テリーアの影 (やまもとやま)
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1、影の家

 この国は終戦1周年で盛り上がっていた。

 大森林の上空にうっすらと浮かぶギルドでは、大パレードが実施され、朝早くから始まり、夜遅くになっても、光が降り注いでいた。

 

 彼にとっては、そんなパレードも関係なかった。

 ギルドを離れ、闇夜の中にたたずんだ住宅街をさまよっていた。

 

 最大の被災地だけあって、あちこちの家が半壊したまま置き去りになっている。

 全壊した建物も片付けられないまま、残骸が積み上げられていた。雨風で散らばった残骸は、邪魔になりそうなところだけ片付けられ、それ以外はそのまま残されていた。

 1年が経過しても、このあたりは復興の手がつけられていない。

 このあたりに住んでいた生存者は、レパーラ都に移ったから、道を歩く者は彼以外には少ない。

 

 たまに人を見かけることはある。駐屯魔道士が足音も立てずに、彼の隣を通り抜けていった。

 地図を書き直すために、測量魔道士がこのあたりを巡っていると思われた。

 

 さらに進むと、人の姿はなくなった。

 看板が1つ上がっていた。

 

「大地の最果て――テリーア」

 

 最後の大地。それより先は柵がしてある。その先では、何かが何かを引きずり込む物音がしている。

 彼の歩みもそこで終わった。

 

 特にあてがあってここに来たわけではない。居場所がないからあたりをさまよっていただけだった。

 居場所がないというのは語弊があるかもしれない。

 

 彼は仕事についている。住む家もある。

 

 居場所がないというのはあまりに贅沢な話かもしれない。この地の人々に失礼だったかもしれない。

 

 彼はきびすを返して家路を目指した。

 

 ◇◇◇

 

 道中、彼はただよう赤い火の玉を見つけた。

 彼がこれまで見たことのないものだった。

 

 近くで生まれたエレメンタルか、あるいは突発的な魔力光球か。

 それはゆらゆらと漂っていた。彼を案内するように、彼の歩く速度と同じ速度で動いていた。

 

 彼は導かれるように赤い火を追いかけた。

 しばらくすると、赤い火が立ち止まった。

 

 火の先には一軒の家があった。

 古びた家だった。テリーアの木材ではない材質で造られていた。窓に小さな光が灯っているのが見える。

 

 赤い火はやがて、うっすらとだけ正体を現した。

 死神のような顔が彼のほうを見た。恐ろしさはなく、寂れた陰鬱なオーラを放っていた。

 

「ついあなたをここへ導いてしまいました」

 

 死神のようなエレメンタルはそうつぶやいた。

 彼は何もしゃべらず、表情も変えずにエレメンタルを見ていた。

 

「これも何かの縁。上がっていってください」

「……」

 

 彼はしばらくエレメンタルを見ていたが、やがてうなずいた。

 

「失礼してもよろしいですか?」

「どうぞ。ノックをすれば、主がお出になるでしょう」

 

 死神はそう言うと、その姿が薄くなり、やがて存在感もろごと消え去ってしまった。

 彼は玄関口の戸を小さくノックした。

 

 少しの間待つと、玄関口に反応があった。

 

「まあ、お客様ですか?」

 

 玄関口の先から、少女の声がした。高い声、しかしどこか人形のような声。この世の者ならざる者の声質だった。

 玄関口に浮かび上がった主の姿は、見たところ背の低い少女。彼よりも20センチ以上低かった。

 ツインテールの髪形も玄関口の光に浮かび上がっていた。

 

 主は玄関口を開いた。ゆっくりと開かれ、影のシルエットそのままの姿をした少女が顔を出した。

 

 一目、生気を感じられなかった。ダナン王国の魔女の気風を感じさせたが、それとも違っていた。

 少女は赤いドレスに身を包んでいたが、あまり目立たない鮮やかではない赤色だった。赤色というより、黒色と表現したほうが適切な色合いだった。

 

 少女は彼を見ると、にこりと微笑んだ。微笑んだその表情も、うつつを遠く離れたものに見えた。

 

「君は……」

「私がこの家の主です。一人で暮らしているのです」

「……」

 

 こんな少女がこんなところで一人で暮らしているというのは不思議なことだったが、彼は詮索しなかった。

 

「お客様、こんなところで立ち話もなんです。どうぞ、おあがりください」

「あ、はい」

「どうぞ、汚いところですが」

 

 少女はていねいな口調で彼を迎え入れた。

 彼はその家に上がる前に、一度外の景色を確認した。

 どこか、外の世界が遠く離れて見えた。ずっと先にパレード中のギルドが見えたが、それはさらに遠くにあるように見えた。はるか異なる世界の何かのようだった。

 

 家の中は静けさに包まれていた。

 狭い玄関口に、古くなった廊下が続いている。廊下の先は暗闇だった。

 左右に部屋があり、右手の部屋にだけ明かりがついていた。

 左手の部屋の隣には階段があったが、その先も暗闇で包まれていた。その先には何も存在しないようにも見えた。

 

 少女は右手の部屋を開いた。

 

「どうぞ、こちらへ」

「はい……」

 

 右手の部屋はとても狭かった。

 たくさんの本棚に囲まれていて、古びた机が窮屈そうに置かれている。机の上にはいくつかの本がやはり窮屈そうに広げられていた。

 机の後ろには、この都では見かけない柄のマグカップが並べられており、その隣に小さな水場があった。本棚と本棚の間に戸があり、その先から庭口へ降りられるようになっていた。

 

 床にも本が散らばっているので、彼は足を引っかけてしまった。

 

「申し訳ありません。散らかしてしまっていて。どうぞ、お気をつけて、こちらへ」

 

 少女はいくつかの本を拾い上げて、道を作った。

 床に汚れた赤い座布団が置かれていた。その上にはネズミが寝ていた。

 水色で長い角がある。テリーアで広く生息するエレメンタル獣の1つだった。

 

「パル、お客様がお越しになっています。そこをどきなさい。お客様が座れないでしょう?」

 

 少女がパルと呼ばれたネズミに言うと、パルは素直に起き上がり、一跳ねで机の上に到達した。

 

「とても懐いているのですね」

「パルはお利巧さんですから。使いを頼みましょう」

 

 少女がパルに手を伸ばすと、パルはさっと少女の小さな手のひらに着地した。

 

「パル、お客様に紅茶を入れて差し上げて。たしかナノサのクッキーもあったかしら」

 

 パルは一跳びで水場まで跳ぶと、少女に言われたことをやり始めた。

 本当に利巧なエレメンタルだった。

 

「どうぞ、お客様。汚いところですが」

「お邪魔します」

 

 彼はかしこまりながら、パルが眠っていた座布団に座った。

 1つ深呼吸してみる。

 不思議なにおいがした。

 

 パルが淹れようとしている紅茶の香りに混ざってくるこの哀愁はなんだろうか?

 彼は目を閉じて、その行方を探した。

 

「お客様、お名前をうかがってもよろしいですか?」

「え、あ、えっと……」

 

 彼は目を開いた。すると、少女は向かいに腰かけ、机にひじをついて微笑んでいた。無邪気な笑顔に見えるが、邪気があちこちに漂っているように感じるのはなぜだろうか。

 

「僕は……アルマ・リンクスです。近くで駐屯魔道士をしている者です」

「アルマさん、今日はお越しいただきありがとうございました。わたくしはテリーア・トラパークと申します」

「トラパーク……」

 

 アルマはどこかで聞き覚えがあったその言葉をつぶやいて思案した。聞き覚えがあったし、何か重要な何かだった気がするが、どうしても思い出せなかった。

 

「テリーアです。この都の名前をいただいたのです」

「テリーアさんは……この都の出身なのですか?」

「テリーアさんだなんて……どうか呼び捨てにしてください。お客様のほうが目上なのですから。どうか、丁寧な言葉も封印してくださいませ」

「あ、そうだね……」

 

 アルマは仕切り直した。

 

「テリーアはここでずっと暮らしているの?」

「はい。ずっとここで暮らしております。テリーアは静かで美しいところです」

 

 テリーアは微笑んでそう答えた。

 その答えは違和感だらけだった。

 

 テリーア都は辛気臭い場所と言われて久しく、それに戦争によって多くのものが失われてしまった。

 テリーア都は激動の歴史を歩んだから、長くこの地で暮らすこと自体が難しかった。この地には、略奪と侵略の歴史が深く刻まれている。

 

 アルマは特に深く詮索しなかった。あまり詮索すると、テリーアを傷つけることになるかもしれないと思った。

 

「アルマさんもテリーアに住んでおられるのですか?」

「僕は……レパーラ出身で、少し前にこの近くに移って来たんだ」

「まあ、そうだったのですね。それならば、ぜひテリーアの美しい世界に触れていってください」

「ええ」

 

 アルマはそう答えたが、テリーア都はまもなく没落するのが確定の斜陽地だ。おそらく、テリーアも近くこの地を離れるしかない。

 ここは大地の最果て。大地が消えゆく世界。来年には、この家も消えてなくなっている公算が大きかった。

 

 アルマは疑問に思うことがあった。

 

 テリーアはそのことを知っているのだろうか?

 

 テリーアはいまも微笑んでいる。この地が消えることに対する危機感がまったく見られない。

 そもそも、なぜテリーアは一人で暮らしているのか。親はいないのか。ここはあらゆる謎が詰まった領域だった。

 

 しかし、アルマは詮索しなかった。ここが滅びることを伝えても野暮だと思った。

 それに、自分が言わなくても、いずれ駐屯魔道士が声をかけるだろう。

 アルマは自分がその役になりたくなかったので、これ以上何も質問しなかった。



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2、終末都市、テリーア

 アルマは目覚めた。

 つい、うとうととうたた寝してしまっていたようだ。

 目を覚ますと、目の前のテリーアもうとうとと眠りについていた。

 

 アルマは視線を落とした。

 目の前に1冊の本が広げられている。

 テリーアの家にお邪魔して、あてもなくお茶をごちそうになり、その後はあてもなくそこにあった本を開いていた。

 眠気を誘うような本だった。内容はほとんど頭に入っていなかった。

 

 アルマが本を閉じると、近くにいたエレメンタル獣のパルが飛び跳ね、机の上に飛び乗った。そのとき、ガタッと物音が響いた。

 テリーアはその物音で目を覚ました。

 

「まあ、いけません。ついうとうとと眠ってしまっていました。お客様の前でとんだ失礼なことをしてしまいました」

「いえ」

「もうすぐ夜明けを迎えそうですね」

「ずいぶんと長い間、お邪魔してしまって申し訳なかったね」

 

 アルマはそう言うと、座り直した。早朝から仕事があるから、そろそろ戻る必要があった。

 

「いえ、こちらこそ、長い間、引き留めてしまい申し訳ありませんでした」

 

 テリーアは本棚の間に少しだけ顔を出していた窓のほうに目を向けた。

 少し外が明るくなってきていた。うとうとと眠っていたと言ったが、ずいぶんと長い間眠ってしまっていたようだった。

 

「ありがとう、今日はすごく楽しかった」

「喜んでいただけたなら幸いです」

 

 テリーアはそう言うと、パルに命じた。

 

「パル、お客様がお帰りです。戸を開きなさい」

 

 命令を受けたパルは戸のほうに向かい、前足で器用に戸を開いた。

 

 アルマは玄関口の先に出ると、テリーアに頭を下げた。

 

「気が向いたら、またいらしてください。私はいつもここにおりますので」

 

 テリーアはそう言ってほほ笑んだ。しかし、その笑顔がとても希薄な色に見えた。

 アルマはもう一度頭を下げてきびすを返した。

 

 歩くこと、2歩、3歩……。

 

 それだけの距離。わずかな距離。

 けれど、アルマはたしかに感じた。世界の変化を。

 

 だから、アルマは振り返った。

 

 そこには何もなかった。

 テリーアの笑顔も、建物の面影も。

 代わりに、戦争の被害の跡だけが克明に広がっていた。

 

「……」

 

 アルマは驚くよりも、哀愁漂う表情で、目の前の後継を見ていた。

 遠くまで荒廃地が続いている。吹き抜ける風が必要以上に寒気を運んできた。

 夜明けがさらに近づくにつれて、荒廃地の存在感は大きくなった。

 

「夢を見ていたのかな……」

 

 アルマはそうつぶやいた。

 たしかに口にしたお茶の香り、建物のにおい、テリーアの笑顔が残っていたが、しかし、その存在感はしだいに消えていった。

 

 アルマは先ほどまで何をしていたのかも忘れてしまった。夢を見ていたような気分になり、テリーアの笑顔もまた思い出せなくなった。

 アルマは静かに歩き出した。

 

 ◇◇◇

 

 アルマはテリーア・ギルド近辺の事務所に魔道士として派遣されている。

 帝国オーハの自治となったレパーラ都から安月給で派遣された身だ。

 

 アルマもかつてはこの地の戦争に参加していた。

 ギルド陥落を命じられた「エーナクライス部隊」の魔道士だった。

 

 ギルド陥落作戦の途中で、帝国オーハとセレクマ王国の併合条約が締結され、レパーラ都一帯が帝国オーハに併合され、代わりに南部地域を「オーハの憲法を順守する限り、不可侵とする」という条件でセレクマ王国が妥協した。

 エーナクライス部隊はそのままレパーラ都に引き返した。

 すでに、レパーラ都は帝国オーハの占領地になっており、民間人の多くがオーハの権限で保護されていた。

 

 戦争に勝ったにも拘わらず、アルマら戦争魔道士は白い目で見られた。

 戦争に勝った側が負けた側のいじめを受けるという生活が待っていた。

 

 セレクマ王国の民間人は旧時代的な生活感覚しか持っていないから、たびたび事件を起こした。

 アルマは何度も民間人に殴られ、あわよくば殺される可能性もある暴行を何度も受けた。

 

 このころ、帝国オーハはレパーラ都の再建のため、「民間人から死者を出すな」と兵士に強く命じていた。

 アルマは魔法の使用を禁じられる規則の中で、野蛮な民間人を管理していた。

 

 しかし、帰還命令が出て、魔道士がほとんど帝国オーハに引き上げたため、テリーア地方の復興を担う魔道士が枯渇し、エーナクライス部隊の約半数がこの地に残り、アルマはテリーア地方に派遣された。

 

 野蛮な民間人の管理を免れたが、この地の任務も楽ではなかった。

 

 アルマが寮に戻って来ると、寂れた様子の魔道士がちょうどアルマの部屋を訪れようとしているところだった。

 

「パルゾン」

「やあ、アルマ。こんな時間に出かけていたのかい?」

 

 アルマが声をかけると、寂れた様子の魔道士は小さな声で尋ねて来た。

 パルゾンはアルマの上司に当たる。同じエーナクライス部隊で戦った魔道士だった。

 魔法の実力者だが、45歳にもなるとただでさえ足りなかった威厳がさらに落ちてしまっていた。

 

「少し近くを散歩していました」

「今日の仕事を終えたら引き上げるから。午前中で任務上がったら急いで荷物を片付けて」

「え? 引き上げるのですか?」

「うん、テリーアはもうダメだと判断したみたいだね。レパーラ都は大丈夫だと思うけどね」

「そうですか」

「こんなことなら、ギルドを攻撃する必要もなかったね。とんだ骨折れ損だった」

「測量魔道士の予測だと、このあたりは残ると聞いていましたが」

「このあたりは残ると思うけど、残ったとて何もできないよ」

「では、テリーアはどこが領土を管理するのですか?」

「地図から抹消さ。文字通り消えてしまうからね。これで最果ての地はレパーラということになるね」

 

 パルゾンがそう言うと、アルマはうつむいた。

 この地が消えてしまうことはわかっていたけれど、改めてそれを知ると悲しい気持ちになった。

 

 同時に何を悲しんでいるのだろうとも思った。

 この地に何かがあるわけではない。友人がいるわけでも、家族がいるわけでもない。

 戦死した仲間が眠っているわけでもない。

 

 けれど、アルマはテリーアの地が地図からも消滅することが悲しくて仕方なかった。

 もともと何もなかったはずなのに、これほど大きな喪失感を覚えてしまうのはなぜだろう。

 

「今日の任務は地図の最果てラインだけ敷いて終わりだね。もう夜勤組がやってくれてると思うから確認だけだね」

「はい」

「今後の身の振り方だけど、今度はタイダラスの任務に派遣される公算が大きいよ。手を焼いていると、昨日伝令が言っていたからね」

「タイダラスですか……」

 

 アルマはため息をもらしながらそう言った。

 

「タイダラスは嫌かい?」

「いえ、別にどこでもいいのですが」

 

 アルマは戦争の任務に出ることに嫌気がさしていた。いや、そもそも魔道士としていること事態に疑問を感じていた。

 

「じゃあ、任務が終わったらすぐに荷物をまとめて。4時には輸送車が来ると思うから」

「はい」

 

 アルマは力なく返事をした。

 

 テリーアが消える。誰もが知っている当たり前のことだが、アルマはそのことに誰よりも悲しみを覚えていた。

 

 ◇◇◇

 

 テリーアは消滅する。

 テリーアは最果ての地。テリーアの南には「影」が広がっている。

 この影は、まだ魔導力学では解明されていない概念である。

 

 セレクマ王国が古くから「影」と呼んでいたため、世界的に影と呼ばれている。

 

 影は通常の魔導力学に則さない動きをする。

 影は以下の基本定理にすべて反している。

 

1、魔力はすべて熱エネルギー的である。

2、魔力は常に熱エネルギーに加速度的に変換され放出される。魔力は熱エネルギー以外に変換されない。

3、魔力は反対ベクトルの熱あるいは魔力と衝突すると、安定結晶化する。

 

 影ははるか昔からそこにあり、少しずつ世界を影に変えながら北上している。

 影に触れた物は必ず消滅する。その分だけ影が増えるということは確認されていない。

 影は決して消滅しない。

 影は徐々に減速している。

 

 かつて、この影を止めるために、色々なことが施行されたが、いずれも影を止めることはできなかった。

 この影の唯一の救いは徐々に減速していること。測量魔道士によると、あと約2年半程度で完全に停止し、影と世界が安定状態になると言われている。

 

 ある者の説によると、「影は世界とのバランスが保たれるように成り立っている」ということだ。

 計算式がそのまま成り立つと、2年半ほどでテリーア地方をほとんど呑み込んだところで、ぴたりと止まることになっている。

 

 セレクマ王国は影の侵攻が止まった後は、影をゴミ処理場にすると言っているらしい。

 そんな不思議な存在「影」は大地の最果てとして定義されており、影の先に何があるかは誰もわからない。その先には何もない。

 

 影は南方に広がり、北方には確認されていない。

 北方の最果てはまだ誰もたどり着いていない。

 北方は氷で覆われており、確認が難航しているようだ。

 

 北は氷で閉ざされ、南は影に包まれている。

 そして、光指す世界に、アルマをはじめとした人々が暮らしていた。

 

 影は時間をかけて北上し、ちょうど「テリーア」に足を踏み入れようとしていた。

 終末都市、テリーアの終焉はまもなくだった。



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3、故郷の影

 エーナクライス部隊はテリーア地方から撤退することになった。

 もともとはテリーア地方を支配するために軍事的に派遣された部隊だったが、任務が本格化する前にセレクマ王国がレパーラ都の主権を放棄するという宣言と引き換えに帝国オーハとの間で終戦合意がなされた。

 

 エーナクライス部隊に参加していたアルマはギルド侵攻の前夜にその知らせを聞いた。

 多くの部隊が普平をもらす中で、アルマは安堵していた。

 その後、エーナクライス部隊は待機が命じられ、一部の部隊にはセレクマ王国南部のテリーア地方の駐屯魔道士として派遣されることになった。

 アルマは派遣された魔道士の一人だった。

 

 アルマは起きると、宿の外に出て来た。

 ちょうど、ぞろぞろと同じ寮で寝泊まりしている魔道士たちが降りてくるところだった。

 昨夜は良く眠れなかった。しょっちゅう、住民らが喧嘩を催すので、寮は寝静まることが決してなかった。

 昨夜も誰かが怒鳴り声をあげて、殴り合いをしていたため、朝方まで眠ることができなかった。

 

 そんな騒々しい寮生活も今日が最後だ。

 

 水場が渋滞していたので、アルマは朝の用途を省略して、集合ホールに向かった。

 上司のパルゾンと一部の勤勉な魔道士らはすでにホールに集まっていた。

 

 親しい友人のいないアルマは端のほうにひっそりと座った。

 

 一人寂しく時が経つのを待っていると、続々と魔道士らが入ってきてすぐに賑やかになった。

 

「全員、静粛に」

 

 エーナクライス部隊を率いる隊長のビスマルクが凛とした声で告げると、みなおとなしくなった。

 ビスマルクは魔道士の世界では珍しくない女性のリーダーである。28歳の若さでエーナクライス部隊の隊長まで出世していた。

 

 リーダーに女性が多いのには理由がある。

 単純に、男性より女性のほうが潜在的な魔力が平均で3割から4割ほど高い。

 まだ魔法が体系化されていなかったころは、男性が得意とする腕力や体力が支配的だったが、魔法が進歩するにつれて、差が縮まりやがて逆転していった。

 魔法体系が固まってくると、魔道士の約6割5分が女性で構成されるようになった。

 

 魔法の力は一般的に同程度の物理的なエネルギーの220倍の力を持つ。

 グーパンチで壁を叩いても、強拳の持ち主でもびくともしないが、魔法が介在すると、鉄の壁が断裂するほどの力になる。

 

 そのような力が常識となる魔道士の世界では、必然的に潜在的な魔力が高い者が優秀であると言える。

 また、男性に比べて女性のほうが魔法のコントロールに長けていることもわかっている。

 魔法の力も精度も女性のほうが高いので、魔道士は女性の職業と言ってもいい。

 

 それでも、男性が3割以上も魔道士になっている背景には、長期任務になると、やはり体力が要求されるということでもある。

 今回のギルド侵攻も15日間の長期任務であり、ギルドの攻撃、ギルドの制圧、周辺地域の管理まで行うとなると、魔法ではない力も必要だ。任務が長期化するほど、むしろ魔法ではない力のほうが必要になる。

 

 とはいえ、男性の役割は任務の3Kのものばかりである。

 ギルドや建造物への魔法攻撃任務は、魔力の高い者から選ばれる。彼らは大掛かりな魔法の一撃で一帯を吹き飛ばせば任務は終了だ。

 あとに待っているギルドの制圧や地域の管理は主に男性が務めることになる。

 

 しかし、今回はギルド攻撃の直前に終戦したため、誰もが直接的な任務に当たることはなかった。

 

 あれから1年。アルマはずっとテリーアのがれき撤去や測量任務にあたっていた。

 測量任務は魔道士の任務の中で最重要と言われている。

 

 測量任務は地図を作製するために必要な情報を集めるためにある。

 ただの地図ではない。どこに誰がいて、どういう魔道士がどういう体制で管理され、魔法軍事力はどれぐらいでなどなど、細部まで情報を詰め込んだ地図だ。

 その地図をもとに、帝国オーハは侵攻計画や植民地計画を練る。

 測量任務は、帝国主義を掲げる国家にとって、最も重要な仕事だ。

 

 しかし、最重要の任務が最も激務で給料も低い。

 任務に当たる魔道士は底辺の魔道士がほとんどである。

 アルマは中堅であったが、底辺の魔道士を管理する立場であり、骨の折れる仕事だった。

 

 しかし、その仕事も終わり。再びオーハに戻ることになる。

 アルマはため息をついた。

 

 やっとうんざりする仕事が終わるという安堵感に加えて、また愚かな任務に就かされるという前途多難が込められたため息だった。

 もう1つの要素も込められていた。

 

 テリーアが消えてなくなるという寂しさ。

 

 よその国のことなんてどうでもいいと多くの魔道士は考えていたが、アルマはそうではなかった。

 アルマがはじめてテリーア地方を歩いたとき、懐かしさを覚えた。

 どこか、安心感があった。まるで生まれ故郷のような安心感だった。

 

 戦争で居住区は半分廃墟になっていたが、そこを立て直したいという気持ちがあった。

 しかし、その任務は失われた。テリーアは帝国オーハでさえも放棄するほど、実利のない虚無の世界だった。

 

 アルマはテリーアを離れることに誰よりも寂しさを抱えていた。

 

「そういえば、あの子……テリーアはどうするのだろう?」

 

 アルマはある少女の姿を思い出した。夢かうつつかわからないが、確かに昨夜出会った少女テリーアの記憶があった。

 テリーアは影に沈む。そのとき、テリーアはどこへ行くのだろう。

 気になったが、アルマはもう忘れることにした。

 

 ◇◇◇

 

 魔導機体が複数やってきた。

 魔導機体は魔法で動く機械のことである。

 四足歩行の重金属機体は寮の手前で停車した。

 

「荷物詰め込んだら、搭乗。ただし、そこのお前たちは残れ」

 

 隊長のビスマルクは数人の魔道士を呼び止めた。

 

「お前たちは残れ、いいな」

「はい」

「これからギルド長に挨拶する。お前は土産の用意、お前は私についてくるだけでいい、お前は機体の操縦だ」

 

 ビスマルクが3人の魔道士それぞれに命令を出した。たまたま、その中の2番目の魔道士にアルマが選ばれた。

 ただついてくるだけでいいということなので、アルマはビスマルクについていった。

 

 ビスマルクは部隊が乗り込んだ機体を見送ると、魔導通信機を用いて、魔導機体をよこすように、派遣所に連絡した。

 

「5分ほどで来る」

「はい」

 

 アルマと機体の操縦任務を任されたもう1人の男はそのままビスマルクの後ろに控えた。

 ビスマルクは身長が高く、アルマと同程度ほどだった。右手に赤い腕輪がつけられている。強大な火炎を精製する手助けをする強力な魔導武器だった。

 アルマが持っているどの武器よりも強力であるが、魔導武器は使い手を選ぶ。

 アルマがビスマルクと同じ武器を使うと、自らの炎で自らの肉体に火をつけることになってしまうだろう。魔力の安定が崩れて暴発すれば、体は一瞬で砕け散る。

 

 アルマが持っている武器は強い衝撃波を発動できる。この武器を使いこなせるようになるまでに4年かかった。ビスマルクの使う武器と同じ精度のものを使えるようになる日は一生来ないだろう。

 

 機体を待っていると、土産の使いに出ていた者が花束などを抱えて戻って来た。

 

「隊長、土産の用意できました」

「なんだこれは?」

「土産屋の主いわくテリーア特産の紅茶だそうです。こっちはテリーアにだけ咲いている影の花と呼ばれているそうです」

「地元のギルドに地元の土産を持っていく気か?」

「す、すみません」

「ちっ、まあいい。それはお前らで持って帰れ。土産は私が用意する」

 

 ビスマルクは飽きれたのか、自分で土産の調達に出て行った。

 ちょうど入れ違いの要領で、ギルドに向かう機体が派遣されてきた。先ほどの魔導機体より一回り小型のものだった。

 

「来ました。ビスマルク隊長は?」

「土産買いに行ったよ。ご苦労、おれが操縦するから、お前は休憩に入れ」

「ほな、よろしく頼みます」

「土産も持ってけ。紅茶5袋入りを1つやるから」

「こりゃどうも」

 

 機体を持ってきた操縦士は地元の紅茶をぶら下げて、徒歩で戻って行った。

 

「お前もなんかいるか? おれ、茶なんて飲まないし、花より団子だ。好きなのもってけよ」

 

 男がゴミを渡すようにアルマに土産を持たせようとした。

 

「いただきます」

 

 アルマは紅茶と花を受け取った。

 

「紅茶か……」

 

 そういえば、昨夜も紅茶を飲んだっけと振り返った。夢の中の出来事だったのかもしれないが。

 そしてもう1つの土産。影の花。

 

 名の通り、暗い黒色の花だった。白黒の巻き付いた茎が伸びていて、華やかさに欠ける花だった。

 しかし、アルマにはとても美しい花のように見えた。

 



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4、ギルド

 セレクマ王国には12個のギルドが存在するが、その1つがテリーア地方にある。

 ギルド・テリーアはテリーア地方中部の森林上空に浮かんでいる。

 

 ギルドは非常に大きな施設なので、それを上空に浮かせるためには、非常に大きな継続的な魔力供給が必要になる。

 ギルド・テリーアは、年間に約44万トンの魔石を消費して、上空250メートルに浮かべている。

 この魔石の消費量はテリーア地方が年間に消費する魔石総量の約38パーセントにもなる。

 

 ギルドを上空に浮かべる理由はいくつかある。第一に攻撃を受けにくいという利点による。

 戦争の基本が敵国のギルド陥落である以上、ギルドは攻撃の対象になる。だから、その場所は最も攻められにくく、また反撃できるものでなければならない。

 

 250メートルの上空に浮かべれば、魔動機の利用や大掛かりな魔法攻撃を用いなければ攻められることがない。

 ギルドは耐魔法性能に優れた装甲で覆われているため、魔法による攻撃で陥落させるのは非常に難しいと言える。

 

 アルマが所属しているエーナクライス部隊は、ここテリーア・ギルドの陥落を命じられていた。

 だが、ギルドへの攻撃が始まる前に戦争は終わった。

 

 戦争が終わった後、ギルド・テリーアはそのままセレクマ王国が主権を持つということで収まった。

 ギルド・テリーアは無傷で戦争を終えたが、その周辺は大きな被害を受けた。

 エーナクライス部隊は戦争終結後はギルド・テリーアと協力してテリーア地方の再建活動に従事した。

 

 もともとは陥落させる場所だったところと協力しているのだから不思議な話だった。

 

 ギルドは魔道士の管理、育成、研究などすべてを担う形で世界中に数多く存在する。

 セレクマ王国は一部のギルドを民営し、ギルド・テリーアを含む9つのギルドを国営で運用している。

 

 ギルド・テリーアは最もオーソドックスなギルド大系を持ち、魔道士の育成アカデミーに魔道士の候補生が約770人、研究者が約80人、軍事施設に戦闘魔道士が約2500人、一般の魔道士も約120人所属している。

 一般魔道士はたいてい民営の会社に雇われている。国がわざわざ管理する魔道士は、戦闘魔道士に限られる。

 軍事力の要となる魔道士はどの国も管理に難儀している。

 

 魔道士のクーデターはあちこちで起きている。突出した魔道士の反逆行為や買収も少なくない。

 帝国オーハの皇帝に次の言葉がある。

 

「帝国主義の原則は、他国への軍事的圧力ではなく、自国民をつなぐ鎖の頑丈さである。鎖は暴走する者の首を引きちぎる仕様である必要がある」

 

 かつての帝国のほとんどが他国との戦争ではなく、内部崩壊であることを見ても、自国の管理が帝国の最重要課題だった。

 アルマも一応鎖をつけられた魔道士の一人だ。

 

 帝国オーハは内部の魔道士が反逆できないように非常に多くの枷をはめている。

 反逆行為を企てる者を密告すると、報奨金が得られるシステムが1つ。

 いまはすたれたが、かつてはすべての魔道士に呪縛魔法を刻印していた。時間が経つに連れ、体が腐敗していくという恐ろしい魔法が刻印されると、生き延びるために1年ごとに帝国に戻らなければならないので、反逆行為を抑えとどめることができる仕組みになっていた。

 この手法が廃れたのは、こうした非人道的な手法では、かえって魔道士を支配しづらかったり、魔道士が力を発揮できなくなること、また呪縛魔法を消す魔法が広く開発されたためである。

 

 しかし、一部の魔道士には、かなり解呪が困難な呪縛魔法を刻印しているという噂はある。

 少なくとも、アルマニはその刻印はなかった。

 

 アルマはビスマルク隊長の付き添いとしてギルドへやってきた。

 森林の手前にギルドへ入るための魔動機が用意されている。

 

 ビスマルクは顔が広いので、やってくるなり厚く歓迎され、すぐにギルドに向けて魔動機が起動した。

 アルマは飛行魔動機に乗るのがあまり好きではなかった。

 大地を離れる感覚にいつまでも慣れなかった。

 

 魔動機はゆっくりと浮上し、やがて、ギルドの滑路に着陸した。

 アルマがギルド・テリーアを訪れるのは4度目だった。

 

「お前たちはこのあたりで待機していろ」

「はい」

 

 ビスマルクはギルドのトップに会うためにギルド議事堂に向かっていった。

 ビスマルク単独でトップと面会するために、付き添いでやってきた3人はその場で居残りすることになった。

 

 魔動機の操縦を務めていた男はどこかへフラフラと歩き去って行った。

 土産を買いに行っていた男はあちこちをぶらぶらしながら、やがて芝生の上に座り込んだ。

 

 アルマも適当に歩いていたが、近くの大地に足を進ませた。

 

 テリーア地方が一望できる台地には、アカデミーの候補生と思われる若い男女が和気あいあいとしていた。

 ちょうど、アルマの目の前にカップルと思われる男女がいた。

 

 アルマはこれまで、そういうシーンと無縁な人生を送って来たから、少しうらやましく思った。

 物心ついたときには、帝国オーハの魔道士候補生として厳しく教育されていた。

 アルマが所属していた「ギルティ・ホールス」は身寄りのない者たちが無条件で所属できる社会保障の一環で存在している。

 

 社会保障と呈して、帝国軍の魔道士の人柱を育成する機関となっている。

 オーハでは、ギルティ・ホールスを除いて社会保障は存在しない。身寄りのない者はここに所属しなければ、生きていけない。

 

 13歳以上であれば、強制労働施設という選択肢もあるが、アルマの場合、3歳のころから身寄りがなかった。ギルティ・ホールスに所属することはマストだった。

 

 体罰もありの厳しい施設であり、落ちこぼれは13歳になった後、強制労働施設に運ばれる。ここは労働できなくなると処刑することも可能になっている。

 オーハの法律は以下のように抱き合わせになっている。

 

 13歳に満たない者はいかなる場合でも、生存権を有する。

 13歳に達した者は、少なくとも所定の勤労に従事しなければ生存権は認められない。

 生存権のない者はその日時から計算して、少なくとも2か月と16日の間、生活することができる金銭を有している必要がある。

 上記の金銭を有していない者は、国家の命令文書が定める行為に従事しなければならない。

 

 13歳までは無条件で生きることが許される一方で、13歳以降は生存権を有するか、生存権がない状態から2か月半の間生活できる金銭があることを証明しなければならない。

 これらができないと、国家の命令文書が定める行為に従事させられる。

 

 国家の命令文書。

 

 たいてい、それは「処刑」である。

 オーハはこうして犯罪者となる者を事前に摘み取っている。

 

 アルマは不幸中の幸い、頑張れば出世できるチャンスを持っていた。

 ギルティ・ホールスは厳しい場所だが、成績優秀の場合、帝国軍に所属することができる。そうすると、貧困を抜け出すことができる。

 優秀と書いたが、アルマの子供時代は、中の下の成績であっても、帝国軍に入れるいい時代だった。ちょうどアルマが誕生する10年前までは氷河期とされ、上位30%以上でなければ帝国軍には入れなかった。

 

 アルマは中の下で何とか帝国軍に入り、それなりの生活基盤を手に入れた。

 とはいえ、帝国軍に入るということは、命をかけて戦うことを強制されることでもある。

 下積みを経て、アルマはビスマルクが隊長を務める名誉ある「エーナクライス部隊」に参加することになった。

 

 本来はその部隊から、ギルド・テリーアを攻めるはずだったが、いまはその攻めるはずだった場所で静かな時を過ごしていた。

 

 丘の先へ向かうと、テリーア地方の様子を見て取れた。

 ずっと南方の地平線は黒いもので満たされている。そのあたりの空は真夜中のように暗い。

 ちょうど、影と世界の境目だった。

 ここは影と世界の境目を望める数少ない場所だった。

 

 世界が消えゆくところをただ眺めることができる場所。

 慣れてしまえば、当たり前のこと。影はゆっくりとこちらに近づいてきている。

 あの影がある場所に到達すると、そこで影の侵攻は止まると推測されているが、アルマは次のように思った。

 

 止まることなくすべてを呑み込んでしまったほうが、世界は救われる気がする。

 

 そんなことを思っていると、後ろから声をかけられた。

 用事が終わったようで、部隊の仲間が声をかけてくれた。これから帝国オーハに帰還する。そして、次の任務が始まる。

 おそらく、この先二度とテリーアを訪れることはないだろう。

 

 アルマは最後にもう一度だけ影の領界を見つめた。

 ある少女のことを思いだした。

 

「テリーアの影……か」

 

 アルマはなぜかこの地を離れたくないと思った。影が自らを呑み込む日をただ待っていたいと思った。



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5、テリーアの魂

1日早く新年度。
今年もよろしくです。


 アルマは魔動機の待機する走路に戻って来た。

 まだ、ビスマルクが挨拶から戻ってきていなかったので、仲間の魔道士たちも近くに姿がなかった。

 アルマはビスマルクが戻って来るまで、ふらふらせずここで待つことにした。

 

 走路は風が強いので、少し肌寒さを覚えた。

 ややあって、魔動機が浮上してきて、ちょうど走路に着陸した。

 アルマはその様子をぼんやり見ていた。

 

 魔動機からは幾人かの魔道士らが出て来た。

 その中に、降りるなり大きな声を上げている老人がいた。

 老人は大きな声で何かを言った後、アルマのほうに目を向けた。

 

 老年とは思えないほど、目つきがしっかりした老人だった。風貌はだいぶ老いていたが、威勢の強さのせいか若く見えた。

 

「おい、オラァ!」

 

 アルマに向けて大きな声を上げた老人はそのまま大股でこちらに近づいてきた。

 アルマはその場でぼーっと突っ立ったままでいて、老人が近くに来たところで頭を下げた。

 

「なんでおるんじゃ、帰れ帰れ」

 

 老人は大きな声で怒鳴りつけて来た。

 

「足を上げるな、聖地に!」

「申し訳ありません。ギルド長の挨拶のために参らせていただきました。用が終われば、すぐに帰還します」

「挨拶なんていらんわい。けったいな侵略者ははよ帰れ!」

 

 老人は激昂が止まらない様子だった。

 セレクマの右翼思想者と思われた。

 アルマはオーハ帝国軍の軍服に身を包んでいるので、右翼の者にとっては罰の悪い存在だ。

 

 アルマはそれをわかっていたから、下手に出た。もとより、アルマは誰にでも下手に出るタイプだった。

 

「もうすぐ帰りますので」

「責任者は誰じゃ? あ?」

 

 老人は持っていた杖を突きつけて来た。

 

「イワンジャさん、およしください」

 

 そのとき、後ろから魔道士が一人駆け寄ってきた。

 

「イワンジャさん、さあさ、こちらへ。申し訳ありませんね、本当に」

 

 やってきた魔道士は間に入って、アルマに誤った。アルマも頭を下げた。

 

「おい、こいつは侵略者だぞ。客なもんか」

「わかりましたから、さあこちらへ。さあ」

「ええい、年寄り扱いするな。ワシは侵略者を叩きのめす。侵略してきたら殴り倒すつもりで構えておったんじゃ」

「もう戦争は終わったんですから。さあ、戻りましょう」

 

 老人は気難しい正確なようだった。付き人の魔道士にも態度は厳しかった。

 アルマはその様子を真顔で見ていた。

 

「情けないことじゃ。オーハに媚びへつらってそれでもセレクマ王国の聖者か」

「落ち着いて、さあ」

「こんなことでは、セレクマもおしまいじゃ。影に呑み込まれ消滅してしまうわい」

 

 老人は付き人の魔道士に連れて行かれるように戻って行った。付き人の魔道士は振り返ってもう一度アルマに頭を下げた。

 

 今でこそ、こうして頭を下げ合っているが、停戦合意がなければ、アルマはこのギルドを攻撃する予定だった。

 先ほどの老人にも、付き人の優しそうな魔道士にも、死の一撃を加えていた可能性があった。

 そう思うと、この世界のありようが不思議なものに思えた。

 

 政府の一声で、笑顔で話ができる人々を殺し合いの世界に引きずり込む。

 平和、愛情、友情……いずれも政府の一声で、消し飛ぶ脆弱なものだった。

 アルマは自分の腕に装着されているブレスレットを見つめた。

 

「あのう、先ほどは申し訳ありませんでしたね」

 

 不意に声をかけられて、アルマは顔を上げた。

 先ほどの魔道士が近くに来ていた。まだ若い女性だった。

 アルマはとっさに頭を下げた。

 

「イワンジャさんはセレクマでは有名な魔道士なのですが、気難しいお方で。不快な思いをさせて申し訳ありませんでした」

「いえ」

 

 アルマは気にしていなかった。むしろ、イワンジャの言い分は正しいと考えていた。

 

「この後、国にお帰りになるのですか?」

「その予定になっていますが」

 

 アルマは走路の先を見つめた。

 まだ、ビスマルクが戻って来る気配がない。5分ほどの立ち話ではなく、それなりに長い話になっているようだった。

 

「仲間の方々を待っておられるのでしたら、こちらへ。ここは冷えるでしょう」

「いえ、しかし」

「こちらの研究室から走路の様子は見えます。仲間の方が戻られたらすぐにわかりますよ。どうぞ」

「そうですか。それなら……」

 

 アルマは遠慮がちに好意に甘えることにした。

 

 ◇◇◇

 

 ギルドは魔法の総合施設である。ギルドの3分の2は研究施設で占められていることが多い。

 ギルド・テリーアにも、大きな研究施設があった。

 先ほどの女性魔道士は研究施設に勤める魔道士と思われた。

 

 アルマがオーハのギルドにいたころ、よく研究魔道士の研究に参加していた。

 アルマは「火炎生成」の実験のために、安全性の確認されていない魔導武器を使わされた。

 

 研究を重ねるごとに、魔導武器の精度は上がるが、初期の武器はいずれも危険だ。

 しかし、実験する者がいなければ、精度は上がらない。誰かが実験台になるしかなかった。

 

 オーハは容赦なく軍の魔道士を実験台にした。

 むろん、実験に参加すると高額のボーナスが出る。ゆえ、実験の志願者も多い。しかし、実験台は多くても、多すぎることがない。常に実験台は不足しており、アルマは何度も武器の実権をした。

 

 幸い、アルマの実験は不幸なことにはならなかった。

 アルマはある火炎武器の実験をしたのだが、その武器の前頭は死亡事故を起こしていた。

 

 ある魔道士がその火炎の剣を振るうと、とたんに、剣が暴発して、魔道士は死んだ。

 体の胸から上が消し飛ぶという陰惨な事故だった。

 しかも、高熱で血液が昇華しており、遺体は黒焦げ。

 

 そんな危険な炎の剣は改良され、改良版がアルマのもとに渡って来た。

 アルマはその剣を使う実験に参加した。何とかその武器を安全に使うことができた。

 

 後にその武器は「C21・フレイムソード」として軍に配属された。火炎の生成が不安定で、1年前に使用が禁止された。

 

 魔法の研究はそんな陰惨な事故の連続だ。しかし、それが魔法を発展させてきたのは間違いない。

 

 魔法研究は重要な国家機密なので、アルマもイワンジャらがどんな魔法を研究しているかは尋ねなかったが、女性のほうから言ってきた。

 

「我々はいまテリーアの影を研究しているのです」

「テリーアの影?」

「はい、世界の最果てと言われているテリーア地方南端の影です。あなたもご存知でしょう?」

「ええ、まあ」

「テリーアの影にはさまざまな説があります。エネルギーの保存に関与しているとか、質量の欠損調整だとか、すべての属性に現れない魔力の総称とか……」

 

 女性はあれこれ魔法学的なことを話した。その後に、ファンタジックな説を話した。

 

「テリーアの魂という神話があるのです。それは、世界はもともと影だったのです。すべてが統一されていました。ですが、影の主がその統一感を孤独の寂しさだと考えるようになり、統一を破壊し、世界を誕生させたのです」

「……」

 

 アルマは魔法学的なことより、神話の内容のほうにより強い関心を示した。

 

「ですが、誕生した世界は統一されないゆえ、混沌に包まれ、多くの悲しみをもたらしました。そして、主は世界をもう一度統一しようと考えたのです。ですが、主は迷っているのです。世界を残すべきか、消滅させるべきか」

 

 どこか人間味のある神話だった。

 人間が生き方に迷っているように、影もまた迷っているということなのだろうか。

 

「い、影の進行速度は緩やかになってきています。今日の観測でも、減速が確認されました。主はもう一度世界にチャンスを与えたのかもしれませんね。ですが、人類は主のその希望に応えることができるでしょうか。いまのままではできないような気がします」

「……」

「あなたはどう思いますか?」

「どうなのでしょう。難しい話ですね」

 

 アルマは答えを保留していたが、人類が影の希望に応えるのは100%不可能だとすでに確信していた。

 

「テリーアの魂があるとすれば、どこかでこの世界を見つめておられるのでしょう。いったいどんなお方なのでしょうか」

「……」

 

 アルマはそのとき、ふと誰かの姿を思い浮かべた。

 記憶はおぼろげだった。しかし、たしかにアルマは出会っていた。おそらくはテリーアの魂を持つ者に。

 



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5、可能性

 帝国オーハの意向を受けて、エーナクライス部隊はセレクマ王国から撤退することになった。

 アルマは魔動機の窓から、視界から遠ざかっていくセレクマの景色をぼんやりと見ていた。

 

 4足歩行の魔動機は今から70年前に発明された兵器である。

 オーハはそのころ、近隣国の侵攻を繰り返していたが、魔動機がない時代、その侵攻はとてもコストのかかることだった。

 

 人の足で進軍し、侵攻地を実効支配しなければならなかったので、敵地の100倍以上の戦力を必要とした。

 魔動機が発明されると、人手が3分の1ほどで済むようになった。

 

 魔動機のプロトタイプは敵地を攻撃するものではなく、人を運ぶためのものであった。

 4足歩行で組み立てられたのは、荒地を進むためである。車輪を用いた魔動機も並行して開発されていたが、いずれも凹凸の強い山地の進軍に課題を残し、いずれも開発が中止となった。

 最後に残ったこの魔動機は帝国オーハの拡大に大きく貢献した。

 

 その後、道が整備されると、かつて開発が頓挫していた車輪型も増えてきた。

 しかし、軍隊はほとんど4足歩行の魔動機を使っている。

 

 理由は主に3つある。

 1つは敵地でのゲリラ戦では、荒地に隠れた兵士と交戦する際に有利であるから。

 もう1つは瓦礫が積み上がり、道や橋が破壊されていくと、移動に有利であるから。

 最後の1つは愛着である。オーハの部隊はいずれも、4足歩行の旧式魔動機を愛していた。ビジュアルを好むという理由で使い続けられているところもあった。

 

 とはいえ、整備された道を移動するだけなら、車輪型のほうが明らかに能率が良かった。

 平坦な道を移動するとき、旧式は時速30キロが限界であるし、道を消耗させやすい。車輪型は時速100キロを超えるし、道に優しい。

 

 4足歩行の魔動機は大きな音を立てながら、平坦な道を進んだ。

 日が暮れると、遠くの町の明かりが浮かび上がってきた。

 アルマはその光景にどこか後ろ髪をひかれた。

 

 これから故郷のオーハに帰ることができるというのに、故郷から遠く離れていくような気がしてならなかった。

 アルマの手元には花があった。

 ギルドの挨拶の時に購入された「影の花」だった。

 影のように漆黒の花を咲かせている。アルマはその花を大事に持っていた。

 

 兵士にとって、花なんておざなりにもならない。実際、アルマ以外の兵士は誰も花に興味なかった。

 魔動機の中はタコ部屋のようになっていて、アルマの近くには、疲れた様子の兵士が雑魚寝していた。

 

 アルマは彼らとは距離を取って、窓際のポジションを陣取って、外の様子を見ていた。

 

 魔動機は2人の操縦士によって操縦されている。

 ビスマルクはしばらく操縦士らと交じって操縦の様子を見ていたが、やがて兵士が雑魚寝している後部に移って来た。

 

 ビスマルクは兵士一人一人のもとに向かい、2つ、3つ話をした。

 アルマのもとにもやってきた。

 

「アルマ、お前はまだ若いそうだな」

「あ、はい」

 

 アルマは姿勢を正した。

 

「この後の身の振り方だが、オーハは若い連中はできる限り、部隊に残すようにと言っている。お前はどうしたい?」

 

 ビスマルクの質問にアルマは曖昧に応えた。

 

「隊長の意向のままに」

「みな同じことを言うのだな。若い連中はみなそう言った。ケイリスもそう言った」

 

 ビスマルクは振り返って、壁際にもたれかかっていた兵士を指した。

 

「自分の意見を言わないのが若手の特徴か。だが、私は兵士の意向を尊重する主義なのでな。選択肢を与える。いずれかから選べ。いいな?」

「はい」

「おそらくエーナクライスは解散される。どう部隊再編されるかはわからないが、おそらくそのまま私の部隊に引き継がれると思う。1つは私の部隊に残るという選択だ」

 

 アルマはうなずいた。

 

「次は、別の部隊を志願することだな。若手ならもっと出世を望むこともできる。私もハーグの部隊を自らやめて出世した身だ。若手が参加する研技会で認められれば、中心部隊に参加できるかもしれないだろ。それが2つ目の選択だ」

 

 アルマは同じようにうなずいた。

 

「最後の選択は、軍をやめて外に出るかだな。セレクマとの話がついたなら、おそらくオーハの軍縮に進むだろう。ならば、兵士の幾人かは嫌でも外に出ることになる。それが3つ目だ」

 

 ビスマルクは3つの選択肢をアルマに与えた。

 アルマの中ではすでに答えは決まっていたが、一応3つの選択の意味を考えた。

 

 ビスマルクの部隊にとどまる。おそらく最も無難な選択。エーナクライス部隊のメンバーはほとんど全員がそれを選択するだろう。

 より高みを目指す。実力に自信がある者はそれを選択してもいいかもしれない。しかし、アルマは自分が底辺の魔道士であることを理解していたから、この選択肢はなかった。

 軍をやめる。これもアルマには選択肢にならない。

 アルマにはコネもないし、他の特技もない。ただ、軍の中で軍人として生きて来たから、今更何かできるわけではない。

 医術の心得もないし、新しいビジネスも何も思い浮かばなかった。

 

 だから、アルマは言った。

 

「隊長のとどまれるならとどまりたいと思います」

「そうか、連中と同じだな。最近の若者は上昇志向というものがないようだ」

 

 ビスマルクは飽きれたようにため息をついたが、そういう若者を嫌いではない様子だった。

 

 ◇◇◇

 

 夜中になって、魔動機は停車した。

 軍の規定で、特別な事情がなければ、深夜1時以降の運転が禁じられている。

 夜半の魔動機の操縦は危険を伴うこともある。

 

 特に山道では、転落の危険が常にあった。

 

 山道の途中での停車であったが、オーハは道にいくつもの「停留所」を設けており、山道にも山小屋があった。

 ここは軍の施設の1つだが、一般の者が宿を切り盛りしていた。

 

 魔動機を降りると、兵士らはその宿に入って一夜を明かすことになった。

 

 ちょうど、山を越えた先のレパーラ南西区から行商人が来ており、宿は賑やかだった。

 ビスマルクは行商人の長と長い話を始めた。

 

 アルマは会話の席には参加せず、隅っこで黙々と食事を続けた。

 山菜を和えたものをパンにはさみ、雑にビリーバードの卵を焼いたものが載せられていた。

 オーハの主食ともいえるものであり、この宿でも当たり前のように出て来た。

 モルモンレット海の幸が使われたコーンスープも添えられていた。

 

 ちなみにオーハの軍食には厳しい規定がある。

 

 1食の栄養素が定められている。

 

 たんぱく質 1全

 炭水化物  3全

 脂肪    1全

 

 全はオーハ軍の用語で、「十分」を意味する単位で約35グラムの分量となっている。

 これらの栄養素が整っていなければ、軍食として提供できないとなっている。

 

 かつて、オーハ軍の長期遠征では、栄養失調が最大の課題であり、食糧事情を強化する中で定められた規定だった。

 

 アルマが黙々と食事をしていると陽気な行商人がやってきた。

 

「いやいや、ご苦労さんですな。大変な戦いだったでしょう」

 

 陽気な男はそう言いながら、「どっこいしょ」と声を上げてアルマの隣に転がるように座った。

 

「おたくなんて若いからね。そんな若くして戦死なんてもったいないことだよ。しかし、生き延びれて良かったですな」

 

 男は大きな声で話を振って来た。アルマは無言でうなずいた。

 

「でも、ワシらも大変だったよ。戦時中はこの道も使えないからね。検問も厳しくなるから。いやいや、別に密売しているものなんてないですけどな、はっはっは」

 

 男はしゃべり続けた。

 

「レパーラの港も大変だったみたいだよ。クラーケンの襲撃を受けていてね、クラーケン討伐隊が駆り出されていたらしいんだ。ますます商売あがったりだよ」

 

 アルマは商業の話題に疎かったので理解できなかったが、戦争の影響は経済界にも響いていたようだった。

 

「戦争が終わって暇になるんなら、クラーケン討伐隊なんてどうかね。今回の件で港封鎖が営業利益に与える影響をよく理解した者も多いから、高額で雇ってもらえるんじゃないの。いやはや、うらやましいですな、軍人はそういう道もあって。ワシなんて運び屋みたいなことしかできないからね、はははは」

 

 男はそう言いながら、ちっともうらやましがっていなかった。おそらく、この男はアルマの10倍以上の金を手に入れている立場であった。

 

「若者には無限大の可能性がある。戦争も終わったんだ、色々と人生の可能性を模索してみてはどうかね」

「はあ」

 

 男はさんざんしゃべると満足したのか立ち上がって、会食の席を後にしていった。

 

 無限大の可能性。

 アルマには自分の可能性がまったく見えなかった。



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6、オーハへの帰還

 峠を越えた先に広がる都市はセレクマ王国の首都「レパーラ都」とである。

 オーハの厳しい侵攻により陥落。いまはオーハの植民地として正式に認められた。

 

 皮肉なことに、オーハ侵攻後のほうがレパーラ都の失業率や生活水準は改善していた。

 レパーラは海辺から中陸のほうへと都市を伸ばしている。

 

 海沿いにはレパーラ港があり、数多くの魔導船が行きかっている。

 オーハ侵攻の際に封鎖されたが、すぐに再開している。

 主に帝国オーハ、タイダラス王国、聖域都市ガシャクラタン、ダナン王国と連絡している。

 

 オーハ侵攻後、レパーラ港の貿易額が2倍になったと言われている。

 侵攻にあたり、オーハは貿易の規制緩和をちらつかせており、こうした経済的攻撃と相まって、レパーラ都は陥落することになった。

 

 民の願望はシンプルである。セレクマへの愛国心など添え物に過ぎず、願望のメインは常に豊かな暮らしだった。

 民意は豊かさに流れたようであった。

 

 オーハの戦争のやり口はいずれも同じであり、まず経済的に締め上げて、先住民の結束力を弱め、経済的豊かさをちらつかせて懐柔させ、残りの氾濫因子を軍事力を持って壊滅させる。

 この単純なやり口はむこう数百年以上も通用している。

 そんなオーハが侵略をあきらめた国もある。

 

 聖域都市ガシャクラタンの国民はてこでも動かない愛国心を持っていた。

 25年前、オーハはかなりの資金をつぎ込んで、ガシャクラタンの侵略を試みたが1年後に撤退を決めた。

 費用に見合わない侵攻であったこと、オーハの政治紛争が重なったことなど色々な要因があるにせよ、ガシャクラタンはオーハが侵攻できたなかった唯一の国となった。

 

 このことから、オーハの弱点は結束力であるとわかったが、後の国家がガシャクラタンから学べなかったのは、ひとえに結束力には民族一人一人の愛国心が試されていたからに他ならなかった。

 

 隙あらば国民から搾取、己の利益のために民を犠牲にする政治。

 このような腐敗政治が続いたセレクマの国民は1枚の札に買収されるほど、愛国心を失っていた。

 

 セレクマの政治腐敗が侵攻を簡単に成功させた。悲しい現実ではあるが、アルマらにとっては幸いなことだった。

 もし、セレクマが全力で抵抗してきたならば、オーハの兵士は2倍以上命を失っていたことだろう。

 アルマも生き残れなかったかもしれない。

 

 レパーラの港を内陸のほうに進むと、オーハの国境が近づいてきた。

 石垣に多くの屋台が並んでいた。

 

 オーハがレパーラ併合を記念して、大判振る舞いをしていた。

 莫大な経済支援を受けて、オーハでくすぶっていた小さな商業関係者がレパーラで一花咲かせようとしていた。

 

 国境関所には大きなゲートが設けられている。

 大男たちが巨大な滑車を回して、門の開閉をしていた。

 

 アルマらを乗せた魔動機は門を抜けた。

 門の先は帝国オーハである。

 

 ようやく故郷に戻って来たが、首都オーハまではここからまだ何時間もかかる。

 魔動機は休憩所前で停車した。

 このあたりは多くの魔動機が音を立てながら移動している。

 

 軍の持つ魔動機はだいたい4足歩行だが、商業団体が保有する魔動機は車輪で移動するものだ。

 荷物を運ぶ用途のためである。

 

 しばしの憩いの時、アルマは近くをぶらぶらした。

 オーハ南西の都「シンシル」は国境を管理しているので、首都オーハに次ぐ人口密度を誇っている。

 やや高い位置にあり、監視塔があちこちにそびえている。

 斜面にはジャガイモ畑が並んでいて、地元の農家がせっせと作業をしていた。

 

 風が北のほうから吹いている。

 サンスーン王国から吹き付けてくる北風である。ブリザードから始まり、オーハの中心地で暖められ、このあたりに到達するころには、心地よいそよ風になっていた。

 黒ずきんをかぶった者がたびたび見られるが、彼らはシンシルの魔道士だ。

 シンシルはオーハを代表する暗黒魔道士シンシルが由来になっている。シンシルは黒ずきんをかぶっていたということで、魔道士の正装に採用されていた。

 アルマは首都オーハ出身なので、暗黒騎士オーハの正装でもあった黒を基調とした制服を身に着けていた。

 

 帝国オーハにとってみれば、今回の戦争はシンシルを経由することができたのが大きかった。

 オーハから陸続きであるセレクマを安定して攻めるにはシンシルは欠かせなかった。

 

 オーハは次、タイダラス王国の侵攻を画策していたが、海を連絡しているのでセレクマ侵攻のようにはいかないだろう。

 

 ◇◇◇

 

 シンシルからはるばる、魔動機はようやく首都オーハに戻って来た。

 首都オーハは帝国最大の都ということもあり発展している。

 

 郊外のあたりでも、大きな建物が並んでいた。

 あちこちに大きな鐘が見られる。それはオーハを象徴するものでもあった。

 

 魔動機はオーハ郊外の基地の前に停車した。

 幾人かの兵士が迎えに出て来た。

 

 アルマはビスマルクに続いて魔動機を降りた。

 拍手で迎えられた。

 

「英雄エーナクライス部隊で帰還である。各自、整列、そして祝福を」

 

 兵士らは盛大に拍手をした。

 しかし、エーナクライス部隊は結局テリーアのギルドを攻撃しなかった。

 英雄というのは偽りの称号だった。

 今回の戦争の立役者はレパーラ都を陥落させた「アールサイズ部隊」だろう。

 アールサイズ部隊はレパーラに今も残っている。

 

 エーナクライス部隊はレパーラを継いでテリーアに向かったが、ギルドとの本格的な交戦はないままだった。

 そのため、この拍手はどことなく皮肉なものに聞かれた。

 

 ビスマルクは基地の司令部に顔を出した。アルマらは一時待機となった。下っ端の兵士はこうして時を待つのが仕事だった。

 この後、王室に戻り、皇帝に戦果を報告することになる。

 そのあたりは少し忙しくなるかもしれない。

 

 部隊再編が行われ、訓練も始まるだろう。タイダラス王国に派遣されることにもなるかもしれない。

 タイダラスに送られたなら、今度こそ生きて帰れないだろうとアルマは考えていた。

 

 挨拶が終わると、エーナクライス部隊は王室へと帰還した。

 王軍が集う広間があり、そこに魔動機は入って行った。

 

 ものすごい数の兵士と魔動機でにぎわっていた。

 魔動機を出ると機械音と兵士らの駄弁りで、何も聞こえなくなった。

 

 そんな中、ビスマルクが大きな声で言った。

 

「皇帝のもとに向かう。誰か一人ついて来い」

 

 言われて兵士らは顔を見合わせた。誰も行きたがらなかった。皇帝に会いたい者など誰もいないということでもあった。

 

「アルマでいい。来い」

「はい」

 

 ノーとは言えないアルマが嫌な仕事に参加することになった。

 

 王軍の広間を抜けると、300段で構成された大きな階段がある。それを昇って終わりかと思うと、追加で450段の階段があるという段差地獄の頂点に王室があった。

 

 自らの足で上り詰めると、王室前。そこでは身分がチェックされる。

 兵士番号を示し、書類手続きをすること5分、ようやく皇帝との面会となった。

 

 帝国オーハを継承した79代皇帝「オーハ」は噴水が上がる花園にいた。

 オーハは35歳とまだ若い女性である。

 

 父親が67歳で亡くなり、その後、後継ぎの兄妹3人のいずれかから皇帝が選ばれることになるのだが、長男は数学者になっており、国政に関与しないと宣言して王室からも離れていた。

 次男はコックになる夢を持っており、ガシャクラタンに修行の道に出てしまった。

 三女だけが残った形で、三女はハープ奏者を志していたが、皇位を継承することのできる唯一の存在だったので、そのまま皇帝として即位した。

 皇帝のかたわれでハープ奏者を務めるという異端の肩書きになっていた。

 

 皇帝オーハは侵攻を続ける帝国オーハの長とは思えないほど、静寂な雰囲気に包まれていた。

 ビスマルクのほうが皇帝の風格があるように見えたが、跪くのはビスマルクのほうだった。アルマは付き人の所作でビスマルクの後ろに控えた。

 オーハの周囲には7人の憲兵。そのうち一人は「究極魔道士、エバルンテス」である。

 エバルンテスはオーハ最大の魔道士として知られている。年齢は31歳である。

 背は165センチしかない。小柄でおとなしそうな雰囲気のする男だが、恐るべき魔力を秘めている。メガネをかけているので、よりおとなしそうに見えた。

 男性から最高魔道士が現れるのは珍しいことだった。憲兵7人のうち5人が女性であるように、一般に女性のほうが魔力が高い傾向にあった。

 

「エーナクライス隊長ビスマルク、報告に上がりました」

「受けましょう」

 

 オーハは静かに立ち上がった。

 ここにいるのはすべて軍関係者ばかりだが、雰囲気的には軍事関係をまったく感じさせなかった。

 

 ビスマルクはテリーアから帰還したことを伝えた。

 わざわざ伝えなくても、皇帝の命令で帰還したのだから、当然オーハは知っている事実だった。

 

 報告が終わると、オーハは命じた。

 

「近日中の新たな任務をお伝えすることになるでしょう。それまで待機を命じます」

「承りました」

 

 特に何もない報告だった。それでも、皇帝の前に出ることは緊張感を伴うものであったから、アルマは精神的に疲れを感じた。

 



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6、鍛錬

 アルマはオーハの憲兵所の寮に戻って来た。

 エーナクライス部隊としてオーハを離れてから久しい帰還だった。

 

 寮には約3000人の兵士が住んでいるが、この寮には1万人以上の兵士が住めるようになっている。

 末端の兵士寮は雑然としているが、王室を構える憲兵所の寮は、メイドをたくさん雇っているので、ゲートをくぐった先からきれいに整っていた。

 

 オーハの兵士の待遇はかなり恵まれているが、どの国も兵士の待遇には厚い傾向がある。兵士のクーデターを阻止するために監査をたくさんつけるより、待遇を良くして反乱する必要性をなくしてしまったほうが安上がりという理論が成立している。

 

 アルマはビスマルクから与えられた部屋に入った。一人で1つの部屋が使えるだけでも、テリーアにいたころに比べて恵まれている。

 しかし、がらんどうとした静かな一室に立ち尽くしていると、心が虚無感に包まれてしまった。

 

 アルマは土産として持ち帰ったテリーアの花を部屋に飾った。

 静かな部屋の中、アルマはしばらくその花を見つめていた。

 

「テリーアか……また戻りたいな」

 

 アルマはそうつぶやいた。再び、テリーアに行きたいと言う兵士はアルマを除いて誰もいなかった。

 

 ◇◇◇

 

 アルマは翌日からさっそく鍛錬に復帰した。憲兵所はタイムスケジュールで成り立っているので、毎日のように憲兵所のロビーにスケジュールの書かれた張り紙が出される。

 新規鍛錬と継続鍛錬と2つに分かれている。

 継続鍛錬は現在継続して行われている鍛錬のことであり、それに参加する場合は中途参加として合流することになる。

 新規鍛錬は新しく今日から始められる鍛錬を意味している。

 すべてのプログラムは部隊ごとに参加するのが決まりなので、アルマは隊長のビスマルクが決定を下すまではロビーでのんびりして待つほかなかった。

 

 オーハの鍛錬はいくつかのプログラムに分かれており、その詳細も張り紙に詳細に書かれていた。

 

 オーハ・クオーツ山の鍛錬、憲兵所の鍛錬、魔動機クエストの鍛錬などなど、色々なプログラムが出ていた。

 それぞれのプログラムに合わせて集合場所が違っている。

 

 アルマがロビーでたたずんでいると、ビスマルクがやってきた。昨日と少し雰囲気が変わっていた。昨日までは、エーナクライス部隊として実戦に従事する隊長としての姿だったが、今日は隊長の日常の姿だった。

 昨日よりもカジュアルに髪をまとめていた。

 ビスマルクは張り紙を5分ほど凝視した後に、ロビーにいた部下を集めた。

 

 エーナクライス部隊は一応解散となり、幾人かは部隊を離れたが、若手の兵士はいずれもビスマルクのもとに残る決断をしていた。

 16人の若手がビスマルクのもとに集った。内訳は男性が7人、女性が9人。全体の7割が女性という魔道士の世界にあって、少し男性が多くなっていた。

 ビスマルクのもとにとどまりたいと思った者は男性のほうが多かったということを意味していた。

 

 スケベ心を持っている者もいただろうが、男性が多くとどまった背景には、魔道士の力は女性のほうが高いという原則がある。

 魔力の高い女性はよりよい待遇を目指して部隊を抜けていく者も少なくなかった。

 ビスマルクも上位の隊長ではあるが、ビスマルクよりも上位の隊長も他に多くいて、美人の隊長というだけなら、「鉄斬」の異名を持つスラーンドや「消滅波動」の名手であるラズムなどもいる。

 

 魔力の低い男性は高望みせず現状維持で安定を図ろうとする者が多かったために多くがビスマルクのもとにとどまった。

 

「昨日は眠れたか?」

 

 ビスマルクの質問にイエス、ノーに関わらずみな「はい」と口をそろえた。

 

「皇帝の命令はまだ出ていない。しばらく鍛錬に従事することになる。諸君らに、従事したい鍛錬が何かあれば要望を聞くぞ」

 

 ビスマルクは部下の意見を引き出そうとしたが、ビスマルクのもとに残った者はいずれも従順なタイプだったため、意見する者はいなかった。

 なので、ビスマルクが名指しした。

 

「マーベル、お前は火炎魔道術をもっと伸ばしたいと語っていたな。ならばクオーツ山に向かいたいか?」

「は、はい、私は隊長の意向に従いたいと思う所存でございます」

 

 名指しされたマーベルは自分の意思を述べなかった。メガネをかけたおとなしそうな女性の魔道士だった。

 

「ケイリス、お前は?」

「はっ、隊長の意向に従いたいと思います」

 

 ケイリスも同じように答えた。ビスマルクはため息をついた。

 

「ならば今日のところは憲兵所でリハビリと行こうか」

 

 ビスマルクは最も無難な選択をした。

 

 ◇◇◇

 

 憲兵所は広い草原の先まで続いている。広い草原、そして見上げれば、王室というクラシックな鍛錬施設となっている。

 すでに多くの兵士が鍛錬に出ていた。

 

 鍛錬は法によって厳密に定められている。

 憲兵所での訓練では、魔道レベル4までに制限しなければならないとされている。

 魔道レベルはオーハが定めたものであるが、他国もそれと同様にレベルを定義している。

 

 一般に以下のようになっている。

 

 魔道レベル1 人体に危害を加えることがない魔道術を分類する。

 魔道レベル2 警備レベルの魔道術を分類する。

 魔道レベル3 正当防衛において最低限度の魔道術を分類する。

 魔道レベル4 特別な注意がなければ殺傷範囲を含む魔道術を分類する。

 魔道レベル5 明確に殺傷範囲を含む魔道術を分類する。

 魔道レベル6 施設破壊攻撃範囲を含む魔道術を分類する。

 魔道レベル7 ギルド破壊攻撃範囲を含む魔道術を分類する。

 魔道レベル8 疫病を含む長期的影響範囲を含む魔道術を分類する。

 魔道レベル9 学術的に定義が完了していない範囲を含む魔道術を分類する。

 

 レベルが上がるごとに魔法はその力を高める。憲兵所では明確に殺傷する魔法を使用することができない。

 また、オーハでは魔法を魔道術と記すことが多いが、同じ意味として扱われる。

 

 アルマは先ほど名指しされていたマーベルと対面して鍛錬することになった。

 憲兵所での鍛錬は魔動機を使った対人術を扱う。

 

「アルマ、あなたとの立ち合い3度目ですね。私のことは覚えていますか?」

 

 アルマはうなずいた。うなずいたが、マーベルのことはこれまで意識したことがなかった。

 エーナクライス部隊として共に戦ったとはいえ、アルマはわざわざ部隊の一人一人と深くかかわらなかった。

 

「それではよろしくお願いします」

「お願いします」

 

 両者は頭を下げた。

 アルマは魔動機を構えた。手につけられたブレスレットが輝くと、アルマはその手に炎の剣を握り締めた。

 この魔道は炎の力によってレベルが変わるが、アルマの生み出した火炎はレベル2相当である。火を斬っても、重症化してもやけどで済む程度である。

 マーベルも同じように炎の剣を握り締めた。

 

 マーベルが踏み込んだ。

 右へのクロスステップ。ただのステップではなく魔法によって強く加速されていた。

 

 アルマはディフェンスの基本で剣を構えると、マーベルの剣を弾いた。

 相手の剣を受け止めるのが許されるのは初心者まで。

 それなりの兵士になると、基本は相手の攻撃は弾く。感覚としては押し込んで魔力の流れを後方に押しとどめるイメージとなる。

 

 弾くと、アルマの体は大きく右側に流れた。少し足がもつれたが、アルマは視界だけはしっかりとマーベルを捉えていた。

 マーベルの追撃もしっかりと対処して、距離を置いた。

 

 魔道レベル3程度までだと、ディフェンスが優勢になるから、簡単にどちらかがやられるということはない。

 アルマは剣を構え直した。

 マーベルが今度はそちらから来いと誘ったので、アルマはマーベルと同じく鋭くステップを刻んだ。

 

 マーベルの癖は右にステップを踏むが、アルマは低い姿勢から下から上へ突き上げる攻撃を基本としている。

 このあたりの型は人によって、あるいは魔法の種類によって変わる。

 

 アルマは流派としては「十字火炎」で鍛錬してきた。

 この型は昔からあるオーソドックスなパターンで縦の動きを重視したパターンである。

 特徴としては低い姿勢から攻撃するので、相手の魔力の流れが上から下という循環になる点だ。

 魔法の世界では魔力が下方に向くことを「悪循環」と言う。

 魔力は下から上がベストである。なので、他の兵士を見ても、みながみな低い姿勢から剣を上方に跳ね上げる動きを取っている。

 上段に構えて上から剣を振り下ろす者は少ない。これは悪循環を避けるためだ。

 

 ただ例外もいて、例えばビスマルクなどは悪循環の使い手として知られている。悪循環を好む者は異端児と言われやすい。

 

 アルマは十字の構え一徹でやっていた。

 アルマが切り上げると、マーベルはうまくそれを弾いた。

 

 実力に大きな違いはなかった。

 

 お互い繰り返し打ち合った後、魔力のわずかな乱れを逃さなかったマーベルがアルマを斬りつけた。しかし、レベル3の魔法程度だと、オーハの兵士がまとう制服にはびくともしなかった。

 

「強いな、敵わない」

 

 アルマはムキにならず負けを認めて立ち上がった。

 

「私の方が運がありましたね。立ち合いありがとうございました」

 

 最後はお互い礼をした。

 



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7、光と影

 世界の最果てに人はほとんど残っていなかった。

 

 エーナクライス部隊が引き上げて間もなく、セレクマ王国はテリーア地方について新しい施策を発表した。

 

 テリーアは影を管理するギルドと一部施設を除いて、領土を破棄する。

 

 この発表はしごく当然のものではあって、テリーアの住民はみな予想していた。

 テリーアの住民はエーナクライス部隊の侵攻の以前からレパーラ都に移っていた。とどまるのはギルド関係者と強いテリーアの愛国者ぐらいのものだった。

 

 しかし、テリーアに愛国者などほとんどいなかった。影に呑み込まれなくなる地を愛しても未来に進むことはできない。

 半端な愛国者はみなレパーラに移ると、二度とテリーアのことを思い出すことはなくなった。

 

 エーナクライス部隊が引き上げると、ギルドから派遣されていた測量魔道士もセレクマの中央都市に引き上げて、テリーアはすでにギルドがあるだけの地と化した。

 

 寂れた景観には悲しい音を立てて風が吹き抜けた。

 晴れの空のもとでも、その地だけは灰色だった。

 

 少女はテリーアの廃墟を歩いていた。

 少女の隣には小さなエレメンタルビーストのネズミが音も立てず歩いていた。少女が立ち止まると同じようにネズミも足を止めた。

 

 少女の前方から魔道士の団体4人が歩いて来ていた。

 ギルドに所属する魔道士と思われた。影の観測をするためにやってきたのだろう。

 

 魔道士らは少女の隣を抜けて行った。まるで少女の姿に気づいていないかのようだった。

 少女は魔道士が抜けていくのを目で追いかけていたが、魔道士が少女に気づくことはなかった。

 

「パル、もう戻りましょうか」

「……」

 

 得れ面tなるビーストのネズミ・パルは少女の顔を見上げた。

 

「とても寂しい気持ちになってしまうばかりです。それに私がこの先に向かうと、また世界が消えてなくなってしまうのでしょうし」

「……」

「そうすると、みんなまた逃げ出してしまいます。追いかけても決して届かないのです」

 

 少女はうつむいて、自分の前に伸びた自分の影を見つめた。少女の影はより色濃く地面に張り付いているように見えた。その陰には生命の鼓動を感じた。

 

「パル、あなたはどうしますか?」

「……」

 

 少女は無言のパルを抱え上げた。

 

「あなたは光に出会うことができるのです。光の先にはとても素敵な恋が待っています」

「……」

 

 パルはよくわからなかったのか首を傾げた。

 

「恋……」

 

 少女はもう一度つぶやいた。少女が最も欲した概念だったのかもしれない。

 

「知っていますか、恋が落とす影はこの世界で最も儚く切ないものだそうです。お母様がおっしゃっていました。それが増えると、世界は消えてなくなってしまうのだと言います」

「……?」

 

 パルはさっぱり理解していなかった。

 

「知らないほうがいいものなのかもしれませんね」

 

 少女は元気なく微笑むと、パルを地面に下ろした。

 

「あのお方は私のことを見つめていました。とてもきれいな目でした。彼はいまどこにいるのでしょうか?」

 

 少女は遠い目でテリーアの先の世界に目を向けた。

 そこは自分が歩むことのできない場所であり、自分が欲したものがある場所でもあった。

 

 少女は自分の思いを託すようにパルに言った。

 

「パル、行きなさい。あなたにとってきっとそれが一番いいことに違いありません」

 

 少女がそう言うと、パルは二歩、三歩と歩み、少女のほうを振り返った。少女は微笑みを見せた。

 パルはそれを見ると、少女に背中を向けてまたゆっくり歩きだした。

 ある程度遠ざかると、パルはまた少女のほうを振り返った。手を振る少女の姿が見え、パルはまた正面を向いた。

 パルは走り出し、ついには少女の視界の外へと消えて行った。

 

 ◇◇◇

 

 最果ての地テリーア。

 魔道士の影研究者たちはたびたびその最果てを見に来た。

 テリーアの住宅街を少し離れた高台は、影の地を見ることができる場所として知られている。

 

 知名度はあれど、その地に人はいなかった。

 

「よっこらせ」

 

 魔道士のイワンジャは疲れた様子で高台に腰を下ろした。老体ゆえに、他の2人の若手に比べて疲労を多く感じていた。

 

「イワンジャさん、お飲み物を用意しましょうか」

「構うな。それよりもまずは測量じゃ」

「了解です」

 

 女性は飲み物ではなく測量のための魔動機を取り出した。

 それは球形をしていて、それを設置すると、何かに反応するようにグルグルと回り出した。

 

 女性は球に触れないように、それでいて優しくなでるように球を操った。

 

 この魔動機は測量のために開発されたものである。

 離れたところからでも、観測物がどれぐらい動いているかを詳細に把握することはできる。

 原理は、例えばテリーアの最果ての地にある影は他の場所に比べて強く漆黒である。その漆黒がどれぐらい濃いかを魔力的に記録する。

 例えば、ある漆黒点に「R」という値が与えられると、それ¥の値が単位時間あたりにどれぐらい変化したかで影の移動速度を割り出す。

 

 いま女性の目の前には漆黒が広がっている。

 大地に大きな穴が空いたように地平の先まで黒くなっている。ちょうど女性が少し見上げる高さまで漆黒に包まれており、相対的にそれより上に見える空の光が眩しく見えた。

 

 壮大な景観だった。

 畏怖を感じさせるようでもあり、美しさを感じさせるようでもあった。

 

「昨日よりも早く近づいてきています」

 

 女性は観測結果を発表した。

 一休み中だったイワンジャが「ウーム」と声を上げた。

 

「ワシも昨日よりずっと強く漆黒を感じておるところじゃ。このままではまずいな」

 

 イワンジャは休んでいるわけにはいかないと立ち上がった。

 

「イワンジャさん、これはどういうことを意味しているのでしょうか? テリーアの魂に何か変化が起きたのでしょうか」

「テリーアの魂を持つ者を探さねば……そして」

 

 イワンジャは影に背中を向けて、寂れたテリーアの町を見つめた。

 

「復興せねばならんだろうな、テリーアの地を。活気のある街並みを。それが影を止めることにつながるかもしれません」

 

 イワンジャは難しそうな顔をした。

 テリーアの復興。それは無理難題だった。

 影が覆いつくそうとする地にどうして人が集まるだろうか。

 このような地にやってくる者がいるとすれば破滅を望むような者たちだけだろう。

 

 もしかしたら、そうした破滅を望む者たちによって影は動いているのかもしれない。

 人がどうして破滅を望むのか、それは真に破滅を望みたい境地に立った当事者にしかわからないことでもあった。

 

 ◇◇◇

 

 イワンジャらを残し、女性の魔道士はテリーアの荒廃した居住区にやってきていた。

 戦火があったとはいえ、これほど寂れた地は世界広しと言えども、この地ぐらいしかないような気がした。

 

「テリーアの魂を持つ者か……」

 

 女性は影の研究者として、テリーアの魂を追い求めて来た。それがどこにあるのかはわからない。

 影の中に隠されているのか、この近くに住んでいるのか。

 

 追い求めても、手掛かりはなかった。

 そんな途方に暮れた女性のもとにエレメンタルビーストが小走りで近づいてきた。

 

「あら……なんて珍しいエレメンタルビーストなのでしょう」

 

 女性は近づいて来るエレメンタルビーストを迎え入れるようにその場に腰を下ろした。

 特に危険は感じなかった。

 

 やってきたエレメンタルビーストは女性の手に飛び込んできた。

 

「まあ、とてもかわいい子ですね。あなた、名前はなんというのですか?」

「クルクル」

「クルクルさんですか。初めまして、私はアルーレです」

 

 アルーレはそう名乗って、エレメンタルビーストを可愛がった。

 よく人に懐いているので、どこかの魔道士に飼われていたものと思われた。

 

「この先にあなたのご主人様がいるのですか?」

 

 尋ねると、エレメンタルビーストは首を横に振った。

 

「違うのですか? それともひょっとして……」

 

 アルーレは目の前の廃墟が並ぶ景観を見つめた。

 この地はまだ影に包まれていないが、アルーレの先に広がる世界は半分ぐらい影に包まれてしまっているかのように暗く感じた。

 アルーレはこの先にテリーアの魂があるような気がしたが、その先に足を踏み入れてはならないような気がしたので、足を踏み出すことをやめた。



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