いつか、おはようのキスを君に (アトリエおにぎり)
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第1章 ハッピーエンドのその先で
Dive to the Astorum


《認証完了。アストルム、起動。起動中は仮眠状態になるため、プレイ環境にはお気をつけ下さい》

 

 私室の布団に寝転がり、「レジェンドオブアストルム」へログインする。もはや聞き慣れた注意喚起の音声が響くと、視界が緩やかに暗転し、身体はかすかな浮遊感に包まれる。やがて陽光の眩しさと鳥の囀りに気付けば、そこはもうアストルムであった。

 

 衣服は寝間着から革のような素材の黒いジャケットに変わっている。いかにもファンタジーな世界観には似つかないスタイルだが、センスを持ち合わせていないおれにとっては、このくらいのシンプルさがちょうどよい。

 都市を見下ろす高台に位置した、2階建ての家。そこがこの「レジェンドオブアストルム」に於ける、おれの住処になる。

 

 レジェンドオブアストルム。サービスを開始して間もなく、「『ソルの塔』というダンジョンの頂上に到達すれば、どんな願いでもひとつだけ叶えられる」という衝撃的な謳い文句(当時のニュースでは、ネットジャックと言っていた)で全世界の話題を掻っ攫っていったVRMMORPG。

 

 今、おれがアストルムに居るのは、そんな手の届かない願いを叶えるため、ではなかった。そもそも、願いがどうこうというのは、結局分からずじまいなのだ。

 

 もう、3ヶ月は前になるだろうか。アストルムにログインしていたプレイヤー全てが、ゲームからログアウトできなくなるという事件があった。それと時を同じくして、ヒヨリ、レイ、ユイ、“プリンセスナイト”ユウキの4人からなるパーティが『ソルの塔』へと挑み、七冠(セブンクラウンズ)なる存在を倒して頂上へ到達。アストルムのプレイヤーを救った、らしい。

 その日、おれはアストルムにおらず、これらの内容は伝聞でしかない。もっとも、以降アストルムはプレイできなくなってしまい、何かが起きていたというのは間違いないと思う。

 

 それからしばらくして。アストルムの運営から、「『ソルの塔』の頂上に辿り着いたプレイヤーの願いを受けて、大規模なアップデートを行った」というアナウンスがあり、再びアストルムへのログインが可能となった。そうして久方ぶりに訪れたアストルムは、特に何も変わっていなかった。

 

 さて、おれがアストルムを始めたきっかけは、幼馴染の少女に誘われたこと。しかし続けている理由は別にある。端的に言うなら、おれ自身がハマってしまったのだ。

 RPGと呼ばれるゲームは、これまでいくつかプレイしてきた。そして、そのいずれにも共通して、“光”に関する力を優先的に取得、あるいはそのような力を持つキャラクターを作っていた。そんな力を、アストルムでは自分のものとして振るうことができる。正に「最高」と呼ぶ以外の何物でもない。考えてもみてほしい。思い描き、キャラクターへ不完全に投影するしかなかった力が、手中にあるのだ。要するに、おれはおれの妄想を目の当たりにするために、仮想空間を旅していた。

 

 アストルムへログインした際に、必ず行う習慣がある。現実から非現実へ意識を切り替える、儀式のようなものだ。家の外へ出て、開いた掌に意識を集中させる。光の粒が渦を巻き、やがていくつもの球となって、自身の周りを漂う。勢いよく腕を振り上げると、光球の群れは上空へ飛び上がり、音もなく爆ぜた。

 降り注ぐ光の欠片を浴びながら、夕食後にアストルムへ来た理由を思い返す。かの幼馴染に、今夜は“二人”でダンジョンへ行こうと誘われたのだった。彼女にしては珍しく、おれの住処を待ち合わせ場所に指定した。時間的に、そろそろ来る頃だろう。そう思っていると、おれの居る高台へ続く道を、魔族(のアバター)の少女が歩いているのが見えた。

 

「アンタね、もう少し、行きやすい場所に家作りなさいよ……」

 

 そして、その少女に、到着して早々文句を言われた。

 彼女はヨリ。本名、風宮より。おれをアストルムへ導いた、幼馴染みだ。おれの5つ歳下で、あかり という双子の妹がいる。

 

「お疲れ。なんでわざわざここで待ち合わせにしたんだ? ギルドハウスでよかったんじゃ」

「べ、別にいいでしょ! たまには、ギルドハウス以外で会ったって」

「……この前の特別クエストのこと、気にしてるのか。あれは、悪かった」

「うるさいわね! だいたい人前であんなことさせられて、その……。あぁもう! 先入るわよ!」

 

 ヨリは我が家へ駆けていき、多少乱暴に、ドアが閉められる。

 

 少し前に、獲得できる経験値やアイテムがとても豪華な、特別クエストなるものが、短期間行われた。過去にも同様のイベントがあり、その時は「異性のパートナーと手を繋ぐ」ことが参加条件になっていた。ところがその時は、公式が悪ノリをしたのか、あるいはそのNPCがたまたま“そういうヤツ”だったのか定かではないが、参加に際して、お互いの指を絡め合う、いわゆる「恋人つなぎ」をしろと宣うのであった。

 正直、戸惑いはあった。躊躇いもあった。それでも、クエストのためと、多少強引ながらヨリの手を握った。

 イベント自体は、始めたばかりのプレイヤーでも、多少頑張ればクリアできそうなレベルだった。どちらかと言えば楽しむことが主目的にあるようで、危なげなく終えることができた。しかしその後数日、ゲーム内でも、また現実でも、よりはおれと目を合わせず、口も聞いてくれなかった。

 また何かをきっかけに、よりの手を取ることができたら。ふとそんな思いが過ぎり、頭を振って彼女の後を追った。

 

 テーブルでくつろぐヨリを見ながら、刻まれた魔法陣の上に、水を入れたポットを置く。赤い光が灯ると、数十秒もしないうちに、湯気が立ち昇り始めた。

 

「緑茶でいい? ちょっと高いやつ買ったんだよ。違いは分かんないけど」

「アンタほんとにお茶好きよね。アストルムでも、いつも飲んでるし」

「落ち着くんだよ、色々。熱いから気を付けてね」

 

 2人分の緑茶を淹れ、テーブルを挟んでるヨリの向かい側に座る。

 ハルトとは、おれのプレイヤーネームだ。多賀(たが) 晴人(はると)。それがおれの、現実の名前。諸々のパーソナルデータが既にmimiへ登録されているとはいえ、レジェンドオブアストルムは、本名プレイヤーが多いと思う。おれは考えるのが面倒で、そのまま自分の名前で始めてしまったが。他のそういうプレイヤーも、同じような感じなのだろう。

 ふぅ、と茶を冷ますヨリを少し眺めてから、今日、彼女がここへ来た理由と思われる話題を切り出す。

 

「しかし珍しいな。よりから、クエストの誘いだなんて」

「あ、うん。えっと、『永遠の蜃気楼』って、聞いたことある?」

「いや……ないな。新しいダンジョンか? 公式から、そんなお知らせあったっけ」

「この前、ソルの塔を登ったプレイヤーの、ってアップデートがあったでしょ。その時に出来た……出来ていた? ダンジョンらしいのよ」

 

 ヨリから、1枚の画像データが共有される。それは、広い地形の一部だけが、雲のような、深い霧に覆われているスクリーンショットだった。うっすらと見える影が形取るのは、塔、だろうか。 全貌は不明だが、 その霧の上方を見ると、僅かに人工物のようなものが見受けられる。

 真っ先に、不自然だという感想を抱いた。そもそもこれは何なのだ。よりにねだられて購入した、「“アストルム”をある程度遊んだプレイヤー向けの隠し要素をまとめた書籍」にも、こんなダンジョン(?)の情報は記載されていなかったはずだ。

 

「このスクショ、どこで見つけたんだ?」

「あかりがくれたの。あかりって、アストルムでも交友関係広いじゃない? どこかで、これのことを聞いたんだと思う。で、『面白いダンジョンがあるみたいだから、お兄ちゃんと行ってくれば?』って」

「ふーん……じゃあ行くか」

「ほんと!?」

「なんだよ、行きたいんじゃないのか?」

「それは、そうだけど。どう考えても変な場所だし、何かあったらどうするんだ、とか言われるかな、って」

「そりゃあ、少しは思ったけど。謎のダンジョン、面白そうじゃん。それに……たまには、“冒険者”っぽいこともしたいしね」

「ハルトのそういう目、久々に見たかも」

 

 情報源は不確かだが、所詮はゲームだ。それこそ、「現実」へ戻る術がなくなり、アストルムに閉じ込められてしまうようなことが再び起きない限り、死ぬなんてことはないだろう。それよりも、こうして、よりと2人でアストルムを遊べることを、嬉しく思っている自分がいた。

 柄にもなく高揚していることを、彼女に見通されたようで、照れ隠しに茶を流し込む。そして勢い余って、服に溢した。

 

「あっつ! くそ、やったわ」

「ばか。もう、拭いてあげるわよ」

 

 衣服を拭われる感覚に多少の恥ずかしさを思いつつ、ふと、疑問に思ったことをヨリへ問う。

 

「そういえば、貴重なアイテムがあったりするのか? その、永遠の蜃気楼って」

「えっとね、実は、内部は何度か探索されてるみたいなの。でも、全部の階層を回っても、本当に何も無いんだって。クリアした扱いにもなってない。何のためのダンジョンか分からないし、そもそもクリア条件が不明……」

 

 一息置いて、今まで以上に真剣な顔つきで、ヨリは言う。

 

「だから、ここには絶対に何かある。お宝とか、珍しいアイテムとかじゃない、何か凄いものが。ゲーマーの勘が、そう叫んでるのよ」

 

 

 『永遠の蜃気楼』と呼ばれるダンジョン。それを端的に表すなら、「分からない」だった。何のためにあるダンジョンなのか。クリア条件は何なのか。それがある場所と、「内部に何もないこと」を除いては、全くと言っていいほど情報がない。ヨリの見立てでは、きっと特別な何かがあるとのことだったが、それはあくまで、彼女の勘に過ぎない。第一、複数のパーティーが幾度も探索して、それで何も見つからないのなら、本当に何もないのではないだろうか。

 もっとも、問題が起こらなければ、それはそれでよし。準備だけは怠らずに、過度な期待はしないで、今はアストルムを楽しむとしよう。

 ワープクリスタルを、予備を合わせて3つ。星空の水晶も、いくつか持っていくことにした。どちらもレアアイテムらしいが、高難度のダンジョンを何度も遊んでいたら、かなりの数が集まっていた。

 

「そんなに持っていくの?」

「最悪、何があってもぶち抜けるようにな。ワープクリスタル使うから、マップ見せて」

 

 ワープクリスタルへ、転移する座標の設定を試みる。記憶には残っていないが、恐らくアップデート前に訪れたことがあるマップのようで、ある程度近くの街までは転移が可能だった。

 気掛かりなのは、道中でのトラブルだ。もう【エターナルソサエティ】のような連中はいないだろうが、レベルが高い魔物の襲撃くらいは覚悟する必要があるだろう。そうなっても良いように、過剰とも言える量の星空の水晶を持ち出した。

 

 おれとヨリの2人でパーティーを組み、ワープクリスタルを起動する。視界が明転し、一瞬にして周囲の景色が変わった。



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Dive to the Astorum -2

 そこには、一面の廃墟が広がっていた。先ほど調べたマップ上では、確かに街を表すアイコンが表示されていたはずなのに。

 

「なに、これ……」

 

 辺りを見回して、ヨリが呟く。残骸は、瓦礫となって辺り一帯を埋め尽くしている。建物と思しき土台だけがかろうじて形を残していて、それが余計に気味の悪さを強める。

 破壊されてから、あまり時間が経っていないように見える。魔物の群れにでも、襲われたのだろうか。それにしては、被害が酷すぎる気もする。ひとつの街が再起不能になるような事象は、少なくとも、おれがアストルムをプレイしている間は、聞いたことがない。

 

「とりあえず、行くか」

「そうね……何があったのか、気になるけど」

 

 2人揃って歩き出す。マップを確認する限り、ここから徒歩で1時間ほどの場所に目的地はあるようだ。

 

「なあ、ヨリ」

「どうしたの?」

「さっきの廃墟、仮に、魔物に襲われたとしてさ。『永遠の蜃気楼』にいる奴だったりしないかな」

「ちょ、ちょっと、急に変なこと言うの、やめてよ」

 

 ヨリの声が、かすかに震えている。冗談ではなく、本気で怖がっているようだった。

 

「悪い。ただ、特殊なダンジョンだとしたら、そういうヤバいのが棲み着いてる可能性もあると思ってさ。何もない、って風評が流れたのも、他のプレイヤーを近づけさせないためのものかもしれない」

「それは……あり得ない話じゃ、ないわね」

「ま、そういう時のために星空の水晶(あれ)を持ってきたんだ。大丈夫だよ。たぶんな」

 

 沈黙が流れる。おれたちは、黙々と歩みを進めた。

 

 しばらくして、荒廃した街道が途切れる。その先に広がる光景を見て、思わず息を飲んだ。深い森と靄に囲まれた、巨大な建造物があった。先端部のみが、雲からわずかに伺える。離れていても感じる、異様な存在感を放っているあれこそが、『永遠の蜃気楼』なのだろう。

 

「いよいよだな」

「……うん」

 

 隣に立つヨリは、緊張している様子だった。無理もない。ほとんど未知のダンジョンに、挑もうとしているのだ。おれだって、不安を感じていないと言えば嘘になる。しかし、立ち止まっていても仕方がない。

 

「行こう」

 

 おれが促すと、ヨリは無言で首肯した。

 

 『永遠の蜃気楼』へと続く道を、言葉を交わすこともなく、進んでいく。不思議なことに、あれだけ不気味な雰囲気を感じさせるにもかかわらず、途中、魔物の類に遭遇することはなかった。

 そして、ついに辿り着く。見上げれば、遥か天空へ伸びる塔が、低い鈍色の雲に突き刺さる。

 意を決して、足を踏み入れた。内部は暗く、視界の確保が難しい。明かりとして機能し得るものは見当たらず、無闇に動くのは危険だ。狭い入口から微かに光が差し込んでいることだけが、救いだった。右手を開き、力を籠める。光の粒が渦を巻き、やがてひとつの球となった。それを宙に浮かべると、周囲を強く照らし出す。天井は、自分の背丈の倍以上はあるだろうか。奥の方には、上階へ向かう階段が見える。第一階層(仮称)は、それだけであった。

 

 ゆっくりと歩を進めていく。いくつかの階段を上り、いくつかの部屋を抜け。しばらく歩くが、一向に変化が見られない。敵の姿はおろか、アイテムのひとつさえ見つからないのだ。本当に、ここに多くのプレイヤーを駆り立てる、特別な何かがあるのだろうか。疑念を抱き始めた頃、唐突にそれは現れた。

 目の前に、大きな扉があった。この塔を探険し、初めて見つけた扉である。鍵穴のようなものは見当たらず、何か条件を満たして開くのだとしても、それを伺わせるものは、ここまでひとつもなかった。

 力任せに押し開けようとするが、びくともしない。ヨリに目配せをして、彼女がそれから離れたことを確認してから、いくつかの光球を撃ち込む。が、傷ひとつ付かなかった。

 

「アンタの攻撃でダメなら無理なんじゃ……いや、待って。もしかしたら」

 

 ヨリはそう言いながら、槍を構えた。穂先に、淡い青色の光が灯る。彼女が水属性の魔法を放つと、あれだけ動きもしなかった扉は、轟音とともに弾け飛んだ。呆気にとられていると、彼女はこちらを振り返り、得意げに微笑んだ。

 

「アンタの魔法だけ、効かないようになってたのかもね」

 

 粉塵の中を、ヨリはとことこと進んでいく。彼女の後を追って踏み入れた先は、大きな広間になっていた。上層へ続く道はなく、扉のあった場所を除く三方は、いずれもこれまでの道と同じような材質の壁に囲まれている。

 どうやら、ここが最後の部屋らしい。前もって聞いてはいたが、本当に何もないとは恐れ入った。分岐どころか寄り道できそうな小部屋もなく、最後は少し手間取ったが、それでも、ほとんど何の障害もなく、終点まで辿り着いてしまった。

 

「この塔って、こんなに低かったかしら」

 

 部屋の中を歩きながら、ヨリが首を傾げる。

 

「今まで通った部屋の高さと、上ってきた階段の数。外見と比べて、低すぎる気がするのよね」

「見た目と中身が全然違うのは、RPGならよくあることじゃないのか」

「でも、あれだけ『いかにも何かあります!』みたいな感じで何もないのって、逆に不自然じゃない?」

「まぁ、それは、確かに。……隠し部屋とか?」

「隠し部屋……それよ!」

 

 ぽん、と手を打ってから、ヨリは辺りをぐるりと見回す。もちろん、そんなものが分かりやすく見つかるはずもなく。

 

「ここまで一本道で、小部屋も何もなかったじゃない? つまり、何かあるならここなのよ。……ダンジョンを作った人が捻くれてなければ、だけど」

「案外、壁をぶち抜いたら先があったりしてな。やってみてもいいか?」

「いいけど、ダンジョンを壊さないでよ」

 

 分かってる、と生返事を返して、壁面に向かい右の手をかざす。掌に力を込めると、光の粒が集まり、輝きを強めていく。

 

「穿てッ!」

 

 その言葉と共に、文字通りの光速で放たれた、一条の光。それは壁に当たると、炸裂して激しい土煙が上がった。

 煙が晴れる。そこでは、罅だらけになった壁が、ひとりでに傷を直していた。

 

「……は?」

 

 思わず、気の抜けた声が漏れた。

 その様子を見たヨリは、口元に手を当てながら考え込んでいた。その姿は、さながら鍵となる痕跡を見つけた探偵のようで。

 

「この部屋に何かあるのは間違いない。むしろ何もないと考える方が不自然ね。そもそもハルトの軽い攻撃でこんな風になるなら、他のパーティが気付かないのもおかしな話よ。これまでここに来たプレイヤーは、たぶん隠された何かがある、ってことまでは突き止めたはず。その上で何もないと嘘をついた。いや、他のパーティに先を越されないために、自分たちが得た情報を隠した……?」

 

 思考の海に潜った彼女は、しばらく帰ってこなかった。

 

 やがて、ヨリの口から飛び出したのは、何とも力業といった方策。

 

「この部屋の中、全部攻撃してみてくれない? できる限り、全力で。他のパーティもやってるとは思うんだけど、アンタの光は、“普通の魔法”とは違うから。もしかしたら、何か起こるんじゃないかな、ってね。私が状況を見てるから、どーんとやっちゃっていいわ」

「……了解。危ないから、離れるなよ」

 

 インベントリから、星空の水晶をひとつ取り出す。ヨリと2人ではどうしようもない魔物と会敵した時のために持ち込んだものだが、その用途で使う可能性はほぼなくなった。握りつぶすと、ぱりん、と軽い音がして、淡い光が揺らめく。ステータスの上昇を確認して、再び掌に力を込めた。

 

 光の球を無数に浮かべ、自身とヨリを囲むように配置する。球が輝きを強めると共に、エネルギーの高まりを感じる。そして、力を全身から放出するようなイメージで、両腕を広げた。全方位へ、一斉に、光の弾丸が機関銃のように放たれる。時間にして、およそ数十秒。撃ち続けた光弾は、きっと五桁に届いていた。それは壁を傷付けるだけで、傷はすぐに修復されてしまう。

 散った光を呼び戻し、再度の攻撃を準備する。周囲に浮かぶ光球から感じる熱が、肌に残る。ヨリが安全な場所に居ることを確認してから、改めて光弾を乱射した。威力を増した弾丸は、先程よりも強く壁を抉る。だが相変わらず、傷跡は溶けるように消える。これでも無理か、と軽く落胆したその時。あっ、と、ヨリが天井の一部を指差して叫んだ。

 

「あそこだけ、直るのが少し早かったの。もしかしたら、何かあるかも。見間違いだったら……ごめん」

 

 彼女はそう言うが、おれには、ひとつの違いも分からない。信じられるのは、ヨリの観察眼のみだった。

 天井へ光弾をいくつか撃ちながら、ヨリが異変に気付いた場所を確かめる。

 

「この辺りか?」

「もう少し右……うん、そこ!」

 

 指先を伸ばし、彼女が示した場所をしっかりと捉える。光球を自らの前方に集束させ、いくつかの大きな球を生み出す。

 

「何があるのか、見せてくれよ!」

 

 放たれる、幾重にも重なる光の砲撃。そして、すぐに感じた違和感。眩しすぎる光の所為で視認が難しいが、壊れかけた壁の向こう、そのすぐ先で、光は、何物かに遮られていた。

 

 攻撃を止め、思わず、嘆息。

 音もなく修復される壁を見遣り、半ばヤケになりつつ、持ってきた星空の水晶を、全て砕いた。もちろん、こんな使い方をするアイテムではないことは、自分がよく知っていた。目の奥で火花が散り、身体を貫くような激痛を覚える──激痛を覚える?──ほどの強化に、思わず顔が歪む。

 

「そんな一気に使って大丈夫なの?」

「へーきへーき。効果量はヤバいけど、ただのバフだし。ってか、重ね掛けできたんだな、これ」

 

 心配してくれるヨリに少し強がりながら、改めて意識を集中する。攻撃力を示すパラメータは、これまで見たことのない数値になっていた。力の高まりに応じて、周囲に浮かぶ、脈動する光の球が、強く、青白く輝く。感じる。自らの生命までも燃やしているような、熱い、激しい力を。

 ただ、これだけでは難しいと思っていた。どんなに強化を重ねたところで、きっと、おれの力だけでは限界があった。ここには、ヨリがいる。おれの大切な、パートナーがいる。

 

「ヨリ。ユニオンバースト、いける?」

「え、あれって、プリンセスバトル専用のスキルだったと思うんだけど……」

 

 ヨリにそう言われて、そんな仕様だったか、と思い返す。『プリンセスバトル』に、傭兵としてよく参加していたのは、もう過去の話。彼女と共に戦い、名を馳せていたのもずいぶん前になる。

 一応確認してみる、とスキル画面を開いたヨリは、それを見て、当惑した表情を浮かべた。

 

「使えるようになってる……どうして?」

「仕様が変わったんじゃないか? 或いは、このダンジョンが、そもそもユニオンバーストが必要な設定、だったり」

「……もし、そうだとしたら。クリアできるのは、“プリンセスナイト”か……」

「おれたちくらい、だな」

 

 ヨリは頷き、真剣な顔で槍を掲げる。

 

「ハルト! 私が合図したら、全力でぶち込んでちょうだい!」

 

 槍の先が、一際強く輝く。

 

「いくわよ! 超・必殺!!」

 

 彼女が振り回す槍から、桜色の光が放たれた。それは天井に当たると炸裂し、大輪の花を咲かせる。

 

「今よ!」

「分かった! 全力全開、撃てぇ!!」

 

 今にも張り裂けそうな、幾つもの光球から放たれる、光の奔流。世界を純白に塗り潰す光は、舞う花弁を呑み込み、ヨリが咲かせた花へと殺到した。

 初めのうちは、攻撃が弾かれているようなエフェクトが生じていた。やがてそれが砕け散ると、コンボ数を示す数字が現れ、読み取れないほどの速さで増えていく。

 レジェンドオブアストルムは、攻撃のコンボが繋がるたび、与えるダメージ倍率にプラス補正がかかる仕様になっている。攻撃のコンボ数を増加させる、ヨリの“ユニオンバースト”「超・必殺より式無限コンボ」と、対象に当たっている間、常に多段ヒットし続けるおれの光撃。この2つが組み合わさると、通常では起こり得ないような速さで、コンボを稼ぐことができる。そして対象に与えられるダメージは、それが倒れない限り、際限なく上昇していく。

 

「これが、おれたちの力だ! すべてを、ブチ抜けえッ!!」

 

 そんなことを叫ぶくらいには、昂っていた。プリンセスバトルでこれを決めた時には、どんなに防御力を強化した相手であっても、せいぜい数百ヒット程度で倒れてしまうのだ。今はどうだろう。コンボ数の値は6桁に届き、それでもなお増加する。

 やがて、世界を揺らす轟音が途切れ途切れになったのち、何かが弾けるような音がして、眩しすぎる光は、解けるように消えていった。

 

 砕かれた壁の向こうには、文字通りの無が広がっていた。真っ暗な空間が広がっているだけで、何もない。思わず、ヨリと顔を見合わせる。声にこそ出さないが、困惑を隠せずにいた。さて、どうしたものか。そう思案していた最中。ひとつの光輝く何かが、ゆっくりと落ちてきた。

 ヨリが、その光に手を伸ばす。それに触れた刹那、彼女は、忽然と消えた。

 

「ヨリ……? どこ行ったんだよ、ヨリっ!」

 

 慌てて周囲を見回すが、ヨリの姿はどこにも見当たらない。ただ、おれの声だけが、虚空に響く。

 

 宙に浮かび続ける、輝点。ワープクリスタルに似た、どこかへ転移させるものなのだろうか。そうだとして、どこに飛ばされるかなど分かったものではない。最悪、触れれば即ゲームオーバー、ということも考えられる。

 それでも、その先に、ヨリがいると信じて。意を決して、小さな輝きを握りしめた。



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Dive to the Astorum -3

 視界が白く染まる。それが薄れると、おれは、聖堂にも似た、広すぎる部屋にいた。場所を確認するべくマップを開こうとしたが、二、三度試しても、それは表示されなかった。

 壁や床には色鮮やかな光が揺らめき、奥の方には、何かが安置された祭壇らしき場所もある。その近くには、見覚えのある人影が佇んでいた。

 

「ヨリっ!」

「あ、ハルト!」

 

 おれの声に反応して、駆け寄ってきたヨリの手を取る。無事を確かめるように、強く握ってから、はっとして、その力を緩めた。

 

「ね、あれ見て」

 

 そう言いながら、彼女は祭壇を指差す。そこには、透明のねじれた多面体が、明るい緑色の光を放ち浮かんでいた。光は多面体そのものに反射して、室内を複雑に照らしている。中心部には小さな宝石のようなものがあり、それが光源となっているようだ。

 

「あの石が、クリア報酬……なのか?」

「たぶん、そうだと思うわ。ユニオンバーストが使えることが条件なんて、きっとすごいアイテムよ!」

 

 ヨリに促されるまま多面体に近付き、優しく触れると、ひとつひとつの面が、剥がれるように消えていく。露わになる、透き通った緑色の石。それは輝きを放ちながら、空中で緩やかに回転している。

 若干の不安を抱えながら、指先ですごいアイテム(仮)を軽く叩いてみる。触れても、弾かれたりはしないようだ。情報を見ようとしたが、何も表示されない。そもそもアイテムでは無いのではないか。そんな懸念はあったが、目をきらきらさせる(そんなエフェクトが浮かんでいた)ヨリを見て、ダンジョン踏破の証を得るために、掴み取った。

 

 刹那、視界に、世界に、いくつものノイズが走った。すべてが奇妙な色彩になり、木か、煉瓦か、何物かのパーツか、ぐちゃぐちゃのテクスチャに次々と置き換わる。そして、あらゆるものが、欠落していく。

 本能が、けたたましい警鐘を鳴らしていた。単純に、恐怖を覚えていた。手中に収めた、収めてしまった、輝く小さな石ころ。きっとおれは、とんでもない何かに、手を付けてしまったのかもしれない。とにかく、一刻も早く、ここから逃げ出したかった。

 ポケットに石をねじ込み、ヨリのもとへ走り出した直後。彼女の足下を含むいくつもの部分が、消失した。

 助けなければ。その一心で、駆けた。虚空へ飛び込みながら、ヨリの名を叫び、必死で手を伸ばして、落ちゆく彼女の腕を掴む。空いたもう片方の手は、偶然そこにあった、何らかのオブジェクトが置換された鉄柵を握り、辛うじて落下を免れた。

 

「離すなよ!」

 

 そうは言ったものの、現状をより良い方向へ向かわせる術はなかった。彼女を引き戻すことすらままならず、命綱とも云えた鉄柵は、やがてノイズの塵と化す。

 我々は、いよいよ無慈悲な浮遊感に包まれた。全てが暗闇に包まれているはずなのに、どういうわけか、ヨリの姿だけは視認できる。気を失ってしまった彼女の体を引き寄せ、抱きしめる。何があっても、絶対に、離さないように。

 

 果たして、どのくらいの高さがあっただろうか。それすらも、もう分からない。いつ地面に叩きつけられても、不思議ではない。むしろ、落下死をしてリスポーンした方が、安心できるのではないかとさえ思う。

 おれが破壊した天井から降ってきた、ワープポイント。その行き先が、あの塔の内部である根拠はひとつもない。テクスチャが乱れた様は、明らかに異常だった。ゲーム内に正しく定義されていない空間。バグ空間、とでも言うべきか。喩えるなら「アストルムの外側」を、落ち続けている可能性もある。

 そもそも、ワープする前から、おかしな点はいくつもあった。通常のダンジョンでは使えないはずのユニオンバーストが使えたり、コンボ数が通常では取り得ない数値を表示したり、感じるはずのない「痛み」を感じたり。

 

 おれたちは始めから、取り返しのつかないことを、していたのかもしれない。もし「現実」へ戻ることが叶わないのならば、よりは、おれは、どうなる?

 オフラインのゲームなら、ゲーム機を再起動すれば、直近のセーブした場所からやり直せるだろう。だがアストルムは、プレイヤーの拠点となるいくつかの街など、特定の場所でしかログアウトを行えない仕様になっている。ダメで元々、ログアウトができるか確認を試みたが、案の定、そのウィンドウは表れなかった。

 

 遥か先に小さな光点が見える。それは次第に大きくなり、終幕が近いことを示唆していた。全てが、淡い緑色の光になる。そして。

 

 

 気付けば、地上に居た。高楼は影も形もなく、鬱陶しい暗雲すらもなく。ただ、おれの腕の中で目を閉じる少女だけがあった。

 

「あれ……私、生きてる……?」

 

 意識が戻ったのか、ヨリが不思議そうに呟く。

 未だ微睡の中にいる彼女と、目が合った。やがて、現状を理解した少女の頬に、紅が差す。

 

「って、アンタ近っ! なんでこんな近っ! ま、まさかよからぬことを……!?」

「よからぬことって何だよ……」

 

 空いている右手を振り、ウィンドウを呼び出す。当然のように開いたそれは、位置情報が「あの塔があった場所」であることを示していた。

 

「ははっ」

 

 思わず、笑いが零れる。

 

「ダンジョンクリア、かな」

「……やったのね、私たち!」

 

 不意に抱きついてきたヨリを受け止めきれず、地面に倒れ込む。突然どうした、と退かそうとして、彼女の体が少し震えていることに気付いた。

 

「ヨリ?」

「ごめん、安心したら、涙、出てきちゃった」

 

 胸の辺りに、じわりと熱が滲みる。

 

「ゲームなのに、本当に死ぬかと思った。……もうダメだ、って思った」

 

 今まで聞いたことがないような、ヨリの、か弱い声。

 

「ありがと、助けてくれて。……ちょっと、カッコよかったわ」

「……そか」

「ちょっとだけ。ちょっとだけ、だから……!」

 

 すすり泣くヨリの背中に、腕を回す。その温もりは、彼女が、確かにここに在ることを示していた。ヨリが生きていてよかった、と、心から思った。アストルムの中で“生きている”というのがどういうことかはともかく、ただ、よかった、と。

 よりのことを、大切に想っているから。そんなことはついに言えず、ただ、彼女の頭を優しく撫でるに留まった。

 

 しばらく、このままでいた。よりを、すぐ近くで感じていたかった。やがて、柔らかな吐息が耳をくすぐる。疲れたのか、彼女は眠ってしまったらしい。

 ふと、冷静になる。このダンジョン、『永遠の蜃気楼』は、そんな異名が付く程度には有名らしい。そして、それは今、跡形もなく消失していた。アストルムの夜間に活動するモンスターだけでなく、異変に気付いた他のプレイヤーがここへ来るのも、きっと時間の問題だった。

 ジャケットの内ポケットをまさぐり、ワープクリスタルを取り出す。移動先は、自分の家……いや、ギルドハウスへ。周囲の景色が白み、次の瞬間には、ギルドハウスの2階に設けたベッドの上に、背中から落下した。

 このまま温もりに包まれていてもよかったが、転がすようにヨリをベッドに寝かせ、布団を掛けてやる。靴は履いたままだが、この際、気にしなくてよいだろう。

 

 ハーブティーでも淹れようか。そんなことを考えながらドアを引くと、そこには、同じタイミングでドアに手を掛けたアカリがいた。彼女はいつもアストルムをプレイする際の小悪魔チックな衣装ではなく、ゆったりとしたワンピースのパジャマに身を包んでいる。

 

「お兄ちゃん! 帰ってたんですね」

「あぁ、今戻ってきた。ヨリは寝ちゃったよ。学校から帰ってきて、それからダンジョンに行って。さすがに疲れたんだろうな」

 

 かく言うおれも、同じようなスケジュールをこなしている。身体だけでなく、頭の疲れも、とうにピークを迎えていた。

 

「寝てるお姉ちゃんを独りにしようとしたんですか? お兄ちゃん、サイテーです」

 

 ベッドに寝かされたヨリを見て、アカリが不満そうに言う。

 

「アカリがいるだろ。あ、着替えさせてないから、寝間着に変えるのはアカリにお願いするよ」

「えー、お兄ちゃんがしてあげればいいのに」

「い、いや、それは……VRとはいえ、なぁ」

「ふふっ、冗談だよ。顔が赤くなってる」

 

 いつも思うが、アカリはおれをからかうのが好きなのだろうか。意識してやっているなら大概だが、無意識なら、それはそれで問題かもしれない。

 

「……じゃあ、俺はログアウトするから。ヨリが起きたら、そう伝えておいて」

「待って」

 

 システム画面を開こうとした腕を、ぐい、とアカリに掴まれる。

 

「アカリ、久しぶりにお兄ちゃんと寝たいなぁ」

「What?」

 

 思わず、疑問詞が口を突いた。彼女は突然何を言い出すんだ。疲れ果てた脳が、聞き間違いを起こしたのだろうか?

 

「そうだ。せっかくだから、3人で寝よう? ねっ」

 

 幾度かログを見直しても、アカリは間違いなく、そんなことを言っていた。

 

「あのベッドに3人は狭いよ。そもそも、おれと一緒はまずいだろ。その、色々と、な?」

「お兄ちゃんは……お姉ちゃんと、アカリと寝るの、嫌なんですか?」

「嫌ってわけじゃないけど。なんて言うかな…………あー、分かったよ」

 

 蠱惑的な上目遣いに絆されてしまったか、どうにも逃れることができなさそうで、折れることにした。理由をこじつけるなら、ダンジョン探索で疲れた頭と身体を、体感時間の長いアストルムで休めるのがよい、とも言える。

 

 寝室に戻ることを約束して、下階へ降りる。湯を沸かしている間、ついさっきまでの冒険が、瞼の裏に蘇る。永遠の蜃気楼。いつからそこにあったのか定かでない、ということが矮小に思えるほど、考えれば考えるだけ、謎が深まるダンジョンだった。

 ティーポットに白湯とカモミールの茶葉を入れてから、緑色の石を取り出す。宝石のようなカッティングが施されたその石は、光を受けずとも、未だ輝きを放っているようだった。

 特別な力を持っているようには見えないが、不思議な石だ。入手の経緯からして、少なくとも、普通のアイテムでないことは確か。それでは、一体、誰が、何のために作り、七面倒くさいダンジョンの、その深奥に配置したのだろうか? おれの仮定となるが、どうしてユニオンバーストという、「そもそも使える条件が完全解明されていないもの」が求められたのだろうか? 『永遠の蜃気楼』が消滅してしまった以上、新たに情報を得ることは難しい。インターネットで聞いてみてもよいが、あのダンジョンをクリアしてしまったことが明るみに出るのは、きっとおれの想像を超えた危険が伴うに違いない。

 

 温かいカモミールティーを1杯。甘い香りと優しい苦味が、心を落ち着かせてくれる。

 

 あれを突破し(てしまっ)たのはおれたちだけれど、考察やら、検証やらは、他の、もっと“やる気のある”プレイヤーがしてくれるはずだ。ダンジョンそのものはなくなってしまったが、おれの知らない、蓄積された何らかのデータが、どこかにあるだろう。ユニオンバーストだって、おれとより以外にも、使えるプレイヤーは居たはずだ。

 ギルドハウス内の共有収納ボックスに、考えれば考えるほど不可思議なアイテムをしまう。室内用の服に着替えるコマンドを打ち込んでから、2階へと向かった。

 

 寝室に戻ると、掛け布団が捲られていて、傍らにアカリが腰掛けている。状況を察し逡巡しているおれを、彼女はただ、楽しそうに見ていた。

 

「えっと、おれ真ん中?」

「もちろん。疲れたでしょ? ぎゅーってしてあげるね」

「……そういうのは他の所ではやるなよ」

「もちろん。お兄ちゃんにだけ、特別だからね」

 

 そう言って、アカリは悪戯っぽく笑う。そんな言葉、どこで知ったのだろうか。

 疲れも限界に達しており、言い合いをする元気もなく、促されるままベッドに潜り込む。

 

「お姉ちゃん、起きたらびっくりするだろうなぁ」

「びっくりで済めばいいけど。普通に怒るだろ」

「その時は……セキニン、取ってくださいね」

「えぇ……」

「おやすみ、お兄ちゃん」

 

 照明が落ちる。窓から差し込む月明かりが、静かに眠るヨリの顔を照らしていた。

 

 しばらくして。ヨリとアカリの体温に挟まれ、彼女たちの寝息が聞こえる中。おれは当然、眠れずにいた。ゲームの中だというのに、自らの動悸が分かるくらいだ。幸いなのは、ここが仮想空間であること。おれの両隣で眠っているのは、ただのアバターデータに過ぎない。――そう考えたところで、状況は、何ひとつ変化しなかった。

 明日にでも、せめてもう二回りほど、大きいベッドを買うことにしよう。そもそも、一つ、いや二つ、ベッドを新調すれば良いのかもしれないが、彼女たちの寝顔が、きっとそうはさせてくれない。

 身体を動かそうとすれば、いつの間にか左の腕を抱いていたヨリが、その力を、僅かに強くする。触れたくなる気持ちを抑え、天井の模様に目を見遣る。

 幸い、現実の明日は休みだ。両親は仕事で家を留守にしており、アストルムに居続けることを咎めるものはない。時間感覚のズレは気掛かりだが、たまにはこうして、何日か続けてアストルムでの“生活”を送るのも悪くないだろう。

 

 眠れぬ夜は、あまりにも長く感じた。



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I wanna be your Special one

 『永遠の蜃気楼』が消失してから、現実時間で1週間ほどが経った。あれだけ多くのプレイヤーが注目していたはずなのに、いつしか誰も、その話題には触れなくなっていた。

 複数の有力なギルドが協力して、ようやく攻略したという話を耳にした。かつて【ラウンドテーブル】というギルドで名を馳せたプロゲーマーが、ソロで突破したのだという話も聞いた。チートによって未実装のアバターデータを入手したプレイヤーが、ダンジョンそのものを破壊してしまったという話も。

 

 それらも全て、情報の荒波に呑まれ、いつしかどこかに消えていった。

 

 おれのアバターの首に提げられた、緑色の石が填められたペンダント。あのダンジョンで手に入れた使い道の不明な石(よりが全力で調べたらしいが、本当に何も分からなかった)を、アクセサリーにしたものだ。身に着けることによる特殊効果は、何もない。

 見せびらかすようなことはせず、慣れない装飾品として、このペンダントを着けてアストルムを遊んでいた。それを気に掛けるものは、もちろん誰ひとりとしていなかった。

 

 

 学校からの帰り道、何となく、いつもと違う道に入った。夕暮れ時の街は、仕事から帰宅する人々や、部活終わりの学生が多く行き交っている。そんな大通りも、奥へ2、3本入れば、喧騒から切り離された、閑静な住宅街が広がる。少し入り組んだ路地の先で、今まで知らずにいた小さな店を見つけた。

 

「パワーストーン……?」

 

 普段なら、特に気にすることなく通り過ぎてしまうような文句だった。スピリチュアル的なものに対する興味はないはずなのだが、この時だけは、吸い寄せられるように、店に入った。

 薄暗い店内は、色とりどりの石や怪しげなアイテムが所狭しと並べられている。まるで、アストルムにある雑貨屋のようだった。その中で、ある品に目を奪われた。緑色の、小さくも、美しい石のペンダント。おれがアストルムで唯一持っているアクセサリーと、見た目が酷似していたということもある。けれど、それだけではない、心に訴えかけるような何かを、感じていた。

 

「その石に、惹かれましたか?」

 

 いつの間にか隣に立っていた、店主らしい女性に声をかけられた。

 

「はい……とても、綺麗です」

 

 そう答えると、彼女は嬉しそうな顔をして、「それはペリドットといいます」と言った。そして、この石――ペリドットについて、説明してくれた。

 古代エジプトでは、太陽を象徴する宝石として大切にされていたこと。心身ともに、前向きに生きられるように。そんな願いが込められていること。そして、「暗闇に光をもたらす神秘の石」とも云われていること。余談として、トパーズという宝石の語源になった島では、実はペリドットが産出されていたこと。

 

「すごい……石なんですね」

 

 そんな感想にも満たない思いが、口から漏れ出る。

 聞くところによると、すべての宝石に、様々な意味や願いが込められているらしい。例えば、ルビーは「勝利を呼ぶ石」、サファイアは「聖人の石」、エメラルドは「愛の石」など。

 

「このペンダント、あなたに差し上げますよ」

 

 突然に、その女性から、そんなことを言われた。

 

「えっ、いや待ってください。これ、売り物……ですよね? そもそも立ち寄っただけなのに、悪いですよ」

「私はあなたのような人に出逢うために、こういう場を作っているのですから。ぜひ、受け取ってください。あなた自身が身に着けるのもよいですし、大切な方に贈るのもまた、よいと思いますよ」

 

 しばらくして、店を出るおれの手には、ペリドットのペンダントが入った袋があった。先のようなやり取りがあり、そうして店主から受け取ったものだ。一銭もお金を払わずに譲り受けるのも申し訳なく思い、小さなペリドットがあしらわれたネクタイピンをひとつ、あわせて購入した。

 花言葉のように、宝石にも、宝石言葉というものがあるという、「運命の絆」。それが、いくつもあるペリドットの宝石言葉の中で、おれに合っているものだと、彼女は教えてくれた。その言葉を受けて、おれの脳裏には、よりの顔が浮かんでいた。

 

 風宮よりに、恋をしていた。家が隣同士ということもあり、幼い頃から一緒にいたから、いつからそんな感情を抱くようになったのかは憶えていない。格闘ゲームで難しいコンボを決めて、得意げな顔。カードゲームで初歩的なプレイミスをして、落ち込んでいる顔。アストルムで肩を並べて戦った時の、自信に満ちた顔。あかりにからかわれた時の、慌てたような、恥ずかしいような顔。ころころと変わる表情を、ずっと傍で見ていたくて。そして、時折見せる“女の子”な仕草を、いつしか意識してしまうようになって。幼馴染みという関係性を超えて、自分だけを見てほしいなんて、思うようになって。

 だからこそ、一線を引こうとしていた。幼馴染みに恋心を抱く物語はいくつか知っているが、自分がその当事者となると、どうしてよいか分からなくなる。自らが変に働きかけてしまって、今あるこの日常を、壊したくなかった。

 先日の『永遠の蜃気楼』の一件は、よりとおれとの関係を、どういう形にせよ、変えてしまうものだった。彼女に抱いた想いを、どうにか今まで隠そうとして、押し殺して、生きてきた。でも、もう、抑えきれそうにない。およそ1週間の間、答えの解りきった問いを、考え続けていた。さっきの店のように、これまで行ったことのない場所へ寄り道をしてみたり。アストルムにログインして、ソロプレイで高難度クエストをめちゃくちゃにしてみたり。それでも、あの時に抱きしめてしまった彼女の温もりは、すべてを決壊させるには、十分すぎた。

 都合の良い(あるいは、悪い)ことに、明日、よりと出かける予定があった。大切な人に贈るのもよい、と。そんなことを、あの店主は言っていた。タイミングがあれば、この首飾りを、よりに渡そう。おれが、最も大切にしたい人に。そして伝えよう。おれの、想いを。それが、今のおれにできる精一杯なのだ。

 

 

ʚ ɞ‬

 

 

 翌日、午前10時前に風宮家のインターフォンを鳴らすと、珍しくパーカーを着込んだよりが、少し落ち着かなさそうに出てきた。

 

「おはよ、より」

「お、おはよう、ございます」

 

 いつもよりぎこちない挨拶を交わした後、どちらからともなく歩き出す。今日は、あかりが所属している吹奏楽部が、マーチングバンドとして出演する。それを観るために、会場であるドリームパークへ、よりと向かうことになった。どこかに出掛ける時、大抵は、あかりや、どちらかの(主に風宮家の)親が居た。よりと2人きりで、というのは、17年生きていて、初めてのことだった。

 椿ヶ丘駅から、ドリームパーク直行のバスに乗り込む。自然と、おれたちは並んで座席に着く。休日ということもあり、車内は立ち客が出る程度には混んでいた。

 

「楽しみだな、あかりの演奏」

「う、うん」

「……」

「……」

 

 会話が続かない。何か話さないと、とは思うのだが、言葉が出てこない。きっとそれは、よりも同じだろう。普段は饒舌な彼女が、今は借りてきた猫のようだ。いつもと違う様子のよりを見ていると、こちらまで緊張してくる。

 

「…………あー、あのさ」

 

 沈黙に耐えきれず、口を開く。

 

「どうしたの?」

「えっと……その、なんだ。2人で出掛けるのも、いいなって思って」

「……そういえば、あんたと2人でどこかに行くの、初めてよね。……楽しみ、だったわ」

 

 ちょっとだけ緊張が緩んだような、ふわりとした笑みを浮かべて、よりは答える。その笑顔を見た瞬間、顔が熱くなるのを感じた。目が合ってしまい、慌てて視線を外す。心臓が、早鐘を打つ。何気なく放った言葉だが、彼女も似た心持ちだったことに、嬉しさを覚える。それと同時に、この先を想像して、不安になる。

 おれは、よりが好きだ。だが、彼女はそれを受け入れてくれるだろうか。――想いを伝えれば、おれたちの関係は、変化する。彼女との繋がり自体を、失うことだってあり得る。決意は、少しだけ、揺らいでいた。

 

 バスは、ドリームパーク最寄りのバス停で止まる。乗車していた人々が降りていき、余裕が生まれたあたりで席を立つ。隣のよりに目を向けると、彼女もまた、おれを見ていて。一瞬視線が絡み合い、お互いに目を逸らす。そのままバスを降りて、無言で歩みを進めた。目的地はすぐ近くにあるはずなのに、道程が長く感じる。

 

「そういえば、白星中学校って何時だっけ?」

 

 ふと気になり、よりに訊ねる。彼女はこちらを見ずに、折り畳まれたタイムテーブルをポケットから取り出した。

 

「えっと、11時15分ごろ……って、あと10分もないじゃない! 私、チケットもらってくるわ! あんたは先に入口で待ってて!」

「あ、ちょっと、より!」

 

 引き留める間もなく、よりはチケット売り場の行列に消えていく。仕方なく、言われた通りに、ゲートの近くで待つ。2、3分して、とことこ走ってきた彼女からチケットを受け取り、背中を押されながら入場した。

 園内は、家族連れやカップルなどで賑わっていた。マーチングバンドは、特定のエリアを行進する。園内の一部が簡易的な柵で仕切られており、そこに見物客が人だかりを作っていた。

 

 タイムテーブルの紙に描かれた地図の、「この辺!」とマークされた場所へ到着するとほぼ同時に、白星中学校吹奏楽部の、マーチングユニフォームを身にまとう一団が近付いてきた。先頭は指揮杖を持つドラムメジャー。トロンボーン、ユーフォニアム、ホルンが続く。その後方に、あかりの姿があった。緊張した面持ちのあかりは、よりとおれの方を見て、少しだけ、笑顔になった。そしてすぐに真剣な眼差しで、サックスを構える。

 短くも印象強い、サックスパートの見せ場。他の何にも負けない、華やかなメロディ。サックスを奏でるのが大好きな、彼女の心がこもる演奏。最後まで吹き切ったあかりは、観客からの拍手を浴びながら、おれたちに向かってウィンクをする。よりはそれに手を挙げて応え、おれも小さくサムズアップをした。

 演奏の余韻に浸りつつ、白星中学校の列が通り過ぎるのを見送った後、おれたちは再び歩き出す。マーチングバンドの行進の終点、そこであかりを待って、直接「良かったよ」と伝えるために。普段から、彼女がどれだけ努力をしていたかは、おれも、よりも、分かっていた。家の近所の公園で練習していたのを見かけたことがあったし、よりの話では、自宅でも、寝る前などに練習をしていたらしい。

 タイムテーブルに記された行進ルートの終点。そこで待っていると、風に乗って聞こえる演奏の輪郭が確かになっていく。やがて、マーチングバンドの一団が見えてきた。それは広場に到着すると、演奏を途切れさせることなく、隊形が園内を行進していた時の4列から変形する。幾つかのグループに分かれ、あるいは合流して、個々に行進したり、交差したり。それぞれが揃った動きを見せていた。やがて全てが整列して、最後のファンファーレが鳴り響く。

 

 自然と、拍手をしていた。隣を見ると、よりも同じようにしていて。お互いに笑い合う。あかりは、他のメンバーと一緒に深くお辞儀をしてから、満面の笑みで、おれたちに手を振った。退場していく白星中学校の生徒たち。それを見て一息ついていると、帽子とサックスを置いたあかりが駆け寄ってきて。

 

「お姉ちゃん! お兄ちゃんも、来てくれたんですね!」

 

 そう言って、そのまま勢いよく抱きつかれた。それを見たよりが、慌てたように、おれとあかりの間に割って入る。

 

「ちょ、ちょっと、あかり! 急に何して……!」

「もー、お姉ちゃんが独り占めなんてずるーい」

「独り占め……っていうか、人前でやめなさいよ! みんな見てるから……!」

 

 よりに引き剥がされたあかりは、そのまま連行されていく。何かを言い合っているが、こちらからは窺い知ることは難しい。

 撤収前のわずかな休憩時間だったようで、遠くで、吹奏楽部の部員があかりを呼ぶ声がする。

 

「呼ばれちゃいました……じゃあ、今日は友達と帰りますね。ばいばい、お姉ちゃん、お兄ちゃん!」

 

 笑顔のあかりを見送る。

 あかりに抱きしめられたときの柔らかな感触が、彼女の体温が、残っていた。正直、複雑な気持ちだった。よりも、あかりも、おれの大切な幼馴染みで。昔から、ずっと一緒に遊んでいた仲で。恋、とは異なると思っているが、あかりのことも、好きだった。ただ、おれはよりに対して、その先の感情を抱いてしまった。ほとんど同じ時間を過ごしていたあかりの気持ちなど、分からないままに。



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I wanna be your Special one -2

 辺りに居た人は、いつしか疎らになっていて。他校の華やかな音楽が聞こえる中で、よりとふたり、取り残される。

 

「ごめんね。あかり、いつもあんなで」

「もう慣れたよ。急に来られるのは、びっくりするけどね」

「あんたが嫌なら、注意しておくわ」

「ううん、いいよ。……でも、人前でああいうのは、止めてほしくはあるかな。さすがに、ちょっと恥ずかしいし」

「……」

 

 よりは黙っていた。少し俯き気味に、地面を見ながら。

 

「より?」

「え? あぁ、うん、確かに、そうよね。それより、これからどうする?」

「どう、って言われても。……あかりのマーチングは終わったし、昼ごはん食って帰るか――」

 

 アトラクションに乗るにしても、よりは入園券だけ買ったはずだから、都度課金は割高だな、と。そう思って、彼女から受け取ってポケットへしまい込んだチケットを取り出す。そこに書いてあったのは、ワンデーパスの文字。

 

「これワンデーパスじゃん。え、待って、マジ?」

 

 よりの顔と、チケットを交互に見て。ついでに、財布の中身を思い出そうとして。入園料を調べずに来ていたので、不安になる。

 

「あ、それね。実は、お母さんがワンデーパスの引換券をくれたの。……だめ、だった?」

「そういうことか……。ダメじゃないよ。それじゃあ、せっかくだし夜まで居ようか」

 

 時間は正午前。巨大なテーマパークではないから、昼食をとってからでも、一通り回るには余裕があるだろう。

 ベンチに腰掛け、パンフレットを広げて地図を見る。よりが隣に座って、覗き込んでくる。

 

「ねぇねぇ、これ面白そうじゃない?」

「VRのシューティングライド……()るか?」

「負けたらジュースおごりね!」

 

「お化け屋敷とかもあるんだな」

「私が怖いやつ苦手なの、知ってて言ってるでしょ? まぁ、あんたとなら、いいけど……」

 

 そんなやり取りが、どうしようもなく楽しくて。ふと顔を上げると、よりと視線が合った。そしてそのまま、外せなくなる。

 

「どうしたの?」

「何か、デートみたいだなって。……あっ」

 

 声に出してから、しまった、と思った。そもそもおれたちは、“そんな関係”ですらない。状況はよりと2人とはいえ、ドリームパークへ来たのは、あかりの演奏を観るためだ。偶然ワンデーパスを持っているだけで、元々そんなつもりではなかった。デートという体で、よりとこの時間を楽しめたら、どんなに良いだろう。けれど、今まで自分の気持ちを抑えつけて、本心を伝えずにいながら、突然にデートなどと宣うのは、あまりにも思い上がりが過ぎる。

 そうして想像していた罵詈の代わりに差し出されたのは、小さな右手。

 

「だったら……手、つないで」

 

 顔を背けながら、おれの耳だけに届くような声で。よりは確かに、そう言った。

 

 

ʚ ɞ‬

 

 

 いつしか、空は美しい夕焼けに包まれていた。

 

「やっぱり最後は観覧車よね!」

「あぁ……そだね……」

「何よ。あんた、もう疲れたの?」

「そりゃもうずっっっっっっと歩いてるし。……よりは元気だな」

「当然よ。たくさんゲームをするにも、体力が要るんだから」

「そういうもんなのか?」

「そういうもんなの!」

 

 そんな言い合いをしながら、人混みの中を、2人で歩く。絶対に離さないように、彼女の手を、しっかりと握って。

 観覧車を待つ人々は、それなりに多くいた。あっちを見てもカップル、こっちを見てもカップル。おれたちもそういう風に見られているとしたら、よりはどう思うだろうか。

 先ほどは「デートみたいだ」などと言ってしまったが、これはもう、デートそのものではないか。女の子を家まで迎えに行って、ドリームパークに来て。一緒にランチをして、アトラクションを楽しんで。最後にこうして、手を繋ぎながら観覧車に乗ろうとしている。王道中の王道もいいところだ。

 

 ここしばらくの間、おれは少し、よりと距離を取ろうとしていた。恋心を、少しでも、自分から離そうとしていた。学校の課題が忙しいことを理由にして、一緒にアストルムで遊ぶ頻度も減っていたし、直接顔を合わせても、話すことは少なかった。CNCT@LKで、今挑戦しているダンジョン情報の共有をするくらいだった。だからきっと、よりはもう、おれに愛想を尽かしたと思っていた。それならそれで、良いとさえ思っていた。

 そんな折、不思議なダンジョンを一緒に冒険しようとの誘いを受けた。それが、あの『永遠の蜃気楼』だった。そうして妙な出来事があって、今に至る。お蔭でこちらは決心がついたのだが、むしろ、取り返しがつかなくなったのかもしれない。

 

「晴人」

 

 不意に、よりに名前を呼ばれた。

 

「ん?」

「列、進んだよ」

「あぁ、悪い。ありがと」

 

 列を進んで、いよいよおれたちの番が近くなる。

 よりがおれの手を握る力が、少し、強くなった。そして、改めて気付く。彼女が、おれの名前を呼んだことを。

 

 ゴンドラに乗り込んで、よりの向かい側に座る。デート(仮)の締めというよりも、やっと座れた、という思いがあった。

 

「晴人。目、つぶって」

 

 一息つく間もなく、よりはそんなことを言った。

 

「え?」

「早く」

「わ、分かった」

 

 彼女の言う通り、目を瞑る。それから、かすかに布が擦れるような音がして。

 

「もう、いいわよ」

 

 そう言われて、瞼を開く。目に飛び込んできたその姿を見て、思わず、息を呑んだ。

 パーカーを脱いだよりが身に着けていたのは、ピンク色の花柄のワンピース。いつだったか、よりとあかりと3人で買い物に出かけたとき、商店街の洋服屋で衣装モデルをやってほしいと頼まれたことがあった。その際によりが着せられた服が、このワンピースだった。撮影が終わった後、あかりが着たものをあわせて、2着を購入し、贈ったのだ。

 

「あ、あかりがね、あんたと行くなら着ていけ、って。私は嫌って言ったのよ? でも――」

「似合ってる。可愛いよ」

「…………ありがと」

 

 よりは照れくさそうに笑うと、そのまま窓の外へと視線を移した。沈黙が流れる。しかしそれは、決して居心地の悪いものではなかった。

 ふと、こちらに向けられている視線に気づく。そちらへ顔を向けると、よりと目が合った。彼女はすぐに視線を逸らすと、頬杖を突きながら外の風景に顔を向けたまま、ぽつりと言った。

 

「今日は……楽しかったわ」

「うん。おれも、楽しかった」

「……あんたがよければ、また、来たいな」

「あぁ。今度はあかりも一緒に、かな」

「うーん……」

「ダメなのか?」

「いや、そうじゃなくて……その」

「……2人で?」

「……」

 

 返事はない。ただ、僅かに首肯する動作だけが見て取れた。

 

 観覧車のゴンドラは、少しずつ高度を上げていく。夕焼けに染まる街は、まるで宝石箱のように輝いていた。

 

「そうだ。よりに、渡したいものがあるんだ」

 

 鞄から、箱を取り出して、よりに手渡す。中に入っているのは、昨日の学校帰りに不思議な店で手に入れた、ペリドットのペンダント。

 箱を開けてペンダントを手に取ったよりは、驚いた表情を見せた。

 

「これ……」

「前にさ、アストルムで、よりがアクセサリー作ってくれただろ? だから、お返しに」

「……なんか、あんたにあげたものと、似てるわね。mimiでスキャンしたら、アストルムでお揃いになっちゃうかも」

 

 そう言って、ペンダントを持ったよりは座席を立ち、そのままおれの隣に腰を下ろした。

 

「……着けて」

 

 そう小声で言った彼女からペンダントを受け取って、その首にチェーンを掛ける。細い首筋に指先が触れる度、くすぐったそうな声が漏れる。

 

「できたよ」

「うん」

 

 言葉少なに立ち上がったよりは、手すりに掴まりながら、くるりと回って見せた。胸元に揺れるペリドットが、夕陽に輝く。その姿に、見惚れていて。

 

「綺麗だよ」

 

 ただ、それだけしか言えないおれに、よりは、何も言わずに微笑み返してくれた。

 

 観覧車の頂上に差し掛かろうとしていた頃。向かいの席に座るよりは、眼下に広がる景色に目を向けたまま、口を開いた。

 

「ねぇ、晴人。あんたは、私のこと……少しは、女の子扱いしてくれてる、のかな。その、幼馴染み、ってだけじゃなくて。……ごめん、やっぱり今のなし」

 

 その言葉に、胸が跳ねた。真意こそ分かりかねたが、そんなことはどうでもよかった。おれは、心の底から溢れ出る想いを、もう留めていられなかった。

 

「より」

 

 呼びかけに応えてこちらを向いたよりを、真っ直ぐに見つめる。

 

「おれは……よりが好き。大好きです。おれと、付き合ってください」

 

 永遠にも、須臾にも感じる時が、流れる。

 

「好き、って……えっ……?」

 

 夕焼けに照らされて、よりの頬は、赤く染まっていた。

 

「気付いたら、好きになってた。いつも、よりのことを考えるようになっちゃってたんだ。……幼馴染み、なのにな。昔から一緒にいたはずなのに。ちょっと意識したらさ、もう、これだよ。何でかな、とか、どこが、とかは分からないけど……どうしようもなく、大好きなんだ。……変、だよな」

「そんなこと! ない……わよ」

 

 少し俯いて、それからまた、おれを見て。よりは、少しずつ言葉を紡ぐ。

 

「わ、私も……晴人が、好き。……大好き。でも、ずっと一緒にいたし……私、ゲームばっかりしてるし……今更、女の子として見てもらえないんじゃないかな、って、思ってた。最近、避けられてるような感じがしてたし。それでも、あんたのこと、考えちゃって。今日……こ、告白……して、断られたら諦めよう、って。それなのに……」

 

 よりの目に、涙が浮かぶ。

 

「こんなの、ずるいわよっ……!」

 

 一筋の涙が、頬を伝う。それを皮切りに、いくつもの雫が、彼女の膝を濡らした。

 席を立って、よりの隣に座る。

 

「より、おいで」

 

 声をかけると、よりはその体をおれに預けてきた。ハンカチを取り出して、涙を拭う。それから、優しく彼女を抱きしめた。胸の鼓動が、ひとりでに早く、強くなる。

 

「どきどきしてる……」

 

 腕の中で、よりが呟く。

 

「大好きな人と、くっついてるんだから。……あったかいな、よりは」

「晴人」

「どうした?」

「……あかりにぎゅってされても、どきどきしない?」

「あかりに?」

 

 突然にそんなことを問われて、少し戸惑う。否が応でも想起してしまう、よりと同い年とは――しかも、双子とは――思えない、豊かな身体つき。あかりは、昔からスキンシップが多かった。恋慕とかそういう感情を一切抜きにしても、特にここ1、2年か、あまりに魅力的に映るそれは、訴えかけるものがないわけではなかった。

 

「しないようにしたい、けど……少しは…………いや、しない」

「むー……」

 

 断言できずにいるおれに、よりは不満げに唇を尖らせる。

 

「まぁ、あかり、可愛いからね。それに、その……大きい、し。でも――」

 

 不意に、よりが体重を掛けてきた。それに対応できず、座席に寝転がるようになってしまう。そうなったおれの上に、身体をくっつけるようにしてよりが乗っている。

 

「何があっても……私のどきどきで、全部上書きしちゃうんだから」

 

 彼女は、おれの耳元で、そう囁いた。心臓の拍動で、身体が揺さぶられるような錯覚さえ感じる。これは果たして、おれだけのものだろうか。

 

「な、な~んてね……えへへ……きゃっ」

 

 思わず、強く、抱きしめていた。どうしようもなく、愛おしかった。もう離さないと、この場で誓ってもよかった。よりを、すぐ近くで感じていたかった。――少しでも長く、こうしていたかった。

 

「ちょ、ちょっと、晴人、苦しい……」

「……あ、ご、ごめん」

 

 おれが腕の力を緩めると、よりは身体を起こして、それから、窓の方を向いた。おれに、顔を見られたくないのかもしれない。

 いつまでも寝転がっているわけにはいかないので、起きて外の景色を見る。ゴンドラは下降を始めて、もうしばらくで時間切れ、といったところだった。

 

「より」

 

 声をかけても、反応はない。

 

「キスしても、いいかな」

「聞かないでよ……ばか」

 

 そうしてようやく彼女はこちらを向いてくれたが、視線はどうしても合わなかった。

 よりの肩に手を置くと、少し、身体を震わせる。

 

「そ、そんなに見ないで。私、今、絶対変な顔してるから」

「嫌だ。よりの顔、ずっと見ていたい」

「……すけべ。ろりこん、へんたい」

 

 ふたりだけの息遣いを感じる。おれたち以外、誰もいない空間。誰よりも、何よりも、大切な「恋人」を、また抱きしめて。

 

 そっと、初めての唇を重ねた。



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Captivated Princess

 午前8時。風宮家のインターフォンを鳴らすと、学校の制服に身を包んだよりが玄関から出てくる。今日もおはようの挨拶を交わし、手を繋ぐ。未だに慣れない指を絡めて、大げさなくらい、身体を寄せ合って。ゲームのことや、勉強のことなんかを話しながら歩いていく。

 

 あの日、夕焼けの中で、想いを打ち明けて、そして通じ合って。それから、おれの平日の日課には、よりを家に迎えに行って、一緒に登校することが追加された。もっとも、通っているのは、彼女は徒歩圏内の中学校で、おれは電車で数駅先の高校。こうして居られるのも、途中までだ。白星中学校までついて行こうか、などと言ってはみたが、よりから絶対にやめてほしいと断られてしまった。曰く、「オタクで人見知りな私に“付き合っている人がいる”なんてことがバレたら、何を言われるか分かったもんじゃないわ……」とのこと。今更そんなことでどうこう言う人間も少ないとは思いつつも、確かにその通りかもしれないし、何より彼女の気持ちを尊重したかったので、大人しく引き下がった。まあ、とにかくそんな感じで、朝はこうして、大好きな人と道程を共にする。学校が終わって帰宅してからは、大好きな人とアストルムで遊ぶ。それが、最近のおれの日常だった。

 そんな幸せな時間ほど、短く感じてしまうもので。気付けば、白星中学校に続く道と、椿ヶ丘駅へ向かう道との分岐路に着いていた。繋いだ手を離して、「行ってらっしゃい」の言葉を交わす。そうすると、少し寂しいような気持ちになるけれど。それでも、またすぐに会えると思うと、自然と笑顔になれる。

 

「それじゃあ……また後でね!」

 

 最後にぎゅっと強く抱きあってから、彼女は中学校の方へ、いつも通りの通学路を駆けていった。その後ろ姿をしばらく見守ってから、おれもまた、駅へと歩き出す。今まで抑え込んでいた反動か、幼馴染みという一線を越え、ひとりの女性として、彼女のことをもっと知りたくなって。よりと一緒に居る時間が、これまで以上に増えて。日を追うごとに、よりの虜になっていくような自覚があった。

 何年か先には、よりと結ばれるのかな、なんて尚早すぎる妄想をしたり。2人でどんな生活を送ろうかな、なんて馬鹿みたいな夢を見たり。まだ高校生なのに、ずっと未来のことを考えたりしている自分がいて。きっと、これが幸せってことなのだと。こんな日々が、ずっと続くのだろうと。そう、思っていた。

 

 

 午前の授業が終わり、昼休み。mimiを着けてネットサーフィンに興じていると、CNCT@LKでよりから連絡が入った。

 

---

>より

22時からアストルムで大規模なイベントだって!

詳しいことはまだ分からないけど

---

 

 アストルムの画面を呼び出す。ログインしてしまうと、遊びすぎて授業に間に合わなくなる可能性があるので、運営側からの通知が格納されているページを参照した。なるほど、確かに、特別イベントのお知らせと書かれている。肝心の内容――例えば、出現するエネミーや報酬など――は隠されているようで、ただ、指定の時間からクエストが行われることだけが示されていた。

 22時スタートというのは、MMORPGのイベントとしてはどことなく中途半端に思えた。とはいえこのジャンルのゲームに精通しているわけでもなく、開発に国際的な組織が関わっていることもあって、そんなものなのだろうと、勝手に結論付けた。

 最初から参加したいのは山々だが、今日の夜はどうしても外せない用事があり、クエスト開始の時刻には帰宅できないことが分かっていた。なので、その旨を返信する。

 

---

>Hal

今日は用事があるから、開始時間には間に合わないかな

家に着くのは22時半くらいかも

---

>より

わかった

私は22時前にログインして準備するから

帰ったらすぐ来てね

---

>より

レイドボスとかなら、リアルで30分もあれば終わってるかもね

---

>Hal

さすがにそれはないと思いたいけど

---

>より

用事済ませながらアストルムやればいいんじゃない?

---

>Hal

無茶言うなよ……

---

 

 そんな中身があって無いようなやり取りの後、他愛もないメッセージをいくつか送りあう。それから、少し間が空いて。

 

---

>より

だいすき

---

 

 彼女から送られてきたその4文字に、思わず頬が緩む。

 

(おれも大好きだよ、と)

 

 そう返してから、mimiを外して、椅子に深く腰掛ける。目を瞑ると、脳裏に浮かぶのはよりの笑顔で。こうして彼女のことを想うだけで、心拍数が上がっていくような気がした。現実でも、アストルムでも、早く会いたい。そんなことを、ぼんやりと考えながら。

 午後の授業も、放課後に別用をこなしている間も。その時間は、いつにも増して長く感じられた。

 

 

 さて、用事を極力早く終わらせようと試みたものの、結局、帰宅できたのはやはり22時半頃。帰り際に風宮家を見ると、よりとあかりが寝室にしている部屋の灯りは消えている。告知のあったアストルムのイベントは22時開始だから、ある程度長い時間プレイすれば日付も変わってしまう。明日も学校はあるから、イベントを遊んでそのまま寝てしまおう、という感じなのだろう。

 そうすると、おれも急がなければ。おれのために、彼女たちを待たせるわけにはいかない。

 

「ただいま」

 

 玄関を開けて一声。誰も居ないと分かりつつ、つい習慣で口にしてしまう。帰宅してすぐに、自分の部屋へと向かう。鞄を置いて、制服を脱いで。寝間着に着替えた後、mimiを装着して布団に寝転がる。そして目を閉じ、アストルムの世界へと旅立つ言の葉を唱える。

 

「ダイブ、アストルム!」

 

 そうやって、もはや慣れ親しんだ浮遊感に身を委ねた、はずだった。

 瞼を開くと、自宅の天井。レジェンドオブアストルムに、ログインできていなかった。音声認識システムの不具合だろうか。あるいは、疲れすぎて変な声になっていたとか。白湯を一口含み、のどを潤す。深呼吸をして、もう一度。

 

「……ダイブ、アストルム」

 

 幾度やっても、結果は変わらなかった。30分ほど前からイベントが行われているのだから、メンテナンスではないはずだ。プレイヤーが殺到して、サーバがダウンしたのだろうか。いや、そもそも全世界規模で動いている「アストルム」のサーバが、そんなに貧弱なものであるとは考えられない。

 ログインできないことをよりに知らせたが、音沙汰はなく。おそらく一緒にアストルムに居るであろうあかりもまた、同様だった。

 

 あれこれと試すうちに、0時を超えていた。もう、諦めようか。ゲームが好きなよりのことだから、楽しみにしていたイベントを前にログインできず、不貞寝でもしたのかもしれない。どうせ、また朝になれば会える。そう思いながらも、未練がましくmimiを操作して、アストルムへの接続を試みる。だが、いくら待っても、何の反応もなかった。

 

 

 けたたましいアラーム音で、目が覚める。時計の短針は、7を少し過ぎた辺りを指している。どうやらあのまま、寝落ちしてしまったようだ。枕元に転がるmimiに手を伸ばし、耳に掛ける。CNCT@LKを確認したが、よりも、あかりも、おれからのメッセージを読んだ形跡はなかった。胸騒ぎがする。悪い予感が、脳裏をかすめる。あまりにも悪すぎて、到底有り得ないと感じるほどのものが。

 落ち着かないまま制服に着替え、風宮家のインターフォンを鳴らす。普段なら、ぱたぱたとよりが走ってくるのだが――今日は、彼女の母親が、おれを迎えた。

 

「晴人くん……無事だったのね」

「は、はい。……えっと、無事っていうのは?」

「時間がないところ悪いけど、ちょっと家に来てくれないかしら」

 

 神妙な面持ちの母親にそう促され、風宮家にお邪魔する。向かうのは、2階にある、よりとあかりの寝室。彼女たちは、安らかに眠っていた。耳に付けられたmimiは、正常な通信を行っていることを示すランプが点灯している。

 

「昨日の夜に、あなたとアストルムのクエストをやるんだ、って言って。朝になっても降りてこないから起こしに行こうとしたら、ちょうどテレビで『アストルムにログインしたプレイヤーが目覚めない』なんてニュースがやってて……まさか、と思って見に行ったら、2人とも……」

 

 よりの母親に許可をもらい、テレビを点ける。ニュース番組では、アストルムをプレイしていた人が目覚めない事象が多発していること、昨夜にプレイヤーを集めようとする大規模なイベントが予定されていたこと、もしmimiを付けて眠っている人を見かけたら、絶対にmimiを取り外さないことなどが繰り返し叫ばれていた。

 思わず、卒倒しそうになる。最悪だ。最悪すぎて、驚きすら彼方へ消し飛んだ。

 

「でも、晴人くんはどうして? あなたも、アストルムを遊んでいるわよね」

「昨日は用事があって、特別なクエスト……テレビでやってる、大規模なイベントってやつです。それの開始時刻が22時で、間に合わなかったんです。家に帰ってからログインしようとしたら、出来なくて……」

 

 自分を落ち着かせるように、事実だけを、ゆっくりと話した。よりとあかりの手を握る。確かな体温を感じても、彼女たちは()()()()()()()

 

「と、とりあえず、おれは学校に行きます。昨日アストルムをやってた人がどれだけいるか分からないですけど、学校は、あると思うので」

「そうね、それが、いいかも……。ああ、ごめんなさい、ちょっと下にいるわね」

 

 そう言って、母親は顔を覆いながら寝室を出ていく。その声は、震えていた。

 

 

 静寂に包まれた空間に、よりとあかりの寝息だけが聞こえる。胸中を、後悔が支配していた。アストルムなんて始めなければ――いや、それは違う。そう、昨日、用事なんて無視してアストルムへダイブしていれば。おれも現実で目覚めないかもしれないが、よりと離れ離れになることはなかった。きっとアストルムで、彼女の隣に居られたのに。

 よりの身体にすがって、泣き叫びたかった。けれど、涙のひとつも出やしなかった。目の前の現実がおれのキャパシティを超え、ただ、受け入れられずにいた。

 優しく、よりの頭を撫でる。ずっと傍で見ていたいくらい、独占したくなる可愛い寝顔。

 

「キスしたら、起きてくれないかな。それで、いつもみたいに、おはよう、って」

 

 お伽話にも似た、滑稽な願い。誰も居ない部屋で、そんな儚い願いを込めて、よりの頬に口づけをする。眠れる姫君にかけられた呪いは、もちろん解けなかった。

 

「それじゃあ、行ってきます」

 

 もう誰も聞いていない挨拶をして、風宮家を後にする。

 

 通学の電車は、普段より乗客が少ないように思えた。学校までの道のりは、心なしか、人が疎らに感じた。そして通い慣れた教室は、そこに着座しているべき者が居ない机が目立っていた。

 臨時の全校集会が開かれ、朝のニュースで流れていたのと同じような内容の連絡と、この高校でも、昨夜にアストルムをプレイしていて、目覚めない生徒が複数いるとの報告があった。

 かつて起きたらしい、「アストルムにログインしていたプレイヤー全てが、ログアウトできなくなるという事件」、その再演。伝聞でしか知らずにいた事象が、実態をもって、おれの目前に横たわる。

 

 多くの人が、一夜のうちに、大切な存在を奪われた事変。――いつしかそれは、レジェンドオブアストルムを管理・運営する人工知能の名を冠し、『ミネルヴァの懲役』と呼ばれるようになっていた。



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Captivated Princess -2

 「レジェンドオブアストルムにログインしていたプレイヤー全てが、目を覚まさない」。遠く離れた場所で仕事をしている両親に、そんな大事件が起きたこと、よりとあかりがそれに巻き込まれてしまったことを連絡すると、まずおれが無事であることを驚かれた。それから、世界的にも、自分が想像しているより遥かに大きな影響があったようで、「しばらくは家に帰れないかなぁ」などと言っていた。

 

【幼馴染みがアストルムから帰ってこない。ウケる】

 

 眠ったままのよりに口付けをして、学校へ向かう途中。おれは震える指で、その一言だけを電子の海に放流した。

 

 1週間経っても、1ヶ月経っても、状況は全く変わらなかった。テレビでは連日、特番を組んで、『ミネルヴァの懲役』に関する報道をしていた。大抵は、有識者と名乗る見知らぬ誰かが、知った顔をして、レジェンドオブアストルムや、ミネルヴァを生み出したウィズダムをこき下ろすようなものでしかなかった。SNSでは様々な放言が飛び交い、身内が『ミネルヴァの懲役』に巻き込まれたという人に、「こんなゲームをしてるバカなんだから当然の結果」なんてリプライがぶら下がっていたりした。

 アストルムに囚われたプレイヤーを収容する施設が全国にいくつか急造され、よりとあかりは、そのひとつに運び込まれていた。おれは、学校がある日も、ない日も、ひどい天候の日も、毎日そこに足を運んだ。収容施設は、病院のような場所だった。だが、ベッドの上には患者ではなく、昏睡状態のプレイヤーが横たわり、複数の医療機器に繋がれている。よりは、気持ちよく眠っているように見えた。身体からはいくつものケーブルが延び、心拍を表す電子音と、mimiのランプだけが、彼女が生きていることを示す。あかりもまた、同様に眠り続けている。今日も、朝から面会に赴いては、手を握っていた。たとえそうしていても、おれは彼女たちの傍に居ることすらできなかった。

 昼食を取ろうと、施設を出て最寄りの駅に向かう。少し怖くなってしまうほどに、世界は、何一つ不自由なく回っていた。鉄道は時刻表の通りに走っているし、コンビニの品揃えも変わらない。学校は、相変わらず人が少ないだけで。大きく変わったことといえば、mimiを着用することに対する禁止令が出たくらいだ。レジェンドオブアストルムに繋がることはないとはいえ、“起こりうるかもしれない脅威”から、生徒を遠ざけたいのだろう。そういえば友人が、「のぞみん(彼が推している同年代のアイドルらしい)がミネルヴァの懲役に巻き込まれた」なんて嘆いていた。ただ、言ってしまえば、その程度だった。全世界でブームを巻き起こしたVRMMORPGとはいえ、所詮は星の数ほどあるゲームのひとつに過ぎない。「レジェンドオブアストルム」が、現実と見紛うほどのクオリティのバーチャルリアリティーをプレイヤーに体験させるmimiを活用したゲームで、サービスを開始したその日に『ミネルヴァの目覚め』なんて騒動を起こして。それでも、アストルムはただのゲームでしかなく、この国に生きる全ての人が、それをやっていたわけではないのだから。

 

 道端のベンチに腰掛ける。溜息をついて、地面に映る影へ視線を落とす。おれは、大切な人のところに行くための、ありもしない方法を探していた。過去の同様な事件について調べてみたり。毎日mimiを起動しては、アストルムへログインできないかを試してみたり。彼女のことを思い続ければ、夢の中で会えるかもしれないなんて、mimiを着けっぱなしにして眠ってみたり。インターネットで、同じような悩みを持つプレイヤーと、情報交換をしたりもした。結局、全ては徒労だった。どうしたって、おれには何もできることはない。そんなのは分かりきっているのに、諦めたくなかった。何もできない自分が、ただ、悔しかった。

 周囲に人影がなくなるのを待って、ポケットに忍ばせていたmimiを取り出す。電源を入れて、耳に装着する。CNCT@LKには、よりとあかりに送った、既読すら付いていないメッセージが残っていた。大切な人との繋がりを失って、おれの時間は、あの瞬間から止まっていた。アストルムでも、現実でも。心にぽっかりと穴が開いて、何をあてがっても埋められず、何もかもがそこに落ち込んでいく。

 

「……会いたいよ、より」

 

 誰にも届くことのない儚い願いは、虚ろな空に溶けて消えた。

 

――ピロン。

 

 不意に、通知音が鳴る。

 

『メッセージを受信しました』

 

 目の前に浮かぶ文字を見て、自分の目を疑った。通知を発信していたアプリケーションは、レジェンドオブアストルム。プレイヤー間の通信機能は、あの日以来生きていないはずだった。はやる気持ちを抑え、アストルムを開く。表示されたのは、もう見慣れてしまった、ログインができないことを伝えるポップアップ。それを閉じると、続けて表れる、運営サイドからプレイヤーへの連絡があることを示す通知。そこから画面を遷移させていくと、イベントやメンテナンスの案内が並ぶ一番上に、見るからに怪しい、意味不明な英数字が並んでいるものがあった。明らかに不審なメッセージ。そうは思いつつも、実は有用な知らせかもしれないと、その文字の羅列に触れた。

 

1110011110111001100111011110111110111101101010011110011110111001100111011110011010000010101101101100111010011100111001111011100110011101111011111011110110111100111001111011100110011101111001101010011110101101111000111000000110000110111001111011100110100111111011111011110110101000111001111011100110011101111011111011110110110011111001111011100110100111111011111011110110111000111001111011100110100111111011111011110110100111111001111011100110011101111011111011110110101011111001111011100110100111111001011000110010111011111011111011110110001010111001111011100010111010111001101011101010011000111011111011110110010011

 

 瞬間、脳内を埋め尽くす01の濁流。いくつもの画面が、浮かんでは消えていく感覚。心の底から恐怖を覚え、叫びそうになる。思わずmimiを掴み取り、耳から引き剝がしていた。乱暴に握られたmimiは、緑色のランプを点滅させている。どうやら、通信を行っているようだ。しかし、どこと? 何を? アストルムへは、繋がることができないというのに。乱れた呼吸を落ち着かせながら、考える。コンピュータウイルスでも踏んでしまったのだろうか。世間であれだけ悪しきように言われているのだから、こういうことを考える者がいないとも限らない――もしそうだとしたら、悪質極まりない。時間にしておよそ数分。おれはただ、点滅し続けるLEDを、見つめていた。

 

 やがて、右手の中でmimiは静かになった。恐る恐る、再びそれを装着する。もしかしたら、壊れてしまったかもしれないが……右目に映し出されたのは、レジェンドオブアストルムを起動したときに映る画面。そして、さも当然のようにそこにある、“STAND BY”の文字。これが表示されているということは、「ダイブアストルム」と唱えさえすれば、ファンタジックな世界へ飛び込むことができる。意味が分からなかった。アストルムは、ログインもログアウトもできなくなってしまったから、こんな騒動になっているというのに。まさか、『懲役』が終わったのだろうか。とは思ったが、プレイヤーがゲーム内に閉じ込められてしまう深刻な障害が起きたのだから、仮にそうであればサービスをいったん止めるのが当然というものだ。ならば、この状況は一体? 怪しく思う気持ちとは裏腹に、口を突いたのは、もはや呪いにも似た言の葉。

 

「ダイブ――」

 

 少し言いかけて、ここが屋外であることを思い出し、口を閉じた。通常時でさえ眠っているのと同じ状態になるのに、何が起きるか分からない今、屋外でmimiに全てを委ねるのは自殺行為に等しい。……そもそもこんな状態のアストルムへダイブしようと考えること自体が、自殺行為だろうか。

 画面の隅に、「02:32:37」の表示を見つけた。36、35、34……と減っていく右の数字は、00に到達すると、「02:31:59」となり、カウントダウンを繰り返す。意味合いとしては、あと2時間半。状況から察するに、恐らくはアストルムにログイン可能な時間。おれが決断するために設けられた時間だろう。

 おれの答えは、とうに決まっていた。けれど、誰にも言わずにアストルムへ飛び込むのも気が引けて、父親宛に、短いメールを送った。

 

   何でか知らないけど、アストルムにログインできるみたい

   よりのところに行ってきます

 

 その返信は、すぐに届いた。

 

   家の電気のブレーカーは落として、水道とガスの元栓は閉めて行けよ

 

「……何だよそれ。旅行に行くんじゃないのに」

 

 父親からの短い文を見て、急いで立ち上がり、最寄り駅へ向かって駆け出す。家に帰り着くと、言われた通りに、電化製品のコンセントを全て抜き、ガスと水道の元栓を締める。冷蔵庫の中身だけが心配だったが、食べかけの惣菜くらいしか入っていなかった。昼食代わりにそれを腹に収めてから、分電盤のアンペアブレーカーを落として外に出る。そして、玄関の鍵をしっかりと掛けた。がちゃり、という音が、いつにも増して胸に響く。おれの浅薄な予想が当たっていれば、アストルムへダイブして、次に現実世界へ戻ってこれるのがいつかは分からない。もしかしたら、もう戻ってこれないかもしれない。

 よりの隣に居られれば、それでいいと思っていた。大好きな人と一緒の時間を過ごせるのは、何よりも幸せだったから。でも、おれはよりに、ほとんど何もしてあげられていなかった。よりと、今度はちゃんと恋人同士として、ドリームパークに行きたい。そこ以外にも、よりと一緒に行きたい場所が、たくさんある。今までおれが独りで見てきた様々な物事を、共有したい。よりの好きなゲームを、彼女の色んな表情を見ながら、楽しくプレイしたい。もう一度、いや何度でも、よりの本当の温もりを、この腕で抱きしめたい。だから。

 

「よりと一緒に、必ず現実(ここ)に帰ってくる」

 

 決意を口にして、帰るべき場所に背を向けた。

 

 

 アストルムへ飛び込むことは決めた。問題は、ダイブする場所。ちゃんとした布団のある自室から行ってもよいが、アストルムに閉じ込められたプレイヤーの収容が終わって久しい今、自宅からダイブしたなら孤独死まっしぐらだ。では、どこからダイブするか。選択肢など、そうあるはずもなかった。よりとあかりが眠っている施設。そこならば、おれが倒れていても、それなりの処置はしてくれるだろう。

 

 休日の昼間。椿ヶ丘駅は、いつも通り混雑していた。ちょうど到着した電車に乗り込む。電車を乗り継ぎ、2時間ほど前に来た施設へ、再び戻ってきた。その扉は、異世界への入口にも思えた。受付を済ませ、よりとあかりが眠るベッドのもとへ。ただ、今回は彼女たちの見舞いに来たのではない。おれが、彼女たちの所に行くのだ。

 誰も居ないことを確認して、ポケットに忍ばせていたmimiを取り出す。右耳に装着してから、レジェンドオブアストルムを探して、起動する。画面に映るSTAND BYの文字が、おれを誘う。隅にあるタイマーは、残りの猶予が30分足らずであることを示していた。

 息を吐き、心を落ち着かせる。友人にも、学校にも、このことは伝えていなかった。伝えたところで制止を食らうのが目に見えているし、何より、よりを助けたいということに比べたら、些細なことだと思った。

 ベッドに備え付けの椅子に座って、よりの頭を撫でる。それから、頬を撫でて、手を握る。暖かくて、柔らかい。おれの、誰よりも、何よりも大切な人。――今、会いに行くよ。

 

「ダイブ、アストルムッ!」

 

 この世界のすべてに響くような声で、叫んだ。視界が暗転し、身体から力が抜けていく。看護師が部屋に駆け込んでくるのが、薄らと見える。最後におれの世界に残ったのは、よりの寝顔だった。

 

《認証完了。アストルム、起動。起動中は莉ョ逵?迥カ諷九↓縺ェ繧九◆繧√?郢晏干ホ樒ケァ?、霑コ?ー陟?竊鍋クコ?ッ邵コ鬆托スー蜉ア?堤クコ?、邵コ蜿ー?ク荵晢シ?クコ》




“アストルム”を遊ぶたびに思っていた。
まるで、ゲームではないみたいだと。

“アストルム”は、変わっていた。
まるで、ゲームではないみたいに。

次回 第2章「ビタースイートな白昼夢」


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第2章 ビタースイートな白昼夢
Re:Dive to the "Elysium"


 脳髄に染みる冷たい痛みで、意識を取り戻す。見覚えのない天井。都会のそれとは異なる、落ち着く空気の香り。ついさっきまでおれを囲んでいた無機質な壁面は、温かみを感じる木の壁になっている。上体を起こして窓の外を見ると、上手く言語化できないが、“そういう雰囲気”の街並みが広がる。ああ、久しぶりの感覚だ。これが、レジェンドオブアストルムだ。幾度もおれを異世界へと運んだ言の葉は、確かにその道を開いていた。

 寝ていたベッドから抜け出す。服装は、前にログインした時のものから、何も変わっていない。首に提げている、緑色の石のペンダントを手に取る。かつて、よりとおれを、もっと深い関係に進めてくれたきっかけ。これを持っていれば、よりがすぐ近くに居てくれるように感じた。彼女と一緒なら、どんな困難も乗り越えられる。そんな気がしていた。

 

 「アストルム」へ、再び行くことができる。それだけで頭がいっぱいで、ここへ来てしまった。ダイブする瞬間に握っていたよりの手の感触はもうどこにもなく、虚しさが胸に残る。彼女のすぐ傍に行けるのでは、なんて淡い期待を抱いていたが、当然のように、叶わなかった。おれは今、現実のあらゆる物事を放り投げて、仮想空間に身を投じている。「よりと一緒に、必ず現実に帰ってくる」と大見得を切ったものの、その方策のひとつも、おれは知らない。頼りになるのは、このゲームがサービスを開始したその日の、『ミネルヴァの覚醒』。ミネルヴァなるAIは、「ソルの塔の頂上へ到達した者の願いを、全て叶える」と言っていた。そして、少し前に行われた、『願いを受けての大規模なアップデート』。結局、頂上に辿り着いたらしい“プリンセスナイト”たちが何を願ったのかは知らないが、とにかく、その事実は手掛かりとして使えそうだった。

 外に出てて、背伸びをひとつ。それから、開いた掌に意識を集中させる。光の粒が渦を巻き、やがていくつもの球となって、自身の周りを漂う。勢いよく腕を振り上げると、光球の群れは上空へ飛び上がり、音もなく爆ぜた。降り注ぐ光の欠片を浴びながら、考える。さて、ここは何処だろう? 分かってはいたが、この建物は、おれの仮想世界での住処でも、ランドソルに設けたギルドハウスでもなかった。ランドソルは、ソルの塔へ挑むプレイヤーの集まる場所としてだけでなく、このゲームでの中心として栄えていた記憶があるが、おれが今居る場所は、どうもそうではない。人通りも多くなく、日々を過ごしやすい田舎、といった印象だ。よりを助ける方法を突き止めるためにも、まずはランドソルへ向かうことにしよう。大きな都市だから、情報も集約されているはずだ。もしかしたら、そこでよりに会えるかもしれない。

 

 そうして、少し長めの思案から抜けて目を開けると、ぽかん、と口を開けてこちらを見ている子供たちがいた。

 

「すげー……今の、どうやったの!?」

 

 目を輝かせて駆け寄ってくる少年に対し、何と答えたものか迷う。キャラメイクの時に「だいたいこんなイメージ」で設定したもので、おれ自身も、この力の原理を理解しているわけではない。というか、ゲーム内の能力なのだから、ただ便利なものとして使っているだけで、理解しているプレイヤーはきっとひとりも居ない。

 

「えっと、どう、って言われてもな……ここに光を集めるイメージで……」

 

 想定外の事態にしどろもどろになりながらも、なんとか説明をしながら、再び光球を浮かべる。それを見て、少年たちは、口々にはしゃぎ始めた。脳裏に、違和感が走る。こんな幼い子供がレジェンドオブアストルムをやっていることに? 違う。彼らの反応に、だ。自分の想像、あるいは妄想を、粗方その通りに実現できるゲームをプレイするなら、誰だって特別な力を持ちたいもの。魔法というのは最たる例だ。子供向けに創られた作品にだって、魔法で戦うものや、特殊能力を扱える姿に変身するものが、昔からシリーズとして続いている。まして「アストルム」を遊んでいるならば、このくらいの力は見慣れているはず。仮に初プレイから間もなく『ミネルヴァの懲役』に巻き込まれたとしても、1ヶ月――体感時間では、その8倍――は経っているのだ。見たところ、この子は好奇心旺盛だ。ダンジョンにとまでは言わないが、少しの冒険はしていてもおかしくない。なのに、この光に驚いていた。振るわれる力を、初めて目にしたかのように。

 ともあれ、彼らもこのゲームのプレイヤーなら、おれが求める情報を、少しでも持っている可能性はある。

 

「そうだ、君たちに聞きたいことがあるんだけど――」

 

 そんな問いを投げかけた、その瞬間。

 

「魔物だ! 魔物がこっちに向かってくるぞ!!」

 

 悲鳴にも似た叫び声が、それを遮った。直後、何かが、もの凄い速さで、おれの背後を通り過ぎる。続けて、激しい土煙が、轟音と共に辺りを包む。

 子供たちをかばうようにして立ち上がる。やがて煙が晴れると、崩れかけた建物に、獣人(ビースト)族のアバターの少女が倒れていた。猫耳を付けた、魔法少女のような容姿をしていた。傍らには、彼女のものと思われる、本が付いた杖が転がっている。周囲を警戒しつつ、彼女へ駆け寄る。

 

「お、おい、大丈夫か?」

「……」

 

 呼びかけてみるが、返事はない。生きてはいるが、意識を失っているようだ。

 

「お兄さん、その子、ケガしてるよ!」

 

 おれに付いてきた子供のひとりが声を上げた。少女の身体からは血が流れ出ていて、痛々しい傷跡が見て取れる。

 

「参ったな、回復魔法は使えないんだ。というか、この子、どこから……?」

 

 少女が飛んできたと思われる方向に目をやると、いくつかの黒い何かが、こちらへ飛んできている。そのひとつひとつが巨大な岩だと判るまで、時間はかからなかった。

 

「おいおいマジかよ!?」

 

 両手を空へ掲げて、無数の光弾を放つ。狙いなど付けている余裕はなかった。こちらへ真っ直ぐ飛来した巨岩こそ撃ち砕けたが、残りは破壊するには至らず、街のどこかに着弾する音が何度も響く。すぐ近くにも、破片が降り注いだ。子供たちは、恐怖のせいか、うずくまって動けなくなってしまっていた。彼らと、猫耳の少女が、これ以上傷付いていないことを確認して、来たるべき次の一撃に備え、再び光を呼び寄せる。しかし、予想していた追撃は来ず。代わりに、土煙の向こうから、帯剣した軽装の男がこちらへ走ってきた。

 

「無事か!? 君たちも、早く逃げた方がいい。巨大な魔物が、こっちに向かってきてる!」

 

 男はそう言って、おれの手を取ろうとする。

 

「逃げるって言われても、怪我人はいるし、子供たちは動けないし。……というか、魔物、だよな。戦わないんですか?」

「戦う? 馬鹿を言わないでくれ! 俺があんな魔物の相手をするなんて、死にに行くようなものだよ!」

 

 あまりに予想外の返答に、頭がふらついた。おれの知っているアストルムのプレイヤーは、魔物が出たとなれば、我先にと駆けつけて、自分に出来る方法でそれを倒そうとしていた。そうすれば、経験値やドロップしたアイテムなどで、他者より強くなれるのだから。“もう一つの現実”と呼んでもいいような、あまりに自由度が高すぎるゲームゆえ、商業に特化したギルドを組み、財を成したプレイヤーも居たようだが。それでも、魔物を前にして、ただ逃げ出すような者はなかったと、記憶している。

 こんな状況で、誰かが武器などを持って馳せ参じてくれる気もしない。……ならば、おれがやるしかない。幸い、力は問題なく機能しているし、魔物ひとつを倒すくらいなら、きっと容易い。

 

「回復魔法は使える?」

「あぁ、簡単なものだけど」

「それじゃあ、そこで倒れてる女の子の手当てを。傷は多いけど、深くはないみたいだから。あと、この子たちを頼みます」

「わ、分かった。でも、どこに行くんだ?」

「どこって……魔物退治だよ。眩しくなるから、目を瞑るか、できれば何かの陰に」

 

 彼にここで動けない者たちを託し、まだ見ぬ敵の元へ向かう。ゆっくりと歩いてくる一つ目の巨体。大樹のような四つ腕。その手には、小屋ほどはあろうかという岩塊が握られている。男が言っていた情報に、岩などを投げつける攻撃方法。その魔物とは、予想はしていたが、やはりサイクロプスであった。何かの拍子に街を襲うような、その辺にスポーンするモンスターではないが、どうしてこんなところに現れたのだろう。とにかく、サイクロプスのステータスを見ようと、ウインドウを開くために左手を振る。

 

「……あれ?」

 

 二度、三度と試すものの、おれが求めたものは表示されない。それから、今まで気付かずにいたが、体力や魔力の残量など、常に見られて当然のステータスが、ひとつも表示できなかった。いちプレイヤーがこう言うのも変な気はするが、きっと「アストルム」そのものが、おかしくなっていた。そうでなければ、『ミネルヴァの懲役』なんて事象は、起きていない。

 『ミネルヴァの懲役』。ただ「アストルム」にプレイヤーが閉じ込められてしまっただけ――それでも、とんでもない大事件だ――だと思っていた。しかし、もしかしたら、おれの考えうる全てを超越するような「何か」が、起きているのかもしれない。思えば、この短い間に、おかしいと感じる点はいくつもあった。子供たちの反応も、あの男の反応も。ステータスが確認できないこともあるが、もっと根本的な部分に、強烈な違和感が拭えない。――ソルの塔。そう、ソルの塔だ。登りきれたなら願いを叶えられるという、最終目標となるダンジョン。そんなことは、このゲームに触れた者なら誰もが知っている。そして、頂上へ辿り着いた者がいることだって知っている。確か、過去に起きた似たような事件は、1日か2日で解決されたらしいではないか。まさか、全プレイヤーの何もかもが、ロールバックされたわけでもあるまい。あの日、「アストルム」に囚われた者たちの一握りだけでも、ここから出ようという願いを持っていたとして。それなのに何故、この世界の時間でおよそ8ヶ月も経っているにも関わらず、『ミネルヴァの懲役』は続いているのだろうか?

 

「とにかく、まずはコイツをどうにかしないとな」

 

 思考を切り替え、久方ぶりの戦闘へ集中する。雲一つない晴天の、日中。光を集めるには、申し分ない条件だ。右手を掲げて、自らの周りに幾つかの光球を生み出す。それらはくるくると回りながら、次第にその大きさを増してゆく。次第に強くなる見慣れた輝きに、心地よい眩しさを感じる。

 サイクロプスが、岩塊を掴む腕を振りかぶる。そして、凄まじい力をもって、それをおれに向けて投げつけた。先ほどは不覚を取ったが、今度はそうはいかない。左手を銃のような形にして、即座に狙いを定める。ある程度引き付けてから指先に力を込めると、飛び出した一条の光が岩塊に突き刺さり、爆散した。

 顔をじりじりと照らす熱を感じる。天気が良いからか、思っていたよりも早く、光はおれの元へ集まっていた。……そろそろ、頃合いだ。

 

「全力、全開――撃てぇッ!!」

 

 掲げた右手を、勢いよく差し伸ばす。閃光が、弾ける。張り裂けんばかりの光球から放たれる、全てを呑みこむ光の奔流。視界が、真っ白に塗り潰される。

 

 やがて世界に色が戻ると、光が駆け抜けた先は、もう何もなくなっていた。ふーっ、と長めのひと息をついて、後方の子供たちの所へ戻る。

 

「この街に来ていた魔物は、あれだけ?」

 

 猫耳少女の回復を頼んでいた男に聞くと、彼は、恐らくそうだろうと答えた。マップ上の敵シンボルを見る術はないが、もしあの閃光の延長線上に居たなら、まとめて消し飛んでいるはずだ。実際、少しの間は警戒を続けていたが、サイクロプスも、それ以外の魔物も、現れることはなかった。

 

「ありがとう……助かったよ」

 

 男はそう言って、おれの手を握った。彼の手は震えていたが、それは恐怖によるものではなく、感謝の念によるもののように感じられた。

 

「いえ。こちらこそ、ありがとうございます。あの子の手当てをしてくれて。……おれ、回復魔法は使えないので」

「この子は、君の知り合い?」

「え? いや、多分、違うけど……まぁいいじゃないすか。傷付いたプレイヤーは放っておけないですよ」

「プレイヤー……? えっと、とりあえず止血はしたよ。でも、まだ意識が戻らないんだ」

「そのうち目を覚ますでしょう。彼女はおれが預かります。聞きたいこともあるし」

「あ、あぁ……。本当に、ありがとう。何かあったら、いつでも呼んでくれ!」

 

 男は、何度も礼を言いながら、子供たちを連れて去っていった。どうやらこの街の住人のようで、子供たちを家に送り届けつつ、岩が落ちた場所の復旧に行くのだとか。

 

 

「さて、と」

 

 眠っている少女の傍にしゃがみ込み、その身体を抱き上げる。だいたい、よりと同じくらいの重さだった。長い黒髪がさらりと流れて、整った目鼻立ちが露わになる。表情はまだ幼く、よりと変わらないほどの歳に思える。そういえば、おれが寝ていた場所は、この街の宿屋だったようだ。そもそも宿に泊まった記憶はないのだが、いつの間にかチェックインしていたらしい。寝かせるなら、おれが使っていた部屋でいいだろう。中途半端に開いていた宿屋の扉を蹴り開けて、ベッドの上に彼女を横たえてから、瓦礫の山に残された杖を取りに走った。そうしてようやく、近くの椅子に自分も腰掛ける。

 改めて、少女を観察する。猫耳の魔法少女。属性を盛っている。それはともかく。彼女が目覚めたなら、いくつか聞きたいことがある。『ミネルヴァの懲役』、その原因。さっきの男には聞きそびれてしまったが、「アストルム」に幽閉され続けているプレイヤーなら、何か手掛かりを掴んでいるかもしれない。



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Re:Dive to the "Elysium" -2

 よりと、あかりと、多数のプレイヤーが、「アストルム」から戻ってこれなくなった翌日。彼女たちのもとへ向かう糸口を探るため、学校の授業もそっちのけで、かつて発生した同様の事件について調べていた。そんな折、おれが産まれるよりも昔の創作作品で、ゲーム内に多くのプレイヤーが閉じ込められた事件を描いたものがあることを知った。

 世界初のフルダイブVRMMORPGで、サービス開始後にプレイヤーがログアウトできなくなる、まさに『ミネルヴァの懲役』を予言したような物語。ゲーム内で体力が尽きた場合、現実でも死んでしまう、いわゆる「デスゲーム」を描いたその作品は、アニメ化や映画化までされるなど、かなりの人気を集めていたらしい。そのシリーズの始まりとなる話は、ゲームの管理者が全てを仕組んだ黒幕であり、めちゃくちゃに強い主人公がそのゲームのクリア条件を満たし、生存していたプレイヤーが現実世界で目覚めるという結末だった。

 これと似たようなことが起きるのではないか、と危惧していた人は、存外に多くいたらしい。彼らは創作物と現実の区別ができていないと、散々に叩かれていた。そうしてリリースされたmimi、そしてレジェンドオブアストルム。結果として、その予想は当たってしまった。見方によっては、もっとひどい状況で。

 

 

ʚ ɞ‬

 

 

 傍から見れば滑稽に思えるほどに、腕をぶんぶんと振る。現在地の情報――出ない。自分のステータス――さっきも試したがやっぱりだめ。そこで寝ている少女の情報――もちろん出てこない。そういえば、と思い返す。先ほど、サイクロプスを消し飛ばした時、「どのくらいのダメージが与えられたか」が分からなかった。それだけでなく、命中している間は多段ヒットする攻撃を当てたのに、コンボ数の表示すらもなかったのだ。ゲームを成り立たせる情報が、全くと言っていいほどに欠如していた。

 仮想現実を舞台にしたゲームから、ゲームという要素が取り除かれたなら。そんなの、現実みたいなものじゃないか。“力”はおれの思った通りに使えていた。こんな“力”が、現実であるはずはない。よりの手を握りながら、仮想世界へ飛び込んだ記憶は確かだ。けれど「アストルム」は、おれの記憶にあるものから変わっていた。魔物から逃げようとする者。確認できないデータ。怪我は分かるが、流血表現なんてあっただろうか? 指先に感じる感触は、紛れもなく現実のものだった。それはそうだ。ほとんど現実と同じ仮想現実体験が、mimiの売りなのだから。自分の頬を思いっきりつねってみる。痛かった。当たり前だ。この程度の痛覚が遮断されるはずもない。なら、この声は? この喉の渇きは? よりのことを想う、この気持ちは? おかしくなったのは、「アストルム」か、それともおれの方か。ふいに湧き上がった不安を抑え込むように、両手で顔を覆う。

 

「……う、ん」

 

 聞こえてきた声にびくりとして、手を外す。ゆっくりと目を開ける獣人族の少女。彼女は起き上がると周囲を見渡し、それからこちらを見た。

 

「ここは……?」

「あ、よかった。生きてたか」

「……質問に答えなさいよ。ここはどこなの?」

 

 少女の声には怒りが感じられた。どうやら警戒されているらしい。無理もない。目覚めて何故か横にいる男が、わけの分からないことを宣っているのだから。

 

「えっと……宿屋? どこの街かは分からない」

「何よそれ。というか、あんた誰? なんで私をここに連れ込んだの? 変なことをしたらぶっ殺すわよ?」

 

 矢継ぎ早に繰り出される質問と脅迫に、少し圧倒されてしまう。助けたのは偶然だし、おれ自身、どうしてこんな場所にいるのかもよく分かっていないからだ。とりあえず、名前ぐらいは名乗るべきだろう。

 

「おれは、ハルト。君を助けたのは……そうだな。魔物が来たぞ! なんて叫び声が聞こえて、何事かと思ったら、急に君がぶっ飛んできてさ。そしたらサイクロプスが街に近付いてきてて、それを倒して……って感じ。まあまあな怪我してたし、放っとくわけにもいかないだろ」

「サイクロプス? あ、あー、あれねー……倒してくれたんだ。ありがと。――って、あんた今ハルトって言った?」

 

 おれの名前をきいて、彼女の顔色が変わった。魔物を倒したことへの礼もそこそこに、若干喜びを含んだような表情で、ぐい、と顔を近づけてくる。

 

「あ、あぁ、言ったよ」

「緑色の石のペンダントを持ってたりしない?」

「ペンダント? 持ってるけど、これのことかな」

「ちょっと見せて!」

 

 首元に手を入れ、チェーンを引っ張り出す。そこに下がった緑の石を見せると、少女はそれを手に取った。そしてまじまじと見つめると、大きく息をつく。

 

「今度こそ、今度こそは大丈夫よ。だって、あのサイクロプスを倒したんだから。きっと陛下が探してる人に間違いない……!」

 

 そんな独り言を呟く彼女の額には、わずかに汗が浮かんでいた。

 

「へいか?」

「え? あ、えっと……ユースティアナさま。ランドソル王国の、王女様よ。私は陛下の命で、緑色の石のペンダントを持った『ハルト』って人を探してたの」

 

 彼女の「ランドソル王国」という言葉に、引っかかりを感じた。 確かにランドソルは、様々なプレイヤーが集う場所だった。だが、それがひとつの国家にまでなっていた憶えはない。

 閉ざされた世界で、それでも必死に生き伸びようと、そのような統治組織が作られたのだろうか。そう考えれば、その長たる存在が、あり得ないはずのログインを果たした者、つまりおれを探しているというのも納得ができる。その割には、使者が来るのが早すぎる気もするけれど。

 

「……なるほど。その王女様が、おれに会いたいと」

「ええ。ちなみに、断っても無理やり連れていくわよ?」

「ランドソルには行こうと思ってたんだ。正直ここがどこかも分からないし、連れていってくれるなら、断る理由はないよ」

「それじゃあ、決まりね」

 

 少女はにこりと微笑むと、ベッドから立ち上がる。彼女のものであろうを杖を手渡すと、それが折れたりしていないかを確かめていた。

 

「――うん、大丈夫そう。あ、自己紹介がまだだったわね。私はキャル。短い間だと思うけど、よろしく」

「ああ、よろしく。身体の具合はどうなんだ? 凄い勢いで建物にぶつかってたけど」

「そんなに酷くないわ。ちゃんと動くしね。ぎりぎりで防御魔法が間に合ってたみたい」

「そっか。よかった」

 

 そんな話をしていると、不意にキャルの猫耳が震えた。

 

「あんまり無駄話してる時間もなさそうね。ハルト、ここの真ん中あたりを片付けてくれない? 転移魔法を使うのに、少し場所が要るの」

「外でやればいいんじゃないのか?」

「ちょっと事情があって。あんまり人に見せたくないのよ。ほら早く」

 

 急かされるままに、室内に散らかる備品らしきものを脇へどけていく。

 

「こんなもんでいいか?」

「うん、そのくらいで大丈夫ね。それじゃあ、いくわよ!」

 

 部屋の中心で彼女が杖を床に突き立てると、それを中心に魔法陣が広がる。そして、それから発せられた強い光が、おれとキャルを呑み込む。ワープクリスタルを使った時と似た感覚に包まれ、次に気付いた時には、そこはほんの数秒前までいた場所ではなかった。

 

 

 見渡す限りに広がる、頑丈そうな壁。そして内部に通じると思しき、衛兵が脇を固める大きな門。振り返れば、幅は広いが、両側を木々に挟まれた一本道があり、その先もまた、石積の高い壁に囲まれている。見上げると、クリスタルのような何かに覆われた、半球状の構造物が浮いている。

 

「ソルの塔……」

 

 思わず、その名を呟いた。この世界において、あんな見た目の構造物はひとつしか知らない。そして、これが直上に浮かんでいるということは、ここがランドソルの中心に位置する城であることを意味していた。

 

「なによ、知ってんの? ほら行くわよ。陛下を待たせるわけにはいかないもの」

 

 そう言うキャルの後を追い、人ひとりが通れる程度に開かれた門へ入る。似たような一本道が伸びており、その続く先に、巨大な城が鎮座していた。キャルはランドソル王国と言っていたから、今のあれは王宮にでもなるのだろうか。道中で、すれ違う騎士や衛士たちが、彼女に対して頭を下げていく。キャルはそんな彼らに視線を向けようともせず、さも当然のように歩いていた。どうやら彼女は、おれが思っていた以上に高い身分にあるようだ。

 細い道を抜けて、広場を抜けて、この国の中枢へ足を踏み入れる。一切の人気を感じない回廊を進む途中、キャルがこちらを見ずに話しかけてきた。

 

「ねぇあんた、さっき私のこと、変な目で見てなかった?」

「え? 見てないよ。ただ、みんな頭を下げっぱなしだったからさ。すげーな……って」

「私、陛下に仕えてて、一応、爵位は持ってるからね。貴族さまってわけ。あんたも敬いなさいよ」

「それなら、キャルさま、って呼んだ方がいいかな?」

「……なんか落ち着かないわね」

「キャルさん?」

「あーもう、キャルでいいわよ。敬えって言ったのは冗談。所詮この地位も、陛下から与えられた薄っぺらいものだし」

 

 自嘲のような思いを感じる彼女の言葉に、返事が詰まった。

 会話が途切れてしまう前に、アストルムへダイブしてからずっと持ち続けていた疑問を、キャルに投げかける。

 

「じゃあ……キャル。ひとつ聞きたいことがあるんだ。『レジェンドオブアストルム』からプレイヤーがログアウトできなくなって、現実時間でもう1ヶ月が経ってる。憶えていればでいいんだけど、こちら側で、その原因みたいな、おかしなことはあったかな」

「レジェンド……ろぐあうと? 急に変なこと言わないでよね。おかしなことなんて、何も起きていないわ」

 

 彼女の答えは、おれの抱く違和感をさらに強めるだけだった。脳裏を掠める、嫌な予感。まるで、ここがレジェンドオブアストルムというゲームではないような――――。

 そんなやり取りをしているうちに、ひとつの扉の前に辿り着く。

 

「いい? ここは王宮の玉座の間。くれぐれも失礼のないようにね」

 

 キャルにそう言われて、思わず背筋が伸びる。

 

「分かってる」

「じゃあ入るわよ」

 

 ノックをしたキャルは、「失礼します」と一声かけてから、扉に手をかける。そして、中へと入っていった。彼女に続いて入ると、そこは建物の中とは思えない、広すぎる場所だった。玉座を見上げる階段の下で立ち止まる。

 玉座には、一人の女性が腰掛けていた。アバターは、白狐がモチーフらしい、これまで見たことのないものだった。キャルの言っていた、ランドソル王国を統べる存在、王女ユースティアナ。その顔立ちは美しく整っており、凛とした表情からは気品が感じられる。だがそれ以上に、圧倒的な存在感と威圧感に、彩られていた。一瞥されただけで、全てを見透かされているような気さえした。

 

「遅かったわね、キャル」

「す、すいません、陛下。少々手間取ってしまいまして」

「まあいいわ。それで、あなたが“ハルト”ね?」

 

 値踏みするような視線に晒されながら、頭の中で思考を巡らせる。それを遮ったのは、何か硬いものが、かつん、と床を叩いた音だった。

 

「私からの質問はひとつ。それを、知っているかしら?」

 

 おれの足元に、小さな光り輝くものが投げられていた。それを手に取って見ると、おれが首に提げているものと酷似した、緑色の綺麗な石が嵌められたペンダントだった。見覚えがある、なんて一言で済む代物ではなかった。よりとドリームパークへ行き、観覧車の中で、おれの想いと共に、彼女へ贈ったもの。アストルムでも、現実でも、ずっとよりの首元で輝いていたペンダント。それが今、目の前にあった。

 

「……はい、よく知っています」

「そう。なら、話は早いわ。あなたにお願いがあるの」

「その前に、ひとつ聞いてもいいですか」

 

 よりがこの世界にいる証を握りしめ、ユースティアナを見上げる。どうしてこれが、こんなところにあるのか。おれには、どうしても聞かなければならないことがあった。

 

「何かしら?」

「……このペンダントを、持っていた女の子は?」

「ああ、その子なら殺したわよ」

 

 がらんどうの空間に響く、感情を全く含まない一言。思うよりも先に、足が、手が、動いていた。キャルの制止も置き去りにして、幾つもの階段を駆け抜けて、ユースティアナの白磁のような顔に、やり場のない感情と光を纏った拳が届く寸前。途轍もない力に、上から押し潰された。床に叩きつけられて、呼吸が一瞬止まる。全身の力を振り絞って起き上がろうとするが、更なる圧力がおれを縛る。

 

「お手柄よキャル。私が捜していた男に間違いないわ。あとで褒めてあげる」

 

 頭上を滑る声。

 

「私は彼と2人でおしゃべりしたいから、ちょっと外してもらえるかしら?」

「で、ですが陛下、そいつは陛下に――」

「キャル」

「……分かりました」

 

 足音がひとつ、遠ざかっていく。扉を開け閉めする音が聞こえ、やがて無音になった。

 

 おれを床へと押さえつける力が緩んだかと思うと、今度は視界が反転し、吹き飛ばされた。離れていくユースティアナの姿が、スローモーションのように視界に映る。重力に引かれる身体は、階段に二度、三度と打ち付けられる。そうして床を転がって、ようやく停止した。全身に、衝撃と激痛が走る。ゲームでなければ、打ち所次第で死んでいた。

 

「あら、まだ生きてるの。頑丈ね、あなた」

 

 声のした方へ目をやると、ユースティアナが玉座から立ち上がり、こちらへ向かってくるのが見えた。一歩ずつ、確実に。その姿は、まるで死神のようだった。

 

「ず、随分、乱暴なんだな。ランドソルの……王女サマは」

「ひどい言われようね。私はただ、降りかかる火の粉を払っただけだというのに。もっとも、火の粉ですらなかったけれど」

 

 おれの傍で立ち止まった彼女は、おれを見下すように見下ろして、口を開いた。

 

「さて、それじゃあお話しましょうか。()() ()()()()

 

 この世界に来て一度も名乗ったことのないはずの、おれの「現実のフルネーム」を添えて。




プリコネフェス2023は両日とも仕事でした。
対あり。


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The Day

 多賀 晴人。その名前を他人から聞かされたのは、アストルムでは初めてだった。当然だ。多くのプレイヤーがそのまま使っている(と思う)下の名ならともかく、現実のフルネームを名乗る機会は、少なくともこの世界ではないのだから。

 

「……どうして、おれの本名を?」

 

 痛む身体をどうにか起こしながら、ユースティアナへ尋ねる。

 

「現実とのアクセスが切られたはずの『レジェンドオブアストルム』に、無理やりログインを試みた者がいるらしいじゃない? そんな無謀なことをしでかす輩の正体くらい、掴んでおきたかったのよ」

 

 そう言うと、彼女は腰に手を当てて小さく息を吐く。

 

「それで、あなたをここに喚んだ理由だけど。その前に、いい情報をあげる」

 

 そして、おれの顔を見て言った。

 

「私に()()を掴ませた愚かな女の子……よりちゃん、だったかしら。その子は、この世界でちゃんと生きているわ」

 

 思わず目を見開く。衝撃的な言葉だった。よりを殺したと宣った張本人が、同じ口で彼女が生きていると言うのだから。

 おれの反応を楽しむように見つめながら、ユースティアナは続ける。曰く、「レジェンドオブアストルム」は、ある少女が叶えた“願い”によって、狂ってしまった。とある条件――特定のプレイヤーが死ぬこと、らしい――が満たされるたびに、ゲーム内世界そのものがリセットされるようになってしまった。初めて起こされた再構築の際、現実世界との接続が切断され、全プレイヤーのログアウト機能が失われた。それだけでなく、「アストルムの世界こそが現実である」と認識を書き換えられているという。

 よりは世界の再構築によって、「アストルムに生きるヨリという存在」になった。よりに限らず、再構築の瞬間にログインしていたプレイヤーは、それまでの記憶を失い、新たな記憶を植え付けられたうえで、アストルムでの生活を送っているという。幾度も幾度も繰り返されてきた、終わらない夢。

 

「荒唐無稽な話だと思うでしょう? でもね、残念ながらこれは事実」

 

 この世界を現実と思い込んでいるということについては、少し納得できた。アストルムにログインして会ってきた人物は、ユースティアナを除いて、皆「アストルム」に関するゲーム内用語を知らないように思えた。キャルに至っては、“ログアウト”という言葉すら知らなかったのだ。

 それでも、世界がループしているなんて現実離れした事象は、流石に頭が理解を拒んだ。

 

「なんで、それを事実って言い切れるんだ。証明するものなんて、何にもないじゃないか」

「確かに証明は難しいことだけど。私は、実際にその光景を見ているわ。終焉と再生が繰り返される世界を」

「……はっ?」

「このやり取りをするのも、初めてではないのよ? あなたに信じてもらう必要は、ないのだけれど」

 

 くすりと笑うユースティアナに、背筋が凍りつくような感覚を覚える。

 

「どういうことだよ。初めてじゃないって」

 

 おれの言葉を引き取るようにして、ユースティアナは静かに告げた。

 

「あなたは何度も死んでいる。私の手によってね」

 

 絶句するしかなかった。想像した最悪の、それを上回る答えが投げつけられる。自分の顔から血の気が引いていくのを感じる。おれは今、とんでもない話をされているのではないか。

 

「そろそろ本題に入りましょうか。私が求めているのは、あなたのペンダント……偽物ではなくて、あなたの首に掛かっているもの。その石の力よ」

「ペンダント? なら、奪い取ればいいじゃないか。それくらい、今にでも出来るだろ」

「もうやったわ。あなたを殺して、奪って。考え得る限りの方法を試して。でも、全部失敗だった。まあ、トライ&エラーは成功の秘訣って言うじゃない? だから今回は、これまでとは違うことをしようと思ったの」

「……『ここでおれを殺さない』……ってことか」

「察しがいいわね。私が頭を動かすよりも、元々の持ち主にやってもらう方が成功確率は高いはずだし。それに」

 

 ユースティアナは膝をついて、おれの首へと左手を伸ばした。思わず身体を逸らそうとしたが、全身が鋼鉄のように動かない。喉元を掴まれ、ぐっと持ち上げられる。彼女の右手に、禍々しい光が集まる。

 

「あなたを殺すことなんて、いつでもできるのよ」

 

 そう言って不意に首を掴まれていた手が離され、おれはその場に、力なく崩れた。咳き込みながら必死に酸素を取り込むおれを見て、ユースティアナはくすりと笑う。

 

「私はこのループを引き起こす『元凶』を突き止めた。それを倒すために、力が必要なの」

「必要って……。おれは何も知らないんだ。この石だって、たまたま手に入れただけで――」

「そう。あなたは偶然、そのアイテムを手にしただけ。でも、私にとっては不都合だった。あなたがアストルムに飛び込んでくるのを、待たなければいけない程度にはね」

「……まさか、あんたが、おれをアストルムに?」

「私だってこの世界に囚われている一人なのよ。そんなこと、出来るわけがないじゃない。……細かい話はいいわ。とにかく、その力さえあれば、私は『元凶』と戦うことができる。私のために、働きなさい」

 

 彼女はこちらを見下ろして言った。その瞳から感じる、有無を言わせない力。

 

「……分かった」

 

 小さく呟いた。彼女に協力すると言う以外に、生き残る道はないと悟った。仮に刃向かって殺されたとしても、ユースティアナの言葉を真実とするなら、また世界が一巡して、同じやり取りが繰り返されるだけだ。

 

「おれは、何をしたらいい? どうすれば、あんたの言ってた力が手に入るんだ?」

「それはあなたが考えなさい。この世界が終わる前にね」

 

 ユースティアナはそう言うと、立ち上がった。

 

「また会いましょう。今度は、もう少しマシな方法でお話しできたらいいわね」

 

 そう言い残して、おれに背を向ける。

 

「待ってくれ! まだ話は――」

 

 呼び止めようとするが、その姿は光に包まれ、消えてしまった。

 

 

 しばらくの間、呆然としていた。頭の中を整理しようと試みるが、うまくいかない。ユースティアナの目的も、彼女が語った言葉の意味も。

 現実味のない話ばかりだった。世界が何度も繰り返されているなんて、全く意味が分からない。しかも彼女の話によれば、「おれ自身も何度もリセットされている」だなんて。そんなはずはない。だっておれは、ついさっき「アストルム」を再訪したばかりなのだから。唐突に届いた怪しげなメッセージを開いたら、「アストルム」にログインできるようになっていて。それをきっかけに、よりを助けると決心して。それで――それで――――。

 

「どうしておれは、あの場所で目を覚ましたんだ?」

 

 全く思い出せなかった。普段なら、ログアウトをする場所は、自分の家か、ギルドハウス。ダンジョンに挑戦している途中であれば、その近場にある街の宿屋を拠点にすることもある。しかし、おれが寝ていたのは、本当に身に覚えのない場所。そこに至るまで、自分がどこで何をしていたのか、まるで憶えがない。頭を抱えながら、必死に記憶を呼び起こそうとする。しかし、どれだけ思い返しても、何も浮かんでこなかった。

 不可解なことは多い。おれは、ユースティアナの言っていた「アストルムの世界が現実である」という認識の上書きはされていない。よりとあかりのことを筆頭に、現実(アストルムではない、本当の現実)の記憶も残っているのは何故か。ただのアクセサリーだと思っていたこのペンダントが持つ力とは何か。

 

 そして世界がおかしくなってしまった原因らしい、ある少女が叶えた“願い”。ぼかされてこそいたが、その少女とは、過去に起きたログアウト不可能事件の際の、「ソルの塔」の頂上に辿り着いた者のことと考えていい。そういえば不思議なことに、その一件を除いて、ソルの塔を踏破した話を聞いたことがない。ユイ、ヒヨリ、レイ。あの日“プリンセスナイト”と共に戦った彼女たちは、いったい何を願ったのだろう。

 唯一と言っていい収穫は、ソルの塔を登頂する以外にも、『ミネルヴァの懲役』を終わらせられるかもしれない可能性を見出せたこと。世界をループさせている『元凶』。正体こそ不明だが、そいつを倒すことができれば、この悪夢のようなループから、大切な人を助け出せると思った。それを成し遂げ得る力は、おれが握っているらしいじゃないか。ならば、悪夢を断ち切るために、おれにしかできないことがある。

 

 決意を新たに立ち上がり、玉座の間を後にする。外に出ると、キャルの姿はそこにはなく。人の気配すら感じられないほど、静まり返っていた。右を見ても、左を見ても、然程変わらない景色。

 

「出口、どっちだよ?」

 

 途方に暮れて立ち尽くし、ぽつり呟く。地下まで行ってしまったり、別の建物に迷い込んだり。結局、王宮の建物から出るには、相当の時間を要した。

 

 

 重苦しい空気に圧し潰されそうだった王宮を出て、久々に歩くランドソルは、記憶とそう変わらない街並みが続いていた。唯一明確に変化していたのは、よりとあかりと3人で使っていたギルドハウスの場所に、全く別の建物があることだった。おれが存在しない状態で引き起こされたリセット。それによって、そもそもギルドが立ち上げられたという事象が消えてしまったのだと。そう、理解することにした。

 ところで、今の今まで失念していたが、財布の類が見つからず、今のおれは一文無しだ。

 

「腹減ったなぁ……」

 

 情けない声が漏れた。ギルドハウスも、属していたギルドもない。どうにかして金策を講じる必要があった。ランドソルには、誰かしらが発注したクエストを請けられる場所があったはずだ。まだ昼過ぎにもなっていないだろうから、適当な魔物討伐のクエストでもやれば、必要十分な金は用意できる。この状態で満足に戦えるかは別にして。

 

 ランドソルの街を歩く中で、ふと、視界の端に映った店が気になった。店主と思しき赤い髪の女性が、何かを焼いている。見間違いでなければ、薄焼きのクレープだった。ホイップクリームや果物を乗せて器用に巻かれたそれを、女性や子供が次々に買っていく。

 無意識のうちに足を止めて、その光景を眺めていた。――いつか、よりとあかりと3人で出かけた時のことを想起していた。買い物の帰り際に、3人分のクレープを買って。外だというのに、あかりが胸に落ちたクリームを舐めとってほしい、なんて言い出した時は、様々な意味でどきどきさせられたっけ。あの時、よりが慌ててあかりのことを叱って。家ならいいの? なんてあかりが言って――

 

 

「そこの君。クレープ、食べていかない?」

 

 暖かな記憶に浸っていると、行列をさばき終えた女性が、店の中から、おれの方へ声をかけていた。いやいやまさか、と辺りを見回したが、いつしか人の波は引き、おれだけが立っていた。疑いとともに自分で自分を指差すと、女性は、小さく笑う。

 

「……実は、財布を落としたみたいで、お金がないんですよね」

「そうなの!? それは困ったでしょ。お金のことはいいからさ、好きなのを頼んでいいよ」

「いやいや、悪いですって。それに――」

 

 ぐう、と腹が鳴る音がした。恥ずかしさを覚えつつ、おれは誤魔化すように笑った。

 

「…………お言葉に甘えてもいいですか?」

「もちろん! 何がいいかな」

 

 差し出されたメニューを見る。果物やおかず系など、見慣れたフレーバーが並ぶ中で、隅に小さく書かれた、ひと際異彩を放つものがあった。

 

「……『納豆生クリーム』……!?」

「お、よく見つけたね。まだ正式採用じゃなくて、お試しでメニューに載せてるものなんだけど。よかったらどう?」

 

 納豆と生クリーム。とてもではないが、マッチするとは思えない組み合わせ。しかし、怖いもの見たさというか、好奇心というか。こんな機会でなければ絶対に頼まないと思い、それを選んでしまった。

 程なくして出来上がった商品を受け取ると、見た目は和風テイストのクレープだった。トッピングされていたのは、納豆とは言っても甘納豆。緑色のキューブ状のものは、抹茶をまぶした菓子だろうか。正直、安心した。『納豆生クリーム』と聞けば、想像するのは当然あのネバネバ。あれがホイップクリームと一緒に巻かれているのではと、少し不安になっていた。

 思っていたよりもちゃんとしたクレープであることに拍子抜けしつつ、一口。

 

「どうかな?」

「最初に聞いたときはどうかと思いましたけど……普通に美味しいです」

 

 飛びぬけて美味しいと言うほどではないが、決して不味くはなく。『納豆生クリーム』というワードが衝撃的ではあるが、甘納豆を使ったクレープであるなら、そこまで奇抜でもないのかもしれない。あっという間に完食してしまったおれを見て、彼女は嬉しそうに微笑んだ。

 腹が満たされ、改めてこれからのことを考える余裕ができた。まず優先すべきは、当面の生活費と宿の確保。これは報酬のよいクエストを受注できればOK。ペンダントに封じられているという力がなくても、これまでと同じくらいの力を行使できるのであれば、その辺のボス級の魔物なら負けることはない。そして、よりとあかりに会うこと。彼女たちとの合流が叶えば、きっとまた、楽しい日々を過ごすことができるはず。ユースティアナの言っていた力のことは全く見当もつかないが、時間をかけて調べれば、いつかは見つかるだろう。

 そうやって考えをまとめていると、店主が話しかけてきた。

 

「さて、お代はいらないと言った手前申し訳ないんだけど、クレープ1個分くらいは働いてもらおうかな。ちょっとこっちに来てくれる?」

 

 そう言って、手招きをして奥へと消えていく。さすがにただ飯をご馳走になっただけでは気が引けるため、言われた通りについていくことにした。姿を追って店の裏側へ行くと、そこには小さな倉庫があった。彼女を追いかけて中へ入る。直後、扉と鍵の閉まる音。突然のことに、一瞬思考が止まる。そんなおれを嘲笑うように、足元には巨大な穴が口を開いていた。

 

 ――あ、終わった。

 

 そんな後悔すら間に合わず、おれをここへ招いた女性と共に、その穴の中へと落下した。

 正確には、「落下したという錯覚をしていた」。穴の内部は、サイバーなイメージとしてよく使われそうな、淡い青色の光が縦横無尽に走っている。それが下から上へ幾つも飛び去っていくものだから、星空を飛んでいるようだった。

 隣にいるはずの、おれをこんな所へ連行した女性に視線を振り、あれ、と思った。服装が、全く変わっていたのだ。店に立っていた時は普通の服にエプロンをしていたのだが、今の恰好は、言い表すのが難しいが、ゲームのキャラクターらしさがあった。赤一色でまとめられたコーディネート。上着――コート、と呼ぶには派手すぎる――の大きい襟の所為で、ホログラムに映されたコンソールを操作する、彼女の表情は窺えない。

 

「ごめんね。君を連れ出すには、こうするしかなかったんだ」

 

 彼女はこちらを見ずに言う。

 

「えっと……どういうことですか。というか、何なんですかこれは」

「今はアタシを信じてほしい。あとでちゃんと説明するから」

 

 真剣な声色に、それ以上の追及ができなくなった。それからしばらく、無言の時間が続いた。彼女はコンソールを操作し続け、おれはただそれを眺めていた。時折ブザーのような音が鳴り、飛び交う光の色や配列が変わる。その光に触れようとしたら、「指が無くなるからやめた方がいいよー」と言われた。

 一体何なんだこの状況は。誰かも分からない女性に、訳も分からないまま、ただ信じてほしい、だなんて。しかし、ここで騒いだところで状況は何も変わらない。それならいっそ、大人しくしていた方が賢明だと思えた。ユースティアナの前に居た時に比べれば、多少は安心できた。

 

 どれくらい時間が経ったのか分からなくなった頃、ようやく彼女が手を止めた。同時に、周囲の景色が変わり始める。電子回路のような空間は薄れていき、やがて見慣れない部屋へと変貌した。

 どこかの建物の内部のようだが、窓がないせいで外の様子は伺い知れない。ギルドハウスにしては、生活感がなさすぎる。感覚としてはホテルに近い。位置情報は――ああ、出ないんだった。困惑していたおれに、彼女は言った。

 

「ここは【ラビリンス】のギルドハウス。真那にこれの場所を突き止められたくなくってね。ちょっと遠回りしたんだ」

「ラビリンス? マナ……?」

「ああ、ごめんごめん。えっと、どこから話したものかな」

 

 彼女はそこで一度言葉を区切ると、部屋の隅にあった椅子を持ってきて、おれに座るように促した。

 

「君には、伝えなきゃいけないこと、お願いしたいことがある。突拍子もないこともあるかもしれないけど、どうか落ち着いて聞いてほしい」

 

 そう前置きすると、ゆっくりと語り始めた。

 

「アタシは模索路 晶。この世界(アストルム)では、ラビリスタ、って名乗ってる。ハルト――いや、多賀 晴人くん。君をレジェンドオブアストルムへ招いたのは、アタシだ」

 

 そしていきなり投げつけられた、あまりに突拍子もなさすぎる言葉に、脳が一瞬フリーズした。



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The Day -2

 模索路 晶。いくらエンタメに疎いおれでも、その名は知っていた。“迷宮女王(クイーンラビリンス)”とも呼ばれている、人工知能ミネルヴァを開発した国際組織「ウィズダム」の主導者たる七冠(セブンクラウンズ)の1人(他の6人は、仰々しい通り名しか知らない)。そんな人物が、目の前にいて、しかも自らおれをアストルムに招いたと言っている。

 

「君のmimiに届いた、0と1がたっくさん並んだメールを憶えてるかな。あれは、現実と切り離されてしまったアストルムへ、外側からアクセスをするプログラム……の、試作品。そして、それを送ったのが、アタシだよ。まあ、その前にいろいろあったんだけど――」

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 

 思わず、彼女の話を遮る。

 

「アストルムに、外側からアクセスできるプログラム? どうして、そんなものを、おれにくれたんですか? というか、なんでおれの名前を知ってるんですか? アストルムでは、本名を出したことなんてないのに」

「……うん、そうだよね。疑問だらけだと思う。だからまずは、順を追って話すよ」

 

 そう言って、ラビリスタは静かに話し出した。

 

「君の名前については、mimiに登録されている情報を見たんだ。本来、個人情報保護の観点からそういうことは控えてるんだけど……緊急事態だったんだ。許してほしい」

「緊急事態……『ミネルヴァの懲役』のことですよね」

「うん。そして、アタシが君をアストルムへ呼んだ理由。それは、君が『永遠の蜃気楼』と呼ばれていたダンジョンで、そのアイテムを手に入れたからだよ」

 

 ラビリスタは、おれの首に提げられたペンダントを指す。

 

「知っているか分からないけど、そのペンダントは、実は特別な力のキーなんだ。『ミネルヴァの懲役』を終わらせられるかもしれない、ね」

「力……ああ、あの王女……ユースティアナが言ってました。この石には、封じられている力がある、と。あの、詳しく教えてもらえませんか。この石に、『ミネルヴァの懲役』を終わらせられる力があるって――」

「……ごめん。それはまだ、言えない。訳あって、今は使おうにも使えないものなんだ。ただ、いずれ必ず使えるようになる。その力が、必要になる時が来る。会ったばかりのアタシを信じてくれ、なんて言っても難しいかもしれないけど。ペンダントは、誰にも渡さず、大切に持っていてほしい」

「……分かりました。それで、おれはこれから何をすればいいんですか? この力が使えるように……何かできることはありますか? おれには、こんな牢獄みたいなアストルムから、助けたい人がいるんです。大切な人が――」

「そうだよね。でも、焦っちゃダメだ。急ぐ気持ちは分かるけど、慎重に行動しないといけない。今のアストルムは、無理やりなリセットを繰り返して、少しずつ不安定になってる。下手に動くと、最悪、今アストルムにログインしているプレイヤー全員がロスト。現実の側でも、永遠に目覚めなくなる可能性がある」

 

 彼女の声色には、すべてを見通したような響きがあった。気圧されて、何も言い返せなかった。

 一縷の望みと共に飛び込んだアストルム。ダイブして、よりとあかりを見つけて、現実へ帰る(ログアウト)。他の数多のプレイヤーはともかく、おれの目的はこれにて完了。そのつもりだった。多少の障害こそあれど、ログインができたのだから、簡単に事が運ぶだろうと考えていた。

 ところが“現実”は、おれの知っているどんな創作物よりも、はるかに現実離れしていた。よりがくれたペンダントに、よく分からない力があると言われて。世界は数え切れない終焉と開闢(リセット)を繰り返していて。「お前は何度も死んでいる」なんてタイムリープモノでしか聞かないような台詞を、面と向かって叩きつけられて。もう何が何やら分からなくなっていた。それでも、どうにかして、おれの大切な人たちを助けなければという想いだけは、胸の内で燦然と輝いていた。

 

 少しの間、沈黙が流れる。ふぅ、と一息つくと、ラビリスタはまた口を開いた。

 

「そういえば、真那に会ったんだよね。何か言ってた?」

 

 唐突な質問だった。

 

「マナ?」

「あ、ごめん。いつもこの名前で呼んでたから。『覇瞳皇帝(カイザーインサイト)』って言えば分かるかな? 今は“ユースティアナ”なんて名乗ってるみたいだけど」

「ユースティアナ……え、ランドソルの王女って、『七冠』だったんですか!?」

「今は、ね。で、何を言われたかな。憶えてることだけでいいんだ」

 

 ラビリスタは、真剣な表情でそう言った。なぜ彼女がそこまで気にするのか、おれには見当もつかなかった。ただ記憶を辿りながら、断片的に言葉を紡いだ。よりがアストルムの中で殺されたこと。この世界の再構築。ゲームの世界を“現実”であると思い込まされていること。繰り返されるループ。その元凶と呼べる存在。ユースティアナ――『覇瞳皇帝』がペンダントの力を欲していること。ループの中であらゆる手段を経て、初めて、おれを殺さない選択をしたこと。「あなたを殺すことなんて、いつでもできるのよ」そんな自身の力の誇示。

 口にするだけでも、怒りや悲しみ、疑問、その他感情が綯い交ぜになって湧いてくる。

 

「なるほどねぇ。……いやぁ、ギリギリ間に合った、って感じかな」

 

 ラビリスタは目を瞑り、腕組みをしながら言う。

 

「君をアストルムに送った後、アタシもすぐこっちに来るつもりだったんだ。でも、現実でやらなきゃいけないことが山盛りで……ね。思っていた以上にループが起きていたみたいだけど、真那がその石の力を解析できずに、君を殺さないという択を選んでくれたのはよかった。おかげで、ようやくアタシが干渉できる猶予ができた」

 

 そう言うと、彼女は椅子から立ち上がった。

 

「ペンダントの力が使えるようになるまで、真那は君に手を出さないだろう。だから、しばらくはこのアストルムを楽しんでほしい。そして、力を得た時、使うべき時が来たなら――その時は迷わず、君のために使ってほしい。いいかな」

「……分かりました」

「ありがとう。じゃあ、今日はここまでにしておこうか。詳しい話はまた今度にしよう」

 

 ラビリスタの手元にコンソールが出現し、何かを操作し始める。それを見ていて、ふと、疑問が浮かんだ。

 

「あの、1つだけいいですか」

「何だい?」

「変な質問かもしれませんけど……おれと、こういう話をしたのは、初めてではないんじゃないですか? 世界が、何度もループしてるのだとしたら」

「君と直接話をするのは、これが初めてだよ。さっき君から聞いたように、今まで真那は、君を城から出したことはなかったからね」

「あ……そう、でしたね。おれは、覇瞳皇帝に――」

「そして。このタイミングで君が生きているのも、これが初めてだ。つまり、ここからは誰も知らない未来。アタシはね、その可能性を信じてみたいんだ」

「ラビリスタさん……」

「それじゃあ、外まで送るよ。――またね」

 

 ラビリスタはコンソールを叩き、指を鳴らす。おれの周りが光に包まれ、眩しさに、思わず目を強く瞑る。それが収まると、おれは、見憶えのある街中に独り、立っていた。僅かに満たされた空腹感だけが、先の邂逅を示している。

 

 見上げれば、ランドソルの象徴とも言うべきソルの塔が浮かぶ。頂上まで辿り着いたなら、どんな願いでも叶えられる――と、云われていた、エンドコンテンツ。

 

「おれの、願いは」

 

 小さな呟きは、虚空へ溶けて消えた。

 

 

ʚ ɞ‬

 

 

「全力全開! 消し飛べッ!!」

 

 右手を真っ直ぐ異形へと差し伸べ、叫ぶ。世界を純白に染め上げる、もはや見慣れた光の奔流。それを真正面から受け止めた巨大な魔物の身体は、身に着けていた宝物の一部を残し、まるで最初から存在しなかったかのように、消え失せた。

 ここが「レジェンドオブアストルムである」事実は変わらないのか、元々の力は問題なく機能していることを確認できた。今日請けた案件はそれなりに危険度が高いものだったらしいが、それでも「レジェンドオブアストルム」に実装されていたものに過ぎない。おれにとっては、適度なスリル感を覚える、心地よい戦いだった。ただ、隣によりがいないことだけが残念だった。いつも通りクリアして、帰路に就く。

 

 アストルムへダイブしてから、体感で4日。おれは日銭を魔物討伐のクエストで稼ぎながら、いわゆるホテル暮らしを満喫していた。

 ランドソルという国では、一定年齢以上の国民全員にギルドへの加入が義務付けられているらしい。何でも、どこのギルドに所属しているかという情報が一種の身分証明になっているのだとか。最初にギルド管理協会なる場所へクエストを請けに行った際、緑髪の眼鏡を掛けた職員にそんなことを言われた。ギルドの結成は任意だったはずだが、これもまた、世界のリセットによるものだと解釈。

 その上で、また一難。「ギルドマスターを務めていたギルドが消滅してました」などと言ったところで、到底信じてもらえる話ではないのは自明。さてどうしようかと悩んでいたところ、それが見慣れないシステムに困惑していたように見えたらしく、「もしかして、ランドソルの外から来られた旅の方ですか?」と問われた。光明。この世界の外から飛び込んできたおれは、そう捉えることもできるだろう。せっかくなので、その勘違いを肯定することにした。すると彼女は手早く手続きを進め、生活を送るにあたり必要な仮の証明書を作ってくれた。ありがたく頂戴し、今に至る。

 受注するクエストは、主に緊急性の高い魔物討伐依頼。多めの報酬が提示されていることもあるが、久々にダイブしたアストルムで、自らの力を振るいたいという欲求が理由の中心にあった。こうして光を放ち続けていれば、よりが気付いてくれるかもしれない。そんな淡い希望も共に。

 

 依頼の完遂を報告し、聞いていたよりも多い報酬を受け取る。向こう1ヶ月の宿代には十分すぎる額だ。その足で、王都内の商業地区へと向かう。

 噴水のある広場に置かれたベンチに腰掛け、目を瞑る。すれ違った人々は、現実そのものであるように、生活を営んでいるように見えた。老若男女、この一人ひとりが皆、レジェンドオブアストルムに囚われているプレイヤーなのだろうか。いや、流石にあの腰が曲がった爺さんは違う気もするけれど。おれだけが違う世界に居るような、不思議な気分。

 そんな物思いに耽っていると、背後から、不意に何者かが抱きついてきた。

 

「だーれだっ?」

 

 耳をくすぐる声。甘い香り。背中に感じる柔らかな感触。驚き目を開けるも、視界は闇に閉ざされたまま。どうやら、手でおれの目を塞がれているようだ。

 見えずとも、誰かは分かる。違えるはずもない。胸が高鳴る。こんなにも早く、会えるなんて。

 

「……あかり、だよな?」

「せーかい! 久しぶり、お兄ちゃん」

 

 視界が開け、声の主が後ろから姿を現す。すみれ色の、へそ出しスタイルの衣装を着た、魔族の少女がそこに居た。

 

「あ、アカリ! ちょっと、人違いだったらどうするのよ!?」

 

 そして遠くから聞こえた、慌てたような声。この声もよく知っていた。現実でも、かつての「アストルム」でも、毎日のように耳にして。ずっと傍で聞いていたいと、もう一度聞かせてほしいと祈ったほどに。

 振り返り、声の方へ視線を向ける。あかりと瓜二つの――けれど、全然違う――少女が立っていた。ああ、全く変わっていない。桃花色の、見慣れた服。「あかりのアバターを真似してみたんだけど、どうかな」なんて言っていた、銀白色の髪。

 

「より……」

 

 ずっと求め続けた者の名が、思わず口から零れ出た。どれだけ会いたいと、願っただろう。どれだけ、焦がれただろう。その声が、確かによりのものだと分かる。よりがそこに居ると教えてくれる。心の中で欠けていた何かが、満たされていく。

 思わず抱きしめたくなって、立ち上がる。直後、伸ばしかけた手が止まる。覇瞳皇帝が言っていた。世界のリセット。レジェンドオブアストルムの世界こそが現実であるという、記憶の改竄。「今、彼女たちとはどういう関係なのか」を、おれは知らない。

 アカリが不思議そうにおれを見上げる。ヨリはおれを見て、何かを言おうとして口を噤み。ぎゅっと手を握り、こちらを真っ直ぐ見据えて叫ぶ。

 

「どこに行ってたのよ、バカっ!!」

 

 その目には、微かに涙が浮かんでいた。



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Diabolos

 どこに行っていた、とはどういうことなのか。そう問い掛けるよりも早く、ヨリは駆け寄ってきて――

 とん、と軽い衝撃を感じる。握られた彼女の手が、おれの胸を叩いた。

 

「急にいなくなって、連絡もくれないで……心配、してたんだからっ……!」

 

 少し震えた声。その声色だけで、彼女がどれほど辛い思いをしているのかが分かった。そして、彼女たちとの関係が、少なくとも親しいものであることも。

 再構築によって植え付けられた、「おれが不在であることのもっともらしい理由」。それがきっと、おれが何処かへ行ってしまったというものなのだろう。与えられた偽りの記憶の中でさえ、おれのことを心配していてくれた。都合の良すぎる解釈かもしれないが、世界が断絶されたとしても、よりとの絆は失われていなかった。それだけでも、嬉しかった。しかし同時に、罪悪感のようなものも感じていた。これだけ心配をされていたというのに、その経緯を何も知らないのだから。記憶喪失、とすることも脳裏を掠めたのだが、もう彼女に余計な負担を掛けたくはない。

 

「……ごめん」

 

 考えた末に、上辺を繕うだけの謝罪を口にするしかなかった。それを聞いた彼女は、顔を上げてこちらを見つめる。その表情には不安の色が見えて、申し訳なさが募った。

 すると突然、ヨリは再びおれの胸に手を当ててきた。先程よりも強く、まるで何かを訴えるように。……ああ、そういうことなのか。優しく抱き締めると、彼女の手が背中へと回される。それを感じて、彼女を抱く腕に少しだけ力が入った。この温もりを、離さないために。

 

「もう、いなくなったりしないよね?」

「…………」

 

 ヨリの問いかけに対してすぐに答えられなかったのは、この幸せは長く続かないだろうという、確証にも近い予感があったから。おれには、大切な人(風宮より)をレジェンドオブアストルムから取り戻すという目的がある。たとえこのアストルムで、彼女と一緒に居られるとしても――それは、本当に望んでいることではない。そして、おれの持つペンダントに封じられた力が、本当に『ミネルヴァの懲役』を終わらせられるなら。いつか必ず、離れてしまう日が来る。

 

 それでも。

 

「……うん」

 

 それでも、ここにヨリが在るのなら、おれは傍に居たかった。

 ヨリと目が合う。澄んだ瞳の中に、逆さまに映ったおれの姿が見える。そのまましばらく見つめ合っていると、彼女の頬がぽん、と真っ赤になる。

 

「あ、その、えっと――わああ!」

 

 恥ずかしくなったのか、急に大声を上げるヨリ。それと同時に、背中にあった腕が解かれ、突き飛ばされる。不意ではあったが、力は強くなく、2、3歩よろめくだけで済んだ。

 俯いた彼女は、くるりと踵を返してしまう。

 

「は、早く帰るわよ! アンタを捕まえるために、わざわざここまで来たんだからっ」

 

 照れ隠しのように、ヨリはそう言って歩き出す。

 その後ろ姿を見ながら考える。帰る? どこに? 世界が繰り返された果てに、かつて組んでいたギルドも、ギルドハウスさえも、痕跡すらないというのに。

 戸惑っていると、後ろからアカリがおれの腕に抱き着いてきた。どれだけ世界がやり直されても、あかりの“そういうところ”は変わらない。

 

「ほらほら、行きましょうお兄ちゃん! アカリたちのお城に♪」

「城?」

 

 思わず聞き返すと、アカリは頷く。

 

「お兄ちゃんが行方不明になってから、アカリ達、ギルドを組んだんです。ちゃんとした申請はしてないですけど……おとぎ話にもなってる、この世界のどこかに封印された魔族の王、“伝説の吸血鬼”に、願いを叶えてもらうために」

「えっ」

「お姉ちゃんの願い事は、叶っちゃったんですけどね。アカリは何をお願いしようかなぁ」

「ヨリの願い事……それって――というか、その願いと城ってのに、何の関係が?」

「あっ、ごめんねお兄ちゃん。えっと、“伝説の吸血鬼”は本当にいて……イリヤさん、っていってね。色々あって、イリヤさんが封印されていたお城を拠点にしていいって言ってくれたんです」

 

 その話を聞いて、なるほど、とはならなかった。当惑していると、すぐ近くからヨリの声。

 

「それで、アンタを見つけたから報告に戻るの。シノブさんに占ってもらったから、そのお礼もしないといけないし。ほら、アカリも行くわよ!」

「あっ、待ってよぉお姉ちゃん!」

 

 アカリに引っ張られるようにして、ヨリの後を追う。経緯は不明だが、ヨリが“伝説の吸血鬼”とやらに託した願い。それはきっと、行方不明となっていたこの世界のおれ――ややこしいが、つまりはおれ自身だ――と再会すること。そのために、彼女はずっと走り続けていた。おとぎ話のような、現実離れしたものにも縋って。度重なる世界のリセットが同じ演目の繰り返しならば、『ミネルヴァの懲役』が起きた時から、ずっと。ふたりの背中を眺めていると、自然と涙が零れた。視界が滲んでいく。彼女たちに気付かれないように、袖で拭った。

 首元のペンダントが揺れる。たとえこの世界がまやかしでも――全てが終わるその時まで、ふたりと共に時を刻みたい。そんな想いを抱きながら、おれはゆっくり歩を進めた。

 

「ヨリ」

「なに?」

「おれのこと、探してくれてありがとう。……それから、ごめん」

「別に、謝ってほしいわけじゃないんだけど」

「分かってる。でも、どうしても言いたかったんだ。……こんなおれのことを、心配してくれたことも含めてさ」

「……そんなこと言われたら、怒れないじゃない。ばか」

「……」

「ひとつだけ約束して。私も、アカリのことも、置いていかないって」

「……分かった」

「約束だからね。嘘ついたら……ライトニングジャベリン1000本なんだから」 

 

 そう、約束。君たちを、絶対にこのアストルムから必ず救い出す。みんなで、「現実」に帰るんだ。

 

ʚ ɞ

 

 ヨリとアカリに連れられ、歩き続けて数刻ほど。ランドソルから離れた、鬱蒼とした森の奥深くに、それはあった。遥か昔(という設定)に造られたのであろう、洋風の巨大な城。汚れた壁や崩れた尖塔が、不気味さを際立たせている。人が好んで立ち入りそうな立地ではなく、「伝説の吸血鬼が根城としている」なんて話も信じられそうだ。

 中に入ると、埃っぽく薄暗い空間が広がっていた。長い間使われていないらしく、床には絨毯が敷かれているがところどころ破れており、壁には蜘蛛の巣が窺える。それだけではない。暗闇に紛れてこそいるが、高い天井の隙間に、小さな魔物が犇めいていた。襲ってこない限り手出しするつもりはなくとも、この空間も相俟って気味が悪い。

 

「な、なあ、ヨリ。ほんとにこんなとこに住んでるのか? ギルドの拠点って言ってけど」

「え? いつもは家にいるわよ。ここに来るのは、イリヤさんに呼ばれたときくらいなの」

「あ、そうなんだ」

「普段使ってるところ以外は、どこに何があるか覚えてないし。でも、私たちがいつ泊まってもいいようにって、ベッドは置いてくれていたわ」

 

 確かに、これだけ広い城なのだ。普段使いするよりも、たまに集まるくらいの方がちょうど良いのかもしれない。正直、ここに住みたくはないと思う。吸血鬼にとっては、居心地がいいのかもしれないけれど。

 城の廊下を進み、突き当りの扉を開く。そこには、これまた大きな広間があった。室内は明かりが灯されており、中央にあるテーブルを囲むようにして、いくつか椅子が置かれている。その1つに腰かけている少女がひとり。彼女はおれたちの姿を認めると、ゆっくり口を開いた。

 

「おかえりなさい。ヨリさん、アカリさん」

「ただいま戻りました、シノブさん」

 

 シノブと呼ばれたその少女は、紫苑のようなショートヘアに、茜色の瞳。ゴシックドレスと呼べばよいのか、そのような服装に身を包んでいる。手元には、怪しげに光を放つ髑髏。年齢はおれと同じくらいだろうか。部屋が暗いこともあり、ヨリやアカリと比べると、大人びた雰囲気を感じる。

 ヨリとアカリは、シノブに軽く会釈すると、おれの方へ向き直った。

 シノブが、微笑みを浮かべたまま言葉を続ける。

 

「会えたのですね。ずっと探していた方に」

 

 その一言に、思わず息を飲む。ヨリは、シノブの言葉にこくりと小さくうなずいた。

 シノブは目を細めると、再び視線をこちらに向ける。

 

「あなたがハルトさんですね。初めまして。私は占い師のシノブと申します。以後、お見知りおきを」

「ど、どうも」

「そんなに畏まらないでください。私のことは、気軽に『シノブ』とお呼びいただいて構いませんから」

「分かりまし――いや、分かった。よろしく、シノブ」

「はい。よろしくお願いしますね」

 

 シノブとそんなやり取りをしていると、不意に彼女の持つ髑髏から焔が噴き出す。それはふわりと浮き上がり、おれの周りをくるくると飛んで――

 

「おうおう、黙って聞いてりゃあ随分と馴れ馴れしいじゃねえか、小僧!」

 

 いきなり、いい声で怒鳴りつけられた。

 

「コイツが本当にあのネーチャンを復活させる力を持ってんのか? オレにはとてもそうは思えねえが」

「お父さん」

「だいたい何でオレが男の居場所なんて占わなきゃいけねえんだよ! これで何もなかったら――」

「お父さん、少し静かにして」

 

 突如、すぐ近くで、何かを砕いたような轟音がして、土煙が上がる。見れば、いつの間にかシノブは巨大な鎌のような得物を持ち、それを飛び回る髑髏の近くに叩きつけていた。「ひっ」という小さな声を上げた髑髏は、ふよふよと彼女の元へ帰っていく。

 

「ど、髑髏が飛んで喋った!?」

「お騒がせして申し訳ありません。この髑髏には、私の父の魂が宿っておりまして」

「お、おう……?」

「ちょっと気難しい性格ですが、悪い人ではありませんので、どうかご安心ください」

 

 床にめりこんだ鎌を手に、微笑むシノブ。父と呼ばれた髑髏は、ぶつくさ文句を言いながらも、大人しくしている。その様子に呆気に取られていると、彼女は再び口を開いた。

 

「ハルトさん。順番が前後してしまいましたが、あなたにお願いがあるのです」

「お願い」

「はい。私たち闇の眷属の王、“伝説の吸血鬼”の完全なる復活に、手を貸していただきたく」

 

 そして、彼女から飛び出した発言に言葉を失った。そんなおれの様子を見て、シノブは再び言葉を紡ぐ。

 

「私たち『ディアボロス』は、“伝説の吸血鬼”の復活を目的のひとつとしています。我らの野望のために」

「野望って……でも、なんでおれが」

「あなたを探すにあたり、見つけた場合の交換条件としていたのです。――もしかして、聞いていないのですか?」

 

 ヨリ達の方を見ると、お兄ちゃんに会えたのが嬉しくて頭から抜けちゃってた、とアカリが小さく言う。

 吸血鬼の復活。古くより様々な創作で語られるものであるが、ゲームの中とはいえ、動揺してしまう。そもそもこういった存在の復活には、いわゆる代償が付き物だ。手を貸してほしい、なんてシノブは言っていたが、要するに殺されるのと同義ではないか。

 おれの思考を読んだかのように、シノブは頭を下げる。

 

「言い方がよくありませんでしたね。あなたの命を奪うつもりはありません。あなたの力について、ヨリさんから簡単にですが伺っています。『魔法』とは性質の異なる、不思議な“光”。その特別とも呼べる力が、復活の鍵となるのではないかと考えているのです」

「……」

「私たちとしても、ヒューマン族であるあなたに協力を仰ぐことに抵抗があるのは事実です。それでも、可能性が少しでもあるのなら。私たちはそれに賭けたいと思っています」

 

 シノブの言葉を聞きながら、考える。

 断ることができない上で、迷っていた。伝説の吸血鬼なるものを復活させることが、果たして正しいことなのか。仮にそれが復活し、彼女たちの目的が達成されるのだとして、その後の世界はどうなるのか。おれの力が光に関するものであることを知って、それを求めているというのも謎だった。吸血鬼という存在は、往々にして光を嫌うものではなかっただろうか。

 それはそれとして、少しの高揚を感じていた。自分の命に危険がないならば、おとぎ話として、わざわざ設定を盛り込めるほどの強大な存在が、どんなものか見てみたい気持ちもあった。もしかしたら、おれの持つペンダントについて、何かしら情報を持っているかもしれない。

 小さく息を吐き、シノブに向き直る。

 

「おれでよければ、力を貸すよ。何ができるかは分からないけど」

 

 その言葉を聞いて、シノブはほっとしたように微笑んだ。

 

 直後、何処からともなく、この部屋に居る誰のものでもない女性の声が響く。

 

 

――よくぞ言った、この世の理から外れし光を持つ者よ。特別に、わらわに謁見することを許そう。

 

「今のは……?」

「行きましょうか。イリヤさんがお呼びです」

 

 シノブはそう言って、おれ達を先導するように歩き出した。

 

 シノブを先頭に、ヨリとアカリを伴い、薄暗い部屋を出る。シノブが連れていた髑髏は、いつの間にかどこかに消えていた。長い階段を下り、廊下をしばらく進むと、大きな扉の前に辿り着く。シノブがその扉を押し開けると、広大な空間が広がっていた。おそらく、この城の最深部。天井は高く、何かの儀式でもしたのだろうか、祭壇のような構造物が一角を埋める。そこに安置された巨大な水晶の中に、女性が眠っていた。

 これが、何度も聞いていた“伝説の吸血鬼”だろうか。肌を刺すような威圧感を覚える。ヨリが言っていたように、この世界のおとぎ話にもなるような存在だ。何故封印をされたのかという経緯は分からないが、それだけ強大なものであるなら、きっと大掛かりな儀式がこの場所で行われたのだろう。

 

 本当に、こんなものを復活させてよいのだろうか? それを目の前にして、改めて疑問を抱いてしまう。そんなことを考えていると、不意に、水晶に閉じ込められた女性の目が見開かれた。

 

「よく来た、ヒューマンの子よ。わらわこそ、夜を統べる者。イリヤ・オーンスタインじゃ」

 

 全てに響くような声で、“伝説の吸血鬼”はそう言った。



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Diabolos -2

 イリヤ・オーンスタインと名乗った女性は、美しい黒髪を伸ばしており、透き通るような白い肌をしていた。瞳の色は血のように赤く、身に纏う雰囲気には、ただならぬものがある。全身に力が入ってしまう。これが、伝説の吸血鬼。彼女は、こちらを見つめたまま言葉を紡いだ。

 

「我が眷属を通して全て見ておったわ。そこな男の持つ力……わらわの完全なる復活に役立つやも知れぬ」

 

 そう言うと、イリヤは目を閉じ、口元に笑みを浮かべた。

 水晶が光輝き、そこからイリヤの身体がゆっくりと浮かび上がる。やがて完全に水晶の中から出ると、ふわりと地面に降り立つ。

 

「あいつ、封印されてたんじゃないのか……?」

 

 小声で、ヨリに話しかける。ヨリは特に表情を変えることなく、その様を見ていた。

 イリヤはおれの前まで歩いてくると、その紅い目でおれを見下ろす。

 

「フン……頭が高い! わらわを誰と心得る。伝説の吸血鬼――」

 

 名乗りを上げたイリヤを、突如として白煙が包む。

 

「――イリヤ・オーンスタインの前じゃぞ!」

 

 煙が晴れると、そこには先ほどまで居たはずのイリヤの姿はなく、代わりに同じような恰好をした小さな女の子が立っていた。思考が止まる。状況から鑑みれば、この女の子と“伝説の吸血鬼”は同一人物であるはず。しかし、全く意味が分からない。一体、何が起こったというのだ?

 

 

「えっと……あの水晶……『封印の棺』から出ると、すぐに子供の姿になっちゃうのよね」

「小っちゃくて可愛いでしょ?」

 

 言葉を忘れたおれを横目に、ヨリとアカリがそれぞれ言う。

 

「小っちゃい言うな! 全く、無礼な奴等め」

 

 腰に手を当てて頬を膨らませる姿は、とても可愛らしい。だが、そんなことを口にすればどうなるか分かったものではないので、黙っておくことにした。

 

「……本当に、“伝説の吸血鬼”なのか?」

「いかにも。わらわを目の前にして、まだ疑っておるのか?」

 

 イリヤは胸を張って答える。その姿は、やはり幼女にしか見えない。

 

「ヨリから軽く聞いた程度じゃが、お主の力は“魔力”に頼らないものだそうではないか。わらわがこんな姿になってしまったのも、長きの封印によって魔力を奪われてしまったからだと思っておる。お主の魔力が無くとも行使できる力。それが何かは分からんが、わらわの力を取り戻す鍵になるやも知れん」

 

 魔力に頼らない力。先ほどイリヤから「この世の理から外れし光」とも言われていたが、おれがレジェンドオブアストルムをするにあたり“自分のスキル”として設定した力は、一般的なものとは異なっていたらしい。そもそも魔法を使う自分の姿が想像できなかったのだ。それならば、幾度も妄想し、架空の存在に投影し続けた中二病(ちから)を、そのまま自らのものとしたかった。幸いにもアストルムは、そのほとんどを受け入れてくれた。

 光を操る能力。昔から世界的に有名なゲームから引用するなら、『ソーラービーム』だろうか。光増幅器と言ってもいいかもしれない。世界にありふれた「光」が、おれの武器になる。昼間の屋外であれば十全に揮えるものの、悪天候や夜間、室内では、魔力を使ったスキルには劣る。今のアストルムでは変わっているところもあるだろうが、概ねそのような感じだ。以前――本当に、ずっと昔のことに感じる――よりと『永遠の蜃気楼』なるダンジョンに向かったときには、屋内ということもあって、バフアイテムの“星空の水晶”をいくつも使い、ユニオンバーストの残滓からも「光」を少々拝借して、ようやくあれだけの一撃を放つことができた。

 

「……おれの力は、“光”。だから、吸血鬼の役に立つかどうか」

「光とは、陽の光のことか? 太陽の下で動けないなどということはないぞ。世界征服を目指すならば、昼だ夜だと言ってはおれぬ」

 

 世界征服だって? とんでもないワードが出てきた気がする。おれが言葉を失っていると、イリヤはおれの顔を覗き込むようにして、じっと見つめてきた。

 

「して、ハルトよ。少しの間、動かないでいてくれぬか」

「……血を吸われるのか」

「別に取って食うわけではないぞ。お主の身体は傷付けないと、ヨリと約束したからの」

 

 イリヤが小さな手をおれの胸に当ててきた。ひんやりとした感覚が伝わってくる。彼女は目を瞑り、集中しているようだ。

 皆が口を噤み、おれとイリヤを見守る。

 

 しばらくして。

 

「……何も起きないのう」

 

 イリヤが静かに呟いた。

 

「確か、前に元の姿に戻った時は……そうじゃ!」

 

 手を叩き、何か思い出したように目を大きく開く。次は何をされるのかと身構えていると――突然、イリヤはおれに抱き着いてきた。

 

「うおっ!?」

「い、イリヤさん!?」

 

 おれとヨリの驚きが重なる。しかしイリヤは気にもせず、おれの腰に手を回して目を瞑っている。さすがは伝説の吸血鬼。力が見た目よりも強い。

 引き剝がそうにも戸惑いがあり、動けずにされるがままにしていると、30秒ほどして、彼女は自ら離れた。

 

「ダメじゃな。もっと密着すれば、何かしら起こると思うたのじゃが」

 

 不満そうに言うイリヤは本当に残念そうだった。

 

「すまぬ、驚かせてしまったの。今のは忘れて――なんじゃ、お主ら。その目は。そんな目で見るでない!」

 

 ヨリ達の視線に気付いたイリヤは、慌てて取り繕おうとする。

 おれには、イリヤの行動が理解できずにいた。おれの力がどうのと言っているのに、抱き着く必要があるのだろうか。

 呆然としていると、シノブがおれに向けて頭を下げた。

 

「申し訳ありません、ハルトさん。急にあのようなことをしてしまって」

「あ、あぁ。気にしてな――くはないけど、何で、あんな……」

「『ディアボロス』を結成したときに、ユウキさんという男性の方がいらっしゃいまして」

「ユウキ?」

「はい。色々あって、実は私たち全員とお知り合いだったのですが。もしかして、ハルトさんもご存知でしょうか」

 

 ユウキ。それを聞いて思い付く人物は、1人しかいない。もっとも、その名前自体はどこにでも居そうなものだが、レジェンドオブアストルムに於ける「ユウキ」という名は、少々意味合いが異なる。ソルの塔を登頂した者。プリンセスナイトなる、パーティの仲間を強化する不思議な力。そして、おれの知る限り、おれ以外に唯一ユニオンバーストを使えた存在。ヨリやアカリとだけしかユニオンバーストを発現できなかったおれと違い、彼は多くの少女たちのそれを解き放っていたのを覚えている。

 シノブの言っている「ユウキ」が、おれの思い浮かべた者と同一人物ならば、アストルム内で交友関係が広いのも納得できる。ヨリとアカリとも知り合いだというのは気に食わないが。

 ユウキもあの日、あのイベントに参戦したのだろう。恐らく、彼とギルドを組んでいた3人の少女も。

 

「……1人、心当たりがある。たぶん同じ人だと思うよ」

「そうですか。……それで、ユウキさんのことなのですが。イリヤさんがその方と一緒に居ると、元の姿に戻れたのです。特に……直接触れ合うと」

「なるほど。おれが呼ばれた理由も、何となく分かったよ。要するに、そいつの代わりを探してたんだろう? “伝説の吸血鬼”が、いつでも元の姿に戻れるように」

「はい、その通りです。……申し訳ありません、このような場所までお呼び立てしてしまって」

「いや、いいよ。元々、おれがヨリとアカリに黙って、どっか行っちゃったのが原因だし」

「……そういえば、あなたはどうして、ヨリさんに行き先を告げずに居なくなってしまったのですか?」

「あー……それは……言えないかな」

「すいません、過ぎた質問でした」

 

 おれの歯切れの悪さを察してくれたのか、シノブがそれ以上追及してくることはなかった。気まずい沈黙が流れる。

 向こうで、イリヤがヨリやアカリと話しているのが見える。おれには、それがとても遠くに感じた。おれがこの世界に居ない間に、ヨリはギルドを組んだ。「ディアボロス」とは、きっとその名前。この城を拠点としているのなら、主導権は“伝説の吸血鬼”ことイリヤが握っているのだろう。イリヤは、己の力を取り戻す手掛かりになるとして、おれを招き入れた。そしてその目論見は外れた。それなら、おれはここに居られる道理がない。

 行く当てもないが、この城を去るべきだろう。そう思った時だった。

 イリヤが、ヨリとアカリを連れておれの所に歩いてきた。

 

 イリヤがおれの前に立つ。背の違いから、こちらが見下ろす格好になっているが、彼女は気にする様子もなく口を開いた。その言葉は、おれの予想とは全く異なるものだった。

 

「ハルトよ。お主、我が眷属となるがよい」

 

 唐突な発言に、一瞬思考が止まる。つまり彼女は、おれに仲間になれと言っているのだ。しかし何故。おれの返答を待たず――こちらの意向を聞く気があるかも分からない――に、イリヤは続けて言った。

 

「わらわは夜を統べる者。吸血鬼としての宿命か、昼間はどうしても力が弱まってしまうのじゃ。そう考えると、お主を他の者に渡すのは惜しいと思っての」

「い、いや、でもおれは――」

「大方、わらわの復活に寄与できぬことを気にしておったのだろう。案ずるな。わらわが力を取り戻す方法を探るのも、我らのギルドの目的のひとつじゃからな」

 

 イリヤはそこで一旦言葉を区切り、おれの目を見つめる。吸い込まれそうな紅い瞳。

 

「ヨリとアカリとは、親しい間柄なのじゃろう? 同志となるのは悪い話ではないと思うぞ。こやつらもそれを望んでおる」

 

 そう言って、イリヤは微笑む。

 孤独に戦うよりはどこかに属した方がよいし、それがヨリとアカリの傍なら、それは願ってもないことだった。イリヤには、おれのペンダントのことも聞いておきたい。その上で、迷っていた。

 覇瞳皇帝は、このペンダントの力を狙っている。いつ使えるようになるかも分からないし、もしそれが発現したとき、きっと彼女らを巻き込んでしまうことになる。それに、おれの目的は――端的に言うなら、この世界そのものの「終わり」に直結する。彼女らがここを現実として認識しているなら、不用意にそんな話をできるはずもない。

 

「どうしたハルトよ。何か他に気がかりでもあるのかの?」

 

 おれの様子を見てか、イリヤが声を掛けてくる。どうやら顔に出ていたらしい。

 

「……おれには、誰にも話せない秘密がある。それを隠したまま、仲間になっていいのかなって」

「ふぅん。別に気にせぬがのう」

「えっ?」

 

 思わず聞き返してしまう。

 

「誰しも秘密があって当然じゃろう。そうじゃな……ヨリにも、お主に話せないことのひとつやふたつあるはずじゃぞ? のうヨリよ」

「ええと、まぁ、それは……」

 

 急に話を振られて、ヨリが困ったような顔をする。

 

「もしかして、今日の下着の色のことかなぁ? あとでこっそり教えてあげますね、お兄ちゃん♪ ちなみにアカリは、つ――」

「えっ!? ア、アカリ、ストップ! あと私のそれ絶対言わないでよ!?」

 

 とんでもないことを暴露しそうになったアカリの口を塞ぐように、ヨリが慌てた様子で割り込む。ヨリの下着……気にならないと言えば嘘になる。が、それを零してはただの変態だと思い至り、邪な考えを放り投げた。

 

「こやつらの下着はともかく……まぁ、そういうことじゃ。隠しごとをしているくらいが丁度良いぞ」

 

 ふふんと笑いながら、イリヤが言う。

 

「シノブはいいのか? その……おれが、君たちのギルドに入るのは」

 

 おれの横に立ち、ずっと黙っていたシノブに声を掛ける。

 

「私が気にしているのは、ヒューマン族のあなたが魔族である私たちと関わることで、不利益が起きないかどうかだけです。もし、そのためにハルトさんが何かを背負うことになったとしたら……それは本意ではありません」

「おれはヨリとアカリとずっと仲良くやってきたんだ。そんなの、今更じゃないか? 魔族だからどうとか、そんなのは思ったことないよ」

 

 今のおれの姿は、レジェンドオブアストルムで使っていたアバターデータがそのまま反映されている。それはここが「レジェンドオブアストルム」だから。この見た目が好き、という理由で種族を選び、自分の分身を形作った。ここに居る全員が、きっとそうだ。ならばどうして、それを貶せようか。

 もちろん世界がおかしくなったことで、そのような差別的な実情が起きていたのだとしても。少なくとも、これはおれの本心だった。

 

「ハルトさんがそう仰るならば……私から言うことはありません」

 

 そう笑ってくれるシノブに、おれも笑い返すことで応えた。

 

 改めて、イリヤの方へ向き直る。

 

「イリヤさん」

「心は決まったかの」

「はい。……おれを、あなたのギルドに入れてください」

「うむ。ようこそ我が【悪魔偽王国軍(ディアボロス)】へ。歓迎するぞ」



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Dreaming in the Dream

祝え、風宮姉妹がこの世に生を享けた輝かしい日を


 ヨリとアカリと一緒に、おれの新たな居場所となった古城を出る。【ディアボロス】――悪魔偽王国軍、と書くらしい――について詳しく聞いているうちに、陽は傾いていた。それでも、振り返って見える城も、この周りにある森も、来た時より落ち着いたものに見えた。それを統べる存在と打ち解けたからか、あるいは、この世界が少しだけ優しげに映るようになったのか。何にせよ、悪くない気分だった。

 そうして彼女たちと歩きながら、おれは今後について考えを巡らせていた。成り行きに任せた形となったが、一先ずギルドに身を置くことはできた。それはそれとして、日常生活についてだ。

 おれは今日まで、ホテルの一室を寝床としていた。記憶の中ではランドソルに設けていたはずのギルドハウスが、失くなっていたからだ。――矛盾に気付く。覇瞳皇帝から解放された後、それが消失しているのを確認したとき。自分の中で折り合いを付けるにあたり、「“おれ”という存在がない状態で世界のリセットが行われた」と仮定していた。でも、ヨリとアカリは「行方をくらました“おれ”を探していた」。あの時は彼女たちに会えたことで頭がいっぱいで、疑問にすら感じなかったけれど。……今度ラビリスタに会った際に、聞いてみるとしよう。『七冠』という存在に期待しすぎているかもしれないが、何か知っていることがあるかもしれない。

 さて、おれがこの世界に在り続けていたという前提に立つなら、未だ見ていない場所がある。ランドソルから少し離れた場所に設けていた、おれの住処。かつては第2のギルドハウスみたいになっていたが、あれは今どうなっているのだろう。もし残っているなら、そこで今後の生活基盤を整えようと思う。

 

 右腕をアカリにぎゅっと掴まれて、ヨリはおれの左側を歩いていた。二人の歩幅に合わせて歩いていると、自然と足取りも緩やかになる。おれは、彼女たちがどこへ向かっているのかが分からなかった。ただ、周囲の状況から予想するなら、ランドソルの方ではなさそうだった。

 エネミーの類に遭遇することもなく、やがて辿り着いた場所。そこは、星の形をした都市を見下ろす高台に位置した、2階建ての家。見覚えがあるなんてものではない。紛れもなく、おれが私財を注ぎ込んだ我が家であった。

 

「アンタの部屋、あの日のままになってるんだからね」

 

 玄関の前で立ち止まったヨリが、どこか拗ねたように言う。その言葉を聞いて、胸の奥がきゅっとなるような感覚を覚えた。おれは、この世界をゲームだと思っていた。紛れもなく、ここは「レジェンドオブアストルム」なのだから。でも、彼女達は確かに生きている。『ミネルヴァの懲役』という災厄によって現実と隔絶された、この「レジェンドオブアストルム」で。

 

「ああ。……ただいま」

 

 だからおれは言った。かつての自分が、きっとそうしていたように。

 ヨリとアカリは顔を見合わせて微笑み合うと、同時に口を開く。

 

「……おかえり」

「おかえり、お兄ちゃん」

 

 その声を聞くだけで、涙が出そうになるくらい嬉しかった。

 おれと彼女たちとの関係が、同棲ないしそれに近しいものだと理解するまでには、ほんの少しの時間を要した。

 

 二人と一緒に家の中へ入ると、内装は、おれの記憶にある光景とほとんど変わっていなかった。まるで時間が止まっていたかのように。いや、変わったものもあった。テーブルの上には、見たことのない、携帯端末ほどの大きさの機械――ポータブルゲーム機と思しきものが置かれている。よりはゲームが大好きだったが、ゲームの中でもゲームを嗜んでいるということか。果たしてそのエミュレートはどういう仕組みなのだろう。そんなことを考えながらソファに座っていると、台所に立ったヨリが紅茶を用意してくれた。一息ついたところで、彼女が口を開く。

 

「アンタ、今までどこに行ってたの?」

「……ちょっと、一人旅を」

「どこに行ってたの」

「……」

 

 関係性を考えれば、当然の問いだった。寝食を共にしていたであろう身内が、突然消息を絶ったのだ。気にしない方がおかしい。彼女は、どうにかしておれの居場所を探そうとしていた。それこそ、“伝説の吸血鬼”という存在に頼るほどに。

 しかし、真実を語ることはできなかった。この世界を「現実」として生きている彼女らにとって、それはあまりにも現実離れしていて、受け入れられるとは到底思えないからだ。いずれ、彼女たちには本当のことを話さなければならないと分かっているのだが、今はそのときではない気がした。だからおれは、無言を貫くことしかできなかった。

 

 沈黙を破ったのは、アカリの声。

 

「まあまあお姉ちゃん。お兄ちゃんが無事に帰ってきたんだから、ね?」

「でも、私は…………分かったわよ」

 

 ヨリはアカリの言葉に同意を示したが、納得しているわけではないようだった。

 アカリは続いて、おれの方を向いて言う。

 

「お兄ちゃん、どうしても教えてくれないんですか?」

「ああ。色々あって、今は教えられないんだ。……でも、いつか必ず、ちゃんと全部説明するから」

「じゃあ、その時までお姉ちゃんの下着の色はお預けですね」

「ちょっ!?」

 

 アカリの発言に、ヨリが顔を真っ赤にして立ち上がる。

 

「それは何があっても言わなくていいの!」

「えー、でも気になるでしょ? お兄ちゃん」

「……」

「アンタも黙らないでよ! はぁ……もういいわ」

 

 ヨリはため息をつくと、再び椅子に腰掛ける。

 それからしばらく、ヨリとアカリは、おれが居なかった間の出来事を話してくれた。どんな日々を送っていたのかとか、“伝説の吸血鬼”を探すに至るまでの経緯だとか。ヨリが時折見せる寂しげな表情が、おれの心を刺す。……本当に、心配をかけたのだろう。おれが彼女たちの前から消えて、どれくらい経っていたのかは分からない。けれどその間、ヨリはずっとおれを探してくれていた。そして、アカリもまた。

 彼女たちの話に耳を傾けているうちに、夜になった。夕食はおれが作った。「現実」では両親が家を空けることが多かったから、料理には少し自信があった。調理器具の使い勝手は、かつての『アストルム』とそんなに変わらなかった。これまで誰かに振る舞ったことはないものの、味見をした限りは問題ないはずだ。実際、ヨリもアカリも美味しいと言ってくれた。不思議で、不気味な感覚だった。「ゲームの中で料理をする」ということもそうだが、この仮想世界こそ現実であってもよいのではないか、と思ってしまった。ここには大切な人がいて、おれの傍で笑顔を見せてくれている。夢見た力も、この手にある。しかし、だからこそ虚構であると理解していた。これは現実ではなく、ただのゲームなのだと。この感覚も、感情も、全てはmimiを通して見る幻想なのだと。

 

 食事を済ませて後片付けを終えた後、おれは自室を見てくると言って彼女らと離れた。アカリはこれから風呂を沸かすらしい。

 2階にあったおれの部屋は、ほとんど記憶の中のそれと変わらない状態だった。ベッドだけは、2人ほどなら余裕をもって横になれるような、ちょっと大きいものに変わっていた。過去に小さなベッドで、よりとあかりに挟まれて眠(れなか)ったことを思い出す。おれたちの誰かにその記憶が残っていて、新調したのかもしれない。

 ランドソルの城にて、覇瞳皇帝から投げ渡されたペンダント――あいつは、“贋作”なんて言っていた――をポケットから取り出す。おれの首に掛かるペンダントと見比べる。確かに似ていた。よりにこれを渡した日、観覧車の中で、よりは「お揃いになっちゃうかも」と言っていたっけ。今日見たヨリの首には、アバターを作った時の装飾品であるチョーカーだけがあった。それを思い出して、涙が零れそうになった。

 

「……埃っぽいな」

 

 灯を消し、月明かりの差し込む部屋で、わざとらしく独りごちる。窓を開け、おれは2つのペンダントを手に、夜空に輝くいくつもの光を眺めた。「レジェンドオブアストルム」は今、世界中の人々の意識を閉じ込めた檻だ。なのにどうして、こんなにも綺麗なのだろう。しばらくの間、煌めく星々をただ見ていた。

 

 ペンダントを机の上にあった小物入れに仕舞い、1階に降りる。すると、階段の下に寝間着姿のヨリがいた。

 

「どうした?」

「お風呂。空いたわよ」

「ん、ありがと」

 

 礼を言って、そのまま脱衣所に向かう。服を脱ぎ、浴室に入る。普段ならば、何てことはないルーチン。シャワーを浴びながら、自分の身体を見た。

 

「…………あるのか」

 

 自らの股の間にあるソレを視認し、困惑する。いや、そもそも自分のものをそんなにしっかり見たことはないけれど。ゲームなのだから、いい感じにぼかされているかと思っていたが、予想以上にしっかりUncensoredであった。アバターを作る際にmimiへ登録したパーソナルデータにそんな項目はなく、恐らく平均的なデータを反映しているのだろうが、何というか、生々しい。

 湯に浸かり、深く息をつく。ヨリとアカリのものだろうか、甘い残り香が鼻をくすぐる。――彼女たちの露わな姿を思い浮かべてしまい、全身を湯の中へ沈めた。

 

 水面から顔だけ出して、静かに思う。ヨリが言っていたように、おれは「失踪していた」のだ。それも、何処に行くと告げることもなく、突然に。頭を過ぎるのは、覇瞳皇帝がおれを捕えて、何度も殺していたという事実。それはこれまでの繰り返しに於いて、ヨリとアカリが、おれに会うことが叶わなかったことを意味する。

 おれがここに居ること。これが、ラビリスタが言っていた「誰も知らない未来」にどんな影響を及ぼすかなんて分からない。ただ、おれの目的、つまり彼女たちをこの世界から救い出すということについて、いい方向へ進むだろうと信じたい。

 

 風呂から出て、バスタオルで身体を拭く。床に置かれた籠の中に、男物の寝間着が入っていた。ヨリが用意してくれたのだろうか。何だか家族になったみたいで、嬉しかった。

 着替えを終えて、脱衣所の扉を開ける。リビングには誰も居らず、静まり返っている。夜も更けている。ヨリとアカリはもう眠っているのかもしれない。1階の灯りを消し、自室へと向かう。

 

「……?」

 

 2階へと続く階段の途中、自室の戸の隙間から光が漏れているのに気付いた。ドアノブに手を掛けて少し開けると、中からアカリの声が聞こえる。

 

「あ~ん! そんなに攻められたら、アカリ壊れちゃうよ~!」

 

 思わず、戸を閉めた。おれの部屋で、一体何をしているんだ? 声しか聴いていないのに、よからぬ妄想が渦を巻く。

 しばらく動けずにいると、ひとりでに戸が開き、少し頬を赤く染めたアカリが顔を覗かせる。

 

「お兄ちゃんも……一緒に、しますか?」

 

 そしておれの手を取って、悪戯っぽく言ったのだ。

 心臓の鼓動が速まる。ああ――ひとつ屋根の下で暮らすのなら、こういうこともあるのかもしれない。年齢のことを考えたら、あまりにも尚早過ぎる。おれ自身とて、知っていることは少ない。当然、部屋にはヨリもいるはずだ。それでも彼女たちが望むのなら、おれは――。

 おれが頷くと、彼女はおれの手を引いて部屋の中へと招き入れる。そうして目の当たりにしたのは、おれのベッドの上にちょこんと座っているヨリと、そこへ広げられた数多のカードだった。

 

「あっ」

 

 おれの存在を認めたヨリが、小さく声を漏らす。

 

「え、えっと、珍しくアカリが寝る前にカードゲームしたいって言うから……なんでアンタの部屋だったのかは分かんないけど……ごめん、すぐ片付けるわね!」

 

 ヨリが慌ててカードを片付けようとかき集めるのを、「ちょっと待った」と止めた。

 

「え? なに?」

「寝る前に、おれも1回やろうかなって。ルール、教えてよ」

「……しょうがないわね。アカリもアンタとやりたそうだし。教えてあげるから、こっち来なさい。あ、説明書はこれね」

 

 そうしてヨリと一緒に山札をシャッフルし、カードの動かし方を教えてもらいながらプレイする。その後、ヨリ、アカリとそれぞれ対戦した。結果、ヨリには完全なワンサイドゲームで敗北したが、アカリとは一進一退の攻防の末、どうにか勝つことができた。

 

「お兄ちゃんにめちゃくちゃにされちゃったぁ……」

 

 アカリはそう言いながら、ベッドにうつ伏せに寝転んで手足をバタバタさせる。それを見るヨリは、少し呆れ顔だ。ああ、きっとこれが、これまでの日常。そして、これからも――おれが望むなら――続いていく日常。おれの平穏は、今だけは確かにここにあった。

 二人との勝負の後片付けをしながら、そろそろ寝ようと提案した。アカリは少しだけ不満を見せたが、ヨリは眠そうだった。カードをまとめてヨリに手渡すと、彼女は「おやすみ」と短く言っておれの部屋から出ていこうとする。

 

「あっ、お姉ちゃん待って!」

 

 それを見たアカリが、ヨリを引き留めた。

 

「アカリ、久しぶりにお兄ちゃんと……お姉ちゃんも一緒に、3人で寝たいな」

 

 おれを見て、それからヨリを見て。アカリはゆっくりそう言った。その言葉に、強く憶えがあった。もうずっと昔のことのように思える。『永遠の蜃気楼』を踏破したその夜、狭いベッドで感じた2人の温もり。今でもはっきりと思い出せるほど、鮮明に残っている。

 

「私は……アンタがどうしても、って言うなら、いいけど」

 

 ヨリは少し恥ずかしそうに、おれを見て――視線を外して小さく言う。そんな表情をされては、もうダメだった。

 

「じゃあ、寝ようか。一緒に」

 

 おれが答えると、アカリが部屋の灯りを消す。おれはヨリとアカリに挟まれるようにベッドに入った。大きめのサイズとはいえ、やはり1人用のものだ。3人で眠るには相変わらず狭かったけれど、この狭さが、心地良く思えた。

 アカリはおれにくっつくようにして、ヨリはおれに背中を向けて。彼女たちが隣で眠っていることに、安心を感じていた。2人ともすぐに眠ってしまったようで、静かな寝息だけが聞こえる。

 

「おやすみ。より、あかり」

 

 誰も聞いていない呟きを暗闇に放り投げ、目を閉じた。

 

 

ʚ ɞ

 

 

 不思議な眩しさに目を開けると、そこは見慣れた景色だった。夕暮れ時の椿ヶ丘駅。きっと仕事帰り、あるいは学校帰りの人々が列を成し、それぞれの向かう場所へ急ぐ。

 おれは「現実」へ戻ってきてしまったのだろうか。何もなし得ていないのに。右耳にあるはずのmimiを触ろうとして、腕を動かせないことに気付いた。

 

「お兄ちゃん、お待たせっ」

 

 後方から聞き馴染みのある声がすると、おれの身体は意図せずそちらを向く。そこには、制服姿のよりとあかりが居た。2人とも鞄を持っているから、学校が終わって直接ここへ来たのだろう。

 

「どうしたのよ? ぼーっとして」

 

 よりに声を掛けられた。おれの知っている、いつもの彼女だった。抱きしめたくなって、自由が利かないことに少し腹が立った。

 

「なんでもないよ。それじゃあ、行こうか」

 

 口も身体も、勝手に動く。おれでいて、おれでないような、不思議な感覚。何かをするのも徒労だと悟り、成り行きに任せることにした。

 

 やがて辿り着いたのは駅近くの喫茶店。おれは普段、こういう場所へ行くなら独りなのだが――ああ、思い出した。これはきっと、よりとあかりが中学2年生に上がって最初の定期試験が終わった日。彼女たちを労うために、3人でここに来たのを憶えている。

 店に入り、席に通されると、よりが机に突っ伏しながら呟く。

 

「はぁ~、やっと終わった」

「お姉ちゃんお疲れさま! ほらほら、お兄ちゃんも」

「え? あ、あぁ。……2人ともお疲れ。好きなもの頼んでいいよ」

 

 自分がオーダーするのは、温かいロイヤルミルクティーと既に決めていた。メニューを手渡し、わいわいとそれを見る2人を眺める。

 

「あっ! あかり、これがいいなぁ」

 

 あかりが指差したのは、「季節限定、初夏のフルーツカップケーキセット」。ドリンクは別。『お友達やカップルでシェアしよう☆』なんて文言が書いてあった。少々値は張るが、頑張った彼女たちのために、今日は奮発しよう。2人の飲みたい物も一緒に聞いて、店員を呼んだ。

 

 数分ほどして、頼んだカップケーキセット他一式が運ばれてくる。桃にぶどう、さくらんぼやメロン。色とりどりの果物が乗ったそれは、食べるのが勿体ないほどに華やかだ。そして何より、とても美味しそうだった。

 

「ねぇ、写真撮ろうよ! 」

 

 あかりが携帯電話を取り出して言った。彼女は流れるような手付きでカメラをフロントに切り替え、画面を見ながらケーキと一緒に3人が写るような位置を探している。横並びに座るだけでは画角に全員入るのが難しく、あかりはおれに身体を押し付けてくる。肩と肩が触れ合うなんてものではない、ほぼ密着状態だ。よりはおれから少しだけ離れ、顔の半分くらいが画面から見切れている。

 

「お姉ちゃん、もっとお兄ちゃんにくっついて~」

「えぇ……恥ずかしいんだけど」

 

 そう言いながらも、よりはちょっとずつおれとの距離を詰めていた。だが、相変わらずよりだけが見切れている。これでは埒が明かないと思い、よりの肩に手を回し、自分の方に抱き寄せた。

 シャッター音がひとつ。画面には、笑顔のあかりと、慌てた表情のより。そんな2人に挟まれたおれが収まった。

 

 刹那、世界が白い光に塗りつぶされ――――――

 

 

 

 

 

 目を開ける。月明かりだけが差す、暗い部屋。見覚えのある天井。そこは間違いなく、アストルムの、おれの部屋だった。

 今のは一体、何だったのだろう。夢にしては、やけに現実味を帯びていた。当然だ。あれは「現実」の記憶。あの日、あの時、確かにあった出来事なのだから。……でも、どうして? それを今、このアストルムで、夢として見る理由が分からない。

 

 おれの両隣で聞こえる、ふたつの寝息。右にはアカリ。左にはヨリ。どちらも安らかな寝顔だ。いつの間にか、おれの左腕はヨリの肩にあった。アカリはおれに抱きつくようにして眠っている。2人は確かにここにいる。この手で触れられる場所に。なのに、心の中にはぽっかりと穴が空いているような気がした。その隙間を埋めるように、ヨリを、アカリを、抱き寄せる。2人の温もりを感じながら、おれは再び目を閉じた。




次回、第3章「誰が為のエランプシス」


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