【完結】魔人族の王 (羽織の夢)
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本編
第一話 【誕生】


連載中の小説を書き終わったら書こうと思ったんですが、モチベが低下してしまって、息抜きを兼ねて書き始めました。


 その日、魔人族の国、魔国ガーランドに新たな命が生まれた。

 両親共に人柄がよく、多くの同胞に祝福されて生まれた子供は“アルディアス“と名付けられた。

 人間族との長きに渡る戦争が続き、多くの同胞が犠牲になる中、新たに生まれた命に盛大に彼らは祝い、盛り上がった。

 しかし、そんな空気を一変させる事態が起こった。

 突然、その場にいる魔人族をとてつもない重圧が襲った。酒を飲んでいた者は一気に酔いが覚め、食事を楽しんでいた者は胃の中のものを吐き戻しそうになる。

 そんな状況の中、この場に偶然居合わせたガーランドの特殊部隊所属の男がいち早く、この重圧の発生源を特定しようと周りを見回す。

 彼はその立場故に戦場に出ることも珍しくない。だからこそ、この圧が強大な魔力から発生するものだとすぐに分かった。そんな彼でも滅多に感じることのない大きさに冷や汗をかきながらもその発生源に向かう。

 

──そして、愕然とした。

 

 馬鹿な。ありえない。そんな思いが彼の中を巡る。

 次第に周りの者も落ち着きを取り戻し、続々と重圧の発生源に目を向けるが、誰もが同じ反応を示した。

 その場にいる全員が注目する先、そこにはまだ生まれたばかりの赤子がいた。圧は次第に収まりつつあるが、それでも人間族と違い、魔力の扱いに長けた魔人族の彼らが間違う筈もない。

 呆然とする中、誰ががポツリと呟いた。

 

──"忌み子"……と。

 

 小さく呟かれた一言はしかし、静まり返った中ではよく聞こえ、その場にいる全員の瞳が段々と剣気な色を帯びてくる。

 "忌み子"──存在するだけで災いをもたらすと言われている存在。種族によってその考えの尺度は違う。……が、一つだけ共通していることがある。忌み子は見つけ次第、処刑もしくは追放が定石である。

 もしこれが成長した暁に身につけた力だったのなら忌み子と言われることは無かっただろう。それどころか魔人族の英雄として讃えられた可能性だってあった。だが、生まれて数日の赤子がこれほどの力を持っているなど普通はあり得ない。

 

 理解できない。意味が分からない。恐ろしい。だからこそ迫害する。

 

 そんな状況に焦りを覚えたのは赤子の両親だ。

 例え、忌み子と呼ばれようとも二人にとっては愛すべき子供であることに変わりはない。

 だが、周りはそれを許しはしないだろう。忌み子を庇うようならば二人とて排除の対象だ。

 女性は涙を浮かべながら赤子を抱きしめ、男性はそんな二人を守るように前に立つが、それが無駄な抵抗だと言うことは分かっている。

 文字通り、天国から地獄に叩き落された夫婦は絶望の表情を浮かべ……。

 

──(悪魔)の手が差し伸ばされた。

 

 “待て“

 

 その場に威厳のある声が響いた。

 全員がその声のする方を向き、そして言葉を失った。

 

 魔国ガーランドの魔王にして、魔人族の信仰するアルヴ教の神・アルヴヘイトがそこにいた。

 

 魔人族は即座に膝を着き、頭を垂れる中をアルヴは悠々と歩き出す。向かう先には忌み子と呼ばれた赤子とその両親がいる。

 夫婦は魔王自らが現れたことに呆然としていたが、すぐに周りと同じように膝を着く。しかし、その体はガクガクと震えている。

 この時、夫婦も周りの魔人族も同じ思いを抱いていた。

 魔王自ら忌み子を排除しにきたのだ……と。

 夫婦の元にたどり着いたアルヴは母親に抱かれる赤子を見つめる。そして、小さく呟いた。

 

 “素晴らしい“

 

 王の口から出てきた言葉に周りの魔人族は耳を疑った。

 自分たちの耳が確かなら、かの王はあの忌み子を見て“素晴らしい“と言わなかったか?

 そんな動揺も気にすることなく、アルヴは母親から赤子を受け取り、その腕に抱きながら未だに呆然とする魔人族達に振り返る。

 

 “この赤子は忌み子ではない。神の子である“

 

 目を見開き、驚愕する彼らにアルヴは話を続ける。

 この子供は神の威光を受け継ぎし、神の使徒になるべくして生まれてきた子供だ。故に他を圧倒する魔力を有していても何らおかしな事では無いのだ……と。

 呆然とする魔人族だったが、アルヴの言葉の意味を理解すると途端に歓声が上がった。

 先程も言ったが、魔人族は数百年に渡り人間族と戦争を続けている。

 そんな中、神の祝福を与えられた存在がいれば、この膠着した現状を打破するキッカケとなるだろう。

 再び盛り上がりを見せる魔人族達だったが、肝心の赤子の両親の顔色は未だに優れることはなかった。

 今まで二人は戦いとは無縁の生活を送ってきた。もちろん、戦争中だということは理解しているし、国の為、魔人族という種族の繁栄の為に戦い続ける兵士達のことを誇らしくとも思っている。

 しかし、我が子が戦場に立つかもしれない状況を手放しに喜べるような神経を二人は持ってはいなかった。

 成長した暁に本人が望むならそれもいいだろう。国の危機に徴兵することになってもまだギリギリ受け入れられる。

 しかし、生まれて数日の赤子に戦いの道を強いることを二人は許容することが出来なかった。

 

 そんな二人の葛藤に気付いていないのか、赤子を抱くアルヴはかなり上機嫌だった。

 王宮で休息を取っていたアルヴだったが、突然、巨大な魔力を感じ、すぐに現場に向かった。

 その魔力量は軍の隊長クラスに匹敵しており、少なくとも自分の知る人物のものではなかったからだ。

 主から管理を託された国に自分の知らない存在が入り込んだ。

 

──失態だ。これでは我が主に合わせる顔が無い。せめて、すぐに自らの手で始末する。

 

 この時のアルヴの心境は下界に住まう、自身よりも下等な生物に出し抜かれたことに対する怒りだった。

 見つけ次第、この国に入り込んだことを後悔させてやる……そのつもりだった。

 アルヴは目を見張った。自分の目の前、巨大な魔力を発する存在に。

 赤子だ。それもおそらくまだ生まれて数日しか経ってない。

 しかし、確かにその小さな体からは溢れんばかりの魔力を感じる。

 アルヴは歓喜に身を震わせた。魔人族の王として降臨し、300年程経ったがこれほどの逸材は初めて見る。

 

──これならばあの御方の器に相応しい……!

 

 顔には出さずに心のなかで歓喜の声を上げる。300年前は神に背く愚か者のせいであの方の望む器を手にすることは出来なかった。それからあの方に相応しい器が現れることはなかったが、ようやく朗報を届けることが出来る。

 そんなことを考えていると、今まで目を閉じていた赤子がゆっくりと(まぶた)を持ち上げて、その隠れていた瞳をあらわにした。

 黄金(こがね)色に輝く、美しい瞳。魔人族とは似ても似つかないが、そんなことはどうでも良かった。

 見たところ、両親共に優れた容姿をしている。いずれはこの赤子も同様に整った顔立ちに成長するだろう。

 遠くない未来。この器に憑依し、世界に降臨したあの御方とその後ろに仕える自分。そんな光景を想像し愉悦に浸るアルヴ。

 

 だが、アルヴは気付かなかった。目を開いた赤子の黄金(こがね)色に輝く瞳が一瞬も逸らされることなく、自らを見つめ続けていることに……。

 自分がとんでもない間違いを犯したことに……。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 初めて()()が感じた感情は【楽】だった。

 

 体は動かない。目も開かない。それでも、まるで暖かな毛布に包まれるかのような安心感を覚え、微睡(まどろ)みに身を任せる日々を送っていた。

 しかし、そんな日も長くは続かなかった。突然、安寧の居場所を追い出された。

 だが、それほど不満は無かった。目はまだ開けられないが、体は動かせる。声を出すことも出来る。

 何よりも誰かに抱きしめられているような感覚。何かこちらに語りかけているが、意味を理解することは出来なかった。

 

 それでも彼らからは大きな幸せの感情が伝わり、自身も【喜】の感情が溢れてきた。

 

 それから数日が経ち、段々と周りが騒がしくなることが多くなってきた。

 

 ある日、我慢の限界を感じ、初めて【怒】の感情を抱いた。

 

 一瞬で辺りが静まり返ったことで満足したが、すぐに騒音が戻り、更に多くの敵意を感じた。

 そんな状況に再び苛立ちを感じ始めるが、側にいた女性が自身を抱きしめ、男性が自らに向けられる敵意を遮るように間に立ちはだかる。しかし、二人からはこれ以上無い悲しみが伝わってきた。

 

 二人に呼応するかのように胸が苦しくなるほどの【哀】を感じた。

 

 しかし、そんな状況も長くは続かなかった。

 一人の神が現れたことにより、事態は急速に収束することとなる。その神は女性から()()を受け取り、腕に抱く。

 ()()は今まで一度も目を開くことはしなかった。理由は単純に必要なかったから。

 その目で見なくとも、何故か周りの状況を把握することは出来た。分かるのだからわざわざ見る必要はない。

 幼いながらもそんな考えをしていたのだが、自らを抱き上げた存在を前に初めてこの世界をその瞳に映した。

 そして、目の前の民を導く偉大なる王(極悪の偽王)を視界に捉えた。

 

 その瞬間、()()は全ての感情を抑えて【無】を感じた。

 

──そうか、そういうことか。()(コレ)を滅ぼすために生まれたのか……。




今回はプロローグのようなもので次回から本格的に動き出します。
もし宜しければ評価、感想お待ちしています。


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第二話 【()家臣()

一話目から感想なども頂いてびっくりしております。
やっぱり、皆も魔人族のオリ主ってありそうでないなーと思ってたんですね。


 大陸の南側に存在する魔国ガーランド。その周辺に存在する、草木一本無い荒廃とした不毛の大地。

 普段は誰も近寄ることのないその地に白髪の青年と赤髪の男の二人が佇んでいた。

 

「行きます!」

 

 一定の距離を開けたまま、にらみ合う二人だったが、赤髪の男が先手を取り、上段から剣を振り下ろす。

 しかし、その一撃は白髪の青年が右手に持つ剣でいとも容易く受け止められる。

 

「甘いな」

 

「まだまだ!」

 

 だが、受け止められることなど初めから分かっていたのだろう。すぐに切り返し、今度は下段から胴を目掛けて薙ぎ払う。

 上段に意識を向けたところに下段からの一撃。並の兵士なら斬られたことに気付くことなく胴が真っ二つになっていただろう。

 その一撃に対して白髪の青年はその場で跳び上がり、宙で一回転する。髪の毛スレスレを刃が通過するが、一切動揺した素振りは見せず、そのまま回転した遠心力を利用し、剣を振り下ろす。

 防御は間に合わないと判断した男が転がるように回避する。すぐに態勢を立て直そうとするが、立ち上がろうとした瞬間に目の前に刃が迫る。

 

「グッ!」

 

 何とか防ぐが、更に絶え間ない連撃が襲いかかる。反撃しようにもまるで流水の如く動き続ける相手に防戦一方になってしまう。

 

「そこだ!」

 

 しかし、連撃の中にある一瞬の呼吸の隙を突き、剣を振り上げる。狙いは右手に持つ剣そのもの。武器を弾き飛ばし、形勢を逆転させる。

 狙いすました一撃は、寸分の狂いなく白髪の青年に迫り……ギンッと甲高い音を立てた。

 

「なッ!?」

 

 しかし、それは剣を弾き飛ばされた音では無く、受け止めたことで生じた音であった。……剣の柄の底によって。

 

「隙あり」

 

「しまっ!?」

 

 予想外の受け止められ方に一瞬体が硬直してしまう。その隙を見逃される筈もなく、足払いを掛けられ、地面に背中から倒れ込む。

 

「グッ!──ッ!?」

 

 背中の痛みに呻く男の顔スレスレに剣が突き刺さる。

 

「……参りました」

 

 降参の意志を示すと青年は手を差し出し、男を立ち上がらせる。

 

「最後の一撃、悪くは無かったが、防がれた場合の対処を考えていなかったな。フリード」

 

「ええ、恥ずかしながら、一瞬思考を止めてしまいました。流石ですね、アルディアス様」

 

 赤髪の男──フリードの言葉にわずかに口角を上げることで答える白髪の青年──アルディアス。

 アルディアスがこの世に生を受けてから18年の年月が経過していた。

 魔人族特有の浅黒い肌に黄金(こがね)色に輝く瞳、雪のように白い髪は腰まで届いており、無造作に伸ばされたそれはしかし、野蛮なイメージを感じさせず、整った顔立ちと合わせて、ある種の神秘性を感じるさせる容貌だ。

 彼を知らない人が見れば、その中性的な容姿から女性と見間違えてもおかしくはないだろう。

 とはいえ、この魔人族の国で彼を知らぬ者など存在しない。

 

 神の子として、国の英才教育を受けて育ったアルディアスは、幼い頃からその天賦の才を遺憾なく発揮し、受けた教えを完璧に己の力としていった。教えを説いたものが数日後には教わる側に回っていた、というのは当時は珍しくなかった。

 そして、3年前に魔王アルヴから正式に王位を継承し、長い魔人族の歴史の中でも史上最年少の魔王が誕生した。

 

 その名はすでに大陸全土に響き渡り、戦争中の人間族にも周知されつつあるが、ある理由により人間族からは偽王と呼ばれ、蔑まれている。この事実に彼をよく知る者は憤慨しているのだが、当の本人は全く気にしていないようだった。

 

「あなたの武術指南を受け持ってからもう10年以上経ちますが、やはり私ではもう力不足なようです」

 

 その圧倒的な才を発揮してきたアルディアスだったが、いくら才能があろうとも、実戦の経験が豊富な上に体が完成しているフリードと子供のアルディアスでは純粋な力の差があり、中々勝ち越すことは出来なかった。

 だが、前線を経験し、体が成長するに従ってフリードが負け越すことが多くなり、今では全く手も足も出なくなってしまった。

 

「そう言うな。お前がいたからこそ今の俺がいる。それにお前の真骨頂は“ウラノス“がいてこそ発揮されるだろう」

 

「そういうアルディアス様こそ、貴方が得意なのは剣ではなく魔法でしょう。魔法を使われたら私は近づくことも出来ません。昔からアルディアス坊ちゃんは私の武術指南よりも国の魔法師に教えを請う時の方が楽しそうでしたから」

 

「……坊ちゃんはよせ」

 

 先程までの家臣の態度から一変、こちらをからかうような表情を見せるフリードに指で頬を掻きながら顔を背けるアルディアス。

 一見、王と家臣の会話としては不躾に捉えられそうだが、二人はアルディアスが幼い頃よりの関係で、お互いを兄弟のように大切に思っている。

 もちろん、アルディアスが王位を継承してからは対応の仕方を改めてはいるが、アルディアスから「二人だけの時は今まで通りで構わない」と言われ、他の家臣や民がいない場ではそこまで気負わずに会話をすることにしている。

 

「……それに俺がまだまだなのは事実だ。この前の人間族との小競り合いで三人の犠牲者が出た」

 

「──ッ!?それは貴方のせいではありません!! あれは誰も予想出来なかった不幸な遭遇戦! もし貴方が駆けつけなければ更に被害は増えていました!!」

 

「それでも……だ。たった三人なれど、その家族からしたら何者にも変えられぬ唯一無二の存在。俺の弱さが彼らに不幸を招いた。俺にもっと力があれば、この戦争を終結させるほどの力があれば……」

 

「そのようなこと、おっしゃらないでください!! 貴方は決して弱くなどありません! その気になればお一人で王国や帝国を滅ぼすことも可能でしょう! そうしないのは貴方がこの国を大切に思っているからこそ! そもそも奴らが──」

 

「そこまでだ、フリード」

 

「ッ!?」

 

「どこに耳があるか分からん。気をつけろ」

 

「……申し訳ありません」

 

 アルディアスからの叱咤に頭を下げて謝罪するが、その拳は血が滲むほど強く握られている。もちろん、この怒りはアルディアスに向けられたものではなく、今この瞬間も彼を苦しませる原因の存在に向けて……だ。

 

「そう悲観するな。俺の予想では、そろそろ()()()()()と思っている」

 

「なっ!?──本当ですか!?」

 

「ああ、だから安心しろ」

 

「……」

 

 そう言って、フリードを落ち着かせるアルディアスだったが、フリードの表情からは不安がありありと表れていた。

 アルディアスの言った通りなら、ついに魔人族を、いや世界を長き呪縛から解き放つことが出来る。しかし、それと同時に、失敗すれば目の前の弟のように思っている存在を永遠に失ってしまう。

 フリードは知っている。かつて、吸血鬼族の宰相を務めた男は家族を守るために、その家族を地下深くに幽閉したという。何百年も前のことだが、今ならその気持ちが痛いほど分かる。

 

(例え、それで魔人族という種族が滅びようとも、私は……)

 

「……フリード」

 

 家族を失うかもしれない恐怖にフリードの思考が黒く染まろうとしていた時、突然側から自らの名前を呼ばれ、思考の渦から抜け出したフリードが慌てて声の主に視線を戻す。

 

「信じろ」

 

「──ッ!!」

 

 多くは語らない。ただの一言。だが、長きを共にしてきたフリードはそれだけでアルディアスの覚悟を感じ取った。恐らく、自分の考えていることなどお見通しなのだろう。

 

(……情けない! アルディアス様がここまで覚悟しておられるのに私は……! そうだ。私が自身で言ったではないか。我が王は強い。相手が誰であろうと負けることはない。例え、それが()であろうとも……!)

 

 フリードは即座に膝を着き、アルディアスに向けて頭を垂れた。

 

「今、改めてここに誓います。このフリード、命尽きるその時まで、貴方に絶対の忠誠を捧げます。我が偉大なる王よ」

 

 フリードの誓いに頷くことで了承を示すアルディアス。

 その後、少し落ち着いた二人は随分長い間話し込んでいたことに気付いた。

 魔国ガーランドの王であるアルディアスはもちろんのこと、フリードも将軍としてのやるべき職務は山程ある。今日の手合わせも多忙の中、何とか時間を作って行ったものだった。

 家臣や部下から小言を言われることを覚悟しながら帰路につく2人だったが──

 

「ッ!?」

 

「?──アルディアス様?」

 

 突然アルディアスが目を見開き、その場に立ち止まる。その様子に不思議そうな顔を浮かべるフリードだったが、段々と険しい顔つきになるアルディアスに何か緊急事態が起こったのだと察する。

 

「……カトレアに連れて行かせたアハトドが殺られた」

 

「なっ!?」

 

 アルディアスの言葉に驚愕する。

 数日前、フリードの部下であるカトレアはある任務の為、単身、人間族の国の、とある迷宮に潜入している。その任務とは、人間族の神エヒトによって召喚された勇者の勧誘。もしくは殺害だ。

 潜入任務故に人員を増やすことも出来ず、最初は()()()()()()()()()()アルディアス本人が行くつもりだったのだが、周りからの猛反発を受けた。

 かつて、王になる前に誰にも告げずに数日留守にして行ったことがあったので、そのことが尾を引いていたのだろう。

 当時めちゃくちゃ怒られたアルディアスは次からは必ず伝えてから行こうと心に決めた。

 だからといって、口頭で伝えず、自室に書き置きを残して行った時はフリードも頭が痛くなったものだ。

 本人からの進言もあり、渋々、カトレアを単身送り込むことになったのだが、流石に想定外の事態が起こらないとも限らないので、アルディアスが使役、強化した魔物を何体か連れて行かせたのである。

 アハトドとは、カトレアに連れて行かせた魔物の中でも上位の強さを持つ個体である。

 

「しかし、事前の調査ではカトレアどころかアハトドを倒せるレベルですらなかった筈……!」

 

「分からん。調査に漏れがあったか……もしくは勇者達の成長速度がこちらの予想を遥かに上回っていたか……何にせよ、このまま黙っている訳にはいかん。……フリード」

 

「……はぁ、本来なら増援部隊を編成して向かわせるべきなのですが……止めても無駄なのでしょう?」

 

 言葉にはすることはしないが、アルディアスが何を考えているのか分かったのだろう。フリードはため息を吐きながら尋ねる。

 

「ああ、それに場所は人間族の国内だ。下手に部隊を動かせばそれだけ犠牲者が増える可能性がある。何より間に合わん。俺が一人で向かうのが適任だ」

 

「……分かりました。こちらのことはお任せください」

 

「ああ」

 

 フリードからの了承を得たアルディアスはすぐさま魔力を練り上げる。

 すると、アルディアスを中心に黒く可視化された魔力が輪のように形成される。

 それはまるで、惑星の周囲に現れる環のようである。 

 

影星(かげぼし)

 

 魔法名を唱えたアルディアスの姿が一瞬で消える。

 

「相変わらず、めちゃくちゃな御方だ」

 

 とんでもない魔法を簡単に使用するアルディアスに思わずフリードは一人呟く。

 

『影星』──アルディアス曰く、“重力魔法“の星のエネルギーに干渉する力と“空間魔法“の境界に干渉する力の2つの神代魔法を組み合わせることで発動する魔法らしく、文字通りこの星の影、正確にはエネルギーを伝い、一度その地に行ったことがあるという条件はあるものの、超長距離転移を可能とする魔法。

 

 本人は「自分しか転移させることが出来ない失敗作だ」と言っていたが、世界各地に一瞬で転移可能な魔法を失敗作と断言できるのはアルディアス以外存在しないだろう。

 

「……ご武運を」

 

 もうすでにこの国にはいない主に向かって激励の言葉を呟いたフリードはすぐに踵を返し、王宮に向かう。

 自らの職務に加え、王の不在の対応など、やるべきことは山積みだ。だが、王自らが動いた以上、カトレアはきっと大丈夫だろう。

 

──我らの王は、この世界で最強なのだから。




アルディアスは“魔力操作“によって無詠唱で魔法を発動出来ます。なのに何故魔法名を唱えているのかと言うと……その方が(作者が)カッコイイと思ってるからです。

あと今更なんですがタイトルを
【ありそうで無かった魔人族のオリ主で世界最強】
にすればよかったと後悔しております。感想読んでたら思いつきました。

……コレッテ、カエテモイイノカナ?


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第三話 【邂逅】

投稿直前に修正してて、5分遅れました。今回、ちょっと長めですが、ようやく原作主人公の登場です。
今回の第3話、個人的にはめちゃくちゃこだわりました。ここまで書き直したり修正したのは初めてじゃないかな。
ありふれの魔人族オリ主増えろ!(自分が読みたい) 

前話の最後のフリードのセリフを少々修正しました。ご了承下さい。


「アルディアス?」

 

「うん、知ってる?」

 

 時は少し遡る。

 ここはトータスに存在する七大迷宮の一つ、ライセン大迷宮。

 そこの最奥にて、神の使徒として、このトータスに召喚された南雲ハジメと、この迷宮に住まう解放者のミレディ・ライセンが居た。

 元の世界に帰還する為に、この迷宮に挑んだハジメ達はミレディの狡猾な罠を潜り抜け、神代魔法の一つ、“重力魔法“を手に入れた。残念ながら、ハジメに適性は無かったようだが……。

 その後、ミレディへの鬱憤を晴らすように宝物庫を漁っていたハジメだったが、唐突にミレディからある人物の名前を尋ねられた。

 

「そいつがどうかしたのか?」

 

「8年くらい前だったかな? その子、ここに来て君と同じように試練を乗り越えたんだよ」

 

「ッ!?──俺達の他にもいたのか……」

 

 自分の他に迷宮を攻略した者がいると聞き、驚きをあらわにするハジメ。だが、それも仕方がないだろう。

 王国にいる間にハジメは、自分のクラスメイトやメルドを始めとする騎士達のステータスを見る機会があったのだが、昔はともかく、今の自分の足元にも及ばず、そもそもオルクス大迷宮が100層で終わりだと思われている時点で存在すら認知されていないものだと思っていた。

 自分が最強などと言うつもりは無いが、自身の脅威になる可能性のある存在にハジメの眉間にシワが寄る。

 

「まあ、知らなくてもしょうがないか。あの子、魔人族だし」

 

「何? 相手が魔人族でも神代魔法を与えるのか?」

 

「うん、資格があればね。私からすればあのクソ野郎を殺してさえくれれば誰でもいいし、そもそも解放者の一人は魔人族だよ」

 

「……なるほど、言われてみれば確かに」

 

 魔人族と聞くと人間族の敵と考えてしまうが、そもそも戦いの原因は(エヒト)だ。解放者からすれば志が同じならば種族が違えど仲間なのだろう。

 

「ん? 魔人族のアルディアス?……あっ」

 

 ミレディの言葉に納得していたハジメだったが、魔人族のアルディアスと聞くと、何か引っかかりを覚え、記憶を探っていると一つ思い出したことがあった。

 

「思い出した。魔人族のアルディアスっつったら偽王のことじゃねえか?」

 

「偽王?」

 

 その、あまり良い意味には捉えられない二つ名に首を傾げるミレディにハジメは王宮の図書館で得た情報を話す。

 

 偽王アルディアスは3年ほど前に魔人族の国ガーランドの王──魔王の座に着いた魔人族なのだが、王になる前に戦いの前線に出てくることがあった。

 しかし、彼が出てくるのは魔人族が自国に撤退する為の撤退戦が主で、魔人族全軍が撤退するまで、人間族の軍の妨害をし、撤退が完了すると同時に自らも撤退するらしい。

 後に王と呼ばれる人物が敵に背を向けてノコノコと逃げ帰る姿に軽蔑の意味を込めて偽物の王──偽王と呼ばれるようになった、という訳だ。

 だが、ハジメはかの王を情けないとは思わなかった。

 本棚の端、埃の被った別の書物で知ったことなのだが、アルディアスが撤退戦に現れてからの魔人族の損害は文字通り0だったらしい。軍隊規模の人数をたった一人で守りきり、自らも無事撤退するなど余程の力がなければ成し遂げられない偉業だろう。

 

「──つー訳で、偽王と呼ばれてんのは単純に自分達の思い通りにいかなかったことへの当てつけもあるんだろうよ」

 

「なるほどね〜。まあ、あの子ならそのくらい簡単にやってのけるだろうね」

 

「てか、そいつは神殺しは考えてねえのか?」

 

「聞いてみたんだけど、はぐらかされちゃったんだよね。まあ、神代魔法を手に入れたとはいえ、別に強制するつもりはないしね。聖母のように優しいミレディさんは未来ある子供を危険な戦いに無理やり巻き込むことはしないのさ!」

 

 突然キリッとしてポーズを決めたミレディにイラッとするハジメだったが、ミレディの話の中で気になる言葉があったのでそのことを尋ねる。

 

「お前、さっきからあの子とかその子とか、まるで子供みてえな言い方だが……?」

 

「だって子供だもん」

 

「はあ? 相手は仮にも一国の王だぞ? それを子供扱いって……ああ、お前、ババアなんだったな」

 

「あー!? 言ってはならないことを言ったな!! 女性に年齢の話はダメなんだよ! そんなんじゃ、あのシアって子に嫌われちゃうぞ!! そもそもホントに子供だったし!!」

 

「何意味分かんねぇこと言っ……て……」

 

 長く生きすぎて頭の中も腐ったか。と、かなり酷いことを考えていたハジメだったが、アルディアスについての情報で、もう一つ重要な事実があることを思い出した。

 魔王アルディアスは魔人族の歴史の中で最年少の魔王と呼ばれているらしく、正確な年齢までは分かっていないが、戦場に出てきた時は、少なくとも10代前半から半ばの容姿をしていたらしい。

 先程、ミレディはアルディアスが何年前にここに来たと言っていた?

 

「おい! そのアルディアスって奴がここに来たとき、ソイツの年はいくつだ!? それと、ここ以外の七大迷宮には行ってんのか!?」

 

「え? えーと、確か10歳って言ってたような……それに偶然なのか、君と同じでここに来る前にオルクス大迷宮を攻略したらしいよ」

 

 ミレディから明かされた事実に思わず絶句するハジメ。七大迷宮がどれだけ困難なものなのかは経験した自分がよく知っている。

 それをたった10歳の子供が? しかも8年もあるならば、他の大迷宮もすでに攻略している可能性もある。

 それにフェアベルゲンの亜人族は、自分が大迷宮の攻略者と知るやいなや、畏怖の視線をこちらに向けてきた。

 純粋に力の差を感じ取り、恐怖しているものかと思っていたが、もし、過去に同じ攻略者に危害を加えようとし、手痛いしっぺ返しを喰らっていたのなら、あの様子にも納得できる。

一気にハジメの中でアルディアスに対する警戒レベルが上昇する。しかし、そんなハジメの様子に気付いているのか、いないのか、ミレディは懐かしむように過去を語る。

 

「いやー、まだ子供だけど凄い整った顔立ちをしててさ〜。最初は女の子かなって思っちゃったよ! ありゃ、今頃きっととんでもないイケメンになってるんじゃないのかな! 一緒に居た女の子もお人形さんみたいに可愛くってね〜」

 

「ん? 他にも誰か居たのか?」

 

「居たよ? 綺麗な金髪の女の子でね、私に迫る可愛いさだったね! 二人並ぶともう抱きしめたくなる破壊力だったよ!」

 

「……ソイツの名前は?」

 

「……おや? おやおやおや? 可愛いと知っていきなり名前を聞くとは、何だかんだ言って君も男の子ですな〜。え? 何? 兎人族の子だけじゃ物足りないって? プークスクス! 仕方ないな〜ハーレムを所望なそんな君にこのミレディさんが一肌脱いで──イタタタタッ!? 痛い痛い!! ジョーダンだって、ジョーダン! ミレディさんの完璧ボディが壊れちゃう!?──プギャ!?」

 

 ハジメの様子に何を思ったのか、ゴーレムの表情が、にやあーと下品な笑みに変わり、ハジメをからかい始めるが、ハジメの左の義手が即座にミレディを捕獲し、そのまま締め上げ始める。

 マジでこのままだと握り潰されると思ったのか慌てて謝罪をするミレディをそのまま離すことはせず、壁に投げつける。

 奇妙な声を上げ、そのまま壁をズリズリと落ちていき、パタンと床に仰向けに倒れる。

 

「全く、ホントに潰れるところだったよ」

 

「ふざけてないで、さっさと教えろ。次はマジで粉々にすんぞ」

 

「はいはい、分かりましたよーだ。えーと、何だっけ?君が乱暴に扱うから記憶が混乱しちゃってるよ。うーんと……あっ、そうだ!」

 

──確か、アレーティアって言ってたよ?

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 オルクス大迷宮90層。

 この場所で初めて神エヒトが召喚した勇者一行と魔人族の戦いが繰り広げられて()()

 ……そう過去形だ。両者、未だに死者は出ていないが、最早決着は着いただろう。

 魔人族──カトレアの敗北によって。

 

(クソっ! こんな奴がいるなんて聞いてないよ!)

 

 すでにカトレアは満身創痍だ。連れてきていた魔物は全滅し、自身も両足をやられ、退路も完全に断たれた。 

 仕組みは分からないが、目の前の眼帯の男の持つ武器は、簡単に自分の命を奪う威力を備えている。自らの命は完全にこの男に握られているだろう。

 殺したと思っていた騎士共も兎人族の少女が何かしたのか、ふらふらとしながらも起き上がりつつある。

 

「さて、特に聞きたいこともないし、お前を生かしておく理由もないな」

 

 眼帯の男──ハジメはそう言うと手に持つ拳銃──ドンナーの銃口をカトレアに向ける。

 それを見て、自分の最後を悟りながらも、カトレアはハジメを睨みつける。

 

「あんたは確かに強いが、あの御方には到底及ばない。いつか、あたし達の王があんたを殺すよ」

 

 カトレアの負け惜しみとも取れる言葉にハジメは眉をピクリと動かす。

 彼女の言う“王“とやらに心当たりがあったハジメだったが、すぐに口元を歪めて不敵な笑みを浮かべる。

 

「敵だと言うなら神だって殺す。その神に踊らされてる程度じゃあ、俺には届かない」

 

 そう言い返すハジメだったが、その言葉を受けて、仕返しとばかりに今度はカトレアが不敵な笑みを浮かべる。

 

「……何だ」

 

()()()()()()()()……ね。あんたは何も分かってないよ。せいぜい、残り少ない命を大切に使うことだね」

 

 その言葉を最後にもう何も話すことはないとばかりに口を閉じるカトレアに眉を潜めるハジメだが、やるべきことは変わらないとカトレアの頭部に銃口を突きつける。

 しかし、それに待ったを掛ける男が居た。

 

「待て! 待つんだ、南雲! 彼女はもう戦えないんだぞ! 殺す必要は無いだろ!」

 

 そう言ってハジメを止めようとする青年の名は天之河光輝。天職・勇者を持つ、この世界に召喚されたクラスメイトのリーダーを務める存在だ。

 しかし、そんな光輝の言葉にハジメは淡々と言い返す。

 

「何言ってんだ? お前、コイツに手も足も出なかったんだろ?」

 

「そ、それは……」

 

 ハジメの言葉に光輝は思わず言い淀む。

 多数の魔物の強襲に後手後手に回っていた光輝だったが、仲間の危機に奥の手の“限界突破“終の派生技能[+覇潰]を発動。通常の限界突破が基本ステータスの3倍の力を発揮するものに対し、“覇潰“は5倍まで引き上げることが出来る。

 光の弾丸と化した光輝が魔物を薙ぎ払いながら一気にカトレアに迫ったが、カトレアは少し目を見開いたものの、あっさりと光輝の一撃を躱し、逆にガラ空きの腹部に強烈な回し蹴りをお見舞いした。

 単純なステータスならばカトレアを越えた光輝だったが、ついこの前まで戦いとは無縁だった光輝では技術が不足しており、単純に力任せに突っ込んでくる相手にカウンターを決めるくらい、カトレアには朝飯前だった。

 だが、自分を殺し得る力を持つ光輝を生かして連れ帰るなどという危険な行為をカトレアはしない。

 もし、ハジメが来るのが少しでも遅れていれば、間違いなく最悪の結果になっていただろう。

 

「……捕虜に、そうだ、捕虜にすれば良い! 無抵抗の人を殺すなんて、絶対ダメだ。俺は勇者だ。南雲も仲間なんだからここは俺に免じて引いてくれ」

 

 そんなツッコミどころ満載な光輝の言い分に反応したのはハジメではなく、銃を突きつけられているカトレアだった。

 

「何のつもりだい? 敵に情報を漏らすくらいなら私は死を選ぶよ。そもそも、あんただってあたしを殺しに来てたじゃないか」

 

「そ、それは……」

 

 カトレアの言葉に先程同様言い淀む光輝。その瞳には死に対する恐怖と戸惑いがこれでもかと現れていた。

 その光輝の瞳を見たカトレアは何故そこまで自分を庇うのかを正確に悟り、侮蔑の眼差しを向ける。

 

「呆れたね…まさか、今になってようやく気が付いたのかい? 自分たちが“人“を殺そうとしていることに。まさか、あたし達を“人“とも思ってなかったとはね」

 

「ち、違う!? ただ、知らなくて……」

 

「知ろうとしなかったの間違いだろう? さあ、もう良いだろ?」

 

「……ああ」

 

 何となく気付いてはいたが、ここまで酷いとは思ってもいなかったハジメは呆れた表情を光輝に向けつつも、ドンナーの引き金に指を掛ける。

 

「待っ──」

 

 慌てて光輝が止めようとするが、とても間に合う距離ではない。

 

(申し訳ありません、アルディアス様。先に逝くあたしをお許しください)

 

 今度こそ、自らの最後を悟ったカトレアが、心の中で、敬愛する主に謝罪の言葉を述べながら目を閉じる。

 

──絶対に死ぬな。必ず生きて戻れ。

 

「ッ!?──ガアアッ!!」

 

「なっ!?──グッ!?」

 

 ハジメが引き金を引くと同時に、カトレアが恥も外見も捨てて、地面に転がるように回避行動を取る。

 ここまで来て避けるとは思ってもいなかったハジメが驚愕に硬直していると、突然腹部に痛みを感じ、後ろに数歩よろめく。

 どうやらカトレアがハジメの隙を突いて、蹴りを入れたようだが、脚を撃ち抜かれた状態で繰り出された蹴り故にダメージは少なく、逆にカトレアが脚を押さえて苦しんでいる。

 

「てめぇ、何のつもりだ」

 

「クソッタレ! あたしは大馬鹿か!」

 

「……何の話だ」

 

「ああ!? こっちの話さ! 任務とか魔人族のプライドに(かこつ)けて、一番大事なことを忘れちまうとは……!」

 

 突然意味の分からないことを言い始めるカトレアにハジメが眉を顰めていると、動くことさえ苦痛だろうに、カトレアがその2本の足でゆっくりと立ち上がり始めた。その瞳には確かな生への執着が見て取れる。

 

「さっきまで、死を受け入れてた奴が何のつもりだ? 死の間際になって怖くなったか?」

 

「ハッ! 戦場に出てから死なんて恐れたことは無いね。こちとらすでに何人も殺してんだ。そんなこと、とうの昔に覚悟できてるさ」

 

「なら何故──」

 

「覚悟出来てるからって、それで諦めるかどうかは別だろう?」

 

 そう言ってカトレアは不敵に笑った。

 状況は何も変わらない。魔物は全滅し、まともに立つことすら儘ならない。反面、敵は誰一人として死んでいない。

 最早詰みと言っても良い状況だが、カトレアはそれでも生きることを諦めない。いや、諦めてはダメだと思い出したのだ。

 任務に出る前に、いや、戦いに出る魔人族全員が直接掛けられるあの方の言葉を。

 一人でも戦死者が出たことを知ると、淡々としながらも、血が滴るほど拳を握りしめている誰よりも優しい王を……。

 

(何てザマだ。バケモノみたいな奴が現れたからって早々に死を受け入れようとするなんて……アルディアス様が知ったら間違いなく激怒されてるね。……必ず帰るんだ。腕を千切られようとも、脚をぶった斬られようとも、這いずってでも生きて帰るんだ!!)

 

 カトレアの決意に満ちた瞳がハジメを、その後ろのクラスメイトを捉える。

 満身創痍とは思えないほどの覇気に全員が怖気付く。

 

「あたしは死ねない! こんなところで死ぬ訳にはいかないんだ!! 生きて、あの方の元へ帰るって……約束したんだ!!」

 

 カトレアの魂の叫びが木霊する。

 その姿にクラスメイトが困惑し、戦慄し、恐怖した。

 自分たちは神の使徒だ。人間族の勝利の為に邪悪な魔人族を倒して世界を救う。そういう話だった筈だ。

 なのに、何だ目の前の存在は……。例え、どんなに醜くても、見苦しくとも、泥水を啜ってでも、誰かの為に生きたいと願うその姿は……自分たちが魔物の上位種だと思っていた存在は……どこまでも自分たちと同じ──“人“だった。

 

 クラスメイト達が動揺で言葉を失う。そしてそれは、ハジメも例外ではなかった。

 彼はすでに人殺しを経験している。敵が同じ“人“であることも理解していた。

 ならば、何が彼をそこまで動揺させているのか。

 ハジメが見つめる先、それはカトレアの瞳だった。

 生きることを一切諦めていない力強い瞳。ハジメはそれに見覚えがあった。

 クラスメイトに裏切られ、奈落の底に落とされながらも、必死に生にしがみついていた自分と同じ瞳。

 なぜ、たったそれだけで自分がここまで動揺しているのか分からない。

 だが、奈落の底から帰還して初めて、ハジメは心の底から恐怖した。

 

「ッ!?」

 

 ハジメはカトレアに向けてドンナーを構える。目の前の弱者(恐怖)を一刻も早く排除する為に……。

 対するカトレアは、じっとハジメを睨みつけたまま動かない。すでにその場から動く力も無いのだろう。それでもその瞳からは未だに一切の諦めの色を感じられない。

 

「ッ!?──その眼をやめろォーーー!!」

 

 そのまま、激情に駆られるように引き金を引こうとした瞬間──

 

ドゴオオオォン!!

 

 突然、迷宮内にとてつもない轟音が鳴り響くと同時に天井が崩落した。

 クラスメイト達が、突然の心臓が震えるほどの轟音と立ってられないほどの衝撃にその場に蹲る。

 そんな中でもハジメとカトレアだけは反応が違った。

 二人が注目する先、崩落した天井の瓦礫が積み重なっている場所。砂煙が巻き上がっており、うまく確認することが出来ない。

 

(何か……いる)

 

 だが、視界が塞がれようとも、ハジメは“気配感知“と“熱源感知“でそこに何かがいることを察知し、警戒する。

 そんなハジメと違い、カトレアは胸が高鳴るのを止めることが出来なかった。

 

(ああ、やはり、貴方はこんなところまで来てくださるのですね)

 

 カトレアは先程までの決意に満ちた表情から一転、頬が高揚し、目も少し潤んでいる。まるで恋する乙女のような表情だ。

 ようやく轟音から回復したクラスメイト達が辺りを見回し、音の発生源であろう崩れた天井に視線を向ける。

 まるでデジャブのような状況に誰もが呆然としていると、不意に風が吹き、舞い上がった砂煙が一気に晴れていく。そして──

 

「良く耐えた、あとは任せろ」

 

「ああっ……!」

 

 彼女の心の底からの魂の叫び。それは一人の“王“に、確かに届いていた。

 

「さて、俺の大切な臣下を傷つけたのは……誰だ?」

 

 今ここに、魔王(南雲ハジメ)魔王(アルディアス)。二人の最強(最凶)が初めて相見(あいまみ)えた。




アルディアスはハジメよりも先にオルクス大迷宮を攻略しています。つまり……?
あと、ハジメとミレディの掛け合いを考えるの地味に楽しいかも。

原作はもちろんのこと、数々の二次創作でもハジメやオリ主の無双展開の犠牲になってきたカトレアさん。今回めちゃくちゃ主人公してました。ここまで主人公してるカトレアさんは中々いないのでは?



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第四話 【想いの力と覚悟の重さ】

お気に入り1200件突破! ありがとうございます! 評価バーも赤色がついて驚いています!
今後も皆さんのご期待に答えられるように頑張っていくのでよろしくお願いします。

今回なんと10000字を越えてます。

タグを追加しました。今後ももしかしたら増やす可能性があるのでご了承下さい。


 静寂が支配する中、決して大きくはないその声は、迷宮内に静かに響いた。

 クラスメイト達はまるで呼吸を忘れたかのようにその声を発した青年を凝視している。

 女子生徒に至っては顔を赤くし、ここが迷宮でなければ黄色い歓声を上げていることだろう。それほどまでに目の前の青年は美しかった。

 

 老人の白髪とは違う、雪のように美しく輝く白髪。その輝きに勝るとも劣らない黄金(こがね)色の瞳。その2つを際立たせるかのような漆黒のコート。

 地球で数多くの俳優やアイドルといった、イケメンや美女を見てきた彼らだったが、目の前の存在に比べれば誰もが霞んでしまうだろう。

 ハジメという想い人がいるシアや香織ですら、一瞬目を奪われてしまう程だった。

 

「……アルディアス様」

 

「何?」

 

 そんな中、唯一警戒を解かなかったハジメの耳に、カトレアの呟きが聞こえた。

 恐らく、目の前の男の名前だろうソレに、ハジメは聞き覚えがあった。

 それどころか、(エヒト)と同様に最重要に警戒していた相手だった。

 

(アイツが魔王アルディアス……か)

 

 聞いた話通りなら、自分と同じで神代魔法を習得している。一瞬の油断も出来ないだろう。

 すると、辺りを見回していたアルディアスの視線がハジメで、正確にはカトレアで止まる。

 

(どうする? あっちが仕掛けてくる前にこっちから仕掛けるか……?)

 

「カトレア、遅くなってすまない」

 

 自分と同等かそれ以上かもしれない相手にどう立ち回るか思考するハジメの直ぐ側で、男の声がした。

 

「ッ!?」

 

「え? あ、いえ! あたしは大丈夫です!!」

 

 ハジメの全身に鳥肌が立った。考えるよりも先に体が動き、全力でその場を離脱する。

 そんなハジメの様子に気付いていないのか、呑気にカトレアと会話するアルディアスに畏怖の視線を向ける。

 

(嘘……だろ? 俺は一瞬たりとも視線を外さなかった!? それなのに、気付いたら隣に立っていやがった!)

 

 単純な基本ステータスによるものか、何かの技能や魔法を使ったのか、それすらも分からないハジメだったが、一つだけハッキリしていることがある。

 もし、アルディアスがその気だったのなら、今の一瞬でハジメの命は無かったということである。

 

(ふざけんな!? 強いとは聞いてたが、こんなバケモンとは聞いてねえぞ!! 何でこんな奴が居て、人間族はまだ滅ぼされてねぇんだよ!?)

 

 ハジメは心の中で一人叫ぶ。

 少なくとも、オルクス大迷宮とライセン大迷宮を攻略しているのだから、それだけの力があることは予想していたが、未だに戦争が終結していないことから国そのものを滅ぼすほどの力は無いのでは? と考えていたハジメだが、それが根本から覆されてしまった。

 何よりも、アルディアスはここに現れてからカトレア以外を視界に捉えていない。

 

(俺は眼中に無いってか……!)

 

 オルクス大迷宮から生還してから、これまでの間、ミレディなどの手間取る相手は居たが、自分に対してここまで無関心の相手は居なかった。そのことが酷くハジメの癇に障るが、理性が迂闊に手を出すことの危険性を訴えてくる。

 すると、カトレアに回復魔法をかけ終わったのか、アルディアスがハジメを視界に捉え、まるで観察するかのようにじっと見つめる。

 

「……んだよ」

 

「いや、ついこの前まで戦いの知らぬ子供だったらしいが、随分と肝が据わってると思ってな。流石は勇者……といったところか? 確か……アマノカワコウキ、だったか?」

 

「はあ?」

 

 アルディアスの言葉に眉を(ひそ)めるハジメ。思っていたものとは違う反応にアルディアスが首を傾げていると、彼の勘違いに気付いたのだろう。カトレアがその間違いを正す。

 

「違います、アルディアス様。奴は勇者ではありません。あそこにいる無駄にキラキラした奴がそうです」

 

「……何?」

 

 カトレアの言葉に少しばかり目を見張りながらも彼女の指差す方に視線を向ける。

 そこにはすでに満身創痍で膝をつく光輝の姿があった。

 

「……勇者と聞いて、単純に力の強い奴がそれかと思ったのだが、そうではないのだな」

 

「なっ!?」

 

 純粋に弱いと言われた光輝は目を鋭くさせ、アルディアスを睨む。

 

「そう怒るな。そうか、お前が勇者か……ふむ、お前じゃないな」

 

 光輝をじっと見つめていたアルディアスは、少しすると興味を失ったらしく、視線をハジメに戻す。

 

「やはりお前か……カトレアをここまで追い詰めたのは」

 

「……だったらどうした?」

 

「別に、何か恨み言を言うつもりは無いさ。これは戦争だ。殺されたからと言って、その相手を憎むのはお門違いだ。……だが、魔人族の王として、臣下が傷つけられて黙っている訳にもいかないのでな」

 

「「「王!?」」」

 

 そんな二人の会話を遠巻きに聞いていたクラスメイトだったが、アルディアスの口から出た“王“という単語に驚愕の声を上げる。

 カトレアの畏まった態度と、その圧倒的な存在感から只者ではないと薄々感じ取っていたが、まさか敵国のトップがこんなところに現れるとは思ってもいなかった彼らは硬直し、言葉を失う。

 そんな中、いち早く硬直から復帰し、アルディアスに話しかける男が居た。

 

「魔人族の王様! 貴方にお話があります!」

 

「ちょ、光輝!?」

 

 それまで、アルディアスのことを睨みつけていた光輝だったが、彼が魔人族の王と知るやいなや、重たい体を引きずりながらも、アルディアスに近づきながら声を掛ける。

 そんな光輝に嫌な予感がした雫が止めようと声を掛けるも、その程度では光輝は止まらない。

 

「貴様! アルディアス様に対して不躾な──ッ!」

 

 突然、アルディアスの会話に割り込んできた光輝にカトレアが声を荒げるも、持ち上げられたアルディアスの手を見て言葉を飲み込む。

 

「良い……で、何か俺に用か? 人間族の勇者よ」

 

「魔人族の王である貴方に提案があります!! こんな戦いに何の意味もありません! 人殺しなんて絶対に間違ってる! どうか、俺たちと話し合いませんか!」

 

「……何?」

 

「光輝ッ!!」

 

 光輝から告げられた内容にアルディアスは眉を潜め、雫は状況が何も分かってない幼馴染に対して怒鳴りつける。

 

「自分が何を言っているのか分かっているの!?」

 

「邪魔をしないでくれ、雫! 人同士で争うなんて間違ってるに決まってるだろ!? 人殺しは“悪“だ! 俺はこの世界を救う勇者なんだ! こんなの俺達のやることじゃない!!」

 

「この……大馬鹿!!」

 

 雫は他の者と違い、この戦いの先に人を殺すことになる可能性を常に考えていた。しかし、それを改めて光輝に伝えることはしなかった。想い人を最悪の形で失った香織のフォローや自身の訓練で忙しかったのもあるが、一番の理由は恐らく理解してもらえないと判断していたからである。

 直接は無くとも、それとなく遠回しに伝えたことはあったのだが、何を言っても「俺が皆を守る」の一点張りだった。

 昔から、自分が正しいと決めたら何を言っても無駄だった為に状況の変化と時間の経過が解決してくれることを願っていたのだが、その性格が最悪のタイミングで露見してしまった。

 

「……なるほど、そういうことか」

 

 光輝の発言に目を細めていたアルディアスだったが、雫とのやり取りを聞いて、言葉の真意を理解したのか、光輝を睨みつける。その瞳には確かな侮蔑の色が見て取れる。

 

「お前は、この世界での勇者がどのような存在なのかを理解していないようだな」

 

「?──それはどういう……」

 

「この数千年続く戦争の中でも、人間族、魔人族共に勇者と呼ばれる者は存在した。お前のように、天職がそうだった訳ではない。何故、彼らがそう呼ばれるようになったか……お前に分かるか?」

 

「え? それは、たくさんの人を守って……」

 

「違う。彼らがそう呼ばれるようになったキッカケは唯一つ……誰よりも敵を殺したからだ」

 

「……え?」

 

 アルディアスの言う通り、かつて勇者と呼ばれる人物は確かに存在した。

 圧倒的な武力を持って、たった一人で何十人もの人間族を殺し、付近の村々を壊滅させた魔人族がいた。

 争いの影に紛れて、一人、魔国ガーランドに潜入し、一夜で大虐殺を行った人間族がいた。

 敵からすれば、歴史に名を刻む程の大罪人だが、味方からは死をも恐れぬ勇気ある者──勇者として讃えられた。

 

「う、嘘だ!? そんなの勇者じゃない!? そんなの正義のやることじゃない!?」

 

 自分の想像していた勇者像とはかけ離れた在り方に、声を荒らげて否定する光輝だったが、アルディアスは表情一つ変えること無く、更に現実を突きつける。

 

「そもそも、戦争とは正義と悪の間で起こるものではない。正義と正義の衝突で始まるものだ。そして、勝者は歴史に正義として名を残し、敗者が悪として断罪される。それが戦争というものだ。……無理やりこの世界に連れてこられて、あっさり戦争に参加するなど、随分お人好しな奴らとは思っていたが……子供の遊びじゃないんだ。あまり俺たちを馬鹿にするなよ、クソガキ……!」

 

「ヒッ!?」

 

 アルディアスからの殺気が光輝に突き刺さる。

 アルディアスは幼い頃から戦場を経験したことで、戦争の残酷さを十分に理解している。自分に親しくしてくれていた者が次の日に亡くなった、という経験は一度や二度では無い。

 光輝の発言は国の為、愛する人の為に命を落とした者の犠牲が無駄だったと言っているのも同義だ。

 

「……フン、まあいい、今はお前などどうでもいい。俺が用があるのはそこの眼帯の男だ」

 

「俺は無いんだがな……」

 

「お前程の力を持つ存在を野放しにしろと? 一応聞いておくが……魔人族(こちら)に来るつもりは無いか?」

 

「俺がてめぇの下につくとでも?」

 

「いや、思わないな。誰かの下に大人しくつくような質じゃないだろ。だから……」

 

──お前はここで始末する。

 

 瞬間、アルディアスから目に見えるほどの魔力の奔流が溢れ出す。その流れは決して狭くはない迷宮内を覆い尽くすほどの広がりを見せる。

 

「なッ!?」

 

「何これ!?」

 

「嘘……こんなのって……!」

 

「あ、ああァ……」

 

 その莫大な魔力に全員が絶句する。特に魔法が得意な天職を持つ者達は同じ魔力を扱うものとして気付いてしまった。いや、正確にはあまりに次元が違いすぎて分からなかった。アルディアスがどれほど高みに到達しているのかを。

 

 全員が戦慄する中、唐突にアルディアスの背後に小型の魔法陣が浮かび上がる。しかし、驚くべきはその数だ。視界を埋め尽くす程の魔法陣の数、恐らく50は越えているだろう。その魔法陣からは凝縮された魔力の塊が光球となって現れる。

 

「バケモンが……!!」

 

 そんな絶望的な状況に思わず悪態をつくハジメの瞳に、片手を天高くかざすアルディアスの姿が映る。

 

「魔人族の安寧の為……逝け」

 

雨龍(うりゅう)

 

 アルディアスが手を振り下ろす。

 その瞬間、魔力が凝縮された光球が次々とハジメ目掛けて射出された。

 軌跡を残しながら流れる様は、まるで東方の伝説に残る龍のようである。それが雨のようにハジメに襲いかかる。

 傍目からは美しい光景だが、向けられた側からは堪ったものではない。

 

「チクショウがァァァ!!」

 

 雄叫びを上げながらも迎撃を選択するハジメ。

 この密度の攻撃を全て躱し切るのは不可能だろう。常に移動し続け、躱しきれないものは着弾前にドンナーで撃ち抜く。しかし、光球が爆発したことによる熱波だけでハジメの皮膚が焼かれる。

 

「うわあああァァァ!?」

 

「キャアァァ!?」

 

 光球の着弾地点からは距離がある筈だが、クラスメイト達の元まで爆発の余波が及び、それぞれの体を支え合うことで吹き飛ばされないようにその場で耐える。

 

「ハジメくん!?」

 

「ダメよ、香織!?」

 

「でも、ハジメくんが!?」

 

「貴方が行って何が出来るの!?」

 

「ううぅぅ……」

 

 爆撃の中心にいるハジメの元に走り出しそうな香織を、雫が必死になって引き止める。

 もし、香織があそこに向かったとしても、ハジメの元にたどり着くこと無く、跡形もなく消し飛んでしまうだろう。

 死んでしまったと思っていた。きっと生きていると信じつつも、何時だって最悪の可能性が頭から離れなかった。

 だが、彼は生きていてくれた。窮地に駆けつけてくれた時、とても嬉しかった。たくさん話したいことがあった。

 でも、その彼がまた死んでしまうかもしれない。今度こそ二度と会えなくなってしまう。それがとても恐ろしく、そして──

 

(守るって約束したのに……! 私はまた……!)

 

 あの時と同じで見ていることしか出来ない自分に怒りが湧く。

 あの時から何も成長していないのか……と。

 そしてハジメの身を案じているのは香織だけではない。

 

「ハジメさん!!」

 

 頭にウサ耳を生やした兎人族の少女──シアがハジメの元に向かおうとするが──

 

「来るんじゃねえぇぇぇ!!」

 

「ッ!?」

 

 ハジメの一喝に肩をビクつかせて、足を止める。

 実際、大槌型アーティファクト──ドリュッケンを使っての近接戦闘がメインのシアでは、その身を盾にすることくらいしか出来ないだろう。

 それくらいシアも分かっている。彼女も香織と同様に見ていることしか出来ない状況に目に涙を浮かべながら歯を食いしばる。

 

 ドンナー・シュラークでの射撃。クロスビットでの支援射撃と防御。“風爪“での斬撃。他にも、自らの持ち得る手札を全て使い、それらを“瞬光“で精密に、完璧に制御する。一つのミスが自身の死に繋がる状況。

 しかし、オルクス大迷宮を一人で攻略した力は伊達ではなかった……ということだろう。

 

「ハア……ハア……ハア……ゴフッ……」

 

 アルディアスの発動した“雨龍“によって、天井は崩落し、地面は陥没し、地獄のような状況の中、ハジメは未だに生きていた。

 しかし、その体はすでに満身創痍だ。至るところに痛々しい火傷の跡が見え、“瞬光“で脳を限界まで酷使した影響か、どす黒い色をした鼻血が出ている。

 ドンナーとシュラークは性能を無視した連射と光弾の爆発により一部が融解しており、クロスビットは一つ残らず破壊された。文字通り、持てる武器()の全てを使い切ったのだろう。

 

「ハジメくん!!」

 

「ハジメさん!!」

 

「彼、アレを防ぎきったの……?」

 

 香織とシアが安堵の表情を見せる中、雫は驚愕の表情を浮かべている。それは他のクラスメイトも同様だった。

 そして、表情は変わらずとも、驚愕しているのはアルディアスも同じだった。

 

「正直……驚いた。まさか、耐えきるとはな」

 

「ハア……ハア……舐め、ん……な」

 

「ああ、少々お前を過小評価しすぎていたようだ」

 

──ならば、倍ならどうする?

 

 次の瞬間、アルディアスの背後に再び魔法陣が出現した。その数は先程の倍、優に100は越えているだろう。

 

「……は?」

 

 目の前の光景にハジメは言葉を失う。ハジメの視界を覆い尽くす程の光球は、最早光の壁と言っていいだろう。その全てが自分を狙っている。

 ハジメはアルディアスの魔法を耐え抜いた後も眼だけは死んでいなかった。残り少ない力でドンナーを握り締め続けた。いつでも奴の喉元に噛みつくために。

 しかし、そんなハジメの手からドンナーが、オルクス大迷宮から共にあり続けた武器(相棒)が……ついにこぼれ落ちた。

 そんなハジメの様子を気にすること無く、アルディアスの腕が徐々に持ち上がり、そして──

 

「……何のつもりだ?」

 

 それを振り下ろすことなく、ハジメを守るように立ち塞がる一人の少女に問いかける。

 

「そこをどけ、小娘……死ぬぞ?」

 

「どきません!」

 

 少女──シアは両手を広げてアルディアスを睨みつける。だが、その体は誰が見ても一目瞭然な程、恐怖で震えていた。

 

「シア……? 何、してんだお前……早く逃げろ……!」

 

「嫌です!」

 

「こんな時に何いってんだ!? 早く逃げろ!!」

 

「絶対嫌です!!」

 

「ッ!──何で、そこまで……!」

 

「好きだからに……大好きだからに決まってるじゃないですか!? この馬鹿!!」

 

「ッ!?」

 

 ハジメとシアの出会いは、お世辞にも良いものとは言えないものだった。

 家族を助けるために“未来視“を使い、命からがらハジメを探し出したシアを当初は見殺しにしようとした。

 あまりにしつこかったのと、大迷宮までの道案内を報酬に手を貸したハジメだったが、クラスメイトに裏切られ、奈落の底に突き落とされたハジメは他人を容易く信じることが出来ず、終始シアに対して棘のある対応だった。

 そんなハジメに対して、シアは飽きることなく、積極的に関わり続けた。

 フェアベルゲンの長老達から家族を助けて貰ってからは、ハジメに対する好意を隠すこと無く伝えるようになった。

 心の底から自分を慕ってくれるシアの存在に少しずつハジメの棘も取れていき、気付いたら、シアの他にも変態の竜人と自分を父と慕ってくれる子供が出来た。

 誰も信じない。そう決めた筈なのに、いつの間にか自分の周りは常に賑やかな声に包まれるようになった。

 口では鬱陶しいと言いつつも、心の底ではそんな状況が心地良いと感じる自分がいた。

 しかし、ハジメの魂の根幹に刻まれた他人への不信感は、消えること無く燻り続け、どれだけ親しくしようとも、最後の一枚の壁だけは取り払われることは無かった。

 それは、シアとて気付いていた筈。それなのに……それなのに、こんな自分を好きだと言ってくれた。

 結局のところ、全ての行動が自分の利益になるかどうかでしか判断できない自分のことを、命を張ってでも守ろうとしてくれている。

 

(……良いのか、信じても。また裏切られて、自分が傷つくだけじゃないのか……)

 

 目の前の、覚悟を決めた少女の背中を見ても、最後の踏ん切りを付けることが出来ないハジメだったが、自分が知る中で、一番の先生の言葉が蘇る。

 

──他者を思いやる気持ちを忘れないで下さい。元々、君が持っていた大切な尊いそれを……捨てないで下さい。

 

 ウルの街で教師である愛子から掛けられた言葉だ。

 それはウルの街にいる人達を見捨てようとするハジメに向けたものだったが……あの先生のことだ。もしかしたら、シア達にも僅かながら壁があることに気付いていたのかもしれない。

 

(他人を信じるのは恐ろしい。所詮、誰だって一番大事なのは自分だ。裏切られて苦しむくらいなら、最初から信じない方が楽だ。……それでも……例え辛くても、苦しくても、俺を信じてくれる人を裏切るより100倍もマシだ!!)

 

 この瞬間、初めて感じる絶望的なまでの死の気配に……命を賭して自分を守ろうとする少女(シア)の存在に……こんな自分を信じると言ってくれた教師(愛子)の言葉に……ハジメはとうとう最後の壁をぶち壊した。

 

「え?……ハジメさん?」

 

「……ほう?」

 

 先程まで戦う気力を無くしていた筈のハジメがシアの前に立ち、アルディアスを強く睨みつける。

 満足に体を動かすことも出来ず、武器も全て失った。ここから逆転する切り札なんて都合の良いものなどありはしない。それでも、ハジメの瞳から諦めの色は感じられない。

 

「顔つきが変わったな……何か心変わりでもあったか?」

 

「フン、そんな大層なもんじゃねえよ。……ただ、男なら、好きな女の前でくらい、カッコつけたいだろ?」

 

「……ふぇ?……ふええぇぇぇ!? ハ、ハ、ハジメさん今なんて!?」

 

「……うっせぇ。恥ずいんだから何度も言わせんな」

 

「もう一回! もう一回だけ!!」

 

「あー! 今それどころじゃねえだろ!? 後で言ってやるから集中しろ!!」

 

「絶対ですよ!? 約束ですからね!?」

 

 突然、新婚夫婦のようなやり取りを初めた二人に周りのクラスメイト達は目を点にして固まる。若干一名の目からは光が無くなっていたが……。

 シアがハジメの隣に立ち、ドリュッケンを構える。その隣でいつでも“錬成“を発動出来るように身構えるハジメは不思議な感覚に包まれる。

 目の前の存在は自分達が逆立ちしたって敵う筈の無い、紛れもない強者だ。その筈なのに何故かシアの隣に立つだけで負ける気がしない。

 この時、ハジメはあの時、何故カトレアが自分を前にしても諦めなかったのか……そんなカトレアに何故恐怖したのか、ようやく理解した。

 

(知らなかったな……誰かの為に戦うってだけで、ここまで力が湧くもんなのか……俺は認めたくなかったんだ。俺が捨てたと思っていた感情が、誰かを想う心が……ここまで人を強くするんだってことを。認めてしまったら俺が俺を否定するようで怖かったんだ)

 

 人の心は簡単に変わる。しかし、人の根幹は簡単には変わらない。クラスメイトに裏切られようとも、奈落の底で死にかけようとも、ハジメの根幹にある、誰かを思いやる心は決して失われた訳では無かった。

 顔も知らない他人まで救おうとは思わない。自分はヒーローなんて存在でも器でも無いのだから。それでも……それでも……

 

「絶対に勝つぞ! シア!!」

 

「はい! ハジメさん!!」

 

(自分の大切な人くらい守れるような男になってやる!!)

 

 まるでお互いを支え合うようにして、こちらに戦意をぶつけてくる二人を見て、アルディアスは目を細める。

 

(……美しいな)

 

 二人を知らない第三者から見れば、彼らの行動は間違っていると断言するだろう。想いの強さが戦局を左右することは珍しくない。しかし、それは敵との力が拮抗している時だけだ。

 想いが強い方が勝つ。それならば、負けた方は想いが弱かったと言えるだろうか?

 答えは否だ。想いの強さなど、僅かな力の差を埋めるくらいしか使えない。

 しかし、アルディアスは二人を称賛こそすれど蔑むことはしなかった。

 誰かの為に命を掛けられる人を愚かだとは思わない。

 それは、命の価値が小さいこの世界で、何よりも素晴らしいものなのだから。

 アルディアスはその光景を眼に焼き付けるように見つめ続け──……

 

──魔法陣がより一層輝きを増し始めた。

 

「「ッ!?」」

 

(……だからこそ、残念だ。お前たちのような素晴らしい者達をここで殺さなくてならないのは……)

 

 幼い頃より戦場を経験してきたアルディアスは、彼らのように尊敬に値する人間を何人も見てきた。そして、たった一人の例外もなく葬ってきた。

 

(俺は魔人族の王だ。国を、民の命を背負う責任がある。俺の敗北は、魔人族全体の士気にも繋がる。……何よりも、ここで俺が退いてしまったら、俺を信じてついてきてくれた民に……思いを託して散っていった者達に合わせる顔が無い。故に──)

 

「俺の全力を手向けとして……散れ──強き者達よ!!」

 

『雨──』

 

──そこまでだ、アルディアスよ。

 

「ッ!?」

 

 魔法を発動する寸前、アルディアスの頭に男の声が響いてきた。

 突然の事態に、咄嗟に魔法の発動を中断するアルディアス。

 

「……何だ?」

 

「どうしたんでしょう?」

 

 突然固まったアルディアスに訝しげな表情をするハジメとシア。

 そんな二人を置いて、“念話“の相手に応答する。

 アルディアスは“念話“の相手が誰なのか、すぐに気付いた。忘れる筈がない声色。何よりも、魔国ガーランドの魔王であるアルディアスに敬称を付けないのは、たった一人しか存在しない。

 

(何か御用でしょうか、アルヴ様)

 

 魔国ガーランドの前魔王にして、魔人族の信仰する神、アルヴヘイト。

 このタイミングで連絡をしてきたことに違和感を感じつつ、用件を聞く。

 

──撤退しろ。

 

(……今、何と?)

 

──撤退しろと言ったのだ。お前が今、人間族の勇者達と争っているのは知っている。カトレアは無事救出できたのだろう? ならば、もう用は済んだ筈だ。撤退しろ。

 

 アルヴの言葉に僅かに目を見開くアルディアス。ここに自分がいることを知っているのはフリードしかいない。フリードは優秀だ。少しの間、自分がいなくとも国を滞ることなく回すのは問題ない。

 ……そう、少しの間、アルヴに自分の不在を気付かれないようにすることなど造作もないことだろう。

 

(こんな短時間でフリードが洩らす訳がない。……つまり、最初から視ていたわけか……)

 

 アルディアスの顔が忌々しげに歪められる。

 

(しかし、目の前の勇者達は確実に我々魔人族の脅威になります。よって、ここで潰しておくのが最善と愚考します)

 

──ならん。

 

(……理由をお聞きしても? 奴らはエヒト神が呼び出した我らの敵では?)

 

──そのことについて、お前に詳しく話しておく必要がある。戻り次第、私の元に来い。お前の……いや、これからの魔人族にとっても重要な話だ。……私の言葉が信じられないか?

 

(……神のお導きのままに)

 

 アルディアスの言葉を最後に“念話“が途切れる。

 一見、何でも無いように見えるが、長い間仕えてきたカトレアには、アルディアスから抑えきれないほどの怒気が溢れているのが見て取れる。

 しばらくすると、アルディアスが持ち上げていた手を下ろし、振り払うような動作を取る。それに連動するように展開していた魔法陣が一つ残らず消滅した。

 

「なッ!?」

 

「えっ!?」

 

 驚愕するハジメとシアに背を向けて、カトレアの元に歩き出す。

 

「アルディアス様?」

 

「……撤退だ」

 

「え!? し、しかし……」

 

「神からのお告げ……と言ったところだ」

 

「ッ!?」

 

 アルディアスの皮肉めいた言葉で何があったのかを察したのか、歯を食いしばって怒りを露わにするカトレア。

 しかし、一番怒りを感じているであろうアルディアスが堪えているのに、臣下の自分が文句を口にする訳にはいかない。

 この場を後にしようとするアルディアスの後ろに続く。

 

「お、おい!」

 

 しかし、突然この場を去ろうとするアルディアスに対して、はいそうですかと流せる訳もなく、戸惑いながらも声を掛けるハジメ。

 それに対して、アルディアスは思い出したかのようにハジメ達を振り返る。

 

「お前達の名は?」

 

「……は?」

 

「お前達の名は何という?」

 

「……何を企んでいる?」

 

「別に何も企んでなど無いさ。少し野暮用が出来てな、すぐに国に戻らなくてはならなくなった。名前を聞いたのは、単純に俺がお前たちに興味が湧いたからだ。……教えてくれないか?」

 

「……南雲ハジメだ」

 

「……シア・ハウリアです」

 

「ハジメにシアか……覚えておこう。俺の名はアルディアス。ではな、強き者達よ」

 

 それだけ告げると突如、アルディアスとカトレアを中心に突風が巻き起こる。

 ハジメとシアが思わず腕で顔を覆い、吹き荒れた風が収まると、すでに二人の姿は無くなっていた。

 

「……とりあえず、助かったってことか?」

 

「みたい……ですね」

 

「……そうか」

 

 自分達が助かったことをようやく理解したハジメは、息を吐くとその場に倒れ込んだ。

 

「えっ!? ハジメさん!? しっかりして下さい!!」

 

「ハジメくん!?」

 

「南雲くん!?」

 

 シアが慌ててハジメの体を支え、香織と雫もすぐにハジメの元に駆けつける。

 

 神の使徒(ハジメ)魔人族(アルディアス)の初めての邂逅。

 それは誰がどう見ても、魔人族(アルディアス)の圧勝と言える結果だった。

 奇跡的に死者は0ではあるものの、今日の戦いを経て、自分は神の使徒だと、世界を救う選ばれし者だと胸を張る者はいなくなるだろう。

 人を殺さなければならないという恐怖。これは、今まで戦いとは無縁だった彼らが受け入れるのは非常に難しいだろう。間違いなく戦線を離脱するものが出てくる。

 それに、例え人を殺す覚悟が出来たとしても、彼らの前に立ち塞がる壁はそれだけではない。

 

 魔王アルディアス。

 戦争に勝利するということは、かの王を打倒しなければならないということになる。

 あの、神のような力を持つ存在を……。

 しかし、殆どの者が最悪の状況に絶望する中、成長の兆しを見せた者がいた。

 

 南雲ハジメ。

 アルディアスから強き者として認められた少年。

 圧倒的な実力差は健在だ。アルディアスはまだまだ力を隠しているのに対して、ハジメは全ての手札を使い切ってしまった。

 しかし、この戦いはハジメをさらなる段階へと確かに押し上げただろう。

 

 アルディアスとハジメ。この二人の邂逅がどのような影響を世界に及ぼすのか……

 

──それは、神にすら分からない。




個人的にはアルディアスの力に絶望感を与えつつ、ハジメを成長させたいと思い、このような形に落ち着きました。
ハジメもトータスでは最強クラスですが、実際はアルディアスの足元にも及びません。つい最近まで唯の高校生だったハジメに対して、生まれた頃より鍛錬を重ね、大迷宮も攻略しているアルディアス。そりゃそうだよね。

感想で多くのアルディアス無双を期待してた方には物足りなかったでしょうか?ご安心ください。これから嫌と言うほど機会があります。


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第五話 【運命の日】

投稿頻度が一日ずつ遅れていく。
プライベートが忙しく、執筆に割ける時間が取れず、申し訳ないです。
期待してくれる皆さんを待たせることになってしまいますが、これからも気長にお待ち頂ければ幸いです。


 神の使徒と魔人族の初めての邂逅から数十分後、アルディアスとカトレアはすでに人間族の国を脱出し、魔人領まで足を進めていた。

 

「こういった時に“影星“が使えれば便利なのだがな……やはりまだ改良の余地はあるな。アイツにも意見を聞いてみるか」

 

 アルディアスはカトレアの救出に向かう際に“影星“を発動し、魔国ガーランドから一瞬でオルクス大迷宮まで転移してきたが、この魔法は他人に使用することが出来ず、カトレアが移動に使用していた魔物もハジメに殺されてしまった為、アルディアスの魔法で隠蔽を施した上で空を飛んで脱出した。

 当初、カトレアはアルディアスだけでも転移で先に戻るように進言したが、治療したとはいえ、全快ではないカトレアを置いていく訳にはいかないと、断固拒否した。

 

「申し訳ありません、アルディアス様」

 

「謝罪は必要ないと言った筈だぞ。お前に付き合うと決めたのは俺自身だ」

 

「いえ、そうではなく……そもそも私が任務を完璧にこなせていれば、貴方にここまでご足労頂くことは……」

 

「それこそ必要ない。ハジメのような強者がいることを事前に把握していなかった俺の落ち度だ。謝罪が必要なのはむしろ俺の方だろう、すまなかったな」

 

「ッ!? い、いえ! アルディアス様が謝罪する必要は何一つありません!! 全てはあたしの力不足です!!」

 

「しかし……ふむ、これ以上はキリが無くなるな。この話はここまでにするとしよう」

 

「は、はい……」

 

「それにしても……」

 

 このままでは決着がつかないと察したアルディアスが話を切り上げるが、突然カトレアをじっと見つめ始める。

 

「な、何ですか?」

 

 敬愛する相手に突然見つめられたカトレアは顔を赤くして目を逸らす。それでも落ち着かないのか指で髪をいじり始める。

 

「クククッ……いや、随分と変わったなと思ってな。初めて会った時は親の敵のように睨みつけてきたというのに」

 

「なっ!?」

 

 アルディアスから予想外の口撃を受けたカトレアは思わずその場で跳び上がりながら声を上げる。対してアルディアスは口の端を吊り上げ、明らかにカトレアの反応を楽しんでいる。

 

「あ、あれはあたしが馬鹿だっただけですって!? ていうか忘れて下さい!!」

 

「分かった、分かった」

 

 今でこそアルディアスに対して畏まった態度を取っているカトレアだったが、まだ彼女が訓練兵だった頃、経験の為、フリードに連れて来られたアルディアスに対して、周りに持ち上げられてるだけの子供と侮った態度を取っていたのだ。

 それは彼女の周りの訓練兵も同様で、彼らにも国の為に毎日厳しい訓練を耐え抜いてきた矜持があった。神の子といえど、そんな自分達の訓練に気軽に参加しようとするアルディアスに、フリードからの推薦とは言え、あまり良く思わなくても仕方がないだろう。

 そんな訓練兵の様子も予想していたのか、フリードからある一つの案が出された。

 それが、訓練兵とアルディアスでの模擬戦だ。

 しかも、アルディアスは一人、訓練兵は同時に何人かかっても良いという、一見何の冗談かと思えるような内容だった。

 訓練兵達が動揺する中、アルディアスは淡々と訓練用の木刀を持ち出し、こちらをじっと見つめる様子に舐められていると思ったのか、訓練兵の男がアルディアスの前に立ち塞がった。

 

──そして、一撃で吹き飛ばされた。

 

 そこからはちぎっては投げ、ちぎっては投げの一方的な試合が繰り広げられ、最終的には訓練兵全員でかかったが、結果は変わらなかった。

 それから、訓練を通してアルディアスのことを知り、実戦で何度も命を救われたことで、今のような主従関係にまで発展した。

 突然、敬語で話すようになったカトレアに対して、本気で熱があるんじゃないかと勘違いされた時は、再び口調が戻りそうになったが……。

 

(全く、この人は……)

 

 昔から何も変わっていない。淡々としているのに常に自分以外の誰かの為に動いている。今のやり取りも責任を感じる自分を気遣ってのことだろう。

 

(そんな貴方だからこそ……あたしは……)

 

「……来たな」

 

「えっ!? な、何がですか!?」

 

「上だ」

 

 一人、カトレアが考え込んでいると、突然アルディアスが小さく呟く。

 アルディアスの指差す方向に視線を向けるとこちらに向かって飛翔してくる三匹の竜の姿が見えた。

 一瞬、魔物が襲い掛かってきたのかと思ったカトレアが、アルディアスの前に出て身構えるが、すぐにその竜に見覚えがあることに気付く。

 三匹の竜の先頭を飛ぶ、一際体の大きな純白の竜。そしてその背に乗る赤髪の男。

 

「あれは、ウラノス! それにフリード様も!」

 

「事前に“念話“で迎えを呼んでおいた……まさか、フリードとウラノスが来るとは思わなかったがな」

 

 ウラノスはアルディアス達の真上に来るとゆっくりと降下を始めた。その背からフリードが降り、アルディアスの前に跪く。

 

「お待たせして申し訳ありません、アルディアス様」

 

「いや、よく来てくれた。わざわざすまないな」

 

「何を仰りますか。貴方のためならばこのフリード、どこまでも駆けつける所存でございます」

 

「助かる」

 

 立ち上がったフリードに向けて今度はカトレアが頭を下げる。

 

「フリード様、お手を煩わせてしまい申し訳ありません」

 

「気にするな。ある程度のことはすでにアルディアス様から聞いている。良く生きて戻った」

 

「ッ!──はい!」

 

「さて、今後の詳細については移動しながら話そう」

 

「分かりました。では、どうぞ」

 

 そう言ってフリードが指し示す先には三匹の竜の中でも一際大きなウラノスの姿があった。

 

「いや、ウラノスはお前の相棒だろう。俺は配下の竜で構わんぞ?」

 

「そういう訳にはいきません。貴方を配下の竜に騎乗させるなど臣下としてあってはならないことです」

 

「しかし、ウラノスとてフリードの方がいいだろう?」

 

「クルァ!」

 

 アルディアスがウラノスの頭を撫でながら尋ねると、ウラノスは機嫌が良さそうな鳴き声を上げる

 

「ウラノスも構わないそうです」

 

「……言葉、分かるのか?」

 

「いえ、ですが伝わりました」

 

「……そうか」

 

 何となく譲る気は無さそうだと諦めたアルディアスが、そのままウラノスの背に乗る。

 フリードとカトレアが配下の竜に乗ったのを確認した後、一斉に空に飛び立つ。

 しばらくすると、アルディアスが小さく何かを呟く。

 すると、アルディアスを中心に球状の結界が広がり、フリードとカトレアを覆った辺りで溶けるように見えなくなった。

 

「周囲に盗聴と監視を防止する効果のある結界を張った。これで何を話していたとしても、外からは俺達がただ黙って飛んでいるだけにしか見えないだろう」

 

「……今この場で結界を張ったということは……」

 

「ああ、アルヴに呼び出された。十中八九、お前の想像している理由でな」

 

「やはり……!」

 

 アルディアスの言葉に何かを察したのか、表情が強張るフリード。隣を飛翔する竜の背に乗るカトレアも、不安そうな表情でアルディアスを見つめる。

 

「そんな顔をするな。いつかは来ると分かっていたことだ。……どちらかと言えば遅かったくらいだろう」

 

「……アルディアス様が王位を継承してから3年。あたし達を含め、魔国ガーランドの民は貴方に全幅の信頼を寄せています」

 

「さらに、全ての神代魔法を会得し、概念魔法まで習得した貴方は文字通り、この世界で最強と言って間違いないでしょう……奴が動き出してもおかしくはないかと……」

 

 カトレアとフリードの言う通り、今のアルディアスは間違いなく“王“として完成された存在だ。

 万物を見通すかのような知恵と世界を圧倒する力を兼ね備えていながら、部下の目を盗んで街に降り、直接民と交流する寛容さ。それでいて、この人の為ならば、命を掛けるのも惜しくはないと思わせるほどの全てを魅了するカリスマ。

 魔人族だけではなく、このトータスの歴史においても二人といない、正に真なる王。

 

──だからこそ、その()()に価値を見出し、18年間待ち続けたモノがいた。

 

「フリード、伝えておいた通り、もし()()()()()()()()()その時は……」

 

「承知しております。早急に民の避難を始めます。その後……」

 

「ああ、俺でも少し時間を稼ぐことくらい出来るだろう、完了次第すぐにお前たちも──」

 

「すぐに私達も貴方の元に向かいます」

 

「……おい、フリード」

 

 事前に伝えていた筈の作戦とは違うことを言い出し始めるフリードに厳しい視線を向けるアルディアスだったが、フリードは一切の動揺を見せずに反論する。

 

「私の忠誠を舐めないで頂きたい。言った筈です。命尽きるその時まで、貴方に絶対の忠誠を捧げると……それに、信じろと言ったのは貴方ですよ?」

 

「ッ!──お前……」

 

「フリード様の仰る通りです」

 

 アルディアスとフリードのやり取りを横で聞いていたカトレアが、アルディアスに声を掛ける。

 

「アルディアス様を置いて逃げようとする兵など、この国にはいません。他の皆も同じことを言ってましたよ。相変わらず、アルディアス様は一人で背負い過ぎだって……アルディアス様に比べたら、あたし達なんて不甲斐ないかもしれませんが、少しだけ、あたし達にも背負わせて貰えませんか?」

 

「……カトレア」

 

「貴方を信じるこの国の民を……どうか、信じて下さい」

 

 アルディアスは此方をじっと見つめるフリードとカトレアの瞳を見て、己を恥じた。

 自身のことは信じろと言っておきながら、その相手を信じないなど、相手を侮辱しているのと同義。

 ここまでの忠誠を見せられながら、それに応えられないで何が王か……! 民の期待に応えてこそ、真なる王ではないのか……!

 

「……すまない、どうやら一番弱気になっていたのは俺の方だったらしい。情けない姿を見せたな」

 

「アルディアス様は普段から肩肘張りすぎなんですよ。すこしくらい弱みを見せた方が、普段とのギャップがあって良いと思いますよ?」

 

「……ぎゃっぷとは何だ?」

 

「フリード様知らないんですか? 普段はしっかりしてる印象の人が時々見せる弱さとかの差をギャップって言うらしいですよ。逆の場合もあるらしいですけど」

 

「……そう言えば、アイツがそんなことを言っていたような……アルディアス様の方を見て、ぎゃっぷ……もえ? とかなんとか……」

 

「俺を見て?……もえとは何だ?」

 

「さ、さあ〜、それはあたしもよく知らなくて……」

 

(あの吸血鬼! アルディアス様とフリード様の近くで何口走ってんだい!!)

 

 カトレアは内心で、今この場にいない吸血鬼の元女王に怒りをぶつけるが、脳内の彼女は「……ん!」と何故か誇らしげに胸を張って得意げにカトレアに笑みを向ける。それが更にカトレアの怒りを増幅させる。

 フリードとアルディアスのやり取りに冷や汗を流しながらシラを切るカトレアだったが、偶然にも二人に気付かれることは無かった。

 

「……そろそろガーランドが見えるな」

 

「「ッ!」」

 

 アルディアスの一言に先程までの穏やかな空気から一変、三人から厳かな雰囲気が漂い始める。

 

「フリード、カトレア。俺からの命令はたった一つだ……信じて待て」

 

「「ハッ!!」」

 

 アルディアスの18年の人生で間違いなく最大の大勝負。

 結果がどうあれ、間違いなく、今日……世界が変わる。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 魔国ガーランドにそびえる巨大な王城。

 周囲は崖に囲まれており、もしこの場にこの世界に転移してきた勇者たちがいれば、間違いなく魔王の城に相応しい容貌だと感じるだろう。

 その王城内にある石造りの長い廊下を、アルディアスは一人、護衛もつけずに歩いていた。

 しばらく歩いていると、目的の部屋に繋がる扉と、その脇で控える銀髪のメイドの姿が見えてきた。

 アルディアスが視線を向けると、ここにアルディアスが来ることを知っていたのだろう、扉をノックし、中にいる人物に声を掛ける。

 

「アルヴ様、アルディアス様がお見えになりました」

 

「ああ、通してくれ」

 

 中にいる人物──アルヴから返答を聞くと、その金の装飾が施された扉を開き、アルディアスに頭を下げながら脇に逸れる。

 アルディアスが室内に入ると、魔人族の神であるアルヴが両手を広げてアルディアスを迎え入れる。

 

「よく来てくれた、アルディアス。帰投したばかりなのにすまないね」

 

「いえ、貴方様のお呼びであれば、いつでも参上致します」

 

「ありがとう、私のアルディアス。さあ、座ってくれ。すぐにお茶の用意をさせよう」

 

 そう言って着席を促してくるアルヴに連れられ、アルディアスが座ったのと同時に、先程扉の前にいたメイドがお茶とケーキをトレイに乗せて運んでくる。

 

「ありがとう。私はアルディアスと大切な話があるから、しばらくここを離れていてくれないかい」

 

「承知いたしました」

 

 アルヴとアルディアスの前に配膳を済ませたメイドがその場で一礼して退出する。

 ゆっくりと扉が閉まっていく中、最後の瞬間までメイドの赤い瞳が二人の姿を見つめ続けていた。

 

「……さて、君の為に最上級のものを用意させた。口に合えばいいのだが」

 

「お気遣い感謝します。しかし、あまり貴方様のお時間を頂く訳にはいきません。ここに私を呼んだ理由をお聞かせ願えますか?」

 

「相変わらず君はせっかちだね。少し、君との会話を楽しみたかったんだが……まあ、多忙の君を私の我儘で引き止める訳にはいかないな……何故、エヒト神の呼び出した勇者達の討伐を止めたか……だよね」

 

「はい」

 

「この世界では、エヒト神は人間族を導く神だと思われている。しかし、それは誤りだ。あの方はこの世界の真なる神なのだ。私はあくまであの方の眷属にすぎない」

 

「……それはどういうことでしょうか? それが事実ならば、我々は何のために争っているのですか?」

 

 アルディアスが疑問を投げかけると、アルヴは椅子から立ち上がり、アルディアスに背を向けながら答える。

 

「全ては神の与えた試練なのだ。“人“とは弱い生き物だ。自らの欲のために簡単に他者を傷つける。あのままでは、いずれ人の業によって世界が滅びてしまうほどに……」

 

「だから試練を与えたと?」

 

「そうだ。人間族と魔人族。お互いに明確な敵を作ることによって、人に成長を促したのだ。人という生き物は共通の敵が存在すると、それらを打倒するために力を結集する習性がある。それによって、人類に進化を願ったのだ」

 

 つまり、アルヴがあのときアルディアスを止めた理由は、勇者を排除することで、魔人族の試練を無くしてしまうから。

 勇者召喚はアルディアスという強大すぎる力によって崩れてしまった戦力の均衡を戻す為に……エヒト神が魔人族の成長を願って行われたものなのだから……。

 

「……そして戦争が始まって数百年、ついに我々の願望は叶うこととなった」

 

──それが君だ、アルディアス。

 

 そう言って、アルディアスに笑みを向けるアルヴ。それに対してアルディアスの表情は全く動かない。その様子に、恐らく混乱しているのだろうと思ったアルヴが、申し訳なさそうな表情をしながら話を続ける。

 

「すまない、いきなりで混乱するだろう……だけど事実だ。君程、神に並び立つほどの才を持った存在は、今までの歴史を遡っても存在しない」

 

「私などまだまだです。どれだけ力を付けようとも、民の犠牲を減らすことは出来ても、無くすことは出来ない」

 

「そう卑下しなくても良い。それは君のせいじゃない、言うならば君が“人“である以上、犠牲を0にすることなど不可能だ……だが、安心するといい。君の民を想うその心は、ついにエヒト様に届いたのだ!」

 

 アルヴは手を広げ、天を仰ぎながら告げる。アルディアスに与えられる、この世界最大の報奨を。

 

「エヒト様が君の体を器に、魔人族の神として降臨なさるのだ!!」

 

「私の体を器に……それはつまり、アルヴ様と同じように……ということでしょうか?」

 

「そのとおりだ。君も私の器となったディンリードのことは知っているだろう?」

 

「はい、神に謀反を企んだ吸血鬼族の中で、たった一人、国に抗い続けた吸血鬼族の元宰相。その働きが認められ、アルヴ様の器となったと聞いています」

 

 魔国ガーランドの上層部に当たる人物なら誰でも知っている情報だ。

 かつて、神への謀反を企んでいた吸血鬼族だったが、当時、宰相の座に就いていたディンリードだけは神への信仰を最後まで捨てず、女王を務める自身の姪に対して何度も辞めるよう進言し続けていた。

 しかし、女王は最後まで聞く耳を持たず、終いには叔父であるディンリードを国賊として幽閉した。

 そんな絶望的な状況に陥ってなお、ディンリードは神への祈りを止めなかった。そして、その祈りが神に届き、吸血鬼族は滅ぼされることになった。

 しかし、吸血鬼族の女王アレーティアだけは一人生き残り、今もどこかに身を隠しながら、虎視眈々と神を殺す瞬間を狙っているらしい。

 

「その通りだ。今もこの身には、アルヴとディンリード、2つの魂が存在している。アルディアス、君は認められたのだよ。エヒト様が降臨なされば、君は文字通り神の力を宿すことになる。君は……いや、君たち魔人族は神の子となれるのだよ! この話……受けてくれるね?」

 

 あくまでアルヴはアルディアスに提案として話をするが、恐らく断られることなど微塵も考えてないのだろう。

 未だに興奮する様子を隠そうともしないアルヴに対してアルディアスは腕を組んだまま目を閉じる。

 そのせいで、アルヴからはアルディアスがその瞳にどんな感情を灯しているのかを知ることは出来ない。

 

「承知いたしました。この国の民を救えるのならば、喜んでお受け致します」

 

「そう言ってくれると思っていたよ。先程も言った通り、その身にエヒト様を宿したとしても、君という存在が消える訳ではない。だからそこまで気を張る必要はないよ。此方に来てくれるかい?」

 

 アルディアスの返答を聞き、満足そうな笑みを浮かべたアルヴは、そのままアルディアスを立たせ、部屋の広いスペースに移動させる。

 

「神をその身に宿すと言っても、何か特別な儀式が必要という訳では無い。楽にしていてくれ」

 

──すぐに終わる。

 

 その瞬間、アルヴが笑みを浮かべた。それは先程までの温かみに満ちたものとは違い、嘲笑が含まれた笑みだった。

 それと同時に天井を透過した光の柱がアルディアスを包み込んだ。

 

「ああ……ついに……ついにこの瞬間が……!」

 

 18年も待った。待ちきれずに何度も実行に移したい欲に囚われながらも、万全の状態で自らの主に献上する為、その時を待ち続けた。

 そして、ついに待ちに待った瞬間がやってきた。

 アルディアスはこの長いトータスの歴史を顧みても最高の逸材だ。まさにあの御方の為に世界が生み出した存在と言ってもいいだろう。

 そんな最高の器を持って、我が至高の主がこの世界に降臨する。

 そんな甘美な未来を想像し、神聖なる光の柱から伝わる、自らの主の力を全身で感じるように腕を広げ、天を仰ぎながら目を閉じる。

 

──光の柱に包まれたアルディアスが、何かを呟いたことに気付くこともなく……




出来れば、原作ではなかったフリードやカトレアの日常会話などもたくさん入れていきたいと思ってます。本編に組み込んだり、番外編として書くのもいいかも。

アルヴのアルディアスの呼び方が前回では“お前“に対して、今回は“君“になっていることにお気づきの方がいるかもしれませんが、一応、統一し忘れたという訳ではありません。
前回は元魔王、魔人族の神として対応したのに対して、今回は完全なプライベートということで分けました。
簡単にいうと、会社の上司と部下の関係の親子の会話の口調が、職場と自宅で違うようなものです。
最初はどちらかに統一しようとしたのですが、どうしても変えた場合の違和感が凄かったのでこのようにしました。


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第六話 【光を呑み込む闇】

今回は特に独自解釈、オリジナル展開が強い展開になっています。


 エヒトは歓喜していた。

 ついに自らに相応しい器を手に入れられることに……。

 

 300年前のことは、今思い出しても腸が煮えくり返る程の怒りを感じる。

 自身の器に相応しい存在、アレーティアを見つけ、聖光協会の力を使い、彼女の外堀を確実に埋めていった。そして、ついに両親すら手中に収め、もうアレーティアを手に入れたも同然だった。……その筈だった。

 アレーティアの叔父であるディンリードが、エヒトの企みに気付き、彼女をどこか分からぬ場所に隠してしまったのだ。

 アルヴにその体を乗っ取らせて記憶を探らせたが、アレーティアの隠し場所どころか、神代魔法の記憶すら消されており、アレーティアの痕跡は完全に途絶えてしまった。

 

 しかし、今ではそれこそが自分の神運だったので無いかとさえ思っている。

 確かにアレーティアは神の器として申し分ない力を持っていた。しかし、アルディアスはアレーティアを遥かに超える才覚を持って生まれた。

 アルヴからの報告を受け、自らの目で確認した時は、思わずその場で歓喜の雄叫びを上げてしまった程だった。

 その瞬間、エヒトの中からアレーティアの存在など一切どうでも良くなり、只々、器が完成するのを待ち続けた。

 今まで何百年と待ち続けたのだ。今更10年、20年などあっという間だと思っていたのだが、心の底から欲するものが目の前にあるのに手にできないもどかしさがここまでのものとは思いもしなかった。

 だが、それも今日で終わる。

 アルヴに誘導されたアルディアスが、自身の真下に位置する場所に移動する。

 その瞬間、エヒトはアルディアス目掛けて飛び出した。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「……ククク、ハハハハハッ!! ついに! ついにだ! どれだけこの日を心待ちにしたことか!!」

 

 周囲が闇に覆われた漆黒の世界で、エヒトは歓喜の雄叫びを上げていた。

 ここはアルディアスの肉体の内側、文字通り、魂が内包する精神世界。

 アルディアスの中に侵入を試みたエヒトは、事前のアルヴの説明のおかげか、一切の抵抗をされること無く、アルディアスの奥底まで入り込むことに成功していた。

 

「ククク……いや、落ち着け。まだ完全に掌握した訳では無い。奴の魂を探し出し、完全に破壊すれば、もうこの肉体は私の物だ」

 

 今でこそ、アルヴの言葉のおかげか、一切の抵抗も見せる様子はないが、エヒトの本性を知れば必ず抵抗してくるだろう。自分が負けるとは微塵も思っていないが、相手はあのアルディアスだ。負けずとも大切な肉体に傷がつかないとも限らない。

 

「……しかし、魂はどこだ?」

 

 エヒトが周囲を見回すが、魂らしきものは確認できない。

 人の魂とは、暗闇に包まれる精神世界で唯一輝きを放つ存在。例え、どんな悪人だろうとも、“人“である以上、それは変わらない。

 

「ん? あれは……?」

 

 そんな中、エヒトはある一点に目が止まった。

 魂の輝きは、多少の色の違いの差はあれど、殆どが白い輝きを放っている。

 だが、それは黒かった。白の概念など微塵も存在しない、真っ黒な魂。

 しかし、それは決して魂が淀んでいるだとか、汚れている訳では無い。

 例えるならば、雲一つない夜空のように、不純物が一切入っていないブラックダイヤモンドのように、何者にも染められず、全てを染める漆黒の黒。

 

「……素晴らしい」

 

 神であるエヒトの目を持ってしても、息を飲むほどの美しさ。このまま持ち帰ってしまいたいと思わせる程の至宝がそこにはあった。

 

「これを破壊しなくてはならないのは少々躊躇うが……この肉体を完全に掌握する為だ、仕方あるまい」

 

 少しの逡巡を見せるも、自らの器には変えられないと、アルディアスの魂に手を伸ばす。

そして、エヒトの手が魂に触れた瞬間──

 

「……は?」

 

 エヒトの目の前に、天にも届く程の闇が現れた。

 

「ッ!?」

 

 エヒトは思わず手を離し、その場を離れる。

 すると、エヒトの目の前に存在していた筈の闇は、まるで全てが幻だったかのように消えて無くなっていた。

 

「な、何だ今の光景は……」

 

 想定外の事態に困惑するエヒトだったが、一つだけ今の現象に心当たりがあった。

 魂とはその人物の核そのものだ。それは人柄であったり、人生であったり……力の大きさを表している。

 もし、仮に魂と魂が接触した場合、より強い魂が弱い魂を喰らわんとするだろう。

 つまり、先程エヒトが見た光景は、自らの魂とアルディアスの魂の力の差が可視化された光景と言えるだろう。

 

「ありえん!?」

 

 エヒトの絶叫が響き渡る。

 それもその筈だろう。自分は神だ。ただの人如きに圧倒されるなどあってはならない。

 しかし、現実にエヒトはアルディアスの魂に圧倒された。それが全ての事実を物語っている。

 

「どうした? 随分と動揺してるじゃないか」

 

「ッ!?──き、貴様! 何故ここにいる!?」

 

 エヒトが動揺していると、突然後ろから何者かの声が聞こえた。慌てて振り向いた先に居た人物を捉え、エヒトは驚愕に目を見開く。

 

「何故……といわれてもな。ここは俺の世界だ。何か問題でもあるのか?」

 

 そこにいた人物──アルディアスは僅かに首を傾げながらもなんでも無いように言葉を返す。

 まるで、此方の神経を逆撫でするような返答に怒りが沸くが、何とかギリギリで飲み込む。恐らく、自分という異物が入り込んだ影響で本来の肉体の持ち主の意識も精神内に入り込んでしまったのだろう。

 

「……いや、すまないね。想定外のことに、思わず混乱してしまったんだ。君ほど聡い人物ならもう理解していると思うが、私は──」

 

「人間族の神エヒト。創造神などと言われ、人間族に信仰されてはいるが、その実態はこの世界の人をただの遊戯の駒としか見ていない邪神……だろう?」

 

「……どうやら説明は要らないようだな……いつから気付いていた?」

 

 無駄に敵対して、面倒な事態になるのを防ぐ為、あくまで表面上は善神を取り繕うとしたエヒトだったが、アルディアスの言葉を聞き、その必要が無いと判断したのか、鋭い視線を向ける。

 

「最初からだ。今まで一度も貴様らを崇拝したことなど無い」

 

「……なるほど、アルヴは初めから失敗していた訳か……ならば何故、私の降臨を拒否しなかった? まさか、私が本当に魔人族を救うなどと信じている訳ではあるまい?」

 

「ああ、そんな都合の良いことは微塵も思ってなどいないさ。俺が拒否すれば、お前たちは民に危害を加えるだろう?」

 

「ああ、そういうことか。相変わらず、国の為、民の為とくだらない奴だな。お前の力は評価に値するが、そこだけは残念だ……まあ、私にとっては必要なのは器のみで他はどうでもいいがな」

 

「だが、奪えなかった。俺の魂に触れた瞬間怯んでいたな。神ともあろうものが、情けない」

 

「貴様ッ!」

 

 先程、エヒトがアルディアスの魂に触れた瞬間を見ていたのだろう。アルディアスの顔には薄っすらとだが、明らかにエヒトを嘲笑するかのような笑みが浮かぶ。

 それに対して、エヒトはそれまでの落ち着いた態度から一変、全身から怒りを露わにし、アルディアスに怒鳴りつける。

 エヒトにとって、人は自分を楽しませる為のゲームの駒でしかない。それは器として認めたアルディアスとて例外ではない。その相手から嘲笑を受けることはエヒトにとって耐えられない屈辱だろう。

 

「人如きが! 神であるこの私を侮辱したことを後悔しながら死ね!!」

 

 エヒトが掌をアルディアスに向ける。

 エヒトが求めるものはアルディアスの肉体だけだ。精神がどうなろうと関係ない。先程はアルディアスの魂の大きさに驚愕したものの、時間を掛けて力を送り込み続ければ、破壊することは十分可能だ。しかし……

 

「なッ!?」

 

 アルディアスに向けて魔法を放ったエヒトだったが、闇を照らし出す閃光が収まると、そこには何事も無かったように佇むアルディアスの姿があった。

 

「何をした!!」

 

「何をしたも何も……お前が一番分かってるんじゃないのか?」

 

「何を……!」

 

「……ずっと疑問だった。お前たちが何故、人の肉体を求めるのか」

 

 神は地上の世界に直接干渉できない。故に器を求める。

 この世界のあらゆる書物に記載されている内容だ。アルヴからも直接そう聞いている。

 しかし、干渉できないならば何故、地上に存在する器を乗っ取ることができる? そもそも、神の力を持っているのなら、わざわざ器を選定する意味など無い筈だ。それこそ、何百年もの間を探し続けるなど必要など無い。

 だが、現にエヒトは待ち続けた。

 

「恐らくだが、お前たち神は器がなくともこの世界に干渉することは出来る。だが、器が無くてはこの地上で魔力を十全に発揮することができない」

 

「ッ!?」

 

 魔力とは人の肉体から時間と共に無尽蔵に生成されるもので、特定の亜人族以外のトータスに住まう全ての種族が保有している。

 そして才ある者程、多くの魔力をその身に宿す事ができる。

 

「だから、待つんだろ? 自らの魔力を宿しても、耐えうる器を求めるが為に」

 

「……!」

 

 アルディアスの推測はほぼ当たっていると言っていい。正確に表すならば神域外での魔力の行使に弊害がある……と言ったところだ。

 先程の魔法も本来の威力の半分も出ていなかったのだろう。尤も、たとえ十全に使えなかったとしても、仮にも神が放つ魔法だ。まともに喰らえばひとたまりもないのだが。

 

「思いもしなかったか? 弱体化しているとは言え、己の力を受けて平然としていることが。思いもしなかったか? 魂魄に干渉してくることが。 思いもしなかったか? “人“如きの魂に気圧される自分が」

 

「ッ!?」

 

 その瞬間、ようやくエヒトは目の前の存在をただの駒から自分を害する可能性のある敵として認識した。

 その判断をしたエヒトが次に選択した行動は──この場からの逃走だった。

 

(見誤っていた! 奴の力はすでに神にも届く! この場では私に勝ち目は無い!! しかし、この場さえやり過ごせばどうとでもできる!!)

 

 18年待ち続けた器だが、今退いたとしても、まだチャンスはある。それこそアルディアスがこの世界に存在する限り、何度でも。

 何より、器を奪うのに正面から当たる必要はない。奴の弱点は知り尽くしている。

 

(……殺してやる。奴の大切な民を……魔人族を滅ぼしてくれる! 守るべき者を全て失い、絶望する貴様の肉体を今度こそ奪い取ってやる!!)

 

 アルディアスは何よりも魔人族の民を大切に想っている。その民が傷つく光景は、彼にとってこれ以上無い苦痛だろう。

 煮え滾るほどの怒りを感じながらも、それを抑え込み、逃走を図るエヒト。

 しかし、そんなことを許す程アルディアスは甘くはなかった。

 

「逃がす訳がないだろう」

 

 アルディアスが小さく呟くと同時に、暗闇からいくつもの線がエヒト目掛けて飛び出した。

 

「なッ!?」

 

 甲高い金属音を響かせながら、一直線に伸びるそれは、あっという間にエヒトに巻き付き、その魂を縛り上げる。

 

「こ、これは……鎖!?」

 

 周囲の暗闇に紛れて一瞬何なのか分からなかったエヒトだったが、目を凝らすと、自身に巻き付くそれが鎖だと分かった。

 アルディアスの魂と同様に全てが黒く染まった鎖。しかし、その鎖からは膨大な魔力を感じる。それこそ、神代魔法すら凌ぐほどの……

 

「“封神黒鎖(ふうじんこくさ)“。俺が初めて作り出した概念魔法だ。俺が指定した対象のみを捕縛する鎖。魂だけのお前にはなかなか効くだろう?」

 

「グッ!?」

 

 “封神黒鎖“──アルディアスが初めて作り出した概念魔法。そこに込められた概念はただ一つ、『お前を絶対に逃さない』

 神は肉体を持たず、魂だけの存在だ。故に肉体が朽ちても神自身は死なない。

 そこでアルディアスが生み出したのがこの概念魔法だった。神の魂を拘束、捕縛し、その魂を完全に消滅させる。鎖全てが魔力で構築された実体のないアーティファクト。

 振りほどこうと必死に抵抗するエヒトだったが、鎖は微塵も緩むこと無く、それどころか逆に締め付ける力が増し始める。

 

「無駄な抵抗は止せ。その鎖は捕縛対象の魔力を奪い、力を増す。肉体を持たぬお前に抗うすべはない」

 

「馬鹿な!? いつ、魔法を使った!?」

 

 どんな初級魔法でも、発動した瞬間は周囲の魔力に僅かな揺らぎを発生させる。

 この精神世界に入り込んでから魔力の揺らぎは一切感じられなかった。

 

「お前が俺の中に入ってきた瞬間だ。発動させておいた魔法をお前の周りで待機させておいた。それだけの話だ。わざわざ俺の中に入り込んでくると知っていて、何の対策もしていないとでも思ったか?」

 

「ッ!?──クソッ!!」

 

 アルディアスは今日、この日の為に考えられる対策は全て取ってきた。

 中でも特に警戒したのは二つ。一つ目は肉体が奪われる可能性。二つ目が肉体の乗っ取りが失敗したエヒトの逃亡を許すことだ。

 一つ目は言わずもがなだが、二つ目、万が一にも逃げられた場合、間違いなくろくな事にならないだろう。

 だからこそ、その可能性を確実に潰す必要があった。

 

「諦めろ。お前が人を玩具にして愉悦に浸っている間、俺たちは力と知恵をつけ続けてきた」

 

「……なッ!?」

 

 鎖に縛られながらも、アルディアスに憎悪の視線を送っていたエヒトだったが、自身の背後に不穏な気配を感じて視線を移す。そしてそこにいた存在を捉え、驚愕に声を洩らす。

 エヒトの背後……そこには、天まで届く闇が広がっていた。先程、アルディアスの魂に触れた時に見たものと全く同じものだ。

 すると、炎のように揺らいでいた闇が次第に収束、形を持ち始める。

 

 それは──命を狩ることを喜びとする死神のように……

 それは──憎悪に身を焦がし、怒り狂う鬼のように……

 それは──哀しみに暮れる人のように……

 それは──人の想いを壊すのが何よりも楽しみな神のように……

 

 様々な感情が籠もった黒い瞳で、エヒトを見下ろしていた。

 

「ヒッ!? 離せ離せ離せ離せ離せ!!」

 

 言いようのない恐怖を感じたエヒトはなりふり構わず、鎖から逃れようともがき続ける。しかし、そのエヒトの必死さに反して、鎖はびくともしない。

 

「我は神だぞ!! この世界を支配する絶対なる存在だ!! それを……貴様のような人如きに……! ありえん! ありえてたまるか!! 認めるものか!!」

 

「認めるも何も、これが現実だ。もし、(お前)(俺たち)を侮っていなければ、結果は変わったかもしれんな。お前は間違ったんだよ……何もかもな」

 

 人の形をした巨大な闇がゆっくりとエヒトに向かって手を伸ばす。

 

「やめろ、来るな!! 我は間違ってなどいない! 神に間違いなど存在しない! 我は……我は……!」

 

「……もういい、喚くな。自らの選択に後悔しながら……」

 

「──死に……たく、な……」

 

「死ね」

 

 世界を覆う程の闇が、ちっぽけな光を覆い尽くした。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「器の獲得おめでとうございます。使い心地はいかがでしょうか。何か問題はございませんか?」

 

 天から降りてきた光の柱が消えると、そこには体の感触を確かめるように自身の掌を見つめるアルディアスの姿があった。

 ついに我が主が器を手に入れ、地上に降臨された。歓喜に身を震わせながらも、すぐさま跪き、頭を垂れるアルヴ。

 しばらく自身の体を見下ろしていたアルディアスだったが、アルヴの声に反応を示し、此方に跪く姿を視界に捉える。

 

「……使い心地、か」

 

「?──エヒト様?」

 

 長年待ち望んだ器が手に入ったというのに、想像していた反応とは違う様子に首を傾げる。

 ……もしや、何か器に不都合が? それとも自身が何か粗相をしてしまったのだろうか。

 アルヴが不安に表情を青褪め始めると、不意にアルディアスが口を開く。

 

「使い心地も何も……18年共にあり続けた体だ。問題など、ある筈もない」

 

「なッ!?」

 

 アルディアスの言葉に目を見開くアルヴ。

 

「き、貴様! まさかアルディアスか!!」

 

「ああ。仮にも18年の付き合いだ。間違われるとは心外だな」

 

「馬鹿な!? あり得ない!?」

 

 アルヴが困惑の声を荒げる。しかし、確かに目の前の人物からは神性が全く感じられない。

 何故だ!? 確かにエヒト様がアルディアスの肉体に入っていくのを感じた。ならば、我が主は一体どこに……!

 

「エヒト様は……エヒト様はどうした!?」

 

「エヒト? ああ、()()のことか?」

 

 アルディアスが片手をアルヴに差し出し、掌を上に向ける。

 すると、突然アルディアスの掌に淡い灯火が現れる。今にも消えてしまいそうなくらい弱く、小さな炎。

 傍から見ても、初級の魔法か何かくらいにしか感じられないものだが、アルヴにはそれが何かすぐに分かった。

 それは間違いなく魂だった。だが、中身が伴ってなく、最早ガワだけのスカスカの抜け殻状態。しかし、僅かに感じられる神性は間違いなく自分の主のものだった。

 

「エヒト様!? 貴様! エヒト様に何をした!?」

 

「俺の体を使って勝手なことをしようとしたから対処したまでだ」

 

「話を聞いていなかったのか貴様は!? エヒト様は魔人族の為に──」

 

「それはもう良い。お前たちの本性は最初から気付いている。善神とはとても言えない、人の作り上げてきた物を壊すだけの邪神共が」

 

「ッ!?」

 

 アルディアスの言葉に絶句するアルヴ。

 奴の言葉通りならば、主があんな目にあっている原因は間違いなく……!

 

(いや、今はエヒト様をお助けするのが先決だ)

 

 自らの失態で敬愛する主をあんな目に遭わせてしまったことに表情を青褪めるアルヴだったが、今優先すべきはその主の安全の確保だ。弱ってはいるが、まだ完全に死んでいる訳ではない。神域へとご帰還させることができれば、ゆっくりと傷を癒やすことも可能だろう。

 

「ま、待て。待つんだアルディアス。君はどうやら勘違いしているようだ。私達は決してそのような邪神などではない。話し合えば分かる筈だ。まずはエヒト様を此方に渡しなさい」

 

「……」

 

「聡明な君なら分かる筈だ。物心付く前から側で成長を見守ってきた私の言葉が信じられないか? 私は君を本当の息子のように大切に思っているんだ。さあ……」

 

 黙ってアルヴの話を聞いていたアルディアスだったが、徐々に灯火を持つ手をアルヴに差し出す。

 

「そうだ。やはり君は物分かりの良い私の自慢の息子だ。今回のことも、初めて自分以外の魂が肉体に入り込んだことで驚いてしまったんだろう? エヒト様はお優しい。事情を話せばきっと分かってくださる」

 

 簡単に此方を信じたアルディアスに嘲笑が浮かびそうになるのを必死に押し殺しながら、差し出されたエヒトの魂を受け取ろうと手を伸ばす。

 そしてアルヴの手がエヒトの魂に触れようとした瞬間──

 

「愚かな」

 

 アルディアスが小さな灯火を握りつぶした。

 

「……え?」

 

 辺りにガラスが砕け散るような音が響き、アルディアスの拳からはキラキラと輝く粒子のようなものが舞い散り、消えていく。

 

「エヒト様アアァァァァァ!!」

 

 一瞬呆然とした表情で固まっていたアルヴだったが、すぐに我に返り、叫び声を上げる。

 

「ああ!? 待って、駄目だ! エヒト様! エヒト様ァァ!!」

 

 必死に舞い散る粒子をかき集めようとするアルヴだったが、完全に粉々に破壊されたエヒトの魂をそんなことで集めることなど当然出来ず、一つ、また一つと消えていき、最後の一欠片もアルヴの掌の中で宙に溶けるように消えていった。

 

「……許さん。許さんぞ、人如きがあァァァ!!」

 

 エヒトが完全に消滅したことに、嘆き、滂沱の涙を流しながら、アルヴはアルディアスに憎悪の目を向ける。

 

「アルヴヘイトの名において命ずるッ! “跪け“!!」

 

 アルヴの口から出たのはただの言葉にあらず。神の名を名乗ることで言葉に強制力をもたせる“神言“。

 真名を名乗ることでさらに力を強化したソレは、地上の“人“なら誰しもが抗えない絶対強制命令権。

 言葉一つで地上の生き物全てを支配するその力は、間違いなく神の名を冠するに相応しい力と言えるだろう。

 

──たった一人を除いては……

 

「“貴様がな“」

 

「ッ!?」

 

 アルディアスの言葉を聞いたアルヴがその場に跪き、頭を垂れる。その、エヒト以外に誰にもしたことのない行動を自分がしたことに目を見開き、動揺する。

 

「馬鹿な!? 今のは“神言“! だが名を名乗らずに何故……!!」

 

 “神言“とは自らの名を名乗ることで初めて効果を発揮する。何故アルディアスが使えるのかという疑問はあるが、それよりもアルディアスは今、自身の名を名乗らなかった。だが、現に自分の“神言“は無効化され、今、自分は無様にアルディアスに跪いている。

 

「エヒトの魂を覆い尽くした時に奴の記憶も視た。殆どが神性を必要とするものだったが、これは俺にも使えそうだったのでな。だが、戦闘の最中、わざわざ名を名乗るなど、敵にこれから何をするか教えるようなものだ。だから俺なりに作り変えてみた……そうだな、お前たちが使うものが“神言“ならこれはさしずめ、“魔言“と言ったところか」

 

「作り変えただと……!」

 

「俺は貴様らのように信仰されている訳ではないからな。だが、神性を必要としないなら話は別だ。貴様らに出来て、俺に出来ない道理はないだろう?」

 

 なんでもないように告げたアルディアスに今度こそ絶句し、言葉を失うアルヴ。

 確かに“神言“は神にしか扱えない魔法という訳ではない。しかし、人が習得しようとすれば、人生の全てを掛けて挑み、それでもなお、殆どの者が習得することは出来ないだろう。

 それなのにアルディアスは、あっさりと構造を理解し、習得しただけでなく、術式の改変まで行った。

 

「ふざけるな!? 貴様如きが私よりも上に立っているとでもいうのか!?」

 

 怒りに震えながら、ゆっくりと、しかし確実に体を持ち上げ始めるアルヴ。

 

「腐っても神……といったところか? 俺の“魔言“に抗うとは……まあ、完成したばかりだからな。まだ詰めが甘いか?」

 

 アルディアスが意外そうに見つめる中、アルヴは片膝をついた体勢でアルディアスを睨みつける。

 

「殺す殺す殺す殺す殺す!! 絶対に殺す!! お前だけは私の手で確実に──?」

 

 怨嗟の言葉を投げつけていたアルヴの声が不意に止まる。

 何か胸の辺りに違和感を感じたアルヴは視線をアルディアスから自身の胸元に移す。

 そして、自身の胸から黒く輝く刃が飛び出ている光景を目撃した。

 

「……は?──あっ……ガアアァァァァ!?」

 

 一瞬遅れ、激痛を感じたアルヴはその場に倒れ込みそうになるも、貫いた刃のせいで倒れることも出来ない。

 

「あ……グッ……き、貴様は……」

 

 激痛に顔を歪めながらも、横目で後ろを確認すると、そこには先程アルディアスをアルヴの部屋に通した銀髪のメイドの姿があった。

 

「な、何をする……貴様……! 自分が……何をやってるのか分かってるのか……!?」

 

「もちろん、分かってる。300年も()()()の体を好き勝手に使ってるクソ野郎に天罰を与えてる……ただそれだけ」

 

「叔父様……だと? ま、まさか貴様!?」

 

 アルヴの言葉に薄っすらと笑みを浮かべたメイドの姿がぼやけるように曖昧になり、一拍遅れて、その姿が顕になった。

 月光のように輝く金髪に赤……というよりも紅に近い瞳。12歳程の少女の姿をしているが、その身に宿す魔力は常人を遥かに超えている。

 アルヴはその少女のことをよく知っている。知らない訳がなかった。

 300年前、エヒトの為に血眼になって探して、結局見つけられなかった存在。当時の吸血鬼族の女王。

 

「何故……何故ここにアレーティアがいる!?」

 

「気安く私の名前を呼ばないで」

 

「グッ!?」

 

 アレーティアが魔力で出来た剣を更に強くアルヴに突き刺す。

 

「ア、アレーティア……私だ、ディンリードだ。覚えていないかい? いや、覚えていても私のことをさぞ恨んでいることだろう。しかし、聞いてくれ……私は、君を想って──アガァッ!?」

 

「呼ばないでって聞こえなかったの? お前がディン叔父様の体を使ってるだけなのは知ってる……もう、その体に叔父様の魂が存在しないのも……」

 

 怒りに顔を歪めながらも、その声色からは隠しきれないほどの悲しみを感じる事ができる。

 アレーティアはすでに叔父のディンリードの行動の真意を知っている。自分を傷つけたのも、地下深くに封印したのも、全ては自分を守る為だった。

 12歳で固有魔法に目覚め、17歳で吸血鬼族の王位に就いた彼女の人生は生半可なものではなかった。それでも自分を頼りにしてくれる民の存在や常に側で支え続けてくれる叔父の存在があるだけでアレーティアは幸せだった。

 だが、そんな幸せも一瞬で崩れてしまった。守り続けた民に怯えられ、信じていた叔父に裏切られたことへの絶望。今思い出しても恐怖で足が竦んでしまう。

 しかし、それは全て自分を神の魔の手から守るための叔父が仕組んだことだった。

 

 事実を知ったアレーティアの胸中はどれほど荒れただろうか。

 自分は裏切られた訳ではなかったという安堵。

 もう二度と叔父に会うことが出来ない悲しみ。

 そして……理不尽な神への怒り。

 だからこそ、アレーティアはアルディアスに頭を下げて頼み込んだ。本来ならアルディアス一人で実行する計画だったのが、そこに自分も加えて欲しい……と。

 その熱意が伝わったのだろう。自分が失敗したら即座に逃げるという条件の元、アレーティアの同行が認められた。

 そして、その瞬間が訪れるその時までじっと待ち続けた。今、ようやく300年に渡る怨恨を晴らすことが出来る。

 

「その体はお前のものじゃない……返せ……!」

 

「グアァ!?」

 

 アレーティアは突き刺さった刃を力任せに引き抜く。その反動でアルヴの体が床に投げ出される。しかし、アルヴの苦しみ様に反して、傷跡からの出血は一切ない。

 

「な、何……だこれは……その、剣は……!」

 

「俺の“封神黒鎖“は実体のないアーティファクトだ。形を変えることなど造作もない」

 

 アルディアスの言葉を証明するかのようにアレーティアの手に収まっていた剣が形を変え、鎖に変化しアルヴを拘束し始める。

 

「や、やめろ……離せ……!」

 

 口では抵抗の言葉を出すも、まともに体を動かすことも出来ないのか、一切の抵抗もせずに鎖がアルヴの四肢を拘束し、鎖の先がアルヴの胸に突き刺さる。

 “封神黒鎖“はアルディアスが対象した存在のみを拘束し、破壊する魔法。故に、肉体が損傷することはない。

 アルヴの中に入り込んだ鎖が、傷ついたアルヴの魂を正確に拘束する。

 

「ィギッ、ァァァアアアアアアッ!!」

 

 アルヴの絶叫が響き渡る。

 肉体を傷つけられたのなら再生魔法で傷を癒やせば良い。痛みが酷いならば痛覚の遮断をすれば良い。しかし、魂魄そのものへのダメージはどうすることも出来ない。

 癒やすことも、防ぐことも、ましては抵抗することも出来ない。

 

「ま、待て! 待ってくれ!! 頼む、助けてくれ!! 何でもする! 私に出来ることなら何でもする!!」

 

 自らの避けられない死に恐怖したアルヴは、みっともなくアルディアスに懇願する。その姿に神としての威厳など全く存在しなかった。

 しかし、アルヴの魂魄を捕らえた鎖はゆっくりと締め上げ始める。

 

「アアッ!! そ、そうだ、アルディアス!! 君も神にならないか!? 君ほどの力があれば、神になるのも決して不可能じゃない!! 私も力を貸そう! だから……!」

 

 恥も外見も捨てて、アルディアスに提案する。そんなことにアルディアスが興味を示す筈が無いと知っていながらも、死にたくない一心で頭に浮かんだ考えを口にする。

 

「ほ、本当はこんなことしたくなかったんだ!! 全てエヒトに脅されていただけなんだ! 私は所詮エヒトの眷属に過ぎない! 逆らえなかったんだ!!」

 

 しまいには、自らの主であるエヒトへの裏切りといえる発言まで飛び出すが、鎖が緩む様子は一切ない。

 

「い、嫌だ! 死にたくない!! お願いだ! 助けてくれ! アルディアス!! 私達は親子だろう!? 頼む! 父を……助けてくれぇぇ!!」

 

 尚も締め付ける力が増し続ける鎖に、アルヴはアルディアスの情に訴えかけるような命乞いを始める。

 そんなアルヴの様子にアルディアスは怒る訳でも無く、侮蔑する訳でも無く、只々能面のような表情でアルヴを見つめ続けていた。

 300年もの間、魔人族の魔王として、神としてあり続けた存在のあまりにも情けない姿に哀れみの感情すら抱かない。唯一あるとすれば……

 

「もういい……貴様のような奴に今まで苦労させられてきたかと思うと、自分自身に腹が立つ」

 

 この程度の存在に、今まで良いようにされてきた間抜けな自分への怒りくらいだ。

 

「アルディアス、もう終わらせよう」

 

「ああ、そうだな。最後くらい神らしくあって欲しかったものだが……」

 

 アルディアスがアルヴに向けて手をかざす。

 

「やめッ──」

 

 アルディアスが何をしようとしているのか察したアルヴが、止めようと必死に抵抗するが、拘束された体は一切動くことはなく……

 

──消えろ。

 

 そのまま何かを握りつぶすような動作を取る。

 すると、アルヴからエヒトの魂を握り潰したときのようなガラスが砕ける音が響いた。

 

「あっ……」

 

 一瞬、アルヴの体が痙攣し、そのまま物言わぬ骸と化した(あるべき姿に戻った)

 

 長きに渡り、トータスを支配していたエヒトとアルヴの二柱は、アルディアスというたった一人の魔人の存在によってあっけない最後を迎えることとなった。




封神黒鎖(ふうじんこくさ)
アルディアスの作り出した概念魔法。アルディアスが選択した対象のみを拘束し、破壊する魔法。有機物、無機物関係なく、魂魄や霊体といった本来目に映らぬ存在すら、アルディアスが“認識“すれば拘束できる。肉体を傷つけずに魂魄のみを破壊することも可能。魔法名の由来は“神すら封じる鎖“

精神世界でのやり取り。
原作ではエヒトがユエの体を奪う場面はハジメたちの視点で行われており、光の柱に飲み込まれ、時々頭を抑える仕草が描写されていました。当小説では、独自の設定を組み込み、精神内でのやり取りを作ってみました。

真実を知った後でアルヴと対峙したアレーティア。
原作では真実を知った時はアルヴは既にハジメによって殺されていたので、知った上でアルヴと対峙した当小説ではアルヴに対して殺意MAX。


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第七話 【新たな光】

お気に入り2000件突破! ありがとうございます!
6話でラスボスを倒したことの衝撃が大きかったのか、沢山の感想を頂きました。そんな皆様に作者から一言……

まだ終わりません。


「遅くなって申し訳ありません、ディン叔父様」

 

 アルヴの魂が消失し、静寂が支配する中、アレーティアは倒れ伏すアルヴの──いや、ディンリードの遺体を仰向けにし、その顔を見つめる。

 ディンリードはアレーティアと違い、先祖返りの吸血鬼という訳ではない。しかし、アルヴの魂が影響を与えたのか、それとも肉体はすでに死んでいる為か、300年経ってもディンリードの容貌はアレーティアの記憶と一切変わっていなかった。

 それが余計に、かつての記憶を鮮明に呼び起こし、アレーティアの頬を涙が伝う。

 

「ディン叔父様のおかげで今の私がいます……どうか、ごゆっくりお休みになられて下さい」

 

 そう告げて、ディンリードの顔に手をかざし、その開いたままになっているまぶたを優しく下ろす。

 それを側で見ていたアルディアスもアレーティアの隣に膝をつき、黙祷を捧げる。

 

「ディンリード・ガルディア・ウェスペリティリオ・アヴァタール殿。たった一人の家族の為、神に立ち向かった貴方の雄姿を……愛する者を守る為、愛する者を傷つける決断を……どれだけ憎まれることになろうとも、守り通すと決めた覚悟を……俺は一生忘れない。貴方の生き様は、俺が語り継ごう」

 

 しばらくの間感傷に浸っていると、アレーティアが涙を拭い、アルディアスの方に視線を向ける。

 

「ありがとう、アルディアス。私の我儘を聞いてくれて」

 

「礼を言われる程でもないさ。むしろ、もっと早く会わせてやれたら良かったんだがな……」

 

「ううん、そんなこと無い。アルディアスがいなかったら、私はいまだに叔父様の真意を知ることすら出来なかった……だから、ありがとう」

 

「……そうか」

 

 その後、このまま床に寝かせておくのは忍びないということで、備え付けのベットにディンリードの遺体を移動させていると、部屋の外からバタバタと忙しない足音が聞こえてきた。

 

「ん? 誰か来る?」

 

「フリードには念話を送っておいたが……この気配はカトレアもいるな」

 

 しばらくすると、アルディアス達がいる部屋のドアが勢いよく開き、予想通り、フリードとカトレアが姿を見せる。

 

「アルディアス様!! ご無事ですか!?」

 

「フリード様から聞きました!! お怪我はありませんか!?」

 

「二人共落ち着け。俺は無傷だ。もちろん、アレーティアもな」

 

「ん!」

 

 部屋に飛び込んできた二人はアルディアスの姿を捉えるやいなや、矢継ぎ早に言葉を投げかける。

 しかし、二人のこの慌てようも仕方がないことだろう。

 アルディアスが普段と変わらぬ様子でいるせいで勘違いしそうになるが、一歩間違えれば肉体を奪われ、エヒトが地上に降臨するところだったのだ。信じていなかった訳ではないが、アルディアスから念話を受け、こうして直接自身の目で確認するまでは、生きた心地がしなかったのである。

 

「フリードもカトレアも心配しすぎ。私とアルディアスがいれば誰にも負けない」

 

「アルディアス様が負けないのは当たり前よ。あたしとしてはアンタがアルディアス様の足を引っ張らないか心配だっただけよ」

 

「……年増」

 

「今なんつったぁ!! あたしはまだ20代だ! 年齢で言えばアンタの方がずっと上でしょうが!!」

 

「体は若いまま。私知ってるよ? カトレアが最近、肌荒れを気にし始めたのを」

 

「な、な、なんでソレを!?」

 

「ミハイルから聞いた。最近鏡の前でよく唸ってるって」

 

「ミハイルーー!!」

 

 カトレアが自身の同僚に怨嗟の叫び声を上げる。

 勘違いのないように補足するならば、特別カトレアが老けている訳ではない。それどころか、ガーランドの一部兵士からはその気さくな態度と大人びた容姿から想いを寄せられ、同じ女性からは面倒見の良い性格から頼りにされることも少なくない。

 しかし、今回の場合は相手が悪かった。なにせ、肉体が永遠の12歳なのだ。普段から肌のケアに気を付けている世の女性に対して、アレーティアは年齢による衰えの心配がない。 

 アルディアスによって、秘密裏にガーランドに連れてこられた当時は、まだ10代だった影響かそこまで気にしなかったのだが、20代も後半に突入し、アレーティアの整った容姿も相まって、その姿を見るたびに、無意識に自身と比べてしまうようになってしまったのだ。 

 普段から見慣れた二人のやり取りを呆れたような表情でフリードが見つめていると、アルディアスが顎に手を当て、何かを考え込んでいる様子が目に入った。

 

「アルディアス様、どうかなさいました?」

 

「カトレアの老化の心配?」

 

「アルディアス様!? 違いますよ!? ちょっと確認してただけっていうか……とにかくそんなんじゃなくてですね!?」

 

「……ん? 老化? 何の話だ?」

 

「ッ!?──いえ、なんでも無いです! あの……何かお考え事ですか?」

 

「ああ……いや、そうだな、お前たちにも話しておくべきか。フリード、これからの人間族への対応は覚えているな?」

 

「はい、もちろんです」

 

 エヒトとアルヴの二柱の排除に成功した場合の人間族の対応については、フリードを含む、信頼できる臣下だけの間で議論が行われている。

 第一に、この戦争の発端こそエヒトとアルヴなのだが、元凶が今更いなくなったところで、まず戦争は終わらない。

 人間族も魔人族も互いを殺し、殺され過ぎている。初めこそ信仰する神の為の戦争だったかもしれないが、何百年も続いた憎しみの連鎖は簡単には止まらない。

 だからこそ──

 

「ご命令頂ければ、すぐに全軍を率いて人間族を討ち果たしましょう。神という邪魔者がいなくなった今、アルディアス様の覇道を阻む者はおりません」

 

 この戦争を終らせるたった一つの方法。それが圧倒的な武力によって人間族を討ち果たし、戦争に勝利することである。

 元々、アルディアスという圧倒的な個の出現により、人間族は劣勢に追いやられていた。神という抑止力がいなくなった今、人間族の敗北は時間の問題だろう。

 

「そのことなのだがな……少々計画を変更をせねばならん」

 

「変更……ですか?」

 

「ああ、戦争を終結させることには変わりないが……可能ならば、人間族との同盟も視野に入れる必要がある。まあ、可能性はほぼ皆無だがな」

 

「なッ!?」

 

 アルディアスから予想もしなかった言葉が飛び出し、絶句するフリード。側で話を聞いていたアレーティアとカトレアも目を見開いて驚きを露わにしている。

 

「な、何故同盟など……!」

 

「……エヒトの魂から奴の過去を視た」

 

「過去を……? そう言えば、そんなこと言ってたね。それがどうかしたの?」

 

 アルヴとのやり取りを聞いていたアレーティアが思い出したように呟き、アルディアスに問いかける。

 

「ああ、結論から言えば、エヒトは最初から神だった訳ではない……元人間だ」

 

「「ッ!?」」

 

「……本当?」

 

 アルディアスから語られた衝撃の事実に絶句するフリードとカトレア。

 アレーティアも声に動揺は感じられなくとも、その紅い瞳を大きく見開いている様子に驚きを隠せていない。

 

「信じがたいがな……事実だ」

 

 何千年もの間、トータスを支配し続けた邪神の正体が人間だった。それはこの世界に住む種族なら誰でも耳を疑う事実だろう。この場にいる三人とて、語ったのがアルディアスでなければ、戯言だと聞き流していた筈だ。

 

「でも、それが事実なら迷惑な話ですね。結局のところ、人間族の自業自得ってことじゃないですか。あたしたち魔人族はただのとばっちりですよ」

 

 カトレアが顔を歪めながら人間族への不満を洩らす。

 元々、戦争が始まった原因が神にあることから、人間族も魔人族同様、神の被害者という考えが多少なりともあったのだが、神の正体が人間族ならば話は変わってくる。カトレアの怒りも尤もだろう。

 

「いや、そうではない。確かにエヒトは元人間だが、人間族ではない」

 

「え? それってどういう……」

 

「……もしや、エヒトに召喚された勇者たちと同じ……」

 

「ああ、奴らと同じ……異世界からの来訪者だ」

 

 エヒトはここ、トータスとは違う異世界で生まれた。その世界はトータスよりも魔法技術が発達しており、エヒトもまた、類まれなる魔法の才に恵まれた。しかし、強すぎるエヒトの力は、やがて自身の住む世界を滅ぼしてしまった。いくらエヒトといえども、世界が滅んでしまえば、自らの破滅も避けられない。そこで、エヒトは転移魔法によって、トータスへと渡ってきた……らしい。

 

「なるほど……世界を滅ぼす力というのは想像も出来ませんが、それほどの力を持っているのなら、異世界への転移も可能──」

 

「ありえない」

 

「……何?」

 

 全てを理解した訳ではないが、話を聞いたフリードが納得の表情を浮かべていると、アレーティアが間髪入れず反論した。

 

「いやいやいや、アレーティア……確かに世界を滅ぼすなんて、普通は信じられないけどさ──」

 

「そっちじゃない。私がありえないって言ったのはこの世界への転移の方」

 

「しかし、現にアルディアス様が奴の記憶を視て──」

 

「アレーティアの言う通りだ」

 

「……どういうことでしょうか?」

 

 自分の言葉を自分で否定するアルディアスに困惑するフリードとカトレア。

 アルディアスがアレーティアに目配せをするとアレーティアが一つ咳払いをして二人に説明する。

 

「まず、二人には魔法を発動させるまでの行程について説明する」

 

 魔法とは自らの魔力や大気中の魔力を代償に発動するものだが、魔力があれば必ず発動できるという訳ではない。重要なのは理解またはイメージだ。

 まずは理解。その名の通り、魔法の術式を把握、理解することだ。魔法がどのような術式によって成り立っているのか、どんな過程を経て、炎や雷などの属性に変換されるのか、それを理解することによって初めて魔力が魔法となって発動される。

 そして、次にイメージ。その魔法を発動することによってどのような現象が起こるのか、周囲への影響はどの程度になるのかを頭の中でイメージする。これが不十分だと、本来の威力や効果が出なかったり、逆に魔力が暴走し、自らを傷つけてしまうこともある。

 魔法を発動する上でこのどちらかを完璧であれば、片方は省略することが出来る。

 

「そして、転移魔法に関してはこの二つの内、術式の理解が重要視される」

 

 転移魔法──その名の通り、特定の距離を一瞬で移動出来る魔法だが、他の魔法と比べ、特に術式の重要度が非常に高い。発動した瞬間の自身の位置の把握はもちろん、転移先の座標の特定は確実に必要だ。つまり、自分がどこから、どこに、どうやって移動するのかを明確にしなくてはならない。

 アルディアスの使う“影星“の転移先が、一度訪れたことがあるという条件が付くのはこの為だ。転移先が分からなければ発動すらままならない。それが転移魔法というものだ。

 

「一応聞くけど、エヒトは転移の際に何か特殊な魔法かアーティファクトを使ってた?」

 

「いや、そのようなものは確認していない」

 

 この世界には“導越の羅針盤“という解放者が概念魔法によって作り出したアーティファクトが存在する。込められた概念は“望んだ場所を指し示す“。

 本来は解放者がエヒトのいる神域を見つけ出す為に作り出した物だったが、アルディアスは自身を囮に地上にエヒトを誘き出すつもりだったので、必要性を感じずに、いつか必要な者が現れるだろう、と持ち帰ることをしなかった。

 アルディアスがエヒトの記憶を視た中ではそのような魔法やアーティファクトの存在は確認できなかった。

 

「なら、やっぱりおかしい。世界を超えるレベルの転移魔法であっても法則は変わらない……どこにあるのか、そもそも()()()()()()()()()()()()()()()()()()にどうやって転移するの?」

 

「……あッ」

 

「そ、それは確かに……しかしそれなら一体どうやってエヒトは……」

 

「転移は出来ぬとも、()()()()()()()()がやったように、この世界に召喚されたのなら辻褄が合う」

 

「……え?」

 

「……まさか!?」

 

「……嘘」

 

 困惑する三人に告げたアルディアスの言葉の意味をすぐに理解したのだろう。途端に表情が青褪めていく。

 

「そもそも、奴が神になった経緯とて納得出来るものではない。人間族からの信仰を得たくらいで神になるだと? その程度で神になれるのなら、今頃この世界は神で溢れかえってる」

 

 仮にも元人間だった男が人々からの信仰を得ただけで神に至るとは考えづらい。少なくとも魂魄を昇華するための技術は確実に必要だ。しかし、実際エヒトは信仰だけで神へと至った。

 エヒトのトータスへの転移を含め、神への昇華も何かしらの介入があったと考えるのが普通だ。

 

「で、でも、アルディアス様はエヒトの記憶を視たんじゃ!?」

 

「確かに視たが、奴の世界が滅ぶ以前の記憶だけが無かった。元人間ならば奴にも家族や故郷があった筈だが、そこだけがまるで切り取られたかのように存在しなかった……いや、塗りつぶされてると言ったほうが正しいな。間違いなく、外部から何かしらの影響を受けている……それもエヒトが気付かない程の何かが……」

 

 成功する筈のない異世界への転移。人間族からの信仰を得るだけで神へと昇華したエヒト。不自然な記憶の欠如。どれもこれも説明のつかない事象ばかりだが、ある存在が関与していると仮定すれば全ての点が線で繋がる。

 

「で、では、まだこの世界には……!」

 

 フリードが……カトレアが……アレーティアが……アルディアスを縋るように見つめる。三人の表情にはハッキリと絶望が浮かび上がっていた。

 終わったと思っていた。何百年もの間、この世界を縛り続けた呪縛をようやく解き放つことが出来たと思っていた。

 しかし、そうではなかった。それどころか、ようやく世界の真実に繋がるスタート地点に立ったとも言えるだろう。

 気付いてしまった。アルディアスが何を懸念しているのかを理解してしまった……それでも否定してほしい。自らが絶対の信頼を向ける主に勘違いであった言って欲しい。

 そんな三人の心境に気付いているだろう。しかし、隠すわけにはいかない。遠くない未来、必ず対峙するであろう存在を……

 

「ああ、確実にいるだろうな。エヒトをこの世界に召喚し、神へと昇華させることで、トータスに災厄をもたらした元凶……」

 

──この世界の真なる神が。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「ほう? 私の存在に気付きましたか」

 

 ここはエヒト達が住む神域よりも更に高次元の空間。

 上下左右、周囲全てが白で統一され、どちらが上なのか、そもそも地面があるのすら分からない純白の世界。

 そんな世界に、一人の男が横になりながら虚空を見つめ、呟いた。

 灰色の髪をオールバックに纏め、黄昏を連想させるような温かみを感じる瞳。恐らく、年齢は60歳程だろう。好々爺然とした印象を与える風貌の老人だ。

 

「神殺しを成し遂げるだけでなく、人の身でそこまで突き止めるとは。エヒト君の記憶には認識阻害の魔法がかかっていた筈なのですが……面白い」

 

 一人思案していた老人はその顔に薄っすらと笑みを浮かべる。

 

「アルディアス君……でしたか。会って話がしてみたいですね……うん、会いに行きましょう」

 

 思い立ったが吉日とでも言えばいいのか、老人は自身の口から出た言葉に対してすぐに答えを出し、よっこらせと立ち上がりながら、土など付いていない尻を手で払う。

 

「地上に降りるなど何千年振りでしょうか? 年甲斐もなくワクワクしてしまいますね」

 

 まるで遠足に行く子供のような笑みを浮かべる老人の足元に魔法陣が出現する。そのまま魔法陣から発生する光が老人を包み込み──

 

「いや、ちょっと待って下さい」

 

 発動寸前のところで魔法陣が霧散した。

 

「確か、何の事前連絡も無しに、突然先方を尋ねるのは失礼に当たると何かの本で見たような……最近の人は第一印象が大事と聞きましたし。何か失礼があっては神としての面目がありません。それに、アルディアス君は一国の主です。未だに戦争中ですし、私がいきなり会いに行っても忙しくて会えないのでは?」

 

 一人でブツブツとあーでもないこーでもないと呟きながら首を捻っていた老人だが、しばらくすると何かを思いついたのか、掌をポンッと打つ。

 

「そうだ、私も戦争を仕掛けてはどうでしょう」

 

 もし、この場に老人以外の誰かがいたのなら、頭がおかしいのかと捉えられかねない発言がその口から飛び出した。

 

「そうすれば、アルディアス君の力も直接見れますし、今の人類のレベルも見れて一石二鳥です。人間族との戦争が続いていますが、アルディアス君ならすぐに終わらせられるでしょう。しかし、そうなると此方の兵をどうするかですね……」

 

 戦いとなれば自分一人で十分だが、戦争となれば自分一人では見栄えが悪いだろう……と考え込んでいると、今度はそう時間が掛からずに、ある妙案が浮かび上がった。

 

「……そうだ、エヒト君が作ったという人形を使いましょう。いくつか駄目になってしまうかもしれませんが、雑兵くらいにはなるでしょう。それに良さそうな魔人族……はアルディアス君が怒りそうなので駄目ですね。個としての力不足は否めませんが、良さそうな人間族の一人や二人見繕うのも良いかもしれません」

 

 その後も久しぶりの地上に興奮しているのか、心の底から楽しそうな笑みを浮かべながら、地上の“人“にとって絶望をもたらすであろう計画を嬉々として立てていく。

 

「ああ、その時が来るのが今から楽しみですね」

 

──果たして、君は私の理想とする人類足り得るのか……期待してますよ、アルディアス君。




ラスボス撃破までがチュートリアル。ここからが本番……裏ボスの登場です。
なるべく違和感ないように登場させたつもりですが如何だったでしょうか。今までも結構ガンガンオリ要素入れてるので、受け入れてもらえるか毎回ビクビクしながら投稿してます。

イケメンや美女も良いですけど、歴戦のお爺ちゃんってカッコいいですよね。ちょっと天然なら尚良し。

ありふれの魔法について
魔法の発動には理解とイメージが必要と書きましたが、原作では術式とイメージどちらかが完璧であれば片方は省略できるという点が頭から抜けてました。
申し訳ありません。当小説では二つが必要という独自の理論で進めていきたいと思います。ご容赦下さい。(訂正しました。原作通り、どちらかが完璧ならば、片方は省略出来る設定にしました)



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第八話 【宣言】

7話の内容がオリキャラがいることによる原作との差異の説明が不十分だったと感じ、アルディアス達の会話の内容の追加を行いました。ご了承下さい。


 魔国ガーランド王宮前広場。

 普段は王宮に出入りする者がせわしなく入り乱れ、用の無いものは守衛によって入ることが出来ない城の玄関口。

 それが今日に限って開放され、そこにはガーランドに住まう民の全員が集められていた。

 

「なあ、何で俺ら呼ばれたか知ってるか?」

 

「さあ? なんでもアルディアス様から直接お話があるそうだ」

 

「ねえ、それよりも聞いた? アルディアス様がエヒトが召喚したっていう人間族の勇者と戦ったらしいわ」

 

「本当かソレ!? アルディアス様はご無事なのか!?」

 

「当たり前でしょ? アルディアス様が人間族なんかに負けるわけないわ。はあ、強いし、カッコイイし、優しいし、私ももっとお近づきになれないかしら」

 

「流石に無理だろ。まあ、男でも憧れるのは分かるけどよ」

 

 アルディアスがハジメ達と邂逅してから既に一週間が経過した。

 一部の者しか知らなかったアルディアスと人間族の神の使徒との戦いは、既にガーランドの多くの民の耳にも届き、その勝利に国が大いに盛り上がった。

 やはり、人間族など恐れるに足らない。魔人族の偉大なる王が存在する限り、たとえ、神が呼び出した勇者であっても敵わない……と。

 正確には、アルディアスが戦闘を行ったのは勇者ではなく、ハジメなのだが、いつの間にか話がねじ曲がって伝わり、勇者と戦ったことになっていた。

 もし、この話をアルディアスが聞けば、あの程度の子供相手に勝利したことを称賛されている現状に盛大に顔を顰めていただろう。

 広場に集まった者たちが思い思いに会話をして、その時を待っていると、王宮のテラスに繋がる扉が開き、そこからフリードが姿を現した。その後ろにはカトレアとアレーティアもいる。

 

「フリード様だ!」

 

「フリード様ーー!!」

 

 集まった者の一人がそれに気付くと、その場にいる全員が視線を上に向け、その姿を捉え、歓声が上がる。

 そんな民に向けて、片手を上げるフリード。すると、だんだんと歓声の声も小さくなっていき、フリードの話を聞く体勢ができる。それを確認したフリードは満足そうに一つ頷き、口を開く。

 

「魔国ガーランドの民達よ。まずは突然の呼び出しに応じてくれたことに感謝する。そして、今日集まってもらったのは他でもない、諸君らにある重要な真実を告げなくてはならない。魔人族の……いや、世界の根幹すら揺らぎかねない重要なことだ」

 

 唐突なフリードの話に、民は周りの者と視線を合わせ、困惑の表情を浮かべる。すると、話をしていたフリードが横に一歩引き、自身が入ってきた入り口に向けて頭を下げる。

 そして、一人の男がゆっくりと民の前に姿を現した。

 

「……アルディアス様だ」

 

 瞬間、先程のフリードを越す程の大歓声が響き渡った。

 その場にいる全員の視線を集めながらアルディアスがフリードが立っていた場所まで進む。

 ゆっくりと眼下を見渡すと、自身に歓声を上げ、手を振る民の姿がよく見える。その瞳からはアルディアスへの一切の曇りなき信頼が見て取れる。

 ここまで慕ってくれる民の様子に、心の底から嬉しく思いつつも、話を始める為に片手を上げる。すると、アルディアスが話し始めようとしているのを察したのか、急速にざわめきが収まっていく。

 

「……魔国ガーランドの民達よ。フリードからも言ったが、この場に集ってくれたこと、感謝する。そして、人間族との長き戦いで傷つき、苦しい日々を送らせてしまっていること、改めて謝罪する。すまない」

 

 そう言って、頭を下げるアルディアスに、その場に集った民達は盛大に動揺する。周りにいたフリード達も同様だ。

 

「ア、アルディアス様!?」

 

「頭を上げて下さい!! アルディアス様は何も悪くなどありません!!」

 

「そうですよ!? 私達の為に全力を尽くしてくれていることはこの国の誰もが知っています!!」

 

 それを見ていた者全員がアルディアスの頭を必死に上げさせようと、思い思いの言葉を掛ける。その口から出る言葉に嘘は一切含まれていない。

 アルディアスと共に戦場に出たことがある者はもちろんのこと、戦いとは無縁の国民の耳にもその活躍は伝わっている。家族がアルディアスに命を救われたという者も大勢いるだろう。さらに一国の主という立場にありながら、親身になって民の一人一人に接するアルディアスに恨み言を吐く者など、この国には存在しなかった。

 

「……感謝する」

 

 そんな民の様子にようやくアルディアスが頭を上げる。しかし、その表情は曇ったままだった。

 自分を信じてくれる国民に感謝の念を覚える反面、確かな罪悪感を彼らに感じているからだ。ガーランドの民を守る為とはいえ、彼は国民にある事実を隠し続けてきた。

 

(しかし、それももう必要ない。全てを語らなくてはならない……たとえ、それで全ての信頼を失おうとも……)

 

「……一週間前のことだ。ガーランドの前王を務めた、アルヴが死亡した……俺が殺した」

 

「「「ッ!?」」」

 

 いきなり告げられた衝撃の事実に、その場に集った者の全てが目を見開き、驚きを露わにする。

 更にそこから続く話は彼らを絶句させるには十分の内容だった。

 

 この世界の神、エヒトとアルヴの正体。

 エヒトがアルディアスの肉体を狙っていたこと。それを返り討ちにしたこと。

 アルヴの肉体の本来の持ち主、ディンリードとその姪、アレーティアについて。

 そして……この世界の真なる神の存在。

 

 どれか一つでも困惑するレベルの話を続けざまに聞かされた民は困惑するが、今後の為にも、彼らには受け入れてもらわねばならない。

 

「奴らはこの世界の争いを遊戯と称して楽しんでいた。つまり、最初から戦いを終わらせるつもりなど無く、戦争を継続させることこそが狙いだったのだ……そして、俺もあえてその流れに抗わなかった」

 

 アルディアスがこの世に生を受けて18年の年月が経つが、もし、アルディアスが本気で戦場で力を振るっていた場合、とっくに人間族との戦いに勝利しているだろう。

 魔人族は数では人間族に劣るが、一人一人の練度は比べるまでもなく、そもそも人間族が束になって攻めてきたとしても、アルディアス一人が前に出るだけで殲滅することは容易いだろう。その気になれば国ごと消し去ることも不可能じゃない。

 しかし、アルディアスはそれをしなかった。

 もしそれをしてしまった場合、エヒトとアルヴがどんな行動に出るか分からなかったからだ。

 性格こそ、邪神という言葉がお似合いのクズだったが、その力は本物だ。アルディアスとて、全力のエヒトとアルヴを相手にした場合、確実に勝てるとは言い切れなかった。

 だからこそ、表面上は従順な信徒を演じるしか無かった。裏切る意志を感じさせず、警戒心を微塵も抱かせずに近付いてきた瞬間を確実に仕留める。

 それが、一人でも多くのガーランドの民を守りつつ、神を始末する最善の方法だった。

 

「しかし、その選択は助かったかもしれない者の命を見捨てるということでもある」

 

 当たり前だが、戦争が長引けばそれだけ死者も増える。アルディアスとて、完璧ではない。必ず戦場にいる訳でもないし、駆けつけるのが間に合わず、最後を看取った者の数も決して少なくない。戦争が終わらない限り、その掌から大切なものは零れ落ち続ける。

 もちろん、アルディアス自身何度も悩みはした。アルヴだけでも殺し、すぐにでも戦争を終結させた方が被害は少なく済むのではないか。アレーティアの存在を隠し続け、自身の肉体さえ乗っ取られないようにすれば、問題ないのではないか。そんな甘い考えが何度も頭に浮かび続けた。

 しかし、エヒトの力がどれ程の物なのかが想定出来ない状態で、それを行うのはあまりに楽観的で、多くの危険が伴うことは想像に難しくなかった。

 だからこそ、アルディアスは決断した。千を救う為に、百を切る捨てる決断を。

 

 そんなアルディアスの告白に民は動揺でなんと言えば良いのか分からなかった。

 民衆がざわついている中、広場に来ていた一人の少女が近くに立っていた母親に尋ねる。

 

「ねえねえ、お母さん。みんなどうして怖い顔をしてるの?」

 

「え? えーと……それはね、怖い神様がいて、私達に意地悪をしてこようとしてるんだよ」

 

「ふーん、でもアルディアス様がいるからきっと大丈夫だね!!」

 

「……え?」

 

「だって、お父さんが言ってたよ? お父さんが生きて家に帰ってこれたのはアルディアス様のおかげだって! お兄ちゃんもアルディアス様みたいに強くてカッコイイ男になるんだって! だからきっと大丈夫だよ!!」

 

 少女の父は国の兵士として、兄は訓練兵として国の為に日々鍛錬に明け暮れている。そんな二人がよく口にするのがアルディアスのことだった。中でも父はアルディアスの救援によって九死に一生を得、そのことをよく娘に聞かせていた。

 少女はまだ幼いが故に、戦争がどのようなものなのかは理解していない。それでも父のアルディアスのおかげで家に帰れるという言葉から、兄のアルディアスを称賛する言葉から、アルディアスを一種のヒーローのような存在として見ている。

 だから、大丈夫だと……今度もきっと悪い人をやっつけてくれる……と。

 それは、何の根拠もない、幼い子供のただの願望。それでも、その場にいる者達の心を動かすには十分だった。

 

「……そうだ、アルディアス様はいつだって俺達を守ってきてくれたんだ」

 

「当時はそれが普通と思っていたが……強いとはいえ、まだ幼いアルディアス様を戦場に送るのは大人としてなんと情けないことか……!」

 

「でも、アルディアス様は何度も私達を助けてくれた。私達の為に戦い続けてくれた」

 

「そんなアルディアス様を俺達が信じないで誰が信じるってんだ!」

 

「アルディアス様なら……いや、俺達も一緒に戦うんだ!!」

 

「そうだ! 神が何だってんだ! 今までも俺達を導いてくれたのは神じゃない、アルディアス様だ!!」

 

 少女の言葉で人々の心に灯った小さな種火は、人から人へと繋がり、次第に大きな炎へと姿を変えていく。

 すでに先程までの困惑した表情をする者は誰一人として存在しなかった。王だから、神の子だからは関係ない。今までアルディアス自身が築いてきた、アルディアスという一人の魔人族に対する信頼。それが今、形となって現れていた。

 そんな様子をアルディアスは唖然としながら見つめていた。

 罵倒を受ける覚悟は出来ていた。息子を返せと、父を返せと……同族殺しと呼ばれることさえも。

 最悪、王という立場を無くすことになろうとも……味方が誰もいなくなったとしても、一人で成し遂げる覚悟はしていた。

 しかし、罵倒するどころか、こんな自分を信じると……一緒に戦うとまで言ってくれた。その事実にアルディアスの胸が熱くなる。

 すると、突然自身の服の裾を引っ張られる感覚を感じ、そちらに視線を向けると、アレーティアが微笑みながら隣に立っていた。

 

「自分の守り続けた大切な民に信頼されるのは、やっぱり嬉しいよね」

 

「……そうだな」

 

「なら、王としてその信頼に応えないとね」

 

「……ああ、その通りだ」

 

 アルディアスが自身を見上げる民に顔を向ける。その顔には先程までの曇った表情は微塵も存在していなかった。

 これだけ自分を信じてくれるのだ。ならば、その信頼に応えるのが王としての務め。

 

「皆の想いは受け取った。俺はもう迷わない。今、ここに宣言する! この長きにわたる戦争を終結させ、世界に災厄を振り撒く神を必ず打ち倒してみせると!!」

 

 アルディアスの宣言に更に民衆からの歓声が熱を持って広場に響き渡る。その様子を見て、フリードとカトレアは胸を撫で下ろす。

 

「ちょっとドキッとしましたけど、何とか乗り切れましたね」

 

「普段のアルディアス様の行いを見ているならば、こうなるのは必然だ。アルヴの正体や世界の神が敵だという状況に混乱しただけだろう」

 

「いきなり頭を下げられたのは驚きましたけどね」

 

「全くだ……アルディアス様は自分を低く見すぎている。もう少し王らしく振る舞われても良いものを」

 

「でも、それがアルディアス様の良いところでもありますよね?」

 

「……まあ、否定はせん」

 

 トータスの長い歴史にも数々の王が存在した。

 暴君や賢王など、それぞれ様々な特徴はあるものの、全てに共通しているのは一般市民からは雲の上の存在だと言うことだ。

 意見が通らないだけならマシな方だろう。中には、民のことなど気に掛けず、自らの欲望のまま貪る、民からの信用や信頼が皆無な王もいた。

 だが、多少の差はあれど、それが一般的な国を統べる王というものだった。

 アルヴでさえ、国の運営に関わる家臣とは、ある程度の交流はあったが、それ以外の者と関わることはなかった。実際、今のガーランドに住む、国の運営に関わっていない者に王としてのアルヴの印象を聞いても、ハッキリとした答えは帰ってこないだろう。

 そんな者達と比べれば、アルディアスはある意味異色の王と呼べるだろう。

 長い歴史を顧みても、側近の目を盗み、王自らが護衛も付けずに街に降り、そこに住む民と交流するなど考えられなかったことだ。

 

『国とは、民の存在があって初めて成立する。民の声一つ聞けぬ王に、王である資格はない』

 

 かつて、側近の一人に街に降りるのを控えて欲しいと言われた時にアルディアスが言った言葉だ。

 アルディアスに進言した高齢の男は、自分の価値観から大きく外れたアルディアスの意見に、初めは難色を示していたが、実際にそれまでよりも円滑にうまく回るようになった政に、自らの古い考えを捨て、アルディアスに賛同するようになった。

 歴代の誰よりも王らしく無く、同時に誰よりも慈愛に溢れた王。

 そんなアルディアスだからこそ、フリードやカトレアも一生を捧げて仕えると決めたのだ。

 

「……だが、これはあくまで始まりに過ぎない。ここからが正念場だ」

 

「……はい」

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 場所は変わり、王宮内の執務室。

 アルディアスは普段から王宮にいる時はこの部屋にいることが多い。それこそ、魔国ガーランドの外からの謁見の対応ですらここで行っている。

 一応、この城にも玉座の間は存在する。本来ならその玉座に国の王が座り、謁見をするのが普通なのだが……

 

『何故、わざわざあんな椅子しかない場所に移動しなければならない』

 

 国の運営に関する話なら、手元に資料がある方が都合がいい。そう言ってアルディアスが王になって早3年。本人が玉座に座ったのは、正式に王位を継ぐことになった戴冠式の一回のみだ。

 玉座というのはその国の権力者が自身の権威を誇示する為の物でもあるのだが、当然、そんなものにアルディアスが興味を示す筈もなかった。

 仮に他の国の重鎮を招くのなら話は別だが、魔人族は人間族との戦争中で、他のトータスに住まう種族との交流もない。

 毎日、誰も座ることのない玉座を清掃することになるメイドには申し訳ない気持ちになるが、戦争を終結させ、今後そういった他種族との交流が始まることにならない限りは使われることはないだろう。

 ちなみに、アルディアスがどうせ座らないのだから清掃は必要ない……とメイドに伝えたところ全力で拒否された。何でも、自分たちが好きでやっているだけなのだからお気になさらないで下さい……とのことだ。

 

 その執務室にはアルディアスの他に、フリードとアレーティアがいた。ちなみに、カトレアは既に自身の持ち場に戻っている。

 

「……俺は恵まれているな。国の為とは言え、多少なりとも罵倒されても文句は言えないというのに」

 

「何をおっしゃいます。全て、アルディアス様の行いの賜物です」

 

「うん……みんな、心の底からアルディアスを信頼してた」

 

「そうだな……だからこそ、その期待には応えなくてはならない」

 

「では……」

 

「ああ……フリード、部隊の編成は任せる。これまでは部隊を広く展開し、波状攻撃を仕掛けていたが、エヒトとアルヴの目が無くなった今、遠慮する必要はない。何よりも、いつ神がこの世界に干渉してくるか分からん以上、モタモタしている暇はない。全戦力を持って確実に仕留めるぞ」

 

「ハッ!」

 

「アレーティア、お前はどうする?」

 

「……? どうって?」

 

「これから始まるのは魔人族と人間族の戦いだ。神と戦うならまだしもアレーティアは人間族と戦う理由を持たないだろう?」

 

 アレーティアはアルディアス達と違って魔人族ではなく、吸血鬼族だ。人間族と闘う理由を持ってはいない。

 いずれは神との戦いに備えて、いち早く人間族との決着を付けなくてはならないが、アレーティアがいなければ成し遂げられないという訳でもない。言ってしまえば、アルディアスが居れば事足りる。

 アルディアスの言葉の意味が初めは分からなかったアレーティアだったが、補足された内容を聞くと、一瞬呆けた後、ムスッと明らかに不機嫌そうな表情を浮かべた。

 

「舐めないでほしい。私がそんな薄情者に見える?」

 

「しかし……」

 

「確かに人間族と戦う理由はないよ。でも魔人族の為……ううん、アルディアスの為に戦う理由なら持ってる」

 

 300年もの長い間、奈落の底で一人ぼっちだったアレーティア。そんなアレーティアを助け、外に連れ出してくれたアルディアスには感謝してもしきれない。

 当時、アルディアスに助けられ、名前を問われたアレーティアは、アルディアスに名前を付けて欲しいと頼んだ。

 それは、これまでの辛く、悲しい過去を忘れたい一心で告げた言葉だったのだが、それに対してのアルディアスの返答はすぐに返ってきた。

 

『断る』

 

 あまりの即答にアレーティアは口を開けて唖然としてしまった。

 

『名前を変えたところで、過去が変わる訳じゃない。大切なのはこれまでを否定するのではなく、これからをどう生きるかだ』

 

 アレーティアは見た目こそ12歳だが、中身は優に300歳を超えている。それに比べて、当時のアルディアスはまだ10歳。

 正直、この奈落をそんな子供が一人で訪れたことに驚愕していたアレーティアだったが、その口から出た言葉もあまりに大人びていて絶句したことを覚えている。

 自分よりもずっと小さな子供にそんなことを言われ、流石に嫌だとは言えず、そのままアレーティアを名乗ることになった……が、自分は愛されていたことを知った今では、あのとき名前を捨てなくて良かったと心の底から思う。

 

「今の私がいるのはアルディアスのおかげ……だから、アルディアスの為なら、私は相手が誰であろうとも戦えるよ……離れる気はないから」

 

 そう言って、アルディアスを見つめ、笑みを浮かべる。その目からは意地でもついていくという意志をハッキリと感じる。

 

「……そうか……アレーティアは国の魔導部隊と合流しろ。もう姿を隠し続ける必要がない以上、存分に力を振るってもらう」

 

「ん! 任された!」

 

「魔導部隊の部隊長の元へは私が案内しよう」

 

「ありがと。それで、最初はどこから? やっぱり王国?」

 

「いや、王国は良くも悪くも聖教教会の力が大きい。エヒトがいなくなった今、しばらくはまともに上が機能しないだろう」

 

 王国にも王は存在するが、力関係は聖教教会の方が上だ。そして、その聖教教会が何よりも優先するのが信仰する神エヒトだ。

 そのエヒトがアルディアスによって殺されたのだ。聖教教会の混乱は予想に難しくない。

 

「それに、仮に王国を先に落とし、それを奴が知れば、何かしらの策は取るだろう。正直、王国よりもそちらの方が厄介だ」

 

「では、行き先は……」

 

「ああ、最初の標的は決まってる。力が全ての実力主義国家……」

 

──ヘルシャー帝国だ。




と、いう訳で行きます帝国。

……の前に一話、幕間を入れたいと思ってます。詳しくは知らないんですけど、国に攻め入る準備って結構時間掛かるよね? 国単位だし……うん、掛かるってことで原作ヒロイン回を入れます。 


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幕間 【吸血姫の憂鬱】

最近思うこと
他の人のありふれの二次創作の更新頻度早くね?


 魔国ガーランドの王宮内にある、とある一室。

 東の空から太陽が昇り、カーテンの隙間から光がくさびのように差し込む中、ベッドの上の丸くこんもりと膨らんだ布団がモゾモゾと動き出す。布団がめくれると、その人物の金髪が朝の日差しを浴びて、キラキラと美しい輝きを放つ。

 眠たげに目を擦っていた少女──アレーティアは一つ大きな欠伸をすると、ゆらゆらと立ち上がり、窓を開ける。

 そこからそよそよと気持ちよく吹く風と温かい朝日を浴びながら、んー、と背伸びをする。

 

「……ん、今日も良い朝」

 

 エヒトとアルヴがアルディアスによって排除されて一週間と少し……アレーティアは住まいを王宮の一室へと移していた。それまではアルヴから姿を隠す為、魔国ガーランドの外れに住んでいたアレーティアだったが、もうその必要も無くなった為、アルディアスに許可を貰い、王宮の一室へと住まいを変更していた。

 完全に覚醒したアレーティアはすぐに行動を始める。王宮に移ってから、朝起きた彼女が最初に向かう先はいつも決まっている。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 まだ日が昇ったばかりで時間も早いが、既にアルディアスは執務室にて自らの職務を始めていた。

 国の行政に民からの意見の確認、それに伴う法律の改正。更に帝国及び王国への侵攻に備えて、フリードのまとめた部隊の編成リストの確認、侵攻ルートの選定、兵士全員分の兵糧の確保。侵攻中の自国の警備態勢の見直しなど、やらなければいけないことは山積みだ。

 それらをアルディアスは慣れた手付きで捌いていく。

 しばらく無言で仕事をこなしていると、不意にドアをノックする音が聞こえた。

 

「入れ」

 

 アルディアスはノックの主を確認せずに入室を許可した。一週間前から毎日のように来ている為、確認せずとも誰が来たのか分かっているのだろう。

 ガチャ、と扉が開くと、そこにはアルディアスの予想通り、アレーティアの姿があった。

 

「仕事は順調?」

 

「まずまず、といったところか。流石に本格的に攻め入るとなると、念入りに準備をするに越したことはないからな」

 

「……そっか」

 

 アルディアスの悪くない返事を聞いたアレーティアは一つ頷くと、スススッとアルディアスの側に寄り、その腕に抱きつきながら、上目遣いでアルディアスを見つめる。

 その可憐な容姿も相まって、非常に魅力的なその姿は、世の中の男性ならイチコロ間違い無しの魅力を兼ね備えており、アレーティアもそれを分かって意図的にその姿を見せている。

 神から身を隠している間、暇つぶしに見ていたが、すっかりハマってしまった恋愛小説。そこで登場した恋愛経験豊富な女性が語っていた、男性を必ず落とすと言われていた必殺の一撃。

 小説ではそこから自然な形で胸を押し付け、谷間を見せると書いてあったが、残念ながら谷間は出来ていなかった。

 それでもアレーティア自身では最高の出来。

 

(決まった……!)

 

 心の中でガッツポーズを決めたアレーティアだったが──

 

「……ああ、血が欲しいのか? 良いぞ」

 

 じっとアレーティアを見つめていたアルディアスだったが、しばらくして得心したとばかりに納得の表情を浮かべ、首元をアレーティアに晒す。

 

「……? どうした? 飲まないのか?」

 

「……飲む」

 

 違う。そうだけど、そうじゃない。

 アレーティアは心の底からそう思った。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 アレーティアは王宮内の長い廊下を一人歩いていた。その肌は先程よりもツヤツヤしているように見える。

 アルディアスに血を直接貰ったアレーティアは十分な満腹感を得ていたのだが、その顔には不満がありありと現れている。

 今朝のようなことは何も珍しいことではない。アレーティアはアルディアスに対して。異性に対する好意を持っている。しかし、ど直球とも言えるアタックを繰り返すアレーティアの行動に対して、アルディアスにはその気持ちは一切届いていない。

 それは、アルディアスが超が付くほどの朴念仁だから……と、言う訳ではない。

 そもそも、アルディアスは人の感情の機敏には聡い方だ。それは王として民の僅かな表情の変化を読み取る為に必要な才能とも言える。

 この国でアルディアスに向けられる感情は、期待であったり、感謝であったり、情景であったり、そして恋慕であったりする。

 王宮に仕えるメイドや街の女性が、自身にそのような感情を抱いていることはもちろん気付いている。一国の主として、子孫を残すことは王としての責務と言っても良い。しかし、だからこそ簡単に決めて良いことでもなく、何よりも、神殺しの為の準備や人間族との戦争で、そちらに気を回す余裕もなかったのだ。

 では、何故そんなアルディアスがアレーティアの想いにだけ気付かないのか。

 結論から言えば、原因はアレーティアにある。

 

 8年前、アレーティアはアルディアスによって奈落の底の封印から開放されて、自由の身となった。このことを知っている者はそれがキッカケでアルディアスに好意を抱き始めたと思うだろう。

 しかし、真実は違う。アレーティアがアルディアスに明確に恋慕を持ち始めたのは4年程前からだった。

 拐われた王女を王子が助けに来て、二人は結ばれる。幼い少女なら誰でも一度は想像する、物語の定番パターンだろう。それはアレーティアも例外ではなかった。

 いつか、自分を助けに来てくれる存在と恋に落ちる。絶望の中でも少しくらい希望を見てもいいだろうと抱き続けた少女の夢。

 そして、アレーティア自身は気付いていなかったが、封印されて300年程経過したある日、ついにその日がやってきた……が、まさか、自身の見た目よりも幼い少年が現れるとは思ってもみなかった。

 自分よりもずっと年下、それこそ10歳の子供に対して、いい大人が恋愛感情を抱けるだろうか。

 ハッキリ言おう。無理だと。

 せめて、あと5年経っていたら話は別だったが、成長期も迎えていない少年にそんな感情を抱くような変態(ショタコン)ではないのだ。

 もし、イケる、むしろ役得……と、のたまう輩がいればアレーティアは全力で“緋槍“を叩き込む自信があった。

 

 出会った当初は想い人ではなかった。では、その時のアルディアスはアレーティアにとって何だったのかと言うと……“弟“である。

 元々、一人っ子で兄弟や姉妹というのに憧れがあったアレーティアは、幼い頃によく両親に弟か妹が欲しいとせがんでいたこともあった。その反動故か、幼いアルディアスに対して姉のような態度で接した。

 加えて、アルディアスが自分と同じで、魔術関連に対して深い探究心を持っていたことも、それを助長させた一因だろう。

 吸血鬼族の王女になる以前は、街の小さな子供に聞かせようとすると、こぞって逃げられてしまったのだが、アルディアスは逃げるどころか、前のめりになって話を聞いてくれた。

 それからは、アルディアスの入浴中に忍び込んだり、就寝時、ベッドに潜り込んだりもしたのだが、そこに異性としての認識はなく、全ては弟を構う姉として行動した結果だ。

 最初こそ少しばかり困惑したアルディアスだったが、長い間一人で居続けたせいで、一人が寂しいのだろうと好きにさせるようにしていた。

 そんな関係を長く続けた反動か、直接姉と呼ぶことこそないが、アレーティアとの関係を聞かれたとしたら「姉のような存在だな」と答えるくらいにはなっていた。

 当時のアレーティアは心の底から満足だったのだが、近い将来、そのことを後悔する日が来るとは思ってもみなかった。

 

「アルディアスに染み付いた私への姉対応はどうしたら崩せるのだろうか……」

 

 あまりにも姉として近くで接しすぎたせいで、どんなに積極的なアプローチをしても、姉弟としての掛け合いにしか捉えてもらえない。

 もし、アルディアスが誰か一人でも恋人を作っていたら、変わっていたかもしれないが、生憎、そんな経験はなく、流石のアルディアスも親愛と恋愛を器用に区別することは出来なかった。元々が親愛だったのならば尚更だ。

 今日は午後から魔術部隊に顔を出す予定だが、午前中は何も予定はない。仕事中のアルディアスの邪魔をする訳にもいかないし、気分転換に街に出てようかと考えていると、前方から見知った顔が此方に歩いてくるのが見えた。

 

「……ナイスタイミング」

 

 とりあえず、これからの予定は決まった。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「──と、言う訳でアルディアスが私のことを一人の女性として意識するにはどうしたら良いと思う?」

 

「何がという訳なんだい!? いきなりこんなところまで連れてきて、あたしだって暇じゃないんだよ!」

 

 ここは、街中のメイン通りから少し外れた場所にある飲食店。店内はシックな雰囲気に作られており、店主が夫婦で切り盛りしている、小さな店だ。しかし、味は確かで、隠れ家的な店なのも相まって、落ち着きのある様子がアレーティアの感性に刺さり、彼女のお気に入りの店舗の一つだ。

 アレーティアと机を挟んだ向かい側には、城内で半ば拉致される形でここまで連れてこられたカトレアの姿があった。

 

「午前中は暇だって言ってた」

 

「今仕事中か聞かれたから違うって答えただけで、暇なんて言ってないわ!!」

 

 カトレアの言う通り、彼女の今日の業務は午後からで、午前中に仕事は入っていない。

 これから本格的な侵攻が始まる中で、そんな暇があるのかと思うかもしれないが、これはアルディアスが直々に決めた確定事項だ。

 本格的な侵攻が始まるからこそ、普段と同じ様に職務に励みながらも、しっかりと休息を取り、家族や友人との時間を過ごして欲しいというアルディアスの心遣いにより、ガーランドの兵士からメイドにいたるまで、普段どおりのスケジュールで一日を過ごしていた。

 とは言え、兵士などは個人的に鍛錬に当てるなどして時間を使う者が多い。己を高めることで少しでも犠牲者が減れば良いという考えや、家族の元に帰れる可能性を1%でも上げる為だ。

 カトレアもその例に洩れず、午前中は自身の鍛錬に当てようと、城の訓練施設に向かう途中にアレーティアに捕まった、という訳である。

 

「……カトレアは親友が困っているのに助けてくれないの?」

 

「いつ、あたしとアンタがそんな関係になった……!」

 

 普段は年増などと真顔で毒を吐いてくるくせに、都合の良い時に親友などとほざいてくるアレーティアに対してカトレアの額に青筋が立つ。

 

「別に良いじゃん。カトレアだってアルディアスのこと好きなんだし」

 

「な、な、何を言ってんだいアンタは!?」

 

「……もしかして、隠してるつもりだったの? みんな知ってるし、アルディアスだって気付いてると思うよ?」

 

「んなッ!?」

 

 心底驚いた表情をするカトレアに若干呆れた表情をするアレーティア。

 アルディアス程じゃないが、カトレアとも長い付き合いだ。アルヴの目を欺く為に姿を変えていたアレーティアだったが、素の姿を自分以外に見せられないのはストレスもあるだろうと、アルディアスが気を利かせ、連れてきたのがフリードとカトレアだった。

 人選の理由は、自分以外にも頼りに出来る、事情を知る存在が居たほうが良いだろうとフリードを。そして、同性が居たほうが何かと都合が良いだろうとのことでカトレアを選んだ。もちろん、アルディアスが二人なら信頼できると判断しての話だ。

 その頃からカトレアという女性は感情が顔に出やすい性格をしていた。アレーティアとしては真っ直ぐで好ましいと思っているのだが、多少なりは取り繕うようにした方がいいのでは……? と思ってしまう。

 

「そもそも、カトレアは良いよね……気付いて貰えてるんだから。私なんてそれ以前の問題……」

 

「えっと……そもそもアルディアス様のことは弟みたいに見てたんでしょ? それがどうしてまた……?」

 

「……知らない。王位を継いで、民衆の前に立つことが多くなってきた頃かな……街の女の人がアルディアスにそういう視線を送るようになって、それを見てたら何かムカムカしてきて」

 

「それで自覚したと……いっそのこと行動で示すんじゃなくて言葉で伝えてみたらどうだい?」

 

「それだと、何か負けた気がして……」

 

「何と戦ってんだい、アンタは」

 

 アレーティアのよく分からないこだわりにカトレアが呆れた表情を浮かべる。

 

「でも、姉って言っても血が繋がってる訳じゃないんだし、正直一番アルディアス様に近いのはアンタじゃないのさ」

 

 そう言って、少し拗ねたような物言いで告げるカトレア。

 アルディアスが一国の王である以上、彼の側に立てる女性は一人とは限らない。しかし、王妃の立場は一人だけであるし、アルディアスが望まない可能性もある。

 そう考えた場合、カトレアから見て一番アルディアスと距離が近いのは間違いなくアレーティアだろう。

 単純な年数で言えばカトレアに軍配があるものの、一緒に各地の迷宮を巡って旅をしたのは大きいとカトレアは見ている。

 そんなカトレアに対してアレーティアは深くため息を吐く。まるでお前は何も分かっていないと言わんばかりに。

 

「な、何だいそのため息は!?」

 

「カトレアは何も分かってない。恋愛小説とか読んだことある?」

 

「へ? ま、まあ人並みには……」

 

「私はたくさん読んだ。暇だったから。最近は特に男性向けの恋愛小説を読んでる」

 

「何で男性向け?」

 

「その方が今の状況と合ってるから」

 

 男性向けの恋愛小説は男性の主人公一人に対して複数のヒロインが存在する。それが、今のアルディアスの周りの状況と一致しているのだ。アルディアスへの気持ちを自覚してからは特にそちらを読むようにしていたアレーティアだったが……

 

「そして、色んな本を読み進めている内に、私は衝撃の事実に気付いてしまった」

 

「衝撃の事実?」

 

 恋愛小説に登場するヒロインには様々なタイプの女性が存在する。

 その中でアレーティアの立ち位置を表すならば、主人公の姉タイプに該当するだろう。血の繋がった姉という訳ではなく、親同士の仲が良く姉弟同然のように育ったパターンが多いが、これには大きな落とし穴が存在した。

 数ある恋愛小説の中でも、姉のような関係の女性が主人公と結ばれる展開の物語は一つも無かったのである。

 主人公とは誰よりも気軽に会話できる唯一の存在だが、最後の最後まで想いに気付かれることも無く、それどころか、自身の気持ちを隠して、思い悩む主人公の背中を押す役になることが多かった。

 それ故に読者からの人気も高いのだが、現実にそうなりつつあるアレーティアからすれば堪ったものではなかった。

 

「このままじゃ、私は唯の綺麗で可愛い、気の利くお姉ちゃんでしかない……!」

 

「それ、自分で言うかい……」

 

 正直、あくまで空想上の話であって、現実にそれが当てはまるかと言われればそうとも言えないのだが、目の前で打ちひしがれる少女に根拠の無い、曖昧な答えは意味がないだろう。

 

「──ってもうこんな時間じゃん!? 午後からの準備があるんだった!」

 

 何となく気まずくなったカトレアが何気なしに辺りを見回していると、壁に掛けてある時計に目が止まり、予想以上に時間が経っていたことに驚き、慌てて立ち上がる。

 

「そうだ、お金──」

 

「良いよ、私が連れてきたんだし、私が出しておく」

 

「そ、そう? じゃあお言葉に甘えて、ごちそうさん」

 

 そう言い残して、店の出口に歩き出すカトレア。

 アレーティアも午後からは、やらなくてはいけないことがある為、早めに城に戻ろうかと席を立とうとすると──

 

「ねえ」

 

「ッ!──カトレア? 早く向かわなくて良いの?」

 

 既に店から出たかと思われていたカトレアが何故か引き返して来ていた。

 先程の慌てようから急ぎなのでは? と疑問に思っていると、頬を掻きながら言いにくそうにカトレアが答える。

 

「いや、無理やり連れてこられたとはいえ、奢ってもらって、結局何も無しってのは悪いなって……」

 

「私は話を聞いてくれただけで十分だけど……」

 

「それじゃ、あたしが納得しないの! それでさっきの話だけど……悪いけど、あたしじゃ、アンタの満足する答えは出せそうにないね」

 

「……そっか」

 

「……だけど」

 

「ん?」

 

 満足のいく答えが出ないかもしれないことは重々承知していた。そもそも、カトレアとてアルディアスに想いを寄せているのだ。その上で、無理やり連れてこられたといえ、ライバルと言っても良いアレーティアの話を律義に聞くところが、口では拒絶しつつも、カトレアの面倒見の良さが出ているのだろう。

 結局自分の想いには自分で解決方法を見つけるしかないなと思っていると、カトレアの話は終わっていなかったようだ。

 

「アンタの好きなようにすれば良いんじゃない?」

 

「……好きなように?」

 

「今までずっと封印されてて、好きなこと一つ出来なかったんだろ? なら、これからは自分のやりたいようにやれば良いさ。アルディアス様の為に頑張るのも良いけどさ、それでアンタが無茶するのは違うんじゃないかな」

 

「それは……」

 

「それでアンタが窮屈そうにしてたら、それこそアルディアス様に心配掛けちまうよ。変に変えようとせずにアンタはアンタらしくやれば良いんじゃないの?」

 

「私らしく……好きなように」

 

「……って、ああもう! あたしは何いっちょ前に語ってんだい!? もう行くからね!!」

 

 言いたいことを全て言い終わったカトレアは、途端に恥ずかしくなったのか、赤面しながらアレーティアに背を向けて店を出ていこうとする。

 

「……カトレア」

 

「ん?」

 

 そんなカトレアに、アレーティアから声が掛かる。カトレアが振り向くとアレーティアが口元に笑みを浮かべて此方を見ていた。

 

「ありがとう」

 

「……別に礼を言われる程のことじゃないさ。一応あたし達、親友らしいし?」

 

「ん!」

 

 恥ずかしそうに告げるカトレアに対して、アレーティアは満面の笑みを返す。

 300年前までは自分が魔人族の国で暮らす事になるなんて考えたことも無かった。アルディアスが居るとはいえ、不安がなかったと言えば嘘になる。

 しかし、ついてきて良かった。と、今では心の底からそう思う。

 

「カトレア、お母さんみたいだね」

 

「年増って言いたいのかい!?」

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「……ふう、とりあえずこの辺りにしておくか」

 

 太陽が西の地平線に沈みつつある中、アルディアスは確認が終わった資料をまとめて一息ついていた。

 先も言った通り、アルディアスの仕事は山のようにある。最初こそ、寝る間を惜しんで仕事をこなしていたアルディアスだったが、それがフリードに見つかり、無理やり寝室に放り込まれてしまった。

 

『私達に休めと言ったのは貴方でしょう? その貴方が休まずに働いていたら下の者は休むに休めませんよ』

 

 そう言われてしまえば、アルディアスも受け入れるしか無く、昼食と夕食時の休憩と十分な睡眠をしっかり取るようになった。

 アルディアスは偶然フリードに見つかってしまったと思っているが、実際はアルディアスが休んでいないことを知った臣下が自分もまだ働けるとフリードに進言したことがキッカケである。

 アルディアスの大きすぎるカリスマも、その時ばかりは考えものだなと思ったフリードだった。

 

「あとは夕食後だな」

 

 そう言って立ち上がり、扉に向かうアルディアス。そのまま扉を開けて外に出ると──

 

「あっ」

 

「ん?」

 

 不自然に右手を上げた状態で固まるアレーティアの姿があった。おそらく、ちょうど扉をノックしようとした所にアルディアスが出てきたのだろう。

 

「どうしたアレーティア、何か用か?」

 

「あ……えっと、アルディアスもうご飯食べた? 私は今からなんだけど、良かったら一緒にどうかなって……」

 

「いや、俺もこれからだ。一緒に行くか?」

 

「ッ!──ん!」

 

 アルディアスからの返答を聞いたアレーティアは嬉しそうにアルディアスの隣を歩き出す。

 今日は何をしていたのか、これからの予定は、などの他愛もない話をしながら廊下を真っ直ぐ進む。

 そうした中、ふとアレーティアは隣を歩くアルディアスの横顔に視線を向ける。

 

(いつの間にこんなに大きくなったんだろ……)

 

 初めて会った時はアレーティアよりも少し身長が低く、顔も元々が中性的なのも相まって、カッコイイよりも可愛いという言葉が似合う容姿だった。

 それが、13歳を皮切りにどんどん背が伸びていって、それにつれて顔つきも男らしさが見えるようになっていった。

 

(顔は整ってるなーとは思ってたけど、ここまでカッコよくなるなんて……まあ、顔だけじゃないけど)

 

「……? 俺の顔に何か付いてるか?」

 

「ッ!?──な、何でも無い!」

 

「……そうか」

 

 じっと見すぎていたのだろう。視線に気付いたアルディアスが問うと、若干顔を赤らめながらそっぽを向いて否定する。

 視線を戻して歩き出すアルディアスに、今度はバレないようにチラチラ視線を送る。

 もちろん、そんなアレーティアの様子にアルディアスは気付いているのだが、何となく自らの勘が気にしてはいけないと告げていた為、見て見ぬ振りをしていた。

 

(私の好きなように……か)

 

 そんなアレーティアの脳裏にカトレアとの会話が蘇る。

 

(私はどうしたいんだろう……アルディアスの特別になりたい? 恋人にして欲しい? いや、それよりも、もっと根本的な……)

 

 会話もそこそこに、深刻な顔で考え込み始めたアレーティアの様子に、流石に気になったアルディアスが声を掛けようとすると、ガバっと顔を上げたアレーティアがアルディアスを見つめる。

 

「アルディアスは、今何がしたい?」

 

「何が……とは?」

 

「アルディアスって今までずっと頑張りっぱなしでしょ? もし、人間族とか、神とかのことを気にしなくて良くなったら、何かやりたいことはないの? しなくちゃいけないんじゃなくて、アルディアスがやりたいこと……」

 

「俺がやりたいこと……か。考えたことも無かったな。国をより良くすることもそうだが、恐らくそれはアレーティアの求める答えではないんだろうな」

 

「……ん、ちょっと違うかな」

 

 国をより発展させ、民の生活を豊かにする。これは正真正銘アルディアスのやりたいことではあるのだが、何よりも民を第一に考えた願いである為、アレーティアの求める答えとは意味合いが変わってしまう。言い換えるならば、何か我儘のようなものはないのか……ということである。

 

「……ふむ、いくつかあるな」

 

「ホント!? どんなこと?」

 

 聞いておいてなんだが、常に誰かの為に動いているアルディアスが、誰の為でもない、個人的な願いを持っていたということに驚きながらも続きを催促する。

 

「日差しの温かい場所で、昼寝でもしてみたいな」

 

「え?」

 

「あとは、そこで飯でも食べたらうまそうだ」

 

「えっと……」

 

「それと、概念魔法を民の生活に反映出来ないだろうか? いや、まずは神代魔法か?」

 

「えッ!?」

 

「概念魔法の習得は難しいが、俺がそれだけ民のことを想えば理論上は可能では無いだろうか?」

 

「た、確かに出来なくは無いかもしれないけど……ってそうじゃなくて!」

 

 概念魔法云々は置いておくとして、まず最初にアルディアスの口から出てきた言葉に言及する。

 

「昼寝とかご飯って、そんな普通のことを……」

 

「俺は普通で十分だが?」

 

「え?」

 

「普通に朝起きて、職務に励みながら、民と交流する。働き詰めは疲れるからな、時には城の外に出て、何もせずに過ごせたら気持ちよさそうだ……誰かが戦争で殺される事も無く、子供が戦いを知らずに成長できるのが当たり前の世界。それが俺の理想、俺のやりたいことだ」

 

「普通なのが……理想?」

 

「アレーティアは?」

 

「……へ?」

 

「アレーティアはやりたいことは無いのか?」

 

「私の……やりたいこと」

 

 アルディアスの言葉を聞いて改めて考え込む。

 私がやりたいこと……アルディアスに異性としての明確な好意を抱く前から心の底でずっと思っていたこと。

 

「……また」

 

「ん?」

 

「……また、アルディアスと色んな所に行ってみたい。今度は姿を隠すこと無く、世界中を」

 

 昔と違って王位についたアルディアスが意味もなく外に出ることは難しいだろう。それも、気分転換に国の外周りに出るならともかく、世界中を旅する余裕など無いだろう。

 それでも、夢見てしまう。かつてのように一緒に旅する光景を。

 

「行けるさ」

 

「……でも」

 

「今すぐは難しいがな、神を討ち滅ぼせば、きっと今よりも世界は平和になる。そこから何年かは掛かってしまうが、いつか俺が居なくても問題ない世の中になるだろう、そうすれば、少しばかり、外に出ても許されると思わないか? フリードには負担を掛けてしまうかもしれんが、それくらい多めに見てくれるだろう。その時、一人じゃ楽しくないからな、一緒にどうだ?」

 

「……ん! 行く! 絶対行く!!」

 

「そうか、楽しみがまた増えたな」

 

 満面の笑みを浮かべるアレーティアに対してアルディアスも笑みを返して答える。

 腹が減ったな……そう言って、再び歩き出すアルディアスに続いて、アレーティアも歩みを進める。

 その足取りは、先程よりも確かに軽くなっていた。

 想いが伝わった訳じゃない。それでも今はこのままでも良いとアレーティアは思うようになっていた。

 人間族との戦争の決着、この世界の神の打倒、魔国ガーランドの繁栄など、やらねばならないことは山積みだ。

 それでも、その全てが片付いた時……またアルディアスと一緒に外の世界を見て回れるようになった時、その時こそ……

 

(ちゃんと、この気持を伝えるから)

 

──その時、貴方はどんな表情を見せてくれるのかな?




ずっと書きたかったガーランドでのアレーティアの様子。
カトレアの話し方とか違和感ないかな? 大丈夫かな?

吸血姫(300歳超え)「10歳は流石に……せめて15歳なら」
285歳下ならイケるけど、290歳下はダメなアレーティアさん。尚、成長すればオッケーな模様。つまり、年上好き。(見た目は12歳)


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第九話 【侵攻開始】

「随分、来るのが遅くなってしまったな」

 

 ガーランド国内を一望できる高い丘の上、そこに立てられた二つの立派な墓標の前に、アルディアスは一人佇んでいた。

 

「久しぶりだな……()()()()()()

 

 そう、この墓標は正真正銘アルディアスの生みの親である父と母が眠る墓である。

 二人が亡くなったのは、もう15年前のことだ。その日は近年稀に見る大雨で、何故かそんな日に限って、国の外に出ていた二人が崖から足を踏み外して転落した。

 いつまで経っても帰ってこないことを不安に思った知人が、軍に捜索願いを出したが、兵士による捜索もむなしく、変わり果てた姿で発見された。

 何故、二人は不用意に崖に近付いたのか、何の用があって国の外に出たのか。真相は分からなかったが、アルディアスはアルヴが接触したものと見ていた。

 実際、エヒトの記憶からもアルディアスの想像通りのことが視て取れた。

 

 当時から神が絶対だった魔国ガーランドの民達だったが、アルディアスの父と母は狂信と言えるほどの信仰心は持ってはいなかった。もちろん全く無い訳ではなく、外から見れば十分な信者だったと言えるが、まだ小さな子供を戦場に送ろうとすることに疑問を覚えるくらいの良識は残っていた。

 それが、アルヴには邪魔だったのだろう。

 しかし、神に背く反逆者として罰してしまえば、民の怒りが子であるアルディアスにも向く可能性もあり、何よりもアルディアス自身が国に反旗を翻す可能性もあった。

 だから不運な事故死に見せかけた。アルヴからすれば、それくらい造作もない事だった。

 二人は元々の人徳と、神の子であるアルディアスを産んだ功績もあり、国を挙げての葬儀が行われ、国を見渡せるこの地に埋葬されることとなった。

 

「二人の仇は取った。報告が遅れてすまない。だが、新たな問題が出てきてな……」

 

 アルディアスは二人の墓前の前にしゃがみ込み、今まであったことを語る。

 

「──と、いう訳だ。相変わらず俺達を苛つかせてくれる。神というのはそういう存在なのか?」

 

 話している内に段々と熱を帯びてきたのか、表情に苛立ちが浮かび上がる。普段は常に冷静なアルディアスの珍しい一面に、もし、この場に彼と親しい者が居れば、その意外な一面に目を丸くすることだろう。

 

「……ハア、ダメだな。どうもここに来るとつい感情的になってしまう。この程度で心を乱すとは俺もまだまだだな」

 

 神の子として、幼少の頃より周りに期待され続けたアルディアス。本人もそれが自分のやるべきことと認識し、辛く、苦しいことも山程あったが、ただの一度とて、自らの選択を後悔したことは無かった。

 それでも弱冠3歳で親を亡くすことが辛くない訳が無かった。誰も居なくなった墓標の前で人知れず涙を流したことさえあった。

 それでも、立ち止まる訳にはいかなかった。ここで止まれば、それこそ両親の死が無駄になってしまう。

 

「……俺達はこれから人間族への侵攻を始める。帝国を落とし、そのまま王国も落とす。ここに帰ってくるのは、文字通りこの戦争を終結させたときだろう。どうか、俺を見守っていて欲しい」

 

 伝えたいことは全て伝えたのだろう。少し名残惜しそうではあるものの、ゆっくりと立ち上がり、その場を後にしようと背を向ける。

 

((行ってらっしゃい、アルディアス))

 

「ッ!?」

 

 突然、アルディアスの脳内に響いた懐かしい声。聞き間違える筈が無い。その声は確かにもう聞くことは叶わない筈の……

 

「……ああ、行ってくる」

 

 アルディアスは両親の墓標に向けて、力強く頷いた。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 両親が眠る丘を後にしたアルディアスが向かったのは、城内の広場だった。普段は兵士の訓練にも使われる広大な広場は物々しい雰囲気に包まれていた。

 広場を埋め尽くす程の兵士がそれぞれ、思い思いの方法で自らの戦意を高め、来たるべき瞬間が訪れるのを待っている。その周囲には彼らを囲むように竜の大群が待機していた。その中にはフリードの相棒のウラノスの姿もある。

 すると、アルディアスが来たことに気付いたフリードが駆けてくる姿が目に入った。

 

「アルディアス様」

 

「すまないフリード、待たせたな」

 

「いえ、お気になさらずに……ご挨拶はお済みになりましたか?」

 

「……ああ、背中を押されたよ」

 

「……そうですか……此方の準備は万全です。いつでも行けます」

 

「分かった」

 

 そのままフリードを連れて、兵士全員が見渡せる位置まで移動する。待機していた兵士達もそれに気付き、姿勢を正す。しかし、この前の市民のような歓声は上がらず、その目には確固たる信念と静かなる闘志が宿っている。

 その様子に満足そうに頷いたアルディアスは口を開いた。

 

「ついに、この時がやってきた。人間族との戦争が始まり、何千年たっただろうか……どれほどの犠牲が出ただろうか……その中にはお前たちの家族や友人も居たことだろう」

 

 アルディアスの言葉に、多くの兵士の脳裏に志半ばで散っていった仲間の顔が浮かび、その表情を悲しげに歪める。

 

「これから始まる戦いは、正真正銘、魔人族と人間族の雌雄を決する戦いになるだろう。さらなる犠牲も出るやもしれん……だが、俺から言えることはいつもと変わらん……死ぬな」

 

 アルディアスの一言が広場に静かに、されど強く響き渡る。

 

「死んだらそこで終わりだ。お前たち一人一人、帰りを待つ者がいるだろう。その者を悲しませるくらいなら、魔人族のプライドなど投げ捨ててしまえ。どんなに意地汚くても、情けなくても、必ず生きろ。生き延びろ。死んでも勝つなどと考えるな。勝てない敵が居れば周りに助けを求めろ。逃げることは恥ではない」

 

 アルディアスが広場に集まった兵士全員の顔を見回す。

 

「俺はお前達全員を守り切るなどと理想を語れる程強くはない。この戦いでも多くの者がこの掌から零れ落ちるだろう……」

 

 だからこそ、と続ける。

 

「お前達の力を俺に貸して欲しい。俺が受け止めきれなかった者を、お前達に受け止めて欲しい。さすれば俺は、前だけを見ることが出来る。魔人族の勝利の為に、お前達の誰よりも俺は前に出よう。危険が立ちはだかれば、俺がその一切をねじ伏せよう。この戦いに……いや、これまでの戦いに終止符を打つ為に、俺にお前達の力を……信念を……命を預けてくれ」

 

「ッ!!」

 

 アルディアスの言葉に兵士達がぶるりと体を震わせた。自分達など足元にも及ばない偉大なる王が、自らの力を必要としてくれている。信じてくれている。そして、背中を預けてくれている。ここまでのことを言われ、心に響かない者などこの場には居ない。

 自身を焼き焦がすかのような熱い感覚が胸から湧き上がってくる。

 

「仲間を信じろ……己を信じろ……そして、俺を信じろ。俺達には何者にも断ち切れぬ絆がある! 今こそ示せ! この世界に……天から見下ろす神に! 俺達、魔人族の力を!!」

 

「「「ッ!!──ウオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」」」

 

 兵士達から国中に響き渡る程の雄叫びが上がる。

 それは、自身を鼓舞する為に……必ず大切な人の元に帰る誓いを立てる為に……戦友を守る決意を固める為に……

 そして、誰よりも自分達の身を案じ、誰よりも戦いの前線に立つであろう、我らが王に報いる為に。

 

「行くぞ……! 出陣だ!!」

 

 長きに渡り、停滞し続けたトータスの歴史が……今、動きだした。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「……はあ、暇だなぁ」

 

「おい、警備中だぞ。気を抜きすぎだ」

 

 ヘルシャー帝国の南部に位置する監視塔。そこは主に、魔人領との境界線を監視する目的で建設されており、帝国の兵士が交代制で24時間常に監視体制が敷かれている……が、そこに勤務する兵士が全員真面目に取り組んでいるかと言われればそうではない。

 

「仕方ないだろ? ここ数年、魔人族との争いはあっても、国まで攻めてきたことは一度もない。奴らにそんな度胸無いだろうさ」

 

「それでもだ。監視を緩めた所を襲撃されましたじゃ、笑い話にもならんぞ」

 

「つっても、ここまでの人数を常に置いておく理由があるか?」

 

 そう言って男が辺りを見渡す。

 男が居るのは監視塔の最上階だが、自らを含めて、そこには8人。更に塔内部に5人。地上には7人の計20人が配置されている。

 これが国境間に立てられる関門ならば話は変わるが、ここはあくまで監視塔だ。監視対象に動きがあれば本国に連絡を入れ、可能ならば妨害を、無理ならば自国の防衛ラインまで後退するのが基本だ。言わば、捨てても問題ない施設の筈だ。普通、ここまでの人数を置いておく必要はない。

 

「……噂で聞いたんだが、これを決めたのはガハルド様らしい」

 

「ハア!? 皇帝陛下が!? 何でわざわざ……!」

 

「声を落とせ! あくまで噂だ。何でも魔王を警戒してるらしい」

 

「魔王って……偽王のことか? あんな腰抜けの王に何が出来るってんだ?」

 

「俺が知るかよ。それに魔王が前線に出てからの魔人族の死傷者はゼロだ。決して油断していい相手じゃない」

 

「そうは言っても、守ってばかりで一回も攻めて来ねえじゃねぇか。そんな腰抜け、敵じゃ無いだろ。まあ、もし奴が前線に出てきたら俺がその首を取ってやるよ」

 

「たくっ、お前は……」

 

 ニヤニヤと笑みを浮かべる同僚に呆れながらも、ここまでの警備態勢をやりすぎに感じているのは同感なのか、深くは言い返さない。

 そんな、いつもと変わらない日常。あと2時間もすれば交代の人員が来る筈だ。そうすれば、本国へと帰り、亜人族の奴隷娼館に行くのが、いつもの二人の習慣だった。

 だが、二人はこの日、身を持って思い知ることとなる。常に変わらぬ日常など存在しないのだと。束の間の平穏とは不穏の前触れでしかないことを……

 

「……ん? おい、あれなんだ?」

 

 突然、警備の男の一人が南の空を指差し、近くの者に声を掛ける。その声に周りの者がわらわらと集まり、男の指差す方を凝視する。

 

「んー、何だ? 魔物か?」

 

「……いや、待て、あれ竜じゃねえか?」

 

「ッ!?──竜だと!? おい、それ魔人族じゃねえか!?」

 

「待て待て、慌てんなって。どうせまた偵察だろ? ご苦労なこった。おい、一応連絡入れとけ。無視して職務怠慢なんて上に言われたら面倒だ」

 

 数年前から魔人族が魔物を使役し始めたのは周知の事実だ。中でも単体での戦闘能力が高く、無条件で制空権を得られる竜種は特に数が多く、竜種の魔物を見たらすぐに魔人族を連想する者も少なくない。

 途端に騒ぎ出す面々に、先程ニヤニヤと笑みを浮かべていた男が、露骨に動揺する他の兵士を落ち着かせるように諭す。

 魔人族が此方の偵察に一人二人を送るなど珍しいことではない。どうせ、しばらくすればどこかへ飛び去ってしまうだろうが、報告しなかったことがバレれば、痛い目を見るのは自分たちだ。

 面倒だが、後ろを振り返り、近くに居た部下に連絡を入れるよう伝える……が、その男は目を見開いたまま、その場を動く様子がない。その姿を見て、未だに動揺から抜け出せてないと判断した男が苛立ちげに催促する。

 

「おい、いつまで呆けてるんだ。早く行け」

 

「し、しかし……」

 

「いいから行けっつってんだよ! 俺の言うことが聞けねえのか!!」

 

「ま、待って下さい!? でもあれは……!」

 

「いい加減に──」

 

「待て!? 何かおかしいぞ!?」

 

 そのまま激情に身を任せ、部下に掴みかかろうとした男だったが、同僚の声を聞いてその手が止まる。

 

「おかしいって……何がだよ?」

 

「あれを見ろって!?」

 

 何やら焦燥感に駆られるような様子に流石に違和感を感じた男が後ろを振り返る。

 そこには先程も見た竜が居た……五体も。

 

「あん? さっきは一体だっ……た、筈……」

 

 一体だった竜が五体になっていたことに首を傾げた男だったが、その口から出た言葉はどんどん尻すぼみに小さくなっていく。

 南の空にポツポツと黒点が増えていく。10、20、30と増えていき、今もその数を急激に増やしていく。

 近付くにつれて、それが全て竜であることに気付く。しかも、その背には此方を睨み付ける魔人族達の姿が……

 

「ち、違う!? 偵察じゃない!! 敵襲だ!!」

 

 ここに来て、ようやく帝国の兵士達は事態の深刻さを理解した。

 ただの偵察にあんな大量の戦力を投入する必要など無い。しかも、今この瞬間もとんでもない速度で此方に真っ直ぐ向かってきている。

 

「は、早く馬を走らせろ! 本国にこのことを伝えるんだ!」

 

「そ、それよりも撤退が先だろ!? あんな数、俺達だけじゃ抑えきれない!!」

 

「馬鹿野郎!! このまま侵入を許す方が一大事だ!!」

 

 突然の事態に兵士達はパニックに陥る。この時の為の訓練は何度も行なっている筈なのだが、100体にも及ぶ竜の大群を前に統率は全く取れておらず、各々が自分の意見を言い合うだけで一向に何も進まない。すると──

 

「グオオオオオオオオオオオオオオオ!!」

 

 突然、監視塔が揺れる程の咆哮が彼らを襲った。

 全員が耳を塞ぎ、その場に蹲る。まるで、心臓を鷲掴みにされたような衝撃に叫び声を上げることも出来ない。

 しばらくして、ようやく咆哮が収まり、困惑しながらも辺りを見回しながら恐る恐る立ち上がる。

 

「な、何だったんだ今の?」

 

「竜の雄叫びみたいじゃ無かったか?」

 

「馬鹿言え! まだそんな距離じゃねえだろ!」

 

 今まさに、此方に竜の大群が向かって来ているが、いくら竜とは言え、これだけの距離であれだけの咆哮を届かせる個体など存在する訳がない。

 そう……先程の衝撃はまるですぐそばで発せられたような……

 

「な、なあ……何か今の、上から聞こえなかったか?」

 

「上?」

 

 兵士の一人が震えながら小さく呟く。それを聞いた一人の男がまさかと思いながらも恐る恐る身を乗り出し、上に視線を向ける。

 そして、()()と目があった。

 

 監視塔の上空、そこには此方に向かって来ている竜と同種と思われる存在が居た。

 いや、それだけではない。上空で羽ばたく竜の群れ。その中心に堂々と佇む純白の竜。他の竜と比べても一回りも体が大きく、尋常ではない威圧感を放つ巨竜だ。恐らく先程の咆哮はこの竜が発したものだろう。

 あまりの衝撃に言葉を失っていると、その竜の顎門がガバっと開き、そこに眩い光が収束し始める。

 

「あ……」

 

 目の前の竜が何をしようとしているのかを察したのだろう。男の顔が急速に青褪めていく。すぐに周りの仲間に伝え、慌てて逃げ出そうとするが、最早全てが遅かった。

 

 純白の竜──ウラノスから放たれたブレスが監視塔を呑み込んだ。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「……ふむ」

 

 ヘルシャー帝国・玉座の間。

 その玉座にて、ヘルシャー帝国現皇帝ガハルド・D・ヘルシャーは、つい先日、王国に送った使者からの報告を聞き、頭を悩ませていた。

 

「聖教教会が一切の活動を停止している……か」

 

「はい。エリヒド陛下の話によれば、もう2週間程前からイシュタル教皇と連絡が取れないそうです。出入りしている司祭に話を聞いても何も問題はないと一蹴されているようでして……」

 

「……キナ臭いな。あの爺さんが理由もなくそんなことをするとは思えねぇ。何か企んでやがるのか……それとも奴らにとって想定外の事態が起こったのか……」

 

「探りを入れましょうか?」

 

「……いや、必要ない。下手につついて藪蛇が出てくる方が面倒くせぇ」

 

 少し悩む素振りは見せたものの、すぐに手を振って部下の案を却下する。同じ人間族だが、国が違う以上安易に手を出せば、此方が予想外の痛手を貰う可能性がある。気に食わないが、聖教教会の力は本物だ。

 

「それより、魔人族の動きに変化は無いか?」

 

「はい。未だに動きがあったという報告は上がっていません」

 

「そうか……引き続き警戒を緩めるな。兵士にもキツく伝えとけ。最近、魔王を舐めてる奴が多いからな」

 

「御意」

 

 実力主義の帝国では、同胞を守る為とはいえ、敵に背を向けて無様に逃げるアルディアスを嘲笑する者は決して少なくない。

 その為か、アルディアスを、ひいては魔人族を軽く見ている者の存在が帝国では問題になっている。ある程度の実力者ともなれば、今まで以上に油断ならない相手だと理解できるのだが、残念ながらそれが理解できるのは帝国でも一部の者のみである。

 

(魔王アルディアス……奴を初めて見たときのことは今でも鮮明に覚えてる。見た目はただのガキだったが、目が合っただけで自分の死を夢想した)

 

 歴戦の戦士である自分が、まだ10にも届かない子供に恐怖した。他人が聞けば何を馬鹿なことを、と笑うだろうが、紛れもない事実だ。

 自身の戦士としての直感が、今までにない無い程の警鐘を鳴らした。

 戦うな、歯向かうな、降伏しろ。そんな言葉が頭の中を駆け巡った。その時は、魔人族側が撤退を開始した為、刃を交えることは無かったものの、もし、あのまま戦っていれば、間違いなく自分はここには居ないだろう。

 

「……何だ? 騒がしいな」

 

 そんなことを考えていると、何やら部屋の外から騒がしい声が聞こえてくる。誰かが声を荒らげているようだが、王城の、それも玉座の間の近くでそんなことをする輩が居ることに、苛立ちよりも先に好奇心が先行する。

 すると、誰かが此方に駆けてくる音が聞こえ、バンッと勢いよく扉が開かれた。

 

「へ、陛下!! 至急お伝えしたいことが──」

 

「無礼者が!! 貴様、ここがどこだか分かっているのか!!」

 

「止せ。それだけの慌てようだ、余程のことなんだろう? 話せ」

 

 何の許可も無しに玉座の間に飛び込んできた男に、側近の一人が詰め寄ろうとするも、ガハルドが制止し、要件を促す。飛び込んできた部下の表情を見るに恐らく緊急事態なのだと簡単に察せられる。そうでなければ、皇帝である自分の居る部屋に許可も無く入るなどという愚行は侵さない筈だ。

 

「魔人族です! 魔人族が現れました!!」

 

「ッ!──来たか。南の監視塔からの連絡だな? なら、奴らがここに来るのも時間の問題……すぐに迎撃準備をしろ。奴らが到達する前に、戦力を南の関門に集結──」

 

「違います!! 監視塔からの連絡ではありません!! 奴らは既にここ、ヘルシャー帝国に到達しております!!」

 

「ッ!?──何だと!?」

 

 てっきり、南の監視塔に勤務する兵士からの連絡が来たものかと思っていたガハルドだったが、それを否定する部下の口から予想だにしない言葉が飛び出てきた。

 ガハルドだけでなく、周りの側近たちも目を見開き、驚きを露わにする。

 すぐにテラスに飛び出し、南の方角を確認する。すると、薄っすらとだが、そこには確かに、魔人族が使役していると思われる竜の大群が南の空に展開している姿が見えた。その様子から、いつ侵攻が始まってもおかしくは無いだろう。

 

「どういうことだ!? 何故ここまで接近されるまで気付かなかった!?」

 

「わ、私に言われても……」

 

 側近の一人が、魔人族の襲撃を伝えに来た男に怒鳴りつけるが、男も現状を伝えに来ただけで詳細は知らないのか、表情を青褪めて狼狽えるのみだ。

 そんな中、ガハルドは一人、現状に違和感を抱いていた。

 

(どういうことだ? 仮に速攻で南の監視塔を落としたとしても、そこからの連絡が絶えたことで他が異変に気付く筈だ)

 

 ガハルドは魔人族を、特にアルディアスの力を十分に警戒している。連絡を出す間もなく、監視塔が落とされる可能性ももちろん考えていた。

 だからこそ、監視塔、及び周囲の関門には常に連絡信号を送り合う決まりにしていた。そうすることで、非常事態があった場合、連絡信号が途絶え、他の要所の兵士にそれが伝わる仕組みになっている。

 しかし、現に魔人族の軍勢が帝国の目の前に現れるまで、どこからも連絡が来ることは無かった。

 そのことに眉を(ひそ)めるが、すぐにその疑問は解けることとなる。

 

「陛下!!」

 

 全員が困惑する中、開きっぱなしの扉から新たに兵士が現れ、此方に駆けてくる様子が目に入った。

 

「魔人族が現れました!!」

 

「ああ、今確認したところ──」

 

「そちらではありません!! 北の丘に数え切れない程の魔物の大群です!!」

 

「なッ!?」

 

「同時に、東と西の地にも魔人族の軍勢を確認!! 我が国は完全に包囲されました!!」

 

 部下から新たにもたらされた情報に、その場に居る全員が言葉を失う。

 どうやったのかは知らないが、帝国の監視網をくぐり抜け、全方位から同時に主要施設の制圧を行ったようだ。

 なるほど、それならば連絡が来なかったのも納得だ。自分たちが攻撃されている状態で、他の拠点の無事など確認している暇など無い。

 

「やってくれたな……!」

 

「陛下! いかが致しましょう!?」

 

 周りの側近が、絶望的な状況にガバルドに意見を求める。

 少し、思考したガハルドはすぐに顔を上げ、部下達に指示を出す。

 

「ここまで接近された以上、四の五の言っても仕方がねぇ。すぐに迎撃態勢を取れ、迎え撃つぞ!」

 

「しかし、間に合うかどうか……」

 

「間に合わなけりゃ、このまま国ごと落とされるだけだ。死ぬ気で間に合わせろ!」

 

「ハ、ハイ!!」

 

 ガハルドの指示を受け、全員が行動を始める。動揺はありつつも、その動きに淀みは感じられない。流石はガハルドの側近を務める者達だろう。

 その背を見送ったガハルドは再び南の空に視線を向け、悠々と空を飛ぶ竜の大群を強く睨みつける。

 今までのアルディアスの動きから、奴が攻めよりも守りに重きを置いていることは想像に容易い。恐らく、帝国を完全に孤立させ、疲弊させることで自国の民の被害を最小限に抑えるつもりなのだろう。それならば、まだ時間はある。

 その筈だ、その筈なのだが……終始、ガハルドは胸騒ぎを感じていた。何かを見落としているんじゃないのかと、嫌な予感が頭を離れない。

 

「何を考えてやがる、アルディアス……!」

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「アルディアス様、全軍の配置完了しました」

 

「ああ」

 

 数人の部下を連れて帝国を睨みつけていたアルディアスは、フリードの報告に振り返ること無く頷いた。

 

「アレーティア、カトレア、此方の準備は整った。そちらはどうだ?」

 

『問題ない。いつでも行ける』

 

『此方も問題ありません!』

 

 遠く離れた位置に居る二人に念話を送ると、すぐに了承の返事が返ってくる。

 

「良し、ではこれより予定通り、作戦を開始する」

 

『『了解!』』

 

「フリード、お前も行動を開始しろ」

 

「ハッ、ご武運を……」

 

 ウラノスに飛び乗り、天高く舞い上がるフリードを尻目にアルディアスは数名の部下を連れて、ヘルシャー帝国へと足を進める。

 そのまま城門を視界に収めると、右手を門に向けてかざす。

 アルディアスの体から魔力が溢れ出し、目の前に円錐状の炎の槍が形成される。

 それだけ見れば、ただの“緋槍“だと思うかもしれないが、そこに込められた魔力は通常とは桁違いだ。

 

「ん? お、おい!? あれって!?」

 

「何でここに奴が!?」

 

 空高く舞う竜の姿に気を取られていたのだろう。そこに来て、ようやく城門の兵士達がアルディアスの存在に気が付いた。

 

「時間を掛けるつもりは無い。精々足掻いてみるが良い、歴戦の戦士達よ」

 

『緋槍』

 

 アルディアスの生み出した炎の槍が、帝国の兵士達が認識することも出来ない速さで打ち出され、いとも容易く分厚い城門を貫いた。




初手から国ごと囲い込むスタイル。
何の前触れもなく、アルディアスが帝国内に転移してくるよりはイージーモードだね……うん。


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第十話 【進撃】

「お前達、少し下がっていろ……ふむ、流石は歴戦の戦士が集まる国。万全では無いが、この短時間でここまで態勢を整えたか」

 

 城門を悠々と通り抜けた先で、アルディアスの目に映り込んだのは、数十人にも及ぶ完全武装した兵士達の姿だった。各々動揺はあるものの、全員が此方に向けて油断なく武器を構えている。

 

「な!? あれは魔王!? 何で敵国のトップが!?」

 

「いや、好都合だ! 奴を仕留めれば魔人族の士気も一気に落ちる。囲い込め! 絶対に逃がすな!!」

 

 隊長らしき兵士の指示に、兵士達が城門をくぐり抜けてきたアルディアス達を扇状に囲い込む。建物の上からは弓を持った兵士がアルディアスに向けて狙いを定める。

 

「馬鹿が! ノコノコと大将自らやってくるとは。貴様を殺し、その首を魔人族の前に晒してやろう!! やれ!!」

 

 そのまま合図と同時に、アルディアス目掛けて矢を放とうとした瞬間──兵士達の頭上から無数の閃光が雨のように降り注いだ。

 

「な、何事だ!?」

 

「竜です! 上空から竜の群れが!?」

 

 兵士達が上に視線を向けると、そこにはフリードを背に乗せるウラノスを筆頭に、帝国の空を我が物顔で優雅に飛び回る竜の姿が。

 

「小癪な真似を……!」

 

「戦闘において、敵よりも上を取るのは当たり前だろう? 短時間でここまで揃えたのは称賛するが、視野が狭いな」

 

「黙れッ!! 弓兵は上空の竜を狙え! 一体残らず──」

 

「俺を前にしてよそ見とは、随分余裕だな」

 

『凍獄』

 

 アルディアスの足元を起点に凍てつく冷気が周囲に吹き荒れた。

 

「寒ッ! 何だこれは!?」

 

 辺りを覆い尽くす冷気に触れた隊長の男はそのあまりの冷たさに身を震わせる。しかし、それだけだ。

 

「こんなもので我々を止められるとでも思っているのか!? 舐めるなよ!? おい、早くあのトカゲ共を撃ち殺せ!!」

 

 ただ冷気を辺りに撒き散らすだけの魔法に、舐められているとでも思ったのか、表情を怒りに歪ませながら、部下に指示を出す。しかし、一向に矢が放たれる様子はなく、辺りが静寂に包まれる。

 

「おい、聞いているのか!? さっさと……!?」

 

 不思議に思った男が苛立ちげに周囲を見回し……そして絶句した。

 周囲に展開していた兵士数十名が、一人残らず物言わぬ氷像と化していた。

 

「あ……あ、ああ……」

 

「だから言ったろ? 視野が狭いと」

 

 言葉を失い、膝をつく男にアルディアスがゆっくりと歩み寄る。

 アルディアスを見上げる男の体が足元からゆっくりと凍りつき始める。

 

「安心しろ、殺しはしない。だが、いくら目の前に大将首が現れたからといって、安易に全員で囲い込むのは悪手だな。敵が自分達よりも強いと分かっているのなら、少しでも時間を稼ぐ事を第一に考えるべきだった。自軍の準備が万全でないのなら尚更だ……まあ、もう聞こえてはいないか。行くぞ」

 

「ハッ!!」

 

 既に言葉を発することもできなくなった男の横を通り抜け、アルディアスは堂々と進撃を続ける。向かう先はヘルシャー帝国の中心部、ガハルドが居る帝城だ。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「まだだ! 次が来るぞ!」

 

「クソッ!? 魔物の数が多すぎる!? こんなのジリ貧だぞ!」

 

「泣き言を言ってる暇があったら手を動かせ!!」

 

 ヘルシャー帝国・北門前

 北の丘に現れた魔物の大群を前に、帝国の兵士達が奮戦しているが、途絶えることのない魔物の群れに確実に疲弊していき、いつ防衛ラインが崩れてもおかしくは無いところまできていた。

 

「隊長! やはり、この魔物を指揮する魔人族達を探した方が良いのではないでしょうか!?」

 

「そんなことは分かってる! だが、今隊列を崩せば、たちまちそこから瓦解する! 国に魔物がなだれ込むぞ!! それに、これだけの数だ! 指揮するものもそれなりの人数の筈! 一人二人見つけたところでどうにかなる問題ではない!!」

 

「隊長!! 東と西の防衛線から応援要請です!!」

 

「ふざけるな!! そんな余裕ある訳が無いだろう!?」

 

 初めこそ、突然の魔人族の襲撃に動揺が隠せなかった帝国の兵士だったが、日頃の訓練の賜物故か、短時間で迎撃態勢を整え、帝国への侵入を防いでいる手腕は流石と言える。

 しかし、だからといって、そこから押し返せるかといえば、そうではない。

 そもそも、人間族が今まで魔人族を相手に均衡を保て続ける事ができたのは、単純な数の差が大きかった為だ。しかし、魔物を使役することで、その数の利すら失われてしまった現状ではこの戦況は予想できた結果だろう。

 

「な、なあ、何かおかしくねえか?」

 

「ハア、ハア……ああ!? 何がだ!」

 

 そんな中、防衛に加わる若い兵士が近くに居る兵士に声を掛ける。戦闘続きで息も絶え絶えの男が乱暴に聞き返す。

 

「奴ら動きが妙っていうか……付かれ離れずっていうか……本気で攻めようと思えば、もっと来れそうじゃないか?」

 

 先程も言ったことだが、当初、帝国は完全に出遅れた形で魔人族の侵攻が開始された。何とか防衛ラインが出来上がるまで持ちこたえたが、戦力が整った今ですらギリギリ持ちこたえてる現状で何故突破されなかったのだろうか。

 

「もしかしたら、何か意図があるんじゃ……?」

 

「知るかよ!? 仮にそうだったとしてどうしろってんだよ!? 道を開けて帝国にご招待でもすればいいってのか!?」

 

「い、いや、そういう訳ではないけど……」

 

「だったらサボってないで戦え!」

 

「……ああ、そうだな。ここを通す訳にはいかないんだ!」

 

 不安げな表情をする若い兵士だったが、男からの叱咤を受けて、気持ちを切り替える。

 何を企んでいるのかは知らないが、ここを通すのだけは絶対に阻止しなければならない。国内には戦えない民間人が何人も居るのだから……

 

 そんな帝国兵の様子をカトレアが上空から見下ろしていた。

 

「良し、作戦通りだ。帝国の兵士も良い具合に集まってきてる」

 

 竜に騎乗して戦場を一人で見下ろすカトレアは、作戦通りに進む戦況に満足げに頷く。そう……一人でだ。

 百体にも及ぶ魔物の群れを前に、魔人族が数人は潜んでいると予想する帝国兵だったが、その予想に反して、魔物を指揮するのはカトレア一人だけだ。

 人間領への潜入任務で、アルディアスの魔物を貸し出したときに判明したことなのだが、カトレアには指揮官としての才があった。特に魔物のように各々の能力がハッキリと別れていると、よりその能力が顕著に現れた。

 敵の陣形、戦力を観察し、それに適切な魔物の配置。更に戦況に応じて、常に百体にも及ぶ魔物を動かし続ける対応力。

 アルディアス曰く、仮にフリードとカトレアが戦線に加わらず、指揮官として、同じ戦力の魔物の軍団を率いて激突した場合、勝利するのはカトレアだろうと言わせるまでの能力が彼女には備わっていた。

 そんなカトレアの今回の役割は陽動と囮だ。言うならば、東と西の軍勢も帝国の兵士を引き付ける為だけのものだ。

 兵士を三方向に引き寄せることで、戦力を分散させ、中央の守りを手薄にさせる。

 アルディアスならどれだけ戦力が集中しようが何の問題もないが、彼の力は一般の兵に向けるには大きすぎる。

 

「先の事を考えれば、残ってる戦力は少しでも多い方が良いしね」

 

 後は、適度に奴らに刺激を与えて、この状況を維持し続ければ良い。

 帝国の兵士達は魔人族が問答無用で帝国の人間を国ごと滅ぼしに来ていると勘違いしているが、アルディアスに絶対の忠誠を誓う魔人族が勝利よりも私怨を優先するなどありえない。

 

「戦争は殺した数が多い方が勝ちって訳じゃないんだ。アルディアス様が帝城に辿り着けばそれで終いさ」

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「戦況は上々と言ったところか」

 

 帝国の上空にて、フリードが各地の状況を確認しながら呟いた。

 フリードが指揮する騎竜部隊は、その機動力を生かした遊撃部隊だ。空から戦場の状況をリアルタイムで把握し、情報の伝達を行うと同時に必要に応じて各地の援護を行う。

 ただでさえ、目の前の敵に手一杯な状況で空からの奇襲も警戒しなくてはならない帝国兵からすれば堪ったものではない。

 

「第三部隊は東の増援へ向かえ。第四部隊は西だ。他はこのまま市街地をかき乱せ。ただし、何度も言ったが、民間人と保護対象は傷つけるなよ?」

 

「ハッ!」

 

 フリードの指示を受け、各々が行動を開始する。

 

「そろそろ私達の出番?」

 

 そんなフリードの乗るウラノスに一体の竜が近付き、その背に乗るアレーティアが問いかける。

 

「ああ、アルディアス様の存在に気付いた部隊のいくつかが帝城に集結しようとしている。あの方の道を阻もうとする愚か者を退けろ」

 

「ん!」

 

 勢いよく竜の背に立ち上がるアレーティアを皮切りに、彼女の周りに待機していた魔人族も同じ様に立ち上がる。

 

「魔導部隊……行くよ」

 

「「「了解!」」」

 

 そのまま何の躊躇いもなく竜の背から飛び降りた。それに続くように15人程の魔人族もアレーティアの後を追うように飛び降りる。

 

「第五部隊は魔導部隊の援護に回れ」

 

「ハッ!」

 

 フリードの言葉に十騎程の竜に乗った魔人族が追従する。

 

「事前に伝えた通り、地上では私以外はスリーマンセルで行動。何か問題が起きたら私に報告して。騎竜隊は各自の判断で適宜援護」

 

「「「了解!」」」

 

 アレーティアの指示に何の疑いも持たずに返答する魔導部隊のメンバー達。

 こうして見るとまるでアレーティアが隊長のように振る舞っているが、事実、この部隊の最高決定権を持つ人物こそがアレーティアだ。

 年季で言えば、アレーティアが一番新人に当たるのだが、その圧倒的なまでの魔法の実力と知識により、あっという間に部隊のメンバーに認められ、部隊長の地位にまで上り詰めていた。

 元々、魔導部隊のメンバーはアルディアスによって選出された魔法のエキスパートが集まる部隊だ。実力は言わずもがな、魔法への探究心はそこらの比ではない。

 そんな彼らの前に、自分達よりも高い知識と実力を兼ね備えたアレーティアが現れればこうなるのは必然だった。

 ちなみにアレーティアの「私がアルディアスを育てた」発言が飛び出し、アルディアスも肯定したことで普段の業務に支障が出るほどの衝撃が走ったことはご愛嬌だろう。

 

 重力に従って、落下し続けていたアレーティア率いる魔導部隊だったが、地面が近付いてきた辺りで、アレーティアは重力魔法を、他の面々は風魔法で落下スピードを殺さずに四方に散らばる。

 辺りを警戒しながら飛翔するアレーティアの前に、武装した帝国の一個小隊が現れる。向かっている先から察するに帝城の防衛部隊といったところだ。

 

「ッ!?──隊長! 3時の方角から何か来ます!!」

 

「魔人族か!?」

 

「……いや、魔人族じゃない? 子供?」

 

 アレーティアに気付いた兵士達がすぐに隊列を組み、そちらを警戒するが、そこに現れたアレーティアの容姿を見て困惑する。

 彼らからすれば、魔人族に襲撃されている現状で魔人族以外が現れるのは予想もしなかったことだろう。

 

「魔人族じゃないけど……私は魔人族側だよ。あと子供じゃない、あなた達よりも年上」

 

 子供扱いされたことにむっとしながらも自分のやるべきことをやる為に口を開く。

 

「大人しく投降するなら痛い目は見ないで済むけど……?」

 

「は?」

 

 いきなり目の前に現れた年端もいかない少女が、投降勧告を告げてきたことに呆然とするが、すぐに下に見られていることに気付き、表情に怒りを露わにする。

 

「帝国兵を舐めるなよ!! 子供だろうが、我々に歯向かうなら容赦はせん!」

 

「所詮は卑しい腰抜けの王に仕える蛮族だ!容赦するな!!」

 

「……は?」

 

 剣を抜き、今にも此方に襲いかかってきそうな兵士達を見据えていたアレーティアの顔から表情が抜け落ちた。

 

「お前……今何て言った?」

 

「何?……ああ、自らの主を愚弄されて頭にきているのか? フン、本当の事だろう? 王でありながら、敵に背を向ける者など王を名乗る資格すらない。民を守る為と言えば聞こえは良いが、ただ腰抜けなだけだろう」

 

「……」

 

 男の言葉を聞いたアレーティアは俯いたまま何も答えない。

 

「図星か? うまく我々の隙を突いたのは褒めてやるが、調子に乗るのもここまでだ。じきに偽王も討ち取られるだろう。どうだ? そんな間抜けは捨てて此方に来ないか? まだ子供だが、中々の逸材。お前程の容姿を持つ者ならガハルド様やバイアス様のお気に入りにもなれるやもしれんぞ?」

 

 状況が状況な為に初めは気付かなかったが、目の前の少女の容姿はガハルドやバイアスの側に居る美女と比べても一線を画す程の魅力を兼ね備えている。魔人族ならば問答無用で殺すが、そうでない以上、このまま殺すのは惜しいと男は判断する。

 帝国の皇帝や皇太子の側に立てるのだ。断るはずがないと手を伸ばす男に対してアレーティアは……

 

「生まれ直してこい、ブ男」

 

 氷のような冷たさを感じる表情で毒を吐いた。

 

「……やはり、所詮は蛮族。交渉などという人間の真似事など出来ようもなかったか……ならば、もう用はない。殺せ!!」

 

 隊長の合図で剣を抜いた兵士達が一斉にアレーティアに襲いかかる。

 

「……」

 

 その様子を見て大きくため息を吐いたアレーティアはゆっくりと掌をかざす。

 

『禍天』

 

 瞬間、その場の兵士達は地面に叩きつけられ、何かに押しつぶされるようにその場から身動きが取れなくなる。

 

「グウゥ!!」

 

「う、動けない……」

 

「な、何だこの魔法は!?」

 

 自分たちの知らない未知の魔法に困惑する中、アレーティアが先程よりも感情の籠もっていない声で語りかける。

 

「お前達に、三つだけ伝えておく」

 

「グッ!? な、何……!?」

 

「一つ、アルディアスは間抜けでも、腰抜けでもない。トータスの歴史を振り返っても、彼ほど王に相応しい人物は居ない」

 

「アアァァァ!?」

 

 男たちを襲う圧力が増す。体を動かすことはおろか、指一本動かすことも出来ない。

 

「二つ、私が欲しいなら、そっちから頭を下げて懇願しろ。まあ、お前達なんかについて行くなんて億が一にもないけど?」

 

 更に圧力が増していき、男達の纏う鎧が軋み始めた。最早、意識を保つだけでも精一杯の様子だ。

 

「三つ、私の前でアルディアスを侮辱するのは万死に値する」

 

 地面に亀裂が走り、呼吸をすることすら困難になっていく。

 意識が朦朧とする中、隊長の男は目線だけをアレーティアに向ける。そして、絹糸のような金髪から覗く、爛々と輝く紅の瞳と目が合った。

 そこで、ようやく男は気付いた。

 目の前に少女は、少女の姿をした化け物なのだと。相対することさえ、避けなければいけない相手だったのだと……

 

「ッ!?──……」

 

 後悔、恐怖、絶望。様々な負の表情を浮かべながら、男は意識を失った。

 

 

 

「……まあ、殺しはしないけどね」

 

 気絶した男達を見下ろしながらアレーティアは小さく呟いた。

 今後の為、アルディアスからは殺しは極力抑えるように伝えられている。もちろん、手加減をして此方が被害を被ってしまえば本末転倒なので、その指示を受けているのはアレーティアやフリードのような一部の実力者のみだ。

 アルディアスはもちろんのこと、神代魔法を習得している彼らがその力を大いに振るってしまえば、帝国の被害はとてつもないものになってしまうだろう。

 この世界の神に対抗する為の戦力は、少しでも多いに越したことはない。

 

「精々、お前達が侮辱したアルディアスに感謝するといい」

 

 それだけを吐き捨てると、アルディアスの覇道を阻む帝国兵を排除すべく、次の標的に向けて飛翔した。




魔物部隊司令官カトレア
せっかく生存しているのだから何かポジションを付けたいと思い、こうなりました。
原作での見た目から魔法職ではないし(そもそもアルディアスとアレーティアで存在が薄れる)、剣の達人とかそういうのも何か違うし、将軍はフリードだし……そうだ、原作でも魔物引き連れてたし、魔物専門の司令官とかどうだ?
と、言う訳で、うちの魔人族は空のフリードと陸のカトレアでいこうかと思います!


ヘルシャー帝国侵攻での魔人族の作戦早見表。

北地点 魔物部隊
作戦名:バッチリがんばれ
状況に応じて、攻撃、回避、回復をバランスよく行う。

東地点並びに西地点 歩兵部隊
作戦名:いのちだいじに
死ぬな、絶対に死ぬな。

南地点 アルディアス
作戦名:ガンガンいこうぜ
直進。とにかく帝城に向けて直進。どうせ君のMPは切れない。

帝都内部 騎竜部隊・魔導部隊
作戦名:いろいろやろうぜ
各地の戦況の把握。それに伴う情報の伝達と支援(騎竜部隊)
都市内に残った残存戦力の対処。各地点からの増援の妨害(魔導部隊)


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第十一話 【魔王の逆鱗】

書きたい内容はいっぱいあるのに自分の文才の無さにモヤモヤする日々。
ふわっとした気持ちで読んでもらえると幸いです。




「各地の戦況はどうなっている?」

 

「北門、東門、西門! 何とか均衡を保っていますが、突破されるのも時間の問題かと思われます!!」

 

「南に展開していた部隊の侵入を確認! 各地にて上空からの奇襲を受けています!!」

 

「チッ、分かっちゃいたが、状況は最悪だな……」

 

 帝城にて各地の戦況の報告を受けたガハルドは圧倒的な不利な状況に顔を歪める。

 

「陛下、やはり王国に救援要請を……!」

 

「完全に包囲されてる状況でどうやれと? それに、仮に出来たとしても増援が到着した頃には帝国は落とされてる」

 

「それは……」

 

 側近の一人がガハルドに進言するが、素気無く却下される。ガハルドとて、それが出来るのなら真っ先にやっている。だが、帝都が包囲されている現状で、王国への救援の使いがあっさりと抜け出せるとは考えづらい。無駄に捕まるだけだろう。

 

「……死傷者が予想よりも少ないのが幸いですね」

 

「……死傷者が少ない? おい、そんな報告は受けてねえぞ?」

 

「……え? あ、も、申し訳ありません!! 必要ないかと思いまして……!」

 

「必要かどうかは俺が決める!! てめぇのさじ加減で判断するんじゃねえ!!」

 

「も、申し訳ありませんでした!!」

 

 ガハルドの怒号を向けられた部下は震えながら頭を下げる。そんな様子に苛立ちながらも、今は時間が惜しいと新しくもたらされた情報を吟味する。

 

(死傷者が少ない? これだけ出遅れて、今尚劣勢な状況でそんなことあり得るか? そもそも、アルディアスが出てくれば一般の兵士なんぞ一瞬で……!?)

 

 一人思案していたガバルドだったが、唐突に何かに思い当たったのか目を見開いた。

 

「アルディアスを見た奴はいるか!?」

 

「え? 魔王ですか? いえ、奴が出たという報告は上がっていませんが……」

 

「後方で指揮をとっているのでは……?」

 

「バカ野郎が!! そんな訳ねえだろ! 自国の民を守るために最前線まで出張るような奴だぞ! そんな奴が安全な場所で高みの見物をしてる訳がねえ!!」

 

 何も分かっていない部下の態度に怒りを露わにしながら怒鳴りつける。

 だが、その怒りは同時に自分に向けたものでもあった。

 確かに魔人族達の力は凄まじい。一人一人が油断出来ない相手だが、その中でも一番に警戒しなければいけない相手がアルディアスだ。

 例え、どんなに優勢な状況だろうとも奴が現れるだけで状況は一変する。そんな相手の存在を真っ先に確認させなかった自分に腹が立つ。

 戦いが始まってしばらく経つが、その男の動向が分からないだけで言いようのない危機感が募る。

 

「とにかく、奴を探せ! もし姿を見つけたら接敵はせずに必ず情報を持ち帰れ!!」

 

「ぎ、御──」

 

──その必要はない。

 

「ッ!?」

 

 すぐに部下に指示を出すガハルドだったが、突然聞き覚えのない声が耳に入ってきた。

 その場に居る全員が声のした方向、部屋に繋がる扉に視線を向ける。

 ガチャ、とゆっくり扉が開き、そこからここに居る筈のない人物が姿を現す。

 

「こうして直接顔を合わすのは初めてだな。ヘルシャー帝国現皇帝ガハルド・D・ヘルシャー」

 

「……ああ、そうだな。魔国ガーランド現魔王アルディアス」

 

 たった今、帝国に侵攻を続けている魔人族のトップ、アルディアスがたった一人で玉座の間に現れた。

 

「貴様!? 一体どうやってここに!?」

 

「正面からだが?」

 

「ふざけるな! この城に一体何人の兵士が居ると思っている!」

 

「構わん! この場で殺せば同じことだ! 全員一斉に掛かれ!!」

 

 突然のアルディアスの出現に、その場に居る全員が困惑するが、即座にその首を飛ばそうと剣を抜く。

 こうなることは予想済みだったのか、アルディアスは一切動揺する様子を見せること無く、口を開こうとした瞬間── 

 

「動くんじゃねえ!!」

 

「ッ!?」

 

 ガハルドの怒号が室内に響き渡る。

 そのあまりの迫力に、アルディアスを除く全員の肩が驚きで飛び上がる。恐る恐る振り返ると、そこには此方に目もくれず、真っ直ぐにアルディアスを睨みつけるガハルドの姿があった。

 

「……陛下?」

 

「……全員その場を動くな。俺の指示無しに動くことは絶対に許さん」

 

 力強く宣言するガバルドだったが、側に立っていた側近の一人はハッキリと目撃した。ガハルドの頬を一筋の汗が流れ落ちたのを……

 何時、いかなる時も王として、強者としての毅然な態度を崩すことのないガハルドが明らかに焦っている。

 そんなガハルドに対して、アルディアスは感心したように頷いている。

 

「理解不能な状況に対して、思考を捨て、闇雲に突撃するのは得策とは言えない……良い判断だ」

 

「そりゃ、どうも。それで、どうやってここまで来やがった?」

 

「先程も言ったが、正面から堂々と」

 

「……下に居た俺の部下達はどうした」

 

「騒がれそうだったのでな、少し眠ってもらった。安心しろ、死んではいない」

 

「こっちとしてはありがたいんだが……何故殺さなかった? まさか、敵でも命はなるべく取りたくないとか抜かすような甘ちゃんじゃあねえだろ」

 

「ああ、敵に情けをかけるほど甘い考えを持ってはいないさ。殺さなかったのは俺の目的の為でもある」

 

「目的だと?」

 

 アルディアスの言葉に眉を顰めるガハルド。

 人間族と魔人族は何千年もの間戦い続けている。目的は単純明快、敵種族の殲滅だ。民間人や女子供の扱いの差はあれど、少なくとも敵国の兵士を生かしておく理由など考えつかない。

 

「ああ、それで──」

 

「貴様が偽王アルディアスか!!」

 

 話を続けようとしたアルディアスの言葉を遮り、一人の男が声を上げる。

 アルディアスがそちらに視線を向けると、大柄な男が此方を値踏みするよう睨みつけながら、ズカズカと近付いてくる。 

 

「……そうだが?」

 

「ふん、敵陣の真ん中にノコノコと現れるとは、余程自信があるのか、それともただの馬鹿か……どちらにせよ、貴様を討てば俺の名声もトータスに響き渡ることだろう」

 

 ニヤニヤと下品な笑みを浮かべ始めた男は、どうやら自分の首を取ることで自身の名を轟かせたいようだ。

 それ自体は何ら不思議なことではない。魔人族の王である自分の首を打ち取れば、その人物は人間族の英雄として歴史に名を残すことになるだろう。

 だが、それよりもアルディアスには気になることがあった。

 

「貴様……誰だ?」

 

 自分と皇帝であるガハルドの会話に何の抵抗もなく割り込んでくることから、それなりの地位の人間であることは予想できるが、あいにくと遠く離れた敵国の人間の顔を一人一人覚えている訳も無かった。

 

「なッ!? 貴様、俺の顔を知らないだと!? ふざけるなよ!? 俺は──」

 

「バイアス!! てめえ、何勝手にしゃしゃり出てやがる!!」

 

 アルディアスが自身の事を知らないと知った男が、表情を怒りに歪め、食ってかかろうと更に一歩踏み出した瞬間にガハルドの怒号が男の言葉を遮った。

 

「バイアス?」

 

 その名前にアルディアスは聞き覚えがあった。顔は知らなかったが、確かその名は帝国の皇太子のものだ。

 

「俺の命令が聞こえなかったのか? 俺の指示無しに動くなと言った筈だが……?」

 

「お言葉ですが、皇帝陛下。敵国のトップが間抜けにも一人で姿を現したのですよ? 呑気に会話などせず、さっさと首を落としてしまえばいいではありませんか」

 

「そう簡単な問題じゃねえんだよ、クソガキが……!」

 

 あまりにも楽観的な考えのバイアスにガハルドの額に青筋が浮かび上がる。

 そんな二人の会話を聞いていたアルディアスは、親子と聞いていたが、随分と内面に差があるのだなと呑気に関心していた。

 

「バイアス・D・ヘルシャー。帝国の皇太子に選ばれる程の男なら、それ相応の器の人間かと思っていたのだが……フム、どうやら俺達がわざわざ足を運ばなくても帝国は滅んでいたかもしれんな」

 

「何だとてめえ!?」

 

「ガハルド。他国のことにどうこう言うつもりは無いが、後釜くらいもう少しまともな奴を選ぶことをオススメする」

 

「……チッ」

 

「ふざけたこと抜かしてんじゃねえぞ! 帝国は力こそが全て! 誰よりも強い俺が次期皇帝の座に座るのは当たり前だろうが!!」

 

 アルディアスの忠告とも取れる言葉にガハルドは苦虫を噛み潰したような表情になる。

 実力主義の帝国において、バイアスが皇帝の座につくのは何ら問題は無いが、あまりにも精神面が未熟すぎた。側室の子である為、ガハルドから親の愛情を受けていないことも原因の一因だろう。

 だが、アルディアスの言葉はバイアスからすれば耐え難い侮辱だ。

 

「確かに王を名乗る上で力は一つの重要な要素だ。だが、力だけの王になど民は着いてこない。そんなことすら分からないのか?」

 

「バカバカしい! 民が着いてこないだと? 着いてこなければ切り捨てれば良い。歯向かうならば殺せば良い。弱者は強者に従うのみ! この国では強さこそが正義だ!」

 

「……そうか、お前とは根本的に相容れないようだ」

 

「元々貴様なんぞと馴れ合う気などないわ! 俺を侮辱した罪は重いぞ! 簡単には殺さん! じわじわと嬲り殺しにしてくれる! ()()()()()()()()()!!」

 

「……何?」

 

 これ以上の問答は時間の無駄だと悟ったアルディアスが話を切り上げ、再びガハルドに視線を戻すが、バイアスの怒りは収まらない。本能のままに怒声を飛ばすが、アルディアスは見向きもしない……その言葉を耳にするまでは。

 

「あの魔人族とはどういう意味だ」

 

「ん? ああ、何だ? 気になるのか?」

 

「答えろ……!」

 

 自分に興味を示さなかったアルディアスが明らかに此方に敵意を向けている状況に、先程までの表情から一変、ニヤニヤと笑みを浮かべる。

 

「ありゃあ、一年前くらいだったな。お前ら魔人族との小競り合いに俺も参加してたんだが……そのときにムカつく奴がいてな。弱いくせにいっちょ前に仲間を守ろうとしやがってよ、苛つくったらありゃしねえ。だから、殺してやった。それも簡単には死なせないようにじわじわとなぶり殺しにな!」

 

「……」

 

「バイアス!! 戦場で何勝手なことしてやがる!!」

 

「人間族の敵を殺しただけですが? 何か問題でも?」

 

「バカがッ!!」

 

 帝国の掲げる実力至上主義。その弱肉強食の理論は帝国に深く染み付いており、ガハルドとバイアスも例外ではない。しかし、二人の弱者に対する扱いは大きく違っていた。

 ガハルドにとって、弱者とは道に転がる石ころのようなものだ。自分の歩みを妨げるなら蹴り飛ばすが、道端に転がって居るならば気にすることもない。それが自国の民でないのなら尚更だ。

 それに比べ、バイアスにとっては退屈しのぎの玩具に過ぎない。自分の機嫌を損ねようものなら簡単に殺す。仮にそこが戦場であろうともそれは変わらない。

 

「……ソイツの特徴は?」

 

「は? 雑魚のことなんざいちいち覚えてられるか……いや、お前の名前を出してたな。アルディアス様、申し訳ありません〜ってな。情けなくて笑えたぜ。それと女の名前もあったな。確か……シリア、だったか?」

 

「ッ!──そうか」

 

「シリアってのはソイツの恋人か何かか? なら、愛しの彼氏の最後を教えてやれば泣いて喜ぶかもな! ハハハハッ!!」

 

 バイアスの高笑いが室内に木霊する。対してアルディアスは俯いたままで、その表情を伺うことは出来ない。

 その様子にガハルドが何か嫌な予感を覚えた瞬間──

 

 バイアスが背後から剣に貫かれた。

 

「うわあ!?」

 

「ひッ!?」

 

「アアッ!?」

 

 バイアスが悲鳴を上げると同時に、周囲の兵士達からも同様に悲鳴が上がる。

 全員が滝のような汗を流しながら、同じ様に胸を押さえている。

 

「い、生きてる……?」

 

 バイアスが震えながら刺された胸に手を当てるが、そこには剣など初めから存在しなかったように傷一つ無かった。

 そんな中、唯一ガハルドだけが何があったのかを正確に理解していた。

 

(ッ!?──今のは殺気か!? なんつー馬鹿げた殺気出しやがる! 一瞬、自分の死を錯覚しちまった!)

 

「……それ以上口を開くな」

 

 その場に居る全員にゾワリと悪寒が駆け巡る。無意識に体が震え、まるで石になったかのようにその場から動くことが出来ない。

 特にその殺気の矛先に居るバイアスの表情は周りの者と比べ、一段と酷い。

 

「あ、ああ……あああ」

 

 表情を青褪めさせ、その場に腰を抜かす。その股からは微かにアンモニア臭が漂う。

 

「一年程前、魔人族の若い兵士が戦死した。回収された遺体は損傷が激しく、顔は判別が出来ない程ぐちゃぐちゃにされていた……そうか、お前か」

 

 アルディアスが一歩、また一歩とバイアスに近付く。彼の脳裏には今も当時の光景が鮮明に映し出される。自分に憧れていると嬉しそうに語っていた青年の表情が……無惨な姿で帰ってきた青年を前に泣き崩れる婚約者の姿が……

 戦死者の遺体が五体満足で帰ってこないものは数多く存在する。しかし、その青年の遺体の損傷は戦闘によるものとは考えづらい程、酷い状態だった。それこそ、まるで拷問にあったかのような……

 

「戦争に私怨を持ち込むなどあってはならないが……俺にも限界というものがある」

 

 アルディアスがバイアスの前に立ち、恐怖に震えるその男を見下ろす。

 

「どうした? 先程まで意気揚々と騒いでいたではないか。その腰の剣は飾りか?」

 

 自分の目の前に立つ男を見上げながら、バイアスは終始困惑していた。

 

(お、俺はこの国の皇太子だぞ……次期皇帝だ!? そんな俺を見下ろすなど……断じて許す訳にはいかない! なのに、何故体が動かない!? 何故手が震える!? 俺は……俺は……!)

 

 バイアスは良くも悪くも武の才に恵まれていた。しかし、恵まれていたからこそ圧倒的な敗北を味わったことが無く、与えられた指南役は数日もすれば相手にならなくなった。

 唯一、ガハルドならばバイアスの相手を務められたが、皇帝としての職務に忙しく、そもそも親としての愛情を持っていなかった為、わざわざ時間を割くこともしなかった。

 だからこそ、初めて感じる圧倒的な強者からの殺気に困惑する。

 自身が感じているのが、恐怖だと気付くこともなく……

 

「ッ!?──舐めるなよ、俺は次期皇帝になる男だぞ!? 貴様なん、ぞ……に……」

 

 それでも、自身の奥底から湧き出る恐怖を押し殺し、バイアスは立ち上がり、剣の柄に手を掛ける……が、それを抜くことは出来なかった。

 バイアスを見つめる黄金(こがね)色の瞳。その奥に感じる黒く燃え上がる怨嗟の炎。

 そこが彼の限界だった。

 

「う、うわァァァ!!」

 

 叫び声を上げながらアルディアスに背を向け、扉に向けて駆け出す。

 無様に足をもつれさせながら逃げる様からは皇太子としての威厳は全く感じられない。

 

「せめて、一撃入れるくらいの気概があれば救いようもあったんだがな……お前はいらん」

 

「──ガッ! な、何だこれは!?」

 

 一直線に走っていたバイアスが額を何かに強くぶつける。困惑しつつも辺りを慌てて見回すと、自分が透明な結界に覆われていることに気付く。

 

「出せ! ここから出せぇ!! おい、貴様何を呆けている!? 早く俺を助けろ!!」

 

 扉の近くに居た兵士の一人に助けを求めるが、困惑する様子を見せるも、助けに動く気配はない。

 

「何をしている!? 俺はこの国の皇太子だぞ! 替えの利く貴様らとは違うんだ!? 俺の為に死ぬのが貴様らの役目だろうが!!」

 

「……?」

 

 それでも動かない。それどころか、どんどん困惑の色が強くなっていく。

 しかし、それも仕方がないことだろう。何せ、バイアスの言葉は何一つ彼らに届いてなどいないのだから……

 

「───!───!?」

 

「無駄だ。その結界内ではお前の声が此方に届くことはない」

 

 “無響(むきょう)“──対象を中心に形成される隠蔽結界。中の人物や物が発する音や気配を完全に抹消する魔法。アルディアスがカトレアと共に人間領を脱出した際に使用した魔法だ。

 その気になれば周囲の景色と同化することも可能だが、今回はその能力は使っていない。

 そして……

 

「お、おい……何か、あの結界縮まってないか?」

 

「……え?」

 

 未だに殺気を放ち続けるアルディアスを前に、黙って見ていることしか出来なかった兵士達が異変に気付く。

 バイアスを覆う結界が少しずつ収縮している。

 そのことにバイアスも気付いたのだろう。ようやく腰の剣を抜き、我武者羅に結界に叩きつけるが、ヒビ一つ入る様子はない。

 ついには剣を振るうことすら出来なくなり、大柄なバイアスの体を強く圧迫していく。

 苦悶の表情を浮かべ、悲痛な叫びを上げるバイアスだが、その声は誰の耳にも届くことはない。

 次第に腕や足がおかしな角度に折れ曲がり、肉体が裂け、結界内を鮮血が満たし始める。 

 周囲の兵士達も堪らず視線を外す。結界に囚われるバイアスの最後を悟ってしまったのだろう。

 バイアスは滂沱の涙を流しながら結界の前に佇むアルディアスに目を向ける。

 その表情からは先程までの傲慢な様子は鳴りを潜め、アルディアスに許しを請うかのように見つめる。

 しかし、そんなことでアルディアスが止まる筈も無い。

 

「本来ならば、遺言の一つくらい聞くんだがな……お前の言葉など聞くに値しない。後世に何一つ残すこと無く、消えてしまえ」

 

 アルディアスの言葉を最後に、結界の収縮が一気に加速する。何の音もなく、赤黒いビー玉サイズまで縮まり、そのまま宙に溶けるように消えていった。

 

 あまりの衝撃に誰も口を開くことが出来ず、辺りが静寂に包まれる。

 そんな中でたった一人、アルディアスだけは何事も無かったようにバイアスが居た場所に背を向け、再びガハルドの前に戻ってくる。

 そして、油断なく此方を睨みつけるガハルドに視線を向ける。

 仮にも自らの息子を目の前で無惨に殺されたのだ。本来ならその相手にさぞかし憎悪の籠もった眼を向ける筈だが、ガハルドからは単純なアルディアスの力に対する警戒を感じるだけで、怒りや憎しみなどといった負の感情は伝わってこない。

 

「実の息子が死んでも動揺は無し……か。帝国は皇帝の座をかけて身内だろうと決闘を行うと聞いていたが、本当のようだな」

 

「良く知ってるじゃねえか。あいつは次期皇帝の座を決める決闘で実力を示した。だから皇太子の座を与えた。ただそれだけだ」

 

 実力があったから、それに見合う地位を与えた。魔人族はもちろん、同じ人間族である王国の人間にすら理解することは出来ない思想だが、これこそが帝国が実力至上主義と言われる所以なのだろう。

 

「だが、奴は俺を不愉快にさせた。戦士にとって戦場は己の力を示す唯一無二の居場所。立ち塞がる敵をなぎ倒し、強者との命のやり取りをする中で、常に高みを目指す男こそが皇帝の座に相応しい。決して足元に群がる弱者にいい気になるようなクズが座れる椅子じゃない。てめぇが殺らなかったら俺が首を刎ね飛ばしてやったところだ……バイアスが殺したという男……ソイツはお前から見て強者になり得る男だったか?」

 

「……お前のいう強者に該当するかは知らんが、国の為、愛する者を守る為に己をかける事が出来る男だった。将来は魔国の将にまで上り詰めたかもしれんな」

 

「そうか……戦場で命を弄ぶなど言語道断。シリアだったか? 恋人らしいな。ソイツには謝っといてくれ」

 

「承知した」

 

 ガハルドがアルディアスに謝罪の言葉を述べたことにその場の兵士達に衝撃が走るが、彼に近しい側近達はガハルドの行動の真意がよく理解できた。

 彼は帝国の思想を体現したかのような存在だが、王であると同時に紛れもない一人の戦士であった。

 故に、例え弱者であろうとも、確固たる信念や強者になり得る才を持った戦士には一定の敬意を払うことも珍しくなかった。

 もしこれが、情報を得る為に捕縛した敵兵を拷問しただけであったなら、ガハルドは何とも思わなかったし、アルディアスに謝罪することもなかった。もちろん、アルディアスがあそこまでの怒りを露わにすることもなかった筈だ。

 

「さて、話が途中だったな。目的がどうとか言っていたが?」

 

「ああ、随分時間を無駄にしてしまったな。あまり外の連中を待たせるのも悪い。単刀直入に用件だけ伝えよう……降伏しろ」

 

 いきなりの降伏勧告にその場が一気に緊張に包まれるが、先の光景を思い出し、恐怖から反論の声を上げることが出来ない。

 

「いきなりだな。呑まなければ?」

 

「帝都を落とす」

 

「だろうな……断る。帝国を舐めるなよ? お前が何を考えてるのかは知らんが、戦わずして降伏などありえん。敗戦国の王族の末路は死あるのみ。何千年もの恨みが積み重なっていれば民にもそれが及ぶ可能性もある。俺も、この国の兵士も最後まで抵抗を続けるだろう」

 

「先程も言ったが、無駄に命を奪うつもりは無いが……?」

 

「それをはいそうですかと信じられると思うか?」

 

「まあ、無理だろうな」

 

 一瞬、自身の目的を話そうかとも思ったが、信憑性がない上に、王国程じゃなくとも、エヒトの信者である彼らにいきなり真相を話したところで、信用を得るどころか、混乱させる為の出任せと捉えられてしまう可能性が高い。

 

「やはり、計画通りに進めるのが最善か」

 

「何?」

 

 ため息をつきながら、小さく呟くアルディアスに眉を潜めたガハルドが聞き返す。そんなガハルドを尻目にアルディアスはこめかみに指を当てる。

 その様子に何かをするつもりなのかは分からないが警戒を高める兵士達。しかし、次の瞬間、彼らは一様に言葉を失うこととなる。

 

「……全軍に通達。たった今を持って、作戦を第二段階へと移行する。全軍──()()()()()()()()()()

 

「「「……は?」」」




次期皇帝?バイアス・D・ヘルシャー
バイアスって次期皇帝らしいけど、強さはともかく他は完全にガハルドに劣ってますよね。カリスマとか人望なさそうだから皇帝になったとしてもすぐ謀反とか起きそう。

アルディアス様ブチギレ
戦争に汚いもクソもないので、情報を吐かせる為に捕虜を拷問するのは理解できるし、何ならすることにも躊躇いはありません。自国の民の安全が第一なので。
しかし、自らの愉悦の為だけに民を殺したバイアスに神の姿が重なり、ギルティとなりました。


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第十二話 【帝都陥落】

ギリ、一週間に間に合った……

──訂正──
7話《新たなる光》で当小説の魔法は理解とイメージの二つが必要という理論で進めていきますと書きましたが、原作通り、どちらかが完璧なら片方は省略が出来るという設定に変更したいと思います。
コロコロ変わって申し訳ありません。思いつきで書き始めるものじゃありませんね。7話の内容も少し修正しましたが、多分どこが変わったか気付かないレベルです。ご了承下さい。

それと、自分で見直す時とかでも見辛いかなと思っていたので、各タイトルの前に話数を入れていくようにしたいと思います。


「離脱……だと!? どういうつもりだ!」

 

「さあ? 何故だと思う?」

 

 アルディアスの口から飛び出した言葉に誰もが困惑する。

 恐らく、何らかの方法で自軍に指示を出したと思われるが、その内容が全く理解できないものだった。

 戦況は完全に帝国の不利だった筈だ。口では否定したものの、現状を正しく判断すれば、認めたくはないが、このまま押され続ければ確実に帝都は落とされていた。

 最早、勝利は目の前と言ってもいい状況での全軍の離脱。侵攻が止まったからといって戦力差が覆る訳では無いが、体勢を立て直すことは出来る。

 だからこそ、理解できない。

 あっという間に帝国を包囲し、単身帝城に乗り込み、圧倒的な力を示した。

 目の前の男の思考が理解できない。理解できないからこそ、恐ろしい。

 

(コイツは作戦を第二段階に進めると言った。つまり、離脱することは初めから決まっていたってことか? 何故そんな事をする? そもそもブラフの可能性も……? だが、何のメリットがある? くそッ! ダメだ、情報が無さすぎる)

 

「……ガハルド、俺の話を信用しろとは言わないがこれだけは言っておく」

 

「……何だ」

 

「俺にとって、何よりも優先するのがガーランドに住む民の命だ。それを守る為ならば、他者にどれだけ非情と思われようとも構わない……そして、次に優先するのが世界の安寧だ」

 

「世界の安寧だと?」

 

「ああ、この世界はあまりにも命の価値が小さすぎる。人が簡単に武器を手に取り、当たり前のように命を奪い合う。その毒牙が俺の民に向くのだけは許容できない……だから俺がこのトータスを太平させる。俺が魔人族を害意から守り続けるのではなく、剣を取ることすら愚かなことだと知らしめる」

 

「それがこの世界の安寧に繋がると? そりゃ、魔人族からすれば安寧だろうが、人間族からすれば恐怖で支配されてるだけじゃねえか。最初は良くとも、積もりに積もった不満はいつか再び戦争という形で現れるぞ」

 

「言った筈だ。無駄に命を奪うつもりは無いと。俺の支配に反抗する者も居るだろうが、その結果が以前よりも良いものとなれば、自ずと受け入れる者が出てくる。長い年月が流れれば、世代も変わり、戦争を知らない者が多くなる。そうやって世界とは移り変わっていくものだ」

 

「……」

 

 アルディアスの言葉を聞き、ガハルドは顔を顰めながら黙り込む。

 目の前の男の言葉は確かに一理ある。そもそも、数千年重なり続けた憎しみは簡単に取り払えるものではない。完全に溝が無くなるのは数十年、或いは百年単位の年月が必要だ。

 その間に恐怖による支配ではなく、形だけでも戦争のない平和な世界を実現することが出来れば、その世界を受け入れる人間族も出てくるだろう。

 一度でも戦争のない平和な世界を享受してしまえば、再度争いを始めようとするものは限りなく少数になることは想像に(かた)くない。

 だが……

 

「お前の理屈は分かった。だが、この世界には神が居る。俺達人間族の神、エヒト神。お前達魔人族の神、アルヴ神。その神を差し置いてこの世界を支配することなど出来る筈も無い」

 

 魔人族がどれ程神を信仰しているかは知らないが、人間族──特に聖教教会の人間は根っからの狂信者の集まりだ。例え、王都を落とされようとも、エヒト神が健在ならば抵抗を止めることはない。

 

「それとも何か? エヒト神すら殺すとでも言うつもりか?」

 

「良い線だが……少し惜しいな」

 

「は?」

 

 ガハルドとしては冗談のつもりだったのだが、思いもよらぬ返答を貰い、ポカーンと口を開けたまま硬直する。

 

『アルディアス様、全軍の離脱が完了しました』

 

 その時、フリードから離脱完了の連絡が入る。

 これで、準備は整った。

 

「そりゃ、どういう意味──」

 

「悪いが、時間切れだ。此処から先はお前が降伏を宣言した後にしよう」

 

「だから、しねえっつってんだろ。例え帝都を落とされようとも、全てが瓦解する訳じゃねえ。俺達が居なくとも、残った奴らは最後まで戦い続けるぞ」

 

「いや、するさ。お前が真にこの国の皇帝を名乗るならば尚更な」

 

 アルディアスの物言いに眉を顰めるガハルドだったが、変化はすぐに現れた。

 

「「「ッ!?」」」

 

 アルディアスの足元に一つの魔法陣が出現した。

 輝きながら廻転する魔法陣は次第に大きさを増していく。それは玉座の間に居る人間全ての足元まで広がりを見せ……更に室外に飛び出して尚、拡大を続ける。

 

「何をするつもりだ!?」

 

「すぐに分かる」

 

「一体何を──ッ!?」

 

ズガガガガガガガガガガッ!!

 

 ガハルドが更に追求しようとした瞬間、帝城を揺るがすかのような大きな衝撃が彼らを襲った。

 その衝撃で室内の飾られた装飾品が音を立てて、落下し、窓ガラスは一枚残らず粉砕した。それだけに留まらず、城全体が軋み始め、床、壁、天井に小さくない亀裂が走り出す。

 その場に居る者達はまともに立っていることも出来ず、その場にしゃがみ込んだり、壁により掛かることで何とか凌いでいる。

 どれほど時間が経っただろうか。まるで、一秒が数分にも感じられる中、ようやく揺れが収まっていく。

 身を低くしていた帝国の兵士も、恐る恐る立ち上がり周りを見渡すが、先程よりも部屋が荒れている点を除けば特に変化は見られない。

 唯一違う点を上げるならば、今も尚、廻転し続ける魔法陣くらいだが……

 

「……何だ? 何をした?」

 

「何だと思う?」

 

「ふざけ──」

 

「へ、陛下!!」

 

 とぼけるアルディアスに更に追求しようとしたガハルドだったが、部下に名を呼ばれ、そちらに視線を向ける。

 そこには割れた窓の近くの壁にもたれ掛かるようにして立っている部下の兵士が一人。その表情は生気を失ったように青白く、体は小刻みに震えている。

 

「……どうした?」

 

「そ、外を……外をご覧になって下さい……」

 

「外?」

 

「私は……今、自分の目で見たものが信じられません。いっそのこと全てが幻だと言われた方が……ううぅ」

 

 それだけ言うと、頭を押さえて蹲ってしまった部下に嫌な予感を覚えながらもテラスへと続く扉から外の様子を窺う。

 帝国の象徴でもある帝城は、帝都最大の建造物だ。例え、テラスまで出なくとも、帝都の街並みが一望できる程の高さを誇る。

 

「──ッ!?」

 

「陛下!?」

 

 そんないつもと変わらぬ景色を想像していたガハルドだったが、それを視界に入れた途端、扉を蹴破り、テラスに飛び出していく。

 そんなガハルドを部下達も慌てて後を追う。

 そして、目撃する。

 

「そんな、馬鹿な……」

 

「ありえない……」

 

「こんなことが……」

 

 ガハルドの後に続いた部下たちがガハルドと同じ光景を視界に入れ、呆然とする。

 

「理解したか?」

 

 言葉を失うガハルド達を尻目に、アルディアスが彼らに語りかける。

 

「これが“力“というものだ」 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

──数分前・帝都東門周辺。

 

「おい、増援はまだか!?」

 

「要請は何度も出してる! だが、返答が一切ない! それに帝都の方で戦闘音のようなものも聞こえた!!」

 

「ま、まさか、すでにどこかの防衛線が破られたってのか!?」

 

「知るかよ!? 他のとこを気にしてる余裕なんかねえよ!」

 

 東門周辺では今も尚、魔人族による激しい戦闘が続いていた。

 剣と弓を主体に戦う帝国の兵士に対して、魔人族は無闇に距離を詰めず、確実に魔法で此方の戦力をじわじわと削り続けていた。

 本来、魔法を使う場合はそれ相応の長さの詠唱が必要なのだが、魔人族は各々の詠唱時間や発動タイミングを完璧に把握していた。

 絶えず繰り出される魔法の弾幕が帝国の兵士に襲いかかり、反撃しようにも、剣は届かず、矢は宙で燃え尽きる。今までは数の差を活かしてその弾幕を突破していたが、帝国各地に戦力を分散された現状では防衛線を突破されないように維持するだけで精一杯だった。

 そして──

 

「ッ!?──全員退避ッ!!」

 

「「「ッ!?」」」

 

 降り続ける魔法の雨を悪態をつきながらも対処していると、一人の兵士の声が戦場に響き渡った。その声を認識した瞬間、各々が全力で城門の外壁やバリケードに身を隠す。

 次の瞬間、人間を簡単に消し炭に変える程の熱量を宿す火焔球が彼らを襲った。

 

「ギャアアアアッ!?」

 

「クソッタレ!!」

 

 退避が間に合わなかった者達が炎の津波に呑み込まれていく。

 何よりも厄介なのが、合間に打ち込んでくる今のような上位魔法だ。

 ただでさえ、近付くことすら難しい状態で、後方で詠唱を終えた上位魔法は帝国の一個小隊を丸ごと殲滅する破壊力を秘めている。

 

「クソッ! このままじゃジリ貧だぞ!?」

 

「そんなこと言ったってどうしようもないだろ!?」

 

「じゃあ、このまま無様に殺されろってのか!?」

 

「俺に当たってんじゃねえよ!!」

 

「こんな時に止せって!!」

 

 完全に後手に回り続け、何の手立てもない状態で、一人の兵士が側に居る仲間に掴みかかる。

 防衛線を維持するのに手一杯な上、犠牲者も出ている現状に帝国の兵士達も冷静さを失い、隊をまとめる隊長の声すら届かなくなりつつある。

 

「……あれ?」

 

 そんな彼らを尻目に、外壁から僅かに顔を覗かせて敵の様子を窺っていた男の一人が怪訝な声を上げる。

 顔だけを覗かせていただけの男がゆっくり身を乗り出し、呆然とした様子で立ち尽くす。

 

「おい、何してんだ!? あぶねえぞ! またすぐに奴らの攻撃が──」

 

「退いてる」

 

「……は?」

 

「退いてるんだよ!? 魔人族共が!!」

 

 男の言葉にその場にいる全員が目を見開き、そんな馬鹿なと自身の目で確かめようと視線を向ける。

 すると、此方を警戒しつつも、確かに後退を始める魔人族の軍勢の姿が確認できた。

 

「ど、どういうことだ?」

 

「あ、ああ。何でこのタイミングで……」

 

 明らかに優勢な状況で撤退した敵の意図が読めず、混乱する帝国の兵士達。

 敵が退いたことで出来た余裕で、隊列を組み直し、再度侵攻に備えて戦線を立て直すが、一向に攻めてくる様子がない。

 距離を開けての睨み合いが続く中、突然それは起こった。

 

ズガガガガガガガガガガガッ!!

 

「な、何だ!?」

 

 突如、彼らを立っていられない程の大きな揺れが襲った。

 その衝撃で外壁の一部は崩壊し、地面に多数の亀裂が走る。

 しかし、数十秒もすれば揺れも収まり、何事も無かったかのように静寂がその場を支配する。

 

「じ、地震か?」

 

「こんな時に不吉な……」

 

「……」

 

「?──おい、どうした? そんなマヌケ面して」

 

 突然の揺れに一瞬パニックになるも、すぐに収まり、ホッと息を吐いた兵士達が居る一方、数人の兵士が帝都の方を見ながら呆然としている姿が目に映った。

 

「俺は今、夢でも見てるんだろうか……」

 

「あ? 何いってんだ?」

 

「あれ……」

 

 男が震えながらゆっくりと帝都がある方角を指差す。怪訝そうな表情でそちらを振り向いた男がその顔に驚愕の表情を浮かべる。

 その目に映るありえない光景を前に、ある者は腰を抜かし、ある者は剣を落とす。

 しかし、そんな彼らを嘲笑うかのようにソレは()()()()()()()()()()()()()()()

 全員が唖然とする中、一人の兵士がポツリと呟いた。

 

「城が、浮いてる……?」

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「持ち上げたのか、この帝城を!?」

 

 帝都が誇る帝城が大地ごと、空高く浮上していた。

 今この瞬間も高度を上げ続け、次第にゆっくりと平行移動を始める。向かう方角は帝都の中心地だ。

 

「ああ、これ以上無い力の証明だろう? それと、後ろにいるお前。下手なことはしない方がいい」

 

 アルディアスの言葉に彼の後ろに忍び寄っていた一人の兵士の肩がビクッと跳ねる。

 

「お前程度じゃ俺に傷をつけることは叶わないが……今、この城が浮かび続けているのは俺が居るからだ。万が一、俺の力が途絶えることがあれば、このまま真っ逆さまだろうな。これだけの質量が地表に落下すればどうなるか……分からない程愚かでは無いだろう?」

 

「ッ!?」

 

 腰の剣に手をかけていた兵士の顔が瞬時に青褪めていく。アルディアスの言葉の真意を悟ってしまったのだろう。

 帝国に住まう全ての人間の命が文字通り魔王の掌にあることに……

 

「ガハルド、お前は言ったな。この国の兵士は、最後まで抵抗を続けると……お前達が居なくとも、戦い続けると……今でも同じことが言えるか?」

 

「ッ!──それは……」

 

「この光景を帝国の全ての民が見ている筈だ。帝国を統べる王族とその側近を失い、国さえも崩壊し、それでも尚、彼らは戦う意志を示すと思うか?」

 

「クッ!?」

 

 ガハルドは歯を食いしばり、アルディアスを強く睨みつけることしか出来ない。その態度が何よりも彼の返答を物語っていた。

 

「もう一度だけ選択の余地をやろう。降伏しろ……さもなくば、()()()()()()。好きな方を選べ」

 

 要求内容は依然変わらない。それでも先程と違い、ガハルドは即断することが出来ない。仮に要求を拒み、城を帝都に落とされた場合、その被害はとんでもないことになる。

 大地は割れ、街は崩れ、人は死に絶える。最早復興などと生ぬるい言葉では言い表せない惨状になることは間違いない。

 民は自らの住む国が一瞬で地獄に変わる瞬間を目撃することになる。これが人の理解が及ぶものであれば、それを糧に奮起することも可能だろう。

 しかし、人の枠を超えた力の一端に触れた人類は、理解することを止め、崇めることでその脅威が自分達に向かないようにする……恐怖の対象に神と名付けることで。

 抵抗など、出来ようもない。

 

「グググゥッ……ああッ!! クソッタレ!!」

 

 しばらく葛藤するかのように唸っていたガハルドだったが、苛立ちを現すかのようにグシャグシャと頭をかきむしる。

 

「分かったよッ! 俺の負けだ、チクショウ! 降伏する! だから城を落とすのは止めろ!!」

 

「懸命な判断だ。これで帝国の名が歴史から消えることは無くなったな」

 

 それだけ告げると、帝城がゆっくりと下降し始める。これだけの質量の物体を移動させているというのに汗一つかく様子のないアルディアスに最早ガハルドは乾いた笑いしか出てこない。

 

「すまんな、お前ら。今回ばかりはどうしようもねえ……帝国は強さこそが至上。文句一つも出ないほどの大敗だよチクショウ。白旗を掲げろ。これ以上無駄な死者を出すな」

 

「ッ!──御意……」

 

 指示を受けた部下の一人が悔しそうに歯を食いしばるも、ガハルドの判断に異論はないのか、すぐに室内に駆けていく。

 

「たくっ……降伏させる為に城を浮かすとか考えてもやるかよ普通。つーかやれねえよ。お前ホントに人か? 実はお前がアルヴ神とか言わねえよな」

 

 あれだけの人知を超えた力だ。正直、アルディアスの正体が“人“ではなく“神“であると言われても驚かない自信がガハルドにはあった。

 

「……あんなのと一緒にするな」

 

「ん?」

 

 走り去っていく部下の背中を見ながら、何のけなしに呟いたガハルドだったが、あからさまに顔を顰めるアルディアスを見て、頭に疑問符を浮かべる。 

 

「何だ、お前もしかして神を信仰してないのか? そういや、エヒト神を殺すのかって聞いたときに惜しいとか何とか言ってたが……ありゃどういう意味だ?」

 

「そのままの意味だ。神を殺すという点は正解だが、エヒトならば既に殺した。ついでにアルヴもな」

 

「……は?」

 

 正直、この短時間で常識外のことを易々とやってみせたアルディアスに、もうこれ以上驚くことも無いだろうと安易に構えていたガハルドだったが、さらっと語られた内容に体が石のように固まる。

 こいつは今なんと言った? 聞き間違いでなければ神を殺したと言ったような気がしたのだが……?

 ガハルドだけでなく、その場にいる全員が硬直する中、アルディアスからの衝撃発言は続く。

 

「本来はそれで終わりだったのだが……どうやらエヒトはこの世界由来の神ではないようでな、エヒトを神に昇華させた真の神が居る。ソイツの力が未知数な以上、少しでも戦力は多いに越したことはない。そのためにもお前達の力を貸せ、ガハルド」

 

「ハアアアアアアアアアアッ!?」

 

 ガハルドの絶叫が帝都の空に木霊した。




国を落とす──超常的な力で国を物理的に持ち上げ、落とすことを指す。丸ごと持ち上げるのは効率が悪いので、城などの重要施設または、国の一部を持ち上げるのが無難。持ち上げることが出来れば、高確率で敵の降伏を迫れる簡単な方法。──Wiki○edia参照(大嘘)

アルディアス「言っただろう? 落とすと」
ガハルド「分かるか!?」

次回 【ガハルドの胃、死す】


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第十三話 【選ばれた者と選ばれなかった者】

次回、ガハルドの胃が死ぬと言ったな……アレは嘘だ。
……ごめんなさい。帝国編が完全に終わったらにしようと思ってたんですが、うまく切り上げられなかったので、ここで所謂、一方その頃をやりたいと思います。


「クソッ、何でうまくいかないんだ!?」

 

 ハイリヒ王国王城。時刻は深夜、警備の者を除くほぼ全ての者が寝静まる中、一人の少女が苛立たしげに壁に拳を打ち付ける。

 そんな少女の後ろに立つ男が慌てて少女を咎める。

 

「お、おい!? 静かにしろよ! 誰かに聞かれたらどうすんだ、中村!?」

 

「辺りに人が居ないのは確認済みだ! 僕に指図するな、檜山!!」

 

「ッ!?──チッ!」

 

 神の使徒の一員、中村恵里と檜山大介は他の人の目を盗み、度々こうして密会を行っていた。

 全ては自分たちの欲する物を手に入れるために……しかし、その企みは序盤にて既に頓挫していた。

 当初、恵里は魔人族に自分の力を売りつけることで彼らの力を利用しようと考えていた。自分の力を使い、王国の上層部の人間を傀儡に変え、魔人族の手助けをすることで、自らの望みを叶えようとした。

 しかし、アルディアスの力を見た瞬間、それらの計画は音を立てて崩れることになった。

 

(ふざけんな!? あんなに強いなんて聞いてないぞ!? あんな力があったら僕の力なんて必要ない……! そもそもあんな奴相手にどうやって均衡を保ってきたんだよ!?)

 

 偶然にも、恵里がアルディアスに感じたことはハジメと一致していた。何よりも……

 

魔人族(アルディアス)を利用するだって? 冗談じゃない。考え無しなクラスメイトや神に心酔してる馬鹿共とは違う。あんな化け物、利用しようとすれば確実にこっちが呑まれる……!)

 

 彼女はその生い立ち故に人を見る目には自信があった。その人物の求める言葉を掛けるのも、他者を好きなように誘導するのも何てことは無い。

 しかし、奴だけは駄目だ。そもそもの格が違いすぎる。どれだけ知恵が働こうとも、対策を施そうとも、人が天災に対して無力なように、通り過ぎる間、此方に被害が出ないように祈るしかない。そういう存在だ。

 

(だけど、このままじゃ人間族の敗北は必至。何か手を考えないと……!)

 

「随分お困りのようですね」

 

「「ッ!?」」

 

 思考の渦に入り込む恵里の近くで男の声がした。檜山とは違う、穏やかで温かみのある声。

 バッと慌てて声のした方に振り向くと、そこには聖教教会の司祭が纏う法衣とは対を成すかのような、黒地に金の刺繍が施された法衣のようなものを羽織った老人が一人佇んでいた。

 

「……おい、檜山。こいつ何時から居た?」

 

「し、知らねえ!? 俺も今気付いて……!」

 

「チッ」

 

 何の役にも立たない檜山に苛立ちながらも、目の前の老人に意識を向ける。

 構える二人に対して、何の警戒も持たずに後ろに手を組み佇んでいる。一見すれば王都に住む老人がただ迷い込んできただけかと思うが、ここは王城だ。警備が見回っている手前、簡単に侵入することなど出来る訳が無い。

 だとすれば、王城の、もしくは教会の関係者かと思うが、目の前の人物は見たことがなく、こんな時間にウロウロしているのも不自然だ。

 

(どうする? 殺すか? まだ適当に誤魔化せそうだけど……万が一上に顔が利く男だったら面倒だ。こんな爺が役に立つかは分からないけど、傀儡にした方が早い)

 

 恵里は檜山に顎で指示を出す。一瞬動揺した檜山だったが、強く睨みつけられ、怯えるように老人の背後に陣取る。

 

「お爺さん、こんな時間にどうしたの? お年寄りがこんな時間に一人でウロウロするなんて危ないよ?」

 

「いやはやお恥ずかしい、今夜は月が綺麗ですので、つい……ですが、夜の散歩も中々良いものですよ?」

 

「まあ、気持ちは分かるけどねぇ。でも夜は悪ーい狼が出るんだよ? お爺さんみたいな人はガブッと食べられちゃうかも」

 

 老人と会話をしながら、ちらっと後ろの檜山に目配せを送る。それに小さく頷き、檜山が老人ににじりよる。

 屈強な兵士ならともかく、老人一人くらいなら素手でも殺すことは簡単だ。

 

「それは恐ろしいですね。しかし、それならお嬢さん方も危ないのでは? あっ、もしかして逢引の最中でしたか? それなら申し訳ありません。私、お邪魔してしまいました?」

 

「ハハハ、そんなんじゃないですよ。彼とはそういった関係では無いですから……ホント、ふざけたこと抜かすなよクソジジイ」

 

 その言葉を最後に檜山が拳を振りかぶる。

 

「死ね」

 

 振り下ろされた拳が老人の後頭部に直撃する瞬間──

 

「「グッ!?」」

 

 恵里と檜山をとてつもない重圧が襲った。

 まるで肺が潰されたかのように呼吸することすらままならず、思わずその場に膝をつく。

 

「な、なんだ、よ……今の!?」

 

「か、体が……!」

 

 感じた重圧は既に霧散したが、二人は胸を抑えながら、必死に酸素を取り込もうと荒く呼吸を繰り返す。

 膝をつく二人とは対照的に、老人は何事も無かったように涼しげにその場に佇んでいる。

 

「最近の子供は血の気が多いですねぇ。いえ、血気盛んと言った方がいいでしょうか?」

 

「お前……一体……!?」

 

 震える体に鞭を打ち、顔を持ち上げた恵里と老人の目が合う。

 その瞬間、全てを理解した。

 目の前の男はただの爺なんかじゃない。この重圧にこの視線。それは彼女の記憶を呼び覚まし、強い既視感を感じさせる。

 

魔王(アイツ)と同じ……!!)

 

 アルディアスと初めて邂逅した時と同等、もしくはそれ以上のプレッシャー。

 間違いない。目の前の男は奴と同じ、自分たちなど到底叶わぬ存在……理外の化け物なのだと。

 

(クソッ、頭に血が上ってて油断した! こんな化け物が他にも居たなんて……! マズイ……マズイマズイマズイ!!)

 

 アルディアスと同等の化け物。そんな相手に手を出してしまった。少し話した感じでは理性的な人物のようだが、自分たちが殺しにかかったことくらい気付いていない訳がない。

 青褪める恵里だったが、老人は最初と変わらない声色で話を続ける。

 

「そんなに固くならなくても大丈夫ですよ。中村恵里君、檜山大介君」

 

「ッ!?」

 

「な!? 何で俺たちの名前を!?」

 

「何でも何も、王都に住む人で、君たち神の使徒を知らない人の方が少ないと思いますけど? まあ、私はこの国に住んでは居ないんですがね」

 

「……僕たちに何の用? てゆーかアンタ誰?」

 

「神です」

 

「「は?」」

 

「だから神様です。この世界の」

 

「「……」」

 

 つい先程まで表情を強張らせていた二人だったが、途端に別の意味で顔が引き攣っていくのを感じた。

 誰だって目の前で自分の事を“神“と名乗る人物が現れればそんな表情になるだろう。

 

「あ!? その顔は信じていませんね!? ホントなんですよ! 私偉いんですよ!!」

 

「あー、と……うん」

 

「……」

 

 何とも言えない顔で曖昧な返事をする檜山に対して、恵里はじっと老人の顔を睨み続ける。

 老人の“神“発言には若干引いたが、先程感じた重圧は本物だ。

 

(このジジイ、何者だ?)

 

「むう、昔は私が現界すれば、誰もが歓迎してくれたのに……時の流れとは残酷なものですねぇ」

 

(ホントに何なんだこのジジイ)

 

 終いには拗ね始めた老人にどうしたものかと二人が顔を見合わせていると、第三者の声が割り込んできた。

 

「おい! 貴様ら、こんなところで何をしている!!」

 

「ッ!?」

 

 先程の老人の声が聞こえてしまったのか、城を巡回する警備兵の一人が姿を現した。

 目を鋭くさせていた警備の男だったが、恵里と檜山の姿を捉えた瞬間、目を丸くして驚きを露わにする。

 

「あなた達は神の使徒様? 何故こんなところに?」

 

「え? あ、いや、ちが、俺は……」 

 

「チッ……すみません。実は城内に不審な人物を見かけて、後を追いかけたらこのお爺さんが居たんです。王城の関係者でしょうか?」

 

「……いえ、私は王城に勤めてそれなりになりますが、存じ上げません」

 

 二人の後ろに居る老人を見て、再び目を鋭くした男を見て、ホッと息を吐く恵里。

 どうやら城の関係者では無かったようだ。少なくとも自分たちの事を上に報告されるといったことはなさそうだ。

 

「もしかしたらどこからか迷い込んでしまったのかもしれません」

 

「分かりました。ご協力感謝致します。後は私にお任せ下さい」

 

 それだけ言って、恵里たちを下がらせ、老人の前まで歩み出る。

 

「ご老人。ここは栄あるハイリヒ王国の王城です。王城の者の関係者でしょうか?」

 

「どうしましょう。意気揚々と出てきたは良いですけど、神だと信じて貰えないのは想定外でした」

 

「……聞いているのでしょうか、ご老人」

 

「このままじゃ、アルディアスくんに会っても適当にあしらわれてしまうのでは?」

 

「ッ!?──おい、貴様!! 今、アルディアスと……魔王の名を出したな!?」

 

「それはマズイ、非常にマズイ。一体どうすれば……」

 

「聞いているのか貴様!? さては魔人族の手の者か! 人間族でありながら魔人族に手を貸すとは……! 今すぐ投降しろ!! さもなくば、今すぐこの場で……!」

 

 此方に目もくれない老人に男が腰の剣に手をかける。ようやくそこで、老人の目に男の姿が映り……

 

──ああ、良い方法がありました。

 

 瞬間、恵里と檜山の視界いっぱいに……赤い花が咲き乱れた。

 

「「……え?」」

 

 二人の目の前に居た警備兵の男の首が消失し、そこから噴水のように血が吹き出す。そのまま重力に従って落ちてくる鮮血は雨のように二人の頭に降り注ぎ、全身を赤く染めていく。

 

「ヒッ!?」

 

「うわあああッ!?」

 

 突然の惨たらしい人の死に、檜山だけでなく、恵里の口からも小さな悲鳴が漏れる。

 そんな現状を(もたら)した老人は首を無くし、倒れ伏して尚ビクビクと痙攣する体を気にすること無く、二人に視線を向け、申し訳なさそうに眉を下げる。

 

「申し訳ありません。お二人の事を考慮していませんでした。汚してしまいましたね」

 

 人一人殺したというのに、そのことに一切触れずに、恵里たちを血で汚してしまったことに後ろめたさを感じている老人に恵里は戦慄する。

 彼女も自身の目的の為ならば、誰であろうとも殺す覚悟はしていた。だが、この世界はともかく、地球でその考えが間違っていることは百も承知だ。その考えが他のクラスメイトどころか、自身が心から欲する者に拒絶されることも分かってる。

 それでもやると決めた。自分のやり方が世間一般でいう“悪“に値するものでも貫くと決めた。

 だが、目の前の老人は違う。

 そこには何の感情も存在しない。悪意も愉悦も後悔も……

 そんな恵里を尻目に、老人は徐ろに両手を持ち上げ、パンッと掌を合わせる。

 思わずビクッと体を震わせる二人だったが、何時まで経っても何か起きる様子はない。

 

「な、何を……!?」

 

 しかし、すぐに違和感に気付いた。いや、正確には違和感が無くなったことに気付いた。

 男の血を頭から浴びた二人は全身を赤く染め、とてつもない不快感を感じていたのだが、それが一切無くなっていた。慌てて自分の体を確認するが、今までのことが全て幻だったかのように血の一滴も付いていない。

 

「あれ? 俺は……」

 

「ッ!?──嘘……」

 

 すると、自身の足元から声が聞こえ、そちらに視線を向けると、首を消失した筈の男が五体満足の状態で放心したように空を見上げていた。

 そんな男に老人は手を差し伸べる。

 

「大丈夫ですか?」

 

「……え? あ、ああ」

 

「こんなところで寝ていては風邪を引いてしまいます」

 

「そ、そうだな……ところでアンタは……?」

 

「そんなことは別にどうでも良いでしょう? 貴方はいつも通り職務を全うした。特に問題は起こらなかった。何も見ていない……そうですね」

 

「……ああ、そうだ。何も無かった……何も……」

 

「いい子です。さあ、お行きなさい」

 

 何も無かった、問題はない。男はブツブツと呟きながら、恵里たちなど視界に入っていないかのように建物へと姿を消した。

 

「……生き、返った……!」

 

 蘇生魔法。ファンタジーではありがちな魔法だが、この世界に死んだ人間を蘇生させる魔法など聞いたことがない。恵里なら、生きているかのように見せることは可能だが、あの男は確かに死んで、そして生き返った。そんなことが出来るのは……

 

「正確には()()()()()()()()()()()だけで蘇生とは違うんですけどね……これで信じてくれますか?」

 

「……アンタが神だってことをか?」

 

「ええ」

 

「まさかとは思うけど、アンタがエヒト神?」

 

「違います。そうですね、まずは一つ一つ説明しましょうか」

 

 それから老人が語った内容は恵里と檜山を驚愕させるには十分の内容だった。

 目の前の老人がこの世界の真の神であること。エヒト神が元人間だということ。そして、自分たちに声をかけた理由を。

 

「……つまり、魔王に戦争を仕掛ける為の兵士に僕たちを選んだと?」

 

「ええ、その通りです」

 

 老人の言葉に更に眉を顰める恵里に対して、檜山はその顔に笑みを浮かべ始める。

 

「ヒャハハッ、流石神さんだ! よく分かってんじゃねえか!! どいつもこいつも俺を天之河たちのオマケみてぇな目で見てやがったが、やっぱり分かる奴には分かるんだな! 俺があんな奴よりも──」

 

「馬鹿は黙ってろ」

 

「ッ! 何だとてめえ!?」

 

「相変わらず、頭が空っぽなんだね……ねぇ、お爺さん。何で僕たちなの? 実力で見れば僕たちよりも強い人はいる。それこそ光輝君とかさ」

 

「……一つ聞きますが、君たちはアリを二匹比べて、どちらが強いか分かりますか?」

 

「「ッ!?」」

 

「そういうことです。私と君たちにはそれだけの隔絶した差が存在する。私からしたら誤差のようなものなのです……あ、誤解しないで頂きたいのですが、君たちを虫のように思ってる訳ではないですよ? あくまで例えの話です」

 

「……じゃあ、適当に選んだとか?」

 

「いえ、それも違います。君たちが一番強く、個を持っていたからです」

 

「個?」

 

 老人の要領の得ない返答に首をかしげる恵里。檜山も同様のようだ。

 

「実はここに来る前にエヒト君が生み出した人形を戦力に加えようとしたんです。ああ、人形というのはエヒト君が作った臣下のようなものたちのことなんですが……そのままでは味気なかったので、私の力を少し分けてみたんです。そしたら全員発狂してしまって……」

 

「「は?」」

 

「力とは器が大きければ受け止められるというものではありません。器も重要ですが、何よりも大切なのは蓋……力を抑え込む強靭な精神力です。命令を聞くだけの人形ではそれが出来ず、殆どが理性すら失った魔物と化してしまいました。まあ、それでも使えないことは無いんですが、一人くらい話の出来る兵が欲しいじゃないですか……それで君たちです」

 

 体が震える。言葉の端々に存在する狂気に……それを微塵も感じさせない神を名乗る老人に……

 

「君たちの精神は素晴らしい。他者に理解されなくとも個を貫き通す意志。それが善性だろうと悪性だろうと関係ありません。勇者も中々でしたが、芯が安定していません。その点、君たちなら耐えられるかもしれません。どうでしょうか? 私と共に来るつもりはありませんか?」

 

 そう言って、二人に手を差し出す老人。

 普通なら、迷うこと無く断る提案だ。しかし、背筋に悪寒が走ろうとも、脳が全力で拒否しようとも、体は吸い寄せられるように無意識に前に一歩み出る。

 

「……アンタに協力すれば僕は強くなれるのか? 光輝君を手に入れられるのか?」

 

「私がやれるのは君の力を最大まで引き出すだけです。流石にアルディアス君相手は無理ですが、神の使徒全員を圧倒するくらいなら出来ると思いますよ。ただし、この力は一種の契約です。一度手にしてしまえば裏切ることは許されません」

 

「……」

 

 老人の言葉に顔を俯かせ、一度目をつむるが、すぐに顔を上げる。

 どうせこのままじゃ何の手立ても無いのだ。なら、悪魔だろうが神だろうが、利用出来るものは全て利用してやる!

 

「光輝君は僕の物だ。手出ししたらアンタでも殺すよ」

 

「契約成立ですね」

 

 方や眉を顰めながら、方や笑顔で、二人は握手を交わす。

 

「お、俺も! 俺にも力をくれ!!」

 

「ええ。構いませんよ。では……お二人共そこに立っていてもらえますか? 簡単にこの場で済ませてしまいましょう」

 

 それだけ言うと、二人に掌を向ける……変化はすぐに訪れた。

 

「ウグッ、ァァァァアアアアッ!?」

 

「えっ!? な、中村!?」

 

 とてつもない絶叫と共に、恵里が胸を掻き毟りながら地面を転げ回る。その光景を怯えた表情で見つめる檜山。

 

「落ち着いて下さい。これは予測範囲の兆候です。今彼女の体では打ち込まれた私の力によって、細胞の破壊と再生が繰り返されています。それによって、器を無理やり広げ、私の力を受け止める領域を作り出しています。これを耐えきることが出来れば彼女は一つ上のステージに到達出来ることでしょう」

 

「で、でも俺は……」

 

「はい。君には彼女のような反応は見られないようですね。つまり、器を広げる必要が無いということです」

 

「じゃ、じゃあ俺は!!」

 

 器を広げる必要が無い。それはつまり、あの女と違い、自分には力を受け止める器が最初から完成してたということに他ならないのではないか。

 

(やっぱり俺は特別なんだ。このジジイから貰った力があれば、天之河を……いや俺から香織を奪った南雲だって……!)

 

 希望の見えてきた未来に、ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべる檜山。

 

「はい、君は……()()()()()

 

──パンッ

 

「……え?」

 

 有頂天になっていた檜山の耳に風船が割れたような音が鳴り響いた。

 直ぐ側から聞こえた奇妙な音に視線を向けると、そこにある筈の物が無いことに気付く。

 

──檜山の左腕が無くなっていた。

 

「え? あ……あがァァァアアア!!」

 

 一瞬呆けた後、理解する。あの音は自身の腕が破裂した音なのだと。その瞬間、左腕があった辺りから燃えるような激痛が走った。

 右手で微かに残った左腕の根本を抑えながら、檜山はのたうち回る。

 

「腕が!? 俺の腕がァ!! 何で!? 俺は選ばれたんじゃ!?」

 

「選ばれた? いえ、逆ですね。あまりにも器が小さすぎて肉体が限界を迎えたのでしょう。残念です」

 

「あ、うぐぅ、た、助けて……助け、て……!」

 

「? 何故です?」

 

「へ? だっ、て……さっきみたい、に……」

 

「あれは私が神であることを証明する為にやっただけですし……駄目ですよ? すぐに神に助けを求めるのは。奇跡なんてくだらないものに頼らず、自分の力で道を切り開いてこそ、人は一番輝きますから」

 

「あ、ああ、アアアアアッ!!」

 

 地に倒れ伏す自分を見下ろす神を見上げ、絶望に涙を流しながら絶叫する。

 痛い。苦しい。寒い。怖い。何で、何で俺がこんな目に。

 

(殺す! 殺す殺す殺す!! 俺を見下す奴を! 俺を認めない奴を! 俺の女を奪う奴を! 俺を……おれを……おレを……オレを……オレヲッ!!) 

 

 痛みが、悲しみが、怒りが、絶望が怨嗟の激情となって檜山の胸に宿る。

 しかし、彼の体に宿り切る怨嗟など、所詮ちっぽけなものだった。 

 

──パンッ

 

 再び、乾いた破裂音が響き、檜山の体は跡形もなく砕け散った。

 そんな檜山が居た場所をじっと見つめていた老人だったが、すぐに興味を失ったように視線を外し、荒く呼吸を繰り返す少女に声をかける。

 

「おめでとうございます。良く耐え抜きましたね。意識はありますか?」

 

「ハア……ハア……ハア……これは……」

 

 力を受け取った恵里の容姿は少し変化していた。

 髪は真っ白に染まり、瞳は目の前の老人と同じ、黄昏のような淡い色に変化していた。

 しばらくしてようやく呼吸が落ち着いてきた恵里は自身の体を見渡し、目を見開く。

 目で分かる変化がある訳ではない。それでも自らに宿る力を確かに感じることが出来る。

 

「……凄い」

 

「ちゃんと理性は残っているようですね。わざわざここまで来たかいがありました」

 

「……檜山は?」

 

「そこです」

 

 そのまま辺りを見回した恵里は、先程までいたクラスメイトの姿が無いことに気付き、老人に尋ねると、老人の指さした場所には、小さな血溜まりが出来ていた。

 

「そっか」

 

 しかし、それを見ても恵里は何も感じなかった。元々利用できそうだから手を組んでいたに過ぎず、死のうがどうなろうが彼女にはどうでも良かった。

 

「では、行きましょうか。ご友人に挨拶する時間くらいありますけど、どうします?」

 

「いいよ、別に。友達なんていないし」

 

「そうですか」

 

 それだけ言うと、踵を返して歩き出す。恵里も老人の後に続く。横に並びながらずっと気になっていたことを尋ねる。

 

「ところで、いつまでもお爺さんじゃ分かりづらいし、名前、何て言うの?」

 

「ああ、そう言えば、まだ名乗っていませんでしたね……私の名前は────」

 

「……何ていうか……ちょっと意外かな。てっきりもっと威厳のある名前かと思ってた。それって自分で付けたの?」

 

「いえ、元々私に名前はありませんでした。この名前はずっと昔、一人の少女が私に付けてくれたのです」

 

──名前が無いなんて可哀想。それなら私が付けてあげる。

 

 老人の脳裏に無表情ながら、何故かウキウキとした少女の姿が思い起こされる。

 

「全く……可哀想なんて初めて言われましたよ」

 

「……」

 

 老人の横顔を見た恵里は心底意外そうに目を丸くしていた。

 常ににこやかな雰囲気を崩さず、一切真意を感じさせることの無かった老人の表情に初めて色が現れた。

 それはどことなく嬉しそうで、同時に強い哀愁を感じさせる表情だった。

 

 

 

 明朝、王城内で正体不明の血溜まりが発見され、一時騒然となるのだが、すぐにそれを大きく越える程の衝撃が王都中を駆け巡った。

 それは聖教教会から発表された、神の使徒一行の異端認定だった。




>恵里と檜山
 ありふれを語る上で欠かせない二人。初登場と同時に片方は退場です。

>ノイントら神の使徒
 最初は彼女らの描写も書こうかと思ってたんですけど、恵里と檜山のシーンと少し被ってしまうところもあり、泣く泣くカット。楽しみにしてた方は申し訳ない。神の使徒()()()者は出るよ。

>神
 作者の考える、ある意味一番ヤバい神。
 


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第十四話 【教会の暴走】

前回に引き続き、王国サイドです。


 時は少し遡る。

 

「エヒト様!! どうか……どうか私の声にお応え下さい!!」

 

 神山に存在する聖教協会本山の大聖堂。その最奥にて、エヒト神が描かれた巨大な壁画の前で一人の老人が膝をつきながら必死に祈りを捧げていた。

 彼の名はイシュタル・ランゴバルド。この聖教教会の教皇の地位につく男だ。

 普段は教皇の名に相応しい佇まいと覇気を崩さない好々爺然の男だが、今の彼の姿は、エリヒドや光輝たちが見れば同一人物とは思えないほど様変わりしていた。

 シワ一つ無かった豪華な法衣は薄汚れ、立派な烏帽子は折れ曲がってしまっている。

 まともに寝ていないのか、目の下に真っ黒な隈を作り、体は枯れ枝のようにやせ細ってしまっている。

 エヒトからの意志が途絶えて数日、寝る間も惜しんで祈りを捧げ続けているが、かの神からお告げが来ることは一切無かった。

 エヒトの意向を告げる、メッセンジャーたる役目を持つノイントはいつの間にか姿を消していた。

 他の司祭たちもイシュタルと同様に膝をつき、祈りを捧げるが結果は変わらない。

 それもそうだろう。彼らが信仰を捧げる神は既にこの世界に居ないのだから……

 

「どうして!? どうして何もおっしゃってくれないのです!? もしや……もしや私たちは……!」

 

 今までこのようなことが起こることは無かった。人間族が窮地に陥った時、必ずあの方が手を差し伸べてくれた。

 しかし、現にかの神は何一つ言葉をくれることはない。そんな状況が続けば彼らの精神もすり減り、最悪な考えが頭を過ぎる。

 それはつまり、エヒト神が人間族を見限ったのではないか? と、いうことである。

 神に認められていながら、魔人族相手にいつまでも手こずっている我らに失望してしまわれたのではないか?

 アルディアスが魔王として君臨するようになってからは、完全に戦況が不利になってしまった故に……

 

「ッ違う!? エヒト様が我らを見限る筈が無い!! これは何か、何かの間違いだ!!」

 

 滂沱の涙を流しながら、頭に浮かんだ考えを振り払う。

 認めたくない。認められない。認めるわけにはいかない。もし、認めてしまえば、自分は自分で無くなってしまう。

 そんなイシュタルの耳に近くで祈りを捧げていた司祭たちの声が偶然聞こえた。

 

「何故……何故なのですか、エヒト様……!」

 

「勇者も魔王に敗北し……このままでは我々は……!」

 

「……貴様、今何と言った?」

 

「……へ?」

 

「何と言ったのかと聞いている! 答えろ!!」

 

「ッ! ゆ、勇者も敗北し……」

 

「……それだ」

 

「「「え?」」」

 

 祭祀の言葉を聞いたイシュタルは天啓を得たとばかりに立ち上がり、他の司祭達に向き直る。

 

「勇者だ。エヒト様が我々人間族の勝利の為にこの世界に喚び出した神の使徒。だが、彼らの最近の活躍はどうだ? 無能一人失ったくらいで多くの者が前線を離脱し、さらに倒すべき魔王相手に惨敗。そのせいで更に剣を取るものが少なくなった。果たしてこんな者共が神の使徒と言えるか?」

 

 イシュタルの言葉に司祭たちも同調するように頷く。

 彼らはエヒト神に選ばれたにも関わらず、その力を持て余し、戦うことすら放棄する始末。勇者である光輝と作農師の愛子の進言もあり、見逃しているが、戦うこともせず、城で怠惰な生活をする彼らに不満が無いというわけではない。

 

「しかし、彼らはエヒト様直々に選ばれた存在です。彼らとエヒト様がお隠れになったことに何の関係が?」

 

「確かに、彼らはエヒト様がお力を与えた特別な存在だ。だが、人間とは力を持つと誰しも傲慢になるもの……エヒト様に与えられた力を自らの物と勘違いし、鍛錬を怠った結果が今の状況なのではないか?」

 

「ッ!?──も、もしやエヒト様が御姿を消したのは……!」

 

「ああ、奴らがエヒト様から与えられた力を十全に使えていたならば偽王なんぞに後れを取る筈がない。全ては彼らの怠惰が起こした悲劇! きっとエヒト様は失望されたのだろう。力を与えられながら、それを活かそうともしない勇者たちに……!」

 

「ならば、エヒト様が我らに望むのは……!」

 

「……捕らえろ。王都に居る勇者たち神の使徒……いや、神の意志に反する異端者共を! 一人残らず捕らえろ!! 奴らに然るべき裁きを下したその時こそ、必ずやエヒト様は我らの前に現れて下さる!!」

 

 イシュタルを言葉を受け、司祭たちが一斉に行動を開始する。

 誰も彼もが、まともに食事も睡眠も取れておらず、先程まで死に体だったにも関わらず、その動きに淀みは見られない。

 自分たちは見捨てられたわけではない。その可能性が出てきただけで体に活力が湧いてくる。

 イシュタルの言うことが正しいかなど関係ない。絶望の最中、暗闇に垂らされた一筋の光。只々それに縋り付く。

 その思考こそが人間の傲慢だと気付くこともなく……

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「はあ、はあ、はあ……」

 

 王城に隣接された兵士御用達の修練場。まだ、日が昇って早い時間帯だが、そこには一人の少年が愛用の聖剣を握りしめ、荒い呼吸を繰り返していた。

 その額を流れる汗を見るに、恐らく日が昇る以前から訓練を続けていたのだろう。

 

「はあ、はあ……駄目だ。こんなんじゃ……もっと……!」

 

 膝に手をつき、呼吸を整える少年──人間族の勇者である光輝は、再び剣を正眼に構える。

 呼吸が落ち着くに連れて周囲の音が消えていき、光輝の目の前に仮想敵が現れる。

 雪の様に真っ白な白髪。黄金(こがね)色に輝く双眸(そうぼう)

 キッと視線を鋭くした光輝が剣の柄を強く握り締め、一歩踏み出した瞬間──

 

──光輝の首が消し飛んだ。

 

「ッ!?──ガハッ!!」

 

 思わずその場に膝をつく光輝。片手で首に手を当てるが、そこにはもちろん傷一つ付いてはいない。

 

「はあ、はあ、クソッ!?」

 

「……やっぱりここに居たのね」

 

 自らの思うような成果が出ないことに、思わず彼らしくない乱暴な言葉が吐き出される中、一人の少女が呆れたように近付いてくる。

 

「……雫」

 

「ほらっ、汗くらい拭きなさい」

 

「あ、ありがとう」

 

 持っていたタオルを投げ渡し、それを受け取った光輝が礼を言いながら、流れる汗を拭い取る。

 

「今の特訓……お祖父ちゃんから教わった方法でしょ?」

 

「やっぱり雫には分かるか」

 

「当たり前でしょ。ただ闇雲に剣を振るうだけでは意味が無い。常に自身の中での最強を思い浮かべろ。想像で勝てなければ実戦で勝てる訳がない。私も良く言われてたもの……その様子じゃ成果はイマイチみたいね」

 

「……ああ、何度挑んでも瞬殺されるイメージしか浮かばない」

 

「まあ、仕方ないわよ……私だって無理だもの」

 

「でも、やるしか無いんだ! あの人と同じ土俵に立てばきっと俺の話を聞いてくれる筈!」

 

「光輝……」

 

 拳を握り込み、やる気を見せる光輝に雫は何とも言えない表情を浮かべる。

 光輝が力をつけようとするのは何も問題はない。これからどうなっていくかは分からない以上、クラスの中心である光輝が折れてしまえば、たちまちその空気が全員に伝染してしまう。

 そう考えれば今の状況はありがたいものなのだが、そうなった理由に問題があった。

 

 あの日、彼らが初めてアルディアスと邂逅した後、王城でメルドと共に迷宮での事を報告した時のことだ。

 それまで光輝は、敵である魔人族のことをイシュタルたちに言われるままに魔物の上位互換と信じており、彼らのことを知ろうともしなかった。

 しかし、一度知ってしまえば、それまでと同じとはいかず、エリヒド王に魔人族の事を問い詰めたのだ。

 エリヒド王も何を今更といった表情を浮かべたものの、一つ一つ丁寧に教えてくれた。

 中でも光輝の興味を強く引いたのは王であるアルディアスのことだ。

 一国の王であるにも関わらず、民を守る為に前線にまで現れる彼の姿は、光輝が好感を抱くには十分だった。

 

「きっと、あの人も本当は戦いたくなんかないんだ。話し合えばきっと分かる筈!」

 

「……私たち、あの時殺されかけたのよ?」

 

「それはあの魔人族の女性を傷つけられたからだろ? 俺だって雫や香織を傷つけられたら冷静でいられる自信はないさ。南雲が俺の話を聞いてくれてさえいれば、あんなことにはならなかった」

 

「はぁ……その南雲君が居なかったら私たちとっくに全滅してるわよ」

 

 相変わらずのご都合主義に雫は頭を抱える。

 アルディアスに直接殺気をぶつけられたというのに、彼の中では仲間を傷つけられたから苛立っていたと解釈されたようだ。

 光輝は自覚していないが、ここまでハジメを敵視するのは、無能と蔑まれていたハジメが自分を遥かに超える力を手にしていたことと、大切な幼なじみを取られたという嫉妬が関係しているのだろう。

 一度、光輝のご都合主義を放置していたせいで大変な目にあった身としては、もう同じ事がないように忠告を繰り返しているのだが、一切進展は見られない。

 せっかく香織の件が片付いたのに、未だに心労が絶えない自分の立場に雫が深くため息をつく。

 

「? 何だ?」

 

「何か騒がしいわね?」

 

 すると、修練所の外が何やら騒がしくなっていることに気付く。

 二人が不思議そうに首を傾げ、顔を見合わせていると、突然、武装した神殿騎士たちが姿を現し、光輝と雫の二人を取り囲む。

 

「な!?」

 

「何!?」

 

 二人を囲い込み、剣や槍を此方に向けてくる騎士たちに二人は困惑する。

 そんな二人を余所に、一人の老人が彼らの前に歩み出てくる。他の騎士とは違い、武装をしておらず、法衣を纏っていることから聖教協会の人間なのだろうが、何となく二人には目の前の人物に見覚えがあった。

 

「……もしかして、イシュタルさん?」

 

「え!?」

 

 じっと老人の顔を見つめていた雫が目を見開いたかと思うと、恐る恐るといった様子で一人の人物の名前を口にする。

 そのよく知る名に驚愕した光輝が改めて老人の顔を凝視する。頬は痩せこけ、隈の酷い顔は自分の記憶とかけ離れていた。しかし、言われてみると薄っすらとだが、面影があるようにも思える。

 

「ほ、本当にイシュタルさんなのか? その顔は……」

 

「……久しぶりですな、光輝殿」

 

「え、ええ……お久しぶりです。あの、これは一体?」

 

「今朝方、聖教協会である決定が下されました。天之河光輝率いる神の使徒一行を神に仇なす者として異端者に認定。即刻、その身柄を聖教教会が拘束します」

 

「「なっ!?」」

 

 イシュタルから告げられた内容に驚愕に目を見開く。

 二人とて、この世界における異端者が何なのかくらいは知っている。だからこそ、謂れのない罪に声を上げる。

 

「ま、待ってください!? 俺達が異端者!? 何かの間違いでしょう!?」

 

「光輝の言う通りです! 私たちは何もしていません!!」

 

 二人の必死の弁解に一部の騎士たちが僅かに狼狽える様子を見せる。どうやら彼らもいきなりの通達で混乱しているようだ。しかし、イシュタルは一切動揺する様子を見せない。

 

()()()()()()()() ええ、良く知っていますよ。何もしていないからこそ罪なのです。あなた達がトータスに召喚された理由を覚えていらっしゃいますか?」

 

「それは……人間族を戦争で勝利させる為」

 

「ええ、その通りです。その為ならば我々は協力を惜しみません。しかし、実際はどうです? 無能一人失ったくらいで多くの者が前線を離れ、打倒すべき魔人族には手も足も出せずに敗北し、おめおめと生き恥を晒す始末……」

 

「ま、待ってください。確かにそうですが、みんな精一杯やって──」

 

「結果が伴わなければ意味がない!!」

 

「ッ!?」

 

 光輝の言葉を遮るようにイシュタルの怒号が修練所に響き渡る。

 

「精一杯やった? そんなものに意味などありません。戦争は勝つか負けるかの二択のみ。敗北に価値などありません。それに光輝殿、貴方はエリヒド王に進言したそうですね。今すぐに戦争を止めて、魔人族と話し合うべきだと」

 

「え? そ、そうですけど……」

 

 イシュタルから告げられた内容を光輝が肯定したことにより、周囲の神殿騎士たちがざわつく。

 

(マズイ!)

 

 その様子にこのまま光輝に喋らせる危険性を察知した雫が話に割って入る。

 

「待ってください、その件は──」

 

「今は光輝殿に聞いているのです。それとも何かやましいことでも?」

 

「ッ!──いえ……」

 

 しかし、すぐにイシュタルに阻まれ、口を紡ぐ。ここまで言われて、尚光輝を庇うような言葉を出してしまえば、自分たちの首を締める結果になりかねない。

 

「それで、どうなのです?」

 

「た、確かに言いましたけど……だって魔人族も俺達と同じ人なんですよ! なら、戦わなくても話し合えば解決できる筈です!」

 

(馬鹿ッ!!)

 

 雫が内心光輝に怒りの言葉を吐き出すが、当の光輝は自分がとんでもないことを言っている自覚がない。

 

「つまり……魔人族と戦い、奴らを殺すつもりはないと?」

 

「はい! 殺すなんて絶対に駄目です!」

 

「……分かりました。聞いていた通りです。今すぐ彼らを捕らえなさい。エヒト様の意向に逆らう愚か者を神の名の下に断罪します」

 

「「「ハッ!」」」

 

「な!? 何をするんですか!?」

 

「当たり前でしょ、馬鹿!!」

 

 イシュタルの号令に神殿騎士たちが一気に光輝たちに迫る。

 先程までは躊躇する様子を見せる者もいたが、光輝の発言に僅かに残っていた躊躇いも無くなったようだ。

 彼らに剣を向ける訳にもいかず、なすがままにその体を拘束される光輝と雫。

 

「抵抗はしない方が賢明です。あまり暴れるようでしたら、この場で処断します。それにご友人の安否も保証できませんよ?」

 

「ッ!?──みんなに何をしたんですか!?」

 

「言った筈です。神の使徒()()を異端認定すると。すでに他の者は全員拘束済み。貴方達で最後です」

 

「……私達をどうするつもりなんですか?」

 

「そんなもの、言うまでもありません。エヒト様に逆らう愚か者に生きる価値は無い。然るべき手順を踏んだ後に……全員処刑します」

 

 イシュタルの無慈悲な一言に光輝は唖然とし、雫は顔を顰める。

 

「処刑!? 俺達は同じ人間なんですよ!?」

 

「だからどうしたんです。貴方たちの世界でも罪を犯せばそれ相応の罰が与えられるのでしょう? それと同じことです。連れていきなさい」

 

 そのまま神殿騎士に拘束され、光輝と雫は修練所を連れ出される。

 その後ろ姿を見つめるイシュタルに一人の神殿騎士が近付く。

 

「イシュタル様、他の神の使徒なのですが、二人程姿が見えないようです。問い詰めたところ、どうやら昨夜から部屋に戻っていないようでして」

 

「その二人の名は?」

 

「中村恵里と檜山大介です。神の使徒の中ではそこまで上位の者ではないようですが……」

 

「ならば、国中に手配を出しておきなさい。腐ってもエヒト様の恩恵を受けた存在。放置すれば後々厄介です」

 

「ハッ!」

 

 一礼して去っていく神殿騎士を尻目に、イシュタルは恍惚とした笑みを浮かべる。

 

「後少しです、我が偉大なる神よ。貴方の意志に背く愚か者共は、このイシュタルめが全て消し去ってご覧に見せましょう。その時こそ、再び御身の存在を……!」

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「神の使徒の皆さんが異端認定とはどういうことですか!?」

 

「お、落ち着け、リリアーナ……」

 

「これが落ち着いていられますか!!」

 

 ハイリヒ王国王城にて、国の王女リリアーナが国王である父、エリヒドに詰め寄っていた。

 

「光輝さんたちは異世界の住人でありながら私たちの為に戦ってくださっているのですよ! その方たちを異端者扱いなど、絶対に間違っています!!」

 

「しかしだな、現にイシュタル教皇からはエヒト神からの神託があったと……それに光輝殿が魔人族との戦いを拒否するような発言をしたことはお前も知っているだろう?」

 

「そ、それは……」

 

「何も私も光輝殿たちが本当に異端者だと思っている訳ではない。しかし、その件を出されれば流石に反論もしづらい。神の使徒が異端認定を受けたことで民たちにも動揺が広がっているが、光輝殿の発言がどこからか洩れたようでな……民が彼らに敵意を見せ始めている」

 

「そんな……!」

 

 当初、光輝たち神の使徒が異端認定されたことに国民全員が驚愕したが、誰が話し始めたのか、光輝が魔人族との融和を望んでいるとの噂が立ち始めた。

 そのせいで、彼らのことを魔人族に魂を売った裏切り者だと蔑む声が多く聞かれるようになった。

 

「幸い、すぐに彼らが処罰される訳ではない。私も、そして彼らの教官のメルドも何とか進言してみるつもりだ。安心しなさい、きっと大丈夫だ」

 

 不安げな表情の娘を安心させようと笑みを向けるエリヒドだったが、リリアーナの表情に喜色が宿る様子はない。

 

「お父様。今回の件、本当にエヒト神のお告げなのでしょうか……?」

 

「リリアーナ?」

 

「元々疑問だったのです。慈悲深きエヒト神が戦争に勝利する為とはいえ、光輝さんたちをこの世界に無理やり連れてきたことが」

 

 人間族が信仰する創造神エヒト。慈悲深く、寛容な存在としてこの世界に君臨するかの神が、人間族の劣勢を挽回する為とはいえ、関係のない者……それもまだ子供の光輝たちを連れてくるとは思えない。

 仮に連れてくるとしても、心身共に成長しきった大人を選ぶのが普通ではないだろうか。

 雫から聞いた話だが、彼女らの世界では戦争は排すべきものとして教えられ、自らに危険が迫った状況でなければ他者を害することは禁じられているらしい。

 戦争真っ只中の国の王女であるリリアーナからすれば、信じられないことだが、それも争いのない平和な国だからこそなのだろう。

 そう考えれば、光輝の殺人への強い忌避感も納得できる。

 それに戦争はなくとも、国の防衛部隊は存在するらしい。リリアーナは戦いのことなど全く分からないが、その防衛部隊と光輝たち、どちらかを選ぶとしたら間違いなく前者を選ぶ自信がある。

 

「それに、ここ数週間、聖教教会はその門を閉ざし、一切の干渉を絶っていました。ようやく姿をお見せになったと思えば、今回の決定です。お父様はイシュタル教皇や他の司祭の方々のお姿を見て、何も疑問に思わなかったのですか?」

 

「それは……」

 

 リリアーナの言葉にエリヒドは言葉を詰まらせる。

 彼とてイシュタルを始め、聖教協会の司祭たちの異様な姿には困惑した。

 普段の彼らの姿を知っているからこそ、何かあったと察するには十分だった。

 

「彼らの姿から何か異常事態が起きているのは明白。もしかしたら、エヒト神からの神託というのも……」

 

「まさか!? 聖教教会が神の名を驕ったとでも言うのか!?」

 

「あくまで私の想像に過ぎませんが……私たちの為に戦ってくださっている彼らが、自分たちの理想と違ったからといって異端者に認定するのは、私の聞き伝えるエヒト神の行いからは遠くかけ離れていると感じます」

 

 目を見開いたエリヒドが顎に手を当てて考え込むが、すぐに首を横に振り、その可能性を否定する。

 

「いや、やはり私にはとてもそうは考えられん。イシュタル教皇のエヒト神への信仰は本物だ。それこそ、かの神が望むのならその命を差し出すのすら躊躇わないような人物といえるだろう。それほどの者が私利私欲の為に神の名を利用するとは考えづらい」

 

「それは……いえ、お父様の言う通りです。出過ぎた真似をしてしまい申し訳ありません」

 

 未だに納得出来ていないリリアーナだったが、エリヒドの表情を見て、言葉を飲み込む。

 ここはリリアーナとエリヒドの二人しか居ないが、彼女の物言いが聖教教会の司祭の耳に入ってしまえば、如何に国の王女とはいえ、処罰は免れないだろう。

 聖教教会の教皇イシュタルは文字通り神の代弁者だ。

 彼の意志の反するということは神の意志に反するということになる。

 友人が謂れのない罪で捕まり、心配なのは分かるが、親としては娘が危険な目にあうのだけは避けたいのだろう。

 父が自分を想ってくれているのが分かるからこそ、リリアーナもこれ以上言葉を続けることが出来なかった。

 

「気にすることはない。お前には色々と苦労をかけているからな……それと、一つ伝えておかなければならないことがある」

 

「……バイアス様との婚約の件でしょうか」

 

「……そうだ。以前より話には上がっていたが……正式に決まることとなった」

 

 数年前より、侵攻が激しさを増しつつある魔人族に対抗する為、バイアスとリリアーナの婚約によって、同盟国の関係を強化する話はよく出ていた。事実上の婚約者とも言える。

 しかし、神の使徒が召喚されたことにより、話自体、有耶無耶になっていたが、頼みの綱である勇者一行が魔王相手に惨敗を喫したことで、その話が再び持ち上がったのだろう。

 その事実に思わずリリアーナの表情に影が差す。

 リリアーナの婚約者であるバイアスは、父と同じく無類の女好きで、かなり気性の荒い人物だ。十歳にも満たないリリアーナに向けられた舐めるような嫌らしい視線は、今でも思い出すたびに虫酸が走る。

 そんな嫌悪感を抱く人物だが、国の王族として、王女としての使命は自身の在り方としてとっくに受け入れていた。

 年頃の女の子のような憧れも捨てきれてはいないが、いざとなれば、その身を捧げる覚悟はとうに出来ている。

 そんなリリアーナの表情を見て、無理をさせてしまっていることに父として情けなさを感じるが、王としての責務を果たす為、口を開こうとした時──

 

「国王陛下!! 至急お伝えしたいことがあります!!」

 

「ッ!?──メルド? 構わん、入ってくれ」

 

 扉をノックすると同時に、外から騎士団長のメルドの声が聞こえた。

 何やら焦っているような様子にエリヒドとリリアーナは顔を合わせたが、すぐに入室許可を出す。

 

「失礼します! リリアーナ様!? 申し訳ありません!? お二人のお邪魔を──」

 

「構いません、何やら緊急のご様子。何かありましたか?」

 

「ハッ、実はヘルシャー帝国へと派遣した使者がつい先程帰還したのですが」

 

「ん? 随分早いな。もうしばらくかかると思っていたんだが……何か問題でもあったのか?」

 

 リリアーナとバイアスの婚約を進める為に、先日帝都への使者を送ったのだが、その早すぎる帰還にエリヒドは首を傾げる。

 帝都までは馬車を使っても数日かかり、簡単な協議を行うことも含めれば更にかかることは想像に容易い。

 こんなに早く帰還することはありえない為、何か問題が起こったのではないかとメルドに問いかける。

 しかし、事態はエリヒドたちが考えるよりも更に最悪の状況へと既に向かっていた。

 

「帝国中に魔国の国旗を確認! 更に、遠目からも国内外に多数の魔人族の姿を確認したとのことです!!」

 

「えッ!?」

 

「ま、まさか……帝都が落とされたのか!?」

 

 彼らは全てが終わってからようやく気付く。

 既に魔王の手が、その喉元にまで迫っていることを……




>聖教教会
 絶賛大暴走中。今までエヒトの指示通り動くだけの存在だった為、まともな思考すら出来ていません。

>光輝やらかす
 原作でも色々やってましたが、堂々と魔人族を殺すのは駄目だと宣言すればこうなるかなと。仮にエヒトが健在で、うまく言いくるめたとしても魔人族に強い恨みを持つ人間からは敵視されるのではないかと思いました。

>エリヒドたち王国上層部
 帝国が落とされたことを知る。ただでさえ、聖教教会の暴挙に動揺しているところに追い打ち。これが泣きっ面に蜂。
 というか、エリヒド王の言葉使いとかこれで違和感ないですかね? 書こうとしたらあの王様どんな感じ喋ってたっけ?と不安になったのでweb版で再確認してから書きました。


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第十五話 【奴隷の解放】

ガハルド回と言ってもいいくらいガハルドが出ます。

前話のタイトルを付け足しました。
毎回最初に仮のタイトル付けてから執筆して、完成してから改めて考えているのですが、それを確認し忘れるミス。
良かった、変なタイトルにしてなくて。


「……つまり、エヒト神とアルヴ神は対立するどころか主従関係で? しかも元人間で? そんで俺達を遊戯の駒にしか見ていない邪神で? そもそも既にお前が二柱とも殺してて? そしたら別の神の存在が判明して? そいつを殺すための戦力を集めるために死傷者を抑えていたと?」

 

「概ねそのような感じだ」

 

「……ハァ、胃が痛え」

 

「持病か?」

 

「違えよ、全部てめえのせいだ」

 

 あの後、無事(?)元の位置に城を降ろした後、ガハルドが国中に改めて自国の敗北を宣言した。

 当初は荒れると思われていた帝国の民達だが、思っていたほどの騒ぎも起こらず、帝国の兵士の武装解除が行われた。恐らく……というか間違いなく彼らが大人しかったのは、ガハルドの後ろで壁に凭れ、腕を組みながら此方を見つめ続けるアルディアスの存在のせいだろう。

 帝城が浮かび上がった瞬間は誰もが目撃していた。それが目の前の男がたった一人で行ったものだとガハルドの口から語られた瞬間から彼らのアルディアスを見る目つきは敵意から恐怖へと変わっていった。

 もし、降伏に異を唱え、暴れ出すような輩が居れば、自分が対処するつもりだったのだが、その手間が無くなったことに喜べばいいのか、アルディアスの言う通り、戦意の喪失した民に嘆けばいいのか何とも言えない気持ちになったガハルドだった。

 ちなみにエヒト関連のことはいきなり公表してもパニックを起こすだけだと判断し、伝えてはいない。あの場に居た部下達にも箝口令を敷くことになった。

 

 その後、魔人族も続々と帝都に入り、街の至るところに魔国の国旗を設置することで、名実共に帝国は魔国の支配下に下ることとなった。

 今はアルディアスから今後の対応を含め、応接間にてガハルドが一人で話を聞いているところだ。 

 護衛を付けずにアルディアスと対面することに部下は良い顔をしなかったが、ガハルドの「こいつがその気なら護衛が居ようが居まいが関係ない」との言葉に渋々引くこととなった。

 居ても意味がないため、護衛を付けなかったガハルドだったが、今となっては居なくてよかったと心の底から思う。

 こんな内容を聞いて正気で居られるわけがない。まだ自分が頃合いを見て説明する方がマシだ。

 

「くそっ、俺達が呑気に神に祈ってる間にお前は一歩も二歩も先を見てたってことか……道理で勝てねえわけだ」

 

「……随分あっさり信じるんだな? 王国の人間程じゃなくとも少しばかり手こずるかと思っていたんだが……」

 

「少し前なら戯言と聞き流していたがな。信じられねえが、そうだと仮定すればお前のこれまでの行動にも合点がいく。それに、お前らは俺達に勝ったんだ。今更そんな嘘をつく理由がない」

 

 もし、アルディアスがこの事実を盾に降伏を迫るようならば、此方の動揺を誘う為のデタラメと判断していたかもしれないが、既に帝国は魔人族の手に落ちたのだ。生かすも殺すも、王であるアルディアスの自由。そんな状況で嘘をつく必要など無い。

 そんな事をしなくても、従わせたいのなら命令すればいいだけだ。

 

「何より、お前程の強者がそんな下らん嘘をつくとも思えん」

 

「……そうか」

 

「……で、その上で聞くが、そもそもその神は殺す必要があるのか? 俺達人類に寛容な存在の可能性は?」

 

「その必要がなかった場合は俺の考えすぎだっただけのことだ。だが、エヒトをこの世界に召喚し、神に昇華させたのは奴だ。この世界の惨状を見ながら、一切干渉してこなかった事を考えると、あまり期待は出来ないだろうな」

 

 仮にこの世界の現状が人類の自業自得によるものならば、干渉してこなくとも納得は出来る。だが、奴が連れてきたエヒトの影響でこの世界に存在していた種族が滅び、世界は争いの渦に巻き込まれた。

 明らかに自分の撒いた種が原因であるにも関わらず、それでも対処に動かないということは……

 

「これが俺達人類への試練などと抜かすつもりなのか、それとも人類が滅びようとも構わないと思っているのか……どちらにせよ、碌な奴じゃないのは確かだ」

 

「そりゃそうか……それで、俺に何をしろと? どうせ王国にも向かうんだろ? その侵攻に手を貸せとかいうんじゃねえだろうな?」

 

「いや、下手に軍を統合すれば、不測の事態が起こる可能性が高い。同じ人間族が相手なら尚更だ。王国には俺達だけで行く。神が何時干渉してくるかは分からない。すでに動いている可能性もある。お前は何時その時が来てもいいよう準備だけしておいてくれ。それと、帝国に居る亜人族の奴隷達を全て解放して欲しい」

 

「は? 亜人族を? 何でそんな事を……っておいお前まさか」

 

「そのまさかだ。言っただろう、少しでも戦力は多いに越したことないと」

 

「マジかよ……亜人族まで戦力に加える気か」

 

 辟易とした表情を隠すこと無く露わにするガハルドに対して、アルディアスは一切遠慮することなく、要求を叩きつける。

 

「敵がどんな力を有しているか分からない以上、魔力に頼らない彼らの力が頼りになる場面もあるやもしれん。明日にはフェアベルゲンに向かう。それまでに帝国に居る奴隷を全て解放してくれ」

 

「明日だと? 一体帝国にどれだけの奴隷が居ると思ってる」

 

「知らん。あくまで帝都に居る者だけだ。それ以外の町に居る亜人族は順次解放してくれれば良い。それに俺は出来ないことをやれとは言わん。お前ならそのくらい出来るだろう」

 

「へーへー、偉大なる魔王様にそこまで信頼されてるとは、嬉しすぎて涙が出てくるぜ」

 

 アルディアスの言葉に戯けた態度で了承するガハルド。

 帝国に居る奴隷の数は百や二百ではとても利かない。それら全てを解放するなど簡単なことでは無いのだが、無理と断言しない辺り、目の前の男は実力至上主義国家において、決して力だけの男ではないことの証明だろう。

 

「今決められるのはそのくらいだな。俺は戻る。やらなくてはいけないことが山積みなのでな」

 

「待て」

 

 そのまま背を向けて部屋を後にしようとしたアルディアスだったが、ガハルドから制止の声がかかり、その場で足を止める。

 

「何だ?」

 

「いきなり今までの常識をぶっ壊すような事を叩きつけるだけ叩きつけて、勝手に出ていこうとすんじゃねえよ。まだ全部を呑み込んだ訳じゃねえが……これだけは教えろ。仮にその神とやらが人類に牙を剥くとして、俺達は勝てるのか?」

 

「……」

 

「俺は神なんてもんと対峙したことはねえが、お前がそこまでやるくらいだ。エヒトもそれだけの力を持っていたんだろ?」

 

「奴は肉体を持っていなかった。故に、この世界で全力を出すことは出来なかったが……もしそうじゃなかった場合、俺も勝てたとは断言できんな」

 

「そのエヒトを神にした存在だ。普通に考えればエヒトと同等、もしくはそれ以上と考えるのが妥当だ。そんな奴に俺達は……お前は勝てんのか?」

 

 ガハルドの疑問は尤もだ。相手は文字通りこの世界の神。実力は未知数で、どこにいるのかすら分からない。今この瞬間に帝国の地にいきなり現れないとも限らない。

 そんな相手に勝算はあるのかと、ガハルドは問いかける。

 

「さあな」

 

「おいおい、んな適当な……」

 

 先程までの戯けた態度から一変、真剣な眼差しで視線を向けるガハルドに対して、アルディアスの返答は何ともあっさりしたものだった。

 あまりに簡単に答えるアルディアスにガハルドもジト目で睨みつけるが、そんな視線もどこ吹く風と言った様子で平然としている。

 

「厄介なのは間違いないだろう。だが、影も分からぬ相手にそんな事を考えても時間の無駄だ」

 

「いや、そりゃそうだけどよ……」

 

「お前は最初俺が降伏を要求した時、一度は断ったな……何故だ? すでに戦力差は一目瞭然だった筈だ」

 

「あん? そりゃあ、強者としてのプライドとか国を統べる皇帝としての責任とか色々あんだろ」

 

「だろうな。それと同じだ。俺は王として民を守る責務がある。敵が人間族だろうが、神だろうが関係ない。民を傷つけるのならば倒すべき敵だ。勝てるか勝てないかじゃない。戦うか戦わないかだ。俺は戦う。お前はどうする?」

 

「……ふん、俺が敵を前に逃げ出す訳が無い。良いだろう、神だろうがなんだろうがやってやろうじゃねえか」

 

「その意気だ。お前のことは高く評価している。期待しているぞ」

 

 それだけ言うとアルディアスは今度こそ応接間を後にした。

 

「……おい、何だかんだ言って乗せられただけじゃねえか? クソっ、やりゃあ良いんだろやりゃあ」

 

 やらなければ帝国の存亡どころか、人類の存続すら危うい事態だ。ガハルドは、悪態をつきながらも渋々腰を上げ、やるべきことを果たす為、行動を開始した。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 明朝、帝都からフェアベルゲンに向けて、魔国の国旗を掲げた一団が出発した。

 アルディアス率いる魔王軍とガハルド率いる帝国軍の混合部隊だ。彼らと共に多くの馬車がおり、その中に亜人族の奴隷が乗っているのが見える。

 帝国に居る奴隷たちは軽く数千人を越える。それら全員をフェアベルゲンまで護送するのに魔人族だけでは手が足りず、帝国兵の手も使い、護送することになった。

 昨日まで殺し合っていた者同士を一緒にして大丈夫なのかと言われれば、危ういと言わざるを得ないが、帝国兵はアルディアスの異次元の力の一端を見ているせいか、表立っては問題を起こす様子は見られなかった。

 何より、馬車の周りに展開する帝国兵を囲うように、地上は魔人族の部隊が、上空は騎竜部隊が展開している為、下手なことも出来ないだろう。

 ちなみにフリードやカトレアを初めとする軍の約半数は帝都に残っている。帝都の人間の監視と今後の動きの話し合いをする為だ。

 仮にもし帝国の兵士が残留した魔人族に危害を加えるようなことがあれば、すぐにアルディアスに連絡がいくようになっている。

 ガハルドが出発前に帝都に残る兵士にキツく「絶対に問題は起こすな、起こさせるな!」と念を押していたのが印象に残っている。

 そんな中、先頭を飛ぶウラノスの背にはアルディアスが騎乗しており、その隣を飛ぶ竜の背にはガハルドの姿が確認できる。

 他の帝国兵が歩かされているのに対して、優遇されているように見えるが、これは一国の王であるガハルドに配慮したものなのではなく、もし、帝国兵が問題を起こした場合、すぐにガハルドに手を下せるというアピールだ。

 そんな人質にも等しい扱いのガハルドだったが、その機嫌は意外にも悪くはなかった。

 

「竜に乗るなんざ初めてだが……なるほど、悪くないな。うちにも欲しいくらいだ」

 

「止めておいた方が良い。もし俺たちが居なかったら即座にその首を喰い千切りに来るぞ」

 

「……マジかよ」

 

 アルディアス達が何の戸惑いもなく騎乗するものだから忘れていたが、目の前の竜も間違いなく魔物なのだ。

 まるで夢から覚めたようにガハルドの表情が強張り始める。

 

「そう固くなる必要はない。その竜は俺が作り出した魔物だ。俺の指示を違えることなど絶対にない」

 

「……お前、出来ないこととかあんのか?」

 

「数え切れない程な」

 

「嘘つけ」

 

 周りの部下を信頼しているのか二人からは一切緊張感は感じられない。しかし、アルディアスは常に周囲に感知結界を張り巡らせ、ガハルドもそんな便利な技能は無くとも、何かあればすぐさま切り替えるだろう。

 

「にしても、亜人族との交渉はうまくいくのか? いくら奴隷を連れてるからといって一筋縄にいくとは思えんが……」

 

 ガハルドの疑問は尤もだ。

 亜人族が魔人族の事をどう思っているかは知らないが、少なくとも帝国の人間を見て、簡単に気を許すような者たちではないだろう。

 帝国は長きに渡り、亜人族を奴隷として扱ってきた。労働力にならない子供や老人はその場で処刑することも珍しくない。

 彼らの帝国への恨みも相当のものの筈。今更、奴隷を解放したからといって手を取り合える訳が無い。

 

「簡単にはいかないだろうな。血の気の多い連中はすぐにでも襲いかかってきそうだが、彼らも馬鹿ばかりではない。受け入れることでのメリットを提示すれば、アルフレリックやルア辺りならば前向きに検討するだろう」

 

「そのメリットってのも気になるが……アルフレリックとルアってのは誰だ?」

 

「フェアベルゲンの長老を務める者たちだ。アルフレリックは森人族の族長。ルアは狐人族の族長に当たる」

 

「……何でてめえがそんな事を知ってる?」

 

「行ったことあるからな、フェアベルゲン」

 

「初耳なんだが?」

 

「言ってないからな」

 

「……もう驚かねえ。もう驚かねえぞ」

 

 アルディアスの暴露にガハルドの頬がピクピクと痙攣する。

 深く追求するとフェアベルゲンに来たのは八年前らしい。一応、新たな奴隷の確保の為に帝国の一個中隊がフェアベルゲン周辺を訓練も兼ねて巡回することはよくあるのだが、敵国の次期トップがこんな近くに現れていたなど誰が想像できるだろうか。

 一国の王のくせにフットワーク軽すぎだろ、と思ったガハルドだったが、第三者が見ればどっちもどっちだと言わざるを得ないだろう。

 そんなやり取りをしている二人を遠巻きから眺めている一人の吸血姫。

 

「……むぅ」

 

 アレーティアはジト目で、いかにも私不機嫌ですと言わんばかりに頬を膨らませていた。

 

 つい先日まで敵同士の筈だったアルディアスとガハルドだったが、今では何の気負いを見せること無く肩を並べている。

 アルディアスの方は戦いの勝者であることと、ガハルドが何をしようと対処できる自負が、ガハルドは敵が自分よりも強者であることが関係しているのだろうが、そもそもお互いにすでに相手を害そうとする意志は存在していない。

 元より、同じ王という立場故に共感できることも多く、立場を無視して気兼ねなく言葉を交わせる存在が希有なのだろう。

 自らの臣下に気を遣っているという訳ではないが、本人たちの心情的には少し違うようだ。

 気兼ねなくという点ではアレーティアも該当するが、そこは同性と異性でまた変わってくる。

 表情がコロコロ変わるガハルドと違い、あまり表情の変化は見られないが、アレーティアには分かる。今のアルディアスは少し機嫌が良いと……

 それがアレーティアには少し気に入らない。

 

(アルディアスの隣は私がつく予定だったのに……あのオヤジ)

 

 ジーッとアレーティアの視線がガハルドの背中に突き刺さる。敵意や魔力は込めない。そんな事をすれば隣のアルディアスに気付かれてしまう。

 敵意を込めずに睨むという中々な絶技を繰り出すアレーティアだったが、完全に技術の無駄遣いである。

 

(さっきからあの嬢ちゃんがめちゃくちゃ睨んでくるんだが……俺何かしたか? 敵意が無いってのが逆にコエーんだが)

 

 もちろん、視線を向けられているガハルド本人はそれに気付いているのだが、女性経験が豊富な彼の勘が触れてはいけないと警告を出しており、結局ハルツィナ樹海が見えてくるまでそれは続いた。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「良し、行っていいぞ」

 

「「「……へ?」」」

 

 帝国を出立して数日。魔人族と帝国人の合同部隊が警護する亜人族の馬車は、ハルツィナ樹海の入り口に差し掛かった辺りで停車した。

 彼らの乗る馬車の扉が開かれ、ぞろぞろと出てくる亜人族に向けてアルディアスが放った一言に亜人族たちが固まる。

 

「ここまで来ればフェアベルゲンまで戻れるだろう。辺り一帯には殺気を飛ばしておいたが、魔物が現れんとも限らんからな、ある程度の集団で行け。歩けない者が居るのなら各々サポートしてやれ」

 

「……行って、いいんですか?」

 

「当たり前だろう? 流石に馬車で樹海に入るのは無理だからな。俺も後から向かうが、先に長老たちに話を通してくれると有り難い」

 

 亜人族たちは困惑した表情でお互いの顔を見合わせていたが、故郷を目の前にし、帰れることをようやく実感しはじめたのか、涙を流しながら喜びを顕にする。

 

「魔王様!」

 

「ん?」

 

 すると、亜人族たちの群衆の中から垂れた犬耳の少年がアルディアスの前に出て来た。

 

「助けてくれてありがとう!!」

 

「……ああ、早く家族に顔を見せてやるといい」

 

「うん!!」

 

 少年に続いて、他の亜人族からも感謝の言葉が飛び交う。それに対して、苦笑しながらも片手を上げることで応える。

 思い思いの言葉をかけながら、亜人族たちは続々と樹海に入っていく。

 最後の集団が樹海に姿を消した後、アルディアスが隣の何とも微妙な表情を浮かべているガハルドに声をかける。

 

「では、俺達も行くとしよう」

 

「俺たちだけで行くのか?」

 

「いや、アレーティアも一緒だ。あまり多数で行っても彼らを警戒させてしまうだけだからな。その点、俺とアレーティアは面識がある分マシだ。お前が居れば、帝国が正式に俺たちに下ったことを証明するのに手っ取り早い」

 

「俺、殺されるんじゃねえか?」

 

「安心しろ、俺たちが居る。お前が殺されたら、帝国を戦力に加えた意味がなくなる。行くぞ、アレーティア」

 

「……ん」

 

 アルディアスに呼ばれたアレーティアが竜から飛び降り、アルディアスの隣に立つ。ちょうどアルディアスとガハルドを遮る立ち位置だ。

 

「俺たちが戻ってくるまでは頼んだぞ」

 

「ハッ!」

 

 部下に一声掛けてからアレーティアとガハルドを伴い、樹海に足を踏み入れる。

 道なき道を歩いていると、すぐに辺りを濃い霧が漂い始め視界を塞いでくるが、先頭を歩くアルディアスの歩みに迷いはない。

 本来、亜人族以外は現在位置はおろか、方角すら把握できなくなるのだが、つい先程の亜人族の気配を感知しているおかげで迷うことはない。仮に気配を察知する方法が無くとも、たった今出来たばかりの数千にも及ぶ亜人族の痕跡を見逃す筈も無いだろう。

 それに、どのみち向こうから接触してくる。

 それでも視界を塞ぐ濃霧は側を歩いている者すら見失い程なので、アレーティアはアルディアスの腕に抱きつくような格好で歩いている。そこに下心などありはしない。無いったら無い。

 流石にガハルドは男にそんな事をする趣味は無いので、絶対にアルディアスを視界から外さないように必死だ。

 しばらく、そのまま樹海を進んでいると、前方より複数の気配が真っ直ぐ向かってきていることに気付く。

 

「来たか」

 

 アルディアスの呟きに一同が立ち止まると、霧をかき分けるように武装した亜人族の集団が現れる。

 彼らの後ろから現れた人物を見て、アルディアスが少し意外そうに目を丸くする。

 

「まさか、いきなりアンタが現れるとはな」

 

「君は……まさか、あのときの少年か」

 

 フェアベルゲンの長老衆。森人族の族長であるアルフレリックが護衛を引き連れて現れた。




>ガハルド真実を知る
 原作でも多少驚きはしたけど、やるべきことは変わらないとあっさりしていたガハルドでしたが、流石に既に死んでるのは驚く。

>亜人族の輸送方法。
 ハジメのように飛空艇も大型の籠も無い状態でどうしようかと悩んだ結果、普通に馬車を使うことに。
 “影星“のような転移魔法を複数人に使えたら便利だったんですが、ハジメと違い、軍を率いるアルディアスが数千人を転移させることが出来たら、あまりにもイージーモードすぎて出来ない設定にしたんですよね。(いきなり王国や帝国の中心に軍隊を出現させたり出来てしまう)


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第十六話 【亜人族との融和への一歩】

「驚いたな。あのときの少年がここまで成長しているとは。そちらの少女は容姿が変わってないようだが……」

 

「ん、久しぶりだね。私はちょっと特殊だから」

 

「フム、なるほど。色々事情がありそうだ。それに帰ってきた者からは魔王に助けて貰ったと聞いた」

 

「3年前に即位した。解放した者からある程度の話は聞いているか?」

 

「ああ、正直まだ信じられない気持ちだが、帰ってきた者からある程度のことは聞いている。少年……いや、もうそんな年でもないか。魔人族の王よ。フェアベルゲンを代表して礼を言わせてもらう」

 

「気にするな。こちらもある程度の打算ありきだ」

 

「……それは貴殿の隣に居る者が関係しているのか?」

 

 アルディアスと会話をしていたアルフレリックが目を鋭くさせ、ガハルドを睨みつける。

 周りの亜人族も武器を構え、今にも襲いかかりそうだ。

 

「お前たちの気持ちも分からんでもないが、今は話を聞いて欲しい」

 

「何を世迷い言を!! その男が今まで我らの同胞を何人殺してきたと思っている!! よくものこのこと我らの前に姿を出せたな!!」

 

 アルディアスが止めに入るが、亜人族の護衛たちはそんなこと知ったことかと声を荒げる。

 しかし、そんな状況でありながら、ガハルドは面倒くさそうに顔を顰める。

 

「ふん、俺だって来たくて来たわけじゃねえよ。そもそも奴らが死んだのはお前たちが弱かったのが悪いだろ。自分たちの不甲斐なさを俺のせいにするんじゃねえ」

 

「貴様!?」

 

「よせ。気持ちは痛いほど分かるが、今は堪えろ。アルディアス殿の話を聞くのが先決だ」

 

「ガハルドも無駄に煽るな。ここに来た目的は理解している筈だ」

 

「くッ……」

 

「わーってるよ」

 

 一触即発の空気は変わらないが、アルフレリックとアルディアスの仲裁に渋々矛を収める亜人族。ガハルドも流石にここで殺り合う気はないのか亜人族から視線を外す。

 

「同胞がすまない。だが、理解して欲しい。それほど我々の帝国に対する恨みは深いのだ」

 

「分かっている。こうなることを承知の上でコイツを連れてきたわけだしな」

 

「……何やら込み入った事情があるようだな。ここでは何だ、フェアベルゲンまで案内しよう」

 

「アルフレリック様!?」

 

「こちらとしては有り難いが、いいのか?」

 

「ああ、君の人となりはある程度理解している。そこの帝国の皇帝も君が居るならば何も出来まい」

 

「チッ」

 

 アルフレリックの言い分にガハルドは不機嫌そうに舌打ちする。

 事前に話を聞いていたというのもあるが、この僅かの会話や動向でアルディアスとガハルドの力関係を察したのだろう。この洞察力の高さは流石と言わざるを得ない。

 

「それに、多くの同胞を救ってくれたのだ。そんな君を無下に扱ってしまえば亜人族はとんだ恥知らずになってしまう」

 

 アルフレリックの言葉に困惑していた護衛たちも渋々だが納得した表情を浮かべる。

 彼らも、もう二度と会えないと諦めていた家族が、恋人が、親友が帰ってきて、奇跡の再会に歓喜の涙を流しながら抱き合う光景を見ているのだ。

 そんな光景を作り出してくれた恩人を無下に扱うのは彼らとしても本意では無かった。

 

「では、お言葉に甘えさせてもらう」

 

「うむ、招待しよう。我らの故郷、フェアベルゲンへ」

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「なるほど、この世界の真の神……か。この世界が神の盤上とは聞いていたが、その神すらも盤上の駒だったとは、皮肉なものだな」

 

 場所は移り、フェアベルゲンの中心、アルフレリックが用意した広場で彼らは話し合いを行っていた。

 ここにはアルディアスとアレーティア、ガハルドの他にフェアベルゲンの長老衆とその護衛が集まっていた。

 無論、ここに来るまでに一悶着(主にガハルド関連)あったが、多くの同胞を救ったアルディアスの存在とアルフレリックの取成しにより、なんとか怒りを抑え込んでいる。

 真なる神の存在を告げたアルディアスだったが、予想と違ったアルフレリックの反応に首を傾げる。

 

「何だ、エヒトの正体を知ってるのか?」

 

「ああ、ついこの前だが、君と同じ迷宮の攻略者が現れたのだ。その者から真相を聞いた」

 

「攻略者……もしや、その者は南雲ハジメと名乗らなかったか?」

 

「ッ!?──知ってるのか?」

 

「ああ、一度だけ接敵してる。やはり迷宮の攻略者だったか。まだまだ荒削りだが、中々見どころのある少年だった」

 

「アレをそんな風に言えるのは君くらいだよ」

 

 自分たちは危うく国ごと滅ぼされる手前だったというのに、そんな相手をまるで将来が有望な子供のような扱いが出来るのは世界でもアルディアスくらいだ。

 アルディアスの発言にアルフレリックは苦笑し、他の長老衆が戦慄していると、アルディアスはここに長老の一人がいないことの理由を察する。

 

「……なるほど。8年前に居た熊人族の長……確か、ジンと言ったか。奴がここにいないことを疑問に思っていたが、また凝りもせずに手を出したな?」

 

「……」

 

「アルディアスに情けをかけて貰ったのに、学習しなかったの?」

 

「返す言葉もない」

 

 ジト目のアレーティア対して、アルフレリックが眉間を抑えながら肯定する。

 八年前、アルディアスとアレーティアがフェアベルゲンを訪れた際に、口伝に従い、二人をフェアベルゲンに招いたアルフレリックに反抗し、いきなり襲いかかったのだ。

 当時、10歳だったアルディアスと見た目が12歳で成長が止まっていたアレーティアの姿を見て、こんな子供が敵対してはならない強者だとはとても信じられなかった故に起こした愚行だった。

 結果は言うまでも無く、アルディアスに簡単にあしらわれた。

 アルディアスに殺す気が無かったことが幸いして、その場は見逃され、本人には「見た目だけで安易に判断して浅慮な行動をしないことだ」と忠告したものの、無駄に終わったようだ。

 

「まあ、その事はいい。それで俺としてはフェアベルゲンの亜人族にも戦力に加わってもらいたいと思っている」

 

「それは……」

 

 アルディアスの言葉にフェアベルゲンの長老衆たちはお互いに顔を見合わせる。

 アルディアスの言葉が事実と仮定すれば、フェアベルゲンとしても関係の無い話ではない。仮に亜人族全体が戦いに協力せず、人間族と魔人族だけで事を片付けてしまった場合、世界が存続したとしても、今よりももっと亜人族は肩身の狭い思いをすることになるだろう。

 仮に人類が敗北してしまい、神とやらが世界を滅ぼさんとしようものなら目も当てられない。

 かといって、簡単に手を取り合えるかと言われればそうとも言えない。

 人間族、特に帝国人は長年亜人族を奴隷として虐げてきた。世界の危機だとしてもそう簡単に頷くことは出来ない。

 

「あ、あの!」

 

 重々しい雰囲気の中、話し合いは難航し、時間だけが過ぎていく中、広場に一人の少女の声が木霊する。

 その場の全員がそちらに視線を向けると、森人族の少女が一人立っていた

 

「アルテナ?」

 

「わ、わたくしはアルディアス様の話を受け入れるべきかと思います!」

 

「これはフェアベルゲンの今後を大きく左右する案件だ! いくら族長の娘とはいえ、安易に口を挟むな!!」

 

「落ち着きなよゼル。頭ごなしに否定するのもどうかと思うよ?」

 

 アルフレリックの孫娘、アルテナの意見に虎人族の族長であるゼルが声を荒げるが、狐人族の族長のルアが窘める。

 

「アルテナ、どうしてそう思ったんだい?」

 

 アルフレリックの問にアルテナはチラッとアルディアスに視線を送る。

 突然こちらに視線を向けてきたアルテナに、アルディアスが首を傾げていると、すぐにアルフレリックに視線を戻す。

 

「……わたくしは将来の族長候補として、お祖父様たちの姿から日々精進を重ねてきましたわ。そんなお祖父様が常に仰られていたのはフェアベルゲンの次期族長として恥ずべきことのない姿を見せよということです」

 

「……」

 

「しかし、この世界の危機を前にしても樹海に引きこもり、問題が解決されるのをただ待ち続ける姿が、果たして後世に胸を張れるでしょうか」

 

「それは……」

 

「わたくしは思いませんわ。もちろん、帝国人の方々と肩を並べるなど想像も出来ません。彼らを見ると今でも足が竦んでしまいます。それでも……フェアベルゲンの長老、アルフレリックの孫としてここで逃げ出すのだけは出来ません! ここまでして頂いて、それでも戦うことをしなかったらわたくしたちはただの臆病者です!!」

 

「ッ!?」

 

 アルテナの言葉に長老衆を含むその場に居る亜人族が目を見開く。アルフレリックに至っては孫娘の成長に涙ぐみ始める。

 

「アルテナ……そんなに立派になって、祖父として鼻が高いぞ」

 

「若い子がここまで言ったんだ。先達としてかっこいい背中を見せてあげるべきだと思うんだが……君はどう思う? ゼル」

 

「うっ、俺は別に……」

 

「はぁぁぁ、しょうがないね。ゼルはどうやらその神とやらにビビっちゃったみたいだ」

 

「なっ!? 俺はビビってなどおらん! 勇敢なる虎人族を愚弄するな! いいだろう、神だろうが何だろうが叩き潰してくれる!!」

 

 ゼルの宣言につられるように他の長老衆も力強く頷き始める。

 

「我らの意志は決まったな。アルディアス殿、全ての遺恨が無くなった訳ではないが……それでもこの世界の為、フェアベルゲンの民の未来の為、我らも共に戦うことを誓おう」

 

「ああ、こちらこそよろしく頼む」

 

 差し出されたアルフレリックの手を取り、握手を交わす。

 

「……そうだ、アルフレリック。戦いの助力とは別でフェアベルゲンに提案がある」

 

「提案?」

 

「ああ。俺たちの国、魔国ガーランドとフェアベルゲンとの間で同盟を提唱したい」

 

「ッ!?」

 

 アルディアスの提案にアルフレリックを始め、長老衆も目を見開いて驚きを露わにする。

 

「本気か? しかし我らは……」

 

「神から迫害されていることなら今更だ。そもそも、魔人族にはそこまで亜人族に対する差別意識は広がってはいない」

 

「何と……!」

 

 この世界の亜人族は魔力を持たないことから、神から見放された獣もどきとして差別の対象となっている。

 しかし、実をいうと、魔人族はそこまで亜人族に対して差別意識を持ってはいない。

 というのも、人間族は亜人族を奴隷として扱うことで民にも差別意識が深く浸透しているが、魔人族はここ数百年の間、まともに亜人族との交流を持ってはいない。亜人族を見たこともない魔人族すら存在するくらいだ。

 見たこともない存在を差別など出来る筈もない。

 

「本来亜人族が迫害されてきたのは、エヒトの馬鹿の教えが浸透したせいに過ぎない。そのエヒトを殺した俺にそんなことは関係ないからな。この戦争を終結させた後、少しずつだが種族の壁を無くし、融和の道を探りたいと思っている。これはその第一歩になる。それに……」

 

「それに?」

 

 アルフレリックが続きを促すとアルディアスはチラッとガハルドに視線を向ける。

 何故だかそれにとてつもなく嫌な予感がしたガハルドだったが、止める間もなくアルディアスは口を開く。

 

「帝国は魔国の支配下に下った。つまり、俺達の下だ。だが、同盟国となれば立場は平等。コイツにデカい顔が出来るぞ」

 

「おまっ!?」

 

「ほう」

 

 自身を指差すアルディアスに驚愕するガハルドと対象に、アルフレリックたちはニヤリと笑みを浮かべる。

 

「てめえ! 帝国が下ったことの証明が手っ取り早いとか抜かしてたが、俺を連れてきたのはこの為か!?」

 

「彼らには一番有効なメリットだろう?」

 

「メリットってそのことかあーー!?」

 

 堪らずアルディアスに掴みかかるが、アルディアスはどこ吹く風といった様子だ。

 

「諦めろ。お前の言葉を借りるなら、負けたお前が悪い」

 

「グッ!?」

 

 普段からガハルドら帝国が掲げる弱肉強食の理念。それを持ち出されてしまえば、ガハルドも口を紡ぐしか無い。

 

「心配しなくとも命まで取られることは許容しない。精々鼻で笑われるくらいだ」

 

「グググッ!?」

 

 かといって、簡単に受け入れられない屈辱にガハルドは頭を抱える。

 

「フフフ、確かにそれは魅力的だな。とはいえ、流石にすぐに決めることは出来ない。時間を貰っても構わないだろうか?」

 

「ああ。初めからすぐに返答を貰おうとは思っていない。今後の国の方針を決めることにも繋がる。ゆっくり考えてくれ」

 

 その後も今後の方針を一つずつ決めていく。そんな彼らを影から見つめ続ける少年が一人。

 

「奴が魔王アルディアス……念の為、族長に報告だ」

 

 目を鋭くさせた少年が背中を向けてその場を後にする。

 その背を一人の男がじっと見つめていることに気付くこと無く……

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 フェアベルゲンから少し離れた場所に存在する小さな集落。

 フェアベルゲンと比べると全体的に暗く、鬱蒼とした集落ではウサミミが特徴的な亜人族が集まって生活をしていた。

 彼らは兎人族のハウリア族。かつてはフェアベルゲンの長老衆より処刑を命じられた弱小種族だった者たちだ。

 元々は争いとは無縁な温厚な性格をしていたが、ある少年の介入により、その温厚さは跡形もなく無くなり、冷酷な暗殺集団と化していた。

 

「族長! ご報告したいことが!」

 

「バルトフェルドか……どうした?」

 

 そんなハウリア族の族長、カム・ハウリアの元に、ハルツィナ樹海の巡回に出ていた必滅のバルトフェルドことパル・ハウリアが現れた。

 

「フェアベルゲンに魔国ガーランドの魔王アルディアスと帝国の皇帝ガハルド・D・ヘルシャーが現れました!」

 

「……目的は何だ?」

 

「この世界の真なる神の討滅への協力。そして、フェアベルゲンと魔国の同盟関係の構築と話しておりました……どうやら、長老衆は神の討伐への協力は受け入れた様子です」

 

「フム、真なる神とな……」

 

「魔王が言うには、エヒトすらもその神によって昇華された存在らしいとか。真偽は定かではありませんが……」

 

 顎に手を当てて考え込むカムだったが、突然何かに気付いたようにバッと顔を上げ、パルを……正確にはその背後を注視する。

 次第に目が鋭くなっていくカムの姿を見て、パルが不思議そうに尋ねる。

 

「……族長?」

 

「バルトフェルドよ、つけられたな」

 

「へ?」

 

「中々の感知能力だ。隠密には自信はあったのだがな」

 

 誰もいない筈の背後から声が聞こえてきたことにパルは慌てて背後を振り返る。

 するとそこには先程まで自身が監視していた男が佇んでいた。

 

「よく言う。わざと殺気を洩らしただろう。私を測ったな?」

 

「その点は謝罪する。俺の知識にある兎人族とは大きくかけ離れていたのでな」

 

 淡々とする魔王(アルディアス)魔王(ハジメ)に絶対の忠誠を誓うハウリア族の族長、カムがギロッと睨みつけた。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「それで、話って?」

 

「えっと……」

 

 フェアベルゲンのとある部屋にて、アレーティアとアルテナは机を挟んで対面していた。

 アルディアスが会議を一時中断してフェアベルゲンを後にした後、手持ちぶさただったアレーティアをアルテナが相談があると連れ出したのだ。

 ちなみにアルディアスに続いてアレーティアまでこの場を離れることに、ガハルドはマジかといった表情を浮かべたが、アレーティアは無視した。

 ガハルドに恨みを持つ彼らだが、アルディアスとの協定を自ら破綻させる行動は慎むだろう。フェアベルゲンとの同盟も長老衆の反応を見るに前向きな様子だ。

 まあ、万が一襲われたとしても、アルディアスや自分が駆けつける間も無く殺されるといったことは無いと判断したアレーティアだった。

 そんなこんなで今はアルテナと二人っきりでいるアレーティアだったが、話すように促しても顔を真っ赤にして黙り込んでしまう。

 実を言うと、アレーティアにはアルテナが何を言いたいのか想像が付いている。そして、それに対する答えも決まっている。

 しばらく、その状態が続いていたが、意を決したのか、アルテナが両の手を握りしめ、アレーティアに視線を合わせる。

 

「8年前にアレーティアさんから言われた事をずっと考えて精進してきましたわ。あれから私の気持ちは変わりません! どうか、アルディアス様との恋仲になることを認めてくださいませ、お義姉様!!」

 

 その場で頭を机につく程深く下げるアルテナ。

 そんなアルテナに対して、アレーティアはよく出来ましたと言わんばかりの微笑みを浮かべ……

 

「火だるまと氷漬け……どっちが望み?」

 

「何でですの!?」

 

 笑顔で毒を吐いた。 




>魔人族の亜人族への価値観
 原作では人間族以上に亜人族への差別どころか憎悪すら抱いている魔人族でしたが、当作品ではアルディアスの影響で狂信者は居なくなってます。魔国に亜人族の奴隷がいるような描写は無かったですし、ならそもそも神への信仰が無くなれば、差別意識もなくなるのでは?との解釈からこのような設定にしました。
 亜人族も魔人族とは全く関わってきていないので、協力することに人間族程、忌避感は感じ無いんじゃないかなと。完全な個人の解釈ですが。

>ハウリア族
 ハルツィナ樹海に魔王と皇帝が来たら、そりゃ気付きます。

>アルテナ
 多分誰も予想できてなかったこと。作者も予想できてなかった。


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第十七話 【8年前の誓い】

ヒロイン回+αです。


──8年前、フェアベルゲンにて。

 

「貴女……アルディアスのことが気になるの?」

 

「うひゃあ!?」

 

 幼いアルテナは木の陰からじっと、生まれて初めて見る魔人族(アルディアス)のことを見つめていると、突然後ろから聞こえた声に飛び上がって驚きを露わにした。

 慌てて振り返ると、そこにはアルディアスと一緒にフェアベルゲンを訪れた、自分よりも少し年上の金髪の少女が佇んでいた。

 

「い、いえ!? 気になるとかじゃなくて!? 外の人を初めて見るので、珍しくて!?」

 

「……つまり、気になると?」

 

「うっ!? それは……はい」

 

 慌てて否定するアルテナだったが、結局は気になっていることに変わりはなく、再度アレーティアに指摘される。

 

「あの……貴女は?」

 

「私はアレーティア。アルディアスのお姉さん」

 

「お姉さんなんですか?」

 

「ん!」

 

 アルテナは胸を張るアレーティアをじっと観察する。容姿が優れているという点は共通するが、アルディアスとアレーティアの容姿から血の繋がりを感じることは出来ない。そもそも種族が違うことから実の姉弟では無いのだろう。

 しかし、あまり人の家庭事情を詮索するのは無粋だろうとその事を深く追求することは止める。

 それよりもアルテナには姉であるアレーティアに聞きたいことがあった。

 

「わ、わたくしはアルテナと申します……あの、アレーティアさん。わたくし、聞きたいことがあるのですが」

 

「ん? 何?」

 

「……アルディアスさんは何故、あんなにもお強いのですか?」

 

「強い?」

 

「はい。あの方はわたくしと年齢も離れていないのに、フェアベルゲンで一、二を争う程のジン様を簡単にあしらい、お祖父様を含む長老衆の方々と対等にお話されていらっしゃいましたわ。わたくしには決して真似出来ません」

 

「……」

 

 アルテナは次期族長として、幼い頃より祖父であるアルフレリックの仕事を手伝ったり、会議の場に同席することが多かった。

 これはアルフレリックに無理やり付き合わされているわけではなく、アルテナが自主的にやっていることだ。

 アルフレリックとしては、年頃の少女のように過ごして欲しかったのだが、本人がやりたいと言っている以上、好きなようにやらせようと判断した。

 自分のように立派な族長になりたいと言ってくれることに嬉しさを感じていたこともあるだろう。

 そうして、アルフレリックに付いて行くことが多かったアルテナだったが、幼く、経験が浅いアルテナでは当然会議に口を挟むことも出来ず、終始目を白黒させるだけで終わってしまうことがほとんどだった。

 政治面で駄目ならば、フェアベルゲンを守る為に力をつければ……と考えていたこともあったが、まだ体も満足に出来ておらず、性格的にも戦いに向いていなかったアルテナでは精々自衛の基礎を学ぶのが限界だった。

 それでも、まだ子供だから仕方がないと割り切っていたアルテナからすれば、アルディアスの存在は目を瞠るものだった。

 自分と同年代にも関わらず、簡単にジンをあしらう実力を持ち、アルフレリックたちと対等に意見を交わす姿はアルテナの常識を壊すには十分のものだった。

 どうすればそんな力を身につけられるのか……どうすればそんな知識を身につけられるのか……アルテナには不思議でたまらなかった。

 アルテナの疑問を聞いたアレーティアはしばらく考え込むとゆっくりと口を開いた。

 

「……私とアルディアスは本当の姉弟じゃない。それは分かるよね?」

 

「それは……はい」

 

「実をいうと、まだ初めて会ってから二、三ヶ月しか経ってない」

 

「え!? そうなんですか!?」

 

 血がつながっていないことは想像していたが、まさかそんな短い付き合いだとは思わなかったアルテナは目を見開いて驚愕する。

 

「あの……何故あんなに仲が良さそうなんですか? いえ、時間が全てと言うつもりは無いのですが……」

 

「……アルディアスは私の灰色だった世界に色を灯してくれたの」

 

「色?」

 

「信じてた家族に裏切られて、真っ暗な場所に閉じ込められて、私は全てに絶望してた。そんな私にアルディアスは手を差し出してくれた。真っ暗な闇から救い出してくれた。真実(希望)を教えてくれた。アルディアスがいるから今の私が居る」

 

「……」

 

 アレーティアから告げられた話は非常に抽象的で幼いアルテナにはうまく理解することが出来なかった。それでもアレーティアが心の底からアルディアスを信頼していることは伝わった。理屈ではない。子供が故の感覚なのだろう。

 

「確かにアルディアスは強いよ。でも、アルディアスの本当の強さは、力とか知識とかそう言うのじゃないと思うんだ。アルディアスの強さの根幹はその強い意志から来るんだと思う」

 

「意志……ですか?」

 

「アルディアスには果たすべき使命がある。でも、その道を阻む障害はとても多い。下手をすれば、同胞を……世界を敵に回すかもしれない」

 

「世界をですか!?」

 

「それでも、アルディアスは歩みを止めることをしない。例え、守るべき者に刃を向けられることになっても、憎悪を向けられても尚、きっと戦い続けると思う……私にはとても出来なかった」

 

 アレーティアの表情に影が落ちる。

 信頼してた家族に、守るべき民に裏切られたと知った時、アレーティアは一切抵抗することをしなかった。叔父の考えを尊重するならば、抵抗しないのが最善だったのだろう。

 アルディアスと違い、神への対抗手段を全く揃えていない状態では、とても勝ち目などなかったことは明白だ。

 それでも、本当にそれが正しかったのか……力を合わせれば何とかなったのではないか……そんな考えがぐるぐると頭を巡っていた。

 

「……だから、アルディアスは強い。どんな絶望が襲いかかっても、きっと諦めることをしない確固たる信念を持ってるから」

 

「……確固たる信念」

 

 アレーティアの言葉を聞き、アルテナは自分の胸に問いかける。

 自分はそこまでの覚悟を持っていただろうか。まだ子供だから……そう言って体の良い言い訳をしていただけなのではないだろうか。

 年が近いのに何故ここまで違うのかずっと不思議だった。だが、アレーティアの話を聞き、表情を見た後では比べるのすら烏滸がましく感じてしまう。

 アレーティアから視線を外し、再びアルディアスを見つめる。

 今も堂々と祖父と会話をする後ろ姿。自分よりも小さな背中にのしかかる重圧。その瞳に宿る強い意志。

 

「アルディアス様……」

 

 アルテナの瞳に熱が宿り、頬が高揚する。アルディアスに対する敬称が変わっていることに本人も気付いていないだろう。

 しかし、最早ブラコンと言っても言いほど拗れたアレーティアの目は誤魔化せなかった。

 

「小娘がアルディアスに恋心を抱くなんて百年早い」

 

「はい!? わわわ、わたくし別にアルディアス様にそんなことは!?」

 

「アルディアスの敬称が“さん“から“様“に変わってる」

 

「はうっ!?」

 

 アワアワと慌てだすアルテナにアレーティアは大きくため息を吐く。

 

「アルディアスは将来魔人族の……ううん、世界の中心に立つ存在。姉として生半可な相手を認めるわけにはいかない」

 

「ど、どうしたら認めてもらえるんでしょうか……?」

 

「せめて、フェアベルゲンの次期族長として、会議で意見を通すくらいは出来るようにならないと話にならない。まあ、それでようやくスタート地点だけどね」

 

「ううぅ……」

 

 アレーティアに出された条件にアルテナは頭を抱える。つまりは、今はどう足掻いても認められないということだ。しかし、両頬をパンッと叩き、頭を気持ちを切り替える。

 亜人族の中でも地位の高い森人族の長老の孫娘であるアルテナは文字通り、フェアベルゲンのお姫様として高貴な存在として扱われている。

 同年代と関わる時間があっても他よりも優遇されてしまい、対等な関係というのは築けたことがない。アルフレリックの業務に付き合いたがるのもそういう面が関係しているのだろう。

 そんな中、同年代であり、自分の地位や美貌にこれといった反応を示さず、自分に出来ないことを難なくこなす存在は初めてで、どうしようもなく惹かれてしまった。

 アレーティアの話を聞いて、その気持が強く溢れてきてしまった。もう諦めることなんて出来ない。

 

「なら、なってみせますわ! アルディアス様の隣に相応しい存在に……必ず!!」

 

「並大抵の努力じゃ認めないけど……まあ、頑張ると良い」

 

 アルテナの力強い宣言に、アレーティアは薄っすらと笑みを浮かべて答えた。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「──って仰ってたではありませんか!?」

 

「……私、過去は振り返らない女だから」

 

「こっちを見て言ってくださいまし!?」

 

 アレーティアは明後日の方向を向きながら、意味の分からないことを口にする。

 アレーティアとて自分が言った言葉はしっかり覚えている。当時はアルディアスの姉として弟の相手を見定めてやろうという気概だったが、今は状況が変わってしまった。

 さっきはつい物騒な言葉を出してしまったが、自分で焚き付けてしまった分、アレーティアとしても否定しづらい。

 

「わたくしはアレーティアさんの言葉を信じて今まで頑張ってきたのですよ! 覚えていないなどとは言わせませんわ!! 何か理由があるのですか! それならば仰ってください!!」

 

「……」

 

「アレーティアさん!!」

 

「うっ……」

 

 机から乗り上げて顔を近づけてくるアルテナに身を引くアレーティア。

 しかし、理由を説明しなければ納得しなさそうなアルテナに根負けしたアレーティアは渋々理由を話し始める。

 

 ◇

 

「つ、つまり……アレーティアさんもアルディアス様に恋慕を抱いてしまったと……?」

 

「…………ん」

 

「……」

 

 アレーティアの告白を聞いたアルテナは椅子に座り直し、じーっとアレーティアを見つめる。

 流石に罪悪感が湧いてきたアレーティアが何か言葉を口にしようとした時。

 

「なるほど。理由は分かりましたわ。それならば、アレーティアさんが渋った理由も分かります」

 

「……怒ってないの?」

 

「なぜ怒る必要があるのですか?」

 

「だって、私偉そうなこと言ったのに……」

 

「驚きはしましたけど、怒ってはいません。アルディアス様はわたくしの想像するよりもずっと素敵な殿方になって居られました。そんな方の側に居られるのなら、恋慕の感情を抱いてもおかしくはありませんもの」

 

「そ、そっか」

 

 てっきり恨み言の一つでも言われるかと思っていたアレーティアだったが、杞憂に終わり、ほっと胸を撫で下ろす。すると、それを見て、アルテナがニヤリと笑みを浮かべる。

 

「でも、安心しましたわ。そのご様子ならばアルディアス様とのご関係が進んでいるわけではないようですね」

 

「うっ……」

 

「ならば、わたくしにもチャンスはありますわ」

 

「ムッ、私だって負けるつもりはない」

 

 机を挟んで二人は睨み合う。しかし、しばらくすると、同時にプッと吹き出し笑みを浮かべる。

 

「なら、わたくしたちはライバルですわね。一番を譲るつもりは毛頭無いですよ、アレーティアさん」

 

「こっちのセリフ。それと、私のことはアレーティアでいい」

 

「ッ!──わ、分かりましたわ、アレーティア!」

 

 アレーティアの言葉に更に笑みを深めるアルテナ。

 アルディアスのこともそうだが、フェアベルゲンでの立場故に友人と呼べる存在が居なかった為、同年代の女の子と敬称を付けずに名前を呼び合う関係に憧れていたのだ。

 そんなことを考えていると、アルテナはずっと疑問に思っていたことを尋ねる。

 

「そういえば、今更なのですが、何故アレーティアは容姿が変わっていないのですか?」

 

 8年前にフェアベルゲンに来た時と比べて、アルディアスはその年月に相応な成長を遂げているが、アレーティアの容姿は一切変わっていない。そのことに疑問を抱いていたアルテナは何となく尋ねてみた。

 

「詳しいことは省くけど……私、年取らないから」

 

 正式にフェアベルゲンとの同盟が結ばれれば、教えるのも吝かではないが、今は詳細は省いて年を取らないことだけ説明する。

 

「な、なんですかそれ!?」

 

「まあ、驚くのは無理ないし、気になるのは分かるけど──」

 

「では、一生その美貌を保てるということですか!?」

 

「……そこ?」

 

 年を取らない。それを聞けば誰もが驚愕するだろう。欲に目が眩んだ貴族などは全ての財を投げ打ってでも方法を聞き出そうとする者も出てくる。もちろん、金を積んでどうにかなるものでも無いのだが……

 しかし、アルテナが最初に口にしたのはまさかの美貌の維持。

 アレーティアも同じ女性だが、12歳で成長の止まったアレーティアは肌の衰えなどとは無縁であり、カトレアやアルテナの気持ちをいまいち理解することは出来なかった。

 

(カトレアも似たようなこと言ってたし……やっぱり年頃の女性はみんな気にするものなのかな? まあ、好きな人の前で綺麗にいたいっていう気持ちは分かるけど)

 

 アレーティアの肩を掴んで激しく揺さぶるアルテナを尻目にアレーティアはそんなことを呑気に考える。その時──

 

「ん?」

 

「?──どうかしましたか?」

 

「……ん、何でも無い」

 

 一瞬感じた空気の揺らぎ。恐らく、誰かが魔力を開放したことによる空気の歪み。亜人族たちは一部の例外を除き総じて魔力を扱うことが出来ない。今、ここに居る者で魔力を扱うことが出来るのはアレーティアを除けば、アルディアスとガハルドのみ。ガハルドは今、アルフレリックたちと共にいる。もし騒ぎを起こせば、アレーティアたちのいる場所にも騒ぎが聞こえる筈だ。つまり、原因はアルディアスしかいない。

 アルディアスが自分たちを監視していた者のことを追跡する前に、簡潔にだがアルフレリックから彼らの話を聞いていた。

 

(私たちと同じ、迷宮の攻略者によって訓練された兎人族。聞いた話だとかなり物騒な連中らしいけど……アルディアスが理由もなく此方から敵対行動を取る筈が無い。話をするのも困難な相手か、それとも……)

 

 一瞬険しい表情を浮かべたアレーティアだったが、すぐに元の無表情に戻る。

 援護に向かおうか悩んだアレーティアだったが、もし本当に援護が必要ならばアルディアスから要請がくる筈。それにもしアルディアスが全力を出すような事態に陥れば、目の前の少女が何も感じない筈が無い。

 

(流石に一筋縄ではいかないみたい)

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 ハルツィナ樹海は、天高くそびえる木々が日の光を遮り、鬱蒼とした雰囲気と辺りを包み込む霧が一種の神秘性をもたらしているのだが、その一角だけは異質な有様を見せていた。

 

「ぐうッ……!?」

 

「くそっ……!?」

 

 周辺の木々はことごとくなぎ倒され、大地は大きく剥がれている。まるで天災に襲われたような状況の中、数多のハウリア族が地面に這いつくばり、苦悶の表情を浮かべていた。

 そしてそれは、族長であるカム・ハウリアとて例外では無かった。

 

「ぐっ、き、貴様……!」

 

 せめてもの意地で、悠々と自分を見下ろす男を睨みつけるが、一国の将軍クラスの者でも、浴びれば体が硬直しかねない程の濃厚な殺気を当てられても、眉一つ動く気配がない。

 

「……これで終わりか?」

 

 倒れ伏すハウリア族に対して、アルディアスは淡々と言い放った。




>8年前まではお姉さん。
 読んで字の如し。かつては弟に近付く女性を全力で警戒しているときもありました。今では別の意味で警戒中。

>超絶一途なアルテナさん。
 他国の友好関係でも無い国の男を想い続けた。実は同盟の話が出たときに思わずガッツポーズした。
 残念ながらドM化はしません。全国のドMアルテナ好きの方には申し訳ない。シアポジションにカトレアを置く案も考えたけど、ちょっと厳しかった。

>ハウリア族
 やった。


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第十八話 【ハウリアの暴走】

8年間勤めた会社を辞めようかマジで悩み中。


──数分前。

 

「お前がハウリア族の族長、カム・ハウリアか?」

 

「私に何のようだ、魔王アルディアス」

 

「そう睨むな。まあ、警戒するなと言う方が無理だが、俺にお前たちを害する意志は無い」

 

 隠すこと無く殺気をぶつけてくるカムに、アルディアスは軽く両手を上げ、落ち着くように促す。しかし、姿は現さないが、四方からアルディアス目掛けて鋭い殺気が集中する。

 

(アルフレリックから聞いていたが……なるほど、全員動きが良く洗練されている)

 

 自分が突然現れたことに一瞬動揺したようだが、今では気配を極限まで殺し、静かに、されど迅速に包囲網を完成させている。

 目の前のカムの号令が発せられればすぐにでも襲いかかってくるだろう。

 

「では、何のようだ?」

 

「何、そこの少年の隠密が中々のものだったので、少し気になってな。自身の目でお前達を確認したくなった」

 

「……」

 

 アルディアスの言葉にカムの視線が更に鋭さを増す。言葉の裏に隠れた意味を正確に理解したのだろう。

 すなわち、ハウリア族(お前達)魔人族(俺達)に仇なす者か? という意味だ。

 アルディアスがこの場に現れたのも言ってしまえばそれが目的だ。

 パルの隠密はアルディアスから見ても、称賛に値するものだった。故に危惧した。もし、ハウリア族全体であのレベルの隠密能力を保有していて、それが魔国の民に向けられた場合、被害は甚大なものになる。

 だからこそ、アルディアスは直接確かめる必要があった。ハウリア族が自分達の敵か否かを。

 

「で? 我らは貴様の目にどう映った?」

 

「……お前達はつい最近力を付けたらしいな。そういう奴は自らの力に溺れ、自分を見失うことがある。もし、お前達が命を奪うことに愉悦を感じているようなら、ここで始末するつもりだったが、どうやら俺の杞憂だったようだ」

 

「ッ!?」

 

「……」

 

 アルディアスの発言に周囲のハウリア族が一瞬動揺する。アルディアスは知らないことだが、彼らは一時期、力に溺れ、殺しを楽しんでいた瞬間があった。そのことを思い出してしまったのだろう。

 しかし、唯一カムだけはこれといった反応を見せることはない。

 

「ハジメの教育は行き届いていたわけか」

 

「……何?」

 

 しかし、アルディアスの口から出てきた自らの主の名に初めて表情が変わる。

 

「何故、貴様の口からボスの名前が出てくる」

 

「少し前に接敵した。中々見どころのある少年だったな」

 

「ッ!?──貴様! ボスに何をした!?」

 

「何をしたも何も、敵と遭遇したらやることは決まってるだろう?」

 

 その瞬間、アルディアスは周囲からの殺気が膨れ上がるのを感じた。

 

「まあ、お前達の主を──」

 

 言葉を発するアルディアスの耳に僅かな風切り音が聞こえた。そちらを振り向くこともせず、飛来した矢を手で掴み取る。

 

「いきなりご挨拶だな。先程も言ったが、俺個人としては争うつもりは無いんだが?」

 

「世迷い言を。貴様は我らの逆鱗に触れた。生きてこの樹海を出れると思うな」

 

 武器を構え、戦闘態勢を取るカムの姿にアルディアスは己の失言を悟る。

 

(……しまったな。言葉の選択を間違えたか。まさかここまでの忠誠心を持っていようとは)

 

 アルディアスはパルの後を追うために、最低限のことしかアルフレリックに話を聞いていなかった。

 曰く、戦闘において、亜人族の最強種であった熊人族を赤子扱いする程の強者。

 曰く、元々は戦闘とは無縁の弱小種族であったこと。

 曰く、南雲ハジメとの邂逅で人が変わった。

 このくらいだ。これを聞いたアルディアスは比較的フェアベルゲンでは低い地位に付いていた兎人族がハジメに訓練を付けて貰い、力を付けたものだと判断した。

 ハジメが異世界からの来訪者だということもあって、そこまでの期間を共に過ごしたわけでは無く、接敵した程度で襲いかかる程の忠誠は持っていないと判断した。

 もし、兎人族がフェアベルゲンから逃げ出し、帝国人に襲われていたところをハジメに助けられたこと。そして、一族諸共処刑される運命を変えてくれたことを知っていれば、対応も変わっていただろう。何よりも……

 

()()()()()()()……討たせてもらう!!」

 

「……ん? おい待て。ハジメは──チッ」

 

 それ以上に何かとてつもない勘違いをしているカムの発言に、僅かに目を見開いたアルディアスはその勘違いを正そうとするが、その言葉を遮り、四方から矢や石が飛来した。

 すぐにその場から身を翻すことでそれらを躱す。

 しかし、それを分かっていたように小太刀を構えた者が次々とアルディアスに殺到する。

 

「落ち着け、俺は──」

 

「よくもボスを!!」

 

「生きて帰れると思うなよ!!」

 

「ボスの仇!!」

 

「話を聞かない連中だな!」

 

 どうやらハウリア族はハジメがアルディアスに殺されたものかと誤解しているようだ。

 ハウリア族はハジメの容赦の無さを身を持って理解している。ハジメは人間族のために戦っているわけではないが、戦いになれば敵に情けは一切かけない。敵国の王が相手でもそれは変わらない筈だ。

 故に、ハジメと敵対して尚生きているということは、とても信じることが出来ないが、ハジメの敗北を意味する。

 ハジメの名を何の躊躇いもなく口にするアルディアスの態度も、その考えを助長させている原因だろう。

 ハウリア族の攻撃を危なげなく避け続けるアルディアスは、正面から突貫してくるハウリア族の男の攻撃をあえて避けずに受け止め、その勢いを利用して、彼らと距離を取る。反応が間に合わない程ではないが、このまま彼らの包囲網の中心に居続けるのは旗色が悪い。

 

「ッ!?──これは……」

 

 ハウリア族の集落を離れ、彼らの包囲網を抜けた先の地に足がついた瞬間、地面に仕掛けてあったトラップが作動し、アルディアスの周辺を細いワイヤーが張り巡らされる。

 僅かに樹海から漏れる日の光で輝くワイヤーは、一見すると簡単に千切れてしまいそうだ。

 

「変な気は起こさない方がいい。その鋼糸は鉱石ですら容易く両断する。人の身など言うまでもない」

 

 アルディアスの頭上から発せられた言葉に、上を見上げると、カムが木の上からアルディアスを見下ろしていた。

 

「それだけではない。貴様にとっては命を刈り取る死神の鎌でも、我らにとっては自らの能力を活かす狩り場に過ぎない」

 

 瞬間、アルディアスの視界を一つの影が通り過ぎた。通り過ぎた影──ハウリア族の青年はワイヤーを足場にして空中を自在に跳び回る。影は次第に数を増やし、それら全てを肉眼で捉えるのは至難だ。

 さらに跳び回るハウリア族たちの僅かな隙間からスリングショットやクロスボウがアルディアスに狙いを定める。

 

「正面からでは我らに勝ち目は無いだろう。だが、地の利は此方にある」

 

 カムがゆっくりと手を持ち上げる。そして……

 

「殺れ」

 

 合図と同時に一斉にハウリア族が飛び掛かる。その僅かな隙間を縫うように石や矢が襲いかかる。

 そんな状況に対して、アルディアスは一つため息をつき……

 

魔烈(まれつ)

 

 アルディアスを中心に魔力による衝撃波が全方位に向かって吹き荒れた。アルディアスに襲いかかったハウリア族は抵抗する暇も無く吹き飛ばされ、遠距離で狙いをつけていた者も周囲の木々ごと吹き飛ばされる。

 魔力による防風が吹き荒れ、木々どころか、大地さえ剥がしていく。吹き飛ばされたハウリア族は無事な木々に捕まったり、体の大きな者にしがみついたりと各々耐え続けている。

 無限にも感じられる王者の暴力がようやく収まりを見せ始めると、辺り一面は地獄絵図へと変わり果てていた。

 

「ぐっ、き、貴様ッ!!」

 

 数多のハウリア族が倒れ伏す中、彼らの族長であるカムだけは、膝をつきながらもアルディアスを強く睨みつける。

 しかし、そんな視線を物ともせず、淡々とアルディアスは言葉を返す。

 

「……これで終わりか?」

 

「クッ……」

 

 自分達を見下ろすアルディアスの姿を見て、カムはようやく自分の失態に気付いた。

 ハウリア族はハジメの特訓により熊人族をも手玉に取るほどの戦闘技術と躊躇のない攻撃性を身に着けたが、身体的なスペックで言えば熊人族には劣っているままだ。

 そんな彼らが熊人族を翻弄出来たのは、彼らが無意識に磨き続けた危機察知能力と隠密能力を活かしていたからに他ならない。

 言ってしまえば、彼らは天性の暗殺者なのだ。そんな者達が自分たちの存在を把握され、尚且敵の能力が不明な状態で襲いかかるなど愚行以外の何物でもない

 本来ならば、その場は争わずにやり過ごし、アルディアスの行動や能力を観察した上で戦略を練るのが正解なのだが、自分たちのボスであるハジメを殺された(勘違いだが)ことで激昂してしまい、怒りのままに襲いかかってしまった。

 

(怒りで我を忘れるとは……なんと不甲斐ない! 申し訳ありません、ボス。結局貴方の仇を討つことは出来ませんでした)

 

 自分の情けなさにカムは血が滲むほど拳を強く握りしめる。

 これではかつての熊人族との戦いから何一つ成長していない。衝動のままに敵に襲いかかるだけのただの獣だ。

 

(そして、シア。ボスが殺られたのならお前も……ただで死ぬわけにはいかん。部下として、父として……例え、この身が朽ちようとも、一矢報いて……!!)

 

 自らを奮い立たせ、体に鞭を打ち立ち上がる。そんなカムに引っ張られるように周りのハウリア族も同じように戦う意志を見せる。

 彼らも自分達の運命を変えてくれたハジメに絶対の忠誠を誓っている。何より家族(シア)のこともある。

 元より、シア一人のために一族全員で樹海を抜け出そうとするくらい情に厚い種族だ。

 どれだけ冷酷で残忍な性格に変わろうと、家族に手を出されて何も感じないわけがない。

 

「まだやるつもりか?」

 

「当たり前だ。これはボスと我が娘の弔い合戦──」

 

「生きてるぞ」

 

「「「……は?」」」

 

「ハジメ、それにシア。同じ種族だろうとは思っていたが……そうか、シアはアンタの娘だったのか。確かにハジメとは戦ったが別に殺してはいない。シアに至っては無傷だ」

 

 アルディアスから告げられた事実に、カムを始めとするハウリア族が素っ頓狂な声を上げる。

 だが、それも仕方がないことだろう。彼らとしては敬愛するボスと大切な家族の弔い合戦のつもりで、それこそ命を懸ける思いで戦っていたのだ。

 

「出任せを──」

 

「この状況で言うと思うか?」

 

「それは……」

 

 いち早く硬直から回復したカムが言い返すも、すぐに返された言葉に口を紡ぐ。

 アルディアスの言う通り、圧倒的な有利な状態で嘘を言う理由はない。

 

「何より、この手で奪った命を全て背負う覚悟はしてる。途中で投げ出す真似などしない」

 

「……」

 

 アルディアスの言葉を聞き、深く考え込むカム。周りのハウリア族はカムに判断を任せるつもりなのか、黙ってカムとアルディアスの動向を見つめている。

 しばらく考え込んでいたカムだったが、考えがまとまったのか顔を上げ、周囲のハウリア族に指示を出す。

 

「全員、集落に帰投しろ」

 

「…了解」

 

 カムの指示を受け、周囲のハウリア族が一斉にアルディアスの元を離れていく。未だにダメージが抜けきれていないのか、初めに比べれば動きに淀みが見られる。彼らの姿が見えなくなると、再びカムはアルディアスへと視線を戻す。

 

「勘違いするなよ。今は退くが、お前が我らの敵であることに変わりはない。もし、またお前がボスや我が娘に手を出すというのなら次こそはその首をもらう」

 

「ああ、それで構わない。民に危害を加えない限りは無闇矢鱈と敵を増やすつもりはない」

 

 じっとアルディアスを睨み続けていたカムだったが、しばらくすると背を向けて霧の中に姿を消した。

 そのまま彼らの気配が離れるのを待ってからアルディアスは深くため息をついた。

 

「何とか矛を収めてくれたか……それにしても、ハウリア族……ある意味、帝国よりも厄介だな」

 

 戦いとなれば負けるつもりは毛頭ないが、彼らの能力を考えれば楽観視は出来ない。

 特にあの隠密能力を駆使すれば自分の居ぬ間に国に大打撃を与えることも不可能じゃない。

 

「癪だが、それだけはあいつに感謝してもいいかもな」

 

 あの日、ハジメと初めて邂逅した時、アルディアスはハジメとシアを間違いなく殺すつもりだった。

 それが実行されなかったのは、ひとえにアルヴが介入してきたからだ。

 当時は忌々しく感じていたが、あのままハジメとシアを殺していれば、間違いなくハウリア族と敵対することになっていた。

 そうなればアルディアスはハウリア族を殲滅しなくてはならない。

 魔人族の安寧のためならば躊躇うつもりはないが、戦いを回避出来るのならばしないに越したことはない。

 非常に……非常に不本意だが、結果的にアルヴの介入が良い方向に向かった、ということだろう。

 アルディアスは顔を顰めながらも、生まれて初めてアルヴに感謝した。

 

 

 ◇

 

 

「良かったんですか、族長」

 

「何がだ?」

 

「何って……魔王のことです。あの状況で嘘を言う理由が無いのは分かります。ですが、奴がボスとシアの姉御に危害を加えたのは事実です」

 

 ハウリア族の集落に戻ったカムにパルが尋ねる。自分達の敬愛するハジメと家族のシアが無事だったことは嬉しいが、手を出されたことは事実。それなのに見逃して良いのか? ということだろう。

 

「あのまま続けても、此方が敗北するのは目に見えていた。私は族長としてお前達を無駄死にさせるわけにはいかない」

 

「それはそうですが……」

 

「それに、いずれ再びボスが奴と敵対する可能性も0じゃない。その時こそ我らの力を振るう時だ。それまでは牙を研いておけ」

 

「……了解です」

 

 その場を立ち去るパルの背を見ながらカムは先程のアルディアスの事を考える。

 カムは8年前にアルディアスの姿を遠目からだが見ている。その時はあんな子供がフェアベルゲンの長老衆相手に対等に接している様子に只々感心していたが……今なら分かる。

 

(対等? 笑わせる。長老衆などアレに比べれば赤子同然だ)

 

 自分達に有利な地形、戦況、更に敵の戦力、性格に至るまで全てを把握した状態で一族総出で襲い掛かったとしても勝てるビジョンが思い浮かばない。

 ハジメの特訓により、力を付けたからこそ、ハッキリとアルディアスとの圧倒的なまでの差を感じ取ることが出来る。

 だが、全く弱点が無いわけではない。

 アルディアスの弱点……それは彼が守護する魔国の民たちだ。

 アルディアスが自国の民を大切に想っていることは噂で聞いていた。実際に会って見るとそれが真実であることがよく分かる。()の国の者を人質に取れば、アルディアスとて下手な真似は出来なくなるだろう。

 しかし、同時にそれは、竜の尻を蹴り飛ばすに等しい行為だ。

 生半可な気持ちで手を出したら最後……その愚か者を細胞一つ残すことなく滅ぼしにかかるのは想像に難しくない。

 

「それでも、ボスに敵対するならば我らの道は決まっている……ボスの障害は我らが排除する」

 

 誰に語りかけるわけでもなく、決意の言葉を静かに呟くカムが、木々の隙間から漏れる木漏れ日に目を細めた。




>勘違いハウリア
 ボスと戦ったって? じゃあ、何で生きてるの? あの人が敵対者を生かすわけがないし。ボスの名前を普通に呼べてるし、普通なら恐怖に引き攣るだろ……え? 勝ったの? つまり殺した? じゃあ、一緒に居たシアも一緒に? ……ギルティ。
 ハウリア族、特にカムって強化された後も無意識にハジメの地雷踏み抜くこと多かったし、こういうおっちょこちょいもあっていいよね。

>実は役に立ってたアルヴ神
 彼が居なければアルディアスは忌み子として追放、または処刑されてたし、エヒトも未だに健在。ハジメとシアも殺されてて、ハウリア族にティオが敵対確定。更にミュウが泣く。
 これら全てを未然に防いだ。流石神様。


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第十九話 【離反】

「おかえり、アルディアス……どうだった?」

 

「アレーティアか……とりあえず、今すぐ事を構えることは無いだろう」

 

 ハウリア族との接触を終え、フェアベルゲンの入り口に転移で戻ってきたアルディアスの元にアレーティアが駆け寄ってくる。

 

「此方としては敵対する気は無いが……恐らくハジメ次第だろうな」

 

「ハジメ……確か、アルディアスが戦ったっていう?」

 

「ああ、中々の逸材だった。どうやらハウリア族はあの少年に絶対の忠誠を誓っているようでな、支配下に置くのは無理だろう」

 

「そっか。放っておいていいの?」

 

「とりあえずはな……ところで、アルテナは何をしている?」

 

「ッ!?」

 

 話が一段落したところで、アルディアスはずっと気になっていたことを尋ねた。

 体をこれでもかと言うほど縮こまらせ、アレーティアの小さな背中にしがみつきながら肩越しにチラチラと視線を送っていたアルテナは、アルディアスに名を呼ばれたことにビクッと体を震わせた。

 

「わ、わたくしのことを覚えていてくださったのですか!?」

 

「ああ、もちろん覚えている。幼いながらに立派に次期族長としてのノウハウを学ぼうとする姿勢は俺も参考になった」

 

「そそそ、そんな!? わたくしなどまだまだですわ!?」

 

 かつて、アルディアスとアレーティアがフェアベルゲンを訪れた際、大樹周辺の霧が晴れるまでの間の数日間をフェアベルゲンにて過ごしたのだが、その間にアルテナがアルディアスと会話出来たのは片手の数で事足りる程だ。

 滞在中の間、アルディアスは時間のほとんどを自己鍛錬に当てていたというのもあるが、アルテナもアレーティアに宣言したはいいが、どうやって話しかけたらいいか分からず、影から見つめるだけで時間が経過してしまったのだ。

 今度は同じ失敗はしないと意気込んだはいいが、いざ、そのときになると腰が引けてしまい、アレーティアの背中に隠れてしまった。

 しかし、そんな自分のことを覚えていてくれたこと。憧れていた人が自分の努力を見ててくれたことの嬉しさを覚えたアルテナは頬を染めながらアレーティアの背から出てくる。

 

「わたくしもアルディアス様の御姿を手本として精進してきました! またこうしてお会いすることが出来て感激ですわ!!」

 

「あれから8年か……昔は可愛らしい印象だったが、今では立派な大人の女性だな。正直、見違えた」

 

「ひゃい!? そ、そんなこと……!」

 

 アルディアスの称賛の言葉に顔を真っ赤に染めたアルテナが動揺する。

 アルテナにとって自身の容姿を褒められることは特別珍しいことではない。その人柄、容姿、生まれから持ちかけられる縁談も非常に多く、アルテナの容姿や内面を褒め称える言葉はある意味聞き慣れていた。

 しかし、想いを寄せる異性から言われるだけでここまで変わるとは思わなかった。

 

「そ、それよりも!? お疲れでしょう!? お部屋をご用意しましたので、どうぞお休みになってくださいませ!」

 

 顔の火照りを誤魔化すように手で顔を扇いでいたアルテナは何とか動揺を抑え込み、アルディアスを部屋に案内しようと手を取ろうとする。

 

「……アレーティア?」

 

「ん……何?」

 

 そんなアルテナとアルディアスの間にヌッと瞬時に割り込み、アルディアスの手を握るアレーティア。

 

「どうしたの? ()()を案内してくれるんでしょ?」

 

「ええ、もちろんですわ。しかし、いつまでも帝国の皇帝殿を放っておくわけにもいきません。案内するのは先程までわたくし達が居た部屋ですし、アレーティアは分かりますよね? 後から合流しましょう」

 

「……忘れた」

 

「……へえ」

 

 にこやかに笑みを浮かべるアルテナと薄っすらと笑みを浮かべるアレーティアの視線が交差する。アルディアスには何故だか、バチバチと放電しているかのような幻聴が聞こえていた。そんな二人を見て、アルディアスは首を傾げる。

 

(この二人、いつの間にここまで仲良くなったんだ?)

 

 昔から自分に隠れてコソコソ話しているのは見たことがあったが、ここまで距離は近くはなかったような気がする。

 そんなことを考えながら、アルディアスは少し申し訳無さそうにアルテナに告げる。

 

「すまない、アルテナ。俺達は先を急がなくてはならない。アルフレリック達に挨拶だけ済ましてここを出立するつもりだ」

 

「ええ!? もう行ってしまわれるのですか!? せめてもう少しだけでも……」

 

「気持ちは有り難いがな。フリード……臣下から連絡が来たんだが、どうやら王国で動きがあったらしい」

 

「そうなの? アルディアスの予想じゃ、もうしばらくはまともに動けない筈だったけど……意外と優秀?」

 

 数百年もの間、エヒトを第一と捉えていた王国、引いては聖教教会が元の態勢にを立て直すには少なくない時間が必要と予想していたが、聖教教会もそこまでエヒト一辺倒だったわけでは無かったようだ。

 そんな考えを口に出したアレーティアだったが、アルディアスは首を振ってその考えを否定する。

 

「いや、どうやらそうでもないようだ。聖教教会が勇者達神の使徒一行を異端者に認定した」

 

「……何で?」

 

「知らん」

 

 アルディアスから告げられた内容がすぐに飲み込めなかったのか、一瞬間があった後、アレーティアは心底意味が分からないと首を傾げた。その点はアルディアスも同感のようだ。

 神の使徒……特に勇者は人を殺すことの覚悟も出来ていないただの子供だ。例え、アルディアスの敵として立ち塞がったとしても何の脅威にもならない。

 しかし、精神は未熟だが、その実力は確かだ。カトレアの話によれば、彼女の身体能力を越える動きすら見せたという。

 魔人族の精鋭部隊のカトレアを上回る。例え、敵を殺すことが出来なくても、その気になれば殺すことが出来る力を有している。それだけで、一種の抑止力となりうる。

 仮に“人“同士で戦う意志を最後まで持てなかったとしても、魔物を相手にすればいいだけだ。

 戦力が足りていない現状で神の使徒を異端者扱いなど、自分達の首を絞めるようなものの筈だが……

 

「エヒトが居ない今、聖教教会が独自に判断を下した筈だが……フリードが情報の裏取りを取っている。俺達も帝都に戻るぞ」

 

「ん、了解」

 

「そういうわけだ。慌ただしくてすまないな」

 

「……いえ、アルディアス様にはまだやるべきことがあるのですね。そんな貴方をお引き止めするわけにはいきませんわ。どうか、貴方様の覇道をお進みください。ですが……」

 

 心の底から残念そうな表情を浮かべるアルテナ。八年間想い続けた相手とやっと再会出来たのだ。その早すぎる別れに意気消沈するのも仕方がないだろう。

 しかし、幼いころと違い、今はアルディアスの背負っているものの大きさがよく分かる。だからこそ、自分の我儘で歩みを妨げることはしたくはない。

 そう気持ちを切り替えたアルテナは快くアルディアスを送り出す言葉を口にした後、徐ろにアルディアスに近づき……

 

「全てが終わった後、わたくしも遠慮はしません。どうかお覚悟ください」

 

 アレーティアの反対側、空いている手を握り……いや、抱きしめ、アルディアスを見上げながらそんなことを言うアルテナ。その表情は非常に魅力的で、大人の女性になる手前特有の可憐さと麗しさを兼ね備えている。フェアベルゲンの男衆が見れば、簡単に心を撃ち抜かれるだろう。

 思わず、アレーティアも「むむっ」と唸る。

 

「……アルテ──」

 

「わーーー!? わ、わたくし、先にお祖父様達に知らせてきますね!? アルディアス様もすぐにおいでくださいませ!!」

 

 そんなアルテナをじっと見つめていたアルディアスが口を開いた瞬間、それを遮るようにアルテナが大声を上げ、物凄い速さで走っていってしまった。

 アルテナはうまく顔を隠していたつもりだろうが、その長く美しい金髪から見える、森人族特有のスッと長く尖った耳が先まで余すこと無く真っ赤に染まっていた。

 勇気を振り絞りアタックしたはいいが、恥ずかしくなってしまい逃げ出した……というところだろう。

 

「……意気地なし」

 

「……アレーティア。一つ聞きたいんだが……何故アルテナはあそこまで俺に好意を寄せてくれるんだ? そこまで彼女に想われる理由に心当たりがないんだが……」

 

……他の娘はすぐに気付くのに、何で私だけ

 

「ん? すまない、良く聞こえなかったんだが……」

 

「……知らない」

 

「?」

 

 相変わらずのアルディアスに、アレーティアはそっぽを向いて頬を膨らませた。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

  暗く、ジメジメとした埃っぽい部屋の一室。

 簡単に壊れてしまいそうな木製の机と椅子。石のように硬い備え付けのベットにむき出しのトイレ。

 どこからどう見ても罪人を幽閉するための牢屋のような一室に、彼らは──神の使徒一行は居た。

 

 ここは神山の聖教教会に存在する、処罰を待つ罪人を捕らえておくための牢獄だ。

 流石に全員を収容できる程の大きさの牢は存在しないため、いくつかのグループに分けられて収容されている。とはいえ、鋼鉄で出来た格子越しにお互いの声は聞こえている。

 しかし、彼らは一様に地面にへたり込んだり、俯き、頭を抱え込んでいる者がほとんどだ。

 

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」

 

「俺は悪くない、俺は……」

 

「お母さん……」

 

「帰りたい……帰りたいよ……」

 

 聖教教会からの通達を受けた時、彼らはその理不尽すぎる決定に大いに反対した。

 特に苦言を示したのは檜山と一緒に居ることの多かった小悪党組……近藤、斎藤、中野の三人だ。

 しかし、彼らがどれだけ弁解しようとも、眉を顰めるだけで意見を変える様子の無い司祭の様子に、近藤達はついに司祭達に向けて魔法を放つ姿勢すら見せ始めた。

 流石にそれはやりすぎだと、周りのクラスメイトが止めに入ろうとした瞬間──近くに待機していた神殿騎士の一人の手によって、一番近くに居た近藤の首が斬り飛ばされた。

 一瞬の静寂の後、状況を理解した彼らから悲鳴が木霊した。一気に騒がしくなった現状に顔を顰めた司祭は、再び神殿騎士に指示を出そうとしたところで、クラスメイトの一人、永山の声が司祭の指示を遮った。

 

──分かった、言う通りにする。だからこれ以上危害を加えるのは止めてくれ。

 

 そう言って、永山は両手を上げ、抵抗する意志が無いことを示す。

 永山は今の一瞬で理解したようだ。彼らが自分達を殺すことに何の躊躇いもないことに。事実、聖教教会は神の使徒が従わなければその場で皆殺しにすることも構わない考えだった。

 仮に全員で蜂起すれば、王国から逃げ出すことも不可能ではないだろう。彼らはそれだけの力を持っているのだ。

 だが、持っているだけでそれを発揮できるかと言えば、首を横に振りざるを得ない。そもそも、この国以外に居場所が無い彼らがどこに逃げるというのか。

 そんな永山の考えを理解したのか、次に遠藤を始め、彼のパーティメンバーが……それに釣られ他のクラスメイトも降伏の意志を示し、それ以上、王城に血が流れることは無かった。

 しかし、クラスメイトが目の前で殺される瞬間を見てしまった彼らの心には大きな傷を残していた。

 クラスメイトの死を体験したのは初めてではない。初めての迷宮探索ではハジメが奈落の底に落ちている。愛子の護衛を務める園部たちに至っては清水がハジメに銃殺された瞬間を見ていた。

 そんな彼らだったが、今回は首を斬り飛ばされた事による斬死だ。死体を見ることが無かったハジメと銃殺という、現実味をまだ感じられる死に方の清水とは訳が違う。

 重力に従い、倒れた近藤の首の断面。吹き上がる血飛沫。床を転がる首の悲痛な表情。その光景が彼らの脳裏から離れない。

 自分達もこのまま同じ運命を辿るのではないか……そう考えるだけで体の震えが止まらない。

 こんな状況……いつもならクラスのムードメーカーの鈴がみんなを励ますのだが、流石の彼女も今回ばかりは意気消沈していた、何よりも……

 

「エリリン……大丈夫かな……」

 

「鈴……」

 

 聖教教会からの通達が来る前日の夜から姿が見えない、親友の恵里のことで頭がいっぱいだった。

 神殿騎士たちは自分達を殺すことに一切の躊躇も見せなかった。もしかして、ここに恵里が居ないのはもうすでに殺されているからなのかもしれない。

 そんな考えがぐるぐると頭を巡り続けている。

 

「恵里ならきっと大丈夫よ、鈴」

 

「シズシズ……」

 

「あの子のことだもの。後先考えずに無茶することは無いと思うわ。もちろん、危険がないわけではないでしょうけど」

 

「……うん、そうだよね。きっと大丈夫だよね!」

 

 雫のフォローに少しだけだが表情が明るくなる鈴。

 しかし、それに水を差す者が現れた。

 

「何が大丈夫だ……どうせ俺達を見捨てて一人で逃げたんだろ」

 

 雫達のいる牢とは違う牢。位置的に姿を見ることは出来ないが、声色からして小悪党組の一人、中野だろう。

 

「な!? そんなことないよ!!」

 

「どうだか? 大人しそうな顔して裏じゃ何考えてたか分かったもんじゃない」

 

「エリリンはそんな子じゃない!!」

 

 鈴の怒号が響き渡るが、中野は鼻を鳴らして考えを改める様子はない。

 しかし、そんな中野の暴言を聞いて、周りのクラスメイトが黙っていなかった。

 

「何よ、偉そうに! あんたたちが下手に刺激したせいで私達まで危険に晒されたの分かってるの!?」

 

「そうだ!! そもそも檜山だって居ないんだ! あいつこそ逃げたんじゃないのか!?」

 

「お前ら四人にはいい加減辟易してたんだ! 異端者に認定されたのだってお前達の素行が悪いからじゃないのか!?」

 

「何だとてめぇら!?」

 

 言い合いは次第にヒートアップしていき、最早各々が自らの不満を言い合うだけの見苦しいものとなっていった。

 しかし、そんな彼らに待ったを掛ける男が居た。

 

「みんな、落ち着いてくれ!!」

 

 クラスのリーダーの光輝の一声により、口々に罵声を出していた者達は口を紡ぐ。

 場が落ち着いたのを確認した光輝が、全員を落ち着かせるように話し出す。

 

「俺達が異端者なんて何かの間違いに決まってる。きっとすぐに誤解が解けるさ、それまでの辛抱だ!」

 

 顔は見えなくともクラスメイトには光輝がいつもの笑顔を浮かべているのが容易に想像できた。トータスに来てから不安でいっぱいな自分達を引っ張ってくれた力強い笑み。きっと光輝ならどうにかしてくれると思わしてくれる……そんな表情……少なくとも、これまでは。

 

「──けんな」

 

「え? すまない、今何て──」

 

「ふざけんな!? 全部てめえのせいだろ!?」

 

「……え?」

 

 クラスメイトからの罵声に光輝は目を見開いて呆然とする。

 

「そうだ! 何が俺が守るだ! 何も守れてねえじゃねえか!!」

 

「ねえ、何で魔人族と戦わないなんて言ったの? そんなこと言えばどうなるか分からないわけ無いでしょ……!」

 

「戦争に参加するって言ったの光輝君でしょ!? ちゃんと責任とって戦ってよ!?」

 

 実際、彼らが光輝に不満を抱いていなかったといえばそうではない。もちろん、盲目的に信用していた者も居るだろうが、決して全員ではない。

 戦争に参加を表明したこと。檜山達によるハジメへの行き過ぎたイジメの黙認。魔人族との戦い……そして敗北。

 周りが誰も反対しないが故に、誰も自分からその不満を口にすることは出来なかった。

 その積もりに積もった不満が、極限にまで追い詰められたことにより爆発してしまった。

 

「ちょ、お前ら落ち着けって!?」

 

「そうよ! 光輝を責めても仕方がないでしょ!?」

 

「みんな、ちょっと落ち着いて!?」

 

 堪らず、龍太郎、雫、鈴が光輝のフォローに入るが、その程度で止めることは出来ない。

 

「何が勇者だよ!? 何も出来ねえじゃねえか!?」

 

「役立たず!!」

 

「……無能……お前なんか無能だ!!」

 

 心無いクラスメイトからの罵声に光輝は言葉を返すことすら出来ない。

 

(何で……何でそんな事を言うんだ……俺は、みんなを守りたくて……この世界の人達を、ただ助けたくて……)

 

 苦しんでいる人を助けたいと思うのは当たり前で、他の人よりも力を持った自分がみんなを守らなくてはいけない。魔人族のこともそうだ。どんな理由があっても誰かを殺すのはいけないこと。だから戦いを拒否するのは当たり前で……

 

(俺は……俺は……)

 

 飛び交う罵倒の中、光輝は只々呆然とその場に立ち尽くした。




>クラスメイトの心情。
 原作で光輝はどこから湧いてくるのか自信に満ち溢れてましたが、その場の雰囲気に流されたとは言え、落ち着いた後、戦争に参加するという現実に不安感を感じる生徒の一人や二人くらい居たんじゃないかな。
 剣や魔法のファンタジーな世界に浮き立つ人も居れば、全く興味ない人だって居ると思います。訓練もそれなりに過酷だと思いますし、物語の主人公気分だった生徒も、時間が経てば経つほど、夢も覚めると思います。(主に勇者との能力の差に)
 でもクラスの中心の光輝の意見に自分一人だけ反対すれば、周りから白い目で見られるかもしれない。だから、合わせよう。
 こういう心理が働いてそう。

>光輝……光輝ィ……
 流石に大勢にあれだけ言われたらへこむ。


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第二十話 【集結する兆し】

ハイリヒ王国って文字を打つ度に、5回に1回はハイリア王国になってる。


 アルディアスがフェアベルゲンを出発して数日。

 行きと違い、亜人族の奴隷を引き連れていないため、比較的早く帝都に戻ってきたアルディアスは、アレーティアとガハルドと共にフリードから王国の状況の説明を聞いていた。

 

「──と、いうわけで、王都周辺で集めた情報ですが、信憑性は高いかと思われます」

 

「……つまり、神の使徒が自分達の思い通りの結果を出さなかったから処罰するというわけか……どうやら聖教教会の連中は俺の予想を遥かに超えた愚か者の集まりだったらしい」

 

「同感」

 

 エヒトを失ったことで指揮系統に大きな影響を齎すことは予想していたが、これはアルディアスにも予想外だった。

 エヒトの狂信者の集まりとはいえ、仮にも王国という一つの国のトップ達だ。最低限の国の運営くらいは出来ると思っていたが、どうやら買いかぶり過ぎていたらしい。

 

「ガハルド。聖教教会の連中はこんなのばかりなのか?」

 

「あー、まあ、奴らの神への信仰心がヤバいのは知ってたが、これは流石に俺も引くわ」

 

 アルディアスからの問いかけに表情を引きつらせながらガハルドは答える。

 自分もエヒト神の信者ではあったが、第一に考えるのは帝国の未来だ。神に祈りを捧げるにしても、あくまで国の繁栄を願ってのこと。神への信仰を優先して自国を破滅させてしまっては本末転倒だ。

 

「でも、エヒトはもう居ないんだし、聖教教会が独断で決定したってこと?」

 

「ああ。だが、聖教教会はエヒトからの神託があったと発表している。つまり、国民を欺いているというわけだ」

 

「時には国を守るため、国民に情報の全てを開示しない選択を取ることは理解できる。俺もやってたからな。だが、神の使徒を処分したところで王国に何の利益がある? 理想と違うからと処分したところで、どう考えても不利益にしかならん。国民の様子はどうだ?」

 

「神の使徒は魔人族と秘密裏に手を組み、エヒト神に反旗を翻そうとしていた……そういう噂が流れているようです」

 

「まるでかつての解放者のようだな。彼らとは似ても似つかないが」

 

 解放者とは、はるか昔、エヒトの本性に気付いた者達がエヒトを討ち滅ぼすために集まって出来た組織に所属していた者たちを指す。しかし、エヒトにより世界を破滅させる敵というレッテルを貼られ、神代魔法の使い手の七人を除き全滅した。

 状況は似ているものの、解放者と神の使徒では実力も信念も比べ物にならないだろう。

 

「アルディアス様、いかが致しましょう。本来の予定では王国は後回しにして、公国に向かう予定でしたが……」

 

 当初の予定ではヘルシャー帝国とフェアベルゲンの後はアンカジ公国に向かう予定だった。

 特別アンカジ公国を優先しなければならない理由はないが、ハイリヒ王国がしばらくは機能が停止していることと、アンカジ公国が砂漠に囲まれ、周辺と孤立している理由から優先させたに過ぎない。

 しばらく考え込んでいたアルディアスだったが、考えが纏まったのか顔を上げる。

 

「予定変更だ。先に王国に向かうぞ」

 

「ハッ!」

 

「ん、了解」

 

 アルディアスの決定に一も二もなく即答するフリードとアレーティア。元よりアルディアスの決定に異を唱えるつもりは無いのだろう。

 しかし、ガハルドは心底意外そうな表情を浮かべる。

 

「意外だな。てっきり無視するもんだと思ったんだが……神の使徒(あいつら)を助けるつもりか?」

 

 神の使徒は魔人族の敵としてこの世界に呼ばれた存在だ。別に彼らが処刑されようが、魔人族には痛くも痒くもない。どちらかと言えば勝手に戦力を削ってくれるなら儲けものだ。

 だからこそ、ガハルドは不思議でたまらなかった。このタイミングで王国に侵攻を仕掛けることがまるで、神の使徒を助けに行くような行動に感じられて……

 

「勘違いするな。別に奴らがどうなろうと知ったことではない。無理やりこの世界に連れてこられたことには同情するが、戦う選択をしたのは奴ら自身だ。あの勇者を見るに、無理やり従わせられてるわけでも無いようだしな」

 

「じゃあ、何でだ?」

 

「俺が今一番危惧しているのは、聖教教会が神の使徒を処刑した後にどんな行動に出るか分からないことだ」

 

 何度も言うが、王国にとって神の使徒を異端認定することに利益は何も無い。そして、エヒトが居ない以上、その判断は聖教教会が下したことに間違いない。

 しかも、その理由が神の使徒が自分達の思い通りの成果を出さないから。

 

「ガハルド、聖教教会の連中は国民よりもエヒトを優先する……そうだな?」

 

「ああ、それは間違いない」

 

「ならば今回の行動も私欲ではなく、エヒトを最優先して起こした可能性が高い。もし、奴らがエヒトが居なくなった理由に気づいて無く、神の使徒の不甲斐なさが原因と考えたとしたら、神の使徒を処刑して尚、エヒトが戻らなかった場合、さらなる奇行に走る可能性がある……それこそ無辜の民の命を捧げたりな」

 

「……チッ、無いとは言い切れねえな。あの爺さんならそれくらいやっても不思議じゃねえ」

 

 今でこそ、廃れてきているものの、かつては生きた人を神に捧げる風習が存在した。

 それはエヒトだけでなく、天災を神の怒りと捉えた人類が若い女性や幼い子どもを供物として捧げた。

 その方法は多岐に渡り、人の手によって命を奪うものもあれば、生まれたばかりの赤子を人の手の届かないところに放置する。中には巨大な獣を神と称し、生きたまま食い殺される者すら存在した。

 常識的に考えればそんな事を実行しようとする者がいるなど考えたくも無いが、あのエヒト至上主義のイシュタルがエヒトの存在を失って正常な判断を下せるとはガハルドには考えられなかった。

 

「つまり、敵国だろうと罪の無い民が殺されるのは黙ってられないってか? 少しばかり甘い考えだが、お前はそれを押し通す力があるんだ。良いんじゃねえか?」

 

「それも思わなくはないが、俺が一番気に入らないのは聖教教会の連中だ。仮にも一国のトップがこの(てい)たらく……同じ立場の者としては心底気に入らない」

 

 そう言い放つアルディアスからは沸々と怒りのオーラが立ち昇る。形式上は同じ立場の存在として思うところがあった。

 もし、アンカジ公国を優先しなければいけない理由があったのならば、アルディアスはそちらを優先しただろう。一番優先すべきは自国の民の安全。自分の我儘に彼らを付き合わせる気は毛頭なかった。

 しかし、どんな理由があれ、王国が動き出したのなら早めに叩いておくに越したことはない。何より、もし、エヒトが居なくなったことで自暴自棄になった故の行動であるならば、余計放っておく方が後々面倒だ。

 

「聖教教会……どうやら奴らは俺の理想とする未来の障害となり得るようだ」

 

 もちろん、今までの話は現状で分かっている情報から予測しただけに過ぎない。自分達が知らないだけで彼らには彼らなりの正義があるのかもしれない。エヒトのためではなく、国民を優先して決定した可能性もある。

 それでも……もし、自分の予想通りの屑共だったのなら……

 

「一人残らず……潰す」

 

 アルディアスから溢れる覇気にガハルドが表情を引き攣らせながら一歩下がる。

 

(俺に向けられてるわけじゃねえのに、なんつー気迫だよ。つーか、コイツラは何で動じねえんだよ)

 

 ガハルドがチラッと隣に視線を送ると、フリードとアレーティアは全く動じる様子を見せず、それどころか頼もしげにアルディアスを見つめる。

 もちろん、彼らもアルディアスの覇気をしっかりと感じている。しかし、付き合いの浅いガハルドと違い、彼らにとってはそれは最早、安心感を与えるものでしかない。

 

「……アレーティア、フリード」

 

「ん、準備は任せて」

 

「ハッ、承知しました。三時間で終わらせます」

 

「ガハルド、お前は王国の知っている情報を教えろ」

 

「へいへい、分かってるよ」

 

 アルディアスの指示を受けて各々が動き出す。

 そんな彼らを尻目にアルディアスは王国がある方角を強く睨みつける。

 

(精々首を洗って待っているが良い)

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「アンタはこんなとこで何やってんだ?」

 

 場面は変わり、メルジーナ海底遺跡を攻略したハジメ達一行は、無事、新たな神代魔法、再生魔法を手に入れ、アンカジ公国を後にした。

 四輪を走らせること二日、そろそろホルアドに差し掛かる頃、ハジメ達はある一行と再会した。

 簡素な馬車が視線に入ったハジメは当初は特に止める理由もないことからスルーするつもりだった。しかし、突然香織が声を上げたことと、馬車の護衛と思われる一人が自分の良く知る人物だったことから、ゆっくりと速度を落とし、馬車の近くに停車させた。

 馬車の護衛達は当初は四輪を正体不明の魔物かと警戒したが、その内の一人がその見覚えのありすぎる外見に目を見開いた。

 

「ハジメ? ハジメか!?」

 

「ああ。で? 王国の騎士団長様がこんなとこで何してんだよ?」

 

 護衛の一人──メルドはハジメの姿を目にし、安心したように息を吐く。

 

「良かった。お前を探していたんだ」

 

「俺を?」

 

 自分を探していたというメルドに首を傾げるハジメ。

 よく見ればメルドの装備は自分の記憶にあるものよりもいくらかグレードダウンしているように見える。今の格好では騎士団長というよりも一介の冒険者といったところだろう。

 

「何で俺を──」

 

「香織!」

 

「リリィ! やっぱりリリィなのね!!」

 

 探していたんだ? そう告げようとしたハジメの言葉を遮り、フードを被った人物が香織の胸に飛び込んだ。

 香織の胸に飛び込んだ人物──リリアーナはそのままガシッと強く香織に抱きつく。

 

「びっくりしたよ! まさかこんなところで会えるなんて思わなかったから、半信半疑だったけど。どうしてリリィはこんなところに……リリィ?」

 

 この世界で出来た友人との再会に笑顔を浮かべる香織だったが、自分に抱きつくリリアーナの様子がおかしいことに気付く。

 

「リリィ? 泣いてるの?」

 

 リリアーナは香織の胸に顔を埋めたままボロボロと涙を溢していた。その様子にアワアワと慌てた香織はなんとか落ち着かせようとリリアーナの体を擦る。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい香織……!」

 

 何故か香織に謝罪の言葉を吐き出し始めるリリアーナに香織は困惑はする。

 この時ハジメは、誰だこいつ? と思っていたのだが、流石に言葉にするのは自重した。どう考えてもシリアスなこの状況でそんな事を言う程空気が読めない男ではないのだ。

 その後、何とか香織が落ち着かせると、リリアーナが涙を拭いながら顔を上げる。

 

「申し訳ありません。私が泣いたところで何も解決しないというのに……これでは王族として失格ですね」

 

「リリィ……」

 

「姫様……」

 

(…………………………ああ、王国の姫さんか)

 

 完全に置いてけぼりだったハジメだったが、メルドの姫様という言葉にようやく目の前の人物がハイリヒ王国の王女であることを思い出した。

 

「リリィ、一体何があったの?」

 

 リリアーナの様子から何か良くないことが起こっているのは明白だろう。それも自分にも関係している何かが……

 香織の問いかけに、少し言い淀む様子を見せたものの、意を決したのかついに口を開く。

 

「光輝さん達神の使徒の皆さんが、異端者認定を受けました」

 

「……え?」

 

「……何?」

 

 リリアーナから告げられた内容に香織は目を見開き、ハジメは眉を潜める。

 

「ちょ、ちょっと待って!? 私達が異端者!? 何でそんなことに……あっ! も、もしかして私が勝手に出てきたのがマズかったかな!?」

 

「落ち着け、それくらいで犯罪者扱いされてたらきりねえぞ。そもそもそんな事して奴らに何の利がある? 一体何があった?」

 

「私も何が起こっているのか分かりません、ただ……」

 

 言葉につまりながらもリリアーナは王国で何が起こっているのかを説明する。

 ハジメ達がアルディアスと邂逅してから数日後、聖教教会が突然活動を停止したこと。ようやく姿を見せたと思ったら神の使徒を異端者に認定したこと。王都に居た神の使徒が全員聖教教会に身柄を拘束されたこと。更に光輝の発言と国民の反応。

 

「ごめんなさい、香織……雫達が……貴方の友人が捕まっているのに私は何も出来ませんでした」

 

「そんなっ! リリィのせいじゃないよ!?」

 

「香織の言う通りです! 全ては彼らの教育係である私の責任です!!」

 

 深く頭を下げるリリアーナに香織が慌てて頭を上げさせる。

 メルドもそれに続き、責任の所在は自分にあると告げる。元々、光輝達に人を殺すことの覚悟を教えなかった事を後悔していたメルドは光輝の魔人族との戦いを拒否する発言も自分のせいにあると思っていた。

 ハジメが聞けば、あれは元々の性格だと言い切るだろうが、早々に人殺しの経験を積ませておけば少しは変わったのではないかとメルドは過去の自分を殴り飛ばしてやりたかった。

 自らを責め続ける二人を尻目にハジメは一人忌々しそうに舌打ちする。

 

「ちっ、あのアホ勇者め。面倒なことをしてくれる……そんで? あんたらが俺を探してたのは奴らを助けたいからか?」

 

「……その通りです。王国に置いて、聖教教会の力は絶大。いくら国の王女とは言え、私程度の発言では彼らには届きません。ご迷惑な事をお願いしているのは承知の上です。南雲さん……貴方のことは雫やメルド団長から聞いていました。どうかお力添えをお願いできませんでしょうか」

 

 頭を下げて懇願してくるリリアーナにハジメは不機嫌そうに表情を歪める。

 

「都合がいい奴らだな。自分達じゃ教会に逆らえないから俺を使おうってのか? そりゃ、随分──」

 

「いえ、南雲さんに全てを任すわけではありません。私達も戦います」

 

「……正気か?」

 

 自分の声を遮ったリリアーナの発言にハジメは目を丸くする。

 つまりそれは、聖教教会の意向に逆らうということ。国の王女と言えども罪人扱いは免れないだろう。

 リリアーナに続き、メルドも表情を引き締める。

 

「我々も姫様と同じ気持ちだ。光輝達のことは誰よりも近くで見てきた。彼らが処罰されるのを黙って見ているわけにはいかん。全て覚悟の上だ」

 

 メルドの周りにいる騎士達も同調するように頷く。最初は気付かなかったが、周囲の騎士達の姿にハジメは見覚えがあることに気付く。恐らく、メルドと同様、自分達の教育を担当していた者達だろう。

 当初は彼らも何とか決定を覆せないかと手を回したが、どれも無駄に終わった。帝国が魔人族に落とされたことを伝えてもそれは変わらなかった。

 もし、こんな状況で魔人族が攻めてくれば王国は間違いなく終わる。聖教教会は「エヒト様への信仰を絶えず捧げ続ければ、必ずや我々をお救い下さる。魔人族など取るに足らん」と明言したが、戦場に身を置く者としては、目の前の脅威に対して全てを神に頼り切る様な真似など到底できようもなかった。

 だからこそ決断した。例え、罪人の烙印を押されようとも、せめて関係のない戦いに巻き込んでしまった光輝達だけでも救おうと。

 

「しかし、私達だけでは到底教会から皆さんを取り戻すことは出来ません」

 

 言うまでも無いが、リリアーナ達のしようとしていることは文字通りエヒト()の意志に逆らうことになる。味方も少なく、リリアーナ達の行動は黙認してくれるようだが、父である国王も立場上安易に動けない。下手に味方を募ろうとして、教会に動きがバレてしまえば元も子もない。

 どうしたものかとリリアーナが悩んでいると、ふとここに居ない親友の存在を思い出した。彼女と一緒にいるであろう存在も一緒に……

 そこからの行動は速かった。メルド達、信頼できる騎士達を護衛に連れ、万が一魔人族に見つかる危険性も考えて、装備を変え、ホルアドを目指した。ハジメ達に会えたのは本当に偶然だった。

 

「どうか、どうかお願いします!!」

 

「ハジメ君……」

 

 深く頭を下げるリリアーナにメルド達も同じように頭を下げる。

 そんな彼らを見て、香織はハジメに視線を向ける。言葉にしないが、ハジメには香織の考えが手に取るように分かった。雫達が捕まっているのだ。心配じゃないわけが無いだろう。

 

「ハア、しょうがねえな」

 

「ッ! ハジメ君!」

 

「ッ! よろしいのですか?」

 

 了承とも取れるハジメの言葉に香織は表情を明るくし、リリアーナもぱっと顔を上げる。

 

「勘違いすんな。王国がどうなろうが、人間族がどうなろうが知ったこっちゃねえ。天之河が捕まっただけなら無視してたんだが……八重樫には色々世話になったしな。それと神の使徒を異端者認定したってことは、先生も捕まったのか?」

 

「はい……しかし、愛子さんだけはまだ判決が決まっていません。今後も国のため、作農師として貢献するなら情状酌量の措置を下すらしいのですが、愛子さんが断固として皆さんの身の安全を優先するよう求めているようでして……」

 

「まあ、あの人ならそうするだろうな」

 

 誰よりも、例え自らの命を狙われようとも生徒のために行動するような人だ。生徒が処刑されようとしているのに自分だけ助かろうとはしないだろう。

 

(しかし、先生だけ見逃そうとしてるってことは、()()()()で捕まったわけじゃねえのか?)

 

 ハジメはてっきり自分が先生に伝えた、この世界の神の真実を生徒達に伝えたことを勘付かれてしまい、その口封じに動いたのかと思ったが、どうやらそうでもないらしい。

 神の使徒である光輝達はもちろんだが、豊穣の女神として人々に讃えられている愛子は民からの信頼も厚い。実際、訓練や迷宮に籠もることが多い彼らと違い、作農師として民の前で力を振るうことが多い愛子の方が話も伝わりやすいだろう。

 神の使徒を異端者認定する理由が思い当たらず、首を捻るハジメを尻目にリリアーナは善は急げとハジメ達を急かす。

 

「では、急いで王国へと戻りましょう!」

 

「? ああ、そりゃ構わないが……何だ? あいつらの処刑ってのはもうすぐに迫ってんのか?」

 

 まるで一秒すら惜しいと言わんばかりのリリアーナの表情にハジメは首を傾げるが、続くリリアーナの言葉に目を見開くことになる。

 

「いえ、処刑まではまだ数日あります。今からでも十分間に合うでしょう」

 

「なら何で……?」

 

「……魔人族が、魔王アルディアスが王国に侵攻してくる可能性があるのです」

 

「ッ!?」

 

「えっ!?」

 

「嘘!?」

 

 リリアーナの耳を疑う発言にハジメだけでなく、シアと香織も目を見開いて驚きを露わにする。ティオだけは唯一「その名前は確か……」と顎に手を当てている。

 

「アルディアス……確か、魔人族の王を務める男じゃったな。ご主人様とシア、それに香織は一度会ってるんだったかの?」

 

「……ああ、手も足も出せずにボコボコにされたよ」

 

 当時の事を思い出したのかハジメの表情は硬い。

 

「……それで、リリィ、どうして魔人族が攻めてくるって分かるの?」

 

「数日前、魔人族によって帝国が落とされました」

 

「帝国が!?」

 

 実力至上主義国家、ヘルシャー帝国が落ちたという話に最初に声を上げたのはシアだ。やはり、今まで亜人族を苦しめ続けた国が落とされたという事実に驚きを隠せない様子だった。

 

「はい。これまでも小競り合いはありましたが、実際に国を落とすほどの戦力が投入されたことは初めてです。まだ確証はありませんが、あの王がこの機を逃すとは考えづらいです」

 

「そうか……いや、奴の力を考えれば逆に今まで無事だったのが奇跡なくらいだしな。にしても、何で突然動き出したんだ?」

 

「それは私にも分かりません。突然の魔人族の動きの活発化。聖教教会の異変。それらは全てどこかで繋がっているのではないかと、不安なのです……」

 

「……姫さん、言っておくが俺は──」

 

「分かっております。南雲さん達は神の使徒の皆さんを救出でき次第、すぐに王都を脱出してください。これだけご迷惑を掛けておいて、今更魔人族とまで戦って欲しいなどとは言いません」

 

 そういって笑みを浮かべるリリアーナ。ただでさえ、神の使徒の異端認定に国がざわついているのだ。そんな状態で魔人族の襲撃を受ければひとたまりもないのは明白。そんな負け戦にハジメ達を巻き込むつもりはなかった。

 いくら常識外の力をハジメが持っているとしても、敵はそれを遥かに超える化け物。わざわざそんな相手に自分からちょっかいを掛けるつもりはハジメには無かった。

 

「……なら、良い」

 

 それだけ言い放ち、四輪へと足を進めるハジメ。

 聖教教会へと侵入し、愛子と八重樫、ついでに他のクラスメイトも助け出す。余裕があれば神山にある神代魔法を手に入れる。それだけだ。それだけのはずなのにハジメの中の嫌な予感は晴れなかった。

 

「ハジメさん……?」

 

 そんなハジメを心配そうにシアが見つめていた。

 ハジメの拳が少し震えているのを視界に捉えながら……




>アルディアス、次の標的をアンカジ公国からハイリヒ王国に変更。
 目的:聖教教会の撲滅。
 良識ある領主が統治する国と頭おかしい動き見せる狂信者が統治する国。危険視するのはもちろん後者。

>ハジメも行き先をハイリヒ王国に変更。
 目的:雫や愛子の救出。神代魔法の会得。
 ついでに他のクラスメイトもまあ、助けてやる。但し、その後は知らん。行くあてが無い? 死ななかっただけ儲けもんだろ。

>王国への道中。
 ハジメからリリアーナとメルドにはエヒトの本性を説明しました。


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第二十一話 【王都強襲】

前話の前書きで5回に1回はハイリヒ王国をハイリア王国と打ち間違えると書きました。

投稿した30分後に誤字報告。はい、ハイリア王国が紛れ込んでました。やっちまった。


 ハイリヒ王国南方に位置する広大な大陸。

 そこには万を優に超える魔人族の軍隊がすでに部隊を展開しており、指示一つで一斉に動き出せる状態にあった。その中心で竜に騎乗したアルディアスは少し呆れたような表情で王国を見つめてた。

 

「流石の俺もここまで簡単に接近出来るとは思わなかったぞ?」

 

 帝国を出発したアルディアス率いる魔人族はアルディアスが軍全体を覆う程まで拡大展開させた隠蔽結界“無響“にて誰にも気付かれること無く、王国へと到達していた。

 しかし、まさか本当に何の問題も無く、王国まで辿り着けるとは思ってもみなかった。

 魔人族が人間族よりも魔法に優れた種族であることは周知の事実だ。故に王都周辺くらいは魔法に対するトラップの警戒もしていたのだが(もちろんその対策もしていた)王都周辺に近付いてもその類の存在を発見することは終始無かった。

 

「帝国と違い、兵士による監視も穴だらけ……外に目を割いている余裕も無いのか……それとも、それだけ大結界に自信があるのか……」

 

 王国の民達は魔人族の軍勢にすでに気が付いているのか、国の兵士達が防衛体制に入りつつある様子が窺える。しかし、彼らの表情からはそこまで焦った様子は見られない。

 王国を覆う大結界とは外敵から王都を守る三枚の巨大な魔法障壁のことだ。宮廷魔法師が定期的に魔力を注ぐことで常に展開し続け、数百年に渡り破られること無く王都を守護し続けている。

 その実績が彼らに余裕を持たせているのだろう。それが命取りになることに気付きもせず……

 

「まあ、此方としては好都合だ」

 

 それだけ呟くとアルディアスは徐ろに結界に向けて人差し指を突き出す。

 

劫火(ごうか)

 

 アルディアスの指先から小さな黒い炎が現れ、そのままゆっくりと大結界に向けて放たれる。

 拳大程の大きさの炎を目にした王国の兵士達は、そのあまりに小さな炎に嘲笑の笑みを浮かべる。

 あんなもので大結界を破れると思っているのか? 所詮、見掛け倒しの偽王か……言葉は聞こえずとも、表情からそういった感情が容易に読み取れる。

 そして、小さな黒炎が一枚目の障壁に触れ……

 

──ボッという音と一瞬の閃光と同時に第一結界が燃え尽きた。

 

「「「…………………は?」」」

 

 目の前で起きた光景に王国の兵士達の口から間抜けな声が漏れる。

 しかし、そんな彼らをさらなる衝撃が襲う。

 

 一瞬で第一結界を燃やし尽くした黒炎の火球は、未だに消える様子を見せず、そのまま第二結界に到達し、同じように二枚目の障壁を燃やし尽くした。そして、肝心の黒炎は尚健在だ。

 そこでようやく王国の兵士達は最悪の状況が迫っていることに気付き、慌ただしく行動を始める。静観していた宮廷魔法師達は慌てて、結界に魔力を注ぎ始めるが、彼ら程度の魔力を加えたところで、結果が変わるわけがない。

 アルディアスが手を頭上に掲げる。それに伴い、魔人族達が目を鋭くさせ、王からの指示を今か今かと待ち続ける。

 アルディアスの生み出した黒炎が最後の第三結界に触れ、何の抵抗も無く、呆気なく、数百年も王都を守護し続けた大結界は王都の民の前から跡形もなく消失した。

 同時にアルディアスが手を振り下ろす。

 

「──全軍、突撃」

 

 ハイリヒ王国全土に魔人族の咆哮が轟いた。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 聖教教会の地下牢。神の使徒が捕らえられている牢獄は最早すすり泣きすら聞こえぬ程の静寂に包まれていた。

 殺されるかもしれない恐怖に光輝に苛立ちをぶつけ続けていた彼らだったが、怒鳴れば怒鳴るほど体力も気力も失われていき、声を出す余裕すら失われていた。

 そんな時、彼らの居る牢に誰かが向かってくる足音が聞こえた。音からして向かってきているのは四人。

 もしや、自分達の処刑がついに実行されるのではないか? そんな恐怖に彼らが怯えていると、彼らも良く知る声が聞こえてきた。

 

「無事ですか、皆さん!?」

 

「雫ちゃん!? みんな!?」

 

「……愛ちゃん先生?」

 

「……香織?」

 

 聞き覚えのありすぎる声に園部と雫が顔を上げ、格子の隙間から顔を覗かせる。

 てっきり神殿騎士か司祭の誰かが来たものかと思っていた彼らだったが、曲がり角から現れたのは彼らと異世界へと飛ばされた唯一の大人、愛子と王都を出ていた筈の香織だった。

 

「どうしてここに!? 愛ちゃん先生も捕まってたんじゃ!?」

 

「はい! でも私も助けてもらって」

 

「香織!? 何で貴方ここに!?」

 

「リリィが教えてくれたの! 雫ちゃん達が捕まってるのに助けに来ないわけでしょ! 無事で良かった……!」

 

「香織……ん? 貴方が居るってことはもしかして……」

 

 親友が自分達のための危険を犯して助けに来てくれたことに雫が胸にこみ上げるものを感じていると、ふとある男の存在が頭に浮かび上がった。 

 

「ああ、俺も居るぞ」

 

「皆さん、ご無事で!?」

 

 愛子と香織の後ろからハジメがゆっくりと姿を現した。すぐ後ろにはリリアーナの姿も見える。

 ハジメが自分達を助けに来てくれたことに生徒達が言葉を失っていると、徐ろにハジメは牢屋の格子に手を触れる。バチッ! と、紅い魔力光が奔ると格子はカランと簡単に外れた。

 

「とりあえず、全員さっさと出ろ」

 

 そのまま他の格子も次々と破壊していくハジメ。生徒たちは呆然したまま、牢を出たが、次第に助かったという実感を感じ始めたのか、歓喜の声を上げる。

 

「……正直、驚いたわ。貴方がわざわざ私達を助けに来てくれるとは思わなかったもの」

 

「元々、神山には用事があっただけだ。そのついでだ、ついで」

 

「ふふ、それでもありがとう。本当に助かったわ」

 

 お互いの無事を確かめるように香織を抱きしめていた雫はハジメに感謝の言葉を告げる。

 正面からお礼を言われたハジメは少し照れくさそうにしながら視線を外し、そして視界に入ったそれの姿を捉える。

 

「……おい、あいつ何してんだ?」

 

「……その、ちょっと、ね……」

 

「……光輝君?」

 

 ハジメと雫、香織の視線の先の牢屋の一角。そこには光輝がベットに腰掛けたままピクリとも動いていなかった。

 どうやら、ハジメ達が来たことも牢を開けてくれたことも気付いていないようだ。

 

「ちょっと光輝! いつまでそうしてるつもりよ! さっさと出てきなさい!!」

 

「……え? ああ、雫か。出るって言ってもどうやって……南雲?」

 

「おい、こちとら急いでんだ。さっさと出てこい」

 

「そうか……南雲が助けてくれたのか……ありがとう、助かった」

 

「…………おい、こいつ頭でも打ったのか?」

 

「まあ、気持ちは分かるわよ」

 

 あの光輝が……自分の正義感を疑わず、ご都合主義の権化のような光輝の口から、救出に来たハジメに素直に感謝の言葉が出た。

 ハジメとしては「お前のせいで俺達が異端者認定されたんだ!」くらいは言ってくるものだと思っていたのだが、未だかつて無いほど素直な光輝に「もしや、偽物か?」と一瞬ドンナーを構えようか真剣に考えるが、それを感じ取った雫から速攻で止められた。

 雫もハジメの気持ちは痛いほど分かるが、目の前の男は正真正銘、自身の幼なじみの天之河光輝本人なのだ。

 

「……まあ、いい。とにかくここを──」

 

「南雲君!!」

 

 出るぞ。そう告げようとしたハジメの言葉を遮り、鈴がハジメに声を掛ける。

 

「何だ? 谷口」

 

「エリリンを見てない!? ずっと姿が見えないの!」

 

「……エリリン?」

 

「恵里のことよ。中村恵里。イシュタルさんは王都にいる神の使徒は全員捕まえたって言ってたんだけど、恵里と檜山の姿だけ無いのよ」

 

「ああ、そういやそんなふうに呼んでたな。こっちは、見てねえが……少なくともこの周辺には居ねえな」

 

「そっ、か……」

 

 もしかしたらハジメなら知っているかもしれない。そんな期待を込めて聞いた鈴だったが、未だに行方が分からない親友の安否に鈴の表情が暗くなる。

 

「ええ!? 中村さんと檜山君が居ないんですか!? さ、探さないと……!」

 

「ちょっと落ち着け先生」

 

 愛子も守るべき生徒の姿が無いことを知り、動揺し、慌てて探そうとするが、すぐにハジメに止められる。

 

「先生には言っただろう。時間が無いんだモタモタしてる余裕は無い。それにわざわざ別の場所で拘束する理由もないんだ。ここに居ないなら、神山自体に居ないんだろう」

 

「それは……そうですが……」

 

「? 南雲君、時間が無いってどういうこと?」

 

「まだ確証があるわけじゃないんだが──」

 

 雫の疑問にハジメが答えようとしたとき、ハジメが突然言葉を切り、どこか遠くを見ながら集中している様子を見せる。

 

「南雲君?」

 

「ちっ、最悪だ。なんつータイミングだよ。姫さんの悪い予感が的中したわけか」

 

「悪い予感?」

 

 何やらあからさまに顔を顰めながら、不穏な言葉を告げるハジメの様子に何やら良くないことが起こったのだと判断した雫は無意識に体を固くする。

 首を傾げるクラスメイト達とは対照にハジメとクラスメイトの救出に神山に潜入した香織とリリアーナ、そしてすでに事情を聞いていた愛子はハジメの言葉から何かを察したようで、みるみる顔色が青褪めていく。

 地上には万が一に備えてシアとティオを待機させておいた。もし、何かあればすぐにハジメに連絡がいくようになっている。

 

「南雲さん、もしかして!?」

 

「ああ、地上に居るシア達からの連絡だ。来たぞ、魔人族の襲撃だ」

 

「「「ッ?」」」

 

 ハジメの口から語られた内容にその場に居る全員が驚愕し、表情が青褪める。

 魔人族──そのワードを聞いたクラスメイト達の脳裏にはあの日の光景が鮮明に蘇る。自分達を圧倒したカトレア。そのカトレアを簡単に制圧したハジメを歯牙にも掛けない強さを見せたアルディアス。

 彼らがまた自分達の直ぐ側まで迫っている。

 

「分かりました。皆さんはすぐに王都を脱出してください。王都には数百年に渡り王都を守護し続けた魔法結界があります。すぐに魔人族が国になだれ込む事態にはならない筈です。その間に──」

 

「いや、そうもいかないみたいだ」

 

「え?」

 

「奴が、魔王が放った魔法で大結界が破られた。それも第三結界まで全てだ」

 

「ッ!?──そんな!?」

 

 リリアーナは口を覆い言葉を失う。その表情は最早、血が回っていないかと思われるほど青白くなっている。

 魔人族の力が自分達を大きく超えていることは十分承知の上だった。元々、数の有利を利点に戦況を拮抗させていただけなのだから。

 しかし、王都を守護する大結界が数百年に渡り突破されることがなかったことは事実だ。だからこそ、慢心した。かの魔王も、大結界を正面から破壊することは出来ないのだと……

 

「……とりあえず、ここに居ても仕方ねえ。すぐに外に出んぞ」

 

「ほらっ、光輝も行くわよ」

 

「あ、ああ」

 

 すぐそこに絶望が迫っていることに全員が呆然としている中、ハジメの指示で何とか移動を開始する。

 敵はついさっき王都の魔法障壁を破壊したばかりだ。王都ではすでに戦闘が始まっているだろうが、神山まで到達するにはもうしばらく掛かる筈。生徒達は口に出さずとも誰しもそんなことを考えていた。

 そして、それはハジメも同様だ。

 彼の目的は神山に存在する神代魔法の会得だ。しかし、魔人族が迫っている状態で試練をこなしている時間があるとは思えない。ゲートを設置しておいて後日攻略に来るという手も考えたが、もし、魔人族に神山が占領されることになった場合、あのアルディアスの目を掻い潜れるとは考えづらい。間違いなく察知されるだろう。

 

(やはり多少無茶してでも今日やるべきか? だが、そもそも迷宮の入り口も分かってない現状で間に合うかも分からん。それに、神山が占領されたところで、奴が四六時中居るわけじゃない……)

 

 そんな事を考えながら地下牢を出たハジメだったが、その瞬間ここで聞こえる筈の無い声が聞こえた。

 

「久しいな、ハジメ」

 

「なッ!?」

 

 自らの名を呼ばれたハジメがその声の主に視線を向けて……絶句した。

 ハジメの後に続いてぞろぞろと出てきたメンバーも目の前の人物を視界に捉え、言葉を失う。

 

「懐かしい魔力を感じて見に来たが、こんなところで再会するとは驚いたぞ」

 

「何で、何でてめえがこんなところに居やがる!? 魔王!!」

 

 ここに居るはずの無いアルディアスの姿にハジメは困惑する。

 シア達からの“念話“ではアルディアスの魔法によって大結界が破られたと聞いていた。その報告を聞いてまだ五分も経っていない。その張本人が何故ここにいるのか。

 

「俺には優秀な臣下が居るからな、王都はそちらに任せて俺は此方に転移してきたというわけだ」

 

(転移!? クソッタレ、俺は馬鹿か! そんな単純なことにも気付かないなんて……!)

 

 自分の馬鹿さ加減にハジメは自分で自分をぶん殴りたくなった。自分ではゲートを設置しておくという案が浮かんでいたというのに、何故敵が同じ転移という移動手段を持っている事を予想出来なかったのか。

 本来なら侵すことの無い単純なミス。それが偶然によるものか、自分よりも強者と対面するかもしれないという焦りから生まれたものかはハジメにも分からない。

 

「それにしても……」

 

「……な、何だよ」

 

 困惑するハジメを無視し、アルディアスはじっとハジメを見定めるように見つめ続ける。

 思わずハジメが後ずさりすると、アルディアスが少し眉を潜めながら口を開く。

 

「……どうやらあの戦いはお前にとって悪い方向に向かっているらしいな」

 

「は? 何を言って……」

 

「ハジメ、神山にある神代魔法はもう会得したか?」

 

「……いや、まだだ」

 

「だろうな。大方まだその場所も掴めていないんだろう……迷宮の入り口、教えてやってもいいぞ?」

 

「……は?」

 

 アルディアスの言葉にハジメは今度こそ言葉を失った。アルディアスがそんな事をする意図が読めない。自分達は敵同士の筈だ。その事を問いかければ、アルディアスからは否定の言葉が返ってきた。

 アルディアスは当初ハジメの事を人間族の陣営として認識していたが、カトレアから聞いたハジメの様子に王国に力を貸す人間としては違和感を感じ、アルフレリックからの情報でハジメが人間族とは独立した勢力であることを確信した。

 敵対する理由が無いのなら、わざわざ敵を増やす意味など無い。それこそ、この世界のゴタゴタに巻き込んでしまったことから、多少の手助けをしてもいいくらいには思っていた。

 

「とはいえ、強制するつもりはない。俺はこれから聖教教会の司祭共に用がある。もし、興味があるのなら、神山を下るリフトがある広場で待っていろ。どのみち、後ろの者達を下に送らなければならないのだろう?」

 

 それだけ言うとアルディアスはハジメ達に背を向けて、教会の奥へと進んでいく。

 生徒達がこの場で戦闘にならないことに安堵の息を吐いたり、その場に腰を抜かす中、ハジメはアルディアスの姿が見えなくなるまでその背中から視線を外さなかった。

 

 自分の背中に突き刺さる視線を感じつつ、アルディアスは大きくため息をついた。

 まだハジメと初めて邂逅した日からそこまで経ったわけではない。しかし、あの頃よりも確かに力の高まりは感じる。恐らく新たな神代魔法を手に入れているのだろう。それでもアルディアスは断言できる。今のハジメはあの日接敵したときよりも確実に弱くなっていると……

 

(ハジメ……今のお前じゃここの神代魔法を手に入れるのは不可能だ)




>王都の大結界。
 速攻で壊される運命は変わらない。

>光輝軟化
 色々あったけど、結果軟化しました。
 ハジメに責任転嫁する展開も考えたんですけど、敵(アルディアス)や自分よりも強い人物(ハジメ)だと変にご都合主義しそうですけど、自分が守るべき弱者(クラスメイトや王都の人間)に責められるのは結構効きそうだなとこうなりました。


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第二十二話 【教会の終幕】

前前話でハイリヒ王国をハイリア王国とよく誤字ると書き、前話でその上で入り込んでたと報告したくせに、一行目からハイリア王国がいたという衝撃。
誤字報告が7,8件来ててびっくりして確認してみたら、殆どがそれで自分で自分に引きました。

ハイリヒ。ハウリア。ハイリア。ハイラル。似てるからしょうがないね!(開き直り)


 神山・聖教教会深奥に存在する大聖堂。

 そこではイシュタルを含む、五十人にも及ぶ司祭達が膝をつき、祈りを捧げていた。

 神聖なるエヒト神に逆らった愚か者共は捕らえた。王都を離れていた者や、姿が見えなく捕らえられていない者もいるが、聖教教会の手は人間族の領地全てに及んでいるのだ。捕らえるのも時間の問題だろう。

 

「もう少しだけお待ち下さい、我らが神よ。貴方様の意向に逆らう愚か者は必ずや全員見つけ出し、必ずや処分いたします」

 

 そのまま深く頭を下げると、後ろを振り返り、司祭の一人に尋ねる。

 

「勇者達の処刑の段取りは順調か?」

 

「もちろんです。エリヒド陛下の横槍が入り、当初の予定よりも遅れてしまいましたが、実行の手筈は整っております」

 

「よろしい。しかし、エリヒド王め……聖教教会の決定に逆らうとは……!」

 

 司祭の言葉に満足気に頷くイシュタルだったが、すぐに表情を歪める。

 実際、エリヒドは聖教教会の決定に逆らったわけではなく、あくまで神の使徒の異端認定の再審の進言をしただけなのだが、一刻も早いエヒトの帰還を望む彼らからすれば、苛立たしいことこの上なかった。

 

「国王の立場故に見逃したが、これ以上邪魔をするならば処分も視野に入れるべきであろうな」

 

 イシュタルの言葉に司祭達も頷いて同意の意志を示す。

 その時、大聖堂へと繋がる扉がバンッと勢いよく開かれた。

 

「イシュタル様!! 大変です!!」

 

 イシュタル達がそちらに視線を向けると、一人の神殿騎士が息を乱して立っていた。

 

「……今はエヒト様への祈りを捧げる神聖な時間です。それを妨げる程の事態なのでしょうね?」

 

 イシュタルの言葉にはハッキリと嫌悪感が感じ取れた。彼らにとってエヒトへの祈りの妨げられることは何よりも耐え難いことだ。もし、どうでもいい内容だった場合、問答無用で目の前の男を処分する腹積もりだった……がそれは杞憂に終わる。神殿騎士の男の死によって……

 

「も、申し訳ありません! しかし、只今、この教会内に──」

 

 男の言葉が途中で不自然に途切れた。ゴウッという音と共に男の姿が火柱に包まれる。

 

「「「ッ!?」」」

 

 火柱は男を呑み込んだだけで飽き足らず、大聖堂に炎を撒き散らし、辺りが一瞬で火の海へと変貌する。突然の現象に声を失っていた司祭達は慌てて大聖堂に引火した火の消化に走る。

 

「一体何が……ッ!?」

 

 目の前の惨状にイシュタルが困惑していると不意に背後に気配を感じ、後ろを振り返る。いつの間にかそこにソレは居た。

 

「き、貴様は──」

 

「“平伏せ“」

 

 イシュタルの声を遮り、凛とした声が大聖堂に響いた。

 その瞬間、大聖堂に居る五十人にも及ぶ司祭達がソレに向けて体を折り曲げ、地に付く程深く頭を下げる。

 さながらその様子は神に絶対の忠誠を捧げる信徒そのものである。しかし、彼らが頭を下げる先に居る存在は、彼らが信仰を捧げる(エヒト)でも無ければ、代弁者たるノイントでも無い。

 

「ググッ……」

 

 頭を垂れた状態のイシュタルは全く動かない体に困惑しながらも、自分達を見下ろす存在を睨みつける。

 パチパチと火の手が回る中、ソレは徐ろに口を開いた。

 

「自らの信仰する神以外に頭を下げる気分はどうだ?」

 

「魔王……アルディアス!!」

 

 人間族の怨敵。魔人族の王、アルディアスが大聖堂の最奥にて姿を現した。

 

「貴様、何故ここに!? 守衛はどうした!!」

 

「全員殺した。神山に居る教会の人間はお前達で最後だ」

 

「なッ!?」

 

 アルディアスは一度聖教教会の目を盗み、神代魔法を得るために神山へ潜入した事がある。座標は把握しているため、“影星“で単独神山に転移し、堂々と正面から侵入した。

 偶然にも正面入口に数人の司祭と神殿騎士を見つけたアルディアスは、速攻で彼らを制圧し、司祭数人の記憶を読み取り、ここ最近の聖教教会の動向の真意を知った。

 そこからアルディアスの蹂躙は始まった。魔力を感知することで教会の人間の位置を把握し、一人残らず鏖殺した。この先の未来に彼らは必要ない……そうアルディアスは判断した。

 途中で知った顔に再会することもあったが、彼らとイシュタル達を除き、今この神山にエヒトの狂信者は存在しない。

 

「お前達で最後だ。今日この日をもって、聖教教会の歴史は幕を閉じる」

 

「ふざけるな!? そんな勝手が許されるものか!?」

 

 激昂したイシュタルは体は動かせぬとも魔法は唱えられる! と詠唱を始める。周りの司祭達もイシュタルに続きそれぞれが呪文を口にする。

 

「“霧散しろ“」

 

 しかし、いざ魔法を放とうとした瞬間、再びアルディアスの声が響いた。

 その瞬間、イシュタル達の練り上げられた魔力が跡形もなく消し飛んだ。

 理解できない現象に再び魔法を唱えようとするが、今度はまともに魔力を錫杖に注ぐことも出来ない。

 

「そ、そんな馬鹿な!? 何故魔力が……!?」

 

「で? 誰の許しがいるんだ?」

 

 パニックに陥る司祭達を尻目に、アルディアスは淡々と言葉を返す。

 頼みの綱の魔法を封じられ、無様な姿を晒し続けるイシュタルは血を吐くかのように憎々しげに睨みつける。

 

「エヒト様が……あの方が必ずや貴様に天罰を下すだろう! 例え我らが滅びようとも、エヒト様が居る限り、我らの意志は途絶えぬ!!」

 

「無様だな。居もしない神に縋り、自らの信念も覚悟も持たない姿は最早哀れみすら感じる」

 

「……居もしない……だと……?」

 

 憐憫の表情で自身を見つめるアルディアスの言葉にイシュタルは一瞬意味が分からず硬直する。

 しかし、その口から漏れ出した、か細い声は誰が聞いても分かる程、恐怖で震えていた。

 

 最初から気付いていなかったわけではない。実際にその身に受けたことは無いが、口伝で伝え聞いていた。創造神エヒト。かの神が扱う大いなる御業。言葉一つで相手を従わせる神威の現れ……そう、それはまるで目の前の男のそれと酷似していた。

 

「何故……何故貴様が“神言“を使える!? それは、それはエヒト様の……!」

 

「何か勘違いしているようだが、“神言“はそもそも神にしか扱えないものなどではない。言ってしまえば、ただの魔法の一種だ。まあ、コレの魔法式はエヒト本人の記憶から抽出したものだがな」

 

「何を……何を言っている……? 貴様は……何を……」

 

「まだ分からないか? いや、理解したくないだけか。お前達の信仰するエヒト神とやらはお前達を見捨てたわけではない。俺に殺された……ただそれだけだ」

 

 死者は言葉を紡げないだろう? そう続けるアルディアスにイシュタルは呆然とする。その瞳は忙しなく揺らぎ、まともに焦点が合っていない。それほどの衝撃だったのだろう。エヒトが死んだというその事実に……何よりも、自身がそれに納得しかけてしまったことに……

 

「ありえない……ありえないありえないありえないありえないありえない! ありえない!! 貴様ごときにエヒト様が!? そんなわけがないだろう!?」

 

「別にお前達がどう思おうと勝手だ。どうでもいい。俺の目的は果たした。お前達はこのまま“何もせずに祈りを続けていろ”」

 

 アルディアスの“神言“──否、“魔言“によってイシュタルを筆頭に司祭達は片膝を付き、エヒトの肖像画に向けて祈りの姿勢を取る。

 困惑する彼らを置いて、アルディアスは大聖堂を後にしようと歩き出す。

 そんなアルディアスの歩みを待っていたかのように、火の回りが加速し、イシュタル達とアルディアスを分断するかのように天井が崩落を始める。聖堂内を肌を焼くほどの熱気が包み込み、真っ黒な黒煙が吹き上がる。

 

「き、貴様!? まさか、まさかァァアア!?」

 

 それを横目で確認したイシュタルはアルディアスが何をしようとしているのかを正確に悟り、恐怖と怨嗟で塗れた叫びを上げる。

 

 大聖堂の入り口で立ち止まったアルディアスは肩越しにイシュタルらに振り返り……

 

「エヒトもさぞ鼻が高いだろうな。例え、その身が焼かれようとも、祈り続ける程の信仰を持つ信徒を持てて」

 

 その言葉を最後に大聖堂に繋がる扉が音を立てて閉じられた。

 扉の向こうからはアルディアスに向けられた憎しみや憤り、恨み辛み、更には誰かに向けられた謝罪、命乞いの声が聞こえてくる。

 それらを無視して、アルディアスは歩き出す。

 

「お似合いの最後だな」

 

 背後で大聖堂が音を立てて崩壊した。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「いい加減にしろよ、てめえら」

 

 神山の王都に向けたリフトのある広場にて、ハジメが殺気を含んだ鋭い視線を向けていた。その向かう先はついさっき助けたばかりのクラスメイト達である。

 そのクラスメイト達は顔を青白くしながら恐怖で震え上がっており、両者の間では雫や鈴、愛子に永山達が何とか場を落ち着かせようと必死にハジメをなだめている。

 こんな殺伐とした雰囲気が漂うことになった原因はクラスメイト達にある。

 地下牢を出て、外に向かったハジメ達は、アルディアスがここに来るまでに司祭達を消して周っていたおかげか、誰とも遭遇することもなく、外まで脱出することが出来た。

 しかし、問題が起こったのはその後だ。

 神代魔法を手に入れるためにこのまま神山に残ることを決めたハジメだったが、クラスメイト達がついてきてほしいとハジメに懇願し始めたのだ。

 牢を抜け出すことは出来たが、まだ、自分達が犯罪者であることに変わりはなく、このまま王都に戻ってもすぐに捕まってしまうかもしれないという恐怖があるのだろう。

 彼らとしては、圧倒的な強者というハジメがいるだけで不安が払拭されるのだろう。今まではその位置に光輝が居たのだが、もう彼にそこまでの信頼は無い。王女のリリアーナならば、聖教教会の人間でなければ、ある程度のフォローは出来るが、やはり王国の人間ということもあり、彼らも信用しきれなかった。

 そこで初めて光輝と彼らとの違和感に気付き、雫から理由を聞いたハジメが呆れた表情になったのは言うまでもない。

 別に光輝とクラスメイトの仲がどうなろうが、ハジメの知ったことではないが、自分の足を引っ張ろうとするなら話は別だ。

 

「大体、全部そいつのせいにしてるが、その選択をしたのはお前ら自身だろ。勝手に任せて、勝手に期待して、勝手に失望して……良い身分だな。それで? 今度は俺に付いてきて、何かあったら次は俺に当たるわけか」

 

「ち、違うって!? 俺たちはお前の心配をしてるだけで……このままここに居たらあの魔王が戻ってくるんだろ? だったら──ひっ!?」

 

 何としてでもハジメという最強の護衛が欲しい小悪党組の一人、斎藤が誰が聞いても嘘と分かるような引きつった笑みを浮かべながらハジメに近づくが、ハジメからの返答はその額に押し付けられるドンナーの銃口だった。

 

「黙れ。てめえらに心配されるほど落ちぶれちゃいねえよ。俺がどこで何をしようと俺の勝手だ。これ以上邪魔をするなら容赦しねえぞ」

 

 そのままダイレクトに打ち込まれた殺気に斎藤はその場に腰を抜かし、ひいひい言いながらハジメから距離を取る。

 流石そこまでされれば、他のクラスメイト達もそれ以上何も言うことも出来ず、その場に沈黙が落ちる。

 そんな状況を破ったのは、この場で唯一の年長者の愛子だ。

 

「ごめんなさい、ハジメ君。皆、いきなり異端者扱いを受けて、動揺してるんです。本当にごめんなさい……でも、ここに残るって、本当に大丈夫なんですか? さっき会った人が魔人族の王様なんですよね? 確か、ハジメ君でも敵わなかったって……」

 

 問いかけ自体は先程の斎藤と全く同じだが、その表情はハジメのことを心の底から心配していた。

 

「ああ、どのみち、神代魔法は手に入れなきゃいけねえからな。奴と接触する前に見つけられたら楽だったんだが、そう上手くはいかないみたいだ……と、噂をすればなんとやら、か」

 

 そう言って視線を背後に向ける。愛子がハジメの視線の先に顔を向けると、ちょうどアルディアスが此方に向かって歩いて来ていた。その威風堂々たる姿に、思わずその場の居る全員の体が無意識にこわばる。

 

「何だ、てっきりもうあらかた下山させてるものだと思ってたんだが……」

 

「俺もそう思ってたよ。つーかもう片付いたのか」

 

「所詮はエヒトの指示を聞くだけの木偶共だ。そんな奴らに手こずりなどしない」

 

「……で、入り口はどこだ」

 

「……その前に二つ程確認したいことがある。一つ、お前は何のために神代魔法を集める?」

 

「元の世界に帰るために」

 

「元の世界に……なるほど、概念魔法ならば世界を超える転移も可能かもしれないな」

 

「概念魔法? おい、何だそれ?」

 

 アルディアスの口から語られた自分の知らない魔法の存在にハジメが問いただすと、アルディアスはあっさり概念魔法の概要を説明する。

 

 概念魔法──文字通りあらゆる概念をこの世に顕現・作用させる魔法。七つの神代魔法を全て組み合わせることで生み出す魔法の極致。

 かつて、エヒト打倒を目指した解放者達ですら何十年かけても、たった三つしか生み出すことが出来なかった。

 あくまで七つの神代魔法の会得は概念魔法習得への足がかりでしか無く、誰でも生み出せるものではない。

 それでも……

 

「概念魔法……それを使えるようになれば、もしかして……」

 

 地球に帰れるかもしれない。その可能性が出てきたことにハジメの表情に希望が宿る。話を聞いていたクラスメイト達も帰還の方法があることを知り、表情が明るくなる。

 

「二つ目だ。お前はこの世界の神、エヒトの本性を知っているか?」

 

 歓喜に胸が高まっているところに構わずアルディアスの質問が続く。その問いに対して、頷くことで返したハジメを見て「まあ、だろうな」と納得した表情になる。

 ハジメの後ろではこの世界の神の本性という言葉にクラスメイト達がザワつくが、ハジメは無視した。この状況で更に騒がれる要因を作るのはハジメとしても避けたかった。

 

「ならば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()、お前はどうする?」

 

 この時、アルディアスは一つ嘘をついた。絶対にありえない状況を示唆した。そうすることが必要だと判断した。

 そんなことにハジメが気付く筈もなく、淡々と言い返す。

 

「そんなの決まってる。敵だと言うなら神だって殺す」

 

 特に深く考えることもなく、ハジメはその言葉を口に出した。かつてカトレアにも同じ言葉を発している。

 これまでもそうだった。クラスメイトに裏切られ、奈落の底で死にかけて、恐怖と苦痛に苛まれ、絶望に呑み込まれて尚、生にしがみついた。故郷に帰りたいと願った。

 そのためならば、クラスメイトだろうが、神だろうが殺すと決めた。

 

「今更、そんなこと聞くだけ無駄──」

 

「本当か?」

 

「……は?」

 

「本当にお前はそう思っているのか?」

 

「何を……言って……」

 

 意味が分からない。こいつは何を言っている? そんなの思っているに決まっている。

 それなのに何故かハジメは異常な口の乾きを覚え、うまく呂律が回らない。

 

「答えろ。お前は本気で神に抗うつもりなのかと聞いている」

 

「──ッ!」

 

 アルディアスの瞳がじっとハジメに向けられる。

 その黄金(こがね)色の瞳が雄弁に語っていた。嘘は一切許さない、と。

 しばらく、アルディアスとハジメの視線が交差していたが、自分の心の奥底まで覗き込まれるような感覚に、ふいっとハジメが視線を僅かに逸らした。

 それが、何よりも答えを物語っていた。

 

「……そうか、よく分かった。迷宮の入り口を教える話だったが……止めだ」

 

「なっ!? おい、話が違うぞ!!」

 

「教えるだけ無駄だ。お前ではここの神代魔法を会得することは出来ない……諦めろ」

 

「ふざけんな!? それではいそうですかって退けるわけねえだろ!? そこをどけ!!」

 

「断る。どうしてもここを通りたければ、実力で押し通るんだな」

 

 瞬間、ハジメを強烈な重圧が襲った。

 まるで、重力が何倍にもなったかのように、全身が軋み、思わずその場に膝を付きそうになる。

 後ろのクラスメイト達もその影響をモロに受けており、最早口を開くことすら叶わない。

 

 殺気をぶつけられたわけではない。重力魔法を使われたわけでもない。ただの威圧。戦いの前の気の高まり。しかし、”神”の領域に足を踏み入れていると言ってもいいアルディアスのそれは、ハジメ達”人”にとってはそれだけで毒にも等しかった。

 

 しかし、だからといってここで退くわけにもいかない。元の世界に帰るための概念魔法とやらを手に入れるには、神代魔法を手に入れることが必須。目の前の男の目を盗んで迷宮を攻略することなど絶対に不可能。つまり、ここで退けば神山自体に潜入することすら難しくなるだろう。

 敵が強いことくらい承知の上だ。それでも俺の邪魔をするのなら……

 

「殺す!!」

 

「抵抗を選ぶか。それもいいだろう。だが、一瞬たりとも気を抜くなよ? 少しでも油断すれば……」

 

──一瞬で死ぬぞ。

 

 魔人族の王。神殺しの英雄。世界の変革者。

 最強の錬成師。異世界からのイレギュラー。絶対なる暴君。

 この世の恩恵を余すこと無くその身に宿した鬼才と、神からの恩寵を一つも宿すことの無かった奇才が再び激突する。




>聖教教会の壊滅。
 方法は色々悩んだんですが、イシュタル達に関しては、あえて直接手を下さない選択肢を取りました。とりあえず、“魔言“は使いたかったんですよね。イシュタルがエヒトの“神言“を知っていたかは分かりませんが、歴代の教皇から伝え聞いていた、ということにしました。

>ハジメと第二回戦。
 いっそのことハジメとは戦わずに進む考えもありましたが、せっかくの魔人族という敵対種族のオリ主なのでやってしまえ! と踏み切りました。


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第二十三話 【深層心理】

お気に入り登録者数が3000人を超えました! ありがとうございます!
皆さんのご期待に応えられるように、今後も頑張りたいと思います!!


「ティオさん、これヤバくないですか?」

 

「うむ、王都の外壁を破壊して次々と魔人族や使役する魔物が王都に侵入しておる。王国の兵士が対処に当たっているが、あれでは最早焼け石に水じゃな」

 

 現在、シアとティオは王都を一望できる建物の上で目の前の魔人族による王都侵攻を目撃していた。

 大結界が破られてから二十分程しか経過していないが、すでに多くの魔人族の軍勢が王都になだれ込み、その勢いは留まることを知らず、最早詰みと言っていい程までに人間族は追い詰められていた。

 当初、シアとティオは王国に手を貸すつもりはなくとも、民間人の救護くらいはするつもりだったが、魔人族の兵士が彼らに手を上げることは一切無かった。そんな彼らの姿に、長い時を生きたティオも目の前の軍を作り上げたであろうアルディアスの手腕に称賛の思いすら抱いていた。

 

 神の使徒──正確には雫と愛子の救出のために王都に侵入したハジメ達はメンバーを二つに分けることにした。

 魔人族が侵攻してくる可能性がある以上、なるべく迅速に事を運ぶ必要があったハジメは、案内役のリリアーナと光輝達のストッパー役に香織を連れて、三人で神山への潜入を行うことになった。

 シアとティオは王都に残り、何かあった場合はすぐにハジメに連絡を入れる手筈になっていたのだが、まさかこんなタイミングで本当に魔人族の襲撃が始まるとは思わなかった。

 本来はハジメが下山するのを待ってから合流する予定だったのだが、この侵攻ペースでは王都が陥落するのは時間の問題だろう。

 

「ティオさん、流石にこのペースはマズイです! 私達もハジメさんの元に行きましょう!」

 

「そうじゃな。魔王もいつの間にか姿が見えんしの。ご主人様からも魔人族と争うなと言われておるし、すぐに合流して──ッ!?」

 

 シアの提案を飲み、竜化しようとしたティオだったが、突然二人の姿を大きな影が覆った。二人がばっと顔を上げると、日の光を遮るように純白の巨竜が低い唸り声を上げながら此方を見下ろしていた。

 その背には一人の魔人族の男が目を鋭くして二人を睨みつけている。

 

「貴様ら、何者だ? その装い、王国の者ではないな」

 

 魔人族の男──フリードはシアとティオを視界に捉えてそう問いかける。二人の、特にシアに至っては亜人族である以上、王国に住まう者とは考えづらい。そのシアの隣に並ぶティオも同様だ。

 そして何よりも、フリードは二人から感じる強者特有のオーラをヒシヒシと感じ取っていた。

 

(この二人、強いな。アルディアス様には遠く及ばないが、他の同胞が当たれば危険だ)

 

 睨みつけるフリードにシアとティオは顔を合わせた後、同時に頷く。

 

「落ち着いてください! 私達はあなた達に危害を加えるつもりはありません!」

 

「シアの言うとおりじゃ。妾達はご主人様の友人の救出に来ただけで、それが済めばすぐにここを立ち去るつもりじゃ」

 

「……シアだと?」

 

「え? は、はい?」

 

 自分達に戦う意志はない、そう説明する二人だったが、フリードが反応を示したのはそこではなく、シアの名前だった。

 

「青みがかった白髪に、本来亜人族が持つ筈の無い魔力……そうか、お前がシア・ハウリアか」

 

「え!? 何で私の名前を!? 私、貴方と会ったことないですよ!?」

 

「会うのは初めてだ。だが、お前のことはアルディアス様から聞いている」

 

「ッ!」

 

 アルディアスの名を聞いたシアは思わず体が硬直する。そんなシアを尻目にフリードはティオに視線を向ける。

 

「主人というのは南雲ハジメのことか?」

 

「その通りじゃ。今、ご主人様が神山に居る。合流次第、妾達もここを離れる事を約束しよう」

 

「……いいだろう。だが、妙な動きをすれば」

 

「分かっておる。シアもそれで良いな?」

 

 ティオの提案に険しい表情のまま黙って頷くシア。

 シアの同意も得られたティオは、懐から念話石を取り出して話し始める。

 

「ご主人様、聞こえるかの? 妾じゃ。少し伝えておきたいことがあるのじゃが……ご主人様?」

 

 念話石を使い、ハジメに連絡をとるティオだったが、肝心のハジメからの返答が来ず首を傾げる。不思議に思い、シアと顔を合わせていると、不意に念話石が輝き、そこからハジメの声が聞こえてくる。

 

『ティオか!? 悪いが今それどころじゃないんだ! 後にしてくれ!!』

 

「ご主人様!? どうしたんじゃ!?」

 

「ハジメさん!? 一体何があったんですか!?」

 

 念話石から聞こえてきたハジメの声はかなり焦っているようで、その様子にティオとシアも慌ててハジメに問いかける。

 

『魔王だよ! 今あいつと戦闘中だ!!』

 

「何じゃと!?」

 

「え!? どうして!?」

 

『俺が知るかよ!? 俺のことはいいからお前らは──ぐうッ!?』

 

「ご主人様!?」

 

「ハジメさん!?」

 

 ハジメの苦悶の声が聞こえたと同時に念話が途切れた。

 ティオとシアが必死に呼びかけるが、ハジメからの応答はない。

 

「どういうことじゃ!? 妾達はお主らと争う気はないぞ!!」

 

 ハジメからの応答は無くなったが、どうやらハジメは魔王と争っている様子だった。何故そんなことになっているかは分からないが、ハジメの様子から、ハジメが望んで戦いを始めたわけではなさそうだ。そもそも魔人族と争うなと言った本人が、何の理由もなく手を出すとは考えづらい。敵が強大な力を有してると分かってるのなら尚更だ。

 そう判断したティオはフリードに向かって吠える。

 

「……アルディアス様が神山に向かったのは知っている。この国の膿を排除する為だ。南雲ハジメと争っているのは初耳だが……あの方は意味も無くそんなことはしない。何かお考えがあるのだろう」

 

「何を呑気なことを!?」

 

 だが、肝心のフリードは一瞬目を丸くしたものの、全く動揺すること無く淡々言い返す。

 しかし、そんなことでティオが納得できる筈も無い。

 

「あの方は全てを見据えて行動されている。一見意味のないと思われる行動も全てはどこかで繋がっている。ならば、我らは少しでもあの方の力となるべく動くのみ」

 

「ふざけ──ッ!?」

 

 フリードの言い分は、まるで神に全てを捧げる狂信者の様に聞こえた。何が起ころうとも、どんな犠牲を払おうとも、疑うことすら罪と言わんばかりに全てを肯定する。その姿が、かつて聖教教会の扇動によって竜人族を迫害した人間族の姿と重なった。

 思わず激昂するティオだったが、フリードの表情を見て、吐きかけたその言葉を飲み込む。

 この世界の狂信者達は揃いも揃って神を語るときに限り、恍惚とした表情を浮かべ、その瞳はドロリと淀んでいる。

 しかし、目の前の男からはその類のものを一切感じない。その澄んだ瞳を見ればよく分かる。この男が魔王に抱いているものは狂信などという愚かで情けないものなどでは断じて無い。

 信じているのだ。心の底から自らの主のことを。これまで共に過ごした時間を、その在り方を、フリードは信じているのだ。

 

「……お主の言いたいことは分かったのじゃ。しかし、妾達とてご主人様が危険に晒されているおる以上、黙ってるわけにもいかん」

 

「そうか。ならば力ずくで従わせるのみ。アルディアス様の邪魔はさせん」

 

「やるぞ、シア。二人で速攻で終わらせて、ご主人様の元に急ぐのじゃ」

 

「……すみません、ティオさん。どうやらそちらは手伝えそうにありません」

 

「……シア?」

 

 お互いに譲れぬ覚悟があることを察したティオは例え、ハジメの指示を無視してでもここを突破することを決めた。

 しかし、それに対してシアはティオからの提案を拒否した。そのことに一瞬呆けた後、後ろを振り向くと、シアはティオに背中を向ける格好で上空を見上げていた。

 その見つめる先を辿ると、そこには竜に騎乗した一人の少女が居た。

 まるで月を連想させるような美しい金髪に紅い瞳。見た目はまだ幼い少女だが、その身に宿す魔力が只者では無いことを示唆している。

 

(この子……強い!)

 

「アレーティア、そちらは任せる。油断はするな」

 

「ん、強いね、この二人。任された」

 

「マジですか……」

 

「う、うむ、これは一筋縄ではいかないようじゃな」

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「ぐうっ!?」

 

 ティオからの念話を乱暴に切ったハジメは目の前に迫った炎の槍を間一髪で躱し、すかさず宝物庫から取り出したシュラーゲンを構え、紅いスパークを奔らせながら、超速の弾丸をアルディアス目掛けて撃ち出す。

 片手を突き出したアルディアスはその手に魔法障壁を展開し、あっさりと紅い閃光を受け止める。

 

『魔烈』

 

 ハジメの一撃を防ぐと同時に、アルディアスを中心に不可視の衝撃波が放たれる。

 シュラーゲンを盾にしてそれを防ぐが、絶えきれずに後方に吹き飛ばされる。

 吹き飛ばされながらも空中で態勢を立て直したハジメが顔を上げると、視界を覆う程の魔法陣が突如出現する。

 

『雨龍』

 

 空を蹂躙する光の流星を視認したハジメがメツェライを構える。毎分一万二千発の弾丸が、迫りくる光球を次々撃ち落としていく。

 

(ここだ!)

 

 弾丸と光球がぶつかり合い、お互いの姿を黒煙が塞ぐ中、ハジメは事前に取り出しておいたクロスビットをアルディアスの死角に回り込ませ、そこから炸裂スラッグ弾を放つ。

 しかし、これも難なく障壁に阻まれる。しかもアルディアスは背後を振り向きもしない。

 これに対してハジメが思わず舌打ちをしようとした瞬間、天より無数の雷槍が降り注いだ。

 ハジメの意識外から放たれたその雷の槍はハジメの周囲を囲い込む様に地面に突き刺さる。

 

召雷(しょうらい)

 

 地面に突き刺さった雷の槍が共鳴するように光り輝き、周囲を電撃が包み込んだ。

 

「がああああ!!」

 

 その中心に居たハジメの体に強烈な電流が駆け巡る。まるで全身を余すこと無く鈍器で殴られたような衝撃に、流石のハジメもその場に崩れ落ちる。

 

「思考を止めるな、愚か者」

 

 不機嫌な様子を隠す事無くアルディアスは告げる。

 

「頭を回し続け、常に二手、三手先を考えて行動しろ。自分の思い通りに事が運ぶことなどありはしない。一秒一秒変わり続ける戦況に対応し続けろ」

 

「くそったれ……!」

 

 理不尽すぎる魔法の弾幕にハジメはギリッと歯を食いしばる。

 分かってはいた。しかし、改めて対面すればその圧倒的な力に腰が引けそうになる。

 

(こっちの攻撃は一切通らず、四方八方から無詠唱の魔法が飛んでくる。チートすぎるだろ!!) 

 

「どうした? もう終わりか?」

 

「ッ! 言われなくとも!!」

 

 痛む体に鞭を打ち、アルディアスに向けて駆け出す。

 再度魔法の弾幕がハジメに襲いかかる。その光景を巻き込まれないように距離を取った香織達が今にも泣きそうな表情で見つめていた。

 

「ど、どうしよう雫ちゃん!? ハジメ君が、ハジメ君が!?」

 

「どうしようって言われても……」

 

 香織に服の袖を引っ張られる雫だったが、ハッキリ言って雫達が介入できる戦いでは無いだろう。

 

「せめて、あの人の意識が完全にこっちから離れてくれれば、一撃は入れれるかもしれない。それでも精々一瞬意識を此方に向けれる程度だと思う。そもそも、あんなに圧倒してるのに一切隙がない」

 

 これだけの実力差ならば、多少なりとも驕りや侮りが見えても良さそうなものだが、アルディアスには一切その様子が無い。

 魔法の衝撃で地面を転がるハジメを確固たる敵と認識し、一切の油断も慢心も抱いていない。

 本当にいい加減にして欲しい。雫は心の底からそう思う。

 研鑽を積み重ねてきた力には多少のプライドや過信が付きものだ。

 雫とて、幼い頃より磨き続けた剣の腕には自信がある。相手が誰であろうとも手を抜くつもりはない……が、市内大会で当たる相手と全国大会で当たる相手で心持ちが同じだったかと言われれば、すぐに頷くことは出来ない。

 どんな人生を歩めば、あれ程の力を身に着け、尚且一切の慢心も無い精神を形成出来るのか……雫には想像も出来なかった。

 

「私達は、また見ていることしか……」

 

「そんな……!」

 

 絶望の表情を浮かべながら、香織は自身の手を見つめる。

 ハジメ達と同行し、手に入れた再生魔法。これも神代魔法の一つだ。しかし、手に入れたばかりでまだ使いこなせておらず、下手な援護はハジメの邪魔になりかねない。

 

「私は……私は……!」

 

 神代魔法を手に入れて尚、ハジメの助けになれないことに唇を噛みしめる。

 そんな外野を置いて、戦闘は激しさを増していく。

 

(くそっ!! 分かっちゃいたが……!!)

 

 戦闘が始まりどれだけたっただろうか。一分にも十分にも、それ以上にも感じる中、攻撃を当てるどころか、近付くことすら出来ない状態にハジメは顔を顰める。

 時間が経つに比例して、ハジメの傷は増えていくが、アルディアスには傷一つ付いておらず、それどころか戦闘が始まってから、その場から一歩も動いていない。

 

(距離を取るな。遠くからチマチマ撃っても奴の障壁は突破出来ない。一気に接近してゼロ距離でブチ込む!!)

 

 魔法の弾幕を掻い潜りながら、ハジメはアルディアスに接近する。

 

「……」

 

 そんなハジメの姿をアルディアスはじっと見つめる。そして、僅かに魔法の弾幕の軌道を変えた。

 

(空いた!!)

 

 隙間なく降り注ぐ弾幕の僅かに出来た空白。それを逃さず、地面を亀裂が出来るほどに踏み込み、アルディアス目掛けて突貫する。

 一瞬でアルディアスの目の前まで接近したハジメはドンナー・シュラークを構える。

 

「これでも──ッ!?」

 

 そのまま最大威力での連射を叩き込もうと引き金に指をかけた瞬間、突然、ハジメは攻撃を中断しバックステップで距離を取る。

 

「ハジメ君?」

 

「彼、何で今退いたの?」

 

 近づくことも困難な中訪れた、千載一遇のチャンス。それをみすみす逃したハジメに首を傾げる香織と雫。そして肝心のハジメ自身も自分が距離を取ったことに呆然と自らの手を眺めている。

 

「今、何故距離を取った?」

 

「ッ!」

 

「距離を離したところで俺の守りを突破できないのは分かっているのだろう? だから、接近した。それなのに何故距離を取ったのかと聞いている」

 

「黙れ!!」

 

「怖いんだろう?」

 

「……は?」

 

 アルディアスから出た言葉にハジメは思わず唖然とアルディアスを見つめる。

 怖がっている? 俺が? こいつを? 

 困惑するハジメを尻目にアルディアスは話を続ける。

 

「あの時のお前は命の危機に陥ったことで一種の興奮状態だったのだろうな。それを乗り切り、途端に現実に直面してしまった。自分の力は俺には通じることはないと」

 

「ち、違っ──」

 

「違わない。“人“である俺に勝てないんだ。“神“になど勝てる筈がない。お前は無意識でそう考えている」

 

「違うっつってんだろ!?」

 

 突きつけられた現実を否定するようにハジメはオルカンを宝物庫から取り出し、全弾をアルディアス目掛けて発射した。

 一直線に殺到するミサイルの大群は周囲の建物ごと大爆発を起こし、搭載されたタールによって辺りが業火に包まれる。

 離れたところにいるクラスメイト達ですら、思わず顔を覆うほどの熱量に彼らから悲鳴が上がる。

 

「はあ、はあ、はあ……くそっ!」

 

 しかし、そんな炎の海から悠々と出てくるアルディアス。当然、その身には傷一つ無い。

 

「せっかく連れてきた駒が勝手に元の世界に帰ろうとすれば、エヒトは必ず妨害してくるだろう。勝てないかもしれない。そんな覚悟で勝てる程“神“は甘くはない。その時、お前はどうするつもりだ? 先程、念話で仲間と連絡を取っていたな。仲間の力を頼ろうとは思わんのか?」

 

「てめえなんて俺一人で十分だ!!」

 

 それ以上口を開くな。そう言わんばかりにドンナー・シュラークを我武者羅に連射する。

 本来なら、一瞬で六連射の早撃ちが出来るほどの技術を持つハジメだったが、動揺からか、連射にムラがある。

 そんなこと知ったことかとばかりにアルディアスはハジメに近付いていく。

 全弾撃ち切った瞬間にリロードを挟むが、一瞬手元に向けた視線を戻すと、すぐ目の前にアルディアスの姿があった。

 

「いくらやっても無駄だ。今のお前では俺には届かない」

 

「グッ!?」

 

 思わず硬直するハジメ。何か口にする暇も無く、上から押し付けられるような圧力を感じ、地面に縫い付けられる。

 

「その程度か? その程度の力でお前は神を殺すと口にしたのか? “神“はお前が考える程軟ではない。性根はともかく、実力は“神“を名乗るだけのことはある。お前の力は、お前の覚悟は、そんなものなのか?」

 

 アルディアスの問いかけに対してハジメは怒鳴り返そうと息を吸い込む。

 しかし、自分を見下ろす瞳を直視し、喉まで出かかった言葉が止まる。

 

 図星だった。アルディアスが告げた事実はこれ以上無いくらいハジメの心に突き刺さった。

 このトータスでも並ぶ者が居ない程の実力を付けてからの初めての敗北だった。奈落から帰還してからは無能と蔑まれていた時と違い、負けなしだった自分を完膚なきまでに打ち負かした男。

 自分は人間族のために戦っているわけではない。だから戦う必要がない。そう言い聞かせてきた。しかし、それは必要ないからでは無く、自分ではどうあがいてもアレには勝てないと心の底で認めてしまっていたから。

 

 あの日、アルディアスとカトレアが退いた後、ハジメはクラスメイト達を連れて地上へと帰還した。その後、光輝や香織のことで色々とゴタゴタもあったが、旅のメンバーに香織を加えて、ホルアドを後にした。

 しばらくはアルディアスのことで少々重苦しい空気だったが、ティオやミュウのおかげか次第にいつもどおりの騒がしい空気に戻っていった。

 そんな彼女らにハジメも小さく笑みを浮かべていたが、シアの笑顔を見た瞬間、突然言い難い程の恐怖に襲われた。

 アルディアスが何故あのタイミングで退いたのかは分からない。それでも、もし戦いを継続していた場合、間違いなく自分もシアも殺されていた。目の前の幸せな平穏を感じることは二度と出来なくなっていた。

 負けるつもりは一切なかった。大切な人を守ると誓ったことも嘘ではない。それでもハジメの理性が、現実をこれでもかと突きつけてくる。

 同時に“人“であるアルディアスに敗北したことで、“神“になど到底届かないのでは無いかと考えてしまった。

 大切な人だけでも守ろうと決めた。だからこそ恐怖してしまった。自分なんかがシア達を守り切れるのか。力及ばず、失ってしまうのではないか、と。

 

 二の句が継げない様子のハジメを見て、アルディアスは少し顔を顰める。

 

「気付けないか……まあ、いい」

 

 呆然とするハジメに向かって、アルディアス(恐怖)の手が伸ばされた。




>ハジメの心情
 アルディアスと対面していた時は、やらなければならない状態だったからこそ、一切の迷いはありませんでしたが、全てを終えて、落ち着いてから現実に直面してしまった。(あの時は言ってしまえば背水の陣の状態でアドレナリンがドバドバ状態)
 アルディアス程の力を持ってしても、何故か戦争が終結していない。そのことからハジメの中では

 アルディアス≦エヒト

 なのではないかという仮説があります。そのことから、エヒトが正面から干渉してきたら、自分では守りきれないのではないかと思ってます。

>アルディアスの心情
 色々と思うことはありますが、怒っているわけではありません。


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第二十四話 【王都の戦い】

場面は変わって王都編です。


 時は少々遡り、ハジメとアルディアスが戦闘を始めた頃。

 

『ううむ、本当に厄介じゃ』

 

 王都上空にて、巨大な黒竜と白竜が激しい衝突を繰り返していた。

 

「驚いたな。こんなところで竜人族の生き残りと遭遇するとは」

 

 現在、ティオは竜化によって巨大な黒竜の姿でウラノス、そしてフリードと対峙していた。ウラノスよりは一回り小さいサイズなれど、その身に纏う威圧感はウラノスのそれを超えており、本来ならば、ウラノスを相手に互角以上の戦いを繰り広げられただろう。

 しかし、その背に騎乗するフリードが厄介だった。

 一気に攻めようにも詠唱を終えた魔法を放つフリードのせいで下手に接近することが出来ず、それならば詠唱を止めようとしてもウラノスがそれを防ぐ。

 まるで、お互いの隙を埋めるかのように完璧なコンビネーションを見せるフリードとウラノスにティオは感嘆の声すら上げていた。

 

(何という完璧な連携じゃ。アレを崩すのは至難じゃの)

 

 今一つ攻めきれない戦況にティオが唸っている反面、フリードもティオに対して、同じような感覚を覚えていた。

 

(先程から私の魔法を喰らっているというのに、一切怯む様子が見えん。耐久力でみれば、ウラノスを遥かに超えているな。しかも、喰らう度に威圧感が増している)

 

 初めは気のせいかと思っていたが、それが何度も繰り返されれば、確信に変わる。

 

(長期戦は不利だな。しかし、あまり長い詠唱はしてられん)

 

 空間魔法“界穿“──それを発動出来れば、確実に黒竜の不意を突くことが出来る。しかし、神代魔法であるそれを発動するには長い詠唱が必要で、その間、黒竜が大人しく待ってくれる筈が無い。

 フリードの操る魔物は殆どを王都の制圧に当てている。それらを此方にまわすことも考えたが、それで王都侵攻の戦力を減らすわけにもいかなかった。

 

『グォオオオオオオ!!』

 

 どうしたものかと考えていると、不意に天に轟く咆哮を上げたティオが上空から翼を広げて、フリード目掛けて突撃してきた。

 迎撃の為、ウラノスがティオ目掛けてブレスを放つが、宙で体を器用に捻り、ブレスを躱したティオはその勢いのまま、ウラノスに接近し、その翼に牙を突き立てようと顎を開く。

 

「させん!!」

 

 しかし、すかさずフリードが唱えた“緋槍“がティオに迫る。

 自身に迫る巨大な炎の槍を見たティオは──構わずウラノスの翼に喰らいついた。

 

『ぐううう!?』

 

「ルァアアア!?」

 

「何!?」

 

 炎の槍に貫かれて尚、突貫してきたティオにフリードが驚愕する。

 そのまま食らいついたウラノスを振り回した後、力任せに投げ飛ばすティオ。

 何とか空中で体勢を立て直したウラノスだったが、その翼からは少なくない血が滴り落ちる。

 

「ウラノス!? 大丈夫か!?」

 

「クルァ!!」

 

 フリードがウラノスに語りかけると、ウラノスからは力強い返事が帰ってくる。その目にはまだまだ戦いの意志が強く見て取れる。「まだやれる」言葉は無くともそう言っているのがフリードには分かった。

 

「ああ、それでこそ俺の相棒だ」

 

「クルァアアアア!!」

 

 フリードの言葉を受けて、ウラノスの咆哮が王都の空に響き渡る。

 ウラノスに一撃を入れることに成功したティオだったが、自身のダメージも無視出来ないものとなっていた。

 炎の槍で貫かれた傷は、決して小さなものではない。気を抜けば今でも気を失ってしまう痛みだ。

 炎で焼かれたせいで出血量がそこまで多くないのが幸いだろう。

 いくら"痛覚変換"を持っていようとも、何度も受け止められるものでは無い。

 しかし、すぐにその体を淡い光が包み込む。メルジーナ海底遺跡で手に入れた再生魔法の力だ。

 

『うむ。実に良き主従関係、いや、相棒と言った方がいいかの。人と魔物がそこまで心を通じ合わせるとは……五百年前を知る身としては俄に信じられん光景じゃの』

 

「ウラノスは私にとって大切な相棒であり、最早家族同然の存在だ。種の違いなど些細なことでしかない」

 

『……お主のような者が五百年前にも居れば、妾達、竜人族の現状も変わっていたやもしれんの』

 

「過去のことをどうこう言っても仕方あるまい。重要なのは今までではなく、これからをどう生きるか……我らの王のお言葉だ」

 

『そうか、魔王の……』

 

 フリードの言葉にティオは僅かに目を細める。

 魔王アルディアス。かの王のことは噂で聞いていた。史上最年少で魔王の座についた麒麟児。人間族との戦争で実力があることは分かっていた。フリード程の男にこれほどの忠誠を誓われていることから力だけでなく、その精神も卓越していることがよく分かる。

 一国の王、それも魔人族という立場故に、表舞台から姿を消した竜人族(自分)では接触がしづらいと思っていたのだが、もしハジメと会う前に会っていたらどうなっていたか……

 

(いや、それこそ今更考えたところで詮無きことじゃな)

 

 頭の片隅に浮かんだ考えを頭を振って吹き飛ばす。

 自分はハジメの強さに惹かれた。それを超す者が現れただけで簡単に鞍替えする程自分は尻軽女ではない。自身の肉体が、心が決めたのだ。この男に一生を尽くすと。

 

『だが、妾も負けられん! ご主人様のためにも……邪魔をするなら容赦はしないのじゃ!』

 

「いいだろう。かかってこい。貴様がどれだけの覚悟を決めていようが、私はそれを──」

 

『それでご主人様にいっぱいお仕置きしてもらうのじゃ!!』

 

「超え、て……何?」

 

 聞き間違えだろうか。今自分の耳に意味が分からない単語が聞こえてきた。

 

『ん? お仕置きじゃよ。ご主人様は里では負けなしだった妾をボッコボコにし、組み伏せ、今まで感じたことのない痛みと共に敗北を刻み込んだのじゃ! 妾の初めても奪われてしもうたし、しかもいきなりお尻など……あんなに激しく、凄かったのじゃ!』

 

「……」

 

 この時点ですでにフリードの理解できる限度を超えていた。

 “ボッコボコ“、“痛み“、“敗北“。

 これだけならばまだ理解できた。目の前の女性は間違いなく竜人族の生き残りだ。その戦闘力の高さは実際に戦っている自分がよく分かっている。恐らく何かしらが原因で南雲ハジメと戦うことになり、敗北したのだろう。

 しかし、問題はその後だ。

 “初めてを奪われた“、“いきなりお尻“

 これらのワードはとても戦闘とは無縁のもので、むしろ……

 

(いや、落ち着け。南雲ハジメはアルディアス様の目に止まる程の男だぞ。会ったばかりの女性にそのような狼藉を働く筈が──)

 

『あの太くて黒光りする棒で一突きにされたのじゃ! 妾が止めてくれ、抜いてくれと言っても乱暴にぐりぐりと……! ハアハア、んっ──思い出したらまた……!』

 

「……」

 

「クルァ……」

 

 フリードの目から完全に光が消えて無くなった。

 ティオの発言はどう考えても婦女暴行のそれである。しかし、被害者であろうティオの瞳は爛々と輝き、黒竜の背後にはヨダレを垂らした変態の姿を幻視する。

 先程まで闘志に満ち溢れていたウラノスだったが、今やそれは鳴りを潜め、まるでこれ以上関わりたくないと言わんばかりに体を縮こまらせてしまっている。

 

『むっ、話がそれてしもうたな。いち早くご主人様の元に駆けつけるためにもこれ以上時間を掛けられないのじゃ! ゆくぞ!!』

 

 ウラノスの傷を癒やしながら、フリードは心の底から思った。

 

(アルディアス様。貴方を疑うわけでは無いのですが……南雲ハジメは本当に貴方の目に止まる程の人物なのですか?)

 

 アルディアスに仕えて早十数年。フリードは初めて自らの王の目を疑った。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「はあ、はあ、はあ……」

 

 シアは走っていた。王都中をあっちへこっちへ。屋根を伝い、路地を抜ける。

 

『凍雨』

 

「うひゃあ!?」

 

 頭上から降り注ぐ氷の針を前転することで躱していく。

 

「むう、案外すばしっこい」

 

「危なっ!? 掠った、掠りましたよ今!?」

 

「大丈夫。今度は中心を貫いて見せる」

 

「嫌ですよ!?」

 

 現在シアとアレーティアは王都全域を使った鬼ごっこの最中だった。

 シアとて初めから逃げているわけではない。目の前の少女を倒し、ハジメの元に駆けつけようと考えていた。

 結論から言えば、状況が絶望的に悪かった。

 シアの戦闘スタイルはドリュッケンによる接近戦が中心だ。しかし、肝心のアレーティアは竜に騎乗したまま、上空からシア目掛けて魔法を連射するだけで近付いてくる様子が無い。

 恐らく、開幕と同時に一気にアレーティアに迫った身体能力を見て、接近戦は不利と判断したのだろう。

 ドリュッケンに搭載された炸裂スラッグ弾を発射するが、“聖絶“であっさり防がれた。

 

(魔法ズルいですぅ!? でも、こんなところでモタモタしてる暇はないんです!)

 

 アレーティアの攻撃を躱しながらも、虎視眈々と反撃の機会を窺うシアに対して、アレーティアもまたシアの能力に感嘆の意を感じていた。

 

(いくら避けに徹してたとしても、あそこまで私の攻撃を躱すなんて……間違いなく予知の類の力を持ってる。でも、身体能力は凄いけど、技術はそこまでじゃない。多分戦いの経験はそこまで深くない。もし、更に研鑽を積めばかなり化けるかも)

 

 ハジメと共に旅をする中で、何度も実践を経験し、常に鍛錬を欠かさなかったシアだったが、アレーティアからすればまだまだだ。

 しかし、同時にこれからの伸びしろが多いにあるとも言える。

 

「……ねえ、大人しくするなら、私もこれ以上攻撃を加えるつもりはないけど」

 

 アルフレリックから聞いた情報と彼女らの様子から、王国の勢力では無いことは間違いない。敵で無いのなら無理に矛を交える必要もない。そう思いシアに遠回しに降伏するように提案するが、シアは首を振って断る。

 

「嫌です! 今もハジメさんが戦ってるのに私だけ安全な場所に居るなんて出来ません!!」

 

「……どうして? 貴方はアルディアスの力を直に見てるんでしょ? 貴方が向かったところでどうにか出来るレベルじゃ無いと思うよ?」

 

「……そんなこと分かってます。今でも鮮明にあの時のことは思い出せます。私程度では何の力にもなれないことも……」

 

「なら──」

 

「関係無いんです」

 

「え?」

 

「敵が強いとか、私じゃ敵わないとか、そんなのどうでもいいんです。大好きな人が窮地に陥ってる。そんな時に駆けつけない選択は存在しません」

 

「……」

 

「家族を失って、絶望の淵に立ってた私をハジメさんは救ってくれた。家族以外には疎まれる存在だった私を好きと言ってくれた。ハジメさんの隣、そこが私の居場所なんです!!」

 

 例え、そこが地獄だろうが、魔王の膝下だろうが関係ありません! そういって力強く宣言するシアを見て、唖然としていたアレーティアは次第に笑みを浮かべる。

 

「うん、よく分かるよ」

 

 境遇や環境は違うが、アレーティアはシアに共感の思いを抱いていた。

 アレーティアとて、アルディアスが窮地に陥った時は、どれだけ危険だろうともそこに駆けつけるだろう。

 そこに理屈や根拠は必要ない。そこに居たいから居るだけ。恋する乙女は大切な男性の為ならばどんな死地にも構わず突き進むものだ。

 

「ん、分かった。もうこれ以上は何も言わない。でも、私もアルディアスの邪魔を許すわけにはいかない。悪いけど少し乱暴にしてでも阻止するよ」

 

「望むところです!!」

 

 シアが宝物庫から鈍色の円盤を宙に放った。それの意図をアレーティアが察するよりも早く、円盤や周囲の建物を足場にジグザグにアレーティアに接近する。その不規則な動きにアレーティアの狙いもうまく定まらない。

 

「たぁあああああ!!」

 

『聖絶』

 

 アレーティアの掲げた手の先に光り輝く障壁が出現する。

 気合一閃。振り下ろされたシアのドリュッケンは障壁と激突し、周囲に火花を撒き散らす。しかし、アレーティアの“聖絶“を突破するには至らない。次の瞬間、“未来視“の派生技能“天啓視“が鳴らす警鐘の音にすぐさまその場を飛び退く。

 

『緋槍』

 

 一拍置いて、先程までシアの居た位置に炎の槍が通過する。熱が頬を焼く痛みに顔を歪めながら、屋根の上に着地したシアは即座に宝物庫から赤い金属球を取り出した。

 その金属球から伸びる鎖をドリュッケンの天辺に取り付けたシアは、蹴り上げた金属球をドリュッケンで殴りつけた。

 常人では視認することも難しい速度で打ち出された金属球だったが、アレーティアにはその軌道がハッキリと見えていた。余裕を持って躱したアレーティアだったが、すぐに驚愕に目を見開いた。

 アレーティアの横を通り過ぎる筈だった金属球が、突如その軌道を変えて迫ってきたのだ。

 

「ッ!?──ぐっ!」

 

 アレーティアはギリギリ直撃を避けたが、アレーティアを背に乗せていた灰竜はその翼に金属球が掠り、大きく弾き飛ばされてしまう。

 

「ん、ごめんね。後は私に任せて」

 

 これ以上は無理をさせられないと判断したアレーティアが重力魔法で浮かび、灰竜を戦域から離脱させる。

 

「見たこと無い武器。それ自分で作ったの?」

 

「これはハジメさんが私の為に作ってくれた武器です!」

 

「珍しいアーティファクトを使っていることは聞いてたけど、ホントに見たこと無い……」

 

 あの金属球の他にも、遠距離攻撃手段に、盾を展開する姿も見た。此方の想像できない未知のアーティファクトにアレーティアの警戒レベルが上昇する。

 

「出し惜しみしてたら、私も危ないね」

 

──少し、本気でいくよ?

 

 アレーティアより今までの比ではない魔力が吹き荒れ、上空に暗雲が垂れ込める。

 その様子にシアが冷や汗をかいていると、雲の切れ間から雷で構成された龍が姿を現す。

 そのとんでもない威圧感にシアの頬がヒクヒクと痙攣する。

 

「な、何ですか? それ……」

 

「“雷槌“と重力魔法を組み合わせた私のオリジナル魔法」

 

「ま、まさかとは思うんですけど、それを私目掛けて撃ち出したりなんかしませんよね……?」

 

「大丈夫。手加減するし、貴方なら死にはしないと判断した……まあ、ちょっとピリッてするかも」

 

「ピリッてレベルじゃ無いと思うんですけど!?」

 

 シアの叫びが木霊するが無慈悲にもアレーティアの指はシアに向けられて……

 

『雷龍』

 

 アレーティアの指示に従い、咆哮と共に龍が顎門を開き、襲いかかった。

 

「ッ!?」

 

 シアはその場で腰を落とし、ドリュッケンのギミックを作動させる。カシュンと音を立てて、ラウンドシールドが展開される。どうやらその場で防ぐつもりのようだ。

 迫りくる衝撃に身を固くしていたシアだったが、突然の浮遊感を感じ、目を見開いた。

 

『シア、ゲットなのじゃ!!』

 

「ひゃあ!? ティ、ティオさん!?」

 

 “雷龍“が衝突する寸前、竜化したティオがシアの体を掴み、一気に上昇する。

 

『シア! このままご主人様の元へ急ぐぞ!!"』

 

「ええ!? ティオさんの相手はどうしたんですか!?」

 

『詳しい話は後じゃ!!』

 

 天高く飛翔したティオはそのまま神山へ向けて真っ直ぐ飛行を開始する。

 

「……誘拐?」

 

 それを半ば呆然に見ていたアレーティアは雷龍の矛先を飛び去る黒竜に変更しようとし──

 

「行かせて構わん」

 

 後ろから聞こえたフリードの声に雷龍を霧散させた。

 

「……アルディアスの指示?」

 

「よく分かったな」

 

「じゃなきゃ、説明がつかない。フリードがみすみす見逃すとも思えないし」

 

 一見、理由を説明しなければ、フリードの裏切りと判断してもおかしくはないが、アレーティアはフリードの忠誠心が生半可なものでは無いことをよく知ってる。

 だからこそ、あの二人を神山に向かわせたのはアルディアス本人からの指示であると判断した。

 

「乗れ。私達も神山へ向かうぞ」

 

「……ん」

 

 アレーティアが乗り込んだことを確認したフリードはウラノスに指示を出し、神山に向かう。

 

「王都の方は平気?」

 

「ああ、カトレアから連絡が来た。王城を占領。国王の身柄を確保したと」

 

「早すぎない?」

 

「ああ、カトレア自身も驚いてたよ。王城の防衛もザルだったらしくてな、本当にこれが長きに亘り争い続けてきた人間族の総本山とは思えないな」

 

 王都を襲撃してまだそれほど時間は経ったわけではないが、状況はすでに王国の敗北を示唆していた。

 各戦域では戦闘はまだ続いているが、どこも魔人族が優勢を保っており、国王の身柄も確保した今、決着はついたと言っていいだろう。

 

「アルディアス様の話によれば、聖教教会も潰し終えたそうだ」

 

「じゃあ、神山でアルディアスは何をしてるの?」

 

「まあ、あの方は存外、南雲ハジメのことを気に入ってるようだ」

 

「……?」

 

 不思議そうに首を傾げるアレーティアに、アルディアスから聞いた話をそのまま伝えると、アレーティアは少し呆れた表情をしたものの、仕方ないなぁといったような笑みを浮かべる。

 

「アルディアスらしいと言えばらしいね」

 

「全くだ」

 

「そこまでアルディアスが気にする程なら、私も興味あるかも……どうしたの?」

 

 アレーティアと同じ様に小さく微笑んでいたフリードだったが、突然難しい表情を浮かべて押し黙る。

 

「いや、何でも無い。あまり会ったことの無い者のことを安易に広めるのもどうかと思うしな。きっと、きっと何かの勘違いだ……大丈夫だ」

 

「?」

 

 ある筈が無い。アルディアスが認めた相手がそんな婦女暴行を働くような屑の筈が無い。しかし、実際にティオ(被害者)が居るわけで……いや、しかし……

 これがどこの誰かも分からぬ相手だった場合、問答無用で屑に認定していたが、相手はアルディアスが一目置く程の男だ。それにティオの様子からも悲痛な様子は感じられず、ハジメのことを好意的に見ているように思えた。それが一層、フリードを困惑させた。

 

 一人で頭を抱えてブツブツ呟くフリードの姿に、アレーティアはコテンと首を傾げた。




マジバトルを期待してた方は申し訳ないです。そこまでマジではないです。
フリードもアレーティアも倒す為というよりも、アルディアスの邪魔をさせない為の妨害を行ってる感じにしてます。

>フリードVSティオ
 全体的に痛み分けのような結末で終わりましたが、他の魔物を喚び出して戦いを仕掛ければ間違いなくフリードが圧倒します。まだ変成魔法とか持ってないですし。
 ちなみにウラノス。同じ竜種繋がりで竜化中のティオの表情の変化をハッキリと目撃してます。

>アレーティアVSシア
 これは言わずもがななんですが、原作の物語終盤のユエと中盤のシアをぶつけたようなものです。
 ”雷龍”は原作でユエがハジメから聞いた東洋の龍の容姿から作り出した魔法なので、当初は”雷竜”として西洋の竜をモチーフのものに変えようと思ったんですが、そもそもアルディアスが“雨龍“使ってるわと思い出して、まあ、いいかとそのままにしました。


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第二十五話 【一人じゃない】

書きたかった事、全部詰め合わせたような回。
後悔はしてないです。


「気付けないか……まあ、いい」

 

 ゆっくりとハジメに手を伸ばすアルディアス。ハジメは呆然とそれを見つめたまま動けない。

 その手がハジメに触れようとした瞬間──

 

『聖絶』

 

 二人を分かつように、光り輝く障壁が展開された。

 アルディアスが視線を横に向けると、そこには一人の少女──香織が此方に向けて手をかざしていた。

 

「ちょっ、香織!?」

 

「白崎さん!?」

 

「香織!?」

 

 その無謀すぎる行動に雫に愛子、リリアーナが驚愕の視線を向ける。他のクラスメイト達も同じような表情だ。

 

「これ以上ハジメ君は傷つけさせない!!」

 

 そう宣言する香織をじっと見つめていたアルディアスだったが、“聖絶“をそのまま掴み取ると、まるで紙屑のようにバリバリと引き剥がした。

 

「心意気は買うが、お前一人でどうにかなるレベルではない」

 

「一人じゃないよ!!」

 

「その通りですぅ!!」

 

 香織の声に反応するかのように、上空から一人の少女が降ってきた。

 

「だぁああああ!!」

 

 落下の勢いそのままにドリュッケンを振り下ろすシアを手をかざして魔法障壁を展開したアルディアスが難なく受け止める。

 轟音と閃光が辺りに響き渡る。とてつもない衝撃にアルディアスの足元がクモの巣状にひび割れるが、肝心のアルディアスの防御を崩せる気配はない。

 

『退くのじゃ、シア!!』

 

 どこからか声が響いてきた瞬間、シアはハジメを掴んで、一気に後退する。

 次の瞬間、天より舞い降りた黒竜から放たれた黒い閃光がアルディアスを呑み込んだ。

 

「シア!? それにティオも!? お前ら何でここに!?」

 

「ハジメさんがピンチなのに駆けつけないわけないですよ!」

 

『シアの言うとおりじゃ!』

 

 王都に居る筈の二人が神山に居ることに驚くハジメの前に、シアとティオがハジメを守るように立ちふさがる。

 

「待て、お前ら!? あいつとは俺が一人で──」

 

「お断りです!」

 

『お断りじゃ!』

 

「なっ!?」

 

 速攻で自分の意見を却下した二人にハジメは呆然とする。

 

「何一人でカッコつけようとしてるんですか!? 私はハジメさんに守られるだけの女じゃないですよ!?」

 

『妾も守られるだけは勘弁じゃぞ! むしろ盾にしてくれても良いのじゃよ! いくらでも嬲って良いんじゃよ!』

 

「ティオさんはちょっと黙っててください!!」

 

「お前ら……」

 

 空気を読まない発言をぶっこむティオを黙らせようとするシア。

 そんな二人を放っておいて、ハジメの側に寄ってきた香織がハジメの回復を行う。

 

「私はまだまだ弱いから、シアやティオみたいにハジメ君の隣に立つことは出来ないけど、傷ついた貴方を癒やすことは出来るよ。何度傷ついたって、必ず治してみせる」

 

「香織……」

 

「そもそも、私はハジメ君の(もの)なんだから、ずっと側にいるよ」

 

『あっ、ズルいのじゃ香織! ご主人様の奴隷(もの)扱いは譲れんぞ』

 

「何言ってるんですか、二人共! ハジメさんの恋人(もの)は私ですよ!!」

 

「……お前ら」

 

 すごく良いことを言っていたのに突然ハジメの取り合いを始める三人にハジメは途端に呆れた表情を浮かべる。

 それでも、三人のいつもと変わらないやり取りを聞いているだけで、自然と先程までの体の力みが抜けていく。

 今までウジウジと悩んでいた自分が馬鹿みたいに思えてくる。

 

「そもそも、ハジメさんが沈んでる姿なんか似合いませんよ!! いつもの人を足蹴にして嗤う鬼畜さはどこ行ったんですか!?」

 

「おい」

 

「妾、どんな扱いでもバッチコイじゃが、やっぱりご主人様はドSに限るのじゃ! ご主人様がMになってしもうたら、誰が妾を満足させてくれるのじゃ!?」

 

「おい」

 

「二人共流石に言い過ぎだよ! 確かにハジメ君は鬼畜だしドSだけど、昔は子供を助ける為に道端で土下座したりしてたんだよ!?」

 

「「マジでか!?」」

 

「……」

 

 今のハジメからは想像も出来ない過去に、思わず語尾が無くなるシアとティオ。

 そんな彼女らに思わず青筋を立てるハジメ。

 

「クククッ、中々面白い関係を築いてるな」

 

 すると、ブレスの影響で砂煙が舞い上がって視認が出来なかった着弾地点から声が聞こえた。

 ハジメ達がすぐに視線を戻すと、突風とともに砂煙が吹き飛ばされ、何事も無かったかのようにアルディアスが姿を現した。

 アルディアスがチラッと上空に視線を向けると、ウラノスに騎乗したフリードとアレーティアの姿が見えた。

 此方に視線を向ける二人に頷いて返すと、ハジメ達に視線を戻す。

 

「で? お前は女の後ろに隠れてるだけか? 好きな女の前でくらい、カッコつけたいんじゃなかったか?」

 

 まるで、此方を挑発するような発言にムッとしながらハジメは立ち上がる。

 その瞳には、先程までの怯えた色は見えなくなっていた。

 

「舐めんな。お前程度、()()なら楽勝だ…………認める。お前の言う通り、俺は怖かった……お前が、その後ろに居る神が……」

 

 あの日、アルディアスと初めて戦った日。命が助かったことに安堵すると同時に恐怖した。あのまま戦い続けたら、間違いなくシアと共に殺されていた。自分が死ぬことはどうでも良かった。でも大切な人を守りたいと強く願う程、大切な人が増える程、その恐怖は日を追うごとに強くなった。

 それなら、全部一人で背負えば良い。そうすれば俺が負けなければ何も失わない。

 

「でも、それは間違いだった。馬鹿だよな。二人でも歯が立たなかったのに、一人じゃ余計勝てるわけがねえ。ああ、そうさ。怖えよ。俺の攻撃で傷一つ付かないお前が。お前程の男が居て未だに存在するエヒトが……怖くてたまらねえ。こちとら少し前まで戦いとは無縁の生活してたんだぞ……無茶言うなっての」

 

 ハジメがアルディアスの前に歩み出る。

 その後ろ姿に、香織が……ティオが……そしてシアが、力強い笑みを浮かべる。

 

「一人じゃ絶対に勝てねえ。でも、負けるわけにはいかねえ! 守るって決めたんだ!! どんな奴が相手だろうと俺はもう負けねえって! 例え、お前が相手だろうとも!!」

 

 静かにハジメの叫びを聞いていたアルディアスは、じっとその瞳を見つめる。それに対して今度は一切逸らすこと無く睨み返すハジメ。そして、アルディアスが……笑った。

 

「良く()えた。所詮、人一人に出来ることなど限られている。だからこそ、俺たちはそれぞれの足りない部分を補い合い、力を合わせるんだ。一人で完成している者など、存在しない。全員で完成させるんだ」

 

 神殺しを成し遂げたアルディアスとて、全てを一人で成し遂げたわけではない。彼がそれを成せたのは、彼を支えるアレーティア、フリード、カトレア。魔国に住まう国民達。志半ばで散っていった多くの同胞。そして、愛情を注いでくれた両親。

 彼らの存在がアルディアスを奮い立たせ、ここまで背中を押してくれた。倒れたら、引っ張り上げてくれた。

 誰かを想い、誰かと共に戦う。それが出来るのが人という生き物なのだから…… 

 

 表情を引き締めたアルディアスから尋常でない程の魔力が溢れ出す。

 

「見せてみろ、お前達の力を……!」

 

「言われなくても!!」

 

「先手必勝です!!」

 

 シアが自身の重さをドリュッケンを含めて五キロ以下まで落とし、アルディアスに肉薄する。

 ドリュッケンを上段から振り下ろすシアに対して、先程同様、障壁を展開して防いだ後、アルディアスは虚空から一振りの直剣を取り出した。

 

「うええええ!? 剣も使えるんですか!?」

 

「使えないとは言っていない。魔法のほうが合ってるだけだ」

 

 そう言って剣を振るい、シアを一方的に圧倒する。

 攻撃が当たらない事に焦ったシアが、何とか一撃を当てようと大振りになった瞬間、迫っていたドリュッケンをスルリと躱し、そのまま流れるようにシアの背後を取る。

 

「パワーはある。だが、技術が足りん。闇雲に振るうのではなく、敵の動きを予測して動け」

 

「私、未来見てるんですけど!?」

 

「ん? なるほど、予知能力を持っているのか。例え、俺の動きを予知して動いたとしても、俺はその動きを見てから動きを変える。あくまで予知は行動の選択を狭めるだけのものと考えろ」

 

「むちゃくちゃです!!」

 

 そのままシアを弾き飛ばすと、すかさずハジメのドンナー・シュラークによる銃撃がアルディアスに襲いかかる。

 その場で地面スレスレまで体を低くしてそれを躱し、間髪入れず、ハジメに向けて突進する。

 リロードする暇が無いことを察したハジメが、クロスビットを操作し、結界を展開する……が、ハジメの展開した結界をまるでバターのように軽々と両断する。

 

「どんな材質だよそれ!?」

 

「俺のお手製だ。まあ、普段はあまり使わないがな。お前は手札が多いが、そのせいで行動に移すのに僅かにラグがある。武器の選択は迅速に行え」

 

「てめえが速すぎるんだよ!!」

 

 近接は分が悪いとハジメはその場からバックステップで距離を取る。

 

 追撃しようとした瞬間、アルディアスを大きな影が覆った。

 

『これでも喰らえい!!』

 

 上空からティオのブレスが襲いかかった。

 音すら置き去りにして放たれたソレは轟音と共に辺りの地面を融解させていく。

 

『やったかの?』

 

「いや、ティオさんそれフラグ……」

 

「……ッ!? 後ろだ、ティオ!!」

 

『ッ!?──なっ!?』

 

 ハジメの言葉にティオが慌てて後ろを振り向くと、そこには宙に浮かぶアルディアスの姿があった。

 

「自分よりも実力が上の相手に対して視界を塞ぐのは得策ではないな。それに体が大きい分、他の者との連携にもズレがある」

 

『禍天』

 

『ぐうっ!?』

 

 ティオの頭上に黒く輝く球体が現れ、そのままティオの体を地面に押し潰した。

 

「各々の実力は中々だが、まだまだ連携が拙いな。まあ、こればっかりは経験が物を言う分仕方がないか」

 

「魔法だけじゃなくて、剣まで……マジでチートじゃねえか」

 

「諦めるか?」

 

「冗談……! 絶対一発喰らわしてやる!! 行くぞ、シア!!」

 

「はい、ハジメさん!!」

 

 ハジメとシアがアルディアスに向かっていくが、アルディアスは二人の攻撃を余裕で捌いていく。

 

「南雲君……」

 

 そんな彼らの戦いを愛子は不安そうな表情で見守っていた。

 

(生徒である南雲君が戦ってるのに、私は……!)

 

 分かっていた筈だ。自分の知らないところで彼らが戦っていることなど。ウルの町で魔物の群れに挑む姿も見た。しかし、それはハジメの実力で十分対処できる範囲のもので、心配する気持ちが無かったわけでは無いが、黒竜(ティオ)を圧倒したハジメならば大丈夫だろうと心のどこかで感じていた。

 だが、目の前の相手は違う。ハジメが、仲間を連れても全く歯が立たない。あんな必死な表情のハジメを初めて見た。

 

(でも、戦いなんてしたことが無い私じゃ……取り柄なんて作農師のスキルしか……作農師?)

 

 自分の掌を見つめていた愛子がハッと何かに気付いた様子を見せると、辺りを見回した後、香織の魔法を受けているティオの姿を捉える。

 

(うまくいくか分からない。それでも……)

 

 拳を握りしめた愛子は周りの生徒の制止の言葉を聞かず、ティオと香織の元に走り出した。

 

 

 ◇

 

 

「どうした? 動きが鈍くなってきているぞ?」

 

「うっせえ!!」

 

 精一杯の悪態をつくハジメだったが、全く勝機の見えない戦況に焦りを浮かべ始めた。アルディアスの防御は硬く、全く突破できる気配が無い。

 あの障壁を破壊できる可能性のある兵器が無いわけではないが、あまりにも攻撃範囲が広すぎて、周りを巻き込みかねない。何より、素直に当たってくれるとも思わない。

 

(くそっ、どうする、このままじゃ──)

 

(ご主人様、ちょっと良いかの?)

 

(……ティオ?)

 

 何か逆転の手は無いかと考えていたハジメの脳にティオの声が響いてきた。どうやら念話で語りかけているようだ。

 

(どうした? 回復したんなら手を貸して欲しいんだが)

 

(今、ご主人様の先生殿から提案を受けての)

 

(……先生?)

 

 ハジメがチラッと視線を向けると、確かにティオと香織の側に愛子の姿が見える

 

(何で先生が?)

 

(とりあえず、先生殿からの話をそのまま伝えるのじゃ)

 

 そうして伝えられた内容に段々とハジメの顔が強張っていき、最終的には完全に引きつってしまった。

 

(マジか……良く思いついたなそんなの)

 

(妾としては悪くないと思うんじゃが……どうするご主人様)

 

 ティオからの問いかけに少し思案したハジメはすぐに返答を出した。

 

(……分かった。どうせこのままじゃ負ける。なら、先生の策に懸けてみよう。ティオと先生は何時でもいけるように準備しておいてくれ)

 

(了解じゃ!)

 

 ハジメの了承を得たティオと愛子はすぐに準備を始める中、ティオの回復を終えた香織は二人を置いて、リリアーナやクラスメイト達の元に走る。

 

「リリィ! 雫ちゃん! 今すぐここを離れて!」

 

「香織? いきなり何を……? それに愛ちゃんが……」

 

「早くしないと皆吹っ飛んじゃう!!」

 

「「「吹っ飛ぶ!?」」」

 

「ま、ま、待ってください、どういうことですか香織!?」

 

 困惑するクラスメイト達に香織が簡単に説明する。すると彼らも状況を理解したのか表情を青褪めさせて、我先に下山を開始する。本来ならリフトで移動するためか、あまり整備されていない山道だが、常人よりも高いステータスを誇る彼らなら問題は無いだろう。

 

「私は最後まで残ります」

 

「リリィ……」

 

 誰もが背を向ける中、リリアーナはその場を動く気配がない。

 

「大丈夫です。少しは離れますし、いざとなったら結界を張りますから……私ではあの戦いに介入することは出来ません。ならばせめて、この国の王族として、この戦いを最後まで見届ける義務があります」

 

「なら、私もリリィと残るわ。万が一が無いとも限らないし」

 

「なら私も!! 守るのは得意だし!!」

 

「んーーー、うん、分かった。私も二人と一緒にいるよ。でも十分気をつけてね!」

 

 リリィに続いて雫と鈴もここに残ると言い出したことに一瞬困った表情を浮かべる香織だったが、三人なら大丈夫だろうと頷いた後、未だにその場から動く様子の無い光輝に視線を向ける。

 

「か、香織……俺は……」

 

「光輝君は皆に付いていて」

 

「で、でも……」

 

「皆、色んなことがあって動揺してる。だから、光輝君に付いていてほしいの。大丈夫、こっちはハジメ君がいるから!」

 

 だから、大丈夫。そう告げる香織の顔を見て、光輝は一瞬目を見開いた後、表情を暗くして小さく呟く。

 

「ッ!? そうだよな、俺なんかよりも南雲のそばの方が安心できるもんな」

 

「え? 光輝君?」

 

「分かった、後は任せた」

 

 困惑する香織を置いて、光輝は下山するクラスメイト達の後を追っていく。

 

「はぁ、龍太郎、光輝のことお願いね」

 

「……ああ、こっちは任せとけ。そっちも気を付けてな」

 

 そんな様子に雫は一つため息をついて、自分と同じ様に光輝の後ろ姿を心配そうに見つめる龍太郎に、今にも消えて無くなってしまいそうな幼なじみのことを頼み、龍太郎もそれを了承する。

 それを見送った後、雫は香織に一つ気になったことを問いかける。

 

「ねえ、香織。その作戦だけど、もし、南雲君が失敗したら実行も出来ないわよね?」

 

「え? それは、そうだけど……」

 

「南雲君が強いのは知ってる。けど敵はそれ以上。考えすぎな位が丁度良いと思う」

 

 雫の話の意図が読めず、頭に疑問符を浮かべる香織だったが、続きを聞かされた香織は驚愕に目を見開く。

 

「私じゃ相手にすらならないのは百も承知。でもやれないことが無いわけじゃない」

 

 

 ◇

 

 

「あの竜人族、それに側に居る少女……何かしているな?」

 

「さてな!!」

 

 ハジメは宝物庫よりオルカンを取り出し、アルディアス目掛けて全弾発射する。

 

「また同じ手を……」

 

 すかさず、“雨龍“で迎撃しようとしたアルディアスだったが、発射されたミサイルの軌道が自分を向いていないことに気付く。

 扇状に着弾したミサイルは轟音と共に地面を削り取り、周囲を業火に包み込む。

 片手で障壁を展開し、あくまで自分に着弾するミサイルのみを防ぐアルディアス。

 ハジメの意図が分からず、眉を顰めるアルディアスだったが、突然体を浮遊感が襲った。

 

「これは!?」

 

 アルディアスの立っていた地面が突如、盛り上がり、とんでもない速度で上昇を始めた。

 僅かに地面に感じる魔力の痕跡。恐らくオルカンのミサイルをばら撒いたのは、地面に流れる魔力の察知を遅らせる為だろう。

 何よりも、ここに来て、アルディアスはハジメの隠された技能に驚愕した。

 

「魔法じゃない!? まさか、錬成師か!?」

 

 ハジメはこの世界には無い地球の兵器を、アーティファクトとして作製、使用している為、ステータスプレートを見たことがある王都の人間以外は、彼の天職を特殊な戦闘職として誤認している。

 アルディアスもこの例に漏れず、勇者で無くとも、何か戦闘に関連するものだと判断していた。

 まさか、非戦闘職のありふれた職業などとは夢にも思わなかった。

 

「うりゃあああ!!」

 

 その時、上空から少女の雄叫びが聞こえたアルディアスが頭上を見上げると、ドリュッケンを大きく振りかぶったシアが上昇してくるアルディアス目掛けて全力で振り落とした。

 

 即座に障壁を展開し、シアの一撃を防ぐ。

 轟音が辺りに響き渡り、突き上がった地面がシアの一撃に耐えきれず、崩壊していく。

 しかし、肝心のアルディアスには攻撃は届いておらず、地面に降り立った状態で悠々とシアを見上げる。

 そのままシアを弾き飛ばそうとした瞬間、アルディアスの正面の土煙が吹き飛び、そこに赤いスパークを放ちながら巨大な杭を回転させているハジメの姿が目に入った。

 

(あれは何だ?)

 

 見たことの無い武装にアルディアスが対処を決める前に、外部に取り付けられたアームが障壁に突き刺さり、その兵器──パイルバンカーを起動させた。

 

「貫け!!」

 

 まるで落雷が落ちたような轟音と共に、ハジメの発射したパイルバンカーの杭が障壁に突き刺さった。

 

「ッ!!」

 

 一気に増した圧力にアルディアスは更に障壁に魔力を注ぐ。

 この時、アルディアスには受け止める以外の選択肢が確かに存在した。何も真っ向から戦うだけが戦いじゃない。

 シア、もしくはハジメに直接魔法を打ち込む。転移で一旦その場を退く。数えだしたらきりがない。

 しかし、アルディアスはあえて正面から受け止める選択を選んだ。

 

(俺相手にここまで正面からぶつかってくる奴は久しぶりだ。ここで退くわけにはいかんな)

 

 端的に言えば、珍しく高揚していた。自分で焚き付けた自覚はあるが、ここまで真っ直ぐにぶつかってくる相手に自分も応えたくなった。

 

 本来ならば、どんな強固な防壁すらも簡単に貫く一撃は、ギャリギャリギャリ!! と、耳障りな音を撒き散らしながらも障壁を突破しようと、赤いスパークと共に螺旋を描き続ける。障壁にヒビが広がり、杭の先端が障壁内に入り込む。

 そして、ゆっくりと回転が……止まった。

 

「そんな……!」

 

「クソッタレ!!」

 

「中々の威力だったが……一手、足りなかったな」

 

 歯を食いしばるハジメとシアに向けて、持っていた直剣を振り上げる。

 

──一手あれば、届くのね。

 

 その瞬間、一人の少女の声がアルディアスの耳に飛び込んできた。

 

「シッ!!」

 

「ッ!?」

 

 アルディアスの意識の外、注意の向いていなかった背後から、雫の一太刀が襲いかかった。

 全く注意を向けていなかった刺客。ハジメとシアに意識を持っていかれたことと、雫がこの戦いに介入することなど不可能な程の弱者だからこそ、アルディアスの意識から無意識に外れていた。

 その一太刀はアルディアスに傷を付けることは叶わない。アルディアスが無意識に普段から展開している鎧とも呼べる魔法障壁。それが、雫の一撃を防いだ。

 しかし、それはあくまで意識外からの一撃で致命傷を避ける為のもので、衝撃までを完全に防ぐことは出来ない。

 死角からの一撃に、アルディアスの意識が一瞬ハジメ達から逸れる。

 

 その瞬間を、ハジメは見逃さなかった。

 

「シアーーー!!」

 

「あああああああ!!」

 

 ハジメの雄叫びに、シアはその場で体を捻り、その勢いでドリュッケンをパイルバンカーの杭に打ち下ろした。

 バキバキと障壁のヒビが広がりを見せる。そこへ──

 

「ぶっ飛べぇええええええ!!」

 

 左腕のギミックを起動し、更に“剛腕“と膨大な魔力による“衝撃変換“を発動した拳をドリュッケンに叩きつけた。

 パイルバンカー、ドリュッケン、義手による連撃を喰らった障壁は一瞬抵抗を見せたものの、甲高い音と共に粉々に砕け散り、背後のアルディアスをそのまま吹き飛ばした。

 その勢いは凄まじく、ハジメ達の居る場所から遠く離れた塔の天辺に直撃したのが薄っすら確認できる。

 

「ティオ!!」

 

「ゴォガァァアアアア!!」

 

 ハジメの指示に愛子を背中に乗せ、上空で待機していたティオの顎門から、今までとは一線を画す程のブレスをアルディアス目掛けて解き放った。

 黒い輝きを放って一直線に突き進むレーザーは、そのままアルディアスが居るであろう崩れ行く塔の残骸に直撃し、一瞬の閃光の後、天まで届くほどの大爆発が起こった。

 

「錬成!」

 

 爆風が周囲を巻き込んでいく中、ハジメの声が微かに周囲に響き渡った。




>ハジメ
 仲間が居ると強くなる。うん、もうとことんジャンプ系主人公させようと思った。魔王にはパーティで挑む。これ絶対。

>アルディアス
 何が大変だったかって、どうすればアルディアスと戦いを成立させられるかの一択。誰だこんなに強くしたの!!
 ヒュベリオンを打ち込んで焼き尽くす。錬成で閉じ込めてティオのブレスで窒息させる。色々考えた結果、原作通りに爆破しました。
 ……え? 教会の連中? 大丈夫、そもそも誰も生きてないから。


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第二十六話 【束の間の平穏】

 激しい閃光と同時に起こった大爆発。

 天高くまで舞い上がるキノコ雲を見上げ、フリードとアレーティアはその威力に半ば呆れたような表情を浮かべていた。

 

「アレーティア、助かった」

 

「ん、びっくりした」

 

 ティオのブレスによって引き起こされた大爆発の余波は、上空で待機していたフリードとアレーティアにまで牙を向いたが、ギリギリでアレーティアが“聖絶“を発動したことで吹き飛ばされることは回避した。

 

「あのブレスにそこまでの威力は無かった筈だが……」

 

「何か、火薬類に引火したとか?」

 

「それが妥当……か?」

 

 実際に引火したのは火薬ではないのだが、この状況を起こした原因は似たようなものだろう。

 愛子の技能の一つ、“発酵操作“を使い、神山に存在する食べ物などの発酵出来るものを片っ端から発酵させることで可燃性のガスを発生させた。それを遠く離れた神山の一点にティオが風魔法で凝縮した。

 わざわざ、遠くに集めたのは、臭いでアルディアスに気付かれるのを防ぐ為と、爆発に自らが巻き込まれないようにする為だ。

 流石のハジメもすぐ目の前であの爆発に巻き込まれたらひとたまりもない。何より、周りの人間は間違いなく耐えられないだろう。

 事前に下山を始めていたクラスメイト。離れたところで“聖絶“を展開した香織と鈴とリリアーナ。その二組はここからでも無事な姿が確認できる。

 ブレスを放ったティオも予想以上の爆発だったのか、吹き飛ばされていたようだが、距離が開いていたことが幸いして、すぐに態勢を立て直していた。

 しかし……

 

「南雲ハジメ。シア・ハウリア。そして側に居た少女。彼らの姿が見えんが……」

 

「……居た、あそこ」

 

 アレーティアの指差す方向に視線を向けると、瓦礫に埋もれた地面にヒビが入り、その下からハジメにシア、雫が姿を見せる。

 

「なるほど。“錬成“で穴を掘り、その中に逃げ込んだか」

 

 ハジメはアルディアスを吹き飛ばした瞬間、“錬成“で地中に穴を開け、シアと雫と一緒に飛び込み、穴を塞ぐことで爆発から身を守っていた。大盾を取り出し防ぐ手も考えたが、それでは爆風から身を守れても迫りくる熱を防げない。

 

「まさか、アルディアス様が吹き飛ばされるとはな」

 

「ちょっと驚いた。でも……」

 

 アルディアスが爆発に巻き込まれたというのに、二人が焦る様子は一切ない。何故ならば、分かっているからだ。

 

()()()()でアルディアスをどうにか出来ると思ってるなら、まだまだだね」

 

 その瞬間、爆発地点で瓦礫が吹き飛んだ。

 

 

 ◇

 

 

「「「ッ!?」」」

 

 その音を耳にしたハジメ達が思わず息を呑む。

 瓦礫の崩れる音や、建物が崩壊する音に紛れた明らかな誰かの手によって起こった破砕音。

 この音の発生源であろう男の姿を想像し、ハジメは表情を青褪めさせる。

 

「くそったれ!! マジで不死身かよ、あいつ!!」

 

「別に不死身ではないが」

 

「「「ッ!?」」」

 

 困惑するハジメの直ぐ側で誰もが聞きたくなかった声が響いた。

 

「無傷……! いい加減にして欲しいぜ……!」

 

「いや、流石に俺も油断してた。魔法の発動が遅れてたらマズかったな」

 

 アルディアスは爆発に巻き込まれる瞬間、空間魔法“縛羅“を発動した。この魔法によって、自身の周囲の空間を固定し、ティオのブレスだけでなく、爆破による熱と衝撃から身を守っていた。

 

「まあ、少しばかり発動が遅れたせいでこの有様だ」

 

 そう言ってアルディアスが右手を持ち上げると、手の皮膚の表面が赤熱し、僅かに痙攣もしているようだ。

 しかし、それも一瞬、アルディアスの右手を淡い光が包み込んだ後、無造作に振り払うと、傷一つ無い手が姿を現す。

 

「さて……」

 

「ちっ!」

 

「やらせません!!」

 

「勘弁してよね!!」

 

 アルディアスが動き出そうとした気配を感じ取り、ハジメが、シアが、雫が動き出す……が。

 

「“動くな“」

 

「ぐっ!? か、体が……!」

 

 アルディアスが一言告げる。それだけでハジメ達は指一本動かせなくなる。

 

ズドオオオオオン!!

 

 ハジメ達が突然動かなくなった体に困惑していると、突然、地響きと共に空から何かが墜落してきた。

 

『ウグググッ! 先生殿、大丈夫かの!?』

 

「は、はい! 死ぬかと思いました……」

 

 どうやらティオもアルディアスの“魔言“の影響を受けて墜落してしまったようだ。

 ハジメが視線だけを香織がいる方向に向けると、歯を食いしばっている様子に彼女らも動けないのだろう。

 そんなことを考えていると、アルディアスがハジメの目の前まで歩み寄ってくる。

 

「てめえ、こんなの出来んなら何で最初から使わなかった!」

 

「それだとお前達の力を見ることが出来なかったからな」

 

 アルディアスはハジメに向けて手を伸ばしていく。しかし今度は、真っ直ぐ額に向けられた手を見てもハジメは少したりとも目を外さない。体の自由は利かずとも、その眼光には力強い意志が宿っている。

 そのままアルディアスの手から淡い魔力が溢れ出し……

 

「十分だ」

 

 ハジメ達を淡く緑色に光る魔力が包み込んだ。

 

「ッ!?──……これは」

 

 一瞬、何かの攻撃魔法かと思われたそれは、ハジメ達に触れた途端に、その傷ついた体を治療していった。

 

「何のつもりだ……!」

 

「何のつもりも何も、俺は元々お前達を殺すつもりなど無い。最初に言っただろう。迷宮の入り口を教えてやってもいいと。今のお前なら、ここの迷宮を攻略できるだろう」

 

「……どういうことだ」

 

 首を傾げるハジメにアルディアスは神山の迷宮のコンセプトを説明する。迷宮の攻略条件は、最低二つ以上の大迷宮攻略の証を所持している事と、神に対して信仰心を持っていない事、或いは神の力が作用している何らかの影響に打ち勝つこと。

 つまり、神に靡かない確固たる意志を有すること、だ。

 

「俺がこの大迷宮を攻略した際は、洗脳や魅了で深層心理に揺さぶりをかけることで、神に対する精神性が試された。お前は証を所持しているようだし、神に対する信仰心も持ってはいないが、恐怖心を持っていた。それじゃどのみち攻略は無理だ。だからこそ、お前の中の恐怖心を取り除く必要があった」

 

「……もしや、王都でお主の臣下が妾達を見逃したのは」

 

 アルディアスの話を聞いていたティオが、竜化を解いて問いかける。

 フリードと争っていた最中、突然誰かと話している素振りを見せた後、戦いを止め、ティオのことを見逃すと告げた男に流石のティオも困惑した。もちろん罠の可能性も考えたが、そんな真似をするような男には見えず、何よりも一刻を争う状況だった為、ハジメの元に向かうことにした。

 

「俺の指示だ。こいつは俺に恐怖しているくせに、誰かの力を借りることにも強い忌避感を感じていたからな。多少荒療治だが、結果うまくいったな」

 

「……何で、そこまで。敵じゃないにしても、お前にそこまでする義理はないだろ」

 

 つまり、アルディアスはハジメの為にわざわざハジメを焚き付けて争うように仕向けたということだ。敵じゃなくとも、味方ですら無い自分にそこまでする意図が分からず困惑する。仮にハジメが神代魔法を手に入れられなくともアルディアスには何の問題も無い筈だ。

 

「俺なりの詫びだ。元凶じゃないにせよ、この世界の者としてお前達を巻き込んでしまったからな。直接帰還の手助けを出来たら良いんだが、俺にもやらなければならないことがある」

 

 ハジメ達をこの世界に召喚したのは、紛れもなくエヒトだ。そしてそれを利用したのは王国の人間。魔人族のアルディアスに責任は無い。しかし、アルディアスにも彼らに対する同情心が多少なりとも存在した。

 当然、ハジメのように心から帰還を望んでいるのなら手助けをしても良いとも思っている。

 

「まあ、そうだな。色々言ったが、俺はお前のことを気に入ってる。理由などそれくらいだ」

 

「…………」

 

 アルディアスの言葉にハジメの表情が何とも言えないものへと変わる。

 そもそもの原因はお前だ、とか。それだけの為に死にそうな目にあったのか、とか。言いたいことは山程ある。神代魔法を手に入れる為に必要なことだったとも理解している。だが、それを感謝出来るかと言えばそうではない。

 ズタボロにされた分、一言くらい言ってやる。

 そう決意し、アルディアスをキッと睨みつけたハジメだったが、その横顔を見たシアがふと気づく。

 

「ハジメさん、何か顔赤くないですか?」

 

「は? 何言って──」

 

「ホントじゃ。耳まで真っ赤じゃぞ、ご主人様」

 

「え!? ハジメ君大丈夫!?」

 

「む? 傷は完治させた筈だが……」

 

 シアの発言にティオと香織が反応し、アルディアスも治癒が足りなかったのかと首を傾げる。そんな彼らを尻目に一人、ハジメの顔をじっと見つめていた愛子が「あっ」と小さく声を上げる。

 

「もしかして、南雲君照れてます?」

 

「は?」

 

「「「照れてる!?」」」

 

 愛子とハジメ、アルディアスを除く全員が驚愕に目を見開いた。あのハジメが、唯我独尊を地で行くハジメが照れる? そんなありえない現象に全員がハジメに視線を向ける。当のハジメは顎を開けたまま呆然と愛子を見つめたまま動かない。

 何とも言い難い空気の中、彼らのそばにウラノスが降りるやいなや、フリードが深く頷きながら、ハジメに声を掛ける。

 

「照れても仕方がないだろう。アルディアス様に認められたのだ。何も間違ってはいない。存分に誇ると良い」

 

「はあ!? ふざけんな!! 誰が照れてるって!! つーかてめえ誰だ!?」

 

 まるでそれが当たり前だと言わんばかりに告げるフリードにハジメが噛みつく。

 そんなハジメの姿を見て、シアが「そういえば」と言葉を続ける。

 

「ハジメさんって怖がられたりすることは多くても、純粋に褒められることってないですよね?」

 

「ほう? つまりご主人様は褒められ慣れていないと? ご主人様も可愛いところがあるの〜。どれ、妾が一つ褒め殺して──へぶっ!?」

 

 ニヤニヤ顔を隠さず近付いてきたティオを、ハジメは問答無用でぶっ飛ばす。しかし、そんなことでへこたれるティオではない。むしろ快感に身を捩らせていた。

 

「んんっ!? ハアハア、これじゃ! これが欲しかったのじゃ!!」

 

 こんな時にも変わらず変態のティオに一同は何とも言えない表情を浮かべ、アレーティアはピシリと固まる。ちなみにアルディアスは偶然……本当に偶然フリードが間に入った為、ティオの表情は見えなかった。妙な声は聞こえたようだが……

 そんな空気の中、再び愛子が「あっ!?」と声を上げる。心なしか、先程よりも声量が大きい。今度は何だよとばかりにハジメがジト目で愛子を見ると、ワタワタと慌てながら愛子が話し出す。

 

「そ、そうだ!? 教会! 教会が! ここまで壊れちゃうなんて思わなくて!? 早く中の人を助けないと!?」

 

「助けるって……」

 

 愛子の言葉にハジメは改めて周りを見回す。一面瓦礫の山で、ところどころ地面が爛れ、剥がれている。どう見ても生存者は期待できないだろう。そのことを告げると愛子は「そんな……」と顔を青褪めさせて膝をつく。

 ハジメを守る為とはいえ、関係のない人を殺めてしまった。そのことに胃の中のものがせせり上がるのを感じ──

 

「いや、その少女は誰も殺しては居ないぞ?」

 

 アルディアスの言葉でギリギリそれがせき止められる。

 

「え? で、でも、教会もあんな状況で……」

 

「そもそも俺がここに何の目的で来たのか忘れたのか?」

 

「目的……? ああ、なるほど」

 

 首を傾げたハジメだったがすぐに納得した表情で頷く。未だに意味が分かっていない愛子はハジメにどういうことかと問いただす。

 

「こいつと地下牢を抜けたとこで会った時、言ってただろ? “聖教教会の司祭共に用がある“ってよ。で、今人間族と魔人族は戦争中だ」

 

「……あっ」

 

「気付いたか? 教会に居た連中なら、すでに俺が一人残らず殺した。一度死んだ人間を再度殺す事など出来ない」

 

 だから、気にする必要はない。そう続けるアルディアスだったが、愛子の表情は依然暗いままだ。例え、命を奪ったわけでは無いにしても、遺体を吹き飛ばしてしまったことに変わりはない。その事が愛子の心に深い傷を負わせている。

 香織や雫、鈴が愛子に寄り添う中、アルディアスは先程から黙って此方を見つめ続ける少女の姿を捉える。

 

「お前は……」

 

「お初にお目にかかります。私はハイリヒ王国王女リリアーナ・S・B・ハイリヒと申します」

 

「魔国ガーランド現魔王アルディアスだ。お前は先程牢屋から出てきた集団にいたな。神の使徒の救出に協力していた、といったところか?」

 

「その通りです」

 

「意外だな。神の使徒の異端者認定は聖教教会の下した決定と聞いていたが……聖教教会の決定に逆らったのか?」

 

 王国では例え王族と言えども、聖教教会には逆らえない。そう認識していたアルディアスは心底意外そうに問いかける。

 

「はい。彼らは私達の事情に巻き込んでしまった、言わば被害者です。戦ってくれることに感謝こそすれど、処罰するなどあってはなりません」

 

 そう断言するリリアーナをじっと見つめる。その瞳からは嘘を言っている雰囲気は感じられない。

 

「……なるほど、どうやら王族までは腐ってはいなかったらしい。察してるとは思うが、すでに王都は落ちた。国王の身柄もすでに我らの手中にある」

 

「ッ!?」

 

 アルディアスの言葉にリリアーナは強く唇を噛みしめる。覚悟はしていた。今の状況で魔人族が攻めてくれば間違いなく王国は負けると。そして敗戦国の王族である自分の運命も……

 だが、死の恐怖を感じながらも、リリアーナは僅かに安堵していた。先程、アルディアスはハジメ達を殺すつもりは無く、帰還の手助けすらしても構わないような発言をしていた。自分は助からなくとも香織や雫達は助かるかもしれない。

 ハジメから聞いたエヒトの本性。未だに信じられない気持ちも大きいが、もし、その通りだった場合、自分達では間違いなく守りきれない。もちろん、アルディアスがハジメを気に入っているだけで、他の……それこそ光輝達のことまで気にかけてくれる保証はない。そもそもアルディアスがエヒトに対抗出来るかも分からないが、少なくとも王国の庇護下よりは安全だろう。

 王族の血を受け継ぐ自分は処刑されるだろうが、彼らが元の世界に帰れる可能性が出てきただけでもほっとする。

 

「……悲壮感漂わせてるところに悪いが、別にお前を殺そうなどとは考えてないぞ。王都に住まう民達も、悪戯に殺すつもりはない」

 

「…………え?」

 

 覚悟は出来てます。そう言わんばかりに瞳を閉じ、深く息を吸い込んでいたリリアーナは、アルディアスから告げられた言葉の意味がすぐに理解できず、呆然とする。

 

「どういうことだ? 普通、敗戦国の王族ってのは全員処刑されるもんじゃねえのか?」

 

 リリアーナが言葉に詰まっていると、横からハジメが話に加わってくる。その斜め後ろには愛子の姿もあり、先程よりは落ち着いた雰囲気を見せている。少し熱のこもった視線をハジメに向けているような気もするが……

 

「まあ、本来はそうなんだが、少し事情があってな。帝国も俺達の支配下に下ったが、ガハルドは生きてるぞ。上層部の人間で死んだのはバイアスとかいう屑一人だ」

 

「え!?」

 

 その事実にリリアーナが思わず声を上げる。それは敗戦国の王族を生かしていることに対してか、それとも自身の婚約者だけが死んでいることに対してか。それは本人にしか分からない。

 

「事情だと? お前、何しようとしてる? エヒトを殺す為の策でもあるってのか?」

 

 帝都に続き、王国も落とされたとなれば、すでに人間族の敗北は決定したと言ってもいいだろう。

 ハジメ達が少し前に寄ったアンカジ公国。かの国だけで魔人族に対抗出来るとは思えない。周辺の町の戦力をかき集めたところでそれは変わらないだろう。

 ともなれば、間違いなく神が何かしらのアクションをしてくる筈だ。そのことを大迷宮攻略者のアルディアスが知らない筈がない。少なくとも、ミレディから神の本性は聞いている筈だ。

 認めるのは癪だが、アルディアス(こいつ)は馬鹿じゃない。目の前の事実から目を背け、盲目的に神を信じるような男には思えない。何故ならば、戦いの最中もアルディアスの口から()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだから。

 

「──?」

 

 その瞬間、ハジメは何か違和感を感じた。何かとんでもないことを見逃してるようなそんな気が……

 

(何だ、この違和感。そう言えば、最初からこいつの発言には何かが引っかかって……)

 

──勝てないかもしれない。そんな覚悟で勝てる程“神“は甘くはない。

 

──神はお前が考える程軟ではない。性根はともかく、実力は神を名乗るだけのことはある。

 

 アルディアスがハジメにぶつけた言葉の数々。それはまるで、()()()()()()()()()()()()()()()()……

 

「ッ!?──お前まさかっ! すでにエヒトと接触してんのか!?」

 

「……ああ、そういえばまだ言っていなかったな。エヒトとアルヴならば、すでに俺が殺した」

 

「「「………はぁあああああああッ!?」」」

 

 アレーティアとフリードを除く全員がアルディアスの発言に目を見開いて驚愕する。

 誰もが言葉を失う中、いち早く復帰したハジメがどういうことかとアルディアスに詰め寄り、アルディアスが簡単にこれまでの経緯を説明する。ハジメや王族であるリリアーナにはどのみち話しておくつもりだった。

 

 語られる内容は、まるで荒唐無稽の出来すぎたファンタジーの物語のような話だが、その話が本当だと仮定すれば、聖教教会の暴走とも取れる行動や、これほどの力を持っていながら、本格的な侵攻をしてこなかった理由。突然活発になり始めた魔人族の動きにも納得出来てしまう。

 現に人間族の総本山とも呼べる王国が落ちたというのに、未だに神からの干渉が起こった気配は一切ない。

 全てを聞き終えたハジメは頬を引きつらせながら、アルディアスに戦慄の目を向ける。

 

「お前……世界中が神の掌で踊らされてる中、たった一人で……?」

 

「一人ではない。ここ居るアレーティアにフリード。俺を信じてくれた民達。彼らが居なければ決して成し遂げられなかった」

 

 その言葉に、アレーティアとフリードが頷く。

 

「つっても、始まりは一人だろうが。マジでお前どうなってんだ。実はチート持ちの転生者とかそんなんじゃねえだろうな?」

 

「先程も言っていたが、ちーと、とは何だ?」

 

「はあ、こっちの話だ……」

 

 深くため息をつきながら、ハジメは改めて目の前の男の姿をハッキリと視界に入れる。

 世界中が神の玩具にされる中、ただ一人、違和感に気付き、水面下で仲間を募り、神を打倒する程の力を付ける。

 言葉にするのは簡単だが、それがどれだけ難しいものかは考えるまでもない。人間族だけでなく、魔人族ですら神に絶対の信仰を捧げていたのだ。そんな中、神に反旗を振るおうとすれば、どうなるかは解放者を見ればよく分かる。

 そんな状況で、十年以上の時を掛けて、少しずつ、確実に計画を進めていき、一国の王までのしあがり、とうとう神殺しすら成し遂げてしまった。

 かつてオルクス大迷宮で戦ったカトレア、そして、この場にいるアレーティアとフリードの様子から、アルディアスが王として揺るぎない忠誠を捧げられていることは簡単に想像がつく。恐らく、国民に対しても似たようなものなのだろう。

 

 民を想い、民に想われ、知略に優れ、神殺しを成し遂げる力を併せ持つ絶対なる王。

 まるで漫画やアニメから飛び出してきた主人公のような存在だ。ハジメとて、元の世界ではオタクと言われる程に様々な漫画、アニメ、小説に至るまで数え切れないほどの物語を見てきたが、それですら、ここまで完璧超人の人物は中々居ない。

 

(ははっ、そりゃ敵わねぇわな)

 

 文字通り、経験も信念も違いすぎる。そんなアルディアスに改めてハジメは思う。今の自分では絶対に敵わないと。しかし、そう断言するハジメの表情からは今までのように恐怖するような感情は全く感じられない。

 多くの経験を積んできたハジメだが、元を正せばただのオタクの高校生だ。物語の登場人物に憧れたり、興奮したことも一度や二度ではない。

 

(……かっけえな)

 

 その力に、生き様に、憧れを抱いても仕方がないだろう。人の上に立ちたいわけではないが、神が相手でも、一歩も退かず、信念を貫き通すその在り方は、ハジメの理想とする完成形そのものだった。

 

「〜〜ッ!? だ、だったら最初から言えってんだよ! それを知ってたら俺が無駄に神に対して警戒することも……!」

 

 が、それを正面から堂々と言える程、今のハジメは昔程子供ではないし、純真でもない。思わず声に出しかけたそれをかき消すようにハジメは声を荒げる。

 

「悪い。だが、一度根付いてしまった恐怖心は簡単には剥がれることはない。お前自身が乗り越える必要があった。すまなかったな」

 

「うっ、別に謝れとは……」

 

 アルディアスの謝罪にハジメは居心地の悪そうに頭をかく。

 そんな様子のハジメに対して思わずアレーティアが呟く。

 

「……ツンデレ?」

 

「誰がツンデレだ!?」

 

 僅かに赤面しながら喚く怒鳴るハジメだったが、その珍しい光景にシアやティオ、更には香織までもが、面白いものを見つけたと言わんばかりに顔をニヤけさせる。

 近くで完全に蚊帳の外に追いやられてしまったリリアーナが「王女なのに……」と落ち込むのを雫と鈴と愛子がなだめる。

 先程まで命の危機を覚えていたというのに、何とも気の抜けた空気に一転していた。エヒトの本性を知っていた彼らとしてはそのエヒトがもういないというのは、それだけ朗報なのだろう。

 ハイリヒ王国の王族であるリリアーナは、まだこれからの国の行方などの心配事は尽きないが、アルディアスの言葉を信じるならば、これ以上民に危害が及ぶ危険性は少ないだろう。王族として様々な人物を見てきたリリアーナの目には、アルディアスが嘘を言っているようには見えなかった。

 

 しかし、彼らはまだ知らない。エヒトとは比べ物にならない脅威がこの世界に迫っているかもしれないことを。

 この空気に水を差すのは躊躇われたが、いつかは知らなくてはならない事実。それを改めてアルディアスが伝えようと口を開く。

 

 

──瞬間、空が漆黒に包み込まれた。




>神山の大迷宮
 迷宮の攻略条件は、最低二つ以上の大迷宮攻略の証を所持している事と、神に対して信仰心を持っていない事、或いは神の力が作用している何らかの影響に打ち勝つこと。となっていますが、コンセプトが“神に靡かない確固たる意志を有すること“である以上、迷宮攻略の過程で恐怖心が試される試練があってもいいのかなと思って、こういった感じにしました。

>愛子のダメージ減?
 原作と違い、殺してはいません。吹っ飛んだだけです。遺体が。

>ハジメ君のオタク魂
 中二病っていうのはね、一度発症すると一生付き合っていかなければいけないものなんだ。皆表に出さなくなるだけで、心の中にずっと秘めているんだ。


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第二十七話 【歪んだ在り方】

 久しぶりに10,000万字超えました。


「……は?」

 

 それは誰の口から漏れた言葉だろうか。その場に居る全員が空を見上げたまま、その漆黒に染まった空を呆然と見上げた。

 ……夜空? そんな馬鹿な。今の時刻は丁度正午に差し掛かるところだ。仮に再生魔法を使ったとしても、世界そのものの時を進めることなど出来る筈が無い。

 そもそも、漆黒に染まった空は、夜空と言うよりはまるで真っ黒なペンキをぶち撒けたような色をしており、何より光が全く差し込んでいないにも関わらず、お互いの姿はハッキリと視認できる。

 明らかな異常事態。アルディアスはすぐさま王都に居るカトレアに“念話“を繋げる。

 

「カトレア、そちらの状況はどうなっている?」

 

『ア、アルディアス様!? あの、いきなり空が暗くなって……! 王都の人間もかなりパニックになってます!!』

 

「やはりそちらもか。此方も同じ状況だ。理由は不明だが、嫌な予感がする。警戒態勢を崩すな」

 

『ハッ!!』

 

 “念話“を切ったアルディアスは側に居たフリードとアレーティアに王都の現状を伝える。

 

「王都も同じ状況のようだ」

 

「これ程の広範囲に干渉する力……並大抵の物では無いですね」

 

「なら、これは……」

 

「ああ、()()()()()

 

 アルディアスの言葉に視線が鋭くなるフリードとアレーティア。

 そんな彼らの様子に何か知っているのかとハジメが問いかける。

 

「おい、これが何なのか知ってんのか? お前達の仕業では無いってのは何となく分かったが……」

 

「……確証は無いが、間違いないだろう。これ程の人知を超えた現象。文字通り()()()()と見て間違いない」

 

「なっ!? ちょっと待て!! エヒトはお前が殺したんじゃ……!!」

 

「エヒトはな……だが、この世界に居る神はエヒトとアルヴだけではない。そもそもエヒトはその神に造られた人造神で元人間。この世界の住人同様、そいつの掌の上に過ぎない」

 

「「「ッ!?」」」

 

 その言葉にハジメと、二人の話を聞いていた周囲の人間も言葉を失う。想像すらしていなかっただろう。創造神と謳われ、信仰を得ていた“神“が“人類“と同じで利用される立場だったことが。

 

「ッ!!」

 

「アルディアス?」

 

 その時、突然アルディアスがバッと頭上を見上げ、ある一点を睨みつける。

 アレーティアがその様子に首を傾げるが、此方を見向きもしない様子にある可能性が頭を過り、アルディアスの視線の先を追う。

 

 最初にアルディアスがそれに気付いたのは必然だったのかもしれない。生まれた頃よりアルヴの存在を身近に感じ続け、何よりもエヒトをその身に宿したこともある存在はアルディアスを置いて他にはいない。

 だからこそ、誰よりも早く気付いた。気付かないわけが無かった。その忌々しい程の“神性“に……。

 

──バキッ

 

 アルディアスの見つめる先、漆黒に染まった空の一角。そこが突然割れた。

 全員が視線を向ける中、バキバキバキッとヒビが横に広がっていく。そして、そのヒビが横に三メートル程広がった辺りで、ヒビ割れは止まった。

 

──そして、空が開いた。

 

「ふふ、やっと会うことが出来ましたね」

 

 開いた空の先、漆黒の空とは相反する純白の光を背景に一人の老人が姿を現した。

 一見すると、物腰の柔らかそうな好々爺風の老人だ。だが、その姿を見たハジメ達をとてつもない悪寒が走った。

 殺気を向けられたわけじゃない。そもそも老人の視線はアルディアスに向けられており、目があってすらいない。それでも、彼らの体は無意識に震え、今すぐにでもこの場から背を向けて逃げ出したい気持ちに駆られる。

 それは最早、強さ云々の違いでは無く、種としての格の違い。生物の本能が敵わない。逃げろと警鐘を鳴らす。

 特に戦闘とは関わりの少ないリリアーナや愛子の表情は青白く、今にも倒れてしまいそうだ。王族として責任。教師としての責任。それが無ければ、簡単に逃げ出していたかもしれない。

 しかし、だからといって、耐えられるものでもない。とうとう限界を超え、二人の意識が途切れそうになった瞬間。

 

『鎮魂』

 

 アルディアスから淡い光が巻き起こり、周囲の人を包み込んでいく。その光を浴びたハジメ達は先程まで感じていた悪寒が軽減されていき、表情にも温かみが戻ってくる。

 それを横目で確認したアルディアスはすぐに目の前の老人に視線を戻す。

 

「お前がこの世界の真なる神か?」

 

「ええ、その通りです。はじめまして、アルディアス君。私の名はシュパース。以後よしなに」

 

 そういって嬉しそうに笑みを浮かべるシュパースにアルディアスはあからさまに眉を顰める。

 まるで正反対の表情を浮かべる二人の間に他の者は口を挟めない。しかし、そんな空気の中、この場に似つかわしくない少女の声が聞こえてきた。

 

「ちょっとシュパース様!? 勝手に行かないでよ! この空間、僕一人じゃ右も左も分かんないんだからさ!!」

 

「あっ、すみません。すっかり忘れてました」

 

「このクソジジイ……!!」

 

 シュパースの後ろからひょっこり姿を現した少女。その少女を視界に捉えた瞬間、香織と雫、そして鈴が目を見開いた。髪と瞳の色は変わっているが、見間違える筈が無い。特に鈴にとっては教会に拘束される前夜から行方が分からず、ずっと心配し続けた親友なのだから。

 

「…………エリリン?」

 

「あれ? 鈴じゃん。久しぶり〜」

 

 鈴の呟きを聞き取った恵里は笑顔で鈴に手を振る。行方の分からなかった親友が生きていてくれたことに安堵する気持ちはある。しかし、それ以上に困惑する。今までどこにいたのか。何故容姿が変わってるのか。何故……そこにいるのか。

 

「エリリン! 心配したんだよ!! もう教会の人達に殺されちゃったんじゃないかって……!」

 

「んー? 僕があんな低能な奴らにやられるわけないじゃんか。相変わらず頭空っぽなの?」

 

「え? え、恵里……?」

 

 突然鈴のことを貶すような発言をした恵里に鈴だけでなく、香織や雫も思わず固まる。

 

「恵里!! 鈴は貴方のことをずっと心配してたのよ!? そんな言い方はないでしょ!?」

 

「あー、もう、うるさいなぁ。別に心配して欲しいなんて言ってないし。余計なお世話だよ」

 

「「なっ!?」」

 

 自分達の記憶からは想像も出来ない発言をする恵里に呆然とする二人。そんな彼女らを差し置いて、アルディアスはシュパースに問いかける。

 

「……単刀直入に聞く。何をしに来た」

 

 険しい表情を浮かべるアルディアスに対して、ニッコリと笑みを浮かべながら答える。

 

「一つは君に会いたかったからです。人から昇華させたとはいえ、エヒト君が神の力を持っていたことは間違いない。その彼を殺す程の存在。間違いなく、君は私の知る歴史の中でも最強とも呼べる人類です」

 

「それは光栄だな……で、一つ目ということは他にもあるんだろう?」

 

「ええ。もう一つは……この世界に対して、宣戦布告に来ました」

 

 あっさりと告げられた言葉にアルディアスの眉間にシワが寄る。今の問答だけでも、自分の想像しうる中でも最悪の可能性が浮上してきたからだ。

 

「宣戦布告……か。何の為に? お前もエヒト同様に俺達を盤上の駒としか見ていないタチか?」

 

 堂々と正面から来る分、エヒトよりもマシか? 内心そんな事を思いながら、問いかけたアルディアスだったが、肝心のシュパースは目を丸くしてポカンとしている。まるで何故そんなことを問いかけられたのか分かっていない様子だ。

 

「駒? いえいえ、そんな事はありませんよ。人類(君達)()にとって子供のようなものです。親が子を想うのは当たり前でしょう? 私はただ君達の幸せを願っているだけです」

 

「では、何故宣戦布告などする。俺達が戦うことに何の意味がある」

 

「簡単な話です。人類の更なる進化を促し、平穏を与える。これ以上の理由はありません」

 

 シュパースの言い分にアルディアスの視線が鋭くなる。そんな表情の変化に気付いていないのか、構わず話を続ける。

 

「そうですね……一つ、昔話をしましょう」

 

──希望に溢れ、輝かしい未来を夢見た……愚かな一柱の話を……

 

 

 ◇

 

 

 あるところに一柱の神が居た。いつから存在したのかは自身にも分からない。何をすることもなく、只々どこかも分からない場所を漂い続けて、何億、何兆の月日が流れただろう。いや、時という概念すらない世界ではそれすらも分からなかった。

 ある時、神は自らに何かを創造する力があることに気付いた。そこからの行動は早かった。

 

 神は世界(全て)を創った。

 世界(理想)(軌跡)を描いた。

 世界(虚ろ)(生命)を満たした。

 世界(希望)(意志)で繫いだ。

 

──そして……人類(子供)を生み出した。

 

 いつしか、人類は数を増やし、国を作り、繁栄を極めた。その国では誰もが笑顔だった。不満などありはしなかった。何故なら、彼らには神が居たから。

 腹が空けば、食べ物を生み出した。技術が必要なら知識を教授した。力を欲するなら神力を分け与えた。

 手に入らないものなど無い。危険など無く、誰もが平等に幸せになれる世界。

 神は間違いなく満足していた。彼にとって、子供が笑顔でいることこそが幸せだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──そして、神の恩寵を与えられ続けた国は、千年を待たずに滅亡した。

 

 

 ◇

 

 

「……は!? いやいやいや、ちょっと待て!? 意味が分かんねえぞ! 何でいきなり滅んでんだよ!!」

 

 突然の国の滅亡に思わずハジメが突っ込んだ。間違いなく、その神とやらは、目の前の老人のことだろう。他の面々も同じような表情だ。しかし、アルディアスとアレーティアとフリード、それにリリアーナの四人は黙ったまま表情を崩さない。彼らは国の運営に大きく関わってきた分、何故その国が滅んでしまったかが分かってしまったからだ。

 

「簡単な話です。私は何も知らない愚か者だった。人類が何故ここまでの繁栄をしてこられたのか……君に分かりますか? 南雲ハジメ君」

 

「そりゃあ……知性があるからだろ」

 

「もちろんそれもあります。しかしそれ以上に、人類とは何よりも欲深い生き物なのです」

 

 国が滅びた理由……それはただ単に、人類が今以上の富と名声を求めたから。

 神の恩寵といえども、それを享受し続ければ、次第にそれが当たり前の事となり、それ以上を求め始める。隣の芝生が青く見える様に、誰かが更なる力を手に入れれば、それ以上を要求するようになる。

 そんな状況になってようやく異変に気付いたシュパースは、しばらく国を離れることにした。そうすることにより、神の力に頼ること無く、人が本来持ち合わせている力で、未来を切り開いてくれることを願って……

 それが世界に対する止めになるとは考えもせずに。

 

 神の恩寵を失った人々は嘆き、悲しみに暮れた。自らの手で探り探り道を模索し始める者も一定数存在したが、それまでとの差異に絶望し、次第に数を減らしていった。

 

「そして始まったのは、人同士による、私の残した奇跡の奪い合い。戦争などとはとても言えない……国中の人類が自らの為に命を奪い合う醜い争い。自己の欲求を満たすだけの戦い」

 

 新しく生み出されないのなら、既にあるものを奪えば良い。かつての栄光をその手にしたいが為だけに、同族を殺す。初めは小さかったそのさざ波は、周囲を巻き込みながら、やがて世界を破滅へと導く大きな津波へと変わっていった。

 

「自身の失敗を悟った私は、破滅した世界を再生させ、一から始めることにしました。しかし、何度やっても結果は同じ……」

 

 過去の失敗を繰り返す程愚かでは無い。

 ある時は、神として人々を導きつつも、力を行使することはしなかった。結果、何人もの人々が生涯を全うすること無く、病や事故、戦で命を落とした。

 ある時は、人類を見守りつつも、姿を見せることはしなかった。結果、天災で資源を失った人々は、人同士で限られた資源を奪い合い、多くの人々に不幸が訪れた。

 どんなに手を尽くしても、どんなに知略を練っても、必ず人類は争いを始める。

 

「そこで私は考えました。異常なまでの欲深さこそが人類の原点であり、原罪であると。欲望があるからこそ、人類は愛を求め、それを得る為の手段として、知恵と力を欲する。君も同じです」

 

 そう言ってアルディアスを見る。

 

「民を守りたい。同胞を救いたい。それらは確かに正しい感情でしょう。しかし、それも欲望という人の薄暗い業から生まれたものなのです」

 

「ッ!? 貴様ッ!! 黙って聞いていれば──ッ!!」

 

 自らの主を愚弄されたフリードが激昂し声を荒げるが、アルディアスが手をかざして遮る。それによって何とか怒りを抑え込むが、握り込まれた拳が彼の感情を物語っている。

 側に居るアレーティアからもじわじわと魔力が滲み出ている。アルディアスが居なければ今すぐにも魔法を放ってもおかしくはない状況だ。

 

「それで? 結局お前は何がしたい」

 

「何度も破滅の道を辿った人類ですが、たった一つだけ、共通して彼らが手を取り合い、進化の道を進む事象が存在しました」

 

──それが、人類共通の敵が現れた瞬間です。

 

「「「ッ!?」」」

 

 その言葉で、全てを理解してしまった。目の前の神の目的とその手段を……

 

「“神“とは人類を導き、祝福を授ける存在などではありません。人類の壁としての永久的な敵性存在。人類の存続と進化を促す為に人類を滅ぼす絶対的な天敵。それが私の出した結論です」

 

 誰もが呆然としたまま、言葉を発せない。理解も共感も出来ない。つまりそれは、人類は平和を維持するために、永久的に戦い続けなければならないと言われたようなものだ。

 

「ふざけたことを抜かすな。ならば、エヒトのことはどう説明する。奴はこの世界に祝福を与える存在として信仰され、人同士の争いを誘発させていた。お前の言っていたことと矛盾している」

 

「いえ、していませんよ? 確かに人類同士での戦争も起こりましたが、所詮数千年程度のものではないですか。その過程で、エヒト君に対抗する為に解放者が生まれ、その彼らの力が今や君に受け継がれている。彼らの、そして君の存在は、間違いなく人類の進化の大きな一歩と言えるでしょう」

 

「その数千年の間に、どれだけの犠牲が出たと思ってる……!」

 

「進化の為の必要な犠牲です。数千年など大した年月ではありません」

 

 思わずアルディアスは無意識に拳を握り込む。

 良く分かった。目の前の“神“はそもそも自分達とは価値観が大きく異なっている。人の一生は長いようで短い。ある種の例外はあるが、殆どの人類は千年など生きられない。それは寿命だったり、病だったり、戦であったり……理由は様々だが、人はあっという間に死ぬ。

 だが、“神“からすれば、千年など瞬きの間に過ぎ去る程の刹那の感覚なのだろう。

 明日を生きるのに必死な人類と違い、この“神“が見ているのは途轍もない程の未来の光景。 

 分かり合うことなど、出来る筈も無い。

 

「ならば、ハジメ達のことはどうするつもりだ? こいつらは、エヒトによってこの世界に無理矢理連れてこられただけに過ぎん」

 

「彼らに関しては私も想定外でした。私が進化を願うのはこの世界の人類のみです。彼らまで付き合わせるつもりはありません。この世界の者ではない彼らだけならば、すぐに帰還させて差し上げましょう」

 

 その言葉に、地球帰還組が思わずお互いの顔を見合わせる。急に元の世界に帰れるかもしれない可能性が出たことに、歓喜の感情が浮かび上がるが、同時に大きな不安も走る。

 そもそも目の前の神の言うことを信じてもいいのかという疑問もあるが、世界の危機的状況に、親友とも呼べる間柄にまで発展したリリアーナを置いていってしまうことが、香織達の心にしこりを残していた。

 香織は不安そうにハジメに視線を向ける。ハジメの性格を考えるに、話の信憑性はともかく、本当に帰れるのなら、リリアーナ達のことなど気にすること無く、帰還の道を選ぶと思っていたからだ。

 しかし、肝心のハジメは、眉を顰めたままシュパースを睨みつけていた。

 ハジメには、その話が本当か嘘かなど関係がなかった。何故ならば、シュパースの提案の大きな穴に気付いていたからだ。

 

()()()()()()()()()()()()()……か。つまり、この世界出身の奴らを連れて行くことは許可しない、と?」

 

「え? それって……」

 

 この世界の者でない彼らだけ──つまり、この世界の出身のシア達は連れていけないということ。

 

「ええ、その通りです。彼女らはこの世界の住人。ならば、この戦いに参加する、もしくは見届ける義務があります」

 例え、その結果が死に繋がるとしても。そう続けるシュパースにハジメの視線が更に鋭くなる。

 

「なら、俺は帰るつもりは無い……約束したからな、俺の世界に連れていくって」

 

「ハジメさん……!」

 

 シアはもちろんのこと、鬱陶しいが、ティオのことも仲間として大切に思っているし、何よりも、ミュウとの約束もある。それを反故にしてまで帰るつもりなど、ハジメにはさらさら無かった。

 

「よろしいのですか? 戦争が始まれば、慈悲を見せるつもりはありません。私は君のこれまでの戦いも見てきました。君だから力を貸しても良いと思ったのですが……」

 

 遠回しに、他の者だけを還す為に力を割く気は無い。と、言い放つシュパースだったが、ハジメの考えは変わらない。そもそも、シア達と他のクラスメイトを天秤に掛けたところで、クラスメイト側に傾くことなどありはしない。

 

「そうですか、異世界の住人である君が、この戦いで何を見せてくれるのか……非常に興味深いですね」

 

「ハジメの戦いを貴様が見る必要は無い。俺が今、ここで貴様を討てばいいだけだ」

 

 瞬間、アルディアスから魔力が吹き荒れ、背後に全長三メートルにもなる、赫く輝く雷で構成された槍が六本現れる。目が眩む程の雷光を纏う槍は敵対者を確実にその生命ごと穿つだろう。

 しかし、そんなアルディアスに待ったを掛ける少女が居た。

 

「ま、待ってください!? あそこには恵里が、友達がいるんです!?」

 

 呆然と固まっていた鈴が、その雷光の光で我を取り戻し、慌ててアルディアスを止めようと声を掛ける。

 このまま槍を射出すれば、すぐそばに居る恵里も巻き添えになる可能性がある。

 恵里を守ろうと必死に声を上げる鈴だが、アルディアスは一瞬視線を向けただけですぐに戻す。

 

「友達、か。少なくともアレは友に向ける眼ではないがな。どう見ても神の陣営(あちら側)についたと見ていいだろう」

 

「え? え、恵里? 嘘だよね? だって、その人は……」

 

 動揺しつつも、恵里に問いかける鈴。否定して欲しい。そんな訳ないと。私達を滅ぼそうとしてくる人につく訳がない……と。

 懇願にも思える鈴の問いかけに対して、恵里はニッコリと笑みを浮かべる。

 その笑みは、鈴が今まで見てきたものとは全く違う、ドロドロの狂気を感じるものだった。

 

「アハハ、やっぱり魔王様は他の馬鹿共と違って物分かり良いねぇ。そうだよ? 僕はこっち側。シュパース様の下についたんだよ?」

 

「な、何で……!?」

 

「簡単なことさ。光輝君を手に入れる為。それだけだよ」

 

「は? 光輝?」

 

 何故そこで光輝の名前が出てくるのか……? 困惑するクラスメイトに「やっぱり物分かり悪いなぁ」と頭を振りながらも懇切丁寧に説明を始める。さも、情熱的なラブストーリーを語る吟遊詩人のように振る舞う恵里だが、その内容は誰一人として理解できない、狂った少女の独白だった。

 恵里のことは、召喚された者達の一人としか認識していなかったアルディアス達ですら、その内容に思わず眉を顰める。

 中でも鈴の表情は、青白さを通り越して土気色までまで変色してしまっている。恵里にとって自分はただの都合が良い道具でしか無かった、その事実に……

 

「シュパース様は約束してくれたんだ。僕が協力するなら、光輝君と二人っきりの世界を作ってくれるって。誰も邪魔者が居ない……僕達だけの箱庭を!!」

 

 そんな鈴の様子も目に入っててないのか、頬を高揚させながら語る恵里。

 

「恵里!! 貴方は!!」

 

 鈴の心を踏み躙る仕打ちに雫が怒声を上げる。隣にいる香織も目を吊り上げて恵里を睨む。

 しかし、恵里はそんな表情を向けられたところでどこ吹く風と言った様子で気にもしない様子で……

 

「──作る、筈だったんだけどなぁ」

 

「「「へ?」」」

 

 突然今までの狂気的なナリが身を潜め、落ち着きを取り戻し始めた恵里に鈴達が目を丸くする。

 爛々と輝いていた筈の瞳も今や面倒くさそうに半分閉じられ、心ここにあらずと言わんばかりに大きくため息をつく。

 

「おやおや、そんなにため息ばかりついてたら幸せが逃げてしまいますよ?」

 

「誰のせいだと思ってるのさ」

 

「…………もしかして、私ですか?」

 

「……はぁ」

 

 自分の顔を見て、再び深いため息をつかれたシュパースが、ガーンとショックを受ける。

 しばらくアタフタしていたシュパースだったが、考えても無駄だと判断したのか、パンッと手を叩いて、空気を切り替える。 

 

「ま、まあ、お互い積もる話はあるかと思いますが、それは次までに取っておきませんか? あまり長居するつもりもありませんし──」

 

「次など無い」

 

雷槍(らいそう)赫灼(かくしゃく)

 

 シュパースの言葉を遮り、アルディアスの魔法が放たれた。

 光と音を置き去りにして放たれた赫き槍は、その軌跡すらも突き放し、まっすぐにシュパースの頭部、四肢、心臓目掛けて突き進む。

 その場の誰もが反応することすら出来ない。敵の命を穿つことで認識出来る程の神速の一撃。

 

──たった一柱の神を除けば……

 

世界の再誕(リ・ユニバース)

 

 神の口から紡がれた言葉。それは、何故かその場に居る全員の耳にハッキリと聞こえた。

 

──瞬間、全ては光に包まれた。

 

 

 眩い光は全てを呑み込んでいく。

 ハイリヒ王国を……ヘルシャー帝国を……フェアベルゲンを……魔国ガーランドを……大陸の外までも……世界の全てを照らしていく。

 

 その日、その瞬間。世界中の人類は目撃した。世界を包み込む破滅と再生の光を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「な、何が起きたんだ?」

 

 刹那にも感じる光の濁流が収まり、ハジメが薄っすらと目を開くと、そこには先程と全く変わらない景色が広がっていた。

 

「ッ!?──シア! ティオ! 香織! 無事か!?」

 

「だ、大丈夫です!」

 

「何だったのじゃ……?」

 

「び、びっくりした……」

 

 しばらく呆然としていたハジメだったが、シア達の安否に気付き、慌てて後ろを振り返ると、困惑しつつも、傷一つ付いていない三人の姿を確認できた。

 そのことにホッと安堵の息を吐いた後、落ち着いて周囲を再度確認するが、アルディアス達を含め、そこに居た者達が負傷した様子は全く見られなかった。

 

(何だ? ただの目くらまし? それにしちゃ、違和感が……)

 

 何が起こったのか理解できないハジメだったが、状況が分かっていないのはアルディアスとて同じだった。

 

(俺の魔法が消えた? 防がれた訳でもなければ、避けられた訳でもない。まるで魔法そのものが消失したかのような……)

 

 シュパース目掛けて撃ち出した魔法が、シュパースの体を貫く寸前に消えた。視界が塞がれようとも、自らの放った魔法だ。当たったのか防がれたのかくらいは分かる……それが、消えた。

 

「……何をした」

 

「いえ、ただ舞台を整えようと思いましてね?」

 

「舞台……だと?」

 

「ええ。言ったでしょう? 宣戦布告と。この戦争は私と君との戦いではありません。(私達)人類(君達)の戦いですから」

 

 シュパースの言葉の意味が分からず、眉を顰めるアルディアスの元にカトレアから“念話“が入る。

 

『ア、アルディアス様!! あ、あの……外、外が……変わ、変わって……!?』

 

 しかし、動揺しているのか、言葉に詰まってうまく言葉に出来ていない。

 

「落ち着けカトレア。何があった?」

 

『け、警戒態勢を敷いていた騎竜部隊から連絡が……ガ、ガーランドです!!』

 

「は?」

 

『王都から南に約二キロ先に! あたし達の国……魔国ガーランドが出現しました!!』

 

「何だと……!!」

 

 ここに来て初めてアルディアスの表情に焦りが見えた。その様子にアレーティアとフリードも何か想定外のことが起こったのだと察し、ハジメもあのアルディアスが声を上げたことに嫌な予感が頭を過ぎる。

 すぐにアルディアスが感知範囲を広げると、確かにカトレアの報告と同じ方角から魔人族の魔力を……それも、兵士ではなく、一般市民のものを多く感じた。

 

(いや、それだけじゃない! 周囲の地形が変わっている!?)

 

 思わず思考が停止するアルディアスだったが、すぐに我に返り、カトレアに指示を出す。

 

「カトレア! すぐに王都の周囲十キロ圏内に偵察を放て!!」

 

『え? は、はい! 分かりました!!』

 

 元々、アルディアスからの警戒態勢で、王都だけでなく、城壁の外まで監視を行っていた筈だ。竜を使えば、状況確認にはそこまでの時間は掛からないだろう。

 カトレアとの“念話“を切ったアルディアスがギロッとシュパースを睨みつける。

 

「貴様ッ!」

 

「ふふ。その様子ではすで気付いたようですね」

 

「アルディアス、何があったの?」

 

 アレーティアが全員を代表してアルディアスの問いかけると、視線はシュパースに固定したまま、答える。

 

「カトレアからの報告だ。王都から南に約二キロ、そこに魔国ガーランドが突如出現した」

 

「「なッ!?」」

 

 その事実にアレーティアとフリードが絶句する。周りで話しを聞いていたハジメ達も声にこそ出していないが、同じような反応だ。

 

「それだけじゃない。王都の周囲の地形も明らかに変わっている……それに俺の予想が正しければ……」

 

 言葉の途中でアルディアスがこめかみに指を当てて何かに応答する。恐らく、カトレアからの“念話“だろう。

 

「早いな。やはりそう遠くない位置に……ああ、分かった」

 

 “念話“を切った後「やはりか」と憎々しげな声を出したアルディアスが再び話を再開する。

 

「王都の周辺十キロ圏内にヘルシャー帝国、更にハルツィナ樹海が現れた。他にもそこには存在しなかったいくつかの都市や町、集落を発見したそうだ」

 

「「「ッ!?」」」

 

 最早、誰も声を上げることが出来なかった。つまり、アルディアスの言葉が正しいのなら、世界中の国や町が王都の周囲に転移してきたことになる。いや。これはすでに転移という枠組みを逸脱している。

 

「世界を……創り変えたのか……!?」

 

「かつて、このようなことを仰った偉人がいます。破壊の裏に創造あり。破壊と創造は表裏一体、と。私から言わせてもらえば、それは間違いです。破壊しなくとも創造は出来ます。創造しなくとも破壊は出来ます。破壊と創造はそもそも同じ概念なのです。個人の価値観の違いで使い分けているだけに過ぎません」

 

 それに、と続ける。

 

「言ったでしょう。これは私と君だけの戦いではないと。私という絶対敵を前に人類をまとめ上げられるのか……見せてください。君達の可能性を……」

 

「簡単に言ってくれる……!!」

 

 神に対抗する為に、ある程度の衝突は覚悟していたが、実際に国同士を近づけられることになるとは誰が想像できるだろうか。

 するとゆっくりと割れた空が次第に塞がり始める。

 

「五日後の太陽が天高く昇る時。その時が、開戦の時刻です」

 

「バイバ〜イ」

 

「恵里! 待って!?」

 

 鈴が必死に手を伸ばして引き留めようとするが、肝心の恵里は笑顔で手を振るだけで応じる様子はない。

 

「……最後に一つだけ、聞いておく」

 

「何でしょう?」

 

 すでに腰辺りまで閉じかけている中、アルディアスは初めてシュパースの姿を見てから感じていたことを問いかける。

 

「お前……俺とどこかで会ったことがあるか?」

 

 そんなアルディアスの発言にフリードやアレーティアですら、驚愕に目を見開く。

 

「……? いえ、直接会うのは初めての筈ですが……?」

 

 しかし、肝心のシュパースは本当に心当たりが無いのか首を傾げて否定する。自分は随分前からアルディアスのことを見ていたが、あくまで一方的に見ていただけで、会った訳ではない。

 そもそも、地上に降りたのすら、数千年、もしくは数万、数十万年振りだ。アルディアスは生まれてすらいない。

 

「……そうか」

 

 その返答にしばらく黙り込んでいたアルディアスだったが、すぐに頷いて返す。どうやら彼自身も自分が何故そんなことを尋ねたのか理解していないようだった。

 

「よく分かりませんが、君には期待していますよ、アルディアス君。人類(君達)に幸せが訪れることを私は願っています」

 

 その言葉を最後に空が完全に閉じた。

 それと連動するかのように、空を覆っていた闇が、霧が晴れるように引いていき、冷え切った地上を温めるかのように、ギラギラとした太陽がその姿を現す。

 

 誰もが言葉を出せずに呆然と空を見つめる中、アルディアスだけは、心底不愉快そうに表情を歪め、誰に聞かせる訳でも無く、小さく呟く。

 

「俺達の幸せが訪れることを願っている……か。フン、腹芸はエヒトよりも劣るらしい」

 

 厄介な相手に暗雲が立ち込め始めたアルディアスの心情を嘲笑うかのように、雲ひとつ無い青空が王国を見下ろしていた。




>神の失敗。
 何でも出来るけど、何も知らなかった。

>人類共通の敵が現れればお互いに争いを止め、団結する理論。
 それなら、永久に敵として君臨し続ければ、人類がお互いに滅ぼし合うことは起こらないのでは? というとんでも理論。例え、人類が戦いに敗北しようとも文明が滅ぶレベルの被害は起こりますが、絶滅はさせず、敗北を糧にさらなる進化を期待している。

世界の再誕(リ・ユニバース)
 地上すべての国、町、集落、地形に至ってまでの全ての位置を、自身の思い通りに創り変える魔法。発動時にその場所に居た者も一緒に移動している。


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第二十八話 【人間族の新たな希望】

今回ちょっと短めです。


 世界が漆黒に包まれ、トータスの地形すら変わってしまった運命の日。言うまでもなく、世界は混乱の渦に巻き込まれた。

 王都の人間は、魔人族の襲撃を受け、次々と王国の兵士が倒されていく中で起きた異常事態。混乱するなと言う方が無理な話だ。

 これも魔人族の仕業かと騒ぐ王国民だったが、これを収束させたのは、他でもない王都を襲撃していた魔人族達だった。

 多少手荒な手も使ったが、彼らの尽力がなければ、民から民にパニックが伝染していき、何が起こっても不思議ではなかった。

 

 だが、それでも王都に居た人間はまだマシだった。何故ならば、彼らは空が漆黒に包まれ、視界を光が覆う事態以外は、特別何かが起こることは無かったのだから。

 問題は王都の外。突如土地ごと転移させられてきた者達だ。

 何せ、目も開けられない光に覆われたと思ったら、国や街ごとどこか分からぬ場所に移動していたのだから。最初に外の光景が変わってることに気付いた衛兵が、しばらく意識を飛ばして呆然としてしまっても仕方がないだろう。

 

 魔国、帝国の二国にはアルディアスから“念話“で迅速に状況説明がされた。魔国は言わずもがな、帝国もガハルドが各所に兵士を派遣することで、民の混乱を最低限に防いでいた。

 フェアベルゲンに関しては、周囲を深い樹海に覆われている影響で、国そのものが転移したことには気付いておらず、アルディアスから事情を聞いたアルフレリックは大層驚いていた。

 

 その他の都市や街に対してはアルディアスが動く訳にもいかず、神山から下山したアルディアス、そしてリリアーナから状況を聞いたエリヒド王主体の元、各地に騎士団が派遣され、事態の収束を第一に行動を開始した。

 正直、王国の騎士団だけではとてもカバー出来る範囲の規模では無かったのだが、そこに魔人族の部隊が手を貸すことになった。あくまで彼らは周囲の索敵を行い、情報を騎士団に共有し、それを元に騎士団が急行する。

 図らずとも、人間族と魔人族が、初めて協力することになったのは言うまでもない。

 

 しかし、それでも完全に事態を収拾させるに至ったのは、あの日から丸二日を経過してからだった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

──魔国ガーランド・魔王城

 

「各地の状況はどうだ?」

 

 世界が最低限の落ち着きを取り戻した翌日の早朝。アルディアスは魔王城の通路を目的地に向けて進みながら、後ろに続くフリードに問いかける。

 

「はい。一応の落ち着きは見せたものの、やはり不安は隠せないようです。一部の人間族の中には、今回の現象が魔人族に対するエヒト神の怒りと噂する者もいるようです」

 

「まあ、あながち間違いではないな」

 

 神違いだが……そう続けるアルディアスにフリードも疲れたように頷く。

 今の会話から分かる通り、人間族には未だにエヒトの真実を公表していない。ようやく混乱が収まったばかりのところに真実を告げれば、どうなるかは火を見るより明らかだ。

 すでに事実を公開し、周知させている魔人族と亜人族。更に世界が再構築されたことにより、隠れ里ごとその存在が公になったある種族を除けば、トータスに住まう種族の中で一歩遅れていることになる。

 

「その対応も含めて、これから決めることになる」

 

「はい」

 

 そのまま、フリードを連れたアルディアスは一つの扉の前に立ち止まる。

 扉の両脇に待機していた魔人族の兵士達が敬礼したのち、扉を開ける。

 そのままアルディアスが扉をくぐると、中に居た十二人の人物の視線がアルディアスに向けられる。

 

「おいおい、呼び出した本人が最後たぁ、良いご身分なこって」

 

「陛下、仮にも帝国は魔国の属国へと下ったのですから、言動にはお気をつけを」

 

 ヘルシャー帝国皇帝、ガハルド・D・ヘルシャー。その側近、ベスタ。

 

「そう仰るな、ガハルド殿。彼らの尽力のおかげで被害を最小限に抑えられたのだから」

 

「お待ちしておりました」

 

 ハイリヒ王国国王、エリヒド・S・B・ハイリヒ。同じく王女、リリアーナ・S・B・ハイリヒ。

 

「まさか、かの噂に聞く魔王とこうして顔を合わすことになるとはな……」

 

「同感です」

 

 アンカジ公国領主、ランズィ・フォワード・ゼンゲン。その息子、ヒィズ・フォワード・ゼンゲン。

 

「私達がこのような集まりに呼ばれる日が来ようとは、思ってもみなかったな」

 

「アルディアス様! お久しぶりです!!」

 

 フェアベルゲン長老衆が一人、アルフレリック・ハイピスト。その娘、アルテナ・ハイピスト。

 

「それを言うならば私たちこそ、こんな形で表の世界に再び出ることになるとはな」

 

「竜人族の隠れ里があんなとこに現れたのは流石に度肝抜かれたのじゃ」

 

 竜人族の長、アドゥル・クラルス。その孫娘、ティオ・クラルス。

 

「何で俺まで……」

 

「シャキッとしてください! 南雲君は私達の代表で呼ばれたんですから!!」

 

 異世界転移者代表、南雲ハジメ。その付き添い、畑山愛子。

 

 部屋の中央に置かれた大きな机には各国、各種族の代表者が椅子に座り、その後ろには、それぞれ一名の補佐が付いている。

 彼らの視線を一身に受けたアルディアスは特に動揺することもなく、空いている椅子に座る。

 

「すまない、遅くなってしまった。各国、各種族の代表者の方々よ。まずは此方の呼びかけに応えてくれたこと、感謝する」

 

 そう言い、軽く頭を下げるアルディアスの姿を見て、ガハルドがふんっと鼻を鳴らす。

 

「俺達はてめぇの下に付いたんだ。従わねえ訳にはいかねぇだろ」

 

「ガハルド殿の言う通りだ。そもそもこうして私達が生きて居られるだけで奇跡なのだから」

 

 エリヒドの言う通り、本来なら、王族の彼らは一族まとめて処刑されていてもおかしくはない。その助命に神の存在が関係していることは、彼らからすれば何とも言い難いものだろう。

 

「国ごと転移したこともそうだが、すでに王国と帝国が落とされていたことには驚いたな。明日は我が身だった、という訳か……」

 

 自分達がまるで蚊帳の外だった現状と、気付いたときには完全に詰んでいたアンカジ公国の未来を知ったランズィは、驚愕よりもその鮮やかすぎる手口に笑うしかなかった。

 

「その点は同意しよう。いきなり帝国を落とし、多くの同胞を連れて現れた時は流石に言葉を失った」

 

 帝国の影に怯える日々が突然終わりを迎えたのだ。未だにこうして各種族の会談に自分の席が出来たことが信じられないアルフレリック。

 

「そんで何よりも……」

 

 ガハルドが言葉を止め、一人の男に視線を向ける。それつられるように、他の者達も同意するように視線を向ける。

 

「まさか、滅んだ筈の竜人族とこうして会えるとはな」

 

 視線を向けられた緋色の髪をした初老の男は、そんな彼らの反応も仕方がないだろうという風に頷いた。

 

「私達は五百年もの間、外界との接触を禁じていた。滅んだと思われていても仕方がないだろう。しかし、此度の危難、流石に黙っておる訳にもいかぬ」

 

 そう断言したアドゥルは徐ろにアルディアスに視線を向けた。

 

「時に、アルディアス殿。孫娘から話は聞いたのだが……貴殿があのエヒトを討滅したというのは真か?」

 

「ああ、奴は俺が殺した」

 

 何でもないようにあっさり認めたアルディアスをじっと見つめていたアドゥルだったが、一つ頷いたかと思うと、突然深くその頭を下げた。

 

「じ、爺様!?」

 

 その光景にティオが目を見開くが、アドゥルは構わず話を続ける。

 

「五百年前、奴の指示で起こった迫害によって、竜人族は絶滅の危機に陥った。何とか大陸の外に生き延びることは出来たが、何人もの同胞が犠牲となった……言わば、エヒトは同胞の(かたき)。そして我らの怨敵。そのエヒトを討ってくれたのだ。貴殿には感謝の言葉もない」

 

「……ッ!」

 

 その言葉にティオも慌てて頭を下げる。しかし、その表情はどこか居心地が悪そうだ。

 その時は知らなかったから仕方がないのだが、ティオはアルディアス目掛けて、何度もブレスを浴びせているのだ。ハジメを守る為の行動だった故に、その時の行動を後悔している訳ではないが、その相手に自身の祖父が感謝の言葉を述べている手前、何とも言えない気持ちになる。

 

「エヒトは人類の共通の敵。あくまで自分の為に行動したにすぎない。そこまで改めて感謝を述べる必要はない」

 

「それでも、だ。自分のことで申し訳ないが、私がこうしたいのだ」

 

「……分かった、その感謝を受け取ろう。ティオ・クラルス。そこまで気にすることはない。あの時は戦場でお互い敵だった。それだけのことだ」

 

「むっ……分かったのじゃ」

 

 アルディアスの言葉にティオも一瞬迷う姿を見せたものの、ここで受け取る方が丸く収まると判断して、それを了承する。

 すると、それまで成り行きをただ見ていただけのハジメが口を開く。

 

「おい、アルディアス。何で俺まで連れてこられたんだよ。俺は国のトップでも無けりゃ、種族の代表でも無いぞ。ただの一人の人間だ」

 

「お前をただの人間で済ますには無理があるな。この俺を吹き飛ばして見せたんだ。それに、異世界人特有の視点も興味がある。この場に座るだけの資格はあると思うが?」

 

 その言葉にその場に居るほぼ全員が「ほう」と声を上げる。

 特にアルディアスの力をその目で見ているガハルドなどは、面白いものを見つけたと言わんばかりに目をギラつかせる、彼は実力至上主義国家のトップに立つ皇帝だ。魔人族に破れたとはいえ、その精神が失われた訳ではない。勇者は期待外れだったが、とんだダークホースが居たものだと感心する。

 一気に注目の的となってしまったハジメは思わず頬を引き攣らせる。

 確かに吹き飛ばしはしたが、あれはハジメ一人の力ではないし、そもそも結果的にノーダメだ。それに恐らくアルディアスは本気を出していない。

 真なる神(シュパース)に使った魔法。あれはすぐ近くに居ながらも、ハジメにはいつ撃ち出されたのか一切認識することが出来なかった。もし、あれが自分に向けられていたら、自らが死んだことに気付くことなくこの世を去っていたことだろう。

 完全に身の丈以上の期待が寄せられているが、下手に弁解しても謙遜と取られそうな気がする。

 肝心のアルディアスがハジメを陥れる訳では無く、純粋にそう思っているのも原因の一つだ。

 

「俺のことは良いんだよ!? つーか、そんなことを話す為に集まった訳じゃねぇだろ!!」

 

「それもそうだな、フリード」

 

「ハッ、では私、フリードが進行を務めさせていただきます。これより、トータス連合軍による【真なる神・シュパース対策会議】を始めます」

 

 魔人族、人間族、亜人族、竜人族、そして異世界人。

 決して交わることの無かった五つの人種が一つの場所に集まる、歴史上初めての会議が始まった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「──では、戦えない一般人は種族ごとに分け、指定の避難先に……」

 

「それが妥当だな」

 

「敵は兵士一体でもそれ相応の力を持っている事が予想される。それについては……」

 

「それなら俺に考えがある。ハジメ、それについてお前の意見を聞きたい。異世界の技術を組み込めるかもしれない」

 

「一般兵の強化は必須か。しょうがねぇな」

 

「戦場は王都前の平原ということだが、そこに部隊を展開したとして、本当に現れんのか?」

 

「情報通りなら、我らとの戦いそのものが目的の筈。わざわざ避けて通ることはありえないだろう」

 

 会議が始まり、二時間程経過した頃。

 神という未知なる敵を前に、会議は大いに難航したが、お互いの知識をぶつけ合い、少しずつではあるが、来たるべき日に備えて、着実に話は進んでいった。

 そして、次の議題は誰もが無意識に後に回していたある問題だ。

 

「──これだけの規模の人数を動かす以上、兵士を鼓舞する為の中心となる人物が必要です。それを誰にするか……」

 

 とうとう、フリードの口から語られた内容にその場の全員が一瞬押し黙る。

 この戦いには、トータスの地に住まう様々な種族が集結することになる。命令の統一性を確立させる為にも、その全てのリーダーとなる一人を選ばなければならない。しかし、種族間の溝は深く、簡単に決められる問題ではない。

 最初に口を開いたのはガハルドとランズィだ。

 

「俺はパスだ。そもそも俺達は敗者だ。そんな奴に務まるような立場じゃねぇ」

 

「私も今更全体を率いるような事は出来ない。完全に役不足だ」

 

 それを聞いたエリヒドも続く。

 

「私もガハルド殿とランズィ殿と同意見だ。そもそも聖教教会に従うだけだった私にそこまでのカリスマは無い」

 

「そんなことは!?」

 

「良いんだ、リリアーナ。結局私は神に良いように操られていただけに過ぎない。この場に集った方々と比べると、確実に劣っている」

 

 エリヒドの言葉に反論しようとしたリリアーナだったが、すぐに首を振って否定する。

 次はそれを見ていたアルフレリックとアドゥルが発言する。

 

「私もその任を任されるには荷が重いな。こうして一種族として席に着かせて頂いたが、人間族からの差別が消えた訳ではない。私が上に立つことで要らぬ争いが起こるだろう」

 

「同じく。竜人族も歴史から姿を消した種族。突然現れ、全種族を率いることに困惑する者も出てくる筈だ」

 

 人間族、亜人族、竜人族と立て続けに辞退し、残すところはアルディアスとハジメだけになるが……

 

「俺はやらねえぞ。元々そんな器じゃねぇし、肩書も何も無い俺じゃ無理だろ」

 

 とのハジメの発言で、実質残りはアルディアスだけになってしまった。

 全員の視線を受けたアルディアスは、一人一人に視線を向けた後、ハッキリと断言した。

 

「いや、俺では連合が分裂しかねない」

 

 遠回しの拒否する発言に、その場に居る全員が目を見開く。難しい問題ではあるが、任せられるのはアルディアスしかいない。誰しもがそう思っていた。その為、それを否定するアルディアスの姿が想定外だったのだ。

 

「おいおい、そもそもトータスの種族を統一して事に当たろうとしてたのはお前じゃねえか。そのぐらい想定してただろ」

 

「ああ、もちろんそのつもりだった。だが、世界が再構築された影響で今までの怨敵の住む都市が目と鼻の先にある。その状況に一部の人間族……特に王都の人間が不穏な空気を見せていると聞いている」

 

「……ああ、アルディアス殿の仰る通りだ。私もそのような民が出てきていることは耳に挟んでいる」

 

 帝国と王国。魔人族に敗北したという意味では同じだが、その意識には大きな差が生じてしまっている。

 帝国は自分達の掲げる力で圧倒的な敗北を喫したことで、自分達は敗者である。という認識を少なからず持っている。

 しかし、問題は王国だ。彼らも敗北した事実は一緒なのだが、何せ、タイミングが悪かった。

 決着はほぼついていた戦いだが、シュパースが現れたことで、世界が再構築され、その対応に優先していたせいで、王都の民の中には、敗北を認知していない民が一定数存在する。

 国王の名の下に、正式な敗北を認めてはいるものの、それも完全ではないようだ。

 

「そのような状況で俺を上に立ててしまえば、一部の人間族から間違いなく反感を招く」

 

 例え、王都の一部の人間が暴挙に出ようとも、本来は痛くも何ともないのだが、今は時期がマズイ。事前に不満が爆発するのならまだマシだが、戦闘が始まってから問題が起こることだけは避けたい。いつ爆発するのかも分からない爆弾を背負って戦うようなものだ。

 

「しかし、それでは一体誰を……?」

 

「この連合で多くの比率を占めるのは人間族だ。その人間族が反感を持ってしまえば、周りの者にも影響が広がる。それだけは防がなくてはならない。エヒトの真実も今の彼らに告げるのは危険だろう。つまり、それと同等、もしくは勝る希望が必要だ」

 

 アドゥルの質問に答えながら、アルディアスはある方向に視線を向ける。

 

「一、二ヶ月程前のことだ。ウルと呼ばれる町に魔物の大群が襲いかかる事件が起こった。当初はパニックに陥る町の住人だったが、天が遣わした現人神が現れ、それに仕える使徒が魔物の大群をいとも容易く薙ぎ払ったらしい」

 

 現人神? その言葉に誰もが首を傾げる中、ハジメと愛子だけは背中に嫌な汗が流れる。なにせ、覚えがありすぎる上に、アルディアスの視線が間違いなく自分達に向けられているのだ。

 

「その現人神の名は“豊穣の女神“。今やウルの町を起点にエヒトにも並ぶ程の信仰が広がりつつあるようだ」

 

 その心当たりのありすぎる二つ名に、ハジメの後ろに居た愛子の肩がビクッと震える。そんな愛子の様子に気付いているハジメだったが、アルディアスの考えがなんとなく読めて、頬がひきつる。

 確かに、一部の人間族に浸透しつつある“豊穣の女神“の名を使えば、立ち上がる人間族は居るだろう。

 魔人族との戦争に負けた彼らの元に、そんな存在が現れ、しかもそれが魔人族の王であるアルディアスの上に立ったとしたらどうなるか……考えるまでも無い。

 周りの者もアルディアスが先程から同じ場所……いや、一人の人間を見ていることに気が付いたのだろう。各国のトップ達の視線が小さな少女に向けられる。

 

「“豊穣の女神“──いや、畑山愛子殿。貴女にこのトータス連合軍のトップを任せたい」

 

「……え? えええええええええええええええええええええええええええええええええ!?」

 

 部屋中に愛子の悲鳴にも似た絶叫が木霊した。




>トータス連合軍。
 魔人族(+吸血鬼族)、人間族(+異世界人)、亜人族、竜人族で構成された、対シュパース対抗組織。
 各都市が王都周辺にギュッてなったので比較的早く集まれました。

>ただの社会科教師だった私が異世界転移したら世界のトップを任されたんですけど!?
 これで一本の物語が出来るかもしれない。


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第二十九話 【生まれた意味】

「無理無理無理無理無理無理!? 絶対無理ですよ!?」

 

 突然の抜擢に、愛子は首が取れるんじゃないかと思う程、必死に首を振りながら拒否する。

 

「別にそこまで重荷に思う必要は無い。トップと言ったが、旗印のようなものだ。あくまで人間族の柱として立ってもらいたいだけで、細かい指示は此方で行う」

 

 何もアルディアスとて、本当に全軍の責任を愛子に託そうとしている訳では無い。しかし、目の前の敵で精一杯な状況で内部分裂を起こされたら堪ったものではない。その為の旗頭が必要なのだ。

 魔人族がアルディアスの指示を違えることなど絶対にありはしない。同様に、アルディアスに恩がある亜人族と、そもそも種族間での差別や溝が無い竜人族も問題はない。

 人間族だけなのだ。戦いに赴くに当たって、アルディアスに反抗しかねないのは。

 帝国だけならばまだ通用したかもしれないが、王国の民相手では些か不安が残る。

 

「な、なら、エリヒド陛下やリリアーナさんの方が適任じゃないですか!?」

 

「確かに、エリヒド殿やリリアーナ嬢ならば王国の人間を鼓舞をすることは出来るだろう」

 

「だったら──」

 

「俺達魔人族が居なければ、の話だがな」

 

「え?」

 

 もし、この人類総決戦に魔人族が居なかったのであれば、もしくは敵として立ちはだかったのであれば、王族の言葉で民達の士気も向上したことだろう。“豊穣の女神”と呼ばれる愛子も、その波に乗り、兵士達を扇動するだけで済んだかもしれない。

 だが、事はそう簡単な問題ではない。何せ、今まで数千年に渡り、争い続けた魔人族と肩を並べて戦えと言うのだ。いくら国の王族からの言葉とはいえ、素直に従えない者が間違いなく出てくる。魔人族に家族を殺された者なら尚更だ。

 

「だからこそ、王族以上に影響力を持つ存在が必要だ。その為に各国の王(俺達)の上に立ってもらいたい」

 

 各国、各種族の頂点に立つ存在。特に人間族にとっては、あの魔人族の王(アルディアス)の上に立つ存在と位置づけることが出来れば、間違いなく人間族の象徴となり得ることが出来る。

 

「うっ……でも……」

 

 それでも愛子は簡単に頷くことは出来ない。元の地球ではただの一教師に過ぎない自分が、形だけとは言え、いきなり人類のトップとして立たなくてはならないのだ。その重圧は並大抵のものでは無い。

 薄っすらと涙を浮かべる姿に、アルディアスの胸にも少しばかり罪悪感が宿るが、シュパースの語った期限は五日。混乱を収め、各国の代表とコンタクトを取り、こうして会議まで辿り着くのに二日を使ってしまっている。最終日の決戦の日を除けば、今日を含めて三日しかない。

 出来る限りその期間を戦力の充填に当てたいアルディアスからすれば、愛子に立ってもらうのが最善なのだ。

 そんな様子をただ見守っていたハジメだったが、しばらくすると愛子に向けて口を開いた。

 

「俺は先生なら出来ると思うぞ」

 

「南雲君!? 君はまたそうやって私に無茶振りを……! そもそも君が悪戯に私を担ぎ上げるからこんな事になってるんじゃないですかぁ!!」

 

「いや、あのときは確かにちょっとノリでやったが……」

 

「ノリでやったんですね」

 

 ジト目になった愛子がハジメを睨みつけるが、ハジメはそんな視線を完全にスルーする。

 

「でも、今も昔も出来ないとは思ってない」

 

「ッ!?」

 

「一人で馬鹿みたいに抱え込んで、周りを拒絶してた面倒なガキだって真っ当に戻してみせたんだ。それに比べりゃ、民衆なんて簡単だろ?」

 

「南雲君……」

 

「それに、それだけの立場を任せられるんだ。それ相応の見返りはあると思ってもいいんだろ?」

 

 そういってアルディアスを、ひいては各国のトップ達に視線を向ける。その視線に対して、アルディアスはすぐさま頷いて返す。

 

「ああ、もちろんだ。先も言った通り、指示は此方で出す。何か案があるのなら優先して聞こう。俺に出来ることならば可能な限り応えよう。そして、この戦いが終わった後のこと……元の世界への帰還方法についても国を上げて協力すると誓う」

 

「……!」

 

 地球への帰還。その言葉に愛子の心が僅かに揺れる。現状、ハジメも神代魔法を集めながら、帰還の方法を探しているが、手立ては少しでも多いほうが良い。シュパースからの提案をハジメが蹴ってしまった以上、自分達で帰還方法を探す必要がある。

 

「もちろん、これを断ったとしても、帰還方法については変わらず助力するつもりだ。本来、貴女達は巻き込まれただけの存在。この戦いにも無理に参加する必要は無い」

 

 残りの日数を戦力の充填に当てたい気持ちはあるが、関係の無い者を、本人の意志を尊重せずに軍の旗印として立たせるつもりはアルディアスにはなかった。

 正直、アルディアス達が敗北すれば、帰還の手助けも何もあったものじゃないので、とてもじゃないが平等とは言えない取引だろう。そのことに申し訳なく思う気持ちもある。

 愛子とて、もちろんそのことくらいは気付いている。この戦いに人類が敗北すれば、自分の、ひいては生徒達の安全も保障出来ないだろう。正直、帰還どころの騒ぎではない。

 じっと俯いたまま考え込んでいた愛子は、ゆっくりと顔を上げ、そばに居るハジメに視線を向ける。

 

「……南雲君は戦うんですよね?」

 

「ああ。戦争に負ければ、シア達の命もどうなるか分かんねぇからな」

 

「……やります。やらせてください!! 生徒達を守るのが教師()の役目なんです! 例え一緒に戦えなくても、私なんかがお役に立てるのなら……やってみせます!!」

 

「……その決断に感謝する。アルテナ。君には愛子殿の補佐をしてもらいたい。構わないか? アルフレリック殿」

 

「ああ、構わない」

 

「ええ!? 私がですか!?」

 

 事の成り行きを見守っていたアルテナが、突然自分の名前を呼ばれたことに驚愕するも、祖父であるアルフレリックは二つ返事で了承する。

 

「君なら任せられる。フェアベルゲンで培ってきた知識が役に立つ筈だ。それに亜人族の立場もある」

 

 表立って何かする可能性は極めて低いが、亜人族とて人間族には強い恨みを抱いている。アルテナを愛子のそばにつかせることで、人間族からの亜人族への忌避感を少しでも軽減させることが出来れば、亜人族のため息も少しは減るだろう。

 

「アルディアス様……はい! このアルテナ、精一杯やらせて頂きますわ!!」

 

 驚きはしたものの、想い人に頼られたことに胸が高鳴り、やる気を漲らせるアルテナ。

 すると、同じ様に会議の場を見ているだけだったリリアーナも声を上げる。

 

「その役割、私にもお手伝いさせて頂けないでしょうか!! 元より我が国の事情! まだまだ未熟なれど、愛子さん達のお力になれると思います!!」

 

 その言葉を受けたアルディアスはチラリとエリヒドに視線を向ける。リリアーナのことは詳しく知らない為、父であるエリヒドの判断に任せるつもりのようだ。少し顎に手を当てた後に、エリヒドはしっかりと頷いて見せる。

 

「分かった。では、リリアーナ嬢もよろしく頼む。フリード。演説の原稿や段取りは任せた」

 

「ありがとうございます!」

 

「了解しました」

 

 話が一段落したことで、次の議題へと話を進めていく。と言っても、避難民の避難先の選定に、戦力の増強計画。当日の各部隊の配置など。今、決められる事は粗方決め終わった。敵の戦力が分からない以上、後は戦況を見て、臨機応変に対応するしかないだろう。

 

「後は、シュパース本神の対応ですが……」

 

「奴は俺がやろう」

 

 フリードの言葉にすかさずアルディアスが答えた。周りの者達も一瞬顔を見合わせたものの、誰も異論はないようだ。

 すると、ガハルドが腕を組みながらアルディアスに鋭い眼光を向ける。 

 

「分かってると思うが、世界を創り変える程の奴だ。簡単にはいかねえぞ? 他がどれだけ気張ろうが、てめぇが負ければこの戦いは負けだ。以前、帝城で神に勝てるのか聞いた時に、お前は言ったな。影も分からぬ相手にそんなことを考えても時間の無駄だと」

 

 帝国を落とし、ガハルドに世界の真相を話していたときのことだ。神に勝てるのかと問いかけてくるガハルドに対して、アルディアスは勝てるか勝てないかでは無く、ただ、戦うだけだと答えた。だが、あの時と違い、その神の姿をしっかりと捉えている。力の全容を見た訳ではないが、その片鱗だけでも“神“の名に相応しいオーラを放っていたことは言うまでもない。

 

「今一度聞くぞ? てめえは奴に勝てるのか?」

 

 その質問に全員の視線がアルディアスに向けられる。ガハルド程直接聞くのは躊躇われていたが、誰しもが気になっていたのだろう。

 しばらく、目を伏せていたアルディアスは顔を上げるとハッキリと言葉にした。

 

「勝つさ……いや、違うな。俺は奴に()()()()()()()()()()。奴の姿を見て、改めてそう思った。俺は……」

 

──()(シュパース)を滅ぼすために生まれたのだから……。

 

「「「────ッ!?」」」

 

 喰われる。全員が反射的にそう思った。

 恐怖……とはまた違う。敵を威圧する力の暴風ではなく、まるで、全てを呑み込むブラックホールのように。全員の意識を引き込んで離さない。アルディアスの十倍以上もの年月を生きているアドゥルですら、視線を向けられた訳でもないにも関わらずに背筋がゾクリとした。

 同時に、期待せずにはいられない。敵は世界を創り変える程の途轍もない力を有する超越存在だ。“神“に“人“は勝てるのか。その問いに誰しもが断言することは出来ないだろう。それは、この場に集まった各国のトップ達ですら例外ではない。

 しかし、アルディアスならば……後天的な神とはいえ、エヒトとアルヴを葬った存在ならば、何とかなるかもしれない。そう感じさせる程の王者の気迫。

 “王“とは強さだけでは成り立たない。他を圧倒する力に、千里先をも見通す叡智。何よりも、民にこの王に付いていけば大丈夫と思わせる程の絶大なカリスマ。

 アルディアスのそれは、民だけでなく、他種族の王ですら圧倒し、呑み込む。

 

 そんな中、唯一困惑した表情を見せる者が居た。

 

「アルディアス様……?」

 

 フリードだ。

 確かに、フリードもアルディアスの放つ王者の風格には、誰よりも深く感嘆した。同時に誇らしかった。これこそが、我ら魔人族の王だと……

 だが、先のアルディアスの発言。それを聞いた瞬間、フリードは一抹の違和感に襲われた。何が? と言われても分からない。説明が出来ない。それでも、一瞬だけアルディアスが自分の知るアルディアスでは無いような気がした。自分の大切な弟が、どこか遠くに行ってしまったような気がしたのだ。

 困惑を隠すことなく、思わず口から出てしまった言葉に反応して、アルディアスが後ろを振り向く。

 

 そして──

 

「フリード? どうかしたか?」

 

 いつもと変わらない表情を浮かべるアルディアスの姿があった。

 

「あっ……い、いえ、何でもありません」

 

「そうか?」

 

 その事に我に返ったフリードが、慌てて何でも無いことを伝える。少し不思議そうに首を傾げたアルディアスだったが、一応納得したのか再び視線を戻す。

 

(……私の気の所為だったか。弛んでいるな)

 

 どうやらこの二日間、まともな休息も取らずに、多方面に渡り指揮を執ってきたせいか、疲れが溜まっていたようだ。今までのは前準備に過ぎない。本番はここからだ。このような体たらくではいざという時に重大なミスを起こしかねない。

 僅かに頭を左右に振って、気持ちを切り替えたフリードは、再び会議の進行を滞り無く進めていく。すでにその頭から、僅かに感じた違和感は影も形も無くなっていた。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 会議が終了し、各々が忙しなく行動を始める中、アルディアスはハジメと共に城内にある場所に向かっていた。

 

「開発部門?」

 

「ああ。主に国の防衛機構や武具。アーティファクトなどの開発、製作を行っている。そこでならお前の作業も効率が良いだろう」

 

 アルディアスが生成魔法を会得してから、その恩恵をフルで活かすために生み出した新部門。生成魔法自体はアルディアスにしか使えないものの、オルクス大迷宮の最深部で見つけた技術を元に、それ以前よりも工房のレベルは飛躍的に上昇した。

 

「いや、ありがたいけどよ、それならオスカーの住処に行けばいいんじゃねえか? あっちの方が良いだろ?」

 

 アルディアスが作り上げた工房がどの程度のモノかは分からないが、オスカーの隠れ家ならば、十分な材料と使い慣れた設備がある。攻略の証を使い、ライセン大峡谷のショートカットを通ればすぐに辿り着くことが出来る。

 

「それは無理だ」

 

「は? 何で?」

 

「肝心のライセン大峡谷がどこにあるか分からん」

 

「どこってそんなの……ああ、そうだった」

 

 一度ライセン大迷宮を攻略してる筈のアルディアスがライセン大峡谷の場所を知らない筈が無い。何故そんなことを聞くのかと首を傾げたハジメだったが、すぐに自分の勘違いに気付いた。

 

「奴の……シュパースのせいで世界中の地理が変わっている。ライセン大峡谷も例外ではない」

 

 この二日間、ただただ世界中の混乱を抑える為に奔走していた訳ではない。変わってしまった周囲の地理の確認も同時に行った。だが、それによって分かったのが、王国を除いて、以前と全く同じ光景は何一つとして存在しないという事実だ。

 ライセン大峡谷があった場所には、そんなものは初めからなかったかのように、草木が生い茂る平原が広がっていた。座標が変わってしまっている以上、アルディアスの“影星“での転移でも、ライセン大峡谷が()()()()()()()()に転移するだけなのだ

 ちなみにアルディアスの超長距離転移魔法の存在を知ったハジメは、初めからそれを駆使すれば、もっと周辺の混乱の収束と状況の把握を素早く終えたのでは? と疑問に思ったが、自分以外に使えないことと、もし他人に無理やり使えば、体の一部だけが転移する危険があることを聞き、頬を引き攣らせた。

 

「開戦までの時間もそこまでない。悪いがそこで我慢してくれ」

 

「仕方がねえか」

 

 そんなことを話しながら廊下を並んで歩いていると、前方から城の衛兵が此方に駆け寄ってくるのが見えた。

 

「アルディアス様。此方に居られましたか」

 

「どうした?」

 

「実は今しがた、城に兎人族の少女がそちらのハジメ殿を訪ねてきまして」

 

「兎人族? シアか?」

 

「ええ、確かそのような名をしていたと……それと海人族の親子も一緒です」

 

「……海人族?」

 

 ハジメの脳裏に、自分の事を父と慕ってくれる娘とその母親の姿が浮かび上がった。

 

 

 ◇

 

 

「パパぁー!!」

 

「お久しぶりです、あなた」

 

「やっぱりミュウとレミアだったか」

 

 衛兵に連れられ、アルディアスとハジメが城門付近にある待機所に入った瞬間、エメラルドグリーンの長い髪が特徴の幼女がハジメの胸に飛び込んだ。

 ハジメの予想した通り、海人族の親子とは、ミュウとレミアであった。何故ここにいるのかとハジメが聞くと、純粋にハジメが心配で会いに来たらしい。

 二人の住む町、エリセンも例外なく転移の影響を受けていた。街中がパニックになっていたところに、王国の騎士団が現れ、王都までが近かったこともあり、町の住人は全員が王都に移動してきたらしい。

 避難先がまだ決まっていなかったというのもあるが、ある程度の集団でまとまって移動した方が道中の危険も少ないだろうとの判断からだ。

 そこで偶然シアと鉢合わせ、状況を教えてもらった二人はシアに頼み込んでハジメの元まで連れてきてもらった、ということらしい。

 

「ごめんなさい。忙しい時にお邪魔するのもどうかと思ったんですけど、どうしても一目、顔を見ておきたくて……」

 

「パパ、元気なの? 怪我してない?」

 

「そうか、心配掛けたみたいだな……ああ、パパは元気だ」

 

「うふふ、そのようで何よりです。それに……」

 

 ハジメの無事を確認したレミアが頬に手を当てて微笑んでいると、ハジメから視線を外し、側に居たアルディアスに向ける。

 

「大きくなりましたね。見違えました、アルディアス君」

 

「久しぶりだな、レミアさん」

 

「「……え」」

 

「うみゅ?」

 

 一拍置いた後、ハジメとシアは目を丸くして固まり、ミュウは不思議そうに首を傾げる。

 

「はぁ!? お前、レミアと知り合いなのか!?」

 

「ああ、八年前にな」

 

「海岸をあの人と歩いていた時に、突然海から魔物が現れたことがあるんです。その時に助けて頂いて……」

 

 レミアから話を聞くに、八年前、つまりミュウがまだ生まれてもいない頃に、当時はまだ交際関係であったミュウの実父と海岸デートをしていたところ、突然魔物が海から現れたらしい。

 本来は沖に生息している筈の魔物が、こんな浅瀬に現れたことに驚いた二人が慌てて逃げようとしたが、思っていた以上に魔物が俊敏で、あっという間に追い詰められてしまったそうだ。

 もう駄目かと諦めかけたところに現れたのが、アルディアスとアレーティアだった。

 

「あの時は本当にびっくりしました。突然空から炎の槍が降ってきたんですもの」

 

「すまない。こちらもギリギリだったからな」

 

「いえいえ、アルディアス君達が居なければどうなっていたことか……この子を授かることも出来なかったかもしれません」

 

 そう言って、ハジメに抱っこされているミュウの頭を優しく撫でる。

 

「そうか、娘が出来たのか……ハジメのことをパパと言っているが、フィンさんはどうしたんだ?」

 

「夫は五年前に……」

 

「……すまない、不躾なことを聞いた」

 

「いえ、当時は色々ありましたが、私にはミュウが居てくれます。それに……」

 

 僅かに表情を暗くするレミアの姿に、知らなかったとは言え、気軽に尋ねることではなかったと後悔する。すぐさまアルディアスが謝罪するが、レミアは気にした様子も無く、ミュウを見て笑顔を浮かべる。そしてそのまま……

 

「旦那様も居てくれますから」

 

「いや、だからレミア。その呼び方は……」

 

「レミアさん!? 何してるんですか!?」

 

 ミュウを抱っこするハジメのそばに寄ったかと思うと、いたずらっぽい笑みを浮かべながらハジメの肩に手を置く。相変わらずのレミアの様子にハジメやシアがツッコむも、「うふふ」と微笑むだけで離れる様子はない。

 

「……そうか」

 

 アルディアスが小さく頷いた。

 彼はこの中で唯一、レミアの夫(当時は恋人)と接点がある。実は、二人を助けたお礼がしたいと、食事に誘われたのだ。「自分は魔人族だ」そう言って何度も断ったのだが、どうしてもと二人が譲らなかったので、他の住人にバレないように、姿を少しいじって隠すことでお邪魔することになった。

 この時代に珍しい人達だなとは思っていたが、まさか八年の間に娘が出来、自分よりも年下の少年を旦那と呼ぶことになろうとは、当時は想像もしていなかった。

 

「……そうか」

 

 一つ深く深呼吸して、再びアルディアスは頷いた。彼にしては珍しく、一度聞いただけでは理解しきれなかったようだ。

 

(フィンさん。レミアさんは元気だ。どうか安心してくれ)

 

 天に居るであろうレミアの夫に、アルディアスはそっと黙祷を捧げた。つまるところ、考えることを放置した。

 その後、あまり長居するのも悪いからと、早々に二人とシアは王都に戻っていった。ミュウが名残惜しそうに何度も振り返るが、ハジメの「必ず約束は守る」という言葉を信じて、レミアと共に去っていった。

 

「時間を取らせたな。行くか」

 

「ああ、ハジメは先に工房に行ってくれ。用事を済ませ次第、俺も合流する。すまないが、ハジメの案内を頼む」

 

「了解しました」

 

「用事? 時間掛かるのか?」

 

「いや、用があるのはこの城の地下だ。十分もあれば済むだろう……奴め、気を利かせたつもりか?」

 

 不機嫌そうに呟いたアルディアスに、ハジメは小さく首を傾げた。

 

 

 ◇

 

 

 魔王城・地下牢獄。

 

 城の地下深くに存在する罪人を収容する為の牢獄施設。アルディアスがいるのはその最深部だ。国を揺るがす程の大罪を犯した者を収容する為の強固な牢屋。以前は神への反逆者を捕らえておく為に活用されていたらしいが、現在、ここに収容されている罪人は一人も居ない。

 壁に取り付けられた照明を頼りに、迷うこと無くアルディアスは歩み続ける。そして、最奥にある他と比べて大きな牢屋の中に入り、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()をじっと見つめる。

 

「……ここが報告にあった場所か」

 

 アルディアス達が世界の混乱の収束に動いていた時、魔都に残っていた魔人族の兵士達も、何もせず遊んでいた訳ではない。国そのものが転移してしまったようだが、転移しただけで、中身が何一つ変わっていないとは限らない。魔都に住む住民の安否確認。施設の点検。不審者の確認。やらなければならないことを数えだしたらきりが無い。

 それらを兵士総出で確認していったのだが、住民の安否は問題なく、体調が優れないといった者も居なかった。しかし、城をくまなく調査していた兵士達が、唯一転移前と様子が一変しているモノを発見したのだ。

 それが、地下牢の最奥で発見したコレである。

 

(偶然ここに転移した……は都合が良すぎるな。間違いなく奴が意図的にここに転移させたのだろう。俺が気付くのも想定してたのか)

 

 アルディアスの視線の先。そこから微かに感じる気配から、例え、兵士からの報告が無くとも自分ならば気付けただろう。間違いなく奴の……シュパースの意図を感じる。

 

(奴の言いなりになるようで気が進まんが、どのみち()()の力は必要だ。仕方がない)

 

 軽くため息をついた後、本来の牢屋の石壁とは色合いが違う壁の一部に手をかける。

 すると、ガコンッ! と、突然壁が回転し、アルディアスを壁の向こう側へと送る。

 

 誰も居なくなった地下牢の最奥。その色合いの違う壁の一部。そこには壁を直接削って作ったであろう長方形の看板が存在感を放っており、それに反して、可愛らしい女の子のような丸っこい字でこう掘られていた。

 

──おいでませ! ミレディ・ライセンのドキワク大迷宮へ♪──




>ミュウとレミア
 正直、ここを逃したら出すタイミングが無かった。どうせなら出したかったので。
 原作ではレミアしか知らないミュウの実父ですが、アルディアスは知ってます。亡くなってから五年も経過していることと、まだ幼いミュウの為に再婚を考えるのは分かるが、突然の事実に少々混乱中。父親の名前は模造です(最初は旦那さんとかあの人で乗り切ろうとしたんですが違和感半端なかったので)

>魔王城の地下に転移してきたあの人の大迷宮
 偶然ではなく、シュパースが意図的に転移させました。 


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第三十話 【ミレディ・ライセン】

ようやくミレディさんの登場です。
ただ、話の内容が内容なので、そこまでウザさは出せてないかも。
というか、ウザさって出そうと思うと案外難しい……


──ライセン大迷宮。

 

 解放者のリーダー、ミレディ・ライセンにより作られた、彼女の性格がこれでもかと反映された狡猾な罠がひしめく大迷宮。その多種多様な罠も危険極まりないものばかりだが、要所に配置されたミレディのメッセージは、的確に侵入者の精神を逆撫でるような煽り文句で溢れている。

 更に、一定時間ごとに内部の構造が変化する機構になっているため、マッピングは意味をなさず、ようやく終点かと思われたら入り口だった……となれば、誰しもが冷静でいられないだろう。

 

 一度攻略したアルディアスも内部構造が変化し続ける以上、以前のルートを使うことは不可能だ。最悪、力ずくで壁をぶち抜いて最短ルートを作ってしまおうかと物騒な考えを持っていたアルディアスだったが、すぐにその考えは消えてなくなった。

 

「……矢が飛んでこないな」

 

 ライセン大迷宮の入り口。そこを通った者に挨拶と言わんばかりに放たれる無数の矢。今更その程度を脅威に感じることは無いが、注意するに越したことはないと警戒していたのだが、何も反応がない。

 すると、ガコンッと何かが嵌まるような音がし、ゴゴゴッと至るところで地響きが響き渡る。

 そのことに警戒を緩めずにいると、目の前の岩壁が開き、直通の通路が姿を現す。

 

「……やはり、ミレディも外の異常事態には気付いているか」

 

 普段は迷宮の奥深くで自分達の意志を継ぐ資格のある者を待ち続けている彼女だが、そこからでも迷宮内の至るところの映像が見れる仕組みになっている。侵入した際に、いち早く対応してきたことから、恐らく外の入口付近も何かしらの監視を置いていたのだろう。

 何よりも、彼女程の実力者がこの異常事態を察知していない訳がない。

 一人納得したアルディアスは、時間が惜しいとその通路を進み始めた。

 

 

 ◇

 

 

「やあやあやあ! ひっさしぶりだね〜! 元気してたかい?」

 

「ああ、そちらは変わらず息災のようだな、ミレディ」

 

「そりゃもう、この体は風邪なんかとは無縁だからね! それにしても……でっかくなったねぇ」

 

「あれから八年だ。大きくもなるさ」

 

「いやー、昔はこんなにちっさかったのに。ミレディさんも年を取ったもんだ!」

 

「何だその指の隙間は。俺か?」

 

 目の前に現れた通路を進んでいった先、少し小さな部屋に辿り着くと、入り口が閉まり、部屋全体が下降し始めた。そのまま待つこと一分、扉が開いた先で待っていたのは、アルディアスの記憶のままの、黄色いローブを着た小さなゴーレムだった。

 

「君も八年間一切音沙汰なしなんて薄情者だねぇ。神代魔法を手に入れたら私なんて用無しかい? うう、ミレディさん、弄ばれた。シクシク、もうお嫁にいけない……!」

 

「……相変わらずだな」

 

 わざとらしく手で顔を覆いながら泣き真似をするミレディ。器用にも手で覆われて隠れたゴーレムの表情も泣き顔に変わっている。そんなミレディのかつてと変わらない様子にアルディアスも思わず苦笑する。

 

「なんだよー、君は相変わらず冷めてるねー。もうちょっと反応良くても良いんだよ? 昔みたいにお姉ちゃんって呼んでも良いんだよ?」

 

「勝手に記憶を捏造するな。俺に姉呼びをさせようとしてきたが、あれはアレーティアをからかっていただけだろう」

 

「アハハ、あの子、面白いくらい反応してきたからさ。つい面白くなっちゃって。今でも元気にお姉ちゃんやってるかい?」

 

「……そう言えば、数年前から姉と呼ぶように強制させようとはしてこなくなったな」

 

「そうなの? じゃあ、昔みたいにべったりじゃないんだ。反抗期?」

 

「いや、距離感は昔と変わらない……今思えば、昔よりも積極的な気が……」

 

「………………ほう?」

 

 しばらく考え込んでいたミレディの表情が、徐ろにニヤリと悪どい笑みに変わる。その様子にまた何か良からぬことを思いついたなと察したアルディアスだったが、どうせいつもの悪癖だろうと見なかったことにした。

 軽くため息をついたアルディアスは表情を真剣なものに変えた。懐かしい再会だが、ここにはおしゃべりをしにきた訳ではないのだ。

 

「ミレディ。外の異変については気付いているか?」

 

「もちろん。信じられないことに大迷宮ごと別の場所に転移したみたいだね」

 

「ああ、この場所はちょうど魔国ガーランドの魔城の地下になる」

 

「ふ〜ん、それで上から君に似た気配を感じるんだ……で? それだけの転移魔法。明らかに人の枠を超えてるよね?」

 

──もしかして、あのクソ野郎が来た?

 

 そう告げたミレディからは、先程までのふざけた雰囲気は一切消え、普段はゴーレムの仮面で隠されているドロドロとした憎悪がその小さな身体から溢れ出てくる。

 そんなミレディに対してアルディアスは……

 

「違う」

 

 ハッキリと断言した。

 

「…………え? 違うの?」

 

 アルディアスの言葉にポカンとしながら聞き返した。

 アルディアスが八年間音沙汰が無かったことを薄情者と称したが、実際に自分の元を再度訪れる理由などエヒト関連しかないと思っていた。

 しかし、続く言葉でミレディの頭は真っ白になることとなった。

 

「エヒトは既に俺が殺した」

 

「…………………………」

 

「……おい、聞いているのか?」

 

「え? あ、ああ、ごめんごめん! えーと……あの、エヒトを殺したって聞こえたんだけど……?」

 

「だからそう言った。報告が遅れてすまない。少し立て込んでていてな」

 

「………本当?」

 

「俺がこんなタチの悪い冗談を言うと思うか?」

 

「い、いや、思わないけど……エヒトを? ホントに……?」

 

「ああ」

 

 しっかりと頷くアルディアスを見て、呆然と佇むミレディは、アルディアスの言葉を何度も脳内で繰り返した後、突然ふらっとバランスを崩し、そのまま背中から倒れ込んだ。

 

「ああ……ほんとに、エヒトを? 皆を殺したクソ野郎を………? 無惨にも引き裂いたアイツを……ほんとに? あ、あああ……あぁああ…………」

 

 何千年もこの瞬間を待ち望んだ。エヒトを打倒する為に集った解放者。ミレディにとっては家族とも言える大切な友人達。彼らの力を集結させてもエヒトに届くどころか、対峙することすら叶わなかった。

 だからこそ願った。いつか自分達の意志を継ぐ、次代の解放者の出現を……

 

 百年が経ち……三百年が経ち……千年が経った。最早、あれからどれだけの年月が経ったのかはミレディ本人ですら分からなくなっていた。

 そんな中、唐突に現れたのは、まだ年端も行かぬ幼い子供だった。そばに居た吸血鬼の少女と違い、正真正銘、十に達したばかりの子供。流石のミレディも初めてその姿を確認した瞬間は、このまま試練を受けさせてもいいのかと不安に思ったくらいだ。

 しかし、その不安もすぐに吹き飛んだ。ミレディの眼を持ってしても見通しきれない魔法の才能。十歳にしてその才能に頼り切らない柔軟性。迷宮内の様々なトラップに対しての迅速な状況判断。

 常人からすれば、すでに完成されていると称されてもおかしくないが、それら全てが未だに発展途上。

 

──もしかしたら、この子なら……

 

「皆……終わった……おわっ……たよ……! うう…うわああああああん! うああああああ、ひぐッ……わあああああああああ!!」

 

 恥も外聞も気にせずに泣き叫ぶ。例え、涙を流すことが叶わないゴーレムの身体だろうとも関係ない。年長者としてのプライドも、解放者としての威厳も今はどうでもいい。

 

 何度も折れかけた。挫けそうになった。これ以上待っても、誰も現れないんじゃないかと不安で不安で仕方がなかった。それでも仲間との思い出とエヒトへの憎悪だけを糧に待ち続けた。

 待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って……ようやく実を結び、そして花咲いた。

 私達のやってきたことは……私が待ち続けたのは、決して無駄じゃなかった。ちゃんと、次世代に受け継がれ、その力となってくれた。

 

「…………」

 

 そんなミレディの様子にアルディアスは黙って眼を瞑る。

 話さなくてはならないことは山程ある。この事実を伝えた時。彼女がどういった反応をするのかは分からない。

 それでも、今この瞬間だけは邪魔してはいけないと……アルディアスはミレディが満足いくまで待ち続けた。

 

 

 ◇

 

 

「グスッ……うぅ〜、ごめんね、情けないところ見せて……」

 

「気にするな、気持ちは分かる……などと安易なことは言えんが、それでも今この時くらいはな」

 

「……うん」

 

 しばらくした後、落ち着きを取り戻したミレディは恥ずかしそうに謝罪を述べた後、改めてアルディアスを見上げる。ゴーレムの表情に変化は無いが、アルディアスにはミレディが微笑んでいるのが伝わってきた。

 

「ありがとう、アルディアス君。私達の悲願を叶えてくれて。私達のこれまでを無駄にしないでくれて」

 

「……礼を言うのは俺の方だ。ミレディ・ライセン。貴方が幾星霜もの時を待ち続けてくれたからこそ、本当の意味で力と信念を受け継ぐことが出来た。貴方達のこれまでの軌跡があったからこそ、奴に届くことが出来た。俺は貴方達を誇りに思う」

 

「な、何だよ〜。そんなこと言われたら照れるじゃないかぁ。言っとくけど、その程度じゃミレディさんは堕ちないぞ? そんなにちょろくなんかないんだぞ! このこの〜」

 

「そうか、それは残念だ」

 

 照れ隠しのつもりか、少しずつ普段の言動が戻り始めたミレディだが、今ばかりはアルディアスもあえてそれに乗ることにした。

 そんなやり取りをしていると、不意に「あれ?」とミレディが首を傾げる。

 

「それなら、迷宮が転移したのは誰の仕業なんだい? もしかして君? それともアレーティアちゃん?」

 

 迷宮ごと転移させるほどの力。そんな事が出来るのは”神”を除けば、目の前の青年か吸血鬼の少女以外は思いつかない。最近二人と同じ様に迷宮を攻略した存在としてハジメとシアも居るが、魔法の適正は前者とは比較にもならない。

 

「俺達ではない……ミレディ、これから話す事実は、貴方の……貴方達のこれまでの認識を大きく変えることになる。心して聞いて欲しい」

 

「え? ちょ、ちょっと待って待って!? なになに!? 急に怖いんだけど!? ミレディさんもう結構お腹いっぱい──」

 

「エヒトは異世界から召喚された元人間だ。奴を召喚し、神に昇華させた元凶の”神”が居る」

 

「─────────は?」

 

 バタバタと手を上下に振っていたミレディがピタリと動きを止めた。

 そんなミレディの様子も仕方がないと割り切り、アルディアスは今までのことを一から説明していく。

 

 

 ◇

 

 

「────と、いうような状況だ」

 

「………………何処に居る……そのクソ野郎は今何処にいる!?」

 

 アルディアスの話を黙って聞いていたミレディは、話が終わったと見るや、アルディアスに掴みかかる。

 

「何が人類の進化の大きな一歩だ! 何が必要な犠牲だ! そんな……そんなことの為に皆は犠牲になったんじゃないんだぞ!! 私は、数千年も待ち続けたわけじゃないんだぞ!!」

 

「ああ」

 

「皆、大切なものを守る為に戦ったんだ! 例え、世界中が敵に回っても、私達の”今”を守る為に必死だったんだ!!」

 

「ああ、分かってる」

 

「そんな……そんな、犠牲になるのが決まっていたような……! どれだけ私達を馬鹿にすれば……!!」

 

「ああ、だからこそ、ここで終わらせる。その為に力を貸して欲しい」

 

「ッ!──うん! こんなふざけた戦い……ここで終わらせてやる!!」

 

 自身の心の内を吐き出したミレディはアルディアスの言葉に強く頷いた。確かにミレディ達解放者はエヒトに敗れた。そして自分達の代ではどうしようもないことを悟った彼女らは、各々で大迷宮を作り出し、自らの力を次代に託すことにした。

 しかし、そこに何も葛藤がなかったわけではない。次代に託す。言葉で表すのは簡単だが、それは今を生きる人々の犠牲を黙認するということ。未来ある若者に大きすぎる責任の一端を背負わせてしまうということ。

 それら全てを呑み込み、誰しもが苦渋の決断を下した。

 それをシュパースとやらは必要な犠牲と簡単に切り捨てた。そんな奴を認めるわけにはいかない。放っておくわけにはいかない。解放者リーダー、ミレディ・ライセンの名にかけて。

 

「それで、ミレディ。貴方に聞きたいことがある。当時、貴方達解放者はエヒト打倒のために、それこそ、草木を掻き分けてでも奴の情報を集めた筈だ」

 

「? そりゃそうだよ。弱点までとはいかなくても、何か有益な情報が無いか古文書から歴史書、教会に伝わる口伝まで調べられることは隅から隅まで調べたさ。ま、どれもこれもエヒトを崇める内容ばかりで反吐が出そうだったけどね」

 

そう続けるミレディは当時の苦行を思い出したのか、声からもハッキリと苛立ちが感じられる。

 

「その中でシュパースに関する文献などは無かったか?」

 

「え? シュパース? エヒトじゃなくて?」

 

 頭に疑問符を浮かべるミレディにアルディアスは話を続ける。

 

「奴の話が本当なら、シュパースはこれまでにも何度もこの世界に顕現し、人類の前にも姿を現している。今回のような世界に対しての戦争も初めてではないと俺は考えている」

 

 奴が一体いつから存在し、世界の絶対敵として君臨しているのかは不明だが、人類に仕掛ける戦争が初めてと断言するのは安易だろう。奴の戦力が未知数な以上、どんな些細な情報でも今は喉から手が出るほど欲していた。

 人の口に戸は立てられない。人類の前に姿を現しているのなら、口伝だけでも何かしらの形跡が残っている可能性も0ではない。

 それに……と続ける。

 

「奴は去り際にこう言っていた。『人類(君達)に幸せが訪れることを私は願っています』……と」

 

「それがどうかしたの?」

 

「その言葉自体は間違いなく本心なのだろう……だがその時の奴の瞳、その奥底に見えた黒い炎……」

 

 その炎にアルディアスは痛いくらい見覚えがあった。幼い頃より戦場の最前線で戦い続けたアルディアスが何度も人間族から向けられてきた感情。見間違える筈が無い。

 

「憎悪の炎」

 

「は? いやいやいや!? シュパースから憎悪!? そいつ、君のことを恨んでるってこと!?」

 

「……いや、俺というよりも人類全体に対してが正しいだろうな。理由は分からんが、奴は人類(俺達)を存続させようとする一方で、滅亡させたいとも思っている」

 

「ええ? もう訳わかんないんだけど……」

 

「これ以上はどれだけ考えようとも憶測の域を出ない。だからこそ情報は少しでも多いほうが良い」

 

 困惑するミレディにアルディアスも同意するが、情報が足りなすぎて結論を導き出すのは不可能だ。

 どうだ? そう問いかけるアルディアスにミレディはうーんと唸りながら記憶を探る。

 

「……そうは言っても、エヒトが自分だけに信仰を集める為に、それ以外の宗教は徹底的に潰してたからね。ぶっちゃけ、アイツ以外を神と崇めるようなもの、所持してるだけで極刑だよ?」

 

「……ああ、そういえば奴は自分の力で神に至ったと思わされていたんだったな。全く……とことん面倒なことをしてくれる」

 

「人類を駒扱いしてた自分がずっと駒扱いされてたなんて間抜けもいいとこだね。まあ、これっぽっちも同情はしないけど」

 

 そう言って「ハッ…!」と鼻で笑うミレディ。散々苦渋を嘗めさせられてきた身としては、少しはため息が下がったようだ。

 

「……………あっ」

 

 すると、突然ミレディが何かを思い出したかのように声を上げる。

 

「どうした?」

 

「あ、いや、えーと……でもこれいいのかな……?」

 

「どんな些細なことでも良い。元々ダメ元なんだ」

 

「うーん……じゃあ、一応伝えておくけど…………絵本なんだよね」

 

「……絵本?」

 

「うん、子供の時、私の実家の書庫の奥から偶然見つけてさ。何となく見てみたんだけど、それがちょっと変わっててさ」

 

「変わってるとは?」

 

「ところどころ字が掠れてて読めないところもあったんだけど……」

 

 

──あるところに一柱の神様がいました。

 神様のちからのおかげで、世界が平和で保たれ、そこに住む人たちからは笑顔が絶えませんでした。

 しかし、一人の女の子は知っていました。

 神様は決して完全な存在では無いことを。

 世界を創り出す力を持っていようとも、文明を築き上げる知識を持っていようとも、神様はとっても寂しい(ヒト)なんだと。

 だから女の子は神様の側に付いていてあげることにしました。女の子がいれば神様は寂しくありません。

 時が経っても、女の子と神様は、娘と父親としていつまでも仲良く暮らしました──

 

 

「──とりあえず覚えてるのはそのくらいかな。ね、変わってるでしょ?」

 

「ああ、確かに」

 

 エヒトに限らず、”神”という存在は総じて神聖で全知全能の存在として語り継がれるのが常だ。人知を超えた存在だからこそ、人々は信仰を捧げ、その奇跡を授かろうとする。

 そんな中で、ミレディの語った絵本はまさに異色の内容だ。どれだけの文献を漁ったとしても、”神”を寂しい存在として語っているものはありはしない。そんなものに人は信仰を捧げない。

 

「……その本の作者は?」

 

「あ、それは覚えてるよ。確か、”ロシーダ”って名前だったと思う」

 

「ロシーダ……」

 

「ん? もしかして知ってる名前?」

 

「……いや、初めて聞く名だ」

 

「ふーん……まあ、内容が変わってるってだけで特にこれと言った有益な情報ではないね」

 

「元よりあれば儲けもの位の認識だ。期待はしていない。話を戻すが、当日はミレディにも助力を願いたい」

 

「頼まれるまでもないよ! その巫山戯たクソ野郎二号に目にもの見せてやろうぞ!!」

 

 両手をぐるぐると回してやる気を出し始めるミレディの様子を見るに、完全にいつもの調子を取り戻したようだ。

「見てろよ〜、ボッコボコにしてやんからな〜」と言いながら、ノッシノッシと部屋の奥に歩いていく後ろ姿に頼もしさを感じつつも、アルディアスは先程のミレディから聞いた絵本の内容が頭を過ぎる。

 

(神様はとっても寂しい(ヒト)……か。奴が語った人類への愛好。そして、確かに感じた憎悪。それに……)

 

人類(君達)()にとって子供のようなものです。親が子を想うのは当たり前でしょう? 私はただ君達の幸せを願っているだけです』

 

 三日前のシュパースの言葉が蘇る。

 

「……父親と娘、ね」

 

「ちょっと、アルディアス君!!」

 

 一人呟くアルディアスだったが、耳に飛び込んできた少女の声で我に返る。

 

「時間無いんでしょ!? 最悪、上の階層まで天井ぶち抜いてもいいから、さっさと持ってく物持って地上に出るよ!!」

 

「迷宮の天井までは構わんが、城まで壊してくれるなよ?」

 

 放っておけば、城ごとぶち抜いて行こうとしかねない様子のミレディに、アルディアスは引っ掛かりを覚える疑問を隅に置き、ミレディの後を追って歩き出した。




>ミレディ、感情のジェットコースター
 突然迷宮が転移したかと思ったら、アルディアスが来て、いよいよ奴が現れたかと思いきや、すでに殺ってた。嬉しさ爆発してたら、エヒトの影に潜んでいた”神”の存在を教えられ、ブチギレる。

>ロシーダ
 近日公開。


 * * *


 余談なのですが、先日、読者の方から直接メッセージを頂きました(そもそもユーザー間でメッセージを送れることすら初めて知った作者)
 その一文にオリ主最強タグについての言及があったのですが、簡単にまとめると、シュパースという存在が居て、オリ主最強タグはどうなのか? というものでしたが、言われてみると、まあ確かに……と自分でも思いました。
 ネタバレになるので今後の展開は言えませんが、少なくとも、あっさりワンパンで終わる、ということにはなりません。
 正直、思いつきで書き始めたものでテロップもありません。今でこそ、完結までの道のりは決まっていますが、オリ主最強タグも軽い気持ちで付けただけに過ぎません。
 そこで、オリ主最強タグを残すか消すかを自分では判断出来ないのでアンケートを取ろうかと思います。特にこの結果が結末に影響するとかそういったことは一切ないので気軽にポチッとして頂けたら幸いです。


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第三十一話 【ここからもう一度】

アンケートのご協力ありがとうございます。
オリ主最強タグに肯定的な意見が多かったので、そのままでいこうと思います。

今回の話はクラスメイトsideです。


 魔国ガーランドにて、各国、各種族の代表による会議が開かれた日。

 その同日にハイリヒ王国王女から、明かされることとなった世界の真実。

 曰く、世界を我が物にしようと画策した邪神の手によって、真名を奪われてしまったエヒトに変わり、世界を裏で支配し続けてきた邪神がとうとう世界に牙を向いてきた。

 曰く、数日前の神の使徒の異端者認定は、この邪神の策略によるもの。

 この事実はまたたく間に王都中に広まっていった。もう神の使徒を裏切り者と罵る者は居ないだろう。

 更に、邪神を討滅するために現れた”豊穣の女神”の存在が、折れかけていた人間族の心をギリギリのところで持ち直していた。

 今はかの女神の指示に従い、来たるべき戦いに備えて各々が忙しなく動いている。誰もがその後ろに居る魔人族の将軍の存在には一切気付いていない。

 

 しかし、決して全員が前を向くことが出来ているわけではなかった……

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 西の空に太陽が沈み、王都に夜の帳が下りる。そんな中でも各地で様々な人々の声が聞こえる中、王宮のとある部屋にて、布団に包まったまま横になる一人の少女が居た。

 

「……恵里」

 

 少女──鈴は自分以外誰も居ない部屋の中、今までそばに居た親友の名を無意識に呟く。

 

 神山を下山した後、行く宛が無い彼女らに手を差し伸ばしたのは、他でも無いリリアーナだった。秘密裏に王宮に匿うことで彼らを保護したのだ。元々は魔人族の襲撃を見越して、王都の外に逃がす算段だったのだが、現状で外に放り出す方が危険と判断して、父であるエリヒド王にも協力してもらった。

 今では、リリアーナと愛子の影響で彼らの異端者疑惑も解けているので、気にせず街に出ることも出来る。

 しかし、鈴はそんな状況にも関わらず、あの日から自室に引きこもったまま一歩も外に出ることはしなかった。

 

「恵里にとって、私はただの便利な道具だったのかな……」

 

 思い出すのは、あの日の恵里の独白。彼女が自分のそばに居たのは、光輝と関わりやすかったから。ただそれだけ。そこに友人としての信頼など最初からなかった。

 正面から堂々と宣言された鈴はあれから部屋に引きこもって、まともに食事も取らずに自問自答を繰り返していた。

 脳裏に浮かぶは、今までの恵里との思い出。気がつけばずっと一緒に居た。鈴の家で遊んだことも数え切れないし、放課後に一緒に帰ったり、公園で何をするわけでもなくただただ駄弁っていたこともあった。

 読書が好きで、いつもどこか皆の一歩後ろにいて……それで……それで……

 

「……あれ?」

 

 そこで鈴はふと気がついた。恵里がおとなしい性格だったのはよく知ってる。本が好きなのも知ってる。好きな食べ物も知ってる……後は?

 

「私、恵里とずっと一緒に居たのに……」

 

 基本は鈴が話題を振ることが多く、恵里は鈴の話を聞いて相槌を打つことが多かった。それ故に恵里から何かを聞くということがあまりなかった。

 気にならなかったわけではない。恵里の家に行ってみたい。恵里の家族ってどんな人? 聞いてみようと思ったことはある。でも、恵里は何となくその話題を避けてる気がしたから踏み込まなかった。

 それは何故か……怖かったからだ。相手の聞かれたくないことを聞いて嫌われたくなかったから、一人になるのが怖かったから。

 

「私……恵里のこと全然知らない。こんなんで親友なんて名乗れるわけがない」

 

 それならどうすればいい? 決まってる。これから知っていけば良い。それに……

 

『──作る、筈だったんだけどなぁ』

 

 あの時見せた恵里の表情。それまでの狂気的な雰囲気から一転、気怠げな表情。その顔の裏に恵里は何を思っていたのか……

 

「……ちゃんと話さないと。今度は逃げずに正面から!!」

 

 あの時の恵里の語ったことは紛れもなく真実なのだろう。しかし、それだけじゃない気がする。何かに恵里は揺れている気がする。それが何なのかは知らないが、このまま部屋に引きこもっていても何も変わらない。

 ベットから飛び起きた鈴はそのまま机の上に置いてある手鏡を手に取る。

 

「うわぁ、髪もボサボサだし、目の下の隈もひっど」

 

 数時間前に、香織と雫が様子を見に来たときはかなり心配されたが、こんな顔をしてればそりゃ心配にもなるはずだ。

 自分の顔の酷さに引いていた鈴は、気合を入れ直す為にパンッと頬を強く叩いた。

 

「よし! まずはお風呂入って、ご飯も食べて……やるぞ〜! 見てろよ恵里!」

 

 バンッと扉を開けて、駆け出す鈴。「うおおおお!!」と叫びながら走る様子からはそれまでの悲痛な様子は感じられない。

 

「こらっ! こんな夜遅くに何事ですか!!」

 

「ご、ごめんなさい!!」

 

 ……少し、元気が出すぎたかもしれない。

 

 

 ◇

 

 

 同時刻、王宮のテラスにて、明かりの灯る王都を見下ろしながら、光輝は一人ため息をついた。

 

「俺は……」

 

 既に香織と雫から神山で何があったのか、そしてこの世界の真実を光輝は聞いていた。今まで光輝が盲目的に正しいと信じていたエヒト神が、実は人類を遊技盤の駒としか見ていない邪神であったこと。イシュタル達、聖教教会の人間はそのエヒトの為ならば、同じ人間ですら簡単に殺すこと。

 

 ちなみにハジメが帰還の可能性を自ら捨てたことは、その場に居る者だけに留めておくことにした。

 ハジメ自身はその選択に後悔は微塵も感じていないが、今のクラスメイト達がその話を耳にすれば、間違いなく暴走する危険性がある。疑惑は晴れたとは言え、処刑されかけたのだ。この世界の危機も相まって、いち早く帰りたいと願っていることは想像に難くない。

 

 世界の真実を知り、以前の光輝ならばその事実に憤慨したかもしれない。それとも、その話を知ってて黙っていたハジメに強く当たっていた可能性もある。

 しかし、話を聞き終わった光輝が感じたのは只々自分の過去の行動への後悔だ。

 

「俺が安易に戦うなんて言ったから……イシュタルさんの話を鵜呑みにしたから……」

 

 結論から言えば、光輝の選択は全てが間違いだったわけではない。あの時、光輝達が戦争への参加を拒否していれば、間違いなくイシュタルは光輝達を、神に選ばれた存在でありながら、その威光に背く愚か者として捕らえていただろう。そう考えれば、光輝の選択は最善であったとも言える。

 光輝の過ちは、イシュタルの話の全てを何の疑いもなく信じてしまったこと。そして、周りのクラスメイトと相談せずに、自分の考えをクラスメイトの総意として掲げてしまったことである。

 

「南雲が死にかけて……クラスメイトを危険に晒して……それに恵里も……」

 

 今まで光輝は自分の行いを後悔するなんてことをしたことがなかった。困っている人が居れば、無償で手を差し伸ばし、風紀を乱す者が居れば注意を促す。誰かの為に行動することに間違いなんてあるはずが無い。そう信じてきた。

 その価値観が……光輝の在り方が、完全に崩れた。

 今になって冷静に考えれば、自分の行動の拙さに失笑する。

 

『皆は俺が守る!』

 

──南雲は奈落の底に落ちたじゃないか。

 

『魔人族は俺が倒す!』

 

──手も足も出なかったじゃないか。

 

『俺が世界も皆も救ってみせる!!』

 

──そんな力も覚悟も持ってないくせに……

 

 これまでの自分の言動も、今となっては不快感しか感じない。

 守ると言いながら、何故、南雲が死んだことを仕方がないと割り切った? 何故、人を殺す覚悟も無いくせに安易に戦争をするなどと口走った? 何故、何の根拠もなくイシュタルの言葉を鵜呑みに出来た? 状況的に考えれば誘拐犯の言うことをそのまま信じたようなものだ。

 

 恵里のこともだ。何故恵里が裏切ったのか……雫に理由を聞いて愕然とした。自分を手に入れるため……それだけの為に恵里は人類を裏切った。意味が分からない。何故、恵里がそこまで自分に固執するのか理解できない。

 しかし、原因が自分にあることは間違いない。恵里のことも自分が気付かずに何かをしてしまったのかもしれない。

 雫に問い詰める形で聞くと、自分が助けたと思っていた裏で、様々な問題が起こっていたようだ。それを雫が人知れずフォローに回っていた。

 ここまで来たら、最早自分の愚かさに笑うしか無かった。

 

 勝手に手を差し出して……

 勝手に救った気になって……

 勝手に清々しい気分に浸って……

 

「俺は、何一つ正しくなんて無かった……!」

 

 その場で頭を抱えて蹲る。叫びたかった。泣き喚きたかった。それでも、そんな資格も自分には無いと歯を食いしばる。

 そのままどれくらい経っただろうか。未だに街では多くの人々の声が聞こえてくる。誰もが未来のために行動している。少し前の光輝なら一も二もなく手を貸しただろうが、今となっては自分が居ないほうが良い方向に進むのではと後ろ向きな考えが出てきてしまう。

 

「ハハッ、いっそのこと何処か遠くへ……誰も居ない何処かへ逃げてしまおうか……」

 

 思わずそんな弱気な考えが光輝の口から漏れる。自分が居たから状況は悪化した。それなら元凶がここから居なくなれば誰にも迷惑は掛からないのではないか。

 乾いた笑いを浮かべながら、弱音を吐く光輝がぼんやりとテラスから階下を見下ろしていると、ある二人組の姿が目に入った。

 

「ッ!?──あの人は……!」

 

 その二人組の一人の姿を捉えた瞬間、光輝は思わず手すりに手を付き、テラスから飛び降りた。何か考えが浮かんだわけでは無い。完全な無意識での行動。しかし、考えるよりも早く体はその人の元へと向かっていった。危なげなく着地するとすぐにその人の元に駆け出す。

 相手もこちらに気付いたようだ。怪訝な表情で光輝に視線を向ける。

 

「あ、あの……!」

 

 目の前まで駆け寄った光輝は、言葉を発しようとするも、何も考えずに飛び出してしまった手前、うまく言葉が出てこない。

 

「…………ハア」

 

 光輝が話し出すのを待っていた青年だったが、光輝が言葉に詰まっていて埒が明かないと判断したのか、一つため息をつく。それに光輝の肩がビクッと跳ねるが、そんなことを気にする様子もなく、そばに居た赤髪の男に話しかける。

 

「先に行っていてくれ」

 

「しかし……いえ、分かりました」

 

 一瞬、逡巡した男だったが、光輝にチラリと視線を向けた後、青年を置いて夜の街に消えていった。

 それを確認した後、青年はゆっくりと光輝と視線を合わせる。

 

「……で? 俺に何の用だ、クソガキ」

 

 青年──アルディアスは気怠げにそう呟いた。

 

 

 ◇ ◇ ◇ 

 

 

 翌朝。王宮の食堂にて、香織と雫が机を挟んで朝食を食べていた。

 

「そう、南雲君は昨日からアーティファクトの製作に専念してるのね」

 

「うん、シアやティオもそれぞれの種族の人達の元で色々やってるみたい」

 

「少し前まで国中何処も彼処も混乱の渦中だったのに、これも”豊穣の女神”のおかげってことかしら?」

 

「あはは、あれはびっくりしたよね。まさか先生が連合のトップだなんて……」

 

 昨日、王都で突如行われた演説。シュパースとのやり取りを見ていた二人には、それが何なのかは予想が出来ていたが、まさか愛子がトータスの全ての種族をまとめる立場に立つことになるとは思いもしなかった。

 しかし、その影響は絶大で、下を向くばかりだった人間族が愛子の言葉に希望を見出し始めた。

 

「……でも、クラスのみんなには届かなかったね」

 

 表情に影を落としながら香織が呟く。

 愛子達による演説は王宮に居たクラスメイト達の元にも当然届いている。だが、一部を除いてほとんどの生徒は部屋にこもったまま出てこない。この三日間、食事などの最低限の行動以外は朝から晩まで部屋で過ごしている者がほとんどだ。

 この戦いに負ければ、この世界の住人だけでなく、自分たちの身すら危険に晒される。少しでも生き残る可能性を上げるならば、彼らも戦いに協力するのが最善の選択だろう。

 しかし、彼らはそもそも戦いの覚悟も何も無いただの子供。今までも光輝の指示に従うだけだった彼らが、理屈で物事を決めることなど出来るわけもなかった。

 

「……ハジメ君の元に行くのは私と雫ちゃんと龍太郎君だけみたいだね」

 

「ええ、そうね」

 

 昨夜、香織の持つ念話石を通してハジメから連絡があった。その内容は戦力の確認。決戦の日まで時間は無い。戦う意思があるのなら戦力に組み込むし、無いなら最初から当てにしない。戦わない者のアーティファクト製作に時間を割くなど無駄でしか無いからだ。

 そのため、香織と雫は二人で昨日の内にクラスメイト全員の部屋を回り、その意志があるのなら朝に食堂に集まるように伝えていたのだ。その場で参戦の意志を示したのは龍太郎だけ。それ以外は明らかな拒絶を示すか、言葉を濁すかのどちらかだけだった。この場に誰も居ないことから結果は言うまでも無いだろう。

 

「仕方ないわ。無理に連れて行っても危険なだけ。龍太郎が来たら、すぐに向かいましょう」

 

「うん……でも、龍太郎くんどうしたのかな? もう約束の時間は過ぎてるけど……」

 

「はぁ、あの馬鹿。まだ寝てるんじゃないでしょうね?」

 

 こんな大変な時に流石に無いだろうとは思うが、断言できない自分にため息をつく。

 こうなったら直接部屋まで迎えに行こうかと、二人が考えていると、食堂の扉が音を立てて開かれた。その音に龍太郎が来たのかと思った二人が扉の方を振り返る。

 

「ちょっと、遅いわ……よ?」

 

「…………鈴ちゃん?」

 

 しかし、現れたのは龍太郎の大柄な体格とは正反対の小柄な少女。この場に絶対に現れないだろうと思っていた鈴だった。

 

「カオリン! シズシズ! お待たせ!」

 

「鈴!? 貴女、何でここに!?」

 

「何でって……集まるよう言ったのはシズシズじゃんか」

 

「そ、そうだけど……」

 

「でも、鈴ちゃん……」

 

「大丈夫!!」

 

 親友だと思っていた恵里の裏切り。それは鈴の心に大きな傷を残し、放っておいたら死んでしまうと思ってしまうほど傷心していた姿に、元の元気な姿を取り戻すには長い時間が、もしくは、もう二度とあの笑顔は見れないかもしれないとさえ思っていた。

 

「たくさん悩んだ。いっぱい泣いた。でも、ちゃんと自分で決めたんだ。もう一度、今度こそ恵里とちゃんと向き合うって!」

 

「……そっか」

 

 驚きはしたが、本人がそういうのならきっと大丈夫だろう。危機は去ったわけではないが、クラスのムードーメーカーの鈴がいつもの調子を取り戻したことで少しだけ空気が明るくなる。

 

「よーし、カオリン! 二人で恵里をぶん殴っちゃおう!!」

 

「ええ!? 殴るの!?」

 

「全く、馬鹿やってないの。鈴はご飯まだでしょ? 早く食べちゃいなさい」

 

「は~い!」

 

 そのやり取りは、懐かしくも平和だった頃の記憶を思い出し、無意識に張っていた肩の力が抜けるのを感じた。

 しかし、そんな状況に早くも水を差す存在が現れた。

 

「香織!! 雫!! 居るか!?」

 

 バンッと、食堂の扉を蹴破る勢いで現れたのは、香織と雫が待っていた龍太郎だ。

 食堂に突如響き渡った音に三人の肩がビクッと跳ね上がるも、その原因が龍太郎だと分かると、ほっと息を吐く。

 

「遅いわよ、龍太郎。集合時間はとっくに過ぎて──」

 

「光輝が居なくなった!!」

 

「ッ!? なんですって!?」

 

 堂々と遅れてきた龍太郎に苦言の一つでも言ってやろうかと思った雫だったが、遮るように伝えられた内容にその場の全員が目を見開く。

 

「居なくなったってどういうことよ!?」

 

「分かんねぇ! 昨日の夜、外の空気吸ってくるっつって出てったっきり戻って来ねえんだよ!?」

 

「光輝を一人にしたの!?」

 

「す、すまねえ。途中まで部屋で待ってたんだが、寝ちまって……」

 

 今の精神状態の光輝を一人にする危険性は龍太郎も分かっていたはずだ。しかし、光輝自身から一人にして欲しいと頼まれたことと、王宮内から出ないことを条件に許可してしまったらしい。あまり帰りが遅いようなら探しに行くつもりだったが、途中で寝落ちしてしまったようだ。

 

「それで、急いで手当り次第探したんだけど、全然見つからなくてよ」

 

「どうしてすぐ私達に言わないのよ!?」

 

「悪い! すぐ見つかると思って……本当に悪い!!」

 

「急いで探そう!」

 

「鈴も手伝うよ!」

 

 反省するのは後でも出来る。今はまずは光輝の行方を探すのが先決だと、香織と鈴に促され、雫と龍太郎も気持ちを切り替える。

 すぐに全員が食堂を飛び出し、手分けして光輝を探し出そうとしたその時──

 

「あれ? 皆、そんなに慌ててどうしたんだ?」

 

 今この瞬間、雫達を慌てさせている原因が、何事も無かったかのように目の前に現れた。

 

「「光輝!?」」

 

「「光輝君!?」」

 

「え!? 何だ!? どうしたんだ皆!?」

 

 行方不明だったはずの光輝が急に目の前に現れたことで、一瞬呆然とした一同だったが、すぐに我に返り、一斉に光輝に迫る。

 

「どうしたじゃねえよ!? 夜出ていったっきり帰ってこねぇからずっと探してたんだぞ!?」

 

「? 俺は昨夜はちゃんと帰ってきたぞ? 朝も龍太郎がまだ寝てたから、起こすのは悪いと思って机の上に書き置きを残しておいたんだが……」

 

「…………え?」

 

 光輝に掴みかかる勢いで迫る龍太郎だったが、頭に疑問符を浮かび上がらせた光輝が、意味が分からないと言わんばかりに説明すると、それを聞いた龍太郎の目が点になる。

 そのまま、光輝の言葉を脳内で何度もリピート再生する。そうして状況が段々と飲み込めていくと、全身から嫌な汗が吹き出てくる。

 

「……龍太郎?」

 

 背後から掛けられた温度を感じさせない声色に、龍太郎が油の切れた人形のようにギギギッと振り返ると、絶対零度の雫の視線が突き刺さった。

 その背後に居る鈴も、雫ほどでは無くともジト目で龍太郎を見つめ、誰にでも優しい香織も流石に苦笑いだ。

 

「……つまり、全部龍太郎の早とちりだったってことね」

 

「す、すまねぇ」

 

 雫の指摘に、龍太郎は項垂れながら謝罪する。彼のことだから、光輝を待っていたはずがいつの間にか寝てしまったことに慌て、部屋に光輝の姿が無かったことで、ろくに部屋の中を確認せずに飛び出したのだろう。

 

「そ、そんなことよりも、どこに居たんだよ!? 俺、王宮中を探し回ってたんだぞ!?」

 

「ああ、さっきまで皆の……クラスの皆の部屋を回ってたんだ」

 

「は? クラスの皆の部屋って、お前……」

 

 光輝の言葉に龍太郎が絶句する。クラスメイトが光輝を散々罵倒したことは記憶に新しい。今、彼らの前に姿を現せば、また何を言われるか分かったものではない。だからこそ、わざわざ光輝から近付くことはないと判断し、クラスメイトの居住スペースだけは龍太郎も探さなかったのだ。

 話を聞いていた雫は、光輝がクラスメイト達の元に向かったと聞いて、嫌な予感を覚える。

 

「光輝? 貴方まさか……」

 

 また、何の根拠もなく皆を守るなどと口走ったのではないか? そう続けようとした雫だったが、そう思われることを察していたのか、すぐに首を振って否定する。そして、真剣な顔つきで四人を見つめ──

 

「龍太郎、雫、香織、鈴………今まで、本当にすまなかった」

 

 深く頭を下げて謝罪の言葉を述べた。

 その姿に全員がポカーンと口を開けたまま呆然とする。

 

「こ、光輝君? もしかして、皆の部屋を回ったのは……」

 

「ああ、クラスメイト全員に頭を下げてきた」

 

 そう言い切った光輝の顔をよく観察すると、僅かに頬が腫れているように見える。もしかしたら、クラスの誰かに手を上げられたのかもしれない。その視線に気付いた光輝が頬に手を当てながら「これで済んだだけマシさ」と何でも無いように告げる。

 

「もちろん、それで許してくれるわけじゃない。いくら謝ったって俺がやったことが無かったことになるわけじゃない……いや、違うな。そんな簡単に許されちゃダメなんだ」

 

 いくらかつての自分の行いを懺悔しようとも。いくら謝罪を重ねようとも。自分が犯した罪が消えるわけではない。だからこそ、その業は背負い続けなければならない。

 

「俺は勇者なんて名乗れる器なんかじゃない。この戦いで何が出来るかなんて分からない。もしかしたら、また皆に迷惑を掛けてしまうかもしれない」

 

 ここで折れてしまうのが一番楽なのだろう。自分なんかよりもずっと強くて、信頼されてる人はいくらでもいる。自分一人が居なくとも世界は変わらず回り続ける。

 天之川光輝は世界にとって特別な存在では無いのかもしれない。何も知らない子供が足掻いたところで、結果は何も変わらないかもしれない。

 

「でも、ここで逃げるのだけは嫌なんだ。ここで逃げたら、俺はこの先ずっと逃げ続けることになる。今更と思われるかもしれない。都合が良いと思われるかもしれない。それでも、どうか……どうか俺も一緒に戦わせて欲しい!!」

 

 再び頭を下げた光輝の姿に、黙ってお互いに目を合わせた四人はしばらくしてしっかりと頷いた。

 

「ふんっ!」

 

「痛っ!? りゅ、龍太郎?」

 

 頭を下げ続ける光輝に対して、徐ろに腕を振り上げた龍太郎がその握りこぶしを光輝の後頭部に振り下ろした。

 いきなりの衝撃に光輝が目を白黒させていると、龍太郎がニッと笑みを浮かべた。

 

「らしくない気ぃ使いやがって! 遅ぇんだよ、馬鹿!」

 

「龍太郎……」

 

「全くよ。まあ、少しは成長したってことかしら?」

 

「雫……」

 

「えへへ、落ち込んでた者同士頑張ろうね!」

 

「鈴……」

 

「光輝君、皆で一緒に元の世界に帰ろうね」

 

「香織…………っああ!」

 

 胸にこみ上げてくるものを感じながら光輝は力強く頷いた。やっと戻ってきた光輝に全員が笑顔を浮かべていると、雫がふと気付く。

 

「ん? ふふっ。光輝、貴方の気持ち、少しは伝わってたみたいよ?」

 

「え?」

 

 あっち。そう言って雫の指差す方に視線を向けた光輝が目を丸くする。

 光輝の視線の先、廊下の角。そこには顔だけを覗かせてこちらの様子を伺っている永山達の姿があった。

 光輝達が自分たちの姿に気付いたことに、あたふたしていた彼らだったが、観念したのか永山を先頭にずらずらと出てくる。

 永山パーティに愛ちゃん親衛隊のメンバーだ。彼らの姿に光輝の体が固くなる。目の前に居るメンバーは比較的光輝に対しての当たりもそこまで強くはなかったが、それでも光輝の瞳に恐怖が宿る。

 目の前まで来た彼らを代表して、永山が口を開く。

 

「天之川…………すまなかった!!」

 

「………え?」

 

 何か恨み言を言われるかもしれない。しかし、それは自分が背負わなければいけないもの。何を言われようと受け入れる覚悟をしていた光輝に突きつけられた光景は、永山を初めとする全員が自分に頭を下げる姿だった

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ!? 何で皆が謝るんだ!? 悪いのは全部──」

 

「いや、悪いのは俺達も同じだ。お前に全部押し付けた。誰も責任を背負いたくないから、誰かに任せるのが一番楽だったから」

 

「それは俺が勝手にやっただけで……!」

 

「そうじゃないって。自分の考えを言おうと思えばいつでも言えた。でも、俺達はそれをしなかった。意見が通るか通らないか以前の問題だ」

 

 永山の言葉を慌てて光輝が否定しようとするも、遠藤がそれを遮る。

 確かに光輝は誰の意見も聞くこと無く、自分の判断でクラスを巻き込み、そのせいで危険に晒した。だが、他の面々が光輝に、もしくは他の誰かに自分の意志を告げることも出来たはずだ。

 しかし、一度意見を出して、それが採用されてしまえば、多少なりとも自分に責任がのしかかってしまう。誰もが無意識の内にそれを避けていたのだ。

 自分が行動しなくても、光輝が引っ張っていってくれる。それに黙って着いていくだけでいい。

 それはなんて楽で、怠惰で、愚かな選択だろうか。

 

「だから、悪いのは天之川だけじゃないってことだ。勝手に任せて、勝手に失望して、ホント自分勝手だよな。すまなかった。もうお前だけに背負わすことはしない。今度は俺達も一緒に戦う」

 

 予め相談していたのだろう。永山の言葉に遠藤達パーティメンバーもしっかりと頷く。そして、今度は後ろに控えていた園部が光輝の前に出てくる。

 

「私達は前線に出るのはまだ怖いけど……後方支援くらいは出来ると思う。情けないと思われるかもしれないけど、皆で話し合って決めたの。だから……」

 

──今度こそ、皆で頑張ろう。

 

「ッ……! ああ……ああ!!」

 

 その言葉に光輝は、自分の胸の中のモヤモヤが晴れていくような気がした。もう二度と以前までの関係に戻れるとは思ってなかった。それでもせめて、責任だけは背負おうとクラスメイト一人一人に頭を下げた。許されるわけがない。恨まれて当然だ。

 それなのに、香織達も永山達も自分なんかのことを未だに見捨てないでいてくれる。手を差し伸ばしてくれる。

 

(俺は勇者なんて大それた存在なんかじゃない。そんな力も覚悟も持ってない……でも、力は無くてもこんなにも良い仲間に恵まれた)

 

 こんな頼りになる友人の手を借りずに、全部一人で背負おうとするなんて、今までの自分は本当に周りが見えていなかった。

 そして、思い出すは昨夜のこと。

 

(まだ、()()()()()()に満足のいく答えを出せてはいない。それでも……それでも俺は……)

 

 今の光輝に世界を救う力なんて都合の良いものは備わってない。確かに勇者の天職に相応しい可能性を秘めてはいるのかもしれない。しかし、それは未来の話であって、今の光輝は少しばかりの力を持った、ただ子供に過ぎない。

 だが、光輝は戦うことを決めた。何を今更と思われるかもしれない。最早信頼を取り戻すことは不可能かもしれない。

 それでも、それでも逃げることだけはやっぱりしたくなかった。どんなに無様でも、情けなくても、みっともなくても……足掻き続けようと決めた。

 

(ようやく分かった。思い知らされた。俺は結局一人じゃ何も出来ていなかった。一人でやってたつもりの子供だった。クソガキ呼ばわりも納得だ)

 

 初めての失敗。いや、正確には()()()()()()()()()()。只々自惚れていた。自分は正しいと。間違えることなどないと。

 そんなことはなかった。あるはずがなかった。失敗をしない人間なんて居ない。居たとしたらそいつは自分で全部出来てると勘違いしてる子供くらいだ。

 何度も躓き、挫折し、苦しみながらも、いろんな人に支えられて人は成長していく。

 

「……皆」

 

 光輝の呟きに全員の視線が集中する。

 

「……俺、一から頑張るよ。もう一度、また皆と笑いあえるように。胸を張って皆の仲間だって言えるように……!」

 

 ようやく本当の意味でスタートラインに立つことが出来た。ここから少しずつ歩んでいこう。今度こそ、皆と一緒に。

 光輝の新たな門出を祝福するかのように、朝日が彼らを照らしていた。




>谷口鈴
 彼女に関しては原作と同じような心境です。何だかんだ言ってちゃんと立ち上がる強い子。

>天之川光輝
 勇者(笑)から勇者(仮)へと進化。自分の今までの言動を反省し、文字通り一からやり直す決断をした。
 勇者(真)になれるかどうかは今後の活躍次第。

>アルディアス
 本当に偶然王宮に来ていた。やるべきことを終え、フリードを連れて国に戻るところをこれまた偶然光輝に発見された。話の詳細については今後の展開で明らかにするつもりです。


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第三十二話 【最後の夜/Happy Memory】

これで人類側の準備フェーズは終了です。


「貴方、アルディアス、夕飯が出来ましたよ」

 

「お、もうそんな時間か? 行こうかアルディアス」

 

「うん」

 

 世界を橙色に染めながら沈みゆく太陽。それをじっとベンチで見つめていた男性と幼子は、家の中から聞こえてきた凛とした声につられ、二人で家の中に移動していく。

 アルディアスが部屋に入ると、食欲を刺激する匂いと共に、アルディアスによく似た女性が二人をにこやかに迎えた。

 

「アルディアス、最近の訓練はどう?」

 

「……まあまあかな」

 

「父さん知ってるぞ? 3メートルもある大岩を剣で一刀両断することはまあまあとは言わない」

 

 家族で食卓を囲み、食事を取りながら子供の近況を聞く母親になんでも無いように告げるアルディアスだったが、父親は知っていた。自分の背丈の何倍もある大岩を両断することをまあまあとは言わない。

 

「何で知ってるの?」

 

「え!? そ、それはだな……!?」

 

「ふふ、この人、アルディアスが心配で職場を抜け出して何度も貴方のこと見に行ってるのよ。だから、その度に上司の人にこっぴどく叱られてるの」

 

 突然の妻からの暴露に「母さん!? そのことは内緒だと……!!」と動揺する父親。どうやら、息子の前では威厳のある父親でいたかったようだ

 

「…………」

 

「ち、違うぞ、アルディアス。偶然……そう、偶然休憩で外に出てだな。別にフリード君を疑ってるわけじゃ……」

 

「過保護」

 

「うっ!?」

 

 ジトっとした愛息子の視線に父親は胸に剣が突き刺さったかのような錯覚に陥る。

 最近息子の教育係に選ばれた人物、フリード・バクアー。彼は魔人族の次期将軍と名高い人物で、部下からの信頼も厚い。彼ならば息子を安心して任せられるが、それでもアルディアスはまだ小さい子供だ。心配するなと言う方が無理な話だった。

 

「まあ、お父さんも心配しすぎだと思うけど、許してあげて。貴方が大切だからどうしてもそうなっちゃうのよ」

 

「別に怒ってるわけじゃない」

 

「お父さんもそうだけど、私も心配なのよ? いくら才能があるって言っても、貴方はまだ子供なんだから」

 

 母親の眉尻を下げ、不安げな表情からは、心の底から自分のことを心配していることが痛いほど伝わる。

 アルディアスは少しでも不安を和らげれたらいいと、小さく、それでもハッキリと笑みを浮かべる。

 

「大丈夫。少しずつだけど、力はついてる。二人はおれが守る」

 

「「…………」」

 

 しかし、アルディアスの予想に反して、二人の表情は晴れない。その事に何か間違えてしまったかと不安に思っていると、母親がアルディアスの手を包み込み、語りかけた。

 

「アルディアス、よく聞いて。貴方がそんな風に思ってくれるのはすごく嬉しい。でも私達が何よりも望んでいるのはそうじゃないわ」

 

「……でも」

 

「神の子って言っても所詮まだまだ子供だな」

 

 納得のいかない様子のアルディアスに、父親がやれやれと首を振る。その様子に「むっ……」と顔を顰めたアルディアスの頭をガシガシと乱暴に撫でる。

 

「親にとってはな、子供の幸せが一番なんだ」

 

「貴方が私達のことを想ってくれてるように、私達も貴方のことを想っているのよ?」

 

「それは……」

 

 それでも、おれは……

 

「難しく考えなくてもいいわ。私達がアルディアスのことを好きで好きでたまらない。貴方が傷付けば、悲しむ人がここに二人いる。それだけ分かっててくれたらいいの」

 

「ま、親の気持ちなんて、親になって初めて分かるもんだ。アルディアスに何かあったら俺達は世界だって滅ぼせるぞ?」

 

「それは……困る」

 

「でしょ? だから無理をしないでとは言わない。それでも、必ず私達の元に帰ってきて。約束よ?」

 

 そう言って小指を差し出してくる母親に、少し躊躇った後、ゆっくり自身の小指を絡ませる。

 

「わかった。必ず二人の元に帰ってくる。約束する」

 

 その言葉を聞いて、ようやく二人の顔に笑顔が戻った。

 

「アルディアス! お父さんとも! お父さんともしよう!」

 

「あら、今は私の時間よ。貴方は後」

 

「そんな殺生な!? 俺もしたい!?」

 

「………ふふ」

 

 父親も机から身を乗り出して小指を差し出してくるが、母親がアルディアスを抱きしめてそれをガードする。妻の横暴な愛息子の独り占めに、声を荒げて抗議するが微笑んだまま見向きもしない。

 そんな二人のいつもと変わらぬやり取りに、アルディアスは一人小さく笑みを浮かべた。

 

 それは二人がアルヴの策略により亡くなる前。アルディアスにとっての日常。もう二度と戻ることのない幸せな記憶の1ページ。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「─────ディアス様、アルディアス様!」

 

「………フリードか」

 

 魔王城、執務室。

 アルディアスが目を覚ますと、腹心の臣下が、アルディアスの肩に手を置き、覗き込むように表情を伺っていた。

 

「…………そうか、夢か」

 

 一拍置いて、アルディアスは状況を理解する。自分は先程まで決戦に向けての最終チェックを行っていたはずだが、気付かぬ内に居眠りをしてしまったようだ。

 それにしても、懐かしい夢を見た。幼い頃はともかく、最近はめっきりその手のものを見ることは無くなっていたのだが……

 

「やはり、疲労が溜まっておられるのでは……今日はお休みになられた方がよろしいかと」

 

「そういうわけにはいかない。決戦は明日だ。僅かな洩れも見落とすわけにはいかない」

 

 そう、とうとう明日はシュパースの指定した決戦日当日だ。この三日間、戦力の増強・強化はもちろんのこと、アーティファクトの製作など考えられる手は全てやった。

 窓から差し込む月明かりに、随分と寝てしまったことが窺える。今日まで夜通し騒がしかった国内も今は静まり返っている。皆、明日の決戦に備え、英気を養っているのだろう。

 

「それで明日に悪影響が出てしまえば本末転倒です。お休みになられてください」

 

「お前はどうするんだ?」

 

「貴方が休むのを確認したら休みます」

 

 言外に自分が休まなければ自分も休まない、と告げるフリードに「以前も似たようなことがあったな」と思わず苦笑する。

 

「……分かった。今日はもう休むことにしよう。ただ、少し付き合ってくれるか?」

 

「? 私で良ければ」

 

「悪いな。少し夜風に当たっておきたい」

 

 そう言って席を立つアルディアスにフリードが追従する。

 フリードを連れてアルディアスが向かうのは、魔城の最上階に設置されたテラス。そこからはガーランドの街を一望することが出来る。

 

「む? どうやら先客が居たようだ」

 

 二人がテラスに出ると、そこには一人の金髪の少女が手すりにもたれ掛かって佇んでいた。

 

「ん? アルディアスにフリード? こんな時間にどうしたの?」

 

「少し気分転換にな。アレーティアは?」

 

「何だか眠れなくて……」

 

「そうか」

 

 そのままアレーティアの隣に並んだアルディアスは黙って街並みを見下ろす。アレーティアと後ろに控えるフリードも言葉を発さない。

 しばらく静寂が場を支配する中、唐突にアルディアスが口を開いた。

 

「久しぶりに両親の夢を見た」

 

「アルディアスのご両親?」

 

「ああ。何故だろうな。子供の頃ならともかく、最近はそんな夢を見ることなど無かったというのに……」

 

 何故今なのか。明日を決戦に控えるこの瞬間なのか。やれるべきことは全てやった。トータス連合軍は文字通り、今のトータスに住まう人類の総力を結集した仕上がりになった。

 後は持てる力を全てぶつけるのみ。それだけのはずだ……はずなのだが……

 

「俺は不安を捨てきれていないのだろうな」

 

 だから、父の優しさを求めた。

 だから、母のぬくもりを求めた。

 

───この大事な時に、幸せな世界(楽な道)へと逃げた。

 

「弱いな、俺は。連合の前では強く見せていただけで、結局はこんな体たらくだ」

 

 こんな無様を晒すようでは民を守ることなど出来はしない。シュパースに勝つことなど夢のまた夢だ。

 

(過去の記憶に縋るな。俺が後ろを振り向いている間にも敵は迫ってくる。甘えるな。前を向け。歩みを止めるな)

 

「……アルディアス、ちょっと屈んで」

 

「? 何故だ?」

 

「いいから」

 

 目を瞑り、自分を戒める言葉を吐き出していたアルディアスをじっと見つめていたアレーティアが手を引っ張り、屈むように促す。頭上に疑問符を浮かべていたアルディアスだったが、そのままアレーティアに引っ張られるままにその場に膝をつく。

 そうすることでアレーティアは普段は見上げているアルディアスと視線と正面からかち合う。

 

───そのままアルディアスの頭を胸に抱き寄せた。

 

「……アレーティア?」

 

「アルディアスは弱くなんかないよ」

 

「しかし……」

 

「ご両親のことを思い出すことの何が弱いの? 過去に縋ることの何がいけないの?」

 

「………」

 

 アルディアスを抱きしめながら、アレーティアは優しく語りかける。

 子供に言い聞かせる母親のように。手本を見せる姉のように。共に支える恋人のように。

 

「過去を振り返らず、只々前に進み続ける。確かにそれも立派な生き方なのかもしれない。でもそれは、きっととても辛くて寂しい孤独の道」

 

 アルディアスは強い。誰よりも強い。だからこそ、彼は先頭を歩み続ける。常に茨の道を踏みならし、後続の危険を排除し続ける。

 だが、先頭を歩き続ける限り、アルディアスの瞳には敵しか映ることはない。だからこそ、時には立ち止まっても良い。後ろを振り返っても良い。そこにはきっと……

 

「私達が居る。アルディアスにいつまでもついていく。悩んだら相談して欲しい。辛かったら頼って欲しい」

 

──私達、家族でしょ?

 

「──ッ!」

 

「アレーティアの言う通りです」

 

 アルディアスが硬直していると、背後で黙って話を聞いていたフリードが近付いてくる。

 

「ひたむきに歩み続ける貴方の背中も美点の一つではありますが、全てを一人で背負おうとする、その強すぎる責任感は少し改めて頂きたいところです」

 

 そう言いながら、アルディアスのそばに立ったフリードは、その掌をしゃがみこむアルディアスの頭の上に置く。

 将軍の立場とは言え、臣下として一国の王相手にするには間違いなく不躾に当たる行為。国が国ならば、即刻首を刎ね飛ばされてもおかしくはない愚行。

 しかし、そんな普段の様子からは考えられない行動をするフリードの表情はとても穏やかで……

 

「貴方は優しすぎる。誰にも傷ついて欲しくないから、いつだって一人で抱え込もうとする」

 

「それは、俺がそう誓ったからで……もう何も失わないために。強くあるために……」

 

「弱音を吐くことは弱さではありません。自分の弱さを認め、吐き出し、それでも歩き続ける。それこそ真の強者足り得ると私は思います」

 

「真の……強者」

 

「貴方の支えとなれるならば、何度でもその背を支えましょう。貴方が道を踏み外すようなら、何度でも引き戻そう。お前の力となれるならば、何度でもこの力を貸そう。俺達はお前を信じている」

 

──だから、少しは()()を頼れ。

 

「フリード……」

 

 フリードの自分への言葉遣いにアルディアスは目を見開いた。

 いつからだったか……フリードが自分に対して敬称をつけ、話し方を変え始めたのは。確か魔王に即位して間もない頃だった気がする。

 「二人だけの時は今まで通りで構わない」そうは言ってはいるが、多少言葉の硬さがマシになった程度で、言葉遣い自体が変わることは無かった。

 そのことを不満に思わなかったわけではない。やはり、兄のように慕っていた人物からその様に扱われることに多少なりとも悲しく思った。

 しかし、王という立場に就く以上、避けては通れないと半ば割り切っていた。

 

「お姉ちゃんも存分に頼ると良い」

 

「アレーティア……」

 

 アルディアスが突然のことに呆然としていると、アレーティアが自分のことを忘れるなと言わんばかりに抱きしめる力を強くする。

 

「アルディアスが私を助けてくれた。そのおかげで叔父様が私を愛していたことを知ることが出来た。今度は私が助ける番……アルディアスが私達を助けて、私達がアルディアスを助ける。そうすれば神にだって負けない」

 

「…………そうか、そうだな、そうだった。何も心配する必要などなかった」

 

──両親との過去は弱さの象徴?

 

 そんなわけが無い。あの二人ほど強い人を俺は知らない。

 

──姉と兄のことは頼りにならない?

 

 昔から俺のことをそばで支え続けてくれた。いつだって頼りっぱなしだ。

 

──信じて着いてきてくれた民は足手まとい?

 

 彼らが居たから、折れずにここまで来ることが出来た。

 

──じゃあ、もう大丈夫。

 

 ああ、不安に思うことなど何も無い。俺は俺の役目を果たすのみ。

 

「……すまない。また情けないところを見せた。もう大丈夫だ」

 

「弟の面倒を見るのが姉の役目。情けないところの一つや二つ包み込んで見せるのが良い姉の条件」

 

 そう言って名残惜しそうではあるが、アルディアスを開放するアレーティア。

 「ああ、いつも助かってる」そうアレーティアに伝えたアルディアスがフリードの方に改めて視線を向けると、そこには膝を着いて頭を垂れている()()の姿があった。

 

「申し訳ありません、アルディアス様。臣下としてあるまじき無礼。どのような罰でもお受けいたします」

 

「……やっぱりお前は相変わらずだな。もう少し硬さを無くしても良いと思うんだが……」

 

 先程までは態度から言葉遣いまで、過去のものに戻っていたというのに、少し目を離した隙に兄から臣下へと早変わりしていた。その切替の早さに流石のアルディアスも少し呆れる。

 

(真面目と言えば良いのか、頭が固いと取れば良いのか……少しは感傷に浸る時間を残しておいてはくれないのか、この兄は……)

 

「罰を与えるつもりは無い。そもそも俺としては先程までの扱いを望んでいるのだがな。何なら、堅苦しい扱いを無しにすることを罰とするか?」

 

「そ、それは……」

 

「ハハハ、冗談だ」

 

「フリードは重たく考えすぎてる。もっとフランクにすれば良いのに」

 

「そうもいかん。私が規律を破ればそれは回り回って軍に悪影響を及ぼしてしまう。私から言わせてもらえばアレーティアが軽すぎる」

 

「別にアルディアスが良いって言ってるし。それに本人がそれを望んでる。私は弟の願いをちゃんと聞いてあげる良いお姉さん。頑固な兄と違って」

 

「うぐっ!?」

 

 アレーティアの正論とも言える発言にフリードも思わず口ごもる。アルディアスが自分に求めているものをハッキリと分かっている手前、反論しづらい。

 フリードが反論できないことが分かっているのか、アレーティアも普段の無表情から僅かに口端をつりあげ、ニヤニヤと笑みを浮かべている。

 そんな姉と兄のやり取りを眺めるアルディアスの表情には、もう先程までの暗い表情は一切残っていなかった。何気ない家族のやり取り。アルディアスが見ていたいと願った当たり前の普通の光景。

 

 この光景を守り続けていくためにも、必ず明日を乗り越えなくてはいけない。しかし、何も今から気を張る必要は無いだろう。

 人類の運命を決める戦いを前に、アルディアスは今も言い争う二人の輪に入っていく。

 

 

 

───そしてついに、人類の未来を決める運命の日を迎えた。




>ちょっと弱気になるアルディアス。
 国の王様で、人類最強で、神殺しも成し遂げたアルディアスですが、彼まだ18歳ですよという回。ハジメ達と一つしか変わりません。

>お姉さんするアレーティアとお兄さんするフリード。
 アレーティアはともかく、思えば二話以降お兄さん要素皆無だったフリードにお兄さんさせました。人生経験ではアルディアスよりもずっと豊富な二人。
 尚、部屋に戻った後、自分の姉という印象が強くなってしまったのでは? と一人膝をつく吸血姫が居たとか……


>そしてついに、人類の未来を決める運命の日を迎えた。
 次回から始まるぜ!! みたいな雰囲気出してますけど、なんとまだ始まりません。前書き通り、()()()は終わりました。
 自分でもここまで延びるとは思ってなかったんですが、どうかお付き合い頂けると幸いです。


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第三十三話 【始まりの出会い/Happy Memories】

人類sideが終わり神sideのお話です。
読んでるとこれが何の二次創作か分からなくなってくるかもしれない。


 鬱蒼と生い茂った木々が連なる森林の奥地。

 木々の切れ目から僅かに差し込む陽の光が照らし出す場所に、男──シュパースは居た。

 積もった落ち葉の上に腰を下ろし、太く巨大な木の根元に背を預けて目を瞑っている。

 世界の創造神がこんなところで一体何をしているのかというと……

 

……すう…すう……

 

 眠っていた。無防備に、無警戒に。

 その表情は薄っすらとだが、笑みを浮かべているような気がする。

 過去に戻ることは出来ない。しかし、過去を思い出すことは出来る。

 

 シュパースの見る夢は彼にとっての福音か……それとも……

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

───■■■■年前。

 

 神の国・イーシュバルディ。

 

 建国から八百年の歴史を誇る、人類の歴史上最古にして最新の都市。同時に国としての基盤を盤石なものものとした人類初めての国家。

 広大な面積を誇る都市は、主に十三の地区に区分化されており、商業地区、市街地区、行政地区などの用途別に集約されている。

 全体的にレンガ造りの建物が多く、見た目は中世のヨーロッパ風な雰囲気を醸し出している。

 その各地区の中央を横断するように伸びるメインストリートは都市の中心、神城へと真っ直ぐにつながっている。

 

 その都市の一角、商業地区。国内外問わず、様々な物品がお目にかかれる巨大な市場は、常に多くの人々で賑わいを見せている……が、今日に限っては特別大きな賑わいを見せていた。

 

「創造神様! うちの野菜を見ていってください! 創造神様の奇跡のおかげで今年の出来も最高です!!」

 

「見てください、この猪! 東の森で仕留めたんですが、中々の上物ですよ!!」

 

「うちの新作の──」

 

「この間お世話になった──」

 

 市場で商いを行う商人のみならず、買い物にやってきた住民までもが一人の老人に殺到している。老人は人の波に呑まれ、まともに前に進むことすら出来ない状況だ。しかし、そんなことも露ほど気にしていないのか、老人は笑顔で一人一人に紳士に対応する。

 

「ほう、良い出来です。瑞々しくてとても美味しそうですね」

 

「これ程の獲物、よく仕留められましたね」

 

「良い装飾ですね。私、これ好きです」

 

「ああ、貴方でしたか」

 

 老人からの言葉をもらった人々はそれだけで恍惚とした表情を浮かべる。まるで話しかけられたことが奇跡だと言わんばかりの表情だ。

 だが、それも当たり前だ。彼らが目にしている老人こそ、この世界を創造し、神の国・イーシュバルディを建国した張本人。

 下界に顕現した創造神なのだから。

 

 その後も住民たちが我先へと話しかけ、嫌な顔ひとつせずに対応する中、その声は唐突に聞こえた。

 

「──創造神様」

 

「ッ!?」

 

 凛とした、されど重さを感じせる声が聞こえた瞬間、老人の肩がビクッと跳ねた。

 声の主に気がついたのか、周囲の人々が慌てて道を開ける。あっという間に男から声の主までにの道ができる様はまるでモーゼの海割れのようだ。

 金髪碧眼の整った容姿に、集まった住民、特に貴婦人からは黄色い歓声が上がる。

 そんな熱のこもった視線に一瞥もくれる事無く、男は真っ直ぐ老人の元に向かう。

 

「エ、エリュシファン君……」

 

 エリュシファン・A・イーシュバルディ。

 神の国・イーシュバルディの第一王子。イーシュバルディの国王の長男にして、この国の正当な王位継承者の一人だ。

 

 普段は城下町に降りてくることなど稀な彼が、わざわざ姿を現した目的は唯一つ。

 

「お迎えに上がりました。我が神よ」

 

「ハ、ハハ、どうも……」

 

 護衛をつけずに勝手に城を抜け出したフットワークの軽い神を連れ戻すためだった。

 

 

 ◇

 

 

「城の外に出るなとは言いません。しかし、せめて護衛だけでもお連れください。御身に何かあれば、私は祖先に顔向けできません」

 

「……はい、気をつけます」

 

 場所は変わり、ここは国の中心部。イーシュバルディを象徴する巨大な城、神城メルクダルス。

 メイドや騎士達に頭を下げられながら、二人は王の待つ玉座の間に向かっていた。

 

 創造神が城を抜け出すのはこれが初めてではない。この老人、何故か毎回護衛の隙をつき、誰にも告げずに城下町へと繰り出す悪癖があるのだ。護衛をつけてくれさえいれば、特に止める理由もないのだが、それが守られたことは一度しかない。

 これはエリュシファンは知らないことなのだが、護衛を付けてしまうと、やれ危険だ、やれ毒見だ。などとおちおちと街を回れないため、老人も毎回注意されると分かってながらも一人で城を抜け出すようにしているのだ。

 

(エリュシファン君が護衛につくという話も出ましたが、彼、無駄に真面目ですからねぇ)

 

 容姿端麗。頭脳明晰。剣を持てば国内で五本の指に入るほどの腕前を持ち、魔法の才に関しては、既に父である王を超え、名実共にイーシュバルディ最強と名高い実力を持つ。

 天は二物を与えずという言葉があるが、そんなこと知るものかと言わんばかりの完璧超人がエリュシファンという男だ。

 しかし、二物を与えることはあっても、欠点まで取ることは無かったようで、彼はその真面目すぎる性格が災いしてか、融通がとても効かない。確実に普通の護衛をつけるよりも面倒なことになる。

 

 そんな事を考えていると、目の前に荘厳な大扉が見えてきた。その両脇には今にも動き出しそうなほど精巧に造られた二体の天使の像。

 エリュシファンが扉の前に立つと、ひとりでに扉が開いていく。

 

「父上、只今戻りました」

 

「おお、創造神様! お帰りなさいませ!」

 

 扉を潜ると、中央に真紅の絨毯がまっすぐ延び、その脇を幾人もの騎士や文官が並んでいる。その先には天井まで届くほどの水晶の細工が施された豪華絢爛な玉座とその側で立っている人物。

 

 グラシアーノ・A・イーシュバルディ。

 イーシュバルディの現国王を務める初老の男だ。すでに老体にも関わらず、その肉体からは老人とは思えないほどの覇気と威厳に満ち溢れている。

 グラシアーノは自分の姿を捉えると、笑顔で近づいてくる。

 

「すみません、グラシアーノ君。またご迷惑かけたようで……」

 

「お気になさらずに。こうして戻ってきてくだされば何も問題はございません。ささ、お疲れでしょう? どうぞ、玉座へ」

 

「……ええ」

 

 グラシアーノの指し示す先、この世の富と美を集結させたかのような玉座を視界に入れ、私は思わずため息をつく。

 玉座とは本来はその国の国王が腰掛けるためのものなのだが、この国ではその限りではない。国を運営、統治するグラシアーノではなく、文字通り、この国を創り上げた神のために製造された神の椅子なのだ。

 代々、王の上に神が君臨することでその形を成す国。故に神の国。

 その玉座は数百年前に当時のイーシュバルディの王や民達の手によって製造されたものなのだが、正直私はその玉座を見るたびに何とも言い難い気持ちに陥る。

 彼らが自分に贈り物をしてくれたことは素直に嬉しい。嬉しいのだが……

 

(趣味じゃないんですよね〜)

 

 そう、単純に自分の趣味に合わないのだ。彼らはとにかく、豪華に、威厳が感じられるようにデザインをしたらしいのだが、あまりきらびやかなのは好きじゃない。

 個人的には城下町が見下ろせる、景色の良いテラス辺りに木製のベンチを置いてくれるだけで良いのだ。

 しかし、玉座の製造はサプライズだったのか、自分には内緒で行われており、どう考えてもかなりの手間隙をかけて作られたものに対して「趣味じゃないです」などと言えるわけがなかった。

 

 渋々玉座に座ったが、その座り心地は悪くない。むしろ良すぎるくらいだ。これでもっと簡素なデザインだったのなら何の不満もなかったのだが。

 

「創造神様。以前お話した件なのですが……」

 

 すると、グラシアーノ君がこちらの機嫌を伺うように問いかけて来る。

 

(以前?……ああ、そうでした)

 

「例のものなら完成しましたよ」

 

 そう言って右手を前にかざすと、玉座の間を眩い光が包み込む。その光にその場にいる全員が思わず腕で顔を覆う。そうして光が次第に収束すると、そこには一本の純白の剣があった。

 

「おおッ」

 

 鞘に収められて尚、剣から発せられる言い表せられないほどの威圧感と神聖な力に無意識にグラシアーノの口から思わず声が漏れる。

 

「”神剣フラガラッハ”──それがこの(つるぎ)の銘です」

 

 『回答者』『報復者』という意味を持つこの剣の能力は単純明快。

 

──『絶死』──

 

 その名の通り、刃で切り裂いた対象の命を刈り取る力。例え、相手がどのような魔法を行使しようとも、それこそ人知を超えた力を持っていようとも殺し切る能力だ。例え、どんな力を持ってしても治療も蘇生も叶わない。

 

──それこそ、神の力を持ってしても。

 

 何故このような剣を創り出したのか。理由は単純。この国の防衛のためである。

 私が予てよりも懸念する事態。それが自分と同個体の出現である。

 気付いたらそこに居た。どのように生まれたのか。何のために生まれたのかは分からない。しかし、結果として自分は生まれた。

 ならば、また同じような事が起こらないと何故断言できる? もし、生まれた場合、それが自分達と敵対する可能性は? その時、自分は彼らの側に居られるか? 私がいない場合の対抗手段が必要なのではないか?

 そのような理由により生まれた剣。つまり、この剣があれば、人の手によって神を殺すことも可能なのだ。

 

「これが……」

 

「但し、いつ誰でも扱えるというわけではありません」

 

 震える手でその剣を受け取ろうとしたグラシアーノだったが、その前に彼にいくつか制約を説明する。

 

 一つ、剣を握れるのはイーシュバルディ王家の血を継ぐ者だけ。

 二つ、剣を抜くことが出来るのは、所有者が真にこの国に災厄を招くと判断した存在に対してのみ。

 三つ、剣の力を発揮させるにはイーシュバルディの全国民の三割の同意の意志が必要。

 

 国を守るために創り出した”神剣”だが、その能力の凄まじさ故に、簡単に持ち出されてしまっては困る。その為に定めた制約。

 使い手の制限。使用条件の制限。個人の私物化の制限。

 それらによって、万が一にも”神剣フラガラッハ”が悪用されることを防ぐためだ。

 

(まあ、彼らがそんな事をするわけがありませんが)

 

 それでも人の手に余る力であることは変わりないため、念の為の措置だ。

 

「緊急時以外は城の中で保管しておくようにお願いします」

 

「もちろんでございます」

 

 そう言って受け取った剣を見て、グラシアーノは恍惚とした表情を浮かべる。

 周囲の騎士や文官たちも「おおっ」と歓喜の声を上げる。

 

「それで、グラシアーノ君。何か私にやるべきことはありますか?」

 

「いえ、先日新兵の”白華(ロスノワール)”を行って頂いたばかり。創造神様はごゆるりとお過ごしください」

 

 ”白華(ロスノワール)”──それは神がイーシュバルディの兵士全員に施す儀式の名だ。

 兵士一人一人に神の力を分け与え、その人物の潜在能力を解き放つことで、以前とは比べ物にならないほどの力を身につけることが出来る。イーシュバルディの兵士たちは訓練兵を経て、一般兵になるときにこの儀式を受けることでようやく一人前と認められる。

 とはいえ、全員が同じだけ力を得られるわけではない。一人一人力を内包できる器には差があり、その器の許容量を超えてしまうと肉体が崩壊を始めてしまう。その限界値を見極め、危険のない範囲で力の受け渡しを行う関係上、儀式は安全を考慮し、人数にもよるが、かなりの時間を有して行われる。

 ちなみにここ百年ほどの間に、神の力を多く取り込むことが出来たのが、イーシュバルディ最強と名高いエリュシファンである。

 

「……そうですか。では、今日は城内でゆっくりと過ごさせていただきます」

 

「はい。何か御用が御座いましたらすぐに我々に」

 

 こちらに深く一礼したグラシアーノはすぐに”神剣フラガラッハ”を持った側近とともに玉座の間から姿を消した。恐らく、剣の保管に向かったのだろう。

 

 その背を見送った私は、玉座に深く背中を預け一息つく。

 

(せっかくの好意ですので、今日は一日ゆっくり過ごしましょうか)

 

 

 ◇

 

 

「……よし、上手く抜け出せました」

 

 数時間後。何処までも澄み渡る青空の下、創造神は平原に引かれた長い一本道を歩きながら小さく呟いた。

 辺りに人影は一切無い。この老人、性懲りもなくまた城を抜け出した。背後に巨大な都市が見えることから、城どころか国を抜け出したようだ。今頃事態に気づいた城内がまたパニックになっていることだろう。

 

 少し前に一日ゆっくり過ごすと決めたばかりだったはずなのだが、やることがないということが逆に退屈に感じ、早々に飽きが来てしまった。いつもどおり、都市をふらふら回ろうとも思ったが、一度連れ戻されてしまっている手前、巡回する兵士に見つかってしまう可能性も高く、それならいっそ国の外に足を向けようと思った次第だ。

 国を通して各地の様々な情報は自分の耳に入ってくるが、どうしても洩れというものは出てきてしまう。十年程前にもそれで対応が遅れ、犠牲者が出てしまったことがあった。

 

「さて、出てきたは良いものの、何処に向かいましょうか……まあ、気の向くままにふらつくのも良いのかもしれません。私のやるべきことは無いようですし、久しぶりに世界を回るのも良いかもしれません。一日二日戻らなくても平気でしょう」

 

 全然平気ではない。確かにグラシアーノはゆっくり過ごすように言ったかもしれないが、それはあくまで今日の話だ。しかも暇が出来たからと言って国の外に出るとは微塵も思ってない。

 自分達が崇める神が突然姿を消せば、国の混乱は計り知れない。建国から八百年の月日が流れているというのに、その辺りの事情を察せられない辺り、やはり神と人では価値観が大きく異なると言えるだろう。

 

「……フム、風は南に吹いていますね。では南に向かいましょう」

 

 そんな事に気づくこともなく、創造神は呑気に平原を歩き始めた。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「ほぉ、中々見事な湖ですね。こんなところにこのような場所があったとは……」

 

 風の赴くままにふらふらと歩き続けた私が辿り着いたのは、木々の隙間から覗く陽の光でキラキラと宝石のように光り輝く美しい湖畔だった。

 獣道を通った先に見つけた、まさに自然が作り出した天然の絶景。城から見下ろす城下町も捨てがたいが、こういった光景もまた乙なものだ。

 

「グルルルッ」

 

「ん?」

 

 すると、背後で突然獣の唸り声が聞こえ、私が後ろを振り向くと、二メートルはある大きな大熊が歯をむき出しにしてこちらを睨みつけていた。

 どうやら気付かぬ内に彼の縄張りに入ってしまったようだ。

 

「すみません。君の縄張りを土足で汚してしまったようですね。すぐに立ち去るので──」

 

「グオオオオオオ!!」

 

 謝罪をし、すぐに立ち去ろうとしたが、そんな暇も与えずに雄叫びとともに襲いかかってきた。

 野生の熊程度では何をしようともこの体に傷をつけることは叶わないが、自然界のルールを破ったのはこちらだ。自分の身勝手でそこに生きるものを傷つけるわけにはいかない。

 すぐにその場から離脱しようとした瞬間……声が聞こえた。

 

「止まって!!」

 

 声のした方に私が振り向くと、そこには一人の少女が焦った様子でこちらを見ていた。

 こんな森の奥地に子供が居ることに首を傾げていると、目の前の熊の様子の変化に気付いた。

 

「……熊が止まった?」

 

 上体を持ち上げ、今にもその鋭い爪を振り下ろそうとしていた大熊がピタリと動きを止めた。終いには自分に背を向け、少女に擦り寄って行った。

 

「間に合って良かった。お爺さん、大丈夫?」

 

「ええ、私は問題ありません。それにしても、よく懐いていますね」

 

「小さい頃からよくここに来てて、気付いたら……」

 

 純白の髪を肩口で切り揃え、同じく真っ白なワンピースを着た少女。年の頃は十代前半といったところだろう。

 

「私以外の人がここに来るのは珍しいから皆警戒してたの」

 

「……皆?」

 

 私が首を傾げていると、少女が辺りを見回す。それを追うように視線を巡らせると、木々の隙間からこちらを覗き込むように動物たちが警戒している姿が見えた。

 気配で何か居ることには気付いていたが……なるほど、この湖は言わば、彼らの憩いの場ということか。

 

「すみません、私が勝手にお邪魔してしまったようですね」

 

「ううん、ちょっとびっくりしただけで、別に迷惑してたわけじゃないよ。それよりこの子がごめんね。森の皆を守ろうとしただけなの」

 

「グルゥ」

 

 少女が「ダメだよ!」と叱りつけると大熊はその巨体を小さく丸めシュンと縮こまってしまう。

 小さな少女に叱られる大熊というシュールな光景に思わず笑みが溢れる。

 

「ふふ、悪いのはこちらですから、あまり叱らないであげてください」

 

「うーん、お爺さんがそう言うなら……それで? お爺さんは何で一人でこんなところに?」

 

「ただの散歩みたいなものですよ。それで君は……えっと、名前をお聞きしても?」

 

「私? 私の名前は”ロシーダ”。お爺さんは?」

 

 そう言って少女はコテンと首を傾けた。

 

 

───それが、私の運命を大きく変えることになる少女(ロシーダ)との出会いだった。




唐突に始まる過去編。個人的には二話長くても三話で終わらせたいなと思ってたけど書き始めたらちょっと長引きそうな予感。

オリキャラ紹介

>エリュシファン・A・イーシュバルディ

 イーシュバルディの若き王子。23歳。金髪碧眼のイケメンで剣と魔法の才にも溢れる出来すぎた主人公みたいな男。欠点を上げるなら、真面目過ぎて融通が効かないところと名前が少し言いづらいところ。

>グラシアーノ・A・イーシュバルディ
 イーシュバルディの現国王。58歳。息子と同じ金髪碧眼でイケメンならぬ、イケオジ。既に魔法の才で上をいった息子に王位を継承する準備を少しずつ始めている。

>ロシーダ
 ミレディが実家の書庫で見つけた本の作者。12歳。

 オリキャラが一気に出たので一応ざっくりとした紹介を載せておきました。予定ではこれ以上のオリキャラを出す予定はありません。


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第三十四話 【分岐点/Happy Memories】

過去編ってどの作品でも結構賛否あるから不安だったけど、お気に入りだけでなく評価数まで減って身を持ってその難しさを体感しました。


「……お爺さんって神様なの?」

 

「はい。こう見えて神様なんです」

 

 私と少女──ロシーダ君はあれから湖の畔に腰を下ろし、雑談に興じていた。

 数百年前までは世界中のあちこちに顔を出していたため、私を知らない人の方が珍しかったが、イーシュバルディが国として機能するようになってからは、自身は国内に留まり、神個人としてではなく、国として動くことが多かった。

 国外に住まう人々も、自身の存在は知っていても、実際にその姿を見たことがあるという人の方が少数だ。精々が肖像画で見るくらいだろう。

 

「へぇ。てことは、お爺さんって私達のお父さんってことなんだ」

 

「……お父さん?」

 

「うん。だって私達を生み出してくれたんでしょ? それならお父さんでしょ」

 

 ロシーダの言葉に思わずポカンと口を開ける。

 お父さん──まあ、確かに人類の生みの親という点では間違ってはいない。間違っていないが、そんな風に言われたことが無いので何となく新鮮味を感じる。

 

「ふむ、悪くないですね」

 

 グラシアーノ君やエリュシファン君達もそう呼んでくれないだろうか。

 少し考えたが、すぐに無理だろうと頭を振って否定する。彼らに限らず、イーシュバルディの国民はもれなく全員が自分の事を超常の存在として崇拝している。今更そんな気安い関係など不躾だと感じてしまう可能性が高い。

 それに対して、目の前の少女は彼らとは全く違う。

 まず、私が神と知って驚きはしたが、言動に一切の変化が見られない。ただそれは嘗められているとかそのようなことでは無く、気負わずに接してくれるその性格に好感すら抱く。

 そして何よりも特に目を引くことが……

 

(何という潜在魔力。これはもしかしたら、エリュシファン君よりも……)

 

 小さな身体に内包する途轍もない魔力。年齢を聞けばまだ十二歳らしい。未だに成長期真っ只中でありながら、その才に思わず驚愕した。正に数百年、いや数千年に一人の逸材と言っても良い。果たして私が見てきた人類の中で彼女に匹敵する存在がいただろうか。

 

(もし、彼女に私の力を分け与えた場合、一体どれほどの………いや)

 

 興味が無いと言えば嘘になる。しかし、彼女は兵士ではない。話をした感じ、戦いを好むような性格でもない。彼女が望むのなら力を分け与えるが、そうでないのなら手を貸すべきでは無い。

 

「──さん。お父さん聞いてる?」

 

「ん? ああ、聞いていますよ。というかお父さん呼びで決まりなんですね」

 

「ダメだった?」

 

「いえ、構いませんよ。新鮮ですし。ですが、ロシーダ君のお父さんに申し訳ないですね」

 

「……両親は、私が小さいときに死んじゃった」

 

 何気なく発された言葉に流石の私も少し固まる。

 よくよく考えれば、このような森の奥にこんな小さな少女が一人でいることがおかしい。

 

「……それは、何かの病気で?」

 

「まあ、そうだね。二人共流行り病にかかって……あっという間だったみたい」

 

 ”流行り病”。その言葉に引っかかりを覚えた私は、彼女に病の名称を聞くと案の定、十年程前に私が原因を解明した病原菌によるものだった。

 

 国の通して知らされた原因不明の病の蔓延。人から人へと感染するそれは、またたく間に広がりを見せ、感染した者の魔力を暴走させ、三日と待たずに死に至らしめる恐ろしいものだった。

 連絡を受けた私はすぐさまその異変を解決するべく動いた。神からすれば、病原菌などなんの脅威にもならず、その病はまたたく間に収束を見せた。

 ……が、もちろん犠牲者が0だったわけではない。亡くなって間もない者は私ならば蘇生させることが出来る。しかし、感染によって亡くなった者の遺体を放っておけば、更に感染者を増やす危険性があったために、遺体を火葬されてしまっていたのだ。

 いくら私でも肉体も魂も無い者を蘇生させることは出来ない。

 家族を失ってしまった人々の中には、やるせない感情を視線や態度で私に訴えかけてくる者も居た。

 家族を奪った原因を解決してくれたことには感謝しているが、もっと早く来れなかったのか。神だろう。そんな声無き声がハッキリと感じ取れた。

 そばにいたエリュシファン君がそんな彼らに怒りを覚え、詰め寄るのを何とか宥めるのに苦労したことをよく覚えている。

 

(その時の彼女の年齢は一歳か二歳位のはず。当時のことを詳しく知らなくても無理はない)

 

 そうでなければ、自分に対してここまで気軽に接してくるわけがない。私がもっと早く動けていれば、彼女の両親が亡くなることはなかったのだから。

 彼女は知る権利がある。少なくとも、原因である私が黙って彼女と親交を結ぶわけにはいかない。

 国の民とは違う。ありのままで接してくれる彼女に距離を取られることは悲しいが、仕方がないと割り切るしか無い。

 

「ロシーダ君。実は──」

 

 私は彼女に全てを話した。私が病の原因を突き止め、それを排除したこと。その時の感染者や遺体が残っていた者に関しては蘇生させたこと。そして、私がもっと早く動いていれば君の両親は助かったかもしれないということ。

 最初は首を傾げて不思議そうにこちらを見上げていたロシーダだったが、話の内容が飲み込めてくると、真剣な表情で黙って私の話を聞き続けた。

 

「──君の両親が助からなかったのは私の責任でもあります。申し訳ありません」

 

 最後に頭を下げて謝罪する私を見て、今まで黙っていた彼女がようやく口を開いた。

 

「そっか…………ありがとう」

 

「……え?」

 

 恨み言の一つでもぶつけられることを覚悟していた私に掛けられたのは、感謝の言葉だった。

 驚いた私は慌てて顔を上げると、そこには薄っすらと笑みを浮かべた少女の姿があった。

 

「私は君の両親を助けられなかったのですよ?」

 

「助けられなかったのは私も同じ」

 

「君はまだ子供で……」

 

「他の大人達でもどうしようもなかったんでしょ?」

 

「私はどうにかすることが出来ました」

 

「してくれたんでしょ? そのおかげでそれ以上の犠牲者は出なかった。当時は私も小さかったから全部を覚えてるわけじゃなし、実を言うと両親のこともあんまり覚えてない。それでも二人が私のことを大切に想っていてくれていたことは何となく覚えてる」

 

──だから、ありがとう。皆を助けてくれて。

 

 その言葉に思わず私は目を見開いた。

 確かに私の行いで被害は最小限に留められただろう。百人が聞けば九十九人は私の行いを称えることは間違いない。しかし、残りの一人、被害を受けた者からすれば簡単に良かったで済ませられることではない。

 

「……君は」

 

「うん?」

 

「君は何故、そのような考えを持てるのですか? 私には君達を導く義務と力があります。助けられて当たり前。零れ落ちてしまったのは完全に私の落ち度なのです。君は私を罵る権利があります」

 

「そんなことしないよ」

 

「それは何故?」

 

「何故って言われてもなぁ。お父さんだって頑張ってるし。頑張って頑張って、それでも手が届かなかったことを批難するのは間違ってると思う」

 

「それは……」

 

「あっ、でも気に入らないことが一つだけ」

 

 薄く笑みを浮かべていたロジータ君が突然眉を顰めてこちらを睨みつけてきた。そのことにやはり多少なりとも思うことはあるのだろうと、何を言われても受け入れる態勢を取る。

 

「自分が批難されるのが当たり前と思ってるのが気に入らない」

 

「へ?」

 

 予想もしてなかった言葉が彼女の口から飛び出して思わず目が点になる。

 

「だって、お父さんのおかげで何人もの人が助かったんだよ。そんな暗い顔しなくても、もっと胸を張れば良いのに。それに他の人達もそう……皆、何かあったらすぐ「創造神様に〜創造神様に〜」って。少しは自分達でやろうとしようとは思わないの!? そうは思わない!?」

 

「え!? いや、えっと……でも私が頑張ればいい話で──」

 

「甘い!! お父さんがそんなんだから皆自分で頑張ろうって気にならないんだよ!! そこのところ分かってる!?」

 

「あ、はい、すみません」

 

「大体──」

 

 そこからはまるで決壊したダムのように彼女の口から不満が出るわ出るわ。私の第一印象としては物静かな雰囲気を纏っていて、淑女という言葉が似合うような少女だったのに、表情をあまり変えずに不満を口にする様子には違和感しか覚えない。

 

「──だから……はあ、まあいいや。とりあえず私が言いたいことはね。人類(私達)はそんなに弱くないよ」

 

「……」

 

 そんなことはない。人は簡単に死ぬ。私と違い、百年も生きられず、短い人生の中でも様々な苦難が待ち受けている。()が居なければ簡単に滅んでしまうような弱い生き物だ。現に私からすればどうってこと無い病原菌一つで多くの人が成すすべなくその生命を散らしていった。

 ロシーダ君はまだ十二歳。君の価値観で測れる程、世界は狭くもないし優しくもない。年長者として、いつかはぶつかる壁かもしれないその事実を伝えなくてはならない。

 それなのに……何故だろうか。彼女の瞳を見ると、そんな否定の言葉が喉に引っ掛かり上手く出てこない。

 そんな私の心情を汲み取ったのか、彼女はまるで諭すように語りかけてくる。

 

「確かにお父さんに比べたら、ちっとも強くないのかもしれない。何回も失敗するかもしれない。私だってまだ子供だから森に入るのは危険だって言われてるけど、ここまで一人で来れたし、皆とも仲良くなれた」

 

 ロシーダ君の言葉に私達……というよりも、私から距離を一定に保っていた動物達が近寄ってきた。

 魔法の中には動物を使役する類のものもあるが、彼女がそれを使っている素振りはない。信じられないことだが、魔法抜きで彼らと友好を育んでいるのだろう。普通できることではないし、そもそもやろうとも思わない。

 それでも彼女はそれを成し遂げた。いや、成し遂げるなんて大層な考えを持ってなどいないだろう。

 

「一人で頑張れるのは確かに凄いけど、それって寂しくない? きっと皆で頑張った方が楽しいと思う」

 

「皆で頑張る……」

 

 考えたことも無かった。私にとって人は守るべき対象で、庇護しなくてはいけない存在だった。人が何人集まろうとも私には遠く及ばない。だから……

 

「……すぐには無理そう?」

 

「そう、ですね。守るのが当たり前。ずっとそう考えてきましたから」

 

「ならせめて、ここでくらい肩肘張らなくても良いと思う。ここには私やこの子たちしか居ないし、神様だってたまには弱音を吐いたって良いんじゃない?」

 

「しかし、それでは君に迷惑が……」

 

「ハァ、お父さんは普段から頑張ってくれてるんでしょ? それに話を聞くくらいなんてこと無いよ。気を使いすぎ。そんなに色々気難しく考えてたらハゲるよ」

 

「ハ、ハゲるのはちょっと……」

 

 思わず自分の頭を抑えて戦慄する。神は不変。故に容姿が変わるといったことはないのだが、何となく背筋がゾワッとした。この子はなんて恐ろしいことをさらっと言うのか。

 

(それにしても弱音を吐いても良い……か。特別無理をしているとかそういう風に思ったことは無いんですが)

 

 それこそ、国を創る前から当たり前のようにやってきたことだ。やりたくてやっているのだから、それを辛いと感じたことなどなかった。それでも彼女から見たら、無理をしていると見えたのだろうか。

 今まで見たことが無いタイプ。私に助けを求める者は何人も居たが、手を差し出してくる者は一人も居なかった。私の後ろについてくる者はいたが、隣に並ぼうとする者は一人も居なかった。

 

(もしかしたら、私は(彼ら)を信じていなかっただけなのかもしれません。人の可能性。彼女と居ればそれが分かるような気がする)

 

「……分かりました。では、遇にで良いので話を聞いてもらってもいいですか?」

 

「ッ!──うん、私で良ければ」

 

 私の言葉を受けてロシーダ君は笑顔を浮かべた。それは先程までの僅かに口角が上がる程度のものではなく、花が咲いたような満面の笑みだった。

 

(年齢の割に随分落ち着いた子だなとは思ってましたが、笑顔を浮かべた時の顔は年相応ですね)

 

 今日は良き日だ。何気なく辿り着いた地だったが、思いもよらない出会いがあった。神は不変。しかし、世界をより良くするためには私も変わっていかなければいけないのかもしれない。

 まあ、今日のところは──

 

「そろそろ日が沈む。今日はこの辺りで帰りましょうか。家まで送りますよ?」

 

「え!? い、いやいや、良いよ。悪いし」

 

「子供が遠慮するものじゃありませんよ。というか、ここで放っておく方が心配です」

 

「え、え〜と……その……」

 

「?」

 

 突然あたふたとし始めたロシーダ君の姿に私は首を傾げる。最初はわざわざ私に送らせることに気を使っているのかと思っていたが、どうもそれだけではない気がする。

 何か理由があるのかと考えていると、ふと、彼女の言葉が蘇った。

 

『確かにお父さんに比べたら、ちっとも強くないのかもしれない。何回も失敗するかもしれない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、ここまで一人で来れたし、皆とも仲良くなれた』

 

「……なるほど。家の人に黙って来ている手前、私が一緒に居たら、森に入ったことがバレてしまう、ということですね」

 

「ッ!?」

 

 この子が両親を失った年齢を考えれば、これまで一人で生きてきた、なんてことはありえないはずだ。

 

「私も一緒に謝ってあげますから、帰りましょう?」

 

「子供扱いしないで」

 

「だって子供ですもん」

 

 頬を膨らませて不機嫌な様子を見せるロシーダ君の姿に、思わず笑いが溢れる。

 かなり大人びてるとは思っていたが、そういうところはまだまだ子供っぽい。

 

「ほら、行きますよ」

 

「だからいいって。勝手に森に入ったことがバレたら、ここに来づらくなるし……」

 

「むっ……」

 

 それは……少し可哀想な気もする。彼女がこの場所や動物達のことを大切に想っていることは、この少ない時間でもよく分かった。それを奪ってしまうのは何となく気が引ける。

 ここの動物達は彼女に懐いているようだし、下手にここ以外の場所に行かれるよりかは危険はずっと少ないだろう。

 

「……分かりました。ではせめて森の出口まではご一緒します。それぐらいは構わないでしょう?」

 

「それなら、まあ……うちはあっち」

 

 先導するロシーダ君の隣を私は歩き出す。

 

「お父さんって結構暇なの?」

 

「失礼なこと言いますね。こう見えて国のトップなんですよ?」

 

 夕日を背に並んで歩く様はまるで仲の良い親子のようだった。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 翌朝。

 イーシュバルディ城下町。そこには創造神の姿があった。

 日が昇ったばかりの早朝ということもあって、普段は多くの民で賑わうメインストリートも今は人も疎らだ。

 元々の予定では数日空ける予定だったのだが、とある少女との邂逅を経て、一度国に帰ることにした。

 

「あっ、創造神様!」

 

 それでも目敏く自分の姿を見つけた妙齢の女性が表情を明るくしながら駆け寄ってくる。女性が近づいてくるにつれて、私はその顔には覚えがあることに気付いた。

 確か、農業を営む女性だった気がする。彼女に限らず、国の食事事情に直結する彼女らの頼みを聞くことは、他と比べてとても多い。純粋に作物の成長を促進させることもあれば、嵐などで駄目になってしまった作物の再生などを頼まれることが多い。

 

「おはようございます、創造神様。お早いですね」

 

「ええ、ちょっと野暮用がありまして」

 

 一応城を抜け出してきた手前、実は今の今まで国の外に出ていました。とは流石に言えず、少し濁して伝えると、女性は特に疑う素振りは見せずに「そうなんですね」とにこやかに納得する。

 

「それで、私に何か御用ですか?」

 

「はい。実はまた創造神様のお力をお借りしたく……」

 

 話を聞くとやはりいつもどおり、新しい作物を育て始めたので、その成長の促進を促して欲しいというものだった。

 本来作物を育てるためには、その作物に合った土や気候、十分な水分や害虫対策などやらなくてはいけないことは山程ある。しかし、私が力を使えばその限りでは無い。収穫するまでの時間を大幅に削減し、害虫などの被害も無い。更にその味はお墨付き。ともなれば、誰もが私を頼るのは当たり前だろう。

 

「なるほど、話は分かりました。では早速……」

 

「? 創造神様?」

 

 いつもと変わらぬ日常。大切な子供から頼られればそれを叶えるのが私の務め。それが当たり前だった。しかし──

 

(私達)はそんなに弱くないよ』

 

 脳裏に蘇るは、今日会ったばかりの少女の言葉。

 

「…………」

 

「あの……どうかしたのですか?」

 

「いえ、何でもありません。ではこれを」

 

「……えっと?」

 

 女性は私が取り出したものを見て首を傾げた。白い粒状のものが詰め込まれた大きな袋。所轄、肥料と呼ばれるものだ。

 

「私が調合した特製配合肥料です」

 

「肥料なのは分かりますけど……」

 

「いきなりで困惑するかもしれませんが、私だけの力で育てるよりも皆で育てたほうが良い出来になると思うのです。少し手間は掛かりますが、どうでしょうか?」

 

「……創造神様がそうおっしゃるのなら」

 

 いきなりの私からの提案に、困惑した表情で私の顔と手元の肥料を交互に見つめる女性だったが、それでも私の言うことを信じて肥料を受け取ってくれた。

 そのまま深く一礼した彼女は受け取った肥料を抱えて去っていった。

 その後姿を見て、私は満足げに頷く。

 

(少しずつ。少しずつで良いのです。私が出しゃばらず、彼らが活躍する機会を増やしていけばきっと……)

 

 きっとその先に、私が居なくても世界が平和に成立する基盤が出来上がる。そうすれば、本当の意味で誰しもが幸せな世界に……

 

 何の変哲もない日常の朝。誰もがいつもどおりの一日を始めようとする中での一幕。

 大海原に小石を投げ込んだレベルの小さな変化。それでも今日をきっかけにこの国は大きく変わっていくことになる。

 

──それが、世界の破滅に繋がる分岐点となったことなど、この時は誰も気付いていなかった。




過去編は後二話で終了予定です。


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第三十五話 【変化と決断/Happy Memories】

 森林地帯の奥深く。

 天高くそびえる木々を縫うように進んでいくと見える小さな湖畔。

 人の手が届いてないそれは、乱雑なれど自然によって培われた一種の幻想的な光景を創り出していた。

 そして、その湖畔の縁に一人の老人──創造神が目を瞑り、木々の縫って流れる風を感じながら横になっていた。

 ある日を境に、彼のお気に入りの場所と化した湖畔。流石にやるべき責務がある以上、頻繁に来ることは出来なかったが、それでも暇さえあればここに来るほど、彼はここが気に入っていた。

 そんな彼の顔に影が差した。

 

「お父さん、寝てるの?」

 

「起きてますよ」

 

「……何してるの?」

 

「風情を感じてました」

 

「……?」

 

 私の顔を覗き込むように見下ろす少女──ロシーダは「ふぜい?」と首を傾げる。

 そんな彼女の姿を片目だけ開けてじっと見つめる。

 肩口で切り揃えられていた純白の髪は背中に届くまで伸び、今はリボンで一纏めにして纏められている。所轄ポニーテールと言われる髪型だ。

 私の腰程度だった身長は10cm程も伸び、体つきも女性特有のものへと変化していた。

 

 私がロシーダと出会ってから既に三年の月日が流れていた。

 少女から大人の女性に片足を踏み入れ始めた彼女は、自分の目から見ても非常に美しく育ち、最近は彼女に言い寄る男も居るらしい。

 それを聞いた私は、その男がロシーダに相応しいか確かめるために少し”お話”をしに行こうとしたが、他ならぬ彼女本人に止められた。

 そもそも今は恋人とか興味ないし、それっぽい誘いは全て断っているらしい。

 ちなみに、誰にでも名前を君付けで呼ぶ私だが、本人から「何か壁があるから嫌だ」との言葉を貰い、呼び捨てで呼ぶようにしている。

 

 首を傾げていた彼女はそれ以上考えても無駄だと判断したのか、肩を竦め私の隣に腰掛ける。

 

「決まったよ、名前」

 

「……名前?」

 

「忘れたの? お父さんが名前無いって言うから私が付けてあげるって」

 

「……ああ、そういえばそんな事言ってましたね」

 

 数日前のことだ。どんな会話の流れだったかは覚えていないが、突然ロシーダが私の名前を訪ねてきた。周りの人に聞いても「創造神様は創造神様だから」としか答えてもらえなかったようで、それなら本人に聞いてみようと思った次第らしい。

 しかし、生まれてこの方、神としての呼称以外で呼ばれたことがなかった私は素直に名前が無いことを告げた。すると彼女は目に見えて驚いた後……

 

『名前が無いなんて可哀想。それなら私が付けてあげる』

 

 そう言った後、顎に手を当て、「むむむっ」と頭を捻り始めた。

 正直、あっても無くてもどちらでも構わないのだが、せっかく彼女が真剣に考えてくれているのだから聞くだけ聞いてみようと思い、待っていたのだが、中々良い名前が思いつかなかったようで、次会うときまでに考えておくと次回に持ち越しになった。

 

「それで、決まりましたか?」

 

「……シュパース」

 

「シュパース?」

 

「うん。『楽しみ・楽しむ』って意味なんだって。最近何か楽しそうにしてるし、私も一緒にいて楽しいし、ピッタリかなって」

 

「シュパース……シュパースですか…………うん、良いんじゃないですかね」

 

「本当? 良かった、気に入らなかったらどうしようと思ってたよ。他にも『冗談』って意味もあるみたいだし、存在が冗談みたいなお父さんにはピッタリかなって」

 

「存在が冗談みたい!?」

 

 いきなりの暴言に私は目を見開いて驚愕する。これはもしや、あの有名な反抗期というやつでは無いだろうか。

 ある程度まで成長した子供が必ず通ると言われている、親からすれば地獄の期間。可愛がっていた子供からウザがられ、酷いと顔も合わせてもらえないという。

 戦々恐々としている私の心情を見透かしているのか、ロシーダはクスクスと笑みを浮かべる。

 

「ウソ。ちょっとからかっただけだって」

 

「心臓に悪いですよ」

 

 私がわざとらしく胸を抑える仕草を取ると、ロシーダは「ごめんごめん」と笑いながら謝罪する。

 私を崇拝する者がこの光景を見れば、白目を剥いて気絶しかねない光景だったが、私達からすればいつもと変わらない日常の光景だ。

 ロシーダが自分の事を”お父さん”と呼ぶことを新鮮だからという理由で受け入れていた私だったが、彼女と同じ時間を過ごす内に、彼女の人となりを知り、謙虚なれどハッキリと自分の言葉を伝えてくる彼女の在り方に好感を抱くのに時間は掛からなかった。

 今では彼女の将来が気になったり(主に恋人関連)いつか彼女にもウザがられたりすることがあるのでは無いかと戦々恐々したりと、まるで本当の父親のような気持ちになっていた。

 

「……うん」

 

 すると、突然ロシーダが一つ頷き、上半身を持ち上げる。私が首を傾げながらそれを見ていると、懐から取り出したメモ帳のようなものにサラサラと何かを書いていく。

 

「それ、何ですか?」

 

「ん? ネタ帳。ちょっと本を書いてみようかなって」

 

「本?」

 

「うん、子供でも見やすいように絵本なんか良いかなって思ってるんだけど……」

 

「どんな内容なんですか?」

 

「んー……まだ秘密。でも、完成したらお父さんに一番に見せてあげる」

 

 私の方を見ながら悩む素振りを見せたロシーダは、少しした後、首を振って教えてはくれなかった。

 気にはなるが、無理に聞くことでもない。それに完成したら見せてくれるようなのでその時を楽しみに待っていることにしよう。

 

「さて、お父さん。午後から用事あるんでしょ? もう行かないと皆待たせちゃうよ?」

 

 よいしょと立ち上がり、お尻を手で払いながら立つように促してくる彼女に向けて私は片手を伸ばす。

 

「引っ張ってください」

 

「子供か」

 

「大人とは時に子供に戻りたくなる時があるんですよ」

 

「カッコつけて何言ってんの?」

 

 爽やかな表情で「フッ」と笑みをこぼす私に向けて、娘から半目でジトっとした視線をもらうが、そんな程度で心が折れるような軟な精神はしていないし、短い付き合いでもない。

 それに、何度もやったやり取りだからこそ、彼女の次の行動も簡単に予測できる。

 

「……ハァ、しょうがないなぁ」

 

 一つため息をついた後、笑みを浮かべながら私の手を取った。

 その時に浮かべる彼女の笑顔が好きで、毎回こんなやり取りをしていることは私だけの秘密だ。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「失礼します、創造神様」

 

「? どうしましたエリュシファン君」

 

 場所は変わり、国に戻った創造神──シュパースは執務室で各地から集められた情報がまとめられた資料に目を通していた。すると扉がノックされ、入室を許可するとこの国の第一王子である、エリュシファンが神妙な顔つきでシュパースの前に立つ。

 

「単刀直入に申し上げます。例の女との接触をお控え頂けないでしょうか?」

 

「ッ!?──……私をつけたのですか?」

 

「申し訳ありません。御身をご不快にさせたこと、心の底より謝罪致します。しかし、つけたわけではありません。最近、待女に年頃の女性の趣味をお聞かれになられたことがあると耳に挟みました。勝手な行動をお許しください。お望みならばこの命、今この場で御身に差し出しましょう」

 

「そんな必要はありません。それよりも、何故そんな事を?」

 

 いつもの柔らかな雰囲気は鳴りを潜め、射抜くような鋭い視線がエリュシファンに突き刺さる。常人ならば顔を青白く染め上げ、腰を抜かすほどの威圧感だが、エリュシファンは少しも怯んだ様子を見せない。

 

「この国のためです。三年程前から創造神様が進める、人が人の可能性を広げるための自己成長計画。突然、そのような取り組みを始めたのもその女の影響なのではないでしょうか」

 

「……あれは私がそうあるべきだと判断して行っているだけです。彼女は関係ありません。それに何か問題が?」

 

「確かに、私達の事を考えてくださっていることは分かります。しかし、自らの力を高め続けるというのは誰しもが出来ることではありません。事実、国内にも今の現状に不満の声が出てきていると聞きます」

 

 エリュシファンの言っていることは嘘ではない。今までシュパースに頼りきりだった反面、自分で何かを成すということを続けられず、愚痴を周りに溢す者がチラホラと出ている。

 国が割れる、というような事態になる程では無いが、強固だった国の盤石な態勢に罅が入っていることは間違いない。

 

「その報告は私の元にも届いています。しかし、その壁を乗り越えてこそ、更なるステージに君達を押し上げることが出来るはずです」

 

「……人は創造神様が考えるほど強くはありません。御身の力がなければ、満足に生きることも出来ない脆弱な生き物です。だからこそ、御身や私のような強者が導かねばならないのです」

 

「……」

 

「それとも、その女に何か弱みでも握られているのですか?」

 

「なっ!?」

 

「それならば、私にお任せください。御身の無礼を働く者に生きている価値などありません」

 

「エリュシファン君……」

 

「小娘一人消すなど造作もない事です」

 

「エリュシファン君……!」

 

「我らが神を謀ったこと、その命を持って償いと──」

 

「エリュシファン君!!!」

 

 部屋中に響き渡る怒声がエリュシファンの声を遮った。その剣幕に流石のエリュシファンも僅かに目を見開いて動揺した様子を見せる。

 

「彼女に手を出すことは私が許しません」

 

「……承知いたしました。出過ぎた真似をしてしまい、申し訳ありません」

 

 深く頭を下げた後、エリュシファンは踵を返し、扉に向かう……が、扉の前で立ち止まり、背を向けたままでシュパースに語りかける。

 

「創造神様の意志が固いのは分かりました。私も御身のためならば、この命すら捧げる覚悟です。どうか、そのことをお忘れなきよう」

 

 その言葉を最後に、エリュシファンは執務室から完全に退室した。

 

「……」

 

 しばらくの間、シュパースは彼の退出した扉を只々見つめ続けていた。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「本当に行っちゃうの?」

 

「ええ、もう決めたことです」

 

 いつもの湖畔でシュパースとロシーダが二人並んで地面に腰掛けていた。穏やかな表情をするシュパースに対して、ロシーダの表情は暗い。

 

「そんなに慌てなくても少しずつで大丈夫なんじゃないの?」

 

「私の自業自得ですが、私は彼らと寄り添いすぎた。だからこそ私の存在は彼らの進化の妨げにしかなりません」

 

 国民の意識改革を初めて五年。少しずつ変わり始めたイーシュバルディだったが、同時に大きな問題に直面することになっていた。

 神の恩恵を当たり前のものと考えるようになっていた一部の国民が、表立って抗議を行う事態にまで発展していた。あくまで一部の国民のみで国そのものが崩壊するような事態までには発展していないが、捕らえた彼らの言い分を聞いたシュパースは正に足元が崩れていくような錯覚に陥った。

 

『神様が私達を助けてくれるのは当たり前』

 

 多少の違いはあったが、捕らえられた者の大半がそのような事を喚いていた。

 確かに人類を守ることこそが自らの使命だと思っていた。それは今でも変わらない。しかし、奇跡に頼り切り、自ら歩みを止めることを、今の私は良しとしない。

 問題が表面化し始めてたのは丁度去年のこと。この一年、ずっと悩み続けた。どうすれば彼らにこの意志が伝わるか。私がするべきことは何なのか。

 その末に出た結論が、何も手を出さないことだった。

 

 私が居れば、必ず彼らは私を頼ろうとする。ならば、その私が居なくなれば、きっと彼らは自分達で未来を切り開いてくれる。

 そう信じて、この地を、この世界を少しの間離れることにした。

 イーシュバルディの民にはこのことは伝えていない。伝えれば必ず反対されることは目に見えていたからだ。

 最後にロシーダの顔だけは一目見ておこうここに立ち寄った。彼女が居なければ彼女の住む町まで行かなくてはならなかったので、彼女がここに居てくれて良かった。

 ロシーダにだけは伝えておきたかった。

 

「……分かった。お父さんが決めたのなら、私からは何も言わない。また会える?」

 

「ええ、何年後になるか分かりませんが、必ず君の元に戻って来ます。娘の晴れ姿もみたいですしね」

 

「だから興味ないってば……でも……うん、約束」

 

「はい、約束です」

 

 シュパースの言葉に少し表情に明るさが戻ったロシーダの姿にホッと安堵する。そのまま別れようとしたシュパースだったが、一つ、忠告というわけではないが、一人の人物について教えておく。

 

「ロシーダ。イーシュバルディの第一王子、エリュシファン君のことは知っていますね?」

 

「ん? うん、遠目に顔を見たことあるくらいだけど……」

 

「無いとは思いますが、彼には注意しておいてください。彼は君の存在を知っています。とは言え、私と懇意にする女性が居るというだけで顔まで知っているわけではありません。元々私と君が親しくすることにあまり良い顔をしていなかったので、私が居なくなったことで何か行動に移す可能性があります」

 

 思い出すのは二年前の彼の言葉。私が国から消えて、彼女の元にいるのだと判断する可能性もなくはない。

 しかし、彼はロシーダの存在は知ってても、その居場所や容姿まで知っているわけではないので気にしなくても問題はないだろう。

 

「まあ、頭の片隅においてもらえるだけで大丈夫です」

 

「うん、分かった」

 

「……それでは私はもう行きます」

 

「……うん。バイバイ、お父さん」

 

 彼女の言葉に後ろ髪を引かれる思いを感じるが、大切な娘に背を向け、湖畔を後にする。

 

「……」

 

 そんなシュパースの背中をロシーダは見えなくなるまで見つめ続けていた。




時系列分かりづらいかもしれないので簡単にまとめたものを。

・創造神、ロシーダと知り合う。
・国民の意識改革を行う。

| 三年後
↓ 
・シュパース命名。
・エリュシファン、ロシーダの存在を知る。
・水面下で不満が募り始める。

| 一年後
↓ 
・創造神に対する不満が表面化。

| 一年後
↓ 
・世界を離れることを決意。

 次で過去編は終了です。


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第三十六話 【心の消失/Cruel Memories】

過去編ラストです。



「…………」

 

 唐突に私は目を覚ました。

 ここは人類が住む世界とは次元を超えた亜空間。私以外の存在が何一つ存在しない真っ白な純白の世界。

 国を去った後、私は人類が住まう世界とは別次元に特殊な空間を創り、そこで休眠に入っていた。

 休眠と言っても、人のそれとは大きく異なり、数年単位による睡眠だ。ロシーダとの約束がなければ、数十年、数百年の歳月は眠っていたかもしれない。

 それでも五年もしくは六年は眠り続けるはずの眠りが突然覚めた。

 

「……これは」

 

 そのことを不思議に思いつつも、何か言い表せない不安が頭を過ぎる。

 

「体感では一年……といったところでしょうか」

 

 予定よりも随分と早い目覚めだったが、頭を過ぎった不安が気になり、再び眠りに入る気にならない。

 

「一年では何も変わらないと思いますが……少し様子だけでも見ておきましょうか」

 

 シュパースが虚空に手を翳すと、ブゥンと音を立てて空中にディスプレイのようなものが現れる。それには自分が居なくなった後の世界の様子が映し出される。

 シュパースは一瞬、あの湖畔の様子を見ようかと思ったが、まずは国の様子を確認しておこうと判断し、映像を高速で切り替えていく。

 

「ッ!?」

 

 そして、そこに映った光景を見て、シュパースは亜空間を飛び出した。

 

 

 ◇

 

 

「グラシアーノ君!!」

 

「ッ!?──創造神様!? おお、創造神様がお帰りになられた!!」

 

 玉座の間に飛び込んだシュパースがグラシアーノに声を掛けると、一瞬目を見開いたグラシアーノが暗く沈んだ表情から一転、満面の笑みを浮かべ、周りにいる騎士や文官も興奮したようにシュパースに頭を垂れ、帰還を祝福する言葉を述べる。

 

「やはり私達の考えは間違いではなかった! おい、宴だ! 宴の準備をしろ! 創造神様がご帰還したことを国中に伝えろ!!」

 

「はっ!! すぐに支度を──」

 

「そんなことはどうでもいい!!」

 

 数人の騎士や文官が慌てて玉座の間を飛び出そうとしたが、シュパースからの怒声とも呼べる声が全てを遮った。

 

「グラシアーノ君! 国の状況は見ました! あれはどういうことですか!?」

 

 玉座の間からも覗くことが出来る城下町。そこは一年前とは比べ物にならないくらい廃れていた。多くの住民が行き交っていたメインストリートは人一人見当たらず、建物内から人の気配はするが、彼らの表情は暗く、まるで全てに絶望したかのように諦めきっている。

 たった一年でどうしたらここまで変わるのか理解できない。

 

「やはり、もうご覧になられましたか。あれら全ては邪悪な”魔女”によるものです」

 

「”魔女”?」

 

「はい。イーシュバルディから我らが神を奪い取り、世界を掌握せんとする邪悪な魔女。其奴のせいで、我が国はかつての栄光を失い。まるで死都のようになってしまったのです」

 

 ”魔女”──その言葉にシュパースはかつて自分が予測した自分と同個体の敵が現れたのではないかと考えたが、そのような存在を感知できなかったことに頭を悩ませる。

 

(私と同程度の力を持つ存在に気付けなかった? もしや、私の感知能力から逃れるほどの隠密能力を……)

 

「……事情は分かりました。その”魔女”とやらは私が対処します。居場所は分かりますか?」

 

「なんと!? 創造神様が()()に向かってくださるならば百人力です!!」

 

「……加勢? ま、まさか……すでに誰かが向かったのですか!?」

 

「はい、エリュシファンがかの魔女の討伐に向かったばかりです」

 

「なっ!?」

 

 この国をここまで追い込むほどの敵だ。もしそれが本当ならば、いくらイーシュバルディ最強のエリュシファン君でも危険すぎる。

 

「ご安心ください。何も息子は勝算なしに向かったわけではありません。”神剣フラガラッハ”。かの(つるぎ)を携えておりますゆえ」

 

「ッ! フラガラッハを……」

 

 確かにあの剣があれば、超常の存在にも刃が届く。エリュシファン君の実力ならば可能性は十分あるだろう。しかし、それでも危険に変わりはない。

 

「私もすぐに向かいます! 場所は!?」

 

「ここから南に300km。森の中にある湖畔が魔女の住処という情報です!」

 

「……は?」

 

 その瞬間、私は全身から血の気が引いていくのを感じた。まるで肉体が瞬時に冷凍されたかのような錯覚に身体の震えが止まらない。

 そんなことは無い。あるはずがない。偶然だ。森も湖畔も世界中の何処にだってある。

 

「……その”魔女”の特徴は?」

 

 声を震わせながら私は尋ねる。気のせいだと。間違えであってくれと。

 そんな私の心情に気付くこともなく、グラシアーノは淡々と告げる。残酷なまでのその事実を……

 

「容姿は腰まで伸びる白髪に十代中盤の少女の姿をしており、常に森に住まう動物を眷属として使役しております。魔女の名は……”ロシーダ”」

 

 その瞬間、私は玉座の間の扉を蹴破る勢いで飛び出した。後ろでグラシアーノ君が慌てて私を呼ぶ声が聞こえるが、そんなもの今はどうでもいい。

 今になって、先にロシーダの様子を確認しておけば良かったと後悔するが、今はそんな事を考えている暇はない。

 

(間に合ってください!!)

 

 

 ◇

 

 

「なんてことを……」

 

 辿り着いた先に広がっていた光景に私は呆然と呟くしか無かった。

 

──森が……燃えていた。

 

 火の手はすでに森全体に周り、樹齢数百年にも及ぶ、樹木が次々となぎ倒されている。

 思わず動揺で足を止めたシュパースだったが、すぐに燃える森の中に飛び込んでいく。目指すべきは、奥地にあるあの湖畔だ。

 

(ロシーダは常にあそこにいるわけではない。大丈夫、きっと大丈──)

 

 木々を縫うように走り続けていたシュパースの足が止まった。

 視線の先には力なく地面に横たわる、大熊の姿があった。それだけではない。森に住まう多種多様な動物達が至るところに倒れ伏している。

 良く見れば、動物達はまるで列をなすようにシュパースの向かう先々に倒れている。

 それはまるで、襲撃者から森の奥地にいる存在を守ろうとしているかのような……

 

グルゥ

 

 その時、シュパースの耳に小さな唸り声が聞こえた。

 

「ッ! 無事ですか!?」

 

 声を上げた大熊の元に駆け寄ったシュパースはすぐに傷の治療を施そうとした……が、シュパースのかざした手は大熊によって弱々しく弾かれた。

 そのまま何かを訴えかけるようにシュパースを見つめた後、僅かに首を持ち上げ、ある方向を顎で指す。それはロシーダとシュパースのお気に入りのあの湖畔がある方向だった。

 

「グゥ」

 

「……行けということですか」

 

 シュパースの言葉に大熊は黙って小さく頷く。それを見たシュパースは僅かな逡巡の後、湖畔のある方向に向けて駆け出した。

 それを見た大熊はその背を見送った後、力を振り絞り持ち上げていた首をゆっくりと地面へと下ろした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お久しぶりです、我が神よ。一年振りでしょうか」

 

「……」

 

「一年も御身の姿を見なかったのは初めてですが、やはり御身はお変わりないようで」

 

「……」

 

「私もこの一年、自らの鍛錬を欠かさず、王位を継ぐ準備も着々と進んでおります」

 

 目的地についたシュパースを迎えたのは、彼が望んでいた相手ではなく、昔と変わらない表情を向けるエリュシファンだった。

 シュパースの姿を見た彼は、最初こそ目を見開いたものの、そこからは微笑を浮かべながら嬉しそうにシュパースに語りかけるが、シュパースはそんな彼の言葉を聞いている余裕などなかった。

 

 エリュシファンは王家に伝わる戦鎧を身に着け、右手には見覚えのありすぎる剣を握っている。その純白だった刀身は血で真っ赤に染まり、今も血が剣先から滴っている。

 そして、彼が背を向ける先、ひときわ大きな樹木に背中を預けるように倒れ込み、左肩から斜めに真っ直ぐに斬り裂かれた傷が痛々しい少女──ロシーダの姿があった。

 その瞳は閉じられ、まるで死んでいるかのような状態だが、僅かに胸が上下していることから、まだ意識はあるのだろう。だからといって良かった、なんてことは思えない。エリュシファンが握る剣。それは間違いなく自分が創り出した”神剣フラガラッハ”なのだから。

 

「……何故こんな事をしたのですか?」

 

「何故……とは?」

 

「彼女のことです!! 彼女が”魔女”だと!? そんな事あるわけ無いでしょう!? ロシーダの存在に気付いていたのは君くらいです! 君がグラシアーノ君に何かを吹き込んだのでしょう!?」

 

「吹き込んだも何も、その女の影響を御身が受けたのは事実。身の程をわきまえない愚か者を処分したに過ぎません」

 

「それはフラガラッハを使うほどのことなのですか!?」

 

「この女が私に匹敵するほどの魔の才を持っていることは調べがついていました。そういった者に限って、追い詰められた時に何を仕出かすか分かったものではありません」

 

「そのためにありもしない事実を仕立て上げたのですか!!」

 

 フラガラッハの使用には三つの制限がある。

 一つ目は王族()ならば問題が無く、二つ目も信じたくないが、本気で彼女の存在が私の、引いては国に悪影響を及ぼすと判断したとしたら納得は出来る。しかし三つ目までは彼だけではどうしようもない。

 だからこそ、国民の敵に彼女を仕立て上げた。フラガラッハの発動条件を満たすためだけに……

 

「この国の……いえ、この世界の平穏を守るためです」

 

「それで何の罪もない少女を犠牲にしていいわけが……!」

 

「良いのですよ。千を守るために一を犠牲にするのは何も間違ってなどいません……そもそも、私は父も民も謀ってはいませんよ」

 

「そんなわけが──」

 

「言ったはずです。この女のことは調べたと。その結果、こいつに国をどうこうする意志がないのは分かっています。それは全て余すこと無く民にも伝わっています」

 

「ならば何故、フラガラッハが使用できているのです!? それは君だけの意志だけでは使えない! イーシュバルディの民の三割の同意の意志が必要なのですよ!?」

 

「ええ、ですから同意したのです。全てを知った上で」

 

「……え」

 

 エリュシファン君から告げられた事実に私は言葉を失った。グラシアーノ君も国民も全てを知っている? 知った上で同意した? 何故……何故……

 

「この女が何を考えているのかなど関係ありません。重要なのは、この女のせいで御身が変わってしまったこと。だからこそ殺すのです。全ては御方と我が国のために。それに三割ではありません。イーシュバルディの全国民に値する、約五千万人の同意を私は得ています」

 

「……そんな馬鹿な」

 

 殺す? 私の大切な娘を? 私のために? 国のために? それに全国民が賛同した? なぜ? なぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜ? 分からない。目の前のニンゲンの言っている言葉が理解できない。これは本当に私が生み出した存在なのか?

 

 

──()()は……何だ?

 

 

「今はご理解頂け無いかもしれません。しかし、御身は我らのそばに居てくれればそれで良いのです。それだけで多くの民が救われます。だからこそ……」

 

 エリュシファンは後ろを振り返り、未だにピクリとも動く様子が無いロシーダに再びフラガラッハを突きつける。

 

「愚かな女よ。貴様のせいで多くの民が苦しみ、命を落とした。この国に厄災を齎した悪しき魔女が……」

 

──死ね。

 

 倒れ伏すロシーダに向かってエリュシファンが剣を振り下ろした。

 

 

 

 その瞬間、私の視界が真っ赤に染まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 雨が……降っていた。

 風もなく、豪雨とも小雨とも言えぬ雨模様。しかし、それでも空から降り注ぐ無数の水滴は森に燃え広がった炎を消化するには十分だったようで、全焼する事態は避けられたようだ。

 そんな中、雨に打たれるのも気にせずに、シュパースは一人、ロシーダを抱きしめていた。すぐ近くには地面に横たわるエリュシファンの姿があるが、その身体はピクリとも動かない。

 シュパースは強い自己嫌悪に陥っていた。

 私がロシーダの元に先に向かっていれば。離れずにずっとそばに居れば。彼女の存在を洩らすことをしなければ。

 

──いや、そもそも私が彼女と出会わなければ、彼女がこんな目にあうことも……

 

「……お、父さん?」

 

「ロシーダ? ロシーダ!?」

 

 シュパースが自分を責める言葉を連ねていると、腕の中から自分を呼ぶ弱々しい声が聞こえた。

 驚いて腕を僅かに緩めると、ロシーダが僅かに目を開いて、ぼんやりとしながらも、しっかりとシュパースを見つめていた。

 

「おかえりなさい」

 

「ッ!──ええ、ただいま」

 

「……ごめん、ね? お父さんから注意するよう言われてたのに……」

 

「君は何も悪くありません。全部私が悪いのです。ごめんなさい……ごめんなさい、ロシーダ」

 

 シュパースは只々謝ることしか出来ない。彼の力があれば、死人さえ蘇生させることが出来る。しかし、彼女の傷はフラガラッハでつけられたものだ。シュパースの目には、今この瞬間も消えていく命の灯がハッキリと見えていた。

 

「……謝らないで、お父さん」

 

「私が……私が君に出会わなければ……」

 

「……そんな寂しいこと、言わないで? 私は、お父さんに会えて良かったと思ってる」

 

「ですが……」

 

 悲しげに顔を歪めるシュパースにロシーダは薄っすらと笑みを浮かべ「嘘じゃないよ」と告げる。

 

「両親が居る子が羨ましかった。私の本当のお父さんもお母さんも小さい頃に死んじゃったから、しょうがないって何度も自分に言い聞かせてた。私を引き取ってくれた人に迷惑を掛けたくなくて、ずっと良い子で居なくちゃって我慢してた」

 

──そんな時に出会ったのが、お父さんだった。

 

「ちょっと天然で、子供っぽくて、うっかりしてることもあるけど、何も言わなくても私のそばに寄り添ってくれる。私の成長を見守ってくれる。もし、お父さんが生きてたらこんな感じなのかなって何度も思ってた」

 

「ロシーダ……」

 

「大丈夫。そんな悲しい顔しないで? 私はずっとお父さんのことを見守ってるよ……きっとまた会える。だから、泣かないで?」

 

 最後の力を振り絞り、ロシーダはシュパースの頬に手を添える。

 

──大好きだよ、お父さん。

 

 その言葉を最後にロシーダは静かに瞼を閉じた。小さく上下していた胸も動きを完全に止めた。

 

「……あああ」

 

 シュパースは再び強くロシーダの身体を抱きしめる。

 

「ああああああっ」

 

 その僅かに残った温もりを逃さないように。

 

「あああああああああああああああああッ!!!」

 

 シュパースの絶叫が辺りに木霊した。

 

 なぜ彼女が死ななければいけない。彼女が何をした。普通に生きていただけだろう。

 自問自答するシュパースの目に倒れ伏すエリュシファンの姿が止まる。

 

 そうだ、()()のせいだ。人類(あんなもの)のせいで私の大切な娘が死んだ。

 信じていた。彼らなら私の力を正しく使ってくれると。信じていたのに……

 

(……滅ぼす。あんな欲望に塗れた愚かな存在など、この世界の害にしかならない。私の世界には必要ない)

 

 黒くドロドロとした感情が胸の奥底から溢れ出す。そのまま自らを焼き尽くすような憎悪に身を任せようとした瞬間──

 

──人類(私達)はそんなに弱くないよ。

 

 最愛の娘のかつての言葉に、シュパースはギリギリで踏みとどまった。

 そして眠るように息を引き取った彼女の顔を見つめる。

 

「……君は、今でもあの時と同じ事を言えますか? 私は……」

 

 その表情は能面のようで、そこからシュパースの感情を読み取ることは出来ない。

 しばらくの間、黙ってロシーダの顔を見つめていたシュパースは、彼女を抱き上げその場を立ち上がる。

 

「今ここで人類(彼ら)を滅ぼすのは容易い。しかし、それは同時に君の想いを踏み躙ることでもある……試しましょう。人類が君の言う通り、強くあれる存在なのかどうか……」

 

 それを示すことが出来るのなら、私はいくらでも彼らの力になりましょう。

 しかし、それが出来ないと判断したとき……その時こそは……

 

──私自らの手で、彼らに引導を渡しましょう。

 

 その言葉を最後に、世界の創造神はこの世界から姿を消した。

 

 

 創造神の再びの失踪に続いて、次期国王として将来を約束されていた王子の死去。それは、ただでさえ混乱の渦中だったイーシュバルディに更なる衝撃を齎した。

 若きリーダーを失った彼らはまたたく間にバラバラになり、争いを始め、その種火はあっという間に世界に広がっていった。

 

 こうして、八百年の歴史を誇る巨大国家は僅か数年の月日で歴史から完全に姿を消すこととなった。




長々とお付き合いありがとうございます。これで過去編は終了となります。
次回からはやっと人類vs神の総決戦が始まります。


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第三十七話 【開戦】

山場を乗り越えました。
過去編で50以上お気に入り外れたけどここから取り戻すぞ!


「全く、今度はどこいったのさ」

 

 東の空から太陽が姿を現して少し。恵里は一人、森の中を目的地に向けて真っ直ぐ歩いていた。

 気持ちのいい朝にちょっと散歩を……なんてことでは決して無く、気付いたら姿が消えていたシュパースを探していた。

 探しているといっても、適当に森を歩き回ってるわけではない。理屈は分からないが、力を受け取ったおかげか、何となくこっちにいる気がするという風にシュパースの気配を感じ取ることが出来るようになっていた恵里は、その感覚に従い、目的地に向かって歩いていた。

 

 しばらくして恵里の前に樹齢百年は優に超えていると思われるほどの巨大な樹木が姿を現した。そして、その根本に背を預けるように眠りこけるシュパースの姿を見つける。

 

「このクソジジイ。どこいったのかと思えば、呑気に眠りこけやがって……!」

 

 一度その頭をぶっ叩いてやろうかと苛立ちが湧き上がるが、何とかそれを呑み込む。下手に拳を叩きつければ、自分の拳の方が砕ける。というか、既に一度やってその場で悶絶することになったのは記憶に新しい。

 仕方なく肩を揺らして起こそうと恵里が腕を伸ばした……ところで気付いた。

 

「……泣いてる?」

 

 シュパースの頬を一筋の雫が伝った。

 常に飄々としている老人の姿からは想像できない姿に恵里が一瞬動揺する。

 

(もしかして……()()()()()()()()()()

 

 一瞬起こそうか悩んだ恵里だったが、今日を寝過ごされでもしたら堪ったものではない。

 すぐに気持ちを切り替え、軽くシュパースの肩を揺らす。

 

「シュパース様……シュパース様ってば!」

 

「………恵里君?」

 

 恵里の呼びかけにより意識を覚醒させたシュパースは、ふらふらと立ち上がった後に「ああ」と納得したかのように頷いた。

 

「……夢か……懐かしい夢を見ました」

 

「懐かしい夢を見ました……じゃなくて! 毎回毎回勝手に消えるのやめてくれない!? 探すこっちの身にもなってよ!?」

 

 感慨深い表情で独りごちるシュパースだったが、それを目敏く聞いた恵里が地団駄を踏みながらシュパースに言い放つ。

 

「すみません、ちょっと散歩のつもりだったんですが……帰り道が分からなくなってしまって」

 

「知ってるよ!? だから私が毎回探しに来てるんでしょうが!! 方角が分からないなら魔法の一つや二つ使いなよ!!」

 

「いや、いい大人が迷子になったくらいで魔法を使うのはちょっと……」

 

「いい大人が迷子になるな!?」

 

 恵里の鋭いツッコミが突き刺さる。「えーと、すみません?」と恐らく分かっていない様子で謝罪するシュパースに恵里は深く肩を落とす。

 この神。力こそ神の名に相応しいものを持っているが、とにかく普段から抜けているのか、その天然ぶりを遺憾なく発揮し、そのたびに恵里が苦労を強いられることになる。

 ちなみに、自分がシュパースの気配を辿れるのなら、逆もまた出来るのでは? と考えた恵里が本人に聞いてみたところ、魔法を使うのならともかく、そんなことは出来ないと言われた。

 本人曰く、自分で自分の匂いや声を上手く判別することは出来ないでしょう? とのことだ。恐らくシュパースの魔力で何かしらのリンクが繋がっていることは間違いないが、あくまでシュパースの魔力であるため、本人には判別しずらいらしい。

 他の誰かに任せようにも、自分以外は碌な自我を持たない魔物ばかりなため、任せることが出来ない。

 

(私をスカウトしに来た時、一人くらい話の出来る兵が欲しかったって言ってたけど……まさか、自分の身の回りの世話をさせるためじゃないだろうな)

 

 ジトっとシュパースを睨みつけるが、肝心の本人はそんな視線に気付いていないように「ふわぁ」と大きな欠伸をこぼしている。

 

「今、何時ですか?」

 

「もうすぐ8時。あと4時間で約束の時間だよ」

 

 恵里が今の時刻を告げると、シュパースは「そうですか」と何の気負いもなく答える。その姿からは、とてもこれから全人類に対して戦争を仕掛ける軍勢の大将としての威厳は微塵も感じられない。

 

「はあ……」

 

 何でこんなのについてきちゃったんだろ。こんなことなら鈴の馬鹿話に付き合ってた方がまだ……

 

(って、いやいやいや!? 僕は何を考えてるんだ。光輝くんを手に入れるためだろう。鈴なんてそのための便利な道具なんだ)

 

 一瞬頭に浮かんだ可能性をすぐさま振り払う。僕にはもう光輝くんしかいない。それ以外は必要ない。必要ないんだ。

 まるで自分に言い聞かせるように内心で叫ぶ恵里だったが、突然その頭にポンッと優しく手が置かれた。

 

「……何?」

 

「いえ、君がまた難しい顔をしていたので」

 

「子供扱いしないで」

 

「私からすれば皆子供ですよ。幾つ離れてると思ってるんですか?」

 

 そのまま優しく頭を撫でるシュパースに恵里の眉間に皺が寄るが、その手を払いのけるようなことはしない。

 容姿はぜんぜん違うし、こんなちゃらんぽらんなんかじゃかった。それでも思い出してしまう。昔の幸せだった頃の記憶を。重ねてしまう。大好きだった父のことを。

 

「……勝手なこと言わないで。どうせ助けてくれるわけじゃないくせに」

 

「確かに簡単に手を差し伸べることはしませんが、話を聞くくらいは出来ますよ?」

 

 いつもこれだ。シュパース様の過去は聞いている。だからこそ、この神様が簡単に人類に手を差し伸べることはしないことはよく知っている。それでも、決してそれは興味が無いというわけではなく、放っておくということはしない。

 直接手を差し伸べることはしなくとも、それとなく壊れないように支えようとする。それが形だけのものでなく、本心から来るものだということは、もう疑いようもない。

 だからこそ、僕はずっと胸の奥底に溜め込んでいたものをぶつけることにした。

 

「何で、私に優しく出来るの? 世界が違うとは言え、私だって同じ”人”だよ?」

 

 貴方の娘を奪った奴と同じ人類だよ? 滅ぼしたいんでしょ? 憎いんでしょ? いくらその娘さんの言葉があるからって、何で我慢できるの? 

 

 矢継ぎ早に恵里は問いかける。彼女には理解できないからだ。シュパースは明言していないが、恐らく他のどの人物よりも、そのロシーダと呼ばれる少女はこの神にとって変わりの居ない大切な存在だったのだろう。

 そんな存在を奪われて尚、何故人類の為に動けるのかが分からない。もし、自分が同じ立場だったのなら、間違いなく世界の全てを滅ぼしていただろう。

 

「そうですねぇ……」

 

 恵里に問いかけられたシュパースは顎に手を当て、しばらく思案した後、ゆっくりと口を開いた。

 

「この世界の神だから。生み出した義務があるから。まあ、建前は幾つもありますが……やはり一番はロシーダのためでしょうか」

 

「その娘はもう亡くなってるんでしょ。シュパース様が人類を守ろうとも滅ぼそうとも、その事実は変わらない」

 

「……確かにそうかもしれません。しかし、今や彼女の存在を思い出すことが出来るのはこの世界で私だけ。その私が彼女の想いを反故にしてしまえば、本当の意味で彼女は死んでしまいます。死んでしまえばそこで終わりです。けれど、残されたものがその想いを継ぐことは出来ます。もちろん、継ぐかどうかは本人の勝手ですが……」

 

 私なんて、いざとなったら人類に引導を渡す気満々ですし。そう続けるシュパースの言葉を恵里は何度も頭で反覆させる。

 

「想いを継ぐ……」

 

 考えたことも無かった。

 誰も助けてくれなくて、全てが自分の敵だった。そんな時、光輝君が僕を助けてくれた。たった一人で蹲っていた僕に光明が初めて差し込んだ運命の出会いだった。

 光輝君のためならばどんなことでもしようと思った。勇者に救われたヒロインはずっと勇者をそばで支えていくものだから……

 でも、そうはならなかった。僕と光輝君の幸せな人生を邪魔するクズどもが世界には大勢いる。それは異世界に転移しても変わらない。どいつもこいつも僕の光輝くんに馴れ馴れしく近づいてくのが腹ただしい。

 だから、光輝君の為に全てを捨てようと思った。形だけの友人も、この世界の人間も、全てを壊してでも光輝君を手に入れようと決心した。

 

 でもそれは、果たしてお父さんが望んでいたことなのだろうか。

 

 その命を犠牲にしてでも僕の事を守ったお父さんは、今の僕の姿を見て、何て言うだろうか。

 命を張って守った子供が、何もかもを裏切って、世界に牙を向こうとする姿を見て、何を思うだろうか。

 

 悲しむだろうか。怒るだろうか。それとも、何も思わないだろうか……

 そんなことが頭の中をぐるぐると駆け巡る。

 その様子を見ていたシュパースが優しく恵里に微笑みかける。

 

「いくらでも悩みなさい。何度も迷い、何度もぶつかり、それでも必死に導き出した答えならば、それがどのような選択でも私はそれを尊重します」

 

 子供()の考えを頭ごなしに否定せず、時には遠くから、時にはそばで見守ってくれるその姿は、紛れもなく……どうしようもなく……恵里の奥底の記憶を揺さぶった。

 

「……一つ、頼みがある」

 

 深く考え込んでいた恵里は徐ろに顔を上げると、シュパースに自分の意志を告げる。

 その内容を聞いたシュパースは一瞬目を見開いたものの、頷いてその頼みを聞き届けた。

 その表情は僅かに悲しげに歪められていた。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

──4時間後。

 

 場所は変わり、王国から東に3km離れた場所。そこは只々地平線まで何もない大地が広がっていた。

 そう。過去形だ。何も存在しなかった不毛な大地には大小様々な急ごしらえの砦がそこかしこに急設されている。さらに目には見えないが、地中にも人一人が余裕で入れるほどの地下通路が張り巡らされており、そこを使い戦場での負傷者を安全に自陣まで運べる仕組みになっている。もちろん、地上での戦いで崩落が起きないように結界を張り巡らせてある。

 

 そんな戦場では多種多様な種族達が既に配置に付き、その時が来るのを固唾を呑んで待っていた。

 トータス連合軍司令部は特殊なアーティファクトにより、透過を施された上で、戦場を見渡せる高所に設置されている。そこにはアルディアスの姿もある。

 

 長かった。この世界が生まれて幾星霜。この地にどれだけの血が流れただろうか。どれだけの涙が零れ落ちただろうか。

 アルディアスは自身の足元を注視する。そこにあるは、数え切れない程の死体で積み上げられている亡者の階段。

 声にならないうめき声を上げる亡者達は、ある者はアルディアスを上へ上へと押し上げようと、ある者は地の底に引きずり込もうとする。

 自分に後を託して散っていた魔人族(同胞)も、刃を向けてきた人間族()も、その全ての屍を踏み越えてここまで来た。世界のトップとなったアルディアスの背には、その足元に跪く者達以上に多くの想いや怨念が背負われている。

 

 だが、其れで良い。

 背負い続けると決めた。誰に言われても下ろしてなるものか。これは俺が背負うべき業だ。

 だからこそ、その背で見ているが良い。お前達が信じた(希望)が……お前達が憎んだ(絶望)が……世界を変える、その瞬間を。

 

 黙って腕を組んでいたアルディアスは何かに気付いたように徐ろに上空を見上げた。

 

「……来るぞ」

 

 その瞬間、世界が光に包まれた。

 そう錯覚するほどの光のベールが空から地上へと降り注ぐ。

 そして現れるは純白の魔物達。ゴブリンやオーク、スケルトンなどの小型の魔物からベヒモス、サイクロプス、ドラゴンなどの大型の魔物の姿もある。

 多種多様な魔物がひしめくが、共通の特徴として全身が純白に染まり、一体の例外もなくその背から一対の美しい翼を生やしていることだろう。

 更に後ろからはドレス甲冑を身に着けた天使達が舞い降りてくる。降り注ぐ光を背負いながら現れるその姿は、正に神の軍勢に相応しい光景だった。

 

 兵士達に一気に緊張が走る。聞いてはいた。理解はしていた。それでも目の前の光景を見て、改めて認識する。自分達が戦う相手は間違いなく超常の存在なのだと。

 

 そんな彼らの動揺を気にすることもなく、遂に奴が現れる。

 

「さあ、判決の時間です」

 

 灰色の髪をなびかせながら現れるは、創造神・シュパース。その表情には五日前と同じ微笑を浮かべている。

 隣には唯一の自我を持つ配下、恵里が佇む。シュパースと同じように笑みは浮かべているが、こちらはニヤニヤというような相手を小馬鹿にしたような表情を地上に向けている。

 

 シュパースは地上を見下ろし、そこに集まる種族を見て満足そうに笑みを深める。

 

「ちゃんと全種族揃ってますね。感心感心。そうでなくては困ります」

 

 この戦いは世界の命運を決める一つの分岐点だ。地上の戦力を一つに纏めることすら出来なければ話にならない。まずは及第点と言ったところだ。

 シュパースがうんうんと満足そうに頷いている隣で地上を眺めていた恵里の口元が三日月のようにパックリと裂けて笑みを浮かべた。

 

「ふふふ、戦場に来てるか不安だったけど、やっぱり光輝君は出てくるよねぇ!」

 

 恵里の視線は戦場の一角、クラスメイトの集まる場所に居る光輝に向けられていた。光輝も恵里がこちらを見ていることに気付いたのだろう。動揺しつつも恵里から視線をそらさずに真っ直ぐ見つめ続ける。

 光輝が自分の事だけを見てくれているという状況に恵里は居ても立っても居られず、飛び出そうとする……が、それは自分と光輝を遮るようにかざされたシュパースの手によって阻まれた。

 

「何? 私は私の判断で動いていいって言ったのはシュパース様だよ?」

 

「それは分かっていますが。もう少しだけ我慢してください。戦争の開幕くらいしっかり決めないと」

 

「……はぁ、くだらない。ならさっさとやっちゃってよ」

 

「ええ」

 

 不満を口にしながらも、恵里は前のめりになっていた姿勢を元に戻す。

 それを確認したシュパースは視線を地上に向け、片手を天高く翳す。

 すると、天より降り注いでいた光のベールがまるで生き物のように形を変えて収束していき、シュパースの頭上には千にも及ぶ光の槍が形成される。

 

「まずは挨拶代わりといきましょう」

 

昇天槍(しょうてんそう)

 

 振り下ろされる片手に連動するかのように千の光槍がトータス連合軍に向けて射出された。

 文字通り、光の速さで降り注ぐ光の槍は、常人からすれば認識することも出来ず、あっという間にその生命を散らしていくだろう。

 

 常人ならば……の話だが。

 

堕天槍(だてんそう)

 

 戦場に小さく声が響いた瞬間、地面よりこの世の闇を凝縮したかのような黒槍が生み出され、一斉にそれが天高く撃ち出される。

 人々を天へと導く神々しい光の柱は、地より湧き上がった禍々しい闇の鉤爪に絡め取られた。

 千にも及ぶ光と闇が上空で激突し、激しい閃光と共に戦場を照らし出す。

 

 その光景を眺めていたシュパースは、それ見ても何一つ動揺する様子はない。そして、見下ろしていた視線を前方に向ける。

 距離にして300mは離れているそこに浮かぶは、シュパースを持ってして歴史上最強の人類と断言できる一人の王の姿。

 

「良いのですか? 大将がいきなり出てきても」

 

 声が届く距離ではないが、そんな事を気にすること無くシュパースは語りかける。

 

「よく言う。今の魔法、俺を引っ張り出すためのものだろう」

 

 対して、アルディアスもあっさりと言葉を返す。

 

「そんな事ありませんよ? こう見えて私、好きな食べ物は最後まで取っておくタイプなんです」

 

「奇遇だな。俺も嫌いな食べ物は最初に食べるタイプだ」

 

「ふふ、それは良かった」

 

 アルディアスの言葉にシュパースはニコリと笑みを浮かべる。

 

 人類と神の総力決戦。それは両陣営の大将の衝突で幕を開けた。




37話にして最終章の始まりです。他の二次作品に比べたらかなり速い展開ですが、最後までお付き合い頂けたら幸いです。


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第三十八話 【技術と魔法の融合】

 世間よりも早めに始まったお盆休みも終わり、少し更新速度が落ちます。というか戻ります。
 数ヶ月前までは旅行でもと思ってましたが、コロナがかなり増えたので、基本は小説書くか、YouTube見るか、サンをブレイクするか、初めて手を出した格ゲーでボコボコにされてる日々でした。


『アルディアス!!』

 

 宙に浮かぶアルディアスにハジメから”念話”が届いた。

 

「こちらは問題ない。先手は取られたが、作戦に変更はない……やれ」

 

『ああ! 姫さん!!』

 

『了解です!! (アインス)(ツヴァイ)(ドライ)(フィーア)(フュンフ)、全門解放!!』

 

 ハジメの指示を受けたリリアーナの号令により、光学迷彩が解かれ、扇状に戦場を囲い込むように設置されていた巨大な五つの砲塔が姿を現す。

 口径900mm、砲身の全長は50mを誇る巨大な砲塔はリリアーナの指示を受けた兵士によって「ゴゴゴッ」と重音を響かせながらその砲門を神の軍勢に向ける。

 ハジメにより製造され、特殊なレールを敷くことで各所に設置されたそれは、地球では『列車砲』と呼ばれるものだった。

 

──魔力充填式稼働砲台 グラン・ドーラ

 

「砲身安定! 仰角良し! 反動軽減アンカー設置完了! エネルギー充填120%! いけます!!」

 

 司令部にて五つの巨大な砲塔の稼働状況を手元のディスプレイで確認していたアルテナの声が響く。

 その声を聞いたリリアーナはすうっと大きく息を吸い込み……

 

『ッーーー!!!』

 

 その瞬間、リリアーナの号令を掻き消すほどの轟音と共に、五つの砲門から凝縮された魔力の弾丸が撃ち出された。

 それも一発だけではない。本来、『列車砲』のような巨大な砲台となると、一発の破壊力に比例して、次弾の装填に多大な時間と人員が必要になるが、魔力というこの世界特有の力を組み込んだ兵器は例外だ。既に戦いが始まる前にこれでもかと溜め込んだ魔力。それを撃ち切るまではこの砲撃が止まることはない。一発が国一つを消し飛ばすほどの威力の弾丸が、まるでマシンガンのように撃ち出されていく。

 魔物達はそれぞれ障壁を展開するなどして対処するが、その圧倒的な物量に次々とその体を撃ち抜かれて墜落していく。

 

「こんなもんじゃねぇぞ?」

 

 その光景を眺めていたハジメは、虚空から取り出したダイヤモンドのような宝珠を掲げてニヤリと笑みを浮かべた。

 

 直後、天より七柱の滅びの光が降り注いだ。

 

──太陽光収束レーザー パルスヒュベリオン

 

 本来は試作段階の域を出ていなかったそれは、魔人族が保有する魔力技能と錬成技術により改良が重ねられ、ハジメの理想とする完成形へと辿り着いていた。

 地上からの攻撃に対処していた者たちは、頭上から降り注ぐレーザーにまたたく間に飲み込まれていく。

 

 上空と地上。

 上下から襲いかかる破壊の猛攻に自我の持たない魔物達は次々と消滅していく。

 しかし、彼らもただ黙ってやられていくつもりはない。

 地上から迫る弾幕は近づくことすら難しいほどの射撃密度だが、上空からのレーザーはいくら強力だろうとも七本のみ。広く展開すれば的は絞られない。

 そう判断したシュパースが軍勢を上空に向かわせようとした瞬間、それは目に映った。

 

 鋼の球体。外装に様々な機械が取り付けられているが、一目見ただけではそう判断することしか出来なかった。それが真っ逆さまに落下してきている。

 もし、仮にシュパースにハジメ達の世界の知識があったのならば、すぐに気付いただろう。

 

 ”爆弾”という、強烈無慈悲な破壊兵器のことを……

 

「消し飛べ」

 

 ハジメが呟いた瞬間──

 

ドォオオオオオオオオオオオオオオンッ!!!!!

 

 空が紅く爆ぜ、七つの太陽が顕現した。

 閃光に遅れて、途轍もない轟音と衝撃が戦場を震わせた。

 

──臨界エネルギー圧縮専用型宝物庫 ゼラ・ヘリオス

 

 自分の想定よりも早く”パルスヒュベリオン”を完成させたハジメが続いて開発した大型熱量爆弾だ。

 元々の計画としては、臨界まで収束させた太陽光を特殊な宝物庫に溜め込み、自壊と共に太陽エネルギーを解放するといったものだったのだが、そこにアルディアスの強化案が飛び込んできた。

 太陽エネルギーと同密度、同出力のエネルギーを衝突させれば、威力の更なる向上が見込めるのではないか……と。

 その話を聞いたハジメは確かに理屈は通ってるが、そもそも太陽のエネルギーに張り合えるエネルギーに宛などあるのかと問いかけると、アルディアスは黙って自分を指さした。

 それを見たハジメの頬が引き攣ったのは言うまでもないだろう。

 

 そのような経緯で開発されたのがこの兵器だ。太陽エネルギーとアルディアスの魔力。二つの異なるエネルギーを圧縮した後、宝物庫に別々で取り込み、それを加速させ、衝突を繰り返すことで生まれる反発力を爆発力に転換する感応式爆弾。

 その威力は神の軍勢を容易く呑み込み、危うく連合の兵士までも襲いかかるが、事前に展開した大結界がその衝撃を受け流していく。

 とは言え、自分の想定していたよりも莫大な破壊力を見せた新兵器にハジメの背に冷や汗が流れる。

 チラリとこの威力の元となった元凶に視線を向けると、「ほぉ」と感心するような表情を浮かべているだけだった。

 連合の兵士達ですら、その威力に「ええ?」とドン引きである。

 

「こ、これこそが我が剣の力! 我らにこそ世界の加護はついています! 今こそ神を驕り、人類を滅ぼさんとする悪神に見せつけてやるのです!! 勝利は我らに約束されている!!」

 

「「「オ、オオオオオオオオオオオッ!!!」」」

 

「「「悪神に敗北を!! 我らが女神に勝利を!!」」」

 

 なんとか放心状態から回復した愛子の声に次第に兵士達の士気も高まっていく。

 しかし、そんな状況に水を差すようにそれは突然訪れた。

 

 ”ゼラ・ヘリオス”による爆炎と黒煙の中から、全方位に向けて魔力の弾丸が飛び出してきた。

 それらは適当に放たれたものではなく、正確に地上の”グラン・ドーラ”と上空の”パルスヒュベリオン”を貫いた。

 

『ッ!?──離れてください!!』

 

 リリアーナの声に砲塔のそばに居た兵士達が慌てて退避を始める。砲門を貫かれ、スパークを起こし始めた『グラン・ドーラ』は一拍の後、大爆発を起こす。

 天空に配置された『パルスヒュベリオン』も鉄屑となって地上に落下していく。

 

「くそったれ、アレはそんなやわじゃねぇぞ!」

 

 当たり前だが、ハジメの開発した両アーティファクトは技術的、魔法的に特別な加工が施されており、ちょっとやそっとじゃ破壊することなんて出来ない。

 それこそ、ハジメの持つパイルバンカーですら罅をつけるので精一杯だ。それを遠距離から、それも上空の七門、地上の五門を同時に破壊するなど普通ではない。

 

「いや、普通じゃないのは最初から分かってたことか……」

 

 ようやく黒煙が晴れ、その姿が顕となる。シュパースを中心に展開された防壁が内部への干渉を一切断ち切っていた。

 だが、それを見てもアルディアスは一切動揺した様子を見せない。ハジメには悪いが、あの程度で奴をどうにか出来るとは考えていない。精々、雑兵の頭数を減らせるくらいだろう。肝心なのはここからだ。

 

「……行きなさい」

 

 シュパースが小さく呟いた瞬間、待ってましたと言わんばかりに魔物達が一斉に地上に向けて突撃を始めた。

 それを見て、人間族の指揮官を任されたガハルドが声を張り上げる。

 

「総員、構え!! 目標上空! 良いか、ここからが正念場だ! ここに居る者一人一人が女神に選ばれた神の子だ! 俺達はこの世界で、女神の元で生き抜く権利がある! それを邪魔する馬鹿共をまとめて討ち滅ぼしてやれ!! 我ら”人”の強さを奴らに見せつけてやれ!!」

 

「「「ウォオオオオオオオオオオオオオッ!!!」」」

 

 凄まじい雄叫び共に兵士達が支給されたアーティファクトを構える。

 それを横目に魔人族の指揮官フリード。亜人族の指揮官アルフレリック。竜神族の指揮官アドゥルが続く。

 

「我らも続くぞ!! アルディアス様の覇道を阻む愚か者に教えてやれ! あの御方こそが、この世界を統べるに相応しい存在だと!!」

 

「今こそ、我ら亜人族を救ってくれたアルディアス殿に報いる時! これ以上同胞が傷つく未来を許してなるものか!!」

 

「我ら竜人族が迫害を受けた五百年前の屈辱。忘れようはずもない。その元凶たる神が今、目の前にいる。吼えろ同胞よ! 今こそかつての雪辱を果たす時だ!!」

 

「「「ゆくぞ!!!」」」

 

「「「オォオオオオオオオオオオオオオオッ!!!」」」

 

 神の軍勢とトータス連合軍が遂に衝突した。

 

 

 ◇

 

 

「チッ、キリがねえな」

 

 能面のような表情をした天使を吹き飛ばしたハジメは一向に減る様子を見せない敵の軍勢に辟易していた。

 今のところ自分の手に負えないような魔物は現れないが、キリのない状況にウンザリしていた。

 

(こうなりゃ、ここら一帯ごと吹き飛ばすか? 味方を巻き込まねえように少し離れれば……)

 

「油断大敵」

 

 一人思考するハジメの耳に幼い少女の声が響いた。その瞬間、背後から気配を消して斬りかかろうとしていた魔物が炎の槍に貫かれて絶命した。

 そのことに僅かに目を見開いたハジメのそばに少女──アレーティアが降り立った。

 

「戦場で考え事は禁物。こいつみたいに隠密に長けた魔物も居る。気をつけて」

 

「うっ!?……悪い、助かった」

 

 自分よりも幼い少女に助けられ、更に注意が足りないことを指摘されたハジメは、ばつが悪そうに顔を歪めるも、自分の非を認め感謝の言葉を述べる。

 そんなハジメの様子に何かを感じ取ったのか、アレーティアはズイッとハジメに近づき、ある事実を告げる。

 

「私……貴方よりもずっと年上だから。それこそ、フリードとかよりもずっと上」

 

「……はぁ!?」

 

 衝撃の事実にハジメは驚愕の声を上げる。目の前の少女はどう見ても十代前半の容姿をしている。

 それなのに、二十代後半から三十代前半だと思われるフリードよりも年上という事実に、ハジメの脳内に一つのワードが浮かび上がる。

 

(これが合法ロリ。さすが異世界)

 

 内心で呟いただけのハジメだったが、女の勘が働いたのかアレーティアの目が細まる。そのことにギクリとしたハジメだったが、不幸中の幸いか、アレーティアがそれを追求することは無かった。一体の乱入者によって……

 

──ズドンッ!!

 

 上空より新たな天使が二人の前に現れた。他の天使と同じように銀髪にドレス甲冑を身に着けた少女の見た目をした天使は何の感情も感じ取れない能面のような表情を二人に向けた。

 すぐさまドンナーを向けたハジメだったが──

 

「私の名はノイント」

 

「ッ! 驚いたな。どいつもこいつも自我なんてないのかと思ってたが……」

 

「コレだけ特別仕様?」

 

 既に何体もの天使を屠ったハジメとアレーティアだったが、言葉を発する個体は初めて見た。

 まぁ、だからと言って殺すことに変わりはないのだが……

 

「私の名はノイント……」

 

「? 今聞いたが……」

 

「……私達も名乗れってこと?」

 

「私の名はノイント……ワタシの名はノイント、ワタシのナはノイント、ノイントノインとのいんとのインとのいんとノイントノイントのいンとノイント!! コロスコロスコロスコロス、カミのテキヲコロス!!」

 

「……なるほど、確かに特別仕様だ。イカれてやがる」

 

「でも、ちょっと手強そう」

 

 壊れた神の使徒がハジメとアレーティアに襲いかかった。

 

 ◇

 

「おりゃああああ!!」

 

 フルスイングで振られたドリュッケンが巨大なサイクロプスの頭を粉砕する。

 

「まだまだぁ!!」

 

 そのまま頭を砕かれたサイクロプスを敵の集団に蹴り飛ばす。サイクロプスの巨体に押しつぶされた魔物が動くことが出来ずにいると、その魔物を影が覆った。

 

「セイッ!!」

 

 高く飛び上がったシアは振り上げたドリュッケンを全力で叩きつけた。魔物だけでなく周囲の地面ごと陥没させるほどの威力に下敷きになっていた魔物は一瞬でその命を刈り取られた。

 

「ふう、ハジメさんは大丈夫でしょうか?」

 

 軽く一息ついたシアは今はここに居ないハジメのことを想う。言うまでも無いがハジメやシアは普通の兵士に比べ、頭一つどころか二つも三つも飛び抜けている。だからこそ、一箇所に固めるのは得策ではなく、ハジメと別行動を取ることにしていた。

 

「いえ、ハジメさんは私なんかよりもずっと強いんですからきっと大丈夫です。私は私のやるべきことをやらなくては……」

 

 気合を入れ直し、再び”天啓視”を発動させた。こういった敵味方入り乱れる乱戦では思いもよらない奇襲というものが起こることがある、そのため、可能ならば”天啓視”を発動させておくように言われていたシアは再度それを発動させた。

 自分に命の危機が迫った場合は”未来視”が自動で発動するが、”天啓視”と比べれば魔力消費がずっと多い。

 しかし、いくら魔力消費が少ないと言っても魔力は決して無限ではない。常時使い続ければ必ずガス欠してしまう。回復手段が無いわけではないが、いざという時のために、抑えられるものは抑えたほうが良い。そのため合間合間に上手く切り替えているのだ。

 

 そして、シアの脳裏に映った光景。それは、自分が圧死する光景だった。

 

「ッ!?──くっ!」

 

 半ば無意識で全力でその場から離脱する。その瞬間、先程までシアが立っていた地面が突然途轍もない衝撃と共に深く陥没した。それはシアの全力よりも遥かに強力な一撃がもたらしたものだった。

 

 体勢を立て直したシアは全身に神経を張り巡らせつつ、目線をキョロキョロと彷徨わせる。

 

(居ない?……いや、間違いなくそこに居ます)

 

 シアが睨みつける先には何も居ない。だが、シアは間違いなくそこに何か居ると確信する。

 

(見えないですし、聞こえないですし、感じられないです……勘弁してくださいよぉ)

 

 見えない脅威がシアに迫る。




>魔力充填式稼働砲台 グラン・ドーラ

 原作とは全く違う兵器を出したいと考えた時に、真っ先に思いついたのが『列車砲』でした。魔力を充填することで連射可能な列車砲。正直、そういった類に詳しいわけではないので、細かくツッコまれたら全部魔法で何とかなったって答えます。

>臨界エネルギー圧縮専用型宝物庫 ゼラ・ヘリオス

 ”太陽光収束専用型宝物庫 ロゼ・ヘリオス”の改良型。ぶっちゃけアルディアスの魔力を混ぜ込んだだけ。でも威力は爆上がり。参考にしたのは今年の劇場版名探偵コ●ンに出てきたカラフルな赤と青の液体を混ぜると爆発する爆弾。

>ノイント

 最早ノイントって名の別人と思ってください。

>一般兵の強化

 こちらに関しては主に原作通りと思って頂いて大丈夫です。魔人族の手が入ってることで若干の強化が入ってる程度です。


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第三十九話 【神の使徒だった者】

ハジメ&アレーティアVSノイントです。


「キィヤアァアアアアアアアアアア!!」

 

「うっせえよ!!」

 

 紅と銀の稲妻が激突し、辺りを眩い閃光が包み込む。

 ”空力”で空を駆けながら、ハジメは両手に持ったドンナー・シュラークを連射する。

 空を切り裂く二条の閃光がノイントに迫るが、尋常な速さで空を舞うノイントはあっさりとそれを躱す。

 更に空を舞った時に翼から散った羽根が、まるで意志を持っているかのようにハジメに襲いかかる。四機のクロスピットの障壁を起動し、それを防ごうとするハジメだったが、何かに気付いたようにその場で身を翻す。

 

 一瞬遅れて羽根がクロスピットの障壁に命中し、何の抵抗もなく障壁を貫通した。

 

「貫いた!? いや、これは……」

 

 障壁をあっさりと貫いた威力に目を見開いたハジメだったが、クロスピットがまるで砂のように粉々に崩れ落ちる姿を目にしてその羽根に込められた能力に戦慄した。

 

「分解能力……か?……ってマジかよおい」

 

 ハジメが上を見上げると、空一面に配置される百を超える羽根の姿。

 一発一発がどんな障壁も貫く強烈無比な能力を持つそれが一斉にハジメに殺到した。

 ……が、それがハジメに届くことは無かった。

 

『蒼龍』

 

 万象を塵へと変える青白い炎の龍が全ての羽根を一つ残らず呑み込んでいく、羽根に組み込まれた分解能力が発動するが、それを上回る勢いで全てを焼き尽くしていく。

 

「私を忘れてもらっては困る」

 

 少し不機嫌な表情をしたアレーティアがピンっと伸ばされた指をタクトのように振る。その向かう先は、今も優雅に空からこちらを見下ろすノイントだ。

 こちらに向かってくる脅威に対して回避を選択したノイントだったが、明らかに先程までのスピードが出ていない。

 龍の顎門から発生する重力魔法に引っ張られ、思うような飛行が出来ていないのだ。しかし、それでもギリギリで蒼龍の直撃を避けていく。

 だが、アレーティアも闇雲に龍を操作しているわけでは無かった。

 ノイントの動きを読み、一つ一つ彼女の逃げ場を無くしていく。そして一瞬の隙をつき、ノイントの周囲を龍がとぐろを巻き、上部を除き、完全に逃げ場を無くす。唯一空いていた上部に龍が首を突っ込み、そのまま巨大な顎がノイントに喰らいついた。

 凄まじい轟音と共に辺りを業火が包み込む。思わず腕で顔を覆っていたハジメはその威力に軽く引いていた。

 

「なんつー威力だよ。アルディアスの周りはあんなのばっかなのか?」

 

 アルディアスといい、あのアレーティアとかいう少女といい、魔人族の奴らは地形を変えるような魔法をあんなポンポン出すのかと戦慄する。

 正直、その二人が特別なだけで、あんな威力の魔法を一人であっさり撃てるレベルに辿り着いている者は他には居ない。ハジメの言葉を他の魔人族が聞いたら全力で首を横に振るだろう。

 

「……そんで? お前もアレ喰らってまだ死んでねえとか、どんな人体構造してんだてめぇ」

 

「むっ、まさか耐えるなんて」

 

 爆炎が晴れると、そこには片翼を失い、右腕が完全に炭化したノイントが姿を現した。ハジメの言う通り、まだ生きていることが驚きに値するが、片翼では先程までの動きも出来ず、攻撃力も半減。勝負あっただろう。

 

 ハジメが宝物庫より取り出したシュラーゲンを構え、アレーティアも追撃の魔法を放とうとした瞬間──

 

「キャアアアアアアアア!!」

 

 再び、ノイントが戦場に響き渡る程の奇声を上げた。しかし、それは今までのものとは桁違いの声量で、流石のハジメとアレーティアも攻撃を中断し、両手で耳を抑える。

 

「ああ、くそっ!! 何だってんだよ!?」

 

「ッうるさい……!」

 

 大気を震わせ、まるでその叫びそのものに麻痺効果があるのかと錯覚するかのような現象に二人が苦しめられていると、ノイントが無事だった左手で炭化した右腕をガシッと掴んだかと思うと、力任せに引きちぎった。

 突然の奇行にハジメとアレーティアが目を見開くと、変化はすぐに現れた。

 ノイントの身体がボコボコと隆起を始めたかと思うと、甲冑を砕き、その肉体を内側から突き破って異形の身体が姿を現す。

 

 悪魔のような禍々しい巨大な複腕に、背からはコウモリを連想させる片翼。肩口からはカマキリのような鋭利な鎌がいくつも飛び出し、腹部からは牛のような馬のような二体の異形の頭が覗き、尾骨部分からは四対の蛇が睨みを利かせる。

 

 纏っていたドレス甲冑と一緒に衣服類が全て破れ落ちてしまったことで、今のノイントは何一つ纏っていない素っ裸だ。元々の美貌と合わせれば、ここが例え戦場だったとしても多くの注目を集めたことだろう。

 しかし、目の前に存在する化け物を見て欲情する者などここには居ないだろう。まるで魔物の身体をめちゃくちゃに繋ぎ合わせたかのような悍ましい姿に、ハジメとアレーティアは表情を歪める。

 

「ビックリ人間かよ。趣味悪いぜ」

 

「同感」

 

 思わずハジメが悪態をつくとアレーティアもそれに乗っかる。

 そんな二人の目からは一切の油断は感じられない。それは二人が本能で気付いているからだ。

 

((気を抜けば一瞬で殺られる))

 

 次の瞬間、宙に浮かんでいたノイントの姿が……消えた。

 

「ッ!?──後ろ!!」

 

 アレーティアの声が聞こえたハジメは何も考えずにただ全力で身体を前に投げ出した。

 その瞬間、ハジメがそれまでいた場所を三本の鉤爪が通り過ぎた。

 

「速ッ、すぎんだろ!?」

 

「油断しないで! まだ来る!」

 

 攻撃を躱されたノイントはそのまま巨大な拳を下からすくい上げるように振り抜いた。

 回避が間に合わないことを察したハジメは手に持ってたシュラークを盾にし身体を出来るだけ小さく丸める。

 

「グッ!?」

 

 盾にしたシュラークをあっさりと粉砕し、その拳がハジメに突き刺さった。その勢いのまま吹き飛ばされるハジメ。

 

「南雲ハジメ!?」

 

「ッ! くっ、無事だ!! まだ行ける!!」

 

 空中で態勢を立て直したハジメは心配する声を上げるアレーティアに力強く返す。

 ハジメは拳を受ける寸前に”空力”を切り、自分と拳の間に障壁を展開したクロスピットを挟み込み、あえて後ろに吹き飛ばされることで衝撃を緩和していた。しかし……

 

(くそッ、肋骨が二本折れた! どんな馬鹿力してやがる!!)

 

 衝撃を緩和してこの威力。まともに喰らえばただでは済まないだろう。治療しようにもあの高速機動を前に視線を僅かに逸らすことさえ自殺行為だ。

 

「調子に乗らないで!」

 

『氷龍』

 

 先程の”蒼龍”に負けず劣らずの巨大な龍が姿を現し、主に害を及ぼす敵を喰らわんとその顎を開き、まっすぐに襲いかかる。

 だが今度はノイントは避ける素振りを一切見せない。そのことに眉を顰めたアレーティアだったが、次の瞬間驚愕に目を見開いた。

 腹部の馬頭が口をガバッと開けると、龍がその口内へと吸い込まれていく。

 

「なッ!?」

 

 思わず動揺で動きが止まるアレーティアへ向けて、今度は牛頭の口から氷のレーザーが撃ち放たれた。アレーティアの小さな体を極太のレーザーが呑み込む。

 その威力にハジメが声を失うが、当のアレーティアは何事も無かったように姿を現す。しかし、無傷というわけではない。所々服が破れ、体のあちこちが凍結している。口の端から血も流しているが、その程度、アレーティアには何の問題もない。肉体は”自動再生”で修復。衣服に至っても再生魔法で元に戻せるからだ。

 そして、違和感に気付く。

 

「……え? 傷が再生しない」

 

 アレーティアの意志に関係なく、自動(オート)で再生を始めるはずの固有魔法が発動しない。

 いや、よくよく見れば再生は確かにしている。しかし、その速度が異常なほどに遅い。まるで”自動再生”の発動と同時に肉体が損傷していっているような感じだ。

 

「まさか……分解能力を?」

 

 アレーティアの魔法を吸い込み、分解能力を組み込んで撃ち返す。”自動再生”が発動していないわけではない。アレーティアの体を分解しようとしているところを同時に”自動再生”が効果を打ち消しているのだ。

 もしこれをアレーティア以外……それこそハジメが喰らっていれば問答無用で粉々にされていただろう。

 

「魔法による攻撃は駄目! そのまま返される!」

 

「ちっ、面倒なやつだな! 一瞬でいい、奴を止められるか!?」

 

「やってみる!!」

 

 言い終わるが否や、大気が破裂し、ノイントがハジメに突貫する。それをその場で孤を描くように身体を捻ることで、衝撃を受け流しながら上空へと回避する。

 

『縛羅』

 

 アレーティアの口から言葉が紡がれた瞬間、ノイントの周辺の空間が固定された。

 

「グギャギギギ……!」

 

 本来ならば、指一本動かせない不可視の結界だが、ノイントはそれを単純な膂力だけで振り払おうとする。大気がビキビキと音を立てて軋み、このままでは五秒と持たないだろう。

 しかし、それで十分だ。

 

 宝物庫から全長二メートル半の大筒──パイルバンカーを取り出したハジメは、その巨大な複腕にアンカーを突き刺し、途轍もない衝撃と共に叩きつけた。

 

「潰れろ!」

 

 紅色のスパークを撒き散らしながら、アルディアスすら吹き飛ばした雷神の一撃が轟音と共に解き放たれた。

 背部にクリーンヒットしたノイントは凄まじい勢いで地面へと叩きつけられる。正直、あの一撃を喰らって肉体を貫かれなかっただけで大したものだが、それでも大きなダメージは与えたはずだ。

 まだ立ち上がってくるなら、上空から自分とアレーティアの追撃を叩き込めば良い。再生させる余裕など与えるものか。

 

「イタイ」

 

 追撃に移ろうとしたハジメとアレーティアの耳に声が聞こえてきた。

 

「……嘘だろ?」

 

「……ッ!」

 

 墜落の衝撃で土煙が舞う中を、斬り裂くように銀閃が飛び出した。

 

「イ、タイいタたたいイタいたいイタ」

 

 焦点の合っていない瞳でぶつぶつと呟くノイントは口では「痛い」と口にしているものの、全く堪えている様子はない。

 

「流石に自信失くすわ。一応、俺の近距離最強なんだけどな」

 

「……どんまい」

 

「魔法は吸収されて、物理は効果なし。勘弁しろよな……」

 

 悪態をつくハジメに構わず、ノイントはハジメとアレーティアに急接近し、その拳や鎌を振り回す。

 それを何とか回避しながらも対抗策について考える。

 

「何か逆転のアーティファクトとか持ってないの!?」

 

「あるにはあるが、あんな馬鹿みたいに素早い奴に当たんねえぞ!?」

 

 ハジメの持つアーティファクトは、ほぼ全てが魔力を原動力に銃弾やミサイルを撃ち出す近代兵器タイプだ。連射が効くドンナー・シュラークを除けば、発射までに僅かなラグがある。とはいえ、常人からすれば、とても隙とは言えない小さなものだが、目の前の化け物相手にはその僅かなラグの間にでハジメの背後に回るなど造作もないことだろう。

 とはいえ、完全に打つ手が無いわけじゃない。

 

 ノイントの大振りの攻撃をアレーティアは”聖絶”にて防いだ。すぐさま分解能力で障壁が粉々になっていくが、一瞬止められるだけで十分だった。

 一瞬でノイントの背後に回ったハジメが複数の技能で強化された義手から放たれる一撃を叩き込む。

 地面に墜落していくノイントだが、空中で身を翻し、何事もなかったように態勢を整える。

 

 振り下ろした義手を見つめていたハジメは唐突にアレーティアに視線を向ける。

 

「一つ、賭けがある。まだ確かめなきゃいけないこともあるが……」

 

「……話して」

 

 呑気に話している余裕は無い。ノイントが再び襲いかかってくる前に、簡潔にまとめられたハジメの作戦を聞いたアレーティアは一も二もなく頷いた。

 

 

 

 

 

『緋槍』

 

 アレーティアから生み出された円錐状の炎の槍がノイントに向けて放たれる。しかしそれは、ガバッと開いた馬頭の口内へと吸い込まれていく。そしてすぐさま魔力を上乗せされた反撃が牛頭から撃ち出される。それをギリギリで回避するアレーティア。

 

「消し飛べ!」

 

 その背後からハジメがメツェライをノイント目掛けて撃ちまくる。それを確認したノイントは翼を羽ばたかせ、毎分12000発のガトリングレールガンをヒョイヒョイと躱してみせる。

 しかし、ノイントの動きを計算に入れたハジメの偏差撃ちによって少なくない弾がノイントの身体に命中し……粉々に砕け散った。

 その姿を見てハジメは「やっぱりか」と納得した後、アレーティアに目配せをする。

 

 ハジメは先程、ノイントを殴りつけた一瞬で義手に纏わせた魔力が分解されていくのを感じた。恐らく、今の奴は全身に分解能力を兼ね備えた魔力の鎧を展開している。だが、分解はされても吸収はされなかった。

 

(恐らく、あの馬頭が吸収出来るのは完全な魔力から構成されたもののみ。それに分解能力は奴の人の部分からだけだ。しかも、分解と吸収は両立できねぇ。なら──ちっ!?)

 

 その事実に確信を持ったハジメにノイントが迫り、その巨腕を叩きつける。それに対してハジメも義手をぶつけるが、一瞬の均衡の後、ハジメが後方に吹き飛ばされる。

 

『斬羅』

 

 アレーティアの口から紡がれた言葉。

 空間に亀裂を入れてズラす事で対象を問答無用で切断する、防御不可能の魔法だ。しかし、一瞬ズレかけた空間はすぐに元の位置に戻り、何事も無かったように世界の一部へと戻った。

 

「化け物が……!」

 

 本来は防御不可能の一撃を防がれた。正確には発動そのものを阻害された。

 ノイントを中心として洩れ出す濃密な魔力と絶大な肉体スペックにより、ズレかけた空間を再び繋げたのだ。空間の分断にも抗うメチャクチャな身体構造のノイントにアレーティアも顔を顰める。

 これでは仮に魔法を当てられたとしても、まともなダメージは期待できない。

 しかし、すぐさま次の魔法を唱える。

 

『天灼』

 

 ノイントの頭上に幾つもの雷球が出現し、周囲ごと雷の嵐をぶつける……が、これもあっさり吸収される。

 一見すると魔法の一切を無効化する相手に対して無意味な行動を繰り返すアレーティアだったが、それをハジメは吹き飛ばされながらもしっかりと観察していた。そして……見つけた。

 

「アレーティア! やれ!!」

 

「ッ!!」

 

 ハジメの声を聞いたアレーティアは再び魔法を発動させる。

 

『氷龍』

 

 発動したのは一度ノイントにあっさりと吸収された魔法。氷の龍が再び咆哮を上げながらノイントに迫るが。これもノイントはあっさり吸収した。

 そのまま馬頭の顎が閉じようとした時──

 

「忘れもんだぜ?」

 

 突如ノイントに急接近したハジメが義手を馬頭の閉じかけた口内に突っ込んだ。そんな事をすれば、瞬く間に分解能力の餌食になるのだが、ハジメにはそうはならない確信があった。

 分解と吸収は両立出来ない。しかし、一瞬でも遅れれば、分解能力は義手だけでなく、ハジメの身体全体にまで及んでいただろう。その一瞬を確実に狙うためにアレーティアに絶えず魔法を撃ち込ませたのだ。

 馬頭の口内に義手を突っ込んだハジメはすぐさま義手を引き抜く。ギリギリで発動した分解能力によってズタボロの鉄屑へと変わり果てた自身の義手だったが、生身にまでは及んでいない。すぐさまその場を離脱する。

 

「俺からのプレゼントだ。よく味わえよ?」

 

 瞬間、ノイントが何かに苦しむような仕草をした後、ノイントを中心に大爆発が起こった。

 

──ミニ・ヘリオス

 

 開幕と同時に使用した”ゼラ・ヘリオス”を手持ちサイズにまで小型化したものだ。それをハジメはノイントの中に置いてきた。後はノイント自身が発動した分解能力によって、エネルギーの境界が取り払われ、勝手に大爆発を起こす。

 さらに、あれは魔力を含めて周囲のエネルギーを全て爆発力に変換している。つまり、ノイントが内部に溜め込んでいる魔力全てが燃料となる。

 

 小型な分、威力は小さいが個に向けるには十分すぎる威力だ。

 爆炎で包まれる中から、何かが地面に向けて落下していく。それは炭化した人だったものの残骸だ。

 いくら莫大な魔力を吸収出来ようとも、どんな物理攻撃にも耐える鎧を纏っていようとも、体内からの爆発に耐える術はない。そのまま地面に激突するかと思われたそれは、空中でバラバラと崩れていき、小さな粒子となって宙に消えていった。

 

「……流石アルディアスの魔力」

 

「そもそも太陽に張り合うなんて、ホントなんなんだよアイツ」

 

「だってアルディアスだもん」

 

「最近はそれで納得しちまうようになっちまったよ」

 

「それより、まだ戦いは続いているけど、左腕(それ)大丈夫?」

 

「壊れちまったもんはしょうがねえさ。部品も粉々にされちまったら”再生魔法”でも形だけしか直せねえしな」

 

「そっか……じゃあ、私は先に戦線に戻るね」

 

「おう」

 

 次の戦場へと飛び去っていくアレーティアの背を見つめていたハジメは、肩口にこびり付いていた義手の残骸を乱雑に取り外して、自身も戦線へと戻っていった。




合成獣(キメラ)ノイント

 どうせならやれるところまでやろうとした結果。分解能力と吸収能力が際立ってるけど、メインは魔物の肉体での極限までの身体強化。空間のズレを肉体強度だけで戻すとかいう意味不明なことする。

>ミニ・ヘリオス

 超強力な手榴弾。取り扱い注意。


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第四十話 【見えざる敵】

「右ッ!!」

 

 言葉と共にシアは横っ飛びでその場から飛び退く。

 その直後にシアの立っていた地面がまるで隕石でも堕ちたかのようなクレーターが形成される。

 

「そこっ!!」

 

 すぐに体を捻り、ドリュッケンをクレーターの上辺りに振るうが何の抵抗もなく空を切る。

 

「あーもうっ!! また空振りました! どうすればいいってんですか!?」

 

 当たらないと見るや、バックステップで距離を取ったシアは地団駄を踏みたい気持ちを押し殺し、苛立ったように叫ぶ。

 先程からこの繰り返しだ。敵の姿は見えず、兎人族の耳を持ってしても足音一つ聞こえず、おまけに勘すら働かない。

 そんな状況で、何故シアは敵の攻撃を躱し続けられているのか。答えは彼女の持つ”未来視”の派生技能”天啓視”の力のおかげだ。

 自分の未来の光景を視ることで、ギリギリ攻撃を躱しているのだ。躱した後にそこに居るはずの敵に攻撃を仕掛けるが、居るであろう位置に当てずっぽうでドリュッケンを振るうしか出来ないので、まともに当てることが出来ない。

 それならば、敵の攻撃に合わせてカウンターを仕掛ければ良いのではと思うかもしれないが、この見えない敵は膂力だけで見ればシアの上をいく。シアの”天啓視”では自分の死に様を視ることが出来るが、それがどの位置から、どのような角度で振り下ろされるのかまでは分からない。そもそも姿は見えないのだから。

 そんな敵に対して当てずっぽうでカウンターを仕掛ける? 愚策でしかない。カウンターとは相手の攻撃を完全に見切ることで真価を発揮する。せめて敵の居る方向が分からなければ成功しない。

 

「ホント、勘弁してくださいよ……」

 

 小さく呟くシアの足は僅かに震え、呼吸も荒い。明らかに疲労が溜まっている。

 ”天啓視”がいくら魔力消費が少なくとも、常時使用し続ければその消費量は馬鹿にならない。更に見えない敵に狙われ続ける状況と自分への攻撃を避けるためとはいえ、自分の死の未来を何度も見せられる現状に、魔力やスタミナ以前に彼女の精神をガリガリと削り取っていた。

 しかし、そんな状況でも敵は待ってはくれない。

 再び予知に反応があったシアは覚悟を決める。

 

(どうせこのままじゃ、勝ち目は無い。それなら一か八か……!)

 

 先程までは回避を選択していたシアが目を瞑り、その場で身体を脱力させる。

 そして横殴りの一撃がシアの左腕に触れた瞬間──

 

「──ッ!!」

 

 その場で転身して、無理矢理一撃を回避したシアはその勢いのままにドリュッケンを水平に振った。

 

 ゴァンという金属同士がぶつかりあった音がした後、音を立てて何かが吹き飛ばされた。

 

「手応えありですぅ!!」

 

 作戦がうまくいったことにシアは拳を握りしめる。

 シアはあえて敵の攻撃を躱さずに、攻撃が自分の肌に触れた瞬間にその一撃を受け流し、逃げる隙を与えずに反撃を与える、というものだ。

 言葉にするのは簡単だが、思いついてもこんなことが実行できる者がどれだけいるだろうか。敵の攻撃が触れた瞬間に受け流す技術もそうだが、何よりも信じられないのが、喰らえば一撃で死ぬ危険性のある攻撃を避けずに待つという選択肢をとった胆力だろう。

 しかし、あくまで一撃を食らわせただけで、手応え的にはまだ仕留められてない。

 正直、一回成功させるだけで奇跡のようなものだが、シアは少しも諦めるつもりはない。

 

「私は絶対生き抜いて、ハジメさんの元に帰るんです! それで、ハジメさんの生まれた世界を見るんです! こんなところで死んでたまるもんですか!!」

 

 声を張り上げ、気合を入れ直すシアだが、敵はそんなこと関係ないとシアに迫る。自我のない魔物にそんな決意を聞く理性などない。

 シアの背後から忍び寄った魔物がその腕を振り上げた瞬間──

 

「ハイパーミレディキーーーック!!」

 

 戦場にはとても似つかわしくない少女の鈴の音のような声が聞こえた途端、シアのすぐ横を何かが高速で横切った。

 途轍もない轟音と響かせながら何かが吹き飛ばされ、ズゥンという巨大な質量を持った物体が地面に落下するような音が聞こえた。

 

「うん、決まったぜ☆ 当てずっぽうだったけど! どうやら自分の音までは消せても、周りの物体の発する音までは消せないみたいだね〜」

 

 ふわりと地面に着地した()()はグッとガッツポーズを取った後、一人納得したかのようにウンウンと頷く。

 金髪をポニーテールに纏め、空色の瞳をした十四、五歳くらいの少女だ。その少女をシアは今まで見たことがない。しかし、その少女が発する声には嫌というほど聞き覚えがある。

 

「その声……ま、まさかミレディですか?」

 

「正解正解、大正解! 皆のピンチに現れる美少女戦士、ミレディたんだぞ☆ キュピーン!! はい、はくしゅ〜ぱちぱちぱち!!」

 

 自分でも半信半疑だったが、目の前のイラッとする話し方は間違いなくミレディだ。自分でキュピーンとか言うようなのはミレディだけで十分である。

 

「って、ちょっと待ってください! その体は!? 何で人の体なんですか?」

 

「何でも何もミレディさん元々人間だよ? シアちゃんは相変わらずおっちょこちょいだな〜。まあ、ミレディさんの可愛さは人間の枠組みを超えた世界の至宝とも呼べる代物だからね! 勘違いしちゃってても仕方ないかな! ゴメンね、可愛くて!!」

 

 相変わらずの言動にシアの額に青筋が浮かぶが、下手に突っ込んでも二重三重と重ねられるのがオチだ。

 それにここは戦場。落ち着け。私は大人。切り替えの出来る大人の女性だ。そう自分に言い聞かせる。

 

「ところでシアちゃんは何で一人で? あっ、もしかしてまた漏らし──」

 

「ぶっ潰してやるです!!」

 

 前言撤回。このド畜生は今ここで捻り潰した方が良い。その方が世のためだ。

 

「どうどう、落ち着きなって。今は人類の命運を決める大事な戦いの最中だよ? 流石に時と場所は選ぼうよぉ」

 

「キィイイイイイイイ!!」

 

 まるで聞き分けのない子供を落ち着かせるように言い聞かせてくるミレディに、とうとうシアの口から奇声が飛び出た。完全にミレディの掌で弄ばれている。

 

──ガラッ。

 

 その時、ミレディが蹴り飛ばした方向から瓦礫が崩れる音がした。流石の二人も意識を切り替える。

 

「それで? その体は何なんですか?」

 

「これ? これはアルディアス君からのプレゼント」

 

「アルディアス……さんからの?」

 

──ハイパーミレディさん

 

 命名はもちろんミレディ本人だ。アルディアスがエヒトの記憶を頼りに創り出した戦闘人形。言ってしまえば、ノイントのような神の使徒と同じだ。但し、神の使徒のように汎用型の量産タイプではなく、ミレディ本人に合わせて造られた専用タイプだ。

 ただの人形ではなく、ミレディの戦闘スタイルに合わせた調整が施されている。見た目で言えば、ミレディゴーレムの方が強そうにも見えるが、魔力効率だけでなく、純粋なパワーと耐久もこちらの方がずっと上だ。

 

「それで……もう、乙女の会話に割り込んでこないでよ。無粋だなぁ」

 

『壊劫』

 

 それまでのキャピキャピとした声音から一転、背筋が凍るほどの平坦な声がミレディの口から放たれた。

 その瞬間、ミレディの目の前の大地が消失した。

 

「見えない? 聞こえない? 感じられない? うん、確かに凄い隠密能力だね。ミレディさんにもハッキリと位置を掴ませない能力は称賛に値するよ。でも、目に映る光景を全部押し潰しちゃえば関係ないよね?」

 

 魔法の有効範囲の外ギリギリ。地面が陥没し、崖になっている縁から下を覗くと、大地の底まで押しつぶされた地面の一角だけが柱となって残っている。

 そこの上には、まるで人型に沿って地面をくり抜いたのようにくっきりと跡が出来ている。恐らくあそこに目に見えない何かが押し潰されているのだろう。

 

「へぇ? 空間魔法で周囲を固定して止めたんだ。意外とやるね。でも、私を止めるならナッちゃんくらいじゃないと無駄だよ?」

 

『壊劫』

 

 更に押し込むよう重ねられた重力の圧が柱を上から押し潰していく。ピシピシと柱に罅が入っていく。

 

「私さ、これでも怒ってるんだよ? お前らの主に好きなように弄ばれてさ。挙句の果てには人類を守りたいだって? ははは、三文役者かよ。素人でももっとマシな脚本考えるよ」

 

 ミレディの後ろにいるシアからは、ミレディが今どんな表情をしているのか分からないが、見なくとも雰囲気で分かる。

 

(めちゃくちゃ怒ってる)

 

 ゴーレムから人の身体になった影響もあるのだろうか。それまではニコちゃんマークの変化と声音、ゴーレムの小さな身体を忙しなく動かすことで感情を表現していたミレディだったが、人の身体になったことで、僅かな動作の一つ一つにミレディの内側に隠してきた憎悪が感じられる。

 それを向けられたわけでも無いのに、シアの背に冷や汗が流れる。

 

「まぁ、いいや。どうせ自我が無いお前に何を言っても意味ないし」

 

『壊劫』

 

 三度響いたミレディの声に後押しされるように、柱が粉々に崩壊し、ミレディの前には底が見えない真っ暗な奈落が完成した。

 

(私が手こずっていた敵をこんなにあっさり……!)

 

 嘗めていたわけではない。理解はしていたつもりだった。それでも改めて目の前の人物の規格外に驚愕する。

 

 これが解放者リーダー、ミレディ・ライセン。

 

 シアが固唾を呑んでミレディの背を見つめていると、不意にミレディがくるっとこちらを振り向いた。

 

「いやー、ちょっとハッスルしすぎたかなぁ。完全にオーバーキルだね☆」

 

 その声音は既に先程までの平坦なものから、元の軽い口調に戻っていた。

 そのことに人知れずシアがホッと息を吐いていると、ミレディがジーとこちらを見つめてきていることに気付く。なんなら「ジー」と口に出している。

 

「あの、何ですか?」

 

「はいこれ」

 

 何となくムズ痒くなったシアはミレディに理由を訪ねてみると、ミレディは懐からハンカチを取り出してシアに渡す。

 

「流石に着替えは持ってないけど、とりあえずそれで拭きな? あっ、そのハンカチはあげるよ。ばっちいし」

 

 シアは今度こそドリュッケンをミレディ目掛けて振り下ろした。

 

 

 ◇

 

 

「グォオオオオオオ!!」

 

 竜化したティオが空を舞いながら数多のワイバーンやドラゴン相手に大立ち回り演じる。その牙は輝く翼をあっさりと噛み千切り、その爪は強固な鱗を容易く引き裂く。

 ハジメとの大迷宮探索を経験したティオは、他の竜人族よりも圧倒的な力を有し、下手に連携を組ませれば逆に足を引っ張ってしまうため、他の竜人族と離れ、一人で戦場全体の遊撃を担っていた。

 しかし、一体一体は脅威にならずとも、何分敵の数が多く、流石のティオも辟易としてきていた。

 

『面倒じゃのう……いっそこの辺りまるごと吹き飛ばすかの?』

 

「落ち着け、ティオ・クラルス」

 

 偶然にも自身の主と同じく物騒なことを言い出し始めたティオの耳に男の声が聞こえた。

 

『ん? フリード殿か。指揮官がこのようなところに来てもいいのかの?』

 

「構わん。私が居ない程度で崩れる程軟な鍛え方はしていない。それに他にも優秀な奴はいる」

 

 ウラノスに騎乗したフリードは何も問題が無いことを告げた後、空の彼方を強く睨みつける。

 

「それに、少々気味の悪い奴がここに近付いて来ているのを確認してな」

 

「気味の悪い奴?」

 

 ティオは首を傾げた後、首を回してフリードの視線を辿ると、それが視界に入った。

 

 ”竜”だ。他の竜種と同じく全身を真っ白に染めた竜。純白の竜という点ではウラノスも同じだが、生物としての神秘性を持ち合わせるウラノスと違い、かの竜達は血の気のない蝋人形のような不気味な印象しか感じられない。

 

『ふむ、随分デカい竜じゃな。そこらの奴らが豆粒に見えるの』

 

 まだ距離はあるが、周囲に飛ぶ他の竜と比べるとその大きさの違いが分かる。まだぼんやりとしか見えないが、かなりの巨体だ。

 

「竜……だったのならまだマシだったのだがな」

 

『どういうことじゃ?』

 

「よく見てみろ」

 

 フリードに言われたとおり、目を細めたティオがじっとその竜を見つめていると、その姿の異様さに気がついた。

 

 純白の鱗と思われていた部分は苦悶の表情の天使の顔が浮き上がることで形を成し、その身を包み込む程の大きさを誇る二対の翼は羽根一本一本が全て血の気のない天使の腕が集まることで構成されている。さらに頭部から尾にかけて無数に埋め込まれた目玉がギョロギョロと激しく動き回る。

 

 肉体の全てを神の使徒の素体で構成された人体合成竜(キメラ)。間違っても”竜”などという高潔で清廉な存在などではない。

 

『ッなんと悍ましい……!』

 

「奴らが何を連れてこようとも勝手だが、ウラノス(相棒)の事を思えば、いい気分ではないな」

 

「クルァ」

 

 まるで竜という種そのものを侮辱するかのような存在に、ティオとウラノスの視線が鋭くなり、フリードも家族同然の相棒を馬鹿にされたような苛立ちを覚える。

 

「手を貸そう。あの竜の象った紛いものを叩き潰すぞ」

 

『言われるまでもない。竜人族を侮辱した罪。償ってもらおうかの!』

 

「クルァアア!!」

 

 天空を統べる覇者が異形の怪物に向けて飛翔した。




>ハイパーミレディさん

 ノイントの身体を香織の仮の肉体に当てたハジメと違い、エヒトの記憶を頼りに一から製造したミレディの新しい器。人型な分、小回りも効き、パワーもゴーレム以上に仕上がっている。
 製作者(アルディアス)は性能重視で容姿に関しては全く気にしてなかったが、しつこいくらいのミレディからの要望があった。それが自分を忠実に再現しているのか、多少盛っているのかは本人にしか分からない。

>見えない敵

 一応これも強化された神の使徒の一人。姿一切出てないけど。


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第四十一話 【竜を象った異形】

 フリード・ウラノス&ティオVS人体合成竜(キメラ)
 原作では敵同士だった二人と一体の共闘です。


 異形の竜の全身から何発もの魔弾がティオとウラノス目掛けて殺到する。

 二体の竜は視界を覆うほどの弾幕を一切減速すること無く隙間を縫うようにすり抜けていく。

 

「周りの雑魚は任せろ! 貴様は奴を叩け!!」

 

『了解じゃ!!』

 

 竜の大群までの距離が500m程まで迫った辺りで、ウラノスは急加速し、大群のそばを横切る。すると、それにつられるように、異形の竜の周りを固めていた小竜がウラノスに狙いを定めてその後を追走し、その背目掛けてブレスを吐き出していく。

 しかし、ウラノスは縦横無尽な空中機動でそれらを危なげなく躱していく。

 

「脆弱なブレスだな。ウラノス、本物の”竜”のブレスというものを見せてやれ」

 

「ルァアアアン!!」

 

 急旋回によって態勢を変えたウラノスは、その顎門から極光のブレスを放った。

 それは小竜のブレスをあっさりと呑み込み、そのまま小竜の大群を薙ぎ払っていく。

 

「奴ら如きに時間を割くわけにはいかん。速攻で終わらせるぞ、ウラノス!!」

 

「クルァアアアアアア!!」

 

 

 ◇

 

 

(むぅ、近づけん)

 

 異形の竜の周囲を旋回しながら、ティオは独りごちる。その間にも絶えまない弾幕の嵐がティオに殺到する。

 近づけば近づくほどその大きさがよく分かる。全長は100mを超えているだろう。ティオがどの位置にいようとも体中に付いている目玉がその姿をじっと捉えてくる異様な姿は、ハッキリとした嫌悪感と僅かな恐怖心を煽る。

 本体の動きは鈍いのだが、その巨体から絶えず撃ち出される魔弾が接近すら難しい状況を作り出している。

 

(それに本体も僅かに動いてはおるが、あまり生き物らしさを感じられん)

 

 巨体の周囲を飛びながら、牽制にブレスを背部に撃ち込んだティオだったが、撃ち込んだ箇所が激しく痙攣したかと思えば、頭部はピクリともせず、顔面に撃ち込めば、弱々しく声を洩らすが、反対に他の部位は一切動かなかった。

 もし奴がアンデットなどの類ならば、そもそも痛みに対してのリアクションは無い。つまり……

 

(最初は人の身体を組み合わせた合成竜(キメラ)の類かと思っておったが、あれはただの集合体じゃな)

 

 合成竜(キメラ)とは本来一つの生物に様々な生物の遺伝子組み込むことで作り出されるものだが、あれはそれとは別物だ。

 当初、ティオは一体の竜の肉体を核として、人の遺伝子を無理矢理組み合わせているものかと思っていたが、そうではなかった。

 アレに竜の遺伝子は使われていない。あくまで使徒の肉体と遺伝子を組み合わせ、それを竜の形に形成しているだけだ。言ってしまえば、竜の形をした肉塊だ。

 だからこそ、ダメージを受けてもそれが他に伝達することは無い。何故ならば、集合しているだけでそれそれの部位が別々の独立した生き物なのだから。

 

(シュパースとやらは本当にいい性格をしておる。こんなにも竜人族(妾達)の神経を逆撫でしてくるとは……!)

 

 ティオは竜化した表情をハッキリと顰める。自他ともに認める程のドMだが、これは流石に許容範囲を超えている。

 

『ならば、端から削り取ってくれるわ!!』

 

 首を大きく振り上げたティオの口内に黒い炎が溢れ出す。

 今にも零れ落ちそうな程の炎が溜め込まれるが、ティオは更に熱量を上げていく。

 

(この図体に生半可な攻撃は無意味。ただ吐き出すだけじゃ駄目じゃ。絞れ。細く、長く、斬り裂くイメージを……!)

 

「ガァアアッ」

 

 そうして繰り出されるは、漆黒の刃。直径50mm程度の極小のレーザーが天に突き刺さった。一瞬外したと勘違いする光景だが、それは違う。何故ならば、刃とは敵を切り裂くために振り上げるものなのだから。

 そのまま漆黒の刃を頭部からまっすぐに振り下ろす。異形の竜の肉体の頭部から尾までを、何の抵抗も無く真っ二つに焼き斬った。

 そのまま返す刃で二撃目を繰り出そうとしたティオだったが、突然喉を斬り裂かれたような痛みを感じてブレスが途切れる。

 

『ぐうぅ、ぶっつけ本番でやってみたはいいが、喉の負担がでかいのぉ』

 

 王都での戦いでアルディアス相手に一切通用しなかった自慢のブレス。威力も範囲も桁違いの竜人族のお家芸だが、敵の防御が崩せられなければ大きな隙を見せるだけだ。その経験から編み出した技術。放射状に撃つのではなく、炎を一点に集中させることで、対象を切断する。原理で言えばガスバーナーに近い。

 

『しかし、これで……なッ!?』

 

 身体を真っ二つに切断された異形の竜はそのまま墜落するだろう。あの巨体だ。地面に落ちてしまえば禄に動けないはず……

 そう考えていたティオの予想を大きく裏切る光景が飛び込んできた。

 飛んでいる。肉体を二つに分けられようとも、そんなこと知るかといわんばかりに。更に切断面からボコボコと肉が盛り上がり、不格好な新たな半身が()()()()()()()()()()

 

『増えた!?』

 

 二つに分けられた異形の竜は、切断された傷を修復するのではなく、それぞれが新たな肉体を形成することで二つの個体として生まれ変わった。

 

「自己再生……いや、この場合、自己増殖と言った方が正しいか」

 

『ッ! フリード殿か。そちらは終わったかの?』

 

「ああ、雑魚ばかりだ。我らの敵じゃない。それよりも厄介な奴だな。生半可な攻撃じゃ意味をなさず、斬り落とそうにもああして増えられるのがオチだ」

 

『ううむ、何か良い手は……いかん!?』

 

 頭を悩ませるティオとフリードの元に再び魔弾の弾幕が襲いかかった。その攻撃密度は先程までの倍はある。

 

「二体に増えた分、弾幕も二倍か!!」

 

『どうするのじゃ!? これじゃブレスを届かせることすら難しいぞ!? 何か全部まとめて吹き飛ばす魔法とか無いのかの!?』

 

「無茶言うな!? あんな巨体を吹き飛ばす魔法など私は使えん! 恐らく、完全に消し飛ばさねばまた繰り返しになるぞ!? アルディアス様ならば可能だが、あの御方は今手が離せん!!」

 

『それはそうじゃが……!!』

 

 アルディアスは今この瞬間もシュパースと戦いを繰り広げている。その力の一端はティオもその目で確認している。それを考えれば、他を手助けする暇などないだろう。

 

『ぐうう!?』

 

「クルア!?」

 

「ティオ・クラルス! ウラノス! 無事か!?」

 

 そうしている間にもどんどん弾幕の勢いは増していく。ティオとウラノスの身体にも少なくない傷をつけていき、後退せざるを得ない状態に追い込まれていく。

 

『マズイぞ! あんなものに戦場のど真ん中に行かれたら一大事じゃ!』

 

「…………」

 

『フリード殿、何を黙っておるのじゃ! 他の者も手一杯なのは承知しているが、こうなったら増援を……!』

 

「……仕方あるまい、か」

 

『フリード殿?』

 

 ウラノスの背で二体の異形の竜を睨みつけていたフリードが、深く息を吐いたあと、決心したかのようにティオに視線を向ける。

 

「一つだけこの状況を打破する方法がある」

 

『本当か!!』

 

「ああ、”変成魔法”というものを知っているか?」

 

『”変成魔法”? いや、聞いたことがないが……』

 

「解放者、ヴァンドゥル・シュネーが残した神代魔法の一つだ。お前達は大迷宮の攻略を進めていたようだが、”変成魔法”が手に入るのは魔国ガーランドの近郊にあるシュネー雪原。知らなくとも無理はない」

 

 ”変成魔法”──その力の本質は”有機的な物質に干渉する魔法”。その力で魔物の従属化や支配下に置いた魔物の強化を行うことが出来る。

 

「この魔法でウラノスを限界まで強化させる。その一撃ならば、奴を細胞一つ残さず消し飛ばすことも可能だろう」

 

『おおっ! 何じゃ、勿体振りおって! そんな魔法があれば最初から使えば良いものを!』

 

「反動が大きいんだ。一撃を撃ち込むだけならともかく、常にその状態でいるのは魔力効率が悪い」

 

『なるほど。なら、早くそれを使えばよかろう』

 

「……」

 

 戦争は目の前の敵を倒せば終わりではない。長時間続く戦闘でスタミナの管理は重要だ。特にフリードやウラノスといった軍の主柱といった存在は下手に前線を引くことも好ましくない。彼らは前線に立っているというだけで部下に精神的な余裕を生み出すからだ。

 しかし、それを加味しても目の前の敵を放っておくことの方が被害が大きくなることは間違いない。ならば、その奥の手を使うことに躊躇はいらないはずだが、何故か険しい表情をするフリードを見て、ティオは首を傾げる。

 もしや、魔力消費以上に何かデメリットがあるのか? とティオが考えていると、フリードがようやく口を開いた。

 

「一体ならばウラノスだけで何とかなったが、あの巨体を二体も消し飛ばすのは不可能だ。だから力を貸せ、ティオ・クラルス」

 

『……へ?』

 

「ウラノスと同様、お前にも”変成魔法”を使う」

 

『…………』

 

 思い出すはフリードから簡単に説明された”変成魔法”の用法。その一文。

 

──魔物の従属化や()()()()()()()()()の強化を行うことが出来る。

 

『ちょ、ちょっと待つのじゃ!? つまりそれは、妾がフリード殿の眷属になるということかの!?』

 

「支配下に置かなくとも強化は出来るのかもしれんが……何分試したことがない。確実性を求めるのなら、その方が良いだろうな」

 

 何体もの魔物に強化を施してきたフリードだが、その力を使うのは当たり前だが従属化した魔物だけだ。支配下に置いていない魔物()に使った試しなどない。こんな状況でなければ検証のしようもあったのだが、下手に弱体化など起こられては堪ったものではない。

 その事実にワナワナと震えていたティオが口を開く。

 

『お、お主!? 妾を眷属にして何をするつもりじゃ!? あんなことやそんなことをするつもりか!?』

 

「貴様の能力を強化するために決まっているだろうが!? こんな状況でなければ誰が貴様のような変態を眷属にしようと思うものか!?」

 

『くっ、仕方がない奴を倒すためだ! だが、覚えておれ! 妾の全ては既にご主人様に捧げた! 例え、この身を好きに出来ようとも、心までは奪えないと思え!!』

 

「貴様から殺されたいのか!?」

 

 少し鼻息が荒くなってきたティオに、割と本気の殺気をぶつけるフリード。そもそもフリードは従属化させた魔物を奴隷のような扱うことなどしていないし、これからもするつもりはない。

 何よりも魔物と従属化を行えば、大なり小なり対象との繋がりを感じることが出来る。つまり、フリードが言葉に渋っていたのは、例え短時間だろうとも、ティオを自身の眷属にするなどまっぴらごめんだったからである。

 

「ええい、早くこちらに近付け! さっさと終わらせてすぐに従属化も解除するぞ! 詠唱の間に撃ち落とされるなんて無様は晒すなよ!!」

 

 それでも全身から溢れ出す嫌悪感を押し殺し、フリードは自らのやるべきことを成すために覚悟を決める。ここで敵を討てなければ、それは地上で戦っている他の兵士達にも危害が及ぶ。それはフリードの望むところではない。

 

「これもアルディアス様のためこれもアルディアス様のためこれもアルディアス様のためこれもアルディアス様のためこれもアルディアス様のためこれもアルディアス様のためこれもアルディアス様のためこれもアルディアス様のため……」

 

『そこまで嫌がられると流石に傷つくんじゃが……』

 

 自分で自分に言い聞かせるように、ぶつぶつと言葉を口にするフリードに流石のティオも僅かにたじろぐ。

 これでも一応竜人族の姫なのだが……という言葉を無視し、フリードは今度、南雲ハジメを一発殴ろうと決意した。完全に八つ当たり……と言えないのが悲しいところである。

 そして、そっと目を閉じ、詠唱を開始する。

 

【我、支える籠手也──】

 

 長文詠唱中は術者が無防備な状態になるが、ウラノスがフリードには指一本触れさせず、フリードもウラノスを信頼しているのか、一切外の様子を気にする素振りがない。

 ティオもいつ魔法が発動しても良いようにウラノスのそばを離れないように飛翔する。

 

【──定められし我が宿命、真理にて祝福を授けること也】

 

【希望はなく、救いはなく、絶望は迫る】

 

【開け界廊。砕け犀角。晒せ白魔】

 

【代価はここに。捧げし宝玉が天を衝く】

 

 そして、詠唱が完成する。

 

灰征魔國(かいしょうまこく)

 

 フリードを中心に黒い煙が発生し、ウラノスとティオの巨体を余すこと無く包み込む。

 その瞬間、只々宙を泳ぐように飛んでいた異形の竜がハッキリと反応を示した。肉体を構成する生物の感情が一つに纏め上げられ、頭上の存在に警戒が集中する。

 

「ようやくこちらを認識したか?」

 

 二条の閃光が瞬き、黒煙に包まれていたソレが姿を現す。

 純白の鱗が白銀に煌めき、心臓部から伸びる光り輝く蒼い炎が四肢に纏うように伸びる──ウラノス。

 漆黒の鱗が紫電を生み出し、同じく心臓部から伸びる紫の炎が四肢に纏うように伸びる──ティオ。

 名付けるのなら、白銀竜と黒紫竜と言ったところだろう。異形の竜と比べれば小柄ではあるものの、全長30m程にも巨大化し、その威圧感は見るもの全てを震え上がらせる。

 

「ッゴアァアアアアアアアアア」

 

 その姿を視界に捉えた異形の竜は、威嚇するかのように全身から初めて咆哮を上げる。しかし、その叫びは聞く者が聞けば恐れを紛らわすための遠吠えにも聞こえるような弱者のそれだった。

 更に勢いを増した魔弾の弾幕が二体の竜に命中するが、その鱗に傷一つつけることは叶わない。ウラノスに至っては、翼でフリードの姿を覆う余裕すら見せる。

 

 ウラノスとティオがガバッと顎門を開く。口内に形成されるのは一粒の小さな宝石。その巨体からはつり合わない、人の拳大程度の大きさだ。それがまるで軒先から雫が垂れるかのように重力に従い、異形の竜に落ちていく。

 

 その雫が触れた瞬間……異形の竜が消し飛んだ。

 

 爆炎は生まない。衝撃は撒き散らさない。音すら消し飛ばす。超圧縮されたブレスの一撃は、世界に何一つ痕跡を残すこと無く、対象を世界から完全に消滅させた。

 

 敵の殲滅……いや、消滅を確認したフリードはウラノスとティオに掛けた魔法を解く。

 二体の竜鱗の隙間から空気が抜けるように黒煙が吹き出し、それが晴れると、元の姿に戻ったウラノスとティオの姿が現れる。

 

『ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……し、しんどいのじゃ……』

 

「話す余裕があるだけ大したものだ。ウラノス以外に使うと数時間は満足に動くことすら出来ん」

 

『ウ、ウラノスはまだ余裕そうじゃな……』

 

「ウラノスをお前のような変態と同じにするな」

 

「クルァ!」

 

 フリードの言葉に「まだまだ行けるぜ!」と言わんばかりに咆えるウラノスだったが、実際ウラノスとティオの肉体スペックにそこまでの差は無く、フリードの魔法を受けたことがあるかないかの経験値による違いだろう。それを証明するように、ウラノスも荒く呼吸を繰り返している。

 

『ふう……流石にこのまま単独行動は危険じゃな。妾はお祖父様の元に合流するとしよう』

 

「俺もそちらに向かおう。確か、騎竜部隊が竜人族の部隊に合流していたはずだ」

 

 体力や魔力の回復手段はあるが、疲弊した精神までは簡単に取り戻すことは出来ない。ティオもフリードもその程度のことが分からないような若造ではない。

 万全を期すために、一度、本陣に向けて二体の竜が飛び立った。




人体合成竜(キメラ)

 斬るたびにめちゃくちゃ分裂する。実は無限ではなく、肉体に使われている神の使徒の数以上には分裂出来ない(それでもめちゃくちゃ多い)。肉体の部位それぞれが意志を持っているため、無理矢理くっつけたのが分かれているだけ。

>The・ドM

 真面目回にするつもりが、気付いたらドMってた。王都の戦いといい、そういう運命なのかもしれない。フリードの真面目キャラと相性が良いのも原因。

>白銀竜ウラノス 黒紫竜ティオ

 ウラノスに関しては完全にリオ○ウス希少種。流石に金ピカはちょっとティオっぽさが無くなりそうだったので止めました。


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第四十二話 【すれ違う想い】

「万象羽ばたき、天へと至れ──”天翔閃”!」

 

 光輝の持つ聖剣が強烈な光を纏い、その光が斬撃となって魔物の群れに襲いかかった。数多の魔物群を抵抗する間もなく両断していく。

 

「雫! 龍太郎!」

 

「ええ!」

 

「おう!」

 

 その脇をすり抜け、雫と龍太郎が魔物に迫る。雫の一閃がすれ違いざまに魔物を一刀両断し、龍太郎の剛撃が魔物を紙屑のように押し潰していく。

 

「ッ!──雫、龍太郎! 後ろだ!」

 

 魔物を斬り伏せ、残身をとっていた雫と拳を振り抜いた体勢の龍太郎の後ろに大きな影が現れる。5m程大きさを誇る魔物は二人に向けてその拳を振り下ろす。

 

『『聖絶』』

 

 しかし、その一撃を既に詠唱を終えていた香織と鈴の魔法が防ぎ切る。

 

「二人共、しゃがめ!」

 

 光輝の声が聞こえた瞬間、雫と龍太郎はその場に伏せて姿勢を低くする。その瞬間、光の斬撃が魔物を薙ぎ払った。

 

 光輝達、異世界組はクラスメイトで固まり、戦場の一角で戦いを繰り広げていた。周りには永山パーティの姿も見え、その後ろでは愛ちゃん親衛隊のメンバーがサポートに回っている。

 光輝達異世界組はその心情の差はあれど、実力だけ見ればこの世界でも頭一つ抜けた位置いるほどの実力者だ。一時期は完全にバラバラになっていた彼らだったが、立ち上がった光輝を筆頭に、今度は各々がそれぞれ覚悟を決め、自らの意志で戦いの場に立っている。

 ハジメ産のアーティファクトで身を固めた彼らは、国の一個中隊すら容易く蹴散らすほどの戦力を持っているといえるだろう。

 そんな彼らの元に”彼女”はやってきた。

 

「あはっ! やっと会えたよ、光輝君!」

 

 突然戦場に響き渡った少女の声に全員が一斉に肩を揺らした。

 一番に反応を示したのは、言わずもがな、鈴だ。

 

「ッ! 恵里!!」

 

 鈴に続いて彼らが空を見上げると、そこにはクラスメイトの一人──中村恵里が天使達を引き連れて、戦場に舞い降りてきた。

 恵里は光輝の姿を捉え、恍惚とした笑みを浮かべるが、その後ろに居るクラスメイト達の姿を見て、意外そうに首を傾げる。

 

「光輝君はきっと来てくれるって信じてたけど、他の奴らまで来るなんて思ってもみなかったなぁ」

 

 恵里はシュパースから自分が居なくなった後のクラスメイトの動向を簡単に聞いていた。馬鹿共が自分の光輝君に当たり散らかしたことには腸が煮えくり返りそうになったが、同時に好都合だとも思った。

 それで光輝の元から去るのなら願ってもないことだ。後は傷心の彼に自分が寄り添って癒やしてあげれば良い。雫や龍太郎辺りはそれでもそばに居るだろうとは思っていたが、どのみち徹底的に邪魔者は排除する予定だったのだ。手間が少し減ったと思えば良い。

 しかし、そんな恵里の予想に反して、今の光輝からはそこまでの悲壮感は感じられず、後ろのクラスメイトも光輝に対して不満のような感情を抱いている様子はない。

 

「なになに? あんなに光輝君を責めまくってくせに、どの面下げて仲間面してんのさ。自分で状況を判断する知能も無くて、いざというときにだけ責任取れなんて勝手なこと言ってたくせに」

 

 嫌悪感を隠そうともせずに言葉を吐き出す恵里に、クラスメイト達は誰も反論できない。光輝に直接謝罪し、こうして再び手を取り合った彼らだったが、一度吐き出した言葉を呑み込むことは出来ない。かつての自分の過ちは今でも彼らの心の奥に燻り続けている。

 そんな恵里に他でもない、光輝が声を掛けた。

 

「恵里。あれは俺が間違っていただけだ。皆は悪くない」

 

「やっぱり光輝君は優しいなぁ。あんな奴らも許しちゃうなんて」

 

 不機嫌な表情から一変、狂気的な笑みに切り替わった恵里だったが、割り込むように会話に入ってきた鈴に面倒くさそうに表情を歪める。

 

「お願い恵里! 戻ってきて! 話をしようよ!」

 

「はあ? 今更何言ってるのさ、鈴。これは戦争だよ? 僕は人類の敵。敵は殺す。それが戦争。そんなことも覚悟せずに戦場(ここ)に来たの?」

 

「私は恵里ともう一度ちゃんと話すためにここに来たの! 殺すためなんかじゃない!」

 

「僕は鈴なんかと話すことはないよ。僕がやることはたった一つ。邪魔者を皆殺しにして、光輝君を手に入れる。そうすることで僕は僕でいられる……そうするしかないんだ」

 

「……恵里」

 

 恵里の言葉を代弁するかのように周りの天使達が戦闘態勢に移行する。その中心で口元を引き締める恵里の姿を見て、鈴は「やっぱり」と確信する。

 

「恵里……迷ってるでしょ?」

 

「……は?」

 

「これでもずっと恵里のそばにいたからね。こんな私でも少しくらい分かるよ。恵里、何か辛そうだもん」

 

「何を意味の分からないことを……」

 

「悩んでるなら話してよ! 辛いなら背負わせてよ! 鈴を……私を恵里の友達でいさせてよ!!」

 

 ブチッ、と音が聞こえた気がした。

 それは、勝手に自分の考えを押し付けてきた鈴に対しての苛立ちからか……自分の心を見通されたかのような不快感からか……それとも、一抹の不安と期待からか……

 

「ああもう、うっさいなぁ。いっつも能天気に笑ってるだけの奴が調子の良いこと言うなよ。知りたいって言うなら教えてやるよ! その身体がぐちゃぐちゃに原型が留めなくなるまで骨の髄に染み込ませてやるよ!! やれ! 人形共!!」

 

 恵里の命令を受け、天使が鈴に目掛けて斬り込んできた。しかし、その刃が鈴に届くことはなかった。

 

「うぉおおおおっ!!」

 

 雄叫びと共に間に割り込んできた永山の一撃が天使の頭を吹き飛ばした。しかし、敵は一人ではない。入れ替わるように接近してきた天使が永山に剣を振り下ろす。

 

「させっかよ!!」

 

 それを背後から音もなく接近した遠藤が小太刀で首を跳ね、残された胴体が力を失い、地面に倒れ込む。一気に二体も味方がやられたが、自我のない天使達に動揺は一切無い。それでも一体で向かうことの危険性を本能で感じ取ったのか、今度は三体同時に攻勢を仕掛ける……が、それも上空より飛来した魔力を纏ったナイフによって止められる。

 永山達の背後では、ナイフを投げたであろう、園部がキッと天使達を睨みつける。

 

「天之川。周りの奴らは俺達に任せろ」

 

「永山……」

 

 永山が光輝の隣に並び、そう告げる。その表情からは、いくら人形とは言え、人と同じ形をした存在を殺したことによる動揺は一切感じられない。

 

「皆に比べたら劣っちゃうけど、このくらいなら私達でも大丈夫。だから、皆は中村さんを!」

 

「優花ちゃん……」

 

 力強く宣言する園部の表情は、とても死の恐怖で前線を退いていた者の表情とはとても思えない。その表情に思わず頼もしさを覚える香織。

 

「つーわけだ。雑魚敵は俺らに任せて、お前らは本命を叩いてこい!」

 

「…………遠藤!」

 

 最後に背中を押すように告げる遠藤に、龍太郎がニヤリと笑みを浮かべる。自分だけ返答までに少し間があったのはきっと気のせいだろう。まさか、今しがた活躍したばかりだというのに見失うわけがない。そう遠藤は自身に言い聞かせた。

 

「ここまでお膳立てされて、勝てませんでしたなんて口が裂けても言えないわね」

 

「っ!──うん……うん!!」

 

 雫の発破をかける言葉に鈴は何度も強く頷く。

 彼らの様子を恵里は心底忌々しそうに睨みつける。そんな視線に対して鈴は自信満々な笑みで返す。それが余計恵里の癪にさわる。

 

「カオリン! シズシズ! 龍太郎君! 光輝君! お願い、力を貸して!!」

 

「うん!」

 

「もちろんよ!」

 

「おうよ!」

 

「ああ! 必ず連れ戻そう!」

 

「……ああ、なんだろう? 凄いムカつく。イライラする。うん、一回叩き潰そう。光輝君以外はさっさと殺しちゃおう」

 

 目の前に並び立つクラスメイト達を見て、恵里のこめかみに青筋が浮かび上がる。

 何でお前らが光輝君の隣に立つ。そこは僕の居場所だ。お前達なんかが居て良い場所じゃない。光輝君を否定するお前らが隣に立つな。僕なら光輝君の全てを受け入れる。それを光輝君も望んでいるはずだ。

 

──だから殺そう。僕と光輝君を邪魔する全てを。

 

 

 

 初撃は恵里による砲撃だった。

 世界を光で塗りつぶすような白の奔流が光輝達に迫る。

 

『聖絶』

 

 その一撃は寸前のところで鈴が発動した”聖絶”にて防がれた。そのことに一瞬眉を潜めた恵里だったが、すぐに思考を切り替える。

 砲撃の影に隠れるように現れた雫が恵里に向けて黒刀を横一文字に振り抜く。ガードするように挟み込まれた恵里の右腕が刃と衝突し──ガキンッと人体からは出るはずのない金属音が響き渡った。

 

「”聖痕(せいこん)”」

 

「ッ!?」

 

「何驚いてるの? まさか、接近さえ出来れば勝てる、だなんて思ってないだろうね?」

 

 刀を受け止めた恵里の腕部はそれまでのシミ一つ無い肌色から一転、真っ白に染まっていた。その接触面からは摩擦による火花が散っている。

 

(硬い! 刃が通らない!)

 

”呪戒(じゅかい)”」

 

 恵里がボソリと呟くと、今度は恵里の左腕が真っ黒に染まり、前腕の部分から死神の鎌を連想させるような黒一色の刃が現れる。

 

(避けっ──ッ!?)

 

「逃さないよ」

 

 その刃から溢れるドロドロとした魔力に嫌な予感を覚えた雫は、すぐさま回避を選択するが、恵里が右腕でそのまま黒刀ごと雫の腕を掴み取ったため逃げることが出来ない。外そうにも万力で挟まれたようにびくともしない。

 そのままなすすべもなく斬り裂かれる寸前、雫の前に滑り込む男が居た。

 

「猛り地を流れる力をここに! ”剛力・流”!」

 

 割り込んだ龍太郎が技能を発動し、恵里の黒鎌を防いだ。先程と同様に甲高い金属音が響くが、その後、バキバキと何かが割れる音がした。

 

「ぐぅうう!?」

 

「龍太郎!?」

 

 完全に防いだはずの龍太郎の腕に罅が走り、その隙間から黒い粒子が漏れ出す。

 さらなる追撃に移ろうとした恵里だったが、それを中断し、黒鎌を頭上に掲げる。

 上空に跳び、上段から振り下ろした光輝の一撃が受け止められる。

 

「くっ!?」

 

「ねぇ、光輝君。光輝君は離れててくれないかな? 僕は光輝君を殺すつもりはないよ?」

 

「悪いがそれは出来ない! 仲間が戦ってるのに、俺だけ逃げるわけにはいかない!」

 

「どうして? 光輝君が勇者だから? でもそれってエヒトが勝手に決めたことでしょ? 光輝君がこれ以上頑張る必要はないよ」

 

「勇者かどうかなんて関係ない! 俺がそうしたいんだ!」

 

「そっか。やっぱり光輝君は優しいね……仕方がない、足の一本くらい斬り落とせば大人しくなってくれるかな?」

 

「ッ!?」

 

 光輝の聖剣と火花を散らしていた黒鎌が聖剣をすり抜け、光輝に迫る。狙いは言わずもがな光輝の左足だ。

 

『縛煌鎖・天』

 

 その瞬間、虚空より現れた光の鎖が恵里の四肢を縛り上げる。恵里は魔法の術者である香織をじろりと睨みつける。そのまま恵里の身体をギチギチと締め上げ続けていた香織だったが、突然、鎖が形を崩して崩れ落ちるのを見て目を見開く。

 しかし、それでも光輝達の体勢を立て直す時間は出来た。

 

「香織! 龍太郎をお願い!」

 

「うん!」

 

 光輝と雫が二人を守るように前に立ち、香織が龍太郎の腕に治癒魔法をかける。だが、この程度の傷ならすぐに治せるはずが、一向に治る気配がない。

 

「何これ、普通の傷じゃない? それなら……」

 

 治癒魔法での治療は不可能と判断した香織が再生魔法を発動すると、龍太郎の傷が逆再生するように元の色を取り戻していく。

 

「うわぁ、普通はこれ喰らったら、並の治癒魔法じゃ治療不可能のはずなんだけど。それが神代魔法とかいうやつ?」

 

「それを言ったら恵里だって。どうしたのその腕? 似合ってないよ?」

 

 恵里は忌々しそうに言葉を投げつけるが、それに反応した鈴が恵里の両手をじっと睨みつける。

 

「良いでしょこれ。右腕(白い方)は貰い物だけど、左腕(黒い方)は自前だよ?」

 

 ”聖痕”と”呪戒”。恵里の両腕に宿る力の名称だ。

 

 ”聖痕”──ノイントの素体に埋め込まれていた分解能力をシュパースがアレンジを加えて恵里に与えた力だ。その肌に触れた物体の力学的エネルギーを分解することで威力を無くす。

 分解能力自身を身に着けた方が良いのではと思うかもしれないが、あれを使いこなすにはそれなりの魔力を扱う才能とそれを使いこなせる肉体が必要だった。才能に関しては申し分なかった恵里だが、肉体に関しては才能だけでどうにかすることは出来ない。シュパースならば肉体を強制的にレベルアップさせることは出来たが、過去の経験からそれを行うのは自身の信条に反するため行わなかった。

 戦争で味方の強化を渋るシュパースは、他者から見れば異端なのかもしれないが、シュパースの目的は戦争に勝つことではない。必要以上の施しは行うはずもなかった。

 

 ”呪戒”──こちらはシュパースによって自身の能力を引き上げられたことで目覚めた、恵里自身の”降霊術師”としての能力だ。腕を鋼以上の硬度に硬化させ、さらに形を刃物に変えて斬りつけることが出来る。しかし、厄介なのはそれで傷付けた者に対する強烈なバットステータスだ。対象の魂に干渉し、受けた傷を()()()()()()()()()()()()()()

 傷付いた状態が肉体の正常な状態なのだから、治療魔法をかけても治すことが出来ない。最早神代魔法の一つ、魂魄魔法に分類されるほどの魔法だが、恵里自身まだこの力を使いこなせていない。そうじゃなければ、香織の再生魔法でも治すことは出来なかっただろう。

 

「香織は厄介だなぁ……よし、先に殺っちゃおう」

 

 その言葉に光輝が強く聖剣の柄を握りしめる。そんな様子の光輝に何を思ったのか、再び恵里が光輝に話しかける。

 

「分かんないなぁ。光輝君だってもう気付いてるんでしょ? その女は光輝君じゃなくて南雲のことが好きなんだよ? そいつは光輝君を捨てたんだ。そんな奴守る価値なんてあるの? こっちにおいでよ。私なら一生光輝君を愛し続けるよ。絶対に離れない」

 

「……香織が南雲のことを好きなのはちゃんと聞いた……俺は、本当は気付いていたんだ。でもそんなわけ無いって。香織が俺のそばを離れるわけないって都合の良いように思い込んでた。改めて思い出すと馬鹿みたいだよな。香織が俺の幼馴染だからってずっとそばに居るわけじゃない。それどころか幼馴染っていう理由しか思いつかない俺は、ちゃんと香織達のことを見ていなかったんだろう」

 

「そこまで分かっていながら何で?」

 

「友達だから」

 

「──っ!!」

 

 恵里の問いに光輝はあっさりと即答する。その言葉に迷いは一切感じられない。

 

「友達だから。幼馴染だから。クラスメイトだから。守る理由はそんなものだよ。好きだから、大切だから。不幸になる姿を見たくないから俺は守るんだ。恵里、君も同じだ」

 

「……」

 

「正直、俺は君がそこまで好意を寄せてくれるほど出来た人間じゃない。君の気持ちに何て返せば良いのかすら分からないチキン野郎だ。でも、君が大切な仲間だってことはハッキリと言える。俺は皆と……恵里と一緒に元の世界に帰りたい。だから恵里……()()()

 

「……え?」

 

 聖剣を下げた光輝が深く頭を下げて謝罪した。そのことに恵里は頭が真っ白になった。

 

──ごめん? 何に対して?

 

「俺は君が本当に苦しんでいることに気付かず、救った気でいた」 

 

 光輝の言葉で恵里は察した。それは光輝と初めてあったあの日のことだ。中村恵里という化け物が生まれた運命の日。

 恵里の心臓がバクバクと鼓動する。しかし、それは胸が高まるとかそういった甘い感情などでは無い。恵里の表情はまるで病人を思わせるほどに青白い。

 

「今までの俺は、何も正しくなんてなかった」

 

──ダメ……

 

「そのせいで、恵里をここまで追い込んでしまった」

 

──それだけはダメだ……

 

「本当にごめん。今更と思うかもしれないけど、俺はもう後悔したくない。今度は皆と一緒に」

 

──その先を言われたら、僕は……

 

「恵里。俺は君にも一緒に居て欲しい。だから一緒に一からやり直さないか?」

 

「あっ……」

 

 そう言いながら聖剣を持っていない手を恵里に差し伸べる。

 辛いこともあるかもしれない。苦しいこともあるかもしれない。それでも人間は失敗から学べる生き物だ。何度転んだって、立ち上がる意志さえ折れなければ何度だってやり直すことが出来る。

 一人だったら何処かで挫けてしまうかもしれない。でも、皆が居る。こんな自分をまだ信じてくれる仲間が居る。だから、俺はまた立ち上がることが出来る。

 だから恵里。君も大丈夫だ。俺が居る。鈴が居る。香織も雫も龍太郎も、俺達に託して戦ってくれているクラスメイトも君の味方だ。

 だから……戻ってこい。

 

 光輝の言葉に同調するように鈴達も真剣な表情を向ける。そこからは恵里に対する拒絶は感じられず、光輝の手を取ることを心の底から望んでいる。

 

「……」

 

 恵里は只々黙って俯いていた。その肩は小刻みに揺れている。

 

──そして、恵里の頬を一筋の雫が伝った。

 

「ッ! 恵里!」

 

 恵里が泣いている。そのことに動揺した光輝だったが、僅かに淡い期待がその瞳に宿る。

 自分達の言葉が恵里に届いたのかもしれない。これ以上仲間同士で戦わずに済むかもしれない。これで皆一緒に──

 

「……なんで?」

 

「……え?」

 

 しかし、すぐに思い知らされる。自分の大きな勘違いに……

 

「なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでぇ!!!」

 

「え、恵里?」

 

 突然頭を激しく振り乱しながら、壊れた機械のように同じ言葉を繰り返す恵里に全員が動揺で言葉を失う。

 

 この時語った光輝の想いは、間違いなく嘘偽りない本物だった。光輝は本気でまた恵里とやり直そうと考え、鈴達も全員が光輝と同じ想いを抱いていた。シュパースに与したことで色々なしがらみが出てくるかもしれないが、必ず自分達で恵里を守ろうとする覚悟すら決めていた。

 だから手を差し伸べた。過去はやり直すことが出来ない。だから過去を背負い、未来を一緒に歩んでいこう……と。

 

 

 

 しかしそれは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だ。

 

 

 

「正しくなかった!? もう後悔したくない!? ごめんってなに!? 今更イチから!? そんなの……そんなのって……! あの日、僕が光輝君に()()()()()()()()()()()()()ってことじゃないか!?」

 

「ッ!? ち、違っ──」

 

 過去を乗り越え、未来に向けて歩くことは間違ったことではない。それどころか、生きていく上で無意識で行っていくものだろう。

 

──”あの時こうしていればよかった”。

 

 誰しもが一度は思ったことがあるはずだ。長く生きていればいるほどに、やり直したいと思うことが山積みになっていく。それでも進まなくてはいけない。

 ある者は全てを背負い……ある者は全てを捨てて……ある者は選別をして……そうやって人は未来へと生きていく。

 

 しかし、過去に囚われ、未来へ進むことが出来ない者も居る。

 恵里にとって、光輝に救われたあの日の出来事は何者にも変えられない……唯一無二の思い出(支え)だったのだ。

 それを光輝自身によって否定された。正しくなかったと、後悔していると。

 もちろん光輝にそんな意図はない。しかし、光輝と恵里では明確に向いている方向が違ったのだ。

 

──過去を背負い、未来へと歩む光輝。

 

──過去に囚われ、未来まで侵食する恵里。

 

 

 

 両者が交わることは……決して無い。

 

 

 

 

 

「もう……いい」

 

 頭を振り乱していた恵里が幽鬼のように頭と腕をだらんと垂らす。その表情はボサボサにかき乱された髪に隠れて光輝達からは確認できない。

 

「もう、何もいらない」

 

 ゆらっと恵里の頭が持ち上がり、その視線が光輝に突き刺さる。

 

「え、恵里……?」

 

 その視線に込められているのは……明確な殺意だった。

 

天之川光輝(オマエ)はもういらない!!」

 

 同時に光輝達に叩きつけられる膨大な殺気。何の魔力もこもっていないそれは、光輝達をその場に縛り付けて動かせない。身体が……魂が……受けたこともない殺気を受け、無意識に痙攣する。

 

 そして恵里の口から欲望と怨嗟に塗れた歌が紡ぎ出される。

 

目覚めなさい(起きろ)歴史に埋もれし英雄達よ(名も残せぬ負け犬共が)

 

さぞ無念でしょう(ダッセえな)

 

何も成せずに散っていくのは(あっさり死にやがって)

 

私が今一度機会を与えましょう(僕がもう一度チャンスをやろう)

 

貴方達の力が世界を変えるのです(クズでも数集めれば役に立つだろう)

 

お願いします(感謝しろ)私に力をお貸しください(僕が力を使ってやる)

 

 長文詠唱での高速詠唱。

 それは志半ばで散っていった英雄に捧げる鎮魂歌(レクイエム)。同時に再起を促す追走曲(カノン)

 しかし、光輝達の耳には恵里の心が具現化したような継ぎ接ぎだらけの狂歌曲(ラプソディ)にも聞こえる。

 

 感謝。怨嗟。期待。失望。羨望。嫉妬。寛容。憤怒。未来。過去。大人。子供。希望。絶望。

 

 光輝という拠り所を失った恵里が内に秘め続けた感情が濁流となって押し寄せる。

 

死屍転灼交響曲(ししてんしゃくこうきょうきょく)

 

「「「オオオオオオオオオオオオオオオオオ」」」

 

 恵里の感情がごちゃまぜになった交響曲(シンフォニア)に呼び覚まされた亡者の魂が現世に具現化する。

 聞くもの全てを黄泉に引きずり込むかのようなうめき声と共に、地面から影で作り上げられた骸骨が姿を現す。

 十体……百体……千体……最早数を数えることすら出来ない。見渡す限りの大地全てから闇が漏れ出していく。

 

「みんな……! みんなみんなみんなみんなみんな!! みんなぶっ壊してやる!!」

 

 万を超える軍勢が光輝達の目の前に現れた。




 光輝は今までの自分が決して正しくなんて無かったことを自覚し、ここからやり直すことを決めましたが、恵里に対しては完全に言葉を間違えました。
 正直、色々やらかしてきた光輝ですが、前提として光輝があの時、恵里の元に現れなかったら、恵里はそのまま自殺してた可能性が高いんですよね。
 どれだけ歪んでいようとも、光輝の存在が恵里の生きる気力になってたわけで、それを本人に否定(光輝にそのつもりは無くとも)されてしまっては……
 こればっかりは鈴達も想定出来なかったことでしょう。


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第四十三話 【諦めるな】

 影の軍勢が津波の如く光輝達に迫る。

 目の前の光景に言葉を失っていた光輝達もそこでようやく我を取り戻し、迎撃に移る。

 

「”天落流雨・烈”!」

 

 光輝が空に放った閃光が、上空で炸裂し、雨となって敵に降り注ぐ。

 我先に突貫してきた骸骨達は、光の雨に串刺しになっていくが、倒れた影を踏み潰しながら、続々と後続が殺到する。

 そのまま光輝の元に踏み込んできた骸骨の一体の両手には、それぞれ長さの違う双剣が握られている。

 

「くっ!? これは……!」

 

 ガキンッと金属音を響かせながら受け止めた光輝だったが聖剣を通して伝わってくる膂力に驚愕する。

 

「皆気をつけろ! さっきの魔物達とは比にならないぞ!!」

 

「ええ!」

 

 光輝の声に応えた雫が目の前に迫る骸骨に刀を構える。その肩には巨大な戦斧が背負われている。

 

「斧!?」

 

 斬る、というよりも叩き潰すことを目的とした巨大な戦斧を、上段に振り上げ、力任せに振り下ろす。受け止める構えを取っていた雫は転がるようにしてそれを躱す。

 

「雫!!」

 

 それを見て雫の援護に入ろうとした龍太郎だったが、視界の端に写った黒点を見て首を全力で逸らす。

 次の瞬間、龍太郎の頬スレスレを槍が通過した。

 

「あっ、ぶねえ!?」

 

「みんなっ!?」

 

「鈴! 前!!」

 

 一気に押し込まれた前衛の三人の姿に焦りを浮かべた鈴だったが、香織の声に前方から迫る危機に気づき、慌てて詠唱を行う。

 

『『天絶』』

 

 香織と鈴が同時に発動した掌サイズの光の障壁が展開し、目の前に迫っていた色鮮やかな魔法の弾幕を複数枚に重なり合った障壁が間一髪で防ぐ。

 二人の視線の先には、黒く揺らめく杖のようなものを掲げる骸骨達の姿が見える。

 何とか周囲の骸骨を吹き飛ばした前衛の三人が鈴と香織の前に並ぶ。

 

「何なんだこの魔物!? ぱっと見は同じなのにやって来ることはバラバラだぞ!」

 

「少しだけど、形も一体一体違うわよ!」

 

「雫の言うとおりだ! 何体か斬ったが、武器も体捌きもそれぞれ違う。それも付け焼き刃じゃなくて、動きがかなり精錬されている!」

 

 困惑する龍太郎に雫と光輝が自分の感じた感覚を共有する。

 鋭い身のこなしで翻弄する双剣士。防御ごと敵を粉砕する重戦士。間合いの外から的確に急所を突いてくる槍術師。離れた位置から砲撃を行う魔法使い。

 しかもそれぞれが、まるで人生を費やしたかのような熟練の技を感じさせる動きだ。決して適当に役割を振り分けられているわけではない。

 

「……そりゃそうだよ。そいつらは歴史に忘れ去られた英雄のなり損ないなんだから」

 

 背後でその光景を黙って見ていた恵里が何の感情も宿っていない目を光輝達に向ける。

 

「英雄の……なり損ない?」

 

「どういう意味だ?」

 

 要領の得ない言葉に光輝達が眉を潜めていると、ため息をつきながら恵里が口を開く。

 

「そのままの意味だよ。負け犬の魂を呼び起こして兵隊として顕現させる。そういう魔法さ」

 

 ”死屍転灼交響曲(ししてんしゃくこうきょうきょく)

 

 その能力は過去に戦死した名も無き英雄崩れの魂を呼び覚まし、現世に顕現させる魔法。

 範囲はこのトータス全土にも及び、対象はこの世に未練を残して散っていった猛者達。

 大切な者を守るため。世界に轟く名声を求めるため。溢れんばかりの富を欲するがため。理由は様々だが、トータスの戦いの歴史には自らの願望を叶えるため、多くの者が剣を取り、そして何も残すこと無く散っていった。歴史に名を残すことの出来るほど英雄とは、どの時代にも一握りの傑物だけだ。

 

 一つの戦争が終結したとしよう。その戦争を終結に至らせた英雄は、後世にまでその名が語り継がれるだろうが、そこで活躍した一兵士にまで周囲の目が向くわけではない。

 郡としての賛美は向けられるかもしれないが、個としての情景は向けられることはない。

 

 英雄に憧れ、されど叶うこと無く散っていった儚き者達。それが今光輝達の目の前に居る骸骨の正体だ。長い年月で自我は失われど、その魂に刻み込まれた”技”までは失われていない。

 

「なり損ないだけど、一人一人が確かに英雄に片足を掛けた馬鹿共だ。その実力は折り紙付きだよ」

 

 恵里の言葉に偽りはない。現に元神の使徒として、この世界の一般の人間よりも遥かに高い実力を誇っている光輝達でも押さえつけるので精一杯なのだ。もし、ハジメのアーティファクトによる強化がなければあっという間に呑み込まれてしまったかもしれない。

 

「でも、オマエらの体力も魔力も無限じゃない。いつか切れる。もう諦めたら?」

 

「舐めないでよ、恵里。この程度で鈴が諦めると思ったの!」

 

「ううん、思わない。ほんと、諦めの悪さだけはいっちょ前だよね……だから、趣向を変えよう」

 

 鈴の言葉に口元を三日月のように歪めた恵里は、両指をタクトのように骸骨に向け、指揮者のように腕を大きく広げるように振るった。その瞬間、骸骨達が一斉に四方八方に散らばっていく。

 

「な!? 何をするつもりだ恵里!!」

 

「簡単なことだよ。オマエらのことは僕がよく知ってる。このままくたばるまで続けてもいいけど、それじゃ足りない。オマエらで精一杯だったアレが他の……それこそ一般の兵士に殺到したらどうなるかな?」

 

「ッ!? 恵里! 貴方!!」

 

 恵里の言葉に全員の脳裏に最悪の可能性が過ぎる。

 

「お優しいオマエらは、自分が傷つくよりも他人が傷つくほうが辛いだろ?」

 

 今この瞬間にも大勢の兵士達が目の前の脅威に対して全力で対処している。そんなところにあの軍勢が押し寄せれば、戦線は一気に瓦解する。

 

「言ったろ? 壊してやるって。オマエらの守りたいもの……全部壊してやる……!」

 

「そんなことさせてたまるか!!」

 

 光を纏った光輝が恵里に向かって突撃する。既に四方に散らばった骸骨を一体一体追いかけて討伐している余裕はない。ならば、術者である恵里を無力化してしまおうという算段だ。

 

「だからオマエは分かりやすいんだよ」

 

傷魂(しょうこん)

 

 恵里の言葉が聞こえた瞬間、光輝の身体が固まった。

 その魔法は対象の記憶を覗き込み、その者の傷を思い出させる魔法。光輝が思い出したのは、かつての自分の愚行とそれによって表情が曇る人々の姿。当時は気付いていなかっただけで、改めて見せられた光輝は自分の愚かさに苛立ちすら覚える。

 俯き、膝をつく彼らを立ち上がらせ、どこへ導くこともせず、次の人に手を差し伸べる自分。光輝によって、立ち上がった人達がどんな表情で自分を見ているのか気づきもしない。

 目の前であんな顔をしているのに何故気付かなかったのか。

 

 数日前ならばそのまま戦意喪失していてもおかしくなかったが、今の光輝は全てを背負うと決めた。このくらいで決意が揺らぐことはない。しかし、一瞬とは言え、意識を飛ばしたことは明確な隙となる。

 その隙を恵里は見逃さなかった。

 

 杖を構えた骸骨の一体から放たれた巨大な炎球が光輝を呑み込んだ。

 

「「光輝!?」」

 

「「光輝君!?」」

 

 他の四人からは爆炎で光輝の姿が確認できない。しかし、あの瞬間に避けられたとは思えない。

 慌てて駆寄ろうとした四人だったが、目の前に燃え広がる炎がおかしな動きをしていることに気付く。

 まるで中心に吸い込まれるように炎が収縮していく。そして現れるは、光輝とその光輝を守るように立ちふさがる亀型の魔物。

 

「お、お前は……!」

 

 その魔物に光輝達は見覚えがあった。オルクス大迷宮で初めて光輝達が死の恐怖を覚えたあの場に居た魔物の一体だ。

 確か名は……

 

「よくやった、アブソド」

 

 戦場に男口調のハスキーな声色が響いた。その声を光輝達は忘れるわけがない。忘れられるわけがない。

 五人がバッと声のした方に振り向く。そこには燃えるような瞳と髪色をした妙齢の女性──カトレアが腕を組んで佇んでいた。。

 

「……カトレア」

 

「なんだい、アタシの名前を覚えてたのかい? アルディアス様が呼んだだけで名乗ってないのに、律儀な奴だねぇ」

 

「何で貴方がここに?」

 

「少し前にここから嫌な魔力を感じてね。部下に任せて向かってみたはいいが……どうやら正解だったみたいだね」

 

 唖然とする光輝を尻目にカトレアは不満げに睨みつけてくる恵里を見据える。

 

「久しぶりだね。アンタのことは覚えてるよ。キメラの死体を操られて一本取られたからね」

 

「何のようさ、おばさん。邪魔しないでくれる」

 

「年上への言葉使いがなってないね。アンタみたいな奴は一発ぶん殴りたくなる」

 

「説教なんてゴメンだね。そんなことする暇があったら、一秒でも速くソイツらを殺す」

 

 殺気を込めた視線を五人に向ける恵里だったが、その中に光輝が含まれていることに、カトレアが首を傾げる。

 

「アタシはそこの勇者君を手に入れるために人類を裏切ったって聞いてたんだけど?」

 

「……オマエには関係ないだろ」

 

「ああ、関係ないね。お子様の恋人ごっこなんかアタシにはどうだって良い」

 

「オマエ……!!」

 

「アンタとアタシじゃ戦力が違う。十年後に出直してきな」

 

 カトレアはわざとらしくその豊満な身体を恵里に見せつけるように強調する。

 カトレアの挑発に見るからに敵愾心を剥き出しにする恵里。本来の恵里ならば、その程度簡単に受け流すようなものだが、光輝に否定されたことで情緒が不安定になっているのだろう。

 しかし、カトレアも嘘を言っているつもりは一切無い。

 誰を好きになるのも自由だが、自分の想いをぶつけるだけで、相手の幸せを考えられない奴なんか、カトレアからすればお子ちゃまがいいとこだ。

 

「ま、待ってください! 今はそんなこと言ってる場合じゃないんです!!」

 

 煽るように嘲笑を浮かべるカトレアだったが、光輝が慌てたように間に入る。増援に来てくれたことは嬉しいが、今は一秒でも惜しい緊急事態だ。

 

「ここは俺達だけで大丈夫です! 貴方は周囲に散らばった魔物の対処を──」

 

「アンタ、アタシを嘗めてるのかい?」

 

「……は?」

 

 しかし、光輝の話をぶった切って不機嫌な様子を見せるカトレアに光輝は困惑する。

 今の話のどこに彼女を不機嫌にさせる要素があったのかが分からない。

 

「変な骸骨が戦場に散らばって行ったのくらい気付いてるよ。ざっと5万ってとこだろう」

 

「なら──」

 

「だから、まだアタシが何も対処してないとでも思ってるのかい?」

 

「……え?」

 

 カトレアに掴み掛からんとする勢いだった光輝は、その言葉に呆気に取られる。

 

「状況を把握したときには既に行動に移しているよ。常に変わり続ける戦況に、指示がなければ動けないような間抜けじゃ魔人族の特殊部隊は務まらないさ」

 

「はっ、オマエ一人で僕の軍勢をどうにか出来ると思ってるの? 今この瞬間も他の馬鹿共を……え!?」

 

 カトレアの物言いに鼻で笑いながら、一笑した恵里だったが、一瞬呆然とした後、明らかに動揺した様子を見せる。

 

「私の駒が、消されていく……? オマエ!? 何をした!?」

 

「私の戦闘スタイルをもう忘れたのかい?」

 

「ッ!?……魔物か!」

 

「正解。既に私の魔物を周辺に展開して各個撃破に当てている」

 

「あり得ない!? あれは他の雑魚とは違うんだぞ!? 魔物如きでどうにか出来るわけがない!?」

 

「まぁ、確かに。タイマンじゃあ勝ち目はないだろうね。でも、アタシの言葉をもう忘れたのかい?」

 

──アタシとアンタじゃ戦力が違う。

 

「英雄モドキがたったの5万? 嘗めるんじゃないよ。こっちの戦力は53万だ」

 

「ッ!?」

 

 カトレアの言葉に恵里だけじゃなく、光輝達も驚愕に目を見開く。

 53万。それだけの数の魔物を使役し、使いこなすには一体どれだけの修練が必要なのだろうか。かつてオルクス大迷宮で接敵した際は、数百にも届かない数だったが、あれはカトレアにとって全く本気では無かったのかもしれない。

 実を言うと、カトレアは53万の魔物を完璧にコントロールしているわけではない。実際にカトレアが魔物を率いて戦うようになったのはオルクス大迷宮が初めてのことだ。

 しかし、アルディアスとフリードのそばにいることが多かったカトレアは、自然とアルディアス達が使役した魔物や生み出したキメラと関わる機会が多かった。当時は使役しているといっても、あまり近寄りがたい存在だった魔物だったが、カトレアは特に気にすることなく、ありのままの態度で接していた。

 それが良い方向に動いたのか、主であるアルディアスとフリード以上に魔物達から懐かれるのは、アルディアス達にも予想できなかったことだった。

 カトレアは魔物を完全にコントロールしているのではない。唯、カトレアの命令を魔物達が自主的に聞いているだけなのだ。

 信頼関係からなる主従関係。それが53万もの魔物を同時に使役するカトレアの力だ。

 

「カトレア……貴方は……」

 

 声を失う光輝の表情を見て、カトレアは鼻を鳴らす。

 

「……フン、あの時よりかはマシな面になったかと思ったが、アタシの気のせいだったみたいだね。ちなみにアタシはあの小娘に何の情も抱いてない。やるなら徹底的にやる」

 

「──ッ!」

 

 カトレアの言葉に唇を噛みしめる光輝達。彼らは恵里を助けたいと心の底から考えているが、恵里を放置することで犠牲者が出るのは許容することは出来ない。ハジメにも、万が一のときは覚悟は決めておけと釘を刺されている。

 そして、現状は光輝達だけでは対処出来ないところまで来てしまった。カトレアの力を借りるとはそういうことだろう。

 何よりも、自分の言葉は恵里には届かなかった。それどころか余計追い詰めてしまった。そんな俺に一体何が出来るというのか……

 

──バシッ

 

「痛っ!」

 

 その時、光輝の頭に軽い衝撃が走り、慌てて頭を上げると、いつの間にかカトレアが面倒さそうに目を細めながら光輝のそばに立っていた。

 

「な、何を──」

 

「諦めるのかい?」

 

「──え?」

 

「あの生意気な小娘はアンタらの大切なダチなんだろ? それなのに、少し拒絶されただけで簡単に諦められるも程、アンタらの決意ってのは軽いものだったのかい?」

 

「「「ッ!!」」」

 

 カトレアの言葉に光輝だけでなく、他の四人も思わず顔を上げる。

 ぐるっと彼らを見回したカトレアは、光輝を押しのけて、恵里の前に立ちふさがる。

 

「それなら、目を瞑って耳を塞いでな。邪魔だ。アタシが全部終わらせてやるよ」

 

 終わらせる? 自分達の知らないところで? 恵里と何の関係もない彼女の手によって?

 ……ダメだ。それだけはダメだ。自分達で決着をつけると決めた。例え、その決断を下す時がきても、それを他者に譲る気など毛頭ない。

 何度否定されても、拒絶されても、恨まれたってやめてやるものか。それは()()()()()()

 カトレアの背を呆然と眺めていた五人の目に強い光が宿った。

 

「その必要はねぇぜ。あの馬鹿は俺達が連れ戻す」

 

 龍太郎が両の拳を打ちつけて前に出る

 

「そうね、私も言われっぱなしじゃ納得いかないわ」

 

 雫が黒刀の鯉口を切って横に並ぶ。

 

「私も友達の事を悪く言われて黙ってられないかな」

 

「鈴だって、一発殴るって決めてるから!」

 

 香織と鈴が龍太郎と雫の後ろに続く。

 

「そういうわけです。ここは俺達に任せてください。邪魔です」

 

 光輝がカトレアの肩を抑えて後ろに下がらせ、聖剣を構えながら言い放つ。

 そんな彼らの様子に目を丸くしていたカトレアが、不敵な笑みを浮かべる。

 

「……ククク、ガキが生意気な。アタシだってサボるわけにはいかないんでな。サポートくらいしてやる。思いっきりやりな」

 

「ッ!──はい!!」

 

 覚悟を決めた彼らは、再び目の前の友の姿を目に写す。

 そんな彼らに心底苛立った様子を隠そうともせずに、恵里はガリガリと頭を掻きむしる。

 

「何ソレ? 昨日の敵は今日の味方ってやつ? 王道展開かよ。うざいんだよね、そういうの! 全員まとめて死ね!!」

 

 再び、両腕に”聖痕”と”呪戒”を纏った恵里が光輝達に襲いかかった。




>カトレア

 何だかんだ言ってちゃんと出せなかったカトレアの登場です。強敵との戦いで、かつての敵と共同戦線を張るという王道展開。

>フ○ーザ「わたしの戦闘力は530000です」

 唐突に思いついた。50万くらいで考えてたら、ピシャーンと電気が走った。
 


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第四十四話 【求めた繋がり】

VS恵里 決着です。


 僕にとって、光輝君はまさに絶望の縁から救ってくれた王子様(ヒーロー)だった。

 お父さんを亡くし、お母さんから否定され続ける日々。お父さんの分までちゃんと生きようと思っていたのが、いつしかお父さんじゃなくて僕が死ねば良かったのにと考えるようになっていた。

 それなのに……

 

「死ねよ! みんな死ねよ! 死ね死ね死ね死ねぇ!! 死んじまえ!!」

 

「光輝、龍太郎、掠ってもダメよ!」

 

「ああ!」

 

「おう!」

 

 恵里の右腕から漆黒の鎌鼬が吹き荒れる。それを隙間を縫うように躱していく光輝達。

 少しでも掠れば致命傷は免れない悪魔の一撃も、我を失いつつある恵里が繰り出す攻撃はどれもが単調で読みやすい。

 

 ねえ、何で一緒にいてくれないの? 僕は君さえいてくれれば他に何もいらなかったのに……

 君が隣に居てくれるだけで僕は満足だった。本当にそれだけだった。

 

「アンタら、前衛のサポートは見てから動いてちゃ間に合わないよ! 常に二手先まで予測して行動しな!」

 

「「はい!!」」

 

 後方にて香織と鈴による補助が光輝達の攻撃の勢いを増加させている。光輝達が反応しきれない攻撃を的確に防いでいく。

 周囲に残していた骸骨もカトレアの魔物によって完全に抑え込まれて、恵里のサポートに入ることが出来ない。

 更に恵里を攻めあぐねさせているのがカトレア自身が発動する魔法だ。オルクス大迷宮で見たものの上位互換だと思われるそれは、実体の持たない骸骨させも石化させ、魔物達によってあっさりと砕かれていく。

 自身の”聖痕”ならあんなもの通さない。とは考えるが、背を守る仲間がいない恵里は、行動不能になった時点で負けが確定する。そのせいで迂闊な手に走れない。

 

 カトレア(ソイツ)には背中を任せるのに、何で僕はダメなの? 僕の方が光輝君のこといっぱい知ってるのに。

 

「私が一撃入れる! 龍太郎!」

 

「任せとけ! 光輝、お前もしっかり決めろよ!!」

 

「ああ! 龍太郎もドジるなよ!!」

 

 龍太郎が先頭を走り、その後を雫と光輝が続く。

 それを見た恵里は正面からの迎撃を選択する。

 

「纏めて消えろ!!」

 

 ノーモーションで放たれた極大の閃光が三人を纏めて呑み込んだ。その光の奔流は遥か彼方まで突き進んでいく。呑み込まれたら最後、細胞一つ残さず粉々に消し飛ぶほどの絶死の閃光。

 

 普通ならば……の話だが。

 

「うぉおおおおおおお!!」

 

 先頭を走っていた龍太郎が腕を交差させ、光の奔流を切り裂きながら突き進み続ける。

 

「な、何で!?」

 

「嘗めてもらっちゃ困るぜ!! この程度、屁でもねえんだよ! ダチを失うことに比べたらな!!」

 

 ダチ? 違う、そんなこと思ったこと無い。脳に筋肉しか詰まってないオマエは本当に扱いにくかった。光輝君の親友じゃなければ、関わり合いたくもない人種だ。

 

「恵里! 覚悟しなさいよ!!」

 

 龍太郎の背に追走していた雫が跳び上がり、腰に構えた刀の柄に手を添える。

 

「馬鹿の一つ覚えかよ! 効かねぇんだよ!」

 

 恵里は右腕の”聖痕”を広げ、肉体の八割を白く染め上げる。オマエの攻撃がこの鎧を通すことはない。無駄な足掻きだ。

 

「”八重樫流柄打術 鎧通し”」

 

「ガァアア!?」

 

 神速で打ち出された黒刀の柄が恵里の脇腹に叩き込まれ、意識が飛ぶかと思うほどの衝撃がその身を襲った。血反吐を吐きながらも歯を食いしばり、恵里は雫を睨みつける。

 

「ぼ、僕の”聖痕”をどうやって……!」

 

「その力がどれだけ強力だろうとも、中身は人のままなんでしょ? それならやりようはある!」

 

 ”八重樫流柄打術 鎧通し”

 高速で抜刀した刀の柄をすれ違いざまに敵の腹部に叩きつける。その名の通り、衝撃を着用する鎧を貫通させ、生身の肉体に直接ダメージを与える技だ。

 初めて刃を合わせた際に、雫はその感触から、腕そのものを変異させているのではなく、鎧のように魔力を纏わせていることに気付いた。

 魔法の鎧にも聞くか一種の賭けだったが、雫は賭けに勝ったようだ。

 痛みで”聖痕”の制御が緩まり、肌の色が元に戻っていく。

 

「これで色々言ってくれたことはチャラにしてあげる」

 

「雫ぅううう!!」

 

 いつだって光輝君の頼りにされているオマエが羨ましかった。文句を言いつつも、決して光輝君を見捨てようとしないオマエが理解できなかった。

 

「恵里!!」

 

「ッ天之川光輝ィイイ!!」

 

 雫の影に隠れていた光輝が姿を現し、聖剣を上段に構える。振り上げた聖剣からは天を分かつような眩い光が吹き上がる。

 

「必ず助ける! だから、少し我慢してくれ!!」

 

「ふざけんな! 何様だよ、オマエはァアア!!」

 

「ハァアアアアア!!」

 

 眩い閃光が収縮し、光で出来た刃を生み出す。それが恵里を斬り裂いた。

 

「ッ!?」

 

 痛みはない。出血も無い。しかし、同時に自分の中の何かが失われていくのを感じる。その光は決して恵里を傷つけること無く、むしろ暖かく包み込むような──

 

「いらねえんだよ!! 今更そんな温かみなんて!!」

 

 そのまま甘い誘惑に身を任せて目を瞑ってしまいそうな身体に鞭を打ち、聖剣を振り下ろした状態で固まる光輝を睨みつける。

 

 僕は君の存在だけが唯一の生き甲斐だったんだ。君が居なかったら、僕はとっくに自ら命を絶ってる。だから……お願いだから、僕を……

 

「死ねぇえええ!!」

 

 左腕より発動された”呪戒”が禍々しい形の剣を生み出し、光輝に襲いかかった。

 その刃が光輝の身体を真っ二つにすると思われた直前、それは現れた。

 

『聖絶』

 

 香織の唱えた”聖絶”が恵里の”呪戒”を完全に受け止める。またしても邪魔が入ったことに恵里は半ばヒステリック気味になって叫ぶ。

 

「香織ィイイ!! オマエはいつまで僕の邪魔をすれば気が済むのさァアア!!」

 

「恵里が戻ってきてくれるまでだよ!! だって友達でしょ!!」

 

 苛つくんだよ。僕はオマエが一番嫌いだった。幼馴染だからって理由だけで、光輝君にそばに居ることを望まれているオマエが……望まれていながら離れようとするオマエが……

 

「でも、やっぱり最後は親友に任せるべきだよね!!」

 

「は?……ッ!?」

 

 意味の分からないことを叫ぶ香織に訳が分からなかった恵里だったが、すぐに気付く。

 

(鈴はどこだ?)

 

 香織の隣で前衛の三人のサポートをしていた鈴の姿がない。さっきまで居たはずのそこには”聖絶”を展開し続ける香織とニヒルな笑みを浮かべるカトレアだけだ。

 その瞬間、恵里は思い出す。かつて、オルクス大迷宮でカトレアに追い詰められた時のことを。

 

 何故、僕達は追い詰められた? そんなの決まってる。カトレアが魔物の姿を固有魔法の”迷彩”で隠していたせいで戦力差を見誤ったからだ。

 それならどうして今までカトレアはその固有魔法を魔物達に使わなかった。初めから使えば、少しは戦いを有利に進められたはず……

 

「──ッ!? まさか!!」

 

 恵里が何かに気付くと同時に恵里の顔に影が落ちた。

 慌てて恵里が上を向くと、そこには拳を振りかぶりながら、こちらに向けて落下してくる鈴の姿があった。

 その背後には三本足の巨大な鴉が羽根を広げ、存在をアピールするかのように宙を飛び回っている。

 

「固有魔法”迷彩”は触れたものにも効果を発揮する。忘れたのかい?」

 

「しまっ──」

 

「うぉおおおお!! 歯ぁ食いしばれ!! この大馬鹿野郎ぉおおお!!」

 

 鈴の渾身の右ストレートが恵里の頬に突き刺さった。

 薄れゆく意識の中、恵里は最後の力を振り絞って手を伸ばす。

 

 鈴……オマエの能天気振りにはいつだって辟易してた。親友だなんて思ったことは無い……でも、僕は……僕だって……

 

 伸ばした手を誰かが掴んだような気がした。

 

 

 ◇

 

 

「……普通さ、女の子の顔をグーで殴る? そこはせめてパーじゃない?」

 

「だって、恵里ビンタされたくらいじゃケロッとしてそうだったし、五体満足なんだから文句言わないの」

 

「いつから鈴はそんなにバイオレンスになったのさ」

 

「恵里にめちゃくちゃ言われたせいで色々吹っ切れたんだよ」

 

 鈴の渾身の右ストレートを喰らった恵里は、一瞬気を失っていたが、数分もすればすぐに目を覚ました。しかし、起きたときには既にロープでぐるぐる巻きにされ身動きが取れなくなっていた。ご丁寧に特殊な素材で造られたロープは魔力を霧散させる能力を秘めているらしく、魔法を発動しようとしても、形になる前に魔力が霧散してしまう。

 簀巻き状態で地面に転がされた恵里が初めて見た光景は、満面の笑顔で自分を見下ろす鈴の姿だった。光輝達はまずは鈴に任せるつもりなのか少し離れた位置でこちらの様子を伺っている。

 

「それで、勝負は鈴達の勝ちだね。じゃあ、約束通り戻ってきてね」

 

「そんな約束した覚えないんだけど?」

 

「ほら、生かすも殺すも勝者の自由って言うじゃん? だから恵里に拒否権はありません」

 

「横暴すぎない?」

 

 鈴と何気なく会話を交わす姿からは先程までの狂気じみた雰囲気は感じられない。まるで鈴の拳で心に巣食う闇が吹き飛ばされたかのように穏やかだ。

 しばらく無言で見つめ合う二人だったが、おずおずと鈴が口を開く。

 

「ねえ、恵里。鈴ね、あれから色々考えたの」

 

「……何を?」

 

「鈴は本当に胸を張って恵里の親友だって言えたのかなって。私、恵里のことそこまで詳しく知らないなぁって」

 

「そんなの当たり前だよ。どんなに仲良く振る舞っても所詮は赤の他人。本当に心の底から分かり合うことなんて出来るわけがない」

 

 血の繋がった家族ですら、そうなんだから……

 ボソッと呟いた恵里の言葉は、光輝達には届かなくとも、鈴の耳には届いた。

 

「うん、そうだね。きっと相手の全部を知り尽くすなんてことは出来ないと思う。誰だって秘密にしてることの一つや二つはあるもん。でもさ、知ろうと歩み寄ることは出来る」

 

「詭弁だね。そんなのただの自己満足に過ぎない」

 

 鈴の言葉をバッサリと切り捨てる。

 仮に歩み寄ったとして、相手は本当にそれを望んでいるのか? 友人だからといって、触れてはいけない境界線は存在する。友人だからこそ、あえて避けるべきものじゃないのか?

 そう続ける恵里に鈴は「それも正しいと思う」と肯定する。

 

「いや、そもそも正解なんてないんだ。相手の心を完璧に把握するなんて誰にも出来ないんだから。だから、皆間違い続けるんだよ」

 

「間違い続ける?」

 

「うん。何度も間違えて、何度もぶつかり合って、そうやってお互いを知っていくんだと思う……私は怖かった。嫌われるのが嫌だったから、いつも笑ってた。そうすることで誰にも近づきすぎずに、常に誰かのそばに居た。それが一番楽で、寂しくなかったから……」

 

「……」

 

 鈴の独白に恵里は何も答えない。周りの人間を良いようにコントロールしてきた恵里には、鈴が誰にも自分の内側を見せずに、八方美人を演じていることにも気付いていた。その能天気の性格が都合が良かったから指摘しなかっただけだ。

 

「でも、それじゃダメなんだ。誰かを知りたいなら、まずは自分を見せなきゃダメだったんだ。だから、鈴はもう一度恵里とやり直したい。恵里が何を思って、何をしたいのか。ちゃんと教えて欲しい」

 

「やり直せると本当に思ってるの? 人類の敵になった僕と」

 

「もちろん」

 

 躊躇いもなく頷く鈴の表情を、じっと見つめていた恵里は一つため息をついた後、ポツポツと語り始める。

 

「……小さい頃、お父さんが私を庇って車に轢かれたんだ──」

 

 そこから語られるのは、若干五歳で体験するにはあまりに醜く、悍ましく体験談。

 かつて、自殺をしようとしていた恵里を止めた光輝も、端折りに端折った説明を聞いていたが、自分が理解していたと思い込んでいたそれが、酷く幼稚で愚かな思い込みだったと気づき、強く拳を握りしめる。その怒りの矛先はかつての自分自身にだ。

 しかしだ、仮に全ての事情を漏れなく聞いていたとしても、当時の光輝にはとても信じられなかったことだろう。父親を目の前で失い、悲しみに暮れる娘を更に追い詰めるような真似をする母親がいるなどとは。

 

「でも、全部を裏切って、人類の敵に回って、それでお父さんは何て思ってるのかなって。最近そんなことばっかり頭を過るの」

 

「……どこか様子がおかしかったのはそのせい?」

 

「……命を張ってまで助けた娘が、世界の反逆者になって……どんな気持ちなのかな?」

 

 その言葉に鈴はどう答えればいいか分からなかった。

 そんなことはない。今も恵里のお父さんはきっと恵里の幸せを願ってるはずだ。

 言葉で告げるのは簡単だ。しかし、母親に裏切られた恵里には父親だから、という理由で軽はずみな発言をしても届くことはないだろう。

 かといって、会ったこともない恵里の父親が何を思い、何を願っていたのかなど、鈴達には知る由もない。

 言葉に詰まり、何を言えば良いのか分からない鈴と、全てを語りきった恵里の間に沈黙が落ちる。

 

 

 それが、運命の分かれ目だったのかもしれない。

 

 

「だから、もう疲れちゃった……」

 

「……え?」

 

 そばに居た鈴ですら聞き逃すほどの小声で呟かれた言葉。

 首を傾げた鈴が何と言ったのかと聞き直そうとした言葉に被せるように、恵里は言葉を紡ぐ。

 

「恵里、今何て──」

 

「”神罰をここに”」

 

 恵里が小さく言葉を口にした瞬間、鈴の頬に赤い血が飛び散った。

 

「…………え?」

 

 頬を血で赤く染めた鈴だったが、鈴自身は傷一つついていない。何故ならば、その血は()()からの返り血なのだから……

 

 

 

──恵里の胸を光り輝く刃が貫いた。

 

 

 

「ゴフッ!」

 

「え、恵里ぃいいい!!」

 

 衝撃で僅かに浮かび上がった後、力なく横たわる恵里の身体を鈴が慌てて支える。その様子を離れて見守っていた光輝達が蒼白になりながら駆け寄ってくる。

 

「恵里!? 恵里!?」

 

「何だってんだ!? どこからの攻撃だ!?」

 

「そんな!? 何も感じなかったわよ!?」

 

「誰だ!? 誰が恵里を……!!」

 

「落ち着けアンタら!! アンタ! 香織だったね! すぐに治療を始めな!! 他の奴らは周囲を警戒!!」

 

「わ、分かりました!!」

 

 カトレアの指示に従い、恵里を囲うように背中合わせで光輝達が固め、香織がすぐさま再生魔法を発動させる。

 本来ならすぐに効果が現れるはずのそれは、淡い光を放つだけで、何の変化を起こさない。

 

「何で!? 再生魔法は発動しているのに!? 何で治らないの!?」

 

「恵里!? しっかりして!? 恵里!?」

 

 再生魔法が効かない。その事実を受けて、カトレアの脳裏にある存在が浮かび上がる。

 

(神代魔法を打ち消すほどの事象。そんなのそこらへんの雑魚共が出来る芸当じゃない。こんなことが出来るのは……!)

 

 カトレアが上空を強く睨みつける。そこには、自らの敬愛する主と激しい閃光を放ちながらぶつかり合う神の姿があった。

 

(アルディアス様を相手にしながら、こちらにわざわざ意識を割くなんて無駄をするとは思えない。つまり、魔法を撃たれたのではなく、()()()()()()()()()()()()()()!)

 

 そもそもカトレア達魔人族は、人間族に比べて魔力の扱いに長けてる分、魔力の察知も機敏だ。そのカトレアが、”外”からの魔力反応に気付かなかった。しかし、”内”から発動されたのなら話は別だ。

 恵里には魔法の発動を阻害する特殊な拘束具を取り付けていたが、(アレ)相手に通用するとは思えない。

 

 香織が必死に再生魔法を発動させ続け、鈴が必死に呼びかける中、恵里は空高くで戦うシュパースの姿をぼんやりと見つめる。その瞳には怒りや恨みなどの感情は無く、只々申し訳無さと感謝の念が滲み出ていた。

 

(ありがとう、シュパース様。私のワガママを聞いてくれて……)

 

 思い出すのは開戦の4時間前の会話。

 

『もし、私が全部を諦めた時……シュパース様に終わらせて欲しい』

 

 あの神様は確かに人類のことを憎んでる。だが、同時に心の底から人類を愛している。愛があるから憎しみが生まれ、憎しみがあるから愛が生まれる。なんて矛盾なんだろう。

 

 そんな()()()()()に介錯を頼むなんて、僕の性根は本当に腐ってるらしい。でも……ごめんなさい。もう僕は頑張れない。だって、僕には何も無いから。

 

 本当はとっくに気付いてた。全てを壊して、光輝君を手に入れても、きっとそれは僕の望んだものじゃない。僕をあの日救った男の子はそんなことで手に入れられるような存在じゃない。

 

 でも、だったらどうしたら良かったんだろう? 優しかったお父さんは死んで、優しかったお母さんはいなくなった。どうやってもあの頃の幸せな日々は戻ってこない。僕はどうすれば良かったの? 

 どうすれば、僕は幸せになれたの?

 

 それとも、僕には最初から幸せになる資格なんてなかったのかな。お父さんを殺した僕には、幸せになる権利なんてなかったのかもしれない。

 それならそうと初めから教えてくれれば良かったのに。それを知っていれば、最初から期待なんてしなかった。お母さんに殴られて、罵倒されて、誰の記憶に残ることも無く、ひっそりと終えることが出来たのに。

 希望なんて、抱かなくて済んだのに……

 

──ああ……ホント、寂しい人生だったなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「恵里っ!!」

 

「っ!……すず?」

 

 そのまま瞼を閉じかけた恵里だったが、目の前に飛び込んできた光景に僅かに目を見開く。

 

「泣い、てるの……?」

 

 涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら鈴は必死に恵里の手を握って呼びかけ続けていた。その光景に恵里は困惑する。

 

「嫌だ! 死なないで!? 死んじゃやだよっ!?」

 

「すず……」

 

「お願い!! 治って! 治ってよぉ!!」

 

「かおり……」

 

 隣では香織が涙を流しながらも必死に魔法をかけ続ける。そんなことしても無駄なのに、何でそこまで……

 

「香織っ! 何とかならないの!? お願い、お願いだからぁ……!」

 

「クソクソクソ、クソッタレがぁああ!! どこのどいつだぁあああ!!」

 

「隠れてないで出てこい!! 許さない! 絶対に許さない!!」

 

「しずく……りゅうたろう……こうき、くん……」

 

 三人ともこちらに背を向けているせいで表情を見ることは出来ないが、声はこれでもかと震え、激しく肩を上下させている。僅かに啜り泣く声も聞こえてくる。

 

「な、んで……皆が、泣くのさ」

 

「っそんなの……そんなの恵里に死んでほしくないからに決まってるよ!!」

 

「……僕が…死んだら、悲しい……の?」

 

「当たり前だよ!! 恵里は鈴の大切な親友なんだもん!!」

 

「……親友」

 

 鈴の言葉に恵里は呆然としながら、目の前の光景を他人事のように受け止めていた。

 同時に思い出すのは、シュパースに細工を施してもらった後の会話の記憶。

 

 

 

『──これで後は、”キーワード”を口にするだけで自動で発動します……ただ、一つだけ覚えておいてください。人の価値など所詮あやふやなもの。例え、自分ですら明確に判断することは出来ません』

 

『何が言いたいのさ』

 

『この魔法を使用することがあったら、少し良いんです。周りの光景を目に焼き付けてください。もしかしたら、今とは違う景色が広がっているかもしれません』

 

『……裏切り者が死んで清々するんじゃない?』

 

『本当にそう思ってます?』

 

『……』

 

『もし、誰か一人でも君の死を悲しんでくれたのなら、それは、君の人生は決して無駄ではなかった証です』

 

『……ふん、死んでからそんなこと知っても意味ないよ』

 

『ですね。本当に……生きるというのはままならないものです』

 

 

 

(シュパース様……どうやら僕の人生は無駄じゃなかったみたい)

 

 ようやく気付いた。ようやく気付けた。

 何も無いと思ってた。家族を失い、幸せを失い、日常を失った。あの日を境に全てを失い、運命にも見放された哀れな子供。

 

 でも、そんな子供も友人には恵まれていたらしい。

 

 いつも馬鹿丸出しなくせに、いつだって皆を守ろうとしていた龍太郎。

 常に前を歩くくせに、ちゃんと後ろまで気遣いを回してくる雫。

 誰かが傷つけば、真っ先にそばに駆けつけてくる香織。

 いつだって誰かを助けようと必死で、必ず手を差し伸ばしてくれる光輝。

 

 そして、ずっと隣に居続けてくれた鈴。

 

 普通に学校に行って、授業を受けて、休み時間には馬鹿みたいな話で盛り上がって、放課後は寄り道をしながら帰路につく。

 そんなありふれた日常が、僕は何だかんだ好きだったんだ。

 

 未来がどうなるかなんて、誰にも分からない。学生時代に毎日顔を合わせ続けた友人と、理由もなく疎遠になるなど、きっと大人になれば珍しくないんだろう。

 でも、今だけは……この瞬間だけは、何も考えずに……

 

 恵里の視界に広がる光景。先程までは微塵も感じることが無かった、自分と彼らとの繋がりが、今ならハッキリと目に映る。

 

(僕は……とっくに一人じゃなかった)

 

 恵里は自分の愚かさに内心で苦笑した。

 僕は今まで何を見ていたんだろうか。そうか、僕の本当に欲しかったものはとっくに手の届くところにあったんだ。それに気付かず、自分で踏み潰すところだった。

 

 恵里は薄れゆく意識の中、必死に口を開く。最後にこれだけは伝えたかった。

 

「すず……君達と、居た時間。まあ、悪くは、なかった……よ」

 

「恵里ぃ! やだ!? そんな最後みたいなこと言わないでよぉ!!」

 

 こんな時になっても憎まれ口が出てくる性格の悪さに、自分で呆れる。

 全く、最後くらい自分の気持を真っ直ぐ伝えられないのか。本当に歪んでるな、僕は……

 

 そのまま深い地の底に意識が沈んでいくのを感じながら、恵里は自分にきっかけを与えてくれた、今も一人ぼっちな(ヒト)のことを思い浮かべる。

 

(ああ、叶うならどうか……あのヒトが最後くらい、誰かのそばに居られますように……)

 

 その願いを最後に、恵里は瞼を閉じた。

 

「えりぃいいいいいいいいいいい!!」

 

 鈴の悲痛な叫びが戦場に木霊した。




 三話にまで及んだ恵里との戦いですが、書いてて思ったのは、やっぱり子供のころの環境って大切だなって思いました。
 光輝も恵里も元々は純粋で善性な子供だなぁと。亡くなってしまった光輝の祖父は仕方がないと思いますが、恵里の母親は救いようもない人間なんだと改めて感じました。

 つまり恵里の母親が全ての元凶。
 


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第四十五話 【絶望の始まり】

 空が光った。

 

 黒と白の光の奔流が激突を繰り返し、一条の紅と蒼の軌跡が絡み合い、弾け飛ぶ。そのたびに、空間が歪み、時空に亀裂が入る。

 黒い魔力を纏うアルディアスが手に持つ炎剣を振りかぶる。同時に白い魔力を纏うシュパースが蒼白の魔力剣を同じく振りかぶる。

 刃が交差すると同時に、大気が弾け、魔力の衝突によって発生した雷鳴が戦場に響き渡る。

 

 アルディアスは衝突の反動で後ろに下がり、指先をシュパースに向けてかざす。

 

無響(むきょう)(だん)

 

「ッ!!」

 

 アルディアスが放った不可視の弾丸にシュパースは障壁を展開するが、何の抵抗も無く、あっさりとすり抜けた。ギリギリで腕を交差させることで防ぐが、衝撃を抑えきれず、吹き飛ばされる。

 

(なるほど、空間を振動させることで発生する音の弾丸ですか。耐物・耐魔の障壁では防げないはずです)

 

 間髪入れず、亜音速の弾丸を連射するアルディアスだったが、今度はシュパースの目の前で跡形もなく霧散する。

 シュパースは自分の目の前の空間を魔力で圧縮、固定した。空気を震わせることが出来なければ、音の弾丸が届くことはない。

 

「やはり防ぐか……」

 

「お返しです」

 

 今度はシュパースが腕を下から振り上げると、アルディアスの下より巨大な氷山が出現し、その身体を串刺しにするべく迫る。

 

魔烈(まれつ)(くう)

 

 アルディアスが振り下ろした腕に集約されていた、指向性をもたせた魔力の斬撃が巨大な氷山を真っ二つに両断する……が、氷山の中心に仕込まれていた圧縮されていた魔力が、氷山(外装)が無くなったことで一気に膨張、破裂する。

 

 その場から瞬時に離脱することで、それを回避したアルディアスは、そのままシュパースの頭上を取るように上昇し、余裕そうにこちらを見上げるシュパースを睨みつける。

 

 アルディアスが天高く腕を上げる。

 上空に数を数えるのも困難な量の魔法陣が展開される。何の障害物もない天空を光り輝く光球が埋め尽くす。

 

(ごう)雨竜(うりゅう)

 

 天空より降り注ぐ流星の豪雨。空を斬り裂き、大地を砕く魔竜の大群が、神を喰らわんとその顎を向ける。

 

神門(かみと)五重(いつえ)

 

 シュパースを中心に七色に光る六角形の結界が五重に展開される。

 一瞬の閃光が空を照らし、次の瞬間、世界を震わせるほどの爆音と衝撃波が巻き起こった。爆炎でシュパースの姿が見えなくなるが、それでも砲撃が止まることはない。

 永遠にも続くかと思われたその攻撃も、全ての光球を撃ち切ったことで、静寂を取り戻していく。

 アルディアスが一瞬たりとも油断すること無く、黒煙を睨みつける。アルディアスの感覚には、全く揺るぐことのない魔力を今も感じ続けられている。

 

 黒煙が完全に晴れると、そこには五枚あった結界を二枚まで減らした状態でこちらを見上げるシュパースが姿を現す。

 その事実にアルディアスは思わず舌打ちを溢す。

 

「まさか、二枚目にヒビまで入れるとは……中々良い魔法ですね。使い勝手も良さそうだ」

 

──それ、貰いますね。

 

 次の瞬間、シュパースの背後に、アルディアスから見下ろせる地上を全て覆い隠す量の魔法陣が出現した。

 

「ッ!?」

 

『轟・雨竜』

 

 天より降り注いだ豪雨が、まるで逆再生のように今度は天へと向かって昇っていく。

 自らの魔法をあっさりと模倣して見せたシュパースに目を見開いたが、すぐに切り替え……シュパース目掛けて真っ直ぐに距離を詰めた。

 自分の使う魔法は自分が一番良く分かっている。”雨竜”は魔法陣を広範囲に展開する特性上、その場で守りを固めたり、後ろに退くほうが集弾率が大きくなってしまう。故に、敢えて前に出ることで、被弾率を下げることが出来るのだ。

 しかし、初見でそれを判断することは難しく、出来たとしても、目の前に迫る弾幕を躱しつつ、距離を詰めることは簡単ではない。足を止めれば、たちまち集中砲火にあってしまう。

 最低限の動きで光球を躱し、こちらに迫るアルディアスを見たシュパースは、しかし焦る様子を微塵も感じられない。

 

「見たことを再現できないのは三流。見たままに再現できるのは二流。そして、自らの技として昇華させることが出来るのが一流です」

 

 片手を差し出したシュパースが指を弾く。その瞬間、標的を失って流れていた光球が軌道を変え、背後からアルディアスに襲いかかる。

 

「チッ!」

 

 シュパースに近づくのは困難と判断したアルディアスが、縦横無尽に空を駆けるが、光球の群れはアルディアスの背後をピッタリとくっついて離れない。

 

「追加です」

 

 更に追い打ちで出現した魔法陣より射出された光球がアルディアスを囲い込むように展開する。

 まるで光球の一つ一つが意志を持っているかのように動き、次第に逃げ場を失っていくアルディアスを遂に完全に包囲する。

 

「さあ、これはどうしますか?」

 

 針の穴一つ無い程に敷き詰められた光球が、シュパースの合図と同時に光を増していき、大爆発を起こした。

 再び戦場に鳴り響く轟音。その光景をシュパースは変わらず笑みを浮かべながら黙って見つめている。

 

「おっと」

 

 そして、不意に頭を低く下げた。

 その瞬間、シュパースの首があった位置を莫大な熱量を溜め込んだ炎剣が通り過ぎた。

 背後からの奇襲を躱されたアルディアスだったが、一切動揺することなく、下げた頭目掛けて二の太刀を振り下ろす。だが、身を翻しながら振るった魔力剣と衝突し、バチバチと火花を散らす。

 

「驚きました。ただの遠距離転移魔法かと思っていたんですが……なるほど、短距離転移(ショートワープ)も出来るんですね」

 

 シュパースが目を向けるアルディアスの背後。そこには僅かに残る、黒い魔力の痕跡が確認できる。

 それはアルディアスの使う”影星”に現れる特徴だ。超長距離転移に目がいきがちだが、目の届く範囲への短距離転移にも使うことが出来る。しかも座標を細かく設定する必要がない分、発動から転移までの誤差がほとんど無い。

 

「何が驚いた、だ。そういうことは少しは表情を変えてから言え」

 

 アルディアスが力任せに弾き飛ばすことで両者の間に距離ができる。

 

「これでも驚いているんですよ? 君にも、彼らにも」

 

 そう言いながらシュパースは地上を見下ろす。それにつられるようにアルディアスもチラリと視線を向ける。

 未だに戦いは続いているが、状況は完全にこちらが有利だ。このまま何事も無く進めば、敵戦力を完全に制圧することも可能だろう。

 そんな状況にも関わらず、アルディアスの表情は決して明るくない。この日のために、各国、各種族の首脳陣と会談を交わし、想定出来る全ての状況に対しての対策は施してきた。

 この状況はアルディアス達、人類側からすれば想定通りに進んでいるということになるのだが……だからこそ、アルディアスは一抹の不安を感じずにはいられなかった。

 これは……

 

「うまくいきすぎている……ですか?」

 

 アルディアスの心情を代弁するかのように告げてくるシュパースを睨みつけるが、反論の言葉は出てこない。

 

「沈黙は肯定と取りますよ? 魔物の大半は各種族の部隊によって制圧されつつあり、私が特に手を加えた個体はアレーティア君を初めとした実力者達によって討ち取られました。私からすれば結構ピンチですね」

 

 口ではピンチと言いつつも、全く焦る様子を見せないシュパースに、アルディアスの疑念は更に膨れ上がっていく。

 

「ここからは戦場がよく見える。私も運が無い。用意したとっておきが”偶然”彼らと遭遇してしまうとは……」

 

「……何が言いたい」

 

「君はもう、気付いているのでは?」

 

「──ッ」

 

 シュパースの追求にアルディアスは只々顔を顰める。今のやり取りで自分の嫌な予感が的中していることがハッキリした。

 アルディアスはシュパースと戦いながらも地上の様子は逐一確認していた。

 

 ハジメとアレーティアを襲った特殊な改造が施された神の使徒。

 シアとミレディの前に現れた探知不可能の魔物。

 ティオとフリードが消し飛ばした巨大なキメラ。

 

 例えば、改造された神の使徒が他の天使に紛れて、一般兵に襲いかかっていれば、抵抗する暇もなくその命を奪い去っていただろう。

 例えば、探知不可能の魔物が連合軍の本陣や司令部に潜入していたら、情報の共有という大きな有利性を失っていたかもしれない。

 例えば、巨大なキメラを戦場の中心に転移させていたら、敵味方問わず、戦線は地獄絵図と化していただろう。

 

 一度だけならば運が良かったと言えるのかもしれない。しかし、それが二度、三度と続けば、それは最早”偶然”などでは無く”必然”だ。

 

「何を企んでいる」

 

「最初に言った通り、私の目的は君達に勝つことではなく、人類の進化を促すこと。アルディアス君、君は進化には何が必要だと考えますか?」

 

「経験と実践。何も行動に移さない者に成長は訪れることは無く、それを発揮する場所に出て、初めて経験が実力となる」

 

「なるほど、それも道理ですね。しかし、私はこう考えるのです。進化とは……”絶望”の先にあるのだと」

 

「……」

 

 人類とは追い詰められて初めて真価を発揮する生き物だ。日頃の鍛錬や実践で積み重ねる経験値も確かに欠かせぬものだろう。しかし、それは亀の歩みのように遅く、脆く儚い人類は、進化に到達する前に崩れ落ちてしまう。

 

 だが、唐突に降りかかる理不尽や狂気。死の恐怖。生への執着。それらを身を以て体験することで、さらなる領域に至る足掛かりを得ることができる。

 

「では、絶望とはどうすれば与えられるものでしょうか? 簡単な方法はその人物にとっての大切なモノを奪うことでしょうか。君にとっては自国の民がそれに該当しますね」

 

「貴様……」

 

 シュパースの言葉にアルディアスの視線が鋭くなる。

 言葉を口にすることはしない。それでも、その表情から、声色からこれでもかと伝わってくる。

 ”手を出したら殺すぞ”──と。

 

「落ち着いてください。あくまで例えですよ。一人一人やってたらきりがないですし……まあ、傷付けないと言ったら嘘になるんですが……」

 

 今すぐにその頭をかち割ってやりたい衝動に駆られるが、それを何とか呑み込む。今必要なのは情報だ。奴からペラペラしゃっべってくれるのなら好都合だ。

 

「話を戻しますが、私は必死に考えました。子供の成長が掛かってますからね。考えて考えて考えて……そして一つの結論に辿り着きました。人類に絶望を与えるために必要なモノ。それは……」

 

──物語(ストーリー)です。

 

「……何?」

 

「物語ですよ。君にもありますよね? 物語とはその人の生きてきた道筋。人格を形成し、叡智を求め、力を持つに至るまでのエピソード」

 

 両腕を広げながら力説するシュパースだったが、アルディアスには目の前の男が何を言っているのか意味が分からなかった。

 いや、言葉の意味は分かる。だが、シュパースが何を思い、何を見つけたのかが分からない。

 アルディアスの反応が悪かったせいか、シュパースは首を傾げた後、一つ一つ丁寧に説明する。まるで物わかりの悪い子供に言い聞かせるように……

 

 人は何故、大切な存在を守ろうとするのか。何故、それを奪われまいと足掻くのか……それは大切な存在とのこれまでの記憶(ストーリー)があるからだ。

 失いたくないと思うほどの感情が出来上がっているから、守ろうとする。失った時の胸の痛みを知ってるから足掻こうとする。人はその身で体験したことしか、理解を示すことは出来ないのだから。

 

 では、もしその思い出(ストーリー)がなければどうだろうか。一度たりとも触れたことが無いモノに対して、そのような強い感情を抱けるだろうか。

 

 断言しよう。抱けないと。

 

 命は平等。この言葉は間違っていない。どれだけ慈愛の心を持った人物だろうと、どれだけ邪悪な心を持った人物だろうと……命は等しく平等だ。

 だが、命の”価値”は平等ではない。価値とは他者によって決められるその人物の基準だ。アルディアスにとって大切な民が、人間族からすれば憎き仇だったのと同じだ。

 

 故に、絶望を与えるには、その人物の物語(ストーリー)が必要となる。

 

「くどい。結局貴様は何が言いたい」

 

 あまりにも長い口上にアルディアスが口を挟む。

 

「俺はそんなあやふやな事象についての講義を聞きに来たわけではない」

 

「……そうですね。百聞は一見にしかず。直接見てもらうのが早い」

 

 不意にシュパースが両手を胸と平行になるまで広げる。同時にシュパースの周囲に十七の魔法陣が浮かび上がる。

 それに対してアルディアスは迎撃の態勢を取る。

 

 

 

 それが、間違いだった。

 

 

 

 魔法陣が突如90°回転し、その矛先を地上に向ける。

 

「ッ! しまっ──」

 

「これがその答えです」

 

 パシュン、という小さな音を響かせながら、魔法陣より光の塊(絶望)が撃ち出された。

 

「乗り越えてみなさい、人類よ」

 

 

 ◇

 

 

ズドドドォオオオン!!

 

「何事だ!?」

 

 突然戦場に響き渡った轟音にガハルドが声を荒げる。

 

「と、突如、上空より飛来物が墜落したようです!!」

 

「飛来物だァ?」

 

 ガハルドが落下物に視線を向け、その異様な物体を視界に捉える。

 それはまるで蕾のようだった。白い花弁が何枚も重なり合うように、花開く瞬間を待ち続ける巨大な蕾。

 しかし、すぐにその時は訪れる。

 

 閉じていた花弁が花開き、中に包まれていたソレが姿を現す。

 白銀の全身鎧(フルプレート)に身を包みこんだ騎士人形がゆっくりとその身を起こす。全長は3m程だが、全体的に細身のせいか、戦乙女(ヴァルキリー)という名称がピッタリかもしれない。

 右手にラウンドシールドを、左手にはフランベルジュを装備している。

 

 新たな敵の登場に、連合軍の兵士の間にも緊張が走る。

 そんな兵士達を鼓舞するために、ガハルドが号令を掛けようと口を開いた瞬間、それは視界に入った。

 

 騎士人形が腰を捻り、フランベルジュを大きく振りかぶっている。

 敵と自分達の間には未だに100mは距離が空いている。剣に魔力を纏わせて斬撃として飛ばすという手段もありうるが、その剣からは魔力が一切感じられない。

 何をする気なのかと眉を潜めた瞬間──

 

「──ッ!?」

 

 ガハルドをとてつもない悪寒が襲った。

 それは戦場において、何度も自身の窮地を救ってきた、戦士としての第六感。それが今までの人生で最大の警報を鳴らす。

 

「全員伏せろ!!」

 

 考える余裕などない。ほとんど無意識の内に周りの兵士に聞こえるように声を張り上げた。

 ここに居た兵士が帝国の者ばかりだったことも幸いしたのだろう。ガハルドの指示を聞き届けた兵士達が一斉にその場に伏せる。

 

 ほぼ同時に、フランベルジュが水平に振られた。

 戦場に嵐が顕現した。そう勘違いするほどの突風が彼らを襲う。耐えきれずに吹き飛ばされる者も何人か居たようだが、背を低くしていたおかげで軽傷で済んでいる。

 

「ッぶね!? 全員無事だな!?」

 

「は、はい!」

 

「なんとか……!」

 

「剣振っただけでこの威力。どんな馬鹿力してやがる……おい、てめぇら! いつまでボケっとしてやがる!! 速く立ちやがれ!!」

 

 慌てて身体を起こしていく兵士を横目で確認する中で、一部の兵士が未だに腰を抜かしたままでいることに気付いたガハルドが怒声を上げる。

 気持ちは分からんでもないが、ここは戦場だ。気を抜いたやつからすぐに死んでいく。

 しかし、彼らは目を見開いたまま動く気配がない。

 

「おい、いい加減──」

 

「へ、陛下……あ、あれを……」

 

 更に言葉を重ねようとしたガハルドの言葉を遮り、一人の兵士が真っ青な表情でガハルドの背後を指差す。

 皇帝である自分の言葉を遮るなど、極刑になってもおかしくはない愚行だが、その兵士の表情に違和感を覚えたガハルドが背後を振り返る。

 

「…………馬鹿な」

 

 そして、他の兵士達と同様に言葉を失う。

 ガハルドの背後には王国がある。距離はあるため肉眼で確認することは難しいが、標高八千メートルを誇る神山はここからでもしっかりと確認することができる。

 

 その神山が……()()()()()

 

 斜めに切れ込みが入り、滑るように位置がズレている。

 

「神山を……斬りやがったのか!?」

 

ドォオオオン!  ドォオオオン!  ドォオオオン!

 

「今度は何だ!?」

 

 信じられない光景に、ここが戦場であることも忘れ、呆然としていると、畳み掛けるように連続で轟音が戦場に木霊する。

 神山から視線をそらし、周囲を見回したガハルドは今度こそ絶句した。周囲の兵士の中には腰を抜かす者もいる。

 

 彼らの目に映るのは、今しがた神山を斬り裂いた騎士人形とは細部は異なるが、同個体だと思われる騎士人形。それが各地で立ち上がるのが確認できた。

 その時、連合軍司令部にいるリリアーナから”念話”が届いた。

 

『ガハルド殿!! アルフレリック殿!! アドゥル殿!! フリード殿!! そちらの状況は!?』

 

 どうやら各種族の代表に同時に”念話”を繋いだようだ。

 

『状況は最悪だ! 空から突然騎士人形が現れて暴れてる! 一撃で大地が割れたぞ!』

 

『こちらも同じく! 何だアレは……!』

 

『私は今アドゥル殿の近くにいる! ここからでも三体は確認できるぞ!』

 

 アルフレリック、アドゥル、フリードの順に報告が飛び交うが、どこも状況は同じらしい。

 

「……こっちも同じだ。もう見えてると思うが、奴め……神山を斬りやがったぞ……!」

 

 ガハルドの報告には特別大きな反応は帰ってこなかった。やはり既に全員確認しているのだろう。

 

「なあ、リリアーナ嬢。教えてほしいんだが……奴ら、何体居る?」

 

 これまでの情報から、空から振ってきた騎士人形は複数体居ることは確実だ。あの神山を斬り裂くレベルの奴が何体も……

 ほんの少し躊躇った後、リリアーナは震える声で、彼らにとっての”絶望”を告げる。

 

『…………十七体、です』

 

 その言葉に全員が息を呑むのを”念話”越しでも感じた。

 

「ああ、クソッタレが……!!」

 

 

 ◇

 

 

「作戦は順調。強敵が現れても、実力者が次々と敵を撃破。誰しもが感じつつあったでしょう。勝てるのではないか? と。そんな状況で今までの敵を遥かに超える存在が現れたら? 希望を見ていた彼らは、きっと絶望を感じることでしょう」

 

「チッ!」

 

 アルディアスはすぐさま地上に向けて狙いを定めた。

 

「おっと、邪魔しないで頂きたい」

 

「グッ!?」

 

 しかし、シュパースから放たれた極光がアルディアスに迫り、回避するために魔法の発動を解除せざるを得なくなってしまう。

 

「君が手を貸しては意味がありませんよ。アレらは私の分身体。私の記憶と力を受け継いでいます。とは言っても、力に関しては欠陥もいいところなので、君ならばあっさりと殺せるでしょう……しかし、地上は違います」

 

 今この瞬間も、アルディアスが攻撃の隙を狙っているが、シュパースからは一切の油断が感じられない。無意識に握りしめた拳から血が滴り落ちる。

 

「地上でアレと満足に戦えるのはアレーティア君とミレディ君くらいでしょう。普通に考えれば全滅です」

 

「そこを……」

 

 小さく呟くアルディアスを無視して、シュパースは続ける。

 

「人類よ、進化のときです。絶望を乗り越え、新たな領域へと至るのです。それが出来ぬと言うのなら……」

 

「そこをどけぇえええ!!」

 

──ここで果てなさい、人類(弱き者)よ。




>十七体の戦乙女(ヴァルキリー)

 シュパースの記憶と力の一部を引き継いだ分身体。力はオリジナルに及ばないものの、思考パターンなどは全く一緒。
 ミレディとアレーティアと同程度の強さを誇る。それが十七体。

>絶望を与えるための物語(ストーリー)

 初めから力の差を見せつけるのではなく、敢えて、接戦の状況を作り出し、勝てるのでは? と思わせてからひっくり返す。
 例え)部活の試合で全国レベルの相手に喰らいついていたら、実は三軍というベンチにも入れないメンバーだったと気付いたときの絶望感。


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第四十六話 【神の試練 前編】

ちょっと長くなったので前編・後編に分けました。


──トータス連合軍・司令部

 

「敵の進軍が止まりません!? 死傷者多数!!」

 

「前線が瞬く間に押し返されていきます!?」

 

「第一、第二歩兵部隊撤退!? 第四航空部隊同じく撤退!? だ、第二遊撃部隊、壊滅……」

 

「止まりません……このままじゃ……! このままじゃ……!?」

 

「──ッ!!」

 

 司令部に緊急を知らせるアラームが鳴り響き、ディスプレイに表示された部隊を示す光点が次々と後退、もしくは消失していく。

 

 その光景をリリアーナは歯を食いしばりながら睨みつけることしかできなかった。

 作戦は比較的順調だった。死傷者こそ出てしまっているが、それでも確実に人類が押していた。それこそ、このまま勝てるのではないかと夢想するほどには。

 

 それが、たった十七体の増援によって覆された。奴らの強さはそれまでの魔物達とは一線を画す程の力を備えていた。

 放たれる魔法を大地を抉り、振るわれる刃は空を斬り裂く。

 汚れ一つない白銀の鎧と、全身から放たれる神々しいオーラは、まるで神話に登場する戦乙女(ヴァルキリー)そのものだ。

 

 ふざけるな! なら、今までの戦いは何だったんだ。私達が必死に戦ってるのを見て、嘲笑っていたのか。私達の努力は無駄だったっていうのか!

 

「リリアーナ様! 私達はどうしたら!?」

 

「……え?」

 

「お願いします! ご指示を!」

 

「リリアーナ様!!」

 

 司令部にいる者のほとんどがリリアーナに縋るような視線を向ける。

 ここの責任者はリリアーナだ。判断に迷えば彼女に指示を仰ぐことは間違っていない。間違っていないが……

 

 どうしろと言うのだ。あんな化け物相手にどう立ち回ったら……

 

「第一、第二戦域を放棄。第三戦域にて遠距離からの砲撃で削る……というのはどうでしょうか?」

 

 そんな中、ほとんどに含まれていなかった少女──アルテナが自身の意見をリリアーナに告げる。

 

「既に最前線は壊滅状態ですわ。ここから立て直すのは不可能と判断します。それならばいっそ──」

 

「亜人族に意見は求めていない!!」

 

「そうよ! 私達はリリアーナ様に聞いてるの!?」

 

 しかし、司令部に居る人間族がこぞってアルテナの意見を遮る。元々リリアーナが認めている影響で堂々と不満を口にすることはなかった彼らだったが、追い詰められた状況にそんなことは頭から抜けてしまっているのだろう。

 アルテナもそんな彼らの心情に気付いていたからこそ、前に立って目立つことは避けていたのだが……

 

「亜人族は言われたことをやってれば──」

 

「うるっさい!!」

 

「「「ッ!?」」」

 

 更にアルテナに対して口撃を続けようとした彼らだったが、アルテナからの思いもよらない怒号に司令部に居た全員がその場で固まる。

 特にリリアーナなどは、普段のお嬢様という印象からは想像も出来ないアルテナの姿に目を見開いている。

 

「今この瞬間にも、人が死んでいるのです!! 私の家族も! 貴方の家族も危険に晒されているのですよ!!」

 

 アルテナに罵声を浴びせていた者達は、その言葉に背後のディスプレイに視線を向け、光点がまた一つ消えたのを確認し、表情を歪める。

 

「私のことを悪く言うのは構いませんわ! それでも、そのせいで助けられる命を見捨てることになることは許容できません!!」

 

 その言葉に彼らは下を向き、唇を噛みしめる。それはアルテナへの不満を覚えているのではなく、今も戦場で戦っている仲間達のことを思い出してのものだ。

 

「アルテナさんの言う通りです。今は言い争っている場合ではありません。私達の任務は戦場に情報を共有し、少しでも戦いを有利に運ぶこと。違いますか?」

 

「……その通りです。申し訳ありません」

 

「貴方も……その、悪かったわね」

 

「い、いえ、私も出すぎた真似をしてしまい申し訳ありません!」

 

 司令部の張り詰めていた空気が弛むのを確認したリリアーナはホッと息を吐く。同時に自分に活を入れ直す。

 

(そうだ。ここでくよくよしても何も変わらない。私は私のすべきことをしなくては!)

 

 パンッと力強く頬を叩いて気合を入れ直したリリアーナはすぐに声を張り上げる。

 

「では、まず──」

 

ドガァアアアアアアアアン!!

 

──しかし、”絶望”は決して待ってなどくれない。

 

 司令部の天上が突如轟音と共に消し飛び、室内からは見えるはずのなかった空がその姿を現す。

 そして、光り輝くヴェールを背景に、こちらを兜越しに見下ろす騎士人形の姿。

 

「そんなっ!? どうしてここが!?」

 

 連合軍の心臓部である司令部は、ハジメとアルディアスの合作による特殊なアーティファクトにより、完全不可視化が施され、音や気配はもちろん、魔力の痕跡すら遮断することができる。

 例え、内部から“念話“を送ったとしても、各地に設置された中継器を通じて送られるそれを辿ることはできない。

 だが、そんなことはお見通しと言わんばかりに騎士人形は司令部を襲撃してみせた。

 

 リリアーナの驚きの声も関係なく、騎士人形は剣を振り上げる。

 ここには必要最低限の護衛しか配置されていない。いや、例え居たとしても何の役にも立てなかっただろう。

 

「アルディアス様……!」

 

 司令部に居た面々が表情を青褪めさせ、自らの最期を悟る中、アルテナは胸の位置で両手を握りしめ、無意識に想い人の名前を口にする。

 そんな少女の儚い祈りが騎士人形に通じることも無く、彼女らの命を容易く奪う神剣が、無情にも振り下ろされた。

 

 

 ◇

 

 

「ゼェアアアアッ!!」

 

 ガハルドは上段に振りかぶった大剣を騎士人形に向けて振り下ろす。

 しかし、カァン、という間抜けな音を響かせながらあっさりと弾かれる。纏った鎧に遮られることによって。

 

「くそっ!? 盾を構える必要もないってか!?」

 

 先程から斬撃、銃撃手当たり次第にお見舞いしているのだが、堪える様子が無いどころか、その手に持つ盾を使う素振りもない。ただそこ立っているだけ。それだけで連合軍の兵士が精神的にも追い詰められていく。

 だが、右手の盾は動かなくとも、左手に握られる剣は絶えず振るわれる。

 

 ガハルドに向けてその手に持つフランベルジュが迫るが、そこに帝国の兵士が大盾を構えて割り込む。

 

「陛下! お下がりください!!」

 

「馬鹿野郎!? 防ぐな! 躱せ!!」

 

 ハジメ特製の大盾は、この戦いで何度も彼らの命を救ってきた。今回もその強固な鋼の守りが彼らの命を……守らなかった。

 

 まるでバターを切り裂いたかのようにあっさりと大盾を両断し、内側に居た兵士の胴体が上下に分かれる。

 

「ッ! 調子に乗ってんじゃねぇぞ!!」

 

 何度目だ。目の前で部下を失ったのは。もう何人死んだ! ふざけんなよ、てめぇ! 俺の目の前で良い度胸じゃねえか!

 

 赤い闘気を纏いながら、ガハルドが再び騎士人形に襲いかかるが、身体を張ってそれを止める者がいた。

 

「お待ちください、陛下!!」

 

「何しやがる!? 離せ、ベスタ!!」

 

「離しません! 私の話をお聞きください!!」

 

 ガハルドが信頼する側近の一人、ベスタがガハルドを羽交い締めにするようにその体を止める。

 その隙に周囲の兵士達が騎士人形に銃撃を浴びせて注意をガハルドから逸らす。

 騎士人形の意識が兵士たちに向いている間に、ベスタは無理に引きずってでもガハルドをその場から離そうとする。普段から冷静な姿勢を崩すことのない、信頼を置く側近の様子に、ガハルドも思うところがあったのか、落ち着きを取り戻し、視線は騎士人形から外さずに要件を尋ねる。

 

「お逃げください」

 

「……おい、今何つった?」

 

 予想もし得なかった言葉に思わずガハルドの視線がベスタに向けられる。その眼光はそれだけで人を殺せるのではないかと錯覚するほどに鋭い。

 

「我らが時を稼ぎます。お逃げください」

 

「てめぇ!? 俺に敵に背中を見せろってのか!?」

 

 ガハルドにとって敵に背を向ける行為は何よりも耐え難い屈辱だ。皇帝とは帝国で誰よりも強き者が座れる椅子。敵が強いから逃げます、なんて最も恥ずべき行為だ。そんなことをするくらいなら死を選ぶ。それくらい目の前の男も十分理解しているはずだ。

 

「はい、お逃げください」

 

「てめぇ、ふざけたこと──」

 

「未来のためです!!」

 

「ッ!?」

 

 滅多に声を荒げることが無いベスタの剣幕に、ガハルドは思わず言葉に詰まる。

 

「貴方が死ねば、確実に部隊は総崩れします! ここで終わってしまうのです! しかし、貴方が存命ならば何度だって帝国は立ち上がれます! ですから、貴方だけでも退いてください! 人類の勝利のために!!」

 

「う、ぐぐぐ……」

 

 ベスタの言葉にガハルドの中に強い葛藤が生まれる。戦士としてのプライドと、皇帝としての責任。二つの感情で板挟みになる。

 怒りのあまり、握りしめた拳に爪が食い込み、赤い鮮血がガハルドの拳を伝う。そのままその血だらけの拳を振りかぶり……

 

「ふんっ!!」

 

 それでも、流石は一国を預かる王と言えるだろう。自身の頬を思いっきり殴って頭を切り替えたガハルドの姿に、ベスタは笑みを浮かべる。

 

 確かに帝国では力が全て。しかし、ベスタはガハルドの力だけでなく、上に立つ者としてのカリスマを高く評価していた。実力主義であるがせいで、例え皇帝だろうとも下剋上を狙っている者が溢れてきたのが帝国の歴史だ。

 だが、ガハルドは違った。帝国の荒くれ者がこの人ならばついていっても良いとすら思えるほどの圧倒的なカリスマ。歴代の皇帝とは違い、武力だけでなく、政にも手腕を振るう二面性。

 ベスタは断言する。帝国の歴史を振り返っても、かの皇帝を超える存在はいない、と。

 

 だからこそ、失ってはならない。例え、この身を犠牲にしたとしても、必ず……

 

──そんな忠誠心は、あっさりと踏みにじられた。

 

「──ッ!? 陛下!!」

 

「なっ!?」

 

 突然、ベスタがガハルドを突き飛ばした。

 いきなりのことに思わず反応が出来ず、尻もちをついたガハルドが「何しやがる!?」と口に出そうとした瞬間、目の前を閃光が覆った。

 遅れて鳴り響く轟音と絶叫。ガハルドの視界を舞い上がった砂煙が覆い尽くす。

 

「べ、ベスタぁああ!!」

 

 吹き飛ばされそうになるのを、何とか堪え、ガハルドは腹心の部下の名を叫ぶ。

 衝撃により舞い上がった砂煙が晴れていき、視界が広くなっていくと同時に、それはガハルドの目に止まった。

 

 平坦な大地に現れた、底の見えぬ谷底。その崖で分断されるようにこぼれ落ちる、()()()()()()()()

 

 呆然と言葉を失うガハルドを巨大な影が覆う。

 兵士達を殺し尽くした騎士人形が、淡々と作業をするかのように、その血まみれの巨大な剣を振り下ろした。

 

「ちっくしょうがぁあああ!!」

 

 

 ◇

 

 

「「「グォオオオオオオオオ!!」」」

 

 戦場に大気が振動するかのような咆哮が響き渡った。

 同時に地上の騎士人形に向けて、色とりどりな閃光が騎士人形に襲いかかる。

 

 竜人族による一斉ブレス。ハジメのアーティファクトによって威力が上がったそれは、万物を呑み込み、一切を灰燼へと返す、暴虐な一撃。

 しかし、ラウンドシールドを掲げた騎士によって、あっさりと防がれる。多種多様な属性を受け止めて尚、傷一つ付くことを許さないその在り方は、正に神の守護を司る騎士に相応しい容貌だ。

 自分達の自慢のブレスを喰らい、ピンピンとしている騎士人形を竜人族は戦慄の表情で見下ろす。

 

『嘘じゃろ? あの気持ち悪いキメラでも少しは効いたんじゃが……!』

 

『やはり、遠距離では難しいか?』

 

「一理ありますが、近づくのは危険すぎます」

 

 竜人族の一斉ブレスを喰らい、ダメージ一つ無い様子にティオが目を見開き、アドゥルが冷静に近距離戦を視野に入れるが、フリードが接近することの危険性を示唆する。

 

「奴の攻撃手段はあの剣による斬撃のみ。威力は恐ろしいですが、離れていれば見切れない程ではありません」

 

『しかし、フリード殿。このままでは埒が明かないのでは?』

 

「それは分かっておりますが……ん? 奴は何をしている?」

 

 フリードの呟きにティオとアドゥルも騎士人形の様子がおかしいことに気付く。

 どんな攻撃を喰らっても微動だにしなかった騎士人形が前のめりに体を折り曲げている。

 

『何をしている?』

 

『もしや、妾達のブレスが効いていたのかの?』

 

「いや……まさか、そんなはずが……」

 

 不測の事態にどう行動すべきかフリードが悩んでいると、不意に頭を上げた騎士人形の兜のスリット越しに目が合ったような気がした。その瞬間、フリードの脳内に警鐘が鳴り響いた。

 

──バサッ!

 

 まるで鳥が羽ばたいたような音と共に、騎士人形の背に三対六枚の純白の翼が出現した。

 

「「「ッ!?」」」

 

 この瞬間、天空は竜にとっての領域では無くなった。

 騎士人形の姿が掻き消え、次の瞬間には竜人族の部隊の一角に出現した。

 

『避けろ!!』

 

 アドゥルの叫びが部隊の竜人族の耳に届くが、言葉の意味を理解する前に、まとめて三体の竜の首が斬り飛ばされた。

 

『貴様ッ!? よくも!!』

 

「待て、ティオ・クラルス!?」

 

 その光景に激昂したティオが、フリードの静止も聞かずに一目散に騎士人形に接近する。

 闇雲に突っ込んで勝てる相手ではない。まずは態勢を立て直し、陣形を組み直すのがセオリーだろう。

 だが、フリードがティオを止めようとした理由は全く別にあった。

 

()()()()()()!!」

 

『──ッ!? ガァアア!?』

 

 ティオの頭上から迫っていた別の騎士人形が、ティオ目掛けてフランベルジュを振り下ろした。

 先程の竜のように両断こそされていないが、血飛沫を撒き散らしながら地上へ真っ逆さまに落下していく。それを追撃するつもりなのか、騎士人形の一体がその後を追う。

 

「くそッ! 面倒な!」

 

『ティオ!?』

 

 悪態をついたフリードがすぐに後を追う。アドゥルもすぐに追いたい気持ちが湧き上がるが、族長として、ここの指揮を離れるわけにはいかない。

 アドゥルはティオの祖父であると同時に、一族を背負う長でもある。孫娘を助けるために、一族全てを危険に晒すわけにはいかない。

 牙が砕けるのではないかと思うほど歯を食いしばっていると『族長』と言葉を掛けられる。

 

『ここは我らにお任せを! 族長はすぐに姫様を!』

 

『リスタス……お前たち……』

 

 藍色の竜──リスタスを筆頭に、他の竜人族も力強く頷く。敵との力の差が分からない彼らではないだろう。それでも、自分という戦力を送り出すことに迷いを感じているものは一人としていない。

 

『──すぐに戻る。それまで死ぬではないぞ!!』

 

『族長こそ!!』

 

 同胞に背を向け、急降下を始めたアドゥルはウラノスの背に乗るフリードの隣に並ぶ。

 

『フリード殿、ティオを頼む! 奴は私が!!』

 

「ッ! 了解しました! 無茶はせぬよう!!」

 

『ああ!!』

 

 急加速したウラノスとアドゥルはあっという間に騎士人形の背に追いつく。

 

「グォオオオオオオオ!!」

 

 アドゥルがその翼に牙を食い込ませ、騎士人形と空中でもみ合いになる。その隙にウラノスはその隣を通り抜け、”竜化”が解け、真っ逆さまに落下するティオの後を追う。

 

「クッ!?」

 

「クルァアア!!」

 

 何とかギリギリで地面との間に体を滑り込ませ、地面に叩きつけられるのを防いだウラノスが、ガリガリと地面を削りながら着地する。

 

「おい、無事か!?」

 

「フ、フリード殿か? す、まない、不覚を取った……」

 

 ティオの背中は肩から腰にかけて大きく切り裂かれているが、恐らく直前に魔法か何かで背中を防御したのだろう。そうでなければ両断されていてもおかしくなかった。

 そのことに安堵したフリードだったが、突如響いた地響きに肩を揺らした。

 フリードとティオから50m程離れた位置にアドゥルが倒れていた。片翼が斬り落とされ、剣山に揉みくちゃにされたように全身から血が吹き出している。

 その頭を、遅れて舞い降りてきた騎士人形が踏みつけた。

 

「爺様!?」

 

「くそっ!?」

 

 すぐさま、フリードが援護に入ろうとするが、騎士人形がこちらに手を翳した瞬間、光の帯がフリード、ウラノス、ティオの体をその場に縛り付ける。

 

「なッ!? 無詠唱の魔法まで!?」

 

「クルゥウ!」

 

 騎士人形が飛行能力だけでなく、魔法まで使用したことにフリードは驚愕する。

 

「爺様! 爺様!!」

 

 ティオが痛む体を気にすること無く、必死に拘束を解こうとするが、光の帯はビクともしない。

 すると、それを見ていた騎士人形が、まるでティオに見せつけるように、逆手に持ったフランベルジュをゆっくりと持ち上げる。

 

「……待て、お主何をするつもりじゃ……? やめろ……やめてくれ!? 爺様!? 逃げて! 逃げてくれ!!」

 

 アドゥルは必死に体を動かそうとするが、どこにそんな力があるのか、踏みつけられた足はぎりぎりと頭蓋を押しつぶす勢いで力を増していく。

 

『無念……!』

 

「やめろォオオオオオオ!!」

 

 残酷に、無慈悲に……刃はその頭蓋を貫くべく、振り下ろされた。




戦乙女(ヴァルキリー)
 神山を斬り崩すほどの剣を使い、完全不可視化をあっさり破り、限界を二つ超えたガハルドの攻撃を何もせずとも受け止め、竜人族の一斉ブレスを正面から防ぐ盾を持ち、竜をも越える飛行能力を有し、無詠唱で魔法を唱え……

──後編へ続く。


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第四十七話 【神の試練 後編】

「くそっ!」

 

 悪態を付きながらハジメは目の前に迫る光の奔流を避ける。

 突如出現した騎士人形。その一体と相対したハジメは自慢のアーティファクトで応戦するが、その全てがまるで虫を払うように薙ぎ払われる。

 

(こいつ、めちゃくちゃ強え……!)

 

 その強固な守りだけでなく、左手に握るフランベルジュから生み出される斬撃は、ハジメを持ってしても一撃必殺。まともに喰らえばどうなるかは想像に難しくない。

 

(せめて、他に戦える奴が居れば……)

 

 ハジメと騎士人形が戦いを繰り広げる周辺には、すでに他の兵士達の姿はない。これはハジメを置いて逃げたのではなく、ハジメに半ば脅される形で離れるように命令されたためだ。

 

 騎士人形が猛威を振るっているが、それまで相手にしていた魔物が居なくなったわけではない。その対処に戦力を割かなくてはならないという理由もあるが、一番の理由は居ても戦力にならないからだ。

 他の魔物相手ならともかく、コレを相手にするには一般兵では足手まといにしかならない。最悪フレンドリーファイアを起こさないように気を使う必要がある。

 

 敵を倒すどころか死なないようにするので精一杯な状況にハジメが表情を歪めていると、騎士人形の背後から大鎚を振りかぶる兎人族が現れた。

 

「たぁああああ!!」

 

 気合一閃。シアの振り下ろしたドリュッケンが、ゴーーン!! と重低音を辺りに響かせる。流石の騎士人形も背後からの一撃には不意を突かれたのか、僅かにたたらを踏む。

 そのまま跳躍したシアは、ハジメの隣に華麗に着地するのだが、

 

「いっっったぁあああ!? 何ですか、アレ!? 中身鉱物でもぎっちり詰めてるんですか!?」

 

 両手をブルブルと震わせながら悶絶するシア。攻撃した側の方が大きなダメージを受けているのは気の所為ではないだろう。

 

「シア!? 何でここに!?」

 

「ハジメさんレーダーが反応したので!!」

 

「ナイスタイミングだ! ちょうど手を借りたかった!」

 

 ”ハジメさんレーダー”なるものが何なのかは知らないが、前衛が一人いるだけで状況はかなり有利になる。後は奴の隙さえ作れれば……

 シアの存在を視界に入れた騎士人形が、自らの使命に従い、両足に力を込めた瞬間──

 

「貴様、我らがボスに狼藉を働くとはいい度胸だ」

 

 まるで耳元で囁くような声が聞こえた瞬間、兜のスリットに短剣が突き刺さった。

 一瞬でそれをやってのけた兎人族の男がその場を離れた瞬間、戦場の煙塵に紛れて、ナイフや銃弾の雨が騎士人形に襲いかかった。

 

「今です、ボス!!」

 

「百点満点だ、カム!!」

 

 最初にナイフを突き刺した兎人族──カムが声を張り上げると同時に、ハジメがその横を通り過ぎる。その後ろを即座にシアが追う。

 戦塵で気配を殺して機会を伺っていたハウリア族の攻撃は、的確に鎧で守ることが出来ない脇や膝裏などの関節部を的確に撃ち抜いていく。

 

 意識がハウリア族に向いている騎士人形の頭部に張り付いたハジメは、零距離でドンナー・シュラークを構える。

 

「くらえ!!」

 

 響く二つの炸裂音。しかし、ハジメの卓越した早撃ちにより撃ち出される弾丸は合計十二発。最早銃撃とは思えない爆音を響かせた後、騎士人形の兜が弾け飛んだ。

 顕になるのは西洋を連想させるような容貌の美女。シミ一つ無い白い肌と金色に輝く長髪は見るもの全てを虜にする魔性を秘めているが、右目にナイフが突き刺さっていながら、瞼を閉じることもせず、一切動じる様子がないのは最早ホラーと言えるだろう。

 

「ぶっ潰せ! シア!!」

 

 反動で自らも吹き飛びながら、ハジメは自分を足場に跳躍したシアに止めを託す。

 

「貰ったですぅううう!!」

 

 兜を吹き飛ばされ生身を晒した頭部に、超重量の大鎚が迫る。誰もが勝利を確信した。その頭がトマトのように潰れる未来を想像した。

 

──シアだけが気付いた。女性の口が言葉を発したのを。

 

『魔烈』

 

 瞬間、騎士人形を中心に魔力の大爆発が起こった。

 声を出す余裕もない。誰もがその身を襲う衝撃にあっさりと吹き飛ばされ、意識を飛ばしていく。

 

 どれだけ経っただろうか。永遠にも感じられた災厄がようやく収まり、瓦礫を押しのけながらハジメが辺りを見回す。

 

「──ぐっ! 何でこいつがアルディアスの……! お前ら!?」

 

 目の前に広がっていたのはまさに地獄絵図だった。大地はめくれ上がり、砦は跡形もなく吹き飛んでいる。カムを始めとしたハウリア族は地面に横たわったままピクリとも動かない。

 

「ッ! そうだ、シア! どこだ! シア!!」

 

 その光景に言葉を失ったハジメはすぐにシアの存在を思い出した。奴が魔法を発動した瞬間、一番近くに居たのはシアだ。ハジメは激痛が走る身体に鞭を打ってシアを必死に探す。

 

 そして、見つけた……血溜まりに沈む、最愛の姿を。

 

「シ……ア?」

 

 ハジメの脳裏に最悪の可能性が過る。

 

「ッ!?──シア!? シアぁああ!!」

 

 しかし、その考えを振り払い、ハジメはシアの元に駆ける。

 すぐにシアを抱き上げ、容態を確認する。

 

(……大丈夫だ! まだ生きてる!! まだ間に合う!!)

 

 出血は酷いが、まだ微かに息がある。これなら神水を使えば間に合う。

 

「シア! 聞こえるか! 神水だ! しんどいだろうが、早くこいつを……!?」

 

 慌てて神水をシアに飲ませようとしたハジメだったが、背後に気配を感じてシアを背に庇いながら振り返る。

 

 そこにはこちらに掌を向けて佇む騎士人形の姿があった。その掌には、今にも炸裂しそうなほどまで練り上げられた魔力が渦巻く。それをどうするつもりなのかは想像に難しくないだろう。

 

「何だよ……! 邪魔すんじゃねぇよ! クソ野郎!!」

 

 ハジメの叫びも虚しく、凝縮された魔力がひときわ眩い閃光を放った。

 

 

 ◇

 

 

『極大・黒玉』

 

 ミレディの掌から生み出された直径5mほどの重力弾が、地面を抉りながら騎士人形に迫るが、振り上げたフランベルジュの一閃が容易く重力弾を両断する。

 それを確認したミレディは、すぐさま追撃の魔法を放とうとするが、背後から感じた魔力に攻撃を中断し、重力魔法で急上昇する。一瞬遅れ、ミレディの居た場所に白銀の閃光が降り注いだ。

 

「ホント、厄介だなぁ……!」

 

 上空に飛び上がったミレディの後を追い、その背に翼を生やして飛翔する()()の騎士人形。

 地上に降り注いだ蕾は、まるで狙ったかのようにミレディの周囲に降り注いだ。

 自らの重力弾を斬り捨てるほどの剣術に、竜すら超えるような飛行能力。更にその身に纏う魔力は自分に勝るとも劣らない。

 それが五体。しかも、息が合うなんて言葉では言い表せないレベルの連携に、ミレディも完全に防戦一方に追いやられていた。

 

「それなら、まとめて消し飛ばす!!」

 

『絶禍』

 

 五体の騎士人形の中心に生まれた重力球が周囲のもの全てを吸い込み始める。しかし、騎士人形は僅かに身体を引っ張られただけで、それ以上引き付けることことができない。それでもその場に拘束することは出来た。

 

『全天・星落とし』

 

 ”蒼天”、”天灼”、”神威”。三つの上級魔法を圧縮した流星が天より降り注ぐ。対象を確実に死に至らしめる天災の大雨を視界に入れた騎士人形は一斉に剣を掲げ、言葉を発した。

 

『蒼天』『氾禍浪』『天灼』『砲皇』『神威』

 

 炎、水、雷、風、光。五つの属性の上級魔法が流星と衝突し、周囲に轟音が響き渡る。

 

「くっ!?」

 

 一見、互角に思われていた衝突だが、次第にミレディが押され始める。発動した魔法のレベルはミレディの方が上だが、一人で上級魔法を三つ組み合わせたミレディと、それぞれが単一属性の上級魔法を発動した騎士人形では、質も量も完全に後者が上だ。

 

ゴォガァアアア!!

 

 そのままミレディが呑み込まれると思われた瞬間、凄まじい轟音と共に、騎士人形の一体に突如現れた蒼い炎を纏った龍が喰らいついた。更に続くように、雷、氷、風、土の属性を持った龍が、魔法を放つ騎士人形をそれぞれ呑み込んでいく。

 

 その様子をポカーンと見つめていたミレディの隣に、目の前の現象を起こした元凶の吸血姫──アレーティアが並んだ。

 

「ミレディ、無事?」

 

「アレーティアちゃん! いやぁ、助かったよ。ちょっと面倒くさくてさぁ。いつだってミレディちゃんが人気者なのはしょうがないけど、節度は守ってほしいよねぇ」

 

 おどけた態度で返すミレディだったが、内心ではアレーティアという頼りになりすぎる助っ人の登場にほっと安堵の息を吐いていた。

 二体五という、数ではまだ不利な状況が続いているが、数以上の価値がアレーティアにはある。

 

「まだまだ余裕?」

 

「そりゃそうだよ! あんな人形にミレディさんがやられるわけ無いって!!」

 

「そう……なら()()()()()()()()

 

「……ん?」

 

 手を貸して欲しい? 手を貸してくれるのではなくて?

 違和感を感じたミレディがアレーティアに問いかける前に、それは彼女達の前に現れた。

 

 ミレディを追い詰めた騎士人形と同個体が五体。さらに喰らいつく龍を斬り払い、悠々と浮かび上がってくる騎士人形が五体。合計十体。

 ”五天龍”を喰らい、鎧の一部が融解や崩壊してる様子はあるが、それも瞬く間に修復されていく。

 

「……アレーティアちゃん? ミレディさんを助けに来てくれたんじゃ?」

 

「私一人じゃ攻めきれなくて……手を貸してもらおうかと思ってた。そうしたら……こうなった」

 

 小さく「ごめん」と呟くアレーティアにミレディはあんぐりと口を開ける。

 司令部からの伝達で、地上に降り注いだ増援の騎士は総勢十七体。その内の半数以上の十体に及ぶ戦力ががここに集っていることになるが、それだけミレディとアレーティアを有力視しているのか、それとも他に必要ないと判断してのことなのか……

 

「ま、まあ、どのみちやるしかないかぁ。アレーティアちゃん、まだまだいけるよね?」

 

「もちろん……!」

 

 力強く頷いたアレーティアを合図にして、二人の小さな少女から膨大な魔力が吹き荒れる。

 こちとら何千年と生き続ける解放者と先祖返りの吸血鬼の姫だ。あんな人形如きに負けるほどヤワじゃない。

 

((一体一体、確実に潰していく!!))

 

 しかし、二人は知らない。彼女らは目の前の騎士人形を、エヒトの創り出した神の使徒と同類の存在と見ているが、それは違う。オリジナルよりは劣るものの、目の前の騎士はシュパースの記憶と力を受け継いだ意志のある生き物だ。

 命令をただ忠実に実行するのではなく、状況を正しく判断し、常に最善の行動を堅実かつ、柔軟に対応できる知能を有している。ミレディとアレーティアに五体ずつで当たっていたのも、シュパースからの命令ではなく、それが最善と判断したからだ。

 

 そして、何よりも騎士達は、シュパースの記憶を一部の誤差もなく受け継いでいる。つまり、あくまで騎士達の目的は彼女らの進化だ。

 故に判断する。今の彼女らに必要なのは、小手先だけの小細工でもなく、数に頼った連携でもない。

 通常の方法ならば覆すことの出来ない、圧倒的な力の差を見せつけることだと。

 

接続開始(コネクト)

 

 騎士人形の意識が、世界という自身の創作物の因果に干渉する。

 

読取完了(ダウンロード)

 

 そこに存在する情報を読み取り、自らの領域に書き加えていく。

 

上書終了(インストール)

 

 加えられた情報を自らの肉体に合わせて再構築・最適化していく。

 

 

 そして顕現するは、裏切りの魔龍。

 

『五天龍』

 

「なッ!?」

 

「あれはアレーティアちゃんの!?」

 

 蒼炎が尽くを焦がし、雷鳴が周囲に轟き、嵐が地上に吹き荒れ、冷気が大気を凍りつかせ、砂塵が空を覆う。

 五体の龍がその顎をミレディとアレーティアに向ける。紛うことなき、アレーティアのオリジナル魔法”五天龍”そのものだった。

 

「まさか、さっきのを見ただけで模倣した!?」

 

 驚愕に目を見開くアレーティアだったが、彼女は忘れている。ここに居る騎士人形は一体ではないのだと。

 

『五天龍』  『五天龍』  『五天龍』  『五天龍』  『五天龍』  『五天龍』  『五天龍』  『五天龍』  『五天龍』

 

「…………う、そ……」

 

「はは、は……流石のミレディさんもこれは……」

 

 二人の少女の目に映るは、今にも襲いかからんと唸りを上げる、五十体にも及ぶ、色鮮やかな龍の大群。

 一体一体に込められた魔力は、オリジナルに勝るとも劣らない。それが同属性同士で干渉、増幅していく。

 

『進化を』

 

 騎士人形の一体が言葉を発する。

 この二人は他の人類とは違う。この二人ならば乗り越えられるかもしれない。立てるかもしれない。私達の求める領域へと。

 

『足掻け』  『掴め』  『求めろ』  『超えろ』  『叫べ』  『望め』  『見せろ』  『選べ』  『踏み出せ』  『希望を』   

 

 期待する。期待する。期待する。期待する。期待する。期待する。期待する。期待する。期待する。期待する。

 

──故に、乗り越えてみせろ。

 

 善意の塊で構成された絶望が、少女達に襲いかかった。

 

 

 ◇

 

 

「「ハァアアア!!」」

 

 光輝と雫の一閃が同時に騎士人形に襲いかかるが、構えたラウンドシールドであっさり防がれる。

 

「くそっ!」

 

「何なのこいつ!?」

 

「雫! 来るぞ!!」

 

「ッ!?」

 

 全くこちらの攻撃が通らない状況に悪態をついていると、騎士人形がその左手に持つフランベルジュを振りかぶる。その体勢にまたあの斬撃がくると判断した光輝と雫はその場を離れようと足の力を込める。

 その瞬間、それが分かっていたかのように、騎士人形は大きく足を地面に踏み降ろした。それだけで大地に亀裂が奔り、立ってられないほどの揺れが二人を襲う。

 

「ッ!?」

 

「雫!?」

 

 その場から既に跳び上がっていた光輝は何とか免れたが、雫はその揺れに足を取られ、バランスを崩してしまう。

 その隙を見逃すほど、目の前の騎士人形は甘くない。膝をつく雫にフランベルジュの長大な刀身が振り下ろされた。

 

「うぉおおおお!!」

 

 しかし、刃が雫を両断する寸前に、龍太郎の一撃が騎士人形の肘を捉え、斬撃の軌道が逸れる。

 

「くっ!?」

 

「ぐあ!?」

 

 しかし、直撃は免れても、その衝撃は計りしれず、雫と龍太郎はあっさりと余波で吹き飛ばされる。

 

「雫ちゃん! 龍太郎君!」

 

 そんな彼らの様子に香織が悲痛な叫び声を上げる。

 傷付いた友人の姿に今すぐにでも駆け寄りたい気持ちが湧き上がるが、後ろに居る鈴と恵里を置いてここを離れるわけにはいかない。

 

「そこをどきな!!」

 

 カトレアの警告を聞き、光輝がすぐに後ろに後退する。

 

『落牢』

 

 カトレアの掲げた手に出現した灰色に渦巻く球体が、放物線を描いて騎士人形に衝突し、灰色の煙が騎士人形を呑み込んだ。

 

「……クソッ!?」

 

 その様子を固唾をのんで睨みつけていたカトレアだったが、何事も無かったように煙から姿を現す騎士人形に悪態をつく。

 

(少しくらい効く素振りを見せろっての!? どうする!? どうするどうするどうする!?)

 

 必死にこの状況を脱却する方法を模索し続けるが、本能が訴えかけてくる。

 

 無理だ。勝てない。逃げろ、と。

 

 だが、既に狙いを定められている以上、簡単に背を向けることも出来ない。何よりも……

 カトレアはチラッと自身の背後に目を向ける。そこには親友を失った鈴が恵里の身体を抱きしめたまま涙を流し続ける姿。

 

(遺体を置いて逃げる……なんてこと出来そうにないね)

 

 戦場で仲間が死ぬことなど珍しくもない。遺体の回収が出来ないこともザラだ。無理に持ち帰ろうとして、二次被害を受けるわけにはいかないからだ。

 しかし、戦場での常識を知らない彼女達にはそれが受け入れられないだろう。半ばパニックになっている現状では下手に強要もさせれない。

 

(この二人の護衛に、補助役。後退の指揮を取る奴に殿(しんがり)……ダメだ、数が足りない!!)

 

 戦闘中に撤退をするというのは言うほど簡単なことではない。味方のいる陣営までの道を先導する者や、負傷者のサポートを行う者。さらには追撃を仕掛けてくる敵の対処も含まれる。

 カトレアの魔物も、今は恵里の呼び出した魔物の対処に当てていたため、周囲に散らばってしまっている。

 手札が確実に足りない現状にカトレアが焦燥を募らせていると、不意に記憶にある声が聞こえた。

 

「お前ら! 無事か!!」

 

「メルドさん!?」

 

「アイツは確か……」

 

 光輝達の教育係にして、王国騎士団団長、メルド・ロギンス。彼が現れると同時に、部下の騎士団団員達が騎士人形の注意を引くために牽制の攻撃を加え始める。

 

「メルドさん、何でここに!?」

 

「重吾達からお前らがこっちに居ると聞いた! それで……」

 

 光輝の疑問に答えたメルドがチラリと恵里と鈴の姿を捉える。それだけで彼らの悲痛な様子の理由を察したようだ。

 

「……お前達、本陣まで撤退しろ、ここは俺達が受け持つ」

 

「メルドさん……!」

 

「そんな顔をするな、大丈夫だ、後で追いつく」

 

「──ッ!?」

 

 メルドと騎士団団員の表情に、光輝は唇を噛みしめる。アレ相手に時間を稼ぎつつ、逃げる余裕を見い出せるとは思えない。彼らは……ここで死ぬつもりだ。

 

「カトレア殿、彼らを頼めるか?」

 

「……フン、アタシはアタシのやることをやるだけさ」

 

「感謝する……さあ、光輝、お前が先導するんだ。本陣で一度体勢を立て直して──」

 

「嫌です」

 

「なっ!?」

 

 彼らの覚悟を感じ取ったカトレアが遠回しに了承するのを確認した後、光輝に最後の指示を出したメルドだったが、間髪入れずに光輝が拒否した。

 

「ワガママを言うな! このままここに居たら全滅だ! 突然の新手の出現に全軍が動揺している! 一度退いて機を伺うんだ!! お前達の力はその時必ず必要になる!!」

 

「それを言うならメルドさんも同じです。神の使徒(俺達)の声はかつて程人間族に浸透しません。長年騎士団団長として国を守り続けたメルドさんこそ今の状況に必要な存在です!」

 

「それは……!」

 

 ただの正義感から来るワガママかと思っていたメルドだったが、確信を突いてくる光輝に思わず言葉に詰まってしまう。

 光輝達は異端認定こそ誤りであったことが国中に通達されているが、時期が時期であったため、以前までのカリスマ性は失われてしまっている。反面、メルドは異端認定された神の使徒の教育係という立場から、教会の人間からは疎まれていたが、意外にも国民からはそこまでの批難を向けられることはなかった。

 長年、騎士団団長としての実績と、飾らないその性格が幸いして、被害者として見られることが多かったのだ。

 

「動揺する彼らに必要なのは、俺という子供なんかじゃありません! 彼らを支えることができる柱である貴方だけです!!」

 

「……しかし、お前達を置いていくわけには……!」

 

「いえ、ここに残るのは俺一人だけです」

 

「ッ!? お前まさか!?」

 

「光輝!?」

 

「おい、光輝!!」

 

「光輝君……?」

 

「アンタ……」

 

 光輝の言葉に、メルドが、雫が、龍太郎が、香織が、カトレアが目を見開いて驚きを顕にする。

 そんな彼らを尻目に、光輝は彼らに背を向け、騎士人形に聖剣を向ける。

 

「あいつは、俺が一人で相手をします!」

 

 光輝の意志の強さを現すように、聖剣がキラリと輝いた。

 世界に拒絶された勇者が、今再び立ち上がる。




戦乙女(ヴァルキリー)

 シュパースの記憶から、アルディアスの魔法を再現し、さらに“五天龍“×10とか頭おかしいことする。“五天龍“改め、“五十天龍“。

>勇者 天之川光輝

 ……おや!? 勇者(仮)の 様子が……!


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第四十八話 【勇者の名は】

「馬鹿言ってんじゃないわよ!!」

 

 雫の怒号が光輝の背中に叩きつけられる。

 

「皆で掛かっても敵わなかったのよ!? 一人でどうにか出来るわけ無いじゃない!?」

 

「てめぇ、光輝!! 俺にダチを置いて逃げろって言ってんのか!?」

 

「嫌だよ!? 光輝君まで居なくなったら……!?」

 

 続くように龍太郎、香織が声を荒げる。声にこそ出せなかったが、鈴もその顔に怯えの表情を浮かべている。

 彼らはついさっき友人を失ったばかりなのだ。そんな状況でここに一人残ることの意味を彼らが理解していないわけがない。

 光輝は自分達を逃がすために、死ぬつもりなのだと。

 

「この中で一番強いのは俺だ。その俺が残って殿を務めるのは別に不思議なことじゃないだろう?」

 

 そんな彼らに対して、光輝は振り返ることなく、淡々と告げる。話すときは必ず相手の顔を見て話す光輝には珍しく、その声色には冷たさすら垣間見える。

 

「そんなことで認められるわけないでしょ!? 光輝が残るなら私も──」

 

「いいからさっさと逃げろよ!!」

 

「「「ッ!?」」」

 

 光輝の口から発せられた怒号に、思わず雫達の肩がビクリと跳ねる。

 普段から穏やかな口調の光輝から初めて聞く、荒々しい口調に、彼らは先程までの怒りも忘れ、呆然と光輝の背中を見つめる。

 その光輝がゆっくりとこちらを振り向く。その表情を見て、再び雫達は言葉を失った。

 

 

 

 光輝が、泣いていた。

 

 

 

 ボロボロと、流れる雫を拭うこともせず、頬を伝って地面に落ちる。

 幼い時からずっと一緒だった。いろんな姿を見てきたが、一貫して泣いている姿を見たことはなかった。

 例え、クラスメイトから罵倒されても、和解することが出来ても、涙を見せる資格すら無いと言わんばかりに弱い姿を見せることがなかった光輝が、人目を憚らず、涙を流している。

 

「……助けられなかった。また、俺は間違えた。間違えたんだよ。結局、何も変わっていなかった。俺はただのガキのままだった……!」

 

 間違いなく、恵里のことを言っているのだろう。

 違う。光輝のせいじゃない。あれは私達みんなの責任だ。光輝が一人で背負うものじゃない。

 そう言い返したいのに、何故か言葉が喉に詰まって、乾いた吐息しか出てこない。

 

「もう、失いたくないんだよ!! 誰かが死ぬのは見たくないんだ! 勇者だとか立場だとかそんなことは関係ない! 俺が! そうしたいんだ!! だから! お願いだから……!」

 

 光輝の言葉に四人が呆然としている間に、光輝はメルドに視線を向けた。

 

「──ッ!!」

 

 一瞬躊躇う様子を見せたものの、剣を鞘に収め、近場に居た雫の身体を脇に抱えて走り出した。

 

「全隊!! 光輝を殿として前線より撤退する!!」

 

「メルドさん!? 離して!?」

 

「きゃっ!? ま、待ってください!」

 

 メルドの号令を合図に騎士団員が香織、鈴、恵里の体を持ち上げ、メルドの後を追って走り出す。彼女らも必死に止めるように叫ぶが、表情を歪めながらも、騎士団員達は一切腕を緩めることはしない。

 

「光輝……!?」

 

 しかし、騎士団員では抱えることが出来ない龍太郎は騎士団員に身体を引っ張られながらも必死に抵抗する。そんな龍太郎の肩にカトレアが手を乗せる。

 

「男の覚悟を無駄にする気かい?」

 

「ッ!?」

 

 龍太郎の抵抗が弱まった隙に一気に身体を引っ張る。

 遠ざかっていく光輝の背中を見つめていた龍太郎が、不意に振り返った光輝と目が合う。

 

(みんなを頼む、親友)

 

 既に声が届く距離ではない。それでも龍太郎には光輝の言葉がハッキリと伝わった。

 

「ううううう!? くそぉおおおお!!」

 

 龍太郎の叫びが轟いたが、それも次第に光輝の耳には聞こえなくっていった。

 

「行ってくれたか……悪いな待たせて」

 

 何故か手を出さずに、こちら観察するように見つめていた騎士人形に語りかけると、それを合図にフランベルジュを構え、騎士人形が突っ込んできた。

 その一撃に対して聖剣に光を纏い、迎え撃つ。

 絶死の一撃に対して、斜めから逸らすような斬撃をぶつける。

 

「ぐぅうう!」

 

 正面から受けることはしない。そんなことをすれば、防御ごと叩き潰されるだけだ。

 しかし、騎士人形も何度も同じ戦法が通じるほど、無能ではない。

 空振った一撃の威力を殺さぬように身体を回転させた連撃が光輝の胴を分断するべく迫る。

 その薙ぎ払いを身体を地面スレスレまで下げることで躱す。

 そのまま身体を持ち上げる勢いを利用し、聖剣を振り上げる。

 

「”天昇閃・八翼”!」

 

 孤を描くように振られた一撃が騎士人形に迫るが、難なくラウンドシールドで防がれる。

 その瞬間に感じた殺気に、光輝は聖剣を盾のように構える。

 僅かに遅れて、ラウンドシールドが光輝の身体を大きく突き飛ばした。

 

「はあ、はあ、はあ……」

 

 僅か十秒にも満たない攻防。それだけのはずなのに、すでに光輝の額には溢れんばかりの汗が流れ、身体は恐怖でガクガクと震える。それでもその恐怖を無理矢理押さえつけて、光輝は叫ぶ。

 

「”限界突破・覇潰”!!」

 

 光輝の身体から凄まじい光が溢れ出し、天に届くかと思うほどの竜巻となって顕現した。光の奔流が光輝の身体へと収束すると同時に光輝は騎士人形に踏み込んだ。

 

「ハァアアアアアッ!!」

 

 元々ハジメのアーティファクトで”限界突破”を発動していた状態ではあった。現時点での副作用は無くとも、それは肉体の限界を超える諸刃の剣であることに変わりはない。その状態から更に限界を超えた光輝の肉体は悲鳴を上げ、激痛が襲いかかるが、光輝は止まることをしない。

 

「アアアアアアアッ!!」

 

 既に光輝の中には剣技や型などといった八重樫流の技は感じられない。理性を飛ばし、本能のままに斬りかかる剣鬼。

 

──右から左への水平斬り。

 

──左手に持ち替えて、右下への斬り返し。

 

──身体を捻り、左上への斬り上げ。

 

──頭上から振り下ろす兜割り。

 

 どれも普通なら必殺に当たる一撃も、騎士人形は何気なく防いでいく。

 その胸中は、ただただ目の前の少年に対する失望だった。意志の宿らない剣技など恐れるに足らない。人類と獣の違いは理性があるかないかだ。

 目の前の少年は理性を放棄した、ただの獣だ。これ以上見る価値は無い。

 

 そう判断した騎士人形が試しを終わらせようと左手に握るフランベルジュを握り締めた瞬間、それは起こった。

 

 鎧に叩きつけられた一撃が、キィンと甲高い音を響かせ、鎧に一筋の傷を刻んだ。

 

 その事実に騎士人形は僅かに目を見開いた。

 この少年の実力は十分理解した。その剣に自らを傷つけるほどの力は宿っていなかったはず。

 疑問に思いながらも、今も猛攻を仕掛けてくる光輝を注視していると、すぐにその原因に気付いた。

 

 聖剣から力が光輝に流れている。光輝が聖剣の力を引き出しているのではない。まるで、聖剣が光輝に力を貸しているような……

 

 同時に光輝も不思議な全能感に戸惑っていた。

 

(何だ? 聖剣から力が流れてくる?)

 

 ”限界突破”終の派生技能[+覇潰]を発動した光輝はただ目の前の脅威を排除するべく、半ば暴走状態に陥っていた。だが、聖剣から流れてくる力で我を取り戻し、それどころか更に力が湧き上がってくるのを直に感じた。

 

(俺に力を貸してくれるのか?)

 

 光輝の問いかけに、肯定するかのように刀身が光り輝く。

 

「ありがとう……でも、()()()()()()()()()()()

 

 これじゃ駄目だ。この程度じゃまだ足りない。もっと、もっとだ。もっと力をくれ。俺に皆を守るだけの力を……!

 

 光輝の願いに反して、聖剣はまるで拒むようにブルブルと震える。

 それだけで光輝は気付いた。この聖剣には自我がある。力を与えるのを拒むのも、これ以上力を注げば光輝の身体が保たないことに気付いているからだろう。

 でも、それがどうした。恵里を失った。それだけじゃ無く、今度は香織や雫、鈴や龍太郎達まで危険に晒されている。そんなの認められるか。

 

(俺はここで終わっても良い!! だけど……みんなだけは……これ以上仲間を失うことだけは……!!)

 

「俺の全部をやる!! だから、お前の全てを俺に貸してくれ!!」

 

 光輝が聖剣を掲げると、今まで以上の光の奔流が聖剣に収束していく。

 騎士人形の薙ぎ払いを跳んで躱し、落下の勢いに任せ、巨大な刀身へと成った光剣を全身の力を込めて振り下ろす。

 

 光輝の人生に置いて、間違いなく最高・最強の一撃。聖剣から力を譲渡されることで、一時的にハジメすら超えた力を得た光輝の渾身の一撃は、騎士人形の脳天に振り下ろされ──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………え?」

 

 気付けば、光輝は床に這いつくばっていた。

 

「……ぐぅっ!!」

 

 訳も分からずに呆然としていると、胸に激痛が走った。光輝の右肩から左の腰にかけてざっくりと斬り裂かれ、鎧の隙間からドクドクと血が流れている。

 痛みに表情を歪めながらも、顔を持ち上げると、聖剣の剣先を摘んだ騎士人形の姿があった。

 

 光輝がされたことは単純明快。振り下ろした聖剣を摘んで受け止め、カウンターをくらった。ただそれだけだ。

 確かに光輝は限界を超え、一瞬とは言え、ハジメを超すほどの力を身に着けた。

 

 だが、騎士人形は光輝の変化の代償を正確に把握していた。確かに光輝は文字通り限界を超えた。

 しかし、それは一瞬の閃き。未来を犠牲にした、数秒の昇華。あのまま戦い続けていれば、この少年は、勝手に命を落としていただろう。そんなものはシュパースの求める進化ではない。

 人類の未来へと繋がってこその進化であって、未来を閉ざす進化など認められない。それは排すべき現象だ。

 

 騎士人形がフランベルジュを振りかぶる。力を使い切った光輝にはもう刃を受け流す力も残っていない。

 

「あっ」

 

 死んだ。まるで他人事のようにそう思った瞬間、光輝の脳裏をこれまでの記憶が巡り始める。

 

 ”走馬灯”──一節によると、危機的な死に直面した状況で、助かる方法を模索するために一斉に記憶が蘇る現象。

 

 その中で光輝の脳裏に強く浮かび上がった記憶は、幼なじみとの思い出でもなく、祖父や家族との思い出でもない。

 

 一人の”王”との会話の記憶だった。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「……で? 俺に何の用だ、クソガキ」

 

「お、俺の名前は天之河光輝です」

 

「フン、自分の責任も満足に取れないで引きこもってる奴など、クソガキで十分だ」

 

「──ッ!!」

 

 アルディアスの辛辣な言葉に光輝は顔を俯くだけで反論することが出来ない。

 その通りだ。勝手に戦争に手を貸したくせに、誰の役にも立てず、それどころかみんなを危険に晒した。弁解の余地もない。

 

 俯いたまま黙り込んでしまった光輝をじっと見つめていたアルディアスだったが、埒が明かないと思ったのか背を向けて歩き出す。

 

「あっ! あの!?」

 

「いいから黙ってついてこい」

 

 そのままスタスタと歩いていってしまったアルディアスに呆然としていた光輝だったが、慌ててその背を追いかけ始めた。

 

 

 

 沈黙が続く中、アルディアス達が辿り着いたのは、王都が見下ろせる高台の上。ここからだと、決戦に向けて慌ただしく動き回る王都の民の姿がよく見える。

 

「まだ俺に対して良い感情を持っていない人間族は多いからな。ここならこの時間は人も滅多に来ないだろう」

 

「……」

 

 てっきり面倒に思われていると思っていたのだが、わざわざ場所を変えてまで話を聞こうとしてくれる姿に意外そうに目を丸くする。

 

「何だその目は。お前から来たんだろうが。さっさと要件を話せ」

 

「え? あ、そ、その……」

 

 アルディアスの催促に、光輝は俯き、吃りながらも、ゆっくりと言葉を口にする。

 

「俺は……どうしたらいいんでしょうか」

 

「はあ?」

 

 意味の分からない問いかけにアルディアスは首を傾げる。

 

「俺は、ずっと正しくあろうとしてきました。弱きを助け強きを挫く。力を持つ者として当然のことだと」

 

 それは最早、相談という体の独白だった。

 クラスメイトを助けたかった。王国の人を助けたかった。みんなに笑顔になってほしかった。それだけが光輝の願いだった。

 だが、その気持ちに反して、光輝のせいで多くの人の笑顔が曇ってしまった。クラスメイトを命の危機に晒してしまった。

 なら、初めから戦争に参加するなんて言わなければよかったのか? でもそれは、この世界の人達を見捨てるということで……

 

「俺は、どうしたら良かったんでしょうか……」

 

 全てを語り終えた後、光輝は俯いたまま、チラリと視線をアルディアスに向ける。

 いきなりこんな個人的な相談を、それも敵だった人物にされて、さぞ迷惑に感じているのではないか? と、ビクビクとしていると、当のアルディアスは心底呆れたようにジト目を光輝に送っていた。

 

「……」

 

「え、えっと……」

 

 思っていた反応と違う様子に光輝が困惑すると、アルディアスが大きくため息をついた。

 

「何を言い出すのかと思えば、そんな話か」

 

「そんな話って……俺は真剣に悩んで……」

 

 自分の悩みをそんなあっさりと返され、むっとする光輝だったが、アルディアスの鋭い眼光に声が萎んでいく。

 

「二日前、俺の前に現れたシュパースがこう言っていた。『民を守りたい。同胞を救いたい。それらは欲望という人の薄暗い業から生まれたもの』だと」

 

「ッ!? そんなことは!?」

 

 光輝は直接シュパースと会ったわけではない。かの神にどんな思惑があるのかは知る由もない。だが、その言葉はとても認められるものではなかった。

 

 決戦の日に備えて、王国でも魔人族の姿を見ることが多くなった。正教教会から聞いていた魔物の上位種などではなく、人間と同じ、心のある生き物なんだと改めて認識させられた。

 その中で、直接関わることが無くとも魔人族の人達からアルディアスの名が出ることは珍しいことではなかった。

 光輝の目から見ても、彼らは心の底からアルディアスのことを慕っていることが伝わってきた。

 

『相手がどんな存在だろうとも、アルディアス様がいれば大丈夫』

 

『私達は少しでもあの方の負担を減らせるように自らのやるべきことをやるだけだ』

 

 彼らは心の底からアルディアスという王を信じている。それは正に、光輝の理想とする強者の形そのものだった。それが欲望から生まれたものなわけがない。

 

「何を怒っている。奴の言葉は間違っていない。俺の今までは、所詮俺個人の願望を実現させてきただけに過ぎない」

 

「なっ!?」

 

 だが、それをアルディアス本人に容認されたことで、光輝は目を見開く。

 

「な、何故ですか!? 貴方のおかげで魔人族の人達は……!」

 

 世界の神が相手と思えば、誰しもが絶望に表情を暗くするだろう。だが、魔人族の人達は誰一人として、そんな表情を浮かべていない。

 彼らがそんな表情で居られるのは貴方のおかげだろう。胸を張れる素晴らしいことのはずだ。それが間違っているというなら、一体何が正解なのか……!

 そんな葛藤を抱く光輝だったが、アルディアスは何でも無いように告げる。

 

「だが、それの何が悪い」

 

「……え?」

 

「俺のやってきたことが薄暗い業から来るものだったとして、それの何が悪いんだ?」

 

 結果的に多くの者が救えるのなら、同じことだろう。

 

 アルディアスの考えに光輝は唖然としたまま固まる。

 光輝にとって、手段は何よりも重要なものだった。どんな理由があれど、卑怯な手段を使うのは悪だ。そう考えていた。だが、アルディアスはそんなことを気になどしない。

 

「俺の目的は魔国の繁栄。命の危機が訪れることのない平和な世の中だ。それを実現するためならば、悪魔と呼ばれようが構わない。そもそも、他者からの評価にいちいち左右されるな。重要なのは何が正しいかではない。お前が何をしたいのか、だ」

 

「俺が、何をしたいのか……?」

 

「所詮人が一人で出来ることなど高が知れている。人は弱く脆い生き物なのだから。だからこそ、俺達は力を合わせるんだ。俺には俺を支えてくれている家族や仲間がいる。お前はどうだ?」

 

「俺は……」

 

 思い浮かべるのは、今もこんな自分に声をかけ続けてくれる幼なじみや親友の姿。

 もし、俺がこの現実から逃げたら彼女らはどうするのだろうか。怒るだろうか、泣くのだろうか。いや、それ以前に、きっと俺が居なくても戦い続けるんだろう。俺と違って、みんなは強いから。

 

 でも、その戦いで誰かが死ぬことになったら? それを遠く離れた地で知ることになったら? 

 駄目だ。それだけは耐えられない。みんなが死ぬことだけはあってはならない。

 

「それが正しかったどうかなど、見ている者の価値観に過ぎない。俺とて、誰かに望まれたからやってきたわけではない。誰でもない、俺が俺自身で決めたことだ。お前の求める答えは、お前にしか辿り着けない」

 

「俺にしか、辿り着けない……」

 

「辿り着いた答えが馬鹿みたいな答えだったときは、俺が根底からへし折ってやろう」

 

──だから、その時が来たら()()()()()()()()()()

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「知るかァアアアアア!!」

 

「ッ!?」

 

 痛む体を投げ出し、光輝は騎士人形に体当たりをかました。突然の行動に光輝の命を奪うはずだった一撃が光輝の髪を掠める。

 そのまま騎士人形に組み付き、必死に押し出そうとする。そこには何の企みもない。ただの無謀な突撃。我武者羅な一撃。ダメージなど一切無い。

 それでも、本能のままに光輝は一歩を踏み出した。

 

「答えなんか分かるわけないだろ!? ついこの前まで普通の学生だったんだぞ!!」

 

 死と隣合わせの世界とは無縁の世界だったんだ。俺は貴方みたいな立派な王様でもないし、実力も覚悟も比べるまでもない。貴方が満足できる答えなんて出せる自信なんかない。それでも……それでも……

 

「憧れたんだ! 貴方のような生き様に! その背中に!!」

 

 開戦と同時にシュパースの攻撃を全て叩き落とした姿。その背中が、光輝という人間を形作るキッカケとなった祖父の背中と重なった。あんな風になりたいと本気で思った。

 

「でも、結局俺は女の子一人救えない!! ちっぽけな存在なんだ!!」

 

 それでも……それでも……

 光輝の脳裏に香織、雫、鈴、龍太郎。そして、今も戦い続けてくれているクラスメイトの姿が浮かび上がる。

 

「世界も救えない! 恵里も救えない! それでも、みんなだけは! 友達だけでも救ってみせる!! 今度こそ! 絶対に!! 俺の……天之河光輝(俺のこれまでの人生)の全てをかけて!!」

 

 これだけは譲れない! 絶対譲ってなるものか!!

 

「絶対に!! 守るんだァアアアアア!!」

 

 ただただ自らの想いをかざし、光輝は叫ぶ。

 無駄だと分かっていても止まることはしない。一秒でもこいつをここで食い止める。それだけのことに命をかける。

 

 本来なら、何の障害にもならない行動。騎士人形からすれば、満身創痍の幼子が組み付いてきた程度の認識だ。

 だが、騎士人形が……どんな攻撃も淡々と斬り払ってきた存在が、()()()()

 自らに組み付く小さな存在を呆然と見つめる。

 

 何だコレは? 何故諦めない。死の間際に限界を超えて力を発揮することは珍しくない。私達もそれを願っていた。だが、これは根本から違う。既に力は失われ、満身創痍の存在だ。

 限界を超えた力をあっさりと押しつぶされた人類の行動は諦観か逃走の二択だ。当たり前だ。既に限界を超えているのだから。それが通じない相手に対応するには更に限界を越える必要がある。それが出来ないから人は諦める。神に祈ろうとする。

 なのに……何故コレは……?

 

 長い時を生きてきたシュパースの記憶にも存在しない人間。故に困惑する。シュパースのコピーである騎士人形はシュパースの知らない事態には対処が出来ない。

 そして、シュパースと騎士人形は魔力で常に繋がっている。それぞれが見て聞いたことを同時に体感することが出来る。

 騎士人形が見た光景が、シュパースを通して、各地で猛威を振るう騎士人形達全てに伝わる。

 理解できない光景を認識したそれらは、動揺に体が固まる。

 

──司令部に振り下ろされた神剣が……

 

──ガハルドに迫る血まみれの剣が……

 

──アドゥルの頭蓋を貫くはずだった刃が……

 

──ハジメとシアを消し飛ばす閃光が……

 

──アレーティアとミレディに降り注いだ龍の大群が……

 

 ピタリと静止する。

 

 それは、オリジナルであるシュパースも例外ではない。

 コピーの見た光景に、意識が僅かに割かれる。

 

 

 

 だが、それだけだ。シュパース達が静止したのは瞬きの間の一瞬のみ。時間にしてコンマ1秒にも満たない僅かなもの。

 確かに光輝の行動は騎士人形達の動きを僅かに止めた。しかし、結局のところ、彼の功績は人類の寿命をコンマ1秒伸ばしただけだった。命そのものを代償にしたにしては、あまりにも小さな成果。次の瞬間には、彼を含めた多くの者が死に至るだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──そう……それだけあれば、十分だった。

 

「クハッ」

 

 アルディアスが……獰猛に、狡猾に、劣悪に…………(わら)った

 

「ッ!?」

 

 ゾクリとシュパースの背筋に悪寒が走る。その時には既に、アルディアスは行動を始めていた。

 

『影星』

 

 魔法を唱えた瞬間、地上に居る騎士人形十七体全ての首に黒い魔力で構成された環が形成される。

 

「しまっ──」

 

 ようやくシュパースは自身の失敗を自覚するが、時既に遅く……

 

 

 

『──断──』

 

 

 

 その瞬間、開いたゲートが閉じられ、十七体の騎士人形の首が消し飛んだ。

 

「「「……は?」」」

 

 糸が切れた人形のように、膝から崩れ落ちる騎士人形を前に、多くの者が呆然とする中、一部の者は目の前の現象を引き起こした存在に気がつく。

 こんなことが出来るのは、この世界にたった一人しか存在しない。

 

「信じていました!!」

 

「おっせぇんだよ!!」

 

「お見事です」

 

「まじかよ……!」

 

「やっぱり、アルディアスはカッコいい……!」

 

 アルテナが……ガハルドが……フリードが……ハジメが……アレーティアが……

 戦場で戦う実力者達が一斉に空を見上げる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「確かに聞き届けたぞ、()()()()()

 

 決して光輝のことを名前で呼ぶことをしなかったアルディアスが……光輝の名を呼んだ。

 

「お前の酷く無様で、惨めで、憐れで……そして勇気ある一歩は、今確かに、この世界の人類を救う一手へと至った」

 

 今この場に居る者で、光輝の行動に気付いた者はアルディアスとシュパースを除いて他にはいない。

 だからこそ、自身が伝えなければならない。世界を救った男の功績を。

 弱者の意地を貫き通し、“奇跡“すら起こしてみせた()()の名を。

 

「問いかけなど最早不要……認めよう、天之河光輝。お前こそが今代の“勇者“にふさわしい!!」

 

 オルクス大迷宮で光輝に叩きつけた勇者としての価値観。それは結局のところ、この世界(トータス)での価値観に過ぎない。

 光輝は今この場で、光輝にしか出せない勇者としての姿をアルディアスに見せつけてみせた。

 

「あ……」

 

 アルディアスの宣言は戦場に大きく響き、光輝の元にもハッキリと届いた。

 その言葉だけで、光輝は全てが救われた気がした。

 

 怖かった。苦しかった。逃げ出したかった。

 それでも守りたかった。ただただその願いを叫んだ。胸の奥に秘めた想いをぶつけた。それを……確かに見てくれている人がいた。認めてくれる人がいた。

 

 光輝の根本に存在する、誰かを守りたいと思う心。幼き日より、祖父の教えにより光輝という人間を作り出すキッカケとなった大切な思い出。

 それは、決して無駄なことなんかじゃなかった。

 

 

 

「──ッ」

 

 その光景を黙って見ていたシュパースは()()()()()()()()()()、アルディアスを睨みつける。

 

「初めて顔つきが変わったな?」

 

「ッ!?……君は」

 

 アルディアスの言葉に更に不愉快そうに表情を歪めるシュパースとは反対に、アルディアスは心底愉快そうに笑みを浮かべ、腕をシュパースに向けて伸ばす。

 

「ようやくお前のことが少しは好きになれそうだ」

 

 アルディアスが掲げた指を鳴らすと、背後に黒い魔力で構成された十七の環が出現し、そこから騎士人形の首がボロボロと落ちてくる。

 シュパースに見せつけるようなソレは、まるで「次はお前の番だ」と言外に告げてくる。

 

「あまり人類(俺達)を嘗めるなよ? 神如きが」

 

 

 

 人類の運命を決める、人と神の戦いは、ついに最終局面へと突入する。




>未来を犠牲にした進化は認めない騎士人形

 その場を凌ぐためだけの進化は認めない派閥。例えるなら、超サ○ヤ人は認めるけど、最後の月○天衝は認めない。(作者はどっちも大好き)

>勇者の名は天乃河光輝

 おめでとう! 勇者(仮)は 勇者(真)に 進化した!
 かなり初期の頃からずっと書きたかった展開です。ご都合主義さえ無くなれば光輝というキャラはめちゃくちゃ輝くと思ってるんですよね。アフターでのハジメとの絡みとか好きです。

>“影星・断“

 他者は転移出来ない(安全に肉体全てを)という特性をそのまま攻撃に利用した技。肉体の一部を強制的に転移させる。元ネタは某第七王子。


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第四十九話 【天上の力】

──私は“奇跡“を認めない。

 

 常識では起こり得ない超常現象。人の手に余る厄災を払う神の御業。

 人類はどうしようもない絶望に呑まれた時、抵抗することを止め、神に祈りを捧げて奇跡を願う。

 

 神とは全知全能である。人を超越した威信を放ち、人知では推し量ることの出来ない能力を有することで、人類に禍福を降す。世界の絶対者。

 

 それは間違いだ。

 私はそんな万能な存在などでは決してない。もし、私が全知全能なる存在ならば、とっくに人類に平和をもたらすことが出来ている。

 あの子を失うことも無かった。

 

 私にそこまでの力は無い。神と言われようとも、世界の人々の全てを守護することなど出来はしない。

 だからこそ、人類には“奇跡“に頼らない、個人としての力を身に着けてもらわなければならない。

 どのような危機的状況でも、自らの力で切り開いて行ける恒久的な力を求める。

 

──故に、私は“奇跡()“を否定する。

 

 あんなものは現実を直視できない軟弱者が縋るだけの紛い物だ。

 神とは“悪“だ。奇跡とは“妄想“だ。

 本来の世界を正しく機能するためには不必要な存在だ。

 人類とは本来、自らの力で世界を切り開いていける力と意志を持ち合わせている生き物なのだから。

 

 

 それを、私が歪めた。

 生み出すだけでよかった。干渉する必要なんてなかった。

 どんなにボロボロの橋も、彼らは自分たちで補修して渡ることが出来たのに……落ちないように、壊れないように、頑丈な橋を作り出してしまった。

 継ぎ接ぎだらけの橋と傷一つ無い橋があれば、誰だって後者を選ぶ。

 とっくの昔に気付いてる。

 

──人類は元々弱くなど無かった。私のせいで弱くなった。

 

 人類を堕落させ、進化を止めた。愛すべき子供達を、憎むべき仇へと変貌させた。

 

 だからこそ、私は正さなくてはならない。

 人類をあるべき姿へと戻し、彼らの手によって、私という“悪“が打ち倒されることで、私の宿願は果たされる。

 

 それこそが、私が命をかけてでも、為さなければならない私の贖罪だ。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「──このような結果は、私の求めるものではない」

 

「貴様の求める結果など知ったことか。天之川光輝という、一人の男が起こした奇跡がお前の想定を超えた。それだけのことだ」

 

 表情を歪め、忌々しく吐き捨てるシュパースに、アルディアスは淡々と言い返す。

 手段など知ったことか。お前の放った絶望は一体残らず死んだ。それは覆しようのない事実だ。

 

「私は奇跡を認めない。そんなものはただ運が良かっただけのことです。次、同じようなことが起こったときにも同様のことが起きる保証など何処にもない」

 

「奴は端から奇跡を期待していたわけではない。自らの出来ることを、意志を貫き通しただけだ。勘違いするなよ? 奇跡が()()()()んじゃない。奇跡を()()()()んだ」

 

 『奇跡が起こる』と『奇跡を起こす』。この二つは意味は大きく異なる。

 光輝はただただ必死だった。勝てるなどとは思っていない。世界を守れるなどと胸を張ることも出来ない。それでも諦めたくなくて、認めたくなくて、我武者羅に足掻き続けた。

 もし、光輝が早々に生きることを諦めていたら、この結果は訪れなかっただろう。今も多くの犠牲者が出続けていた。

 諦めなかったからこそ、今の結果がある。それは間違いなく光輝の強さがもたらした奇跡だ。

 

「奇跡とは誰の元にも訪れる現象などではない。最後まで自分を貫いた者に訪れる運命の祝福だ」

 

「最後まで自分を貫いた者に訪れる祝福……? ありえない。そんなものはただの妄言です! もし、本当にそうだとしたのならば……! それならばなぜ……!」

 

 シュパースは目を吊り上げ、悲鳴を上げるように叫んだ。

 

「何故!? あの子は死ななければならなかった!!」

 

「……あの子?」

 

 今まで以上に感情を顕にするシュパースにアルディアスは眉をしかめる。シュパースの言う『あの子』が誰を指しているのか、アルディアスには分からない。

 

「誰よりも純粋だった! 誰よりも強かった! 毎日を必死に生きてきたあの子が、なぜ報われない!? なぜあんな最後を迎えなければならなかった!?」

 

 一度吐き出したら最後、まるで決壊したダムのように、溜め込んでいた感情の洪水が止まることはない。

 

「私は!! 私は──ッ!!」

 

「……」

 

 様子のおかしいシュパースを黙って見ていたアルディアスだったが、徐ろにシュパースに向けて手をかざす。

 シュパースの変わりように思うところはあるが、やるべきことは変わらない。この世界のため、人類の平和のために……ここで全てを終わらせる。

 

「…………認めない」

 

「何?」

 

「認めない。認めない。認めない。こんな強さを私は認めない。認めるわけにはいかない……」

 

 先程までの激昂した様子は鳴りを潜め、ブツブツと小さく呟くシュパースにアルディアスが目を細める。

 しかし、すぐにその目を大きく見開くこととなった。

 

──ああ……今回も駄目だった。

 

「──ッ!?」

 

 瞬間、全身に突き刺さるような強烈な殺気を感じた。

 

 何だこれは? 魔力が膨れ上がったわけではない。闘気も今までと変わらない。

 それでも、アルディアスの脳内に最大限の警鐘が鳴り響く。

 

(殺せ)

 

(すぐに殺せ)

 

(跡形もなく殺せ)

 

 

 

(間に合わなくなるぞ)

 

 

 

 驚愕。絶句。衝撃。愕然。呆然。

 今のアルディアスの胸中はどのような言葉でも表すことは出来ない。

 唯一、これだけは言える。

 

 たった今、()()()()()()()

 

 ここで止めなければ全てが終わる。

 

 故に、アルディアスはこのタイミングで切り札を切る。

 アルディアスの手に一本の直剣が出現する。神山にてハジメ達との戦いで使用した両刃の剣だ。

 だが、その見た目は僅かに変化していた。黒一色だった刀身が展開し、蒼く光り輝く魔力光が鍔から剣先まで流れるように奔っている。

 

 刀剣型アーティファクト “クラウ・ソラス“

 

 《輝く剣》の意味を持つこの直剣はアルディアスが作り出したアーティファクトの一つだ。

 能力は込められた魔力の増幅及び、その制御。

 

 柄を通して流れてくるアルディアスの魔力を増幅。本人すら制御不能に陥る可能性のある膨大な魔力を組み込まれた術式機構が完璧に制御する。

 分かりやすく言えば、RPGで言う、魔法使いにとっての杖のようなものだ。

 

 つまり、この剣を通して発動する魔法は文字通り、アルディアスの全力を意味する。

 

 世界すら滅ぼしかねない魔力の奔流が、“クラウ・ソラス“を通して、更に膨れ上がり、世界を覆い尽くしていく。

 そして顕現するは、天を衝く大きさを誇る五十頭百腕の黒の巨人。

 扇状に広がっていく巨大な多腕が、空から降り注ぐ光のベールを覆い隠し、地上から光を根こそぎ奪っていく。

 炎が揺らめくように原型を安定させないソレは、地上から見上げる角度によって、様々な様相を感じさせる。

 

 

 ある者は、死神のような残酷無比な喜びに支配された愚者を……

 ある者は、鬼のような猛々しい怨恨に押し潰された猛者を……

 ある者は、人のような残酷な運命に立ち向かう王者を……

 ある者は、神のように天から全てを見届けて嘲笑う狂者を……

 

 

 

「幽閉されし、神の忌み子よ。冥府にて、悪神を照覧せし門の番人と成れ──」

 

 

 戦場に凛とした鈴の音のような声が響き、

 

 

 

虚神(うつろがみ)百識僧(ひゃくしきそう)

 

 

 

 夜空が、落ちてきた。

 

 

 

 

 

 

「「「はぁああああああ!?」」」

 

 世界が重力を反転させ、天地がひっくり返ったような感覚に地上に居た者達の絶叫が木霊する。

 そう錯覚するほどの巨人の百の巨腕が、シュパースを呑み込まんと降り注ぐ。

 それこそ視界一面。などと生易しい表現では足りない。文字通り、空そのものが地上に向けて落ちてくるかのような光景だ。

 

 まさしく天変地妖。災害などではとても言い表せない。説明も理解も出来ない、奇々怪々な人の領域を超えた現象。

 地下深くに幽閉されし醜い巨人は、悠久の時を経て、天へと噛みつく。

 

「闇に呑まれて消えろ」

 

 防御──即死。

 回避──不可能。

 迎撃──論外。

 

 有機物、無機物関係なく、汎ゆるモノを疾く灰燼へと帰す。冥界を超え、神域へと至る鏡像たる百撃。

 世界ごと呑み込む滅びの判決が、シュパースの姿を覆い隠し──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 巨人が跡形もなく消失した。

 

「──────は?」

 

 その唖然とした声を漏らしたのは誰だろうか。地上から見上げていた兵士達の誰かかもしれないし、唯一その光景を見下ろしていたアルディアスだったかもそれない。

 

 つい先程まで、世界を覆っていた巨人の姿が跡形もなく消え去っていた。

 まるで最初からそんな存在など無かったかのように、再び光のベールが地上を照らし出す。

 

「これは……!?」

 

 そんな奇想天外な光景を前に、アルディアスは一種のデジャブを覚えていた。

 

(間違いない! あの時の……神山と同じ……!!)

 

 神山にて、初めてシュパースと邂逅した際に、アルディアスが発動した“雷槍・赫灼“。

 当時は世界を再構築した際に何処かに転移させられたと判断していたアルディアスだったが、後に違和感に気付いた。

 あの時、確かにアルディアスは自身の魔法を消された。座標を移されたのではなく、()()()()()()

 ただ転移させただけならば、自分の魔力が何処に飛ばされたか気付かないわけがない。だが、世界を光が覆った瞬間、確かに自身の魔法は消された。

 

 そこから導き出された結論は、世界の再構築と魔法の消失は全く別の現象から起こっていたということだ。

 しかし、だからと言って対策が出来るかと言えば、首を横に振ることしか出来ない。何せ、何をされたのか分からないのだ。知覚できなかった事象に対して対策を施すことなど無理に等しい。

 

(やはり、今回も何も感じなかった……何をされた?)

 

 それまで幽鬼のように頭を垂れていたシュパースがゆっくりと顔を上げた。

 そこには先程まで張り付けていた薄い笑みはどこにもない。激情の表情はどこにもない。

 

 “無“が……そこにはあった。

 

接続継続(コネクト)

 

 因果情報への接続を開始。完了。接続状態を維持。

 

読取継続(ダウンロード)

 

 因果情報の解析を開始。完了。解析状態を維持。

 

上書継続(インストール)

 

 因果情報の更新を開始。完了。常時最適化処理を継続。

 

削除開始(デリート)

 

 排除項目の選択。完了。世界への適用を確認。

 

 シュパースが何の感情も読み取れない表情で指先を向ける。

 

「『堕ちろ』」

 

「──ッな!?」

 

 その瞬間、アルディアスの体が重力に従い、真っ逆さまに落下していく。

 

(重力魔法が消された!?)

 

 すぐに自らに魔法をかけ直すが、次は魔法そのものが発動できない。

 そのことに困惑するが、すぐに冷静に頭を回す。

 

(落ち着け。魔力そのものは扱える。しかし、術式が上手く構築できない。ならば……!)

 

 一瞬だけ目を瞑り、意識を集中させたアルディアスが、カッと目を開き魔力を練り上げると、再び、重力に逆らい上昇を開始した。

 

(ほう? 術式を書き換えましたか。何をされたのかを明確に理解出来ていないはずですが、結果だけを見て、即席の対処方を見つけましたか)

 

 そんなアルディアスの様子にシュパースは只々感心したように見つめていた。だが……

 

「無駄な足掻きですよ。君では私には勝てない。絶対に」

 

「言ってくれる。俺ではお前に届かないとでも?」

 

「そういう意味ではありません。()()()()()()()()、無理なのです」

 

「何?」

 

 意味の分からない言葉にアルディアスが目を細め、その様子を見たシュパースが口を開く。だが、出てきたのは話の続きなどではなかった。

 

「『断ち切れ』」

 

 同時に、アルディアスの胸を大きく抉るように真空の刃がアルディアスを斬り裂いた。

 殺気を感じたアルディアスがその場で転身したことで内蔵までは届いていないが、それでも痛みに歯を食いしばる。しかし、即座に再生魔法で傷を癒やす。

 

「『回生せよ』」

 

 が、まるで逆再生のように塞がった傷が再び開く。

 

「グッ!?」

 

 傷の再生は後回しにし、アルディアスは攻撃に転じる。

 

劫炎(ごうえん)

 

 周囲の空間から吹き出した黒炎がシュパースを呑み込まんと迫る。

 

「『鎮まれ』」

 

 だが、それもシュパースが言葉を紡ぐだけで消失する。魔力も何も感じられない。まるで魔法の方から消えていったかのように……

 もちろん、アルディアスが自ら魔法の発動を解除することなどするわけがない。なのに届かない。

 防がれるわけでもなく、弾き返されるわけでもなく、上から掻き消されるわけでもない。

 シュパースが一言呟くだけで、世界から拒絶されるかのように消失する。

 

(何が起きている!? クソッ! 思考を止めるな! 動き続けろ!!)

 

 常識では考えられない現象に、アルディアスはシュパースの動きを欠片も見逃すことのないように観察し続けるが、どれだけ観察しても、今のシュパースは言葉を紡ぐ以外の何かを感じることが出来ない。

 

(言葉……言霊? いや、それでも一切魔力を感じないのは不自然だ。それに……!)

 

 アルディアスは先程発動した“劫炎“を再び発動させようと魔力を練るが……

 

(やはり、これも発動しない!?)

 

 一度、シュパースによって消された魔法の使用そのものが出来なくなっている。

 重力魔法と同じ現象だ。魔力を込めることは出来ても、術式が構築できない。まるでそんな術式など初めから無かったかのように……

 

(空を飛ぶくらいの術式なら簡単に書き換えられる。だが、それ以外となると……!)

 

 魔法とは上級魔法になればなるほど、術式は大きく複雑化していく。それを変えるとなると、最早新しい魔法を生み出すようなものだ。

 つまり、魔法消失の秘密を見つけなければ、時間と共にこちらの手札が減っていく。

 

「ならば……!」

 

 魔法での砲撃を止め、一気にシュパースに接近。その手に持つ“クラウ・ソラス“を振りかぶる。

 

「《阻め》」

 

ガキィン!!

 

 シュパースとアルディアスの間に突然現れた不可視の障壁によってあっさりと防がれる。

 

「『落ちろ』」

 

 続いて紡がれた言葉で、アルディアスは横に落ちていく。まるで重力の向きが変わったように。

 

(クッ、落ち着け! すぐに体勢を立て直して……!)

 

 しかし、そんな余裕をシュパースは与えない。

 

「『轟け』」

 

「ガアァア!?」

 

 轟音からの衝撃。まるで脳をシェイクされたかのような不快感にアルディアスの意識が一瞬飛ぶ。

 平衡感覚が狂い、どちらが上でどちらが下なのかも分からなくなる。

 

「『滾れ』」

 

 空間の歪みから吹き出した火炎が激流となってその身を焦がす。

 

「『迸れ』」

 

 天から降り注ぐ雷が飛び散る刃となってその身を斬り裂く。

 

「『淀め』」

 

 吹き荒れる息吹がその身を凍てつかせる。

 

 障壁を展開させる暇すら与えない。回復を挟む余地も与えない。常人ならば、たった一発で肉体が消し飛ぶほどの天災がアルディアスに襲いかかる。

 

パキンッ!!

 

 その時、アルディアスの体から何かの金属が割れるような音が周囲に響いた。それと同時に、アルディアスの懐からこぼれ落ちるネックレスのような装飾品。

 その瞬間、アルディアスの体を包み込んでいた守護が解除されたのをシュパースは感じた。

 

 シュパースとの戦いに備えて数々のアーティファクトを制作したアルディアスとハジメだったが、“神“との戦いに備えて、真っ先に準備したのは“神言“の対策装備だ。

 エヒトが使用してきた以上、その生みの親とも言えるシュパースが“神言“を使えないとは考えられない。

 開戦と同時に“神言“で全軍戦闘不能。などとなってしまったら目も当てられない。

 

 そのために精神を含む、人体に直接影響を与える効果を無効化するアーティファクトを全員に装備させている。

 もちろん、アルディアスも例外ではない。それどころか、直接対峙する可能性が高いとのことで、誰よりも強力なものを身につけていた。耐久性も万全のものだったのだが……

 それが、今の衝撃で破壊された。

 

「妙なものを付けているなとは思っていましたが……まあ、これで終わりですね」

 

 シュパースがゆっくりとアルディアスに指先を向ける。

 

(マ、ズイ……“影星“で……回、避を……)

 

「さようなら、アルディアス君」

 

「『爆ぜろ』」

 

 それまでと同様、言葉を紡いだだけ。

 それだけでアルディアスの肉体が裂け、全身から噴水のように血を吹き出す。まるで肉体が内側から爆発したかのような現象に、その光景を見ていた地上の者から悲鳴が上がる。

 

「君ならもしかして、と思っていましたが……」

 

 血を撒き散らしながら墜落していくアルディアスの姿を捉え、シュパースは悲しそうに呟く。

 

「残念です。本当に……残念です」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 落ちていく。落ちていく。何処までも落ちていく。翼をもがれ、真っ逆さまに落ちていく。

 煉獄に焼かれた。神雷に打たれた。氷牢に囚われた。肉体が崩壊した。

 自分が今生きているのか、それとも死んでいるのか。

 意識が明滅するアルディアスにはそれすらも判断できない。

 

(ま、だ……俺は……)

 

 意識が朦朧とする中、アルディアスは必死に空へと手を伸ばす。

 しかし、その手を取れるものは誰も居ない。視界に映るのは、黙って見下ろすシュパースの姿だけ。

 

『俺の名はアルディアスだ。お前は?』

 

『……名前、つけて欲しい』

 

 思い出すのは過去の記憶。

 

『親にとってはな、子供の幸せが一番なんだ』

 

『必ず私達の元に帰ってきて。約束よ?』

 

『少しだけ、あたし達にも背負わせて貰えませんか?』

 

『全てが終わった後、わたくしも遠慮はしません』

 

『少しは兄貴を頼れ』

 

『私達、家族でしょ?』

 

 アルディアスの日常。

 交わした言葉。

 果たされなかった約束。

 支えてくれた仲間達。

 

 彼らはこんな自分を信じてくれている。託してくれている。

 必ず勝ってくれると願ってくれている。

 負けるわけにはいかない。勝たなくてはいけない。俺がやらなければいけない。

 

(ふざ、けるな……! こんな、ところで、俺は……!)

 

 そんな思いとは裏腹に、体は一切言うことを聞かない。

 そのまま意識が深い闇に沈んでいき…………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──無様だな、アルディアス。

 

 

 

 

 

 声が……聞こえた。




>刀剣型アーティファクト “クラウ・ソラス“

 シュパースの造った“フラガラッハ“と対比する形で出したかった。元ネタはケルト神話なんですが、知ったのはファ○コムのゲームから。

>“虚神・百識僧“

 実は出るの二回目。


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第五十話 【理への干渉】

 全話のラストで出てきたあの人。
 個人的にはこんなタイミングで誰だ!? って感じにしたかったんだけど、どうやっても言葉遣いから個性が滲み出てしまった。案の定バレバレですね。


「……ここは」

 

 闇に覆われた漆黒の世界。

 いつの間にか、暗闇に一人佇んでいたアルディアスが周囲の様子を確認すると、すぐにこの場所に見覚えがあることに気付く。

 

「これは、俺の精神世界……か?」

 

 かつて、一度だけ入ったことのある、自身の内側。

 シュパースとの戦いの渦中だったはずの自分が何故このようなところにいるのか……

 そのことを疑問に思っていると、不意に背後に気配を感じたアルディアスがバッと後ろを振り返る。

 

 そこには一人の青年が立っていた。

 肩に掛かる程の白銀の長髪に、青の瞳。白の法衣を羽織る二十代前半の男だ。

 一見すると、物腰の柔らかそうな印象を感じるが、その顔に浮かぶこちらを嘲笑するかのような笑みが全てを台無しにしている。

 

「お前は……誰だ?」

 

「誰とは随分な言い草だな。私はお前のことを欠片も忘れたことなど無いというのに」

 

 それだけでアルディアスは気が付いた。目の前の男の容姿に見覚えは無かったが、その声と魔力を忘れるわけがない。

 無意識の内に拳を握りしめ、沸々と湧いてくる怒りを何とか抑え込む。

 

「何故お前がここに……! いや、何故生きている……()()()!!」

 

 創造神エヒトルジュエ。アルディアスによって魂を粉々に破壊されたはずの男が五体満足で姿を現した。

 

「所詮貴様の力など私を滅ぼすには至らなかったということだ……と、言いたいところだが、この状態は私としても不愉快極まりない結果だ」

 

 ニヤニヤと軽薄な笑みを浮かべていた表情から一変、忌々しそうに表情を歪めたエヒトの姿に眉をひそめていると、以前までのエヒトとの違いに気が付いた。

 

(神性を感じない?)

 

 エヒトは性格が歪みに歪みまくった救いようのない外道だが、元人間とは言え、曲がりなりにも神だ。その身からは溢れんばかりに感じられた神性が、今のエヒトからは一切感じられない。

 その時、アルディアスは一つの仮説に辿り着いた。

 

 “封神黒鎖“

 

 アルディアスがエヒトの魂を拘束し、消滅させるために使用した概念魔法だ。

 その効果範囲はアルディアスが指定した対象()()

 この概念魔法を、エヒトルジュエという“神“を殺すために使った。

 あの時、確かに創造神エヒトルジュエは死んだ。つまり……

 

「意外だな。お前に人間としての部分が残っていたとは」

 

 エヒトの魂は完全に“神“に昇華していたわけではなかった。

 そう考えれば、エヒトが生きていることにも説明がつく。あの時は、まさかエヒトの正体が元人間だとは想像もしていなかった。していたとしても、わざわざ人間の部分を残していたとは思わなかっただろう。

 

「ちっ、あのくそジジイめ! 中途半端な昇華をしおって! 私ならこのような半端な真似はしないというのに!!」

 

「……案外、ワザと残していた可能性もあるな」

 

「何だと?」

 

「奴はお前という敵を生み出すことで人類の成長の足掛かりとしようとした。お前の性格を知っていたのなら、敢えて残していた可能性もあってもおかしくはない」

 

「……ちっ」

 

 アルディアスの説明に何かを言い返そうとしたエヒトだったが、自分でも納得出来てしまう理由だったのか、舌打ちをしながら顔を背ける。

 

「……で、貴様は何を企んでいる?」

 

 瞬間、アルディアスから濃密な殺気がエヒトに叩きつけられた。

 エヒトが生存している理由は分かった。だが、自分に気付かれないように息を潜め続け、このタイミングで干渉してきた理由は何だ?

 

「また、俺の身体を奪おうとするつもりか?」

 

「ふん、それが出来ればとっくにやっている。今の私は肉体だけでなく、魂の器すら失った魔力の残滓のようなものだ。干渉は出来ても、支配など不可能だ」

 

「ならば今更何のようだ」

 

「……手を貸してやろう」

 

「……何?」

 

「あのジジイを殺す手助けをしてやろうと言っている」

 

 アルディアスは思わず己の耳を疑った。

 共闘? 俺とコイツが?

 アルディアスにとって、エヒトとは絶対的な敵対者。同胞の仇であり、死んで尚も憎しみを募らせている存在だ。

 そして、それはエヒトにとっても同じはずだ。自分を殺したアルディアスのことが憎くて仕方がないはず……

 そんな男からの共闘の申し出に、まず、アルディアスの頭に浮かんだのは、大きすぎる疑惑だ。

 

「何のつもりだ? お前を殺した男に手を貸すと?」

 

「正直、今すぐにでも貴様を八つ裂きにしてやりたいが、それ以上に優先すべきことがある」

 

「それが、シュパースを殺すことだと?」

 

「ああ、思い出すだけでも忌々しい……!」

 

 目を吊り上げ、怒りを顕にするシュパースは、ここに居ない神に対しての恨み言を口にする。

 

「この私を……上位者たる私を利用していただと……! ふざけるなよ! 私こそが絶対者! 世界を統べる神に相応しい存在だ!!」

 

 創造神として君臨し続けた輝かしい歴史……それがシュパースによって意図的に作り出された仮初めの玉座だったという事実がエヒトには何よりも我慢ならなかった。

 エヒトは魂を破壊されたことで、シュパースに掛けられていた認識阻害が解かれ、記憶を取り戻していた。

 アルディアスを通して、神山でのシュパースの話も把握しているらしい。

 “利用されていた“。その事実は“殺された“以上にエヒトのプライドを刺激したようだ。

 

「その話を信じろと?」

 

「ならばどうするつもりだ? 奴に何をされたのかも理解できないようなお前にどうにか出来るとでも?」

 

「……奴のアレを知っているのか?」

 

「アレは“理への干渉“だ」

 

「“理への干渉“?」

 

「フン。貴様らのような下等種が分からなくとも無理はない。理とは世界に満ちる情報そのものだ。それは物質であり、生命であり、星であり、時であり、境界でもある」

 

 エヒトの生まれた世界は、トータスよりも魔法技術が発展した世界だった。その発展は凄まじく、数百年単位の延命すらも可能とするほどだった。

 そして、発展し続けた技術は遂に世界の理にまで干渉することに成功した。

 いつの時代も、世界を越えようとも、研究者というのは好奇心を抑えきれないものだ。新しい玩具を与えられた幼子のように、理の干渉技術はいたずらに弄られていった。

 そして、好奇心の赴くままに弄り回した結果、理が崩れ、世界そのものの崩壊を招く結果となった。

 それが、エヒトの世界が滅ぶことになった原因だった。

 

「理とは言わば、世界の法則そのものだ。火は何故熱いのか。氷は何故冷たいのか。魔法は何故発動するのか。人は何故生きているのか。全ては理によって形作られている」

 

 理に干渉し、魔法術式を消し飛ばす。すると、術式自体がこの世界から存在しないことになり、発動すら出来なくなる。

 理に干渉し、大気の情報を書き換える。すると、ただ肌を撫でるだけだった空気が、肉を抉る鎌鼬の刃に姿を変える。

 他にも属性情報を書き換え、何もないところから爆炎を吐く。雷を降らす。身体を凍てつかせる。

 例えを出せば切りが無い。言ってしまえば何でも出来る力。それが“理の改変“だ。

 

「お前の肉体が炸裂したのもそれだ。アーティファクトで防護していたようだが、破壊されたことでその隙間を狙われたな。分かるか? 奴がその気になれば、人の生死……いや星の命運すらも“一言“で終わる」

 

 正直、即死しなかっただけでも儲けものだな。そう続けるエヒトにアルディアスはしばらく考え込んだ後、口を開く。

 

「……お前の世界でも“理への干渉“を行っていたと言ったな? ならば、お前にも同じことが出来るのか?」

 

「出来る……それなりの時間と労力を使えばな」

 

 “理への干渉“とは、言い換えれば世界を創り変えると同義だ。それだけのことを成すためには、エヒトでもそれなりの下準備が必要だった。

 間違っても一言で情報の改変を行うことなど出来はしないし、戦闘中に使うなど不可能に近い。

 

「“理への干渉“を行うには、世界へと意識を繋げ、対象の情報を正確に読み取り、それを取り込む。そして書き換える、もしくは削除することで初めて成立する。その過程を省略することは私を含め、到達者の誰もが出来なかった」

 

「到達者?」

 

 エヒトの居た世界には“到達者“と呼ばれる者達が居た。魔法が発達した世界に置いても、他者を寄せ付けない魔法の才を持ち、魔法の真髄を個人で扱うことが出来る者達の総称だ。

 エヒトを含む彼らは、理に干渉し、異世界への転移すら可能にした。その力で崩壊する世界からの脱出を図った。

 

「待て。異世界への転移はシュパースの手によるものではないのか?」

 

 エヒトの語る到達者という存在に、アルディアスは待ったを掛ける。

 エヒトはシュパースによってこの世界に召喚されたものと推測してきたアルディアスだったが、エヒトの話を信じるのなら、到達者と呼ばれる彼らは自らの力でこの世界に転移してきたことになる。

 

「その理に干渉すれば、異世界の存在の認識すら可能ということか?」

 

「……さあな。やろうとも思えばやれなくもないだろうが、私達はいつの間にか知り得ていたこの世界の座標に転移しただけだ。忌々しいが、既にそのときには奴から干渉を受けていたのだろうな。到達者全員が」

 

 何度も言うが、転移魔法を発動するには、転移先の座標を正確に把握する必要がある。しかし、当時のエヒト達は世界を越える転移魔法を完成させ、その術式に何故か知るはずのないトータスの座標を設定した。

 そのことに到達者の誰一人として生涯違和感を抱くことはなかった。エヒトとて、アルディアスに魂のほぼ全てを破壊されてようやく矛盾点に気付くことが出来た。

 つまり、エヒト達はシュパースによってこの世界に召喚されたのではない。道筋を示すことでこの世界におびき寄せられたということだ。

 

 記憶を取り戻した今なら昨日のことのように思い出せる。

 世界を越える転移魔法を作り出し、意気揚々と座標を設定している自分の姿が。

 何故座標を知っているのかなど、一切疑問に持つことなく、まんまと奴の思惑に踊らされていた愚かな姿が。

 

 歯を食いしばり、憤怒の表情を浮かべるエヒトになんとなく、自分よりもシュパースを優先しようとする理由に少しだけ納得した。

 エヒトの記憶を覗いたからこそよく分かる。コイツは自尊心の塊だ。自身が頂点でなければ納得がいかず、他者に見下されることを何よりも嫌う。

 自分を殺したアルディアスへの恨みももちろんあるだろう。だが、それよりも長きに渡り、良いように操られていた。何よりもそれに何の疑問も抱かなかった自分の間抜けさが怒りを助長させているのだろう。

 

「……話を戻すが、お前は“理への干渉“を行うにはそれなりの時間と労力がいると言ったな。だが、シュパースはそれに該当しない」

 

「当たり前だ。そもそも世界の法則を変えるのだぞ? 人一人が簡単に変えられるものではない。だが、奴だけは話が別だ。この世界は奴が創り出したものだ。奴からしてみれば、自分で生み出した法則を書き換えているだけに過ぎん」

 

 エヒトとシュパースの大きな違い。それはこの世界が誰の創作物かという点だ。一から情報を把握しなければいけないエヒトと違い、この世界の全ての情報を把握しているシュパースではスタートから大きすぎる差が存在する。

 

 そうせ説明するエヒトだったが、アルディアスは目を細めてエヒトを睨みつける。

 

「……いや、それだけじゃないな。その理屈でいけば、魔人族や亜人族は貴様の好き勝手に弄れるはず……俺に負けることもなかったはずだ」

 

 自分の創作物ならばシュパースにも遅れは取らない。遠回しにそう告げたエヒトだったが、アルディアスはエヒトの記憶から魔人族や亜人族がエヒトの手によって作り出された合成生物だと言うことを知っている。

 その理屈で言えば、エヒトは魔人族であるアルディアスに遅れを取ることなど無いだろうし、何よりもシュパースは半分エヒトの手が加わっている魔人族(アルディアス)にもあっさりと“理への干渉“を行ってきた。

 

「確かに創造主かそうではないかの差もあるのだろう。だが、何よりも純粋な生物としての差……それは後天的に神に至っても埋められなかったようだ」

 

「……」

 

「お前達が使っていた“神言“。恐らくこれは“理への干渉“の下位互換で生み出されたものだな?」

 

「チッ!」

 

 神の御業に相応しい影響力を振るった“神言“。だが、これは神の威光を示すためのものではなく、神の領域に届かなかった、人が扱うために生み出されたものだった。

 もし、聖教教会の人間が知れば、衝撃でその場に倒れていたかもしれない。

 

「ッ!──そうか……! シュパースの力に対抗するには別にこちらが理に干渉する必要はない」

 

「相変わらず、ムカつくぐらいに察しが良い奴だな。だが、それに気付いたのなら理解したはずだ。奴を殺すには私の力が必要だと」

 

 言葉にせずとも、アルディアスはエヒトの力を借りることの有用性を理解した。確かに、今シュパースを倒すためにはアルディアス一人ではどう足掻いても不可能だ。

 それはアレーティアやミレディの力を借りても同じ結果になるだろう。

 しかし、エヒトなら……アルディアスの一部でありながら、明確に自我を保っているエヒトならその方法が実践可能だ。

 ぶっつけ本番で、危険も大きい。しかし、確かにやる価値はある。

 

 だが……

 

「…………」

 

「どうした? 何を悩む必要がある? どうするかは貴様の勝手だが、他に手があるのか?」

 

 エヒトの言う通りだ。今のアルディアスにはエヒトの手を借りる以外に方法が無い。

 しかし、それを理解していたとしても、目の前の男の手は取るのはどうしても躊躇われる。

 

「貴様はこの世界を壊し、多くの同胞を殺した」

 

「それが何だ。貴様とて人間族を数え切れないほど殺しただろうが。どんな理想を語ろうが、所詮殺しは殺しだ。私達は自らの欲望を満たすためにそれを躊躇なく選べる。同じなんだよ私とお前は」

 

「今この場で殺すぞ。今度は魔力の欠片も残さずに」

 

「ハッ、やってみろ。それならそれで、貴様の守りたいものが全て壊れていく様を、あの世で嘲笑って見ていることにしよう」

 

 それもそれで中々愉快な光景だ。そう続けるエヒトにアルディアスは無意識に魔力がジワジワと漏れ出すのを感じる。

 自分の行動が正義などと語るつもりはない。自分の大切なものを守るために、他者の大切なものを奪う。そのぐらいの覚悟はとうに出来ている。

 人間族を属国として取り込んだのも、シュパースとの戦いの未来を見据えて行動したに過ぎない。

 そうでなければ、死傷者を抑えての吸収などというリスクを抱えることはしなかった。敵国にどれだけの死者が出ようとも、魔人族の安寧を最優先に行動をしていただろう。

 

 だが、それでもコイツと一緒にされるのは我慢ならなかった。

 

 ここが自身の精神世界だからなのか、アルディアスにはエヒトが嘘をついていないことが感覚で理解できていた。

 こちらを陥れるためではなく、本気でシュパースを第一に殺してたいと思っている。だが、同時に、例えアルディアスがこの話を受けなくとも、それはそれで構わないと考えている。

 

(……それでも、やはりコイツと手を組むなど──)

 

 アルディアスが選択肢の無い選択に葛藤していると、不意に声が聞こえてきた。

 

『諦めるな!!』

 

「ッ!?──この声……フリードか!」

 

 すると、それに続くように仲間達の声が木霊する。

 

『耐えろ! 一秒でも良い!! 耐え続けろ!!』

 

『耐えろっつっても、あんなのにどうすりゃいいんだよ!?』

 

『あいつ……! 一歩も動かないってのがミレディさんムカつく!!』

 

『それなら好都合! 少しでも時間を稼いで!! そうすればきっと……』

 

『アルディアス様が来てくれる!!』

『アルディアスが来てくれる!!』

 

「──ッ!?」

 

 戦っている。フリードが、ハジメが、ミレディが、アレーティアが……シュパースと戦っている。

 そして信じていてくれている。必ず、俺が戻ってくると。一度敗れた俺を……待っていてくれている。

 

「…………ハァーーー」

 

 仲間達の叫びを聞いたアルディアスは瞬時に頭を冷やし、冷静さを取り戻す。

 

 そうだ。俺には待っていてくれる仲間がいる。信じていてくれる家族がいる。ならば、多少の憎悪など呑み込んでみせよう。

 アルディアスはエヒトの姿をじっと見つめた後、淡々と歩み寄っていく。

 そのままエヒトの隣で足を止めた後、顔を向けることもせずに口を開く。

 

「…………精々足を引っ張るなよ」

 

 それだけ告げると、エヒトの返答を聞かずに、歩き去っていく。

 

「ふん、こちらのセリフだ。私の力を使うのだ。無様な真似だけはするなよ」

 

 やれやれと言った様子で肩をすくめるエヒトもアルディアスの後を追って、暗闇を進んでいく。

 

 顔を合わせることはしない。手を取り合うこともしない。歩調を合わせることもしない。

 それでも、互いが別々の景色を思い描きながらも、世界を超えて、魔の天才同士が、同じ方向に向けて初めて一歩を踏み出した。

 

 

 

 アルディアスとエヒト。一度限りの異色のタッグがここに誕生した。




>無事だったエヒト

 四話で死んだと思われてたエヒトが五十話で復活。アルディアスの中ということで、嘘は一切言ってません。エヒトってプライドの塊だから、単純に殺された以上に何千年も利用され続けていたという方がムカつくんじゃないかなと思いました。

>理の干渉

 原作でハジメとエヒトの決戦時に語られた内容を独自解釈で組み込みました。
 理の干渉は恐らく神代魔法のことだと思うんですけど、当小説では神代魔法や概念魔法の上に位置する文字通り世界の法則を生み出し、創り変える力にしました。

>アルディアスとエヒトの共闘

 あくまで目的の一致からであって、助け合うというような意志は欠片もありません。


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第五十一話 【神の在るべき姿】

リベンジマッチ! ファイッ!!


「さて……まだやりますか?」

 

 ぐるりと周囲を見回したシュパースは、そこにいる彼らを視界に入れながら、淡々と告げる。

 シュパースを取り囲むようにして立つのは、四人──ウラノスに騎乗したフリードにハジメ、ミレディ、アレーティアだ。

 状況だけ見れば、圧倒的にシュパースの不利な状況だが、息一つ乱していないシュパースをに対して、四人は既に満身創痍だ。

 

 アルディアスが落とされたのを確認した瞬間、ミレディとアレーティアが追い打ちを掛けようとしたシュパースに攻撃を仕掛け、続いて、フリードとハジメが追撃のブレスと銃撃を加えたが、そのどれもがシュパースに届く前に消失した。

 

 そこからはまさに一方的な蹂躙だった。こちらの攻撃は通じず、言葉を紡ぐだけで命の危機を感じるような現象が引き起こされる。

 死なないように立ち回るだけで精一杯だった。

 

「はっ、てめぇが大人しく帰ってくれるならこっちもこれ以上やるつもりはないんだがな」

 

「あれ? 君、ビビってる? ビビってるの? お姉さんが抱きしめてあげようか?」

 

 後ろ向きな発言をするハジメにミレディがおちゃらけた口調で語りかけるが、その表情は真剣そのもので、シュパースの一挙一動を見逃さないように睨みつけている。

 

「貴様を放置するわけにはいかない。悪いが、付き合ってもらうぞ」

 

「これ以上、貴方の好きにはさせない」

 

 闘志を滾らせるウラノスの背で、フリードがいつでも魔法を発動できるように構え、自然体でありながら、その小さな身体に膨大な魔力を纏わせるアレーティア。

 そんな彼らの姿を見ながら、シュパースは問いかける。

 

「もしかして、彼が戻ってくると思ってるのですか?」

 

「……」

 

「無駄です。まだ生きているでしょうが、それも時間の問題でしょう」

 

 最後の一撃。あれはただの魔力の爆発などではない。アルディアスの肉体の情報を改変し、因果情報から崩壊させたのだ。

 アルディアスが常に張り巡らせている魔法障壁。それに阻まれることで、仕留めきれなかったが、致命傷を与えられただけで終わりだ。

 肉体の情報を書き換えたため、治療も再生もすることは出来ない。

 

「君達の希望は、じき死にます。もう、終わりです」

 

「終わってない。アルディアスは必ず戻ってくる」

 

「……何を根拠に?」

 

「信じてるから」

 

 家族だから。想い人だから……何よりも、アルディアスだから。

 理由などそれだけで十分だ。

 

「それに、約束した」

 

 時には立ち止まっても良い。後ろを振り返っても良い。その間は……

 

「私達を頼れって!!」

 

 アレーティアの叫びに、フリードも闘気を漲らせ、その闘気につられるようにミレディとハジメも戦意を高める。

 そんな彼らを見たシュパースは、無駄な抵抗を……とは思えなかった。

 

 ありえない。彼が戻ってくることなど絶対にありえないことだ。それは自分がよく分かっている。

 それなのに、アルディアスを堕とした瞬間、シュパースの胸中を満たしたのは、大きな悲しみだった。

 今までも彼のように、期待を抱くような存在が現れることは何度かあった。結局私の理想には届かずに、落胆するハメになるのだが、このような悲しみを抱くことは一切なかった。

 理想には届かなくとも、確実に未来の人類の成長に繋がる。そう思い、すぐに切り替えるのが常だった。

 

 今考えれば、初めて彼個人の存在を認識した時もそうだ。

 知った瞬間に彼に会ってみたいと思った。話をしたいと思った。これまでの候補者は、見つけてもすぐに姿を見せようとしたことなどなかったのに。

 

 彼を見つけた時、確かに私は歓喜した。

 

 今までの候補者には感じることが出来なかったほどの激情だ。

 その彼が自分の理想とは違ったことに、これ以上無いほどの落胆と同時に、胸にポッカリと穴が空いたような虚しさを感じた。

 

(私は何故、ここまで彼に……)

 

 無意識の内にそこまで期待していたのだろうか。アルディアスという犠牲は、必ず世界に影響を与える。それなのに、もうアルディアスを越える存在は現れないかもしれないとさえ思ってしまう。

 

「……はあ、私も年ですかね。ありもしない妄想に取り憑かれ、耄碌するなど……」

 

 眉間を抑えて、頭を振るシュパースに対して、アレーティア達は一切油断せずに、いつでも動けるように戦闘態勢を取り続ける。

 

 それでも、反応できなかった。

 

「『喰らえ』」

 

 アレーティアの背後に竜を模した炎の顎が現れ、その小さな体を食い千切らんと出現する。

 

「ッ!?」

 

「アレーティア!?」

 

 血のように赤い牙が、アレーティアの白い肌に突き刺さるらんと迫り──

 

「“白き終末の大渦“」

 

 アレーティアの背後に突如出現した白銀に煌く大渦が出現した。

 直後、竜の顎は一刀両断されたかのように、二つに断たれ、大渦に呑み込まれていった。

 

「…………馬鹿な」

 

 シュパースは目を見開いて驚愕を顕にする。それは自らの攻撃を防がれたことにではない。それを防いだ存在がここにいることに……だ。

 

「……もう休憩はおしまい?」

 

 後ろを振り返ることもせずにアレーティアが語りかける。

 その返答はすぐそばから聞こえてきた。

 

「ああ、十分だ。心配をかけたな」

 

「ありえない……何故生きているのですか……!? アルディアス君!!」

 

 そこには傷だらけながらも、五体満足で佇むアルディアスの姿があった。

 

「フリード、ミレディ、ハジメ。お前達にも迷惑をかけたな」

 

「そのようなことはお気になさらずに。信じておりました」

 

「なぁんだ、君が来なかったらミレディさんが代わりにボッコボコにしてやろうと思ってたよ」

 

「俺はこんなのとやらせられるなんて二度とゴメンだ」

 

 三者三様の反応を見せるフリード達に笑みを浮かべた後、アルディアスは彼らの前に出る。

 

「すまない、巻き込まないで戦う自信は無い」

 

 だから、任せてくれ。

 言葉にはしない。それでも、その背が全てを物語っていた。

 そして、四人もそれを十分理解している。自分の役目はここまでだと。

 

「ご武運を」

 

「今度は負けちゃダメだよ?」

 

「てめぇが焚き付けたんだ。決めてこい」

 

「……待ってるから」

 

「ああ」

 

 振り返らずに彼らの想いに応えたアルディアスを一瞥し、アレーティア達は地上へと降りていく。

 そんな彼らに一瞥もくれることなく、シュパースはありえないものを見るような目でアルディアスを見つめる。

 

「これは……理が修復されている?」

 

「自分の肉体くらいは簡単にイジれるらしいな」

 

「自分の……肉体?」

 

 まるで他人事のように語るアルディアスに眉を潜めたシュパースだったが、すぐに目を見開くこととなった。

 アルディアスの魂の奥深く。激流のように荒れ狂う魔力の奔流に紛れ込む異質な魔力。それが、まるで隙間を縫い合わせるようにアルディアスの魂を覆っている。

 その魔力を、シュパースはよく知っている。

 

「まさか……エヒト君?」

 

 人類の進化を促すために、異世界から導いた人間の一人。神へと昇華させ、つい最近まで顕在だった人間族の創造神エヒト。その魔力をアルディアスの中からはっきりと感じた。

 

「……生きていたことにも驚きですが、君達が手を組んだことがそれ以上の驚きですね」

 

「手を組む? 馬鹿なことを言うな。誰がこんなプライドが高いだけのナルシストなんかの手を借りるか」

 

『おい、貴様!? 今何と言った!? 女も知らないようなクソガキが!!』

 

「そのクソガキの体を狙っていた奴に言われたくないな。気が散る、黙ってろ」

 

「……なるほど、確かに仲良くというような雰囲気ではないですね」

 

 エヒトの言葉はアルディアスにしか聞こえていないため、傍から見ればアルディアスが一人で話してるようにしか見えない光景だが、シュパースにはアルディアスが纏う魔力が荒立っているのを感じた。

 

「それで? そんな二人が揃って何のつもりで?」

 

「貴様を殺す」

『貴様を殺す』

 

「気の所為ですかね……声がダブって聞こえましたよ」

 

 二人の最凶から放たれる殺気を受け流すシュパースの脳天に向けて、灼熱の刃が振り下ろされた。

 

 

 ◇

 

 

 ギィン ギィン ギィン

 

 もう何度目だろうか。上空では、紅と蒼の閃光が何度も衝突を繰り返し、その度に、甲高い、されど体の芯を揺らすような轟音を響かせる。

 

『轟・雨竜』

 

 魔力で構成された豪雨が降り注ぐ。

 シュパースはすかさず掌をかざすが、すぐに表情を歪めた後、五重の結界を展開して()()

 そう、防いだ。先程までは一言呟くだけでアルディアスの魔法を無力化していたシュパースが態々魔法を発動して防いだ。

 

 エヒトの推測通り、シュパースの能力の原理は“理の干渉“による因果の改変だ。世界へと意志を接続し、そこに存在する全てを思い通りに書き換える能力。

 

 しかし、それを発動させるためには改変する情報を読み取る必要がある。

 シュパースがアルディアスをじっと睨みつける。すると、シュパースの視界には不可思議な黒の文様が浮かび上がる。それこそが世界に満ちる情報体の姿だ。

 それを読み解き、書き換える、もしくは削除することで初めて世界に現象として現れる。

 シュパースの力を持ってすれば、0、000024秒で完了する刹那の早技。

 

 その力が発動できない。

 読み取ろうとした瞬間、まるで黒の文様を塗りつぶすかのように白のインクが文様を塗りつぶしていく。

 エヒトはシュパースと同じで“理の干渉“を行うことが出来る。だが、シュパースのように瞬時に情報を読み取ることは出来ない。ならば何故そんな妨害出来るのか……答えは簡単だ。読み取る必要が無いからだ。

 何せ、今のアルディアスの肉体は端から端までエヒトの魔力が覆っているのだ。読み取るまでも無く、発動した瞬間にエヒトは正確に情報を理解する。

 時間にして0、000001秒。シュパースが間に合うわけがない。

 

 しかしそれは、発動しようとした魔法を自ら消失させる愚行にも等しい……が、現にアルディアスの魔法は何の問題も無く発動している。

 信じられないことだが、エヒトとアルディアスはお互いの術式が混ざり合わないギリギリのラインを保っている。術式を混ぜ合わせるのではなく、アルディアスの術式にエヒトの術式を纏わせているようなイメージだ。

 

 どちらかが少しでも魔力操作をミスすれば、積み木が崩れるように全てが崩壊する繊細な魔力コントロール。それをこの戦闘を行いながら実行し続けるアルディアスと、的確にシュパースの狙いを察知し、防御するエヒト。

 世界を代表する魔法の天才同士が組むことによって初めて実現する、究極の絶技。

 

 長い年月を共にした熟練のコンビでも不可能な連携に、本来ならさぞ息のあったパートナー同士だと思うだろう。

 しかし、現実は全く違う。

 

「遅い! 僅かに魔力の放出が遅れたぞ!!」

 

『貴様こそ、魔力制御が綻んでいるぞ!!』

 

「貴様が遅れたせいだろうが!!」

 

『青二才の尻拭いをしてやってることにも気付かんか馬鹿が!!』

 

「ずっとボッチだった奴に期待するだけ無駄だったか!?」

 

『はっ、その年になって独り立ち出来ないような寂しい男に言われたくないな!?』

 

「『アア!?』」

 

 めちゃくちゃ喧嘩していた。エヒトの声はアルディアスにしか聞こえないにしても、誰の目から見ても分かるくらい罵り合っている。

 完璧な連携を見せる二人だが、その実、お互いにお互いをフォローしているわけではない。

 

──俺はこれだけ出来るぞ。だからお前も勝手についてこい。

 

 二人に共通するのはこの一点のみだ。

 力を合わせる? 笑わせるな。二人の間にそのような認識は一切無い。目的のためにただ互いを利用しているだけに過ぎない。

 だからこそ、アルディアスとエヒトは一切手を緩めることはしない。

 コイツがムカつく。気に入らない。視界にすら入れたくない。

 

──だが、どうせこの程度ついてこられるだろうが。

 

 アルディアスは長年に渡って苦しめられてきた経験から。

 エヒトは自分を神の座から引きずり落とした経験から。

 

 コイツはこのくらい余裕でついてくる。

 それは最早一種の信頼関係。

 ハジメ達の故郷の地球にはこんな言葉がある。

 

 【喧嘩するほど仲が良い】

 

 本人達に言えば、全力で拒否するどころか殺気すらぶつけられかねない発言だが(エヒトは問答無用で殺しに来る)この言葉がこれ以上正しい瞬間は他にないだろう。

 

「シィッ!」

 

「ぐぅ!?」

 

 アルディアスの振り下ろした炎を纏った“クラウ・ソラス“がシュパースの魔力剣を砕き、衝撃で吹き飛ぶシュパースに追撃を加えるべく追走する。

 しかし、アルディアスや放たれる魔法に干渉は出来なくとも、それ以外の干渉は出来る。

 

「『弾けろ』」

 

「ぐあぁ!?」

 

 瞬間、アルディアスの周囲の空間が閃光と共に爆破する。吹き飛ばされたアルディアスはすぐに体勢を整えるも、追撃はノータイムで襲いかかる。

 

「『歪め』」

 

 空間がグニャリと歪み、そのまま対象ごと捩じ切らんと渦を巻く。

 巻き込まれたアルディアスの左腕が歪な形に捻れた瞬間、アルディアスの姿がかき消えた。

 

「くっ!?」

 

 同時にシュパースの死角、真下に現れたアルディアスの斬り上げが、障壁ごとシュパースを斬り裂いた。

 そのまま斬り返しの刃を振り下ろそうとした瞬間──

 

「な、めるなぁあああ!!」

 

 シュパースを中心に大気が爆発したかのような衝撃が放たれ、アルディアが吹き飛ばされる。

 

「あれは……」

 

『気を抜くなよ』

 

 歪んだ腕を再生させながら、アルディアスが目の前で起こった現象に目を見張っていると、エヒトからの忠告が響いた。

 

『奴の“理の干渉“する能力は厄介だ。だが、神とはそのような小細工に頼るような小物には務まらん』

 

 シュパースの目の前の空間が歪み、シュパースはそこに躊躇いもなく腕を突っ込む。

 そして、そこから引き抜かれるは、真っ赤な血に濡れた剣。

 かつては神の銘を冠した剣は、愛し子の血を吸い、その生命を奪った意味を求め続ける邪剣へと成り果てた。

 

 “魔剣 フラガラッハ“

 

 あの日を境に、一度たりとも抜くことをしなかった剣をシュパースは抜いた。

 同時にシュパースの体から吹き上がる膨大な魔力。肌を刺すように感じる凄まじいまでの覇気。

 

『永久不変なまでの絶対的で圧倒的な“力“。それこそが、神の在るべき姿だ』

 

 瞬間、背後に感じた殺気に、アルディアスは剣を背後に振り抜いた。

 しかし、その一撃はシュパースを捉えることはなかった。

 灰色が宙を舞う。円を描くように体を捻って剣筋に沿うように交わしたシュパースは、剣を振り抜いた体勢で硬直するアルディアスの胴を分かつ一閃を放つ。

 

 純粋な薙ぎ払い。されど、“人“の領域を超えた“神“の放つ一撃は、斬撃という枠組みを飛び越え、万物を滅する破滅の一撃と成す。

 

 防御は間に合わない。そう判断したアルディアスは、胴と剣の接触面に拳大までに凝縮した障壁を展開。障壁が一瞬剣速を抑えた瞬間に、背後に音もなく転移し、剣を振り下ろす。

 

 だが、そんな動きはお見通しと言わんばかりに、まるで蛇のように剣筋がグニャリと曲がり、そのまま背後に振り上げる。

 

 二条の剣閃がぶつかり合い、大気が……いや、世界がひび割れる。

 

 紅と蒼のスパークが激しく衝突を繰り返し、まるで世界が悲鳴を上げるかのように甲高い音が天に木霊する。

 力と力が衝突する中、アルディアスが目を細めると、シュパースに向けて不可視の魔弾が射出される。

 無防備な胴への一撃にシュパースが吹き飛ばされる姿を幻視したが、アルディアスの動きを読んでいたシュパースの胸の前の空間が歪み、そこに呑み込まれた魔弾が、同出力で撃ち返された。

 

「ぐっ!?」

 

 吹き飛ぶアルディアスを前に、シュパースは腕を押し出すように前に突き出す。危険を感じたアルディアスが剣を盾のように構えた瞬間、鈍器で殴りつけるような衝撃が剣越しに伝わり、さらにアルディアスの体を後方に吹き飛ばす。

 

 吹き飛ばされながらも、アルディアスは“クラウ・ソラス“の鍔に指を添える。

 そのまま滑らすように刀身をなぞると、刀身を真紅の炎が奔り、あまりの熱量にアルディアスの周囲の景色が陽炎のように揺らぐ。

 

炎々羅(えんえんら)

 

 全身のバネを使い、上半身を跳ね上げるようにして突き出した剣先から、螺旋を描きながら大蛇を模した爆炎が吐き出される。

 

雪華敷(ゆきげしき)

 

 シュパースの周囲から出現した数え切れないほどの真っ白な蝶が、炎の大蛇に群がり、その身を焼き尽くされながらも、次々に殺到する蝶から生み出される死の冷気が、大蛇を凍りつかせていく。 

 水分が一気に気化したことで視界一面を水蒸気が包み込んでいく。

 

 その光景を前にシュパースは魔力を纏った刀身を水平にして構える。優れたシュパースの五感は、深い蒸気の向こうから急接近してくる存在を確かに察知していた。

 

 無造作に湧き上がっていた蒸気の気流が内側の一点に吸い込まれる。

 最初に見えたのは鋒に黒く煌く魔力を帯びた剣の刀身。

 “クラウ・ソラス“を突き出したアルディアスが蒸気を斬り裂いて現れる。

 飛び出してきた瞬間、シュパースも迎撃に“フラガラッハ“を突き出す。

 

鬼哭(きこく)漆崩山(しちほうざん)

 

絢爛(けんらん)白征天(はくせいてん)

 

 一点に集中された魔力の衝突が空間に歪みを発生させ、黒と白のエネルギーが稲妻となって大気を破壊する。

 

(──ッ重い!)

 

 拮抗したのは一瞬。剣を握る腕から伝わってくる衝撃にアルディアスが徐々に押され始める。歯を食いしばりなんとか堪えようとするが、さらに圧を増していくシュパースの一撃に堪らず突き飛ばされる。

 

「君達程度の力では、私を殺すことなど不可能!!」

 

 経験とは時間だ。時間とは強さだ。君がどれだけの想いを背負っていようとも、たった一つの願いに何億もの年月を費やした私に比べれば、それはちっぽけでなんとも軽いものだ。

 

「私は止まらない! 止まるわけにはいかない! あの子の死を無駄にしないためにも!! 人類は強くなくてはならない!!」

 

 シュパースが天に手を掲げると、空を覆っていた光のベールが収束を始め、一本の光の柱が生まれる。

 天が輝く。星々が耀く。地表が赫く。世界が煌く。

 世界中に散らばる“光“そのものが全て収束したかのような光景。最早光るという認識すら抱けない、白の概念そのもの。

 世界が存在していなかった頃から存在する始まりの光景。

 

 原初の光が顕現する

 

「弱さとは罪だ! 誰もが悲しまない世界の実現のため……」

 

 そして、彼女の信じた人類の未来を。私が望んだ人類の未来を。

 

「私は君を拒絶する!!」

 

 シュパースが手を振り下ろす。

 

創世(そうせい)息吹(いぶき)(はじまり)(あらた)メ』

 

 全てを滅ぼし、全てを生みだす始まりの魔法。一を生みだす原初の光が天より万の軌跡を伴って降り注ぐ。

 “千“を極楽へと導き、“一“を破滅へと誘う極光。それが目の前の“一“に向けて放たれた。

 

 回避も防御も不可能。有機物無機物関係なく、シュパースが認識した対象に降り注ぐ必中の裁きの雷。

 その危険性を即座に認識したアルディアスが発動する寸前に転移で回避を試みたが、そんなものは無駄な足掻きと言わんばかりに、あっさりと光の柱がアルディアスを呑み込んだ。




>アルディアスとエヒトのコンビ

 相手に合わせるなんてことはしません。合わせるために力を抑える余裕がないというのもありますが、内心はどうせついてくるから問題ないと思ってます。お互いに相手のことが心底気に入らないですが、実力だけは認めています。死んでもそれを口にはしませんが。

>シュパースの本気

 何だかんだ言って普通に強い。アルディアスとエヒト二人掛かりでも純粋な力で押し潰します。


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第五十二話 【願いを貴方に/想いを力に】

 音は無い。

 衝撃も無い。

 

 光を極限まで凝縮したような純白の柱は、アルディアスを静かに、されど余すこと無く呑み込んだ。

 その光景を前に、シュパースは構えていた“フラガラッハ“を下ろして小さく息を吐く。

 

(……私は何をやっているんだ)

 

 シュパースの胸中は、アルディアスを倒したことによる達成感でもなく、子供を殺したことによる罪悪感でもない……ただただ自らに向けての嫌悪感だった。

 

(みっともなく叫び散らして、私らしくない……)

 

 やはり、彼のことになると、無意識に感情が抑えられなくなってしまう。

 だが、それもこれで終わりだ。あの光に呑み込まれたら最後、間違いなく生きてはいない。

 創世の光。一を生みだす始まりの光の中では何も存在することは出来ない。一を生みだすために、全てを零に還す。

 

(……頭を切り替えなければ。一先ずこの戦争を終わらせ、て……)

 

 頭を振って、地上に視線を向けたシュパースだったが、不意に感じた悪寒にバッと視線を光に戻す。

 瞬間、純白の柱が轟音と共に吹き飛び、アルディアスが姿を現した。

 

「──ッ!? 馬鹿な!?」

 

 五体満足で姿を現したアルディアスに、シュパースが目を見開いて驚愕する。

 ありえない。何故彼は生きている。何故存在していられる。

 

 困惑で硬直するシュパースを尻目にアルディアスは叫ぶ。

 

「エヒト!! 全て寄越せ!!」

 

『言われるまでない!!』

 

 両手で握りしめた剣を腰に構え、爆発するかのように吹き出した魔力を推進力にシュパースに迫る。

 剣から吹き出る黒の魔力に白の魔力が混ざり合い、更に勢いを増していく。

 

 急速に接近してくるアルディアスの姿を見て、迎撃の体勢を取るシュパースだったが、そこでようやくそれが視界に入った。

 

「あれは……糸?」

 

 アルディアスの全身を覆うように、黒の細糸が巻き付いている。細糸と言っても、人の目に映るほどのものではなく、極限まで細く小さい。魔力を感知できてようやく認識できるレベルだ。

 

「まさか……!?」

 

 そして気付く。その正体に……

 

 概念魔法 【封神黒鎖】

 

 概念魔法によって生み出された、魔力で構成された実体の無いアーティファクト。

 込められた概念はただ一つ……

 

『お前を絶対に逃さない』

 

 それをミクロ単位まで細分割し、身体と精神を覆うことで肉体と魂が崩壊するのを防いでいた。

 しかし、同時にアルディアスは全身に言葉に表せないほどの激痛を感じていた。

 

 “封神黒鎖“とは本来、対象を拘束するためのもので、守護するためのものではない。

 今この瞬間も、崩壊しようとする肉体と魂を力技で抑え込んでいるだけだ。崩壊を防ぐために拘束を強くすればするほど、比例して心臓が握り潰されるような激痛が全身を駆け巡る。

 

(全身が……グチャグチャになりそうだ……!!)

 

 肉体の崩壊を“封神黒鎖“で抑えつけ、耐えきれず崩れ始めた肉体は再生魔法で無理矢理繋げ合わせる。

 崩壊と再生が同時に肉体に起こることで、想像を絶するほどの痛みがアルディアスを襲う。

 それでもアルディアスは止まらない。

 

(これ以上の長期戦は不利! ここで全てを終わらせる!!)

 

(忌々しいクソジジイが! 跡形もなく消し飛ばしてくれる!!)

 

 アルディアスの魔力とエヒトの魔力が高まり、ぶつかり、弾け合う。それは最早魔力同士の殴り合い。

 膨大な魔力の奔流は、周囲の魔素をも取り込み、更に力を増していく。

 

(殺す)

 

(ここで殺す)

 

(今死ね)

 

(潔く死ね)

 

 これ以上はダメだ。これ以上は保たない。

 この程度じゃダメだ。この程度じゃ届かない。

 

 もっと求めろ! もっと足掻け! もっと叫べ! もっと信じろ! もっと高めろ! もっと……もっともっともっと!!

 

((限界を越えろ!!))

 

 力を求める二人の男の極限の意志。交わるはずの無かった二人の覚悟が、今この瞬間において、世界の理を書き換える力を生みだす。

 

 

 

 概念魔法 【神を殺す剣】

 

 

 

 魔法の深淵へと至った二人の天才の意志が交わることで生み出された、“神殺し“の概念。

 それが魔法と成って世界へと顕現する。

 

 一条の流星となったアルディアスが世界を斬り裂きながらシュパースに迫る。

 “神“とは“世界“。“世界“とは“全て“。その光に触れた全てのモノは、尽くその生命を閉ざしていく。

 大地が裂ける。空が割れる。理が消える。魔を喰らう。そこに在る全てを殺し、喰らいながら突き進んでいく。

 

 その危険性は、相対するシュパースが誰よりも速く気付く。

 

(あれは……ダメだ。あれだけは喰らってはいけない。あれは……私を殺しうる力だ)

 

 しかし、シュパースはその力から逃げることはしない。

 理性がすぐに退くことを推奨する。あれは一時的なモノだ。ここをやり過ごせばいくらでも反撃の手はある。

 だが、同時に神としての勘と経験が告げてくる。

 

──あれは避けられない、と。

 

 回避? 防御? バカを言うな。アレはそんな選択ごと喰らい尽くしてくる。いや、既にそんな選択肢は()()()()()()

 アレはそういう存在だ。私の死はすでに因果に結びつかれた。発動を許した瞬間、世界から私の生は取り除かれた。そう世界の概念が塗り変えられた。

 

(ならば、取れる選択肢は一つのみ……)

 

 シュパースの掲げる魔剣──“フラガラッハ“から眩い光が放たれる。

 それは世界を照らし出す陽光などではない。人々に希望をもたらす恩光でもない。明日を知らせる暁光でもない。

 全てを“無“へと帰す回帰の光。

 

(その因果ごと、全てを消し去る!!)

 

 アルディアスの放つ混沌をもたらす歪な光に対抗するように、秩序を取り戻す聖なる光が世界を揺るがす。

 

創世(そうせい)息吹(いぶき)(つぐ)(さだ)メ』

 

 まっさらな世界に存在することを認可する判決の光。

 邪魔者は疾くと断罪される絶対の刃。

 

「ハァアアアアアアアアアアアアッ!!」

 

「ハァアアアアアアアアアアアアッ!!」

 

 それぞれの想いを乗せた極光が……衝突した。

 

 それはまるで、アルディアスとシュパースを中心に世界そのものが爆発したような現象だった。

 パキンッ!と何かが割れるような音が響いた後に響き渡る、轟音など生ぬるい表現だと言わんばかりの爆発音。空を弾き飛ばすプラズマ。星そのものが恐怖し、震えているかのような地響き。全てを呑み込み、吐き出さんとする衝撃。

 

 地上の魔物や天使(マガイモノ)を尽く塵へと変え、人類(ホンモノ)すらも、その圧倒的な存在感に押し潰される。

 まさに、世界の終末の光景。真なる世界の誕生の光景。

 拮抗していた力のぶつかり合いだったが、次第にアルディアスの剣が押され始める。

 

 因果を書き換えるほどの魔の深淵を司る力。ぶつかりあった力は純粋に力の大きな方が世界に影響を与えるのは真理。

 アルディアスとエヒト。二人の全力を持ってしても、シュパースには届かない。

 純白の光が剣を伝い、アルディアスの身体に伸びていく。光が肉体を侵食し、パキパキと肉体がひび割れていく。

 

「諦めろ!! 君達が力を合わせようと、私には届かない!!」

 

「ぐぅうう!!」

 

 シュパースの言葉を証明するように、シュパースの魔力がアルディアスの魔力を呑み込んでいく。

 

「奇跡は起きない! 運命は変わらない! ここが今の人類(君達)の限界だ!!」

 

 それはもはや悲鳴だった。

 何も知らない子供達に現実を突きつける一喝。しかしそれは、まるで自分に言い聞かせるような葛藤。

 それを聞いて、アルディアスは確信する。

 

「ああ……お前、過去に囚われてるだけか」

 

「……は?」

 

「お前がそれほどまでに奇跡に否定的なのは、ありえたかもしれない未来を夢想するからだろう……!」

 

 アルディアスはシュパースのことを何も知らない。

 それでも、シュパースが何か大切なモノを失ったことくらいは察することが出来た。

 

「もしかしたら助けられたかもしれない! 違う未来があったかもしれない! 回避できる絶望だったかもしれない! お前はその事実を認めたくないだけだ!!」

 

 感じた憎悪は本物だった。湧き出た失望は本物だった。

 だから、人類を滅ぼそう(救おう)とした。

 そうすることが、彼女への何よりの手向けになると思ったから。

 

 でも、そうじゃなかったら?

 ロシーダの死が、人類の堕落が引き起こした悲劇では無かったとしたら?

 あそこで彼女が息を引き取るのが、彼女の運命だったのなら?

 ただ、運が悪かっただけだったのなら?

 

 彼女の死が受け入れられない私は、この感情をどこにぶつければいい。どこに吐き出せばいい。

 私は彼女のために何をすればいい。

 

 分からない。分からない。分からない。だから……

 

「感じた絶望に耐えきれなかった! その絶望の原因を根絶しなくてはならないと思った! だがそれは、所詮お前だけの価値観に過ぎない!!」

 

「──ッ!?」

 

「お前が守りたかったのは、俺達の世界なんかじゃない!! お前の理想とする、お前だけの世界だ!! 何が神だ、自惚れるなよ!! お前のその感情は、大切なモノを救わなかった俺達の世界に対するただの八つ当たりだ!!」

 

「ち、違う!? 私は、私は彼女のために──」

 

「他人を理由にしてんじゃねえよ!!」

 

 アルディアスの怒号にシュパースが言葉に詰まる。

 

「死人は言葉を発さない! 未来を語らない! だから、残された者がその意志を受け継ぐんだ!!」

 

 思い起こされるのは、散っていった同胞の姿。

 そして、今は亡き両親の姿。

 

「だがな、決めるのは俺達自身だ! その意志を受け継ぎ、今代で何を為すのか、次代に何を託すのか。それは俺達自身の責任だ!!」

 

 剣の柄をギリッと握りしめ、アルディアスは咆える。

 

 

「自分の想いも素直に語れないような半端者に、俺達が負けるわけないだろうがァ!!」

 

 

 反論の言葉が出てこなかった。

 違う。そんなことは無い。これは私の意志そのものだ。

 そうやって口に出すのは簡単だ。それなのに、言葉が喉に詰まり出てこない。

 それを吐き出してしまえば、今まで積み上げてきたものが全て崩れてしまうような気がした。

 

「──え?」

 

 その時、シュパースの持つ剣に伝わる力が重みを増した。

 最初は何かの勘違いかと思ったその現象が断続的に起き始め、少しずつシュパースの力が押され始める。

 

「な、何故!? どこにこんな力が!?」

 

 アルディアスとエヒトが手を抜いていた?

 ありえない。そんなことをする理由が無い。ならばこの力はどこから……

 

 

 

「──って」

 

 困惑するシュパースの耳に聞こえた小さな声。

 それは地上から舞い上がったささやかな想いの形。

 

「頑張って!!」

「負けないでください!!」

「アルディアス様!!」

「勝って!!」

「いけぇ!!」

「あと少しだ!!」

「負けたら承知しねぇぞ!!」

「踏ん張れや!!」

 

 魔人族が、亜人族が、竜人族が……そして()()()が……

 トータスに住まう種族全てが、アルディアスの勝利を願い、想いを叫ぶ。

 

 この光景を、かつてのトータスの住民が見れば、思わず自身の目を疑うだろう。

 魔人族(アルディアス)は人間族にとって、千年以上に渡る宿敵だ。その死を望むことはあっても、勝利を願うことなどありはしない。

 だが、この場に居た者達は見ていた。見てしまっていた。魔王の背中を。全てを背負い、自分達を絶望の渦中から救ってみせた姿を。

 それだけではない。周りの魔人族の兵士に命を救われた兵士がいる。見下していた亜人族に親友を助けられた兵士がいる。

 彼らも自分達に思うところがあるはずだ。憎くないはずがない。それなのに構わず手を差し出す。許しているわけではない。それでも、それが仲間を助ける最善の道と信じて、勝利へと繋がると信じて疑わない。

 

 人間族の若い兵士は独りごちる。

 ああ、クソ。何だよそれ。魔人族は野蛮な魔物の上位種じゃなかったのか? 亜人種は神に見捨てられた獣もどきじゃなかったのか?

 こんなの……こんなの、人間族(俺達)と何が違うってんだよ!?

 

 故に叫ぶ。こいつらに出来て俺達が出来ないわけがない。

 許せないことは山程ある。でも、今日は……今、この瞬間だけは全てに蓋をする覚悟を決める。

 仇を取ることよりも、恨みを叫ぶことよりも……仲間と未来を生きることの方が何倍も大切だ。散っていった仲間もきっとそれを望んでいる。

 

 だから叫ぶ。勝てと。負けるなと。勝って、俺達の未来を守ってくれと。

 

 塞がるはずのなかった種族間の溝に、この瞬間だけ橋が掛かる。ボロボロで今にも崩れそうな吊り橋だ。

 それでも、両者を繋ぐ架け橋であることは間違いない。

 

──そして、その架け橋はさらなる奇跡を巻き起こす。

 

 最初にソレに気付いたのはミレディだった。

 

「うそ……これって、まさか概念魔法……!?」

 

 魔法の極地に辿り着いた者が、“極限の意志“を持つことで発動できる魔法の到達点。

 解放者が集っても三つしか生みだすことが出来なかったそれが、兵士達一人一人の想いから生み出されている。

 無論、解放者が彼らに劣っているというわけではない。魔法の才では比べるまでもないだろう。

 困惑するミレディだったが、すぐにある仮説が浮かび上がる。

 

 そもそも、ミレディには積年の疑問があった。

 自惚れるわけではないが、解放者(自分達)ほどの実力者が集まって、何故三つしか概念魔法を生み出せなかったのか。

 それにアルディアスもそうだ。自分達を越える才能を持ちながら、生み出した概念魔法は“封神黒鎖“の一つのみ。自分と同レベルのアレーティアに関しては、一つも生み出せていない。

 いくら“極限の意志“という曖昧なものが素となっていると言えども、魔法の才能に対して、概念魔法の完成が比例していないのではないか……と。

 

 その答えが、今ようやく分かった。

 魔法の才能などは所詮、概念魔法を構成する上で必要な器でしかなかった。

 そこに注ぎ込むのは、世界の理を上書きするほどの極限の意志。

 

 そして、世界とは本来個人の手によって安易に書き換えられていいものではない。

 そこに住まう人々の想いが集った時に初めて発現する“奇跡の御業“。それこそが概念魔法の正体。

 種族、性格、記憶、夢、思い出……何もかもがバラバラな人類の意志が終結することなど、簡単に出来ることではない。

 

 だが、もしそれが実現出来たのなら?

 何十万もの人類の想いが重なり合い、アルディアスという特大の器に注ぎ込まれたとしたら?

 

 

 

 概念魔法 【あなたに未来を託します】

 

 

 

 未来を願う人々の想いを力に変える魔法。

 人類の可能性を具現化する新たな到達点。

 

「は、はは……」

 

 無意識にミレディの口から声が漏れる。

 全く、なんて子だ。あの子は、私達が最後まで辿り着けなかった極地へと辿り着いた。

 無論、アルディアスにそんな意図があったわけではない。彼は常に最善の選択肢を取り続けてきただけなのだから。

 だが、その生き様が多くの者に影響を与えた。水面に落ちた雫が波打つように、さざなみは勢いを増していき、とうとう神にすら届くほどの大波へと変貌していった。

 

 この奇跡を前にして、私は見ているだけか? そんなわけがあるか。

 解放者リーダーとして。何よりも、彼らと同じこの世界に生まれた者として──

 

「全部持ってけこの野郎!!」

 

 ミレディは空に向けて大きく手を広げた。

 

 

 

 

 

 地上から吹き上がるエネルギーの奔流が、アルディアスの背中に注ぎ込まれる。

 

「エヒト!!」

 

『クソッタレが!! 今回限りだぞ!!』

 

 アルディアスの体から真っ白な光が解き放たれる。

 それはまるで無地のキャンバスのようだった。

 そこに地上からの力が合わさり、様々な色が塗り重ねられていく。

 

 自信や情熱で心を熱くさせる赤色……

 希望と喜びで無邪気に包み込む黄色……

 心身をリラックスさせる癒やしの緑色……

 広大でどこまでも自由を謳歌する青色……

 誰かを想い、想われる幸福感に浸る桃色……

 あらゆる可能性に満ち溢れている白色……

 

 そして、混ざり合う色彩(感情)の到達点にして、世界に安寧をもたらす黒色。

 

 “クラウ・ソラス“から溢れる白と黒の光に、多種多様な色彩が混じり合っていく。

 人々の想いを力に変えて、アルディアスは剣を振るう。

 

 

「そ、そんな……! こんなことが……!? ありえない!?」

 

 優勢だったはずのシュパースがジワジワと押され始める。

 七色に光る剣に押されるシュパースの剣は白一色だ。

 神であるシュパースが一人で完結させた……させてしまった孤独な剣。

 

「私は負けるわけにはいかない!! 二度と過ちを繰り返さないためにも!! 世界を、人類を救わなくてはならない!!」

 

「この世界は貴様の施しなど求めていない!! 確かに人類は不完全だ! それでも、不完全だからこそ、俺達は手を取り合うんだ! 俺達の道は、俺達で切り拓いていく!! 貴様の存在は俺達の理想の世界には必要ない!!」

 

 拮抗を保っていたのも一瞬。振り上げたアルディアスの剣がシュパースの剣を粉々に打ち砕いた。

 そのまま天高く剣を掲げる。

 

 色とりどりの光の放つそれは、既に剣の形を崩し、世界を分かつ柱と表現されるほどの極光で天に突き刺さる。

 

「この不完全な世界で、俺達は生きていく!! 貴様の馬鹿げた理想など──」

 

 天に掲げた光の柱を……

 

「ここで砕け散れ!!」

 

 振り下ろした。

 

 

 

 

 

 その光景を呆然と見上げるシュパースは確かに見た。

 馬鹿げた大きさにまで膨らんだ光の柱を振り下ろすアルディアスの姿。

 その背を支える人々の姿を。

 

 それだけじゃない。

 各地に避難した人々の誰かを想う心。戦場で散っていった英雄の魂。

 アルディアスの力は世界の理にすら干渉し、生きとし生けるもの、死して尚、現世に留まるもの全てと繋がっていく。

 人から人へと、爆発的に広がっていく意志の繋がり。その繋がりは神の力を持ってしても完全に断ち切ることは出来ない。

 

(これ、が……)

 

 迫りくる光の奔流に対して、シュパースは受け入れるように両手を広げた。

 

(人の意志の力……)

 

 

 

 世界を両断する七色の柱が、シュパースを包み込んだ。




 決着です。
 どこまでも真っ直ぐすぎる王道展開ですね。


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第五十三話 【たった一つの純粋な願い】

 人間達が絶望した表情を、私はよく覚えている。

 

 私を信じてついてきた人間を突き放し、積み重ねてきた歴史を壊し尽くした。

 その時の快楽と言えば、言葉に出来ぬ、なんと甘美なものであったことか。

 

 ああ、そうか。私が今までこの世界を開拓し、人間に叡智を授けてきたのはこのためだったのだ。

 故に、決めたのだ。この世界を私の玩具にしようと。

 

 愉しかった。人を、世界を壊すのは。

 愉しかった。何も知らずに私に救いを求める光景を見下ろすのは。

 愉しかった。絶望の表情を浮かべる人間達を見るのは。

 

 愉しかった。愉しかった。愉しかった──……

 

 

 

──そのときには、もう『(到達者)』のことなど覚えてはいなかった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

「ハア、ハア……ハア」

 

 息を乱すアルディアスの手に握られた“クラウ・ソラス“が光の粒子と成って砕けていく。とっくに魔力の保有限界は超えていた。最後まで保っていたのが奇跡だろう。

 

「……終わった、か」

 

『ふん、私の力を使ってその有様か』

 

「貴様も同じようなものだろう」

 

『一緒にするな。肉体と魂が最盛期のものならばここまで手こずることはなかった』

 

「いちいち癇に障ることを………エヒト?」

 

 憎まれ口を叩くエヒトにアルディアスが言い返そうと言葉を発した瞬間、アルディアスはそれに気付いた。

 自分の中のエヒトの存在が少しずつ小さくなっていっている。

 

「……消えるのか?」

 

『言っただろう。今の私は魔力の残照、残り火のようなものだ。魔力を蓄える肉体も魂の器もない。一度使用した魔力が回復することもない以上、こうなることは自然の摂理だ』

 

 魔力とは無限ではないが、有限でもない。一度使い切ったとしても、時間の経過と共に回復する。しかし、魔力体そのものであるエヒトにはそれが出来ない。アルディアスの中で彼の魔力を自分の魔力に変換することくらいは出来るかもしれないが……

 

『貴様の脛をかじりながら生きていくなどまっぴらゴメンだ』

 

 アルディアスに干渉することは出来ても、支配はおろか、他者に干渉することも出来ない。これからの人生をアルディアスの魔力を喰らいながら生きていく。そんな生き方をするくらいならば、死んだ方がマシだ。

 

「俺とて、貴様をいつまでも住まわせておくつもりはない」

 

『ならさっさと──』

 

「だが……」

 

 消えてやる。そう続けようとしたエヒトの言葉をアルディアスが遮った。そのことに苛立ちを覚えたエヒトの耳に……

 

「今回ばかりは助かった。礼を言う」

 

 アルディアスからの感謝の言葉が飛び込んできた。

 予想もしなかった事態に、思わずエヒトもポカーンと間抜けな表情を浮かべながら固まる。

 

『………………はあ!? 何だ貴様! 頭でもおかしくなったのか!? 気味が悪い!?』

 

「人がせっかく素直に礼を述べたというのに貴様は……!」

 

 礼を言っただけだと言うのに、気味悪がられたことに、アルディアスのこめかみに青筋が浮かび上がる。

 

『私は私の目的のために動いただけだ! 貴様のためではない! 勘違いするなよ!?』

 

「そんなこと言われなくとも分かっている! 素直に礼の一つも受け取れんのか貴様は!?」

 

『貴様の礼などいらんわ!? そんなもの、丸めて奈落の底に投げ捨ててくれる!!』

 

「貴様に礼など言った俺が間違っていた! 貴様の力など無くとも、俺だけで十分だったがな!!」

 

『なんだと!? ボロボロにやられていたのはどこのどいつだ!? 礼の一つも言えんのか!?』

 

「貴様がいらないっつったんだろうがァ!?」

 

 売り言葉に買い言葉。ついさっきまで阿吽の呼吸でシュパースを追い詰め、ついには打倒するまでに至ったというのに、その時の息の合いようが幻だったかのように再び口喧嘩を始める。

 

「ぐっ!? こっちは重症なんだぞ……声を荒らげさせるな」

 

『貴様が突っかかってくるからだろうが!? これ以上貴様に付き合っていたら埒が明かん! 私はもう行く!!』

 

「ああ、勝手にしろ」

 

 傷を治療する力も残っていないアルディアスは声を上げたことで激痛が走った脇腹を抑えて唸る。

 そんなアルディアスに呆れた表情を浮かべたエヒトが、完全にその身を消失させようとする。

 

「………? おい、何をしている?」

 

『……いや、その……だな……』

 

 しかし、しばらく経ってもエヒトの気配が消えないことに首を傾げたアルディアスが問いかけると、おずおずと言った様子でエヒトが声を出す。

 

『……私は貴様が嫌いだ。私の世界をめちゃくちゃにした貴様が憎くて憎くてたまらない』

 

「……」

 

『だが、一つ思い出したことがある』

 

 

 

 それはエヒトが世界を壊すことに快楽を覚え始める前の記憶。

 共にこの世界を発達させた『友』との思い出。

 

 始まりは一人の男の言葉だった。

 

『彼らを導きたい』

 

 それは元の世界の人々を見捨ててしまった負い目からか……心に燻っていた罪悪感からか……

 心にポッカリと空いた穴を埋めるように、原住民に手を差し伸べ、叡智を与えた。

 助けた彼らに感謝の言葉を掛けられると、故郷を見捨ててしまった自分の選択にも意味があったと感じられる。

 そう言って。『友』は笑顔を浮かべた。

 

 私には分からなかった。魔法の極地へと至り、深淵に辿り着くことこそ我が宿命。

 下等な原始人に時間を割いている余裕など無いというのに。

 それなのに、私は『友』のやることを否定しながらも、彼らを放っておくことをしなかった。

 それは何故か……

 

 

 楽しかったのだ。

 

 

 楽しかった。『友』と何かをやることが。

 楽しかった。『友』と何かを達成することが。

 楽しかった。『友』と一緒にいることが。

 

 楽しかった。楽しかった。楽しかった──……

 

 くだらないことで笑い合って、お互いの成果を自慢しあう。そんな当たり前のことが楽しかったんだ。

 

 

 

 だが、そんな時間も終わりを迎えてしまった。

 『友』は死の理を超越していたにも関わらず、一人、また一人と自らその命を終わらせていった。

 

 何故だ。何故、自ら終わらせるような真似をする。何故私を置いていくのだ。

 分からなかった。彼らがその選択をした意味を理解できなかった。

 しかし、一人きりになって数百年、私は最後の『友』の言葉を思い出した。

 

『もう十分だ』

 

 最初はこの言葉の意味が分からなかった。だが、ある日閃いた。

 彼らはこの世界が完成してしまったことに気付いたのではないか、と。

 私達が手を加える必要がないところまで人間達は発展を遂げた。だから、彼らの役目も終わった。

 

 

 

──なら、全てをリセットしてしまえば良いのではないか?

 

 

 

 そうすれば、彼らは帰ってきてくれるのかもしれない。

 また、あの日のように、皆で笑い合える日がきっと来る。

 

 そうして私は全てを壊した。

 

 

 更に数千年後、私は世界を壊そうと思い至った理由を忘れていた。

 

 

 

 

 

 思い出した。私の原点。私の願望。

 

 この願いが叶うことはもう無いだろう。彼らが生き返ることなどありえないし、今の私を受け入れるとも思えん。それでも、思い出すことが出来た。

 誰かと共に戦うのは久しぶりだった。そうか……こういう感覚だったか。

 その相手が自分を殺した男というのが気に食わんが……

 

 

 

『『友』を思い出すことが出来た。それだけは感謝してやろう』

 

 

 

 その言葉を最後に、エヒトはこの世界から完全に消失した。

 

 

 

「………貴様の礼など、気味が悪い」

 

 アルディアスの呟いた声は誰に届くこともなく、空に溶けて消えていった。

 そして、徐ろに地上に視線を向けたあと、フラフラと降下を始めた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

──なんで、受け入れたの?

 

 

 

 ぼんやりとする意識の中、表情のない誰かがシュパースに問いかける。

 逆光でシルエットしか見えない誰かは、横たわるシュパースの顔を覗き込む。

 

──最後の一撃。貴方ならまだ抵抗出来たんじゃない?

 

「そう、かもしれませんね」

 

──なら、なんで?

 

「……分かりません。分からなくなったんです。私はどうすればよかったのか……」

 

──後悔してるの?

 

「……それは」

 

──大丈夫。貴方はもう答えに気付いてる。

 

「え?」

 

 表情の見えない誰かはそれだけ告げると、スタスタと歩いていく。

 

「ま、待ってください!? 君は、君はもしかして……!」

 

 慌てて上体を起こして、必死に手を伸ばすシュパースの姿を肩越しにチラリと見た。

 表情は見えないはずなのに、その顔は笑っているような気がした。

 

──もう時間。行ってあげて、あの子(わたし)が待ってるよ。

 

 その言葉を最後に、視界が光に包まれた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

「……うっ……ここは」

 

「ようやくお目覚めか」

 

「……アルディアス君?」

 

 身体の痛みで覚醒したシュパースが辺りを見回そうと首を上げると、すぐ目の前に腕を組んだアルディアスがこちらを見下ろしていた。

 全身がボロボロで、血まみれだが、その表情からは一切それらを感じさせない。

 

「……そうか、私は負けたんですね」

 

 一泊置いたあと、シュパースは状況を完全に理解する。

 大樹の根本に上体を預ける形で倒れ込む身体は鉛のように重く、つま先から徐々にではあるが、光の粒子となって空気に溶けるように消えていっている。

 

(これが、“死“……案外あっさりしているんですね)

 

 そんな光景をシュパースは他人事のように感じながら見つめていた。

 

「アルディアス君、これを……」

 

 シュパースがのろのろと持ち上げた腕から淡い光の玉が現れ、ふよふよとアルディアスに向かっていく。

 

「なんだこれは?」

 

「私の力です。僅かですが、君ならばいずれ私以上の存在へと到れるでしょう」

 

 人類はまだ弱い。私はずっとそう思い込んでいた。

 だが、結果はどうだ。神は無様に倒れ伏し、人類は……彼は間違いなく次の領域へと足を踏み入れた。

 人類の可能性の力に、私は負けたのだ。敗者は潔く去るのみ。後は、彼が私の代わりに人類を導いてくれるだろう。

 

 アルディアス君、君ならば私と違い、立派な──

 

「いらん」

 

──バシンッ

 

「……え?」

 

 力なく、健気に目の前まで飛んできた光球をアルディアスはあっさりとはたき落とした。

 地面に叩きつけられた光球は僅かに跳ね上がった後、その身を粉々にして消えていった。

 

「……な、何をしているのですか!? あれは私が君に残せる最後の力なんですよ!?」

 

「俺がいつお前の力を継ぐなどと言った。貴様の力など必要ない」

 

「違う!! 受け継がなければならないのです! 確かに君ならば自力で神と同等に至ることは出来るでしょう! しかし、ベースが人である君には悠久の年月を耐えることは出来ない!! いつか限界が来る!!」

 

 人は長くとも百年もすれば死ぬ。神へと魂魄を昇華させたエヒトや先祖返りのアレーティア、竜人族のように特殊な成り立ちや種族から長命の者もいるが、真の意味で生き続けられる者はいない。

 時間とは残酷にも人を大きく変えてしまう。エヒトが『友』との思い出を忘れたように、アルディアスが自力で至ったとしても、今の想いを抱き続けることは不可能だ。必ずどこかで歪んでしまう。

 それを防ぐためにも、人造の神性ではなく、本物の神性を受け継がなければならない。それなのに……

 

「なにか勘違いしているようだな。俺は神になるつもりはないぞ」

 

「なッ!?」

 

 今度こそシュパースは言葉を失った。

 何故……その二文字が頭の中を駆け巡る。そんなシュパースの表情で内情を悟ったのか、アルディアスは口を開く。

 

「お前の懸念くらいは理解できる。今はお前という敵を前にしてこの世界は手を取り合うことができた。だが、何百年、何千年後には同じとは限らない。確かにそうだ。だが、何故俺がそんな未来まで面倒を見なくてはならない」

 

 言い返そうとしたシュパースだったが、アルディアスの鋭い視線が突き刺さり、出かけた言葉が呑み込まれる。

 

「言っただろう。俺達は不完全な存在だ。だからこそ手を取り合うんだと。俺が居なくなったとしても、必ず俺の意志を受け継ぐ者は現れる。そうやって人の意志は受け継がれていくんだ」

 

「意志を受け継ぐ……」

 

 分かっていた。理解していたつもりだった。誰かが導かなければならないと思っていた。完璧に至るためにはにそこに辿り着くための指標となる絶対的な個が必要なのだと……

 

「なら……私の意志も君が受け継いでくれるんですか?」

 

「断る」

 

「……あの、受け継がれていくものでは?」

 

 まさかの即座に拒否されたことにシュパースの目が点になる。話が違うんじゃないですか……と。

 

「そもそも、お前が何を想っているのかを俺は知らん。人類救済などとは言うなよ。それが建前でしかないことくらいは分かる」

 

「そんなことは……」

 

「……なんだ、やはり無自覚か。ハァ、めんどくさい奴だな。()()()()()だけにしろよ」

 

「……え?」

 

 アルディアスがボソッと呟いた言葉にシュパースが驚愕に目を見開く。そんな様子にアルディアス怪訝な表情を浮かべる。

 

「何だ?」

 

「それをどこで……?」

 

「何?」

 

「冗談は名前だけにしろって……」

 

「どこも何も……シュパースってのは『冗談』という意味があるだろうが」

 

 知らずに使ってたのか? そう問いかけるアルディアスだったが、既にシュパースは動揺で言葉が聞こえていない。

 シュパースという言葉に『冗談』という意味が含まれていることはそこまで認知されていない。それでも知っていてもおかしくはない情報だ。だが、アルディアスからその言葉が発せられた瞬間、シュパースをとてつもない既視感が襲った。

 

 酷く懐かしい記憶。初めて自分に“個“としての名称が付けられた日の思い出。

 

 

 

『シュパース……シュパースですか…………うん、良いんじゃないですかね』

 

『本当? 良かった、気に入らなかったらどうしようと思ってたよ。他にも『冗談』って意味もあるみたいだし、存在が冗談みたいなお父さんにはピッタリかなって』

 

『存在が冗談みたい!?』

 

 

 

「まさか……そんな……!」

 

 なぜ気づかなかった。なぜ分からなかった。

 自らを打倒した時代の申し子と、自らの在り方を変えてみせた愛しい愛娘。

 シュパースに大きな影響を与えた二人の魂が…………完全に重なった。

 

 

 

『大丈夫。そんな顔しないで? 私はずっとお父さんのことを見守ってるよ……きっとまた会える。だから、泣かないで?』

 

 

 

 ああ、私は大馬鹿者だ。ようやく分かった。ようやく気付けた。

 アルディアス君に対して、何故ここまで執着していたのか。彼が私の理想と違うことに、あれだけの失望と悲しみを抱いていたのか……

 

(ロシーダ。君は約束を守ってくれたのですね)

 

 気づかなかったくせに、無意識の内に彼を彼女と重ねていたのか。

 人類を欲深い存在などと言っておきながら、誰よりも私が傲慢だった。

 

「……アルディアス君。君は何故そこまで強く在れるのですか? 何故、未来を信じられるのですか?」

 

 アルディアス君にそう問いかける私だったが、彼が何と答えるのか。私は予想できていた。きっと(彼女)なら……

 

「愚問だな。家族を、仲間を守るためだ。それ以上求めるものはない。それに、()達は……人類はそんなに弱くない」

 

 そんなことはない。人は簡単に死ぬ。

 そんな否定の言葉はいくらでも浮かんでくる。しかし、彼の瞳を見ると、そんな言葉が喉に引っ掛かり出てこない。()()()()()()その瞳には、有無を言わさない力があった。

 

「貴様に比べれば、一人一人はちっぽけな存在だろう。きっと、これからも人類は何度も失敗する。だが、それで良い。それが良いんだ。大切なのは、初めから正解を選ぶことじゃない。間違えてもやり直すこと……最善を求めて、何度も試行錯誤を繰り返すこと……」

 

 何よりも、と言葉を区切った後、アルディアスは空を見上げる。その表情に小さく笑みを浮かべ……

 

「一人で何でも出来たら凄いが、それじゃ寂しいだろう? 皆と一緒の方がずっと楽しいさ」

 

『一人で頑張れるのは確かに凄いけど、それって寂しくない? きっと皆で頑張った方が楽しいと思う』

 

 

 

 ……ああ、やっぱり君は何も変わらない。何億年経とうとも、その命を散らそうとも、君の想いは変わらなかった。

 それに比べて私は何だ? 君の死を受け入れられず、君の想いを盾に、自らの想いを抑え込んだ。君の好きだった人類を……世界を守ることこそが自らの使命とし、憎悪さえ抑え込んだ。

 

 世界を守る? 人類を救済する? 違うだろ。私が溜め込んでいた想いは、そんな体の良い言葉なんかじゃなかったはずだ。もっと自分勝手で、単純なものだった。

 

「そうだ。そうだった。こんなにも単純で、簡単なことだったんだ」

 

「……お前」

 

 目の前の光景にアルディアスは言葉を失った。

 なにかに納得したような表情を浮かべたシュパースの頬を……雫が伝った。

 

『お父さん』

 

 最愛の娘の言葉が蘇る。

 

「私はただ……かつてのようにまた呼んで欲しかっただけ……あと、何百回だって、父と…呼んで欲しかった。平凡でも良い。特別じゃなくても、良い。ただ、幸せに……生きていて欲しかった……!!」

 

 もっと成長していく姿を見ていたかった。いつの日か、大切な人と一緒になって、家族を作って幸せを噛み締めて欲しかった。最後は家族に囲まれて、惜しまれながら旅立って欲しかった。

 

 それは世界を創造し、人類を創り出した“神“としての顔などではない。

 ただ、娘の死を嘆き悲しむ一人の“父親“の顔だった。

 

「ああ、君の言う通りです。私はロシーダの……娘の死を受け入れられなかった。その事実に耐えられなかった。だから、理由を作り出した。人類を滅亡(救済)することが私が彼女にできる手向けだと。そう自分に言い聞かせることで、自分を守っていただけなんです」

 

 なんて自分勝手なんだ。自分を守るために、世界を窮地に陥れた。世界を守るという名目を掲げることで、自分の行いを正当化させた。

 彼女の死を無駄にしない? 彼女への手向け? 馬鹿か。誰よりも彼女を侮辱していた私が言えることではないだろう。娘の死で世界を滅ぼそうとするような神など冗談にもならない。

 

「……別に良いんじゃないか?」

 

「……え?」

 

 俯き、酷い自己嫌悪に陥っているシュパースにアルディアスの声が掛けられた。さぞかし自分勝手な行いをした神に失望しているんだろうな、と思いながらシュパースが顔を上げると、失望するどころか、納得したような表情を浮かべる姿に困惑する。

 

「つまり、お前は自分の娘が亡くなった事実を認めたくなかっただけだろう」

 

「だけって……それで世界を、たくさんの人々を巻き込んだのですよ?」

 

「世界がどうとか、人類どうとか、理想論を勝手に押し付けられるよりもよっぽど納得できる。それに……」

 

「それに?」

 

「親というのは、子供のためならば世界すら滅ぼせるらしいからな」

 

 俺は親ではないから分からんがな。そう続けるアルディアスの言葉を聞いたシュパースはポカーンと間抜けな表情を晒した後、耐えきれないと言った様子で吹き出す。

 

「ふふ、ふ……なるほど、確かに一理ありますね。子供のために命をかけられるのが親という生き物ですから」

 

「ははっ……ああ、今でも敵わんよ」

 

 そのまましばらく二人で笑いあった後、息を整えたシュパースがアルディアスをじっと見つめる。

 すでに胸辺りまで粒子となって消えていっている。そろそろ時間だろう。

 

「アルディアス君」

 

「……」

 

「この先、様々な困難が君達を待ち受けているでしょう」

 

「ああ」

 

「時には耐えきれず、挫けてしまうかもしれません」

 

「ああ」

 

「それでも、抗い続けると……戦い続けると誓えますか?」

 

「ああ、誓おう」

 

 その言葉に偽りはなく、その瞳からは、必ず成し遂げるという強い覚悟を感じた。

 

 ああ、もう大丈夫だ。人類()は確かに不完全だ。完全な存在には未だ遠い。それでもきっと、人類(彼ら)ならば乗り越えられるだろう。この先も、きっと……

 今なら心の底から信じられる。君達ならば、任せられる。

 

「ならば信じましょう。そして祈りましょう。君達の未来に“幸福“がありますように……」

 

 最後に満面の笑みを浮かべたシュパースは、光の粒子と成って消えていった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 視界が黒く染まった後、シュパースは身体が落下していくような感覚を味わっていた。まるで水の中のように四肢が重く、瞼を空けるので精一杯だが、不安は全く無かった。

 後は彼らに託した。私のやるべきことは終わった。彼らの行先をこの目で見れないのは残念だが、仕方がないだろう。

 

(私の勝手で多くの人々の幸せを奪ってしまった。間違いなくこんな身勝手な男は地獄行きですかね)

 

 人が死ぬとその魂は星へと返り、輪廻を回り、新たな生命として世界に誕生する。

 私が創り出した輪廻転生の軌跡に辿れば、そうなるが、果たして神が死んだらどうなるのか。

 

(普通に考えれば転生すること無く輪廻を回り続ける。もしくは存在ごと消えてなくなるのでしょうか)

 

 分からない。分からないが、自分にはお似合いの最後だろう。どんな結末になろうとも全てを受け入れる覚悟だ。

 

(ああ、でも、もし一つだけ願いが叶うのなら……最後に君の笑顔が見たかった……)

 

 自分に向けられたあの笑顔を思い浮かべて、シュパースは無意識に手を伸ばす。

 例え、叶わないと分かっていても、伸ばさずにはいられない。空を掴むように上に掲げられた弱々しい手。

 

 その手が()()()()()()()()

 

「ッ!?」

 

「掴まえた」

 

「……ロシーダ!? 何故君が……!?」

 

 誰も掴むはずのない手を掴まれたことに、目を見開いたシュパースの目の前に現れたのは、見間違えるはずもない……あの日、自らの腕の中で息を引き取った娘、ロシーダの姿だった。

 

「全く。会いに行くって言ったのに、勝手にどっか行かないでよ」

 

「ロシーダ……! 私は……私は……!」

 

「大丈夫。ちゃんと見てたよ。頑張ったね、お父さん」

 

「でも、私は……! 君の想いを……!」

 

「それだけ私のことを想っててくれたんでしょ? 大丈夫だよ。後は、あの子達に任せよう。信じて託したんでしょ?」

 

「……そう、ですね。彼らならきっと……」

 

「うん! ほら、こんなところで黄昏れてないで早く立って?」

 

「……引っ張ってください」

 

「子供か」

 

 かつてと同じやり取りに、ロシーダが半目でジトッとした視線を向けてくる。しかし、そんなことでへこたれる私ではない。そもそも、身体が満足に動けないのは本当なのだ。

 それに、彼女ならきっと……

 

「……ハァ、しょうがないなぁ」

 

 案の定、一つため息をついた彼女は笑みを浮かべながら、私の腕を引っ張った。

 

──ああ、その笑顔が見たかった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 光の粒子が天高く昇っていく光景を、アルディアスは黙って見送っていた。

 

「……これは」

 

 それをじっと見つめていたアルディアスの片目から、一粒の雫が流れ落ち、雫を指で拭い取ったアルディアスが不思議そうにそれを眺める。

 

「俺は……」

 

『ありがとう』

 

「ッ!?」

 

 呆然とするアルディアスの頭に突如響いた女性の声。その声に慌てて周囲を見回すも、人の気配は一切無い。

 

「……」

 

 ただ黙って空を見上げたアルディアスの耳に、今度は違う声が聞こえてきた。

 

「アルディアスーー!!」

 

「「アルディアス様!!」」

 

 その声に反応したアルディアスが声のした方向に振り向くと、アレーティアを先頭にフリードやカトレアの魔人族達の姿。その後ろにはハジメやミレディの姿もある。

 

 足をもつれさせながらも、必死に駆けてくる様子の家族の姿を視界に捉え、思わず苦笑しながらも、手を上げて無事を知らせる。

 

「……疲れたな」

 

 小さく呟いた後、その場に崩れ落ちるように倒れ込んだアルディアスをアレーティアが慌てて受け止めた。

 

 

 

 人類 対 神

 

 後の歴史において、人類の未来を賭けた史上最大の戦い。

 【神話大戦】として語り継がれることになる天上の戦いは、世界に大きな傷を残しながらも人類の意志を宿したアルディアスによって、三度、神殺しが成し遂げられることで終幕を迎えた。




>エヒトちょっと良い奴化

 原作でもエヒトって他の到達者が居る時は、ちゃんと神してたっぽいですし、最後の一人までちゃんと最後を看取ってることから、それなりに仲間意識あったんじゃないかなと思いました。

>アルディアスとロシーダ

 アルディアス→aldious→losiuda→ロシーダ
 憑依、転生と色々在るかもしれないけど、明確にこれって言うのは決めてないです。そこはあやふやなそういうものとしていた方がいいかなと。

シュパース(ただの父親)

 娘の死を受け入れられなかった普通の父親。


 次回、完結。


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最終話 【魔人族の王】

最終話です。
エピローグを分けるのは嫌だったので一話にまとめたのですが、文字数が過去最高の16000字を超えてます。ご了承ください。


「長い……とても長い戦いでした」

 

 広場に集まった人々の鼓膜を、壇上に上がった少女の澄んだ声が震わせる。

 

「邪神の遊戯によって、世界が憎しみの連鎖に囚われ幾星霜……多くの命が失われました。多くの涙が流れました」

 

 その声色は悲しみによるものなのか、小さく震えている。

 それにつられるように、聴衆も俯きながら瞳に涙を浮かべる。同時に、自分達などのために涙を流す女神の慈愛に溢れた心に感激する。

 

「それでも、私達は前を向かなければならないのです。亡くなった者達の想いを背負い、私達はこの世界で生きていかねばなりません」

 

 涙が溢れないように、上を向いた少女に呼応するように聴衆も顔を上げる。

 

「今この時を持って、私達は共に歩みだします。両者、前へ」

 

 少女の声に応えるように、壇上の脇から若い青年と妙齢の男性が姿を表す。

 

「人間族代表、ハイリヒ王国現国王エリヒド・S・B・ハイリヒ。貴方は魔人族との和平の儀を行い、かの種族と手を取り合うことを望みますか?」

 

「うむ。“豊穣の女神“の名において誓う」

 

「魔人族代表、魔国ガーランド現魔王アルディアス。貴方は人間族との和平の儀を行い、かの種族と手を取り合うことを望みますか?」

 

「ああ。“豊穣の女神“の名において誓おう」

 

「両者の言葉。確かにこの私が聞き届けました。では、友好の証を」

 

 その言葉にエリヒドとアルディアスは歩み寄り、“豊穣の女神“──愛子の前で握手を交わす。

 その瞬間、広場が震えるほどの歓声が木霊した。

 

 誰も彼もが思い思いに声を上げる中、握手を交わす両者の前で、愛子もパチパチと手を叩く。エリヒドとアルディアスに隠れて聴衆からはその表情は見えないが、その顔色は白を通り越して土色に変化してきている

 

(むっ、マズイ。そろそろ限界かもしれん)

 

 その姿を横目に確認したアルディアスは、愛子の限界を感じ取った。

 

 この広場には人間族に魔人族、さらには亜人族改め獣人族に、見届人として竜人族が集まっている。

 どの世界でも、時代の変わり目とは静粛に、されど盛大に行うものだ。

 人間族と魔人族の長きにわたる戦争の終結。亜人族の奴隷制度の完全撤廃。竜人族を含めた全種族の同盟関係の構築。

 

 それらは全て、“豊穣の女神“の御前において約束された。

 

 そう、この長ったらしい式典の最初から最後まで、愛子は壇上に拘束されていた。

 愛子は思う。教師という職業柄、人の前に立つことには慣れている。慣れているが、これは無いだろう……と。

 なんせ、目の前に広がるのは学校に通う生徒達とは比べ物にならないほどの人、人、人。小さな子供も居れば、自分の一回りも二回りも年上の老人もいる。それが一人残らず自分を崇め讃えているのだ。

 自分の一言で歓声を上げ、自分の所作一つで感激する。

 

 

 地球にいるお母さんへ

 

 お元気ですか? 突然姿を消してしまい、さぞ心配をかけていることかと思います。私はあれから波乱万丈の生活を送っています。辛いことも、苦しいこともたくさんありました。それでも生徒達と力を合わせて乗り越えることが出来ました。

 それに、私の知らない内に生徒達も大変立派に成長していたようです。

 特に南雲君は何か凄くなったというか格好良くなったというかちょっとドキッとしたというかあれは反則ですよあんな風に優しく声を掛けられたら誰だってでも私達は生徒と教師だし大人としてそれはさすがにでも卒業さえすれば年齢的にもそこまで気にしなくてもいいんじゃでもシアさん達がいるしあれ他にもたくさん居るなら私も、etc……

 ……コホン、なんでもありません。とにかく色々お話したいことがたくさんあります。近い内に必ず帰ります。しかし、どうしても助言して欲しいことがあるのです。

 

 私はどうやら世界を統べる神様になったようです。どうすればいいですか?

 

 

貴方の娘 愛子より
 

 

 

──P.S

 

 私は一つ学びました。ただ立っているだけで良い。それが一番しんどいです。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 人類の命運を賭けた戦いから一ヶ月が経過した。

 

 あの決戦から数日は、負傷者の治療や死者の弔い、さらに避難民の誘導など慌ただしい日々の連続だったが、各種族の代表が指揮を執ることで想定よりもスムーズに戦いの後処理を進めることが出来た。

 

 そして今日、“豊穣の女神“として名を馳せた愛子の元、バラバラだった各種族の同盟を結ぶ条約の確立が約束された。

 憎しみの連鎖は断ち切られた。だが、憎しみそのものが無くなったわけではない。これからもきっと多くの壁に阻まれることだろう。それでも今日、この瞬間に、何千、何万年と停滞し続けた人類の歴史が確かに動き始めた。

 

 その光景をガハルドは黙って見つめていた。

 そんなガハルドにランズィが声を掛ける。

 

「どうした、ガハルド殿? 何か心配事でも? やはり貴国は亜人族……失礼、獣人族に対して思うところがあるのだろうか?」

 

「ん? ああ、いや、そういうわけじゃねぇんだ。確かに色々と面倒ではあるが、それはとっくに覚悟は出来てた」

 

 ハイリヒ王国やアンカジ公国は、元々亜人族への差別意識はあっても、直接干渉する機会は少なかった。

 しかし、ヘルシャー帝国は違う。彼らは亜人族を国の労働力として活用していたために、奴隷制度の廃止は直接国力の低下に繋がってしまう。

 そのことで、懸念が出ているのかと思ったランズィだったが、ガハルドとしては、魔人族に敗れ、魔人族と亜人族の同盟が決定した時点でこうなることは分かっていた。今更だろう。それよりも……

 

「今まで俺は、武力こそが国を強くするための力だと信じてきた」

 

 どれだけ綺麗事を並べようとも、力無き言葉に価値はない。それは今までのトータスの歴史が物語ってきた。

 だからこそ、ガハルドは誰よりも力を求めた。それが帝国の繁栄、ひいては自らの覇道に繋がると信じて。

 

 故に、この数ヶ月の出来事はそれまでのガハルドの価値観を大きく変えた。

 

「力ってのは、単純な腕力や軍事力だけじゃねぇんだな」

 

 小さく、されど自分に言い聞かせるように呟いたガハルドの言葉に答えたのは、年長者たるアルフレリックとアドゥルだ。

 

「別段おかしなことではない。力とは何なのか、国とは何なのか、私も未だに分からない」

 

「私もだ。だが、そこで立ち止まらずに、模索しながらも歩み続けたのが彼なんだろうな」

 

 アドゥルの言葉に、三人が彼の視線を追うと、そこには壇上で佇むアルディアスの姿があった。

 

「無論、彼一人の功績と言うつもりはない。だが、今この光景があるのは、間違いなく彼が手探りで先頭を歩き始めたからだろう」

 

 一寸先も見えない闇の中へ踏み込むのは、並大抵の覚悟では出来ない。何度も壁に当たったことだろう。何度も足を踏み外したことだろう。それでも、彼の背中を見て多くの者が感化され、その後に続いた。

 

「本当に凄いな、彼は」

 

 その言葉に同意するように、各国の長達も首を縦に振る。年齢だけで見れば、自分達の息子や孫と遜色ない青年に対して、彼らは憧れにも似た感情を抱いていた。

 

「……ふむ、ところで、同盟強化に関してなのだが、お三方はどうお考えだ?」

 

 しばらく続いた沈黙を破ったのはアルフレリックの唐突な一言だ。

 

「どう……とは?」

 

 言葉の意味が分からず首を傾げるランズィ。隣にいるアドゥルも同じような様子だ。

 しかし、ガハルドだけはその意味を正確に汲み取っていた。

 

「婚姻か?」

 

「「──ッ!!」」

 

 ニヤリと笑みを浮かべながら告げるガハルドに、ランズィとアドゥルもはっとしたように表情を変える。

 同盟を組むに当たって、その証として王族や貴族同士で婚約を結ぶことは珍しくない。相手は言うまでもなく、トータス随一の力を持つ魔人族の王、アルディアスだろう。

 

「私は孫娘のアルテナが彼にピッタリだと思うのだが……年齢も近いし、彼らも幼い頃から知った仲だ。アルテナ自身も彼に想いを寄せている。悪くはないだろう」

 

「おいおい、それならうちだってトレイシーっていう娘が居るぞ? 少々やんちゃだが、見目はいい。アイツならアルディアスの隣に立っても目劣りしないだろう」

 

 胸を張りながら自らの孫娘を自慢するアルフレリックに対抗するように、ガハルドが自分の娘の名を出す。

 余談だが、実際にトレイシーをアルディアスに紹介した際には、いきなり目をギラつかせた金髪縦ロールが大鎌を振り回し、一瞬でアルディアスに沈められるという珍事が起こるのだが、それは遠くない未来の話。

 

「ふむ、アイリーにもそういった話を始めても良いかもしれないな。アルディアス殿なら任せられる」

 

「ティオを……と言いたいところではあるが、どうやら別に想い人が居るようだ。ヴェンリ、は流石に年が離れ過ぎか?」

 

 さらにランズィはそろそろ年頃の娘の相手に良いのではないかと思案し始め、アドゥルは既にハジメに想いが向いているティオを脇に置き、ティオの乳母で従者を務める女性の名を出す。年齢は離れているが、種族の違いがある以上、そこまで気にする必要もないかもしれないと切り替える。

 

「「「「むっ」」」」

 

 その瞬間、四人の間に剣気な空気が立ち上り始める。

 同盟強化のための婚姻となると、政治的な意味を多分に含んでいるのだが、彼らにその意図はあまりない。

 

 大事な孫娘の初恋を叶えるために。

 貰い手のいないであろう娘の将来を憂い。

 どうせ嫁に出すなら信頼できる元に出したい親心から。

 孫娘に付きっきりで縁がなかった従者のために。

 

 各国の長の間にバチバチと火花が飛び散っていた。

 

(カリスマもあり、国民からの信頼も厚い。それでいて己の功績に驕らず、謙虚で好感が持てる人柄。彼ならリリアーナを任せられるのでは?)

 

 壇上脇でそんな争いが起こっていることなど露知らず、エリヒドは呑気にそんなことを考えていた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 “豊穣の女神“の御前で行われた式典も無事終わり、今日ばかりは街の復興作業を止め、国を挙げての宴会が開かれていた。

 数多の種族が肩を組み、美食を味わい、酒を飲み交わす。念のために、巡回を行う兵士の姿もチラホラと見えるが、今のところ問題が起こっている様子はない。それだけ“豊穣の女神“の影響力が凄まじいということだろう。

 

 その中には、光輝達異世界組の姿もあった。

 とは言え、全員というわけではない。この場にいるのは決戦に参加したメンバーだけだ。戦いの場に居なかった生徒達は未だに王城から出てきていない。光輝達は直接彼らを誘ったのだが、あの小悪党組でさえ、遠慮して来ることはなかった。

 いや、遠慮とは少し違うかもしれない。戦いが終結した後、彼らは人伝に戦いに赴いた彼らの……何よりも光輝の活躍を知った。当時はその報告にすら彼らは憤慨した。自分達をこんな目に合わせておいて、自分はまたご機嫌取りか、と。

 しかし、何もしない時間は彼らに自分の行いを振り返らせるには十分だった。確かにキッカケこそ光輝だったが、それについていったのは自分達だ。それを棚に上げ、一方的に光輝を吊し上げ、罵倒する自分達の姿のなんと醜いことか。

 

 そんなこともあり、彼らは今、王城にこもったままだ。言ってしまえば、光輝に合わす顔が無いだけだ。あれだけ言ってしまった手前、謝るに謝れなくて二の足を踏んでいる。

 光輝としては、あのときのことは自分の至らなさが招いてしまった自分の責任だと想っているため、彼らに申し訳無さがあっても、怒りなど微塵も抱いていないのだが……

 

 そんなすれ違いな状況だが、雫達はそこまで重く受け止めておらず、今の光輝ならきっと悪いようにはならないと信じているため、あえて手を出さずに見守ろうという判断に落ち着いた。

 

 最初は自分なんかが……と宴会に参加することに消極的な光輝だったが、周りの笑顔につられて、今では表情に笑みが溢れている。

 

「おお、勇者殿! 楽しんでおられますか!」

 

「ささ、どうぞこちらに!」

 

「ぜひ、その武勇をお聞かせください!」

 

「ゆうしゃさま〜!」

 

「え、えっと……あ、ありがとうございます」

 

 同じ戦場の戦った兵士から非戦闘員。挙句の果てには、小さな子供までもが光輝の姿を見つける度に声をかける。

 行く先々で声をかけられてきりがないのだが、光輝は彼らの熱に押されながらも、律儀に一人一人に対応していく。

 そんな光景を雫達は呆れながらも笑みを浮かべながら見守っていた。

 

「たくっ、この一ヶ月ですっかり元通りだな」

 

「ホントね。また調子に乗らなきゃ良いけど」

 

「二人共そんなこと言いながら、顔がニヤけてるよ?」

 

「「うっ!?」」

 

 チヤホヤされる光輝に、苦言とも捉えられる言葉を吐き出す龍太郎と雫だったが、表情の緩みを鈴に指摘され、頬を僅かに染める。

 何だかんだ言って、光輝の功績が認められるのは幼馴染としても嬉しいのだろう。以前のように勇者だからという理由だけで持ち上げられているだけではないのも理由の一端だ。

 

「光輝君が褒められるのが嬉しいなら素直にそう言えば良いのに……ね? そう思わない、()()()()

 

 鈴の言葉に答えるように、鈴の背中から黒髪のナチュラルボブの少女──恵里が姿を現す。

 

「……別に僕は」

 

「またまたぁ、そんなこと言っちゃってぇ。鈴達と一緒に居るの、悪くないんでしょ?」

 

「うぐっ!? 忘れろ!! 一文一句記憶から消せ!!」

 

 ニヤニヤしながらからかってくる鈴に、恵里は顔を真っ赤に染めながら声を荒げる。

 

(ああくそっ!? 何で僕はあんなことを!! これも全部、あのクソジジイのせいだ!!)

 

 あの決戦の日。確かに恵里は一度死んだ。

 しかし、戦いに決着がついたと同時に、まるで時間が巻き戻るように傷が癒え、止まったはずの鼓動も時を刻み始めた。そんなことが出来るのは一人しか居ない。

 

(最初から僕を殺す気は無かったってことか)

 

 果たして最初からそのつもりだったのか……それとも何か心変わりがあったのか……本人が居ない今となっては確認する術はない。

 

(話を聞くだけで、干渉はしないとか言ってたくせに……今更僕が幸せになれるとでも思ってるの?)

 

 心の中で悪態をつく恵里に対して、鈴が明るく話しかける。

 

「あははっ! でも良かったよね。正直、何かしらの罰は覚悟してたんだけど」

 

「そうね、そればっかりはアルディアスさんに感謝しなきゃね」

 

「……ふん」

 

 恵里の蘇生に涙を流しながら喜んだ彼女達だったが、だからといって、恵里が人類に敵対した事実は変わらない。

 せめて少しは減刑が認めて貰えないかと、アルディアスの元に直談判に向かった光輝達だったが──

 

 

 

『何を訳の分からないことを言っている。シュパースの隣に居た女のことは俺も覚えてはいるが、髪の色からソイツとは似ても似つかないぞ』

 

『え? あ……いや、それは──』

 

『それに、その女ならカトレアから始末したと報告を受けている。そうだな、カトレア?』

 

『はい、間違いありません。状況が緊迫していたため、生け捕りは出来ませんでしたが、確実にこの手で息の根を止めました』

 

『そういうことだ。戦いの後で混乱する気持ちも分からなくはない。しばらくはゆっくり身体を休めると良い。そこの少女共々な』

 

 

 

 それだけで光輝達はアルディアス達の気遣いを理解し、その時はただただ黙って頭を下げ続けた。

 恵里の存在は、アルディアスを含む、各国の代表以外には知らされておらず、髪と瞳の色が違うだけで印象はガラッと変わるため、普通に街中に出ても騒ぎになることは無かった。

 

(全く、どいつもこいつも勝手なことばかりしやがって)

 

 世界を危険に晒した。人類を裏切った。友達を傷つけた。こんなバカ女、さっさと捨てちゃえばいいのに。

 ムカつく。大人ぶってお節介を焼いてくる奴が。

 ムカつく。前と変わらず普通に接してくる奴が。

 ムカつく。それを嬉しいと感じてしまっている自分自身が。

 

(そんなに言うならなってやるよ。“私“なりの幸せってやつを掴んでやる。だから……)

 

 雲一つ無い空を見上げ、そこから見守っているかもしれない誰かに視線を向ける。

 

(せいぜい指を咥えながら見守ってなよ、シュパース様(お父さん)

 

 恵里が一人思いにふけていると、ようやく光輝がこちらに戻ってきた。

 

「ふう、ようやく解放されたよ」

 

「おう! モテモテだったな、色男!!」

 

「別に誘ってきた女の子と一緒に居ても良かったのよ?」

 

「光輝君、小さな女の子に求婚されてなかった? この罪作りな男め!」

 

「え!? いや、違うぞ!? あ、いや、迷惑ってわけじゃないけど……!?」

 

 ようやく人の波から解放され、戻ってきた光輝を迎えるのは幼馴染達による弄りの嵐。

 こっちでもか。と、若干辟易した様子を見せる光輝に更に笑みを深める雫達。

 恵里はそんな彼女らの間に割り込み、光輝の腕を絡め取る。

 

「へ? え、恵里?」

 

「ん? 何、光輝君?」

 

「いや、その……近くないか?」

 

「別におかしくないでしょ。私は光輝君が好きなんだから」

 

「でもそれは……」

 

 自分が考えなしに恵里の事情に入り込んでしまったせいなだけで……

 

「あのね、一応言っておくけど、どんな意図があれ、あの時光輝君が私を見つけてくれなかったら、今の私は居ないよ? それこそ、あのまま自殺してたかもしれない」

 

 確かに、恵里の愛情は歪んでいた。でもそれは母親からの虐待と、光輝が自分を見てくれない不満が精神に影響を及んだ結果、変質してしまっただけの話だ。

 あの日、命を捨てようとした少女(恵里)を救った少年(光輝)

 その時感じた胸の高鳴りは、間違いようも無い……恵里にとっての確かな初恋だったのだから。

 

「今度は回りくどいことなんてしない。私がどれだけ光輝君のことが好きなのか、正面からこれでもかとぶつけるから……だから、覚悟してね」

 

 そう言って、恵里は笑った。

 それは、元の世界で見せていた、どこか遠慮がちな笑みではなく、この世界で見せた嘲笑的な笑みでもない。年上の女性を彷彿とさせるミステリアスな笑みだった。

 

 勘違いの無いように補足しておくが、恵里は香織や雫と比べても、引けを取らない美少女だ。今までは目立たずに光輝のそばに居るために、鈴の背中に隠れていることが多く、話題に上がることは無かったが、秘めたるポテンシャルは二人にも決して劣らない。

 しかもそんな人物から至近距離で、尚且つ、今までとは違う、妖艶の雰囲気を纏わせた少女に正面から好意を向けられたらどうなるか……

 

「──っ!?」

 

 結論。光輝も年頃の少年だったということだろう。

 ぼんっと光輝の顔が真っ赤に染まり、視線はキョロキョロと忙しなく動き続ける。

 

「……? 光輝君?」

 

「あ、え……と、お、おれ……」

 

「おーい、勇者殿! こっちで一緒に祝杯を挙げないか?」

 

「あ、は、はい! 今行きます!!」

 

 不審な動きを見せる光輝に恵里が首を傾げていると、タイミングが良いのか悪いのか、光輝を呼ぶ声がした瞬間にこれ幸いとそちらに駆けて行ってしまった。

 

「逃げたわね」

 

「何言ってんだ? 光輝は呼ばれたから向かっただけだろう?」

 

「はいはい、龍太郎はちょっと黙ってなさい」

 

 一瞬の表情の変化で光輝の機敏を察知した雫が、ジト目を走り去る光輝の背中に送る中で、そう言ったことに疎い龍太郎が空気の読めてない発言を発する。

 これだから男は。と雫がため息をつく中で、恵里は「相変わらず光輝君は誰にでも優しいなぁ」とズレた感想を抱いていた。

 

「……ねえ、恵里? 今の……わざとじゃないよね?」

 

「? 何が?」

 

「ううん、何でも無い……はぁ」

 

 光輝の心情が全く伝わってない親友の姿に、鈴も大きくため息をついた。

 

 もし、恵里が面倒なことはせず、正面から想いをぶつけていれば、世界を巻き込む争いにまで発展しなかったのでは? という思いを胸に抱きながら……

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

「パパ! 今度はあっちに行ってみたいの!」

 

「ん? ああ、いいぞ」

 

 場所は代わり、ハジメ達一行も今だけはリラックスした雰囲気で宴会を楽しんでいた。とは言え、もっぱらミュウの行きたい場所にハジメがあっちやこっちに引っ張られているだけなのだが。

 

「相変わらずハジメさん、ミュウちゃんには甘々ですねぇ」

 

「父と呼ばれることに抵抗を持ってたことなぞ、幻のようじゃの」

 

「今じゃ誰がどう見ても親子にしか見えないよね」

 

「あらあら、久しぶりにパパと一緒にいれて嬉しいのね」

 

 人間族だけでなく、魔人族に獣人族、さらには竜人族の名産の食べ物はミュウにとっては好奇心を刺激される物ばかりだったらしく、ニコニコと両手に様々な食べ物を抱えている。

 

 ついつい我が子の可愛さにハジメが何でも与えてしまい、それをシア達に注意されるといったことを繰り返していると、目の前から見知った人物がこちらに歩いてきているのが見えた。

 

「むっ、南雲ハジメか」

 

「フリードか。珍しいな、アンタがアルディアスのそばに居ないなんて」

 

「別にいつも一緒に居るわけではない。それよりも、ここでお前に会えるとは、ちょうど良かった」

 

 ハジメの中ではアルディアスの後ろに着いていた印象が大きかったフリードが、アルディアスの後ろどころか、部下もつれずに歩いている姿に首を傾げたが、それを簡単にあしらったフリードはハジメに用があるようだ。

 フリードからの用事にハジメが再び首を傾げていると、続いて出てきた言葉に目を見開いた。

 

「お前達を元の世界に還す算段に目処がたった」

 

「ッ!? 本当か!?」

 

「ああ、まだ実際の検証が必要だが、後はお前達の協力があれば問題ないだろう」

 

「そうか……そうか! だが、てっきりこの世界のことが落ち着いてから手をつけ始めるのかと思ってたんだが……」

 

「アルディアス様は約束を違えないお方だ。今もご協力頂いている愛子殿のためでもある。アルディアス様にアレーティアとミレディ。魔法の扱いに長けた三人が合同で進めたのだ。キッカケさえ掴めば引き寄せるのは簡単だ」

 

 フリードの話によると、ミレディ達解放者が残した概念魔法の一つに“導越の羅針盤“というアーティファクトがあるらしい。本来はエヒトらが住まう神域の場所を感知するために生み出された物だが、それを使い座標さえ特定することが出来れば、ハジメ達の帰還に対する強い意志を媒体に世界を繋ぐ扉を再現できる……らしい。

 

「……いや、あっさり言うけどよ、それって新しい概念魔法作ってるようなもんだろ? 大丈夫なのか?」

 

「アルディアス様はエヒトの記憶を持っておられる。必然、お前達を召喚した転移術式も理解している。それに、アルディアス様曰く、神を相手に反逆することに比べたら、この程度造作もない、とのことだ」

 

「あー、ありがたいんだが……ホントどんどん何でもアリになってくるな」

 

 確かにあんな化け物の相手を再びすることに比べたらそうかも知れないが、それでも世界を越える手段をあっさりと見つけ出すアルディアスに表情が引き攣るハジメ。

 

 それでも帰還の方法が見つかったことに喜びを顕にする。実際は検証もまだのため、確立したわけではないのだが、それでもアルディアスならきっと……と無意識に期待しているのだろう。

 ハジメと同じ異世界組の香織も笑みを浮かべ、シア達も未知なるハジメの故郷に思いを馳せる。

 

「とりあえず、それだけは伝えておきたかった。それと、ここからは私個人の用事だ……南雲ハジメ、歯を食いしばれ」

 

「──は? ぐっ!?」

 

 突然告げられた言葉にハジメが固まっていると、左頬に鋭い痛みが走り、そのまま壁に叩きつけられた。

 

「ハジメ君!?」

 

「ちょっ!? いきなり何するんですか!?」

 

「フ、フリード殿!?」

 

「パパー!?」

 

「あ、あらあら」

 

 ハジメがいきなり殴り飛ばされるという事態に驚愕しながらも、シアと香織はフリードを強く睨みつける。すぐさまハジメの元に駆け寄ろうとしたミュウだったが、とりあえず状況が分かるまでは娘を前に出すわけにはいかないと、レミアが抱き上げることでそれは叶わなかった。

 そんな状況の中、ティオだけは困惑した様子でフリードを見つめる。他の面々と比べてフリードと関わることが多かった彼女は、フリードが何の理由も無くこんなことをするとは思えなかったからだ。

 

「ってえな……! てめぇ、いきなり何を──」

 

 もちろん、そんなことをされて黙っているハジメではなく、すぐにフリードを睨みつけながら口を開いたハジメだったが、瞬く間に距離を詰めてきたフリードに胸ぐらを掴まれる。

 その視線には殺気すら混じっており、流石のハジメも「あれ、俺なんかしたかな?」と少し不安になる。

 

「……貴様があの変態を作り出したらしいな」

 

 ハジメから視線を外さずにフリードが指差す方向には、困惑した様子で状況を見守っていたティオの姿。

 指差された本人は「え、妾?」と不思議そうに首を傾げている。

 

「いや、作り出したっつーか、初めからそうだったっつーか──」

 

「き・さ・ま・だ・な」

 

「あ、はい、そうです」

 

 何となく嫌な予感がしたハジメは、あれは初めからそうだっただけで、自分のせいでは無いと否定しようとするも、覇気を増したフリードの言葉に思わず敬語で返事を返す。

 

「貴様のせいで、私がどれほどの被害を被ったか……思い出すだけでも身の毛がよだつ」

 

 フリードはあの戦いの中で一瞬とは言え、ティオを眷属化している。

 その一瞬で、フリードの頭に流れ込んできたティオの本質とも呼べる心からの願望。

 それの何と悍ましく、恐ろしいものだったか。人とはここまで堕ちることが出来るのかと、一周回って感心しそうになったくらいだった。

 

「分かるか? それをダイレクトに受け取ってしまった私の苦悩が。貴様に『ピー』されたいだとか、貴様と『ピー』で『ピー』を『ピー』だとか、挙句の果てには『ピー』からの『ピー』を『ピー』で『ピー』した後に『ピー』を入れて『ピー』するだとか……もはや精神汚染されたかと思うほどのこの屈辱……!!」

 

 流石のハジメでも反論が一つも出てこなかった。それどころか、心の底からフリードに同情した。そんな心持ちの中、よくぞ戦い続けたものだと称賛の言葉すら送りたくなった。

 フリードに敵意を向けていたシアと香織も「うわぁ」と隣の変態に引いた様子を見せ、この場で唯一の幼子のミュウはレミアがその両耳を塞ぐことで成長の妨げになることを防いでいた。

 

 肝心の変態は、自分の心の内をハジメに聞かれるという恥辱……恥辱? に身をくねらせながらいやんいやんと悶えていた。

 

「わ、妾の秘めたる想いを勝手に暴露されるとは……! なんと鬼畜なことを!!」

 

「いやいや、元々秘められてないですし、というか、心の中でそんなことまで考えてたんですか!?」

 

「フリードさんがあそこまで怒るのにも納得しちゃったよ」

 

 普段から変態極まりない行動を取り続けていたティオだったが、言葉に出ていることが未だに序の口だったことに驚愕するシアと、流石にそれを聞かされることになったフリードの行動に納得する香織。

 ついさっきまで加害者だったフリードが、今では完全な被害者として扱われていた。

 

「命令だ。アレを少しはマシなレベルまで矯正しろ」

 

「ちょっ、アレは矯正できるような代物じゃ──」

 

「アア?」

 

「……ガンバラサセテイタダキマス」

 

 怒れる魔国の将相手に、ハジメは無力だった。

 

「矯正!? つまりご主人様からあんなことやそんなことを!? そ、想像しただけで……ンッッ!!」

 

「……道のりは長そうですね」

 

「……そもそも無理じゃないかな?」

 

 頬を高揚させて興奮する変態の姿に、シアと香織は大きくため息をついた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

「ミィイイレェエエディイイイ!!」

 

「おっと、カトレアちゃん、そんなに怒ったら小ジワが増えちゃうよ?」

 

「キィイイイイイイイイイ!?」

 

 奇声を上げながらカトレアがミレディに襲いかかるが、ミレディはヒョイヒョイと難なく躱していく。

 

「ええと……落ち着いてくださいませ、カトレアさん。ミレディさんも悪気が在るわけじゃ……」

 

「悪気が無かったら尚更たちが悪いと思いますけど……」

 

「そうですわね……」

 

 そんな光景を見つめながら、アルテナが何とかフォローに入ろうとするが、リリアーナの指摘にガックリと頭を下げる。

 

 この一ヶ月、アルテナはアレーティアからミレディのサポートをするように頼まれていた。というのも、多忙だったアルディアスの負担を少しでも取り除けないかとアレーティアに相談したところ、この仕事を頼まれたのだが、今思い出すと、アレーティアはどこか笑いを堪えているようだった。

 念のためと、アルディアスからの指示でそばに付いたカトレアと、決戦を通して仲良くなったリリアーナの補助を受けることで何とかやって行けているが、最近は「これ、決戦の準備以上に大変なのでは?」と思い始めているほどだ。

 

(いやいや、弱音を吐いちゃダメですわ! こんな人の面倒をアルディアス様にお任せするわけにはいきません!!)

 

 当初は、かつて少ないながらもエヒトに立ち向かった人々のリーダーと聞いて、粗相の無いようにしなければと息巻いていたアルテナだったが、今ではこんな人扱いである。

 

「こんな人って酷いなぁ。これでも私凄いんだよ? チョンチョン」

 

「うひゃあ!? 突然後ろに現れないでください!! というか、心を読まないでください!!」

 

 そんなことを考えていたアルテナの後ろにいつの間にか回り込んでいたミレディがアルテナの脇を突っつく。

 

「うんうん、いい反応だ。ところで君もカトレアちゃんと一緒でアルディアス君が好きなんでしょ?」

 

「ななな、何を言ってんだいアンタは!?」

 

「そそそ、そうですわ!? 何故そのようなことを!?」

 

「お二人共、そこまで動揺されては自ら白状しているようなものですよ」

 

 というか、この二人はもしかして、アルディアス様への恋心を隠しているつもりだったのだろうか? 付き合いの短い自分ですらすぐ察することが出来たのだが……

 

「どうどう、落ち着いてよ二人共。アルディアス君との距離を縮める上で、今最大の難所を教えてあげようと思ってさ」

 

「「最大の難所?」」

 

「そのようなことをご存知なんですか?」

 

「もっちろん!! こう見えて何千年と生きてるからね! 年長者の特権ってやつだよ!!」

 

 アルディアスが18歳である以上、必要な知識は過去十数年の物ではないだろうか? という疑問が三人の頭に浮かぶが、アルディアスと同じ、逸脱者としての視点が何かに役立つのかもしれないと、カトレアとアルテナはゴクリと唾を飲み込む。

 

「さて、皆知っての通り、この度人間族と魔人族との和平が決まったわけだけど、仲良くしましょうって握手をして万事解決! ってわけにはいかないのは皆分かってることだよね?」

 

「それは……そうですね」

 

 ミレディの問い掛けに、リリアーナは言葉に詰まりながらも肯定する。

 数千年もの間、争い続けていたのだ。今こそ共に戦ったことが彼らの中に団結力をを生み出しているが、和平に否定的な意見ももちろんある。

 

「ですので、これはゴールではなくスタートです。人間族と魔人族。そして獣人族、竜人族。トータス全ての種族が手を取り合って生きて行ける世界の実現のために」

 

「うんうん、良い意気込みだね。そして王族である君は率先して魔人族との共存を示していかなくてなならない。そうだね?」

 

「はい、もちろんです!!」

 

 王族である自分が先頭立って魔人族の方と交流を図る必要があるのは語るまでもないだろう。父はもう年だし、母も前に出る人ではない。ランデルもまだ幼い。これから先のことを考えれば、自分が率先して動くべきだろう。

 

「ほほう、つまり国のためになら粉骨砕身何でもやるつもりだと?」

 

「え? ええ、そのつもりですけど……」

 

 でも何故だろう。あからさまにニヤリと黒い笑みを浮かべたミレディの姿に途轍もない嫌な予感がするのは。

 

「アルテナちゃん、カトレアちゃん、聞いたかい? 魔人族との融和のために、リリィちゃんは何でもする覚悟らしいよ?」

 

「それは素晴らしい心掛けなのではないでしょうか?」

 

「そんなことより、いい加減言いたいことを言え。まどろっこしいんだよ」

 

「つまり、リリィちゃんはアルディアス君に嫁ぐことも視野に入れているってことさ」

 

「「ッ!?」」

 

「──ッ!? あ、いや、ちょっと待ってください!?」

 

 ここに来てようやくミレディの思惑をリリアーナは理解した。

 確かに国同士の繋がりを強化するために、王族同士で婚約することは十分有り得ることだ。リリアーナも可能性は考えていたし、どうやら父はアルディアス様のことをかなり気に入っている様子だった。

 リリアーナも直接言葉を交わした回数こそ少ないが、彼が人格者であることは疑いようもない事実だし、正直今まで出会った男性と比べても、断トツと言っても良いほど好印象を抱いている。

 

 しかし、今は状況が悪い。

 

「それはあくまで一つの選択肢というか!? 別に決まったわけじゃ──」

 

 更に言葉を続けようとしたリリアーナの左肩がガシッと掴まれる。

 

「リリィさんもアルディアス様を狙っていらっしゃるの?」

 

 振り向いた先にいたアルテナは満面の笑みだ。しかし、リリアーナの掴まれた肩が万力のようにギリギリと締め上げられる。

 

「ア、アルテナさん落ち着いて。私は別に──」

 

 しかし、その言葉も右肩をガシリと掴まれたことで途切れる。

 

「実際アンタはどう思ってるんだい姫さん?」

 

 反対を振り向くと同じように満面の笑みのカトレア。しかし、リリアーナの掴まれた肩が(以下略

 

「リリィさん?」

 

「姫さん?」

 

「あ、あ、あ……あ! アルディアス様!」

 

「「え!?」」

 

 リリアーナの指差す方に慌てて視線を向けた二人だったが、そこには誰もおらず、視線を戻すと、一国の姫とは思えない全力疾走で逃走するリリアーナの姿が。

 

「お待ち下さい!!」

 

「待ちな!!」

 

「覚えていなさい、ミレディ・ライセェエエエエエン!!」

 

「ははははっ! 頑張ってねぇ!」

 

 自分をハメた諸悪の根源に向けて恨みを叫びながら逃走する王女を、心底愉快そうに手を振りながら見送るミレディ。

 三人の姿が視界から消えた後、ミレディは一人、空を見上げ小さく微笑んだ。

 

「ああ、平和だなぁ」

 

 自分達が喉から手が出るほど求め続けた世界が、今ここに完成されつつある。

 数多の種族が手を取り合い、笑い合うことが出来る世界。神によって理不尽に命を奪われない世界。

 

 最悪、自分の身を犠牲にしてでも。と、覚悟していたが、結局生き残ってしまった。

 ならば、代わりにこの世界を見守ろう。逝ってしまった皆の分まで……

 

「それに、あの娘らをからかうの面白いしねぇ」

 

 どちらが本分なのかは、彼女しか分からない。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 そんな地上の光景を空高くより、見下ろしている青年がいた。

 青年──アルディアスは小さく笑みを浮かべている。

 

「ここにいたんだ」

 

「アレーティアか。すまない、何か用だったか?」

 

「ううん、特に用は無いけど……」

 

「どうした?」

 

 不自然に途切れた言葉に、アルディアスが不思議そうに首を傾げる。すると意を決したように、アレーティアが口を開く。

 

「……ある程度国が安定したら、一つ、実験がしたい」

 

「実験?」

 

「うん、固有魔法を弄れないか試したいんだ」

 

「……“自動再生“か?」

 

 アルディアスの指摘にアレーティアは頷く。

 

「“自動再生“。この固有魔法の影響で私は一生年を取らない……ううん、取れない。実は昔からずっと考えてたんだ」

 

 この魔法の真髄は傷がすぐに再生しないことでも、魔力が在る限り死なないことでもない。年齢を重ねることが出来ないことだ。

 12歳という若さで発現してしまったせいで、これ以上の肉体的な成長は見込めないが、魔法という戦闘スタイル故、あまり関係なく、同時に老いという衰えがない。いつまでも全盛期の力を維持することが出来る。

 

 しかし、それは友人、仲間、家族。親しい者達の死を見送らなければいけないということだ。さらには自分の子供や孫がシワシワになっていく中で、自分だけが変わらず存在し続ける。それの何と寂しいことか。

 王族として、絶対的な王として君臨していた時代にはそんなことを考えることは無かった。だが、自分の隣に立ってくれる人達と触れ合ってしまったからこそ、出てきてしまった欲と不安。

 

「私はそんな人生嫌。皆と一緒の時間を過ごして、皆と一緒に年を取っていきたい」

 

 そして、願わくば、あなたの隣でずっと……

 

「そうか、ならば俺も手を貸そう」

 

「……いいの?」

 

「ああ、家族の頼みだ。断る理由がないな。それに……」

 

 アレーティアから視線を外したアルディアスは眼下の広大な世界を視界に捉える。

 その視界に入れた世界から、多種多様な色彩の文様が浮かび上がる。

 それは紛れもなく、世界の創造神(シュパース)の見ていた光景そのものだった。

 

「頂きはこの目で見た。そこに確かに存在するのなら、辿り着くことは不可能じゃない」

 

 “理への干渉“

 

 あれは決して神にしか使えない技などではない。エヒト達到達者は、神に至る前から“理への干渉“が可能だった。あくまで戦闘に組み込められる熟練度まで使いこなせていたのが(シュパース)だけだったというだけだ。

 

 無論、そこに辿り着くまでの道は長く険しいが、既にアルディアスはその領域に片足を踏み入れている。

 まだその存在を捉えることが出来ただけで、干渉するには程遠いが、それでもキッカケは掴んだ。後は自分の中の理想(シュパース)を目指していけば必ず辿り着くと確信している。

 

「アルディアス?」

 

「……いや、何でも無いさ」

 

 首を傾げるアレーティアに何でも無いとアルディアスが首を振ると、そのままじっとアレーティアを見つめ始める。

 自分の魔法の師であり、家族を失った自分のそばに寄り添ってくれた女性。孤独でモノクロだった旅が彼女が居ただけで色鮮やかに変わった日を、アルディアスは忘れない。

 

「え? あ、えっ、と……な、何?」

 

「安心しろ。俺はどこにもいかないさ。ずっとアレーティアのそばにいる」

 

 雲一つ無い空の下、アルディアスは心の底から笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

──ずっとアレーティアのそばにいる。ずっとアレーティアのそばにいる。ずっとアレーティアのそばにいる──……

 

 

(まさかこれは、プロポーズ!?)

 

 突然の告白に、アレーティアの脳内の至る所でオーバヒートを起こした。

 

(え、ちょ、心の準備が!? いや、嬉しいけど!? 嬉しいけど!? 正直予想もしてなかったと言うか……な、なんて返せば……! もちろん答えはイエスだけど!? せめて……せめてもう少し国が安定してからかなとか思ってて何も考えてない!? イタタ、胸が、胸が痛いんだけど!?)

 

 それでも流石は元王族。現実時間で一秒にも満たない時間で混乱を収めたアレーティアは、落ち着いた態度で、あくまで外見上は余裕のある年上の女性として立ち振る舞う。

 

「……私もアルディアスと──」

 

「やはり、家族としては早く良い人を見つけて欲しいしな」

 

「……」

 

 瞬間、アレーティアの脳が冷水を浴びせたかのようにスンッと冷静になる。

 分かっている。分かっていた。アルディアスの中では未だにそうなのだろう。アルディアスはただ家族の幸せを弟として願っているだけなのだ。そこには善意しか無い。それでも、それでも……

 

「ふん!!」

 

──ガツンッ!

 

「……なぜ俺は殴られたのだろうか?」

 

「自分の胸に聞いたら?」

 

「?」

 

「はぁ、それよりも、そろそろ皆が心配する。戻ろう?」

 

「ああ、そうだな」

 

 先に降下していくアレーティアにアルディアスも続くが、不意に止まり、そろそろ日が沈みつつある空を見上げる。

 

「……よく見ておけ。お前が生み出した人類(俺達)が足掻きながらも我武者羅に進んでいくその様を。親子揃ってな」

 

 答えはない。だが、それで構わない。

 すでに約束はした。後はそれを果たすのみ。

 

 物語は終わらない。この地に生きとし生ける者たちが居る限り、これからも多くの物語(ストーリー)が紡がれていく。

 

 世界は終わらない。この地を望むものが居る限り、彼の意志が途切れない限り、存在し続ける。

 

 

 ありふれた日常を守るために。

 

 立ち上がった男がいた。

 

 彼は全知などではない。

 

 彼は全能などではない。

 

 彼は神などではない。

 

 

 彼は“魔人族の王“であっただけのこと。

 

 

 少し違うのは、ほんの少しだけありふれない力を持っていただけの話。

 

 

 

 

 

 彼が求めるはありふれた日常。

 

 彼が願うのは今代の平和。

 

 彼が託すのは未来への希望。

 

 

 

 その意志が受け継がれていく限り、きっと世界は回り続ける。

 

 沈みゆく太陽が一日の終わりを世界に告げる。

 西の空に残る淡い夕焼けは、どこかの不器用な神の瞳のように、黄昏れに揺らめいていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

魔人族の王

 

 

『完』

 

 

 

 

 




ふぅ〜、何とか書き切ることが出来ました。
これにて完結です。幕間を含めて全55話。執筆期間9ヶ月というかなり短い内容ですが、個人的には満足です。
魔人族のオリ主っていないよね?っていう思いつきで書き始めたこの作品。思いつきで書き始めたせいか、実は設定がコロコロ変わってます。(当初の予定だとアルディアスが主人公兼ラスボスだったり)

さて、感想でもちょくちょく意見を頂いていたアフターですが、個人的にもちょっと書いてみたいなという気持ちがある一方で、満足してるからこそここで終わらせた方が良いのでは?という気持ちがせめぎ合っています。
なので、とりあえずここで一旦は完結させて、自分で満足のいく内容が出来たら不定期に投稿という形にしたいと思ってます。

内容としては
・アルディアス地球に行く。
・アルディアス(幼)の冒険。
・トータスでのその後。

この辺りが浮かんでますが、中身はまだ全く考えていないので納得出来ずに投稿しないという可能性も十分あります。投稿されてたらラッキーくらいに考えて頂けたら幸いです。

それでは、ここまで読んでくださった読者の皆様。本当にありがとうございました。


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番外編
IF編 魔人族の逆襲


beforeでもafterでも無く、ifです。
予告してたものじゃなくて申し訳ない。書きたくなったんです。

もし、解放者達よりも先にアルディアスが生まれていたら……という設定です。


 魔人族。

 

 人間族よりも優れた能力を持ちながら、狂った神と、一人のイレギュラーによって、世界から排他された孤独な種族。

 

 生き延びた者達は、無限に続く虚無に精神が壊れかけていた。

 死してなお、現世に未練が残っていた者達は同胞達の悲痛な姿に涙を流した。

 

『私はただ……同胞達が何に脅かされることもない、安心できる国にしたかっただけなのに……』

 

『あたしは、同胞のため……恋人のために平和な世界が欲しかっただけ……幸せになりたかった……』

 

 どこで間違ったんだろうか。どうすればよかったのだろうか。

 魔人族(私達)は……何を信じていればよかったんだろうか。

 

『死にたくない』『寒い』『苦しい』『諦めるな』『辛い』『どうして』『死にたい』『生きろ』『殺して』『諦めよう』『皆で』『もう十分』『死ぬ』

 

 同胞達の悲痛な声が聞こえる。

 

『誰か』『誰か』『誰か』『誰か』『誰か』『誰か』『誰か』『誰か』『誰か』『誰か』『誰か』『誰か』『誰か』『誰か』『誰か』『誰か『誰か』

 

 誰でも良い。お願いだ。お願いだから……

 

『誰か助けて……!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「確かに聞き届けた」

 

 

 

 願いは、届いた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ヘルシャー帝国。

 

 一年前、一人の少年の策略によって大打撃を被った帝都だったが、あの大戦後に着実に復興を進めていき、今ではかつての街並みを取り戻しつつあった。

 

 しかし、それはもはや過去の話。

 その象徴たるは帝城が……崩落していた。

 帝都の至るところで黒煙が吹き上がり、人々の悲鳴が木霊する。

 

「嫌だ、死にたくない!?」

「殺さないで、殺さないで!?」

「くそったれが!?」

「死にやがッ──ギャッ!?」

「うわぁあああ!?」

 

 そこに一切の慈悲は無い。彼らは作業をするかのように淡々と命を奪っていく。

 

「なんで……なんで()()がここにいるんだよぉおおおおお!?」

 

 あり得ない現実を嘆く青年の首が、あっさりと吹き飛んだ。

 

 

 

──帝城・玉座の間

 

 「う、あああ……」

 

 そこに鎮座する玉座に座れるのは皇帝たるガハルドただ一人。しかし、肝心のガハルドは床に這いつくばり苦悶の表情を浮かべている。周囲には彼の側近達の姿もあるが、彼らが動くことはもう二度と無い。

 それを、玉座に腰掛けながら見下ろす男が一人。

 

「実力至上主義の国家か。俺が生きた時代には存在しなかったが……」

 

──この程度か。

 

 口に出したわけではない。それでもその黄金(こがね)色に輝く瞳が口以上に物語っている。哀れみすら含まれる視線に、ガハルドの怒りが全身を駆け巡るが、身体はピクリとも動かない。

 

「なんで……なんでてめぇらが生きていやがる!?──魔人族!!」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

「あ? なんでエヒトが肉体を妥協しなかったのかって?」

 

「うん、この前リリィとそんな話になったんだよね」

 

 ハジメ家のリビングにて、香織からの突然の疑問にハジメは首を傾げた。詳しく聞くと、リリアーナと雫の三人でお茶を飲みながら談笑していたときにふと話題に上がったそうだ。ちなみにハジメの両親は外出中だ。

 

「そりゃ……一度身体を奪うと数年は入れ替えが出来ないからじゃないか?」

 

「それはこの前アニメで見てたナ○トに出てきた大蛇○ですぅ」

 

「ああ、あの気持ち悪い蛇みたいな奴じゃな」

 

 ハジメの回答にシアからツッコミが入り、ティオもその時の描写を思い出したのかうんうんと頷く。

 

「じゃあ、神域の方が居心地が良かったとか?」

 

「否定は出来ないけど……」

 

「あのプライドの塊みたいな奴がその程度で引きこもる?」

 

 続く回答に雫とユエは首を傾げる。

 肉体を持たなくては現世に顕現が出来ない。エヒトの様子を思い出すに、肉体の鞍替えが出来ないというわけでもなさそうだ。

 

「言われてみれば、確かにおかしな話だな」

 

 強い肉体を欲していたのは分かる。だが、別に神域で待ち続けなくても、その都度強い身体を見つけ次第鞍替えしていけば良かったのではないかと思う。

 それにエヒトはアルヴを魔人族の王として降臨させていたが、それなら、王国のトップにはエヒトが座れば効率は良かったはず。なぜわざわざノイント(メッセンジャー)を介してまで手間のかかる手段を使ったのか……

 あくまで盤上を上から眺めていたかったという線もあるが、奴の性格から推測するに、すぐ目の前で苦痛に歪む表情が見れるのにその機会を棒に振るうとも思えん。

 

(ゲーム感覚なら見てるより、自分でやった方が楽しいだろ)

 

 特に重大なことでも無いが、一度気になるとなんだかモヤモヤして後味が悪い。その場に居る全員が首を傾げていると、輪の外でレミアに注いでもらったジュースを飲んでいたミュウがバッと手を上げた。

 

「ミュウ分かったの!! きっとエヒトは怖かったの!!」

 

「「「……怖かった?」」」

 

「うん! パパが言ってたの! エヒトはとんでもなく臆病で弱虫野郎だって!!」

 

「あなた?」

 

「……悪かった」

 

 気付かぬ内に、またもやハジメの口の悪さを継承していたミュウの姿にレミアの笑みがハジメに突き刺さる。

 

「きっとお外に出て、パパにやられちゃうのが怖かったの!!」

 

「あら〜、流石はミュウね。名探偵さんみたい。ご褒美のジュースよ」

 

「わーいなの!!」

 

 ジュースにつられて再びレミアの方に戻っていったミュウを一瞥したハジメ達はお互いに顔を見合わせた。

 

「「「エヒトが……怖かった?」」」

 

 ミュウの意見はつまり、現世にはハジメのような強者が居て、生半可な肉体では殺される危険性があったから、ということだろう。

 

「「「いやいやいや」」」

 

 全員が同時に首を振る。

 確かにミュウの考えは理屈が通っているが、流石にありえない、と。

 ハジメと同等の存在がいることもそうだが、()()()()()が恐れる存在など考えられない。内面はともかく、その実力は確かだった。ハジメ達が勝利を掴めたのも幾つもの奇跡が重なった結果に過ぎない。

 そもそもそんな存在が居れば、とっくにエヒトが自分の肉体として使っているだろう。

 

「……と、もうこんな時間か。そろそろ出発するぞ?」

 

 ハジメの号令に各々がはっとした表情を浮かべた後、慌てて準備を始める。今日はこのメンバーでトータスに行く予定なのだ。ハジメ家で集合してすぐに出発する予定だったが、何となく香織が口にしたことで時間をくってしまっていた。

 

「レミアとミュウはホントに留守番で良いのか?」

 

「ええ、少し前に里帰りも済ませましたし、それに……」

 

「明日は友達しょくんと公園に行くの!」

 

「と、言うわけなので、私はミュウについていきますね」

 

「そうか、分かった。ミュウのことよろしくな」

 

「はい。かしこまりました、旦那様」

 

 その後、全員揃ったのを確認したハジメが“クリスタルキー“と“導越の羅針盤“で扉を開いた。

 

 

 

 ◇ 

 

 

 

「……は?」

 

 扉をくぐるとそこは王宮の一角にある大広間だった。

 それは別にいい。ハジメがそこに開くように設定したのだから当たり前だ。だが、ハジメ達の視界に広がる光景は、自分達の記憶とはかけ離れていた。

 

 見渡す限りの瓦礫の山。僅かに残る城壁と床の意匠がなければ、どこか違う場所に転移してしまったかと勘違いしていただろう。

 遅れて聞こえてきた喧騒の声。遠くからでも聞こえる悲鳴と鼻を刺激する血の匂い。それだけで状況を理解した。

 

──王都が襲撃を受けている。

 

 それを認識した瞬間、すぐさまハジメは駆け出した。その後ろからユエ達も追走する。

 

「どうなってるの、なんで王都が!?」

 

「知らん! だが、襲撃されているのは間違いねぇ!!」

 

「しかも、王都はほぼ壊滅状態じゃ! ちとマズイの!!」

 

 混乱しながらも香織の疑問に、ハジメとティオが足を止めずに答える。

 情報は足りないが、王都が何者かの襲撃を受けているのは間違いない。しかも、状況はかなり悪い。

 

「そもそも、今のトータスに王都を襲撃してくる勢力なんているの!?」

 

「仮に居たとしても、王国をここまで一方的に圧倒できる戦力なんてどこにも無かったはず!!」

 

「ハジメさんのアーティファクトも全部壊しましたしね!!」

 

 少し前までは、戦争真っ只中だったトータスだが、エヒトを打ち倒したことで終止符が打たれたはず。

 戦力差を覆すことの出来るハジメ産のアーティファクトは大戦の後に一つ残らず破壊した。

 そのことに雫とユエ、シアが困惑の表情を浮かべる。

 

「大前提として、そんなことをする利点がない」

 

 ハジメの一言に、その場の全員が頷く。

 普通、国を襲撃するとなると、それをするだけの価値が襲撃者側にあるということだ。

 駄神(エヒト)のような愉快犯の可能性もあるが、あれは特殊な部類だろう。

 

「──ッ!! 避けて下さい!!」

 

「「「ッ!!」」」

 

 突然のシアからの警告。シアの能力を知っている彼らは迷いなく四方に散らばる。

 直後、それまでハジメ達が居た場所を白き極光が薙ぎ払った。

 

「うそッ!?」

 

「まさか、あり得ん!?」

 

 その攻撃に見覚えがあったハジメ達の中で、特にシアとティオは驚愕に目を見開いた。

 知っている。この攻撃を知っている。だが、同時にありえないと否定する。

 だって、()()()()()()()()()()()()()()()()()……

 

「久しいな、南雲ハジメ」

 

 名を呼ばれたハジメが声がした上空を見上げると、それは現れた。

 赤髪に浅黒い肌、僅かに尖った耳を持ち、純白の竜に乗る男。

 最後に見た容貌とは変わって……いや、元に戻ったと言ったほうが正しいだろう。

 見間違えるはずがない。魔人族の将軍にして、神域にてティオと対峙し、相棒の竜共々消滅したはずの男。

 

 フリード・バグアーがこちらを見下ろしていた。

 

「てめぇ、何で生きてんだ。ティオからは殺したって聞いたぞ」

 

「そのとおりじゃ!? あの時、妾のブレスで跡形もなく消し飛んだはずじゃ!? なぜ生きておる!?」

 

「死んださ。細胞一つ残らず、ウラノス共々跡形もなくな」

 

「クルァ!」

 

 困惑するティオと違い、フリードは落ち着いた表情で語る。

 だが、なぜだろう。ハジメには目の前の男が自分の知る男と同じとは思えなかった。そしてその理由にもすぐに気がつく。

 

(……眼だ。今までの神を心酔していた眼じゃねぇ。明らかに何かが違う)

 

 今のフリードからは神域でのような力を感じない。騎乗する竜も元の形態に戻っている。確かに目の前の男ならば王都を滅ぼすことも可能だろう。しかし、自分達の敵ではない。そのはずなのに嫌な予感が頭を離れない。

 

「……南雲ハジメ」

 

「んだよ」

 

「貴様らには迷惑をかけた。すまなかったな」

 

「「「……は?」」」

 

 フリードからの謝罪にハジメだけでなく、ユエやシア、ティオが呆然とする。もしや、似ているだけのそっくりさんかもしれないと本気で疑うほどだ。それほどの衝撃。

 

「貴様を傷つけたことではないぞ? 貴様の大切な者を侮辱したことを、だ」

 

「……お前、頭でもぶつけたのか」

 

「そう思われても仕方がないな。それほどまでに、あの時の私は愚かだった」

 

 戦いの場で敵に情けをかけるのは相手にとっての侮辱行為。そのことを謝罪するつもりはフリードにはなかった。

 しかし、例え敵だとしても、その者の信念を嗤うなどフリードの本来の矜持が許さない。

 

「……別にお前に謝られようとどうでもいい。それよりもこれは何のつもりだ?」

 

「魔人族……同胞の未来を今度こそ守るためだ」

 

 魔人族は一年前の大戦を経て、完全に世界から追放されてしまった。全種族が力を集結させ、神に立ち向かうという時に、自分達のことしか考えず、呑気に神の支配下に下った。

 

 神が敗北した今、魔人族の扱いは完全に人類の裏切り者だ。もう二度と表舞台に出ることは叶わない。

 

「だからこそ、私達は全てを壊す。国を、歴史を……世界をゼロにし、魔人族が生きられる世界を造り直す」

 

「……例え、魔人族以外の種族が滅ぶことになっても、か?」

 

「彼らの憎しみは現代の私達が背負う。未来の子供達が平和に暮らせる国を造るため……私は修羅にすらなろう」

 

 ふざけるな! 誰もがそう口にしようとした。しかし、それが言葉として吐き出されることはなかった。

 目の前の男がやろうとしていることは大量殺人となんら変わらない。魔人族の現状は彼らの因果応報から来るものだ。言ってしまえば、自業自得なのだ。

 だが、そのことをフリードは十分理解している。トータスの歴史を振り返っても、間違いなく魔人族が“悪“に断定されるほどの悪行。

 理解していながらも、フリードはそれを実行する。()()()()()()()。ただそれだけの願いのために。

 

 だが、それを魔王(ハジメ)が許すかは別だ。

 

「なるほど? てめぇの馬鹿げた理想は分かった。だが、俺に一族諸共殺し尽くされる未来は考えなかったのか?」

 

 別にハジメは世界がどうなろうと知ったことじゃない。しかし、この世界にはシアやティオの家族がいる。リリアーナとてそうだ。自分の身内が、その家族が危険に晒される可能性をハジメが見逃す筈がない。

 

「敵ならば……殺す」

 

 ハジメの濃厚な殺気がフリードに突き刺さる。そのままドンナーを引き抜こうとした瞬間──

 

 

「お前が南雲ハジメか?」

 

 

 空気が震えたと錯覚するような重たい声。

 まるで重力魔法にかけられたかのように、身体が鉛のように重く感じる。気を抜けばその場に膝をついてしまいそうなまでの重圧だ。

 

(──なんだ、アイツ……!?)

 

 今まで感じたことのないほどのプレッシャー。まるで本能が負けを認めるたのように足が震え、その場に崩れそうになる。

 これほどの威圧感。今ならば、エヒトが可愛く思えるかもしれないとさえ思った。

 

「……フリード」

 

「ハッ! 目の前の男が南雲ハジメです」

 

「そうか」

 

 震えながらも、ハジメはフリードの隣の男に視線を向ける。

 

 穢れなど知らないと言わんばかりの純白の髪。

 爛々と黄金(こがね)色に輝く両眼。

 呑み込まれそうな程の黒で統一されたロングコート。

 一見女性に見えてしまう程に中性的で、ある種の神秘性を兼ね備えた容姿。

 

 そして、その身に宿した神の如く膨大な魔力。

 

(なんだよコレ!? こんなのエヒトの奴ですら……!?)

 

 今まで感じたことがない程の次元の違いに、ハジメの奥歯がガチガチと音を鳴らす。

 キュッと服の裾を掴まれた感覚にハジメが振り返ると、いつの間にかそばに寄っていたユエがハジメの服をガッチリと掴んでいた。

 ここにいるメンバーの中で魔法の適性が高いのは間違いなくユエだ。だからこそ、誰よりもはっきりと感じ取ってしまった。目の前の男との絶対的な実力の差に。

 

 そんな彼らの様子に気付いないのか、それとも気付いていながら興味がないのか、男がハジメに語りかけてくる。

 

「お前がエヒトルジュエを殺したと聞いた。本当か?」

 

「……だ、としたら?」

 

「そう怯えるな。取って食おうというわけじゃないんだ。お前には感謝している」

 

「……何のことだ」

 

「俺はあの愚神によってこの地の奥深くに封印されていた。お前がエヒトを殺したからこそ封印を破壊することが出来た」

 

「ッ!?」

 

 この時、ハジメの頭を過ぎったのはここに来る前に交わしたミュウとの会話だ。

 

『ミュウ分かったの!! きっとエヒトは怖かったの!!』

 

 もし……もしもだ。解放者が立ち上がる前に、神に反旗を翻した者が居たとしたら……?

 

 そいつがエヒトを優に超える力を持っていたとしたら……?

 

 肉体を奪う余裕など無く、封印するので精一杯だったとしたら……?

 

 解放者の一人が魔人族だったことに忌避感を覚え、監視のためにアルヴを王にしたとしたら……?

 

 生半可な肉体で地上に下りてしまえば、封印が緩み、殺されてしまう危険性があったとしたら……?

 

 

 目の前の男が、エヒトすら恐れた存在なのだとしたら……?

 

 

 

 

 

「だが、魔人族を封印したのもお前だな」

 

 

 再び、ハジメ達を襲う重圧。いや、先程と違い、僅かに殺気も混じっている。それだけで限界だった。

 ハジメを含む全員がその場に膝をつき、上半身を支えるために両手を地面につく。

 その姿はまるで、許しを乞う弱者のようであり、同時に、神に信仰を捧げる信者のようでもあった。

 

「う、ぐぐぐ……!」

 

 なんだよこれ。なんなんだよこれ!?

 窮地は何度も味わってきた。何度も死にかけたし、何度も諦めかけた。それでもそんな逆境をハジメ達は幾度も跳ね返してきた。

 だが、これは違う。これはそんなレベルじゃない。

 戦いなんて成立しない。抗うなんて選択肢は存在しない。

 

 無理だ。無理だ無理だ無理だむりだ死ぬ死ぬ殺される終わる無理死ぬ終わった逃げる死んだ死んだ終わってる逃げない諦める受け入れようむりおわったよあきらめしんだしんだしんだしんだ───

 

「まあ、そのことでお前達を責めるようなことはしない」

 

 その瞬間、感じていた重圧がふっと消えた。

 

「だから、自殺などされても困るぞ?」

 

「……え?」

 

 男の言葉が分からず、困惑するハジメ達だったが、すぐに気付いた。

 ハジメはドンナーを自らのこめかみに当てていた。その姿はどう見ても自殺一歩手前にしか見えない。

 周りのユエ達も同じ有様だった。刀で、尖った瓦礫で、自らの命を断とうとしていた。何人かの首からは少し切ったのか血が滴り落ちる。

 その事実に、ハジメはゾッとした。

 つまり、奴の放つプレッシャーに耐えきれず、無意識に命を断とうとした。死んで楽になろとした。

 更に驚くのはユエの様子だ。ユエの首からは血が滴ってるが、一向に傷が再生する様子がない。

 

 “自動再生“はユエの意志とは関係なしに発動する。それが発動しない。奴は殺気を放っただけで魔法やスキルの類は使っていない。つまり、スキルを含め、ユエの全てが生存を諦めたということ。

 普段なら多少なりとも憎まれ口を叩くハジメだが、そんな余裕は無い

 

「魔人族が神に味方したことは事実だからな。その場に居なかった俺がどうこういう資格はない」

 

 返事をすることも出来ないが、男は淡々と事実だけを告げる。

 

「しかし、俺は同胞達を救わなくてはならない。それが彼らの願いであり、俺の願いでもある。そのためならば、世界すら滅ぼしてみせよう。それで邪神と呼ばれようとも構わない」

 

 男がハジメ達に手を伸ばす。

 瞬間、ハジメ達を中心に巨大な魔法陣が出現する。

 

「な、何を……!?」

 

「安心しろ。元の世界に還すだけだ」

 

「「「なッ!?」」」

 

 ハジメですら、貯蔵した莫大な魔力と“クリスタルキー“と“導越の羅針盤“というアーティファクトを使い可能な異世界への転移。

 それをまるで片手間のように実行しようとする姿に驚愕するのも無理はない。

 

「先程、世界の境界に揺らぎを感じた。お前達はそこを通ってきたのだろう? 向こうの座標もその時特定した。問題はない」

 

 ハジメ達を包み込むように魔法陣の光が増していく。

 

「俺はお前達に危害を加えるつもりはない。だが、俺の邪魔をするならば話は別だ」

 

 まばゆい輝きに、既にハジメ達が外の様子を確認することは出来ない。それでも、その声だけははっきりと聞こえた。

 

 

「最後に覚えておけ。我が名はアルディアス。魔人族の王にして、世界を滅ぼすもの也」

 

 

──お前達が俺の前に立ちはだかることが無いことを祈っている。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

「あれ? もう戻ってきたんですか?」

 

「パパ?」

 

 ハジメが気がつくと、そこは地球にある自宅のリビングだった。

 そばにはユエ達も全員揃っており、早すぎる帰宅に、レミアとミュウが不思議そうに首を傾げている。

 

「……マジで、転移させやがった……」

 

「パパ、どうしたの?」

 

 ハジメの様子がおかしいことに気付いたミュウがハジメの元に駆け寄ってくる。

 その愛らしい愛娘をハジメは力強く抱きしめた。

 

「みゅ!?」

 

「あの……本当に何かあったんですか?」

 

「……」

 

「……え? パパ!?」

 

「あなた!?」

 

 ハジメは気絶していた。ミュウを抱きしめたまま、まるで恐怖を紛らわすように……

 そのことにミュウが驚き、レミアも慌てて駆け寄ろうとした瞬間、バタバタとユエ達もその場に崩れ落ちた。

 

「え!? 皆さん!? しっかり、しっかりしてください!?」

 

「パパ!? パパぁああ!?」

 

 

 

 

 

 一人の少年は確かに世界を救った。本人にその意図が無かったのだとしても、最愛を助けるためのついでだったとしても、確かに少年はあの世界にとっての救世主だった。

 

 しかし、未来はどこで繋がっているのかは誰にも分からない。最善だと思って行動した結果、最悪に繋がることもある。

 

 世界の平和が、皆の平和とは限らない。

 

 

 

 




この後、トータスは間違いなく魔人族のものになります。
魔人族に恨みMAXの人間族は滅び、獣人族と竜人族は対応しだいで変わります。

人間族の生存のためにはハジメ達がアルディアスに敵対することが条件だけど、ぶっちゃけ生存確率が0%から0.0001%に増えるくらい。


>アルディアス【オルタ】

解放者よりも早く生まれ、原作同様いち早くエヒトの正体に気づく。しかし、仲間に恵まれず、エヒトを追い詰めるも、逃亡を許してしまう。
そのままでは肉体を奪えないことを理解したエヒトは、魔人族を人質にアルディアスを追い詰めていき、地下深くに封印することに成功する。
だが、いつまで経っても魂が疲弊することは無く、肉体を諦め、復活させないことに全力を注ぐようになった。

封印されている間も外の情報を取り込み続け、進化し続けた化け物。エヒトくらいならワンパンでいける。
エヒトが死んだことで封印を破り、魔人族の声を聞く。その際、現世に残っていた魂の欠片からフリードを含む魔人族の兵士を生き返らせる。もちろん強化済み。
人間族に恨みはないが、魔人族の未来のために、今の世界を滅ぼす。

>本編との相違点

・実力
 本編は18歳。ここでは5000歳以上。年季が違う。

・性格
 感情が薄れており、根底にある魔人族の救済のためだけに動き出す。かつての失敗の影響もあり、本編よりも非情な性格に変わっている。

・ハジメへの認識
 魔人族を封印したことには眉を潜めたが、エヒトを殺してくれたことには感謝しているので見逃す。だけど邪魔するなら問答無用でギルティ。見込みがある? そんなの知らん。



これで連載も考えたけど、正直ハジメ達の勝機がなさすぎて無理だった。続きは無いです。
最近個人的にハマってる主人公ラスボス化の波に乗った話。


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未知との遭遇?

二ヶ月ぶりの更新。
本編軸の初の番外編がこれとは誰も予想してなかったと思う。
時期はエピローグ後、地球帰還前です。


 その日、アルディアスは黙々と執務室にて己の職務を淡々とこなしていた。

 今日は特に城の外に出る用事も無く、溜まっていた書類の処理を行っている。今すぐ必要な書類では無いが、どうせやることもないので、この隙に済ませておこうという魂胆だ。

 

 普段はフリードとアレーティアも同室にて仕事に取り組むことが多いが、今は二人共席を外している。部屋の中にはアルディアスとお付きのメイドが一人いるだけだ。そんなタイミングで来訪者はやってきた。

 

──コンコン

 

 ドアをノックする音に、メイドが対応するため扉に近寄っていく。

 

「アルディアス様。メイドの一人がアルディアス様にお渡ししたいものがあるとのことです」

 

「俺に? 急用か?」

 

「はい、何やら慌てているようなのですが……」

 

「ふむ……分かった、入れてくれ」

 

「かしこまりました」

 

 アルディアスの許可をもらったメイドは扉を開き、一人の若いメイドを室内に招き入れる。

 アルディアスの記憶では確か新人のメイドの一人だったはずだ。

 

「お、お仕事中に申し訳ありません!」

 

「気にするな。わざわざ俺に伝えるような内容なのだろう?」

 

「は、はい。その、城内の清掃中にこれを見つけまして……」

 

 恐縮した様子でメイドがアルディアスに差し出したのは一枚の用紙だった。

 それもただの用紙ではない。国外などの任務に就いた際に、提出が義務付けられている報告書だ。

 兵士などの役職についているものからすれば珍しいものではないが、実はこの用紙は国外秘となっており、取り扱いには注意するように義務付けられている。

 例え、内容が書かれる前の物だとしても、そこから国の傾向などが漏れてしまう可能性があるからだ。

 

「これをどこで?」

 

「その、城内の一般廃棄物をまとめていた際に偶然目に止まりまして」

 

「なるほど……」

 

 当然、廃棄する場合もそれにそう形を取る必要がある。間違っても一般廃棄物と一緒に、それも形を残したまま捨てるなどあってはならない。

 だが、これだけならばわざわざアルディアスの元を訪れる必要はないだろう。自身の上司であるメイド長や、隊長レベルの兵士を見つけて知らせればいいだけの話だ。

 しかし、彼女はそれをすることは出来なかった。なぜならば、その報告書は白紙ではなく、内容が記載されており、その報告者の名までしっかりと残っていたからだ。

 

 達筆な字で……フリード・バグアーと。

 

「相手がフリードでは相談するに出来ないな」

 

「はいぃ、すみません」

 

「いや、君が謝る必要はない。それどころかよく見つけてくれた」

 

「ふえ!? い、いえ、偶然見つけただけですので……!」

 

 彼女からすればフリードは雲の上の存在。そんな人物のミスを見つけてしまった胸中はかなり複雑なものだったはずだ。

 悩んで悩んで……アルディアスの元を訪れた。

 そんな彼女を労ると同時に、少しでも重圧が無くせられたらと、安心させるように笑みを浮かべる。

 それを正面から受けてしまった少女は顔を真っ赤に染めて、別の意味でアワアワと慌て始めてしまうのだが。

 

 その後、若いメイドが退出した後、アルディアスは元から部屋に待機していたメイドにも退出するように促し、一人、フリードの作成した報告書に目を通す。

 

(フリードがこのようなミスを犯すなど珍しいな)

 

 報告書にざっと目を通すと、これは神話大戦でのフリードの行動を記したものだった。しかし、その時の報告書は既に提出されている。

 この報告書は恐らく、書き損じたものだろう。内容も何やら感情的なものが多く、正直フリードが作成したものとは思えない。

 

 まるで書き殴ったように字体が乱れ、ところどころ読めない箇所もある。これでは書き直すのも納得だ。

 その中でも読める箇所をアルディアスは繋ぎ合わせていく。

 

(『私の想定以上』『異次元』『理解不能』『ティオ・クラルス』『竜化』『関心するほどの』……ダメだな。まともな文章にならない)

 

 既に提出されている報告書を見るに、フリードはティオ・クラルスと共闘を行ったらしい。

 その時に『灰征魔國(かいしょうまこく)』を使ったらしいが、あれは対象を従属化する必要がある。

 

(ティオ・クラルスとの繋がりを経て、何かフリードの想定を超えるほどの可能性を感じた、ということか?)

 

 それこそ、報告書に書き出す際に、手元が狂うほどの何かを……

 

(今を生きる種族の中でも最古の種族。その族長の孫娘となればポテンシャルは未知数……)

 

 真実は全く違うのだが、ティオのド変態な行動を見ていないアルディアスはそのことに気付かない。

 

(……興味が湧いたな)

 

 一人、アルディアスは唇の端を吊り上げた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

(少し時間がかかってしまったな)

 

 所用を済ませたフリードは、早足でアルディアスが居るであろう執務室に向かっていた。

 

(しかし、あのメイドの少女はどうしたのだろうか?)

 

 ここに向かう最中に若いメイドとすれ違ったのだが、こちらが心配になるくらい私の顔を見て動揺していた。

 本人に聞いてみても何でも無いの一点張り。急いでいたこともあり、そこまで言うのならいいか、とそのままにしておくことにした。

 

 そんなことを考えていると、早々に目的地の扉の前に着く。

 身だしなみを確認した後、扉をノックするが、応答が一切無い。

 不思議に思いながらも扉を開けると、そこにはメイドどころか、アルディアスの姿もなかった。

 

「席を外しておられるのか?」

 

 首を傾げながら室内に足を踏み入れるフリードだったが、アルディアスが仕事をしていた机の上に書き置きのようなものを見つけた瞬間、フリードは嫌なデジャブを感じた。

 そこにはただ一言。

 

 

 少しハジメのところに行ってくる。昼には戻る。

 

アルディアス

 

 

「はぁ……」

 

 それを読んだフリードは小さくため息をついた。

 魔王になった後のアルディアスのことしか知らない者からすれば信じられないかもしれないが、アルディアスは元々探究心や好奇心が常人よりも高い。

 幼い頃など、置き手紙一つで七大迷宮に行ってしまうほどだ。(第二話参照)

 アレーティア曰く、探究心や好奇心が高いのは魔法を極めたい人なら当たり前、ということらしいが、やられる身となっては勘弁して欲しいところである。

 

 今フリードが担当している仕事は最終的にアルディアスの認印が必要なものになるため、アルディアスが居ないのならば後回しにするしか無いだろう。

 フリードは午後にやるべき仕事を頭の中でリストアップしながら執務室を出る。

 

(それにしても、魔王となってからは流石に落ち着いていたのだが、何か気になることがあったのか?)

 

 あのアルディアスが興味を持つほどのことだ。生半可なレベルでは腰を上げないだろう。

 

「あ、あの!?」

 

「……ん?」

 

 思考に没頭していたフリードに声がかかり、意識をそちらに移す。

 そこに居たのは先程すれ違ったメイドの少女だ。何やら、眉を八の字に歪め、身体を縮めこませている。

 

「どうかしたのか?」

 

「も、申し訳ありませんでした!!」

 

「……は?」

 

 いきなり謝罪されたことにフリードは困惑するが、そんなフリードの様子に気付かず、少女は必死に頭を下げ続ける。

 

「少し待ってくれ。なぜ君は私に頭を下げているんだ?」

 

「え? でも、私のせいでアルディアス様からお叱りを受けたんじゃ……?」

 

「お叱り? アルディアス様から?」

 

 意味の分からない言葉を並べる少女に、フリードは一つ一つ理由を尋ねていく。

 

 Q.なぜそう思った?

 A.暗い顔をしてたから。

 

 Q.そもそもなぜ私が怒られる?

 A.私が報告書を出したから。

 

 Q.報告書とは何のことだ?

 A.一般廃棄物の中にフリード様の作成した物が混じっていた。

 

 Q.……それはいつのものだ?

 A.神話大戦のときのもの。

 

 全てを聞き終えた後、フリードはダラダラと滝のような汗を流していた。

 そのことに少女は再び頭を下げ始めるが、少女に罪はない。これは完全に私の落ち度だ。少女に謝罪の言葉を告げた後、職務に戻るように指示を出す。

 少女の姿が見えなくなった後、フリードはその場にしゃがみこんで頭を抱える。

 

 例の報告書のことはハッキリと覚えている。

 内容を記載するために、記憶を振り返り、その度に頭が割れるような苦痛を味わうこととなった。思わず感情のままに書き殴ってしまい、書き直すはめになってしまった程だ。

 その後、四苦八苦しながら完成した報告書を満足気に提出した。したのだが、問題は一枚目の書き直すはめになった報告書だ。恐らく、あまりの達成感に頭から抜けてしまい、通常の廃棄物と混ぜてしまったのだろう。

 

 あまりにも情けない失態だ。若い少女に気を遣われている時点でかなりのレベルのものだが、今はそれどころじゃない。

 問題は、それをアルディアスに見られたということ。そして、このタイミングで姿を消した主君。書き置きには南雲ハジメの元に向かうと書かれていた。もはや確定だ。

 

 今でも思い出せる報告書の内容は、何も知らない者が見れば、ティオ・クラルスの可能性を示唆する内容に見えるかもしれない。

 いや、この際細かいことはどうでもいい。今重要なことは一つだけ……

 

 

──アルディアスが、ド変態(ティオ・クラルス)に興味を持った。

 

 

「しまったぁあああああああああ!!?」

 

 

 フリードの絶叫が、城内に響き渡った。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

「…………」

 

「そ、粗茶です!」

 

「ああ、ありがとう」

 

 ハジメは目の前の光景を光の失った瞳でじっと見続けていた。

 どうしてこうなったのか。なぜ安易に扉を開けてしまったのか。なぜ適当な理由で追い返さなかったのか。

 今となっては、後の祭りである。

 

 

 

 

 時は数分前──

 

 

 魔国ガーランドの中心に立つ魔城から少し離れた位置にハジメ達の住居はあった。

 他のクラスメイトと同じように王都ではなく、魔都にいる理由は、確立しつつある地球帰還の助力のためだ。

 当初は魔城にそのまま住まわせようとしたアルディアスだったが、余り目立つのを嫌ったハジメと、当たり前のようについてきた、シア、ティオ、香織。それにレミアとミュウの存在もあり(しかも全員同部屋希望)城内ではなく、少し離れた一戸建ての住居に腰を落ち着けることになった。

 

 そんな毎日が騒がしい日々を送っていたハジメだったが、今日は久しぶりのシアと二人だけの時間を過ごしていた。

 ティオは竜人族の里に、香織は雫達に会いに王都へ、レミアとミュウはエリセンに里帰りに出ていてここには居ない。

 

 シアはいいのかと思うかもしれないが、数日前に魔国にハジメを追って侵入しようとした兎人族一団がまとめて捕獲されるという事件が起き、その時にハルツェナ樹海でのアルディアス襲撃事件を知ったハジメにまとめて折檻されていたついでに会っているため問題は無い。(無いったら無い)

 

 というわけで、シアと何をすること無くのんびり過ごしていたハジメだったが、その時に訪問者を告げるベルが鳴った。

 これが王都だったのなら居留守を使う手も考えたのだが、アルディアス達に帰還の手助けをしてもらっている恩や、普段から良くしてくれている魔都の人達を無下に使うことも出来ず、渋々扉を開けた。

 今思えば、これが全ての間違いだったのだろう。

 

『突然の訪問謝罪する。少しいいだろうか?』

 

 まるで友人宅を尋ねるような気軽さで一国の王が現れたことに、ハジメとシアも揃ってぽかーんとするしかなかった。

 いきなりの訪問は驚いたが、知らない仲ではないため、特に考えることもなく家に上げたのだが……

 

()()()()()()()()はいるか?』

 

 最初はただの近況報告や、魔都での暮らしに不便は無いかなどの世間話だった。

 しかし、話に一区切りついた後に告げられた一言。

 それだけで、ハジメは自身の失態を悟った。

 

 

 

 

(やばい!? やばいやばいやばい!?)

 

 ズズッと呑気に茶を飲むアルディアスを視界に入れながら、ハジメは頭を抱えて転がり回りたい気持ちでいっぱいだった。

 理由は分からないが、アルディアスはティオに会いに来たようだ。

 しかし、ハジメにはアルディアスとティオを会わせたくない理由があった。

 人間族と魔人族との和平が成立した日。フリードにぶん殴られ、ティオの矯正を命じられたハジメだったが、実はそれ以外にもキツく言い含められていたことがあった。

 

 

『分かっていると思うが、あの痴態極まりない姿をアルディアス様の視界に入れることだけはするなよ? もし、アルディアス様のお目を汚すことになれば…………………………その命、無いと思え

 

 

 ハジメは思う。

 大迷宮を攻略していた時も、アルディアスと敵対した時も、神話大戦中にも、あそこまでの殺意を感じたことは無かった、と。

 

(もし、万が一のことがあれば殺される……!!)

 

 普段はアルディアスの前では抑えるように言い聞かせているが、あの変態のことだ。帰宅早々自宅だからと気を抜いてやらかす可能性がある。そこにアルディアスが居ることなど知りもせずに……

 

(ティオがいつ帰ってくるか分からない以上、ここに長居させるのは危険だ。一秒でも早く帰らせねぇと……!!)

 

 アルディアスに茶を出した後、ハジメの隣で同じように顔を青白くさせていたシアに視線を向けると、同意するように頷かれる。考えることは同じらしい。

 

「ティオ……だよな? あいつなら今は竜人族の里に行ってるぞ?」

 

「む? そうなのか?」

 

「はい! 里の再建のお手伝いらしいです!」

 

「なるほど、入れ違いになってしまったか」

 

 納得した様子を見せるアルディアスの姿にハジメは小さくホッと息を吐いた。

 ティオは祖父のアドゥルに会いに行っただけでなのだが、適当に理由をつけておけば、私用を優先させることはしないだろうという目論見だ。

 

(とりあえず、今だけでも乗り切れば後でいくらでも取り繕える!)

 

「仕方がない。また日を改めるとしよう。すまない、邪魔したな」

 

「気にすんな」

 

 そしてその目論見通り、アルディアスは席を立って玄関に向かい始める。

 シアと二人小さくガッツポーズを見せながら、見送るために二人もアルディアスの後に続く。

 

「今度来る時は前もって言っといてくれよ。茶菓子くらい出してやる」

 

「了解した。楽しみにしておこう」

 

 そのままアルディアスが玄関のノブに手を伸ばそうした瞬間。

 

「只今帰ったのじゃ! ご主人様、早速妾と『ピー』を──」

 

「死ね!!」

 

 バァン!!と、勢いよく扉が開かれると同時に、両手を大きく広げて現れたティオ。

 ドバァン!!といつの間にか取り出したドンナーの速撃ちで眉間を撃ち抜かれて吹き飛ぶティオ。

 

(最悪なタイミングで帰ってきやがったァアアアアアアアアアアア!!)

 

 いらんことを口にしようとしたティオを止めるために思わず条件反射で撃ち抜いてしまった。

 恐る恐る横目でアルディアスの様子を伺うと、僅かに目を見開いている。

 

(聞かれたか? いや、まだ誤魔化せば何とか……)

 

「良い……! 良いのじゃ……! これが欲しくて早々に帰ってきたのじゃ……ハァハァ、うぅん……んっ!」

 

「しー! ティオさんお願いだから、今だけは……!! 今だけは!!」

 

 しかし、ハジメのそんな小さな希望も、目の前で悶ている変態の姿に台無しにされる。

 言うまでも無く、アルディアスはバッチリ目撃している。

 

(こうなったら、なんとかしてフリードにだけは伝わらないように──)

 

 幸い、アルディアスはそれなりに融通が効く。何とかフリードにだけは話がいかないように頼みこめば何とかいけるのでは?と考えたハジメがアルディアスに顔を向けた瞬間。

 

「──おい」

 

 残念ながら、現実は無情だった。

 腹の底から響くような低い声に、ハジメ達の肩がビクッと跳ねる。

 アルディアスの声では無い。それは今一番彼らが聞きたくないもので……

 

「……よ、ようフリード。元気そうだな」

 

「揺れる揺れる世界の理。巨人の鉄槌。竜王の咆哮。万軍の足踏──」

 

「「詠唱!?」」

 

 瞳を闇よりも黒く染めたフリードの口から、抑揚の無い文字の羅列が飛び出したことに、ハジメとシアが目を見開く。

 

「いずれも世界を満たさない。鳴動を喚び、悲鳴を齎すは、ただの神の溜息──」

 

「ちょちょちょ、落ち着けっておい!?」

 

「ティオさん!? 謝って!? すぐに謝って!?」

 

「ふえ?……な、なぜここにアルディアス殿とフリード殿が!?」

 

 ここにきてようやく事態を理解したティオも慌てだすが、もうフリードは止まらない。

 

「それは神の嘆き。汝、絶望と共に砕かれよ! ”震──ぐふっ!」

 

「何をしとるんだ、お前は」

 

 あわや大魔法が放たれると思われた瞬間、この場で唯一フリードを止められるアルディアスがフリードの脳天に手刀を叩き込んだことで、周囲が更地となる事態は避けられた。

 

「全く、街を破壊する気か馬鹿者」

 

 大きく溜息をついたアルディアスが周囲を見回した。

 

「とりあえず……説明しろ」

 

 

 

 ◇

 

 

 

「……なるほど。それで俺にティオ・クラルスを会わせたくなかったわけか」

 

 室内に戻ったアルディアスは、汗をダラダラと流し続ける四人から全ての事情を根こそぎ聞き出した。

 そして、あまりに馬鹿馬鹿しい理由に再び大きく溜息をつくこととなった。

 

「途中からハジメとシアの様子が不自然だったのはそれが原因か」

 

「き、気付いてたのか?」

 

「当たり前だ。明らかに挙動不審だったぞ?」

 

「「うぐっ!?」」

 

 ハジメ達としては上手く誤魔化しているつもりだったのだが、アルディアスには筒向けだったようだ。

 俯く二人を尻目に、アルディアスは横に視線を滑らした。

 見つめる先には──『私は我を失って街を破壊しかけた大馬鹿者です』と書かれたプレートを首から掛けたフリードが床に正座していた。

 

「……で? 自分のミスでこの状況を作り出したあげく、街中で魔法をぶっ放そうとしたのかお前は」

 

「申し訳ありませんでした」

 

 ずーん、と負のオーラを纏いながら気落ちする魔国の将軍の姿に、アルディアスは再び溜息をついた。

 昔から何かと過保護気味ではあったが、年齢を重ねるごとに酷くなってきてないかこの兄は。

 

「ティオ・クラルスも身内だけならばともかく、周囲の目がある場所ではああいった言動は控えるべきだ」

 

「う、うむ。すまない」

 

 何となく居心地が悪そうにモジモジしていたティオも、今ばかりは素直に頭を下げる。

 

「…………あれ?」

 

 そんな光景を見ていたシアが、突然首を傾げて不思議そうに視線がアルディアスとティオを行き来する。

 

「どうした、シア?」

 

「いえ……えっと、アルディアスさんは何とも思わないんですか?」

 

「? 何がだ?」

 

「あのティオさんの奇行を見たんですよね?」

 

「「「…………あ」」」

 

 シアの言葉に、アルディアス以外の三人が揃って声を上げた。

 初めから何か違和感があったのだ。しかし、あまりにもいつも通りだったから気付かなかった。

 ティオの変態染みた言動を目撃したはずのアルディアスの、ティオに対しての扱いがそれまでと()()()()()()()()()()

 

「何だ? 全員妙な顔をして」

 

「いや、普通ティオのあれを見れば引くだろ」

 

「何故だ?」

 

「だって、あんな恍惚とした表情でビクビクしてるんですよ?」

 

「まあ、少し驚きはしたな」

 

「あんな悍しいものを見て少しなのですか?」

 

「……ハァ、あのな」

 

 ハジメ、シア、フリードの言葉に、アルディアスは再び溜息をついた。今日だけで何度溜息をつけばいいのかと呆れながら……

 

()()()()()ではあるが、そこまで騒ぐほどのことでも無いだろう」

 

「「「なん、だと……!?」」」

 

「……え?」

 

 あまりの衝撃に石像のように固まる三人。ついでにティオも固まった。

 あれが、少々?と戦慄する面々を置いて、アルディアスはハジメに視線を向ける。

 

「そもそも、彼女はお前の大切な女性の一人なのだろう?」

 

「え? あ、ああ。まあ……そうだな」

 

「ならば尚更だ。男なら好きな女の悪癖の一つや二つ、容易く受け入れてみせろ」

 

 その言葉にハジメの脳裏にビシャーンと雷が落ち……なかった。

 

(いやいやいや、無理だって!? あれを受け入れたらダメだろう!? 人として!?)

 

「流石アルディアス様です!!」

 

「アルディアスさん基準過ぎませんか、フリードさん!?」

 

「妾のあれを見ても引かない? これは良いこと? つまり魔王公認? え、え……え?」

 

 ごちんっと額を机にぶつけるハジメに、自らの主の懐の深さに感激するフリードにツッコむシア。

 家族ですら微妙な表情を浮かべた自身の性癖を、何でもないように受け入れられるという初めての状況に困惑するティオ。

 

 アルディアスがフリードの首根っこを掴んで出ていった後も、三人はしばしその場を動くことが出来なかった。

 

 

 

 ◇おまけ◇

 

 

 

「それにしても、ハジメとティオ・クラルスを見ていると両親のことを思い出すな」

 

「ご両親をですか?」

 

「俺を含めた周囲には隠してるつもりだったようだがな。ああいうのを”えす”と”えむ”というのだったか?」

 

「……え?」

 

「ああ、誰にもいうなよ。さっきも言ったとおり、他人に見せるようなものではないからな」

 

「……………え?」

 

 

 

 




>ようやく書けた番外編

 番外編といえば地球の話が定番だとは思うのですが、何故かトータスのその後の話の方がネタがいっぱい浮かぶんですよね。

>父ディアスと母ディアス

 彼らはオチの犠牲となったのだ。どっちがどっちかはご想像にお任せします。


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ガールズクッキング 【前編】

ずいぶん遅れましたが、明けましておめでとうございます。
年始は色々忙しくて全く執筆出来ませんでしたが、今年もちょくちょく書いていく予定ですのでどうかよろしくお願いします。

内容が思った以上に長くなったので前編後編に分けました。
ギャグ100%回。キャラ崩壊注意です。


──バサバサバサバサッ

 

 それは紙束が盛大に床に巻き散らかされて発生した音だ。

 元凶である男──フリードはしかし、眼下の惨状を気にすることもなく、眼を見開いて目の前の人物にわなわなと語りかける。

 

「……今、何とおっしゃいましたか?」

 

「ん? 聞こえなかったのか?」

 

 唇が震え、表情も青褪めつつある兄の姿に首を傾げるも、男──アルディアスは再び同じ言葉を告げた。

 

「“ばれんたいん“とは何だ?」

 

 聞き間違いでは無かったその言葉に、フリードは白目を剥いた。

 

 

 バレンタイン。それはハジメ達の故郷、地球で開かれるイベント。

 一般にカップルが愛を祝う日とされていて、日本では女性が男性にチョコレートなどの菓子類を贈る日とされてきた。

 

(“ばれんたいん“……!? あんな残虐で恐ろしいものにアルディアス様を関わらせるわけには……!!)

 

 もう一度言う。バレンタイン。それはカップルが愛を祝う日である。間違っても残虐で恐ろしいものなどではない。

 何故フリードがここまでバレンタインという行事に焦燥感を顕にするのか。

 その理由を説明するには一ヶ月程遡ることになる。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

──一ヶ月前。

 

「……で? こんなところに集めて何をするつもりだ?」

 

 魔国ガーランド。その王城の食堂にて、ハジメは頬杖をつきながら言葉を吐き出した。

 ハジメが座る長机には、この世界での名だたる長達が集結していた。

 

「私はリリアーナに呼ばれてきたのだが……」

 

「俺も同じようなもんだ。トレイシーが来いって言うからよ」

 

「お二人もか? 私もアイリーに呼び出されたのだ」

 

 人間族の国を治める3人の長。エリヒド、ガハルド、ランズィは自身の娘たちに呼ばれただけで、何も詳細は聞かされていないようだ。

 

「私もアルテナから来て欲しいと頼まれたのだ」

 

「どうやら各々が似たようなものらしいな。私はヴェンリから連絡があった」

 

 森人族の長、アルフレリックに竜人族の長、アドゥルも同じような理由だと告げる。

 彼らの話を聞き、この場で唯一詳細を知っているだろう人物にハジメは視線を向けた。

 

「一体何だってんだよ、フリード?」

 

「どうも試食会らしい。私もアレーティアに聞いただけだが……」

 

「試食会?」

 

「ああ、先程名前が挙がった者たちに加え、アレーティアとカトレアを含めた7人のな」

 

「何で?」

 

「お前が原因だ。正確にはシア・ハウリアだがな」

 

「シアが?」

 

 首を傾げるハジメにフリードはこの状況の経緯を語りだす。

 始まりは、シア・ハウリアからもたらされた一つの情報からだった。

 

『ハジメさんの故郷ではバレンタインデーというものがあって、女性が好きな男性に手作りのお菓子を贈る日らしいんですよ!!』

 

 ハジメに地球の話を聞いてきたときにふと話題に上がったらしいのだが、年頃の女性のシアにはそれが猛烈に突き刺さったらしく、すぐにアレーティア達に共有された。

 そして今は12月中旬。時期的には間に合うが、本命(アルディアス)に渡す前に意見を聞きたい……良し、試食会だ。

 

「──と、言うわけだ」

 

「何が──と、言うわけだよ。俺関係ねえだろ」

 

「トータスに“ばれんたいん“なる催しはないからな。唯一知っているお前の意見も聞きたいらしい」

 

 試作品を提供するメンバーに自分は関係ないだろと苦言をこぼすハジメだったが、バレンタイン経験者として意見を求められているらしい。

 

「いや、経験者っつっても俺は……いや、何でもねぇ」

 

 そもそも今まで母親からしか貰ってねぇと告げようとしたハジメだったが、虚しくなるだけなので止めた。彼は今までそういった行事とは無縁だったのだ。

 

 試食会という言葉にそういうことかと納得する者が居る一方、表情を強張らせる者や、首を傾げる者が居たが、そのことにハジメやフリードは気が付かなかった。

 そうこう話している内に食堂と調理場を繋ぐ扉が開かれ、料理をトレーに載せた金髪の少女が現れた。

 

「おまたせ」

 

「最初はアレーティアか」

 

「ん、自信作。食べてみて」

 

 全員の前に置かれていく料理を見て、ほとんどの者が首を傾げるが、唯一ハジメだけが目を見開いた。

 

「これ、まさかチョコレートか!?」

 

「ちょこれいと? 何だそれ?」

 

 目の前の黒い物体の正体を知っているらしいハジメにガハルドが問いかける。

 

「あ、ああ、チョコレートってのは俺の世界の菓子の一つで、バレンタインの贈り物では定番の菓子なんだ。でもこの世界には無かったはずだが……」

 

「シアに話を聞いて独学で作ってみた」

 

「まじか、流石稀代の魔法使いってか? まさかチョコが食えるなんて……」

 

「よく分からんが、お前がそこまで言うならちょこれいとってのはさぞかし美味ぇんだろうな」

 

「折角だ。頂くとしよう」

 

 ハジメの目が僅かに輝いている光景に、期待に胸を膨らませた彼らは一斉にそれを頬張る。

 

 カリッとした食感の後、その中から滲み出すトロトロの液体。硬めの固形物で隠されていた液体が口いっぱいに広がり、ねっとりとした()()が彼らの鼻孔を抜けていく。そう、例えるなら……泥を食べたと錯覚するような品だった。

 

(((まっず!!???)))

 

 いや、泥みたいというか、これ泥じゃね? という疑問が彼らの頭に浮かび上がる。

 こんなものがお前の故郷では人気なのか?という恨みがましい視線を一気に受けたハジメはブンブンと首を横に振った。

 

「な、なあアレーティア? これ、俺の知ってるチョコレートとは少し違う気がするんだが……?」

 

「ん? やっぱり完成にはまだ足りなかったみたい。シアに聞いたとおりトロトロとしてるけど、まだ茶色みが足りない気がしてた」

 

「「「……」」」

 

 その言葉でハジメは気付いた。チョコレートを知らない者も気付いた。

 こいつ、話を聞いたときの感覚だけでこれ作りやがった、と。

 不味いわけである。チョコの原料のカカオ以前に、砂糖すら入っていない。というか何入ってるんだこれ?

 気にはなったが、知るのも何だか怖かった彼らはスルーした。

 

「とりあえず、ちょこれいとを知ってるハジメには試作品を沢山作った。食べてみて、近いのを教えてほしい」

 

「…………え?」

 

 突然ボロボロと虚空から現れる黒い物体の数々。悍ましい気を放つそれは、もはやダークマターの一種に見える。

 

「ま、まてまてまて、まさか俺一人で!?」

 

「? ちょこれいとを知ってるのハジメだけ」

 

「それは仕方がないな」

 

「ああ、仕方がない」

 

「興味があったがそういうことなら仕方がない」

 

「て、てめぇら!?」

 

 瞬時に状況を把握した彼らは、誰からともなくその流れに乗ることにした。

 流石は国を統治する面々だ。状況判断は一瞬だった。それだけあの黒い物体はもう一つとて口に入れたくなかった。

 

「さ、どんどんいこう」

 

「ちょ、待っ! てめぇら絶対許さねぇからな!! 覚えと──あっ、待ってアレーティアさん!? お願い待ってくださ──アッーーーーー!!???」

 

 

 

 南雲ハジメ リタイア

 

 

 

 食堂の端にハジメの亡骸を横にした彼らは、各々黙祷を捧げた。

 

「必要な犠牲だった」

 

「ああ、あれが最善だった」

 

 生きるためとは言え、最も若い少年を見殺しにしてしまったことに少々の罪悪感が漂うが、ガハルドとフリードだけはあれは避けられない犠牲だったと割り切った態度を取っていた。

 アレーティアは白目を剥いて動かなくなったハジメに首を傾げたが、もしかして故郷の味に感動したのかもしれないと感想は後でもらうことにしたようだ。

 彼女に聞いたところ、次はアルテナらしい。

 

「アルフレリック殿」

 

 エリヒドが嘆願するかのようにアルフレリックの名を呼ぶ。

 出だしこそアレだったが、そちらの孫娘さんは大丈夫か、と。

 

「……あの子の両親が亡くなってから、私は二人に顔向け出来るよう、精一杯あの子を育てたつもりだ。族長の娘としてだけでなく、一人前の女性となれるように……時には厳しくも接した」

 

「「「おおっ!」」」

 

 アルフレリックの言葉に生き残った面々に喜色が宿る。

 そこまで言うのならきっと期待できるのだろう。

 

「お待たせしました」

 

 そうこうしている内にアルテナが料理を持ってやってきた。

 

「特製まふぃんですわ」

 

 配膳されたのは、手のひらサイズの大きさのケーキだ。ふっくらと焼き上がっており、出来立てなのか、湯気が立ち上っている。完璧。完璧である……その上からかけられた、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()さえなければ。

 

「「「……」」」

 

 全員の視線がアルフレリックに集中する。

 そんな状況の中、アルフレリックは自嘲するように息を吐いた。

 

「必ずしも、努力が報われるとは限らないということだな」

 

(((この糞ジジイ!!)))

 

 全員の心の声が一致した瞬間だった。

 

「アルテナよ。このグツグツしている赤いものは何かな?」

 

「シアさんに聞いたのですが、あちらの世界ではいちごという果物をソースにして掛ける風習があるようです。それで形から入ってみようと思いまして! 火にかけて上からかけてみました!!」

 

(((どんな火にかけたらこんな灼熱地獄みたいになるんだ!? それで結局この赤いの何!?)))

 

 結論。この物体もアレーティアのちょこれいとと同じ、彼女たちの感性から作られた謎の物体だった。

 めちゃくちゃ食べたくなかったが、目の前で期待の眼差しを向ける少女の圧にNOと言えなかった大人たちは恐る恐るそれを口に運んだ。

 

「ホワァアアアアアアッ!?」

 

 アルフレリックの口から聞いたことも無い奇声が上がった。

 他の面々も表情を真っ赤に染めながら、今にも崩れ落ちそうな体を両腕で必死に耐え忍ぶ。

 

 マフィンにかかっている赤い何かにさえ気をつけていればと身構えていた彼らに、マフィンの中から洪水のように吹き出す赤いドロドロが襲いかかる。

 まるで口内を焼き焦がされるような激痛。人の痛覚の限界を越えた辛味が彼らの意識を飛ばしかけるが、辛味の奥底から微かに感じられる甘味が、砂漠のオアシスの如く彼らを正気に戻す。

 

 それは咎人が堕ちると言われる八大地獄の一つ、焦熱地獄そのものだった。

 

「まあ、お祖父様ったら。そこまで大声を上げるほど美味しかったのですか?」

 

「ふぅうう!? ふしゅぅうう!?」

 

「皆様もお熱いですので、お気をつけてお食べ下さい」

 

 熱すぎて食べられない。そう一言言えば済むが、純粋無垢な笑みを浮かべるアルテナを前に、彼らの取れる選択肢は一つだった。

 

 何とか地獄の灼熱を飲み込んだ彼らに、アルテナは満足そうな表情で空になった皿を片付けて戻ったいった。

 

「し、死ぬかと思った」

 

「う、うむ……亡くなった父の面影を見た」

 

「竜人族はブレスで己の口を焼かぬよう、人の状態でもある程度の耐性があるのだが……」

 

 ランズィ、エリヒド、アドゥルは何とか乗り切ったことに大きく息を吐きながら安堵する。

 

「おい、アルフレリック! てめぇの孫娘の教育はどうなってやがる!」

 

「……アルフレリック殿?……ハッ!?」

 

 ガハルドが鬱憤を晴らすようにアルフレリックに怒鳴りつけるが、肝心のアルフレリックは目を閉じたまま微動だにしない。そのことに疑問に思ったフリードが首を傾げていると、すぐに異常に気付いた。他の面々も同時に気付く。

 

「アルフレリック殿!? しっかりしろ!?」

 

「おい、アルフレリック目を開けろ!! こんなとこで終わるほどヤワじゃねえだろ!?」

 

 かつてはアルフレリックたち獣人族を奴隷扱いしていたガハルドがアルフレリックの肩を掴んで激しく揺さぶる。

 それでもアルフレリックは動かない。

 

「アルフレリック? 嘘だろおい……? 返事をしろアルフレリック! アルフレリッーーク!!」

 

 机に置かれていたアルフレリックの腕が、力なくだらんと投げ出された。

 

 

 

 アルフレリック・ハイピスト リタイア

 

 

 

 部屋の隅の亡骸が一人増えたことで、残された彼らはダラダラと嫌な汗を流しながら、机を挟んで向き合っていた。

 ちなみに次はリリアーナの番らしい。

 

「エリヒド殿……」

 

 フリードに名を呼ばれたエリヒドが俯いていた顔をあげると、その場に居る全員が懇願するような表情で自身を見つめていることに気付く。理由は言わずもがなだろう。

 

「……すまない。娘がどの程度の料理の腕前なのかを私は知らない」

 

「ちっ、もう神頼みしか無いってか?」

 

「やめろ貴様。縁起でもない」

 

 自信の無い様子のエリヒドに、ガハルドは匙を投げるが、この世界の神の真実を知る立場からすれば、神頼みなど碌な結果を生まないような気がしたフリードがそれを咎める。

 

 ガチャリ、と扉が開く音に、彼らはビクリと肩を震わせた。もうトラウマになっている。

 

「お待たせしました。どうぞご賞味下さい」

 

 現れたリリアーナによって配膳されたのは、丸く切られたロール状の何か。もしここにハジメがいればロールケーキという単語が出ただろうが、それが分からない彼らは恐る恐る目の前の何かをじっくり観察する。

 

 見た目はとにかく白い。ふわふわとした生地でクリームのようなものを巻き込むように包んでいる。特に危険性は感じられないが、今まで経験が彼らのに二の足を踏ませている。

 

「リ、リリアーナ? これは見たこともない菓子だが……」

 

「はい、香織や雫達の世界で、ろーるけーきと呼ばれるものです。()()()ですが中々の自信作ですよ?」

 

「な、なるほど? ()()()作ったのか」

 

 その一言は彼らを萎縮させるには十分だった。今までと共通点がありすぎる。それでも食べるしかない。

 これがハジメだったらとっくに逃走していただろうが、残った彼らはせっかく少女たちが思い思いの料理を作ってくれている手前、不味いからいりませんとは言えなかった。

 

 唯一ガハルドだけは堂々と退出しそうなものだが、それでフリードを含む各国の長達に恨まれ、後々面倒なことになることは目に見えていたため、行動に移せないでいた。それになんか敵前逃亡みたいで嫌だった。

 

 結局彼らは震える手を無理やり押さえつけて料理を口に運んだ。

 

 ガキンッという金属音が5つ響いた。

 

(((硬ッ!!???)))

 

 一体誰が想像しただろうか。こんな見た目ふわふわしているものが鉱石のような頑強さを兼ね備えていることなど。しかも白く見えていたのは外の薄皮だけで、中身は闇のような漆黒の何かが見える。

 それに硬いのは確かなのだが、口の中ではふわふわとした感触が確かにある。そんな馬鹿なと恐る恐る歯を立てれば再び鳴る金属音。もはや概念魔法すら見劣りするほどの未知なる現象である。

 

「リリアーナ? これは一体?」

 

「旨味を凝縮してみました」

 

(((凝縮というか圧縮では?)))

 

 流石に物理的に噛めないものを食べることは出来ない。

 各々が静かに皿を遠ざける中、エリヒドはせめて娘に何か労いの言葉をかけようとする。

 

「リリアーナ? その……非常に申し訳ないのだが……ッ!?」

 

 その瞬間、エリヒドは目撃した。

 一瞬見せた、愛娘の寂しそうな表情を。

 

「……彼らはどうやら体調がよろしくないようだ。折角の娘の手料理。残すのも勿体ない。私が全て頂こう」

 

「「「なっ!?」」」

 

 フリード達が言葉を失っている間にエリヒドは他の面々の皿を引き寄せ、そのふわふわの鉱石モドキを口に放り込んでいく。

 次々と口に運ばれていく光景に彼らは驚愕する。人の歯で噛み砕ける硬さではない。それをエリヒドはごきゅごきゅっと丸呑みにしていく。今まで苦労を掛けた愛娘のためならば、これくらい造作もないことだった。

 

「んぐっ、んぐっ……ぶはっ! はあはあ……」

 

「ど、どうでしょうかお父様……」

 

「異世界の料理……中々独特な味わいだったが、愛娘の料理が美味しくないわけがない。ありがとうリリアーナ」

 

 笑みを浮かべながら感謝を告げるエリヒドの姿に、リリアーナは笑顔を浮かべながら調理室に戻っていった。

 

「……フリード殿、リリアーナはもう戻っただろうか?」

 

「あ、ああ。見て分かる通りもう居ないが……?」

 

「そうか……」

 

「エリヒド殿?……まさか!?」

 

 おかしなことを聞くエリヒドに全員が怪訝な表情を見せるが、隣に座っていたランズィが異常に気付いた。

 エリヒドはまるで虚空を掴むように腕を彷徨わせる。

 

「私はどうやらここまでのようだ。もう皆の顔もまともに見えない」

 

「気をしっかり持つんだエリヒド殿!!」

 

 ランズィがエリヒドの手をガシッと掴むが、その手から伝わる体温が、既に手遅れだということを嫌でも伝えてくる。

 

「後のことは、頼みましたぞ」

 

「エ、エリヒド殿ぉおおおお!!」

 

 

 

 エリヒド・S・B・ハイリヒ リタイア

 

 

 

──後編に続く。




 各々の料理の腕前は完全にオリジナル設定です。

>本日のお品書き

・どきどきわくわくチョコレート
・ふわふわマフィン 煉獄ソースを添えて
・腹黒ロールケーキ


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ガールズクッキング 【後編】

本編ではまだ出てない原作キャラが3人出ます。(今更)
それぞれの初対面を書いてからの方が良いかなとも思いましたが、番外編だし書きたいことをそのまま書いていこうと思いました。


 とうとう三人目の犠牲者を出してしまった。いや、もしかすれば彼らの方が幸せだったのかもしれない。

 何故ならば、自分達が生き抜くにはここから後4つの試練を乗り越えなければならないのだから。

 

「次はランズィ殿の御息女か。その……どうなのだろうか?」

 

「確か、時々妻の手伝いをする程度だったはずです。私も口にしたことはありますが、このような惨状を起こすようなものではありませんでした」

 

 アドゥルの不安そうな問いかけに、ランズィはハッキリと問題が無いことを告げた。

 実際口にしたことがある手前、ある程度の自信があるのだろう。熟練者というわけでは無いが、初心者に近いからこそ、下手なアレンジはしないだろうという考えもある。

 それを聞いた面々は少しだけだが安堵した表情を見せた。そうこうしている内に、アイリーが彼らの前に姿を現した。

 

「お待たせしました!」

 

 その両手に禍々しいオーラを放つ何かを携えて。

 

「「「……」」」

 

 おかしい。話が違う。そんな言葉が彼らの頭に浮かび上がるが、誰よりも困惑しているのは父親のランズィ本人だった。娘の料理を口にしたことは何度もあるが、こんな不気味な物体が出てきたことなど一度とてない。

 

「アイリー、その……これは一体?」

 

「しょこら、と言うお菓子らしいです。“ばれんたいん“というものがよく分からなかったので、アレーティアさんに教わって作ってみました。お口に合えばいいんですけど……」

 

(((あの吸血鬼、余計なことを……!!)))

 

 アレーティアの指示に従ったというアイリーの言葉に、彼らの脳内に激しく警鐘が鳴り響く。

 教えるも何も、自分もちょこれーとなるものが分からず、ハジメを実験台に使った奴が何を教えるというのか。

 そもそも彼らは知る由もないが、チョコレートとショコラは言語が違うだけで同じものなのだ。

 それでも彼らに選択肢は一つしか残されていなかった。全員で恐る恐るそれを口に運ぶ。

 

 硬すぎず、柔らかすぎないサクッとした感触。口一杯に広がる甘味。

 彼らは目を見開いた。「あれ、これ美味しいぞ?」と。甘味の後にじんわりとにじみ出てきた苦味のおかげで、男性でもそこまで甘味がクドく感じない仕上がりになっている。

 

「アイリー、凄いじゃないか! 初めてでこんな美味しく作るなんて……しかも、この後味の苦味がまた何とも……な、んと、も……?」

 

 異変が起こったのはそこからだった。後からにじみ出てきた苦味が止まらない。それどころか口の中に広がっていた甘味を完全に呑み込む勢いで濁流のように押し寄せてくる。

 

「ぐふっ!?」

 

 もれなく全員を吐き気が襲うが、ここで吐き出すわけにはいかない。何せ目の前にはドキドキとこちらの反応を伺っている少女がいるのだ。

 彼女は教えられた通りに作っただけ。それも彼女なりに一生懸命作ったのだろう。それを目の前で吐き出されるなんてことになれば、酷く傷ついてしまう。

 大人として、男として、彼らは口の中のものを無理矢理飲み込んだ。

 

「だ、男性は甘いものが苦手な者が多いが、これは甘すぎず、適度な苦味もあってとても食べやすいな。美味しいよ、アイリー」

 

 彼女はアルディアスに憧れのような感情を抱いている。それが恋慕かどうかはまだ分からないが、もしそうなら全力でその背を推してやるのが親としての務め。こんなところで、その笑顔を曇らせるわけにはいかなかった。

 ダラダラと汗を垂らしながらも、精一杯の笑顔を見せるランズィの様子に、アイリーはパァと花が咲くような笑顔を浮かべた後、スキップでもしそうな雰囲気で戻っていった。

 

「なんつーもん食わせんだよ。毒でも盛られたかと思ったぞ」

 

「彼女達に悪気がないのは分かっているのだが……」

 

 ガハルドとフリードはぜえぜえと息を荒げながら、水をカブ飲みして少しでの口の中の苦味を消そうとする。

 アドゥルも飲み干した水の入っていたコップに新たに水を注ごうとした時、ランズィが一切水を飲もうとしない様子に気付く。

 

「ランズィ殿? せっかくの御息女の手料理にショックな気持ちは分かるが、流石に水の一杯は飲んでおいた方が……」

 

「……アドゥル殿、ガハルド殿、フリード殿。息子に……ビィズに伝えて頂けますか? 父は勇敢に戦ったと……」

 

「……まさか!?」

 

 アドゥル達が目を見開いたと同時に、ランズィの体が床に投げ出された。

 

「ランズィ殿!! 気をしっかり保て!! まだご子息と御息女には貴方が必要だ!!」

 

「……ああ、願うなら、二人の未来をもう少しそばで見守っていてあげたかった、な」

 

「ランズィ殿!? 冗談はよすんだ!? ランズィ殿ぉおおお!!」

 

 

 

 ランズィ・フォウワード・ゼンゲン リタイア

 

 

 

 ついに死者(死んでない)が4人になってしまった。

 ここまでくればもう口を開くことすら億劫になってくるが、彼らの目はまだ死んではいなかった。

 

「アドゥル殿、それは確かですか?」

 

「うむ、ヴェンリは亡くなったティオの両親に代わり、あの子を立派に育ててくれた。食事関連で心配する必要はない」

 

「そういうことならとりあえずは安心か……」

 

 次の順番のヴェンリは、幼少の頃のティオの面倒を見るだけでなく、男だけでは不安な家事などの育児全般をこなしてくれた。食事に関してもティオの成長に合わせ、こまめに栄養や種類を変えるほどの徹底ぶりだ。

 

「彼女なら大丈夫だろう」

 

 ヴェンリも他の面々同様、バレンタインやチョコレートを知っているわけではないが、だからと言って、完食することすら困難な品は作らないだろうという自信がアドゥルにはあった。

 確かにそこまでの料理熟練者ならば、万が一にも大きな失敗はしないだろうと、フリードとガハルドも肩の力を抜いた。

 

「お待たせしました。アドゥル様、フリード様、ガハルド様」

 

 現れたヴェンリが手慣れた手付きで彼らの前に皿を並べていく。

 今までの少女たちと違い、所作の一つ一つが精錬されており、机に皿を置く音すら最小限に留められている。

 

「これは……クッキーか?」

 

 出された品は、一口サイズの大きさのクッキーだった。絶妙な焼き加減で調理されており、ほんのりとした焼色に香ばしいバターの香りが漂っている。

 

「はい。私はまだちょこれいと、というものの知見がありませんので。それに、何でも“ばれんたいん“で殿方にお渡しする品はちょこれいとじゃなくても良いとのことでしたのでこちらをご用意させて頂きました」

 

「懐かしいな。よくティオと一緒に作っていたな」

 

 アドゥルの言葉にフリードとガハルドが机の下で小さくガッツポーズを決めた。

 昔から作り慣れているものならば失敗するはずもない。「この勝負、もらった!!」と。

 

「人数分作っておいたのですが……他の方々はどうなさったのですか?」

 

「か、彼らは体調を崩してしまってな。少し休めば大丈夫だ。では、早速頂くとしよう」

 

 アドゥルがつまんだクッキーを口に放り込むと同時に、フリードとガハルドもそれに続いた。

 

「「「ごふぅううう!?」」」

 

 そして口内を蹂躙する刺激に体ごと跳ね上がった。

 何だこれは。クッキーなのに甘くない。それどころか、口内の水分を急速に奪っていくこの辛味。

 

(((これ、砂糖じゃなくて塩じゃね?)))

 

 それも単純に間違えているだけではない。その量が尋常だ。まるで海の水を丸飲みしたかのような塩の暴虐。あの一口サイズのクッキーのどこにこれだけの塩分が含まれていたのか。

 

 アドゥルは強烈な塩分に目を白黒させながらヴェンリに視線を向ける。

 おかしい。砂糖と塩を間違えるなんて初歩的なミスを彼女がするとは思えない。億が一間違えたとしても、この分量の塩を入れるなど狂気の沙汰だ。

 その肝心のヴェンリだが……

 

「に、二ヶ月後には私の品をアルディアス様に食べて頂くのですよね?……あ、別に楽しみなわけじゃないですよ!? ですが、私も従者として様々なサポートをしていたわけでそれが試されているというかですね!?」

 

 何か頬を染めていやんいやんしていた。

 その光景にアドゥルとフリードは戦慄した。それがとてつもなく見覚えのあるシルエットだったからだ。

 いや、表情が普通に頬を赤らめているだけなので、あの変態と比べるのは流石に失礼だろう。

 

「その、少し手元が疎かになりかけましたけど、大丈夫です! ええ、大丈夫ですよ!!」

 

 何か変なことを一人で叫び始めたヴェンリだったが、アドゥルは一人「まさか!?」と目を見開いた。

 元々違和感はあったのだ。アルディアスと顔合わせを済ませた日以降。正確にはアドゥルが少し席を外し、アルディアスと二人っきりになった時間を堺に、だ。

 

 口を開けば、

『この歳で女性扱いを受けるとは思いませんでした』とか。

『アルディアス様はどのような女性がタイプなのでしょうか?』とか。

『…………年の差婚ってどう思います?』とか。

 

 他人が見れば、お前完全に惚れてるだろと言わんばかりの言動だったが、今考えれば、そういう時に限って珍しいミスやど忘れを連発していた気がする。つまり……

 

(誰だこれ)

 

 ヴェンリ・コルテ。今年で●●●歳。今まで色恋とは無縁だった彼女は、今初めて恋を経験し……何かドジっ娘キャラに覚醒していた。

 その後一人で妄想に浸っていたヴェンリは、アドゥルの異変に気付くことも無く、空皿と共に退出していった。

 

「アドゥル殿!」

 

「よせフリード……分かってんだろ?」

 

「──クッ!!」

 

 竜人族の族長たるアドゥルは、この場に集まった者たちの中で最高齢。そもそもが良く保った方なのだ。

 しかし、それも信頼する従者の予想外な一面と大量の塩分で限界を迎えた。

 

 それでも最古の種族の長としての意地か。彼は最後までその背を床につけることはしなかった。

 

 

 

 アドゥル・クラルス リタイア

 

 

 

 食堂はすでに通夜のような雰囲気を醸し出していた。

 生き残った二人はどちらも無言だ。その理由は次に品を出す女性にあった。

 

 トレイシー・D・ヘルシャー。

 

 ガハルドの娘の一人、つまり帝国の皇女だ。そして、自他ともに認めるほどの戦闘狂。

 ガハルドは実の父親が故に、フリードは城での大鎌振り回し事件を直接見ているために……断言できる。

 

 料理が出来るわけがない。

 

「ガハルド、何とかしろ」

 

「出来たらとっくにやってるわ」

 

「そもそもこれはアルディアス様にお出しする前の前座のようなものだろう? なぜ奴まで居る?」

 

「あいつがアルディアスに惚れてるからだよ」

 

「誰かに恋をするような性格とは思えんが……」

 

「元々帝都での戦いで目をつけてたらしくてな。私の運命の相手ですわーって騒いでたぜ。ちなみに色恋どうこうじゃねぇ。あいつは戦いしか興味ねぇからな」

 

「……なるほど、理解した。やはり貴様の娘だな」

 

「どういう意味だ、こら」

 

 お互いに喧嘩腰だが、その瞳に力は無い。しまいには現実逃避をし始める二人だったが、残酷にもその時は来てしまった。

 

「おーほっほっほっほ! 私参上ですわ!!」

 

「あーあ、来ちまったよ」

 

 ばーんっと扉を蹴り開いて、金髪縦ロールの美女が現れた。言わずもがな、トレイシーだ。

 

「あら? もうお父様とフリード様しかいらっしゃらないんですの? まあ、いないなら仕方ありませんわ! さあ、私の自信作ですわ!!」

 

 自信満々にドカッと置かれた皿にガハルドとフリードは首を傾げる。

 皿の上には、想像していた黒い物体も、禍々しいオーラを放つ物質も無かった。

 文字通り、()()()()()()()()()()

 

「ん?」

 

「おい、何もねぇ──」

 

「貰いましたわ! エグゼスゥウウウッ!!」

 

「「ギャアアアアアアアアアアア!!」」

 

 フリードとガハルドが顔を上げた瞬間、いつの間にかトレイシーの手元に現れた大鎌が一閃。

 フリードはギリギリで上半身をそらして何とか避けたが、ガハルドは服の一部が大鎌に引っかかり、その勢いのまま壁に叩きつけられた。

 

「ガフッ! なに、しやが、る……」

 

「ガハルド!? 貴様一体何を!?」

 

「ふむふむ、やはり展開からの初撃までにタイムロスがありますわね! この程度では魔王様に私の“愛“を伝えるには足りませんわ!」

 

「は? いや…………は?」

 

 実の父親を吹き飛ばしておきながら、手にした大鎌を見て一人頷いたと思ったら、愛などとほざき始めるトレイシーに困惑するフリード。

 

「せっかく魔王様自ら強化してくださったこの“エグゼス“! “ばれんたいん“なる戦いまでに使いこなさなければなりませんわ!!」

 

「すまない。今なんと言った?」

 

 もうフリードはどこからツッコめばいいか分からなかった。

 なぜ自分たちに向けて大鎌をフルスイングしたのか。なぜアルディアスは自分の首を狙った戦闘狂の武器を強化しているのか。そもそも“ばれんたいん“って戦いなのか?

 

 混乱するフリードを置いて、トレイシーは「まだまだ鍛錬が足りませんわ!」と調理室とは違う出口の扉を蹴破る勢いで飛び出していった。

 

「馬鹿だ馬鹿だとは思ってたが、育て方間違えたかなぁ……ガクッ」

 

「……自業自得だろうが」

 

 

 

 ガハルド・D・ヘルシャー リタイア

 

 

 

「次が最後か……」

 

 娘からの一撃でのびたガハルドを捨て置き、フリードは一人ゲンドウポーズで待機していた。

 長かった地獄も次でようやく最後。これを乗り切ればようやく解放される。

 

「しかし、カトレアか……」

 

 最後の品を提供するのは、自身の部下の一人、カトレアだ

 正直、それなりの付き合いだが、仕事以外の面ではそこまで親交は無いため、彼女の料理の腕前は分からない。

 

「彼女は城に勤める女性達からの信頼も厚い。相談をされることも多いと聞く。それならばきっと……いやしかし──」

 

「何百面相してるんですか、フリード様?」

 

「ッ!?」

 

 突然そばから聞こえた女性の声に、ビクッと肩を揺らしたフリードが慌てて顔をあげると、そこには呆れた表情を浮かべるカトレアが居た。

 そんなフリードを他所に、周囲を見回したカトレアは、部屋の端に並んだ犠牲者たちの姿を捉え、小さく溜息をついた。

 

「やっぱりこうなりましたか」

 

「む? お前はこうなることを気付いていたのか?」

 

「そりゃ、調理風景をそばで見てたわけですし……あ、一応止めようとはしたんですよ」

 

 止まらなかったですけど。と、続けるカトレアに恨み言の一つでもこぼそうとしたフリードだったが、自分も拒絶出来なかったため何となく気持ちが分かってしまった。

 

「それでも帝国の皇女だけでも止めて欲しかったが……」

 

「アタシに死ねって言うんですか?」

 

「そもそもあれは何だったんだ?」

 

「何を思ったのか、“ばれんたいん“を女が男に戦いを挑む日と勘違いしてるみたいです」

 

「馬鹿なのか?」

 

「馬鹿なんじゃないですか?」

 

 思わず「はぁ」とフリードが溜息をつくと、コトリとティーカップが目の前に置かれた。

 

「とりあえず、簡単ですが紅茶です。少し落ち着きますよ?」

 

 ティーカップに注ががれている紅茶の水色は、透明感のある、澄んだ明るい色をしており、カップの内側には、コロナと呼ばれる黄金の環が見える。

 フリードも紅茶は良く愛飲しているが、城のメイドが作るものと比べても、見た目と香りは中々の出来と言えるだろう。しかし……

 

「……毒とか入っていないか?」

 

「張っ倒しますよ。良いから飲んで下さい」

 

「う、うむ」

 

 これまでの経験から一瞬躊躇したフリードだったが、カトレアにジト目で睨まれ、恐る恐るティーカップに口をつけた。

 

「……美味い」

 

 しかし、嫌な予感に反して、口に広がるのは柑橘系を主体としたフルーティな味わい。口から鼻に抜ける爽やかな香りは、これまでの嫌な風味を浄化するように消し去ってくれる。

 

「まあ、年下の子達の相談にのるときに良く紅茶を入れてあげてたんですけど、いつの間にか色々とこだわるようになってたんですよね」

 

「驚いたな。これなら城のメイドの入れる物と比べても遜色ないんじゃないか?」

 

「褒めても何も出ませんよ?」

 

「事実を言っただけだ。アルディアス様もこれは気に入ると思うぞ?」

 

「そ、そうですかね……」

 

 僅かに頬を赤く染めて、視線を外すカトレアを尻目に、二口目を口にするフリードはホッと小さく息を吐いた。

 中々激動の戦いだったが、何とか生き残ることが出来た。犠牲になった者たちも自分たちの娘らの笑顔を守ることが出来たならば本望だろう。(ハジメを除く)

 

 これで……

 

「……しまった」

 

 しかし、フリードは思い出す。

 そもそも、このような催しが開かれた経緯は何だったのか。自分たちが地獄を見たのは何のためだったのか。

 

──本命(アルディアス)に“バレンタイン“で菓子を渡すためではなかったのか、と。

 

「カトレア! 今すぐ手を貸してもらいたいことが──」

 

「分かってますよ。あいつらを止めるんですよね? そこは私に任せて下さい」

 

 自分では彼女たちを止めることが出来ないと判断したフリードが、すぐにカトレアに助力を求めるも、言われずとも分かっていると言わんばかりに即答するカトレアに目を丸くする。

 

「何意外そうにしてるんですか。アルディアス様にあんなものをお出しするわけにはいきませんよ」

 

「……私のは止めてくれなかったがな」

 

「そ、それは間に合わなかったというか何というか……とにかく! あいつらには何とか私が言いくるめておきますよ。フリード様はアルディアス様に情報がいかないように南雲ハジメ達の方をよろしくお願いします」

 

「……出来るのか?」

 

「とりあえず、今日の内にガス抜きさせておけば出来ると思います。そもそも誰も“ばれんたいん“のことをまだ詳しく知らないんですから、何とか誤魔化しますよ」

 

「そうか……」

 

 ハッキリと断言するカトレアの姿に、フリードは安堵の息を吐いた。彼女は出来ないことを出来ると見栄を張るような性格ではない。そこまで言い切るのならきっと大丈夫だろう。

 

「ならば、ここは任せよう」

 

 事は緊急を要する。食堂で未だに意識を失っている者たちへの口止めはもちろん、元凶のシアや話を聞いているであろうティオ達。さらに異世界転移組から漏れることも想定して動かなくてはならない。

 そのためにも席から立ち上がろうとしたフリードだったが、カトレアにガシッと上から肩を押さえつけられたことでそれは叶わなかった。

 

「どこに行かれるのですか?」

 

「? いや、私のやるべきことをするためだが……」

 

「フリード様がまずやることはここにありますよ」

 

 カトレアの言葉に疑問符を浮かべたフリードが、どういう意味か訪ねようとした瞬間。

 

「カトレア、()()()()が出来たよ?」

 

「…………え?」

 

 フリードは目の前に広がる光景に、思わず己の目を疑った。

 アレーティアが居る。アルテナが、リリアーナが、アイリーが、ヴェンリが……居る。

 

──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「…………カトレア?」

 

 ギギギッと油の切れたロボットのような動きでフリードがカトレアに視線を向けると、そこには全力でこちらから目をそらしたカトレアの姿が。

 

「言ったじゃないですか、()()()()させておけば大丈夫って」

 

 とりあえず、満足のいくまで試食に付き合ってあげて下さい。そう小さな声で告げてきたカトレアに、フリードはブワッと汗が吹き出るのを感じた。

 そう、これは試食会だ。誰も一人一品などとは言っていない。

 流石のカトレアも、既に開かれてしまった試食会を中断する言い訳は思いつかなかった。

 

「カトレア!! お前も一緒に──」

 

「すみませんアタシこれからどうしても外せない仕事があるので残念ですがお先に失礼させてもらいますこれが終わった後のことはお任せくださいアルディアス様にもフリード様が少し席を外すことになることをお伝えしておきますねそれでは」

 

「早っ!?」

 

 何とかギリギリ聞き取れるレベルの早口で言葉を捲し立てたカトレアは、そのままバヒュンと食堂から出て行ってしまった。

 そのことに手を伸ばした状態で呆然としていたフリードだったが、残酷にもその背に声が掛けられる。

 

「せっかく沢山作ったのにフリードしか居ない……」

 

「カトレアさんは紅茶だけでよかったのですか?」

 

「あの方も多忙そうでしたので仕方がありませんね」

 

「沢山の人の意見を聞きたかったのですが……」

 

「しかし、フリード様なら魔人族の男性としての意見を聞けるのでは?」

 

 フリードが何か言葉を発する間もなく、目の前に広げられる菓子と言う名の殺戮兵器の数々。

 彼女らによって四方を囲まれたフリードに逃げ場は無い。

 

「…………」

 

 その日、城の食堂から絶えず一人の男の奇声が響き渡ったが、室内に用意周到な彼の部下によって仕掛けられていた防音のアーティファクトによって、それが外部に漏れることはなかった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

「うぷっ……!」

 

「おい、大丈夫か? 顔色が優れないが……」

 

「い、いえ、何でもありません」

 

 あの日、カトレアが去った後のことをフリードは覚えていない。

 後でアレーティアに話を聞いたカトレア曰く、号泣しながらも、菓子を完食したという。量も量だったからすぐに寝てしまったらしいが、絶対に量の問題ではないと断言できる。

 

(カトレアが上手いこと誘導してくれたのか、奴らの口から“ばれんたいん“という単語が出ることはなかった。ハジメ達には私からキツく言い含めておいた)

 

 ちなみにその時ハジメが自分を生贄にしたことに噛み付いてきたが、自分の惨状を説明すると、すぐに大人しくなった。

 情報規制は完璧だ。しかし、アルディアスが興味を持ってしまっては元も子もない。

 

(いや、様子を見る限り、興味を持ったというよりも単純に知らない言葉を聞いただけというような感じだ。これならまだ誤魔化せる)

 

「“ばれんたい“というのは──……」

 

 アルディアスが万が一にも興味を持つことのないように、フリードは言葉を選びながら説明していく。

 

 曰く、“バレンタイン“とは地球で開催される行事の一つで、女性が主体となるイベントである。

 曰く、男性から関わることは基本的に禁止である。

 曰く、女性からその話を持ちかけられた場合のみ関わることが出来る。

 

「──というわけですので、アルディアス様がお気になさることは何もないかと」

 

「なるほど、それなら俺から何か言うわけにもいかんか」

 

「ええ、私たちは手を出すべきではないでしょう。我が国に取り入れるにしても、アレーティアやカトレアなどに任せるのが最善かと」

 

「……分かった。このことについての追求は止めておこう」

 

「それがよろしいかと」

 

 淡々とした態度で接しながらも、フリードは内申でガッツポーズを決めていた。

 万が一に備えて設定を作っておいてよかった。後はアレーティア達が再び“ばれんたいん“の話題に興味を抱き、それがアルディアスの耳に入らない限りは大丈夫だろう。

 

 ホッと安堵の息を吐きながら、アルディアスと別れたフリード。

 しかし、彼は最後まで気付けなかった。

 自分がとんでもないミスを犯していることに。

 

 そもそも、何故アルディアスは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだろうか。

 アレーティアたち女性陣にはカトレアがうまく言いくるめ、ハジメたち男性陣にはフリードが口止めしておいた。

 シアもアレーティアたち以外に“バレンタイン“のことは話しておらず、魔国には他に“バレンタイン“なる存在を知っている者はいない。

 それを、アルディアスは知っていた。

 そのことに気付いていれば、まだ間に合ったかもしれないというのに……

 

 フリードを見送った後、アルディアスは懐から一枚の紙切れを取り出した。

 

「ふむ……女性から話を持ちかけられた場合のみ関わることが出来る、か。それならば俺からフリードに話すわけにもいかんな」

 

 それはアルディアスに直接届けられた一枚のチラシだった。

 そこにはこう書かれている。

 

 

 

 

 

◇集まれ乙女たち!!◇

◇バレンタインだ!!◇

気になるあの人に料理を振る舞いたい。でも勇気が出ずにいつまでもズルズル……そんな経験ございませんか?

 

そんな貴方に朗報です! 一人がダメなら集団で! 皆で行けば怖くないよね!

 

集まれ恋する乙女達よ!! 今こそ君達の愛の力で気になるあの人の胃袋を掴むんだ!!

 

 

 

【簡単な詳細説明】と【開催場所の簡易地図】

などが書かれている。

 

 

開催日:2月14日

会場:魔国ガーランド

バレンタイン広報委員長:ミレディ・ライセン

 

 

 

 

 

 どこかで元ゴーレムの少女がニタリと笑みを浮かべた。




>本日のお品書き

・ショコラの苦味は大人の証
・初恋はしょっぱかったクッキー
・エグゼスゥウウウッ!!
・美味しい紅茶

>ミレディ・ライセン

 住居ごとガーランドに引っ越した元ゴーレム系美少女。
 現在はそのままガーランドで暮らしているが、彼女がこんな面白いイベントを見逃すわけもなく(倒れた男性陣を見て)ニタリと笑った。

>アルディアス版嫁〜ズ(仮)

 カトレアが何やかんやしてとりあえずバレンタインにお菓子を贈ることは見送ったが、フリードとカトレアに隠れて接触してきたミレディによって、再び闘志を燃やしだす。同時に調理室も少し燃えた。


 オチとしてミレディの策略をちらっと見せて、バレンタイン当日に投稿できたら完璧だったのですが、絶対出来ません。書きたい欲はありますが、他に書きたいこともあるのでどうなるかは気分次第になります。


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