と怪我、毒による意識の混乱で魔術の発動を阻害させる。

 それだけならリィビア程の術師なら即座に解毒するだろうが、『魔力単位』での停止と言っていたことから恐らく魔術の発動をそれで阻害され、既にリィビアは毒がかなり回っている。手を翳しても視線で追っている様子はなく、痛みや怪我、毒の効能で治癒や毒物の分解などの複雑な魔術の使用は阻害されてしまっているのだろう。

 

「ハピ、動けるか?」

 

 ハピは泣きながら首を横に振る。

 

 ……これはリィビアでも負けて仕方がない。

 動けない人質が3人、大規模魔術の使えない閉所。とことんリィビアのような純魔術師の苦手な戦場。加えて相手は『魔術騎士を殺すのに慣れている』。そうとしか考えられない手際の良さだ。

 

「ハピ、何か危険が迫ったらとにかく大声で助けを呼べ」

「ま、待って、お兄ちゃんは……」

「あの男を止める」

 

 しかしどんな理由があれリィビアが負けた相手だ。

 俺の知っている『魔女の眷属』や、どんな異常な魔力を持った敵かと思ったが……。

 

 本当に、リィビアがアイツ1人に負けたのか? 

 

黒耀(バロール)』で見た限りは魔力量に特別優れてる訳では無い。てっきり魔女のやつが前倒しで切り札を切ってきたかと思ったがコイツはどう見てもただの人間だ。魔女に協力こそしてるが眷属ですらない。

 

 だがやるしかない。『黒耀(バロール)』を使ってしまった以上制限時間は限られている。出力を下げて、出来るだけ安定させたとしても活動時間はそう長くなりはしない。

 

 

 

 

 

「お話は終わったか、ジョイ・ヴィータ」

「待っててくれるとは律儀なところがあるんだな」

「そりゃあな。確実に1人生け捕りにして来いって言われたからわざわざ出てきてやったが、俺としちゃあ時間さえ稼げりゃそれでいいんだよ」

 

 発言と魔力の雰囲気からして間違いない。この男が今回の魔女の協力者であり、結界の起点だ。つまり、コイツを殺せば結界は解除される。

 

「事前通告だ。今すぐ結界を解除し武器を捨て投降しろ」

「おお何だ、騎士学校てのは生徒にまで高潔さを求めるのが流行ってるのか?」

「んなわけねぇだろゴミ野郎。一応言っておかなきゃ後で俺と責任者(師匠)が怒られるんだ。魔女に手を貸したとしても、今ならその後の行動によっては命までは取らないぞ。こちらとしても情報が欲しい」

「なるほどなぁ。俺、人殺しなんだけど免除とかある?」

「協力的な姿勢によっては、無罪放免とはいかないが死罪は免れるだろうさ。牢屋ぐらしにはなるだろうが」

 

 男はそうかそうかと頷いて笑い、短剣を地面に捨てて両手を上げる。

 その様子を見て、俺は構えを解き剣を下ろして──────

 

 

「牢屋ぐらしは楽しくなさそうだからな、こうさせてもらうぜ」

 

 懐からまた別の短剣を取り出しながら突っ込んでくる。その動きは()()()()()。『黒耀(バロール)』が視た僅かな魔力の動きがその行動を予測していたからこそ、何も考えず足を前に突き出して蹴りをぶち込む。

 

「……うおっと、あぶねっ!」

「ッ!?」

 

 なんの前触れも俺は出さなかった。完全な不意打ち、擬似的な未来予知から繰り出した蹴りを、間一髪で身を捻り、すぐに後ろへと飛び距離を取りながら俺の表情を舐るように見つめてきている。

 

「……何テメェの方が予想外みたいな顔してんだ? あぁ、予測系の固有魔術持ちか? それともよっぽど自信があったか。騎士学校の生徒ともなりゃ自信家は多いからな。さっきの間抜けな女みたいに」

 

 挑発、こちらの意識の撹乱狙い。

 下卑た笑みも所作もこちらを煽るのに効果的だから使っているだけ。相手が今焦っているのか、余裕があるのか、表面から全く読み取れない。

 

 リィビアが負けた理由がようやくわかってきた。

 

 この男は多くの経験を積んでいる。

 リィビアは強いが、戦闘を知らない。この男は強さで言えばリィビアと比べれば明らかに劣る。しかし、戦闘というものを何度も繰り返している。

 

 だからコイツはひたすらに厄介だ。

 コイツには純粋な経験量からくる判断の速さと選択肢がある。常に戦闘で多くの札を持ち、それを瞬時に使う思い切りの良さ。

 

 

 戦い慣れている。ただそれだけでここまで厄介になる相手はそうそういない。

 今後ろに跳んだ時も、この家の間取りを完全に把握した動きだった。家主の一家である俺よりも、この家の中という戦場はコイツにとって戦いやすい場所になっているだろう。

 

「挑発にも乗らない、どうやらなかなか賢そうだ。魔女のやつが直接ご指名して殺そうとするのも頷けるな」

「魔女が……?」

 

 早急に決着をつける必要がある。だが、その上で魔女の情報を聞き逃すことは出来ない。

 

「あぁ。魔女のやつはお前と妹、でいいのか? その2人を殺してあとはリィビア・ビリブロードを生け捕りにしてこいとご指名だ。まぁ俺が相手しなくてもこの結界の中はもう魔獣の巣だ。そのうち死ぬだろうけどな!」

「じゃあなんで相手してんだよ」

「確実に殺しておきたいってのと、1人は生け捕りにしなきゃならねぇ。そして……」

 

 男は短剣を構え直し、床を力強く踏みしめて叫んだ。

 

 

「魔女に殺意を抱かれる男との殺し合いなんて楽しそうじゃねぇか! 今世紀最大のエンタメを逃すなんてバカのやることだぜ!」

 

 

 短剣二刀流での接近戦。

 ……と思わせて、空気を斬る音が目の前ではなく真横から飛んできた。

 

「矢、ッ、仲間!?」

 

 矢を剣で弾き、すぐに視線を飛んできた方向に向けるが、そこに人影はなくただ窓の外の木の上にクロスボウが固定され設置されているだけだった。そして、どんな理由があろうと俺の意識は僅かに男から逸れてしまった。

 

「おいおいおいおい! 余所見されちゃあ妬けちまうぜ!」

 

 相手の短剣よりこちらの方が間合いは上。だから相手は近づこうとしてくるし、俺は近づけないようにする。『黒耀(バロール)』で身体強化の出力は上がっている。反応速度はギリギリ間に合う。

 

 だが、それでもまだ相手の方が速い。

 どうなってるんだこの男は。『黒耀(バロール)』を励起させた俺の速度は単純な速さでならエアとだって競える土台はあるはずなのに。

 

「もちっと身長が高かったら、背を無理やり低くされちまってたな」

 

 軟体動物のような膝の柔らかさで転がるように姿勢を低くした男は、手の力で飛び上がりながら短刀を俺の首へと迫らせる。だが、この角度なら腕を盾に短剣を絡め取り、装備を一つ奪える。毒だって『黒耀(バロール)』を使ってる今ならすぐに解毒できる。

 

 

 ……と、リィビアからの情報がなければ俺はなんの躊躇いもなく腕を盾にし、詰んでいただろう。隙のある男の攻撃に対してカウンターを行わず、全力での回避行動に出る。

 

「今の、普通隙だらけだカウンター! ってところだろ。お前本当にガキか? 騎士のオッサンを相手してるみてぇ……いや、剣術は新しい。なのにどうも戦い方に年季がある。師匠が年季の入った騎士か? いや、経験は簡単に引き継げるものじゃねぇし……ったく、面白ぇな」

 

 獲物を見つめる男の目は、薄汚れているがその奥の輝きは芸術を鑑定する鑑定士のような熱があった。

 記憶の全てを見られているかのようで、実際に俺の前世での経験などの普通気が付かない部分にも直感的な言葉だが言い当ててきている。

 なんだコイツ、得体がしれ無さすぎて怖い。一体、コイツは……。

 

「何者だ……?」

「ん、あー、まぁお前にならいいか。ダグザ・フォール。ただの盗賊だ」

 

 狭い室内、お互いに間合いを測りながら言葉を交わしていく。

 俺は『黒耀(バロール)』の時間制限、相手は増援が来るかもしれない危険性。お互いに時間はなく、かと言って相手の懐に飛び込む危険を省みてただ言葉を紡ぐ。

 上っ面だけの、心を通わせる気のない、無意味な会話。

 

「アンタ、なんで盗賊なんかやってんだよ。その実力がありゃ騎士団でもやってけただろうし、持ってんだろ? 固有魔術」

「そりゃ俺も思うけどよ。まぁ金も時間も運も俺には何も無かったってだけだ。別にそのことを何か思ってるわけじゃねぇが……こっちの方が楽しいからな」

 

 男は1歩、俺の間合いを測ろうとする目論見を見抜いたのかそれとも本当に自殺でもしようとしているのか。驚く程にその命が散るかもしれない重い1歩を軽く踏み出した。

 

「法ってのは守る代わりに守られるから成り立ってんだろ? なら明日魔女がぶっ壊すかもしれねぇ世界で、んなもん守ってつまんねぇ人生送るよりは、魔女に殺される前提で好き勝手やった方が楽しいだろ?」

「刹那主義に付き合ってやれるほど短絡的じゃねぇんだ」

「今が楽しければいいんじゃねぇよ。俺は人生を楽しみてぇんだ。誰だってそうだ。これは間違ったことだって批判されなきゃならねぇ事か? 誰かの幸福は誰かの不幸だろ?」

 

 少しづつ、男の足が俺の間合いに近づいてくる。

 よく回る舌で話しながら、学のなさそうな顔と声で何年も政治の真ん中に携わった者のような不可思議な説得力のある顔と声で、矛盾に満ちた男が近づいてくる。

 

 ダグザという男の言う通り、誰だって人生は楽しみたい。俺の両親も、リィビアもハピも、俺だって楽しみたい。その過程で誰かが不幸になるのは当然のこと、仕方の無い理。

 俺が1位になれば、俺と同じように1位になりたかった誰かが1位になれないように。幸福の絶対数は決まってる。

 

 

 

「でもそんな話今関係ねぇだろ。テメェは傷害罪と殺人未遂、魔女への共謀その他諸々バッチリ罪人なんだよ。明日が来ねぇと勝手に刹那に生きてんなら山奥で動物でも飼って暮らしてろ」

「……ハハッ、そうだそうだ! その通りだ! 意味なんてねぇ! 俺の言葉に今の状況はなんも関係ねぇよ! こんな薄っぺらな盗賊1人の言葉で、お前の世界が変わるわけがねぇ」

 

 たいそう面白そうに笑いながら。

 

「──────あぁ、そうだ。だから世界は変わらねぇんだ。誰も彼も、俺もお前も無力なんだよ」

「俺が無力かどうかなんて、これから俺が行動で決めることだ。テメェに決められることじゃねぇんだよ!」

 

 相手を否定するように、言葉ごと体を斬り裂かんとする。その攻撃も的確に間合いを読まれ一歩後ろに下がられ、避けられる。さっきからずっとこれだ。

 正確に俺の間合いに入らないように立ち回り、俺が間合いを測り損ねて剣を振り隙を晒した瞬間にだけ接近してくる。間合いを詰めようと全速力で接近しようとすれば、刺し違えてでもこちらに攻撃を当てようとしてくる。

 

 ジワリ、と染み込むような痛みが眼球を伝い脳に走ってくる。出力制限をしているとはいえやはり『黒耀(バロール)』は長続きしない。しかし出力を全力にして速度で押そうにも、速度と力で優る自分がダグザに対して『攻めきれない理由』を正確に把握していない以上は捨て身となる最大出力は無謀すぎる。

 

「古流アメリア式剣術だろ」

「……ッ」

 

 ダグザの言葉に出来る限り感情を表に出さないようにしたが、隠しきれなかった。

 なんでさっきから、騎士学校の上位の生徒でも反応しきれない程である俺の『黒耀(バロール)』の動きが読まれていたのか。この男は俺が師匠から教わった剣術の『型』を知っている。

 

「古いし断絶して使い手は少ないがゼロじゃねぇ。今時教えられるやつが残ってたことが意外だがな」

 

 空虚で刹那的、何もかも諦めてるくせに。なんでこいつこんなに博識なんだよクソッタレ! 

 この男は本当に、自分が楽しく生きて、自分だけ利益を得て今日を生きることだけを考えてきたんだ。だからコイツは空っぽだけど強さに厚みがある。1秒後に燃え尽きてもおかしくない生き方で、今日まで生き延びてきた男だ。安全な道を進んできた人間とは人生経験、それもこと生存策におけるそれは何倍も豊富だ。

 人生二週目である俺ですら、コイツの持つ厚みには敵わない。誇ることも無く、光ることも無く、ただ暗闇で人を斬ることだけを目的に研ぎ澄まされたその刃はこと人を斬ることにおいては特殊な機能のあれこれついた聖剣魔剣すら上回る。

 

 

 だから、コイツに勝つには凡人が天才に勝つ為の賭けにも似たジョーカーでは無い。

 

 

 

「……なんだ、その構え?」

 

 

 

 始めてダグザの顔に焦りの色が見えた。さすがにこれは知っているわけがないという安堵と、もしもしっていたらコイツは()()()()になってしまうのでそんなわけがないという、失笑。どうあれ俺は笑っていた。

 あの、遥か遠くから見ることしか出来なかった『英雄』のように。

 

「大昔、友達に教えて貰った構えだよ」

 

 魔女との戦いの中、アイツは俺に剣を教えてきたことがあった。当時はアイツに教えられるのが嫌で、それでも死ぬのも嫌だからいやいや教わって何言ってるのか全然わかんなくて言われたことの半分も出来なくて微妙な空気になったのが辛かったことばかり覚えていたけれど。

 今になると不思議なくらい、あいつの一挙一動が鮮明に思い出せる。まるで今目の前にアイツがいるかのように。

 

 

「英雄様の剣術だ。冥土の土産に覚えとけ」

 

 

 師匠との修行で俺は幾つも新しい技を身につけた。魔術はもちろん、体の動かし方からちょっとした小細工。そして師匠仕込みの剣術。確信を持って言えるが、どっちの剣術を使った方が強いかと言われたら間違いなく古流アメリア式、師匠から教わった方だ。

 幼い頃から体に叩き込んだし、師匠の教え方が良かったからこちらの方が使い方として洗礼されているし、前世での俺はアイツから教わった剣術を模倣しきれなかった。

 

 でも、それは決して無駄ではなかった。

 総体としての敗北。無意味で無価値だったかもしれない挫折と後悔だけの人生。それでも今、この時だけは、積み重ねてきた時間と手を伸ばし続けた切望こそが、目の前の敵を否定できる必殺の一撃になり得るのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 








・流派
騎士学校で主流なのはギガト・レムノとその弟子達が積み重ねてきた『ノムト流』と魔術騎士の多くが実戦で発展させてきた『輝剣流』の2つであり特徴として前者は魔術を行使しながらそこに剣を交えることでアーリスなどはこちらの派生、後者は剣術の中で動作に魔術式を組み込むことでの高速戦闘を軸にしており、使用者はアウルなどになる。
リィビアのような魔術騎士ではなく、魔術師の戦い方にも流派はあるがリィビアは天才なので独学であり、クラキアも天才だし武器が固有魔術由来なので独学だし、リエンはなんか独学で、今年の騎士学校1年の生徒は天才が多いので独学が多い。
ちなみに前世でデウスが教えた剣術はジョイが魔女との戦いで生き残れるようにデウスが無理やり教えたものなのでデウスとエアが使う我流とは別物。



・古流アメリア式
ジョイがアルム師匠から教わった剣術。現代ではほぼ失伝している。闇属性の魔術の使い手が飛び跳ねるように使う技であり踏み込むことの出来ない空中での動きや相手の魔術と自分の魔術を干渉させて肉体を動かす方法など、実践的でやや捨て身の傾向。魔力量の少ない人間が高い人間、強大な魔獣などに対抗するために生まれた。これの修得のためにジョイはめちゃくちゃ崖から突き落とされまくった。








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39.原理解放








 

 

 

 

 

 師匠から授かった『黒耀(バロール)』は魔力の流れを正確に読み取る。それは相手の動きをほんの少しだけ先回りできるし、自分の動きを精密に出来るし魔術の効果を引き上げ、精密になった肉体操作はかつての俺では出来なかった動きを可能にしている。

 

「なんだ、急に動きが変わりやがった……?」

 

 弾き、捌き、避けられていた攻撃が途端に避けきれずにダグザの薄皮を裂く。コイツの強さは豊富な戦闘経験に裏付けられたもの。俺を超える手札を持つ相手に奇襲奇策はまず通用しないし、正攻法は見抜かれる。なら、初見の攻撃と基礎の力のゴリ押し。コレしか勝つ手段はない! 

 

「ハハッ、なんだその剣術! 視点が違うな。まるで、()()()()()()()()()()()()

 

 キッショイなコイツ! 

 勘が良すぎる、マジで一体どれだけの数の人間と殺しあってくればこんなに勘が鋭くなるんだ? 考案者であるデウスの本質を掠めてきやがった。

 

「さて、そっちも出し惜しみはやめたようだし俺もやめるとするかな!」

 

 そう叫ぶと同時に、どこかでバシュンとクロスボウが放たれた音がした。何処で、何処から。そんなことを考える。たとえそれが見当違いの壁に突き刺さっていたとしても()()()を考えさせられた瞬間、俺の行動と思考は狭められる。

 

 生まれた僅かな思考の隙。絶好のチャンスとばかりにのらりくらりと間合いを躱していたダグザが一気に距離を詰めてくる。

 

「さっきまでのお前の師匠は堅実だったが、今の剣術を教えたやつは少し常識外れでヤケなところがあるな。防戦になった瞬間に粘りつくような感覚が取れてきたぜ」

 

 短剣に触れないように注意を払いながら、攻撃を躱していく。間合いを詰められては剣を振ることが出来ない。かと言って、狭い屋内である以上俺の剣が有利な間合いは取りづらい。

 リィビア達をコイツから離すために屋外に出た時に、そのまま待つべきだったか? いや、もしも屋外で戦闘となればコイツは俺よりもまずハピかリィビアを狙う。屋内で戦闘を強制させるのは間違ってない、でもキツイもんはキツイ。

 

「あぁ、クソ、しょうがねぇ!」

 

 あれやこれやと悩んでも、解決の糸口は見えてこない。結局のところ、俺が格上に勝つのに必要なのは『賭け』だ。そもそもこの勝負は常に賭けばかり。

 

 床を掠めるような下段からの振り上げを躱され、空いた胴体に向けてダグザが踏み込んでくる。ここだ、この瞬間だ。

 

「剣から、手を離すか」

 

 驚き、ではなくダグザの顔に浮かんでるのは喜び。

 何をどうするか楽しみで仕方ない。離しただけなら何も問題ないと、腹立つくらいにコイツは落ち着いてる。とにかく焦らない。

 

「『黒耀軌跡(バロールエンチャント)小牙(デブリ)』!」

 

 デウス・グラディウスという男は剣に優れていた。しかし剣()()に優れた男ではなかった。だからアイツはよく戦闘中に剣から手を離していた。アイツにとって剣とは、絶対に必要な命を預けるべきものでは無い。戦闘の道具だ、もっと頭を柔らかくしろ。

 

 剣の中に無理やり電気の魔力を流し込んで、内側で弾けさせる。制御は万全。『黒耀(バロール)』を起動した今なら魔力制御は針の穴だって通せる。

 

「風穴開けやァ!」

「お前に先に開けてやるよ!」

 

 ダグザの短刀が俺の腹に突き刺さるまであとほんの少し。

 一手の差、一分の隙、一瞬の静寂。

 

 

 

 

 

 

「「俺の勝ちだ」」

 

 

 

 

 

 電気を纏いながら、俺の剣が弾け破片が榴弾砲のようにダグザの体を抉ったのと、ダグザの短刀が俺の腹に突き刺さったのはほぼ同時だった。

 

「ぐ──────」

 

 腹に激しい痛みが走り、同時に全身を駆け巡るかのような不快感と硬直。指先どころから魔力の流れすら完全に止められている。

 呼吸、心音も止まってるのかそれとも聴覚が停止しているのか。何も聞くことも出来ず視界の光景も体が硬直した瞬間からまるで写真で切りとったみたいに動かない。

 

 これほどの奇怪な現象、まず間違いなく固有魔術だ。

 やはり短刀で相手を傷つけることが発動条件だった。だが、相手もこちらの攻撃をまともに受けたはずだ。剣を内側から爆ぜさせ、破片を榴弾のように指向性を持って放つ一発限りの大技。至近距離で受ければ一撃で死んだ可能性もある。

 

 お互い手傷は負った。だから、もう祈るしかない。

 相手が致命傷を負って動けなくなっていることを祈りながら、硬直が解けるのを時間感覚すら狂った停止した世界の中で待ち続ける。

 俺としては今の一撃で再起不能になってくれてれば最高なのだが……。

 

 

「──────いってぇな! 穴まみれになっちまっただろうがァ!」

「穴開けてやるって言っただろ、聞こえてねぇなら耳の穴も増やしてやろうかァ!?」

 

 

 再び体が動くようになると同時に視界には体に穴がいくつも空き、左腕がちぎれかけながらも元気にこちらへと飛び込んでくるダグザ・フォールの姿が目に入った。

 この野郎、マジでなんで死んでねぇんだよ。普通なら致命傷になる攻撃を寸前に見切ってダメージを最小限に抑えている。

 

 生存能力が桁違いだ。伊達に長生きはしていないらしい。でもコイツだって限界のはずなんだ。榴弾じみた攻撃を受けて確実にコイツの持つ豊富な選択肢は削り取られ、動きに多彩さが失われた。

 だから、ここからはコイツの経験を俺の経験で上回れるかの勝負になる。

 

 恐らくコイツの固有魔術の発動条件は『短剣程度』の刃で相手を斬ることにより発動する。

 仲間の気配もなしに矢が飛んできてるのは、クロスボウを予め発射する直前に斬りつけたりして動きを止めて遠隔解除でもしてるんだろうか。なら、物質に対してはある程度融通が効くが生き物に対しては長時間効かないのだろう。

 

 そして斬り付けられた対象は魔力単位で体が完全停止する。近接戦闘においては無類の強さがあるが、この固有魔術を持ちながら仕込み針や間合いの長い武器を使わないあたり『短剣程度』という縛りが厳しいのだろう。最小は分からないが、最大でも今奴が持っている刃、それが最大有効射程だ。

 

 

「さぁ、男と男の殴り合いだ。最後まで楽しくやろうぜ」

 

 

 こっちの武器が先程破壊されたのをわかった上で、そんなことを言ってきやがる。コイツ性格悪いな。

 まぁそれは分かっている。コイツがクズでカスでどうしようもないことはわかっている。だからと言って必要以上に怒るな。冷静に、冷静に対処しろ。

 

「──────教えてくれ『鍍金(アルデバラン)』。俺は、どうすればコイツに負けないで済む」

 

 どうすればみんなを守れるか。

 ただそれだけを考えて脳を、黒耀(バロール)を酷使する。無数の敗北、無数の選択、その中でもう答えは決まっていた。情けないことに、俺にあるのは一か八かの大勝負だけ。停止したかのような体感速度の中で泥中でもがくかのように体を動かす。

 

「俺の方が──────」

 

 隠し持っていた、リエンから預かったナイフ。背中に隠していたそれに手をかけて。

 

 

「お前の方が、遅せぇよ」

 

 

 バシュン、とクロスボウが放たれる音がした。

 それは設置トラップ。狙いを常に変えられるわけでもなく、威力も大したことの無い牽制。

 

 けれど、俺は1つの答えにたどり着いてしまっていた。

 コイツの固有魔術が『斬りつけたモノを止める』ことなら。

 

 ……この矢に当たっても、その効果が発動するのでは? 

 

 

「考えたな、一手遅れた」

 

 

 あぁ、ダグザ・フォールの言う通りだ。

 考えた、考えさせられた。結論は『発動しない』。俺もそれに思い至って、左腕に刺さる矢を無視したが僅かであるが思考が止まった。

 

 だから間に合わない。ダグザの短刀が俺の腹に突き刺さる。ナイフを抜くよりもどうにかしてその手を止めることに集中したが、俺の渾身の抵抗は奴の腕を引っ掻く程度で終わってしまう。

 すぐに固有魔術の効果である停止が訪れ、その停止が終わるよりも先に俺の命は刈り取られる。その結果に俺はもう抵抗出来ない。

 

 

 

 

黒耀軌跡(バロールエンチャント)集牙(シュート)

「ッ、あ?」

 

 

 

 

 そう思って油断したであろうダグザの腹を、腕ごと鉄片が貫いてぐちゃぐちゃになった腕が俺の腹に突き刺した短刀ごと、地面に落ちる。もう両手ともひしゃげたこいつには短刀を握ることは出来ない。

 

「なんで、てめ、刺したはずだ。俺の『縛鎖(フォーリント)』は、お前の動きを、魔術を止めたはずだ」

「悪いな。俺は一か八か、勝ったのが俺だったんだよ。まぁ日頃の行いってやつだ。恨むなら自分の行いを恨むんだな、クズ」

 

 

 これで本当に発動するかは賭けだった。身体強化の魔術を解くだけで固有魔術の発動を阻害できる可能性は低かったし、短刀で斬った時に発動するならその発動タイミングは一瞬だ。合わせられるかも分からなかった。

 

 俺の『黒耀(バロール)』は魔術に干渉し、その術式を乱すことで発動を阻害する。

 ダグザの固有魔術が発動し俺の肉体を止めるまでの僅かなラグ。その間にダグザの腕を、魔力を引っ掻き術式を停止させる。

 

 そしてまんまと俺を止めたと油断したダグザに対して最後のダメ押し。

 

「あー、クッソ。わかってても自分で腹に穴を開けるのはキツいわ」

 

 リエンから預かっていたナイフ。

 その刀身は完膚なきまでに破壊されておりなぜそうなったかと聞かれたら使い捨ての弾丸にさせてもらったからだ。

 背中側に隠していたこのナイフを、俺の体を盾にするようにして弾けさせて弾道をダグザにギリギリまで見せなかった。上手く制御して重要な臓器は避けたけれど、それでも腹に穴を開けたのだから出血と痛みがやばい。

 

「さて、ダグザ・フォール。もう両腕は飯も食えねぇくらいぐちゃぐちゃで腹にも穴ぼこ。失血死寸前。降伏するなら今のうちだ」

「……へっ、お優しいね。騎士の卵は」

「仕方ねぇだろ。守るもんがこっちには死ぬほどあるんだよ」

「そうかい。なら良かった。()()()()()

 

 

 ギリギリまだ発動できていた『黒耀(バロール)』が魔力の流れを捉えた。

 何かが起こると身構えて、すぐにもう行動が遅すぎたことを察知した。

 

「モノならよ、魔力を流し続ければ止められる。万が一に備えてこの家の基盤ぶち壊しまくっててよかったぜ」

「テメェ──────」

 

 それとほぼ同時に、『黒耀(バロール)』の限界稼働時間となり体が動かなくなる。

 俺の声が届くより早く、俺とダグザは家の崩壊に巻き込まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「クソ……あのやろ……」

 

 瓦礫の中からモゾモゾと、芋虫のように這い出でる。人の家を勝手にぶち壊しやがって、マジでもうぶっ殺していいだろうか? 

 

 魔力は……まだほんの少し残ってる。体の方は『黒耀(バロール)』の後遺症でもうほとんど動かないが、一発だけ使ってあの野郎をとっ捕まえるには十分だろう。

 

 いや、そもそも俺よりアイツの方が重傷だったし案外崩落に巻き込まれて死んでいないだろうか。

 

 

 そんな甘い考えを引き裂くように、瓦礫の中から男が立ち上がる。

 

「……ダグザ・フォール」

「お互い、悪運が強いようだな」

 

 目が合い、言葉を一言交わす。

 同時にダグザが走り出した。負傷具合から考えられないくらい機敏な動き。逃げるつもりかと考えて、走り出した方向を見て呼吸が止まった。

 

 

 

「ハピ! 逃げろ! 狙いはお前だ!」

 

 

 

 まだハピ達が逃げられずに家の外にいた。俺かハピ、どちらかを刺し違えてでも殺すつもりらしい。そうはさせるかと、最後の魔力を振り絞って跳ぶ。技術もへったくれも無いただのタックル。でも、アイツだって死にかけなんだから俺に突っ込まれたらもう立ち上がれないはず。

 

 

「守るもんが多いってのは、本当に動きが読みやすいなぁ!」

 

 

 ダグザの野郎が振り返って、手をこちらに向ける。

 その掌には短刀が突き刺されて固定されている。

 

 

「あ」

 

 

 やばい、これ死んだ。

 勢いだけでもう身を捻る体力も軌道変更する魔力もない。まっすぐ顔面から、俺は短刀に向かって突っ込む。自分の力で、自分の速度で、俺は自ら死に向かって突っ込むことになる。

 

 まずい、どうする、どうするどうするどうする!? 

 考えても思考がスローになるだけで体はもう射出されている。今更戻ることなんてできない。せめて腕を前に出してどうにか刃が頭に刺さることだけを避けたいが、もう腕すらろくに動かない。

 

 

「俺の勝ちだ。俺の勝ちだ! 捨てられなかったお前らに、捨てた俺が負けるわけねぇだろ。こっちは身軽なんだよ!」

「身軽ってことはさ、吹けば飛ぶ程度の重さでしかないんだよ。そんな信念、価値はない」

「……テメェ、なんで立っ」

 

 

 ダグザの足を、光の筋が撃ち抜いた。

 立っていられなくなり、体勢が崩れたダグザの横を俺の体がすり抜けて受け身も取れずに地面にたたきつけられ転がっていく。

 その勢い求められなかった俺の体を、誰かが受止めた。

 

 

「……ハピ、お前、動けるなら逃げろって言ったろ」

「ご、ごめんなさい……。でもししょーもお母さん達も安静にしといた方がいいって、ししょーが……置いてくなんてできないし」

「そういうことだ。だいたい、もしもハピが、逃げてたらワンチャン死んでたぞ、ジョイ」

 

 その横には顔を真っ青にして支えられながらではあったが立ち上がり、魔術を放ち俺を助けてくれた、リィビアの姿があった。

 

「リィビア、お前毒は」

「ハピだよ。この子が治療してくれた。まぁ、大雑把で無理やりだったからワンチャン死んでたし症状を抑えるくらいしかできないが、一発簡単な魔術を打つくらいなら、ね」

「……そうか。……そうか、よかったぁ」

 

 気を抜いて意識を持ってかれそうになるが、ギリギリのところで踏みとどまる。

 ダグザの方はその場から動こうとするが足をやられて立ち上がることも出来ないと言った様子。そして、村の周囲に現れた魔獣だが一向にこちらに来る様子はない。エア、クラキア、アーリスが止めてるのだから当然だろう。あいつらの防衛線突破するとか、数の力だけではまず無理だ。

 

「ありがとう、ハピもリィビアも、お前たちが居なきゃ俺は死んでた」

「……私も死んでいた。緊急事態だから協力するのは当然のことだろ」

「そ、それよりもう大丈夫なんだよね!? 助けを呼びに行った方が……」

 

 ハピの言葉と共に、空を覆っていた結界が消えているのを肉眼で確認できた。やはり、ダグザが結界の起点だったらしい。

 

「あぁ、そうだな。でも俺たち重傷で動けないし、ハピ1人で俺達運ぶのは無理だしどうするか?」

「業腹だが、助けを待つ他、ない……それと疲れた、苦しいし、寝る……」

 

 寝る、と言うよりは気絶する感じでリィビアはその場に寝転んだ。呼吸は安定しているし本当にハピが毒を解毒してくれたのだろう。

 

「……頑張ったな、ハピ」

「私は……でも……」

「失敗したことはどうでもいいんだよ。頑張ったんなら胸を張っとけ。みんな生きてる」

「……うん、ありがと。……兄さん」

 

 

 さてこれにて一件落着。俺もそろそろきついから悪いけれど、意識を手放させてもらおう。そう思って、目を閉じる。

 

 

 

 

 

 

 

「おつかれ、ジョイ・ヴィータくん。それはそれとして……寝たら死ぬぞ、なんてね♡」

「…………………………は?」

 

 

 

 目を開ける。誰かが俺を見下ろしている。

 ハピは、信じられないものを見るような目で震え、乱れた呼吸を繰り返しながらその場にへたりこんでしまってる。元々動かなかった俺の体も、呼吸すら忘れてその存在を凝視する。

 

 

 

「そんな熱烈な目で見られちゃ照れちゃうな。……師匠があんなんだからか、レディヘの態度がなっていないんじゃないかい?」

「魔女、てめぇ!」

 

 

 

 災厄の現況、そして間違いなくダグザ・フォールの依頼主。

 魔王現象、魔女は楽しそうに俺達を見下ろしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……大方片付きましたね。まぁ6割エアさん、3割私、残りが私とエアさんの余波ですかね」

「はぁ……私の、はぁ……活躍は!?」

「端数?」

「そうだけど! 事実だけど! 言い方!」

 

 疲労困憊で地面に倒れ込むアーリスを見て、クラキアも槌を消滅させた。

 魔女の結界は消滅し、魔獣もあらかた殲滅した。結界が消えたということはジョイくん達がやったのだ、と彼の活躍を喜びながら、また無茶をしたのだろうとクラキアは少し不安になった。

 

「とりあえず、エアさんと合流しましょう。立てますかアーリスさん。……アーリスさん」

「どうしたのクラキ……あれ、なにこれ」

 

 アーリスはいつの間にか自分の手が赤く染まっていることに気がついた。無我夢中で剣を振るって皮が剥けていた、という訳ではない。

 ボタボタと、鼻と口から血が垂れている。それに気がついた瞬間、アーリスの腕の血管から裂けるように血が漏れだした。

 

「ッ、アーリス!?」

 

 駆け出そうとしたクラキアだったが、彼女の元に辿り着く前に転んでしまう。立ち上がろうとするが上手く足に力が入らない。

 何が起きたのか、不思議に思いながら足に視線を向けてクラキアら声を失った。

 

 

「なんですか……これ」

 

 

 足の骨が砕けている。見たことも無いような曲がり方をして、両足とも骨が飛び出すような凄惨な骨折をしていた。

 だが、そんなことを気にしている余裕はない。アーリスは全身から血を吹き出している。すぐに対処しなければ出血多量で命が危うい。痛みを堪えながら腕の力だけで這って近づこうとするが、それと共に腕からとんでもない音が鳴り響き、足と同じように折れ曲がる。

 

「づぅ!? なんですか、何が、起きて……」

 

 せめてアーリスだけでも助けなければ。

 両手両足が砕けまともに動けないながらも必死に彼女に近づこうとしたクラキア。

 

 そうしてほんの僅かに身体を捩らせた時、胴体からべギリと、音が響く。

 何かが砕け、ちぎれ、体内で溢れてはいけないものが溢れていく感覚。何が起きたか理解する前に、クラキアの意識は完全に途切れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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40.白鴉(スカベンジャー)

 

 

 

 

 

「まったくさぁ。どんな無様を晒して死んでくれるか楽しみにしてきたらこれってさ。さすがの私もちょっと不機嫌になっちゃうよ?」

 

 なにかの見間違え、幻覚の可能性を考えた、考えたかった。それでも何度見ても目の前にいるそいつは現実で、本物だった。

 必死に顔だけ動かして周囲を確認する。まだアーリスやリエン達がこっちに駆けつけてくる。いや、来てはいけない。アイツらが来たところで魔女には絶対に勝てない。

 

「……もっとビビって漏らしたりするかと思ったけど残念。さすがにそろそろ慣れてきた?」

 

 どうすればいい。体はもう動かないし、リィビアも動けないし父さん達も依然意識を失ったまま。

 そもそもなんでここに魔女が来てるんだよ。何か来れない理由があるから、わざわざダグザを雇っていたんじゃないのか? 

 

「とりあえず家族を守る為に頑張ったようで。褒めてあげよう。それじゃ、家族殺すけど誰からがいい?」

 

 誰にしようかな、と。

 文字通りに指先で命を弄びながら魔女は俺を見下ろして嘲笑う。人間では無い高次の存在感を放ちながら、宝物を目にした盗人のように俗物的に笑う。

 

 どれだけ頑張っても、どれだけ努力しても、無駄であったかのように全てを踏み潰しに来る『魔王現象』という形を持った滅び。

 

 

 

「……俺から殺せ」

「…………へぇ」

 

 

 

 

 でも、だからと言って。

 目の前に圧倒的格上がいて、もうボロボロで立ち上がる気力すらなくても。目の前で大切な人達が傷つけられようとして、諦める理由には絶対にならない。

 考えろ、研ぎ澄ませ。魔女は強力な存在だが絶対ではない。なんてたって、俺はコイツを殺した存在を知っている。魔女が真に滅びとして完璧な存在であるなら、殺されるなんてことはありえない。

 デウス・グラディウスという存在が魔女の不完全さを証明しているならば、俺にだってその不完全を切り開くことくらいできるはずだ。

 

「なに? 家族が殺されるのを見たくないから? でも残念、私は貴方のことが嫌いだから、貴方の嫌がることをしたいなって思っててね。第一、君のお願いを聞いてあげる理由もないし、命令される筋合いもない。何か言いたいなら立ち上がって肩を掴んで止めてみなよ」

「お願い? 命令? なにを呑気なこと言ってんだ? ──────忠告だよ。俺を最初に殺さなきゃ、お前死ぬぞ」

 

 どう考えてもただの口から出任せ。動かない体に変わって飛び出しただけの殺意。

 だが、ただそれだけの言葉でも魔女の意識をほんの少しだけ割くことが出来る。この女は性格が悪い。だからこそ、弱者の遠吠えには丁寧に耳を傾ける、傾けてしまう。

 

「お前が俺の家族を殺すなら、その間に俺は回復する。お前は知らないだろうが、俺にはすぐに動けるようになる切り札があるんだよ。さっさと殺さねぇと俺はすぐに動けるようになってお前を殺すぞ」

「嘘を吐くにしてももう少し上手に吐けよ。だいたい、回復したところで貴方じゃ私を殺せないでしょ」

「やって見なきゃわかんねぇだろ。俺の家族やリィビアに少しでも触れてみろ。道連れにしてでも絶対に殺してやる」

 

 ダメだ、まだ足りない。口だけの言葉で魔女を引き止めるなんて、凡人にはあまりに無理難題というものだ。

 

 

「それとも……もしかして、俺の事を直接殺せないのか? なぁ、魔女」

 

 

 明確に魔女の動きが止まる。

 楽しそうだった表情から急速に感情が失われ、石像のような瞳で俺を見下ろしていた。

 

 

「図星、みたいだな」

「だからなんだよ。貴方が誰も守れない雑魚なのは変わらないでしょ?」

「いや、面白いと思ってな。世界を滅ぼす災厄がこんな凡人1人殺せないなんて。そりゃあ、世界を滅ぼす前にアイツに殺されて当然だよ」

「お喋りは終わりだ。まずは父親を殺してあげる」

「ああ、終わりだよ。……俺の役割は終わった」

 

 

 俺の左目、『黒耀(バロール)』は左目に移植された特別な魔術回路という言い方が正しい。

 では、『移植』ということは元は誰のものだったか、なんて疑問は答える必要は無いだろう。

 

 元の持ち主がいるからこそ、俺とその人はこの左目を通して繋がっている。

 俺の身に何か起きれば、あの人ならすぐに気がつく。どれだけ遠くにいても自分の体でもあるその一部の異常に気が付かないわけが無い。そして、たとえ魔女が優れた魔術師であろうとも、その接近に最初に気が付くのはその左目を受け継いだ俺だ。

 

 

 魔女が父さんに向けて翳した左手。

 その左手が、根元から腐り落ちるようにちぎれて地面に落ちた。

 

 

 

「よく耐えてくれた。さすがは私の弟子だ」

「……いえ、また師匠頼りで、もっとかっこいいところ見せたかったのに、情けないところを見せちゃって、すいません」

「いいや。君はかっこいいよ。世界で一番カッコイイ私の弟子さ」

 

 いつの間にか、俺達と魔女の距離が大きく離れていた。そしてその間に入るように女性の姿があった。

 黒のドレスと夜のカーテンのような黒い髪。眼帯を外し、ドレスや髪よりも昏い眼窩に闇を納め。そんな黒一色の中で白衣を翼のように煌めかせた魔術師。

 

 俺よりデカくて、俺よりも強い。

 俺の師匠、アルム・コルニクスの姿がそこにはあった。

 

「久しぶりだね魔女。少し太った?」

「レディヘの失礼な物言い、やっぱりお前由来か。泣き虫アルム」

 

 師匠と魔女はやはり旧知の関係らしいが、今はそれどころではない。確かに師匠は強いが、いくらなんでも単身で魔女を殺すことは難しいだろう。それに、多分この距離だと師匠の全力に巻き込まれる。

 

「『黒耀(バロール)、強制励起』」

「うおっ!? ……あ、体が動く!」

「私の魔力で無理やり動かしてあげてるんだ。後遺症がより辛くなるけど、とにかく今は動いて、できるだけ私の戦闘からみんなを守ってあげて」

 

 師匠の魔力を借りてる状態、らしいが明らかに普段より体の調子が良いのだが。

 そんな疑問を飲み込みつつ、両親とハピ、リィビアを抱えてから魔女と師匠を視界に収めてゆっくりと後退する。

 

 本当なら走って逃げたいところだが、急な一撃が飛んできた時にこうしてないと対処できる気がしないし、魔女以上に師匠の戦いの近くにいるところで()()()()()なんて危険な行為は恐ろしくて出来やしない。

 

「それにしても、また弟子を作るなんて節操がないねぇ。今度はあの子が寂しさを埋めるお人形さん?」

「昔話をするつもりは無い。それに、お前はもう魔女だろう? なら私の姉さん、レヴィの真似はやめた方がいい」

 

 びゅう、と風が吹いて師匠の白衣がたなびいた。そして同時に白い何かが抜け落ちた羽のように空へと舞っていく。

 

 

「原理解放」

 

 

 言葉の重みで世界が軋んだ。

 待て、なんだこれは。これは俺ですら知らない。魔女すらも目を見開き、完全に防御の体制に入っている。

 

洞の聖堂(apocrypha)瓦礫の聖地(apostasy)祈りの終焉(apocalypse)

 

 まるで何層にも分かれた防壁を順番に紐解くように、師匠は言祝ぎのようであり、宣告のようでもある詠唱を紡ぐ。

 

 

「流転の淵源、その三原則。昏き其処()より世を覆う。十把空劫、薪と成れ」

 

 

 いや、これは詠唱ではない。

 自分に語り掛けるものや、相手を威圧するものでもない。自分ではない、全ての隣であり全てから最も離れた何処か遠くへと語りかけるような──────祈りだ。

 

 

 

「──────染めろ、『白鴉(スカベンジャー)』」

 

 

 

 言葉と共に世界が煌めく。

 視界の中で多くの何かが太陽の光を反射し、目が一瞬眩む。数秒経って閃光に慣れた目が映したモノは。

 

 

「鳥……?」

 

 

 比喩なしに空を覆う、という数の鳥だった。

 真っ白で、穢れという概念を知らぬかのように空を羽ばたく鳥。数えるのも馬鹿らしいその大群の視線が、全て魔女へと向けられている。

 

「なんだよ、いきなり全力ってちょっと大人気な──────」

「忠告の続き。レヴィ姉さんは話が長いからね。強者ぶるなら言葉数は少なくした方がいい」

 

 魔女の言葉を、果実が潰れるような音が遮った。

 白い鳥の羽が、僅かに魔女の頬を撫でた。ただそれだけで、魔女の下顎が酷い腐臭を放ちながら腐り落ちたのだ。

 

「空回る口は道化にしかならない。見苦しい死体なら、せめて散り際くらい華々しくしてくれ」

「口の利き方、もう一度教えてあげようか?」

 

 魔女の一工程(ワンアクション)で、師匠の翼の真反対。まるで対抗するように真っ黒な鳥が魔女の周囲に現れる。一体一体が炸裂すれば周囲一帯を焦土に変えるには十分な魔力を秘めた術式。

 

「昔みたいに魔術の撃ち合いといこうか」

「冗談。お前に付き合ってる暇はない。弟子が怪我してんだよ」

 

 白と黒の鳥が、大空で交差する。

 一見してみればそれは互角。ぶつかり合う度に互いが消え、一対一の交換、一進一退の攻防。

 

 だが、理屈ではそれはおかしい。

 あれだけの魔力を秘めた黒い鳥が、ただ消えているなんてことはおかしいのだ。魔力を打ち消すならば、相応の魔力を持って相殺するしかないはずなのに。師匠の白鴉は当然のように黒い鳥を消し去り、そして黒い鳥よりも明らかに多くの数が絶え間なく、師匠が何をする訳でもなくそうであるのが当然かのように白衣から溢れ出てきている。

 

「……兄さん、あれ」

「ハピ! 大丈夫か!?」

「私のことより、アレ、アレは何?」

 

 脇に抱えていたハピが心底恐ろしいものを見るように口を開いた。

 けれど俺にも分からない。『黒耀(バロール)』を通しても、あの白い鳥の正体がこれっぽちも分からない。あの白い鳥は、魔力を一切纏っていないあの術式は本当にこの世のものなのか? 

 

「いやぁ、ふふ。……なんだこれ。おい、アルム。これどうなってんの?」

「教えるわけないだろ。そのまま腐り、大地に還り輪廻に戻れ」

 

 世界を滅ぼすはずの魔女が、一方的に打ち負けている。何か魔術を紡ごうとしているが、それは全て白い鳥の羽が触れただけでかき消してしまっている。

 

 いける、勝てる。

 そう思わずにはいられないくらい一方的に師匠が勝っている。

 

 

「……酷いなぁ。私は被害者なのに」

 

 

 傍から見ればそう見えるのに、魔女は余裕そうに笑い師匠の頬には一筋の汗が浮かんだ。

 

「大切な人を殺されて、悲しみの中で何も出来ず無力に打ちひしがれ、そして私から全てを奪ったやつが楽しそうにしてる所を見せられてる。ねぇ、これって私が悪いの? 教えてよアルム。私が悪いなら、私を否定してみせてよ」

「それは………………」

「おかしいよね。おかしいおかしい間違ってる。だから、全部壊したいこの気持ちに間違いがあるはずがない。なんで私ばっかりみんなから虐められて、なんで私ばっかり不幸になるんだろうね。おかしいよ、おかしい! なんでなんでなんでなんでなんで!? なんで私が不幸でお前達が幸せそうな顔をしてるの!?」

 

 

 言葉を紡ぐ度に魔女の上っ面の威厳が剥がれ、駄々をこねる幼子のような姿が見えてくる。強者としての格も、何もかも投げ捨てて顔をゆがめて泣きじゃくる姿は、本当に、心の底から弱そうだと思った。こんな存在が世界を滅ぼせるわけがないと思えるくらいにはあまりに情けない。

 

 

 なのに、次の瞬間には全身に鳥肌が立ち足が一歩退いていた。

 

 

 魔女の体の中で何かが蠢いている。

 魔力ではない、師匠の白い鳥と同じ何か別次元のエネルギーを纏っているモノだ。

 

「ししょ……」

「来るなジョイ! 死ぬぞ!」

 

 飛び出そうとして、すぐに冷静になる。今ここで飛び出せば確実に死ぬし、そうなれば万が一が起きた時にハピ達を守れる人が居なくなる。でも、ここで何もしなければ大変なことになる。

 

 足を止めたのは数瞬。

 すぐに迷いを踏み切って前へと踏み出す。

 

「んの、馬鹿弟子!」

「師弟揃って判断が遅い。──────『原理か』」

 

 起きるはずの厄災、訪れるはずの死。けれどそれらは起きなかった。

 たとえこの世のものでは無い理論を振りかざそうとも、それをこの世に顕すとなれば話が変わる。

 

 その固有魔術は、斬りつけたものを例外なく停止させる。

 

「おい、契約違反だぞクソアマ」

「……死に損ないの下衆が」

 

 魔女を背後から短剣で突き刺したのは、ダグザ・フォールだった。

 ちぎれかけた腕に無理やり短剣を突き刺す形で持ち運び、体を押し付けるようにして魔女の脇腹に刃を通した。

 

「契約違反はそっちだろうが。私を傷つけていいなんて言った覚えは無いぞ」

「あ? テメェが先だろうが。俺はお前を信用し依頼を受け、お前は俺を信頼して殺しの依頼を与えた。なのに、お前直々に殺しにくるのはおかしいよなァ? こっちは信頼商売なんだ。依頼主に助けられたなんて噂が広まっちゃあ商売上がったりなんだよ!」

「知るか。死ね」

 

 回し蹴り。それでダグザの上半身と下半身は寸断されて内臓を撒き散らしながら飛んでいった。

 だが、その隙に再び白い羽が魔女を襲いその体を腐らせ、魔女の内側から溢れようとしていた何かの励起も収まっていた。

 

「興が削がれた。自分より惨めなものを見ると急に冷静になるよね。帰る」

「逃がすと思ってるのか?」

「やめとけよ。これ以上は、弟子巻き込むだろ。今度は死なせないように頑張れ♡」

 

 張り詰めた弓の弦を断ち切ったみたいな音が聞こえた気がした。明らかに師匠の何らかの逆鱗に触れたのか、見たことも無い顔をして師匠は白衣を翼のように広げて白い鳥に一斉に魔女を襲わせる。

 

 

「じゃあねジョイ・ヴィータ。次会う時は、その顔が無力に歪んでいるように努力するよ。私は貴方が大好き(だいきらい)だからね」

 

 

 すぐに白鴉が魔女に殺到し、その体を覆い隠す。

 しばらくして師匠が術式を解除したのか、全ての白い鳥が消え果てた時にはそこに魔女の姿は無かった。そして、死んだ訳では無いことは俺も師匠もよくわかっていた。

 

「……師匠、ありがとうござ……いだっ!?」

「何突っ込もうとしてるんだ死ぬ気か馬鹿弟子!?」

 

 とりあえずまずお礼、と思った俺よりも先に師匠のゲンコツが飛んできた。あまりの痛みと衝撃に立っていられなくなり、転びそうになったところで誰かに後ろから支えられる。

 

「……兄さんを殴らないでください。兄さんは、私達を、一生懸命護ってくれました」

「あ、ハピ……違くてな。この人が言いたいのは……」

「……いや、その子の言う通りだ。やるべき順序が違っていたな」

 

 師匠は黒い髪のカーテンの内側に俺を引き込むように体を引っ張ってきて。

 両の腕で力強く俺を抱きしめてくれた。少し痛いくらい力が入っていて、師匠の随分と早くなった鼓動と自分の鼓動がどちらがどちらか分からなくなるくらい。

 

「頑張ったね、痛かったね、強くなったね。本当に偉いよ君は」

 

 聞いたこともないくらい弱く、絞り出すような震えた声で。

 けれどその声を、その体温を感じられることがすごく安心できて。俺は随分と久しぶりに涙を流してしまっていた。

 

 

「…………おい、聞こえてるかジョイ・ヴィータ」

「!? は、テメェ生きて……」

 

 

 この距離では吐息がかかってしまいそうで、それが恥ずかしくて息を止めていたせいか。今にも消えてしまいそうなその声が、偶然にも俺の耳に届いた。

 そして、泣いていたのがバレるのが恥ずかしくて急いで涙を拭いて、ダグザ・フォールの元へと近づこうとする。

 

「待て、罠の可能性があるよ」

「さすがに死に損ないです。それに、アイツは魔女の協力者。なにか情報があるかもしれません」

「まぁ、何かしようとしてもすぐに対処出来るように……」

「そっちのババアは近づくんじゃねぇ……来るなら、何も喋らねぇで死んでやる」

「あ? 誰がババアだ。別に死んだ後でも脳みそにお話聞けばいいんだからすぐに殺すぞ」

「やめて師匠。それ精度落ちるでしょう」

 

 機嫌が悪そうな師匠を何とかなだめ、一応警戒しながらダグザに近づく。

 見ての通りというか、俺から受けた傷に加えて胴体で体が両断されている。魔女が蹴りの瞬間に呪いでも刻んだのか、禍々しい魔力を帯びる傷口とは対称的に本人はもう魔力が欠片も残っていない。

 

 多分、もう目も見えていない。放っておいても死ぬし、治療も間に合わない。

 

「聞きてぇこと、あるんだろ……? くたばる前に聞いときな」

「いいのかよ、話して」

「あのアマ俺を裏切りやがった。切り捨てられんのは慣れてるが、信頼を裏切られんのは、ほっとくと食いっぱぐれるからな……クソムカつくぜ。少しでもアイツに迷惑かけて死んでやる」

 

 あんな卑怯な戦い方してたから当然だけど、コイツ性格悪いな。性根がねじ曲がってる。

 

「これ、俺の隠れ家の場所だ。魔女からの依頼の内容を全部覚えて書き留めた内容を纏めた紙を、隠してある。探しとけ」

 

 そう言ってダグザは紙切れを震える手で渡してくる。

 

「ふざけてんのか? どうみたって白紙だろ」

「確認してみろよ。もしかしたらなにかあるかもしれねぇだろ」

「こんな短い紙切れに何を隠すんだよ。細工も何もねぇだろボケ」

 

 悪戯がバレた子供のようにダグザは笑った。考えてみれば魔女にムカついたからって俺達に協力するなんて、そんな真摯な真似をこの男がするわけが無い。

 俺はこの男についてほとんど何も知らないが、戦いを通してそれくらいのことはわかっていた。

 

「その傷じゃお前は助からない。最後に言い残すことはあるか?」

「おいおい、俺を殺すんじゃなかったのか? あんなにかっこよく啖呵切っといてよ」

「あの時は冷静じゃなかった。それだけだ。お前をここで憎いからって怒りのままに殺しても全然楽しく無さそうだ」

「……そうかよ。お優しいね、騎士様は」

「介錯ならしてやるぞ」

 

 いらねぇよ、と言って。ダグザはもう既に光を映さない目で空を仰いだ。

 

「お前ら、アレに勝てると思うのか?」

「勝てる勝てないじゃない。勝たなきゃ、守れない」

「1人じゃ俺にも勝てなかったガキが、よく言うぜ。俺なんて世界のどこにでもいる。そんな相手に手こずったやつが、世界を滅ぼす厄災に勝つだって? 大言壮語もいいところだ」

 

 喋る度に唾の代わりに血を飛ばし、残り少ない寿命をくだらないことにすり減らす。

 でもそれがこの男の生き方なのだろう。死ぬとわかっているからこそ、この男は好きなように、己の楽しいように生きようとした、どこか歪んだ、もしもの姿。

 

「せいぜい俺の虫けらみたいな死に様を目に焼き付けとけ。特別でもなんでもない、有り触れた惨めなこの死に様がお前の未来だ。変な希望なんて持っても疲れるだけだぜ」

「お前の持論なんて知らねぇよ。俺は、みんなを守って一番の騎士になってやる。そうしないと、俺が楽しくないから」

「そうかい、ならせいぜい、テメェが絶望した面で地獄に来るのを、楽しみに待っててやる」

 

 それを最後に、ダグザ・フォールは目を閉じた。

 

 

「ジョイ、そいつは何者だい?」

「……分かりません。でも、めちゃくちゃに強かった」

 

 

 感傷に浸る間もなく、空の向こうから何かが飛んでくる。

 魔力で直ぐにそれがエアだと分かり、同時に脇に抱えられたアーリスとクラキアの様子のおかしさに気が付いた。

 

 2人とも呼吸をしておらず、アーリスは全身血まみれ、クラキアは手足が脆いクッキーみたいに砕けている。先に気がついた師匠が駆け出し、俺もなにか手伝おうとしたが急に体が動かなくなる。

 

 あ、そういえば師匠から魔力借りて動いてるんだった。

 

「ジョイも重傷なんだ。後回しにするが直ぐに治療するから、今はちゃんと寝てろ。下手すりゃ死ぬ怪我だぞ馬鹿弟子」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──────村人の怪我人、2名。命に別状なし。

 対応した騎士学校の生徒、4名が重傷。このうち2名は魔女の影響と思われる原因不明の症状を発症。

 死者、犯人と思われる男1名を除いて、無し。

 

 

 長いようで短い休暇は、こうして終わりを告げた。

 

 

 

 

 

 

 



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41.とある平穏な日の師匠と弟子の語らい(デートとは呼べない)

 

 

 

 

 

「ジョイ、どっちの方が私に似合うと思う?」

「両方同じ服にしか見えないと思うんですけど師匠もしかして老がァァァァァァァァ怪我人! 怪我人の関節を固めるな!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まったく。私が魔女の後始末でひいこら走り回ってるってのに、世界と来たら平和なものだね。だから嫌いなんだよ社会ってのは。私が居なくても回ってそうじゃん」

「何当然のこと偉そうに言ってるんですか?」

「私が居なくても回る世界とかムカつかない?」

 

 日差しの強い今日、見てるこっちが熱くなるような通気性の悪そうな長い髪の毛に厚手の白衣を纏っているのに汗ひとつかいていない師匠に対して、服やら薬品やら色々と詰め込まれた袋を幾つも持たされた俺は、病み上がりの体には普通にきつくて割と本気で汗が滲んできている。

 そもそも師匠、どうせ黒のドレスしか着ないのになんでこんなに服を買うんだろう。

 

「ん、師匠外でも珈琲飲むんですか?」

「いいや。香りを楽しんでるだけだよ。自分で淹れたのと君が淹れたの以外あんまり飲みたくないし」

「店に迷惑ですからやめてください」

「お金は払ってるもーん」

 

 さすがにもったいないので飲んでおこうとしたが、そうやってカップを手に取った瞬間に師匠は何やら楽しそうに口端を吊り上げた。

 

「……なんですか?」

「いや、私実は一口飲んだかもしれないなーって」

「…………子供からかって楽しい……んでしょうね。師匠は」

「ちゃんと私の事見てたなら飲んだか飲んでないかくらいわかるはずだけど?」

 

 正直、上の空で師匠のことをあまり見てなかったから残念ながら真実は俺には分からない。だから、何も考えず目を瞑って一気に飲み干す。うん、まぁ店の珈琲だから普通に俺が淹れたのよりずっと美味しいし後味がスッキリしてる。

 

「で、顔を赤くするくらいなら変なからかいしないでくださいよ。こっちまで恥ずかしい」

「だって……こんな公衆の面前で……ジョイってば私の初めてを奪うところ、みんなに見せつけたいの?」

「声がでかいぞ耳年増、あ、待って、ここ店内だから魔術は引っ込めて」

 

 そんないつも通りのようで、どこか調子のズレた会話を繰り広げて。

 ほんの一瞬、あるいは数時間の静寂を置いていくかのように一言口にした。

 

「急に買い物に行こうだなんて、何か話したいことでもあるんですか?」

「別に、私が買い物にジョイを誘うのがそんなにおかしい?」

「師匠が俺を買い物に突きあわせる時は何か話があるか荷物持ちをやらせたい時。んで、今回は前者」

「根拠は?」

「10年の付き合い」

「……君、相当恥ずかしいこと言ってる自覚ある?」

「俺は師匠に裸どころか体内まで見られてるんですよ。今更恥ずかしいとかある訳ないじゃないですか」

 

 もちろん嘘です。

 めちゃくちゃ恥ずかしいこと言ってることにあとから気がついたが、ここで少しでもそんな素振りを見せてみれば死ぬまで弄られるのは確定なので何とか顔に出さないように『黒耀(バロール)』の未励起状態での限界まで神経操作して顔が赤くなるのを阻止している。

 

 だって師匠、顔だけならとんでもない美人だからな。そんな人とこうして面と向かい合って座って、家族でもなく友人でもない、けれど確かに何よりも近しい関係であることを意識するとなんか、こう、いけない気持ちになってしまう。

 

「…………あー、もう! 私の負け負け! 前置きとか誤魔化しはやめて本題に入ろう」

 

 我慢の限界のところで師匠が真っ赤になった顔を髪の毛で隠してくれたおかげで根比べは俺の勝ちになり、一息吐きながら少し火照った喉を潤すために珈琲を口に……

 

「あ、そ、そんなに何回も飲まなくてもいいだろ! 私が悪かったから、見てるこっちが恥ずかしくなるから、間接キ──────」

 

 その事を思い出して、液体が見事に気管に入り込み盛大に噎せた。

 まぁそのおかげで、恥ずかしくて顔が真っ赤になっていたのはきっとバレなかったことだろう。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

「さて、話したいことってなんなんですか?」

「ジョイは吐くほど間接キッスが嫌な相手から話を聞きたいのかい?」

「たまたま気管に入っただけです。大人なんだから拗ねてないでさっさと話してくださいよマジで」

 

 そう言われて渋々、といった様子で師匠は白衣のポケットから袋に収められた小さな何かの破片を取り出した。

 

 銀色のその破片は、鎧の一部のようにも、あるいは甲虫の体表、爬虫類の鱗の一部にも見えた。同時に、それらのどれでもない何か未知の物質にも見えるような何か。

 

「これ、なんですか?」

「クラキア・ソナタの()()()()()

「…………皮膚ですか? これが?」

 

 まず師匠がそんなものを突然出してきたことに驚きつつ、次にその皮膚と呼ばれたモノの奇妙さに驚く。

 つついてみると、当然だが皮膚と言うには硬すぎる。金属光沢にも近い輝きもあり、とてもじゃないが人間の皮膚とは言い難い。

 

「順を追って話していこうか。まず、ジョイはこの前の魔女の襲来事件のことをどこまで把握できてる?」

 

 もう2週間も前になることだが、先日ようやく自由外出が許されるくらいに回復した俺からすれば、つい昨日の出来事のようにも感じる。

 

 死者は魔女の協力者であるダグザ・フォールのみ。

 読み取られた彼の記憶から魔女の狙いは俺とハピの殺害、そしてアーリス、クラキア、リィビアのいずれかの誘拐であることがわかった。

 とりあえずまず俺としては、意識不明で呼吸も止まっていたアーリスとクラキア、そして腕を切り落とされ毒もかなり回っていたリィビアに加えて俺の両親も無事に治療が終わり元気であることを確認できたことを喜べた。

 

 だが、リィビアと両親とは面会で来たのだがアーリス、クラキア、ハピの3人とは面会謝絶状態で不思議に思っていたのだ。

 

「ジョイ。ここから先の話は、魔女の狙いに関することだ。だから、君も私の質問には嘘をつかず答えて欲しい」

「俺が師匠に嘘を吐いたことありました?」

「プリン」

「ごめんなさい」

「とりあえず話を続けるよ」

 

 そう言って師匠は指を鳴らす。すると、いつの間にかその肩に真っ白な鳥が止まっていた。しかしそれは生物と言うにはあまりに存在感がなく、魔力で編まれたと言うには少し異質すぎる。

 

「『白鴉(スカベンジャー)』。私の原理解放の名前だ」

「その原理解放ってやつはなんなんですか?」

 

 師匠が魔女相手に、全力ではなかっただろうにしても一方的にダメージを与えた、魔術を消し去る白い鳥の形をした術式。あの時確かに師匠は『原理解放』という言葉を口にしていた。

 

「まぁ簡単に言うとね……んー、ジョイって魔女の前の魔王現象のこと知ってる?」

「教科書の知識程度なら。『孔』の魔王現象。600年前に現れて、既存の文明のほとんどを破壊し尽くし、おかげで固有魔術や多くの技術、魔術が失伝し、人類の進歩が400年は戻されたとか言われた」

 

 まともに名前以外がはっきりと歴史に残っている先代の魔王現象でもそれなのだ。だからこそ、人類は魔女という新しい魔王現象を恐れている。かつて滅ぼされかけたという歴史が、細胞単位で人類に絶え間なく恐怖を与えている。

 

「それ倒したの、私達なんだよね」

「うん?」

「私と、ギガト。そして魔女の3人って姉妹で、そしてもう1人人間の協力者がいて。その4人で600年前の『孔』を倒したの?」

「…………はぁ!? ……え、師匠何歳いづぅ!?」

「他に聞くことあるだろバカ弟子! 聞くにしても最初にそれ聞くか!?」

 

 あまりに唐突に情報の洪水をどっと浴びせられて、最初に浮かんだことがそれだったがために思いっきり脛を蹴られ悶絶する。

 でもそれも仕方ないだろう。どうみたって師匠は、出会った時から姿がほとんど変わってないにしても20代の美人、なのだから。600年という月日の中で経年劣化を経て、こんなに美人だなんてこと有り得るのか? 

 

「まぁまず私は人間じゃないんだけど……」

「待て待て待て! 話を進めないで! 薄々気づいてたけど、そう言うのってもっと深刻な感じで話すことじゃないんですか!?」

「何言ってるんだ。君は()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

「断じて有り得ないですけど……」

「そういうこと。信頼の証と思ってくれ」

「なんかいい感じの雰囲気で言いくるめようとしてません?」

 

 しかしたまにしか見せないような柔らかい笑みでそう言われては、こちらもこれ以上何も言えない。嘲るようにではなく、楽しそうに笑う師匠の顔を見て小さく溜息をつきながら、俺は落ち着いて話を聞くことにした。

 

「私とギガト、そして魔女の3人は先史文明の秘蔵っ子。人工的に生み出された魔王現象とでも思ってもらっていい」

「ほんとに遠慮なくとんでもないこと言ってくるなぁ」

「さて問題。魔王現象の条件ってのはなんだと思う?」

「え、なんだろう。めちゃくちゃ強い、とかですかね?」

 

 ざっと魔女以外で魔王現象クラスの被害を出した『準魔王現象』と呼ばれる存在を頭の中で思い浮かべる。『疫竜』、『走雷』、『牙』。放っておいたら世界を滅ぼせるくらいの存在であることは間違いないだろう。

 

「ハズレ。答えは『世界を滅ぼせる』ことさ」

「同じじゃないんですか?」

「違うよ。どれだけ力が強くとも、世界の内側の力では世界は壊せない。だって、その力が『在る』時点でそれはその世界が在ると言うことなんだ」

「つまり……どんなに強いやつもそいつの力を含めて世界だから、強いだけじゃ世界は滅ぼせないってことですか?」

「そういう認識でOKさ。じゃあ、どうすれば世界を滅ぼせるか、その疑問の答えは簡単さ。この世界とは別の世界、()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()

 

 師匠の肩から白い鳥が机の上へと降りる。1歩、2歩と歩いてその嘴で師匠が差し出した紙の切れ端を啄んだ瞬間、紙の切れ端はまるで時を加速したように朽ち果てた。

 

 

「これが私の原理、『死』だ。この世界のあらゆる現象を強制的に終了時点の状態に引きずり込む。この原理を攻撃的に使用して世界を滅ぼす可能性こそが『白鴉(スカベンジャー)』。簡単に言ってしまえば、原理とは()()()()()。原理解放は世界を滅ぼす手段と思って貰っていい」

 

 

 白鳥の瞳が俺に向けられる。触れただけで俺を殺すのに十分な力と、それを振るうものが目の前に人の形をして存在している。どうしようもない恐怖と拒絶、そしてそれを上回るもう一つの感情が俺を支配した。

 

 

「そんな大切なこと、弟子の俺に今まで隠してたんですか? 意外と信用ないんですね、俺」

「……はぁ、もう少し恐れるかと思ったけど君はそういうやつだったね。別に言いたくなかったんじゃない。言えば、余計な戦いに君を投じさせる可能性があったからね。でも、もうそうは言ってられない。1度なら偶然か気まぐれであの女は片付けられる。だが、2度だ。君は2度、あの女に狙われた」

 

 少し嬉しそうにしていた表情を変えて、真面目な表情で師匠はクラキアの皮膚、と称した物体を指でつついた。

 

「アーリス・イグニアニマとクラキア・ソナタの異変は、簡単に言えば原理を完全に解放している魔女に接近されたことによる原理の暴走だ。彼女たちはまだ体が自分の力に耐え切れるように出来ていないから溢れる力で体が自壊した。そして、リィビア・ビリブロードとハピ・ヴィータは既に()()()()()()()()()

「ハピが、それにリィビアも?」

「あぁ。こればかりは私の検査だけでは分からないことがある。どちらにせよ、この4人が狙われた理由は明白だ。『魔女』は原理という強大な力を持つものを手駒にしようとしている、あるいは排除している。……だが、そう考えたら一つおかしな点があるだろ?」

 

 師匠の指先が、俺に向けられた。

 

「ジョイ、君は現時点でも原理が目覚める兆しはない。ならばほぼ100%君は、原理保有者では無い。さすがに10年も共に暮らして、左眼まで預けた相手を見間違うはずはない。……君は、何故魔女に狙われる?」

 

 ハピ達が狙われた理由はわかった。そして、それを師匠達が知れば当然次の疑問はそうなるだろう。

 

 魔女と接点はなく、原理とやらも持たない。

 何故こんな凡庸な男が魔女に狙われているのか。

 

 ここまで突拍子もない話が出たならば、まぁ前世の話をしてもいいかもしれない。そもそも師匠は俺がそれを口にして、嘘だと切り捨てるような人じゃないだろう。

 

 

 

 

()()()は誰にも言わない方がいい。何が起きるか、私ですら分からないから』

 

 

 

 

 

「……すいません。()()()()()

「…………私にも?」

「師匠が大切だからこそ、言えません」

「わかった。君は私を信じてくれてる。だから、私も君を信じるよ」

 

 意外にも、師匠はこんな曖昧で明らかに含みを持った言葉に何も追求をしなかった。

 

「いいんですか、その気になれば、師匠は俺に無理やり喋らせることだってできるでしょうに」

「ジョイが魔女の眷属や協力者なのは()()()()()()()()。と、私は確信できている。他の奴らには心当たりがないってことで通しておくさ。これは君を知り、魔女のことも知っている私だからこそ言えることだ」

 

 師匠の優しさに甘えている。それは頭ではわかっていて、申し訳ないと思う。

 でも同時に、師匠にそれだけ信頼してもらえていることが嬉しかった。ちゃんと申し訳ないと思わなきゃいけないのに、どうしても、認めて貰えることが嬉しかった。

 

「本当に、ありがとうございます師匠」

「私は君の師匠だ。弟子のことを信じるのは当たり前だろ?」

 

 顔を見合わせて、お互いに軽く笑いあった上で。師匠はそういえばと話題を切りかえた。

 

「もしもだけどさ、君って沖合で遭難して救助用の船に1人しか乗れず、目の前に知らない人が溺れかけてたらどうする?」

「えー……なんですか急に」

「別に。心理テストだよ」

 

 師匠の心理テスト、ハピの一件があったのでめちゃくちゃ怖いし嫌なんだよな。

 でも答えないと多分また関節が悲鳴をあげることになるので、とりあえず少し考えてみて答えを出す。

 

「知らない奴なら、多分見捨てると思いますね。楽しくは無いですけど、自分が死ぬのはもっと楽しくないですよ」

「え、普通に下衆」

「は? 自分の命より大切なものがこの世にあるんですか? 600年生きると命の価値観がズレァァァァァァァァ!」

 

 しまった、あまりに直球な罵倒に思考回路がレスバトルの方向に移り、思ったことをそのまま口にしてしまった。

 しかしいくら何でも下衆はないだろ下衆は。誰だって、大切なのは自分の命だ。見ず知らずの他人のために、自分の命を簡単に捨てられるやつはまぁこの世にはいるのかもしれないが。

 

 ……少なくとも俺は、多分家族もアーリスとかの学友も、師匠も悲しむだろうしダメだ。

 誰かのために命を捨てるなんて、そんな無責任な行動はさすがにできない。

 

 それに、もしもそれが今だったとしたら、だ。

 

 クラキアもアーリスもハピも、原理なんてよく分からないもののせいで魔女に命を狙われることになって。

 リィビアだって片腕を失うことになって。

 師匠も、俺に疲れを悟らせるくらいに奔走して。

 

 そんな楽しくない思いをすることになって、魔女のせいでそうなって。そんな中で俺だけ誰かを救って死ぬなんて、そんな甘ったれたことしても全然楽しくない。

 魔女は必ず、倒さなければならない。そうしないと、俺の周りの人はきっと一生楽しく過ごせない。それは、俺も一生楽しくない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 見ず知らずの他人を1人切り捨てることを、君が選んでくれて本当に良かった。

 さすがに君の嫌がることはしたくないから、ここで自分を犠牲にするなんて言い出してたらもう私は『アレ』を使うしか無かっただろう。

 

 でも、君は許してくれた。

 自分の命のために、誰かを犠牲にすることを認めてくれた。ならきっと変わらないよね? 

 

 

 1人でもいいのなら、それが《10でも100でも世界の全てでも》きっと変わらないよね? 

 

 

「私は、君の師匠だよ」

「知ってますよ、なんですか急に」

「ううん、確認したかったのさ」

 

 

 今度こそ私は弟子を守る。

 たとえほかの全てを犠牲にしても、それが君が好きな世界を破壊することになっても。

 もう私は失うことに耐えられない。君と出会ってから、君にこの瞳を預けてから、そしてこの学園生活は、私のような枯れた独活には甘い時間過ぎたんだ。

 

 死体喰らいの白鴉(スカベンジャー)。それが私に授けられた原理の名前。大嫌いなこの原理だけれども、君の為ならば喜んで、この死にかけの世界の全てを啄む屍肉喰らいになってやろう。

 

 

「君は、私の大切な弟子だよ」

 

 

 師匠が弟子を守るのは当然のこと。

 そう言い聞かせて、私は自分の歯車がゆっくりと歪むその姿から目を逸らして、見たいものだけを見ることを選んだ。

 

 

 

 

 

 









ちょっとすれ違うこともあるけれどふたりはなかよし。





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5章 空を駆ける光へ
42.内申点


 

 

 

 

 

それは魔女との最終決戦を控えた夜だったと思う。

 

何となく、寝付きが悪くて良くないことばかりを考えてた。

魔女を追い詰めたと言ってもこっちだって追い詰められてたし、もうすぐ始まるのはお互い最後の力を出し尽くす総力戦。魔女は今まで蓄えてきた眷属も力もほとんど失い、こちらは国家としての体制や社会も殆ど崩壊して、失うものがほとんどないが故の全力。

 

故郷はとっくに灰になった。家族も含め、何も残らなかった。

学び舎は真っ先に魔女に破壊された。学園長が殺された時点で、騎士学校の戦力は壊滅していたのだから当然の結果だろう。

 

思い出も、帰る場所も、仲間も。何もかも失って、それでも俺だけは何故かここまで来てしまっていた。

親友や恋人なんて呼べる間柄のやつは、少なくともこっちの認識ではいないけれど友達と呼べるやつは沢山いた。そいつらはみんな、死んだかどうかも確認できないまま多分二度と会えなくなってしまった。

 

始めは、1番になりたかった。それが一番楽しくなれることだと思って、がむしゃらに走って、力の差を知って折れて諦めて。

魔女に出会ってからはもう生きることだけで精一杯だった。

 

死にたくないから生きている。ただそれだけ。

なんの為に生きて、なんの為に魔女と戦って、そしてもしも明日、魔女を倒したとして。

 

その先どう生きるかなんて全く想像ができない。もう何も残ってないのに、一体俺は何の為に、生きているんだろう。

 

 

 

魔女から放たれた閃光が己に迫った時も、同じようなことを考えていたような気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おはようございます……兄さん」

「なんでいるの?」

「いちゃ悪いですか?貴方の妹ですよ私?」

 

プクっと頬を膨らませて不機嫌さをアピールしているハピだが、今はどう考えても俺の方が正しいはずだ。

 

療養中に長期休暇は終わってしまい、授業再開日。寮から校舎への短い道の途中で箒片手に妹が道の掃除をしていたらそりゃあ驚くだろう。

アーリスやクラキアと一緒に入院してるって、家が吹っ飛んだのでしばらくこっちで暮らしてる母さん達に聞いたのにこんな形でいきなり再会することになるとは。

 

「体の方はもう大丈夫なのか?」

「私は元々兄さんやししょーのおかげで怪我なんてほとんどしてませんので。あの節はありがとうございました」

「なんか怒ってない?」

「感謝こそすれ、怒る理由なんてないですけど?」

 

感情の隠し方が母さんそっくりであまりにわかりやすい。なんかちょっと怒ってるが、嘘をついてるって感じでもない。

……ここは踏み込まないでおこう。賢い人間は自ら危険に踏み込まない。俺は賢いので当然無駄な危険は避けるのだ。

 

「あ、そういえばアーリスとクラキアは元気なのか?2人ももしかしてもう退院したり?」

「…………なんでアーリスさんとクラキアさんの事を聞くんですか?まずししょーの心配してくださいよ」

「うわめんどくせぇ」

 

そもそも俺はリィビアにはすぐにあってるからな。義手作るから材料買ってこいっておつかい頼まれて、断ろうとしたら腕をチラチラ見せられてと心配の必要も無いくらい元気に厚かましく生きている。

 

「ま、お2人は元気でしたよ。むしろ元気すぎるくらいで困りました。2人の方がずっと重傷なのに、何かと私の世話を焼こうとして、どっちがやるかで揉めて、喧嘩して退院が長引いてました」

「ごめんな。アイツらたまに頭が少し弱くなるんだよ」

「たまにってか毎日でしたけど……」

「ほんと……ごめんな。普段はいいヤツらなんだよ……」

 

2人とも兄がいる妹だから、多分シンパシーとお姉ちゃんぶりたい何かとクラキアはマウント取りたくてそうなってるだけで行動自体は善意だと思うんだよね。

マウント取りたいって善意かな?

 

「何ぼーっとしてるか知らないですが、私も仕事がありますし兄さんも授業に遅刻するんじゃないんですか?」

「仕事ってお前何歳だっけ?何してるんだよ」

「仕事は仕事です。よーむいん?みたいな感じのお仕事を学園長さんに任されましたので。学生と違って忙しいんです。お仕事してるんです」

「そ、そうなのか。じゃあお仕事の邪魔して悪かったな」

「なんですかその面倒くさそうな対応。もっと構ってくださいよ。寂しい」

「めんどくせぇな!?」

 

コイツしばらく見ないうちにアーリスとクラキアのめんどくさい部分を吸収して一流のめんどくさい女に進化しつつあるぞ。やめて欲しいな〜。義理の妹にはもうちょっと清楚な感じの子に育って欲しいな〜。

あの二人が清楚じゃないとかじゃなくて、こう、正直妹にはああいう感じには育って欲しくないという思いが強い。

 

「……全く兄さんは本当に乙女の心が分からないらしいですね。アーリスさん達も愚痴っていましたよ」

「えっ、アイツらなんて言ってた?待ってマジで気になるから教えてくれ!」

「教えるわけないじゃないですか。そういうところじゃないんですか?」

 

だって、女の子が陰で自分のことどう言ってるかとか気にならないわけないじゃないか。男の子はみんな女の子にどんな風に思われてるか気にしながら生きてるんだぞ。

 

「情けないところとか、だらしないところもあるけれどいい人だって。感謝してるって言ってました。……私も同感です。その、改めて、助けてくれてありがとうございました。兄さん」

「ま、その辺りはあんまり気負わなくていいからな。家族なんて助け合うものだろ。今度俺が困ってたら助けてくれよな。……もうちょっとだけアーリス達が俺の事なんて言ってたかとかでもいいぞ」

「株を下げるのが得意技なんですか?早く登校してくださいジョイさん」

 

兄を見る目から他人を見る目にワンランクダウンされたところでさすがにこれ以上話してるとゴミにまでランクダウンしてついでに遅刻しそうなのでさっさと登校することにしよう。

 

「…………何度も振り返らないでください!掃除くらい出来ますからね!?」

「えー……大丈夫?虫とか出ても騒がない?」

「別に……出たら逃げますから」

「変な人に声掛けられても着いてっちゃ……」

「いいから行ってください!このシスコン!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「てな感じで、怒られちゃいましたね」

「まぁあのくらいの歳のガキはな。特にお前みたいなのがいきなり兄ちゃんって言われたら、感情ぐちゃぐちゃになるだろ」

「シスコン……って、俺の好意が伝わってるんだなぁって……嬉しいなって思ってしまって俺はこのままでいいのかなって……」

「想像以上に気持ち悪かったなお前」

 

女性からの全く包み隠そうともしない本音にちょっと殺されかけながらも、妹は可愛いから仕方ないと思い込むことでどうにか持ち直す。いやだって、可愛いよ妹は。なんだかんだ家族は大切なんだよ。

 

「んで、なんで呼び止めたんですか学園長。もう遅刻確定なんですけど」

「安心しろ。お前は公欠扱いにしてある」

 

この騎士学校の学園長である、真っ赤なドレスの白髪ロリことギガト・レムノさんはそう言うが、公欠であれ休みは休みだし、2回目とはいえ騎士学校の授業難しいからちゃんと出ておきたいんだが。

 

「お前俺に聞きたいこととかないの?」

「?ずっと聞きたかったんですけど、そのドレス寒くないのとかですか?」

「いやハピのことよ。なんでここにいるとかさ?」

「俺の妹だからその優秀さを買われて用務員になったということで納得してましたけど」

「想像以上にバカになってたな」

 

そうだそうだ、なんかハピも当然ですが?みたいな顔してたせいで勝手に納得していたけれど、さすがにこの人がなんか手を回したんだよな。

 

「アルムから聞いていると思うが、お前の義妹は原理保持者だ。加えて、魔女から殺害目標として見られている。お前の家族共々さすがに事件が終わったので村に帰りましょ、ってはいかねぇよ」

「保護してくれてるってことですよね。ありがとうございます」

「そういう認識でいい。特に、ハピは多分俺達と同じだ」

「同じって?」

「え?アルムから聞いただろ。ざっくり言えば俺達と同じ人造の魔王現象」

「は?」

 

すっ転びそうになるくらい衝撃的な話をこんなにもサラッと語ってくる辺り、この人達人間じゃないんだなってのが再確認できる。普通の人間はこういう情報をサラッと言わないんだよ。人間じゃないらしいから仕方ないけど。

 

「もうちょっと情報の前に覚悟とか聞いてくれません?心臓がもたないんですけど」

「あぁ……さすがに悪かったか?アルムが伝えた時はサラッと流したって聞いてたからよ」

「別にいいんですけど本人がサラッと言うと俺、ふと口論した時にその面で弄る可能性があるんで、本人が気にしてたりするならもっと重大そうに言ってください」

「お前カスだな……。いや、肝が座ってるとも取れるしまぁ寛大とも言え……いやカスだよ」

 

師匠は「ジョイは死にかけのカエルの神経みたいな肝してるよね」とたまに褒めてるのか貶してるのか分からない評価をしてくれてたけど、学園長としてはあまりお気に召さないらしい。

 

「まぁアイツは自覚はなんとなくあるが魔女への記憶はない、程度らしい。今まで通り扱ってやれよ」

「今まで通りも何も、ハピは俺の妹ですし。それ以外のなんでもないんでどうすればいいか……」

「お前意識しないで言ってんなら相当な人たらしだぞ?」

「だって人間じゃないって言われてもどう見たって人間ですし」

「俺だって見た目はまぁ普通の人間だろ?」

 

推定600歳以上で年中露出度の高いドレスを着てる見た目年齢10歳未満の女教師は果たして普通の人間の括りに入るのだろうか?いやこの思考の時点でまぁまぁ失礼な気がするな。

 

「おいお前何か失礼なこと考えてるだろ」

「それ、人外パワーによる先読みなんですか?師匠もたまに心読んでくるんですけど」

「お前が顔に出てるだけだわボケ。……とりあえず話を戻すぞ。今言った通りハピ・ヴィータはおそらく魔女も殺したい存在なんだろうな。んで、他には原理保持者。アーリス、クラキア、リィビア……他にもこの学園には何人かいるが、とにかく魔女はこいつらも狙っている。そして、お前だ。事情はアルムから聞いたがさすがにいつまでも言えませんじゃ通らねぇからな?」

 

かと言って、俺でも何が起きるか分からないし魔女がわざわざ忠告してくるくらいの話だ。もしも話して、対魔女の最高戦力の一つである学園長に何かあってもいけない。

前世の話はやはりおいそれと話すわけにはいかないし、話したところで信じてもらえるかどうか。

 

「いざ魔女と戦うってなったら、現状俺達が勝てる可能性はかなり低い。アイツの腹の底が見えるような情報ならぜひ欲しいんだがな」

「原理ってのはよく分からないんですけど、それに加えて師匠やエアまでいるのにまだ戦力不足なんですか?」

 

俺の経験、つまり前世では少なくともアーリスは向こうの戦力だし、師匠とリィビアは存在しない戦力だったし、魔女の何らかの実験結果であろうハピの存在だって知らない。

たとえエアが長期戦が難しいとしても、総合的な戦力としては安心できるものになってると思う。

魔女も前世の記憶があり、デカい襲撃のタイミングなどの俺の知識は役に立たないとしても、総合的には有利な状況になってるはずなのだが。

 

「魔女の眷属の戦力もわからねぇしな。ただ魔女に勝つだけならそりゃあ戦力なんて最低限でもいい。でもな、俺達は騎士だ。守るものがあり、それを失った時点で負けなんだよ。戦力はいくらあっても足りないくらいだ」

 

前世の凄惨な戦場が思い出される。

確かに、最終的にデウスが魔女を倒した。だが、あれは俺達の勝ちだったのだろうか。

アーリスは最後まで己の全てを魔女に弄ばれ、クラキアは志半ばで死後すらもその肉体を辱められ。誰も彼も、何もかも失って、もう何も取り返せないとわかっていても今更引くことも出来ず、死んだ体で動き回っているかのような戦いだった。

 

でも、そうだ。

まだ守れるんだ。

 

友人が、家族が。たまに変なところもあるけれど、幸せになるべき優しい人達が平穏に過ごせる世界を守れる。

 

「改めて、学園長。俺に出来ることなら何でもします。だから──────」

「その事なんだけど、お前ちょっと戦力外だからさ。それ伝えに来ようと思ってね?」

 

 

…………何言ってんのこの人?

この流れで?この流れで言うことか普通。これは人の心がねぇ人造生命の挙動だよちくしょう。

 

 

「別に意地悪で言ってるわけじゃねぇし、戦うなってわけじゃねぇ。だが今のお前の実力じゃ魔女相手じゃいても邪魔だってだけだ」

「意地悪でもそこまで言いませんよ。現実はどんな戯言よりも殺傷力高いんですよ?」

「現実が辛いなら変える努力をしろボケ」

 

反論の余地がない正論に叩き伏せられてしまう。師匠と違って性格はどうあれ言うこと自体は全うな大人なので言い合いになったら俺に勝てる余地はない。俺は俺の持論がまぁまぁ間違ってることを知っているからな。

 

「現実問題な。お前の『殺し合い』の実力はだいたいわかった。今までは魔女の目的が不明で少しでも情報が欲しかったが、原理保持者が狙われているっていう明確な方向性が見えて、お前が狙われる理由がわからないし今の力量じゃ『保護対象』にさせてもらった方が楽なんだよ。……でも、それじゃあ嫌だって話だろ?」

「そりゃあ、そうですよ。ここまで来て守られる側なんて」

 

アーリスやクラキア、リィビアにハピがなんか原理とかいうよく分からないものを持ってるからって理由で魔女に脅えながら毎日を過ごさなきゃいけないのも。

俺の家族を殺すかもしれない相手を放って自分だけ守られてるのも。

 

全くもって、全然、楽しくない。

 

 

「なら強くなれ。具体的に言うとアルムの『白鴉(スカベンジャー)』あるだろ?あれを捌けるくらいになれ」

「え、無理」

 

あれ魔女も為す術なく食らってたのに何言い出してんだこの人。

 

「さすがに冗談だよ。でも、あれくらいの札を切れる準備。最低でもアルム相手にどんな手を使っても勝てる手札が無きゃ魔女と直接戦うのは厳しいぞ」

「あれくらいかぁ……」

 

直接その場にいて見たからこそ言えるが、アレは本当にとんでもない技だった。

そもそも師匠自体、俺がどんな手を尽くしても勝てる可能性が現状全く浮かばない程度には強いのだ。

 

「まぁ視覚的な目標としてはそうだな……」

 

そう言って学園長が俺に渡してきた紙は、なんかのランキングのようだった。上の方に知ってる名前が幾つもあり、俺の名前は20番目くらいに存在している。

 

「長期休暇前までの成績順位だ。もう廊下に貼りだされてるがまだ見てねぇだろ?」

 

1位、エア・グラシアス。

2位、リィビア・ビリブロード。

3位、アウル・ノムト。

 

1番の名前が少し違う以外、前世で卒業するまで何度見たか分からないような順番だ。他にもクラキアの順位が少し上がってたり、アーリスはめちゃくちゃ下がってたりするだけでカウムとかの名前もあるし大方俺のよく知る、見る度に自分が嫌になった順位表だ。

 

「3位だ。ここで3位以内に入れ。それが魔女と戦う最低条件だ。期限はそう長くねぇぞ?」

「無茶苦茶言ってくれますね。コイツらの強さなんて学園長も知ってるでしょう?」

「だから言ってやってんだろ。()()()()?」

 

そもそも、学園長にわざわざ俺にだけ目をかける理由なんてないんだ。事情を説明して、そういうわけだから守られろで話を終わりにしてもいいはずなのに、俺にこうして目標を渡してくれるのは単純な話、この人の善意なのだから。

 

「やれます。3位以内なんて言わず、1番になってやりますよ」

「そう言うと思ったよ。アルムの弟子。んじゃ、その為に俺から1つ、協力してやる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はーい、じゃあ時計回りに自己紹介して。学年と趣味とかも言ってね。……そこの凡人から」

「え、私!?えっと、1年、ロジェーナ・ディスカベルです!趣味は……野鳥観察と、ティーカップ集めです!」

「OK。趣味とか聞いてないからさっさと座って」

「貴方が聞いたんじゃない!?」

 

不満ありと言った様子で座る隣の席の女子を可哀想だなと思いつつ、次が俺の番であることを思い出して立ち上がろうとした瞬間。

 

「君はいいよ。どうせみんな知ってるし。知らない人はどうでもいいだろうし」

 

と、傍若無人としか言えない発言が飛び出してきて俺の自己紹介の時間は見事に吹き飛ばされた。

 

というか、なんでこうなったんだっけ。俺は成績を上げるために、学園長から提案されてそこにホイホイ乗っかって、気が付けばこの会議室に座っていたのだが。

 

「お、次は俺か。3年、アロー・()()()()()()だ!趣味は鍛錬!」

「聞いてない、次」

 

俺の隣に座っていた大柄で声も大きな焦げ茶色の髪をした美男子は、よく知る家名を口にして俺の方に目配せをしてから席に座った。

 

「ソルマリア・ユグドマリス」

「学年は?」

「見てわかるでしょ、3年。制服の装飾でわかるでしょ1年ちゃん」

 

向かい側に座る、青寄りの紫の髪を指先で弄びながら、敵意を隠そうともせずに大きな舌打ちをした女性の名前もよく知っている。こちらは今世ではなく前世でだ。

 

「……まぁいい。欠席がいるから今日のメンバーはこれで全員か。じゃあ改めて私も挨拶をしよう」

 

そして、司会進行のような何かを務めていた女が満を持して立ち上がった。

改造されまくった制服の上から纏うローブは、右側だけ丈が長くされており、大袈裟な腕の動きによって顕になった右の腕は()()()()()()()()()になっている。

 

あとはまぁ、俺のよく知るアイツだよ。そもそも二人称が凡人で常に他者を見下してるテンションの女が身の回りに2人もいてたまるか。

 

 

 

「学園長直々に此度の学園祭実行委員長に任命された、リィビア・ビリブロードだ。実行委員の皆はせいぜい私の手となり足となり、この機械の腕よりもまともな働きをしてくれることを祈ってるよ」

 

 

 

学園長に一言だけ何か言っていいのだとしたら、とりあえずまずはこう言っておこう。

コレ人選ミスだろ。

 

 








・ハピは入院中にアーリスとかクラキアのやかましさのせいで尊敬の念が下がったらしいです。

・クラキアとハピの原理はそれぞれ『破砕』と『羨望』です。学園長は『生誕』らしいです。




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43.輝剣の幼なじみ

 

 

 

 

 

「というわけで、今年の学園祭のテーマは『新たなる光』ということになりまして。魔王現象『魔女』の活動開始により不安渦巻く情勢を踏まえ、市民の皆様に新しい力、特に1学年の生徒の力量を見せ希望を持っていただくことを趣旨にしているそうです。面倒くさっ」

「おい、アイツ委員長として不適切な発言しましたよ。誰か引きずり下ろせ」

「言葉を慎めよ委員会メンバーのモブ。私は委員長だぞ」

 

 会議室は学園祭実行委員の話し合いと言うより、独裁者の演説会場みたいになっていた。

 俺と同じ、1年で学園祭の実行委員になったロジェーナはいつも一緒にいるアウルがいないからか、それとも普通はリィビアみたいな人間が目の前にいたらこういうリアクションをするのか、ビクビク震えて縮こまってしまってるし、頼れる先輩のアローさんは笑顔でリィビアの独裁を見守っちゃってるし、もう1人の……ソルマリア先輩は、待て、あの人寝てね? 女の子がしちゃいけない顔で寝てるんだけど。

 

「よし、だいたいわかった」

「何がわかったんだよえっと……はい、アロー・イグニアニマ。発言どうぞ」

「あぁ、だいたいわかった!」

「だから何がだよ」

「アロー先輩、あの女沸点低いんであんまり煽るようなこと言わないでください」

「そこのモブ委員会メンバーは黙ってろ!」

「ふむ、リィビア委員長とジョイくんは仲が良いようだな! 俺は仲が良いのはいいと思うし、みんなと仲良くしたい。だから、今日はとりあえず親睦を深めるためにみんなでどこか食事にでもいかないか?」

「アタシはパス。眠いんで帰っていい?」

「あの……先輩方もビリブロードさんもとりあえずまず全体進行とか各生徒団の進言とかの確認とかした方が……」

 

 うん、ちょっとこれ無理そうだな。アローさん、初めて喋ったけどこんなキャラなんだ。遠くから見てる限りは物静かで冷徹そうな人ってイメージだけど、近くで話すと印象が変わるあたり、アーリスの兄さんなんだなとなるし、ちょっと暑苦しい。

 ソルマリア先輩はノーコメント。この人は正直めちゃくちゃ関わりたくない。そもそも発言からしてなんで学園祭実行委員会にいるんだよ。

 

「ちょいちょい、ロジェーナさんいいか?」

「うわっ!? あ、はい。ヴィータくんだよね? どうにかしてよ……君、場をめちゃくちゃにするの得意でしょ?」

「俺に対する同級生の認識どうなってんだよ」

 

 ロジェーナ・ディスカベル。

 蜜柑色の髪の毛を三つ編みにした大人しそうな少女。狙撃を得意としていて本人の戦闘力は低いが、あのマグノ先生の弟子だけあって狙撃技術の方はめちゃくちゃに正確。そしてアウル・ノムトと仲が良いらしくよく一緒にいる……くらいしか知らない。俺だって同級生のことをみんな調べて覚えてるほど勤勉な学生ではなかったんだよ。

 

「合同訓練の時めちゃくちゃやってたし、なんかビリブロードさんと仲良くしてたじゃん」

「あれが仲良く見えるならお前の感性はどうにかしてる。そしてアイツと仲良くできる人類は多分カウムくらいしかいねぇよ」

「そうなの? グッタカヴトさん、よくお茶会するけどいい人だと思うよ?」

「え? マジ? アイツお茶とか飲む文化的な生活できるの? 出会って即拳で語ってくるタイプだろ?」

「うん。むしろ向こうから誘ってくるくらいあの子お茶会好きだよ」

「ほらそこの1年生共ー! 雑談に花を咲かせてるんじゃなーい!」

 

 ギュインギュインと義手を回転させながらリィビアはキレ気味にこっちに突っかかってきた。なんだあの機能、どう考えても無駄だけどまぁまぁかっこいいと思っちゃうのが地味に腹立つな。

 

「まぁ別に今は仕事ないんだけどさ。各団体の申請とか目を通すの全部私がやったし」

「お前なんのために委員『会』だと思ってんだよ」

「私がやった方が早いだろ。だからなんか適当に君達は困ってる人達の雑用でもお願い」

 

 以上、解散と言ってリィビアはなにやら書類の束を持ってそそくさと退出していってしまい、それに続くようにソルマリア先輩も出ていき俺とロジェーナ、それからアロー先輩が残された会議室にはしばらく静寂が主役となり。

 

 

 

「……うむ! とりあえず仕事するか!」

 

 

 

 アロー先輩のクソでかい声に連れられて俺たちはとりあえず外に出ることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで、これなに?」

「何って……登録した魔力以外を探知した瞬間原因の魔力が消えるまで殴り続ける警備魔導兵ですが?」

「一般客も来るのにそんなものなんで作るの!? というか委員長許可したのそれ!?」

「いやしてるわけないじゃないですか」

「なんで堂々としてるの!?」

 

 そんなわけで元気に何か作ってる生徒を見に来たら一発目でこれだよ。犯人は『自分なら出来ると思ったから作った』と天才にありがちな支離滅裂な供述をしていて、ロジェーナがキレ気味に対応している。

 

「まさかこんなすぐ問題が見つかるなんて……確かにネウラくんはちょっと変なところあるとは思ってたけど……」

「ん、アイツ知り合いなのか?」

「同級生のネウラくんだよ?」

「いや知らんが……」

 

 言われてみれば、なんか見覚えがあるやつな気がしなくもないがマジでさすがに同級生の顔なんて一人一人覚えてるわけじゃないし……。

 

「同級生なんてみんな知り合いで顔なじみみたいなものじゃない? 半分くらいは友達みたいなものだし」

「何その価値観怖っ」

「え? 普通じゃない? 友達いないの?」

 

 すっごいナチュラルにとんでもない罵倒がロジェーナの口から飛び出してきて、何も言えずにその場に崩れ落ちそうになってしまった。違うし、友達いるし。リエンとか……リエンとか、リエン……。

 

「……うん。残念ながら友達があんまりいないんだよな俺……うん」

「そ、そうなんだ……ごめんね? 良かったら紹介するよ? アウルとか……あ、前にファルセルダと模擬戦してたよね? 彼も知り合いだから紹介する?」

「やめろ憐れむな! 俺はそれなりに学生生活を楽しんでるんだよ!」

 

 しかしどれだけ強がっても目の前に立つ『本物』の雰囲気には勝てる気がしない。ロジェーナ・ディスカベル。恐ろしい女だ。これは俺も負けを認めざるを得ない。

 

「しかし……楽そうだと思ったけれどこれ思ったよりも大変そうだなぁ……特に私達の学年ってなんか飛び抜けてる人多いし、何やらかすかわかったもんじゃない」

「お前も変わってるよな。わざわざこんな大変そうな仕事に立候補するとか」

「それを言ったらジョイくんもでしょ。あと、グラシアスさんやらリィビアやらといつも一緒になんかやらかしてる変人に言われたくない」

「なぁ俺って同級生からどんな認識されてるの?」

 

 あまりに真面目なトーンで嫌そうに言うもんだからさすがに気になってくる。そんなに? ってくらい嫌そうなトーンだったぞ。

 

「変人でしょ。リィビアなんて普通会話通じないよ! というか通じてなかったでしょさっきだって! あとは……女の子に三股かけてるとか……」

「増えてる!?」

「ホントにしてるの!?」

 

 思わず声に出てしまって変な誤解を与えてしまったがそもそも二股もしてない。けど三股って、俺なんだと思われてるんだよほんと。そしてリィビア、当然だけどガチで嫌われてるんだな……あまりに当然だけど。

 

「いやまぁ、安心して。さすがに本気にはしてないよ。ただ、アウルが面白そうだー、1度じっくり手合わせしたいーとかよく言ってるから」

「うえ……いつか、って言ってはぐらかしておいてくれ。勝てない勝負はしたくない」

「け、結構ダサいこと言うんだね。まぁアイツ相手じゃしょうがないか」

 

 ロジェーナが口に出した男、アウル・ノムトはそりゃあ俺たちの学年でも三本指に入る天才だ。エアとリィビアが人の枠を突き破ってる何かだとしたら、アイツは純粋に強さを突き詰めた最強の人間だ。

 正直、リィビアには引き分けられたが今の俺ではアイツに引き分けにすら持ち込める気がしない。リィビアが突きつめた強さなら、アイツは欠点のない強さだ。

 

 史上最年少で輝剣流の免許皆伝となり、父親である現騎士団長の1人レジェ・ノムトから『輝剣(フォトルム)』の名を受け継いだ天才。改めて列挙したらコイツ盛りすぎだろ。

 俺の前世でも、魔女と戦って勝てるのはデウスとアウルのどっちかくらいだって言われてたくらいだ。

 

 ……結局、アウルには魔女と戦う機会すら与えられなかったのだが。

 

「そういや、よく一緒にいるけれどロジェーナってアウルと仲いいのか?」

「いえ別に仲良くなんてないよ? たまたま家が近くて両親が仲良くて年が一緒だったから小さい頃からよく一緒にいて所謂幼なじみになっただけで別に全然仲良くないしアイツのことなんてなんとも思ってないけど? 確かに最近アイツ急に背が伸びてなんだか大人びたなぁ遠くに行っちゃったなぁって感じることもあったりするけれどもうそんな剣使うより自分で出した方が速いのにファイアソード買う買うっていつも買い物に行くとうるさいし女性を見つけたらまず口説くし口説かないと死ぬとか言って止めようとしたら本当に過呼吸起こし始めたり変なところもあってそういうところがいつまでも変わらなくて安心するなーとか思ったりするだけで別に私とアイツは特別な関係じゃないから」

 

 うわ、なんか聞いてないのにめちゃくちゃ喋ってくるんだけど。

 これなんて答えればいいんだ? 正直、気圧されて普通に言葉を失ったんだが。

 

「えっと……そういえばアウルのやつ俺の事もなんか話してたんだっけ? どんなこと言ってた?」

「一言一句詳細に伝えるなら『あのジョイくんだったっけ? 彼すごく面白いよね。あの土壇場の戦場にブラフで叫びながら殴り込んでくるなんてなかなかできるもんじゃない。それに、ファルセルダを倒したともなると手札も多いんだろう。彼、リベンジに意気込んでたからね』って言ってましたよ」

 

 やばいよやばいよ。普通の子だと思って話しかけてたけどなんかとんでもないよこの子。なんで一言一句詳細に覚えてるんだよ。

 この学校なのか俺の周りなのかそれともどっちもなのか、俺の周りにまともな女子いないの? 

 

「そ、そうなんだ……」

「しかも信じられる? これ私と2人っきりの買い物の帰りに言ってきたんだよ? 最悪、デリカシーがない。ちょっと顔が良いからって調子乗ってる。最悪。すぐに女口説こうとするし」

 

 思い出しただけで腹が立つのか、ロジェーナは青筋を立てて不機嫌そうに指でトントンと自分の太腿を叩きながら、遠くの空を見つめていた。

 学園祭のパフォーマンスの練習だろうか、遠くの方で綺麗な花火が打ち上がったのが見えた。

 

 

「……でも、ムカつくくらいに綺麗で、私もずっと、それに並んでも許されるくらいの人間になりたいって、そう思った」

 

 

 左目を通して、俺は一拍遅れてその魔力の光がアウル・ノムトのものであることを理解した。

 そして、それを見るロジェーナの瞳は何となく、見覚えがあった。こんなに綺麗で美しいものではなかったが、多分この瞳の輝きを俺は鏡の中に見たことがある気がした。

 

 

「ところでさ……一応確認なんだけどロジェーナとアウルって幼なじみ以上でも以下でもないでいいんだよな?」

「そうだけど……何その目。なんか面白がってない?」

「いや……青春だなって」

 

 なんだかんだ中身の年齢だとおじさんだからかこういうの見てると少し眩しいってなっちゃうんだよな。自分の今の現状はこういう甘酸っぱい感じじゃないし。文句とかじゃないんだけど、さすがに初手婚約飛び出してくるのはね……怖いよ。

 

「とりあえず向こう見に行ってみよう。アウルのやつ、あの魔力光明らかにミスってるもん。アイツがパフォーマンスでやるって言ってたヤツの光なら彩度と色相が少しズレてるし、あのズレ方は身体面よりメンタル面のブレの可能性が高いからなにか起きてるかもしれない」

「うん、わかった。この学年のやつってみんな天才だもんね」

「…………君だってその1人でしょ」

 

 いくら好きな相手だからって、今の一瞬の光でそこまでわかるものじゃない。さすがは生ける伝説、『竜殺し』であるマグノ先生の弟子と言ったところか。ちょっと気持ち悪いけれど、かなりイカれた観察眼をしている。

 

 俺は全然、彼女に並べる気なんてしない。

 それでも、俺はそんな彼女ですら星を眺めるような目で見る男、アウル・ノムトを。

 

 俺の前世で成績順位が3位以下に落ちたことのない、そんな男を超えなければエアになんて到底届きやしないのだか

 

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

 そんなふうに考えてたら、空からなんか降ってきた。声を上げてたので多分人間で、着弾地点は俺たちの目の前。土煙が晴れるとそこには、落ちてきたと言うより生えてきたと言わんばかりに垂直に地面に突き刺さったイケメンがいた。

 

 

「……アウル」

「おや。ロジェーナじゃないか、奇遇だね。そっちは……ジョイくん! はじめましてだね。噂はかねがね聞いているよ。僕はアウル・ノムト。よろしく」

「え、これこのまま話し続けていいのか?」

「いいわよ。こいつアホだから」

 

 今頭に思い描いていた遥か高みの人物が、下半身地面に突き刺さったまま握手を求めてきたのでとりあえず応じることにした。

 こいつすげぇな。地面に突き刺さってるのになんかイケメンみたいな雰囲気が消えてない。

 

「えっと……なんで、こんなことに?」

「僕自身が煌めくことが、最も観衆を頼みさせられるのではないか? と考えてね」

「つまり自分が物理的に光ればいいと思って魔術纏いながら空飛んで暴発して吹っ飛んでここまで飛んできたってことねほんとバカ」

 

 俺の知らない言語で話してるのか、何故かロジェーナはアウルの言ってることが全部わかるらしい。

 リィビアとかエアもそうだけど、見てる世界が違う奴らはたまに訳の分からないこと言い出すからな。リィビアとか壁に話しかけてること多いし。

 

「それはそうとジョイくん」

「それはそうとで話逸らすにはだいぶ絵面が面白くないか?」

「この運命の一期一会からすれば、僕の下半身が地面と熱烈なハグをしてることは些事でしかないよいてっ、……これ足折れたかな……」

「全然些事じゃなさそうじゃねぇか」

 

 さすがにちょっと放っておくのは可哀想なので引っこ抜こうとしたけれど、もうすっげぇフィットしてて全然抜けない。

 

「くっ……地面も僕の魅力には抗えないみたいだ。母なる大地って言うから女性だからかな?」

「お前結構余裕ありそうだな!? 放っておいていいか?」

「ははは、そう言いながら頑張って引っ張ってくれるあたり噂通りのお人好しのようだね!」

 

 こいつ放っておいたらリィビアが拗ねて面倒くさそうだし。ただでさえリィビア、アウルのこと結構嫌いそうな素振りしてたから下手に放っておくと変な難癖付けられて面倒くさそうなんだよ。

 それに、俺としても今のコイツは当然ながら超えなければならない存在の一つなのだ。関わり合うのはやぶさかではない。

 

 ……ただ、俺現状コイツに勝てないんだよなぁって考えると悲しくなってくる。こんな垂直に地面に刺さってる男に? 

 

「はぁ……ヴィータくんは他のところ先見に行ってて。私がコイツ引っこ抜いておくから」

 

 ため息を吐きながら、ロジェーナはアウルの頭をぺちぺちとかなり強めに叩いてそう言った。

 

「でも……さすがに力なら俺の方が強いぞ?」

「なんだかんだ幼なじみなのでこういうことは前もあって慣れてるの」

「え、コイツ前も地面に突き刺さったの?」

「前は頭からだったぞ!」

 

 実は……前世ではそれなりに憧れの相手だったんだよなアウル。

 顔もカッコイイし、そりゃあ妬みもしたけれど本心ではコイツみたいに俺も強くてかっこいい人間になりたいと思ってた。

 

「……ヴィータくん、なんで泣いてるの?」

「古い夢が、ひとつ砕けたからかな? ありがとう、俺の心を守ってくれて」

「わけわからないこと言ってないで早く行って。仕事やっておかないとあの委員長、面倒くさいでしょ」

 

 真の救いとは、きっと誰もが気づかないうちにしているのだろう。

 ちょっとマジで凹みそうになっていたのでロジェーナに礼を言いつつ、俺は更に爆音が轟いた方向へと駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……アウル」

「どうしたんだいロジェーナ。さっさと引き抜くなり見捨てるなり……」

「つまんないことやめて。私は貴方のものじゃないの」

「……そればっかりは、お互い様だろうに」

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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