アイドル達の重い愛から逃げるプロデューサー (なおちー)
しおりを挟む

仕事を辞めて響子ちゃんと結婚する。

いつもの昼下がりだった。

 

緒方智恵理と佐久間まゆ。

いつものように両者の間で火花が散っていた。

 

「プロデューサーさんが、いつもまゆちゃんのお弁当を

 最後に食べるのは、お弁当に変な薬とかが

 入ってないか心配してるからだと思うんだ」

 

「……何言ってるの智絵理ちゃん。私が大好きな

 プロデューサーさんのために作ったお弁当なんですよ。

 身体に悪そうなものをを入れるわけないでしょう。

 彼のためにきちんと栄養のあるご飯を作ってあげてるんだから」

 

「でも、そう思っているのは、まゆちゃんだけじゃないのかな」

 

弁当箱のご飯をもぐもぐと食べるプロデューサー。

智絵理とまゆにとって一番の不満なのが、彼が最初に食べるのが

決まって五十嵐響子のお弁当だったことだ。

 

認めたくはなかったが、料理の腕では響子が一番だった。

色どりとか、見た目の問題ではない。

単純に響子の手作り弁当は美味しいのだ。

 

響子のお弁当を食べるプロデューサーは、

それはもう幸せそうな顔をしていた。

 

響子や智絵理をプロデュースする前は、コンビニ弁当や

カップ麺の生活をしていたから、冷凍食品など一切なく、

全て手作りで作られた料理はたまらなく美味しく感じられた。

 

机の上にある三人分のお弁当。

智絵理とまゆの分は、まだ包みに入ったままだ。

 

プロデューサーは大食いだが、さすがに三人分の弁当はキツい。

ふたりの分は、残業する時に夜食で食べると言う。

 

それを知っているから、まゆと智絵理の作った分は

レンジでチンしても大丈夫なタイプのお弁当箱になっている。

 

陰でうつむき、歯ぎしりするまゆと智絵理を知っていながら、

残酷にもプロデューサーはこう言った。

 

「やっぱり、お嫁さんにするなら響子だよな♪」

 

「もう……プロデューサーさんったら、お世辞がうまいんですから♪」

 

「あはは。お世辞じゃないって。響子のご飯だったら毎日でも食べたいな♪」

 

「そ、そうですか……? うれしいです」

 

「響子は可愛いし素直だし、家事もできるし、なんていうか、最高だな。

 俺は響子と出会えて本当に良かったと思ってる。

 日本中の女の子の中から響子をスカウトできたことを誇らしく思っているよ」

 

「じゃあ結婚しましょうか!!」

 

「あー、それはまだ無理だな。俺にはお前達をトップアイドルにする

 夢がある。響子、まずはトップアイドルだ。てっぺんを目指そうぜ」

 

「もー。またそうやって誤魔化す……」

 

「俺だって本当は響子と結婚したいよ。でもほら。

 響子ばっかり特別扱いしたら周りの奴らがうるさいだろ? 

 それに最近は社長に怒られてるんだよ。

 周りにアイドルに対しての配慮が足りないんじゃないかって」

 

ねえ、ちひろさん、とプロデューサーが隣の机に言う。

そこには机に突っ伏し、寝たふりをしたちひろがいた。

 

昼食のわずかなサンドイッチを食べ終えて、机に突っ伏して寝ていた。

サンドイッチは出勤途中にコンビニで買ってきたものだ。

 

「なんだ。ちひろさんは寝てるのか」

 

「クビ……」

 

「ん? 何か言いましたか?」

 

「あんた、クビだって。常務が言ってた」

 

「ちひろさん。寝たふりをしてたんですか」

 

「あんたが同意するなら今月末で早期退職できるよ」

 

「ああ、早期退職。今はやりの」

 

「今まで働いてた分と、三か月先の給料を上乗せした

 退職金を出してくるって」

 

「分かりました。常務にまで話が言ってるなら

 仕方ないので辞めようと思います」

 

プロデューサーは、机の引き出しの2番目に入れておいた

書類を出し、スラスラと必要事項を記入し、判を押した。

退職届だった。

 

響子の顔が青ざめる。

 

「プロデューサーさん!? 辞めちゃうんですか!?」

 

「なんてゆーか、ちょうどいい機会だからな」

 

「さっきまで言ってたことと違くないですか!?

 私をトップアイドルにするまでは結婚しないとか

 言ってませんでした!?」

 

「それがな。もう無理なんだよ。なんか俺ってさ……。

 悪いな。ちょっと長くなるからそこ座ってくれ。

 ソファで話そうぜ」

 

プロデューサーがソファに腰かけると、響子も隣にぴったりと

くっついて座る。まゆと智絵理も狭いながらも、響子とは逆の側から

プロデューサーにくっついて座る。

 

プロデューサーは、響子の方だけを見て話した。

 

「俺がよく常務に呼び出されて会議室で説教食らってたのは知ってるか?」

 

「……私は直接見たわけではないですけど、

 凛ちゃんたちが言ってましたね」

 

「今までの俺のやり方は甘いって言われたんだよ。

 ガチガチに指導して兵隊みたいに訓練するよりも、

 のびのびと育てた方が良いって俺は思ったんだけどな。

 そんなんじゃアーティストとしての側面が育たない。

 何時まで経っても成長しない。

 芸能界の激しい競争の中で生き残れないんだとさ……」

 

プロデューサーは、確かに甘かった。

 

てっぺんを目指すと言う割には、

水着を着るなど露出の多い撮影は避けたり、

頭と機転を使うバラエティ番組の出演を断った。

 

逆に彼女らが好きな、いかにもアイドルらしい

歌とダンスを披露して、適当に客を沸かせる。

 

なんていうか、のらりくらりやっていた。

どのアイドルも世間ではそこそこの人気があったが、それまでだった。

 

あと何年かすれば、また新しいアイドルが現れて

彼女らの存在などすぐに忘れられてしまう。

 

 

346プロの経営する側の人間の立場からは、

現状で満足して向上心のないプロデューサーは不要とされた。

 

 

「クビなんてそんなのひどいです……。

 私はプロデューサーさんがいてくれたから

 今まで頑張ってきたのに。私はプロデューサーさんが

 私達の嫌な仕事を断ってくれてたのがすごくうれしかったのに」

 

「やっぱ仕事を選んでたらダメだってことだよな。

 なんか俺って優しいのかな? アイドル達に無駄に人気が

 あるようだから、まゆとか智絵理にも好かれてるんだよな。

 でもこれも今回のクビの原因らしいぞ。

 響子にべったりだから皆のやる気が下がるのか」

 

「アイドルのみんなの嫉妬が最近はどうかしてますよね。

 先週は美優さんにロッカールームで力いっぱい壁ドンされて、

 堂々と正妻ぶって調子に乗らないでね……って言われました」

 

「まじか。あの美優さんが? 俺は三日前に留美さんに説教されたよ。

 事務所で堂々とイチャイチャするのは、いい加減にしなさいって。 

 社会人としての常識が足りないそうだ。なぜかそのあとは飲みに誘われたけど」

 

「最近はまゆちゃんの私を見る目が結構ヤバいんです。

 プロデューサーさんの前だと見せないと思うんですけど、

 殺意が込められてて怖いですよ」

 

「おいまゆ。言われてるぞ?」

 

と、まゆの方を振り返る。

彼女は咲き誇る花のように微笑んでいた。表向きは。

 

「まゆとしては、そんなことはどうでもいいんですよ。

 響子ちゃんのことは、すごくすごくムカつきますけどね。

 プロデューサーさんは、退職後はどうするつもりなんですか?」

 

「うーん、そうだな。どうしようか悩む。

 今コロナで不景気だからな。

 このタイミングで職を失うとかマジ困るわー」

 

「本当に困ってます?」

 

「ああ。困ってるよ? ほら俺の手、見ろよ。震えてるだろ?」

 

と見せようとしたが、響子と愛おしそうに膝の上で

両手を繋いでいるので手を上げることができなかった。

 

智絵理が、床に唾を吐いた。

キュートとは思えない鬼の形相だった。

 

「響子ちゃんと結婚なんてさせませんから!!」

 

「おいおい、俺がいつ響子と結婚するなんて言ったんだ?」

 

「お弁当食べてる時に、言ってたじゃないですかぁ……」

 

ポロポロと智絵理の大きな瞳に涙がこぼれる。

 

「プロデューサーさんは、響子ちゃんのことが大好きだから

 仕事を辞めちゃうんですよね……? 私のことは捨てちゃうんですよね?

 どうしてですか……? 私がブスだからですか?

 響子ちゃんみたいにお料理が上手にできないからですか……?」

 

「俺は智絵理のことは嫌いじゃないよ」

 

「うそだぁ!! じゃあ、どうして響子ちゃんのことばっかり

 かわいがるんですか!! プロデューサーさんが響子ちゃんと

 楽しそうに笑っている時とか、私やまゆちゃんがどんな気持ちで

 見ていたか知ってるんですか!!」

 

「知らねーよ。知ったところでどうしろってんだ。

 はぁ……。俺さ、もうこういうの疲れたよ……」

 

プロデューサーは、智絵理のことは無視して帰ってしまった。

智絵理が泣き叫んでいるが、聞こえないふりをして事務所の扉を閉める。

 

季節は1月の末。闇夜に寒風が吹き荒れ、身が縮こまる。

 

実はプロデューサーにはまだ仕事がたんまりと残っていたが、

どうせ首になるなら、今この瞬間から辞めることにした。

 

退職届なら机に置いてある。

どうせこの会社にはもう不要な人間だ。

 

契約上は新しいプロデューサーへ仕事の引継ぎをしないと

退職金が発生しないことになっているが、もうどうでもよかった。

 

プロデューサーの隣には響子の姿があった。

 

「プロデューサーさんの家にお邪魔するの、久しぶりですね♪」

 

「ああそうだね。最近は忙しかったから、

 響子を家に呼ぶこともあんまりなかったからな」

 

「ついでに私もアイドル辞めちゃっても良いですか?」

 

「そうだな。あんな仕事、つまんねーからもう辞めちまったほうがいい」

 

「プロデューサーさんのもとに永久就職します!!」

 

「はは。照れるな。ってことは結婚だな」

 

「はい!! 今日から恋人じゃなくて婚約者ですね!! 

 式はいつにしますか!!」

 

「まあ式のことはあとで考えようか。

 うるさい奴らが山ほど残ってるからな」

 

プロデューサーが後ろを振り向くと、佐久間まゆと目があった。

 

笑ってないまゆは新鮮だった。相当に怒っているのだろう。

口元を横一文字に結んでいる。背後に邪悪なオーラがはっきり見えた。

 

響子は気にもせずプロデューサーと談笑を続ける。

 

まゆはそのままプロデューサーのアパートの入口まで付いてきた。

普通に中に入ろうとしたので、さすがに響子が止める。

 

「まゆちゃん。ここは私と旦那様の家だから。また明日ね」

 

「ちょっと待ってもらってもいいですかぁ?

 まゆは彼とお話をしたいことが、たぁくさんあるんですけど」

 

「ごめん。私お夕飯の支度があるから、明日でいい?」

 

「いえ。今がいいです」

 

響子が力いっぱい扉を閉めようとしたが、まゆが足の先を

ひっかけて扉をギリギリとのところで閉めさせない。

 

「まゆちゃん? これは何のつもりなのかな?」

 

「そっちこそ、何のつもりなんですか?

 まずさっき言っていたことを訂正してくださいよ。

 誰が響子ちゃんの旦那さんなんでしょうか?」

 

「まゆちゃん。耳ついていないの?」

 

「耳はちゃんとついていますから大丈夫です。

 それより早く質問に答えてくださいねぇ」

 

「答える義務がなさそうだからバイバイ」

 

響子がまゆの肩を突き飛ばし、勢いよく扉を閉めようとするが、

またしてもまゆが足を延ばして防いでしまう。

 

「もーまゆちゃん、しつこいよ。しつこい女は嫌われるよ?」

 

「私は中に入れてくださいって言ってるんですよ」

 

「だからダメだって」

 

「どうしてですか?」

 

「夫婦の家に入ってくるな」

 

「誰が夫婦? 誰と誰が?」

 

「見ればわかるよね? それじゃあね。夕ご飯の支度があるから」

 

「……そろそろ本気で怒りたくなってきたのだけど」

 

「え……? 何に怒るの? 本気で意味わかんない。

 あなたに怒られる理由なんて何もないんですけど」

 

一触即発の状態になったので、プロデューサーが響子の肩に手を置いた。

 

「響子。まゆがここまで言ってるんだから中に入れてあげようよ」

 

「あなた……? 正気ですか? 相手はあのまゆちゃんですよ?」

 

「まあまあ。さすがに今日突然辞めたわけだし、

 まゆだって心の整理がつかないのもあるだろう。

 あんまり冷たくしてもストーカーになるかもしれないしな」

 

「もうすでにストーカーになってますけど!!」

 

「落ち着けって。な? あんまり騒ぐと近所迷惑になる。

 まゆだって根は悪い子じゃないんだよ。

 最近はあまり相手をしてやれなかったから、さみしかったんだよ。

 そうだよな。まゆ?」

 

「はい♪ 迷惑じゃなかったら、お夕飯を頂いても良いですか?」

 

「おう。全然いいぞ。たまには三人で仲良く食べるのも悪くないな」

 

 

   不満そうな響子。怪しげな笑みを浮かべるまゆ。

    そしておじさん臭いプロデューサー。

     はたして三人の運命はどうなってしまうのか。

 

 

                     第二話へ続く。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

新田美波ちゃんがコンビニにいた。

冷蔵庫の中にはおでんの具材が入っていた。

スーパーとかで安売りしてる例のあれだ。

 

普段のプロデューサーなら絶対に買わないのだが、

なんとなく響子がそろそろ遊びに来るような

気がしたので買っておいた。

 

普段から気合いの入ったお弁当を作ってもらっているから、

夜は逆に簡素にしようと思ったのだ。賞味期限ギリギリだった。

 

「今夜はおでんにしましょうか」

 

と、響子が言うのでまゆも自然と台所に立とうとする。

 

「まゆちゃん。邪魔だよ」

 

「まゆはサラダでも作ろうかと思ったのだけど」

 

「余計なことはしなくていいから。

 お料理なら私が全部作るから、まゆちゃんは座っててね」

 

「まゆはこうしてプロデューサーさんの家にお邪魔したわけだし、

 響子ちゃんに全部任せちゃうのは悪いじゃない」

 

「は? 全然……ぜんっぜん悪くないから。

 むしろキッチンに二人立つと邪魔。

 そろそろマジでどいてくれるかな?」

 

「そんな冷たいこと言わない方がいいと思うな。

 響子ちゃんのこと、ぶち殺してやりたくなっちゃったよ」

 

「……!! あっ、そうだ。近所のスーパーで卵買ってきてくれる?

 もうすぐ切れそうなんだ。できるだけ時間をかけてね」

 

「なにそれ。まゆをパシリに使いたいの? 

 まゆの方がアイドルランクが上なので

 お買い物なら響子ちゃんがどうぞ」

 

「だからあんたが行けって言ってんだよ」

 

「ふーん……。響子ちゃんって生意気だね」

 

「この……お邪魔虫。どうせ彼から嫌われてるくせに」

 

「それは響子ちゃんの妄想だよ」

 

「妄想じゃないよ。事実だよ!!」

 

「最終的に誰を選ぶのかを決めるのは

 プロデューサーさんであって響子ちゃんじゃないから」

 

「事実をちゃんと認めなよ!! まゆちゃんに

 付きまとわれてプロデューサーさんが迷惑してるの!!」

 

「はいはい。すごいすごい」

 

「そのすました顔、喧嘩売ってるの?」

 

「喧嘩売ってるのは……そっちでしょ?」

 

プロデューサーが、今のうちに風呂掃除してくるな~と

言って奥に消えてしまう。このままでは血を見ることになるのが

分かりきっているのに薄情なものである。

 

まゆと響子が取っ組み合いを始めた、その時であった。

 

チャイムが鳴る。来訪者だ。

だが当然のごとく響子たちは無視してやり過ごす。

 

トントン……。

 

2分後に玄関がノックされる。

 

無視した。

 

すると、今度はさらに力強くノックされた。

 

ドンドン!!

 

「まゆちゃん。出てくれる?」

 

「嫌よ。どうせアイドルの誰かなんでしょ」

 

「出てあげないと、いつまでもいるかもしれいないよ」

 

「だったら放置しておけばいいじゃない」

 

「……お鍋のお湯、沸いてるよ」

 

ドンドンドン!! ガシガシガシ!!

 

扉が壊れるほどの勢いだった。

その主は、ついに言葉を開いた。

 

『プロデューサーさん、荒っぽいことしちゃってごめんなさい。

 私です。美優です。プロデューサーさんが急に

 辞表を出したって聞いたので、心配で様子を見に来ちゃいました』

 

響子は言葉を失った。

信じられないほど機械的な音声が扉越しに聞こえたからだ。

深い闇(病み)を感じずにはいられない。

 

プロデューサーが響子ばかり可愛がるようになってから、

おしとやかで優しかった三船美優さんは人が変わってしまった。

 

あんな危険な人物を愛する夫に会わせるわけにはいかない。

響子は玄関が万が一蹴破らられることのないよう、

大きめのテーブルを置こうとしたが、

 

「なんか玄関から可愛い声が聞こえたけど、宅急便でも来てるのか?」

 

とプロデューサーが自ら玄関を開けてしまう。

 

「ああ。あなたか。美優さん」

 

「プロデューサーさん……ああ、よかった出てくれて。

 こんな時間に押し掛けちゃってごめんなさい」

 

「いや……別にそんなことは。

 美優さんだったら俺はいつだって構わないよ。

 って、いて!!」

 

ケツを響子に思いっきり蹴られた。

自分以外の女に鼻の下を伸ばしてるのだから当然だ。

 

「あっ美優さん。こんばんわ。こんなところで会うなんて奇遇ですね?

 突然ですけど私、五十嵐響子はプロデューサーさんと結婚することになりました。

 プロデューサーさんは事務所に戻ることは二度とありませんので。

 報告は以上です。それでは、さよなら」

 

「ちょ。ちょっと待っ」

 

美優は不幸にも押し出されてしまった。玄関の扉は固く締められる。

 

美優のすすり泣く声がかすかに聞こえるので、プロデューサーは

バツが悪くなる。プロデューサーは響子のことを愛しているが、

同じくらいに美優の美しい顔とおっぱいを愛していた。

 

今までは周りにばれないように、美優のおっぱいを揉んだり

後ろ髪をなでたりしていたのだが、ある日ちひろにばれて社長に通報された。

当の本人(美優)は乗り気だったのでセクハラにはならないはずだが、

大人たちはそうは思ってくれなかった。

 

美優は、自分がプロデューサーに愛されている自覚があった。

だからプロデューサーの愛が響子に向くことが許せなかった。

 

最初は自分に自信のなかった彼女も、アイドル活動を通じて

26歳でもまだまだ十分に魅力があることを知っていた。

良い意味で自信を持ち、ますます美しくなっていった。

 

だからこそ、納得できるわけがなかった。

わずか15に過ぎない小娘如きに自分が負けたなどと。

 

 

『また来ます』

 

未亡人アイドルは帰った。

 

(また来てくれるのか……)

 

プロデューサーは胸がドキドキしていた。

 

 

夕飯の時間となった。

 

ご飯と大根と厚揚げのみそ汁。味噌は白みそだ。

おかずはおでんとサラダだ。

プロデューサーの家の冷蔵庫は色々な食材でいっぱいだった。

 

まゆの作ったのは、キュウリ、ハム、コーンが

たっぷり入ったパスタサラダだった。

胃痛のプロデューサーのために作ったさっぱりメニューだ。

 

「こりゃうまい」

 

と言い、プロデューサーはがつがつと食べる。

ホカホカのご飯のお代わりを頼む。

響子が笑顔で盛ってくれる。またしても大盛だ

 

パスタサラダも美味しいので一気に食べた。

食欲を促進するために、こしょうと練りからしが

絶妙に混ざっている。プロデューサーは感動した。

まゆの分も食べて良いと言うので、遠慮なく平らげる。

 

「うふふ。プロデューサーさんったら、

 そんなにお腹がすいてたんですね」

 

「自分でも不思議なくらいだよ。今までは胃薬を飲まない日は

 なかったくらいだが、今は全然違う。食が進む。

 明日から取引先のクソ野郎共に顔を合わせなくていいんだ。

 仕事のために早起きする必要もないし最高だ」

 

「まゆの作った料理を気に入ってくれたのなら、毎日作ってあげましょうか?」

 

「んー。そう言いたいところだけど、響子が怒るからやめようぜ」

 

まもなく妻になる響子は、お箸を握る手が震えていた。

 

「もう食べ終わったのなら佐久間さんは帰ってくれていいですよ。

 早く帰らないとご両親が心配すると思いますので」

 

「何言ってるの響子ちゃん。まゆは仙台出身なのに」

 

「はい。ですから仙台まで帰ったらどうですか。

 佐久間さんは、どうやら私の夫がいてくれないと

 アイドル活動が頑張れないようなので」

 

「今のはさすがのまゆでもカチンときちゃったなぁ。

 響子ちゃんの頭をねぇ、鈍器のようなもので

 コチーンと叩いてあげたいな」

 

「……まさか夜までいるつもり?」

 

「そうだけど?」

 

両者、無言。

 

放たれた殺気のために窓ガラスに亀裂が走る。

まだ食後の皿洗いも終わってないのだが、どちらともなく

台所から包丁でも取り出しそうな雰囲気だ。

 

「そろそろ風呂でも入るか」

 

プロデューサーは風呂場へ消えてしまう。

女たちの争いに関るつもりはないようだ。

彼が原因だと言うのに、いったい何を考えているのか。

 

響子とまゆが本気で口論を始めた。

ふたりは歌手でもあるのですごい声量だ。

耳を手で塞いでも意味がないのでストレスで吐きそうになる。

 

プロデューサーは風呂のイスに座って溜息を吐いた。

 

(そういえば失業保険の申請ってどうやるんだっけ?)

 

と思い、スマホをカバンから取り出してあ然とした。

 

着信音を消していたから気づかなかったが、

プライベート用の携帯にすごい数の着信があった。

LINEにも、ドコモのメールにもたくさん受信している。

 

「うわっ、なんだよこれ!! もう見るのすらめんどくせえ」

 

スマホを浴槽の湯の中につけてしまう。

湯の設定温度は42℃だった。

 

(これでもう、昔の人間関係とはお別れだ)

 

これで美優との連絡手段が絶たれてしまった。

 

彼は美優だけでなく新田美波のおっぱいも好きだったので、

美波と連絡が取れないことも残念に思った。

 

ちなみに美波の胸はまだ揉んだことがない。

彼女もまたありがたいことに自分を慕ってくれるアイドルとはいえ、

さすがに19歳の女性に胸を揉ませてくれとは言えない。

 

ドタバタと、部屋の方が騒がしい。

 

様子を見に行くと、響子とまゆが床でもみ合っていた。

肌から血を流しながら、髪を引っ張り合い、

足の裏を相手の顔に押し付け、一生懸命にキャッツファイトをしている。

 

「ちょっとコンビニに行ってくるよ」

 

プロデューサーはそう言って出て行った。

 

響子たちは喧嘩に夢中で聞いてないようだったので都合が良い。

 

アパートからコンビニまで歩いて7分。

格安のアパートだったので、決して近いとは言えない距離だ。

 

(今日は曇りだから星が見えねえ。おまけに風も強いと来た。

 せめてアウターを着るんだったな。

 響子たちが怖いから着替える暇がなかったんだ)

 

彼は上下赤のスエットでサンダルだった。

一月の寒空には厳しすぎるファッションだ。

 

(この空のように、お先真っ暗か。

 やっぱりコンビニに寄るのやめて戻ろうかな。

 風邪でも引いたら響子が心配する)

 

しかし女同士の争いなど見たくもない。

また働いていた時のように胃痛になってしまう。

 

厚手のコートを着て、速足で帰るサラリーマンの

男性とすれ違った。プロデューサーと同じくらいの人だった。

余程不満なのか、ぶつぶつと上司の悪口をつぶやいているではないか。

 

(つまらない人間関係か)

 

自分には明日からは無縁の世界となる。

 

暖かい缶コーヒーでも買うかと思い、コンビニまで歩いた。

店員のやる気のない声に出迎えられると、雑誌コーナーに

髪の長い女性がいた。よく見るとかなりの美人でスタイルも良く、

毛先が細くてよく手入れされていて……

 

「み、みなみ?」

 

「良かったぁ。プロデューサーさん……

 やっぱりコンビニに来てくれた」

 

「やっぱりって?」

 

「プロデューサーさんの行動パターンを調べたんです。

 だいたいこの時間帯にコンビニに来きますよね」

 

「さすが美波は大学生なだけあって賢いんだな」

 

「いえいえ。それほどでも」

 

「美波。君は本当に綺麗になったな。

 今の君なら、来年の大学のミスコンでも余裕で1位になれるよ。

 ぶっちぎりでな。

 俺は今まで美波をプロデュースできたことを誇りに思う」

 

「ありがとうございます。でもそれって……

 まるでプロデューサーさんが

 もう二度と私をプロデュースしてくれない

 みたいな言い方に聞こえちゃいますよ」

 

「……ちひろさんから事情は聞いてないのか?」

 

「ちゃんと聞いてます。凛ちゃんや加蓮ちゃんたちが

 メールを一斉送信してくれたので」

 

「そっか……。あー……なんてゆーか、

 最後にこれだけは言わせてくれ。

 好きだったよ美波。これはプロデューサーとしての

 俺じゃなく、ひとりの男性としての素直な気持ちだ。

 じゃあな」

 

「え? え……? ちょ、ちょっと待ってください!!」

 

美波が騒ぎ出したので若い男性店員が驚いていた。

プロデューサーは何気ない顔で缶コーヒーを買い、

そのまま店を出てしまう。

 

プロデューサーは全力疾走したが、

まもなく30歳の誕生日を迎えるために速力が出ない。

すぐ美波に追いつかれて足払いされた。

 

プロデューサーは両手を前に出した状態で

2メートルほどダイブし、電柱に頭を強打する。

頭を抱えて地面を転がり、行ったり来たりした。

 

「あのっプロデューサーさん!!

 さっき私の事好きだって言いましたよね!!」

 

「うん。だって好きなんだもん」

 

「で、でしたら、あの……あのあのっ……

 えっと、わわ、私と付き合ってくれませんか!!

 むしろ結婚しましょうよ!!」

 

「はい? 結婚? え……本気で言ってる?」

 

「本気ですよ……。冗談でこんなこと言うと思いますか」

 

美波はプロデューサーの横にしゃがみ、彼を抱き起してくれた。

 

「いや、俺さ、無職だし」

 

「お仕事なら、これからゆっくり見つければいいじゃないですか」

 

「それがな。しばらく失業保険でも貰いながら

 ゆっくりしようかと思ってんだよ。自己都合だから

 三か月後に支給される仕組みになってて」

 

「私も知ってますよ。会社都合の解雇じゃない場合は

 即支給されないんですよね。それに自己都合の場合は求職活動を

 続けてるアピールもしないと支給の対象になれない」

 

「美波は本当に頭良いよな。資格の勉強もしてるもんな」

 

「はい。もうすぐFP3級が取れそうなんです。

 次は日商簿記や宅建にチャレンジしようかと」

 

「美波って大学は経済学部だっけ?」

 

「そうですよ。あれ。伝えてませんでしたか?」

 

「初めて知ったよ。なるほどね……。ふーん。

 美波は俺と相性が良さそうだな……」

 

「え?」

 

「なんでもない。結婚とかの話はまた明日にしようぜ。

 実は家にまゆが押しかけてて困ってるんだよ。

 早く帰らないと、俺の響子も心配すると思うしさ」

 

プロデューサーは涼しい顔で言ったが、

この一言が美波に与えた衝撃は相当なものだった。

 

プロデューサーの自宅にまゆが訪れていることも問題だが、

今プロデューサーは、はっきりと『俺の響子』と言ったのだ。

ならばこれは当然の帰結。彼がプロデューサーを辞めたのは

響子と結婚するためだ。これからは事務所じゃなくて

夫婦として堂々とイチャイチャするのだ。

 

(他の女に奪われたくない……!!)

 

焦り、嫉妬、絶望、憤怒。

美波の中で人としての何かが失われる音が確かに聞こえた気がした。

 

 

「それでしたら私の家に帰りましょうか」

 

カシャリ。

 

プロデューサーの両手にはめられた手錠の音だった。

 

「ちょっとぉ。なにこれぇ? こーゆーの困るんだけど」

 

「私だって困ってます」

 

「……一応訊くけど、なにが?」

 

「いろいろありますけど、まず最初にプロデューサーさんが

 私に何の相談もなく勝手に仕事を辞めちゃったことです。

 それと風のうわさで響子ちゃんと婚約したみたいなことも

 聞きましたけど、もちろん冗談なんですよね?

 冗談だって言ってくださいよ。ねえ。冗談ですよね?」

 

「み、美波……?」

 

「そもそもどうして響子ちゃんなんですか?

 プロデューサーさん、相手が何歳か知ってるんですか?

 15歳ですよ15歳。まだ結婚できる年齢じゃないですよね。

 15歳なんてまだ反抗期も抜けてないクソガキですよ。

 みんなに抜け駆けしてお弁当作ってきたりして、あれ、なんなんですかね。

 はっきり言って目障りだし、ムカつくんですよ。ねえ聞いてます?」

 

「わ、悪い。寝てた。それでなに?」

 

「ちゃんと聞いてくださいよ。私は真剣にお話してるんです。

 私はまゆちゃんも大嫌いですからね。あの子、年上に対して

 何様のつもりなんでしょうね。前にね、私言われたんですよ。

 体だけの魅力の人は、どうせすぐ飽きられますよって。

 あれ、なんのつもりだったんでしょうね? 私が歩くセックスとか

 呼ばれてるのを皮肉ったつもりなんでしょうけど、

 結局自分が正妻だって言い張りたいだけじゃないですか、ねえ」

 

「お、おれの好きな美波は……そんなこと言わないっ!!」

 

美波の瞳からハイライトが消えていた。もはや鬼だ。

超美人の美波でさえ、こうなってしまうと恐怖の対象でしかない。

 

プロデューサーは漏らしそうになるのを必死でこらえていた。

今すぐ逃げ出したかったが、美波に腕をつかまれており

どうにもならない。骨が折れるほどの力だった。

 

遠くから

 

「プロデューサーさ~ん」「あなた~~」と声が聞こえた。

 

例の二人が心配して探しに来たのだ。

 

「ちっ。ガキどもが」

 

美波はプロデューサーを抱えたまま、自分のアパートまで駆けだした。

長身のプロデューサーは体重が60キロを超えるが、

ラクロスで鍛えてるのでそこまで重くは感じられなかった。

さすがは英国の伝統あるスポーツ。ラクロスだ。

 

 

   美波によって拉致されたプロデューサー。

    追いかけるまゆと響子。

     そういえば智絵理はどうなったのか?

      

       波乱万丈の物語は、次回へ続く。  

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

大天使・智絵理が襲い掛かって来た。

「泥棒猫の美波さ~~ん。

 プロデューサーさんが中に居るのは分かってるんですよ。

 無駄な抵抗は止めて、おとなしく出てきてください」

 

一週間で智絵理に居場所がばれてしまった。

 

美波はセキュリティのしっかりとしたマンションの一室に

プロデューサーを監禁していた。警備員がいるタイプの

マンションであり、部屋が4階の一室なので

正確な情報がないとここまで来れないはずなのだが。

 

「腹立つなぁ……あの淫乱女。来るの早すぎでしょ。

 パパにおねだりして高い家賃を払ってもらってるのにさぁ」

 

「み、みなみ。昔の同僚を淫乱なんて呼ぶのはよくないよ」

 

「アイドルなんて、みーんな淫乱ですよ。私以外の女はね」

 

プロデューサーはパンツ一丁でベッドに寝かされていた。

好きでパンイチなわけではない。新田美波に無理やり脱がされたのだ。

 

その際に、こう訊かれた。

 

「携帯が見当たりませんけど」

 

「風呂の中に入れちゃった」

 

「なんですかそれ。まあいいです」

 

そして足にも手錠をされ、ベッドで寝かされた。

彼が絶対に脱走しないように、足首の手錠の先は、

長い鎖で鉄球につながっている。

 

鉄球の重さは120キロだった。

これでは床が抜けてしまうそうな気がするが、

小説なので細かいことは考えないことにする。

 

「念のために言っておきますけど、

 私が仕事や買い出しに行ってる時に

 脱走しようとしたら、どうなるか分かってますよね?」

 

「はい……。僕はおとなしくここで寝てます」

 

どうせ脱走するのは無理だ。

 

できるだけ婚約者の響子のことも考えないようにした。

女のカンは鋭いから、響子のことを頭に思い浮かべるだけでも

美波にばれてしまう可能性がある。

 

 

 

美波は、夜は激しく求めてきた。

 

「良い子ですね。プロデューサーさん」

 

体の自由を奪われたプロデューサーの体を愛おしそうに

舐めまわし、彼のいきり立ったアソコを細い指で

しっかりと握り、上下に動かす。

 

「うっ……」

 

この1週間で、美波の優しくも荒々しい手つきで

何度イかされたことか。もう自分たちは仕事上の付き合いじゃない。

 

ちひろや社長に怒られることもない。

週刊誌の記者に付け回されることもない。

 

ここはアイドル女子寮から離れた場所にある高級マンションだ。

その安心感が、プロデューサーを性行為に没頭させた。

 

美波はパンツをはいたままプロデューサーの顔の上に

またがってアソコを押し付けたり、大きな胸を押し付けたりした。

プロデューサーは赤ん坊のように彼女の乳首に吸い付いた。

 

「プロデューサーさんは動かなくていいですよ。

 天井の染みでも数えていてください。すぐに終わりますから」

 

困ったことに、綺麗なマンションの一室なので天井の染みなどなかった。

美波は19歳なのによくこんな古臭いネタを知ってるものだと思った。

 

「はぁはぁはぁ……見てくださいよプロデューサーさん。

 こんなに奥まで入っちゃってますよ」

 

美波は文字通り寝させてくれなかった。

彼女がプロデューサーの上で半身をのけぞらせて

達する時、その姿があまりにもいやらしいので

またしてもプロデューサーのそこが元気になってしまう。

 

高校生の響子やまゆの色気とは次元が違った。

女の花。二十歳前にしても、新田美波の美しさは想像を絶した。

 

彼女の裸を目にして、ついに理解してしまった。

自分の手腕で日本中から魅力的な女性をかき集めた

シンデレラガールズで一番美しかったのは、彼女だったのだと。

 

「みなみ……みなみぃ。好きだぁ」

 

プロデューサーは、すっかり彼女のとりこになってしまった。

監禁生活を始めて3日目にはこうなってしまった。

美波のおっぱいやお尻、太ももなしには生きていけない。

 

男とは、哀しい生き物だ。

 

 

「泥棒猫の美波さ~~ん。

 プロデューサーさんが中にいるのは分かってるんですよ。

 無駄な抵抗は止めておとなしく出てきてください」

 

そして冒頭の智絵理のシーンへ戻った。

 

プロデューサーはすでに脱走する気などなかったが、

美波が信用してくれないのでベッド上に万歳で手錠されてる。

 

「泥棒猫でド淫乱の美波さ~~ん。

 プロデューサーさんの赤ちゃんを身ごもうとしてもダメですよ。

 もうすぐここに皆が来ますから」

 

智絵理がそう宣言してから、来る来る。

今までプロデューサーが担当してきた

アイドルたちが集まってきた。

 

「やっと見つけたよプロデューサー。

 どうしてメールの返事をしてくれなかったの。

 ちゃんと説明してくれないと気が済まないから」

 

「早く諦めて出て来てよ、プロデューサー。

 私ね。また熱が出ちゃったんだよ。

 プロデューサーに会えたら良くなると思うんだ」

 

凛と加蓮だった。続けてまゆや響子、美優さんや

楓さんなどが集まってしまい、マンションの前は騒然となった。

玄関をゲシゲシと蹴られるので、何時壊れるか分からない。

 

凛がいっそ有害なガスで攻めるべきではないかと

提案したので、さすがの美波も背筋に冷たい汗が流れる。

 

ドアホン(テレビ機能付き)越しに美波がしゃべる。

 

「みんな。聞いて。不愉快だろうけど聞いて。

 私は、プロデューサーさんと正式に結婚することになりました」

 

互いの判が押された婚姻届けを画面越しに見せた。

プロデューサーをすっかり骨抜きにした後に書かせたものだ。

 

「そんなものは無効ですよ」

 

まゆが自信満々に言う。

 

「婚姻届は市役所で受理されないと効力が発生しませんからねぇ。

 このマンションはすでに包囲されてますから

 美波さんは生きてこのマンションを出ることができません」

 

「なんて姑息で卑怯な真似を……。だったら警察に通報してやる!!」

 

「まゆ達は逆に美波さんを通報してあげたいくらいなんですけど。

 だって、そうじゃないですか。プロデューサーさんを

 勝手に連れ出してこんなところに監禁しちゃってるのに、

 どの口がそんなことを言うんですかぁ?」

 

「まゆちゃんってさ。本当に生意気だよね。

 あんたの顔、二度と見たくないけど、

 その耳で私の夫に話を聞けば納得してくれるって信じてるよ」

 

プロデューサーは手錠を外された。関節がバキバキ鳴る。

トイレと風呂以外で彼に自由などなかったのだ。

 

ドアホン越しにしゃべる。

 

「あー、みんなお疲れ。まだアイドル続けてるのか?

 あんなつまんねー仕事はもう辞めちまえよ。

 そんで婚姻届けの話だが、あれはマジだ」

 

響子と智絵理が怒り狂い、玄関にタックルを繰り返した。

凛は消火器を振り回して暴れてる。

病弱なはずの加蓮は、駆け付けた警備員を蹴り飛ばした。

 

そんなことをしてる間に奈緒や島村さんもやって来たので

さらに場が混乱し、もはや収拾がつかない事態となった。

 

「俺はしばらくこのマンションから出ないからな」

 

プロデューサーが話を続ける。

 

「だって外に出たらお前らと会っちゃうじゃないか。

 俺は今でもみんなの事大好きだし、大切に思ってるよ。

 でも色々と細かいこと考えるのが、めんどくさくなっちまった。

 今も胃痛がすごくて吐きそうなのをこらえながらしゃべってるんだぞ。

 今夜の美波の料理が食べられなくなったら、愛が足りないって

 言われて俺が怒られるんだよ。だから帰ってくれないか?」

 

「ふ~~~ん。そんなこと言っちゃっていいんですか?」

 

島村さんがキレていた。笑顔の素敵なアイドル、

島村卯月。17歳の高校二年生。

出身地は東京都であり、できれば敵に回したくはない相手だった。

 

「私達のことをその気にさせるだけさせて、いざその時になったら

 あっさりと捨てて逃げてしまう。男の人って楽ですよね。

 嫌になったら逃げればいいんですから」

 

「逃げたっつーか、俺の場合はクビだな」

 

「私達が社長や常務と『お話』したので首は取り消してくれてるんですよ。

 プロデューサーさんには更生の機会が与えられるって言ってましたよ。

 メールたくさん送ったのに見てなかったんですか?」

 

「あー悪い。携帯無くしちゃったんだよ」

 

ズドオオンと、大砲がうねる音がした。

 

卯月が玄関を力いっぱい蹴った音だった。

あまりの威力にマンション全体がガタガタと揺れ始めた。

普段からダンスやボイトレで鍛えられてるアイドルの筋力は並大抵ではない。

 

「美波さんみたいな淫乱女と暮らしても、どうせすぐ飽きちゃいますよ。

 それに監禁って立派な犯罪ですよ。プロデューサーさんは

 犯罪する人と一緒に暮らしたいんですか?

 そんな簡単に結婚相手を決めたって絶対に幸せに離れませんよ」

 

「アイドルの間で淫乱呼ばわりするのが流行してるのか?

 まあ今だから言うけど、俺だって美優さんによくセクハラ

 してたからお互いさまって感じだな」

 

美波が「美優さんにセクハラってなにそれ? 詳しく聞かせて下さい」

と言い、プロデューサーを後ろから羽交い絞めにした。

 

プロデューサーは関節が痛めつけられ、

呼吸困難になりながらも歯を食いしばり卯月と会話を続けた。

 

「島村さん。俺はプロデューサーをやるつもりはないよ。

 これからはコンビニで働きながら将来について考えるよ。

 2年くらいかけてな。

 勤務先のコンビニが決まったらあとで教えるから(嘘)」

 

「卯月ですよ」

 

「ん?」

 

「なんで今島村さんって呼んだんですか?」

 

「いや……失礼かと思ってな。だって俺達はプロデューサーと

 アイドルの関係じゃなくなるのに、若い女性を下の名前で

 気安く呼ぶのはどうかって思うじゃないか」

 

実は嘘で、美波の怪力で腕をつかまれながら、

わざと冷たい態度を取るように指示されていた。

 

ちなみにラクロスで鍛えられた美波の握力は78である。

(平均男性が47)

 

「私の名前は卯月です!!」

 

「もう俺たち赤の他人じゃん」

 

「卯月です!!」

 

「そうだね。島村さん」

 

「卯月だって言ってるじゃないですか!!」

 

「埼玉県発祥の企業と言えば?

 ファッションセンター・しまむら!!」

 

「さっきから私のことバカにしてますよね!!」

 

などと茶番をやってる場合ではなかった。

 

もくもくと、煙が立ち込めてきた。

 

何事かとプロデューサーがあたりを見渡すと、

なんとエアコンの通気口から謎の白い煙が流れ込んできた。

 

遠隔操作でエアコンが勝手に作動しており、

マンションの部屋中にあっという間に煙が充満してしまう。

 

美波はすぐにハンカチを口に当てる。

目が充血して涙を流しながらもプロデューサーの手を引いて

お風呂場に逃げる。すると風呂場の天井にある通気口からも

白いガスが襲い掛かって来た。

 

美波は部屋に干していた生乾きのブラジャーを、

プロデューサーの口に当てさせる。

 

部屋中は白い煙で視界が悪い。

換気のために窓を開けようと思ったが、

どうせ奴らは次の手を考えているに決まっている。

 

もうこれまでかと思い、消火器を持ったまま玄関に突撃した。

 

すると、いたいた。

 

かつての同僚たち。広い中廊下にピクニックシートを広げて

紅茶を飲んでいた。明らかに異様な光景だが、プロデューサーが

観念して出てくるまで一か月でも居座るつもりだった。

 

非常階段付近には気絶した警備員のおじさんが数人転がっている。

アイドルに暴行されたのだろう。

 

美波は消化器のピンを抜き、まず智絵理に向けた。

 

「うわあぁぁぁぁあぁぁぁぁぁ!?」

 

消化器の威力によって、智絵理の体はマンションの内廊下の壁を

突き破り、さらには群馬県の方角へ向けて飛んで行ってしまった。

 

なぜこんなに威力があるのかと問われても困るが、

おそらく美波がラクロスで鍛えた成果なのだろう。

 

「なあ美波。なんで最初に智絵理に撃ったんだ?」

 

「だって可愛いじゃないですか。智絵理ちゃん」

 

「えっ。まさか嫉妬してる?」

 

「初めて会った時から嫉妬してましたよ。

 小さくて可愛らしくて、男性の庇護欲をそそる感じで、

 私にはないものをたくさん持っててうらやましい」

 

(美波みたいな美人でも同性に嫉妬することってあるのかよ……)

 

ちなみに美波が高校二年時の一年間で男子に告白された回数は、

27回だと言う。中には35歳の男性教諭まで含まれていた。

本人いわく、男にモテたことで特だったことは一度もなく、

卒業するまで誰とも付き合わなかったそうだ。決してレズではないのだが。

 

凛が、奇声を発しながら美波に襲い掛かって来た。

美波はカウンターでフックを食らわせ、一撃で沈黙させた。

(クロスカウンター)

 

次に奈緒や島村さんがジャンプし、

両手を挙げながら突っ込んできたので、

順番に腹パンをして黙らせることに成功。

 

「う……うそぉ……」

 

島村さんはよだれを垂らしながら床に転がっている。

お腹に鉄球が当たったような感触だった。これほど腕力のある

女性に出会ったの初めてであり、同時に屈辱だった。

 

楓さんは逃亡した。ダジャレを思い付く暇もなかった。

加蓮は怖くなったので死んだふりをした。

 

まだ戦意を失っていないアイドルは、

美優さんとまゆだけだ。あとプロデューサーのお嫁さんの響子もいた。

 

響子は戦闘力の高い美波を警戒して距離を取るが、まゆは動じない。

美優さんも震えながらも美波を親の仇のように睨んでいた。

 

「まゆちゃんもちょっと消えてくれるかな?

 あなたもお人形さんみたいに可愛いからムカつくんだよ」

 

美波は無情にも消火器のスイッチを押してしまう。

 

ラクロス部の消火器を食らっても尚、まゆは吹き飛ぶことはなかった。

彼女は鉄のメンタルで耐えたのだ。美波の想像を絶する暴挙に。

 

まもなくして消化器は弾切れ(燃料だが)になった。

 

まゆは全身が口の中まで真っ白になり、

真っ赤な可愛らしいヒールも色も染まってしまった。

 

「わぁい。色違いのヒールになっちゃった♪」

 

と笑顔で言いながら、目が全く笑ってなかった。

フリフリのドレスタイプのワンピースも台無しだ。

 

その瞳が告げていた。

 

新田美波をこの世から抹殺すると。

むごたらしく痛めつけてから殺すと。

 

佐久間まゆを本気で敵に回すことの恐ろしさを考えると、

並の人間ならば、むしろこちらから命乞いをしてもおかしくはない。

後で何をされるか分からないからだ。

きっと陰湿な方法で仕返しをされるに決まっている。

 

しかし美波は前述の通り鍛えられている。

ラクロス経験者と未経験者の間では、

大人と子供くらいの戦闘力の差が出るらしい。

 

美波は、まゆの綺麗な顔にぐーぱんを食らわせようと踏み込むが、

 

「うっ……?」

 

視界が、ゆがんだ。

 

天と地が、ひっくり返ったかのような違和感。

 

おかしい。踏み込みには誰にも負けない自信があった。

スピードスケートの高木姉妹の妹と比べても

そんなに劣ってないだろうと思っていた。

 

しかし、これはどういうことだ?

 

足に力が入らないのだ。

 

「すきだらけですよぉ?」

 

まゆによる華麗なるヒザ蹴りが、美波のお腹に突き刺さる。

 

美波は垂直に吹き飛んだ。

 

内廊下の天井へ四肢を叩きつけられ、重力に従って落ちてきた。

元気の良いバッタのような動きだった。

 

「ぐはっ」

 

美波は大往生したまま吐血した。

コップ一杯分の血を吐いた。

 

(ごめんなさい。プロデューサーさん。

 これはもうダメかもしれないわ)

 

 

   まゆのヒザ蹴りがクリーンヒット!!

    あの戦闘力の高いはずの美波がなぜ!!

     絶体絶命の美波は、いったいどうなってしまうのか!!

 

  

                    次回へ続く。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

美優さんは、やはり聖母だった。

※ 適当に書いてます。自分でも何を書いてるかよく分かってません。


美波は負けた。全てにおいて負けた。

命を懸けた勝負に敗れた者がどうなるのか。

それはもはや語るまでもないことだ。

 

「敗者が歯医者に行く……ぶほっ」

 

「楓さん……。逃げたんじゃなかったんですか」

 

プロデューサーの横にちゃっかり陣取る楓さん。

形勢が有利になるまで物陰に隠れていたのだ。

 

「まゆちゃん。殺される前にひとつ教えてほしいんだけど」

 

「なんですかぁ? できればあなたとこれ以上

 会話すらしたくないと思っているんですけど」

 

「あのガスの正体は?」

 

「するどいですねぇ。新田さんの身動きがにぶくなった

 原因がガスだと気づいているとは」

 

まゆは美優を指さし、証拠を見せてあげなさいと目線で指示した。

年の差が10歳もある割には偉そうな態度だ。

美優はまゆに軽く頭を下げてから、両手に持った物体を見せた。

 

 

 ☆バルサン☆

 

 シュっとこすって煙が出るタイプ。

 

 フタでこするだけの簡単始動! スミズミまでよく効く!

 ゴミ、ダニ、ゴキブリを撃退!! 第二類医薬品。

 

 

「プロデューサーさんを監禁しちゃう

 おバカさんにも効果があったみたいですねぇ」

 

「くっ……。どうりで嗅いだことのある匂いだと思ったわ」

 

問題は、どうやってガスを部屋の内部にまで浸透させたかだが、

書いてる筆者もよく分かってないので気にしないことにする。

 

 

「バルサン。バルサン。バルサンと言えば、モンゴルの指導者。

 チョイバルサン。チョコッとバルサンくれない? チョイバルサン」

 

「楓さん……今シリアスな状況なんで静かにしてもらっていいすか?」

 

と言いつつも、美人の楓さんが言うものだから

チョイバルサンをスマホで調べて見たくなるが、

あいにくスマホを持ってない。代わりに楓さんに調べてもらった。

 

 

・ホルローギーン・チョイバルサン

 

 光緒21年1月14日(1895年2月8日 - 1952年1月26日)

 モンゴルの革命家、軍人、政治家。

 恐怖政治を実施し、モンゴルのスターリンと呼ばれる。

 

 

「ねえねえ。ねえねえ、プロデューサーさん?」

 

プロデューサーは、背中を長槍で刺されたのかと思った。

 

それくらいまゆの視線は強烈だった。

プロデューサーは、やってはいけないことをしてしまったのだ。

 

「どうして楓さんと仲良さそうに肩を寄せ合ってるんですか?」

 

まゆが貧乏ゆすりをすると、マンション全体がぐらぐらと揺れ始め、

仕舞には奥多摩地方の山々まで震えて鳥が逃げて行った。

 

「ま、まあ怒るなよ。

 チョイバルサンの元ネタを教えてもらっただけだ。

 ほら。俺って携帯がないじゃん?」

 

「むしろプロデューサーさんは携帯を一生持たなくて

 いいと思いますよぉ。まゆの目の届かないところで

 どこの馬の骨とも分からない女性とやり取りするか分かりませんもの」

 

「まゆ……おまえはいったい何者なんだ?

 初めて会った時から普通の女の子とは違うと思っていたが、

 それにしてもお前はとんでもない奴だよ」

 

「それって誉め言葉ですか? それともバカにしてます?」

 

「悪いが後者だよ。ぶっちゃけ俺はお前に恐怖しか感じてない。

 たぶんお前の裸を見たとしても何も感じないと思う」

 

「うふふふ。いいんですよぉ。愛はゆっくりと育むものですから。

 今はまゆのことが怖いのだとしても、一緒に生活するようになれば

 お互いのことが、たぁくさん分かるようになるでしょうね?」

 

「く、来るなぁ。楓さん、助けてくれぇ」

 

楓さんはまた逃げてしまった。

都合が悪くなると逃げ足の速い人である。

 

楓さん曰く、逃げるのは25年の人生で学んだ

生きるための知恵らしい。知恵なのか。

 

「まゆちゃん。もうその辺にしましょうか」

 

「美優さん……」

 

年上の余裕を感じさせる聖母が、まゆの肩に優しく手を置いた。

 

「実はプロデューサーさんが疾走してから私達は考えたんですよ。

 そう。プロデューサーさんをみんなで管理する方法を……」

 

「待ってくれ美優さん!! 俺は事務所に戻るつもりはないんだ!!」

 

「ええ……。それは知ってます。

 そうではなくて、私達もプロデューサーさんと

 一緒に生活すればいいのでは? と思ったんです」

 

つまり、こういうことだった。

 

今回の美波によるP拉致事件は

万死に値すると言う点で全員の意見は一致した。

 

このような無意味な争いを続けるよりは、

いっそみんなでプロデューサーを平等に分け合った方が

合理的ではないかと言う発想だ。

 

「ヤーの国では常識。大切なものは、みんなで共有する。

 共有財産。プロデューサーはみんなのもの。

 仕事を辞めたって絆は消えない」

 

ロシア系美少女のアナスタシアが登場した。

プロデューサーを奪い合うことの無意味さを主張したのは、

父親が旧ソ連出身の彼女だったのだ。

 

「私は反対です!!」

 

響子だ。堂々と正妻を気取っていることから、

最近は周囲から孤立しつつある。

 

「みんな言ってる事おかしくないですか!!

 プロデューサーさんは、妻として私を選んだんですよ!!

 なのに現実を認めないで、負け犬同士で集まって

 彼を管理したいだなんて、そんな理屈が通るわけないじゃないですか!!」

 

しかし彼女の意見は少数派だったので黙殺された。

正論だったのだが。

 

「私はまゆに賛成だな」

 

「私も同じ」

 

凛と加蓮が復活していた。

大往生している美波をゲシゲシ蹴っている。

それから島村さんや奈緒まで賛意を示した。

四人で囲んで美波を蹴りまくる。

 

これで響子の孤立は決定した。

 

当の本人のプロデューサーにも同意が求められた。

契約には本人の同意が……と言うやつである。

 

「悪い。腹痛いんだ。トイレ行ってきていいかな?」

 

「いいですけど、15分以内に戻ってこなかったら

 美波さんの命は保証しませんよ?」

 

今の発言をしたのは島村さんだった。

真顔で包丁を握りしめており、予断を許さない状況だ。

 

「はは。すまん。なんか治った」

 

「そうですか。それは良かったです」

 

「おう」

 

「で? 私が怒る前に返答をお願いできますか」

 

「……質問がある。住む場所はどうするんだ?」

 

「ここですよ。このマンション」

 

プロデューサーは腰が抜けそうになった。

ここは美波が契約した賃貸マンションである。

 

確かに部屋の間取りは広い。

結婚後に4人家族で生活することを想定してそうな感じだが、

今目の前にいるアイドルだけでも7人くらい入るだろう。

 

「私達も仕事がありますから、普段から毎日家に

 いられるわけじゃないです。ローテーションを組んで

 プロデューサーさんを監視することになると思います」

 

「ちょっと待ってもらってもいいか?

 それだと俺にとってメリットが何もないじゃないか。

 俺はお前達に監視されるのが嫌で仕事を辞めたようなものなんだよ。

 仕事を辞めた後もアイドルに監視されてるんじゃ意味ないだろ。

 むしろ給料がなくなった分だけ損した気分だ」

 

「お金のことなら私達が稼いであげますから。

 プロデューサーさんは何も考えなくていいんですよ。

 生まれたばかりの赤ちゃんに戻って私達に甘えてください」

 

「赤ちゃんっておまえ、マジで言ってるのか?」

 

「はい」

 

「……それだと俺はダメ人間にならないか?

 俺、コンビニで働きたいと思ってるから、

 そういうの困るんだよね」

 

「コンビニで働きたいんですか?」

 

「おう。ローソンとかで」

 

「絶対にダメです」

 

「なんで? おまえローソン嫌いなのか?」

 

「プロデューサーさんが、新しい職場で働いたら、

 また新しい女を見つけちゃうでしょ!!

 それでその人のことで頭が一杯になって、

 私達のことなんてどうでもよくなって、

 また捨てるんだ!!」

 

「束縛じゃん……」

 

「なんですかその顔は!! 全部プロデューサーさんが悪いんでしょ。

 何も言わずに逃げ出して、おまけに美波さんに拉致されたりして、

 私達をこんなにも悲しませて、勝手過ぎますよ!!」

 

「卯月達に何も言わなかったのは謝るよ。すまなかった」

 

「口では何とでも言えるんですよ!! 

 私はもう許しませんからね!!

 もうプロデューサーさんの口車には騙されないから!!

 明日からは勝手に外出することはもちろんだけど、

 私たち以外の女に目を向けることさえ許さないから!!」

 

「うっ……だ、だめだ。もう吐く」

 

プロデューサーはトイレに駆け込んでモドした。

たぶん胃に八つくらい穴が開いたほどのストレスだった。

 

戦地で戦っているウクライナ兵の気持ちが少しわかった。

目の前が真っ暗になり、指の先が小刻みに震える。

 

できればもう寝たいが、早く戻らないと怒られる。

ふらふらになって玄関に戻って来た。

 

彼の顔色は、宇宙戦艦ヤマトに登場するガミラス星人のようだった。

 

加蓮がさっそくプロデューサーを介抱しようとするが、

まゆに邪魔をされる。楓さんが彼に近寄ろとしたら凛にぶっとばされた。

アナスタシアは美波の看護に忙しかった。奈緒はオロオロしている。

 

このような修羅場でプロデューサーに近寄れることができたのは、

大聖母と呼ばれる三船美優さんだ。彼女はプロデューサーの腕を抱きしめた。

大きな胸の感触と、美優さんの甘い匂いでプロデューサーの

気持ちは嘘のように楽になり、さらには勃起した。

 

「プロデューサーさんは、今まで本当によく頑張ってくれました。

 頑張り過ぎたせいで少しおかしくなっちゃたんですよね?

 私は今までプロデューサーさんに支えられていましたから、

 今度は逆にプロデューサーさんを支える側になりたいんです。

 人生長いんですから、少しくらい休憩してもいいんじゃないでしょうか」

 

「美優さん……」

 

「私達は、プロデューサーさんがいない未来なんて考えられません。

 アイドル活動だって、みんなが辞めるわけじゃありませんよ。

 凛ちゃんや加蓮ちゃん達はこれからもアイドルを続けます。

 ですから、ね? 事務所には来なくてもいいんです。

 家から少しアドバイスをくれるだけでもみんなが元気になれます。

 そうしたら、みんながまた『てっぺん』を目指せると思いませんか?」

 

プロデューサーは、言葉面だけでは感じられない狂気を

はっきり感じていた。美優さんの瞳が明らかに光彩を失っているのだ。

 

美優さんは落ち着いた大人の女性だから、お尻の大きい島村嬢のように

騒ぐことはしなかった。だが、言外に逆らったらどうなるのか

プロデューサーには分かりきっていた。

 

美波がやったように、両手両足を縛られて監禁される。

まるで家畜やペットのように。

 

「分かったよ美優さん。あなたがそこまで言うなら仕方ない。

 俺は美優さんの考えに従うことにするよ」

 

「ありがとうございます♪ 分かってくれてよかった」

 

「ああ、なんだか無性に眠くなってきたな……」

 

「あらあら。大丈夫ですか?

 眠いんでしたら、無理せず寝ちゃいましょうよ。

 私がベッドまで運んであげますからね?」

 

「す、すみません……みゆ……さ……ん……」

 

気を失う瞬間、プロデューサーは見てしまった。

あの優しかった美優さんの口角が限界まで上がっていたことを。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

アイドルマスター・ヤンデレラガールズ

『プロデューサーの私生活を管理するための、

 346プロアイドル(元を含む)による委員会』

 

通称『委員会』が発足した。

長いので委員会でいいだろうということだ。

 

響子は「人の旦那を勝手に束縛するための茶番」だと

猛烈に抗議したが、少数派の意見なのでやはり黙殺された。

 

メンバー構成は下記になる。

 

・委員長  まゆ

・副委員長 まゆ

・会計   まゆ

・書記   まゆ

 

・助言役  アナスタシア

・雑用   他の全員

 

 

つまり佐久間まゆによる独裁的な組織だった。

まゆの独裁的な権力は、ドイツのヒトラーと同等とされた。

 

「なんであんたが偉そうに」

 

と加蓮達が反対したが、まゆが天才的な頭脳で

この組織の概要を説明を始めると、

そのあまりの素晴らしさに完全に屈服してしまう。

 

まゆが一度口を開くと、見る見るうちにその話術のとりこになり、

もう反対しようとか、対案を示そうとか、

そんな気持ちすらなくしてしまう。

 

「皆さんは、まゆの言うことだけを聞いていればいいんです」

 

16歳の娘にしては生意気が過ぎる物言いだが、

彼女には生まれながらにして支配者としての貫禄が備わっていた。

 

彼女が実の父親を口げんかで完全に言い負かしてしまったのは、

まだ10歳の時だった。小学生の時に児童会の会長をやったこともある。

 

中学に上がってからモデルに興味を持ち始めてから

学校行事からは遠ざかったが、幼い時に身に着けた政治感覚は失われてない。

 

「それでは第一回の会議を開きたいと思います」

 

まゆは美波の部屋に置いてあったノートに、

次々に決まり事を書いていく。

 

会議と言う割には誰の意見も気かず、たまに

アナスタシアと話し合いながら内容を修正していった。

 

アナスタシアは、あどけなさの残る美少女だが、

父親の家系がソ連なのでまゆに似た冷たい感情を

内に秘めていたので助言役に選ばれた。

 

「現在までに考えられた規則はこれです」

 

まゆが、ノートに書いた内容を明瞭な声で読み上げた。

 

・委員会のメンバーは美波のマンションで生活する。

・プロデューサーの監視はローテを組んで行う。

・元アイドルは特別な用がない限りは外出しないこと。

・最低でも2人はこのマンションにいる状態を維持する。

 

「次にプロデューサーさんの処遇ですが、

 以下の内容に反した場合は罰を与えます」

 

・マンションから出る。

・電話に出る。

・就職活動をする。

・美波と話す。

・響子と話す。

・上の条件に対して文句を言う。

 

これは、明らかな奴隷契約だった。

アイドルがするべきことではない。

 

特にまゆは、プロデューサーと婚約していた美波や響子に対して

容赦がなかった。アイドルの共有物であるはずのプロデューサーを

抜け駆けして奪おうとしたことに関する罰が与えられることになった。

 

ちなみにこれは委員の全会一致だった。

 

「ちょ、ちょっとまゆちゃん……?

 これは何の冗談なのかなぁ」

 

美波は数人に取り押さえられ、片足に鎖をはめられた。

響子にもだ。二人の左足の先は、120キロの重さの鉄球と繋がった。

 

美波がプロデューサーの脱走防止用にアマゾンで買ったものが、

皮肉なことに自分に使われることになるとは。

 

加蓮が、にやにや笑いながら美波の腕に手錠を

はめようとすると、さすがに暴れ出した。

 

165センチで腕力のある美波を押さえつけるのは大変だ。

アナスタシアが美波の耳元でこうささやいた。

 

「ヤーたちのプロデューサーを勝手に奪おうとしたのですから、

 ミナミにはバツが必要です。これは、寛大な処置です。

 どーしても分かってくれないのなら、シベリア送りにしますよ?」

 

「わ、分かったわ。アーニャちゃん……。

 ごめんね。怒ってるよね? 抵抗しないから好きにして」

 

ラブライカの絆など、もろいものだと思い、美波は涙した。

 

響子は、初めから抵抗はしなかった。

まゆがドSの笑みを浮かべながら、手錠をはめる時でさえ、

 

「響子ちゃんはこれから自由が奪われるんだよ。

 何か言いたいことはないのかな?」

 

「私があんたに謝れば満足するの?」

 

「いいえ。決して許さないけど。

 とにかくプロデューサーさんの

 奥さんのふりは二度としてほしくないかなぁ」

 

手錠がはめられてから、響子は静かに目を閉じた。

美波とそろって部屋の隅に置き物のように放置された。

風呂とトイレ以外では動くことを許されない。

 

ここは美波のマンションの一室のはずなのだが、

委員会によって占領されることが決定してしまった。

 

ちなみに家賃の支払いは当然美波になる。

彼女の父親は娘思いの優しい人で、

月14万円の家賃の半分以上を払ってくれていた。

 

『セキュリティのしっかりとしたマンションでないと

 娘が心配だからな』と、美波の寮からの転居に賛成したのだが、

 結果的にはセキュリティなどあったものではなかった。

 

 

こうしてプロデューサー、美波、響子の三人が

管理される生活が始まった。俗にいう監禁生活である。

 

まゆの指示のもと、部屋の隅々までがきれいに掃除され、

真新しい家具や家電が置かれていく。

 

大型の冷蔵庫、アイスなどを入れておくための小型の冷凍庫、

お菓子が焼けるタイプのトースター、高級なコーヒーメイカー、

大型のソファ、可愛いぬいぐるみや小物、

アラベスクのじゅうたん、カーテンも新調した。

 

泊まり込みで監視する人用のベッドが二組。

夜にプロデューサーを監視するための寝室が用意された。

 

「このマンションから、美波さん的なものを全て排除しましょう」

 

とのことで、美波の好みで買った品はことごとく

オフハウスなどの中古ショップ行きとなった。

 

美波がプロデューサーにプレゼントされた腕時計をみつけた時、

まゆは特に怒った。デンマーク製の高級腕時計だった。

勉強机の中にはプロデューサーと2ショットの写真があった。

美波は満面の笑みで彼の腕に抱き着いていた。

 

まゆは、すぐに写真をビリビリに引き裂き、ゴミ箱に入れた。

すでに婚姻届けは見る影もなく破かれている。

 

勉強机の一番下の引き出しの奥から、とんでもない文章が発見された。

冷静なまゆでさえ、さすがに目の前が真っ暗になるほどだった。

 

プロデューサーからのラブレターが発見されたのだ。

間違いなく彼の直筆である。可愛らしいレターセットに鉛筆で書かれていた。

 

「これはどういうことなんですか!! プロデューサーさん!!」

 

智絵理ら若い子が怒声をあげるが、まあまあと美優さんがなだめる。

 

すっかり委縮してしまい、正座したまま震えるプロデューサー。

手錠された腕がカチャカチャと音を立てる。

 

「私が文章を読み上げるね」

 

島村さんが、ぶっきらぼうに言う。

 

「愛する美波へ。俺が初めて美波に声をかけた時のことを覚えてるか?

 君、セクシーだね。アイドルで頂点を目指してみないかって。

 今思い出したらセクハラで訴えられてもおかしくなかった気がする。

 中略~~ こうして成長していく美波をそばで見守れることが、

 俺にとって最高の幸せだってことに気づいた。どうしてだろうな。

 最近、美波と話をしていると胸の奥が暖かくなることに気づいたんだ。

 もしよかったら、来週のオフに例の店で……」

 

「もういいです」

 

とまゆが言い、テーブルを拳で叩く。

大型の爆弾がさく裂したような音がした。

 

委員長の乱心に緊張が走る。

 

「プロデューサーさぁん? 今から質問しますね。

 もし正直に答えなかったら熱湯を頭からかけちゃいますよ?

 もちろんプロデューサーさんじゃなくて美波さんにね。

 プロデューサーさんの大好きな美波さんに……ね?」

 

「ま。待ってくれ。分かった。正直に話すから聞いてくれ!!

 質問される前に俺が全部吐くよ!!」

 

ここからプロデューサーの話は実に長かった。

 

途中でお茶の時間をはさみながらも、

まゆたちは辛抱強く聞いてあげた。

 

彼の言い分はこうなる。

 

端的に言うと美波のことが好きだった。他にも好きな子がいた。

プロデューサーは仕事上の付き合いだと表面上では言うしかないが、

やはり男なので女の子を好きになってしまう。

 

しかも両思いの子が何人かいたので辛抱たまらなくなり、

その爆発する思いを伝えるために直筆のラブレターを書いた。

メールだとすぐにばれそうなので便箋に書いたのだ。

 

やはり手書きは素晴らしいものだと言うと

「そんなことはどうでもいいです」と注意されてしまう。

 

まゆは机の上で両手を組み、あごの下に置いた。

碇ゲンドウのポーズだ。

 

「未だに信じられませんね。プロデューサーさんには

 好きな子が何人もいたと? 美波さん以外は誰なんですか?」

 

「……あー、ちょっと言いづらいなぁ」

 

「ちょっと凛ちゃん。

 今すぐ電気ポットの中身を美波さんの上で逆さまに…」

 

「美優さんだ!!」

 

「……それだけですか? 他にもいるでしょ」

 

「か、加蓮。北条加蓮」

 

凛と智絵理が、ものすごい顔で加蓮をにらみつけた。

加蓮は全身の毛が逆立ち、漏らしそうになった。

 

「他には?」

 

「響子だよ。これは言わなくても分かるよな?」

 

「ええ。他は?」

 

「はじめちゃん……」

 

「はじめちゃん? まさか藤原肇ちゃん?」

 

「そうだ。可愛いよな」

 

「感想は言わなくていいです。これで全部ですか?」

 

「はい」

 

まゆは、藤原肇に連絡を取ろうとしたが、つながらない。

なぜか圏外だった。美優と加蓮は暗い顔でうつむいている。

 

別に彼女達が何かしたわけじゃないが、たまたま

プロデューサーの好みだっただけだ。

しかしこれは決定的な事実が明らかになってしまった。

 

プロデューサーは、アイドルとは決して恋仲にならないと

宣言しておきながら、陰では一部のアイドルにラブレターを手渡していた。

皆にばれないように文通的なやり取りをしていたそうだ。

 

これはやってみた人にしか分からない感覚だが、

LINEなどの電子メールと違って手書きの文章は

心がこもるので感動が違う。欧州など白人国家では

誕生日などに送るメッセージカードはすべて手書きだ。

 

「うふふふ。そうですかぁ。まゆは鈍感なので

 全然知りませんでしたよぉ。プロデューサーさんだって

 男の人ですからね。これだけ可愛い女の子に囲まれて

 働いていたら、好きな人が5人くらいいてもおかしくありません」

 

「はい」

 

「私が怒っているのは、まゆたちに内緒で

 こんなやり取りをしていたことなんです。

 何か言いたいことはありますか?」

 

「う、うるせえ……」

 

「はい?」

 

「まゆは細かいことでうるさいんだよ。

 好きになっちまったんだからしょうがないだろ」

 

「しょうがないで済まされる問題ですか!!

 現にお仕事を首になってるじゃないですかぁ!!」

 

「うっせえ!! 俺はこういう性格なんだよ!!

 今さら治せるか!! どうせプロデューサーなんて

 向いてねえから辞めることにしたんだよ!!」

 

「じゃあ、どうしてまゆ達に思わせぶりな態度を取って

 その気にさせたんですか!!」

 

「そんな態度取ったつもりはねえよ!!

 お前らの機嫌を取りながら仕事しただけだよ。

 その方が効率が良いからな!!

 おまえらが勝手に俺に思いを寄せただけだろ!!」

 

「これだけ多くの女の子に好意を寄せられてるわけですから、

 プロデューサーさんは責任を取るべきだと思いますけどね!!」

 

「責任だって? 馬鹿らしい。どうやって責任を取るんだ!!

 大勢に好かれたって対処に困る!!

 まさか重婚しろだなんて言わないよな!!」

 

「ええ。日本では重婚は法律違反です。

 私が一番許せないのは、プロデューサーさんが

 嘘をついていたことなんです。皆を平等に扱うとか

 あれだけ言ってたくせに、全部嘘だったじゃないですか!!」

 

「だから俺は関係をリセットすることにした。

 美優とイチャラブしてるのが常務の奴にばれたからな!!

 そんでプロデューサー業は終わり。第二の人生を歩む。

 なあ。俺が何か間違ったこと言ってるか?

 俺の人生なんだから、どうしようと俺の勝手だぞ!」

 

「うふふふふ。うふふふふ……。まゆは許しませんよぉ。

 あれだけプロデューサーさんのために尽くしてあげたのに。

 夜食用にお弁当だって作ってあげたのに……。

 まゆのこと可愛いって何度も誉めてくれたのに、

 まゆにはラブレターをくれませんでしたねぇ」

 

同じく恋文をもらえなかった島村さんや凛もアップを始めた。

アナスタシアは、ハイライトを失った瞳でただ彼を見つめている。

智絵理は「えへへ」と言いながらリスカの練習をしている。

 

プロデューサーはこの時になって致命的な過ちに気づいてしまう。

 

(島村さん達にも口説くようなことをたくさん言ってしまった。

 君達のことを誰よりも大切に思ってるとか、あとなんだっけ?

 仕事で失敗した時は頭をなでたり、両手を握りながら

 大丈夫だと伝えたり、ハグしたり、バレンタインの贈り物も

 全部受け取った……。その気にさせたのは俺が原因かもしれねえ……)

 

プロデューサーは、死への恐怖を感じた。

 

確かにラブレターの件が退職後とはいえアイドル達に

ばれてしまったのは痛かった。

普通に考えて社会人のやることではない。

 

まゆは志希に頼んで怪しげな薬品を作ってもらった可能性もある。

最近では島村さんもそっち方面に興味があったらしい。

 

仕事を辞めるまで気づかなかった。

彼はついにトップアイドルを輩出することはできなかったが、

ヤンデレラガールズを育成することに関して日本一のプロだったのだ。

 

「お、俺を薬漬けにするつもりか?」

 

「それもいいかもしれませんね。でもまゆは

 操り人形になったプロデューサーさんには興味ありません」

 

まゆは、以外にも冷静だった。

 

今にもプロデューサーに襲い掛かろうとしている

女どもに対し「プロデューサーさんを傷つけたら厳罰に処します」

と冷たく言い、沈黙させた。

 

「ただし」

 

とまゆは続ける。

 

「これはまゆの個人的な恨みなんですけど、

 新田美波さんを粛正しようと思います」

 

 

    346プロのヒトラーとして恐れられる、ままゆ……。

     まさかの美波さんの粛清宣言……?

      彼らの愉快な監禁生活の明日はいかに?

  

                   次回へ続く。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

正義の味方・北条加蓮がまゆに文句を言った。

まゆは粛清と言うが、そもそも粛清とは何か。

Wikiで意味を調べてみると下記の通りになる。

 

①きびしく取り締まって乱れや不正を取り除き、世の中を清らかにすること。

 

②政治団体や秘密結社の内部で、政策や組織の一体性を確保するために、

 反対者を追放や処刑などにより排除して純化をはかること。

 

③(形動) 世の中がよくおさまり、平穏であること。よく整って濁りのないこと。

 

 

美波の件では①が該当した。

 

美波は罪の塊とされた。

 

まず、まゆらがマンションを訪問した際に無駄な抵抗をした。

具体的には智絵理を初め、

委員長であるまゆに消火器を発射するなどしたのだ。

 

人に向けて消火器を発射するなど、アイドルのすることではない。

拉致監禁は恋する女の子なら仕方ないことだが、

消火器の件はさすがに許せなかった。

 

「うふふふふ。美波さ~ん? 覚悟はできてますかぁ」

 

「ひ、ひぃ!! ごめんなさい。ごめんなさい。許してぇ」

 

美波は上着を脱がされ、うつ伏せに寝かされた。

ブラジャーまで外されたので、脱ぎ捨てられたそれを

目にしたプロデューサーは激しく勃起した。

 

「これからムチ打ちをします。

 美波さんの白くて綺麗な肌に傷をつけるのは

 心苦しいのですが、私に向けて消火器を噴射したのですから、

 文句は言えませんよねぇ?」

 

「お、おい!! やめるんだぁ!! まゆ!!

 そんなことしたら取り返しのつかないことになる!!

 みなみー。今俺が助けてやるからな!!」

 

「プロデューサーさんは今美波さんと会話しようとしましたね」

 

ブー ←ブザーが鳴った音。

 

プロデューサーが規則違反をした場合に鳴るのだ。

 

まゆの指示で、智絵理がプロデューサーの背中に

スタンガンをそっと当てた。

 

「がはっ?」

 

想像を絶する電流に体が焼ける感じがした。

プロデューサーは右肩から床に転げた。

 

泣き叫びながら抵抗する美波を、アナスタシアと

島村さんがニヤニヤしながら押さえつける。

親友だったはずのアナスタシアはあまりにも非情だった。

 

「あ、あのさ。まゆ委員長」

 

加蓮が手を挙げた。まゆが視線をそちらに向ける。

 

「私達はナチスじゃないんだからさ。

 憎しみは、新しい憎しみを産むだけだよ」

 

「……何が言いたいんですか?」

 

「ここで美波さんを精神的にも肉体的にも

 屈服させるのは簡単だよ。

 でもそれでプロデューサーに嫌われたら意味なくない?」

 

「ええ。そうかもしれないね。

 でもこれは私の個人的な復讐だから」

 

「あとで美波さんに復讐されるって考えなかったの?」

 

「……加蓮ちゃんは私の意見に反対するのね」

 

「私も女だから、まゆの気持ちわかるよ。

 まゆは美波さんの美しさに嫉妬してるんだよね。

 ……私達は美波さんに負けたんだよ」

 

「加蓮ちゃんもラブレター組だったはずだけど」

 

「うん。まだ病弱だった頃はね。具合が悪くなるたびに

 プロデューサーに心配してもらったし、

 休みが重なった日はデートにも連れて行ってもらった。

 実は病院でデートしたこともある。院内デートって言うのかな? 

 あの時はすごく幸せだった。でも幸せな時は長くは続かない」

 

加蓮は瞳を伏せた。

 

「私は……そのうち相手にされなくなってしまった。

 プロデューサーはあとから入って来た美波さんや美優さんに

 夢中になっちゃったから。悔しかったけど、なんだかすごく

 悲しかった。でも慣れた。だってさ、こういうのって順番なんだよ。

 無駄な抵抗をするより運命を受けれた方が楽じゃ…」

 

「ちょっと話が長くてイライラするのだけど、

 で、結局何が言いたいの?」

 

「ナチスごっこは止めよう」

 

「まゆ達はナチスじゃないよ。

 そもそも私はナチスのことを知らないんだけど」

 

「実は私もよく知らないけど、なんとなく

 こういうのってナチスっぽいじゃん。

 ナチス・プロダクション?」

 

「略してナチプロですか?」

 

「そんな感じ」

 

ここで美優も加蓮に賛同した。

 

「美波さんほどの美人を傷物にしたらプロデューサーさんに

 一生恨まれることになると思うの。私だって認めたくないけど

 プロデューサーさんは美波さんのことも愛しているようだから」

 

「美波さんもって何ですか? 美優さんもラブレター組だから

 プロデューサーさんの愛人気取りですか。

 余裕がある人はうらやましいですねぇ」

 

「余裕があると言われたら否定はしないわ。

 でもね。まゆちゃん。世の中には力で押さえつけたって

 どうにもならないことがあるのよ」

 

「でも私は消火器を噴射されたんですけど?

 復讐する権利はあると思いますよ」

 

「誰にだって間違いはある。

 あの子にも更生する機会を与えてあげないと可哀そうよ」

 

ここで島村さんが口をはさむ。

 

「あははは!! 美優さんったら、すごく

 甘ったるいことを言ってるから笑っちゃいましたよ!!

 更生? そんな機会、要りませんよ!!

 美波さんは私達のプロデューサーを勝手に独り占めした!! 

 もうすでに彼の貞操まで奪われちゃったんですよ!! 

 許せますか!! ねえ!?」

 

「それは……」

 

「すでに彼の子を身ごもってるかもしれないんですよ!!」

 

その時はおろさせますが、とまゆが冷たく言う。

 

「わ、私もプロデューサーさんに自由なんていらないと思います!!

 美波さんも、言っちゃ悪いけどお仕置きしてあげた方がいいです!! 

 人より美人に生まれたからって調子に乗ってますよね!!」

 

大天使・智絵理エルまで悪に染まっていた。

花屋の娘・渋谷凛もこちら側だ。

 

これでは加蓮と美優は分が悪い。

委員会では、少数派の意見は抹殺されるのみならず、

彼女らの態度は委員長への反逆と映る場合もある。

 

その場合は、彼女らも粛清の対象となってしまう。

これがナチプロの恐ろしさである。

 

「私ね、前から思ってたんだけどさ!!」

 

ファッションセンターさんが言う。

 

「美波さんって、別にプロデューサーさんと

 結婚する必要なくないですか?

 だってこの人だったら彼氏とかいくらでも見つかるでしょう? 

 大学でも良い人たくさんいるでしょ?

 男の人を選びたい放題の人は、何もプロデューサーさんに

 執着する必要ないと思います!!」

 

「それもそうねぇ」

 

とまゆが笑う。

 

「ファンの間でも歩くセックスさんとか呼ばれてますものね?

 卑怯者だし、裏で何を考えてるか分からないし、

 見た目の美しさも、しょせんは体だけの魅力なのかもしれませんね」

 

「そ、それでもいいのよ。体の魅力がない人よりはましよ。

 あんた達みたいなチビのガキなんて男は見向きもしないでしょ」

 

「あら美波さん。誰が生意気な口を聞いていいと言いましたか?」

 

「うぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

まゆが彼女の背中にムチを下ろした。

 

「話を戻しますけど、美波さんはプロデューサーさんに

 いずれ飽きられて捨てられる運命なんですよ。

 だったら初めから彼と関わらない方が幸せだと思いませんか?」

 

「い、いや……それだけは……いや……。

 私と彼は……真剣に愛し合っていた……。 

 彼は私なしには生きていけない体になっていたのよ……」

 

「あなたが、勝手に!! そうさせたんでしょう?」

 

また、ムチがうねる。

まゆが使っているのは乗馬用のムチだ。

人間にも当然効果は高い。

 

「ぎゃぁあぁあ!! 痛いっ!!」

 

「ねえねえ。プロデューサーさんと過ごした夜は、

 どんな感じだったんですか? 教えてくださいよ。

 淫乱アイドルの新田美波さん」

 

「うっ!! うぐっ……いたっ……うあっ……!!」

 

痛みつけられて真っ赤になった箇所に、

さらにムチがおろされて傷口をえぐる。

 

背中を中心として体が燃えるような、

表現しようのない痛みだった。

 

すでにミミズ腫れになっており、

これ以上食らったら出血するのは確実だった。

 

痛みと恐怖で頭が真っ白になってしまい、

抵抗する気が一瞬で消え去ってしまった。

 

痛みと恐怖ほど人の心を支配するものはない。

 

「ほらほら。どうしたんですか。

 これくらいのことで、くじけてしまっては困りますよぉ。

 今日はまだ初日ですよ。

 これから毎日美波さんで遊んであげますからね♪」

 

「えっ。嘘でしょ……まさかこれを毎日続けるの?」

 

「はい♪ もちろんです」

 

「ま、まゆちゃん。今までのことは謝るわ。

 ごめんなさい。ね? お願いだから許してよ。

 これね、本当に痛いのよ……。

 お、お願いします……。許してください」

 

「うふふ。だーめ♪」

 

美波は手錠をされた上に、手は島村さんに、

足は智絵理に押さえつけられてる。

床の上で水泳のようなポーズで手足を伸ばしている格好だ。

 

「血がたくさん出た場合は、ちゃんと消毒してあげますから」

 

智絵理が歌うように言う。

すでに出血することが前提のようだ。

 

抵抗しようにも恐怖で体が震えてしまい、

力が入りようもない。隣で見ている響子は

一言も発しないが、恐怖で漏らしていてた。

 

まゆは彼女に耳打ちした。

 

「最初に言っておくけど、次は響子ちゃんの番だからね」

 

「ひぃ……」

 

「響子ちゃんはお漏らししたことも含めて罰だよ。

 響子ちゃんのせいで部屋が臭くなっちゃったじゃない」

 

「ご、ごめんなさい。まゆちゃん。ちゃんとお掃除しますからぁ」

 

「そんなんじゃ、だーめ♪

 今から楽しみだなぁ。響子ちゃんが泣き叫ぶ姿」

 

響子ちゃんのお漏らしのおかげと言うべきか、

正義を愛する熱血漢・プロデューサーが匂いで目を覚ました。

 

プロデューサーは、床に黄色い染みを作っている響子を見て

驚いたが、それ以上に泣きじゃくって美しい顔を台無しにしている

美波を見て心を痛めた。

 

ままゆは、美波さんの前髪を正面からむしるように

掴んで、顔を持ち上げていた。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい。

 ゆるしてください。まゆ様

 もう二度と逆らいません。ゆるしてください」

 

とうわごとのように言い続ける美波。

抜けた前髪が何本か床に散らばっている。

 

その姿を見て、プロデューサーは発狂した。

 

「うおぉぉおっぉぉぉおっぉおぉぉぉ御おぉぉぉおぉぉおおおおおおおおおおおおおおお  おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」

 

まさに、怒号。

 

天と地をひっくり返すほどの、気合の入った声だった。

 

もはや、一介の元プロデューサーが発する声ではない。

 

まさに機関銃が満載された敵の陣地へ突撃を敢行する歩兵。

生命と財産の全てをかけて戦地へおもむいた兵隊のそれだった。

 

 

「俺の美波に手を出すんじゃねえええええええええええええええええええええ!!」

 

 

その迫力により、まゆの手から乗馬用のムチが落ちた。

加蓮は激しくせき込み、紅茶の準備をしていた凛は転んだ。

 

美優さんは体を抱きしめながらガタガタと震え、

大天使智絵理エルは動揺し美波の手を離してしまう。

島村さんはお尻が大きいので後ろ側に倒れてしまった。

 

 

プロデューサーは、怪力によって手錠を砕いた。

骨がきしむ音がしたが、歯を食いしばって耐える。

 

「どけえええ!!」

 

「きゃぁああ!?」

 

美波の近くにいた智絵理にパイタッチした。

しかし力が入り過ぎてしまったため、

智絵理の体は背後にあったバスルームの壁を突き破ってしまう。

 

この一撃を見て、島村さんは戦意を失った。

 

「美波!! 動けるか? 辛いと思うけど耐えてくれよな!!」

 

「ぷ、プロデューサーさん。まさか…」

 

プロデューサーは返事する暇もなく、美波をわきに抱えたまま

一目散に走り出した。ライトバンから降りた佐川急便のお兄さんのようだ。

 

玄関には赤外線センサーが備えられていて、

ビービー警報が鳴ってうるさいが、かまってる暇はない。

 

玄関は鍵をかけてなかったので普通に開いた。

 

エレベーターを待ってる時間が惜しいので、廊下の先にある

非常用の螺旋階段を駆ける。

 

「プロデューサーさんがあそこにいるよ!!」

 

誰かの声が聞こえた。

たぶん島村さんだろうが、振り向く時間さえ惜しい。

 

アイドル達が階段を駆け下りる音が聞こえる。

 

「プロデューサーさ~~ん。

 自分から重い罪をかぶるなんてマゾのやることですよぉ!!」

 

いかにも牧野由依さんっぽい甘い声だ。

今度はまゆの声で間違いないだろう。

 

逃げる時間を無駄にしてまで、恐る恐る振り返ると、

階段をすごい速度で駆け降りるまゆと目が合ってしまった。

 

アナスタシアが鉄パイプを片手にまゆの後ろを駆ける。

島村さんも(エアガンだと信じたいが)ライフルのような

ものを担いだまま笑顔でこちらへ向かってくる。

 

捕まったら、今度こそ終わりだ。

 

こんなことになるなら、仕事を辞めなければ良かった。

 

仮に自分が拷問されて死ぬのならまだいいのだ。

 

広島県からやって来たこの純粋なアイドル。

新田美波をすでに傷物にしてしまった以上は

男として責任を果たすべきだと彼は思っていた。

 

彼女の心が死んでしまったら、ただの抜け殻になってしまう。

プロデューサーが自分の妹のように大切に育てた

新田美波がこの世から消えてしまう。

 

地獄で後悔しても遅いのだ。

 

 

地上に着地し、

 

「ぐおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおっぉぉぉおぉぉぉぉぉぉ」

 

 

プロデューサーは、一目散にコンビニに向けて駆けだした。

 

 

       突然脱走を始めたプロデューサー。

        彼の言う美波に対する責任とは…? 

          はたして大脱走は成功するのだろうか!!

 

                    次回へ続く。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

美波を連れてマンションから脱走した。

プロデューサーは運動不足だったので

コンビニまで走るだけで息が上がってしまった。

 

165センチの美女の美波をわきに抱えたまま

走ったこともあり、これ以上の闘争は難しいと判断し、

ついには暴挙に出た。

 

 

「おい。おまえ。早く出るんだ。早く出ないと大変なことになるぞ!!」

 

「な、なんだだね君は!!」

 

駐車してあったプリウスに目を付け、中にいた

50代くらいの男性を殴り、外に出して車を奪ってしまう。

 

背中の傷のせいでふらふらになった美波を女子席に乗せ、

急いでシートベルトを締めさせる。

わざとではないが胸に触れてしまったのでドキッとした。

 

急いで最寄りのインターチェンジから高速に乗り、

まずは東京から離れることにした。美波の実家の広島県まで

逃走することも考えたが、まゆ達に発見されるのは確実だ。

 

なにより遠すぎる。

そこで、まずは関東甲信越地方の中で

人目のつかなさそうな地味な場所を……。

 

「茨城だ!! 茨城県まで逃げるぞ!!」

 

「いばらぎけん?」

 

「いばらきだよ!!」

 

 

もうすぐで八王子インターの入口に入る。

 

(実は美波のマンションは都心から離れた八王子市にあったのだ。

 愛する彼を監禁するなら山沿いの地域の方がいいと判断したためだ)

 

「あの、プロデューサーさん。なんかこの車、

 さっきから変な表示が出てませんか?」

 

「あ? そんなこと気にしてる暇はないんだよ!!」

 

「でもおかしいですよこれ。なんかナビに英語で

 黄色い文字が表示されてます。私は英語が読めるので

 少し翻訳してみます。えーと、指紋登録されてない

 搭乗者が一定距離を走行した場合、この車は自爆します」

 

 

プロデューサーがエンジンを停止させるより前に、

プリウスは爆破、四散した。

 

 

  プロデューサー 享年29歳

  新田美波    享年19歳 

 

 

   346プロで出会い、ともに笑い、いつかは傷つけあい、

    最後は支え合った二人は真の意味で夫婦だったのかもしれない。

 

   いったい何が間違っていたのか。

   どうして二人の運命の歯車は狂ってしまったのか。

   それは誰にも分からない。

   そして五十嵐響子とは何だったのか。

 

 

  「アイドル達の重い愛から逃げるプロデューサー」完

 

 

 

 

しかし、それでは物語として面白くないので、

プリウスが爆破しても、ふたりが無傷で生き残ったことにする。

ちなみに本編はギャグ小説である。

 

 

「車、爆発しちゃいましたね」

 

「最近のトヨタ車は無駄に電子化されてるから困るぜ。

 今日も冷えるので焚火代わりにはちょうどいいと思わないか?」

 

「……すみません。今のジョークは笑えませんでした。

 これからのことを考えましょうか」

 

「そうだな」

 

「県外に逃亡するならスマホでタクシーを……」

 

「どうした?」

 

「実はマンションに置いて来ちゃったんです。

 というより、まゆに没収されたんですけど」

 

「あの悪女め……」

 

「むしろ好都合かもしれません。

 スマホがあったらGPS機能で居場所が特定されますよ」

 

「なるほど。確かに」

 

「タクシーを呼ぶなら別の方法もありますよ。

 コンビニまで歩きましょう。コンビニで

 店員さんにお願いしたらタクシーを呼んでくれるんですよ」

 

「そうなのかい。最近のコンビニは便利だな」

 

そんなわけで、ローソン八王子インター店にやってきた。

 

すでに日が暮れていて、学生さんや仕事帰りの

サラリーマン連中など多くの客でにぎわっていた。

 

その中に手を繋いだ若い親子連れがいた。

幼稚園時らしき女の子が、母親の手を引きながらこう言った。

 

「ママァ。みてみて~。あそこに新田美波がいるよぉー」

 

「何言ってるの。こんな田舎のコンビニに新田美波がいるわけないでしょ」

 

なんていうか、美波は思っていた以上に知名度があった。

 

アイドルランクとしては、まゆよりずっと下だし、

プロデューサーが首になる前にCDデビューをして

恋愛ドラマにわき役として出演した程度。

 

テレビ番組に出演することは少なかったが、

スタイルが良いので投資系の雑誌の表紙を飾ったことがある。

 

その雑誌では、お金持ちのおじさん達から反響がすごかった。

美波のカラーページは2ページ掲載された。

彼女は経済学部の学生だったので資産運用に

興味があったこともあり、まさに適任だった。

 

それにしても、見ている人はちゃんと見ていたのだ。

こんな小さな子供が、新田美波を知っていた。

 

美波は思わず涙ぐみながら、プロデューサーの腕を胸に抱いた。

胸がでかい。プロデューサーは店内なのに勃起した。

 

プロデューサーは、フルボッキしたまま、

チャラ男っぽい店員に声をかけた。

 

「あの、タクシーを呼んでほしいのですが」

 

「やだよ。めんどくせー」

 

「はぁ?」

 

「携帯あんだろ? 自分の携帯使えよ」

 

「無くしたんだよ」

 

「だったら、隣にいる奥さんに借りろよ」

 

「おくさ……つ、妻も無くしたんだ!!」

 

「はぁ? 何言ってんのよ。おきゃーさんくらいの年齢の

 夫婦で携帯持ってねえ奴とかいんの?

 もしかして生活保護の人っすか?」

 

「公衆電話はないのか!!」

 

「んなもん、あるわけないでしょ」

 

「クソッ。俺の地元の埼玉だったら、まだあるんだけどな」

 

「サイタマってどこの国の名前すか? アフリカ?」

 

「東京のすぐ近くだよ!! おまえ、

 さっきから店員のくせに態度デカくないか!!」

 

「あーはいはい。最近の客はうるさくてやってれないわー。

 低時給のコンビニ勤務はマジきついわー」

 

「てめえ……こちとら非常時で余裕がないんだ。

 喧嘩売ってんのなら買うぞ」

 

「さーせん。おきゃーさんの後ろで

 別のお客さんが列を作っちゃてるんで、

 会計が終わってからでいいすか?」

 

プロデューサーはイライラしながら雑誌コーナーで

時間をつぶした。いつまで経っても客足が途絶えない。

繁忙時間なのだから当然だ。

 

美波はお手洗いでハンカチを濡らしてきて、

プロデューサーの額の脂汗を拭いてあげた。

 

「落ち着いてください。最悪タクシーが使えなかったとしても

 駅まで歩いて行けばいいわけですから」

 

「……けっこう焦る状況だぞ。もう夜だ。

 電車で逃げるにしては遅すぎる。近くにバス停はないかな。

 今夜はホテルに泊まるべきだと思うんだが」

 

「それでいいと思いますよ。店員さんが意地悪して

 教えてくれないのなら、最後はホテルまで歩きましょう」

 

「すまん。美波。俺は金がないんだ」

 

「実は私も一文無しなんです……」

 

着の身着のままで逃げてきたのだ。

財布もキャッシュカードも保険証も、何もかも置いてきてしまった。

 

彼らは身分を証明する手段がないために、

カードを再発行することもできないばかりか、

仮に身分を明かしてしまったら、仮にも芸能人なので正体がばれてしまう。

 

「じゃあ俺達、ホテルに泊まるための金がないってことじゃないか」

 

「そうなりますね……」

 

「まさか野宿か? まだ1月の末だぞ」

 

美波は目を伏せ、沈黙した。

 

プロデューサーは彼女が悪いわけではないのに

無性に腹が立って、駐車場で吠えるに吠えた。

 

「ちくしょおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 

駐車中の車の窓ガラスに亀裂が生じ、山にいる鳥は一斉に飛び立つ。

走行中のトラックが運転を誤り、ホームセンターの店内へ突っ込んだ。

 

彼の遠吠えは、東京をはるかに超え、

山梨県と岐阜県の県境の山々にまで響いたのだった。

 

プロデューサーは咳払いしてから、

コンビニの店内に戻って来た。

 

「すまん。取り乱した」

 

「いいえ。私も同じ気持ちですから」

 

美波は、さめざめと泣いた。

 

まゆに乱暴され、プロデューサーと逃亡し、プリウスが爆発し、

身も心もボロボロだった。化粧もせずに髪もとかしてない。

 

物語の都合上、ちゃんと私服を着ている設定にしているが、

本来なら二人はパンイチでマンションに監禁されていたのだ。

美波もパンツだけの姿だったのだ。あの新田美波が、である。

 

プロデューサーは私服姿が想像できないので、いつものスーツ姿にした。

寒いのでコートで着せておけばいいか(適当)

 

「美波。すまん。自信満々に君を守るって言っておきながら、

 結局このざまだ。俺は最低のクズだよ。自分でも笑っちまうほどにな」

 

「そんなことないです。プロデューサーさんは、私の王子様です」

 

「俺は……クズだよ」

 

「違いますって!! 私の方こそごめんなさい。

 全部私が悪いんです。プロデューサーさんを拉致して

 マンションに監禁したから神様が罰を与えたんです」

 

「違う!! 俺が皆にあいまいな態度を取って来たから

 こんなことになったんだ!! 美波は悪くないぞ!!

 悪いのは、まゆや智絵理だ!!」

 

「いえいえ。私の方が」

 

「それは違うぞ。俺が……」

 

「いいえ、私が……」

 

そんなやり取りをしていると、どちらともなく笑った。

 

久しぶりに、思いっきり笑った。

なんだか、どうでもいいことで言い争ってみたいで。

 

結局、悪い人なんてどこにもいなかったのかもしれない。

プロデューサーは誰に対しても優しくて魅力のある男だった。

 

そんな男が、若いアイドルを集めた事務所で働いたらどうなるのか。

少し考えて見ればわかることだ。

 

美波はこの時点でプロデューサーに

死ぬまで付いて行こうと思っていた。

 

何よりもうれしかったのは、自分を外に連れ出してくれたこと。

他のアイドル達ではない、自分を。

 

そしてプロデューサーの方も、なぜ分からないが

無性に美波のことが愛おしくなってしまい、思いが止まらなくなった。

 

初対面の時から容姿が好きだったのだが、それにしても

ここまで好きになってしまうとは思わなかった。

今なら自分から進んで婚姻届けに判を押したいくらいだ。

 

「美波、愛してる。心から愛している」

 

「私も愛してます。プロデューサーさん」

 

 

抱擁し、熱い接吻を交わした。

 

ドラマのワンシーンのようだった。

 

 

ここで残酷なことを言ってしまうが、

プロデューサーの本心は少し違うのではないか。

 

というのも、彼自身が気づいているのか知らないが、

今の状況は、金なし宿無しの危機的状況である。

しかも美波を連れ出したのは、まゆの拷問から守るためであった。

 

彼は正義心と義務感から美波を救い出し、

先ほどの彼女の涙を見てぐっときたのであって、

この感情が持続するかは不安が残る。

 

俗に言う「吊り橋効果」だとしたら、どうだろう?

 

筆者の頭の中でキャラが動き回り、

パソコンでタイピングしていたら勝手に物語が続くために、

書いている自分でも何を書いているのかよく分かってないのだが、

この物語がハッピーエンドで終わることを願っている。

 

 

「はぁ……おきゃさん達、まだ帰ってくれないんすか」

 

さっきのチャラ店員だ。

 

「させんすけどー、うち営業中なんでー、出入り口の前で

 メロドラマの練習するのは勘弁してもらっていいすか?」

 

確かに非常識だったかもしれないが、

プロデューサーはこの店員の一言にカチンと来てしまった。

 

「悪かったな!! もう二度と来ねえよ!!」

 

プロデューサーは肩を怒らせて美波の手を引くが、

 

「もし、そこのご夫婦。なにやらお困りのご様子ですが」

 

白髪の老婆が、店の奥から出てきた。この店の店長を名乗る。

 

美波は丁寧にお辞儀して騒がせたことを詫びた後、

アイドル関係のことは隠しながら事情を説明した。

 

「おっほっほっ。なるほど、なるほど。

 なにやら深い事情がおありのようですが、深くは聞きませぬ。

 誰にも他人に話したくない過去の一つや二つはあるもの。

 そこで私から提案があるのですが」

 

どうやら、この老婆は只者ではなさそうだった。

容姿は米国政府の財務長官のジャネット・イエレンにそっくりだった。

服装もそのまんまイエレンだった。ユダヤ人なのだろうか。

 

老婆からの提案とは、金が溜まるまでこの店で

住み込みでアルバイトをしないか、と言うことだった。

このお店はフランチャイズだ。店の裏手に老婆の自宅がある。

 

現在、この店は例のチャラ男定員のせいでお客からの苦情がすごい。

主力メンバーだったチャイナ人の女性三人組は、

先週、一斉に辞めてしまった。突然のことなので理由は分かってない。

 

その他は休日だけシフトに入る主婦が一人と、

休みがちな専門学生が二人。夜勤固定の男性が二人。

これでは店が回らない。

 

そこで時給を引き上げてまで募集を出したのだが、

誰も来てくれない。そこで、若くてイキの良さそうな

若い夫婦を採用してみたいと思ったのだ。

 

「見たところ、お二人はまだ籍を入れてないようですがね。

 くっくっくっ。しかし便宜上は夫婦を名乗った方が得かもしれませぬぞ。

 この令和の日本、地獄の社会で生き抜くためにはねぇ」

 

美波は背筋が凍る思いがした。

 

いったい、この老婆はどこまで自分たちの事情を知っているのだろうか。

まさかアイドルとしての正体がばれている?

有り得る話ではある。幼女ですら自分の名前を知っていたのだ。

 

 

「私は何も聞かない。だから、お前達も私に何も聞くな。

 いいね? これはここで働く上での約束事だ。守ってくれるよね?」

 

プロデューサーと美波は

深く頭を下げて「これからお世話になります」と言った。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

コンビニ定員として働く新田美波

世界中のお店を広く見渡しても、日本のコンビニエンス・ストアほど

小さな売り場面積の中で雑多な種類の商品を販売している店はないだろう。

 

お店が小さいから簡単そうに見えるが、実は覚えることが多い。

 

日に三度、トラックから納品される商品を、店員が検品してから

棚に並べる。食品やドリンク類から煙草に贈答品、雑誌から日用雑貨。

電卓や電球など、種類を上げたらきりがない。

 

検品は慣れた定員が舞咲かれるのだが、人手不足の

このローソンでは美波が初日から任された。

「若い女の子の方が覚えが早いだろう」と言うことだった。

 

多くのコンビニに自動レジが完備された今日でも、

例えば公共料金の支払いや宅配便の受け取りはレジで精算する。

メルカリなどのサービスで先払いをする時にも

専用の端末があるが、最後はレジを通す。

 

プロデューサーと美波は、それぞれ朝と夕に別れて週五のシフトに入った。

美波が朝晩で、プロデューサーが夕方だ。

深夜の勤務はフリーターの男性2人が担当だった。

 

やる気のある二人は、仕事の内容をどんどん覚えた。

店長や先輩アルバイト達は親切に指導してくれた。

 

「さーせん、俺忙しいんで、店長に聞いてもらっていいすか?」

 

このチャラ男だけは例外だったが。プロデューサーは

いっそこいつの仕事ぶりを後ろから観察してメモを取ることで補った。

 

「もう入って2週間も経つのに、タバコの名前も覚えられねーのかよ」

 

そいつはプロデューサーより3歳も年下だったので

ぶん殴ってやろうと思ったことは一度や二度ではない。

 

美波は現役大学生で地の頭も良いこともあり、

仕事の覚えは素晴らしく速かった。

1だけ説明されて10を覚えるタイプの女性だった。

 

手先も器用。現役アイドルなので笑顔が素敵で接客スキルは完璧だ。

正体を隠すために三つ編みで眼鏡をしているのだが、

それでも店員にしてはあまりにも美しすぎるので近所で評判になっていた。

 

店長の老婆からも大変に好かれた。

店長の名前は「鈴木」と言うらしいが、

どうみても白人(ユダヤ人)の容姿である。

鼻が魔女のように高くて豊かな白髪を生やす。

 

店長は普段はバックヤードにこもり出てくることはない。

 

プロデューサーは、彼女が英語で電話している姿を

見たことが何度もあった。単語の語頭にアクセントを

置くことが多く、アクセントごとに音程が妙に裏返る

米国(東海岸)訛りの英語を話していた。

 

彼女のパソコンにはお店の経理に関するページではなく、

各国通貨に対する、米ドルやユーロの為替チャートや、

米国の2年債から30年債の利回りを示すチャートが表示されていた。

 

どうみても一介のコンビニの店長ではなかった。

だが、詳細は聞くなとクギを刺されているから聞くわけにはいかない。

 

夕方のシフトが終わる時、夜勤のフリーターの男性(22歳)と

引継ぎをする際に、なんとなく聞いてしまった。

 

「あの、僕が先輩から聞いた話なんすけど、

 店長は個人資産が640億円あるらしいっすよ」

 

「なんだって……? 640億円!?」

 

「あ、すみません。これ言っちゃいけないことでした。

 忘れてください。田中さん」

 

「あ、ああ。俺も聞かななかったことにするよ」

 

お疲れさまでした、と言ってプロデューサーは店を後にする。

 

彼は偽名で田中太郎を名乗っている。

美波の名前は伊藤あかりだ。

 

店の裏にある昭和風の瓦屋根の民家が店長の家だ。

 

「ただいま」

 

「あなた。今日もお疲れさまでした」

 

時刻は17時07分。直帰すれば早いものだ。

シフト勤務の終わりには軽い引継ぎと、

勤務時刻をパソコンに入力するだけでいいのだから。

 

「美波……。今どき玄関先で三つ指をついて出迎えなんて

 しなくていいんだよ。時代劇の撮影じゃないんだからさ」

 

「いいえ。愛する旦那様がお仕事を終えて帰って来たのですから、

 丁重にお出迎えするのは当然のことだと思います」

 

「……どうか頭を上げてくれないか。俺は君に頭を下げられるような

 ことは何もしてないんだ。この年でコンビニでフリーターを

 やってるようなロクデナシじゃないか」

 

「そんなことありません!! 

 プロデューサーさんは全然ロクデナシなんかじゃありません!!

 私はプロデューサーさんのことを心から尊敬しています!!」

 

「わ、分かった。分かったよ。俺も実はそんなに

 悪い方じゃないと思ってたんだよね~。

 それで、今日も変わったことはなかったかな?」

 

「はい。大丈夫です。怪しい電話もなかったし、

 おかしな訪問者もいませんでした」

 

「良かった」

 

プロデューサー居間のちゃぶ台の前に座る。

令和の時代にちゃぶ台とは珍しい。

 

美波が自然な動作でお茶を淹れてくれる。

熱い日本茶だ。事務所ではコーヒーばかりだったから新鮮だ。

 

ふたりは年季の入った畳の香りに、妙な懐かしさを感じていた。

住んでみれば実に快適な住まいだった。

 

住み込みの条件は、家事を全て自分達でやることだった。

料理の支度は別々だが、掃除の一切は美波たちの仕事だった。

家にかかってくる電話や訪問者の対応もしろと言う。

 

その際は必ず「鈴木」を名乗るように言われた。

 

美波たちは言いつけを守った。

 

店長は金持ちの余裕からなのか、家賃はいらないと言う。

電気ガス光熱費も負担しなくていいと言うのだ。

 

ドタバタと、二階から物音が聞こえる。

 

「店長が起きたのかな」

 

「あの方、昼夜逆転の生活をされてますからね」

 

店長が起きるのは、なんと夕方の5時過ぎだった。

 

それからコンビニの廃棄寸前のお弁当を食べ、

店に2時間ほど顔を出してから、また二階の部屋に戻る。

 

彼女の怒声が聞こえてくるのは、決まって22時半からだった。

英語を話すので何を言っているのか分からない。

たまにオランダ語(低地語)かドイツ語(高地語)

と思わしき言葉も聞こえてくる。

 

「オランダ語でおはようございますは、フーヘンモルヘンだっけ?」

 

「いえ、店長が今話しているのは、たぶんロマンシュ語ですよ」

 

「ロマンシュ語ってなんだ? シュって……なんだか可愛らしい響きだな」

 

「ロマンシュ語は、スイス連邦で使用される言語ですね。

 店長はたまにシュヴィーツ(スイス系ドイツ語)も話してるようですよ」

 

「なんだそれりゃ。マニアックすぎて全然分からんぞ。

 それにしても驚いたな。美波は店長の怒鳴り声を聞いてるだけで

 何の言語か理解できるなんて、君は言語のエキスパートだったのか?」

 

「いえいえ。全然そんなことないですけど、なんとなくですよ。

 ただのカンです……」

 

そう話す美波の顔は暗い。

 

なぜだろうとプロデューサーはいぶかしむが、

なんとなくそれ以上深い事情を聞かないことにした。

きっと幼い頃から親に英才教育でもされたのだろう。

 

 

美波達はここでの暮らしが2か月を過ぎ、

ついに春を迎えようとしたが、未だに複数の言語を

使いこなす店長の正体は謎のままだった。

 

「明日も早いので休みましょう。おやすみなさい」

 

「ああ。おやすみ。俺の可愛い美波」

 

店長の不愉快な英語をBGMにしながら、

若い二人は布団にくるまって寝るのだ。

寝室は一階のリビングの横に用意されていた。

 

ここには彼らの邪魔をするアイドルはいない。

ナチスを模倣した委員会とかいう組織などない。

拷問されたる心配もない。

 

そう願いたかったが、深夜にわずかな物音にさえ

反応して目を覚ましてしまう。玄関の先に、

まゆがいるのではないかと思うと、不安に押しつぶされそうになる。

 

「ううぅ……パパぁ……怖いよ。パパぁ……」

 

「美波……」

 

美波は新田家の長女として生まれ、

父親にでき愛されて育ったのだと本人は言う。

携帯がないので父親に連絡することもできない。

 

父の仕事は月末が繁忙なので、

月の初めの週に必ず連絡するように言われてる。

それがもう二か月も連絡できてない。母親とのメールもとぎれてしまった。

 

今頃実家ではパニックになっててもおかしくないのだ。

大学にも行けなくなった。学費を払ってくれている親に申し訳ない。

店長の家とローソンを行き来するだけの生活になってしまった。

 

 

(このままでは、美波は鬱になってしまう)

 

 

ある日、プロデューサーは

近所の神社で花見でもしないかと誘った。

 

美波は外出するのを極端に恐れており、最初は

断ろうと思ったが、プロデューサーがどうせ追ってなんて

来ないよと明るく言うので従うことにした。

 

美波はプロデューサーに従順な女だった。

彼のために家事をすべてやり、

プロデューサーの生活に不自由がないように尽くしてくれる。

まるでプロデューサーを神様か何かと勘違いしているようだった。

 

「あなたは拷問された私を助けてくれました。

 プロデューサーさんは私の王子様ですから」

 

(王子様ね……。そんなものは架空の存在だよ)

 

とPは少し呆れるが、また口論になるので口にはしない。

 

 

4月になった。

 

神社は花見客で込み合っており、これだけの人ごみなら

追手に見つかることもないだろうとプロデューサーは安心した。

 

やっかいなのがテレビ局のカメラだ。

女性のリポーターが得意げに状況を説明しているのが目障りだ。

 

美波は勤務している時と同じように

黒く染めた髪を三つ編みにして垂らす。

探偵帽をかぶり、黒縁の大きな眼鏡をかける。

 

美人ほどメガネやマスクが似合わないとはよく言ったもので、

美波が不格好な眼鏡をするだけで目元の美しさが

だいぶ削がれ、ごく普通の女の子に見えた。

 

プロデューサーは長い前髪をオールバックにした。

わざと老けて見えるように、特殊な男性用の化粧をしている。

メイクは美波が念入りにやってくれた。

 

何も知らない人が見たら親子として映ることだろう。

 

「屋台のあんず飴を買いませんか?」

 

と美波が言うので、二人分を買った。

 

満開の桜並木を、ゆっくりと噛み締めるように歩く。

 

手を繋いでいるのでいかにもカップルなのだが、

最近では父親と手を繋いで歩く20代の女性も

いるそうなので、そんなに珍しくはないだろう。

 

「美波はあんず飴が好きなのか?」

 

「私じゃなくて……弟が好きだったんです」

 

「弟さんか。美波の三つ下だったか」

 

「はい。小さい頃は弟と二人でよく夏祭りに行きました。

 あの頃は楽しかったなぁ。帰省先の祖母の家が港の近くだったので

 潮風の匂いが懐かしい。夜は星空が綺麗でした」

 

また美波が暗い顔をするので、プロデューサーは

別の屋台を指さした。なんてことのない、たこ焼きの屋台だった。

 

「みなみちゃ~~~ん!!」

 

と後ろから声が聞こえたので、

美波は顔色を失い、あんず飴を地面に落としてしまった。

 

「あははははは!! おっそーい!!」

「待ってよ、みなみちゃ~~ん」

「こら、人の多いところで走るんじゃありませんっ」

 

ただの親子連れだった。たまたま幼女の名前が美波だっただけだ。

それなのに美波は過剰に反応してしまい、唇まで真っ青になってしまっている。

 

「大丈夫。大丈夫だから」

 

彼女を石のベンチに座らせ、肩を優しく撫でた。

美波はハンカチを顔に当てて、ずっとそうしていた。

 

「すみません。せっかくプロデューサーさんが

 外に連れ出してくれたのに。お天気も良いのに」

 

「いいんだよ。いいんだ。美波の気持ちが落ち着くまで

 ここにいてあげるから。やっぱり今日は帰ろうか」

 

「はい……。本当にすみません。

 私の事、嫌いにならないでください。

 めんどくさい女ですけど、捨てないでください」

 

そのセリフを聞いてプロデューサーが真っ先に思い浮かんだのが

智絵理の顔だが、間違っても口にはできない。

 

「俺は美波のことを愛しているよ。

 美波のことを嫌いになったりなんてしないよ。

 何度も言ってるだろ?」

 

「ああ……プロデューサーさん。

 私は今、すごく幸せです」

 

今すぐ彼に抱き着きたいが、ここでは人目があるので

手を繋ぐだけにしておいた。美波の冷たい手と

プロデューサーの温かい手は相性が良かった。

 

「私、少し眠くなっちゃいました」

 

「ここで寝てもいいぞ」

 

「それでは、少しだけ肩をお借りします」

 

美波は気絶するように眠りについた。

昨日は外出するのが不安で4時まで寝れなかったそうだ。

 

そんな彼女のカンは、残念なことに的中することになるのだが。

 

「あ……」

 

プロデューサーは思わず声を発してしまう。

目の前を、三船美優が通ったからだ。

 

「えっ?」

 

向こうもこちらに気づいてしまった。

目がはっきりと会ったのだ。

 

品の良いロングスカートに薄い春物のジャケット。

大きな帽子をかぶっている。間違いなく美優だ。

 

(まずい)

 

プロデューサーは、また美波を抱えて逃げようとかと思った。

 

なぜだか分からないが、その意志に反して体は動いてくれない。

 

人々の雑踏が無音になる。

 

突然の強風が砂埃を巻き上げる。

 

桜の花びらが舞い降りる。

 

スローモーションで再生しているかのように全てが遅く感じる。

 

4月の太陽が妙に暑く感じられる。

この暑さが自分を焼き殺してしまうのではないかと思った。

 

三船美優が、プロデューサーの隣に座るまで、

プロデューサーは指先一つ動かすこともできなかった

 

プロデューサーを挟んだ向こう側には美波が座っている

(Pは両手に花の状態)のだが、美優はそちらにはまるで関心がないようだ。

 

「こんにちわ」

 

「は、はい。こんにち……わ」

 

「私のことが怖いですか? 先に説明しておきますけど、

 私はまゆちゃんの手先ではありません。今日はお花見をするために

 神社を散歩していただけです。もちろん、ひとりですよ」

 

しかし、それだけで納得するわけにはいかかった。

美優さんも委員会のメンバーだったことは間違いないのだ。

 

「私はまだアイドルを続けてますよ。新しいプロデューサーさんは

 若くて少し頼りないけど、一生懸命仕事を探してくれてます」

 

「そうなんですか……。俺は美優さんが今でも

 アイドルを続けてくれてうれしいです」

 

「もったいないお言葉です。私は……こんな私でも輝けること

 を教えてくれたあなたに感謝しているんです。

 ええ。別に恨んではいませんから」

 

――たとえあなたが、私以外の女を連れて逃げたとしても。

 

プロデューサーの胃が、万力で締め付けられる。

 

「せめて理由だけでも説明してくれませんか?」

 

「な、なんのことを?」

 

「言わなくても分かりますよね……。

 美波ちゃんを選んだ理由のことです」

 

「あ……その……このことはどうか、まゆ達にはご内密に」

 

「今はまゆちゃんの話はしてませんよね。

 私の質問には答えてくれないんですか」

 

「いやだって……理由なんて、いきなり聞かれても困りますよ。

 お、おお俺はただ、美波がムチで打たれてたから救ってあげようと」

 

「……」

 

「美優さん……?」

 

「そんなことを聞いてるんじゃないんですよ!!」

 

観光客の視線を集めてしまった。

 

プロデューサーは奥歯がガタガタと震えてしまう。

あれほど美しかった美優の瞳は、すっかり濁ってしまった。

直視できないほどに。

 

「ここじゃ人目に付きますから、こっちに来てください」

 

プロデューサーは腕を引っ張られ、路地裏まで連れ込まれた。

すっかり目が覚めた美波も、震えながら着いて行った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

美優さんが怒ってる。

みなさん。今日も仕事とか学業とか、お疲れ様です。
なんつーか、美優さんってヤンデレが似合うんだよな(゜_゜)


「さっきはごめんなさい。

 急に大きな声を出しちゃいましたね」

 

「いえっ。美優さんを怒らせた俺が悪いんですから」

 

文字通り人気のない路地裏だ。

 

人でにぎわっていた神社から少し離れるだけでまるで別世界だ。

まだ湿度の高い時期ではないが、ここは空気がジメジメしていて不快である。

プロデューサーの靴の間を一匹のネズミが走り去った。

 

「前は……二人きりの時によくこうしてくれましたよね?」

 

ギュッと正面から抱きしめてきた。

美優の甘い吐息が顔にかかる。

 

今日の美優はなぜかスーツ姿だった。

胸元のYシャツをわざとらしく開けて

胸の谷間を見せつけているようだった。

 

プロデューサーはついボッキしてしまうが、

男なので仕方ないことなのだ。この時点で

彼は美優のおっぱいに心を奪われたとか、そんなことは決してない。

 

「ぐすっ……」

 

そのやり取りを後ろからおとなしく見守っていた美波さんは、

泣きそうになっていた。美優は、そんな彼女を見て口角が

上がりそうになるが、プロデューサーに嫌われたくないので抑える。

 

「プロデューサーさんは、もうどうしようもないくらいに

 美波ちゃんのことが大好きなんですよね?」

 

「は、はは……いや、なんていうか……」

 

「美波ちゃんのことが大好きなんですよね?」

 

「……」

 

「どうしましたか? 私はただ質問してるだけですが」

 

「ま、まあ、好きか嫌いかで言ったら、

 好きってことになるんでしょうね!!」

 

「プロデューサーさん、声の調子が変ですよ。

 私のことが怖いですか?」

 

「……美優さん。まゆや智絵理がその辺に隠れてるんでしょ?

 無駄な抵抗はしませんよ。俺を連れ戻すならそうしてください。

 企業面接じゃないんだ。こんな問答に何の意味があるんですか」

 

「私は一人でお花見に来たと説明したはずですが」

 

「……」

 

「納得してなさそうですね?」

 

「俺だって……」

 

美優は続きを待ったが、プロデューサーは

目を閉じて肩を震わせている。

 

「俺だって……なんですか? 続きをどうぞ」

 

「俺だって、これでも苦労してるんだよ!!

 お前らから逃げるために車を奪ったらインターに入る前に爆発したんだぞ!!

 職場じゃ、うぜえチャラ男がいるけど我慢して働いてんだ!!

 今日なんて美波が鬱になりそうだから俺が花見に連れて行ったんだからな!!」

 

美優の瞳からどんどん光が失われていく。

 

「お前らアイドルは自分の都合ばっかり押し付けやがって!!

 おい美優!! お前はもう新しいPが付いたんだったら

 そっちと仲良くやってろよ!! 俺なんかより良い男なんて

 そこら中にいるだろうが!! 俺はお前らと関わるのが疲れたんだよ!!」

 

彼のつばが顔に飛んでいるのに、美優には気にした様子がない。

ただ黙って彼の言葉を聞いていた。

 

「俺はもう、第二の人生を歩んでるんだ!!

 今さら古い職場の話なんてされても困るんだよ!!

 お前がアイドルを続けてるかどうかなんて、俺にはもう興味ねえんだ!!

 ははは!! 悪かったな、こんな男でよぉ!!

 俺には美波がいるから他の女はいらねえ!! おい美優!! 

 分かったか!! 事務所に戻ったら他の馬鹿どもに言っておけ!!」

 

「今のは私に対する侮辱ですよね。ひどいですよプロデューサーさん。

 私のことをアイドルではなくて一人の女性として

 大切に思っているって言ってくれましたよね。

 あれは嘘だったってことなんですか?

 信じた私がバカだったってことなんですか?」

 

「う、うるさい……。昔のことだ!!」

 

「三か月前の話ですけど」

 

「……くっ。そもそもお前みたいな美人は普通に男を探せよ!!

 お見合いとかすれば、いくらでも見つかるだろうが!!」

 

「私はプロデューサーさんがいいです。

 プロデューサーさん以外の男性には興味ありませんので」

 

「ファンと結婚しろ!!」

 

「いやですよ」

 

ちなみに彼らは上記のやり取りを正面から抱き合った状態で

やっていた。さすがの美波も嫉妬心が抑えきれなくなり、

 

「美優さんはさっきから私の夫と距離が近すぎませんか!!」

 

と強気に出て引きはがした。

 

美優は「ふ~」と息を吐いてから

 

――今、何か言ったかしら、美波ちゃん?

 

鬼の形相で言った。

 

美波は腰が抜けてしまう。だが口を開くことはできる。

 

「……私を置いて逃げてください」

 

「なんだって!?」

 

「私はもう足手まといです。プロデューサーさん

 一人だけなら逃げられると思います」

 

「何を馬鹿なことを……。

 俺は愛する人を置いて逃げるほど薄情者じゃないぞ」

 

「私はこのクズどもに捕まるくらいなら、死を選びます。

 たったのニか月だけだったけど、あなたと

 過ごせた大切な日々は決して忘れません」

 

美波はスカートのポケットの中に忍ばせていた

「毒針」を取り出した。

 

※毒針は、近所のコンビニで安売りしてます。

 生活苦などが原因で死にたくなった人は、

 これを腕に適当に刺すだけで死ねます。嘘ですが。

 

「うわああぁバカバカ!! 死ぬなぁあああ!!」

 

プロデューサーは毒針を奪い、美優に投げた。

美優は、手ではたいた。すごい動体視力だ。

 

プロデューサーは美波を抱えて逃げ出したが、

路地の出口には島村さんがいた。

この子は裏で何を考えてるのか分からないので

色々とムカつくが、やはり美少女だった。

 

(美優の奴め、ひとりで来たってのはやっぱり嘘だったのか!!)

 

プロデューサーは引き返し、反対側の路地の出口を目指すが……

 

「プロデューサーさん。ようやく見つけました」

 

智絵理の足元には、わざとらしく四葉のクローバーが落ちていた。

よくみると大きすぎる。工作で作った偽物だった。

 

プロデューサーと美波は、完全に包囲されていた。

 

最後の手段として路地の壁をよじ登ろうとしたが、

屋上からこちらを見下ろす佐久間まゆと目が合ってしまう。

 

「うふふふふ。二か月ぶりですかね」

 

まゆは、片手を前に出し、( ´∀`)bグッ! とした。

そしてその手を逆さまにひっくり返し、「死ね」の合図にした。

 

その次の瞬間、島村さんが突っ込んできた。

怪しげな液体をしみこませたハンカチを

口に当てられたプロデューサーは意識を失う。

 

美波は毒針を拾って自分に刺そうとしたが、

島村さんに腕をつかまれてしまう。

万力で締め付けられたのではないかと思うほどの握力だった。

 

耐えきれず毒針を落としてしまう美波。

その次の瞬間に島村さん特製のビンタが飛んだ。

 

「もう一度ぶたれたいですか? 痛いのは嫌ですよね。

 だったらおとなしく着いてきてくれますよね」

 

美波の腕を、それぞれ智絵理と島村さんが

持ちながら歩き出した。プロデューサーは気絶したまま

近くに停めてあった車に入れられ、美波より先に運ばれた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

見慣れた……天井

みなさん。お疲れ様です。
なんか、良い感じに修羅場になってきましたね。


知らない天井ではなく、見慣れた天井だった。

 

プロデューサーはベッドから半身を起こした。

 

「はっ? 」おかしいのは……上体が起こせたこと。

 

まず手が自由だ。足にも手錠や鎖がついてない。

アイドル達が着替えさせてくれたのか、

いつもの寝巻代わりの赤いスウェットの上下姿だ。

 

「おはようございます」

 

「み、美優……さん? ずっとそこにいたのか?」

 

「おはようございます。プロデューサーさん」

 

「おい説明しろ。どうやら俺はまた監禁されてるようだが、

 ここは美波のマンションであってるよな?」

 

「私は挨拶をしているんです。挨拶を返すのが礼儀では?」

 

「もう夜だよ!! 7時過ぎだ!!

 何がおはようだ。コンビニのシフト勤務じゃねえんだぞ……。

 俺はお前なんかと挨拶してる暇はねえんだ!!

 おい美優!! 俺の美波がどうなったのか教えろ!!」

 

「俺の……みなみ?」

 

「なんだその顔は。……そんなに俺の言い方が気に障ったかよ」

 

「だってプロデューサーさんは」

 

「もう文句を言うな!! 余計なことは何も言うな!!

 俺は美波のことが好きなんだよ!!」

 

「あのぉ……美波って……誰ですか?」

 

「は!?」

 

「ですから、美波さんってどなたですか?

 私はそのような名前の女性を知らないもので」

 

「おまえの元同僚だよ!!」

 

「そんな同僚がいた記憶はありませんけど、

 プロデューサーさんの妹とかですか?」

 

「俺は一人っ子だって知ってるだろうが!!

 おまえさっきから俺に喧嘩売ってるだろ。

 そこをどけ!! 俺が直接探しに行ってやる!!」

 

プロデューサーは成り行きで

美優のおっぱいに触れてしまったので「あっ…♡」

少しドキッとしてしまうが、すぐに気を取りなす。

 

 

寝室の隣は、広々としたダイニングとなっている。

テレビ周辺に4人掛けのソファ、キッチンには高そうなイスとテーブル。

 

おしゃれな照明と、外部との遮断を示すカーテン。

防犯ブザーと赤外線センサーの完備された室内。

カメラと盗聴器も至る所に備えられている。

 

事務所を退職したプロデューサーには、

快適で安全な生活が保障されていた。

 

「あっ。プロデューサーさん。目を覚ましたんですね。

 今お夕飯の支度をしてます。

 もう少しでできるので待っててください」

 

「智絵理か……。悪いけど俺、明日もコンビニの

 シフトが入ってるんだよ。今から帰るわ」

 

プロデューサーは玄関をガチャガチャしたが開かない。

天井のランプが赤く点滅し、警報音が鳴る。

 

エプロン姿の智絵理が、様子を見に来た。

 

「こんな夜遅い時間に出かけるなんて、不良のすることですよ」

 

「お前も俺に喧嘩売ってんのか?

 事務所時代の繁忙期は余裕で深夜の1時まで残業してたぞ。

 そしたら電気代を節約しろって部長に怒られたけどな。

 ああ……思い出しただけでもムカついてくるぜ」

 

「プロデューサーさんはもう退職しましたよね」

 

「いや、芸能事務所はそうだけど、今はアルバイトやってるから。

 俺には働く場所がありますから。つーかしばらく正社員は遠慮するわ。

 智絵理。お前もマジふざけんなよ。本気でキレていいか俺?」

 

「そんなに一度に話したら、息が切れちゃいます。

 ほら。いちど深呼吸してください」

 

「……」

 

「すってー。はいてー。ふぅーはぁー」

 

「どうやらまともに会話するつもりがないようだな。

 訊いても無駄だと思うが、美波の居場所を教えろ」

 

「みなみさん、って誰ですか?」

 

「お前もとぼけるつもりか。新田美波だよ!!」

 

「ニッタ……ミナミ……?

 すみません。そんな人知りません」

 

「ふざけてんじゃねえぞ智絵理!!

 コントみたいなことしやがって!!」

 

「よしよし。きっと嫌なことでもあったんですね。

 暖かくて美味しいご飯を食べて元気出しましょう。

 今夜は智絵理特製のハヤシライスですよ」

 

「……」

 

「寝起きでお腹すいてますよね?

 それとも先にお茶を飲みますか?」

 

「……」

 

「寒い玄関にいるから、おててが冷えてますよ。

 私の手とギュッとしましょう? ほら。ギュッ」

 

「……」

 

「プロデューサーさん。元気ないですね?」

 

「なあ教えてくれよ。俺が智絵理たちに何かしたか?

 今まで親切丁寧にプロデュースしてあげたつもりなんだが」

 

智絵理は何も答えず、プロデューサーの手を引いて

食卓に座らせた。手錠などの拘束具はない。

 

「おとなしく座っててください」と無言の圧力が加えられていた。

仮に脱走したら、ただでは済まないだろう。

 

寝室から美優が出て来て、智絵理と一緒に食事の配膳をした。

シンプルなメニューだった。

 

大盛のハヤシライス、ゴボウとミニトマトの入ったサラダ、

コンソメスープだ。ハヤシライスのお代わりは自由だと言われた。

 

「それでは、いただきましょうか」

  「はーい。いただきまーす」

 

美優と智絵理が手を合わせるが、プロデューサーは下を向いていた。

 

(美波は……どうなった? 美波は……美波は……状況から考えて

 殺されたとみるべきなのか……いやしかし……ああ、美波……)

 

取引先相手にぺこぺこと頭を下げてる時と同じ心境だ。いや、それ以上だ。

スケジュールを組み間違えたせいで、出張先に遅れた時があった。

先方に深いため息をつかれるのが、怒られるよりも胃に来る。

 

ハヤシライスなど、食べる気にすらならない。

コップに入った水を飲み干す。コップをテーブルに叩きつける。

狙ってやったわけじゃないが、美優が心配してしまう。

 

「顔色が悪いですよ。胃薬を持ってきましょうか?」

 

その原因を作ったのは誰なんだと言いたくなる。

 

「まゆ達がいないようだが」

 

「他の皆は仕事に行ってますよ。仕事じゃない人もいますけど」

 

「こんな時間まで帰ってこないっておかしいじゃないか。

 まさか仕事じゃない子は遊びに行ってんのか?」

 

「それは内緒です」

 

「美優。胃薬を持ってきてくれ。食前に飲むタイプの」

 

「はい。ただいま♪」

 

美優が席を立つので、向かい側の智絵理と目が合う。

智絵理は、楽しそうに食事をしていた。

体が小さいわりによく食べる。

 

美優が戻って来た。

 

「プロデューサーさん。胃薬です。どうぞ」

 

「ありがとう……」

 

「いえいえ♪」

 

「俺が何で胃を痛めてるのか、その原因を知りたくならないか?」

 

「プロデューサーさんも大人の男性ですから、

 いろいろ悩むことはありますよね」

 

「悩みってレベルじゃねーけどな」

 

「ハヤシライス、冷めちゃいますよ?

 温め直してあげましょうか?」

 

「いや、食べるよ。美優の顔を見てたら食欲が出てきた」

 

プロデューサーは、美優の手を乱暴につかみ、

自分の方に引き寄せてキスをした。

 

「あ……くるし……」

 

ついでに大きな胸を揉むのも忘れなかった。

ブラジャー越しでも触り心地が最高だ。

 

彼女の唇を味わいながら、ちらっと智絵理を見ると、

スプーンを握りしめて震えていた。どう見ても不機嫌だ。

 

頬を赤く染めた美優が、未亡人の顔で言う。

 

「まだお食事中なのに、もう我慢できなくなっちゃったんですか?」

 

「むしろ逆だな。お前らは俺の愛情が足りないから

 こんなことになったんだろ? そんなに飢えてるなら

 こっちから相手してやるよ。だから俺の質問に答えてくれないか」

 

 

――俺の妻はどこにいる?

 

 

智絵理と美優がこれ以上の『おふざけ』を続けられる声色ではなかった。

プロデューサーの放つ殺気によって、智絵理のサラダ用の

フォークの先が変な方向に曲がってしまった。

 

智絵理はフォークを捨てるために袋に入れた。

美優は「そろそろ時間かしら」と壁の時計を見上げる。

 

 

「ただいま戻りましたぁ」

 

牧野由依さんの声が玄関から聞こえた。まゆだ。

 

「ほら、ちゃんと足を雑巾で拭きなさい」

 

「わ、わん」

 

「良い子ね。家では躾けたとおりに過ごしなさいね」

 

「わん……」

 

――まさか!?

 

プロデューサーは、玄関へ駆けた。

 

とんでもないものを見せられた。

可愛いベージュのコートを着たまゆの足元には、

首輪にリードでつながれた妻がいた。

 

「あらプロデューサーさん」

 

「ぶっ飛ばされる前に説明しろ。美波に何をした?」

 

「美波? そんな人はこの世に居ませんけど。

 ここにいるのは一匹のワンちゃんです」

 

プロデューサーは、目の前が真っ暗になり床に崩れ落ちた。

 

美波の手と足の先がマジックテープで何十にもぐるぐる巻きにされて

球体となっていた。頭には犬耳のカチューシャ。そして口には

ボールギャグをはめられており、よだれが垂れている。

全身黒タイツだ。寒さためかブルブルと震えている。

 

「ちょっとワンちゃんとお散歩してたんですよ。

 まゆは仕事と学校で遅くなるので、

 いつもこの時間にお散歩しようかと思いまして」

 

「犬じゃない。俺の妻だ」

 

「いいえ、犬です。躾けのなってない雌犬ですよ」

 

「まゆ!! おまえは!!」 

 

「……なんですか?」

 

プロデューサーの隣には、いつの間にか

美優と智絵理が立っており、武器こそ持ってないが

何をしでかすか分からない雰囲気だ。

 

「プロデューサーさん。まゆに何か言いたいことがあるんですよね?」

 

「……新田美波は、もうこの世にはいないのか?」

 

「新田美波さんによく似た犬なら、ここにいますけどねぇ。

 半日でここまで調教するのは手間でしたよ」

 

「ふざけんじゃねえ……」

 

「これからペットをお風呂に入れてあげないといけないので、

 そこをどいてくれませんか?」

 

「俺がやる!!」

 

「それは許可できませんねぇ」

 

まゆはニコニコ笑いながらプロデューサーの横を通り過ぎた。

プロデューサーは考えがまとまらず立ち尽くしていたが、

智絵理に腕を引かれてまた食卓に戻された。

 

腹など好いてないが、食べないと脱走する時に栄養不足になる。

ハヤシライスを一気に平らげ、食後のお茶を飲む。

 

時計の針が、7時50分を指した。

バスルームからまゆと美波が出てきた。

 

美波は冬物のパジャマ姿だった。

頭のカチューシャ、口のボールギャグなど

拘束具の類は外されている。

 

まゆは、ダイニングに超大型のケージを用意した。

まさか……とプロデューサーが思うよりも先に

美波が中に入れられた。厳重に鍵をかける。

 

家にいる時はケージの中で過ごす。

夜は散歩に連れて行ってくれるそうだ。日によっては早朝の時もある。

 

「プロデューサーさん。ワンちゃんとお話をしたいならどうぞ」

 

まゆはお皿にハヤシライスを盛り始める。もう美波に興味はないようだ。

 

 

美波は、檻の中でおびえていた。

プロデューサーはいっそ、ケージを抱えたまま

逃げ出そうかと思うが、さすがにそれは無理がある。

 

「おい、美波。大丈夫か?」

 

「……」

 

返事をしてくれない。目線すら合わせてくれない。

美波は、床の一点だけを見つめていた。

乾かしたばかりのしなやかな髪の毛が、目元にかかる。

 

その儚げな表情が、さらに彼女の美貌を際立たせ、

もはやこの世の人間ではないように感じられた。

 

「プロデューサーさぁん♪」

 

まゆが、後ろから抱き着いてきた。

体重を思いっきり預けてきたので転びそうになる。

 

「そろそろお風呂にしますか? まゆがお背中を流しますよ」

 

「まゆはもう入ったんだろ」

 

「はい。ですからプロデューサーさんのお背中を」

 

「……」

 

「プロデューサーさん?」

 

「……」

 

「さあさあ。どうしますか?

 今日は日差しの強い中でお花見したから汗かいたでしょう」

 

「俺に構うなって言ってんだ。触るんじゃねえ」

 

「そんなにも殺されたいんですか?」

 

まゆとは思えないほどの低い声。

プロデューサーは、思わず振り返った。

まゆの瞳が濁りきっていて本当に人間なのかと思った。

 

「プロデューサーさぁん……まゆを怒らせないでほしいですねぇ。

 これでもね、すごーく寛大な処置を取ってあげてるんですから」

 

「うるせえ!! この冷酷女が!!

 自分の妻が犬にされたのに風呂なんか入る気になれねえよ!!」

 

「妻? 妻って誰ですか? 

 プロデューサーさんは独身だったはずですけど」

 

「もうコントはいいよ!! 聞き飽きた!!」

 

「まゆはコントなんてしてませんよぉ。

 普通にお話をしてるだけじゃないですかぁ」

 

「コントだよ!! こんなの茶番だ!! だいたい

 おまえら、人様のマンションに勝手に上がりこんで

 家主の美波をペットみたいに扱って、完全に犯罪だぞ!!

 なあ!! 俺はもう頭がおかしくなりそうだよ!!」

 

「……」

 

「おい。佐久間まゆ。聞いてんのか!!」

 

「ちょっと黙ってくれますかぁ」

 

「あ!?」

 

「黙ってください」

 

「なんだと? おまえのほうこ…」

 

「黙りなさいよぉ!!」

 

そのあまりの迫力に、プロデューサーは尻餅をついてしまう。

 

まゆの怒号によってお皿の何枚かが割れてしまい、

電気は付いたり消えたりを繰り返した。

 

「プロデューサーさんはね、まゆのことだけ見てればいいんですよ!!

 美波美波ってしつこいし。うざい!! 聞きたくない!!

 美波って誰なんですか!! そんな人いないって何度説明したら

 理解してもらえるんですか!! ねえねえ!! ねえ!!」

 

「お、おい。落ち着けよ」

 

「まゆはコントのつもりなんてないですよ!!

 真剣にやってるんです!!

 プロデューサーさんは、この家でまゆ達と家族になるんです!!」

 

「か、家族だとぉ?」

 

「うふっ。うふふふふふ。

 恋人でもなければ妻でもない、家族の一員ですよ」

 

「それこそ茶番じゃないか。血がつながってないのに……家族!?」

 

「そうです。納得していただけませんか?」

 

「……美波をペットにした理由は?」

 

まゆは、ますます不機嫌な表情になった。

 

まゆはプロデューサーと会えない時間が長くて

うっぷんが溜まっていたのもあるだろうが、明らかに余裕がない。

 

プロデューサー相手に怒鳴り散らすのは初めてのことだった。

彼女はプロデューサーを陰で手玉に取るのが好きだが、

彼を傷つけることは決してしなかった。

 

 

「それについては私から説明します」

 

 

聖母とファンの間で定評のある三船美優だった。

27歳の誕生日を迎え、ますます色気が出た。

 

「これは、仕方のないことだったのです」

 

舞台俳優のようにもったいぶった演技をするので

プロデューサーはイライラした。

 

彼女の話は15分に及んだが、要約するとこうだ。

 

・美波を殺そうと思ったが、熟慮した結果、ペットにすることにした。

・プロデューサーは美波がいないと生きていけない。

・だが、美波が妻のふりをするのも許せない。

・そしてここで全員が家族として暮らすべきだと判断した。

 

 

「ちょっと待ってくれ。響子はどうなった?」

 

「アイドルを辞めて鳥取県に帰りましたよ」

 

「本当に……?」

 

「はい。新しい彼氏が見つかったそうですよ」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

愛と暴力。DVと美優。ビンタと智絵理

はい。読者のみなさん。今日もお疲れ様です。
ぶっちゃけ、智絵理の可愛さはトップレベルだと思う(。-_-。)


「そうか。まずこれだけは言わせてくれ。

 俺は説明を聞いても全然納得なんかしちゃいない。

 お前らに色々聞きたいことはあるが、

 その前にこれでも食らっておけ」

 

プロデューサーは、まずまゆの前に立った。

 

パッシイイイイイン ←ビンタした音。

 

 

呆然とするまゆを置いて、次は美優の番だ。

 

パッシイイイイイン ←美優をビンタした音。

 

美優は涙目になって頬を押さえている。

 

 

次は智絵理だ。

 

「ひぃ!! ぼ、暴力はんた…」

 

パッシイイイイイイイイイイン ←智絵理をビンタした音。

 

音から察するに智絵理のビンタが一番威力があったようだ。

 

 

「俺はもうお前達と仕事上の関係は存在しない。

 だから殴った。文句あるか?

 家族なんだからお前達を叱る権利もあるはずだ」

 

「うふ。今のビンタは効きましたよぉ。首がもげて死ぬかと思いました。

 でもたまには暴力的なプロデューサーさんもわr…」

 

「まゆ黙れ。全力でやったからな。

 俺は本気を出したら手錠を自ら壊せるくらいの

 力があることを忘れるなよ」

 

「確か、プロデューサーさんは前世がチンパンジーだったんですよね?」

 

「……オランウータンだ」

 

「まあ。オランウータン。素敵です」

 

「インドネシア出身のな」

 

ここで衝撃の事実が明らかになった。

 

なんとプロデューサーの前世はインドネシア出身の

オランウータンだったのだ。

 

(ところでインドネシアは1万7千を超える島からなる

 国なのだが、彼の前世の具体的な出生地は不明だ)

 

彼の常人離れした腕力や声量は、前世からの遺伝子を

引き継いだものだったのだ。逆に言うと、これだけの

素質がないと芸能事務所のプロデューサーは勤まらないのだろう。

(営業としては無能なので首になったが)

 

 

「うぅ……。ぐすっ……プロデューサーさんが……ぶったぁ」

 

女の子座りして泣いている智絵理。

 

智絵理のことを大天使だと思っていたプロデューサー。

その認識は監禁されたことによって若干変わったが、

泣いてる姿はやっぱり可愛かった。

 

美優は、哀しそうにうつむいている。

長い前髪が目元を隠し、何を考えているのかは分からない。

まるっきり夫にDVされた妻のような雰囲気だ。

小学生の子供がいそうだ。

 

「プロデューサーさん……」

 

「なんだ? 美優」

 

「今のは愛情表現の一種だってことで許してあげます。

 本当はプロデューサーさんは、私達に感謝しないといけないんですよ」

 

「どういうことだ?」

 

美優が涙を拭きながらしゃべった内容によると、

プロデューサーが脱走してから戦争があったのだと言う。

 

「戦争だと?」

 

「はい。このマンションで、凄惨な殺し合いがありました」

 

 

――凄惨な殺し合い。

 

 

アイドルが使っていい言葉じゃない。

 

そもそも、このマンションに美波以外の女が三人しかいないのも気になる。

 

プロデューサーの背筋が冷たくなる。まさかとは思うが……。

 

 

「あなたが逃げてから、私達の間で意見が分かれて内部分裂してしまったんです。

 プロデューサーさんがコンビニで働いてることは脱走初日から把握していました。

 プロデューサーさんを捕らえることは簡単だったんですよ?

 でもそれをしなかったのは、プロデューサーさんを捕まえてからの

 処遇をどうするかで皆でもめたからなんです」

 

私も説明しますと智絵理が手を挙げる。

美優が舌打ちした。智絵理は構わず続けた。

 

「凛ちゃんやアナスタシアちゃんは過激派のグループに属してました。

 プロデューサーさんを薬漬けにして思考能力を奪うとか、

 いっそ足を切り落としてしまおうとか、怖いことを平気で言うんです。

 私達は反対しました。だってそんなことをしたらプロデューサーさんが

 プロデューサーさんじゃなくなっちゃいます。それに人権侵害ですよ」

 

「おい待て。お前らが美波にやってることは人権しんg」

 

「私と美優さんは、まゆちゃんの派閥に属しました。

 つまりプロデューサーさんに危害を加えることなく、

 誰かが独り占めをすることもなく、みんなで楽しく

 家族として暮らそうってことなんです」

 

「な、なんだ。そんな事情があったなら早く説明しろよ」

 

「美優さんの説明が下手くそだったから、

 きちんと伝わらなかったんじゃないですか?」

 

美優は智絵理をにらむが、すぐに元の表情に戻した。

 

どうやらこの二人は仲が良くないようだ。

 

まゆがニコニコしながら口を開く。

 

「うふふふ。あの時は大変だったんですよぉ。

 プロデューサーさんを逃がしてしまった責任を

 追及するための会議を毎日開催しまして。

 皆のお仕事が終わってからの、全員参加型の会議です。

 夜の10時から始まって深夜の3時まで続くこともありました」

 

「深夜の3時とは社畜みたいだな」

 

「女同士ですから、どうしてもドロドロしちゃいまして。

 余計な人間は排除して、協調性のある人だけで

 プロデューサーさんと一緒に暮らすことで話はまとまりました」

 

「それで残ったのがこの三人だけ?

 加蓮達は粛清されたってわけか」

 

「それに答える義務はあるんですか?」

 

「……」

 

「あっ言い忘れるところでした。

 卯月ちゃんはまだ私達の仲間ですけど、実家が近いので

 夜は帰ってもらってます。ちなみにあの子はいつ裏切るか

 わらかないのでまゆは仲間だと思ってませんが、

 智恵理ちゃんがどうしてもと言うので仕方なくって感じです」

 

「……」

 

「分かりました。少しだけヒントをあげます

 他のみんなはアイドルは続けていますよ。

 でもまゆと仲が悪くなっちゃったから

 事務所で顔を合わせても挨拶すらしませんけど」

 

「人間関係、最悪だな……」

 

「はい。誰かさんのおかげで」

 

「……」

 

「うふ。冗談です。顔が怖いですよ?」

 

「もう疲れた!! 俺は寝るぞ!!」

 

「もう寝るんですか? 分かりました。

 でもその前に歯を磨きましょうね」

 

「俺の歯ブラシはちゃんとあるんだろうな……」

 

「ありますよ。オランダのフィリップス製の最高級の電動歯ブラシが」

 

「花王やライオンの安物でいいよ……」

 

「まあまあ。そう言わず」

 

歯磨き粉は、花王のピュアオーラだった。

芸能人なので歯が命だ。もっともプロデューサーは

もう芸能界の人間ではないが、客商売はしている。

 

「まゆが磨いてあげますからねぇ」

 

「い、いいよ。自分でできる」

 

「そういうわけにはいきませんよ。

 今までプロデューサーさんにはお世話になりましたから

 今度は逆にまゆ達がプロデューサーさんのお世話をしてあげたいんです」

 

プロデューサーの横には無表情の美優と智絵理がいて怖かった。

毎度のことだが、彼女らは気配を殺して近づくのが得意だ。

 

「身長差があるんだが、どうやって磨くんだ?」

 

「その場でしゃがんでください♪」

 

プロデューサーは大きく口を開けた。

歯医者さんに世話されてるような感じだ。

彼が余計な抵抗をしないように、美優が後ろから

頭を抑えている。智絵理はニヤニヤしている。

 

洗面所で口をゆすぐ。

プロデューサーの歯は、ピカピカになった。

 

「次は、ワンちゃんの番ですよ?」

 

美波が、檻から出された。

少し眠っていたみたいで、目をこすっている。

 

美波も同じように専用の歯ブラシが用意されていて、

歯を磨いてもらった。

まゆは本当は美波のことが憎いはずなのに

嫌そうな顔をしなかった。

 

「寝る間にトイレに行きなさい」

 

と言われ、美波はおとなしくトイレに行った。

夜に行きたくなった場合は、これのスイッチを押しなさいと

ナースコールのようなものを手渡された。

ようなものじゃなくてナースコールだった。どこで買ったのか。

 

「それじゃあ、おやすみなさ~い♪」

 

美波は、再び檻の中に入れられた。

 

夜は厚手の毛布一枚にくるまって寝る。

 

ダイニングは夜中も暖房が効いてるので凍えることはないが、

まるっきり家畜の扱いであり、プロデューサーの胸がしめつけられる。

 

美波の2サイズ上の寝間着を着させれている。

これなら体のラインを強調させることがないからだ。

 

あの憎たらしい美しい髪も全部切ってしまえと

凛達は主張したものだが、まゆは最後まで抵抗した。

 

旧委員会で交わされた激論の内容は、美波の処遇をどうするかに

終始した。彼女の何が罪なのかと言うと、

プロデューサーを誘惑したことだとされた。

 

彼女の容姿を分析した結果、男性を誘惑する要素を

ほぼ全て持ち合わせていることが判明し、

試しに実家の三歳年下の弟を調べたら、

こちらも今すぐ芸能界に入れるほどの美形だった。

 

むしろ弟の方が美形だったので一同は驚愕した。

そこで、新田家の遺伝子そのものが委員会にとって悪とされた。

 

このような美人が男に対して拉致監禁するなどの

積極行動に出たらどんな男でも虜になるのは

確実であり、プロデューサーには罪がないことで一致した。

 

また彼は騙されている側だとされた。

 

「プロデューサーさんは、まさか犬にまで欲情しませんよね?」

 

まゆはプライドの高さから、自分が女としての魅力で

美波に劣っていることは決して認めなかった。

 

智絵理は泣きながら、「美波さんが人間として生まれて

こなければよかったのに」と言った。ひどい話だ。

 

それにヒントを得たまゆは、美波を洗脳することにした。

洗脳と言っても大した方法はとってない。

 

美波をマンションに連れ戻してから

『良い子になる薬』を飲ませただけだ。

その薬を飲むと、まゆをご主人様として慕うようになるそうだ。

 

まゆが「半日で調教するのは苦労しましたよ」と

言ってたのは、美波が全力で抵抗したからだ。

 

美波は英国伝統のラクロスが趣味なだけに腕力は半端ではない。

 

まゆは右腕を折られ、前歯が2本折れて宙を舞った。

智絵理は顔面を殴られ、鼻血が出た。

美優は髪の毛が20本くらいまとめて抜かれた。

 

美波の抵抗は想像を絶し、もはや猛獣と同等とされた。

智絵理が後ろから花瓶を美波の頭に叩きつけると、

さすがの美波もひるんだ。さっそく三人で押さえつけて縄で縛る。

 

美波はついに舌を噛んで自殺しようとしたので、

まゆがくすぐって口を開かせ、そのすきに例の薬を飲ませてしまう。

こうして調教は成功した。

 

いったいどんな薬なのだろうか。実は筆者も知らない。

 

 

「寝る前にお風呂で体を綺麗にしましょうね。

 さっきも言いましたけど、お背中を流します。

 今日はまゆの番ですから」

 

「まゆの番?」

 

「プロデューサーさんとお風呂に入るのは当番制なんです」

 

「三人の間で差別がないように当番にしたのか」

 

「そんなところです♪ まゆはリーダーですから」

 

「はぁ……分かったよ。さっさと入るか」

 

 

脱衣所で我慢できなくなったまゆは、背伸びして

プロデューサーの唇に吸い付いた。驚いたプロデューサーは

引きはがそうとしたが、首の後ろに回された手が離してくれない。

 

すごい力だった。ぽわぁんとした感じの甘ったるい

女の匂いがする。まゆのフェロモンだ。

 

まゆはもう女の子ではない。女だった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

堕天使ルシファー(まゆ)その顔の裏側は。

はい。今日も皆さん、お疲れ様です。

なんつーか、あれっすね。書くの楽しいっす。
自分のは起承転結とか何もないので
小説じゃなくて作文だと思ってます。

自分は今無職なので暇つぶしに作文を書いてます。


「ずっと好きだったんです。こうしていたかったんです……」

 

「まゆ……」

 

「プロデューサーさん。はっきり言ってくれて構わないです。

 まゆのこと恨んでますか?」

 

「そりゃお前……。恨むだろうよ普通に考えたら」

 

「まゆとこうして抱き合っていても何も感じませんか?」

 

「何も感じないわけじゃないよ。まゆはあれだな。良い匂いがする」

 

「私の太ももに堅いものが当たっているんですけど」

 

「……」

 

「まゆはずっと前から準備はできていますよ?」

 

 

プロデューサーは風呂場でまゆを犯してしまった。

アイドルと身体の関係を持ったのはこれで二人目だ。

 

プロデューサーは初めてまゆの体を見てしまったこともあり、

興奮して自分が抑えきれなくなってしまったのだ。

元モデルだけあって無駄な肉がついてなくてスタイルは良かった。

 

まゆは初めてだったので痛そうにしていたが、

小股で歩いて自分の力でベッドまで戻った。

お風呂場の床に残った処女の血はシャワーで洗い流した。

 

 

プロデューサーは、これと同じことを智絵理と美優でもやってしまう。

 

あれほどの美人の美優も初めてだったことに一番驚いた。

なぜ今まで彼氏を作らなかったのか訊いたら「出会いがなかったから」

と言うのだが、いっそレズを疑いたくなるレベルだ。

 

 

プロデューサーは、ケージに閉じ込められている美波と

接触できないストレスを、まゆたちを犯すことで発散した。

避妊はしてない。そんなもの必要ないとまゆは言った。

 

 

「智絵理ッ……智絵理っ……どうだ。奥まで入っているぞ!!」

「あっあっ……あんあんっ……いやっ……いやあぁっ……」

 

 

プロデューサーは、智絵理が抵抗できないように両手を

縄で縛って万歳させて犯した。

 

そこに愛など何もなく獣のように犯しただけなのだが、

智絵理はそれでも受け入れてくれた。

形だけたとしても、プロデューサーの

興味が自分に向けられていることは確かなのだから。

 

 

プロデューサーは仕事もせずにこの家にいていいと言われた。

生活はまゆ達が保証してくれるからニートだ。むしろ家畜なのかもしれない。

ケージの中で床の一点だけを見つめている、生きた屍と化した美波のように。

 

 

「私にもキスしてくださいよぉ」

 

島村さんは、学校帰りに必ずマンションに寄る。

最近はあまりアイドル活動をしてないそうだ。

人気がないからなのか、本人にやる気がないからなのかは分からない。

 

「来いよ。卯月」

 

「あっ。やっと名前で呼んでくれた♪」

 

熱いキスを交わしながら、彼女の大きなお尻をなでまくる。

島村さんのお尻の弾力はなんとも素晴らしかった。

 

「今日の夜はいっしょに寝ましょうね。

 両親には友達の家に泊まるって言ってありますから」

 

「そうか。分かったよ卯月」

 

 

ガシャン。

 

 

「!?」

 

 

ガシャン、ガシャン、ガシャん、ガシャガシャ……。

 

 

美波がケージで暴れていた。

言葉にこそしないが、怖い顔で抱き合う島村さんと

プロデューサーをにらんでいる。それでも彼女は綺麗だった。

 

 

「ちっ。あの女、薬が切れたのね」

 

「え?」

 

「プロデューサーさん。知らなかったんですか?

 ワンちゃんになる薬の効果はだいたい6時間で消えます。

 だから一日三回くらいは飲ませてあげないといけないんですよ」

 

 

そんなこと初めて知った。

 

国家機密並みの重要事項だった。

つまり美波を元に戻すチャンスはあると言うことだ。

 

無論、まゆがこのような秘密を漏らすことのによう

指示はしていたはずだ。

 

島村さんはファッションセンターなので口が軽いのだろう。

プロデューサーは埼玉県の生まれなので

この娘のことが心から嫌いになれないのだが。

 

 

「はーい。ワンちゃ~ん。良い子になるお薬を飲みましょうね~」

 

島村さんがケージのカギを開ける、その瞬間をプロデューサーは見逃さなかった。

 

 

「今だ!!」

 

「ほえっ?」

 

 

プロデューサーは美波を連れ出すと同時に、

島村さんを中に居れて鍵を閉めてしまった。

 

「ちょ、ちょっとお!! これは何のつもりですか!!」

 

「自業自得だろうが。しばらくそこで反省してろよ。島村さん」

 

「あっ、また私の事名字で呼んだぁ!!」

 

「バーカ。お前なんて島村さんで十分だ!!」

 

 

プロデューサーは二度目の脱走を試みた。

 

まず玄関は警報がついているからダメだ。

 

窓ガラスはすべて電子ロックされており、

ガラス自体が強化されていて戦車の主砲でもないと

破ることができないほどの強度だ。

 

智絵理が4.5畳の洋室で少女漫画を読んでいた。

プロデューサーはそこへ突撃し、彼女の首筋に

包丁を突き付けながら「セキュリティを解除しろ」と迫る。

 

「私は解除の方法は知らないんです。

 解除の方法は美優さんかまゆちゃんに訊いてください」

 

と言って泣いてしまう。

 

緊急事態ではあるが、これでも元担当アイドルだ。

泣いてしまった子をこれ以上責めることはできず、

仕方ないので言葉で説得する方法に切り替える。

 

「他の奴らはどうした? まゆは仕事か?」

 

「まゆさんは事務所です。美優さんは、転職活動をしてます」

 

「なに!? 美優はアイドルを辞めるってことか? 

 って今はそれどころじゃねえ。

 とにかくここにはお前しかいないんだな?」

 

「そうですぅ!!」

 

「なら話は早い。智絵理。

 お前も手伝ってくれたらここから逃げられる。

 一緒に逃げる方法を考えよう!!」

 

「逃げるって何言ってるんですか!! 

 そんなことしたら、まゆちゃんに粛清されちゃいますよぉ!!」

 

「ち、つかえないアイドルだ!!」

 

プロデューサーは、智絵理の体を縄で縛り付けて

簀巻きに近い状態にした。口には丸めたハンカチを押し込んで

ガムテープでぐるぐる巻きにしてやった。

 

智絵理を玄関前に転がすと、ブーブーと警報が鳴り響く。

 

「ふがふがふが!!」

 

「こうしておけば、すぐにまゆが駆けつけるんだろうが。

 それとも美優か? どっちでもいい。

 まるでどっかの総合警備保障みたいな設備だ」

 

プロデューサーは、死を覚悟した上で

まゆを返り討ちにしてここから逃げ出そうと思っていた。

 

美波は小刻みに震えながらプロデューサーの腕にしがみついている。

檻の中で監禁されていたので手足の感覚がないのだろう。

 

その7分後。玄関からやってきたのは意外な人物だった。

 

 

「やっほー。プロデューサー」

 

「お、おまえは……加蓮?」

 

「なんか騒がしいけど、大丈夫?」

 

「まあ気にするな。お前はどうしてここに?」

 

「久しぶりにプロデューサーの顔が見たくなってさ。

 学校サボってマンションに遊びに来たんだよ 

 あと噂で聞いたんだけど、美波さんが犬にされたってホント?」

 

色々と訊きたいことがあった。まゆの派閥から弾かれたはずの

加蓮がまたこのマンションに来ること自体が異常な感じがする。

 

「悪いが世間話してる暇はねえんだ。

 お前が来てくれてちょうどよかったよ」

 

「え?」

 

プロデューサーは加蓮が怪我をしない程度に足払いをしてから

美波を抱え駆け出した。

 

都合の良いことにエレベーターの扉が開くところだった。

今回は美波が衰弱していることもあり、階段ではなくエレベーターに

乗ることにした。白髪の老紳士と乗り合わせたので、軽く会釈する。

 

向こうはなぜかムッとしていた。

 

プロデューサーの隣にいる美波は、哀しげな顔をしていた。

 

「にげて本当にダイジョブなんでしょうか……」

 

「美波……言葉はちゃんと話せるのかい?」

 

「少しロレツが怪しいけど、タイジョぶです……」

 

老紳士は杖を床に突き、舌打ちをした。

謎の美女を連れているプロデューサーに嫉妬してるのかもしれない。

 

 

ピーン。←エレベーターが1階に着いた音。

 

扉が開いた。いよいよ自由な外界に旅立つ。

そう思った瞬間だった。

 

「やっほー。プロデューサー。さっきも会ったよね」

 

「おまえは……加蓮だよな。双子の姉妹とかじゃなくて?」

 

「今ここで『運命の愛∞』を歌ってあげようか?」

 

「……頼む。見逃してくれ」

 

「あたしと逃げるんだったらいいよ」

 

「なんだと?」

 

「だからさ、美波さんを置いて私と逃げようよ。

 その人ってもう薬漬けになってるんだし、たぶん後遺症とかすごいよ。

 そんな人と一緒にいたってメリットなくない?」

 

「美波を置いて行くなら、死んだほうがましだ」

 

「ふーん……そんなに好きなんだぁ」

 

「ああ。俺の妻だと思っている。

 お前と会うのは今日で最後になるな。

 今まで楽しかったよ。じゃあな」

 

 ザザザっ…

   プロデューサーは逃げ出した!!

      しかし、加蓮に回り込まれてしまった!!

 

 

「絶対に逃がさないから。あたしに愛の告白をしたくせに、

 責任も取らずに勝手に逃げるなんて許さない」

 

「く、くそぉ。茶番をやってる場合じゃねえってのに」

 

「プロデューサーのおかげでね、体調はすごく良くなったよ。

 お医者さんからはこれからもどんどんアイドル活動を

 続けなさいって言われた。自分が楽しいと思うことをやってた方が

 免疫が改善されて……」

 

プロデューサーは逃げる方法だけを

考えていたので上の空だった。

 

加蓮は女の子なので好きな男とおしゃべりがしたいのだろう。

プロデューサーにとっては、ここで無駄にする1分が

血の一滴に変わる。一滴では済まない可能性の方が高い。

 

美波が、プロデューサーの腕をグイっと引っ張った。

どうやら行く当てがあるらしい。

「資格の専門学校へ……」と言う。

 

駅前の英会話学校らしい。平成の頃に全国で流行したやつだろう。

会話することよりもTOEICなどの資格を取ることに夢中な学校らしい。

ちなみに在校生で英語の話せる人はいない。

 

なぜ資格の学校に行くのかは分からないが、とにかく逃げなくては。

 

「うっ……足に力が入らない……」

 

美波は崩れ落ちた。そんな彼女を支えながら、

プロデューサーは歩き出した。

大理石で作られたエントランスを通過。

マンションの外に出た。

 

日差しがまぶしいのかと思いきや曇り空だ。

今にも雨が降りそうだ。4月でも風は冷たく冷える。

プロデューサーは美波の肩を抱いて歩みを進めた。

 

制服姿の加蓮は、ブレザーのポケットに手を突っ込んだまま

横を着いてくる。まるで散歩するような気楽さだ。

 

「プロデューサーには止められたけどさ、マックのポテトを

 食べてもちゃんと日の光を浴びて運動すれば大丈夫だと思うんだ。

 今年の健康診断は血圧が低いだけで特に問題なかったよ。

 体重もここ数か月は増えてないし、夕飯とかは気を使ってるつもり」

 

プロデューサーは無視しているが、それでも加蓮は話し続けている。

やはりと言うべきか、加蓮の目は深い闇の色をしていた。

話の通じる相手ではない。

 

だが加蓮もまゆと同じでプロデューサーに手を上げることがない。

加蓮は病弱だった頃にプロデューサーが何度もお見舞いに

来てくれた恩があるからだ。

 

しかし、ただこうして着いてきているだけでも、プロデューサーに

計り知れないほどのプレッシャーを与えていた。今が脱走中ではなく

昔のように収録の帰りだったら、どれだけ平和だったことだろう。

 

その時だった。

 

ドガアアアアアん。 「きゃぁああ」「火事だぁああ!!」

 

ついにまゆが来たかと思い、ギャンブルに負けそうになった

伊藤カイジの顔をしたプロデューサー。

 

「よく見なよ。あれは全然関係ない住宅が燃えたんだよ」

 

本当だった。たまたま放火魔でもいたのか、住宅街で

火災が広がっていた。街が騒然とすれば脱走するには好都合だ。

 

「も……もうだめ……頭がフラフラして立ってられない……」

 

「美波!? 大丈夫か?」

 

プロデューサーが美波の体を抱きかかえる。

美波は息が荒い。おでこに手を当てると、すごい熱だった。

 

監禁生活のストレスに加えて『ワンちゃんになる薬』の副作用だろうか。

 

 

「あー、顔色悪いねー。たぶん風邪じゃない?」

 

「加蓮。今の俺らに余裕がないのは分かるよな?」

 

「ごめん……。ぶっちゃけ美波さんに嫉妬してたんだよ。

 そんなに怖い顔しなくてもいいじゃん」

 

「ここから一番近い病院は?」

 

「クリニック(個人の病院)でよければ知ってるよ。

 案内してあげようか?」

 

「頼む」

 

「はいはい」

 

加蓮も美波を運ぶのを手伝ってくれた。

歩いて10分以内の所に内科のクリニックがあり、

美波の診察をしてもらった。

 

脱走した身なので例によって保険証どころか現金すらなかったが、

お金は加蓮が出してくれることになった。

ものすごく嫌そうな顔をしていたが。

初診でしかも保険証無しでは高額な医療費になる。

 

医師はエム字ハゲのおじさんだった。

 

「お嬢さん。若いし綺麗だねー。もしかして新田美波?」

 

「いいから急いで診てくれ!!」

 

妻だと言い張ってプロデューサーも一緒に付き添った。

加蓮も後ろにいる。

 

「うーん、これは、たぶんあれだね。

 お客さん。たぶん遊びでやってたんだろうけど、

 コンビニで売ってるあの薬を試しちゃったでしょ?

 ほらあれ。何て名前だっけ?」

 

「ワンちゃんになる薬ですよ」と美人の看護師。

 

「そうそう。あれね。あーゆーの、良くないよなぁ。

 最近の若い人は遊びで使っちゃうんだから。

 私はね。これでも4年前にテレビ局にインタビューに

 出たことがあってね。その時にこう言ったんだよ。

 薬ってのはね、まずは飲んだ人がその」

 

「早く結論を言え!! 俺の妻はどうなるんだ!!」

 

「っはぅ。心臓が止まるかと思ったじゃないか。

 最近の若い人はイキがいいね。

 いや別に薬とか出さないよ。だって出せないし。

 犬の薬の副作用は動悸や息切れ、あと手足の

 しびれなんだけど、これって自然と治るものだからさ」

 

「おいハゲ!! それは本当なんだろうな!!」

 

「ハ、ハゲだとぉ? バカな。私は今でも髪がふさふさだ!!」

 

と自分の登頂を指す。しかし、そこには何もなかった。

 

加蓮が笑いをこらえている。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

加蓮は恋する乙女だが、だいぶ病んでいる。

はい。読者諸兄。今日も学業やお仕事、お疲れ様です。
自分は遊んでるだけなんで、ちっとも疲れてないっす(笑)

なんつーか、仕事のことを忘れて家に引きこもるの
悪くないっすね。天気の良い日は散歩すると創作意欲がわきます。

加蓮は、個人的にすげー可愛いと思ってます。



医者(ハゲ)との会話の続きから再開する。

 

「そんでさ。新田さんは確かアイドルだったよね?」

 

「いえ……。そ、それは……」

 

「いや君。隠さなくていいんだよ。これでも私はファンだったからさ。 

 それにしても結婚してるとは、びっくりしたなぁ」

 

その医者に続いて看護師の人まで「実は私もファンでした……」

と言い出したのでプロデューサーは感動して泣きそうになった。

こんなところでも新田美波を知っている人がいたのだ。

 

活動期間が短く、テレビに主演することもほとんどなかったのに。

彼女はトップアイドルになれる素養がいくらでもあったのだろう。

 

「話を続けるけど、19歳の女性ならまず大丈夫だよ。

 普通に家で休んでいれば、2週間もすれば完治するよ。 

 ただし、栄養のある食事を心がけ、しっかりと睡眠をとること。

 頼りになりそうな旦那さんがいてくれるなら安心だね」

 

「ありがとうございます」

 

美波が微笑んだので医者は顔がタコのように赤くなった。

美波の笑顔にはアイドルだった時の面影があった。

 

「もっとも私は新田さんが結婚していると知ったので

 今日はもう帰ろうと思うんだがね……」

 

「先生!! またそんなこと言って!!

 2月から新田さんが活動休止するって聞いた時も

 寝込んでたじゃないですか!!」

 

加蓮は今度は医者と看護師のやり取りを見ても笑えなかった。

 

彼女のカンに触る言葉がいくつか聞こえてしまったからだ。

 

『結婚』『頼りになりそうな旦那さん』

 

加蓮はイライラしながら待合室で順番を待っていた。

美波と手を繋ぐプロデューサーは、

そんな彼女を戦々恐々として見守っていた。

 

「新田美波さ~ん。新田美波さ~ん。

 会計が準備が整いましたよ~」

 

加蓮がソファから立つ。

 

「あ、私が支払いますので」 

 

「え? あ、はい。分かりました。

 大変お待たせしました。保険証を紛失されたとのことで、

 金額はこちらになってしまいますが」

 

例えば再発行された保険証を2週間以内に窓口に

提出することによって払い戻しが可能になるのだが、

加蓮は断った。二度とこの病院に来ることがないからだ。

 

 

「プロデューサーさ~~ん♡ こんなところに居たんですかぁ」

 

玄関の自動ドアの先には、佐久間まゆがいた。満面の笑みだ。

隣にはスーツ姿の三船美優がいて、軽く会釈をしてくれる。

 

プロデューサーは、握りしめた拳が震える。

奥歯のかみ合わせが合わない。

 

まゆ達も、さすがに院内には入ってこない。

プロデューサーに正面から出てきなさいと迫っているのだ。

 

「すまない美波。俺にできるのはここまでだ」

 

「いいんです。あなたが私をここまで連れ出してくれたことが

 うれしかった。ありがとうございます。プロデューサーさん」

 

「美波。俺は何があろうとお前だけを愛している」

 

「私もです。愛してます。あなた」

 

加蓮が、歯ぎしりをした。

目元全体のハイライトが消え、危険な状態になっている。

 

プロデューサーがその横顔を見た時、

恐ろしさのあまり全身の毛が逆立つ気がした。

 

「お、おい。加蓮……?」

 

「なに?」

 

「あーその……世話になったな。

 お前と会えるのは今日で最後になるかもしれない。

 最後にこれだけは言わせてくれ。

 美波をこの病院に連れてきてくれてありがとう。

 あと支払いのことも」

 

「ふ……ふーん。まあ困ったときはお互い様だし?」

 

瞳に少しだけ光が戻った。

 

「てゆーかさ。最後じゃないし」

 

「どういう意味だ?」

 

「プロデューサーってまゆを悪魔の使いみたいに

 思ってるんだろうけど、実際はただの16歳の子供だよ。

 別にまゆに会ったって死ぬわけじゃないんだから 

 そこまで脅える必要なくない?」

 

「いやいや。脅えるわ。美波が今までどんだけ

 ひどい目にあわされたか知ってて言ってるのか?」

 

「死ぬわけじゃないじゃん。

 あたしは小さい頃から大人になる前に死ぬかもしれないって

 言われて育ってきたんだよ。全身麻酔の手術も何度もした。

 そんなのに比べたら、まゆに付きまとわたって怖くないじゃん」

 

「お前の病気のことを馬鹿にするわけじゃないが、

 まゆを甘く見過ぎてないか。

 俺の手を見てくれ。さっきから震えが止まらない」

 

「まゆ恐怖症か。それも一種の病気だよね」

 

いつまでも玄関にいるものだから、受付にいる

看護師さん達が不審そうに眺めている。

 

「行こうか?」

 

加蓮は自動ドアをくぐってしまった。

そこに魔界があると知ってのことだろうか?

あるいはとうに死の覚悟ができているのか。

 

「やあ、まゆ。お疲れ」

 

「あいにくですけど、まゆは全然、ぜーんぜん疲れてませんよ~。

 不思議だなぁ~~。加蓮ちゃんがど~~して

 私達のプロデューサーさんと一緒に病院から出てくるのかしらぁ」

 

「まゆのことが嫌いなプロデューサーさんが

 マンションから逃げ出したんだよ」

 

「……はい?」

 

「聞こえなかった? だから、まゆのことが嫌いなプロd」

 

「ちょっと黙ってくれる? ちゃんと聞こえてるから」

 

「良かった。ちゃんと耳ついてたんだね。

 まゆは普段から悪いことばっかり考えてるから頭イかれてるもんね」

 

「加蓮ちゃん。今日はずいぶんと口が悪いんだね」

 

「うん。前から言おうと思ってたんだけどさ、まゆのこと嫌いだから」

 

「あっそう。まゆも加蓮ちゃんのことはすでに

 赤の他人だと思ってるから安心してね」

 

「それはよかった」

 

「で、そろそろプロデューサーさんのそばを離れてもらってもいい?

 私達はプロデューサーさんとその隣にいる人に用があるので」

 

「させないよ」

 

「邪魔をするつもり?」

 

「プロデューサーはさぁ、あんたのおもちゃじゃないんだよ。

 まゆって精神的に子供だよね。ガキ。

 何でも自分の思い通りにならないと気が済まないんでしょ。

 プロデューサーの大切にしてるアイドルを傷つけるってそれ、

 一番プロデューサーから嫌われる原因だからね。分かってんの?」

 

「……加蓮ちゃんだって最初は委員会のメンバーだったじゃない。

 そこの人…美波さんの件は、

 美波さんがプロデューサーさんを拉致したから有罪だって

 満場一致で決まったはずだよねぇ? 

 それを今さらまゆだけの責任にするのっておかしくない?」

 

「でも、二人は愛し合ってるみたいじゃん。

 結果的にはカップルになったわけだし」

 

「プロデューサーさんはねぇ。そこの女に騙されてるだけだから」

 

「それはあんたの妄想。事実をちゃんと見てみなよ。

 プロデューサーはまゆじゃなくて美波さんを選んだんだよ」

 

「なによ!! あなただって選んでもらえなかったくせに偉そうに!!」

 

「あたしはラブレター組だったんだよねぇ。

 つまり彼に愛されていた女子ってこと。

 まゆはもらったんだっけ? 

 あ、ごめん。確か、もらえなかったんだよね?」

 

「……」

 

「急に黙り込んでどうしたの?」

 

 

両者、睨み合い。

 

まゆの放つ殺気によって、地面を風が舞い、土煙が発生した。

加蓮も負けずに殺気を放つ。

ついには雨雲を呼び寄せてしまい、一帯は大雨になってしまった。

 

プロデューサーは病み上がりの美波を肩に抱きながら、

院の玄関前で雨宿りする。美優は大きな傘を差した。

美優は、親の仇のように弱った美波のことを睨んでいた。

 

まゆと加蓮は、雨に濡れながらも立ち尽くし、

依然として修羅場が続いていた。

 

距離は3メートル。どちらかが一歩踏み出すことによって

血で血を洗うようなバトルが始まるのは言うまでもない。

 

 

――凄惨な殺し合いがあったんですよ

 

 

美優の言葉が脳裏に浮かぶ。プロデューサーは、

こんなアイドルらしくないことは止めないといけないと思った。

たとえ彼がすでに芸能界から身を引いていたとしても。

 

 

「あの時のプロデューサーは優しかったな。

 あたしが検査入院した時は面会時間ぎりぎりにお見舞いに来てくれてさ。

 毎日夜遅くまで働いて忙しいのに、

 あたしのために時間作ってくれて本当にうれしかった」

 

「うるさい!! うるさい!! 聞きたくない!!

 あんただって美波に彼を奪われてるじゃないの!!」

 

「あたしはね。もう一度プロデューサーと仲良くなろうとしてるんだ。

 プロデューサーに恋人か奥さんがいたとしても別にいいよ。

 友達ってことでいいじゃん。

 少し前まではプロデューサーに肩を抱かれてキスされたことも

 あったんだよ。きっとプロデューサーだってあたしのことが

 嫌いなわけじゃないと思うんだよね。そう。あんたと違って」

 

「殺してやるぅぅ!!」

 

「おっと、危ない。なにそれ。刃物?

 そんなもん隠し持ってたらプロデューサーに怒られるよ」

 

「まゆのこと、それ以上侮辱するなら許さないから!!」

 

「バカにしてるように聞こえたならごめんね。事実を言っただけだから。

 だってあんたは現実じゃなくて妄想の世界に生きてるじゃん」

 

「このぉおおおお!!」

 

あの佐久間まゆが、我を忘れていた。

 

小型ナイフを上下左右に振り回すが、

加蓮は文字通り可憐な動作でひらりひらりと避ける。

 

まゆは息が切れてしまい、対する加蓮は病弱だったのが

嘘のように身が軽い。アイドルを始めてからの彼女は、

明らかに身体能力が向上した。

 

一般的な女子の平均と比べても運動神経が良い方だ。

 

まゆの動きは大振りで一度交わすことができたらスキが多い。

そこを見逃さずに、加蓮が懐に飛び込んだ。

 

 

「足元が甘いよ」

 

「う!?」

 

 

柔道の大外刈りの要領で、まゆの体は背中から叩きつけられた。

受け身を取る暇などなく、呼吸がしばらく止まった。

 

戦闘能力では加蓮が圧倒していた。

プロデューサーは彼女にダンスのレッスンしか

教えてなかったはずだが、いつの間に格闘技を身につけたのか。

 

力で勝てないと知りながら戦いを挑むほど、まゆは無謀ではない。

だがこれでは気が済まない。

 

びっしょりと水たまりで濡れた後ろ髪をなでた後、

加蓮をにらんで思いつく限りの悪口を言った。

 

「このブス!! 病弱女!! 死ね!!」

 

「今のあんたの顔、ひどいよ? あんたの方がブスじゃん」

 

「ひっ、ひぃっ。来ないで!!」

 

「逃げるなよ。口の悪いアイドルには罰が必要だよね」

 

 

そこへ未亡人アイドル、三船美優が静かに立ちふさがる。

 

 

「もう勝負はつているわ。あなたの勝ちよ。加蓮ちゃん」

 

「じゃあプロデューサーのことは諦めてくれる?」

 

「……好きにしなさい」

 

「ありがと♪」

 

 

北条加蓮。まさかの勝利。

 

ここでまゆ派のアイドルを見てみよう。

 

美優は武闘派ではなく、まゆはすでに敗北。

島村さんはまだ檻の中だ。智絵理は大好きな彼に包丁を突き付けられたことが

ショックで寝込んでいる。純粋な子供には刺激が強すぎたのだろう。

 

他方、プロデューサーは健康そのもの。加蓮も同様。

美波は拉致監禁される心配がなくなったことで精神の安定を得る。

 

 

加蓮ら一行は、ホテルへ向けて歩き出した。

プロデューサーの腕にしがみつく加蓮嬢の姿は年相応の少女である。

 

 

(絶対に殺してやる)

 

まゆは雨に打たれながら復讐を誓った。

美優も鬼の形相で去って行く三人を見つめていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

加蓮と美波のバトルになってしまった。

はい。皆さん。今日もお疲れ様です。

響子ちゃん、どうしたんでしょうね?
ここ最近、出番がなさ過ぎて不安になってきました。
数話前に鳥取に帰ったって佐久間まゆが言ってましたけど。

……本当に帰ったんですかね?

彼女も今作のメインヒロインのひとりなんで、
居なくなると困るんですよね。あとで真剣に考えます。


「プロデューサー」

 

「な、なんだ加蓮」

 

「美波さんはもう寝てるんだよね」

 

「……美波は犬になる薬の副作用で夜は爆睡だからな。

 さ、もう夜の12時だぜ。俺達も疲れたから寝よう」

 

「もうプロデューサーじゃなくなったのに、つれないなぁ~。

 まだ寝るの早くない?」

 

「ちょっ加蓮!! お前、なに服を脱ごうとしてるんだ?」

 

そこはラブホテルの一室だった。

加蓮が奮発して一番高い部屋を頼んだので室内はなんとも豪華だ。

プロデューサーは文無しだったのでお金を出してもらったのだろう。

 

室内にバラの散りばめられた浴槽が付いている。

高級なソファや超大型の液晶テレビ。

 

たぶん中東のドバイとかにありそうな感じの

白くておしゃれな内装のホテルだった。

 

加蓮はおしゃれな冷蔵庫の中から、おしゃれなワインを取り出した。

 

「飲む?」

 

「いや、俺は事務所を辞めてから酒は飲まないようにしてるんだよ」

 

「えーなんで? ここ飲み放題なんだから今日くらい飲めばいいじゃん」

 

「……お前さ、未成年なのによくラブホに入れたな」

 

「最近のホテルはチェックインが無人だし楽勝でしょ」

 

「加蓮は最近学校の方はどうだ? 新学期が始まったばかりだろう」

 

「別に。これといって問題ないよ。仲の良い友達も同じクラスにいるし。

 それさっきも聞いてなかった?」

 

「……ちょっとトイレに」

 

「さっきも行ったじゃん」

 

「……」

 

「もしかして私といるの嫌だったりする?」

 

「……どうか落ち着いて聞いてほしい。

 俺は美波と付き合ってる。つーかもう結婚の約束もしてる。

 加蓮のことが嫌いって意味じゃないんだ」

 

「そんなの、知ってるよ」

 

 

加蓮の瞳から急にハイライトが消えたので、

プロデューサーは小鹿のように震えた。

 

 

「病院に行く前にも言ったけど、あたしとプロデューサーは

 友達ってことでいいじゃん。プロデューサーもあたしのこと

 好きなんだよね? だってラブレターにはそう書いてあったよ」

 

「友達同士でこういうことするのはちょっと……」

 

裸になった加蓮が、プロデューサーに体重を預けてくる。

ふたりはベッドの上で重なり合っていた。

 

加蓮の大きな胸が、プロデューサーの体にぎゅっと押し付けられる。

プロデューサーは、勃起した。もともと加蓮は好みの女の子なのだから

無理もない。だが今のプロデューサーは美波に対する罪悪案がある。

 

すぐ隣のベッドでは美波が安らかな顔で寝息を立てているのだ。

 

しかし加蓮が今度は足を絡めてきたり、

甘い吐息を吐いてきたので

さすがのプロデューサーも理性を抑えきれなくなっていた。

 

 

「友達じゃだめなの?」

 

「加蓮。本当にいいんだな?」

 

「あたしはとっくに準備はできてるよ」

 

プロデューサーは獣になった。

 

やはり退職後は気が楽だ。もうスキャンダルの心配がなくなると

自制が効かなくなる。服の上からでは分からない肉付きの良い加蓮の身体。

その裸を見てプロデューサーはマウンテンゴリラのように元気になり、

加蓮が疲れ果てるまで犯しつくした。

 

加蓮は従順な女の子。プロデューサーの下手くそな

愛撫に身を任せて一切抵抗はしなかった。

 

「はぁはぁ。加蓮……加蓮……もう出るっ……」

 

その場のノリで、避妊はしなかった。

処女の鮮血で染まるベッドシーツ。これでもう何人目だろうか。

涙目になっている加蓮は、痛みを忘れてうれしそうな顔をした。

これで彼との深い絆ができたのだから。

 

加蓮はシャワーで体を綺麗にしてからプロデューサーと一緒の

布団に入った。ピロートークである。

 

「今日まゆと喧嘩した時、本当は怖かったんだ」

 

「そうなのか?」

 

「うん。体はそれなりに鍛えたけど、正直勝てるか分からなかった。

 まゆのことだから毒ガスとか使ってくるのかと思ってたよ。

 もし負けたら、おとなしく引き下がるつもりだった」

 

「ありがとな」

 

「え?」

 

「俺達を救ってくれてさ。加蓮がいなかったら

 またマンションに連れ戻されて監禁生活が続いていた。

 本当にありがとうな加蓮。嘘じゃなくてマジで感謝してる」

 

プロデューサーは加蓮を腕の中に抱きながらキスをした。

 

「ねえプロデューサー。嘘でもいいから

 あたしのこと愛してるって言ってよ」

 

「愛してるよ。ずっと前からな」

 

「ほんと? うれしい」

 

「今では命の恩人だ。加蓮とはこれからもずっと仲良く…」

 

「あの。そこで何してるんですか?」

 

愛し合う二人の会話に新田美波の声が混じった。

 

「何って、プロデューサーとおしゃべりしてるんだけど」

 

「どうして裸でおしゃべりしてるの?」

 

「愛し合ってるからかな」

 

「は?」

 

「さっきプロデューサーがあたしのこと愛してるって言ってくれたんだよ。

 美波さんは今目覚めたばかりだから聞いてなかったかもしれないけど」

 

「……けないで」

 

「何か言いました?」

 

「ふざけないで!!」

 

新田美波。まさかの復活。

 

薬の副作用は、あふれんばかりの怒りによってすっかり消えてしまい、

かつての怒声が戻った。その大砲のような怒号を食らい、

加蓮は風圧で吹き飛びそうになるが、ベッドのシーツをつかんでなんとか耐えた。

 

「加蓮ちゃん、あなたねぇ。人の旦那に手を出して何様のつもりなの!!」

 

「まあまあ。そう堅いこと言わず。

 プロデューサーはみんなのものってことでいいじゃん」

 

「勝手なことを……!!

 彼は私のものだから離れて!! ほら離れろ!!」

 

突き飛ばされた加蓮が、床の上に倒れる。おっぱいが揺れた。

 

「プロデューサーさん。大丈夫ですか?

 ああ……ああ……どうして加蓮ちゃんなんかと……。

 いやぁ。私のプロデューサーさんの体が汚されちゃったぁ」

 

「い、いや。美波。これはだな……」

 

「早く身体をきれいに洗いましょう。

 大丈夫。私はプロデューサーさんを信じてますから。

 言い訳なら後で聞きますから、ね?」

 

「は、はは……」

 

プロデューサーはミッキーマウスのような顔をしてしまう。

美波の目がヤバい。完全なるハイライトオフである。

 

美波はプロデューサーをバスルームまで連れて行こうとするが、

 

「もう夫婦ごっこはやめなよ」

 

加蓮が余計な口を挟み、空気がさらに重みを増す。

 

「二人の関係はどうなってるのか知らないけど、

 夫婦だって言い張りたいなら夫婦でいいよ。

 でも、プロデューサーを最初に好きになったのはあたしだから」

 

「はぁー?」←怒り

 

「美波さんが入る前からあたしはプロデューサーと仲良しだったから、

 彼を好きだって気持ちだけは負けるつもりはないよ」

 

「まゆちゃんにも何度も同じこと言われたよ。で、だからなに?

 その理屈だと早く入社した人は誰でも彼に手を出していいことになるよ。

 先に知り合ったからってなんなの? そんなの子供の理屈じゃない。くだらない」

 

「ふたりは、籍はまだ入れてないんでしょ?」

 

「そうだけど」

 

「じゃあ結婚してないから夫婦じゃないよね」

 

「なに……? 別に籍を入れてなくても結婚してるからね?

 事実婚だよ。今時事実婚なんて日本中どこにでもいるでしょ」

 

「でもプロデューサーは、さっきあたしのこと愛してるって言いながらからd」

 

「それ以上言わなくていい!! さっき見てたから!!」

 

プロデューサーは、いっそ逃げ出したくなったが、

当事者の彼が逃げ出そうものなら地獄を見ることになる。

 

「ねえプロデューサー」

 

加蓮が女の顔をする。プロデューサーは肩が激しく震えた。

 

「プロデューサーがどう思ってるのか知りたいんだよ。

 美波さんのことが好きなんだよね?

 だったらさ……あたしのことは捨てるの?」

 

「捨てるとか、そんなつもりはないけどさ……」

 

「あたしとはこれからも友達でいてくれるよね?

 まさかもう退職したから赤の他人ってことにはならないよね。

 プロデューサーはそんな冷たい人じゃないもんね」

 

結局、まゆから逃げても同じことだった。

 

確かにマンションに監禁されることはなくなったが、

病んでしまった加蓮に付きまとわれて修羅場であることに変わりはない。

 

美波は、ずっと前から加蓮を敵視していた。

 

人の夫を奪おうとしているのだから当然なのだが、

それ以外にも理由はあった。加蓮は美波より身長が

10センチも低いから、容姿的にも嫉妬の対象となっていた。

 

美波が小学生の時から身長が高めなことがコンプレックスだったから、

小柄な女の子にずっと憧れていた。智絵理に嫉妬してたのもこれが原因だ。

 

だからこそ!!

 

隙あらばプロデューサーを誘惑して

奪い取ろうとする加蓮のことが許せなかった。

 

美波が拳を固く握りながら吐息を荒くすると、

プロデューサーが爆弾を投下した。

 

 

「響子は、今頃どうしてるんだろうな」

 

「え?」

 

 

加蓮は不思議に思う。なぜプロデューサーは響子のことを口にしたのか。

 

 

「まゆの話だと地元の鳥取県に帰ったってことになってるらしいが」

 

「ねえプロデューサー。なんでいきなり別の女の話をするの?」

 

 

加蓮の表情が険しくなる。

 

 

「ご、ごめん。なんとなく気になったから口にしてみたんだよ」

 

「……」

 

「お、怒るなよ」

 

加蓮の顔が、ハイライトが消えるのを通り越して

クロデメニギス(深海魚。名前を検索すれば出てくる)

のように変化した。

 

加蓮は怒りたいところだが、まだ若い乙女なので

怒りっぽいところを見せたらプロデューサーに

愛想をつかされるのではないかと慎重になる。

 

筆者が思うことは、言いたいことは何でも言った方がいいと思う。

そうしないと心の病気になっちゃうよ。

 

 

「そんなに知りたいのなら教えてあげるよ。ねっ美波さん?」

 

「えっ。今私に聞いたの?」

 

「そうだよ。知ってるんだったら教えてあげてよ」

 

「いや知らないし。知りたくもないし。

 なんで私が知ってて当たり前みたいな聞き方した?」

 

「美波さんなら知ってると思ったから聞いてみたんだよ。

 そういえば美波さんって響子ちゃんからプロデューサーを

 無理やり奪たって聞いてるよ。コンビニで彼を拉致したんでしょ?」

 

「……」

 

「あの優しかった響子ちゃんがすごい怒ってたよ。

 新田美波は卑怯な泥棒猫。恥知らずの売春婦。

 人の夫を体で誘惑した卑怯者。他には…」

 

「あんただって私に対して同じようなことを

 してるくせに偉そうなことを言うな!!」

 

「そうでもないと思うよ。なんてゆーかさ、プロデューサーって

 もともとあたしに惚れてたじゃん? 病院でデートしていた

 話はのろけになっちゃうからしないけどさ。もう彼ったら

 あたしがいないと生きていけないみたいなことまで言ってたのよ。

 それでね……」

 

 

     文字数が4000文字を超えた。

 

       加蓮さんの話が長くなりそうなので、

          まだ話の途中だが、次回に続く!!

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

エンドレス口喧嘩。加蓮と美波。

はい。お疲れ様です。読者の皆さんは、どんな一日をお過ごしですか?

作者は今日も安定して無職なので、なんか気持ちが楽です(笑)
まだ貯金があるので悲壮感は有りません。
来年から真面目に就活しようと思ってます。

五十嵐響子ちゃん、かわいいよね(^O^)/
家事得意だし笑顔にすげー癒されるわー。


加蓮と美波の舌戦の続き。

 

 

「美波さんは最低だよ。卑怯だよ」

 

「はぁー!?」

 

「すぐ怒るし。プロデューサーの前だと猫かぶってる」

 

「それは加蓮だって同じだと思うけど!?」

 

「だいたいさ。歩くセックスってファンの間で呼ばれてるってどうなの?」

 

「そっちこそ病人のふりして彼に近づいたんじゃないの?

 今日のバトルの動きはなんだったのあれ。健康そのものだったよね?

 今までずっと仮病使ってたんでしょうが!!」

 

「……仮病? そんなわけないじゃん。

 プロデューサーに褒めてもらうために

 普段から食生活に気を付けたりして体を治していったんだよ。

 それと主治医の勧めで屋外で活動する時間を増やしたら

 体がどんどん動くようになったの」

 

「嘘つけ!! どうせ仮病でしょうが!!」

 

「違うって言ってるじゃん。しつこいな。

 人の病気のことまでケチ付けてくるなんて性格悪っ」

 

「だからっ。人の旦那を奪おうとするあんたみたいな

 卑怯者に言われたくないんだよ!!

 マックの食べ過ぎて体壊して死ねば!?」

 

「うわー。人に簡単に死ねとか言うなんてサイテー。

 あたし全身麻酔を何度もしてたから

 本当に死ぬ思いをしたのにさー」

 

「あんたの病気のことなんて知りたくもない。

 ぜんっぜん、これっぽちも興味ないから。

 はいはい。冷たい女でごめんねー」

 

「プロデューサー。美波さんって怒るとこんな感じになるんだよ。

 人に簡単に死ねとか言う人ってどう思う?」

 

プロデューサーは「は、はは……まあまあ」と言うしかない。

 

今すぐ胃薬を飲まないと危険な状態だった。

 

「騒がしくしちゃってごめんなさいね。あなた。

 最近の高校生ってこんなに礼儀知らずで世間知らずなのね。

 どうせ親にロクな教育を受けさせてもらえなかったんでしょう。

 ねっ。あなたもそう思うでしょう?」

 

プロデューサーは、またしても「は、はは……まあまあ」と言う。

 

壊れたテープレコーダーのようだ(死語。昭和風の表現)

 

 

「ド淫乱さん。プロデューサーが困ってるよ。

 あんたが怖いせいで彼の顔、思いっきり引きつってるから」

 

「何か言った? クソガキ」

 

「ぶっちゃけさ、美波さんて今年の夏で20歳になるわけだし、

 普通に考えてアイドルの世界ではオバサンだよね。

 私みたいに16歳の女の子の方がプロデューサーも喜んでくれると思う」

 

「いやいや。何言ってんの? 本当に……意味が分からな過ぎて笑っちゃう。

 私はもうアイドル辞めましたから。世間一般で言ったら花の女子大生ですから。

 私も彼もすでに辞めたのに、346プロの基準で物事を語られても困りますけど」

 

「ふっ。トップアイドルにもなれずに逃げた人が何か言ってるよ」

 

「そういうあんたはなれたの? トップアイドル」

 

「なれてないけど」

 

「ぷっ。そもそも大好きな彼もいないのに、なんでアイドル続けてるの?

 才能ないなら辞めちゃえば? あ、ごめーん。

 私はプロデューサーさんと結婚するから余計なおせっかいだったね。

 ごめんね。皆のアイドルを勝手に奪っちゃって」

 

「ド淫乱さんは、自分の体を使って誘惑するの得意だもんね!!

 すごいよねー。尊敬するよ」

 

「……まれよ」

 

「なに? 声小さいよ。ド淫乱さん」

 

「黙れって言ったんだよ!! その言い方、二度とするな!!

 お前に言われるとカンに触るんだよ!!

 お前だって、ついさっきまで彼と裸で抱き合ってたろ!!」

 

「あたしの場合は、お互いの愛を確認するためかなー。

 だってプロデューサーも乗り気だったし、

 美波さんみたいに無理やり襲ったりとかしてないもん」

 

「そもそもね、人の旦那に手を出してる時点でクソなんだよ!!

 このクズ!! もう絶対に二度と彼の視界に入るな!!」

 

「美波さんさぁ。さっきから口悪すぎない?

 プロデューサーもドン引きしてるの気づいた?」

 

「知ってるよ!! 

 でも原因は加蓮、お前がそうさせたんでしょうが!!

 なんでイチイチ突っかかってくるんだよ!!」

 

 

美波の拳が、テーブルを乱打する。

 

両者の喧嘩は長く、さすがに喉が渇くので

水やらジュースのペットボトルを大量に開けながら舌戦を続けていた。

全然ラブホテルの雰囲気じゃなかった。

 

今気づいたが、そもそもラブホはカップル専用の施設なのに

三人が同じ部屋に入れるのか? まあ気にしないことにしよう。

 

 

「ぶっちゃけさ、美波さんみたいな人にプロデューサーを

 任せられないんだよ。どうせ子供産んですぐ離婚するだろうから」

 

「はい出た。根拠のない妄想。まゆと同じ次元。

 彼に捨てられるからって妬むのは止めてくださーい」

 

「婚姻届けも出してないのに奥さん面する人の方が異常だと思うよ」

 

「はあ? はぁあぁあぁ? だから彼も私のことを妻だって呼んでたでしょうが。

 頭悪いからもう忘れちゃった? 頭大丈夫ですか?

 彼、主治医の前で私を妻って呼んでたの。わかる?」

 

「たぶん、一時の気の迷いなんじゃないのかな。

 美波さんって歩くセックスって呼ばれてるだけあって

 スタイルだけが取り柄だよね。性格悪いし、口も悪い。

 プロデューサーにすぐ愛想突かされて終わりって感じがする」

 

「……私の方が三歳上だってこと分かってる?

 年上相手によくそこまで言えるね。どんだけ常識ないの?

 プロデューサーに愛想突かされるのは、あんたの方だろ!!」

 

「逆に訊きたいんだけど、歳が上だからって威張るの?

 うちの事務所は年齢層がバラバラだけど、

 アットホームな雰囲気だから皆の関係はフラットだったじゃん。

 プロデューサーもそう言ってたもん。ね?」

 

しかし、プロデューサーはそこにはいなかった。

 

時刻は深夜の1時を過ぎ。疲労とストレスに耐えきれず、

トイレで吐いていたのだ。今日二度目だ。

 

トイレから出てきたプロデューサーは、

すっかり弱り切ってゴマフアザラシのような顔をしていた。

 

「ちょっとあなた!? 大丈夫ですか!!」

 

「いやなに……胃に八つくらい穴が開いただけだ……」

 

「すみませんっ。そこのガキがギャーギャー騒いだせいで……」

 

「美波さん。そこどいてくれる? 

 プロデューサーを介抱するのはあたしの出番だよ」

 

「へー。そんな勝手な役割あったなんて知らなかったよ。

 ……先に言っておくけど、彼に指一本触れたら殺す」

 

「怖い怖い。熊みたいに凶暴な女だね。

 プロデューサーはこんな奴に束縛されてかわいそー。

 自由がないじゃん」

 

「だからあんたが言うなよ!!

 その言葉、そっくりそのまま返してやるよ!!」

 

「なんで? だってあたしは別にプロデューサーに

 結婚してって頼んだことは一度もないんだけど。

 ただ友達になろうとは言ったけどね」

 

「何が友達だ!! そもそもあんたの言う友達ってのは

 愛人とか浮気相手のことであって、普通の友達の感覚じゃない!!」

 

「むしろ友達に定義なんてあるの?

 友達の定義なんて人それぞれでいいと思うよ」

 

「また屁理屈……。ほんっとにくだらない!!

 彼を奪いたいらそう言え!! それが狙いなんだろ!!」

 

「まあ、ぶっちゃけるとそうなんだけどね。

 こっちから言われないと気づかないほど美波さんってアホなの?」

 

「おい……今なんて言った?」

 

「アホ美波」

 

ガツン!! と壁に空のペットボトルが投げつけられた。

加蓮を狙って投げたものだが、当たらなかったのだ。

 

今度は美波に対してスリッパが投げつけられたが片手で防いだ。

 

ふたりの美女は睨み合う。しばらく修羅場が続いたが、

互いに戦闘力が高い者同士。米ソ冷戦のように先に手が出せない。

 

握力が74の美波と、洗練された格闘技を駆使する加蓮。

結局殴り合いにはならず、女の子らしく舌戦の続きになるのだった。

 

 

「もっとはっきり言わせてもらうね。彼と別れてくれる?」

 

「嫌だけど? つーかなにそれ。すっごいバカなお願いね」

 

「うん。知ってる。じゃあプロデューサーにお願いするね。

 プロデューサー。この女と別れてくれる?」

 

この時プロデューサーが見た加蓮の顔は、

今まで見た島村さんや智絵理たちより格段に恐ろしいものだった。

 

すでに美波とは婚約をしている。それは嘘ではない。

だが加蓮が額面通りに言葉を受け止めてくれないことは確かだ。

クリニックでまゆを倒してくれたし、成り行きで体の関係まで持ってしまった。

 

加蓮が望んでいるのは、まさしく美波との破局だが……。

 

「プロデューサーさん。ちょうどいい機会だから

 あなたの口からはっきり言ってあげてください。

 俺は美波のことだけを愛している。他の女は視界の片隅にも入らないと。

 特に北条加蓮のことは大嫌いで迷惑していると」

 

一番怒らせたら怖いのが美波だろう。繰り返すが彼の事実上の妻だ。

委員会に支配されたマンションからの脱走劇を経て、

もはや美波にとってプロデューサーなしの人生など考えられなくなった。

 

一日でも早く広島の両親や弟に彼を紹介したいと思っていた。

 

 

極論すれば、切り捨てるべきなのは加蓮である。

 

 

「その女を選ぶくらいなら自殺するから」

 

 

加蓮が漏らした言葉が、彼の判断を鈍らせる。

 

恋愛の世界はこうなのだ。

 

プロデューサーは人気者だ。

誰かを選ぶということは、他の誰かを傷つけることになる。

 

先ほど美波も言っていたことだが、346プロで最大の

アイドルとは、実はプロデューサー自身のことだったのだ。

 

日本中から個性のある美女をかき集めたアイドル達から

最も高い支持を得ていたのだから。

 

プロデューサーは退職するまでトップアイドルを輩出することは

できなかったが、ある意味彼自身がトップアイドルだった。

 

 

「お、おれは美波を……」

 

美波の口角が限界まで上がり、一方の加蓮が果物ナイフを手にする。

それを自分に刺すとは限らない。加蓮の目がヤバイ。

 

「う、ごはぁ!!」

 

プロデューサーは、盛大に血を吐いた。

 

勢い良すぎて口から腸がはみ出そうなほどだった。

 

 

プロデューサーは、その後すぐに病院に運ばれたが、

心労が溜まり過ぎたせいで衰弱死してしまった。

 

プロデューサー、享年29歳。

数多くのアイドルの心を奪ったプロデューサー。

この世を去るには、あまりにも若すぎた。

 

 

        『アイドル達の重い愛から逃げるプロデューサー』 完

 

 

今のは冗談であるが、こんな出来事が現実にあったら

死んでしまうほどのストレスなのは間違いない。

 

多くのヤンデレ作品ではその後の経過が描かれず、

中途半端なところでバッドエンドとなるが、本作ではまだまだ物語は続く。

 

はたして五十嵐響子ちゃんはいつ出るのか?

待ち遠しいので早く登場してほしい。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ホテルから抜け出したプロデューサーが車にひかれた。

はい。読者の皆さん。今日もお疲れ様です。
土曜日なので休日の人が多いんじゃないですか?

いちおうウクライナ戦争の行方を気にしながら執筆してます。
早く終わるといいっすね。戦争。

ところで気になったんですけど、アイドル事務所の
プロデューサーってどのくらい給料もらってるんすか?

ネットで調べたら平均が340万らしいですけど、
プロデューサーは激務なのに安くないすか。

あと、俺の好きな響子ちゃんはいつ登場するんですか? ( ̄▽ ̄)
なんつーか、話の流れで加蓮ばっかり登場しちゃって、
困ってます(笑) 加蓮も好きですけどね。


プロデューサーが目を覚ましたのは病院の一室だった。

 

「ああ、良かった目を覚ましてくれて!!」

 

涙ぐんだ美波が、包帯でぐるぐる巻きになったプロデューサーに

抱き着く。その瞬間「うぐっ?」プロデューサーの体に衝撃走る。

 

骨が折れていた。全身の骨がバキバキに折れてる感じだった。

なぜ入院しているのかと言うと

 

「食欲はありますか? もしなくてもお水だけは飲んでください。

 私が今からプロデューサーがなぜここにいるのかを説明します」

 

・タイトルに書いてあることが起きた。

・逃げた理由は現実逃避。

・交差点を時速74キロで走行中(スピード違反)のライトバンとぶつかる。

・衝撃で8メートル吹き飛び、路上で大往生しているところを美波に発見される。

 

全治3か月。退院後も自宅での療養が続く。

特に院内でのリハビリは地獄の辛さだと言う。

 

恐ろしかったのが、治療費及び入院費だ。

 

「140万円……!? たったの1週間の入院で?」

 

プロデューサーは救急車で運ばれ緊急外来で手術を受けた。

普通の人なら確実に死んでいるのが、彼は普通に生きていた。

 

彼の傷口を見た主治医曰く「骨の強度が、

おそらく旧日本海軍で建造された駆逐艦と同等。

内臓の頑丈さもおよそ人間じゃない」と称した。

 

しかし、お金をどうやって支払うのか。

彼は一文無しで逃走した身であるし、妻の美波も同様だ。

 

加蓮はついさっきまで病室にいたが、美波とまた口論してしまい、

看護師さんに怒られて346プロに行った。

「社長と話を付けてくる」と言った加蓮には何か考えがあるらしい。

 

「……社長と話を?」

 

「はい。あの女、プロデューサーさんをもう一度職場に

 復帰させるとか言ってましたよ」

 

「なんだって!?」

 

社長が病室を訪れたのはその5分後だった。

 

「あー君。おほん。久しく顔を見てなかったな。

 さっそくだが君にはもう一度アイドルのプロデューサーをしてもらいたい」

 

プロデューサーはもう何が何だか分からず、混乱の極みにあった。

社長はいつもこうなのだ。まるで思い付きで行動しているように

思えるのだが、その裏にあるのは冷静な計算に裏付けされた博打の精神だ。

 

「雇用契約書はここに用意してある。

 もちろん傷が治るまで静養してくれて結構。

 傷が治り次第、すぐに事務所に出勤してもらうがね」

 

「しゃ、社長……いや、もうあなたとは赤の他人ですよ。

 俺は会社を辞めたんですから関わる必要のない人間だ」

 

「同志よ。そう冷たいことを言うな。

 なに。今から私の話を聞けばそんなことも言えなくなる」

 

 

――君の治療費はわが社が全額負担した。

 

 

と社長は言った。

エメラルドグリーンの瞳がプロデューサーを睨む。

 

 

「社長。先にこれだけは言っておきます。

 金なら後で働いてお返しします。

 俺はもう二度と、あの事務所に戻ることはありません」

 

「言いたいことはそれだけか。

 さあ、さっさと雇用契約書に署名して判を押したまえ」

 

「いやです。俺を首にしておいて、

 今さらどの口がそんなことを……言うんですかあなたは!!」

 

「そうかね。ならば自己批判しよう。君を解雇した判断は過ちだった。

 私は、自らの判断力のなさを批判した。さあ、これでどうだ?

 せめて契約書に目を通すだけでもいいだろう。見てみなさい」

 

美波がおろおろしながら見守っている。可愛い顔だ。

プロデューサーは、不愉快ながらも書類を奪うように手に取った。

 

その内容を見ていくうちに、プロデューサーの顔が

みるみるうちに凶悪になっていき、

怒りのあまり眼球から血が流れた。

 

・基本給。基本的に発生しない。時間外労働も同様。

・歩合制。勤務実績に応じて支給。

・勤務時間帯。特に定めた時間はなし。仕事内容に準ずる。

 

「おい!! 基本給が……なしだと!?

 あんたは俺にボランティアで働けってのか!! 

 いくら元上司だとは言え、ふざけんじゃねえよ。

 ぶっ殺されてえのか!!」

 

「それに関しては私も心苦しいとは思っている。

 一度解雇した人間を、前回と同じ条件で雇用するのでは

 周りの従業員たちが納得してはくれなかったのでね」

 

「あんたはよぉ!! 俺がこんなクソみたいな内容に

 同意して……? 署名でもすると思ったのか。殺すぞ、てめえ!!

 こらあああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 

「ぬぅ……」

 

プロデューサーの怒声によって社長が吹き飛ばされそうになるが、

なんとか耐える。窓ガラスには亀裂が走り、美波は怖くて

床にうずくまって耳を両手で塞いでいた。美波は可愛かった。

 

「ふぅ。ケガをしていてもこれほどの迫力があるとは。

 やはり私がスカウティングした自分に間違いはないようだ。

 ふふふ……くくくっ。同志よ。私はますます君が気に入ったよ」

 

「もう出てけよこのクソ野郎!! 金なら必ず返すから

 二度と俺の前に顔を見せるんじゃねえ!!」

 

「まあ落ち着け。怒るのは当然だ。私だって奴隷契約なのは

 承知したうえで君に契約書を見せているのだ。

 ちゃんと最後まで読みたまえ」

 

「ああ!?」

 

「いいから」

 

・たとえ勤務時間中であっても、

 自らが担当してるアイドルとは適切にスキンシップを図ること。

 

・佐久間まゆに対して冷たい態度を取らないこと。

 

・挨拶は必ずすること。特に佐久間まゆに対しては。

 

・栄養価のある昼食を用意するのが困難な場合は、アイドルから手作りの

 お弁当を受け取ること。その場合は佐久間まゆが優先される。

 

・出張先などでも昼食はできるだけアイドルと一緒に取ること。

 その場合は週刊誌の記者などに注意し、適切な判断をすること。

 

・アイドルがやる気が出ない場合などは、

 適切にスキンシップを取るなどして成績の向上を図ること。

 

・アイドルの方からスキンシップを求められた場合、

 これを特別な理由もなしに断った場合は処罰の対象とする。

 

 

「ああ、読んだよ。これでもまだ一部にすぎねえがな。

 社長よぉお!! いや、ジノヴィエフ。てめえはやっぱり

 一発ぶん殴ってやらねえと気が済まねえだよ!!」

 

「落ち着いてくださいプロデューサーさんっ。

 暴れたりしたら傷が開いちゃいますよっ(>_<)」

 

「しかし美波!! お前も読んでみろよこれ!!

 まゆの書いたポエムじゃねえか!! 

 こんなものが労使間で交わされる契約書だと!? 

 幼稚園のお遊戯会じゃねえんだぞ!! 

 俺が今までどんだけ苦労して仕事を持って来てたと思ってるんだよ!!」

 

「はい!! 分かります!! プロデューサーさんは毎日夜遅くまで 

 残業されて、私達にお仕事をもらってきてくれました。

 フォローもたくさんしてくれました。失敗した時は慰めてくれました」

 

「なあ、そうだよな!! 俺は何も間違ったことしてねえよな?

 なのにこの社長……ジノヴィエフよぉ。喧嘩売ってんなら買うぞこら!!

 もう赤の他人なら遠慮なくぶん殴れるな。おら。かかってこいよクソジジイ!!」

 

グレゴリー・ジノヴィエフ。これが社長の名前だ。

 

この事務所にはロシア人とのハーフでアナスタシアがいるが、

彼女とは無関係の旧ソビエト連邦人だ。

 

同姓同名の人物は、1883年ユリウス暦9月11日に

ロシア帝国領ウクライナのヘルソン県エリサヴェドグラートで生まれた。

ソ連建国の父、ウラジーミル・イリイチ・レーニンの

側近として知られたユダヤ系ソ連人の男だった。

 

 

「同志Pよ。君の意見は聞いてないのだ。これはわが社の決定だ」

 

 

ガラガラ ←病室の扉が開いた音。

 

 

「おひさしぶりですね」

 

「ちひろ……さん? 」

 

「久しぶりだなプロデューサー。

 貴様と再び会える日が来るとは思わなかった」

 

「常務……。まさかあんたらも、俺に事務所に戻れってのか?」

 

美城常務は、静かに頷いた。

 

「社長の言ったとおりだ。貴様の意見など聞いてない」

 

「プロデューサーさん。おとなしく言うことを聞きなさい。

 それがあなたにとって最善の選択なのよ」

 

千川ちひろまで凍り付いたような瞳でそう言った。

 

(こいつらは……本当に人間なのか?

 なぜこんなにも俺の自由を奪うことにためらないがないんだ?

 それにあの契約書の内容は、明らかにまゆに配慮したものだった。

 一体裏でどんな力が働いているんだ)

 

「なあプロデューサー。こんな話を知っているか?」

 

常務が言う。

 

「中国大陸沿岸部にあるロシア領、ウラジオストクでは、

 7万人を超える日本人労働者が漁船で働いているそうだ。

 どんな人がそこで働くと思う? 借金で破産した者たちだよ」

 

「な……?」

 

「借金のカタで売られた者たちだから仕事内容は過酷を極める。

 冬場は文字通り凍り付く海での作業だ。毎年4000人。

 この数字が何を意味するか分かるか? 

 作業中に死んだ人の数だ。自殺した人はこの3倍に及ぶ」

 

さらに常務はこうも言った。

 

漁船で働く人たちは、日本円で換算して時給200円で働くことになる。

何時間働いても最大で5時間分の給料しかもらえず、借金の利息分しか

返せない人が多い。返済が終わる前に自分の命を落とすことになるのだが。

 

「140万くらいなら俺の貯金なら余裕で払えるぞ」

 

「すまないが、君の保有する資産は全て我々が没収した」

 

「なに!?」

 

「文字通り全ての資産だ。君のアパートは契約を解除した。

 アパート内に存在した家財は佐久間まゆが預かっている。

 くわしいことは彼女に聞くと言い」

 

「おい?……おい……何言ってんだ……?」

 

「通帳、キャッシュカード、運転免許証、その他の貴重品も

 彼女が保管している。今後支給する携帯では彼女との連絡を

 常に怠らないように。電話の無視、LINEで既読無視が続いた場合は、

 特別な事情がない限りは処罰の対象になる」

 

「ははは……なるほど。てめえらはまゆに支配されてるってわけか。

 そんで俺はまゆの女子寮に住めって言うんだろ?」

 

「そこまで言ってないが、おそらくそうなる流れだろうな。

 今後彼女から正式な通知が来るだろう」

 

「……死んだほうがましだ」

 

「死でもらっては困るな」

 

「俺が自殺するとは思わなかったのかい?」

 

「君には大切な女性がいるのではないか?」

 

「なに?」

 

「新田美波、どうやら君は彼女のことを妻だと思っているようだ。

 ならその妻とやらが、君が死んだ後にどうなると思う?」

 

端的に言って強制労働させると常務は冷たく言った。

 

「ニュージーランドの植物園では人手が不足していてね。

 最近では大麻を製造するための大農園が、安い労働力を

 希望しているそうだ。女性なら漁船より地に足の着いた

 現場での作業の方が適切だろうと思っているのだよ」

 

美波は、ガタガタと震え始めた。

怖い大人たちに真顔でこんなことを言われたら当然だ。

 

「人を恐怖で服従させて、それで無理やり仕事させて楽しいのか?

 そんなことでアイドル達のためになるのか?

 みんなを笑って現場へ送り出せるのか?

 お前らは人間じゃねえ。人以下の畜生だ」

 

「同じ言葉を繰り返そう。君の意見など聞いてない」

 

常務がそう言うと、社長が胸ポケットからふたつの錠剤を取り出した。

 

「同志。私の祖国では反対主義者は簡易裁判を経て銃殺刑になるものだが、

 慈悲深い私に感謝したまえ。これはエアピルと呼ばれる薬だ」

 

――自殺用のな。社長はそう付け加えた。

 

「傷が治るまでの時間が、君に与えられた猶予だ。

 その間によく考えてみると言い。

 我々に従うか、それとも安易な死を選ぶか。

 まさかウラジオストクに旅行がしたいわけではあるまい?」

 

「ちくしょう……ちくしょう……なんでこんなことに……」

 

「さあ話はこれで終わりだ。我々は邪魔しないように

 退散しようじゃないか。若い夫婦だけの時間も必要だろう」

 

ちひろが、「夫婦じゃなくて自称ですよ」と小声で言いながら、

大人三人は部屋を去って行った。

 

残されたプロデューサーは、エアピルを握りしめながら涙を流した。

布団の上に落ちる大粒の熱い涙。美波はそっと彼を抱きしめてあげた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

五十嵐響子ちゃんがお見舞いに行ったらどうなるか?

はい。お疲れ様です。
作文を書くのは指先だけの作業なんで疲れないです。
なんか、こんな感じで楽に金が稼げる方法とかないっすかね?

とりあえず、響子ちゃんを登場させます(笑)
たぶん茶番になっちゃうと思うけど。


――プロデューサーが入院した。

 

このニュースは、アイドル達の間に衝撃を走らせた。

正確には元プロデューサーである。だが多くのアイドルにとって彼こそが

自分たちのプロデューサー。終身名誉プロデューサーだった。

 

クラシックの指揮者で例えるとベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の

終身指揮者だったヘルベルト・フォン・カラヤン並の人気者なのだ。

なお筆者はフルトヴェングラーのファンである。

 

(プロデューサーさんに会える……)

 

響子は急ぎ足で病院へ向かった。市の一番大きな病院なので

場所はすぐに分かった。総合受付でプロデューサーの入院している

病室を聞いてから面会受付用紙に名前を記入する。

 

思えばここまで来るのまで長かった。

婚約をしたはずのプロデューサーはまゆ率いる悪の組織に

よって監禁されしまい、例のマンションに近寄ることは禁止されていた。

 

響子もまゆに拷問されそうになったが、プロデューサーが

暴れ出して脱走したことによってうやむやになった。

 

響子には利用価値がないと判断した島村さんの助言によって

釈放が決まり、ほとぼりが冷めるまで女子寮で暮らしていた。

 

そんな中、突然ちひろから「美城常務から正式な許可が下りたので

今なら誰でもプロデューサーに会えるわよ。入院先の病院は……」

 

とのメールが送信された。

また、まゆの支配からも解放されているとのことだった。

 

響子は4階のエレベーターから降りた後、

スキップするような足取りで病室へ入った。

 

「プロデューサーさんっ。あなただけのアイドル、

 五十嵐響子ちゃんがお見舞いに来ちゃいましたよ!!」

 

しかしベッドを見た響子は、言葉を失う。

 

「……え」

 

そこには、折り重なった死体があるだけだった。

病人服で血を吐いたプロデューサーと、裸の美波。

 

例の薬を飲んだので安らかとは言えない死に顔だが、

しかし互いの手はしっかりと握っている。

 

様子を見に来た看護師が、その場で立ち尽くす響子の背中に声をかけた。

 

「ご臨終です。自殺をされたみたいなので、

 まもなく警察の方が来て見分をするそうです」

 

響子は手にした果物の入った籠を、力なく床に落とした。

 

 

プロデューサー 享年29歳

新田美波    享年19歳

 

 

最後の瞬間まで永遠の愛を信じた二人は、天国へ旅立ったのであった。

 

 

      「アイドル達の重い愛から逃げるプロデューサー」完。

 

 

もちろんいつもの冗談だが、多くのヤンデレ作家が

このようにして物語を終わらせたくなるのが分かる。

しかし困難な物語をあえて続けて面白くすることにこそ価値があると思う。

もっとも私の書いている作品は小説ではなく作文に過ぎないが。

 

プロデューサーと新田美波が自殺しなかったことにして作文(物語)を続ける。

残念ながら響子ちゃんの出番はこれで終わりだ(涙)

 

 

「ちくしょう……美波。俺はもう駄目だ……頭がおかしくなっちまう」

 

「大丈夫。生きてさえいれば、きっと希望があるはずです」

 

病室には監視カメラや盗聴器が仕掛けられており、

プロデューサーにはGPSが付けられている。

これ自体は事務所時代と変わらないが、問題なのが

退院と同時に職場に復帰しないといけないことだ。

 

今のプロデューサーはとても営業活動ができる精神状態ではない。

佐久間まゆの顔を思い出しただけで恐怖とストレスにより手が震えてしまう。

 

 

「うふふ。お邪魔しますねぇ」

 

 

……なんか、来た。

 

 

「美城常務からプロデューサーさんが目を覚ましたと聞いたので

 様子を見に来たんですよ。プロデューサーさんったら、

 深夜にマラソンの練習をするなんてお茶目さんなんですね。

 これからのことは心配しないで下さい。

 身の回りのお世話は、ぜ~んぶまゆがしてあげますから」

 

多弁で頭の回転が人一倍早いまゆは楽しそうに話を続けているが、

プロデューサーは無言。美波も彼に習って黙った。

 

「あれから委員会は解散したんです。卯月ちゃんが

 やっぱり信用できないのもあったし、どっかの加蓮みたいな

 暴力的な女もいるので結局マンションで暮らすのは無理だって

 分かりましたから。プロデューサーさんは今まで通りプロデューサーに

 戻って頂いた方が、皆にとっても一番幸せになるとまゆは思ったんですよ」

 

まゆはひとりで10分近く話し続けたが、

プロデューサーが無反応なことに気づく。

さすがにまゆをしかめた。まゆだけに。

 

「プロデューサーさん? どうしましたか?

 目は覚めてるはずですよね。

 まゆが話しているんですから、うんとか、そうだねとか、

 何か反応をしてくれないとさみしいですよ」

 

「……」

 

「プロデューサーさん……?」

 

「……」

 

「もしかして美波さんに何か言われてたりします?

 私以外の女と離したらダメとか」

 

「……」

 

「うふふ。たまには寡黙なプロデューサーさんも

 素敵だと思いますけど、相手をしてくれないとまゆ、さみしいですよ」

 

「……」

 

「プロデューサーさぁん?」

 

「……」

 

「あくまで無視を続けるつもりですか。

 それならこちらにも考えがあります」

 

そこへ美波が立ちふさがる。

 

「なんのつもりですか?」

 

美波は無言でまゆにビンタした。

 

「……痛いじゃないですか」

 

「私の夫は今あんたと話がしたくないみたいなの。

 彼の顔見てよ。酷い顔してる。

 お願いだから今日は帰ってくれるかな」

 

「でも」

 

「帰ってくれるかな」

 

「嫌ですよ。まゆだって久しぶりにプロデューサーさんと

 お話ができると思って楽しみにしていたですから」

 

「帰れよ!!」

 

空気が張り詰める。

美波とは対照的にまゆは怒ってる風ではなかった。

 

「……実は美波さんに謝ろうと思って来たんです」

 

「あんたが私に謝る?」

 

まゆは深くうなづいた。

 

「はい。今さら謝ってどうにかなるものではないと思います。

 でも今まで美波さんにはとんでもなく失礼なことを

 してしまったので、心からお詫びします。すみませんでした」

 

両手をスカートの前で合わせ、ついに頭まで下げた。

あのプライドの高い佐久間まゆが、大嫌いなはずの新田美波に対して。

 

「なんで?」

 

「はい?」

 

「なんで急に態度が変わったの」

 

「自分のわがままを通してばかりだといずれ孤立して

 社会でやっていけなくなるって美城常務にお叱りを受けちゃったんですよ。

 それで委員会も所詮はまゆのお遊びの組織だったので解散しました。

 プロデューサーさんを監禁するよりも一緒に働いた方が

 楽しいと思ったのもありますけど」

 

「……男性が退職した職場に復帰するってあまり聞かない話けど」

 

「346プロの偉い人は話の分かる人が多いので助かりました」

 

「まゆちゃんが陰で脅したんでしょうが」

 

「そんなことありませんけど」

 

「本当のことを言いなさい」

 

「ちゃんと言ってるじゃないですか」

 

美波が切れそうになっていたのでプロデューサーが口を挟む。

 

「その辺にしておけよ。まゆ」

 

「わあっ。プロデューサーさんがまゆに話しかけてくれた。うれしいな♪」

 

「お前が美波に危害を加える気がないのは何となく理解した。

 全く気が進まないが、職場に戻れと言うなら戻るよ。

 そうしないとまたお前らは殺し合いを始めるんだろうが」

 

「ありがとうございます♪」

 

「……一つ聞くが、まゆは俺がもし自殺したらどうする?」

 

「そうですねぇ。そんなことは有り得ないはずですけど、

 百歩譲ってもしあるとしたら全力で止めますよ」

 

「だろうな。聞くまでもなかったな」

 

 

                        続く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

入院期間中の修羅場。美優さんがまた怒る。

はい。お疲れ様です。

いつも思ってたんだけど、美優さんってすごい可愛いし好みだけど、
あの雰囲気で独身って無理があると思うんだよな。
なんか旦那に飽きちゃって浮気相手とか探してそうな感じがする。

俺はプロデューサーみたいに社畜にはなりたくないっす(笑)


季節はGWになっていた。世間が休みだとサービス業は忙しい。

アイドル達はイベントやらなんやらで多忙を極める時期だ。

 

プロデューサーが346プロに復活するとのことで、

仕事を集団ボイコットしていたアイドル達も頑張るようになった。

 

プロデューサーの後任として選ばれた若いプロデューサー達は

最終的には臨時扱いとなり、プロデューサーが復帰したら

入れ替わりで彼女らの担当をすることになる。社長にはそう説明された。

 

一度や辞めようと思っていた美優や楓さんも復活することになった。

 

「どうして社長達は私の復帰を許してくれないのでしょうか」

 

美波が病室の窓を全開にする。

温かみのある春の風がカーテンをなびかせる。

 

「俺の妻になる人が同じ職場に居たら、皆が嫉妬して修羅場になるからだろう」

 

「すごく……不安です。私の見てないところで

 プロデューサーさんがアイドル達と過ごすなんて耐えられません」

 

「俺だって会いたくもない奴らに会わなくちゃいけないんだから

 ストレスで吐きそうだよ。愛する美波と離れ離れになるのも嫌だ」

 

「プロデューサーさん……」

 

「俺は君のことを心から愛している」

 

美波が彼を抱きしめる。

ふたりは熱い口づけを交わした。

 

プロデューサーはベッドの上で無理やり

上体を傾けたので骨がきしむが、良い雰囲気なので我慢する。

 

 

「あのぉ。お昼ご飯のお時間ですよ」

 

プロデューサーと美波が赤面して頭を下げる。

年配の看護師さんが、お盆に乗せられた食事を配膳してくれた。

 

「あなたはいつも患者さんと一緒にいらっしゃるようですが、

 失礼ですが奥さまでしょうか?」

 

「え、あ、はい。そうです」

 

「でしたらお手数ですが、食べ終わったらお盆を廊下に用意されている

 カートに乗せていただけますか。その他にも患者さんの身の回りの

 お世話をしていただけるとこちらは助かります」

 

「それは構いませんけど、私がしちゃってもいいんですか?」

 

「お恥ずかしい話なのですが、看護助手の方々が一斉に

 離職してしまいまして、入院患者さんのお世話をする人間が

 不足しているのです」

 

「なるほど。どこも人手不足で大変ですね。

 私は毎日が暇なので喜んでお手伝いさせていただきますわ」

 

「それは良かった。本当に助かります。それではよろしくお願いします」

 

美波は飛び上がるほどうれしくなるのを必死でこらえていた。

 

あの女性は婦長だった。

院から正式にお世話係を任命されたのだ。

少なくとも彼が入院している間はまだプロデューサーではない。

まゆに支配されているわけでもない。よって堂々と彼と二人きりになれる。

 

美波は思った。いつまでもプロデューサーが入院していればいいのにと。

そもそも自分の夫なのだから一緒にいるのが

当たり前なのだが、彼は女に人気があり過ぎる。

 

それゆえに常に浮気を疑わないといけない苦労もある。

浮気は甲斐性がないとできないとはよく言ったものだ。

 

 

「あの、すみません」

 

またカップルでキスしているところで今度は別の看護師さんが

入って来たので美波は顔が爆発しそうになる。

プロデューサーは美波の大きな胸に顔を埋めていたので勃起していた。

 

「プロデューサー様の奥さまを名乗る女性が来ているのですが」

 

「はい? 俺の妻ならここにいるのですが」

 

「なにやら自分が本当の妻であり、新田さんは偽物だと言っていますが」

 

「意味が分かりませんが、そんな不審者は通さなくていいですよ。

 俺は出掛けてることにしてください」

 

「まだリハビリも始まってない患者さんが外出するのは無理があるのでは……」

 

「いいからそう言ってください!! 俺は妻と愛しあってるんですよ!!

 え? 病室でそんなことするなって顔してますね。

 別にいいじゃないですか!!」

 

「私はそんな顔してませんが……」

 

「とにかく得体の知れない人をこの部屋に通すわけにはいきません!!

 出で行ってもらってください。もしくは鍵をかけてください!!

 そうしないと俺の傷口が開いて大変なことになると言ってくれます?」

 

「わ、分かりました」

 

九州地方出身の、小太りだがなかなかの美人の看護師は廊下でもめていた。

たまにアイドルの怒声が聞こえる。看護師さんも仕事柄か、中々引かないので

口論がいつまでも続いていた。プロデューサーは生きた心地がしない。

 

「あの声、美優さんですよね」

 

「あの人、やっぱり俺のこと諦めてなかったのかよ」

 

「まだ廊下でもめてますね。私が直接文句を言いに行ってきます」

 

「いいよ美波。関わるな」

 

「あの人も今期を逃しそうだから必死なんですよ。

 一度ガツンと言ってあげないとダメです」

 

美波が引き戸を開けようとしたら、向こう側から先に開けられた。

 

「あっ」

 

「あ……どうも」

 

「美優さん……」

 

「美波ちゃんもいたのね。あなたにも話があったからちょうど良かった」

 

髪を後ろでまとめた美優さん。果物の満載された籠をソファの上に置く。

プロデューサーは一応礼は言うが表情が険しい。

マダカスカル島に生息するキツネザルのような顔をしていた。

 

「プロデューサーさんは、誠実で責任感が強くて思いやりがある男性だと

 思います。だから人を裏切ったり捨てたりとか、

 そんなことをする人じゃないですよね。

 ご自分の発言にも責任を持ってくれるのだと思います」

 

いつも以上に化粧が濃い。大人らしさと可愛らしさをミックスした

彼女の場合は、並の女優を負かすほどのルックスなので違和感がない。

 

この雰囲気は、只事ではない。

 

プロデューサーと美波は固唾を飲んで次の言葉を待つ。

 

 

――私達の子供の名前はどうしますか?

 

 

その言葉の意味を理解するのに2分かかった。

 

窓から突風が吹きこみ、まゆの声が内蔵された目覚まし時計が台から落ちる。

 

美優さんは「あら。壊れてないかしら」と言いながら優雅に拾う。

 

美波は混乱の極みだし、プロデューサーも同じだったが

何とか頭を働かせて事態の収拾にかかる。

 

(どうせ嘘に決まってる!!)

 

「って感じの顔してますね?」

 

「!?」

 

「ここに妊娠検査キットがあります」

 

陽性だった。

 

しかし美波は負けない。

 

「おろせばいいじゃないですか」

 

「……は?」

 

「怖い顔してどうしましたか美優さん?

 私何か変なこと言いましたか。

 だってプロデューサーさんに選んでもらえなかった人が

 仮に彼の子を身ごもったとしても、生む必要ありませんよね」

 

「それは美波ちゃんが決めることじゃないのよ。

 私は、これから私の夫になる人に対して訊いているの。

 ちょっと割と本気でイライラするから静かにしてなさい」

 

「いやあなたが彼と話す必要ないから」

 

「黙ってなさいと言ったのだけど?」

 

そして無言になった。

 

もう何回目かの修羅場の到来である。

 

前回の雇用契約の件と言い、まゆの襲来と言い、

プロデューサーはストレスと消耗によって血を吐きそうになるが耐える。

 

「あわわっ。大丈夫ですかプロデューサーさん?

 具合が悪いようならすぐ帰りますから。

 お返事はあとでも構いません。最後にこれを渡しておきます」

 

「携帯?」 ←プロデューサーのセリフ。

 

「はい。私と連絡するための携帯です。

 ちょっと今では古臭いガラケーですけどね。

 使いやすくて電話するのに便利ですよ。

 メールも打てますよ。ただしネットのページは見れません。

 私以外の人との連絡にも一切使えません」

 

「美優さん。あなたは確かに俺の子供を産みたいのかもしれない。

 もっともたった一度の過ちで受精したのかは今でも疑っているが」

 

「プロデューサーさんは私の話を信じてくれないんですか?」

 

「……まあいいです。悪いけど俺には心に決めた女性がここにいるんだ。

 美波を裏切って他の女性と結ばれるなんてことはない。

 あえてその理由を言わせてくれ。俺が美波のことを愛しているからだ」

 

ぼわん!! と音がして美波の顔が真っ赤になる。

 

(か、かっこよすぎる……)パンツが濡れていた。

 

やはり彼はイケメンだった。

外部から無数の邪魔が入り二人の関係がうやむやになりそうな

事ばかりだったが、最後はちゃんと自分を選んでくれる。

 

(私とプロデューサーさんは、神様から祝福されているんだ)

 

美波はそう信じた。今なら神の存在を信じてもいい気になった。

 

 

「そうそう。そのことで私からプロデューサーさんに

 お願いがあって来たんですよ」

 

「なんですか? まさかとは思いますが」

 

「新田美波さんと別れてくれませんか?」

 

 

なんていうか、爆弾発言だった。本人を前にして言い張ったのだから。

 

しかし美波は正妻のために余裕の態度だ。

完全に美優を馬鹿にした態度で「はぁ~~」とため息を吐いたのだった。

 

「あなた。こんな女の相手はしてられませんね。

 今日は帰ってもらいましょうか。携帯は私が処分しておきますから」

 

「ちょっと待ってくれ」

 

「何を待つんですか」

 

「廊下でまたもめてみるみたいだぞ」

 

美波が耳を澄ますと、若い女が言い争いをする声が聞こえる。

今度は声が遠い。気になった美波が廊下に出て見ると

ナースステーションの方から五十嵐響子がこちらに駆けてくるのが見えた。

廊下は走ったらいけないのに。

 

「こんにちわ。プロデューサーさん。そしてお久しぶりです。

 あなたのアイドル。あなただけのアイドル。

 そして婚約者の五十嵐響子です!!」

 

満面の笑みで言う彼女に対し、まず美優が

 

「はい?」と言い、美波もまた「なに言ってんの?」と言った。

 

これは可笑しな事態となった。プロデューサーには妻である

美波がいるはずのに、さらに新たに妻を名乗るアイドルが二人も現れてしまった。

 

端的に言ってこの三名が同じ場所にいること自体がまずい。

プロデューサーは今になって思いだしたが、

そもそも在職中の彼は五十嵐響子のことを愛しており、

愛の告白をしたことは一度や二度ではない。

 

「さっき看護師の偉い人と話を付けてきたんですけど、

 そこにいるオバサン二人はこれから病院への出入り禁止になりました」

 

その言葉を理解するのにも2分ほどかかった。

 

怒りと動揺で震える美優と、冷静な美波を置いて

先に動き出したのはプロデューサーだった。

 

「こら響子。自分より年上の人をおばさんなんて言うのはよくないぞ?」

 

「そうでしょうか?」

 

問題はそこじゃなかった。

 

「だって二人とも行き遅れって感じするじゃないですか。

 なんか必死だし(笑)」

 

「お、おい……」

 

「ぷっ、くくっ。美優さんがすごい顔してますよ。あはははっ!!

 美優さんと美波さんって顔つきが似てますよね。なんか人から

 勝手に旦那を奪い取ろうとする泥棒猫ってところもそっくりで

 笑いが止まりませんっ。あはははっ!!」

 

「……響子ちゃんの意味の分からない妄想はその辺で結構よ。

 プロデューサーさんも迷惑しているからもう帰りなさい」

 

「美優さーん。そんなこと言わないでくださいよ。

 どのみち美優さんは私の彼と会えるのはたぶん今日が最後に

 なると思うので、そっちこそ帰ってくれていいですよ?」

 

「そう……。そこまで言うからには覚悟はできてるんでしょうね?

 今日の私は本気でムカついているから容赦はしないわよ。

 大人をからかって遊んだらどうなるのか、その体に教えてあげようか?」

 

「いえ。結構です。私は家庭的なアイドルで通ってる人間なので

 暴力とか反対です。そうですよね。プロデューサーさん?」

 

プロデューサーはキツネザルの顔で「はは……」としか言えなかった。

 

彼は響子に対して強く出れる立場ではなかった。

 

在職中に彼が最も求愛したのが響子であり、

ぶっちゃけ首になる原因となったのも響子との

イチャラブが目に余るので他るアイドルが怒っている、

さっさと消えろ、ということだった。

 

彼が響子に対していった数々の甘い言葉を今さら

「あれは一時の気の迷いでした」と言えるわけがない。

 

美波が大きく息を吸い、怒鳴り散らそうとしたので

先にキツネザルが止めにかかる。

 

「なあ響子!! あとでゆっくりと話をしないか!!

 今ここだと……ほら、院内だし、大きな声を出したら俺が

 あとで医者たちに怒られちゃうんだよ。 なっ? 分かってくれよ」

 

「ええっ……。あとで本当に話をしてくれるんですか?

 嘘じゃないですよね? まさか私をあとで捨てるために

 適当なことを言ってるわけじゃないですよね?」

 

「あとで電話する!! 今夜にでもな!!

 これでどうだ? 美優さんにも後で電話するから!!」

 

「え~~。私はうれしいですけど、そいつにもですか?」

 

「そいつって私の事?」

 

「そうですけど?」

 

「年上に対する口の利き方を一から教育してあげようか?

 15歳の子供のくせに結婚なんて意識しないで学校でも言ってなさい」

 

「美優さんは他所で良い相手を見つけて結婚すればいいのでは?」

 

「そういえば響子ちゃんにはまだ言ってなかったわね。

 私は彼の子供をすでに身ごもっているの」

 

「なるほど。行き遅れになりそうで普段から夢ばっかり見てるから

 妄想と現実の区別がつかなくなっちゃったんですね」

 

「ぶち殺されたいの、あなたは!!」

 

「ツバ飛ばさないでください。仮に身ごもったのがプロデューサーさんの子供だと

 しても彼が認知してくれないと思いますけど。だって彼は私と結婚したいって

 何度も言ってくれたんですから。子供を産むかどうかは美優さんの自由ですけど、

 頑張って一人で育ててくださいね。未亡人アイドルさん」

 

美波が遠慮なく大笑いしていた。キツネザルが「お、おい失礼だぞ」と止める。

 

響子は全力で首を絞められ、足の先が宙へ浮いていた。

美優の顔は完全に冷静さを失っていた。

大勢のファンから聖母とまで呼ばれた、あの優しい三船美優さんが。

 

  

  

    はたして響子ちゃんは死んでしまうのだろうか?

                          次回へ続く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

美波の弟君とお父さんが説教をしにきた。

はい。いつもお世話になってます。

美少女ゲームやアニメなどいろんな作品を見ても
佐久間まゆみたいな娘ってあんまりいないんじゃないですかね。

筆者が過去勤めた会社には、まゆに性格がそっくりの
怖い女性がいました。その人は46歳のおばさんだったし、
まゆみたいな美少女とは程遠いルックスでしたけどね(笑)


「はいはーい。みなさーん。喧嘩するのはそこまでですよぉ」

 

佐久間まゆ。偉そうに手を叩きながらの登場だ。

今回はアナスタシアが付き添っている。

 

「盗聴器越しに皆さんの会話は把握していました。

 もちろん最初から最後までぜ~んぶ聞いてました」

 

「ヤーも同じ。皆の発言はキソク違反に該当する。

 ヤー達の所有物であるプロデューサーをひとり占めしようとした。

 プロデューサーはみんなのもの。これは絶対の規則」

 

まゆとアナスタシアは、冷たい声で美優と響子を収容所行きにすると宣言した。

 

すると美優が取り乱し「こ、これは違うのよ。まゆちゃん!!」と

媚を売り始める。五十嵐響子ちゃんも顔を覆いながら、「ああぁ……」

と言いながら泣き始めた。美波は訳が分からず立ち尽くしている。

 

一体……何が起きたのか?

 

「これ、パスポートとJALの予約チケットです」

 

まゆがプロデューサーのベッドの上に忌まわしそうに叩きつけた。

チケットは明らかにプロデューサーの分まで用意してあった。

 

「さすがのまゆも驚きましたよ。まさかプロデューサーさんを海外まで

 拉致するために美優さんと響子ちゃんが、ほぼ同時にチケットの

 予約をしていたなんて。しかもまゆ達をあざむくために、

 国内旅行と見せかけた偽の新幹線チケットの予約までしてたんですから」

 

「ヤー達の捜査能力を侮ったらいけない。

 美優や響子のスマホや自宅のパソコンの検索履歴も全部調べてある」

 

「さっそくですけど、美優さんと響子ちゃんは仲良く収容所行きになります。

 今の季節は『カナダのウェリントン群の北西部にある酪農家』が

 安価な労働者を求めているそうですから、これから頑張ってくださいね」

 

ちなみにニュージーランドは南半球なので農家や牧場は閑散期だ。

そのため資源国で北半球に位置するカナダが適当とされた。

 

「イマから、常務に通報する」

 

「ま、待ってちょうだいアナスタシアちゃん!!」

 

「346プロでは言い訳は通用しない」

 

「わ、分かったわ。取引しましょう!!

 私はこう見えてお金はあるのよ。

 まゆちゃんとアナスタシアちゃんに100万円ずつ支払うわ!!

 これで手を打たない? もし条件を飲んでくれるなら、

 もう二度とプロデューサーさんには手を出さないって約束するわ!!」

 

アナスタシアが金に目がくらみそうになる。まゆもだった。

実際に美優さんは大人だから200万くらいは持っててもおかしくない。

旦那に頼めばもっとひねり出せそうだ。旦那はいないのだが。

 

なんだかこういう話をしているとウシジマ君を思い出してしまう。

筆者は怖い話を書くのがあまり得意ではないので、

あの手の漫画を読むと胃が痛くなる。

 

 

「ちょっと待ってくれ!!」

 

 

キツネザル(P)が何か言ってる。

もうめんどくさいので彼の名前はしばらくキツネザルでいいだろう。

 

「金なら俺が払うよ。アイドルがアイドル相手に命乞いで金銭を払うなんて、

 そんなの女の子らしくないだろ? どうか美優さんと響子ちゃんには

 手を出さないでくれないか。まゆ。アナスタシア。頼むよ」

 

「うふ。プロデューサーさんったら可愛い。どうか頭を上げてください。

 プロデューサーさんのお願いなら、まゆはなんだって聞いてあげちゃいます」

 

「ほ、本当か? まゆ!!」

 

「はい。でも一つだけ訂正してほしいところがありまして」

 

「な!?」

 

 

――響子ちゃんって……何ですか、その呼び方は?

 

 

それは、キツネザルが響子ちゃんと二人きりでいる時の呼び方だった。

 

誰にも邪魔されない、お忍びデート(自宅)の最中や、

手紙でのやり取りなど。スマホでの連絡の場合は盗聴や

データ転送(まゆのスパイウェア)されるため危険だった。

 

 

極度の緊張で病室の空気が凍り付く。

キツネザルは、「ごめん」と謝罪する。

それ以外の言葉などあるわけがない。

 

 

「わ、私、用事を思い出しました!! 

 すみませんけど、これで失礼しますねー!!」

 

響子ちゃんは、逃げるように去って行った。

美優も適当な言い訳をしてから続く。

 

ここに残ったのは、まゆ以外には美波とアナスタシアだ。

 

 

「アーニャちゃん。それじゃあ手筈通りにお願いね。

 そろそろ病院に着くころだと思うから」

 

「ハラショー。今、ヤーの携帯に連絡があった。

 タクシーが駐車場に着いたって。今すぐ迎えに行く」

 

「分かったわ。お願いね」

 

 

キツネザル夫妻は猛烈に嫌な予感がしていた。

コソコソ話をする二人の様子が

明らかに何かを企んでいる風にしか見えないからだ。

 

アナスタシアが廊下へ出てしまう。まゆが、じっとキツネザルの目をm

 

「さっきからモノローグがおかしくありませんか?

 プロデューサーさんは、キツネザルじゃありませんよねぇ?」

 

じっとプロデューサーの目を見つめてこう言った。

 

「もしよかったら、まゆにもちゃん付で呼んでいいんですよ」

 

プロデューサーは耐えきれないほどの狂気を感じたので、素直に応じる。

 

「まゆちゃん……」

 

「なんだか、くすぐったい感じです」

 

「お、おれも初めてまゆちゃんって呼んだ……。すごく新鮮だな」

 

「えへへ」

 

「あ、あはは」

 

「まゆもプロデューサーちゃんって呼ぼうかしら」

 

「わ、わあ。まるで子供になったみたいだ。たまには悪くないかな」

 

脳内に浮かんだのは櫻井桃華の顔。

だが他の女の名前を口にしたら殺されかねない。

 

「こんな奴、佐久間でいいですよ」

 

美波が突然暴言を吐いたのだ。

 

 

(´・ω`・)!? ←Pの反応 

 

(#^ω^)!? ←まゆの反応

 

 

「あっ。ごめんね。つい本音が出ちゃった」

 

「いえいえ。まゆはちっとも気にしてませんから。

 本当に気にしないでください」

 

「ごめんね? 佐久間さん」

 

「ですから謝らなくても良いですよ新田さん。

 まゆがこれだけ誠意を示しているのにそちらが納得して

 いただけないのなら、それはそれで結構ですので」

 

「誠意? 悪意しか感じられないんだけど」

 

「はいはい。私はおバカな可憐ちゃんと違ってあなたと

 喧嘩するつもりはありませんよ。時間を無駄にするのも嫌いです。

 どちらにせよ、あなたはもうすぐ広島に帰ることになるんですから」

 

「はぁ?」

 

「今日はね、新田さんのご家族の方々がお見えになるそうですよ」

 

 

ガラガラ。扉が開く。アナスタシアだ。

 

 

「お待たせ。美波の弟とパパを連れてきた」

 

「久しぶりだね。姉ちゃん……」

 

「美波。まったくお前という娘は、こんなところで何をしてるんだ」

 

 

一番衝撃を受けたのはプロデューサーだ。

 

彼はまさに気を失うほどのショックを受けていた。

美波の家族と直接顔を合わせるのはこれが初めてだ。

 

 

「おい、あんた。あんたが姉さんのプロデューサーか?」

 

と弟君に言われ、指まで刺され大いに動揺する。

 

この弟者。名を零也(れいや)と言ふ。

高校二年の男児成り。

 

容姿はまさに姉者と同じ血を引く者にて

まさに端麗の一言に尽きる。

姉を超える美貌との誉れに偽りなし。

 

長い前髪に大きな瞳と美しきまつ毛。

女童と間違うほどの可憐さを持つ。

男児にて並の女児を負かすほどの美貌とは彼のことを指す。

 

ふむ……。このやうな少年ならば、あるいは

女装をさせることにより並の女優すら負かすのではないかと

思案するあたり、この狐風の猿は、やはり自らが

一度は芸能の業務を志した者であると思い、自嘲する。

 

「貴様などに娘をやらん」

 

と眼光鋭く言うのは美波の父上である。

 

この男、恭輔(きょうすけ)を名乗る。

齢47にて株式などの有価証券の値動きの種明かし

(アナリスト)を生業とする、

西洋式背広(スーツ)に身を包む男なり。

 

180を超える巨体に、岩を思わせる厳めしい顔だち。

黒い淵で覆われた眼鏡が生真面目にすぎる特徴を示す。

 

その男。病室に居座るだけで、只ならぬ圧力を周囲に与える。

 

 

(このやうな男に、もはや話など通じぬ)

 

とプロデウサアが思うのも無理はない。

 

 

「美波はアイドルを辞めたのなら広島に帰ってもらうぞ」

 

「パパ!?」

 

「お前はまだ大学一年だ。学ぶための時間はたっぷりある。

 向こうの国立大学に転入するための手続きを進めてある。

 東京の大学のことはもう忘れなさい」

 

「なによそれ!! そんなこと突然言われても困るよ。

 私に何の相談もなく、どうして勝手に転入する話になってるの!!」

 

「勝手なのは、姉ちゃんの方だろ!!」

 

「れ、零也!?」

 

「アナスタシアさんとまゆさんから全部聞いたよ。

 俺たち家族に何の相談もなく、勝手にそこにいる男と

 婚約したんだってな。俺はな……絶対に許さないぞ!!」

 

この弟者、姉を崇拝する者なり。

その程度、只今の吹き出しから察すること容易成り。

 

また姉者にしても弟者を好ましく思うことに変わりなく。

 

高等学校で女学生をせりし頃も級友から

「美波はいつも弟者の話が多い」とからかわれ、

赤面したこと多々有りけり。

 

「零也の気持ちは分かるよ。

 でもお姉ちゃんは彼は真剣に愛し合っているのよ。

 お願いだから分かって。今すぐじゃなくても良いから」

 

「そんな奴の……どこがいいんだよ!!」

 

「どこがって……」

 

「姉ちゃんはそいつを運命の人だと勘違いしているのかも

 しれないけど、そいつは陰でいろんなアイドルに手を出していた

 クソ野郎なんだぜ!! まゆさんからそいつが書いていた

 ラブレターの数々を見せてもらったよ!! 写真でな!!」

 

「……そ、それはね。たまたま間が悪くてそうなっちゃったのよ。

 彼は今では私のことを本当に愛してくれてるの。嘘じゃないのよ?」

 

「いいや、嘘だ!! 嘘に決まってる!!

 そんな甘い言葉はこいつにとっては仕事の延長みたいなもんだ!!

 姉ちゃんは騙されてるんだよ!! 

 他のアイドルも、みーんなこいつに騙されてるんだよ!!」

 

弟者はまくし立てる。鬼気迫る勢い成り。

姉も負けじと彼の魅力を伝えるが、その勢いはなんとも弱弱しい。

 

さて。父上も弟者の側に立ち参戦をすると数の不利にて

美波が次第に押され始める。

 

プロデウサは色欲に負けた不埒者であるとの主張を繰り返され、

それを否定するも、いよいよ栓無き事と悟る美波は、

やがては泣き出すがそれでも彼女を愛する弟者と父上に容赦なし。

 

なんとも歯がゆそうに下の方の唇を嚙み締め、

大粒の涙を流す美波を見たまゆは、この上なく愉快な気持ちになる。

 

「新田さんのご家族の方々もこう言ってることですし。

 今日は帰った方がよろしいのではないですかぁ?」

 

まゆの背後に数名の看護師あり。婦長を含む。

 

この階は入院患者を収容する場所にて、みだりに騒ぐ者は

素行の悪き者と断定され、その後の入院生活で

看護師らに目を付けられること必至成り。

 

そのやうなことになれば大事である。

問題のある患者として看護師待機所(ナースステーション)

にて悪しき評判が直ちに広がることもまた疑いの余地なし。

 

平安の世から現在に至るも、世の女を敵に回すことの

恐ろしさを知らぬほど、プロデウサアも世間知らずではなく、

もはや万策尽きたと観念し、美波に帰るよう命じる。

 

 

「そ。そんな……あなたまでそんなことを言うんですか?」

 

「……ご家族の方々にまで反対されてるんじゃ、

 いったん引くしかないだろ。大丈夫だよ美波。

 俺はお前を捨てるだなんてこれっぽっちも考えてはいないさ。

 これからのことについては、あとで電話するから」

 

 

その横顔、なんとも弱弱しい。彼の言葉に説得力など皆無に等しい。

美波は弟者と父上に手を引かれ病室を去る。

 

この令和の世において、弟者のやうな趣味の持ち主を指し

「シスタア・コンプレクス」なる英吉利(エゲレス)語を

用いるそうだが、なんともハイカラな呼び方にて

作文に使用することに多少の気恥ずかしさを覚える。

 

洋の東西を問わずして語るならば、あのクレオパトラも

諸般の事情から実の弟者との婚姻を結んだとされる。

 

話の真偽はひとまず横に置き、なんとも奇想天外なる話である。

事実は小説よりも奇なりとはこのことを指す。

 

(やった。やったー!! やったー-!!)

 

そう思うまゆの顔、この上なく晴れやかなり。

 

齢16にして次々に悪事を思い浮かべることから

その行く末を見据えると寒気さえ覚える。

 

プロデウサに対する執着たるや、嫁に嫉妬を覚える

姑のごとし。彼女の年齢ならば小姑と呼ぶべし。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

プロデューサーが職場に復帰した。

はい。お疲れ様です。
なんか、たまに地の分が古典風になったりするけど
気にしないでください。その時の気分で変わります。

美波の弟君の容姿ですが、どっかのツイッターで
ヒットしたイラストを参考にして書いてます。
お父さんは完全に俺のオリジナルです。

お母さんってどんな人なんですかね?
すげー美人を想像しちゃいます(笑)


月日が経ちプロデウサアは退院の日を迎える。

 

当初は三か月を要すると診断がされる。

それがひと月足らずの病院生活を経て全快したことに医師が驚愕し

 

『面妖なりて人類の奇跡のひとつと称する事態なり』

 

との言葉を残す。医学の歴史に残る快挙に違いない。

 

「退院おめでとうございます。さっそく明日から

 出勤ですから、今日は家に帰ってゆっくりしましょうか?」

 

とまゆに言われるがままに、現代では女子寮と呼ばれる

若き女らの住居であるアパルトメントへ連れ立つ。

 

我の家はここではないとプロデウサアが駄々をこねるが

まゆはまるで聞く耳を持たず。

 

まゆが腕を振るい作り出した手料理は、

店先で提供されるイタリアンのコース料理を彷彿とさせ、

所狭しとあらゆる食材が食卓(テイブル)に並ぶ。

 

綺麗に盛られるサラダ、パスタ、スープ、

サラミやローストビーフなどの摘まみに西洋酒まで用意される。

 

入院せりし頃に愛する美波との連絡を一切

禁じられ大いに心を痛めるプロデウサア。

生来の美食家にて食の欲求に抗えず良く食べる。

 

まゆは半ばにして食材が足りなくなるのではないかと

思うが杞憂であったと知る。西洋酒を浴びるように

飲み干すプロデウサアは睡魔に負けてベツトに横たわる。

 

まゆの住居のアパルトメント。

間取りの広さを洋室部分を7畳とし、

ベツトは一人分があるのみである。

 

そのためプロデウサアとまゆが自然と並んで寝る形になるのは

致し方なし。まゆは、さあさっそくと言わんばかりに彼に寄りそう。

愛しき男を前にして色欲を抑えきれない。

 

 

「まゆ。するんだったら先にシャワーを浴び来てくれないか?」

 

「分かりました。すぐ戻りますからね」

 

 

プロデウサア、そのすきをついて脱走を図る。

 

暴食の後に睡魔に襲われてる風を装ったのは

巧妙なる演技成り。伊達にかつて芸能界に身を置く者にあらず。

 

 

念入りに体を清めたまゆが、バスルウムから出て

愛しき彼がいないことを察すると大いに取り乱し、

夜中にも関わらず奇声を発する。

 

「うふふふ。うふふふふ……。あはははははは!!

 なんだか楽しくなってきちゃったぁ。

 待っててくださいね。プロデューサーさん。

 次は二度と脱走できないような新しいプランを考えてあげますよ」

 

まゆが高性能化した携帯用電話機(スマアトホン)を片手に仲間に命じる。

 

プロデウサアは瞬く間に偶像(アイドル)らに

追われる身となり、いよいよ身の危険を感じる。

 

ひとまず現代風手押し車(タクシイ)に乗り、高速道路に入るように命じる。

 

運転手は県外への移動は仕事の範囲の外だと不満を言うが、

プロデウサアは万札をいくつかちらつかせて沈黙させる。

 

その万札はまゆの金庫から奪ったものなりけりども、

彼は資産の一切をまゆに握られる身。

それが誰の金など考えることはささいな事と切り捨てるべし。

 

車が高速道路の入り口(インタア)に差し掛かる頃に、

 

歩道の方から輝く物体有り。何事かとそちらを見る。

 

携帯式対戦車砲より砲弾が発射せり。

弾が車を叩き横転させる。

 

運転手はこの世の者ではなくなる。前世をチンパンジイと

するプロデウサアの生命力はもはや人知が及ばぬ。生存せり。

 

炎に包まれる車の亡骸を背後にし、

足を引きずりながらもなお逃走を図ろうとする。

 

そこへやつて来たのは、

武蔵の国を発祥の地とする大衆向け呉服店と

同様の苗字を持つ「島村卯月」なり。

 

未だ煙を吹く携帯用対戦車砲を雑に投げ捨てる。

その重さは成人男子を容易に超えると思われる。

昨今の偶像はかような武器さえ容易に使いこなす。

 

「どうして、そんなにも私達から逃げようとするんですか?」

 

「俺は自由が欲しいだけなんだ」

 

「プロデューサーさんに自由なんて必要ありません」

 

「そんな勝手が許されるのか?」

 

只今の問いかけは黙殺される。

 

「……まだ元気そうで良かったです。

 その調子なら明日から事務所に出勤できますね」

 

「おいおい。何言ってる。俺が足を引きずってるのが見えないのか?」

 

「椅子に座ってるだけで十分仕事になるって

 ちひろさんが言ってましたよ」

 

「俺はな!! そんなクソみたいなブラック企業で

 働くなら死んだほうがましだと思ってる!!」

 

「プロデューサーさんがいない方が、

 私達にとってはずっとブラック企業ですよ」

 

「卯月……?」

 

卯月嬢は目に涙を浮かべる。

 

これは何事かとプロデウサアが思うよりも先に卯月嬢が彼を抱く。

 

「さっきは急にロケットランチャーを発射しちゃってごめんなさい。

 本当は撃った後にプロデューサーさんが

 死んじゃったらどうしようって思ってたんです」

 

「お、おい?」

 

「私の事、しつこくてうざいって思ってますよね?」

 

「……」

 

「自分でもどうしてこんなに乱暴なことしちゃうんだろうって

 不思議に思うことは何度もあります。自己嫌悪ですよ。

 プロデューサーさんはよく言ってましたよね。

 こんなことするのはアイドルらしくないって。

 でもそれでも、私は……プロデューサーさんにそばにいて欲しいです。

 あなたがそばにいてくれないと……心から笑えることはありません。

 たぶん。これからもずっと……」

 

「卯月。俺はな、この前美波の弟さんに説教されたんだ。

 どのアイドルにも良い顔してるクソ野郎に魅力なんてない。

 美波は俺に騙されてるだけだってな。俺は一言も言い返さなかった。

 だって彼の言ってることは間違ってないからな。

 こんな奴に恋したって卯月のためにはならないよ」

 

「プロデューサーさんは!! 

 私の気持ちが一時の気の迷いだって言いたいんですか!!」

 

「もっと良い男はたくさんいる」

 

「私はプロデューサーさんじゃないとダメなんです!!

 愛してます……プロデューサーさん……。

 お願いですから私にも愛をください。

 私はプロデューサーさんをこんなにも愛しているけど、

 プロデューサーさんに愛をもらったことは一度もありません!!」

 

「か、体の関係は何度か持ったが」

 

「あんなの、まゆちゃんが怖くてその流れで抱いてくれただけだから

 ノーカンですよ。ちゃんと自分の意志で私を愛してください。

 アイドルじゃなくて一人の女の子としての島村卯月を」

 

救急車のサイレンがけたたましく鳴り、警察の車も殺到する。

そのやうな惨事において両名は色恋沙汰を続ける。

 

「愛してるって言ってください!!」

 

「……形だけの言葉に意味はないよ」

 

「それでもいいです。さあ言ってください。

 ちゃんと正面から私の目を見て言ってください。

 ほら。ちゃんと両手も握って」

 

「……」

 

「……どうしてもダメなんですか?」

 

「……」

 

「その顔は美波さんのことを思い出してる顔です」

 

あまりの察しの良さにプロデウサアが動揺する。

 

「美波さんと音信不通になって3週間ですけど。

 それでもまだあの人が好きなんですか?」

 

「……」

 

「どうなんですか!!」

 

「好きだよ」

 

「そうですか……そうですよね。あはは。聞くまでもなかったな。

 プロデューサーさんの口からはっきりとそう言わちゃうと

 悔しいです。悔しくて、悔しくて、おかしくなっちうなぁ」

 

卯月嬢の瞳から光が消え失せる。

 

これはいかんとプロデウサアが思うも

まさか逃げるわけにもいかず。ただいまの状態は

卯月嬢がしがみつき逃がさんと言わんばかり。

 

その力は万力のごとし。

足を引きずるプロデウサアでは逃げるに困難を極める。

 

「いっそプロデューサーさんを殺してしまえば……」

 

全部を言う前にその唇を、自らの唇で塞ぐ。

強引が過ぎる接吻である。

 

卯月嬢の望み通り手も握る。なんとも温かみを感じる手のひら。

優しき髪の香り。彼女の色香をこんなにも近くで感じる

プロデウサアは多少の興奮を覚える。

 

自ら望んだことではないにしろ、美波の弟者から

不埒者と呼ばれることは必至の事と知る。

 

「……ぷはっ。うれしいけど、

 いきなりだったのでちょっと苦しかったです」

 

「卯月がおかしくなっちゃうくらいに俺が好きなことは分かった。

 もう俺は二度とお前の気持ちを否定したりしない。約束する。

 だから今日はとりあえず帰ろうよ。また明日から俺は出勤なんだ」

 

「はい……。でしたら私の家に」

 

「いや。卯月は東京の実家だろ? 

 家には親御さんがいるんだから無理だろ」

 

「ちょうど良い機会だから両親に挨拶しましょうよ。

 あ、もし泊まれなかったとしても近くにホテルがありますよ」

 

「はは……さすがに冗談だろ?」

 

「冗談? 私が冗談を言ってるように見えるんですか?」

 

卯月嬢が懐から包丁を取り出すので急ぎ前言を撤回する。

止むを得ず卯月家の親に挨拶をする羽目になる。

 

文字通りの挨拶なりて懇意の関係であることは伏せ

仕事の進捗状況やらを口にする。絵空事を並べる。

数か月の間職場におらぬ者が彼女の仕事ぶりなど知るわけなし。

 

卯月の父が大変に険しき顔をせり。島村宅に泊まると

言い出す雰囲気にあらず。プロデウサアがホテルでも探すかと

庭を出ると、外には満面の笑みのまゆが待機せり。

 

「もう夜遅いですから、そろそろ私達の家に帰りましょうか?」

 

プロデウサアの腕に鉄製の拘束具が付けられる。

単なる手錠にあらず。まゆの鍵がないと

3000℃の熱で熱しても解けない耐久性を持つ。

 

「ちょっとまゆちゃん。あんまり手荒な真似はしないでよ?」

 

「うふふふ。まゆはこれでもすごく冷静だよ。

 卯月ちゃんみたいにロケランを

 発射したりはしないから心配しないでね」

 

帰宅してから朝の2時過ぎまで行為が続けられた。

発情するまゆは、愛しの彼の身体を手にした悦びから

飽きることもなく触りつくし、舐めつくし、

避妊など考えずに自らの体内に彼の遺伝子を吸い出す。

 

「この調子なら、すぐにでも妊娠できそうだと思いませんか?」

 

答えること叶わず。

プロデウサアの口には大量のリボンが巻かれている。

 

行為の最中だというのに、うっかり美波の名を

口にしてしまう愚を犯したことによる。大いに気分を害した

まゆにより「しゃべらなくていいですよ」とリボンが巻かれたのだ。

 

媚薬を口にしたプロデウサアはそれはもう元気になり、

まゆの体を飽きることなく堪能する。まゆの本性はドS成り。

このやうな少女がいずれは妻になり自らを管理するのかと思うと

絶望の一言に尽きる。であるからこそ、美波の優しさばかりが頭に浮かぶ。

 

 

しかしながら、美波も元をたどればまゆと同じく

プロデウサアを拉致監禁したではないかと、

読者諸兄らからの批判すること容易なり。

 

それに対し筆者はこのように返す。

男女の仲とは、成り行きで発展することが世の常であり、

いちいち理屈をこねて考えることにあらず。

 

特に女においては、思い込みが強い性分であることも手伝い、

何かのきっかけで男と縁があると思い込むと。それが次第に強くなる。

自らの理想が先に立ち、その理想に自らの境遇を追いつかせようとする。

 

「ふわぁ……プロデューサー……さ……ん。だいすきぃ……」

 

時計の針が朝の3時を指す頃には、さすがのまゆも疲れ果て眠りについた。

プロデウサアは神経が過敏になり寝付くどころではない。

 

(一睡もしてねえ状態なのに明日から働くってマジかよ……。

 つーか自分の足で歩けねえ)

 

卯月嬢が応急処置を施したとはいえ、彼の左足はあらぬ方向に折れている。

直ちに入院を要する事態である。それに対しまゆは

 

「プロデューサーさんは頑丈なので寝たら治りますよ」と言い放つ。

 

その言葉が的外れとは言い切れぬ。

不思議なことに痛みを感じず。

本来なら痛みで泣き叫ぶはずであるが。

前世の血がそうさせるのか。

 

 

さて。日付が変わり6月の11日となる。

箱型映像機(テレビジョン)で見る予報によると

関東地方において梅雨入りは14日からとされる。

 

「久しぶりのスーツ姿、すっごく素敵ですよ♪」

 

「そうかな……? なんかまゆにそう言われると

 うれしくなっちゃうな」

 

「プロデューサーさんは、やっぱりプロデューサーを

 やってる姿が一番カッコいいです」

 

「ありがとな……。まゆも可愛いし綺麗だよ」

 

「うれしい」

 

「さあ行こうか。ちょっと足が重いから肩を貸してくれないか」

 

「はーい♪ 今日からプロデューサーさんの身の回りのことは、

 まゆが誠心誠意サポートしますからねぇ」

 

玄関の外には智絵理が待機せり。

朝から愛くるしい女を見てプロデウサアが息を飲む。

童女に過ぎぬ顔立ちでまゆより年齢が一つ上とは未だに信じられぬ。

 

「おはようございます♪ プロデューサーさん!!」

 

「おはよう。智絵理。元気いっぱいだね」

 

「はい!! 今日からプロデューサーさんと一緒に働けますから!!」

 

字面ではなんとも微笑ましくなるやり取りだが、

智絵理は言外に頭をなでるよう求めている。

 

それを察するプロデウサアは彼女の頭に優しく手を置く。

「えへへ」やはり17歳の少女とは思えぬ可愛らしさである。

 

美波とは異なる魅力を感じ、思わずこの娘を抱いて

どこか遠い所へ連れ去りたい欲がプロデウサアに生じる。

 

「はーい。智絵理ちゃーん? その辺にしておきましょうね?」

 

「あ、うん。ごめんね」

 

智絵理はすぐさまプロデウサアから距離を取る。

 

少女の間に生じる見えざる力関係を感じずにはいられない。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

半年ぶりの職場もまた修羅場となる。

はい。お疲れさまでーす。

世間では春の高校野球が盛り上がってます。
俺は高校野球の大ファンです。さーせん。
今日は埼玉の高校が出ないので少し休憩っすかね。

なんつーか、久しぶりに小説のネタを思い付いた時は
ガンガン書いた方がいいと思うですよね。

本当は同じ関東勢の木更津高校の試合に注目するべきだろ
とは思ってるんですけどね(笑)


 『みんなのプロデューサーさん。半年ぶりの職場への復帰記念』

 

などと書かれる垂れ幕が事務所にありけり。

 

彼を暖かく迎え入れる事務員やら偶像やら臨時のプロデウサアらが参列する。

まゆと手を繋ぎながら入るそこは、もはや職場ではなく結婚式の会場と称するべし。

 

 

※ここからプロデューサーの一人称。

 

 

書き残すことなど、特にない。

俺はこんなクソみたいな事務所で働くつもりなどないからな。

またすきを見て脱走しようと思っている。

 

歓迎会は淡々と終わり朝礼が始まり、各Pがそれぞれの現場へと

消えていく。俺がいない間にずいぶんとプロデューサーが増えたもんだ。

それに朝礼なんて今までやったことがなかったぞ。

 

今日は偉そうな顔した社長のクソが朝礼の指揮を執ってやがった。

事務員のちひろさんも、後輩のプロデューサー達から

ずいぶんと持ち上げられてるみたいで反吐が出る。

 

『ひちろさんは優しい。ちひろさんは頼りになる』

 

……あ?

 

ぶっ殺してやろうか。この若造共は。

どいつもこいつも、年は俺より下なんだろうが。

どんなお花畑な脳みそをしていたらちひろが優しい?なんて言えるんだ。

 

俺が残業地獄で苦しんでいたのは、何が何でも20時で退社してしまう

ちひろのために事務仕事を負担していたからなんだぞ。

別にこいつが帰ることは構わないが、他に事務要員を雇わない社長がクソなんだ。

 

俺が辞めてから大量のプロデューサーを雇っても遅いんだよ。大馬鹿野郎。

ジノヴィエフの野郎にはいつかワンパン食わらしてやりてえ。

 

「おい、ちひろさん。まずは営業先へのあいさつ回りだな」

 

「なんですか? クソ野郎さん」

 

「……なんだって?」

 

「クソ野郎さんは特に挨拶する必要はありません」

 

「……相変わらずムカつく女だ。

 半年ぶりの復帰なんだから先方にせめて電話くらいは必要だろ」

 

「だから必要ないって。耳ついてないの?」

 

「うるせえ。てめえこそ必要ないことをしゃべるな。

 必要な事だけ話せ。なんで挨拶がいらねえんだ?」

 

「あんたは営業先に行かなくていいんだよ。クソ野郎君」

 

「……おっかしーな。俺は営業職じゃなかったのか?

 今日から事務員に転職したのかな」

 

「あれ? おかしいわね。クソ野郎君が病院にいた時に

 伝え忘れたのかな? あんたは基本給ゼロだし

 営業はしないから歩合制その他の加算もゼロ。

 ミスターゼロ君。その理由がまだ分からないの?」

 

「……俺は窓際ってことを言いたいわけだな?」

 

「そうそう」

 

「おいふざけんな。今すぐ帰るぞ!!

 こちとら足を怪我してるのに我慢して出勤してるんだ!!」

 

「だからダメだって。あんたはここの社員だから」

 

「営業もしないのに社員!?

 俺はプロデューサーとしてここに来たと思ってるんだが!?」

 

「表向きはプロデューサーってことでいいの。

 ここまで説明してもまだ分からない?

 あんたどこの大学だっけ? 馬鹿すぎて笑っちゃうんですけど。

 プロデューサー業は他の若い子がやってくれてるから人は足りてるの」

 

「おい。まさか」

 

「あんたが事務所にいてくれるだけで他のアイドルが

 頑張れるんだってさ。ほんと馬鹿みたいに物好きだと思うけど、

 まーこれでお金になるんだから仕方ないか~って感じ?

 世の中は金。あんたが金を生み出すなら私の給料も上がるし?」

 

「クソがぁああ!!」

 

デスクにワンパン食らわせる。

 

いてえ……。拳から血が出ちまった。

 

「プロデューサーさん、そんなに乱暴にしたらダメだよ」

 

「カレンいたのか? おまえ、朝はいなかったよな?」

 

「寝坊しちゃって来るのが今になっちゃったの。えへへ。

 別に具合が悪いわけじゃないよ? プロデューサーさんに

 会えるのが楽しみで昨夜は寝れなかったの」

 

加蓮が傷口を消毒してガーゼを巻いてくれた。

 

ああ……優しいなぁ……。涙が出る。

どっかの事務員のくそ女とは大違いだぜ。

 

「プロデューサーさんの机が壊れちゃったから片付けてくるね」

 

「ああ、悪いな……。出勤初日からこんなことしちまって」

 

「いいの。いいの。えへへ」

 

俺の机は二つに割れていた。俺はバカだ。

引き出しの中にはスタドリしか入ってないのが気になる。

まさかとは思うが、俺に押し売りをするために事務員が入れたのか?

 

「あのさー言い忘れたけど、アイドルとイチャイチャするなら

 私の視界に入らないところでやってくれる?

 あとお昼はどっかに食べに行ってね。

 ここであーんとかされるとぶち殺したくなるからさ」

 

相手にしたら負けだ。

俺は空返事だけして、加蓮が代わりのテーブルを持ってくるのを待った。

しかしもう予備がないらしく、しかたないので空の蜜柑箱をそこに置いた。

 

イスの高さと全く合わない。仕方ないので蜜柑箱の前に

胡坐をかく。あまりにも不格好だし非常識だが我慢する。

 

「あたしは午前中は暇だから。プロデューサーさんと

 一緒に過ごしてもいいんだよね?」

 

「ああ。俺もやることないから話し相手になってくれると助かる」

 

まゆは朝一で現場へと向かっている。他のアイドル達も同じだ。

どこのテレビ局なのか、はたまた撮影なのかラジオなのかライブなのか、

もう何も知らん。俺はもう自分がプロデューサーとは思ってないので

あいつらのスケジュールすら興味がない。

 

朝礼中は美波の事だけをずっと考えていたから上の空だった。

大好きな美波と3週間も会ってないんだ。

ストレスで机の一つや二つは壊すだろうが。

 

「えへへ。今はふたりっきりだぁ。うれしいな」

 

「あー事務員のおばさんがにらんでるから、ソファの方に行こうぜ」

 

「うん。そうしよっか。プロデューサーさんがそう言うなら」

 

俺の背中にボールペンが投げつけられたが、構うものか。

 

まじで何なんだよこの職場。

去年の繁忙期なんてちひろに俺のマグカップが二つも割られたんだぞ。

 

俺が響子ちゃんとイチャついてたら熱いコーヒーを

ワイシャツにぶちまけられたこともあった。

 

あのYシャツ高かったんだぞ。弁償しろよクソ女。

俺はタフなんで火傷はしなかったけどよ。

 

 

加蓮は俺にぴったりとくっつき、俺の腕を抱きながら語り出した。

 

「この前学校の体育の授業でマラソンがあったの。マラソン。

 あたしが病弱なの知ってるから先生が走らなくて

 良いよって言ってくれたのね。でも最近は体の調子が良いから…」

 

「うんうん」

 

「最近、コンビニで新しいポッキーが売ってたんだけど、

 季節限定の新商品って書いてあったからつい買っちゃってさー。

 衝動買いしすぎだってママには小言言われるんだけどね……」

 

「うんうん」

 

「ネイル、新しくしたんだけど、どうかな? 似合ってる? 

 ちょっと大人っぽ過ぎるかなって思ったけど、

 あたしも高校生だからこういう色合いにも挑戦して……」

 

「うんうん」

 

「今度の休み、空いてるよね?

 ずっと見たかった映画がやるんだけど、一緒に観に行かない?」

 

「うんうん」

 

「ちょっと。さっきから同じ返事しかしてないじゃん」

 

「ああ、悪いな。ちょっと考え事を」

 

「……もー。女の子と話している時に別のことを考えていたの?」

 

「ああ。ちょっと加蓮にだからこそ訊きたいことがあってな」

 

「……それってどういう意味?」

 

「お前にしか頼めないことがあるんだ。だからさ。どうか教えて欲しい」

 

「うん。大好きなプロデューサーさんのお願いなら断れないよ。

 むしろどんどん頼ってほしい。でもその前に

 あたしからも一つお願いがあるんだ。聞いてもらえるかな?」

 

 

――その質問がもし美波さんに関することだったとしたら、

  私は答えるつもりはないよ。

 

 

例によって加蓮の瞳が光彩を失い、計り知れないほどの

狂気に満ちる。ま……分かりきってたことではある。

 

しかし怖いな。

慣れてるはずなのに手の震えが止まらない。

 

プロデューサーとしてのカンだが、俺がもう一度

美波の名前でも出そうものなら自由を完全に奪われる。

 

 

事務員の高笑いが聞こえる。

あの女……仕事に集中しろよ。

人が困ってるのがそんなに楽しいのかよ。

 

たぶんあいつは一生独身だ。顔だけは綺麗だけどな。

 

 

「ただいま戻りましたぁ」

 

牧野由依さんじゃなくてまゆか……。

まだ昼前なのにもう終わったのかよ。

つーかどこへ行ってた?

 

「ラジオの週録ですよ。朝の番組なので収録時間が早いんです」

 

「へー。ラジオとかやってるんだ。すごいな。まゆは」

 

「あれれぇ? もっとちゃんと褒めてくれないんですか?

 まるで自分には関係ないみたいな顔されると、まゆ困っちゃいますよ」

 

加蓮が俺の袖を引き、あんな奴無視した方がいいよと適切な助言をくれる。

 

「ところで北条さん。少し彼と距離が近いんじゃないですか?」

 

「そうかな? 佐久間さんからはそう見えたのかもね。

 あたし達は深い関係だから自然とこうなっちゃうんだよね」

 

「……? 深い関係? まゆには仕事上の関係にしか見えませんが。

 あいにくですけど、まゆの彼はホストではありませんから、

 変な勘違いをされては困ります」

 

「そうやって喧嘩売ってるくるの迷惑だからやめてくれる?

 プロデューサーさんだって復帰初日なんだからさ。

 女同士のギスギスを見せられてまた

 辞めたくなったりでもしたら、あんたは責任取れんの?」

 

「あ、良いこと考えた。北条さんが今日で辞めちゃえば

 すべては解決します。今辞表を用意しますから待っててね」

 

「……ごめん。いらない。

 ちょっと仕事が終わったあとにふたりだけで話しない?」

 

「また暴力で私を脅すの?」

 

「暴力って言うより制裁かな。あんたみたいな金魚の糞には

 何を言っても無駄だって理解してるから実力行使」

 

「あー嫌ですよねぇ。こういう女。さいってー。

 本当に最低。ねえプロデューサーさんもそう思いますよね?」

 

……だからなんでいつも途中で俺に振るんだよ。寝たふりしてたのに。

 

「なんか空気悪いから少し早いけど昼にしようぜ。

 ここで食べるとちひろに怒られるから公園にでも行こうぜ!!」

 

「良いですね。天気も良いですし、さすが私のプロデューサーさん」

 

まゆがそう褒めてくれるが、あいにくの曇り空だ。

今日は午後から雨が降るんだったよな……。

 

「じゃあ行こうか?」

 

と加蓮が俺の袖を引く。

 

「何してるんですか。あなたは来なくていいですよ。北条さん」

 

「プロデューサーさんはあんたと食べるとは一言も言ってないからさ」

 

「……はぁ? ふざけっ……!!

 あっ……頭イかれてるようですから早く病院へ行ってくださいねぇ」

 

「今なんで言い直したの? ウケる。

 今さらプロデューサーさんの前で猫かぶるとか頭悪っ。

 あんたの性格がひねくれてることなんてとっくに彼は知ってるよ」

 

「まゆはねえ、今から私とプロデューサーさんの二人で

 出かけるから着いて来ないでって言いたかったの!!」

 

「だから嫌だって。なんで命令するの?」

 

「命令じゃなくてお願いだから!! 着いて来ないで!!」

 

「ふーん。あたし相手にそこまで言っちゃうんだ」

 

「ひ、ひぃ……やめて髪を引っ張らないで……」

 

 

……昼ドラの収録現場みたいな事務所だ。

俺がこの会社を辞めたのは、こういうのが見たくなかったからなんだ。

また胃薬のメーカーとドラッグストアの回し者としての生活が始まるようだ。

 

 

「まあまあ加蓮。落ち着いてくれ」

 

「あっ……」

 

俺は加蓮を後ろから抱きしめた。あすなろ抱きだ。

世の女性はこれに憧れるらしい。

 

「三人で食べに行けばいいだけだろ?

 俺は加蓮のこともまゆのことも嫌いじゃないんだからさ。

 まゆもそれでいいよな?」

 

まゆは目線を横にそらしながら「そうですね」と言った。

本気でキレてる時の顔だ。いつものことだが、アイドルする顔じゃねえ。

 

後で恨みを買うと怖いのでまゆにも同じように

抱きしめてから事務所を出て行く。

 

「クソ野郎君は二度と戻ってこなくていいからね」

 

と事務員の声が聞こえた。

これもいつもの事なので気にしない。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

雨がぽつぽつと降って来た

はい。みんなお疲れですか?
たぶん多くの人が今日は休みですよね。

そうは見えないと思うんでけど、一応俺って
片頭痛で家で休んでる設定なんです。
無職っていうより自宅療養ってやつです。

前の会社の時は片頭痛が治らなくて、
それが原因で辞めて、しばらくは安定してたけど、
最近は寒暖の差が激しくて、また再発しちゃいました(笑)

でも作文を書くのは楽しいので頭痛でも問題ないっす。
身体に力が入らないので料理すらできないけどね。

さーせん。さーせん。
俺は生きてても役に立たないので世の中に対して謝ってます。

でもねー。プライベートではこんな俺でも
素敵だって言ってくれる女性に出会えたんだ(実話)


※ まゆの一人称。

 

オフィス街から少し離れた場所にある自然公園。

駅から降りてすぐなので様々な人が訪れます。

コロナ前は外人さんがたくさんいたんですけど今は少し寂しいです。

 

「えへへ。プロデューサーさんと一緒だぁ。

 うれしい。えへへ」

 

なんかお邪魔虫の北条さんが本気でうざいんですけど、

怒ってばかりだとプロデューサーさんに本気で嫌われちゃうので

我慢しないと。拳を力いっぱい握ってるのがばれないといいけど。

 

「あそこに座ろうぜ」

 

プロデューサーさんが指さしたのは、大きな屋根付きのベンチだ。

あそこなら雨が降って来ても大丈夫だ。

私は一応折り畳み傘は持ってきている。

 

私達が座り、手作りのサンドイッチの入ったバスケットを広げると

プロデューサーさんが笑顔になった。

 

「いつも以上に美味しそうなサンドイッチだね。

 まゆはお料理が本当に上手だ。

 食べるのがもったいないくらいだよ」

 

ストレートにそう言われると、

実は恥ずかしくて何も言えなくなってしまう。

彼が本心で言ってくれるのが伝わったから。

 

仕事の時は無反応だったのに、今は頭を優しくなでてくれる。

彼は美食家だから料理のできる女に弱いことは知っている。

だから朝5時前に起きてサンドイッチを作ったの。

できるだけ手間をかけてうんと愛情を込めたのを。

 

「わー、これ美味しいねー。手が汚れないように楊枝が指してある。

 高そうなパン生地使ってるね。中身はローストビーフ?

 サーモン? 高そうなカツもある。男性が好きそうなメニューだね」

 

加蓮が遠慮なく食べてて腹が立つ。

もっと味わって食べてよ。そもそもなんでこいつも食べてるの?

 

「まゆがお昼を用意する当番になってるんでしょ?

 だったらあたしが作っても意味ないから初めから用意してないの。

 今日はせっかくだから、あたしも食べさせてもらおうかと思ってさ」

 

確かに量的に3人分はある。

それにプロデューサーさんはたぶん胃痛なので1人分すら食べられない。

 

もっとも、こうなると知っていたら、加蓮の食べる分には

強烈な睡眠薬を念入りに混ぜてあげたのに。

三日くらいは寝込むくらいの量を。

 

「おおっ。うまい。具もさっぱりしていけど、

 まずパン生地が美味い。これはいいっ」

 

プロデューサーさんは、生ハム入りが特にお気に入りだった。

加蓮と談笑しながら食べてるのがムカつくけど、我慢我慢。

 

私も少し食べないと。ダイエットしてるから野菜中心のサンドイッチを。

 

 

「ん……? 雨が降って来たんじゃないか?」

 

「そうみたいだね。予報通りだ」

 

 

雨は嫌いじゃない。大都会の中でもここだけ人気がなくなるから。

雨が強くなってきた。散歩してる人たちが速足で去って行く。

私は今ここから動きたくない。

 

余計なお邪魔虫がいなければ、プロデューサーさんと二人きりで

この世界に取り残されたみたいな感じで素敵だったのけれど。

 

 

「ふぅー。今日はお腹いっぱい食べたな」

 

「喫茶店で食べるよりも美味しかったね」

 

「そうだな。あとでまゆにはお礼を……ってまゆ?」

 

 

私はLINEメールに夢中になっていた。

食べてる最中に新田弟君から

着信があったから今返事を書いているのだ。

 

内容はあまりにも楽しすぎてもう笑いが止まらない。

でもダメ。

こんな顔を見せてしまったらプロデューサーさんに避けられちゃうから。

 

 

「おーい、さっきから何笑ってるんだ?」

 

「プロデューサーさん。そいつの相手はしない方がいいよ。

 なんか独りで楽しそうだから好きにさせてあげようよ」

 

 

うるさい加蓮。おまえなんて、いつか彼に飽きられて捨てられるくせに。

そう。彼がかつて愛した新田美波のようにね。

 

「ぷっ……くくくっ……うふっ……ぷっくくっ……」

 

「まーゆー? 何笑ってるんだって聞いてるんだよー」

 

「ちょっとこいつの様子変だね。携帯貸して」

 

 

加蓮にスマホを奪い取られてしまう。

一瞬だったので抵抗する暇もなかった。

 

 

「あー。ふーん。へー。なるほどねー。まあこれは……うん」

 

「加蓮……? いったい何が書いてあるんだよ」

 

「いやー。今のプロデューサーさんは知らなくていいこと」

 

「そこまで言われたら気になるな。ほら。よこせって」

 

「ダメだって。いや、やめて、くすぐらないで。あははっ!!」

 

「よーし。取ったぞ。って……おい。この写真は、なんだ……?」

 

 

新田家の弟君から送られてきたのは、晴れ着姿の美波さんの写真だった。

 

プロデューサーさんが震えながら見たのは、

美波さんのお見合い写真と、相手の男性と

デートしてる最中の写真が何枚か。

 

撮影したのは弟君なので嘘ではないですよ。

 

美波さんが実家の広島に帰ったのは本当のこと。

彼女はすでに新しい人生を歩んでいる。

プロデューサーさんではない、全然関係ない

男性とすでにお付き合いを始めているのです。

 

「……なんだよこれ。なあ、まゆ? マジふざけんなよ。

 なんだよこの写真はよぉお!!」

 

「お、落ち着いてくださいプロデューサーさん!!」

 

「美波は俺以外の男と結婚するってことなのか!!」

 

「そ、そうみたいですねぇ。弟君の話だと

 親同士の縁談で話が進んでいるそうですよ」

 

「なんだと……」

 

「ちなみに相手の男性は27歳で年収が700万を

 超えるエリートです。外資系とか言ってましたよ」

 

「な、700万!? しかも俺より年下……。

 背も高いし、こいつイケメンじゃねえか……」

 

途中で笑わないように気を付けないと。

プロデューサーさんが本気で落ち込んでるのが楽しくて仕方ない。

 

ちなみにこれ、まゆは何もしてませんよ?

美波さんのお父様がお仕事関係のコネで

良さそうな人を見つけてくれたみたいです。

 

うふふ……。あとでお父様には菓子折りの一つでも

送ろうかしら。新田美波と言う強敵を倒すための

こんなにも力強い味方がいてくれたなんて知らなかったもの。

 

弟君はお姉さんのファングッズを大量に持つほどのシスコン。

学校では彼女を一人も作らないとか。美形なのにもったいない。

 

新田美波は……まゆの可愛さには劣るけれど

それなりの美人だったと思う。

少なくともスタイルでは私より上だった。

 

 

「うぅ……ちくしょう……ぐすっ……涙がとまらねえ……。

 俺はもう失恋してたのかよぉ……美波のことを信じていたのに……」

 

「プロデューサーさん……。泣きたい時は泣いていいんだよ。

 あたしはいつでもプロデューサーさんのそばにいてあげるからさ」

 

男の人が本気で泣くところを始めて見てしまった。

嗚咽し背中を震わせる彼を見てさすがにかわいそうになってくる。

 

彼の背中をさすってあげようとすると加蓮がすごく怖い顔をした。

 

「触らなくていいから」

 

こいつ、マジでやばい。下手に刺激したら顔を殴られる。

 

「あんたさー、いくら美波さんが憎いからってここまでする?」

 

「縁談は新田家のお父様が決めたことでしょ」

 

「そうなるようにあんたが仕組んだってことだよね?」

 

「……違うけど。そう思いたいなら好きに言ってれば」

 

睨み合いになる。加蓮は今までにないほどの怖い目つきだ。

今度こそ本当に殺されるかもしれない。手の震えを何とか抑える。

 

私はいつも思うのだけど、どうしてみんなは私が

陰で何でも操ってるみたいに思うのかしら。

 

私はそれなりに頭は回る方だと思っているけど、

美波さんの縁談を進めるほどの政治力は持ってない。

こいつには何を言っても逆に疑われてしまうから意味ないけれど。

 

「うぅぅぅ……うぐぅぅう。うぅぅう……おおぉぉぉ……」

 

プロデューサーさんはずっと嗚咽している。

彼の頭の中はきっと真っ白になっているはずだ。

 

仮にここで加蓮が私に襲い掛かって来たとしても

プロデューサーさんは止めてくれない。

 

「あんたさー」

 

加蓮に肩をつかまれてしまう。い、いたい……。

なんて力なの。骨が折れちゃう。

 

「彼をここまで傷つけておいて、今さら謝ったとしても

 許されることじゃないよね? どうすんのよこれ。

 プロデューサーさんは絶対に辞めちゃうよ。

 もう二度と事務所に戻ってくれなそうだよ。

 ねえ。どう責任取るの?」

 

「……弟君と話をして」

 

「は?」

 

「本当にまゆは何も知らないの。これは新田家の人が勝手に進めたことなの。

 今弟君の携帯にかけてあげるから、加蓮が直接話せばいいでしょ」

 

弟君と軽く挨拶した後、私の携帯を加蓮に渡した。

 

「あんた、アイドルの北条加蓮だろ?」

 

「はい、そうですけど」

 

「プロデューサーは隣にいるのか?」

 

「いるよ」

 

「だったらこう伝えておいてくれないか?

 俺の姉さんはもうすぐ結婚するから、

 二度と近づくんじゃねえって」

 

スピーカーホンではないけど、

私の方にも彼の声がはっきりと聞こえた。

 

弟君の拒絶の意志は強い。これでまゆの強制がないのが分かるでしょ。

まゆが頼んだわけじゃない。あっちが勝手に動いてくれたのだから。

 

 

「あの……その縁談の事なんだけど」

 

「はい?」

 

「あなたのお姉さんが望んでやったことなのかな?」

 

「どういう意味ですか?」

 

「だからね。お姉さんが自分から好んで

 その男性とお付き合いしてるのかなって」

 

「そうですけど? 何かおかしいところでもありましたか」

 

「少しだけ美波さんと話がしたいの。

 何度電話しても出てくれないから、代わりにあなたの方から

 お姉さんを呼んでくれたら助かるんだけど」

 

「悪いけどその必要はないです。

 俺の姉さんはもうアイドルを辞めましたから

 そっちの人間とは関係ないはずです。

 だから電話もしないしメールもしません」

 

「……」

 

「不満ですか? 用件がないならもう電話を切りますよ」

 

「君は好きなんだね……お姉さんのことが」

 

「否定はしません。でも、どこの姉弟だってこんなもんだと思いますよ。

 俺は姉がろくでなし野郎に騙されそうになったから止めた。

 何かおかしなところがありますか?」

 

「佐久間まゆから何か聞いてる? 例えばプロデューサーの噂とか」

 

「佐久間さんじゃなくて社長さんから聞かされました」

 

「え!? 社長ってうちの社長!?」

 

「ロシア語訛りで話すおじさんでしたけど、

 あれって346プロの社長さんですよね?

 プロデューサーは女たらしのくそ野郎なんで

 一度解雇されたって聞きましたよ。

 もっとも俺じゃなくて父宛てに電話がかかって来たんですけど」

 

「そ、そうだったんだ……」

 

「プロデューサーみたいな女たらしは死んだほうがいいと思っています。

 そのうち痴情のもつれで刺されてお終いでしょう」

 

「……君は、何も知らないんだね」

 

「はい?」

 

「プロデューサーはね、凄く良い人なんだよ。あたしは尊敬してる」

 

「そうですか。それはよかったですね。悪いが俺には関係ない話なんで」

 

「新田家の皆さんの気持ちはよく分かった。今日は電話に出てくれてありがとう」

 

「……? いえ。それじゃあ。そちらも適当に頑張ってくださいね」

 

 

加蓮が私に携帯をぶん投げてきた。

何とか受ける。文句を言ったら殺されるほどの雰囲気だ。

 

 

「まゆ。私はプロデューサーさんをここから外の世界に出してあげたい」

 

「そんなことをしたら、また新しい争いを産むだけだよ。

 プロデューサーさんは、みんなのプロデューサーさんなのだから

 みんなで管理してあげないといけないの」

 

「そうやって彼を束縛し続けてもさ……これからの彼の人生はどうなるの?」

 

「まゆが一生面倒を見るってことで常務たちも納得してくれてるよ」

 

「何馬鹿なこと言ってるの。私達がアイドルとして輝けるのも

 せいぜい20代までだよ。この業界は水物なんだから

 同じ名前がいつまで売れるわけない。あんたは夢見すぎてる」

 

「まゆはこれでも勉強はできるよ。資格の勉強も始めてるし

 アイドルが廃業になったとしても別の道で生きていけるくらいの知恵はあるよ」

 

「あんた、本当に馬鹿なんだね。一度芸能界で成功できちゃった人は

 普通の職業で働くことができないのは業界の常識だよ。

 彼を養う? 逆じゃん。あんたが養われる側になるんだよ」

 

何時にも増して加蓮の口調が上から目線なのでカチンとくる。

 

「じゃあ加蓮だったら彼を幸せにできるの?

 できるんだったらその方法を具体的に説明してみてよ」

 

「あたしはプロデューサーさんと一緒に居られるなら

 別にアイドルじゃなくても良いと思ってる。

 学校を出た後は普通に主婦になることもできるわけだし、

 少なくともここでプロデューサーを縛り付けておくよりはいいと思う」

 

「でも彼を独占しちゃったら他の皆に殺されるじゃない」

 

「でた。他のみんな。みんな、みんなって。

 他の女達なんて関係ないじゃん。彼を本気で愛してるなら

 力づくで奪ってどこかに逃げればいいんだよ」

 

「……バカじゃないの。それこそ無謀だし意味ないよ。

 どうせすぐに見つかるんだから」

 

「だったらさ、卯月みたいに彼を包丁で刺し殺して永遠の愛を誓う?」

 

「そんなのは子供のママゴトね。話にならないわ」

 

                           つづ

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

美波の母親から電話が掛かって来た。

はい。お疲れ様です。

今日はすごい勢いで作文を書いてます。
なぜだか無性に作文を書きたい気分なのです。

たまにはこういう日ってありますよね?


  ※佐久間まゆの一人称

 

 

私と加蓮は睨み合いを続けている。私の方から話し出した。

 

「美波さんだって、プロデューサーさんにとっては

 たくさんいるアイドルの内の一人じゃない。

 たった一人が退職して結婚したとしてもいつか忘れちゃうよ」

 

「あんたは何もわかってないんだね。美波さんはプロデューサーさん

 にとって本当に大切な存在だったんだよ。経緯はどうであれ、

 結果的にはあんたが美波さんの縁談を進めたようなものだよ。

 少なくともプロデューサーさんはそう思ってると思う」

 

「プロデューサーさんは私達よりずっと年上で、

 それに男性の人だよ。いつまでも昔の恋を引きづるわけないじゃない」

 

「女より男の方が失恋した後の立ち直りが

 遅いってのは常識のはずなんだけどね。

 あんたは今までの人生で何を学んできたの?」

 

く……いちいち腹が立つ。

頭を叩いてやりたい。でも力では勝てないのだ。

あいつのことは心の中で何度も叩いているけど。

 

「何から何までまゆを否定しないと気が済まないんだね。

 美波さんを排除できたのにうれしくないの?

 あなたも彼女を憎んでいたと思うのは気のせいかしら?」

 

「確かに美波さんのことは大嫌いだった。

 でもプロデューサーさんがどうしてもって言うなら

 あたしは認めてあげるつもりだった。悔しいけどね。

 あたしは彼の二番目でも構わなかった」

 

「二番目……? その考えって矛盾してる思うなぁ。

 美波さんだって変なお邪魔虫がそばいたら不愉快だろうし、

 あんただっていずれ美波さんが憎くなっちゃって

 殺し合いになると思うけどなぁ」

 

加蓮が言い返してこなくなった。

 

さすがに思うところがあったのだろう。

私は仕掛けていた盗聴器の会話から美波と加蓮が

険悪の仲であったことを知っているのだ。

 

「うぅぅぅ……お、おれはぁ……あぁぁあ……」

 

プロデューサーさんは、加蓮の膝の上で丸くなっていた。

高そうなスカートが彼の涙と鼻水でひどいことになっている。

いったい、いつになったら私の彼は泣き止んでくれるのだろう。

 

こんな時にこんなことを言うのは不謹慎だと分かっているけど、

彼の今の顔は昨日テレビで見たマントヒヒの赤ちゃんによく似ていた。

 

加蓮が彼に優しく声をかけた。

 

「少しは気分が落ち着いた? まだここに居たいのなら

 止めないけど、あたしはまだお仕事が残ってるからさ、

 そろそろ事務所に帰ろうよ。ね?」

 

「ああ、分かってる……。

 みっともないところを見せちまってすまなかったな」

 

雨が地面を叩きつけている。

加蓮は彼に寄り添いながら傘を差してあげている。

 

あいつが恋人気分を味わっているのが本気で腹が立つ。

まゆは悔しいけど一人だけで大きな折り畳み傘を開けた。

 

 

事務所に戻るとたくさんのアイドルがいた。

新人プロデューサーの皆さんの研修期間はとっくに終わっている。

もう新人とは呼べないけれど、まゆの中では彼以外の人はみんな新人だ。

 

プロデューサーの皆さんは一角に集まってアイドル達と談笑している。

暇なんだろうか。冗談を言って皆を笑わせているプロデューサーがいる。

 

その輪の中から短めのツインテールの女の子がこちらへ飛び出してきた。

 

「ぷ、プロデューサーさん? 泣いてるんですか? 

 どうしたんですか? 加蓮ちゃんに何かされましたか?」

 

と智絵理ちゃんが言うものだから、加蓮がため息を吐く。

私が耳打ちして事情を教えてあげた。

 

「へえ!! そうなんですか。あの美波さんがついに……」

 

智絵理ちゃんの口角が上がる。まゆと同じ反応だ。

プロデューサーさんに見られたくないから

すぐに澄ました顔をするとこまで同じ。

 

 

プロデューサーさんは「ちょっと席を外すぞ……」

と言ってトイレにこもった。20分後に出て来てソファに座る。

智絵理ちゃんが何を言っても反応してくれない。まるで生ける屍だ。

 

やがて智絵理ちゃんがうっとおしくなったのか、

今度は会議室に消えてしまう。社長の許可がないと使ってはいけない

部屋なのに鍵は開いていたようだ。

 

 

「やめなよ。一人にしてあげなって」

 

と加蓮が言う。だけど彼が気になって仕方ない。

あの様子だと自殺してもおかしくないのだから。

 

「気持ちを整理する時間が必要なんだよ。

 こういうのは他人がどうこう言う問題じゃないの。

 ってことであたしは今日は帰るから。それじゃあ、お疲れ」

 

加蓮は本当に帰ってしまった。意外だった。

絶対に彼に付きまとうと思っていたのに。

 

加蓮が帰ったと同時に、ちひろさんがある電話を受け取った。

 

「まゆちゃーん。クソ野郎君はいるー?」

 

「まゆのプロデューサーさんならいますけど?

 その呼び方、不愉快なのでそろそろやめてください」

 

「はーい。気が向いたら直すわ。

 なんか新田さんちのお母様から奴に話があるんだってさー」

 

「えぇぇ!?」

 

「お母様をずっと保留にして待たせてるから、早く呼んできてよー」

 

「いえ!! 私が代わりに出ますから!!」

 

「え? いや、この電話はまゆちゃん宛てじゃなくて」

 

「いいから受話器を貸してください!!」

 

私は勢いあまってちひろさんを押してしまった。

 

ちひろさんの体は事務所の壁を突き破り、

はるか山梨県の方角へ吹き飛んでしまった。

 

いけない。最近はベテラントレーナーさんの

ダンスレッスンを頑張ったせいで力がついてしまった。

ちひろさんは今日の夕方にでも探しに行けばいいだろう。

 

私は主が不在となった事務机に座り、固定電話の受話器を握る。

震えながら保留ボタンを解除した。

 

「すみませんお待たせしております。

 本日はプロデューサーが外出しておりますので

 わたくしが代わりにご用件をお聞きしますが」

 

「あら。先ほどの方とは違う事務員の方ですか?」

 

「わ、私はプロデューサーの管理を担当している者です」

 

「まあそうなのですか。声はお若いけど偉い人なのですね。

 お話と言うのは、お恥ずかしいのですが身内の件です。

 うちの美波のことでご相談がありまして」

 

「はい。どんなささいなことでも構いません。

 どうぞお話になってください」

 

震えながらメモ帳を用意する。よし。ボールペンのインクは切れてない。

大丈夫。落ち着いてすべてを聞き取るのよ。

 

美波さんのお母さんは丁寧な物腰の人で、

広島県在住なのだが綺麗な標準語を話す。

お嬢様育ちなのか声が高く口調がゆったりとしているので助かる。

 

「相談の内容は娘の縁談の件なのですが……

 娘が縁談が嫌だって駄々をこねるものですから、親を困らせているのです。

 こちらとしては申し分のない男性を何人も紹介しているのですが、

 どうやら美波にはすでに心に決めてしまった男性がいるとのことで」

 

背中に冷たい汗が流れる。

この事態は想定しなかったわけじゃない。

 

あの女がそう簡単にプロデューサーさんを諦めるわけがない。

まゆのプロデューサーさんに妻とまで呼ばれたのに。

 

できるだけ嘘っぽくない口調で話さないと。

 

「なるほど。美波さんの件はよく分かりました。

 あいにくですが、プロデューサーもそろそろ適齢期と言うこともあり、

 彼のご両親からすでに縁談の話を持ち掛けられているそうなのです。

 こちらに関しては、すでに交際相手がいるとのことですので、

 本人だけでなく旦那様やご子息様にもその件をお伝えください」

 

お母様は「ええええっ。そうなのぉおお!!」

と受話器越しに耳が痛くなるくらいの大声を出したのだ。

 

「もう婚約者がいるってちょっとタイミング的に不自然ねぇ。

 娘の話だとプロデューサーさんは少し前まで

 美波と交際していたってことになっているし、

 そもそも最近まで入院していたはずなのに、

 こんなにもすぐに新しい交際相手が見つかるのかしら」

 

「く、詳しいことは私も知りませんが、プロデューサーが

 そのように話をしていたので私共としてはそれを信じるしかありません」

 

「ねえあなた。もし良かったら彼の携帯の番号を教えて頂戴。

 彼と直接お話しをした方が早いと思うのよ」

 

「……申し訳ありませんが、彼は業界の人間ですから、

 一般の方に電話番号を教えるわけにはいきません」

 

「……ねえ。あなたってアイドルの佐久間まゆでしょ?」

 

会話が止まる。無言の時間が15秒間。

オフィスの電話対応としては素人以下だ。

 

「図星でしょう? 土曜の朝のラジオで

 毎週あなたの声を聴いてるから分かるわよ」

 

まさか私のラジオの視聴者がこんなところにいたとは誤算だった。

アイドルとしては喜ぶべきことなのだけど。

 

「うふふ。佐久間まゆちゃ~~ん? 

 あなたは私に対してなんて名乗ったのかしら?

 確か、プロデューサーの管理をやってる人って答えたわよね。

 それって16歳の子供ができるような仕事だったかしら?」

 

「……すみません」

 

「嘘つきって、よくないわよね~~。

 ましてあなたはアイドルよぉ?

 お客さんを相手にする商売なのに私に対して嘘をね。

 うふふ。嘘。嘘をつかれちゃった。あはは……おもしろーい」

 

「は、はい。すみませ…」

 

「ふざけんじゃないわよ!!」

 

足に力が入らなくなる。なんて迫力だ。

 

「あなたねぇ。今新田家がどんな状況にあるのか知らないんでしょう!!

 知らないから変な嘘をついて遊んでいられるのよ!!

 ちょっと今から私が話すことをしっかりと聞きなさい!!」

 

ものすごい勢いでまくし立てられる。

これが広島の女の迫力? 

どうやら家では毎日親子喧嘩が発生しているらしい。

 

たまに広島弁が混じるので何を言ってるのか分からない時がある。

 

「もうね~~。家中が壊されちゃってめちゃくちゃよぉ。

 怒った美波は暴れるし、酒が入った夫も同じように暴れるわで

 壁中穴だらけ!! もうリフォームした方が良いレベルよ!!」

 

「は、はい」

 

「美波ったら先方の男性にもわざと下手な態度を取って

 嫌われようとするわでもう何が何だか分からない状態よぉ!! 

 もう一度東京に戻ってプロデューサーさんと結婚するって

 言って親の言うことは聞いてくれないの!! 最近は息子君まで

 荒れちゃって学校サボってるし、もう本当になんなのこれぇ!!」

 

公園で弟君から聞いた話と全然違う。

おそらく今母親が言っていることが本当のことなのだろう。

 

今流行のフェイクニュースってこれのこと?

そもそももっと早く気づくべきだったのかもしれない。

 

公園でゆっくり食べていたから私が弟君と連絡していたのは13時過ぎ。

高校ならとっくに午後の授業が始まってる時間だったのだ。

弟君が学校をサボってることも本当のことなのだろう。

 

 

「一度でいいからねー!! 彼の顔を見て見たいわー!!

 親としては娘が好きになった男性なのだから見る権利はあるわよね!!」

 

「そ、それは困ります」

 

「どうしてあなたが困るのかしらぁ? 

 あなたがダメなら社長さんとお話しても良いのよ」

 

「くっ……」

 

「あとで彼を広島に連れてきなさいな。

 なんだったらお金はこちらが出してあげるわ。

 もし都合がつかないのなら逆にこちらから東京に行くわ」

 

「こ、困りますって!!」

 

「だからぁ、なんであなたが困るのよー!!

 困ってるのは新田家の方だって言ってるでしょうがー!!」

 

この母親はとんでもないことを言い始めた。

 

彼に会わせてくれないのなら、

自宅を立て直す費用を346プロに請求すると言い出したのだ。

 

知り合いの弁護士にはいつでも相談できる状態であり、

仮に裁判には至らずに和解した場合でも

賠償額は最低でも2000万は覚悟しろと脅してきた。

 

これは346プロという法人に対して民事起訴するという意味らしい。

地方裁判所……? 虚偽の発言をしたことによる事務所の信用失墜……?

私は法律の知識がないので受話器を持つ手が震えてしまう。

 

 

「おい、まゆ。俺と代われ」

 

「あっ……」

 

 

彼に後ろから優しく抱かれたので、素直に受話器を渡してしまう。

だめ……プロデューサーさん。電話に出たらだめ……。

 

 

「お電話代わりました。

 僕がアイドルの新田美波さんを担当していたプロデューサーです」

 

「まあ、あなたがプロデューサーさん? 

 始めまして。美波の母です。45歳の割には声が若いのね~~」

 

「社長からどんな話を聞いているのかは知りませんが、

 僕は29歳ですよ。来年で30歳の誕生日を迎えます」

 

「えぇぇぇえええ!? 20代の方だったの!?

 全然知らなかったわぁ。社長さんから聞いた話では

 プロデューサーさんは二度も離婚していて

 連れ子が三人もいるってことになってたわよ!?

 なんか女遊びするのが趣味な人だって!!」

 

「僕は未婚ですよ。一度も結婚したことありません。

 ですから美波さんと真剣に交際をさせていただきました」

 

「あれれれれ? うちの旦那にも聞かせてあげないと。

 でもこれは、いったいどういうことなの?

 一体何が正しいことなの? うーん、頭が痛いわ……」

 

 

母親は電話口で倒れてしまったみたいで、それから音信不通となった。

彼は忘れずに固定電話の着信履歴から電話番号のメモを取ってしまう。

ああ……だめなのに……。

 

 

「まゆ。俺は美波に会いに行くよ」

 

いつのまにかイケメンに戻ってしまったプロデューサーさん。

いいえ。そんなこと、まゆがさせると思いますか?

 

これが普通の物語なら次が最終回なのでしょうけど、そうはいきませんよ。

  

 

                            続く。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

プロデューサーが美波の母親と会話したら、島村さんが自殺未遂をした。

はい。お疲れ様です。
島村さんって可愛いですよね。
別に俺は島村さんのこと嫌いじゃないですよ。
むしろ超お気に入りです。


あれからプロデューサーはまゆの家に監禁されてしまった。

 

表向きは休暇を取ったことにして、

当分の間は会社に行くことが禁止された。

 

(絶対に美波の家に顔を出してやる。そして美波ママを説得してやる)

 

(そんなことはさせませんよ)

 

言葉にはせずとも、両者の意志は明白である。

 

まゆはプロデューサーが美波のことを諦めてないだけでも

許せないのに、広島に旅立とうとするなどもってのほか。

あらゆる手段を尽くして彼の意志を粉砕しようとした。

 

 

「まゆ。今何時だ?」

 

「11時過ぎですね……夜の……。そろそろ眠くなりませんか?」

 

「寝る前に前に少し話でもしようぜ」

 

「いいですよ」

 

「戦艦大和が建造された場所って知ってるか?」

 

「呉軍港ですね。広島県にあった鎮守府の……」

 

「俺、戦艦大和が好きなんだよね」

 

「プラモデルでよろしければ、あとでアマゾンで注文してあげますね」

 

「大和の10分の1モデルが現地にあるそうだな」

 

「だからなんですか?」

 

「……明日から風呂掃除でもしようか?」

 

「家事はまゆが全部やりますから結構です」

 

「俺って本当にこの家で何もしないのにこのまま居てもいいのかな?

 こんなダメ人間を養うまゆの気持ちが俺には分からないよ」

 

「まゆとしては、まゆ以外の女の事ばかり

 考えている、プロデューサーさんの気持ちの方が分かりません」

 

「まみじまんじゅう食べたい」

 

「そうですか」

 

「いや、そうですかって」

 

「私は嫌いです。もみじまんじゅう」

 

「俺は好きなんだけどな。もみじまんじゅう。広島名物。お土産の定番」

 

「……まゆを怒らせて楽しいですか?」

 

「ごめん、嘘だ。やっぱりデートしようぜ」

 

「はい?」

 

「だから、明日デートしようぜ。もちろん都内で」

 

「……はぁ。ダメですよ。そんなこと言って途中で逃げようとするじゃないですか」

 

 

3日前の雨の日だった。プロデューサーは東京駅でショッピングするふりを

して新幹線ホーム(新幹線のぞみ)へ駆けこもうとしたので

まゆに取り押さえられた。あと一歩で本当に逃がしてしまうところだった。

 

ちょっとトイレに行ってくるなどと噓をついて新幹線チケットを購入する。

まゆの携帯を奪って美波の実家(ママ)に電話をかけようとする。

まゆを置いて走り去って人ごみに消えようとするなど彼の蛮行は続いた。

 

こうなってしまっては事務所に行けば何をするか分からないと

いうことで、しばらくまゆの部屋に監禁することに決まったのだ。

 

「今日は朝から撮影があったので疲れてるんです。

 おかしなことばかり言ってないで寝ましょう」

 

「そうか。疲れてるなら仕方ない。電気消してくれないか?」

 

ベッドにいるプロデューサーの横にまゆが寝転がる。

 

プロデューサーは別に縛られているわけではないが、

筋弛緩剤を飲まされているので赤ん坊程度の腕力しかない。

自力で歩行することすら困難だが、その分口が達者になった。

 

完全な暗闇になる。

 

プロデューサーは美波の母のことを

ずっと考えていた。美波の母が自分に会いたいと言ってくれたことが

何よりうれしかった。自分を否定していたのは新田家の総意ではなかったのだ。

 

あの強面の父親やシスコンの弟など知ったことではない。

美波を連れ出して逃げてしまえばいいのだ。

好きでもない男達とお見合いさせられているのだから、美波だって被害者だ。

 

(この人は、どうしてこんなにも美波さんを愛しているの)

 

疲労とストレスの狭間でもやもやしていた佐久間まゆ。

彼の美波への愛はアイドル達が思っている以上に強かった。

 

ただの吊り橋効果に過ぎないはずの感情が、

まるで真実の愛だったかのように錯覚してしまう。

 

まゆの存在を根本から否定するに等しいその事実を、

絶対に認めるわけにはいかなかった。

 

「なあ、まだ起きてるか?」

 

「あと少しで寝れるところでした……。なんですか?」

 

「まゆは十分に魅力のある女の子だと思うんだ。

 歌もダンスもうまいし勉強も平均以上、家事もできて生活力も高い」

 

「それはありがとうございます」

 

「だからさ、まゆにも素敵な男性がいずれ見つかるよ」

 

「それって遠回しにまゆを振ってますよね」

 

「まゆだけじゃなくて智絵理や加蓮もそうだ。

 みんな一人の女の子としてすごく魅力的だよ」

 

「……プロデューサーさん、早く寝てください。まゆは明日も早いんですよ」

 

「俺は昼夜逆転して夜寝れなくなっちまったんだよ」

 

「睡眠薬の錠剤の予備、まだあったかしら」

 

「まあまあ。ちょっと待ってくれないか?

 薬の飲み過ぎで副作用とかヤバそうだから遠慮したいんだ」

 

「でしたら、たとえ寝れなくても静かにしててください。

 あんまり聞き分けが悪いと、まゆも本気で怒りますよ?」

 

「……分かったよ。ごめん」

 

プロデューサーはそれきり良い子になったが、今度はすすり泣く声が

うるさくてまゆには不快だった。まゆには彼が演技をしていることは

とっくに見抜いていたが、あえて何も言わなかった。

 

おそらく、わざとまゆに嫌われることで興味を削ごうとしているの

だろうと思った。もちろんその手に乗るつもりはないが。

 

こうなったら根競べだ。

 

 

夜が明けた。まゆは5時半に起床し、朝ご飯の支度をしようとして

玄関が開け放たれていることに気づいた。

 

「あれ?」

 

としか言えない。

 

まゆはさっきトイレに入ってから出てきた。

その間にプロデューサーが脱走してしまったのだ。

つい先ほどまでベッドで爆睡していたはずの彼が。

 

確かに筋弛緩剤の効果が切れるであろう時間帯ではある。

しかし、それにしても彼の態度はひどすぎた。

何をどうやっても、まゆを拒絶しようとする。

 

まゆの彼に対する愛は、一ミリでも彼に届いたことはない。

乱暴者の美波は何もしてないのに彼からあんなにも愛されているのに。

16歳の少女にそんな不公平が許せるはずがなかった。

 

 

「たとえ何回逃がしたとしても諦めないから!!」

 

すぐに島村さんを始めとした仲間たちに通報する。

 

346プロ総出で彼の捜索が開始された。

 

彼はその日の夕方の内に病院の廊下に潜んでいるところを

美優によって発見された。かつて自分自身が入院していた病院だ。

それはいいのだが、問題は彼が見慣れないガラケーを手にしていたことだった。

 

情け容赦のないビンタを食らった。

まゆが始めて彼に対して振るう暴力。

まゆは怒りと悲しみで涙目になり指先まで震えていた。

 

「ふ……。好きなだけ殴るといいさ。俺は目的を果たしたからな」

 

「まさかその古いデザインの携帯は」

 

「美優が俺に渡してくれたガラケーだよ。美優専用ダイヤルみたいな

 こと言っていたが、これ良く見たら市販の携帯じゃねえか。

 普通に美波の家に電話できたから向こうのママとたっぷり会話したぜ。

 ついでに携帯の番号も教えてもらったぞ」

 

まゆはまずプロデューサーをビンタし、次に美優を往復ビンタした。

 

その鬼気迫る迫力に対し未亡人ルックの美優は「ごめんなさい……」

と頬を抑えて言う。その姿は美しくまさに女優だった。

 

入院病棟の落とし物箱に例のガラケーが入っていたのを

プロデューサーは目ざとく発見したのだという。

そのため美優の失態だとされたのだ。

 

「まゆの目を盗んで随分と勝手な真似をしてくれましたね。

 プロデューサーさんにはお仕置きが必要みたいですねぇ?」

 

「まあまあ。その前に聞いてくれよ。美波ママってすごく明るくて

 楽しい人でびっくりしたよ。俺のこともすごく気に入ってくれてな。

 ぜひ広島に遊びに着て頂戴って言われちゃったよ。あはははは」

 

「あはは……」

 

「はははは!!」

 

「ははは……楽しいですか?」

 

「うん。すげー楽しい」

 

「プロデューサーさんは何時か本当に刺されると思いますよ。

 ご自分が何人ものアイドルに愛されていることをそろそろ自覚してほしいです」

 

「この手錠、外してくれよ」

 

「それは無理です」

 

「頼むよ」

 

「脱走したのが悪いんでしょ」

 

「まゆっ!! 俺を美波ママに会わせろよ!!」

 

「……ダメです。絶対に会わせてあげませんからね」

 

「俺を広島に行かせろって言ってんだよ!!」

 

「静かにしてください。あまり騒ぐとみんなに見られますよ」

 

ここは病院の大きな駐車場の一角だった。

こんなところで修羅場をしているのも彼らくらいだろう。

 

「おい美優。おまえでいいや。これ外してくれ」

 

「それはちょっと……」

 

美優さんは視線をそらした。まゆの許可なく手錠を外すなど自殺行為だ。

 

「あの、さっきからママ、ママって。プロデューサーさんって

 もしかして年上の方が好きだったりするんですか?」と美優の問い。

 

「え? そうだよ。知らなかったのか?」

 

まゆが思わず目を見開いた。美優も絶句している。

 

「あ、言っておくけど熟女好きってわけじゃないぞ?

 ただ職場環境が10代の女子に囲まれてるわけで

 なんとなく年上に癒されたいな~とは前から思ってたんだ。

 美波ママって最高だよな。俺の写真を見てイケメンだって言ってくれるんだぜ。

 それになんか口調も金持ちっぽくて品があるしよ。娘との恋愛も全然お……」

 

「はいはい!! それは良かったですねぇ!!」

 

まゆの本気の怒声だった。

声だけは可愛いものだが、表情がヤバい。

プロデューサーはその迫力に命の危険さえ感じてしまう。

 

「なるほど。よく分かりました。プロデューサーさんは母性に飢えていたのですね。

 まゆ達に冷たい態度を取っていたのは年下が相手だったからなんですね」

 

「何言ってんだ? 美波は俺より10歳も下なんだぞ」

 

「……」

 

「そう怒るなよ。今のお前の顔、アイドルじゃなくなってるぞ?」

 

「あなたがそうさせたんじゃないですか」

 

「おい。それよりなんか来たぞ」

 

遠くからこちらへ走ってくるアイドルがいた。

お尻が大きくて笑顔が素敵なアイドルの島村さんだった。

 

今さら説明するまでもないが、彼女もまたプロデューサーを

病的に愛している女の子の一人、ヤンデレラガールである。

 

息を切らせる島村さんに美優さんが事情を話すと

「えっ……」と本気でショックを受けていた。

 

 

「プロデューサーさんは、おばさんが好きだったんですか?」

 

「そうなのか? 美優?」

 

「……いや、あなたに聞いてるんだと思いますけど」

 

「じゃあ俺が答えるか。結論は、そうだ」

 

「えええええ!! じゃあ今度は美波さんじゃなくて

 美波さんのお母さんに興味を持ったってことなんですか!!」

 

「まあそんなところだな。どっちかって言うと

 向こうが俺に興味津々みたいな感じだぞ。

 あとで美味しいものでも食べに行きましょうって約束しちゃった」

 

「そ、そんな……もうデートの約束まで!? 相手は人妻なんですよ!?」

 

「人聞き悪いこと言うな。そこは婚約者の母親って言うべきだろ」

 

「プロデューサーさんはどうかしてますよ!!」

 

「それよりこの手錠外してくれないか。島村さん」

 

「島村さん!? 名字で呼ばないでください!!」

 

「ごめんな卯月。俺は本当は卯月のことが好きだから」

 

「ほえ? 今なんて言いました?」

 

「悪い悪い。俺ってマジで卯月の事、好きなんだよ」

 

「ほ、本当ですか?」

 

「バーー-カ。嘘だよ。島村さん」

 

「あー-!! また名字で呼んだぁ!!」

 

「悪いな島村さん。次からは気を付ける」

 

「また言ってるそばから……もう怒りました。

 私が本気で怒ったらどうなるか分からせてあげますよ」

 

卯月ちゃんは駆けだした。陸上選手のように元気いっぱいだ。

 

何を言ってるのだ?とプロデューサーは

不思議に思いながらまゆの家に連行された。

島村嬢が自殺未遂をした話を聞いたのは、その日の深夜だった。

  



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

卯月ちゃんが本格的に病んでしまった。

はい。タイトルの通りです。卯月ファンの人、さーせん。


「これはどういうことなんだね。プロデューサー君!!」

 

社長が怒る。それもそのはず。当事務所の看板アイドルの

島村卯月さんが自宅のお風呂場で自殺未遂をしたのだ。

 

手首を切って大量出血し、気を失いかけているところを

母親に発見されて大惨事となった。

 

本人は「プロデューサーさんにひどいことを言われたから」と言い張る。

 

間違ってはいない。しかし詳しい事情を知らない島村家の

人間からはプロデューサーが悪だと断定されて

会社に苦情の電話が来た。苦情で済む問題なのか。

 

「島村君はしばらく活動休止にせざるを得ない!!

 痴話げんかが原因でこうなるとは、なんて様だ!!

 マスコミその他への情報操作にも限界があるのだよ!!

 同志プロデューサーよ。君はひとまず減給処分とする!!」

 

減給の対象となる給料がそもそも発生してないことを忘れてないだろうか。

彼は芸能事務所でホストもどきのボランティアをやっているのである。

 

「あーあー。ついにやっちゃったよ」

 

ちひろが土下座するプロデューサーを見下した。

 

「バカ者が」

 

常務は鼻を鳴らして会議室から速足で去っていく。

仕事が立て込んでいるので彼を相手にしている暇がないようだ。

 

社長も肩を怒らせて去っていく。

責任を取る立場の人間はこれからが一番大変なのだ。

ちひろも続いてドアを開ける。

 

残されたのは佐久間まゆ。

プロデューサーにピンクのリボン柄のハンカチを差し出した。

 

「涙を拭いてください。プロデューサーさん。

 卯月ちゃんは死んだわけじゃないんですから」

 

「え? 嘘泣きだよ。俺が本当に泣くわけないだろ」

 

「……」

 

「怒るなって。俺だって悪いとは思っているよ。

 卯月の好意には気づいていながら、わざと冷たくしてたんだからな。

 割とマジでいつかこうなるかなって思ってた」

 

「淡々と言ってますけど、本当にそう思ってますか?

 もしかして美波さん以外は何人死んでも

 構わないと思ってたりしませんか?」

 

「俺は自分が担当したアイドルのみんなに幸せになってもらいたい

 とは思っているよ。みんなに魅力があるって言ったのも本当だ。

 だからこそ、俺なんかに執着するなんて時間がもったいないって。

 美波の縁談相手を知った時も、実はその方があの子の幸せになるのなら

 仕方ないんだなって諦めの意味もあって大泣きしてたんだぞ」

 

「どこまで信じたらいいのか分かりかねますけど、

 プロデューサーさんは根が善人で優しい人だとまゆは思ってます」

 

「実は俺、この事務所に最初に配属になった時、まゆに一目惚れしてた」

 

「え。……はっ、ええっ!?」

 

「よーし。今から卯月のメンタルケアをしに行くか。

 家庭訪問すっか。家庭訪問」

 

「それよりさっき言ったことは本当ですか!?」

 

「俺なんか言ったか? 忘れちまったな。はは」

 

「ちょ、ちょっとぉお!!」

 

めずらしくまゆが動揺する側になっていた。

 

プロデューサーは掴みどころのない性格をしていて、

たまにぽろっと本音が出ることがあるのだ。

 

 

そんなこんなでプロデューサーは島村家にやって来た。まゆと共に。

 

昼間なら怖い父はいないだろうと思っていたら普通にいた。

 

「今さらどの面を下げて娘に会いに来たのだ貴様は」

 

父親は柔道家だった。一本背負いされたプロデューサーは

背中から地面に落下し骨が折れそうになるが、なんとか耐える。

 

まゆに普段から筋弛緩剤や睡眠薬を飲まされた影響により

思うように力が出ない。しかしながら前世がオランウータンのために

プロデューサーも強く、なかなか父親との決着はつかなかった。

 

やがて1時間も戦い続けると、歳の影響からか父親が

体力の消耗により大往生する。これで卯月の部屋への扉が開かれた。

 

「娘の部屋まで案内しますね」

 

と母者に笑顔で言われ、プロデューサーが恐縮する。まゆも頭を深く下げた。

 

 

「う、卯月……おまえ。本当に卯月なのか?」

 

廃人となった卯月が、ベッドに座りボーっと前を見ている。

 

もう昼過ぎなのに髪の毛は寝起きの状態でボサボサだし、

目が死んでいて覇気がない。血の気がなく肌が青白い。

近くによると、なぜか生臭い匂いがした。

 

 

「おい!! 俺の声が聞こえるか!!」

 

「……はい……プロリューサー さん……」

 

声が小さくて聞き取りにくい。ロレツも怪しかった。

左の手首には包帯がぐるぐる巻きになっている。

 

「この子は」

 

と母親。

 

「昨夜からプロデューサーさんに捨てられた、

 捨てられたって言って泣き続けたんです。夜遅くに

 お風呂に入ったかと思ったら血だらけで湯船に浮いてました。

 これはどういうことなのか、納得のいく説明をしてくれませんか?」

 

プロデューサーは腕を握られて骨が折れそうになる。

娘を大切に思う母親なら当然と言えるだろう。

年の割には美人だったからPの好みだったのだが、今はそれどころではない。

 

「卯月さんは、俺が会社を辞めてから情緒不安定になってたみたいですね……」

 

プロデューサーはそれらしい理由を付けて誤魔化した。

卯月にとって仕事上のパートナーがいなくなったので

悩むことが多くなり、現代人風の鬱を発症したことにしておいた。

まゆもそれらしい理由を話してくれたので母親は引いてくれた。

 

1階の客間で母親を説得してたら夕方になってしまった。

お茶は三杯もお代わりした。

 

「そろそろ帰りますね」

 

とプロデューサーが言うが、2階の卯月の部屋から悲鳴が聞こえる。

 

「やっぱり……ダメなのね」

 

「ダメとは?」

 

「あの子はプロデューサーさんがそばにいてくれないと

 さみしくて発狂してしまうみたいなの。

 あなたには責任取って卯月のそばにいてほしいのだけど?」

 

「まさか泊まれってことを言ってます?」

 

「むしろ娘の病気が治るまで看病をしてほしいものだわ」

 

「さすがに話が急すぎませんか?」

 

「あなたが卯月の看病をするようにって

 そちらの社長さんからも電話があったのよ。

 会社命令らしいわよ。断ったら首になるそうだけど?」

 

「わ、分かりました。泊まり込みということでしたら、

 今日からお世話になります。あの、ところで泊まる部屋などは?」

 

「空いてる部屋があるから大丈夫よ。

 最悪リビングのソファで寝なさい。

 あなたは文句言える立場じゃなものね?」

 

「はい。色々とすみません」

 

(これって俺のせいなのか?)とプロデューサーが多少の怒りを覚える。

 

 

「卯月ちゃんのお母様。まゆも一緒に看病がしたいのですが」

 

「まゆちゃんみたいに可愛い子がプロデューサーさんの

 彼女面してたら、たぶん逆効果だと思うわ」

 

「そ、そんな……それじゃあ日中はプロデューサーさんと

 卯月ちゃんは二人っきりになってしまいます」

 

「むしろ二人っきりになってもらわないとこっちは困るのよ」

 

しかしそれでもまゆは引かず、しばらく口論した末に諦めて帰って行った。

 

 

プロデューサーは行きたくもなかったが卯月の部屋を開ける。

 

「待ってましたよ。プロデューサーさん」

 

プロデューサーは、包丁による一撃を紙一重でかわした。

 

「あれ~? おかしいなぁ。

 確実に殺すつもりでやったのに避けられちゃった」

 

「お、おまっ、なんで包丁を振り回してんだ!?」

 

続けて二度三度と卯月嬢が包丁を振るうが、そこはさすがプロデューサー。

 

ひらりひらりとかわし続ける。切っ先により前髪の毛先が何本か

床に落ちるが、身体を切られることはなかった。

 

そんなことを10分も続けていると、先に卯月の息が上がってしまう。

 

「はぁはぁ……。どうしてそんなに動きが早いんですか。

 ちゃんと殺されてくださいよぉ」

 

「殺すだと? お前まさか俺を本気で殺したいと思ってるのか?」

 

「はい」

 

「なぜだ……俺、お前に何かしたか?」

 

「何かしたかって……どこから突っ込めばいいですかそれ。

 ちなみにですけど、昨日の自殺未遂は演技です」

 

「演技だと!?」

 

「プロデューサーさんをこの家におびき寄せるためのエサです。

 ……すみません。半分は嘘なんです。

 ぶっちゃけあの時は本当に死のうと思いましたけど、やっぱり

 私だけが死んじゃうのは少し違うなって思ったんです。どうせなら

 プロデューサーさんを殺してから一緒に死んだほうがいいなって」

 

足を踏み込む卯月。しかし……!!

今度は逆にプロデューサーが襲い掛かってきた。

 

「ぐは!?」

 

腹パンだった。

かつての担当アイドルのお腹に簡単に拳がめり込む。

 

卯月は呼吸が困難になり包丁を落としてしまう。

プロデューサーはそれを拾って窓の外へ投げ捨てた。

 

「俺は死ねないよ。美波のママに会うまではな」

 

「何カッコつけた言い方してるんですか。

 その言い方、すごくムカつきます」

 

「いいか島村さん? 俺はお前なんかにかまってる暇はねえって

 俺が現役だった頃から何度も言ってるだろ。

 美波の事だけじゃねえ。なんか美優さんも俺の子を身ごもったとか

 言ってるから後始末が大変なんだよ。あとで慰謝料用意しないといけないだろ?」

 

「慰謝料なんて私には関係ありませんよ!! くっだらない!!

 いつもいつも他の女の話ばっかりして!! それにまた私を名字で呼んだ!!」 

 

「それだけ元気ならもう大丈夫そうだな。

 しまむー……卯月のママには俺から話しておくから、

 今日はまゆの家に帰らせてくれよ。まゆも俺の事心配してるだろうしな」

 

「うぐぐぐ……!! 絶対に帰らせませんよ。

 これはさっきの腹パンの恨みです!!」

 

卯月ちゃんはクマのように両手を上げて襲い掛かって来た。

プロデューサーは彼女の両の手首をつかみ、しばらくそのまま

押したり押されたりをしていたが、やがて力の差を感じて卯月が観念する。

 

プロデューサーは疲れたので帰ることにした。

 

「はぁ……」

 

ため息をついて扉のドアノブに手を伸ばした時。

 

 

「油断しましたね?」

 

「ぐっ……?」

 

 

プロデューサーの脇腹には包丁がしっかりと刺さっていた。

 

あれほど大切だと思いながらも時々腹が立つアイドルに、

ついに刺されてしまったのだ。冷たい金属が肉の裂け目を作り、

冷たさの中にもドクドクと血液があふれ出る感触がなんとも気持ちが悪い。

 

 

(こんな思いは……二度としたくないもんだ)

 

 

力なく倒れたプロデューサーに対し、馬乗りになった卯月嬢が包丁で刺す。

刺す。刺す。刺す。刺しつくす。さらにとどめの一撃を

振り下ろそうとしたとき、プロデューサーはすでに息絶えていた。

 

 

「あれ?」

 

包丁が手の平から落ちた時、卯月は泣いていることに気づいた。

 

(私はこんなこと、したいわけじゃなかったのに……)

 

 

脳裏を駆け巡る走馬灯。

彼に街中でスカウトされた時から、一緒に頑張って

アイドル活動をしていた時の記憶が猛烈な勢いで再生される。

 

 

血塗られた手で、プロデューサーの長い前髪に触れた時、

彼の唇がわずかに動く。

 

『ごめんね。最後まで君に気持ちに答えてあげられなくてごめんね』

 

そう言ってる気がした。

 

卯月は彼の亡骸を抱きながら、夜が明けるまで泣き続けた。

 

 

 

 

 『アイドル達の重い愛から逃げるプロデューサー』 完(嘘)

 

 

  

  次回は例によってプロデューサーが卯月さんと

 パーフェクト・コミュニケーションをした設定にして続けます(∩´∀`)∩



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

プロデューサーがホストになったらどうなるのか?

読者諸兄。今日もお疲れでーす。

ジャニーズやホストにはまる女性の特徴。
『男のためには金に糸目をつけない』

俺の親族にもそんな女の子がいて少し困ってます(笑)


「死ねええええええええええええ!!」

 

「卯月」

 

「えっ!?」

 

「もう……その辺にしておこうぜ」

 

プロデューサーが妙にイケメンの顔でそう言いながら

卯月から取り上げた包丁を窓から捨てる。

 

ついでに彼女を抱きしめたら、どういうわけか

背中にも予備の包丁を隠し持っていたのでそれも投げ捨てる。

 

卯月がなおも抵抗しようとしたが、逆に落ち着いた口調でこう話した。

 

「卯月。今から俺の話をよく聞いてくれないか」

 

「え? 今さら話ってなんですか!!」

 

「卯月。頼む。大切な事なんだ。聞いてくれ」

 

「え、あ、はい」

 

真剣な顔でしかも耳元で卯月と呼ばれると

彼女はおとなしくなるのをプロデューサーは知っていた。

 

それからプロデューサーは「今まで冷たい態度を取ってごめんな?」

と言って隣同士でベッドで座った。膝の上で両手を握りながら。

 

プロデューサーはそれから2時間近くも話し続けた。

 

内容は別に大したことない。ただの思い出話だ。

スカウトしてからのこと。初めてライブに出演した時の事。

休日に喫茶店や映画館に行ったこと。

 

話の最中なのに、たまにプロデューサーが調子に乗って

卯月の胸を触ったりしたが、卯月はプロデューサーが

こんなに真摯な態度をしてくれた喜びから気にもしなかった。

 

「卯月が自殺未遂をしたって聞いた時、俺はなんて馬鹿なことを

 してたんだって思ったよ。自分をぶん殴ってやりたかった。

 俺は自分の罪をつぐなわないといけない。そう思ったんだ。

 こんな俺で良かったら、これからも卯月のそばに居させてくれないか」

 

「調子の良いこと言って……。どうせ私を

 自殺させないために今思い付いた嘘なんでしょう」

 

「卯月。愛してる」

 

「な……。そ、そんな言葉に騙されませんからね」

 

「卯月。俺の目を見てくれないか?」

 

「は、はい」

 

「お前のことを、心から愛してる」

 

「うっ」

 

「大好きだ。卯月」

 

「……たとえ嘘だと分かっていても嬉しくなっちゃいます。

 プロデューサーさんは女の子の扱い方がうま…」

 

全部言い終わる前にキスをして黙らせた。

 

そしてもう一度、耳元で愛をささやくと、

さすがの卯月嬢も耳まで真っ赤になってしまう。

 

(そういえば……前に病室で美波のことを誰よりも

 大切だと思ってるって言った時も、美波はこんな反応していたな)

 

(まるで魔法の言葉。女の子が大好きな人に一番言って欲しい言葉)

 

(卯月はすごく美少女だし、実は俺の好みだから全部が嘘なわけじゃない)

 

(こんな感じで彼と二人きりの時って今まで全然なかったなぁ)

 

ふたりは無言で抱き合う。

 

時はゆっくりと過ぎるのに、互いの心臓の鼓動だけが早まる。

 

「俺の気持ちは伝えたよ。次は卯月の気持ちを聞かせてくれないか?」

 

「わ、私は……。そんなの聞かなくても分かってるくせに」

 

「ちゃんと口にして言ってくれよ」

 

「好きです……。愛してます」

 

「俺も愛してるよ」

 

そしてキスをした。

 

プロデューサーが卯月の胸に再び手を置くと、今度は

卯月ちゃんの方がブラを外して生で触らせてくれた。

 

そのままの流れで二人は最後まで頑張ってしまい、

時計を見たら深夜の1時過ぎになっていた。

 

プロデューサーの横には安らかな顔で卯月嬢が寝息を立てている。

どうみても自殺未遂をしそうな顔ではない。

睡眠不足のためにクマがすごいので

朝まで熟睡したとしても、まだまだ寝足りなそうだ。

 

(これで本当に良かったんだろうか)

 

冷静に考えたら、担当アイドルと寝てる時点で首になるはずだ。

しかし彼女の自殺未遂を防ぐことは社長命令でもあり、

これは仕方なかったことだと言えるだろう。

 

(問題はまゆだ。この件をどう説明する?

 どうせ隠してもいつかばれるだろうしな)

 

彼はその後も卯月と身体の関係を持ち続けた。

 

親公認で島村家に居候をしたので仕事には行ってない。

彼がそばを離れてしまうと卯月が発狂しかねないので

外に出るに出れなかったのだ。

 

たまにまゆが玄関のチャイムを鳴らすことがあるが、

怖い顔をした卯月の母が追い返していた。

まゆはなぜか卯月の母親に対しては強く出れなかった。

 

そんな生活を1週間も続けると、みるみるうちに卯月は元気になり、

いつかの笑顔が戻るようになった。やはりアイドルは笑顔が一番。

卯月は自分には個性がないと自嘲することもあるが、

芸能人にとって笑顔が似合うのは十分な美徳だ。

 

 

「今日から職場に復帰だな」

 

「はい♪ 今日から島村卯月はお仕事を頑張ります!!」

 

 

二人が仲睦まじく手を繋いで事務所に出勤するものだから、

朝一で空気が最悪になってしまう。

 

社長は気持ち悪いくらいにニコニコしていたが、

ちひろは、いつものように見下した態度で溜息を吐く。

 

加蓮、まゆ、智絵理の瞳が輝きを失ういつもの展開。

 

プロデューサーはいつ後ろから刺されてもおかしくないが、

島村さん自身の身の安全もまた保障されない事態となっている。

 

(うっ?)

 

プロデューサーは、背中に冷たい感触を感じたので振り返った。

何か触れたのかと思ったが、実際はただの冷たい視線が原因だった。

 

その視線の主は、三船美優。20代後半の未亡人アイドルとして

定評のある彼女の瞳はこう告げていた。あなたを決して逃がさないと。

 

「あ、あの。美優さん……?」

 

「……あとで大切なお話がありますから」

 

それだけ言ってひとりで現場へ向かってしまった。

 

彼の腕にしがみつく卯月嬢は「あんなの相手にしちゃダメですよ」

とヤンデレの瞳で言う。プロデューサーは彼女の頭をなでながら笑顔で頷いた。

 

彼が夕方まで加蓮やまゆの話し相手になっている時だった。

 

ちひろから「私今日残業だから、コンビニで夜食でも買って来てくれる?」

と命令され、しぶしぶコンビニまで行くことにした。

 

その際に「おい。金は?」と訊いたら「は? なにが?」と言われた。

つまり人をパシリにしておきながら金を払う気がないらしい。

 

まゆと加蓮が、どちらがプロデューサーに付き添うかで

言い争いを始め、ついにはつかみ合いの喧嘩になった。

そこで漁夫の利を取った智絵理が付き添ってくれた。

 

「お金なら私が全部払ってあげますから。あ、気にしないだくださいね。

 私はこれでもそれなりに稼ぎはあります。プロデューサーさんは

 私のことをもっともっと頼ってくれていいんですよ」

 

「すまないな。俺はまゆにお金を管理されてるから

 常に小銭入れの中に700円しか入ってないんだ」

 

ちなみに彼は預金通帳だけでなく運転免許証やら保険証やらも

全て没収されていた。この時点で身分を証明する手段すらない不審者である。

 

コンビニに入り、

 

「しゃーせー」

 

と店員に挨拶され、キャッシュレスで会計を終えて

 

「あざーっす」

 

と背中に声をかけられる。いつもの日常だ。

 

 

「ちひろの奴め、適当にコンビニ弁当と奴の好きそうなお菓子を

 買ってやったが、まさか文句言ったりしねえだろうな?

 だいたい人をパシリに使うなら何を買うかくらいちゃんと言えよ。

 てめえの好みまでこっちが把握してねえといけねえのか?

 マジで死んじまえよ」

 

「ちひろさんも事務の仕事が多くてストレスが溜まっているんです。

 そんなに彼女を責めてあげないでください」

 

「そうは言ってもよぉ……さすがに限度があるだろ。

 俺だって疲れてるのは同じ……って? あれ?」

 

「どうかしましたか?」

 

「むしろ君がどうした?

 俺はさっきまで智絵理と一緒に歩いているはずだったんだが」

 

「何を言っているんですか? 最初からプロデューサーさんは

 私と一緒にコンビニでお買い物していましたよ」

 

「……おかしいな。俺は若年性の認知症だったのか?

 緒方智恵理と三船美優の違いも分からなくなったんじゃ

 病院に行った方が良いかもしれないな」

 

「うふふ……何を言ってるんですか。

 今日のプロデューサーさんは少し面白いです」

 

道端に頭から血を流して倒れてる智絵理が見えたが

気のせいだと思いたい。おそらく美優に襲撃されたのだろう。

 

(こいつ……ついに同僚に対して実力行使に出やがったか。

 俺の子を身ごもってから行動が積極的になったな)

 

 

「前からあなたに訊こうと思ってたんですけど」

 

「はい」

 

「式は」

 

「ん?」

 

「式はいつにしますか」

 

 

プロデューサーは、直感で理解していた。

ここで美優を怒らせるようなことがあれば刺される。

あの夜の卯月のように。

 

 

「その前に、俺からも君に話があるんだ」

 

「話……ですか? まさか不愉快な話じゃないですよね?」

 

「そう怖い顔するなよ。俺が大好きな美優にそんなこと言うわけないだろ?」

 

 

美優さんは、思わず歩みを止めて彼の顔をしっかりと見た。

 

プロデューサーは、あえて間を作って何も言わない。

 

 

「あの……今言ったことは本当ですか?」

 

「今言ったことって何のことだい?」

 

「だ、大好きな美優って……」

 

「何言ってるんだ? 俺は美優のことを愛してるんだから

 当然じゃないか。素直に自分の気持ちを伝えただけなんだが」

 

 

横断歩道の前で二人は立ち止まっていた。

信号が青になり、通行人たちの邪魔になりながらも

ふたりはずっと立っていた。二人の間で時間の流れが止まっていたのだ。

 

 

「少し胸がドキドキしましたけど、きっと嘘ですよね。 

 プロデューサーさんが卯月ちゃん相手に同じ言葉を

 何度も何度も聞かせてあげていたのを知っているんですよ?」

 

まゆが島村家に仕掛けた盗聴器で知ったのだと言う。

 

普通に考えたらこの時点でホストプレイは完全に失敗しているが、

ここで簡単に諦めるようでは346プロのプロデューサーは勤まらない。

 

 

「俺は美優のことを愛してる」

 

「そんな……」

 

「俺はやっぱり好きなんだよ。君の事が」

 

「やめてくださいっ……!! 

 そんなうわべだけの言葉、聞きたくないです!!」

 

「美優……」

 

「どうせ私の事なんて、しつこくてうざったい女だと

 思ってるんでしょう!! そうやってめんどくさい時は

 適当に甘い言葉をかけてあげれば、なんとかなるって、

 そう思ってるんですよね!! あんまり私を甘く見ないでください!!」

 

「違うんだよ。美優。俺の話を聞いてくれ」

 

「あ、あなたの子供だって授かったのに……それでも

 私のことは捨てちゃうんですよね……。そうですよね。

 こんな年増の女のより卯月ちゃん達の方が若くて魅力的ですよね。

 ふふ。期待するだけ無駄か。初めから分かっていましたよ……」

 

「美優!!」

 

「あっ……」

 

思わずビンタした。彼女の頬から流れている涙は、悲しみの涙だ。

 

 

「よく考えて見てくれ。俺は君に対して一度も返事をしてなかったじゃないか。

 子供を産むなとも言ってないぞ。むしろ生んでくれよ。

 俺と美優の愛の結晶なんだからさ」

 

「どうして急に意見が変わったんですか……?」

 

「やっぱり俺は君のことが好きだからだよ。

 俺にとって三船美優は、単なる仕事の関係じゃなくて

 かげがえのない、大切な存在だと思っている。

 君と出会えた縁を、これからも大事にしたいと思っているんだ」

 

「う、嘘よぉ!! 私は子供じゃないから騙されないわ。

 他の女の子にも絶対に同じこと言ってるくせに……」

 

「美優は俺の話を信じてくれないのか?」

 

「信じられるわけ……ない……」

 

「そっか。残念だよ」

 

「プロデューサーさん?」

 

「俺は素直に美優に気持ちを伝えたのに嘘つき呼ばわりされてしまった。

 大好きな女性にそんなことを言われたので男心が傷付いてしまったよ。

 俺は君に振られたってことで、もう君には関わらないようにするよ」

 

「ちょ……どうしてそうなるんですか。

 私はプロデューサーさんに冷たくされると、

 おかしくなっちゃうって知っててそんなことを言うなんて……いじわるです」

 

「じゃあさ、美優の返事を聞かせてくれよ」

 

「私の返事ですか? さっきのプロデューサーさんの告白に対する返事を?」

 

「ああ」

 

「……ここで言うのはちょっと恥ずかしいです」

 

夕方の5時過ぎ。帰宅ラッシュの時間が迫るが、

今は学生と主婦の方が多い。

アイドルとプロデューサーの関係でありながら

往来の激しい交差点でメロドラマを展開する彼らは超人である。

 

「じゃあホテル行こうぜ」

 

「え……」

 

「あっ。ダメだよね。ごめんな。変なこと言って」

 

「い、いええ。全然。そんなことありません。今すぐ行きましょうか」

 

 

ラブホに入ってから、プロデューサーは美優を力づくでベッドに押し倒し、

彼女が飽きるまでキスをしてあげた。大きな胸もたくさん揉んだ。

 

美優が「シャワーを浴びてからにしませんか?」と言うので

一度冷静になるが、その後は激しかった。彼らは大人なので

言葉遊びをするよりも、まず行為をすることでお互いの気持ちを再確認していた。

 

美優は今までにないほどに敏感になっており、

プロデューサーに愛撫され挿入されるたびに身体を激しく

乱しながら「愛してますっ……」と何度も口にした。

 

身体の肉付きが良く美しい美優は、ベッドの上では素直な女だった。

プロデューサーのアソコを子供のように美味しそうにペロペロと舐め、

少しでも彼が気持ちよくなれるように奉仕をしてくれた。

 

プロデューサー以外の男性にはここまでしないと、彼女の態度が

そう語っていた。本当にプロデューサー以外の男には決して

魅力を感じることがないのだ。

 

 

事後。彼女をベッドで腕枕をしてあげた。

 

「今日はありがとう美優。愛してるよ」

 

と心を込めて言うと、美優が思わずにやけてしまう。

 

「うふふ。私も愛してますよ。あなた」

 

と笑いながら静かに目を閉じて眠りについた。

 

プロデューサーは、テーブルに置いたコンビニ弁当を

どうするかなと思いながら、彼もまた寝てしまうのだった。

明日になればちひろに罵倒されるのだろうが、今はもうどうでもいい。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ホストなP。略してホスデューサー。智絵理を口説く。

諸君!! ヤンデレ智絵理の攻略の仕方が分かったぞ(∩´∀`)∩


美優との夜を過ごした後、次の日に何気ない顔で出勤した

プロデューサーを待っていたもの。

 

「ちょっとクソ野郎君。昨日私が頼んでいた夜食はどうなったのよ」

 

それは事務員ちっひの罵倒。そして投げつけられた空のペットボトルだった。

プロデューサーは、せめてもの詫びとしてロッテのチョコパイを

差し出したのだが、ゴミ箱に捨てられてしまう。

 

いよいよこの事務員の態度に我慢らならなくなり、

 

「てめえ!! 食べ物を粗末にするんじゃねえよ!!

 戦火の中苦しむウクライナ人の気持ちがお前にはわからねえのか!!」

 

「は? 何か言った? 私これでもちゃんと寄付とかしてるから。

 あんたにお菓子もらいたくないから捨てただけですけど?」

 

ふたりは五分以上も口論したが、やがてプロデューサーは

深いため息をついてトイレへと消えた。トイレから出ると、

そこには怒った顔の智絵理ちゃんが待っていた。

 

彼女は、まずこう言った。

 

「プロデューサーさん。昨夜はお楽しみでしたね?」

 

相変わらず見た目は中学生にしか見えないが

実際は16歳の少女であり、響子より年上だ。

 

決してあなどってはいけなかった。

 

彼女もまた、プロデューサーを愛するあまり瞳が濁ってしまったアイドル。

ホテルでの過ちさえ彼女はしっかりと把握していると主張したのだ。

 

 

「今から会議室に来い」

 

「なんでですか」

 

「いいから来いよ」

 

「でも私、今日はこのあと雑誌の取材が……」

 

「いいから来いっつてんだよ!!」

 

 

プロデューサーは犯罪者の自覚を持ちながら

彼女の手を強く引き、会議室の扉を閉めた。

なぜ智絵理に対して強くでると犯罪っぽくなるのか。

 

 

「なあ智絵理」

 

「……なんですか。今日のプロデューサーさんは

 人が変わったみたいでちょっと怖いです」

 

「お前はこの後雑誌の取材だったのか。どこのクソ出版社なのか

 俺には興味すらないが、手早く話を終わらせてやるから安心しろ」

 

プロデューサーは息を強く吸った。

 

「お前は俺が美優とイチャイチャしてたことに嫉妬してるんだろうが、

 そんなことはお前には関係ないことだ。

 だから俺はお前に話すことは何もない。なぜだか分かるか?」

 

「ぜんぜん……分かりませんけど。そうですか。

 プロデューサーさんは担当アイドルの一人と仕事中にホテルで

 寝てたことを認めちゃんですね。私、今すぐちひろさんに伝えて……」

 

「好きにしろよ」

 

「え?」

 

「好きにしろって言ったんだ。その代わり、俺はお前には

 二度と話し掛けないことにする。もちろんお前から声をかけられても

 一切相手にするつもりはない。お前と俺は、今この瞬間から赤の他人だ」

 

「な、何を言って」

 

「悪いがはっきり言わせてくれ。俺な、お前の相手をするのが疲れたんだ」

 

「……!!」

 

「いつも人前でオドオドして、自分に自信がなくて、俺に捨てられるのを怖がって

 ろくに歌もダンスもできやしない。お前をなんとか一人前っぽくするのに

 俺やトレーナーさんがどれだけ苦労したのか知ってるのか?

 正直な。毎朝事務所でお前の顔を見るたびに嫌で嫌で仕方なかったよ」

 

「今まで心の中でそんなこと思ってたんですか?

 嘘ですよね……? だってプロデューサーさんはいつも

 お仕事が終わった後の私の頭をなでてくれたじゃないですか」

 

「アイドルのご機嫌取りも仕事の内だからな」

 

「ご機嫌取り……?」

 

「誰が好きでお前の相手なんかしてたもんかよ。

 お前さ、はっきり言って可愛くないんだよ。

 高校生の割にはチビだし顔も幼くて小学生にしか見えないし。

 美人で大人っぽい美優や美波に比べたら全然魅力ねーわ」

 

「……っ」

 

智絵理は、拳を握ってプルプルと震えていた。

 

「なんつーか、女として見れねーんだよ。妹ですらない。それ以下だ。

 もうね。おまえアイドルに向いてねえんだよって前からずっと言おうと思ってたんだ。

 そもそも俺が事務所辞めたくなったのもお前に会いたくないからなんだよ。

 あっ、悪い。もしかして今まで気づかなかったのか?

 だとしたら辛い現実を突きつけちゃったな。悪い悪い」

 

「……うっ……ぐすっ……」

 

「なんだ泣いてるのか? 泣いてる顔も気持ち悪いなおい。

 そんな顔で雑誌の取材に行くのか?

 あー思い出した。確か料理の特集だったんだよな。

 ちひろババアからそんなこと聞いてたよ。ま、せいぜい頑張れよ。

 俺以外のプロデューサーが現場まで付き添ってくれるんだろ?」

 

「……ひどいです。どうしてそんなひどいこと急に言い出すんですか。

 もしかして、美優さんに何か言われたんですか……?」

 

プロデューサーは智絵理のただならぬ雰囲気に圧倒されそうになった。

目が充血して血に飢えた猛獣のような顔をしているのだ。

はっきり言って逃げ出したい。だがビビったら負けだ。

 

「美優? なんでそこで美優の名前が出てくるんだ?

 仮に美優が俺に何か言ったとしても結果は変わらないよ。

 俺は智絵理のことが大嫌いだからな」

 

「うっ……」

 

「俺は、智絵理のことが大嫌いだ」

 

智絵理は、床にひざをついて顔を両手で覆い、大泣きした。

その姿はまさしく女児のようだ。

 

「うわあああぁあ!! 

 プロデューサーさんにだけは言われたくなかったのに……。 

 プロデューサーさんには言われたくなかったのに……。

 う、うっ……うぐっ……うぅぅぅぅぅ!!」

 

「黙れよブス。ピーピー泣いてんじゃねえ」

 

「ブ、ブス?」

 

「だってお前ブスだろ。悪いけど小学生並のルックスの

 女には興味ねえわ。つーか16歳に見えねーんだよ」

 

「その言い方はあんまりじゃないですか。

 私だって……好きでチビで童顔に生まれたわけじゃないですよ。

 私だって!! 美波さんみたいに背が高い女性に生まれたかったですよ!!」

 

「あーお前と美波じゃあれだな。もう比較にもならないよ。

 美波は女神。美の巨頭。智絵理。お前はミジンコだな。人ですらねえ」

 

「殺してやるぅ……。私を拒絶しようとする

 プロデューサーさんなんて、死んじゃえばいいんだ……」

 

「おいブス。ネクタイを引っ張るな。まじで首が締まるだろ」

 

「死んじゃえ……。お前なんか死んじゃえばいいんだ……。

 プロデューサーさんの顔をした偽物め!!」

 

「ぐっ……やばっ……まじで息ができねえ」

 

プロデューサーは背中からぶっ倒れた。

そこへ智絵理が馬乗りになり、真っ赤な目をしながら彼の首を絞める。

 

プロデューサーは、最初こそ智絵理の手を握って抵抗をしていたが、

それもすぐに終わった。その手が力なく床に置かれた時、彼はもう息をしてなかった。

 

智絵理が正気に戻ったのは、彼が息を引き取ってから3分もした後だった。

 

「あれ? プロデューサーさん……? あのぉ。寝ちゃったんですか?」

 

殺してみると案外冷静になるものだ。

あんなにも憎いと思っていた相手が、文字通りに血の気を失って

瞳を開いたまま動かなくなるのが分かってしまうと。

 

かつて彼女を優しく撫でてくれたその手のひらが、

どんどん冷たくなっていくのを感じてしまうと。

これが現実なのだと嫌でも理解してしまうから。

 

「え? え? う、嘘ですよ。だって、こんなことで

 死んじゃったんですか……? わ、私はただプロデューサーさんが

 ひどいことをたくさん言うから、ついカッとなって……」

 

 

 プロデューサー。享年29歳。

 

 

まもなく30歳の誕生日を迎えそうな彼は、

またしても臨終を迎えてしまった。

 

いったい何度死んだら気がすむのか。

 

病んでしまった智絵理ちゃんを本気で怒らせたらどうなるのか、

天国に旅立った後に深く反省することだろう。

 

 

  『アイドル達の重い愛から逃げるプロデューサー』 完。

 

                     著作 制作 NHK

  

 

もはや恒例行事と化した冗談はさておき、プロデューサーが実は

生きていたことにしてヤンデレ物語を続けさせてもらう。

 

 

「うわあああああああああああああ!!

 ちひろさぁぁぁあぁあん!!

 プロデューサーさんが息をしてないんです!!」

 

ちひろの元へ駆け出す智絵理ちゃん。

完全にパニックだ。逆にこの状態でも冷静だったら呆れてしまうが。

 

「クソ野郎君がどうしたっての?」

 

「い、息をしてないんです……か、会議室で倒れて……わ、わたしが

 ちょっと押し倒した時にですね……そ、そそそその……」

 

「ごめん。何言ってるかよく分からないわ。

 それよりコンビニで新発売の冷たいたい焼きを買って来てくれる?」

 

「ちひろさん!! 今はたい焼きどころじゃないですよ!!」

 

「あーはいはい。クソ野郎君がたぶん死んだってことでしょ?

 別にいいじゃない。あんなのいつか刺されて死ぬんだから」

 

「そんな言い方ってあんまりじゃないですか!!

 それにプロデューサーさんは、クソ野郎なんかじゃないです!!」

 

こんな時なのに、かつての優しいプロデューサーの顔が

脳裏に浮かんでしまう。智絵理は可愛いんだから、もっと自分に

自信を持っていいんだよ? と頭をなでてくれたこと。

休日に公園で一緒に四葉のクローバーを探してくれたこと。

 

良く考えたら、あの優しい彼が智絵理を嫌っていたなんて

今でも信じられない。まさにあれは夢に違いなかったのだ。

なのに智絵理は、彼のことが好きすぎるあまり、彼に真っ向から

自分の存在を否定されて我を失ってしまった。

 

「どうかしたのかい。智絵理」

 

「その声は……プロデューサーさん!?」

 

「ひどい顔をしているよ。何か哀しいことでもあったのかい?」

 

智絵理を背後から抱きしめたのは、イケメンフェイスになった

プロデューサーだった。心なしか声も低くてイケメンである。

 

「俺は死んだりなんてしないよ。俺には誰よりも大切な存在がいるからね。

 それが誰だか分かるかい? 智恵理。お前のことだよ」

 

「ほ、本当にプロデューサーさんなんですか?

 まさか偽物? さっきと言ってることが全然違います」

 

智絵理は振り返って彼の顔を正面から見た。

プロデューサーは智絵理を安心させるような優しい顔で微笑んでいた。

 

服も乱れてないし血も流してない。

先ほどの争いの痕跡がまるでないことが多少は不気味であったが、

それよりも彼に再会できた喜びの方が勝る。

 

「うわあああああ!! プロデューサーさぁぁあん!!」

 

「ははは。智絵理。どうしたんだい? 何か怖い夢でも見てたのかい?」

 

コアラのように大好きな彼に抱き着く智絵理ちゃん。

 

ちひろはムスッとした顔で「コンビニ行ってくる」と小声で言った。

むろん、今の二人にとって事務員のことなど眼中にない。

 

プロデューサーは智絵理が泣き止むまで頭をなでてあげた。

背中をぽんぽんとすると、彼女のしがみつく力がなお強くなる。

 

一体どれだけの時間、そうしていたろうか。

プロデューサーが智絵理の耳元でささやいた。

 

「智絵理。キスしようか?」

 

「き、キスですか?」

 

「嫌だったかな?」

 

「いいですよ。キスしましょう」

 

 

ドラマのワンシーンのような、熱烈なキスだった。

背伸びした智絵理の姿がなんとも可愛らしい。

 

プロデューサーは普通にフル勃起していた。

さっき童顔には欲情しないとか言っていたのは嘘だったのだ。

 

「智絵理。好きだ」

 

「私も……好きです。でもあの、さっき言ってたことは」

 

「ああ、俺がさっき会議室で行ったことは嘘だよ。嘘」

 

「本当に?」

 

「俺がもし智絵理を嫌っているならこうしてキスなんてすると思うか?」

 

「……良かった。嘘だったんですね。でもどうして嘘ついたんですか?」

 

「ちょっとしたイジワルだよ。俺は智絵理たちに監禁されたりしただろ?

 だからそのお返しとして少しだけイジワルがしたくなったんだよ。

 同時に智絵理がどれだけ俺のことが好きなのかも試したくなったんだ」

 

「……」

 

「ごめんな。やっぱり怒ってるよな?」

 

「もう二度とあんなことしないって、約束してくれますか?」

 

「もちろん約束するよ。俺は智絵理のことを愛しているからな」

 

「でしたら!! 私だけを愛してるって言ってください!!」

 

「智絵理だけを?」

 

「そうです。愛してるって言うなら、他の誰でもない。美波さんでも

 美優さんでもなくて、緒方智恵理だけを愛してるって言ってください!!」

 

「……」

 

「どうして……黙っちゃうんですか?

 やっぱり私の事なんてただの遊びなんですか?」

 

「お前に言っておきたいことがある。俺はみんなのプロデューサーだ。

 これは常務や社長にも言われていることだ。俺は智絵理のことは愛している。

 だが俺には皆を平等に愛さなくちゃいけない決まりがあるんだ」

 

「それじゃプロデューサーじゃなくてホストみたいじゃないですか……」

 

「俺だって好きでこんな立場にいるわけじゃない。

 智絵理。君はもう子供じゃないんだ。

 どうか俺の立場を分かってくれないか」

 

「い、嫌です……。

 私だけのプロデューサーさんじゃなくちゃ、嫌だぁ……」

 

「智絵理……」

 

「お願いします。私だけを愛してるって嘘でもいいから言ってください。

 そうしたら私はこれからもお仕事を頑張れる気がするんです」

 

「はぁ……だめか」

 

「プロデューサーさん……?」

 

「俺は聞き分けの悪い女の子は嫌いなんだ」

 

プロデューサーが事務所から出て行こうとするので、智絵理は追いかけた。

「着いてくるな」と冷たく手をはたかれ、扉を開けてしまう。

智絵理は泣きながら彼にしがみつく。階段の踊り場で彼を足止めした。

 

「お願いです……私を捨てないでください……」

 

「そうか。智絵理は捨てられたくないのか」

 

「はい……!!」

 

「だったら俺の言うことを聞け。俺はみんなを平等に愛する。

 智恵理のことも愛しているがな。お前だけをエコひいきするわけ

 にはいかない。これが現実だ。どうかこの現実を認めてくれないか?」

 

「うぅ……。で、でも。私はぁ……」

 

「さよなら」

 

「わ、分かりました!! 

 プロデューサーさんの言うことをちゃんと聞きますから

 捨てないでください!! お願いします。捨てないで!!」

 

プロデューサーは笑顔で振り返り、彼女を抱きしめてキスをした。

そして頭をたっぷりと撫でてあげた。

 

「えへ。えへへ」

 

智絵理は、この時点で彼の言いなりになることが決定したようなものだ。

卑劣なるホスト。プロデューサーの匠の技である。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

まゆにホストをしたらどうなるのか?

あー、お疲れっす。軽い口調でさーせん。

佐久間まゆは好みです。
俺がアイマスを始めて最初に好きになった女の子です。
しかし、最近はまゆの画像を見る度に背筋が冷たくなるのです。


「ただいま」

 

「おかえりなさーい」

 

二人とも同時に帰宅したから、ただいまもお帰りもないのだが。

 

上は、まゆとプロデューサーの会話である。

プロデューサーは全財産などをまゆに握られているために

基本的にはまゆの女子寮に住むことになっている。

 

彼が職場でやっていることはホストまがいの何かであり

断じて営業職ではないが、世間的にはプロデューサーということになっていた。

ちひろに聞いたらちゃんと社会保険証も発行してくれるらしい。

 

そもそも本人に給料が発生してないのにどうやって保険料を負担するのか謎だが。

最近では健康保険だけでなく年金問題も深刻であり、

プロデューサーのように給料のない者は先行きがなお不安になる。

 

こんな時は、つい思い出してしまう。

八王子インター前のローソンで、愛する美波と働いていた頃を。

 

「まゆ以外の女のことを考えるのは、楽しいですか?」

 

「驚いたね。まゆは俺の考えてることまで分かっちゃうのかい?」

 

「まゆくらいのレベルになると、プロデューサーさんの考えていること

 なんて表情だけで分かっちゃいますから」

 

「怖いね。これからはまゆは怒らせないようにしないと」

 

と言いながら自然と彼女の体を抱きしめた。

まゆは、ちょうど夕飯の支度をするために

エプロンを着ようと思っていたところだったのだが。

 

「……ずいぶんと積極的なんですね。

 でも智絵理ちゃんを口説いた時と同じやり方なのが気に入りませんねぇ」

 

「まゆ。好きだ」

 

「そんな軽い言葉なんて、私は求めてませんから」

 

まゆはプロデューサーをどけて、冷蔵庫の中をあさり始めた。

 

 

プロデューサーはさすがに居心地が悪くなり、

テレビを見ながら夕飯ができるのを待った。

夕飯のメニューはオムライスと中華スープ、簡単なサラダだった。

 

 

「このオムライス、うまいな」

 

「どうも」

 

「まゆは料理が上手だね。自分で勉強したのか?」

 

「実家にいる時に母親から教わりました」

 

「へえ。今度仙台に行ってまゆのお母様にも挨拶しないとな」

 

「それはもちろんです」

 

プロデューサーは明らかに機嫌の悪そうなまゆに

おびえながら皿を空にしてしまう。まだ少し食べたりないが、

このままの空気はまずいのでどうしたものかと考える。

 

「なあ、まゆ」

 

「はい?」

 

「はっきり言ってくれよ。何が不満なんだ?」

 

「不満を言ったら、それこそきりがないですねぇ。

 言ったら喧嘩になっちゃうと思ったからまゆは

 あえて黙っていたんですけど?」

 

「言ってくれよ。俺とまゆは大切なパートナーじゃないか。

 これから長い人生で何度も喧嘩することはあると思う。

 だから不満があったらどんどん口にしてくれよ。

 俺に悪いところがあったら直す努力をするからさ」

 

「そうですか? なら言わせてもらいますね。

 どうして美優さんと仕事中にホテルに行ったんですか?

 卯月ちゃんの家にお泊りしてる時にまゆと一度も

 会ってくれなかったのはなぜですか?

 昨日は智絵理ちゃんと事務所で堂々とキスしてましたよね?」

 

「そうか。まゆは俺がまゆ以外の女とイチャイチャしてるのが

 気に入らないのか。そりゃ当然だよな」

 

「あれもあなたの仕事、ですものね?

 仕事なら仕方ないですよね。

 確か常務や社長の命令だったとか。そうですよね?」

 

「……俺はまゆのことを大切な存在だと思っている」

 

「その言い方はまゆを怒らせるだけだって、まだ気づかないんですか?」

 

「他にどうしろってんだよ」

 

「そんなの、まゆは知りませんよ」

 

彼女はさっさと皿を片付けて洗ってしまう。

その間にプロデューサーは風呂を沸かすことにした。

その時だった。

 

「う!?」

 

プロデューサーは、激しいめまいに襲われた。

こめかみの奥が痛い。思わず吐きそうになるが耐える。

 

まさか食事に毒でも盛られたのかと、ついまゆを疑ってしまうが、

どうやら違うようだ。彼はかつて自分のアパートでスマホを風呂場に

沈めたことを思い出した。そして喧嘩している響子とまゆを恐れて

外へ逃げ出し、立ち寄ったコンビニで新田美波と会ったのだ。

 

 

「な……おまえは……みなみ……?」

 

 

プロデューサーはお風呂場で新田美波の幻を見てしまった。

そこにいるのは、現実の美波ではない。

彼の妄想が具現化した夢だったのかもしれない。

 

思えばたった一月ばかり彼女と会ってないだけなのに、

もう一年くらい離れ離れになってしまったような錯覚を感じる。

 

 

『プロデューサーさん。私を助けて』

 

 

そう訴えているように聞こえた。

美波は唇だけ動かしていたから、確かなことは分からない。

 

プロデューサーは、床に手を突き、さめざめと泣いた。

なぜこんなに悲しい気持ちになるのか分からないが、とにかく

泣きたくて仕方ない。彼の嗚咽を聞いてさすがにまゆが様子を見に来る。

 

 

「美波さんが恋しいようですね」

 

「……そこまで分かるのか?」

 

「まゆはプロデューサーさんのことなら、何でも分かっちゃいますから」

 

 

まゆはスカートのすそを両手で握りながら小刻みに震えていた。

その濁った瞳にはもう何も映してないように思えた。

 

 

「もう、どうにもならないんですか?

 プロデューサーさんはそんなにも美波さんのことを愛していて、

 私の愛はどうやってもプロデューサーさんに届くことはないんですか」

 

「……まゆは男の人を好きになったことはないのか?

 俺じゃなくてだ。俺以外の人でだ」

 

「中学の時に、先輩で好きな人がいました。好きっていうより

 気になっていた人。当時女子の間で有名になっていた

 サッカー部の人でした。でもあれはちょっと違うかなと思いました。

 ただの憧れです。だって一度も話したことなかったもの」

 

「まゆは俺と美波が結婚したとしたらどうする?」

 

「そんなことはさせませんが、仮にそうなったとしたら……そうですね。

 別れてもらうようにお願いすると思います」

 

「それは困るな」

 

「まゆだって困ります。プロデューサーさんがまゆ以外の

 女と結婚したがっているなんて許せませんから」

 

「残酷なことを言うようだが、俺はお前の気持ちには答えられないんだ。

 俺は、今でも変わらず新田美波のことを愛している。

 嘘じゃない。心から彼女のことを愛しているんだ」

 

「……っ」

 

まゆの息が怒りで荒くなる。

 

「佐久間まゆを否定しているわけじゃない。お前だって俺の大切な

 アイドルの一人だ。だからこそ今まで大切に育ててきたつもりだ。

 でもお前と美波を同列に語ることはできないんだ。……すまない」

 

まゆは何も言わなかったが、

その代わりに静かに涙を流していた。

 

大粒の涙が、ぽたぽたと風呂場の床に落ちていく。

 

プロデューサーはまゆのこんな顔を見るのは初めてだった。

それもそのはずだ。どれだけ理解したつもりでも彼女の幼少期まで

知っているわけじゃない。あくまで仕事の関係として知り合っただけなのだ。

 

まゆは、プロデューサーを睨みながら泣き続けた。

彼女の小さな嗚咽が、お風呂場に妙に響いた。

 

「すまない」

 

プロデューサーの言葉に対し、まゆは返事をしない。

 

 

プロデューサーが彼女に触れようとすると、一歩後ろに引かれた。

まゆが彼を拒絶するのも珍しい。今までとは明らかに反応が違った。

 

 

まゆは涙をタオルで拭くと、

 

「出て行きなさいよ」

 

と小声で言った。

 

 

「そんなにもまゆのことが嫌いなら、もう出て行きなさいよ!!」

 

まゆは、金庫の中にあった彼の身分証やらその他を持ってきて、

床に叩きつけた。明日から事務所にも来なくていいと言い放つ。

 

「まゆ……俺は」

 

「もうあなたなんて知らない。この家から出てって!!」

 

「話をきい…」

 

「何も聞きたくない!! どこへでも行きなさいよ!!

 もうあなたの顔なんて見たくない!!」

 

 

プロデューサーは、涙を腕で拭いながらキャッシュカードや

預金通帳などを拾って荷物をまとめ、玄関を閉めた。

 

 

女子寮の外に出た時、彼が最初に思ったことはこれだった。

 

 

(やっと解放されたぞ~~~~!!)

 

 

最近は演技のしすぎて肩が妙に凝る。

さっそくコンビニのATMで現金を引き下き出すことにした。

 

彼はみずほを使ってるのでATMに通帳が吸い込またまま

出てこない恐れがあるが、今はそれほど気にならない。

 

夜の8時過ぎにスキップをしながらコンビニへと向かう

男の姿は不審者そのものだ。満面の笑みの客を見て、店員もさすがに苦笑い。

 

あいにく腹など減ってないので買うものは何もない。さっそくATMだ。

 

「預金残高は普通車の新車が一台買えるほどあるぞ。

 十分だな。今まで使い暇がなかったから貯める一方だったんだ。

 さーて。まずは新幹線のチケット代とホテル代を引き下ろすか」

 

「新幹線か。いいねー。旅行にでも行くの?」

 

「ああ、明日の品川発の広島行きのチケットを予約するんだ……て、え?」

 

加蓮は私が検索してあげるよと言い、

スマホで東海道新幹線の時刻表を見せてくれた。

 

「朝のラッシュを外すなら10時台の便がいいんじゃない?」

 

「お、おう」

 

「美波さんに会いに行くんでしょ?

 あたしも一緒に行っていいかな? ついでに広島を観光したいし」

 

いつからそこにいた。などと野暮なことはもう聞かない。

 

「加蓮……こんな時にすまないが聞いてくれ。

 俺は美波と結婚しようと思っているだ」

 

「うん。知ってるよ。別に止めるつもりもないけどね。

 結婚したいんだったらすればいいじゃない。

 あたしとプロデューサーさんは友達みたいな恋人ってことでいいかな」

 

「……自分の言ってることが不自然だとは思わないのか?」

 

「思わないけど?」

 

「そうか」

 

「うん」

 

「君が良くても俺が困るんだよ。

 これから俺は美波の両親というか美波ママに挨拶するんだ。

 婚約者の母親に会うのに恋人みたいな友達がいたら変じゃないか?」

 

加蓮は、恋人みたいな友達じゃなくて、友達みたいな恋人だよと突っ込んだ。

プロデューサーにとっては激しくどうでもいいことだった。

 

「プロデューサーさんは人気者だから恋人がたくさんいても

 不思議じゃないって、ママさんにも早めにそう伝えてあげた方が

 良いと思うよ。どうせまゆや智絵理ちゃんも全然諦めてないんだから

 どう転んだって修羅場確定。これって挨拶する前に積んでない?」

 

「……いいこと考えた。ママさんと美波を連れてニュージーランドへ逃亡する」

 

「プロデューサーさんって英語話せたっけ?

 それ以前にどうやって外国で暮らすの」

 

「ムカついたからちょっと言ってみただけだよ。

 そんな馬鹿を見る顔で俺を見るな。俺は子供じゃないんだぞ」

 

「現実から逃げちゃダメだよ」

 

「……加蓮。俺は君を愛している」

 

「あはっ。うん。知ってるよ。で?」

 

「今回ばかりは一人旅をさせてほしいんだ」

 

「だからダメだって」

 

「ダメか」

 

「うん。ダメ。だって一人旅をさせたら

 プロデューサーさんはあたしの見てないところで

 美波さんと二人きりになっちゃうじゃん」

 

「分かった。とりあえず外に出て話そうぜ。

 さっきから店員さんがすげー怖い顔で俺らを睨んでるんだよ」

 

なんと、その店員は加蓮のファンの男性(24歳)だった。

さりげなくサインを頼まれたので、加蓮は応じて

彼の仕事用のエプロンに小さく名前を書いてあげた。

 

睨んでいたのは緊張のあまりそうなってしまったからだと言う。

アイドルの加蓮がプロデューサーと愛人らしい会話をしていたことが

監視カメラにもばっちり写っているのだが、もうどうでもよかった。

 

「俺、今夜泊まるところがないんだった」

 

「プロデューサーの家は?」

 

「俺のアパートはとっくに解約されてるよ」

 

「じゃあ。あたしの家にでも」

 

「お前の家はご両親が」

 

「だからこそだよ」

 

加蓮はプロデューサーの腕を引くが、プロデューサーはビジネスホテルに

泊まると言い張る。しかし加蓮はどんなに彼が拒否しても

声を一度も荒げることがないのはすごい。

 

もちろんプロデューサーの前で良い子ぶってるのもあるが、

おそらく今までのヤンデレアイドルの中で一番冷静なキャラだろう。

 

そんな微笑ましいやり取りをしていると、横断歩道からこちらへと

駆けてくる人物がいた。可愛いらしい花柄のワンピースを着た、

左手首の赤いリボンが特長の女の子。佐久間まゆだ。

 

彼女はプロデューサーの前に立ち、息を整えてから手を差し伸べてこう言った。

 

 

「さっきはカッとなっちゃってごめんなさい。

 さあ、まゆたちの家に帰りましょう」

 

「すまん。断る」

 

「……はい?」

 

「なんで俺がお前なんかと暮らさなくちゃならないんだ。

 今だから言うが、俺が一度でもお前と一緒に暮らしたいと

 言ったことがあったか? ないよな?

 正直お前に出てけって言われてホッとしてたんだよ。

 ああ、これでもうまゆの顔を見なくて済むって」

 

「それって智絵理ちゃんを口説いた時と同じ言い方ですよね。

 まゆに対しても同じ手口を使うつもりですか」

 

「まゆはわがままだし、しつこい。

 お前と一緒にいると疲れるんだよ。

 お前に比べたら加蓮の方がずっと魅力的だよ」

 

「まだ言いますか」

 

「加蓮はすごく優しいんだぜ? 俺が困ってる時はちゃんと助けてくれるし、

 美波が苦しんでた時に病院の治療費まで払ってくれた。

 俺は加蓮みたいな子は好みだな。本当に今までのことを

 感謝してもしきれないくらいだ。なあ加蓮?」

 

「あ、うん。えへへ。そんなことないよぉ」

 

プロデューサーは、あえてまゆの見てる前で加蓮を抱き寄せた。

加蓮はもうすっかり女の顔をしており、発情した雌犬のような雰囲気だった。

 

 

                            続く。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

まゆが泣いた

俺も泣いた。嘘です。サーセン。


加蓮とプロデューサーのイチャラブを見せつけられて

佐久間まゆの怒りが頂点を迎えようとしていた。

 

まゆは不満をため込むタイプなので一度爆発すると大変なことになる。

そのまゆに対し、プロデューサーは容赦なく

挑発していくスタイルを貫くのだった。

 

「加蓮って本当にかわいいよな」

 

「ほんと? えへ。えへへへ」

 

「なんか一緒に居て安心するって言うか。

 どっかの誰かさんと違って俺を縛り付けて監禁とかしないしな。

 君とだったら、これからもずっと仲良しでいられると思う」

 

「あたしも……プロデューサーさんとずっと一緒に居たい」

 

「加蓮。やっぱり今夜はホテルに泊まろうか」

 

「いいよぉ。じゃあ早速行こうか」

 

「ていうわけだ。佐久間さん。俺はもう行くからな」

 

まゆが歯ぎしりをした。

 

決して言葉を発したわけではないのだが、

プロデューサーに対するプレッシャーは半端ではなかった。

 

プロデューサーは加蓮の肩を抱き、まゆに背を向ける。

しかし、背中に感じる殺意の視線がいよいよ半端ではない。

 

 

(やべ。マジ殺される……?)

 

 

プロデューサーは立ち止まろうかとさえ思った。

護衛をしてくれる加蓮がいるのだ。まゆの戦闘力では

加蓮に勝てないことは証明済み。ならば問題ないだろうと思うが。

 

 

「……どうして……加蓮ちゃんばっかり」

 

プロデューサーは聞こえないふりをしようと思った。

だが立ち尽くすまゆが、あまりにも悲しそうに泣いているので

放置するわけにもいかない。

 

前にも説明したような気がするが、彼はそもそもプロデューサーであり

仕事の面でもプライベートの面でも女の子の幸せを心から願っていたのだ。

 

今までの彼の言動からして、いい加減でふざけた人間に見えるだろうが、

実は根が優しくて思いやりがあるので女の子たちにモテるのだ。

 

 

髪を後ろでお団子にまとめた北条加蓮が、彼の袖を引く。

 

「プロデューサーさん、急に考えこんじゃってどうしたの? 

 早く行こうよ」

 

「少しだけ待ってくれないか。まゆと話を済ませたいんだ」

 

「……それってあなたにとって大事な事?」

 

「加蓮、お願いだ。話が終わるまで少し待っててくれないか」

 

加蓮は泣き笑いの混じった複雑な顔をした後、

「……うん。分かった」と言った。プロデューサーは

聞き分けの良い彼女のために頬っぺたにキスをしてあげた。

 

 

「まゆ。さっきは言い過ぎたよ。ごめん。

 まゆがこんなに泣いちゃうとは思わなかったんだ」

 

「ううっ……ぐすっ……」

 

「なあ。まゆ」

 

「わ、私だって……。プロデューサーさんのために……お弁当

 作ってあげたり……したのにっ……ぐすっ……。プロデューサーさんに

 ひどいこと言われると……心がえぐられたみたいに痛むの……

 こんなのもう耐えられない……」

 

「ごめんな。ちょっとイタズラが過ぎたみたいだ」

 

震えるまゆの華奢な体を、プロデューサーの大きな腕で包み込んであげた。

プロデューサーの恰好は、上下赤のスエットにサンダルでムードのかけらもない。

まゆは、彼の胸に顔を埋めて泣いた。今までの人生でこんなに泣いたのは初めてだった。

 

「うわああん。プロデューサーさぁん」

 

「よしよし。今は気がすむまで泣いていいんだよ」

 

髪の毛から、良い匂いがした。

まゆの匂いは、なんていうか男を本能的に安心させる。

プロデューサーは彼女のよく手入れされた髪の毛に振れる。

毛先にかけて少しだけカールした、触り心地の良い髪の毛だ。

 

(あれ?)

 

プロデューサーはこんな時なのに勃起してしまっていた。

もうまゆの体では反応しないと思っていたのに。

 

男とは不思議なもので、女に対して一度興奮してしまうと

妙に愛おしさを感じてしまうのだ。

 

実は彼自身まだ気づいてないのだろうが、美波を深く愛するようになった

きっかけも彼女に監禁され凌辱されながらも美波の体の魅力に

深くおぼれたからだ。これほど哀れな存在が他にいるだろうか?

 

「ほらまゆ、顔を上げなさい」

 

「あ……ちゅ……んん……息がくるしっ……」

 

「苦しかったか? 仲直りのキスだ」

 

「まゆはうれしかったです。プロデューサーさんから

 キスをしてくれたのは初めてでしたので」

 

プロデューサーは、今度はもっとまゆの身体を抱きながらキスをした。

ついでにお尻もたくさん揉んでいる。まゆは嫌がる様子などなく

むしろ太ももをしっかりと彼の足に絡ませ、押し付けていた。

 

プロデューサーが思わずワンピースのスカートをめくりたくなるが、

 

(うっ……この殺気は、加蓮か)

 

 

肩越しに振り向くと、そこには鬼がいた。

16歳の少女ではなく鬼だ。小鬼と称すべきか。

 

 

「ねえ。いつまでかかりそうなの、それ?」

 

「いや、もう少し待っ……」

 

 

プロデューサーは、まゆにギュッと抱きしめられた。

その力は、実に強い。

 

(こいつ……)

 

プロデューサーは目には見えない赤いリボンで

体中を締め付けられているような錯覚さえ覚えた。

 

実はまゆの下着はびしょ濡れになっており、

太ももにまで愛液が滴り落ちていた。

まゆの湿った唇、物欲しげな瞳。

 

プロデューサーはすっかり理性を失って

まゆを抱きたくて仕方がなくなった。

 

また加蓮を肩越しに振り返りながらこんなことを言ってしまう。

 

 

「やっぱり、まゆの家に帰ろうぜ」

 

加蓮は、今までプロデューサーと関わってから色々な経験をしてきた。

それなりには彼の性格も分かっているつもりだった。

それでもなお、ここまで意味不明な発言を聞いたの初めてだったで

 

「なに言ってんの?」

 

とぶっきらぼうに返すのが精いっぱいだった。

 

「まゆは俺がいないとダメになっちゃうんだよ。

 しゃ、社長からもまゆを大事にするように言われてるからな。

 だからこれは仕方のないことなんだ!!」

 

さすがの加蓮でさえ、バールのようなもので

プロデューサーの頭をカチ割りたくなってしまう。

 

「あたしとホテルに行くのは嫌ってことね」

 

「か、加蓮も一緒に帰ろうぜ」

 

「どこに?」

 

「まゆの寮に」

 

「嫌だけど」

 

「そうだよな……。じゃあごめん。本当に悪いんだが、

 俺はまゆの家に帰ろうと思うんだ。まゆと一緒に……」

 

「ふーん……そんなこと言っちゃうんだ」

 

加蓮の怒りのボルテージが最高潮に達し、ついに上空の大気にまで

影響がでてきた。さすがのプロデューサーも死を覚悟した。

 

加蓮はプロデューサーを愛しているので今まで

彼に手を出すことはなかったが、今回ばかりは分からない。

 

「あたしも行くよ」

 

「そ、そうか」

 

プロデューサーは胃にふたつばかり穴が開くのを確かに感じた。

吐血しそうになるのを必死で耐える。

 

加蓮はプロデューサーに肩をぴったりくっつけて歩いた。

まゆは歩いている最中もプロデューサーにしがみ付いたままである。

 

はたして両手に花と言えるのか、

よく分からない状態でまゆのアパートにたどり着いた。

 

「プロデューサーさん……お願いします。まゆを抱いてください」

 

まゆが玄関先でいきなり服を脱ぎ始めたものだから、

プロデューサーは大いに焦る。やることは大賛成なのだが加蓮もいるのだ。

 

「あたしはシャワー浴びてくるから、好きにしてていいよ」

 

その言葉に甘えてプロデューサーはベッドにまゆを押し倒して

真っ先にパンツを脱がせた。すでに準備万端となっているので

さっそく挿入してしまう。

 

「あ……あ、あっ、あんっ……奥まで入ってるぅ……」

 

激しく乱れるまゆの姿が、あまりにもエッチだったので

プロデューサーは二度も射精してしまう。

まゆは決して巨乳なわけではないのだが、元モデルだからか独特の色気がある。

 

胸をたくさん揉もれたので少しだけ乳首が痛いですと言いながら

まゆは安心して寝てしまう。熟睡しているので朝まで起きることはないだろう。

 

 

プロデューサーが全裸で買い置きのペットボトルの水を飲んでいると、

身体を清めた加蓮嬢とばったり出くわした。

 

「もう終わったの?」

 

「あ、ああ」

 

「じゃあ次はあたしとだね。その前に汚いから身体を綺麗にして」

 

加蓮がシャワールームで念入りに身体を洗ってくれた。

洗いながらも彼女はいやらしい手つきでプロデューサーのアソコを

握るものだから、またしてもプロデューサーが元気を取り戻してしまう。

 

「お風呂沸かしといたから、一緒に入ろうよ」

 

ふたりは湯船の中で正面から抱き合いながら、何度もキスをした。

 

プロデューサーは身体が熱くて仕方なかった。

加蓮の豊満な胸が押し付けられているので湯船の熱さと

相まって余計に頭がボーっとしてしまう。

 

プロデューサーは加蓮の秘所を手でまさぐりながら

指を挿入する。指を入れたまま、ぐりぐりと壁の内側を

刺激してやると加蓮の吐息がどんどん荒くなっていく。

 

彼女の耳元で「好きだよ」と言いながら、刺激をどんどん

強くしていくと加蓮はすぐに達してしまう。

ぐったりしてプロデューサーの肩に頭を乗せた。

 

「あのさ、加蓮は怒ってないのか?」

 

「怒るってさっきのこと?」

 

「ああ」

 

「最初は殺してやりたいくらいムカついたけど、今は平気。

 だってプロデューサーさんって優しいじゃん。たとえ相手が

 どんな最低の奴だったとしても自分の担当アイドルは見捨てない。

 それってプロデューサーさんの優しさだと思うんだ。

 あたしはプロデューサーさんのそういうところ、好き」

 

「ありがとう。そう言ってくれて助かるよ。

 加蓮も優しいものな。困った人がいたら助けてくれるのは

 俺と同じだよ。愛しているよ加蓮。俺はお前のことが好きだ」

 

「えっへへ。あたしも愛してるよ。プロデューサー」

 

浴槽から出て洗い場で加蓮を抱いた。

プロデューサーは加蓮に完全に欲情したので

乱暴なほどの勢いで彼女を犯してしまう。

 

従順な加蓮は胸をぎゅっとつかまれても、お尻を後ろから叩かれても

嫌な顔を一つせず、彼の欲望のおもむくままに犯され続けた。

喉の奥までプロデューサーのアソコを押し込まれて発射されても

ヘラヘラと笑っていた。精子はためらいなく飲み込んだ。

 

一度冷静になると、プロデューサーはとんでもないことを

してしまったのではないかと不安になる。

 

 

「ご、ごめんな。痛くなかったか?」

 

「ううん、ぜんぜん大丈夫。むしろ、うれしい。

 だってプロデューサーがあたしを求めてくれるんだから。

 えへへ。うふ。えへへっ」

 

 

彼女の目も相当に濁っていた。

 

この子もまゆと同じで定期的にガス抜きをしてあげないと

人を殺しかねないほどの危険人物なのだ。

 

アイドルである以上は事務所が売り出す商品なのである。

もちろん風俗などの商品とは違う。宝物のように大事な存在だ。

 

ファンにとっての神に等しい彼女達をこんなにも簡単に

汚してしまうことに罪悪感を感じずにはいられない。

だが彼女達がこうなるのを望んでいるのだから始末に負えない。

 

プロデューサーは彼女の口の中を洗面所でよくすすがせてから

ドライヤーで髪を乾かしてあげた。

加蓮は甘え切った顔で終始ニヤニヤしていた。

 

 

「加蓮はさ、俺が広島に行くことに反対しないだな」

 

「うん。プロデューサーさんがどうしても広島に行きたいって言うならね」

 

「美波と……俺がもし結婚できたとしたら君は愛人ってことになるが」

 

「愛人かぁ……ちょっと悔しい気もするけど、愛人って良い響きだよね。愛人……」

 

「加蓮?」

 

「結婚しても夫婦仲なんてすぐ悪くなるって言うもんね。

 今は浮気する人たくさんいるからむしろ愛人の方が本命って感じする。

 うん。愛人。悪くない響きだね。むしろ、そっちの方が良いのかな」

 

髪を乾かし終わった。加蓮はくるりとプロデューサーの方を向き、こう言った。

 

「プロデューサーがたとえ誰を選ぼうとあたしは構わないけど、

 あたしを見捨てたりしないならそれでいい。

 プロデューサーは、これからもずっとあたしのことを

 好きでいてくれるんだよね?」

 

「……ああ。俺は加蓮のことが好きだよ」

 

「本当に? 約束してよ」

 

「約束するよ。俺は加蓮が好きだ」

 

 

こうしてプロデューサーが広島に行くことは決定となった。

 

出発は明日だ。婚約者の母親に会いに行くのに加蓮とまゆも

一緒に行く時点でどうかしていると思うが、話の成り行きなので仕方ない。

 

プロデューサーは朝一で美波の母親に電話し(加蓮の携帯を借りた)

その日の夕方に広島駅の新幹線ホームで待ち合わせをすることになった。

 

しかし新田家の父者と弟者も混じるので盛大な修羅場になることは必至。

はたして物語はどこへ向かおうとしているのか……?

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三人が美波の家に行ったら事件になった。

はい。さーせん。謝った意味は特にないです(笑)
広島県って行ったことないので詳しいことは書けないんですよね。


新田家は住宅地にある、ごく普通の一軒家だった。

 

 

満面の笑みの美波の母親に案内されたプロデューサーは、

新田家のリビングに案内された。

 

すると当たり前のように加蓮とまゆも玄関を開けて入ってくるので

ママが真顔で「あなた達には駅で帰るように言ったはずよね?」

 

と言うが、若い二人はまるで動じない。

 

まゆがアイドルらしい笑顔のままこう言う。

 

「ママ様。お茶の準備をするならお手伝いしましょうか?」

 

「だから帰りなさいって言ってるでしょうが」

 

まゆが、溜息を吐く。

 

ママは彼女を完全に無視して二階にいる美波を呼んだ。

大きな声で何度も呼んだが返事がないので、

仕方なく二階に上がって美波を連れてきた。

 

「もー、なに? 頭痛がひどいからお昼から寝るから

 起こさないでって言ったでしょ」

 

「婚約者の方がはるばる東京からやって来てくれたんだから

 しっかりしなさい。美波ったら寝起きでひどい顔ね。

 髪もボサボサ。化粧もしてないなんて失礼だと思わないの」

 

「え、なに? 婚約者って誰のこと?」

 

「だーかーら。婚約者よ。 

 あなたが私によく話してくれた例の彼がうちに来てるの」

 

「うそよね?」

 

「本当よ」

 

美波は階段を駆け下りてリビングに顔を出した。

 

「よ、よお。美波。元気か?」

 

「プロデューサーさん!? え、うそ。ほんもの……?

 わあああっ!! プロデューサーさぁあああん!!」

 

パジャマ姿の美波はプロデューサーに抱き着き、わんわん泣いた。

途中から意味の分からない言葉を吐いていたのでプロデューサーには

伝わらなかったが、とにかく彼女との深い愛を確認できただけでいい。

 

プロデューサーは、この時になっても自分が振られるのではないかと

恐れていた。世の中には自分よりも美波にふさわしい男性が腐るほどいる

ことを、他でもない彼自身が知っているからだ。

 

まゆの策略?によって互いの距離が離れてしまい、

それで美波が一度冷静になり、たまたま職場で知り合った

プロデューサーごときに恋をしたことが、一時の気の迷いであることを

悟ってしまった場合、プロデューサーの恋は完全に終わる。

 

「わ、わたしは、ずっとプロデューサーさんに……捨てられるんだと

 ばかり思ってました……そしたらプロデューサーさんの方から……

 会いに来てくれて……ひぐっ……ぐすっ……はぁっ……」

 

プロデューサーは、もらい泣きをした。

彼らの深い絆は、たった数か月離れ離れになったからといって

崩れてしまうことはなかったのだ。

 

ママが「式はいつにしようかしら?」

 

と楽しそうに言い、プロデューサーを赤面させる。

 

ママは娘の婚約者を一目見た時から気に入っていた。

顔が整っており、若く凛々しく、自身に満ち溢れている。

スタイルが良いのでスーツ姿がよく似合っていた。

 

「愛してます。あなた」「俺もだよ。俺はお前を一生守る」

 

 

 実に……実に長い道のりであった。

 

  病んだアイドル達に二人の恋路はことごとく邪魔をされ、

    途中で拉致、監禁、暴行、調教されながらも、

     ついに二人は結ばれることに成功したのだ。

   

   

       『アイドル達の重い愛から逃げるプロデューサー』完

              

 

 

「おい。なんでハッピーエンドっぽい流れになってんだ」

 

玄関より来訪者あり。

その者、美波の弟者である。

 

弟者、本日は蹴球クラブを終え帰宅セリ。

ただいまの時刻は18時を若干過ぎる。

 

「こら。零也(れいや)ったら何を言ってるの。お客様に挨拶もなしに」

 

「ママ……だってよぉ。こんなのおかしいだろ!!」

 

乱心する弟者、手提げ鞄を床に叩きつける。

ソフアにてプロデウサアに寄り添いし二名の美女を指し言う。

 

「この男、姉ちゃんを愛してると言いながらも

 愛人が二人もいるじゃないか!!」

 

プロデウサアは返す言葉もなく視線を逸らす。

姉者である美波が異を唱えるより先に母者が言う。

 

「そこにいる女の子二人は、彼の仕事の関係の人だから」

 

「仕事関係とかじゃなくて、明らかに恋人か愛人にしか見えないぞ」

 

「ママは駅で会った時に帰るように言ったんだけど着いてきちゃったのよ。

 はぁ……帰りの新幹線のチケットまで買ってあげたのに。

 最近の若い子は無駄に積極的だから困っちゃうわよね」

 

「困るってレベルじゃねーぞ!!

 そもそもなんで女たらしのクソ野郎を新田家に入れたんだよ!!

 母さんはどうかしてるぞ!!」

 

「あっはっはっはー!!

 零也ちゃんったら、お姉ちゃんが結婚するからって嫉妬してるー」

 

「お、おれは別に嫉妬してるわけじゃ……

 もう小さな子供じゃないんだから、

 ちゃん付で呼ぶのやめくれって何度も言ってるじゃないか」

 

「高校生なんてまだまだ子供よ。

 弟君にこんなにも愛されて美波は幸せ者ねー?」

 

美波は肯定も否定もせず。愛しきプロデウサアにしがみつく

まゆと加蓮が大いに怒気を放つが、もはやそれも栓無き事。

 

「姉ちゃん!! そいつから離れろよ!!」

 

姉を引きはがすが、姉は再びプロデウサアに抱き着く。

また弟者が同じことをしても姉は元に戻る。

このやうなやり取りを何度か繰り返すうちに、弟者はついに観念する。

 

「いつになったらそいつに騙されてるって気づいてくれるんだ。

 こうなったら、親父を呼んでやる!!」

 

懐より取り出す携帯式電話機により父者を緊急に呼び出す。

 

その動作の機敏さたるや、現代風の言葉遣いとするなら、

『携帯取り出し、ポパピプペー♪』なる南蛮風の言葉を用いざるを得ず。

 

吹き矢が普及の兆しを見せた平安時代と比べると

昨今の交流手法の発達には目を見張るものがある。

 

父者はまさしく光の矢の如き速さで帰宅せり。

プロデウサアと美波が逃げる暇を与えないとは見事成り。

 

 

「ふぅ。やれやれ。急ぎの仕事をキャンセルしてまで家に戻って来てみれば、

 この世で最も顔を合わせたくない男と会ってしまうとはね……。

 おい君、確か名前はプロデューサー君と言ったか。できれば

 こんなものに頼りたくはなかったんだが、美波の父親として

 君に最後の頼みがある。ぜひ聞いてくれないかね」

 

テイブルの上に、鋼鉄製の鞄が置かれる。

中身を開いてみると、現代で紙幣などと呼ばれる

銭が所狭しと埋まっている。その価値は、令和での価値基準に

照らし合わせると2000万を超えるという。

 

「この金は、プロデューサー君の結婚祝い金だ。

 君にはすでに心に決めた女性が二人もいるようだからね。

 言うまでもなく君の隣に座っている二人のことだ。

 北条加蓮さんと佐久間まゆさん。そのどちらと結婚するのか、

 あるいはどちらとも結婚せずに恋人の関係を続けるのか、

 それは君が決めることだ。これからの生活費が必要だろうからこれを渡す」

 

プロデウサア、大金はいらぬと申し上げる。

しかし父者、なおも彼に金を渡そうと手を伸ばす。

プロデウサアはまたも遠慮し、鞄を押し返す。

 

「お父様もこう言ってる事ですし、まゆ達は東京に帰りましょうか」

 

「そうだね。いつまでも他人様の家にお邪魔しちゃ悪いし」

 

まゆと加蓮。共にプロデウサアの腕を引く。

有無を言わさぬ怪力にて骨が多少きしむ。

女子二名の満面の笑みに隠された素顔は推して知るべし。

 

「あらあら。今日は泊っていく約束をしたはずなのに、

 もう帰っちゃうの?」

 

母者の放つ怒気も並大抵のものではあらず。

帰路につくべきは不埒者の女人2名であるべしと言い放つ。

 

父者は納得せず。

 

「いや、三人で帰りなさい」

 

「あなた!! なんてこと言うの!!」

 

「プロデューサー君とは今この瞬間から赤の他人だ。

 二度と新田家の敷居を跨がせんぞ」

 

「せっかく話がうまくまとまりそうだったのに、

 どうして邪魔をするのよ!!」

 

「ええい!! 私の決定に口を挟むんじゃない!!

 だいたいな!! お前の方こそ何を言っているのだ!!

 私は娘の将来を心配して言っているのだぞ!!」

 

こうして夫婦のいさかいが始まる。

 

互いに自らの意志を譲るつもりがなく、口論がいよいよ

激しさを増し、灰皿、マグカップ、

果てにはテーブルやソファまでもが宙を舞う。

窓ガラスの破片が床に散らばり、足の踏み場を無くす。

 

広々とした居間は、さながら戦場を思わせる大惨事となり果てる。

 

(なんと気性の荒々しいご夫婦なのか。これでは話し合いなど到底出来ぬ)

 

プロデウサアは観念し、一度家の外に出るべしと申す。

それについてまゆや加蓮は賛同し、

また美波とその弟者も嫌そうな顔をしながらも従う。

 

「ちょ、ちょっとその辺のレストランにでも出かけてきまーす」

 

美波が言うが、新田夫妻の耳に入らず。

プロデウサアの頭へ偶然にも花瓶が投げつけらるが、当たらず。

さすがの彼であっても肝を冷やす。

 

(只今の一撃には情け容赦が感じられず。

 あれが我に当たっていたら、ただでは済むぬだろう……)

 

新田家を後にした一行は、ココスなる名前の近代的

大衆向け茶店(あるいは食事処)へ入る。

 

さて。問題はここからである。

犬猿の仲であるまゆ、かれん、みなみの

三名がおることはもちろんのこと、それ加え弟あり。

 

すなわち、美波との結婚を阻止したいものが三名おる。

 

一方で美波とプロデウサアは念願叶い再開を果たしており、

もはや何事か話し合う意味もなく、脱走を図ることにした。

 

「……もう15分経ちましたけど、私の彼が戻ってきませんねぇ」

 

まゆが、いぶかしむ。

 

プロデウサアはトイレに行くと言い、

一方の美波はドリンクバーを取りに行くと言い、

互いに口裏を合わせて、茶店の裏口より遁走せり。

 

加蓮が女人のカンから邪な企みをいち早く見抜く。

若い夫婦が店前に呼び出したタクシーに乗り込もうとしているところへ突撃する。

 

「油断も隙もあったもんじゃない。逃げようとしても無駄だから!!」

 

「な、何をするか。これ、離さぬか。スーツの裾が伸びてしまう」

 

「くっ……さすがプロデューサーさん。すごい力。ならこれで!!」

 

「ぐふっ……よさんか加蓮よ……ネクタイを閉められては息ができぬ」

 

タクシーの運転手(54歳。離婚歴の有るのおじさん)は、

突然始まった謎の争いをスマホで撮影していた。

 

ちなみにガチの修羅場の迫力は、文中では表現できぬほど

恐ろしいものである。

 

(ここでいつまでも茶番を続けていたら、まゆたちがやって来てしまうわ)

 

美波は奥の手を使うことにした。

 

バッグの中に入れておいた催涙スプレーである。

本来ならまゆに使う予定だったのだが、愛しの彼を

窒息死させようとしている加蓮に使うことにした。

 

「このお邪魔虫の泥棒猫が。これでも食らえ!!」

 

「え? ぎゃあああ!!」

 

加蓮はまともにスプレーを食らってしまった。

顔を抑えながらごろごろ転がり、歩道の上を行ったり来たりした。

 

美波がガッツポーズしながら、

 

「運転手さん、急いでください!!」

 

「は、はぁ。それで行先は?」

 

「どこでもいいです!!」

 

「いや、どこでもって言われても困りますよ。

 お客さん達、追われてる身のようだから

 隣の岡山県にでも逃げますか。岡山は自分の故郷なんですよ」

 

「じゃあ岡山県で良いです!! 早く発車してください!!」

 

「はいはい……おや、バックミラー越しに走ってくる女の子が見えますが」

 

佐久間まゆだった。隣に弟者もいる。

まさしく鬼の形相であり、捕まったら今度こそ亡き者にされる。

 

美波は鳥肌が立った。

 

「なにしてるんですか!! 早く発進させてください!!」

 

「あの子って佐久間まゆですよね?

 私は土曜のラジオを毎週聞いてるのであの子のファンなんですよ。

 へへ……。ちょっとサインでも頂きたいですね」

 

「サインなんてあとでいくらでもあげますから、

 早くしてくださいよ!!

 追いつかれちゃうじゃないですか!!」

 

美波が後部座席から身を乗り出し、

運転手の頭をペシペシと叩くので運転手は仕方なく車を走らせた。

(ちなみに実際のタクシーは運転席の後ろにしきりがあるので叩けない)

 

平日の夕方なので通勤ラッシュで道は混雑している。なかなか進まない。

信号待ちをしている間に、まゆと弟者が追い付ていてしまった。

 

弟者が、拳で後部座席の窓ガラスを叩き割る。

 

「ひ、ひぇぇ……人間とは思えぬほどの力である……」

 

プロデウサアが戦意を失い、美波と身を寄せ合う。

 

信号が青になったので、運転手が急いで車を走らせる。

 

「おや……?」

 

左折したいのだが、ハンドルが曲がらない。

 

おかしいと思い、サイドミラー越しに車の異常を確認したところ、

前輪が欠けていた。なんていうか、左側の前輪がいつの間にか外されていた。

 

バランスを失ったタクシーは、交差点のど真ん中で横滑りし、停止してしまう。

そこへ向かい側からトラックが一台、続けて側面から乗用車3台が突っ込んできて、

盛大な玉突き事故を起こした。タクシーはすでに原形をとどめていない。

 

 

「ふ……こんな死に方も悪くないか……」

 

 

タクシーの運転手は、もう会えなくなってしまった娘の顔を思い出しながら

煙草を口にくわえ、自爆スイッチに手を触れた。

 

「伏せろ、美波!!」

 

「きゃあああああああああああああ!!」

 

爆炎が、上空30メートルにわたって燃え上がる。

風圧によって飛ばされた破片が、周囲のあらゆるものを破壊しくした。

 

その爆発音は、広島県をはるかに超え、埼玉県の秩父地方にまで響いたとされた。

 

 

 

 

 

 

                               つづく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

藤原肇がようやく登場したらどうなるのか?

肇ちゃんって職人気質で真面目なんですよね。
ヤンデレとか浮気とか修羅場とかに不向きな存在だし、
彼女のことを汚したくないと心から思っています(大嘘)(*^▽^*)


広島駅の周辺での大爆発、大型空母の飛行甲板に

800キロ爆弾が命中するに匹敵セリ。

 

「ぐおぉ……マジいてぇ……足の骨が折れたかもしれねえ」

 

「いたた……私も足をくじいちゃったみたいで、

 もう自分の足では歩けないです」

 

もはや植物さえも生きてはおらぬと考えられるその惨事において、

美波とプロデウサアの両名はなおも生存せり。

 

足を負傷するが火傷を始めとした裂傷は確認されず。

その生命力たるや、脅威と言う他なし。

 

その爆風により、両名は広島市をはるかに超え

岡山県の南東部へと吹き飛ばされる。

 

その地、兵庫県にほど近い場所にありけり。

備前役で有名な地であり、村は多くの山に囲まれる。

 

またその地、346芸能事務所出身のアイドルにおいては

藤原肇の生地として知られるため、

 

(この地で彼女と会うことも不可能ではないだろう)

 

とプロデウサアが思うの無理はない。

 

「もし」

 

「む? そ、そなたは!!」

 

背後より声をかけられ、プロデウサアは振り返る。

 

「やっぱりプロデューサーさんだったんですか。

 親の畑仕事を手伝っていたら

 なんか空から大人の人が振ってくるのが見えたので、

 様子を見に来たんです」

 

その夫婦(めおと)、農道の一角にて往生する。

上空1200メートルから飛来するが、その後に足を

くじいただけで済むのは、例え作り話にしてもいささか無理がある。

 

 

 

 

優しい肇ちゃんは、救急車を呼ぼうかと思いました。

しかしプロデューサーと美波さんの様子を見る限り、

どうやら事態が只事ではないことを察します。

 

彼女は親族の葬式があり、また祖父に再び陶芸を学ぶために

一時的に帰郷していたのですが、まさか自分の地元で

愛しの彼と再会できるとは思ってなかったのでうれしさ半分、

哀しさと悔しさも混じっていました。

 

それはなぜかと言うと、彼のすぐ隣で大往生している美波を

見つけてしまったからです。二人は吹き飛んでからも仲良さそうに

手を繋いでおり、まるで恋人同士のように見えてしまったからです。

 

できるだけ美波の方は見ないようにしながら肇ちゃんはこう言いました。

 

「今、大人を呼んできます。

 あと担架を持ってきますからここで待っててください」

 

「す、すまぬな。おぬしにはいきなり迷惑をかける」

 

「……? プロデューサーさん。口調が変ですよ?」

 

「なに。我も色々あってな。気にするでない。すぐになれるさ」

 

賢い肇ちゃんは、まさか芳野の影響を受けたのかと思い、

またしても嫉妬してしまいました。芸能活動を半年くらい休んでいたから、

その間にプロデューサーが自分以外の女の子と何をしていたのか知りません。

 

きっとまゆが迷惑をかけているのだろうと思いましたが、

なぜここに美波がいるのか、とにかくその理由が知りたかったのです。

 

そこで自宅の大広間で二人を寝かせ、母親と一緒に傷の

手当てをしている時に、ついこう訊いてしまいました。

 

「あの、私の勘違いだったらすみません。もしかして

 プロデューサーさんと美波さんって付き合ってるんですか?」

 

「はい。そうです」

 

美波さんが代わりに答えてくれましたので、肇ちゃんはイライラしました。

質問に答えるべきのプロデューサーは、

バツの悪そうな顔をして目線をそらしています。

 

それもそのはずです。

世界一の恥知らずとして定評のあるプロデューサーは、

例のラブレターを藤原肇ちゃんにも送っていたのです。

 

ちなみに彼が今までに一番多くのラブレターを送ったのが

肇ちゃんでして、いつか岡山県の実家に立ち寄った時には、

ぜひとも祖父様と両親様にご挨拶をと繰り返し語っていました。

 

「悪いけど私はまだ外仕事があるから」

 

「分かりました。あとは私がやっておきます」

 

肇ちゃんのお母さんは、若い夫婦に軽く会釈をしてから

また畑へと戻って行きました。夏の日差しをいっぱいに浴びた、

田舎の景色です。窓から見える田んぼにはたくさんのトンボが飛んでいます。

 

その時、窓から風が吹き込んできて、美波の髪の毛が揺れました。

その際にうなじが見えてしまったのですが、残念なことに

彼女のうなじには不自然な赤い痕がありました。キスマークでした。

 

「なるほど。そうだったんですか……そういうわけだったんですね……」

 

「ぬしよ……どうしたのだ? 顔色が優れぬようだが」

 

「顔色が優れないですって? それはそうですよ。

 プロデューサーさん。私が実家に帰ってる間に美波さんに

 手を出していたんですね。今キスマークが見えましたよ」

 

「ぬ、ぬう!? い、いや、我はキスなどしておらぬぞ」

 

「でもキスマークがありましたよ」

 

美波の首に手鏡を当てると、確かにあります。

一番驚いたのは美波さんでした。愛しの彼と再会したばかりで

ベッドを共にする暇もないほど忙しかったのに、一体誰が?

 

「肇ちゃん。勘違いさせちゃってごめん。

 これ、彼じゃなくて私の弟かもしれないわ」

 

「弟? 美波さんって弟さんがいたんですか?

 それって本当ですか? まさか嘘じゃないですよね?」

 

「零也って言って、高校二年生なの。肇ちゃんの一個上かな。

 ちょっと言いにくいんだけど、私ね。家で弟にレイプされてるの」

 

「な!?」

 

「なんと!? これ美波よ。虚言を言うでない!!」

 

「虚言だったらどれだけ良かったことか……。

 私がプロデューサーさんの隠し撮り写真をオカズに

 夜にハァハァしてたら、弟が部屋を開けて飛び込んでくるんです……。

 それで体中を縄で縛られてしまって……」

 

「たわけたことを……。そのような作り話を信じられるわけがなかろう!!」

 

「私も信じられません。それとプロデューサーさんの口調がさっきから

 おかしすぎて笑いをこらえるのが大変なですけど、それは後にしましょう。

 実の弟さんにレイプされるお姉さんなんてこの世にいるんですか?」

 

「実家にいると私のパンツが……」

 

「パンツがどうしましたか? まさか……」

 

「毎日盗まれてるの。特に脱衣所で脱いだ後のやつがね。

 タンスの中にあるのもよく盗まれてる。

 家中探しても見つからないのよ。それで

 ランジェリーショップ(下着屋)に頻繁に買いに行くの……」

 

「……バカな」

 

「でも嘘を言ってる人の顔じゃありませんね」

 

「……お父さんにもレイプされたことある」

 

「なにぃ!?」

 

「お父さんって、実のお父さんにですか?!

 さ、さすがにそれは……。ってその顔は本当みたいですね」

 

美波が13歳の時に父に襲われたエピソードを語り出そうとしましたので、

さすがにプロデューサーが止める。知りたくもなかった事実ですが、

新田家において美波は家族の男性からも大変に好かれる存在だったのです。

 

貞操観念のしっかりした肇ちゃんはこの話を聞いて

気分が悪くなりましたが、一方でプロデューサーが愛想をつかしてくれるので

はないかと少し期待しました。なぜなら、身内にレイプされた話を

恥ずかしげもなく語り出す美波さんは大変な変わり者だと思ったからです。

 

「そっか。美波。お前はそんなにも辛い思いをしてたんだな。

 泣くなよ。もう俺は二度と、お前を新田家に連れ戻すことはない。

 俺はお前を死ぬまで守るって言っただろ?」

 

「はい。あなた……。愛してます。そして一生着いて行きます」

 

以上の会話を二人は仲良く布団に寝たまましていました。

 

肇ちゃんは、いっそこいつらを近所の川に捨ててしまおうかとさえ思いました。

困っているから応急処置をしてあげたのに(捻挫でした)

なぜこのようなイチャラブを見せられるのか、理解に苦しみます。

 

「母屋が賑やかなようだが、客人でも来ておるのかね?」

 

腰を曲げたお爺さんが、玄関から入ってきました。

豊かな白髪のこの人が、肇ちゃんが度々話に出していた祖父です。

 

彼女の話していたことからある程度は想像がついてましたが、

やはり陶芸職人らしい、厳めしさの中に深い知性を宿した老人でした。

 

職業柄、やや人間嫌いな風も感じられましたが、孫娘から事情を聞くと、

夫婦を見てにっこりと笑い「足の傷が治るまで静養しなされ。

東京から来たと言うなら、ここの環境は良い癒しとなることでしょう」

 

そう言ってくれました。美波さんとプロデューサーは恐縮し、

布団から半身だけ起こしてペコペコと頭を下げました。

 

「空から降って来たから喉が渇いたでしょう?

 麦茶でも持ってきますよ」

 

肇ちゃんは台所で茶菓子の準備をしますが、工房に戻ろうとする祖父に

余計なことを言ってしまいました。あそこにいる男性が、

以前に私が話していた婚約者ですと。

 

祖父は「ほう……まあ悪そうな男には見えんかったの」

と少し複雑な顔をして言いました。

 

あとでプロデューサーとじっくり話がしたいとのことです。

これであとで修羅場になること確定しました。

なぜなら、プロデューサーにはすでに婚約者の美波がいるからです。

 

祖父に美波のことを説明した瞬間に、プロデューサーは土に返されて

陶芸(お皿など)の材料にされてもおかしくありません。

というか、絶対にされるでしょう。

 

麦茶とせんべいを盆にのせて客間に戻ると、なんと

若い夫婦はすでに寝息を立てていました。上空1200メートルを

飛来したせいでよほど疲れていたのでしょう。

 

「はぁ……人の気も知らないで」

 

肇ちゃんは面白くありません。

プロデューサーのことはいいのです。彼の隣にいる美波のことを

どうすればよいのか。彼の未来の妻として紹介された瞬間から美波のことが

大嫌いになってしまいました。まゆや加蓮、智絵理や美優と同じ感情です。

 

やはり美波さんは同性から嫉妬の対象にされやすいのです。

容姿が美しいことも関係しているのでしょう。

 

 

(私みたいな土いじりが好きな田舎者より、美波さんの方が魅力的なのかな……)

 

夜になりました。

入浴中の肇ちゃんは、自分の胸に触れながら、静かに涙を流しました。

 

久しぶりに彼に会えたことは素直に嬉しい。

しばらく会えない間に浮気されないか心配してましたが、

まさか本当に浮気していたとは。

 

真面目な彼女の中では、ラブレターを5通貰った時点で

彼と交際している気分になっていました。また婚約の約束も

向こうからしてきたために、結婚する気でいました。

 

それは何もおかしいことではなく、普通の女の子ならそう思うでしょう。

 

家の外からは、カエルの大合唱が聞こえます。

山々の上に浮かぶ空には、満天の星空。

 

肇ちゃんは、髪の毛をタオルでゴシゴシしながら

縁側に腰かけます。するとその隣に美波さんが腰かけました。

 

「リラックスしてるところ邪魔しちゃってごめんね。

 迷惑じゃなかったら、肇ちゃんにお話があるの」

 

「私は別に構いませんけど、足は大丈夫なんですか?」

 

「うん。なんか寝たら治った」

 

「そんなに早く治る傷ではなさそうでしたけど」

 

「たぶん血筋だと思う。新田家の人間は頑丈にできてるから」

 

肇ちゃんは全く納得できませんでしたが、

これ以上考えないことにしました。

 

「……それで話と言うのは?」

 

「なんか怒ってない? 声が怖いよ」

 

「怒ってませんよ。プロデューサーさんのことで話があるんでしょう?」

 

「うん。落ち着いて聞いてね?

 私のダーリンからあなたに関する事情は聞いたわ。

 あの人ったらこの家に来てから妙にそわそわしてるんだもの。

 おかしくて笑っちゃいそうだった。それで話って言うのはね」

 

美波さんは目を見開きました。

 

――プロデューサーは私と結婚するってことだよ。

 

肇ちゃんは肩がビクッと震えました。

生まれた時から野山に住み、いろいろな生き物を見てきました。

 

田んぼや畑にいる昆虫や蛇など可愛いものです。

日中は空にはタカが飛び、夜中は飢えた野犬に出くわすこともあります。

 

山中でイノシシやクマに襲われそうになった時に

祖父の仲間が銃で威嚇して守ってくれたこともありました。

 

それでもなお、今の新田美波の目つきは、どうやっても

形容できないほどの恐ろしさを持っていました。

 

「怖がらせちゃったらごめんね。でもあなたには

 最初にはっきり言っておいた方が良いと思ったの。

 私と彼は真剣に愛し合ってるから、これから本当に

 結婚するつもりなの。……うん。もちろん知ってるよ。

 私の旦那が一時の気の迷いであなたに気が合った時期があったことは」

 

美波は息を吸い、こう言います。

 

――お願いだから彼に手を出さないでね。

 

心優しい肇ちゃんは、握りしめていた団扇が足元に落ちてしまいました。

蚊取り線香の煙が黙々と上がり、優しい風がそれをさらいます。

 

「そんなことを、わざわざ私に言いたかったのですか」

 

「うん。だって重要な事でしょ?」

 

美波は、彼と結ばれるまでにどれだけの紆余曲折があったのかを、

ゆっくりと語り聞かせました。今プロデューサーは風呂に入っているから

女子の会話をするのにちょうど良いのです。

 

肇ちゃんは、目を閉じながらその不愉快な話を最後まで聞きました。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

藤原肇と新田美波が喧嘩を始めました。

この小説って読んでて気の休まる暇がない(笑)
たまに自分で読み返すと胃が痛くなる。


「それで、美波さんは私にプロデューサーさんのことを諦めて欲しいわけですか」

 

「うん」

 

「嫌だと言ったらどうします?」

 

「何言ってるの。あなたにそんな選択肢はないはずよ。

 何度も説明したように、もう彼は私なしでは生きていけないの。

 賢い肇ちゃんなら分かってくれると思ったんだけど」

 

肇ちゃんはすっと立ち上がり、サンダルを履いて庭に出ました。

そして美波の方を振り返り、

 

「すみませんが、美波さんの言ってることが

 少しも理解できませんでした」

 

と言いました。強い意志が瞳に込められています。

 

(そう言うと思ったよ)

 

美波はなんとも好戦的な気分になりました。

 

彼と結ばれるまでに何人のアイドルと戦わなくてはいけないのか。

世界中に存在する芸能事務所のプロデューサーを見渡しても、

この346プロのプロデューサーほど女の子にモテる人は

存在しないことでしょう。美波はそれが分かっているらこそ、

どこまでも戦うつもりでした。

 

「そっか。納得してくれないんだ」

 

「はい。全然」

 

「じゃあどこが納得できないのか教えてくれる?」

 

「私が気になったのは、美波さんが自分勝手な解釈をしているところです」

 

「ふーん。……どこが? 

 ちなみに彼が私のことを愛してるのは知ってるはずだけど。

 彼の口からもちゃんと聞いてるよね?」

 

「いえ。そこじゃないです。私が実家に帰ってる間に

 あなたが勝手にプロデューサーさんを拉致監禁したくせに

 どうしてご自分が彼の奥さんだと言い張れるのかなと」

 

「……彼があなたにラブレターをたくさん送ってたのは知ってるよ。

 でもね。ラブレターの件は、一時の気の迷いだって彼も認めてくれてるからさ」

 

「あの人を最初に好きになったのは私です」

 

「あっそう。うん。そうかもしれないね。その理屈は加蓮や響子にも

 聞かされたけど、だから何って感じかな。重要なのは今だよね」

 

「逆に美波さんが私の立場に立ってみたら分かると思うんです。

 どうです? 婚約の約束までした男性が、突然泥棒猫に

 奪われていることを知って、それで納得してって言われて納得できますか?」

 

「……でも事実は認めないとダメだよ」

 

「私は今まで新田美波さんとちゃんとお話をしたことなかったので、

 美波さんがこんなにも恥知らずで自分勝手な人だとは知りませんでした」

 

「……」

 

「少しプロデューサーさんと話をしたいのですが」

 

「ごめん。もう明日には帰るから」

 

「え? 帰っちゃうんですか」

 

「これ、少ないけど宿代。……ううん。もらってちょうだい。

 私と彼のほんの気持ちだから。今日は空から突然吹ってきたのに

 手当してくれて助かったよ。本当に感謝はしてるんだよ?

 そういうわけだから、あなたと私は二度と会わない方が良いと思う」

 

「この茶封筒。ずいぶん厚みがありますね。失礼ですが開けても?」

 

「ええ。どうぞ。中に100万円入っているわ」

 

「そんなに……!?」

 

「さらにもう一つあげる。はい」

 

「に、200万……!? いりませんよ。こんな大金!!」

 

「いいのよ。ほんの気持ちだから。彼があなたに変な恋文を

 渡して気持ちをもて遊んでしまったことへの謝罪の意味も込めているの」

 

「本当にやめてくださいよっ……。私の家は別に生活に困ってませんから!!」

 

「そう言わずにさ。金額に満足してないならもっとあげるよ。はいどうぞ」

 

美波は、鞄の中からさらに500万円を出し、

肇ちゃんの手のひらに乗せてあげました。

 

その鞄とは、数話前で彼女の父がプロデューサー相手に

示した例のアレでした。実家から逃走しながらもこの

お金だけは大事に持ち出していたのです。

岡山へ吹き飛ぶ際もこの鞄を大事に抱えていました。

 

「ひえー!! こんな大金、見たことありません!! 

 しかも札束ってけっこう重い!!」

 

「いいから貰いなよ。人がせっかくあげるって言ってるんだら

 もらっておかないと後悔するよ。

 これで肇ちゃんの好きな物でも買って元気出して」

 

「な……なんなんですか。あなたは!!

 19歳なのにどうしてそんな大金を持ち歩いて……

 はっ、偽札ですか。そうに決まってます!!」

 

「うちの国では偽札を所持してるだけでも重罪なんだよ。

 そもそも紙幣とは日本銀行がその価値を保証するもの。

 ほら。下の方に日本銀行券って書いてあるでしょ?

 これを偽物と偽るのがどれだけ大変なのかと言うと……」

 

「うんちくは結構です。本物だって認めますよ。

 でも受け取るわけにはいきません。

 おじいちゃんがよく言ってました。

 自分が働いてもないのに得るお金は、汚いお金だって」

 

「何言ってるの。お金はお金だよ。それ以上でもそれ以下でもない。

 重要なのは肇ちゃんがこれをどう使うかだと思う。

 もちろん貯金して将来のために使うのも良いと思うよ。

 自分で管理しきれないなら親に渡しちゃうの良いよね」

 

「お金はいりません!! あなたは、私がお金を

 見せつけられたらプロデューサーさんのことを諦めるような、

 安っぽい女だと思ったんですか!!」

 

「うん。思った」

 

「……今のは本気でイラっと来ました」

 

「ごめん。嘘だよ。肇ちゃんが魅力的な女の子なのは知ってる。

 それで普通に説得しても絶対に諦めてくれないと思ったから

 お金に頼ろうとしたの。ダメもとでやったけどやっぱり失敗したね」

 

「でしたら初めからやらないでくださいよ……」

 

「てへへ。冗談だよー♪。本気にすんなよバーカ♪」

 

「??……いきなり何を……?」

 

「ねえねえ。それよりプロデューサーとはヤッたの?」

 

「はい!?」

 

「だから……彼と一緒に寝たのかって訊いてるの」

 

「それは……」

 

「ちゃんと答えて!!」

 

「うっ……びっくりした。さっきからテンションおかしくないですか」

 

「いいから」

 

「……ま、まだです」

 

「ぷぷっ。なーんだ。やっぱりね。ってことはあんた、

 プロデューサーから女として見られてない証拠だよ」

 

「は?」

 

「プロデューサーさんは本当に好きな

 女の子しか抱くことはないの。つまりあなたは」

 

「ちょっと待ってください。美波さんから聞いた話だと

 美波さんの他にも智絵理さん、まゆさん、美優さんも

 彼と身体の関係を持ってることになってますよ。しかも

 美優さんは妊娠してるわけですから、あなたより先を行ってませんか?」

 

「……」

 

「それに美波さんとプロデューサーさんが最初に寝たのも

 拉致監禁事件の時のようですよね。違いますか?

 それってプロデューサーさんの同意もなく、無理やり

 美波さんが犯しただけだし、愛も何もないような気がします」

 

痛いところを突かれた美波さんは、とりあえず黙ります。

 

「私はプロデューサーさんにこう言われました。

 肇のことは本当に大切に思っているから、そういうことをする時は

 結婚してからにしよう。あの時の彼のまなざしは真剣でした。

 美波さん達って、彼に遊ばれてるだけなんじゃないですか?」

 

「そう思いたいのは分かるわ」

 

「……自信ないんですか?」

 

「自信ならあるわよ」

 

「ではプロデューサーさんに直接訊いてみましょうか」

 

「待って。何を訊くの?」

 

「藤原肇と新田美波のどっちが好きなのかをです」

 

「それって愚問じゃない? すでに答えが分かりきってるのに」

 

「自信があるなら止める理由もないはずですよ」

 

「……」

 

「顔が引きつってますけど、大丈夫ですか?」

 

「1000万円あげたら見逃してくれる?」

 

「嫌です。仮に1億円渡されても断りますよ」

 

美波さんがなぜ焦っているのかと言うと、女のカンです。

この藤原肇の実家で、彼がかつて大好きだった彼女と

過ごすことで、彼の心に変化がないとも限らないのです。

 

まゆに自分のマンションを占拠された際に、肇ちゃん宛ての

ラブレターをファッションセンター島村さんが音読しましたが、

どうやらプロデューサーが一番に愛していたのが肇ちゃんだったのです。

 

あの響子よりも肇ちゃんに対する愛情が強かったことが、

あの恋文の内容から伝わって来たので、まゆ委員長は

それはもう乱心し、美波に対する八つ当たりも過酷なものになりました。

 

 

「うむ。実に良い湯であった」

 

頭にタオルを乗せたプロデューサーが、パンイチで登場しました。

彼も足の怪我が治ったようで、ずかずかと涼しい縁側に座りますが、

どうやら美波さんと肇ちゃんが修羅場であることを察したので

 

(シュラバヤ沖海戦……!!)

 

すぐに逃げようとしましたが、その前に肇ちゃんが彼に抱き着きました。

 

「逃げないでください。あんなに好きだって言ってくれたのに、

 私のことは捨てて美波さんを選ぶんですか?」

 

涙目の上目遣いで言われてしまったので、

プロデューサーのアソコが一瞬で元気になりました。

肇ちゃんを性的に意識しているようです。

 

「ぬおっ……足元がおぼつかぬ……」

 

プロデューサーは押し倒されてしまい、そのまま肇ちゃんと

キスを始めてしまいました。プロデューサーは抵抗しようにも

楓ちゃんが手足を絡ませてくるので思うように体が動きません。

 

「プロデューサーさん。こっちを向いてください」

 

「お、おぬし……いや……はじめ……ちゃん」

 

それは16歳の肇ちゃんが初めてする大人のキスでした。

 

(どうか。彼の気持ちが私にもう一度向いてくれますように)

 

乙女の願いが込められたキスは、不思議な魔力を持ってました。

 

その日は、偶然にも一流万倍日でした。

 

※一粒万倍日とは、「一粒の籾(もみ)が万倍にも実り、立派な稲穂になる」

 という意味があります。そのため、一粒万倍日は、何事を始めるにも

 良い日とされています。財布を新調することで金運が上がることもあります。

 

そのキスの力でついにプロデューサーの心を改心させることに成功しました。

思えば彼は、美波のマンションで拉致されて逆レイプされたことで

すっかり美波の身体に溺れ、そして彼女のことを愛していると

勘違いしてから今日にまで至っていました。

 

その流れが逆回転し、再び物語が冒頭、

あるいはそれ以前の状態に戻ったらどうなるのでしょう?

 

「美波。すまないが俺との婚約の話はなかったことにしてくれないか?」

 

こうなるのです。

 

「俺は30歳の誕生日を迎える前に、真実の愛に気づいたよ。

 俺は藤原肇と結婚することにする」

 

美波は目の前が真っ暗になり、気を失ってしまいました。

 

肇ちゃんはにやけそうになるのを必死でこらえながら、

美波を布団に寝かせます。自分はプロデューサーと裸で抱き合い、

しっかりと初夜を済ませておきました。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

プロデューサーに会社から逮捕状が届いた。

今現実世界でウクライナ戦争が続いており、
ロシアネタを書くことで多くの読者の怒りを買うことは承知している。
それであえてソ連ネタを書く。

ソビエト社会主義 共和国 連邦のような芸能プロダクションが
この世に存在したらどうなるのか?

その正解は俺の書いた作文(本編)の中にある。

 『ソビエト・プロダクション』


一夜が明けました。

肇ちゃんを妻にすると言い張るプロデューサーを前にして

美波さんはそれはもう乱心しました。

 

「い、いやぁ!! プロデューサーさんが藤原肇を

 選ぶなんて嘘よ。これは悪い夢なのよ!! 

 嘘だって言ってよぉ!! お願いだから私を捨てないでぇ」

 

「美波……お、俺は決して君の事が嫌いになったわけじゃないんだ。

 ただ、やっぱり肇ちゃんを前にしちゃうと……どうしてもな……」

 

「プロデューサーさん? もう美波さんの相手はしないって

 昨日約束してくれましたよね? 確かに約束しましたよね?」

 

「あ、ああ……そうだったな。はは。もちろん忘れたわけじゃないんだ……」

 

美波さんはプロデューサーの腰にしがみつき、大泣きしてしました。

プロデューサーは申し訳なさそうな顔をしていて、さすがに

彼女を引きはがしたりはしません。肇ちゃんは、虫けらを見るような

冷たい目で美波さんを見下ろしていました。

 

「諦めの悪い女は嫌われますよ」

 

「くっ……この女狐が……調子に乗って……」

 

「どうせ出て行ってくださいと言っても聞かないんでしょう。

 家で自殺されても困りますし、いっそ愛人枠を用意してあげましょうか」

 

「あ、愛人? この私が……愛人……?」

 

「日本は一夫多妻制じゃありませんから、彼の二番目の奥さんに

 なることは不可能でも、それに近い存在としてなら許してあげると

 言ってるんですよ。一応これでも最大限の譲歩をしたつもりですが、

 美波さんにとってはまだ不満でしょうか?」

 

「う……うぅ……そんな屈辱的な地位に甘んじるつもりはないわ……。

 あんたが奥さんだってことは、どんな時でも

 彼に最優先で愛されるってことでしょうが」

 

「ええ。そうですね」

 

「いっそ殺してやる!!」

 

美波さんがついに実力行使に出ました。

ラクロスで鍛えた美波さんなら、その気になれば肇ちゃんを

絞め殺すことも可能かと思われましたが、

 

「すみませんが、そっちから手を出してきたのですから手加減はできませんよ」

 

その拳を食らった際に、美波が唯一発することができたのは

 

「うっ?」

 

だけだった。

 

うっうーではありません。肇ちゃんに対して両手を挙げて

襲い掛かった美波に対し、カウンターで右ストレートが放たれました。

 

その拳の威力たるや、しっかりと足を踏ん張り腰を曲げて放った

本格的な拳なのであります。美波は例によって吹き飛ぶわけでもなく、

口から謎の煙を吐きながらその場に倒れたのです。

 

「し、死んでる……?」

 

プロデューサーがそう思うほどには、殺人的な拳であったのです。

 

「全力でやりましたが、急所は外してありますから

 死んではいないはずです。その代わりすぐに病院に運んだ方が

 良いとは思いますけど」

 

肇ちゃんは、大きなため息を吐いた後に、固定電話で

救急車を呼ぼうとしましたが、そんな時にチャイムが鳴ります。

どうやら来客が来たようです。

 

「近所の人が回覧板でも持ってきたのかしら」

 

と肇ちゃんが余所行きの笑顔で玄関の引き戸を開けると

 

「やっほー」

 

感情のこもらぬ瞳で片手をあげる北条加蓮の姿がそこにありました。

 

「北条加蓮さん……。まさかプロデューサーさん目当てでここに?」

 

「他にどんな理由があるの。さっそくだけど彼に会わせてもらいたいんだけど」

 

「……」

 

「顔、怖いよ。もしかして来たらいけないタイミングだった?」

 

奥の間から、プロデューサーが心配して玄関に来てしまいました。

加蓮は人の家なのに遠慮なく上がり、プロデューサーに抱き着きます。

 

子猫のように甘える彼女の頭をつい撫でてしまうプロデューサー。

本来なら微笑ましいシーンなのですが、婚約者の肇ちゃんから

したら面白くありません。むしろ激怒するシーンです。

 

「彼も迷惑してると思うので、ちょっと離れてもらっても良いですか?」

 

「!?」

 

加蓮があと3秒離れるのが送れていたら、死んでいたのは確実でした。

彼女が先ほどまでいた場所に、肇ちゃんの回し蹴りが放たれていたのです。

 

直接は食らってなくても、その風圧でプロデューサーは

吹き飛び、ふすまを何枚か破って壁に激突しました。

 

その際に彼はこう思いました。

 

(真にシャレにならぬ事態なり……。只今の回し蹴りは文字通り殺人的でしてー)

 

肇ちゃんは年齢の割に大人びていて、あまり感情を表に

出すことがありませんが、こういうタイプが怒らせると

一番怖いのです。結婚してから旦那が他所の女にフラフラしていたら

本当に殺されてもおかしくありません。

 

「ねえ肇ちゃん。真剣に聞いてほしんだけど、あたしはあなたから

 プロデューサーさんを奪いに来たわけじゃなくてね、救いに来たの」

 

「ほほう。どんな訳があって救いに来たのでしょうか。

 あなたの目つきが真剣なので一応最後まで聞いてあげます。

 その代わり、今の私は気が立っていますから、

 返答次第では覚悟してもらいますよ」

 

「まもなく346プロの裁判が開かれるの」

 

「裁判? うちの社長がどこかの団体や個人から訴えられましたか」

 

「そうじゃなくて、訴えられたのはプロデューサーなんだよ。

 346プロダクションが、社員であるプロデューサーさんを

 裁判にかけるってこと」

 

「……? それって変じゃないですか。どうして自分のとこの

 社員を会社側が裁判にかけるのですか? 仮に彼が

 問題行動を起こしたのなら説教とか始末書を書かせるとか」

 

「そういうレベルの話じゃないんだよ。あなたが彼の会社での

 処遇についてどこまで聞いてるか知らないけど、プロデューサーは

 346プロダクションの所有物であって人権はない。

 だから会社側の意向に逆らって逃亡とかすると、

 最悪、強制収容所送りになっちゃうんだよ」

 

「会社の所有物……? 強制収容所……?

 そういえば、うちの社長は元ソ連人だったと聞きましたけど」

 

「うん。詳しい話はあとでするから、今は逃げることを考え……」

 

そこまで話したところで上空が騒がしくてなってきました。

 

空を裂くのはヘリコプターのプロペラの音です。

玄関の外に出て空を見ると、いるいる。

実に10機以上の軍用ヘリコプターがいました。

 

ヘリから垂らされたロープを伝って軍人の人たちが

たくさん降りてきました。その数は40を超えます。

困ったことに、その中には私服姿のまゆや美優さんも含まれていました。

 

佐久間まゆと三船美優さんは、多くの軍人の男の人たちを従えて、

藤原家の玄関に入ってきました。畑仕事をしていた両親も

驚いてやってきましたが、屋敷の周囲は軍によって完全に占拠されています。

 

離れから様子を見に来た肇ちゃんのお爺さんは、

抵抗するそぶりを見せたので軍人に取り押さえられました。

 

 

「お久しぶりです。プロデューサーさん」

 

美優さんは深く頭を下げました。まゆちゃんも微笑んでいます。

 

「あなたに会社から逮捕状が出ているんですよ……」

 

美しい美優さんから受け取った紙には「反革命容疑」と書かれていました。

罪状の主なものは、サボタージュをしたことによるものです。

 

つまりサボりです。彼は勤務日にも関わらず

職場に行かずに広島県まで遊びに行っていました。

それから色々あり岡山県まで吹き飛んで肇ちゃんと婚約してしまいました。

 

プロデューサーは罪状を突き返す際に、わざとらしく

美優のおっぱいに触れてしまいます。そしてこう言いました。

 

「どうせ抵抗しても無駄なので従いますけど、

 この反革命容疑って、どういう意味なんですか?」

 

「さあ。私も政治に関することはさっぱり分かりませんから」

 

プロデューサーは同じ質問をまゆにもしたのですが、

 

「プロデューサーさんは会社と契約する時にきちんと契約に

 サインをしたはずでしたよね。約束は守らないといけません」

 

「あれって長いから最後まで読んでないんだよ。

 反革命容疑って、革命に参加しない人とかが逮捕されるってことだよね。

 うちの会社って革命とか起きてたんだっけ?」

 

「難しく考える必要はありませんよぉ。プロデューサーさんは、

 まゆの許可なく勝手に出て行ったので罰を受けちゃうってことです」

 

「そっか。じゃあ行くか」

 

「はい。ですがその前に」

 

まゆちゃんは、プロデューサーに正面から抱き着きました。

さっき加蓮がやったのと全く同じようで、少し違います。

まゆは鼻先を鳴らしてプロデューサーの服の匂いを嗅いでいました。

 

その服はプロデューサーのものではなく、屋敷にあった男性用の服を

拝借しただけなのですが、プロデューサーが着ているのなら

元が誰の服だってまゆは構わないのです。

 

プロデューサーは気を利かせてキスをしてあげました。

最初は前髪をそっとかき上げて彼女のおでこに。

しかしまゆが直接に口にしてほしいと言ったので、

望みどおりに唇を塞いであげました。

 

まゆの全身からから甘ったるい女のフェロモンが発せられます。

いつものようにスカート越しにプロデューサーの足に太ももを

こすりつけてくるのですが、この修羅場で発情するほどプロデューサーも

馬鹿ではありません。

 

美優は静かに目を閉じ、その様子を見ないようにしていました。

美波はあ然とし、肇ちゃんは屈辱に震えていました。

肇ちゃんは、この時ほど佐久間まゆが憎いと思ったことはありません。

 

「まゆ。途中なのにごめんな。喉が渇いたから

 台所で水を飲んできていいかな?」

 

「いいですよぉ」

 

プロデューサーは奥へと消えますが、なかなか戻ってきません。

おかしいと思ったまゆと美優が様子を見に行くと、

彼はなんと包丁を何度も自分のお腹に刺して死のうとしていました。

 

「ちょっと何してるんですか!!」

 

「まゆちゃん。それより早く止血、止血して!!」

 

まず美優が包丁を奪い取って遠くに投げました。

まゆが大急ぎでプロデューサーの血だらけの服を脱がして

傷口を確認します。

 

「うそっ……」思わずうねりました。

思ったよりも傷が深くて血が止まりません。

 

駆け付けた加蓮と肇ちゃんも血だけになってる床を見て

パニックになりました。軍隊の人たちの中には軍医の人もいたので

急いで処置をしてくれます。彼らはプロなので安心して任せてほしいとのことで、

まゆ達はいったん台所から離れて居間で待機することにしました。

 

「ま、まゆのせいだぁ……まゆが彼を束縛しすぎたから

 死んじゃうんだぁ……まゆがぁ……まゆのせいでぇ……」

 

「落ち着きなさい。まゆちゃん!!

 あの程度の傷で彼は死にはしないわよ。

 今までだって何度も危機を乗り越えて生き残って来たじゃない」

 

まゆちゃんは、ショックのあまり過呼吸になっていました。

そんな彼女を支える美優もまた不安で仕方なかったのですが、

旧ソビエト人(ポーランド出身)の軍医が

「そこまで傷は深くない」とロシア語で語ってくれたので安心はしていました。

 

肇ちゃんと美波さんの美女二人は、この超展開に着いて行けずに

ただ畳の一角を見てボーっとしていました。プロデューサーの逮捕、

裁判の件から自殺未遂、屋敷が朝から軍に占拠されていることなど、

普通の女の子なら自殺してもおかしくないほどの衝撃です。

 

大学でミスコンに選ばれたことのある、346プロでも

定評のある美人の美波さんは、木製の壁掛け時計をじっと見つめました。

時刻は、まもなく朝の9時を過ぎようとしていました。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「ぐおおおおおおおおおおおおおおおおっ」

ネタが思いつかなかったので更新が遅れました。サーセン(^O^)/


プロデューサーがタイトルの通りに吠えるのは、これで二度目である。

 

一度目は、美波のマンションから脱走する時だ。

 

 

『あの時は、美波が拷問されてるのを知って我を失ってしまった』

 

とプロデューサーが振り返る。

 

今となっては遠い過去の出来事のようにすら思えてしまう。

 

そして今回は二度目。

 

彼の叫び声によって家中のふすまに亀裂が生じる。

畑で汗を流して働いている近所の農家の人々にまで響いたほどだった。

 

「あの声は!!」

 

「まゆちゃん。おとなしくここで待ってないとだめよ。

 今は治療中なんだから、あとはプロの人たちにお任せしましょう」

 

「で、でも……でもでも。

 プロデューサーさんが苦しんでるんじゃないですか?」

 

「大丈夫。大丈夫だから」

 

「美優さんはどうしてそんなに冷静なんですか!!

 彼が死ぬかもしれないんですよ!! 悲しくないんですか!!」

 

「私だってショックを受けてないわけじゃない。

 でもここで騒いだって何も解決しないでしょう?」

 

まゆは、美優の胸の中で泣いた。

 

ふたりはかつて委員会のメンバーの中枢であり、

美優は常にまゆに従い、主従関係のようにも

感じられたものだ。しかし、まゆはやはり16歳の少女に過ぎず、

人生経験の長い美優さんに諭されると安心して泣いてしまう。

 

「うぅ……うぅ……ぐすっ……」

 

「加蓮……あんたって泣くんだ」

 

「それってどういう意味……? あたしだってあんなに血だらけの

 プロデューサーさんを見たら悲しくなるよ……」

 

犬猿の仲の美波と加蓮もまた、この時ばかりは

喧嘩する雰囲気にはならなかった。

幼い加蓮もまゆと同じように激しく取り乱し、

ただただプロデューサーの無事を祈っていた。

 

一方の肇ちゃんも見た目は冷静だったが、それは

気持ちを押し殺しているだけで、泣けるものなら泣きたかった。

ただ、家で次々に起こる事態に着いて行けずに頭が混乱し続けていた。

 

その肇ちゃんが、唇まで真っ青になりながら問う。

 

「あの。加蓮さん」

 

「な、なによ」

 

「死んでも終わりじゃないんですよ」

 

「は?」

 

「死んだ後の世界って、もしかしたらあるのかもしれないし、

 私はたとえプロデューサーさんが死んじゃったとしても、

 すぐに後を追ってあげようと思うんです」

 

 

病んだ瞳の肇ちゃんに対し、加蓮は返す言葉がなかった。

その思考は卯月に似ているとは思ったが、口にしたところで

もはや意味はなく、そもそも加蓮は大好きな彼が死ぬなんて

これっぽっちも願ってないのだ。

 

 

「彼が……死ぬわけないでしょうが」

 

美波がそういった次の瞬間に銃声が鳴った。

 

 

バタリ……と誰かが倒れる音がした。

 

(まさか……)

 

 

アイドル達が我先にと台所に駆けつけると、

青い目をしたロシア兵の一人が言った。

 

 

「Я выстрелил, потому что

 пытался сбежать」

(脱走しようとしたので、撃った)

 

何を言ってるのかは通訳してくれないと分からない。

だが背中から撃たれているプロデューサーを見れば状況は分かる。

 

プロデューサーは重傷だったはずだが、かなり暴れたのか

ロシア兵が二人も血を流して床に倒れている。

おそらく手を付けられなくなったので兵隊が彼を銃殺したのだろう。

 

ロシア兵の一人が、携帯で連絡を取り続けている。

先方から何らかの許可が下りたのか、一斉に藤原家より撤収してしまう。

その去り際は、さすが軍隊だけあり見事と言う他ない。

 

時刻は朝の9時半を回るところだ。

まだ正午にもなってないが、まるで嵐のような一日だった。

 

死んでいるプロデューサーとアイドル達だけを残して、

時が止まってしまったかのようだ。

 

 

彼の周りにアイドルが集まる。

 

「うそ……うそだよね?」

「息……してないよ……脈も止まってる……」

「プロデューサーさぁん? 早く返事をしてくださいねぇ」

「あぁぁぁ……うあぁぁ。プロデューサーさぁん……」

「そっか。死んじゃったんだ……あはは。死んじゃった。死んじゃったぁ……」

 

 

肇ちゃんが、彼が使ったのと同じ包丁を手に取り、

ためらいなく自分のお腹に刺そうとしたので美優が止めた。

 

まゆは一日で白髪になってしまったので次の日に茶髪に染め直した。

 

美波は彼の血の付いた服を顔に当て、何時までもそうしていた。

 

加蓮は冷たくなった彼の手を握りながら、涙が枯れるまで泣き続けた。

 

 

葬式は行われなかった。

 

346プロ内部で粛清された人物の死は、世間には公表されない。

表向きには彼は海外で勤務しいていることになっているのだ。

 

銃殺になった理由は、治療中に抵抗をしたこと、

そして会社側の逮捕に素直に応じなかったことだ。

 

これらは雇用契約書に準じた措置となっているので、

現場で彼を射殺したロシア兵の対処は問題とはならなかった。

 

 

アイドル達はもはや仕事をする気力もなく、

退職の手続きすら取らずに。次々に事務所から去った。

 

所属アイドルの大半が辞めてしまい、売り出す商品が

消えてしまった346プロは短期的に倒産の危機に直面したが、

それでも別のプロデューサーがいないわけではない。

 

社長は第二次大戦のドイツ軍の進撃に比べれば大したことないとして

強気な姿勢を見せ、プロデューサー共に新人アイドルのスカウトを命じた。

 

さすがに芸能関係のスキャンダルとして週刊誌には報道されてしまったが、

逆にネットを中心に話題が広がって346プロは日本一有名な芸能事務所になった。

 

ユーチューブなどでは加蓮やまゆ達の動画が

貴重な映像資料として記録的なヒットとなっていた。

現役時代と違って辞めてから人気化するとは皮肉なものだ。

 

テレビ局を中心とした取引先との契約一斉解除によって

事務所には天文学的な損害が発生したが、社長のポケットマネーと

銀行からの短期借入金によって補填することにした。

 

社長は金融関係には顔の広い人間で、世間一般で知られる

銀行とは違うルートから資金を調達することが可能だった。

 

 

まゆと加蓮は、

かつて彼と一緒にお弁当を食べた例の公園に集まっていた。

加蓮が携帯で呼び出したのだ。

 

「全部、あんたのせいだ」

 

加蓮がまゆを殴ったところで、もうどうにもならない。

彼が死んだ結果が変わるわけでもない。それでもこの怒りを

誰かにぶつけないと彼女もまた狂ってしまう。

 

「もう殺してよ」

 

「嫌だよ。あんたなんか、殺す価値もない」

 

泥だらけになって横たわるまゆを置いて加蓮は去っていく。

 

制服のブレザーのポケットに手を突っこんだまま歩く。マックにでも

寄ろうかと思う。しかし、一緒にポテトを食べたい相手がもうこの世に

いないのだと、心がぐちゃぐちゃにかき乱されたみたいになる。

 

涙がこぼれないように、顔を太陽の方に向けても、嗚咽だけは止まらない。

すれ違う通行人に見られているのに、変装もしてないから

きっと元アイドルの北条加蓮だとバレているのに、

今の彼女にとってそんなこと気にする余裕などない。

 

 

「はぁ……でもお腹減ったし、寄るか」

 

加蓮が適当に注文し、席を見渡した時だった。

 

 

「ん?」

 

初めは、他人の空似だと思った。

そもそもスーツ姿じゃなくてラフな私服だ。

紺のジーンズに夏物の明るい柄のシャツを着ている。

 

しかし、顔と言い髪型といい、特徴的な琥珀色の瞳といい、

何もかもが彼と似ていた。どう考えても、夢だと分かっていても、

プロデューサーが席に座っているとしか思えなかった。

 

よう、とでも言いたげに、彼が手を挙げたので、加蓮は思わず彼に抱き着いた。

店内だったので客たちが騒然とする。空気を呼んだプロデューサーが

しがみついたままの加蓮を連れていったん外に出る。

 

人気のない路地裏で、加蓮は声を出さずに泣き続けていた。

落ち着いてから必死に声を絞り出した。

 

「なんでいるの……何がどうなってるの……

 実は生きてたってことなの……?」

 

「まあそんなところだ。俺が死んだように見せかけたのは

 巧妙なトリックだ。実はあの時にロシア兵にワイロを渡してな、

 影武者を使って俺が死んだように見せかけるように頼んだんだ」

 

「なにそれ……意味わかんないし、無理あるよ……

 プロデューサーの死体をあたし達はちゃんと

 確認したのに……あれが影武者なわけないじゃん……」

 

「まあまあ。細かいことは良いじゃないか。

 とにかくそういうことで納得してくれよ。

 まさか最後にお前と会うことになるとは俺も迂闊だったが、

 なんとなく日本の思い出としてハンバーガーが食べたくなっちまってな。

 さ、話はこれで終わりにしようか」

 

「ちょ……最後ってどういうこと? 日本の思い出……?」

 

「お前には本当に世話になった。ありがとうな加蓮。

 嘘じゃなくて本当に大好きだったよ。

 じゃあな。いつまでも元気でな」

 

「待ってよ!!」

 

その声でプロデューサーの身体がのけぞった。

800キロ爆弾の直撃に等しいほどの風圧だった。

 

「何も聞くな」

 

駆け出そうとしたその手を加蓮が握る。

 

「いててっ。なんて力だ。骨が折れるだろうが!!」

 

「待って待って。お願いだから待ってよ。話をちゃんと聞かせてよ。

 じゃないと全然納得できないし。本当に……意味わかんないよ。

 まさかまたあたしを捨てるつもりだとしたら、絶対に逃がさないよ」

 

加蓮が大好きなプロデューサーを引き留めるために

腹パンの構えを見せた。実力行使だ。

その前にプロデューサーが説明を始める。

 

「俺は会社から正式に解雇された。てゆーかワイロを払って

 解雇にしてもらうことに成功したんだ。

 首になるのにこっちが金払うってのも理不尽だけどな。

 表向きに俺は死んだことになってるから、どこへ行こうと自由だ。

 婚約のことも、みんなには悪いけど全部なかったことにできるからな」

 

「そうなんだ……プロデューサーさんは本当に自由になったんだね。

 あんな腐った事務所なんて、辞めちゃって正解だと思う」

 

「ありがとう。加蓮は良い子だな」

 

「えへっ。えへへっ。また頭撫でてくれた。

 あたしはプロデューサーさんと再会できたことがうれしい」

 

「俺も君に会えて良かったよ。

 こうして最後にお別れの言葉を言えるわけだしな」

 

「うん……? ごめんよく聞こえなかった。

 あたしもアイドルは辞めて今は普通の女子高生になったんだよ。

 もうアイドルとプロデューサーの関係じゃないんだから

 これからは普通に交際してもいいんだよね?」

 

「……」

 

「……いいんだよね?」

 

「加蓮には加蓮の人生がある。

 長い人生の中で、きっと本当に結婚したいくらいに

 素敵な人と知り合うことだって」

 

「そんなこと聞きたくないよ!!」

 

プロデューサーはまた腕を強くつかまれて

しまったのでもう逃げることはできない。

 

骨が、きしむような感じがした。

さすがに悪いと思った加蓮が手を離してあげた。

 

プロデューサーはうつむいたまま、加蓮と視線を合わせようとしない。

加蓮の中で、彼を失いたくないと思う感情が爆発した。

いきなり服を脱ぎ始めて、下着姿になってプロデューサーに抱き着いた。

 

「い、嫌だよ。もう会えなくなるなんて嫌だよ……。

 そんなの耐えられない。どうしてあたしを捨てるの……? 

 あたしってそんなにウザかったかな?」

 

「……本気でウザいと思ったのは、まゆや美優かな。

 加蓮には困った時に何度も助けてもらったから感謝してる」

 

「だ、だったらお願いします。捨てないでください……。

 あたしの身体、好きにしていいから。全部プロデューサーさんに

 あげるから。ね? 前にあたしの身体、好きだって言ってくれたじゃない」

 

形が良くて張りのある胸が、ブラ越しに彼に押し付けられていた。

その気になれば、パンツ越しにお尻をなでることもできる。

上目遣いのその瞳に、プロデューサーがまたしても過ちを犯しそうになるのも

無理もないことだ。しかしそれでは今までと何も変わらないのだ。

 

「俺は……」

 

 

 

 

                          つづく。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

北条加蓮が本気で怒ってしまった!!

読者諸兄、ちーっすw

ラブ・ストーリーは永遠に~


プロデューサーが語ったことは、新田美波を始めとして、

多くのアイドル達に迷惑をかけてしまって申し訳なかった、

ということだった。

 

在職中は、仕事の関係と分かっていながらも

お気に入りのアイドルを口説いた。

今度は逆にアイドルの方がプロデューサーに夢中になってしまい、

挙句の果てにはストーカーされ、監禁された。

それも今となってはどうでもいいのである。

 

そう。全ては過ぎ去ったことにしたい。

 

過去の出来事にしてしまいたい。

 

だから死ぬことにした。あくまで表向きに。

 

 

「あたしたちの中で……

 そんなことを言われて納得できる子は一人もいないと思う」

 

 

加蓮は色仕掛けが無意味と悟り服を着た。

そしてプロデューサーを今度こそ逃がさないと

ばかりに腕を強くつかむ。

 

そのあまりの迫力に対し、プロデューサーが

悲鳴をあげないだけでも大したものだった。

 

「プロデューサーさんが生きてることを知ってるのは、

 今の段階ではあたしだけ。ならあたしと一緒に

 遠く逃げて二人だけで暮らせばいい。簡単なことだと思うんだよね」

 

「そんなにうまくいくかな?」

 

「どうして?」

 

「加蓮。お前は自覚してないかもしれないが、世間では人気者なんだよ。

 今やネットの世界で超有名人。しかも美少女だ。どこにいても人目に付く」

 

「いずれ他のアイドル達に見つかるかもしれないから、

 プロデューサーさんは一人で逃げた方が効率がいいってこと?」

 

「そういうことだ。なあ加蓮。お前ほど綺麗で魅力的な女の子なら他の…」

 

「え? なに?」

 

「いや、だからさ。加蓮の人生だってこれからいろいろあると思う。

 もしかしたら運命の出会いだって、これからの人生であるかもしれない。

 そう考えたら何も俺にばっかり執着して生きるのも時間の無駄と言うか」

 

「なんでそんな話になるの!!」

 

今、何が起きたのかプロデューサーが理解するのに時間がかかった。

瞬きする間もないほどの速さでビンタされたのだ。

頑丈なプロデューサーでなければ首が折れるほどの威力だった。

 

一度だけでなく、二度三度と彼を殴った。

他のアイドルと違い、プロデューサーに対してどこまでも

遠慮をしていた彼女が、ここまで気を荒くするのは初めてのことだった。

 

「痛かったでしょ。ごめんね。あたしは自分をこれ以上抑えるのが限界なの。

 次にあたしを否定することを言ったら……今度はもっと強くするから」

 

「……わ、悪かった」

 

「謝らなくていいよ。次から気を付けてくれるならさ。

 で、人目を気にしてるなら人の少ない田舎に出も逃げればいいんだよ。

 てゆーか、ここで立ち話をしても始まらないし、もっと落ち着いた場所に

 行こうよ。これからの生活のことを真剣に考えるわけだからさ。

 あ、プロデューサーさんって携帯を壊してるんだよね?

 まず携帯買おうよ。携帯」

 

「そ、そうだな。携帯がないと生きてけないもんな」

 

「いっそプロデューサーさんの頭の中に携帯代わりの

 チップでも埋め込みたいくらいだけどね。そうしないと

 いつ離れ離れになるか分かったもんじゃないし」

 

「……」

 

「ねえ」

 

「なんだ?」

 

「あたしのこと、怖い?」

 

「少しな。ぶっちゃけ、まさか君に殴られると思わなかった」

 

「プロデューサーさんの前では嫌な部分を見せたくなかったんだけど、

 今回ばかりは仕方ないよね。夫婦として暮らすならお互いの嫌なことも

 分かり合っていかないと……う……? あれ……おかしいな……」

 

「お、おい。どうした? 顔が真っ青だぞ」

 

加蓮は「気持ち悪い」と言って、その場にうずくまった。

目の奥がずきずきと痛み、頭の中がくるくると回っているらしい。

 

「おい。大丈夫か!! 病気が再発したのか?

 すぐに病院に連れて行くからな!!」

 

「ち……違う。病気じゃなくて、ただの後遺症だから」

 

「後遺症!?」

 

「広島に行った時……美波さんにスプレーを」

 

「ああ、あの殺虫剤みたいな奴を食らったんだよな!!

 そっか。あの傷が簡単に治るわけないよな。

 だったら早く病院に」

 

「眼医者ならちゃんと行ったよ。時間の経過で治るから

 あまり目を酷使しないようにと。あと専門の点眼液も使ってる」

 

「そ、そうか。自然となるんだったら安静にした方が良いな」

 

「プロデューサーさん、チャンスじゃん」

 

「なにがだ?」

 

「あたしを捨てて逃げるんだったら、今がチャンスだよ。

 あたしとプロデューサーさんはもう仕事上の関係じゃない、

 赤の他人なんでしょ? だったら今日のことは全部忘れて

 逃げればいいんだよ。たまたまここを通りかかっただけの通行人として」

 

「……お前の家に行くわけにもいかないからホテルに行くとするぞ。

 文句は言わせないからな」

 

プロデューサーにおんぶされた加蓮は、小さな声で「ありがと」と言った。

彼の背中が、いつもより暖かくて大きく感じられた。

私服姿のプロデューサーを見るのは新鮮だった。

 

彼のスーツ姿は、加蓮のプロデューサーである証だった。

たとえスーツを着てない彼でも、根っこの部分は変わってなかったのだ。

 

仕事の関係だった頃の彼は、周りが呆れるくらいに

加蓮に対して過保護だったのだから。

 

加蓮はホテルに着くと、また気持ちが悪くなったのでトイレで吐いた。

それからベッドで少し横になってから水を飲むとだいぶ落ち着いた。

 

プロデューサーは彼女のそばから決して離れず、

何度も励ましの声をかけてくれた。膝枕してほしいと

加蓮が言うので、その通りにしてあげた。

 

30分だけ寝た加蓮は口をゆすぎ、シャワーを浴びて身体を清めた。

生まれたままの姿でプロデューサーの首に両手を回して

しがみつき「愛してます」と言った。嘘偽りない彼女の気持ちだった。

 

「ありがとうな。加蓮。お前の気持ちは素直に受け取っておく」

 

「プロデューサーさんがあたしのことを捨てたいのなら、捨ててもいい。

 でも今だけは一緒にいてください。

 北条加蓮にとってプロデューサーさんは特別な存在なんです。

 せめて最後に思い出をください。あたしを抱いて」

 

プロデューサーはその瞬間から獣になった。

上目遣いで必死に気持ちを伝える加蓮を見たら理性が消し飛んだのだ。

 

こんな関係をどれだけ続けても最後はバッドエンドになるだけだと

分かっていながらも、彼も男なので魅力的な女の子にここまで

迫られたら欲情するのも無理はない。

 

こうなってしまってはプロデューサーは加蓮の気持ちなど考えずに

自分が思うように犯しつくしてしまう。加蓮の中で痛いくらいにピストンをし、

一度達してもまだ満足できないので今度は加蓮の口で奉仕してもらう。

加蓮は彼を悦ばせるために慣れないながらもパイズリをしてくれた。

 

 

確かに、加蓮はプロデューサーを悦ばせるめに一生懸命に奉仕をしてくれた。

しかしそれは一時的な快楽に過ぎず、

結局プロデューサーの心に暗い影を落とすことになる。

 

 

 (俺はこんなことをするために、この子達を育てたわけじゃない……)

 

  (もし朝になってプロデューサーさんが目の前から消えてしまったら……)

 

 

加蓮が抱える不安。それは彼とは異なるものだった。

彼を繋ぎとめるためにはどんなことでもするつもりだった。

たとえ彼が変態的な趣味の持ち主だったとしても喜んで受け入れてあげるつもりだった。

 

だが昼間の会話はどうだ?

彼はもう何もかもを捨てて海外へ逃げようとしていた。もう未練などないのだろう。

 

彼にとって346プロの人間関係は過去のものだとしても、加蓮やまゆにとっては

そうではない。彼と出会えたこの運命を簡単に捨てることなどできないのだ。

 

 

「加蓮。もっとこっちに来なさい」

 

「はい……」

 

 

彼に痛いくらいに抱きしめられ、唇を奪われた。

なんとなく、いつもの彼と様子が違うと思った。

 

加蓮は今になって自分が泣いていることに気づいた。

プロデューサーはそんな彼女のことが無性に愛おしくなり、抱きしめたのだ。

 

 

「プロデューサーさん……」

 

「お前の気持ちは痛いくらいによく分かったよ。

 お前は俺がいないとおかしくなっちゃうんだよな。

 だったらさ、俺と結婚の約束でもするか」

 

「え、ええ!? それって……」

 

「加蓮は16歳の高校生だ。加蓮が学校を卒業するまでは恋人っていうか

 婚約者になるわけだが、お前が18になってもまだ俺のことを

 好きでいてくれるなら結婚してもいいと思ってる」

 

「ほ、本当に? 嘘じゃないんだよね!?」

 

「前にも言った気がするが、加蓮のずっと好きだよ。

 俺にとって運命の女性は加蓮だったってことで

 この恋愛騒動を終わりにしたいと思ったんだよ。

 はは……マックで偶然会ったのが本当の運命だった気がするな」

 

 

加蓮は今すぐ学校を辞めるから婚姻届けを出しに行こうと言い出すが、

それをやんわりとプロデューサーが拒否する。加蓮にはしっかりと

学業に励んでほしい。アイドルを辞めた以上は普通の女子高生。

いずれ社会人になるのに中卒では働き口も見つけられない。

 

加蓮は彼の言うことには何一つ逆らうつもりはなかったので言うとおりにした。

文字通り普通の女子高生としての日常に戻ればいいだけだ。

 

 

アイドルとしてスカウトされる前の、北条加蓮に。

 

その日から二人は隠れて交際を続けた。

 

プロデューサーは地元の埼玉県の片田舎に帰った。

実家ではなく、壁の薄い寂れたアパートで契約してそこに住んだ。

 

広大なるなる関東平野の一角。無限に続く田んぼ道に、住宅が点在する。

麦わら帽子をかぶった農家の人たちが、朝早くから野菜の世話をする。

彼が幼少の頃から見慣れた光景だ。

 

都会と違って夏の青空がどこまで澄み渡って見えた。

 

ここなら芸能事務所で働いてた時のプロデューサーを知る者はいない。

アイドルならともかく、裏方で働いてる営業マンの顔など

最初から誰も知るはずがないが。

 

まだ定職にはついてないし、今までに貯めておいた

わずかな貯金を切り崩して生活をすることにしたが、

貯金はロシア兵に大量のワイロを渡したのでほとんど残ってなかった。

 

「これだけは使いたくなかったんだがな……」

 

22歳の時から証券口座で積み立てていた金融資産の一部を現金化した。

 

外貨で運用していた株式、ゴールド、債券、不動産(リート)だ。

その時はたまたま為替レートがかなりの円安だったので

両替するには都合が良かった。

 

証券口座の残高の半分を額を現金化して当面の生活費にした。

これで半年以上は余裕で遊んで暮らせる。

40歳まで積み立てをすれば今の資産額の倍になっていたかもしれないが、

困った時のために運用していたお金だ。

 

こういう時に使わなくていつ使うのかと自分を無理やり納得させる。

それでも埼玉りそな銀行のATMで金を下ろす時は複雑な気分だったが。

 

「しかし家に居てもやることねーなぁ……。

 どっかで働かないと将来やばいな」

 

恋人の加蓮とは週末だけ会うようにしている。

加蓮は土日は電車に一時間も揺られてこの田舎まで遊びに来てくれる。

最寄駅までプロデューサーが車で迎えに行くのだ。

 

もうどのアイドルの邪魔も入らないと安心しているので加蓮は

猫のように甘えてくる。プロデューサーは無職で体力と性欲を

持て余しているので文字通り夜明けまで彼女を抱いてやったこともある。

 

加蓮は生まれたままの姿でプロデューサーの隣に横になり、

飽きることなく学校での出来事や最近の趣味のことを語り続けた。

たまに学校の昼休みに電話してくることもある。

メールの内容は、「おはよう」から「おやすみなさい」まで欠かすことはない。

 

プロデューサーはこれと言って趣味のない男で、しかも

今までの壮絶な経験から無気力の極みに達していたが、

それでも加蓮と電話やメールのやり取りをするのだけは楽しかった。

 

彼女の話がそこまで面白いわけではないのだが、いわば社会的に

死んだことにされている自分にここまで興味を持ってくれる彼女のことが、

346プロを首になった自分をここまで大切に思ってくれる

加蓮のことが、無性に愛おしく感じるのだった。

 

美波、肇ちゃん、まゆ、響子、美優のことを、思い出さないわけじゃない。

美優さんが夢の中に出て来て、恨み言を言うこともあった。

 

『プロデューサーさんは、私を捨てて別の世界に行っちゃったんですか……?』

 

彼の方を振り返った美優の瞳がうるんでいた。

あの未亡人を思わせる独特の、幸薄そうな雰囲気は彼女特有のものだ。

 

(うるさい。黙れ美優。俺にお前の愛は重すぎたんだ)

 

プロデューサーが腕を振りかぶると、美優の幻想は消えた。

 

すると、今度は背後に別の影が。

 

『あなた……ねえ、あなた……どこに消えてしまったんですか……?

 風のうわさで聞きましたよ。あなたが実はどこかで生きているって……。

 本当にそうなら、どうして私の前に姿を現してくれないんですか……?』

 

新田美波だった。かつて彼が最も愛したアイドル。

胸の前で両手を合わせ、祈るようにして彼を見つめている。

美波もまた泣いていた。

 

(すまん。成り行きでこうなっちまったんだ。

 俺はお前のことが嫌いになったわけじゃないんだよ……。

 信じてくれ。だが今の状態がきっと神様が決めた運命なんだ)

 

美波の肌の温もり、透き通るような肌の白さ、

どこか焦点が合わないけど優しい瞳を彼は生涯忘れることはない。

 

(愛していたよ美波……。嘘じゃない。嘘じゃないんだ。

 どうか俺のことは忘れてほしい。勝手なことだとは思っているが)

 

また金曜日の夜がやってきた。

 

加蓮は親に適当な嘘をついて週末はプロデューサーの家にお泊りするのだ。

どんな言い訳をしているのかは知らないが、適当に誤魔化していると本人が言うので

彼は任せている。もう細かいことを考えるのさえめんどくさいのだ。

 

夜のたびにアイドル達が夢に出てくるので彼の心はどんどん衰弱していった。

朝起きるとシーツまで汗でびっしょり濡れている。もはや悪夢だった。

 

そんな彼にとって

加蓮が合いに来てくれることだけが人生の楽しみとなっていた。

 

その日の加蓮は、わざわざ駅からタクシーに乗ってアパートまで

行くと言ったので、プロデューサーは待ちわびていた。

さあ早く、若くて美しい体を抱かせてくれと

思わず服を脱いでしまいたくなる。

 

カレーは明日の朝の分まで余裕で余るくらいに作っておいた。

サラダの盛り合わせもある。きっと加蓮は満足してくれるはず。

彼女はプロデューサーが作った料理はどんなものでも

美味しいと言って残さず食べてくれるのだから。

 

最近はジャンクフードよりもプロデューサーの手料理の方が

好きだと言うようになってくれた。

 

コンコンとノックされるが、この瞬間にプロデューサーは違和感に気づいた。

 

(こいつ……加蓮じゃない!?)

 

加蓮はノックなんてせずにそのまま入ってくる。

そもそもチャイムがあるのだ。なぜ玄関をノックしたのだ。

 

プロデューサーは夕方のニュースを流しているテレビを消し、

さらに耳を澄ませる。すると違和感はさらに強くなった。

 

(う……)

 

プロデューサーは急に胃がギュッと締め付けられた。

自分の住処であるはずのアパートの部屋が、

どこか別の空間になってしまったかのような感覚。

 

玄関を開けたら、たぶん殺される。

 

そう確信してしまうほどに、扉の向こう側に立つ人物は、

プロデューサーに対して明確な敵意を持っていた。

 

プロデューサーは窓の外から逃げ出そうとしたが、

 

 

「プロデューサーさーん。中にいますよね?

 やっぱり死んだっていうのは嘘だったんですね。

 こんなところに住んでいたとは驚きましたよ☆」

 

 

その声は、明らかに五十嵐響子のものだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

プロデューサーの足が切断された。

ヤンデレラを本気で怒らせたらどうなるのか?
答えはそこにある↓


ドアノブが破壊されたのと同時に玄関が開けられた。

 

 

ゴン、

 

と鈍い音がした。

 

プロデューサーの側頭部が金属バットで殴られたのだ。

 

痛みと衝撃によりふらふらしている彼に対し響子は馬乗りになり、

腕や足に対して次々にバットを振り下ろしてしまう。その顔は鬼そのものだった。

 

プロデューサーは手の指が2本折れた。

足のすねに一撃を食らい、絶叫してのたうち回る。

鼻の先が曲がって大量の出血をしたが、響子の攻撃はそれでも止まらない。

 

「もう二度と私のもとから逃げられないように、

 特に足は念入りに痛めつけてあげますからね~☆」

 

響子は肩にかけたバッグから何かを取り出した。

金槌だった。力の限り悲鳴を上げるプロデューサーを押さえつけ、

何のためらいもなく彼の足の指をつぶした。

 

「ぐうあああああああああ!! うあぁああああああああああああ!!」

 

「あまり騒ぐと近所の人の迷惑になっちゃいますから。

 ちょっと静かにしててくれますから。すぐに終わりますから。

 さあ今度は隣の指も行きますよ」

 

プロデューサーは口の中にハンカチを押し込まれて窒息死寸前となる。

響子が、また金槌を振り下ろそうとした、その瞬間までは覚えている。

ハンカチには鎮静剤を含んだ謎の液体が浸み込んでおり、

荒い息を吐いた途端に眠気が襲って来て意識を失った。

 

 

 

夢の中にはもう誰も出てこなかった。

目が覚めると布団の上にいた。

 

いつものアパートの古びた天井が見える。

ふと立ち上がろうとした時に違和感を覚える。

 

布団をはいでみると、右足のひざから先が失われていた。

しっかりと止血がしてあるのか、丁寧に包帯が巻かれている。

麻酔を打たれた記憶はないが痛みは感じない。

 

 

「おい……なんで俺の足が……」

 

「あっ、おはようございます。プロデューサーさんの足なら

 もういらないと思ったので夜の間に切断してから捨てちゃいましたよ」

 

 

エプロン姿の響子は、満面の笑みでそう言った。

 

朝の8時過ぎだ。響子はキッチンでみそ汁を作っている。

プロデューサーが昨日作ったカレーはまだ残っていた。

 

 

「嘘だろ……きっとこれは悪い夢なんだ。そうに決まってる。

 だってよぉ。一晩寝て冷めたら自分の足が消えてたんだぞ?

 ははは……夢なら冷めてくれよ。もう十分俺は苦しんだんだ。

 なのに……どうしてこれからも苦しまないといけないんだ……?」

 

「プロデューサーさん。

 昨日豆腐も買ってきましたから、一緒にどうですか?」

 

「そ、そうだ!! 加蓮ならきっと俺を助けてくれるはずだ!!

 加蓮はどうしたんだ? 昨日来るはずだったのに

 来なかったのか? なあ響子!! 答えろ。加蓮はどこ……」

 

ガン!!

 

プロデューサーの顔の横を包丁が通り過ぎて行った。

壁に軽く刺さってから床に落ちた包丁がギラリと光る。

響子は振りかぶった姿勢で荒い息を吐いていた。

 

「おかしいですよねぇ……。さっきどうしてあなたは」

 

「あ……うあぁ……」

 

「私以外の女の名前を口にしたんでしょうか?」

 

「い、いやぁ……あはは……こ、これはそのぉ……」

 

「言い訳しないでください!!

 それと私をこれ以上怒らせないでください!!

 私はこれでも怒りを抑えてあげてる方なんですよ。

 プロデューサーさんが私を裏切って、今まで他の女どもと

 たくさん浮気してたのを右足一本で許してあげたんだら!!」

 

 

まさか加蓮はすでに殺されたのかと不安になるが、

もう響子以外の女のことを考えるだけで殺されるかもしれない。

今度は左足も切断される可能性が高い。

 

響子はプロデューサーを殺すつもりはなく、生まれてきたことを

後悔するほどの拷問をするつもりなのかもしれない。

現に足の半分が失われた状態だ。

物理的に脱出することが不可能となってしまっている。

 

 

(俺は……響子に生殺与奪の権利を握られてしまったのか……)

 

 

響子は荒い息を吐きながらコップの水を飲みほした。

それから何事もなかったかのようにキッチンに立ち、

昨日の残りのカレーと、新しく作ったサラダと豆腐をテーブルに並べた。

プロデューサーを介助してベッドから降ろしてテーブルの前に座らせた。

 

「プロデューサーさんと朝ごはん食べるのは久しぶりですね。

 それでは、いただきましょうか」

 

「あ、ああ。いただきまーす」

 

プロデューサーの分のお箸は用意されてなかった。

だから「あーん」して食べさせてもらう流れなのは分かっている。

 

プロデューサーはアホの顔をして口を開けて待っていたが、

何時まで経っても響子はスプーンに手を付けようとしない。

沈んだ表情でテーブルの一点を見つめ続けていた。

 

「すみません。こんな時に少しだけ昔のことを思い出しちゃって」

 

「昔の事?」

 

「はい。プロデューサーさんって、美波さんと同棲してた時期が

 ありましたよね。あの時ってやっぱり美波さんにこうして

 食べさせてもらったりしたんですか?」

 

「……」

 

「どうなんです?」

 

「たまには……したかな」

 

「たまにじゃないでしょう」

 

「すみません。ほとんど毎日してました」

 

「ふふっ。あははははははは!! 毎日!! あはははははっ!!」

 

尋常ではない表情で笑う響子。

その豹変ぶりにプロデューサーは恐怖し胃が締め付けられらた。

 

「……響子の気持ちも考えずに自分勝手なことをしてごめん」

 

「もう終わったことは良いですよ。私がいつまでも未練がましく

 覚えているのが悪いんですから。プロデューサーさんは

 事務所にいた時から私のことを一番に愛してくれていたわけだし、

 最初に婚約したのも私でしたよね。ですから私が夫の浮気を

 注意するためにキツメのお仕置きをしてあげたってことで

 今回の件は終わりにしてあげようと思ったんです」

 

「……俺は今日から身体障碍者だ。

 こんな俺でも響子は一生面倒見てくれるってことなのか?」

 

「はい♪ だって私が望んでやってる事ですから。

 片足を失ってしまったプロデューサーさんは、

 ここから脱走することもできないわけだし

 もう私なしでは生きていけませんよね?」

 

「……あ、ああ。そうだな」

 

「……」

 

「響子?」

 

「その顔、なんとかして逃げ出す方法を考えてそうな顔です」

 

「うっ? な、なんでそんな」

 

「誤魔化そうとしても無駄ですよ。

 たとえ自分の身体が不自由でも、いつか加蓮ちゃんが

 助けに来てくれるんじゃないかって思ってるんでしょう」

 

「いやいや!! そんなことは全然考えてな…」

 

「たぶん死んではいないはずです」

 

「え?」

 

「加蓮ちゃんにもお仕置きをしておきましたから」

 

最寄り駅からタクシーに乗り込もうとした加蓮を響子が襲撃したという。

武器は警棒だ。後頭部に想い一撃を食らわせたので生死は不明だが、

軽く後遺症が残るほどの力でやったらしい。

 

「東京を出る前に美優さんにもお仕置きをしておきました」

 

「なんだって? 美優さんってまさか…」

 

「はい。たとえ彼が死んでもこの子を絶対に生むって言ってたので

 ムカつきました。ベッドに縛り付けて寝かせた状態で

 お腹に鉄球を何度も落としてあげました。

 おなかの赤ちゃんが死ぬくらいの勢いで」

 

 

プロデューサーの頭の中が真っ白になった。

 

きっと美優は自分に捨てられても子供だけは産み育てると思っていた。

あのアイドル達にとって、自分の遺伝子を継いだ

赤ちゃんだけが最後の置き土産になるはずだと思っていた。

 

それすら響子は許してくれなかった。たぶん響子じゃなくても

同じことをしたかもしれない。まゆや美波であったとしても。

ヤンデレになった女とは、そういう生き物だ。

 

 

「加蓮もこの家に来る頻度が多かったので妊娠してる可能性がありますよね。

 やっぱり殴るだけじゃなくて殺しておけばよかったかもしれません。

 でも殺すのは犯罪になっちゃうので、二度と妊娠できない体に…」

 

最後まで言い終わる前に、プロデューサーがビンタした。

 

「痛っ……どうしてぶったんですか?」

 

「お願いだよ響子。目を覚ましてくれ。お前は自分がやったことが

 どれだけ罪深いことか分かっているのか?」

 

「ふーん。私にお説教がしたいんですか?

 今のあなたがお説教できる立場なんですか?

 私は自分のやったことが間違ってるとは思ってませんけど」

 

「……ああ、何を言っても無駄なのはわかってるさ。

 それでも言わなきゃ俺の気がすまないんだよ!!」

 

「逃げたくせに」

 

「あ?」

 

「私と結婚するってあれだけ言ってたくせに。

 あなたは勝手に逃げてしまった。嘘つき。

 あなたが私とした約束は、最後は全部嘘だった。

 最初に悪いことをしたのは、そっちじゃないですか」

 

プロデューサーは首をつかまれた。骨がへし折るくらいの力だった。

細くなる呼吸音。締め付けられて真っ赤になる首筋。視界がかすむ。

 

「プロデューサーさんが反抗的な態度を取るので

 またムカついちゃいました。私を怒らせないでくださいって 

 さっきも言ったはずですけど、ちゃんと

 理解できなかったみたいなので一から教育してあげますね」

 

響子はプロデューサーの身体を突き飛ばして壁にぶつけた。

 

いよいよ生命の危機を感じ、腕だけの力で玄関を目指そうとする彼の手を

踏みつける。「うあぁああ!!」 プロデューサーが見上げると

響子のスカートの中のパンツが見えた。今はそんな気分ではない。

 

「プロデューサーさん。もしよかったらお風呂にしませんか?

 皮膚がただれるくらいの熱々のお風呂に入って

 心も体も綺麗にしましょうか」

 

プロデューサーは手錠された状態で浴槽にぶち込まれ、

響子は長い棒を使ってプロデューサーを押さえつける。

そこで1000数えるまで全身を湯に浸さないと

出られない決まりになっている。

 

響子がその内容を説明すると、プロデューサーは恐ろしさのあまり

涙を流しながら命乞いを始めた。

 

「響子……すみませんでした……

 もう二度と逆らいませんから許してくれ……」

 

「今からお風呂沸かしますね」

 

「たのむ……ゆるしてくれぇ……」

 

「口ではそんなこと言ってるけど、プロデューサーさんって

 実は全然反省してませんよね? あー確か入院してた時に

 美波さんのことを世界で一番愛してるとか言ってましたよね」

 

「きょ、響子? どうして突然フォークなんて持ち出して」

 

「すみません。思い出したらやっぱりまたムカついちゃったので

 プロデューサーさんにお仕置きしちゃいますね」

 

プロデューサーの腕にフォークの先端が突き刺さった。

ぷしゅ、といった風に血液が噴き出てくる。

 

プロデューサーは痛みのあまり床に転がり絶叫する。

響子はそんな彼に馬乗りになり、またフォークを突き刺そうとした。

 

プロデューサーは首を一生懸命に左右に振るが、今度は左足の

ふとももにフォークが刺さる。一度では刺さりきらなかったので

二度、三度と力を入れて振り下ろすと、また肉の割れ目から血が噴き出てきた。

 

「うぅぅぅぅぅ!! うあぁあああぁ!!」

 

「ここからさらにグリグリすると、どうですか?」

 

「ぎやぁぁぁぁあぁあぁあああ!! 焼けそうに痛いぃぃい!!

 た、頼む。フォークを抜いてくれぇ!!」

 

「プロデューサーさんったら、子供みたいに泣いちゃって可愛いです。

 次はその綺麗な瞳にもフォークを刺してあげましょうか?

 二度と私以外の女が視界に入らないように」

 

「ひっ……う、嘘だよな? お、おおお俺の目がなくなったら

 響子のことを見ることもできなくなるんだぞ!?」

 

「片目だけでも生活はできますよね。

 さあ、右目と左目、どっちを残したいですか? 

 やっぱりフォークよりもスプーンでえぐっちゃいましょう。

 今スプーンを取ってきますから、それまでに考えておいてください」

 

「あ、ああ……いやだぁ。誰か……助けてくれ。たすけ……」

 

「プロデューサーさんの取り出した目は、

 あとで食材にでも使いましょうか。明日のお味噌汁にでも」

 

「ひ、ひぃいいぃぃ!! もう限界だぁ。

 こんな奴と一緒に暮らせるかぁああ!!」

 

どうせ逃げても無駄だと思ったプロデューサーは、できるだけ

大声をあげて助けを呼ぼうとした。このアパートは築年数からしても

相当に古い。真昼とはいえ誰かが気づいてくれるかもしれない。

 

「うるさいですよ。あまり大きな声を出さないでくださいね」

 

顔をグーで殴られた。響子の力は相当に強く、奥歯が抜けるかと思うほどだった。

響子はまたプロデューサーに馬乗りになる。プロデューサーの両手を

足の下に敷いて動けないようにして、ゆっくりと彼の顔にスプーンを近づける。

 

プロデューサーは全身に脂汗を流し、過呼吸になっていた。

 

「はーはーはーっ!! はっはっはっ!! はーはーはぁ!!

 はっはったっ、たのむっ……きょきょ響子ッ……わかった。

 わかった、わかった、わかった!! わかったよっ!!

 俺はお前のことだけを愛すると誓うっ……頼むっ……。

 今ここで誓うからっ……やめてくれ。やめてくれ。やめ……」

 

「全然信用できませんね。プロデューサーさんは

 そうやって美優さんや智絵理ちゃんも騙してきたんですよね」

 

「響子!! 好きだ!! 俺は世界で一番お前のことを愛してる!!」

 

「……」

 

「頼む!! 俺と結婚してくれ!!

 俺は五十嵐響子のことを世界で一番愛してる!!」

 

その言葉をきっかけにして響子の動きがぴたりと止まった。

 

それから何も話さなくなった。

彼女の視線は虚空をさまよっている。

 

(まずい。怒らせたか……? 口説き文句を連発したことで

 響子の逆鱗に触れたかもしれねえ。ちくしょう。

 これ以上拷問されるなら、いっそ舌を噛み切って死ぬか)

 

その時、響子が無言で立ち上がった。

 

スプーンとフォークを流し台に片付けてから、

ゆっくりとこちらに近づいてくる。

その瞳には何も感情も宿っていないように見えた。

 

その圧迫感と威圧感は並大抵のものではなかった。

 

この時、彼は人生で初めての走馬灯を見た。

逃げても無駄。抵抗しても無駄。何をしても無駄。

 

死ぬ。

 

殺されるのだ。かつての担当アイドルに拷問されてから死ぬなんて、

これが神様が定めた自分の運命なのなら、甘んじて受け入れるしかない。

 

もう考えるだけ無駄ではないか。

 

プロデューサーが最後に実家の両親や親戚の人たちの顔を

思い浮かべていると、ふいに響子の瞳にハイライトが戻った。

 

「あれ……? 私、さっきまで何をしてたんだっけ?」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

夢にまで見ていたはずの響子との生活。

ちょりーっすw

例のニュースが面白かったので
あとで響子ちゃんが4.630万を手に入れた設定にしようかな。




「プロデューサーさんの身の回りのお世話は私に任せてくださいね!!」

 

あの日から響子は変わった。

 

「プロデューサーさんは交通事故で足を失ってしまったんですよね。

 でしたら、あの……私が一生プロデューサーさんの面倒を見てあげますから

 安心してください。えっと……お金の事とかは心配しなくていいですよ。

 私はまだ学生ですけど、それなりにお金を持ってますから」

 

一種の記憶喪失なのかと思われた。あるいは統合失調症かもしれない。

あの狂暴だった響子はどこかへ消えてしまい、

いつもの明るくて献身的な少女に戻っていた。

 

それから響子と二人だけの生活が1週間も続いた。

響子が狂暴化してプロデューサーを痛めつけることはなくなったが、

彼女の心の中に深い闇が存在することを示すエピソードがある。

 

「今日のお昼はパスタです!!

 響子特製のパスタソースをかけました。さあ……召し上がれ」

 

料理が好きな彼女は日に三度、必ず作ってれる。

しかし、まともな料理が出てきたことは一度もなかった。

 

(うっ……)

 

そのパスタを見た瞬間にプロデューサーは吐きそうになる。

どう見ても普通のトマトソースじゃない。

トマトソースの上には、どす黒くて真っ赤な液体がかけられている。

 

響子はこのソースを作るために、なぜかトイレにこもっていた。

(まさかとは思うが……)プロデューサーが顔を皿に近づけると、

鉄臭さと酸味のある独特の香りがして頭がパニックになる。

 

「さあ、どうぞ。あーんして」

 

「あーん……」

 

差し出されたフォークに巻かれたパスタを

パクリと食べ、息を止めながら咀嚼する。

 

「うっ……ぷっ……お、おいしいよ。響子は料理が上手だなぁ」

 

「うふふ。よかったです。まだまだたくさんありますから、

 遠慮せずどんどん食べてくださいね♪」

 

「その前にスープも飲んでもいいか?」

 

「あ、そうですよね。食べる前にまずはスープですよね。

 気が利かなくてごめんなさい」

 

見た目は普通のコンソメスープだ。キャベツ、玉ねぎ、

ニンジン、ウインナー、茶色い髪の毛が入ってる。

髪が混じるのはいつものことだ。

 

響子は彼の見てる前で自分の唾液をスープの上に垂らした。

彼の使うお箸の先端もその場で舐めてしまう。

 

「さあ、どうぞ。スープは自分で飲めますよね」

 

「ありがとう……」

 

髪の毛が含まれているせいで全然美味しく感じられない。

今さっき唾液が含まれてることを確認してるわけだし尚更だ。

 

これは一種のイジメか復讐なのかと持ったが、響子はニコニコと

花のように微笑んでいる。心から嬉しそうな顔だ。

たまに喜多日菜子のように妄想顔でトリップしていることもある。

 

女の子にとって自分の作った料理を食べてもらうことが

そんなにも嬉しいことなのだろうかとプロデューサーは不思議に思った。

 

女の血の混じった地獄のパスタを完食した。

たとえどんな食材が混じっていたとはいえ、栄養摂取に違いない。

そう思わないとやっていけない。

 

生殺与奪の権利を一方的に響子に握られている身で、

もう失言など許されるわけもない。

 

「今日も美味しかったよ。ありがとう響子」

 

「おそまつさまでした」

 

響子が軽く頭を下げてからお皿を片付ける。

彼女の分のパスタはごく普通のトマトソースだった。

 

鼻歌を歌いながら皿洗いをする。

 

(プロデューサーさんが毎日私の作った料理を食べてくれる♪)

 

(だ、だめだ……こんなまずい料理を毎日食べさせられたら

 心がどうにかなってしまうだ……。

 いっそトイレで吐けたらどれだけ楽な事か)

 

プロデューサーは響子が皿洗いをしてる時や洗濯物を干してる時だけ

ばれないように溜息を吐いていた。人でもペットでもいいから

誰かにこの悩みを相談してほしくて仕方ない。愚痴を言いたい。

 

片足を失い、身も心も弱くなってしまった自分には

もう15歳の女の子にさえ逆らうことはできないのだ。

 

「さあ、お腹いっぱいになったので……

 今からしちゃいましょうか?」

 

響子はまだ歯も磨いてないのに、プロデューサーの上着を脱がしてから

乳首や胸板にどんどんキスをしていく。くすぐったさにプロデューサーが

身体を震わせると、彼女はクスクスと楽しそうに笑うのだった。

 

プロデューサーのアソコが硬くなり、響子の太ももに当たる。

響子はズボンのポケットの中に手を突っ込み、アソコを握って

上下に動かした。プロデューサーを簡単にイかせることはなく、

寸止めしてから今度はプロデューサーの顔の上にまたがった。

 

「あははっ、こうしてると息が苦しいですか?」

 

「ふごごっ……むぐぅ……」

 

「なんだか気持ちよくなってきちゃいました。

 私のここ、もう濡れちゃってるんですけど、生で見たいですか?」

 

響子が自分のパンツを横にずらして秘所をプロデューサーに見せつけた。

それをまじまじと見つめたプロデューサーのアソコがさらに固くなる。

 

「今から私のおしっこを飲んでください」

 

「!?」

 

「ちゃんと飲んでくださいね。いきますよー?」

 

「ちょ……」

 

プロデューサーの顔がしっかりと押さえつけられ、

響子の割れ目から黄色い液体がチョロチョロと流れ始めた。

 

言われたとおりにしないとお仕置きされると思ったプロデューサーは、

やけになって響子の股に吸い付いた。生暖かくて臭みのある液体を

喉に流し込む。ただただ苦くて、吐きそうになるが目をつむって耐える。

 

響子のおしっこは勢いが良かったので

全部を飲み切ることはできずに口からこぼれてしまい、床を汚した。

 

「あーあー。全部飲んでくれないとダメじゃないですか」

 

「す、すまん。今床にこぼれた分も舐めるから!!」

 

「え? 別にそこまでしなくていいですよっ!!

 私が綺麗にお掃除しておきますから」

 

響子は雑巾とウェットティッシュを使って綺麗にした。

プロデューサーの口の中で、ツンと鼻を突く匂いが充満したので

猛烈に気分が悪くなり、さすがに倒れそうになった。

 

「プロデューサーさん、大丈夫ですか?」

 

「い、いや、これは違うんだ。ちょっと俺はまだ

 気持ちよくなる前だったから欲求不満でさ!!」

 

「あっ、そうでしたね。私ったらプロデューサーさんを

 気持ち良くさせてあげるのを忘れてました」

 

響子は自分の股をティッシュで拭いてから当たり前の

ようにプロデューサーの腰の上にまたがった。

彼女が求めたのは、常に生で中に出すことだ。

 

響子は一度では満足しないので響子が良いと言うまで

プロデューサーは付き合わないといけない。実際は恐怖とストレスにより

響子に魅力など感じなくなってきているが、今はまだ大丈夫だ。

 

たとえどんなに心を病んでいたとしても

五十嵐響子はとびきりの美少女であることに変わりはないのだから。

 

響子は布団の上で激しく乱れた。

玉汗をかきながらプロデューサーのために腰を動かし続けた。

 

それなのに

 

(くそおっ……)

 

プロデューサーは絶頂を迎えるのが遅くなると

響子を怒らせると分かっているのだが、

やはり最初の時より感じなくなってきている。

 

お互いの愛を確かめる行為でも、汚い欲望を満たすためでもない。

彼にとってただの作業になってしまっているのだ。

 

事務所で一緒だった頃の響子は、こんな娘じゃなかった。

 

『プロデューサーさん、最近顔が暗いですよ。

 大丈夫ですか? ご飯はちゃんと食べれてますか?』

 

『いや、ちょっと先方さんに電話で叱られただけだよ……。

 俺が悪いんだからしょうがないんだけど、はっきり

 この仕事向いてないよって言われるとグサッとくるもんだな』

 

『そんなに落ち込まないでください。誰にだってミスはありますよ!!』

 

『ありがとう。響子は優しいんだな。

 俺はこうして響子と話している時が一番心が安らぐよ。

 はは……響子は家事は何でもできて料理も得意だもんな。

 いっそこの仕事辞めちまって響子と結婚できたらなって

 思ったこともある』

 

『ええっ……』

 

『あ、いや!! なんでもない!!

 今のはセクハラ発言だったよな。忘れてくれ』

 

『私は嫌じゃないですよ』

 

『え?』

 

『ですから、プロデューサーさんのお嫁さんになることです』

 

 

プロデューサーの頬に涙がこぼれる。

 

なぜ、こんな時に昔のことを思い出したのか分からない。

今現在二人は同棲をしているわけだから夫婦のまねごとを

していると言える。しかしプロデューサーが大好きだった響子ちゃんは

そこにはおらず、響子ちゃんの姿をした偽物がいるだけだった。

 

 

「……私とするのはそんなにも嫌ですか?

 さっきからプロデューサーさんのココが元気なくして

 小さくなってますけど」

 

「俺はお前のことが本当に好きだった」

 

「はい? それって今は好きじゃないってことになりますか?」

 

「俺が……悪いんだよな。お前を一人ぼっちにして

 ふらふらとしていたから。響子の言うとおり俺は卑怯者だ。

 響子と結婚の約束までしたのに一方的に約束を破っちまったんだ」

 

「私は私ですよ。五十嵐響子です。ふふふ……。もしかして

 私がどこまでもあなたに従順な女の子だとでも思っていたんですか?

 甘いですねぇ。そんな都合の良い女なんているわけないじゃないですか。

 私はまゆや智絵理があなたの周りに付きまとうのを見て、いつか

 手足をバラバラにしてやろうってことだけをずっと考えていたんですよ」

 

――もちろん、私から逃げようとしたあなたも同罪なので

  右足を切り落としてあげたんです。

 

響子は、濁りきった瞳でそう告げた。

 

その瞳を真正面から見てしまったプロデューサーは、

漏らすのをこらるのが必死だった。

同時に、響子に逆らえば絶対に拷問されると確信が持てた。

 

(こいつは、いったい何者なんだ? 

 完全にリミッターが外れてる。

 15歳の少女がここまで狂気に染まるものなのか……。

 加蓮やまゆとは明らかに違う。まさか先天性の……?)

 

響子はまさか本当に、アイドル時代から自分の本性を隠しながら

プロデューサーに笑顔を向けていた……? 

あれだけ多くのファンや芸能関係者にも?

 

「あなたは」

 

響子が服を着ながら言った。

 

「余計なことは何も考えなくていいんです。

 私とここで静かに暮らしましょう。

 あなたはここから出る必要はありませんし、

 私も買い出しなどを除いては外出はしません」

 

「そ、そうだね。響子の言うとおりだ。

 俺は響子の言うことには何でも従うよ」

 

「その言い方、不自然です。

 プロデューサーさんが私に脅されて

 無理やり従ってるみたいに感じますけど」

 

「お、おおお、俺は響子のことが好きだから一緒にいたいだけだぞ!?」

 

「もう嘘はいいですよ。正直に言ってください。私のことが怖いんですよね?」

 

「……」

 

「ちょっと待っててくださいね。今すぐ金槌を取ってきます」

 

「響子は怖いよ!!」

 

「へえ?」

 

「怖いに決まってんだろ!! 俺は足を切り落とされたんだぞ!!

 プロデューサーだった頃はあんなに響子のことを大事にしてあげたのに、

 どうしてこんな目に合わなくちゃならないのか全然理解できねえよ!!」

 

「ふふふ。そうですか。他にも言いたいことはありますか?」

 

「あ、いや。あはは……。これは違うんだ。ちょっと気が動転して」

 

「そんなに態度をコロコロ変えなくていいですってば。

 私は怒ってませんよ。むしろ嘘ばっかりつかれる方がムカつきます。

 私は前にも言いましたよね? 私を怒らせないようにしてくださいって。

 それよりさっきのプロデューサーさんの疑問に答えてあげます」

 

響子は冷静な口調でこう答えた。

 

プロデューサーをよその危険な女どもから守るために、

響子には彼を監禁する義務があるのだと。

 

他のアイドル達を闇討ちなどして再起不能にすることが、

プロデューサーにとっても最善の策なのだと言い切った。

 

その光彩を失った瞳は、一切の異論を許さないと告げていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

思い出。脱走。日記。

うむ。ヤンデレ響子か……(;´∀`)


※響子

 

あれから彼は従順になった。表向きにはね。

同時に口数が減った。

 

営業職をしていた頃の彼は一般的な男性よりも

ずっとおしゃべりで、年頃の乙女である私達を退屈させることがなかった。

彼は世の中のいろんなことを知っている。

 

私達の知らないことをたくさん知っている。

私達の好きな事、趣味に話を合わせてくれるのも上手だった。

 

プロデューサーさんは食通だったから私の手料理について

色々と話してくれる時が一番楽しかった。彼のために作った

お弁当箱を返してくれる時、今日はこのおかずが

美味しかったって必ず感想を言ってくれる。

 

お弁当を残すことなんて一度もなかった。

私は彼のためにお弁当を作ってあげることが、

彼との心の繋がりなんだと信じていた。

 

だからだろうか……。

 

まゆや智絵理、美優さんが彼の周りをうろちょろして

私に殺意に満ちた瞳を向けてくるたびに胸がギュッと締め付けられて、

不安と怒りがやがて抑えくれないほどの殺意に変わり、あいつらの

手や足を引き裂いて二度と彼の周りに近づけないようにしてやる!!

そう思うようになった。

 

まさか……、私は異常者ではないのだ。

心の中で思っても、本気でそんなことをするのかと聞かれたら、

たぶんできない。できるわけがない。ずっとそう思っていた。

 

 

 

ある日、プロデューサーさんの身体に異変が起きた。

朝起きたら顔色が悪かったので熱を測ってみたらすごい熱で。

温度計が壊れたんじゃないかってくらい。なんと39.6℃もあったんです!!

 

39.6℃って言ったら、意識はもうろうとしてるはず。

もう少し熱が上がったら本当に死んでもおかしくありません!!

 

残念なことではあるけど、うれしさも半分ある。

彼のお世話をするのは妻である私の役目。

 

私の。私だけの。私だけが彼のお世話をするんだから。

 

病気の彼が食べやすいようにおかゆを作ってあげた。

夏場で暑いだろうからエアコンは少し強めにしてある。

 

「すまないな……響子」

 

「いえいえ。私が好きでやってる事ですから。

 愛する旦那様が病気で苦しんでいる時は

 支えてあげるのが良き妻の役割ですよ」

 

プロデューサーさんは、私の差し出したスプーンに

「あーん」と言って食べてくれる。ふふ……。

高熱なら抵抗する余裕もないし、まして私を拒絶することなんて

できるわけがない。私にとっては最高の気分です。

 

「食べ終わりましたね。

 枕元にアクエリアスのペットボトルを置いておきますから」

 

「ああ、ありがと……」

 

「額の濡れタオルは、もし寝る時に邪魔だったら洗面器に

 置いちゃって良いですよ」

 

「すまん。俺なんかのために」

 

彼の閉じた目から……涙がこぼれた。

 

「ごめんな。響子」

 

「どうして謝るんですか?」

 

「深い意味はない。なんとなくだ」

 

「……風邪をひいてると弱気になってしまいますよね。

 プロデューサーさんのそばには私がいますから

 何も心配しなくていいんですよ」

 

「そうだな。俺はもうさみしい一人暮らしじゃない。

 君も一緒にいてくれるならさみしくない」

 

プロデューサーさんはそれきり目を閉じて眠った。

夕方までぐっすり寝ていたのでお昼は起こさなかった。

夜寝る前に蒸らしたタオルで身体を拭いてあげた。

 

つい彼の右足の先まで拭こうとしてしまい、途中でやめた。

彼は失われた足の先を見ながら、ただ茫然としていた。

 

営業をするために街中を駆け回った足。

私達の仕事をもらってくるために、歩き続けた足。

 

でもしかたないでしょ。

あなたが私を裏切って他の女とイチャイチャしてたのが悪いんだから。

抑えきれないほどの怒りを彼にぶつけることでしか、

私は心の平穏を保つことができなかったのだ。

 

私は足の件に関しては彼に同情するつもりなどなかった。

 

 

翌朝。

 

「おはようございます。今日もお熱を測りましょうね」

 

「ん? ああ……もう朝になってたのか。時間の感覚ねえな」

 

まだ38℃の後半。高熱は簡単には収まりそうにない。

 

昨日と同じように朝ご飯を食べさせてあげる。

病院に行くことも考えたけど、彼は世間では死んだことになっている。

診察を受けたら個人情報が院に残る。

 

彼は誰にも気づかれずにひっそりと生き、誰にも気づかれずに

死ぬためにこの埼玉の田舎に移り住んだ。

私にとっても彼を管理するためなら田舎は最適だ。

 

埼玉県ってもっと都会な場所を想像していたけど、

奥地の方は地元の鳥取県とそんなに変わらないほど田舎だった。

この地方は内陸。海がなく山もない平野部だ。関東平野と言うらしい。

高台に立ってみると、どこまでも先の景色を見渡せるから少し外国に来た気分がした。

 

 

「響子……」

 

プロデューサーさんはタオルケットの中から震える手を出して、

私の手を握った。うれしかった。

だって彼の方から私に触れてくれたのだから。

 

「俺は今から変なことを言うかもしれない。

 それでも話を聞いてくれないか」

 

「もちろん聞いてあげたいんですけど、あのー、

 今日は土曜の朝一でお魚や野菜を買いに行こうと思ってたんですね……」

 

「そうか……買い物があるんじゃ仕方ないな」

 

「お店はご近所さんなのですぐ戻りますから」

 

「分かったよ響子。俺は待ってるからな。必ずここで」

 

「え、ええ」

 

どこか様子がおかしい。風邪のせいだろうか。

そういえば、彼が会社を休んでいるのを見たことがなかった。

 

おそらくは心労……。私のやったお仕置きが原因なことは認めたくない。

何度も言うように彼が自分で蒔いた種なんだから同情はしない。

でもお世話はしてあげる。お世話するのは私の趣味だから。

 

私は必要最低限の品物をエコバックに入れて、さっさと帰路に着いた。

本当はもっとちゃんと選びたかったんだけど、

愛する彼が風邪で寝込んでいるのだ。

 

本当にまさかとは思うけど、このスキに脱走する可能性だってゼロじゃない。

いつもだったら買い物に行く時は彼の両手を縛り付けておく。

今日はさすがにかわいそうなのでそれをしなかった。

 

「ただいま戻りまし……た……よ?」

 

彼はちゃんといた。それはそうだ。

 

おかしかったのは、病気のはずの彼がキッチンに立っていることだ。

荒い息を吐き、視線が虚空をさまよっているのに、

そんな辛い状態なのに、まな板の上でニンジンを切っている。

 

「何してるんですか!! プロデューサーさん!!」

 

「響子……。帰ってたのか。

 いや、いつもお前に世話になってるからな。

 たまには俺が料理でもしようと思ったんだ」

 

「高熱なんですから寝てないとダメじゃないですか!!

 そんなに震えちゃって……。寒気がするんじゃないですか?」

 

私は彼を無理やり布団に寝かせた。

あれ……? 彼のパジャマが新しいものに変わってる。

洗濯機が回ってると言うことは……もしかして。

 

「汗かいて気持ち悪かったんでな。洗濯したんだ」

 

「お洗濯なら私の仕事ですから、プロデューサーさんは

 寝ていていいんですよ!! 汗かいたのならその辺に

 置いておいてくれたらいいのに!!」

 

「このくらいなら俺だってできるぞ。

 病人とはいえ、これでも男だから」

 

「どうして無理をするの。風邪が治らなくなるでしょ!!」

 

腰に手を当てるポーズをしていて気づく。

これは弟たちを叱る時のポーズだ。

 

「なぜだか分からないのか?

 俺はお前の手伝いなんていらないって言ってるんだよ」

 

「……はい?」

 

「最初に言っておくが、これは響子のためでもある。

 今から俺の言うことをしっかりと耳に叩き込んでおけよ。

 俺の元担当アイドルの、五十嵐響子っ……」

 

彼は体力の限界なのかドスンとその場に座り込みながらも、

私を鋭い目つきで威圧しながら話を続けた。

 

私はその不愉快な言葉を一字一句逃さず記憶に刻み込んだ。

 

――どうやらお前は俺の世話をすることが生きがいのようだ。

  ならば、お前の世話にならないような生き方をすればいい。

 

――俺はお前のことが大嫌いだから、お前に触れても欲しくないし、

  声も掛けて欲しくない。だから自分の分の料理は自分で作ることにした。

 

――それでもお前は俺のことを心配するだろう。俺の言葉を聞いて

  逆上するかもしれない。むしろ好都合だ。俺は今度こそ

  死んであの世に行ける。無限に続く苦痛よりもその方がずっと楽だ。

 

――もう俺に依存する人生から脱出して五十嵐響子としての

  人生を生きろ。それが最後はお前のためになる。

  今のお前の感情は一時の気の迷いであって、いつかその魔法が解ける。

 

私は大好きな彼にはっきりと「大嫌い」と言われたことがショックでした。

それに私にお世話をさせてくれないそうです。最後は振られてしまいました。

 

 

心臓の鼓動が聞こえる。

胸の奥からマグマのような怒りが、頭のてっぺんまで燃え盛る。拳を握る。

 

その生意気な口が……二度と開かないように縫い付けてしまおうかとさえ思った。

彼が台所に立てないように左の足を切断した方が良いのかもしれない。

 

 

でもなんとなく、彼が両足を失ったところで屈服することはないのだと思った。

彼の瞳の奥底に映っているのが私じゃないことは分かっている。

彼はきっと時間が立てば、加蓮ちゃんや美波さんがここを見つけて

自分を助けてくれると信じているのだ。それまで私と茶番を続ければいい。

 

彼の挑発に乗るのは簡単だ。

だけど私も芸能活動を通じて「大人の対応」の仕方を学んできたつもりだ。

 

 

「そうですかっ。それではたくさん話して

 疲れたでしょうからそろそろ休んでください。

 お昼の支度なら私がしますのでご心配なく!!」

 

「なん……だって? お前は俺の言ったことが」

 

「もー。やだなぁプロデューサーさんったら!!

 熱でうなされて変なことを口にしちゃったんですね。

 うふふ。大丈夫ですよ。私はたまに変なことを言われても

 怒ったりしませんから。それより早く風邪を治しましょう」

 

「……」

 

「プロデューサーさん?」

 

私は努めて笑顔で言った。ファンに向ける業務用だ。

彼は多弁だが、たまにこうして黙り込む癖がある。

都合が悪くなった時は顔にも出やすいから分かりやすい。

 

「俺はお前という人間がさっぱり分からない……」

 

「何を言ってるんですか。

 私はプロデューサーさんの御嫁さんの五十嵐響子ですよ」

 

あいつは本当に15歳なのか……。

プロデューサーさんはブツブツ言いながらおとなしく布団で横になりました。

 

昼下がり。彼はすやすやと子供のように安らかな顔で寝息を立てている。

顔は赤いけど、市販の風邪薬を飲ませたので少しは効いたはず。

眠くなる作用が含まれているので夕飯時まで熟睡だろう。

 

5時半を過ぎたのでそろそろかなと思い、

料理雑誌の投稿ページ(スマホ)への書き込みを済ませてから

冷蔵庫の野菜室を開ける。あっ、彼の好きなアイスを買うのを忘れてた。

 

買うのはまた今度ね。確かバニラアイスが好物だったはず。

デザートはシュークリームやエクレア。

スーパーで安売りしてるのを彼は喜んだ。

 

 

玄関のチャイムが鳴る。

 

おかしい。どうしてチャイムが鳴るの?

 

ここに住んでから宅配サービスには手を出してない。

世間的に死んだはずの夫相手に来客などあるわけがない。

あるいは大家さん? 可能性はゼロじゃない。けど……。

 

(もしアイドルの誰かだとしたら、返り討ちにしてあげるよ)

 

研ぎ澄まされた包丁を背中に隠したままドアノブに手をかける。

お気に入りのエプロン姿のまま。努めて笑顔でドアノブを回そうとした時……。

 

「うぐっ……ぐっ…………」

 

電流が走った。どうやら相手はドアノブ越しにスタンガンのようなもので

電流を流し続けていたようだ。いけない。油断していたっ……!!

 

とっさに手を離したので意識を失うことはなかった。

 

相手のペースに巻き込まれたら殺される。

戦いは攻めて攻め続ける方が勝つ。

ドアを蹴破り、相手も確認せずに勢いよく包丁を突き刺した。

 

「いたっ……!!」

 

相手は加蓮だった。エヴァの綾波さんのように頭に包帯を巻いている。

さっきの包丁の一撃は加蓮の右腕を切った。

 

突然の反撃だったので加蓮は右手を痛そうに抑えて

しゃがみこむ。そのスキが命取なのに。

 

「死ねよ」

 

包丁を逆手に握り、加蓮の太ももに垂直に振り下ろす。

切っ先がぶれないように両手でしっかりと握った。

 

「ああぁぁぁあぁあああ!!」

 

「ほらほら。もっと強くしてあげるから」

 

傷口を広げるように包丁をぐりぐり押し込んだ。

人の肉を裂くにはそれなりの力が必要なのだが、

私は握力には自信がある。それに普段から包丁は使い慣れてる。

 

何より憎き加蓮を殺傷することにためらいなどない。

 

泣き叫ぶ加蓮の顔を蹴飛ばした。

加蓮は何とか包丁を抜こうとあがくが、簡単には抜けてくれない。

血がどくどくとあふれて止まりそうにない。完全にパニックになっていた。

 

「そんなに抜きたいのなら抜いてあげるよ。ほーら!!」

 

「ぎゃぁあぁぁぁ!! 痛いぃぃぃ!!」

 

加蓮の太ももの出血量が増し、玄関先に小さな血だまりができる。

今すぐ病院に行かないと危険な状態となっていた。

 

その悲鳴を聞いてプロデューサーさんも寝てられなかったのだろう

歩くことができないの彼は床を張ってここまで来た。

 

「おい……そこで血を流してるのは、加蓮だよな? おい加蓮!!

 大丈夫か!! しっかりしろ!! 俺ならここにいるぞ!!」

 

加蓮は痛みでのたうち回り、それどころではない。

プロデューサーさんは大好きな加蓮のために命を投げ打ってでも

助けてあげたいと思ってるのかもしれない。でもその足で?

 

「プロデューサーさ~ん。ちゃんと寝てないとダメじゃないですか。

 どうして玄関まで出てきちゃったんですか?

 玄関に近づいたらお仕置きするって言いましたよね?」

 

私は聞き分けの悪い夫の襟をつかみ、床を引きづった。

 

「やめろ!! やめてくれ!! 離してくれ!!」

 

「お仕置きは風邪が治ってからです。

 きちんと布団まで戻ってくれたら何もしませんから」

 

 

                        続く。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

アイ ワズ オン ヨア メモリィ.

加蓮ちゃんが血を流して苦しんでるぞ!!
なんでこんな展開になったんだ!!
もう素直な気持ちでアイマスを楽しめない。


※プロデューサーの視点。

 

俺が必死に暴れたせいで響子はめんどうになったのか、

俺の襟じゃなくて首根っこをつかんでやがる。

まるっきり家畜の扱いだ!! 俺は人間なんだぞ!!

 

それにしてもアイドル達はどうしてこんなに力が強いんだ。

美波や肇ちゃんは素手で熊を殺せそうなほどの腕力だったが、

響子も負けてない。ダンスレッスンやボイトレをしたら

女の子をここまで強くしてしまうものなのか?

 

「しばらくこの中に入っててくださいね」

 

そこは風呂場だった。俺を縛り付けてバスタブの中に

押し込んでおくつもりなのだろう。

そうはさせるか。加蓮の命がかかってるんだ。

 

たとえ殺されてでも抵抗してやるぞ。

 

「いたっ!! ちょ、なんで急に噛みつくんですか!!」

 

俺は響子の左手の指に嚙みついた。原始的な方法だが、

相手をひるませるにはピッタリは方法だろう。

肉を裂くほどの力で噛みついている。響子の人差し指から血が流れ始めた。

 

「痛い痛いっ!! ちょっと、本当に痛いですって。

 やめてください。今ならまだ怒らないであげますから……」

 

「ふごふご……うるへぇ!!」

 

「ねえ……」

 

「……っ!!」

 

「やめなさいって言ったんだよ」

 

目に激痛が走る。どうやら響子に目つぶしをされたようだ。

眼球がつぶされたんじゃないかってくらいの衝撃だった。

視界が真っ暗になり涙が止まらない。

 

今までに感じたことのない痛みに泣き叫ぶ。

 

「いったいなぁ~。んも~プロデューサーっさんたら

 お茶目さんなんだから。私の大切な指に噛みついたりしたら

 お料理が作れなくなっちゃうじゃないですか~~。

 罰としてプロデューサーさんはご飯抜きにしちゃいますよ?」

 

セリフとは裏腹に、響子は本気で切れているのだろう。

視界がかすんで彼女の顔は見ることはできないが、

燃え盛るような怒りのオーラを感じる。

 

次に同じことをやったら今度のお仕置きは

足だけでは済まされず、腹部を切開されるかもしれない。

 

「うっ……?」

 

響子の声。何が起きたのか?

 

俺のかすんだ視界の先にあるのは、床を張っている加蓮が

鈍器を持って響子を攻撃しているところだった。

どうやらトンカチのようなもので響子の足首のあたりを

後ろから攻撃したようだ。

 

響子は激痛のあまり足を抑えて座り込んだ。

大きく足を開いているのでスカートの中身が丸見えなのだが、

例によってそれどころではない。

 

加蓮は響子の髪の毛を抑えながら、響子の頭部にトンカチを叩きこむ。

響子はとっさに手でガードした。鈍い音がした。

もしかしたら響子の右腕の骨が折れたのかもしれない。

 

加蓮は脱いだジャケットを太ももに縛り付けて止血しているようだ。

それでも血の流れが完全に止まったわけではないが。

 

後遺症の恐れのあるほどの傷を負いながら

戦い続けるのは並の精神力では不可能だ。幼い頃から病院生活をしていた

加蓮は傷や病気に対する度胸は人並み以上だったようだ。

 

「プロデューサーさんを救うためなら、人殺しになってもいい。

 五十嵐響子ぉおお!! あんただけは絶対に許さないから!!」

 

「この女……わざわざこのアパートに戻ってくるなんて

 いい度胸してるよ。いいよ。北条加蓮!! 返り討ちにしてあげるから!!」

 

 

響子はお風呂の洗面器に水が張ってあったので

それを加蓮にぶちまけた。冷たい水が足の傷口にかかるので加蓮は絶叫する。

おまけに長い前髪が目元に張り付いて視界が悪くなったようだ。

 

響子は痛み足を引きづりながらも、

急いで机の引き出しから手錠を取って来て加蓮に迫る。

 

加蓮は響子の腕を握り抵抗をするが、足の激痛のために

全力が出せない。響子がスキをみて太ももを軽く蹴ると

「うわあああぁあああ!!」 加蓮が脂汗をにじませながら叫ぶ。

 

まず加蓮の片腕に手錠がはめられ、続いてもう一つの手も

しっかりと手錠された。こうして加蓮は完全に抵抗を封じられた。

 

「加蓮ちゃんは腹パンって食らったことある?」

 

「うぐっ……」

 

無防備なお腹に響子の拳が刺さる。

加蓮はよだれを垂らしながら前のめりに倒れこみ、

口を大きく開けて息を吸おうとしていた。

だが空気の流れる音がするだけで少しも空気が入ってこないようだ。

 

「さてと、お料理で使う塩がまだたっぷり残ってるんだよね」

 

「!?」

 

響子は鬼だった。

 

両手に塩をたっぷりと塗り、うつぶせにさせた加蓮に馬乗りになる。

傷口にまかれたジャケットを丁寧にほどき、文字通り傷口に塩を塗り込んだ。

 

「ぎゃああぁあぁぁああああああああああ!!」

 

「さあさあ。どうかな? 今までに感じたことのない痛みでしょ。

 私の手つき、すごく丁寧でしょ。もっともっと塗ってあげるからね」

 

「や、やめてええええ!! いたいぃぃいいい!!」

 

「これはプロデューサーさんに近づこうとした罰だよ。

 悪いことをしたら罰を受けるのは当然のこと。

 加蓮はちゃんと自分の罪を反省しなさい」

 

「あぁああぁぁぁぁぁあぁああ!! お願い!!

 もうやめてえええええええ!!」

 

「あれれ。また出血がひどくなっちゃったね。

 これ以上痛めつけたら傷が化膿しちゃうかもね。

 そうしたら加蓮も足を切断することになるよ」

 

「ひっ!? それだけは……それだけはやめてください!!

 謝ります!! プロデューサーさんに近寄ろうとしたことを謝りますから!!」

 

「じゃあ私の夫に二度と近寄らないって誓約書でも書いてもらいたいけど、

 今は口約束だけで勘弁してあげる。だってその状態じゃ文字が書けないよね」

 

「誓います!! 誓いますから許してください!!」

 

「うん。それは分かったけど、まだだよ。

 私に電流やトンカチで攻撃したことはどうなるのかな?

 私はわりと根に持つタイプだから、そういうの許せないんだけど」

 

「すみませんでした五十嵐響子様!!

 もう二度としませんから許してください!!」

 

「ちゃんと反省してる?」

 

「してます!!」

 

「ならこれで許してあげる」

 

響子はフライパンを持ってきて、フルスイングして加蓮の顔に

当てた。加蓮の鼻から血が噴き出る。両目も涙でいっぱいだった。

 

響子はそれでも気がすまないのが、今度は縦向きに

フライパンを振り下ろそうとしたが、俺と目があったので

やめてくれた。フライパンを乱暴に投げ捨てる。

 

え? 終わったのか?

 

……鬼と化した響子に俺の願いが通じたのか?

 

「これで今日のお仕置きは終わりにしてあげます。

 そんなに疑わなくても大丈夫です。私は十分に気がすみましたから」

 

「そ、そうか……。ありがとうな響子」

 

俺は……大切な加蓮がこんな目にあわされてるのに見てるだけだった。

怖かったのだ。響子に抵抗でもしたら後でどんな目にあうか。

勝てもしない相手に歯向かう勇気が、今の俺にはなかったのだ。

 

情けない……。世界一の大馬鹿野郎だ、俺は。

 

響子は余所行きの恰好に着替え始めた。

どこに行くつもりなのかと視線だけで問うと「ちょっと病院へ」とだけ言った。

 

まさか……加蓮を病院へ連れていくのか?

もちろん響子の足首だって骨が折れてるかもしれない。

それに……俺が嚙みついた指だって血が出てたんだぞ……。

 

「足首がずきずき痛みますけど、歩けるってことは

 骨には異常がないと思います。重症なのは私よりその女の方です。

 出来るだけ早くお医者さんに診てもらわないと本当に

 足が切断になっちゃいますから」

 

響子はシャワーで加蓮の傷口を綺麗に洗い流し、

ガーゼと包帯を巻いて止血をした。加蓮は痛みに絶叫する他は

ただ震えるばかりで、響子にされるがままだった。

加蓮は足だけじゃなくて腕にも切り傷を負っているのだ。

 

しかし加蓮をどうやって病院へ運ぶつもりだ?

ここは駅前から遠く離れた不便な立地のアパート。

一番近い診療所でもかなりの距離だ。

設備の整った総合病院となると、アパートから5キロ以上も離れているぞ。

 

「むしろお医者さんを呼んだ方が良いですね。

 ちょっとお金がかかるけど、知り合いのお医者さんがいるから」

 

若い男性医師が来てくれて処置をしてくれた。

加蓮の傷はしばらく入院が必要だが、

大事に至ることはないと言う。響子は軽傷。時間の経過ですぐに治る。

ただし、指を労わるためにしばらく料理は控えたが良いとのこと。

 

医者が自分の車で加蓮を乗せて大きな病院へと連れて行ってくれた。

 

古びたアパートの一室に残されたのは、俺と、俺の妻を名乗る響子だ。

 

「みんな帰りましたね。あなたはお薬を飲んで休んで下さい」

 

響子が財布をバッグに仕舞いながら言う。

医者を呼ぶにはそれなりの金が必要らしいが、さっきの医者は

実はまゆの知り合いでかなりの額が請求されたようだ。

 

俺用の薬まで置いて行ってくれた。ごく普通の風邪薬のようだが……。

どちらかというと解熱と言うより頭痛用のようだ。

 

 

「響子。俺は加蓮が……」

 

「今日は何もありませんでした」

 

「いや、だって」

 

「今日は何もない平凡な一日でしたね」

 

「……」

 

「平凡な一日でしたね?」

 

「そうだな。平凡な一日だった」

 

「……本当はちっともそう思ってませんね」

 

「さあ。俺がどう言ってもお前は納得しないんだから俺は従うしかないだろ」

 

「投げやりな言い方……。むかつきます」

 

「響子。俺はお前がこれ以上罪を重ねるのを見てるのが辛い。

 もうどうしようもないってことは十分によく分かった。

 そこで俺からの提案だ。俺達はこれからもずっと一緒に居よう」

 

「へ? なんで今さらそんなことを? 

 一緒に居るも何も、私達はもう結婚してるじゃないですか」

 

(お前がまともな女の子で、15歳じゃなかったらそうだったろうよ)

 

プロデューサーは心の中で鼻で笑いつつ、

 

「響子。お前は俺のそばから離れるんじゃないぞ」

 

「離れるつもりなんて全くありませんけど。

 むしろあなたの方こそ脱走したいとか考えないでくださいよ」

 

「もうそんなつもりはこれっぽっちもなくなったよ。

 響子を怒らせたら他の子まで加蓮みたいな目にあわされるんだったら、

 俺はこのボロアパートでお前と一緒に過ごすべきだと思うんだ」

 

「それがどのアイドルにとっても優しいあなたにとっての妥協ですか。

 優しさは美徳だと思うし私は好きなんですけどね。

 その優しさがどうしていつも私に向いてくれないんだろうって思ってるんですよ」

 

「お前のことは好きだった」

 

「だった、ですか」

 

「俺がお嫁さんにしたいと思っていた響子は、心の中にだけ存在する。

 かつては存在したんだ。俺の記憶の中には今でも生き続けている」

 

「あくまで今の私を全否定したいんですね。

 私がずっと昔から他のアイドルに殺意を抱いていたと知っても

 同じことが言えますか?」

 

「それは嘘だろ」

 

「嘘じゃありません」

 

「俺は嘘だと思いたいんだよ」

 

「本人が嘘じゃないと言ってるのに」

 

「……すまん。くだらないことを話しちまったな。

 俺はもう寝るぞ。……つっても寝れないからテレビでも見るか」

 

プロデューサーが布団に横になると、響子がそっと布団をかけてくれた。

 

安っぽいタオルケットが妙に暖かく感じられた。

目の奥がまだ痛む。響子の指にも包帯が巻かれている。

 

こんな生活、普通じゃない。

 

テレビの馬鹿っぽいCMを見ていると、ふと自殺の方法が脳裏をかすめる。

だが死んでたまるかと思った。こんなくだらない痴情のもつれで

死ぬなんて馬鹿げている。俺は反骨精神が強い方だ。

 

五十嵐響子は俺にとって超えるべき壁に過ぎないんだと思うと、

死のうなんて考えは俺の中から消え去ってしまう。

 

響子が俺の背中にぴったりと身体をくっつけて来て、すぐに寝息を立てた。

あんなことがあったばかりなのに寝れるのか……。

響子の体温を感じる。狂ってしまったこいつだって人間なことに違いはないんだ。

俺はこいつの寝顔を見ることなく、リモコンを押してテレビを消した。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

プロデューサーは目を閉じて考えた。

ちーっす。


響子には特殊なバイオリズムでもあるのか、機嫌が良い時は

とことんまで俺に優しくしてくれる。事務所にいた時がそうだった。

 

こいつの話ではアイドル時代は猫をかぶっていたそうだが、

その話は正直信じてない。おそらく俺が美波に拉致監禁されて以来、

こいつの中で鬼が宿ったのだろう。二重人格か。あるいは統合失調症か。

 

「ぷっ……あはっ……ぷぷっ……はははっ」

 

こいつの異常さは、キッチンに立つ時に一人で笑っていることだ。

思い出し笑いなのか? それとも幻覚で見てるんだろうか。

 

いい加減、不愉快だ。こいつは独り言も増えてきたし、そのたびによく笑う。

 

「あははははっ!! ……あはっ、あははっ」

 

初めは気味が悪いと思った。だがな。慣れてくるとすごく耳障りなんだよ。

 

指の痛みは感じないらしいので普通に包丁を握っている。

 

今日の夕飯は何を食べたいと聞かれたので肉じゃがにしてもらった。

響子の得意料理のハンバーグでは異物満載になり吐き気がするからだ。

肉じゃがなら濃い目の味付けにすれば血液や唾液の類は

まだ食べやすいと思った。

 

「夏なのに肉じゃがですか……?」

 

響子は不満そうな顔をしたので背筋が冷たくなるが、すぐに

笑顔になり作ってくれた。あっという間に7月が終わり、

8月の第一週になった。お盆が近いがこいつは帰省なんてしないんだろう。

 

「帰省? するに決まってるじゃないですか。

 親も一人暮らしをしている私を心配しますし、

 妹や弟たちも私が帰るのを楽しみにしてくれてるんですよ」

 

「なあ響子。俺は……」

 

「プロデューサーさんはここにいてください」

 

なんだって!?

俺も鳥取の自宅まで連れていかれる流れじゃなかったのか。

 

「その足では遠出するのはちょっと大変でしょ。

 それに両親にプロデューサーさんを紹介するのは

 まだ私の年齢的にもちょっと……。実は父が古風で厳しめな人なので

 片方の足がない男性を紹介しちゃうと色々ともめちゃうんですよ」

 

「へえ。おまえんちのお父さんって厳しいのか」

 

「はい。美波さんのお父様と同じくらいに」

 

「……」

 

「……」

 

まずい。また地雷を踏んでしまった。

全くどこに地雷が隠されているのか分からない。

なんで途中から美波の父の話題につながるのか謎だ。

 

「うふふ。すみませんね~。私ったらまたムカつくことを

 思い出しちゃいましたよ。プロデューサーさんって美波さんの

 ご自宅にはすでにお邪魔してますよね?」

 

「……いや俺は別に自分ですきd」

 

「広島に行きたい、行きたいって駄々こねてましたものね。

 でもどうして私の地元には興味を示してくれなかったんですか?

 そういうのってなんだか悲しくなっちゃうじゃないですか」

 

「と、鳥取も砂丘とか有名だし景色が綺麗で素敵な場所だよな。

 俺もいつか鳥取県に行ってみたいとは思ってるよ」

 

「……」

 

「……」

 

この無言。修羅場。胃が締め付けられるがこの部屋には胃薬がないのだ。

 

響子の気分を害すればお仕置き(拷問)が発動されるので

会話するのさえ命がけだ。あと半年もすれば髪の毛が全部白髪になるぞ。

 

「私は今週の金曜日に出発します。それから来週の木曜まで

 このアパートには帰ってきませんから。その間は

 プロデューサーさん、片足で大変だと思いますけど

 自分のことは自分でやってください。できるだけ

 作り置きのおかずや冷凍食品は用意しておきますので」

 

響子は松葉杖を用意してくれた。

今までは響子の介助なしでは風呂もトイレもいけなかった俺だが、

松葉杖があれば部屋中を立って移動することができる。

 

しかし松葉杖を使うにはそれなりに練習しないといけない。

この部屋はバリアフリーでもないので何かと不便だ。

 

 

「あの、ところで分かってるとは思いますけど」

 

響子は光が失われた瞳で微笑みながらこう言った。

 

――私の帰省中に脱走とかしないでくださいね。

 

言外に脱走が判明したら拷問すると言っているのに等しい。

殺すのではなく、拷問だ。その拷問の方法を想像するだけで

すでに無くしてしまった足の先がズキズキと痛む気がした。

 

「何言ってんだ。こんな足でどうやって逃げるんだよ」

 

「プロデューサーさんなら分からないじゃないですか。

 私の指に噛みつくくらいには元気なんですから」

 

「……」

 

「……」

 

響子はある実に女らしい。このしつこいところが特に。

俺が死ぬまで同じネタでいびり続けるんだろうな。

 

「俺もお前の家に遊びに行ったらダメか?」

 

「ダメですって。ここににいてください」

 

「分かったよ」

 

「本当に分かってるんですか?」

 

「しつこいな。分かったって言ってるだろ」

 

「……」

 

「信じてくれよ。そんなに疑われたら息がつまっちまうよ。

 俺とお前はこれからもずっと一緒にいるんだから

 少しはパートナーのことを信じてくれてもいいんじゃないのか?」

 

「パートナー……」

 

「響子。前にも言ったが俺とお前は夫婦になったわけだ。

 俺が大切な妻であるお前を裏切って逃げたりするわけがない。

 そもそもな。お前を怒らせたらまた暴走するかもしれないじゃないか。

 俺はそんなの望んでないんだから響子を怒らせることもないわけだ」

 

「……」

 

「俺と響子は夫婦だ。夫婦の心の絆は、たとえお互いが離れて

 暮らしても変わらないはずだ。少なくとも俺はそう思っている。

 響子だってそう思うだろ?」

 

「……分かりました。今回はあなたを信じてあげます」

 

――その代わり、私を愛してるのならちゃんと行動で示してくれるんですよね?

 

感情のこもらぬ瞳でそう言いながら俺の上着を脱がし始めた。

俺の胸板に顔を埋めて深呼吸を始める。

 

アイドル達はどの子も俺の匂いを嗅ぐのを好むようだ。

男の上半身なんて汗臭いだけだと思うが、そんなに良いものなんだろうか?

 

響子は息を荒くしながら俺の乳首を舐めている。

発情して我を忘れている感じだ。吐息がすごい勢いだし目つきは獣だ。

 

きっとこの子のアソコは触る前から濡れてるんだろうな……。

彼女のサイドポニーをほどき、くせのついた長い髪の毛をなでてあげた。

 

昔はこの茶色い髪の毛を愛していたものだ。

おろしてみると結構ボリュームがあって驚く。

10代の女の子の髪はみずみずしくてサラサラしてる。

なんとなく力強い生命力を感じる。

 

「愛してるよ。響子」

 

「はい。私もですよ」

 

響子の秘所に指を突っ込んでみると、洪水が中にとどまっている感じだった。

生暖かくて、どこまでも俺の指が奥へと入ってしまう。

響子は俺に身体を預けたままの状態で大きな声で喘ぐ。

 

膣の中を指で犯しながらも、

ピンと張った乳首を舌の先でもてあそぶ。

響子は肩がビクッと震え、力が入らなくなったようだ。

小刻みに震えながら刺激に耐えている。俺の指が愛液でどんどん濡れてきた。

 

響子ほどの美少女の痴態を見てさすがに興奮してくる。

指を抜き取って舐めてみると酸味があって苦い味がした。

 

今度は響子を寝かせてから指を2本出し入れするが、

響子は大きな声で喘ぐだけで中々絶頂に達しない。

 

「あ……いいです……うまいですね……。

 私はもう準備ができてるのでっ……もっと大きいのが欲しいです……」

 

「分かったよ響子。でも俺はこの身体だからさ、

 お前が俺の上に乗ってくれないか」

 

「はい」

 

響子が満足して眠りに着くまでに随分と時間が掛かった。

なんとなく、くやしくもあるが……最高に気持ちよかった。

身体の相性が良いのかもしれない。

こんなに性欲が強いアイドルは美波以来だった気がする。

 

 

それから約束の金曜日になった。

 

「あなた、行ってきます」

 

「ああ、行っておいで。待ってるからね」

 

俺達はキスをしてから別れた。

 

冷凍室にはチキンを始めとした冷食と大量のアイスを置いてくれた。

俺の好きなスーパーカップがこんなにたくさん。

飽きないように味を全種類用意してくれている。

 

さっそく食べた。ストレスが溜まってるのでチョコ味でいいか。

 

さて。ようやく厄介な奴がいなくなったので愚痴でもこぼしたくなるが、

響子のことだから監視カメラや盗聴器が仕掛けられてるとみるべきだ。

俺はこれから6日ばかり寝て過ごせばいいだけだ。

 

冷房が効いていて快適な室内だ。

 

狭いのは東京で独り暮らししていた時と同じだ。

 

カーテンを開けると田舎の風景が広がっており、

涼しい夕方に少しばかり散歩したくなるが、

夏場に松葉杖で歩くのはかなりの重労働だ。

 

後で響子にばれたら怖いし、やめておこう。

 

「ふぅ……暇だぁ」

 

スマホはない。持つことを許可されてないし、

何時だか忘れたけど俺が風呂に入れて壊したっきりだ。

 

テレビはつまらん。

漫画はない。響子が置いて行った料理雑誌やファッション雑誌ならあるが、

男の俺には興味のないものばかりだ。ふとファッション雑誌の表紙のモデルを

眺めていると、次のライブに着せる衣装のことなど余計なことが頭に浮かぶ。

 

いかんいかん。俺はもう芸能界には関係のない人間だ。

とあるデザイナーの女性とはそれなりに仲が良かったが、もう過去のことだ。

 

9時を過ぎたので久しぶりにノートパソコンを立ち上げて

東証の株価を調べてみる。おお。輸出関連銘柄が強い。

米ドルだけでなくクロス円でけっこうな円安になってるな。

はは……こんな人生で資産運用なんて何になる。

いつ拷問されて死ぬかもしれないのに。バカらしくてすぐに飽きてしまった。

 

俺はバナナを食べてから寝た。ムカついてる時は寝るのが一番だ。

俺は正社員だった頃からストレスを抱えた時はできるだけ寝るようにしていた。

人間とは不思議なもので、考えることを中断すると簡単に寝れることに気づいたのだ。

 

子供のような素直な心を持つ者に神は微笑むと

キリスト教で教えるらしいが、実際にそうなのかもしれない。

 

 

俺はやかましいチャイムの音で目が覚めてしまった。

 

「誰だよクソ……しつけえな」

 

午後の4時過ぎだった。まさか響子が帰ってきたわけでもあるまい。

宅急便も違うだろうな。アマゾンを頼んでないのに来るわけがない。

 

無視するしかなかったが、チャイムはしつこい。

 

5秒ごとに間をおいてから、ゆっくりと押される。

俺が観念して出てくるのを待ってるこのやり方……既視感。

 

儚げな雰囲気のアイドル。岩手から来たアイドル……。

 

「プロデューサーさん。起きてるんでしょう? 

 居留守を使うのはそれそろやめてくれませんか」

 

三船美優の声だった。俺が東京のアパートに住んでた時も

この人はこうしてドアをノックした。あの時は壊すくらいの

勢いだったが、今回は優しい。彼女らしい控えめな態度だ。

 

俺は松葉杖をついて立ち上がり、ドア越しに会話した。

 

「美優。待たせて悪かったな。

 ちょっとそのままで聞いてくれないか」

 

「はい」

 

「俺は響子と結婚してここに住んでいるんだ。

 もう君がどうやってここまでたどり着いたかなんて俺には興味がないが、

 そういうわけだから君をこの部屋に入れるわけにはいかないんだ」

 

「響子ちゃんとの件なら知ってますよ。

 私はあなたの監視役としてここに派遣されたんです」

 

「監視役? まさか響子に頼まれたのか?」

 

「そうですけど。響子ちゃんから聞いてませんか?」

 

俺は10秒ほど考えてから、この女が嘘をついてると確信が持てた。

まず美優は響子に拷問(お腹に鉄球)されたと聞いているし、

俺が入院中もこいつと響子は殺し合いをするくらいには険悪だった。

 

美優には嘘の前科がある。

俺と美波が花見をしている時、こいつは何気ない顔で

俺達の前に現れた。そしてこう言った。

『私はたまたまここを通りかかっただけで、まゆちゃんとは関係ありません』

 

俺は息を吸ってから

 

「悪いな。あいにく君と話すことは何もないんだ。帰ってくれ」

 

「そんな……ここまで来るの大変だったんですよ。

 顔も見せてくれずに帰れだなんて……そんなのあんまりじゃないですか。

 少しだけでいいから顔を見せてください」

 

「美優……。俺のことを思うなら今回は遠慮してくれないか。

 君とここで会ったことが響子にばれたらマジで殺されるんだよ」

 

「扉を開けてくれたら帰ります」

 

「俺を困らせないでくれよ……」

 

「少しだけでいいんです。私にプロデューサーさんの顔を私に見せてください」

 

「……」

 

「お願いします。ねっ?」

 

「なあ美優……」

 

「私の事……愛してるってあれほど言ってくれたのに……」

 

扉越しでも彼女がその場で崩れ落ちたのが分かる。

しつこいくらいにすすり泣く声が聞こえてきた。

 

こいつはきっと俺が何を言っても帰らないだろう。

そもそも秘密の隠れ家であるここを知られた時点で手遅れなのだ。

他のアパートの住民にこの状態が知られたら、どのみち響子の知るところになるか。

 

それに俺自身、美優のことが好きだったのもある。

こいつは事務所時代に俺が陰でセクハラしても

笑って許してくれたくらいには優しい奴だった。

 

「入れよ」

 

「え?」

 

「その代わり、話が終わったらすぐに帰ってもらうけど」

 

「はい!! ありがとうございますっ」

 

美優は見慣れたノースリーブのワンピ姿だった。

髪もいつものように後ろで結っている。似合ってるな。

両手を顔の前で合わせ、俺を見た瞬間にひまわりのように

微笑んだ。心から幸せそうな顔だ。

 

そんなに俺の顔って見たいものなんだろうか……?

 

「ずっと逢いたかったです!! プロデューサーさん!!」

 

ああ、思い出した。俺は死んだことになってるんだった。

そんで死んだはずの奴が目の前にいたんだから喜ぶのも当然か。

 

美優は俺の松葉杖を見て固まった。

 

「あの……その足は?」

 

「どうした。響子から事情を聞いてたのなら知ってるはずだが」

 

「ごめんなさい。実は嘘なんです」

 

「知ってるよ。はぁ……そんな泣きそうな顔になるなよ。

 今さら嘘ついたくらいで美優のことを嫌いになったりしないから。

 冷たい麦茶でも出すから奥へ行こうぜ」

 

「あ、お茶なら私が用意しますから!!

 プロデューサーさんは座っててくださいね」

 

美優の奴、さりげなく玄関の内扉をロックしやがった……。

 

分かりきってる事ではあるが、こいつ泊まり込む気でいるんじゃないのか。

でかいスーツケースが玄関に置かれてしまったぞ。

 

そもそもこいつら……なんでこのアパートにこうも簡単にたどり着けるんだよ。

社長に高いワイロ(460万円)を払って世間的に死んだことに

してもらったのに、俺の金は無駄だったのか。

 

ああ、クソ。俺と来たら、響子におびえてストレスが

限界まで溜まっていたせいか、いそいそと冷蔵庫を開けて

デザートまで用意してる最中の美優のうなじを見てたら

ムラムラしちまった。

 

過去のはずの人物が目の前にいる。

 

美優は俺のことをカッコいい……とまじまじと見つめてくる。

おいおい。片足を失ってても惚れてくれるのかよ。

 

ちなみに俺から見てもお前は美人だよ。何度見てもな。

 

こいつを……もう一度抱きたい。




m


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

不覚にも美優に惚れてしまう。

ちょりっす(真顔)


※美優さんの一人称。

 

プロデューサーさんはっ……やっぱりカッコいい!!

他の誰よりも素敵!!

 

彼が死んだのが嘘だってわかった時、

どうしようもなくうれしくなってしまい埼玉の田舎まで来ちゃいました。

彼の生存を教えてくれたのは他の誰でもない。神様です。

 

……え? 信じてくれませんか?

 

ある日、私の夢の中に天使(メッセンジャー)が現れて

私にお告げをしてくれたんです。

君のプロデューサーは埼玉の地方に住んでいて、

今すぐ会いに行けば余計なお邪魔虫はいないのでチャンスだと。

 

「おやつはプリンでよろしかったでしょうか。

 久しぶりですし、あーんしてあげますね」

 

「そ、そうだな。お願いしようかな」

 

「え? いいんですか?」

 

「嫌か? だったら無理にとは言わないけど」

 

「いえいえ。もともと私が言い出したことですから!!」

 

彼が私を素直に受けいれてくれた?

ああ……そっか。

私にすぐに帰ってもらいたいから、いつものご機嫌取りか。

 

「おいどうした? まだ残ってるじゃないか。プリン」

 

私の事なんてうざったいし、どうでもいいんですよね。

今はせっかく二人きりでいるのに、

彼の営業スマイルをこんな時まで見たくなかったな……。

 

「美優。もっとこっちに来いよ」

 

「は、はい?」

 

彼はそのたくましい腕の中で私を抱いてくれました。

 

うそ……。どうして優しくしてれるの……?

また私を騙そうとしてるんでしょ。

 

「……美優の可愛い顔を見てたら

 今まで響子と命がけのバトルをしてたのが急に馬鹿らしくなっちまった。

 今さらこんなこと言っても信じてもらえないと思うが、

 俺にとって美優は癒しキャラだったんだよ。だから癒されようかと思ってさ」

 

か、可愛いって……。

そう言われると胸がキュンってしちゃう。

たとえ嘘だと分かっていても。

 

「ほら。顔をこっちに向けて」

 

「ん……」

 

キスされた。彼はいつも私の胸を触りたがる。

ここなら誰も見てるわけじゃないので好きなだけ触らせてあげた。

男性らしい大きくてごつごつした手の感触、久しぶりに感じた。

 

私の手が彼のズボンに触れると、思った通り

そこは苦しそうにパンパンに膨れていた。

 

「美優。暑い中歩いて汗かいただろ。シャワーを浴びてこい」

 

「はい。でもあの……」

 

「分かってる。途中で逃げたりなんてしないよ。いいから行っておいで」

 

「はい!! すぐ戻ってきますね」

 

バスルームにはいかにも響子ちゃん好みのシャンプーや

ボディソープが置かれていたので少しだけイライラした。

 

でも仕方ないのでそれを使う。

 

私は今でも五十嵐響子ちゃんのことが世界で一番嫌い。

いや、一番は美波さんかもしれない。

加蓮ちゃんも嫌い。まゆちゃんも。

プロデューサーさんの近くに寄ろうとする女は全員大嫌い。

 

 

シャワーを浴び終えたら、プロデューサーさんに襲われた。

 

 

彼は演技しているようには見えなかった。

片足もないのに、彼は一生懸命に私を布団の上に押し倒して

おっぱいを舐めたり顔を埋めたりした。

彼は夢中だった。まるで小さな子供みたいに感じられた。

 

私が何気なく彼の頭をなでてあげると、彼は子犬のような目をして

涙を流し始めた。こんな顔の彼を見るのは初めてだったから私も驚いた。

 

「響子に乱暴されてずっと怖かったんだ……。

 美優に会えてホッとした自分がいる。

 やっぱり君に会えてよかったよ」

 

「そう言っていただけるなんて光栄です。

 私もずっとあなたに会いたくて、

 死んだって聞いた時はどれだけ悲しんだことか」

 

「嘘ついたのは俺も同じだな。すまなかった」

 

「いえ、私もあの時は本当に自殺しようかと

 思いましたけど、もう終わったことなので……」

 

「美優。好きだ」

 

「ん……」

 

キスされた。舌を絡めてきたので少しだけ息が苦しい。

たっぷりキスをしてからふたりの唇が離れると唾液の糸が引いていた。

 

彼は嘘じゃなくて本当に私のことを愛してる気がした。

もちろん都合の良い妄想かもしれない。

だからこそ、つい口からこんな言葉が出てしまう。

 

「プロデューサーさん、私と結婚してくれますか」

 

「いいよ」

 

え……?

 

「俺はいいよって言ったんだよ」

 

「えっと、それは嫌だって方の」

 

「オーケーだよ。……信じられないか?

 だったら、ちゃんと婚姻届けも書いてやるからさ。

 どうせ持ってきてるんだろ?」

 

「は、はい!! 今すぐ出しますね!!」

 

キャリーケースじゃなくてハンドバッグの奥にしまってあった。

焦っていたのでどこに仕舞ったのかさえ忘れてしまった。

 

彼にボールペンを渡すと名前を書いてくれた。

信じられないことに印鑑も押してくれた。

あとは証人欄も必要なのだけど、こんなものはどうにでもなる。

 

やった。やった。これで彼は私のものだ。

私はライバル達に勝ったんだ。

あの美波さんでさえ婚姻届けは書いてもらったことがないはず。

 

「あ、ありがとうございます。プロデューサーさん!!

 でも、今まで私のことを避けていたのにどうして

 結婚する気になってくれたんですか?」

 

「……美優が好きだからだ」

 

「あの。どうして今答える前に間があったんですか」

 

「正直に答えると君は怒るかもしれないが、最後までちゃんと

 聞いてくれ。俺はもう誰でも良くなったんだよ。もちろん君のことは

 嫌いじゃないし、むしろ好きだ。好かれてる相手から逃げても

 どこまででも追ってくるわけだし、こうなったら逆転の発想で

 俺とここで出会ったアイドルと結婚しちまった方が

 ハッピーエンドに近づけると思った。ただそれだけだ」

 

「……」

 

「こんなこと言われても納得できないと思うが」

 

「……響子ちゃんのことは嫌いなんですよね?」

 

「嫌いだね。あんな奴と一緒にいるなんて考えられないよ」

 

「もし、アパートに来たのが私じゃなくて

 美波さんだとしたら婚姻届けを書きましたか?」

 

「……」

 

「お願いします。逃げずにちゃんと答えてください」

 

「書いたよ」

 

「そうですか……」

 

「相手が美波でも書いた。智絵理でも加蓮でも書いた。

 最低なことを言ってるのは自分でもよく分かってるよ。

 そんな君の方こそ、美優の方こそこんな俺でもいいのか?」

 

「良いも悪いもないんです。確かに今言われたことは

 すごくショックでしたけど、何事も結果が大切だと思うんです。

 私とあなたがこうして再開できたのは運命だったのですから」

 

「ありがとな」

 

「いいえ」

 

私達はお互いの愛情の深さを確かめるために

もう一度肌を重ね合いました。彼はいつも以上に優しくて、

私が言って欲しかった言葉をたくさん言ってくれた。

 

夕飯時を過ぎてしまったので、私が台所を借りて

野菜炒めを作った。彼は響子から解放された安心感からか、

残さず食べてくれた。冷蔵庫の中身は日持ちする食材が豊富で

さすがは響子ちゃんの管理って感じがした。そして殺意がわいた。

 

彼をお風呂に入れてあげる。することもなくなったので

その日は寝ることにしたのだが、彼がニュースが見たいと言ったので

テレビをつけてあげた。私は東京から埼玉の奥地まで

一時間半も電車に乗ったので疲れていた。

 

彼に腕枕してもらってウトウトしていると、「うげっ」と彼が

下品な声を発した。私はすっかり目を覚ましてしまった。

 

「新幹線事故らしいぞ。どうも昨日の夕方に起きた事件らしい」

 

「電車じゃなくて新幹線なんてめずらしいですね」

 

「まさかとは思うが、あの新幹線って」

 

プロデューサーさんがパソコンを立ち上げて検索履歴を調べている。

すると、響子が調べたのであろう時刻表が出てくる。

 

例の事故を起こした新幹線には爆弾が仕掛けられていて、

一部の車両が走行中に爆発して多くの乗客が重軽傷を負った。

 

新たなテロ事件だと世間では大騒ぎになっているらしいけど、

私もプロデューサーさんも今まで全然知らなかった。

 

「たぶん響子は悪いことをした罰が当たったんだろう」

 

とプロデューサーさんは冷たく言う。その言葉に

響子ちゃんを労わる気持ちは少しも感じられない。

 

「でも響子ちゃんがその車両に乗ってたかは

 分からないじゃないですか」

 

「いいや、きっと乗っていたはずだ。あいつが予約したのと

 時刻はぴったり合ってるぞ。あいつはもうこの世にいないんだ。

 はは……ビビッて損したな。これからは俺と美優がこのアパートで……」

 

私達の会話を妨害するように携帯が鳴った。

彼じゃなくて私の。

 

LINE電話だった。とっくに削除したはずの「五十嵐響子」からの

電話が鳴っている。私は電源を切った。それでも勝手に携帯が

起動して電話が鳴っている。一体どんな仕組みなのか。

 

私はこの怪奇現象に恐怖しながらも電話に出てみた。

 

「もしもし。三船ですが」

 

「こんばんわ。お久しぶりです。私が誰だか分かりますか?」

 

「あ、あなたは……嘘、こんなの有り得ないわ。

 どうして響子ちゃんの携帯から美波ちゃんがかけているの?」

 

「さあ。どうしてでしょうねぇ」

 

声のトーンがいつもと全然違う。

 

この娘も他の子のように病的に病んでいたけど、

声が無機質すぎてかろうじて新田美波だと分かる程度だ。

それに電話口からも彼女の殺意にも似たオーラが伝わってくる。

 

皆まで言わなくても分かる。

今この状態で美波ちゃんと再会したら……私は殺される。

 

「……下手な子芝居はいらないわ。単刀直入に言いなさい。

 今日発生した新幹線事故は、あなたが引き起こしたのね?」

 

「それは美優さんの想像にお任せします」

 

「19歳のくせに政治家みたいな言い方して……。

 まさか美波ちゃんが響子ちゃんを殺すなんて思わなかったわ。

 あなたは頭のネジが外れてる……」

 

「それんなことより」

 

美波ちゃんの声に怒気が混じる。

彼女はたっぷりと間を置いてからこう言った。

 

「プロデューサーさんはそばにいるんですよね?」

 

「……」

 

「どうなんですか? 今美優さんはプロデューサーさんの

 アパートにいると思うんですけど」

 

「……」

 

「無視しないで早く答えてください。

 私がその気になれば、今すぐにでも会いに行くことができますよ」

 

「お願いよ。彼のことは諦めて。彼は私と結婚することになったの」

 

「なんですか。それ。答えになってませんけど」

 

「私はね!! もう二度とあなたを

 プロデューサーさんに会わせるわけにはいかないの!!」

 

「……そうですか」

 

美波は無言になる。

私は荒い息を吐きながら彼女の次の言葉を待った。

 

「あの、彼の声を聞きたいんですけど。

 少しだけ彼と代わってもらっても良いですか?」

 

「そんなこと、私が許可するわけないでしょうが」

 

「じゃあ殺しますね」

 

「え……」

 

「人の旦那を勝手に奪って、勝手に婚姻まで結んで、

 挙句の果てに彼と話さえさせてくれない。

 あんたみたいな泥棒猫は死んだ方がいいんだよ」

 

私は携帯電話の電源を切った。

しかしまた勝手に電源が入り、電話が鳴ってしまう。

電話を無視したらすごい勢いでメールが届く。

 

仕方ない。背面のバッテリーを抜いた。

さすがに携帯はならなくなった。

 

とんでもないことになった……。

 

プロデューサーさんは私のすぐそばで一部始終を聞いていたので

顔が真っ青になってしまっている。たぶん私も同じだと思う。

 

「美波は本気で美優を殺そうとしてるぞ」

 

「住まいをどこか別のところに変えないと」

 

「引っ越しか。しかし日本中のどこに逃げても

 美波たちが追いかけてきそうだ」

 

「いっそ私の実家に逃げますか」

 

「岩手にか?」

 

「はい」

 

彼は目を閉じ、腕を組みながら真剣に考えていたが、

大きくため息をついてから布団に横になった。

 

「まあどこに逃げるにしてもここに居続けることが

 最悪のパターンだな。とりあえず今日は寝ないか。

 美波だって今すぐこのアパートまで来やしないだろう。

 細かいことはまた明日から考えればいい」

 

「そんな……急を要することなので今すぐ考えた方が良いと思いますけど」

 

「実は頭痛がひどくてな……。

 難しいことを考えると吐いてしまいそうなんだ。

 お願いだよ美優。今夜は何もかも忘れて寝てしまわないか。

 君だって電車で来たんだから疲れてるだろ?」

 

「はい。あなたがそう言うのでしたら……」

 

彼に寄り添って眠りにつく時、私は彼の真意に気づいてしまった。

彼はきっとすべてを諦めているのだ。

響子の時も、私がここにやって来た時も、私が美波に命を狙われていることも、

全てを運命だと受け入れる。抵抗する気がないのだ。

 

 

――無駄なことは考えない。考えて何になる。

 

 

プロデューサーだった頃から口癖のように言っていた。

彼は何人ものアイドルに好かれても五十嵐響子のことを愛してると

公然と言い、周りの人たちを怒らせていた。

常務に首を通告された時も素直に受け入れて辞めてしまう。

 

美波に監禁された時もそうだ。彼女の体に溺れ、彼女を愛してしまい、

ついに結婚するとまで言いだしてしまう。なんて愚かな。

 

この人はアイドルに対しては本当に親身になってくれたし、

他のどのプロデューサーよりも優しかったけれど、

自分自身が傷付くことに関しては何とも思っていないのだ。

 

私や他のアイドルにとって、

彼を失ってしまうことが何よりも恐ろしいことだ。

彼はそのことだけは全然分かってくれないのがさみしい。

 

響子や美波の気持ちも分からなくはない。

彼が死んだと聞いて自殺を考えた娘もいたのに、

それが彼の嘘で実は生きていたと知ったら正気でいられるわけがない。

 

きっと皆はこう思うはずだ。

 

彼を逃がさないためなら、どんなことでもすると。

 

プロデューサーさんには言えないけど、

彼の片足が切り落とされているのを知った時、実は少しだけ嬉しかった。

実行犯は響子だけど、遅かれ早かれ誰かがやってしまったと思う。

 

私は美波の顔を思い浮かべた時、むしろ返り討ちにしてやろうと思った。

彼は私と結婚するのに、どうして邪魔をするのか。恐怖よりも怒りが勝る。

 

私も他の皆と同じだ。狂っているのは分かっている。

彼を失わないためなら人道に反したことでも何でもやってやるつもりだった。

 

私は一睡もせずになんとか彼と逃げ出す方法だけを考えていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

悪魔と化した美波さん。

ホラー映画って面白いですよね(真顔)


翌朝の事だった。プロデューサーが目を増した時、

両手が手錠で塞がれていることに気づいた。

後ろ手に回されているせいか、大変に寝つきが悪い。

 

いつの間に手錠をされたのか。

 

「あなた。目が覚めたんですね。おはようございます」

 

美波の声だ。

 

「寝起きで喉が渇いたでしょうから麦茶でも飲みますか?」

 

壁時計を見ると7時半だった。

カーテンの隙間から夏の太陽が差し込んでいる。

セミの鳴き声がうるさすぎるほどだ。

 

「み、みなみ……」

 

「ふふ。そんなに怖い顔しないでください。

 久しぶりに会ったから緊張してるんですか?」

 

「美優はどうした?」

 

「美優? そんな人いましたっけ」

 

美波はいつものように髪を後ろで一つにまとめていた。

夏だからだろうか、髪が全体的に少しだけ短くなっていた。

 

ジーンズに白いTシャツ姿。彼女にしては色気のない格好だ。

まるで大学帰りのようなラフさだ。しかし気になったのは、

彼女のTシャツに不自然な赤い染みがついていたことだ。

 

それに右腕に包帯を巻いている。

 

「あ……」

 

プロデューサーは見てしまった。

 

トイレの扉の前に、うつぶせに倒れている女性がいた。

相当に暴れたのか、床には彼女の抜け置いた髪の毛が散らばっている。

 

体中に切り傷があり服はボロボロだ。

頭は鈍器で殴られたのか血を流している。

 

意識はない。遠目に診ても虫の息なのが分かる。

今すぐに病院に連れて行かないと危険な状態だろう。

 

「そこにいるゴミはあとで始末しますから」

 

と美波は無表情で言い、

 

「その前に朝ごはんにしましょうよ。

 プロデューサーさんに朝ごはんを作ってあげるの

 久しぶりなので腕によりをかけて作ったんですよ」

 

テーブルからは料理の良い匂いがした。

ウインナーの匂いがする。しかし今はそれどころではない。

 

プロデューサーは一刻も早く美波を説得して

美優の手当てをしたかったが、この状況からして美優を

かばったら今度は自分が殺されかねない。

 

(いや、むしろ死んだ方が良いんじゃないのか)

 

プロデューサーは目を閉じ、

この現実から逃げ出すためにはもうこれしかないと思った。

 

(俺がこの世に存在するからこの子たちは狂ってしまうんだ)

 

死への恐怖にガタガタと震えながらも下した結論だった。

舌を前に突き出し、ひと思いに嚙み切ろうとしたが、

 

「何してるんですか」

 

なんと美波の指が口の中に入って来た。

 

突然のことだったので美波の人差し指と中指を

全力で噛んでしまい、血がどくどくと出てきた。

 

「死のうとしちゃダメですヨ。あ・な・た?」

 

「ごっ、ごめん。痛かったか。美波!!

 血が出てるぞ。早く止血しないと!!」

 

「私の指なんてどうなってもいいんですよ。

 ちょっと血が出ちゃいましたけどね」

 

「早く傷口を水で洗って消毒するんだ!!」

 

「嫌です」

 

「え?」

 

「私があなたのそばを離れたらまた自殺しようとするかもしれないから」

 

「おっ、おお、おれはもう自殺なんてしないよ!!

 さっきのは気が動転してたんだ。

 美波が血を流しているのに自殺なんてするわけないだろ!!」

 

「プロデューサーさんが死のうとするからいけないんですよ」

 

「分かった。謝るからさ!! お願いだから傷の手当をしてくれよ!!」

 

「……ええ。分かりました」

 

美波は水道水で血を洗い流し、傷口にガーゼと包帯を巻いた。

負傷したのは左手なので実生活には影響がないと言って

プロデューサーを安心させようとした。

 

「そんなことよりご飯ですよ。ご飯。

 冷めちゃいますからその前に食べましょう」

 

朝にしては量が多い。

 

ご飯、中華スープ、ブロッコリーのサラダ、冷凍のチキン、

新鮮な豆腐、目玉焼き、大きめのウインナー、

ココナッツのアーモンド、カットしたバナナ、

カスタードプリンなどデザートも豊富だ。

 

「深刻そうな顔をしてどうしましたか。

 もしかして寝起きだから食欲がないんですか?」

 

「……そんなことはないさ。

 量が多めだから少しだけ驚いたんだ。

 早く食べようか」

 

「はい」

 

プロデューサーは口を開けて食べさせてくれるのを待つ。

 

「今日から口移しで食べましょうか」

 

「えっ」

 

美波の噛んだおかずが、そのまま口の中に押し込まれたので

さすがに抵抗したくなった。腕は後ろ手に回された状態で

床に座っているために、されるがままだ。

 

すぐ目の前にある美波の瞳は、今までに見たことのないほどに

深く深く闇の色に染まっていて、直視すると全身に鳥肌が立つほどだった。

 

(うっ)

 

プロデューサーはモドしそうになるが、美波の唾液の味は

知らないわけじゃない。涙目になるが、ぐっと耐える。

 

「さあ次もいきますよ」

 

美波はプロデューサーの足の上に乗っかり、咀嚼したご飯を

次々に口移しで食べさせてくれた。こうなってしまうと

苦いだけで味などしないし、吐かないようにするだけで精いっぱいだ。

 

美波の髪から香る優しい感じの匂いだけを頼りに、プロデューサーは

お腹いっぱいになるまで食べた。さすがに全部食べることはできなかったが、

朝なのでそんなに食欲がないと言うと美波は不満そうだが納得してくれた。

 

人生でこんなにもまずいと思った食事は味わったことがない。

 

「美味しかったよ美波。ありがとな」

 

「いえいえ。おそまつ様でした。いま洗い物しちゃいますからね」

 

美波が台所に立った時だった。

 

「うーん……」

 

廊下で倒れていた美優が首をわずかに持ち上げる。

最悪、衰弱死する可能性もあったが、まだ生きていたのだ。

 

(美優ッ!!)

 

プロデューサーはたとえ床を這ってでも

彼女に近づきたい衝動に駆られるが、

美波にばれたらただでは済まない。

 

「ん?」

 

美波は振り返り、洗っていた最中のフライパンを持ったまま

美優に近づいた。そして……。

 

ゴン。美優の頭を想いきり叩いた。

 

ゴン。ゴン。ゴン。ゴン。

 

美優が再び気を失うまで叩き続けた。

美優は口から泡を吐いたまま動かなくなった。

 

「ちっ。まだ動く元気があったのね」

 

「美波……。もう十分じゃないか」

 

「何が十分なんですか」

 

「い、いやっ。なんでもないんだ!!」

 

「プロデューサーさん。

 今こいつのことをかばおうとしましたね?」

 

「ち、違うんだよ美波。あ、あはは……はは……」

 

「もしかして三船さんに気があるんですか?」

 

「そんなことないよ!!」

 

「嘘。さっき三船さんに意識があるのが分かった時、

 すごくうれしそうな顔してた。それに私に内緒で

 この女と婚約してましたね。こいつの私物の中に

 婚姻届けがありましたよ。あなたの判が押されたモノがね」

 

「……」

 

「プロデューサーさん。あなたは私に何度も約束してれたはずです。

 私のことを世界で一番愛しているから他の女を選ぶことは

 決してないって。私のママとも約束してくれましたものね。

 それなのに、なんですかこれは? 藤原肇のことはもう良いんです。

 その他にもたくさん悪いことしましたね。あなたが死んだふりをして

 私から逃げようとしたこと、そしてここで響子や

 美優と過ごしていたことなんです」

 

「……」

 

「プロデューサーさん。私は本気で怒ってます」

 

「ごめん。美波」

 

「あなたにとって私はどんな存在なんですか?

 他に良い女が見つかったらいつ捨ててもいい、

 そんなどうでも良い存在なんですか?」

 

「……」

 

「答えてよ!!」

 

「ひっ……す、すみませんでした」

 

「謝って済む問題じゃない!!」

 

「……その通りだ。本当に申し訳ないと思っている」

 

「あ、良いこと思い付いた」

 

「え?」

 

「プロデューサーさんの残った方の足を切り落としちゃおうかな。

 それと両腕もなくなれば、もう逃げたりなんてしなくなりますよね。

 物理的に逃げる手段を奪う。初めからそうすればよかったんだ。

 私なしでは生活できようにしちゃえば……ふふ。かんたーん……」

 

美波はパソコンを立ち上げて人をダルマにする方法を調べ始めた。

通販サイトで人体を切断する便利な道具を探している。

美波は頭が良いのですぐに効率的なやり方を考えつくだろう。

 

プロデューサーは恐怖を通り越してその場で漏らしてしまう。

せめて手錠されてなければ彼女を絞め殺す選択肢も

あるにはあったのだが、すでに完全に摘んでいる。

 

最悪自分がダルマになった姿を想像した時、

たまらなく悲しくなって涙さえ枯れてしまった。

 

「あは。あはははっ!!」

 

美波は高笑いをした。

 

「プロデューサーさん。もしかして本気にしちゃいました?

 私があなたをそんなひどい目に会わせるわけないじゃないですか。

 冗談ですよ冗談。勝手な事ばかりしていたプロデューサーさんを

 戒めるために、少しだけきつめのジョークを言っただけですから」

 

美波はガタガタ震えているプロデューサーの頭をなでてあげた。

手が触れる際に彼が「ひっ」と脅えるので美波は

「ワンちゃんみたいで可愛い」と楽しそうに笑うのだった。

 

「お漏らししちゃったんですね。今着替えさせてあげますからね~~」

 

生まれたばかりの赤ん坊のように

着替えさせてもらったプロデューサーに対し、

美波はこう耳打ちした。

 

「今日からこのアパートを出て別の場所で暮らしましょうか。

 私が契約した別のアパートがあるんですよ。

 そこなら邪魔も入らないと思うし、二人で生活するのに

 ベストな環境が揃っていますよ。もちろん反対しませんよね?」

 

「ああ……もちろんだよ。今日も猛暑日だってさ。

 これ以上気温が上がる前に早く出発しようぜ」

 

「はい。外に車いすがありますのでそれに乗ってください」

 

プロデューサーは外出する時だけは手錠を外された。

片足なので逃亡することは事実上不可能だ。

美波は車いすを押しながら鼻歌を歌う。

 

一体どこへ向かうのか。

プロデューサーは不安で仕方がない。

せめてアパートに残された美優が無事でいてくれることを願う。

 

美波は日傘を差しながら車いすを押し続けた。

 

 

「プロデューサーさん。

 私は埼玉ってもっと都会のイメージがあったんですよ」

 

「そうか? 埼玉なんて田舎だと思うけど」

 

「埼玉県は東京の隣で人口も多いし、ベッドタウンって呼ばれてて

 都会のイメージが強いじゃないですか。その埼玉に

 こんなに閑散としてるところがあるのが不思議なんです」

 

「そんなもんなのか。俺は埼玉の田舎の方で育ったからな。

 俺には分からない感覚だ」

 

「プロデューサーさんは東京弁(標準語)を話すじゃないですか。

 田舎じゃないですよ」

 

「そういう美波だって完璧な標準語を話しているじゃないか」

 

「私は田舎の言葉を隠してるだけですよ。地元の言葉は広島弁ですから」

 

「そういえば美波の広島弁って聞いたことなかったな。

 今度聞かせてくれよ」

 

「えー。恥ずかしいですよ」

 

「頼むよ。一度いいからさ」

 

「それじゃあ二人きりの時に……ね?」

 

 

美波は歩みを止めた。何事かとプロデューサーが後ろを振り返ると、

そこが新しい住処だと指を指した。ごく普通のアパートだ。

プロデューサーの住まいよりは少しだけ新しい作りだが、

そこから700メートルくらいしか離れてない。

 

 

「こんなに近所で大丈夫なのか?

 ここだと他の奴らにすぐ見つかるんじゃないのか」

 

「下手に遠くに逃げようとするよりも

 近所の方が発見率が少ないものなんですよ」

 

 

借りたのは二階の部屋だった。

美波は車いすをいったん置き、プロデューサーに肩を貸して階段を登る。

部屋の前に立つと、なぜかそこにはまゆと智絵理が立っていた。

 

 

「新田さん。やはりここに来てくれましたねぇ。まゆの読み通りです」

 

腕組するまゆ。狂気に満ちた瞳をしている。

 

「えへへ。新田さぁん。プロデューサーさんを連れて来てくれて

 ありがとうございまーす。えへへ。えへへ。うふふ。

 またプロデューサーさんと会えてうれしいなぁ」

 

智絵理はカミソリでリスカをしながらもヘラヘラと笑っている。

一度彼に完全に捨てられたことによる不安からこうなってしまった。

常にカミソリを持ってないと情緒不安定になってしまうのだ。

 

(相手が二人か……)

 

美波はどうやってこいつらを始末するか、その方法を考えていた。

なぜ奴らが新しい契約先のアパートを知っているかなど問題ではない。

 

「動かないでください」

 

背後から声がかかる。振り返ると藤原肇がいた。

 

「先に言っておきますけど、私達はもうあなたと彼を巡って

 殺し合おうとか、そんなことは考えてません。

 私達はもうどうしようもないくらいに彼を愛してしまっているのだから、

 奪い合ったって無意味じゃないですか」

 

まゆが言葉を続ける。

 

「まゆたちは、全員がプロデューサーさんの妻だってことでいいじゃないですか。

 むしろプロデューサーさんが生きていたことを喜ぶべきだと思うんですよね。

 殺し合うってことは、自分以外の誰かが彼を独り占めすると言うこと。

 そんな恐ろしくて不安な未来があるくらいなら、

 いっそ争うのを辞めて彼を共有しましょう」

 

美波は納得できるわけがなかった。

 

一度は本当に彼と結ばれる直前まで関係を深めたのだ。

肇はともかく、まゆと智絵理は彼にラブレターすらもらえなかった負け組だ。

どうせ今回の件もまゆの口車にみんなが乗せられたのだと想像がつく。

 

「ふざけるなっ!! 彼は私のものだ!!

 あんた達が彼と一緒に暮らすなんて絶対に許せない!!」

 

「相変わらず強気なんですねぇ。でもこの人数相手に

 どうするつもりなんですか? まゆたちは一応あなたが

 暴れた時のためにいろいろな道具を用意してるんですけど」

 

それぞれがスタンガンやムチを持っていた。

これでは確かに抵抗するだけ無駄だ。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

暴力と制裁。

いつも思うんだけど、アニメの武内Pは固すぎでしょう。
アイドルにはもっとフランクに接しなさい。


「美波。よせ。下手に抵抗してもまた前みたいに痛めつけられるだけだぞ」

 

「でも私はこいつらのことが……!!」

 

美波は歯ぎしりしながら立ち尽くしていたが、まゆと智絵理が

車イスを押してさっさとアパートの中に入ってしまう。

 

肇はまだ動こうとしない美波を横目で見ながら、玄関の中に入る。

仕方ないので美波も入った。血に飢えた猛獣のような目つきをしながら。

 

「よっと。プロデューサーさんは筋肉質だから重いですね」

 

まゆがプロデューサーを車イスから降ろして床の前に座らせた。

木目がおしゃれな北欧風のテーブルが置かれている。

智絵理がオレンジジュースを入れてくれた。

プロデューサーは喉が渇いていたのでとりあえず飲んでみた。

 

(まさか、何か入れられてるんじゃ……)

 

飲んでから後悔してしまうが、これから監禁生活が始まるのに

今さら毒を盛られたところで気にすることもないかと諦めた。

 

「まだ何も入れてないから大丈夫ですよ」

 

智絵理が明るく言うが、顔が笑ってない。

 

「もしプロデューサーさんが私達を拒絶したり、

 また逃げようとしたら筋弛緩剤や睡眠薬を飲ませて

 動けなくしますけどね。でもその足じゃ物理的手段では

 もう逃げることはできませんよね。

 誰かの助けがあれば話は別かもしれませんけど……」

 

智絵理が殺意のこもった目で美波を睨む。

美波は口をきつく閉じながら睨み返した。

ふたりの間で完全な修羅場が形成された。

 

「そうですよね? 新田さん?」

 

「……」

 

「理解できませんでしたか?

 私は新田さんに遠回しに皮肉を言ったんですよ」

 

「うるさい!! 黙れ!! 薄汚い女狐め!!」

 

「うわっ、怖いです。私は普通に話し合いがしたいだけなのに

 どうして怒鳴るんですか? もしかしてカルシウムが不足してるんですか?」

 

「そもそもこの小さな部屋に私達4人で暮らすつもりなの!?

 頭は大丈夫? ここはマンションみたいに広くないんだよ!!」

 

「部屋の広さまで新田さんが心配することはありませんよぉ」

 

とまゆが口を挟む。こっちは智絵理と違って満面の笑みだ。

 

「この小さなアパートは全部で6部屋ありますけど、

 全てまゆ達が契約してますから。全部が私達の部屋んです」

 

「うそ……。ここが小さなアパートだからって全部屋借りたの?

 いくらなんでも……そこまでする?」

 

「はい。だってこうでもしないと隣に誰が住んでいるのか

 分からなくて不安じゃないですか。あ、ちなみにここの部屋の

 主は新田さんってことになってますからね。まゆ達が借りたのは

 ここ以外の部屋です。自分で借りた部屋の

 家賃はちゃんと払ってくださいねぇ」

 

美波はまゆの頭の回転の速さに戦慄してしまう。

秘密裏にこのアパートに契約したつもりだったが、

まゆには筒抜けだったのだ。

 

それに今回は美優を切り捨てて藤原肇を仲間に入れている。

プロデューサーを手に入れようとするために

仲間を増やして包囲しようとするのは前と同じやり方だ。

 

「美波。俺なら大丈夫だから、そんなに思いつめなくても大丈夫だよ」

 

「でもプロデューサーさん……」

 

「美優が俺のアパートに来た時点で、なんとなくこうなることは

 想像ができていた。今までみたいに他の誰かの襲撃におびえて

 ビクビク生きるよりは初めからみんなで暮らした方がかえって安心だよ。

 そうだよな、まゆ?」

 

「うふ。物わかりの良いプロデューサーさんは大好きですよ♡」

 

「それはどうも。ところで俺は肇ちゃんと話がしたかったんだ」

 

いつの間にか横にぴったりと寄り添っている肇の方を向いた。

 

「なんでしょうかプロデューサーさん?

 あなたが気になることでしたら、なんでも答えてあげますよ」

 

「さっきも言ったけど、一緒に暮らすことは構わないよ。

 だけどアイドル同士で殺し合ったりするのはもうやめてくれないか」

 

「それは約束してあげたいところですけど、あとは新田さん次第ですかね。

 私達は一応このアパートであなたと同居することに同意しているので」

 

肇が美波を冷徹な瞳で睨んだ。

 

それにしても、と美波は思った。

まゆと言い、智絵理、肇も自分を名字で呼ぶことから

相当な敵意を持っているのが分かる。

 

プロデューサーが実は生きていることが分かってからというもの、

明らかにアイドル間の人間関係が悪くなってしまっている。

 

「新田さん」

 

と肇が立ち上がり、美波に近づいた。

そのあまりの迫力に美波は後ずさろうとしたが、

年下相手にみっともないと思って拳を握って耐えた。

 

「プロデューサーさんが困ってるようですから、今から私の

 質問にちゃんと答えてくださいね。骨、折られたくないですよね?

 私がその気になればあなたをいつでも再起不能にできますので。

 じゃあ訊きます。

 新田さんはこのアパートで皆で一緒に暮らすのは嫌でしょうか?」

 

「……この状況で私が嫌だって言ったところでまた拷問されるんでしょうが。

 最終的に私がどうなってもいいけど、それで彼が気負いして

 苦しむのなら同意するしかないのよ。彼の苦しむ顔はもう見たくないから」

 

「本当に同意してくれるんですね?

 あとから嫌だって言われても困りますよ」

 

「好きにしなさいよ!! クソ生意気な泥棒猫のくせに!!」

 

「……あの。今真正面から怒鳴られたので唾が顔に飛びましたけど」

 

美波はお腹に重い感触がしたと思ったら呼吸困難になって床に倒れた。

目にもとまらぬ速さで肇の拳が突き刺さったのだ。

 

「……っ……はぁっ……っ……いっ……」

 

小刻みに震えながら息を吸うが、何も入ってこない。

ただただ苦痛の時が過ぎるのを待つだけだ。

 

「くすくす……」「バッカみたい……」

 

まゆと智絵理はアイスの実を食べながら観察していた。

美波が痛めつけられるのを見るのがこの上なく楽しそうだ。

 

「新田さんって私を年下だと思って舐めてますよね?

 やっぱり最初からちゃんと教育してあげた方が良さそうですね」

 

「いた!! や、やめっ」

 

肇は美波の長い髪をむしるように掴み、自分の方に引き寄せてから

膝蹴りを放った。「かはっ……」二度目のみぞおちに対する一撃。

 

「ひっ……っ……うぐっ……うげぇ……」

 

美波は吐くことはなかったが、口からよだれを垂らしながら

苦しみに耐えていた。悔しさと恐怖でポロポロと涙を流している。

文字通り肇の足元にひれ伏す形となってしまった。

 

「私の新田さんに対する恨みはこんなものじゃ消えませんよ。

 あなた、私が実家に帰ってる間に私の彼とずいぶんと

 イチャイチャしてたそうですからね。人の彼を勝手に

 拉致監禁して、おまけに妻の顔をして私の家に上がり込んで。

 あの時私がどれだけイラついてたか想像できますか?」

 

肇は美波に馬乗りになった。握りしめた右の拳を振り上げ、

さらなる制裁を加えようとしたその時、プロデューサーが吠えた。

 

「やめてくれっ……もう……やめてくれよぉ!!」

 

「なんでしょうかプロデューサーさん。

 やっぱり新田さんがお仕置きされてるのを見るのは辛いですか?」

 

「頼むよ、はじめぇ。俺が代わりに殴られてもいいから

 美波をそれ以上殴るのは止めてあげてくれ。俺にとっては

 みんな大切な存在なんだ。本当はみんなの間に優劣なんてつけたくない。

 みんなをプロデュースしてる時は、本当に自分の娘みたいに

 大切な存在だと思っていたんだよ。嘘じゃないんだ」

 

「それって本当なんでしょうか。

 プロデューサーさんは新田さんと結婚するために

 わざわざ広島まで遊びに行きましたものね」

 

「ご、ごめん……あ、あの時はその……美波のことが

 好きになってしまったんだ……」

 

「私のことは愛してくれないんですか?」

 

「肇のことはもちろん好きだよ!! 愛してるさ!!」

 

その時、プロデューサーはまゆと智絵理からの殺意にも似た

視線を食らい戦慄してしまう。

 

「もちろん、まゆと智絵理のことも大好きだよ!!

 俺はみんなのことを平等に愛してるわけだから、

 ここではみんなと楽しく暮らそうじゃないか!!」

 

智絵理がボソッとこう言った。

 

「調子のいいこと言ってもダメですよ」

 

「え?」

 

「プロデューサーさんは口では調子のいいことを言いながら

 実は逃げ出す方法とかを考えてるんですよね。

 本当はプロデューサーさんが私達のことを何とも思ってないことは

 知ってますよ。だから私達を騙して海外に逃げようとしたんですよね」

 

智絵理は断言した。

 

もう二度と、プロデューサーを逃がさないと。

以前の反省を生かして非人道的なことも含めた

あらゆる方法でプロデューサーを監禁すると宣言した。

 

「おまえらな……。この足でどうやって逃げるってんだよ

 響子に屈服した時点で俺はもうアイドルが怖くて仕方なくなってしまったんだ。

 おまえらの言うことに逆らわなければ、俺は普通に生活をさせて

 もらえるんだろう。こんな障碍者の男の介護をして何が楽しいのかは

 知らないが、俺はおまえらと一緒に暮らすことにするよ。

 その代わり、ちゃんと三食食べさせてくれよな」

 

その言葉に智絵理と肇は不満そうだったが、まゆだけは

どこまでも楽しそうに笑っていた。美波はすべてを諦めて目を閉じていた。

 

 

その日から日替わりで美波の契約した部屋に

アイドルが訪れてプロデューサーと夜を過ごすことになった。

 

その日の担当はまゆだった。まゆはのしかかるようにして

プロデューサーを床に押し倒し、唇をむさぼるように吸い尽くした。

 

「はぁはぁ……プロデューサーさん……可愛い。もっとこっちを見て」

 

「ん……んぐ……苦しいよ……まゆ。息をさせてくれ……」

 

まゆは自分からブラをずらして胸元を彼に見せつけた。

一応エアコンは効いているが、八月の末なのでまだまだ蒸し暑い。

布団の上で動くと汗をかくので色気がすごかった。

 

(こいつの顔……とても高校生の女の子には見えない……。

 まるっきりメスの顔じゃないかよ……)

 

 

それから智絵理、肇も日替わりでプロデューサーの部屋を訪れては

逆レイプのような勢いで彼との暑い夜を過ごしていった。

なぜか美波の番は一週間経っても来ない。

 

おかしいと思ったプロデューサーだが、口にしたら殺されるかもしれないので

気づかないふりをするしかない。一生彼女らにペットにされる生活が

続くのかと思っていたが、そんな生活が一か月も続いた頃だった。

 

「すみませんプロデューサーさん。

 今日はあなたにすごくすごく残念なお知らせがあるんです」

 

「な、なんだよ急に改まって。いったい何があったんだ?」

 

彼がかつて愛していた藤原肇が、なんと彼の正面で正座していた。

 

「まゆちゃんが死んだことは知っていますか?」

 

「へ? なんだって?」

 

「ですから、まゆちゃんが死んだんですよ」

 

「まゆが……死んだ……だと。あの佐久間まゆが?」

 

「はい」

 

「なぜだ? 事故にでもあったのか?」

 

「それが、殺されたんですよ」

 

「誰にだよ!?」

 

「私です」

 

「は……?」

 

「ですから、私です」

 

「ちょ……え? 今なんて言ったんだ?

 その顔は冗談を言ってる顔じゃないな……。

 てことは……おい。マジで殺したのか?」

 

「ちょっと口喧嘩した時にヒートアップしちゃって」

 

「いったい、どんな口喧嘩をしたんだ!?

 もったいぶらずに一度に全部話してくれ!!」

 

「分かりました。実はですね……」

 

口論の発端となったのは、まゆが彼の子を宿したと言った時だった。

まゆは妊娠検査キットを自慢げに見せびらかしたのだが、

それが仮に本当だとしても、智絵理と肇には大変に不快だった。

 

智絵理はまゆの方が先に妊娠したのは抜け駆けだと言いがかりを付けて

喧嘩を始めた。まゆも本気で怒っていた。まゆが実は

彼を連れて逃げ出そうとしてるんじゃないかと智絵理が指摘し、

口論はさらに激しさを増し、キャッツファイトにまで発展した。

 

肇は大きなため息を吐いた。

 

(はぁ……やっぱり佐久間まゆはムカつくな……。

 前から存在そのものが気に入らないって思ってたんだけどね)

 

とりあえずストレス解消に美波をサンドバックにすることにした。

美波はアパートの一室にある檻の中に閉じ込めてある。

例の犬になる薬をたっぷりと飲ませてあるのでもう自我はない。

 

肇は美波を好きなだけ殴り、気絶させたあと、

頭を想いきり踏みつけた。しかしこんな程度では気がすまない。

 

まゆと智絵理はまだ喧嘩を続けていて「ブスのくせに図に乗らないで」

「ぶりっこのくせに、中身は腹黒」など言い合う低レベルな争いを続けていた。

 

(私からすれば二人とも今すぐ消えて欲しい。

 もうめんどくさいし、いっそのこと……)

 

「がはぁっ」

 

今のは智絵理の声だ。肇によって後ろから襟元をつかまれて

引っ張られ、体勢を崩した際、顔に強烈な肘鉄を食らい、昏睡した。

 

「ちょ……いきなり何をしてるの!?」

 

次の瞬間、驚愕しているまゆに目つぶしをした。

 

 

「ぎゃああああああああああああ!!」

 

 

まゆは目を抑えながらしゃがみこむ。

強烈な痛みと同時に涙がこれでもかと言うほどこぼれてくる。

涙が出るのは眼球を守るための免疫機能だ。

 

肇は無言でまゆの後頭部をつかみ、壁に叩きつけた。

まゆは正面から壁に激突する形になり、

鼻からすごい勢いで血が垂れ、さらに涙がこぼれる。

 

肇はその勢いで何度も何度もまゆを壁に叩きつけ、ついに壁が

まゆの血で濡れるまでになった。まゆは額から大量の血を流しながら

ずるずるとうつ伏せに倒れた。動いているのは痙攣している指先だけだ。

 

肇は手にまゆの癖のついた茶髪がたくさんついてしまったので

洗面所で綺麗に洗い流した。鏡を見ると、後ろに智絵理がいるのに気づいた。

包丁を握りしめた智絵理は咆哮を上げる。

 

「死ねええええええええええええ!!」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

智絵理が正気を失ったらどうなるのか?

いや、智絵理のことは好きなんだよ?(真顔)


不意打ちだった。両手で包丁を握り突撃してきた智絵理に対し、

肇はかわし切れずにお腹を切られてしまう。

 

「ふぅ……!!」

 

肇はこういう時こそ平常心だと思った。

お腹からは暖かい血が流れているが、まだ致命傷じゃない。

 

「うわあああああああああああああ!!」

 

智絵理が、また突っ込んできた。

 

肇は祖父の顔を思い出し、冷静さを保った。

山で見てきた凶暴な熊に比べたら、目の前にいるのは

戦い方も知らない小娘に過ぎないのだ。

 

肇は脱力し、姿勢を低くして刺突を回避するのと同時に、

智絵理を足払いしてすぐに馬乗りになる。

この体制なら簡単には負けない。

 

出血のせいで頭がふらふらとするが、智絵理を殺す方法なんて

いくらでも思い付く。智絵理はじたばたしながら近くに

落ちた包丁を拾おうと頑張っている。肇は先に包丁を拾い。

智絵理の左腕、右腕、肩、胸の順番に刺していく。

 

「ううっ……痛いっ……痛いよぉ……」

 

智絵理は悔しそうに涙を流しながらも抵抗する手段がない。

次第に怒りが目の前にいる相手に対する恐怖に代わり、

命乞いを始めるに至る。

 

「あなたさ、私の事刺してくれたよね。力いっぱい、

 刺してくれたよね。人を刺しておいて、今さら

 助けてくださいなんてそんな都合の良い話はこの世にない

 ってことを、一から教育してあげるね」

 

肇は花瓶を取って来た。智絵理の頭に叩きつける。

智絵理は頭に花瓶の破片が刺さりながらも泣き叫んでいる。

その声はまさに狂乱と言うべき、表現しようのない奇妙な叫び声だった。

 

(ダメ……あんまり乱暴にするとこっちのお腹の血も止まらない。

 何かいい方法はないかな。死なない程度のお仕置きを)

 

肇はよく考えたら殺すことはないのではないかと思っていた。

それより智絵理が二度と彼に近寄らないように

徹底的に痛めつけておくべきだと思った。

同時に自分の傷口の手当をしないといけない。

 

どうしようかと思った、その時だった。

 

「うっ……むぐ……うえぇぇぇぇぇ……げほげほっ……げえぇ」

 

智絵理が自殺した。

 

ワンピースのポケットに隠し持っていた青酸カリのカプセルを飲んだのだ。

こんな時のために用意しいていた自殺グッズだ。

その死に顔はとても元アイドルとは思えない、

この世の無常さを呪った女の顔だった。

 

「まさか本当に死ぬとは……」

 

肇はせめてまゆだけは手当てしてあげようと思ったら、

まゆもすでに息を引き取っていた。

何回確かめても脈がない上に身体がどんどん冷たくなっていく。

死後硬直しているようだ。

 

 

「うそ……今日一日で二人も殺しちゃった……?」

 

 

肇は怖くなって美波の部屋に行った。美波はちゃんと生きていた。

当然だ。拳でたくさん殴っただけなのだから。

 

美波は「くぅーん」と言った。今の彼女は犬なのだ。

 

しかし肇にはその鳴き声がまるで媚を売っているように思えて

無性に腹が立った。はらわたの奥から真っ赤な感情が込み上げてくる。

 

「そうだよね……事の発端はあんただ。あんたが、私の大好きな

 プロデューサーさんを惑わして、ひとり占めしようとして、

 大勢の皆を巻き込んで、結果的にこうなってしまった。

 私は悪くないんだ。私は悪くない!! ただ成り行きでこうなっただけだ!!

 もとはと言えば、新田!! おまえが全部悪いんだぁあああ!!」

 

肇は外から檻をガシャガシャして美波を脅えさせたが、

それ以上のことはしない。美波のことは憎いがこれ以上の罪を

重ねるのは得策ではない。

 

 

以上が肇がプロデューサーに対して語った内容だ。

 

プロデューサーは衝撃の事実を淡々と話す肇におびえながらも、

彼女のお腹の傷を心配するだけの心の余裕もあった。

 

そんな自分の複雑な感情をどうにかすることもできずに

もやもやしている間に、肇はプロデューサーの首を絞めていた。

 

「私は人殺しですからもう人生終わってますよね。

 そういうわけですから、ちょっとあなたも私と一緒に

 死んでくれと助かるわけですよ」

 

「……くっ……はじめぇ……」

 

プロデューサーは完全にパニックになり息を全部吐いてしまったので

完全に手遅れだ。彼女の腕を抑える力がどんどん弱くなり、

いよいよ終末の時が訪れていることを悟る。

 

「本当に……大好きだったんですよ……。あなたが

 私にしてくれたこと……全部覚えてます。優しくて暖かい言葉を

 かけてくれたことも全部……。うふふ。大丈夫ですよ。

 あなたが死んだ後に私もすぐに後を追いますから」

 

「ま……はなし……を……」

 

「意外とタフですね。必死にもがいたところで苦しいでだけしょう。

 早く楽になってください」

 

「なみ……み……なみは……生……きて……るのか……?」

 

「へえ。この期に及んで美波さんの心配とは呆れました。

 やっぱりプロデューサーさんが愛していたのはあの女だったんですね!!」

 

肇はプロデューサーの後ろに回り込み、腕を固めて彼の首を絞めた。

彼はあっさりと死んだ。本当に死んだのかと思い、試しに包丁を

お腹に刺してみるが反応がない。眼球を突いても痛がらない。

 

プロデューサーが死んでホッとした肇は、天を仰ぎ、大きな声で泣いた。

涙が枯れるまでそうしていた。次は美波を殺そうと思い、

腹部の痛みに耐えながらも玄関に手を伸ばすが、そこで変わった人と会った。

 

「ごきげんよう。お嬢さん」

 

「あなたは……誰ですか」

 

「名乗るほどの者ではありません。それよりどうですか。

 もう十分にこの物語を楽しんだのではありませんか」

 

「……物語って何ですか?」

 

「一から話すと長くなりますが、人はみな神によって創造された者であり……」

 

「すみませんが宗教勧誘ならお断りしてますので」

 

「そう言わずに私の話を最後まで聞いていただきたいのですが」

 

「間に合ってますので」

 

「そう言わずに」

 

身長が190センチ近くもある大柄な男だった。

しかし妙だった。腰に達するくらいの長髪だが顔つきは男そのもの。

首から下は女性らしい体つきで胸が大きいし肩幅は狭い。

 

今流行のLGBT?の一種でニューハーフなのかと肇は思った。

肇はその男を完全に無視して進もうとしたが、男は肇の傷口に

そっと手を触れると、どういうわけか傷口が一瞬で治ってしまう。

 

肇は目の前にいる男が人ではないと知り、心から恐怖した。

 

男は初めの手を引き、どうぞこちらへと案内した。

そこは美波のいる部屋だった。男は言った。

 

「美波さんは、もうお話ができるようですよ」

 

美波は普通に玄関先に立っていた。

檻は鍵がかかったままだし、壊された形跡もないのに。

 

「そこにいる人から全部聞いたよ。

 私のプロデューサーさんは、あなたが殺しちゃったんだね」

 

「……だったら何だと言うんですか。復讐するために私を殺しますか」

 

「いいえ。嘘だって思われるかもしれないけど、私はあなたのことは

 恨んでないから。むしろ逆だよ。感謝してる。だってこの腐った世界から

 退場する方法をそこにいる人から教えてもらうことができたんだから」

 

「世界から退場? それにそこの人って……どういうことですか」

 

「肇ちゃん。こっちにおいでよ」

 

「な、なんですか。手を離してください!!」

 

「いいからさ」

 

肇は自分がこの世ではない別の場所に行かされるのだと

本能で察して本気で抵抗しようとしたが、美波の力は強く、

また近くにいた人にまで腕を引かれたのでどうにもならず、

ついにアパートの奥まで入り、

そこを境界として現世から別の世界へと飛んでしまった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一話に物語が戻ったらどうなるのか?

エンドレスエイトとかひぐらしで流行ったあんな感じの流れ。


その日はプロデューサーと事務員のちひろさんが

仕事中なのに珍しく喧嘩をしていた。

 

「なんで俺が首なんですか、ちひろさん!!」

 

「ですから、私が決めたことじゃないんですよ。

 会社側がプロデューサーさんの能力や将来性を

 見極めた上で、熟考に熟考を重ねた末にですね」

 

「確かに俺は常務や部長には嫌われていたかもしれません。

 それでも俺はアイドル達とはしっかりと信頼関係を

 築いてきたと思ってます!! みんなだって俺がいてくれないと

 ダメだって言ってくれてる!! 俺を簡単に首にしていいんですか。

 他のプロデューサーがついたってあの子たちは頑張れませんよ!!」

 

「はぁ……しつこい。もう定時過ぎてるんだから帰らせてよ。

 犬みたいにキャンキャン吠えてないで現実を認めなさい。

 少なくともあんたは芸能関係の仕事は向いてなさそうだから

 別の仕事でも探せば? じゃあね。バイバイ」

 

ちひろが逃げるように去った後、事務所にはプロデューサーが一人だけ残された。

他のプロデューサーたちは外回りからまだ戻ってきていないので

事務所が妙に広く感じられる。

 

「ちくしょう……俺なりに一生懸命やってきたつもりなのに。

 日付が変わるまで残業したこともあるのに、会社ってのはこんなもんか。

 使い物にならない奴はすぐにポイ、今流行の早期退職って奴ね。

 クソが……。退職日までここにいるつもりはねえ。今すぐ辞めてやるよ」

 

その日の夜、普段は酒を飲まないプロデューサーであったが、

自宅でやけ酒をしようと思ってコンビニに立ち寄る。

ストロングシリーズの酎ハイを買おうとしたら

 

雑誌コーナーに新田美波がいた。目が合う。プロデューサーは

見なかったことにして立ち去ろうとしたが、美波が追いかけてきた。

 

 

「プロデューサーさぁん!! 冷たいじゃないですか。

 どうして無視して行っちゃうんですか」

 

「いや、悪い。美波じゃなくて別の女性かと思ったんだよ」

 

「別の女性って……。そんな言い訳ってないですよ。

 私はいつも通りの服を着てるわけだし髪型も変えてませんけど?」

 

「……実はな。俺とは今日限りで関わるなって言いたかったんだよ」

 

「はい?」

 

「お前にはまだ伝えてなかったが、俺は今日限りで首になったんだよ。

 明日からはお前達に会うことはないってわけだ。

 仕事上の付き合いがないんだから赤の他人だよな。

 お前はいつも通りアイドルの新田美波。俺はただの無職の男。

 今を輝くアイドルと仲良く話してるのは不自然だろ。

 じゃ、そういうわけだから」

 

「ちょっと。待ってください。

 そんなに早く歩かないでください。

 首になったって本当なんですか? どういうことなんですか」

 

「もう何も話したくないんだよ。アイドルとも関わりたくない。

 明日からは芸能事務所の人間とは無縁の人生を送りたいんだ」

 

「そんな……私はプロデューサーさんとずっと一緒にいたいです」

 

「俺だってずっとお前のプロデューサーでいたかったよ。

 でも常務に毎日のようにボロクソに言われてさすがに

 心が折れたよ。しばらく仕事のことは忘れて遊びたい。

 そういうわけだから俺に構うなよ。俺の邪魔をするな」

 

「い、嫌です!! ここでプロデューサーさんを行かせてしまったら

 二度と会えないような気がするんです。プロデューサーさんに

 会えないくらいなら私も事務所を辞めます。

 それなら私はアイドルじゃないわけだから会ってくれますよね?」

 

「……」

 

「プロデューサーさん……?」

 

「美波は美人だから男なんて選び放題だろ。

 俺なんかに構って人生を無駄にするなんてもったいないぞ」

 

「私はプロデューサーさんが好きです!!」

 

「そっか。ありがとな。俺はお前が嫌いだ」

 

「き……きらい……?」

 

「ああ、嫌いだよ。ずっと前から言おうと思ってたんだけどな。

 もう一般人だから本音でしゃべれるよな。俺がお前を

 大切にしてるように見えたのは全部演技だ。金のためだ。

 分かったか? それじゃあ、これで会うのは最後になるな。

 さようなら」

 

美波は彼に面と向かって拒絶されたのがショックで

胸が刃物でえぐられたような痛みを感じていた。

 

きっと彼は本心ではないのは分かっているが、

あまりにも冷酷な彼の瞳を見てしまった後では

もう追いかけようとする気力さえなくなってしまう。

 

それに彼が首になった理由を何も聞かされてないこともあり、

今日起きた出来事を頭が理解するのにまだまだ時間がかかる。

 

美波は寮におとなしく帰り、明日になったら会社側に抗議してやろうと思った。

きっと彼女に賛同するアイドルはたくさんいるはずだ。

いっそこの事務所を本当に辞めてやろうかとさえ思った。

 

 

プロデューサーは自宅のアパートの玄関を開けると、

煮物の良い匂いがした。エプロン姿の響子が彼を出迎える。

 

響子は金曜の夜は欠かさず彼の部屋に遊びに来ていた。

彼女が作っているのはプロデューサーの好きなひき肉と大根の煮物だ。

 

あいにく食欲はない。そんなことより酒だと思ったが、

健康に気を使ったメニューを心掛けてくれる響子の前では

コンビニで買った度数の強い酒など良い印象を持たれないだろう。

 

プロデューサーはお酒を部屋の隅に隠してから、いつものように

響子と夕飯を食べた。響子が食後のお茶を出してくれた後に

皿洗いをしている。プロデューサーはその間にお風呂を沸かす

スイッチを押す。何気なくテレビをつけていたらアイドル関係の

話題になったので消した。

 

「テレビ、消しちゃったんですか?」

 

「すまん。ちょっと見たい気分じゃなかったんだ」

 

「やっぱりオフの時までアイドルのことは考えたくないってことですか」

 

「っていうか、俺首になっちまった」

 

「首になったんですか!?」

 

「そう。首。事務所を今日辞めてきたの。

 だから俺はもうアイドルとか芸能には関係のない人間だから

 テレビをさっき切ったんだよ。分かってくれたか?」

 

「……ど、どうして首に?」

 

「話すと長くなるんだけどな」

 

プロデューサーの説明を一通り聞いた響子は、

 

「そんな……首だなんてひどすぎます……。

 プロデューサーさんは私達のために嫌な仕事を

 断ってくれたり、陰でいろいろと気を使ってくれたのに。

 そういう心遣いが優しくてうれしいって言ってる人も

 たくさんいたのに」

 

「俺もそう思ったんだけどな。会社から見ると

 ダメダメらしいぞ。現状に満足して向上心のない奴は

 いらないんだって」

 

「で、でしたら私もあんな事務所は辞めちゃっても良いですか?」

 

「辞めてもいいんじゃないのか。

 あんな仕事、よく考えたらつまんねーからな」

 

「私は今日からプロデューサーさんの元に永久就職をします!!」

 

「いや、それはダメだろ」

 

「えっ?」

 

「響子はまだ15歳だから結婚できる年齢じゃないし、

 俺は引っ越して別の場所で暮らそうとかと思ってるんだ」

 

「結婚できる年齢じゃなくても婚約ならできるじゃないですか。

 プロデューサーさんがお引越しするなら私もそちらに住みますよ」

 

「……響子。この際だからはっきり言うよ。これ以上俺と関わるな。

 響子が俺のアパートに遊びに来るのも今日で最後だな」

 

「プロデューサーさん……。そんなに私の事嫌いなんですか……?」

 

「嫌いってわけじゃないけど、関わりたくないんだよ。

 俺の人生をリセットするためには昔の人間関係は

 綺麗さっぱり忘れてしまいたいんだ」

 

「そんなのってひどすぎます……。私のことを一人の女の子として

 愛してて、これからもずっと大切なパートナーとして

 頑張っていきたいって言ってくれたのと全然違うじゃないですか。

 もしかしてプロデューサーさん、酔ってませんよね?」

 

「……話は終わりだ。さあ響子。遅くなる前に帰りなさい。

 荷物をまとめてあげるからな。さあさあ」

 

「嫌です!!」

 

「わがままを言うんじゃない」

 

「嫌嫌!! 絶対に嫌!! もう二度とプロデューサーさんと

 会えなくなるくらいなら死んだほうがましだから!!」

 

「いつになく強情だな……仕方ない」

 

プロデューサーは響子をビンタした。

呆然としている彼女に荷物を押し付け、そのまま玄関から

押し出して鍵をかけてしまう。響子がどんどんと扉を叩いて

騒ぎ出すが、プロデューサーは風呂に入ってしまって鼻歌を歌っている。

 

彼だって胸が痛まないわけじゃない。

しかし在職中からなんとなく思っていたことだが、

彼女達はどうも自分に依存しているような気がする。

 

まゆはプロデューサーの日常生活を観察するのが趣味で

彼が朝起きて最初に顔を洗う癖や、風呂に入った時に

腕から洗い始めることなど細かいことを何でも知っていた。

 

プロデューサーの過去を詮索し、プロデューサーが

中学の時に恋していた女の子の名前すら出してくるアイドルもいた。

そこまでされると正直気持ち悪いと思ったが、仕事上は

アイドルに好かれていてマイナスになることなどなく、仕方ないと思った。

 

響子のように押しかけ女房をしてくれる子にしたって

スキャンダルになる可能性があるとはいえ、

一応はプロデューサーの体の健康を気遣って

食事を作ったり掃除をしてくれるので助かってはいた。

 

しかしその気持ちが退職と同時にさっぱり消えてしまった。

自分でもこんなに薄情なことに驚くほどだ。

 

結局彼は人をお金でしか見てなかったのかもしれない。

彼女達をプロデュースしていたのは、それが金を生み出す

道具だったからだ。彼はこの世で一番大切なものが金だと本気で思っていた。

彼に向いているのはプロデューサーではなくホストだろう。

 

「おいおい。なんだよこれ」

 

プロデューサーがドライヤーで乾かしながらスマホを見る。

まゆを中心としたアイドルからの着信履歴がすごい数だ。

携帯が壊れたのかと思うほどに。

 

プロデューサーはすぐにスマホのバッテリーを引き抜き、

棚の奥にしまった。もう何も考えたくないのでストロングゼロを

飲んでからその日は寝た。

 

寝起きは二日酔いだったので最悪だった。やはり

酒に強くない奴がたまに飲んだところで良いことなどない。

 

朝飯でも作るかと冷蔵庫の中身を見るとたくさんの食材がある。

響子が買っておいてくれたのだ。改めて礼を言いたいくらいだが、

その必要はないのだ。

 

その日は買い物に行く必要はないのでベッドでごろごろして過ごしていた。

しばらく遊びたいと思ったが、やはり就職先を探す方が先だ。

来年で30になるのに、たとえ会社を首になったとしても

無為な時間を過ごせばそれだけ将来の自分が不利になる。

 

「まずは家賃分だけでも稼がねーと。

 正社員の仕事が見つかるまでバイトでもするか。

 その前に引っ越しか。東京は論外だから地方にでも引っ越すかな」

 

真剣に考えていると時間が早く過ぎる。気が付いたら11時半になっていた。

小腹もすいてきた。そろそろ昼ご飯を作ろうかと思ったが

めんどくさいのでカップ麺ですまそうかと思った。

 

チャイムが鳴る。

配達を頼んだ覚えはないのでアイドルの誰かだろうと思った。

響子か美波に違いないと思ったが以外にも美優だった。

 

「あの。突然押し掛けちゃってごめんなさい。

 ちょっとさっきから扉を開けようとしてるんですけど、

 鍵がかかってるんですね。プロデューサーさん。

 お願いですから鍵を開けてくれませんか」

 

「美優さん。悪いけど俺はもう会社を辞めたんです。

 あなたとこれ以上関わることは……」

 

「はい。知ってます。そのことで少しお話したいことがあるんです」

 

「すまん。俺は君と話したくない」

 

「……みんなに同じことを言うんですね。

 美波ちゃんから聞いた通りです。

 直接聞いちゃうとグサッときますね」

 

「帰ってくれないか」

 

「いいえ。私は諦めませんよ」

 

「美優。君は大人の割には聞き分けが悪いじゃないか」

 

「私は自分が大人だなんて思ったことは一度もありません。

 恋する乙女って意味では美波ちゃん達と同じですよ。

 なんだか自分で言ってて恥ずかしくなりましたけど」

 

「……好きなだけそうしていろ。

 俺は絶対にここから出ないからな」

 

「分かりました。私はプロデューサーさんに捨てられたのが

 ショックなので自殺しますね。今すぐここで」

 

「あ?」

 

「死んだ後もあなたのことを想い続けますから。

 あなたは私を殺してしまったことを一生後悔しながら

 生きていてください。それじゃあ、また来世で会いましょう」

 

「おい待て!!」

 

扉を開けると笑顔の美優と鉢合わせする。

 

「なっ……?」

 

「ひっかかりましたね。今のは演技です。

 真に迫った演技なのであの程度のセリフでも

 鬼気迫るものがあったでしょう?」

 

「……女優の仕事で得た演技力を悪用するなよな」

 

「プロデューサーさぁん。やっと会ってくれましたね!!」

 

美優に体重を預けられると、彼女の匂いを嗅ぐと、

プロデューサーは不覚にも心臓がドキドキして

美優を女性として意識してしまう。

 

10代の美波や響子と違って年が三つ違いの美優に

親近感がわいてしまうのは無理もないことだ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

劣情。

本当に自分で何を書いてるのか分からん。


プロデューサーはつい流れで美優を抱きそうになったが

その直前で思いとどまった。

 

(仮にこいつを妊娠でもさせたら、取り返しのつかないことになるぞ!!)

 

「きゃああ!!」

 

ブラを外している最中の美優を突き飛ばしてしまい、

自らは外へ飛び出した。

急いでベルトを締め直しながら夜の街をひたすら駆ける。

 

彼は目の前の現実からただ逃げたくて美優を拒絶した。

その選択が本当に正しかったのだろうか。

 

(もう……俺とは関係のない人たちなんだ……)

 

走り続けて息が切れた。

振り返ると美優が追って来る様子はない。

少し休憩するかと思い、立ち止まって呼吸を整える。

 

闇夜を照らすライトの光でプロデューサーの足が止まる。

あまりの眩しさに目がくらみ、相手が誰なのか直視できない。

そいつの足元だけが何とか視界に入る。

 

見たことのある特徴的なブーツを履いていた。

コートのデザインからもなんとなく誰なのか想像がつく。

 

 

「うふ。プロデューサーさぁん。みーつけた♡」

 

まゆはプロデューサーに駆け寄り、なぜメールや電話を

無視したのかを笑顔で問い詰めるが、

プロデューサーは疲れ切った顔でこう言った。

 

「俺はもうプロデューサーじゃないんだけどな」

 

「……仕事上の関係じゃないのをそんなにも

 気にするのでしたら、今日から本名でお呼びしましょうか?」

 

「いや、いいよ。お前達にはずっとプロデューサーって

 呼ばれてたからその方がしっくりくる。

 プロデューサーって呼ばれ方は、俺のあだ名ってことで」

 

「そうですか。それは良かったです。まゆにとっては

 たとえ退職されたとしてもプロデューサーさんは

 ずっとプロデューサーさんのままですから」

 

「なあ。今日はまゆの家に泊めてくれないか?」

 

「……えっとぉ、それは何か裏があるとかですか?

 だってこの流れでプロデューサーさんがまゆの

 家に泊まりたいなんて言うわけないですよね。

 もちろんまゆとしては大歓迎ですけど」

 

「この事務所に配属になった時に俺はまゆに一目惚れしてたんだ。

 今でも君のルックスはすごく好みだよ。最後に

 おまえと話し合ってからバイバイしようと思ったんだ」

 

「なるほど。本当は美優さんが待ってる

 自分のアパートに帰りたくないと」

 

「それもあるな。でもな」

 

プロデューサーはまゆの小さな体を抱きしめた。

 

「今だから言うけど、まゆのことは本当に好きだったんだよ。

 いや、好きだったと言うより、今になって気づいたのかもしれない。

 なぜだかお前を見捨てて逃げちまうのが人として間違ったことを

 してるんじゃないかと思えてきてな。346にたくさんのアイドルがいて

 俺に興味を持ってくれたけど、まゆほど俺に愛情をくれた子もいなかったな」

 

「うふ。そう言っていただけるなんて光栄です。

 もちろんまゆもプロデューサーさんのことを心から愛してますから、

 つまりプロデューサーさんはまゆと婚約したいと思っていると

 解釈しても良いですか?」

 

「なんだよそれ。婚約はちょっと重くないか」

 

「婚約が重いのなら恋人にしましょうか」

 

「別に今は付き合おうとか思ってないんだけど」

 

「もしかしてまゆをからかって遊んでます?」

 

「そういうわけじゃないけどさ」

 

「さっきから何が言いたのかよく分かりませんね」

 

まゆの顔が引きつる。プロデューサーは本気でまゆに恐怖した。

理屈ではない。カンで分かったことなのだが、

たぶん適当な返事をして怒らせたら殺されると思った。

 

「今のは嘘だよ。早くまゆの家に行こうぜ」

 

まゆの手を引いて歩き始める。

まゆは彼の豹変ぶりに驚いたが、すぐに腕組みをして満足げな顔だ。

 

付き合いたての社会人カップルのような仲睦まじさで歩みを進める二人。

もう9時過ぎなのでまゆはお風呂に入りますかと言う。

プロデューサーはそうだねとやさしく言い、まゆの頭をなでながら

 

「愛してるよ」

 

と小声で言った。まゆは聞き逃さなかった。

 

女子寮に入るところを絶対に誰かに見られるだろうが、

ふたりは堂々とまゆの部屋に入った。玄関のカギをしっかりと

閉めてから、まゆはいきなりプロデューサーにキスをした。

 

まゆはプロデューサーに5分以上もしがみつきながら

「んん~!!」とよく分からない声を発していた。

とにかく彼女にここまで愛されていることを

知ったプロデューサーは苦笑いをするしかない。

 

「やっと二人きりになれましたね」

 

「そうだね」

 

「プロデューサーさぁん。まゆ、もう我慢できないんです。

 さっきプロデューサーさんに愛してるって直接言われてしまったので

 もう体中が熱くなってしまって。責任、取ってくれますか?」

 

まゆはリモコンで部屋の暖房をつけ、彼をベッドに案内した。

まだ体を洗ってもいないのに完全に戦闘モードだ。

 

「今夜はまゆの体を好きにしていいんですよ。

 プロデューサーさんのためだったら、ちょっとマニアックな

 プレイだとしても受け入れちゃいます。

 プロデューサーさんが気持ちよくなれるように

 まゆもうんと努力しちゃいますから」

 

「俺だってできるならまゆを抱いてしまいたいよ。

 でも今日は間が悪かったみたいだな」

 

「なんのことでしょうか」

 

ドンドンドン、ドンドンドン、ドンドンドン!!

リズムよく玄関が叩かれる。明らかに怒気が込められている。

 

「ひっ……。こんな時間に誰ですか。美優さんでしょうか。

 それとも別のアイドルの子?」

 

「たぶん美波だと思う。中に通してあげるか」

 

「どうして美波さんだと……それより

 この状態で玄関を開けちゃうんですか!?」

 

「そうしないと向こうも納得しないだろうよ。

 なぜだかものすごい怒ってるみたいだから、

 無視しても毒ガスを流されるかもしれないぞ」

 

「毒ガス!?」

 

まゆは必死にプロデューサーを止めにかかるが、

それでもプロデューサーは玄関に近づこうとする。

 

最悪まゆは彼に手錠をしようと思ったが、プロデューサーが

彼女の耳元で「心配しなくても大丈夫。俺が愛しているのは

まゆだけだから」と口説き文句を言って沈黙させた。

 

玄関が開く。

 

「やっぱり美波だったのか」

 

「やっぱりって? もしかして私がここに来るのを知ってたんですか?」

 

「俺はこの後に起こる出来事が分かっちゃうんだよ。なんとなくだけどな。

 美波は俺を連れ戻しに来たんだろ? 俺がまゆに脅されて

 無理やりこの部屋に連れてこられたから解放するって名目だったかな」

 

「え……。え……? プロデューサーさん?」

 

「美波はお父さんに家賃を払ってもらってる都内の

 マンションがあるんだよな。

 俺を連れてそこで一緒に暮らしたいんだろう。全部知ってるぞ」

 

「なんで……そんなことまで知ってるの」

 

美波は口元に手を当てて目を見開いている。そこにスキができた。

プロデューサーは美波のわきを通り過ぎて出て行った。

まゆが「待ってください!!」と悲鳴を上げるが、構いもしない。

 

自分でも信じられないくらいの脚力で駆けて

追いかけてくるまゆを撒くことに成功した。

 

真冬なのに汗だくになってしまったので

風邪をひかないか心配になる。部屋着のセーター姿のまま

飛び出してしまったのですぐに汗が渇き始めて寒さが身に染みる。

 

「さっきので確信した。どうやら俺は、この世界をループしているようだ」

 

「そのようですね」

 

プロデューサーの隣には、いつの間にか藤原肇ちゃんがいた。

彼が一番に驚いたのは、この時期の肇は実家に帰省して

アイドル活動を一時的に休止していたはずなのに東京にいることだ。

 

「私も実はこの世界が繰り返してることに気づいちゃったんです。

 たぶん他のアイドルはまだ気づいてないと思います」

 

「俺以外にも過去の記憶を引き継いでる人がいるとは驚いたよ」

 

「はい。それでは私が契約したマンションに移動しましょうか。

 もちろん拒否しないでくださいね。

 ふふふ。私達は心から愛し合って結ばれる

 運命なのだから拒否されるわけないんですけどね」

 

「いやマンションっていきなり何を言って」

 

「何か言いましたか?」

 

腹パンされたプロデューサーは意識を失い、

次の日に肇の契約したマンションで目覚めることになる。

 

不思議なことに手足を拘束されてない。

寝ている時に顔中を舐められたのか、ベタベタして不快だった。

それに全身に生臭い匂いがこびりついている。

 

自分が寝ていた寝室と思わしき部屋を出る。

十分な広さの廊下の先に玄関がある。

 

逃げよう。そう思い、玄関の扉に手をかけたが、

瞳にハイライトを失った肇が後ろから声をかける。

 

「こんな朝早くからどこに行こうとしているんですか?」

 

「散歩にでも行こうと思ってな」

 

「その前に朝ごはんができてるので食べちゃってください」

 

「……肇。俺は君のことを愛してる」

 

「はい? なんですか突然そんなこと言って」

 

「少しだけ外の空気を吸いたいんだよ。俺を行かせてくれないか?」

 

「今朝は寒いので外の気温は6℃前後ですよ。

 もう少し日が昇ってからではダメでしょうか」

 

「今がいいんだよ。15分くらいで戻るからさ。な? 頼むよ肇」

 

「それなら私も一緒に行きますよ」

 

「それはダメだろ」

 

「どうしてダメなんですか?」

 

「肇。よく聞いてくれ。男には誰だって一人になりたいことがあるんだよ。

 事務所で働いていた時から常に俺のそばには誰かしら居たわけで、

 自宅のアパートにいた時もまゆや他の奴に監視されているのは知っていた。

 そういうのってな、最高にストレスなんだよ。胃が痛くなるし頭は痛いし

 夕飯がお腹に入らなくなる。俺が首になっても全然後悔してないのは

 やっとお前達の束縛から解放される喜びの方が大きいからだ。分かってくれるか?」

 

「……結局、プロデューサーさんは誰が一番好きなんですか?」

 

「なんだって……? おい。さっきの俺の話はガン無視かよ」

 

「私はプロデューサーさんの本心が知りたいんです。

 プロデューサーさんって私達のことがうざいと思っていていながらも

 一部の子にはラブレターをくれたりと女の子として大切に扱ってくれました。

 さっきはまゆちゃんの見た目が好みだったとか言ってましたよね。

 あれはどうなんですか。本心から出た言葉なんですか?」

 

「……腹が減った。ご飯食べながら話すよ」

 

プロデューサーは椅子に座り、テーブル越しに肇と向かい合った。

 

「最初に言っておくが、まゆをかわいいと思ったのは

 妹みたいな感覚であって恋愛感情は全くないよ」

 

「美波さんのことは自分の妻だと思うと、そう言ってましたよね?」

 

「一時的にはな……。今は何とも思ってない。

 セクシーな美人だとは思うけどな。ああそうだ。

 これも言おうと思ってた。俺はうちの事務所では美波が

 一番美人だと思う。美優も悪くないね」

 

「ふーん、そうだったんですか」

 

肇の箸を持つ手が小刻みに震えている。

 

「ではその美優さんのことは愛してるんですか?」

 

「なんていうか憎めない奴だ。愛してはいないが抱きたいとは思う。

 これはまあ……恋とかじゃないな」

 

「響子ちゃんは?」

 

「あの子は束縛が強すぎるな。俺の私生活を全部管理したがるのはまゆと

 同じなので息がつまるし、ストレスで禿げちまうよ。

 でも根は良い子だからいつか良い人を見つけて幸せになってほしい」

 

「智絵理ちゃんは?」

 

「性的には愛しているよ。美優と同じだ」

 

「ストライクゾーンが広いんですね。10代から20代が好みと」

 

「実は美波のママや卯月ママも容姿的には好みだぞ。

 割と幅広い女性を好きになっちまうんだよ俺は」

 

「オバサン好きな人って人生に疲れてる人が多いそうですね。

 それより私のことはどう思ってるんですか?」

 

「結婚しようぜ」

 

「……それが本心だったら嬉しいんですけど、嘘ついてますね」

 

「どうして嘘だと思うんだ」

 

「だって嫌そうな顔してるじゃないですか」

 

「いや正確には違うんだ。肇のことは愛しているよ。

 今食べてる料理もおいしい。この味噌汁だって毎日飲みたいくらいだ。

 肇と婚約したら他のアイドルが嫉妬して血みどろの修羅場になるのが

 分かりきってるから嫌なんだよ」

 

「ごちゃごちゃと言い訳がましいですね。

 本当に私のことを愛しているんですよね?」

 

「そうだよ」

 

「本当の本当に?」

 

「君は疑い深いな。本当に愛してるって」

 

「嘘つかないで!! ならどうしてさっきマンションから

 一人で出ようとしたんですか!!」

 

「俺は15分したら戻るって言っただろ。

 お前は俺が逃げると思ってるようだが、それはただの想像だ」

 

「あなたの服にGPSを仕込んでもいいのなら外出させてあげます」

 

「おいおい。俺は本当に信用がないんだな」

 

プロデューサーは静かに切れていた。

 

彼はまゆにGPSを付けられた時からGPS恐怖症にかかっており、

まさか純真無垢な女の子と信じていた肇からそんな言葉を

聞くとは思ってなかったこともあり、ここはひとつ叱っておくべきだと思った。

 

「肇!! いい加減にしなさい!!」

 

ビンタした音が響く。これでも一応は愛を込めたつもりだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

何もしないのも選択肢のひとつ。

なぜユダヤ教徒に金持ちが多いのか。
その理由は利口だからです。


「お前がやろうとしていることは自分勝手なわがままだ。

 恋愛ですらない。ただのママゴトだ!!

 世の中には結婚したのに旦那のことが信じられなくて

 束縛を続ける奥さんなんてざらにいるだろうがな、

 結婚前からこんなんじゃ俺は本気で嫌になっちまうよ!!」

 

「だって……しょうがないじゃないですか。

 プロデューサーさんの周りにはプロデューサーさんを

 狙っているアイドル達がたくさんいるんですから。

 プロデューサーさんがあいつに奪われたらって思うと……。

 恋愛だってお仕事と同じで綺麗ごとじゃなくて競争なんです」

 

肇はプロデューサーを睨みながらも、ぶたれたことが

ショックでポロポロと涙をこぼしていた。年上のプロデューサーから

見ればそんな姿が可愛らしくて仕方なかったが口にはしない。

 

プロデューサーは腰に手を当てて説教を続ける。

肇は素直なので黙って聞いていた。

そろそろ十分だと思ったプロデューサーは肇の頭をなでてあげた。

 

「肇。抱きしめてあげるからこっちに来なさい」

 

「あっ……」

 

「今日は朝ご飯を作ってくれてありがとな。

 俺は肇のことが結婚したいくらいに愛してるって

 何度も伝えてるだろ。肇さえいてくれたら他の女どもなんて

 いらない。むしろ邪魔だ。視界に入れる価値すらない」

 

「ほ、本当に……信じてもいいんですね?

 愛してるって言われるとうれしいですけど、

 繰り返しちゃうと少しだけ軽い言葉に感じちゃいますよ」

 

「肇。好きだ」

 

「ん……」

 

唇を重ね合わせた。

肇の流す涙は悲しみから喜びへと変わっていた。

 

「後で私の両親に正式な挨拶をしないと」

 

「そうだな。岡山にはいつ行こうか」

 

「ちょっと親に電話しますね」

 

肇はスマホを見た瞬間にストレスでめまいがした。

アイドル達からの不幸のSNSが山ほど送られていた。

 

肇がプロデューサーを拉致したことは周知されており、

しかも先ほどの二人の会話もプロデューサーにつけられた

超小型の盗聴器によって皆にライブ中継されていた。

 

旧ソ連のKGBの防諜部で勤務できるレベルの盗聴技術である。

 

内容は様々であり電話を含めた着信総数は293件

(過去14時間以内)に及ぶが、特にまゆと美優からの

不幸のメールが多かった。

 

『今ならまだ怒らないであげるから、早く彼を解放しなさい』

『彼は私達の前では肇ちゃんの悪口ばっかり言ってるのよ』

『プロデューサーは誰にでも同じことを言ってるの知らないの?』

『マンションの位置はすでに特定されてます』

『いつまでもメールを無視し続けるならこっちにも考えがありますよぉ』

 

プロデューサーはスマホをのぞき込んだがあまりの内容にゾッとした。

 

「あー。残念だけどこりゃだめだな。

 岡山に行く前に新幹線ごと破壊されると思うぞ。

 それにこのマンションの居場所もバレてるみたいだし色々と終わったな」

 

「クズどもめ!!」

 

「は、肇?」

 

「あいつらはたった一つの真実を認めたくないだけ!!

 私とプロデューサーさんはずっと前から両思いで真剣に愛し合った末に

 結ばれるのに、その真実を認めたくないから

 こうやって無駄なあがきを続けているんです!!」

 

(俺達って真剣に愛し合ったことがあったのか?

 ちょっと職場でイチャイチャしてただけのような気が……。

 たまに口説くようなことを言っちまった俺が悪いのか)

 

「私とプロデューサーさんが結ばれたらこの物語は終わるのに!!」

 

「何回も繰り返してるんだよな。バッドエンドになったら

 俺が1月にこの会社を首になるところからスタートする仕組みだ。

 ひぐらしの6月の雛見沢みたいなノリだな」

 

「ひぐらし? 雛見沢ってなんですか……?

 それよりプロデューサーさんも、もっと真剣に考えてくださいよ!!

 あなたの口からはっきりとあいつらを拒絶してよ!!」

 

「いや、それこそアイドルを逆上させるだろ。

 嫌いって言葉はマジでNGワードなんだよ。

 ちなみにひぐらしの真犯人は高野三四なんだぜ」

 

「さっきからひぐらしって何のことですか!!

 タカノミヨって女の名前……まさかプロデューサーさんは

 その女のことが好きなんですか?」

 

「まさか!! あんな腹黒女はごめんだ!!

 それに現実じゃなくてアニメのキャラだから安心してくれ」

 

「そんなことより、これからどうするの!!

 またバッドエンドにならないようにはどうしたらいいの!?」

 

「うーん、マジでどうしようもないよな。逃げても無駄だし、

 ここに居ても襲撃されるのは確実だ。しょうがない。

 いっそ俺達の婚約を堂々と宣言しちまうか」

 

「それって戦争になりますよね」

 

「なるね」

 

「また死ぬじゃないですか」

 

「死んだらまたその時に考えようぜ。どうせまた復活するんだからさ」

 

ピンポーン、とチャイムが鳴ってしまう。

 

ドアホン越しに確認すると宅配便を名乗る業者らしきことが分かった。

ちゃんと制服を着ている人物だが、もちろん業者でない可能性の方が高い。

声を加工している可能性もある。

 

「一応確認しておくが、肇はアマゾンとかで頼んだものあるか?」

 

「私は通販ってあまり好きじゃないので東京で暮らしてからも

 あまり利用してません。自分の住んでる場所に赤の他人が 

 やってくるのって気持ち悪いじゃないですか」

 

とりあえずチャイムを無視してみた。

 

業者と思わしき人物は2分後に帰った。

ホッとしたプロデューサーと肇ちゃんは、

緊張して疲れたのでお茶でも飲もうとダイニングに戻るが

 

「あ、どうも。お邪魔してます」

 

なぜか緒方智恵理が椅子に座っていた。

前回の世界で彼女と強烈な殺し合いをしたことを肇はよく覚えている。

 

「前は色々とお世話になったね。肇ちゃん?」

 

智絵理もそれは同じであり、見た目はいつものように

美少女なのに目が全く笑っていない。プロデューサーと

肇以外で前回の記憶を引き継いでいる人は智絵理が初めてだった。

 

「智絵理ちゃん。中に侵入したのはあなただけなのね?」

 

「さあ。私に答える義務、あるのかな」

 

「早く帰ってくれるかな。今ならまだ口だけで済むよ」

 

「あなたが彼を解放してくれるって約束したら帰ってあげるよ」

 

「……前から言おうと思ってたんだけど、智絵理ちゃんって

 私の彼にずっと嫌われて避けられてたのに自覚なかったの?」

 

「肇ちゃんこそプロデューサーさんを束縛し続けてるくせに

 何言ってるの。今朝、彼がこのマンションから

 逃げ出そうとしたことを知らないわけじゃないでしょ」

 

「彼は私と結婚してくれるって約束してくれた」

 

「だから、それが嘘なんだよ。嘘だって気づいてないんだ。馬鹿だね。

 プロデューサーはみんなに同じことを言ってるんだよ」

 

「違う!!」

 

「違わないよ。ちゃんと事実を認めないのって人してどうかしてると思う。

 私ね、やっぱり肇ちゃんにはプロデューサーさんを任せられないと思うんだ。

 彼に少し優しくされたからって図に乗るのが痛々しくて見てられないんだよ。

 それに肇ちゃんみたいな田舎者はプロデューサーさんにはふさわしくないよ」

 

「きさま……さっきからよくも……!!」

 

肇ちゃんが本気で怒りそうになっているのでプロデューサーが話に割り込む。

 

「智絵理。俺が肇のことを愛してるのは本当のことだ。嘘じゃないぞ」

 

智絵理の瞳からどんどんハイライトが失われていく。

 

「俺がなぜかアイドルの皆に好意を持たれてるのは知っている。

 俺なんかのどこがいいのか分からないがな。残念だけど俺の身体は一つだけだ。

 俺は一人の女性しか愛することはできないんだよ。俺がこの世で愛してるのは

 藤原肇だけだ。はっきり言って他の奴らはもうどうでもいい」

 

「だったら!!」

 

智絵理が息を大きく吸う。

 

「どうして前回の世界では死んだふりをしてみんなの前から逃げ出したんですか!!

 本当に肇ちゃんのことが大好きだったら岡山の実家に遊びに行ったときに

 みんなの前で宣言すればよかったじゃないですか!!」

 

(遊びじゃねーよ。色々あって死ぬ思いで岡山へ吹き飛んだんだよ。

 つーか智絵理、お前はあの時肇の実家にいなかっただろ)

 

プロデューサーは突っ込みたいのをこらえながら

 

「警察の尋問や裁判じゃないんだから過去の過ちをいちいち追及するな。

 誰にだって間違いはあるだろう。俺はあの時は一時的に人生が嫌になっちまったんだ。

 だが今はどうだ。運命のいたずらなのか俺は再び新しい人生を歩んでいる。

 逃げても無駄だって分かるなら肇を選ぶだろうよ。もともと好きだったんだから」

 

「本当に肇ちゃんのことが好きかどうか怪しいです!!

 じゃあどうして前回の世界では新田さんのことを妻だって呼んでたんですか!!

 何度も何度も俺の妻だって得意げな顔して呼んでましたよね!!

 あー、もう!! 思い出しただけでイライラするぅ!!」

 

智絵理が地団太を踏んだために関東一帯に軽い地震が発生してしまった。

まさに燃え盛るような怒りだった。美少女なのに鬼の形相なので台無しだ。

 

「ほんそれ、ですよ」

 

プロデューサーは背後から肩を叩かれたので振り返ると美波がそこにいた。

美波はヤンデレの瞳で薄ら笑いを浮かべていた。

 

「私も一晩寝たら記憶が戻っちゃいました。

 プロデューサーさんったら私に何度も約束してくれましたよね。

 俺は新田美波のことを世界で一番愛してるって。

 私は今でもあなたのことを信じてますからね?」

 

「は……はは。これはどういうことかな? いつからそこにいたんだ?」

 

「そんなことはどうでもいいんですよ。

 さあ、あなた。今度こそ私と結ばれましょうか」

 

「俺は肇が好きだ」

 

「はい? 何か言いましたか」

 

「俺は肇ちゃんを愛してるんだ!!」

 

「すみません。声が小さいのでよく聞こえませんでした」

 

「遠回しにお前を振ったんだぞ……」

 

「ですから、よく聞こえませんでした」

 

「もうこういうのやめろよ!! こんなことしてもアイドルのみんなで

 殺し合いになってまたバッドエンドになるだろ!!

 俺と肇ちゃんが結ばれてハッピーエンドってことで一件落着にしようぜ!!」

 

「いやいや、それって私にとっては最悪のバッドエンドですから」

 

「なあ頼むよ美波!! どうしたら納得てくれるんだ」

 

「でしたらまずは藤原と別れて。話はそれからです」

 

「んだよ、それ……。百歩譲ってお前の望み通り美波と結ばれたとしても

 他のアイドルと血みどろの修羅場になるわけだから意味ねーよ!!」

 

ここで笑顔の肇ちゃんがプロデューサーの前に立ちはだかる。

ファッションセンター島村さんの笑顔と違い、明確な殺意が込められている。

 

「私の夫になる人をこれ以上困らせる気なら、また相手になりますよ」

 

「すごい目つきだね……。でも二度目だからもう怖くないけどね」

 

「最初はそちらからどうぞ。私は正当防衛しかしませんので」

 

「やるわけないでしょ。どうせ勝てないのは知ってるし、それにさ……」

 

美波は智絵理をちらっと見た。智絵理ちゃんは真顔で語り出した。

 

「プロデューサーさん、一つだけ約束をしてくれたら私達は帰ります。

 ただし、もしプロデューサーさんがこの条件を飲んでくれなかったら

 最後は壮絶な修羅場となることでしょう」

 

「な、なんだよ。どんな条件なんだ。言ってみろ」

 

「肇ちゃんとの婚約をこの場で破棄してください。

 もちろん口頭でかまいませんから。あなたの口からはっきりと、

 俺は藤原肇のことは何とも思ってないから結婚なんてしないと言ってください」

 

「形だけの約束に意味あんのかよ」

 

「言うんですか? それとも言わないんですか?」

 

「ま、待て。少し相談させろ」

 

肇ちゃんいわく、このクズどもがそれで帰ってくれるなら

さっさと言ってしまえとのことだった。

 

「お、おれは……藤原肇のことはなんとも……おも……おもって……」

 

なぜだか言葉が続かない。こんな子供っぽい宣言に意味はないと

頭では分かっていながらも、どうしても言えない。

 

肇をプロデュースしてからのせつなくも楽しい思い出が

脳裏をよぎり、この子のことをどうしても嫌いになれない自分がいた。

 

そして暴言が飛び出てしまう。

 

「言えるわけねーだろバーカ!!」

 

この状況では致命的な選択だった。

 

智絵理がスタンガンを片手にプロデューサーに襲い掛かって来たので

肇が回し蹴りをして吹き飛ばした。続いてまだ何もしてない美波に対しても

顔を殴った後、首筋に手刀を食らわせて気絶させた。

 

智絵理は背中を強打したために呼吸困難に陥っている。

ちなみに先ほどの回し蹴りの威力は時速60キロで走行する

ダンプに正面から激突したくらいの衝撃である。

 

「やっぱりここにいてはダメです。もっと田舎に逃げましょう」

 

肇ちゃんはプロデューサーの手を引いてマンションから出た。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

逃げたら死んだので困った。

無限ループから抜け出すには、新たな登場人物の力が必要なのであった。


プロデューサーと肇の愛の逃避行は失敗した。

 

逃げる先々でアイドル達に襲撃されてバッドエンド。

乗り込もうとした新幹線が爆破され、タクシーが破壊され、

駅で刺され、藤原家が襲撃され、毒薬を飲まされて死んだ。

 

ドラクエのダンジョンを抜け出すことができずに

何度も協会のお世話になり続けるプレイヤーの心境だ。

 

幸か不幸か、肇と彼は前回の記憶を引き継いだまま

次の世界へと移るので互いの愛情だけは消えないのだ。

今度こそはと思い、アイドルから逃げるための策を練るが

ことごとく失敗。そしてまた生き返る。

 

そろそろ気が変になってしまうのも無理はなく、

 

「なあ肇ちゃん。こんなことは言いたくなかったんだけどな」

 

プロデューサーが別れ話を始めてしまうのだった。

 

「もちろんお前のことは今でも大切に思っているさ。

 そばにいてくれると胸が暖かくなる。

 今夜だって一緒に寝たいと思っている。

 でも現状を考えたら、これじゃ何も解決しな…」

 

「それだけは嫌です!!」

 

「は、はじめ……」

 

「プロデューサーさんは私と結ばれることを神様が

 望んでないって言いたいんでしょう? 

 どうしてそんな冷たいこと言うの。私にはあなたが必要なの。

 あなたがそばにいてくれないと生きてる意味がないんだから!!」

 

「あ、ああ。もちろん今のは冗談だ」

 

「私はワガママを言ってるだけなのかもしれません。

 でも本当にあなたと両思いに慣れてうれしかったんです……。

 一緒にお仕事してる時からずっと、ずっと好きだったから。

 やっと結ばれることができる時が来たのに……どうしてこんなことに……」

 

肇が顔を両手で覆って泣きだした。

 

彼らはこのやり取りをアパートの狭いお風呂場でやっていた。

すでに生で一回戦目は終わっていた。

どうせ妊娠してもまたすぐに殺されるのだから気にしない。

 

プロデューサーは肇ちゃんの大きな胸と乳首を

ガン見していたら肇を抱きたくて仕方なくなり、

お風呂から上がって彼女を布団に寝かせて、大人のキスをした。

 

「よしよし肇。不安にさせるようなことを言ってごめんな。

 俺はこんなにも可愛い女の子に愛されてるんだって

 改めて気づかされた。俺にはもったいないくらいだよ。

 実はこの繰り返しを終わらせるための方法を思い付いたんだ」

 

「どんな方法なんですか?」

 

「俺達の邪魔をするアイドル達を……返り討ちにする」

 

凍り付くほど冷たい瞳でそう宣言した。

 

彼の言葉を借りるとこうなる。

 

今まで彼は一方的にアイドル達に包丁で刺されたり、

毒殺されたりしてバッドエンドを迎えたわけだが、

自分が殺されない限りはこの物語は終わらないはずだ。

 

よってまずは自分と愛する肇が生き延びることを

最優先とし、逆に襲ってくるアイドルはもう殺してしまおう

ということだ。どうせ口で説得しても分かってくれない

手のかかる子たちなのだから仕方ない。

 

「あ、でも……プロデューサーさんはカッとなって人を

 殺しちゃうような女は好みじゃないって言ってませんでしたっけ?」

 

「記憶にございません……。あと安倍晋三が銃で撃たれて死んだぞ(失笑)」

 

「なんのことですか?」

 

「話を戻すが、このふざけた世界の中で人殺しが良いも悪いも

 言ってる場合じゃないんだよ。俺がどれだけ肇を愛しているか

 伝えたところでどうせ殺されるのが分かってるんだ。

 だったらこっちから殺してやるまでだ!!」

 

プロデューサーはまず響子ちゃんを電話で呼び出すことにした。

彼らが現在いるのは栃木県の佐野市という場所なのだが、

幸いなことにまだアイドル達には見つかってないのか、

襲撃してくる様子はない。

 

そこでプロデューサーは肇のスマホを借りて

(自分のスマホはハンマーで叩き潰してある)

こちらから響子に連絡を取るという暴挙に至るのだった。

 

「はい響子ですけど……憎たらしい泥棒猫さん……?

 こっちから連絡しても無視したくせに

 今さら連絡をしてくるなんてなんのつもりなの?」

 

「おい響子。俺だよ俺。肇の携帯からかけてるんだ」

 

「プロデューサーさん? 今どこにいるんですか!?

 埼玉のアパートにはいませんでしたよね!!」

 

「俺がいるのは栃木県内のホテルなんだよ。

 実は初めに拉致されちゃって困ってるんだよな。

 今から住所の詳細を教えるから、こっちに来てくれないか」

 

「今すぐ行きます!!」

 

 

響子が来たのはその日の夕方だった。

プロデューサーは響子を油断させてからクロロホルムを

浸み込ませた布を嗅がせて意識を奪う。

 

アイドル捕獲用に用意した、超大型のケージに響子を入れておく。

 

それと同じ手順で三日以内に美優、智絵理、ファッションセンター島村卯月さん、

加蓮、まゆも閉じ込めることに成功した。疑い深いまゆを騙すのは

かなりの知恵が必要だったが、プロデューサーは

伊達に営業職をやっていたわけではなく口はうまかった。

 

犯行はたったの三日間で行われた。

可愛いアイドル達に筋弛緩剤を飲ませて万が一の脱走の可能性を奪う。

トイレに行く時以外は中に閉じ込めておいた。

 

彼女達が檻から出る際は手錠と、スイッチ一つで電流の流れる首輪を

つけているから抵抗される心配はない。

 

これで彼を追いかけてくる主要なアイドル(他にもアーニャや凛なども

いたような気がするが……)は捕らえた。

 

捕獲されたアイドル達は体が思うように動かないだけで

頭はしっかりとしている。目に見えない力で肇にプレッシャーを与えていた。

 

彼女達の目がこう訴えているのだ。

 

――あのプロデューサーさんが私達を裏切るわけがない。

どうせあんたが計画したことを実行しているだけだろう、と。

 

「泥棒猫たちが毎日すごい顔で私を睨んできて怖いんですけど……。

 食事の用意とか疲れてきたのでそろそろ殺しちゃいませんか?」

 

「まだ新田美波を呼んでないじゃないか。

 殺すなら仲良く全員一緒にだろ」

 

「美波さんはどうして来てくれないんでしょう?」

 

「あいつは特に頭の回転が速いから俺達の意図に気づいてるんだろうな」

 

肇は顎に手を当ててから

 

「でもそれって好都合じゃないですか?

 あっちが警戒してこっちに来ないのなら

 結果的に私達の邪魔にならないわけで」

 

「ああいう相手の場合は、時間をかければかけるほどこちらが

 不利になるんだよ。なんか親が金持ちみたいだから

 どんな手を使ってくるか分からないぞ。ちっ、仕方ねーな。

 いっそこっちから会いに行くしかないか」

 

「えー。なんか気乗りがしませんけど」

 

「俺だって行きたくないけど、やられる前にやるしかないんだよ。

 肇。大好きな君と俺の未来のためなんだ。分かってくれるよな?」

 

「はい……。あなたがそういうのでしたら私はお付き合いします。

 たとえ地の果てまでもあなた様に着いて行きます」

 

ガシャン、ガシャン!!

 

ケージで暴れる音がする。こんなイチャラブシーンを目の前で

見せられたら誰だってこうなるだろう。

 

肇がキッチンの棚を開けて

大量に買っておいた『バルサン』を取り出した。

締め切った室内で有毒なガスを散布することで

アイドル達を死に至らしめる。まさに拷問に近い殺し方だ。

 

バルサンを炊いた後は、プロデューサーと肇はそのまま

アパートを出ればいいわけだから、自らの手を直接汚さずに

じわりじわりとアイドルを始末することができる。

 

アパートから出て実にすがすがしい気分になった二人は

 

(この時点ですでにサイコパスかもしれないが、

 繰り返しの世界を永遠と生き続ければ人は狂うものだ)

 

改めて美波に電話をかけてみる。

 

美波は電話にも出てくれなしい、LINEの返事もしてくれなかった。

既読マークは付いているから読んでいるのは間違いないのだが。

 

「困ったなぁ。早く美波の奴も殺してやらないといけないんだが」

 

「私達のことが怖くなって逃げたのかもしれませんね」

 

「ふふ。そうかもな。まさか自分たちが殺される側に回るとは

 思ってなかっただろうにな」

 

「もうすぐアパートに監禁した泥棒猫たちも息を引き取ってる頃でしょう」

 

そうではなかった。

 

人間の生命力とは時に不思議なほどの力を発揮する。

それは奇跡、あるいは運とも呼ぶべきかもしれない。

 

背に突き刺さるほどの殺意を感じ、肇が振り返ると

そこにいたのは地を張って前に進む、島村卯月さんの姿があった。

下着姿の身体は小刻みに震え、髪の毛は乱れ、虫の息である。

 

なぜ生きているのか。

そもそも、ケージの中からどうやって脱走したのか。

 

理由はファッションセンターだから、ということで十分だろう。

 

「ころ……してやる……」

 

卯月嬢の殺意は肇ちゃんに向けられていた。

今卯月が全快だったら肇の首の骨をへし折っていることだろう。

 

「ごめんね。よく聞こえなかったよ」

 

「あがっ……」

 

肇が卯月のわき腹を蹴ると苦しそうにうめき声をあげた。

 

やはり卯月にはもう抵抗するだけの余裕がない。

あまり長引かせてもかわいそうなので、プロデューサーは

一思いに卯月ちゃんを殺してあげることにした。

 

卯月に馬乗りになり、彼女の細い首に手をかける。

 

「ごめんな……卯月……俺だってこんなことがしたくて

 やってるわけじゃないんだ……ただ……もう他に

 選択肢が思い浮かばなくてな……もう二度とお前の

 笑顔が見れなくなるって思うと悲しいけど、これでさよならにしよう」

 

卯月は最初こそプロデューサーの手をトントンと叩くが、

息が吸えないので次第に元気がなくなり、その手がだらりと下がる。

肇が脈を計ったら絶命していた。

 

プロデューサーはストレスのあまりその場で吐き、

自らの上着を裂き、天に届くほどの声で泣き叫んだが、

すぐそばで肇が温かい言葉をかけて励ましてくれた。

 

プロデューサーは肇に説得されて卯月の死体をアパートの中に

入れてしまう。他の皆も仲良く死んでいた。

特にまゆの死に顔が悲惨だったので早く忘れたかった。

 

いずれ殺人の件は大家を初め警察の知ることになるだろうが、

彼はそんな後先のことなど考えてない。なぜならきっと無駄だからだ。

 

「うっ……」

 

プロデューサーはアパートの階段を降りてる最中に

力を失い、倒れた。

 

(ほらな)と彼は思った。諦観ではなく怒りだ。

 

 

プロデューサーの横に肇もどさっと倒れた。

ふたりで仲良くうつ伏せに倒れており、指先一本動かすことができない。

理由は彼らの背中に毒の矢が刺さっているからだ。

 

凶器の『吹き矢』を用いたのは、広島県出身で

純粋無垢ながら用心深いアイドル、新田美波さんだった。

ちなみに彼女は大学でミスコンに選ばれている。

 

「あなた達のやってる悪だくみは遠くから全部監視してましたからね。

 さ~~て。これからどうしましょうか。

 まず肇さんは私のマンションで拷問するね。次にプロデューサーさんは

 両足を切断した後、洗脳プログラムを使って赤ちゃんに戻ってもらうかな」

 

美波の拷問は過酷だった。

 

八王子市にある彼女のマンションの一室には、

人間が一人入れるほどの大きさの水槽があった。

 

その中には300匹を超えるゴキブリが放たれており、

そこに全裸の肇を入れて外から鍵をかけた。

肇は泣き叫び、暴れ、拳を使ってゴキブリをつぶしていったが、

 

やがて彼女の口の中、髪の毛、お尻の穴まであらゆるところまで

ゴキブリが徘徊し、全身が真っ黒で油だらけになり、ついには

抵抗する気力が失せてしまう。

 

そんな様子を、美波はワイングラスを傾けながら楽しそうに眺めていた。

優雅に足を組んで干渉するその姿は、まさに女王の貫禄である。

 

肇は三日間もそこに閉じこまれるとついに気が狂ってしまい、

自らゴキブリを手に取ってむしゃむしゃと食べ始めた。

彼女は排泄もそこで済ませるしかなかったので、中はすごい匂いが

充満している。肇の恥部の汚れにますますゴキブリが群がるので

すごいことになっていた。

 

美波は部屋で音楽を流しながらただ楽しそうにその姿を眺めている。

全身を荒縄で縛られたプロデューサーが床に転がされ、無理やり

肇の姿を見せつけられていた。彼は繰り返し「もう殺してやれ、

もう解放してやってくれ」と頼んだが聞き入れてもらえなかった。

 

その日の夜、あまりにも不潔な環境のために感染症にかかりつつあった

肇の水槽に、新たな物体が投下された。大きい。

 

それは害虫ではなく人間の足だった。

切断されたプロデューサーの左足だ。

切断部からはまだ血が滴っている。

 

肇は声を張り上げて叫び続け、ガラスを割ろうと最後の

力を振り絞って殴り続ける。しかし栄養不足で衰弱しているために

力が入らない。あとは泣くしかなかった。

新田美波と言う女性に完全に屈服し、生殺与奪の権利を

握られてしまった哀れな自分の運命を呪った。

 

美波は慈悲の心として水槽の中にホースで水を流し込んだ。

肇はただホッとした。もうこれで死なせてもらえる。

 

美波は肇の苦しむ顔を撮影するために

高そうなビデオカメラを構えていた。

 

(おじいちゃん、肇は悪い子でした。ごめんなさい……)

 

もう二度と会えることがないであろう

祖父の顔を思い出しながら短い生涯を終えた。

 

プロデューサーは自ら舌を噛み切って死んでいた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Pはいっそニートを目指すことにした。

愛がなければヒモ生活はできませんよ?


プロデューサーとアイドル達はまた生き返った。

 

生き返る条件は決まっていて、プロデューサーが1月の末に

会社を首になる直前から始まるのだ。

 

恐ろしいことにまゆを始めとしたアイドル達も記憶を

引き継いだ状態でスタートしてしまうために

同じ世界を繰り返すほどにプロデューサーに不利な条件となってしまう。

 

「みんなの気持ちはよく分かった。こうなったら重婚するしかないだろう」

 

この時の彼はまだプロデューサーであり、事務所のデスクに座っていた。

隣で事務員のちひろが見てる前でそう言ったものだから

「頭イかれたの?」と言われてしまう。

 

「うっせー。お前に言ってねえよ千川さん。

 俺さ、この会社辞めてアイドル達と結婚するわ」

 

「……はぁ!? 意味わかんないんだけど」

 

「そういうわけだから、辞表を今から用意するから

 速攻で辞めさせてくれ。どうせ俺が今月末で

 首になる話が出てるのは知ってるんだ。

 おい、まあ話の流れで美波やまゆも退職することになるだろうけど、

 俺の未来のためだから我慢しろよな」

 

「いや、だから意味わかんないって言ってんだよゴミカス」

 

「ちゃんと貴様にも理解できるように伝えたつもりなんだけどな。

 最後まで俺に喧嘩売ってきて楽しいか?」

 

「こっちはあんたに一方的に喧嘩売られた記憶しかないんだけど。

 それより重婚とか寝言ほざいてたのは気のせいかな?

 なにあんた。あの子達と結婚したいの?」

 

「俺がしたいっていうより、向こうが必至すぎるからこっちが

 妥協した結果なんだよ。どう説明しても貴様には伝わらないだろうが、

 あの子たちはマジで本気だからこうでもしないと俺が本当に殺されるんだよ」

 

「日本で重婚とかないから」

 

「知ってるよ。だから形だけの結婚だよ。事実婚なら

 別に問題ねえだろ。どこか人目につかないところで暮らすよ」

 

「……なにそれ。まさかマジで言ってんの?」

 

「マジだよボケ」

 

「黙れゴミカス。あんたが真顔で話すとキモいんだよ」

 

「てめえ……。俺より三歳も年下のくせにその態度はなんだ?」

 

「あんたの妄想がどうであれ、うちの売れっ子たちを

 退職させるつもりなら全力で阻止させてもらうわね。

 そもそもそんなふざけた重婚まがいのことをまゆちゃん

 たちが認めるわけないと思うけど。それに常務や部長が黙ってないと思うよ」

 

「……上司がどうした。もう俺には関係ない話だ。

 辞めるか辞めないかはアイドル達が決めることだから

 奴らがどうこう言える問題じゃねえはずだ」

 

プロデューサーがその案をまゆ達に話すと、意外にも

すんなりと受け入れてくれた。なんとプロデューサーと暮らすために

本当に彼を慕う全員が退職することになった。

 

これは困ったことになったと社長が彼女らの保護者にまで

事情を聞いて回ったのだが、娘があまりにも必死なので

どうしようもないと断れてしまい、346プロはまたしても

倒産寸前の危機的状況になってしまった。

 

 

プロデューサーは都内のマンションに住むことになった。

それにしてもずいぶんとアイドル達がこのふざけた条件を

受け入れてくれたのだと思ったものだが、もちろん裏がった。

 

「まずプロデューサーさんには前回の世界で起きたことを

 たぁっぷりと説明していただきますねぇ」

 

まゆを筆頭に、加蓮、島村さん、智絵理、美波、美優、響子が

プロデューサーを囲って尋問していた。

みんなニコニコしているが瞳の奥が全く笑っていない。

 

藤原肇はこのメンバーに入っていない。というものも、もともと

彼女は年始の段階では実家に帰省していて、東京には戻っていない設定だったのだ。

その設定は繰り返しのたびに多少の変化をする。今回のように1月の段階で

直ちに職を辞したプロデューサーは、まだ肇と連絡すら取れていない。

 

そうなのかと思えば、肇は別の世界ではスタートと同時に東京に戻って

プロデューサーと同棲をしたりと安定しない。

ただ一つだけ変わらないのは、プロデューサーは藤原肇のことは

本当に結婚したいくらいに好ましく思っていたことだ。

 

「みんな、すまなかった。別に皆が嫌いになったから

 殺したわけじゃないんだ。今では反省している。

 だから皆、これからは、俺と一緒にここで生活してくれ。

 みんなが俺の奥さんってことでここは手を打たないか」

 

「残念ですけど、まゆは納得できませんね。他の皆はどうですか?」

 

加蓮が手を挙げる。

 

「あたしは、それでもいいと思う。確かにプロデューサーさんの

 一番になれないのはくやしいけど、また殺し合いになったら

 それはそれで嫌だしめんどくさい。ここは妥協するべきでしょ」

 

美優が暗い表情で口を開く。

 

「私はプロデューサーさんが私達のことを絶対に裏切らないと

 誓ってくださるのでしたら、我慢します。でも信用できませんよね。

 今までに何度も何度も裏切られてしまって……。私はどうしても

 プロデューサーさんの口約束なんかじゃ信用できないんです」

 

「問題はそこじゃないでしょうが」

 

美波が鬼の形相をして美優の言葉を遮った。

 

「私は藤原肇のことが絶対に許せない。あの泥棒猫に洗脳されている

 プロデューサーさんを早く正気に戻してあげたいだけ。

 え? 重婚? そんなのバッドエンドになるに決まってる。

 やらなくても初めから結果が分かってることを試す意味はあるの?

 プロデューサーは私と愛を誓ったんだから責任を取ってください。

 そもそもね。あなたはコンビニで働いていた時に私と……」

 

「あの!! 私はですね!!」

 

響子が手を挙げて続いた。

話の邪魔をされた美波が舌打ちをしたが一応黙る。

 

「私はすごく、すごーく腹が立ちますけど、プロデューサーさんが

 どうしても重婚したいって言うなら手を売ってあげますよ。

 ただし、独占欲の強いおバカさん達を全員排除してからですけど。

 特に私は新田さんの顔を見る度に殺意がわいちゃって、

 自分を抑えるのが大変なんです。えへへ☆」

 

「あら奇遇ね。私も五十嵐さんを見る度にどうやって

 殺してやろうかと考えてると不思議と心が落ち着くのよ」

 

「あっそうですか。ムカつくからしゃべらなくていいですよ。

 あとこっち見ないでください」

 

「私だって好きであんたと関わってるわけじゃない。

 それにあんたの方から喧嘩売って来たんでしょうが!!」

 

美波が響子に掴みかかろうとしたので、プロデューサーが身体を張って

止める。「もうやめろよ!!」と本気で怒鳴るとさすがに二人の

可愛い女の子はビクッとしておとなしくなったのだった。

 

「俺だって仮にお前たちの立場だったらこんなふざけた

 条件は飲まないと思う。だけどこれ以外の解決策が

 俺には思いつかなかったんだよ。だからどうか納得してほしいんだ」

 

プロデューサーが頭を下げるが、彼に同情しているのは

加蓮や卯月だけで他の皆はむしろ怒りのボルテージが上がっていた。

 

「前にまゆが委員会を作って俺を監視したことがあったよな? 

 今思うとあれがベストな方法だったんだよ。

 俺が脱走さえしなければみんなと一緒に暮らせてたいんだ。

 そういうわけだから、俺はもう脱走しないよ」

 

「今さら脱走しないと言われましても」

 

まゆが腕組しながら言う。

 

「今まであれだけアイドル達の愛から逃げ続けたご自分が

 それを言ったところで説得力があるわけないじゃないですか。

 たぶんプロデューサーさんはこう考えているんですよね。

 いつかきっと肇ちゃんが助けに来てくれるはずだ。

 それまでこいつらを適当に口説いて騙しておけばいい」

 

「この世界では俺は肇と連絡すら取ってないぞ!!

 ほら俺の携帯を渡すよ。俺は誰とも連絡を取ってないのが

 分かるだろ!! 今日は会社で何も仕事をしてない。

 千川の奴とくだらない口喧嘩して辞めただけだ!!」

 

「……どうせ、まゆ達のことは何とも思ってないくせに」

 

「なに?」

 

「プロデューサーさんは言いましたよね!!

 藤原肇のことだけが大切で他のアイドルはどうでもいいって!!

 なのに突然重婚したいって言いだすなんて

 何か裏があるとしか思えないんですよ!!」

 

「違うぞ。俺はたくさんいるアイドルの中から彼女のことを選んだに過ぎない。

 だけどそれが原因でまた殺し合いになるくらいなら

 いっそみんなを囲っちまうって思ったんだ。最低なのはわかってるがな」

 

「私達のことが嫌いなら、そうだとはっきり言いなさいよ!!」

 

「嫌いなんかじゃないよ。俺を信用しろ。

 君達は確かにちょっと行動が過激になることもあるけど、

 ただちょっと感情的になり過ぎなところがあるんだ。これからは

 色々と話し合って暮らしていけばもう迷うこともなくなってくるんじゃないか」

 

「誰かが書いた脚本じゃあるまいし、そんな都合のよい未来なんてあるんでしょうか」

 

「そうかもしれないな。未来を否定するのは簡単だ。

 だが必要なのは前に踏み出す勇気だ。

 過去は変えられないが、未来の自分達を変えることはできる。

 やる前から諦めるのは絶対によくないことだ」

 

プロデューサーはまゆに両手を差し出した。

 

「これはなんのつもりですか?」

 

「俺の脱走を防止するために手錠をしろ」

 

「……」

 

「どうした? 手だけじゃ不安なら足にもするか?

 いっそ足を切り落としてくれても構わないぞ。

 足がなくなってもお前達が生活の面倒を見てくれるんだろうからな」

 

まゆはカッとなってプロデューサーをひっぱたいた。

 

「このバカ!! 浮気者!! 大馬鹿!!」

 

二度三度と彼の頬っぺたを叩く。

さらに蹴りを入れてプロデューサーを転ばせた。

 

「大人ぶってカッコつけたこと言って!!

 何が俺に手錠をしろよ!?

 まゆ達を裏切ってバルサンで殺したくせに!!

 あの臭い液体でまず目が焼かれて、どんどん息ができなくなってきて、

 じわじわと殺されるのがどれだけ苦しいか知ってるんですか!!

 あんなひどいことしておいて、何が自分を信用しろよ!! ふざけないで!!」

 

まゆが蹴りを入れ続けるのを加蓮が止めた。

 

美優はボロボロになったプロデューサーを

労わりながらも耳元でこう言った。

 

「別に手錠なんかしなくても一生ここから逃がしませんよ」

 

プロデューサーは久々に背筋が凍り付くが表情には出さないようにした。

 

卯月が楽しそうに言う。

 

「確かに私達がしっかりと管理してあげれば彼は逃げられませんね。

 物理的にね。プロデューサーさんが自分から脱走しがたらないのは

 今回が初めてなわけだし、試してみるのも悪くないかも」

 

響子が言う。

 

「あっ、だったらプロデューサーが脱走しようとした場合の

 罰則を考えておいたら抑止力になると思うんだ。

 例えば私達を裏切ったら片足を麻酔無しで切断するとか☆」

 

まゆは真顔で「その程度のお仕置きでは彼は凝りませんよ」と言い切った。

 

「俺は今日からニートになるぞ!!」

 

プロデューサーが吠えるが、他の皆は白けていた。美波が言う。

 

「ニートも何も、あなたに外出されると困るので働かなくていいですよ」

 

「そうじゃない。俺はもう就労意欲さえ失せてしまったんだ!!

 かといってもお前達も俺をいつまでもここで飼うのもいつかは飽きてくるだろ。

 それまで俺はここでおとなしく暮らすってことを言ってるんだよ」

 

「……? プロデューサーさんは死ぬまで私達と一緒に暮らす

 覚悟で重婚するって言ったわけですよね。

 それなのに飽きるって言ってる意味が分かりませんけど」

 

「いや、男女の関係なんだからいつかは飽きるだろ」

 

「飽きませんよ」

 

「飽きるんだよ」

 

「いいえ。私はずっとプロデューサーさんのことを愛してます」

 

「ふん。19歳の娘には分からないか」

 

「プロデューサーさんだって未婚者なのに知ったような口を聞いてますよ」

 

「……悪かったな。それより一つやっておきたいことがあるんだ。

 みんな、今から俺が言うことをちゃんと聞いてほしい」

 

プロデューサーはとんでもないことを言い始めた。

 

ここにいる全員と事実上の結婚をするために婚約指輪を用意する。

自分が今までに貯めた現金330万円と、

運用していた株などの有価証券570万(時価)を

売却してお金を確保する。

 

全力度を示すためにそのお金を全部使いきると言うのだ。

そしてこのマンションで一人ずつ指輪を渡して仮の結婚をする。

艦これの「ケッコン(仮)」システムを真似したのだ。

 

アイドル間で数日にわたる激論が交わされた末にその案は承諾され、

全員に指輪が行き渡る頃には、不思議と喧嘩が減っていった。

 

仮の関係とは言え、彼に真剣な顔でプロポーズされたことで

気持ちが舞い上がっていたことは確かだった。

 

しかし彼はここで致命的なミスをしていることに気が付かなかった。

藤原肇には指輪を渡してなかったのである。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

肇が怒る。

ちーっすw


肇は久しぶりに東京の事務所へと戻り、そしてプロデューサーが

すでに退職してアイドル達と暮らしいてることを知り激怒した。

 

社長やちひろの制止も無視してプロデューサーのいる

マンションへ駆け込み、プロデューサーを問い詰める。

 

「すまなかった。肇!! 別に忘れていたわけじゃないんだ。

 今回は肇はまだ東京に戻ってなかったから指輪を渡す

 タイミングがなかっただけなんだ。……本当だぞ?」

 

「ええ……ええ。よく分かってますよ。

 プロデューサーさんがまさか私を捨てて他の女どもと

 ここで楽しく暮らすなんて甘い考えを持ってるわけありませんから」

 

「はは……いや、それに関しても今から説明するから話を」

 

「プロデューサーさんは私だけを愛してくれるって

 前回の世界で誓ってくれました……」

 

「まあまあ落ち着いて聞いてくれ。ああ。そうだ。確かにそう言ったけどさ。

 今回は状況が変わったんだ。お、おれは色々と考えた末に

 この結論にたどり着いて肇だけを愛するわけにはいかなくなってしまった……。

 ここに居る皆は俺の妻なわけで……」

 

「それってつまり浮気ですよね!!」

 

「浮気……? というかまあ……なんて言ったらいいのか分からないが、

 なんていうか事実上の結婚ってやつだよ。だってそうだろ!?

 いっそ皆と結婚して仲良く暮らした方が良いじゃないか!!

 肇だっていつまでも殺し合うのは疲れただろ? そうに違いない。

 何なことを続けて怖いし痛いし苦しいし、争いを続けても何も生まれないんだ」

 

「あなたって本当に嘘つきです!! 

 どうしていつもいつも……。いつも私を騙すんですか!!

 私のことは結局は遊びだったってことね。

 今まで言ってくれた言葉も全部嘘だった。そうなんですよね!!」

 

「違うよ。断じて違うんだ。肇……頼むよ。

 お願いだから俺の話を最後まで聞いてくれ」

 

激しい口論の末に肇は泣きながらマンションを出て行ってしまった。

まずいことになったとプロデューサーは思ったが、まゆや響子は

「変な女と縁が切れて良かったじゃないですか」と涼しい顔だ。

 

美優はニヤニヤし、美波はお腹を抱えて爆笑していた。

彼女達にとっては他人事かもしれないがプロデューサーは必至だ。

 

プロデューサーは特に美波の態度に本気で腹が立ったので

怒鳴りたくなったが、自分の髪の毛をわしゃわしゃしながら耐え抜いた。

 

(くそくそっ……俺は確かに営業マンとしては無能だったが、

 アイドルとのコミュニケーションだけは完璧だったつもりだ。

 なのに職を失ってからアイドルと人間関係でもめてばかりだ。

 あの時の皆は、こんな風に人の不幸を見て笑ってるような

 人間じゃなかったはずなのに……くそっ!! 全部俺が悪いのかよ!!)

 

 

その日の夜、プロデューサーの携帯に着信があった。

彼の携帯はまゆが管理している。

肇からの電話だったので3秒以内に電源を切った。

 

その10分後、肇がマンションへ押しかけて来た。

 

まゆや響子が彼女を中に入れないようにイスやテーブルで

玄関にバリケードを築くが、肇の怪力によって破壊されてしまう。

まゆ達は恐怖で失禁寸前となり、そのまま道を譲った。

 

肇は愛するプロデューサーに抱き着いた。

 

「プロデューサーさぁん!!」

 

「は、肇ちゃん……こんな時間にどうしたんだ?」

 

「さっきのことを謝ろうと思って会いにに来ちゃったんです。

 あの時は感情的になってしまって、

 酷いことをたくさん言っちゃってごめんなさい」

 

「いやいや謝らないでくれ。君は何も悪くない!!」

 

「あれから冷静になって色々と考えたんですけど、

 やっぱり私もプロデューサーさんのハーレムに入りたいんです」

 

「ほ、本当か?」

 

「はい。あなたに二度と会えなくなるかもしれない辛さに比べたら

 ずっと一緒に居られるこの暮らしの方が良いと思いました」

 

「ありがとう。肇……。無理なことを言ってるのに本当にありがとな」

 

ふたりが熱い口づけをしたものだから、周囲のアイドル達は

舌打ちをしたり壁に拳を突き立てたりと殺気立っていた。

 

特に一番やばいのは美波さんだった。

嫉妬のあまり顔の作りにまで影響が出てしまい、深海魚の一種に変化していた。

 

肇は自分が宇宙空間で酸素欠乏に陥るほどの恐怖を感じたので

こいつらに念を押すことにした。

 

「あのー皆さん? 今日から私も皆さんの仲間なんですから

 あとで闇討ちとかしないでくださいよ。仮にそんなことしたら

 プロデューサーさんに嫌われるってことは分かってますよね?」

 

アイドル達は、返事すらしなかった。空気がものすごく悪い。

 

肇はそれでも誰かが話し出すことを期待していたが、

皆は明後日の方を見たり携帯をいじっているので視線がまず合わない。

肇はそれ以上は何も言わないことにし、乙女の顔でプロデューサーと向き合った。

 

「プロデューサーさん、私にも指輪をください」

 

「あ? 指輪、お、おう……そっか。指輪かぁ……」

 

「明日の日中にでも買いに行きましょうか。何時に出ますか?」

 

「むーりー……」

 

「はい?」

 

「すまんが無理なんだ。実はまゆや加蓮達に指輪をプレゼントするのに

 全財産を使い果たしちまってな。今はたぶん預金が500円くらいしか残ってない」

 

「……」

 

「す、すまん!! あの時は俺も気が動転してたから肇ちゃんの分を

 買うってことが頭になかったんだ!! みんなに気を利かせるために

 つい80万近い指輪を何本も買っちまった!!」

 

「面白い冗談ですね。久しぶりに笑っちゃいましたよ。

 本当の婚約者なのに私の分の指輪だけないとか……

 面白くて笑っちゃいますよ。ねえ?」

 

「金なら何とか用意する!! 

 今すぐには無理だが、来月中にでも君の分の指輪を!!」

 

「……そこまでして用意してくださらなくてもいいですよ。

 プロデューサーさんにとって私の存在は、少し会えなくなると

 忘れちゃうくらいの、そんなどうでもいい存在のようですから」

 

「違うんだ!! 本当に違うんだよ!! 信じてくれ!!」

 

まゆが噴き出し、美波がまたお腹を抱えて笑い出した。

あの優しい美優も満面の笑みで肇を見下している。

響子は気分が良くて鼻歌交じりにキッチンでお菓子を作っている。

 

「なあ他の皆も見てないで何とか言ってくれよ!!」

 

静寂。

 

まゆは口元を抑えながらうつむき、失笑しているし、

加蓮は冷たい顔でネイルの手入れをしている。

美波は雑誌を読むふりをしていた。

 

智絵理は響子のお菓子作りを手伝いに行くが、

邪魔しないで拒否され軽く口論に発展した。

島村さんは自分の長い髪を触りながらスマホをいじっていた。

 

「おい美波!!」

 

「……」

 

 

「無視か? 聞けよ美波!!」

 

「え? 私ですか?」

 

「ちょっと大切な話があるから聞いてくれ。

 女子大生にこんなこと頼むのは人として間違ってるとは思うが……

 すまないが少しだけお金を貸してくれないだろうか」

 

「まさかあなたにお金のことで頼られるとは思いませんでした。

 確かに私は貯金がそれなりにありますけど、

 そんなふざけた理由で使うならお金を分けてあげることはできません」

 

「な……」

 

「それにその調子で奥さんを増やすつもりなら、

 これからも無制限に奥さん候補が増えることになりませんか? 

 今ここに居るメンバーだけでハーレムはいったん打ち切りにしましょうよ」

 

「いいですね。まゆも賛成でーすぅ」

 

まゆが地獄の笑みを浮かべながら続けた。

 

「今回の世界では藤原さんは私達の夫とは縁がなかったってことで

 諦めてくださいねぇ。大丈夫。たぶん今回がダメだったとしても

 次がありますよ。もっとも、次の世界があればの話ですが(笑)」

 

智絵理や美優も賛同し、肇に味方などいなかった。

完全なるいじめなのだが、そもそもプロデューサーから本気で求婚されていた

肇に対する嫉妬を考えれば当然の成り行きとも言えた。

 

「おいおい……なんでそんなこと言うんだ……。

 お前達だって仕事してる時は同じ事務所の仲間だったじゃないか。

 皆は事務所で会うたびに笑顔で挨拶を交わしていたじゃないか!!」

 

「あんなの演技に決まってるじゃないですか」

 

と島村さんが言う。彼女が言うと不思議と説得力があった。

 

「それより、そこの人には帰ってもらうのはどうでしょうか。

 このマンションはプロデューサーと結婚した人だけの

 住まいなわけですし、いつまでもここに居られたら迷惑なんですよ」

 

「卯月!! 俺はな。そんなことをしたって何の解決にも

 ならないからお前達に頭を下げて頼んでいるんだぞ!!」

 

「ぶっちゃけ肇ちゃんの顔は二度と見たくありませんから」

 

「なんだと!!」

 

「たぶん他の皆も同じだと思います。ねえ皆はどうなの?」

 

その問いにも答える者はいなかったが、雰囲気だけで肯定された気がした。

 

肇は怒りのあまり顔が真っ赤になって震えていた。

この調子ではまた怒りに任せて暴れかねない。

 

(やばいぞ……これじゃ前回の世界から大して進歩してないじゃないか。

 くそくそくそっ……考えろ。何か策はないのか。考えるんだ)

 

肇は無言で立ち上がり、嗚咽しながら玄関へと向かった。

多勢に無勢。どうせ反論しても無駄なのだと諦めたのは

状況判断力に優れる彼女らしい聡明さだが……。

 

(ここで肇を逃がしてしまったらエンドレスエイトの続きになってしまう。

 永遠に続く争い……。終わらないワルツ。エンドレスワルツか。

 今時このネタを知ってる読者っているんだろうか)

 

プロデューサーは立ち上がろうとしたが

 

「動くと切ります」

 

響子が冷たい切っ先を彼の首筋に当てていた。

彼女自慢の良く研がれた包丁だ。

 

プロデューサーは恐怖と怒りで頭の中がぐるぐると周り、

去っていく肇の背中を見つめるだけとなってしまった。

 

(ちくしょう……) もう涙さえ枯れた。

 

その日の夜。深夜の1時過ぎにようやく島村卯月が寝てくれた。

仮の結婚をしてから日替わりで妻の相手をするのが

彼の義務となっていたのですること自体に抵抗はない。

 

行為の最中に裸の卯月を見ても心から興奮することはなく、

頭の中にあるのは肇ちゃんの事だけだった。

 

プロデューサーはアイドル達にいまだに信じてもらえてないが、

皆のことを本当に大切に思う気持ちに偽りはない。

 

だからこそ彼女達には普通の女の子としての人生を歩んでほしい。

別にアイドルを続けなくても幸せならどこにでも見つかる。

 

この関係がしばらく続くことで彼女達に元人間らしい感情が戻り、

やがて自分に飽きてしまって関係が破綻するならそれこそが最高だ。

自分よりも魅力のある男なんて日本中にたくさんいるのだろうから。

 

 

しかし状況が変わったのだ。

 

(脱走するか)

 

肇の取り乱した様子をどうしても忘れることができなかった。

ここに居るアイドル達が良い思いをしても肇だけは仲間外れ。

そんな未来に希望なんてあるわけがないと思ってしまった。

 

この寝室にはプロデューサーと卯月しかいない。

他のアイドルは別の部屋で寝ているはずだ。

 

まず寝室のドアを開け、廊下に出る。玄関まで差し足で近づくが

なんというか、例によって警報が鳴り響いた。プロデューサーは馬鹿なので

廊下の足元に赤外線センサーが張られていることを予想してなかったのだ。

 

意識のはっきりしたまゆが部屋から飛び出てきた。

 

続いて眠そうな響子、加蓮、美波。

他の子達は眠りが深いのか、大音量で鳴り響く警報音にも

関わらず部屋から出てこない。あるいは無視しているのか。

 

まゆがプロデューサーの腕を折れるくらいにつかんで口を開いた。

 

「そこで何をしているのか説明してください」

 

「トイレに」

 

「トイレはそっちとは逆方向ですよね。

 ふざけてるなら本気で怒りますよ」

 

プロデューサーは悟りきった顔でこう言った。

 

「ちょっと肇ちゃんに今日のことを謝ろうと思ってさ」

 

「それが脱走する理由になるんでしょうか」

 

「……」

 

「今勝手に玄関から外に出ようとしましたよね?

 プロデューサーさんは私達の許可なく外出することは禁止だと

 皆で約束したはずですよねぇ。それなのに

 プロデューサーさんったら私達をまた騙そうとしましたね」

 

「肇にだけ指輪をあげなかったのは不公平だったと思う。

 だからどうしても指輪をプレゼントしてあげたいんだ。

 頼む。俺は君達を裏切ろうとしてるわけじゃないんだ」

 

「どの口がそれを言うんですか!!

 今さっき、勝手に外に出ようとしてましたよね!!

 まゆ達に内緒で黙って勝手に!! いったいどういうことですか!!」

 

「……」

 

「何回も何回も同じことを繰り返して私達を怒らせて楽しいですか!!

 プロデューサーさんには学習能力がないんですか!?

 今回はあなたの方から結婚しようと言ってきたのにそれを簡単に

 裏切るってどういうことなんですか!! それとも何か壮大な計画が?

 でしたらおバカなまゆにも分かるように教えてくださいね!!」

 

「今回は俺のミスなんだよ!!

 本当は肇ちゃんも仲間に加えてハッピーエンドにしたかった!!

 嘘じゃなくて本当だ!! なのに俺の手違いで彼女だけ

 仲間外れみたいにしてしまって後悔してるんだよ!!

 せめて彼女に指輪だけ渡してあげるのはダメなのか!!」

 

「それはダメだって今日のお昼に話し合って結論が出たじゃないですか!!」

 

「結論だって? 俺は全然納得してないぞ!!

 響子に包丁でハンター×ハンターごっこをされたから

 おとなしくしたがっただけだ!! あんなの反則だろ!!」

 

「そんなに藤原さんのことが好きなんですか!!

 どうしようもないくらいに愛してるんですか!!」

 

「愛してるよ!! これが俺の気持ちだ。悪いか!!」

 

「ふーふー。まったくもう……どうしてあなたって人はこんなにも

 聞き分けが悪いんですか……イライラします……。

 すっごくイライラしてしまって頭が沸騰してしまって、

 おかしくなりそうです……!!」

 

まゆが息を荒くし、鬼の形相で地団太と踏んでいると

笑顔の響子がそっと彼女の肩を叩きながらこう言った。

 

「これ以上余計なエネルギーを使う必要ないよ。

 やっぱり私達の旦那の両手両足を切断するしかないってことだよ」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

響子を本気で怒らせたらどうなるのか?

やばいじゃん(;'∀')


まゆと響子は小声で彼の手足を切断するための

効率的な方法を話し合い始めた。まるでコンビニの

新作のスイーツについて語り合うかのようなノリだ。

 

彼女達の頭の中では、もうプロデューサーなど信用するに値せず、

いかにして彼の自由を奪い精神的に屈服させるかという

サドな欲望で支配されていた。

 

まゆと響子はすでに彼の妻であり、

彼の私生活を今後も全て管理したいと願うことで完全に一致していた。

 

美波だけはその話に加わらず「眠いからもう戻るね。

プロデューサーの処罰が決まったら明日にでも教えてね」

とあくびをする。完全に他人事だ。

 

それは美波も彼をダルマにすることに異論がないことを意味していた。

 

「お、おい。美波……」

 

美波は無視した。

 

実はヒステリーなところを彼に見せたくなくて

怒鳴るのを必死にこらえていたのだが。

彼女もまた自分達を裏切ろうとしたプロデューサーに対し

殺意にも近い怒りを感じていたのだ。

 

まゆは腕組みしながらプロデューサーに話しかけた。

 

「とりあえずプロデューサーさんは寝てください。

 卯月ちゃんの居る寝室に戻りましょうね」

 

「あ、ああ」

 

「今夜だけはベッドに身体を縛り付けますけど、

 もし文句などあったら早めにお願いします」

 

「何も言いたいことはありません……」

 

「そうですか。それはよかったです。

 ではベルトを使って拘束しますのでこちらへどうぞ」

 

「はい。お手数をおかけしてすみません」

 

プロデューサーは縄でぐるぐる巻きにされて

古代エジプトの墓に眠るミイラのようになってしまい、

その上でさらに拘束具のベルトでベッドに縛り付けられた。

 

これではさすがに物理的手段で逃げることは不可能であり、

そしてこのような非人道的な扱いをされることで

プロデューサーの心がまゆ達から離れてしまう矛盾が生じた。

 

束縛するほど男の心は逃げる。

彼女達だってバカじゃないのだからそれは理解している。

しかし人間は判断を間違える生き物だ。

頭で理解しているのと感情で落とし込むのは違う。

 

「朝までまだ4時間もありますから、途中でトイレに行きたくなったら

 そのまま漏らしちゃって構いませんよ。あとでまゆ達が

 ちゃんと掃除してあげますから。あっ、それより睡眠薬を

 飲んだ方がすっきり眠れますよね。今用意しますから待っててくださいね」

 

彼はクロロホルムを染み込ませたハンカチを鼻に当てられ、

そのままあっさりと気絶した。隣にいる卯月ちゃんは

これだけの修羅場なのに一度も起きることなく

ぐっすり寝ていたのだから大物だった。

 

 

その翌朝。

 

プロデューサーの脱走未遂の件で緊急会議が開かれた。

 

今回ばかりは結婚してからの裏切りとなるので完全なる浮気と見なされ、

多くの妻を失望させる結果となった。

 

美優が可愛らしく首をかしげながら提案した。

 

「少し……依存症の有る薬を投与するのはどうかしら。

 例えば覚せい剤とかじゃなくてカフェインを大量に摂取するタイプの、

 スタドリに近い飲み物を少しづつ飲ませてあげて、

 やがてそれを飲まないと取り乱しちゃうように調教してから

 私達に依存させるのはどう?」

 

美波がそれに反対する。

 

「薬物系の依存って実際は個人差もあるわけで、

 どんな後遺症があるかも本当のところは分からないのよ。

 そんな危険な実験を私達の旦那にするわけにいかないわ」

 

「だったら美波ちゃんには代案はあるの?」

 

「私だったら食事抜きにして衰弱死寸前まで追い詰めるのを繰り返して

 完全に心を折る方が良いと思う。お金もかからないし方法も簡単。

 人間は食事よりも水分や睡眠ををとならない方が早死にするリスクがあるので

 生命が危機的反応を示すの。その状態を何度も繰り返して

 今回のことをしっかりと反省してもらう方が彼のためだと思うんだけど」

 

加蓮が重苦しい顔で手を挙げる。

 

「餓死寸前に追い込むのってさ、美波さんが思ってる以上に辛いことだよ。

 あたしはみんなと違って重い病気で苦しんだ事があるからそういのは嫌だな。

 確かにプロデューサーさんがしたことは私達に対する裏切りだった。

 それでもあたしはプロデューサーさんを許してあげたいんだ」

 

「はぁー? なにあんた。まさかお仕置き無しだなんて言うつもりなの?」

 

「美波さんや他の皆もちょっと気が動転して冷静さを失ってるよ。

 少し落ち着いて、プロデューサーさんの考えを尊重してあげようよ。

 肇ちゃんをどうしても妻の一人に迎えたいって言うなら

 あたしはそれでも構わないって思ってる」

 

「なんであんたはこんな時までイチイチ反論するかな!!

 私のことがそんなに気に食わないの?」

 

「だから落ち着いてってば。

 別に美波さんにだけ反対してるわけじゃないよ。

 私はここにいる皆に対して言ってるんだよ」

 

加蓮は涙目になりながら床に裸で転がされているプロデューサーを見つめた。

彼は目隠しをされ、後ろ手に手錠をされた状態でリビングの中央にいる。

かつての優しくて頼りがいのあった彼の姿はそこにはもうない。

加蓮にはそれがただ哀しかった。

 

卯月は昨夜プロデューサーに裏切られたことを知って

少しだけ気がおかしくなり、プロデューサーの隣に

子犬のように寝そべって彼の乳首や首筋をぺろぺろと舐めていた。

彼女もまた全裸だが目つきが尋常ではないので誰も突っ込まなかった。

 

「加蓮ちゃん。

 プロデューサーさんに制裁することはすでに決定事項です。

 問題は制裁内容をどうするかです。これ以上輪を乱そうとする

 発言をするならあなたにもお仕置きをしますよ」

 

こう言ったのはまゆだけではなく響子だった。

そこには結婚したいアイドルナンバーワンの面影はなく、

血に飢えた獣の目つきをしており、さすがの加蓮も震えた。

 

「うふふ。あるいはまゆ達が話し合いを続けるよりも、

 彼に直接聞いてみた方が早いかもしれませんねぇ」

 

まゆは卯月の横に座り、プロデューサーのしなびている

アソコを強く握り、上下に動かし始めた。

 

皆があ然とするなら、まゆは機械的な動きで刺激し続け、

5分としないうちにプロデューサーは絶頂に達してしまう。

まゆは自分の手についた白い液体をいやらしい顔で舐めとりながら、

今度はプロデューサーにお腹にまたがって顔を近づけ、彼の目隠しを取った。

 

「話はちゃんと聞いてましたよね?

 プロデューサーさんは手足を切断されるのと

 お薬漬けとお食事抜きにされるのではどれが一番お好きですか?」

 

「……もう殺してくれ」

 

「ちゃんと質問に答えてくださいねぇ」

 

「死にたいんだ」

 

「勝手に死なれては困りますよ。

 ちなみに今回は舌を噛み切ろうとしても無駄ですからね。

 筋弛緩剤のおかげで全身の筋力を奪ってますから。

 それでもエッチなことには反応しちゃうんですから

 人間の身体って不思議ですよね。うふ♡」

 

「俺は最初から芸能事務所なんかに入らなければ良かったんだ。

 俺と関わらなければ君達も道を踏み外すこともなかっただろう」

 

「まゆはプロデューサーさんと出会えてすごく幸せですよ。

 だって運命の赤い糸で結ばれてるからこそ、

 こうして何度死んでも人生をやり直せるってことですよね」

 

「こんな人生なんて俺は嫌だよ。どうか死なせてくれないか」

 

「楽しい時間はまだまだこれからですよ。

 せっかく結婚できたのですから新婚生活を楽しみましょうよ。

 あとそろそろムカついてきたので次に死にたいって

 言ったらお仕置きしますね」

 

「……何の話をしていたんだっけ」

 

「あなたのお仕置きの件ですよ」

 

卯月が正気を失った瞳で「私の夫に変なことしちゃだめですよ~」と

言いながら彼にしがみついた。まゆが美優に目配せすると、

美優がそっと卯月の脇を持って離れさせた。

 

卯月が「なにするのよぉ!!」と暴れ出したので美波が容赦のない腹パンを

食らわせて気絶させた。卯月嬢は白目で口から泡を吹いている。

 

「あの、プロデューサーさん」

 

美優が沈んだ声で言う。

 

「昨夜のことは本当にショックで怒るよりも泣きそうになりました。

 私はもう絶対にあなたの言葉を信用しないって心に決めました。

 ですからおとなしくお仕置きを受けて欲しいんです」

 

「美優……俺の事が好きなんだろ?

 だったらこいつらを何とか説得しろ」

 

「すみません。あなたが何言ってるのか理解できません。

 何度も女心を踏みにじっちゃう人には、やっぱりきつめの

 お仕置きをしておかないといけないと思うんです」

 

美優はここで美波の案に賛成した。

どうせ彼を苦しめるなら、檻の中にでも閉じ込めてじわじわと

飢えさせた方が精神的な苦痛が大きいと判断したからだ。

 

美優は今の会話で彼が少しでも美優に謝ってくれることを

期待していたのだ。それなのに彼はまたしても美優に高圧的な態度を

取ってきた。それに美優以外の女を見下しているようにも感じられた。

 

まゆはびくびくと脅えている彼が無性に愛おしくなって

何度も唇にキスをしていた。彼は乾ききった口の中を

まゆの舌が自由に動き回るのをただじっと耐えていた。

 

「ちょっとまゆちゃん。いつまでキスしてるの」

 

響子が低い声で言う。

 

「うふ。ごめんね。抵抗できない彼を見ていると

 つい体が熱くなってきちゃって。

 彼の身体って近くで見るとけっこう筋肉質でセクシーなのよ」

 

「彼と寝るのは当番性だって決めたのまゆちゃんでしょ。

 今日はまゆちゃんじゃなくて私の番だからその辺にしてね」

 

「はいはい。それはすみませんでしたね。

 響子ちゃんを本気で怒らせたら怖いのでおふざけは終わりにします」

 

まゆがどくと、今度は響子がプロデューサーに添い寝する。

 

「私はプロデューサーさんが軟弱に見せかけて

 実は鋼のメンタルの持ち主なのを知ってますよ。

 あなたは今この瞬間も肇ちゃんのことで頭はいっぱいで、

 どうやって私達を殺して脱走するかを考えてますよね?」

 

「この状態でそんな発想はねえよ」

 

「嘘です……。たとえ専用の器具を使って3時間くらい拷問したと

 してもあなたは心の底から屈服することはないんです。

 私も本音では美優さんと同じです。あなたが私に薬指に左手の指輪を

 はめてくれた時、本当に本当にうれしかったんです。

 それなのに実はあれが遊びだったと知って

 私達がどれだけ心を乱されたか想像つきますか?」

 

「……」

 

「何とか言いなさいよ!!」

 

「ごめん。だけど結果的にそうなってしまっただけだろう。

 俺は別に婚姻関係を解約しようとか、皆を捨ててしまおうとか

 そんなことを想ったことは一度もないんだよ」

 

「藤原肇のことを気にしてるってことはね!!

 私達を裏切ったのと同じことなんですよ!!

 私達全員があの子のことを憎んでるの知ってるくせによく言いますね!!」

 

響子は耳元で怒鳴り続けるが、プロデューサーは彼女の

濁りきった瞳を直視するのが辛くて目を閉じて黙って聞いていた。

 

「う……ちくしょう……なんでこんなっ……」

 

ついには泣き出してしまう。

死んで次の世界に進むこともできず、これから自分の

拷問方法が決まるのを待つだけの状態についに彼の心が耐えられなくなった。

彼はストレスと恐怖のあまりついにその場で失禁してしまう。

 

「ちょっと響子はやり過ぎだよ」

 

と加蓮。

 

「彼が勝手に漏らしたんじゃない。私は悪くないよ」

 

「こんなの、ただのいじめだよ」

 

「いじめじゃないよ。真剣に話し合いをしているだけ」

 

「いじめだよ!!」

 

「いじめじゃない!!」

 

しばらく罵声が飛び交った。

 

美波が床を掃除すると言い出したが、

それは自分がするとまゆが言い張ったので任せた。

美優が彼を綺麗にするためにお風呂場に連れて行く。

 

「しっかり立ってください。補助があれば少しは歩けるでしょ?」

 

「ありがとな。美優。まるで老人になった気分だよ」

 

「そうかもしれませんね。プロデューサーさんがお年寄りになっても

 しっかりと管理させていただきますからね」

 

(絶対にそれはないだろ。早く他に結婚相手見つけろよ美人のくせに)

 

お風呂場で彼の下半身を軽くシャワーで流した後、

美優は彼の唇に吸い付くようにキスをしてきた。

 

(く……こいつ……)

 

1分以上も口をふさがれてしまい、呼吸をする余裕がない。

手錠をされたままなので美優をどかすわけにもいかず、

首を左右に振っても美優に顔をしっかりと掴まれているので逃げ場がない。

 

美優はようやくキスを止めてくれた。

プロデューサーが一気に息を吸い込むと、すぐにまたキスをされた。

 

まさかまたキスをされると思ってなかったのでプロデューサーは

本当に窒息するかと思った。美優が唇を話すと、だらりと透明色の

架け橋ができた。頬を赤らめた美優のあまりの扇情的な姿に

プロデューサーはまた勃起してしまう。

 

彼は美優のことは本能的に好きなのだ。

 

「ちゃんと反応してくれてよかった。

 私のことを女扱いしてないわけじゃないようですね。

 だとしたら、どうしてすぐ裏切るのか理解できませんけど」

 

「おい美優。もう気がすんだだろ。

 早く戻らないとまゆに怒られるぞ」

 

「その呼び方やめてください」

 

「へ?」

 

「美優って呼び捨てにしないで。あなたはどうして

 いつも私に対して上から目線なんですか。

 今あなたは私に対して強く出れる立場なんですか?

 違いますよね。今から私のことは美優様って呼びなさい」

 

(何バカなこと言ってやがる……)

 

むしろ呼び捨てにしてと言い出したのはそっちの方だったじゃないかと

突っ込みたかったが、確かに今は強く出れる立場じゃない。

 

プロデューサーは美優から今までに感じたことのない

強い怒りのオーラを感じた。ここは素直に従うしかないと思った。

 

「……美優様」

 

「よくできました」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

プロデューサーが調教される。

ウマにもいるよね。調教師。


プロデューサーは結局、三日間の食事抜きが宣言された。

 

まずは実験と言うことで彼がどこまで

衰弱するかの観察日記をつけることになった。

日記係に任命されたのは四つ葉のクローバーが好きな緒方智恵理だ。

 

「まゆ達はお仕事の関係で家を空けることが多いから、

 智絵理ちゃんにはここで泊まり込みで観察をしてもらいますねぇ」

 

「まゆちゃん。任せてくれてありがとう。

 私、一生懸命頑張るからね。途中でプロデューサーさんが

 可哀そうになったとしても絶対にご飯を食べさせてあげないから」

 

「うふ。頼もしいわ。じゃあもう行くからね」

 

「うん。お仕事頑張ってね。じゃあね」

 

その日のまゆ、響子はお仕事と称してどこかに

働きに出ていた。すでに346は退職しているが、

はたして芸能関係の仕事なのかモデルなのかは秘密にしていた。

とにかく二人で一緒に働いてるらしい。

 

美波はすでに大学に行った。資格の勉強にも力を入れたいとのことで

あまりプロデューサーの管理に時間をかけたくないそうだ。

ちなみに智絵理を彼の監視係をすることを提案したのは美波だった。

 

加蓮はいつものように高校に通い、

島村さんは気がおかしくなったのでいったん自宅で療養している。

 

美優は食料品の買い出しなど家事全般と雑用を任されていた。

彼女の場合はすぐに再就職先を探すよりも、

マンションでのんびり暮らす方が都合が良かった。

 

出発する前にプロデューサーに声をかける。

 

「私もそろそろ出ないといけませんので。

 私が帰るまで智絵理ちゃんの言うことをよく聞いて過ごしてくださいね」

 

「……」

 

「プロデューサーさん? 聞こえませんでしたか?」

 

「……」

 

「まだ食事を抜いて二日目ですけど、もう話す気力が

 ないってわけじゃないですよね。

 ただ私と話したくないから元気がないふりをしてるんですよね?」

 

「美優様。水を飲ませてください。喉が渇いて死にそうです」

 

「却下します。今から私は書店に行って必要な本を買いに行きます。

 どんな本だと思いますか。拷問の歴史って本を買うんです。

 あとであなたの身体で実践してあげますから楽しみにしててくださいね」

 

「……」

 

「また黙っちゃうんですか。そうですか。

 そちらがその気でしたらお仕置きを……」

 

美優が高圧電流の流れるスタンガンをバッグから出した。

 

「うーうー……いやだいやだいやだ……。もう電流は嫌だぁ……」

 

「はい。そうですよね。

 死なない程度の電流をずっと流されるのは嫌ですよね。

 それでもあなたに裏切られた私達の味わった辛さは

 全然こんなもんじゃないって理解していただけたならうれしいんですけど」

 

プロデューサーは大型のケージの中に閉じ込められていた。

トイレとお風呂以外で外に出されることはなく、両手両足を

縄できつく縛られて横になっているので関節がやばいことになっている。

 

そして水も食糧も与えられず、昨夜は定期的に電流を流されて

睡眠さえ妨害されたのだからすでに極限状態だった。

これがまた明日も続くのかと思うと耐えられず白髪が一気に増えた。

 

「ほらプロデューサーさん。

 私に行ってらっしゃいの挨拶をするために足を舐めなさい」

 

「え……」

 

「足を舐めなさいって言ったのよ」

 

「はい…。…美優さん」

 

「さん?」

 

「すみません。美優様!!」

 

美優は自ら差し出した右足の先をぺろぺろと舐める彼の姿を見て

高揚していた。彼を支配することがこんなにも楽しいのなら、

なぜもっと早くしなかったのか。プロデューサーが犬のように

美優の足を必死に舐めるので「少しくすぐったいわ」と美優が笑った。

 

智絵理はその様子をつまらなそうに見ていた。

元々美優と仲が悪いのだ。

 

「美優さん。まだ続くんですかそれ?」

 

「……ごめんなさいね。見苦しかったかしら。もう満足したから行くわ」

 

「できるだけ長めに買い物してきていいですからね」

 

「? 私は早めに戻ろうと思っていたんだけど。

 だって智絵理ちゃんがしっかり彼のことを管理できるか心配だもの」

 

「私の管理能力がそんなに不安ですか」

 

「あらごめんね。つい本音が(笑)」

 

「余計なこと考えてないで早く買い物に行けば? オバサン!!」

 

「……何か言った?」

 

「もうすぐ行き遅れのくせに!!」

 

「言ったわね……今は抑えてあげるわ。

 帰ったらちゃんとお話ししましょうか」

 

美優が乱暴な足取りで玄関から出て行った。

 

当たり前のことだが、アイドル達とまとめて結婚したところで

妻の間での不仲が解消されるわけもなく、女同士の争いを

目の前で見せられるたびにプロデューサーの精神の消耗を加速させるのだった。

 

智絵理はダイニングのイスを蹴飛ばした後、

冷蔵庫から牛乳パックを取り出した。

パックに直接口をつけ、なんと半分も飲み干してしまった。

 

「ストレス解消にプロデューサーさんをいじめちゃおうかな」

 

もうすぐ10時を過ぎるところだった。

智絵理はコンビニで買って来たクッキーやチョコなどのお菓子を

並べてあえてプロデューサーの見てる前で美味しそうに食べた。

 

「あーおいしーなぁ。あとでかな子にケーキの作り方でも教わろうかな。

 もちろんプロデューサーさんには食べさせてあげませんからね。

 あっ、プロデューサーさんって甘いもの好きでしたよね。

 このクッキー甘くて美味しいです。でも絶対に食べさせてあげませんよ」

 

「……」

 

「どうですかプロデューサーさん。そろそろ食べたくてしょうがなく

 なってきたでしょう。それに水も一滴も飲んでないから体中の

 血液がドロドロになっちゃってますよね。かわいそう……。

 でもプロデューサーさんが悪いんですよね。私達は何も悪いこと

 してないんですよ。だってこれは皆で話し合って決めたお仕置きなんですから」

 

「……」

 

「口数が少ないとつまらないです。何か話してくださいよ」

 

「」

 

「俺は早く死にたいだけだ……」

 

「また死ぬ話ですか。最近はその話意外に話題がありませんよね」

 

「おまえらがそうさせたんだろうが」

 

「違います。プロデューサーさんが悪いんです」

 

「もう話しかけてこないでくれ。話すだけでも結構エネルギーを使うんだ」

 

「えー。でも新婚なのに会話がないってさみしいですよ」

 

「これのどこが新婚だ……こんな結婚の形があるものかよ」

 

「私だけを愛してくれるって誓うのなら檻から出してあげてもいいんですけどね」

 

「……意味ねえな。それは最終的に墓穴を掘るだけだ」

 

「そうかもしれませんね。

 でもみんなも私と同じようなことを考えてると思いますよ。

 プロデューサーさんは重婚だなんて夢見すぎですよ」

 

「智絵理は俺のことが憎いのか」

 

「はい。殺しちゃいたいくらい憎いですよ。それと同じくらいに

 愛してます。プロデューサーさんのことを考えると不思議な感情が

 宿るんです。言葉で表現するのは難しいですね。

 いっそ誰にも渡したくないからここで殺しちゃいたいって思うこともありますよ。

 だってあなたが死ねば他の泥棒猫に奪われる心配がなくなります」

 

「……ふざけんじゃねえ。だったら殺せよ」

 

「ここではプロデューサーさんを死ぬ寸前まで

 追い詰めることがルールとなってます。

 殺しちゃったら私がルール違反で殺されちゃうんですよ」

 

「……」

 

「自分が大切に育てたアイドルに自由を奪われて、

 生殺与奪の権利も握られて、今どんな気分なんですか?」

 

「……」

 

「プロデューサーさん? いきなり静かになるのは

 やめてくださいって言ったはずですよ」

 

「……」

 

「おーい。プロデューサーさ~ん」

 

「……」

 

「私と会話しないことで少しでも抵抗するつもりだとしたら

 良い度胸ですね。そんな悪い人にはお仕置きが待ってますよ~」

 

天使のように微笑む智絵理ちゃんは、ガスバーナーを持ってきた。

スプレー缶と一体になっており、噴出口から炎が出るタイプの

極めて危険なものであり、絶対に人に向けて噴射してはいけない。

 

「私は美優さんみたいなオバサンと違って優しいので

 最後に猶予を与えてあげます。さあプロデューサーさん。

 さっき私と会話をしなかったことを土下座して謝ってくれますか」

 

「……」

 

これでも返事をしないのだから大したものだった。

 

智絵理はさらに彼を屈服させるために、肌が炎で焼かれた際の

傷口の化膿の仕方を詳細に説明したのだが、それでも彼は

口を開かず、目を閉じ、智絵理との接触を避けていた。

 

そしてその態度が智絵理のすでに限界まで

傷つけられた心をさらにえぐるのだった。

智絵理に対する精神的な攻撃としては確かに上等の手段だ。

 

その対価として拷問されることになるのだが。

 

「プロデューサーさ~~ん。あなたはこれから私達に

 私生活を管理させるんですから、もう自分の手は

 必要ありませんよね。まず右手の指から順番に

 バーナーであぶってあげましょうね」

 

智絵理が檻越しにバーナーを近づけると、

プロデューサーはその反対側へと逃げた。

 

智絵理がまたプロデューサーの方に移動すると、

今度もまたプロデューサーがその反対側へと逃げる。

檻の中で追いかけっこをしているようだった。

 

「衰弱してる割には逃げ足が速いんですね。

 だったらもう逃げられないように熱湯でも掛けてあげますね」

 

智絵理は95度まで沸騰している電気ポットをためらないなく

持ってこようとしたので、プロデューサーは涙を流しながら

口を開くことにした。

 

「智絵理。ごめん……」

 

「あっ、プロデューサーさん。ちゃんと話せるようになったんですね」

 

「無視したりしてすみませんでした。俺は人間として最低のことを

 したと思っています。どうか拷問だけは勘弁してください」

 

「ちゃんと自分がしたことが悪いことだったって気づけたんですね。

 偉いですよプロデューサーさん。私はちゃんと謝れる人にまで

 お仕置きはしないので安心してください」

 

「はい。ありがとうございます」

 

「ふふっ……くくくっ……プロデューサーさんの顔、すごく

 面白くて笑っちゃいます。本当は私に拷問されるのが

 怖い癖に強がっちゃって可愛いです。

 もう二度と私に逆らわないって誓ってくださいね」

 

「はい。誓います。すみませんでした」

 

「もうすぐお昼の時間なので私はご飯を作ってきます。

 プロデューサーさんはここでおとなしくしてるんですよ?」

 

「はい」

 

「少しだけなら、プロデューサーさんにもおかずを分けて

 上げてもいいんですよ」

 

「ほ、本当ですか」

 

「私の気分次第ですけどね。じゃあ待っててください」

 

お気に入りのエプロンをした智絵理が鼻歌を歌いながらキッチンに立つ。

わざわざプロデューサーのお腹がすくように厚切りベーコンを焼いていた。

 

プロデューサーはその匂いを嗅いだせいでもう食べ物の事しか

頭に浮かばなくなった。他のことは何も考えられなくなった。

何より二日も何も飲んでないことが問題だ。

 

口の中が渇きすぎているのに涎だけがあふれてくる。

檻から見える冷蔵庫をじっと睨む。あの扉を少しでも

開けることができたら、新鮮な牛乳が飲めるのに。

あるいはコーヒーやお茶でもいい。 

 

いっそ泥水でさえも喜んで飲みたいほどに彼は追いつめられていた。

 

 

「ただいま~~」

 

「あっ加蓮ちゃん。今日は早かったんだね」

 

「うん、テスト期間だから半日で終わり。

 二日ぶりに彼の様子を見に来たよ。

 走って来たから足がパンパンになっちゃった」

 

加蓮はマックの帰りだった。

実はプロデューサーに食べさせてあげようと彼の分も買ってあるのだ。

彼女の持ったマックの紙袋を見てプロデューサーの目がギラリと光る。

 

加蓮はその様子を見て一瞬だけ圧倒されたが、すぐに気持ちを切り替える。

 

「ねえ智絵理ちゃん。そろそろ限界だと思うんだけど」

 

「なにが~~? 今お料理中だから話しかけてこないでほしいんだけど」

 

「私達の旦那のことだよ。消耗しきって檻の中で寝そべるだけに

 なってるじゃない。顔色も悪いし唇まで真っ青。

 髪の毛が白髪交じりになってる。あの姿を見て心が痛まないの?」

 

「お仕置き中の時は感情を排するのがルールだから」

 

「ルールのためには人間性も捨てるんだ。

 智絵理ちゃんのために今まで彼が何度も助けてくれた恩も

 全部忘れて……こんなことして人として最低なことしてるって思わないの?」

 

「ごめん。何言ってるのか分からないし本気でムカつくから

 そろそろ黙ってくれるかな。私今包丁持ってるから

 それ以上刺激されたらマジで切れちゃうかもしれない」

 

「あたしはプロデューサーさんに感謝してる。彼は本当に優しい人だったし、

 今まであたしにしてくれたことが嘘だったとは思わない。

 確かに彼に飽きられて美波さんや肇ちゃんに浮気されたことも

 あったけどさ、あたしはそれすら全部許すよ。

 智絵理ちゃん達は心が狭くて、なんていうかお子様だと思う」

 

「あのさ。さっき私黙るように言わなかった?

 ペラペラペラペラ言いたいこと言われてムカついちゃったよ」

 

                           つづく。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

加蓮はいつだって天使だった。

さーせん。(何が?)


智絵理がコンロの火を止めて加蓮と向かい合った。

 

智絵理の目は一点に加蓮を見つめており、予断を許さぬ状態だ。

 

「美波さんにもいちいち決められたことに反論するなって

 怒られてたよね。私も美波さんに賛成。

 加蓮ちゃんの皆の輪を乱しやすいところは悪いところだって

 これだけ多くの人に言われてるんだよ。少しは直したらどうなの」

 

「いやあたしの意見がどうこうっていうより、

 あんたらのやってることが世間一般で言ったら犯罪行為。

 客観的に見て間違ってるのは自分自身だって気づけよ」

 

「世間って何? それがどうしたの?

 私達は死んでも生き返る世界にいるのに世間とかもう関係ないよ。

 プロデューサーさんと幸せな結婚生活を送るには

 これが最適な方法だってことをあなたも認めていたはずだったよね?」

 

「あの時は……まゆや響子たちが怖かったから一応賛成はしたけど。

 心から納得したわけじゃない。それに今日彼の衰弱した姿を見て

 やっぱりこんなことは止めさせた方が良いって思った」

 

「じゃあ出て行くんだね」

 

「なに。意見が違う人は一緒に居たらダメってこと?」

 

「だって、そうでしょ。まゆちゃん達に今日の加蓮のことを

 知らせたらまた壮絶な修羅場になっちゃうよ。そのマックの袋、

 どうみても二人分あるよね? 彼と一緒に食べるために買って来たの?」

 

「っていうか、彼の分しか買ってないよ。

 あたしが食べるより先に彼に食べて欲しかったから」

 

「ルール違反を犯す者は厳罰に処す!!

 このマンションで暮らす日からみんなで決めたことだよ!!」

 

「ルールがどうしたっていうの。

 犯罪者が考えた勝手な妄想みたいなもんだよ。

 あたしは彼を救いたい。

 彼の苦しんでいる姿をこれ以上見たくないだけ。

 あたしは自分のしてることが間違ってるとは絶対に思わない」

 

「あっそうなんだ!! じゃあ話をしても無駄だね!!」

 

智絵理は完全に頭に血が上ってしまう。

加蓮を殴るために踏み込もうとしたが、加蓮から

発せられるプレッシャーに圧倒されてそれ以上は動けない。

 

あと一歩でも踏み出そうものなら、確実にカウンターで

お腹に一撃を食らうことを直感で分かってしまう。

 

智絵理は目の前の相手に勝てない悔しさと怒り、

そして恐怖心から過呼吸になり床に伏せてしまう。

加蓮の戦闘力の高さは周知の事実であるから挑むだけ無駄なのだ。

 

「ねえ」

 

加蓮が智絵理のくせのある髪の毛を引っ張った。

 

「檻の鍵はどこにあるの?」

 

「……だ、だめだよ。そんなことしたらまゆちゃんに殺される」

 

「鍵は?」

 

「言えない」

 

「言いなよ」

 

「で、でも」

 

「言えよ!!」

 

「うぐっ……」

 

加蓮が智絵理の髪の毛を引っ張ったので

茶色い髪が何本か抜けて床に散らばった。

 

「暴力はやめてよ……。髪が全部抜けちゃうじゃない」

 

「あんたが聞き分けが悪いからこうなるんでしょ。

 まゆ達が帰ってくる前にあんたを再起不能になるまで

 ボコってやってもいいんだよ」

 

「……」

 

「さあどうなの。言うの? 言わないの?」

 

「気がすむまで殴りなよ」

 

「へえ。そこまでして鍵を渡したくないんだ」

 

「私は決めたんだから!! プロデューサーさんにお仕置きして

 彼の心を破壊して、私達に都合の良いペットにするって!!」

 

「ふざけんな」

 

加蓮の裏拳が智絵理の顔面にヒットした。

 

智絵理は涙目になり目の前が何も見えなくなった。

可愛らしい形をした鼻から血が噴き出る。床に赤い染みができる。

智絵理は鼻が折れてしまったのではないかと本気で思うほどだった。

 

何より恐ろしいのが、この一撃を食らうまで

何が起きたのかさっぱり分からなかったことだ。

 

(だめ……殺されるっ……)

 

智絵理はまだ16歳の女の子だ。

つまらぬ使命感よりは命を優先するべきだと思った。

ついに鍵の隠し場所を白状しようと思ったその時、また玄関の扉が開いた。

 

「あらこの靴は……加蓮ちゃんね。

 学校に行っていたはずなのにもう戻って……」

 

エコバックを肩から下げた美優は、ダイニングで繰り広げられる

修羅場を見て言葉を失った。加蓮に智絵理が暴行されてるようだが……。

ただの口論の末ではないだろうと思った。

 

「か、加蓮ちゃん? これは一体どういうことなのかしら?」

 

「……後で説明するよ。それより今からあたしの質問に答えてくれる?

 檻の鍵を探してるんだけど、美優さんならどこにあるのか知ってるよね?」

 

美優は加蓮にばれないように緊急通報スイッチを押した。

そのスイッチは玄関のすぐ近くに取り付けてある。

これで後は時間の問題だ。まゆや響子がここに駆けつけて

加蓮を取り押さえてくれる。いくら加蓮が強かろうと所詮は数で決まる。

 

これは民主主義の基本的な理論でもある。

人が集団になっても良いことばかりではない。

少数派は常に抹殺される運命にあるのだ。

 

「鍵ね……あーっ、確かあそこだったかしら?

 まゆちゃんから聞いてはいるんだけど、

 正確な場所が思い出せないの。今思い出すから少し待っててね」

 

後は時間を稼ぐだけ。美優の頭の中では反逆者の加蓮が

拷問される姿さえ想像していた。

 

「早く思い出してくれないかな。ほら。

 あたしってそんなに気が長い方じゃないじゃん?

 もし美優さんが時間稼ぎをしてるんだとしたら制裁するけど」

 

「ご、ごめんなさい!! 

 私は別に加蓮ちゃんを騙そうとかそんなことは思ってないのよ!!」

 

「めちゃくちゃ怪しいじゃん。

 騙そうとしてるからそんなセリフが出てくるわけでしょ」

 

美優は気が付いたらミドルキックをわき腹に食らい、棚へ突っ込んだ。

骨の髄まで痛みが残るほどだ。

起き上がる気力などあるわけもなく、あまりの力の差に震えが止まらない。

 

「どうかな。そろそろ思い出してくれると助かるよ。

 まだ思い出せないんだったら今度はお腹を殴らせてもらうね」

 

「まっ、待ってちょうだい!!

 分かったわ。鍵の隠し場所を教えるからそれ以上殴らないで!!」

 

その時、また玄関の扉が開いた。

美優は思わず勝利を確信し、顔がにやけてしまう。

 

しかしやって来た人物は、彼女の期待した人ではなかった。

 

「プロデューサーさん!! ただいまー。

 私の学校はテスト期間なので今日は半日だったんです!!

 まだお昼ご飯食べてないなら一緒に外に食べに行きませんか!!」

 

可愛らしい制服姿の卯月嬢がニコニコしながらリビングに来て、

この惨状を見て凍り付くまでは美優と同じ。しかし卯月嬢の精神状態が

普通ではなかったので美優はゾッとした。

 

「あれー? どーしてプロデューサーさんは檻の中にいて、

 裸で横になってるんですか。それに美優さんや智絵理ちゃんも

 怪我をして倒れてる……。おっかしいなー。私はプロデューサーさんと

 幸せな新婚生活をここで送ってるはずだったんですけど」

 

彼女は一種の記憶障害に陥っていた。

 

彼女の中では自分だけがプロデューサーと結婚(正確には婚約)

したことになっており、まずここに部外者がいることを不思議に思っていた。

 

「卯月。何言ってるの。プロデューサーさんは智絵理や美優によって

 監禁されてるんだよ。つい最近の事なのに忘れちゃったの?」

 

「え……加蓮ちゃんこそ何言ってるんですか。

 みんなは私と彼が婚約した時もお祝いしてくれたじゃないですか。

 どうして私の夫が監禁なんてされなくちゃいけないんですか」

 

「よく思い出してみて。あんたの言ってることは全部嘘。ただの妄想。

 真実は一つしかない。プロデューサーは私たち全員と結婚したんだよ」

 

「けっこん……? みんなと……結婚?」

 

卯月は頭を抱えてしゃがみこみ、しばらくそうしていたが

記憶の整理がある程度すんでしまうと、今度はその現実に

脳が拒否反応を起こし、感情が爆発してしまう。

 

「いやあああああああああああああああああああああああああああああ」

 

怪音波のごとき高音を発し、部屋中のガラスにビリビリと

音を立てて亀裂を走らせた。加蓮は耳を塞いだが、それでも

脳内に直接侵入してくるこの音には耐えきれずゲロを吐きそうになった。

 

「いやだああああ!! そんなのいやああああああああ!!

 プロデューサーさんは私とだけ結婚しないとダメなのおおおおお」

 

卯月の叫び声によって電気コンロが爆発し、火災が発生した。

コンロ周辺が一瞬で燃え盛るが、

すぐにスプリンクラーが作動して沈静化してくれた。

 

加蓮はスプリンクラーの水を一杯に浴びながらも

卯月の肩を握って説得を続けた。

 

「卯月!! 落ち着いて話を聞いて。彼をここに閉じ込めたのは

 そこにいる美優と智絵理が原因だったよね?

 だったらそいつらを何とかしないと、今後も一生彼は元に戻らないんだよ」

 

「智絵理……美優……」

 

卯月は深海魚のような目つきをしてまず智絵理を見た。

そのあまりの恐ろしさに智絵理は髪の毛が逆立ち全身に鳥肌が立つ。

もはやそこにいるのは島村卯月ではなく未知の生命体だった。

 

「緒方智恵理~~~~~~!!」

 

「ひぃいい!!」

 

智絵理は逃げ出したが卯月が飛びついてきて床に倒された。

卯月は滅茶苦茶な力で智絵理の首元を腕の力で閉めて気絶させた。

 

卯月の次の狙いは美優だった。美優はすでに玄関の外へ逃げていたが

途中で掴まってマンションの中に引きづりこまれた。

 

「美優さ~~ん。どうして私の彼をあんなとこに閉じ込めたんです?

 服も着せてあげないと風邪をひいちゃうじゃないですか。

 どうしてそんなひどいことしちゃったんですか」

 

卯月は美優に馬乗りになり、ひたすらに拳を振り下ろした。

3キロのダンベルをぶんぶん振り回して攻撃するくらいの威力があった。

顔をガードした美優の腕は服が破け、

拳による摩擦で皮膚がやぶけて血だらけになってしまう。

 

卯月が美優の顔を3発ほど殴った後、首を絞め始める。

すごい力だ。美優は抵抗しても無駄だと悟り、死を覚悟した。

 

ちょうどそこへ美波がやって来て、卯月の首筋にスタンガンを

当てて気絶させた。美優は死んではいないが完全に意識を失っている。

 

美波はスプリンクラーの噴射で滅茶苦茶になったキッチン周りに

驚き、この状況でも冷静にイスに座っている加蓮を睨みつけて言った。

 

「なにこれ?」

 

「見ての通りだよ。精神病になった卯月がここに

 戻って来て暴れたらこうなったの」

 

「いや意味不明だから」

 

「あたしも意味わかんないよ。

 卯月が帰って来てからこんなことになったわけで」

 

「なにノンキなこと言ってんの!!

 これからどうするのよ!! キッチンがダメになったじゃない!!」

 

「なんであたしに切れるんだよ。切れたいのはこっちの方だよ!!」

 

 

ふたりの美少女(美女?)はつかみ合いの喧嘩になった。

 

元々憎み合っている者同士なので小説ですら

表現できないほどの口汚い罵倒合戦となっている。

 

彼女達には好きなだけ喧嘩させておこう。

問題はこっちだ。

 

「はぁはぁ……ごくごく……もぐもぐ……」

 

マックは一般的に体に悪いと言われているが、

この時のプロデューサーにとっては天国のような味がした。

卯月が暴れてる最中になぜか檻の扉が開いてくれたので脱出に成功し、

加蓮が買ってくれたバーガーセットにありつけることができた。

 

まずはシェイクを一気に飲み干した後、チーズバーガーを食べる。

お腹がすいていたのでよく噛まずに食べた。しかしそれがまずかった。

彼は二日間も胃の中に何も入れてなかったのだ。

脂っぽい食べ物だったこともあり、猛烈な吐き気に襲われてしまう。

 

せめてトイレでモドそうとしたが、足が弱り切っていたために

トイレにたどり着く前に吐いてしまう。

 

「ちょっとプロデューサーさん!! 

 どうして檻から出ちゃったんですか!!」

 

「それどころじゃないって。アホ美波。

 急にマックを食べたから吐いちゃったんだよ。

 かわいそうに……アタシのせいだね」

 

「早く彼の面倒を見てあげないと!!」

 

「もちろんアタシが」

 

「は?」

 

「不満? だったらあんたがやる?」

 

「そう言いたいところだけど、

 あとで恨まれても困るし今日だけは二人でしようか」

 

プロデューサーは服を洗濯してもらい、お風呂に入れてもらって

綺麗になった。室内は換気され、床も何事ものなかったかのように

ピカピカになりファブリーズまでしてくれた。

 

ふたりは彼のお世話を嫌な顔一つせず、当たり前のようにしていた。

飢餓状態に近かったプロデューサーの胃液が含まれた汚物は

1000年の恋でさえ冷めそうなくらいの激臭だったわけだが。

(硫化水素に匹敵する)

 

それだけアイドル達の彼に対する愛が深いことの証拠である。

美波はぞうきんを絞りながらポロポロと涙を流していた。

 

「プロデューサーさん……私がライブ直前に熱を出して倒れた時、

 私の手を握って温かい言葉をかけてくれたなぁ……。

 あの時は涙が止まらなかった。

 ああ、こんなに優しい男性がこの世にいるのねって思った……」

 

リビングのソファに寝かされてぐったりとしている彼を優しい瞳で見つめる。

美波にとってプロデューサーは運命の男性だったから、たとえ彼が

仕事を辞めたとしても個人的なお付き合いは続けていきたいと思っていた。

 

いっそ知り合いでも構わない。

それが今回は縁があって形だけであるが結婚まですることができた。

 

プロデューサーが目を閉じたまま小さく口を動かした。

 

「美波……。なあ美波。そこにいるのか?」

 

「プロデューサーさん!!

 無理してしゃべらなくてもいいですよ。今は体を休めてください。

 あっ、それとも私達が邪魔でしたら一人にしてあげましょうか?」

 

「さっき吐いたせいで喉が渇きすぎて死にそうなんだ。

 頼む。アクアエリアスとか体に良い飲料水をくれないか」

 

「は、はい!! ただいま用意いたします。

 あいにくアクエリアスは冷蔵庫にありませんので

 バイヤリースオレンジでもよろしいでしょうか。

 無添加、保存料無し。果汁10%なので栄養たっぷりですよ」

 

「なんでもいいよ。早く飲ませてくれ」

 

                           つづく。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

美波がまた……

アニメのデレマスは、それはもう泣ける話ばかりだった。
ああいうアニメを俺はずっと待ってたんだ。


ジュースを飲ませてもらったプロデューサーは

少しだけ顔色が良くなった。バイヤリースの缶を飲み干し、

もう一本欲しいと言った。美波は倍やリースは切れているので

今度は三ツ矢サイダーを渡してあげた。

 

「知ってましたか? 実はサイダーの歴史は100年以上あるんです。

 明治時代から存在したんだからロングセラーなんてレベルじゃないです。

 ろ過した天然水を使用しているのでこちらも体に良いんですよ」

 

「そうかい。美波は物知りなんだな。うんちくはいいから早く飲ませてくれ」

 

美波が缶のフタを開けて手渡した。

プロデューサーは手が震えているので缶を落としそうになる。

 

「あっ、大丈夫ですか。こぼしちゃいますよ。

 私が缶を持っててあげますね」

 

「ありがとうな。美波」

 

プロデューサーは介護をされる老人のように炭酸ジュースを飲んだ。

ふと彼の脳内に帝国海軍の零戦パイロットがサイダーを飲んでいた

映像がふと浮かんだが、それはどうでも良いことだった。

 

彼らの姿に嫉妬した加蓮が「ストローで飲ませてあげればいいじゃん」

と小声で言う。美波は聞こえていたけど無視した。

 

「美波。俺の手を握ってくれ」

 

「手ですか? はい。私ので良ければいくらでも握ってあげますよ」

 

「そのままずっと握っていてくれ。俺は……俺はな……」

 

「どうしましたか? ゆっくりでいいんですよ。

 私は最後までプロデューサーさんのお話を聞きますから」

 

「心が折れてしまったんだ。アイドル達に監視され虐待されたせいで

 怖くて……もう皆に対して恐怖しか感じないんだ。プロデューサーだった

 時はみんなのことを性的な目で見ることはしなかった。仕事だからな。

 それ以上にみんなのことを純粋に可愛いと思っていたし応援してあげたい

 と思っていた。俺は裏方だ。裏方から君達を応援して少しでも輝かせて

 あげたいと思っていた。君達は若い娘だ。輝ける時なんて一瞬しかない」

 

「はい」

 

「さっき俺はみんなのことを性的な目で見なかったと言ったが、実は嘘なんだ。

 こんなこと言ったらまた美波は怒るかもしれないが、美優だけはつい

 体を触ったりしてセクハラしちまった。あいつは俺のダメなところも全部

 認めてくれる優しさのある女だったからな。でもそれが致命的だった。

 俺が響子をヒイキしてた頃に美優が本気で嫉妬して修羅場となった。

 俺が首になったのも美優が俺を絶対に諦められないからってことで、

 上司に俺のセクハラの件を通報したことが直接の原因だったと思ってる」

 

「……そんなことはないと思いますけど」

 

「俺は最初からプロデューサーになんてならなければよかったんだ。

 俺はな、なんとなくアイドルの皆が346を辞めて普通の女性になったら

 誰か素敵な男性を見つけて結婚するんだと思っていたよ。

 中にはまゆみたいな変わり者もいたけど、俺が響子と結婚するって

 宣言すれば諦めると思っていた。こんなこと言うと響子ちゃんにも

 殺されるかもしれないが、実は響子とも本気で結婚する気なんてなかった」

 

「へえ。私にとってはうれしい情報ですけどね」

 

「きっと運命の歯車がどこかで狂っちまったんだ。

 俺は一時期、美波に本気で惚れていたし、今だって美波に飲み物を頼んだ。

 理由は分からないが、なぜか美波に頼んだ。

 本能で美波に助けてほしいと願ったのかもしれない。

 凶暴な美波は誰よりも怖いって知っているはずなのにな」

 

「あの、そのことなんですけど。プロデューサーさん。

 今までたくさんひどいことしちゃってごめんなさい。

 私はまゆの口先に乗ってプロデューサーさんを拷問しちゃいましたけど、

 やっぱりこんなバカなことをしたのは間違ってるってことに気づきました」

 

美波はわんわん泣きながらプロデューサーにしがみついた。

 

「いいんだよ。美波。

 終わったことは忘れてこれからのことを考えよう。

 俺達はもう一緒に暮らすって決めたんだからさ。

 なあ。加蓮もそうだよな?」

 

「うん……」 

 

加蓮の彼に寄り添った。力の入らない手でプロデューサーは

加蓮の頭をなでてあげた。小刻みに震えてはいたが、暖かい手だった。

 

「あたしもずっとあなたと一緒に居たい」

 

「ああ。あの時は……加蓮を置いて外国に逃げようなんて

 バカなことを言って済まなかった。もう二度と加蓮のそばを

 離れないと誓うよ。これで少しは安心してくれるか?」

 

「うん。その言葉、今度こそ信じてもいいんだよね?」

 

「もちろんだ。愛してるよ加蓮」

 

「あたしも愛してます」

 

ふたりは熱い口づけを交わし、それを誓いの証とした。

 

思えば、ここまで来るのに実に長い時間を要した。

人気者のPが誰か一人と結ばれることは初めから不可能であり、

いっそ全員と結ばれてしまった方がハッピーエンドになる。

そんな彼の発想は決して間違いではなかったのだ。

 

一件落着したかのように思えるシーンだが、やはりと言うか、

ここで玄関が開いてまゆと響子が帰ってきてしまった。

 

「あれあれ~~? まゆは夢で見てるんでしょうかぁ?

 どうしてプロデューサーさんが檻から出て加蓮ちゃん達と

 抱き合ってるんですかねー?」

 

「プロデューサーさ~~ん。あなたのアイドル、そして 

 あなただけのお嫁さんの響子ちゃんが帰ってきましたよ!!

 まずはただいまって言ってくださいね。そのあとにちょっと

 尋問しちゃいますよ。さっき響子と本気で結婚する気がなかったって

 言った部分もちゃんと聞いてましたからね♡」

 

P、美波、加蓮の三名は、西欧を征服したドイツ陸戦部隊300万人を

相手に陣取ったソ連軍の最高司令官スターリンの気分を存分に味わった。

 

たとえ万の言葉を尽くしても、まゆと響子が現状に納得するわけもなく。

美波のように悪の心を捨て去って彼と本当の意味で心が結ばれるには

まゆと響子はあまりにも遠い存在となってしまっている。

端的に言って彼女達はヤンデレすら超越した純然たる悪と化している。

 

聖なる光の対比として悪がある。

矛盾しているように感じられるかもしれないが、

悪が存在しないことには聖も存在しない。

悪魔と比較することによって聖なる者が存在し得るからだ。

 

「新田さん。あなたって本当に不愉快です」

 

まゆが言う。

 

「私達に隠れてまたそうやってプロデューサーさんを篭絡しようとして。

 そんなにも彼を独り占めしたいんですか? ふざけてるんですか?

 まだ加蓮ちゃんみたいに表立って反対してくれた子のほうが

 分かりやすくていいですよ。あなたみたいに陰で拷問に反対して

 彼に飲み物を飲ませちゃうような人は一番ムカつきますからねぇ!!」

 

「……文句なら後で聞いてあげる。今は静かにして。

 プロデューサーさんはさっきモドしたばっかりでまだ体調が悪いんだから。

 あとで食欲が出てきたらおかゆでも食べさせてあげないと」

 

「どうして拷問を途中で止めちゃったの!!

 あと少しで彼の調教が済むかもしれなかったのよ!!」

 

「私は目が覚めただけだよ。まゆ、あんただって彼に

 たくさん面倒見てもらったこと忘れたわけじゃないでしょ」

 

「ええ。それはもう。まゆはプロデューサーさんがかけてくれた

 言葉をすべてメモにして残しているくらいですから。

 まゆの日記帳は彼との思い出でぎっしりですよ?」

 

「だったらその日記を読み返してみな」

 

「最近の日記には、前の世界で彼にじわじわとガスで

 殺されたことが描かれてますね」

 

「あれは結局は私達が悪いの。

 彼をこんなにもなるまで追い詰めちゃったからいけなかったの。

 プロデューサーさんはもう謝ってくれたし、私達と

 結婚するってことで指輪も渡してくれた。これ以上何を望むの」

 

「美波さんは甘い言葉をかけられるとコロッと騙されちゃいますからね。

 甘いですよ。彼が本気で愛しているのは藤原肇だってことを

 もう忘れたんですか?」

 

「はぁー。またそれか。もういいよ……。はいはい。よく分かった。

 私は二番目でも三番目でもいい。もう諦める。

 プロデューサーさんが私のことを嫌ってないのは分かったから

 あんたほど悲観的に考えてないよ。やっぱり加蓮の言ってることが

 一番正しい。これだけ多くのアイドルの中から私だけを選んでもらうのは

 無理だよ。それよりもプロデューサーさんに嫌われて愛想をつかされることの

 ほうが何倍も怖い。だって私はもう彼無しで生きていけないんだから」

 

「この裏切り者め……。女狐の美波め……。

 どうどうと開き直るなんて信じられない。なんて恥知らずなの」

 

「何とでも言いなさいよ。私は自分の意志は伝えた。

 もうプロデューサーさんを悲しませないって決めた。

 私は彼の妻として、あんた達から夫を守るわ」

 

美波が視線に殺意を込めると、さすがのまゆでさえ一歩後退した。

まゆは目の前にいる女が血に飢えた猛獣に感じられたほどだった。

 

もう何度目かの睨み合い。このまま重苦しい沈黙が続くと思われたが。

この静寂を簡単に破るサイドポニーの女の子がいた。

 

「あはははははははは!! あっはははは!! あはははっ!!」

 

五十嵐響子である。

 

「さっきから調子に乗ってペラペラと……。

 私からしたら何を今さらって感じですね。

 新田さんはどうせいつか裏切るだろうって思っていたので

 私は何とも思ってません。それよりプロデューサーさん?」

 

「な、なんだ?」

 

「プロデューサーさん、嘘ついたらダメじゃないですか。

 自分の言葉に責任を持つのが社会人だってよく言ってましたよね。

 プロデューサーさんは私をお嫁さんにしたいって何度も何度も

 約束してくれたはずですよ。そ、れ、な、の、に……。なんで……

 さっきは新田さんと不思議なおしゃべりをしてたんでしょうね」

 

「……響子。俺はもう君を」

 

「新田さんに無理矢理言われたんですよね?」

 

「えっ」

 

「響子と結婚するつもりはなかったって、言わされたんですよね?」

 

「……」

 

「やだなー。新田さんって特に嫉妬深いから

 人様の旦那がコンビニで買い物してる時に誘惑したり、

 勝手に拉致監禁とかするし、正直迷惑なんですよね。

 なんていうか、割と存在そのものが」

 

響子に睨まれた美波は、そのあまりの迫力に腰を抜かしそうになる。

美波は、今までまゆこそが最大の敵だと思っていたが、どうやら

それは思い過ごしだった。本当に恐ろしいのは病んでしまった響子なのだ。

 

彼女はプロデューサーのためなら笑いながら

他のアイドルを拷問をするほどに狂ってしまっているのだ。

 

「喧嘩はやめてくれ!! 美波は何も悪くないんだ!! 悪いのは俺だ!!」

 

「プロデューサーさん……」

 

「えー。新田さんを否定してくれないんですか。

 プロデューサーさんったら素直じゃないんですね」

 

プロデューサーは急に怒鳴ったことで体が一気に重く感じて

床に倒れてしまう。しかしどのアイドルも動けなかった。

 

この一触即発の状態で誰が夫の世話をすればよいのか。

あるいは自分が他の誰かに背中を見せたらそのすきに

襲われるかもしれない。まさに戦場の空気。

恐怖と警戒が先行して誰も先に動けないとは皮肉なものだ。

 

しかし口を開くことは自由だと最初に気づいたのは加蓮だった。

 

「ねえ響子。なんか勘違いしてるみたいだから

 はっきり言わせてもらってもいいかな」

 

響子は「なに?」と低い声で言った。

 

「あんたもあたしや美波さんと同じだったんだよ。

 プロデューサーさんに好かれたのは本当のことだったけど、

 彼にとっては妹とか娘みたいな感覚だったってこと。

 本気の恋愛対象としては見てくれなかったんだよ」

 

「ごめん。よく聞こえなかったよ」

 

「事実はどんなに都合が悪かったとしても否定しちゃダメだよ。

 まずは受け入れて、それからよく判断しないと。

 プロデューサーさんが愛していたのは響子じゃなくて肇ちゃんだった。

 この事実だけは認めないとダメだよ」

 

「聞こえないってば」

 

「本当は聞こえているくせに。

 そんなに聞きたくないのなら何度でも言ってあげるよ。

 五十嵐響子は、彼に選んでもらえなかったの」

 

「私はうるさいって言ってんの!!

 それ以上しゃべらないでくれるかな!!」

 

「それでも彼は優しいからみんなに結婚指輪を

 渡してくれた。それ以上何を望むの。

 また皆で彼を奪い合って修羅場にしたいの?」

 

「黙れって言ってんだよ!! 黙れ!!」

 

響子はキッチンから包丁を持ってきた。

肩で息をしながら包丁の切っ先を加蓮に向ける。

 

「あんたとはもう話し合っても無駄だってことがよく分かったよ。

 私はプロデューサーさんの意志はどうであれ、

 彼にちゃんと責任を取ってもらいたいだけなの」

 

「何の責任を?」

 

「私のことが世界で一番好きだって言ってくれたことだよ!!

 なにその顔は? 彼は真剣な顔でちゃんと言ってくれたもん!!

 まさかこのことまで否定するつもりじゃないよね!?」

 

「いや」

 

「え!?」

 

「否定するよ」

 

「なんで!?」

 

「彼はプロデューサーだからね。仕事上の都合でアイドルに

 多少のお世辞を言うこともあるでしょ。響子はお嫁さんにしたい

 アイドルナンバーワンってことを売りにしていたわけだし、

 プロデューサーさんも響子のご機嫌取りもあって

 そんなことを言ってたんだと思う」

 

「……」

 

「彼は、優しい人だからね」

 

「さっきからすごい偉そうで上から目線なのがすっごく腹立つんだけど……。

 なに? なんなの? そのプロデューサーのことは私が

 全部知ってます見たいな余裕のある態度。マジで殺してやりたい」

 

                               つづく。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

響子ちゃん……

現実世界のアイドルって家事とかできるのかね?
できなそうなイメージだわ。


「全部あんた達が悪いんだ!!

 私はプロデューサーさんが仕事を辞めるって言った日に

 彼のアパートに案内されたんだよ!?

 それってプロデューサーさんが最後に選んだのは私だって

 ことなんじゃないの!! それなのに加蓮達負け組は

 真実から目をさらして私から勝手に彼を横取りしようとして

 本当に頭がイカれてるよ!! おかしいのはそっちじゃないの!!」

 

響子が包丁を持ったまま加蓮に罵声を浴びせるが、

加蓮は涼しい顔をしてやり過ごした。

 

加蓮は身体能力は高いが相手が武器を持っているので

どうせ抵抗しても今は勝てない。響子の精神状態は異常なので

想像以上の力で襲い掛かってくることだろう。

 

そう分かっているから、かえって冷静でいられた。

 

「だったら、どうしたいの。

 その包丁でアタシや美波さんを刺し殺すの?」

 

「そんな突発的なことはしないよ。

 この包丁はあんたがこれ以上無駄口を叩かないように

 脅しで持っているだけ。あんたみたいな奴でも彼に

 一応は指輪がもらえた身分だからね。殺したらもっと彼に嫌われちゃう」

 

「……あっそ。殺されないのならよかった。

 悪いんだけどアタシ頭がフラフラするから少し休みたいんだ。

 喧嘩はこの辺で終わりにしてもらってもいいかな」

 

「はぁ? そっちから喧嘩売って来たのに何を言って……」

 

加蓮は電池の切れたロボットのように倒れてしまう。

血圧が急激に上がり過ぎると以前の体調不良が戻ってしまうのだ。

 

倒れた時の音で意識が朦朧としていたプロデューサーが加蓮に気が付いた。

彼はしわがれた老人のような声でこう言った。

 

「美波。加蓮をベッドに寝かせてやってくれ。

 たぶん貧血か何かだと思うから」

 

「はい!! 任せてください!!」

 

そこへまゆが横から手を出した。

 

「いえ、ここは私がやりますから」

 

「……なんで邪魔するのか理由を聞いてもいいかな?

 今プロデューサーさんは私に頼んだはずだけど」

 

「理由ですか? そんなの単純ですよ。

 新田さんばかりが彼に良い顔してるのが気に食わないからです。

 まゆだってプロデューサーさんのお役に立てることを証明したいんです」

 

「だったら彼を拷問しないと誓った方がよっぽど彼のためになると思うけどね」

 

「はい。誓いますよ。プロデューサーさんに愛想をつかされる

 くらいなら二度と拷問をしません。ねえプロデューサーさん。

 まゆはしっかりと反省しました。まゆは悪い子じゃないですよね?」

 

プロデューサーはまゆと視線を合わせずに言う。

 

「それは……どうだろうな。

 今の俺は美波と加蓮以外は誰も信用してない」

 

「まあ。そんなはっきりと言われるとショックで

 泣きそうになっちゃいます。まゆのこと、嫌いですか?」

 

「……指輪なら渡した。それで察してくれよ」

 

「指輪も嬉しかったですけど、ちゃんと言葉で

 言ってくれないと伝わらないことってあると思うんです」

 

「……」

 

「ねえねえ。プロデューサーさん? まゆは冷静に

 見えるかもしれませんけど、これでもけっこう怒ってるんですよ」

 

「愛してるよ。まゆ」

 

「うふっ。ちゃんと言ってくれた♡」

 

プロデューサーは響子にも視線を合わせて言った。

 

「お前のことも愛しているよ。響子」

 

「あっそうですか。私はまゆちゃんのおまけみたいですね」

 

できるだけ愛情をこめて響子を抱きしめたのだが、

響子の身体は怒りで強張っており岩を抱いたような感じがした。

 

プロデューサーはあまりの迫力に足が震えそうになったので

離れようとするが、今度は逆に響子が腕を回してきつく抱きしめてくる。

 

「次は本当に逃げないって約束してくれるんですよね?」

 

「約束するよ。って言っても信じてもらえないんだよな」

 

「はい。全然」

 

「……あれだけ痛い目を見たんだから俺だって学習するさ」

 

「口では何とでも言えますからね」

 

「響子に信用してもらえるように努力はするよ」

 

「……ちゃんと努力してくださいね。

 もう二度と私を怒らせなければそれでいいですから」

 

口ではそう言いながらも、響子は実は彼の方から抱きしめてくれたことが

うれしかった。まだ蒸し暑い季節なので密着すると彼の汗の匂いがした。

 

嫌な臭いではない。ボディソープの匂いがした。

その匂いのせいで響子は妙にムラムラして下着が湿ってしまう。

 

今すぐシャワーを浴びたくなってしまうが、他の皆もいるので我慢していた。

たとえどんなにひどい扱いをされても彼のことは好きでしょうがないのだ。

不思議なことに、彼への愛を意識しないように、憎むようにと自分を

仕向けようとしても、むしろ彼への愛が深まってしまう。

 

プロデューサーはそれから響子から順番に全員にキスをしてあげた。

平等に扱わないと最悪、アイドルの間で殺し合いにまで発展してしまうので

キスをするのでさえ神経を消耗する。

 

美波とキスした時、大きな胸をしっかりと押し付けてきた。

プロデューサーは美波をどけよとしたら彼女の

長いスカート越しに太ももを触ってしまい、思わず勃起してしまう。

 

「み、みなみ。今日はキスだけだから」

 

「うふ。でももう少しだけ、いいですよね?」

 

「そろそろいいだろ。他の皆が見てるから」

 

まゆや響子が二人の様子を冷めた目で見ていた。

一度もまばたきせず、無表情で見ているだけなのだが、

その様子があまりにも機械的で恐ろしいものだったので

プロデューサーは血の気が引いた。

 

「ここには肇ちゃんはいないから、やっぱり美波さんが一番なんだね」

 

加蓮がぼそっと言ったことがプロデューサーの胸に刺さる。

確かにプロデューサーが二番目に愛していたのは美波と言える。

妻の間で不平等が生じないように気を遣うつもりだが、自分の本能にまでは

逆らえない。しかし、そもそもどうやって平等に扱えばいいのか。

 

プロデューサーは今になってやはりアイドル達との共同生活など

無理だったのではないかと思い始めた。いやしかし言い出したのは自分だ。

そもそもこの子達をプロデュースしていたのは自分自身。

 

確かに彼は商品(アイドル)を売り出す側のプロデューサーとしては

無能だったかもしれないが、

彼女達のメンタルケアをするのは誰よりも得意だったはずだ。

 

とはいっても今は状況が違う。

仕事上の付き合いとは違い、男女の関係を持ってしまったアイドル達と

の生活は想像を絶するほどの困難が待ち受けていた。

 

 

 

その日から夜に喧嘩をするのが日常になってしまった。

 

喧嘩の相手は日によって変わるが、主にプロデューサーを完全に

管理したい側と、彼を自由をある程度は認めてあげたい側で意見が対立した。

 

まゆ、響子、美優、智絵理が前者で悪だとしたら、

美波、加蓮、しまむーが善だった。

 

 

喧嘩の理由は実に子供らしく、いかにも女の子らしく

 

「美波さんばっかりプロデューサーに可愛がられている」

 

ということだった。特に響子と美優が美波に食って掛かった。

 

 

その日は美波が夕食を作る番になっていて(当番制)

キッチンに立って野菜を切っている。

プロデューサーがハヤシライスが食べたいと言ったので

腕によりをかけて作っていた。

 

響子は椅子に座って料理ができるのを待っていた。

プロデューサーも響子の隣に座って一緒にテレビを見ていた。

 

響子は美波のあら捜しをして料理の仕方にケチを付けたかったが、

あいにく美波は小学生の時から母親の料理を手伝っていたから

スキがない。料理だけでなく家事全般ができる。

高校卒業する前に家で全部習得したとのこと。

 

おまけに頭が良いので冷蔵の食材の管理にも無駄がない。

お金の管理も上手で細かいことまで神経が届く。

彼女はまだ大学生だが、すでに主婦だった。

寮での1人暮らしも完璧だったのだろう。

 

これでは、響子は美波を悪く言うことができない。

 

テレビに集中せずに美波の方ばかりチラチラ見ている響子の

怒りのオーラを感じたプロデューサーは気を使わざるを得なかった。

 

「羽生君もついに引退だな。今度は裏方に回って

 日本のフィギュア界を陰で支えてくれる存在になるんじゃないのか」

 

「へえ。そうなんですか」

 

「俺は営業先に言ってる時でも羽生君の活躍が気になって

 スマホでちょくちょく見ていたよ。

 ちょうどお昼過ぎに演技が始まる時もあったよな」

 

「へー。そうなんですか」

 

「響子はさっきからテレビ見てないじゃないか」

 

「ごめんなさいね。ちょっと考え事をしてたんです」

 

「……美波は料理中なんだからあまり見たら悪いよ」

 

「いえ。そういうわけじゃないんですけどー。

 なんか美波さんって自分が本妻みないな態度を

 取ってるみたいなので、それがちょっぴり気になったもので」

 

「本人にはそんな態度を取ってるつもりはないと思うけどなぁ……」

 

「でも私達にはそう見えちゃうんですよ。プロデューサーさんって

 ちょっと困ったことがあったりしたらすぐ美波さんに頼りますよね。

 この前だって胃が痛くなった時に美波さんにドラッグストアで

 胃薬を買って来てもらいましたよねー」

 

「いやだから……はぁ……。それは何度も説明したはずだ。

 あの時は家に美波しかいなかったんだよ。

 他の皆は学校や職場に行ってたから頼れるのが

 美波しかいなかったんだから、しょうがないだろ」

 

「他にもありますよ。先週の金曜でしたっけ?

 美波さんに膝枕されて安心した顔でお昼寝してましたもんね。

 この前も二人でイチャイチャしながら通販カタログを

 眺めていたり、すごく仲良しですよね。

 ああいうのって見てるこっちはすごく不愉快なんですけど」

 

「……気を悪くしたなら謝るよ。だけど他の皆とも一緒に

 パソコンで映画を見たりおしゃべりして時間を過ごしているだろ。

 別に俺が美波を特別扱いしてるつもりはないし、

 それは響子の考えすぎなんじゃないのか」

 

「私は美波さんみたいな卑怯な女って許せないんですよねー。

 人前では清楚ぶってるけど中身は淫乱だから

 陰で人の夫を寝取るのが大好きですもんね!!

 最初は皆でプロデューサーさんを調教することに賛成したくせに、

 自分が一番に愛されたいからってコロコロと意見を変えて

 プロデューサーさんに取り入って、もうびっくりしました!!

 ……すっごい変わりようですよね。むしろ褒めてあげたいな」

 

美波は煮込み始めていた鍋にふたをして、いったん火を止める。

鬼の形相で響子の方へ振り返り、すたすたと目の前に歩いてきた。

 

「あのさ。さっきから全部聞こえてるんだけど。

 文句があるなら私に直接言ってくれる?」

 

「あら聞こえちゃいましたか? 

 私ったらいつもより声が大きかったのかしら」

 

「私は愛する夫のために真剣に料理を作ってるの。

 気が散るから少し黙っててくれない?」

 

「そうですか。それはすみませんでしたね。

 私ったら気が利きませんでした。でも美波さんの方こそ

 私のような小娘の事なんか気にしないで料理に集中なさった方が良いですよ。

 これからの生活で私だけじゃなくてまゆちゃんや美優さんも大きな声で独り言を

 言うことが多くなるでしょうから」

 

「独り言? あんなに大きな声で私の悪口を言ってたのに独り言なんだ」

 

「はい。独り言ですよ。だって面と向かってあなたに言ってしまったら

 喧嘩になってしまいますからね。私の夫は喧嘩が嫌いですから。

 そういうのはやめるように言われてるんです」

 

「いやいや、何言ってんの? もう完全に喧嘩売ってたよね。

 文句があるなら料理のことでケチをつけなよ。

 私の作った料理で生焼けとか体に悪いのが一つでもあったの?」

 

「いえ。料理はごく普通の家庭料理だったと思います」

 

「だったらさ……お願いだから独り言を言うのやめてくれない?

 最近私もイライラして気がおかしくなりそうなの。

 響子ちゃんだけじゃなくて美優さんからもいろいろ言われてるからさ。

 しかもあの人、夫にばれないように陰でグチグチ言ってくるから

 こっちも血管がぶち切れそうになるのを我慢してるのよ」

 

「あっそうなんですか。美優さんのことは私は興味ありませんけど。

 だって関係ないし。美優さんがイライラする原因があるとすれば、

 美波さんの普段の態度が気に障ったとかじゃないんですか」

 

「そんなに文句があるならはっきり言ってよ!!」

 

「こわっ。そうやってすぐ怒鳴るんだから。女のヒステリーって嫌ですね」

 

「誰がそうさせてるんだよ!!

 こっちだって好きで怒ってるんじゃないわよ!!」

 

「うわ~ん。美波さんが怒鳴ったぁ。プロデューサーさーん。

 早く注意してあげてくださいよ~。喧嘩は禁止のはずでしたよね?」

 

プロデューサーは無言で席を立ち、鍋を煮込み始めた。

野菜が几帳面に食べやすい形に切られていて、美波の性格が良く表れていた。

今から煮込み始めれば、あと15分くらいで完成するかと時計を見ていた。

 

美波が慌ててキッチンに戻る。

 

「あっ、すみません。私が最後までやりますから」

 

「……」

 

「あのっ。プロデューサーさん? もしかして……かなり怒ってますか?」

 

「お腹がすいたんで早くご飯を食べたかっただけだよ。

 美波は集中力が乱れちまったようだから、ここからは俺が作るよ」

 

「そんなわけにはいきませんよっ。今夜の夕飯づくりは私の仕事ですから」

 

「そうか? じゃあ一緒にやるか。

 俺は鍋を見てるから美波はサラダを切ってくれないかな」

 

彼は少しも怒ってなかった。美波を安心させる太陽のような

笑みを浮かべながらそう言うと、美波もつられて笑顔になり

「はいっ、ただいまっ」と言って冷蔵庫からレタスとトマトを取り出した。

 

ふたりは後ろを振り向かずに料理をしていたので

そろそろ響子から何か言われると思っていたら、響子は

デカい音を立てて椅子から立ち上がり、無言でその場を去ってしまった。

響子の不機嫌オーラが部屋中に残された気がした。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

美優さんが久しぶりに激怒する。

怖いぜ


ハヤシライスとサラダが完成した。

 

アイドルの皆は仕事の都合もあり、全員が一緒に食事ができるわけではない。

島村さんや加蓮のように都内の自宅に帰る子もいるから、

ここに来るメンバーはかつての女子寮組が中心だ。

 

今ここに居ない人の分のサラダはサランラップ(旭化成)

をして冷蔵庫に仕舞っておく。

 

「ただいまぁ。あら、良い匂いがするわね。カレーかしら」

 

美優さんだった。

玄関で重たそうなハンドバッグを床に降ろし、ローヒールを脱いだ。

 

汗ばんでいるために冷感スプレーをシューッとしながら

キッチンにやってくると、そこで衝撃的なものを見てしまった。

 

「美波。もうすぐ美優たちが帰ってくるから駄目だよ」

「でもいいでしょ。少しだけだから」

 

エプロン姿の二人が、なんていうか普通にキスをしていた。

別に夫婦なのだから食事の支度をしている時にそういうことを

しても問題にはならないはずだが、彼は重婚しているのである。

 

そこに古代文明に見られるような正妻と側室の違いはなく、

みんなを平等に愛すると言った矢先にこれだ。

 

「さっきは、響子からかばってくれてありがとうございました」

 

「いや俺は別に何もしてないよ」

 

「でもすごくカッコよかったです」

 

「はは……美波に言われると照れるな……」

 

 

美優は怒りのあまり握りしめた拳に爪が食い込んだ。

 

 

「お二人とも。とっても楽しそうな時間をお過ごしのようですね」

 

「み。美優……これはちょっとな……」

 

「キスするのも順番で、しかも夜だけって決めたはずですよね……。

 私には嫌そうな顔をしながらキスするのに、美波ちゃんだけは

 特別扱いなんですね……いいなぁ。うらやましいです」

 

「……まあまあ。それより冷たい麦茶でも飲んで落ち着こうよ。

 この暑い中、今日も就活お疲れ様。

 今日はどんな感じだったのか聞かせてくれよ」

 

美優はスーツの上着を乱暴に脱ぎ捨てた。

プロデューサーから受け取った麦茶のコップを両手で持って

一気に飲み干した。怒っていても女性らしく品が良いのが美優らしい。

 

「結局、今日は面接には行かなかったんです。

 パソコン関係で動画の編集の仕事だって聞いていたけど、

 どうも怪しくてアダルト系の会社さんだったみたいなので

 こっちから電話でお断りしました」

 

「そ、そうだったのか……。そんなろくでもない会社は

 受けなくて正解だったね。世の中には会社は星の数ほどあるんだ!!

 美優みたいに若くて綺麗な人ならいくらでも就職先なんて見つかるさ!!」

 

「いえいえ。私なんて綺麗でもないし、もうオバサンですよ。

 若くて可愛らしい19歳の女子大生に比べたら……ね?」

 

美優が殺すくらいの勢いでにらみつけると、美波は委縮してしまう。

 

「美波ちゃん。こっちを見なさい」

 

「うっ……」

 

全力でビンタされた美波の身体が横にのけぞった。

 

「ルール違反をするのもいい加減にしなさいって私言ったわよね?」

 

「……だからって、私を叩くんですか」

 

「あなたみたいな人にはこうでもしないと聞かないでしょう」

 

「確かに今回の件は私が悪かったです。でも暴力はやめてください。

 プロデューサーさんからもアイドルの間で暴力をふるったり

 暴言を吐くのはやめるように言われてるはずでしょ」

 

「自分からルールを破るのが好きな泥棒猫のくせに、あなたがそれを言うの!?」

 

「いたっ。やめてくださいっ。髪引っ張らないで。抜けちゃうから!!」

 

「またあなたが彼を誘惑してキスしてたんでしょ!! 

 そうなんでしょ!! そうだと言いなさいよ!!」

 

「痛いっ、本当に抜けちゃいますから。もう離して……」

 

プロデューサーが二人の間に割って入って距離を取らせた。

床には美波の茶色い髪が何本か落ちている。

美優は猫のような目つきで荒い息を吐いていた。

今にも美波に飛び掛かりそうだ。

 

「美優。聞いてくれ。美波は悪くないんだよ。

 さっきのはその……実は俺の方からキスしようって言ってしまったんだ」

 

「……なるほど。プロデューサーさんは

 美波ちゃんのことを愛しているから美波ちゃんをかばっているんですね」

 

「違うんだよ……。そうじゃないんだ」

 

「何が違うんですか?」

 

「それは……」

 

プロデューサーは何も答えず床を見つめていた。

美優の方も彼が何か言い出すまで黙って待ってしまう。

 

美優には不思議な癖がった。

もともと人と話すのが苦手な彼女は、幼い時から

人の話を聞くばかりで自分から話しかけることが極端に少ないのだ。

 

だから普段の会話の流れでも相手が一度黙り込んでしまうと

自分から話が続けられない。アイドルをやっている時は

その癖は治っていたが、退職後にまた元に戻ってしまったのだ。

 

そうすると時間だけが無常に過ぎていく。

美波はぼさぼさになった髪の毛をとかすこともせずに

小刻みに震えて泣いている。またしても修羅場だった。

 

そこへ、ノコノコと響子がやって来てしまう。

 

 

「あっご飯できてるんですね。なんかさっきから

 騒いでてうるさいので、私だけ先に食べちゃっても良いですか?」

 

「あ、ああ。そうだな。もう7時半か。冷める前に食べちゃおうか」

 

プロデューサーがまず響子の分のハヤシライスを盛るのだが、

 

「すみません。私、ダイエットしてるので今日はヨーグルトと

 野菜ジュースだけでいいかな……と」

 

プロデューサーは絶句してしまう。

 

響子は誰よりも健康志向が強い女の子だった。

彼女は普段から炭水化物ダイエットはしないタイプだったし、

野菜ジュースやサプリメントに関しても否定派で

しっかりと食材から栄養を取るように心がけていた。

 

在職中のプロデューサーが、事務所でコンビニ弁当を

食べているのを見る度に健康に気を使うようにしつこく注意してきた。

 

響子が今言ったことは、自分はもう美波の作った食事を

口にしたくないと言ったも同然であり、それはすなわち

ここでの共同生活が破綻すると宣言している。

 

「響子。そうわがままを言わずにさ、俺からのお願いだよ。

 ちゃんと手作りのご飯を食べてくれないか。

 この季節だからハヤシライスの作り置きはまずいだろ?」

 

「そうですか。プロデューサーさんがそう言うなら処理してあげますよ。

 確かに腐らせたらもったいないですからね」

 

いちおう、四人で食卓を囲んだ。

 

ここで響子がとんでもないことをした。

 

ガッシャーン。

 

「あー。私ったら手が滑っちゃって。ごめんなさーい」

 

なんと、ハヤシライスを皿ごと床にぶちまけたのだ。

すぐに生ごみ袋を持ってきて中身をさっさと入れてしまう。

捨ててもいい雑巾を持ってきて床を綺麗にするところまで完璧な動作だった。

 

「あらごめんなさい。私も手が滑ってしまって」

 

今度は美優が、麦茶が入ったコップをハヤシライスの上で逆さまにする。

麦茶はついに皿からこぼれてしまい、テーブルがびしょ濡れになる。

 

「いけないわね。これじゃ食べられないから私の分も処分します」

 

美優が布巾でテーブルを拭いていく。

プロデューサーの皿のある部分は綺麗にした。

だが美波の方は濡れたままでわざと放置した。

濡れた麦茶が美波のスカートにまで滴っており、

さすがの彼女も怒りが限界を超えてしまう。

 

美波は猛然と立ち上がり、椅子が背後に倒れた。

 

「もういい加減にしてよ!!」

 

凄まじい怒声だった。

 

「そんなに私のことが

 気に入らないのならはっきりと口で言えばいいでしょ!! 

 どうしてせっかく作った料理を台無しにするのよ!!」

 

「美波ちゃんは何を怒っているの?

 私は今ね、たまたま手が滑ってしまっただけなのよ。

 響子ちゃんもそうよね?」

 

「はい。最近ちょっと熱中症気味なんですよね。

 そのせいで指の感覚がちょっと……」

 

「嫌だったら最初から食べようとするな!!」

 

「プロデューサーさんが皆で仲良く食べるように

 言ったんじゃないですかぁ。そうですよね。プロデューサーさん。

 私と美優さんが何か間違えたことしましたか?」

 

プロデューサーは拳を握ってプルプルと震え、

蚊の鳴くような声で「もう……そういうのやめろよ……」と言っている。

 

「今ウクライナ問題が起きてて、世界が小麦など食糧不足で大変な

 状態になってるのに貴重な食材を無駄にして、

 あんた達ってどんだけ常識がないバカなの!!」

 

「無駄にしたんじゃなくて、手が滑ったって言ったじゃないですか」

 

「屁理屈を言うな!!私のことはいいけど、この食料を作ってくれている

 生産者である農家さん達にも失礼なことをしたって分からないかなぁ……!!

 響子みたいな反抗期のガキには言っても分からないだろうけどさ!!

 美優さんは大人のくせになんで子供みたいなことを平気でやってるの!!

 あなた、精神年齢いくつですか!? 頭は大丈夫ですか!!」

 

「あいにく私はこれでもあなたより冷静だから怒鳴ったりはしないわ。

 あっ、よく考えたら麦茶をかけるタイプのハヤシライスって

 美味しいかもしれないわね。試しに少しだけ食べてみようかしら」

 

「ふざけないでよ!!」

 

「ふん……そうね。

 確かに私はあなたの作ってくれた料理を台無しにしてしまったわ。

 でもどうして私がこんなことをしたのか。いちいち説明しなくちゃだめ?

 そんなに聞きたいのなら言ってあげるわよ」

 

――あなたのことが大嫌いだからよ。

 

散弾銃で撃たれてしまった安倍晋三(笑)と同じ気分を美波は味わった。

それくらいに美優の言葉が強烈だった。

 

余談だが、各国の指導者を見渡しても、選挙活動中に散弾銃で撃たれて

死んでしまった元総理など古今東西の事例を広く調べても類がない。

それほど市民に恨みを持たれていたことの証ではないだろうか。

元首相は同情に値しない人間のクズであり、当該事件は

令和のおける二二六事件と呼ぶべきである。

 

 

 

「はっきり言ってくれてむしろ安心しました。

 私も三船さんのことが大嫌いですから」

 

「あらそうなの」

 

「そこで今日は、前から思っていたことですけど、

 三船さんに一つお願いを聞いてもらいたいんですね」

 

「お願いってなにかしら。私でも叶えてあげられる内容なのかしらね」

 

「いえいえ。簡単ですよ」

 

美波は息を吸ってから

 

「この家から出てけ」

 

美優は、沈黙した。

 

空気が完全に凍り付いた。

美波も美優もその場で固まっていたから、話が前に進むことがない。

いっそ話し合いではなく、ついに殺し合いにまで発展しそうな雰囲気だった。

 

「新田さんが出て行けばいいのに……」

 

響子は捨て台詞を吐き、棒アイスを食べながら奥の部屋に引っ込んでしまう。

 

美優と美波は視線だけでお互いを威圧し合っている。

もはや言葉など不要になっており。どちらかが

包丁でも取りだそうものならすべてが終わる。

 

 

「誰も出て行く必要はないぞ」

 

プロデューサーが低い声でそう言った。

 

「さあっ。喧嘩は終わりだ。まだ床が汚れてるから綺麗にしようか。

 美優も手伝ってくれ。美波のスカートは大丈夫か?

 麦茶だから洗濯すればすぐに落ちると思うんだが」

 

しかし二人は一歩も動かず、声も発しなかった。

向き合ったまま睨み合いをまだ続けている。

 

成人前の大学2年生と26歳の社会人の睨み合いは

子供同士の喧嘩とは違って空気の重苦しさが半端ではない。

どんな策を練ったところでこの二人の関係は修復不可能なのだ。

 

「くっ……」

 

プロデューサーはストレスのため過ぎで体に異変が起きた。

胸のあたりが急に引き締まる感じがして、左腕にかけて

電流がかかったように痛みが走る。

 

プロデューサーは床に手を突いてしまい、苦しそうに息を吐いていた。

 

「あなたっ、大丈夫ですか!! また胃が痛くなったんですか!!」

 

美波がすぐに介抱をする。自分達が原因だと分かっているので

さすがの美優も罰が悪くなる。美優もまた彼のお世話をしたいのだが、

料理を台無しにしてしまった手前、遠慮せざるを得ないので

さらにストレスが溜まってしまう。

そしてそれがさらなる美波への恨みを募らせる原因となってしまう。

 

ここで都合が悪いことにまゆが帰ってきてしまった。

 

「騒がしいみたいですけど、いったい何してるんですかぁ?」

 

「まゆちゃん。実はね」

 

美優が一部始終を話した。ただし、自分じゃなくて響子が

料理を台無しにしたことにしておいた。

 

「喧嘩はいけませんよ。早くプロデューサーさんをベッドに

 連れて行きましょう。ダメになった食材は処分すればいいんですから、

 そんなに難しく考えることはありません」

 

まゆは怖いぐらいに冷静だった。

プロデューサーの看病は美波に任せてしまい、

しばらく夫に干渉しすぎないように美優と響子に説教までした。

 

説教の最中、響子はそれはもう憤慨し暴れ回ったものだが、

夫のことを第一に考えるまゆの論理に対して対抗することはできず、

最後は素直に従うことになった。

 

「まゆ達はバカじゃないんですから、

 今までと同じミスを何度も何度も繰り返すわけにはいかないんですよ」

 

この16歳の少女の瞳の奥には、響子や美優には

計り知れないほどの凶器が満ちている。

まゆがこの目をする時は、年上の美優でさえ逆らうことはできなかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

まゆが恐ろしい提案をした。

ふぅ……。


「肇ちゃんをこのマンションに呼び出しましょう」

 

とまゆが言った。

 

それを聞いた美波は、やはり深海魚の顔をして不快感を示した。

 

「なんで?」

 

「なんで、とは?」

 

「だから、なんで肇をここに呼ぶ必要があるの」

 

「プロデューサーさんが情緒不安定になったのは大好きな

 肇ちゃんに会えなくなったからですよね。そのせいで

 最近では食べたものを吐いちゃうこともあるし

 揚げ物類も一切食べなくなりましたよね。ですから彼のためを

 思うなら彼の一番望みである藤原肇ちゃんに会わせてあげるのが

 一番なのかと思いまして」

 

美波は顎に手を当て思考をめぐらせた。

 

まず、まゆの論理がおかしい。

Pの情緒不安定は、妻たちの不仲が原因であり、

実際に彼は肇のことはそこまで気にしてないだろう。

この状況では気にする余裕がないのだ。

 

むしろ今では彼は美波にだけ夢中に

なっているのだから美波にとって最高の環境といえる。

 

ということは……。

 

「……ふーん。遠回しに私に対する嫌がらせがしたいってわけね」

 

「確かにそれもありますが、このままではプロデューサーさんの

 心が折れてしまうかもしれないので。私あくまで彼のためを

 一番に思っているんですよ。ええ。いつだってそうです」

 

「はいはい。よかったね。

 あんたの考えはそれ以上聞きたくないけど、

 それで他の皆はどう思ってるの?」

 

「賛成してくれましたよ」

 

「本当に?」

 

「ええ」

 

「じゃあ、最終的には肇も私達の仲間になるってことなのね」

 

「違いますよ。あの子を一度夕飯に招待するだけで

 今後も一緒に住むわけじゃありません。 

 まゆだってあの子の顔は見たくありませんから。

 それでも我慢して夫のために気を使っているんですよ」

 

「……招待するメリット、本当にあるのそれ?」

 

「ええ。ありますよ。まゆは意味のないことをするのが嫌いです」

 

「そこまで言うなら勝手にしなよ。

 話はこれで終わりなら私は部屋に戻るから」

 

「はい。夜遅くまでお話に付き合ってくれてありがとうございました」

 

 

その日の夜、美波は胸騒ぎのせいでなかなか寝付けなかった。

本当は先ほどの提案に反対したかったが、まゆは他の妻達を

束ねる立場にある影の支配者だ。

 

どうせ自分が他の女たちに嫌われてるのは知っているから、

反対しても時間の無駄だと思い、さっさと話を切り上げたのだが、

考えれば考えるほど不味い展開になりそうで不安で嫌な汗が出てくる。

 

(そもそも私とプロデューサーさんは本当に結ばれるはずだったのに、

 どうしてこんなことになってるの……。運命の神様はそんなにも

 私と彼が結ばれることが気に食わないっていうの……)

 

また明日も大嫌いな響子やまゆと挨拶をしなければならないのだ。

まさに上っ面だけの、表面上だけの無意味な妻たちの関係。

 

今の彼は美波のことが好きでいてくれている。

スキあらば彼を連れ出してまた逃げだしたいと毎日思っているが、

これだけの経緯をたどれば無意味だと学習はした。納得はしてないが。

 

(ああムカつく……早く朝になってくれないかな)

 

あまり考えすぎるとストレスで白髪が生えそうだった。

 

美波は何気なく読みかけの小説を読んでいたら

浅い眠りにつき、深夜の2時過ぎにふと目が覚めた。

 

ストレスのせいか、パジャマが汗ばんでいたので

着替えようと思い、着替えのシャツを持って脱衣室に行った。

そこで偶然にも夫と会った。

 

「プロデューサーさん……?」

 

「美波……」

 

プロデューサーはシャワーを浴びて風呂場から出てきたところだった。

彼もまた汗をかいたので身体を流しに来たのだ。

今日の当番(夜の相手)が卯月だったので中々寝かせてもらえず、

この時間になってようやく解放されたらしい。

 

プロデューサーは脱衣所の明かりを消して、美波を抱きしめた。

突然のことだったので美波は飛び上がるほどに驚いたが、

いいからそのままで聞いてくれと低い声で言われ、下着が濡れてしまう。

 

「正直な。卯月の相手するの、疲れたよ。あの子は俺の愛に飢えているから

 卯月への愛の言葉を何回も言わなければならないんだ。俺は機械的に

 同じセリフを何度も繰り返すんだが、卯月は全然満足しちゃいない。

 あいつだって俺が義務感で抱いてあげてることに気づいてるんだろうに、

 どうしてこんなにも俺に執着するのか全然分からないんだ」

 

「お疲れさまでした……。

 でもヤンデレの女の子って、そんなものだと思いますけど」

 

「実は俺が身体を洗う意味も特にないんだ。だって卯月とベッドで二人で

 手を握って横になって、ずっと見つめ合ったまま愛の言葉を

 ささやき合ってるだけで、行為らしい行為はしてないんだ。

 シャワーを浴びたのは、卯月の髪の毛の匂いが胸元に染み付いたから、

 なんとなく気持ちが落ち着かなくて寝付けなかったからなんだ」

 

「あの、こんなこと本当は聞きたくないんですけど、

 他のアイドルと夜の相手する時も疲れたりしますか?」

 

「ああ。すげー疲れるよ。でもそっけなくしたら

 また殺し合いになるから全員を平等に扱わないと。

 まゆと響子は俺に媚薬を持ってくるからあれはマジでやめてほしい」

 

「媚薬……私も以前、あなたに盛ってしまいました」

 

「そうだったかな? ……ああ、確かに。

 そんなこともあったかもしれない。

 そんな昔のことはもう忘れちまったよ」

 

プロデューサーはさらに強い力で美波のことを抱きしめた。

季節は9月末で少しは涼しくなってはきたが、

ここはエアコンが効いていないのでまだまだ蒸し暑い。

 

彼がブラを付けてない美波の胸を揉み始めたので

美波が女の吐息を吐く。すぐにその唇を彼の口で塞がれた。

 

「美波。俺はやっぱり君のことが好きだ」

 

「本当ですか。うれしいです」

 

でも本当は……と美波は思った。

 

本当は彼は藤原肇のことが大好きで、彼女の顔を見た瞬間に

美波のことはどうでも良くなるに決まっている。

 

まゆはそれを知っているから肇を夕食に招待するのだ。

プロデューサーに捨てられて精神的に追い詰められる

美波を見るのがまゆ達の極上の楽しみなのだ。

 

「俺は肇とは結婚なんてしないよ」

 

「えっ」

 

「美波は俺に捨てられると思ってるんだろ?」

 

「そうですけど、どうして今私の考えてることが分かったんですか」

 

「肇の件はまゆから話は聞いている。しかしまあ、今さらだよな。

 成り行きでここで皆と一緒に暮らすことになったわけで、

 今さら肇を妻の一人として迎えるわけにはいかないよ。

 もちろん全部俺が悪いことは分かってるんだが」

 

「じゃ、じゃあ、さっきあなたが私のことを好きだって

 言ってくれたことは、嘘じゃないってことなんですね?」

 

「ああ。愛しているよ。美波」

 

ふたりはしばらく抱き合ってキスをしたが、

その後は男女の行為にまで及ぶことはなく、お互いの寝場所に戻った。

 

美波はこの段階でも彼の真意が読めなかったが、

例えその場の思い付きだったとしても好きだと言われたことがうれしかった。

 

しかし冷静に考えてみると、彼の本命は美波なのかもしれない。

彼が他の妻の愚痴をこぼすのは美波に対してだけだ。

それにさっき抱きしめてくれたのも純粋な好意からだろう。

 

何より藤原肇に再開するまでは、何度も美波との愛を誓ってくれたのだ。

わざわざ広島の自宅にまで押しかけてまで。

あの時の彼の気持ちが一時の気の迷いだったとは信じられない。

むしろ肇の方こそ彼を惑わした悪女なのだと思える。

 

 

それから数日後。金曜日の夜に肇がマンションを訪れた。

 

盛大なパーティをするとまゆが言いだしたので、テーブルには

所狭しとあらゆる料理が並ぶ。全て手作りだ。

まゆと響子だけで10人分くらいの料理を作った。

 

ここにいるのは、まゆ、響子、美波、プロデューサー、肇の5人。

他の皆は用事があるとかでここにはいない。来たくなかったのだろう。

 

プロデューサーは肇と向かい側の席に座る。

肇は軽く咳払いをしてから淡々と話し始めた。

 

「久しぶりにお顔を見たらずいぶんとやつれててびっくりしました。

 どうですかプロデューサーさん。ここでの生活は。 

 たくさんの可愛いアイドルに囲まれてハーレム生活ですか」

 

「君はそういうけどさ、俺だって好きでハーレムをしてるわけじゃない」

 

「はい。知ってます」

 

「再開してすぐに喧嘩しちゃうと料理がまずくなるじゃないか。

 まずは食べようよ。お腹いっぱいになれば少しはイライラが収まるんじゃないか」

 

「あいにく食欲なんて全然なくて」

 

「そっか。そいつは困ったな。

 俺は腹が減ってるんで先に食べさせてもらうよ」

 

プロデューサーはシャンパンを開けた。グラスに注いでちびちびと飲む。

そもそも今日は何の記念日なのだろうかと疑問に思った。

 

ふと黙々と食事をしている美波と目が合ったので、昨日のことを思い出して

顔が赤くなる。そんな彼の様子を見て美波はくすくすと笑う。

 

たったそれだけのことなのだが、肇は女のカンでなんとなく察してしまう。

 

「やっぱりそうなんだ……」

 

「ん? 何か言ったか?」

 

「先に言っておきますけど、私はまだあなたからプロポーズされてないことを

 根に持ってます。今日まゆちゃんからこの家に招待されたってことは、

 つまり私もハーレムの仲間に入れてもらえるってことだと思うんですけど、

 違うんですか?」

 

まゆはチキンを美味しそうに頬張るのをやめてから、真剣な顔で語り出した。

 

「肇ちゃんを受け入れるかどうかは、まゆ達じゃなくて

 プロデューサーさんが決めることですよぉ。

 あなたを今日ここに招待したのは、私達の夫の真意を確かめるためですから」

 

「たぶんそれは意味なさそうなので、もう帰ってもいいですか?」

 

「あら。どうしてですか?」

 

「プロデューサーさんの気持ちは美波さんに傾いてるようですよ。

 さっき二人の何気ないやり取りを見てて気づきました」

 

「すごい洞察力ですねぇ」

 

まゆが小声でそう言った。

 

「実はそうなんです。プロデューサーさんったら、いつの間にか

 美波さんのことをまた愛してしまったみたいでまゆ達は困ってるんです。

 妻達のことは平等に愛するって言ってたはずなのに、昨日も夜の

 お風呂場の前で真剣に愛し合ってたみたいなんですね。

 これ、二人の会話を録音したレコーダーなんですけど、聞きます?」

 

「そんなもの、捨ててください。すごく不愉快ですから」

 

「そうですか。じゃあ代わりにまゆが内容を教えてあげます。

 肇ちゃんとは結婚しないって決めた。俺は美波だけを愛している。

 本当にそう言ってたんですよ。

 分かりますか? 肇ちゃんは彼に捨てられたんですよ」

 

「……」

 

「ねえねえ。プロデューサーさん。

 肇ちゃんにこんなにひどいことしちゃって、罪悪感とかないんですか?」

 

プロデューサーも重苦しい顔で沈黙した。

 

「ちなみに昨夜の件に関してはあとで会議をしますからね。

 みんなのことを、ちゃんと平等に扱わないとダメじゃないですか」

 

「そういうおまえらこそ、美波のことをいじめてばっかりじゃないか。

 妻の間で喧嘩しない約束を先に破ったのはそっちだぞ」

 

「プロデューサーさんが美波、美波ってうるさいからじゃないの。

 まゆだってものすごく腹が立ちますよ。なんなのよ。

 そんなに美波さんの身体が魅力的ですか」

 

「身体じゃなくて美波の性格が好きなんだよ」

 

響子が軽くテーブルを叩いたのでプロデューサーは心臓が止まりそうになった。

 

「あはははっ!! プロデューサーさんが美波さんの事ばっかり

 かわいがってるのを見てたらムカついちゃって、

 またお仕置きしたくなっちゃいますよ。

 今度は美波さん本人を調教してあげたいと思ってるんですよー。

 ねえ美波さん?」

 

「え? 何か言った? ごめん。

 私今料理を食べてる最中だからあまり話しかけてこないでね。

 食べながら話すのもマナー違反だよ」

 

「その態度がムカつくんだよ!!

 自分だけが愛されてるからって余裕ぶってさぁ!!」

 

「いやだから彼が私を愛してくれてるわけで。

 私から何かをしたわけじゃなくて、彼の方から私を

 好きになってくれたのに、その気持ちに対して

 文句を言うのっておかしくない?」

 

「うるさい!! 黙れーっ!!」

 

響子が席を立ったのでまゆに押さえつけられた。

テーブルの料理を荒らされないように響子を押さえるは大変だった。

美波はプロデューサーに嫌われるのが怖いので

響子をぶん殴ってやりたいのをなんとか堪えていた。

 

「プロデューサーさん」

 

肇が恐ろしく冷たい声で言う。

 

「ちょっと死んでくれませんか?」

 

肇はこう思った。どうせ死んだらまた生き返るのだから、

彼に対し少々きつめのお仕置きをしたとしても問題はないだろうと。

 

全力でジャイアントスイングされたプロデューサーが頭からダイニングの壁に

つっこみ、バスルームまで貫通した。この一撃は殺すつもりでやった。

 

その様子を見てまゆは「わーい。リビングからトイレまで

扉無しで行き来できるようになりました」と言いながら肇に襲い掛かるが、

目にもとまらぬ速さで拳をお腹に食らい、気絶した。

 

まゆはともかくとして、肇による攻撃でプロデューサーが受けた衝撃は大きかった。

 

結果的に彼は死ぬことはなかったのだが、生きてしまったゆえに

むしろ残酷な結果となった。

 

彼は一日ベッドで寝た後も、まだ頭がふらふらしており、

自力で起き上がることができなくなってしまった。

また手足の感覚がなく、まるで自分の身体ではないような気がすると言った。

 

美波と響子はこの時に思った。彼が身体障碍者になったのだと。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

プロデューサーが動けなくなったらどうなるのか?

病気ってのは、実際になってみないとその辛さが分からないものです。
若い人もいつかは老いる時が来るんですよ。


肇ちゃんはプロデューサーを殴ってすっきりしたのか、そのまま帰って行った。

残された妻達は、それから寝たきりになってしまったプロデューサーを見て

おかしいと思い、まゆが知り合いの医者を呼んだ。

 

医者はプロデューサーの身体を隅々まで調べたところ、

すでに死んでいるくらいの衝撃を頭部に受けているにも関わらず、

まだ生きているのが信じられないと言った。

 

例えるならば、戦艦大和の主砲(46センチ3連装砲)のすぐ近くで

勤務しいていた船員が、主砲発射前の警報ブザーが鳴ったにもかかわらず

持ち場を離れず、発射時の爆風をもろに受けてしまい、その衝撃で海面に

叩きつけられたのに等しい衝撃を受けた。確実に即死である。

 

前話で描かれた肇のジャイアントスイングには

それだけの威力があったのだ。

 

「彼は元格闘家とかで、極端に体の強い方ですか?

 それとも以前に自衛隊や消防などに勤務していたご経験が?」

 

「いいえ先生。そんなことはないです。

 彼の職歴は芸能事務所の営業とコンビニ店員だけです」

 

響子がうつむき、悲しそうな顔で答えながらも、実は笑いをこらえていた。

 

「いずれにせよ」

 

男性の若い医師が額の汗をぬぐう。

 

「彼の症状を具体的に説明するのが難しいのが現状です。

 額の裂傷を始めとして、内臓にも重大なダメージを追っています。

 特に下半身の自由が効かないことや、温度や痛覚が極端に鈍いことから

 脊髄損傷の可能性があり、直ちに病院で精密検査を

 受けるべきです。今から救急車を呼びましょうか」

 

「先生。わざわざ救急車を呼ぶ必要はありません」

 

「なっ……なぜですか?」

 

「彼は自宅療養しますから」

 

「彼はいつ死んでもおかしくない状態なんですよ!?」

 

「私達にも色々と複雑な事情がありまして……。

 彼を病院に入院させるわけにはいかないんです」

 

「何を言ってるんですか。自宅療養なんかで自然治癒するような

 状態じゃないんです。今この瞬間も頭部から内出血してるんですよ。

 このまま放置しておくと、最悪脳梗塞などで死に至ります。

 さあ悪いことは言いませんから、今すぐ救急車を……」

 

医者はばたりと倒れた。まゆが彼の背後から手刀を食らわせたためだ。

 

「うふ。しつこいお医者さんねぇ。

 どんなに深刻な傷を負っても彼のことだから死ぬことはないのよ」

 

「そうそう」

 

響子が笑う。

 

「私達がしっかり面倒見てあげれば、きっと大丈夫。

 むしろこれの方が……くくくっ。もう脱走される心配がなくなったもん」

 

「あんた達……」

 

美波の顔色が蒼白になる。

 

「プロデューサーが死にそうになってるのによく笑ってられるね……。

 本当に死ぬかもしれないって説明されたのになんとも思わないの?」

 

「前にも同じうようなことがあったので、もう慣れですねぇ」

 

まゆがそう返す。

 

「美波さんはこの世界の法則をお忘れですか?

 プロデューサーさんは、もし死んだとしてもまた生き返って

 人生をやり直せるんですよ。なぜかまゆ達も一緒にね。

 死んだら死んだでその時です。むしろ今の彼は死ぬことを拒否してる

 みたいに思えるんです。これって運命の神様がまゆ達に彼の私生活を

 管理しなさいと言ってるように思えませんか?」

 

「ぜんぜん……ぜんぜんっ思えないよ。

 もうくだらない話し合いは良いから、せめて彼を楽に死なせてあげて」

 

「死なせるって何言ってるんですか。

 まゆ達は彼のお世話をするんですよ?」

 

「あんた達みたいなヤンデレに……生殺与奪の権利を握られたんじゃ

 プロデューサーにとってはただの拷問だよ」

 

「ひどい言い方ですねぇ。誠心誠意彼のために尽くすと言ってるのに

 美波さんにとっては拷問になっちゃうんですか。

 ところで他の皆はどう思いますか?」

 

まゆが、ちらりと美優を見た。

美優は自分の話す番が来たのかと思い口を開く。

 

「とりあえず、美波ちゃんは黙ってなさい。

 私達の決定にいちいち口を出すのはやめて」

 

「なんでそうやって私を仲間外れにするの!!」

 

「黙ってなさいと言ったわよね?

 私は正直あなたの顔を見るだけで最高に不愉快なのよ。

 今後のことを話し合うためにも、私達がプロデューサーの

 日常のお世話をしながら、彼の状態を確認していきます。

 確か以前入院した時に、彼の身体は旧日本海軍の駆逐艦と

 同等の耐久性があると主治医が漏らしてたわよね。

 つまり彼が死ぬ可能性は低いと考えていいと思うのよ」

 

「確かに死ぬ可能性は低いかもしれないけど、

 あの状態じゃベッドから起き上がることさえ……」

 

「黙りなさいって言ったでしょ!!

 私の話を最後まで聞きなさい!!」

 

美優の固く握った拳が壁に叩きつけられ、

その衝撃によってキッチンでお茶の準備をしていた智絵理が転ぶ。

 

「そもそもね、彼に自由に動き回られたらいつ脱走するか

 分からないし私達は不安なのよ。

 それに美波ちゃんと陰でイチャイチャしてたわ……。

 ここには彼が動けなくなったことに反対する人はいないわ」

 

「……加蓮とか卯月ちゃんは余裕で反対すると思うけど」

 

「民主主義では反対派の意見は抹殺されるわ」

 

「なによそれ!! プロデューサーさんからの

 お願いで妻同士で意見が割れたりしないよう

 仲良くするように言われてるでしょ」

 

「残念だけどそのお願いは無効になったの。

 彼の姿を見て見なさい。もう食事はおろかトイレさえ

 自分の足で行くことはできなくなったわ。

 介護が必要な人に私達に命令する権利があるとでも思ってるの?」

 

「く、狂ってる……。

 そこまでして彼を手に入れたとしても、ただの自己満足じゃない。

 彼の気持ちはどうなるの?」

 

「美波ちゃん。その理屈は自分だけが彼に選んでもらえたっていう

 上から目線で語っているわ。何度も同じことを言うけど調子に乗らないで」

 

「別に調子に乗ってなんて」

 

「いいえ。調子に乗ってるでしょう」

 

「……」

 

「ふーん。そうなの」

 

「え? 今私何も言ってませんよ」

 

「なんとなくだけど美波ちゃんの考えてることが分かっちゃったのよ。

 あとで加蓮ちゃんと協力してプロデューサーを安楽死させようとか

 考えてるんでしょう」

 

「うっ……」

 

「図星ね。この世界をリセットさせてまたプロデューサーさんと

 お近づきに慣れたらあなたにとって最高の展開よね。

 でもだからこそ、私達は」

 

――絶対に美波ちゃんを幸せにするつもりはないわ。

 

そう言い切った。有無を言わさぬ迫力だった。

まゆや響子も何度も頷いて賛同の意を表している。

 

そこへ先ほど転んだせいで軽く腰を痛めた智絵理がやってきた。

 

「ここにいる皆でプロデューサーさんのお世話をすることは

 すでに決定しました。もし美波さんが『みんなの決定』に

 反対し続けるつもりならこっちもそれなりの対応をしますけど」

 

智絵理の血走った瞳は、美波をまたムチで拷問して痛めつけると

語りかけているのだった。ここでは佐久間まゆが一番偉い。

まゆの元に過激派のヤンデレアイドルが集い、少数派を排除する。

女性の多い職場でよくある、お局による新人いびりのようだった。

 

「分かったよ……。そんなに彼を管理したいのなら好きにすれば」

 

美波は屈した。やむを得なかった。

あとで加蓮や卯月らも交えた会議を行い、まゆの同調圧力によって

正式にプロデューサーをマンションでお世話することが決まった。

 

 

その日からプロデューサーはまゆ達に思う存分にお世話をされた。

かつて可愛がっていたアイドルに慕われること自体は悪いことではない。

 

彼の症状はまさしく日常生活が送れないレベルだった。

ベッドから半身を起こすとめまいがして肩から床に落ちそうになる。

 

まもなく9月の末になるが、カーテン越しに日光を浴びても

肌が暑さを感じてくれない。何を食べても味がしないし、

アイドルに触れられても人の肌の感触を感じることができない。

 

人体は中枢神経系が存在するが、脳の他には脊髄があり、

脊髄は脳と同じく一度損傷すると治癒不可能な部位とされている。

脊髄損傷は交通事故などで発生するが、

損傷がひどい人は半身不随になり一生を送ることになる。

 

プロデューサーの脊髄損傷は、最も深刻な完全損傷ではなく、

不完全損傷だった。数日間したら手足のしびれが収まり、

感覚が戻ってきた。触感や温度感はある。もう二度と感じられないと

思ったのに奇跡だと思った。しかし料理の味はしないままだ。

 

退職後はこれと言って趣味もなく、食べることだけが趣味だったのに

彼の最大の楽しみが奪われてしまったのだ。

 

この時のプロデューサーにとって不幸だったのは、

体の自由が効かないこと以外では意識がはっきりしていることだ。

 

手足のしびれが収まったと言っても、今度は内耳の三半規管が

損傷したためか、平衡感覚が常になく、手をまっすぐ前に伸ばすことも

できないし、自力で立つこともできない。

 

夜はひどいめまいに襲われ、夕飯に食べたものをモドすこともあった。

水を入れた冷たい枕の上に顔を乗せて安静にしていると、少しは楽になる。

 

プロデューサーは自分の身体の今の状態に絶望し

涙さえ流したわけだが、手足に力が入らず舌を噛み切ることも

できないので自殺は不可能。そもそも、なんであの時に肇ちゃんを自宅に

招待したのかと思い、発案者のまゆを本気で恨んでいた。

 

 

「プロデューサーさ~~ん。お風呂の時間ですよ~~」

 

智絵理が寝室(監禁部屋)に顔を出した。

ノースリーブの花柄のワンピースを着ている。

 

「いつもすまないな智絵理。

 体の調子が悪い間はしばらくお世話になる。

 だけどいつかは自分で風呂に入ろうと思ってるんだ」

 

「自分でって……その体でですか? 

 プロデューサーさんは自分で動けないのに

 そんなことを言うなんておかしいです」

 

「実は毎日少しづつだけど体に感覚が戻り始めてるんだよ。

 ベッドの上でも手足の先を少しずつ動かしてトレーニングをしてるんだ」

 

「なんですか、それ」

 

「智絵理……?」

 

「私、知ってますよ。プロデューサーさんって美波さんがお世話当番の日は

 喜んで介助されているのに、私や響子ちゃんが体に触れようとすると

 露骨に嫌がりますよね……。どうしてなんですか?」

 

「……」

 

「それに美波さんの前ではよく話すし、不平不満や愚痴もこぼすのに

 私達の前ではいつも静かですよ。いつも暴力を振るわれるんじゃないかって

 ビクビク脅えて、話の最中に目をそらすことが多いし、

 小動物みたいになっちゃいましたね」

 

「……いいからお風呂に入れてくれ。あまり遅くなるとみんなの迷惑になる」

 

「はい」

 

智絵理はお風呂で夫の手足を丁寧に洗ってくれた。

悲壮感が漂うが、顔立ちは美しいままの夫に何度もキスをしながら、

自由を失った筋肉のついた手足を愛おしそうに舐めつくした。

 

風呂から出てプロデューサーがドライヤーで髪の毛を

乾かしてもらっている時に、智絵理がこう言った。

 

「もう分かってるとは思いますけど、私達はプロデューサーさんが

 自分で動けなくなったことを喜んでます。たとえプロデューサーさんが

 一生そのままの状態だったとしてもお世話するつもりですよ」

 

(嘘つけ……一生世話をするって言葉の重みをお前らは知らないんだ)

 

「でもプロデューサーさんの心まで屈服させることって難しいみたいですね。

 プロデューサーさんったら本当に美波さんのことが好きになっちゃったみたいで

 寝言でも美波……美波……ってつぶやいてるそうですよ」

 

(智絵理……俺の世話なんかで貴重な人生を無駄にするな。

 おまえには世間の注目を浴びて人を笑顔にできる仕事があるはずだ)

 

「美波ですか……。そうですよね。美波さんって背が高くて美人さんで、

 声も素敵だし、誰から見ても綺麗ですよね。プロデューサーさん、

 前に私に言いましたよね。美波さんに比べたら私は小学生にしか見えないって」

 

(俺は一生このままの状態が続くのか……?

 いくら何でも冗談だろ。また肇が心配になって身に来るはずだ。

 それに加蓮だって今は納得したふりをしてるけど途中で止めてくれるだろ)

 

「私がっ!! こんなにもあなたのために尽くしているのに、

 どうしても私のことを好きになってくれないんですね!!」

 

智絵理は、ドライヤーのコードをコンセントから引っこ抜き、夫の

首に巻き付けた。コードは短いし細いのでそれだけで死に至らしめることはないが、

明確な殺意の込められた行為にプロデューサー戦慄する。

 

「やめ……やめてくれ……智絵理……あまり締められると息ができなくなっちゃうよ」

 

「そんなこと言っても簡単には止めてあげませんよ。

 私がムカムカした時はこうやってストレスを解消するんです。

 プロデューサーさん、今私の話を上の空で聞いてましたもんね。

 どうせ美波さんの事でも考えてたんでしょ。だからお仕置きです」

 

智絵理のヒステリーもひどいものだった。

彼女は人見知りする性格であまり自分を表に出すタイプではなかったが、

まゆや響子に負けないくらいに根に持つタイプだった。

 

美波に対する嫉妬は日に日に増す一方で智絵理自身も

制御することが不可能となっていた。この日はたまたま

智絵理が女の子の日であったことも重なり、攻撃に容赦がなかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

美波が凶行現場に駆けつけた。

美波は正義の味方か……(;´∀`)


プロデューサーは智絵理に背後から首を絞められていた。

ただでさえ体の自由が効かないうえに、智絵理の顔を見ることさえできない。

 

彼は底知れない恐怖と過度のストレスにより漏らしてしまうが、

智絵理はそれでも首を絞めるのをやめてくれなかった。

 

プロデューサーの首は人並み以上に頑丈でありコード如きでは

絞め殺すことはできないことは前述したかもしれないが、

苦しいことに変わりはない。

 

もうすぐ絞められている肌が裂けて血が出そうだった。

 

(智絵理……どうして俺をこんなにも苦しめるんだ……。

 そんなにも俺が憎いのか……)

 

智絵理はプロデューサーが泣きながら命乞いをするまで

許すつもりはなかった。今度は手で絞めてやろうと

プロデューサーに馬乗りになる。

 

元気だった頃の彼なら、体重の軽い智絵理など

一瞬でどかすことができただろう。今はあまりにも無力だった。

 

智絵理がそっと手を伸ばそうとした時、

プロデューサーは死を覚悟したのと同時に、

やっと楽になれるのだと安堵の気持ちもあった。

 

(美波……)観念し目を閉じながら美波のことを想った。

その願いが通じたのか、廊下を誰かがバタバタと駆けてくる音がした。

 

「そこで何してるの!!」

 

美波が血相を変えてプロデューサーの寝室に飛び込んできた。

 

「ちっ……呼んでもないのにどうして来ちゃうの」

 

「そんなことより何してるの!!」

 

「見て分からないんですか? お仕置きですよ」

 

「ちょっと嘘でしょ……彼の首。真っ赤になってるじゃない。

 まさかずっと首を絞めていたの……?」

 

「ずっとってほどでもないですよ。

 たぶん5分くらいだと思います」

 

「どうしてこんなことするの!!

 あんた、プロデューサーのお世話をするって

 言ったのは嘘で本当は殺すのが目的なの!?」

 

「お仕置きって言ってるじゃないですか。

 夜なので大きな声出すのやめてくださいよ」

 

「今すぐ彼から離れて。離れろ!!」

 

「嫌ですよ。今日は私がお世話する当番なんですから。

 ちゃんとおやすみなさいの瞬間まで夫の面倒を見てあげるつもりですけど。

 当番は翌朝の起床時までと決められてますから、

 その間は美波さんが彼に近寄ることは禁止ですよ」

 

「あんたみたいなクソ女には彼のお世話は任せられないって言ってんの!!」

 

「クソ女……? ああ、自己紹介ですか。

 美波さんがクソ女なのはみんな知ってますよ」

 

「バッカじゃないの。あんたに言ってるんだよ!!

 いいから離れろよ!!」

 

「痛いっ。髪引っ張らないでよ!!」

 

ふたりは取っ組み合いを開始した。そこへ加蓮がやって来て

智絵理を二人で抑え込んだ。そこまでは良かったのだが、

ついにまゆや響子も来てしまったのだ。

 

「はいはーい。そこまでですよぉ。喧嘩はいけませんよ。みなさん」

 

まゆが手を叩くと皆が注目した。

 

「もうこの手のやり取りをするのも何度目でしょうかね。

 美波さんがいると何かと揉めちゃいますから仕方ないんですけどね。

 智絵理ちゃんと美波さん。今さらどちらが悪いかなんて

 興味はありませんし意味もありません。そこで……」

 

プロデューサーさんに決めてもらいましょうとまゆは言った。

 

続いてこの部屋にやって来た美優によってプロデューサーは介抱されていた。

首にコードの形のアザは残っているが、目立った外傷はない。

漏らしてしまったのでその場で下着を交換してもらい、

汚れた下半身はタオルで拭いてもらっていた。

 

「美優ありがとう。いつもすまないな。

 それでまゆ……俺が何を決めればいいんだ?」

 

「ですから、智絵理ちゃんと美波ちゃんのどっちが悪いんですか?」

 

「……もし俺がその判定をしたら、悪い側の子は処罰されるのか?」

 

「はい。とりあえず、軽いお仕置きですね」

 

「だったら俺は何も言わない。

 どっちが悪いとか、そんなの子供の喧嘩じゃないか」

 

「まゆはそんな返事は望んでいません。

 このマンションでは集団で生活をしているわけですから、

 粗相をした子は規則に乗っ取り罰を受けてもらわないと

 いけません。他の皆への示しもありますので」

 

「罰とか、ルールとかさ、そんなんでガチガチに人間を縛っても

 最後は悲劇を生むだけだよ。智絵理が俺の首を絞めたことは

 確かだが、智絵理も本気で殺すつもりはなかったみたいだし、

 あいつの気がそれで済んだのならそれでいいじゃないか」

 

「なるほど。では智絵理ちゃんを拷問しましょうか」

 

まゆの作るルールでは、すでに婚姻を結んだプロデューサーに

暴行を加える者は理由が何であれ悪であり、婚約指輪まで

渡して愛を誓ってくれた彼に対する最大の裏切りとした。

 

まゆは、智絵理の背中に対してムチ打ちをすると宣言した。

彼女を更生させるためには仕方のない措置なのだと言う。

 

智絵理は「えっ……」と言ったきり蒼白になった。

 

「いいわね」美優が悪魔の顔で微笑む。

「私も賛成かな」響子も笑う。

 

美波と加蓮は急展開に着いて行けずに沈黙していた。

 

「それじゃあ智絵理ちゃん。

 背中を叩くから上着を脱いでくれる? ブラもね」

 

「あ、あはは……。まゆちゃん、やだな。冗談ばっかり言うんだから」

 

「上着を脱いで、そこの床の上にうつぶせに寝てちょうだいね」

 

「……」

 

「どうしたのかな。まゆの言ってること聞こえなかったのなら、

 もう一度言ってあげてもいいけど、

 できるだけ早く理解してね。できれば、まゆが本気で怒る前に」

 

「分かりました……」

 

智絵理は上半身裸になり、おとなしくうつぶせになった。

もう頭の中はこれから行われる拷問のことでいっぱいだ。

嚙み合わせがカチカチと小刻みに音を立てている。

 

「シンガポールでは今も鞭打ちの刑罰が行われているそうですね。

 知っての通りシンガポールは世界一治安の良い国ですが、

 実は社会だけでなく学校単位でも鞭打ちの刑罰を施してるくらいで

 そのために治安が保たれているようです。

 さて。罰の内容によって鞭打ちの回数が決まります」

 

まゆは微笑しながら

 

「その件なのですが、プロデューサーさん」

 

と言い、回数をどうするか問うた。

 

「俺が答えると思うのか。こんなバカなことはやめてくれ」

 

「そうですか。じゃあ別の人に聞きますね」

 

今度は美波を見て言った。

 

「新田美波さん」

 

「は、はい!!」

 

美波は緊張のあまり失神しそうだった。

目の前に古代エジプトの女王がいるのかとさえ思った。

 

「もちろん嫌なら答えなくても構わないんですけど、

 それでも美波さんでしたら答えてくれると信じてますよ。

 鞭打ちの回数はどうすればよろしいのでしょうか?」

 

「は、8回……?」

 

「いいですね」

 

「いいの?」

 

「はい。それはもう。実はシンガポールでも暴行罪の人は

 6回から8回程度と決められているんですよ(嘘)」

 

まゆは、美優に鞭を持ってくるように指図した。

まゆが受け取ったのは、親指を少し超える太さの木製のよくしなる鞭だ。

オスマントルコで古くから使われてきた拷問道具だと言う。

 

その鞭を見た瞬間、智絵理が恐ろしさのあまり涙を流した。

 

「あ……あー……うぅ……!! やっぱり怖いです……。

 ごめんなさい。いやなんです。痛いのはやっぱり怖くて……

 お願いします……や、やめてください……」

 

「美優さんと響子ちゃん、智絵理ちゃんが暴れたりしないように

 手錠を使って手首と足首を固定して。あと、舌を噛み切らないように

 ハンカチか何かを口の中につめこんで。そうね。加蓮ちゃん。やってくれる?」

 

「え? あたしが?」

 

「うん。お願いね」

 

「はい。分かりました……」

 

加蓮もまゆの圧力に逆らうことはできなかった。

適当にその辺に会ったティッシュを何枚か丸めて

智絵理の口の中に突っ込む。これでは舌を噛み切れてしまうだろうが、

逆に息苦しさもないだろうと思った。

 

智絵理の手の側を美優が、足の方を響子が床に押し付けるように掴んだ。

これで智絵理は水泳をする人の恰好で動けなくなった。

 

「それじゃあいきますね」

 

「うぎっ……!!」

 

ムチがしなり、智絵理の無防備な背中に叩きつけられて

すごい音がした。最初の一撃ではまだ血が出るほどではないが、

それも時間の問題だ。何より智絵理は以前に美波を拷問する側だったから

そのダメージの大きさはよく知っているつもりだ。

 

なにより、鞭打ち刑の恐ろしさは公開されることで恥辱刑でもあることだ。

 

これが外国で行われているのなら、カメラを手にしたりと野次馬が

耐えないものだが、このマンションではこの刑を楽しんで見る者などいない。

 

また、ムチがしなった。

 

「あぐっ……」

 

智絵理の背中にバッテンのマークができた。

灼熱で肌を裂かれるような痛みは形容しがたい。

 

智絵理は息が荒くなり、次の一撃におびえながら

この時間を過ごさないといけない。バカみたいに自由な

頭だけを左右に振るが、それで拷問が終わるわけもなく。

 

「あっ……、うぐっ……」

 

今度は2回連続で叩かれた。叩かれるほどに背中が焼け付く。

叩かれた瞬間に身体がビクッと跳ね上がり、発したこともない

叫びがお腹から出てしまう。

 

「ふぅ……鞭を使う方も意外と疲れるのよね。

 これでやっと半分まで終わったわ」

 

プロデューサーは目を閉じて見ないようにしていた。

美波も目をそらしていた。美波だって決して智絵理を拷問したいなどと

思ったわけではない。加蓮だけはその光景をしっかりと目に焼き付けていた。

 

「智絵理ちゃん。どうかな。辛い?」

 

「あ、あうぅ……」

 

「痛みで頭がおかしくなっちゃったかな。

 じゃあ良かったらお酒でも飲んでみる?

 拷問の前にお酒を飲んで気分が楽になることもあるでしょう」

 

まゆが加蓮に指図した。

 

「冷蔵庫の一番下の段にあるサントリーのウイスキーを持ってきて」

 

「あたし、お酒とか全然分からなくて」

 

「は?」

 

「いや、だからお酒は……」

 

「いいから持ってきなさいよぉ!!!!」

 

「はい!! 持ってきます!! すみません!!」

 

加蓮は一目散に冷蔵へと走り、銘柄などよく分からないが

サントリーのブラックニッカ

(源流はスコティッシュ・ウイスキー)を選んだ。

 

「持ってきました」

 

「よろしい。そこに置いておきなさい」

 

「はい」

 

なんであたしに対して偉そうに……と加蓮は不満に思うが、

今のまゆは今までと違ってすごい迫力がある。少しでも口答えをしたら

次は自分が拷問されるのだと思わせるほど怖い。

 

まゆは、ウイスキーを水や氷で割ることなく、

そのまま智絵理の口に突っ込んで飲ませた。

 

ウイスキーの度数はワインの比ではない。

まして飲酒経験のない16歳の少女に強烈なアルコールが

口に会うわけもなく、智絵理は一瞬で吐きそうになるが、

口いっぱいに含ませた分を無理やり飲み込むことになる。

 

結局飲んだのはボトルの1割程度だが、これでも原液で飲むには

人体への影響は強烈すぎる。智絵理は体が弛緩し、眠たくなった。

 

あまたがボーっとしてしまい、焦点が定まらず、頭がぐるぐると

回っている。少しだけ心地よさを感じていたその時に、

まゆの鞭による攻撃が再開した。

 

ピシっ、と今までで一番良い音が部屋に響いた。

 

「うぎぃぃぃぃぃぃぃいっぃ!?」

 

「あははっ。智絵理ちゃんたら、なにその叫び声。

 アイドルがそんな声出しちゃったらファンの人が泣いちゃうよ。

 それじゃ、もう一回行こうか」

 

「あぎゃあぁぁぁぁぁ!! 痛いよぉおおお!!」

 

「ボロボロ泣いちゃって可愛い~~。

 智絵理ちゃんってそんなに涙を流せるんだね。

 まゆ、知らなかったよ。でもしばらくそのままの顔で

 鼻水を流し続けてね。今度は別の責め方をしてあげようかな」

 

まゆは、信じられないことにウイスキーのボトルを

彼女の背中の上で逆さまにした。晴れ上がった傷口は

すでに肌が裂けて出血しており、そこにアルコールを流し込んだ結果……。

 

「うぎゃぁぁぁぁあぁああああああああ!!

 痛いイイイ!! うぉおおぉおぉ!!!

 うあぁぁあぁぁぁああああ!!」

 

智絵理が狂ったように暴れるので押さえつける美優と響子は大変だった。

 

響子は智絵理の悲惨な姿を見て自分の身を案じていた。

 

(そういえば、私もプロデューサーさんの足を切断したりしてたんだけど

 やばいかな……。でもあれは前の世界でやったことだからノーカンのはず)

 

妻の間でまゆの権力が気が付いたら圧倒的になってしまっている。

まゆの存在は王女ではなく女王そのものだった。

 

響子は、まゆに多少の媚を売ることにした。

 

「いいね。まゆちゃん。智絵理ちゃんがしっかり苦しんでる。

 その調子だよっ!!」

 

「うん、応援してくれてありがとう。一回目の拷問でこれだから

 次の拷問をするのは疲れちゃいそうね」

 

「へ? 一回目の拷問?」

 

「うん。次は響子ちゃんの番だから」

 

響子はショックで失神しそうになった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

響子が拷問されれる側に回ってしまった。

なんでこんな展開に……。


拷問の後、智絵理は「すみません……すみません……」と

ぶつぶつ言い続け、生きる屍と化してしまった。

たった8回の鞭打ちでも彼女の幼い心を打ち砕くには十分すぎた。

 

加蓮が智絵理の傷の手当てをするが、少しでも

傷口に液体が浸み込むと智絵理が絶叫して作業が止まってしまう。

そのために消毒をすることもできず、ガーゼを当てて

包帯を巻くことにした。智絵理が痛がってこの作業も手こずったわけだが。

 

「さぁて。次ですよ」

 

まゆは床に転がされた響子を見下ろしている。

後ろ手に縛られた響子はこの世の終わりのような顔をして震えていた。

赤いスカートから黄色い液体が零れて床を濡らしていた。

 

「響子ちゃんは前の世界からプロデューサーさんを

 暴行することに一番遠慮がなかったもんね。

 さすがにプロデューサーさんの足を切り落としたのは

 やり過ぎだと思うな。そういうわけだから、再犯防止と

 戒めの意味も込めてこれから拷問してあげるね」

 

「……」

 

「どうしたの。反応なしだとつまらないよ。

 響子ちゃんの方から言い分とかあったら聞いてあげてもいいのに」

 

「じゃあ聞かせて。どんな拷問をするの?」

 

「水責めだよ」

 

水責めとは古代より行われてきた拷問方法だ。

響子が想像したのは、ペットボトルなどで永遠と水を飲まされ、

バッドなどで腹を叩かれるタイプの拷問だと思った。

 

しかし、まゆは違う内容を考えていた。

 

「美波さん。浴槽に熱いお湯でいっぱいにしてきて」

 

「浴槽……? はい。分かりました。今行きます」

 

言われたとおりにお湯があふれるくらいに一杯にした。

温度は43度に設定したから十分に熱いだろう。

 

まゆは響子の両足もしっかりと縄で縛り、胎児のような姿勢にした。

そして大きな浴槽の中に入れてしまう。

 

「がはっ……あぷっ…………」

 

響子はすぐに沈んだ。

服が水を吸ったせいで余計に重たく、そもそも

手足の自由が効かないので顔すら上げることができない。

長い髪が目の前に張り付いたせいで視界がない。

それに湯が熱い。

 

「響子ちゃん」

 

まゆが響子の前髪をつかんで水面から持ち上げ、息が吸えるようにした。

 

「げほげほっ……がはがはっ!! はぁーはぁー!!」

 

「今の気分はどうかな。響子ちゃん。

 響子ちゃんったら、プロデューサーさんにたくさん暴行して

 苦しめちゃったもんね。それに今のプロデューサーさんに対しても

 新しい拷問方法として爪をはがす方法を考えてたんでしょ。

 まゆは響子ちゃんのスマホの検索履歴を調べたから知ってるよ」

 

まゆは響子の髪をつかんだまま、もう一度お湯の中に押し込んだ。

 

ぶくぶくと、水面に泡が浮く。響子が息を吐きだしてしまっている証拠だ。

酸素の代わりにお湯が容赦なく口の中に流れ込んでいる。

 

このままでは響子は窒息死する。

 

響子はそれでも何とか顔を上に出そうと頑張ったが、

まゆの足によって押さえつけられている。

響子は生まれて初めて心からの屈辱を味わった。

 

しかし怒れば怒るほど体が力み、沈み込み、お湯を飲み込んでしまう。

もうダメ……と響子がすべてを諦めた。

 

「大丈夫?」

 

まゆはもう一度響子の顔を出してあげた。

 

響子は白目をむいており、顔が紫色に近い色になっていた。

唇まで真っ青だ。すでに死んでいるのかもしれないと思い、

まゆはお湯から出してあげた。

 

脱衣所の床に響子の身体を放り投げ、お腹にパンチした。

 

「おえええええええぇぇっ」

 

響子は寝たままの状態で口から大量の水を噴出した。

水の中にゲロや胃液が混じり、

お昼に食べたパスタの麵も含まれているのが生々しかった。

 

まゆは耐えがたい臭気に鼻を押さえながらも、

指先で響子の目をつついた。

 

「……っ!!」

 

響子は痛みのあまり声にもならず、顔を左右に振って

痛みに耐えていた。まゆの容赦のない指が突然目に入って来たので

避ける暇などなかった。目から涙が止まらない。

 

「ねえ響子ちゃん」

 

「いたいっ……!!」

 

まゆは響子の正面から馬乗りになり、

サイドポニーを持って顔だけを持ち上げていた。

ぶちぶち…と毛根が何本も抜ける音がする。

 

「実はまゆはね、物語の冒頭から響子ちゃんのことが

 気に入らなかったの。最初に彼の奥さんを宣言したのって

 響子ちゃんだったよね。まゆは一生忘れないよ。

 あの時、響子ちゃんったらまゆに失礼な事た~くさん

 言ってくれたもんね。だからこれはその時に恨みも含まれてるの」

 

「この……そんなに……私のことが憎いなら……殺せ」

 

「殺しちゃったら拷問にならないじゃない」

 

「ころ……せっ……殺せ!! 殺せええ!!」

 

「響子ちゃんったら元気なんだえ。怒鳴る余裕があるなんてびっくりだよ」

 

まゆは拳で響子の顔を殴った。二度三度と続けて殴るうちに、

響子の鼻から血が出てまゆの服についた。

女の力で殴るので男と違って力が足りない分、

相手が死ぬまでたくさん殴れる恐ろしいメリットが存在した。

 

そのまま殴られ続ける中で、両手両足の自由の利かない響子は

せめて一矢報いる方法はないかと考えたが、

なにも思いつかずに意識が遠のいていく。

 

 

ちょうどその頃、まゆと響子の居ないプロデューサーの寝室では、

まゆを殺す方法をみんなで話し合っていた。只今の拷問現場は

まゆが指定したバスルームであり、私が拷問してる時は入ってくるなと

命じられていたのだ。

 

まゆを殺す件に関しては、美波や加蓮はもちろん、

急遽連絡を受けてマンションにやって来た島村さん、

派閥ではまゆ派だった美優でさえ賛成していた。

 

まゆはプロデューサーが要介護になってから妙に

迫力がついてしまい、美奈が今回の拷問に従う形となったが、

冷静に考えたら一番おかしいのは佐久間まゆだ。

 

現に智絵理は発狂してしまい、もう二度と元に戻らないかもしれないのだ。

 

まゆを殺すことで全員の意見は一致した。

問題は、誰がまゆを殺すかだった。

 

「私が行くわ」

 

美優は自分が年上だからだと言う。

若い子達に殺人の罪を犯してほしくなかった。

 

美優は高圧電流の流れるスタンガンを持った。

スタンガンでまゆの動きを止め、首を絞めてしまえば終わりだ。

 

「おい美優。本当にやるのか?」

 

「もちろんです。これは誰かがやらなければならないことですから」

 

「……考え直す気はないのか?

 まゆだってまだ高校生の女の子なんだ。

 いくらなんでも殺すって安直な方法で解決するんだろうか」

 

「あの子の正体は怪物です。もう何を言っても止まらないでしょう。

 私達も下手をすれば全員暗殺されるかもしれないですから、

 これは仕方ないことだと諦めてください」

 

その時、都合よくまゆがバスルームから出てきたのだった。

響子の髪の毛を持ったまま引きづっている。

 

美優が目をカッと開き、スタンガンを片手にまゆに突っ込んだ。

 

しかし美優は突然胃のあたりが痛みだし、

立ってる事さえできずに倒れこんでしまう。一体何が起きたのか。

 

まゆは無言で立っている。そこで島村さんが床に落ちたスタンガンを拾い、

美優の代わりにまゆへ突撃したが、美優と同じくお腹を痛そうにして

しゃがみこんでしまう。

 

「いたい……」

 

卯月の痛がり方は尋常ではなかった。

プルプルと震えながら油汗を流し始めた。

 

「うふ」

 

まゆが、卯月と美優の脇を通り過ぎる。

すると二人はどういうわけか苦しまなくなった。

 

「ねえねえ。美波さん」

 

まゆが美波を指さすと、今度は美波がお腹を押さえて苦しみ始めた。

 

(うそっ……何この痛み……マジで死んじゃう……)

 

胃や腸をわしづかみにされてるような感じがした。

美波は急に下痢に襲われたかと思うと、今度は吐き気に変わった。

吐き出す前に何とかトイレにまでたどり着くことができた。

 

しかしおかしいことに、吐き出したのは胃液だけで

消化中のモノは何も出てこなかった。

まるで先ほどの吐き気が嘘だったかのようにその後は楽になる。

 

美波がトイレから出ると、加蓮がまゆの前で土下座させられていた。

 

「今ので分かってもらえたと思うのだけど、まゆは神様から特殊な

 力を借りることができたので皆さんのお腹の中を少しだけ

 操作できるようになったの。そう。私が念じたり、少し手をかざすだけで

 胃や腸が圧迫される感じがするでしょう」

 

まゆは操作と言ったが、ハンター×ハンターに出てくる操作系の能力だろうか。

書いてる筆者自身もまゆに突然備わった能力についてよく分かってない。

従ってこれ以上は掘り下げないことにする。

 

しかしこれは大変なことになった。

 

まゆはどうやらプロデューサーが要介護になった瞬間に

神様から能力を授けられ、他のアイドルを屈服させることに成功したようだ。

 

加蓮はまゆに土下座を命じられてその通りにしているわけだが、

少しでもまゆの機嫌を損ねたらお仕置きされるのは言うまでもない。

 

加蓮は本気でまゆにおびえており、

依然存在した力関係は完全に逆転してしまっていた。

 

 

この日からまゆはプロデューサーの正妻を名乗る。

 

他の女は側室以下の存在とされ、プロデューサーの

知り合いにまで格下げされた。友達や職場仲間ですらないのだ。

 

本音では全員を殺してあげてもいいのだが、プロデューサーが

悲しむだろうと思い遠慮する。こんな時でも乙女心である。

 

「まゆ様……朝ご飯の準備ができました」

 

美優が首を垂れる。

 

「ありがとう。すぐに夫と行くわ」

 

まゆは寝室からプロデューサーを車いすに乗せてキッチンにやって来た。

プロデューサーの顔はひどいものだった。まゆの支配による心労から

晩年のソ連の最高指導者ウラジーミル・レーニンのようになってしまった。

 

プロデューサーはだらしなく椅子にもたれかかり、常に白目をむいているが、

暖かい食事の匂いがしたので意識が元に戻った。今日のメニューは

目玉焼きにウインナーにミニトマト。ごく普通のメニューなのだが、

普通の日常ほど尊いものは他にないと30歳の直前で気づくに至る。

 

食卓では依然と変わらず、みんなが同じ席に着いている。

 

まゆが険しい顔で言う。

 

「さっきから食事中なのにどこを見ているの」

 

プロデューサーはつい美波を見てしまう癖が治らなかった。

 

「ごめん……」

 

「いいえ。いいんです。こっちの方こそごめんなさい。

 あなたを委縮させる気はなかったのよ」

 

「……そっか。まゆが怒ってないなら安心したよ」

 

「ええ。だって怒る理由がないもの。

 プロデューサーさんが見ていたのはただの知り合いですものね」

 

「あ、ああっ。そうだ。まゆも言っていたけど、

 なぜか一緒のマンションに住んでる同居人だもんな」

 

――なぜか一緒のマンションに住んでる同居人。

 

倦怠期夫婦が好みそうな表現であるが、今回は困ったことに

その同居人が複数人いる。このような奇妙な男女関係を

持った人は、古今東西の歴史を探しても彼らくらいだろう。

(司馬遼太郎的表現)

 

プロデューサーは一日でも早くこの状況が改善されることを願ったが、

現状はひどいものだ。

響子は廃人同然となり寝たきりだ。智絵理はクマのぬいぐるみを

抱きしめながら独り言を言い続け、暇さえあればリストカットをしていた。

 

美優や美波達はまゆの手下同然となり、この家での家事全般をこなしていた。

まゆは日中は学校と仕事がある。彼女が帰ってくる前に家中を

ピカピカにしておくのが彼女達の仕事だ。とはいえ美波も大学生なので

もっぱら家事は転職活動中の美優の仕事となった。

 

そんな美優を気の毒がって卯月も積極的に家事を手伝ってくれた。

彼女達の定義する家事にはプロデューサーのお世話が含まれている。

というより、これが全てと言ってもいい。

 

プロデューサーの生活をしっかりと管理しておかないとまゆに怒られる。

まゆが怒る……とは、神の怒りに触れるのも同義だ。

 

プロデューサーの体調は日によって変わり、一日壁だけを見つめて

過ごす日もあれば、人が変わったように以前の知性が戻ることもある。

その際の彼の発言はまるで学校の先生のように立派だった。

 

 

ある日、プロデューサーがまゆ以外のアイドルが全員(廃人除く)

集まっているところで解散命令を出した。

 

「解散……ってどういうことなんですか」

 

美波が大きな美しい目を見開いている。

 

「みんな。今日まで俺のお世話をしてくれてご苦労だった。

 美波も美優も加蓮も卯月も、本当に俺を労わってくれてるのが

 伝わってうれしかった。同時に俺は罪悪感を感じていた。

 皆の貴重な時間を俺が奪ってしまってるんだからな。

 でも俺のためにこのマンションにいたところで皆にとって

 もうメリットは何もないと思う。だから解散だ」

 

「つまり出て行けと?」

 

美優が目を細めて言った。

 

「少し違う。いったん解散するんだよ。

 このマンションに来るのは今日で辞めろ。

 まゆはああ見えて気まぐれなところがあるから、

 皆もあとで響子や智絵理みたいに拷問されるかもしれないんだぞ」

 

「でも、そうしたらもう会えなくなっちゃうじゃん」

 

加蓮が言った。

 

「そうかもしれないな……」

 

「そんなの、嫌だよ」

 

加蓮が涙目になるが、それ以上は何も言わなかったのでプロデューサーも

黙り込んでしまう。卯月は何かを言いだそうとしたが、お通夜のような

この雰囲気では言いだすきっかけがない。

 

そこで重い口を開いたのは19歳の美波だった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

まゆの実家は仙台市にある。

仙台育英高校は2022年夏の甲子園において
晴れて優勝を飾り、東北の悲願を達成した。
もっとも、まゆがどこの高校出身なのかは知らないが。


新田美波は語った。

 

「本当はすごく嫌だし、さみしくて死んじゃいそうだけど、

 私はプロデューサーさんの指示であれば従います」

 

プロデューサーの解散命令に素直に応じると言ったのだ。

くどいようだが、彼はまゆによる婚姻を一方的に受け入れるために

まゆ以外のアイドルといったん離れ離れになると宣言したのに。

 

「は?」

 

と憤怒するのは加蓮のみにあらず。

美優もまた表情険しく、美波を視線で射貫く。

 

「私はそんなの嫌です!!」

 

島村さんも、やはり反対した。

彼女ならきっとそう言うだろうと

プロデューサーは思っていたので驚くことはない。

 

「私は……まゆ様の奴隷の身分で友達以下の存在だったとしても構いません……。

 だってそうでしょ。プロデューサーさんが、まゆ様と二人きりで過ごすように

 なってしまったら、私達の居場所は完全に消え去ってしまう。

 もしかしたら永遠に会えなくなるかもしれないんですよ……。

 そんなの、美波さんは耐えられるんですか?」

 

「卯月ちゃんの気持ちはわかるわ。でも今回ばかりは仕方がないことなの」

 

「私はそんな簡単に割り切れません!!

 まゆ様に出て行けって言われたわけでもないのに、自分から出て行くなんて!!」

 

「プロデューサーさんが言うようにこんな生活がいつまでも続くわけないわ。

 まゆ様のご機嫌を損ねることがあれば即拷問なのは確実。私は何度も

 食事中に睨まれているわけだし、やっぱり自分の命が惜しいの」

 

この美波と呼ばれる女子大生。

デレマステレビ版においても清楚で優しかった。

現実世界にありがちな、大学のミスコンに

選出されて調子に乗ってそうなケバい女とは大違いであり好感が持てる。

 

「プルエトル・オネテ……めェ……ジュ・ヌ・ブ・パ・モリール……」

 

美波は脈略もなく仏語を話し、

死にたくない旨を伝えたが、誰にも伝わらなかった。

 

これに一番驚いたのはプロデューサーだった。

今話したアラビア語(Pはこう思った)の意味は分からないが、

彼女の沈んだ表情から死にたくないと言っていたのはなんとなく分かった。

 

美波はあと一歩でプロデューサーの妻の地位が手に入ったのだ。

それをあっさりと捨てるのは、愛する男に対する執着よりも死への恐怖、

生への欲求が勝った証拠。

 

彼女は決して、

 

――美波。目を覚ませ。俺より良い男なんて世の中に星の数ほどいるぞ。

 

プロデューサーから繰り返されたアドバイスに納得したわけじゃない。

 

「プロデューサーさん。今まで迷惑ばかりかけてしまって、

 申し訳ありませんでした。本当になんて謝ったらいいのか。

 自分でもよくわかりません。私はあなたの指示に従います。

 今日の夜にこのマンションを出て行こうと思います。

 今まで色々と……本当にお世話になりました」

 

三つ指を突いて土下座するのは、古風な女性のすることだとぞ、

コンビニバイト時代の言葉が脳裏によみがえり、プロデューサーは

嗚咽をこらえた。できれば彼女を抱きしめてやりたいが、

ヤンデレに囲まれたこの状況に置いてそれはもはや冒険である。

 

これに対し、他の妻候補どもの反応は薄情としか言いようがない。

 

美波が自室(まゆによって割り当てられた部屋)に戻り、

持ち帰る衣類の整理をしていると、加蓮と卯月は静かに笑った。

 

今度はプロデューサーの表情が険しくなり、いっそふたりを

怒鳴り散らしたくなる。聞かなくても分かるのだ。

一番の邪魔者であった美波が自分から消えることで愉悦を感じたのだろう。

 

プロデューサーの怒気を感じ、加蓮の顔に焦りが浮かぶ。

 

「ねえ、もしかしてこの流れってあたしたちも出て行かないとダメな感じ?」

 

「強制はしない。だがよく考えてみてくれ。

 少なくとも俺は美波の下した結論が一番賢いと思っているよ」

 

「こんな時まで美波さんの事褒めるんだね……。

 ま、いいんだけどさ。やっぱり少しだけ考える時間をちょうだい。

 あたしだって急に解散命令が出てびっくりしてるんだから」

 

「ああ。君の言う通り考える時間は必要だ。

 俺だって急にこんな話をしちゃって悪かったな」

 

「ううん、プロデューサーさんが謝ることじゃないから」

 

会話はこれで終わり、それから沈黙が続いた。

プロデューサー、加蓮、美優、卯月の四人は、互いに視線を一切

合わせることなく、それぞれが虚空や床、天井を見つめながら考え事をしていた。

 

時計の針の音だけが響く、今までにない異様な空間だった。

ここでは時間の感覚さえも失われてしまったのかもしれない。

 

プロデューサーがそろそろトイレにでも行こうかと思った時、

不思議なことに時間が70分も過ぎていた。時計が壊れたのかと思ったが、

そうではなかった。全員が現実を直するのにそれだけ時間が掛かったのだ。

 

「あの……私少し考えたんですけど」

 

岩手県出身のアイドル。三船美優が沈黙を破る。

彼女は165センチと長身である。

 

「みんなで一緒に自殺しませんか」

 

ちょっとコンビニまで買い物にでも行きませんかと言ってるのと

声のトーンに変わりはない。美優は別に部屋に行き、コンビニで安売りしている

毒針を人数分持ってきた。これを静脈に打ち込めばすぐに死ねると言う。

 

美優はリネン毒素についての説明を始めた。

欧州で使用されている暗殺用の毒であり、

原材料となる物質は自然界で簡単に入手できる。

これを静脈に注射した場合は多臓器不全を引き起こして死に至らしめると。

 

美優はまだ説明したがっていたが、それをさえぎり、

 

「なぜ死ぬ?」

 

プロデューサーが問う。

 

「死ぬしかないじゃないですか」

 

「だから、その理由は?」

 

「死んでこの世界をリセットするんですよ。

 そうしたらまた例の冬からやり直せるじゃないですか」

 

「美優。君はまゆに説明されたことを忘れちゃったのかい?

 まゆはどうやらこの世界の物理法則とかを色々と改変できるんだ。

 俺達がこの世界をリセットしたところで、またまゆが最強の状態から 

 スタートできるそうじゃないか。昔流行っただろ。強くてニューゲームとか」

 

「それって根拠はあるんですか?」

 

「根拠って……」

 

「実際に試したわけでもないのによく言い切れますよね。

 本当にまゆちゃんがこの世界の神様にでもなったつもりなら、

 その証拠を示してもらいたいです」

 

「まゆには不思議な力がすでに備わっている……」

 

「それはそうですが」

 

「だが美優。こうは考えないのか?

 まゆの言ってることがもし本当だとしたら、君達は次の世界に

 行ってからもっとひどい拷問を受けることになるんだぞ。

 その可能性がないと、どうして言い切れるんだ?」

 

「……」

 

「美波は諦めてくれたよな。あの子だって相当な葛藤の末に導き出した

 結論だったのだろう。悲しいだろうな。ああ……俺だって、俺だって

 本当はみんなとずっと一緒に居たかったよ。でもさ、もう仕方ないじゃないか」

 

プロデューサーはさめざめと泣いたので、美優はそれ以上は何も言わなかった。

しかし彼女は決しておとなしくなったわけではなく、

 

(やっぱりこの人を殺すしかないわね)

 

と思っていた。プロデューサーは身体が不自由なので少し後ろに回り込めば

毒針を刺すのに10秒とかからないだろう。

美優はあくまでまゆが強くて再開できないことを前提で考えていた。

 

その判断は正しいのか。そもそもなぜ美優は自信があるのだろうか。

 

実は筆者もまゆの能力や次の世界のことはよく分かってないので

適当に書いている。ちなみに作中の季節がいつなのかも分かってない。

久しぶりに作文を書いたので前回までの内容を忘れてしまったのだ。

 

「そんなこと言って、本当は喜んでませんか?」

 

「卯月……?」

 

「私はプロデューサーさんの本心を知っています。

 プロデューサーさんは、私や美優さんのことは心の中では

 うざったくて早く離れ離れになりたいって思ってましたよね」

 

「なにを」

 

「たぶんこの人は美波さんや加蓮ちゃんと別れることは辛いと思ってる!!

 そうだよね!! 私や美優さん、智絵理ちゃんや響子ちゃんのことは

 なんとも思ってないんだ!!」

 

「おい。卯月。なんてことを言うんだ。俺は真剣に話し合いをしてるんだぞ!!」

 

「こっちだって真剣に話してるんですよ!!

 プロデューサーさんはそんなに自分に誠意があると思われたいのなら、

 どうして美優さんの案を受け入れないんですか!!

 ここは死んでしまえば、またやり直せる便利な世界じゃなかったんですか!!」

 

「そんな、都合の良い世界を……神様が作ってくれるものかよ」

 

「神様なんて、いるかどうかも分からないのに」

 

「だがこの世界は繰り返してることは事実だ」

 

「プロデューサーさん。おとなしく死んでください」

 

「お、おいっ!!」

 

卯月がプロデューサーを羽交い絞めにした。美優が急いで毒針を

彼の腕に刺そうとするのを加蓮は最後まで眺めていた。

加蓮も同じ気持ちだったのだ。

可能性が低いとしても世界をやり直した方が良いと。

 

 

その時だった。玄関が開き、この部屋の支配者がやって来てしまう。

 

「はいはーい。そこまでですよぉ」

 

佐久間まゆ。もはや恒例の展開である。

 

「喧嘩はやめましょうねって前にも言いませんでした?

 みなさんは同じことを何度も言われないと理解できないほどの

 おバカさんなんですかぁ? うふふ……。それよりも

 なにやら楽しそうなおしゃべりをしてたみたいですね~~」

 

「ち、違うのよまゆちゃん……こ、これはね……」

 

「プロデューサーさんが具合が悪そうだから

 私と美優さんでお注射をしてあげようとしたの」

 

「でもそれ、コンビニで売ってる安売りの毒針に見えますね」

 

「うっ……」

 

「卯月ちゃんと美優さんにはお仕置きが必要ですかね。

 まゆは嘘つきって大嫌いなんです。ちょうどいい機会だから

 二人には本格的なお仕置きをしてあげましょうか」

 

卯月が恐怖のあまり頭を抱えてしゃがみ込み、

美優はまだ無意味な抵抗(言い訳)を続けている。

加蓮は固唾を飲んでその様子を見守る。

 

まゆは寝室の隅に監禁していた智絵理を連れてきた。

智絵理は髪の毛がボサボサで一日中パジャマを着ている。

ノーメイクで肌が荒れまくっている。目つきが尋常ではない。

どこがギラギラしていて今にも人を刺してしまいそうだ。

 

見ようによっては数年間引きこもっている女ニートかもしれない。

 

「プロデューサーさんを毒殺して世界をリセットするのって、

 楽しそうな発想ですよねぇ。ところでその毒針が本当に

 効くのかって気になりません? 今ここに智絵理ちゃんが

 いますからぜひ実験台として使ってみてください」

 

「おいまゆ」

 

「プロデューサーさんには訊いてないですよぉ。

 私は今美優さんと卯月ちゃんに話しかけてます」

 

美優と卯月は最初こそためらったが、まゆの命令に逆らえば

今度は自分が実験台にされるかもしれない。一応加蓮にも

目くばせをするが、加蓮は目をそらす。遠回しに好きにすればと言いたいのだろう。

 

「じゃ、じゃあやるわよ……」

 

美優の手が震えて毒針を落としそうになる。

 

令和の世のインフレが続き、国民は永遠に改善しない生活苦から

近代的よろず屋(コンビニエンス・ストア)にて

自殺用の道具を手に入れることが容易となる。

 

本来は国民数の減少を政府が抑える立場にありながらもそれを

見て見ぬふりをするとは、長い目で見れば国家存亡の危機に達する。

この日本。日本国。例外なく国家の衰退期にあることは疑いようがない。

 

「お願いやめて」

 

智絵理は涙を流すが、まゆの不思議な力によって思うように四肢が動かぬ。

これでは死を受け売れるしかない。例の毒針は即死できるほど生ぬるい代物ではない。

 

血液に異物の混じった状態の変化は、ゆっくりと内部から

体中を侵しつくすのに等しく、まして多臓器不全ともなれば

末期がん患者のごとき辛さを味わうことになる。

 

毒により肺や呼吸器に異常をきたし、猛烈な痛みから

逃れるために全身の皮膚がただれるほど掻きむしっても尚、

その辛さから逃れることは叶わぬ。地獄の苦しみ成り。

 

まして美優はこれを当初はPに刺そうとした畜生である。

ならばいっそ、毒針を刺すよりも腹部に包丁を深々と刺した方が

まだ人間味があるかもしれない。

 

「やめろぉ!!」

 

その時のプロデューサーの咆哮。

窓ガラスに亀裂を生じさせ、美優の髪が逆立つほどだった。

美優はすっかり腰を抜かすが、智絵理にとっては良い薬となった。

 

「もらったぁ!!」

 

「え」

 

大声を発したのは智絵理である。

信じられぬであろう。

 

筆者が女ニート(引きこもり歴3年)と評したばかりの彼女は、

美優から手早く毒針を奪い取り、何を思ったのか、まゆに刺してしまった。

 

「いたっ……」

 

それがまゆの発した最後の言葉になるとは一体だれが想像できただろうか?

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

まゆが死んだらどうなるのか。

俺は前職を辞めてから10か月も無職が続いた。
そろそろ働こうかなと思って派遣の面接を受けた。
地元にある冷暖房完備の物流倉庫だ。


結果的に言うと、まゆは死んだ。

 

智絵理が適当に毒針を刺した場所がたまたま

静脈であったことから毒が巡るのが早かった。

 

まゆはしばらくは腕の痛みに耐えていたが、

やがて胸のあたりや喉を掻きむしるようになり、

床に転がってひどいうめき声をあげた。

 

プロデューサーや智絵理たちはその様子を戦々恐々として見守っていた。

まゆが白目をむいて絶命するまで13分の時を要した。

美優は貴重な実験だと思って正確に時間を計っていた。

実際に苦しんでいたまゆにとっては三日にも感じられたことだろう。

 

「や、やったぁ。悪魔を殺せたんだ」

 

智絵理はPK戦を制したサッカー選手のように全身で喜びを表す。

飛び跳ねて奇声を発しているのは智絵理だけで、他の皆は白けていた。

 

加蓮や卯月は本当にまゆが死んだのか怪しんでいた。

プロデューサーはまた一人のアイドルが死んでしまったことで

果てしなく後悔していた。

 

当初の彼の予定ではまゆにおとなしく屈服して

彼女の親にいっそ挨拶にまで行くことで

まゆの疑念(浮気)を払しょくしようと思っていた。

 

まゆが望んでいたのは、プロデューサーがまゆへの忠誠と愛を誓うことなのだから、

まゆ以外の女を視界に入れずに過ごせばいいのだ。実際には無理だが。

 

「あは。あははは!! まゆちゃんはもうしゃべれないもんね!!

 このっこのっ……悪魔めっ!! あんたなんか、こうだっ!!」

 

智絵理がまゆの死体をサッカーボール代わりにして遊んでいた。

死体蹴りとはこのことである。

 

周囲からしたら遊んでいるように思えるだろうが、

智絵理は必死である。彼女は髪の毛が伸び放題だったので

前髪が少しだけ文香っぽくなっていた。

(文香が不潔なわけでは決してない)

 

ちょうどその頃、新田美波は荷物の整理が終わっていた。

 

「すみません。皆で盛り上がってるところ悪いのですが、

 まゆ様とプロデューサーさんにお別れの挨拶をしに来ました」

 

そんなわけでリビングまで来たら大惨事となっていた。

どうやらまゆが死んでいることを知った美波は

腰が抜けてしまい、キャリーバッグごと床に倒れた。

 

なおも死体蹴りを続ける智絵理をさすがに加蓮が止める。

智絵理はそれでも気がすまないようだったが、

 

ドゴオオオン!!

 

加蓮に腹パンされて腰をくの字に曲げる。

先ほどの擬音は腹パンによるものだ。

智絵理の唾液(胃液かもしれぬ)がカーペットを汚した。

 

「なあ美波」

 

「プロデューサー……さん? これはどういう」

 

「見ての通りさ。まゆは死んだよ」

 

「本当に……死んだの?」

 

「毒針が効いたようだ。やったのは智絵理だ」

 

しばらく放心していたが、やがて頭がすっきりすると

美波は感動のあまり涙さえ流した。

皆からの視線が痛いが、心が落ち着くまでプロデューサーの

胸で泣いた後、今度は態度が豹変しこう言った。

 

「あの女が本当に死んでいるか試しましょうか」

 

美波は包丁でまゆの身体のいたる箇所を指してみたが、反応はない。

死後硬直が始まっているのも確かだ。脈を何度測っても止まっている。

 

「美波。もう気がすんだだろう。まゆは死んだんだ。

 死んでしまった子をこれ以上痛めつけるのはさすがにな……」

 

「そうですね……。すみません。私ったらつい熱くなっちゃって」

 

「いいんだ。もうまゆの支配は終わったんだ。

 もう何もかも終わったんだよ。美波……」

 

「ああ、プロデューサーさん。私今すごく幸せです」

 

ふたりが抱きしめ合うが、例によって部屋の空気が悪くなる。

 

眉を吊り上げた智絵理が、「私にはしてくれないんですか!!」

と怒鳴り散らすのでプロデューサーは仕方なく智絵理も抱きしめる。

 

(うっ……)

 

密着して分かったことだが、智絵理は臭かった。

檻に監禁されていたので何日もお風呂に入れてもらえなかったのだろう。

 

そういえば、監禁部屋には空気清浄機がゴーゴー鳴っていた気がする。

たぶん響子も同じような境遇に違いない。

なんていうか、可愛い女の子からしてはいけないほどの、生臭い匂いがした。

 

「智絵理。お風呂に入った方が良い」

 

「あ、そういえば一週間も入ってませんでした」

 

「そうか……。じゃあ行っておいで」

 

「プロデューサーさんも一緒に行きましょうよ」

 

「……そうだな。分かったよ」

 

脱衣した智絵理からはさらにひどい匂いがした。

プロデューサーは少し吐きそうになるが、かつて自分が担当していた

アイドルだからと目をつむる。あまり言いたくはないが、鉄臭い匂いも

たくさんした。プロデューサーに対して全身をさらすことに智絵理は

少しも恥じらう様子がないのが不思議でしょうがなかった。

 

念入りに体中の汚れを落とし、おまけに歯磨きまでプロデューサーがしてあげた。

まるで幼稚園児の相手をしてるようだと思い、苦笑する。

髪の毛をドライヤーで乾かしている時だった。

 

(あれ……?)

 

何かがおかしい。そう思ったプロデューサー。

頭の片隅に何かが残っているような違和感。

 

いやまゆは死んだんだ。何もないだろうと思い直し、

智絵理の髪の毛をなでながらドライヤーの風を当てていく。

プロデューサーは女の子の髪の毛に触れると興奮してしまう

タイプなのでムラムラした。

 

綺麗にした智絵理はそれはもう可愛らしく天使のようだった。

 

(ここなら誰も見てないよな)

 

プロデューサーは智絵理にこっちを向きなさいと言い、唇を奪う。

智絵理は驚いたのは一種だけですぐに体重を預けて来てふたりは寝転がった。

プロデューサーはますます智絵理を抱きたくて仕方なくなった。

 

ブラをしてない智絵理のパジャマの上着を脱がし、乳に直接吸い付いた。

智絵理は小柄だから胸が小さいのかと思いきや、そうでもない。

プロデューサーにもまれることで女性ホルモンが活発したためか、

どんどん大きくなっていた。

 

「ん……」

 

智絵理はおとなしくてされるがままだった。

乳首を適度な強さでつまんだり、舌でもてあそんだりすると

下着越しに智絵理のアソコが湿っていくのが分かった。

 

プロデューサーは智絵理のパンツを太ももの位置までずらして

秘所を見た。恥毛を少し撫でながら割れ目に沿って指を進めると

ネチョっとした感触がした。やはり相当に濡れているようで

試しに指を入れると簡単に中に吸い込まれてしまう。

 

「智絵理……」

 

「あっ……いやっ……」

 

プロデューサーにアソコをペロペロされて智絵理は

くすぐったくて体をよじる。その姿がとてもエッチだったので

プロデューサーはしばらく舐め続けた。クリをむき出しにして

指でツンツンといじると智絵理の身体がビクンと反応して可愛かった。

 

どんどん愛液があふれてきて彼女の太ももまで濡らしていた。

さあそろそろ本番かと思い、プロデューサーがズボンを脱ごうとした時、

急にプロデューサーの動きが止まる。

 

どうしたんですかと智絵理が言うと、プロデューサーは頭を抱えてうずくまっていた。

 

(この違和感は……おそらく気のせいじゃないな)

 

何かあるとしたらカンとしか言いようのない。あるいは神様からの指令か。

そんなことをしてる場合じゃないだろと誰かが彼に告げていた。

 

智絵理にちょっと待っててくれと言い残し、リビングの様子を見に行った。

 

そこにいたのは佐久間まゆだった。

 

腕を品よく組みながら、勝ち誇った顔でそこに立っている。

まゆの足元には美優、美波、卯月、加蓮が苦しみにうめきながら転がっている。

全員が吐血したためか、口元が真っ赤に染まっている。

 

その光景を例えるなら、フランス軍の機関銃陣地に対し、

横隊突撃した一個中隊の戦力(独軍)が、機関銃の一連射によって

横なぎに倒されてしまい、出血がひどいがそれでも死にきれずいる状態。

 

プロデューサーはさきほど智絵理を犯していたわけで

興奮するホルモンが体中にあふれている。それが急に感じた恐怖のために

男性器が萎えてしまう。唇が紫色に染まった。

 

「プロデューサーさん。まゆとしてはこいつらが二度と

 歯向かってこないように殺しちゃいたいんですけど、どうしましょうか」

 

「……少し待ってくれ」

 

プロデューサーが言えたのはそれだけだった。

まゆはどうやら復活したらしいが、厳密には違うらしい。

 

なぜならまゆの死体はしっかりとリビングに存在するからだ。

死体があるのだ。なのにもう一人のまゆが今プロデューサーに

話しかけている。これは何を意味するのか。

 

まさか佐久間まゆとは、初めから二人いたのか。あるいは双子の姉妹か。

 

プロデューサーは恐怖と絶望のあまり口が開けない。

頭が回らない。

 

「プロデューサーさんったら、まゆに内緒で智絵理ちゃんと

 お風呂に入っちゃったんですね。智絵理ちゃんを汚い状態で

 放置するのが拷問内容だったのにダメじゃないですか」

 

「あ……う……」

 

「ところでまゆ以外の女とお風呂に入るのは楽しかったですか?

 体中からまゆ以外の女の匂いがして気持ち悪いですね。

 首筋にはキスマークが見えますけど、

 その件については智絵理ちゃんに直接聞いた方が良さそうですね」

 

とりあえずまゆが激怒してるのは分かる。

 

笑顔の裏に鬼が潜んでいるのは事務の千川さんと同じだから知っている。

さて、謝らなければ。もう何が浮気で何がいけないのかも

わからなくなっているが、怒る女には謝るのが基本だ。

 

営業先でアイドルがヘマをした時もそうだった。

悪いのはアイドルではなく、彼女らを送り出した自分にある。

 

テレビ局の連中の無理難題に答えてやったのに

逆にこっちが悪いことをしたように謝罪を要求されることなど日常茶飯事。

 

ドラマの役は全てコネで採用される。コネがないと脇役でさえ採用されない。

コネを作るには信じられないくらいの大金とゴマすりが必要だ。

 

大人の世界は汚い。汚いからこそアイドルはむしろ輝く。

入社する前から分かっていたはずだった。だけど彼はその世界から逃げた。

 

(俺は……女を扱うことが得意な人間だったはずなんだ)

 

プロデューサーの目にかつての光が宿る。

芸能界で絶対に生き延びてやると誓ったあの光が。

 

プロデューサーは英知を結集してまゆに謝罪をすることにした。

 

しかし……

 

「あうあう~~」

 

出てきた言葉はこれだった。

 

決してふざけているわけではない。

まして彼がひぐらしの羽生ちゃんのファンなわけでもない。

 

人間は極限まで追い詰められてしまうと言葉を発することさえ

困難になってしまうことを、我々は彼からよく学ぶことができる。

そもそも言葉を発することができるのが人類の進化そのものであり、

極めて高度な技術なのである。

 

「あうあう~~じゃ何も伝わりませんよ。

 日本語をしゃべってくださいねぇ。

 そんなにおびえられるとむしろ不愉快です」

 

軽くビンタされただけなのだが、プロデューサーは大げさに床に倒れこんだ。

今の彼にとっては蚊が腕に止まっただけでもバランスを失うだろう。

精神的な苦痛がついに脳さえ破壊しかねない状態にまで陥ったのだ。

 

ちなみにヒステリーの奥さんをもらってしまった男性で

リアルでこうなる人はいる。

まゆがこれ以上彼を追い詰めたら本当に死んでしまうかもしれない。

 

「ねえ。いつまでそこで倒れてるのよ。

 早くここに智絵理ちゃんを連れてきなさいよぉ!!」

 

「はうぅう!!」

 

混乱の極みにあったプロデューサーはなぜか玄関に向けて走ってしまい、

それがまゆの逆鱗に触れることになってしまう。

 

「なんで逃げようとしてるのよぉ!!」

 

「あがやああああぁぁぁぁぁぁ!!」

 

プロデューサーは足払いされて転んだあと、まゆに首筋に

高圧のスタンガンをたっぷりと浴びて気絶した。

 

彼が使えないのでまゆは智絵理のいるであろう寝室に入ったが、

 

「いない……?」

 

クローゼットの中やベットの下に隠れているわけではなかった。

窓が開け放たれているから逃げたのだろうが、ここは4階である。

智絵理の前世が忍者だったのなら楽勝だろうが、

智絵理にそんな身体能力があるとは思えない。

 

まゆはイライラが収まらないので自らの夫に対し

怒りをぶつるために彼の頬をペチペチとするが、

一向に目が覚める気配がない。スタンガンの電圧が

高すぎて死んだ可能性があるが、そうではないと思った。

 

仮に死んだとしたら世界ごとひっくり返るはずだからだ。

 

「まあいいわ」

 

まゆは智絵理のことは後回しにして他の女の始末をすることにした。

美波や加蓮たちは床に倒れて小刻みに震えている。

ほおっておいても夜を越せないだろう。

 

まゆの中で真っ先に殺すのは美波と決めている。

まゆは今後自分より美しい女が居たら一人残らず浮気候補と見なして

暗殺しようかしらと考えていた。

 

まゆは自信家なので自分の容姿は日本でトップレベルの美しさだと

思っていたが、プロデューサーの美波への執着を考えると

くやしいが自分の容姿が劣っていると認めざるを得なかった。

 

もしかしたら自分がブスだから彼が振り向いてくれないのでは、

と思ったことさえある。全国にファンがいるのにそれは自虐が過ぎる。

 

特に美波のウエストの細さや足の長さに憧れていた。

あればかりは化粧や髪形をいじってもどうにもならない。

 

これを客観的に見れば、どちらの美も一長一短であり、比べることに

意味などないのだが、とにかくまゆは優劣を付けたがった。

 

他人と比較しマウントを取ることに生涯のすべてをかけたがるのは

女性の特徴である。結婚してからは旦那の職業、子供の学歴、

持ち家のランクなど言いだしたらキリがない。

 

もっとも気分が楽になるのは、人は人、自分は自分と割り切ることである。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

俺は強い。プロデューサーはそう語る。

本当の強さとは何か。


美波は仰向けに倒れているのでまゆを見上げていた。

まゆが美波の首に足をのっけた。そのまま体重をかければ

美波は窒息死するか首の骨が折れる。

 

「新田美波さん。これであなたとはお別れになりますが、

 最後に何か言い残したい言葉はありますか?」

 

「う……げほっ……なにも……ない……!!」

 

「そうですか。その状態でもまゆを睨むだけの

 気力があるとは驚きました。それでは死んでくださいね。

 生まれてきたことを後悔しながら……ね?」

 

まゆは美波に馬乗りになり、両手で首を絞めて殺してしまう。

握りしめていた美波の手から力が抜けた時、確かに彼女が

絶命したのだとその場にいる全員がそう認識した。

 

死に顔は苦痛に満ちたものではなく、安らかに目を閉じていた。

醜い死に顔をプロデューサーに見られたくないからかもしれない。

 

「さて次はあなたですよ」

 

「くっ……」

 

加蓮の番だった。美波と同じように馬乗り状態で首を絞められる。

加蓮は最後の力を振り絞ってまゆの腕を握るが、その力は

あまりにも弱弱しい。力むほどに肺の中の酸素は抜けていき、

その矛盾ゆえに加蓮が絶命するのもまた早かった。享年16歳。

 

美優も同じように殺された。卯月だけは目をカッと見開いて

まゆに襲い掛かるほどの底力を見せたが、

すぐに鎮圧されて頭を壁に何度も叩きつけられて殺された。

 

こうしてプロデューサーを愛していたアイドル達は

まゆによって殺されてしまった。

 

 

 

プロデューサーが目を覚ましたのは翌朝の5時だった。

激しい頭痛とめまいに襲われながら体を起こすと

関節の節々が悲鳴を上げる。

昨日強力な電流を食らったことを思いだした。

 

「喉が渇いたんだが」

 

「はい。ただいまお飲み物をお持ちしますわ」

 

まゆが濃い目に入れたカルピスを持ってきてくれた。

余談だがカルピスはアサヒ飲料の子会社である。

 

「ありがとう」

 

「いいえ。このくらいは妻として当然ですから」

 

プロデューサーは300ミリ入っているコップを飲み干したが、

まだ飲み足りなかった。そこでまゆにお代わりを頼んだ。

まゆは20秒で持ってきてくれた。

 

それを飲み干すと、まだ喉が渇くのでまたお代わりを頼んだ。

まゆは同じようにお代わりを持ってきた。

 

プロデューサーはようやく満足し、今度は腹が減ったと言う。

 

「いま朝ご飯を作らせています」

 

とまゆが言う。作らせるとは何事かとPは思った。

皆死んだはずなのに……。その謎はすぐに解けた。

 

酷くおびえた様子の響子がシステムキッチンに立っていたのだ。

 

 

まゆは響子を指し、

 

「あれは私の奴隷です」

 

と言う。プロデューサーは何も答えなかった。

響子はまゆの拷問で精神を破壊されたはずだが、

まゆが無理やり家事係を任命したのだ。

おそらく調教したのだろうとプロデューサーは思った。

 

「響子。料理が終わったならあなたはもう行っていいわ。

 部屋でおとなしくしていなさい」

 

「でも……。まだお料理をお皿に盛ってませんが」

 

「いいから行きなさい。あとのことは私がやっておくから」

 

「はい」

 

響子は頭を下げた。

上下ジャージと言う色気のない恰好でエプロンをしている。

長かった髪はショートカットにさせられているが、

それがまたなんとも似合っていた。

 

かつて響子はプロデューサーにひどいことをしたわけだが、

それでも奴隷にされた響子を見てプロデューサーは心が痛んだ。

ここいいたアイドルは全員がプロデューサーより年下だから

余計にそう思うのかもしれない。

 

「いただきましょうか。プロデューサーさん」

 

「そうだな。いただきます」

 

ふたりは粛々と食事をした。響子が作っているのだから

味付けも栄養も問題ない。お味噌汁、煮物や焼き魚などのごく普通の日本食だ。

朝からこれだけ作るのは手間だっただろうが、響子は手間を

手間だと考えない性格の子だ。ものすごく几帳面だ。

 

「美味しかったですねぇ」

 

「ああ。ご馳走様。なんか久しぶりにゆっくり

 朝飯を食った気がするよ」

 

「そうかもしれませんね。うふ。

 やはり人が少ない方が安心しますよね」

 

「そうだな」

 

「今日はなんだかプロデューサーさんの声が沈んでますよ。

 大丈夫ですか? 何か辛いことがあるなら

 まゆに何でも相談してくださいね」

 

「ああ、別に遠慮してるわけじゃないんだよ。

 俺はここで暮らし始めるようになってから

 ずっとこんな感じじゃないか」

 

プロデューサーの言動は妙に落ち着いていた。

進撃の巨人ファイナルシーズンに登場する主人公の

エレンの声のトーンにそっくりだった。

 

余談だがあの演技をするために声優・梶裕貴はわざわざ

原作者に電話をかけて確認を取ったほどだ。

 

劇中のエレン・イェーガーの有無を言わさぬほどの迫力は、

漫画や小説のようなメディアでは表現の仕様がない典型例だ。

彼の絶妙の息の吐き方は高性能ヘッドホンやスピーカーで

視聴した際に真価を発揮するわけだが、思わず震えるほどの演技力である。

梶裕貴は声優アワードにて最優秀男優賞を二回、その他多数の賞を獲得している。

 

 

このマンションにはまゆと響子とプロデューサーしかいなかった。

響子は奴隷。プロデューサーは夫。人にマウントを取ることが

好きなまゆにとって理想的な環境が整った。

 

エレン・イェーガーのようになってしまったプロデューサーは

口数が少ない上に鼻声になったので違和感がひどいが、

まゆはそんな彼でも理解してあげるように努力した。

 

まゆは結婚観において古風な考えを持つ少女だったから、

夫を支えてあげるのが妻の役割だと思っていた。

 

確かにすでに同僚が何人も死んだが(まゆは不幸な事故だと言い張る)

辛い過去は時の流れが消し去るものだと16歳の少女が口にした時、

プロデューサーは「ふん」と鼻を鳴らし、まゆを不快にさせた。

 

夫婦の間でアイドル死亡事件の件は自然とタブーと

されたのでお互いにそれ以上は触れないようにした。

 

 

それから数日が立った。

 

プロデューサーから改名し、P・イェーガーと

呼称するべき彼はまゆに対し、ある提案をした。

 

「まゆのお父さんとお母さんに話がしたいんだ」

 

「まあ」

 

「いいかな?」

 

「うちの両親にこれからのことで挨拶をするのなら

 構いませんけど、まさか何かたくらんでませんよね?」

 

「たくらむっつーか、純粋な好奇心だよ。

 まゆを育ててくれたご両親がどんな人なのか気になったんだ」

 

「うちの両親になら私が寮に一人暮らしをする前に

 一度挨拶に来てくれてますよね?」

 

「それがな……恥ずかしい話なんだが、

 あの時まゆのご両親と何を話したのか覚えてねーんだ」

 

「それはちょっとショックですね。プロデューサーさんは

 こう言ってました。まゆさんはすごく可愛いし歌もうまい。

 天性の才能を持っている。俺は佐久間まゆさんがしっかりと一人前に

 なるまで責任をもって面倒を見ます。少なくとも直近でCDデビュー

 までは確定しているので楽しみに待ってて下さいって」

 

「ああ、言ってたんだ。そんなこと」

 

P・イェーガーは恥ずかしそうに頬をかいた。

それはまゆでなくライナー・ブラウンに対する態度だった。

 

ちなみに、まゆの歌がうまいのは中の人(牧野由依)が

音大卒(器楽科)の歌手でピアノとギターも弾けるので当たり前だ。

 

「私の両親に婚約の報告をするのなら大歓迎ですよ。

 それでは明日にでも出発して仙台に行きます?」

 

「それなんだが、電話じゃダメか?」

 

「電話……?」

 

「いきなり会いに行っても、まゆのご両親に迷惑かもしれねえだろ。

 それに俺を外出させたら、まゆにとって面白くないんじゃねえのか。

 ほら。あまり言いたくないけど、俺は少し前に新幹線ホームに

 逃げ込んだことがあっただろ」

 

「はい。ものすごく不愉快なことを思い出させてくれてありがとうございます」

 

まゆが美波との一件を思い出して怒りが燃え盛る。

女の特徴として昔のことを一生根に持つことがあげられるが、

実は人種国籍問わず世界中の女がこうなのである。

反対に男の浮気好きも全世界で共通である。

 

「まあまあ。落ち着けよ」

 

彼はただの元プロデューサーではなくイェーガーである。

鋭い瞳でにらみつけ、低い声で脅されるとまゆはゾッとしてしまう。

 

「なあ、まゆ。座れよ」

 

まゆは着席した。

まゆはエレンにぶっ殺される前のライナーの気分を味わっていた。

 

「そういうわけだからさ。

 携帯、貸してくれよ。俺が直接話したいんだ」

 

「ど、どうぞ」

 

「サンキューな」

 

Pはまゆの真っ赤なリボンでデコレショーションされた

スマホをテーブルに置いて、スピーカーホンをオンにするよう言った。

 

「俺だけが会話するわけにもいだろうし、まゆも一緒に参加してくれ。

 つーかまず俺のことを紹介してくれないか。

 さすがに俺から話始めるのは気まずいからな」

 

「分かりました」

 

まゆが母親にコールするとすぐに出てくれた。

夜の8時過ぎなので夕飯の後片付けをしていた。

すぐ近くで父親がテレビでプロ野球を見ているらしい。

 

「まゆ。久しぶりに電話してくれたわね。年末年始も

 家に戻ってこないからどうしたのか心配してたのよ」

 

「うん。ママ、ごめんね。売れるようになってからずっと

 忙しくてメールの返事も全然できなかったもんね。

 最近はお仕事ですごく忙しくて大変だったの」

 

「そんなに忙しいならトップアイドルにでもなれたのかしら」

 

「まあ、そんなとこ。あのね。今日は私の用じゃなくて

 私の上司……プロデューサーさんからママとパパに

 話があるらしいから今代わるね」

 

「あらプロデューサーさんが一緒に居たのね」

 

プロデューサーは梶裕貴ボイス(低音)で語り始めた。

 

「佐久間さん。久しぶりですね。

 俺が娘さんのプロデューサーです」

 

「え……」

 

「あの、俺の声、小さいですか?

 俺がまゆさんのプロデューサーです」

 

「なんか声が違わない? 私の知ってるプロデューサーさんは

 こんな暗い感じの人じゃなかったはずなんだけど」

 

「俺は間違いなく娘さんのプロデューサーです。

 と言っても…たぶん信じてもらえないと思うんでテレビ電話にします」

 

画面越しに映っていたのは、確かにママの知っているプロデューサーだった。

違うのは雰囲気だ。また進撃の巨人の話になるが、ファイナルシーズンの

エレンの雰囲気は異常であり、半年ぶりに戦場で再開した幼馴染の

ミカサ・アッカーマンでさえ戸惑っていたほどだ。

 

「ちょっとお父さん」

 

とママが旦那を呼ぶ。

 

このオリックスファンを長年続けていたまゆパパは、

画面越しにP・イェーガーをみて足に力が入らなくなってしまう。

Pの威圧感はまさに圧倒的だった。

 

「あ。パパさん。お久しぶりです。俺がまゆさんのプロデューサーです。

 正確には元、なんですけど……。実は今日は大事な話が合って

 パパさんに電話しました。今お時間は大丈夫でしょうか」

 

「あ、あいにくだが私は忙しい」

 

「そっすか。それは残念です……。なら手短に済ませるので5分だけでも」

 

「結構だ!! 私には君と話をすることなど何もない!!」

 

父親はLINE電話をオフにしてしまう。

本当に心臓が止まるかと思った。

 

彼はとりあえずお茶でも飲もうかと湯呑に茶をそそぐと、

今度は固定電話が鳴り始めたのでひっくり返りそうになった。

 

「あら誰かしら」

 

「出る必要などないぞ。きっとまたあの男がかけているんだろう」

 

「そうね……。この番号はまゆの携帯だわ」

 

「だったら無視しろ!!」

 

「……でも出ないわけにはいかないでしょ」

 

「お前もあの男の目を見ただろう!! あれは異常者の目つきだ。

 あんな男に娘を預けているなんて正気の沙汰じゃないぞ。

 あれはヤクザとかそういうレベルじゃない。悪魔に違いない!!

 まゆの芸能活動はもう終わりだ。すぐにでも仙台に連れ戻すぞ」

 

「落ち着いて。退職するにしてもプロデューサーさんに

 話を通してからじゃないと」

 

父親が急いでスマホで検索した記事によると

例のプロデューサーは岡山市にある民家でロシア兵によって

射殺されたと書いてあった。やはり普通の人間ではない。

 

その男が電話をしてきた。一時は別人を疑ったが、

射殺された男と例のプロデューサーは同一人物なのは間違いない。

なぜ彼が生きているのかは分からないが、今はいい。

 

彼がまゆの所属事務所についてさらに調べていたが、

 

「はい。もしもし。佐久間ですが」

 

思わず目を疑った。妻が勝手に固定電話に出てしまったのだ。

すぐに電話をやめさせようとしたが、

パニックになっていたので足がもつれて転んでしまった。

 

「あ。ママさんっすか。出てくれて良かった。

 なんか旦那様が俺を見てすげー脅えてたんで、

 ちょっと誤解を解いておこうかと思いましてね」

 

「ね、ねえ。あなたって本当にまゆの上司なのよね?

 どうしてそんなに怖い声で話すのよ」

 

「あーいや、自分では普通に話してるつもりなんすけど、

 最近は色々ショックなことがあったせいか…自然とこうなっちゃうんです。

 それで本題ですが、娘さん…まゆさんは俺と

 結婚したいそうなので、そのことを報告しようと思ったんです」

 

「え……。私の娘が結婚……? 誰と誰が……?」

 

「ですから、俺です。俺と結婚したいんですよ。まゆさんが」

 

「な……あなた……そんなことを私に伝えるために電話してきたの?

 冗談にしてもタチが悪いわ」

 

「な。まゆ? やっぱり俺が電話しても信じてもらえなかった。

 悪いがちょっと変わってくれないか」

 

「分かりました。あのね。ママ。彼の言ってることは本当なの。

 この人と私はもう婚約してるの」

 

「まゆ……あなたって子は、実の親に対して

 言っていいことと悪いことがあるわ」

 

「ママ!! 私と彼は真剣に愛し合ってるの!!」

 

「……」

 

「ママ!! 聞いてる?」

 

「今日のうちに警察に電話しておくわ」

 

ママはそれだけ言って電話を切ってしまった。

どうやら物事は悪い方向へと進んでいるのかもしれない。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

殺意の波動に目覚めたプロデューサー。

「なあ、まゆ……。教えてくれ。どうして、美波は死んだんだ?」

「それは……私が美波さんに嫉妬したからです」

「そっか。嫉妬か……。嫉妬じゃ、しょうがねえよな」


まゆは両親を盛大に誤解させてしまったことで

激しく取り乱したが、プロデューサーは

「こんなの大したことじゃねえから落ち着けよ」と言う。

 

まゆはもう一度両親に電話しようとしたが、その必要はないと

夫は言い張る。まゆは彼を怒らせたら殴られそうな気がしたので

その日はおとなしく寝ることにしたが、翌朝も気が気でなかった。

 

彼らが響子の作ってくれた洋食(朝ご飯)を食べている時だった。

 

「おいまゆ。誰か来たみたいだぞ」

 

警察だった。まゆは「ちょっと勝手に入らないでください」

と焦るが、警察の人間はどんどん入っていく。

 

彼らはタンクトップ姿のプロデューサーの姿を認めると

トランシーバーで連絡をする。

次の瞬間に玄関の前で待機していた機動隊が突入してきて

プロデューサーを包囲した。警察隊の総数は20を超える。

 

「おいおい。こんな朝っぱらからいったい何の用だよ」

 

「貴様。余計なことを話すな。貴様には高校生の少女を監禁している

 凶悪犯の疑いがかけられている。おとなしく署まで付いてこい。

 指示に従わないのならこの場で射殺する」

 

「ああ……そういうことか。俺がまゆを監禁してることになってんのか。

 実際は逆なんだけどな。

 日出国(ひいずるこく)はこういうのがめんどくさい国だ。

 男女に関するトラブルではなんでも男が悪いことになるんだよな」

 

「余計なことを話すなと言ったはずだ!!」

 

「いって」

 

プロデューサーの太ももに銃弾が撃ち込まれるが、

巨人の力によって傷口が瞬時にふさがった。

 

銃弾の音を聞いてまゆが悲鳴を上げるが、

警察隊に保護されているのでプロデューサーに

近寄ることさえ許されずにいた。

 

プロデューサーは先ほどの銃撃で苛立っており、

少し警察を威嚇するために大きく息を吸い、

「おおおおぅ」と吠える。

 

機動隊の連中は、その風圧のためにシールドが真っ二つに割れ、

壁際まで吹き飛ぶだけでは済まず、さらにめり込んで背骨が折れた。

運よく吹き飛ばずに済んだ隊員は戦意を失い、その場で脱糞してしまう。

 

無事だった警察隊はまゆを外に用意していた

車両に押し込んで連行することにした。

 

八王子市の警察はプロデューサーを甘く見ていた。

佐久間夫妻からの通報通り、あの男は一介の芸能事務所の営業マンではない。

奴を捕らえるためには作戦を立て直す必要があった。

 

こうして警察が撤退したおかげでマンションには静けさが戻った。

ただ警察の残した糞の臭気がこもる。

 

「おい響子。いるか?」

 

プロデューサーはベッドの下に隠れて脅えている響子を発見した。

彼女はまゆ恐怖症のせいで定期的に発作を起こすようになった。

発作が起きた時はこうして暗くて狭い場所にこもって震えるのだ。

決してキノコを育ててるわけではない。

 

響子は、

 

「うぅ~~」と可愛い声で震えるだけで会話ができる状態じゃなかった。

そこで P・イェーガーは響子を肩に担いでマンションから出ることにした。

 

プロデューサーはまゆを回収しようと思ったが、もう探すのも

めんどくさくなったので諦めた。まゆは間違いなく警察署に居ることだろう。

 

せめて響子だけは救ってあげようと思い、こうして連れ出したわけだが、

冷静に考えたら響子も救う価値がないのかもしれない。

しかし毒気を抜かれた響子は15歳の娘に過ぎないので

もう嫌う理由もない。助けることにした。

 

 

プロデューサーは響子と一緒に北を目指した。

 

今は警察に追われている身だ。どうせ逃げたところでいつかは

捕まるのかもしれないが、最後に北の大地を見ておきたいと思った。

 

東北の青森。本州の最北端である大間崎から見える海に

たどり着きたいと思った。プロデューサーはマンションにあった

現金を持ち出したのでそれで新幹線のチケットを買った。

 

しばらくは放心状態だった響子も、自分がマンションから

脱出できたことを知ると次第に正気を取り戻していき、

まゆが警察に保護?されたことで彼女の支配から

完全に切り離されたことを知ると、ついには調子に乗り始めた。

 

「あははははっ!! 細かいことはよく分からないけど、

 あの女はプロデューサーさんに捨てられたってことですね。

 ざまーみろって感じですよ!!」

 

「響子。新幹線の中で騒ぐと注意されるから気を付けろ」

 

「え? いま私に誰か声をかけましたか……」

 

「何言ってんだ? 俺がお前に話しかけたんだよ」

 

「え? え? だって声が全然違いますよ。

 プロデューサーさんってこんな感じの声でしたっけ?」

 

「俺も色々辛いことがあったせいで声が変わっちまったんだよ」

 

「変わり過ぎですよ!! なんか雰囲気も変わってませんか!!」

 

「静かにしろって言ってるだろ」

 

「あ、そうでしたね。すみません」

 

「なあ響子。念のために確認しておきたいんだが、

 君は今でも俺と結婚したいと思ってるか?」

 

「何言ってるんですか。私はプロデューサーさんなしでは

 生きていけませんって何度も言ってるでしょ。

 あの、それより他の女たちの姿が見えませんね。

 まゆ以外の……人たちはどうしましたか」

 

「あいつらなら死んだよ」

 

「死んだんですか?」

 

「ああ。正確には智絵理だけは行方不明。他はみんな

 まゆに殺されちまった。美波、加蓮、美優、卯月。死んだのは4人だ」

 

「ふっ……くくくっ……あ、すみません。何でもないです。

 それは残念でしたね。みんなプロデューサーさんにとっては

 大切なアイドルだったのに」

 

「お前、今明らかに笑ってたな」

 

「笑ってましたか? 気のせいですよきっと」

 

「どう見ても気のせいじゃないだろ。昔はみんな一緒に

 仲良く働いていただろ。少しは悲しんでほしいもんだ」

 

「ぶっちゃけ、私は悲しくないです。

 そんなの今さら聞くことじゃないですよね。

 私が他の女狐どもを恨んでたのはプロデューサーさんも知ってるでしょ」

 

「そうだったよな。聞いた俺がバカだった」

 

プロデューサーは手のひらを重ね、背もたれに体重を預ける。

そのまま目を閉じてしまうので響子は困った。

 

せっかく二人きりで旅行ができたのだ。

それに話をするのも久しぶりだ。もう少し構ってもらいたかった。

 

響子がプロデューサーに何を話し掛けるかで悩んでいる時、

通路を通りかかった女性から声をかけられた。

 

「あの、失礼ですが、もしかして五十嵐響子さんでしょうか?」

 

「五十嵐響子ってあのアイドルの?

 いえいえ。他人の空似ですよ。私は全然関係ない人です」

 

響子はファンと関わるのがめんどくさいから嘘をついたわけだが、

 

「やっぱり五十嵐響子ちゃんですね。髪の毛が短くなってるから

 分かりにくかったけど、会話すると声で分かりますよ」

 

「あなたは……まさか」

 

「水本ゆかりです。担当プロデューサーは違うけど、

 所属してる芸能事務所は同じですよ。五十嵐さんとは

 テレビ番組で何度か共演したことがありましたよね」

 

まさかの新キャラ登場だった。水本ゆかりは

青森県出身のお嬢様でフルートの演奏が得意だ。

 

当作品ではプロデューサーが担当していない唯一のアイドルとして登場した。

プロデューサーは仕事柄ゆかりのことは知っていたが、話したことは一度もない。

そして当然だがヤンデレではない。そもそもプロデューサーと関わってないのだ。

 

そして響子はゆかりと夫(だと思っている)が話す必要など

全くないと思っていた。ゆかりの容姿は清楚なお嬢様で

いかにもプロデューサーが好みそうで脅威だった。

彼は美波たちを失って傷心中なのでいつ他の女に浮気するか分からない状態なのである。

 

そんな響子の心配も知らず、彼はしっかりと目を覚ましていた。

 

「水本さんか。こうして話をするのは初めてですね。

 俺は響子を担当していたプロデューサーです。今はもう退職しましたが」

 

「こちらこそ初めまして。私は今もアイドルを続けていますが、

 プロデューサーさんは退職されていたんですね」

 

「はい。水本さんとはたまに廊下ですれ違った時に挨拶はしましたが…」

 

「こうしてお話するのは初めてですね。それにしても驚きました。

 あんなにお仕事に熱心だったプロデューサーさんが退職されていたとは」

 

「ええ、色々と人間関係に疲れちまいましてね」

 

「人間関係……」

 

「どうしました?」

 

「すみません。これを訊いてしまったら失礼かもしれませんが、

 五十嵐さんと腕を組んで座っているようなので、もしかしておふたりは……」

 

「ああ、これは……響子が俺と結婚したいって言ってるんで、

 仕方なくこうしてるだけです」

 

響子は「仕方なくってどういうことですか!!」と吠えるが無視する。

 

「け、結婚!?」

 

普段は余裕のある態度を見せるゆかりだが、さすがに表情が崩れる。

 

「あ……なるほど。そういうことだったんですね。

 五十嵐さんと真剣にお付き合いするために退職されたと」

 

「違うんだ。水本さん。全然違うんだ。話すと長くなるんだけど、

 俺はアイドルと関わるのが嫌になったから仕事から逃げ出したんです」

 

「……逃げた? すみません。それってどういうことなんですか」

 

「俺は今でもアイドルと関わるのが怖くて逃げてるってことなんです。

 響子のことは一人だけマンションに残すのはかわいそうだから

 連れてきただけで、こいつのことは別に何と思ってません」

 

「なんですって!!」響子が騒ぐ。

 

「おい響子。新幹線の中で騒ぐなってさっきも言っただろ」

 

プロデューサーはお仕置きと称して響子に腕を噛みつかれたが、

イェーガーとして目覚めた彼には痛くもかゆくない。

 

心優しいゆかりは助けようかと思ったが、冷静に考えたら

恋人同士の犬も食わぬようなやり取りに見えたので若干イラついた。

 

「見苦しいところを見せてしまってすまなかったな。水本さん」

 

「気にしないでください……。私はもう行きますので、それじゃ」

 

「ああ。さようなら」

 

ゆかりは品よく歩いて別の車両に移動した。

プロデューサーは去っていく彼女の後姿をじっと見つめていた。

清楚な白のワンピースにカーディガンの組み合わせが彼女らしい。

 

「プロデューサーさ~~ん。私の目の前で他の女を口説きましたね」

 

「口説く……? なんのことだ。普通に挨拶をしただけだろ」

 

「プロデューサーの浮気癖は一生治らないもんね!!」

 

「騒ぐなって言ってるだろうが。係の人に怒られるぞ」

 

「最低っ!!」

 

「うわっ」

 

また、響子が噛みついた。しかし響子の前歯が抜け落ちてしまう。

まるで強大なゴムの塊に噛みついたかのようで、力を入れると

むしろ響子の顎がやられてしまうほどの頑丈さだった。

 

もともとプロデューサーの腕は筋肉質だったわけだが、

それにしてもこの腕は異常だ。

響子は歯ぐきから血が出ていてティッシュで口元を押さえている。

 

「響子。気が済んだのならおとなしくしててくれないか。

 青森に着くまであと2時間半くらいだ。

 それまで俺は寝て体力を回復させたいんだ」

 

「……ねえ。私は今前歯が二本も折れちゃったんですよ。

 少しは妻の心配をしてくれてもいいんじゃないの?」

 

「歯が折れたのなら、歯医者さんで新しい歯を入れてもらえばいいだけだろ。

 芸能界じゃ歯並びの悪い奴の抜歯はめずらしくない。

 中にはデビュー前に全部の歯を抜いちまう奴もいるんだぞ」

 

「確かにそうかもしれませんけど、

 他の女に浮気したくせにその態度はひどすぎます……。

 やっぱり私の事なんてなんとも思ってないんですね」

 

「……」

 

「ちょっと。黙らないでよ」

 

「じゃあなんて言ったらお前は満足するんだ」

 

「青森に着いたら私を捨てて逃げるつもりなんでしょ」

 

「なるほど。それもいいかもしれないな」

 

「やっぱりそうなんだ!!」

 

「最後まで聞けよ。今はそこまで先のことは考えちゃいない。

 警察に捕まる前に北の大地と海を見て見たいと思っただけだ」

 

「そんなの見て何になるんですか」

 

「まあそう言うなよ。俺は長い間あのマンションに監禁されて

 同じく時空を繰り返してきたんだ。たまには外の世界が見てみたくなる」

 

「……」

 

「話はこれで終わりか? なら俺は寝るぞ」

 

「待って」

 

「なんだ」

 

「まゆちゃんはどうするの。

 遅かれ早かれあの子はこっちまで追ってくるんじゃないの」

 

「その心配は当分ないと思うぞ」

 

プロデューサーは自分の背中に埋め込まれたチップはすでに

握りつぶしたと言った。まゆが追跡のためにプロデューサーの

身体の中に埋め込んだナノサイズの高性能チップだ。

 

「響子。もう小難しいことを考えるのはやめようぜ。

 仮にまゆが追って来たとしても逃げればいいだけだ」

 

「そんな簡単にできればいいですけどね。分かりました。 

 実は私もけっこう疲れちゃったので寝ます」

 

「ああ。おやすみ」

 

プロデューサーは本当に寝てしまうが、響子は一睡もせずに

これからの事だけを考え続けていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

水本ゆかりが衝撃の告白をした。

やっと海が見えた……。


新幹線が新青森駅に着いてから、さらにバスと電車を乗り継いで

北の果てを目指した。その日は途中で夜になってしまったので

適当なホテルで一夜を明かし、翌朝からまたバスにのって北へ進む。

 

本州最北端の地、大間崎。

 

ようやくここまでたどり着けた。

 

「4月の下旬なのに肌寒いな」

 

天気は良いが、津軽海峡は荒れていた。

霧はなく見晴らしが良いので対岸にある函館の五稜郭タワーが見える。

 

気温は10度をわずかに上回るほどで、東京から持ってきた

薄手のジャケットを着て隣で震えている響子に対し、

プロデューサーは双眼鏡を渡そうとしたが、いらないと断られた。

 

「風が冷たすぎて景色なんて見てられないですよ。

 私今日体調の悪い日だから体を冷やしたくないんです。

 そもそも青森に全く興味ありませんから今すぐ帰りたいです」

 

「そっか。それは残念だな」

 

「私は景色よりも美味しいものが食べたいです。

 あっちのレストハウスで休んでますから、

 プロデューサーさんも気がすんだら来てくださいね」

 

無料で使えるレストハウスは、プロデューサーのいる

展望台(公園を兼ねている)からは若干の距離があるため、

プロデューサーは一時的とはいえ響子から解放されたことで安堵していた。

 

「それにしても良い景色だな。津軽海峡ってこんな感じなんだ」

 

プロデューサーはイェーガーとして目覚めてからは

筋力がさらに増大したので薄着で冷たい潮風を浴びてもひるむことはなかった。

 

大きなマグロのモニュメントに癒されながらも、しっかりとその景色を目に焼き付けた。

スマホがない(まゆに没収された)ので撮影もできないが我慢した。

そもそも生きてまた写真を見る機会があるかどうかもわからない。

 

「せっかくだから記念撮影でもいかがですか?」

 

「ん? 君は……」

 

プロデューサーは声をかけてきた人物へ振り返る。

 

「水本さんじゃないか……。こんなとこで君と会えるとは

 思ってなかったからすげーびっくりしたよ」

 

「ふふ……。その割には冷静そうに見えますけど」

 

「あー、ばれちまったか。実は全然驚いてなんだ。

 最近色々なことがありすぎてな。無駄に度胸がついたっつーか……」

 

「ふふっ……。やっぱりプロデューサーさんって面白い人なんですね。

 私の担当の人とは全然違う」

 

「君の担当って確か、あの高い男の人だよな」

 

「はい。身長185センチ越えの巨漢さんです。

 あの人は決して悪い人じゃないんですけど全然笑わないし、

 雑談を嫌うのでちょっと距離を感じちゃうんです」

 

「あの人ってプロデューサーが集まる会議でも必要最低限の事しか

 発言してなかったな。俺とも挨拶以外の会話はなかったよ。

 まあ逆に俺の方がアイドルと話し過ぎだって言われちまうかもしれないが」

 

「そんなこと、ないと思いますけどね」

 

ゆかりはキラキラした瞳でこう言った。

 

「私のプロデューサーは冷たい人だからレッスンに着いていけない

 アイドルには一切のフォロー無し。嫌なら勝手に辞めろって感じで、

 釣った魚にはエサを与えない主義なんでしょうね。私はオーディションじゃなくて

 スカウト組なんですけど、私ともお仕事の話以外はしないんですよ」

 

「それは……さみしいよな」

 

「はい。さみしいですよ。

 ライブをどんなに頑張ってもお疲れさまでした、で終わりですから」

 

「俺はしっかり褒めてあげたな。智絵理やまゆは頭をなでてあげると

 喜ぶんだ。みんなが食べたいものがあったら外に食べに行ったこともある。

 響子は俺によくお弁当を作って来てくれたよ。もちろん全部食べた」

 

「いいなぁ~。やっぱり他所なら普通にアイドルととPの

 交流ってありますよね。たぶん私のところが異常だったんです」

 

「俺はな……アイドル達と親しくなりすぎて

 仕事に支障が出ちゃったから常務にやめろって言われちまったんだ」

 

「そうだったんですか……。それはひどすぎると思います。

 私はあの人嫌いです。人間を商品としか見てなくて」

 

「まあな。上の連中は……みんなそうだよ。

 プロデューサーは数字が出せない奴はすぐに首さ」

 

「デビューしたばかりで役がもらえない子は、

 テレビ局の偉い人に枕営業を強要されてました……」

 

「そんなことは日常茶飯事だよ。例えば無名の新人女優がたくさんのCMに

 起用され始めた時、その裏側を考えるとすげえ汚いなって思うよ。

 親のコネとかあればいいけどな、なければ自分でどうにかするしかない」

 

「……本当に芸能界の裏側って汚いですよね」

 

ゆかりは深い溜息を吐いた。心に深い傷を負っているのが見てわかる。

決して彼女自身が汚い仕事をしてるわけじゃないのは知っている。

芸能界が汚いと思ったのは、夢半ばにして辞めていった

多くの仲間を想ってのことなのだろう。

アイドルの実力が正当に評価れない世界なのだから当然だ。

 

「水本さんってすごく話しやすい人だったんだな。今まで

 同じ職場にいたけど話す機会がなかったから全然知らなかったよ」

 

「ふふ。それは私も同じです」

 

「ところで水本さんはどうしてここに来たんだ?

 新幹線に乗ってたから実家に帰るんだと思っていたが」

 

「実家に帰る途中だったんですけど、その前に地元を観光したくなって

 大間崎に来たらプロデューサーさんとばったり会ったので」

 

「すげえ偶然だな」

 

「はい」

 

ニコニコと笑うゆかり。売れっ子アイドルだけに魅力にあふれている。

プロデューサーは思わず本気でゆかりに浮気したくなった。

(別に誰とも付き合ってるわけではないのだが)

 

しかしプロデューサーは今までの経緯からまさかゆかりに

後を付けられたのではないかと疑うが、ゆかり個人の感情として

それは有り得ないし、誰かの手先でもなさそうだ。

 

今は観光中だ。

そういったドロドロしたことは考えないことにした。

 

「せっかくですから記念撮影しましょうよ。私のスマホでいいですか?」

 

「ああ。助かる。俺はまゆにスマホを没収されてるから

 持つことを禁じられてるんだ」

 

「没収されてる……? ちょっと気になるので

 撮影の後にくわしく聞いても良いですか?」

 

「ああ。全然かまわないよ。

 水本さんにとってはつまんねえ話になるかもしれないが」

 

「むしろ興味津々ですよ。すごく気になります」

 

ふたりは公園の看板、モニュメント、海の前でポーズを取りながら

撮影をした。ゆかりはアイドル、プロデューサーは一般人なので

なのでさすがにペアでは撮影しなかったが。

 

プロデューサーはゆかりの瞳を見て(綺麗だな)と純粋に思った。

 

ゆかりがレストランでマグロドンでも食べませんかと言うので

プロデューサーは二つ返事で承諾した。

 

その頃、レストハウスでスマホをいじって帰りの便を検索していた響子は、

何時まで待ってもプロデューサーが戻ってこないことに業を煮やし、

展望台へ戻って来た。そうしたらプロデューサーとゆかりが仲良く

肩を並べて歩いているところが視界に入り、血液が逆流するほど憤慨した。

 

 

「ちょっと!! プロデューサーさん!!」

 

「ああ、響子か。ちょうどいい。今水本さんにお勧めの

 レストランに誘われたんだ。お前も一緒にどうだ?」

 

「どうだ、じゃないですよ!!

 なんでこんなところで水本さんと一緒にいるんですか!?」

 

「なんでって……たまたまそこで再開したからだよ」

 

「ここは本州の最北端なのに本当にたまたまですか?

 あー分かった。またこうやって浮気して私を捨てて逃げようとしてるんですね。

 どうせ北海道にでも逃げて全部なかったことにするつもりなんでしょう」

 

「響子。とりあえず食事にしようぜ。文句なら後で聞くからさ」

 

響子はこれ以上夫を説得しても無駄だと悟り、

 

「水本さんも!!」

 

「え、なんですか」

 

「私の彼を誘惑するのやめてもらっていいですか!!」

 

「誘惑? 私はそんなつもりはないですけど」

 

「今ここでデートしてましたよね!!」

 

「なるほど。プロデューサーさんが苦労されてる原因ってこれなんですね」

 

ゆかりは、まるで悪女のような顔をして高笑いを始めたので

プロデューサーと響子は驚いた。ゆかりは口を開けて笑い続けた。

涙が出るほど笑い続けた後、ようやく落ち着いたのか語り始めた。

 

「半年以上前から社内で大きな噂にはなってたんですよ。

 プロデューサーさんが担当アイドル達に本気で愛されてしまって困ってる。

 私はまさかと思いましたけど、やっぱり噂は本当だったんですね。

 ふふ。本当に自分の人生のすべてをかけてでも好きになれる人と

 職場で出会えるなんて運命だと思いますよ。私にはうらやましいです」

 

「何が言いたいんですか。

 まさかあんたも陰で私の彼を狙っていたとか言い出すつもり?」

 

「彼と話をしたのは新幹線で会った時が初めてですよ。それは嘘じゃありません。

 一応私の方が年上だしアイドルとしても先輩だから忠告してあげる。

 五十嵐さんは彼を諦めた方が良いよ」

 

「は? なんであんたにそんなこと言われなくちゃいけないの。

 部外者のくせに」

 

「そうだね。余計な口出しかもしれない。

 でもプロデューサーは迷惑そうな顔してた。

 五十嵐さん。しつこい女は嫌われるよ」

 

響子はこの時点でこのお嬢様と会話をすることは無意味だと判断した。

 

どうやらこの女もプロデューサーに気持ちが傾いていることに間違いはないので

こうなったら実力行使で排除するしかないわけだが、ここは開けた観光地だ。

平日なので観光客の数は少ないが、近くにはお土産屋さんもあるし警備員もいる。

 

さあ、どうしてやるかと考えていると、

 

「響子。ちょっと黙ろうな」

 

首の裏側が急に重くなり、視界が暗くなる。

プロデューサーに神速のチョップを食らったのだ。

 

プロデューサーは意識を失うだけでなく生死の境をさまよっている

響子ちゃんを肩に担ぎながら、平然とレストランを目指した。

 

「水本さん。色々とすまん。腹が減ったから飯にしようぜ」

 

「ゆかりです……」

 

「え?」

 

「下の名前で呼んでも良いですよ」

 

「いや、さすがにそれはまずいだろ。

 俺は君の担当でもないし今は芸能界の人間ですらないんだ」

 

「これはお礼です」

 

「お礼?」

 

「さっき五十嵐さんに凄まれた時に本気で殺されるんじゃないかと思って……

 怖かったんです。だから私を救ってくれたことに対するお礼です」

 

「お、おお……そっか。冷静そうに見えた割には怖がってたんだな。

 全然気づかなかったよ。そんじゃお礼ってことで

 これからは遠慮なくゆかりって呼ばせてもらうよ」

 

「はい」

 

ふたりは店内に入りマグロ丼を注文した。気絶している響子については

船酔いのためと適当に誤魔化しておいた。響子が目覚める可能性にかけて

彼女の分の料理も注文しておいたが、食べ終わるまで目覚めることはなかった。

念のため脈を計ったらまだ生きてるのでプロデューサーは安心した。

 

響子の分は代わりにプロデューサーが食べておいた。

彼の食欲が良いのをゆかり嬢は楽しそうに見守っていた。

 

店を出る。

 

「すごく美味しかったですね」

 

「ああ、さすが海の幸っ感じだった。俺は内陸育ちなんで

 海自体が珍しいんだ。今すげーテンション上がってるんだぜ」

 

「そうなんですか? ふふ。

 よろしければ夕方まで他の観光地も回りたいですね」

 

「もちろん構わないぜ。

 だが飯食ってる時から気になってたんだが」

 

「はい?」

 

「ゆかりさんの携帯がすごい勢いで着信してないか?」

 

「さんはいらないですよ。ゆかり、です」

 

「あ、ああ。ゆかりだな。さっきも言われたよな。

 すまん。それで着信の件は」

 

「佐久間まゆちゃんからの電話とメールです。

 ラジオ番組で共演したときに少しだけ仲良くなったから

 LINEを交換してたんです。途中で嫌になったので

 電源を切ってましたけど、今電源を入れますね」

 

「まゆはなんて言ってるんだ?」

 

「明日の昼までに青森に着くから、プロデューサーが

 逃がさないように捕まえておいてほしいと」

 

「おいマジかよ」

 

「マジですね。文面に殺意が込められてます」

 

「俺が青森にいることがよく分かったな」

 

「24時間体制で衛星から監視してるそうなので

 地球上のどこに逃げても補足できると書いてありしたよ」

 

「衛生かよ。それは困るな」

 

「ええ。困りますね」

 

「だよな。衛星って、そんなん有りかよ」

 

「ふふ。すごいですよね」

 

「はははははっ」

 

「あはははっ」

 

ゆかりは言った。どうせなら、とことんまで逃げてみませんかと。

親せきのおばあちゃんが青森県で秘境と呼ばれる山奥に住んでおり、

仮に衛星で捕捉されても具体的な位置まで知られることはないとのこと。

 

「君がそう言ってくれるのはありがたいんだが……」

 

とプロデューサー。

 

「ゆかりはそんなことで時間をつぶしちまっていいのか。

 君は今帰省中なはずだが」

 

「実は職場の人間関係で色々と疲れてるのは私も同じで、

 今の仕事を辞めようかなと思って両親に相談しようと青森に来たんです」

 

「……。そんな事情があったとはな……」

 

「私のお祖母ちゃんは口数が少ない人ですけど、

 困ってる人の相談に乗ってくれる優しい人ですよ。

 私もプロデューサーさんにお仕事のことで相談できればと

 思っていましたから、どうでしょうかプロデューサーさん」

 

「ありがとう。ゆかり。君の親戚の家なら安心だな。

 お言葉に甘えてしばらくお世話になるよ」

 

プロデューサーはつい癖でゆかりを抱きしめてしまい、

しまったと顔が青ざめるが、ゆかりの方もしっかりと

腕に力を込めて抱き返してくれた。

 

ゆかりはプロデューサーのたくましい体に

うっとりしてしまい、体中が猛烈に熱くなった。

発情してるのが彼に知られたくないので平静を装うが顔が真っ赤だ。

 

さて、これから山奥で暮らすのに響子が邪魔になった。

そこでゆかりの提案でレストハウス内の休憩室に布団をかけて寝かせておいた。

いったんここで寝かせておいて、後で迎えに来ますと

係の人に伝えておき、そのまま放置した。

 

あまりにも残酷すぎる放置プレイに思えるが、今まで

響子がプロデューサーにしてきた仕打ちを思えば擁護できるわけもない。

響子は夕暮れになって係の人に保護された。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

大きな滝のあるお寺。

日本の国土面積は決して狭くはない、むしろ単一民族
(この定義は難しいが、同じ人種で同じ言語を話す民族とする)
が暮らす地域としては世界で一番広いのではないか。

中国、インド、ロシアが巨大に見えるのは、広大な国土の中に
無数の言語や宗教を持つ異民族が集まった結果である。

日本の本州では、永遠とまでは言えないにしても
ある程度の期間ならば逃げ隠れるための場所は無数に存在する。


前書きの続きを書く。

 

隠れる場所として論外なのは観光地である。

この理由は説明するまでもないが、どんな穴場でも観光化された時点で、

あるいは報道された時点で人ごみと化す。

 

離島もだめだ。悪天候(波浪)の影響で船の往来が途絶えたら生活物資に困る。

海の先にある土地では疫病も怖い。

 

北海道、九州、四国にしろ、テレビやネットに知られてない秘境と

呼ばれる場所はすでにないのではないかと思われるかもしれないが、

それはよく探してない証拠である。

 

山奥の山道をさらに車で3時間も先に進み、

そこからさらにけもの道を1時間も歩いて行くと、

令和の世になっても電線さえ敷かれてないほどの、

古き良き日本の伝統を守っている地域にたどり着く。

 

そこには米、野菜、山菜、獣の肉を中心とした食料がある。

スーパーで買うのではない。自らの力によって日々の糧を得るのだ。

 

必要最低限の物だけを得て、生活する。

 

テレビ、ラジオ、ネット、冷蔵庫、洗濯機などの文明の利器もなく、

ただその日を生きるためだけに生活する。修行僧のような日々。

 

 

「ゆかり。お前さんはその男に恋をしているようだね」

 

「さすがおばあ様です。まだ何も言ってないのに

 そこまで分かってしまうのですか」

 

祖母は古い寺の脇にある住宅に住んでいた。

そこは山奥の深くで大きな滝が流れる場所だった。

 

地上へ続く路には舗装もされてないから大雨が降ったら

足がすくわれるので危険だ。山の斜面には杉並木が無限に生えている。

 

5月の夜にもなると無数の蚊が住居に襲い掛かる。

昭和の古い時代から布団の周りに蚊帳(かや)をして寝るのが基本とされた。

ここでは貴重品だが蚊取り線香を使うことも許してくれた。

 

「おばあ様。これからここに来た詳しい経緯を説明いたします。

 私は東京で芸能に関するお仕事をしていて……」

 

「まあ良い。みなまで話すな。私は俗世間で行われている事などに興味はない。

 世間とは所詮は群衆の集まり。下らぬことだ。お前が当分の間ここで

 身を隠したいことはだけは分かった。ならば、お前の気がすむまで

 ここで暮らすがよい。ただし、ただ飯ぐらいは許さぬ。

 自分の取り分くらいはしっかりと自分で働いて得てもらうよ」

 

「承知しています。おばあ様」

 

ゆかりが土下座をしたので、プロデューサーも同じようにした。

プロデューサーがどうしても気になったので祖母の年齢を訊いたら、

大真面目に「168歳」と答えた。

 

さすがに冗談だろうと思ったが、

祖母の迫力に圧倒され、訊き返せる雰囲気ではない。

 

168年……。悠久の時である。

 

仮にそれが事実だとして、この祖母は明治維新が発生する前後から

ここで暮らしていることになるのか。明治維新と言えば戊辰戦争の後に

起きた近代化革命であり、日清日露戦争のさらに前の時期である。

 

プロデューサーは自分自身が人知を超えた存在だと自覚しているが、

この祖母もまた普通の人間じゃないことは間違いないと思った。

 

寺は小さいが、住居は広かった。どこまで続いているのか、

廊下が奥まで広がっており、その両脇にふすまで閉じられた小部屋が続く。

これは武家屋敷に近いものだと思ったが、この山奥でどうって

ここまで建築資材を運んだのだろうと不思議に思う。

 

「初めまして。ゆかり様。プロデューサー様」

 

この古い屋敷には、祖母様が「小僧」と呼ぶ僧侶の見習いのような人たちが

住んでいた。綺麗に刈り上げた坊主頭。

法衣に身をまとう壮年から中年の男性集団である。

 

「私が今日からここでの生活の仕方を始動させていただきます。

 細かいルールがございますのですべて覚えていただきます。

 慣れない生活でしょうから覚えるのに時間をかけて構いません」

 

いったい何人いるのか把握できないが、

ゆかりたちの前に姿を現すのは4、5人ほどだった。

 

「私が今日から外での仕事の仕方を教えて差し上げます。

 主に山の歩き方から山菜の取り方を担当します」

 

仕事を教えてくれる係が厳密に分かれていた。

坊主ごとに前述の山菜取り、獣の狩り、野菜作りなど。

 

プロデューサーは渓流まで歩き、生まれて初めて川魚を釣って食べた。

釣ってみるのは簡単だったが、なんとも泥臭くて

どれだけきれいに洗っても匂いが取れなくて困った。

 

坊主たちが、手慣れた動作でハラワタを取り出して、串刺しにして焼いていく。

貴重な蛋白源なので残さず食べるように言われた。

 

彼らは屋外作業の時は法衣を脱いで現代的な作業着を着ていた。

上下灰色でワークマンで売ってそうなタイプだ。

 

プロデューサーは薪を割るためのオノを渡された。

彼はイェーガーとして覚醒してはいるため筋力や持久力に問題ないが、

慣れない作業ゆえに心労がたまる。オノは振り始めたその日の夜には

握りしめた指にマメができる。野球のバッドを振るのと勝手が違う。

 

「ふっ」

 

と気合いを入れると、薪がまっぷたつに割れた。

まだまだノルマはある。プロデューサーの作業場には、

真新しい薪が所狭しと並んでいる。

 

一度目で綺麗に割れることはまれだ。

どれだけ力を込めたところで斧を薪に対して

まっすぐにめり込ませないと、途中で止まってしまう。

 

坊主は、まずはコツをつかむためにこれを一日で

全て割ってみろと言う。一日は長い。額に汗をにじませながら耐えた。

スイッチ一つでコンロに火が付いた現生が遠く感じる。

 

 

ゆかりは、屋敷での家事を任されていた。

 

朝4時に起きて廊下や玄関の掃除、5時からは炊事をする。

 

ここには電気が通ってないので米を炊くのにかまどを使う。

かまどは薪を燃やして火力とするのだ。

 

ゆかりに渡された道具は火吹竹である。

質の良い竹で作られた筒状の道具だ。

 

これにゆかりが燃えている薪に対し、

ふーと息を吹きかけると火力が増すのだ。

 

かまどは全部で5つもあった。

ここは人数が多いので一度に10合も炊く。

これだけあると火の管理も大変な仕事だ。

 

鍋が噴きだした頃にはそろそろ火を止めてご飯を盛りつけないといけない。

その作業を以前やっていたのは坊主だが、美しいゆかりに

手取り足取り教えている内にどうしても異性を意識してしまう。

 

坊主があまりにも緊張した様子だったのでゆかりはクスクスと笑ってしまう。

 

おかずの調理には囲炉裏を使用するので最初は苦戦するが、

要領が良いゆかりは次々に仕事を覚えていった。

 

まずいちいち火を起こすのが面倒だし、加減も難しい。

それに換気が悪いくせに隙間風が多いから

夜が冷えることを除けば、料理の基本的なやり方は現代と変わらない。

材料が少ないので味噌汁を中心に煮物のメニューばかりだった。

 

ここの住人たちは栄養が偏って脚気にならないように

ビタミンが豊富な葉物野菜をしっかり食べるように心がけていた。

 

ゆかりが包丁でリズムよく野菜を切っている。

その姿を見てプロデューサーだけでなく坊主たちも目を奪われてしまう。

 

中には共同生活を始めてひと月もしない内にゆかりの美貌にすっかり

虜にされた坊主もいたようだが、そのことが後に先輩の坊主に

知られてしまい、厳しく指導されたそうだ。

 

(ゆかりの料理をする後姿が……美波に似ている)

 

プロデューサーは密かにそう思っていたがもちろん口にはしない。

 

ゆかりとプロデューサーは家の中では共に古い着物を着ているので

時代劇の撮影現場のようだと最初は笑ったものだ。ゆかりは

作業の邪魔にならぬよう長い後ろ髪を一つにしばっておく。

ストレートで細い毛先が、やはり美波の姿に重なるので胸が痛む。

 

 

7月の最初の週になった。今年は関東でもまだ梅雨が明けてないので、

東北地方の梅雨明けはもっと先になる。雨が続いているので

プロデューサーは屋敷の中で過ごすことが多くなった。

 

ゆかりは、人数分の料理を作ることに慣れてきたので

今では涼しい顔をして作業をこなしている。プロデューサーは

暇さえあれば洗濯や掃除を手伝ったので二人は仲良しだった。

 

いや、仲が良すぎた。

 

「プロデューサーさん……。もっと近くに寄っていいですか」

 

「ああ。来いよ。ゆかり」

 

彼らは夜に交わるようになった。

これは自然の成り行きだったのかもしれない。

ここでの生活では夜になるのと何もすることがないのだ。

 

屋敷を見渡しても娯楽らしい娯楽はなく、

あったとしても年代物の囲碁将棋のセットやカルタくらいである。

毛糸が豊富にあるので編み物はできるが、なんとも退屈だ。

 

ゆかりの持ってきたスマホは、とっくに電源が切れていて

置物と化していた。文明の利器も電源が入らなければガラクタである。

災害などの緊急時には絶対に役に立たないだろう。

 

互いを意識し合っていた男女が一つ屋根の下で暮らしていて、

男女の関係に発展しないわけがない。ゆかりとプロデューサーは

ある夜二人きりでいる時に、どちらともなく指先が振れた次の瞬間には

熱い接吻を交わし、最後まで発展してしまった。

 

その日からふたりは裸で抱き合うのが当然のこととなった。

ゆかりは特にプロデューサーに対する愛情が強く、

行為の後はプロデューサーの腕を枕にして寝るのを好んだ。

彼女はどんなに蒸し暑くてもプロデューサーの身体にぴったりと

くっついて寝る。

 

やがて彼らの情事が他の住民に知られてしまうのは当然の成り行きであり、

若い二人の関係に嫉妬する坊主は少なくなかった。

 

女人禁制の生活を強いられてきた彼らにとってゆかりの姿は

女神に映ったことだろう。しかし本当の修行僧ならば嫉妬などと醜い感情など持たぬ。

 

中にはゆかりの下着を盗もうとタンス置き場に忍び込んだのが

途中で発覚し、罰として背中を棒で叩かれる者まで

現れたのでプロデューサーは驚いた。

 

 

梅雨が明け、暑くて寝苦しい夜の日のことだった。

 

「きゃあああああ!! いやあ離してください!!」

 

廊下から絹を裂く娘の声が。

 

ゆかりは外のトイレまで用を足しに行った際に、

廊下で偶然出会った坊主によって襲われそうになったのだ。

 

プロデューサーが直ちに鎮圧するため現場へ駆けつけ、

華麗なるワンパンを食らわして坊主を吹き飛ばすが、

その男が自分の狩りの教育を担当する者だと判明すると、

 

もう少し加減をしておけば良かったかと後悔に念に駆られる。

しかしそれも一瞬の事。

 

P・イェーガーとしての貫禄を発揮する。

 

「たぶん先輩はゆかりに惚れてるんだからしょうがないって言えば

 しょうがないことだと思います。男なんだから誰だってムラムラ 

 することはあるでしょう。でもね、俺は自分の大切にしている

 女の子が襲われそうになったら全力で守りますよ」

 

鬼の形相で淡々と言われたので坊主は腰が抜けてしまう。

厳しい修行の果てに強靭な精神力を得た彼らでさえ

プロデューサーの迫力の前に脱糞しかけているほどだった。

かつて佐久間家の父が取り乱していたのは当然だろう。

 

翌朝、その男はお祖母様のところに連行され、厳しく叱られた。

罰の内容は謹慎だった。しばらく所定の場所で生活し、

外には出てくるなということであり、その間は仕事をすることも許されない。

 

その日の夜。もはや夫婦同然としてプロデューサーと布団を

共にするゆかりは、改めて自らの心情を打ち明けた。

 

「私はアイドルをしてたのにどうしてって思われるかもしれませんけど、

 実は男の人って生理的に苦手なんです……。私には幼稚舎の時から

 婚約者の方がいて、親からはその人と必ず結婚するように

 言われて育ってきたんです。私は親の支配から逃れるために

 東京で独り暮らしを……。アイドルには始めは興味なかったんですけど、

 今すぐ親元から離れられる口実になるならやってみようかなって思ったんです」

 

この生活に関して驚くべきことと言えば、時代を100年くらい

さかのぼった生活をしているのにプロデューサーとゆかりが

不平らしい不平を述べたことがないことだ。

 

プロデューサーはなるほどと思った。自分はまゆから逃げるためなら

たとえ生活水準が江戸時代程度だとしても我慢するつもりだが、

ゆかりの方も現代社会から逃げ出したい事情があったのだ。

 

「前のプロデューサーさんは、なんていうか私に乱暴はしたわけじゃない

 ですけど、寡黙すぎてちょっと怖かったです。この人が本気で怒ったら

 どんな風になるんだろうと思うと怖くて。それに私のこともどう考えてるのか

 全然分からなくて。実はファンの人も怖いんです。ネットに性的な事とか

 書かれているのの見ると気持ち悪くて吐きそうになります」

 

「そっか。君はポーカーフェイスが得意だから楽しんでアイドルを演じてる

 ように見えたけど、本当は嫌なのを我慢してたんだな。

 ライブ中のファンの視線とか嫌だったんじゃないのか」

 

「すごく……嫌でした。まるで全身を舐めまわして見られてるような気がして。

 一番嫌なのは雑誌向けの水着の写真撮影だったんですけど」

 

「俺も一応男なんだが、どうして俺のことは嫌わないんだ?」

 

「プロデューサーさんって、カッコいんですよ。

 えっとっ、顔の話じゃなくて雰囲気って言うか、女の子を守ってくれる

 優しさに満ち溢れていてるって事務所で噂になっていたものですから、

 前から一度お話してみたいなって思ってたんです。

 あっ、もちろん顔もカッコいいですよ。優しそうな目が素敵です」

 

「……なんか面と向かって褒められると照れるな」

 

「私がプロデューサーさんのことが好きなのは、今まで出会った

 男の人とは全然違うからなんです。私達が関わった時間は

 すごく短いけど、こんな良い人、もう二度と巡り合えないと思ったから」

 

「ありがとうな。ゆかり」

 

井戸水をくみ上げ、水で一杯にした「たらい」には手ぬぐいがかけてある。

ゆかりは手ぬぐいで顔と身体を切れに拭いてから、

プロデューサーに体重を預けてキスをした。

 

ふたりは時間が過ぎるのを忘れ、また長い夜を過ごしていく。

目覚まし時計をかけなくても鶏のやかましい鳴き声で嫌でも

4時過ぎに目が覚める。その瞬間まで手をつないだまま眠りについた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ゆかりの過ち。

嫉妬の重さ。


8月を過ぎ、9月の末にもなると過ぎると夜は冷え込んでくる。

 

季節の移り変わりに従い最高気温が低くなるはずなのだが、

令和の異常気象のために陽光の照り付ける昼間は26℃前後の気温となり、

10℃程度まで下がる。さすがに寒暖の差が激しい。

 

古い屋敷は断熱性に乏しく夜は冷える。

掛け布団も今風の便利な素材ではなく大昔の代物だ。

人里から離れた山岳地方では、炬燵代わりの囲炉裏に

みんなが足を並べて寒さを凌ぐ。

 

この時までにプロデューサーとゆかりはここでは

夫婦として過ごすことを皆に伝えてあるから、

今ではゆかりを獲物のように見る坊主は減った。

 

 

11月になると雪が降り始める。

 

ウサギやキツネを狩る時期だ。

プロデューサーは雪の上をスムーズに歩く練習する。

竹で編んだ「かんじき」と呼ばれる履物を履くと、

雪の上を驚くほど楽に歩けるようになる。

 

慣れないうちは張り切って動くと汗を放置しがちで、

汗が体温を奪って低体温症になる恐れがある。

そのため大汗をかいたら下着を取り換える必要がある。

 

プロデューサーはロシア製の防寒着を借りた。

これは、かつて東北の師団が日露戦争の時に

捕虜にしたロシア兵から戦利品として持ち帰ったものらしい。

 

100年も前の代物が未だに新品同様に保管されていることに驚く。

しかもこれは士官用のコートだ。

 

プロデューサーはウクライナでの戦争のことを思うと

この畜生民族の使用した服を着ることにためらいを感じる。

 

しかし他に着物の予備はないと説明されたので仕方なく着ることにした。

大昔の衣服はあまりの重さに肩がこる。

膝より下まで伸びるロングコートだ。暗い紺系の色をしている。

腰の部分を上からベルトで締めるとそれなりに見栄えがした。

 

プロデューサーには獣を狩る弓は渡されず、代わりに

落とし穴を掘るよう指示された。プロデューサーは先輩坊主の

言うことに従い、スコップで雪をかき分けて穴を掘る。

手袋をしても指が凍るほど冷たい。

 

一仕事終えて休憩中に暖かい茶の入ったステンレス製の水筒を渡される。

令和の日本ならどこでも売ってそうなデザインだったので

どうしたのかとプロデューサーが問うと、

坊主たちは、春先には街まで下って生活に必要なものを

買い揃えるのだと説明した。彼らの作業着もワークマンで購入したらしい。

 

 

ウサギは毎日取るように言われた。

たくさん取って食べきれなくても干し肉にして保管できるので

便利だそうだ。捕獲よりも獲物を殺す過程が辛い。

血や内臓の匂いに耐えないといけない。

 

プロデューサーは食用にされるウサギに胸が痛んだが、

慣れてくるとただの作業になってしまう。人間とは残酷な生き物だ。

 

 

「ただいま。今日も大量だったぞ。ゆかり」

 

プロデューサーが明るく挨拶をして帰宅すると、妻の返事がない。

どうしたのかと思い、奥の寝室に行くと、布団の上で寝込んでいる

ゆかりの姿があった。見るからに顔が赤く、発熱しているようだ。

 

「大丈夫か。熱はどのくらいあるんだ」

 

「熱を測る道具がここにはありません……。

 たぶん微熱だと思いますけど」

 

プロデューサーがゆかりの前髪をかき分け、おでこに手を当てる。

 

「すげえ熱いぞ。これは微熱じゃない。

 今祖母様を連れてくるから待っててくれ」

 

ドタバタと廊下をかけて祖母様に事情を話した。

 

祖母は得に焦る様子もなく、いつもの重苦しい口調で

「おそらく風邪じゃろう。しばらく安静にするように」と言った。

 

プロデューサーはその日から狩りを免除され、

ゆかりに付き切りで看病することになった。

 

病気の妻にとって愛する夫が近くに居てあげることが

何よりの心の支えになると祖母は言った。その通りだろう。

 

その日から三日経過してもゆかりの熱は下がらなかった。

ゆかりは熱のためによく汗をかくのでプロデューサーが

お湯で濡らした手ぬぐいで背中や腕を拭いてあげた。

 

お昼ご飯を食べてから寝る時にさみしいとゆかりが言うので

手を優しく握ってあげた。ゆかりが眠るまでそうしてあげた。

 

さらに三日が経過する。ゆかりの熱は平熱に戻ったが、

頭痛とめまいがひどく、布団から出ると1分と立っていられないので

外のトイレまで夫が連れ添ってあげないといけない。

 

(ただの風邪じゃないな。ゆかりはお金持ちで

 すげえお嬢様学校の出身なんだ。ここで大昔の暮らしを

 続けたせいで精神的にやられちまったんだろう)

 

プロデューサーはここでの生活が限界を迎えたのだと思った。

夜寝る時はどんなに布団をかけても寒いのだ。

戸板が強風でガタガタと震え、囲炉裏の光があったとしても

不気味で怖い。天井がすごく高いので余計に寒い。

 

遠くからオオカミの群れの遠吠えが聞こえることがある。

フクロウの鳴き声は可愛らしく感じるものだが、

フクロウは人間を襲わないにしても猛禽類の一種である。

東京と違ってこの屋敷の外には危険な獣がたくさんいるのだ。

 

そもそもゆかりは坊主たちの下心におびえながら

生活していたこともありストレスがかなり溜まっていたはずだ。

女性の感じる恐怖を男性が完全に理解してあげることはできない。

それでも分かろうと努力することが優しさなのだ。

 

プロデューサーは、いちいち女性の小さな心の変化に

気づいてあげられる男だし、彼女達が一番に望んでいることが

自然と口から出てしまうことからアイドルに人気があった。

 

彼は無自覚の内にやり手のホストのように女たちの

心をつかんでしまう天性の才能があったのだ。

 

「ゆかり。病気で苦しんでるところ悪いんだが、

 俺なりに考えたことを言わせてくれ。

 俺達はここを出て行った方が良いと思うんだ」

 

「……どうしてですか」

 

ゆかりは布団で寝たきりの生活をしている。

そのわきにプロデューサーが座って語り掛けていた。

 

「私は……ここでの生活に満足していますよ」

 

「俺にはそうは見えないな。たぶん今回の病気の原因は心労だよ。

 ストレスだ。ゆかりだって本当は高校生なんだから

 こんな田舎でいつまでも過ごしてるのは良くないのかもしれない」

 

「私は……外部の人の邪魔が入らないこの環境が好きですよ。

 ここならプロデューサーさんといつまでも一緒に居られます」

 

「ゆかり……。俺なりに君の進路について考えたんだ。

 ゆかりはやっぱりアイドルは辞めた方がいい。

 普通の女の子に戻って普通に高校生活を送って、

 良い大学に入って良い就職先を見つけた方が幸せだと思う」

 

「プロデューサーさんったら、私の父親と全く同じことを

 言うんですね。生まれた時からレールに敷かれた平凡な人生……」

 

「君は、平凡な人生は嫌なのか?」

 

「私には忌々しい婚約者がいることをお忘れですか。

 私のことを性的にしか見てない、肥えた醜い男です。

 親の財力を盾に学校でやりたい放題やって皆に

 嫌われてるような、最低のクズですよ」

 

「そんなにひどい奴だったのか……。すまん。

 俺はゆかりの事情を全然分かってないのに 

 勝手なことを言っちまった」

 

「謝らないでください。私はむしろうれしいんです。

 プロデューサーさんが、本当に私のことを心配して

 言ってくれてるのが分かったから」

 

ゆかりは無理して笑顔を作った。優しい瞳から涙がこぼれていた。

それが悲しみの涙でないことはプロデューサーが一番よく知っていた。

 

「私の病気が治るまで、もう少しだけ時間が掛かると思います。

 それまであなたには迷惑をかけてしまうでしょうが、

 もう少し、もう少しだけ待ってくれませんか」

 

「迷惑なもんか。妻の面倒を見るのは夫の当然の仕事だ。

 焦らなくていいんだよ。ゆっくり治してまた元気な顔を見せてくれ」

 

ゆかりは満面の笑みを浮かべ、安心したのかそれから

死んだように眠りについた。彼女はまた寝たきりの生活が続いたが、

それからさらに七日も経つと回復して炊事がこなせるようになった。

プロデューサーは無理はするなと言ったが、ゆかりは翌日までには全快した。

 

 

雪がさらに積もるようになり、年の瀬が近づく。

 

病気を乗り越えて夫婦の絆はさらに深まった。

夫婦の夜の生活はますます活発になり、

どれだけ互いを求めても飽きることはなかった。

 

「ゆかりっ……ゆかりっ……はぁっ……はぁっ……」

 

「あぁん……いやっ……きもちぃ……もっと奥までください……」

 

清楚なゆかりがとんでもなく大きな声を出してあえぐものだから、

ここから離れた寝室にいる坊主たちの耳にも入るのだろう。

ゆかりは感度が良すぎるせいでその姿が

余計にプロデューサーを興奮させ、腰の動きに力が入る。

 

ゆかりがプロデューサーより先に達してしまう時は

布団の上に大きな染みを作る。そして顔を赤らめて恥じらうものだから、

またプロデューサー獣になってゆかりに襲い掛かり、続きが行われる。

 

乱暴に胸をつかまれても、口の奥まで男性器を加えるように

お願いされてもゆかりは抵抗をせずに受け入れた。

プロデューサーは抵抗しないゆかりを後ろ手に縛って犯す鬼畜だった。

布団の上のゆかりはプロデューサーの言うことは何でも聞いた。従順すぎるのだ。

 

「今日も乱暴なことしちゃってごめんな。痛くなかったか?」

 

「いいえ。むしろ気持ちよかったです」

 

縄できつく縛られたゆかりの肌を労わるプロデューサー。

ゆかりはいつも笑顔で何でもないと答えるのでそれ以上は謝らなかった。

ふたりの関係はこれで良いのだとプロデューサーは納得した。

 

 

情事のことはともかく、共同生活をするにあたって

互いの生活態度で不満がないわけでもない。

 

前にも述べたが、ここでは夕ご飯を食べた後はすることがない。

ゆかりは囲炉裏の明かりに照らされて縫物をしながら(主に衣服や靴の補修作業)

小声で歌を歌っていた。プロデューサーは当然その曲を知っていた。

小早川紗枝と一緒に歌ったシークレット・ミラージュだ。

 

(またその曲か……)

 

プロデューサーは仕事のことを思い出したくないので

歌を聞くことを不快に思うが、愛する妻のすることなので我慢する。

ゆかりが歌を口ずさむのは、大好きなフルートの演奏ができないから

気分を紛らわせているためだ。

 

プロデューサーは、もし自分がこの子の担当になっていたら

どんな未来があったのだろうと考える時はある。

考えれば考えるほど自分を首にした346への憎悪が増すのだが。

 

パチパチとリズムよく音を立ててストーブの薪が燃えている。

プロデューサーが新しい薪をトングでつかんで入れる。

また火を見ながらボーっとする。炎を見ていると自然と心が落ち着く。

 

(あの人……またあの目をしてるのね……)

 

プロデューサーは薪ストーブの前であぐらをかくと、

そのまま石のように動かなくなる。考え事をしているのだ。

ふたりの就寝の時間は9時だが、プロデューサーはその直前まで

石のままになることも珍しくない。

 

彼はここではおしゃべり以外に暇つぶしの方法はないと知っていながら、

ゆかりにさみしい思いをさせている。プロデューサーは

ゆかりに背を向けたまま1時間も動かなくなるのだ。

 

「美波……」

 

「!?」

 

最初は空耳だと信じたかったが、彼は寝床でもその名前を

口にしたことがあった。そのたった一言がどれだけゆかりの心を

乱したのかも知らずに。もちろんプロデューサーとて

悪気があってそうしているわけではなく、

今でも心の奥底に新田美波の存在が生き続けているのだ。

 

薪ストーブの火力は強い。

プロデューサーは額に汗をかきながらも、炎を見つめ見続けて

定期的に薪を投入する。その動作は機械のようだった。

 

「あの、プロデューサーさん……その人ってもしかして」

 

勇気を振り絞って問いただそうとしたが、プロデューサーは

聞こえなかったのか返事をしない。まさかゆかりの知らない女性の名前では

ないだろうか。いや担当アイドルだった新田美波のことだろう。間違いない。

でもそのことを問い詰めると彼に嫌われそうな気がしたので

言えなかった。言いたいのに言えないのはストレスだった。

 

プロデューサーはたまに遠い目をすることがある。

彼の瞳がゆかりの存在を映してないことは明らかだった。

 

もう死んだはずなのに……。二度と会うこともできないのに

今でもプロデューサーに大切にされている美波のことを

嫉妬せずにはいられなかった。

 

(ここでの生活は女が私しかいないから……

 私を哀れんで抱いてくれてるだけなのかな……)

 

次第にゆかりは嫉妬心と不安を抑えきれなくなり、

それとなく彼の本心を訊いてみることにした。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

夫婦喧嘩は犬も食わぬ。

Pとゆかりの場合はどうだろう……。


夕飯は質素なものだ。ご飯とみそ汁の他には大根の漬物と

焼き魚が少々。たまに肉が出る。

 

栄養不足にならないように食材には気を使っているが、

常に小食なのでお腹がいっぱいになることはない。

最初は不満だったが慣れるとそうでもない。

むしろ現代人は無駄に食べ過ぎていたのだと知る。

 

食事の間は二人の間に余計な会話はなく、

外で吹き荒れる風の音だけが響いていた。

 

ゆかりの方はもっとおしゃべりがしたいと思っていたが、

イェーガーとして覚醒したPは自分から話題を振ることが

少ないのでそれに合わせてゆかりも黙っている。

 

プロデューサーは仕事の愚痴をこぼすことが全くないのが不思議だった。

天気の良い日に狩りや釣りに出かけても、

その日に起きたことを何も話してくれないこともある。

しかし無口ではないのでゆかりの方から話しかけると

ちゃんと話に乗ってくれる。優しいので相談にも乗ってくれる。

 

プロデューサーが食後の茶を飲んでいる。

そろそろいいかと思い、ゆかりが本題を切り出した。

 

「プロデューサーさんって現役の時は

 担当しているアイドルがたくさんいましたよね」

 

「なんだよ突然」

 

「すみません。ちょっと気になったもので。

 担当してたのは何人くらいですか?」

 

「そうだな……。たぶん9人くらいかな」

 

「その中に新田美波さんもいましたよね」

 

「ああ、いたよ」

 

プロデューサーは直感で悪い話題になりそうだと悟る。

 

「新田さんの事、好きだったんですか?」

 

「……なんでそんなことを知りたいんだ?」

 

「気になったからじゃダメでしょうか」

 

「前にも言ったと思うが、新田美波はもうこの世にいないんだよ」

 

「それでも、まだ好きなんですよね?」

 

ゆかりの表情は変わらずに声だけが低くなった。

彼女の瞳の奥底に不安と怒りが渦巻いているのが

プロデューサーにはよく分かった。

 

「ああ……そういうことか。俺がたまに独り言で

 美波の名前を口にしてるのを君は聞いてたんだな」

 

「独り言を言ってるのを自分で気づいてたんですか」

 

「俺は君に隠し事はしたくないからはっきり言うよ。

 美波は俺にとってただの仕事仲間じゃなくて大切な存在だった。

 退職してから美波と婚約するために広島県の自宅にまで

 押しかけたこともあった。まあ最後はみんなの邪魔にあって失敗したけどな。

 向こうの父親や弟君にも反対されてたから初めから無理だったんだ」

 

「……結婚したいほど好きだったんですか」

 

「愛していたよ」

 

「……」

 

ゆかりがスーッと息を吸い、着物を握る指に力を込めた。

プロデューサーは彼女の怒りを正面から

受け止めるつもりだったので淡々と続けた。

 

「だが終わったことだ。忘れてしまおうと思った。

 でもここでの生活を始めてから美波がよく俺の夢に出てくるんだ。

 そこのストーブの前に居ると美波の幻影を見ることもある。

 俺が独り言を言う時は、たぶんそういう時なんだと思う」

 

「私のことはどう思ってるんですか?

 プロデューサーさんにとって水本ゆかりは

 美波さんの代わりにすぎませんか」

 

「ゆかりのことは好きだよ。愛しているよ」

 

「……」

 

「なあ。どうして黙るんだ」

 

「あなたに本当に愛されているのか不安になってしまって」

 

「ゆかり……。そんな昔のことはもう考える必要ないだろ。

 美城プロで起こった出来事は過去のことだ。

 もう終わったことをこれ以上考えるべきじゃないだろ」

 

「でも私、今までのプロデューサーさんのことを詳しく知らなくて……」

 

「ああ、そういえば今までのことは、

 ここでの生活が忙しいせいでまだ話してなかったんだな。

 確か大間崎で君と会った時に全部話すって約束をしたのに

 あれから色々あって有耶無耶になっちまったんだな」

 

「今日まで訊かなかった私も悪いんですけどね。

 私達は過去を全部捨ててここで暮らしているわけですから、

 今さら訊くこともないかなと思ってたんです」

 

「分かったよ。君がそんなに不安に思っているのなら全部説明するよ。

 信じられないくらい長い話だから深夜までかかっちまうかもしれねえから、

 いったん食器を片付けてからだな」

 

「はい」

 

寝床へ入ってからプロデューサーは一部始終を説明した。

ヤンデレアイドルによる拉致、監禁、拷問、調教、世界の繰り返しなど

漫画やアニメの世界としか思えない内容が続き、

さすがのゆかりでもプロデューサーの正気を疑うほどだった。

しかし作り話にしてはよくできてるので最後まで聞く。

 

明日も早起きなのに深夜の1時を過ぎてしまった。

 

「全部説明してくれてありがとうございます。

 私が会社で噂で聞いてた内容よりさらにひどい内容でした……」

 

「どんな噂になってたのしか知らねえが、現実は地獄だよ」

 

「死んだ人はともかく生き残っている人は

 まだプロデューサーさんのことを諦めてないと思いますよ」

 

「俺もそう思う……。特にまゆがやばい。

 あいつは目的と手段が入れ分かってるような気がするんだ。

 俺のことが好きなんじゃなくて俺を捕まることが

 目的になってるんじゃないか。響子もそうだが……」

 

「ふふ……でもここまでは追ってこれませんよね」

 

「ああ。無理だろうな」

 

「あー-はははっ!! あっはっはっはっ!!」

 

「ゆ、ゆかり?」

 

「あっごめんなさい。さっきまでイライラしてたのが

 どうでもよくなっちゃいました。あんなにたくさんの女の子が

 狙っていたプロデューサーさんを今は私が独占しているわけですよ。

 そう思うと、なんだかうれしくなっちゃって」

 

「お、おう。そうか」

 

「プロデューサーさんは、ずっと私と一緒に居てくれますよね?」

 

「もちろんだよ。むしろ君の方が俺を嫌にならなければな」

 

「そんなこと、あるわけないじゃないですか」

 

それから二人は昔の話はしなくなった。

プロデューサーは美波の幻影を見ることがなくなったし、

ゆかりも仕事で覚えた歌詞を口ずさむことはなくなった。

 

また仲睦まじい新婚夫婦の関係が戻った。

 

 

 

年が明け、住人たちは雪が積もるお寺で新年のあいさつを済ませた。

 

1月の冷え込みは関東育ちのプロデューサーの想像を絶する。

たとえどんなに過酷な自然環境でも愛する人がそばに

居てくれるから乗り越えられる。そう思っていた。

 

「プロデューサーさん。私は今とっても幸せなんですよ」

 

「ああ。寒いからもっとこっちにおいで」

 

夫婦が囲炉裏の前で寄り添っている。

炊事と食事を行うこの部屋は14畳の広さだ。

この頃になると夫婦は着物を重ね着して寒さに耐えるコツをつかんできた。

 

そもそも寒い空気に肌を慣らすことは大切だ。

トイレは外にあるが、夜間に外に出る時はできるだけ

口呼吸をしないことも重要なことだ。

ここは山奥なのでひどい時は肺が凍りそうなほど寒いのだ。

 

ゆかりが住んでいる街中も寒かったが、ここはさらに寒い。

 

 

八甲田山・雪中行軍遭難事件。

 

200名近い陸軍の将兵が、雪山での行軍訓練中に

命を落とした大事件として知られ、映画にまでなっている。

 

試しにこの映画の悲惨さを超える作品は紹介してみろと

言われても、筆者には片手で数えるほどしか思い浮かばない。

悲惨すら通り越して涙さえ枯れる。

 

事件の舞台となった八甲田山は青森県にある。

青森市の南側に連なる山々のひとつだ。

 

事件当時は例年にない異常気象により山の気温は零下20度となった。

日本陸軍第8師団の歩兵第5連隊の将兵は、猛吹雪のために

視界を奪われ、コンパスは正常に動かず道に迷い、

夜間さまよった挙句、立ったままの状態で凍死したという。

 

なお当時の北海道旭川の最低気温が零下40度だったと伝えられている。

 

筆舌に尽くし難い事件だったが、彼らの死は決して無駄ではなく、

日露戦争ではこれを教訓として防寒対策が徹底され、

雪中行軍での凍傷、凍死者の減少に寄与したとされている。

 

 

さすがにゆかりたちの居る場所は八甲田山事件ほど悲惨な状況には

ならないだろうが、このまま世界の異常気象が続くのならば、

また同じ悲劇が繰り返されないとも限らない。

 

夕飯の後、プロデューサーが真剣な顔でこう語り出した。

 

「天気の良い日に山の向こう側にヘリコプターが飛んでいるんでいるようだな」

 

「バリバリバリって、すごい音ですよね」

 

「11月の過ぎからヘリがこの近辺を巡回している。

 念のため偵察してみたが、多い時で3機もいた」

 

「……」

 

「あのヘリ、まるで誰かを探しているような気がするんだ」

 

「……」

 

「ゆかり。こんな山奥で追われている人間なんて限られてるよな。

 あのヘリはきっと俺やお前を探しているんだよ」

 

「でしょうね。たぶん私の親が捜索願を出したのか、

 あるいはあなたを探すためにまゆちゃんが警察にお願いしたのかも」

 

「あれは自衛隊のヘリだ。警察なんて生易しいものじゃない」

 

「軍隊にまで協力要請を……。

 ここにいたら見つかるのは時間の問題でしょうか」

 

「どうだろうな。ここは上空から発見されにくい場所に

 あるから簡単には見つからないと思う。

 仮に捜索隊が来るにしても豪雪地帯なので時期を考えるだろう」

 

「では来るとしたら春の雪解けを待ってから……」

 

「かもしれないな」

 

「い、いやぁ……!!」

 

「おい……、どうしたゆかり?」

 

「あいつらに捕まったら私はきっと親元に戻されてしまう……。

 プロデューサーさんはまゆちゃんに捕まって監禁されるんです」

 

「いったん落ち着けよ」

 

「私にとって一番嫌なのはプロデューサーさんと引き離されることなんです。

 それだけは嫌なんです。本当に耐えられないんです」

 

(響子や美波と同じことを言ってるな……)

 

「どうしてみんな私の邪魔をするの……? 私ってそんなに悪い子でしたか?

 小さい頃から親の言うことは何でも聞いたし先生からも優等生だって誉められて……」

 

「ゆかり。俺の話を聞いてくれ」

 

「うぐっ……ぐすっ……いやだよぉ。ここでの生活が終わっちゃうなんて

 私は嫌だよぉ……もっとプロデューサーさんと一緒に居たかったよぉ……」

 

「おばあさまの話ではこの山には結界が張ってあるそうじゃないか。

 結界なんて本当にあるのか知らねえけど、100年以上も前から外部の侵入を

 拒んできたのだから少しは信用してもいいんじゃねえか」

 

「……」

 

「ゆかり。気をしっかり持て。まだ捕まると決まったわけじゃないだろ。

 明日になったらこの件をおばあ様に相談しよう。

 俺達だけで考え込むのは良くないよ」

 

「そ、そうですね。さっきは取り乱しちゃってごめんなさい」

 

「気にするな。こんなことがあったら誰だって怖いと思うよ」

 

「私の事、めんどくさいって思いましたか?」

 

「そんなこと思うわけないだろ。

 ゆかりは若い女の子なんだからむしろ手がかかる方が可愛いよ」

 

「ありがとうございますプロデューサーさん。大好き……」

 

ゆかりは緊迫感の有る逃亡生活が続いたことから

プロデューサーへの依存をますます強めることとなった。

 

たまに、プロデューサーはゆかりがお人形さんになったのかと

錯覚することがある。それは、ゆかりがたとえどんなに小さな事であっても

プロデューサーの言うことを聞いてくれるようになったからだ。

 

むしろプロデューサーが何かを言い出す前に、それを先読みして率先して

やってくれる。彼の身の回りの世話は全てゆかりがやるようになった。

 

(まさかこの子は……)

 

プロデューサーはゆかりも例の彼女達と同じ病気に

かかってるのかと思った。ゆかりはプロデューサーの過去を聞いた時、

面白がって「プロデューサーさんはヤンデレ製造機」と言ったものだ。

プロデューサーと関わることによって女の子たちが依存症になっていくからだ。

 

(いやむしろ病気なのは俺の方かもしれない。

 俺はまた一人の女の子の人生を台無しにするきっかけを

 作ってしまったのかもしれない。なあゆかり……

 俺と君が東北新幹線で出会ったことは本当に良かったことなのか)

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

進むか。留まるか。

進路希望、実施中 (∩´∀`)∩


さて。迷彩柄をした軍用のヘリコプターが晴れの日の上空を

旋回することは祖母様も当然把握しており、

プロデューサーとゆかりはお寺に呼び出されてしまった。

 

「あの忌々しい軍用機は、若いお前達に関係することであるな。

 これさすがに一大事であるから、私にも伝わるように

 事情を説明してみろ。長い話は好まぬ。できるだけ簡潔にな」

 

「分かりました。おばあ様」

 

平伏するゆかり。

お嬢様育ちなので畳に指をつく仕草に品がある。

坊主たちが気を聞かせてお茶を出してくれる。

プロデューサーが恐縮して会釈した。

 

「……とまあ、私の事情は家出と、お仕事を途中で抜け出して

 音信不通となってることが問題となっています。

 私の夫であるプロデューサーさんは、むしろ退職したのに

 アイドル達に追い続けられているのが問題なのです」

 

「そのアイドルとやらは若い娘の集まりだろうに、

 よくも軍にまで影響を及ぼす力があるものよ。

 近親者に政府関係者でもいるのなら分かるが」

 

「外のことがどうなっているのか……私達には何もわかりません。

 せめてテレビやラジオでもあれば何か分かるかもしれませんが」

 

「よかろう。ポケットラジオがあるのでそれで聞いてみるか」

 

お寺の奥にはラジオがあった。ポケットタイプではなく

大型のラジオで、おそらく戦時中に作られたタイプだと思われた。

電源ケーブルをコンセントに差し込むとまだ動く。

受信できるのはNHK(日本公共放送)の第一放送だけだった。

 

男性アナウンサーのだみ声が響く。

 

『16歳の少女、芸能事務所、美城プロダクション所属アイドルの

 水本ゆかりさんを連れて逃亡した、当時29歳の男の行方は

 未だに掴めておりません。陸上自衛隊が警察に協力して

 青森県内をくまなく捜索を続けていますが、連日の雪のために

 捜索は難航しており、一部の専門家の指摘ではすでに

 外国に逃亡したとの意見も出されています』

 

ゆかりはそこでスイッチを切った。

ばあ様は涼しい顔で茶を飲み干した後、

 

「ほう。お前の旦那は世間では犯罪者になっとるのか」

 

「ち、違います!! 

 彼は何も悪くありません。

 私が彼にお願いしてここに来てもらったんですよ」

 

「どのように言い訳しても世間様の認識は変わらぬよ。

 世の中は非常だ。自分たちの無実を証明したいのなら

 裁判所でも通すべきだが、ここまで事件が大きくなっているのなら

 個人の力の及ぶことはない。無駄だね」

 

「うぅ……ではどうすれば」

 

「ゆかりは今16か。伴侶を持ったのならお前はもう一人前の

 大人だ。子供ではないのだから自分のやったことには責任を持て。

 私からこうしろああしろとは言わん。お前が最善だと思うことをしろ。

 自分で判断してな。ここに居るのが怖いのならば春の雪解けとともに

 野に下ってもかまわんが、逃げるのは簡単ではないぞ」

 

「……春までまだ時間があります。

 それまで夫とよく話し合ってから決めようと思います」

 

「それが良い。くれぐれも短気は起こさぬことだ。短期は損気だ。

 この屋敷に住みたいのならそれでも構わん。私は出て行けとは言わぬ」

 

「でももし軍隊がここを捜索に来たら……」

 

「ほっほっほ。可愛い曽孫(ひこまご)のためだ。

 おっと何代先の孫なのかも忘れてしまったが、

 可愛いゆかりを守るためなら、

 この老いぼれの隠れ家がどうなろうと構わぬよ」

 

「ありがとうございます……。おばあ様」

 

ゆかりに続いてプロデューサーも土下座し、退出した。

 

 

ゆかりには策など思いつかなかったが、ここで頼りになるのが

プロデューサーだ。今さらながら他作品で恐縮だが

彼はエレン・イェーガーの遺伝子を継いでいるので

緊急時の対応力は相当なものだ。

 

それから数日考えてからPはゆかりにこう言った。

 

「出て行くしかねえだろうな」

 

「出て行くんですか!?」

 

「ぶっちゃけ半年くらいはここに留まった方が楽なんだけどな。

 あの坊主さん達の反応を見てみろ。

 あいつら俺らには隠してるつもりなんだろうが、

 陰で俺達を警察に突き出そうかってことで揉めてるぞ。

 俺の首には300万を超える懸賞金がかけられているらしい」

 

「300万も!! うそっ……そんなっ……嘘ですよね……」

 

「坊主の中には単純に金目当ての奴もいるだろう。

 だが奴らの本音はこっちだ。自分たちの神聖なる住処に

 犯罪者がいること自体が倫理に反している」

 

「プロデューサーさんは犯罪者なんかじゃないですよぉ」

 

「ゆかり……。現実は非常だ。受け入れるしかない」

 

「待ってくださいっ。ここから出て行ったらすぐに

 軍隊の人に見つかりますよ。プロデューサーさんは

 逮捕されちゃうんですよ……。それでもいいんですか?」

 

「……捕まったら俺は豚箱入りか。

 いや、まゆにまた監禁されるのか。どっちにせよ

 社会的には完全に終わりだ。再就職先も見つからないだろうな」

 

「プロデューサーさん……」

 

「昨日までは抵抗せず自殺しようかなって思ったんだ。

 だがその前に、ちょっとだけやっておきたいことがある」

 

「自殺なんて絶対にダメですよ!!

 もしプロデューサーさんが死ぬのなら私も一緒に死にますから。

 っとそれより……やっておきたいこと?」

 

「美城プロダクションの関係者をぶっ殺してやりたいんだ」

 

夫のすさまじい迫力に妻のゆかりは気を失いそうになった。

 

「大丈夫かゆかり? 話を続けるが、俺の人生が狂っちまったのは

 美城プロが原因だ。あんな会社に入らなければ、こんなことには

 ならなかったんだ。もうアイドルだろうが事務員だろうが

 社長だろうが常務だろうが関係ねえ。ただの逆恨みと言われれば

 それまでだが、俺は俺を首にした上層部の奴らと、

 美波や加蓮を殺した佐久間まゆも許せねえ」

 

(また他の女の名前を……)

 

彼が美波や加蓮を今での大切に思っていることが分かり、

ゆかりは胸が痛んだが顔には出さなかった。

 

「それと坊主の先輩たちの一部もふざけてるぞ。

 ほとんどが真面目で良い人の集まりんだが、その中に変な奴が混じっている。

 これはふすま越しに聞いた話なんだが、俺を警察に突き出した後、

 ここに残されたゆかりに求婚したいって言ってる奴がいた」

 

「うわぁ……気持ち悪いです。あんなオジサンたちと

 結婚するなんて想像しただけで吐きそうです」

 

「ああ、気持ち悪いよな。俺はそいつのこともぶっ殺してやりたくなったが

 必死で抑えたよ。一応ここでの生活ではすげー世話になったからな。

 それにおばあ様にもこれ以上迷惑はかけたくねえ」

 

「私はプロデューサーさんに着いて行きますからね」

 

「それは危険だ」

 

「どうしてですか。私が一緒にいたら足手まといでしょうか」

 

「ゆかりは今なら人生をやり直せるせるぞ。

 親元に帰るのは嫌だろうけど我慢して元の生活に戻るべきじゃないのか」

 

「私はプロデューサーさんに着いてきますからね!!」

 

「ゆかり……」

 

「私と一緒に出て行くのはそんなに嫌なことですか……?」

 

「おいゆかり」

 

「いやぁあああああああああ!! やだやだああ!!

 ゆかりはプロデューサーさんと一緒にいるのぉお!!」

 

ゆかりは完全に取り乱した。プロデューサーの胸を

どんどん叩きながら意味不明な言葉を吐き続けた。

一種の退行現象なのかもしれない。

 

これにはプロデューサーも困り果て、彼女が落ち着くまで

待ってあげるしかない。ようやく泣き止んだゆかりに

貴重品であるティッシュを渡すと、後ろを向いて鼻をかんだ

 

「ぐすっ。うっ……。ひぐっ……ぐすっ……ごめ……

 なさいっ……私ったら……たくさんひどいこと……

 言ってしまいました……」

 

「ゆかりを不安に刺せた俺が悪いんだよ。

 さあ仲直りしようぜ。ゆかりの気持ちはよく分かったよ。

 俺はゆかりのことが好きだ。逃げる時はいっしょに逃げよう」

 

「はいっ……」

 

こうなってしまってはしょうがない。

愛する水本ゆかり嬢の人生を棒に振ってでも

P・イェーガーは目的を達成することにした。

 

先ほどの会話でも説明があったが、

彼の目的は『美城プロの関係者をぶっ殺す』ことだ。

 

美城は別名346とも呼ばれるが、日本有数の大手芸能事務所だ。

関係者というなら、それこそスタッフ総勢で250人を超える人数を

粛清することになるわけだが、さすがにそこまでの惨事を彼は望んでいないだろう。

 

何より問題なのが、作者自身が彼の考えを理解してないことだ。

作者は退職した会社に対して復讐した経験などなく、

旧2CH、5CHの仕事関係のまとめスレにはその手の復讐劇が

書かれているが、くすっと笑えるだけで物語性はないので参考にはならない。

 

さて、そもそもどうやって復讐をするのか。

彼は現在警察と陸自によって捜索されている身であり、

指名手配犯だから移動するにしても公共交通機関を

利用するだけで逮捕される可能性が高い。

 

「ぶっ殺す」の定義も気になる。

ムカつく奴らにワンパンを食らわすのか。

爆弾テロ並みの大惨事にするのか。

やはり本人に訊いてみないと分からないだろう。

 

私の各作品は一貫してキャラが勝手に脳内で動き出し、

それを文章にしているだけなので当作品の

水本ゆかりが何者なのかも実は理解してない。

 

 

 

「雪解けまでまだ2か月以上ある。

 逃げ出す準備をするためには十分な時間だな」

 

「プロデューサーさん。

 私は例え世界の果てまでもあなたにお供します」

 

プロデューサーがゆかりに話した復讐計画は、

イスラム帝国もびっくりな壮大な内容となった。

 

 

プロデューサーは「ヘリでビルに突っ込む」と言った。

 

具体的には上空を旋回する軍用のヘリを奪取し、

それをもって美城のビルディングに対し突撃するとのこと。

いわゆる特攻か。

 

(それはちょっと無理なんじゃ……)

 

ゆかりは言葉を飲み込んだ。同級生の中二男子が

思い付きそうな妄想にすぎないと思った。

 

どんな想像力を働かせてもその方法が思い浮かばないが、

仮に奇跡が起きてヘリを奪取できたとしても

他の自衛隊機によって撃墜されて死亡するのは確実だ。

 

とても29の男性から出てくる発想とは思えないが、

プロデューサーとて成功の可能性がゼロなのにこのような

事は口にしないだろうと思い、とりあえず賛成しておく。

 

ゆかりは一応別の案も伝えておいた。

 

「港に停泊する貨物船に密航して青森から脱出……か。

 確かにそっちの方が無難だろうな。俺の案が

 いくらなんでもバカげているのは自分でもわかっている」

 

「すみません。別にプロデューサーさんに反対したいわけ

 ではないのですが、どうせなら二人で生き延びれる方法が

 あればと思いまして」

 

「すまないな。ゆかり」

 

「え。どうして謝るんですか」

 

「君が俺と一緒に生き延びたいと思ってるのはよく分かる。

 だが何をしたところで生き延びれる可能性はゼロだ。

 ゆかりは怒るかもしれないが、俺はもう死にたいんだ。

 死んで人生をリセットしたいんだ」

 

「そういうことでしたら……いっそ犯罪を犯すよりは

 死んじゃった方が楽かもしれませんね。

 私と一緒に自殺しましょうよ」

 

「……」

 

「……どう思いますか?」

 

「君は……本気で言ってるのか?」

 

「わ、私は……死ぬのは怖くありませんよっ……。

 愛する人のそばで人生を終わらせられるのなら……

 そんなにっ、幸せなことはないって……思いますから……」

 

ゆかりは台所から包丁を持ってきた。包丁を持つ手が震えている。

16の少女に自殺する勇気などあるわけがなく泣いている。

 

(この子を死なせずに済む方法はないだろうか)

 

プロデューサーもまた涙を流した。その日はゆかりの自殺を

思い留まらせるだけで精いっぱいだった。翌日から住居内の人間関係は

どんどん悪くなっていく。坊主たちはプロデューサー達を

遠巻きにして観察し、中には不埒者どもは早く出ていけと陰口を言う者もいた。

 

ふたりとも仕事は覚えているから彼らに頼ることはない。

しかし交流が途絶えてしまうと急に赤の他人に感じられる。

見方をしてくれるのはゆかりの祖母様だけだ。

 

どこに行っても人間関係で苦労するのは若い夫婦の宿命だった。

 

寒さに耐え、ようやく2月を迎える時期まで耐えたが、

雪解けの春が遠い。あまりにも遠すぎた。

 

「もう死にたい……」

 

ゆかりの口からこの言葉が漏れることが多くなった。

最近では食事が細くなり頬がこけてしまう。

かつての美しかったアイドルの美貌はそこにはない。

 

進退窮まったと判断したプロデューサーは祖母様に

相談するべきだと判断。翌日の早朝に妻を連れて寺に顔を出す。

朝餉前のこの時間帯。無礼なのは承知の上。

 

「祖母様はまだ寝てらっしゃるのかしら……?」

 

祖母は、布団をかけ寝たままの状態で息を引き取っていた。

本人の談では実年齢は100歳を軽く超えるらしいが、

本当のところは誰も知らない。

 

それにしてもあまりにも唐突なる肉親の死に対し、

ゆかり嬢は心が完全に砕かれてしまう。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

神の霊が降りる。

事実は小説より奇怪なり。


ゆかりは声の続く限り泣き叫んだ。

 

プロデューサーもまた胸が張り裂ける思いなのは同じ。

だが死因を考える方が先だった。

祖母の身体は老衰に近く、これといって外傷は見られない。

 

確かに超高齢の身であるからいつ迎えが来てもおかしくは

なかった。だが最近まで言動はしっかりとしていた。

 

1月の半ばに会話した時が最後だろうか。

あれから十日余りで死に至ることが不自然と考えると

坊主たちによる他殺……。食事に毒を盛られたと考えるのが妥当か。

 

殺害の動機はこの際わきに置いておき、この秘境での支配者である

祖母様亡き後は、「小僧」と呼ばれた坊主どもがここを仕切ることになる。

非情にまずい事態となった。彼らはプロデューサーを今すぐにでも

警察に突き出したいのは知っている。

 

ゆかりの身の安全の保障もない。相手は大人数だ。

日々の仕事で肉体は鍛えられている。

夜にでも一斉に襲い掛かられたら抵抗の仕様がない。

 

「うわああぁああぁああ!! おばあ様!!

 どうして死んじゃったのですか!! どうしてえええええ!!」

 

ゆかりは畳の上にうづくまり、叫びを続けている。

この少女の身体からどれだけのエネルギーが発せられたことか。

プロデューサーは妻の背中にそっと手を添えていた。

 

坊主共の他殺だとしたら、そろそろ奴らが何食わぬ顔で

様子を見に来る頃だろう。プロデューサーは奴らの真意を

確かめるためにもここで待ち、いっそ返り討ちにしようと企む。

多勢に無勢なので無謀かもしれぬが。

 

「けっこう重いな」

 

寺の奥には古い日本刀があったので拝借しておく。

これを座敷の見えにくいところに隠しておき、いざとなったら

使おうと思った。最初の一人を殺せば相手はひるむだろう。

刀の扱い方を知らぬため、突き殺そうと考えていた。

 

それから1時間は待ったが、誰もやってこない。

泣き疲れたゆかりは、プロデューサーの胸に顔を埋めて

ただ震えていた。プロデューサーは扉の向こう側の

庭を睨み続けてさすがに疲れてきた。

 

「ゆかり。いつまでもここに居ても仕方ない。

 せめて坊主たちにこのことを知らせて祖母様の

 ご遺体を埋葬してあげようじゃないか」

 

「はい。今すぐに行きましょう。

 でも私、ショックで体に力が入らないんです」

 

弱弱しい妻に肩を貸してやり、

雪の積もる石畳を歩いて裏にある住居に入った。

 

この時間だと坊主は囲炉裏のある台所に集まって

食事を始めるはずだが、誰も来てないので不思議に思った。

 

「まだ寝ているんだろうか」

 

「待ってください。私も一緒に行きますから」

 

夫婦は坊主たちの寝室となっている大広間を見た時に

言葉を失うほどの衝撃を受け、しばらくそのまま立ち尽くした。

 

坊主たちは一人残らず斬り殺されていた。

 

赤と黒が混じった鮮血が畳に染み込んでいる。

その血の色はまだ真新しく鉄の匂いが充満したので

ゆかりは吐きそうになるのをこらえる。

 

(まさか……)

 

ゆかりは、プロデューサーが護身用の日本刀を持っている事から

どうしても疑ってしまった。愛する夫がしたことではないかと。

 

「なんだこれは……」

 

しかしプロデューサーは刀を力なく落としてから

真っ先に死体の状態を確認している。

 

どの死体も背中から袈裟に斬られてる。すさまじい

一撃のようで肉を削ぐだけでなく骨にまで達している。

 

プロデューサーは血の気が引いて真っ青になっているゆかりに対し

「これは達人並みの剣技がないと無理な芸当じゃないのか」と言った。

 

冷静に考えたら夫はゆかりと常に一緒に居るし、今朝も

起きてからすぐに祖母様のところへ行ったばかりだ。

坊主たちが殺された時間を計算すると彼が手を下すとは考えにくい。

 

これにより彼が賊でないことは明らかとなったが、

次の問題は誰が坊主を殺したのかだ。剣術での殺人だから

近代兵器を使用する自衛隊が侵入した可能性は低い。

そもそも豪雪のこの地に赤の他人が押し入ることが不可能だ。

 

「ひぃ!?」

 

「!? どうしたゆか……」

 

プロデューサーは、イェーガーとして覚醒してから

始めて腰を抜かした。廊下に見知らぬ人が立っていたのだ。

 

その人は背が高く、2メートルはあった。

腰にまで達する長い髪を携えた青年だった。

堀が深く彫刻を思わせる顔立ち。

ゆったりとした白いローブの着物を着ている。

 

その人は左手に刀を持っている。

 

「恐れるな」

 

と夫婦に語り掛けた。意外と高くて女性的な声だった。

 

「私はあの女の願いを聞き入れたのでここに来た。

 あの女の願いとは、お前たち夫婦が末永くこの地で

 平穏で暮らせるようにとのことだ。そこに倒れている

 坊主達はお前達の平穏を乱す存在であるから始末した」

 

ゆかりは奥歯がガチガチと震え出し、指先もまた震え続けた。

プロデューサーも似たようなものだ。目の前に居る男性が、

明らかに人間でないことが理解できてしまうからだ。

 

この地は神聖なものだと祖母様は語っていたが、

現に神の使いと思われる存在がそこにいるではないか。

 

「あの女は天寿を全うしたので神のそばに召される。

 まことに正しき人であった」

 

「あ……あの……」

 

「娘よ。そう脅えるな。私はお前の敵ではない。

 伝えることは伝えた。私はここに長く留まる

 つもりはないから、これにて立ち去るとする。

 お前たちの人生に平穏あれ」

 

 

その人は歩いて立ち去り、それから姿を現すことはなかった。

 

ゆかりは小さい頃に母親から聞かされたことを思いだした。

山奥に住んでいる祖母様は、明治のはるか以前に日本に

伝来した、南蛮人の古い宗教を大切に信仰していると。

 

九州地方に多かったキリシタンが信じてる神と祖母の信じる神は

同一じだが、考え方が少し違うと教わった。祖母は寺を隠れ蓑にして

自らが信者であることを隠し続けていた。祖母は仏教の教えを

守るふりをして別の大切なものを守っていたのだ。

人との交流を拒絶した一番の理由はそれなのかもしれない。

 

あとで夫婦が寺の奥を調べてみると、仏教の啓展の代わりに

ミミズのような文字で書かれた古い書物が見つかる。

彼らはそれがヘブライ語であることに最後まで気づかなかった。

六芒星の形をしたお守りのようなものも見つかったが、詳細は分からない。

 

 

その日から若い夫婦は秘境から追い出される恐怖からは解放され、

いつも通りの生活を続けた。相変わらず晴れた日の捜索ヘリの音は

恐怖の対象だが、捕まることはないと信じていた。

 

雪が解けて新緑の季節の時期になっても捜索隊がここまで

やってくることはなかった。二度目の夏を迎える頃には

ヘリがやってこなくなった。

 

妻のゆかりは張り切って家事をこなし、夫の外仕事を積極的に手伝った。

プロデューサーは朝から晩まで畑の管理や狩りに精を出し、

ふたりで食べるには多すぎる食料が手に入るようになった。

畑が不作の時もあったが、山の幸と川の魚があるので飢えることはなかった。

 

こうして二人は夫婦としての生活を続けてやがて寿命を迎える。

プロデューサーが63を過ぎて死ぬと、まだ元気だったゆかりも

その日の夜に毒薬を飲んで死んだ。まだ娘だった時に死ぬ時は一緒だと誓った通りだ。

ゆかりはそれが神の定めなのか、夫の子を身ごもることはついになかった。

 

 

さて。長く続いた物語はこれにて終わるわけだが、

最後に伝えておきたい小話がある。それをこれから紹介する。

 

プロデューサーが34歳の誕生日を迎えた後の春。

この頃には彼らの捜索願は撤回され、マスコミも騒がなくなり

世間では完全に忘れ去られていた。農家を装った夫婦は山を下って村に入り、

野菜を売ってわずかな銭を得て、生活に必要なものを買った。

 

その商店のわきにある斜面に普通車が止まっていて、

そこから21歳になった佐久間まゆが出てきた。

 

大学生になったのだろうか。シックなデザインの

ツーピース姿に長い茶色の髪を肩に垂らしている。

高校生の頃より髪の毛が伸びているが、身長は変わってなかった。

特徴的な眉毛と目の形をしているのですぐにまゆだと分かる。

 

プロデューサーはまゆと目が合った。

 

まゆは睨むように彼を見続けていたが、

やがて興味を無くして車に乗り、山の斜面を降りて行った。

彼の横にいたゆかりには目もくれなかった。

 

それから夫婦はまゆの襲来におびえて夜も眠れぬ日が

続いたが、1年経ってもまゆがやって来ることはなかった。

何があったのかは知らないが、あの事件からもう5年も経過して

まゆの心情にも変化があったのだろうと思った。

 

プロデューサーが37歳の誕生日を迎える時、

祖母様を埋葬したお墓に不審な手紙が置いてあった。

 

『まゆの大好きだったプロデューサーさんへ。

 私が高校生の時にお世話になったあなたのために、

 私の近況をお伝えしようと思って手紙を書きました。

 私は今は芸能界じゃなくて一般の企業で働いています。

 先日、職場で知り合った素敵な先輩と結婚しました。

 結婚式の写真を添えておきます。

 さようなら。ゆかりさんと幸せに暮らしてください』

 

プロデューサーはこの手紙を妻に見せることなく、

細かく破り捨てて山の中に捨てた。写真を見ることもなかった。

風が吹くと紙くずはどんどん遠くに散っていく。

 

一つだけ気がかりなのは、世間ではまゆが殺害した美波達の件が

どう処理されたのかだ。普通に考えてまゆは大量殺人犯として

逮捕されているはずなのに普通の生活を送っているとは。

しかしそんなことは考えるだけ無駄だと悟る。

 

「さようなら」

 

空に向かってそう言った。

 

 

    『アイドル達の重い愛から逃げ続けるプロデューサー』

                     

                         終わり

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。