双槍銃士 (トマトしるこ)
しおりを挟む

phase 1 日常

 どうも、トマトしるこです。

 息抜き兼シノンへの愛が止まらず投稿へ。ファントム・バレットも始まるだろうし、いいよね?


 

『よぉ、久しぶりだな。元気にしてたかい?』

『お前……生きてたのか』

『当たり前だろ? 勝手に殺してんじゃねぇ。会いたかったぜ、相棒』

『誰が相棒だ。とっとと失せろ』

『そりゃこっちの台詞だ』

『復讐のつもりか?』

『違うね、いつもどおり遊びだよ。ア・ソ・ビ。死んでくれや、《アイン》』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〓〓〓〓〓〓〓〓〓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「鷹村ぁ!」

「うおぉっ!?」

 

 誰かに思いっきり名前を呼ばれて驚いた俺、鷹村悠(タカムラ ハルカ)は飛び上がった。比喩ではなく、文字どおりに。座っていた椅子を蹴っ飛ばして、机に乗っていた筆記具を床へと落としながら。

 

「お前、寝ていただろ?」

「寝てません」

 

 しまった……授業中だったのか。しかもウチの中学で一番メンドクサイことで知られている数学の原野じゃん。昨日遅くまでゲームしてたから睡魔に勝てなかったんだっけ?

 

「なら、頬と額についてる真っ赤な痕はなんだ? 腕と筆箱を枕代わりしてたからそんな痕がついてるんだろう?」

「仰る通りで」

「寝ていたのならはっきり言わんか!」

「でもちゃんと聞いてましたよ」

「睡眠学習です。なんて一世代昔の言い訳をするんじゃないだろうな?」

「そのまさかです」

「はぁ……座れ、時間の無駄だ。放課後に職員室まで来るように」

「うす」

 

 クラス替えしてかなり経つこの1-Bでは既に見慣れた光景の一つだと言われているこのやり取り。俺が何かをやらかして、先生に叱られる。体育科の先生だろうと、学年主任だろうと校長先生だろうと全く怖くない俺は軽く流している。不良………というほどではなく、かといってお利口なわけでもない事で知られている俺は、“ただハイハイと言う事を聞くだけの生徒ではなく、高い意識を持っている”というよくわからないが過大評価を受けていた。なので(?)呼び出されるだけで済んでいる……のか? 面倒なのでこのことは考えないようにしよう。テストの点が高ければ教師は納得するんだよ。

 

 席に座って、落とした筆記用具を拾う。教科書とノートを広げてはいるものの板書するつもりはさらさらない。板書は理解するために書き写すのであって、理解しているならその必要は無いと俺は考えている。この授業はノート提出も無いので、重要な場所だけを教科書にメモしたりラインを引いたりするだけで十分定期テストで高得点をとれるしな。

 

 2分後。また眠たくなってきた……。

 

 おやすみ諸君、精々頑張りたまえ。

 

「zzz」

 

 ガスッ!

 

「いっ………っつぅ~~!」

 

 さっきのように授業中だという事を忘れていなかった俺は何とか声を我慢できた。鈍い痛みの発生源は左側。更に言うなら脇腹。授業中にこんなことが出来るのは1人だけ、この学校で俺にこんなことをしてくるのも1人だけだ。

 

「何すんだよ、詩乃」

「寝そうになってたから、起こしてあげたの」

 

 俺の隣の席……教室の窓際最後列というベストポジションを獲得したラッキーな幼馴染み、朝田詩乃。メガネをかけたクールな印象が強く、女子のレベルがかなり低い我が校にとって貴重な美少女。運動は平均、学力は毎回学年上位、性格は少し……いや、かなりキツイところもあるが基本優しいと、これまた我が校にしては貴重な優等生っぷりを発揮している。学年問わず、男子からの人気は高いらしい。が、とある理由により誰も詩乃には関わろうとしない。

 

 こいつとは小学校に上がる前にこっちに引っ越してきたときからの付き合いだ。それからは学校もクラスも同じだし、放課後も大体一緒に居る。お互い何を考えているのか分かるくらいには仲がいい。

 

 決してお互い友達が出来ないからではない。

 

「それはありがたいんだけどな、もうちょっと起こし方を考えてだな……」

「軽くつねっただけじゃ起きないでしょ。指とかペンでつついてもそうだし、蹴ってもダメだし」

「うぐ、ま、まあそうなんだが……」

 

 何も言えない。全部事実なので。経験済みなので。

 

 黙っていると詩乃はため息をついて前を向いた。視線は黒板とノートを往復し、シャーペンをせわしなく動かしている。

 

「くあぁ……」

 

 眠たい。寝たい。でも寝れない。起きなければ……。

 

 

 

 

 

 

 結局、俺は寝ていた。終わった時のチャイムすら気付かず放課後を迎え、またしても俺を呼ぶ声で目が覚めた。

 

「鷹村君ー」

「………んー?」

「さっきの授業なんだけど、ここ教えてくれないー?」

「………おう。くあぁぁ……」

 

 またしても床に散らばった筆記用具を拾って筆箱に入れる。今日はSHRも無いし、さっきの数学で最後なんだからさっさと帰ればいいのに、わざわざ勉強を教えてくれなんて真面目な奴らだなぁ。

 

 授業中に居眠りしてもテストは毎回と言っていいほど学年上位者に名を連ねるため、よくクラスメイトの先生をすることがある。テスト前の自習時間に黒板を使って問題の解説をさせられたこともある。俺より成績がいい奴がいるにも関わらず、だ。なんでも教え方が上手いらしい。

 

 そんなこともあるので、クラスメイトからは勉強教えてと言われることがたまにある。俺はひねくれ者でもないし、前時代のヤンキー(現代では死語に近い)みたいにガンつけることもしない。人付き合いはいいのだ。少なくとも詩乃よりは。

 

「何よ」

「何でも」

 

 学校での俺は“体のいい便利屋”って感じの扱いを受けている気がする。

 

 そんなに時間はかからないだろうが、詩乃を待たせるのも悪い。先に行くように言っておこう。

 

「詩乃」

「何?」

「先に行っててくれ」

「ゆっくりとね」

 

 表情を変えずに詩乃は教室からゆっくりと出て行った。そこからゆっくりなのかい。

 

「鷹村君、よくあの人と一緒に居られるね」

「ガキの頃からの付き合いだしな。んで、どこがわからないんだ?」

「あ、そうそう。この――」

 

 詩乃は学校を始めとしたここら一帯での評判が悪い。理由はそう簡単に口にできることではないので誰も言いはしないが。

 

 その理由は理解できる。でも納得はできない。本当なら詩乃をバカにするやつら全員ぶちのめしてやりたいが、俺がスッキリするだけで何も残らないし、当の本人は望まない。何の解決にもならないし、逆に迫害を加速させてしまうことになる。ぐっと堪えて愛想よく接し、さっさと終えて後を追うことにしよう。

 

「―――ってことだ」

「おおー! 流石ぁ~わかりやすいね。ありがとう!」

「おう、じゃあな」

 

 

 

 

 

 

 幼馴染みはわざわざ校門の外で待っていてくれた。

 

「悪い」

「いこ、今日はあのスーパー安いから」

「ああ」

 

 肩を並べて少し足早に歩く。余計なことで時間を食ってしまった、チラシに載っている目玉商品が無くなっていませんように……と祈りながら急ぐ。

 

「ユウ」

「んー?」

「寝過ぎ」

「いやぁ……ちょっと夜更かししちゃってさ」

「起こしに行かなかったら絶対遅刻してたわよ」

「詩乃さんあざッす!」

「はぁ……」

 

 俺と一緒に熱中してた“アイツ”も、今日の学校はキツかっただろう。同士がいるというのは心が休まるな。精々先生に絞られるがいいさ! ………夏期講習があればの話だけど。

 

 因みに「ユウ」ってのは俺の事。(ハルカ)って字は(ユウ)とも読める。会ったばかりの頃、俺の字が読めなかった詩乃は「ユウ」と呼んだのがきっかけで今も呼び続けていた。ニックネームみたいなもんさ。

 

「“ナーヴギア”のゲーム、また遅くまでしてたんでしょ?」

「おう」

「この前言ってたβテスターに選ばれた………なんて言ったっけ?」

「“ソードアート・オンライン”」

「そう、それ」

 

 “ソードアート・オンライン”。“ナーヴギア”というヘルメット型の次世代ゲームハードの最新作ソフトで、100層で構成された浮遊する鋼鉄の城、“アインクラッド”をプレイヤー達と協力して攻略していく、自由度がハンパじゃない注目のゲームだ。

 

ナーヴギアは脳が発する電気信号を送受信することによって、自分がゲームプレイヤーとなってVR世界を駆けまわれる最新ハード。コントローラーを持って画面に映るキャラクターを動かす時代は終わりを告げ、とうとう自分がキャラクターとしてゲームが出来るようになった。

 

 決められたパターンの攻撃しかできないゲームなんてもう古い、コマンド入力なんてもっての外。アバターに魂を宿し、相棒とも言える武器を握り、壮大なフィールドを駆けめぐり、プレイヤー達と協力し、時に対立し、思うままにプレイする(生きる)

 

 今一ぱっとしないソフトばかりだったナーヴギアだが、ソードアート・オンライン発表からはユーザーも非ユーザーも湧き上がった。本当の意味での冒険が始まるのだから。かくいう俺もゲームにはあまり関心が無かったが、これには興味を持った。保護者がそういう仕事をしていることもあって、ナーヴギアも格安で手に入れる事が出来た。

 

 運がいいことに、その日本全国のゲーマーを滾らせるソフトのβテスターに選ばれた。その数、なんと僅か1000人。これで喜ばないヤツはクズだ。やりこまないヤツはアホだ。それぐらい面白いんだよ! って感じでハマってます。

 

「ナーヴギアは使わせてもらったことあるけど、すごかったわね。アレ」

「前にさわらせたチャチなやつと一緒にされちゃあ困る。SAOは今までの比じゃないぜ。現実なんじゃないかってぐらいリアルだし、何でもできるんだ。モンスターと戦うのはそうだけど、商人になったり、鍛冶屋になったり、シェフになったり、デザイナーにだってなれる」

「自由ね、それ。本当にファンタジー系のゲーム?」

「そうなんだな、これが。まるで、SAOの中で(・・・・・・)生活できるように(・・・・・・・・)作られたみたい(・・・・・・・)だ。現実世界とゲームの世界を足したら多分ああなる」

「へぇ。面白そう」

「だろ! でも買うのは……無理そうだな。お金以前に爺さんが厳しい人だし。正式サービス始まったらサブアカウント作るから、偶にやってみろよ。いや、おじさんに頼めばもう一台手に入るか?」

「ありがと。でも……」

「大丈夫だって。ソード……つまり剣なんだぜ? 銃なんてありえないし、弓すらない。遠距離なんて投擲用のナイフとピックぐらいしかねえよ」

「そう」

「………」

「………」

 

 沈黙。何度も言っているが、理由は言わずもがな、だ。

 

「いつか……」

「ん?」

「一緒にできるといいね」

「そうだな。ゲームの中なら誰が誰か分からないから何やっても大丈夫だもんな!」

「そういう意味じゃない!」

「ははははははは!」

「もう……」

 

 何だかんだ言いつつも、詩乃はクスクスと笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 スーパー到着。俺が籠を乗せたカートを押して、詩乃がポイポイと放り込む。俺の保護者はお金持ちの部類に入るらしいが、無駄に使うつもりは無いので安いものを選ぶ。何でもかんでも無差別に入れているわけではないので注意。産地は大事だ。

 

「今晩何にする?」

「昨日のカレーがまだ余ってただろ? サラダとかで良くないか?」

「えぇ……2日続けてカレーなの?」

「でも勿体ないじゃん。カレー蕎麦でもするか?」

「うどんじゃないのね」

「好きですから、蕎麦」

「言ったわね? ユウのだけ激辛にしてやるから」

「うへぇ」

 

 他にも必要そうな物、無くなりかけていた物、ジュースとお菓子を少々購入。タバスコまで籠に入っていたのでこっそり戻しておいた。いつもならちょっと顔を出していく古本屋やゲーセン等の寄り道はせず、真っすぐ俺の家に帰る。

 

「ただいまー」

「おじゃまします」

 

 返事は無い。どうやら今日も遅くまで仕事、もしくは泊まり込みみたいだ。いつものことなので俺も詩乃も気にせず上がりキッチンへ直行。パパッとカレー蕎麦を作った。と言っても麺を湯がいてカレーをぶちまけるだけなんだが。

 

「「いただきます」」

 

 テレビを見ながら蕎麦を啜る。うまうま。辛い辛い。策士の詩乃さんは既にタバスコを買っていたようだ。自分の家だが、料理をするのは詩乃で俺はお手伝い。台所

事情を知らない俺の負けだった。

 

「ユウ」

「辛いのは我慢しろよ、お前が悪戯でタバスコ入れまくったんだからな」

「それは無問題よ、辛いのは好きだもの。……ってそうじゃなくて! その……私のことどう思ってるの?」

「……はぁ、また何か言われたな? 誰だ、荒井か? 気にするなって言ってるだろ」

「そ、そうじゃないけど……」

 

 二の句が出てこない時点で「はいそうです」って言ってるもんだぞ。分かりやすいなぁ。

 

「いつも言ってるだろ。お前に会えて良かった。詩乃がいなかったら、俺は現実に耐えられなくて死んでいたって」

「……うん」

「詩乃は俺の全てだよ。詩乃がいるから、俺はここに居る」

「……うん」

 

 不安そうな表情だったが、安心してくれたようでにこりと笑って返してくれた。

 

 俺が特別詩乃と仲がいいから、詩乃は俺とだけ仲がいいから、それをタネに嫌がらせを言ってくる奴らがちらほらといる、というか後を絶たない。大半の奴は相手が俺だからと避ける程度だが、ごく少数の奴は直接俺の居ないところで色々と心無いことを言っているらしい。内容は想像がつく、大方「俺が情けで付き合ってるだけ」とかそんなところだろ。

 

 そんなことは無い、絶対にあり得ない。詩乃だって分かってることだが、それでもIF(もしかしたら…)を考えてしまうみたいで、何度もこのやり取りを繰り返した。

 

「そんなことを言う奴は、そんなことしか言えない奴らだ。相手にする価値なんてない」

「相変わらずキッツイわね」

「お前ほどじゃないさ」

「えい」

「熱っ! 蕎麦麺熱い! あとカレー飛び散るから! ゴメンナサイ!」

「許す」

「ありがとうございます」

「その代わりデザートは頂く」

「太るぞ」

「えい」

「ああっ! ゴメンナサイゴメンナサイ!!」

 

 食べ物は大事にしましょうね。詩乃さんや。

 

 遊びつつも、楽しみながら食事を終えた。デザートに買っておいたショートケーキは献上したので、寂しく卑しくラベルについたクリームをフォークでとっていると半分恵んでくれた。こういうのなんて言うんだろ。ツンデレ? ………違うか。

 

 

 

 

 

 

 昔はお隣さんだった詩乃だが、詩乃のお母さんの関係で母方の爺さん婆さんの家に引っ越した。引っ越した、といっても我が家から歩いて15分ぐらいの所にあるので、いつも一緒に晩御飯を食べた後は家まで送っていくのが日課だ。制服から私服に着替え、カレー臭いので歯を磨いて外に出た。2日連続だったこともあってしばらくカレーは食べたくない。蕎麦も嫌だな、熱いし武器にされる。

 

 8月ももうすぐ終わりに近づいている。夜とはいえ肌寒くなってくる。

 

「寒くないか?」

「ちょっとだけ。でも大丈夫だから」

「無理しないでコレ着てろ」

 

 多分そんなこと言うだろうなーとか思ってたので、一着余計に持ってきておいた。男物だから大きめで暖かいはず。少なくとも無いよりはマシだ。

 

「ん」

 

 詩乃がそれだけ言うと、羽織ったコートの内側の右腕が少し動いた。何も言わずに右手を握った。

 

「……ばか」

「バカは嫌いか?」

「………ばーか」

「2回も言うなよ」

「嫌いなわけ、ないじゃない」

 

 話したのはそれだけ、15分間何も言わずに歩いた。話題が無いからとかそういうのじゃなくて、それだけで十分だったから。その証拠に詩乃は嬉しそうだ。きっと鏡をみれば俺も同じ顔をしているだろう。

 

 一昔前にできたグレーの家、それが詩乃の今の家だ。いつもなら上がっていくが、今日は遠慮しておくと玄関先で伝えた。

 

「ちょっと家の掃除しないといけなくてさ、時間かかりそうで」

「言ってくれれば手伝ったのに」

「宿題あるだろうが。お前の苦手な生物の宿題がな」

「ぅ……まぁ、そうだけど」

「そういうこと。分からなかったら電話してくれれば出るから」

「わかった。また明日ね」

「ああ、また明日」

 

 少し寂しそうな詩乃に背を向けて、家へと足を向けた。

 

 さっさと片付けてSAOにログインしないとな。約束もしてる事だし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「悪い! 遅くなった!」

「そうか? たったの6分だろ」

「それでも遅れたのは変わりないだろ。スマン」

「いいっていいって。行こうぜ、今日は普通に狩りでいいか?」

「おう」

「………なんかいいことでもあったのか?」

「あったあった。今ならボスも1人で勝てる」

「それは言い過ぎだろ……」

 

 アインクラッド第8層。転位門がある町から少し離れた場所にある遺跡の前で、フレンドと待ち合わせをしていたが、思っていたより掃除に時間をくってしまい遅れた。軽く詫びて中に入る。

 

 本当なら家に帰って、おじさんに言われた通り家を軽く片付けてさあSAOだ! ……だったんだが、散らかり具合が予想より酷かった為に手間がかかった。書斎の汚さときたらもうヤバいって言葉が優しいぐらいヤバい。

 

「“アイン”が上機嫌って珍しいよな」

「お前の中の俺はどうなってるんだよ。え?」

 

 約束して待ち合わせたコイツは“キリト”。勿論アバターネームなので本名じゃない。最前線探索中で偶然知り合っただけの関係だったが、最近はフレンドの中でも一番仲がいい相棒だ。身軽なくせして重い剣を軽々と振り回す片手剣使い、ゲームセンスが人の何倍もある気さくな奴。背中を預けられる程度にはコイツを信用している。

 

 “アイン”は俺のアバターネームな。ドイツ語で1を意味するこれを選んだのはβテスター千人いる中で、俺が最初に選ばれたからだ。IDが0と1だったのを見た時は少し嬉しかった。

 

「で、何があったんだよ」

「秘密。インドアなお前にはまだまだ縁遠い事だと言っておこう」

「うるせえ」

 

 出会いが無いだけで、中身イケメンなキリトは直ぐに女が出来ることだろう。中身がいい奴は容姿もいいと相場が決まっている。まぁ俺の勝手な妄想なんだけどな。

 

 右手を軽く縦に振ってウインドウを開く。最後にもう一度装備とアイテムを確認して、装備を取り出して閉じた。

 

「お、今日は槍か」

「今日も槍だ」

「この間は片手剣だったじゃん。その前は短剣だったし」

「その時だけだろうが、俺は槍使いだ」

 

 キリトが片手剣を使うのに対して、俺は槍を使っている。使いやすかったからというのもあるし、性に合っている気がした。一通り武器を試してみたが、やっぱり槍が一番だな。ただ、これだけたくさんの武器があるのに1つだけしか使わないのは勿体ない気がするので、偶に別の武器を使ってみたりする。それがキリトが言う片手剣だったり短剣だったり。斧やメイスは重たそうなので却下した。

 

 複数の武器を扱うことは、攻略を考えると実に非効率的だ。スキルは使い込んだ分だけ上昇していく。一つの武器を極めていくのと、幾つかの武器を半端に使うのでは想像するよりも大きな差がある。スキルの関係もある。結局のところ戦闘中は1つの武器しか使えないのだから。

 

まぁそこはプレイヤースキルでカバーだ。幸い、俺はおじさんに色々と教えてもらってるからな。リアルの経験がそのまま活かせるのもVRMMORPGの特徴と言える。

 

「準備はできてるかー?」

「おう」

「そうか、なら――」

 

 俺は腰から投擲用ナイフを、キリトは袖からピックを取り出してお互いの背後に向かって投げる。ナイフとピックは何かに命中し、人では発せないような声とガラスが砕ける音が遺跡に響いた。

 

 暢気に話してはいたが、ここは既にダンジョンの中だ。当然のごとく敵がウヨウヨしている。索敵スキルを磨いていた俺達だからこそ、囲まれる前に気付くことが出来た。

 

「――狩りの時間といこう」

「死ぬなよアイン、復活アイテム使うのとか面倒だし金がかかる」

「当たり前だろ。折角のドロップを無駄にはしねえよ」

 

 俺達は自信の獲物を構えて、鋭い眼を光らせるモンスター達の群れに飛び込んだ。

 




 長々とルビを振った部分がありましたが、どうやら一度にルビを触れる文字数が決まっているようでして………不格好ですがご勘弁ください。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

phase 2 デスゲーム

 どうしても一話に収めたくて縮めた結果……こんなに長くなってしまった。

 普段からここまで長くすることは基本ありませんので……


 

「うわぁ……すっげぇ行列」

「ねぇ……昨日より長くなってない?」

「……確かに。でも、まだまだ増えるだろうな」

 

 ここ数日、下校中の風景に少し変化があった。

 

 とんでもない長さの行列がとある店の前にできているのだ。こうして見ている間にも列に加わっていく人の数は少しずつ増えていき、最後尾のプラカードは日を重ねるごとに店の入り口から遠ざかっていく。その光景を朝と夕方の二回、コマ送りのように俺と詩乃は見ている。

 

 理由はただ一つ。あと数日でソードアート・オンラインが発売されるのだ。その数僅か一万本。明らかに行列の人数と店舗に入荷するであろう本数と釣り合わない。そうと分かっていても未だに列が長くなるのは「もしかしたら……」という一%未満の可能性に期待しているからだろう。

 

 俺? ああ、大丈夫大丈夫。

 

「良かったわね。並ばなくて」

「本当だよ。βテスターでよかった」

 

 βテスターには優先的にソフトが配布されることになってるのさ! 前日か前々日には届くことだろう。待ち遠しくてたまらないことこの上ない。

 

 はやく正式サービス当日にならねぇかなぁー!

 

「ふふっ」

「……なんだよ」

「そんなに楽しそうなユウ、久しぶりに見たかも」

「そうか?」

「子供っぽい」

「いいじゃねえか。子供万歳だ。今のうちにたっぷりやりたいことやっとくのさ」

「やりたいことね……」

 

 そうつぶやいて詩乃は空を見上げた。

 

 まぁ、無いんだろうな。今これがしたいとか、あれがしたいとか。詩乃の爺さんは昔堅気な人だから、ゲームや漫画なんてものは詩乃に悪影響があると考えている。本人は素直に言う事を聞き、今時の子供にしては娯楽に大した関心を示さない珍しい部類だ。趣味なんて読書(分厚いハードカバーや小説)ぐらいだろう。俺としては、ゲームや漫画は子供に常識や想像力を身につけさせるために最適なものだと思っているんだが……。

 

 それは置いといて、だ。詩乃には趣味と言えるものが無い。

 

「見つかるさ、きっと」

「別に暇してないからいいんだけど」

「そうもいかないだろ。打ち込むものがあるってのは結構大事な事だぞ。スポーツだろうが勉強だろうが、それこそゲームだろうがなんだっていいのさ。メリハリつけられるならな。まぁその辺は詩乃なら大丈夫だろ」

「何よそれ、無責任な言い方ね」

「信頼と言ってほしいな」

「はいはい、そういうことにしといてアゲル」

 

 ぷいっと顔をそむけながら詩乃はそう言った。まったく、可愛い奴め。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 SAO正式サービス開始までとうとう一時間を切った。社会人のプレイヤーを考慮してのことか、休日だ。

 

 詩乃と昼食を済ませた今は、お茶をすすりながら一緒にテレビを見ていた。どこのチャンネルを見ても話題はSAO一色。当然と言えば当然か。ゲームとはいえ、歴史を塗り替えるようなタイトルにマスコミが食いつかないわけがない。というか、ナーヴギアはゲームとしての枠を超えている。

 

「もうそんな日なのね」

「おう。ドキドキだ」

 

 にやにやが止まらない俺の顔を見るたびに、詩乃はため息をついている。流石にガキっぽいか? 子供万歳とか最近言った気がするから何も言えないけど。

 

「はぁ……」

 

 呆れた、と溜め息をつく詩乃だが、表情からみて「しょうがないわね……」みたいなニュアンスだろう。なんだかんだ言いつつも詩乃も楽しみみたいだ。サブアカ作るって言ったからかな?

 

「あんたがそこまで言う世界か……興味あるわね」

「だろ? 落ち着いたらサブアカ作るから、それまでの辛抱だ」

「そ、そこまで言ってないわよ!」

「ほうほう、ならそのにやけ顔はなんだね?」

「う、うるさい!」

「へぶっ!」

 

 向かいの席から容赦のないチョップ。いつもなら白羽取りでもしているが、今のうかれた俺には少し難しかったようで直撃してしまった。昔は俺に一撃入れるなんてできなかったってのに……詩乃も日々成長しているようだ。

 

「そんな成長したくないわよ」

「読むんじゃない」

「………」

「どこ見てんのよ!!」

「うお!?」

 

 成長すると言っても単に身長が伸びる事だけを指すわけじゃない。体格が大きくなるし、体重は増えるだろうし、精神的に余裕が出来てくる。それと同時に、女の子には男子に無いとある部分の成長も含まれるわけでして。じーっとその部分を見つめていると、当たり前だが怒られた。今度はちゃんと避けたことをはっきりとさせておく。

 

 左腕で隠し、右腕でパンチを繰り出してくる。恥ずかしそうな真っ赤な顔が実に可愛かった。

 

 ふん、と鼻を鳴らしたと思ったら急にしおらしくなった。なんというか、断られちゃったらどうしよう……みたいな感じ。

 

「ユウ、もし……」

「もし?」

「……一緒にVRゲームが出来る日が来たら――」

「――教えてやるよ。色々とな。流石に初期ステータスで待つってのは無理だけどさ」

「……ありがと」

「礼を言われるようなことじゃないさ。当たり前のことだって」

 

 「なんせ――」と言葉を続けようとしたが、すんでのところで止めることが出来た。お互いの過去のことはタブーだ。良い気分には到底なれないし、詩乃は発作を起こしてしまう。場合によっては、俺も。

 

 ただ、なんとなく言いたいことが伝わったようで、詩乃はにっこりとほほ笑んでくれた。俺が後に続けようとした言葉も分かっているだろうに。

 

「それじゃ、私は家に帰るわ。宿題あるし、時間だし」

 

 立ち上がった詩乃を見上げる。次に指を指していた方向を見た。

 

 未だに流れるテレビに視線を向けると、“SAOログイン開始時間まであと30分”とテロップが表示されている。確かに、そろそろ俺も準備しておきたい時間だ。因みに宿題は既に終えている。

 

「夕食はどうするの?」

「6時までにはログアウトするよ」

「じゃあスーパーに寄ってから来るわ」

「悪いな」

 

 食器をキッチンまで運んで、玄関まで見送りに行く。靴を履いた詩乃は俺の方を向いて悪い顔を作った。

 

「さっきの約束、忘れないからね」

「安心しろ、俺も忘れない。ずっと待つよ」

 

 ニッと笑い返して、どちらからともなく右手の小指を出して絡める。誰もが知っているであろう“ゆびきりげんまん”だ。何かしらの約束をする時はいつもしている。

 

「ユウ、いってらっしゃい」

「おう、いってきます」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 βテスト最後の日、俺はキリトとある約束をしていた。

 

 速攻ログインして、最前線攻略をしていた時でも愛用していた宿の前で待ち合わせて狩りに行こう、というもの。攻略マップや装備、ステータスは当然初期化されるが、容姿は変更しない為、誰がキリトなのか間違えることも無い。β時代に仲良くしていた奴がいたらもう一度フレンド登録し合うのもいいかもしれないな。

 

 レベル1の表示と武器、ステータスに肩を落としながら待ち合わせ場所まで歩く。第一層主街区《はじまりの街》はかなり広く入り組んでいるが、少しも迷うことなく到着。勇者然としたフレンドは居ないので俺が先についたようだ。

 

 今のうちにこれからのプランを考えておこう。

 

 まずは何と言ってもレベル上げ、金……SAOでの通貨はコルなのでコル稼ぎ、スキル上げの3つだ。

βテストの経験を活かしてレベル1でもクリアできるようなクエストをこなし、装備を整えて良い狩場でひたすら戦闘。理想としては俺とキリトのレベルが二桁まで上がれば文句なしだ。そこまで行けば《ソードスキル》も連続技が使えるだろうし、ボス攻略の会議も開かれるはず。マージンは十分にとれているから、フロアボスも楽勝だな。多分だけど、しばらくはβテスターがボス攻略メンバーのほとんどを占めるだろう。少なくとも、βテストで進んだ層までは。

 

 そうだな……さっそく遠くの村目指すか? いやいや、装備を整えてから?

 

 うーん………

 

「アイン」

「ん? おお、キリト」

 

 たいしてマッピングされていない第一層の全体図を眺めながらうなっていた俺の前には、いつの間にかキリトが立っていた。

 

 その隣には見たことのないアバター。赤毛のロングにバンダナを巻いた渋い奴だ。

 

「そっちは? 知り合いか?」

「ついさっきな。来る途中に声をかけられたんだ」

「俺は“クライン”だ。えーっと……」

「“アイン”だ。名前が似た者同士、仲良くしようぜ」

「おう!」

 

 差し出した右手をがっしりと握り返してくるクライン。悪い奴じゃなさそうだ、今のところは。しっかし、随分とフレンドリーなやつだなー。

 

「色々とレクチャーしてほしいんだと。減るもんでもないし、別にいいだろ」

「ああ」

「じゃ、早速フィールドに行こうぜ!」

「クライン、そんなに急がなくてもフィールドは逃げたりしねえよ」

「モンスターは狩られちまうだろ!」

「ったく……しゃあない奴だ」

 

 そう言って呆れる振りをしている俺達だが、内心はクライン以上にワクワクしていた。久しぶりの仮想世界、しかも正式サービスが始まったんだ。心が躍らないわけがない。

 

 先に走って行ったクラインを追うように、俺とキリトは走った。

 

「道順わかってるのかー?」

「………あ」

「ハァ………」

 

 不安だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よっと」

「ほい」

「ぶはっ!」

「あらよっと」

「ほいさ」

「うげぇ!」

「うりゃ」

「てい」

「ひぃ~!」

 

 フィールドに出て一キロほど《はじまりの街》から離れると、モンスターの群れを発見した。数は3。ちょうど一人一体。さっさと片付ければ3分もかからないザコなんだが……。

 

「どわぁぁぁあ!!」

 

 そんなザコ相手にクラインはものすごーく苦戦していた。

 

 従来のMMO、家庭用のACTやRPGならボタンを連打すれば勝手に攻撃してくれるからあっという間に倒せるわけだが、VRMMOではそうもいかない。

自分の身体を動かして武器を振るわけだから、当然近づかなければならないし、相手だって動く。しかもモンスターだから人間じゃない。突進してくるイノシシやら牙をむき出しにして吠えるオオカミなんてザラ、上層に行けばもっと怖い奴もいるし、エグイ奴もいる。ゲームだと分かってはいても、現実で会えば怪我は必須な動物、最初は怖いもんだ。イノシシなんてバイクふっ飛ばすからな。

ビビって上手く攻撃できない姿を、無様だ、と誰も笑ったりはしない。

 

「「はぁ……」」

 

 ………呆れはするが。だってこれで五戦目なんだぜ? いい加減慣れてほしいと思うのは間違いじゃない。

 

「うぐぐ……強ぇ」

「んなことあるかよ、スライム並だぜ」

「教えることは全部教えたから、あとはお前次第だ」

「おう! ……っていってもなぁ」

「とにかく構えろ。システムがモーションを検知したら、あとは身を任せるだけでいいんだ」

「モーション……モーション……」

 

 フゴフゴと鼻を鳴らすイノシシは今にも突進してきそうだ。

 

対するクラインは曲刀を肩に担ぐように構える。すると刀身がゆっくりと、次第に強くオレンジ色に輝き始めた。

 

「おおおおぉりゃああぁあ!」

 

 気合いを入れると同時に砂埃を巻き上げてイノシシが突進してくる。迎え打つように正面から駆けだしたクラインはソードスキル《リーパー》を綺麗に発動させた。曲刀は吸い込まれるようにイノシシに命中、右側面を深く切り裂いて残ったHPを削りきり、イノシシをポリゴンへと変えた。

 

「いよっしゃぁ!!」

 

 戦闘勝利を告げるウインドウに目もくれず、曲刀をぶんぶんと振り回すなりたてのフレンドに俺とキリトはため息をついた。

 

「あんなの倒して喜んでんじゃねーよ。この先もっと強い奴がウロウロしてんだぜ?」

「いいだろ別に。初めて自力で倒したんだからよ! ……にしても、すげえよな。改めて思ったぜ。自分で剣振り回してモンスターと戦うって結構気持ちいのな!」

「それがウリだからな。魔法や遠距離武器も無しってのがまた珍しい」

 

 SAO……ソードアート・オンラインはその名の通り剣のゲームだ。キリトが言うように魔法の様なファンタジー要素は無いに等しく、遠距離武器なんて投擲武器程度だ。銃は勿論のこと、弓、弩すら存在しない。存在するのは全て近接武器のみ。

 それをアシストするのが、SAO最大の魅力である《ソードスキル》。全ての武器に専用の《ソードスキル》が設定されており、その武器を使い込めば使い込むほど、武器スキルが上昇し強力な《ソードスキル》を使う事が出来るのだ。クラインが使用した《リーパー》のような単発技もあれば、何連撃も決まる連続技も存在する。

 

 MPなんて余計なものは存在しないので、《ソードスキル》と言う名の必殺技は使い放題だ。欠点を上げるなら、《ソードスキル》使用後に硬直時間があることぐらいか。これがなければ《ソードスキル》使い放題になって難易度が下がりそうだから、当然の処置と言える。

 

「俺としてはシステムよりもこの風景に驚かされたな」

「現実世界とさして変わらないよな。夕日の眩しさとか、川の流れとか。ひょっとしたら現実世界よりも綺麗かもしれない。あっちはビルやら電柱やらで緑が減ってるからさ」

「少なくとも、こんな大草原は日本じゃ見れないだろうな」

 

 しばしの間、ゆっくりと沈む夕日と赤い空を並んで眺めていた。

 

 男三人で。

 

(………華やかさに欠ける)

 

 風景に心を奪われる傍ら、どうでもいいことを考える俺であった。

 

 

 

 

 

 

「よし、じゃあ俺はここで落ちることにするわ」

 

 あれから数分後、雰囲気をブチ壊すようにイノシシが湧いたので、怒りのままに狩り散らしてやった。そのまま流れるようにふらつきながら目につけたモンスターを狩って行った。

 

 クラインが落ちると言いだしたのはそのあとすぐだ。

 

「それはいいが、次にログインしたらここからスタートかもしれないぞ?」

「うげ……そうなのか?」

「βテストの時はそうだった。入った瞬間モンスターに囲まれて即死亡なんて割とある光景だっだぜ」

「止めろアイン、あれはもう思い出したくない……。ということがあるから、落ちる時は野営用のテント、安全地帯で寝袋を使うか、街に戻って宿で一部屋借りるなりした方がいい」

「そ、そうか……じゃあ町まで一緒にいいか?」

「俺達は最初からそのつもりだよ」

 

 右手を振ってメニューからマップを呼びだす。現在地は《はじまりの街》から南西に1.5kmほど離れた平原か。ゆっくり歩けば20分でつきそうだ。

 

 時折マップを開きつつ、道を間違えていないことを確認しながら来た道を戻っていく。途中モンスターと何度か遭遇したが、ここで手間取ることなどβテスターにはありえないので速攻で片づける。クラインはコツを掴んだ様で、《リーパー》以外の《ソードスキル》も色々と試しながら戦っていた。これならもう大丈夫そうだな。

 

 

 

 

 

 

 《はじまりの街》に着いたのはきっかり20分経過した時だった。

 

 大通りにある大きな宿の前まで案内しようと角を曲がったところで、ある異変に気がついた。

 

「キリト」

「ああ」

「ど、どうしたんだよ?」

「気付かないか? プレイヤーの数が少なすぎる事に」

「いや、でもよぉ……もう飯前だし、人が少なくなるのは普通じゃねえか?」

「言ったろ、少なすぎるって。わざわざ何日も前から並んでようやく手に入れたSAOだぞ? 夕飯時だからって一斉にログアウトするなんて、重度のネットゲーマーにはなかなか見られないぜ」

「うーん、それはわかるんだが……」

「アイン。お前の言い方じゃ分かりにくいって。クライン、今視界に入っているヤツのカーソル見ればわかる」

「……………っ!? お、おい、こいつら……」

「そう、少なすぎるってアインは言ったけどな、実際は全員NPC(・・・・・)なんだよ」

 

 視界には数十人の人達が歩きまわり、会話し、店を開いている。だが、その中にはプレイヤーが一人もいなかった。学生のように親からログアウトするように言われている、もしくはナーヴギアを外されて強制ログアウトされたならまだしも、一人暮らしの社会人まで含めて殆どのプレイヤーが一斉に消えるなどあり得ない。

 

「一体何が……」

「キリト!」

 

 何事かと考えているとクラインが叫んだ。キリトを見ればアバターが白い光で包まれていた。続いて俺、クラインもその光に包まれる。

 

「な、なんじゃこりゃあ!?」

「落ち付けクライン。これは転移……ワープだよ。そういうアイテムがあるんだ」

「なんじゃそりゃああああ!?」

(うるさい………)

 

 クラインの叫びをバックに転移が行われ、光が収まった時には広い広場でつっ立っていた。どうやら最初にログインした時に転移される場所《黒鉄宮》のようだ。周りを見渡せば、直径何百メートルもありそうなその《黒鉄宮》が、今ではプレイヤーで埋め尽くされている。まだ周りには転移の光がちらほらと見られる。こうしている間も、ログインしている一万人がここへ集められているようだ。

 

「なるほど、運営の仕業だったのか……」

「プレイヤーがいない原因はわかったけどよ、運営側がなんでここにプレイヤーを集めたのかがわかんねえままだろ?」

「教えてくれるさ、これからな」

 

 新たに浮かび上がった疑問にクラインと頭を抱えて悩んでいると、キリトが上を指差した。

 

 目を凝らして空を見る。点だ、点がある、赤い点が。それが強く光り出して一瞬にして夕焼け空を覆い、血のような赤に塗り替えた。

 そして赤い天井から大量の赤い液体が滲みだして、個体へと姿を変え、中身のないローブが現れた。まるで透明人間がローブを着ているみたいで、本来なら顔があるはずの場所はフードの裏側しか見えない。

 

「気味が悪ぃな……」

 

 クラインの言うとおり、かなり不気味だ。

 

『私は茅場晶彦』

 

 ………雑誌で見たことがある。SAOの製作者だっけか。

 

『諸君らは既に、メニューからログアウトボタンが消失している事に気がついているだろう』

「「「え!?」」」

 

 三人そろって間抜けな声を出してしまった。が、それを気にすることなく同時に三つの右手が縦に滑り、ウインドウを開く。

 

 そこにあるはずのもの……ログアウトボタンは、茅場晶彦が言うように無かった。

 

「……無い」

「俺もだ」

「こっちも……ねぇ」

 

 俺達を含む、ログアウトボタン消失に気付いていなかったプレイヤーを気にすることなく、茅場晶彦の言葉は続く。

 

『これは、バグなどではない。ソードアート・オンライン本来の仕様である』

 

 なんだって? ログアウトが出来ないのが仕様?

 

「狂ってる……」

 

『諸君らがこのゲームからログアウトする方法はただ一つ、ここアインクラッド第一層から一層ずつ攻略していき、頂上である第百層のフロアボスを倒し、ゲームクリアする。これだけだ』

 

 ということは……。

 

「一度もログアウトせずにこのゲームをクリアしろって事かよ……!」

「マジかよ!? そんなの不可能だろ! メシとかトイレとか仕事とかどうすんだよ!?」

「……キリト。他に方法は無いのか?」

「プレイヤーがログアウトするには、ログアウトボタンを押す、もしくは現実の身体に悪影響が出るほどのショックを体験するか……ぐらいだな、俺が知っているのは」

「外部からはどうだ?」

「ナーヴギアを直接外す、LANケーブルを引っこ抜く、ソフトをハードから取り出す……まだまだありそうだが、それを見逃してくれるとは思えないな。目的がさっぱりだけど、どうやらGMさんは俺達にゲームをクリアさせたいらしいぜ」

「んだよそれ! めちゃくちゃすぎんだろ……」

「確かに、めちゃくちゃだ……」

 

 ログアウトボタンがあったはずの場所を何度も押してみるが変化は無し。テキストが消されただけでなく、ログアウトという機能そのものが存在しないんだろう。そのくせログアウトボタンが存在した枠がそのまま残っている事に若干ムカついた。何かが変わるわけでもないので、怒りをとっとと流した。

 

 何か方法は……そう考える俺達に追い打ちをかけるように、茅場晶彦はこう告げた。

 

『だが、気をつけてほしい。もしもHPが全損するようなことがあれば、もしくは外部から接続を切ろうとする行為をナーヴギアが感知すれば―――諸君らの脳はナーヴギアが発するマイクロウェーブによって焼き尽くされ、仮想世界からも現実世界からも永久退場することになる』

 

 その言葉はざわざわと騒がしい広場一帯に、なぜか凛と響き渡った。

 

『最後に私からプレゼントを贈ろう。諸君らのアイテムストレージに入っているので是非使ってくれ』

 

 言われるがまま、メニューを開いて入手した覚えのないアイテムをオブジェクト化させる。

 アイテム……手のひら大の手鏡を手に取り、覗く。角度を変えても特徴は見られない。どこにでもある普通の手鏡だ。百円均一クオリティ。

 

 と、思いきや。またしても光に包まれた。俺だけでなく、周りのプレイヤーも……恐らく全員がそうだろう。

 

(……? あれ?)

 

 目を開くが、特に変化は無い。転移でもないし、服が変わったわけでもない、ステータスにも変化は見られない。何が……。

 

そうだ、キリトとクラインはどうなんだ?

 

「おいキリト、クライン。大丈夫………か?」

「大丈夫だ、クラインはどう……だ?」

「問題ねぇ。無事でなにより………ん?」

「「「お前等、誰?」」」

 

 そこに居たのは、勇者然としたキリトと渋いクラインじゃなくて、俺と同年代ぐらいの女顔の男と、髭を生やしてバンダナを巻いた20代後半ぐらいの成人男性だった。

 

 三人一斉に手鏡をもう一度覗く。また光に包まれたりするような事はもう無く、今度こそただの鏡になったようだ。

 そしてそれが写したのは、俺が適当に作り上げた貴公子系アバターではなく、現実の鷹村悠そっくりの顔。左の眉に沿うようにある傷痕がなによりの証拠だ。

 

「「「………!?」」」

 

 身体も設定したアバターじゃなくて、現実そっくり。隣の二人も同じような反応をしている。こいつは、まさか……

 

「お前、キリトとクラインか!?」「てことはアイン!? じゃあそっちの奴はクラインなのか!?」「お、おう……つーと、お前等がアインとキリトってわけか!」

 

 どんな仕組みか……俺達は作ったアバターを現実の身体そっくりのアバターに強制的に変更されたようだ。

 

『では、これにてソードアート・オンラインのチュートリアルを終了する。諸君らの健闘を期待する』

 

 言いたいことを言って、やりたいことをやった赤ローブ……茅場晶彦は現れた時を巻き戻したように液体になって、空へ消えた。それと同時に赤い天井も消え、さっきより少し暗くなった夕焼け空に戻った。

 

 考えること、言いたいことはとにかく色々ある。だが、今になってさっきの言葉がスーッと芯の奥にまで入っていった。

 

 HP全損。干渉できない外部からの行動。脳を焼き尽くされる。永久退場。

 

 固い食べ物をゆっくりと咀嚼するように、一つ一つの言葉を理解し、つなぎ合わせ、回答を導き出す。

 

 つまり、“死”。負ければ、何らかのアクシデントが起きれば……俺達は、死ぬ。

 

「ま、マジかよ……」「嫌だ! 出せよ、ここから出してくれ!」「そんな……私、今日だけお兄ちゃんの代わりに遊ぶだけだったのに……」「私が何をしたって言うのよ……!?」「ふざけるな! 明日は大事なプレゼンがあるんだぞ!」「ママーーー! パパーーー!」

 

 ようやく事態を呑み込んだプレイヤー達は一斉に騒ぎ始めた。膝から崩れ落ちる者、ただ喚き散らす者、呆然とする者。その様は十人十色といった様子だ。ただ、そんなうるささも俺の耳には届かなかった。

 

 死ぬ……のか? こんなわけのわからない場所で? この俺が?

 

『ユウ』

 

 ……認めない。

 

 やり残したこと、やりたいこと、やらなきゃいけないことがたくさんあるんだ。生きなきゃいけない。俺だけじゃない、ここに居る全プレイヤーも。

 

 生きる。生きて帰る、絶対に。

 

 ああやってやるよ、クリアすればいいんだろ? 目的がはっきりしてて楽じゃないか。負ければ死ぬ。よくよく考えればあの頃と何も変わらない(・・・・・・・・・・・)。むしろ鍛えれば鍛えるほど確実に強くなれるこの世界の方がヌルイぜ。

 

 そうと決まれば早く動くに越したことは無い。邪魔な一切合切は考えるだけ無駄だし、色々と鈍らせるだけなので忘れる事にしよう。

 

「アイン」

「ああ」

 

 どうやらキリトの方が腹を括るのが早かったみたいだ。こういう時の行動力というか、決断力は目を見張るものがある。

 

「………」

「クライン」

「………」

「クライン!」

「うお! なんだよ……」

「こっち来い!」

 

 呆然としていたクラインをキリトが叱咤して外へ連れ出す。道を空ける為に俺は一足早く《黒鉄宮》から少し離れた大通り沿いの小道に入った。こんなことがあっても、商人NPCはニコニコしながら売り上げを伸ばそうと客寄せをしていた。きっとこの風景が普通なんだろう。

 

「い、いきなりなんだよお前等……」

「俺達は直ぐにここから出る」

「は?」

「言ったろ、俺達はβテスターだ。10層までなら効率の良い狩場、クエスト、スキル、アイテム、レアドロップ、攻略方法を熟知している。この周囲は直ぐに攻略を目指すプレイヤーで埋め尽くされて思うようにレベルを上げるのは難しくなるはずだ」

「だから、一足先に攻略を始めるってか……」

「そうだ。その気があるなら来い。お前一人ぐらいなら守ってやれる」

 

 言わんとしたことを理解したのか、少しだけ悩んでクラインは答えた。

 

「その、嬉しいんだけどよ……他のゲームで知り合ったダチもいるんだ。見捨てられねぇよ……」

 

 つまりNOってことか。

 

「気にすんなよ。色々と教えてもらったしな、直ぐに追いついてやるぜ!」

「………分かった。何かあったらメール送ってくれ」

「おう! 死ぬなよ!」

 

 短くそれだけ告げて、クラインは来た道を戻って行った。未だに呆然としているであろうダチを探しに行ったのだろう。こんな状況で他人を思いやれるなんて、すげえ奴だな。多分オトナだなありゃ。髭生えてたし。

 

「よし、いくぞ。………キリト?」

「………何でもない。まずはどこに行く?」

「色々と考えてたんだが予定が狂ったな。まずは武器と防具だと、俺は思う」

「そうだな……とりあえず夜になるまでに移動しないか? 満足にレベル上げも出来やしない」

「分かった、行こう」

 

 隣の町まで移動することにした俺達は、クラインが去って行った方向とは真逆へと走り出した。入り組んだ裏通りを曲がるのが面倒になったので途中から屋根に飛び移って《はじまりの街》の外に出る。

 

 ついさっきまでイノシシ狩りをしていた場所をさっさと通り過ぎ、夕日と《はじまりの街》を背に走った。

 

 夜行性モンスターや、凶暴化したモンスターも蹴散らして。

 

 帰る為に。

 

 この時の俺達は無我夢中だった。きっと、それはとてもとても苦い顔をしていたんだろう。思えば、これからの戦いで何が起きるのか、どれだけの人が死ぬのか、感じ取っていたのかもしれない。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

phase 3 剣を求めて

 

 初日の内に俺達が移動した先は《ホルンカ》という小さな村だ。町って言ってたじゃん、とかいう突っ込みを思い付きはしたものの、俺もキリトもそんな余裕は持ち合わせていなかった。

 

 ここに来た理由を聞いてみたところ、レベル上げがしやすいことと、非買の強力な片手剣が手に入るクエストがあるらしい。ソロだと結構危ないらしいが、二人だから大丈夫というキリトの言葉を信じてクエストを受けることにした。

 

「悪い、俺の装備を優先させて……」

「いいってことよ、片手剣スキルは上げるつもりだったし」

「上げるつもりって……お前、これはもうただのゲームじゃないんだぞ? 無駄なスキルに割く時間もコルもないだろ」

「まだ先の話だよ。使う時が来るだろうから、持っておいて損はないさ。スキルはその時また考えなおせばいい。槍の耐久値だっていつ切れるか分からないし」

 

 キリトがこう言ったことはよくわかる。

 

 レベルが1の時は何もかもが低い。ステータスもそうだし、装備も弱い。合わせて、装備できるスキルとその制限が酷い。βテスターからすれば、スロットがたったの二つはあんまりだ。

 手堅くいくなら、自分が装備する武器スキルと戦闘に役立つ補助スキルで埋めるべきだ。キリトを例に上げるなら《片手剣》と《索敵》だな。補助スキルは好みが分かれるだろうが、ここで《料理》や《裁縫》なんて生産系を選ぶ馬鹿はいないと思いたい。そんなものは余裕が出来てからだし、それ以前に百層攻略を目指すプレイヤーにはカケラも必要ないので、俺が習得することは無いだろう。

 

 俺は《槍》と《俊足》を選んだ。《俊足》は移動速度、敏捷と回避にボーナスが付くという単純なスキルだが、ここから派生するものが俺にとって必須なので育てる。《俊足》も勿論重要だ。小学生が履きそうな靴の名前だけあって、いい仕事をしている。

 

「それより、クエストだろ? まずはアイテム整えようぜ。ポーションもだけど、防具がこれだけじゃ不安だ」

「……そうだな。よし、これ片付けたら良い槍が手に入るクエストするか!」

「そいつはありがたいな」

 

 気を持ち直したキリトの誘導に従って村を歩く。防具屋でまずは換金。デスゲーム開始宣言前、クラインと狩ったときにドロップした毛皮などを売って、まずは防具を更新した。キリトは茶色のハーフコート、俺はモスグリーンのミリタリーコートを選んだ。色々と悩んだものの俺は完璧に趣味で選んだと言っておこう。性能は問題ない。

 

 盾やその他は後回しだ。揃えるだけのコルが足りないし、スタイルじゃない。コンビを組んでいるといっても、たったの二人、どちらかが壁役になったところで意味は無い。まず槍を装備していたら盾は装備できないし、《俊足》を選んだ時点で重たい鎧は装備する価値がない。

 

 余ったコルで回復と解毒ポーションを買えるだけ買った。状態異常はどんなに程度が低いものでも、ソロにとって手痛いことは既に学んでいる。命がかかっているなら尚更だ。

 

 財布を空にしたところで、更に移動する。

 

「どんなクエストなんだ?」

「見てからのお楽しみってことで」

 

 キリトの視線の先にはこの村にはどこでもある一軒家。既に日が沈んでいるので辺りは暗く、窓からこぼれる光がまぶしい。煙突から煙がもくもくと出ている。晩御飯でも作っているのかな?

 

 ノックをして玄関を開ける。本当はそんなことをしなくてもいいが、某勇者のように勝手に入っては部屋を漁りお金やら薬草やら下着などを盗んで出て行くなどするつもりは無い。単なる気分だ。マナーって言葉もある事だし。

 

 出迎えてくれたのは若い女性の方だった。

 

「こんばんは、旅の剣士さん。出せるものはありませんが、ゆっくりしていってくださいね」

 

 巫女と魔法使いの生首を思い出して笑いそうになるのをこらえて、言われる通りゆっくりすることにした。

 

 <ゆっくりしていってね!!

 

 うるさい!

 

「んで、どうするんだよ」

「少し待つ。具体的には隣の部屋から咳が聞こえるまで」

「ふーん」

 

 コトコトと音をたてる鍋を見ながらさっきのことを思い出していた。

 

「なあ、いきなり家の中に入ってごゆっくりっておかしくね?」

「んなこと俺に聞くなよ。まぁ、そういう不自然なところがあるから、クエストNPCだって見抜けたんだけどな。そう思えばよくできてるよ、SAOは」

「あえて不自然にしたってことか……」

 

 それでも押しかけた輩二人ってことにはかわりないんだけどなー。

 

「ごほっごほっ……」

「……今の?」

「ああ。ほら、あっちの奥さん見ろよ」

「お、本当だ」

 

 どことなくさっきより悲しそうな奥さんの頭の上にはクエスチョンマークが浮かんでいた。さっきまではそんなものは無かったのに、咳き込む声が聞こえてから急に現れた。なるほど、確かに咳が聞こえるまで待つ必要があったわけだ。

 

「何かお困りですか?」

 

 すばやくキリトが問いかけた。これでようやくクエストを受ける事ができる。

 

 話の内容はこうだ。子供が病気にかかってしまったので薬を飲ませてみるも少しも効いた様子は見られなかった。様々な薬を試しても効果は無く、残された方法は西の森で出現する植物系モンスターを倒して手に入れられるアイテムしかないらしい。しかも、花を咲かせた個体でなければそれは手に入らないとか。

 

 最後まで話を聞いた俺達は依頼を受ける旨を伝えて家を出た。

 

「西か……」

「そういえば、アインはこのクエスト知らなかったのか?」

「この村は迷宮区とはちょっと方角が違うだろ? 俺はこっちに来なかった」

「なるほど」

「βテストって意外と期間が短かっただろ? 寄り道しようにもできなかったんだ」

「俺が寄り道しまくってるからこんなクエスト知ってるって言いたいのかよ?」

「いいじゃねえか。おかげでこうして良い武器手に入れられるんだから」

 

 移動の最中は驚くことに敵とエンカウントすることは無く、こうして無駄話をすることが出来た。デスゲームが始まってからまだ一日も経っていないというのに、こうして馬鹿言えるのは互いに話相手がいるからだろう。キリトもクラインもいなければきっと今頃ピリピリしながら狩りまくっているに違いない。

 

 特に名称のない森に入ってからは口数を減らし、歩きながら耳を澄ませる。二人分の足音の他に、風が揺らす木のざわめき、森の奥から聞こえる猛獣達の雄叫び、何本か先の木でゆらゆらと動くモンスター達。現実世界のように危険な野生動物は存在しないので、毒蛇や毒蜘蛛に気を配る必要は無い。少しでもそれっぽい見た目をしていたらそれは即モンスターと断言できる。もっと言えば夜中なのでモンスター以外がうろつく事は殆どない。

 

 道と言える者は存在しないので背の高い草をかき分け、木に隠れながら目的のモンスターを探す。見たことは無いが、キリト曰く「俺達よりはデカイ唇つきの植物」らしい。色々と種類がいるらしいが、とりあえずそれらしき奴を見つけたらキリトに言えば分かるだろう。

 

 先を歩くキリトが急に足を止めた。

 

「見つけたか?」

「ああ、アレだ」

 

 指差す先には確かにデカイ植物。触手やら根っこやらをうねうねと動かしている。不気味な歯がならんだ唇からは時折よだれを垂らしながらゆったりと動いていた。

 

「……なんか、キモイ」

「肉食だからな。それに昆虫系よりマシだろ」

「まぁな。ああいうのが肉食系なら俺は一生草食系でいいや」

「俺も」

 

 馬鹿なことを小さい声で言いあいつつも目はあのモンスター《リトルネペント》から離さない。形を覚えようとじーっと睨んだ途中であることに気が付いた。

 クエスト内容では“花が付いた”植物系モンスターだったはず。だが、目の前の《リトルネペント》にははっきりと分かるような場所には花が咲いてなかった。

 

「なあ、花が付いたやつじゃないぞ」

「ああ。ネペントは三種類あって、目の前の普通の奴、目的の花つき、そして厄介な実つきがいるんだ。だからアイツはハズレ」

「ハズレがいるのかよ。結構めんどくさそうだ。倒していい?」

「勿論。倒せば花つきの出現率が上がるし、パターンを覚えられる。何よりレベルも上げられる。見つけた端から狩りまくるぞ」

「OK!」

 

 お許しを頂いた俺は槍を構えて直槍ソードスキル《スパーク》を発動させた。開いた距離を大きな踏み込みからの突進で詰めて、渾身の一突きを放つ単発技だ。命中させれば相手をスタンさせる妨害効果付き。序盤から相手をスタンさせられる唯一のソードスキル。槍の魅力である“リーチ”と“状態変化”を含んだ扱いやすいソードスキルとなっている。《俊足》も合わさって奇襲にはもってこいだ。

 

 視覚を持たないタイプのモンスターは基本的に奇襲、背後からの攻撃は通用しないのが常識だ。定かではないが、その分他の感覚が鋭くなっているから、らしい。ただし、それは気付かれるだけであって、急に攻撃を仕掛けてくるわけではない。

 

 ネペントが振り向いて目があった瞬間、《スパーク》が轟音を上げて胴体に命中。振りあげようとした触手は振り下ろされることなく、ネペントは吹き飛ばされて木に叩きつけられた。

 吹き飛ばしによる衝撃と《スパーク》のスタン効果によって、想像していたよりも長い間、ネペントは硬直を余儀なくされる。それだけあれば十分だ。俺の真横を通り過ぎて行った茶色の影――キリトは剣を構え、ジャンプした。刀身には水色の光が集まっている。綺麗な軌跡を描きながら、《バーチカル》は直撃し、ガクンとゲージを削った。

 

「スイッチ! 身体の細い部分が弱点だ!」

「おう!」

 

 サイドステップで側面に回り込んだキリトのアドバイスを頭に入れてもう一度《スパーク》。弱点部分の茎に見事命中させたこともあって更にHPバーは減少。反撃しようと動き始めたネペントはもう一度スタンした。ここまですると可哀想に見えなくもないが、手心を加えるつもりは無い。

 

「スイッチ!」

 

 バックステップで道を開け、キリトはソードスキルで答えた。水平単発技《ホリゾンタル》は茎部分に命中し、奥深くまで切り裂いて両断した。ネペントは俺達に1ダメージも与えることなくポリゴンに変わって四散した。

 

 色々と限定された条件の中でしか成立しないシステム外スキル《スイッチ》、更にそれを連続して行う《連続スイッチ》。久しぶりに決まったので爽快感がある。

 

 ドロップ品と経験値、コルを素早く確認してウインドウを閉じる。次を探そうとキリトへ歩み寄った。

 

「次はどっちに行く?」

「奥まで行きすぎると別の奴が出てくるし、ギリギリまで潜ったら今度は帰りが大変だしなぁ……このあたりをウロウロするか」

「わーった」

 

 クルクルと片手で槍を回転させ、背中の留め具に固定して歩みを再開した。こういうレアモンスター(?)探索は苦手なんだよなぁ……。

 

 

 

 

 

「お」

「あ」

 

 そろそろ十五体目になるだろうか。途中で実つきのネペントにエンカウントするも何事も無く倒す事に成功し、未だに花つきは現れなかった。

 飽きが出てくるがこれもまたゲームである為仕方がないことだと割り切って、ひたすら突いて切ってしていると二重でファンファーレが鳴った。これが鳴るのは知っている限りSAOでは三種類。フロアボスを倒した時、クエストクリアの時、そしてレベルアップの時だ。

 

 SAOが始まってから俺とキリトはずっと一緒にパーティを組んで戦ってきたので、同じ分の経験値が与えられていた。プレイヤーごとにレベルアップに必要な経験値がばらつくことは無いので、同時にレベルアップするのは当然だ。ソロに比べてペースが遅いのは仕方がない。

 

「まずはレベル2おめでとう。俺」

「そこはお互いにたたえ合うんじゃないのか?」

「おめでとう、キリト」

「ついでって感じがすげぇけどありがとう」

 

 いつもならハイタッチなんだが、ここでやるとモンスターがわらわらと寄ってくるだろうから握手にしておく。

 

 早速ステータスウインドウを開いて与えられたポイントを割り振る。といっても筋力値と敏捷値しか存在しない。魔法が無いから知力や魔法攻撃・魔法防御も無いし、体力と防御力は自動的に上がる(更に上げるなら筋力でプラス補正がかかる)。自分で剣を振り回すわけだから技量のようなクリティカルの確立を上げるステータスも無い。ビルドに悩む必要がない代わり、無限大に近いスキルで頭を悩ませるわけだ。

 

 とりあえず速度が欲しい俺は与えられた3ポイントの内、2ポイントを敏捷値に振って、残りの1ポイントを筋力値に振った。

 

 少しだけ槍が軽くなったような気持ちを感じつつ、ウインドウを閉じた時、俺とキリトの背後からパンパンと乾いた音が響いた。

 

「「!?」」

 

 たまらず驚いて大きく距離をとる。キリトは剣の柄に手をかけ、俺は槍を抜いて構えた。

 

「わわ、待った待った! プレイヤーだよ!」

 

 突如現れた男は確かにプレイヤーだった。グリーンのカーソルがそれを証明している。隠れるつもりはないようで、それどころか済まなさそうな感じで出てきたプレイヤーは茶髪の片手剣使い。左手にはキリトが装備しなかった円形盾(バックラー)。これまた俺達と同年代に見える奴だな。

 木立と茂みから両手を上げながら出てきたそいつの顔が月明かりではっきりと写された。メガネがあれば完璧なインテリ系の爽やかな奴だ。

 

「ゴメン、驚かせるつもりは無かったんだ」

「いや、こっちも大げさすぎた。悪い」

 

 槍を背負って現れたプレイヤーへ歩み寄る。

 

「アイン……」

「見極める。お前は警戒を解くな」

 

 小声でキリトに警戒を促すと同時に、俺の考えを悟らせる。

 ただし俺は目の前のコイツを信用したつもりは全くない。こんな世界になってしまったのにと思うだろうが、逆だ。こうなってしまったからこそ、危ない考えを持つ人間が生まれる事は珍しくない。そんな奴らを嫌と言うほどこの目で見てきた。

他者を蹴落とし、リソースを奪って、誰よりも強くありたい、先へ、先へと。自身の分身であるアバターを育てるMMORPGの本質はこのSAOではデスゲームという枷によって浮き彫りにされた。いつか犯罪行為に手を染める奴もでるんだろうな……。

 

「えーっと、レベルアップおめでとう」

「ありがとう。ここに居るって事はβテスターで間違いないよな?」

「君たちも? あ、向こうの人は片手剣使いか。納得」

「納得?」

「このクエストで手に入る《アニールブレード》は結構強くてね、3層ぐらいまでなら使い続けられるんだ。1層のフロアボス戦には欠かせないよ」

「なーるほどね。てことはアンタもそのアニールブレード目指してここまで来たってわけだ」

「そういうこと」

 

 話をしていく中で、目の前のプレイヤーに対する評価をつけて行く。ふむふむ、βテスターか。もしかしたら知ってる奴かもしれないな……。

 

「俺はアインだ。分かってるだろうけど、βテスターだ」

「よろしく……って、ええ!?」

「うお! ど、どうした?」

「僕だよ、僕! コペル!」

「………おお! お前だったのか!」

 

 SAOではβテスト時とは大きく違う仕様が一つ、茅場晶彦のドッキリイタズラでアバターの容姿が現実そっくりだってことだ。おかげで誰が誰かわからない。今日から始めた奴なら問題ないが、βテストでの知り合いとは、名前を言わなければ出会えないのは正直つらい。キリトはわからないが、少なくとも俺にはそれなりの数の知り合いがいた。

 

 目の前の片手剣使い《コペル》もその内の一人。黒ぶち眼鏡がよく似合うインテリアバターだったと記憶しているが……なるほど、大した差を感じない。そう言われればなんとなくコペルっぽい。

 

「えーっと、知り合いか?」

 

 空気となりかけていたキリトの言葉を聞いて存在を思い出した俺は、お互いに自己紹介をさせた。同じ片手剣使いだ、何か通じるところだってあるだろう。一口に“同じ”と言っても、キリトは要求値バリバリの重たい剣をぶんぶん振り回し、コペルは細剣(レイピア)と間違えそうなくらい細身の片手剣を好むけど。

 

「ああ、βテストで知り合ったんだ。こっちはコペル。んで、あっちがキリト」

「えっと、よろしくキリト……君」

「君はいいよ。よろしくコペル」

 

 ぎこちない挨拶だが、しばらくすれば普通に接することが出来ると思う。二人とも、特にキリトは人付き合い苦手みたいだから時間はかかるだろうけど。

 

 コペルが言った通り、俺達が挑戦しているクエストは片手剣……アニールブレードを獲得するためだ。キリトにとってはしばらく世話になるであろう武器だし、俺にとっては槍に変わる予備の武器だ。コペルだってキリト同様にそのつもりでこのクエストを受けたはず。ここは是非とも手伝ってほしい。

クラインのことを引きずっている所悪いが、ここはキリトに協力してもらうように言ってもらおう。俺から言えば問題なくパーティを組めるかもしれないが、コペルとキリトがよそよそしいままでは困る。

 

「じゃあキリト、お願いがあるんだ」

「え?」

「聞いてた通り、僕もアニールブレードを狙ってこのクエストを受けてる。だったら三人で協力しないかい? ノーマルのネペントも狩りやすくなるし、実つきが出ても楽に対処できる。どうかな?」

「………そうだな。俺は賛成だ。アインはどうだ?」

「いいぜ。さっさと三人分集めて戻ろう、いい加減腹減った」

「だな」

 

 どう切り出そうか困ったものの、コペルが何も言わずに切りだしてくれた。単に効率のいい選択をしただけかもしれないが、ここでキリトに声をかけてくれたのは助かった。少なくとも、キリトの警戒心は薄まった。

 

 片手剣使い二人を前衛にして、俺が少し後ろについてバックアップ兼殿を務める形で森の探索を進める事にした。

 

 このペースならなんとか早く終わりそうだ。と、思っていたがまた何か起きそうな気がする俺であった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

phase 4 遭遇、撤退、迎撃

 

 《アニールブレード》という強力な片手剣を手に入れるため森に潜った俺とキリトは、元βテスターで俺のフレンドだった《コペル》という男性プレイヤーと遭遇。比較的フレンドリーなコペルとパーティを組んだ俺達は、今までの倍に近いスピードで狩りを続けることが出来た。二人なら躊躇った集団でもβテスター三人なら余裕だ。

 その甲斐あって俺とキリトはレベル3、コペルはレベル2になれた。花つきを二体見つけることもできたので、クリアに必要なアイテムを二つ所持していることになる。残り一個だ。

 

 ただし、何事もここからが長いわけだが……。

 

「イヤァッ!」

 

 何体目かも分からないノーマルなネペントを、コペルが《ホリゾンタル》で両断する。いい加減見飽きたわ。ドロップする生産スキル用アイテムが三ケタに到達しそうだ。

 

「ふぅ……しかしもう一時間は経つんじゃないか?」

「だね。僕もまたレベルアップしそうだ……」

 

 見飽きるほど、という事はそれだけ長い時間一緒に戦い続けたことにもなる。おかげ様で、キリトとコペルはそれなりに仲良くなっていた。どうやら、ゲーマーは普通の会話よりもゲーム要素を間に挟んだ方が親密になれるらしい。

 

「もういっそのこと実つきをぶったたいて呼び寄せた方が早い気もするんだよなぁ……」

「「それは無い」」

「デスヨネー」

 

 猟奇的な案なのは分かりきっていたので驚きはしない。だが、ここで時間を食うわけにはいかないのもまた事実だ。さっさと安全マージンを確保して、迷宮区を攻略し、上の層に上がらなければならない。一日でも早くこの鋼鉄の城を昇り詰める為に。

 同時にHP全損に対して、注意しすぎるに越したことは無い。失敗は許されない。死ぬ時は死ぬんだし、今までと大して変わらないじゃん。とか考えている俺は危機感が薄いとでも思われているだろう。俺から言わせてもらえば、現実世界だってヘマをすれば死ぬんだ。日本が平和だから忘れがちだが、その一点だけはSAOとなんら変わらないのに、ゲームになった途端ビビるのはちょっと違う気がするんだよな。それを言ったところで二人が納得するわけがないので黙っておくけど。

 

「出直すか? そろそろアイテムが危ないし、これだけ換金アイテムがあれば防具を一新できる」

「長い目で見ればそうするべきだろうけど、これがそうもいかないんだ」

「なんで?」

「ネペントの花つきは夜行性なんだよ。出直すならまた夜に来ないといけなくなる」

「そうか……困ったなぁ」

 

 クエスト経験者がそういうのなら、そうなんだろう。βテストと違って昼でも動きまわっているかもしれない、そう考える事も出来るが、それを言うならクエスト報酬の《アニールブレード》が別の武器に変わっているかもしれないんだ、キリがない。

 

(どうするかな……?)

 

 口にはしなかったが、村まで戻りたい理由がもう一つ。

疲労。可視化できないが、どんなプレイヤーでも確実に陥るバッドステータスだ。思考を鈍らせ、判断力を奪う。なにより動きが悪くなる。アバターが疲れを感じて筋肉痛を起こしたり、肉離れという重傷になることは無いが、それだけ精神的な面で疲れが溜まってしまう。今はハイになって気付かないだけで、俺を含めた三人は極限状態であることは間違いない。まだデスゲーム初日は終わっていない。

 

 ………やはり帰るべきだ。実つきの実を割ってしまう事だってありうる。

 

「……俺は帰るべきだと思う。キリト、コペル、お前等はどうだ?」

「俺はまだ余裕がある。ポーション分けてもいいぜ。ただ、ちょっと武器の損傷が危ないかな……」

「勝手かもしれないけど、もうすこしでレベルが上がるから、それまでは続けたいな。ポーションも危ないから、正直帰った方がいいとも思うんだけどね」

 

 帰る、まだ続けられるけどちょっと危ない、もう少し続けたいけど帰った方がいいかも、か。決まりだな。

 

「戻ろう。帰りながらネペントを狩って、コペルのレベルが上がったら森を出て、俺の《索敵》とコペルの《隠蔽》でエンカウント回避で《ホルンカ》まで。アイン、コペル、これでいいか?」

「OK」

「僕も。でもよくわかったね、僕が《隠蔽》を習得してるって」

「βで使ってたからな、よくわかる。それはいつも使うんじゃなくて、ここぞって時に使うもんだぜ」

「そ、そうなんだ……」

「今度教えてやるよ」

「ありがとう」

 

 《隠蔽》か。だから最初俺達が気付けなかったのか。俺はともかく、《索敵》を習得してるキリトが、あれだけ近づいたプレイヤーに気付かないわけがない。

 

 右手を縦に振ってマップを開く。最短ルートを通りつつ、ネペントがPOPしやすい場所を経由しながら森の外に出るとしよう。

 

「でも、いいのかいアイン。三つ集めなくて」

「いいんだよ、手に入らなかったらそれまでだ。最低の二個は確保してるんだ、俺はあくまでちょっと欲しかっただけだから」

「まぁ、君が言うならいいんだけど……後から来た僕が貰うのは気が引けるよ」

「コペルのおかげでこんなに早く二つも集まったんだ。だから貰ってくれ、アインはそう言ってるんだよ」

「そっか……ありがとう。アインにもキリトにも世話になってばっかりだね」

 

 仲のいいフレンドはどれだけ狩りをしても、スキルを上げても手に入るわけじゃない。旧友と再会できただけで、俺は十分だよ。

 

 

 

 

 

 

 10分後。クサイ事を言った後だが、俺達は茂みに隠れていた。ここのモンスターは茂みに隠れた程度では逃げきれないので、追われているわけではない。

 

 見つけてしまった。花つきを。

 

「……どうする?」

 

 ただし問題が二つ。花つきを守るように取り囲むノーマルな奴が三体いること、もう一つが少し離れたところに実つきが二体(・・)いる事だ。

 あれだけの数を三人で仕留めるのは少し骨だ。実つきが複数いる時点で挑むべきじゃない。ただ、花つきを倒して見事三人分ゲット&コペルのレベルアップもできる。

 花つきだけをさっさと倒して逃げきる方法も無くは無いが、ネペントは思ったよりも足が早い。森は奴らの庭同然だし、逃走中に別のモンスターとエンカウントしてしまったら目も当てられない。実つきが追って来て、木にぶつかりでもしたら最後、二体分の実つきが引きよせる大量のネペントによって俺達三人は確実死ぬ。

 

 戦うか、見過ごすか。二つに一つだ。

 

「……ここはスルーしよ――」

「待った!」

 

 立ち上がろうとした瞬間、袖をコペルに引っ張られ、キリトが実つきの更に奥を注視していた。

 そこには新たにモンスターがPOPしてくる光、青白い光は徐々にポリゴンを形作っていき、見飽きたネペントへと生まれ変わった。ただし、頭には俺達が欲してやまないものが一つ。

 

 花。

 

「ここで花つきかよ……!」

 

 現れた七体目は驚くことに花つきだった。一つの集団に花つきが二体もいる。これは実つき二体のリスクと釣り合うんじゃないか? 森に入ってかれこれ二時間、ひたすら狩り続けて手に入れたクエストアイテム――胚珠はたったの二個。単純計算で一時間に一個手に入るかどうかのそれを、ここで、二個も手に入れられる。

 

 四人目がいないからといって必要ないわけじゃない。レアモンスターのドロップ品は程度はあれ非常に価値が高い。普通に売却してもここの層じゃありえないほどの金額を手に入れられるし、今からこのクエストを受けようとしているプレイヤーに高く売りつける事も出来る。

 

 コルは勝手に溜まるが、レアドロップはまさしく一期一会。

 

 ゲーマー……いや、この世界の住人として、ここで悩むのは当然だ。お金大切。

 

 それでも……でもなぁ……。

 

「行くか?」

「俺は……止めた方がいいと思う。コペルのレベル上げなんて他の奴を倒せばいい」

「キリトに賛成かな。アインは?」

「狩る気失せたよ。もうアイツは見たくねぇ」

「んじゃ、行くか」

 

 スルーに決まり、場を離れようとした時、今まで嗅いだ事のないような異臭が鼻をついた。反射的に鼻をつまむも効果なし、逆に吸い込んで気持ち悪い。

 

「臭っ! お前等……屁でも――」

「違う! これは……」

 

 冗談半分、本気半分で叫んだ言葉は、真剣なコペルの叫びで止めざるを得なかった。コペル以上にキリトは強張っており、顔はさっきとは一転して青ざめている。

 

「キリト、僕は嗅いだこと無いんだけど、この臭いは……?」

「……破裂した実の臭いだ」

 

 その言葉には驚いた。確かに俺達が見ていたネペントには実つきが二体もいた。だが、俺達は割る以前に近づいてすらいない。わざと割るようなことをするとは思えない……。なんで割れたんだ?

 

 いや、考えるのは後だ。やるべきことがある。

 

「逃げるぞ!」

 

 キリトの喝で一斉に足を動かす。出口方面は分かっているので迷いは無い。足の速い俺が先導し高速で森を駆けた。

 後ろを振り向けばキリト、コペル。さらにその向こうではようやく臭いを感知したネペントの群れが此方へ詰め寄ってきている。よく見れば七体、ノーマル三、花つき二、実つき二と変化がない。実を割ったのは別の場所で戦っている誰かのようだ。こっちへ走ってくるって事は…………。

 

「走りながら聞いてくれ! 多分この先には別のプレイヤーがいるはずだ! 実を割った奴らがな!」

「……いる! 確かに四人いる!」

 

 キリトの《索敵》で確証を得た俺は話を進める。

 

「突っ切るのは難しい、あらゆる方向からそこを目指してネペントが集まってくる! 迂回してもどこかでネペントの群れとエンカウントする! キリト! 無茶を承知で逃げるか、それとも実を割った四人と合流して迎え打つか、お前が選べ!」

「お、俺が!?」

「こういう時の判断は、お前の方が出来るだろ!」

 

 コンビを組んだ時の経験からして、非常時はキリトに任せた方がいいことを経験則で学んでいる。俺の場合は野生のカンみたいなものだ。戦闘向きで、状況をよく見なければならない時では役に立たないことが多い。コペルはインテリらしく計算立てて行動することに長けている。出番はここじゃない。ソロじゃなくて良かったー。

 

「………迎え撃つ!」

 

 よく判断してくれた!

 

「先に行って事情を説明してくるから、絶対に捕まるんじゃねえぞ!」

「分かった!」「OK!」

 

 ようやく《俊足》の見せ場だ。

 大きく一歩を踏みこんで、力いっぱい地面を蹴りつける。固い地面を抉って飛び出し、さっきの倍以上のスピードを出し、風のように駆けることわずか数秒で、パーティを視界に捉えた。

 

 片手剣が二人、両手剣一人、両手斧が一人。壁役・攻撃役とバランスのとれた編成だ。彼らもβテスターだろうと判断すれば、何とかなるかもしれない。

 

 戦場となっている開けた場所にたどりつく前に、槍を構えて大きく息を吸った。

 

「どけぇぇぇぇぇぇぇ!!」

 

 いきなりの叫び声に驚く四人だったが、俺の意図に気が付いた一人が、ネペントから距離をとった。彼の指揮により、パーティ全員がネペントから離れてくれたのを確認してから、《スパーク》を発動。今の俺に出せる最高速度と全体重を乗せた一撃は、ネペントの残り六割のHPゲージを軽く吹き飛ばした。

 

 両足の踵を立て、砂埃を盛大に巻き上げながら急ブレーキをかけ、止まりきる前に反転。柄を短く持って突進する単発ソードスキル《スパイク》で一体を屠り、今度は柄を長く持って回転しながらなぎ払う二連続ソードスキル《リア・サイズ》で残った二体も片付けた。

 

 中々の重労働に座り込みたくなるが、ここからが本番だ。槍を背負わずに、呆けているパーティへ近づく。遠目から指揮をしていたであろう男に話をつけよう。

 

「えっと、助かったよ、ありがとう。俺は《ディアベル》だ」

 

 ディアベルと名乗った青髪の片手剣使いは右手を差し出してきた。槍を左手に持ち替えて握り返す。いつもなら少し話をするし、後ろのプレイヤーとも話したいが、そんな時間は無い。早速話を切り出した。

 

「アインだ。アンタら、さっきネペントの実を割ったろ?」

「え? どうしてそのことを………もしかして、俺達のせいで襲われたのか!?」

「まぁ、そんなところ。俺の仲間がもうすぐ来るんだけど、その後ろにも分かっているだけで七体追いかけてきている。その内二体は実つきだ」

「なんて事だ……本当にすまない!」

 

 気をつけをして、きっちり腰を折った謝罪にたじろぐが、今はそれをどうこう言う暇は無いんだ。さっさと話をして協力してもらわなければ……。

 

「じきにその七体以外にも寄ってくる。だから協力をしてほしい」

「協力……迎え撃つのか! 無茶苦茶だ!」

「逃げるよりは確実だ。それに、それだけの旨みもある。その様子じゃまだクエストアイテムの胚珠は手に入れてないんだろ?」

「ああ。でも、寄ってくる奴らに二体も花つきがいる保証なんてない」

「大丈夫だ。さっき話した七体には花つきが混じっている。しかも二体」

「え!?」

「見たところ片手剣使いはディアベル、アンタとそっちのもう一人だけみたいだし、丁度いいだろ。俺達はもう人数分手に入れているからアンタらに分けてやるよ。もし一個既に持っているのなら余りは俺達が頂くけどな」

「待ってくれ、考える時間を――」

「無い」

 

 いきなりの危機とイイ話に戸惑うディアベル、話に付いていけないパーティメンバーを冷えた目で睨みつける。もしもアンタがβテスターなら、この状況が分かるはずだ。仲間を生かしたいなら、生きたいならな。

 

「……わかった。協力しよう。皆もいいか?」

「ディアベルさんがそういうなら」「分かった」「………」

 

 最後の一人は頷くだけだったが、とりあえず全員の同意は得られた。ここからは迎撃だ。気持ちを切り替えよう。

 

 今の内に回復を済ませるようにディアベルに伝え、キリト達を待つ。それほどせずに合流した二人へ迎撃する事を伝え、準備をする。

 

「俺達は追ってきた七体を速攻で仕留める。その間は向こうのパーティ……ディアベル達が背中を守ってくれる。それが済んだら今度はディアベル達の援護、殲滅に移る。以上」

「シンプルだね」

「そりゃそうだ。シンプル・イズ・ベスト」

「要するに、誰も死なせず倒せばいいわけだろ?」

「そうそう」

 

 ごちゃごちゃ考えて、戦闘中に意識を割くよりは、“結果的にどうなればいいのか”をはっきりさせるだけ(・・)にした方がいい。作戦が必要なほど大規模な戦闘じゃないし、今日作ったばかりのパーティにそこまで期待できるはずもない。ドラマや漫画のような統率がとれた作戦というのはハイレベルな実力と、個々の特性を熟知した指揮官が居て初めて生まれるもんだ。全員が全力を出せば相応の結果は出るんだ、考えるだけ無駄。

 

「来た!」

「二人は他を無視して実つきを優先して倒してくれ! ヘイトは稼ぐ!」

「コペル、俺が右をやる!」

「僕は左だね!」

「三十秒で倒せよ!」

 

 キリトとコペルが左右に走り出して、前方が開けた。

タイミングを合わせたように、木々の合間から飛び出してきたネペントにナイフを投擲。スキルを育てていない為にソードスキルは発動しないが、気を引くだけなら硬直があるソードスキルはむしろ邪魔になる。

三ミリほどHPバーが減少したネペント七体のヘイトを一身で受けている事に焦る。かなり怖いが後ろには下がれない以上、前に進むしかない。立ち止って迎え撃つなんてナンセンスだ。

 

 戦闘にいた花つきに《スパイク》で急接近、零距離まで近づいて密着する。離れたら一斉に口から吐き出す腐食液でHPを持っていかれる。近距離でツルを使った攻撃を誘発させて避け続けるのが一番よさそうだ。

 

 ただし、花つきだけは別だ。

 

「らあッ!」

 

 ディアベルに協力を取り付けるにあたって、花つきがドロップする胚珠を条件にした。それは俺達が花つきを倒して胚珠を持っていることが前提にある。たとえ俺が撃ち漏らして、ディアベルが仕留めたとしても、人の良さそうな片手剣使いは「ありがとう」と返すだろうが、あの男を完全に信じたわけではないので、何としても俺達が二つ確保しなければならない。ディアベルが高潔だからといって、他のパーティメンバーまでそうだとは限らない。

 

 槍使いが絶対に踏み込まない距離に入り込んで、チクチクと削っていく。常に目を配って、ツルが届きそうにない場所を見つけては飛び込んで、槍を振るう。

 

 何度かそれを繰り返し、ようやく花つきを倒した瞬間、ガラスが砕けるような音が二つ聞こえた。どうやら実を割らずに倒せたらしい。後は今まで通り、蹴散らすだけだ。逃げに徹していた姿勢を反転、牙を向いたように猛攻を仕掛け、あっという間に残った四体をポリゴンに変えた。

 

 ドロップした胚珠をストレージに入れて、ディアベル達のフォローに入る。一人でネペントを相手取るディアベルに対して、他の三人は全員で囲んで一体を相手にしていた。どうやらβテスターじゃないらしい。よくもまぁここまで連れてこれる気になったな、と思いつつ彼らを追い抜いて奥にいたネペントを倒す事にした。キリトが俺よりも先の方へつ込んで暴れており、コペルはディアベルの仲間をサポートしつつ後ろに気を配っていた。

 

 この調子なら大丈夫そうだな。思ってたよりも集まってきた数が少ない。気を抜かなければなんとかなりそうだ。

 早速一体倒した俺は、次の獲物を狩るべく槍を振るった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 無事《アニールブレード》を二振り(・・・)獲得した俺達はディアベルから報酬の胚珠を貰って宿で一泊した。かなり濃い初日だったと思いながら、あくびをかみ殺す。

 

「おはよう、二人とも。くあぁ……」

「おう」

「おはよう、アイン」

「ログアウトボタンあったか?」

「いや、無かった」

 

 一晩経てば変化があるかと思ったが、やっぱり無かったらしい。現実世界の方で何かあるかなーと期待していたんだが……まぁいじくりまわして俺達全員が死んじまったら本末転倒だし、仕方ないか。

 ということはSAOがデスゲームと化したのは本当って事だな。詩乃、どうしてっかな……。

 

「キリト、何か目が赤いぞ? 泣いた?」

「うるせぇ。だいたい、アバターの目が泣いて赤くなるとか無いって」

「ということは泣いたのは認めるわけだ。二日目だってのにホームシックか? 可愛いとこあんじゃねえか」

「……悪いかよ」

「全然、俺も泣いたよ。生まれて初めて大泣きした」

「そっか……」

 

 アバターは脳からダイレクトに信号を受け取って動いている。脊髄を経由して信号を発する現実の身体とは違って、直接信号を受信する為、実は現実の身体よりも素早く動けている。身体とアバターでズレがでてはいけないのである程度の補正はかかっているが、それでも0にはできない。

 その影響は他にも色々とある。はっきりと分かりやすいのが“泣く”ことだ。普通ならじーんと来た時ある程度は我慢できる。学校の卒業式、大切な何かを失くした時、手に入れた時など様々な場面で泣くことがあるだろう。SAOは勿論、VRワールドでは我慢が効かない。“泣く”ことで言うなら、自分の気が済むまでひたすら泣き続ける。キリトも俺も、溜まってたものを吐き出したんだ。

 

「コペルはどうだ?」

「ぼ、僕? ………ちょっとだけ。それより、よかったの?」

「何が?」

「《アニールブレード》だよ。今からでもクエスト起こして胚珠だけ渡して来なよ」

 

 ディアベルとの共闘で一度は諦めた胚珠だったが、協力する条件にしたのでどちらにせよ俺達の手元に残ることは無いはずだった。

 だったんだが、驚くことに割れた実の臭いで寄って来たネペントに花つきが三体混じっていたのだ。ここ数カ月の幸運をここで使いきってしまった気分になったが、得をしたことには変わりないので満足感で不安を誤魔化した。

 

 というわけで、手元には四個の胚珠。内二つはキリトとコペルの《アニールブレード》に変わり、一個は売却して割り勘、残った一個も売却して全額俺の財布に入ってきた。たったの一晩で一文無しから復活できたので、今の俺は機嫌がイイ。

 

「ああー、いいのいいの。元から売るつもりだったから。まぁアニールブレードの方が売価高いならそうしたけど」

「片手剣スキルはどうすんだ?」

「もうちょい先になってから考えるって言ったろ。片手剣の前にとらなきゃいけないスキルはまだまだあるんだし。武器なら《短剣》が先だ」

「スキルは個人の自由だからね、僕らからうるさくは言えないよ」

「まあそうだけど……いいや、メンドクサイ。アインのやつ頑固なんだよなぁ」

「分かるよ、その気持ち」

 

 おい、なんだその“被害者の会”みたいな口調は!?

 

 コホン。気を取り直して……。

 

「さて、この後はどうする?」

「約束だからな、アニールブレードみたいな槍が貰えるクエスト手伝うって」

「あーそうだったな。頼む。コペルは?」

「是非ご一緒に……って言いたいんだけど、ディアベルからレベルが安定するまでパーティに入ってくれって頼まれててね。βテスター一人じゃあの人数は危ないだろうし、ついて行こうかと思う」

「てことはしばらくお別れってことか」

「うん。そうなるね」

 

 ぴくっと動くキリトを視界に収めつつもスルー。声をかけるべきか迷ったが、少なくともコペルの前で話す必要はないと判断して話を進めた。

 

「それだけレベルがあればとりあえずソロでもなんとかなるだろ。新米ども磨いて、ボス攻略会議には絶対来いよ」

「約束する。彼らを立派な《攻略組》にしてみせるよ」

「《攻略組》?」

「今はそうでもないけど、上の層に上がるにつれてはっきりと分かれるはずだよ。《はじまりの街》でクリアと救助を待つ人達と、クリアを目指して剣を握った人と。きっとその剣を握った人達の中でもレベル差が出てくる。常に最前線で戦い続けて危険を顧みずに全百層攻略を目指す人達と、安全確実にレベルを積み重ねる堅実な人達にね。だったら、攻略をし続ける人達を《攻略組》と呼ぶのは普通じゃない?」

「文字にしたらゲシュタルト崩壊を起こしそうだな。でもまぁ《攻略組》か。悪くないな、それ」

「でしょ? というわけで、僕らは攻略組を目指す。多分、先に迷宮区に入るのは僕らになるだろうから、待ってるよ」

「おお、先に行ってろ。前に人がいた方が追い抜く楽しみがあっていい」

「こんな世界になっても君は相変わらずだね。じゃあ行くよ、また会おう、アイン、キリト」

 

 堅いパンと不味いジュースを飲みほしたコペルは勢いよくコップを机に叩きつけて、さっさと宿を出て行った。

 

 ………。

 

「おいこらキリト、いつまでもおちこんでんじゃねえ」

「………」

「ん?」

「おし!」

 

 コペルに負けず劣らず勢いよく立ちあがったキリトはウンと背伸びをして身体をほぐした。ウジウジしていたとは思えない爽やかさだ。……吹っ切れたかな。

 

「俺達も行くぞ」

「やる気だな」

「昨日思ったんだよ、ネペントの群れに囲まれた時に。死ぬかもしれないギリギリの状況だったのに……見えた。俺は、もっと先に行きたい。コペルが言った攻略組とかよりも、ずっと奥深くに」

「………そうか」

 

 キリトはキリトなりに、SAOに対する理解を深めて、認めたのかもしれない。俺には分からないが、それでいい。

 

(呑まれるなよ)

 

 こいつが覗いたのは、暗く冷たい物だ。他者には理解できない黒いモノだ。俺はそれを知っている。中毒者はそんなもんだよ。だから、止められない。出来るのは祈ることだけ。ソレは最悪、人間を壊すモノだ。

 

 まあでも、キリトなら大丈夫だろ。

 

「んじゃ、出るか。道案内よろしく」

「おう」

 

 ゆったりと立ち上がって、俺達は宿を出た。

 

 

 

 

 

 

 アイン Lv5

 キリト Lv5

 

 俺達は着々と攻略組への階段を歩んでいる。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

phase 5 妖精

 

 キリトが俺にプレゼントしてくれる槍は《アイアンスピア》。かなり安直なネーミングだが、序盤なんてこんなものだろう。クエストは引き続き《ホルンカ》で受けられるそうなので、移動の手間が省けて助かる

 

 でも、なんでだろう。すごく嫌な予感がする。

 

「ほれ、あそこ見てみ」

「ん……あれは、武器屋じゃん」

「そう、昨日挑戦したクエスト《森の秘薬》っていうんだけどな、それをクリアして尚且つ槍を装備したプレイヤーがパーティにいると発生するんだ」

「よく見つけたなー、それ」

「βテストの時は臨時でパーティ組んでたんだけど、面子の中に槍使いがいたんだよ」

「あー」

 

 至って普通の理由だな、それ。

 

 クエストランプが武器屋のおっちゃんの頭上でクルクル回っている。槍使いがキーになってるなら、俺が話しかけないといけないんだろう。でもなんて言えばいいんだ? ………定型文でいいか。

 

「すいませーん」

「……ん、おお! 旅のお方じゃあねえですか! 聞きましたぜ、アガサちゃんの病気を治す為に森の魔物を倒したそうで!」

「アガサ?」

「ほら、病気にかかっていた女の子だよ。奥の部屋にいただろ?」

「あー、あの子か」

「ここは一つ、俺のお願いも聞いてくれやしませんか?」

「ええ、なんでしょう?」

「助かりますぜ! ここ最近の出来事なんですがね―――」

 

 おっちゃんが懇意にしている鍛冶職人がいるらしいが、大量の発注がいきなり来て大忙しで、寝る間も惜しんで鉄を打ってるらしい。ただ、締め切りが近付いているにも関わらず素材が底をついてしまったそうだ。自分で採りに行ければいいが、必要としている素材は魔物が溢れる森の奥深く。とても鍛冶職人も武器屋のおっちゃんでも行けそうにない。仕方ないので自分で行くことを諦めた鍛冶職人は変わりに行ってくれる人を探している………。

 

 というわけで、もう一度西の森まで行って、奥深くに存在するであろう素材を採集して戻ってくるクエストだ。

 

 嫌な予感の正体はこれだったか。またしてもあの《リトルネペント》を見なければならないのは憂鬱だが、これも鍛冶職人とおっちゃんの――もっと言えば俺自身の為。割り切って、クエストを受ける事にした。

 

「くそ、このクエストまでコペルとディアベル達に手伝ってもらえばよかった……」

「これはそこまで難しいクエストじゃないから大丈夫だって。素材は楽に手に入るし、アニールブレード持ちがいる前提だから」

「はぁ………さっさと終わらせようぜ。今日中に迷宮区前の街に移動したい」

「そうだな」

 

 武器屋を後にして、またしても西へ進路をとる。たった一往復しかしたことのない道だが、何度も通ったような錯覚を感じる。出来れば二度とレアドロップを探すクエストは受けたくない……。リアルラックは最悪だからな。

 

 あくびをしながら最低限の整備がされた道を歩く。身体をほぐす様に首を傾けたり、腕を伸ばしたりする。実際に筋肉があるわけじゃないから気持ちよくないし、準備運動不足でおきる怪我をするわけでもないから、本来の意味は無い。ただ、つい昨日までは起きるたびにこうして筋を伸ばしていた――習慣なんだ。たったの一日二日じゃ変えられそうもない。

 

 そう、まだ一晩明けただけなんだよな……。詩乃、どうしてっかな……。ナーヴギア外さなきゃいいけど。

 

「お」

「ん?」

「敵だ」

「……ああ、ただのザコか」

「一日で5もレベル上がったから苦労はしないだろうけど、死ぬんだからな」

「分かってるって」

 

 現れたのはおなじみの青イノシシ。名前は……いいや、メンドクサイ。βテストからダメージを貰ったことのない相手だ、ザコと言って差し支えない。レベルもこいつ相手なら安全圏だ。

 

 事実、俺達はソードスキル一撃で屠った。

 

「素材アイテムのドロップは嬉しいけど、経験値とコルは寂しすぎるよな」

「仕方ないさ。フィールドは元々稼ぎに向いてない。パーティ組んでたら尚更」

「やっぱ最前線だ」

「そう簡単に潜れなくなっちまったけどな」

「なぁに、レベルを上げればいいんだよ。装備が整ってたら尚良し」

「そんなの、どこのダンジョンでも言える事だろ」

 

 バカみたいな話、俺はスリルを求める癖がある。料理に合いそうにない調味料を入れるものから、ヤバいやつは命が掛かるような危ないものまで、ピンキリだ。別に死にたがりではない。

 

 今の状況にスリルもクソも無いけど。まぁ、昨日の実つきが現れた時は中々楽しかった。……こんなの詩乃には言えない。

 

 こんな仕様になりはしたけど、ゲームであることに変わりは無いんだ。余裕があるうちに楽しんでおきたい。SAOほどゲームとして完成している作品は殆どない。手も込んでいるし、細かい。何より現実と大した区別がつかないほどリアルだ。良い意味でも悪い意味でも歴史に名を残すだろう。

 

 悪い意味――デスゲームか。まぁ、その程度(・・・・)だろ。

 

「行こうぜ。どうせ倒すなら強いMobの方がウマい」

「スキル上げにはなるだろ? わざわざ避けて通ったりなんてしないからな」

「おう」

 

 スキルの熟練度を上げるには、今の所一つの方法しかない。スキルに関連する動作をひたすら行う事だけ。《片手剣》なら片手剣を振り、《槍》なら槍を振る。《投擲》なら物を投げ、《盾》なら盾を使ったガードをする。《鍛冶》なら鉄を打ち、《料理》なら何度も飯を作ること。今後レアアイテムで、スキルポイントを幾らか上昇させる物が出てくることも考えられる。だが、そうなったとしても反復して行う方が得られるものは多いだろう。実戦は最たるものだ。

 βの頃は、レベルが低いMobと遭遇した場合はなるべく急所を避けるようにチクチク攻撃して、スキル上げを行っていた。強い奴と戦えばそれなりに長く戦うので、効率だけを見るなら悪いが、素振りよりはいくらかマシと思ってあくびしながら槍を振っていたっけ。

 

 キリトの《索敵》に引っかかる事もあったが、目の前に出てこない限りは無視して森へ急いだ。

 

 ……完璧にどうでもいいが、モンスターの事をMobと言うらしい。いままでモンスターと連呼していた自分がちょっぴり恥ずかしかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 つい数時間前まで実つきが寄せ集めたネペントを狩っていた場所を通り過ぎて、昨日よりも森の奥へ入って行く。やはりというか、現れたネペントはキモかったのでひたすら一撃でぶちのめす。

 

「オラァ! こっちくんな!」

「すっかり嫌いになりやがって……奥にはもっとデカイのいるんだぞー」

「すっごい聞きたくないこと聞いてしまったー!?」

 

 先に教えてくれてありがとうお陰で動揺せずに済んだよ。これで満足か?

 

 耐久値を完全回復させた槍は切れ味を取り戻し、スパスパとネペントの幹を切り裂いていく。俺は色々と言っているが、こいつらザコであることに変わりは無い。5レベルにもなっていれば、群れて囲まれない限りは初心者でもまず負けない。

 

 この程度、俺達ならノーダメージ。

 

「ふぅ……でも奥に行かなきゃクエストクリアできないわけだし、行くしかないか」

「なんでこいつらが嫌いなんだよ? もっと気持ち悪い奴らはいくらでもいるじゃないか」

「なんとなく」

「………」

 

 もう見たくないね。植物系は全部こいつらのせいで嫌いになりそうだ。

 

 クエストをこなしているわけじゃないから敵を探す必要も選ぶ必要も無い。道を外れることなく真っすぐ奥へと進んだ。景色は相変わらず、生息している植物も変化なし。どこからがキリトが言う奥になるのか区別がつかないが、肌で何かが変わったのを感じた。

 

 早速木陰から大きな影がぬっと出てきた。

 

 リトルネペントよりも更に一回り大きな植物系Mob。大きな口、垂れるよだれ、倍に増えたツル。名前は……《ラージネペント》。

 

 本当に出てきやがった……。言った傍からこれかよ。

 

「でかいだろ?」

「デカイな」

 

 ったく、自分よりデカイと見上げなくちゃいけないから嫌いなんだよな。見下された気分になる。偉そうにしているだけのカスに負けたように見られてイライラする。ガキだからって舐めて掛かる奴が後を絶たない。いつもいつもカモを見つけた詐欺師みたいにニヤニヤしやがる。返り討ちにしてやったけどさ。

 

 ………あー、嫌なこと思いだしてきた。

 

「八つ当たり確定」

「は?」

 

 突進単発技《スパーク》で現れたネペントを一突き、一撃で倒す事が出来た。どうやら小さいネペント同様に、こいつらも幹にあたる胴体部分が弱点らしい。それさえ分かれば十分だ。狩りつくしてやる。

 

「右半分は任せた。俺は左半分を斬る」

「ここはさっきまでの森に比べて木が大きいし、木の間隔が狭い。長物には不利な場所だから気をつけろよ」

「おう」

 

 言われてみればそんな気がしなくもない。気のせいで済む程度だが、一度クエストを受けたキリトを信じて《リア・サイズ》の様に振り回す技や行動は控えよう。でもまぁ、見たところ実つきに相当するタイプはいないみたいだから、縦に振るのは構わないよな? キリトも《バーチカル》を使ったりしてるし。

 

 よし、やるか。

 

 

 

 

 

 

「これがクエストアイテム?」

「ああ。《ラージネペントの蔦》だ。あともう一つ、《薬草の雫》がそれなりに必要になる」

「でもこれ、普通の生産系アイテムだぞ?」

「だから言ったろ? 簡単だって」

 

 ……確かに、クエストの受注に関係なく、倒せば手に入れられるアイテムを一定数集めるだけなら簡単だ。俺はてっきり昨日の胚珠を探すよりは楽、って意味だと思ってた。

 

「もう一個の方は?」

「奥にある湖の水を《薬草》で掬うだけ。そうすれば《薬草の雫》ってアイテムに変わる」

「ホント……楽だなぁ」

 

 拍子抜けだよ、まったく。これだけで非買の武器が手に入るんだから。《アニールブレード》を手に入れる為に頑張ったプレイヤーに申し訳ないぐらいだ。

 ……いや、でも槍使いにとってはこっちが本命なんだよな。どっちが楽とかメンドクサイとか、上手く言えなくなる。

 

 いいや、俺にとって楽に手に入るんだからそれで。

 

「どれだけ要るんだ?」

「100個ずつ」

「…………ほう?」

「入手難易度が低い代わりに、手間がかかるんだよ」

 

 《ラージネペントの蔦》は一体あたり、2~4個手に入る。倒した敵全てが最大数ドロップしてくれたとしても、後25体倒さなければいけない。実際にはそんなことはありえないので50体は狩る必要がある。

 《薬草の雫》も100個って事は、100個の《薬草》を手に入れて、100回《薬草》で湖の水を掬わなくちゃいけない。

 

「なんて作業くさいんだ……地味すぎる」

「ソロよりマシだろ? 俺も手伝うから、さっさと済ませようぜ」

「……ああ」

 

 なんてメンドクサイ……愚痴ってもアイテムが集まるわけでもないし、奥の湖を目指しながら狩りまくるしかない、か。

 

 アイテムストレージをクルクルと指先で回して遊んでいた俺はふと気付いた。

 

 《薬草》ってなんだ?

 

 やったことは無いが、日本ではゲーム黎明期から続く国民的なゲームが幾つか存在し、その中のとあるRPGにおいて、「やくそう」はとてもお世話になる回復アイテムらしい。某龍の冒険だったり、某小さなモンスターを使役して世界を廻ったり、自分の何十倍も大きなモンスターを狩るハンターだったり。ゲームをやったことのある人なら一度は聞いたことがあるはずだ。

 だから違和感を持たなかった。だが、SAOでの回復は基本《ポーション》系の薬品を使う。ファイナルなんたらの様に緑色のドリンクの事だ。MP、TPのようなゲージは存在しないので用途はほぼ回復一択。解毒においても《ポーション》が一般的。NPCのショップにもあれば、ダンジョンの宝箱、Mobのドロップが主だ。生産系スキル《錬金》で材料から作り出すなどの方法もあるが、《薬草》というアイテムを使うなんて聞いたことがない。

 葉っぱ系のアイテム全般が《薬草》なのか? それとも、俺が知らないだけで実は存在していて、使用者が極端に少ないとか?

 

「キリト、《薬草》ってなんだ?」

 

 わからないので聞くことにした。わりと大事なことかもしれない。

 

「あーっとな、湖につけば分かるよ。だから、先にドロップアイテムを集めよう」

「釈然としねえけど……そうしよう。狩りは得意だ」

「大好きの間違いなんじゃないか?」

「まさか。嫌いだよ、得意なだけだ」

「どう違うんだ、それ……」

「そうだな……例を挙げて見よう。冗談半分に「ばーか」とか「死ねッ!」って言うのと、銃やナイフを突き付けながら「死ねッ!」って言うのは別だろ?」

「まぁ、確かに。生卵とゆで卵みたいなもんか」

「それは違うと思う……」

 

 話が逸れたが、着けば教えてくれるとのこと。とにかく今は《ラージネペントの蔦》を100個集める事に集中しよう。結構簡単に手に入るっぽいし、苦労はしないはず。さっき倒した分を差し引いて……残り72個か。頑張ろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これで100個か、直ぐに集まったな。まだ30分しか経ってないぜ」

「さっきの群れで結構稼げた。後は《薬草の雫》だけだ」

「湖まで案内頼む」

「ああ」

 

 あっ……と言う間に100個回収しました。最初聞いた時はメンドクセェーって思ったけど、割と直ぐだったな。これならソロでも一時間かからずに集められる。後から受けに来るであろうプレイヤーの為に情報提供でもしようかな? 稼げそうな予感。

 

 ………止めた、向かないし、そういうのは鼠の仕事だ。

 

「どうしたんだよ?」

「稼げそうな方法を思いついたけどやっぱ止めた」

「ふうん。…………お、あれだ。着いたぞ」

「どれどれ」

 

 キリトが指さす先には大きな池――もとい湖が木々の隙間から見えた。開けた場所なので太陽の日差しも入ってくるし、Mobもここら一帯には見当たらない。対岸や草の陰にはウサギとかリスもいて、高価な絵みたいな風景だ。テント張ってBBQとかイイかもしれない。すっげぇ台無しの予感。

 

 どこを見ても綺麗だが、俺の目を奪ったのは小人サイズの可愛い生物だった。

 

「……妖精?」

「ああ、ここは《妖精の溜まり場(フェアリー・スポット)》だよ」

「てことは……もしかして、これって《妖精の試練(フェアリー・クエスト)》!?」

「その通り。俺が知っている中じゃ一番簡単な奴だ。βには《アニールブレード》は要らないけど、この《妖精の試練》の為に昨日の《森の秘薬》クエストを受けたヤツがいるくらいさ」

「まさか一層にあるとはなぁ……」

 

 アインクラッドには様々な種族が生活している。上の層にはエルフ、ゴブリン、ドワーフ、龍人、魚人などなど、後半は想像だがそんな奴らがいる。その中には妖精も含まれる。妖精は俺達プレイヤーにとって非常に頼りになる友好的な種族だ。

 

 俺が思い浮かべる妖精と言えば、西洋の昔話に登場するような悪戯ばかりする妖精と、羽根を生やして飛び回る優雅で可愛い妖精の二種類。SAOでは後者がこの100層のどこかで暮らしている。

 彼女達の住処である《妖精の溜まり場》を見つけるのは非常に困難とされ、クエストとは全く関係のない山奥にあったり、逆に幾つものクエストを順番に受けた上である特定の場所に特定の時間訪れるなど、難易度と条件は様々だ。

 しかも見つけただけでは妖精の協力、恩恵、応援を受ける事はできない場合が殆どで、そこで更にクエストを受ける必要がある。勿論、そのクエストも通常とは比較にならないほど難しい。

 

 βで俺が発見、挑戦した《妖精の試練》は2つ。六層と十層だった。だが、コペルに聞けば五層と六層だと言われた。同じように、三層で受けたというプレイヤーもいれば、八層と十層で受けたというプレイヤーもいる。

 このことから、通説は――

① 各個人によって受けられるものと受けられないものが存在する。

② 全ての層に存在し、誰でも受けられる。

 ――の二つ。だが、発見するのは偶然なので発生条件を確定させるのは不可能。故にどちらが正しいのか、もしくはどちらも間違っているのか、βテスト終了まで判断をつけられなかった。

 今の状況を見れば②が正しいと思うだろうが、偶然にも俺とキリトはこの一層の《妖精の試練》を受けられるプレイヤーだったと考える事も出来る。ある程度進んだら、協力者を募って試してみるのもいいかもしれない。

 

 このとおり、かなりの難易度を誇るが、その分得られるものも大きい。ワンオフのレアアイテムだったり、その層では絶対に手に入れる事の出来ない上層のレアアイテムだったり、情報だったり、スキルだったり……。要するに、凄い見返りがあるって事だ。俺が手に入れたのは転移結晶10個と、十五層相当の槍だったっけ。

 

 この異常なまでの難易度と、ゲームバランスがひっくり返りそうなほどの報酬を得られることから、βの頃は《妖精の試練(フェアリー・クエスト)》と呼ばれるようになった。勿論、公式にはこのクエストのことを書かれた記事は存在しない。

 

「この《妖精の溜まり場》は先に《森の秘薬》クエストをクリアしないと発生しない仕組みになっている。ゲームを始めたばかりのこの時期、《森の秘薬》クエストだけでもかなりの難易度だろ? 一層って事も含めて考えれば、ここはやっぱ《妖精の溜まり場》だと俺は思う」

「なるほどなぁ……」

 

 夜行性の出現率低めMobからレアアイテムをドロップさせて尚且つ槍を装備してクエストを受ける。確かに序盤では難しい。

 

「んで、どうするんだ? 《薬草の雫》もそうだけど、《妖精の試練》も受けるんだろ?」

「ああ。ただ、ここに限っては《妖精の試練》は無い。これもやっぱり一層だから、だろうな。何も苦労せずに妖精からレアアイテムを貰えるはずだ」

「マジかよ……すげえな! 早速貰おうぜ!」

 

 知らずに走りだした俺は湖の岸で止まって、飛びまわる妖精に声をかけた。返してくれたのは金髪で長い耳の美女系妖精。ぐらまー。

 

「あら? 珍しいわね、人間なんて」

「そうなのか?」

「ええ。昔はそうでもなかったんだけど、いまじゃ周りの森には魔物が住みついてしまったから、誰も来なくなったし、私達も容易に出られなくなったの」

「? 飛べばいいじゃないか」

「高く飛びすぎると、風に飛ばされてしまうの」

 

 あー、そうだよな。小さいから軽いんだな。可哀想に……。

 

「こっそり森を通らないのか?」

「森の中を通ろうとすれば、蔦を振り回すおぞましい植物達に巣まで連れていかれてしまうわ。そのあとは死んだ方がマシと思えるような辱めを受けるって言われているの」

 

 辱め……蔦で、妖精にあんなことやこんなことを……。

 

「変態」

「うぐっ……すまん」

「あはははは! 冗談、冗談よ」

「は?」

「アイン、妖精は自分達の住む場所から離れると死んでしまうんだ」

「あら、そっちの可愛い顔した坊やはよく知っているのね。坊やの言うとおり、私達は住処――私で言うと、ここの湖から離れると生きていけない。ある場所にしか存在しない植物が出す匂いや蜜、呼吸で生まれた空気に満たされた空間じゃないと直ぐに消えてしまう、それが妖精よ」

「そう、なのか」

 

 生まれた場所で一生を過ごさなければならない、か。どれだけ嫌なことがあっても、外に憧れても、離れられない。その気持ちは凄くわかる。だからこそ、今度は本気で思った。

 

「……悲しいな」

 

 この言葉には、キリトも妖精も黙ったままだった。

 

「……そうでもないわ。こうして偶に訪れる人間がいるもの」

「まあ、アンタらがそう言うなら、いいんだけどさ。寂しくないのか?」

「……じゃあ、坊や達の色んな話を聞かせてくれない?」

「なんだ、そんなことでいいならいくらでも話してやるぞ。まぁ、流石に丸一日は無理だけど……いいだろキリト」

「そうだな。少しだけ、な」

「じゃあ、まずは何を話そうか―――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《ホルンカ》に戻ったのは、空が真っ赤になる頃だった。ついつい話が盛り上がって話し込んでしまった。話題はもっぱらSAOの事だけ、それでも時間を忘れるぐらい楽しかった。あの妖精にはまた会いに行きたいもんだ。

 

 肝心のクエストもしっかりと終え、無事に《アイアンスピア》を手に入れた。切れ味、威力共に申し分無し、ぐっと戦闘が楽になる。ゆっくりと重さに慣れていこう。

 

 そして俺達が妖精から貰ったレアアイテム。

 

「これが……ねぇ」

「いかにもって感じの果物だな」

「キリト、お前知ってたんじゃないのか?」

「知ってたさ。だけど、ここまで禍々しい雰囲気を出してはいなかった」

 

 それは一風変わった果物だった。大きさはリンゴぐらい、ただし、色は形容しがたいほどどす黒く、正直食べたいとは思わない。あの妖精がコレを渡してきた時は流石に動揺した。要らない、なんて言えるわけも無いので頂いてきたが、本当にこれ大丈夫なんだろうな?

 

「んで、食ったらどうなるんだ?」

「スキルポイントが100手に入る」

「ハァ!? 100!?」

「そ、凄ぇだろ?」

「凄過ぎだろ! ………大事にしよう」

 

 あるかもしれないなー、ぐらいに思ってはいたけど、まさか本当に存在するなんてな。しかも開始二日目にゲット。βならこの凄さがきっと伝わるはず。

 

 各スキルの上限は1000。この果物――《黒リンゴ》を使って手に入るスキルポイントは100。つまり、コレを食べるだけで十分の一は苦労せずに稼ぐことが出来る。ただし、こんな序盤では使い様が無いし、よく知らない奴からすれば希少価値すら理解できないかもしれない。

 

 実にいやらしいな。

 

「さて、どうするキリト?」

「行こう。迷宮区に少しでも近づきたい」

「だな」

 

 これが現実なら、世話になった人に挨拶して回るが、時間が無いしきっと覚えていない。NPCだらけだった《ホルンカ》も、今では戦う決心をしたプレイヤーで賑わっている。攻略に踏み切ったプレイヤーが増えた証だが、言いかえれば先を進むプレイヤーに遅れていることにもなる。レベルで負けているとは思えないが、迷宮区から遠く離れている現状は焦りが出る。

 

 攻略したい。先へ行きたい。他人の背中なんざ見たくない。

 

 俺達はいつの間にかそう考えていた。

 

 ゲームに染まりつつあるのか、それともゲームに抗い始めているのか。始まったばかりの今、俺には分からなかった。

 

 死なない。生きて帰る。それだけでいい。

 

 それはきっと、一万人全員に言えることだろうな。

 




 なぜこんな展開になったのやら……
 アニメ始まったし、はやくGGOに入りたいな


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

phase 6 出会い/嘆きと希望

 ゲシュタルト崩壊注意。やりすぎたかもなぁ。


 

 第一層迷宮区はβの時と変化は見られなかったので、安心して探索が進んだ。薄れかけた記憶を頼りに、経験値効率のいい場所をハシゴしながら、ボス部屋を目指していた。まだ発見されていない宝箱は遠慮無くイタダキマス。ここ数日潜っているが、プレイヤーとすれ違うことも殆ど無く、宝箱や未解除のトラップの数からして俺達が迷宮区を攻略している気分になる。

 

 レベルはガンガン上がり続けて、今ではもうここのMob相手に危機感を感じなくなりつつある。スキルも順調だ。全プレイヤー中……とまでは言わないが、かなりの上位に位置しているはず。まぁ、始まって数週間でトップもクソも無いが。

 

 そう、もうこのゲームが始まってかなりの時間が経つ。少なくとも、全プレイヤーが外部からの救出を諦めて自力でクリアするしかないと腹を括る程度には。そろそろ一ヶ月目に突入した今、第一層迷宮区(・・・・・・)を攻略している。

 

 そう、SAOプレイヤーは、未だに第一層を踏破できていない。

 

 βテストでも第一層攻略には少々時間がかかったことは確かだ。正式サービスの様に先導してくれるプレイヤーは居なかった為、全てが手探りで、最初の一週間はヘルプウインドウが手放せなかった。だが、それでも十二日目には第二層へと足を踏み入れていた。

 

 負ければ――HPを全て失えば死ぬ。そのルールが大半のプレイヤーの脚を竦ませている。にも関わらず、今日も誰かが命を落としているだろう。

 

 聞けば外周部から飛び降りたり、本当に自殺したりと様々な方法でログアウトできないか試した集団があったらしい。だからどうした。ログアウトに成功したのか、それともナーヴギアに脳を焼かれて死んだのか、ゲームに潜りっぱなしの俺達には分かりっこないんだ。やるだけ無駄。

 

 俺達はゲームを……アインクラッドを百層まで昇り詰めるしかないんだ。

 

 生きて現実へ帰るには……詩乃へもう一度会う為には、それしかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 午後四時を過ぎた。

 

「なぁ、アイン。そろそろ戻らないか?」

「もう少し先に安全エリアがあった筈……そこまで行こうぜ」

「うーん、分かった」

 

 キリトの提案を断って先へ進む。中途半端にマップを作製するのはキリが悪くて嫌だし、少しでも先へ進んでおきたい。マップデータは情報やに売れば金になる。まだ職業が定まらない時期だが、βの頃から名の売れた鼠は既に動き出しているはず。それに、ダンジョン内の安全エリアの存在はとても重要だ。あるのと無いのでは大違いだ。ここまでくれば休憩できる、と分かっているのは次からの探索で精神的に大きな助けになる。

 

 もう少し先まで行けば、か。これが通用するのは十層……いや、迷宮区を踏破できたのは九層までだっけ。何とかしてそれまでに他プレイヤーを大きく差を広げておきたいところだ。

 

 と言っても、まだまだ先の話か。一層でこんなに時間が掛かってるようじゃ、クリアなんて夢だな、夢。一刻も早く全員が慣れることを祈ろう。

 

「ストップ」

 

 キリトは急に立ち止り、じーっと先を睨んだ。

 

「ザコでもいたのか?」

「いるっぽいな。先客もいる。一人だ」

「こんな奥に一人で来るやつがいるのか……誰だろう?」

「さあな。どうせだ、ちょっと見て行こうぜ」

「……ちょっとだけだぞ」

 

 まーた人見知りしやがって。協力ナシじゃこの先進めないぜ、たとえソロであってもな。ここまで来ているんだ。相当な実力者に違いない。今のうちに仲良くなっておけば後々イイことがあるはず。増やしやすい今の時期に、なるべくフレンドを確保しておきたい。鍛冶師、商人、情報屋、この三つの職業のフレンドがいれば大分楽が出来る。欲を言えば料理人、仕立屋も欲しいな。フレンド同士なら腹の探り合いもしなくて済むし、お友達価格ということで割安で利用できる。

 

 俺はそうでもないが、キリトは苦労しそうだな。

 

「……あれか」

 

 歩くと見えたのは、ソードスキルの光りだった。彗星の様な一直線の水色は暗い迷宮ではよく見える。ずっと突いてばかりだな……細剣(レイピア)使いか? もしくは俺と同じ槍使いか。何にせよ、的確に何度も弱点を突く技量は称賛に値する。

 

 もっと近づいてみる。戦っていたプレイヤーは赤いフードを目深にかぶってひたすら突いていた。武器は細剣。同業者じゃないと分かってちょっぴり残念な気持ちもするが、細剣使いを見れて良かったとも思った。

 突きは難しい。斬撃は“線”の攻撃で、広範囲をカバーできる。切断だってできるし、相手の武器攻撃を武器で防御する・弾く……《武器防御(パリング)》も成功しやすい。対する突きは“点”の攻撃で、貫通力は非常に高いが命中しづらい。相手の面積が大きければいい。だが、もし小さい敵だったら、或いは有効なダメージを与えられる個所が狭ければ、当てるのは格段に難しくなる。刺突剣(エストック)と違って細剣は斬ることもできるが、やはり突く武器なので威力は低めだし、斬ってばかりだとあっという間に武器の耐久値が底をついて砕けてしまう。そもそも斬るのなら片手剣を使えという話だ。細剣は面白い武器ではあるが、扱いが若干難しい為最初から使おうとは思われない。慣熟にはポピュラーな武器よりも時間が掛かる。

 

 だが、目の前の赤フードはそんな未熟さを感じさせなかった。最初からそこに剣が刺さる事が決まっていたかのように、サクサクと刺さっていく。まさに百発百中。回避に危うさがあるが、過激な攻めで何とか押し切っている。

 

「なんつーか、危なっかしいな」

「ああ。それに――」

 

 細剣に光がともる。あれは単発技《リニアー》だったか? 多分そうだ。高速で敵を貫く《リニアー》を何度も連発してガンガン攻めまくっている。今も残りわずかなHPを残したMobを一突きして倒した。

 

「――下手だ」

「バッサリ言うなあ、お前」

「誰が下手って?」

 

 聞かれてたらしい。赤フードは鞘に剣を収めてこっちへ寄って来た。フラフラで息も荒い。長い時間潜っているみたいだ。

 離れていてよく見えなかった姿がはっきりと目に映る。赤いフード付きのケープを羽織っていて、全体的に細い。身長は……キリトより少し低いぐらいかな? 少なくとも同年代か。顔は結構可愛くて、髪も綺麗な栗色。モテているに違いない。

 

 ってこいつ……。

 

「女か?」

「え、マジ?」

「悪い?」

「別に。ちょっと驚いただけだ」

 

 SAOに居るのはその殆どがゲーム中毒者だ。βで無い限り、発売される数日前からずっと並ぶような奴らばかりなんだ。同年代でしかも女子ってのは結構レアだと思う。しかも美人はさらにレアだ。

 

「それで、誰が下手ですって?」

「アンタ意外に誰がいるんだよ。俺達は戦って無いんだからな」

 

 おお、キリトの奴わりと喋るな。女子だからか? ナンパするようなやつだったのか……。

 

「……どうして?」

「明らかなオーバーキルじゃないか。それに、攻めてばかりだからカウンターに対処できなくてダメージをくらっているし、フットワークがウリの細剣の持ち味を殺してる」

「オーバーキル?」

「少ない残りHPに対して、与えるダメージが大きいって事だ。最後の一撃は《リニアー》を使わなくても普通の突きだけで倒せた。君なら急所を確実に攻撃できるだろうし――」

「それで?」

「それで? って……」

「倒せたんだからいいじゃない。何が悪いの?」

「今はよくても、馬鹿正直にソードスキルばかり使っていたらいつか死ぬぞ。ソードスキルだけが攻撃の手段じゃないんだし、もっと考えて戦うべきだ」

 

 キリトが言っていることはどれも正論で、今では常識だ。この女は死に急ぐような印象を振りまいている。

 

「だから?」

「おいおい、こいつはアンタの為を思ってアドバイスしてるんだぞ。それはあんまりなんじゃないか? いきなり現れてこんなことを言う変な奴らだとは思うが、アンタはそれだけ危なっかしい戦い方をしているってことなんだぞ」

「いいじゃない、別に。どんな戦い方をしようと私の勝手よ」

「そうだけどさ……死ぬぞ?」

「いいわよ、死んでも」

「「は?」」

 

 何を言ってるんだこの女? 戦い過ぎで頭がイカレちまったのか?

 

「じゃ」

 

 言いたいことを言った細剣使いは奥へと進んでいった。フラフラと歩きながら。

 

 ………。

 

「死んでもいいって……」

「矛盾してるよな……」

 

 攻略するのは生きてゲームクリア、無事に現実へ生還する為にすることだ。その過程で何らかの事故が起きて死んでしまうのであって、女が言った「戦う中で死んでもいい」という考えは矛盾している。

 ………死にたがりだったりするのか? まさかな。ガキが何を言ってるのやら。

 

「……追うぞ」

「は?」

「今にも倒れそうだったじゃないか。あれじゃあ安全エリアに入る前に気絶して殺される」

「まあ行く先は同じみたいだし、反対はしないけどよ。………お前はああいうのがタイプなんだな。まあアイツは誰もが認める美少女って奴だったけど」

「まて、どうしてそうなる!?」

「どうしてって……だって口説く為に追うんだろ? 一目惚れしたんだろ?」

「馬鹿言うんじゃない! さっさと行くぞ!」

「はいはい」

 

 ちょっとからかっただけじゃないか……反論するんならまんざらでもない顔をするのは止めるこった。

 

 顔を真っ赤にしたキリトを駆け足で追った。

 

 

 

 

 

 

 ああは言ったが、俺は追う事に賛成でキリトとまったく同じ意見だ。そして、予想はいい意味で若干外れていて、結果的にあの女を追うのは正解と言えた。

 

 安全エリアで寝袋もなしに柱に寄りかかって眠りこんでいた。余程疲れていたのか、俺達が近づいたり、話していてもピクリとも動かず、起きる気配が全くない。

 

「んで、追っかけたのはいいがどうするんだ? まさか、起きるまでここで待つなんて言うんじゃないだろうな? お前の恋は精一杯応援してやるが、流石に攻略に支障が出るのは困る」

「だから違うっての!」

 

 こんな話を本人の前でしてるのに眉一つ動かない。……良かった、起きてたら今頃俺ら殺されているかもしれない。その時はキリトを捨てて逃げよう。

 

「……おぶって町まで行こう。この調子なら少し揺れたぐらいじゃ起きないだろうし、街に着く前には起きる。起きなかったら起こす」

「どう楽観視しても俺達は犯罪者扱い確定なんだが……」

「じゃあどうするんだよ」

「俺が聞いてるんだ。責任は持てよ」

「………今叩き起こす?」

「結構鬼だな、お前」

 

 でもまぁ、おぶっていくよりはまだマシか。それでも俺達は恨まれそうだが。

 

 安全エリアと言っても、街中のように100%安全が保障されているわけじゃない。Mobが侵入不可能というだけであってダンジョンのど真ん中であることには変わりないからだ。寝袋やテントを使って寝たとしても安心して眠れるはずもない。余程図太い奴じゃ無い限り、精々三時間前後の仮眠が限界だな。それに人目も無いから、寝ている隙を他のプレイヤーに襲われるかもしれない。勝手に指を動かされてアイテムを奪われたり、装備を奪われたりされた事件も耳に挟む。HPだって減るんだからそれを利用して脅されることだってあるだろう。特に、女の場合はもっと危ない。麻痺毒で痺れさせてしまえば服を剥こうが身体になにをしようが好き放題される。

 

 さっきのオーバーキルの話もそうだが、MMOでの常識が欠けているあたり、この女はゲーム自体初心者なんだろうな。何の因果でここに捕らわれたのやら。キリトが放っておけないのもなんとなくだがわかる。

 

「おい、起きろ」

「………」スヤァ

 

 イラッ

 

「お! き! ろーーーーーー!!」

「きゃっ!?」

 

 おうおう、可愛らしい声で鳴くじゃねえかよ、ぐへへ。………違う違う。

 

「え、あ、な、何よ……まだ何か用? 寝させてほしいんだけど?」

 

 うおお、すげえイライラしてらっしゃるぜ。さっきまでピクリともしなかった眉が極限まで吊りあがってる。視線だけで殺されそうだ。

 

 ちらりとキリトが俺を見た。そっぽを向いて知らないふりを通す。言っただろうが、責任は持てよ、って。お前が何とかしろ。頑張れ。

 

「え、えっとだな……」

「………」

「寝るなら街で寝ろ。ここは君が思っているより何倍も危険だ」

「モンスターなら此処まで来れないじゃない」

「敵はMobだけだと思うのか? 悪だくみをするプレイヤーがいるとは考えないのか?」

「……どういうこと?」

「自分は寝ている間意識も無くて身体も動かせないのに、他人は触れる事が出来る。って言えば分かるだろ?」

「……!? 変態!」

「まて! 何もしてないから! その気なら起こさないから!」

「やっぱりそういうことしようとしてたのね! こっち来ないでよ!」

「だーかーらー違うって言ってるだろ! 親切心を踏みにじるんじゃない! アイン、お前もなんとか言ってくれよ!」

「………はぁ」

 

 やっぱりこうなるのね……。

 

 

 

 

 

 

「ったく、災難だった……」

「お前が撒いた種だろうが。むしろそう言いたいのは俺だ」

「う……スマン」

「いいさ。見ていてとても面白かった」

「こ、こいつ……!」

 

 なんとか誤解を解いた(?)キリトは危険性や常識の数々を女に叩きこんだ挙句、最寄りの町まで連れ回して宿にブチ込んだ。人見知りのくせして、案外面倒見がいいのか? ……いや、クラインのことをまだ引きずってるんだろうな。だからβテスターとして初心者を放っておけなかったんだ。次こそは……って思っていたのかもしれない。

 

 連れ回し終盤は女も質問したりと、それなりに役には立ったみたいなので時間を潰した価値はあった。

 

 ……そう言えば、名前を聞いてなかったな。

 

「まいっか。近く会う事になるだろうさ」

「何が?」

「名前聞いてなかったなーって」

「ああ、そう言えば。アルゴに聞いてみれば?」

「流石に知らないだろう。普段からフードを目深にかぶってるんだ。ソロだったし」

「てかアルゴの居場所すら知らないや」

「その内ひょっこり現れるだろ。というか金使うほどの情報じゃあないな」

「それもそうだ」

 

 何でも知っているからこそできる芸当だよな、アレ。矢鱈滅多に請求してくるのはムカツクが。アバターが変わってもあの特徴的な喋り方は聞けば分かる。ボス前に探してみようかな……。

 

「腹減った。飯にしよう」

「だな。次はあそこのカレー屋いこうぜ」

「おう。どうせゲロマズだろうけどな」

 

 乱獲のおかげでコルに余裕が生まれた俺達の楽しみはズバリ食事だ。ゲームはおろか、本といった娯楽すらないこの世界では食事はかなり重要な事だ。あとは睡眠だな。風呂はナーヴギアでも完全に再現するのは難しいのでそこまで気持ちよくない。というか俺はあまり風呂が好きじゃないんだよ。

 

 あぁ、詩乃が作ったご飯が食べたい……。今頃どうしてるかな?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 コチ、コチ。

 

 時計の秒針が動く音がする。彼はいない。

 

 カチッ。

 

 時計の分針が動く音がする。彼はいない。

 

 ~~~~♪ ~~♪

 

 テレビからバラエティ番組の雑音(ノイズ)が家中に響く。彼はいない。

 

 アッハハッ。それでさー、

 

 外から子供達の笑い声がする。彼はいない。

 

 カラカラカラカラ。

 

 隣の家の風見鶏がクルクルと回っている。彼はいない。

 

 お腹が空いた、そろそろ夕飯を作らなきゃ。でも彼はいない。

 

 外が暗くなってきた、電気をつけなきゃ。でも彼はいない。

 

 冷え込んできた、暖房をつけなきゃ。でも彼はいない。

 

 そういえば宿題がでてたっけ、明日までに終わらせないと。でも彼はいない。

 

 昨日は夜遅くまで起きていたからお風呂に入っていないんだっけ。でも彼はいない。

 

 いない。いない。いない。どこにもいない。

 

 インターフォンを鳴らしたって、街中を走り回ったって、隣街にも行ったって、学校へ行ったって、スーパーに行ったって、私の家に居たって、彼の家に居たって、どれだけ探しても、声を上げても、叫んでも、泣いても、喚いても、駄々をこねても、走り回っても、テストでいい点数をとっても、クラスメイトと仲良くなれても、お母さんの具合が良くなっても、私がゲームできるようになっても。どれだけ祈っても、願っても、彼は今ここには居なくて、帰って来れるかもわからなくて、もしかしたら死んでしまうかもしれなくて……。

 

 死ぬ? 会えなくなる? 声を聞けなくなる? 手を握れなくなる?

 

「………やぁ」

 

 嫌だ。

 

 嫌だ。嫌だ。

 

 嫌だ。嫌だ。嫌だ。

 

 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダ!!!!!!!!!!!!!

 

「ユウ!」

 

 知らなかった。大切な人が傍に居ないことがこんなに辛いことだなんて。

 知らなかった。大切な人が遠くへ行ってしまうことの辛さ。

 

 知ってしまった。私がどれだけユウに依存していたのか。好きなのか。愛しているのか。

 

「…………っ」

 

 また。

 

「……っく。ううっ……」

 

 また私は泣くの?

 

「ユウ……」

 

 そう、泣くのね。

 

「会いたい……帰ってきて……」

 

 じゃあ私は……

 

「帰って来てよぉッ……!」

 

 いったい何時まで、どれだけ泣けばいいの?

 

 まだ私達はなにも乗り越えていなかった。そんな振りをしていただけだった。少なくとも私は、過去を払拭出来ていない。ユウがずっと守ってくれていた。

 支え合って、少しずつ傷を癒せるはずだった……。

 今までの時間は嘘じゃない、でも前に進んではいなかった。

 

 それだけのこと。

 今の私はありのままの、本当の私。とても弱い私。ユウだけが知っている、弱虫で泣き虫な詩乃。

 

 強くならなきゃ。そうしなくちゃいけない。でなきゃユウの隣に居られなくなる。何より弱いままの私は嫌だし、嫌い。

 

 でも、どうすればいいの? 学校へ行っても虐められるだけで、街を歩いても蔑まれるだけで、家に帰ってもお母さんは壊れてしまったままで、ユウは遠くへ行ってしまった。どう強くなればいいの?

 

 教えてよ。助けてよ。一緒に居てよ。それだけでいいの……。その為ならなんだって我慢するわ。

 

 ユウ。私もっと色んなこと一緒にしたい。たくさんお出かけしたいし、おいしいご飯を作ってあげたい。同じ高校へ行って、大学へ行って、毎日いつでも過ごしていたい。死ぬその瞬間まで一緒がいい。おはようからおやすみまで一秒でも離れたくない。処女をあげたい、結婚したい、子供が欲しい。いつまでもいつまでも幸せに過ごしていたい。

 

 病んでるとか、狂ってるとか、気持ち悪いとか、何をどれだけ言われたって構わない。この気持ちは本物で、この世界で誰よりもあなたを愛している自信がある。

 

 だから……

 

 だから……っ

 

 ユウ……!

 

「おや?」

 

 パチン。という音がした瞬間、真っ暗だった部屋が急に明るくなった。

 

 帰って来たんだ。家主……ユウの保護者が。

 

「随分とやつれてしまったね。それも仕方ない、か。悠は合カギを渡していたんだね」

「……菊岡さん」

「久しぶりだね、詩乃ちゃん」

 

 

 

 

 

 

 ユウのご両親は既に亡くなっている。だから保護者。ユウのご両親と仲の良かった菊岡さんが引き取って、ここへ引っ越してきたらしい。

 

 菊岡誠二郎。メガネをかけたサラリーマンのような人が、ユウの保護者。

 

 政府の役人で、それなりに偉い人らしい。いつも日本中を駆け回っていて、家に帰ってくることはあまりない。だから私が毎日通ってご飯を作ったりしていた。その為の合カギもユウから受け取っている。おかげでこうしてユウの家に居られる。まだ肌で感じていられる。

 

 SAOに捕らわれた人達は自力で脱出するしか生還する方法は無い、というのが国の回答。実際にナーヴギアを無理矢理外された人は死んでしまったそうなので、そう簡単に弄ることは不可能になってしまった。私も最初は取ろうと思ったけれど、もしかしたらと考えると手が動かなかった。

 となると問題になるのはSAOに捕らわれた人達の生命維持へと焦点がずれる。自分で飲み物も食べ物も摂れないし、トイレにだって行けない。尚且つ常にインターネットに接続していなければならない。諸々の条件を満たした場所を一万人分用意することが急務になった。今、日本全国の病院ではナーヴギアを被った患者が収容されている。

 その為の準備を迅速に行い、指揮を執ったのがこの菊岡さん。普段はニコニコしているだけの人が良さそうなおじさんだけど、いざという時は仕事をしっかりこなすしそれだけの権力も持っている様だ。

 

 ユウはここ、長野の病院にはおらず、東京まで運ばれた。勿論というか、設備の良い病院まで菊岡さんのコネで移されたのだ。

 お見舞いにも行けず、勝手に家に上がり込んで泣きじゃくる羽目になってしまったのはこの人のせいだと言えなくもない。どう考えても私の我儘なんだけれど……。

 

「最近どうなんだい? って聞くまでも無いか。時間はかかるだろうけれど、元気になりなよ。悠が帰ってきた時に悲しむよ?」

「……分かっては、います」

「うん、なら大丈夫だね」

 

 心から安心したような顔をして、菊岡さんはほほ笑んだ。

 

「どうして……」

「ん?」

「どうして笑っていられるんですか?」

 

 私はそれが気に入らない。

 

「ユウは今捕らわれていて、死んじゃうかもしれないのに。ユウだけじゃなくて、たくさんの人が同じ状況にいて、それは菊岡さんが一番分かっているはずでしょう? なのにニコニコして……」

「ムカツクって顔だね」

「……はい」

「言っておくけれど、僕だってとても悲しいし、不安なんだ。詩乃ちゃんが言うようにたくさんの人達に関わっているし、命を預かっている。今までにない重圧につぶされそうだ」

「なら……!」

「でも、世界はまた明日を迎える。時間は止まらない。僕ら人間は先へ進むしか道は残されちゃいないんだ。悠も、詩乃ちゃんもね」

 

 そんなの、分かっている。それが出来ないから……!

 

「甘えちゃ駄目だ。すがりついちゃ駄目だ。乗り越えなくちゃいけない。もしそれが出来ないというのなら、そのきっかけや動機を自分で作るしかない。例えば、悠に会いに行くとかね」

「……会いに、行く?」

「遠いけれど不可能じゃないだろう? 詩乃ちゃんが苦しんでいるのは聞いていたからね、今日帰って来たのは詩乃ちゃんにイイ話を持ってきたからなんだ」

 

 ユウに、会える?

 

「会いたいかい?」

「…………」

 

 ああ……

 

「…………ます」

 

 また

 

「ありがとうございます!」

 

 また私は泣くのね。

 

 でも、この涙はいいよね?

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

phase 7 長い付き合いになりそう/東京へ

 アニメ2話のシノンさんの胸とお尻と美脚だけでご飯3杯食べられる。


 

『やあ、久しぶり。突然だけど、僕らのパーティがボス部屋を発見したんだ。少しだけ覗いてきたけど、ボスはβと同じみたいだったよ。流石にパターンまで同じとは思えないけどね。さて、早速だけど明日の午後四時から、広場で攻略会議を開こうと思うんだ。だから是非とも参加してほしい。というか、アインが攻略会議を開く気マンマンだったのかな? まあそれでお願いなんだけど、もしフレンドで攻略に参加できそうなプレイヤーがいたら声をかけてほしいんだ。攻略を目指すのなら少しでもボス戦の雰囲気を知っておいた方がいいし、初戦だからこそ気を引き締めておきたい。因みにこの情報は一層の街全ての掲示板に貼り付けるつもりだよ。それじゃあよろしく!』

 

「ってメールがコペルから届いた」

「攻略会議ね、じゃあ四時まで何をする?」

「まずはメンバーの確保からだろ。まずは……」

 

 フレンドリストを開いて探す。……といっても俺のリストにはキリト、クライン、コペルの三人だけだが。

 

「クラインだな。それで、出来ればあの細剣使いも声をかけておきたい」

「まぁ確かに。彼女の実力はβテスターに匹敵する。でもどうやって探すんだよ」

「それに時間を使おうぜって言ってるんだ。どうせ迷宮区で待ち伏せしてたら出てくるだろ。まずはクラインだ」

「内容は?」

「『ボスぶっ殺したかったら明日の四時までに俺の所に来い』」

「あいつなら来る。レベルと実力はその時に見ればいい」

 

 メールは送った。あとはあの女を探すだけだ。

 

 あの女について分かっているのは、細剣を使うということ、迷宮区攻略をソロで行えるレベルと実力を持っていること、理解出来ないが死んでもいいと思っていること。くらいかな。あと可愛いこと。

 

 手懸かりは無いに等しいな。行きそうな場所も迷宮区ぐらいしか思い付かない。あとは紹介した宿。とにかくわからない。だが戦力になるのは確かなので、何としてもボス攻略に参加してもらいたい。

 

 何とかして探すしかない、か。

 

 くそ、名前ぐらい聞いておけばよかった……

 

「二手に別れよう。俺が迷宮区まで行くから、お前は宿に張り込め」

「まてまて! 一人で外に行くつもりかよ!」

「こうでもしないと捕まえられないだろ」

「……そこまでする必要があるのか?」

「ある、と俺は思う。下手なβテスターの何倍も強い」

「……わかった。だが、外に出るのは俺がやる。お前よりも、俺のほうが向いてるだろ。スキル的にも」

「助かる」

 

少し迷った様だが、キリトは了承してくれた。こっそりとスキル上げでもしていようかと思っていたんだが、しょうがないな。町中で槍を振り回すわけにもいかないし、大人しくするか。

 

「日が暮れる前には帰ってこいよ」

「ああ」

 

 それだけを言ってキリトは門へ向かって歩き出した。さて、俺も移動するか。

 

 迷宮区とは違うもうひとつのアテは、以前会ったときに紹介した宿だ。未だに同じ宿を取り続けているか分からないが、ここは安いわりに設備もいいし場所も悪くない。βテストでも女性ウケは良かった。狩ってばかりの彼女には充分贅沢な一部屋だ、使い続けている可能性が無いわけでもない。

 

 とりあえず、キリトが戻ってくるまで張り込んでみよう。

 

 食料を買い込んで、向かいの宿の一部屋を借りて窓を開ける。正面には女が借りた部屋の窓。視線を下げれば宿の入り口がある。通行人に怪しまれない程度に、外を眺めることにした。

 

 ………。

 

「暇だな………張り込みの邪魔にならなくて、尚且つ暇が潰せるアイテムがほしい」

 

 ……そうだ、風景画を描くのはどうだ? これなら外をじっと眺めることの正統性を得られる。うん、悪くない。どうせ暇だしな。

 

 道具一式を急いで買い揃えて部屋に戻る。驚くことにスケッチブックがあったので衝動買い、絵の具まで買い揃えるほど無駄なコルもないし、そこまで本格的にお絵描きするつもりもないので鉛筆と消しゴムを数本買った。デッサンと言われる画法で描く。

 

 お絵描きは得意だ。絵は文字以外で仲間に情報を伝える方法として優秀だから結構練習した。そのうち楽しくなってきたので趣味になりつつある。

 

 βテストからずっとSAOのことばかり考えていたから、絵を描くのは久しぶりだ。上手く描けるかな……? いい一枚ができたら額縁に入れて、そのうち落ち着ける部屋を見つけたら飾ろう。

 

 ささっとナイフで削った鉛筆を走らせる。シャッシャッと乾いた音を懐かしく思いながら空気に浸る。勿論、本来の目的である張り込みも忘れない。こまめに路地を見るがそれらしい人は通らなかった。というか女性プレイヤー自体見当たらない。気長にいこう。 

 

 時間も忘れて描き続けて、町が赤く染まってキリトが帰ってくる頃にようやく描き終えた。

 

 うむ、いい出来だ。

 

 だが何故だ……。

 

「何故俺は詩乃を描いている!?」

 

 風景も建物も道路も植物も存在せず、スケッチブックの一ページ目には私服姿の詩乃がにっこり微笑んでいた。

 

 ……自分で自覚している以上に、俺は寂しがっているのかもしれない。

 

 とか言ってみたが、妄想で詩乃を描いたことに変わりはなく、しかも出来が良い。どう喜べばいいのやら。これを飾れってか?

 

 ピピッ♪

 

「メール……キリトからか。もう帰ってくるころだな」

 

『どこにいるんだ?』みたいな内容だろうと思って開いたが、全く別のことが書かれていた。

 

『さっさと返事しろks』

 

 ks……カスっておい、どう言うことだよ。返事しろって連絡なんか来て……た。10分置きにメールが届いてきてた。しかも三時間前から。こう書かれている。

 

『迷宮区にいるのを見つけた。今からそっちに行く』

『もうすぐ着くから、どこにいるのか教えてくれ』

『中央広場にいるぞ』

『おい、早く来てくれ』

『何かあったのか? とりあえず返事ぐらいくれ』

『さっさと返事しろks』

『さっさと返事しろks』

『さっさと返事―――

 

 うおおおおおおおおお……やべぇ。

 

『すまん、今見た。前に案内した宿の向かいに一部屋とってるから来てくれ』

 

 とりあえず返信はしたけどこれはまずい。流石のキリトも怒ってるだろうし、女の方はもっとやばい。俺達がお願いする立場なのに待たせてしまった。適当な理由を考えて誤魔化さなければ。 

 

 外にでて待つ間に考えよう……。

 

「出迎えご苦労」

「うおっ!」

 

 キリトが部屋を開けた瞬間に現れた!?

 隣にはあの細剣の女がこの世のものとは思えない鬼の形相をしている!?

 

 フロアボスよりやばくね!?

 

「おおおおおおお前、どうやって……」

「食べ歩きにも飽きたから、張り込みやすい場所をしらみ潰しに捜してたんだよ。誰かが返事をしないからな」

「す、すまん……」

「ったく、何してたんだよ。」

「あーっとだな……」

「なに、それ?」

 

 やっべぇー!? スケッチブック広げたままだよ! 見つかったら恥ずかしい上にお絵描きがバレて殺される!

 

「それはだな、ソードスキルのアイデアを書き留めたやつでだな」

「見せて」

「槍の事しか書いてないぞ。見てもためになるとは――」

「どうせ上に行けばソードスキルを使う敵だって出てくるんでしょう? なら、実際に槍を使うプレイヤーの戦い方を知っててもためになるでしょう?」

「う、ま、まぁ」

「見せて」

「でもなぁ……」

「三度目は無いわよ」

「……わかった」

 

 細剣に手をかけたので流石に折れた。抜かれた所で全く怖くないし、無力化出来るが、今回は俺が全面的に悪い。拒否権は無いと諦めて、スケッチブックを差し出した。

 

「これは……女の子ね」

「可愛いな……妹か?」

「幼馴染みだよ。家族よりも大切な」

「家族よりも?」

「悪いかよ。そんなことあるわけないとか思ってんだろ?」

「いや、でも………すまん、俺には分からない」

「いいんだよ、それが普通だ。世間から見れば俺たちだってまだまだ子供で、こんなこと言うほうがおかしいんだ。でも言ったことは嘘じゃないぜ。誰にも理解できないだろうけどな」

 

 なんでこんなことこいつらに言ってるんだろ? 言ってもしょうがないし、言う相手が違うのに。 

 

「ねぇ、この子のこと、好きなの?」

「ああ」

「家族よりも?」

「ああ」

「そ」

 

 少しだけ考える素振りを見せて、意外なことを言った。

 

「いいわ、チャラにしてあげる」

「は?」

「返事もなしに三時間待たせたことよ」

「なんで?」

「妄想して描くぐらい好きな子を思い出してたんでしょ? 私は好きな人いないし、そこまで誰かを想うことはないけど、なんとなく気持ちは分かるから。生きて帰りたいって気持ち」

「分かる……か」

 

 本当に分かってるのか? 死んでもいいとか言ってるやつが……?

 

 ………いや、よそう。ここに囚われた誰もが思っているはずなんだ。生きて帰りたいって。だから攻略に足を踏み出した。そこだけは俺達と変わらない。死にたいってのは……まぁこいつなりの考えがあるんだろ。俺がとやかく言うことじゃない。

 

「それで、私にどうしてほしいの?」

 

 そうだ、本題は別にある。何とかしてボス攻略に参加してもらわなければ。

 

「キリトから聞いてないのか?」

「聞いてるわ。答えも出てる。でも、筋ってものがあるんじゃない?」

「だな」

 

 スケッチブックを受け取って、テーブルに丁寧に置いてから女に向き直る。姿勢を正して、手を指先まで伸ばして身体に添え、腰を折って頭を下げた。

 

「本当なら、一層にここまで時間が掛かることはない。事実、βテストでもそうだった」

「アイン……!」

「あなた達はβテスター……なのね?」

「そうだ」

 

 キリトが叫ぶのには理由がある。

 まだゲームが始まったばかりの頃、右も左も分からない初心者達が大勢死んでいった。逆に殆どのβテスターは競い会うように先へと進んで行った。初心者達を置き去りにして。

 

 βテスターは利己的で自己中なクソヤロウだ!

 

 そんな考えが浸透していった。間違いじゃない、むしろその通りだ。本当なら、本当に一致団結してクリアを目指そうとするのなら《はじまりの街》に踏みとどまってレクチャーするべきだった。

 俺達βテスターは高レベルで在りたいために、強さを誇示したいがために、見捨てた。そう見られるのは当たり前で、嫌われるのもまた当たり前だ。

 

 βテスターは嫌われている。

 

「現実はどうだ、一ヶ月経っても一層すらクリアできていない。βテスターが居ながらも、なんの進展もなかった。皆ビビってる。こんなクソ楽な一層でだ。ふざけてるよな。βテスターだけならこんなことはなかった、今頃ギルド結成クエストを必死になってやってる頃だよ。でもな、そうもいかないだろ。このゲームに挑んでるのは俺達βテスターだけじゃない、皆誰もが剣を取ったんだ。だから示す必要がある。このゲームプレイヤーにβテスターもクソもねぇってことをな。その為には手を取り合わないといけないだろ? それが今の段階でできるのはボス攻略だけだ。ギルドが出来ればまた変わるんだろうけどな……。いや、逆に手遅れになるかもしれない。だとしたらそんなことは言ってられないし、待てば溝は深まる。だからこのボス攻略で分からせるんだよ、仲良くしやがれこのゲーマー共が! って」

 

 最初はこんなことを考えてはなかった。気づけばいつの間にか喋っていた。何でだろうな……キリトの罪悪感に影響されただけかもしれないし、俺自身もそう思っていたのかもしれない。

 

 もし万事上手くいってボスが倒せたのなら、直ぐにとはいかないかもしれないが、溝を埋めるきっかけになるぐらいはなる。どこかでそう確信している。

 

 そう思わせるのも、こんなことを言ったのも、目の前の二人が居るから、かな。

 

「手を貸してくれ。ただボスを倒すだけでいい。それだけで全体の生存率がグッと上がる」

「βテスターと一般プレイヤーが手を取り合えるから?」

「そうなると思いたい」

「あなたが生きて帰る為に?」

「そうだ」

 

 皆で生きて帰る為に、そういうのはとても簡単だ。でも、俺は正直周りなんてどうでもいい。自分が帰る為に、全体の生存率を上げ、ボス攻略に参加できるプレイヤーを増やしたいだけなんだ。

 

 全部、詩乃のもとへ帰る為。

 

「アスナ」

「は?」

「私の名前よ。武器は細剣、得意なのは突きのラッシュ……かしら。よろしく」

「ん? お、おう」

「それで、あなたは?」

「あ、アインだ。槍をメインに使っている。戦闘関連はなんでもできる。……んで、OKでいいのか?」

「答えは決めていると言ったわ。それがクリアへの近道なら喜んで協力します」

「ああ……ありがとう」

 

 突然の自己紹介と、差し出された右手。どうやら話を受けてくれるらしい。

 

「しかし、なんでまた急に自己紹介なんて」

「長い付き合いになりそうじゃない?」

「………そうだな」

 

 主にキリトが。

 

「よし、キリト。俺はクラインのとこに行くから、お前は一層のボスで覚えているところをまとめてアスナに話しておいてくれ」

「返事が来たのか?」

「いや、こっちから行く。どうせまだその辺のザコにてこずってそうだからな、一晩ぐらいレベル上げに付き合ってやる必要があるだろ」

「んー、分かった。夜には戻れよ」

「おう」

 

 宿をでてウインドウを開く。フレンドのクライン君はーっと……近いな。日は暮れたし、見分けがつかなくなる前にさっさと見つけよう。走ろうか。

 

 今日は気分がいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え、休暇だったんですか?」

「そうでもしないと、家には帰れなかったからね。今は特に」

「……すみません」

「気にしなくていいよ、好きでやっていることさ。恩返しの意味も込めてね」

「恩返し?」

「僕は悠を引き取ったまではいいものを、何もしてあげれら無かった。仕事が忙しいなんて言い訳にしたところで、僕が家に帰っていないのは紛れもない事実だ。歳の割にしっかりしていたから何も僕には言わなかったけれど、寂しい思いをさせてしまった。引き取ってすぐの頃は特にそうだったろう」

 

 近所に菊岡さんとユウが引っ越してきた頃を思い出す。

 

 

 

 

 

『隣に引っ越してきました。菊岡、と言います。こちらは悠、友人の子です。よろしくお願いします。こちら蕎麦です』

『朝田と言います。こちらこそ。あら、ありがとうございます』

『早速で申し訳ないのですが、実はお願いがありまして……』

『はい?』

『私がよく仕事の関係で日本中を飛び回るものですから、家を開けてしまうのです』

『お子さんの面倒を見ればよろしいのですか?』

『はっはっは、いやあ面目ない。お願いできませんか?』

『ふふっ、喜んで』

『本当ですか! 助かります。いやぁ、何かお礼をしなければなりませんね』

『首を長くしてお待ちしておりますわ』

『しかし、よろしいのですか? 朝田さんにも娘さんがおられるのでは?』

『あの子に友達が出来るいい機会ではありませんか?』

『そのような事でしたらこちらからお願いしたいですね。悠は今まで特殊な環境に身を置いていたものですから、子供達と上手く話せない様でして……助かります』

『気が合えばいいのですけど……』

『そうですねぇ……』

 

 

 

 

 

『あなた、誰?』

『………』

『もしかして、この間引っ越してきたお隣さん?』

『……ん』

『そう、私、詩乃っていうの。朝田詩乃』

『………』

『なに、コレ』

『名前、らしい』

『これが? なんて読むの?』

『知らない』

『知らないって……あなたの名前でしょう?』

『それはおじさんから渡された物だ、自己紹介で使えって』

『おじさん?』

『両親は死んだ。おじさんは他人だ』

『そう……私もお父さんを亡くしたわ』

『………』

『何をしているの?』

『仲間が死んだ時、仲間の家族が死んだ時、仲間の友人が死んだ時、俺達はこうして送っている』

『魂を、送るってこと?』

『そうだ』

『えっと……こう?』

『違う、手が逆だ。まず、左手で握りこぶしを作って額に当てる』

『こう?』

『そうだ、そのまま目をつぶって死者を想う』

『………』

『………』

『これでお終い?』

『お終いだ』

『天国に行けてるといいね』

『?』

『私のお父さんと、あなたのお父さんとお母さん』

『俺の?』

『死者を想うのに、誰のとか関係ある?』

『………ない』

『でしょ。だったらいいじゃない』

『そうだな。……詩乃』

『何?』

『ありがとう』

『……どういたしまして』

『………』

『………ねえ』

『なんだ』

『やっぱり名前教えてよ』

『だから読み方が分からない。詩乃は知らないのか?』

『え、私?』

『詩乃なら知ってそうだ』

『え、えーっと………鷹、村、だから……たかむら……ゆう?』

『たかむらゆう……それが俺の名前か?』

『た、多分』

『ざーんねん、それはハルカって読むんだよ』

『おじさん』

『この人が?』

『菊岡って言うんだ。よろしくね、朝田詩乃ちゃん』

『ねえ菊岡さん、じゃあ何て読むの?』

『いったとおりさ、たかむらはるか、って読むんだ』

『これで?』

『そう、これで』

『なんだ、詩乃は分からなかったのか』

『………これはゆうって読むの!』

『でもはるかだって……』

『ユウ! ユウったらユウなの!』

『……わかった』

 

 

 

 

 

『ねえ詩乃ちゃん』

『何、菊岡さん。アメ玉くれるなら貰うけど、ついて行かないから』

『そこらのストーカー扱いしないでくれるかな? そうじゃなくて、詩乃ちゃんは悠のことをどれだけ知ってる?』

『知ってるって言われても……さっきあったばかりだし』

『うーんとね、何を話したのかな? って聞くといいかな?』

『あ、そういうこと。でもどうして聞くの?』

『実はおじさんも悠と会ったばかりでね、そんなに話をしていないんだ。だから、聞かせてほしいなって』

『えっとね………ご両親が亡くなったって聞いたでしょ、お祈りの仕方を教えてもらったでしょ、自己紹介したでしょ………それくらい』

『………』

『おじさん?』

『ん? ああ、そっか。良かったね。出来ればずっと仲良くしてくれないかな?』

『うん』

『そっか、ありがとう』

『ねえおじさん』

『なんだい?』

『話したからお給料ちょうだい』

『随分と強かなんだね……』

 

 

 

 

 

 

「菊岡さんが家にいても、ユウはずっと私と一緒でした」

「そうそう、結構ショックだったね」

「私は優越感に浸ってましたけど」

「君はそういうところあるよね」

「いけませんか?」

「まさか。安心して悠をあげられるよ、幸せにね」

「勿論です。くれないなら奪いに行きますから、そのつもりで」

「怖いなぁ」

 

 窓の外には地元では見られないような高層ビルの森が広がっている。

 

 ここは……どこだろう?

 

 菊岡さんについて行けば、ユウに会えるって言われたから来たけど、東京までって相当時間が掛かるんじゃない? しかも車でなんて。

 

 ………だめね、折角連れて行ってもらえるんだから我儘言えないわ。

 

「さ、もうすぐで着くよ」

「何回目ですか、それ」

「どこに着くとは言ってないよね?」

「………そうですね」

 

 殴ってやりたいと思った私は悪くないはず、よね。

 




 前回か、前々回の感想でこんなものが結構ありました。

「詩乃ちゃんSAO入りだぁぁぁぁ!!」
「キターーーー!!」

 ………その発想は無かった。それが正直な答えであります。

 私の目の前には二つの選択肢が出来たわけであります。

 ①詩乃をSAOにログインさせず、現実世界で悠が帰還するまで待たせる。
  内容は原作沿いで大幅な変更は無し、高校進学や悠の居ない学校生活を描く。
 ②詩乃をSAOにログインさせる。キリト以上のアインのパートナーとなる。
  GGOに影響はなし。ただし、新川少年との接点は薄くなる。(GGOの内容  が薄くなるわけではありません)

 さて、どちらに致しましょうか?

 活動報告、メッセージ、へおねがいします。ご希望のルート番号と出来ればどんな展開が見たいのか一緒に書いてください♪

 お待ちしております。

 追記

 ホロウフラグメントは未プレイのため現状書けません。近々始める予定ですが、この小説のアインクラッド編が終わるまでにクリアできれば話を織り込んでいきたいと思っています。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

phase 8 第一層攻略会議


 全開の後書きにて意見を頂戴したこと、覚えておいででしょうか?

 一週間程時間をとり、集計しました。皆様、ありがとうございます!

 集計の結果…………

 ②:詩乃をSAOにログインさせる

 となりました!

 結果は非常に偏ったものになっていましたが、どちらも濃い内容の意見を頂きました。いやぁ、迷った迷った。

 本気でIFルートを書きたくなるようなものばかりです! いや、やる予定は無いんですけどね。

 序盤から大きく原作から逸れる事になりましたが、こっちの方が二次創作っぽいし、自分の好きなように書けるので楽しみです!


 

「よう」

「おお、アイン! ひっさしぶりじゃねえか!」

「一ヶ月ぐらいだな」

「今丁度お前にメールの返信しようと思ってたところだ」

「んで?」

「勿論、俺達も行くぜ! 《風林火山》の初陣にゃピッタリだかんな!」

「《風林火山》……ね」

 

 フレンドマーカーとにらめっこしながら歩くこと十分、難なくクラインを見つけることが出来た。ついでに、ゲーム初日にクラインが探していた他ゲームで知り合ったフレンドの人達も一緒だ。《風林火山》って言うのは、多分チームの名前だろう。

 

 上の層に行けば、ゲームシステムにも認められたチーム………《ギルド》が結成できるようになる。これは攻略を進めていく中では欠かせないシステムだ。

 

 このことを伝えると。

 

「また借りが出来ちまったな」

 

 と鼻をこすりながら礼を言ってくれた。

 

「借りを返したいなら、精々ボス攻略に励んでくれ」

「任せときなって」

「ところで……レベルは幾つだ?」

「えーっとな……俺が6で、仲間が4とか5だな」

 

 低い。

 

 第一層での経験値効率からして、レベル上限を割り出すなら15前後が限界だ。全員がそこに到達している必要はないが、最低でもボス攻略に参加する全員が10以上になっていないと死んでしまう可能性が高い。数レベル分ステータスを引き上げてくれる装備を揃えているなら話は変わってくるが、こいつらにそんな物を求めても無駄だ。というか現時点でそんな装備があるかすら疑わしい。

 

 攻略会議は明日の午後四時。現時刻は午後六時。睡眠時間を六時間取って、準備に一時間、アスナを含めた諸々のレクチャーも行うならこれに一時間割くとして……使える残り時間はあと十四時間。これだけのパーティをどこまで強くできるか……。やらないよりはマシか。

 

「ぶっちゃけると、そんなに低いままじゃ連れていけない」

「うえぇ……こっちはやる気満々なんだぜ?」

「気合いでどうにかなるなら柱昇って最上階目指してるよ。とにかく、お前ら全員攻略会議まで鍛える。目標は全員が10レベルに到達すること。明日の午前八時までぶっ通して迷宮区に潜ってひたすら狩りをやる」

「い、今から! 俺達ようやくここにたどり着いたばっかなんだぜ! 疲れきってるしよぉ……」

「これが、ボス攻略に参加させる最低条件だ」

 

 俺の予想に過ぎないが、ボス攻略に参加するメンバーの大半はβテスターになるんじゃないかと思っている。その当人たちがβテスターだと公言するかどうかは別だが……。別に初心者連中――ビギナーとでも言おうか、彼らが居ないとは思わないが、主力ではない。スタートラインが違うんだから当然だ。

 

 そんな中にビギナーオンリーが混ざったらどうなるか? 完璧な足手まといにしかならない。さっきも言ったが、気合いでどうにかなるもんじゃない。叫び声あげたって経験値の足しにもならないし、経験が増すわけでもない。

 

 アスナの様な別格でもない限り、ビギナーは今回のボス攻略を見送るべきだと俺は思った。

 

 だが、攻略は俺達βテスターだけが行うものじゃないし、俺達だけでできるものでもない。じゃなきゃビギナーはいつまでたってもビギナーだ。これからを考えれば、ビギナーだってボス攻略に参加した方がいい。

 

 キリトのこともあるから、クラインは特にな。

 

「わかったらとっととアイテム買い漁って戻ってこい。回復Potと解毒Pot、それに食糧と水。武器と防具の更新、耐久値の回復。全部の要らないアイテム売り払ってコルが無くなるまで買ってこい!」

 

 ちと面倒だが、これもキリトの為、ボス攻略のため…………クリアして戻る為だ。

 

 おっと、パーティを一時解散する旨をキリトとアスナに送っておくか。

 

 

 

 

 

 

 ピピッ♪

 

「アインからメールだ。クラインのレベル上げに付き合うからパーティをちょっと抜けるってさ」

「クライン?」

「俺達のフレンドさ」

 

 ………4~6ね。それはちょっと低すぎる。今から10まで上げられればいいけど、そこまで上げたところでそれはβテスト時の安全マージンに過ぎない。命が掛かったこの正式サービスではもっと必要だろう。15、とか。……無理か。今の時点で15レベルに辿りついているプレイヤーがどれだけいることか。

 

 俺とアインが今14、アスナは12だ。俺達二人ならアスナの不足分を補ってやれるが、流石にあと6人も面倒は見きれない。何とか1レベルでも上がって帰ってきますように。

 

「ねえ」

「ん?」

「キリト……君と、アイン……君は、βテスターなのよね?」

「お、おう」

 

 ついさっきまで仏頂面でつんつんしてたから、いきなり君付けで呼ばれるとむずかゆいな。

 

「ここのボスと戦ったことある?」

「ある。お互いその頃は顔も名前も知らなかったけど、俺達は参加していたよ」

 

 アインがおいて行ったスケッチブックの一ページをベりべりとちぎって、ナイフで砥がれた鉛筆で絵を描く。たしか……こんな感じの奴だった気がするな。

 

「《イルファング・ザ・コボルドロード》。二メートル強あった」

「そんなに大きいの?」

「SAOのボスは全部デカイ」

「……なんか顔が気持ち悪い」

「SAOのボスは全部キモイ」

「それしか言えないの?」

「事実だ」

 

 こんなのまだマシな方だ。死霊系とか、昆虫系とか、植物系はとんでもないぜ。ぶっちゃけ斬りたくなかった。

 

 アスナを見る。

 

 室内だからか、ケープをつけていない為よく見える表情には怯えや恐怖といった感情が全くみえない。もしかしたら死ぬかもしれないのに。それ以前に、まだ中学生ぐらいの女の子がデッカイモンスター相手に立ち向かわなければいけないってのに、何も感じないのか?

 ただあるがままを、現実を受け入れて、直視してる。そんな感じだ。

 

 そう言えば、前に「死んでもいい」って言ってたっけ。

 

「なぁ、なんで死んでもいいなんて言ったんだ?」

「………ああ、あれ?」

 

 ちょっと聞いてみたくなった。

 

「死にたいのか?」

「馬鹿じゃないの? そんなわけないじゃない」

「じゃあ―――」

「こうして戦っていたら、いつか絶対に私達は死ぬ。私はそう思う」

「………今は死んでないだけ、か?」

「ええ。運よく生き残っているだけ。今日死んだ人が私じゃ無かった、それだけ。だから、私もキリト君も、いつかは死ぬわ」

 

 クリアするのが先か、死ぬのが先か。そのどっちかよ。

 

 アスナは続ける。

 

「負けたくないのよ」

「何に?」

「この世界に。私を守るために、私が私である為に、私は負けたくない。たとえ、その結果で死ぬことになっても」

 

 眼光は鋭い、表情も厳しい。

 

 だが、アスナは身体の震えを隠せてはいなかった。

 

 そりゃそうだ。男の俺だって怖い。怖くないのは、このゲーム以上に過酷な環境で生きてきた人間が、開き直ってゲームを楽しんでいる廃人ぐらいじゃないか?

 

 誰だって怖い。きっとボス攻略に参加しようと思っているビギナーはもっと怖いに違いない。

 

 俺は《はじまりの街》で友人を見捨てた。強くありたいが為に見捨てたんだ。生きることが目的なら一緒に居れば良かった。常に攻略する側で在りたいなんて願望を消せばそれはできたんだ。

 

 そうはしなかった。選んだ。他者を蹴落として成り上がることに、上で在り続けることに。

 

 それは人と交わらない道だと、俺は思っている。選んだのはそういう道で、とても自己中心的で、利己的で、合理的な事なんだ。

 

 それでも、だ。

 

「だったらどこまでも突き進めばいい。百層までぶち抜け」

「言われなくてもそのつもりよ」

「死なないように、俺達が守ってやるよ」

 

 それぐらいはできるだろうし、やらせてほしい。

 

「気持ち悪い」

「………」

 

 ………俺にはこういうのは向かないな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 すっかり朝日が昇った頃、クライン達《風林火山》をひきつれて迷宮区にこもり続けた結果、見事目標の10レベルを突破した。時間ギリギリまで狩り続けたことで、クラインが11レベルまで上がり、そこまでにして街まで戻ることにした。

 

 因みに俺も1レベル上がって15だ。やったね。これでキリトにゃ負けないね。

 

 キリトに追加で部屋を取るように頼んでいたので、そこに全員ブチ込んで寝かせた。顔面を蹴り飛ばすぐらいしない限り、絶対に起きないってくらい熟睡している。六時間後にアラームを鳴らさせるようにセットもさせたし、俺も設定しているので抜かりはない。………起きれば、の話だが。

 

 俺も疲れたので一休みしようか。

 

 キリトは鼠に呼ばれて街へ出て行った。今はアスナの部屋で話を聞いている。

 

「鼠? あのチーズが大好物な、あの?」

「違う違う。βテストからずっと活躍し続けるSAOイチの情報屋のことだ。《アルゴ》っていうプレイヤーで、フェイスペイントで頬に髭を描いてるから、《鼠のアルゴ》って言われている。俺は鼠って呼んでるがな」

「だから鼠なのね」

「そう。やつが普段どこに居て、何をしているのか、プライベートに関わる部分は誰ひとりとして知らない。アインクラッド中を動き回る鼠さんさ。戦いに出るわけじゃないけど、最前線で活躍し続ける面白い女だ」

「女性なの?」

「多分俺やお前より年上だな。キリトをキー坊とか呼んで子供扱いしてるし、色々と上手い」

「上手い?」

「商売さ。何でもかんでも情報として売るんだよ。あのプレイヤー誰? みたいなものから、非売品のレアアイテム獲得クエストの発生条件とクリア方法まで。あいつのことだから《妖精の試練》だって網羅してるんだろうな」

「………とにかく、すごい人なのね」

「お前もいつか世話になるだろうから、覚えとけよ。そんで覚悟しといた方がいい。アレはユニークだ」

「覚えておくわ」

 

 鼠の事はさておき、キリトが呼ばれたのは数日前から続いている《交渉》についてだろう。

 

 間に立って、売買の商品とコルの引き渡しや値引き値上げ等の諸々を請け負うのだ。ただし、そこでも情報料を取るんだからきっちりしてるよな。

 

 キリトが持つ《アニールブレード+6》は、サービス開始から一ヶ月経った今ではそこまで珍しくない武器になった。《ホルンカ》は迷宮区への近道から逸れるものの《はじまりの街》から結構近い位置にある。何も知らなければ最寄りの街へ寄るだろうし、SAOの経験は無くてもゲームはやったことのある人なら街中の探索は恒例行事に近い。《森の秘薬》クエストの発生条件は難しいものじゃないし、協力的なβテスターもいる。普及しきったわけじゃないが、50人に一人ぐらいは持ってるんじゃないか?

 

 《森の秘薬》クエストの延長線上にある《妖精の試練》に関してはまだ知られていない様で、俺が獲得した《アイアンスピア》を持っている槍使いにはまだ会わない。市場の価値も中々なものだ。

 

 アスナの《ウインドフルーレ》はドロップ品なので努力次第といったところか。調べてはいないが、ドロップするMobが乱獲されて溢れかえっているのか、じつはメチャクチャレアなドロップ品で数が少ないのか。まあ今の時期に細剣を使い始めるやつがどれだけいることやら。

 

 意外とレアな武器を持っている俺達であった。

 

「くあぁ………」

「あなたも眠ったほうがいいわ」

「そうさせてもらう。午後の二時に起こしてくれ、多分アラームじゃ起きれない」

「ええ、お休みなさい」

 

 久しぶりにあんなに狩り続けたな。よく眠れそうだ。

 

 

 

 

 

 アイン君が私の部屋を出て自室へ戻るのとすれ違って、キリト君が帰ってきた。

 

 ………なんで私の部屋が集会所みたいになっているの?

 

「仕方ないんじゃないか? クライン達《風林火山》は熟睡してるし、アインも寝てるんだろ? 部屋がここしか空いてない」

「はぁ……まあいいわ」

 

 眠っている間に何をされるかわかったモノじゃない。それを教えてくれたのはこの二人だし、他にもたくさん教えてくれたから邪険には扱えないわ。……口には出さないけど。

 

「二時に起こしてって言ってたわ」

「起こした方がいいのか?」

「多分起きれないから起こしてくれって」

「あー、やっぱり」

 

 やっぱりって……彼毎日起こしてもらっていたの?

 

「最初の頃はそうだったな。一回だけ起こさなかったらいつまで寝てるんだろうと思って放置したことがある。何時まで寝てたと思う?」

「大体のプレイヤーが起きるのは七時~八時の間だから………十時?」

「十二時」

「………かなりのお寝坊さんね」

「学校とかどうしてたんだろうとか思ったな」

 

 学校……そうよね、同い年ぐらいだし、学校に行っているはずよね。夜中眠れてないのかしら? それとも、布団が合わないとか。リアルでも起こしてもらっていた? ………まさかね。

 

『家族よりも大切な奴だよ』

『誰よりも、だ』

 

 ………。

 

「きっと、あの子から起こしてもらっていたのよ」

「あの子? スケッチブックの?」

「いつもどこでも、毎日一緒だったんじゃない?」

「起きてから寝るまでか?」

「そうとしか考えられないじゃない。少なくとも、私はそう思う」

 

 それはきっと、自分の全てを預けるような行為じゃないかしら? 好きな食べ物とか、苦手なスポーツとか、そんなレベルじゃなくて、もっと深い部分を共有しあえる唯一無二の存在。

 

 ………羨ましい。知り合いはライバルで、敵で、蹴落とす相手の私にそんな人はいないし、出来ない。

 

 それが凄く羨ましくて、眩しくて、ちょっぴり悲しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日は集まってくれてありがとう! おれは《ディアベル》! よろしく!」

 

 結局自力で起きることが出来なかった俺はキリト・アスナの二人からタコ殴りにされてようやく目が覚めた。少ない睡眠時間だったが、疲れはよくとれた。《風林火山》はそうもいかないみたいだが、まぁ大丈夫だろう。根性だけはある連中だ。

 

 色々とレクチャーして、準備で時間を潰して会議のある集会場に行ってみると、見知った顔が前で取り仕切っていた。

 

「あいつ、デキル奴だとはおもっていたけどな」

「てことはコペルもいるんじゃないか?」

「んー……お、あそこ。手を振ってるぞ」

「いやあ久しぶりに見たな」

「ちょっと」

 

 そこでストップがかかった。キリトの隣に座る赤ケープのアスナさんだ。

 

「誰なのよ」

「前で喋っている男と、こっちに手を振ってきた奴は知り合いなんだよ」

「へぇ、意外ね」

「何が?」

「知り合いがいたこと」

「……それは流石に失礼だ。キリトは兎も角、俺はそれなりに居るぞ」

「お前ェ……」

 

 βテストの頃は知り合いにあっちこっち引っ張り回されたからな、顔だけ知ってる奴とか、フレンド登録した奴とか結構多かった。まぁ現実の姿にされちまったから誰が誰やら全く分からないんだけど。

 

「ま、それはともかく」

「なによ」

「これで勝てるかどうか、だな」

 

 コペルから視点をずらして全体を見る。………俺達を合わせて四十五人か。ボス攻略レイドを組むならあと三人必要なんだが……仕方ないか。あとは全員のレベルがどれくらいのものか………。げ、鼠の奴もいる。まぁ、参加することは無さそうだがな。

 

 SAOでは一つのパーティは六人が基本となっている。レイドというのは、そのパーティが八つ集まった状態を指す。

 一パーティ六人というのはSAOで最も適した人数である、と言うのがβテスターでの結論で、それはビギナーでも変わらない。ボス攻略を始めとした大規模な作戦ではこうやってレイドを組むのが常識だった。多すぎず、少なくない。そんな人数だ。

 

「まずは集まってくれてありがとう。先日の事だが、俺達のパーティがボス部屋を発見した! 中もちゃんと覗いて来たぜ!」

 

 おおっ、という歓声が上がる。

 

 一ヶ月、ようやくここまできたか。

 

「手ごわそうな相手だが、絶対に倒さなくちゃいけない相手だ。だから、万全を期すためにあるものを皆に配りたい」

 

 そういって最前列に座っていたある五人が冊子を配り始めた。コペルもその中に入って配っている。

 

 ちょいちょいと手招きをしてみると、気付いてくれたのか直ぐに来てくれた。

 

「やあ。三人分だね」

「おう。これってなんだ?」

「見ればわかるよ」

 

 挨拶もそこそこに、受け取った冊子をぱらぱらとめくる。

 

 ………。危ないことをする奴だな。

 

「何よ、それ。見せてよ」

「読め読め。熟読して絶対に忘れるなよ。ほらよ、キリト」

「ありがとう。…………っ!?」

 

 ばっ、と勢いよく集会場の端を見るが、さっきまでそこに居た人物はどこかへ消えていた。

 

「これって……ボス?」

「そう、第一層のボスさ」

 

 冊子の中身は、第一層のボス攻略に関する内容でびっしりと埋め尽くされていた。名前から体格、使用してくる攻撃やスキル、取り巻きのザコ、ステージ、有効なソードスキル等々数え上げればキリが無い。

 

 これだけの情報を揃えて、尚且つ編集できると言ったらアイツしかいないわな。

 

 鼠の奴。無料配布とはよくやる。

 

「アルゴに無理を言って作ってもらったんだ。どうせ初心者用のチュートリアルブックを作ったんだから、ボス攻略も作ってよ、って」

「あいつがよく引き受けたな」

「ディアベルが結構粘ったんだ」

「ふうん」

 

 今でも前に立って冊子――ボス攻略ガイドブックの説明を続ける男は確かに必死だ。何に、というのは言わずもがな、だろう。ディアベルは心の底からこのゲームを皆で協力してクリアしようと頑張っている。

 

 俺ごときが色々と考えるまでも無かったかな。

 

「――というわけだ。じゃあ早速――」

「ちょいまち!!」

 

 先へ進めようとしたディアベルを遮って、一人の男が階段を飛ばし飛ばしで降りながら、軽やかに着地して全体を見渡した。とげとげ頭のいかつい奴だ。口調からして関西人、か?

 

「ワイは《キバオウ》ってもんや。会議すすめるんは賛成やが、その前に詫びぃいれなあかんやつがこんなかにもおるはずや」

「詫び?」

「せや! ええか、詫びいれなあかんやつらはな、βテスターのことや! でてこんかい!」

 

 キバオウと名乗る男は怒り心頭と言った様子で、冗談半分ではなく本気でそう言っている。βテスターには落ち度がある、責任がある。と。

 

 キリトは苦い顔をしていた。コペルは無表情でキバオウを見ている。

 

「ゲームが始まって数時間もせんうちにβテスターの連中は我先にと街を出た、右も左もわからんビギナーを置き去りにしてな! そんなやつらに背中預けられるか! コルも装備も全部剥いで、死んだ二千人に土下座でもさせんと気が済まん! 連中にはそんぐらいさせなあかん!」

 

 ………言いたいことは山ほどあるが、キバオウが言っていることは間違いではない。そうしていれば二千人死ななかった、とまでは言えないが数が減っていただろうというのは想像に難くない。まぁ、気持ちも分からなくはないな。

 

 アルバイトで新人を鍛えるように、部活動で先輩に教えてもらうように、先を行く者は後に続くものを導く義務がある。今回で言うならβテスターはビギナーに様々な事を教えなければならなかった。

 

 βテスターは……少なくとも俺とキリトは放棄した。そしてキリトは悔いている。

 

 まあ俺は謝るつもりなんて全くないし、この選択に後悔も無い。生きるためにやるべきことをやっただけだからな。俺から言わせてもらうなら、アンタらの方がどうかしてるよ。教えてもらえるとか思ってんじゃねぇ。他人にケチつけたきゃそれだけの事が言えるようになってからにしな。

 

 世界は優しくないんだ。

 

「キバオウさん、だったな」

「なんや」

「さっき配られたこのガイドブックだが、実はもう一種類あること、知ってるか?」

「……これのことやな」

「そうだ」

「アンタ、名前は?」

「《エギル》だ」

 

 徐々に険悪になりつつある雰囲気の中で、キバオウに物申したのは、ガタイのいい禿げたおっさん――エギルだった。見た目によく合う斧使いだ。

 

 キバオウとエギルが取り出したのは今配られたやつよく似た冊子だ。あっちの方が厚いし、年季を少しだけ感じる。よく使いこまれたものだろう。

 

「なんだ、あれ」

「ビギナー向けのガイドブックよ。地図とか、用語とか、武器の特徴とか、モンスターのこととか、最低限の事が書かれているわ。私も貰った」

「貰った? 買ってないのか?」

「道具屋で無料配布されていたもの」

「う、嘘だ。俺は五百コルで買ったぞ」

「………どうなってるんだ?」

「えっとね、アルゴ曰く『序盤で買っていったのはβテスターばかりだったから、それを元手に増刷して無料配布した』ってさ。彼女なりに、ビギナーに対して何かできないかって考えた結果だと思うよ」

「だとよキリト」

「うぐぐ………損した気分だ」

 

 内容はβテスターなら知ってて当たり前の事ばかりで埋め尽くされていた。ご愁傷さま、買ったヤツ。

 

「これに載った情報はどうやって手に入れたんだろうな?」

「知らん」

「βテスター以外に誰がいる」

「………」

「情報はあったんだ。それでも死んでしまった。そういう事だ。それにβテスターにだって死者は出ている。何でもかんでもβテスターに全て押し付けるのは、違うと思うぞ」

 

 これはまぁ、結構ザックリ言うな。この場でβテスターを庇うような発言は今後に結構響くと思うんだが……あのエギルって男、正義感が強いのか?

 

 キバオウは苦い顔をして、近くのイスに座った。ここは認めるが、持論は崩さない。そんな態度に見える。というかそうなんだろう。エギルの発言で揺らぎはしたものの、βテスターが悪に見られていることは変わらない。一人の男が何を言ったところで――

 

 と、思ったがそうでもないようだ。

 

「確かにキバオウさんが言うように、βテスターの人達は先に《はじまりの街》を出て行動していた。憎いのはよくわかる。だけど、これから先の攻略には彼らの協力が必要不可欠になる。だから、キバオウさんもそうだが、他にもβテスターの人達を快く思わない人がいるなら、申し訳ないが攻略のために我慢してほしい」

 

 リーダーのイケメンがこう言うんだからしょうがない、そんな雰囲気に変わった。

 

 これで風あたりも少しは弱くなるだろうし、ボス攻略に参加しても文句は言われまい。隠し続けることに変わりは無いが、ばれた時を考えると少し軽くなった。

 

「さて、話を進めようか。ボス攻略ではレイドを組む。だから、近くの人達とパーティを組んでくれないか?」

 

 !?

 

 いや、想像はしていたけど…。

 

「どうする?」

「ほかは何か出来つつあるし、というか元々出来ているっぽいぞ」

「僕はディアベルのパーティに入っているから……」

「いらないわ」

 

 は? アスナの奴なんて言った?

 

「今日初めて会った人達と連携を取れなんて無理よ。だったら私はキリト君とアイン君二人だけと組む方がいい」

「三人だけで組むって言うのか? でもなぁ……」

「どっちにせよ、アスナの言うとおりになりそうだぞ」

「キリト?」

「見ろよ。六人いないの俺達だけだ」

 

 指をさす向こうには皆が六人ずつで固まっている。クライン率いる《風林火山》は元々六人だし、βテスターが混じっているのか、どこも六人で今まで行動してきたらしい。俺達は最初から余ることになってたわけか。

 

「ま、いいや。アスナの無知っぷりに他人を巻き込むわけにはいかないしな」

「キリト君?」

「あ、いえ、なんでもありません」

 

 仲いいな、お前等。

 

「よし、皆できたみたいだな。………そこの三人はいいのかい?」

「余り者同士仲良くやるさ」

「……分かった。じゃあこの四十五人でボス攻略を行う! 俺は今直ぐ行こうかと思うんだが……」

 

 その瞬間に「おおおおおおおおお!!!」と雄叫びが上がった。

 

 攻略会議は元々何回も行うべきで、ボスの情報が鼠のガイドブックで分かっているからっていっても、偵察は欠かせない。何度も何度も突っついて、試して、引き返して、これをずっと繰り返して討伐まで踏み切るものなんだが……。

 

「アイン。実は偵察まで済ませているんだ」

「そうなのか? ………いや、そうだな」

 

 だからこそのガイドブックってか。それでもやっておくべきなんだが……この空気じゃ言っても意見は通らなさそうだし、いいか。

 

 いや、でもなぁ……。

 

「アイン、置いてくぞー」

「わかったよ」

 

 まあいいや。メンドクサイ。

 

 さっさと終わらせて、二層に行こうぜ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

phase 9 騎士

 ひさしぶりにゆったりと書けました。質は変わりません。

 あと一つだけ。お願いがございます。
 「phase 7」でのアンケートありがとうございます。ですが、もう締め切っておりますので、感想や活動報告への要望はお控頂きますようお願いいたします。

「やった! 感想とコメきてるぞ!」

「もうアンケート締め切ってますよ!?」

 と上げて落とされてますので(笑)



 

 ボス攻略の際、レイドを組むことが基本とされている。一つのパーティに六人、そしてパーティが八つ集まった形がレイドだ。

 今回の第一層ボス攻略に集まった人数は四十五人。基本に習って六人パーティを組んだ場合、どこかが少ない人数でパーティを組むことになるわけだが、アスナの反対によって、六人パーティが三つ、五人パーティが三つという現状の最善策をとらずに、六人パーティ五つ、三人パーティ一つという異色のレイドが完成した。三人パーティが俺達である、というのは言うまでも無いか。

 

 連携は集まったプレイヤーの中でも上手くとれている方だろうし、レベルもトップに近いはず。人数の差は俺とキリトの経験や実力、レベル差によるゴリ押しで通してやる。

 

 しかし、というか当然のことなんだが、俺達が相手をするのは取り巻きである《ルインコボルド・センチネル》というザコに決まった。ザコと言っても迷宮区でうろついているコボルドよりは強いので注意が必要だ。勝てるという自信はあるが、確実に勝てるという保証はどこにも存在しない。

 

H隊と名付けられた俺達三人は最後の確認を行っていた。

 

「メインのA隊とB隊がローテーションを組みながらボスを相手して、C~H隊は出てくる六体の取り巻きを倒す。ただし、こいつはボスのHPが減るとまた出てくるから注意が必要だ」

「このセンチネルには突きが有効だ、だから、俺がサポートに入って武器攻撃で敵の耐性を崩す。そこをアスナとアインが突きで攻撃する。狙うのは―――」

「首。鎧と兜の隙間を正確に狙う、よね」

「ああ」

 

 一つの隊が二体のセンチネルを相手にすることは今回の作戦ではありえない。なので、余裕を持って戦えるし、集中できる。もしそんな状況になったら相手にするだけだ。あんなの一人で十分だろ。

 

「とか考えてないか? アイン」

「よくわかったなー」

「ダメだからな」

「わーってるよ」

 

 清潔な布で《アイアンスピア+5》の石突きから穂先まで綺麗に拭っていく。システムによって保護されているため、泥が付いたり、使いこんだ為にグリップが滑りやすくなったりという事は発生しない。だが、これも気分だ。命を預ける相棒をずさんに扱うことは気持ち的に良くないし、そんなことでは武器に見捨てられる……というオカルトだってある。日本は八百万の神がいるとされているから、あながち間違いではないかもな。

 まぁ、神様なんていう都合のいい偶像を信じたりはしないが。

 

 余談だが、刃こぼれは起きる。武器の不調を目に見て確認できるため、結構便利でありがたい。現に、ボス部屋までの移動で起きた戦闘で使った短剣はボロボロで少しも切れそうな雰囲気を感じない。ドロップ品だし、仕方ないか。

 

 じーっとボロボロの短剣を眺めていると声をかけられた。

 

「アイン君、短剣使うのね。知らなかったわ」

「サブアームには丁度いいだろ。動きの邪魔にならないからな」

「βテストの時からコイツ、面白そうな武器とか見つけたらすぐに使いたがるんだ。短剣はその時から使ってるんだよ」

「最初は槍じゃなくてコレ使ってたんだ。まぁ、乗りかえたんだけど」

「なんで? 私的には、槍よりも短剣の方が慣れてるって感じがしたし、動きも良かったように見えたんだけど」

「そりゃそうだ、ずっと使ってたんだからな。でもこれでいいんだよ。嫌ってぐらい慣れてはいるけど、あんまり気が進まないんだ」

「………変わってるわね」

「今更気付いたのかよ」

 

 この短剣じゃないが、結構お世話になった。

 

 握るたびに思い出すよ、肉を切り裂く感触を(・・・・・・・・・)、な。

 

 ………やめやめ。今は集中しなくちゃいけない時だ。

 

 武器と防具のメンテはとっくに終わっている。アイテムで欠けているものが無いか指さし確認でチェック、異常なし、と。

 

「OKだ」

「私も」

「じゃあ連絡してくる」

 

 H隊のリーダーはキリトに任せた。なので、隊長らしくレイドリーダーのディアベルに準備完了の報告を済ませに行って、ささっと帰ってきた。……なんとも隊長らしからぬコミュニケーション能力の低さよな。

 

「よし、みんな準備は終わったな!」

 

 俺達H隊、そしてクライン達《風林火山》のG隊が最後だったようで、報告を聞いたディアベルはすぐに集合をかけた。

 彼の隣には《アニールブレード》とレアドロップの円形盾を装備したコペル、反対側には攻略会議で一騒動起こしたキバオウが並んでいる。その他にも、メインのA隊メンバーがずらっと並んでいた。

 

 なんでキバオウがディアベルと同じ隊にいるんだろうか? 実はパーティメンバーで攻略会議のアレは自作自演だった? もしくは、アレをきっかけに打ち解けたとか。……誰が誰と組もうがどうでもいいや。仕事をしてくれるのなら文句はない。

 

「………」

 

 俺達を睨んでいるように見えるが、気のせいだろ。

 

「俺から言う事は一つだけだ、勝とうぜ!!」

『おう!!』

 

 右手の握りこぶしを突き上げ、それにみんながならう。俺はこういうノリは苦手なので遠慮させていただいた。幸い最後尾に居たので誰からも見られていない。正確にはH隊のあと二人は横目で見ているが、そういうタイプらしくぼーっと見ていたのでノーカン。

 

 ボス部屋前の広い空間を雄叫びで震わせながら、ディアベルは何メートルもある扉をゆっくりと開けた。

 

 真っ暗だ。

 

 一瞬だけそう思ったが、瞬く間に赤い絨毯に沿う様に設置された柱の燭台に、青い炎が灯されていく。ボボボボと音を立てながら、入口から奥の玉座へと順に灯され、部屋は昼間のように明るくなった。

 

「グオオオオオオオオオォォォォ!!」

 

 姿を現す第一層ボス《イルファング・ザ・コボルドロード》、その手下である《ルインコボルド・センチネル》がモンスター相応の雄叫びを上げながら、武器を片手に走ってくる。

 

 いつの間にか抜刀していたディアベルがレイドの先頭に立ち、剣を真上に持ちあげ、指揮棒(タクト)のように振り下ろした。

 

「全軍、攻撃開始ィーーー!!」

 

 指示によって一斉に駆けだした先頭のA隊と、コボルドロードを追い抜いたセンチネルの衝突によって、SAOプレイヤーの存亡を欠けた長い闘いの火蓋が切って落とされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 場所取りとは意外と大事なことだと思う。花見とか花火とかな。勿論SAOだってそうだ。

 ということで、俺はスキルにモノを言わせたレイドで一番の速力を活かして、コボルドロードに最も近いセンチネルのタゲ取りに成功した。

 

 さっさとザコ蹴散らして、ボスのLA(ラストアタック)ボーナス頂こうぜ! というのが俺の考え。せこい? まさか。貪欲でなくちゃこのゲームは生きていけない。

 

「というわけでさっさと済ませたいんだが……」

「賛成だな」

「えるえー、って何?」

「ラストアタック。ボスに最後の一撃を入れたプレイヤーは、唯一無二のアイテム……ユニークアイテムをゲットできるんだよ。他にも経験値やコルにもボーナスつくし、ボス戦の花形って言われるくらいには名誉なこと、なんだけど……」

「なんだけど?」

「キリトの奴、LAをかっさらうのが好きでなぁ……」

「横取りするの? サイテー」

「待て待て! 確かに欲しいからちょっと攻撃を調整したりはしてたけど、全く貢献していたわけじゃないぞ! むしろ働いてたから!」

「ってよ?」

「自称、だろ」

「はぁ……」

 

 まぁ、俺も今回は狙ってるぜ。思ったよりも周りのレベルが低いもんだから、余裕のある立ち回りができる。LAが狙いやすいってこった。その為にはボスに近い方がいいし、横取り感を出さないようになるべく途中からコボルドロードの戦闘に加わりたい。

 

 上手くやりたいところだ。こういったスタートダッシュの差は後で大きく響く。最初のガチャでSSRが引いたとか、ギリギリ装備できる範囲内のドロップ率0.1%以下のレアドロとか、そんな感じ。

 

 SAOはコツコツと努力を積むRPGだが、レアアイテムがけっして価値が無いなどとは誰も言わない。誰だって喉から手が出るほど欲しいんだ。ここにいる連中はとにかくクリアする、倒す、二層に上がる、生きる、みたいなことで頭がいっぱいになっているだけで、余裕が出ればLAだけを……とか姑息な奴がでてくるんだろう。

 そうならない前に、余裕が生まれる前の今、大衆と差をつける。コレ大事ね。

 

 というわけで、俺とキリトはLAに餓えている。

 

 まあこんな感じで意識半分なわけだが、仕事はしっかりこなす。キリトが無理矢理開いた隙を逃す事も無いし、アスナとの連携も問題ない。キリトも何か考えごとをしているようだが、コイツもやることはやってるし、まあ大丈夫だろう。ミスしてもこれくらいの敵ならどうとでもなる。

 

「オオオオオオオオオオオオオォォォォォォォオオオ!!!」

 

 フロアに入った時よりも遥かに大きく、重く、響くコボルドロードの雄叫びが部屋いっぱいに広がり、迷宮区を駆けめぐる。

 四段あったHPバーはいつの間にか最後の一段へと突入しようとしていた。ここでの大きな雄叫び、必ず何らかの意味がある。アルゴの攻略本と、βテストを思い出して、答えを弾きだした。

 

「武器の持ち替えだったな」

「あと、センチネルが追加で現れるのよね?」

「……三体、か。よその隊に押し付けたいところだが、ボスに近い俺達が一匹相手しなくちゃいけないんだろうな。まさかこんなところで弊害が出るとは……」

「グチグチ言っても仕方ないでしょ」

「そうだな。余所の隊より経験値が多く貰えると思おう」

 

 とあることに、そこで気が付いた。

 

 キリトの手と足が完全に止まって、A隊の方向……正確に言うならキバオウとディアベルを見ている。

 

「キリト、ボーっとするな」

「………そういうことだったのか」

「何が?」

「いや、ここに来る途中の迷宮区でキバオウと少し話してさ。俺の《アニールブレード》を買い取ろうとしていたのはキバオウだったんだって気付いた」

「……それ、今言うことか?」

「それで、会話がなんか噛みあわなくて………キバオウの後ろに誰かいて……」

 

 あー、始まった。思考が壺にはまると周りが聞こえなくなるんだよな。センチネル一体ぐらいなら俺とアスナでもなんとかなるけど、戦場でボーっとされるのは困る。早く戻ってこい。

 

「アスナ、スイッチ」

「スイッチ!」

 

 キリトの役割を俺が引き継いで、アスナに攻撃させる。

 武器を弾くのは簡単だが、キリトの片手剣のような重い一撃を槍で出すのは難しい。なので、槍をセンチネルの長斧(ハルバード)に絡めて弾き飛ばす。長斧は手から離れて俺の背後、遥か遠くへ飛んで行った。拾うのはもう不可能だろう。

 

 そのまま横へスライドしてアスナに道を譲る。

 

「やあっ!」

 

 《リニアー》がいつものように綺麗に決まる。クリティカルヒットの赤いエフェクトを散らしながら、センチネルは動きを鈍らせた。

 

「スイッチだ!」

「! 分かった!」

 

 初の連続スイッチだが上手く反応してくれた。《リニアー》の硬直タイムが切れた瞬間、横へステップしたアスナの影を踏んで突撃。

 

 まずは体重を載せた突き。こらえきれなかったセンチネルは地面から脚が離れて浮き、後ろへと飛んでいく。そこへ追い打ちの突き、そして掬いあげるように真下から斬りあげて更に浮かせる。

最後に槍系対空単発技ソードスキル《グレイヴ》で喉元を貫通して、センチネルを倒した。

 

 これでノルマは達成したな。ボス攻略に混じってこよう。

 

「私の事ばかり持ちあげるけど、あなた達も相当よね」

「そうか?」

「キリト君は天性なんじゃないかってくらいだし、あなたも同じかそれ以上の何かを持ってる」

「褒められるほどじゃあないよ」

「さっきの攻撃、斬りあげ以外は全部急所……クリティカルだっけ? に入っていたじゃない」

「槍の扱いが長いからな。一ヶ月そこらで追いつかれちゃ立場が無い」

「……まぁ、そういう事にしてあげる」

「そうかい」

「それよりキリト君よ」

「だな」

 

 さっきからずっと呆けているコイツ、何とかしないとな。

 

「そうか、ディアベルか!」

「……何を言ってるんだか。ほら、さっさと行くぞ」

「おう。なんかスッキリしたよ」

「何よりだ」

 

 コイツは天才なんじゃないかって思う事が多いけど、たまーにどうしようもない馬鹿にしか見えない事もある。天才と馬鹿は紙一重ってことか。

 

丁度そこへ最後のセンチネルが現れた。予想通り、一番ボスに近い俺達を標的に選んだ一体がこっちへ向かってくる。

 

「ちっ……やっぱきたか」

「よし、さくっと片付けるか」

「お前、今度は働けよ」

「わかってるよっ! と」

「相変わらずいい仕事ね」

「そりゃどうも」

 

長斧を掲げて躍りかかってくるセンチネルを涼しげに捌いて、武器を弾く。追い打ちで関節部を狙って斬りあげたアニールブレードは、センチネルの左腕を斬り落とした。

 

「ナイス!」

 

 掛け声はなかったが、自然とキリトは脇へ逸れ、アスナが前に出る。満足に武器を振れないセンチネルは長斧を持てあましていて、アスナの攻撃に対応することはできなかった。喉の隙間に《リニアー》が面白いくらい綺麗に入る。続けて《リニアー》のラッシュが始まり、全て急所に吸い込まれていった。ソードスキル使用後の膠着時間の間に、センチネルは体勢を立て直せずに、モロに喰らい続けている。

 

「このっ!」

「アスナ! スイッチ!」

「了解!」

 

 最後の《リニアー》を繰り出した後、そのまま後ろや横へそれて道を作るのではなく、前に進んで、右手を斬り落とすという土産を置いて行った。

 

 細剣でよくやる。

 

「出てきてすぐなのに悪いが、引っ込んでもらうぜ」

 

 穂先で右脚を叩いて浮かし、手の中で半回転させてもう一本の左脚を石突きでぶん殴って先程同様に両足を浮かせる。センチネルが突っ込んできた時のように槍を振りかぶって、思いっきり振り下ろす。斬ると同時に叩きつけ、トドメに右足で身体を踏みつけ、首へ槍を突き刺した。ガキン! と良い音がしたので貫通してるな。

 

 センチネルは青いポリゴンとなって消え去り、右脚が一瞬だけ浮遊感を感じたが、そのすぐ後には石畳を踏みつけていた。

 

「よし、行くか」

 

 ちょっと引いている二人が気になるが、今はボス攻略だ。あとで聞こう。

 

 コボルドロードの四段目HPバーは既にイエローに入ろうとしている。足元で必死に斬りつけているB隊の斧使いが、ソードスキルで親指を斬った瞬間、HPはイエローゾーンに突入した。

 

 コボルドロードはここから武器を切り替えて攻撃してくる。左手に持った盾をその場にドスンと落とし、右手の斧を放り投げて腰の湾刀(タルワール)を引きぬく。そしてソードスキルを使い始めるのが特徴だ。一層のザコ敵にはソードスキルを使ってくる敵はいないので、対人戦闘経験のないプレイヤーは、ここで初めてソードスキルをその身で味わう。

 

「おい……アイン」

「どうした?」

「あいつ、湾刀を使うんだよ、な?」

「ああ、俺の記憶と、アルゴの本によればだが……」

 

 キリトがコボルドロードの武器に疑問を持った。だから? と雑に流す事なく話に乗り、俺も右手に持たれた湾刀……を…………。

 

 待て。何故あれは真っすぐな刀身をしている? 何故あれはあんなにも長い? 何故あれは……湾刀じゃない?

 

「カタナ……なのか?」

「間違いない……! コボルド王が持っているのは湾刀じゃない、野太刀だ!」

 

 βテストでは第十層まで攻略が進んでいた。厳密に言えば、攻略したのは九層までで、十層は攻略の最中だった。だが、ここに来て今までの攻略のペースがガクンと落ちて、βテスト終了まで十層が突破されることはなかった。

 理由はズバリ、この十層で初めて登場するMobの中に、モンスター専用のソードスキル《カタナ》を使ってくる奴が混じっていたからだ。

 

 後半ともなると、腕試しにとプレイヤー同士の決闘《デュエル》を行うプレイヤーはそれなりにいた。町の中で行われることが殆どで、野次馬が集って盛り上がった物だ。有名なプレイヤーがデュエルをすると、トトカルチョが行われるくらいには、SAOの魅力の一つとして俺達の中にあった。

 その為、プレイヤーが使用することができるソードスキルは既に広まっており、十層で活動するようなトップの集団はほぼ全てのソードスキルと戦ったことがあり、Mobが使ってきてもバッチリ対応できた。

 

 が、この《カタナ》はそう上手くいかない相手で、フィールドに出れば、ダンジョンに入れば、迷宮区まで進めが、必ず《カタナ》スキルを使ってくる奴がいて、大勢のプレイヤーが敗れて町まで送り返された。

 

 敗因は何と言っても初見だったこと、プレイヤーが使うことのできないスキルだったことが大きい。対Mob戦のためにデュエルを申し込まれることもあった為に、最もソードスキル練習に都合がいいのはプレイヤー同士だった。が、何度も言うようにカタナは使えない。使えるんだろうけど、開放条件が分からないままが続いた。対策を立てようにも、その為には必ず町の外に出る必要があり、ハイレベルなプレイヤーでも死亡率がとても高かった。

 そこまでプレイヤーを追い詰めたカタナスキルには、他のソードスキルにはない特徴があった。

 

「止めろディアベルーーー!」

 

 カタナスキルについて頭の中の辞書を引いていると、キリトが腹から叫んだ。あそこまで大声を出すのは非常に珍しく、またそれだけ異常な事態ということ。

 

 視線の先ではディアベルが前線に立ってソードスキルで攻撃しようとしていた。その向こう側ではディアベルにターゲットを定めたコボルドロード。そして、コボルドロードもまたソードスキルを放とうと構えている。野太刀には赤い光。

 

「攻撃するなぁぁぁぁぁ!!!」

 

 もう一度響くキリトの叫び。だが、ディアベルには聞こえていないのか、集中する為に敢えて無視をしているのか。どちらにせよ、システムはソードスキルの初動モーションを検知しているので、もう止めることはできない。

 

 青い光を纏いながら、ディアベルのソードスキルが発動した。アシストによって、高速でコボルドロードへ迫るが、同時にコボルドロードのソードスキルも発動した。

 

 ディアベルの放ったソードスキルは《スラント》。ざっくばらんに言うと水平切り。迎えるコボルドロードのソードスキルは床スレスレの低空を野太刀が駆け、カクンと急に斬りあげへと軌道を変える。《浮船》、だったか。

 

 悔しそうな顔のディアベルは空中でもう一度ソードスキルを発動させようと剣を構え直し、コボルドロードはにやりと口元を歪め、間を置かずに(・・・・・・)ソードスキルを発動させた。

 

 これこそが、カタナスキルの特徴、《スキルコンボ》。

 通常のソードスキルの場合、一つのソードスキルを発動させた後は必ず硬直時間が発生する。この時間は、スキル熟練度や時間短縮のアシストスキルを習得すれば短くすることは可能だ。だが、失くすことは不可能。

 カタナスキルはそれを覆した、現時点で唯一のソードスキルだ。

 

 《浮船》から始まり、それが終わって猶予時間の間に次のソードスキルの初動モーションをとると、そこから更にソードスキルが発動していく。

 

 流れるような赤い光が上へ、下へ、そしてディアベルを吹き飛ばす様に突きが繰り出される。三連続ソードスキル、《緋扇》。

 

 斬られては減り、減って、減った。山なりに飛ばされたディアベルは、さっき俺が弾いた長斧が突き刺さっていた辺りに落ちた。さらに、勢いがあり過ぎて止まらずにバウンドし、柱にブチ当たることによってようやく止まった。

 

 つい数秒前まで安全域にあったHPバーはぐーんと右へと移動して行き、イエローを軽く通り越してレッドゾーン……危険域に突入。そして、そのまま止まる事はなく、一ドットも残さず、HPは消えた。

 

「ディアベル!」

 

 キリトがポーションを片手に駆け寄り、俺とアスナも続く。

 

 身体を起こす力も残っていないらしく、首を俺達の方へ向けるだけで精一杯の様子のディアベルは、ただ右手を伸ばしていた。

 

「ディアベル、飲め! いまならまだ――」

「キリトさん」

 

 死を迎えようとしているディアベルの声は、必死にポーションを口へ流し込もうとするキリトの手を止めた。

 

「すみません、後を、お願いします……」

「馬鹿を言うな! そんな暇があるなら飲め!」

「ディアベル、皆がここに集まったのはお前が居たからだ! 死ぬな!」

「あなたが居なくなったら、誰が引っ張っていくの! βテスターとビギナーを繋げられるのは、あなたなのよ!?」

 

 キリトが、俺が、アスナが、必死になってディアベルを繋ぎとめようと声を絞るが、口を開こうとはしなかった。

 

 光がアバターを包んでいく中で、俺達が最後に聞いたのは……。

 

「俺も……あなたの、あなた達のように―――」

 

 「生きたい」でも「死にたくない」でもなかった。

 

 ディアベルを形作っていたアバターが青のポリゴンへと姿を変え、カシャンと甲高い音と共に砕け散った。

 




 サブタイで中身が分かるのはいいんです。その為の物ですから。
 でも分かりやす過ぎるのもどうかと思うんですが、思い浮かばないんですよねぇ。

 他の投稿者の方々が羨ましい。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

phase 10 ラストアタック/その手に触れて

 友人からようやく「ホロウ・フラグメント」を借りました。前作を最後までやったわけではないので、100層攻略に至るまでのストーリーも碌に把握しておりませんが、ホロウエリアをガンガン進めております。

 やっべぇフィリア超可愛いんですけど! 何これ!? 「うん」とか言った時の破壊力53万どころじゃないよ! ヒロインを足して割ったようなキャラ! 相変わらずSAOのヒロイン可愛いなオイ!

 と、シノンと仲良くアインクラッドを攻略する傍ら、フィリアとがっつりホロウエリアを探索中です。こりゃ書くしかねえわww

 アインクラッドも進めて、ストレアも出せると良いなァ


 

 その青い光は幾度となく見てきたものだ。

 

 敵を倒した時、アイテムの耐久値が底をついた時、そして、プレイヤーのHPが無くなった時。

 βテストでは死んでナンボな世界だった。というか、RPGというゲームジャンルはそういうものだと思う。挑んで、負けて、対策を積んでまた負ける。勝てるに越したことはないが、負けから如何に勝ちへと進めるか、これもRPGの醍醐味だ。

デスペナルティは確かにある、だが、最前線の攻略ではそうでもしなければ先へは進めなかった。短いβテスト期間、先へ先へという希望と欲望がプレイヤーを突き動かし、恐らく、運営が設定していた適正レベルよりも下回るレベルのプレイヤーが殆どだった。攻略にはレベルが欠かせない。だが、そんなことよりも先へ進みたかったんだ。

 だから、プレイヤーが死んでいく姿を何度も見た。無論、三度だけ俺もこの光に包まれて死んだこともある。

 

 今は状況が、環境が、何もかもが違っている。

 

 正式サービスへ移行したSAOは、HP=現実の命となり、デスゲームへと仕様を変えた。

 

 現在、一ヶ月が経過しているが、この時点で既に二千人近くの人が命を落とし、ナーヴギアによって脳を焼かれている。つまり二千体のプレイヤーアバターは、この男と同じようにポリゴンと化したってことだ。今の今まで、それを見ることが無かったのは幸運以外の何物でもなかったのかもしれない。

 

 俺達の前で、レイドリーダー《ディアベル》は永久退場した。ゲームからも、現実からも。彼の現実の身体は今頃脳を焼き切られているだろう。

 人の命は何に変えても重いとされる。だが、今この瞬間、俺達はそれ以上に大切なものをたくさん失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここ、ですか?」

「うん。仲の良い知り合いが経営していてね、ちょっとばかりなら我儘も効くんだ」

「菊岡さんって、実は凄い人?」

「実はね」

 

 高速道路でそわそわしながら景色を眺めること数時間、私はようやく目的地である病院に到着した。地元には絶対にできないくらいの大きな総合病院だ。見上げる首が痛い。

 

「さ、行こうか」

「はい」

 

 自動ドアを通って病院の中へ。受付へ行って菊岡さんが名乗ると、話を通してあったのかすんなりと来客者用のカードを受け取ることができた。病室は八○三らしい。エレベーターに乗って一気に八階へ上がる。

 

 八○三号室は目の前にあった。

 

 カードリーダーに受付で貰ったカードを通してロックを解除する。音もなく開いたドアを跨いで、病室へ。入ってすぐの場所にはトイレが、ただし、一度も使われた様子はない。手洗い場も同様に、とても綺麗なまま。箪笥には恐らく何も入っていない。

 

 ベッドはカーテンで遮られて見えなくなっている。ただし、そこに誰かが横たわっているのは、逆光と直感で理解できた。

 

 ゆっくりと一歩を踏み出す。

 

 右。

 

 左。

 

 右。

 

 邪魔なシルクの布にそっと触れて、横へずらす。カラカラとレールが甲高い音を出しながら、カーテンを動かして、ベッドが少しずつ視界に現れる。

 

 ベッドは木やスプリング式のよくあるものじゃなく、鉄でできていて、水色のジェルがたっぷりと入っていた。とても柔らかそうな、負荷をまったく感じない医療用の最新式だってユウが言ってたっけ。

 その上には真っ白なシミもシワも無いシーツが掛けられていた。膨らんでいる形からして、多分、脚。

 

 そのままカーテンを端へと追いやりながら、私も足を進める。脚から膝へ、腰へ、お腹へ、胸へと、シーツの膨らみで身体のどの部分なのかはっきり分かる。両腕はシーツの中にはなく、指先に心電を計測する為の機械が取り付けられていた。

 

 カーテンはもう動かない。ここで止まる仕組みになっているみたいだ。でも、ここではシーツに覆われた胸までと露わになっている両腕しか見えない。

 

 ごくりと生唾を飲み込んで、ベッドへ向けて前に一歩踏み出した。

 

「………ユウ」

 

 少しやせ細ったユウが、鉄のヘルメットをかぶって眠っていた。

 

「ばか」

 

 ベッドに腰掛けて、ユウの身体に負担をかけないよう気をつけながら、シーツ越しに胸の上に頭を載せる。左耳と左手から感じる心臓の鼓動と、右手で触れた細い左腕の温かさが、まだユウが生きていて戦っていることを教えてくれた。

 

 ああ……

 

「ほんとに、ばかよ……」

 

 とても心地いい。この一ヶ月間で餓えて枯れた心が一瞬にして潤っていくのが分かる。潤い過ぎて涙が出そう。というか出ちゃってる。

 

「ばかぁっ…………!」

 

 でもここにいるユウは話しかけてくれなくて、頭を撫でてくれなくて、抱きしめてくれなくて、手を握ることもできなくて、笑ってくれない。

 

 それは、嫌だ。

 

 弱い自分は嫌、ユウが居ないことも嫌。

 

 泣いてるばかりの自分は大っ嫌い。

 

 何よりも、ユウが居ないことは死に等しい。あと一秒だって耐えられない。

 

 なら、やるべきことは、分かるわよね? 朝田詩乃。

 

 ぎゅっと少しだけ強く、優しく、ユウの左手を握った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 唖然としていた。目の前で起きたことを脳が理解しきれていない。

 

 私達はアバター、だから、消える時はモンスター達と同じように消えるんだろうなって思っていた。それは現実に起きた。

 

「こんなのって………」

 

 こんなの……あんまりだよ。

 

 現実では多くの場合、死を迎えても身体は残る。目を覚まさず、身体も動かず、冷え切ったそれを見て初めて死を認識する。

 

 じゃあ、ディアベルさんは?

 

 身体も、防具も、武器も、自分が存在したという証を残す事なく、全てがカケラになって消え去った。

 キリト君が手に握らせた回復薬がコロンと転がっているだけで、そこに誰かが横たわっていて、死んだ場所とは思えない。

 

 死んだ? まさか? いやでも……。

 

 誰もがそう思って呆然と、彼が消えた場所を眺めていた。

 

 ボス戦という事も忘れて。

 

「わああああああああ!!」

「リンド!!」

 

 悲鳴の方へ顔を向けると、また一人、プレイヤーがさっきのソードスキルで打ち上げられていた。その表情は恐怖一色で、それを見上げる私たちもまたそうなんだろう。ディアベルのように、あのプレイヤーは……リンドは死ぬ。

 

「はぁ……」

 

 ただ一人を除いて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自分が異常だと認識したのはいつからだろうか? ………多分、詩乃に出会ってからだな。それまで俺は、この地球という星では何処でもこんな泥臭くて火薬のにおいが充満してるんだろうなって、本気でそう思っていた。

 

 実際はほんの一部の話で、俺がその一部で育っていたというだけだった。

 

 周りの同年代の連中とは何もかもが違っていて、かけ離れていた。日本は、俺がいた紛争地域とは何もかもが違っていた。

 笑っているのは気がふれた兵士や少年兵、そいつらが連れ回す慰安婦や売春婦、戦場から持ち帰ってヤられまくった少女たち、クスリでラリった薬中ども、なにより肥えて無能な軍の上層部。そして、そんな日常でも健気に生きようとした子供たちだけだった。

 

 同じ笑顔でも、価値が違う。

 

『平和な世界に生まれたかったなぁ』

『死ぬのは……やだよ……ママァ!!』

『お前だけでも、幸せにな……』

『楽しかったぜ! ……じゃあな』

 

 俺は、この国が嫌いだ。

 

 そんな、昔のことを思い出していた。ディアベルの最後は、仲間達とよく似ていたからだろうな。

 

 忘れるつもりはない、そもそも忘れられない。だが、心の奥に封じ込めたこの記憶は、あの頃の俺を思い出させてしまう。

 

 俺はもう名前のないあの頃の俺じゃない。菊岡誠二郎の義理の息子で、朝田詩乃の唯一の存在で、中学校に通うちょっと普通じゃない子供の鷹村悠だ。ユウだ。アインだ。

 

 だから、鷹村悠(オレ)にしかできないことをやろう。俺であることを俺に刻むために。証明するんだ。

 

 

 

 

 

 

 脚にモノを言わせて、浮き上がったリンドの脚を掴んで後ろへ放り投げる。キバオウとコペルが上手く受け止めてくれたのを視界の端で捉えながら、次に来る攻撃へ備えた。三連続攻撃ソードスキル《緋扇》。

 

 打ち上げられたわけじゃないが、空中では上手く動きがとれないし、踏ん張りも効かないので堪えることもできない。そのため、無理にソードスキル等で反撃せずに、衝撃を流したり、攻撃を受け止めることが正解。

 十分にその事を理解していながら、俺が選んだ選択肢は反撃だった。

 

 ここで切り返さなければ、流れを全て持っていかれてしまう。それは阻止したい。

 

「俺は……そこらのプレイヤーとは次元が違うぜ?」

 

 覚悟しな、ブタ野郎。

 

 《緋扇》が発動するよりも速く、柄を持ちかえて《スパイク》発動。突進系のソードスキルは、地形を選ばない特徴がある。地面は勿論だが、空中でも発動は可能だ。こういった現実では不可能な動きや高速移動がソードスキルのいい所だと思う。狙いは、ソードスキルによって踏み出す右脚が踏み込む先だ。

 

「グオッ!!」

 

 面白いぐらいに予想通りに動いてくれた。右脚の親指にグッサリと刺さった槍を引っこ抜いて、ひたすら斬って突いてを繰り返す。

 

 ソードスキルには、発動した際の攻撃にボーナスがつくものが殆どだ。例えば、《スパーク》ならスタン付属、《浮船》にはスキルコンボなど様々で、他にもステータスアップや状態異常付与などもある。

 ダメージ効率を考えるならば、何度も何度もソードスキルを連発するのが一番だ。だが、実戦ではそうもいかないし、そんな単調な動きをしていれば早死にするのは容易に想像できる。

 

 現状で最も効率よく安全に戦える方法は、ソードスキルを攻撃の軸にしつつも控えて常に動き回り攻撃を与えること、だ。

 

 今の俺は、すばしっこい小動物のように、足元や股の間をグルグルと走りまわりながら、チクチクと攻撃している。ただバタバタ走りまわっているわけではないので、攻撃も当たらないし、他人へタゲも移らない。時間稼ぎだってできている、非常に優秀な戦法なのだ。………性には合わないため、若干ストレスを感じてはいるが。

 

 ズバズバ斬りながら走り回ること数分。レイドのHPバーを見直すと、ほぼ全員が回復を終えていた。だが、誰も来ようとはしない。

 

 怯えているんだ。死に。

 

 面倒な奴らだな。

 

「おい、キバオウさんよ。そこでヘタレるのは勝手だが、LAは俺が貰うぜ?」

「は、はぁ?」

「他の奴らもそうだ。何にビビる事があるってんだ? さっきまでの勢いはどうしたんだよ? ほら、さっさと戦えよ。取り巻きのコボルドは居ないんだぜ? さっさと倒して二層に上がろうじゃねえか」

 

 俺が言っていることは至極当然なことであり、俺達の目的だ。それを忘れたかのように棒立ちになって何がしたいのやら………。クリアしたくないのか?

 

「さ、さっきの見ただろ!? ディアベルさんが―――」

「ディアベルさんが………なんだって? お前等は生きてるじゃないか。何をしにここまで来たんだよ? あぁ?」

「そ、それは………」

「ボスを、倒すため、や」

「そうだろ。キバオウ、お前、ディアベルがボス戦前になんて言ったのか、覚えてるか?」

「………“勝とうぜ”。やな」

「分かってるんじゃねえか。なら何で動かない、何で剣を振らない、何で戦わない? 今更死ぬことに怯えてんじゃねえだろうな? だったら今すぐ回れ右して《はじまりの街》まで帰れ、邪魔だ。俺はたった一人でも攻略を諦めない」

 

 コボルドロードが振りあげる野太刀を弾いて、柄を握る右手を斬りつける。小指の関節に深く食い込んだ穂先を強引に振り抜くことで斬り落とし、《リア・サイズ》で近くにあった右脚を斬りつける。

 雄叫びを上げながら左手で俺を殴り飛ばそうとするコボルドロードの拳を流して、棒高跳びの要領で腕に飛び乗り、手の中で槍を回転させながら腕を刻みつつ方へ向かって走る。ブレス系の技は使えないが、腕を振って振り落とされる前に走り切り、ギラリと俺を睨んでいる左目へボロボロでもう使えないナイフを力いっぱい突きさして、おまけに石突きで殴って深く食い込ませた。

 

「逃げるのは全く悪いことじゃない。それは生き延びることだからだ、そして次へと繋がる行為でもある。挑んで、逃げてをただ繰り返すことは恥じゃない、勝つための執念だ。だから、今ここで町まで逃げる奴を俺は責めないし、逆に拍手でも送ってやるさ。もし全滅したのなら、ボスの情報を持っているのはそいつだけなんだからな」

 

 振り下ろされる野太刀を受け止める。衝撃が腕から腰、脚、地面へと伝わり身体を痺れさせる。システムが無ければこの石畳は蜘蛛の巣状にひび割れていたに違いない。なんつー馬鹿力だ。

 

「今のお前等なんだよ? ただそこでボーっと突っ立ってるだけじゃねえか。とてもこのゲームをクリアしてやろうと思ってる連中じゃないね。あーあ、ディアベルも可哀想なこった。こんな連中の身代わりになって死んじまったんだからよ」

「お前……!」

「うるせぇ!! 今のお前等には口答えする資格なんて無いんだよ!!」

「っ!?」

 

 もう一度振り下ろされる野太刀を弾いて《グレイヴ》でコボルドロードの胸のあたりを狙って突きだす。体勢を崩したところへの追い打ちで、コボルドロードは真後ろに倒れ、背中を強く石畳へ打ちつけた。

 

 ソードスキル発動後の硬直姿勢のまま、腹から声を出して叫ぶ。今の連中には面と向かって言うほどの気概も無い。

 

「いい加減腹を括れ! 死ぬ覚悟で戦え! 死ぬ気で生き延びろ! ここはゲームの中だ。でもな、今の俺達にとってはココこそが現実なんだよ! まぎれも無い現実で、戦場だ! いつ死ぬかもわからないままビクビク怯えながら生きていけるか! 本気で生きて帰りたいなら、仲間が死んだぐらいでうろたえるな! それは倒れた仲間への侮辱に他ならない! リタイアした奴らの願いや思いを全部背負っていけるのは、同じ場所に立って背中預けた戦友(なかま)だけなんだよ! それができない奴はさっさと失せろ! 二度と剣を握るんじゃねえ!」

 

 うめき声を上げながら置きあがろうとするコボルドロードを見ながら、槍を担ぐ。ついさっきまでは光沢を放っていた穂先も、柄も、石突きまでもがボロボロになっていた。センチネルに比べてそれだけ手強く、堅く、強いということ。それ以上に、《アイアン・スピア》では俺についてこれないってことだ。

 

「どうせ現実じゃあ学校とか会社とか先輩とか上司とかに色々と言われて、影でネチネチ言ってるだけなんだろ? だったら、せめてゲームの中ぐらいカッコつけて見せろよ! 剣握って、一歩でも前に進んで、一撃でも多く敵にダメージ与えて、前のめりに死ね! てめえらの勝手な悲壮感とか諦めを俺にまで押しつけんな! 男だろうが!」

 

 もう少し、せめてコイツを倒すまではもってくれよ。

 

 まかせろ、そんな答えが返ってきた気がした。

 

「さて、やるか」

 

 コボルドロードの残りHPは最後のバーの三割。つまり、俺一人で四割近くのHPを削ったということか。そりゃこれだけ武器も摩耗するわな。結構心配だが、やってやるさ。

 

 完全に起き上がって野太刀を構えるコボルドロードへ槍を向け駆けだす。さらに、俺を追い抜くように過ぎ去った二つの風がコボルドロードに襲いかかった。

 

 左を行く黒い風は野太刀を弾いて、右を行く亜麻色の風は青い光を伴って巨体へと突撃していった。

 

「なんだ、来たのか」

「俺自身のためにな。それに、LAは俺の得意技の一つだしな。株を奪われちゃあ困る。何より暴れ足りないんでね。ついでだから、スケッチブックに女の子を描くような可愛らしい一面を持った友人を助けに来たのさ」

「武器が今にも壊れそうで危ない誰かさんのために女の子(・・・)が来てあげたわよ。あとで美味しいケーキがあるお店を紹介してくれるのなら、助けてあげなくもないわ」

 

 ゲーマーのキリトとフードをとったアスナだった。

 

 ややこしいこと言うなあ。素直に助けに来たって言えないのかよ。

 

「遅れんなよ?」

「反応速度は俺の方が速いし」

「攻撃速度は私の方が速いわ」

「お前等………」

「グオオオオオオオオオオオオ!!」

 

 ここに来てまでまだ言い訳がましいことを言う二人に呆れていると、おいてけぼりのコボルドロードが怒って野太刀を振りおろしてきた。キリトが左へ、俺とアスナが右へステップを踏んで避け、間を置かずに攻撃に移る。

 

「センチネルと同じパターンで行くぞ! 俺が弾くから、二人で攻撃だ!」

「アスナ、残りの三割一気に削るぞ!」

「任せて!」

 

 野太刀が灰色の光を纏い始めた。アレは……ランダムの単発ソードスキル《幻月》か。初動モーションからはどちらが来るのか判断できないので、発動してから見切らなければならない。が、キリトは迷うことなくソードスキルを発動させた。

 

「お……らあっ!」

 

 《幻月》は……上から。対するキリトは《スラント》を上手く野太刀を命中させて、攻撃を中断させた。

 

 キリトは盾を装備しない。勿論それでは防御力は下がるし、防御もままならない、受けてばかりではあっという間に武器の耐久値はゼロになる。100%避けることは不可能だ。盾を持つと機動力が下がる事を嫌ったキリトが思い至ったのは、武器を武器で弾いて防ぐ《武器防御》と、武器を武器で攻撃して破壊する《武器破壊》の二つだった。

 天才的なセンスもあってか、キリトはこれを外す事はまず無い。しっかりと芯を捉えて弾くのだ。βテストでもここまでできる片手剣使いはそうそういなかった。現時点ではキリト固有のシステム外スキルと言っても過言じゃない。

 

 強引に体勢を崩されたコボルドロードは何度目かも分からないたたらを踏む。そこへアスナが連続で《リニアー》を放ち続け、俺は復帰の速い《スパイク》と威力の高い《グレイヴ》を交互に使い続ける。

 

「もう一回いくぞ!」

 

 コボルドロードがもう一度野太刀を振りあげ、ソードスキルを放とうとしている。キリトはまた同じくソードスキルで返した。すかさず攻撃に入る。

 

が、ここでとあるミスを犯した。俺もキリト同様に十層まで昇ってカタナスキルと戦った経験から自然と避けていたが、アスナは実力があるものの知識はビギナーだ。まさかカタナスキルを使ってくるとは思ってなかったし、ディアベルがやられてから対策を伝える時間なんて無かった。

 

 カタナスキルを持つMobが“そのスキル”を習得していた場合、AIが囲まれたと判断すると反射的に使うソードスキルがある。

 

 敵の真正面にキリトが立って隙を作り、その左側に俺、さらにその左にアスナがいる。いつの間にか囲むように広がっていた為に、それ――全範囲攻撃単発技《旋車》が発動してしまった。

 

「!?」

「アスナ、後ろへ飛んで身体を丸めて耐えろ!」

 

 間一髪、キリトの叫び声が野太刀よりも速く、アスナは指示通りに動いた。俺とキリトは対処法が分かっているので即座に行動する。

 

「グルオオォォッ!!」

 

 風車のようにその場で一回転したコボルドロードによって、俺達三人は現在の位置から真後ろに吹き飛ばされた。後ろへ飛んでいた事で踏ん張りが無い為に、抵抗なく綺麗に飛んだため、最小のダメージで十分な距離を稼ぐことができた。

 

 コボルドロードのターゲットは……キリトだ。着地できずに転がってはいるが、まだ反応できる範囲。だが、HPがイエローゾーンギリギリまで減っている。このままだと、モロに喰らって下手をすれば死ぬ。

 

「キリト、さっさと起きろ!」

 

 叫びながら走る。が、距離と素早さもあって俺の速度でも数秒間に合わない!

 

「ファァァァァァァック!!」

 

 野太刀の影にキリトが隠れたその瞬間、やたらとごつくてナイスなバリトンボイスが、放送してはいけない様な言葉を叫んで間に割って入った。滑らかに両手斧ソードスキルを発動してカウンターを決める。

 

「どおおりゃあああぁぁぁぁ!!」

 

 更に間に割って入った野武士面のバンダナ男が愛用の曲刀ソードスキルで追い打ちをかける。距離は稼げなかったものの、ノックバックには成功している為、二人は十分に目的を達成した。

 

「お前たち三人に任せたつもりはないぜ?」

「てめぇがボス攻略に誘ったんだろうが。今更除け者扱いはないんじゃね?」

 

 大人らしさ溢れるカッコイイ姿は、レベルが低くとも十分頼りがいが溢れていた。エギル率いるF隊と、クラインがリーダーを務めるパーティ《風林火山》ことG隊は、《旋車》が発動しないギリギリのラインでコボルドロードを囲みつつ、攻撃を流しつつ確実にダメージを与えていった。

 

 コペルが一瞬だけにこりとこちらをみて笑った。あいつがカタナの特性を教えたのか。それは本当に一瞬で、視線を他の隊のメンバーに戻すと、ディアベルに変わって指揮をとり始めた。攻撃をしているF、G隊とのローテを組むつもりらしい。コペルもディアベルのように全体を見通して指揮するタイプだ、問題は無いだろう。

 

 今回のボス戦じゃ、もう出番は無いだろうけどな。

 

 さっきのラッシュで削れたのは大体0.5割と言ったところ。タゲをとっている二隊がローテする頃には残り二割まで減少しているはず。キリトが弾いて俺とアスナが攻撃するパターンを崩して、全員で特攻をかければ、カウンターをくらったとしても誰かが死亡するよりも速く敵を倒せる。

 

 レイド全体のプレイヤービルドを見ると、エギルの様な壁役に適した構成をしたプレイヤーはほんの僅かだ。まあ一層じゃろくな防具は手に入らないし、全身を覆う鎧や、前面を丸ごとカバーできるタワーシールドが手に入るのは二層終盤あたりからなので仕方が無い。

 というわけで、みんな攻撃特化のインファイト大好きな連中だ。総合的な攻撃力は、一層にしては過剰なレベルだろう。おかげで紙装甲だが。

 

 ポーションをがぶ飲みしてキリトと合流。アスナもブーツの踵を鳴らしながら此方へ走ってきた。

 

 手に握る武器はあんなに綺麗に磨いたのに、いつの間にかボロボロになっていた。俺は勿論、元々強度の高くないアスナの細剣《ウインドフルーレ》や、がっつり強化したキリト好みの重たい片手剣《アニールブレード》も、刃こぼれが目立ち始めている。

 

「武器の状態と、ボスの残りHPからして次が最後の攻撃になりそうだな」

「さっきと同じで行くの?」

「いんや、キリトも含めた全員で仕掛けようと思う。こいつが《武器防御》上手いから任せたけど、ダメージ的にはキリトの方が効率いいんだよ。囲むのは拙いが、あとちょっとだし、相手の攻撃無視してガンガン斬りまくった方が逆に安全かもしれない」

「ローテが済んだら俺達が特攻する隙間なんて無くなるぞ? 味方押しのけて無理矢理特攻する気か?」

「そうはならないさ。カタナの攻略を一回見て人から聞いてすぐに出来るなら十層なんてあっという間だろ?」

「それ、今戦ってる人達が、さっき私達を飛ばしたソードスキルを発動させるってこと?」

「そうそう。身体に染みつくまでやりあわなきゃ、《旋車》もそうだけどソードスキルの対処なんて上手に出来っこないんだ」

「次の《旋車》で硬直した時が、攻め時だな」

「おう」

 

 ギュッと柄を強く握りしめ、いつでも最高速を出せるように構える。

 キリトは程よく握った剣を垂らして右脚を後ろへ置いて半身になり、空いた左手を前に。

 アスナは突きの動作を繰り出せるように、細剣を握った右肩を前へ向け、ぴたりと剣先を正面へ。

 俺は柄の中間を右手で握り、左手を石畳へ添えて膝を曲げる。

 

 それほど待たずに、その時はやってきた。

 

「エギル! そっちに広がり過ぎだぞ!」

「分かってる! おい、集まれ! 広がるな!」

 

 肩身の狭い思いをしながら、精一杯武器を振り続けるが、野太刀を防ぎきれずに横へ大きく飛ばされたエギルの隊の両手剣使いが、《旋車》発動のキーになり、コボルドロードはモーションに入った。

 

 もし発動した場合の対処もしっかりと聞いていたようで、盾持ちは構え、それ以外は武器を盾にしつつ防御の体勢をとって、全員がエギルとクラインの合図で後ろへ飛んだ。俺達から見て右側から順に、野太刀が命中していき此方へ吹き飛ばされてくる。

 

「行くぞ!」

 

 コペルがローテーションの指示を出す前に、俺の合図で一斉に駆けだす。隣は見ない。前のブタだけを睨んでぶっ刺してやるだけだ。

 

 前に跳ぶ(・・・・)様に、曲げた両足の膝をばねのように使って走り出す。上々のスタートダッシュだ。陸上の短距離走では、徐々に姿勢を真っすぐにしていくそうだが、そんな理屈お構いなしに、身体を地面と平行になるくらいまで前に傾けて風景を置き去りにしていく。

 

 あっと言う間に転がっているエギルとクラインを抜き去って、コボルドロードの股下を走りぬいて背中側へ(上は見ていないよ?)。《旋車》の硬直が解けていないので反撃を受けることなくすんなり来れた。

 

「あらよっとぉ!」

 

 二連続攻撃技《リア・サイズ》を、左脚のアキレス腱にあたる部分へ命中させ、ごっそりと斬り(えぐ)る。ご丁寧に体重まで再現してくれたアバターはバランスを保てず、足首から先は捥げ、膝をついた。

 

「もう一丁!」

 

 同じことを右脚にも行う。同じように足首から先を失った右脚は膝をついて、体重を支えきれなくなったコボルドロードは左手を使って転倒を阻止した。

 

「りゃあああぁぁぁぁっ!!」

 

 そこへ到着したアスナが《リニアー》で串刺しにしていく。《ウインドフルーレ》が刺した点が徐々に増えてゆき、終いには面の攻撃へと進化していった。最後に大きく右腕を引き絞って、渾身の《リニアー》を叩き込む。

 

「スイッチ!」

 

 入れ換わるようにキリトが前に出て単発ソードスキルを連続して発動させる。

 片手剣にはカタナの様なスキルコンボは存在しないが、キリトはそれを知識と経験でカバーして連発している。発動後の余韻で自然に身体を動かし、別のソードスキルの初動モーションへと変え、硬直が解けるやいなやソードスキルが発動。これがひたすら続く。

 

「グアアアアアアアアアアアアッ!!」

 

 HPバーが消失しかける最後の瞬間、力を振り絞ったように野太刀を振りあげたコボルドロードのタゲは、俺達ではなく、なんとか起き上がろうともがくエギルとクライン達……《旋車》で吹き飛ばされたF、G隊のメンバー達だった。

 

 アスナにはアレを弾くか防ぐなんてまだ無理だ。そう判断したであろうキリトが攻撃を止めて引き返そうとするのを、俺は叫んで止めた。

 

「俺が行く! お前等さっさとそいつをぶっ殺せ!」

 

 槍では無理だ! そう言いたげなキリトを無視してすれ違う。有無を言わせない行動に納得したのかはわからないが、引き留めることは無かった。

 

 野太刀が振り下ろされる場所は……狙いはクラインか!

 

「先に謝るぞ! スマン!」

「何をげっふうううぅぅ!!」

 

 横たわるクラインをブレーキする際に足が滑って蹴ってしまった。という体で蹴り飛ばす。システム的にはギリギリOKらしく、カーソルがオレンジに変わることは無かった。検証したくは無いが、どの辺まで許されるのかは知っておきたい。それは後にしよう。是非ともクラインに実験台になってもらいたいね。

 

「お前等、なるべく俺から離れろ! 真っ二つになっても知らないからな!」

 

 一応警告はした。多分大丈夫だろうが、何も言わずにこれで誰かが死んだら気分が悪い。これでも死んだら……そいつのせいだ。

 

 既に起き上がって仲間を担いで離れようとするエギルに槍を預け、振り下ろされる野太刀を睨んだ。ターゲットのクラインは真っすぐ後ろに蹴り飛ばしたので、軌道は変わらない。だが、上手く決まらなかったのかまだ野太刀の圏内にある。他にも衝撃でダメージを受けそうな範囲にはHPの危ないプレイヤーが転がっているので、しくじるわけにはいかない。

 

 身体を屈めて、タイミングを計る。

 

 …………!!

 

 まずは右脚だけで左へステップを踏む。そして着地の瞬間、今度は左足で右へ跳ぶ。二度目の着地では両足綺麗に揃えて、身体をひねりながら空中へ。

 敏捷値全開の反復横とびで得た加速と、全身のひねりと全体重を右脚にのせる。

 

「ああああああああああぁぁぁぁぁ!!」

 

 サッカーのシュートよろしく、渾身の力を込めた右脚で野太刀の腹を蹴りつける。複雑な計算式がどうなったのかは知らないが、結果的に弾くことに成功した。傍から見てたら、多分一連の動きは一瞬だったに違いない。

 

 今のは槍で受け止めなくて正解だった。多分ぽっきり折られた揚句に俺まで真っ二つにされていただろう。

 

 俺のナイスキックによる弾き(パリング)で大きくのけぞったところへ、キリトが最後の一撃を決めた。

 

「おおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉ!!!!」

 

 二連続ソードスキル《バーチカル・アーク》。少々鋭いVの字を身体に刻まれたコボルドロードは更に身体をのけぞらせ、四段あったHPバーの全てを失った。

 

 コボルドロードのアバターがぼやけ、ラグが発生したような異変を起こして砕け散った。

 




 そろそろ詩乃がログインかな?


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

phase 11 ビーター/リンクスタート

 モッピー知ってるよ、みんなシノンの事が大好きだってこと


 

長い、長い戦いだった。体内時計は数時間の経過を感じているが、開いたメニューウインドウの時計は、一時間も進んではいなかったことに驚きつつも、気に留めることなくエギルに預けた槍を受け取る。

 

「ふぅ。やっと二層か……先が思いやられる」

 

何度もコボルドロードの身を斬り裂いて、野太刀を受け止めた《アイアン・スピア+5》は、コボルドロードの目に突き刺した短剣のようにボロボロだ。そっと撫でて、心の中でありがとうと呟いて背負う。

 

コボルドロードを形作っていたアバターは小さなポリゴンの欠片となって弾け、雪のように降り注ぐ。それが積もらずに消えていく様を見て、今までとこれからのプレイヤーを見ているような気持ちになった。

 

「や、やったのか?」

「勝った……勝ったぞーー!」

 

だだっ広いフロアに、四十四人の歓声が響く。そう、四十四人。唯一の死亡者であり、俺たちのリーダーだった青い髪の騎士は、もうどこにもいない。

 

間近で見ていたアスナとキリトは素直に喜べない様で、互いに苦笑いを浮かべていた。レイドパーティの皆は思い思いの形で喜びを表している。対するディアベル率いたA隊の面々は、悲しみの涙を浮かべ嗚咽を漏らしている。言い方は悪いが、真っ白な画用紙に黒の絵の具を垂らしたように、彼らは浮いていた。

 

「あー、LAは持ってかれたか」

「ありがとう。最後はマジで助かった。やらねぇけどな」

「いいさ、それはお前のものだ」

「次は負けないから」

「おっ、ライバル登場か? 負けないぞ」

「やりがいありそうね」

「無理して狙って死ぬなよー」

「あら? キリト君が守ってくれるんでしょ?」

「ぶふっ!?」

「ほーう? 隅に置けないなあキリト。さっそく手を出してんのか」

 

ニヤニヤしながらキリトを眺める。アスナと俺の中でキリト弄りが流行りそうな予感が。切れ者で実力もあるくせに、変なところで真面目なやつは弄りがいがあっていい。

 

そこへ蹴り飛ばしたクラインと、仲間を下ろしたエギルがキリトに寄って来た。

 

「クラインと、エギルだっけ? 助かったよ、ありがとう」

「お互い様だろ。キリトにゃ世話になったからな」

「気にするな。あんたのパーティメンバーが言った通りだ、俺達が府抜けていた」

「あー、悪かった。俺もちょっと言い過ぎたと思う」

「ちょっと、とかいうレベルじゃなかったと思うんだけど?」

「いや、間違いじゃない。心のどこかでまだ疑っていたよ、所詮ゲームだ、死ぬわけがないってな。ようやく吹っ切れた、ありがとよ。あんたたちの勝利だ」

 

Congratulations!  とやけに発音のいい英語でエギルからの賞賛を受けた。多分在日外国人だな。

 

「アインだ」

「エギル。そっちの二人は?」

「黒いのがキリト、細剣使いはアスナ」

「よろしく頼む」

 

苦笑を漏らし、エギルと握手を交わす。長く世話になりそうだな。

 

そこへ………

 

「なんでや!!」

 

初のフロアボス勝利の余韻に浸っていたプレイヤー達と、気を紛らわそうと他愛もない会話をしていた俺達は、急な叫び声に動きを止めた。

特徴的な関西弁と、わなわな震える身体を見れば、声の主が誰なのかは一目瞭然だ。

 

キバオウ。

 

「なんで、なんでディアベルはんが………」

 

その言葉で、忘れようと頭から追い出した事実が脳をよぎる。

 

リーダーとして文句なしの力を見せた彼は、コボルドロードのカタナスキルを見切ることができず死んだ。

 

あの時の静寂が、再び訪れる。

 

「お前、よう見殺しにしたなぁ!」

「………見殺し?」

「せやろ! ボスが使ってきた見たこともないソードスキル! あれの正体も対処法も知っとったんやないか!」

「そ、そうだ! 俺聞いた! あいつらカタナスキルとか言ってたぞ! 他にも俺達が知らないことをたくさん知っててわざと黙ってるに違いない!」

 

キバオウの叫びを皮切りに不審がる声と、会議よりも険悪な雰囲気に包まれる。あちこちでざわざわと騒ぎが大きくなると同時に、ありもしない空想と誤解が広まり浸透していく。

 

……まずいな。俺とキリトが悪く言われるのは百歩譲って仕方がないとしても、コペルやディアベル、アルゴといったビギナーを助けるためにいるβテスターまでひっくるめて悪者扱いにされてしまう。

 

キリトには任せられない。あいつはもう気持ち的に一杯だ。

 

やるしかないか。はぁ、溝を埋めるはずが逆に広げる役割をやらなくちゃならないなんて、これなんて皮肉? いいよ、慣れてるし。

 

頭をガリガリ引っ掻きながらキバオウとA隊の連中のもとへ歩く。ちょうど俺達の間に集まっていたプレイヤー達は、めんどくさそうに歩く俺の道を開けてくれた。モーゼの気分だ。

 

「な、なんや!」

「そう怒るなよ、やりあおうってんじゃないだろ? 今はな」

 

へらへらと笑いながら、今はな、の部分を強調する。実力差なんてはっきりしている、脅しのネタにはもってこいだ。

 

「それで、βテスターがいろんなことを知ってるって話だっけ?」

「そ、そうや」

「おう、知ってるぜ。さっきのボスみたいに変更が無ければの前提だけどな。とりあえず、一層のクリアしたクエストに関しては変化はなかったとだけ言っておく」

「お、お前βテスターなのか!?」

「ああ」

「こ、こいつ……!」

 

何を思ったのか、キバオウの隣で騒いでいた男は槍を構えて穂先を俺に向けてきた。怒り心頭と言った様子で、槍が震えている。現実だったら顔を真っ赤にしてるに違いない。

 

「おう、刺すなら刺せ」

「言われなくとも!」

「そのかわり、犯罪者ってことで町に入れなくなるけどな」

「ちょ、待たんかい!」

 

助走をつけてソードスキルを発動させた槍の男を、キバオウが身体をはって止めた

 

「流石にこれを知らないってのは驚きだな。アルゴの本にちゃんと書かれてるぜ。“禁忌十ヶ条”って大きくな。キバオウに感謝しろよ、どうせその様子じゃ贖罪クエストも知らないだろ。言っておくが、時間経過じゃオレンジカーソルは消えないぜ」

「こ、この………!」

「はぁ、こっちは親切心で忠告してるってのに……」

 

散々馬鹿にされて怒り狂うところを、僅かに残った理性が押し止めている。そんな表情だ。それに比べてキバオウは比較的冷静さを取り戻していた。

 

「……カタナスキルっちゅうのはなんや?」

「上の層でMobが使ってきたスキルだ」

「何層や?」

「さぁ? どーだったかなぁー」

「オイゴラァ!」

「とまあこんな具合で、最前線でひたすら攻略をしてきた俺みたいなβテスターは色んな情報を持っている。例えばスキルスロットが解放されるレベルとか、あんたが言ったボロいクエストとかな。デュエルだって相当な数をこなしてきた」

「せやったら、なんで教えてくれへんのや! あんたらの言う最前線で攻略したプレイヤーの情報があれば、2000人の内何人かは救えたはずやろ!」

「かもな。それがどうした?」

「なんやと! 言葉の意味分かって言うとるんやろうな!」

「勿論」

 

 緊張感のカケラも無いあくびをしながら答える。踵の鋲をわざと大きく鳴らしながら俺を睨むA隊の周りをゆっくりと歩き始めた。

 

「名前も知らず、顔を見たことのない2000人が死んだ。確かに、悲しいことだよ。だからってそれ以上の事を思う事は無い。ちょっと思い出してみろ。テレビで余所の国同士が戦争をしている、とある大国でテロが起きた、内争で今日も人が死んだ………聞きたくは無いけど、偶にニュースで流れるよな」

「………」

 

 頷きも返事も無い。

 

「その度に約何百人が亡くなりました、ってキャスターは言う。そして俺達視聴者は、そんなことがあったのか……と、亡くなった人の数に驚く。だがそこまでだ。それ以上の関心を持つことは無い。日本は平和主義だ、コンビニで店員脅して金を奪った程度の事件がニュースで全国に流れるぐらいな。だから、身近で毎日人が死ぬような環境に居ない限りは、永久的にその程度の関心しか持てないのさ。アンタらの中にも、そう思ってる人が居るはずだ」

「言わせておけば………!」

「それでも2000人と口を開くたびに言うのは、アインクラッドにログインしている人間……つまり、総人口の五分の一が消えたから。そして、勝手に死んでいった連中の責任を都合よくβテスターに押し付けようとしているからだ」

「なっ……」

「もう喚くなお前等、うざい」

 

 2000人の中には様々な人間がいた。

 クリアを諦めて自殺した者、勇んで剣を取り散った者、どうせ嘘だろうと高を括って死んだ者、恐らく一番多いのは戦って死んでいった人達だろう。

 そしてログインしている人も様々だ。

 キリトの様なゲームにどっぷり浸かったゲーマーが殆どの割合を占め、ゲームには興味がないけどSAOには感動したという俺の様な人もいるだろうし、明らかに小学生ぐらいの子供たちは親兄弟から借りたりしたはず(ナーヴギアは購入する際に年齢制限がかかっている)。女性の割合が低いのもここに原因がある。

 

「ベ、βテスターの癖に勝手なことを言いやがって! 何を言ったって2000人がお前らの―――」

「うるっせえなぁ!! 少しも考えずにだたギャアギャアと騒ぐだけのカラス野郎が!! これ以上βテスターだの2000人だのペラペラ喚いて無責任に問題広げようとするなら今直ぐここで俺がぶっ殺すぞ!!」

「ひっ!」

「まさかとは思うが死亡者全員がビギナーだと思ってるんじゃねえだろうなぁ! βテスターが一人も死んでないとか言い出すつもりだっただろうが!」

「そ、そんな……」

「500人だ………」

「キリト……」

 

 今度は俺が我慢できずに怒り始め、槍使いの胸倉を掴んで強く揺さぶる。唾を飛ばす勢いで叫んでいると、静かにキリトが呟いた。

 

「アルゴ……情報屋に調べてもらったよ」

 

 そして2000人の四分の一はβテスターだった。

 勿論βテスターにも実力差はある。キリトや俺は最前線で攻略を続けるトップクラスで、コペルは俺達の後を追うように城を駆けあがった中堅だ。中には《はじまりの街》から出らずにVRワールドを楽しむだけの人だっていた。

 

「俺のフレンドも……いつの間にか亡くなっていた」

 

 正式サービスが始まると、βテスター……もっと詳しく言うなら、攻略を常に行っていたβテスターは一斉に街を出てレベル上げとクエスト、装備集めに取りかかった。ここで既に何人か死んだことだろう。

 そして、その事に気が付いたビギナーはβテスターに対して怒りを持ち始めた。そこで街に残ったβテスターは自分の素性に気付かれる前に無理矢理外へと逃げ、死んだ。

 

 低レベルかつ戦闘に不慣れでソロであったことと、死ぬという条件が思いきった動きに移れずに死んだことが、主な要因だと考える。βテスターだからこその死因だ。

 

「だそうだ。ふん」

「ひいっ!」

 

 アイツの顔を見てると気が逸れた。一発ぐらいは殴ってやりたかったが、槍使いをぽいっと放り出して背を向けると、キバオウから声をかけられた。

 

「待たんかい。そっちの言い分は分かった、それでも2000人………やないな、1500人のビギナーが死んでしもうたことには変わらん」

「それはβテスターもビギナーも、どっちも悪くてどっちも悪くないと、俺は思う」

「その心は?」

「βテスターが、あの日一斉に街からでていったのは、攻略する為だ。少しでも早く、効率よくレベルを上げるため。これは分かるな?」

「おう」

「そしてビギナーは後を追うように街を出た」

「せやな」

「問題はここだ」

 

 背を向けながらではなく、再び面と向かってキバオウを見る。

 

「ビギナーは何故そこまでして街を出ようとしたんだろうな?」

「は?」

「要するに、βテスターなんて放っておいて、自分達のペースでレベルを上げて攻略を進めればよかったんだよ。街に残ったβテスターを中心にしてな。そうすれば、溝がここまで深まることも無かったし、死亡者も最低限に抑えることができた。常に六人のパーティを組んで、ステータス管理もしっかり行えば、死ぬことはまずあり得ない」

「レクチャーをしなかったβテスターと、無理に攻略を進めたビギナー、両方が悪いちゅーことか?」

「俺はそう思うよ」

 

 もっともこれは、鼠と飲んでいた時にアイツが愚痴ってた内容何だけどな。そっくりそのまま話しちまった。

 

 確かにその通りだと、共感した。β一の鼠のアルゴが居れば情報統制はしっかりできていたはずだし、ディアベルが全体の指揮を執っていれば、ビギナーはしっかりと育っていたに違いない。

 

『アーたんとキー坊達がそそくさ先に行っちゃうから、オイラ大変だったんだゾ』

 

 あの時のアルゴときたらこっちも大変だった。

 

「それはもしかしたらの話は、現実はβテスターとビギナー一緒になってボスと戦ったやろ。ここにおるもんがそれを証明しとる。やったら、今すぐにでも色々と教えてくれてもええんちゃうか? 罪悪感を感じとるなら、そうするべきやないんとちゃうか?」

 

 キバオウのこの返しは実に予想しやすかった。というのも、俺がアルゴに聞き返した内容とまったく同じだったからだ。

 

『今はごちゃまぜになって攻略してるじゃないか。自分がβテスターだってことを黙ってビギナーのパーティに混ざってる奴もいる。今からでもレクチャーするべきなんだろうかね?』

 

 アルゴはこう返した。

 

「『答えはNO。恨みの積もったビギナーがβテスターを受け入れる可能性は万に一つぐらいサ、とっても長い時間がかかるだろうネ。もし、その懸け橋になるナニカがあったとすれば、それはアインクラッド唯一の存在だろうガ………失くせば、βテスターとビギナーの溝を埋める事は不可能ダ。100%ナ』」

 

 その時はその懸け橋とやらが何なのか想像がつかなかった。だが、今なら分かる気がする。

 

 ディアベルだ。

 

 この状況を作り出した原因は間違いなくβテスターにある。そして、修復するならばβテスターが謝罪しなければ水には流せない。そこから導くこともβテスターの役割だろう。

 

 全ての条件を満たした存在は、俺が知る限りではディアベルしかいない。そもそもコミュニケーションを上手くとれて尚且つリーダーシップのある奴がいるならとっくに行動を始めている。

 

 キリトのアニールブレードを取引するという話を信じるのなら、キバオウはディアベルがβテスターだという事を知っていることになる。

 

「ワイは……!」

「アンタがどう思っているとか、そんなのは関係ない。一個人の感情や思考はこの際何の力も持たないからだ。それに、今更俺達も教えるつもりなんてサラサラないね」

「どういうことや……!」

「フィールド・ダンジョンに設置された宝箱、レアアイテムを手に入れられるが一度に一パーティしか挑戦できないクエスト、効率のいい狩場の独占……考えただけでも楽しくてたまらないね」

「な………」

 

 さっきとは全く正反対の事を言っているのは分かっている。が、俺は改めるつもりはない。さっさとこんなところをオサラバする為には、ガンガンレベルを上げて突っ走るのが一番だ。その為にはレアアイテムの独占も必要になるし、狩場に籠ることだってあるだろう。

 それに、今更ビギナー相手にレクチャーしたって意味がない。ここに居ないだけで、熟練のβテスターは要るし、同等のビギナーも迷宮区近くの街にいる。つまり、一ヶ月で並ばれているんだ。出し抜かれるんじゃないかと思うと、反抗心に火が付きそうだ。

 

「俺には俺の目的がある。レクチャーしてほしいのなら、他を当たるんだな。まぁ、十層に到達したプレイヤーはほんの一握りだ、会えるかどうか……教えてくれるのかすら怪しいな。頑張れ」

「な、なんでや! そんなん卑怯やないか!」

「そうか? 俺はβテスターなんだからな。その特権を利用するのがそんなにおかしいことか? 利益の独占は、人間として当然の欲求だぜ」

「こ、このっ……! 腐れ外道がァ!」

「じゃあな」

 

 今度こそ背を向けてキバオウから離れる。通った時よりも広がった人の道を堂々と真ん中を通って、エギルとクラインの傍を横切って素通り。

 

「アインよう、お前ならもっと穏便に収められたんじゃねえか?」

「キバオウ一人ならな。ビギナー全員を説得して回れってのは流石に無理だ。それに、さっき言ったことは嘘じゃない。俺の本心だよ」

「……そうか。目的ってのは知らねえが、突っ走って死ぬんじゃねえぞ」

「おう」

「俺は次のボス攻略にも参加するつもりだ。今の状態なら、お前等は入れてもらえそうにないだろうから、パーティは空けといてやるよ。二層で会おうぜ」

「ありがとう、エギル。必ず行く」

 

 二人は優しく言ってくれた。

 

 さらに真っすぐ歩いて、取得経験値と取得コル、LAボーナスウインドウを眺め続けるキリトと、傍で立っているアスナの前で止まる。

 

「俺は行くけど、お前どうする?」

「行くさ。お前ばっかに悪い役を押し付けられないしな」

「別にそんなつもりじゃねえよ。邪魔されたくないだけさ」

「そうか。ま、俺もザコなβテスターやビギナーと一緒にされたくないしなぁ!!」

「……はぁ」

 

 後半の台詞を大きな声で、わざと聞こえるように出したキリトは、ゆっくりと立ち上がってレイドを見た。馬鹿な奴、誰のためにやったんだと思ってるんだ……。

 

 悪役っぽい表情で笑みを浮かべ、自慢げにLAで獲得したユニーク装備のコートをつける。

 

 ビギナーの矛先は十分俺に向けた。連中のβテスターが全部悪いという考え方も揺らぎが出てる。キリトがやろうとしていることは、怒りを向ける先を増やすことと、単なる釘刺し。優しいコイツらしい。

 

「早速エクストラスキル取りに行こうぜ」

「その前に、鍛冶屋だろ」

「……確かに」

 

 それにしてもコートがよくに合うな……案外悪役も向いているかもしれない。

 

「こっ、このチート野郎ども!」

「悪のβテスターどもが!」

 

 背後からはレイドメンバーからの罵詈雑言。ちらっと眼だけで後ろを見ると、怒り狂うプレイヤー達と、悲しそうに俺達を見るエギル、クライン、そしてアスナ。

 

 上手くいったとは思えないが、他のβテスターへ怒りが向かないことを祈ろう。

 

「チートとβで“ビーター”だ!」

「へぇ、いいな、それ」

 

 何やら面白い造語に反応してしまった。チートとベータで“ビーター”ね。なるほど、βテスターとビーターで細かな区別がつくわけだな。

 

「俺は……俺達はトップのβテスターで利己的なプレイヤー……ビーターだ」

「お前のコートにピッタリの名前だな」

「うるさい」

 

 脇を肘で小突かれながら、俺達は二層へと続く大階段をゆっくりと昇った。

 

 

 

 

 

 

 

 最後の一段に足をかけ、歩を進める。ぶわっと風が吹き付け、自然を感じさせる香りが身体を包んだ。

 

「綺麗だな」

「ここはどんな景色だって綺麗だよ。現実はガスやら何やらで汚い」

「情緒ある言葉を出そうぜ……」

 

 さっきの論争も忘れて、大階段前の崖に腰を落とす。そう言えばボス戦が終わってからまだ十分ぐらいしか経って無いんだよな……。濃い一日だ。初日の森でネペントを乱獲した時より疲れがきてる。

 

「はぁ……」

「後悔するぐらいならやらなきゃいいのに」

「うお! アスナ!?」

 

 キリトが細い溜め息をつくと、いきなりアスナがキリトの隣に現れてコメントした。全く持って彼女の言うとおりだ。変な罪悪感で行動するからそうなる。

 

「何か用かい? 期待のビギナーさん」

「伝言を預かってきたわ。それと、悪のビーターさんにお願いがあって来たのよ」

「まずは伝言から聞こうか」

 

 胸を抑えて息を整えるキリトを余所に、アスナから伝言を聞く。

 

 ゴホンゴホンと何度か咳をして、あーあーと喉を鳴らした後にようやくアスナは口を開いた。

 

「あんたらの言い分はよくわかった。共感できるとこもあるにはある。それでもやっぱβテスター……ビーターは認められん。ディアベルはんには悪い思うとるが、ワイなりのやり方で攻略を目指す。負けへんからな! ………以上、キバオウさんからよ」

「……それ、真似したつもりか?」

「似てるでしょ?」

「全然」

「そこはお世辞を言うところよ」

 

 キバオウの喋り方と声を真似したアスナの伝言は確かに受け取った。途中から真剣な表情で聞いていたし冷静な場面もあったから、一応彼の心には響いたようだ。向いているかは分からないが、今後リーダーとして活躍する人物が、自分なりのやり方という事でβテスターを受け入れてくれることを祈ろう。

 

「次、お願いとやらは?」

「このままパーティに入れて、色々と教えてくれない?」

「俺達は泣く子も黙る悪のビーターだぜ?」

「ちょっと驚かしただけでビックリするビーター(笑)ね。私はビギナーで、ゲームも初めてなんだから、生きていくためには知識が足りないのよ。足手まといにはならないから」

「ダメだなんて言わないけど、一緒にいることでお前まで言われても知らないぞ」

「言いたいことは言わせればいいのよ」

「恋する乙女は強いな」

「な! ちょ、ちょっと何を言ってるの!?」

「なーんでもなーい」

 

 バレバレだっての。両想いとは、面白いったらありゃしない。その内戦闘中もイチャつきはじめるんかねぇ……とばっちりをくらう俺の身にもなってほしいな。

 

「キリト、アスナがついてくるってよ」

「おお、そうか。よろしく」

「……そうね」

 

 哀れアスナ。こいつは難しいと思うぞ。

 

「さて、行くか。アクティベートしよう」

「アクティベート?」

「転移門を開くのさ。ログインした時の大きな広場に、白い石碑があっただろ?  あれが転移門。各層の主街区を繋ぐテレポーターで、層の移動には転移門を使うんだ。ボス攻略をしたら、転移門を開いて祭りをやるのがβの習慣だったよ」

「私達だけじゃない」

「早速ビーターの話が一層でも広がってたりして……」

「アイン、アスナ、お前等不吉なことを言うなよ……変装しなきゃ……」

「要らないから、絶対」

 

 立ち上がって埃を落とし、第二層主街区へ向けて進路をとる。キリトを先頭にして、アスナ、俺の順番で階段を下りた。ふざけながら、楽しく下る中で、俺が考えているのは詩乃の事だ。

 

 たった一層に一ヶ月もかかってしまった。難易度が低く、要求レベルもたいして高くない、ひねりも無いただのダンジョンにだ。チュートリアルと言っても差し支えないぐらいだ。更に言えば、三層まではそんなもので、SAOが始まるのはそれ以降から。序盤の序盤でこんなに時間がかかるのなら、一体どれほどの時間をかければ百層へ到達できるのか……?

 

 βテスターとか、ビーターとか、ビギナーとか、こんな次元の争いをしている暇がないことは分かってる。でも、急がなければならない。

 

 一体どうすれば最速で攻略できるのか、誰にもわからない。もしかしたら、俺が選んだビーターとしての道は遠回りなのかもしれない。

 

 だがやるしかない。迷っている時間があるなら一回でも多く槍を振って、スキルを上げるしか、アインクラッドを踏破する方法はないんだ。

 

「詩乃……」

「なんか言ったか?」

「何も言ってねえよ、アホ」

「え、俺何かした?」

 

 ……思いつめても仕方ない。気長に早急に、攻略しよう。

 

 まずは《体術》スキルだな。槍の耐久値を回復させて、防具とアイテムを整えたら岩盤地帯へ行こうかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 菊岡さんが用事が出来たから少し出てくると言ってどれくらい経っただろう。壁に掛けられた時計を見ると、たったの五分しか経っていなかった。病室に入ってからは三十分経過している。

 

 私は片時も眠るユウの傍を離れなかった。

 

 ……そろそろいいかしら?

 

「待っててね、すぐに会いに行くから」

 

 頬と左手の甲へ軽くキスして、そっと病室を離れた。

 

 この病院は東京でもかなりの大きさを誇っているらしい。大きいという事はそれだけ設備も良くて入院患者の数も多い。ユウがここへ搬送された以上、他にもSAOにログインした人が運ばれているはず。

 

 ニュースでは既に2000人近い人が無くなったと発表があった。ゲームのシステムがどのようなものかは分からないけど、クリアには相当な時間がかかるらしい。

 

 それだけの時間、ユウに会えないのは拷問という言葉すら生ぬるいほど私にとって苦痛で、地獄だ。

 

 だから会いに行く。

 

 その為にはナーヴギアとSAOのゲームソフトが必要。そして、ログインした後、私の身体を受け入れてくれる場所。

 

 この病院は全ての要素を含んでいる。最適な場所だ。

 

 たとえ、土下座してでも手に入れる。既に亡くなった人からだろうと、手に入れてみせる。

 

 

 

 

 

 

 ユウの病室を出て廊下を歩いていると、人の泣く声が聞こえた。とても悲しそうな、たくさんの声。道なりに歩くとどんどん大きくなって、ドアが開いたままの病室から漏れているのが分かった。

 そっと顔だけをドアの陰から出して部屋を覗いてみる。

 

 作りはユウの病室と大差なかった。入ってすぐにトイレがあって、その向こうにカーテンの仕切りと、ジェル状の特別なベッドがある。

 違っているのは、そこに白衣を着た人と、看護師の人が機材を運びいれていること。病室を利用している患者さんの家族らしい女性が、ベッドに額をつけて泣いていること。そして、ドラマでよく聞く音――心肺停止を示す機械音が響いていることだった。

 

 この病室の患者さんは……亡くなったんだ。

 

 そっと目を閉じて、幼いころにユウが教えてくれた方法で冥福を祈る。

 

 問題はここから。

 もし、ここの患者さんがSAOプレイヤーだった場合、当然ナーヴギアとソフトを持っているはず。そうだった場合は、何としても譲ってもらわなければならない。

 

 お子さんのナーヴギアとSAOのソフトを私に下さい、か。

 

 無神経すぎて笑えちゃう。私だったら速攻ビンタして警察につきだすわね。

 

 それでも、やる。

 

 近くのトイレに引き返して、病室から医者と看護師が去るのを待つ。十分ほどで出て行ったのを確認して、すぐに目的の病室へ走った。ここは上の階だし、ナースステーションも遠くにある。走るなと注意されることなく、誰にも気付かれずに病室へスッと入ることができた。運が良かったのか、ドアはまだ開いたままだ。

 

 そっと足を踏み入れて病室へ一歩だけ入る。底からは足音を立てないように細心の注意を払いながら、それでいて時間をかけないように奥へと進む。

 

 カーテンは全て端へと追いやられ、ベッドの淵にはまだ声を出して泣き叫ぶ家族の方。そして、患者さんは……ナーヴギアを被っていた。

 

(よし!)

 

 第一関門クリア。次が難関よね……。

 

 生唾を飲み込んで、ユウの姿を思い出す。………よし、私ならやれる。やる。やらなくちゃいけない。やるしかない。

 

「あの……」

 

 泣き声だけが響く病室に、私の声はよく伝播した。

 

「え、あ、すいません……騒がしいですよね」

「いえ、私の方こそすみません。勝手に入ってきてしまいまして。………あの、そちらの方は、SAOに」

「……私の息子です。大学に合格して、仲の良い友人や彼女もできて、内定も貰ったところへ……あなたも、家族の方が?」

「その、まだ(・・)家族ではないんですけど、愛する人が……」

「そうですか……中学生?」

「中学一年、です」

「若いのにね……素敵だわ。それだけに、残念ね」

「……はい」

 

 俯いてぎゅっとスカートの裾を握る。この人はとても優しい人だ。だから、切り出せない。しなくちゃいけないのに、言いだせなくなってしまった。

 

 それでも、私は……!

 

「あの! お願いがあるんです! SAOのソフトを、私に下さい!」

「え?」

 

 驚くところを無視して言葉を続ける。ここでたたみ掛けるしかない。

 

「ご存じの通り、ナーヴギアとソフトの発売は中止になっていて、現在市場には出回っていません。既に購入されても初日でログインしなかった方は両方とも国が回収しています。手に入れるためには、既に、亡くなられた方から頂くしか、無いんです」

「………」

「私は、彼の傍に居たい。その若さで……と思われるかもしれませんけど、私には、耐えられないんです。私も、彼も、人にはとても言えないような罪を犯してきました。近所でも学校でも友達一人いません。酷い嫌がらせも受けます。それでもこうしていられるのは、彼が傍に居てくれたから、それだけで私は私でいられました」

「………」

「この一ヶ月、外に出ることすら怖かった。何処へ居ても孤独で、一人ぼっちで、寂しくて、辛くて。思い知らされました。理解してくれるのも、傍にいてくれるのも、ユウだけなんです。私はぁっ! これ以上耐えられない……! 少し目を離した間に、身体が冷たくなってたらと思うと……怖くて、怖くて……死にたくなる! ユウの傍以外に私の居場所は無くて、ユウが居ない世界なんて、生きて、いけない………」

 

 急に涙があふれて、視界がグシャグシャに滲んでいく。目も開けられなくなって、涙が止まらなくて、膝に力が入らなくて地面にぺたんと座りこんでも、ぼろぼろとこぼれるのを抑えられなくなった。涙も、気持ちも。

 

「……息子さんを亡くされてすぐに、こんな、会いに行きたいなんて我儘を言うこと自体、間違っているのは、分かってます……。それ、でも、何をしてでも、私は……ユウに会いたいんです……!」

 

 鼻水だって出てるかもしれない。いつもの私なら絶対に見せないような、汚くて醜い姿をしているに違いない。他人の身の上の不幸を糧にして、自分の望みをかなえようとしているのだから、きっと世界中で誰よりも醜いだろう。

 

 だから? そんなの関係無い。その程度は躊躇う理由になりはしない。

 

「お願い、します! 私を、ユウに……会わせてください!!」

 

 いくらでも罪を重ねたっていい。どれだけの酷い言葉をかけられてもいい、殴られてもかまわない。ユウに、会えるのなら。傍に居られるのなら。

 きっと……いや、必ずユウは許してくれる。暖かく迎えてくれる。口では色々と叱っても、抱きしめてくれる。

 

 何よりも、私が求めるのはそれだけ。

 

 そのままどれだけの時が過ぎたのか、私には分からない。長いようで、短いと思う。入ってきた時とは逆に、私のすすり泣く声が響いて、女性の方は黙って私を見ていた。

 

「私には、あなたの気持ちは分からないわ。それに、ここであなたを叩いても誰も文句は言わないでしょう。あなたの言うとおり、とても失礼で、神経を逆なでする行為よ」

「………はい」

「………息子のように、死んでしまうかもしれないのよ?」

「分かっています」

「………いつ出られるかも分からないわ」

「必ず戻ってきます」

「………必ずあなたが探している人に会えるとは限らないでしょう?」

「会います。会えます」

「………そう」

 

 女性の方はゆっくりと立ち上がって、息絶えた息子さんが被っているナーヴギアから一枚の分厚いカードの様なものを取り出した。

 柄の書かれたシールが貼られており、英語で文字も書かれている。

 

 Sword Art Online と。

 

 同時に、上着の胸ポケットから紙を取り出して何かを描き込んでいる。

 

「名前は? なんて言うの?」

「……朝田詩乃、です」

「愛しの彼はユウ君っていうのね」

「えっと……私がそう呼んでいるだけで、名前は違うんです」

「仲が良いのね」

 

 くすくすと泣いて腫れあがった目で優しく笑いながら、涙で濡れた震える手に、そのカード……SAOのソフトと紙をそっと置いて握らせてくれた。強く私の両手ごと包んでくれている。

 

「約束、聞いてくれるならこのままコレをあげるわ」

「………はい」

「絶対に生きて戻ってくること。元気になったら、私に顔を見せに来て頂戴」

「はい……」

「ユウ君に会って、思いっきり甘えちゃいなさいな。離れちゃ駄目よ?」

「はいっ…」

「それと、できればでいいわ。私の息子の最後を看取った人を探してほしいの。このゲームの中は限りなく広いそうだから、難しいかもしれないから、無理はしないで、あなたの目的のために、行きなさい。守ってくれる?」

「必ず! 絶対に、会いに来ます!」

「頑張ってね。行ってらっしゃい、詩乃ちゃん」

「はいっ!」

 

 嬉しさで涙が出そうになる。めいっぱいそれをこらえて、笑顔で送り出してくれる女性の方に感謝の気持ちをたくさん伝えて、病室を出た。

 

 SAOのソフトを大事に抱えて、ありがとうございますと心の中で何度も呟きながらユウの病室へ戻る。

 変わらず眠り続けるユウを眺めながら、早速準備に取り掛かる。

 

 ユウが前に言っていた事を思い出す。

 

『ナーヴギアは、最初に起動すると使用者の体格を測定するんだ。例えば、ナーヴギアをつけた状態で手が何処まで届くのか、とか、肩の位置を触ったりとかな』

 

 つまり、ナーヴギアの使い回しはできないということ。ナーヴギアを先程の女性から貰わなかったのはこういう理由があるからだ。でも、ナーヴギアが無ければログインはできない。

 

 何も問題は無い。要するに――

 

「自分のナーヴギアを用意すればいいのよ」

 

 持ってきていたカバンから自前のナーヴギアを取り出す。

 SAOの事件が起きた直後、すぐにショップに行って買ってきたものだ。おかげで財布は空っぽだけど、後悔は無い。すぐに製造中止、回収が始まったので、見つからないようにこっそり隠して待っていた。思えばあの時から、私はSAOへ行こうと思っていたのかもしれない・

 

 病室にある二つ目のLANケーブルを自分のナーヴギアに繋いで、ソフトをセットする。

 

 その時、はらりと紙が一枚落ちた。女性の方が、私に渡してくれる前に何かを書いていた紙だ。拾い上げて読んでみると、それは名刺で、電話番号や住所が書かれていた。

 

 “株式会社 櫻庭ホテル”

 “代表取締役社長 兼 最高経営責任者”

 “櫻庭佳苗”

 “E-Mail:**********@******”

 “TEL:***-****-****”

 

 裏面には手書きでこう書かれている。

 

『息子のキャラクターの名前は“ディアベル”というそうよ。前からゲームをする時はそういう名前をつけていたし、自分でもそう言っていたから』

 

 ………もしかしなくても、菊岡さんの何倍も凄い人だった?

 

「はは……」

 

 これは、何としても会わなくちゃね。それに、ディアベルさんを知っている人を探さなくちゃ。

 

 ソフトをセットして、コンセントにプラグを差し込んで電源を確保。ナーヴギアのウインドウには充電中を示すアイコンと、現在時間が表示されている。

 

 自分が寝転がるスペースを確保して、弛緩しているユウの右手を左手で握って、身体を寄り添って寝転がる。左を向けば、ユウがよく見える。こうして同じベッド寝るのは久しぶりね、ユウ。

 

 名刺を絶対に失くさない場所、誰にも触られない様な所……財布の中に入れて、目を閉じる。

 

 仮想世界へといざなう言葉を口にしようとしたその瞬間……

 

「いやぁ、お待たせ詩乃ちゃん」

 

 き、菊岡さん! は、早くしないとナーヴギアを取られちゃう!

 

「ごめんね、時間かかっちゃて………って何をしているんだい!? 早くそれを外して!」

「……ごめんなさい。私、行かなくちゃ」

「詩乃ちゃん!」

「リンクスタート!!」

「し―――」

 

 待ってて、ユウ。私すぐに行くから。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

phase 12 ファーストフレンド/《エクストラスキル》


 ちょっとした要望がありましたので、試験的に導入した個所があります。

・行間に記号を使用

 チョイスは適当です。出来ればご感想と一緒にどうだったか意見くださるとうれしいです。


 

 目を開けると、目の前には一風変わった窓ガラスが浮かんでいた。そこには一人の少女が目を開いたまま直立していて、何処となく少女は私に似ていた。

 

 そこへ声が響く。

 

『ソードアート・オンラインへようこそ。ここでは、あなたの分身となるアバターの設定を行います』

 

 アバター……ゲームの中での私の身体のことね。という事は、目の前の少女がそうなのね。……このキーボードで設定できるの?

 

 こういう機械を触ることはあんまりなかったから、どうすればいいのかしばらくオロオロしていると、またアナウンスが流れた。

 

『お困りの場合は、ウインドウの右下にあるHELPボタンを直接タップしてください』

 

 へ、ヘルプボタン? ……これ?

 

 優しくタッチすると、そこから右へひときわ大きなガラス……ウインドウが現れた。手元のキーボード……コンソールを使った設定方法を図と一緒に事細かく書かれている。これは助かった。

 

 なるほど……ここを弄れば髪型が変えられるのね。色も好き放題って……ピンクや金髪はちょっと……。

 

 と、今までない経験に心底楽しんでいた私はいつの間にか結構な時間をかけて、アバター作りを完成させた。

 

 結局殆ど姿を変えることはしなかった。このアバターの元になっている私の現実の身体をベースに、体格はそのまま、髪を背中まで伸ばしてみた。いつも肩に届かない程度に揃えていたので、髪が伸びた私にちょっと憧れていたからやってみたけど、悪くないわね。勿論、色は黒。メガネはかけない。

 

『コンソールの青いボタンを押すと、現在のアバターに変更されます。もしそれでよろしければ、隣の赤いボタンを押してください』

 

 とりあえず、青いボタンを押してみる。

 

 間もなく身体が光りに包まれていく。眩しさに目をつぶって数十秒すると、光りが収まったのが瞼越しに分かったので、ゆっくりと開く。

 コンソールの向かい側の設置された鏡を見ると、確かに私なんだけど、髪がすらっと伸びているだけで別人のようだ。あれ? もしかして、私って可愛い? とか柄に無いことを思ってしまうぐらいに。

 

 続けていつもの髪型も試してみる。………うん、私。

 

 どうしよう……?

 普通にゲームをするのなら、さっきの長い髪でもいいし、どうせなら……と割り切って大胆に髪の色を変えたり、身長を伸ばしてみるのもいいかもしれないけど、それでは問題が起きてしまう。

 ユウが気付かないかもしれなくなる。

 

 ………それはまずい。現実の姿で渡り歩くのも怖いけど、見つけてもらえないと、私だと気付いてもらえる確率は殆どゼロになってしまう。

 そもそもユウがこのゲームでどんなアバターでプレイしているのかも知らない。こういったオンラインゲームでリアルの情報を訪ねるのはマナー違反だと聞いた。グルグルと練り歩いてユウの目に留まるか、聞いて回るしかない。

 

 聞いて回るって……まさかユウが本名でプレイするはずないし……。

 

「あ」

 

 そう言えば、詳しくSAOの話を聞いた時に、ちらっと話していた気がする。

 

『……ふふっ』

『な、なんだよ』

 

 コレの前! 前の会話……!

 

『嫌』

『どうしたんだよ急に……』

 

 ………そうだ! 確か、こんな感じの流れだったはず……。

 

『ゲームの中では、名前どうするの? 本名?』

『んなわけあるか。リアルのデータは持ち込み厳禁。マナーだよ』

『じゃあ何ていう名前でやってるの? まさか……ユウって名乗ってるんじゃないでしょうね?』

『いや、別の名前だけど。ダメなのか?』

『ダメ。絶対にダメ。私以外の人がユウのことをユウって呼ぶのは嫌』

『どうしたんだよ急に……』

『じゃあユウはそれで良いの?』

『俺か? ……うーん。そう言われるとなんか違和感ありそうだな。詩乃がユウって呼ぶのは普通だけど』

『………ふふっ』

『な、なんだよ……』

『何でもないの。それで? 実際どんな名前なの?』

『《アイン》。ドイツ語で1を表すんだ』

 

 そう、《アイン》。間違いない。

 

 名前さえ分かれば十分ね。モンスターとか襲って来ない場所で聞き込みを続ければいい。このままの姿なら、ユウが見つけてくれるかもしれないし。

 

 ………よし。

 

 ありはしない生唾を飲み込んで、赤いボタンを押す。すると今度は見慣れた文字の並びが現れた。

 

『ゲームで使用する名前を入力してください。尚、現実での情報を入力することは堅く禁じさせていただきます』

 

 機械音声のアナウンスを聞きながら、迷いも無く《詩乃》と打ち込みそうになって、慌てて手を止める。本名はダメだった。

 ……でも、ゲームとか初めてだし、ニックネームとかも無いし、アニメも見ないからどんな名前をつければいいのか……。ううん……。名前も分かりやすい方がいいのかしら? でも詩乃とは入力できないし……。

 

 原形をとどめつつ、もじるしかない。詩乃……しの……シノ……シノン。……ゲームだし、コレぐらいでいいわよね。誰が文句を言うわけでもないんだから。

 シノン。うん、悪くないわね。

 

 名前はアルファベット表記固定だったので、《Sinon》と入力。もう一度赤いボタンを押した。

 

『お待たせいたしました。心行くまでゲームをお楽しみください』

 

 ええ、楽しんでやるわよ。思いっきりね。

 

 すうっと引きこまれるような感覚に、私は身をゆだねた。

 

 

 

 

 

*********

 

 

 

 

 

 目を開くと石畳が移った。視界の手前には、ファンタジー要素満載の冒険者といった服装だ。濃い緑色の長袖シャツとその上から防具らしい鉄のプレート、膝上までの紺色のスカート、革のロングブーツ。初心者らしい雰囲気が出ている。

 

 視線を上にあげると、現実では到底考えられないレンガや石でできた建造物、城門に、人がすっぽりと入りそうな鐘、化学物質が舞わない空など、新鮮な風景が広がっている。

 そして、私の背中にある重たい金属――剣が、ここがゲームの中だという事を無言で物語っていた。

 

 これが、SAO……。

 

 時間は現実とズレることなく進んでいる。この広場から見える大きな時計台の針と、太陽の位置から確認した私はすぐに行動に移った。

 

 ユウを探す前に、この世界について詳しく知る必要がある。街から街へ移動するならモンスターとの戦闘は避けられないだろうから戦い方を知らなくちゃいけないし、一人では限界がある。初心者用のチュートリアルが今更行われるはずないし、ゲーム初心者の私には常識すら欠けているところも多い。誰かに聞くのが一番だ。

 

 男性は……嫌だ。女性がいい。もっと言うなら同年代ぐらいの。

 

 キョロキョロと広場を見渡していると、スカートを穿いている人を見つけた。鮮やかな髪の色をしていて、腰には剣が下がっている。見た目もとりあえず悪そうな人じゃない。

 ……よし、あの人に聞いてみよう。

 

「あの、すいません」

「はい?」

「私、人を探しているんですけど……」

「人探しのクエスト? こんなの聞いたこと無いけど……?」

「く、くえすと?」

「え、あれ? ……ってよく見たらプレイヤーか。ごめんね、NPCと間違えちゃった」

「えぬぴーしー?」

「……本当にプレイヤー?」

「え、ええ」

 

 じいっと覗きこまれる。早速分からない単語が連発していてボロが出そうだ。というかもう出てる。あまり疑われると協力してもらえなくなる……どうしよう。

 

「ま、いっか。それで、人を探しているけど……何?」

「……探しているけど、ここには居ないみたいで。街の外に出たいのだけど……」

「まあザコMobがうろついてるね。もしかして、戦闘したことないの?」

「あまり剣を握ったこともないから……不安で……」

「レベル幾つ?」

「え?」

「………場所変えようか」

「あ、えっと……!」

 

 とりあえず言いたいことは半分ぐらい言えたけど、更に不信感を抱かれてしまったように見える。キッと厳しい顔をしたかと思えば、言い返す事も手を話す事も出来ずに入り組んだ路地裏まで手を引かれた。

 

 光りも射さない様な暗い場所でようやく止まったこの人は、周りを何度も見て人が居ないことを確認してからようやく言葉を発した。

 

「……あなた、何者?」

「何者って言われても……」

「メニューウインドウ開いて」

「え?」

「ほら、私の言っていることが分からないでしょう? このゲームは殆どゲーマー連中だけど、稀にゲームと接点のないような人もいるわ。それでもメニューの開き方ぐらい分かるし、クエストもNPCもレベルの意味も知ってるし当たり前のように使ってる」

「う……」

 

 やっぱり……。もう本当のことを言ってしまおうか? というより、さっきログインしたってことを隠す必要があるのか分からない。それどころか、その前提がないと人探しをしているということも説明が難しくなるし、たとえ手伝ってくれたとしても最後には騙して裏切ることになる。

 

「当ててみせよっか? さっきログインしたばっかりでしょ?」

「………そうよ」

「やっぱりね」

 

 腰に手を当ててはぁと溜め息をついてから、呆れたような様子を見せた。

 

「現実ではSAOのこと、どうなってるの?」

「……死亡者が出てるわ。それに合わせてナーヴギアは回収、メーカーのアーガスは解体されて、別の会社がサーバーを管理しているそうよ」

「まぁ予想通りかな。それで、危ないって分かっているのにログインしてきたんでしょ?」

「ええ」

「馬鹿じゃないの! ゲームだからって舐めてると痛い目見るわよ?」

「馬鹿だってことは別に否定しないわ。そう見られても仕方がないから。私は私のために、目的があってここへ来たの」

「それが人探し?」

「そう」

「はぁ……」

 

 さっきよりも大きな溜め息をついて、目の前の女性プレイヤーは悩み始めた。顎に手を当てて、目をつぶりながらじっと考えて口を開く。

 

 すっと右手を縦に振ると、四角い窓が空間に現れた。あれがメニューウインドウ?

 

「こうやって、メニュー開いて。アイテムって書かれてるところをタップ。中に《手鏡》ってアイテムが入っているから、それを出して」

 

 《手鏡》? ……とりあえず言われた通りに右手を縦に振る。すると甲高い独特な音を鳴らしながらメニューウインドウが現れた。二つの枠によって区切られ、左側にアバターの現在の状態を示す人型が大きく映って、右側には幾つもの文字列が並んでいる。

 《ITEM》と書かれたところをタップして、そこから幾つかの種類別に分岐した。どれがどれを意味しているのか分からないので、しらみつぶしに見ていこう。………あ、ここにあるじゃない。

 

 タップすると、操作していた右手のあたりが光り初めて飾り気のない鏡が現れた。

 映るのは私……のアバター。瞬きをすれば鏡の私も瞬きをするし、首を右へ傾げれば鏡の私は左へ傾げる。至って普通の鏡。

 

 と思いきや、鏡に映る私が光りはじめた。……いや、私が光ってる!?

 

「な、何これ!? あなた、何を……!」

「大丈夫。ここのプレイヤーは皆同じことやったから」

 

 言ってる意味が分からないから!

 

 愚痴も言えず、あまりの眩しさに目を閉じる。収まってきたところで目を開けると、やっぱり私が鏡に映っているだけだった。

 

「あら? 変化ないわね」

「……変化って何よ」

「その鏡は、アバターを現実の身体そっくりに変更するアイテムよ。初日に茅場晶彦から全プレイヤーに送られたわ。さっきいた広場に集められてね。皆でそれを覗いたから、プレイヤーは現実の姿で攻略を進めている」

「あなたも?」

「ええ。だから驚いたの、あなた、現実の自分そっくりにアバターを作っていたのね」

「人探しに来たから。向こうに気付いてもらえるようにって思って。私から見つけるのは難しいから。でも、現実の姿になるのならそんな心配無かったわね」

「本当に人探しに……」

「最初から言ってるじゃない」

「信じられるわけないでしょ」

「……それもそうね」

 

 ふふっ、と声を出してお互いに笑う。会ってまだ数分しか経ってないし、仲良くなるような話をしたわけでもないのに、いつの間にか少し遠慮が無くなっていた。敬語じゃないし、気遣いもあったものじゃない。

 

 彼女は信用してもいいと、いつの間にかそう確信していた。

 

「お願い、聞いてくれるかしら? 私は真剣よ」

「そうね……今のあなたをフィールドに出すわけにはいかないし……。そうだ、私のお願いも聞いてくれない? 実は人探ししているのよ、私も」

「手伝うわ」

「なら私も手伝う。それに、戦い方とかも教えてあげるわ」

「ありがとう」

 

 差し出された右手を、右手で握り返して左手で包む。傍からみたらちょっとアブノーマルな人に見えなくも無いけれど、私にとってはこれほどなく嬉しいことだ。まさか数分で協力者を得られるなんて……! それにどう見ても学生の女子! ……思えば、ユウ以外で同年代の知り合いなんて始めてかも。

 

「じゃあ早速レクチャーしてあげる。メニューからフレンドって項目開いて」

「……これ?」

「そう」

 

 もう慣れた動きでメニューを開く。右側に並ぶ項目の丁度真ん中あたりにある《FRIEND》をタップして開く。当然、そこには何も書かれていない。

 

「名前から分かると思うけど、そこはフレンド……登録した仲間プレイヤーが表示されるリストなの。誰もいないでしょ?」

「ええ」

「登録する方法は二つだけ。一つは自分から申請を送って承認してもらう、二つ目が相手から申請を送ってもらって承認してもらう。私はもうやり方知ってるから、あなたが送ってみて」

「どうやって?」

「自分を中心に円が出てるでしょ? 円の中心が自分で、赤い光点がプレイヤーを表しているからタップして」

「………あ、でた」

 

 さくさくと進めて、目の前のプレイヤーにフレンド申請を送った。……なるほど、よくできているわね、これ。でも一方的にフレンド登録するんじゃなくて、相互で登録するのならそんなに沢山はいらないわ。

 

「ふぅん。《シノン》って言うの」

「ええ。名乗って無かったわね、ごめんなさい。シノンよ、よろしく」

「こちらこそ。じゃあ私も自己紹介ね」

 

 メニューを開くと、何も操作せずに私へ向けて指を振って飛ばしてきた。そんなこともできるのね……。ウインドウは私の前へくるとぴたりと止まって、表示を変えた。彼女のアバター全身像と、装備している武器の種類、レベル、HPなど様々な情報が詰まっていた。そして、名前もある。

 

「《フィリア》よ。よろしく、シノン」

 

 私よりも長いオレンジ色のショートヘアーがよく似合う目の前の彼女――フィリアは、にっこりと笑ってフレンド承認ボタンを押した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〓〓〓〓〓〓〓〓〓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これでよし、と」

「結構安くついたな」

「そうね」

 

 二層に到着した俺達がまず行ったのはアクティベート……ではなく、アイテム補充と武器耐久値の回復だった。というのも、キリトがビーター騒ぎが広まっているかもしれないから、と言ってアクティベートする前に準備を済ませようと言い張って聞かないからだ。

 

 俺としては早くスキル習得に行きたかったので折れることにした。アスナはどちらでもいいと中立の位置を取っている。

 

「結構時間かかるからな、食料とか多めに買った方がいいぞ」

 

 という俺のアドバイスのもとに、お金を程よく残しつつ水と食料、ポーションを買いそろえて転移門の前に並んで立つ。

 

「キリト、アクティベートはアスナにやってもらおう」

「だな。これから機会も増えるだろうし、損にはならないよ。どうだ?」

「やるわ」

「その前に一つだけ。ヘタレビーターがビビってるから、俺が合図したらすぐに走って離れるぞ。俺が先導するからとにかくついてこい」

「OKよ。で、どうするの?」

「触れるだけでいい。転位門全体が光りはじめて、それが収まったら開通だ。転移のやり方はまた今度教える」

「分かった」

 

 それだけを言うと、アスナはケープのフードをかぶってスタスタと歩き始めた。転位門の石碑との距離はもうゼロに近く、少し手を伸ばせば触れられるまで近づいた。

 

「触るわよー」

「おう、何時でもいいぞ」

 

 ここからでは見えないが、かすかにアスナの右手が動いたのが確認できた。一瞬間を置いて、転移門全体が青白い光に包まれる。久しぶりの光景にもう少し見ていたい気持ちが湧いてくるが、振り払って合図を出した。

 

「走れ!」

 

 後ろを確認せずに振り向いて全速力で地面を蹴る。キリトとアスナが追いついてこれるギリギリの速さで、マップを見ながら足を回転させた。大丈夫、二人はついてきているな。

 

 速度そのままで角を曲がり、門を出る。同時に圏外エリアを示す警告が視界に表示されるが、そんなことは分かりきっているので当然無視。β時代を思い出しながら、マップと照らし合わせて方角を修正していく。

 

「おーい! もう街は出たから走らなくてもいいんじゃないかー!?」

「夜になったらクエスト受けられなくなるんだよ!」

「はあ!? 早く言えよ!」

「お前が武器屋で悩んだ挙句に何も買わなかったからこうやって走ってるんだろうが!」

「お前だって防具屋でマフラー買おうか悩んでただろー!」

「いいから黙って走りなさい!」

「「すいませんっしたー!」」

 

 夜に切り替わるのは午後七時から。現実では今の季節だと午後六時にチャイムが鳴って、それを合図に小学生達は家に帰っていくが、ここでは一時間ずれている。日の出日の入り、気温や湿度など、なるべく現実に準拠しているが、基本的には春や秋の様な気温に設定されている。恐らく、砂漠の層や雪国の層があるのだろう。

 

 現在時刻は午後六時三十分。その場所を確実に覚えているわけじゃないし、道中も非常に険しいために時間内でたどり着けるかどうか……。

 

 アスナのお叱りを受けつつも、俺達が足を止めることは無かった。

 

 そして午後六時五十五分。

 

「つ、着いた……!」

「な、なんだよあの悪路は!」

「……二度と来ないから」

 

 何とかたどり着くことができた。

 

 二層は一層に比べて少し岩山が多い。俺達が走ってきたのはその岩山の中でも特に起伏が激しく、危険な道だった。ゆっくり進んでも危ないと言うのに、ノンストップで駆け抜けた俺達は非常に幸運だったと言える。

 

「休むのは後にして、日付変わるまえにクエスト受けよう」

「そ、そうだな。ここまで来て受けられませんでしたじゃあ……悲しい」

 

 キリトの台詞があまりにも悲しみを孕んでいてちょっと笑いそうになった。精一杯こらえて立ち上がり、洞窟の奥へ進む。

 

「ねえ、そろそろ教えてくれてもいいんじゃない? 何のクエストなの?」

「一層のボスフロアで言っただろ。《エクストラスキル》だよ」

「《エクストラスキル》?」

「通常のプレイじゃ習得できないスキルのことさ。これもその一つ」

「どんなスキル何だ? 役に立たない様なのだったら怒るぞ」

「絶対に役に立つぜ。勿論、アスナもな」

「ふぅん」

「エクストラスキル《体術》。素手で使えて装備もいらないいつでも使える攻撃スキルさ」

 

 言いきるように話を切り上げて、歩調を早める。もう少し奥へ行くと、入口からは考えられない程大きな空間が広がっており、一軒の家が建っていた。家の前には焚火で暖をとる老人の姿が。頭上には、クエスト受注可能なマークが浮かんでいる。

 

 近づくだけで、老人は俺達に話しかけてきた。

 

「何の用じゃ?」

「じいさんの秘伝の技、俺達に教えてくれよ」

 

 ここは定番通りの「何かお有りですか?」では起動しないのがやらしいところだ。

 

「辛い修行になるぞ」

「望むところさ」

「そうか………」

 

 爺さんは立ち上がると、お尻を叩いて土を落とした。

 

 ……と思った瞬間、右手に持った筆を振り抜いた体勢で俺の背後、更にキリトとアスナの背後にまで瞬間移動していた。筆の先からぽたりと墨汁が滴る。

 

「ならば焚火のすぐ近くにある岩を素手で砕いて見せよ。そうすれば、頬の印を消してやろう」

「おう」

 

 それだけを言うと、筆と墨汁が入っているであろう壺を懐へ収めて家の中へ入って行った。岩を砕くまで、老人は家から出てこない。

 

「ちょ、何よこれ!」

「ぶははははは!! 傑作だなお前等!」

 

 振り向くとそこには猫のような髭を生やしたキリトとアスナが。実際に生えているわけではなく、爺さんの墨汁によるペイントで猫髭を書かれたのだ。

 

「お前等今日から《キリえもん》と《アスにゃん》だな!」

「「うっさい!!」」

「これとれないんだけど!」

「げ、ホントだ! こすっても消えない!」

 

 律義にチュートリアルで配られた手鏡を持ち続けていたアスナがそれを除いて、頬を合わせてキリトも覗きこむ。黒く細い六本の線はこすっても水を塗りたくっても絶対に消えない。老人が言ったように、消すためには岩を素手で破壊する……クエストクリアしかないのだ。

 

「――てことで割るぞ」

「……おう」

「何で私まで……」

 

 ものすごいローテンションで、《体術》習得クエストは始まった。

 




 フィリア、これで合ってるよね?


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

phase 13 出立/岩砕き

 

「まずは武器選びからにしましょうか」

「この剣じゃダメなの?」

「それが合うならそれでもいいけど、一応どんな種類があるのかだけ見に行こう?」

「わかったわ」

 

 フィリアの誘導に従って動く。この世界に来たばかりと言うのもあるけれど、ゲームそのものが初めてな私には街の歩き方から分からない。それに武器は生きていく上で重要な要素になる。しっかりと自分にあった物を選ぶ為にも文句は無かった。

 

 最初に教えてもらったのはNPC……ノンプレイヤーキャラクターとプレイヤーの見分け方だった。とても簡単で、カーソルの有無で見分けがつく。クリスタル上のカーソルが浮かんでいるのがプレイヤーで、そうでなければNPC。クエストを発注してくれるNPCの場合は頭上にクエスチョンマークが、受注しているとエクスクラメーションマーク(! のこと)が浮かぶ。システムが支配しているゲーム内では覆ることのない大前提の一つだ。

 

 アイテムを手に入れる方法はいくつかある。大きく分けると、六つ。

 まずはドロップ。モンスター……総称してMobと呼ばれるザコキャラやボスを倒す事で手に入れる方法。町で売られているようなものから、小数点以下の確率で手に入るレアなもの、更には一体しか存在しないボスクラスの敵からしか手に入らないものまで様々。価値も違う。

 二つ目に、生産。生産系と呼ばれる素材から新しくアイテムを作成する方法。NPCに素材を渡して依頼する事も可能ではあるけれど、どうも質がよくないらしい。そこで、プレイヤー自身が生産をするのが主流なんだとか。武器を生産するだけでなく強化も可能な《鍛冶》スキル、防具とは別で衣服や下着を作成する《裁縫》スキル、鉱石に細工を施して装飾品へと変える《装飾》スキル、食品を作る《料理》スキルなど、まだまだたくさんある。これらはプレイヤーメイドと呼ばれ、製作者のスキル熟練度に比例して質が良くなっていく。攻略が進むにつれて、これらの《生産者》は増えていくだろうとフィリアが言っていた。

 三つ目が、ダンジョンおよびフィールド探索で手に入る宝箱。一度開けられると中身が無くなってしまう為、全体的に貴重と言えるものが多い。ショップでは手に入らないステータス補正のはいった武器防具装飾品消耗品などなど。偶にお金……コルが入っていることもあるそうだけど、どれも高額だったとか。早い者勝ちのレアアイテムという認識でいいそうだ。

 四つ目にクエスト。フィリアが装備している《ソードブレイカー》という片刃がギザギザなナイフは、クエストで手に入れたらしい。同時に、クエストでしか入手できない物でもあると。こちらも大体は貴重なものが多いとのこと。

 五つ目がトレード。《交換(トレード)》というシステムやスキルは基本的に存在しない。厳密に言うとプレイヤー間で行われる売買や物品交換を指している。商人系のプレイヤーが行うことも、プレイヤー同士で直接行われることも、仲介人を置いた場合でもやっていることは全く同じ。他ゲームでの《交換》に相当すると思われトレードと言われるようになったとか。主流は譲歩やを仲介した顔も知らない相手との取引で、感覚的にはインターネットでのオークションやネットショッピングに近い。

 最後が購入。超がつく一般的な入手方法で、簡単かつ楽に手に入れられる。コルさえあれば、だが。

 

 私はピッカピカの初心者なので当然他の選択肢などなく、フィリアお勧めのショップへ行くことになった。

 

「いろいろあるのね………これは?」

「ハルバードね。槍と斧をくっつけたような武器。重たいから、筋力値上げないと使えないよ」

「ふうん……女性だと使えない武器とかあるの?」

「性別による区別は防具と衣服以外は今の所確認されて無いよ。でも、好まれる武器はあるかな」

「例えば?」

「私が使っているナイフ……じゃなくて《短剣》とか、扱いは難しいけど女性トッププレイヤー愛用の《細剣》、近づくのが怖いっていう人には《槍》、普通に《片手剣》も見るかな……。女性は小柄だから、小さかったり軽かったりする物が人気だね。勿論、《両手剣》使ってる人もいるよ?」

「……これは? 大きいのと小さいのが並んでるけど」

「こっちは普通に装備できる《短剣》で、小さい方は投擲用の短剣。唯一の遠距離武器だけど、威力は低いし、スキルもぱっとしないから使う人はあんまり見ないな」

「遠距離武器は……無い?」

「SAOのウリは“魔法無し、遠距離武器無し、全てのプレイヤーが剣を握って戦うソードアートRPG”だから。そういう意味では、その投擲ナイフも武器とは言えないのかな? まあダメージを与えるんじゃなくて、注意を引いたりするのが主な役割だから。因みに、弓とか弩もないよ」

「そう」

 

 まだβテストというものが行われている時、ユウが言っていたことは確かだった。疑ってはいなかったけど。この世界には……銃がない。それだけでほっとした。

 

「………これにするわ」

「《ネイルダガー》ね。ナイフなら私も教えやすいし、良いんじゃない?」

「あと、これも」

「《スローダガー》。いいの? 投擲用は序盤では逆に邪魔になるかもしれないけど」

「いいの」

「じゃ、投げ方も練習しないとね」

 

 最初から持っていた剣を売って、それを含めた全財産で武器を買いそろえた。《スローダガー》は消耗品になるので、とりあえず練習用の十本を購入。キャッチボールもしたことがない私がどれだけの命中率を出せるのか……。

 

 武器屋を離れて、街の中にある草原地帯へ。他には誰もおらず貸切状態だ、練習には丁度いい。

 

「まずはスキルについて簡単に説明しておくね。スキルに該当する武器を装備して振ると、スキルレベルが上昇する。スキルレベルが上がると色々な特典が付いてきて、使えるようになるソードスキルが増えたり、補助的な《パッシブスキル》を付与できたり、武器攻撃の威力があがったりするの」

「そのスキルレベルを上げれば、とりあえず強くなるって事でしょ」

「そうそう。今はその認識で大丈夫。まずはスキルから選んでみよう。最初から選べるスキルはたくさんあるんだけど、習得できるのはスキルスロットの数だけ。いつでもスロットから外して別のスキルを扱えるけど、効率悪いし、手間もかかるからお勧めはしない。コレって決めたスキルを集中的に伸ばす方が断然いいわ。外せない、って考えて選んだほうがいいよ」

 

 メニューからスキル欄を開く。レベル1の私が習得できるスキルの数は二つだけのようだ。

 

(一つは《短剣》スキルでいいわよね?)

 

 問題はもう一つをどうするべきか……。

 さっきまでは《投擲》スキルを習得しようと思っていた。が、これだけのスキルを目にすると一瞬で悩みが浮かんでくる。さっき聞いた《料理》スキルも取ってみたいと思ったけど、びっしりと埋まったリストを見るとどれが良いのかすら分からない。

 

 ………とりあえず、生産系や生活的なスキルは後回しにして、戦闘に役立つ補助的なものを優先しよう。ユウは絶対に自らゲームをクリアしようと最前線で戦っているはず。会うためには強くなる必要がある。今はユウがいるレベルにまで近づく事を優先しよう。

 

「どれがいいの?」

「迷うよねー。これは好みだからどれでもいいんだけど、最初に選ぶのは大体決まってるかな。《索敵》《隠蔽》《剣技》《俊足》《ステップ》《軽業》《回避》………ぐらい。私は《短剣》と《回避》に《解錠》だよ」

「《解錠》?」

「ダンジョンには開けられない宝箱があったりするから、それを開けるスキルだよ。レベルが上がると罠の解除もできるし、割と便利。パーティに一人は居れば良い方だから、シノンは別の選んだら?」

「………そうね」

 

 今聞いたのは大体どんなスキルなのか想像できるし、このスキル一覧にも大体のことは書かれてある。《短剣》スキルとの相性を考えるなら《剣技》《俊足》《ステップ》《軽業》といった身軽なスキルが良さそうだ。

 

 ………ユウならどれを取るだろう? そもそもどんな武器を選んだんだろう? やっぱり剣かな? 斧は無さそう。ナイフは……主にって感じじゃないわ。槍か剣ね。鎧着てるところなんて想像できないから、私と同じような身軽なタイプでしょ、多分。同じようなスキルをとれば一緒に攻略できるかしら?

 

 …………。

 

「これで行くわ」

「《短剣》と《軽業》ね。シノンって運動とかしてたの?」

「何も。運動神経は同年代女子の平均より上ってぐらい」

「なら大丈夫なんじゃない?」

「関係あるの?」

「それを使ってる人を知ってるんだけど、ニンジャ見たいにスルスル動いていたから。シノンもああなるのかなーって。運動に不慣れなら止めた方が良いかなって思ったんだけど、大丈夫よね」

「面白そうなこと言わないでよ、止めようにも止められないじゃない」

 

 変えないけど。

 

 二つのスキルをスロットにセットして、最後に確認を問うウインドウが現れて迷わずマルをタップ。カチリという音とセットされた事を示すアイコンが表示された。

 

 軽業(かるわざ)とはアクロバットのこと。自分の身体を実際に動かすこのゲームでは、体力やスタイル、体重などはあまり関係なく、アバターのステータスが重要になる。極端なことを言えば、私の細い腕でも筋力値さえあれば倍近い体重の男性でも片手で持ちあげられるし、敏捷値が高ければ短距離走の金メダリストだって目じゃない。

ただし、現実でできないことをやろうとすると抵抗感から上手くいかないことが多いらしい。さっきの例の場合、持ち上げたり走ったりというのは日常的な行動で、デキルと思えばそう難しくは無いが、空中で身体を何度も回転させたりといった体操選手のような動きだと事情が変わる。

身体能力的には全然できるけど、怖いと思ってできないことは珍しくない。逆上がりとか飛び箱とか。

 

勿論私はそんなことはできない。が、ユウは素でぴょんぴょん跳びまわる。身体測定ではSとかいう全日本一位の記録を保持していた。そんなユウについて行くためにはこのスキルは必要になるはず。それ以外でも活躍する場面は多そうだし。

 

「それじゃ、こんどはソードスキルだね」

「さっきも言っていたけど、何なのそれ?」

「必殺技。どの武器スキルにも一定数用意されてて、アシストを受けてズパーンて攻撃するの。まあ見てて」

 

 短剣を抜いたフィリアが腰だめに構えると、刀身が青く光りはじめた。前に一歩踏み出すと高速で短剣が空を二回切り裂く。描いた軌跡が空中に残り、構えを解くまでの滑らかな一連の動作が終わる。

 

「これがソードスキル?」

「そ、武器が光るのがソードスキルの証拠だよ。これがないとやってられないから」

「使い方は? 制限とかあったりする?」

「武器を構えるだけ。システムが構えを感知したら、その構えに該当するソードスキルを立ち上げるから、後は自分のタイミングで振り抜くの。あとは勝手に身体が動くよ。終わったら例外なく硬直状態になって少し動けなくなるけど、武器の光りが消えたら終了で動けるようになるわ。欠点らしい欠点はこれだけかな」

「最初から全部使えるわけじゃないんでしょ?」

「勿論。スキルリストの《短剣》の項目に使えるソードスキルと、立ち上げるための初動モーションが載ってるから、それを見ながらスキルの特性とどんな攻撃なのか全部覚えること。それが一通り出来てから、フィールドに出よう」

 

 ……確かにメニューには項目が幾つかあった。レベル1、熟練度0の現状で使えるのはたったの一つだけらしい。いや、一番最初から一つだけでも使えることを喜ぶべき? どちらにせよ、まずは短剣を振り回す事と、ソードスキルに慣れてみよう。

 

 ………。

 

「ねえフィリア」

「何?」

「素振りって、具体的にどうすればいいの?」

 

 まずはそこからよね。

 

 

 

 

 

 

 *********

 

 

 

 

 

「はっ!」

 

 発生が速く、硬直もすぐに解ける単発技《アーマー・ピアース》。まずは使い勝手の良さそうなこのスキルから使い始め、日が暮れる頃には徐々に新たなスキルが開放されていった。レベルも上がり、大分このゲームに慣れてきた気がする。早々と素振りを切り上げて、私達はフィールドに出て実際に実戦を行っていた。

 

 青いイノシシが突進してくるのは確かに怖い。現実でこんな体当たりをくらったら死んでしまうかもしれないだろう。オオカミが牙を向いて追いかけてくるのも中々に焦る。

 

 でも、あの時に比べればどうってことは無かった。頭の中では「危ない! 逃げなきゃ!」って言ってる自分がいるけど、ここに居て短剣を握っている私は少しも焦りを感じない。薄く感じる心拍音はさっきまでフィリアと街中を歩いていた時と変わらず鼓動を刻み告げている。

 

 仮想世界の私は、どこかで現実の私と違うんだ……。シノンは、強い!

 

「筋がイイね。怖がってる様子も無いし、これならレベルさえあればすぐに次の街にでも行けるよ」

「じゃああと1レベル上がったら行きましょう」

「うん」

 

 《ネイルダガー》を握る右手に力を込めて、もう一度強く降る。イノシシの身体に深く突き刺さった刃を強引に振り抜いて仮想の肉を切り裂く。ひときわ大きな悲鳴を上げながら、青イノシシは青く光って弾けた。

 

 獲得経験値とコル、ドロップアイテムが表示され、加算されていくと、必要経験値に達してレベルが3に上がった。私の頭上で“LEVEL UP!”と文字が現れ、ファンファーレが鳴り、金色の光が身体を包んだ。

 

「おめでとう」

「ありがとう」

 

 レベルアップしたプレイヤーは拍手で褒めるのが習わしだそうだ。今度フィリアがレベルアップしたら拍手しようと決めている。

 

「早速移動しましょう」

「アイテムとかちゃんとある? 武器耐久値も見なきゃだめだよ」

「耐久値……武器にも体力があるのね」

「メニュー開いてすぐの画面に、装備品の状態が書かれているでしょ? そこの数字が耐久値で、他にも破損状態も出たりするの。覚えておいて」

「分かったわ。……耐久値は四分の三残ってるけど、大丈夫よね?」

「へえ? 上手な使い方してるね。短剣、合ってるみたいで良かった」

「上手って?」

「弱点があるの。例えば私達プレイヤーなら防具に守られていないところ、敵なら皮の柔らかい所とかのこと。逆に堅いところもあるってことで、そういう場所ばかり攻撃してると、武器の摩耗が速くなるの。レベル3になるまで振り続けてそれだけしか消耗しなかったってことは、ちゃんと弱点狙って攻撃している証拠だよ」

「そんなこと意識してなかったんだけど……」

「それも、筋が良いってこと。さ、行こう」

「え、ええ」

 

 筋が良い。ゲームのセンスがあるって事? それとも、戦うのが上手って事?

 

 区別がつくわけじゃないけど、褒められているのは確かなことだから、私は嬉しかった。

 

「次の街って何処? どれくらい歩くの?」

「大体のプレイヤーは《ホルンカ》っていう小さな村を目指していたけど、そこをすっ飛ばしてもう一個先の街まで行くつもり。レベルには問題ないし、そこならもっと経験値もコルも稼げて、良い武器が貰えるから」

「良い武器って勿論短剣よね? フィリアが使っているのが貰えるの?」

「んー、これも手に入れられるけど、アレはお好みかな? 短剣って一口に言ってもたくさん種類があるから」

「確かに、私が今使っているのは普通のナイフにしか見えないわ」

「片手剣に近い長さのあるものだってあれば、片刃の脇差っぽいのもあったし………刀身がこう、ぐにゃって曲がってるのも見たよ。私の《ソードブレイカー》もその一つ。シノンの趣味に合うものがきっとあるから、楽しみにしててね」

「ナイフで趣味って………穏やかじゃないわ」

「そんな言葉、あとから言ってられなくなるから」

「ふふっ、覚えておくわ」

 

 友達って、良いわね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〓〓〓〓〓〓〓〓〓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お……らあああっ!!」

 

 気合い一発。オレンジ色に発行した右の拳が岩にクリティカルヒット、突然現れたHPバーがぐーんと減ってゼロに。ぱっと砕けて散った。

 

「ふぅ」

「な、コイツ、先に成功しやがった!」

「コツ! アイン君コツ教えて! βテストでクリアしたことあるんでしょ!?」

 

 師匠の洞窟(正式な名前は知らん)に籠ってから二日が経った。ただひたすらに岩を殴り続けていた地獄は一足先に俺へと終わりを告げる。

 ただし、三人でクエストを受注したので三人とも岩を割らない限りクリアにならない。おう、あくしろよ。

 

「コツねえ……これってコツなのか?」

 

 確かにクリアしたのはした。だが、あの時は無我夢中だったし、よく覚えていない。確か……ぶん殴りまくってたけど、それでも壊れないからログアウトしようと思ったら圏内じゃないから簡単に落ちれなくて、街に戻ろうにもこの顔で街を歩くのは嫌だし、ここへ来るのも億劫だったからさっさと片付けようと思って夜通しやったけどそれでも壊れなくて、気がつけば朝になってて、もうすぐ詩乃が起こしに来る時間になってて………夜通しゲームやってたとかバレたらすんごい説教くらうの想像したら、三倍のスピードで岩殴っていつの間にか割れてたんだよな。………なお、バレなかった模様。

 

 髭に見覚えがあったからアルゴに聞いてみたところ、どうやら断念して去ったそうだ。鼠の異名はこんなところから来ていたという雑学もゲットしたクエストだったな。

 

 ………というわけで、俺が立てた仮説は“岩を殴った回数”……つまり、試行回数がキーなんじゃないかというもの。

 漫画アニメゲームで岩を割るまで云々は定番中の定番で、主人公達は一晩かけて壊すものもあれば何ヶ月と時間をかけるケースもある。

 

 ゲーム的には“どこか特定の場所に拳を入れる”よりも、“規定の回数拳で殴る”方がそれっぽい。そんな根も葉もない根拠だったんだが………今ので丁度一万回目だったので、もしかしたら当たりなんじゃね? と思い始めている。

 

 まあ参考にはなるだろう。

 

「お前達は今まで岩を殴った回数を数えてるか?」

 

 ちょっぴり奇妙なポーズを決めて見る。……似合わねー。

 

「千回から知らね」

「私も数えてないわ」

「そうか。なら、もう割れるまで無心になって殴れ」

「……システムは無心とか感知してくれるのか?」

「そうじゃなくて、考えるの止めてポカポカ殴り続けろ。俺は丁度一万回で割れたから、多分それぐらい殴れば終わるんじゃね?」

「い、いちまん……」

 

 諭吉一枚で表せる数字だが、殴る回数となると天文学的だな。俺達は拳法家になりたいわけじゃない、期間限定の弟子だ。はよ終わらせて攻略に行かないと、キバオウ達に後れを取る。

 

 そんな無言のプレッシャーを送り続けること更に一日。

 

「ふんっ!」

 

 キリトが見事粉砕。それから更に数時間後……

 

「やあっ!」

 

 アスナが恨みのこもった一発で岩を割った。これで全員修行を終えた事になる。

 

「……なんか、女の子が岩を素手で割るって、怖いな」

「ああ。アスナに殴られたら首が吹っ飛ぶに違いない」

「キリト君、アイン君?」

「「すいませんっしたー!!」」

 

 バキバキと拳を鳴らすアスナに、土下座も真っ青な腰を90度に曲げた謝罪。……これ、何回目だ? 流石に数えてないな。

 

「はぁ、もう。それで、どうやってクリアになるの?」

「家ノックしたら師匠出てくるから、ちょっと会話して終わり」

「疑うなよ。俺はさっさと戻りたいんだ」

「それもそうね。ベッドで寝たいわ」

 

 アスナが溜め息をつきながら師匠が二日間籠りっぱなしの小屋をノックする。何故かノックにしては音が大きいような………やめた。アスナが睨んでる。

 

 少し待つと、ギイと音を立てながら開いたドアから師匠が変わらず現れた。髭をさすりながら「ほほぉ……」とか言っている。

 

「アレを割るとは、筋があるのぉ。これからも腕を磨くがいい。ほれ、これはわしからの餞別じゃ」

 

 それだけを言うと、師匠は小屋へと戻って行った。同時に俺達にクエストクリアの表示と取得した諸々の物がウインドウに現れる。レベルアップこそ無かったものの、長時間かかるだけあって非常に美味しい。これでアイテムも貰えてスキルまで習得可能になるんだから設けだ。

 

「んじゃ、戻るか」

「やっぱりスキルスロットにセットしなくちゃ駄目なのね」

「まあ、武器がないとはいえ立派な攻撃スキルだしな。余裕が出来てからいいんじゃないか? 俺は素手で殴るのは慣れてるから欲しかったけど、今すぐ入れるかって言われると悩むだろうし」

「そうよね……そうするわ」

 

 師匠から貰ったアイテム……装備品のグローブを装備して外に出る。久しぶりの外の空気はうまかった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

phase 14 二層

 

 クルクルと手の中で新調した短剣を回す。……軽いな。

 

「危ないな……するっと飛んで俺達に刺さったらどうするんだよ。ここ圏外だぞ」

「そんな新兵みたいな真似するかよ」

「ベテランでもやらかしそうなミスだよな」

「だったら俺はベテラン以上だ。超熟練とでも呼べ」

「超熟練短剣使いさん、槍よりも強いからそっち使ってください。楽です」

「嫌です私は槍を使いたいのですヘタレ真っ黒ビーターさん。……やっぱその超熟練とか言わなくていいわ、不気味」

「だったら弄る度にビーター言うの止めろ」

「いい加減スイッチしてくれないかしら? 刺すわよ?」

「「すいませんっしたー!」」

 

 ……戦闘中は真面目にやるか。

 

 三日間洞窟に泊まり込みでエクストラスキル《体術》を習得した俺達は、久しぶりに日の光を浴びながら走って来た道をゆっくりと歩いて帰っていた。険しい道だと改めて思いながら山を下るが、当然敵とエンカウントはする。これで三回目だ。

 

 一層の青イノシシとは比べ物にならない程大きくパワフルなイノシシ。言うまでも無く堅い。

 

「アスナ、スイッチ行くぞ!」

「OK!」

 

 流石に慣れきったようで、キリトとアスナの連携は滑らかだ。どっちがどう動くのか、最初から分かりきっているように淀みがない。

 

 俺はというと、今は槍ではなく短剣で戦っている。

 

 開放された第三のスキルスロットには《短剣》をセットしたので、こうして偶に短剣で戦う。スキル上げの為だが、気分転換も兼ねている。あまり長い時間触り過ぎると昔を思いだすので、本当に暇で余裕があるか武器がこれしかない時以外は避けるようにした。

 

「………」

 

 デジタルな唾液を垂らしながら向かってくるオオカミをぼやっと眺めながら、手の中の短剣で遊ぶ。長年使い続けたモノとは少しも感覚が似ていないし、そもそもこれは実態するナイフじゃない。それでもナイフであることには変わらない、だから疼く。

 

 物足りない、と。

 

 飛びかかろうと大きくジャンプして襲ってきたオオカミの顎を蹴りあげ、だらしなく垂らした下を自分の歯で噛み千切りHPが少し減少したのを面白く感じながら、ゆったりと短剣を持った右手を持ちあげる。

 

 背中に当たる部分を深く切り裂き、尻尾を掴んで地面に叩きつけ、頭に踵落とし。生身の人間なら、子供でも大人の額を割ることができそうなものだが、生憎とここはデジタルな世界でコレは人間じゃない。切断による部位欠損状態はあるが、粉砕による部位欠損は無さそうだ。

 

 レベル補正や短剣の威力もあり、これだけの攻撃でオオカミはHPを全て失った。

 

 ああ、

 

「アイン?」

 

 物足りない。

 

「アイン君?」

 

 仮想の肉は手応えがなくて、つまらない。

 

「アイン!」

「うお!」

「どうしたんだよ……ぼーっとして。珍しいな」

「誰かさんと違ってね」

「うるさい。それで、本当にどうかしたのか?」

「………いや、何でもない。腹が減ったなーって」

「なんだそんなことかよ……」

「戦ってる時に棒立ちなんて、危ないわ。気をつけて」

「おう。まさかアスナに忠告される時が来るとはなぁ……」

「何それ、馬鹿にしてる?」

「まさか。成長を喜んでるのさ」

「……ケーキ驕りなさい」

「うへぇ」

 

 ……こえー。でもこれで済んで良かった。

 

 冗談抜きで、二人を斬っていたかもしれない。誰かと居る時は短剣を使うのはよそう。スキル上げは夜中に一人でやるか。

 

 

 

 

 

*********

 

 

 

 

 

 転移門開通から三日が経った今でも、二層主街区《ウルバス》では祭りが続いている。まだ拙い料理スキル熟練度のプレイヤーが露店を出していたり、NPC売り子が声を上げながらグルグルとプログラム通りに街中を歩いていたり、武器を持たないプレイヤーが笑顔で転移門周辺をうろついたりと、とにかく人が溢れかえっている。まるで縁日みたいだ。

 

 祭りは嫌いじゃない。どことなく盛り上がっている雰囲気は好きだし、出店も花火もよく詩乃と二人で駆けまわったもんだ。

 ただ、人込みはいつになっても好きになれそうにない。どこに誰がいて、誰が自分を見ているのか分からなくなるのは、俺にとって恐怖だ。

 

 そして、キリトにとってもあの溢れかえるような人混みは避けたいところだろう。

 

「流石に知られているかな……」

「だから気にするなよ、あの中に一層ボス攻略メンバーがいればしょうがないが、大多数のプレイヤーは物見遊山さ」

「むむ……」

「はぁ、行きましょ。お風呂にも入りたいし、固い岩盤はもうこりごりよ。置いて行くわよ」

「わ、分かったよ……」

 

 疲れ切ったアスナが波に揉まれて消えて行きそうになるのを見て、流石にキリトも腹を括って飛びこんだ。溜め息をつきながら俺も追う。

 

「お風呂とベッドがある宿屋分かる?」

「俺が知ってるところは格安の所だけだからない、キリトは?」

「うーん、転移門正面にあるところぐらいだ。結構値は張るけど」

「じゃあそこね」

「え!? で、でも高いぞ! 凄く! 現実で言えば高級ホテルのスイートルームぐらいに!」

「普通じゃない、それ」

「はぁ!?」

「どんまい」

 

 適当に知らないとかはぐらかしてしまえば、すぐ近くの宿に入れたのにな。わざわざ自分から人の多いところを選ぶとは……。スイートルームを普通とか言うアスナもどこか凄いな。リアルは結構社会ステータス高いのかもしれない。

 

 人混みをかき分けながら先へ進む。諦めたキリトがぐいぐいと前へ行き、アスナと俺を宿まで誘導してくれた。その間、誰かがビーターだのと騒ぐことは無く、キリトの心配は杞憂で終わり、本人はわりと本気でほっとしていたのを見て笑ったわ。

 

「二部屋でいいよな?」

「一部屋ベッドは幾つあるんだ?」

「一つ。でもデッカイソファがあるから大丈夫だろ」

「おう」

 

 ということで、転移門通りに面した三階の二部屋を借りた。その内一部屋は角になっていて、大通りの二方向がよく見える。

 

「わあ……凄い人ね。これ何人いるのかしら」

「千人ぐらいじゃないか? いや、もうちょっと多いかも」

 

 わりと広い通路だが、今に限っては人と露店でごった返している。窓の外を見て、下を向けば人、人、人。プレイヤーとNPCが混ざり合ってとにかく凄い。髪の色と装備でカラフルだ。

 

「こんなに人が集まったの始めてかも」

「俺も……なんか、テレビで見るのと全然違うな」

「ええ」

 

 確かに、ディスプレイ越しにドームで野球観戦に集まった人達を見るのと、自分がその場で観戦するのは意味が違う。近くの人も、遠くの人も、実際にそこで座って応援しているのを肉眼ではっきりと見えるし、顔や表情も分かる。そうさせる雰囲気もあるだろう。肌で感じる、という言葉がピッタリ合うな。

 

「ふぁ……私、部屋でお昼寝してるから、夕飯食べる時間になったら起こしてね」

「七時でどうだ?」

「アラームセットしておくわ。じゃあ」

 

 あくびをしながらアスナはそう言って部屋を出ていった。同時に隣の部屋に誰かが入る気配を感じる。岩を殴る毎日に疲れていたし、堅い岩盤でごろ寝は流石にきつかったか……。あとでケーキ買ってこよう。

 

「さて、キリトはどうする?」

「外には出れないしな……アイテムの点検とかやって、昼寝でもする」

「俺は外を見てくる。掘り出し物とかあるかもしれないし」

「勇者だな、お前。気をつけてな」

 

 それは、ビーター呼ばわりされないように、ってことだろう。だから心配し過ぎだって。そう言って結局宿へ来る間も何も起きなかったし、言われたからって何が困るわけでもないんだ。俺は攻略しているんだって、堂々としていればいい。

 

 メニューを開いて装備を外し、下に着ていた黒いカーゴパンツと黒いシャツになり鏡を見る。………正に黒一色。これしかないし、ファッションには疎いからな……まあいいか。

 

 そう言えば、全裸で街中を歩くとどうなるんだろう? 今度クラインで試してみよう。

 

「なんか、俺よりビーターって感じがするな」

「黒いだけでビーター呼ばわりは勘弁だ」

 

 ははっ、と笑いながらドアノブに手をかける。

 

 その時、窓の向こう側から一ヶ月ぶりの声が聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〓〓〓〓〓〓〓〓〓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 新調した短剣《クロスダガー》を鞘へ納めて、ふぅと息を吐く。肺に溜まった空気が緊張感と共に抜けていくのを感じながらメニューを眺めた。

 

「あとどれくらい?」

「多分、二、三体」

「じゃ、このまま連戦だね」

「あれにしましょう」

「……うん。丁度いいかも」

 

 平野の向こうにはのそのそと歩いている赤いイノシシが三体群れている。《はじまりの街》周辺で戦った青いイノシシの上位互換だ。上位と言ってもステータスに大差はなく、ちょっと攻撃力が高いだけ。つまり楽勝。

 

 駆けだしたフィリアの右後ろについて、投擲用の短剣を群れの一番右側のイノシシに命中させる。一体だけこちらに気付いて鼻息を荒くしながら突っ込んできた。それを見て私は進路を右へ逸らす。フィリアはそのまま真っすぐ進んで二体へ切りこんでいった。

 

 レベルが高く余裕のあるフィリアが複数を受け持ち、私が一対一で戦える状況を作る。ここ数日での経験から得た安全確実な戦い方だった。

 

短剣の間合いに入るまであと数十歩――時間にして僅か数秒前で構え、ソードスキルを立ち上げる。ダガーを握った右手を引き絞り、左手を広げて前に突きだし、ビリヤードのキューを構えるような形を作った。

 

「はあっ!」

 

短剣単発突進技《ラピッド・ネイル》。高速で踏み込み、目視不可能に近い速度で繰り出す突き技だ。威力は低いものの、発動から攻撃までの間隔が短く出が速い上に衝撃波的な何かで射程延長の効果もある。スピードにより火力補正が入って結果的にはスタンさせる程度のダメージを見込めるため、とても扱いやすい。

 

 他のソードスキルなら一発で半分は削れるHPバーも、この技では三割が限界。その代わり、一瞬でゼロ距離に入りこめて攻勢に移れるのが強みだ。

 

 この三日間で散々繰り返した動作、ソードスキル起動を起こして残った七割のゲージを飛ばす。

 

「シノンも大分強くなってきたね」

 

 ふぅ、と一息つくとフィリアは既に一体を倒し終えていて、残った一体もHPがレッドへと入っている。私と雑談をするぐらいの余裕があるのが羨ましいな。

 

「フィリアほどじゃないけど」

「たった数日で追いつかれちゃったら困るかな」

 

 虫を追い払うような気軽さで振った短剣は優にイノシシを倒していた。

 

 同時に私の経験値が満たされてレベルアップした。これで6レベル。

 

「おめでとう」

「ありがとう。これからどうするの? どこかに行きたそうだけど」

「そうそう。上に上がってみない?」

「上?」

「二層のこと。実はシノンがログインしたその日に、二層へ開通したんだよ。それぐらいのレベルなら即死亡なんてことにはならないし、戦い方も上手くなってるからフィールド回っても問題ないでしょ」

 

 ……そう言えば、ゲーム開始から私がログインする一ヶ月間、全く攻略は進んでおらず一層で足踏みしていたらしい。百層あるのにそれで大丈夫なのかと思う。だが、この状況は私にとっては好都合と言えた。

 

 攻略が進むという事は、それだけレベルが高く差が開く事でもある。街から出らずに待ち続ける人もいるのならひたすら攻略を進めるだけのプレイヤーがいたっておかしくない。もしユウがその攻略層にいるのなら、時間が経てば経つほど追いつくことも探す事も難しくなっていく。

 今ならレベルの差もそこまでないし、前線もはっきりしている。

 

「行きましょう」

 

 二つ返事で私は呑み込んだ。

 

「それじゃ、さっそく《はじまりの街》まで戻ろっか」

「え? このまま先に進んで迷宮区を抜けるんじゃないの?」

「それでもいいけど、《はじまりの街》の方が近いから。各層の主街区には《転移門》っていう層を繋ぐテレポーターがあるの。こっちの方が楽で安全だから、こっちから行かない?」

「フィリアがそう言うならいいわ。安全に越したことはないし」

「なら早速」

「ええ」

 

 それだけ言うと、フィリアは街道を無視して最短距離を歩き始めた。その右に並んで私も歩く。

 

 このペースなら休憩をどこかに挟んでも正午を過ぎた午後三時には街につきそう。一通り街を回ってレベリングができるぐらいの時間はありそうだ。運が良ければ今日にでも会える可能性がある。

 

 思っていたよりも速く再会を果たせそうだ。

 

 気が速いと分かっていても、高なる胸を抑えることはできなかった。

 

 意識していなかったけど、この時の私はスキップをしていたとフィリアが言っていた。

 

 

 

 

 

 

*********

 

 

 

 

 

 

「ねえ、ここって」

「そう。ログインした時の広場だよ。《黒鉄宮》って言うの」

 

 数日ぶりに戻ってきたこの街は全く変わっていなかった。敢えて言うなら、なんとなく人が少ない気がする。どこを見てもNPCばかりで、プレイヤーは全く見えない。

 

「プレイヤーが居ないわね……」

「祭りがあってるから。きっと外に出ようとしない人も行ってるんじゃない?」

「祭り? そういうクエスト?」

「二層開放のお祭り。一ヶ月掛かりはしたけど、ようやく一層を突破できたわけだからみんなで祝ってるの。クエストは全く関係ないよ」

「………」

 

 最後に行ったお祭りはいつだろう?

 

 今年の夏だっけ? 近所にある神社の縁日か市が開いた夏祭りのどっちかだと思う。何故か大金を持っているユウは端から端まで、全ての屋台をハシゴしていたっけ。食べ物系は私と半分こして、射的や輪投げは一緒にやった。

 特に射的は毎年必ず何度もやった。驚くことに、射的と言いながら実際に使うのは銃ではなく弓で、おじさんに会う度に「射的って呼べるの?」といつも言っていたわ。

 

 後でこっそり聞いたけど、射的屋のおじさんはユウと知り合いの銃火器マニアで、夏が来ると射的屋を趣味で出すらしい。ただ、それじゃ私が楽しめないからと無理を言って銃をやめて弓に変えてもらったそうだ。

 

『嬢ちゃん、ちょっといいかい?』

『?』

『今から話す事、タカにゃオフレコで頼むぜ。バレたら俺がバラバラにされた揚句ハチの巣になっちまう』

『それ、私に関係あること?』

『大アリだ。是非とも嬢ちゃんには知っていてほしい』

『……何?』

『俺がタカの昔の知り合いだってことは知ってるだろ? そんで、日本で再会した時にな、言われたのさ。弓で射的屋をやってくれ、景品にも屋台の中にも銃を一切持ち込まないで。ってな』

『昔は銃で射的屋をしてたのね』

『俺はマニアでな、モデルガンとか集めたりサバゲーやるのが趣味なんだ。大きい声じゃ言えないが、幾つか実銃も持ってる。射的屋始めたのも、超絶綺麗に出来たモデルガンが使われるところを見たかったからだし、他のマニア友達を増やしたかったからさ』

『………私のため』

『おう。俺は感動したよ。昔の奴とはまるで別人だ。普段からニコニコ笑ってよ、ジョークまで言いやがる。年頃のガキ共と何にも変わらねえ。相変わらずの野菜嫌いみたいだけどな、押し込んででも食わせてやれ』

『結構昔からなのね……最近は巧妙に野菜少なめのメニューにしようと買い物で小細工してくるわ』

『嫌々だが、口に押し込めばちゃんと食うぜ、アイツ。んで、まあそんな幸せな毎日を送っているダチの頼みを断れずに、弓で射的をやってるのさ。嬢ちゃんが安心して射的で遊べるようにってな。詳しい話は聞いてねえが、銃が苦手なんだって? まあそんな人もいるわな。苦手な人にも楽しんでもらえるなら、俺は別にかまいやしないよ』

『えっと……ごめんなさ――いえ、ありがとうございます』

『おう。タカを頼むぜ、うっとうしいかもしれねえけどな』

 

 ……しばらく会えそうにないわね。元気にしているかしら、おじさん。

 

「祭りは好き?」

「ええ、とても」

「私も! 折角だから回ってみない?」

「いいわね。コルは溜まってるんだし、美味しい物食べたいわ」

 

 装備や回復アイテムの為にと思って節約しているけれど、中々良いものに巡り合えず溜まっていくばかり。街を移ったり、層を上がるたびに装備を変えることはないだろうし、今の所使い道があまりないからこの数日間でも結構溜まった。ゼロの数が多すぎて、ここらでちょっと贅沢をしてみたくもなる。

 

 太ることも無いし、お腹いっぱい食べよう。ユウを探すのはそのあとでも遅くはない。早く会いたいのは変わらないけれど、元々長い時間をかけてやるつもりだったし、焦るのは良くない。まずはSAOに慣れてから。

 

「それで、どうやって二層に行くの?」

「中央にある大きな石碑があるでしょ? あれが転移門、あの前で転移する街の名前を言うとその層に行けるの」

「テレポーターって感じじゃないわ」

「まぁファンタジー系のゲームだからね。私達プレイヤー側が使えないだけで、何かしらの魔法的なものがあるんじゃないかな」

「……ま、いいわ。行きましょう」

「うん」

 

 人気の薄れた街の中心へと歩き、石碑の前に立つ。フィリアがくるりと回れ右をしたので私も習った。

 

 そこで気付いた。

 

「二層の街の名前なんて知らないわ」

「私の知り合いに情報屋をやってる人がいるんだけど、彼女に教えてもらったから大丈夫。《ウルバス》っていう名前」

「ウルバス……ね」

「私がせーのって合図出すから、一緒に大きな声で「転移、ウルバス!」って言ってね。そうしないと転移しないから」

「分かったわ」

「じゃ、いくよ。せーの!」

「「転移、ウルバス!」」

 

 言われた通りに声を出すと、急に転移門の内側が光りはじめ、青い球体になって私達を包む。眩しいってほどじゃない。そして不思議なことに周りの景色が見えなくなって、球体に閉じ込められる。

 

 数秒もすれば、光りも失せていき、全く見たことのない風景が目の前に広がっていた。

 

「これが……」

「二層の主街区みたいだね。それにしても人が多い……」

「酔いそう……」

 

 目を閉じて開いたら全く違う場所に居た、そんな感じがするけど、新鮮な景色よりもまず目についたのはうざったくなるほどの人の波。転位門を避けるようにたくさん人があっちこっちを行き来していて、ここから見える街の大通りは全て人で埋め尽くされていた。

 

 通りには出店の様な屋台だったり、カーペットが広げられている。看板や籠を持って歩きまわる売り子もちらほらと見えた。

 

 なるほど、祭りね。規模は私が見たことのある中でも一番だけど。

 

「ど、何処に行く?」

「とりあえず転移門から出よう。他の人が使えないと困るから」

 

 それはつまり、人の波へダイブすること。……仕方ないか。

 

 フィリアとはぐれないようにピッタリとくっつきながら転移門から出る。一気に気温が上がった気がするぐらいの熱気が押し寄せてきて、同時に歩くたびに誰かとぶつかってしまう。そのたびにお互い頭を下げながらようやく一番近くにあったテントへたどり着く。

 

「いらっしゃい! 何にします?」

 

 人波から逃れようとし過ぎて逆に店のNPCが反応してしまった。別に無視してもいいのだけど、それだと何のために祭りに来たのか分からなくなる。何の店なのかも分からないけど、とりあえず覗くだけ。

 

「何の店?」

「ウルバス名物、イノシシの唐揚げさ!」

「い、イノシシ肉? フィリア、食べたことある?」

「あるよ。美味しいのと不味いのがはっきり分かれるんだって。私が食べたことあるのは不味い方で、臭いし硬かったなぁ」

「そいつはオスだな。ウチのはメスだから安心して食べてくれ!」

「雄雌で味が変わるの?」

「おう。季節も関係してくるんだけどな、大体上手いイノシシ肉はメスが殆どなんだよ。特にこの時期は上手いぜー!」

 

 聞いたことがあるだけで、私は食べたことはないのだけど……どうなの? ユウはフィリアと同じこと言ってたっけ。

 こんなゲームの中でイノシシ肉って言ってもね……。

 

「一つ頂戴。シノンは食べる?」

「頂くわ」

「毎度ありぃ!」

 

 どうしようか迷っているとフィリアが買うと言ったので、流されて買ってしまった。……まあいいわよね、祭りだし。不味くても仕方ないわ。美味しいことを祈りましょう。

 

 店主から受け取って、店から離れる。他の店のNPCが反応しない程度に端によって、買ったばかりの唐揚げが入った袋の封を切る。

 

「あら、イイ匂い」

「これは期待できそうかな?」

「そうね」

 

 何とも香ばしいイイ匂いが広がる。見た目も綺麗なきつね色で焦げ目もないし、軽く握っただけで汁が滲み出てきた。これは美味しそうだ。普通の鳥肉を使っても中々こうはいかない。

 

「「頂きます」」

 

 合唱は省略して、フィリアとせーのでぱくりと食べる。

 

 ………柔らかい。甘みもあって溶けるような感じがする。もっと食べたくなるような……そんな感じ。

 

「美味しい! 昔食べたのとは大違い!」

「ご飯が欲しくなるわ……」

「確かに!」

「ここにきてから、ずっと怪しい料理と黒パンばっかりだったから、まともな食べ物は割と久しぶりだわ……感激」

「大事だよね、ご飯」

「……決めた、私料理スキルとる」

「じゃあ余裕ができたら《採集》スキル取ろうかな? シノンに美味しく料理してもらおう」

「いいわね、それ」

 

 たったの数日だけしか経ってないのに、毎日料理していたのが懐かしく思える。……実際に料理したのはユウがSAOにログインする当日の朝食までだったんだけど、それでも長年続けてきたものなのに懐かしさを感じる。

 

 手軽に手に入る食べ物は怪しいし、安いレストランは味覚破壊を狙っているとしか思えないクオリティだし、自分でスキルを上げて作る方が安心できるし、美味しく作れそう。《投擲》の次は《料理》で決まりね。

 

 最後の一口をじっくりと味わって呑み込む。フィリアはペロペロと指についていた肉汁を舐めていた。……可愛い。

 

「混んではいるけど、美味しい食べ物あるし、やっぱり祭りね」

「次はどこに行く? 向こうに見えるクレープがものすごく気になるんだけど……」

「……あれ? 他にも女性並んでるし、美味しそうね」

「行こう、シノン!」

 

 目を輝かせながら私の手を握るフィリアは、見たことがないくらいのはしゃぎようだった。茶目っ気があるのはなんとなく分かってたけど、こんなふうにはしゃぐことってあるのね……。

 

 ゆっくりとくつろいでいても食事中でも、どこか気を抜かないところがあるフィリアがこう全力で楽しんでいるのは新鮮だった。

 

 ただ、ここへきてソレが災いした。

 

「うおっ!」

「きゃ……」

 

 後ろを向いていたフィリアと、傍を通ろうとした男性がぶつかった。

 

「痛えなぁ……おい!」

「あ、す、すいません……」

 

 相手は割といかつい顔をしていて、いかにも悪そうな人相の男性プレイヤーだった。他にも二人ほど同じような雰囲気の仲間がいて、同様に怒っている。

 

「聞こえねえなぁオイ! 謝り方も知らねえのかぁ?」

「え、えっと、その………」

 

いきなりの事で驚いたフィリアはオロオロと動揺するばかりで、逆に男性プレイヤーは調子に乗ったようで笑いながら更に追いつめてくる。フィリアの中にあるスイッチがオフになっているのかもしれない、でなきゃこんな彼女はありえない。

 

 見てられない。

 

「もういいじゃないですか。最初に謝っていますし、怯えさせるだけよ。代わりに私も謝るから」

「そーいう問題じゃねえだろガキが。いいから黙ってな、そっちの奴と話してんだよ」

 

 ヘラヘラ笑って……。

 

「とんだ下衆野郎ね。行きましょう、関わるとこっちが馬鹿になるわ」

「………あ?」

「あら? 私は友人と話しているの。いいから黙ってて貰える?」

「テメェ………こんのクソガキ共が!」

「クソガキで結構よ。脅すだけでだらしなく笑うようなクズよりは何倍もマシだわ」

「ああ!?」

「聞こえなかった? アンタみたいな男と一緒にされるくらいなら死んだ方がマシだって言ってるのよ!」

「こっ……この………!」

 

 大きな声で逆に挑発すると、男は逆上して剣を抜いて振りあげようと手を柄にかける。仲間もパーティメンバーを侮辱されて同様に怒っており、武器を抜いた。だが、攻撃までは仕掛けてこない。

 

 それもそうだ。傍から見れば私達はまだ子供でしかも女、対してこいつらはどう見ても二十代前後といった分別のつく社会人。加えて怯えるフィリアに喜びを表情に浮かべた男、どちらが悪者なのかは歴然だ。もしここで攻撃してきても私達にダメージは無いし、完全な正当性を得られる。逆に、こいつらは無抵抗な子供に怒って武器で攻撃した不良だとレッテルを張られる。

 

 どちらに転ぼうと、既に武器を抜いた以上悪いのは向こうだ。

 

「この……舐めた真似しやがって! ぶっ殺してやる!」

 

 そう男は叫ぶと右手に握った片手剣を力いっぱい握って振り下ろしてきた。

 

「シノン!」

「大丈夫、このまま任せて。慣れてるから」

 

 何かを言いたげなフィリアを後ろに庇って短剣を抜く。後は適当にいなしてか弱い女子を演じつつ追い払えばいい。

 

 短剣を横にして受ける体勢をとる。

 

 が、男の右腕は振り下ろされることなくぴたりと動きを止めた。いや、逆光で見えにくいが、誰かが後ろから右腕を掴んでいるように見える。

 

「テメェ、俺の女に何しやがる?」

 

 それは一ヶ月ぶりの愛しい声だった。

 




 ご感想にアドバイス、いつもありがとうございます。
 お世話になっております、「貫咲賢希」様より、当主人公のイメージイラストをなんと二枚も頂きました! 是非ご覧になられてください!



【挿絵表示】



【挿絵表示】


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

phase 15 愛してる


 こいつら中学生なんだぜ?



 

「聞こえなかった? アンタみたいな男と一緒にされるぐらいなら死んだ方がマシだって言ってるのよ!」

 

 聞き間違いか? 一瞬だけそう疑うが、それこそありえないと考えを改め、声がした方向へと窓から顔を出す。

 

 人込みでざわざわと騒がしいが、今の叫び声ははっきりと耳にとれた。若い女性の声はただでさえ通りやすい上に、大声を出せば混雑していようが聞こえる。それがアイツの声となれば、これだけ近い距離で俺が聞き逃すはずなどない。ありえない。

 

「なんだ今の? 乱闘でも起きているのか?」

「………詩乃!」

「は?」

 

 明らかに不自然な空間……人が避けて円を作っている場所に焦点を合わせる。こちらに背中を向けている男三人の内、先頭で言いあいをしているプレイヤーが腰の剣に手をかけており、その向かいでは二人の同世代と思しき少女達。

 

 後ろにいる誰かを庇うように、SAOらしい服装と装備をした詩乃が睨みを効かせていた。

 

 詩乃が見ず知らずの他人を庇うとは想像がつかない。きっと友人だ。その事実に喜び、なぜこんな場所にいるのか疑問を抱き、助けなければと義務感が働く。

 

 まずはあれを収めよう。

 

「キリト、お前は来るなよ!」

「お、おう……」

 

 人が注目している今、飛び下りて乱入しようとしている俺は確実に目立つ。キリトが来たとして、もしも一層ボス攻略メンバーがいれば面倒なことになるだろう。俺は気にしないが、キリトは別だ。釘を刺して俺だけで窓から飛び降りて、人のいない絶妙なスペースに着地する。

 

 上から見た場所と、騒ぎが起きている方向を見るヤジの視線を頼りに騒動の中心地へと人をかき分けながら向かう。

 睨まれていた男は今にも剣を抜きそうなほどに怒っていた。どっちが悪いのかは分からない。もしかしたら詩乃側が悪いのかもしれない。だが、周りの雰囲気からそれは無いと判断し、男達の方を叩くことにした。まぁ、状況に関わらず詩乃に手を上げる奴を許す俺ではない。

 

 そこに到着した時、男は剣を振りあげているところだった。間に合ったことにホッとしつつ、素早く動いて振りあげた右手の手首を掴む。

 

 違和感を覚えたであろう背中を向けている男が顔だけを動かして後ろを振り向く。俺と目があったその時、俺は口を開いた。

 

「テメェ、俺の女に何しやがる」

「ひっ……!」

 

 相当な表情をしていたようで、一瞬でイラついた顔がビビった顔へところっと変わる。身体が震えはじめ、しまいには剣を握る力が弱りとり落とした。手首を握る力を加えたわけでもないのに……。威張るだけで度胸のない奴か。

 

「丁度いい、ちょっと付き合ってくれ。最近身体が鈍ったような気がしててさ。ついでに実験を兼ねて」

「じ、実験……」

「街中で関節技をかけて、折れたり千切れる寸前までやるとどうなるのか。気になってんだよなー」

「う、ああ………!」

 

 さらに身体をガクガクと震えさせ、歯がカチカチとなっている。本人は分からないだろうが、かなり面白い。大衆からすれば無様な格好に見えることだろう。

 

「このっ……!」

 

 そこへ俺の後ろに居たこの男の仲間が剣を抜いて襲いかかってきた。もう片方の奴は止めようとしているがもう遅い。

 

 人が自然と作りだしたこの円は俺の距離だ。

 

 右腕を握ったまま後ろを振り向き、襲ってくる男を視界にとらえる。武器は両手剣か。相手が獲物を振りあげる前に、今取り押さえている男を柔道の一本背負いの様に投げた。驚いた目の前の男は両手剣を一度手放して投げられた仲間をキャッチする。

 

「ぐ、ううっ………」

 

 柔道は向かい合った状態で行われる。一本背負いも例にもれず、相手の懐に入り込んで、腰で身体を浮かせてぽいっと投げるわけだが………俺は背中を合わせた状態で投げた。ゲームであり、また街中の圏内だからこそ何も無かったものの、現実なら関節が砕けてもおかしくない行為だ。痛みで済むのは幸いだろうが、その激痛は相当なものに違いない。

 

 傍に落ちていた男の剣を拾って、うずくまる男の手前に放り投げる。他プレイヤーの武器は丁重に扱う事がマナーだが、こんな連中の物をそっと抱えて手渡しする気にはなれない。

 

「失せろ。二度と関わるんじゃない。次は殺す」

 

 特にドスを効かせたわけでもなくいつも通りの口調と声音だが、相当に堪えたであろう彼らにはどう聞こえたのやら。敗残兵のように息を荒くして去って行った。道を開けてくれるヤジの連中は優しく見えた。

 

「さて………」

 

 はぁ……と溜め息をついて後ろを振り向く。

 

 未だに呆然とする馴染みのある少女が二人(・・)

 

「色々と言いたいこともあるし、言いたいこともあるだろうが、場所を変えよう」

 

 

 

 

 

 

*********

 

 

 

 

 

 

「おい」

「なんだ?」

「お前、いつから両手に花を持つようになったんだ?」

「難しい言葉を知ってるんだな。因みについさっきから」

 

 回り道をして宿の裏口から中に入り、キリトがいる部屋へ戻る。ドアを開けるころには正気を取り戻した詩乃が右腕にしがみついて離れようとせず、左側にはやたら満面の笑みを浮かべる少女……《フィリア》が寄り添うように立っていた。

 

「好きなところに座ってくれ」

「隣に座る」

「私も」

「…………」

 

 ああ、想像してたさ。

 

 三人も並んで座れるようなソファなどあるわけないし、室内でも土足であるこのゲームで地べたに座るのはちょっと抵抗感がある。キリトにベッドを譲ってもらって三人並んで座る。

 

「なあアイン」

「ん?」

「そっちの女の子はこの前絵に―――」

 

 死にたいか?

 

 何でもありません、サー。

 

「ふぅん」

 

 アイコンタクトで止めろと送るが時既に遅し。詩乃はこういう時に限って鋭いのだ。

 

「やっぱりそうよね、ユウ。隠しても分かるから」

「まぁ、そうだろうな」

「“ユウ”?」

「本名もじったあだ名みたいなもんだよ。気にせず今まで通り呼んでくれ」

「…………おう」

 

 にこやかに腕にしがみつく詩乃が一瞬だけおそろしいオーラを発したのは気のせいだ、きっと。キリトが妙にビビっている事も関係無いはず。

 

「と、とりあえず自己紹介だけしてくれないか? 名前も分からないんじゃどう呼べばいいか分からん。それに、色々と情報を整理したい」

 

 ごほん、とわざとらしい咳払いをして、気を持ち直したキリトが話を切り出す。実際キリトが言うとおり、俺も詩乃のアバターネームを知らないから迂闊に呼べないし、キリトとしても、これからも行動を共にするだろうプレイヤー名ぐらいは知っておきたいだろう。

 

 不自然なことではないし、別の意図があるわけでもない。無駄な勘ぐりをせずに詩乃とフィリアは応えた。

 

「まずは俺から。キリトだ。アインとはβテストからの付き合いで、パーティ組んで一緒に攻略を進めている。よろしく」

「あさ………シノンよ。もう分かってるだろうけど、私とユウはリアルでの幼馴染みなの」

「私はフィリア。よろしく、キリト」

 

 互いに自己紹介を簡素に済ませて、キリトが話を切り出した。それは俺も疑問に思っていたことだ。

 

「シノンはアインと仲が良いんだな」

「ええ」

 

 外見の鋭さからも分かる通り、詩乃………シノンは自信家だ。それなりにプライドも高い。それでいて驕っているわけでもないから話しやすかったりする。

 現実世界で詩乃が起こした事件や背負った罪をキリトが知っているはずもなく、また俺と詩乃がベラベラと話す事も無い。そしてこの世界には銃が存在しない。

 

 朝田詩乃として、シノンという身体を得た詩乃は自由に、あるがままに、本来の自分通りの生き方を選べる。

 

 ひっついて離れないなんてのはそういう事かもしれない。全然嫌じゃないし、むしろ嬉しいことだ。再会できるのは何年先になるのやらと不安だったし、その間に詩乃がどこか遠くへ行ってしまう事になっていたら何のために頑張ったのか分からなくない。何より暖かいし、柔らかいし、安心する。自分が何処にいるのか、何処へ居るべきなのか、居なければならないのかを良い意味で思い知らされた。

 

「じゃあ質問。幼馴染みなら、ログインする時間も合わせて、最初から一緒にいれば良かったじゃないか。何でわざわざアインだけ先に飛び出して、あとから追いかけるような事を?」

「それは俺も気になるな。シノン、どうやって途中からログインした? 場所はどこから? ナーヴギアとソフトは? 何故というのは聞かないでやるから、教えてくれ」

「は? 途中からログイン?」

「家族の人がゲームや漫画を良く思ってないんだ。だから、あと数年ぐらいしたら一緒に遊ぼうって話しをしてたんだが………」

「そうね………隠すことじゃないし、隠すべきことじゃない。話すわ、正直にね」

 

 そしてシノンが語る。

 

 この一ヶ月間、ほぼ毎日学校を無断欠席するほどに憔悴しきっていた詩乃は、おじさんの「俺に会えるかもしれない」という一言でついて行った。

 その先は俺が搬入された東京の大きな病院。田舎に分類される俺が住んでいたあの場所でも病院はあるが、そのあたりはおじさんのコネだろう。事実、器具や病室の数など規模が段違いだ。

 そこで耳にしたのが、「ここには他のSAO患者もいる」ということ。

 当時……数日前の時点では、死亡者は二千人。総ログイン数の約五分の一が既に死んでいた。

 これだけ大きな病院なら、既に死亡者が居てもおかしくはない。そう考えた詩乃は、“死亡者が使用していたソフト”を頂くことにした。

 そして、偶然にも亡くなったばかりのプレイヤーと遺族が居り、涙を流し頭を下げてお願いした結果、ソフトを入手することに成功。あらかじめこっそりと購入していたナーヴギアを持参していたため、全ての障害をクリア。ログインしてきた。

 

 ということらしい。

 

「ゲームに入ってからは、すぐ近くにいたフィリアにいろいろと教えてもらいながら、ここまで来たってわけ」

「なるほどな………」

「ラッキーだわ。まさか数日で会えるなんて。これもフィリアのおかげね、ありがとう」

「いや、そんな………えへへ」

 

 しっかりと喜びながら、形ばかりの遠慮をみせたフィリアは笑顔だった。

 

「ねえユウ、お願いがあるの」

「お願い?」

「フィリアも人を探しているの。私もまだ探さなくちゃいけない人がいるし……手伝ってくれたフィリアを手伝うのはダメ?」

「ああ、その心配はしなくてもいいんじゃないか?」

「どうして?」

「俺の予感では、その人探しは済んでいると思う」

「そうなの?」

「ええ。ありがとう、シノン。おかげで会えた」

 

 シノンの目を見ていた俺は、反対側に座るフィリアへと視線を移す。

 

「何年ぶりかな? ギン兄」

「さあてな。忘れた。それよりも、イイ女になったじゃないか。フィア」

「…………え?」

「ユウ、フィリアと知り合いだったの?」

「ああ。お前にまだ会う前の話だけどな。こいつは妹みたいな奴だったよ」

「「ええーーーーーーーー!?」」

 

 システムによって防音対策がされているものの、この時のキリトとシノンの叫び声といったら街全体に響いたんじゃないかというくらい大きかった。

 

 

 

 

 

*********

 

 

 

 

 

 場所は移らず、キリトが部屋を退室した形になった。

 

 シノンが虹彩を失った薄暗い目で詳しい説明を要求してきたため、キリトには席を外してもらったのだ。リアルが絡む事だと言うと、一つ返事で了承してくれた。

俺としてはその辺りを隠すつもりは無かったので問題はない。いずれキリトにもアスナにも話す事になるだろう。

 

 長々と語るつもりはない。忘れようとはしない、だが思い出したくもない、そんな昔の話だ。詩乃相手だからこそ、あまり聞かせたくはなかった。納得してくれる範囲で話そう。

 

「俺が昔、何をしていたのか。シノンは知ってるだろ?」

「うん」

「フィリアは、その時に面倒を見ていた子だ。実際に血の繋がっているわけでもないし、義理の妹でもない。ただなんとなく、俺とフィリアと周囲が、俺達を兄妹みたいに見てたってだけだよ。妹分みたいなもんさ。フィリアからすれば、俺は兄貴分だろ」

「うんうん。懐かしいなぁ。どこに行っても後ろをついて回ってたっけ」

「ホームにいる時ならともかく、外に出る時まで背中にしがみついてきたのは困ったなぁ」

「………それだけ?」

「それだけだよ。俺は親兄妹なんて居なかったから、ホームに居た皆が家族だった。だから母親みたいな人もいれば、父親っぽい男もいた。そこに、俺より後に来たフィリアが歳が近くて面倒を見てただけ。あれだけの劣悪な環境と情勢の中で結婚して子供を産んだ夫婦もいるし、そういう話が無かったわけじゃない。むしろ、普通の生活に憧れた奴ほど望んでいた。でもさ、俺とフィリアの歳を考えてみろよ」

「………それもそうね」

「てわけだ」

 

 とりあえずは納得してくれたようだ。まだまだ聞きたいこともあるが、俺のことを気遣ってのことだろう、それ以上詮索することはしなかった。とてもありがたいし、助かる。

 

「フィリア、お前から何か聞きたいことがあるんじゃないか?」

「そうだなぁ……あの後を聞きたいな」

「まぁ、一番気になるところか」

「“あの後”?」

 

 頷くだけでシノンに返す。多分、あの時ほど酷かった戦いは無い。もっとも思い出したくない過去だ。フィリアも苦い顔をしている。

 

 だから、口には出さない。何時か話せるようになる時まで。

 

「顔も知らない両親の知り合いっていう人に拾われたよ。元々両親がつけてくれるはずだった名前を貰って、日本でいう普通の暮らしを送らせてもらってる。シノンはその時のお隣さんなんだ。住むようになってからはずっと一緒に過ごしてきた」

「そっか。ありがとう、シノン。アインってば、興味のないことにはまるで関心ないから、常識とか覚えるの結構大変だったんじゃない?」

「え、ああ、そうね………日本語はペラペラ話せるのに、字を書いたことが無いって言われた時は焦ったわ。だってどう教えればいいのか分からなかったし」

「はは………はぁ」

 

 あれは、大変だったな。まだ銃を分解して組み立てる方が楽だった。

 

「フィリアはどうしてた? どうやって日本に? というか、ゲームできる環境にいるやら………」

「私はねぇ……日本の自衛隊員をやってる人に拾われて生活してるよ。その人ね、孤児を預かってるらしくて他にもそういう子達がいっぱいいたんだ。下の子を面倒見ながら、学校にも行かせてもらって、アルバイトもしてるよ。その自衛隊員の人から趣味でも見つけなさいって勧められて、ナーヴギアを買ってSAOも買ったんだ」

「自衛隊員、ね」

 

 なぜそんなところに日本人がいたのやら………。まぁ、聞くことじゃないな。リアルの詮索はマナー違反だ。俺もシノンもフィリアも、言えないことばかり抱えている。

 

「んじゃ、キリト呼び戻すぞ。話しの続きだ」

「他にもあるの? もう私達の事は話したじゃない。自己紹介だってしたし」

「こっちが聞きたいんだよ。それに、ログインしたばかりなら知らないことだってあるんじゃないか? 俺とキリトはβテスターだし、パーティ組んでるアスナは才能の塊だ。遅れがあるようじゃ、ついてこれないぜ?」

「………いいの?」

 

 シノンが言った「いいの?」の意味は「ついて行っていいの?」だ。

 本音を言えば、危ないことをしてほしくはない。普通にゲームを楽しむなら拒む理由はないが、SAOだけで言えば別。死ぬ可能性を孕むこのゲームでは、レベルと経験、判断力が全てを分ける。パーティを組んだ時、レベルが低いプレイヤーがいると穴になり、庇う必要が生まれる為に思うとおりの戦いをするのは難しい。そしてそのプレイヤーのレベルを底上げする時間もまた、攻略に割ける時間を減らすため、極端に言えば無駄だ。

 

 このたった数日生きてきただけで、コレを理解できるビギナーはそうそういないだろう。先の戦いで一緒だったキバオウ達も、一ヶ月かけてようやく理解したことだ。これは、βテスターとビギナーの差が生まれた理由でもあるのだから。

 

 俺達のレベルはかなり高い。このままのレベルでも、二層ボスでは十分に戦えるだろう。だが、そこにシノンとフィリアが混ざるとなればそうもいかない。安定した今の戦闘方法を崩してまた組み直し、二人をレベルだけでなく鍛える必要がある。

 ボス戦の経験がなく、また一層でも最前線で戦ったわけでもない二人を、いきなり二層の最深部まで連れて行くわけにはいかない。最悪の場合、全滅する。

 

 低レベルプレイヤーを連れていくというのは、そういうことだ。

 

「良いも悪いもあるか。俺達は仲間だ、死なせはしないさ」

 

 

 

 

 

*********

 

 

 

 

 

 

 再びキリトを加えて話を進める。宿のロビーに降りることも無く、廊下の角で外をじっと眺めていたキリトはそそくさと入ってきた。

 

「さて、まずは俺とキリトから聞いてみようかな」

 

 今度はシノンとフィリアをベッドに座らせて、俺とキリトはソファーに座って向かい合った。ビーターとビギナーの図が完成。ただし、コレを口にしても意味が分からないだろう。

 

「キリト、お前は何がある?」

「そうだな………まずはレベルと、武器と、得意なことを教えてくれると嬉しいな。どういった戦い方をするのか気になるし、それによって俺達がとる動きも変わってくる。できればでいい」

「じゃあどうぞ。まずはシノンから聞こうかな」

「わ、私? えっと、レベルは6、武器は短剣で、得意なことは……投擲かしら?」

「もう《投擲》スキルとったのか? まだスロット二つしか空いてないだろうに」

「いえ、スキルはまだだけど、いずれは取るつもりだから」

「ふむ。次」

「9レベルだよ、武器はソードブレイカー。まぁ、勘が良いぐらいじゃないかな。戦闘に関しては心配しなくていいよ」

「アイン、解説頼むわ」

「ソードブレイカーは、まあ省くか。俺が前に使ったことあるのを見ただろ。戦闘も言うとおり気にしなくていい、そこらの二桁を越えたプレイヤーより何倍も強いはずだから」

 

 シノンは兎も角、フィリアに対しては心配していない。俺と同様に、フィリアもまたナイフを振り回していた一人だ。酷く病んでいる俺とは違って、それを理性的に振り回すだろう。

 

 今後はフィールドをゆっくりと、それでいてキバオウ達に負けないように探索を進めて、レベル上げを測る。昔よく使っていたあの狩場を五人で独占、乱獲すれば10なんて軽く超えるさ。

 

 俺とキリトについても話を終え、今度は俺が切り出す。

 

「シノン、現実世界が今どうなっているのかを教えてくれ」

 

 やはりゲームにログインしている全員が気になると言えばこれに尽きる。

 

 こちらから干渉する術は無い。知りたければクリアしろ、それがここのルールであり目的だ。だが、ここへシノンというイレギュラーが現れる。利用しない手はない。

 

 既にフィリアへと話したこともあって、大分纏められた内容だった。ナーヴギアは発売停止、回収が行われた。茅場晶彦は行方不明に、責任だけを押し付けられたアーガスは解体され、別会社へと運営は委託される。ただし、外部からの接触はほぼ不可能で、プレイヤーの身体を安全な病院へと移されたぐらいしか進んでいない。

 

「どこからログインしたんだ?」

「病室から。そこはSAO患者も収容されていたから、どこの病室にもケーブルをさせる場所があったから」

「空き病室に勝手に入ったのかよ……」

「いいえ、使用されている病室からよ」

「は?」

「ユウのベッドにお邪魔してるわ」

「「「………」」」

 

 つまり、ログインした時、俺のベッドに勝手に入り込んだ挙句そのままSAOに入ってきたと。現実では仲良くナーヴギアを被って眠っているわけだ。

 

 いいけどさ。

 

「現実世界はこんなところよ。たったの一ヶ月じゃプレイヤーを開放しようにも何も進まないだろうし、全てのプレイヤーを安全な環境に置くだけでも十分なことじゃないかしら?」

「責めようがない。最大限の事はやってくれてるんだろうしな」

 

 あちらはあちらで、できる限りのことを尽くしてくれるだろう。なら俺達は一日でも早く百層へ到達するしかない。

 

「んじゃ、今後についてだな」

「一日掛けてレベル上げした方が良いんじゃないか? 俺達は兎も角、シノンとフィリアはこの先厳しい」

「ああ、だから昔使っていた狩場に籠る。ついでに二人の癖とか戦い方を見よう。そのあとは普通に攻略だ」

「大丈夫なのか? 俺達がついているからって言っても、いきなり二人も増えたら……ま、いっか。しばらく深追いや乱獲を控えれば」

「そういうことだ」

 

 方針について話し合う中で、ガチャリとドアが開く。

 

「ふあぁぁぁ…………」

「「あ」」

「ちょっと、もう時間過ぎてるじゃない。ちゃんと起こしてって―――あら?」

 

 忘れていたわけじゃないが、忘れていた。

 

「ねえキリト君」

「は、はいっ!」

「ダレ?」

 

 目の前の悪鬼羅刹を相手に、どうやらもう一度同じことを話さなくてはならないらしい。

 

 

 

 

 

*********

 

 

 

 

 

 

 何とか怒りを鎮めた羅刹……もといアスナは上機嫌で二人を迎えた。もともと友人が少ないとぼやいていたので、同姓同年代の女子がパーティに加わった事自体は素直に喜んでいる。そして釘を刺していた。

 

『手を出したら許さないからね♪』

 

 フィリアはガクガクと頷くばかりだったが、シノンは平然とそれを受け止めてこう言った。

 

『浮気なんてすると思う?』

 

 この時、アスナは怒りを覚えるどころか握手を求めてお互いを称えあった。シノンとは違い、アスナの目の前には背丈まで伸びた雑草やらなんやらが立ちはだかるのだが、きっと乗り越えていくことだろう。

 

 フィリアは苦笑いを浮かべつつ、どこか暗そうにしていた。

 

 SAOでも初めてと言える賑やかな夕食を終え、新たに加わった二人のために部屋をもう一つ借り、明日に備えて早めに寝ることにした。寝足りないのか、洞窟でのごろ寝が相当堪えているのか、アスナは早々に寝ると言いだしたので今日はお開きだ。

 

 ここで一騒動が起きた。部屋割である。

 

 アスナが先に眠ってしまい、内側からカギをかけてしまったので一部屋埋まる。残りを分けるとすれば、男女で一部屋ずつだろう。当然そうなると思っていた俺達だが、そこへシノンが一言。

 

『私、今日はユウと寝るから』

『『!?』』

 

 驚くキリトとフィリアだが、俺はそうでもなかった。最近でも偶に同じ部屋で寝ることもあるし、多分そんなことを言いだすんだろうなーとどこかで確信していたこともある。

 

 SAOには《ハラスメントコード》と呼ばれるシステムがある。異性に触れる際、それが公序良俗に反するものであるとシステムが判断した場合、被害者側はボタン一つで加害者側を牢獄送りへできるというもの。実際に自らが身体を動かすSAOならではのシステムだ。これはNPC相手にでも適用される。

 例を上げてみよう。

俺がシノンの肩を叩いて「お疲れ様」と言う、麻痺状態にあるシノンをおぶって走る、手をつないで街を歩く。このあたりは問題ない範囲だ。最後の手をつなぐは状況次第でコードに引っかかることもあるだろうが、ここではセーフとしよう。

胸や尻を触る。しつこく身体をべたべたと触ったり撫でまわす。抱きしめる。ここらは明らかにアウトの領域だ。現実でも一発で警察を呼ばれて即逮捕レベル。

 

 グレーな部分も多いが、とりあえずは《ハラスメントコード》によって、女性は護られている。ただし、武器による可逆的行為はスルー。麻痺・睡眠状態のプレイヤーを運ぶのは危機回避と判断される場合がほとんどなのでコードは発動せず、プレイヤーは動けないのでやりたい放題。などなど、抜け道もいくつか見られる。要は相手にコード発動のボタンを押させなければ良いのだ。

 

 就寝状態を晒すとはそういうこと。気心が知れた相手でもあまりお勧めはしない行為だ。加えて俺とシノンは男性と女性であり、レベル差も大きく離れている。ステータスに任せた強引な手も可能だろう。絶対にそんなことはしないのだが、それを他人へ説いたところで聞きいれるはずがない。

 

 そして……

 

『シノン!』

『何? いくらフィリアでもこれは譲れないわ』

『シノンが許されるなら私もギン兄と一緒に寝る!』

 

 と、フィリアが暴走を開始。毎日のように寝かしつけていたのがここで仇になる。

 

 必死にキリトが危険性を説くが、フィリアが寝返ってしまったので言い負けそうな雰囲気に。巻き込まれるのは御免とばかりに、俺は無干渉を貫いた。

 

 ここへ救世主が。

 

『まだ起きてたの?』

『アスナ』

 

 羅刹……もとい救世主アスナ様の登場にキリトが喜んだ。これで勝てる! と。

 

 育ちの良いアスナは当然のように反発、またしても意見が割れてしまう。

 

 今日の騒動も、シノンとフィリアとの再会も、かなりの出来事で疲れ切っていた。慣れているとはいえ、岩盤で寝るのが好きなわけでもないし俺も疲れはある。それに、今までレベルを上げることや攻略ばかりに励んでいたので碌な休息は取って来なかった。それができるのは大分先の話だと思っていたのもある。

 

 シノンが来たという安心感、フィリアが年頃の少女らしく平和に生きていたことを知れた事もあり、我慢していた疲労がどっと押し寄せてきた。決してこの論争に呆れが湧いたわけではない。

 

 とにかく、ぐっすりと眠りたかった。

 

 となれば……

 

『シノン』

『?』

『早く寝よう、疲れたよ』

『『『!?』』』

『ええ、行きましょう』

 

 まだ引っ越したばかりのころ、毎晩うなされていた俺を救ったのもまた詩乃だ。誰が隣で寝ようと知ったことじゃないが、詩乃だけは別だろう。

 

 論破するのではなく、選ばれたことを大いに喜んだシノンはそれはそれは誇らしげな笑顔を浮かべていたそうな。

 

 そして今に至る。

 

「枕が二つ無い……」

「要らないわ。いつもそうだし」

「それもそうか」

 

 当たり前のように、二人一緒にベッドで寝る会話をしていた。何度も言うが、俺達にとっては普通である。

 

 ドアに鍵をかけ、カーテンを閉め、二人してベッドに潜る。真っ暗になっても、カーテン越しの月明かりだけで間近でこちらをみるシノンの顔がはっきりと見えた。

 

 俺の左腕を枕代わりに頭を乗せる姿を見るのは随分と懐かしい。

 

 両手を俺の胸に当て、身体を預けてくるシノンは満面の笑みを浮かべていた。

 

「なんか、意外だな」

「何が?」

「てっきり泣きじゃくるのかと思ってた?」

「私も驚いてるの。会ったら思いっきり泣いて困らせてやろうって思ってた」

「盗聴系スキルでもない限り、ここでの会話は誰にも聞こえないぞ。叫んでもな」

「我慢してるわけじゃない。ただ、嬉しいの。満たされている。まだ知らないことばかりだけど、SAOまで追って来て良かったって思ってるわ。きっと、今も現実世界に居たら私は壊れてた」

「俺はどうだろうな……落ちつける時間を得られるまでは、現実の事は考えないようにしてた。迷った奴から決まって死んでいく。だから、とにかく百層突破だけを考えてた。そうじゃなきゃやってられないんだ。目の前で死んだ奴もいる、今日もどこかで誰かが死んでいる。何時か俺もそうなるのか……? って思ったらさ、もう詩乃には会えないって事で……俺も折れていたはずだ」

 

 毛布をシノン――詩乃の肩にかけて頭を優しく撫でる。デジタルが再現しただけのアバターだが、その感触や暖かさは紛れもなく詩乃だ。さらさらと鮮やかな黒い髪、夜に溶けず爛々と輝く黒の眼、白い肌に目立つ赤らむ頬。彼女の全てが愛おしい。

 

 この少女は、俺の全てだ。

 

「詩乃」

「?」

「絶対にお前を離さない。何処にも行かせない。どれだけ嫌がろうと必ず迎えに行く。だから何処にも行くな」

「………ユウ」

「ん?」

「私を離さないで。何処にも行かないで。あなたの両腕で縛りつけて。抱きしめて。私だけを見て」

 

 こつん、と額をあわせて目を閉じながらそっと呟く。ぴったりと寄り添い、目を閉じて、右手を詩乃の頬に添えて、優しく唇を重ねた。

 

「「愛してる」」

 

 どちらからともなく、俺達はその言葉を口にした。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

phase 16 新システム

 

 第二層はたったの十日で走破された。

 

 まだ一度も起きていないイベントだってあるだろうし、妖精の溜まり場(フェアリー・スポット)も見つからないままだ。フィールドの端にでも行けば宝箱がゴロゴロと転がっているだろう。

 

 しかし、それには目もくれずに前線で戦い続けるプレイヤーは階段を駆け上った。一日でも早く攻略する為に。そして、強力かつレアなアイテムを見つけるために。全層を端から端まで探索して、全クエストを起動させてクリアするまで上がらないなんてことは時間の無駄だ。

 

 俺とキリト、アスナの三人パーティに新たに加わったシノンとフィリアも交えて、狩りに徹してレベルを上げ、装備を整えた上で迷宮区に挑んだ。そしてボス討伐。二層についてすぐに三日ほど《体術》習得に費やしたにもかかわらず、寄り道込みで二層突破なのだから驚きだ。加えて、俺とキリトはまだまだトップレベル帯に位置している。周りが遅いわけじゃない、初日のネペント狩りや効率の良いスポットを知っている分稼ぎが良いに過ぎない。

 

 鍛冶職プレイヤーによる詐欺など、早速色々な問題が起きたりもしたっけ。かなり面倒だったが解決したし、当事者の彼のおかげで無事に攻略できたので、結果オーライとも言えなくもない。まぁ、会うことはないだろうな。

 

 そしてそこから数ヵ月後。

 

 俺達(プレイヤー)は二十層まで到達していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〓〓〓〓〓〓〓〓〓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 三層序盤からようやくギルド結成クエストに挑戦できるようになるわけだが、それをスルーしてただのパーティを組んで二十層、かなりの遅れがあったシノンとフィリアもいつの間にかアスナに並ぶほどにレベル差を詰めていた。それでいて俺とキリトにしっかりついてくる。ハイレベルプレイヤーとして恥ずかしくない実力を身につけた。

 

 最低限の戦闘スキルを揃えた奴から、空いた時間をつぶせる程度の生産系や職人系スキルを身につけるようになり、裁縫だったり料理だったり錬金だったり等々、全員が好みに走った。武器はダブってもここは全くのバラバラだったので、五人という平均的なパーティでありながらかなり豊富なスキルと知識を持つようになり、最前線では俺達の噂が広まっている。

 

 曰く、SAO最強のパーティだ。

 

 曰く、ビーターの群れに違いない。

 

 曰く…………美少女を侍らせるクソ野郎。

 

 ………誰がこんなことを言いだしたのだろうか? 見つけたら殴ってやる、と熱くキリトと誓った。

 

 フレンドの近況も最近はよく入る。攻略が難航していることもあって、時間が増えたことが原因だろう。俺達以外にも別の職を見つけて気分転換するのは珍しいことじゃない。

 

 クラインはギルド《風林火山》を結成して、最前線攻略ギルドとして名を上げている。以前少しだけ話したカタナスキルをプレイヤーで初めて習得し、条件を公開してちょっと有名人になったりもした。曲刀使いから転職した連中は、クラインを慕っているとかなんとか………。まぁ、頼りになる大人ではあるよ、あいつ。

 

 コペルはディアベルの後を継いだ一人のリンドのサポートを続けていた。ビーターではなく、βテスターであると明かした上でアインクラッドのプレイヤーから認められている。他にも困ったプレイヤーのレベリングを手伝ったり、レクチャーしたりと忙しそうだ。レベルと技量共々最前線で戦えるものの、本人自らの意志で後進の育成に励んでいる。

 

 エギルもやはりこの二十層で詰まったクチで、片手間に始めてみた商売にド嵌まりして小さな店を持つようになった。といっても、持ち運び可能なストレージ機能を持つカーペットなんだが、わりと気にいっているし商売も上手くいっているのでちょくちょく足を運んでいる。安くしてくれるし。レベル上げも怠っていないので、ボス戦皆勤賞は継続中だ。

 

 それなりによろしくやっているようだ。

 

 そして………

 

「アーたん」

「おう、鼠じゃないか」

「アルゴだって言ってるだロ」

「鼠のアルゴだもんなー」

 

 数少ないフレンドの一人であるこの女は、突然後ろから現れた。相変わらず神出鬼没だな。

 

 鼠のアルゴという名前は既にアインクラッド中に響いており、知らないプレイヤーはもういない。誰もが彼女を頼り、金を巻き上げられている。正確な情報と素早さ、何よりも幅広さはどんな情報屋も敵わない。

 

 しかし空気は読んでくれない。久しぶりのデートであってもコイツは平然と割りこむ。だからこその神出鬼没だろう。

 

「………誰?」

「あれ、まだ会ったこと無かったのか? アルゴだよ、鼠のアルゴ」

「ああ、情報屋の?」

「始めましてだナ。《氷の華》」

「ちょっと止めてよ……それ嫌いなんだけど」

「じゃあ《猫かぶり姫(シンデレラ)》カ?」

「………シノンよ」

 

 なんか合わなさそうだなーとか思ってたけど、ホントに噛みあわないな。

 

「しかし、《氷の華》に《猫かぶり姫》か……シノンも名が売れたな」

「ユウまで止めてよ、もう……」

 

 名前が知られると、異名というか、称号というか……そんな類のものを周囲から付けられるのは何処でもあることだ。現実で挟み聞きしたことがあるのは……《頬笑みの貴公子》とかだな。俺達にも付けられた。

 

 見る人にクールな印象を与える上に水色の装備や防具を好んで装備したり、ツンケンしてまるで取りつく島も無い癖にデレデレすることから、《氷の華》とか《猫かぶり姫》なんて呼ばれる羽目に。

 まだ《氷の華》と呼ばれていた時期に、とある男性プレイヤーから告白された事があるそうだが、「私、もう結婚する相手いるから。耳が汚れるから失せなさい」とごめんなさいの一言をかけるどころか追い打ちするという辛辣な返しを見せた。俺と二人で出かけているところを見た誰かが、普段とは大違いなシノンの様子にしばらく放心状態に陥ったとかなんとか。そして猫を被っているようだからと《猫かぶり姫(シンデレラ)》とも言われ始めた。

 

 シノンは嫌っている様子を見せるが、心のどこかではちょっぴり嬉しそうにしている。

 

 因みに、俺は《戦神》《天速》。キリトは《黒の剣士》。アスナは《閃光》。フィリアは《ハンター》《青金(あおがね)の風》……だったか。

 

 俺は文字通り、神の如き強さと戦いぶりに天を駆けるほどの速度を称えて。

 

 キリトは全身黒の装備な上に、武器の片手剣まで黒っぽさが目立つときた。

 

 アスナの剣速は残像すら残さないレベルに達しつつあり、ソートスキルの発光の軌跡だけを残す様になった。最速の攻撃と素早さ、恐ろしさが詰まっている。

 

 フィリアのスキルは特殊なものが多く、その一つ《解錠》は宝箱やダンジョンのトラップも回避、解除できる。それだけでなく仕掛けもする上に実力も相当なことから《トレジャーハンター》を名乗る本人を無視して《ハンター》と呼ばれ、その素早さから《青金の風》とも例えられた。当のフィリアはわりと気に入っていたりする。

 

 いつの間にか有名人だった俺達だった。

 

「それで、今日はどうした? またどっかの誰かが交渉でも持ちかけてきたか?」

「そんなの日常茶飯事だナ。むしろ、アーたん達絡みの話は途絶えそうになイ。まったくもって面倒なフレンドを持っちまっタ」

「それを俺に言われても困る」

「それもそうカ。……じつは、お前等にピッタリのクエスト情報を掴んだんだが、幾らで買ウ?」

「それってどんなクエストなの?」

「SAOに新たなシステムを追加するクエストらしいゾ。内容がぶっ飛びすぎてとても仕事仲間程度の連中じゃクリアできずに放棄しちまうほどのナ」

「ってことは、一回きりか。新システムはなんなのか分かるのか?」

「勿論だとも! アルゴ様を舐めて貰っちゃ困ル」

 

 にやりと口角を上げていい笑顔を見せるアルゴ。

 

 コイツがこういう顔をするときは決まって良いか悪いかの二択だ。ぞわっと背筋を悪寒が駆けめぐる。

 

「新システム、それは――――《結婚》ダ」

 

 

 

 

 

 

*********

 

 

 

 

 

 

 今日は溜まりに溜まった疲れやストレスを発散する為に、宿を取った後に自由行動にした。だからこそ俺とシノンはデートしているわけだし、アスナはキリトを落とそうと街中を連れ回して逆に振り回されている。フィリアは狩りで集めた素材で錬金レシピ作りに励んでいるだろう。何時か絶対にマスターキーを作ってNPCが持つ宝箱をかたっぱしから開けてやると息巻いていた。

 

 だからこそ、わざわざ皆を集めてクエストに挑戦するのは気が引けたし、アルゴの忠告を聞く限りでは大人数で行くほど成功率が落ちるそうだ。素直に二人で行くことにした。

 

 場所は十二層主街区から南へ数キロほど下ったところにある古民家らしい。ここいらの敵は何故か比較的弱く、下手をすれば三層程度のステータスしかないと言われた。そのくせ身入りは十二層で新たに現れた敵と殆ど変らない為に、良い狩場として知られている。

 

 今日もたくさんだ。

 

「懐かしいわね……ここで乱獲してたのが」

「そうだな。誰が一番多く狩れるかを競って負けたら驕りとかしてたな」

 

 ここの旨みはレベリング効率の良さにある。ザコなくせに経験値が多めに手に入るわけだが、それを更にブーストしたのがMobの出現率の高さにあった。

 

 一定のエリアごとに、現れるMobの数は決められている。どこかでやられた瞬間に全く別の場所でやられた分だけ湧く。過不足無く、常に一定数のアバターをフィールドに配置しようとするらしい。

 

 低レベルには受けが良いし、ハイレベルにはもっと受けが良い。特に最前線攻略をしているプレイヤーには腕が鈍ることを除いてかなり好まれた。なにせただの一撃を入れるだけで倒せるのだから。

 

 そこでキリトが言いだしたのが「誰が多く狩れるか勝負しようぜ」。負けたら主街区で一番上手い料理を全員分驕るという負けられない罰ゲームが控える中で、全員がマナーそっちのけで狩りまくった。乱入しては横取りし、湧いた瞬間に貫いて、時には面倒な敵にぶつけて時間を稼がせたりとかなり本気だったと思う。

 

 負けたのはこの中では敏捷値が低めのキリトだった。筋力値による重く威力の高い剣を振って重い一撃を入れるタイプのキリトは、反射神経や剣速はともかく移動速度が遅い部類に入る。短剣を使うフィリアは速い上に現実での経験もあるし、シノンは《軽業》を習得している、アスナは手数で攻める細剣使いのために敏捷値はトップクラス、俺は槍と移動速度の高さでノンストップで敵を屠り続けた。

 

 どう考えてもキリトの負けしか見えないゲームだった。

 

 タダで上手い飯を食った俺達はいい思いをして終わったものの、その場にいたプレイヤーからすればとんでもなく迷惑な連中だった。かき乱して横取りされるのだから堪ったものじゃない。

 

 その日以来、各地の狩場にはルールが設けられるようになったという………。

 

 そんなわけで、ここには(キリトを除いた俺達にとって)いい思い出が残っていた。

 

「おい」

「あ、あれは……」

「《永遠の二人(エンゲージ・リング)》じゃねえか!?」

 

 そんな恥ずかしい名前で呼ぶんじゃない……。

 

「もう、気の早い連中ね。もう結婚してるだなんて」

 

 トリップすな。

 

 モーゼのごとく人垣が割れる中を歩く。ひそひそとささやき声が左右から聞こえる。妬む声もあれば、羨ましがる声もあり、キャッキャと騒ぐ声もあれば………

 

「うおおおおおおお!! シノンちゃーーーん!!」

「きゃあああああ! アイン様よーーーーーー!」

 

 俺達の知らないどこかで生まれてきたキチガイ共(ファンクラブ)のノイズも聞こえた。というかそれしか聞こえない。よく見れば殆どの奴がおんなじ鉢巻を巻いている。おい、さっきまで普通の兜とかアクセサリーだっただろうが。フィールドで防具変えるな。

 

「なんなんだこいつらは………」

「流石に面倒ね……」

 

 さっきとは一転してシノンも面倒くさそうだった。

 

 地獄の人垣を越えて更に歩くと、アルゴから聞いていた特徴と一致する古民家を見つけた。

 

 白い塗装に、青い屋根。向かって右端に煙突が経ち、ドアの隣には窓が二つ。隣には馬小屋と倉庫が並んで建ち、敷地は木製の手作り柵で仕切られていた。ポストまで手作りである。

 

 ノックを三回してしばし待つ。

 

「どなたー?」

 

 現れたのは長い耳を持ち、さらさら揺れると長い金髪を垂らした魅力的な女性と、これまた同じく長い耳に、肩まである銀髪をうなじで纏めた肌の黒い男性が中から現れた。

 

「え、エルフ!?」

「おや、僕たちの仲間と会ったことがあるのかい?」

 

 現れたのはエルフとダークエルフの男女だった。二人の左手の薬指には、まったく同じ意匠の指輪がはめられている。

 

 夫婦、なのか?

 

 ファンタジーにおけるエルフは森の妖精で長寿だと描かれることが多い。それと同時に、正反対の位置にダークエルフが存在することもまた多い。SAOにエルフがいるというのは聞いていたし、目にしたこともあるが、仲はよろしくなかったと思う。

 

 なぜ?

 

「ユウ?」

 

 一人でもんもんと考えていると、エルフの夫婦は中に引っ込んでしまい、シノンは追うように家へ入ろうとしていた。声を掛けられて気付き、俺も家にお邪魔する。

 

 中は至って普通の民家だ。人間臭さ溢れる物ばかりで、種族の紋章や武具、装飾品の類は一切見られない。

 

「まぁ、そこのテーブルにでも座って待ってくれ。お茶を持ってくるよ」

 

 銀髪のダークエルフはそう言うと台所と思われる場所に行ってしまった。先に入って行った金髪のエルフの手伝いだろう。

 

 言われた通りにテーブルについて、隣にシノンが座る。

 

「エルフ……なつかしいわね」

「ああ、彼女か」

 

 βテストで俺とキリトが会うきっかけにもなった三層から始まる長期クエストは、エルフ達を中心としたストーリーになっている。正式サービスである今回も勿論クリアした。大分長い上に、他にも話が舞い込むものだから手間が掛かるが、得られるモノは大きい。

 

 何と言っても《ギルド》設立システムの開放だろう。このクエストの途中で手に入る報酬がそれなのだ。大半はそこで止めるし、一応の区切りもつくので先があると気付かない場合が多い。俺達も貰った。

 

 そんなわけで、エルフはわりと身近にいた種族だ。動揺も感動もない。

 

 ただし、疑問は残る。

 

「どうしてエルフとダークエルフが一緒にいるのか、よね?」

「ああ。シノンはどう思う?」

「仲が悪いのは確かなことよ。だから、あの人達がエルフの常識から外れているんじゃない?」

「そうなるな……左手、見たか?」

「ええ。指輪してたわね」

 

 指輪をすること自体は、さして珍しい事じゃない。というか、指輪タイプのアクセサリーもあるし、防具としての機能を持つものも少なくない。HP等のステータスを底上げしたり、ソードスキル熟練度を上げやすくしてくれたりと、プレイヤーにはよく好まれる装備の一つだ。普通にお洒落にも使える。

 

 装備する指も選べるが、指輪は何処の指につけるかなどで風水的な意味合いが変わるなど、暗示の意味を含んでいたりする。それと同時に、左手の薬指と言えば結婚指輪をはめることで知られていることから、誰も付けたりはしない。

 

 まぁ要するに、誰一人として左手の薬指に指輪をはめないのだ。

 

 だからこそ、夫婦のそれは新鮮に見えるし、大きなヒントでもある。この二人がクエストに関わっているのは間違いなさそうだ。

 

「………」

「どうした?」

「私達の指輪、どうしようかしら?」

 

 大分先のことで悩んでいた………。

 

「お待たせ」

「熱いのは平気?」

 

 そんなこんなでお茶とお菓子を持ってきてくれた二人は俺達の対面に並んで座った。やっぱり違和感が半端じゃない。だが、不自然さが微塵もない。

 

「私は《グレース》。こっちは夫の《シバ》よ」

「アインだ。こっちはシノン。よろしく」

「こちらこそ」

 

 握手は省いて、挨拶を交わす。二人ともにっこりと笑っており、突然押し掛けた俺達を心から歓迎してくれているようだ。ゲームのNPCにそんなことを言っても仕方が無いのだが、いきなり無視したり話しかけたり、矢鱈滅多な理由をつけて会話を始めようとする事に比べれば何倍もマシだった。

 

「さて、何の用で来たのかしら? 察しはつくけどね」

「えーっと……」

 

 俺達がこのクエストを知ったのはアルゴの紹介があったからだ。そしてアルゴ曰く、このクエスト報酬は《結婚》という新たなシステムの導入らしい。なんとなく新システムと聞いて黙っていられずに来たが、俺達の目的はその結婚そのものにある。システムの正体がなんなのか、何をもたらすのかは二の次だ。

 

 おそらく、正しい答え方はこうだろう。

 

「俺達、結婚したいんです」

「もう、ユウったら……」

 

 まさかこの年でこんなことを言う羽目になるとは思っていなかった。相手は詩乃の家族でもなければ関係者でもないただのアバターだし。しかし全く嘘のない本心だ、誤魔化すことなく正直に告げた。

 

「はい、よくできました。ところで、結婚するってどういうことなのかは分かる?」

「……共有?」

「あらあら……なんだか説明の手間が省けて助かるのに、複雑な気分」

 

 なんだろうかと考えていると、シノンが口を開いた。

 

 共有、か。

 

 お互いの時間を共有するとか、そんなところだろう。俺達の場合は罪や過去すら重ねている。

 

「はっきり言えば、コレと言った明確な言葉はないわ。それこそカップルの数だけ言葉があるのよ」

「な、なるほど……」

「とにかく、あなた達の場合、もっと言えばシノンちゃんに限っては共有することが結婚だと思っている。としようかしら」

「さて、君たちはお互いのことを何処まで許せる?」

「「全部」」

「これはこれは……」

 

 シバの問いかけに俺とシノンは即答で同じ答えを出す。戸惑わせようと質問を吹っ掛けたシバが逆にうろたえる結果となった。

 

 今になって隠し事なんて必要ないだろ。逆にこれ以上何を隠せばいいんだ?

 

「素晴らしいな。まるで淀みが無い」

「うふふ、期待できそうね。なら、そこまで言うだけのものを見せてもらえないかしら? 上手くいけば、あなた達のゴールインの手助けぐらいならできるから」

 

 クエストランプがようやく点灯する。よし、ここからだ。

 

 何でもかかってきやがれとやる気をみなぎらせる俺を滑らせるには十分な言葉が、このあとグレースの口から聞こえてきた。

 

「ズバリ――愛を見せて」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

phase 17 六月の花嫁

 二話に分けようかと思いましたが、区切りの良いタイミングがつかめずに纏めました。他作品含めて、私の中で一番長い一話です。時間のある時に一気に読まれるのがいいと思われます。

 しかし、やり過ぎた……。ぼっち気質の私にしてはよくやったと柄にもなく褒めてほしいと思っております。それぐらいやり過ぎたんです。やっちらかしたんです。やっちらホイホイです。

 超絶苦いものをご用意くださいませ。



「愛を……ねぇ」

「あら? 不満かしら?」

「不満とかそういうことじゃなくて、具体性が足りなさすぎるだろ」

「まあそうよね」

「おい」

 

 目の前の金髪エルフはさらっと流しやがった。分かってるなら最初から言えよ。

 

「“愛”に限らず、どんな言葉も感情も思いも、人それぞれよね? 言ってしまえば、具体性を求めたところで無意味よ」

「それは万人に通用する為には、という言葉が前につくでしょう?」

「そうだね。対象を個人やごく少数に限定すれば十分に通用する」

「だからさぁ、アンタらが満足するだけのことをやればいいんだろ?」

「うん」

 

 長い。解説が長すぎる。そして殆ど無駄じゃないか。見せろと言われたんだから見せるだけなのに、哲学を語られても困る。しかしまぁクエストNPCは大体こんな感じで遠まわしに表現するので仕方がない。誰かに怒る事でもないしな。

 

 でも何をすればいいんだろうな? まさか人前でキスとかするわけじゃああるまいし。

 

「じゃ、どうやって見るのかなんだけど……はいこれ」

「あ、どうも」

 

 シノンがグレースから両手で抱えなければ持てないほどの大きな箱を受け取る。筋力値が低めのシノンでも難なく持てるあたり、そこまで重たいものじゃなさそうだ。軽くて大きな物が詰まっているんだろう。

 

 どうぞ、というジェスチャーに従ってふたを開ける。

 

「封筒がメチャクチャ入ってるな……」

「少なくとも十以上は」

「全部合わせて三十はあるわよー」

 

 現代の様な郵便番号欄のある茶封筒じゃなくて、時代背景に沿ったすこし汚れの目立つ皮の手紙入れがびっしりと詰まっていた。なるほど、これだけあるなら箱も大きくなる。

 

 しかしまぁ何でこれだけの手紙が入ってるんだ? コレを送ってこいとか言うんじゃないだろうな? 愛と何の関係もないぞ。

 

「どれでもいいんだけど、一つ開けて見て」

「んー、じゃあこれにしようかな」

 

 シバの言葉に従って適当に目についたものを取る。どれも同じ柄で同じ大きさなので大した変わりはないだろう。逆に開けなければ違いが分からないということでもある。事故みたいなもんだ。

 

 …………。

 

 なるほどね。そういうことか。

 

 グレースとシバが俺を見てにっこりと笑う。これなら幾つも同じものを用意する意味も分かるし、具体性云々の話も解消できる。

 

「ちょっと、見せなさいよ」

「ああ」

 

 一人だけ置いてけぼりのシノンがぶぅーと頬を膨らまして手の中にある紙を睨んでいる。可愛いが、そのネタで弄るのは後にしよう。どうせこれからいくらでも見られるんだ。

 

「何々………『二人で仲良く料理を作って食べさせあいっこ』………何よ、コレ」

「書いてあることをやって頂戴。あ、もちろん全部ね♪」

「え、ちょ、全部こんなのが入ってるってわけ!?」

「うん」

「いやぁー、コレを書くのかなり恥ずかしかったなぁー」

「でしょうねぇ!!」

 

 珍しくシノンがツッコミを入れる程度には驚きだったらしい。

 

 ここにある全ての手紙入れに入っている紙には、先の様な内容の紙が入っている。書かれている内容を実行することで、愛とやらを見るのだろう。実にこっぱずかしいことこの上ないが、仕方がない。うん、仕方がないよね!

 

 要するにイチャつくところを見せつけてやればいいのさ!

 

「よし、やるぞシノン」

「だ、だって……」

「やらなきゃいつまでたっても終わらないし、結婚だってできないままだ」

「うっ……」

「したくないのか?」

「………したいわよ」

「あーん、なんていっつもやってただろうが」

「ちょ! 言わないでよ……! 恥ずかしいじゃない………」

 

 顔を真っ赤にして左腕を両手で締めあげようと力を入れているようだが、生憎お前の筋力値じゃ痛くも痒くもないなぁ。諦めよ、シノン。

 

 ニヤニヤこっちを見てくるエルフ夫婦は確かにムカツクし、人の目があるところで堂々とするのは恥ずかしいかもしれない。だが、それを乗り越えてこそだ。決してシノンの慌てふためく様を見て楽しみたいわけではない。

 

「じゃあ僕らは外に出ていようか?」

「え? じっと見てるわけじゃないの?」

「そんなことしないって。それじゃあ素の君達でいられないでしょ? エルフの秘術でしっかりとそれをこなしたかどうかは分かるから、気にせずイチャコラしちゃいなよ。ドアに耳をくっつけて聞いたりしないから安心してね。街でも巡ってくるよ」

「ありがたいんだけどムカツクわね」

「別にここにいてもいいんだよ?」

「いいから行きやがれ。俺の女で遊ぶな」

「はいはい」

 

 カラカラと笑いながら、遊ぶだけ遊んでシバとグレースは外に出て行った。高くはない索敵スキルで位置を追うと、言葉通り家の周りでウロウロする気配はなく、真っすぐ主街区へと向かっていた。

 

 よし。

 

「やるぞ。まずは料理だ」

「そ、そうね」

 

 二人が消えても尚赤面するシノンを引きずって、台所まで向かった。

 

 現実の家とは違うが、基本的なところは変わらない。SAOの設定的には、プレイヤーを始めとしたモンスター達は魔法やそれに準ずるものは使えないが、アインクラッド自体には存在している。それはそうだ、こんなにデカイ物体をプロペラもジェットエンジンも無しに浮遊させるんだから。

 エルフの秘術とやらもその中の一つだ。他にもプレイヤー向けに販売されている家に備え付けの家具や、売られている家具もまたそうだったりする。

 

 何が言いたいのか?

 

「なんで冷蔵庫とかレンジとかコンロがあるわけ?」

「さぁ、俺に聞くなよ」

 

 SAOの料理は酷く簡素だ。食材を切ろうと包丁を手に持って刃を入れた瞬間コマ切れになった時は衝撃だった。弱火で長時間煮込もうと焚火に鍋を置くと勝手にタイマーがスタートした時は思わず膝をついたっけな。

 よく言えば誰でも簡単に出来る。悪く言えば作りがいが無い。システムで管理されているSAOは料理だってスキルだ。何事も熟練度が物を言う。

 

 しかし、それも超がつくほど便利な家電があればこそだ。冷蔵庫が無ければあっという間に野菜も肉も腐るし、レンジが無ければ瞬時に温めることもできない、スイッチ一つで火がつくコンロがあればわざわざ薪をくべて火を起こす必要もない。

 

 忠実に時代背景に沿った作りに合わせてしまうと、現実とかけ離れ過ぎて生活そのものが困難になりかねない。火を起こさなくてもタップ一つで勝手に火は起きるし、材料もバラバラになるが、それはそれ。

 

 というのが勝手な想像だが、実際はどうなんだろう? ここで生きていかせるために細かなスキルまで作っているのなら、あながち間違いじゃ無さそうなんだがな……。

 

「さくっと行こう。あと二十九あるんだからさ」

「………はぁ、そうね」

 

 シンク台の引き出しに入っていた包丁を取り出して、食材を冷蔵庫から適当に出してくれるシノンから受け取って片っ端から切っていく。このあたりは慣れたもので、淀みなどあり得ない。俺もシノンも料理スキルはそこそこ高いレベルにまで上げているからいいものが作れるだろう。

 

「カレーか?」

「最近食べてない気がしたから」

「シチューばっかだもんなぁ」

「アスナも好きよね」

 

 パーティに一人いれば十分とされる料理スキル持ちだが、俺達はキリト以外全員習得している。女の子の方が割合的に多いから分からなくもない。俺は現実でもやっていたからってだけだし、それが無ければ俺も料理スキルなんて取らなかった。………いや、延々とキリトとコンビを組み続ける事になっていたら分からないな。

 

 その日でやりたい人がやるんだが、最近目覚めたアスナは毎日のようにシチューを作っている。作っては食べ、作っては焦がしてシノンが作り直し、作ってはこぼしてフィリアが作り直し、作っては余らせて無理矢理キリトに食わせたり………。熟練度がある程度上がったら無理を言ってでもやめさせよう。

 

「ルゥあるのか?」

「あるわよ。バーモ○ドカレーと二段熟カ○ーが」

「おおう……冷蔵庫だけ現実と繋がってるんじゃないか?」

「そう思いたくなるのも分かるわ……」

 

 スーパーで見慣れた赤と青のパッケージはまさにCMでもやっている有名な奴だった。おいおい、JANコードまでついているぞ? 権利とかそのへん大丈夫なんだろうな?

 

「ブチ込みまーす」

「続いてルゥ入れまーす」

「蓋をしてー」

「タップ」

 

 時間は……五分か。カップ麺みたいにフライングできないからきっちり待たなくちゃいけないの苦手なんだよ……。感覚で生きてるから、計量カップで測ったりとか絶対しない。

 

「ユウ、これって全部食べないといけないの?」

「わかんね。さっき飯食べたばっかりだからあんまり入りそうにないんだけどな……」

 

 ぴかっ!

 

「うお! 手紙が光ったぞ!」

「………」

「どうした?」

「これ」

 

 机に置いていた手紙が急に光り出し、それを手に取ったシノンの顔がまたしても赤くなる。ここにきて内容の変更でもあったのか? 全く別のものになっていたら流石に怒ってもいい。

 

 たっぷり溜めて、臨界点に達したシノンが俺に手紙をつき付ける。既にしわくちゃになたそれを受け取った。

 

「はぁ……」

 

 怒るよりも呆れが出てしまう、そんな内容。

 

『二人で仲良く料理を作って、全部食べきるまで(・・・・・・・・)食べさせあいっこ』

 

 あんのエルフ共…………!

 

「よくやった!」

「ばかっ!」

 

 シノンが俺のわき腹をパンチしてきた瞬間、タイマーが五分を告げる音を鳴らした。

 

 

 

 

 

 *********

 

 

 

 

 

 

  上手に出来あがった二人分のカレーを均等によそって、テーブルにまで運ぶ。この際サラダは要らない。俺はともかく、シノンが限界に達してしまいそうだ。

 

 思い出すのは二つの珍事件。

 

 “朝田詩乃、ちょっぴり度数の高いワインを飲んで酔っ払ってデレデレ事件”と、“朝田詩乃、羞恥心限界突破でネジが百本飛んでいった事件”。

 

 あれは傑作だった。もし学校でやっていたら不登校になるレベルだったな。もう一回だけ見て見たいが、機会はあるだろうか?

 

「「いただきます」」

 

 二人で合掌する。

 

 さて……。

 

「シノン」

「………何よ」

「さーいしょっから」

「はあ!?」

「いえー、俺の勝ちー」

 

 それは不意打ちの極意であり、全てを内包した究極の技。元々じゃんけんには「最初はグー」なんて言葉は無かったものの、とある芸人が始めたばかりに生まれてしまった邪拳………。

 

 最初はグーと思わせてからのいきなり勝負を仕掛ける!

 

 そして何がなんだかわからずシノン出したのは………というよりも頂きますの状態だったのでパーのまま。対する俺はチョキ。

 

 勝った。

 

「ほらシノン、あーんしろ」

「今のは卑怯よ!」

「いいからいいから」

「よくない! 私だってユウにしたいの!」

「ほう? 良いことを聞いたなあ」

「あっ………」

 

 語るに落ちるとはこの事だ。しかし何回目だろう、このやりとり。毎回のように引っ掛かってくれるからやめ時が見当たらなくて俺が困る。

 

「んじゃ食べさせてくれ」

「うぅ……ばか……」

「お前が飯を食わせてくれるっていうなら馬鹿で結構だ」

「……もう。また調子のいいこと言って」

 

 そう言いつつも、シノンはスプーンを手にとって掬う。食器の当たる音をたてずに持ち上げたそれを俺へと向ける。

 

 はずだった。

 

「………」

 

 何を思ったのか、シノンはライスとルゥが乗ったスプーンを置いて、食器を持って席を立った。どこへ行くのかと視線で追うと、テーブルをぐるっと回って俺の隣へ。

 

「………」

 

 そしてまた無言でスプーンを差し向ける。

 

「口、開けなさいよ」

 

 向かい合ったままだと届かなかったのか、それとも隣に座りたかったのか。或いは両方か。

 

 何にせよ、可愛いシノンが見れて満足だった俺は素直に従った。

 

 久しぶりのカレーは、俺達好みの少し甘めの味付けで美味しかった。

 

 

 

 

 

 *********

 

 

 

 

 

『十分間ケーキ入刀の練習』

 

「い、以外と難しいなこれ」

「ナイフとリーチが違うし、重たいわ」

「柄の端は俺が持つから、鍔本を頼む」

「……これじゃ手が重ならないじゃない」

「両手でやればよくね?」

「それもそうね」

 

 

 

『ペアルックで写真撮影』

 

「こ、これを着るのか!?」

「べ、別のを探しましょう!? ね!?」

「そそそそそうだな!」

「今時こんなの着る人いるわけないでしょ!」

「スタッフの歳がよくわかる一着だ……」

 

 

 

『壁ドンして愛の言葉を囁く』

 

「シノン、壁ドンってなんだ?」

「ええっ!? ユウ知らないの!?」

「そ、そんなにおかしいことなのか?」

「おかしくはないけど……どうするのよこれ」

「教えてくれたらやるぞ。どうせそんな感じのやつだろ」

「ほ、ホントに!(そんなの言えるわけないじゃない!)」

「逆だぞー」

 

 

 

『濡れ場のあるドラマを観賞』

 

「………」

「………」

(見慣れてるなんて言えない……)

(ああすると良いのね……)

 

 

 

『膝上に跨って未来設計』

 

「取り合えず普通に暮らしたいな」

「ユウがいるならそれでいいわ」

「俺もだよ」

「ユウ……」

「シノン……」

 

 

 

『肩を並べて半身浴(タオル厳禁)』

 

「こっち見たら………分かるわね?」

「顔を見るのもダメか?」

「気にしなくていいの。私が見える所にいればいいだけでしょ?」

「結果的に見えるんじゃね?」

「………うるさい」

 

 

 

 

 *********

 

 

 

 

 

「これで二十九か」

「長かったわね………宿を出たときは朝だったのに、もう日が暮れそう」

 

 この家の窓からちょうどよく見える太陽は地平線に沈もうとしている。時間にして朝の九時から現在時刻の十六時まで………約九時間もの間、手紙の示すとおりに動き続けてきたわけだ。

 

 ライトなものからヘビーなものまでピンキリだったが、どれもこれも生半可な覚悟じゃ挑めないものばかりだ。アルゴが言っていたとおり、パーティを組んでいるだけの仲間関係だけでは越えられない一線が幾つも張られている。

 

「肩を並べて風呂にはいるとか、膝に女を乗せるとか、もうメチャクチャだろ。なんだよ、将来設計って」

 

 カップル前提のくせして、要求レベルが高すぎる。俺としてはかなり役得だったし、吹っ切れたシノンもノリノリだったから苦じゃ無かったけど、ちょっと行き過ぎなんじゃないか?

 

 あのビデオがいい例だ。ナーヴギアの使用対象年齢が十五歳以上に対して、あれはどう見ても十八歳以上に引っ掛かりそうな内容だった。ドラマのワンシーンで少し流れる程度なら無くもないが………どうなんだろう? 見てしまったものはどうしようもないし、アーガスのスタッフを問い詰めようにもメッセージすら届かない。

 

 いいけどね、結構良いもの見させてもらったから。

 

「なんか順序間違えてないかしら?」

「気のせいだ、多分。どちらにせよもう手遅れだし」

「それもそうね」

 

 食べさせあいっこなんて昔は頻繁にやってたし、二人で一つの作業をやる事なんてザラにあった。そう考えれば、大体のことは素でやれていたと思う。流石に常識外の奴が来た時は焦ったけど。

 

「なんにせよこれで最後だ」

 

 グレースから渡された箱の中身はのこり一つだけとなった。封を開けた手紙と手紙入れは、達成と判断された瞬間に燃えて無くなってしまったので、これだけである。しかも、何故かこれだけは色が明らかに違うし、ついさっきまでは開かなかった。

 これが最後の一つになるように仕組まれている。俺とシノンは口にしないが、どう見ても今までで一番ヤバい奴だと直感していた。だっておかしいよ、なんでハート柄なのさ。

 

 ごくり、と生唾を飲んでそれを手に取り、丁寧に開ける。

 

 中には二枚の紙。

 

「二枚か」

「とりあえず読みましょう」

 

 シノンの言うとおりだ。まずはコレを見ないことには始まらない。

 

『これはあなた宛ての手紙です。相手には見せないでください。そして、もう一枚はあなたのパートナー宛の手紙です。あなたは見てはいけません』

 

 内容が違うのか……最後らしく、今までとはパターンが違うな。

 

「シノン、もう一枚を読んでくれ。これは一人一枚らしい」

「ふぅん」

 

 手をつけていないままのもう一枚をシノンが抜き取って広げる。それを見届けてから続きを読んだ。

 

『この紙の裏を見てください。そこには決して消えることのないあなたの心奥深くに潜む罪と罰が記されています。自分と向き合いなさい』

 

 罪と……罰。

 

 想像するのは詩乃に会う前、そしておじさんに拾われる更に前の頃。愛用のナイフと銃を持って戦場を駆けまわっていた泥臭く血濡れた過去。

 

 正直に言うなら、平和に生きる今でも殺人に対する心的障害は殆どない。生まれは知らないが、物心ついたころから奪って奪われての弱肉強食の世界で生きてきたんだ。たかが二、三年じゃ消えないし、それが世間一般ではタブーということもあって強烈に残り続けている。そうしないのは日本がそういう国であるからということと、詩乃やおじさんに迷惑をかけたくないから。一切のしがらみも無く、禍根も残らず、邪魔な奴がいれば躊躇いなく首を刎ねられる。

 

 殺人や略奪を罪と意識したのはそういう経緯がある。そういうものなんだ、と知っているだけだが……。

 

 大抵の人にとって、過去の過ちは苦いものが殆どだ。詩乃がいい例になる。

 

 特に思うところはない―――

 

「………ああ、そう言えばそうだったっけ」

 

 ――—とか思っていた一瞬前の俺を殴りたい。あるじゃないか、俺でも罪と意識する事が。

 

『卑怯な裏切り者だよ、お前』

『生に執着するか? 実に愚かだ』

『俺達みぃんな人間のクズだろうが。今更イイコぶんなよ』

『とんだ殺戮者が居たもんだ』

『変態ね、あなた』

『君ほど人を殺めることに適した者はそうそういないよ? 誇っていい、それは才能さ』

 

 裏面に浮かび上がるのはかつて俺が言われた言葉。やってることは過激のレベルを超えた事だが、よく考えてみてほしい、俺はまだその頃は日本で言う小学校低学年相当の歳だったんだ。当然中身も相応なところはある。中々にぐさっと来たのが、先の言葉だ。

 

 フィリアのような世間を知る同年代の子供たちを知り合ったが為に、中途半端に自分のアブノーマルを、異常な様を知って欲が出たんだ。

 

 溝に捨てた命を拾った。世界が見たくなった。死が少しだけ現実味を帯びた。

 

『あなたは数多の命を奪い、喰らった大罪者。嬉々として死をもたらす殺戮者。血に塗れた手では平和を汚すでしょう。肌を切り裂くその爪がいずれ大切なものを切り裂く。牙は喉を食いちぎり、淀んだ視線は孤独を呼ぶ。それはそれは惨めな生』

 

 じわりじわりと文字が浮かび、心を抉ってくる。俺が直視せずにしていた俺の本質、迎えるであろう未来、訪れる最後。どれもこれも、実にふさわしいだろう。

 

『あなたはこれから一生、愛する女性を幸せにできるのですか? あなたはこれから一生、死を迎えるその瞬間まで幸せであることができますか?』

 

 今はいい。十分過ぎるほどに謳歌している。だがこの先は? 俺はいい、詩乃だっていい。でも世界は違う。俺の方が異端で、異質で、あってはいけない存在側だ。

 

『あなたは目の前の女性をその手で抱けますか? 業を共に背負ってくれるパートナーを護っていけますか?』

 

 社会はどんな敵よりも強大で恐ろしい。俺ごときでは太刀打ちもできないだろう。俺一人が生きるだけでも相当な困難が待ち受けている上に、詩乃を護れるのか? 今でさえ詩乃は学校ではイジメ当然の扱いを受けているというのに、狡猾な人間ばかりがうろつく世界でマトモでいられるのか? この社会不適合者が?

 

 答え。俺の、答えは―――

 

「「くだらない」」

 

 鼻を鳴らして、持っていた手紙を躊躇いなく破り捨てた。口を揃えて、シノンまでも同じように手紙を破いている。そして紙が小指の爪ほどになるまで破り続けている。あれは、イライラ全開の顔だな。何が書かれていたのやら。

 

「ふんっ! このっ!」

 

 そして粉々になった手紙もとい紙クズをブーツの踵でぐりぐりと踏みにじっている。どれだけ嫌なこと書いてあったんだよ……。

 

「なぁ、何が書かれていたんだ?」

「知らない」

「えぇ……」

「言ったでしょ、くだらないって。あんまりにもくだらなさ過ぎて忘れたわ」

 

 言いたくないんだな……。

 

「そういうユウはどうなのよ?」

「俺か?」

 

 二枚に増えた紙を更に細かく破って倍々に増やしていく。それをぱっと上に放り投げて、腰に装備したナイフを抜いて空に浮かんだそれを更に斬り刻む。雪のように細かくなった紙きれは耐久値を全て失って床に落ちる前に弾けて消えた。でありながら、わざと床を踵で踏みつける。

 

 確かに、俺は未だに常識が分からないところもあるし、料理をしている時に包丁を握るとクル時がたまにある。やたらと力が強いだけの馬鹿だ。

 

 だから?

 

 大切なことだろう。俺達子供には想像もつかないほど大変に違いない。

 

 だから?

 

 そんなもの(・・・・・)、大した障害には成りえない。

 

「さぁ、くっだらねぇから忘れたよ」

 

 にっと笑ってシノンに返した。

 

 

 

 

 

 *********

 

 

 

 

 

「驚いたわよ、ドアを開けたら優雅にティータイムと洒落こんでいたんだもの」

「終わったの一時間前だったからな。飯には早いし、ちょっと茶葉を借りた」

「そういうことを聞いてるんじゃなくてね……はぁ」

 

 グレースとシバが戻って来たのは、台詞どおり、俺とシノンが紙を破いてぽいした一時間後だった。全てのミッションを消化したにも関わらず、すぐに現れなかったのは終わったことを知らなかったと思っている。つまり、二人は本当に見ていないわけだ。良かった………。

 

「最後の一枚は何なんだ?」

「ああ、あれ? 知らないなぁ」

「何よそれ。正直に言いなさいよ」

「いや、本当だってば。僕らでも最後の一枚に関しては分からないんだ」

「………人によって内容が変わるって事だろ?」

「そうそう」

 

 俺の方は深くに根付く黒い部分を突き刺すものだった事に対して、シノンの表情は暗いものではなく苛立ちが見えた。俺と同じような場合だと、紙に現れるのは間違いなくあの銀行強盗の事件だ。苛立ちどころじゃない、発作を起こしてしまう。

 

「私が聞きたいのは、それよりもその他二十九の方よ」

「あれ? あれはねー、昔の仲間に聞いて爆発しちまえって言いたくなるようなシチュエーションを上位二十九個をそのまんま使ったのよ」

「とんでもない仲間ね」

「まったくだよ」

 

 やれやれと手を上げて首をふるシバは本当に困ったような表情だった。……多分、この人達も被害者に違いない。

 

「それで、どうなんだ?」

「うん?」

「この手紙に書いてある内容は一通りやった。アンタらには直に見ていなくても、それを確認できる方法もあると言っていたな」

「その通り、僕らは君たちが二十九の封筒を開封して、消化したことを確認しているよ」

「二十九?」

 

 ………ちょっと待て。

 

「全部分かるんじゃなかったのか?」

「誰も全部とは言っていないよ。まぁ、分かるんだけどね」

「いや、矛盾してるだろ」

「ちゃんと説明するから」

 

 待ったのポーズで俺の言葉を切るシバ。そしてグレースが口を開いた。

 

「エルフの秘術………私達がかけた術は最後の一枚を除いた残りにかかっているのよ。だから二十九は分かる」

「最後の一枚は、二人が術をかけていないから、分からない。と」

「そう」

「だったらどう判断する?」

「それを開いた後を見れば分かるの。さっきも言ったけれど、内容は人それぞれだから詳しくは知らない。でも決まって浮かぶ文は同じような中身になるのよ」

「同じような、ね」

「そう。詳しくは言わないわ」

 

 何せ土足で人の奥底まで踏み込むわけだからな。そうそう口に出せるものじゃあない。本当に最悪の場合、人の心を壊してしまう。

 

「それで、決まって仲を違える。二十九のミッションを全てクリアしても、ここで躓いたペアは腐るほどいるのよ」

「ああ、経験則だったわけか」

「途中で躓けばエルフの秘術で分かるし、それを通っても最後の一枚が拒む。というわけね」

「うん」

 

 蓋を開けてみれば何とも奇妙なクエストだ。物を探すわけでもなく、敵を倒すわけでもなく、人探しでもない。ただ家に籠って延々と指示された通りの行動をこなすだけ。どのクエストにも負けないほど濃く、非常に難易度の高いクエストだったが………。

 

 新システム実装らしいと言えば、それまでだろうけど。しかし、それだけ大切且つ考えなければならない事なんだろう。

 

 結婚は人生の墓場という言葉もあるくらいだ。大きなターニングポイントであることは間違いない。見方を変えれば、一生を棒に振る行為とも見える。でも、さらに視点を変えれば今までの何倍も輝く未来だってあるんだ。

 

 どういった意味合いに取るのかは自分次第。だが、その果てで選んだ結果には自分が連れ添うパートナーがいる。

 

 一時の甘酸っぱい思い出なのか、片翼を担うのか、はっきりさせるにはこれとない方法かもしれない。………酷なことだろうがな。

 

「それで? どうなんだ?」

「嫌味かしら? 誰が何と言おうが文句なしよ。爆発すればいいわ」

 

 満面の笑みを浮かべながら恐ろしいことを言ったグレースは、席を立って小さな箱を持ってきた。装飾が何もされていない地味な木箱だ。

 

「開けて」

 

 俺とシノンの前に差し出された箱にカギは無い。ただ閉じられているだけだ。ただ、とても大事にされている事だけはよく分かる。ホコリも傷もない新品同然の輝きがあった。変えがたいものが中にあるということも。

 

 そっと触れて、ゆっくりとシノンが開ける。

 

「これ、指輪?」

「そう、指輪。この広い世界でたった一つしか存在しない指輪よ」

 

 箱の中には二つの指輪が入っていた。特に目立った特徴も無く、装飾もないただの銀色の指輪。特別な何かはまったく感じないんだが……。

 

「《エクセダイト》っていう特殊な鉱石を使って作られた物よ。このエクセダイトはね、鎧一式分しか世界に存在しないとても貴重な鉱石のこと。最後に残った手のひら大のエクセダイトを、稀代の職人が指輪に加工したのよ」

「それが、これなのか」

「残ったエクセダイトはどうなったの?」

「鎧や武器になっているんじゃないかしら? 流石にそこまでは知らないわ。そんなことはいいのよ、希少性が分かったならさっさと嵌めてみなさいな。エクセダイトの凄さが分かるわよ」

 

 ……指輪をはめるっていうのは、もっとこう、雰囲気のある場所でやるものじゃないのか? 俺はそう思うんだが……。

 

 SAOに教会とかあるのかな?

 

「まぁ、いいか。大切なのは何をするのかだよな」

「何の話?」

「独り言だよ。ほら、左手だしな」

「……そ、そうね」

 

 箱の中にある二つの内一つを右手でとって、左手でシノンの左手を持ちあげる。抵抗なく胸の高さにまで上がったその手は少し震えていた。そして顔が赤い。

 

 何か言葉をかけるべきなんだろうか? ……いや、俺が恥ずかしくなるから止めよう。何よりこの瞬間のシノンの………詩乃の可愛らしい姿を眺めていたい。

 

 するりと左手の薬指へ通す。程よい抵抗感を感じさせながら、指輪はぴったりと薬指へ嵌まった。まるで詩乃の指に合わせて作られたかのような感覚だ。

 

「………っ」

 

 自分の指にはめられた指輪を呆然と眺めて、顔をゆがめては俺の両手ごと右手で包んで胸に抱く。涙を零しながら。とても幸せそうに、詩乃は一言だけ口を開いた。

 

「ユウ」

「ん?」

「ありがとう」

「礼なんていいよ」

 

 ………っと、アレ言わないとな。このクエストの話を聞いた時から決めていたことを。

 

「詩乃」

「はい」

「結婚しよう」

「………はいっ」

 

 溢れる涙はぼろぼろと頬を伝って零れ落ち、両手を濡らしていく。

 

「ユウ」

「ん?」

「私、幸せ」

 

 

 

 

 

 

*********

 

 

 

 

 

 

 日は過ぎて、六月十三日。

 

 SAOの攻略済み全層に大量印刷された新聞が配られた。情報屋を営むプレイヤーは足を止めることなく駆けまわり、新聞をばら撒いては人に押し付け、掲示板だろうが壁だろうが柱だろうが所構わずに貼り付けて行ったそうだ。

 

 俗に言う号外だったそれの内容は二つ。

 

 一つは《結婚》システムの導入。

 

 レベルや職業、グリーンやオレンジに関わらず、異性のプレイヤー同士であれば今日会ったばかりの相手であろうと夫婦になれるというもの。実際にはそんなことはあり得ないので、親密な男女へ向けたものだ。SAOは女性比率が低いために、これを利用するプレイヤーは極僅かだろう。

 

 これがもたらすものは幾つかある。

 

 まずは、ステータスの合算。夫婦となったプレイヤー同士のステータスを言葉通り足し算するのだ。言い方を変えれば、二人分のステータスを得ることになる。もしもハイレベルプレイヤー同士で、尚且つ育成方針が異なっていた場合はとんでもない性能をもつアバターが誕生する。その為に結婚するペアはいないだろうが。

 

 次に、アイテムストレージの共有。本来はメニューを開けば自分の所有するアイテムと、ギルドに加入していればギルドメンバー共有のストレージしか存在しないところ、ここにパートナーとなったプレイヤーのアイテムストレージが追加される。互いにリンクしており、いつでもどこでも何を持っているのかが丸分かりになるのだ。加えて、勝手に使うことも売ることもできる。使い方を誤ればとんでもない事が起きること間違いなしだ。

 

 何より、結婚したという社会的ステータス。リアルでさえ出会いが無くしたくてもできない人が大勢いると言うのに、ゲームの中でとはいえ伴侶を得るのだ。逆に、この閉鎖されたゲームの中だからこそという声もある。誰しもが羨む声を上げた。

 

 誰に?

 

 決まっている。俺達だ。

 

 記事を飾ったもう一つの号外の内容。俺とシノンが式を上げて結婚したというものだった。ご丁寧に、貴重な記憶結晶を使って写真まで載せられている。あろうことか、夕日を背景に手をつないでキスしているシーンを使うという嫌がらせつき。男どもは怨嗟の雄叫びを上げ、女はドラマの様な展開を羨ましんだ。

 

 当の俺達はというと………

 

「ちょ、何よこれ!!」

「鼠野郎……」

 

 次にアルゴと会った時は容赦しないと決めた。必ず記憶結晶を奪ってやる。

 

 利用する宿までバラされてしまい、連日部屋の前にまで人が押し寄せてくる始末。ほとぼりが冷めるまでは外出すらままならないだろう。それと同時に、攻略も進められそうにない。

 

 何よりも面倒だったのは、パーティ仲間の三人だ。

 

 

 

 アスナの場合。

 

「えぇ!? 結婚! 何よそれ!」

「そういうクエストがあるって聞いたから、クリアしてきたのよ」

「そ、それでアイン君とふふふふふ夫婦に、なったの?」

「ええ」

 

 シノンが自慢げに、左手に嵌まった指輪を見せつける。記者会見であるような、手の甲を向けるアレだ。

 

 指輪だが、シノンに嵌めて、俺が嵌めてもらうと光りはじめて形が変わり始めた。グレース曰く、二人に最も相応しい姿へなるらしい。絵具の様な銀色単色の指輪は、光沢のある銀へと姿を変え、水色の装飾が施され、雪の結晶を形作った。その中央には結婚指輪の代名詞ともいえるダイヤモンドが輝いている。俺の指輪もそうだ。

 

「シノン! いいえ、しののん!!」

「な、何かしら?」

「どうやったら結婚できるのか教えて!」

 

 シノン曰く、この時のアスナの目は血走っており、血の涙を流していたらしい。

 

 

 

 キリトの場合。

 

「え、お前等結婚したの!? てか結婚!? ハァ!?」

「驚き過ぎだろ……」

「いや、もう結婚しろよお前等って常日頃思っていたから、まさか本当にするなんて……ていうか、SAOで結婚できたのか」

「元々は無かった。俺達がクリアしたクエスト報酬が、結婚システムの実装だったんだ」

「なるほどな。つまりお前等は、アインクラッド第一号夫婦ってわけか」

「まぁ、そうなるな」

 

 この時のキリトの言葉をどこぞの誰かが聞いていたのか、しばらくするとそんな言葉が飛び交う事に。そして果てには時期も相まって、シノンは《六月の花嫁(ジューン・ブライド)》とも呼ばれることに。

 

「ゲーマーの俺に結婚できる日が来るのかねぇ……」

 

 ……頑張れアスナ。

 

 

 

 フィリアの場合。

 

「えぇ!! け、結婚……したの?」

「ああ」

「………そっか。おめでとう、ギン兄」

「ああ、ありがとう」

「………したかったなぁ、結婚」

「は?」

「…………あっ」

「ふぅん」

「し、シノン!」

 

 聞いてはいけないことを聞いてしまったがもう遅い。俺もシノンもしっかりと聞いてしまった。

 

 俺にとってフィリアは妹のような存在だったから、好きと言われてもそういう意味で捉えていた。でも結婚したかった、なんて目の前で言われると認識を変えざるを得ない。無視するほど俺は器用じゃないんだ。

 

 フィリアは十分に可愛い。性格もいいし、器量もある。スタイルなら詩乃よりメリハリがある。好きか嫌いかで言われれば、迷わず好きだと言える。あくまでも、妹に向ける感情の好きだが。もし詩乃と会わずにフィリアと再会していれば、俺はフィリアを愛していたかもしれない。

 

 現実は違う。俺にとっては詩乃だけだ。唯一無二のパートナーで、伴侶で、妻と認めるのは詩乃以外にありえない。好きで止まるフィリアとは違う。LikeとLoveの様なものだ。

 

「フィリア」

「な、何かなっ?」

「あなたの気持ち、私知ってたわ」

「え?」

「はぁ?」

「フィリアは私にとって初めての友達で、親友よ。でもね、これだけは譲れない。フィリアの方が先にユウと知り合って、仲良くなったし、好きになったんだと思う。でも、選んだのは私。ここは、譲れないわ」

 

 真っすぐフィリアの目を見てはっきりと言葉を告げるシノン。フィリアは豆鉄砲をくらったような顔をしていたが、次第に理解していき笑みを浮かべて返した。

 

「シノン。私ってトレジャーハンターだよね?」

「ええ」

「略奪愛っていうのも悪くない――」

「っ!?」

「―――って思うときもあったよ。でもシノンとアイン君が楽しそうにしてるの見て、二人がちゃんと私と一緒にいてくれるのを見てたら、そんな気持ちもどっかに行っちゃった」

 

 えへへ、と頬を掻きながら言葉を続ける。

 

「好きだよ、愛してる。結婚したいっていうのも嘘じゃない。二人で幸せになりたいよ。今でもそう思ってる。でもそれ以上にね、アイン君には幸せになってほしいから。ずっと私のことを護ってくれてた。お昼寝する時も、ご飯食べる時も、行かなくちゃいけない時も、無視して私の傍にいてくれてた。これ以上は、我儘言えないよ」

「フィリア、俺は別にそんなことを思わせるために――」

「いいの。世話になったのも、迷惑掛けたのも、本当の事だから。忘れてないでしょ? みんなが散り散りになったのは………死んでしまったのは、私の我儘のせいなんだよ?」

「………そうだな」

「だから、いいの」

 

 シノンが首をかしげて俺とフィリアを見るが、答えることができなかった。いずれ話す事もあるだろう。でも、今は喜びを噛みしめたい。深い底へと押しこんで、続きの言葉を聞くことにした。

 

「幸せにね。シノン」

「ええ」

「もし、ギン兄が一人になるようなことになったら、奪うからね?」

「忘れていいわよ、その言葉。ありえないから」

「ふふっ、そうする」

 

 それだけを言うと、フィリアは部屋から出て行った。

 

 システム的にはありえないが、俺とシノンは確かに聞いた。ドアの向こうで泣き叫ぶ少女の声を。

 

 

 

「ふぅ」

 

 息を吐いて、ベッドに腰掛ける。

 

 あいさつ回りを終えて、宿の部屋へ戻って来たのは午後の十一時。規則正しい攻略を行うプレイヤーはそろそろ明日に備えて眠る頃だ。俺達もその一組なので、十二時までには寝るような習慣がついていた。風呂に入ったりしていればあっという間に日付が変わるだろう。

 

 クラインも、コペルも、エギルも、アルゴも、多少はとげとげしいところがあったものの、心からの言葉をくれた。口裏を揃えた様に「お似合いだ」と言われる度に嬉しい気分になったもんだ。

 

 しかし意外だったな。エギルの奴、既婚者だったのか………。

 

 濃い一日だった。アルゴの一声から始まり、気がつけば俺達は夫婦だ。メニューを開けばありえない数値のステータスに、アイテム欄に追加された《Sinon》のタブ。何より揃いの指輪が証明している。

 

 グレースに聞いたところ、結婚していないプレイヤーは左手の薬指に指輪を装備することはシステム的に不可能らしい。勿論、こんなゲーム用語は出てこなかったので、俺が意訳している。正真正銘、夫婦であることの証になるわけだ。

 

 そういえば……渡し損ねたな。今でも大丈夫かな?

 

 折角用意したんだ、順序が逆でも受け取ってほしい。

 

「シノン」

「?」

 

 グレースから受け取った数枚の手紙と一冊の本を読んでいたシノンが顔を上げる。眼鏡姿は久しぶりな気がするな。

 

「こっちこいよ。いいものやるから」

「はぁ……物で吊らないで、素直に言えば?」

「嘘じゃないって」

 

 文句を言いつつも、笑みを浮かべながら俺の隣へ腰掛ける。隙間を開けることなくぴったり寄り添い、肩へ頭を乗せてきた。

 

「その、だな……すまん。逆だった」

「何が?」

「謝ったからな?」

「だから何がって言ってるでしょ?」

「……コレの事だよ」

 

 あらかじめストレージから出しておいた二つのアイテムが詰まった箱を渡す。

 

「これは……簪と指輪?」

 

 中に入れていたのは、シノンが言うように簪と指輪だ。ドロップ品ではなく、ショップ品でもない、職人のオーダーメイド品ですらない。

 

「誕生日おめでとう。それと、結婚してくれてありがとう……で合ってるのか?」

「………あ」

「超がつくレアドロップ品に《彫刻》スキルで装飾を施した俺特性のアクセサリーだよ」

 

 生産系スキル《彫刻》。数種類の彫刻刀を使って削ったり、特殊な道具で装飾を施したりする非常に地味なスキルだ。《裁縫》の鉄、鉱石バージョンと置き換えてもいい。システムで作成された武器や防具、アクセサリーに思いのままの装飾を施せるスキルだ。極僅かではあるが、ステータス補正も入る。

 

 ナイフで木を削って人形を作っていた頃を思い出して、趣味目的で習得してみたスキルだ。シノンと合流してから二ヶ月ほど経った頃に、誕生日を思い出して作り始めた。そして、何時か必ずと思って作っていた物でもある。

 

 簪は元々の派手な装飾を削って少し抑え、黒髪に合いつつ映えるように、それでいて目立ちすぎない程度に修正したものだ。

 

 指輪の方は、パールが埋め込まれたステータス補助のアクセサリーだ。HP上限を底上げし、防御力を上げる効果を持っている。こちらには逆に装飾を施した。パールを中心に、水の波紋を連想させる円を、金色に輝く鉱石を使って足してみた。

 

 彫刻スキルの良さは、ステータス補助系のアクセサリーや装備に手を加えても、元々の能力値に変化が無いところだと思う。それどころか、熟練度が上がれば底上げすることも可能だ。鉱石によってステータス変化もあると聞くし、わりと奥が深いのかもしれない。

 

「逆って、そういうこと」

「……おう。まさか完成した次の日に結婚するなんて予想できるもんか」

「それもそうね」

 

 結婚する際に用意する指輪は実は三つあるというのをご存じだろうか?

 

 有名なのは、式で交換する“結婚指輪”。今俺達の薬指に嵌まっているものだ。これで二つ。

 

 そして三つ目………順序で言えば、こちらが一つ目になるのが“婚約指輪”。「結婚しよう」という台詞と共に、男性が女性へ渡すあの指輪がこれに当たる。

 

 勘違いされがちだが、プロポーズの際に渡す指輪と、式で交換する指輪は別物なのだ。

 

 俺が先日ようやく完成させたアレンジ指輪は、この婚約指輪。システムが実装されようがされまいが、何時か必ず渡そうと作ったものだ。

 

 簪の方は、単純に誕生日プレゼントである。

 

「つけてみてくれないか?」

「……ユウがつけてくれる?」

「ああ、いいぜ」

 

 シノンの手によって箱から取り出された簪を取って、向かって右側の髪へとつける。本来ならば、髪を編んだりするところなのだが、そこはゲーム、情緒の無さが目立つものの勝手にしてくれた。ぱっと光った後には、正しい方法で簪が取り付けられている。

 

 二つ名に違わぬ《氷の華》だ。

 

「どう?」

「似合ってるよ」

「ふふっ、ありがとう。今度はこっちをつけてもらおうかしら」

「はいはい」

 

 苦笑しつつ、指輪を受け取る。

 

 先に受け取るのは婚約指輪が先になるが、二つの指輪どちらを先につけるのかと言われると、結婚指輪が先らしい。結婚指輪を嵌めた後に、婚約指輪を嵌めるそうだ。

 

 そういう意味では合っている。が、順序で言えば間違っている。

 

 色々と考えていた台詞も台無しだ。勿体ない。

 

「……なんて言えばいいのやら」

「……じゃあ、愛してるって言って」

「それでいいのか?」

「いいのよ。それで。普通であるために、ね」

 

 少しだけ目を伏せたシノンは言葉を続ける。

 

「悲劇なんて一瞬よ。いつ何が起きるのか分からない。だから、どんな時でも普通にいたい。普通であることが一番の幸せなら、普通で在り続けることが何よりの幸せなのよ」

「普通、ね。少し縁遠い言葉だ」

「近くなるわ。いいえ、近づけるの。外れてしまった道を戻るだけ。時間はかかるだろうし、辛いことだけれど、必要なこと」

「……必要なこと、か。なら、頑張らないとな」

「そう、これは、小さな一歩なの」

「だからこそ、しっかりと踏み出さなければならない」

「ええ」

 

 いつまでも続くと思っていた時間はあっという間に過ぎる。時として、突然その瞬間は訪れて、奪い去っていくこともある。俺が詩乃に出会ったように、詩乃が手を血で染めたように。それは非日常だ。だからこそありきたりの日常を貴ぶ。

 

 当たり前のように過ぎる時間が、当然のように傍にいることが、何よりも変えがたいものだという事を、俺達は知っているんだ。

 

 知っていながら、このゲームに囚われた。

 

 これは決意であり、誓いの様なものだ。

 

「シノン」

「うん」

「愛している」

「……うん」

 

 すっと、二つ目の指輪を通す。少し心配だったが、問題なく嵌まってくれた。ダイヤモンドとパールが、月明かりに照らされてキラリと光った。祝福だろうか?

 

 知らずに顔が綻ぶ。が、シノンがもじもじと動き始めたのを見てそれは収まる。

 

「どうした?」

「………ん」

 

 それだけを言うと、いきなり立ち上がってドアのカギを閉めた。そしてカーテンも閉めて再び隣へと戻ってきてドスンと座る。

 

 明りはカーテンの隙間からはいる月光と、薄暗い光を出しているランプだけ。加えてカギがかけられたことにより密室になり、ベッドに並んで腰かける。

 

 こ、これはまた………

 

「………はい」

「これは、グレース達から貰った手紙じゃないか?」

「読んで」

「は?」

「いいから読んで、早く!」

「お、おう」

 

 握らされた紙をせかされるままに広げて読む。ずらりと並んでいるのはプレイヤー向けに記されたシステム関連のヘルプの様だ。結婚システムの詳細や、それがもたらす恩恵や影響などが細かに書かれている。

 

「それの、五枚目の下らへん」

 

 どれもこれも、アルゴに話を聞いていたので知っていたことばかりだった。特に新しく仕入れる情報は無さそうなので、シノンが言う五枚目の下を読む。

 

『倫理コードについて』

 

 これのことか。

 

 倫理コードは言いかえればセクハラ防止の《ハラスメントコード》だ。他にも色々とあるようだが、大抵はこれを指す。何故これがあるのだろうか……一瞬だけそう思ったが、すぐに理由の想像がついた。

 

 夫婦にもなるのだ、当然スキンシップだってある。肩を掴むことでさえ、時にはハラスメントコードの対象になりうるほどに、SAOは厳しい。手を握ったり、肩を寄せたり、キスしたりと、そんなことをしていればハラスメントコードのオンパレードにしかならない。雰囲気なんてカケラも無くなる。

 

 完全に解除というのは難しいだろうが、せめて夫婦間の間だけでもやわらげてほしいものだ。そういう意味なのだろう。

 

 ―――という俺の予想は、少し外れることになる。良い意味で。

 

「ぶっ!!」

 

 いきなり現れたワードに俺が吹くと、シノンはただでさえ赤くなった顔を更に染めて下を向いた。

 

 色々と書かれているし、纏められている。ぶっちゃければ、“ヤれる”らしい。倫理コードは完全解除も可能になっており、対象を限定することも設定によっては可能だとか。

 

 俺とシノンがお互いにその設定を施せば、俺達の間だけ倫理コードが無くなり、最後までヤれるってことだ。

 

 ここでシノンがこれを渡してきた意味………。

 

 そ、そういうこと、なのか?

 

「し、シノン、さん?」

「ひゃっ!」

 

 そーっと肩をつついてみると、びくっと体中を震わせて声を上げた。そんなにビックリする事でもないだろうに。

 

「そ、その……だな……」

「あ、あのね!」

「お、おう!」

「実は……もう、解除しているの」

「そ、そうなのか………え?」

 

 ちょっと準備が速すぎませんかねぇ……? でもまぁ、新婚夫婦の初夜ってこんなものなのか?

 

「だ、だからっ、ユウさえ、良いなら………その、良いの」

 

 ゆっくりと、シノンは言葉を口にしながら顔を上げる。赤らみは大分収まっており、その代わりに年頃らしからぬ艶やかさを醸しながら、とろけた表情と目で俺を見上げた。

 

「………」

 

 日本にはこういう言葉があると聞いた。“据え膳食わぬは男の恥”。今がその時ではなかろうか? そうだ、違いない。

 

 俺だって男だ。そういうこともするし、妄想だってする。好きな女がいるのなら尚更だ。無理矢理にでもしようとした事だってあるし、同じだけそれを我慢してきた。

 

 だが、今だけは……これからはそんな心配はしなくてもいいのだろうか? いい……のか?

 

「シノン」

「……」

「欲しい」

「……ん」

「俺は、お前の全部が、欲しい」

「………うん」

 

 俺の気持ちを聞き届けたシノンは、肩に頭を預けるだけでなく、身体全体でしな垂れかかり、預けてきた。

 

「ユウ」

「ん」

「思う存分、好きにしていいわ。だから――」

 

 左の腕で腰を抱いて、右手でそっとシノンの右腕を掴む。

 

「――抱いて。朝まで付き合ってね」

 

 俺は痛めない程度に力強く、シノン()を押し倒した。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

phase 18 在ってはならない物


 かーなーりー短いです。前が長かったので許してくださいな。
 しかし、大事な回でもあります。これをぶっこむか本当に悩んだ……ええ、どんとこいやぁ! 


 

「お、ようアイン。何だか眠そうだな」

「んー、まぁそうだな。ちょっと眠たい。攻略には問題出さないから心配すんな」

「いや、別にいいんだけど。ところで相棒?」

「?」

「昨夜はお楽しみでしたねwww」

「ふん!」

「ぐはっっ!!!」

「ヘタレ鈍感大魔王童貞風情がほざくんじゃない」

「て、手加減なしかよ………」

 

 

 

 

 

 浮遊城アインクラッド 第二十三層

 

 

 

 

 

 ゆったりとした空間が広がった第二十二層を駆け抜けた先は、数時間前とはまるで真逆の様な過酷な場所だった。

 生い茂る草花は背丈にまで届くほどに伸び放題。樹木に至ってはボスモンスター並に大きなものがそこかしこにある。

 

 熱帯林。

 

 ジャングル。

 

 そんなところか。

 

 迷宮区のボス部屋から伸びる階段を駆け上がった俺達の肌にじめじめと湿った空気が張り付く。喉を通る大気も、鼻をつく湿っぽい匂いも、リアルで懐かしい(・・・・)。一ヶ月だけだったが、熱帯での生活もある。

 

「うぅ……まだ上がったばっかりなのにベトベトする」

「二十二層は見わたす限りの草原だったし、過ごしやすかったもんな」

「どこでもドアってこういう気分なのかね?」

「さぁ?」

 

 言われてみればそんなものかもしれない。たった一回きりのどこでもドアね。キリトも面白い表現するじゃないか。向こうはどうなってるのか分からないし、行き先は固定だけどな。

 

 二十二層はかなりヌルイ層だった。これといったダンジョンも無く、手強い敵もクエストも無かったもんだからあっという間に攻略することができた。おまけにフィールドには敵が湧かず、迷宮区のレベルもそこまで高くないのでこの層そのものの難易度が低かったこともあるだろう。

 

 見わたす限りの草原、蒼い空に白い雲、気持ちの良い風が吹き、水面に顔が映るほどに透き通る川が流れ、ウサギやリスが駆けまわるという平和な層。今までの殺伐とした雰囲気や気持ちが洗われるような平和な場所だった。疲れたらまた来ようと思えるほどの、アインクラッドではなかなかない癒しの空間。

 

 一転して不快指数のメーターを振り切るような湿度の差が、余計にそう感じさせるんだと思う。だからって慣れることは無さそうだが。

 

「行こうぜ」

 

 キリトを先頭にして主街区へと繋がる階段を下りていく。多すぎず少なすぎないボス攻略人数の常連に数えられるようになった俺達は、なぜか毎回のごとく次層のアクティベート担当にされていた。残って報酬の振り分けや反省をする為に、面倒ではあるが名誉な行為を押し付けられたと言うべきか、任されたと思うべきか……。

 

新しい層を一番に見れるのは俺達だけの特権だと思えば、まぁ納得できた。

 

 βでは最も活躍したパーティもしくは全員がアクティベートを行うのが通例だった。それになぞらえれば、俺達は現ボス攻略メンバーでも最も強いパーティの一角だと言うことでもある。

 

 まぁ、五人全員が全プレイヤーに知られるような称号と活躍を残し、ハイレベル帯にありスキルも一線級。現実で例えるなら廃課金者並のステータスと技量を持っているんだ。これで強くなきゃ嘘でしかないだろ。

 

「しっかし、今回は面倒くさそうだな……」

「前が簡単すぎたんだ」

「そうそう、ダンジョンはこうでなくちゃね」

「やけに上機嫌だな、フィリア」

「宝がありそうだしね」

「ああ、そういうことね」

 

 自称トレジャーハンターのフィリアは宝箱を見つけては騒ぎ、中身で一喜一憂すると宝に敏感だ。前の層は平和すぎて魔物を退治するといったRPG的な要素が無かったので不満があったのかもしれない。迷宮区で手に入れたのもショボかったし。

 

「と言ってる傍からあるじゃないか」

「わああぁぁぁ………!!」

 

 目を輝かせて階段の傍に設置されていた宝箱めがけてフィリアが全力疾走する。《青金の風》なんて呼ばれるのも戦闘での素早さじゃなくて、この宝箱を見つけた時のテンションから生みだされる速度から来てるってものまた笑えるよな。

 

「見て見て!! こんなに分かりやすい所にあるのにレア度が最高級だよ!」

「レア度? 箱を開ける前に中身が分かるのか?」

「うん!」

 

 メニューのアイテムストレージからではなく、腰のポーチから鍵の束を取り出したフィリアは手元も見ずに最適の物を選んで鍵穴に差し込む。

 

「民家の箪笥や引き出し、壺や樽を纏めて最低ランクの《1》とするなら、何の施錠も装飾も無いただの木箱が《2》、ちょっと模様が彫られたりしていたら《3》、南京錠がついて《4》、箱そのものに鍵がつけば《5》、縁取りや模様が更につけば《6》、全体的に赤色に塗られていたら《7》、銀や青なら《8》、金色で《9》。そして、これは最高ランクの《10》で、凄く派手でしょ?」

「………要するに、セキュリティが高くなったり、派手になればなるほどランクが高くなるんだな?」

「そう思ってていいよ。勿論例外はあるし、鍵が二つ必要になったりとか亜種もあるけど。経験則からしてこの法則的なものに沿ってる」

「ふぅん」

 

 フィリアはシノンのように寡黙ではないが、喋る方かと言われるとそうでもない。話せば応えるし、聞けば返してくれる。自分からだって話題を提供する事もよくあることだ。が、ここまで熱気の籠った話をすることはそうそうない。それだけフィリアにとって楽しみだってことの表れだ。

 

 それでも俺にとってはどうでもいい話だ。よくて雑学程度に過ぎない。俺やキリトにとって宝箱はいわばクジみたいなもので、いいものが入っていれば良いなぁぐらいにしか思っていない。中身が分かるようなものは正直に言えばつまらなくなる要素なんだ。

 

「もう、折角私が色々と教えてるのに……結構役に立つんだよ?」

「知らなくていいんだよ、俺も、俺達もな」

「そう?」

「フィリアが知ってればそれで良いじゃないか。なぁ?」

「えっ? あ、ああ、そう、だね………えへへ」

 

 俺達は仲間――パーティを組んでいるんだ。剣を振るって生を勝ち取るこの世界じゃパーティメンバーは命を預ける大切な戦友だ。仲間を信じて、頼ることは当然で恥ずかしいことじゃない。その仲間が情熱をかけているんだ。任せるのが仲間ってもんだろ。

 

 というのが俺の考えなわけだが、生憎と妻はそう取ってはくれないらしい。ほっぺたをつねらるだけでなくわき腹をナイフの柄でぐりぐりと抉ってくる。

 

「ユウ?」

「妹を褒める兄はそんなにおかしいのか? いてっ、いてててっ」

「フィリアの事はよーく知ってるでしょ?」

「ぐあっ……わかっちゃいるさ」

 

 一ヶ月ほど前、俺とシノンが夫婦になった事を知らせた時に確かに聞いた。好きだ、と。俺としてはフィリアに恋愛感情を抱いたことはないが、それはこの際関係無い、フィリアの気持ちが問題なのだ。しかも、隙あらば奪うと俺の前でNTR宣言までする始末。俺が結婚してもフィリアの気持ちは変わっておらず、むしろ奪うほどの気概があるのなら強くなっているとすら思える。シノンがぐりぐりするのも分からなくない。

 

 だからってなぁ……褒めるぐらい良いじゃないか。いや、病んでしまうほどに求められる愛も好きだけどさ。シノンなら更に倍だけどさ。むしろ御褒美……! ………いや、なんでもない。

 

「むぅ……」

「ふふっ」

 

 ぷぅっと頬を膨らませるフィリアも可愛いが、そこでまた口を開けば折檻される。黙ってシノンの頭を撫でることにした。すまない妹よ。

 

「あー、熱い熱い」

「そうね………苦いものも欲しいわ」

 

 蚊帳の外だったキリトとアスナが手で顔を仰ぎながら面倒だという表情をわざと見せる。こんな惚気聞きたくないわな。

 

 止めないけどな!

 

 気持ちを切り替えたフィリアは宝箱の解錠に向き直り、それを待つために俺達は手ごろな木の幹や石を見つけて腰を下ろす。地面は湿っているのでそのまま座るのは躊躇われるようだ。俺はともかく、シノンが嫌がりそうなので合わせておく。

 

「アイン」

「何だよ」

 

 シノンとは逆の隣に座ったキリトが小声で話しかけてきた。やめろよ、男にそんなことされても気持ち悪い。

 

「お前等が、そのだなー、夫婦なのは分かるんだが、四六時中そう惚気られたらこっちのメンタルがどうにかなっちまいそうだ」

「控えろって?」

「せめて宿の部屋に入ってからにしてくれ……防音だし、鍵をかければ俺達は入れないだろ?」

 

 《聞き耳》や《盗聴》といった聴覚や感覚強化のスキルを使わない限りは、宿の個室内の声や音は絶対に聞き取ることはできない。現実なら壁一枚と思うが、これはシステムによる絶対の一つ。そもそも道徳的に反する行為なので、オレンジプレイヤーでもない限りはこれらのスキルを取ることはしない。まずスキルスロットを埋めるほどの利益が見込めないこともある。

 俺の知る限りでは、キリトもアスナもフィリアもシノンも、これらのスキルを取ってはいない。心配はしなくていい、キリトはそう言っているんだ。

 

「そうか」

「ああ、そうなんだ……」

「だが断る」

「ぬあ!?」

「キリト、よーく考えてみてくれ。そしてイメージしろ」

「………」

「目の前にはお前好みの女がいるとする」

「うん」

「彼女とは相思相愛で、誰から見ても理想の女性だとしようか。お前は彼女を好きに出来る、彼女は好きなお前だからと喜んで受け入れるだろう。周りはそれを羨ましいとハンカチを噛んでいるに違いないな」

「それで?」

「お前、それで手を出さずにいられるのか?」

「無理だ。………はっ!?」

「なら諦めろ」

 

 見事に誘導されやがって。やっぱり弄りがいのある奴だな。

 

「さぁて、キリト先生のお許しも貰ったことだしなー」

「待て待て待て! これは俺だけじゃなくてアスナだって思ってるはずだ! だろ!?」

「え? 何?」

「聞いてないんかい!」

「冗談よ。でも、そうねぇ……」

 

 うーんと目をつぶって頭をかしげるアスナ。思うところはあるのかもしれない。それはキリトのようにうんざりするほどの惚気に耐えられないという意味では無くて、「私もキリト君とあんな風にイチャつきたい~!」といった願望からだろうけど……。

 

「アスナ」

「シノン?」

 

 そこへ隣に座っていたシノンが耳打ちする。

 

 ナーヴギアは五感全てをフィードバックする。そして障害さえなければそれはそのままダイレクトにゲームへと影響を及ぼすのだ。

 

 生まれと育ちの関係で俺は色々と鋭い。

 

 と言うわけでひそひそ話もよく聞こえるわけ。

 

「……羨ましい?」

「……恨みたくなるぐらいにね」

「なら、これを貸しておくわ。いい? 貸すだけよ、ちゃんと返して」

「? え、ええ。ありがとう」

 

 シノンが綺麗に折り畳まれた紙を手渡す。……ああ、グレースから貰ったあの紙か。

 

「これは?」

「一人になった時にでも見て。いい、アスナ。一つだけ教えてあげる」

「………何よ」

「恨みたくなるほど羨ましいなら、自分もそうなればいいだけよ」

「………そうね」

 

 実に実のないアドバイスだ。しかし確実である。嫌なら同じ立場に立てばいいじゃない、そういうことだ。シノンらしい。

 

 紙を受け取ったアスナはそれを大切に折り畳んでストレージに収める。ごほん、と息を吐いてキリトと向き直ったアスナは堂々と言い放った。

 

「そうでもないわ!」

「ぬああああっ!」

 

 味方を失ったキリトは奇声を上げて崩れ去った。

 

 

 

 

 

*********

 

 

 

 

 

「やった!」

 

 復活したキリトを交えて雑談で盛り上がっていると、フィリアが歓喜の声を上げた。どうやら解錠に成功したようだ。レア度の高い宝箱は失敗するとトラップが発動することが多いので、見つけた時はスキル持ちに任せるのが定石となっている。

 スキル熟練度が高ければ高いほど、レア度の高い宝箱のトラップ解除も容易になるし、要する時間も短くなる。ハイレベルにあるフィリアでもこれだけ時間がかかったことからして、この宝箱はどうやら相当なレアアイテムが入っているに違いない。こういう瞬間はトレジャーハンターでなくてもワクワクするな。

 

「時間かかったな」

「うん、今までで一番手ごわかった。こんなの、上層に行ってもそうそうないよ」

 

 フィリアが解錠したこの箱はやたらと過剰な装飾があるし、鍵も三つほどついている。堂々と置かれている癖に頑丈なことだ。こういうのは上に上がった後に引き返して回収するのが安全かつ一番の方法なんだが、フィリアにそれを言っても聞くはずもない。

 

 結果的に成功したし、それでいいんだけど。

 

「開けていいかな?」

「勿論」

「じゃ、いっきまーす」

 

 何時になく高揚しているフィリアの顔はとても幸せそうだ。昔から宝探しが好きだったからな……トレジャーハンターは天職に違いない。

 

 だが、そのフィリアの顔が凍る。そして驚愕へと変わった。そっと宝箱の蓋を閉じて一人でオロオロと動揺している。

 

「どうした?」

「何で、こんなものがここに……」

「フィリア!」

「ひゃっ!」

「何が入っていたんだ?」

「………開ければ、分かる。あってはいけないものが、そこにあるから」

 

 それだけを言ってフィリアは場所を譲った。俺も含めて皆が状況を理解しきれていない。

 

 フィリアは“あってはいけないものがある”と言った。それはアインクラッドにあってはいけない物なのか、それとも………。まぁ、開ければ分かるか。

 

 蓋に手をかけて、ゆっくりと上にあげる。

 

 ………これはっ!?

 

「見るな!!」

「「「えっ?」」」

「いいからこっちを見るな! 後ろ向け! フィリア!」

「うん!」

 

 おいおいと何が何やらと言った三人を放って、俺は焦った。確かにこれは、あってはいけないものだ。

 

 機構や塗装は間違いなく別物だろう。そりゃそうだ、ここにはネジやバネなんて存在しないのだから。

 だが、見た目はどう見てもそれにしか見えない。贔屓目に見ようが、だ。

 

 それをそっと手に取り、箱から出す。万が一の為に、後ろから見られないよう身体に隠れるように。

 

 一つ目は“弓”。木で作られた、実にシンプルな形状をしている。矢筒までセットで入っていたので、今すぐにでも使えるだろう。

 

 二つ目、それは―――

 

「ねえ、ユウ。何が入っていたの?」

「ばっ……見るなシノン!」

「そんなに拙いもの………じゃ、な………あ、ああぁ………!!」

「詩乃!」

「嫌あああああああああああああああああああああああああああああああぁァァ!!」

 

 ―――見間違うはずもない。拳銃だった。

 

 

 

 

 

 





 今回の後書きはちょっと長いです。しかし、是非とも読んでいただきたい。


 前回あたりでこういう言葉が出てきたと思います。


 “プロペラやジェットが無いんだから、魔法っぽいもんがあってもおかしくないよね?”


 ゲームの設定に一々突っ込んでんじゃねーよとお思いでしょうが、実は気になって仕方が無い個所がいくつかあります。

 SAOの時代設定は明らかに現代に比べて劣っています。魔法も遠距離武器も弓すら無く、剣や槍、斧で戦う。そのくせ、何故かホームに入れば薪をくべる釜戸ではなく新居同然のコンロやグリル、冷蔵庫があるのですよ。

 電気ないのになんで動いてんの?

 これに対する答えとして、前話で魔法というワードを出した次第です。それでも文明の利器があることの説明がつけれない。動力はいいとして、その素材や発想はSAOの時代とはかけ離れているはずですから。

 そこまで発展しているなら住居だってもう少し近代的でもいいはずです。武器に関してはゲームのコンセプトに抵触するので目をつぶりましょう。

 武器や時代に合わせるのなら冷蔵庫などを置くべきではありませんし、逆にそれらに合わせるのならもう少し設定を現代寄りにしても良いんじゃないでしょうか? 遠距離武器は……まあ、どうとでもなりますよ。設定次第です、ええ。

 このどうでもいいジレンマにうなされた私はとある結論を出しました。








 どうでもいいやー(笑)








 だって考えたって仕方ないじゃん。ねえ? そうあるんだから、自分なりの解釈をしてでも受け入れるしかないんだもの。考えることを止めたわけではありません。そうですとも。

 すると誰かが囁きました。

「逆に考えるんだ、利用しちゃえばいいさ。と」

 この中途半端な時代設定を上手く使うのです。そうすればあら不思議、先の先までどうしようかと抱えていた不安が一気に解消されました。

 話は少し変わりますが、GGOのサービス開始はALO編が終わって直ぐだと予想しています。当然《ザ・シード》基盤のゲームでしょうし、冬にSAOクリアしてすぐALO編が始まって、GGOも季節は冬なので、一年たったと考えます。

 GGOにおけるシノンはトッププレイヤーであり、最強の狙撃主の一角。新川少年との絡みも考えて、八ヶ月近くはプレイしているいわば古参でしょう。

 この作品でGGO入りや原作のファントム・バレッド編に入るまでを色々と考えて見ると、SAOをクリアしてGGOサービス開始と同時にGGOで活躍させることを考えれば、八ヶ月弱という時間は必要です。やっぱりGGOでこそシノンさんは輝くのです。
 アインクラッド編がどうこうと言う話ではありませんよ? 私はホロウフラグメントで見せてくれるストーリーやあの衣装も超好きです。デフォルトの程よい肌色面積、アタック系の下乳、バフ系のストッキング、ディフェンス系のGGOそっくりな衣装と谷間と太もも、そしてコンプリート系の裸族上等なもちもちお肌と曲線美!! そして眼鏡!! うはっ!! あ、やべ、鼻血でちゃった………。

 と、とにかくですねぇ、GGO編までを視野に入れると、SAO編のどこかで銃を登場させるべきだと判断したんですね、はい。ここに至るまでが長い長い。

 何故か?

 それはズバリ、私の我儘です。

 詩乃はフレミングの法則よろしく、手を銃のように人差し指と親指を伸ばした状態を見るだけで吐いてしまうほどのPTSDを患っています。それはここでのシノンも同様ですし、むしろ悠という拠り所を得て安らぎを得た為に、原作以上に耐性が無いでしょう。癒されるばかりで、傷から目を逸らしているだけなのですから。

 しかし、GGOにログインすればあら不思議、何にも感じません。それどころかヘカートに愛着まで湧く。それが実際に撃った銃ではないにせよ、“銃”というカテゴリーに属するそれを抵抗なく受け入れたという事実が引っかかります。

 確かに、詩乃とシノンは別だと思えばそれまでかもしれません。ですが、先に上げたほどのトラウマを抱えているにもかかわらず、ゲームだから、詩乃とシノンは別だからと割り切るだけで克服できるとは到底思えないんです。

 程度に差はあれ、トラウマとった心に傷が残るのは思っている以上に深く苦いものです。私にも経験がありますし、現に悩みの種でもありますから。なので、どうしてもGGOに入れば銃に抵抗が無くなる、という事象を見過ごせませんでした。

 しかし、GGOでは普通にヘカートをバンバン撃ちまくってほしい。ベヒモスさんを脳天からブチ抜いて欲しいですし、悠と一緒にバリバリはしゃいで欲しい。

 というところで、SAOで銃を出しておきたい、という話に戻ります。原作GGOのように、黒星以外の銃に対して耐性がつく程度に慣れさせたい。これが狙い。デス☆ガンには影響が出ない程度にね? だってスタン弾でぷるぷる動けないシノンをみんなペロペロしたいでしょ? 御美足じっくり鑑賞したいよね? お尻でハァハァするよね!?

 ………失礼。

 ま、ということです。

 詩乃が抱えるトラウマに着眼して、それをある程度解消・克服してもらうためにはSAOで銃を出すのがタイミング的に一番良かった。

 それだけです。

 加えて、もう一つ。それは何故このタイミングなのか? ということですね。

 劇的な状況で、シノンに黙ってアインが入手し使用する。なんてのも本気で考えました。が、泣く泣く取りやめることに。そんなシーンが出る頃には攻略は終盤に入っており、先に言った通りにGGOに間に合いません。愛の力で克服しても良いんですがね……それだったらとっくにどうにかなっているんですよ。

 ゲーム版では、シノンが訓練を初めてから攻略につれていけるようになり、イベントが起きて初めて弓を装備できるようになります。つまり、彼女は一ヶ月ちょっとで全プレイヤー中で最も投擲を含めた遠距離攻撃スキルを上手く扱える、とシステムに認められるわけですね。少なくとも私はそう解釈します。

 だったら、最初期からログインしている今の状況で、尚且つ攻略組として名を馳せ、投擲スキルだって習得しているのに弓を持てないのはおかしくね? なーんてまた余計な事を考えたんですね。

 どれだけのプレイヤーが投擲スキルを使っているのでしょうか? そして使用しているのでしょうか? 命中率は? 錬度は? 

 ゲーム版では四分の一を消化していますね。それでいてシノンに弓を装備させる《射撃》スキルが与えられました。終盤でですよ? だったら序盤で習得してもなんら問題はありません。無いんです。無いんだよオラァ! 弓引いてる時のお尻がみたいわけじゃねえからァ!!

 まぁ、遠距離攻撃がこんな早くに出るのはアレかなぁ~~とは思いましたが、出します。だって活躍してほしいもの。


 ………はい、というわけで、長ったらしい言い訳失礼しました。私なりに真剣に考えてのことだという事が伝わっていれば幸いです。

・先を見据えて銃を出しました。
・錬度的に今弓が出てもいいよね?

 こんなところですかね。色々と思われるところはあるでしょうが、受け入れて頂ければ幸いです。




 ここからはSAOに関係のない個人的な宣伝です。

 このサイトで私はもう一つ作品を投稿しております。原作はライトノベルの『IS<インフィニット・ストラトス>』で、アニメにもなったりゲームもでたり、ハーメルン様でも、幾つも二次創作が投稿されています。

 超好きです。ISの二次創作は、ハーメルン様の中でもトップを争うぐらいに多いんじゃないかなーと勝手に考えてます。

 作品名は『無能の烙印・森宮の使命』といいます。『sola』というアニメのキャラをちょっぴり混ぜて、『ボーダーブレイク』というゲームの武器をがっつりブチ込んだ妄想全快な作品ですね。

 どちらも読んでいただいている方、ありがとうございます。

 で、これとは別で、もう一つISを原作とした二次創作を投稿することにいたしました。タイトルは既に決まっています。全体的な中身や流れも。既に四話ほど終わっていますしね。

 ヒロインは更識簪と暴露しますよー。私はシノンさんのようなクールなキャラ、簪のような大人しめなキャラ、そして蒼乃姉さんの様なお姉さんキャラがドツボです。青髪とかマジでピンポイント。

 序盤からがっつり鬱な展開に、ほんわり甘い展開を加えたテイストでお送りします。

 IS知ってるよーとか、ちょっと興味湧いたかも、なんて方がおられましたらいかがでしょうか? 始めたら前書き辺りでお知らせいたしますね。

 という姑息な宣伝でした。私だってねぇ! ランキング載りたいんですよ!! クソみたいな文しか書けない弱者は必死なんですよ!!



 最後に渾身の祈りを。

 シノンさんの薄い本増えますように………


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

phase 19 《射撃》

「この剣を抜くたびに、私のことを思い出してね♪」

勿論ですとも!

どうでもよくないけど、尻尾握られたシノンとか、エクスキャリバー渡す時のシノンとか、めちゃくちゃ可愛い


 

 ドアを開けると、三人が一斉に俺を見た。

 

「シノンは?」

「やっと眠ってくれたよ」

「よかったぁ…」

 

 はあぁ、と大きな息をはいて肩の力を抜いたアスナはソファにもたれかかった。キリトもフィリアも安堵の息を漏らす。

 

「アイン。お前は、シノンの様子がおかしくなった理由知ってるんだろ?」

「……ああ」

 

 出来れば話したくはない。例え俺であっても、これは詩乃の問題だ。何とかしてやりたい気持ちはあるが、詩乃自身が整理してケリをつけなくちゃずっと残り続ける。

 

 たが、説明しない訳にもいかない。シラを切るなんて真似はしたくないし、かといって話せないで納得はしてくれないだろう。深くは聞かないでほしいといえば下がってはくれるが、関係にヒビを入れるのは良くない。

 

 普段は冷静なシノンが何故ああも取り乱したのか? 何がシノンをそうさせるのか? 仲間としてキリト達には最低限の情報を知る権利がある。

 

 だから、話そう。

 

「まずはこれからだな」

 

 ストレージを開いて、フィリアが苦労して開けた宝箱の中身を物体化させる。

 

「これは………弓と、拳銃?」

「正確に言えば、拳銃のような何かだな」

 

 一つ目はシンプルなデザインの弓。何か装飾があるわけでもなく、ただグリップと弦が張られているだけ。もう少し言うなら矢は一本もない。

 

「これ、使えるのか? SAOに遠距離武器なんていいのかよ」

「少し試してみたが、ダメだった。装備品なのは確かなんだが……」

「特別な専用スキルが必要ってこと?」

「ああ」

 

 テーブルに置いた弓を手にとってタップ、アイテムの詳細情報を開く。

 

「名前はウッドボウ。カテゴリは武器で、弓に分類されている。要求レベルやステータスは特に無し。解説にもおかしなところはないよ」

「でも装備できない、ね」

「SAOじゃこんなのチートじゃないの?」

「フィリアの言う通り、遠くから一方的にダメージを与えられるこれはチート同然だな。ビーターも真っ青だ。だからこそ、何らかのシステムロックがかかってるんじゃないかと思う」

「……武器カテゴリとかも実は嘘っぱちで、ホントはただの飾りだったりしてな」

「ありえない話じゃないが、とことんRPGを追求したこのゲームがこんなことするか?」

「それ言われたらそうなんだよなぁ」

 

 ポケットなモンスターを戦わせる某国民的ゲームとは違い、行ける場所はどこでも行けるし、いけない場所はどれだけ攻略が進もうが行けることはない。たきの〇りを覚えなきゃ先に進めないとか、い〇くだきがないから貴重なアイテムがとれない、なんてことはないのだ。

 

 だから武器と書かれているならそれは武器。

 

「問題はこっちじゃないんだよ。これこれ」

 

 指で指し示すのは拳銃によく似た何か。というか拳銃にしか見えない。

 形からして自動拳銃だな。だが、肝心の弾倉は無く、大事な機能のセーフティロックもない。引き金と銃口に違和感は無いが、これもどこかおかしいかもしれないな。

 

 拳銃と呼ぶには色々と欠けている。

 

「なんなんだこれ。銃、だよな?」

「ああ。よく似た型はいくつかあるが、同じものは見たことがない。てか形なんてどうでもいいんだよ、この際」

「なんで銃がこのゲームにあるのか? ってことよね?」

「ゲーム的にも良くないし、シノンにも良くない」

「……てことは、しののんがああなったのはその銃が原因なの?」

「………」

 

 無言で頷いてアスナ達に示す。

 

 あの場に俺は居た。強盗が銃を握った程度、どうとでもできた。じっくりと機を待って取り押さえるつもりでいたところに詩乃が動いて、詩乃と詩乃のお母さんを護るために俺も動いた。

 

 が、努力空しく、詩乃の手を血で染める事になってしまった。あの時、あと少し早く動けていたらこんなことにはならなかったのに……。虐められることも、孤独に耐えることも無かったんだ。

 

 俺のせいで。

 

 だから護ろうと決めたのに、これだ。笑えるな、まったく。

 

「銃にトラウマを抱えている。かなり重いPTSDをな。それこそこんなパチモンでも見ただけで発狂するほどに、シノンは銃を恐れている」

「………何が原因なのかは?」

「言えない。だから結果だけを知ってくれ」

「………そっか」

 

 弓を机に置いて、代わりに銃を手に取る。

 

「本物は勿論、良く似た物や連想させるものでもシノンは耐えられない。モデルガンは当然そうだし、手を銃の形にしてもな」

 

 空の左手で、銃を形どる。握りこぶしの状態から人差し指と親指をピンと伸ばせば完成だ。「ばーん」なんて言ってよく遊んだりもするだろうこのジェスチャーでさえ、詩乃は狂う。全く関係のない誰かが話していた友達相手にこれをやって、偶然それが視界に入っていた詩乃はいきなり吐く事だってある。

 

「だから、そう思われるかもしれないことは絶対にシノンの前では止めてくれ」

「……分かった。約束する」

「助かるよ」

 

 キリトの真面目な表情を見て、一先ずの安心を得た俺は話を続けることにした。ふざける事ばかりだが、コイツは根が真面目だから大丈夫だろう。

 

 俺としては、フィリアが心配なんだよな……。うっかり漏らしそうで。

 

 

「で、それは結局なんなの? 銃じゃないんでしょ?」

「ああ、銃じゃない。作りが違うとか言う話の前に、まず武器じゃない」

「どういうこと?」

「カテゴリが《装飾品》なんだよ。パチモンらしくモデルガン以下ってことさ」

「た、ただの飾り………」

「アスナ。“ただの”飾りじゃあ無いぞ。ことアインクラッドからすればな」

 

 弓という武器は割と見かける。プレイヤーサイドは使用不可になっているが、敵はそうでもない。下層の序盤では弓を持ったゴブリンやらリザードがうじゃうじゃといるし、上に行けばもっと出てくるだろう。弓がプレイヤーの武器として登場したのは衝撃的だが、この世界に弓が存在している事に関して言えば珍しくはない。

 

 しかし、銃は違う。バネや金属、火薬等を用いて鉛玉を打ち出す近代的な機構やフォルムは時代背景に沿わない。それどころか存在そのものがおかしいレベルだ。

 

「たとえ装飾品であっても銃に該当できる物体が存在するということは、本当に武器として使用できる銃があるかもしれないという可能性を生む。実際にあるかどうかは問題じゃない」

「………そういうことね」

 

 “飾り”とは言ってしまえば一種の模倣品に近い。モチーフとなる原典(オリジナル)があるからこそ、精巧な作品が出来上がる。プラモデルやモデルガンなんかはまさしくそうだ。特に銃に関してはモデルガンというカテゴリが存在している。

 

 意味なくこれが存在しているとは思えない。必ず生まれるに至った経緯があるはずだ。最も考えられるのはやはり実銃の存在。弓と言う遠距離武器が登場したからには、銃だってあると思うのも仕方が無い。

 

「シノンに関係なく、この二つは俺達だけの秘密という事にしよう。アルゴに知られてみろ、アインクラッド中に知れ渡るぞ。確保していることもそうだが、こんなものが存在していることを知ったプレイヤーが何をしでかすか分かったもんじゃない」

「……攻略そっちのけで探せ探せーってなりそうだな」

「………あぁ」

 

 実際はどうなんだろうな? この層以上では弓を使用するのが当たり前になるのかもしれない。銃は流石に無いだろうが………。ある分には嬉しいし、スキルがあるならソードスキルだってあるはずだから火力不足なんてこともない。剣の届かないところも楽々攻撃できるはずだ。戦略の幅が一気に広がる。

 

 ゲームバランス崩壊だな。ありえないか。

 

「ってことで、外でこの話題はしないこと。この二つの管理は……フィリア、お前に任せる」

「わ、私ぃ……?」

「元々お前が苦労して開けた宝箱の中身だろ。俺が持っておきたいところなんだが、結婚してるからシノンがストレージを見てきた時にバレる」

「あー、そっか。仕方ないね」

「助かる。俺はシノンの様子を見てくる」

「OK。攻略は明日からにして、今日はゆっくり休もうか」

 

 キリトの言葉を機に今日はお開きとなった。フィリアは個室に戻って調べると出て行き、キリトはアイテムの補充と市場調査をすると言って散策に、アスナはお風呂に入るからと言われて部屋を負いだされた。口にしたようにシノンが眠る部屋へ入る。

 

 ひとしきり暴れたシノンは糸が切れた人形のように気を失った。本当なら主街区に着くまで寄り道をしながら時間をかけてアクティベートするところなんだが、事情が事情なだけに得意のスピードで駆け抜けて宿をとり、時間を忘れて付き添っていたのでアクティベートする前に二時間経過して自動的に開通。二層以来の開通祭りの見送りとなった。

 気絶してからベッドに寝かせて部屋を出るまで、息は荒くて汗は止まらないし、苦しさのあまりにもがいてシーツはグチャグチャで毛布を蹴飛ばしたり、かなり心配だ。アレから一時間ほど、少しだけでも落ち着いてくれていると嬉しいんだが………。

 

「シノン、入るぞ」

 

 起きてはいないだろうが、念のために三回ノックしてドアを開けた。以前着替え中に入ってそのままベッドインしたので気をつけるようにしている。

 

「………ぅ」

「ふぅ、さっきよりは大分マシになったな」

 

 疲れきって暴れる体力も無くなったんだろうな。仰向けになってただ熱っぽい息を漏らすだけだった。いつもに比べれば今日は比較的軽い方だ。これなら明日にはいつも通りに戻れる。

 

 ベッド際のテーブルに置いていたタオルを手にとって額の汗を拭う。汗はあくまでもエフェクトであり、バッドステータスじゃあない。拭う必要はないし、そもそも気に掛けるほどでもないんだが無視する選択肢はない。乾いた面に変えては何度も優しく押さえるようにしては額を撫でた。

 

 風邪や熱といったいわゆる病気のような症状はゲームに導入されていないため身体的な心配はしていない。極論になるが、裸で極寒エリアに行こうが灼熱エリアに行こうが何も起きないのだ。ただものすごーく寒くなるか暑くなるかだけである。羞恥心と耐寒耐熱さえ我慢できるなら裸でうろついたっていい。ハラスメントコードは振れない限りは発動しないし。ただ、防御力はお察しである。

 気持ちはそうもいかない。ポーションを飲んでもじわじわ回復しないし、絆創膏を貼ればその内治るわけでもなく、服のように何かを着れば無くなるはずもない。

 

 SAOにログインしてからは当然だが、それ以前の時間を遡っても数ヶ月は何事もなく過ごしてきたんだ。克服したわけでも克服する為に何かをしたわけではないが、少なくとも傷つくことはなかった。

 

 “剣を握って城を駆けあがれ”

 

 それがこのゲームのコンセプトだ。銃なんて以ての外、絶対に存在してはならない。ここには無いという安心感があるはずだったのに………。

 

 何故だ? これも全て茅場晶彦の思惑なのか?

 

「ぅ……………あ」

「シノン?」

「あ、あぁ……………」

「………」

 

 防具も外して上着を脱がし、少しでも負担を和らげるためにラフな格好に着替えさせている。普段から色々と見せないであろう部分を晒している服を着ている上に、上着も脱いでいる事によって破壊力が数倍に跳ね上が…………なんでもない。とにかく薄着だ。現実ではこうはいかないので助かる。仮想世界の思わぬ恩恵だな。

 

「ユ……ゥ……?」

「ああ。大丈夫か?」

 

 目を覚ましたらしいシノンは、俺の問いに首を横へ振った。

 

「やぁ……怖い……」

「大丈夫だ。心配するなよ」

「でも、何で……」

「分からない。だが、アレはシノンの目が届かない場所に隠してるよ」

「そんな……!? 壊してくれないの!?」

「シノン、アレは人の目に触れちゃいけない。壊してまたどこかで現れたら大変だろ? 他のプレイヤーもそうだが、またシノンの目の前に現れたらどうするんだ?」

「う、あああああぁ…………」

「あー、泣くな落ちつけ」

 

 身体を起こして震え始めたシノンの身体を抱きしめて頭を撫でる。ボロボロと溢れだそうとした涙は止まって、小刻みに揺れた肩と呼吸は落ち着きを取り戻していった。

 

「ユウっ……!」

「詩乃、大丈夫。傍にいるから」

 

 背中をさすり、頭を撫でて、優しく囁き、気持ちが落ち着くまでずっと抱きしめあった。

 

 

 

 

 

 

 *********

 

 

 

 

 

 メニューウインドウのデジタル時計が午後九時を表す頃、いつものシノンにようやく戻ることができた。

 

「その、ありがとう」

「いいって。んじゃ、キリト達に話したこととか整理するぞ」

 

 内容をそっくりそのまま、包み隠さず伝える。弓のこと、銃のこと、ほんの少しだけ詩乃の過去を話したこと。

 

「トラウマがあるってことだけ、話したのね?」

「ああ、すまん」

「……いい。じゃなきゃフィリア達は納得してくれないもの」

「そう言ってくれると助かるな」

 

 ベッドに並んで座って苦笑を浮かべる。良かった、メチャクチャ怒られるんじゃないかって内心ヒヤヒヤしてたからな。

 

「それにしても気になるわね」

「だろ? どうしてこんな低層でゲームバランスを壊すような武器が現れたのか。SAOに概念すら存在しない銃の飾り物が存在するのか。何より、なぜ同じ宝箱の中に入っていたのか」

「もしも弓が武器として登場するのなら、ゲーム終盤のはずよ。銃もそうだけど、どうして………」

「……考えても分からない、か」

「実物はどうしてるの? 隠したって言ってたけど」

「お前に言ったら意味無いだろ」

「いいから」

「まったく………フィリアに渡したよ。フィリアが宝箱開けたからな」

「あら? てっきりユウが持ってるとばっかり思ったわ」

「ばーか。アイテムは共有してるだろ」

「………本当?」

「疑うなら見てみろよ」

 

 ふふっ、と笑いながら右手を縦に振りウインドウを開くシノン。わざわざ可視化されたウインドウを覗きながらアイテムボタンが押されるところを見る。シノンによって小分けにされたタブの中にある《Eins(アイン)》のタブをタップ。

 俺のストレージも勿論タブで小分けしてあるので、シノンは全部を開いて確認していく。

 

「……本当ね」

「だから言ったじゃないか」

「知ってる」

「ったく……可愛い嫁さんを貰えて幸せだよ」

 

 やれやれ、お茶目な奴だ。

 

「……え?」

「どうした?」

 

 そのままウインドウを閉じようとしたシノンの手が止まる。驚きの声を上げたシノンを見て、その視線の先にあるウインドウを見る。

 

 瞬間、俺は声を失った。

 

「な…………!」

「嘘……!?」

 

 多分押し間違えたんだろう、アイテムタブじゃなくてその下にあるスキルタブが開かれていた。その中でもシノンが習得しているスキルは優先的に上に配置され、一目見て分かるように赤い枠で囲まれている。《短剣》《投剣》《軽業》《索敵》《業師》《遠視》《集中》《回避》《料理》《裁縫》等々、戦闘スキル八割といったところだ。その中で異色のスキルが一つ、俺とシノンの目に留まる。通常ならばありえない青い枠で囲まれたスキルがあった。

 

 《射撃》。

 

 つい数時間前にキリト達と話し合っていた中にも出てきた。もしかしたら、特別なスキルや何らかのクエストが必要なんじゃないかと。

 

 まさか、こんなことが………。

 




銃と言ったな、あれは嘘だドヤァ


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

phase 20 ヨンブンノイチ

大分長らくお待たせしました、トマトしるこです。とっても忙しく更新できない状況にありましたが、ようやく少し落ち着いたのでバタバタ書きました。とりあえず年内に更新出来てホッとしております。

多分これが今年最後の更新になります。あんまりにも久しぶりすぎてクオリティ落ちてそうで心配ですが……


 一口にスキルといっても、数種類あることは周知の事実だろう。

 大まかに分類すれば二つ。《戦闘系》スキルか否か。このゲームはモンスター達を蹴散らして最上階を目指すのだから当然戦うための術は必要だ。これはこれで、武器ごとに細かな分類もされれば、戦闘のサポートをするためのものもある。

 では戦闘系以外はというと……これもまた様々だ。《商人》としてアイテムを提供するのか、《鍛冶士》として全プレイヤーの命を預かるのか、《料理》や《裁縫》等で娯楽をもたらし金を稼ぐのか。

 

 正直に言えば多すぎて語れない。

 

 だが、これらのスキル云々にせよ幾つかの大前提やある程度の常識の元に成り立っているものが殆どだ。

 

 例えば、『HP全損は現実での死を意味する』『遠距離主武器は存在しない』『Mobは常に一定数を維持する』。まだまだあるだろうが、一つ一つ上げていけばキリが無いし、一プレイヤーが全てを把握することは不可能だ。

 

 ルールや常識、規則は遵守することが基本だ。そのおかげで秩序が保たれているわけだし、守らせるために警察のような取り締まる機関が存在し、法がある。

 

 だが、“常識は破るもの”という言葉もまた存在する。

 

 マニュアル通りと言うのは悪いことではない。むしろ、先人達が積み重ねてきた経験や知識が詰まった代えようのない貴重な資料だ。だが、型に嵌まり過ぎることも時によっては正しくない事もあるだろう。

 武道や合気道で、型通りの動きをすれば相手を倒せるかと言えば否だ。それが通じるのは昇段の試験のみであり、実際の試合や実戦では役に立たないとは言わないまでも、型通りに動いて勝てるかと言えば不可能に近い。

 

 なら、これらSAOの常識を覆すようなスキルが存在するのは、別に不思議でも何でもないだろ?

 

 網の目をすり抜けるように、或いは逆手にとるようにして考案された《システム外スキル》が良い例だ。というより、今まではこれしか存在しなかった。

 

 ここに一つの石が投じられる。シノンがいつの間にか習得していた《射撃》だ。

 

 既にスキルとして存在している以上これを《システム外スキル》として呼ぶのは適切じゃない。従って、分類されるのは通常の型通りの(・・・・)プレイでは習得不可な《エクストラスキル》。二層で習得した《体術》と、クラインが偶然発見した《カタナ》と同類だ。

 

 しかし問題がここで発生する。《射撃》というゲームバランスを大きく崩すスキルが、はたして大勢のプレイヤーが習得できるのか? それだけの武器はどこにある? そのほかの職業は? 《射撃》を複数のプレイヤーが習得するのは現実的じゃあない。

 

 となると、《射撃》はシノン専用のスキルとなるわけだ。恐らく武器はあの弓だろう。これからも何らかのイベントが発生しては強力な弓、もしくは新しい射撃武器が手に入る可能性は高い。

 

 そしてこれだけのスキルが存在するのならば、同じようなスキルが存在していてもおかしくはない。むしろプレイヤー同士の均衡を保つためには存在しなければならないはずだ。

 

 シノンの了解を得、更にはパーティ全員に相談した上で俺が取った行動は、アルゴに調査を依頼することだった。他言無用の条件を設け、それに見合うだけのコルを支払った上で、シノンのトラウマを伏せ全てを話した。アルゴですら驚くほどであり、その反応からして同種の物は未だに見つかっていないということ。

 

「ねず………アルゴ、これは何だと思う?」

「オイラですら聞いたことも無ければ見たことも無い、全く新種のエクストラってことは確かだナ。そっちはどうなんダ?」

「それに加えて、全プレイヤー中たった一人しか習得できない超限定的なバランスブレイカー。少なく見積もっても、あと四種類はあるんじゃないか?」

「………千分の一で十種類だナ。エクストラ中のエクストラ。《ユニークスキル》とでも名付けるカ?」

「いいな、それ。実に奇怪なワンオフ。《ユニーク》か」

 

 少し先の話も含むが、シノンの《射撃》を始めとしたキリトの《二刀流》にヒースクリフの《神聖剣》は、この《ユニークスキル》に分類されることになる。元々は俺達とアルゴの中だけでの呼び名だったが、スキル公開と共にアルゴがそう名付けたと言うと、全プレイヤーはユニークという言葉を使うようになった。

 

 ゲーム進行率がそろそろ四分の一を通過するところでの《ユニークスキル》の登場は、はたしてアーガススタッフ………茅場晶彦の描いたシナリオ通りの展開なのか、それとも大幅なズレを伴っているのか。

 シノンがログインするまでの一ヶ月間、彼は捕まることはなく行方をくらませていたらしい。今も警察から逃げきっているのかは流石に分からないが、絶対に捕まりはしないだろうという確信が俺にはあった。確実に逃げきる自信と準備があり、今もどこかでこの世界を観測していることも。

 

 なあ、天才プログラマー様よ、あんた結局どうしたかったんだ? これがお前の望んでいた世界だったのか?

 

 

 

 

 

 

 浮遊城アインクラッド 第二十五層

 

 

 

 

 

「よぉ集まってくれた! レイドリーダー勤めさせてもらう《アインクラッド解放軍》のサブリーダーキバオウっちゅうもんや!」

 

 二十五層主街区に設けられた石造りの劇場には約五十人のプレイヤーが集まっていた。右も左も顔も知りの猛者ばかり。気軽に「よぉ」と返事を返してくれる奴もいれば、あからさまな舌打ちで返してシノンに睨まれている奴も中にいる。

 

 劇場の舞台で進行している懐かしいウニ頭――キバオウを始め、この場にいる全員がアイツの言うとおりボス攻略に集まった現在の《攻略組》の中でもトップクラスのプレイヤーとギルドだ。

 

 キバオウ率いる《アインクラッド解放軍》

 クラインを中心とした《風林火山》

 ディアベルの意志を継ぐかのように振る舞うリンド、彼を支えるようにして加入したコペル達の《聖竜連合》

 そしてソロプレイヤーや少数派ギルドと、俺達のパーティ

 

 現状、俺達はギルドを結成していないため通常のパーティ扱いになる。一度立ちあげようかという話もしたが、どうせなら過ごしやすそうなホームを見つけてからにしようということと、誰がリーダーになるのかで少し揉めたので保留になっている。ギルドボーナスが発生する上に、専用のクエストも存在するのでこれだけの長い時間を共に過ごしているなら結成するべきなんだが………。

 この層を突破したらもう一度考えよう。

 

「ワイはまず謝らなアカン。スマンかった!」

「お、おい、どうしたんだよ……」

「今回ボス部屋見つけた《軍》のパーティが様子を見て戻って来たもんやから召集かけたんやが……二人、死なしてもうた」

 

 ボス部屋発見後の様子見は、決してこちらから攻撃しないことが前提にある。軍の連中がそれを破るとは思えない………つまり、今回のボスは全力で回避に徹しているプレイヤーを蹴散らすほどのパワーを持っているという証拠だ。

 

「それで、どんなボスだったんだ? 生きて帰って来た奴は居るんだろ?」

「急かすな、今から話したる。ボスネームは《双頭の巨人》、下層で出てきたちゃちい巨人とは比べもんにならん、本物のデカ物や。武器は見たところ持っとらん、腕と足をブン回してくる。衝撃波やら破片やらにもダメージ判定あるっちゅう話。首が二つあるんならブレス系の攻撃もしてくるかもなぁ」

 

 ふむ……。

 

「聞いたところ、特に変わったところはないな」

「実際に見て見ないとわからん」

「まあな」

 

 ボス戦は本当に何が起きるのか分からない。新たにもう一体現れた事もあれば、いきなり変身してHPバーが全快しやがった奴もいた。そのへんに転がっている柱を武器にしてくるかもしれないし、実はこっそり武器を隠し持っていたり、どこからともなくザコが湧く可能性もある。

 毎度毎度手の込んだドッキリばかり仕掛けてきやがる。何度寿命が縮んだことやら。

 

「特徴らしい特徴は外見からは見られんかった。強いて言うなら………“デカイ”」

「どれぐらいだ?」

「パニクっとった奴からの報告で容量が得られんかったが、見立てでは最低でも十メートルは超えとる」

「十メートル!?」

 

 ボスモンスターは基本大型だ。小さくても三メートル、大きくても八メートル程度が今までのボスだったが……十メートルか。確かにデカイ。まさしく巨人だな。

 

「これ以上質問無いなら早速チーム組んでボス部屋や」

 

 チームなんて言っても、殆どギルドだし、加入していなくてもパーティ単位が殆どなんだからさほどの時間はかからない。すっぱりと決まった。

 昔と変わったところなんてソロが減ったことと、エギルのパーティが減ったことぐらいだな。みんな商人やら料理人になって行くもんだから、攻略から離れているらしい。そんなエギルも今では立派な商人なんだけど。

 

「ユウ」

「ん?」

「嫌な予感がする」

「奇遇だな、俺もだ。今日は人が死ぬぞ」

「物騒ね、あなた達」

「私もそんな気がしているよ。巨人って奴、今までの比じゃなく強い」

「フィリアまで……まだ見てもいないのに」

「百を最高とするなら二十五は節目だろ? 記念日みたいに、ゲームとかじゃあ強力なボスが現れるイベントが起きるのはザラにあるもんさ」

「……そういうもの?」

「そういうもの」

 

 ……キリトの言うことはわりと信じるのね、アスナさん。気持ちは分かるよ。

 

 しかし洒落や冗談じゃない。俺達の勘がそう囁く上に、ゲーマーのキリトが良くあることだと太鼓判を押した。今まで以上にヤバい何かがあるのは確かだ。ただデカくて硬いだけのボスで済むはずが無い。

 

 今回はあんまり余裕ぶっこいてられないな。

 

 

 

 

 

 

 *********

 

 

 

 

 

 ボス部屋前の最終点検、新調したレアドロップの槍とナイフに装備を切り替え、綺麗な布で拭う。一層の頃と何も変わらない、気持ちの問題だ。あまり使いたくはないが、使うことになりそうだな。

 アイテムも問題なし。枯渇した場合は筋力値の高い俺とキリトが分けて持った素材をフィリアがその場で錬金合成で作ってくれるので気にせず使う。ボス戦ではむしろ使いきる勢いで丁度いいぐらいだ。

 

 一番数の多い《軍》を先頭に、後ろを残ったギルドとパーティで固める。俺達は丁度集団の中央、囲まれているのでとっさに動きづらいところだが、重装備の連中をここに置くと後ろが詰まるので仕方が無い。もう随分前から突入前はここにいる気がするな。

 

「開けるよ」

 

 バックラーで押すようにコペルが左側の扉を、もう片方を別の《軍》プレイヤーが押してドアを開く。

 

 それと同時に部屋の明かりが灯され、全体像が窺える。正方形のシンプルな大部屋だ。天井がやたらと高く、柱が乱立している事を除けば、だが。

 

「来るでぇ………」

 

 ぼそり、とキバオウが呟くと、部屋全体がドスンと揺れた。音が少しずつ大きくなり、震源は近くなるのが分かる。心の底から竦み上がるような地響きは鼓膜を破るんじゃないかってぐらい大きくなると急に止み、次の瞬間、天井から一体の巨人が現れた。

 

「アレが……」

「双頭の巨人か……!」

 

 着地と同時に巻きあがった粉塵が衝撃波を伴って襲いかかる。アレだけ高い天井の更に上から飛び下りたんだからそりゃ酷い。軽装備のプレイヤーは吹き飛ばされそうになるところだった。《軽業》系統を習得しているシノンは体重が低めに設定されていたので実際に飛んで行きそうになっていたし、革装備の男性プレイヤーは地面にしがみ付いている。

 

 ゆっくりと着地体勢から直立へと姿勢を正し、その全長と姿が露わになった。

 

「でっけぇ………!」

「キバオウの奴、何が十メートルだよ。軽く十六は超えてるぞアレ! ガンダムかっての……!」

「ガンダムって何?」

「さぁ?」

 

 キリトがぼやいたように飛び下りてきた巨人の大きさは今までの比じゃない。なるほど、確かに“デカイ”な。十六メートルって言えば五階ビルに相当するが……これは七階ビルぐらいありそうだ。視線を合わせようとすれば首が痛くなるし、二つ並んでいるであろう頭が霞んで見える。

 

 鈍く四つの瞳が光った様に輝き、先の地響きの何倍も心臓を震わせる重低音がフロアに響いた。鼓膜がはち切れそうなほど振動し、敷き詰められた石畳が地割れを起こしたような錯覚に陥る。

 

 巨人の雄叫びが止むと同時に、向かって右側の頭の横に四段のHPバーが現れた。今この瞬間から、奴は俺達を攻撃し始めるだろう。

 

「パターン探りつつ地道に削るで! 《軍》が正面、《聖竜連合》が右手、他で左手側から攻めるで!」

 

 今回はどれだけ重武装をして速度減少のペナルティを負う覚悟で盾を持ちこんでも一撃で殺される。あらかじめ《軍》内部と《聖竜連合》には伝えてあったのか、誰一人として壁役のプレイヤーはおらず、ひたすらフロアを走り回って注意を逸らし続け、防ごうとしたり紙一重で避けて攻撃を加えようとはしない。ある程度訓練された動きだ。《聖竜連合》は軽装のプレイヤーが多かったので特に疑問は無かったが、装備を統一しまさしく軍隊と化した《軍》までまばらな防具を装備しているのは珍妙だな。

 

 恐らく、キバオウの作戦としては、事前に《軍》と《聖竜連合》である程度の情報を共有してターゲットをこの二大ギルドに集中させ、その他の少数ギルドやパーティにダメージを稼がせるつもりだろう。だからこそ、一番危険な正面のポジションを大多数の《軍》が引き受けている。

 

 結婚したことで敏捷値を共有している俺とシノンが突出して回りこむ。頭一つ飛び抜けた俺達が目についたのか、足先が左へ開くが、戦斧のヘイトを稼ぐソードスキルが連続で正面から叩き込まれ、巨人の注意がこちら側から早速逸れた。

 

「そのまま駆け抜けて後ろから斬るぞ!」

「わかった!」

 

 真横を通り過ぎてうなじが見える位置まで回りこんだ俺は近くにあった柱を駆けのぼる。壁を走るスキルは今の所聞いたことが無いので、単純にステータス任せの無茶ぶりだ。いつもなら三角跳びで済むはずなんだが、相手が相手なので、漫画の様にビルを駆け上っている気分だ。対するシノンは《軽業》スキルがあるのでさほど苦労せずにするすると駆け昇っていく。時には隣接した柱へ飛び移ったりなど、俺とは違って手慣れたものだ。

 

「ユウ、合わせる!」

「おし、先行くぜ!」

 

 踏み出した右脚にめいっぱいの力を込めて柱から跳躍、高さにして二階建築物を飛び越えるほどの放物線を描いてようやく巨人のテッペンを越えることが出来た。

 

 空中でやり投げの体勢を取り、左手で狙いを定め右手を引き絞りスキルを発動させる。紫に包まれた槍が俺の手から放たれて巨人の両の首の付け根に突き刺さった。悶え始める前にスキル補正のかかった落下速度で突き刺さった柄を掴み、抉り斬るように十字に斬り裂き、もう一度交点に突き立てる。空中発動の四連撃中位槍スキル《テンペスタハート》。相手より高い位置でしか発動できないという制限は付くが、発動後は敵に槍を突き刺したまま硬直に入るので、今回の様な大型に取りついたりするには持って来いのソードスキルだ。

 

 続けてシノンが柱から離れて攻撃に移る。左手で投擲用の短剣を二本腰から引き抜いて光が灯り、下から上へ腕を振って一本、返す腕で一本投擲。投擲スキル《ツヴァイクスロー》。一本目は縦回転しながらも綺麗に首筋へ垂直に刺さり、二本目が一本目の柄に突き刺さりより深く食い込む。

 

「やああああっ!」

 

 腰だめに右手に握った短剣を構えて加速、単発突進系短剣スキル《アーマーブレイク》は二本目の短剣の柄に見事命中し、二本の短剣を根元まで巨人の首筋に食い込ませた。耐久値が全損するまでは常に貫通ダメージを与え続けてくれるだろう。

 

 硬直に入ったシノンの身体を支えてしがみ付き、互いの硬直が解けた頃に振り落とされないように左右の首へ直接攻撃を畳みかける。こういう時は規格外の巨人で助かる、しっかり両足で踏ん張れるだけの足場があるし、図体がデカイからいきなり振り落とされることも少ない。

 

 ドット単位で減ったHPバーを間近で見ながら、次のソードスキル発動に入った。

 

 

 

 

 

 

 

 *********

 

 

 

 

 

 

「来るぞ! 下がれ!」

「うん!」

「分かった!」

 

 ボス戦が始まってからおよそ一時間が過ぎようとしている。アインとシノンはアイテム補充と様子見がてらに一度だけ降りてきたが、またすぐ昇ってはソードスキルを連発しているのが下からでも見えた。上は上で好き勝手にやっているようだから、こっちもこっちでやらせてもらおうじゃないかということで、キバオウ達を信じて俺達はひたすら休まずに攻撃を加え続けた。全体重を乗せた一撃に、熟練度の高いソードスキルを三人で上手くスイッチを繰り返し続け、ただただダメージを稼ぐ。最も数の多い《軍》が攻撃に加わるチャンスがあまり無い以上、俺達がその穴を埋めるために倍以上の頑張りを見せるしかない。何よりアイン達は不安定な足場でひたすら武器を振り回しているのに負けていられるか。

 

 重点的に狙っているのは左脚のアキレス。

 このゲームはやたらとリアリティが高いので、変なところでこれも現実なんだなぁって思い知らされる事がわりとある。この前なんてアインがブーツを脱いでくつろいでいたら小指をぶつけて三分ぐらい悶えてたし……。というわけで、身体を動かす上で重要な筋である腱、特にアキレスを狙って攻撃している。上手く抉ることが出来れば膝を付かせることが出来るし、再生する前に右側も抉れれば転倒させることが出来るかもしれない。そうなれば頭も脚も関係あるもんか、全員でたたみ掛けれる。

 

「くそ……しぶといな。もう一時間経つんだぞ」

「でも最後の一本だし、もうすぐレッド入るよ。あとちょっと」

「分かってる、へばっちゃいられないよな」

「キリト、アスナ、新しいドリンクだよ」

「サンキュ」

 

 速攻でフィリアが錬金合成したステータス強化系のドリンクを三人で煽る。攻防走を高いレベルで底上げしてくれるお手製の非買ドリンクはかなり効いてくれるので大助かりだ。スッキリリンゴ味で飲みやすいし、一本ずつ飲むよりもこっちの方が便利で良い。効果が切れる前に飲んで上書き、時間ギリギリまで連続スイッチの流れは確実且つ効率的にHPを削れた。それもこれも、攻撃される心配が無い状況あってこそだが。今回はキバオウに感謝だな。

 

「よし、行くか!」

 

 飲み干した後の瓶を握りつぶして駆けだす。

 

 すっかり気に入った突進スキル《ヴォーパルストライク》から入ってアスナの《リニアー》、フィリアが錬金アイテムの追い風を起こす《ウインドボム》で更に速度が乗った《ヴォーパルストライク》を決めて、フィリアが短剣スキル《ファング・ショック》で短剣を牙の様に突き立て抉り、アスナの連続《リニアー》が的確に抉った傷口に吸い込まれていく。

 

 SAOにコンボ数なんて概念は存在しない。ソードスキルごとの連続ヒット数のばらつきならよくあることだが、プレイヤーが連続してダメージを与えることで倍率が上昇することは絶対にない。同じ部位に同じ力と速度と武器と熟練度で攻撃すれば、理論上は常に一定のダメージを与える。一回目だろうが百回目だろうが変わりない。百なら百、千なら千だ。故に、連続スイッチで大切なのはコンボ数を稼ぐことじゃ無く、自分のターンでどれだけダメージを与えられるか、だ。

 敵との相性や攻撃部位、周囲の状況によって最適なソードスキルを選択し、現状で最高のダメージを与えられるように握りから力加減、振り抜きにパートナーがスイッチしやすいように抜けるタイミングまで含めてスイッチと呼ぶんじゃないかと俺は考えている。人によって好みのソードスキルはあるだろうし、使いこみも変わってくる。下位だの中位だのは関係無い。アスナが今でも得意としている《リニアー》がいい例だ。アレほどまでに完成されたスキルは下手な上位互換よりも高いダメージを叩きだす。

 

 ただパワーのある上位互換スキルをバカスカ使えばいいというものじゃない。普通のRPGなら話は変わるが、生憎とSAOは自分が剣を握って振るうゲーム。身体が覚えるほど馴染んだ技と剣が一番頼りになる相棒だ。

 

「キリト君! レッド入ったよ! 下がろう!」

「OK!」

 

 アスナの忠告通り素直に距離を取る。これだけの巨体相手にステップ数回分の距離じゃ明らかに足りないので、背中を見せながら大きく離れる。視線だけ背中に向けて確認すると、確かに四本目のHPバーは赤に染まっていた。ここからは最後の追い込みであると同時に、最後の足掻きで最も面倒なパターンが混じってくる。ボス戦で最も死亡率が高いのは最初のパターンを読む前と、レッドに入ってからの大幅な変化について行けない時だ。十分に気をつけなければ……。

 

「「――――――――――――!!!!」」

 

 巨人の雄叫びがステレオで響く。パターンが大きく変わる瞬間だ。

 

「さてさて、どうな―――」

 

 ごき

 

「き、キリト君……あれ……!」

 

 ばきグシャごりごりっ

 

「う、うっそぉ………」

 

 めきゃごりばきぐしゃめりめりぐちゃみしべきぃ

 

 人間がダンプカーやロードローラーに挽き潰される、という表現が一番適切かもしれない。そんな音がフロアに響いて、プレイヤーの手を止める。何が起きているのかなんて認識したくないし、考えたくもなければ見たくも無い。が、目をつぶるわけにもいかない。というか、誰かに固定されているかのように顔を背けることが出来なかった。

 

 ただ、結果から言えば―――

 

 ―――巨人は分裂した。




皆さんよいお年を!
来年もよろしくお願いいたします


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

phase 21 エンブリオン

明けましておめでとうございます。今年もry
一か月ほどご無沙汰でしたが、死んではいませんのでww

そういえば、後輩から読んでますって言われてピシィってなりました。もう下手なこと書けない……


「うおおっ!?」

「きゃっ!」

「シノン!」

 

 一気に足場が不安定になった。巨人が姿勢を崩した時とも、攻撃の為に動いた時とも、一時間の間に感じたどれとも違う。部屋も空気も揺れていない。不規則で小刻みなこの揺れは……この巨人?

 

 落ちそうになったシノンは短剣を巨人の身体に突き刺して何とか踏みとどまっていた。まだ震えている巨人の上を慎重に進みながら、俺も腰からナイフを抜いて巨人の身体に突き刺し、ロープを柄と身体に巻き付けて固定し、シノンに手を伸ばした。

 

「掴まれ!」

 

 手で掴む場所が何処にもないシノンは短剣に頼るしかない。折れる前に何とか引き上げたいが……よし、届いた。力任せに腕を引き上げて、シノンが短剣を引き抜くのを待ってから思い切り引っ張って抱きしめた。

 直ぐに自分のナイフも引き抜いてロープを解く。一度飛び下りたいが、生憎と巨人が暴れまわって周囲に柱が一本も残っていなかった。高すぎて落下ダメージと硬直が心配になるレベルで、《軽業》を習得しているシノンは兎も角、流石の俺でもこの高さは身体能力じゃどうしようもない。大人しく首周りにしがみつくしかなかった。

 

「何が起きてるんだ……?」

「ユウ、あれ!」

 

 懐のシノンが指を指した先はもう一つの巨人の頭。頭自体は何の変化も無い……が、見逃せないモノがそこにはあった。

 

「こっちの巨人の肩から、あっちの巨人の腕が生えてきているわ……」

「……分裂しているんだ」

 

 はっと気付いてボスのHPバーを見る。槍を振り回していて気付かなかったが、いつの間にか三段目に突入しレッドゾーンに入っていた。ということは、これが最後のパターン変化ということだな。このゲームじゃスライムでも分裂なんてしないぞ。

 肩から腕がずるりと引き抜かれると、今度は腰辺りが裂け始め、脚から脚が生まれて別れた。HPバーは今現在の量を均等に二等分されているため、全く別の個体になった事が窺える。つまり、どちらかを倒したところでボス戦は終わらないということ。

 

 恐らくだが、HPだけでなくほぼ全てのステータスが均等に振られているはずだ。身長や体格に変化はないが、その分中身の質量が軽くなっていると思われる。純粋に二体に増えたわけではないのが救いか。だが元が強すぎるだけに、分裂してもかなり手強そうだな。逆に二体に増えたことで面倒も増えている。

 

 さっきまではターゲットを一つのチームが集中して引き受けていたからこそ、全力の攻撃がずっと出来ていた。図体が大きい事もあって予備動作も派手だし、範囲は広いがその分早めに察知して距離をちゃんととれば怖くない。が、複数になるとそうもいかなくなるだろう。

 

 同時に二体を相手にするのは得策じゃない。どちらか一方を素早く倒して、残り一体を最初の様にじっくりと時間をかけて倒そう。多分一番被害が少なく済む(・・・・・・・・)。下の状況はここからでは見えないが、さっき見えた鮮やかな青の発光とウインドウのパーティ人数を見て直ぐに察した。

 

 もう二人も死んでいる。位置からして《軍》だ。引き付け役を請け負って近くにいた為に、衝撃に巻き込まれて攻撃を避けきれなかったんだ。

 

「先にコイツから倒しましょう。私がもう一体に飛び移って同時に攻撃するよりも、二人で手っ取り早く倒さないと……」

「そうだな。下の連中にもそう伝えよう」

 

 迷わずキリトとキバオウにコール。二人とも同時に出た。

 

 この《コール》は、お互いにフレンド登録をしていて尚且つ《チャネルリング》という非装備品を所持しているプレイヤー同士だけで使えるテレビ電話の様なものだ。同じ層に居なくても通じるし、圏外という概念は存在しない。出ないのは気付かない時か、出れない時か、出たくない時だけ。今の緊急事態に無視するアホは居ないだろ。

 

『なんや! こっちはそれどころや無い!』

『アイデアでも浮かんだか?』

「ああ。俺とシノンが分裂していない方の巨人………《親》の方に二人でしがみついている。先にこっちから倒そう。アタッカーをこっちに集めて、もう一体を離れた場所まで引きつけてくれ。人選は任せた」

『チッ……言い合う暇は無いな。《軍》全員で《子》を引きつける! 《親》は他の面子でさっさと潰してしまぃや!』

『OK。アスナ、フィリア! 聞いた通りだ、周りのプレイヤーやギルドにそう伝えてくれ!』

『こっちはそう長くは持たん! はよう片付けろ!』

『分かってる!』

 

 それっきりでコールは切れた。

 

 指示の声や人の移動はここからでは分からないが、《子》が向きを変えて《親》から離れていく様子を見るからに、とりあえず何とかなっているようだ。

 

「よし、行くぞ」

「ええ」

 

 直ぐに暴れ始めた《子》と違って、《親》は震えこそ無かったものの動くことは無かった。陣痛でも感じたのかね?

 何にせよ、俺達からすればチャンスでしかない。下はとっくに攻撃を始めた様だし、俺達も今のうちにダメージを稼いでおきたい。首から上が弱点だってことはさっきまでの攻撃で分かっている。俺達がダメージを多く与えればそれだけ早くコイツは倒れるし、死人も減るんだ。

 

「おおおおおおおおおおおおっ!!」

「はあああああああ!!」

 

 互いの武器が干渉しない程度に距離を開いて、ソードスキルを叩き込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 *********

 

 

 

 

 

 

 《子》のアバターが光の粒子になって完全に消滅し、フロアの中央に《Congratulations!!》と大きな文字が浮かび上がりファンファーレが鳴る。目の前には獲得したアイテムとコル、下段には《LAボーナス》が。普段であればキリトと皮肉でも言いあいながら褒め合うところだが、今回はそうもいかない。

 

 誰一人として、手放しで勝利を喜んでいる者は居ない。みんな嬉しいんだ。でも……今日はあまりにも多くの人が死んだ。死に過ぎた。今までのボス攻略とは比べようもないほどに。

 十九層からこれまで、ボス戦で死亡者は一人も出てこなかった。巨大なギルドの元に集まり、的確な指示と選りすぐりのプレイヤー達だったこともあって、危険域まで削られたプレイヤーすら存在しなかったはず。

 

 それが今回の戦闘で、何度も危機を乗り越えてきた攻略組が……たったの一時間で十八人もログアウト(死亡)していった。

 《アインクラッド解放軍》、十三人。

 《聖竜連合》、三人。

 少数ギルドとソロプレイヤー含め、二人。

 

 どれだけギルドの規模が大きかろうが、死亡者が出ることによる損失や士気の低下は計り知れない。少数ギルドならば過酷な現実に直面するだろう。が、今回の≪軍≫が負ったダメージはあまりにも大きすぎた。何せ万全を期して集められたギルド内トップクラスのプレイヤーが一気に消えてしまったのだ。今後しばらくは行動を控えることになるだろう。また育成から始まりそうだな……。キバオウとコペルが幸いにして生還しているから、解体することはないだろうが……どうなることやら。

 

 そんな話を、余所から話を聞きに行っていたアスナから聞いた。

 

「かなりの痛手を負ったわ……」

「まったくだな」

「起きた時から嫌な感じはしていたのよね。こんなことになるなんて…」

「アスナもか」

 

 ったく、嫌な予感ばかり当たりやがる。畜生め。

 

 その場に座り込んで、目の前で大の字になって寝転がるキリトを軽く小突く。ジト目で睨んでくるが無視だ。返事代わりに返ってきたのは心配の言葉だった。

 

「よう、大丈夫か?」

「……何とかな。何度振り落とされそうになったことか」

「おかげで生き延びることができたんだ、そう言うなよ」

「もうちょっとうまくやれればなぁ」

「十分やってくれたさ」

「……そうだな」

 

 これだけの被害で済んだことを、喜ぼう。

 

「お疲れ様」

「フィリア」

「はい、これ」

「ありがとう」

「シノンもね」

「ええ」

 

 ぼーっと天井を眺めているところにドリンクの影が差した。礼を言ってから手を伸ばしてありがたく頂く。……美味い、飲みなれたステータス強化系がHPをぐいっと回復させて、ついでに疲労もとってくれた。そんな状態異常があるわけじゃないが、なんとなく疲れが抜けていくのが病みつきになりそうで好きなんだよな。

 

「ユウ、これからどうなるのかしら?」

「さあな。少なくとも≪軍≫の連中はしばらく戦線離脱するだろうさ。それに引きずられるように攻略も遅れるし、ボス戦のメンバーもがらっと変わる。慣れない日が続きそうだ」

「そうやってまた……誰か死ぬのね」

「死ぬだろうな。このゲームが続く限り、誰かが死ぬのは最初から分かっていることだろ?」

「それは……」

「もう見たくないなら、強くなれ。俺もなる」

「……死にたくないから、死なせたくないなら、そのための努力をしろ。誰かがそんなことを言っていたわ」

「そいつの言うとおりだな」

 

 シノンがぐっと膝を抱え込んで肩にもたれかかってくる。

 キリトは目の前でまだ天井を睨むように寝転がったままだ。

 その隣でアスナが細剣に縋るように震えている。

 ぺたりと石畳に座ったまま手の中でビンをコロコロと弄ぶフィリア。

 

 離れたところを見やると、キバオウとコペルがぼろぼろと涙を流しながら死んでいった仲間に謝り続けている。

どこも似たようなもんだ。悔しがり、泣き、叫んで、崩れ、また悔いる。

 

 勝ったって言うのに、胸糞悪い日だ。

 

 

 

 

 

 

 

 *********

 

 

 

 

 

 

 

 先日の二十五層ボス攻略戦から四日が経った。思っていたよりも、アインクラッド中が慌ただしくなった数日だったと振り返れば思う。

 

 毎回の様に俺達が転移門のアクティベートを済ませると、《軍》トッププレイヤーうち実に七割をたったの一時間と少しで失ったというビッグニュースが駆け巡った。隠せるものでも無し、当事者ではないが早速俺達のもとに来たアルゴに正直に話し、全プレイヤーに伝えるように頼んだ。

 《軍》の生還組は盛大なバッシングを受けたらしいが、状況が状況だけに誰一人として強くは責められなかった。対抗ギルドの《聖竜連合》リーダーであるリンドがわざわざ説明に行くほどだと言えば、SAOプレイヤーならどれほどの事か分かるだろう。しばらくはキツイ毎日が続くだろうが、ギルドを追われないだけマシと言える。いや、戦力が枯渇した現状じゃ追い出せないのか?

 内情はさておき、予想していた通り、今までの攻略に於いて主力を担っていた二大ギルドの内一つがここで脱落……良くて一時的な戦線離脱することになる。「後進の育成に励み、一日でも早く攻略組に復帰する」という発表もあったのでこれは確定事項だろう。攻略のペースが格段に落ちるのは明らかだった。

 

 そして、影響は外部にまで及ぶ。《軍》弱体化によりギルドのバランスが崩れ、《聖竜連合》があっという間に巨大化して規模がおよそ二倍に。加えて今まではボス攻略に人数やレベル等の理由で参加できなかった中規模ギルドが名乗りを上げ、《軍》に取って代わろうと席を奪い合う様に攻略とデュエルが盛んになった。

 便乗して一気に名を広めたのが《血盟騎士団》。ステータスごとに役割を振り分け、少数精鋭を主とし、所属するプレイヤー全員が攻略組に名を連ねるという少々謎の多い実力派ギルドだ。

 目を引いたのがリーダーの《ヒースクリフ》。三十代後半から四十代前半の見た目ながら、盾と剣を用いた剣技はかなりの物だった。不思議と圧倒される存在感と言い、攻略組ですら軽くあしらう技量、溢れるカリスマ性は、なぜ今まで日の目を浴びなかったのか不思議なほどだ。以降は間違いなく《聖竜連合》と張り合う強力なギルドとなるだろう。

 

 実力派……という程なのか、フレンドのクライン率いる《風林火山》も地道に知名度を上げつつあった。《カタナ》スキルの件もあるし、一層からずっとボス攻略皆勤賞も取っているものだから意外と顔は知られているんだが……悲しいかな、《血盟騎士団》同様に中々脚光を浴びないままだ。そろそろ売れてもいいはずなんだが……はたして、どうなることやら。幸運を祈っているぞ。

 

 話を戻そう。

 

 弱体化した《軍》がとった方針は後進の育成……なんだが、黒い噂が早速聞こえ始めている。勿論、素質のあるプレイヤーのレベル上げに勤しんでいる姿も見られているが、聞くところによるとその他の少数派ギルドや弱小ギルドを吸収して巨大化も図っているとかなんとか。攻略へのがっつき具合と規律の厳しさから冗談半分で《軍》なんて呼ばれていたが、規模があまりにも大きくなりすぎたために、本当に《軍》へと姿を変えた。拠点を最も土地の広い第一層へ移し、驚くことにパトロールまでやっているらしい。犯罪者(オレンジ)が居ないわけじゃないが、そうそう現れるわけでもないのにそこまでする理由と言えば、やはり見せつけるためだろう。噛み砕けば舐められないためだ、とキリトは呟いていた。

 

 キバオウは今まで以上に攻略にやっきになり、まずは復帰できるだけの戦力を揃えようと自ら迷宮区に籠っては、パーティメンバーと狩りを続けているらしい。中堅ギルドが中層でコル稼ぎに出向いていると、鬼気迫る表情で武器を振り回しては狩りつくす姿がちらほら見られている。

 コペルは狩りもそこそこに、新しく入ったばかりの新人相手に色々とレクチャーをしているそうだ。ついさっき、本人からもスクショ付きでメールを貰ったが、こっちはキバオウとは真逆でのんびりマイペースに進めている。βの頃からそうだったが、近い年のくせしてアイツはなんか学校の人気先生みたいだったし、案外天職かもしれない。自分がβテスターだからという思いもあるんだろう。

 

 こんな具合に、早速《軍》内部でも派閥が別れつつあるようだ。頭数が多いだけに影響力もそこそこあるんだから、自重していて欲しいが……そうはいかないだろうな。こっちにまで火の粉が飛んでこないことを祈る。難しいだろうが。

 

「だとよ」

 

 ここ最近借りている宿の一部屋に集まって、今朝届いたばかりの新聞を俺が読み、くつろいでいた。四日も経てば普段通りだ。ソファで背筋を伸ばしてカップを傾けるアスナ、バッグの中に詰まっている機具のメンテナンスに余念がないフィリア、頬杖をついて向かいに座るキリト、ベッドに腰掛ける俺とシノン。

 

 SAOでの新聞は現実世界のそれとは少し違う。内容や形態に変化は無いが、とにかく文字サイズが大きめで読みやすい。焦点を勝手に合わせてくれるオートフォーカス機能があるんだから別にいいだろとは思うが、新聞離れの若者が多いことを危惧してか、もはや雑誌にしか見えないほどカラフルだ。

 ………俺はちゃんと新聞読むぞ。あんな紙切れに大量の情報が記されているんだから大したもんだ。殆どがどうでもいいがな。

 

「だとよ……って言われてもな。俺達たいして関係無いだろ」

「そうでもないよ。私、この前主街区歩いていたらデュエル申し込まれた」

「へぇ。俺とアインはザラにあるけど、フィリアって珍しいな。勝った?」

「当然。ザコ扱いされてたからムカついて虐めちゃったよ」

「そりゃ良いことをしたな」

 

 《軍》の弱体化、攻略組からの脱落は確かに手痛い。特に名が知れたプレイヤーが多く在籍していたわけじゃないし、ずば抜けた実力者も居なかったが、数の多さと安定した強さに於いては《聖竜連合》でさえ及ばない。《軍》がいる、という安心感が今まであった。それが無くなることが、一番の大きな損失かな。

 さっきキリトとフィリアが言ったように、デュエルを申し込まれたり、なにかと絡まれるようになったのも二十五層突破以降はさらに増えたが、今に始まったことじゃ無いので変化と言う変化は感じない。

 

 戦争で誰かが必ず死ぬように、ボス攻略で死亡者が出るのは、俺は必然だと思っている。今まで全員生還できたのは運が良かっただけであって、これからも続くとは限らないしありえない。平和に浸ると忘れそうになるが、俺にとって戦友の死なんて日常だったんだ。そもそも顔も思い出せない奴らの死を悲しめなんて無理があるだろ。何も感じないわけじゃないがな。

 

 ボス攻略を共にした仲間ではあるが、正直壊滅しようがどうでもいいし、キリトの言うとおりたいした関係はない。言い方は悪いが、《軍》の代えになるようなギルドはたくさんある。

 

「私は結構気になるんだけどな」

「アスナ?」

「入れ替わりでまた新しい攻略組ギルドがボス戦にも加わるんでしょ? その内どれだけのプレイヤーがボス戦を経験してるのかなって」

「それは……あるわね」

「でしょ?」

 

 さっきも俺が言ったが、レイドメンバーがごっそり入れ替わる影響は割と大きいはずだ。しばらくは慣れないだろうな。

 

「次の二十六層、苦労しそうだね。折角の初陣なのに(・・・・・・・・)

「仕方ないじゃない。どうしようもないことはある」

 

 アスナの強調した言葉を聞きながら、新聞をめくった。

 

 今回は俺達の結婚以来の号外記事で、両面がドーンと見出しやら写真やらで派手に仕上がっている。街中にぽいぽいと新聞を配りまくる情報屋の姿はいつ見ても面白いもんだ。

 

「『あの攻略組五人パーティがついにギルド結成!! 最強ギルド君臨なるか!?』だとよ、アスナ」

「さ、最強って……いつも思うんだけど、この記事書いている人ってちょっと言い過ぎじゃない?」

「マスコミなんてそんなもんだろ? 事実をでっちあげたり、面白おかしく書き換えたり、都合の悪いことは揉み消したり。そういうもんだって俺は諦めている」

「あ、あはは……」

 

 アスナの苦笑いは、俺とシノンがひたすらアルゴを追いまわして捕まえた挙句に引きずりまわして言って聞かせて…………うん、色々とやったことを思い出しているんだろ。アレ以来、少しだけ大人しくなった気がする。一部では俺がとんでもないサディストだって噂も立っているとか………。人前ではもう何もしないと決めた。

 

 話は逸れたが、《軍》脱落と一緒に新聞を飾ったもう一つの号外がある。それが、とあるパーティがついにギルドを結成したってやつだ。

 これまたドでかく貼り付けられた写真にはパーティが転移門前で撮影されたのであろう集合写真。

 

 写真右端には、ギルドリーダーの真っ黒な片手剣使い。照れくさい表情の女顔は、右手で頭を掻きながらどうすればいいのやらといった雰囲気を写真越しにでも感じさせた。

 リーダーの隣には対照的な白を基調とし、ファーやフードなど、お洒落かつ年頃の可愛らしい細剣使い。気持ちリーダーに寄り添う様に近づき、にっこりとほほ笑んでいる。

 その隣で写真中央。無骨な短剣と多数のポーチを腰や太ももに吊り下げ、左側の男に頭を撫でられて喜ぶオレンジのショートヘア。

 右隣の少女の頭を撫で、右隣の少女の腰を抱きよせる槍使いは、無愛想ながらもどこか嬉しそうな表情を浮かべている。

 左端の短剣使いは、隣の男性に抱き寄せられつつも、自ら寄り添う様に両手を男性の胸に添えて身体を預けていた。

 

 うん、俺らだね。

 

 出来ることはしておかなくちゃ。努力をしろ。そんなことをシノンがつい数日前に言っていたのが、ずっと俺とキリトの頭の中で反響していた。買出しに行くと言ってキリトと出かけ、街をめぐりながら喫茶店で小一時間話し合った結果が、これだ。

 以前は色々と問題も多かった。誰をリーダーにするのか、ホームはどうするのか、攻略に支障がでないのか………今思えば、なんでそんなことを考えていたのかさっぱり分からない程度の問題だが。

 

 揉めたのはギルドリーダーだった。というか、他は瑣末な問題でしかないし、現状じゃわからないとしか言いようが無かったというのもあるか。俺はキリトを、キリトは俺を推して平行線が続き、しまいにはジャンケンやコイントスを使ってまで決めたんだ。

 ぶっちゃけどっちがなっても同じという気はする。が、経歴を考えると、俺が仲間を導く資格があるとどうしても思えなかった。どちらかと言えば、死力を尽くして血の道を築く方が性に合っている。

 

 キリトは広く多くの物を見る目がある。でなけりゃビーターなんて悪役を買うことはしない。俺は違うと言えばそれでいいのに、知りもしないプレイヤーの為に犠牲になるなんて偽善者の真似はできるものか。

 

 しっかりと経緯を話して、最終的には全員の同意を得た上で、俺達は昨日の内にギルド結成クエストを下層に戻って速攻クリアしてきた。アルゴにだけはその旨を伝えて、今に至る。外は人でごった返しているだろうなぁ。窓の外はやかましいし。

 

「ユウ、そろそろ時間よ」

「だってよ相棒」

「やめろよその言い方、シノンが怖い」

「さぁてな」

「ったく。じゃ、そろそろ出ますか。みんな準備いいか? そこのドア開けたら人でもみくちゃだぜ?」

「その心配? これからボス攻略だよ」

「大丈夫さ、俺達なら。なんたってーーー」

 

 やれやれとため息をつきながら、新聞の最後に記されたインタビュー欄を視界に収める。メンバー一人一人の写真つきで、特に目を引くのはリーダーのキリトのところだ。文章量が違う。

 そこにはこんなやり取りもあった。

 

『なぜ、ギルドネームをこれに?』

『ずっと前に聞いたことがあるんですよ。何者にも負けず、屈しない、どんな困難も逆境も撥ね退ける最強の集団。それが、由来です。どうせならこのゲームで最強のギルドとプレイヤーになろうぜってことで』

『なるほど。情報屋界隈でもみなさんの評価は非常に高いですよ。特に、十層の小規模ギルド壊滅時の戦線崩壊を一人で支えたアイン。彼はずば抜けている、と』

『平常運転ですよ』

『それに負けず、メンバーの全員が武勇伝を幾つも持っている。私個人としては、少人数ながらもあの二大ギルドと並ぶだろうとも思っています』

『それはちょっと買いかぶり過ぎですって』

 

 キリトが言うには、ゲームか何かで史上最強の集団が忘れられないぐらい強かったそうだ。彼らにあやかり、このゲームでも最強で在るようにとつけた。

 俺はもう全部任せるって言った手前口を挟むつもりはないが、女性陣は何を言い出すのやらと思っていたものの、あっさりと了承。悩むことなく決まった。

 

 ということで、今日から俺たちはあの五人組じゃなくなる。

 

「ーーーギルド、《エンブリオン》だ」

「その自信がどこから来るのか知らないけど」

「いいんじゃない? 私は嫌いじゃないよ」

「これから頑張って活躍して、周りから高い評価を貰えば自信にもなるさ」

「私達次第ってこと」

 

 ………リーダーにならなくてよかったとしみじみ思いながら、ドアを開けた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

phase 22 浮遊城温泉同好会1

オリジナル……というよりは、リクエストのあった温泉回を導入しました。きゃっきゃうふふな話になるはずだったのになぜこんなにも物騒に………



 アインクラッド第33層

 

 

 

 

 

 

 人にとっての娯楽とは一体何だろうか? 千差万別であるだろうが、ある程度は絞れるのでは?

 このSAO………ゲームは娯楽の為に生まれたようなものだし、もっともっと辿れば、娯楽とは上流階級の人間が嗜むためのちょっとしたお遊戯だったとも聞く。今では絶滅危惧種とも言える俳句や和歌だって、平安時代の貴族達からすれば大流行した雅な趣味だったに違いない。当時は結婚を申し込む際も和歌で気持ちを伝えたそうだ。

 別に遊びだけでもないだろう。人によっては料理や裁縫だって娯楽だし、食べることや寝ること、性行為といった三代欲求を満たす行為もまた極端な話娯楽だ。

 

 ならば……入浴だって娯楽と言っても差支えはないだろう?

 

「………何だ、ここは?」

「そこかしこから湯気が上がってる」

「火傷するぐらい熱かったりするのかな……」

「……いや、丁度いい。丁度いい熱さだ。これは、温泉だ! 見わたす限り温泉が湧いてるぞ!!」

 

 ボス攻略を無事に終え、ギルド《エンブリオン》は一人の死亡者を出すことなく次の階層に脚を踏み入れると、待っていたのは無数の温泉だった。

 

 

 

 

 

 

 

 *********

 

 

 

 

 

 

 一先ずいつも通りアクティベートを済ませ、宿を借りて集まる。ベッドやソファ等を使って円になり、くつろぎながら話をしていた。

 

「しっかし、次は温泉エリアか。入れるのかな、あれ」

「んー、湿地帯の沼とか川と同じ扱いだと思う。特にステータス補正が入るなんてのはないんじゃ―――」

「どれもこれも、人が肩まで浸かれるぐらいの大きさだったから、入る分には問題ないわよね?」

「それは大丈夫だろうけど……でもどこに行くの。街中には無いし、フィールドだと圏外だからゆっくりはできなさそう」

「そっか……はぁ、入りたい」

 

 以前、お風呂と聞いて目の色を変えたアスナを始め、女子メンバーは温泉には並ならぬ情熱を持っているようだ。俺も嫌いじゃないが、現実みたいに肩コリが取れるわけでもないし、ゲーム的な美味しい要素もなさそうなんだよな。普通の宿にある風呂で十分だ。

 

「迷宮区探しのついでに、入れそうなところ探す。それでいいだろ? 敵がいないわけじゃないんだから、ちゃんとレベル上げないと攻略ペース落ちるぞ」

「それは分かるけど………うーん、やっぱり入りたい!」

「地面掘ったら湧かないかな?」

「それは無い」

 

 フィリアの時々でるアホな発想には頭が痛い。SAOじゃ地面掘れないからな。

 

「多数決! 多数決とろうよ! 私は温泉入りたい! 絶対!」

 

 全くブレないアスナさんは何としてでも温泉に入りたいようです。

 

「ブレないな、アスナ」

「じゃあ聞くけど、アイン君は入りたくないの? 温泉だよ?」

「極端なこと言うと、身体洗えるなら冷水でもいい」

「そんなんじゃダメだよ!!」

「うお!?」

 

 あくび交じりに答えを返すと、鬼気迫る表情でアスナが両肩を掴んで顔を近づけてきた。始めて見る必死の表情で聞きとりづらい呪文の様なトークが勝手に始まる。

 

「温泉っていうのはね、ただ疲れをとるだけのものじゃないの。心の洗濯って言葉もあるくらいなんだから――――」

 

 ………長い。

 

「キリト達はどうする?」

「入るとなると、安全且つゆっくり入れてこの人数が収まるところを探さないといけないんだろ?」

「まぁ、そうなる」

「あるのか? てか、行きたいなら女子だけで行けば良いんじゃね? アインは興味なさそうだし、俺も正直気にならない」

「フィリアは行きたいか?」

「勿論!」

「シノン」

「行くわよ、ユウ」

「あ、俺も行くのね」

 

 何故か数に入れられていた俺は連行され、結果一人で留守番するのも寂しいからとキリトも行くことに。

 

 今日は攻略を休んで、温泉に入れる場所を探しにギルド総出で探索に出ることになったのだ。

 

 

 

 

 

 

 *********

 

 

 

 

 

 

 

 エリアに因んだクエストはどこの層だって幾つかはある。なら温泉絡みのクエストがあったっておかしくない! いやある!

 

 とはアスナさんの言葉である。美容もクソもないこの世界ではせめて人間らしい事をやりたいととなんとか言ってはいたが、狂ったように温泉探しをするアスナからはとてもそんな雰囲気を感じない。どう見ても温泉ハンターだ。

 

 ………なんだよ、温泉ハンターって。

 

 まぁ、血眼になって情報を集めながら探索しているよ。

 

「キリトよー」

「んー?」

「お前温泉って入った事あるか?」

「学校の修学旅行先のホテルで入った風呂を温泉と呼ぶなら」

「俺さ、家の風呂とシノンの家の風呂しか知らないんだ」

「うん、さり気ない惚気は聞かないでおいてやる。にしても温泉かぁ」

「興味ある?」

「そこそこ。何時間も練り歩いて探すほどじゃない」

「だよなー」

 

 特番でよく見る露天風呂は川のすぐ真横とか、滝の近くとか、一歩歩けば海とか、そんな所ばかり。確かに凄いとか思うことはあるがそこまでして入るものじゃないだろっていつも心の中でツッコミ入れたり入れなかったりだ。

 

 いや、だからこそなのかもな。こういう機会も無ければ行こうと思わないか。

 

「なぁ、もうその辺でよくねえか?」

 

 早速飽きてきた。見渡せば湯気ばかりの景色で、選ばなければそこら中に湯が湧いてるってのになんで探すんだろう? あれ、アホクサくね?

 

「ダメよ。襲われたらどうするの?」

「お前らだけでタオル巻いて入ればいいじゃん。俺とキリトがその辺で背中向けて待機してりゃいいだろ」

「それこそダメよ!!」

「訳が分からん!!」

 

 なんか、うん、なんだかなぁ………。

 

「そもそも街の外に圏内があるのか? そこに温泉湧いてるかどうかも謎だよな」

「キリト、それ言っちゃダメなやつだよ」

「あ、すまん」

 

 無駄に熱くなる俺とアスナ、呆れとため息が混じるキリトとフィリア。黙々と歩くシノン。

 ………うーん、俺たち何したいんだろ。

 

「あ」

「ん?」

「あれ、暖簾に見えない?」

「どれよ……」

 

 疑わしい気持ちで一杯だが、折角の手掛かりを無視するわけにもいかない。シノンが指差した方向へ向けて歩くことにした。

 

 《索敵》スキルの副次効果として、視力向上があるらしい。五感は個人によって差がある為に確実とは言えないが、使用者曰くなんかよく見えるようになったとのこと。

 実際に見つけたのはスキル持ちのシノンで、その直後に同じくスキル持ちのキリトも見つけた。もっと言うなら二人以外は見えていない事からも信憑性はあると思う。

 

 次第にぼんやりとそれらしきものが見えてきた。というか、なんで気付かなかったんだろうってぐらいよく見える。

 

 シノンは「暖簾が見える」といった。なら、それと同時に暖簾をかける建物も見えるわけで。結構離れた所から暖簾が見えたってことは、その建物は相当デカイわけで………。

 

 うん、超でけぇ。ビルで言うと十階建てぐらいの高さはある。

 

 暖簾の正体は建物を囲う門で、これだけでも七階建てぐらいか。人間サイズの引き戸が酷くアンバランスだ。実は巨人が住んでいて、連中の家と言われればスッと信じられるぞ、これ。

 

 閉じられた門の前に並んで立ち、奥にある建物の天辺を見上げる。

 

「なぁ皆、これなんだ?」

「聞かないでよ……目の前に書いてあるじゃない」

 

 引き攣る頬を抑えながら焦点を下にズラして勝手口のような入り口を見る。

 

 でっかく『ゆ』と書かれていた。

 

 あるんだ……温泉。

 

 とにかくアスナがやかましかった。

 

 

 

 

 

 *********

 

 

 

 

 

 

「た、畳じゃ! 畳じゃないか!!」

「ホント好きね、ユウ」

「でも懐かしいな、畳。そう言えば和風な建物とかここで見たことないな」

「そう言えばそうだね………もしかしたらここって特別な場所なんじゃない?」

「有り得るな、それ」

「わぁ、この床いい香り。これがタタミなんだね」

 

 ゆ、と大きく出ていたので温泉だろうと思っていたが、中に入ると女将さんが迎えてくれたり、狸の置物があったり、日本庭園が広がっていたりと、どう見ても高級旅館でしかなかった。

 じゃあ暖簾の字は何なんだよと思って女将さんに聞いてみると、ゆ、という名前の旅館らしい。スタッフの手抜き感を感じたよ。因みに女将さん含め従業員らしき人は全員NPCなので罪はない。

 

 主街区から結構歩いて疲れたし、折角泊まれるのに温泉だけ入って帰るなんて日帰りはお断りだ。ここ最近根詰めていたし、息抜きも兼ねて療養しようという結論に至った。とんだ行き当たりばったりの一泊二日旅行なこった。

 

 でもま、なんだかんだ言って、高級旅館の温泉や料理を一度は体験してみたいという欲望が勝っただけなんだがな。シノンすら目を輝かせているというのに、アスナときたら当たり前のようにくつろぎ始めた。こいつやっぱお嬢様だよ、うん。

 

「ここって何があるのかなぁ?」

「ゆっくり見て回らない? 私、さっきの庭園歩きたいわ」

「温泉はいいのかー?」

「いいの、後で一年分堪能するから」

「そ、そうか」

 

 ぐふふ、と聞いてはいけない声を聞きながら、俺とキリトは身震いした。いやね、あのアスナさんがね、黒い笑みを浮かべてるのって結構怖いよ?

 

「失礼いたします」

 

 締め忘れていた障子の向こうからわざわざ声をかけて入ってきたのは、部屋へ案内してくれた人とは別の人だ。女将Bとしよう。

 

「伝え忘れていた事がございまして」

「はぁ……」

「まず、お夕食の時間ですが……午後の七時にこちらのお部屋までお運び致します。旅館内をお周りになられると思いますが、この時間にお戻りになります様」

 

 現在時刻は午後二時。あと五時間は自由にできるのか。

 

「旅館内の事になりますが、皆様に開放しておりますのはここ一階から三階、十三階になります」

「じゅ、十三階もあるのかここ」

「一階はご利用される皆様のお部屋と多種多様な当館自慢の湯、売店がございます。混浴も可です。

 二階ですが、全面遊戯室となっております。懐かしのモノから最新のものまで、多様なニーズに対応しておりますゆえ、一度は是非足をお運び下さい。

 三階は………まぁ、その目でお確かめください」

「絶対メンドクセェって途中で思ったな!?」

「十三階は展望室となっております。ご利用の際は部屋を出られまして右手、真っすぐお進みください。それでは」

 

 ピシャン。

 

「………」

「………」

「………斬ってきてもいいか?」

「駄目よ。そもそも圏内だから無理」

「ちっ」

 

 女将Bめ、中々良いキャラしてやがるが色々と雑すぎて許せねぇ。

 

 柄を握る手の力を緩めて溜め息をつく。

 

 話の内容をそのまま信じるのなら、一階二階は一般的な温泉や旅館と大差ないと言える。一フロア丸々が遊戯室だとかいう豪華(?)っぷりとその他諸々の突っ込みどころを除けば、だが。旅館に展望室というのは中々聞かないが、この層を見渡せるのはプレイヤーとして好都合だ、後で必ず寄ることにしよう。

 だが、明らかにお茶を濁したような三階だけはまるで謎。この旅館の立地や不自然なまでの設計と絢爛ぶり、どこかの本で読んだことがあるような敵の罠にも見えなくはない、気がする。考え過ぎか?

 

 ………行かなきゃいいだけの話か。

 

「《注文の多い料理店》」

「あ?」

「名前、出てこなかったでしょう?」

「あ、ああ。そういうことか」

「それ何処かで聞いたことあるような……」

「学校の教科書じゃないかしら? 興味本位で手に取るような内容の本じゃないもの」

 

 全員分のお茶を用意していたシノンが、自分の分のお茶をすすりながら淡々と答える。確かにそんな感じの名前だった気がする。読んだきっかけも詩乃が読み終わった本のタワーに混ざっていたからだったし。

 

「道に迷った二人の紳士は、歩いていた森の中にある不自然なレストランに入ったの。でもレストランに入っても料理は全然出てこなくて、それどころか支配人から次々と『料理を美味しくするため』という理由で様々な要求をされるのよ。言われるままに従う紳士二人なんだけど、実はこの支配人、とんでもない化け物で、紳士を自分が美味しく食べるために支度と称して味付けをしていたというわけ。泥を落とせ、身につけた金属を外せ、服を脱げ、塩を体中に揉みこめ、とかね」

「……最後、どうなるんだ?」

「元々二人は狩りへ来ていた。ただ、連れの猟犬は何故か死んでしまって、狩りに来た山の案内人ともはぐれたところから物語は始まる。最後は何故か死んだはずの猟犬が現れて助けてくれたんだけど、二人の紳士は癒えることのない深い傷を負うの」

 

 もっと厳密に言えば解釈の一つなんだろうが……間違いじゃない、か。少なくとも今の俺達にとっては。

 

「結末は知ってるけど、私達と関係あるのかな?」

「登場人物の紳士二人は、それは愚かに書かれている。猟犬の死を悼むわけでもなければ不安を募らせるわけでもなく、金の話をするんだ。料理店に入って不可思議な注文を受けても都合の良いように解釈して、言われた通りにしていった最後がアレなわけだが……似てないか? なんとなく」

「……歩きつかれて辿りついたやたら豪華な旅館、か。平原のど真ん中にあることもおかしいと言えばおかしいけど、それを言い出したらキリがないぜ」

「でも不自然だよね。作りが良いし、ただの雑なトラップじゃないことは確かだよ。調べる価値、私はあると思うな」

「紳士であり猟犬でもある。そんなところかな。だとしたら、何が目的なのかもどうすればいいのかも分からない現状は相当厳しいんじゃない?」

 

 ……やたら話が飛ぶな。状況を整理しよう。

 

 俺達の目的は安全を確保できる場所でパーティ全員で一緒に温泉に入ること、だ。彷徨う様に歩いていたのは条件に合う場所が見つからなかったからで、偶然見つけたこの旅館に滑りこんだ。圏内であることは確認済みだし、少し旅館内を散策すれば温泉なんて直ぐに見つかるはず。当初の目的は十分に果たせる状況にあるんだ。

 

 だが、出来過ぎている。

 

 元々乗り気じゃなかった俺が「その辺で良くね?」と愚痴を漏らした後直ぐにこの旅館が現れた。その事がどうにも引っかかる。

 

「《どこかにある》と思っていたからいつまでも見つからなくて、《この辺りで良い》と妥協する発言をした。《危険であり》《別々なのが嫌》だから、三つの条件を満たす《圏内エリアの混浴可能な大きな温泉旅館》が近くに現れたとするなら――」

「――この旅館は、私達にとって最も都合の良い空間だということ。思うままに泳がせた後に、何者かが私達を狩りに来る?」

「……考え過ぎじゃない?」

「負ければ死ぬのよ、フィリア。用心し過ぎるに越したことは無いわ。そういうクエストなら、ね」

「勿論考え過ぎなのかもしれない。でもよ、これだけ手が込んだいやらしいクエストがあるのなら……そりゃもうアレしかないだろ? なぁキリト」

「……ったく、最初っからそう言えよな」

 

 お互いの口角がにぃっとつり上がる。何か危ない遊びを思いついた子供の様な笑みだ。周りを置いてけぼりにして、俺達の話はスルスルと進む。

 

「開放された最上階と、謎の三階。手がかりはこの二つだな」

「一軒ごとの箪笥の中身まで細かく設定されているのに、間の階層がスカスカってのは考えられない。俺が思うに、今開放されているのがこの四階層だけであって、何らかのヒントを元に行動できる階層を増やしていくクエストなんじゃないか?」

「成程な。となると、一階と二階も虱潰しに探索するしかないな」

「こら、二人で話を進めないでちゃんと説明しなさい」

「ん」

 

 アスナのお叱りでようやく気付いた。なんだかんだで、このクエストに挑むのは俺とキリトが二人だけの時だったっけ。ゲーム開始一ヶ月ぐらいからずっとこの五人で動いてきたってのに、珍しいことだ。

 

「噂ぐらいには聞いたことあるんじゃないか? 《妖精の試練》さ」

 

 さて、久しぶりに腕が鳴る。温泉探しについてきて良かった。

 




《妖精》再来。決して死に設定等ではない


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

phase 23 浮遊城温泉同好会2

「《妖精》……ね。あれって噂話じゃないの?」

「なんだ知らないのかアスナ。ちゃんとあるんだぞ。俺もアインも幾つか発見してクリアしてきた。俺が愛用してるこのコートも、アインがここ十層近く使い続けてる敏捷値大幅上昇のブーツも、《妖精の試練》で手に入れたワンオフのレア装備なんだ」

「そ、そうなんだ……私はてっきりボスドロかと」

 

 温泉旅行が急遽クエストチャレンジに切り替わった旅館の一室。未だに《妖精》を疑い続けるアスナとフィリア相手に教えることにした。シノンは俺がメールしていたこともあるし、結婚によるアイテム共有で馬鹿げたステータスの装備を見て納得している。

 

「妖精はエルフみたいな、アインクラッドに暮らしている種族の一つ。プレイヤー達人間や他種族にはない力を持っていて、強力な武器やら防具やらアイテムをくれる友好的な連中だ。ただし、見つけるのは困難。そしてアイテムを貰うのはもっと困難」

「ハイレベルのプレイヤーや、技術のあるプレイヤーで無ければ手に入れることはおろか、見つけることさえできない。βの頃から発見されていた妖精達だけど、あまりの難易度の高さに、試されているみたいだって話になってさ……《妖精の試練》なんて言われるようになったんだ」

 

 これが噂される妖精について。

 

 ここからは俺達の体験や経験を元にした憶測だ。

 

「そこまでは知ってるわ」

「それじゃあ話を進めよう。見つけるのが困難って言葉通り、ただフィールドや街を歩いているだけじゃ絶対にこのクエストは発生しない。とあるクエストをクリアして、さらに条件を満たした時だけ発生したり、決められた手順どおりに進めなければ発生しなかったり………時間指定される時もあった」

「あー、二十八層だっけ? あれ、十分で移動できない距離を十分刻みで動く必要あったから大変だったよな。敏捷を伸ばしてて、結婚でこれまた敏捷を伸ばしていたシノンのステータスを持ってたアインでさえギリギリだったっけ……」

「うわぁ。………ってことは、クエストの中身は統一されていない?」

「そう。アイテム探し、人探し、討伐、探索、測定……色んな種類のクエストを受けてきた。だが、妖精が絡むってだけでクエスト内容については統一性はまるで無かったよ。フィリアの言うとおり」

「昔は人によって受けられるクエストと受けられないクエストがあるなんて推測も立ってたが、結果的に言えばあれは嘘だ。全プレイヤーが全ての《妖精の試練》を受けることが出来る。条件も一緒」

 

 妖精を追い掛けるだけのギルドも最近出来たらしく、連中は全層の《妖精の試練》発生条件とクリア法を編み出す事が目的なんだとか。ま、確かに攻略の手助けにはなるだろうな。最前線のここであっても、六層のクエスト報酬だった転移結晶は超がつくほどレアのままだし。

 

「ただし、受注は兎も角クリアは一度きり。そんでもって人によって手に入る装備品のパラメータは別々。だから手に入る武器系はワンオフなんだ」

「へぇー! ねぇ、細剣も手に入るかな?」

「だからあげたじゃないか。確か……十二層あたり」

「………あっ」

 

 自分が使わなくても、誰かが使うかもしれない。そしてそれは必ず攻略の助けになる。

 

 攻略組の中でも、《妖精》を追っている連中は多い。俺達もその内の一人だ。どんな時でも欠かさず情報は集めて、こまめにこっちの攻略も進めてきた。流石に全部は無理だが、手掛かりを見つけた時は必ず追いかけるようにしてきた。だからこそ、俺達は装備に恵まれているし、少数であっても攻略組を代表するギルドに数えられている。

 

「クエスト報酬は、クエスト内容の難易度に関連する場合が多い。難しければ難しいほど、得られるモノはウンとイイものになるのさ」

「じゃあ、もしこれがそうなら………」

「とんでもない奴が手に入るに違いないな」

 

 そこまで辿りついたことで、ようやく二人の表情が真剣なものに切り替わる。温泉を堪能するのも悪くは無いが、プレイヤーの至上の目的はゲームクリアだ。そこに絡むとなれば、気持ちが切り替わるのは当然だと言える。

 

「経験のあるキリト君とアイン君がそう言うなら、きっと間違いじゃないと思うな」

「フィリアはどうだ?」

「私も」

「おし。なら――」

「待って」

「……シノン?」

 

 ようやく温泉モードから切り替わろうというところで、シノンが制止の声をかけた。俺の右手をがっしりと強く握りしめて離そうとしない。いつもの鋭い眼からは、決して譲らないという強い意志が感じられる。

 

「探索は、温泉に入ってからにしましょう」

 

 …………さいですか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〓〓〓〓〓〓〓〓〓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アスナとの熱い握手と抱擁を済ませた私は、二人と一緒に女湯に来ていた。

 

 澄まし顔を見せてはいたけど、私も温泉は大好きだ。アスナみたいに熱く語るほどじゃないけど、お風呂は大事だと思うし、綺麗でいるためには欠かせない要素の一つだと思う。

 

 ……何よ、私だって美容に気を配るわよ。いつまでもユウに綺麗だって言ってほしいし、女の子なんだから。

 

 銭湯や家のお風呂みたいに籠やロッカーは無い。ワンタップで手軽に着替えが出来るSAOにはそういった類の物は必要ない。金庫ぐらい、かしら。それにしてもこう言うところで風情がないわね……。

 

 防具を外して、服も解除。お気に入りの下着も全部脱いでタオルを巻いて、脱衣所から浴室……外へと脚を踏み出す。

 

「……綺麗」

 

 露天風呂は星を見上げるのが好きなんだけど、空模様がハッキリ見えるのも、これはこれで悪くないわね。

 

 看板曰く、一番のお勧めは露天風呂らしいから、私達はここを選んだ。周りを見れば立派な岩で囲まれているし、ガラスの向こうには庭園が広がっている。うん、とても贅沢。

 

 身体を洗おうと思ったけど、鏡や洗剤の類が見当たらないので諦めた。アバターに衛生なんて概念はないのだから、本当なら垢や汚れを落とす入浴というシステム自体存在する意味はない。ゲーム的に言えば余分なデータ。宿屋の安い風呂に入れるだけでも本当は贅沢だって、ユウが言ってたっけ。

 

 左脚の指先で水面を揺らして温度確認。うん、ちょうどいい。

 

「だめだよ、シノン。お風呂に入る時は身体を洗ってからなんでしょ?」

「したくても無いのよ」

 

 なにやら湯船を使う時のマナーを疑問形で語るフィリア。お風呂入ったこと無いのかしら? ……私と会う前の知り合いだってユウとフィリアから聞いたけど、シャワーばかりだったんでしょうね。ユウも最初はきょとんとしてたし。あ、鼻血でそう。

 

「私の貸してあげる!」

「……遠慮するわ」

 

 意気揚々と突入してきたアスナがストレージから次々とタオルとかシャンプー諸々を取り出して、フィリア相手に自慢し始めた。露天風呂の雰囲気や景色を堪能したかった私としては今は気にならないので丁重にお断りする。決して解毒薬入りシャンプーとグロテスクなモンスターの皮が混じった石鹸に引いたわけじゃないから。

 

「湯船に洗い流した水入れないでよ」

「分かってる」

 

 それだけ伝えて私は一足先にゆっくり身体を沈めて、肩まで浸かった。

 

 キリト曰く、流石のナーヴギアでも液体の再現だけは少々苦手らしい。多少の水たまり程度であれば何の問題もないが、滝ほどにもなると処理が大変なので周囲に比べて雑になりがちだとか。私から見ても大した違いは感じないのだけど……。

 外見はそうであっても、流石に温度ははっきりとわかる。色々な宿に泊まったことで分かったけれど、宿屋のお風呂の温度は一定。ダンジョン内の水たまりや温水の場所はそのダンジョンにあった温度があったりと、場所で液体の温度はコロコロと変わった。まぁ、万人向けに設定されていると思えば我慢できなくもないけど、正直お風呂の温度じゃない気がするのよね……。

 

 でも、ここの温泉はいい具合に熱くて気持ちがいい。家の湯船を思い出す。

 

「ふぅ……」

 

 リアルとはまた違った感覚が、首から下へ染み渡る。ちょっぴり刺すような熱さが心地よい。

 

 空を見る。ムカつくぐらい綺麗な青い天井がそこには広がっている。いい思い出も苦い思い出も一杯だ。

 私が初めてユウと出会ったのも、ユウの過去を知った日も、私が銃を握った日も、この世界に閉じ込められた日も。

 

 そう、そして同じこの空の下で、竹の壁一枚の奥には、タオル一枚でリラックスしている愛しの彼が……!

 

「シノンー?」

「何?」

「鼻血でてるよ?」

「え?」

「あと鼻の下伸びてるよ?」

「は?」

「あとね、だらしない顔してる」

「ダメよフィリア。妄想してるところ邪魔しちゃ」

「アスナ、あなた人の事言える? ねぇフィリア」

「二人共大して変わらないんだけど……」

「「………」」

 

 似た者同士ってことね。どうせアスナもキリトの裸でも想像してたんでしょ。

 

「シノン、貴方毎晩アインと抱き合ってるんでしょうが。今更赤面なんてしないでよ。釣られるじゃない」

「あら? 人に責任を押し付けるなんて、随分と可愛いわね」

「うぐ、この余裕が私との差ってわけ? って、否定しないのね。抱き合って寝てるって」

「本当のことだもの。勿論毎晩ね」

「そんなに強調したところでねぇ……」

「だったらからかわないことね。そっくりそのままダメージ返ってくるわよ」

「はいはいすみませんでしたー」

「もう、折角のお風呂が台無しだよ……」

 

 う、フィリアには悪いことをしてしまったかもしれない。どうやら温泉ははじめてみたいだし、たとえ冗談交じりでも口論が隣で起きるのはいい気分じゃないだろう。私がアスナをからかってるだけで何も面白くない。

 

「……そうね、なら―――」

 

 ゆっくりと立ち上がって、傍に於いていたバスタオルで身体を隠して湯を出る。そのままひたひたとタイルの上を歩いて竹で編まれた壁の前に立って親指で指す。にこりと自然な笑顔と共に温泉の醍醐味を一つ。

 

「―――温泉の名物と言えば、コレ。やるしかないと思わない?」

 

 何をやるのだろうかと首をかしげるフィリアと、ピクピクと口角と眉を吊り上げるアスナの表情はまぁまぁ私の予想通りで面白かった。

 

 そう、覗きである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〓〓〓〓〓〓〓〓〓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「っあぁ~~、イイねぇ」

「だなぁ。日ごろの疲れも吹っ飛びそうだ」

「渋っちゃいたけど、悪くないな、温泉」

「毎日は遠慮したいけど」

「確かに」

 

 人二人分の距離を開けて俺とアインが肩まで浸かる。俺は熱々の湯が好みだから、正直俺的にはちょっとだけ温いんだがこれはこれで悪くないな。SAOにログインしてからはずっとシャワーしか使ってなかったからホントに久しぶりだけど………やっぱり風呂は肩までどっぷりやるのが一番だ。

 

 頭に乗せたタオルで顔を拭いてまた乗せる。風呂の中にタオルを入れないのはある種のマナーであり、街中の銭湯なんかでは最早不文律ですらあるほどの常識だ。

 が、隣のアインは何食わぬ顔で肩にタオルをかけている。体育終わりの様に。そして俺と同じようにどっぷりお湯に浸かっているのでタオルが全身浴してしまっていた。

 

 ここは公衆浴場でも何でもないし、居るのも俺だけ、もっと言えばここは仮想空間なので汚れもクソもない。俺が気にするわけでもないから言わなかったが………念のため現実に帰った時の為に言った方がいいのか?

 

「キリトが何を考えてるのか、よーく分かるぜ」

「え? マジか」

「ああ。むしろ分からない方がおかしい」

 

 ………ということは、分かっていてやっているのかコイツ!? それはそれで性質が悪いな。ここにアスナが居たらとんでもないことになっていただろう、うん。

 

「キャッキャウフフと騒いでいる女湯だろ?」

「そりゃまぁ…………って違えよ!!」

「何? お前女に興味ないのか? ホモか?」

「なんでそうなるんだよ! 極端すぎるわ! てかホモじゃねえしノーマルだし!」

「冗談冗談。アスナ一筋だもんな」

「んなっ!?」

「ははははは!! 照れてる照れてる」

 

 冗談だのよく言う奴だけど、アインが言うことは大体間違っちゃいない。まるで心の中を覗いているみたいに。なんて言うかな……核心を突いてくる。自分でも気付いていないことを、アインに言われて初めて気付いたことも多かった。

 顔の表情や視線だけで察しがつく、とは本人談。

 

「お前が本当に気にしているのはあの猿だよな?」

「それも違う! いや、確かに気になるけど考えていたのは全く別の事でどうでもいいことなんだって! むしろ気にしないように気をつけてすらいたんだよ!」

「キリト……お前、何時からツッコミ担当になったんだ?」

「お前がボケるからだろうが!」

「はっはっは。そう怒鳴るなよ相棒」

「やかましい!」

 

 ……くそ。おかしい、俺達は疲れをとって身体を癒す為に温泉を探して練り歩いたってのに、何で俺は歩いている時よりも疲れているんだろう。

 

 俺の呪いを込めた視線を涼しげに受けながら、肩まで浸かった状態で動き始めて対岸で暢気にくつろいでいる猿に近づいて行く。

 

 そう、猿。この猿、俺達が服を脱いで浴場に入ってきた時は居なかった。なのに、身体を洗って温泉に入ってくつろいでいるといつの間にか向かいの端に現れて、タオルを頭に乗せながらおふぅと息を吐いていたんだ。アインと会話している間も眺めていたけど、盆の上に乗せていた日本酒をぐいっと頂いていた。俺達よりも満喫しているというか………常連?

 

「お、おい………バグの類だったらどうするんだよ? 危なくないか?」

「んー、まぁ大丈夫だろ。いざとなったら武器を出せばいいし、無くても俺は強いから大丈夫」

「そういう問題かよ……」

 

 不用心……なわけないか。格闘技か何かやってたって言ってたし、ステータス的にもハイレベルだし。ただそれでも最強じゃない。この世界は全部レベルが全てだ。もしも、この猿が唐突に超高レベルモンスターにでも変身すれば堪ったものじゃないぞ。

 念のため、ストレージから剣を取り出してタオルと一緒にタイルの上に置いておく。

 

 アインが一足で剣の間合いに入れる程の距離まで近づくと、ようやく猿は興味を示した。お猪口をお盆に於いてこっちを交互に見てくる。

 

「うきっ」

「よう、お猿さん。酒の味はどうだい?」

「きゃきゃっ」

「へぇ。俺にも一口くれないか?」

「きいいっ!」

「残念。久しぶりに酒が飲めると思ったんだけどな」

 

 ……だめだ、突っ込みどころが多すぎて俺じゃあ追いつけない。助けてくれシノン。

 

「この温泉結構使うのか?」

「うきっ」

「それもそうか、じゃなきゃ中で酒なんて飲めないもんな。気持ちいいよなぁ」

「きゃっ」

 

 どうやって会話しているのやら。いつもの様に心でも読んでいるんだろうか……相手はただのプログラムだってのにどうやってんだろうな……。とりあえず猿は酒を持ち込むことを許可されるほどの常連だってことは分かった。

 

 ってことは……この旅館に詳しいんじゃないか? もしかしてアインの奴、最初からそれが狙いだったりして。

 

「俺達旅の人間でさ、その辺り歩いていたらこの旅館が見えたもんでお邪魔してるんだ。俺はアイン、あっちがキリト」

「きゃっきゃきゃきゃ」

「お、モンキって言うのか。よろしくな」

 

 猿の名前はモンキっと……まんまだ。モンキがうきゃとか言いながら俺の方を向いて左手を上げてきたので、とりあえず俺も左手を上げて返す。

 馴れ馴れしいと言うべきか、フレンドリーとオブラートに包むべきか。アインはモンキと肩を組んで話を続けた。

 

「さっき女将さんからこの旅館についてちょっと聞いたんだけどさ……なんか四階あたりから上には行くなって釘を刺されたんだ。そこに何かあるのかとか、ダメな理由とか知らないか?」

「むき……………」

「そう嫌な顔しないでくれよ。これも何かの縁だろ? ほら、ぐいっと一杯」

 

 とっくりをそっとお盆から持ちあげたアインが空いたお猪口に日本酒を注いでいく。むすっとしているモンキだが、注がれた酒を飲まないのは礼儀に反する。先と同様に一口で飲み干す。

 

「んー! いい飲みっぷりだ! そら」

「きゃっきゃっ」

 

 同じことを繰り返して繰り返して繰り返すこと……十分ほどだろうか。モンキはべろべろに出来あがっていた。元々赤かった顔が更に赤くなっており、マーカーペンで塗りつぶしたみたいになっている。頭もふらふらと漂っているし、お猪口を持つ手も危ういので途中からアインが支えていた。それでも呑まれているのに飲ませる当たりコイツ鬼だ。

 

「んで、教えてくれよ。俺とお前の仲じゃないか」

 

 出会ってから一時間も経っていない相手によくもまあ言えたもんだ。

 

「うきゃ」

「ん」

「きゃきゃきゃ。うっきゃきゃ。きいいかかかか」

「ほうほう」

「きゃああああああああああきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃ!!! うきききっ!」

「………そう言うことだったのか。悪い、無理強いさせちまったな」

「きゃ!」

「ありがとう。こっからは俺達に任せときな。この―――」

 

 話はついたようで何より。組んでいた肩と腕を解いてアインがその場で立ち上がる。自然な動作でタオルを腰に巻いて盆の上に乗っていたとっくりを掴みとって一気に飲み干した。

 晩酌を好む母さん曰く「日本酒は割と度数が高いわ。ぐいっと煽っちゃったらあっという間に潰れるの。だからこうやってチビチビ飲むほうが美味しく頂けるってわけ。浴びる様に飲むのも嫌いじゃないんだけどね……」とのこと。

 

 さっきの久しぶり発言といい、美味そうに飲む姿といい、こいつ飲んだことあるな?

 

「―――うまい酒代ぐらいは働いてみせる。代金は頂いたぜ」

「うきゃ!」

 

 とっくりを返して、猿と拳を突き合わせる人間の姿は、傍から見れば非常にシュールだった。

 

 盆を湯から上げてタイルの上に置いたモンキはバシャリと派手に湯から上がり、千鳥足で盆を持ちながらふらふらと脱衣所の方へ去って行った。カタカタと載せているものが音を鳴らすが落とすことなく、片足で引き戸を開けて閉める動作はモンキの珍妙さを物語っている。

 

 ………よくわからん猿だった。

 

「で、彼は何と言っていたのかな? 調教師さん」

「女子が上がったら纏めて話す」

「ふーん………っておい!」

「んだよ」

「その傷……!」

「ああ、これ? 古傷だよ。見ての通り、痕が消えないくらい深くてデカイ傷さ」

 

 モンキが出て行った脱衣所から視線をアインへ移すと、まず目に入って来たのは体中にある傷の痕だった。

 

 斬り傷、刺し傷はなんとなくわかる。肩から脇へはしる線や、お腹にある少し縦長の線。他にも区別がつかない、どうすればこんな傷がつくのか、どうやってついたのか考えたくも無い痕が所々に見られた。腕にも、脚にも。きっと背中にもあるに違いない。

 

「勘の良いお前のことだ、付き合いもそこそこ長いし分かってんだろ? 俺はまっとうな生き方をしてきた人間じゃない」

 

 その言葉で思い出すのはまず一層のボス戦。アレだけの大きな敵はβテスター、特にビーターにとっては大した敵じゃないし、アレの見た目はマトモな部類だった。それでも死という可能性が目の前に迫っているあの状況で、コイツは怯える素振りなんて見せるどころか、あの極限のスリルを楽しんでいる風ですらあった。余裕が無かったからはっきりと見ていなかったが、確かに、笑っていたんだ。

 

 他にも思い当たる場面はある。槍を選んだくせして短剣――本人はナイフと呼ぶ――を必ず二本肌身離さず持ち歩いている。一度気分転換だと言って使ったことがあったが、あの時アインから感じたナニカは……そう、身体が竦むような嫌な感覚だった。取り扱いも玄人のモノだったことも覚えている。ぶっちゃけ短剣の方がコイツは強い。

 

 シノンとフィリアが絡まれていた時助けた時もそうだ。何の疑問も持たずに窓から飛び下りてするすると人垣を抜けたと思ったら自分と同じぐらいの相手を苦も無く放り投げた。その後の睨みが含んでいた威圧感も、ただ自分の大切な人が危機に遭っていたから、というだけでは絶対に出せない。

 

「日向で暮らせるような奴じゃないってことさ」

 

 以前とぼかした様な言い方だが、馬鹿でも分かる。

 

「そう、かよ……」

 

 それは、つまりはそういうこと。

 

 でも……。

 

「アイン」

「ん?」

「お前は、お前だろ?」

「ああ。俺は俺さ」

 

 アインはアインだ。それは変わらない。昔の色んな事があって、今がある。それに助けられた事なんて今まで数えきれないくらいあった。アインが日陰の人間だったからこそ、俺達はここまで来れたんだ。

 それに、コイツは俺の大切な親友で、仲間で、相棒だ。それだけ分かっていれば十分過ぎるぜ。

 

 互いに笑みを浮かべる。

 

「先に上がってる。上手そうなドリンクを街で仕入れていたんだ」

「俺の分、残しておいてくれよ」

「さあね」

 

 ザバンとモンキ同様に飛沫を散らしながら湯を出たアインは真っすぐ脱衣所へ消えた。

 

「はぁ……いい湯だ」

 

 ほっと息をついて身体から力を抜く。これでゆっくりと温泉を楽しめ―――

 

「………はぁ」

 

 ――ると、思ってたのになあ。

 

 《索敵》に引っかかったプレイヤーが三。場所は女湯と男湯を隔てる竹の壁と丁度被さっている。これは……ベッタリ貼りついているか、それとも………。

 

「……きゃっ」

 

 今のアスナの様に壁の上からこちらを覗いているかのどちらかだ。地面は破壊不可なので、地中に潜るという行動は却下。

 

 ……一つだけ言わせてほしい。

 

「逆じゃね?」

「知らないわよ!!」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

phase 24 浮遊城温泉同好会3

「さて」

 

 モンキという珍妙な……男の杯を交わした猿から得た情報はわりかし面白い内容だった。そして、この旅館が何らかのクエストに関係していることを確信した俺は、湯上りのメンバーを元の部屋に集めた。

 

「実は猿と仲良くなってな」

「ちょっと待って、出だしから飲み込めないんだけど?」

「情報を手に入れてきた」

「無視!?」

「アスナ、気持ちはわかるんだけどな、本当なんだよ。これが」

「えぇ……」

 

 それなりに面白い反応を見せてくれたので俺は満足である!

 

 ちなみに本当に何を言っているのかはわからないが、なんとなく伝えたいことを読み取るぐらいはできた。だからこれから話すこともデタラメなんかじゃない。

 

「これが思っていたよりも壮大なドラマでな……うぅ」

「え! 泣いた! どういうことキリト!?」

「俺もわからん!? どういうことだシノン!?」

「え? その出会った猿がとても辛い思いを今もし続けていることと、そこに至った経緯があまりにも悲惨すぎてユウは泣いていることもわからないの?」

「「「わかるか!!」」」

 

 ああ、そうだよなみんな。うちの嫁は最早読唇とかそんなレベルを超えた力を身に付け始めていることに、俺は恐怖しか感じていない。でもそれ以上に嬉しさがあるからそのままな。

 

「ここ数年の話だそうでな、どうやらこの旅館に一組の冒険者が現れたのが事の始まりらしい」

「え、そんなにあの猿話してたっけ?」

「いや。大半は俺の予測を元にしていく。あくまでも予測な。ただ、そこまで的外れなことでもないと思う」

「ふぅん。それで?」

「ああ。ちょっと長くなるぞ。

 とある冒険者達は、偶然見つけたこの旅館に立ち寄った。冒険者達は食料も尽きてぼろぼろの状態だったらしく、そんな人間を見過ごせなかった旅館の人間達は彼らを受け入れた。

 それから数日経つと、ようやく話ができる程度に回復した冒険者達の一人が自分たちの経緯を語った。彼らは村を失った難民で、安住の地を求めてここ数年旅を続けてきた。だが、どこへ行っても追い出され、少しずつ仲間は力尽きて死んでいったらしい。数年後、気づけばたったの五人にまで減っていた冒険者……いや、難民達は死を覚悟しつつも、死んだ仲間の命を無駄にしないために歩き続けてきたと言ったんだ。

 そこで旅館の人間達は話し合った結果、一先ず彼らが回復するまで旅館に置くことを決めた。まぁ、こんな話をされたら追い出すなんてできないよな。それから、住み込みで働くことを条件に、行き先を決めて準備が整うまでは養うこともな。大層感謝した難民達は、体調が戻った後、恩を返すように働いたんだ。

 いい話だろ?」

「そうね。そこまでは」

「確かにそうなるよね……」

 

いつになく長々と話したので、グラスに水を注いで一気に飲み干す。

 

「んじゃ、続きな。

 難民達がすっかり旅館の人間達と仲良くなった頃、難民の一人が素朴且つ重要な疑問を抱いた。それは、この旅館はどこにあるのか、ということだ。

 俺たちが体験した通り、ただフィールドをふらふら歩いただけじゃ中々見つからないこいつは、瞬間移動をするように各地を転々としている。丸一日旅館の中で働いていると仕事で忙殺されるから気づくことはあまりないんだが、この難民は毎晩星を眺めては故郷に思いを馳せていたらしく、昨日と今日で星の位置が大きく違うことでようやく気付いたそうだ。

 直接女将へ聞きに行った難民の一人は、そこでようやくこの旅館のシステムを理解した。

 元を辿れば、女将の家系は今では滅びた魔法使いで、この旅館は遠い祖先が残したものだという。何代も前に魔法使いとしての力を失っているため、細かな部分でどうなっているのかはわからない。例えば、どうやって瞬間移動しているのか、とか。移動するのにどこから湯を引いているのかとか。

 噂として広まっているため、他の冒険者や貴族達が一度は行ってみたい場所として有名であり、泊まって帰ればまた来ようとリピーターになる。知る人のみぞ知る、というほど秘匿されたものじゃないが、秘密の旅館なんだよ。

 特に隠すようなことではないと女将が言ったこともあって、難民は他の難民へこの事実を伝えた。

 そこで難民達はこう考えた。ここで働いていれば、いつか生き別れた同胞にも会えるんじゃないか? って。だから、それからは今まで以上に仕事に精を出して取り組んだ」

 

 シノンが空いたグラスに水を入れてくれたので、一言礼を言ってまた一気に飲む。何時かの山岳エリアで手に入れた水はやっぱ水道とは違うな。

 

「質問なんだけど……その難民の人たちってみんな死んじゃって、残ったのは旅館へたどり着いた五人だけじゃなかったっけ?」

「アスナの質問にはフィリアが答えてくれるぞ」

「え? 私?」

「うん。私」

「えぇ……まぁ、多分だけど、難民達は村を失ってから移動をしたんだろうけど、そこで幾つかのグループに分かれたんじゃないかな? 例えば東西南北の四つに、とか」

「なるほどー」

「ま、そういうこと。旅館にたどり着いた難民達は、その数ある中の一つのグループってことさ。流石にどれだけグループがあるのかはわからんが……途中で分岐するところもあるだろうし。ま、全部嘘なんだけどな!」

「「「は!?」」」「ああ、やっぱり」

 

 俺が最後に付け加えたことに対して、シノン以外は目を丸くさせた。

 

「う、嘘って……どういうことよ? 私の涙返してくれない?」

「いや、これくらいで泣いてるほうが笑えるんだが」

「いいじゃない! それよりも、全部嘘って?」

「ちゃんと言うから。

 俺が言った全部ってのは、難民達のことだ。そもそも難民じゃなくて、ただ略奪して好き放題する犯罪者だったんだよ。連中の次のターゲットが、この旅館だった。それだけだ。働くふりをして仕組みを把握し、周囲の信頼を得て、動きやすくするための準備だったってことさ」

「そんな……!」

「まず、毎晩の星の位置を確認して、一定の間隔で決められた場所に瞬間移動することを突き止めた連中は、他にも活動していた仲間たちを呼び寄せるために、転移結晶を使って一晩だけ旅館を抜け出た。そこで手筈をすべて伝えて戻り、来る日を待ち続けた。もちろん、誠意ある態度を振りまいてな。

 そして、予定の日、予定通り賊は旅館に攻め入って、あっという間に占拠した。その時間はまだほんの一部の人間しか起きておらず、迎え撃つこともできなかったらしい。

 賊は若い女や子供たち、そして代々受け継がれてきた家宝やこの旅館すらも人質として手に取った。今でもこの旅館を根城にして、豪勢の限りを尽くしているんだとさ」

「……ということは、立ち入り禁止のフロアの正体はその賊たちのいる場所ってことになるのか」

「酷い話ね」

「そうだな。クエスト云々に関わらず俺は助けてあげたいと思うんだが……キリト」

「ああ、いこう」

「決まりだ」

 

 

 

 

 

 

 *********

 

 

 

 

 

 ―旅館十三階―

 

 間の階層はダメだが、この最上階は良いらしい。俺が賊なら此処こそ自分の縄張りにするものなんだが……。まぁ、女将が良いと言うなら良いんだろう。ありがたく使わせてもらうことにする。

 

 この十三階はそんなに広くない。周りがよく見える、と言ってもベランダと下の階の屋根に出られるだけで、この階は物置扱いになっていた。相変わらず微妙に世界観を壊しかねない文明の機器、エレベータで一気に登ってドアが開いたときは場所を間違えたかと思ったぞ。

 

 しかしまぁ、綺麗だ。これもこの旅館ならではかもしれない。

 

 できることならシノンと一緒に見たかったが、今現在の俺は一人だ。これには理由がある。

 

『上に上がれない?』

『ああ。上がろうと階段を探していたんだが、無かった。ただ、天井にそれらしい隙間があるのを見つけたからないわけではないと思う。開閉のスイッチがあるはずだ。まずはそれを押す』

『場所の検討はついているの?』

『こういうのは上か下かって相場が決まってんだよ』

 

 ということで上に来た。下も探したくはあるが、この旅館の仕組み的に地下は存在しない。ちょっと悲しい。

 

 俺一人で行くことにシノンは猛反対したが、時間がなかったし、これからやることを考えるとシノンと言わず誰も連れていけない。スイッチの場所は大体聞いてるとか、危ないことはしないとか、色々と説き伏せてなんとかお許しを頂いた。俺が折れないことをわかったから、自分が引き下がったんだと思う。いい女だ。

 

 下を見る。手すりを越えれば十二階の瓦の屋根に乗ることができた。

 

 階段が使えないので、上から下へ降りていく。各階を虱潰しに探していけばさすがに見つかるだろ。

 

「よっ」

 

 屋根先に足をかけてぶら下がる。天地逆転した視界の中では、天井を歩いたり寝転がったり酒を煽ったり………。旅館の従業員には到底見えないし、酒盛りをしている宿泊客と呼ぶには貧相な格好過ぎる。

 

 間違いない。あれが賊だ。

 

 さて、どうするか……。

 

「おい? なんか月が欠けてないか?」

「んあ? ホントだな」

「えらく不自然な気もするが……」

「てか今日は半月の日じゃねぇぞ?」

 

 あ、まずい。まさか月と被るとは。しかも連中は天体に詳しいことも知ってたのに。

 

 こりゃあ、穏便に済ますのは無理だな。

 

 屋根の骨組みを両手で掴み、屋根にかけていた足を下ろして、犬のお座りのように張り付いた。そして手を離すと同時に目一杯の力を両足に込めてで蹴る。

 

 一瞬後には、かん高い音とガラスを撒き散らしながら、フロアに侵入していた。

 

 床には散らばった料理や酒に混ざって、砕けた大小の窓ガラスが一面に飛散する。窓際で屋根にぶら下がる俺を見ていた数人は大きな破片が刺さって苦しんでおり、その周囲は飛び込んできた俺とを交互に見ているばかりで状況を把握しきれていない様子だ。

 

 背負った槍を引き抜いて構えを取る。

 

「抑え―――」

「遅ぇ」

 

 柄を握る右手だけで振り回すようにその場で一回転。スキルの恩恵と、現武器が他に比べて長いからこそ活きる単発全周囲攻撃《サイコロール》。

 通常のソードスキルとは違って、コイツは穂先より更に五十センチ程を発光の光で、攻撃範囲を本来の武器よりも延長する。魔法の概念がないプレイヤー側にとって、リーチが伸びるというのは異常なことであるのは言うまでもない。

 故に槍使いの間ですら、名前のサイコにちなんでキチガイ技と言われている。現状、武器以上のリーチが発生するのはこれだけだ。

 

 動き出した少し後ろの連中と、すぐ傍にいた数人を一気に刈り取る。耐久値が相当低く設定されているのか、たったの一発で、範囲内にいた殆どが両断されて結晶と化した。

 

 スキル硬直の時間が発生し、解けたところで直ぐにまた槍を振るう。時間は与えない。こっちも人を待たせているし、今日は日帰りの温泉旅行(?)だしな。手早く済ませたいところだ。

 

 向かってくる連中も、棒立ちになってるやつも、逃げようとわたわた慌てていようが関係ない。誰であろうがそこにいれば斬り伏せた。青のポリゴンが雫のように飛び散っては雪のように解けて消えていく。

 

 ……倒すよりも捕まえて吐かせた方が早いかな?

 

「野郎!」

「かかれ! 生きて返すんじゃねえぞ!」

「頭に突き出してやらぁ!」

「ベタなセリフをありがとよ」

 

 さらに飛び込んできた三人の短剣使い。

 

「うごっ!」

 

 一人目の喉に槍を突き立てて切り上げ、顎から頭までを切り裂いた。

 

「      」

 

 返す刃で呆然と一人目を見ていた二人目の首を刎ねる。

 

 どれだけ深く切りつけようと普段なら耐久値がある限りは、余程攻撃力と防御力に差がない限り切断は起きないはずなんだが……どんだけ弱いんだこいつら。ここまでサクサク斬れ過ぎると、楽しくなっちまうだろうが。なんか、こう、キリトに紹介された人をバッサバッサ倒すあのなんたら無双っていうゲームみたいだ。

 

 構えをもう一度とって、一足遅れてきた三人目を捕らえようと槍を振ったところで気づいた。

 

 三人目の頭上には、緑色のアイコンと、それを覆うような半円の緑色のバー。

 

 こいつは……プレイヤーだ。

 

 難なく俺の槍を捌いた三人目は一気に懐へ入り込もうと更に姿勢を低くとった。すぐさま振り上げられる短剣。

 

「ちっ」

 

 払われた時点で槍から手を離した左手で短剣の腹を殴りつけて逸らし、お返しにとオレンジに光る左足で三人目の右ほおを思い切り蹴りつけて、壁まで吹き飛ばした。体術スキル《シュート》。多分これを考えたヤツはサッカー好きに違いない。

 

 ぴぴっ。

 

 案の定、俺のアイコンが数回明滅すると緑からオレンジへと色を変えた。

 

 緑色のアイコンが通常であり、それがオレンジ色に変わると、プレイヤーはシステムから犯罪者として扱われることになる。

 

 つまり、今日から数日間俺は犯罪者ってことだ。町に入れないし、フィールドやダンジョンで何をされようと文句は言えなくない。

 

 解除には数日という時間をかけるか、贖罪クエストをクリアするかのどっちかなんだが……終わってからにするか。街に入れないだけだし、大したことじゃあない。

 

「やってくれんじゃねえかよ、ええ?」

「自業自得だろ?」

「……お前、《エンブリオン》のアインだな?」

「それが?」

「頭へのいい手土産になるなって思ってたところさ。これで俺も幹部になれる」

「幹部、ねぇ」

 

 ただの雑魚の群れだと思っていたんだが、何やらどっかのギルドまで関わってるっぽいな。こりゃ思っていたよりも面倒なことになりそうだぞ。

 

「お前、下の階をつなぐ階段のスイッチがどこにあるか知りたいんだろ?」

「ああ。教えてくれるのか?」

「俺に勝てたらな!」

「随分と気前がいいじゃないか」

 

 三人目の短剣に色が燈る。数メートル離れたこの距離で発動させるってことは突進系だな。

 

「バカなヤツだ」

「く、か…ぁっ」

 

 そういうのは短剣じゃなくて両手剣や両手斧、突撃槍(ランス)がやることなんだよ。たとえその武器であってもこういった一対一じゃ絶対にやらないけどな。自分で手の内をさらす上に、使用後の硬直が出るソードスキルは対人戦じゃ不向き。

 

 突き技で仕掛けてきたところを余裕をもって避けて、がら空きの腹をけり上げて天井コース。背中を打たれて落ちてきた身体を今度は踏みつけた。

 

 ずぶの素人ってわけか。

 

「さて、どこにあるのか教えてくれるんだろうな?」

「だ、誰が……」

「いい度胸だ、気に入った、ぜ!」

「あああああああああああっ!」

 

 背中を押さえていた右足を持ち上げて、今度は思い切り頭を踏みつける。ブーツの少し尖った鋲付の踵が刺さるように。

 

「んで、どこにあるんだ?」

「し、しらねぇ」

「おっと足が滑っちまった」

 

 今度は三割増しだ。さっきの六割増しで悲鳴が足元から響く。

 

 やかましいので槍を目の前に突き立てる。しゃっくりのようにひくつく声がしてそれは止んだ。

 

「悪い悪い、あまりにもクソ犬がうるさいもんだから槍を落としちまったよ。いやぁ、怪我がなくて何よりだ」

「あ、っく……!」

「ところでお前の耐久値やばいぞ?」

「!?」

 

 モロに顔面へ体術スキルの一撃。カウンターの蹴り上げに、踏みつけを数回。現在俺が与えたダメージなんてそんなものだが、レベル差に加えて短剣を使っていることから防御力がそもそも低いはずだ。紙のような耐久力だろう。むしろよく耐えたな。いや、俺の手加減がうまかったからか?

 

 三人目の緑のバーはこの数分間であっという間に赤に変わっていた。その割合、恐らく三パーセントぐらい。

 

 もしこの槍が肩をかすめていたのなら、それだけでこのプレイヤーは耐久値がゼロになっていたはずだ。それはつまり、死ぬこと。さっきまでの雑魚とは大きく違う、現実の自分が死ぬってことだ。

 

「さて、そろそろ何か言いたくなるころじゃないか? ついでに言うならベルトのアイテムポーチが一杯でさ、ポーションが余ってんだよ」

「………だ」

「ん?」

 

 カタカタと震えながら動いた左腕は俺が飛び込んできた窓とは反対の方向を指していた。

 

「ここをまっすぐ行くと、下の階に繋がる階段がある。降りてすぐ右手にある部屋が管理室で、そこにある、はずだ」

「そのどこにある」

「中には、入ったことがないからそこまでは分からない。でも、他にそういう部屋があるところはないから、きっとそこにあるはずだ」

「そうかい」

 

 それだけ聞ければ十分だ。頭を踏みつけていた足をどけて、ポーチからポーションを取り出して床へ放る。

 

「ハァハァ…!」

 

 緊張から解放された短剣使いはそれを掴むと、栓を放り投げて酒瓶を一気飲みするようにビン底を天井に向けて飲み干した。

 

「あ、悪い。それポーションじゃなくて剣の刃に塗る毒だったわ」

「!?」

 

 ぎょっとした顔で俺を見る短剣使い。頭上のアイコンが毒状態を示す紫のアイコンに包まれる。ダメージが入るのはおよそ十秒ごとに最大耐久値の三パーセント程度。

 

「どうだ? 今まで自分達が殺してきたプレイヤーの様に死ぬ感覚はよ、《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》」

「てめっ……!」

「それが、死ぬってことで、人を殺すってことだぜ」

「畜生がぁぁぁあああああ――――――

 

 その叫びは最後まで続くことなく、死を告げる破片が砕け散る音に吸い込まれていった。

 

 周りにいたはずの賊たちはいつの間にか一人残らず消え去っていた。逃げてくれて助かる。手間が省けた。

 

 特に感傷も何もない。何せアレは敵で、そこらの敵と同じようにこっちを殺そうと襲ってきたんだ。俺は死にたくはない。だが相手は引いてくれない。逃げられてもそれはそれで困る。

 

 ならどうする?

 

 殺すしかない。

 

 他にやり方はあるんだろう。捕まえて気絶でもさせれば少なくとも殺すよりはいいかもしれない。持って帰って軍の連中に押し付ければアジトを吐く可能性だってあった。

 

 だが生憎と俺はこれ以外の方法は知らないんでね。シノン達がいなくて助かったよ、ホント。

 

「行くか」

 

 とりあえず手に入れた情報通りに指で指していた方向へ走る。階段はすぐに見つかって、そのまま駆け下るとこれまた言っていた通り右手に部屋が見つかった。

 

 中は和風を残しつつ機械的で、無人だった。基本的に全自動らしく、人が管理する必要は無さそうだ。必要な時だけ動かして、戻すんだろう。

 

 ずらりと並んだボタンやらレバーをチェックしていく。すると、一つだけ向きの違うレバーがあった。違和感ありすぎる。多分これだろ。

 

「よっと」

 

 考えもせずにぐいっと引く。するとズズズズと振動が伝わってくると同時にメールが届いた。キリトから、階段が現れた、とのことだった。ビンゴ。

 

 さて、俺は階段を降りつつ賊どもを追い払いつつ旅館の人を助けていくとしようかな。

 

 のんきに鼻歌を歌いながら振り返ると、剣をぶら下げるように持つ一人の男が佇んでいた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

phase 25 浮遊城温泉同好会4

お久しぶりです。


 待つこと約三十分程。部屋が揺れた。正確にはこの部屋の天井のとある一部が、だが。

 

「アインがやってくれたんだな」

 

 相変わらず仕事の早い奴だ。探すのに時間がかかると思っていたんだが……。

 

 メールを送って階段が現れた事を連絡し、上の階へと足を進める。

 

「キリト」

「どうしたシノン?」

「どう此処を攻略するつもり?」

「そうだなぁ……」

 

 俺達の目的は、この旅館を助けることだ。

 

 助けるということはつまり、旅館で働いていた人達を解放して、居座り続ける賊を追い出すこと。どちらか片方ではなく、両方を達成しないことには成功とは言えない。

 

 依頼されたクエストじゃないが、この手のやつは別にRPGでは珍しくはない。二つのチームに別れて同時進行するか、一つずつ目標をクリアするか、だ。

 

 適当なゲームなら二手に別れるんだが、生憎と命懸けのSAOで命の安全が保証されない別行動は死亡フラグしか立たない。それどころか、場所によっては一チームで行動しても全滅する可能性がある。

 

「一つずつ、確実にフロアを攻略しようと思う。安全だし、確実だ」

「そうね……」

 

 そんなことはわかっている、と言いたげなシノンの視線が痛い。

 

 俺が「思う」と言葉を少し濁したのは理由がある。

 

 別行動を諦められないのは、この旅館の大きさと先行したアインの存在があるからだ。

 

 まず、この旅館だが………めちゃくちゃ広い。各層に幾つかのダンジョンが点在するが、そこらと比較しても広い。一階層が広いことに加えて、それが約十もあるのだ。しかも目的が目的なので、隅々まで見て回る必要があり見逃すこともできない。全部探索するとなればかなりの時間がかかる。正直二手どころか単独で回りたい気分だ。

 

 そして、先行したアインは一人だ。ゲームという枠組みを超えた力を持っていることを理解はしてるけど、それは必ず生きて帰れることを証明するものにはならない。一人だけでも連れて行ってくれればあまり考えなくても良かったんだけどな……。

 

 む、よし。

 

「アインには下に降りてきてもらおう。そんでもって合流する」

「別れるの?」

「それはその時に考えよう。そもそもアインが上の階に一人で行ったのは上の階へ上がれるようにするためだったんだ。目的は達成してるんだから、そのまま危険な一人旅をする必要もないだろ」

「……そうね」

 

 多分、シノンとしては早くアインとあって無事なことを確かめたいんだろう。その為なら、最悪一人で上の階まで駆け上がることも平気でやりそうだ。それをやられると今度はシノンまで危険になるし、後でアインからこってり絞られるので何としても避けたかったってわけさ。中々の妥協案だろ?

 

「シノンはメールをアインに打ってくれ。フレンド機能使って合流してくれってさ。それが終わったら、この四階から上に上がって行こう」

「分かったわ」

 

 シノンが右手を縦に振ってメニューウインドウを開く。横目で確認しながら、俺はどう階を攻略していくかを考えていた。

 

 圧倒的に広いと言っても、所詮は旅館でしかない。トラップの存在は怪しい所だが、通常のダンジョンのように入り組んでいたりはしていないだろう。等間隔に部屋があり、規則的な構造をしているはずだ。ただし、手間がかかる。

 

 幸いなことに、マッピングは出来るようだし、苦労するのは四階だけで済みそうだ。

 

「……みんな。メニューを開いて」

 

 ただし――

 

「どうしたんだ?」

「いいから」

「わかったよ……」

「あっ」

「うそ……!」

「……シノン、これは」

「ええ。私たち、結構厄介なことに首を突っ込んだみたいよ。ユウのマーカーがオレンジになってる」

「攻撃せざるを得ないプレイヤーが、いるってことか」

 

 ――別の問題は、楽に済まなさそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〓〓〓〓〓〓〓〓〓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 反射的に動いた右手が、背中の槍じゃなくて腰のナイフを引き抜いて攻撃を防いでいた。

 

 眼前に迫る黒い外套にフードを目深に被った、タトゥーの走る左頬。俺の首を狩ろうと振るわれたのは、肉厚で無骨な包丁。恐らくは短剣に分類されるであろうその武器のリーチは片手剣に近い。

 

 俺に気づかせない気配の消し方と、素早い踏み込みに重い一撃、そして再び距離を取る勘の良さ。

 

 ゲームのステータスは高く、纏う雰囲気はゲームだけで培えるものでは無い。

 

 血の臭いだ。こいつは、猛烈に臭ぇ。

 

「随分な挨拶じゃねえか、フード野郎」

「あぁ? Coolの間違いだろう?」

「そう例えるならRockと言うね、俺は」

 

 拔いたナイフを腰のホルダーに納めて腕を組む。

 

「で、何のようだ? 殺し屋」

「それはこっちのセリフだぜ、殺人犯。ウチのメンバー殺りやがった上に、土足で上がり込んでんだからよ」

「こりゃ失敬」

 

 ………土足で上がり込んだ、ね。一番にこの層に上がってきて、フィールドもかなり練り歩いてここにたどり着いたんだが、まさか先客がいたとは。

 

「なら直ぐに去ることにする、じゃあな」

 

 こんな奴がゴロゴロいるんじゃあやってられるか。助けてやりたい気持ちはあるけど、流石に無理だ。早く離れるべきだし、レッドに相当するプレイヤーがいると軍の連中にでも情報を売っちまおう。

 

 手をひらひらと振りながら横をすり抜ける。横目でフードの中身を拝見しようとしてみたが、かなり深く被っていて見えなかった。

 

 だが、首筋に見慣れたマークが見えた。

 

 棺桶の蓋を少しずらして、中身が笑いながら腕を放り出している、不気味でありこのゲームに於いて不吉の象徴。

 

 笑う棺桶のタトゥー。

 

 それに、これだけの力を持っているってことは……幹部かそれ以上のプレイヤーだ。

 

 ………いや、もしかしたら。

 

「二度と会わないことを祈ってるぜ」

「奇遇だな、俺も会いたかねぇ」

 

 ひゅっ、と風を切る音が真横から。

 

 今度はわかりきっていたので、槍を抜いて払う。

 

「殺すわ」

 

 フード野郎は腰を落として走り出す体勢を作った。肉厚包丁をぶらりと下げ、しかし握る力は弱めることなく、確実に俺の命を叩き斬ってくる。

 

 かろうじて見える口元が、愉悦に歪む様を見て確信した。

 

 ……こいつは、楽しんでやがる。

 

 これが普通のゲームなら気にする必要もなかっただろう。プレイスタイルに一々突っ込んでいちゃキリがないし、目に余る様なら多くのプレイヤーが不満を募らせて、運営が対処して終わる。

 

 が、SAOは仮想の現実だ。負ければ人としての死を迎える。だから武器を取って戦う。ここには法律なんてない、警察のような連中もおらず、そもそも国家ではない。所詮、寄せ集めの人間達が必死に生きようとしているだけだ。

 

 そんな世界の中で、こいつは心底こいつなりにこのゲームを楽しんでいる。気ままに狩り、レベルを上げ、モンスターやライバルプレイヤーと戦いあい、命を懸けて殺し合う。

 

 それも一つのプレイスタイルだろう。否定はできない。

 

 いや、プレイスタイルというかなんというか……もはや生き方だ。きっと殺し合いにずっと身を置いてきたんだろう。今の平和な日本は喧嘩するだけでお縄につくんだ、ストレスがあったのかもしれないな。

 

「そいつは勘弁だな。こりゃもう殺すしかねえわな、うん」

 

 しかし、止めなければならない。そして俺もストレスは感じていたぜ。

 

 プレイヤーを殺していくコイツは、見方を変えればモンスターの仲間だ。敵だ。

 

 だったらやることは一つしかないだろ?

 

 自分を納得させるように言葉を反芻して、握った槍を突き出す。

 

「シッ!」

「シャアァ!!」

 

 肉厚包丁で払われ、突進した勢いで肉薄する。

 

 上から振りかかった包丁の一撃を、槍の払いで弾いて石突で喉元を突いた。フード野郎は膝を曲げて回避、かろうじて首を掠めたおかげで体勢をずらせたので、もう一度払うことで敵を遠ざけ、距離を取る。

 

 大きく飛びのいたフード野郎へ追い打ちをかけるように、投擲スキルを使って投擲用ナイフを投げつけた。まるでそう来るかと分かっていたように、顔も上げずに肉厚包丁を一閃してナイフを叩き落とす。かなりの力を持っているようで、ナイフはたったの一撃で砕けてしまった。

 

 軽いフットワーク、人間離れした力と、獣のような直感に、死線をいくつも乗り越えてきた経験。それらをすべて兼ね備えた、SAOトッププレイヤーであり殺人者。か。

 

 楽に片づけられる相手ではないと再認識して、頭のスイッチを切り替えた。

 

 ガチン。

 

 ……よし、やるか。

 

「さぁて……」

「~~~♪ やりゃあ出来んじゃねえかよ」

 

 ムカつく口笛だな。いいさ、今すぐその口を削ぎ落して喉をかっ裂いてやる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〓〓〓〓〓〓〓〓〓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ユウにメールを送信してからおよそ十五分ほど。四階の探索を終えた私たちは、途中で見つけた五階へ上がる階段へと戻っている所だった。

 

 かなりこの旅館は広かったけど、探索にはそこまでの時間を要しなかった。よーく考えてみると、旅館が広いのはいくつもの部屋を抱えているからであって、廊下はそこまで長くはない。一部屋一部屋を開けて回るのは面倒だったけれど、敵も出ず楽に一週出来ると思えば全然マシだ。

 

 返信が無いことを確認してから階段に脚をかけて五階へ。やはりというか、四階と同じような間取り。ここ数階は宿泊用の部屋が集まっているみたいね。

 

「なあ、アインからの連絡は来ないのか?」

「無いわ」

「なんでかしら……四階へ上がる階段はもう下ろしたんだから、連絡ぐらい寄越してくれたっていいじゃない」

「アスナ。ユウは送らないんじゃなくて、送れないのよ」

「オレンジになったのは分かってるけど、アイン程のプレイヤーならとっくに相手を負かしてそうだよね」

「うんうん。この間のデュエル大会も、結局はキリト君とアイン君の決勝戦になったし」

 

 あぁ、それはそうかも。

 

 一層の頃から頭角を現していたユウとキリト、アスナのチームはとにかく知名度が高かった。レイドを率いたプレイヤーに変わって、一層のボスを仕留めたそうだ。加えてビーターという言葉が生まれた原因、元祖ビーターとでも言えばいいのか……良い意味でも悪い意味でも目立ってきた。私とフィリアという仲間も加わり、ギルド結成の際は新聞の一面を飾ったこともあるし、ユウとの結婚イベントをクリアしたこともあり、私達を知らないプレイヤーなんていないと言っても過言じゃない。

 

 知名度もあるし、それを裏付けるだけの実力も備えている。驕りがあるわけでもないし、威張ったことも無いけれど、囁かれることも道を譲られることも少なくない。それが今のアインクラッドでの私達だ。逃げられることもしばしば。

 

 そんなユウが、オレンジにならなければならない相手がいる。もしくはそういう状況になってしまった。

 

 つまり、ボスと同等かそれ以上に危険に違いないのだ。ここは。

 

「そう思いたいのはわかるけど、偶然でそんなことあると思う?」

「そうだなぁ……一緒にバカやるけど、結構しっかりしてるよな。シノンの言うとおり、うっかり槍の穂先で突っついたとかは無いと思う。アイツの事に関しては、シノンの言うことをとりあえず聞いといた方がいいんじゃないか?」

「う……確かに。無言で語り合うくらいだし」

「だろ?」

「納得の仕方に釈然としないのだけど?」

「気のせいさ」

「ふうん。そういうことにしておくわ」

 

 あなた達が私のことをどう思っているのかはよくわかったけれど、今すべきことはそれじゃない。危険の真っただ中にユウがいるのに、私が傍に居ないわけにはいかないもの。

 

 急いで旅館を捜索して、旅館の人を助けつつ賊を追い払う。そしてユウと合流する。ササッと帰って寝る。よし。

 

 右手には旅館の壁があり、正面には六階へ上がる階段、左を向けば客室がずらりと並んでいる。

 

「さ、行くわよ」

「待ってくれシノン」

 

 探索の為に踏み出した脚を、キリトの制止で踏み留める。キリトは私よりも大きく一歩を踏み出して、だらりと下げた左手で私を阻み、右手で背中の剣を抜こうと柄を握っていた。

 

 ギルドで最も高い索敵スキルを持つキリトが、警戒の姿勢を見せている。

 

「ようやくお出ましって事?」

「みたいだな。結構な数だぞ………四十はいるな」

「一人十人もこんな場所で相手には出来ないと思うんだけど?」

「キリト君、階段を使おうよ」

「うーん……そうだな、アスナに賛成だ。俺が殿を務めるから、フィリア、シノン、アスナの順番で六階に上がってくれ。踊り場の安全が確保できたら、フィリアには俺と後退して後ろの足止めを頼む。俺が先頭に立って索敵をを続けるから、それでアインを見つけよう」

「旅館の人はどうする?」

「今は無視しよう。アインとの合流を最優先にして、助けに行くこと。アイツから色々と聞いてからだな」

「うん」

 

 話を終えると同時に、廊下の奥がきらりと光った。何の光りなのかを一瞬で察した俺は慌てて両手で一本ずつのピックを投擲、シノンの投擲用ナイフと合わせて四本をその光へ向かって投げる。キン、と金属がぶつかり合う音が数回した後に、それが地面へ落ちる音が階へ響く。

 

 床には見慣れた二本ずつのピックとナイフ、そして見慣れないナイフが六本。

 

 続いて聞こえてくるのは床板を荒々しく踏んで走り回る足音。それもだんだん大きくなってくる。

 

 視線で合図をして、三人を先に行かせて自分は剣を抜いた。しゃりん、という鞘を走る音を鳴らして、そのまま力を込めて振り下ろす。真っ先に飛び込んできた影――明らかに賊っぽい男がすっぱりと両断されて床に伏せった。

 

「………こいつらは、NPCか何かだな」

 

 流石に一撃でHPがゼロになるとは思わなかったけど。これだけ弱いプレイヤーがここまで来れるはずは無いし、斬った俺がオレンジになっていない事がその証明だ。

 

 恐らく、大多数の雑魚にまぎれて、熟練のプレイヤーがいるに違いない。

 

「みんな! 襲ってくる奴のアイコンに気を配れよ! 殆どはNPCだけど、プレイヤーが混じっているかもしれない!」

「分かった。伝えておくね」

 

 先に行ったフィリアとシノンには聞こえなかったらしい。アスナが伝言してくれるならそれでいいか。前に集中できる。

 

 今度は三人同時に襲いかかって来た。斧が二……突撃槍(ランス)が一。

 

「よっと」

 

 右脚を振りあげて、ランスの穂先を踏みつけて、そのまま足場にしてランス使いを斬りつける。後ろから顔と半身を覗かせた斧使いの胸に剣を突き刺し、柄を握る力を強めて突き刺したまま振り抜き、二人目の斧使いもろとも両断した。

 

「数が居ても、これじゃあな……」

 

 この場は楽に済ませることが出来そ―――うにもないな。うん。

 

「キリト君! 上でプレイヤーが! しかも―――」

「分かってる。ラフコフの連中だろ?」

「え、ええ……」

「気をつけろよアスナ。そこの柱の陰に、いるぜ」

「!?」

 

 見えないが、確実にそこにいる。索敵スキルだけじゃない、とても嫌な感じがしたからこそ気付くことが出来た。こんなところでこんなことをやる奴らなんて、連中ぐらいしかいない。

 

 笑う棺桶。イカレ野郎共の殺人ギルド。

 

 まいったなぁ。のんびり帰りたかったんだけど。ていうかコイツらとだけは関わりたくなかった。

 

「………よく」

 

 ガサガサと音を立てながら、柱から現れたのは、まるで人間の骸骨の面を被ったような不気味な男だった。面と言うよりは、実際に白骨化した死体の顔を貼りつけたような感じだ。口の部分と耳だけが唯一見える素肌で、首から下はボロ切れや防具で黒一色に染まっていた。そのお陰で、骸骨の目に当たる部分の赤がより不気味に見える。

 

「……よく、気付いたな」

 

 カラカラのかすれた、しかしはっきりと聞き取れる声で奴は話しかけてきた。

 

「噂どおりだ。これは、期待できる」

「俺はそこまで期待されるような奴じゃないけどな」

「それは、これから、確かめる」

 

 奴……赤目の男が腰から引き抜いたのは刺突剣(エストック)。俺の片手剣が斬撃寄りの剣、アスナの細剣が刺突寄りの剣だとするなら、この刺突剣は突きのみに特化した剣だ。

 

 つまり、刺突剣には突きしか攻撃の手段は無い。言いかえれば突きの攻撃しか来ないとはっきり分かる。また別の言い方をするのなら、それだけ自分の技量に自信があるということ。恐らくコイツの実力は、アスナと同等かそれ以上だな。

 

「アスナ。コイツは俺が引き受ける。用があるみたいだしな」

「うん。他は任せて」

「頼む」

 

 ……きっとアインとシノンなら、このくらいは何も言わなくても分かるんだろうな。なんて場違いなことを頭の中から押し出して、柄を強く握った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〓〓〓〓〓〓〓〓〓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「シノン。キリトは?」

「………上がって来ないわね。もしかしたら、下にもいるのかもしれないわ」

「ああ、なんかそれっぽい」

 

 キリトの指示で先に上がった私達は少々ピンチだった。見わたす限りザコNPCばかりで囲まれている。弱いということは分かっていても、大の男から武器を持って迫られると流石に不安にもなるでしょう?

 

 キリトが戻って来ない以上下に行くわけにもいかないし、私達だけで上の階に行ってしまうと確実に分断される。

 

「粘るしかないよね」

「そうね……」

 

 壁になるなんて、私達本来の役割じゃないけれど、そうも言ってられない。というかウチのギルドには壁役がそもそも居ないし。男二人は避けてナンボのステータス構成だからさ……うん。

 

 欲しいわね、壁。

 

「はぁ」

「どうしたの?」

「なんでもない」

 

 観念して短剣を抜き、構える。ナイフの出し惜しみは無しだ。フィリアもポーチに手を伸ばしている。警戒していたアスナは細剣を既に抜いていた。

 

 そして視線が……なぜか胸へ。

 

 ユウから少しくらいはフィリアの事を聞いている。一回だけ兄とも読んでいたし、ユウと同い年の私より年下であることは間違いない。

 

 にもかかわらず、服を押し上げるソレは私よりも大きい。

 

 アスナに至っては、立派すぎて見ていられない。

 

 ………。

 

 やっぱりいらないわ、壁。

 

「シノン、視線が痛いんだけど………」

「気のせいよ」

 

 この恨みは、そこいらのザコ共にでも………そう、あの短剣使いと……か…………。

 

「あいつ……!」

「どうしたの?」

「ほら、あそこ見て」

「…………あっ!?」

 

 じりじりとにじり寄ってくる連中の中には、見知った顔の男が一人いた。

 

「いよう」

 

 第二層で私とフィリアに絡んできた、あの片手剣使い。目深にかぶったフードでよく見えなかったけど、間違いない。

 

「エンブリオンの……シノンとフィリア、か。奴は居ねえのかよ。ちっ、まぁたヘッドに獲物奪われちまった」

 

 ナイフをクルクルと手の中で遊ばせている。カーソルはオレンジ、手の甲には……棺桶から覗く白骨の腕と不気味な笑み。

 

 笑う棺桶。コイツ……犯罪者ギルドのメンバーだったのね。

 

「アスナ、キリトにラフコフがいるって伝えてほしいの」

「……直ぐ戻ってくるから」

 

 一歩二歩と前を向いたまま後ずさり、下へ続く階段の手前で反転して段差を無視して飛び下りて行った。

 

「ずっとてめえらをぶっ殺してやりたかったんだぜぇ! そりゃあもう大恥かいたんだからなァ!!」

「アンタの自業自得よ」

「そのスカした態度、何時まで続くか楽しみだぁっひひ」

 

 べろりと自分の短剣を舐めてニヤつくフード男。

 

「アンタ、名前は?」

「へぇ? 気になるのかい?」

「そうね。自分が倒したレッドがどれくらいのプレイヤーだったのか、気になるじゃない?」

「クソガキが………まあいい、メイドの土産ってやつだ、教えてやるよ」

 

 懐から取り出したのは、一部分だけくりぬかれた黒い布の袋。それをフードをかぶっていながら頭にかぶると言う器用なマネをしてフードを下ろした。くりぬかれた部分から目が現れ、それ以外は全て包まれている。まるで舞台に出てくる黒子の様だ。

 

「ジョニーブラック様だ。よぉーく覚えとくんだな」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

phase 26 浮遊城温泉同好会5

 あぁ、いつ以来だろう……こんなにも自分を忘れたのは。少なくとも、日本に来てからは一度も無かったな。我慢していたわけじゃ無いんだが……知らないところで溜まっていたのかもしれない。

 

 非常に……非常に懐かしい気分だ。

 

 血が吹き出すことも無ければ、肉を斬り裂いた感覚も無い。ただの赤いエフェクトが発生して、目を見て斬ったという事実を確認することしかできない。

 

 それでも分かる。身体が覚えている。吐き気を催すような、血生臭いあの戦いを。

 

 楽しい。 楽しくて仕方がない。詩乃には見せられないぐらい、殺し合いを楽しんでるぞ、俺。

 

「さっさとくたばれ!」

「そいつはできない相談だなァ!」

 

 ああしてこうしてなんて頭で考えることを止めて、直感で槍を振り、突く。フード野郎は歯を見せながら肉厚包丁で捌いていき、反撃してくる。その反撃が斬りだろうと突きだろうと関係ない、包丁を振りかぶった時点で包丁を突いて、攻撃そのものを封じて機会を与えない。こんな攻防がずっと続いている。

 

 状況は、リーチが広い俺が握っていた。そりゃそうなる。相手の範囲の外から攻撃できて、出鼻を挫いて振らせないのだから。攻めて攻めさせずと好き放題だ。

 

 ヒットポイントは明らかに俺が有利だ。俺がほぼ満タンの状態であることに対して、フード野郎は黄色間近のグリーン。しかし、戦い始めておよそ三十分は経っているというのに、お互い決定打が一撃も入っていない。

 

 防戦一方なフード野郎は兎も角、有利なはずの俺も。

 

 片手剣よりも小さく軽い為、小回りはどんな武器よりも効き、守り易いというメリットが、奴の武器にはある。此処まで来ているということは、レベルも技術も申し分ないトッププレイヤーなのは間違いない。今まですべてのボス攻略に参加してきたが、あんなナイフ使いは見たことがなかった。

 

 ……。

 

 考えてみる。結婚によってシノンのステータスを俺は得ている。俺のステータスは防御を殆ど無視して防具任せにした速度攻撃のタイプで、シノンは速度を大幅に伸ばして攻撃と防御を並べた速度特化のタイプだ。つまり、俺とシノンは全プレイヤーの中で最も速いと言っても過言じゃないんだが……フード野郎には一撃も入れられていない。

 

 武器がどうのこうのじゃない。単純に、フード野郎がキチガイレベルで強い。ジャブ代わりの突きやフェイントはナイフで捌き、時には盾にして軽減させるくせに、決定打になりうる一撃だけは確実に体を捌いて避ける。こういう奴をビーターって呼べばいいのによ。

 

 場所を狭い通路から、同じフロアにあった大広間のような何十畳もある畳の部屋へ変えている。旅館の廊下と客室を荒らしながら戦っていたらいつの間にかついていた。俺としては広い空間は助かる上に、もう一度狭い場所へ移られたら一気に逆転される可能性がある以上、ここで決めるしかない。

 

「ちょこまかと……」

「ガキの割にはやるじゃねえかよ」

「そんじょそこらの連中と一緒にされちゃ困るな」

 

 くるりと槍を手の内で回して、石突で水平切りの包丁を叩き右足で踏みつける。手を離して距離を取ったフード野郎を狙って突きを繰り出すが、穂先を挟むように合掌して捕られられてしまった。視覚よりも早く柄の感触で悟った俺は、無理やり突きを入れるのではなく、重心を落として斧を叩きつけるように槍を振り抜いた。

 

 またしても感触で理解する。今度は、振り抜いた直後に手を離して慣性で飛んでやがる。

 

 チャンスだ。武器まで失った今なら絶対にダメージを与えられる。

 

 全力で―――槍を捨てて横へ飛ぶ。

 

「……イイねぇ! 楽しませてくれるじゃねぇか!」

 

 さっきまで俺が立っていた場所には、小ぶりな投擲用のナイフが畳へ刺さっていた。武器としては一層でも手に入るような弱いヤツだろうが、恐らくステータス異常を起こす液体が塗ってあるに違いない。見た感じ麻痺だな。いたぶって殺すのが好きそうなやつだし。

 

 着地したフード野郎は投げたナイフを回収し、上着の内側から抜いた二本目の投擲ナイフを握って接近してくる。

 

 俺も対抗して腰のナイフを抜こうとして……手が止まった。

 

「そいつは飾りかァ?」

「ちっ」

 

 抜くタイミングを失ったために、素手で捌く。

 

 刃の腹を叩いたりする程度の触れるなら問題はない。が、かすり傷をつけられたりフード野郎がやったようにがっしりと刃を握るとアウトだ。状態異常を起こして俺の負けになる。

 

 まともな防具をつけていない以上、たったの一ダメージ=死だ。洋服もグローブも頼りにはできない。

 

 ヤツの手や手首を主に狙ってナイフを落とさせようと試みるが、そんな握りは流石にしていないらしいな。ならば体勢を崩させて槍をひろう隙を作ろうと攻めに出る。

 

「ふっ!」

「ごぉっ!」

 

 足払いで重心を動かせ、両肘で両手首を咄嗟に動けない程度に痺れさせて掌底を顎へ一撃。がら空きの腹へひねりを加えた蹴りを入れて吹き飛ばした。

 

「シャァ!」

 

 駈け出そうと踵を浮かせたところへ、飛ばされながらも絶妙なコントロールで投擲されたナイフが。間隔を置いて飛んで来る二本のナイフを慌てて避け、再び駆け出す。

 

 が、一足遅かった。

 

「ったく、痛ぇじゃねえかよ。あぁ?」

「当たり前だろうが。痛くしたんだからよ」

 

 蹴られたことを活かして、コイツは俺よりも早く武器を拾って俺の槍を壁際まで蹴りやがった。畜生、かなり苦労してドロップしたレア物だってのに。

 

「さぁどうするアイン? これは流石に避けれねぇぜ?」

「一々喧しいっての……!」

 

 とはいえフード野郎の言うとおりだ。短く、斬るための武器じゃなかったから捌くことが出来ていたが、あの包丁は無理がある。あれだけの技量があるとなると、武器なしで防ぐのは不可能。刻まれて死ぬ。

 

 ……。

 

 あまりこのナイフを使いたくはない。何かあった時のために、昔の感覚を取り戻すために、何があっても生き残れるようにと思って装備しているが、使わないに越したことはないんだ。あくまでもここはゲームであって、戦場じゃない。柄を握るだけでもブルブルと身体が喜んでしまう。

 

 はっきりと分かった。今でもどこかで泥と血で塗れた昔々を懐かしんでいる。悪い部分を忘れてはいなかった。

 

 正直嫌だ。だから思い出したくなるようなモノには触れたくないし、したくはないんだが……何のためにぶら下げているのか分からなくなるので使おう。

 

 意を決して畳をブーツで蹴る。

 

「馬ァ鹿がぁ!」

「だったらテメェはアホだ!」

 

 しゅるりと右ホルダーのナイフを引き抜いて、振り下ろされた包丁を払い、大きく懐へ踏み込み、左のナイフでフード野郎の左手首(・・・)に刃を突き立て、振り上げて切り裂く。続けて右腕を身体へ引き寄せてから心臓目がけて突く。が、これは流石に避けられてしまった。

 

 切り落としたフード野郎の左手を踏み砕いて、さらに追い打ちをかける。

 

 端から見れば、打ち合う火花で眩しくなるほどの速度で斬り合った。音も中々に五月蠅いだろう。しかしこれがスキルを無視して装備している旨みであり、俺本来のスタイルだ。息をつく間も考える隙も与えない、怒涛の攻め。

 

 ラッシュが途切れるのは、大体相手が死んだか―――

 

「相手の力も量れないとんでもないアホだ」

 

 相手の獲物が壊れた時。

 

 ブンブン振り回していたフード野郎の肉厚包丁は、打ち合い過ぎて耐久値を失った。キリトが得意としている武器破壊だ。

 

「こいつぁまいったもんだ。中々苦労したレア物なんだぜ?」

「お前が蹴った俺の槍だって中々苦労したレア物だっての」

「そうかい。だったらあの槍真っ二つにしねえとな」

「できるかよ」

「しねぇよ」

「は?」

 

 またしても投擲ナイフを取り出したフード野郎は投げてきた。一本や二本じゃなく、大量に。程よく散らばったナイフはほとんど壁に近い。弾いて即反撃といきたかったが、不可能と判断して真横へ飛ぶ。

 

 両手を伸ばして畳に触れる、勢いを殺さずにダメージを最小限に、肩から接地して背中、さらに一回転してすぐに駆け出した。

 

 が、ほんの数秒目を離しただけでフード野郎は姿を消していた。天井や角に張り付いてるのかと思ったがいないし、俺が最上階から乗り込んだように外の壁に張り付いていることも考えたがこの部屋の窓は開かないらしいので却下。

 

 既に開いていたふすまから逃げて行ったと考えるべきか……。

 

 なんにせよ、難は去った。

 

「はぁーー……」

 

 大きくため息を吐く。ナイフを放って寝転がりたくなるがそうもいかないだろう。シノン達のことだ、俺がオレンジプレイヤーへと変わったことなんて気づいているだろうから、事情の説明をしておかないとな。それに、俺だけが狙われたとは思えない。さっきのフード野郎の仲間か、手下がそっちに行ったとしたら……寝てなんていられない、か。

 

 蹴り飛ばされた槍を拾って布で拭う。目立った傷や、耐久値に余裕があることを確認してそのまま背負う。

 

「やっぱ、これからはナイフに頼ることになるのか……」

 

 腰回りに装着するのが一般的だが、俺は雑多なアイテムをたくさんポーチに入れているので両足の腿にナイフホルダーを付けている。腿にポーチをつけて、ナイフを腰につければいいじゃないとか言うな。こっちの方が俺は抜きやすいんだ。

 

 料理を嗜むようになってからは持つ程度じゃ何ともなくなった。包丁様万歳なんだが、これを振り回すとそうもいかない。世界的にはあり得ないに分類される幼少時代はショッキングすぎて中々忘れるのは難しそうだ。

 

 忘れたいが、忘れられず、忘れられない過去がある。だったらそれは自分の中で気持ちの整理をつけなくちゃいけない。ささっとケリつけて一歩すすまなくっちゃあな、いけないんだけどな。

 

 そんな簡単にできるならここまで引きずってないっての……。

 

 鷹村悠が、アインとしてナイフを振れるのはまだまだ先になりそうだ。

 

「……なんて言ってられない、か」

 

 目を背けて逃げるのは、そろそろ許されなくなってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〓〓〓〓〓〓〓〓〓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 およそ十分ぐらいか、この刺突剣使いと無言で切り結んでいた。勿論ただ剣をキンキン打ち合うのではなく、お互いの命を懸けてHPを減らしあう殺し合いだが。この戦いが、普段の街中やダンジョンでのデュエルとは違うということを俺は肌で感じ取っていた。おそらく、アスナも。

 

 デュエルはお互い合意のもとで行う、文字通りプレイヤー同士の決闘だ。いきなりナイフを投げてきた挙句数で仕掛けてきたこいつらの中には、正々堂々なんて言葉は欠片もない。

 

 この戦闘だけでも、百を超えた鋭い突きが俺の頭や喉、胸を狙って繰り出されている。何度もそうしてきたように、身体や首を傾けた体捌きと剣を使って弾いたり、時には流していなす。隙を見つけて攻めに出てみるものの、俺がそうしたように捌かれてしまう。

 

 ただこれを繰り返して、十分が経過していた。

 

「くそ……強いな」

 

 SAO開始早々から目立ってきた俺達は、その知名度からデュエルを申し込まれることが多々ある。クラインやエギルのように仲のいいヤツもいれば、からかって来たり、憎んでいたり、腕を磨くためにだとか、そりゃ色々なヤツと剣を交えてきた。攻略組の少数精鋭ギルド《エンブリオン》のリーダーであり、ビーターの代名詞とも言えるキリトは、丁度いいデュエル相手らしい。

 

 強いプレイヤーはたくさんいた。だが、本当の強者と言えるプレイヤーはほんの一握りだけだ。アインやアスナのような。

 

 こいつは……それに値するほど強い。アスナと同等かそれ以上の突きはかなりの脅威だ。

 

「大丈夫、キリト君?」

「なんとか」

 

 攻めたくても、刺突剣使いの隙を見つけられない俺にアスナが声をかけてきた。横目でちら見したが、あれだけいた賊は一人もいなくなっていた。アスナ恐るべし。

 

「どうする? ここからは私も相手になるわよ」

「………」

 

 雑魚を片づけた今、残るのは目の前の男だけ。

 

「用があるのは、黒の剣士だけだ」

「ついでに閃光の剣捌きも味わっていけばいかが? こんな機会早々ないんじゃない?」

 

 そっちの都合なんて知らない、とばかりに無視を決め込むアスナ。そりゃそうだ、相手に合わせる必要なんてない。

 

「………」

 

 刺突剣使いは、ぼうっと立ち、瞬きをしない赤い目で俺達を見続けている。数秒ほど時間が過ぎると剣を鞘に納めて口を開いた。

 

「黒の剣士、次は、殺す」

 

 それだけを言うと、踵を返して立ち去って行った。初めに隠れていた柱の場所で曲がり、俺の《索敵》範囲の外へスタスタと歩いて消えていく。完全に感知できなくなったのを確認してから、俺は肩の力を抜いてアスナにもその旨を伝えた。

 

「大丈夫?」

「ああ。ん、ありがとう」

「気にしないで、客室の冷蔵庫から持ってきたものだから」

「この際なんでもいいさ」

 

 大きくはぁと息をついて剣を背中の鞘へ納める。タイミングよくアスナがドリンクを差し出してくれたので、ありがたく頂戴して一気に飲み干した。アスナももう一本ストレージから取り出して飲んでいる。

 

「シノンとフィリアは?」

「まだ上にいるかも。行きましょう」

「ああ」

 

 休憩もそこそこにして、後ろにある階段を駆け上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〓〓〓〓〓〓〓〓〓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ジョニーブラック。

 

 二層に上がったばかりの頃、ひょんなことで私とフィリアに絡んできてユウに投げ飛ばされた男はそう名乗った。

 

 しかし……

 

「人間、変わるもんだね」

「そうね」

 

 たった数分とはいえ、ジョニーブラックと対面したあの時のことは今でも覚えている。十分な装備を整えることすらできなかったゲーム序盤、彼は普段着と皮の装備に片手剣といった、初心者装備だった。ビビッて逃げるくらいだからそんなに強くもなかったし、度胸もなかった。

 

 それがどうだ。アインクラッド一の殺人ギルドのメンバーになるなんて予想もつかない。短剣に武器を変え、攻略組に勝るとも劣らない装備とスキルを備えているのがよく分かる。

 

 紛れもない強敵だ。

 

「オラオラ、どうしたかかって来いよ。俺はヤりたくてうずうずしてんだぜ?」

 

 目の前の男は、にたぁと口角を上げて舌なめずりをしている。生理的に無理なレベルで気持ち悪い。

 

 正直相手にしたくない。が、下の階ではキリトが壁になって守ってくれているから戻れない。上の階に上がればキリトとアスナの二人と分断されてしまうし、上の階が安全と言う保障もない。囲まれていてそれ以外の逃げ道はない。

 

 選択肢は無かった。

 

 私とフィリアは短剣を抜いて構える。

 

 敵はジョニーブラックだけじゃない、私たちを囲むように武器を構えている連中もだ。数はかなりいるが、強さのようなものは感じられない。俗にいう雑魚だろう。真に警戒すべきは目の前の男だけ。

 

「どうする?」

「……フィリアはポーチの余裕ある?」

「あるよ。最前線だしね」

「周りを任せてもいいかしら? 私と戦いたいみたいだし」

「うん。危なくなったらすぐスイッチだよ」

「ええ」

 

 私の返答を合図に足を動かす。私はまっすぐジョニーブラックへ、フィリアは下り階段に最も近かった集団へ。

 

 短剣、という武器は剣に比べてリーチが短く攻撃力が低い。だがそのかわりに全武器の中で最も素早さに優れた武器でもある。というより素早さこそが、短剣の武器だ。一撃に期待するのではなく、速度をもって翻弄しガリガリと削るのが一般的だ。盾も装備できるので守りもある程度は固められるので、実は人口が地味に多い。

 

 しかし攻撃力は低い。パーティにおける短剣の役割からすれば、攻撃力の低さは深刻な問題ではないが……ソロとなると別だ。そこで、攻撃力を少しでも底上げするために道具を使用するスタイルもある。フィリアは非常にいい例だろう、《錬金》や《合成》等のスキルで特定のスキルを必要としない攻撃アイテムを使う形だ。作成にスキル枠を取られるが、戦い方は多彩になる。

 

 だがまぁ、それがなかなか通用しない相手もいるわけで。この男のように。

 

「よっと」

「メンドクサイわね。ちょこまかと……」

 

 こうなれば単純な技術とステータスの勝負になる。武器の性質上、素早く動き回って斬りあう機動戦が繰り広げられるんだけど……まぁダメージを与えるだけで一苦労。

 

 私はユウのステータスに加えてスキル《軽業》で縦横無尽に駆け回る。狭い室内でこそ真価を発揮する。この二つが組み合わさって、屋内なら殆ど無敵になれるのが私だ。たとえ槍のリーチがあっても天井には届かないし、避けるのは容易い。

 

 しかし、それだけの地の利を得てもなかなか短剣の刃で切り裂くのは難しかった。

 

 本当に早いのだ。この層に到達して間も無い今、私達のレベルは全プレイヤーの中でもトップだという確信がある。私とユウに至っては結婚のお陰で片方のステータスが上乗せされているのだ。本来なら技術でどうこう出来る差では無い。蹂躙できるはず……だったんだけど、ね。

 

 時間の感覚がなくなるほど神経を尖らせる。

 

「この!」

「ちっ…!」

「なんて化け物……素早さにはかなり自信があるんだけど」

「俺相手に誇るにゃ不足だなァ!」

 

 また逃してしまった。あんな動きフィリアでもできない……!?

 

 ………。

 

 回転させる足を止めて、最初対面した時のように距離を開けて対峙する。構える手もそのまま、気を抜くこともしない。

 

「分かったわ」

「何が?」

「アンタの異様な強さの秘密」

「ほう? 俺は隠してるつもりなんてないけどな」

「そうね、別段隠す事でもなかった」

 

 とある仮説を立ててみよう。目の前の男……ジョニーブラックは高いレベルと技術を兼ねたハイレベルプレイヤーである。対する私は、技術で劣るところはあるかもしれないが、ステータスでは他プレイヤーを圧倒しており、絶対的なアドバンテージが存在した。この瞬間までは。

 

 前提としてSAOはゲームだ。自分の身体を動かしてプレイするので、現実の経験が活かされるのは言うまでもない。木こりがサラリーマンよりも上手に斧が扱えるのは当たり前と言えばわかりやすいか。

 

 ここで出てくるのが先ほどの前提だ。どれだけ扱いに慣れていたとしても、レベルやステータスの差は埋め難い。実力が拮抗している時、明暗を分けるのはまさにレベルだ。コイツがモノを言う。逆に、レベルが拮抗していれば実力でねじ伏せるしかない。

 

 武器とスキルの相性? 同じ武器で、似たようなスキルを選んだ私とアイツに限っては考慮する必要無し。

 

 状況は私が押している。だが、ステータス差によるバカみたいなダメージは入らず、そもそも攻撃を加えられない。私よりも経験があり、尚且つ私と同等かそれ以上に素早い。

 

「あなたは私よりもレベルが高い」

 

 こいつは、もしくは笑う棺桶は私たち攻略組よりも効率よく大量の経験値を稼いで、最前線にそぐわない高いレベルになった。

 

 方法はおそらくイリーガルな何かだろう。狩場は既に抑えられてレッドギルドが長時間使える状態には無い。こいつらは真っ当に狩りが出来るような奴らじゃないのだから。

 

「何をしたの?」

「誰が言うかよ」

「何かはしたってことね」

「そりゃするだろうが」

 

 きひっ、と不気味な笑みを零して短剣を私に向ける。

 

「俺達ゃ笑う棺桶。何でもアリアリ」

「シノン!」

「ッ!?」

 

 ヒュッ、と風を切る音が左から聞こえた。聞き慣れた音だ。殆ど反射で身体は動いて、フィリアの激が耳に入る前には後ろへと地面を蹴っていた。

 

 目の前数センチ、さっきまで立っていたところに太い針のようなものが現れた。辿っていくとそれはどうやら剣らしい。鍔があって、柄を握る手があって……。

 

 現れたのはマスクをつけた男だった。

 

「時間、だ」

「もうちょいいいだろ?」

「頭に、斬られたいなら、好きにしろ」

「……ちっ」

 

 一言二言何かを離すと、二人は武器を納めた。

 

「じゃあな。今度こそ俺がヤってやる」

「私は二度と顔を見たくないわね」

 

 下品に笑いながら、二人は群がってくる賊を斬り散らして去って行った。

 

「大丈夫!?」

「ええ。ありがとう」

 

 地味に減ったHPゲージを見ながら、ポーションをあおる。駆け寄ろうとしたフィリアを手で制して、最後の一口を飲み込んで短剣の柄を強く握った。ジョニーブラックは去ったが雑魚のNPCは数えきれないほどまだいるのだ。気は抜けない。

 

 しかし数秒後に肩の力が抜けることになる。

 

「……ねぇ」

「?」

「向こうの方、何か近づいてきてない?」

 

 フィリアが指差す先、右手の通路を見る。漫画のように人がポンポンと飛ばされているのだ。バイクか車で突進してきたように、近づく何かに撥ねられているように。

 

 それは私たちの真正面で止まった。

 

「無事か?」

「……ユウ」

 

 暴走超特急は夫でした、はい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〓〓〓〓〓〓〓〓〓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ~。散々な一日だった……」

「全くだ。誰かがこんなこと言わなきゃぁ宿でゆっくりできたってのに」

「何よ。おかげで広い露天風呂貸し切りなんだからいいじゃない」

 

 五人全員がなんとか合流して小一時間。猿が賊と呼んでいた連中を一掃して戻ってくると、豪勢な料理や酒や踊りやらでとにかくもてなされた。この貸し切り露天風呂もその一つである。

 

 旅館で一番いい部屋に通されて、旅館始まってのもてなしを受けて、旅館一の湯を借りているのだ。一日の苦労や疲れも飛んでいく。いやぁ、気持ちがいい。

 

 ちなみに混浴である。水着などという無粋な布を装備していないのは既に確認済みだ。

 

「温泉っていいねぇ……」

「肩まで浸かってみるといいぞ。こんな風に」

「こう? あぁぁ~~~」

 

 ふふふ、フィリアよ。半身浴程度で風呂を楽しんだ気になるのは早いぞ? 湯が顎に着くくらいとっぷりといくのがやはり一番だからな。

 

「でもまぁ、ずっとシャワーしか使ってなかったから気持ちいいな」

「やれやれ、俺は悲しいぞキリト」

「なんだよ」

「アスナが言ったからと自分の言葉を曲げるとは……」

「どういう意味だよそれ……てかそんなんじゃない!」

「はいはい」

 

 何や隣が喧しいが無視だ無視。顔真っ赤にして返されてもねぇ。

 

「……」

 

 しかし、キリトが先に言ったように散々な一日だったな。温泉探索に始まり、到着しては猿の相手、上がれば賊をちぎっては投げ、挙句の果てには笑う棺桶なんて連中が出てきた。なぜここにいたのか、奇妙な強さの正体、何故か俺達よりも早く最上層にいた……考え出すとキリがない。

 

 きっとまたどこかで戦うことになる。今日よりももっとレベルも上がって、装備も整っているあのフードと。

 

 俺は《アイン》として、戦って勝てるだろうか? 過去から逃げている、俺が。

 

 どこかで打ち明けて、受け入れなければならないだろうか?

 

 ……しないと、駄目なんだろうな。そうでもしないと、俺たちは生きて現実へ帰れない。

 

「それは何時になるのやら」

 

 浮かぶ満月へ手を伸ばす。光るばかりの月は何も答えてはくれなかった。

 

「ユウ」

「ん?」

「大丈夫」

「……おう」

 

 代わりにシノンが握って微笑んでくれた。

 

「あーーー腹減った!!」

「アイン、お前まだ食うのかよ!」

「俺は物足りない。だから食う!」

「ちょっと! いきなり立たないでよ! 飛沫が飛んで来るでしょ!!」

「タオル! タオルが落ちそう!!」

「見たら殺す」

「気にすんなよそんくらい。男の裸なんて――」

「見せても殺す」

「あっはいすいませんでした」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

phase 27 圏内/圏外事件

お久しぶりです。
ちなみにサブタイトルは誤字ではありませんので


 アインクラッドの一階層の面積は層によって異なる。さらにそこへプレイヤーがたどり着くことができるのか否か、行動できる範囲はさらに狭い。どんなスキルを使ってもいけない場所ってのは、どんなゲームにもあるもんだ。山とか湖とかな。第一層の直径はおよそ十キロメートルあるらしいけど、山あり谷ありで全部歩けるわけじゃなかった。

 

 全百層の内、折り返し地点を過ぎた今現在だが、何故かフロアが狭くなるにもかかわらず階層踏破速度は落ちていくばかりだった。

 

 一番大きな原因は……多分最前線に潜り続ける攻略組の多くがゲームオーバーした(死んだ)からだ、と思う。

 

 ボス攻略戦に参加するのは確実に攻略組のトップクラスだけだ。そこには中堅プレイヤーが入り込む余地は無い。参加できる人数は決まっているのに、戦力外連れて行ってどうすんだよ……ってなるからな。停滞している分、中堅が実力をつけてきてるものの攻略組に加われるほどじゃないから結果的に踏破速度は変わらなかった。

 攻略組でもさらに、ボス討伐に参加したことのあるプレイヤーとしたことのないプレイヤーに二分できる。死んでいったプレイヤーはどれも参加したことのあるヤツばかりで、したことのない奴らが多く残っているのが現状だ。まずは雰囲気を掴んで呑まれないようにするところから始まるからさらに手間がかかる。

 

 まぁ、足を止めてゆっくりになったメリットがないわけでもない。階層に対して余裕のあるレベルで挑めることが多くなったからレベル不足で死んだ奴はかなり減った。中堅が足を延ばして攻略組に手を引っかけているあたりまで来ているもんだからたまに手ほどきすることも珍しくない。キリトも足しげくどこかに通っているみたいだしな。

 

 ただし、ビーターのレッテルが剥がれることは未だない。一部のプレイヤーだけが俺とキリトがベータテスターであることを知ってるが、顔を合わせるたびに邪険にされてばかりだ。コペルとは大違いである。今となっちゃ、それを知ってるのはディアベルを慕っていたリンド率いる聖龍連合と、キバオウ(こいつはなぜか軍の誰かに話しているわけではなさそうだった)に、たまにつるむエギルとクライン……くらいか? 知ってても仲良くしてくれる人がいないわけじゃないけど、そちらはあまりにもごく少数だ。

 

 あとは……そうだな、イベントが重なったことがあったかもしれない。ここでのイベントはイベントクエストじゃなくて、現実世界の行事みたいなやつのことだ。クリスマス、大みそか、正月、成人、節分、バレンタイン……とまぁ何かあるたびに攻略を忘れてアインクラッドみんなで楽しんだもんだっけ。ケーキや七面鳥モドキも作って食べたし、雑煮もつついた、豆も投げて、百層目指してってことで上を向きながら恵方巻きも食べたし、俺とキリト宛のチョコレートをシノンとアスナが焼却して層の外へ放り投げるとかいう面白エピソードもあったっけ。

 

 そうそう、クリスマスでキリトがアスナに告ってキリアスが誕生した。やれやれ、一年間毎日一緒にいたってのに時間をかけすぎだろ。しかし意外だったな、俺はてっきりアスナからぐいぐい行くかと思ってたんだが。まぁ面白かったから良し。フィリア? ああ、うん。すまない妹、気まずいよな、今度気晴らしにどこか連れて行ってやるからな。

 

 閑話休題。

 

 先も語った通り、アインクラッドは折り返し地点を迎えて、俺たちは通り越した。つまり、ようやく五十層を通過したってことだ。およそ一年と数ヶ月か。前例なんて無いからペースを計りようもないが、いい調子だとは思うぞ。このままでいけばあと一、二年でクリアできる。戦死者がこれまで多く出てこなければ……だが。

 

 今までのボス討伐で最も戦死者が多かったのは二十五層と五十層の二つだった。もっとも手ごわいボスが百層のラストと考えて、中間地点の《中ボス》と、キリのいい四分の一地点の《強敵》は通常のボスに比べて手ごわい設定なんじゃなかろうかという仮説も出たくらいだ。正しいかどうかは七十五層まで行かないとわからないけど、その頃にはもうそんな仮説は意味が無くなってる。

 

 本当にもう色々とあった。装備も変わったし、スキルも磨いたし……誰かの死に目なんて何度遭遇したことか。

 

 お陰様で只今の最前線は五十三層。

 

 今日は起きてからずっと、日が暮れそうな今現在まで嫌な予感が続いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ※※※※※※※※※

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えへへ」

「好きなの頼んでいいからな」

「うん!」

 

 少し前にフィリアを何処かに連れて行こうかと考えて行動に移したのが今日。休養日という事で自由時間を得た俺たちは思い思いに過ごしていた。それに合わせてフィリアを連れ出したわけだ。シノンに話をつけているので心配は無い……はず。

 

 美味いものでもと思って、料理街の三十八層に行くつもりだったが、意外と五十三層が綺麗で高級感ある店が多かったのでここに来てみた。喜んでいる様なのでほっと胸を撫で下ろす。

 

「ギン兄は……って、こう呼ぶのもなんだか久しぶりかも」

「だなぁ」

 

 日本に来る前に仲の良かった奴の一人。それがフィリアだった。ギン兄ギン兄と後ろをついてきてはニコニコしていた可愛い妹。あの頃は鷹村悠という名前を持たなかったから、人によってコロコロ名前が変わっていたっけ。

 

 なんでフィリアがそう呼ぶのかについては……ぶっちゃけ知らない。昔はそんな事にいちいち反応してなかったんだ。

 

 普段は遠慮してか気遣ってか、アインとアバターネームで呼んでくれるが、こういう二人きりの時は妹の頃のように戻る。頼もしい仲間もこんな感じで年頃の女の子に変身だ。

 

 さて。

 

 連れ出したは良いものの、何を話せば良いのやら。

 

 そこまで考えて思いついたのは、一年以上行動を共にしても二人で話す機会が無かったということだった。常にシノンが側にいたし、いなくてもキリトとアスナがいたから……まぁ、無理だわな。

 

 一年越しの積もる話でもしようか。

 

「フィリア、日本に来てたんだな」

「うん。私は……あの後すぐに」

「そうか」

 

 日本の自衛隊関係の人に拾ってもらったってことか。あの場にいた仲間はきっとみんなそうだろう。菊岡さんもどうやら偉い人らしいからな。

 

 少なくともへそ曲げたりグレたりしてないみたいだし、良い人に会えたみたいで何よりだ。こうやってゲームさせてもらってる事からも分かる。

 

 いや、俺たちだからやらせてもらっているとか? わからんな。

 

「おばさんね、良い人なんだよ。優しいし叱ってくれるんだ。おじさんは面白い人だから毎日楽しかった」

「俺のとこの人は……仕事で圧殺されてるな、うん。家を開けることは多いけど、その分帰ってきた時は楽しくしてるよ」

「それにシノンがいるから?」

「そうだな」

 

 肯定するとフィリアが頬を膨らませる。ハムスターみたいで可愛い。

 

「……決めた。現実に戻ったらギン兄のとこ行く」

「は?」

「もともとおじさんとおばさんには、会いたい人がいるって探してもらってたの。それが見つかったからってお願いする。それでもってギン兄のおじさんのとこにお願いする」

「待て待て待て、色々と問題をすっ飛ばしてる」

「そうかな? まぁ楽しみにしてて」

「……」

 

 妙な所だけ俺に似ちゃってまぁ……。

 

「ほら、早く頼め。店員が来てるんだからな」

「はーい。じゃあーー」

 

 注文されたものを復唱して戻っていくNPCを眺める。三角巾にエプロンをつけた女性はとても意志を持たないアバターとは思えないほどしゃべるし動く。カーソルと彼女がNPCだという知識が無ければ区別がつかない。

 

 今でもふとした時にそう思う。SAOのデスゲーム仕様はともかく、ゲームとしての完成度は非常に高い。

 

 視線をフィリアに移す。こてんと首をかしげる可愛らしいこいつは紛れもなくプレイヤー。

 

「どうかしたの?」

「いや、SAOは凄いなって」

「そうだね……綺麗だよ、なんといっても」

「グラフィックは流石としか言えない。ナーヴギアもただの電子レンジじゃないってことだ」

「……ねぇ、今現実ではどうなってるのかな?」

「現実では、か」

 

 ふとしたフィリアの疑問に意識を傾ける。

 

 詩乃がログインした頃……ゲーム開始から一ヶ月までの事は俺たちの中では共通認識だ。SAO開発元のアーガスというメーカーは解体され、別の企業がサーバー管理を引き継いでいるそうだ。そんな事が出来そうなところと言えば……レクト、ハニーズ、フロムあたりか。流石にそこまでは詩乃も知らなかったみたいだ。

 

 鯖落ち大事件もあったが、あれはどうやらプレイヤーを病院に搬送するために起きたものらしく、搬送中はどうしてもオフラインになるから止むなしとのこと。長野住まいの俺は菊岡さんの計らいによって東京に移され、詩乃もまたそこでログインしたらしい。

 

 知ってることなんてそんなもんだ。あとはどうなってるのやら。

 

「俺の予想だが、多分VR技術は封印されるんじゃないかな」

「それは開発を禁止するってこと?」

「そうそう。様々な面で活躍を期待されてはいるけど、流石にこんな事件が起きちゃあ、なぁ」

「うん、そう、だね」

 

 はぁ、と細いため息をつく。

 

 丁度良くそこで注文したサラダが運ばれてきた。フィリアからフォークを受け取ってキャベツを頬張る。

 

「ギン兄悲しい顔してる。嫌なんだ」

「そりゃあ嫌さ。この国にはかなりの娯楽が溢れているし、遊ぶのが好きだからゲームも好きだ。SAOはその中でも群を抜いてる。クオリティの面からゲーム史に残るの名作だと思う。これからはいろんなジャンルのゲームも増えていくだろうし、質も上がっていく。だから嫌なんだ。てかな、こんなの知ったらもうコントローラ握れねぇ」

「あはははは!! 語るね!」

「悪りぃかよ」

「ううん。昔よりも今の方が好きだなあ、私は」

「お、おう」

「えへへ」

 

 三又の先全部にクルトンを指して、はにかみながら俺に向けてくるくると回している。器用なやつ。俺が視線でクルトンを追うのが面白いのか、頬杖をつきながら八の字を描き始める。

 

「ねぇ、ギン兄。私って可愛い?」

「あぁ。そう思うぞ」

「じゃあ好き?」

「好きだな」

「シノンより?」

「悪いが、よりも、という事はないな」

 

 優先順位をつけるなら、まず何よりも詩乃が最優先だ。だからフィリアと詩乃が同時に危機に陥ったらまず詩乃から助けるだろう。切り捨てるなら、フィリアを切り捨てる。

 

「私とシノン、どちらか片方が死ななくちゃいけなくなったら?」

「……」

 

 しかし、俺は続いたフィリアの問いに答えられなかった。昔なら即答しただろう。間を作るどころか黙ってしまった。

 

 甘くなったな、と思う。それがフィリアへの答えだった。

 

「うん、やっぱり今のギン兄が好き」

「そ、そうか?」

「うん。楽しそうだし、選べないくらい大切なものが増えてるんだもん。私が一番じゃないのは悲しいけど……。ま、おっぱいはシノンよりも大きいから恋しくなったら言ってね」

「ふん!」

「あいた!」

 

 不埒な妹にはこうだ! チョップ! 言われた俺の方が恥ずかしいわ!!

 

「まったく……」

「うぅ……痛い……」

「自業自得だ。変な安売りをするんじゃない」

 

 少々力を込めてフォークをサラダに突き刺す。普段は不快なガッ、と皿に当たる音も今は大して気にならない。

 

「もぉ。でも、忘れないでね」

「?」

「私はキミに助けてもらったこと。私がギン兄の妹なこと。それと、私も女の子だってこと」

「当たり前だ」

 

 言われずともそんなことは分かってる。俺にとってとっちゃ、フィリアは詩乃と同じくらいの時間を過ごしたんだぞ?

 

 一部の気持ちには応えられないけど、フィリアの事は好きだ。もしも、あり得ないが、万が一、パラレルワールドがあったとしても、地球の磁場が逆転するよりも可能性が低いことだが、詩乃と巡り合うことが無ければフィリアを愛していたという確信がある程には。

 

 だから即答できなかった。

 

「さて、食べるか」

「うん」

 

 ついつい話し込んでしまった。気づいたらいつの間にか注文していたメニューが机に並んでいる。気付かなかった俺がアホなのか、それとも空気と融合して配膳したNPCが凄いのか……。

 

 俺がオーダーしたのはクラッシュリーフのポトフとファンゴカツの盛り合わせ。

 触れると爆散するクラッシュリーフは地味にダメージを与えてくるトラップ染みた植物だが、《採取》スキルをうまく使って収穫すればA級食材に早変わりだ。一度だけフィリアが成功してアスナが料理した事があるが……あぁ、あの味は今でも思い出せるぜ。

 五十二層のMobには、某狩人のイノシシを彷彿とさせる奴がいるが、恐らくそいつの肉で作ったカツだろう。グルメなプレイヤーの中でもこいつは美味いと評判の食材だ。

 

 フィリアは……好物のオムライスに俺と同じポトフか。珍しいな、フィリアは結構食べる子だったと思うんだが……。そういや普段の食事もそんなに食べてないな。

 

「フィリア、食べる量を減らしたな」

「うん。あまり食べ過ぎるのも良くないし、日本のご飯は美味しいから味わうのが癖になっちゃって」

「そっか。そりゃいい事だ。現実に帰ったらオムライス作ってやるよ」

「ほんと! 楽しみだなぁ! はやく攻略済ませなきゃね!」

「だな。料理の腕は上がったのか?」

「ま、まぁまぁかな! うん!」

 

 女の子なんだから、それらしい事を覚えなさいとは常々言っていた覚えがあるからつついてみれば……そうでもないようだ。出来ないよりはマシだろうから詮索はしない。

 

「「いただきます」」

 

 合掌して一礼。スプーンと箸に手をつけてからは他愛のない話をしながら過ごした。キリトに「昨夜はお楽しみでしたね」と聞いた時の反応とか、アスナに「初めては痛い?」と聞きに行った事とか……その辺が主だったな。あいつら見てて面白い。

 

 二十分も経てば皿は空になって、追加で注文したアイスを満喫していた。

 

「デザートなんて何ヶ月ぶりだ?」

「二ヶ月くらいじゃないかな? ほら、クエストの途中で買い食いしてたじゃん」

「そういやそうだったな。しかし美味い」

「もう食べたの? もっと味わいなよ」

「いいんだよ。気にせずゆっくりでいいからな」

「言われなくても。ん〜〜〜おいしい!」

 

 スプーンの先っぽで少し救っては溶けきるまで味わい、を繰り返して十分。ごちそうさまをしてお茶を楽しんでいた頃にそれは聞こえた。

 

「-----!!」

 

 室内でもはっきりと分かるほど大きな、女性の悲鳴だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ※※※※※※※※※

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 弾かれるように店を出て(勘定は退店と同時に勝手にされる)視線が集まる方向……広場へ走った。

 

「マジか」

「うわ……」

 

 騒ぎの原因を見つけ、揃って顔をしかめる。

 

 時計台から垂らされたロープは、一人のプレイヤーの首を絞めていた。いわゆる首吊りというやつだ。二十代半ばといったところの男性プレイヤーが吊るされており、槍が胸を貫いている。

 

 首を絞めるロープを外そうと、あるいは緩めようと両手で首とロープの間に隙間を作ろうと必死だ。だが、胸に刺さった槍が貫通による一定のダメージを与え続けているはず。

 

 残りのHPにもよるが、下手をすれば……。

 

「フィリア! 投擲!」

「オッケー!」

 

 太もものバンドから投擲用のナイフを抜き、スキルを発動させてナイフが手を離れた。が、当たらない。残りの命の量に焦ったのか、途端にジタバタと暴れ始めてロープが逃げた。

 

「ギン兄、受け止める!」

「分かった!」

 

 最低限の会話だけを交わして走る。ちなみに今のは、私が受け止めるからギン兄が上に登ってロープを切って、である。

 

 吊るされている真下に登り階段を見つけたので飛び込んで駆け上がる。ショートカット出来るような空間でもあれば……と期待していたがそんなものは当然無く、自力で駆け上がる。

 

 中世西洋の時代をベースにしてるなら、時計台内くらいは吹き抜けの螺旋階段になっててもいいのになって思ったんだが。いや、あの男性の首を絞めた奴がここを選んだのか? 邪魔をされないように?

 

 よほどの恨みがあったと見える。

 

「何だって今日に限って……!」

 

 そうだよ、今日は楽しい一日だったんじゃないか。変な予感はしてたけどさ、妹とのデートだぞ? 主犯は許さねえ。圏内でデュエルを仕掛けずに甚振ってやる。

 

 愚痴を零しながらでも足は止めない。

 

「……ついた!」

 

 光が強くなってきた上を見てスピードを上げる。ランタンのような光じゃない。あれは夕陽だ。最後の二十段を敏捷全開の踏み込みで飛び上がった。

 

 よし、まだ生きているな。

 

 槍を抜こう……としたが今日は邪魔になると思って装備していなかった。仕方ないだろ、フィールドに出る予定もないしデュエルも受けるつもりは無かったんだから。

 

 代わりにホルダーからナイフを抜いてソードスキルを起動。低い熟練度でも習得でき、出の速い突進技を発動させてロープ目掛けて駆ける。

 

 刃がロープに触れ、

 

「遅かったか……!」

 

 たわんだロープを切り裂いた。首を吊られていた男はどこにも居らず、ただ耐久値を失ったロープが砕け散っただけである。

 

 つまり、間に合わなかった。男性プレイヤーは死んだ。

 

 街中の……圏内のど真ん中で。

 

 これはまた面倒な事になりそうだな……。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

phase 28 圏内/圏外事件2

カツン、と石畳に槍が転がる。傷一つついていないソレはついさっきまで首を吊るされていたプレイヤーの胸に突き刺さっていて、ついさっきそのプレイヤーの命を奪った。

 

超のつく大原則として、街や村……いわゆる《圏内》では死ぬことはないのだ。例外として確認されているのがデュエルの完全決着モードと、アインクラッドの外縁部から飛び降りる事ぐらいだろう。敵は入って来ないし湧かない。プレイヤーがプレイヤーを攻撃しても何かに弾かれるだけで体力を削ることはできない。

 

しかし、目の前でプレイヤーは死んだ。何度も見てきた様に、砕けて散ったのだから。これは確かだ。

 

「……」

 

周囲を見渡す。全員が不安に潰されザワザワと騒ぎ声が止まらない。それどころか増えてくる一方。

 

まずいな…犯人が紛れているとしたらこの隙に逃げられちまう。どうしたもんか……

 

「みんな、デュエルのウィナーを探して! 広場だけじゃなくて遠くまで!」

 

手段を迷っていた俺の隣でフィリアが叫ぶ。端まで届いた声に従って、集団は周囲へと視線を巡らせる。が、結局見つけることはできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ※※※※※※※※※

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、帰ってきたと」

「ああ。これ戦利品な」

「曰くつきの呪いの品の間違いじゃないの? しかも出来立て」

「うーん、まぁそうなんだけど放っておけないじゃん」

「そうね」

 

あの後は特に進展することもなく、流れ解散のように人が散り散りになった。俺とフィリアも棒立ちするわけにもいかなかったし、暮れ時だったこともあって宿に戻った。当然、シノン、キリト、アスナが待っている訳で、事情の説明も必要なわけで。シノンなんてアイテムストレージに槍を入れた数秒後に「不気味だから捨てて」とメールを送ってくるし。

 

「SAOで最も安全と言えるのは圏内だけ。寝ている間に腕を動かされたりなんてこともあるけど、ここ以上に落ち着ける場所なんてないのに、それが荒らされるとなると他人事じゃいられないわ」

「うん。レッドギルドがもし知ってしまったら……」

 

アスナの一言に全員の背筋が凍る。そうなったらスラムを歩くようなもんだ、俺は絶対宿から出ないね。

 

「さて、それじゃあ考えてみるか」

 

キリトがリーダーらしく場を仕切り、紙とペンを取り出した。

 

「アインとフィリアが悲鳴に気づいて駆けつけた時にはすでに、被害者の男性プレイヤーは槍で胸を貫かれた状態で首を吊るされていて、自分ではどうしようも無かった。すぐに駆けつけて縄を切ろうとしても間に合わず死亡。犯人らしきプレイヤーは見当たらなかった、と」

 

ふむ、と一息。

 

「コードをすり抜けた方法は脇において、殺し合いの原因と誰が死んだのか、だな」

「死んだやつは明日黒鉄宮まで見に行くか。時間はバッチリ覚えてるぜ、なにせ時計塔の近くだったしな」

「原因…ねぇ…」

 

アスナのつぶやきに全員が頭を捻る。思い当たる節というか、検討はつく。というかありすぎる。喧嘩の要素なんてそこらじゅうに転がってるんだ。

 

ゲームだし。

 

「定番でいくなら、やっぱアイテムの揉め事かなぁ」

「いや、デカいギルドの序列とか」

「痴情のもつれってこともありそうだけど?」

 

とまぁ女性陣三人だけでもご覧の通りなわけだ。

 

「痴情のもつれとか、いかにもシノンが言いそうな」

「アイテムが浮かぶあたりフィリアだよね」

「殺る気ナンバーワンは違うわ」

 

そんな事だから可能性なんていくらでもあるわけだし、手がかりが無い現状で考えても仕方なさそうだぞ、キリト。

 

「ちょっと、どういう事?」

「だって、大人っぽいじゃん?」

「殺る気?」

 

ギャアギャアギャア。

 

「「………お前の嫁(と妹)だろ、なんとかしろよ」」

「…」

「……」

「寝るか」

「そうだな」

 

ひょんなことで騒ぎ始めた女子を細い目で眺めて俺達は部屋を出た。こうなると長いんだ、こいつら。脱線独走迷走だから話を戻すのも一苦労だし、帰ってくるまで待つのも面倒だった。

 

寝て明日になれば、アルゴに聞きに行ってみよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〓〓〓〓〓〓〓〓〓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そんなものはなイ」

「だよなぁ」

 

玉砕だった。

 

「圏内の安全性ってのは、経験値を集めればレベルが上がったり、宿で寝れば体力が回復するような、ゲームとして崩してはならない大前提なんだゾ。何らかのイベントが発生して無効化される可能性がないわけじゃないが、無警告はありえないナ」

「デスヨネー」

 

ぐうの音も出ないほど正論だった。ちくしょうめ。

 

「……ん? お前、じゃああそこで何が起きたのかわかったってことか?」

「まあナ」

「いくらだ?」

「まぁまてヨ。少し考えればすぐに分かるサ。あんなのは子供だましダ」

「子供だし、ねぇ…」

 

アルゴは耳がいいだけじゃなくて頭も切れる。だが、周囲との差を理解してないじゃない。そんな奴が敢えて俺相手に子供だましと言うんだ。実際はチャチなもんってことか。

 

「お、フィリアからメールか」

「手分けしてるのカ?」

「ああ」

「面倒なことしてるナ。お前等なら小一時間で辿り着くもんだゾ」

「わからんものはわからん」

 

片手間に新着メールをタップ。現場を見ていたフィリアは黒鉄宮へ行ってもらい、死亡者の名前を調べに行ってもらっているところだ。誰が昨日死んだのかわかったんだろう。ちなみに他の面子は現場を見に行っている。何らかの細工が残っているかもしれない。

 

『誰も死んでいなかった』

 

「は?」

 

……誰も死んでいなかった?

 

『首を吊られていた男性が死んだであろう時間のおよそプラマイ一時間の誤差を加えても、その時間帯に亡くなった人はいない事になっている。一番近くても、二時間前の三十三層だから……』

 

「…あの男性プレイヤーは死んでない?」

「そうダ」

「だったら…」

 

あの時に砕けたアバターはなんだったんだ? 間違いなく、あの瞬間首を吊るされていた男性プレイヤーはもがいていて、ヒットポイントがゼロになってポリゴンが砕けた。ロープは風にゆられて、槍は石畳に落ちてきた。透明化じゃない。間違いなく消えたんだ。

 

「……"消えた"?」

 

自分が呟いたそのワードが、ある仮説を組み立てていく。カチカチとピースが嵌め込まれていく感覚に、俺はこの仮説こそが真実だという確信を得た。

 

「あの男は、転移結晶で転移して"消えた"。そうだな?」

「そういうこっタ」

「確かに、こりゃ子供だましだな」

 

男性プレイヤーはまず、圏外で自分の身体を槍で貫いた。圏内では自傷行為だろうと刃が通らない為、これだけは圏外で行う必要があったはずだ。

そしてマントなどで隠して時計塔にあがって自ら首を吊った。かなり息苦しいだろうが、実際は少し緩めで、腕の力で隙間を作っていただろうからそこまで苦ではない。この時、手の中にある物を握って、パラメータを、見ていた。

 

握っていた物は転移結晶、注視したのは鎧の耐久値だ。

 

貫通した槍はプレイヤーの体力を減らすことなく、装備の耐久値だけをジリジリと削っていった。その結果、装備だけが耐久値を全損して破壊される。そのタイミングに合わせて、適当な場所へ転移すれば、圏内で死んだという偽装が完成する、と。

 

彼は死んでおらず、ただ装備が壊れただけの話ってことか。

 

「あーあ、時間無駄にした。金払うもんでもねぇし」

「後で仲間に教えてやるとイイ」

「そうする」

 

はぁ、とため息をついてベンチの背もたれに身体を預ける。首から上は支えが無いので空を向いた。

 

「で、なんでそんな事したんだ。そいつは」

 

その男性プレイヤーがなぜそんな行動を起こしたのか。

 

昨日の事件のトリックは分かった所だが、動機までは読めない。実際に一人の人間が死んだ訳では無いが、理由によっては本当に誰かが死ぬかもしれないのだ。

 

最前線の層で仕掛けたからには、ハイレベルの可能性が高い。無関心を装うには余裕が無いことに気づいた俺は、この問題に腰を据えることにした。

 

無関係ではない、気がする。

 

「アルゴ、どこまで知ってる」

「真相まではまだ、だナ。主犯の目星はついてるガ」

「いくらだ? いや、何が知りたい?」

「お前等の内、誰か一人のユニークスキル」

 

……こいつはホントにどこで情報を仕入れてるんだ? 俺はまだシノンにしか見せてないんだが。

 

「それも考えればわかることか?」

「知っていれバ」

「はぁん? 似たようなことが今まで起きてたわけか」

 

……身体を起こして腕を組む。

 

スキル構成やステータスというのは、現実世界で例えるなら住所や電話番号のような個人情報だと思っている。アバターの核をなすものであり、他プレイヤーからは決して確認することが出来ない、絶対の領域。調べることで分かるものではなく、唯一の方法は本人が口外することのみだ。

 

ユニークスキルなんてのはその最たるもので、自身が信用している相手にも明かすものじゃない、というのが通説。まぁ、シノンに話したわけだが…。

 

個人にのみ与えられる特別なスキル。ばらすことのデメリットは計り知れない。特に、目の前の女は。情報屋だぞ?

 

「アイン。私はお前のことをよく知っていル。とある筋から仕入れたのサ」

「何を」

「現実世界のキミの過去だよ、少年兵」

 

反射的にナイフへ伸びそうになった手を止める。

 

少年兵。

 

幾つまでをそう呼ぶべきなのかはわからないが、中学に上がる前から人を殺してきた俺はまさしくソレだろう。

 

「日本でも週に一回はニュースで流れてたんダ。ガキンチョだった私でもよく覚えてル」

「中東某国の石油問題、ね。確かに日本も無関係じゃ無かった」

「安保で自衛隊を派遣していたからナ。父親が現場にいてサ、帰ってから少し話を聞いたんだヨ」

「それと俺の事情は無関係だ」

「そうだナ。だから取引ダ。お前のユニークスキルを教えロ、私はソースから始まる全ての情報を売ってやるヨ。それからこの事については一切他言しなイ」

「信じろと?」

「情報屋は情報よりもまずは信用を売ってル」

 

……考えてもいなかった。こんな所にまで、忌まわしい過去がついて回るのか? 

 

やめてくれよ、詩乃は知らないんだぜ? キリトもアスナも、何も知らない、同じガキなんだ……。んなことになったら……俺は……。

 

どこに、帰ればいいんだよ…。

 

「ばらす、なんて言ってないんだゾ? そこは履き違えるなヨ。ユニークスキルのことも、それ自体が知りたいわけじゃなイ」

「じゃあ何が狙いなんだよ……いや、俺に何をさせるつもりだ」

「なんてことない、共犯者になってほしいだけサ」

「何の」

 

すぅ、と一息呑んでアルゴは口を開いた。

 

「人殺し」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〓〓〓〓〓〓〓〓〓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

帰路の途中。さっきまでの会話を反芻していた。

 

『父親は帰ってきたけどな、左腕が無かっタ。流れ弾の爆風でズタボロになって切断したんだヨ。それだけじゃなイ。現実世界でも、この世界でも、奴らは人を畜生の様に殺しているんダ。私はそれが許せなイ』

 

ーーそれは、私怨か?

 

『悪いのかヨ。私は、あいつが憎いんダ』

 

--どこで知ったんだ。俺の事も、ソイツの事も。

 

『偶然見つけた洞窟が、ソイツと取り巻きのアジトだったんダ。そこで聞いタ。偶然バレなかっただけかもしれないし、泳がされているだけかもしれなイ。でも……』

 

--いや、わかったよ。引き受ける。

 

そこで俺は一度帰ることにした。ギルドメンバーに相談もせず、シノンにも話さず、プレイヤーキルを行うと宣言したのだ。道徳と法に於いて最もタブーとされる行為を。

 

この時点で、強力な敵がターゲットであると俺は想定していた。アルゴは情報屋であって攻略組の様に戦闘を得意としているわけじゃないが、そこらの上級プレイヤーよりは腕が立つ。ソロで行動しているのが何よりの証拠だろう。殺す、覚悟したのならそれだけの実力を持つこいつは自分一人で実行できるのだ。

 

それでありながら、俺に共犯を持ちかけるということは、自分では不可能か、二人がかりで無ければ殺せない相手と考えた。

 

--で、相手は?

 

『ソイツは、はっきりと自分とお前が関係のある間柄であることを口にしていタ。お前は、ソイツと既に会っていル』

 

--そんな奴いたかな……現実世界で会っているなら顔を見た時点でわかりそうなもんだけど。

 

『分からない、と思うゾ。ソイツは顔を隠してるからな』

 

--顔を?

 

『Poh』

 

ぞわり、とした。

 

Pohと言えば、最大最悪のレッドギルドの頭。実力も折り紙つき。最強プレイヤーと称されるヒースクリフと同等の強さを持つとかなんとか。自他共に認められる最強が相手かよ…。そういや温泉がどうのこうの言ってた時にやり合ったっけ。納得の強さだった。

 

半ば同情で安請け合いしたことを後悔する気持ち半分、すとんと理解した気持ち半分だった。実力者である、というアルゴの言葉を理解出来た。

 

俺の知り合いなんて、日本に来る前の方が格段に多い。ゲームしそうなやつなんて日本にはいないから、消去法で中東の知り合いが日本に来てログインしていたという事になる。なんてまぁ数奇な運命だ。

 

誰だ……? 俺とあそこまでやり合える奴……。

 

………。

 

あ。

 

アイツ、かもしれない。

 

いや、今はさておきだ。帰るまでにこれを話すか否か決めなければ。確実に、みんなを巻き込む事になる。ラフコフとは少しばかり因縁の仲にあるが、プレイヤーキルとなるとそんなことを言っている段階じゃなくなる。上手くいってもその後に返り討ちに合うかもしれないんだ。間違いなく標的になるのはウチの女子三人組だろう。

 

いや、言わないといけないことは確定しているんだ。

 

様は、怖いんだ。なんと罵倒されるか。

 

少し衝突する事もあったけど、ここまで仲良く協力してやってこれた。その関係に罅を入れそうで、孤立しそうで、怖い。感情的にも現実的にも。

 

「とかなんとか考えたら、もう宿か」

 

生唾を飲み込む。システム的にこの向こうの音は聞こえないが、おそらく全員がここにいるだろう。

 

気は進まないが、ドアノブを回した。

 

「おお、遅かったな。アイン」

「あぁ、アルゴと少しな」

「んで、どうだったんだ? フィリアにはメールでなんてことなかったって返したんだろ?」

「ああ。そう、そうだったな」

 

一先ずは事件の真相を話す事にした。それに沿っていけば、自然と身の上を語る事にもなる。何故、誰がこんなことをしたのか。その先にある見えない誰かは、自分と切っても切れない縁なのだから。

 

「まず、総じて言うなら茶番の一言だ」

「茶番? 自作自演だってのか?」

「そうだよ。誰かは知らないが、そいつらが考えたのさ。圏内でPKができるように見せかける方法を」

「は?」

「どうしてそんな事を?」

「さあな。それが目的だからじゃないかと思ってるよ、俺は」

「なんで…そんな…」

「誰がやったのか、目星は、ついているんでしょう?」

 

きた。

 

シノンは何時だって俺の発言の意図を組んできた。合いの手を入れたり、時には議論をリードしたり、上手く伝えられない時は仲介した事もある。つまり、何を言わんとしているかを理解しているのだ。今回は有難くも辛い。

 

意訳、早く言え。

 

「相手は……」

 

言葉が続かない。大事な事だ、言わなければならない。

 

それでも怖かった。

 

「ユウ」

 

自然と俯いていた顔が上がる。シノンは……詩乃は、穏やかに微笑んでいた。

 

それだけで良かった。

 

「相手は……俺のリアルでの知り合い、だと予想している」

「学校の友達や先生とかってことか?」

「いや、昔の知り合いだな」

「昔って…そんなにアイン君は年上だっけ? まだ私達と同じくらいだと思ってたけど」

「いや、合ってるよ」

 

それだけで良かったんだ。心のモヤが一気に取れた俺は、抱えていたものを少し、見せることが出来た。

 

「俺がまだ日本に来る前の話さ。そこでの知り合いってこと」

「帰国子女か」

「で、誰?」

「Poh。奴だよ」

「はぁ!? ラフコフのリーダーが、アインの知り合いで、事件の主犯ってことかよ!?」

「そうだ」

「なんで、あんな事を」

「うーーん、そういう奴だからかな。殺人や暴力に快楽を見出してるような人間だし」

 

見せかけの殺人に意味を求めるような性格じゃないのは確かだと思い返す。敢えて言うなら、殺し方を探ってた、ビビらせたい、とか?

 

「なぁ、フィリアってアインの昔の知り合いで、シノンはその事を知らなかったよな?」

「そうだな。Pohはフィリアの知り合いでもあるな」

「……アイツ、かなぁ」

「違いない」

 

フィリアの引きつった笑いにつられてくくっと笑ってしまう。対するキリトとアスナは驚きすぎて目がひくついている。何よりも微動だにしないシノンが怖い。なぜ真っ先に私に言わなかったという顔だ、あれ。これは後が怖いぞ。

 

「ユウ、聞かせて。貴方の昔話」

「……ああ」

 

そう昔の事じゃない。三年四年ぐらいだ、鮮明に覚えてる。

 

寝ても覚めても、血と煙と硝煙の臭い。特に人が腐っていく臭いは鼻を突いた。

 

毎日のように肉を切って、風穴を空けた。

 

「日本に来る前、俺は中東で正規軍相手に武器を取った少年兵だった」

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

phase- 中東戦線

過去編。そんなに長くは無いですが、数話続きます


今日もまたいつも通り、だ。

 

鼻の奥を突くような腐った肉、むせかえる様な鉄、そして硝煙のにおいを深く吸い込んでは吐く。これ以外の空気なんて吸ったこともないが、これが非日常なことだけは最低限理解している。

 

「終わったか?」

「……ああ」

 

今日はサムと二人一組での索敵だったっけ。

 

「ここいらは大分片付いたな」

「うん」

「情報は?」

「三日後、連合軍が総攻撃を仕掛けるらしい」

「マジか……そろそろ潮時だな。引き上げるようにリーダーに言っとくか」

 

お互いに血と脂がべっとりついたナイフを拭う。布はそこいらに転がっている連中から拝借したものだ。その数およそ二十を超える。

 

ホルスターにナイフを収め、これまた銃を数丁頂いて肩に掛け、最後に持ってきたライフルをしかりと握る。こちとら今回はテロリスト側に雇われている身、弾薬や銃の補給は望み薄なのでこういう時に確保しておくのがすっかり癖になった。サムは弾薬に加えて携帯食糧や水なんかもザックに詰め込んでいる。

 

「行くか」

「ん」

 

目線でサムの言葉に答え、死体の山を二人で歩いて帰って行く。

 

なんてことはない、これが日常だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※※※※※※※※※

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

某年某月某日。中東某国にて、とあるテロリストが蜂起した。彼らは政府が不正を働いていると声をあげ、正しくあるべき姿――彼らの場合は国民への還元――をとるべきだと主張した。某国の財政を支えていた石油施設を抑えることで打撃を与え、要求を呑ませることが目的だ。

 

彼らは石油関係の採掘施設等を占拠し、拠点とすることで抵抗した。政府は当然軍を編成し鎮圧を図るが、施設を盾にされることで行動を大きく制限され、一ヶ月経過した時点で包囲網を形成するも、何も進展が無かった。

 

性質が悪いのが、某国は石油生産量と輸出量が世界的にトップを誇っていたところにある。それが何を意味するかと言うと……全世界が打撃を受けるということだ。価格高騰がもたらした経済打撃は生易しいものではなかったってことさ。

 

一刻も早い解決を望む諸国は、某国政府軍へ増援と物資の支援を送ることを決定した。これには日本も少なからず関わることに。

 

連合軍が編成されてから既に二週間。次々と人もモノも増えていく連合軍に対して、消費するばかりで補充のきかないテロリスト。勝敗は明らかと言えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※※※※※※※※※

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おかえり!」

「ただいま」

 

サムとザックを背負って帰ってきた俺を出迎えたのは、同じチームの妹分だった。まだ幼いが光るものはあると別のメンバーが気に入って連れてきたんだっけ。今は勉強しつつ訓練し、家事を任せている。

 

「ギン兄、今日の料理は自信あるよ」

「食えればいい」

「そう言ってやるなよ」

 

俺もなかなかの子供だが、こいつはその俺よりも年下だ。女の子でもそれらしく料理が出来ない。ダークマター、バイオテロとえげつないシロモノを最初は作っていたがココ最近はまともに食べられる様になってきた。が、あまり期待はせずに食えればいいと思っている。

 

えへへと笑いながらついてくる少女を見る。

 

フィリア。橙色のショートカットに碧い瞳。やや外ハネの髪が、コイツの活発な様をよく表していた。俺がリーダーに拾われた後にクララが作戦帰りに連れてきたのが一年前。クララもそうだけど、歳が近い俺によく付いてくる様になり、気づけば妹のように横とか後ろとか、とにかくくっついて回るようになった。最初こそ少し疎ましかったが、今ではそれが心地よい。

 

「サムの言う通りだぞ」

「…クララ」

 

歩いている最中に脇の部屋から声が聞こえてきた。フィリアを拾って来るまではチームの紅一点だったクララが。しかも、石造りの棚を使って懸垂をしながらである。腕といい背中といいそこらの男性軍人よりも筋肉がヤバイ。ついでに中身も男より漢。

 

一息ついて懸垂をやめたクララはタオルで汗を拭きながら合流してきた。ストロー付きのタンブラーを咥えながら口を動かす。

 

「最近の飯はちゃんとうまいだろうが」

「それは…クララが当番だし」

「実は毎日フィリアに作らせてたと言ったら?」

「へぇ」

 

それは気づかなかった。味付けなんて人それぞれだけど、クララに教わっていたのなら味付けも当然似るからかな。

 

にかーっ、としてやったり顔を浮かべたフィリアがすすっと頭を差し出した。これはうん、負けだ。

 

「一本あり、ってお前の国では言うらしいぜ」

「知ってる」

 

凹んだ水筒のキャップを口で外して煽るように飲む。

 

「うぇぇっ! げほっ!」

「うおおきたねぇ! 何してん……はぁあん?」

「おぇ」

 

口に含んだ瞬間に広がる苦味、舌先が触れるだけで顔から指先までかあっと熱くなる感覚、頭の中がぐるぐるする浮遊感。

 

中身は酒だった。敵から奪った水筒だが、確かに帰るときに一口飲んだときは水だったはずなのに。つーか普通の酒なら俺はこんなにならないんだが……なんて度数飲んでやがる。

 

「大丈夫?」

「も、問題ないうぉえええぇ」

「あ、悪ぃ。俺のだソレ」

「は?」

「帰るときに重いからつって渡したろ? よく見りゃ似てるもんな」

「てめ…後でおぼおおぉぉうぇ」

 

鉄の意志を持って吐き気を押し殺す。外なら気にもとめないが、生憎ここは俺達の生活圏内。衛生的に良くない掃除も面倒だし、消毒液が無駄になる。吐くなら袋だ、袋をくれ。

 

「フィリア、水と酔い止めをキテツから貰ってきな。こいつは部屋に運んどくから」

「う、うん!」

 

いや、だから―――

 

「【自主規制】」

「ぎゃーーーーーーーーー!! ギンのやつ俺のポケットに【自主規制】を【自主規制】しやがった!!!」

「あーー、袋持ってくりゃ良かったね」

 

あははと笑いながら頭をぽりぽりと掻くクララのポケットにしっかりと袋があったことを見ながら、本日二度目のビックウェーブを巻き起こした。

 

「ぎぇえああああああああ!!」

 

サムの悲鳴が夕方の地下に木霊した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※※※※※※※※※

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「んで、なんだこいつは」

「あー、サムの酒を水と間違えて飲んだみたいだよ」

「ったくよぉ、鍛え方が足んねぇんだよ」

「そう言ってやるな、まだ子供だ」

 

夕食。俺はフィリアの膝枕でぐったりと横になっていた。酔いは収まってきたがまだ頭が痛い。揺さぶられるような、響くような頭痛はまさしく酔いだった。

 

「なんのために酒飲ませてると思ってんだ」

 

リーダーの言及にグウの音も出ない。酒…もといアルコールが恐ろしいものだからだ。それは身をもって体験したし、サムとキテツの体験談には背筋が凍る思いがしたことも新しい。

 

俺たち傭兵は金で動く何でも屋さんだ、まぁ、依頼は決まって血なまぐさいが。とにかく、契約が成立すればどこにだって飛んでいくのが俺達。ジャングルも砂漠も火山も孤島も雪山も船の上も空も、地球上の全てが仕事場だ。いつ死ぬか分からない事もそうだが、いつ食えなくなるかもわからない。

買い込んだ食料が底をついたこともある、一滴の水も飲めない時だってあった。

食料はまだいい、何かしらの生き物や植物があればどうにかなる。正しい知識さえあれば。

だが水はそうもいかない。放っておけば腐るし、そのあたりの川の水が飲めるかどうかなんて分かりゃしないのだ。当たれば最後だ。サムは三度死にかけたと言っていた。

その点で言えば酒はまだ信用できる。酒を水がわりに飲めるようになればいいとは奴の言葉だ。これにはリーダーも賛成した。

 

そしてもう一つ。避けては通れないのが酔い。

酔った勢いで押し倒される女性がいれば、酔った勢いで何をしでかすか分からない男がいる。酒には飲んでも呑まれるな、ってことらしい。

 

しっかりと(?)飲まされているが、サムのは飛び切りのヤツだったってことで。

 

「あー、リーダー。話がある」

「あ?」

「今日の仕事中に掴んだ情報だ。三日後に総攻撃らしいぜ、俺とギンはここいらが潮時だと思ってる」

「あー……」

 

フォークで刺したチキンを豪快に喰らいながら、リーダーは少し悩んだ。

 

今回の仕事、前金で結構な額を貰っているらしいが、そんなのはいつものことだ。依頼を完了して初めて報酬と言えるだけの金が懐に入る。前金は仕事中に大概が消えてしまう。言ってしまえば時間と金の無駄になるので、俺達としてはあまりいい選択とは言えないのだ。

ただ、引き際を見誤ると、死ぬ。

 

なんとも言えないバランスを考慮して行動しなければならない。

 

俺としてはこういう依頼は嫌いだ。面倒くさいのもあるが、自分ではどうしようもないところで話が決まってしまう。

 

「そっちの方向で考えとく、準備だけはしとけ」

「OK」

 

まぁ、そうなるわな。

 

その後はすぐにお開きとなった。俺はと言うと、少しずつ夕食を腹に入れて、痛む頭を抑えながら準備だけはなんとか終えた。最低限の食料と水、武器と弾薬、野営道具。これもまた、いつも通り。

もう少しだけ準備を入念にしたいところだが、コンディションが最悪すぎて何も出来そうにない、あの黒人ハゲめ。

続きは早起きしてやる事に決め、水をたっぷり飲んでボロボロのベッドに潜り込んだ。

 

 

 

 

 

酒が入ると、実は眠りが浅くなる。寝る前に飲む人もいるらしいが、俺の感性からするとありえない部類だな。あの眠らされる感じは嫌いだ。

 

アルコールは大分抜けたらしく、頭はスッキリしている。が、眠るには少し邪魔だ。

 

「よっ…と」

 

念のため自動拳銃と愛用のナイフをもって、散歩に出た。

 

俺達が使っていたのが石油施設従業員の宿舎一角。テロリスト共に紛れて生活している。洞窟掘ってスペースを確保しているのがほとんどだが、リーダーのおかげでいい場所を借りることが出来たらしい。ウチは女もいることだし、そこいらに比べれば安全だろうというらしくない配慮だ。

 

途中、巡回する奴らのライトに照らされながら敷地内をぐるりと半周。壁に突き当たって左へ曲がる。

 

タンクや建築物の影を踏んだところで、それは起きた。

 

「よぉ」

「おう」

 

こちらに背を向けている男が、その男へ向かって歩いてくる男に手を挙げて軽い挨拶をした。近づいてくる男は同じように手を挙げて返事する。

 

「リーダーと……日本の自衛隊?」

 

背を向ける男はリーダーだ。タンクトップから見えるタトゥーと古傷からして間違いない。向かってくる男は二の腕に日の丸国旗を縫い付けた迷彩服を着込み、深くキャップをかぶっていた。顔は見えないが、服と日本語からして間違いないだろう。

 

テロリスト側に日本人はいない。装備なんてもってのほかだ。お国柄自衛隊は絶対に前線に出てくることは無いのだから、奪うことも出来ないし、わざわざ用意する意味もないはず。

 

相手は自分から最前線の敵基地深くまで潜り込んだという事になる。

 

だが、リーダーは武器を構えるどころか歓迎している、なんでだ?

 

「仕事はどうだ?」

「ぼちぼちってとこだな。稼ぎは悪くねぇが――」

「乾きは癒してくれない、と。だがそこまでにしておけよ。三日後には総攻撃が始まる」

「ああ、知ってる」

「ほぉ?」

「ウチのガキが掴んできた」

「それは中々。明日には引き上げか?」

「そのつもりだ」

 

スパイ、なのか?

 

「ところで、仕上がりはどうだ?」

「良い感じだぜ、収穫時だな」

「だったら明日がいいだろう」

 

収穫って、なんだ? 野菜とか育ててないよな? 家畜もいないし。

 

「何人だったかな……」

「ガキが二人、黒人一人に女と男が一人ずつ」

「二人?」

「女が拾ってきたンだよ、メンドクセェ」

「なんだ鍛えてやらないのか」

「ありゃあダメだ、光るもんはあるがそこそこしか伸び代がねぇ」

 

ガキが二人、黒人一人に女と男が一人ずつ。

俺とフィリア、サム、クララとキテツの事を言ってるのか? 偶然にしてはぴったりだし、クララが勝手にフィリアを拾ってきた事も事実だ。リーダーはフィリアに仕込んだりしないこともそうだ。

 

「狙いは?」

「男のガキンチョと、黒人だな。あいつらコンビも良いがソロが特にイイんだよ。食い甲斐がある」

「お前に目をつけられるとは……災難だな」

 

………もしかして、収穫って、俺達か? 食うってのも?

 

「まったく呆れるぞ、殺しに生きがいを見出すのは結構だが、歯応えがないからと自分で育てるなんて」

「そっちがはえぇだろうが。それに、自分の癖を知ってる奴との殺し合い、下手すりゃ自分がやられるかもしれないスリルが堪んねぇだろ?」

「同意を求めるんじゃない」

 

自分で拾って鍛える。自分が殺すために、殺されるかもしれないスリルを味わうために。

 

じゃあ、親なしの俺を拾ったのも、生き方を教えてくれたのも、読み書き算数も言葉も全部全部全部……。

 

自分で殺すため、なのか?

 

リーダー。あんたは口が悪いしマナーもへったくれもない、女がいてもお構い無しのクソ野郎だ。でも皆あんたの事を何だかんだで信じてる。頼りになるリーダーなんだよ。

 

なのに……!

 

(知らせないと)

 

今までは死んでもいいと思っていた。たとえ死んでも何かを成せば、それがリーダーや皆への恩返しになると思っていた。

 

それがどうだ、俺の気持ちも皆の信頼も、預けるような人間じゃなかった。俺以上のロクデナシじゃないか。

 

死にたくない。そんなことで死にたくない。嫌だ。

 

音を立てないように、慎重に足を動かしてその場を離れた。

 

今動いてはダメだ。いつ戻ってこられるか分からないし、起こして準備してなんて余裕はない。逃げるなら、明日の戦闘中にドサクサに紛れてだ。

 

グッと強く拳を握って、その場を後にした。




誤字報告を上げていただいた方々、ありがとうございました。
20170223


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

phaseー 中東戦線2

無理矢理にでも眠った。明日には信頼していたはずの男から殺されるかもしれない事実を前に無防備になる事に抵抗もあったが、あの様子なら寝首を掻くことはないだろうし、寝不足で体力を減らすのが一番まずい。

 

寝れる時は寝とけ、そう教えてくれたのもリーダーだった。

 

……だったん、だけどなぁ。

 

いつも通りに起きて身体を温める。日光を浴びて頭の中からモヤを消し、ぼうっと空を見上げた。

 

「雨が来る、か」

 

まだ明るいが、雲の流れからして昼には雨が降るだろう。かなりの大雨だ。戦うにはなんとも言えない天候だが、逃げるには良い。足跡も臭いも消してくれる。身体の熱を失わないように工夫がいるな。

 

朝っぱらだってのに連合軍が仕掛けているらしくドンパチと音が聞こえる。早速俺達の出番が来る筈だ。

 

逃げるならそこだ。雨に紛れて、すり抜けるしかない。

 

両手で頬をぱしんと叩く。絶対に生きてやるぞ。

 

「ギン兄ーー!!」

「フィリア?」

 

気合を入れたところで俺を呼ぶ声が後ろから聞こえた。汗をかいて必死の形相で駆け寄ってくる。よく見れば泣いていた。

 

「どうした?」

「き、キテツ! キテツがっ、冷たくて、呼んでも、へんじ、無くって……」

「………!」

 

冷たい。返事が無い。つまり、死んだということ。

 

泣いているフィリアの手を引いて駆け出す。そこいらの子供と違ってフィリアも一応鍛えているのでしっかりと着いて来れることを確認して、少しスピードを上げた。

 

宿舎の一角を間借りしている、と言っても全員の部屋が固められている訳じゃない。クララとフィリアは同室、その隣に俺の部屋で、さらに隣の角部屋がサムの部屋になる。リーダーとキテツの部屋は少し離れたテロリスト幹部が集められている部屋の近くにあるのだ。

 

狙いは俺とサムだと、昨日は言っていた。それは俺達が脳筋バカで指示通りに突っ込むタイプで、殺し合いがしたいなら確かにうってつけだろう。逆にキテツのような頭脳タイプはそんなに期待してないだろうし、逃げられると困る。

 

クララとフィリアはどうとでもなると考えれば、まず消されるのはキテツだ。

 

「……よぉ」

「……寝覚め最悪」

「全くだよ」

 

首の動脈を捌かれたキテツが目を見開いて仰向けに倒れていた。血の気は微塵も感じず、赤いネットリとした水たまりが現実を物語っている。サムとクララに並んで、苦い顔で亡骸を見やった。

 

俺のせいだ。昨日のうちに動いていれば、キテツは死ななかったかもしれない。無駄な事だと知っていても後悔が先に立つ。

 

リーダーはいない。今話してみんなで逃げるんだ。

 

「話がある」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※※※※※※※※※

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうなるのかな…」

「………」

「ギン兄にも、わかんない?」

「…そうだな」

「……そっか」

 

撥水性の高い黒のポンチョを羽織り、俯きがちなフィリアの手を引いて慎重に歩を進める。右手の自動拳銃の感覚を確かめるように、強く握りなおした。

 

今俺たちは別々の方向へ向かって走っている。と言っても途中までは一本道なのでそこから散り散りになったんだが。大人二人はそれぞれで迂回して何とかすると言って去っていった。俺はというとフィリアを連れて戦場の端を通るように進み、現地の子供を装って匿ってもらうつもりだ。捕まって仕事をさせられていたけど逃げ出したとか言えば悪くはされないだろう。このあたりは治安の悪さで知られており、今更他所の子供が二人現れた程度じゃさわぎにも

 

地図を頼りに岩だらけの道を進む。足元に細心の注意を払って、崩れない事を確認してからフィリアを誘導する。こんな所で脚をくじいてしまったら最後だからな。

 

空は雨雲一色。湿った空気も相まって、いつ雨が降り出しても可笑しくない天候だ。

 

何かと好都合な雨だが、体力を奪うという一点だけが頂けない。服も水を吸って重くなるし銃の火薬も湿気って使えなくなることもあった。

 

俺はまだいい。フィリアはヤバイ。

 

出来ることなら雨が降る前に助かりたかった。

 

「はい」

 

休憩を告げて地図を見ていると、フィリアが声をかけてきた。差し出された手には水筒。蓋は開いていた。

 

「いい」

「いいわけないよ。私よりも動いてるんだから」

「鍛えてい――」

「鍛えているんじゃなくて慣れてるだけ。喉乾いてるの知ってるんだからね」

「……わかった」

「うん」

 

飲まなきゃ全部捨てるとか言いかねない雰囲気を察して折れることにした。なんかこう、こいつには見透かされている気分になる。いや、扱いが上手い?

 

「いまどの辺り?」

 

受け取った水筒にちびちびと口をつけながら指を指す。

 

石油施設は絶壁に沿う形で立ち並んでおり、攻めるも守るも基本一点に集中している。天然の要塞に阻まれて連合軍は今まで強硬策を執ってこなかった事こそが、テロリストが今の今まで戦えていた要因であり、今回頭を悩ませる種だ。軍隊という特殊な組織が進軍を躊躇う程度には険しいこの地形、逃げる為のルートが大きく絞られてしまう。

 

簡単に説明するならば、石油施設を支点とした扇のような地形だ。連合軍は逃げ道を塞ぐように徹底したラインを築いており正しく扇と言える。基本的に悪路であり、平地は少ない。

 

俺が通っている道は扇の端に沿うような、そんな道だ。だから片側には常に絶壁がある。沿うように進んでいけば包囲網にたどり着けるはずなんだが……目的の迷彩服は一向に見えてこなかった。

 

すっ、とおおまかな現在位置を指し示す。人差し指の先は、石油施設とキテツが引いた包囲網のちょうど中間点を指した。

 

「あ、後半分もあるの?」

「半分かどうかも怪しい」

「え?」

「確実にここに誰かがいる保証はない」

「そっか……」

 

ここに来るまでおよそ二時間。いい加減リーダーも気付いている頃だ。時間的に追いつかれてもおかしくない。こっちは態々悪路を選んで進んでるしな。

 

しかし、追いつかれたからと言って戦うわけにもいかない。現状まず勝てないんだよ。そこらの大人より強い自信はあるが、その程度の実力じゃあの男は倒せないのだ。俺に殺しを教えた男だ、癖やスタイルも見抜かれているし、体格だけはどうしようもない。

 

つまり、早く逃げたい。逃げる事だけが生き残る道なんだ。

 

「行くぞ」

「うん」

 

俺の焦りを悟ったか、フィリアは文句を言わずについて来た。

 

目星の場所まではまだかかる。

 

ポンチョにポタポタと雫が落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〓〓〓〓〓〓〓〓〓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「惜しいなぁ、クララ。まぁ、今までの連中よりか楽しめた」

「げふ……」

 

アタシと、サムと、ギンとフィリアの三手に別れて散らばった結果、まず引っかかったのはアタシだった。

 

まぁそれもそのはず、二人と違って最初からリーダーが居るであろう(昨日の時点で予め決められた配置)場所まで真っ直ぐに向かったのだから。

 

手を組んで倒すのならまだしも、逃げる方向ではリーダーに勝てない。各個撃破で殺されるのがオチだ。アタシには最初からその結末が見えていた。

 

「逃げりゃよかったんじゃねぇか? え?」

「まぁね…」

「はん、ガキの為か」

「当たり前さな、アタシらとは違ってあの子たちにはまだ未来がある。輝かしい未来が」

 

大の字で寝転がる私にリーダーが歩み寄る。ピチャピチャと、血の池を。

 

目を閉じて……いや、開けたところで何も見えないが、二人を思い浮かべる。

 

殺人鬼にならざるを得なかった少年と、カケラほどの無垢を残した少女。二人とも本当に優しい子だ、フィリアも、ギンだって。自分だけで逃げてしまえば良かったのに私達も巻き込んで、生かそうとしてくれた。

 

この世界にどっぷり浸かった人間はそんな事出来やしないのに、アタシも、サムだって。当然のように救おうとしてくれた。

 

向いているだろう。だが住むべきじゃない。

 

「馬鹿言うもんじゃねぇクララ。あいつらは一端の殺し屋さ、ギンは勿論フィリアだってな。死体の横で飯が食えるガキが世の中にどれくらい居ると思ってンだ? ナイフ一本で銃を持った大人数人を圧倒できるガキがどこにいる? いやしねぇよ、アイツ以外には。アレはオレが育てた、生まれながらの殺し屋さ」

「それはこっちのセリフだよ、アンタが言ってるのは過去の話だろ?」

 

過去と言うよりはいずれ過去になると言うべきか。人生が五十歳六十歳と続く中で、今の十代なんてたった六分の一でしかない。若い内を青春とはよく言うが、人生の本番はまだ始まってすらいないのだ。どれだけ辛くとも、逆に楽しくても、あっという間に過ぎ去っていく。

 

ならば今は過去なんだ。

 

「未来は違う。何が起きるか誰だって分からない。あの子達なら過去を受け止めて、違った将来を生きて行ける筈さ。生まれが悪くたって、境遇に殺されても、そんな事じゃ折れたりしない」

 

二人には日本に行くようにと言ってある。平和を謳うあの国なら、少なくとも今までの底辺の生活を送る事はないはずだ。子供だけで生きるには辛い国だが、人を殺して食いつなぐよりは遥かにマシだろう。

 

上手な生き方をすれば、きっとこんな生活をしていた事さえ忘れられる。

 

「えらく入れ込んでんじゃねえか」

()の将来を夢見て何か悪い事でもあるのかい?」

「カッ」

 

額に焦げ臭い銃口が突きつけられる。まぁ、弾減らしくらいにはなっただろう。後はあの子達次第だ。

 

ギン。

 

アンタは強くて優しい子だ。頭もキレる。それでも自分は無力だと思い込んでるフシがあったけど、そんな事ぁない。どうかそこに気付いて欲しい。勿体無いんだよ。持って生まれたモノが他の連中とは違うんだからさ。

 

フィリア。

 

……。

 

あぁ。

 

伝えたい事は山ほどあるのに、言葉が出てこない。

 

心の中では謝ってばっかりだったね。アタシが母親で苦労したろう、こんな掃き溜めは苦しかったろう、母だと名乗ることも出来ず、らしい事もしてあげられ無かった。可愛い洋服をいっぱい着せたかった。化粧だって教えてやりたかった。

 

あぁ。悪いね。

 

辛うじて繋がっている左手を持ち上げ、握り拳を額に当てて祈る。身内では死者の弔いという所作だが、細かい事はいい。両手を握って膝をつくより、十字を切るよりもよっぽど祈りが届きやすいだろう。

 

どうか。

 

どうか、あの子達に、娘に幸せを。

 

「あばよ」

「さっさとしな」

「カッ」

 

パァン。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〓〓〓〓〓〓〓〓〓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うぉっ……!」

「きゃ!」

 

二人して滑る。明らかに勢いを増した雨風のせいだった。

 

「大丈夫か?」

「うん」

 

幸い骨折や捻挫は無かったようだ。安全を確認してから直ぐに歩を進めた。

 

乾燥した岩の上はさて置き、雨が降ってくると勝手が変わってくる。さっきの様に滑るし、こけたり、確実に歩みが遅くなる。頭でも打とうものなら即死の可能性も見えてくるだけに無茶はできない。流石の俺も速度を落とす。

 

「……雷?」

「だな」

「怖い……」

「そういう歳じゃないだろ」

「そうじゃなくて!」

 

俺は雷も怖いが、土砂崩れが起きそうな事が最大の不安だけどな。脆くは無いが確実に無いとも言い切れない。

 

「……やべぇ」

「え?」

 

こんな雨の中でもわかる。わかるぞ。

 

ニオイが。血だ。血のニオイだ。

 

「よぉ。やぁーーっと見つけたぜ?」

「リーダー……」

 

ぽつりと呟くフィリアを片手で制止し、ナイフに手を忍ばせる。流れ弾に当たらないように隠れさせ、もう片方の手で自動拳銃を抜いた。どちらもリーダーが特注してくれたオーダーメイドで、相棒で、これまたリーダーに教わったスタンダードなスタイルだ。

 

リーダーも同じようにナイフと自動拳銃を抜く。ただし、重さやナイフの厚さ、銃の口径は比べるべくも無いが。

 

やるしか無い。逃げ切るには殺すしかない。見つけてくれる誰かが味方とは限らないし、脚を狙って動けなくしたところで俺たちの歩みでは追いつかれるのが関の山。

 

「ハハハハハハハハハ!!」

「……ッ!」

 

高笑いと共に発砲して来たリーダーへ、俺は無言で殺意を返し、駆けた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

phaseーー 中東戦線3

お久しぶりです、トマトしるこです。

そう言えば新作がPS4で出るそうですね。もう出たのか?
GGOということで、早くお金をためて買いたいとうずうずしています。

シノンのおしりでご飯五杯はいけますね、えぇ。


右へ左へと蛇行しながら、牽制とは思えない正確な弾丸を頬で感じつつ接近し、ナイフを振るう。

 

「シャアッ!」

 

嬉々とした表情で、リーダーは俺のナイフを肉厚なダガーで受け止めた。鍔迫り合いになると体格的な問題で俺が競り負けるのは避けられないので直ぐに下がる。

 

着地と同時にサイドステップを踏んで追撃の弾丸を避け、もう一度攻める。

 

防がれ、避けられ、いなされる。それでも一撃の為に喰らいつく。正確無比な弾丸が服を掠めても、ダガーが俺の行く先にあろうとも、ポンチョが裂かれても止めない。否、止めるわけにはいかない。

 

リーダーはプロだ。殺しのプロ。俺なんかとは比べるべくもない。普通に戦えばまず負ける。今は(・・)あらゆる手を尽くしたとしても負けるだろう。逃げるのが最善だが今回はそうもいかない事情がある。

 

殺すために……勝つためにはゼロ距離でのインファイトを仕掛け続けるしかないのだ。小柄故の小回りの良さを活かして避け続け、一回有るか無いかの攻め時を雨と岩場という最悪の足場で作らなければならない。

 

何度目か分からないバックステップにリーダーがダガーで追撃をかけてくる。突きだされた刃を握る腕に左手を掴んで地面へと加速させる。ダガーで岩を削ったリーダーはそのまま顔面を打ちつける…はずもなく前転して襲いかかって来た。

 

「何でだよ! 俺達は……いい加減だけどなんだかんだ仲間思いで頼もしかったリーダーが大好きで今までついてきたんだ! なのに!」

 

ダガーの突きをナイフで弾き、至近距離で膝に狙いを絞って引き金を引く。最高のタイミングで放った弾丸は僅かに開脚して姿勢を低くするだけで避けられ、俺の脚を刈るようにリーダーの右脚がしなる。その攻撃を読んでいた俺は一回転するようにリーダーの頭上を飛び越え、すれ違いざまにナイフで背中を斬りつけるも、特注の自動拳銃を盾代わりに防がれた。

 

「気付いたら独りだった俺にとっちゃ、生き方も死に方も教えてくれたアンタは親代わりだったんだ! ナイフの握り方も! 銃の引き方も! 全部! それが自分で殺したいからそうしたいからだってんのかよ!?」

「あぁ……? そうか、お前昨日の話を聞いていたな? 俺はてっきりサム当たりかと睨んでたんだがなぁ。まぁ、どうでもいいが」

 

ゆらりと立ち上がって俺を見下したリーダーは、俺の知っていたリーダーとは違う誰かだった。ピエロの様な三日月の目と口角。獲物を前に歓喜する捕食者のソレを顔に貼り付けて、コイツは口を開く。

 

「家畜を育てるのは何故だ? そう、食う為だ。それはそれはおいしくおいしく召し上がる為だろ? 飼育員が、エサが、小屋が、個体が変われば味に優劣が生まれる。グラム100円もしないクソ肉と、メニューに値段の載らない時価って肉の違いはそこだろ?」

 

口角を釣り上げ涎を撒きながらも、目の前のコイツはお喋りを止める気配は無い。

 

「誰だって美味い飯が食いたいはずだ、そうに決まってる。頑張った自分へのご褒美も、誕生日を迎えた奴も、メデタイ時も、人間が選ぶのはいつだって普段は口にしない御馳走と決まってンのさ」

 

だらりとダガーと自動拳銃を指にひっかけるようにぶらさげて、ケタケタと笑いだす。背後で隠れていたフィリアの息を飲む姿が見えた。そういや見たこと無かったんだっけ。

 

こんな状態のリーダーは、ただしく獣だ。

 

「俺はとびっっっっっきりの御馳走が食べたくて仕方なかったのさ。でもな、舌が肥えちまった俺には御馳走が御馳走じゃなくなっちまった。年に一回だけだったハーゲンダッツが、いつの間にか毎日それを口にしていたときの絶望がお前に分かるか? てかハーゲンダッツしらねぇか。まぁいい、とにかく俺は美味しいご飯が食べたくて食べたくて食べたくて仕方ねえのよ。だから作ることにした」

「それが俺だってのか……!? サムやキテツだってのか!?」

「ああ。だから―――」

 

滲んだ視界で捉えていたはずのリーダーが、消えた。

 

「―――ハラいっぱいにしてくれよおぉぉぉ」

 

不気味な声が背後から囁いてくる。覇気もなく、抑揚もなく、ただ食欲を満たしたいだけの呻きが。

 

「クソッタレェェェェ!!」

 

振り払うようにナイフを一閃し距離を取る。元々攻撃するつもりが無かったのか、リーダーは俺のナイフをいなしても追撃しこずにヘラヘラと笑っていた。

 

ダメだ、焦るな、落ち着け気を沈めろコントロールだ、クールになれ。逃げるなら冷静さを欠いた本能剥き出しの今しかない。気を張っていても、数年かけて待ち望んだ瞬間が来たんだ、気が緩まない訳がない。

 

銃口を心臓へ向け狙いをつける。ナイフの乱舞を必死に避けながらもブレさせることなく、ただ機会を待つ。いつ放たれるか分からない銃に全く怯む様子のないリーダーは、よだれを撒きながらただただ俺を切りつけようと突進を繰り返す。まるで理性を感じないスタイルだ。

 

一瞬だけ悩む。

 

他の安否もあるがまずは俺達が生き延びることが優先。この後も雨の真っただ中を行進しなければならないのだ、慣れないフィリアの安全にも気を配りながらとなると、体力は少しでも多く温存しておきたい。ということは一秒でも早くリーダーを何とかする必要がある。そろそろ逃げ回るのも限界だ。

 

なら攻める。理論もクソもない今の状態が一番崩しやすいと見て、一気に決めてやるさ。

 

まずは一発。

 

殆ど本能にちかい動きでソレを避けたリーダーに、さらに数発。

 

「オラオラどうしたぁ! しっかり狙ってんのかアァ?」

 

下品な笑い声を上げながら、挑発を交えてじりじりとにじり寄ってくる。余裕で全弾交わしたリーダーは愛用のナイフで俺の頭を狙って突きだした。

 

ここだ。

 

「ッ!」

 

銃をホルスターにしまい、空けた腕で突きだされた腕を掴み逆上がりするように自分の身体を持ちあげた。ふわりと綿のように舞いナイフを振り抜く。

 

「ぐぉっ……!」

 

その一振りをすんでで避けたところへ、自動拳銃の柄を振り抜く。避けようのない一撃は綺麗に延髄に決まり鈍い音を立てた。普段は絶対に聞かないであろうリーダーのうめき声とセットで。

 

スローモーションのようにふらついては、力を失くしてどっさりとうつ伏せに倒れ込んだ。しかも頭をぶつけるというボーナス込み。

 

「はあっ、はっ、はっ……ふぅ…」

 

良し。決まった、手ごたえあり。こうなればしばらくは動けない。死んではいないだろうが、少なくとも気絶はしている。起きてもマトモな状態じゃないだろう。立つことも碌に出来ないはず。

 

やった、やったぞ! リーダーに勝った!

 

いや、喜ぶのは後だ。今すぐここから離れないと。動きを止めただけで死んでるわけじゃない。時間が経てば回復するし、起き上がってくる……から…。

 

(殺すか?)

 

そうだ。追いつかれるのが嫌なら気絶している今の内に殺してしまえばいい。そうすれば最大の不安を取っ払う事が出来る。追撃される心配もない、逃げおおせた後に怯える事も無くなる、弄ばれた復讐も、仲間の仇も、他方に逃げている仲間達も助かる可能性が高まる。いいことずくめじゃないか。

 

「……殺ろう」

 

やらない理由が、無い。

 

拳銃を正しく持ち、引き金に指をかけて、倒れる男の後頭部に狙いを定める。寝ているフリという場合もある、近づいて確実に仕留めるのは後だ。

 

さあ。

 

やれ。

 

……。

 

「くそ!」

 

やれよ! やるんだよ、俺! じゃないと死ぬぞ! 俺もフィリアも、他の仲間も! この男はこれからもずっと人を殺し続けるぞ、スナック感覚で命を弄ぶ奴になにを躊躇う!?

 

殺せ、殺せ、殺せ!

 

「いいよ、もう、やめよ?」

 

引き金を引く事を躊躇う手を、そっとフィリアが包み込む。にこりと俺に頬笑みながら、首を横に振った。

 

「危ないぞ、下がってろ」

「いいんだって、ね? 行こうよ」

「駄目に決まってるだろ。放っておいて良いことなんて一つもない。コイツは今ここで死ぬべき――」

「泣きながらそんなこと言っても説得力無いって、お兄ちゃん」

 

……泣く? 俺が?

 

「泣いてなんかない、雨の間違いだ」

「嘘。すごく悲しい顔してる。手も震えてる」

「……」

「分かるよ、気持ちくらい。だって家族だったじゃない。私達からしたら、お父さんみたいな人だって」

「それは」

 

ああ、言った。確かに自分で言った。そうだよ、コイツは、リーダーが父親代わりの男だったさ。

 

「それとこれは別だ、だから殺す」

「そうしたほうが良いんだろうけど、一生後悔すると思うよ。だから今は行こう?」

「バカ言うな。今更一人多く殺そうが後悔なんてするか」

「他人と家族は違うよ。私だって、そんなの見たくないよ。お願いだから、行こうよ」

 

あぁ、分かるさ、分かるとも。そうだよ殺したくない。親殺しなんて俺だって嫌だ。そこまで行けばきっとコイツと同類になってしまうんじゃないかって怖くなるさ。引き金を引く度胸が、今の俺には無い。変だな、さっきまではガンガン撃ってたのに。

 

でも……。

 

「そう、だな」

「うん」

 

少し悩んで、諦めることにした。

 

分からないままなんだ、きっと。リーダーに裏切られたって実感はあるけど納得なんて出来てないし、気持ちの整理はつかないまま出てきて、一線を越える覚悟も無い。だから手が震えるし、フィリアが言うように悲しい顔をしているんだろう。

 

このまま何時間も考えられるならきっと撃てるけど、今は一秒すら惜しい。

 

だから行くんだ。

 

今は逃げる。それでいい。

 

「行くぞ」

「うん」

 

最後に一瞥だけくれて、踵を返した。

 

さて、また悪路と向き合う時間か。戦況がどうなってるかわからないが、とにかく進むしかない。

 

フィリアの手をとって、先を歩きだす。

 

 

 

 

「あ」

 

踏み出した一歩は、地を捉えることは無かった。

 

力がすとんと抜けていく感覚。温存していた活力をごっそりと持っていかれた様な、脱力感。

 

じわじわと腹部から広がっていく熱、脳裏にうかんだ色は赤。身体から何かが零れていく確かな感触。

 

「くそったれが、やるじゃねえか。流石だぜ?」

 

撃たれた。

 

「いやぁあ!」

 

フィリアが必死に手を引っ張ってくれたおかげでなんとか岩石とキスするシーンは未然に防げた。が、フィリアの慌てようと、衣服についた血痕、染みついた感覚が、確かに撃たれたのだと教えてくれる。

 

くそ、まさかこんなに早く復帰するなんて。

 

「はぁ、ぐぅ、クソが。痛ぇ……」

「ぐっ、ごほごほっ」

 

互いに痛みに悶え苦しむ。

 

どうやら身体を起こすのが限界らしい、立つのはおろか這いずることも出来ないようだ。ああもう、うだうだ悩まずにさっさと進んでいれば回避できたってことじゃねえかよ。やるせねぇ。

 

対する俺は想像以上の深手に身動きが取れなかった。リーダーの銃はオーダーメイドの大口径、火力は俺の物とは段違いで、受けたことのない深手と風穴が体力を素早く奪っていく。リーダーとは違った意味で立つこともままならない。

 

こうなったら覚悟がどうとか言ってられない。先に動いて、撃ったほうが生き残る。フィリアじゃマトモに当てることもできない。俺が撃つんだ。

 

立て。立つんだ。せめて身体を起こせ。支えられてちゃ反動で外す。自分で構えろ。

 

「ごおおおおお!」

 

あいつ、立とうとしてやがる。無茶苦茶だ!

 

「フィリア、俺を前に放り投げろ!」

「う、わ、わかった!」

 

戸惑いも一瞬。意図は伝わってないだろうがフィリアは俺を支える力を全て使って前に突き飛ばす。勿論前のめりに倒れて岩が身体を打ちつけるが、今だけは痛みを感じなかった。

 

最速で身体を動かすように指示を出すが、思い通りに動いてくれない。まるでスローモーションだ。

 

が、俺の勝ちだ。

 

「……っ!」

 

うつぶせのまま銃を構え、リーダーの心臓に向ける。数秒早く構えた俺はさっきとは打って変わって躊躇いなく引き金を引いた。

 

ガキン!

 

「な……!」

 

弾が、出ない!? 

 

「ふ、ふざけんな……!」

 

単純に撃ち過ぎた。ヒートアップしてたから残弾の計算が頭から離れていたけどさ、別に今じゃなくたっていいだろ空気読め! 

 

慌ててマガジンをリリース。弾倉の回収も後回しにして新しいマガジンをセット。スライドを引いて構えて迷わず引き金を引いた。

 

それはリーダーの右肩を貫き、同時に放たれたリーダーの弾丸は俺の右腿を抉る。

 

「うぐっ!」

 

追撃に顔をしかめる俺は一拍ほど遅れ、二発目を許してしまう。次の弾丸は俺自身ではなく銃に向けられ、銃身を砕かれる。

 

「はぁ、手間取らせやがって……」

「ぐっ、ああああっ」

 

ナイフを抜いた左手をブーツの踵で踏みつけられる。バキバキと骨が折れる音が身体と地面の両方から伝わってきた。同時に右腕も踏みつけられ、同じように骨が悲鳴を上げ、衝撃が傷口を広げ、紅い水たまりがじわりと広がっていく。

 

腕は両方とも使えない。右脚は抉られて力が上手く入らない。腹部の風穴からは依然として血が零れていく。

 

完璧な、詰み。死神の足音とやらがよく聞こえる。

 

「まぁまぁ、いや、かぁなり楽しめた。最ッ高のディナーだったぜ」

 

カッ、と口癖の様な独特の笑い。焦げ臭い銃口がピタリと自分の額に向けられるのを、ぼんやりと眺めるしかできなかった。

 

足掻くだけ足掻いたが、どうやらココが限界らしい。子供のわりには頑張った方だろう。仲間やフィリアには、許してもらえ無さそうだが……。

 

生きたかったなぁ。

 

「あばよ」

 

髭を生やしたリーダーが俺を見てにやりと口角をあげる。獲物をしとめたぞ、と。

 

 

 

 

 

 

その顔が、ブレた。

 

「離れ、てっ!!」

 

どうやって持ちあげたんだってぐらいデカイ丸太をリーダーの左顔面に見事命中させる。よろけさせるどころか重心を崩して尻もちをつかせた。

 

「痛ぇ……。このっ、クソガキぃぃぃいいいいいぃ!!」

「きゃっ」

 

流血している左目あたりを抑えたまま、右目でにらんでくるリーダー。銃をフィリアに向けて乱射するも、どれもがギリギリを掠めるばかりで命中することはなかった。片目で照準をつけているから狙いが微妙にズレているのか。

 

いけるのか。いや、いく。

 

「やってくれたじゃねぇか…! まさかお前にヤられるとは思ってなかった、が!」

「ッう!」

 

立ち上がってあっという間に間合いを詰めたリーダーがフィリアの髪を掴んで引き寄せる。強すぎる力に逆らえないフィリアは意趣返しの様に左の頬を殴られ、腹をつま先で蹴りあげられた。こみ上げた消化中の朝食と血餅が吐き出されていく。

 

痛みを堪えて、死力を振り絞って立ち上がる。指先がだんだんと暖かさを感じなくなってきているが、今は意識の片隅に放り投げ、手ごろな石ころをリーダーへ向かって蹴り飛ばした。当然、避けられた。

 

無事な左脚に力を込めて一足でリーダーに迫り、腿が抉れた右脚を振り抜く。それも当然避けられる。それどころかガラ空きの胴に裏拳を貰ってしまい、強制的に地に叩きつけられた。

 

フィリアから俺に矛先を変え、ゆっくりと無表情で歩み寄る。背後からフィリアがナイフを持つ腕にしがみつき、露出した腕に文字通り噛みつく。流石に痛みを感じたか、目いっぱい腕を振り抜いて振り払い、順手で握っていたナイフを緩く持ちかえ振りかぶる。

 

投擲する気だ。させまいと折れた右腕を背中を向けたリーダーへ伸ばす。どうせもう痛みなんて感じないんだから無茶も無茶じゃなくなる。指先に力を込めてシャツを握り、全体重をかけて下へと引っ張る。つられたことで姿勢を崩し、投擲されたナイフはフィリアの額へ吸い込まれることなく、森の方へと吸い込まれていった。

 

「……いい加減死ねよガキ共。流石につまんねぇ」

 

知ったことか。お前のつまるつまらないに付き合ってるつもりはねえよ。

 

醜い。自分でも思うがあまりにも醜い足掻きだ。藁にもすがるなんてレベルじゃない。俺が逆の立場だったら生き汚さに吐き気を催して唾でも吐き捨てるに違いない。

 

それでもいい。

 

「…死ねない」

「あぁ?」

「生きたいって、言ってんだ……!」

 

生きたかった。どこでもいい。逃げきって、とにかく生き続けたい。

 

その執念が、奇跡を起こした。

 

「いたぞ! 主犯格の一人だ!」

 

森の方から聞こえてきた第三者の声と、十数人はいるであろうガシャガシャという装備の金属音。迷彩服を着た男達がぞろぞろと出てきては銃を構えて迫ってくる。腕にはテロリスト達とは違う紋章。そして、国旗。

 

間違いない、敵側の連合軍兵士だ。

 

「ッチィ!」

 

不利。総判断したリーダーの動きは流石に素早かった。小銃の弾幕をかいくぐりながら、岩石と雨という悪路もすいすいと走りぬけて行った。

 

まさかの急展開に頭が追いつかない。フィリアと二人でぽかんと、消えていった方角を眺めていた。

 

‥‥‥助かった。

 

そう脳が判断したその瞬間に、俺は意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次に目を覚ましたのは暖かいベッドの上だった。肌の感触からして、全身にグルグルと包帯が巻かれ、ところによっては当て木がある様子。視線だけを動かせば、左側に点滴パックがあり、垂れ下がるチューブが丁度左腕があるあたりまで続いている。

 

身体は動かない。痛みもあるが、物理的にベッドに縛られているようだ。

 

「よう」

「……サム」

 

傍らには見慣れた黒人。包帯が所々に巻かれているが、元気そうだな。

 

「フィリアは、まだ寝てるぜ」

「……そうか」

 

フィリア、は。つまりはそういうことか。

 

「連合軍が石油施設を制圧して今日で三日目。俺達は投降兵って扱いになってる。まぁ、軍の兵を殺したりもしたからな、むしろ高待遇か。リーダーの情報を全部くれたやった結果さ」

「助かるよ」

 

サムが上手い具合に交渉を進めてくれていたお陰で生きていられたってことかな。感謝感謝。あの男はいきなり現れてはひっかきまわしてドロンと消える。セーフハウスや作戦傾向、手口なんかは喉から手が出るほど欲しい情報だっただろうさ。

 

「俺達はどうなるんだ?」

「そうだな、また後で話があるだろうが……お前等二人は養子として引き取られることになった。相手は今作戦に参加していた日本の自衛隊員。相手先の情報は一切明かされていないが、少なくともフィリアとはここでお別れになる。聞く限りはそこそこの階級らしいから、今までよりは良い暮らしが出来るんじゃないか? よかったな」

「……あぁ。お前は?」

「俺か? まだ決まってねぇよ」

「そうかよ」

 

会話はそれっきり。あとは呼び出されるまでぼうっと天井を眺めてた。

 

それからはあんまり覚えてない。いや、二人との別れは悲しかったからすこしばかり泣いたことぐらいはちゃんと覚えているとも。互いに再会の約束をして、その内黒人野郎とは祭りの境内でばったり再会するわけなんだが……。なんというかめまぐるしさもあって現実味を感じなかった。鷹村悠って名前も、しっくりこなかったしな。

 

今まで生きるって言われたら、銃を撃って、ナイフで切って、血を浴びることだった。生活がガラリと変わって、価値観も周囲に合わせざるを得なくて混乱ばっかで。あんなに生きたいと願っていたのに、いざ生き伸びてみても、そもそも普通とか常識が分からなくて、生きるって結局なんなんだよって思ってた。

 

それが変わっていくのが、おじさんに引き取られて大体一ヶ月後。本当に必要最低限の教育を受けて、長野の家に案内されたあの日。

 

『そう、私、詩乃っていうの。朝田詩乃』

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

phase 29 仲間

トマトしるこです。

投稿先を間違えるとかいうアホな事してしまいました。ホントにすみません。

こっぱずかしい。

では、気を取り直して。

連載していた作品が一つ完結となりました、読んでくださった方々、ありがとうございました。今後の回転率が若干上がってくるかと思います。

ところでゲームの新作はどうなんです? 私も早くしたいんですけどね…


「……ってわけだ。後は日本でそれらしく学生生活を送って、ゲームにはまって、ここにいる」

 

こち、こち、と宿屋の振り子時計の音がやけに大きく聞こえてくる。

 

そりゃあそうだ。今まで一緒に戦ってきた仲間が実は少年兵の前科持ちで、今までに人を殺してきている経験があるって言ってるんだから。怖くなって当然だ。それが普通だ。

 

日本って国は地球上でもかなり平和な部類の国で、先進国として世界を牽引してきた。勿論、まったく犯罪が起きないわけじゃないが、それでも大きな目で見れば明らかに裕福と言える。そこで生まれ育って、他国の現実をその目で見たことのない学生にとってはそれが当たり前。

 

デスゲームは確かに恐ろしい。

 

だが、現実よりは温いとも思ってる。

 

腕を斬られようが時間とアイテムさえあれば元通りに動かせる。胸を貫かれても違和感と痛みがあるだけで死にはしない。SAOは忠実に、正しくゲームだ。まぁ、バッドステータスとか仮想空間ならではの恐怖も勿論あるんだが……。

 

ここまで生きてきた高レベル帯プレイヤーは間違いなく一端の戦士だ。生きるために最善を尽くし、努力を重ね、泥水を啜り、出来ることは何でもやって来た。棒きれを振るう様なごっこ遊びだった初期の姿はもうどこにもない。ソードスキルに頼らずとも、各々が愛用の武器を熟知し、指使いから重心の運びまで研究を重ねてきていることだろう。

 

それでも、殺人だけは、違うんだ。平和な日本で殺人とは最も重い罪の一つで、犯してはならないタブーだ。たとえ何があろうとも、どんな状況であってもどんなにソイツが人の道を外れた外道であっても、その一線は越えてはならない。それが常識の筈。

 

「ま、なんとなく分かってたわ。ずっと前から。ねぇ? リーダーさん」

「いやいや、シノン程の付き合いはないからな? でも、なんか納得したよ、お前の強さが何処にあったのか。短剣スキルを上げてないのに装備してる理由も」

「うん、分かる。フィリアがやけに肝が座ってるとことか」

「あはは、私ってそんなイメージ?」

「だって虫モンスター見ても驚かないじゃない」

「まぁね。もっとヤバいのがウヨウヨいたから」

「ほらぁー」

 

だからこの反応はビックリだった。

 

アレルギーに近いんだ、犯罪ってのは。それだけで嫌悪してしまう。そうだろ?

 

「待て待て、話聞いてなかったのか? 今まで人を殺し続けてたんだぞ?」

「お前……マゾだったのか?

「キリト。俺は真面目に聞いてんだよ」

「俺だって真面目だ」

「だったら!」

「これからも殺し続けるのか? そうじゃないよな。少なくともお前は我慢してる様に見えた。苦しんでたんだろ? 罵倒されたくて切り出したわけじゃないだろ? ナイフ投げられたかったのか? 違うだろ。この話を切り出す事だって抵抗があった筈だ。なら、俺が言うことはやっぱそうなんだよ。受け入れるし、愚痴があったなら聞くし、ナイフなんて投げない」

 

さも当然のように、今日の夕飯について考えているように、さらりといつも通りにキリトが語る。そりゃあ確かにお前がいうとおりだけどさ、抵抗感の一つや二つはあるだろう?

 

「アイン君が、何か決心して話しだしたのは分かってたよ。ゲーム開始から一緒だから、それくらいは見て分かる。普段のキミはそんなふうに話したりしないでしょ? だからよっぽどのことなんだって思って聞いたの。キミが覚悟を持って話したのなら、私達は覚悟を持って聞くし受けとめる。多少の驚きはあったけどね」

 

……おかしいな、俺の知ってる日本人はこんなことを言うはずないんだが。少なくとも学校とか知り合い連中は絶対にあり得ん。

 

孤立や孤独を覚悟してた。これまでの生活ももう終わりかもなって思ってた。口汚く罵られることも覚悟の上だ。何せ、今まで騙し続けてきたから。だってよ、人殺しだぜ? その辺のチンピラみたいに喧嘩してきたとかチャチなもんじゃない。手に掛けたのは百人じゃあ足りないくらいだ。已む無くそうしてたんじゃない、自ら進んで殺しをしてたんだ。今だって躊躇いなんて無い。この間の温泉騒ぎのときだってそうだった。

 

俺はそんな奴なんだよ。

 

近くにずっと居たんだぞ。武器を持ってダンジョンウロウロしてたんだぜ? これからもそんな日々が続くかもしれないんだ、怖くないのか? 俺だったら怖い。

 

ほら。アスナ、お前の顔が引きつってんの見えてるぞ。お前の驚きは多少どころじゃ無かったんだろ? だったらなんで取り繕う? 無理をしてまでそうする理由はなんだ?

 

「だって仲間じゃない」

「……えぇ?」

 

あんまりにも予想外の回答に拍子ぬけた声が漏れる。

 

いや、疑ってるわけじゃないんだ。仲間だって言ってくれるのは嬉しいし、今まで生死を共にしてきた仲だ。それは分かる。ありがとう嬉しいぜ。

 

でもそれとこれとは流石に別じゃないか? 仲間だったら犯罪を許せるのか? 人殺しを仲間だからで受け入れられるのか? 俺が殺すかもしれないことを考えろよ、仲間だからで殺されるってのか?

 

「ユウ」

 

得意(?)の観察力で俺の思考を読みとるシノン。その表情は穏やかで、偶に心配症を発動する俺を見る時の目だ。

 

……そうかよ。

 

「はああああぁぁぁ……」

「んだよ、でっかい溜め息なんかついて」

「いーやー。俺の取り越し苦労だったみたいだ。腹くくって損したわ」

「だな」

 

ベッドに大の字になって寝転がる。周囲からはくすくすと苦笑が飛んできたが、それが今日は心地よかった。

 

……ホントにそれだけなんだな。

 

仲間、か。

 

信じて無かったわけじゃない。でも、リーダーは最初から俺を裏切っていた。アイツ、ずる賢いし、本能や欲望に忠実で手段も問わない様子だったし。俺らは生きて逃げることが出来たけど、仲間を信じたが為に二人は死んだ。それが正直怖かった。詩乃とだって最初は仲良くできなかったし、学校じゃあ詩乃意外とは友達ですらない。

 

ナイフ以外にも結構引きずってたみたいだ。

 

てかよく考えてみ、コイツらに出会った当初から騙すつもりで行動する高等テクできるわけあるかよ。絶対に一週間でボロが出るね。

 

マジ損した気分だわ。

 

でも。

 

「シノン」

「……そうね」

 

仲間っていいな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※※※※※※※※※

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

色々とあったが圏内での殺人事件は一応解決した。ただ、世間的には未解決のままだし、手口を悪用されればアインクラッド内に混乱が巻き起こるだろう。死んだと見せかけた詐欺とかな。これについてはあとでどっかの巨大ギルドに教えてやれば上手くやるさ。

 

それよりも、アルゴからの依頼だ。

 

Pohを、笑う棺桶達を殺す。左腕を失った父親の仇を、他にも傷を負った人間達の恨みと共に。命がけで掴んだ情報と一緒に俺にくれた。共犯者になれ、と。

 

思えばウチは連中と少なからず因縁がある。二層で絡んできた男は幹部の一人だったらしいし、俺が向こうの構成員を一人殺しちまったからな。

 

縁ってのは恐ろしい。これから先で必ず全面対決をするハメになるだろう。そうなれば確実に負けるな、人数差で。

 

そう、これだよ。

 

言ってしまえば《エンブリオン》は少数精鋭タイプの小ギルドだ。身軽で実力もある。対する《笑う棺桶》はメンバーが五十を超える中規模ギルド。実力はピンキリと言えるが、連中はレッドギルド指定されている。いざという時の殺人に躊躇はないだろう。その差は下手すると人数差よりも大きい。

 

「ってわけで、俺達だけじゃアルゴの依頼は達成できん」

「ダメじゃん」

 

当然の帰結だな。フィリアの言うとおりだ。多分アイツも分かってたはずだ。それでも言わずには居られなかったか。

 

……ん、待てよ。条件については何の指定も無かった。あの鼠がその辺りをぼかすわけがない。なら、やり方は俺が決めても文句はないはずだ。

 

或いは、同じ結論に達すると読んで何も言わなかったか。

 

「だから、巻き込む」

「誰を」

「アインクラッドをさ」

「……成程な」

 

理解したキリトとアイコンタクト。確かにこれしかない、といった険しい表情だ。嫌われてるからな、俺達。こんなこと言っても信じてもらえるやら…。

 

「じゃあ相手はどうする? 聖竜連合も軍も、トップがトップだから取り入れては貰えないよ? 特に軍については平均レベルが低めだから太刀打ちできないと思う」

「だったら血盟騎士団ね。ヒースクリフ団長は実力も発言力もある。規模は中程度だけど、実力は折り紙付き。ボス攻略にも毎回一定数のプレイヤーを輩出してるし」

「うんうん。私も賛成! ギルドの雰囲気も良い所だし、多分マトモに聞いてくれるところはあそこしかないと思う」

「よし、決まりだな。キリト」

「ああ。アスナ、確かフレンドが居たよな? 悪いけど、話があるって事をメールで伝えてくれないか?」

「明日でいいよね?」

「頼む」

「オッケー」

 

返信は直ぐに来た。流石に明日は無理があるだろうな、と思っていたんだが、なんと速攻でアポが取れた。なので朝から血盟騎士団のギルド本部にお邪魔することに決まり、今日は解散。各々の部屋に帰って一休みした。

 

集まっていたのはキリトとアスナの部屋なので、自然と俺達は一つ隣のもう一部屋へ移動する。部屋に余裕があって本人が作業があるならフィリアが一人で部屋をとるのだが、今日は空きが無かったので三人で泊まることに。

 

ベッドは二つだが、俺はシノンと一緒なので問題ない。

 

はず、なんだが。

 

「なんで川の字になってるんだ?」

「フィリア。妹だからある程度は許してあげるけど同じベッドまで入っていいなんて言ってないわよ」

「えー? 良いじゃん偶には。私の方が先に家族なんだからね?」

「それはそれ」

「ケチ!」

 

俺は別にどっちでもいいんだよ。妻と妹だろ、問題ない、はず。変な間違いさえ起こさなければ。

 

今日に限ってフィリアがこう言うのは昔の話があったからだろうな。だったらいいじゃないか。そんなニュアンスを込めて名前を呼ぶ。

 

「シノン」

「……まぁ、そうね」

「やた!」

 

今夜は普段よりも賑やかだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※※※※※※※※※

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

三十八層の市街地には、大層大きな屋敷が存在する。転移門からはっきりと見えるそこが、血盟騎士団の本部だ。ゲーム序盤から頭角を現していた彼らは、コルはあるものの見合う物件に巡り合えず宿暮らしが続いていたが、ヒースクリフが転移したその瞬間に購入を決意し落札したというエピソードがある。石造りの三階建てで、見方によっては教会と言えなくもない外見をしており、白を基調とする彼らにピッタリだ。

 

周囲は柵で囲まれており、門には当然門番が居る。代表してキリトが話をつけて中に入った。

 

「わぁお」

 

そんな声が漏れるぐらいには豪勢だった。シャンデリアだったり絵画だったり、まるで貴族の屋敷にお邪魔した気分だ。贅の限りを尽くしたようで品を損なわない。じつにらしい内装だった。

 

カツカツとブーツの音がよく響く。そんな音を楽しんでいるとキリトがにじり寄って来た。

 

「俺、正直ヒースクリフは得意じゃないんだ。交渉もそんなに経験が無い」

「あー、苦手とか言ってたな。んで?」

「変な方向に流されそうになったら頼む」

「おっけ」

 

適材適所、だな。リーダーが依頼を受ける場面に立ちあったこともあるし、まぁ助け舟ぐらいは出せるだろう。あんまり期待されると困るが、それを言う前に場所に着いた。

 

案内されたのは一階の最奥にある応接室。彼…ヒースクリフは上座で腕を組んで俺達を待っていた。

 

「やあ。五十層攻略以来かな」

「ああ」

 

真っ赤な鎧に純白のマント。壁に掛けられているのはセットの盾と長剣。五十層攻略の頃から変わった様子はない。

 

ターニングポイントとも言える五十層は今までで一番手強いボスだった。強力過ぎるあまり隊列は乱れ離脱者が現れ、お陰さまで戦線は崩壊。死者も久しぶりに出た戦いだ。俺達も粘ったがあと一押しが足りずに撤退を決めかけた瞬間に現れたのが血盟騎士団。初期から強豪として名を馳せていた彼らが名実ともに最強の称号を得た戦いでもあったな。

 

キリトを中心として全員が腰掛ける。

 

「まずは急な訪問にも応じてくれた事に感謝する。ありがとう」

「いや、構わないよ。私も予定が急に空いてしまってね、暇を持て余すところだった。で?」

「ああ。笑う棺桶の事で、話があって来た」

「ほう?」

 

ヒースクリフ以下、同席した幹部達がざわめく。それもそうだ。その名前は口にするのも憚られる様な連中を指す。最低最悪最強最狂最凶のレッドギルドだ。オレンジという運営が定めた枠を超え、何時現れるとも分からない倫理が崩壊した連中はまさしく死神と言っても過言じゃない。

 

「話は変わるが、先日の圏内で起きた殺人事件は知っているか?」

「ああ。夕暮れに起きた事件だろう? 耳にしているよ。圏内でデュエル以外の他殺はありえない、と仮定した上で調べさせている。十中八九、トリックか何かだろうが」

「その事についてアルゴから情報を入手した。まずはこれを共有した上で話がしたい」

「彼女が言うならまず真実だろうね。聞かせてもらおうか。おっと、報酬は渡した方がいいかね?」

「結構」

 

翌朝。宿を出発する前にアルゴから一通のメールが届いた。事件の真相を掴んだと言う。

 

裏でPohが糸を引いていたのは間違いない。既に解散した《黄金林檎》というギルドの内輪揉めを利用したトリックの実験が恐らく連中の目的だろう、という結論だった。事実、黄金林檎の元メンバーの内一人は笑う棺桶と繋がっていたらしい。

 

「―――というのが、事件の真相だ」

「成程、防具の耐久値が尽きる瞬間に転移結晶を使うことで死亡したと見せかけた、か。プレイヤー死亡時とアイテム破損時のエフェクトがそっくりなことを利用したハッタリ。蓋を開ければ簡単なことだが、良くできたものだ。長く戦い続けたプレイヤーしか思いつけないな。例えば、プレイヤー死亡の瞬間に多く立会い、尚且つアイテムを多用する、そんなプレイヤー」

「団長! では……!」

「ああ。事件の裏では笑う棺桶が暗躍していた。そういうことだろう」

「そうだ。同時に、連中の仲間は圏内でも活動していることを表している。つまり――」

「この部屋の中の誰かが笑う棺桶のメンバーという可能性もあれば、壁一枚向こうに居てこの会話を聞かれているかもしれない、と。これは困った」

 

珍しくしかめっ面を浮かべて椅子にもたれかかるヒースクリフ。腕を組むのも止めて肘かけに腕を預けて楽な体勢で思案する。

 

連中のアジトについてはアルゴが抑えてある。が、それ以外で調べている人間は恐らくいないだろう。バレれば殺されること間違いなしだからな。たとえそれだけの実力があったとしても誰もやりたがらない。故に、奴らに対しては守りを固める、という後手しか打てないのが現状だった。

 

その上向こうは圏内に入りこみ、隙あらば情報を盗んでいる可能性まで上がって来たのだ。これは流石に拙い。大ギルドの内情まで筒抜けになっては攻略どころではなくなる。もしトッププレイヤーが集団リンチでもあって死亡してみろ、クリアは年単位で遠のいて行く。その上育成もままならないとなると、いよいよクリア不可能になり、最終的には殺されるのを待つだけの鶏小屋状態だ。

 

そんなの絶対御免だろ。

 

だからそうなる前に潰す。

 

「アジトはアルゴが抑えている、と言ったら、協力してくれるか?」

「……何?」

「笑う棺桶、潰そうぜ」

 

ざわ、と応接室がざわめく。そりゃそうだ。

 

それは行うべき正義だ。攻略を目指すのなら間違いなく実行すべきである。ギルド間の抗争とは次元が違う。クリアの為に実力を競うのではなく、妨害されるとなれば話は違ってくるからだ。そんなの誰だって分かってる。

 

それ自体がボス攻略のように難易度が高く、倍以上にリスキーであることが障害だから躊躇うんだろう。

 

相手はあらかじめ行動パターンが定められたAIではない。同じソードスキルを使い、武器を使い、アイテムを使い、自分達に地の利がある場所で戦える。俺達の特徴も抑えられているだろう。対策だって立てられているはずだ。

 

それに対してこっちは全く情報を持たない。知ってる事と言えばPohがでたらめに強くて、幹部も攻略組に匹敵する強さを持っていることぐらい。それでいて全員が殺人に長けた実力と技術を持っているもんだから、対人で命のやりとりをしたことのないプレイヤーが大半を占める俺達は圧倒的に不利。

 

何より相手もプレイヤーだ。生きた人間だ。殺せばこっちが殺人者になる。オレンジマーカー相手なのでカーソルが変わることはないが、手にかけたプレイヤーは一生忘れないだろうな。

 

様はぶっつけ本番にしてはリスクが高すぎて実行できないのだ。よしんば上手くいったとしても立て直しに時間が掛かることは分かりきっているし、攻略組から外れることもほぼ確定している。

 

結論として、ギルドの為を思えば放置が一番、というのが全ギルドの見解だった。その癖旨みが無い。

 

まぁ、やらんわな。俺もこんなことが無けりゃしなかったさ。

 

「放っておくのがやばい事くらい誰だって分かってるはずだ。だから誰かが動いて何とかしなくちゃいけない」

「それを私にやれと?」

「発言力と実力。それを全部持ってるのはヒースクリフ、あんたしかいない」

「謙遜はよしたまえ。君らがそれを言うのはどうかと思うが」

 

そう言われると、確かに胸が痛い。サービス開始当初からしばらく目立ちまくったからな、ビーター騒動に結婚実装にと。攻略組でもトップクラスの実力があり、ボス戦常連の小ギルド。それが俺達だ。

 

が、生憎とそうもいかないんだよな。あーんなことがあったし。

 

「いやぁ、俺達ビーターだから。聖竜連合のリンドとは仲が悪いんだ。だから、俺達が呼びかけたとしてもアイツは絶対に反対するし邪魔もしてくる。粒ぞろいでも規模が小さいから意見も揉み消されちまう」

「はっはっは。そうだったな。これは悪い事をした」

 

絶対コイツ分かって言ってるよ。たまにこういうところあるよな。

 

「それで私を頼りに来た、か。確かに、今の血盟騎士団が呼びかけたとなれば聖竜連合も手を貸すだろう。そこに君達エンブリオンが加勢する体をとれば彼らも文句は言えまい。まぁ、私が君の立場なら同じ様に動くだろう、妥当な案だ」

「どうだ?」

「報酬は幾らだね?」

「は?」

「うん? 報酬だよ。当然だろう、私達は君たちの代わりに声明を出す。当然我々が危険にさらされ、本来行う予定の無かった無駄が発生する。タダで受けるわけがない」

「た、確かに…」

 

おいおい、考えてなかったのかよ! いや、話を合わせなかった俺らが悪いけど!

 

焦りだしたキリトがアイテムストレージを開いてにらめっこを始める。はっきりと分かりやすくいくならコルとアイテムだが、それが妥当がどうかなんて分からない。何せ俺達はフリーランスのプレイヤー相手に依頼を出したりしてこなかった。取り分はクエスト報酬を分割して、あとは各々って具合だから団員相手に給料を払うなんて事もしたことない。

 

人を動かす際に発生する適正な報酬が分からない。これは思っていたより厄介な問題だぞ。

 

どうするキリト?

 

口に手を当てて悩む我らがリーダーはたっぷり一分ほど悩んで、俺にどうぞとジェスチャーでパスしてきやがりました、はい。

 

(任せた)

(何でやねん!?)

 

生まれて初めて関西弁しゃべったぞおい。

 

キリトのジェスチャーが他全員に伝わったのか、メンバーはおろか血盟騎士団まで俺を見てきた。当の本人はと言うと、ストレージとにらめっこしたまま。確かに何かあったら頼ってくれていいとはこっそり言ったけどな、ちょっと雑過ぎないか?

 

シノン、ファイトじゃねえよ。

 

「あーっと……」

 

ガリガリと頭を書きながら思考する。

 

出せる条件、か……。俺個人の資産からでも出せる額からして、これくらいか?

 

「報酬は百万コルと、血盟騎士団のリスク軽減だ」

「ふむ」

「アルゴ曰く、敵のアジトは洞窟らしい。そこに入るとなると大人数は難しいだろうな。笑う棺桶の構成員がおよそ五十と聞いているから、同じぐらいの人数が丁度いい。五十人の内血盟騎士団が三分の一を占めるとして大体十八人ぐらいか? 百万もあれば準備資金も問題ないしおつりも来るだろ」

「で、リスク面とは?」

「Pohと側近の二人……ザザとジョニーブラックは俺達が受け持つ。他にも幹部クラスは居るだろううがこの二人ほどじゃない。これだけでもかなりのリスクは減るぜ」

「ほう? 捕縛が目的と見ているが、縛るには完全に圧倒するだけの実力が要る、大丈夫かね?」

「問題ない。数回の交戦経験がある。俺たち以外に生き残った奴がいるなら話は別だが」

「いや、構わないよ。請け負う」

「団長!」

「彼らの実力は私も知るところだ、問題はない」

「そうではなく――」

「では聞くが、諸君らで反対する者は? おるまいよ。金も危険も大半は向こうが負ってくれるのだ。それでいて笑う棺桶が殲滅できる。いい機会だと、思うがね。それとも、我々の精鋭は笑う棺桶には劣るのか?」

「い、いえ……」

「であれば問題あるまい。キリト君、アイン君、我々からは十八人選出する。君達五人を合わせて二十三人。聖竜連合に話を持って行くが、恐らく向こうも十八人だけ派遣してくるはずだ。それを足して四十一人。残りの約十名は君達に任せる。そこまではしてもらおうか」

「分かった。エギルとクラインには後で伝えておく」

「期日は負って伝える。では」

 

こうして、密かに笑う棺桶殲滅作戦が動き出した。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

phase 30 作戦前夜

トマトしるこです

なんかちょっと変な出来あがりになってしまいました。


決行はなんと一週間後という連絡が来たのは、ヒースクリフに話を持っていった僅か三日後のことだった。早いに越したことはない。デカイ組織だからな、もう少し先になると踏んでたが。

 

それまでにやっておくべきこととしては、まずはアイテムの拡充と、武装の選定、スキル上げ。

 

そして、他の連中に対人戦を叩き込むことだ。

 

今回参加予定になっているのは俺達と血盟騎士団、聖竜連合、風林火山、商工会ギルド《ルイーダ》の攻略組連中(要はエギルが所属するギルド)の計五十二名。ボス討伐のレイドでさえ四十二名という大所帯だというのに、今回はプレイヤーが参加を呼び掛けただけの集まりでこれだけ集合するとは……。自分が声かけておきながらビックリした。

 

その中で対人経験を積んだことがあるのはどれくらいいるだろうか? まっとうなプレイヤーなら腕試しや生死をかけたデュエルしかないだろう。実際、俺の知り合いはそうだった。加えて頻度はそう多くない。あくまでも敵はこのアインクラッドであって、プレイヤーを相手として鍛錬するよりそこいらのMob相手に剣を振った方が百倍タメになる。

 

で、そのデュエルだが実際の所結構人気だったりする。なにせ血盟騎士団は闘技場を所有しており、そこでのデュエルでプレイヤーを競わせて報酬を与える半面、観戦料でしっかり稼いで経費に充てているのだから。お陰で言葉通りの決闘ではなく娯楽として浸透していった。街中でデュエルしようものなら野次馬が集まってくる。

 

ここにいるプレイヤーならデュエルを経験してない、ってことはないはずだ。攻略組は挑まれる側の存在で、実力者として名が通っていればいるほどデュエルを申し込まれる。ヒースクリフやリンドといった大ギルドのリーダーとなると、そもそも人前に姿を出さなくなるので見る機会は少ないが、俺達の様に少数で顔も割れていると申し込まれることはしょっちゅうだった。

 

「勘違いすんなよ。分かってるだろうが、デュエルと殺し合いは全く別だからな」

「勿論。と、言いたいけど……」

「ま、その反応が普通だな。いきなり言われても分からんよな」

 

殺し合いなら普段からしてる、モンスター相手にな。高レベル帯のボスなんかはまさしくそうだ。肌がひりつく様な緊張感がそれを教えてくれる。

 

俺が言っているのは、人間同士。

 

「決まったパターンでは動いてくれない。アイテムだって使われる。戦う場所は連中のアジト。殺す前の最後の一線。ボスとは違うところなんて上げてちゃキリが無い。だから身に染みてもらう」

「どうやって?」

「デュエルを延々とする」

 

キリトと徹夜して話し合った―――もとい説得した結果だ。今まで経験したことのない感覚の中で戦うことは誰だって怖いし、攻略組が誰よりもそれを知ってる。少しでも慣れてもらわないと、いくらボス戦で戦えていた英雄だって腰を抜かすかもしれない。今度はそういう戦いだ。

 

まあ俺達は幹部連中との交戦経験だってあるんだが、それはそれ。きっと温泉騒動の時も連中は本気じゃ無かったはずだし。

 

「室内の広い場所を貸し切って、お互いにデュエルを延々と繰り返す。クラインとエギル達も呼んでな。色んな武器を持つ奴らと戦って、プレイヤー同士で戦うことに頭を切り替える。何もしないよりは良いし、Mob相手にスキル上げするよりははるかに効率が良い。まぁ、打倒ラフコフ強化合宿とでも思ってくれ」

「合宿ってことは泊まりかしら?」

「そうなるな。つっても、大ギルド同士の定例合同訓練に混ぜてもらう形になるだけだ」

「ああ、そういうこと。ゲスト扱いで?」

「ゲスト扱いで。今までもたまーに中小ギルドを招待してはデュエルしてたらしいし、今更俺達が混ざっても不審な目は向けられないはず。ちょっと話題になるかもしれないが」

「ね」

 

俺もいい機会だから色々と試させてもらうつもりだ。ユニークスキルについては切り札として取っておくつもりなので今回は見せない。というかそもそも練習の必要がないスキルだし。

 

普段では味わえない刺激が待ってると思うと、不謹慎だが楽しみで仕方ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※※※※※※※※※

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌朝。

 

宿の一階で集合した俺達は一先ず血盟騎士団の本部へ足を運んだ。彼らから招待されたクチなので、一度合流する必要があった。

 

「では、頼んだ」

「はっ」

 

正門で待っていたのはヒースクリフと二十人近いプレイヤー達。どうやら団長殿は今回参加されないらしい。相手が相手だからな、ボス戦とは違って危険だし、パターンの決まった敵じゃないから何が起きるか分からん。

 

先導する幹部らしき男と、精鋭達に囲まれながら歩く。アスナは知り合いも居るみたいで楽しそうだが、人付き合いの無かった俺達は肩身が狭い。そんな俺らを見かねてか、一人の細身の男が話しかけてきた。

 

「どーも」

「お、おお。どうも」

「クラディールだ。団内の要人護衛をやってる」

「アイン。ま、よろしく」

 

結構な高身長、長髪でかなり不健康そうな顔をしてる奴だな。武器は両手剣か、背中じゃなくて腰に装備するって事は結構筋力に自身のあるタイプとみた。護衛と言う割には盾を装備してないが大丈夫なのか? 独特のスタイルでもあるのかもな。

 

「あんたらとは一回で良いからデュエルしてみたかったんだ。ボス戦常連のプレイヤーはどんなもんかってな」

「血盟騎士団にも数人居るだろ? ヒースクリフとか」

「団長たち幹部は忙しいのさ、下々の相手なんざしてくんねぇよ」

「そりゃご愁傷さま。後で一言ぐらいは添えてやる」

「くかか。そりゃ楽しみだ」

 

差し出された右手をとる。ぶっきらぼうな性格だが、そこまで悪い奴じゃなさそうだ。ちょっと危ない雰囲気は感じるが。

 

「ところでよ、前から聞きたかったんだが……結婚ってのはステータス合算なんだろ? やっぱ違うもんかね?」

「まぁ、そうだな」

 

興味本位、と言った様子を装ってクラディールが小声で話しかける。またか、と思った俺は適当にお茶を濁した。

 

笑う棺桶のプレイヤー一人が適当に捕まえた女性プレイヤーを麻痺とロープで縛って拘束し、一方的に結婚するというとんでもない事件があったことは記憶に新しい。標的になった女性はソロで活動しており、レベルもそこそこ高かったのが原因だろう。装備やアイテムも充実していたことから、格好のエサだった。

 

結婚システムがもたらす恩恵は計り知れない。ストレージの共有、ステータス合算はSAOでは反則技みたいなものだ。誰だって手を伸ばすが、そこに至るまでの過程やその後のリスクを考えると、踏み切れるのは極僅かだろう。だからこそ俺とシノン、キリトとアスナみたいな既婚者は星五レアモンスター並に希少で、トッププレイヤーとして名が知れ渡っているわけで。

 

尚、既婚者は全体の一%にも満たないとか。今のアインクラッド総人口がおよそ七千から六千弱だから、多くても既婚者は七十人。ペアにしておよそ三十五組。この数字を更に下回ったのが実際の既婚者達で、その中でもさらにレベルごとで活動帯が変わってくる。攻略組では俺達二組と、居ても三組程度だろう。強くなれる反面、何時死ぬかも分からないのに愛するなんてことがどれくらいの人間にできるのか……ってのが文屋の意見だっけ。

 

閑話休題。

 

兎に角、結婚のメリットに魅入られたそいつは上手い具合に女性プレイヤーを縛って、利益だけを手に入れた。そこそこ良いステータスに、倍加したアイテムスロット。そして倫理コード解除。強引に結婚した結果、美味い汁だけを吸った。

 

女性プレイヤーは返信が無いことを怪しんだ友人から救出され、笑う棺桶のプレイヤーは復讐にあい殺される。その後、女性は自ら命を絶ったそうだ。

 

この一件は悲惨な事件として周知される反面、結婚システムの優秀さを立証したような事件だった。システムの第一人者だからたまにこういうことを聞かれるんだが……そろそろ止めていただきたい。

 

俺のそっけない反応がつまらなかったのか、クラディールはそれ以上触れてくることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※※※※※※※※※

 

 

 

 

 

 

 

 

早速始まった訓練で、午前の部を全勝で終えた俺はドリンクを飲みながらシノンを探していた。なんかアスナに引っ張られて女子の群れに突っ込まれてたから、向こうの方だろ。

 

途中で見知った顔を見つけたので声をかけた。

 

「クライン、エギル」

「よ、久しぶりだな」

「Hello、元気してたか」

「おう」

 

久しぶりの友人達は以前よりもたくましく感じた。事実レベルも結構上がってるだろう。武器も変わってるし、防具もよりしっかりした作りの鎧を着込んでる。二人を通じて知り合ったそれぞれのギルドの面子も顔つきが変わったように見えた。

 

「さっきの凄かったなー」

「そうか? 速さで負けるわけにゃいかんからな、ちょっとだけ頑張った」

「あれでちょっとかよ……俺見切れるかな」

 

俺もシノンも敏捷値には結構割り振ってる。更にスキルで上乗せしているので、速さだけなら全プレイヤーでも上の方にいる、はず。壁走ったり三角跳びで大型モンスターの頭をとったりなんて毎度のことだ。勿論、プレイヤー相手にも十分通用する。

 

クラディールとも一戦やってみたが、全武器の中でも重たい部類にある両手剣で俺を狙って斬るのは至難の業だろう。時々置く様な振り方でダメージを貰ったが、終始俺が圧倒する形で決着をつけた。本人はかなり悔しそうだったので、ちょっと満足してる。

 

二人はと言うと、俺達が来た時は見かけなかったので、途中から合流する形で参加したんだろう。そこで俺の試合を見たってわけか。

 

「キリトはどうだった?」

「アイツも大概だな。けど、武器破壊禁止って言われてたから結構やりづらそうにしてたぜ」

「あー、想像つくわ」

 

キリトは反応速度がケタ違いに速い。お陰で相手より遅く動いた癖に何故か自分が攻撃を貰っている、武器を破壊されるというえげつなさ。しかも筋力高めで、武器の攻撃力と重量が見た目以上にあるもんだから火力も出る。加えてアスナと結婚してからは、彼女の速度が加算されているので攻撃特化のオールラウンダーと化した。俺とは違う意味で反則じみてる。

 

談笑しながら通路を歩く。だんだんと黄色い声が大きくなってきたので目的地は近そうだ。二人はこれかららしいので、丁度良い別れ道で脚を止めた。

 

「……その、悪い。こんなことに付き合ってもらって」

「んあ? 気にすんな。どうせいつかはやってたことだ」

「エギルの言うとおりだ、それに速いに越したこたぁねえ」

「だな。じゃ、また」

「おう」

「またな」

 

ニッと笑ってお互いに振り返った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※※※※※※※※※

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一週間はあっという間に過ぎた。毎日が宿との往復で、朝から晩まで槍を振るい続けたわけだが……時間をかけただけはあったと思う。参加者が曖昧にしていた自身が装備していないソードスキルのモーションも熟知出来たのだから、やった甲斐は十分にあったと言える。

 

それでも、と不安が拭えないキリトは俺に付き合ってほしいと声をかけてきた。出来ることはやっておきたい気持ちもわかるので、二時間だけと条件をつけて汗を流している。

 

「この!」

「ふんっ!」

 

振り下ろされた剣を払い、石突で喉元を突く。それを滑らかにかわしながらさらに一歩踏み込んできたキリトは《体術》スキルをゼロ距離で発動させて俺のわき腹を捉えた。速度の乗った一撃は重たく、踏ん張りきれずに壁まで吹き飛ばされる。

 

圏内の暴力行為は全てシステムが防いでくれるが、発光エフェクトや衝撃までは防いでくれない。今のは結果的に痛みやダメージは無かったが、圏外なら文句無しの一発だった。

 

「今のは良かった」

「だろ? でも明日は控えるよ。あそこまで踏み込むなら必殺じゃないとな」

「そうだな、それが良い」

 

敵は非道虐殺当たり前の連中。地の利も向こうにある。何が起きるか、仕掛けてあるか分からないなら不用意に近づくのは得策じゃない。数合だけ打ち合って実力不足と判断したら、その差を何で埋めてくるのか。想像もつかない。

 

何をしてこようが卑怯な事じゃない。向こうも必死だ。だから、その隙を与えないように制圧する。抵抗の意思を削ぎ落とす。動く前に潰す。必要であれば、躊躇わない。殺す。

 

メンバーはどれだけのシーンを想定しているだろうか? 自分が最悪人を殺す覚悟まで持っているのか?

 

キリトに問いかけた。

 

「……わからない」

「そうか」

「でも、本当にそれしかないのなら俺はやる」

「できんのか?」

「やるさ。後悔や償いは後から幾らでも出来る。でも死ぬのは嫌だろ? 妹に言うこともあるし、さ」

「結婚しましたってか?」

「ちげぇよ!」

 

そうなったら、きっとコイツは表に出さずに苦しむだろう。逃げるのがヘタクソだからな。ただ今の言葉を聞いてそんなに心配はしてない。

 

死にたくない、って気持ちは強い。醜さもあるし、汚いけれど。かつての自分が諦めずそうだったように、力をくれるし何かを引き寄せる。

 

「うし、もう一頑張りするか」

「……いいぜ」

 

俺が抜いた武器を見てキリトが目を変える。

 

問題ないとは言ったが、少しくらいは慣らしておかないとな。お互いに。

 

ユニークスキルを。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

phase 31 掃討作戦1

トマトしるこです

いよいよって感じですね。


決行当日。

 

昨晩の内に準備を終えていた俺達は起きてすぐに宿を出た。空がやっと明るみを帯びてきた、そんな時間に。

 

どこかのギルドと合流したりはせず、そのまま目的地まで直行する。転移門を通り、主街区を抜けて街道を歩き、目印の大木から道を逸れて、険しい山脈へと脚を向けた。

 

「……」

 

会話は無かった。今日他人の声を聞いたのは朝のおはようと転移の合言葉だけ。それ以外はただ脚を動かした。フィールドモンスターはうろうろと歩いているが俺達を避けている。フィリアが合成した魔除けのポーションを全員が飲んで無駄な戦闘を避けているからだ。周囲への警戒は怠らないが、気持ちとしては何よりもこれからの戦闘に集中したい、だろう。

 

笑う棺桶掃討作戦。

 

アルゴからの個人的依頼を受けた俺が、ヒースクリフに持ち寄って企画された。いつの間にか話が大きくなっていったが、今後の攻略進捗を左右しかねない大事な日。

 

ボス戦とは違う、プレイヤー同士の、アインクラッドにおける初めての戦争。ああ、そうだ、戦争だ。これがしっくりくる。主義主張の違う人間同士が武器を持ち寄って、負ければ死が待つ戦い。社会に対して警鐘を鳴らすテロではないのだ。

 

これは戦争だ。プレイヤー同士の、ギルドとギルドの、攻略組と犯罪者の。

 

俺と、リーダーの。

 

大勢のゲストに囲まれた、あの日の続き。今度は躊躇わない。見つけ次第、殺してやる。

 

「なあアイン」

「ん?」

 

脚が草を踏む音に混じって、キリトが俺を呼ぶ。

 

「帰ったらどうする」

「それは死亡フラグだから止めろ」

 

全員でずっこける。当の本人はえ? って顔してるのがまたムカついた。お前みたいな一級フラグ建築士がそんなこと言ったら絶対実現するから止めろまじで。

 

「話題を変えてくれ」

「そうだなぁ……酒飲んだことあるか?」

「酒? いっつも飲んでるじゃねえか」

「そっちじゃなくてだな」

「ああ、現実の酒のことか? 飲みたいのか?」

「多少は」

「あるぞ」

「おお、どんな味するんだ?」

「味ねぇ」

「ちょっと、未成年でしょうが」

 

突拍子もない酒の話題に流石のシノンもツッコミを入れる。アスナも似たような表情だ。フィリアは逆に俺と一緒に飲んでいたので気まずそうだな。幸い最後尾にいるので顔を見られていないが。

 

因みに日本に来てからは飲んでいない。法律で駄目と定められているし、何より中学生じゃ買えなかった。おじさんも家で飲むことはないからストックも無いし、詩乃はこんな感じなので当然詩乃のお母さんもくれなかった。たまーに、たまーーーにだが無性に飲みたくなる時は辛かった。

 

SAOの酒は酒じゃなくてジュースだ、ノンアルコールのカクテルだ。ちっとも酔えないし、あのアルコール独特のカッとなる感覚は無い。ゲームに年齢制限は設けられていないので当然と言えば当然なんだけどさぁ。倫理コード解除とかあるなら酒も何とか出来ただろ絶対。くそったれ茅場め、許さん。

 

「お前が言うから思いだしちゃったじゃねえかこの野郎! 一体俺がどれだけ我慢してきたと思ってやがる!」

「ふぅん」

「あっ、今の忘れてくださいシノンさん嘘です。キリト、僕ちょびっとしか飲んだこと無いんです」

「えー? 教えてくれるくらいなら良いじゃないか」

「キリト君?」

「すみません何も聞いてませんジュース大好き」

「あははっ」

 

詩乃もそうだが、アスナも真面目に生きてきたんだろうな。親のビール舐めたりとかしないのか? なんか周りのクラスメイトはビール美味しいとかカクテル飲みやすいとか平気で話してたぞ? 皆男子だったけどさ。女子ってのはいっつもこうだ。

 

その点、キリトはやっぱこっち側だよな。そりゃ気になるだろ普通。あれだろ、親が晩酌してるのいっつも横で見てんだろ? つまみ片手に美味そうにジョッキ傾けてんだろ?

 

そもそも駄目って言われている事は駄目だってわかるけど、それをやった時の背徳感とスリルが良いんじゃないか。

 

「てかフィリアだって飲んでるからな! 俺と一緒にウイスキー飲んでたからな!」

「ちょ!」

「ユウ、フィリアがそんなことするわけないじゃない」

「いやいや、今ちょ! って言ったから! すっげぇ気まずい顔してるから!」

「どうでもいいのよ。あなたが飲んでる事が問題」

「フィリアさんめっちゃ後ろでガッツポーズしてるけど!」

 

おのれ妹め…! 一人だけ逃げきるつもりか!

 

何か策は無いかと思考を巡らせているとシノンが詰め寄って両肩をがっしりと掴んできた。ダメージ判定が入らないギリギリの力加減でちょっと痛い。にこりと笑っているが表情は笑ってない、雰囲気は鬼、背後には阿修羅。

 

「あなたは何人?」

「…日本人です」

「お酒と煙草は?」

「…二十歳からです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※※※※※※※※※

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「来たか」

 

キリトの何気ない一言で緊張がほぐれた俺達はいつも通りに戻った。ガッチガチじゃあ実力は出しきれないからな、キリトなりの気遣いだったのかもしれない。何にせよお手柄だった。俺は怖い思いをしただけ損した。

 

集合場所には既に俺達以外の全員が集合していた。途中遊びながらだったから少し予定より遅れてしまったようだ。作戦開始には間に合っているので問題ないだろう。

 

「では、行こうか」

 

そう言うと、血盟騎士団の幹部が武器を抜いて先頭を歩きだした。それに従う様に他の面子が歩きはじめる。後は事前に決められた通りに隊列を組んで洞窟へと入っていく。

 

隊列と言っても軍隊の様にきっちりと縦横人数揃えて行進するわけじゃない。血盟騎士団を先頭にして、聖竜連合が殿。俺達中小ギルド三つは人数が少ない反面、群としての機動力がある故、中央に入って前後どちらにも対応できるという並びだ。横から分断されたとしても、大ギルドが分断されなければ問題は無い。五人というのは都合がいい数字だった。

 

中の洞窟は結構広い。その上途中に分岐点が多く、人が優に隠れられる岩がごろごろと転がっている。奇襲には持って来いの地形。狙われる側としては堪ったもんじゃない。

 

別れ道では迷わず左を選ぶ。迷路で迷う時は壁沿いに歩く、というやり方があるが実際のダンジョン攻略では結構優れた方法でもあるからだ。城や街などは点対称に作られることが多いが、こういった洞窟は自然物でマッピングが進まなければ全体像が掴めない。小人数なら気ままに進むところだが、生憎と今回は五十を越える大所帯なので、この方法をとった。

 

二手に分かれるのは自殺行為なので、当然しない。

 

天井はそこそこ低く、思い切りジャンプすれば簡単に手が届く、生身なら難しいがこのアバターなら余裕といった程度。音も良く響く。騎士甲冑をや防御力高めな鎧を着こんだ奴が多いパーティなので、さっきからガッシャガッシャと五月蠅いのだ。とっくにバレているだろう。お陰で数十分歩き続けたが一向にラフコフのプレイヤーと遭遇しなかった。

 

「アインよぉ、どう思う?」

 

クラインが少し歩調を早めて俺の横にくっついてきた。険しい表情は崩していないが、早速疲れが出ているようだ。それもそうだ、緊張は長持ちしない。それを無理矢理にでも糸を張り続ければ体力がどんどん減っていく。

 

今は会話すべきじゃない。そっちに集中してしまい奇襲を許してしまう。これだけ静かなら当然周りの連中にも聞こえるだろうし、そっちに耳を傾けてしまう。

 

「罠」

 

良くないと分かっていつつも返事する。少しぐらいは緊張をほぐしておかないといざという時に身体が動かなくなるのは身をもって体験してきた。

 

なるたけ気を散らさないように、小声で返した。

 

「結構深くまで来ている。洞窟の構造次第じゃあ後ろから回り込まれる事もあるかもしれない」

「だな、岩もデカイのがゴロゴロしてるしよ」

「ああ。気をつけろよ」

 

それを最後にクラインは元の位置に戻るべく歩調を落とした。

 

やはりと言うべきか、地形は最悪だな。コイツらが根城にするぐらいだ、仕掛けあり罠ありの攻めづらい場所ということは想像していたが、これはこれでかなりやりにくい。攻め難く護りやすい。あの男らしい、ッ実にいやらしい根城だ。

 

はぁ。と溜め息をついた。

 

ばたり、と前方にいたプレイヤーがいきなり倒れた。

 

倒れたと思ったら彼のアバターがラグを起こし始める。

 

一秒後、青一色に染まり砕けた。つまり死んだ。

 

それと同時にキリトが剣を抜いて虚空に振り下ろす。何も無い場所で剣が止まったかと思えば、瞬きするとそこには小柄な男がキリトの剣を受け止めていた。

 

全員がぞっとした。何が起きたのか理解できなかったが、流石は歴戦の猛者。一秒かかったがしっかりと切り替えれた様子。

 

「捕えろ!」

 

誰かの号令。言われなくともキリトがそうしてるよ。

 

鍔迫り合いを強引に押し切ったキリトの一撃は重たく、武器を弾くでは止まらず深く襲撃者の身体を斬りつけた。ガクンと減ったHPバーはイエローに到達。勢いを殺せなかった襲撃者は尻餅をつき、その隙を狙って近くにいたプレイヤーがロープを用いて縛りあげた。同時にフィリアが鎮静剤を首筋に打ち込み、睡眠状態に入った襲撃者は一言も発することなく沈んだ。

 

ふぅ、とキリトの溜め息がよく聞こえる。コイツは索敵スキルがあったから気付けたんだろう。そして恐らく襲撃者はかなりの隠蔽スキル持ちと見た。どこかの岩に隠れて狙ったんだ。

 

誰も、一言も発さない。一人捕まえたが、いきなり一人死んだ。音も無くいきなり俺の前に居たプレイヤーは死んだんだ。かなりの腕前、鮮やか過ぎる手口に俺すらも恐怖する。

 

Poh以外は大したことないと思っていたが認識を改めるべきか。中東に居た頃肌で感じていたヒリつく痺れが俺を支配している。

 

間違いなく、連中はプロだ。

 

「で、どうする?」

 

剣を収めたキリトが全員へ問いかける。捕えろと言われたから縄で縛って眠らせたのだが、ここからどうすべきか。指示を出した血盟騎士団の幹部は悩んだ。

 

予定では倒しながら進む、或いは集団での襲撃を捌き、まとめて黒鉄宮送りにする手筈だった。だが襲って来たのは一人。しかもこちらは一人殺されている。放置しておけば仲間に回収されて再び襲ってくるのは間違いない。だが、連れ回したところで荷物になるのは明らか。やはり隙を見て開放されて殺しに来るだろう。

 

何よりも簡単に殺しに来た事が全員の心を乱していた。まず殺されるとは考えておらず、精々人質に取られるかデバフで動きを封じられるか、それぐらいにしか考えていなかったのだ。俺達以外が。

 

苦い顔をした幹部。聖竜連合の隊長もまたそうだった。

 

「時間の無駄だな」

「アイン!」

 

そう判断した俺は槍を襲撃者の頭に突き刺した。非難の声が聞こえるが無視、槍を捩じり抉りより深く突き立て、岩盤まで貫通した瞬間、襲撃者はHP全損により死亡した。

 

たとえ半分近く残っていようが、防具もついてない急所ならあっという間だ。それに、隠蔽スキルを使って不意打ちするぐらいだ、身軽さを優先した結果硬さが足りないのは常識。俺自身もそうだしな。

 

「今止まったら次が来る。早く行くぞ」

「貴様!」

「んだよ、こういう場合を考えるのがアンタの仕事だったんだろ? ヒースクリフからそう言われたんじゃなかったのか? それが出来てないからだろ。話している間にまたおたくのプレイヤーが暗殺されても文句が出ないなら、俺はこのままでもいいぜ」

「ぐっ…!」

 

みんな分かってるんだ、今話し合う事が拙い事ぐらい。でも殺すという選択肢は選べない。染みついた倫理観や罪悪を背負いたくない自分可愛さを誰しもが持っている。

 

俺には無い。だから出来る。殺せるとも。善良な人間なら確かに躊躇うが、コイツらは今まで迷惑かけて時には人殺しをやってきた犯罪者だ。何を迷う事がある? いいや、無いね。だから俺は今まで生き残って来た。

 

「殺したいわけじゃない、ただ生き延びたいだけだ。アンタらもそうだろ?」

「それは…」

「じゃあ覚悟決めろ」

 

行こうぜ、と幹部の男を促す。納得しない表情のまま、男は踵を返してまた歩き始めた。

 

隣の相棒はやはり微妙な顔。まぁ、昨日の今日で覚悟を決めろって言うのが酷か。

 

「…腹くくったつもりだったんだけどな、やっぱ直で見ると辛いな。どんだけ悪人でも」

「キリト」

「大丈夫。仲間は守る、皆で生きて帰る」

「ああ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※※※※※※※※※

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

困った。

 

何故かと言うと、はぐれた。俺一人がじゃなくて全員が笑う棺桶の罠に見事に嵌まってしまった。

 

待ち伏せ、横から強襲、前後の挟撃、岩陰からの伏兵、仕掛けられたトラップの数々…。それらを組み合わせて休む間もなく走らされ、時には分断され、気付けばパーティはおろかシノン達とまではぐれる始末。洞窟はどうやら下にも広がっているらしく、床が開いて下の階に落とされてしまった。

 

俺が最後に見た限りでは四人とも揃っていたが、あの調子だとまた誰かトラップに引っかかりそうだな。しかしフィリアのパンツが見れたので満足である。

 

さて。

 

洞窟の作りはさして変わりは無い。上を見上げても落ちてきた穴は塞がってしまい、届く距離ではあるが戻ることはできない。

 

道は三つ。一先ず進行方向にある方の竪穴へ脚を向けた。

 

マップを開く。自分が歩いてきた道と、別れ道があった場所を見るからに、恐らくこの洞窟は行き止まりが殆ど無い可能性が高い。どこかしらで別の道と合流でき、最終的にはどの道を通っても最深部まで辿りつけるような、そんなイメージ。事実として今まで一度も壁に当たったことは無く進み続けてきた。運がいいでは説得力に欠ける距離を、である。

 

勘は良い方だ、だったら進むうちにきっと合流できる。それに、音がよく響く洞窟だから戦闘音のする方へ進めば問題ないはずだ。

 

メールは頼りにならないし、コール機能も向こうが危険である。自分の足で何とかするか。

 

こういう時に目印になる様なものを残せないのはSAOの厳しい所だ。現実なら岩に何かメッセージを書き残したり出来るが、ここでそんなことをしても傷はつかないし、パン屑を撒いたところで耐久値が無くなれば勝手に消滅する。マッピング機能にはマーカーなんて機能も無い

 

「はぁ」

 

溜め息が漏れるが、無い物ねだりをしても仕方が無い。結局はある物で何とかするしかないのだから。

 

しっかし誰とも会わないな。味方も敵も、影すらない。今日は戦闘らしい戦闘をしてない、せめてPohとやりあう前に準備運動ぐらいはしておきたいんだが。

 

おっと、噂をすれば。

 

「ひひ」

 

男が三人。短剣使いが二人と、斧使いが一人。短剣使いの内一人は盾を構えており、すばしっこさと防御を両立したスタイルか。斧使いは甲冑を着こんでいる。

 

斧か、珍しい。ラフコフは幹部が軽量で取り回しやすい武器を使ってるし、隠蔽を使った潜入とか奇襲を好むギルドだからな、ああいうあからさまな盾役がいるとは思ってなかった。居たところでさして変わりは無い。

 

三対一? 大いに結構。

 

槍を抜いて駆ける。正面には斧。斜め後ろに盾持ち。短剣は斧の後ろに隠れつつ距離を詰めてきた。

 

斧が腕を振り上げ、それと同時に武器が光る。ソードスキルだ。少しタイミングをずらして盾持ちもソードスキルを発動させた。波状攻撃か。

 

斧は上段からの振り下ろしをバックステップで回避。それを読んでいた盾持ちが突進技で横から仕掛けてきた。そこへ斧の二段目攻撃が。さらに斧の背後から小瓶がふわりと舞いあがる。丁度俺の背後に落下する絶妙な力加減。間違いなく、短剣の奴がこれ以上下がらせないように投擲したアイテムだ。

 

下がれば謎の小瓶、横は盾持ちの突進技と腰だめに構えた斧の二段目、恐らく飛んでも斧の三段目が待っている。

 

小瓶は恐らくデバフ系アイテムだ。十中八九、麻痺毒だろう。これは何としても回避しなければならない。同じく盾持ちの武器にも何かしらのデバフが付加されているはず。これも回避必須。そこで逃げた先に斧の強力なソードスキルで叩く、か。スタンでも貰ったら即死かな。

 

硬直が発生するソードスキルを組み合わせたコンビプレイだ。タイミングをずらしているので硬直の隙を狙われることもないし、短剣がまだフリーなのでカバーも入れる、と。一定のロジックで判断するモンスターとは違った、対人技。よく考えられた、思考錯誤の末のコンビネーション。

 

それでも、甘い。

 

「ぐぇ」

 

横から突進してきた盾持ちの顔面に石突を叩き込む。カエルのような鳴き声を発した盾持ちはソードスキルのキャンセルを余儀なくされ、そいつの胸倉を掴んで上に放り投げて小瓶にブチ当てた。電気の様なエフェクトが迸ると、盾持ちの身体が痙攣して動かなくなり、その姿勢のまま滞空して地面に叩きつけられた。

 

斧の二段目は予想通りの横薙ぎ、そして読んだ通りに三段目が待ち構えている。片手で持っていた斧を両手で握りしめ、渾身の一撃を上段から叩き込むソードスキルか。

 

滞空したお陰で二段目をやり過ごした盾持ちは、動けないまま地面に叩きつけられるとどうなる?

 

「止めろ、やめろーーーー!」

「ひいいいいい!」

 

体重と武器重量とソードスキル、三点セットが漏れなくついてくる。当然、HPは全損だ。まず一人。

 

振り下ろした体制のまま硬直する斧に槍を構えて肉薄。着込んだ鎧の繋ぎ目…兜と甲冑の隙間に槍を指し込む。堅い手応えを柄から感じ取り、そのまま更に力を込めて突き、喉を貫通した槍の穂先が姿を見せた。順手で握っていた右手を右から押しこむように持ちかえ、腰をひねって全力で振り抜く。

 

斧の首と兜が宙を舞う。頭部欠損は致命傷判定が入る。つまりは死亡。二人目。

 

「……はは」

 

壁を失った短剣は乾いた笑いを零した。決して弱い奴らではなかったはずなのに、一瞬で二人も死んだ。しかも自身のあるコンビネーションを仕掛けて。信じたくない気持ちは分からんことも無いが、今それをやってはいけない。

 

麻痺毒を塗った投げナイフが短剣の腹と右腕に刺さる。レベルの高いそれは命中すれば確実に行動不能にするフィリア手製のえげつない薬物。盾持ち同様に動けなくなった短剣は膝から崩れ落ちた。

 

カツ、カツ、とブーツの音をわざと響かせながらじわじわと近づく。口では何か命乞いを言っている様な気がするが、生憎と雑音を拾う耳は持っていないので聞こえなかった。

 

逆手に握った槍を振りかぶり、垂直に振り下ろす。心臓を捉えた槍をぐりぐりと捩じりながらダメージを与え、数秒後にはポリゴンになって砕けて逝った。

 

「ふぅ」

 

雑魚とはいえ気は抜けそうにないな。慎重に進むとしよう。

 

こっちからコイツら来てたけど、道合ってるのかな……。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

phase 32 掃討作戦2

トマトしるこです。

今回はなんかノリノリだった、です。


自分達だけの声が響く洞窟で、偶然にも安全なエリアを発見した私達はそこで少しだけ休憩することにした。最初の犠牲者が出て直ぐ、トラップが起動しては分断され、ラフコフが現れては誰かが死んで、分断され……。そんなことばっかりで走り詰めだった。仮想世界でスタミナの概念が無くても流石に疲れる。

 

ユウは途中でトラップに引っかかり階下に落とされた。縦長の洞窟だろうと考えてただけに、まさか下に落とされるとは予想外すぎて、気付いた時は既に遅く落下していくユウを見送ってしまう事態。落石と迫る壁に追いかけられていたので中に飛びこむ隙は無く、引き返す事も難しい。

 

一応パーティは継続しているし、HPバーも減って無いことからまだ生きているのは分かる。ただし、このダンジョンはメールを始めとした一切の連絡手段が機能しない。足で探す他なかった。

 

一人で探しに行きたいのが本音だけど、ギルドメンバーだって大切な仲間だし、単独行動などしようものなら確実に死ぬ。

 

自傷ダメージが入る程拳を強く握って駆けだしたい衝動を抑える。

 

………よし。

 

「そろそろ行こう。五分だ。アインを探さないとな」

 

切り替えたその瞬間にキリトが腰を上げる。フィリアの強化ポーションのクールタイムが丁度切れたのだ。真っ先に口にしたフィリアが再度使用可能になったので、順次私達も使用可能になる。

 

短剣のメンテとポーチの整理を終えている私は直ぐに立ちあがって頷いた。アスナとフィリアも問題ない。

 

来た道はトラップによってまだ塞がれている。他に道は一本…奥へと進む方向だけ。迷わずに歩きだした。

 

「広いね、この洞窟」

「だな。結構走ったつもりなんだけど、まだ奥があるらしい」

「トレジャーハンターはどう思う?」

「並のダンジョンなら踏破してるくらい、かな」

「うん、十分ヤバい」

 

同じ場所をグルグル回っているわけでも無し。私達が思っている以上に広いらしい。最初は五十人も居たのに、気付けば走りまわらされて四人。ユウに至っては一人で行動している。レッドと言われるだけはある、実にいやらしい手口。命懸けと分かっているが、やられる側は結構苦しいわね。

 

ガチリ。

 

「「「「あ」」」」

 

何かのスイッチが作動した、今日だけで耳にタコが出来るくらい聞いてきた音に全員が反応する。足元から聞こえてきた。床が凹んでいるのは……キリトだった。因みにトラップ発動数はダントツでアスナが多かった。普段は全くそうじゃないのにね。

 

兎も角、全員で一斉に駆けだす。どんなトラップなのか分からないが、経験則で知っている。その場に立ち続けることだけは絶対にやってはいけない、と。

 

しかし今回のは発動した時点でアウトだった。

 

「マジかああああァァァァァ………」

 

キリトが一歩踏み出した先には堅い洞窟の岩盤はなく、ぽっかりと開いた穴が。常人離れした反応速度を持ってしても回避は出来なかったらしく、落ちた。

 

トラップ踏んだら走れ。そういう感覚が分かって来た頃に、コレか。汚い。

 

悔しさが胸を占める。

 

「……アスナ」

「…行こう」

 

手を伸ばす事も出来なかったアスナは強かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〓〓〓〓〓〓〓〓〓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いてぇっ!」

 

急速落下の衝撃は思ったより大きくごっそりとHPを持っていかれた。これで重量のある防具だったらと思うとぞっとするぐらいには。反射的にポーションを取り出して煽る。溢れた薬液は袖で拭った。

 

見上げると天井しかない。落ちてきた穴は最初から無かったみたいだ。何の因果か、俺もアインと同じように落とし穴にかかってしまうとは。

 

地面に打ち付けた箇所をさすりながら立ち上がる。洞窟としての作りはたいして変わらない。道は……どうやら一本道らしいな。迷わなくて助かる、何にせよ早く戻らないと。これ以上バラけるのは拙いし、あの調子じゃあどう気をつけても最終的には全員孤立しそうだ。

 

「急ぐか」

「どこにだ?」

「っ!?」

 

一本道へ進みだしたその矢先、背後から男の声が聞こえてきた。聞き覚えのある、聞く者に恐怖を齎す声だ。

 

ゆっくりと振り返る。が、そこには誰も居ない。一帯を見渡すが人影は見当たらなかった。

 

「聞かれたことには答えろよ」

 

もう一度声がした。今度は視界の先……いた。

 

岩陰が乱立する行き止まり。そいつは岩を背もたれに肩膝を立てて座り込んでいた。ゆっくりと立ち上がった男は、無骨なブーツで石を蹴りながら俺の方に向かって歩いてくる。百八十センチ近くある身長で持って俺を見下ろしてくるが、目深にかぶったフードで顔は見えない。腰には肉厚で刀身の長めな包丁が。

 

「悪いな、びっくりしたんだ。まさか誰かいるとは思わなかった」

「そうかい。よく来たな、それで」

「アンタに会えるとは予想外だ、Poh」

「俺もお前に会うとは予想外だ、キリト」

 

僅かに覗く口元がにやりと歪む。

 

Poh。アインの話では父親代わりだった男で、多くの人間を殺してきた本物の殺人鬼。笑う棺桶のリーダー。ヒースクリフとは違ったカリスマでもって多くのプレイヤーに道を外させ、アインクラッドを混乱に落としこむ張本人。掃討作戦のターゲット。

 

予定ではアインがPohと戦う筈だった。本人の強い要望があったし、俺達と違って一度戦っている。今まで姿を見たプレイヤーで生きて帰ったのはメッセンジャーとして生かされた連中だけで、戦って生き残ったのはアイン以外には居ないと噂だ。

 

立ち会った今なら分かる。コイツは規格外だ。自覚もある。それを隠しもしない。マトモな人間なら恐怖するし、そうでない奴らがカリスマに魅入られて笑う棺桶のメンバーになっているってことだろう。形容しがたいプレッシャーを感じた。

 

背中の愛剣を抜く。聞いた限りでは他の短剣使いとそう変わらない戦術らしい。スピードで撹乱し、肉薄してからのラッシュで削る。フィリアのようにアイテムを使い、更にはデバフをちらつかせて隙を作りつつ攻め入るタイミングを与えない。ただし、そのどれもが全プレイヤーを圧倒する技量を持つ。加えて体術と勘と経験と……そこからは聞いて無かった。

 

ソロで戦うには相性最悪って事だけは覚えてるが、最悪ってもんじゃないだろこれ。

 

「おいおい、俺は戦うつもりはねぇよ」

「何?」

 

すると、へらへら笑いながらPohは両手を上げた。俗に言う降参のポーズ。

 

「信用しろって方が難しいだろ」

「だな。じゃあお前は剣を抜いたままでいいぜ」

「……何の用だ」

「話がしたかったのさ」

「話?」

「アイン、って名乗ってるのか? アイツは」

 

その言い方から察するに間違いない。リーダーって奴はPohだ。

 

「どうだ、話を聞いただろ?」

「アインとお前の昔話か?」

「あぁ、そうだ、それだ。どうだった?」

「どう?」

「自分のダチが、実は人殺しだった事実は、どうだったんだ?」

「…」

 

なんだ、コイツ。

 

「知ってるぜ。お前等βテストから仲良しだったんだろ? このSAOが始まってからも初日からパーティ組んでたらしいな。そんなダチが何人も殺してきたんだ、感じるモンがあるだろ、思うことがあんだろうが」

「無い」

「本当か? 今の今まで、ずぅっとそんな大事なこと隠してた事に何も感じないのか? キリト、お前らはアイツに騙されたんだ。自分だけ肝心な事を言わずにいたんだ。悔しくないか? ムカツクと思わないか? 自分の信頼をコケにされても尚言えるか? 無いってな」

「…」

「怖くなかったか? 躊躇いなく殺せる人間がいつも横に居て、自分を殺せる武器を持ったまま話しかけてくる。いつ、どこで、自分が地雷を踏んで殺されるかもしれないとは考えないのか? 嫌われたら殺されるかもしれないよなぁ? もしかしたら、機嫌を損ねただけで首を刎ねられるかもしれないよなぁ? お前の横にいる男はそう言う奴だぜ、気に入らないからで殺された奴が大勢いる。身体がナイフの持ち方を覚えて、肉を斬る感触を気に入ってるんだ。もしかしたら、明日にはキリト、お前はおろか女どもまで―――」

「黙れ」

 

ああ、聞いた通りの異常者だ、コイツは。俺の反応を見て楽しんでる。苦しむ姿が見たいんだ。俺を通してアインを苦しめようとしている。

 

お前の言うとおり怖かった時もある。話を聞いた夜は寝付きが悪かった。

 

でもそうじゃない。

 

「アインの過去は望んだ過去じゃなかった。やりたくて人殺しをし続けたわけじゃない」

「あ?」

「自分で言ってたんだよ、生きたいって。生きるために戦ったんだ。それしか知らなかったから」

 

最後まで諦めきれなくて、醜く足掻いて逆らって、生きたくて今の生活を掴んだ。自分にできる全てをつぎ込んでやっとの思いで手に入れた。執念がそうさせたそれは、誰にでもできることじゃない。俺だったら逃げる。

 

「昔の少年兵とやらは知らない。俺が知ってるダチは、仲間の為に命をかけるヤツだ」

 

過去は過去だ。それでいい。大事なのは今をどう生きるか。

 

「……そうかい。ま、いいか。会えば分かる」

 

途端にPohはにやけ面を引っ込めてつまらなそうに言い放った。思った様な返答じゃなくて興味を失くしたのか。脱力したPohはだらりと上げていた腕を下げて歩きだした。

 

地面へ向けていた切っ先をPohへ向ける。

 

本当ならアインが決着をつけるべきだ。でも、今は分断されて全員が危険な状況でそうも言ってられない。この先にアスナ達がいるかもしれないのなら尚更。出会った以上、ここで仕留める。

 

「通行止めだ」

「お前がな」

「ッ!」

 

Pohの背後から影が飛び出す。手には片手剣が握られており、俺に向かって突きだされた。Pohに向けた剣先を少し逸らして片手剣を弾き、影と鍔迫り合いに。

 

男だった。俺やアインとさして変わらないぐらいの少年。頬には笑う棺桶のギルドマークが刻印されている。他のメンバーの様に隠すつもりが無いらしい。親玉とそっくりな口角を上げるにやけ面が酷く癇に障る奴だ。

 

「じゃあな」

 

必死に切り結ぶ俺の横をふらふらと通り過ぎていく。強引に少年を突き放して姿勢を崩し腹部に蹴りを一発。Pohを追う。

 

「ぐっ」

 

少年に背を向けて駆けだした瞬間に衝撃。運よく背負った鞘が防いでくれたそれは少年のとび蹴りソードスキルだった。勢いよく前のめりになって吹き飛ばされて地面とキス。超痛い。顔を上げるとPohは既に消えた後で、少年がただ剣を下げて俺を見ていた。

 

追う追わない、どちらにせよコイツは何とかしないと先には進めそうにないな。切り替えて少年と向き合う。

 

「……」

 

片手剣がゆら、と揺れると少年は真っすぐ俺に向かってきた。構える様子は無い。ソードスキル無しの白兵戦か。

 

右手の剣を握る手に力を込める。真正面から切り結び、先と同じように鍔迫り合いに。少年と視線を交わすと、彼はにやりと笑って左腕を振るった。手には逆さに握った短剣。そこで瞬時に意図を理解した。

 

(ソードスキルを使わずに戦うんじゃない、使わない戦い方か…!)

 

ちょうど今回渦中に居るダチも同じスタイルで戦う時があるから気付いた。熟練度を上げればソードスキルも種類が増えていくが、同時にダメージ等にボーナスがついてくる。最近になってモーション検知されない構えをとればソードスキルは発動しない、と気付いたアインも短剣スキルを獲得したが、少年は同じように片手剣と短剣のボーナスが目的で習得しているのだろう。

 

迫る短剣の狙いは俺の目。頭を逸らして空振った短剣を握る左腕に頭突き、そのまま押しこみ、未だに競り合う俺の片手剣に手首が食い込む。

 

「ッ!」

「がっ!」

 

今度は俺が蹴りを腹に貰ってしまい吹き飛ばされる。尻もちをつく前に空中で体勢を立て直して両足で着地、制止する前に足を回転させ走りだす。狙いは三分の一ほど亀裂の入った左腕。HPは俺の方が多い、Pohに追いつく為にも多少は無茶して押しとおす!

 

剣を振りかぶって上段からの面。防ぐなら左の短剣だろうに、千切れるのを恐れてかメインの片手剣でガードされる。思った以上に斬り傷が深いらしい。そこにつけ込む。

 

返す横薙ぎを縦に構えた片手剣で防いだ少年は、下がらずに踏ん張り順手に持ち直した短剣を心臓めがけて突きだしてきた。向かって右に体をずらし、左手で腕を掴んだ状態で踏み込んだ少年の左脚を内側へ払い体勢を崩す。スケートで滑った様なコケ方をした少年の無防備な身体に、容赦なく剣を振り抜いた。さらにそのままぐい、と左腕をひっぱり地面へと倒す。

 

身体よりも先に肘で地面を捉えた少年は、器用に俺がつけた勢いのまま足を振りあげてバランスをとり、倒れこむことなく着地し、力を溜めこむように肩膝をついて俺を見上げる。

 

そのまま考える隙は与えない。

 

既に追撃を仕掛けた俺の剣が上段から襲う。再度片手剣で防ごうとかぶるがそれはお見通しだ。振り下ろした剣を今度は左手に持ち替えて即座に振りあげる。一度打ち合って剣を握る力が籠っていようとも、予想外の、しかも普段ならありえない場所からの衝撃には対応できない。簡単に片手剣は少年の手から弾き飛んだ。

 

はっとした表情も一瞬だけ。残った短剣で反撃に移るがもう遅い。振りかぶった状態の構えを感知したシステムがソードスキルを発動させる。通常ではありえない速度で再度振り下ろされ、V字で再度振りあげる二連撃が短剣を半ばから叩き折りポリゴンに変え、掠るように少年にもダメージを与えた。片手剣二連撃スキル《バーチカル・アーク》。左で使うのは初めてだけどまぁ上手くいくもんだ。

 

硬直時間を過ぎて剣を右手で持ち直しても、少年は唖然とした表情で尻もちをつき俺を見上げる。油断はできないが、勝敗は決まった。切っ先を目前に突きつける。

 

「俺の勝ちだ。降参してくれ」

「……っ!」

 

宣言を聞いた少年は……にやりと笑い振りあげた足で俺の剣を弾き距離をとった。そして遠くにある自分の片手剣を拾い、再度向き合う。

 

HPの差は何時しか覆すのはほぼ不可能なまでに広がっていた。俺はヒーリングスキルで満タン、対する少年はレッドゾーン手前のイエロー。何らかの事故が起きれば全損して死んでしまう残量である。理性の無いプレイヤーでもここまで減らされればまず負けを認めて降参する程なんだが……少年はそのギリギリを楽しんですらいる様にしか見えない。

 

「死ぬぞ! もう止めろ!」

「うっせぇよ」

 

そこで初めて声を聞いた。顔に似合わず高めの、透き通った声。だが、含まれる負の感情は計り知れない。

 

「死ぬ? だからどうした?」

「だから、どうしたって…」

「そんなもん生きてりゃ何時そうなるか分かんねぇだろーが。道を歩いててもいきなり車に轢かれて死ぬかもしれないのに、お前は一々ビクビクしながらガードレール付きの歩道歩くのか?」

「そんな極端なことを言ってるんじゃない!」

「いいや違うね。お前等は恵まれてたからそんなことが言えるんだ。何時死ぬかも分からない状況で怯えたことが無い奴が言うクソ甘な言葉だ!」

 

振りあげられた片手剣を防ぐ。三度目ともなる鍔迫り合い。

 

「生き続けるのが戦いだ! 負けりゃ死ぬ! そんだけだろうが!」

「だったら何で笑ってられるんだ!」

「楽しいからに決まってる!」

「楽しい!? こんなことを楽しいのか!?」

「生きている奴は勝者だ、負けた奴が弱者! 見下すのは、いたぶるのは何時だって勝者の特権って決まってんだよ! 強ぇ奴も、偉い奴も、女だってなぁ! 楽しくないわけが無ぇだろ!」

「ふざけた理由で…!」

「だぁから勝者の特権だって言ってんだろああぁ!」

 

少年が両手で片手剣の柄を握り押しこむ力を強める。俺の剣は柄が短く片手でしか握れないデメリットがここにきて苦しめてきた。

 

「死んだら終わりだ! 俺は死にたくねぇから戦う! 生きたいから戦う! 人も殺す! 生き続けるために戦う! 負けたら死ぬ! 俺は終わりたくねぇ!」

 

気迫と筋力に圧倒されるのを感じた。笑っている顔が怖い。自分の首に引っかかる死神の鎌の冷たさがそれを引きたてている。

 

このままでは、死ぬ。

 

死ぬ?

 

……嫌だ。生きて現実世界に帰りたい。家族に会いたい。疎遠になった妹にまだ何も出来てない。仲間だって待ってる。

 

アスナ。

 

俺は!

 

「おおおおおおっあああああああああああああああ!」

 

生きる!

 

投擲ピックを左袖から抜いて剣に当てがい力を込める。徐々に押されていた剣が均衡を保ち、押し返し始めた。元々ステータスは結婚している分こっちが上だ。力勝負なら絶対に負けない。

 

ピックにヒビが入る。耐久がそも高くないこれは五秒も持たずに砕け散った。十分過ぎる時間をくれたそれに感謝しつつ、最後の詰めに入る。

 

剣を滑らせ手首を返し、鍔使って絡め取り真上に剣を弾く。片手剣に吊られて両手が上がり、まるで万歳したようにガラ空きになった身体へ、身体全体を使って、両足のバネを一気に開放し心臓のあたりを貫く。鍔が少年の胸に接触するほど、深く突き刺さった。

 

さらにその姿勢を感知したシステムがソードスキルを立ち上げる。

 

重単発突進技《ヴォーパルストライク》。俺の十八番。

 

ゼロ・マックスの衝撃は余すことなく少年の身体に伝わり、剣を突きだす動作によって、少年は十メートル以上離れた洞窟の壁に叩きつけられた。優にHPを全損させ、オーバーキルという表現がピッタリな一撃によって、壁に弾かれた途端に身体は砕けて散って逝った。

 

前のめりに身体が倒れこむ。見届けるまでもなく、柄を握った右手が少年の死を伝えてくれた。

 

「はあっ、はっ、ふ、ふうっ…」

 

死にたくない、生きたい。そう願った瞬間に身体が動いた。その結果が、これだ。殺した。

 

彼らの言葉を借りるなら、生きるために戦った、生きたいから戦った。俺だって死にたくなかったんだ。仕方のないことだ。

 

なぁ、どうなんだよ。アイン。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

phase 33 掃討作戦3

トマトしるこです

ちょっと頑張りました。


ユウとキリトは私達を助ける代わりにトラップの落とし穴に消えていった。その後もめちゃくちゃなトラップの連続に追い回されながらも、奇跡的にはぐれることは無かった。二人もHPバーに増減が見られるから、敵と戦って生き残っている事だけは分かる。

 

まずは生き伸びることだ。三人で固まって生き伸びて、二人と合流して、それから作戦に参加したプレイヤー達と合流するのが先だ。笑う棺桶の本拠地で良いようにされている現状をまずはなんとかしないことにはどうしようもない。クライン達も気になる。ていうか犯罪者ギルドなんてマトモに戦ってはいけない連中だ。

 

「…ふぅ」

 

ようやく一息つける開けた場所に出れた。洞窟らしく道が入り組んでおり、上下に走らされ、時には四つん這いにならないと進めない細い横穴も。湖に飛びこませられ必死に巨大ピラニアから逃げたりもした様な……。進むだけ嫌になるし、ちっとも合流する気配が無い。むしろ奥へ奥へと追い込まれている魚の気分だ。

 

「服が貼り付いたり、重くならないだけまだマシね」

「確かに。武器も錆びたり劣化しないみたい」

「私の道具類も無事だよ」

「流石のSAOも、水に関しては完璧な再現が難しいってことか」

 

日ごろのお風呂や釣り(男二人の密かな? 趣味に無理矢理付き合わされる)で理解はしていたが、改めて水に飛びこむ泳ぐ等をしてみると良くわかった。とにかくポリゴンの作りが他の大地や物体と比べて甘い。もう議論されつくした話だが、流動的な物は演算等々の負荷が重たすぎるのかもしれない。ムカつくけど、今回は妥協してくれた茅場に感謝しないと。

 

にしても…。

 

ダンジョン規模のこの洞窟。途中途中に生活していたであろう痕跡はいくつか見られた。せんべい布団が川の字に並んでたり、石を囲んだだけのなんちゃってコンロがあったり。

 

守るには最適だろうけど、根城にするには最悪よね。利便性なんてかけらも感じないわ。どうやって生活してるのかしら。

 

「わかるー」

「え、口に出てた?」

「顔には出てた」

「…私って、そんなに分かりやすい?」

「たまにね」

「はぁ」

「嫌なの?」

「おりこうさんじゃないから。それに、秘密が女の魅力だもの」

「あ、分かる」

「分かる、ってアスナはさておき、フィリアは…」

「あー! 馬鹿にしてるでしょ! 私だって秘密の一つや二つあるんだから!」

「惚れ薬を作ろうとしてるとか?」

「うぐ」

「はい、論破」

「ふふっ」

 

私とフィリアの駄弁りにアスナがほほ笑む。敵地ど真ん中で何を暢気にと思うかもしれないが、全く気を緩めてはいない。会話は片手間かつおびき出しのブラフで、実際は息を整えつつ装備の状況確認に集中していた。

 

これがかなり重要で、低レベルな下層ならスキルゴリ押しでどうとでもなるけど、前線やこういう場所で整備不良は生死に直結する。今まで何度もそんな場面に直面してきたし、ベータ出身の二人から耳にタコができるくらい言い聞かされてきた。

 

「随分下まで来たね」

「そうね、気付いてた?」

「うん。落とし穴系のトラップがぴったり止んだ」

「ええ」

「湖もあるってことは、このあたりが最深部なんじゃない?」

「フィリアの読みは、正しいと思うよ」

「私もそう思う。だから…」

 

そろそろ幹部クラスの連中が出てくるはず。

 

「っひひ、よお。俺らのホームは楽しんでるかい?」

 

噂をすれば。

 

手入れの道具一式を素早くアイテム欄へ格納し、岩から立ち上がって向かい合う。

 

楽しいわけあるか、ハゲ。

 

「ジョニーブラック」

「よぉ、シノン達…いや、今はエンブリオンだったか? 男はどうした? 死んだか?」

「馬鹿じゃないの」

「そうこなくっちゃなぁ。落とし穴にでもかかったって事にしとくわ」

 

耳触りな気味の悪い引き笑いが洞窟に木霊する。生理的嫌悪を催すそれは黒板を爪でひっかいた音より耳に触るので即刻止めていただきたい。

 

「年貢の納め時だぞオラ」

「こっちの台詞よ、アンタの顔ももう見飽きた」

 

ジョニーブラックが愛用の毒ナイフをちらつかせる。愛用の短剣を握る手に力が籠り、身体は自然と構えをとった。ふざけた野郎だが、腕やレベルは確かなのだ。この人数でも油断はできない。

 

「三対一で勝つつもり?」

「おいおい、逆に三人程度でどうにかできると思ってんのか? 笑えねえ、笑えねえよ。俺達ラフコフは、名前を聞くだけで竦み上がるような……悪なんだぜ?」

「そんなのどうでもいいわよ」

 

短剣を抜いて一直線に駆ける。初動は与えない。

 

あと数歩で私の間合いに入るかというところ、踏み込んだ足に力を込めてジョニーブラックの頭上スレスレを飛び越え、背中をとった。視線で私を追う男の身体が向く先には、私達の中で最も武器のリーチがあり、ジョニーブラックにとっても苦い相手のアスナが迫る。武器を持たない左手側には、片手でナイフ片手はポーチに手を突っ込むフィリアが陣取った。

 

攻略組でもまず脱出不可能な布陣だが…油断はできない。ここで張り込み、自ら姿をさらして先手をとらせたということは、どれだけ不利に陥っても状況をひっくりかえすだけの策があるはず。

 

指一本の微動でさえ見逃してはいけない。そして何らかの動きを見せても即鎮圧し全方位警戒を維持する。その為に包囲した。

 

絶対的、圧倒的不利。にもかかわらず、ジョニーブラックは少しも動じない。

 

それどころか

 

「っひひ」

 

にやりと口角を上げて、楽しむように笑うのだった。

 

左半身を前にジョニーブラックへ接近。音も立てずに一足で踏み込み短剣を突きだすが、振り向きざまに払われた剣で受けとめられる。更に押しこもうと一歩踏み込むものの、背後から斬りかかるアスナに気付いて払われてしまった。半身を翻す動作に合わせて降りぬかれた足を諸に受けてしまい、忍び足ゆえに踏み込みの浅かった私は容易く蹴飛ばされ距離を空けてしまう。

 

そのアスナが突きのラッシュが生み出す壁で迎える。ジョニーブラックは防具の薄い部分だけは的確に防ぎ、ダメージを最小限に抑えて大きく飛びのく。着地したその足はフィリアが撒いた爆薬を踏み抜き、追い打ちの様に傷とデバフを蓄積させた。男はさらに距離を空ける。

 

体勢を立て直した私が再度飛ぶ。空中で一回転して両足で二連踵落とし、短剣を袈裟に振り下ろし、逆袈裟に斬り上げ。衣服や鎧、皮膚を掠めるばかりで有効打となり得ないが、休む間を与えない。短剣と蹴りのコンビネーションでひたすら攻勢を保つ。

 

「いい加減邪魔なのよ! とっとと死ね!」

「そう思うなら上手く斬ってみせなドヘタクソ!」

「それじゃあお望み通りに」

 

ごきん。と鈍い音がジョニーブラックの左脚から聞こえてきた。正確には膝。

 

赤と緑の霧…攻撃と速度上昇のバフがかけられた状態で背後に回り込んだフィリアが、速度と体重を乗せた回し蹴りでジョニーブラックの左膝を内側に折り曲げた。例え大腿部でもイやな音を響かせたであろう一撃だ、脆い関節部など造作もない。

 

本来なら曲がらない方向に若干身震いするが、それも一瞬だけ。

 

立てなくなった、というより理解が追いついていない様子の虚をついてフィリアが更に畳み掛ける。ナイフを深々と横腹に突き刺して、蓄積させたデバフを付与させる。状態は麻痺だ。

 

「ブチ抜いてあげる」

 

私が再度頭上へ飛び服の襟を掴み上へと引き上げ重心をズラし、アスナが残った右脚を払って、身体を引き絞った全力の刺突が腹部を貫き重低音を響かせる。

 

「うごっ、ごほっ」

 

口が閉じれないようにアスナが縦に細剣を床まで突き刺した。歯はカチカチと切れ味のよい刃で音を鳴らすばかりで何を言っているのかさっぱり。部位欠損(欠けてはなくとも機能しなければ部位欠損同様の判定になりダメージが入るらしい)と貫通の継続ダメージが着々とHPバーを削っていく。

 

わかってはいたが三対一とはこういうことだ。対策しようが、手札を切る前にし止めればいいだけのこと。一対多を生業とするような人間ならさておき、正面切っての、あるいはデバフを絡めた暗殺を得意とするコイツではどうしようもない。

 

「殺しはしないよ。死ぬ手前でポーション飲ませてあげる。私達はあなた達みたいな殺し屋じゃないから」

 

フィリアが取り出した市販のポーションを顔の横にそっと置く。ジョニーブラックの驚いたような視線が天井からポーションへと移る。

 

一先ず、終わってみればあっさりと決着はついた。

 

「ざまぁないわね、ジョニーブラック」

 

返事は……ない。ただ呆けたように瓶を眺めるばかり。

 

「はぁ。ま、いいわ」

「幹部の一人はこれで片付いたね」

「あとは……まだ数人残ってる筈よ。赤目の刺突剣使いとか」

「だね。それに、キリト君達とも合流しないと」

 

コイツと赤目の刺突剣使い…たしか、ザザ。二人は数いる幹部の中でも特にPohのお気に入りだった。少なくとも人前に現れた時に従えていたのはこの二人。実力含めて可愛がられているほうだろう。その片割れを無傷で捕らえられたのは大きい。

 

幹部が姿を現した以上、ここからが本番だ。奥へ奥へと潜り続けた他の仲間も何処かでカチ合っているだろう。

 

しかし、捕まえたまではいいけど、どうやって連れまわすのが正解なのかしら?

 

「……ひひ」

 

カチカチ、とアスナの細剣の先から音が鳴る。耳障りな声も聞こえたような気がしたが…。

 

「ヒヒヒヒヒヒあああはははは!!」

 

どうやら聞き間違いでは無かったらしい。ジョニーブラックは突然気がふれたように高笑いした。

 

視線は……それでもポーションの瓶を捉えて離さない。

 

「ッ! フィリア!」

 

はっとなって叫んだときはもう遅かった。

 

ゴーグルから漏れる二つの赤い光が残像を残してフィリアに肉薄し、引き絞った剣を握る腕を突き出す。獲物の刀身は橙に光を放ち――ソードスキルが反応の遅れたフィリア吸い込まれた。

 

「    !」

 

空気だけが咽喉から零れ、フィリアは五メートル近く空を切り雑巾のように数回バウンドを挟んで壁にたたきつけられ停止した。

 

突然の新手に距離を取るべく、フィリアを守るべく脚を動かす。

 

「あっ」

「くっ」

 

私もアスナもそれは叶わなかった。

 

首筋にある鋭い感覚…そして一瞬で蓄積した麻痺のバッドステータスが、嵌められていたのは自分達だったと教えてくる。

 

ジョニーブラックへ剣を突き立てていたアスナが先に、そして次に私が倒れる身体を腕で支える事も叶わず人形のように伏せる。麻痺のせいで頭や肩が痛いなんて感覚も特になかった。

 

「ごほ……ナイスなタイミングだったぜぇ、ザザ」

「……」

 

フィリアをソードスキルで吹き飛ばし、私たちに指で隠れる程度の極小のスローイングダガーを投擲した乱入者…赤目のザザは、ジョニーブラックに麻痺特効のポーションを口に含ませ、感謝の言葉に無言で応える。

 

してやられた……自分を囮に使うなんて。

 

私達が絶対に殺しはしないという確信があったからこその作戦。

 

「わかってたみたいだなぁ、シノン」

「……」

「何とか言えよ」

「ぐっ!」

「シノン!」

 

ザザに倣って無言で返すが、流石にスルーはしてくれないらしい。軽装な腹部につま先がめり込む。更に拾ったアスナの細剣を私の口に縦で突き刺した。えずく度にカチカチと音が鳴る。はぁ、これは、確かにいい気分じゃないわね。

 

どちらかというと、さっきまでコイツの口に入っていたものが私に突っ込まれているのが屈辱過ぎて耐えられない。

 

「……ポーションの瓶でザザの位置を探って、笑い声が合図だった」

「まさかあんなイイもんくれるとは思ってなかったけどな。なんであの女を狙ったと思う?」

「フィリアだけが、自前で索敵スキルを持ってる」

「そういうこった。ああ、そういやHPやばかったんだわ、くれるって言ったんだし貰っとくか」

 

ひょいと拾ったフィリアのポーションをがぶがぶと一口に飲み干す。頭上のバーがじわりじわりと右端へ伸びていく様に悔しさを煽られる。

 

ザザの刺突剣重単発突進ソードスキル《ガストネイル》。刺突剣使いが希少なので、あまり多くの情報が出回っていないがコレだけは誰でも知ってる。《ヴォーパルストライク》の上位互換(・・・・)と名高いスキルだ。

 

刺突剣は片手剣ほど頑丈な作りでないため武器耐久値の損耗は他ソードスキルの比にならないが、威力は見ればわかる。フィリアのHPはたったの一刺しで八割を喰われていた。しかも気絶しているらしく起き上がる気配がない。

 

そして私達を麻痺にしたスローイングダガー。これはジョニーブラックが預けたものだろう。デバフ特化の補助スキルでも持っているはずだ。でなきゃたった一本でデバフ発動するだけの蓄積などできるものか。

 

「ごっそさん」

 

飲み干した瓶を後ろ手に放り投げる。当然瓶は割れて砕けた。

 

「うひゃひゃ、イイところまでいったよなぁ~。シノンちゃんアスナちゃんよぉ。ええ?」

「そうね…詰めが甘かったわ」

「なんつってたっけな? 三対一で勝つつもり? だっけ?」

「……」

「うははっはははははは!!」

 

げらげらと腹を抱えて笑うジョニーブラック。対して黙したままきょろきょろと辺りを見回すザザ。

 

「……こいつらの番はどうした」

「ひっ、ひひっ……ふぅ、途中で穴に落っこちたらしいぜ。ほっときゃそのうち来るだろ」

「わかった」

「そんじゃま、あいつ等が来るまで……」

 

じろり、と粘つく視線がザザから私へ向けられる。口角が三日月のように吊り上がり、下品な笑いとよだれをこぼして、私に馬乗りに覆いかぶさった。ザザも大して変わらずアスナへにじり寄る。

 

そして肘を直角に曲げたきれいな合掌。一瞬で思考を読み取った私とアスナは血の気が引いた。怯えるような表情をしてるのだろうと自分でもわかる。

 

合掌が意味するもの。日本人なら小学一年生だって知ってる。

 

「お楽しみとイきますか」

 

いただきます、だ。

 

麻痺で身体が動かないのだから、縄で縛る必要もない。御馳走を目の前にした貧民よろしく、両手が私の身体にべったりと触れて、衣服と防具を引き剥がそうと、あるいは耐える表情を楽しもうと際どい場所を撫でる。

 

「「ッ……」」

 

二人そろって唇を噛み締める。この手合いは何をしても喜ぶし、可愛らしく逃げまどえばもっと盛る。だから我慢の一択だった。唇を一文字に。

 

助けが来るか、麻痺が切れてチャンスが来るまで。

 

……。

 

それって、何時まで?

 

「ぃ」

 

最悪な考えがふと頭をよぎった瞬間、私は一瞬で恐怖に蝕まれた。

 

「嫌ああああああぁぁぁ!」

「うひゃひゃひゃ! そうそう! それでいいんだよ!」

 

三倍増しで愉悦の表情を浮かべる犯罪者はテンションが上がったらしく、撫でまわす手にいやらしさが増す。

 

「やだ、やだああああぁ!

 

アスナも似たようなものだった。同じ不安がよぎったのか、私にあてられたのか。もしそうなら申し訳ないことをしてしまったと思う。

 

ザザは相変わらず無口なままだが、その口元は肌が覗くアスナで興奮しているらしい。

 

たった一人にしか許したことのない場所が、侵されていく。その事実がとても恐ろしかった。

 

「…!」

 

そんな私に救いの糸が垂らされる。

 

麻痺状態を示すアイコンが点滅を始めた。アスナよりも先に、私のほうが早く解除されることを現していた。

 

結婚はステータス合算やアイテムストレージ共有という強力かつ諸刃の剣だが、それだけでなく習得スキルもある程度の恩恵を受けられる。ユウは状態異常にはかなり気を配っていたから、その手の対策スキルがパーティの中でも抜きん出ていた。

 

「いろいろと考えてるみたいだが……下手したらお前じゃなくて遠くで転がってる女にダガーが刺さっちまうかもな」

「っ…! この……」

 

フィリアは気絶していて動けない。HPは残り二割。ダガー自体の威力は左程ないけど、刺されば貫通ダメージが継続して入り、意識がなければそのまま死ぬ。たとえ回復しても、麻痺で動けず死ぬ。

 

抵抗するな。言外の圧力は実質の降伏勧告。

 

「ゲス。死ね」

「ここで誉め言葉とは、わかってるねぇ」

 

屈するしかなかった。たとえ麻痺が切れても。

 

あれよこれよという間に破かれて露わになった私の腹部に気持ち悪い手が触れ、少しずつ胸へと這い上がってくる。

 

せめて、と精いっぱい睨みつけた。

 

屑と目が合う。

 

「雌は雌らしくわめきゃイイんだよ」

 

 

 

 

ちょうどその中間を何かが通り過ぎた。

 

通り過ぎた何かに吊られて、ジョニーブラックの肘から先が後を追う。

 

断面からは赤く細かなポリゴンが血のように滲み出し

 

「何も―――」

 

喉笛に速度と体重と怒りを込めた蹴りが突き刺さり、何かと同じ方向へ同じように、腕の近くへ吹き飛ぶ。あのブーツ、ストップ&ダッシュの為に鋲がびっしりだった気がする。

 

跳ねるジョニーブラックを影が追う。

 

腕を連れて行った何か――槍を回収した影は地に着く直前に跳ねるように切り上げ、宙に浮かべてはもう片手のナイフで身体を少しずつ削ぎ落としていく。

 

一度槍で切り上げられれば四肢が先端から切り落とされ、再び地に落ちるころには耳や指など身体だった破片がぽろぽろと零れ落ちる。

 

「   」

 

それが数回繰り返された三十秒後、ジョニーブラックはこの世から消え去っていた。

 

影――ユウは何もなかったかのように武器を収めるとまだ痺れて動けない私の方へ歩み寄る。

 

「ジョニぃ―」

 

アスナの上で呆然と眺めていたザザが跳ねるようにユウへ刺突剣を振りかぶる。

 

その背後から、黒がいかにも重たそうな片手剣で深く斬りつけた。袈裟斬りで振るわれたそれはザザの右肩から背中を深く切り裂き、腕一本が別れを告げる。

 

黒はそのまま左手でザザの頭髪をつかみ、半月を描くように振り上げて、叩きつけた。

 

「キリトォォ!」

「黙れ」

 

怨嗟を孕んだザザの叫びは、キリトの二撃でショック状態で気絶し沈黙する。

 

一。投擲したピックが残った左腕の方に食い込み、腰の入った踏み込みで地面まで貫通し、直径の太いそれは容易く腕を千切った。

二。踏み込むと同時に股の間に逆手に握った片手剣の切っ先を突き刺し、裁断機のように左足を分割した。

 

ただ、それだけ。あっけなく幹部の一人は気を飛ばす。

 

「詩乃」

「…悠」

「そう呼ばれたの何年振りだ?」

「忘れた」

 

ジョニーブラックとザザの事など気にも留めてない様子で、ユウは傍に来て私をそっと抱きかかえてくれた。暖かさと安堵に視界が滲む。

 

誰よりも愛しい人が、私を呼んで求めてくれる。何よりも愛しい響きを、私の咽喉が奏でている。それだけで深い心の傷がじんわりと癒されていくのが心地よかった。

 

「ねえ」

「ん」

「帰ったら上書きして、ね」

「ん」

 

互いに身体を預けて頬を重ねる。薄っすらと開いた目で血痕も残ってない殺人現場を見る。

 

……女の声は、アンタが思ってる以上に価値があるものよ。

 

それきり、二層から何かと因縁のあった敵の記憶を消し始めた。




マジでビビってたけど悲鳴で位置を知らせる皮肉?の効いたシノンさんまじかっけぇし、それに気づいたアスナさんまじぱねぇ


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

phase 34 掃討作戦4

トマトしるこ、です。

だいたい一か月ちょいぶりくらいですかね


つい数時間前までは何もなかった草原に、今は天幕が乱立しては忙しなく走り回る人人人…。鍛冶職が持ち込んだ携帯セットで回ってきた武器防具にハンマーを叩きこんで、商人はストレージに入りきれない分をバッグに詰めて、調理器具を握って無心で食材を食品に変える料理人に、揃いの制服を着こんだ大ギルドの面々は担ぎ出される負傷者を支えてはポーションを突っ込んでいる。

 

まるで縁日の様だ、と思った。

 

「いや、不謹慎すぎるか」

「?」

「何でもない」

 

ぽふ、とシノンの頭に手を置く。ならいいとばかりにそれ以上気に留めることなく前を向きなおった。

 

目の前を走り回る人達はどれも必死だ。雑念無しにそれぞれの役割を果たそうと汗水垂らしている。縁日の様に出店が並んで人がごった返す日と比べるのは、いささか失礼に過ぎると分かっていても、そんな印象が拭えない。誰が画策したか知らないが、命を張って剣を握った五十人のプレイヤーに対する侮辱行為だ。寄りにもよって、金稼ぎに利用されるとは思ってもいなかったさ。

 

ヒースクリフとは最初の交渉の後、ほんの少しだけ作戦を煮詰める機会があった。お互いが持つ情報を共有し、その上でどう攻略するのが安全かつ最大限の結果を引き寄せたいのだが……と向こうから声を掛けられたのがきっかけか。当然、その中には作戦後の事も幾つか取り決めていた。それは聖竜連合とも話がついている。

 

公表は後日。揉めまくったと聞く擦り合わせの中で、唯一すんなりと決まった条件だそうだ。

 

普段のボス攻略でさえちょっとしたお祭り騒ぎになるってのに、長い間苦しめられた笑う棺桶が壊滅としたニュースはとてつもないムーブを起こす、というのは誰でも至る結論ではなかろうか。参加するプレイヤーはボス戦とは違った戦場で、人間相手に本気の殺し合いを挑まなければならない。苦痛と心労は計り知れず、死者も避けられないだろう。作戦後の立て直しにも時間と金はかかる。

 

要は休みたいのだ。当然、誰も責めたりしなかった。こっそり話を持ってきたのは俺達だが、事後処理に駆けずるのはヒースクリフとリンドの二人だし、被害が最も大きいのも血盟騎士団と聖竜連合だろうし。

 

だから、生け捕りにした笑う棺桶のプレイヤーは回廊結晶を使って黒鉄宮(ブタバコ)に直接送り込んで現地解散になる、はずだった。適当に狩りをするフリをして待機していた大ギルドメンバーに身柄を押し付けて帰る気満々だったんだ。キリトとその日は自由行動にして翌日打ち上げをしようと企んでいたのがパァだぞ。

 

事後処理に付き合うのは当然と思っていたが、こんなことに付き合うとは思ってなかったな。

 

今日、ここに居る事を知る人間は数えられる程度しかいない。アルゴと、血盟騎士団と聖竜連合の幹部、あとは……商工会ギルドマスターぐらいか? どこから情報が漏れたか分からない以上、知る人間は極端に絞って逃げられないように手を打ってきた。

 

ってのに今じゃこれだ。たった数時間でいったい何があったのか教えてほしいもんだが、道行く人に声をかける余裕もない俺は、俺含めた面子はただぼうっと倦怠感に任せて外を見るだけしかできそうにない。

 

恐らく……Pohの仕業だろう。

 

内通者が居たのは間違いない。参加者にはいなくとも、直前の合宿モドキはギルド関係者には周知されているので、そこから情報を手繰り寄せたか、あるいはその幹部か。その辺りから情報を拾ったPohは、作戦開始後にこの状況を作り出した。混乱を避けたい、休みたい、立て直したい、それらを軽くぶち壊すクソみたいな一手だ。

 

あいつは笑う棺桶に対して都合の良さ以上の感情を抱いていない。むしろ今日のような状況を作り出すためだけに築いたのではとすら思えてくる。俺の過去が証拠だろう。自分が興奮する為だけに子供を育てていたのだから、今更一組織を作って壊す程度余裕でやってのけるはず。自分も混ざって適当に楽しんでずらかっただろうな、幹部は見つかっても奴だけは追いきれまい。どうせこれも追っ手を撒くためのカモフラージュだ。

 

――楽しんでもらえたかい?

 

そう言われた気がした。縁日って例えもあながち的外れじゃなさそうだな、とんでもねー主催者だけど。

 

はぁ、とため息もつけずに顔を伏せる。首筋に刺さる日差しを遮る様に、その男は現れた。

 

「やあ、無事で何よりだ」

「…あんたもな」

 

ヒースクリフだ。取り巻きも少々。誰も彼もげっそりした表情で俺達を見ている。あのクラディールとかいう男も一緒だった、コイツは俺が出てきたときにザザを預けたので最初から外で待機していた側だろう、元気が違う。返事をしたキリトだってげっそりしてるぜ?

 

「こんな事になってるとはね、何か聞いては……無さそうだ」

「してやられたよ、俺も、あんたも」

「全くだ。こうも用意周到とは、ねぐらを抑えた程度では捕まってもらえないらしい」

 

同じ結論に至っていたヒースクリフには誰のことを差しているのか伝わったようだ。珍しく感情の篭った声を漏らしながら、左手の大盾を地面に叩きつける。相当イライラ来ている様子に、取り巻きもどう接すればいいのか困っているらしい。その様に場違いながらくつくつと笑ってしまった。

 

俺が良く知るギルドの頭は冷静で切れ者のイメージが強い。ヒースクリフは勿論、初期と違ってギルドマスターが板についてきたキリトや聖竜連合のリンド。クラインは…冷静とは縁のない男だが、彼らとはまた違ったベクトルのリーダーだ。器でない奴が無理に居座ると、軍の様に形骸化してしまう。

 

そんなヒースクリフは天才鬼才と言った言葉がふさわしいが、周囲はそうとも言えない凡人が多い。言い過ぎた、ヒースクリフと比べて見劣りする人間が多い。同じように冷静沈着なタイプであったり、激情に振り回されるタイプであったり。慌てている取り巻きはいつかの話し合いで食い掛ってきた奴らばかりで、その時苦笑して宥めていたのがヒースクリフなんだが……

 

「貴様…」

「悪ぃ、なんか、俺達がよく見るあんたらと真逆なもんで」

「…ふざけるのも大概にしろよ」

「どっちが。自分の大将宥めるのも出来ない奴がよく言うぜ。それすらできないならどっしり構えてな」

「クソガ「黙れ」…ッ失礼しました」

「アイン、お前も言い過ぎだぞ」

「へーへー」

 

更に怒気を強めたヒースクリフに一蹴される幹部は見ていて面白かったがキリトに抑えられてしまった。まぁ、俺も悪かったな、反省反省。隣のシノンのため息は聞かなかったことにしよう。

 

「悪い。ウチのが迷惑かけた」

「こちらこそ済まない。君たちは、連中と並ならぬ因縁があるのだろう? 勿論、今日も」

「まぁ、な……」

 

キリトが苦笑して返す。肩越しに見える俺たちはさぞ暗い。普段は元気っこ揃いの当ギルドも、今日ばかりはお通夜モードだった。吹き飛ばされて気絶したフィリアはまだ具合が良くないし、意識の無い内に乱暴されかけたと聞いて虫の居所が悪い。そして、多少触られたアスナとシノンは恐怖が抜けきっておらず震えながら手を握って離さない。平静を取り繕おうとする声と表情が、俺とキリトの怒りを更に掻き立てるのだ。

 

今日も? 今日こそだ。ジョニーブラックを殺してやっても殺したりない。その場でザザを殺させろ、と口汚くキリトと口論もした。その結果、俺達の間に溝ができたってことは無いが、言い合いをして気分が良くなることがあるだろうか? 無いね。倒置法。

 

「礼を言いに来たんだよ、私は」

「は?」

「厳しい状況の中でも、君たちは最初に提示した条件を守ってくれたろう?」

「いや、別に言われるほどじゃ…」

「いいや、違うな。私はそれを土台無理だと思っていたんだよ。だが混乱の最中にも成し遂げた。更には幹部の一人を生け捕りにしたのだ、これ以上の戦果など望んでは罰が当たる」

 

リスクを請け負うってやつか。遭遇戦で相手をするも糞も無いだろ、とそれを提案した俺が思っていただけにむず痒い。こいつもアテにしてなかったはずだが、結果がこうなったとなれば認める必要もある。ザザが生き残ったことも、ほとんど気まぐれに近い奇跡だし。

 

「しっかし、団長殿が素直に感謝を述べるとはね。こりゃあ槍でも降るんじゃねえの」

「はっはっは。アイン君、私を買いかぶりすぎだ。しかし、そう思うなら記憶結晶の持ち合わせが無かったことを悔やむといい」

「あっても使わねぇよ、なんでオッサン保存しなくちゃいけないんだ」

「失礼な、私はまだ三十代だ」

「えっ」

「えっ」

 

俺達が驚いたのはもちろん、なぜか付き添いの幹部までも驚愕の表情でヒースクリフを見ていた。ここじゃ年齢を口にするのもタブーみたいなもんだからな、基本的に見た目で上下を判断するが……ちょっと、驚きを隠せない。

 

老け過ぎだぜ、あんた。もうちょっと心労減らしてやろうよ。そしてヒースクリフの凍った顔が怖い。

 

「礼も兼ねてで申し訳ないが、今日の顛末を話しておこうと思ってね」

「あ、ああ。助かる」

 

引き攣った顔でキリトが辛うじて返事する。まるで無かったことの様に振舞うヒースクリフに何も突っ込んではいけないのはこの場の共通認識だった。謎の一体感に涙と笑いが漏れそうになるが今度は必死に耐えきってみせたぜ。今からの話はとても笑えるものじゃなかったが。

 

「では――」

 

今回、作戦に参加したのは俺達を含めて計五十二名。その内生還できたのは三十四名。実に、十八名ものプレイヤーが命を落とした。対して笑う棺桶の構成員は分かっているだけで六十前後と聞いていたが、捕縛できたのは四十七名ほど、殺害が確認されたのは十三名。一応六十名は確認が取れた。勝ち負けをあえて判別するなら明らかな負け。

 

幹部と言えるプレイヤーは五人ほど存在するといわれ、ジョニーブラックと、ヒースクリフが遭遇した一人がHP全損による落命。内一人がPohの熱狂的信者で、彼を讃えながら剣で咽喉を割いて自殺。ザザともう一人は生け捕り黒鉄宮で終身刑となった。肝心のPohは行方知れずとなっているが、笑う棺桶という組織は事実上の壊滅。レッドギルド、オレンジギルドと称される雑多な集まりも、彼等の崩壊を切っ掛けに下火になるだろう。ラフコフ崩壊は、奴らの脅威を排除するだけでなく様々な恩恵をもたらしてくれたってことだ。

 

ただし、笑う棺桶がPohのカリスマに魅入られて結成された集まりである点は流せない。当の本人は行方知れず=生存しているからだ。第二、第三のレッドギルドが現れないとも限らない。警戒と捜索はまだ力を入れる必要があるだろう。

 

暫くは何もしてこない、というのがヒースクリフの予想。あの男は笑う棺桶を簡単に切り捨てた、ないし潰すためにこの日を作り上げた。もし何かを企んでいたとしたら、駒としては優秀な笑う棺桶を潰したりはしない。やることがしばらく無くなったのか、飽きたのか、揉めたのか……。警戒するに越したことはないだろうが。弱った今を付け込まれるんじゃないか? という俺の指摘も、多少は考慮しておくと流されてしまう。

 

立て直しや部隊再編が行われる為、しばらく攻略からは抜けることが決まり、ペースも落ちるとの事。血盟騎士団と聖竜連合の弱体化は免れない。そこを出し抜けるような規模のギルドは今のところ耳にしないものの、一荒れ起きそうな予感は感じた。ボス戦常連ギルドが欠けるとなれば、しばらくは苦しい戦いが続きそうだな。

 

「――と言ったところか」

「ああ、分かった」

「まだ暫くは君達もゆっくりするといい。先も言ったが、攻略は足踏みせざるを得ない。いや、そうしてもらう事で無謀な挑戦をする輩を無くしたい」

「そのつもりだ、とにかく、落ち着く時間が欲しい。流石に今回は堪えた」

「では」

 

そう言い残してヒースクリフは踵を返した。取り巻きも去り際に此方を……特に俺を睨みながら立ち去る。天幕には、元通りの静寂と少しばかりの周囲の喧騒だけが残った。

 

「とりあえず、宿に帰らねえ?」

 

俺の提案は無言の頷きで肯定された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※※※※※※※※※

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一先ず、一週間は自由行動になった。キリトがアバウトに「一週間ぐらいでどうだ?」と言ったのに対して反論が無かったからである。最低限の決め事として、宿は変えない事、一日一回は顔を見せあう事、夜間の外出はしない事、の三つが定められた。これも反対は無かった。

 

降ってわいた一週間の休暇だが、特に予定なんてない。が、実際やることは決まっているようなもんだった。

 

メンタルケアである。俺はこれにアルゴとの話し合いも含まれるが。

 

半ば自慢のようだが、俺達は世間から美男美女の実力派で知名度が高い。俺とキリトが美男ってのには些か疑問を覚えるが、美女の部分についてはまさしくその通りだと思う。町を歩けば振り向かない男はいない、そんな三人組なのだ。しかも属性がダブらないという奇跡、某アイドルゲーム風に言うならキュートでクールなパッションか?

 

そんなわけで異性からのアプローチもちょいちょいあるかと思われたが……実はほぼゼロ。というのも、既に男がいる事と全プレイヤーでもハイレベルな事が大きな要因だった。既に伴侶がいる相手に誰がアタックを掛けるというのか、SAOにおける結婚の意味を考えればまずあり得ない。そして、当初から悪目立ちしてきた俺達(主に男二人)も腕っぷしだけは強かったので排斥されずに過ごしてきたのだ。常に攻略組に居座り続けるプレイヤーに喧嘩を吹っ掛けるなど自殺行為にも等しい。

 

ってことで、言い寄られる耐性が無いお嬢様三人組になってしまった。全く誰も悪くない話だ、いや、犯罪者が全部悪いんだが。

 

アスナとフィリアはまだいい。元々社交的な性格で、男性の商人プレイヤーとも多少は仲良くしてる場面はよく見る。アスナは人当りが良いしキリトも知り合いプレイヤーと会うときに紹介したり連れまわしているし、フィリアもアイテム仕入先には男性が少なくない。まだいい、と言うだけでダメージは相当に深いが。

 

が、シノンは…詩乃はそうもいかない。現実での詩乃は殺人を犯したことがきっかけで俺以外の他人を受け付けなくなった。正確には詩乃自身が遠ざけて、周囲も詩乃を遠ざけたと言うべきだが。言い寄るのはせいぜい事情を知らない下級生や他校のナンパ野郎、いじめ目的の女子ぐらいか。全員俺がぶっ飛ばしてやったが、それも良くなかったと今では思う。

 

一見普通の距離感を取っている様に見せるのが上手いから、余計ややこしいのだ。付き合いの長いキリトでさえまだ壁を作っているし、その次に身近な男性であるクラインに対してさえ潔癖を見せているんだからどうしようもない。

 

俺はそれでいいと思っていたし、嬉しかった。詩乃が悲しむのは俺だって悲しかったし、友達が減っていくのは胸が痛かった。

 

でも、それ以上に心が躍ったのだ。あぁ、これで俺しかいないのだ、今までの誰とも違う、俺の傍から居なくならないのだ、と。

 

詩乃の為にならないことを、俺から離れてしまうかもしれないことが怖くて矯正してこなかった。

 

ツケ、とは思わない。何度も言うが俺たちは欠片ほども悪くない。ただ、俺は詩乃に対して引け目を感じている。周囲との隔絶を進んで行ったことに対して。

 

だから、もっと俺に溺れさせる。そして俺は詩乃に溺れよう。

 

中途半端に線を引かせたのがそもそもの間違いだった。線は詩乃自身で引けばいい、俺はそれを見守ろう。でも俺が気に入らなければそれを上書きする。不適切だと判断すれば消し込みしてペンを奪う。

 

正直なところ、俺達はお互いで完結してしまいたい。

 

だから、詩乃が《射撃》と向き合いたいと口にしたときは酷く動揺した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。