4+1=5等分の花嫁 (四つ葉のクローバー)
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第1話

 やぁ、こんにちは。

 

 ボクの名前は中野四葉。知っている人なら知っていると思うが、五等分の花嫁という作品に登場するヒロインの1人と同姓同名である。何なら本人である。

 

 五等分の花嫁という作品を知らない人の為に分かりやすく説明すると、高校生である主人公は五つ子の姉妹の家庭教師をする事となり、その5人の内の誰か1人と結婚するというものだ。

 

 主人公の家庭は貧乏だとか、主人公と結婚するヒロインとは物語が始まる前に会っているとか、物語をより魅力的にさせる要素は色々とあるのだが、作品の概要を説明するなら最初の一文だけで分かってくれたと思う。

 

 ボクはそんな作品のヒロインである五つ子の姉妹の内の四女として生まれ変わってしまったのだ。

 

 誰しもが考えた事はあるだろう。自分が好きな作品に入り込めたら。好きな作品の登場人物になれたら。そんな妄想を捗らせたことが無いとは言わせない。

 

 かく言うボクもそんな妄想をした事はある。ボクはかつて男だったから、ヒロインになりたいなどと思った事は一度たりともないが。それでも、こんなキャラになれたらと思った事は何度もある。それでも言わせてもらおう。

 

 そんな妄想はやめておけ。

 

 その妄想が実現した時に残るのは1人の人生を踏み躙った罪悪感とそんな事をしてしまった自分への自己嫌悪のだから。

 

 あ、ついでに無力感も追加で。

 

 

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 運命を決めるのは自分自身であると言う人達が一定数は存在する。数多くある名言の中にもそういう類の言葉は多くあるだろう。

 

 だが、ここでボクはそれらの名言を全否定したいと思う。

 

 定められた運命とはあるのだと。その運命は敷かれたレールのように踏み外す事を許さないのだと。自分も大切な人も全てを不幸にさせてしまうような運命があるのだと。それをどれだけ覆そうと奔走した所で全ては運命通りに進み、結果が出るのだ。

 

 ボク達五つ子を育てる為に頑張り過ぎる零奈さんを救ってあげたかった。中身が娘でないボクにあの人を母親と仰ぐ権利など皆無だが、五つ子を育ててくれた大切な零奈さんへの恩返しになると思ったから。それがボクが奪ってしまった中野四葉への贖罪になると思ったから。

 

 結果、駄目だった。

 

 どれだけ言葉で止めようとしても、どれだけ家事を分担しても、どれだけ健康になれるように適度な運動や食事諸々に気を回しても、零奈さんは冷たい体になった。

 

 ボクが生まれてきた時点で1人の人生を台無しにしてしまったから、その大罪を償いたくて多くの人の手助けをしたかった。原作では手の周っていなかった勉強も頑張った。元より中に入っていたボクは大学生だったのだから、中高生の内容程度なら復習をこなしておけばそれなりの点を獲れるはずだった。ボクの成績が悪くなるとボク達を引き取ってくれたマルオさんに迷惑を掛ける事にもなるのだから。

 

 結果、駄目だった。

 

 成績を決定するテストを迎える度にハプニングに見舞われる。持っていたシャーペンが尽く壊れ、シャーペンで駄目なら鉛筆でやろうとしても、欠席できない程度の体調不良を起こし、普通だったら間違わないような計算ミスを連発したり、解答欄を見事にずらしたり、ケアレスミスを連発しまくる。解き直しを何回しても毎回違う結果が出たりもする。

 

 定められた運命を外れる事など愚者であるボクには出来なかった。

 

 ボクは成績不良という事で転校が決定した。姉妹たちがカンニングを行ったのだと嘘を吐き、姉妹たちもボクを独りにさせまいと転校する事になった。

 

 家で5人になれるのだから気にしないでくれと何回も言ったのに。

 

 そんなこんなで物語は幕を開ける。

 

 不器用で優しい主人公と4人と1人の姉妹たちが繰り広げる物語が。

 

 

 ────────────────────

 

 

「よし、準備万端」

 

 自分の部屋に置いてある鏡を見ると、そこにはオレンジがかった長い髪を緑色のリボンで後ろで纏め、ポニーテールにしている碧眼の少女がいた。制服の上に薄緑色の半袖のジップパーカーを閉めずに着ている。その顔は最初はひたすらに「無」であったが、指で口角を釣りあげて、表情は笑顔に固定した。

 

 誰あろう、ボクこと中野四葉である。

 

 原作に寄せるようにして髪は短くしたりもした事はあったのだが、鏡を見て自分の姿を見る度に罪悪感が限界値を超えて吐き気に見舞われ、最悪の場合は吐く。毎回そんな状況になってると日々の生活に支障を来すし、家族に心配されるので今みたいな姿に落ち着いている。

 

 ちなみに今日から物語の舞台となる高校に登校する事になる。

 

「「「「「「あっ」」」」」

 

 部屋を出てみると、全く同じタイミングでボク以外の4人の姉妹も制服姿で出て来た。流石は五つ子という事だろうか。ぶっちゃけ、こういう事は日常茶飯事なので特に気にする事はない。5人揃って風呂入ろうとするタイミングが被ってじゃんけんで勝負したり。

 

「それじゃ、行こっか」

 

 長女である一花が皆を取り仕切るようにして声を出した。新たな高校生活が始まるというのに我ら五つ子は通常運転であった。

 

 

 ────────────────────

 

 

 今日は転校先の高校への初登校であると言ったのだが、今日は校長への挨拶と学校を軽く見回るぐらいで終わった。いつもなら5人で纏まって昼食を取るのだが、出遅れたという事もあってか、纏まった席を取れなかった為に別々で食べる事になった。

 

 昼食を済ませた後は5人揃って帰宅という事になったのだが、集合した時の五月の顔に「私は不機嫌です」という文字が浮かんで見える程に眉間に皺を寄せていた。

 

 何があったのかは容易に想像できたが、一応聞いてみるとテストの答案を恥ずかしがっていると見せかけてから100点の答案用紙を見せるという事をされた挙句、「太るぞ」なんて言われたらしい。相手は間違いなく上杉さんだろう。原作通りの上杉さんで良かったと喜ぶべきなのか、嘆くべきなのか。

 

 

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 五月と上杉さんが邂逅を果たした翌日。

 

 転校の切っ掛けとなったのは間違いなくボクのせいなのだが、ボク以外の4人の成績も相当に酷い。それにマルオさんが危機感を感じたのか分からないが、ボク達五つ子は全員別々のクラスになった。

 

 クラスで1人になれば、嫌でも集中できるようになるだろうと思ったのかもしれない。マルオさんと転校先には繋がりがあったからこそ実現できた転校でもあったのだから。

 

 普通に偶然という可能性もあるのだが。むしろ、その可能性の方が高いのだけれど。

 

 ともかく、今日は転校初めての授業の内の午前中の分が終わった。休み時間なんかは転校生特有の質問責めとかあったが。

 

 質問の中には「なんで転校してきたの? 引っ越し?」とか「他のクラスにも中野さんっていう人が入って来たらしいんだけど、姉妹なの?」とか、色々と言われた。転校してきた理由を言うのは躊躇いがあったのでテキトーに濁して答えた。後は五つ子なのだと言うと驚嘆の叫びが響いたのは何度も見た光景である。

 

 あ、ちなみにボクの一人称は心の内では「ボク」なのだが、誰かと話す時は「私」である。流石に高校生にもなって、ボクっ娘が許されるのはフィクションの中だけだ。

 

 ボクがいる世界は物語という事もあるのでフィクションとも言えるし、ボクがその中で普通に生きているのでノンフィクションとも言える微妙なラインなのだが。

 

 そんなこんなで何とか午前中の授業を耐え抜き、昼休みの時間となった。今日はスタートダッシュに遅れる事もなかったので5人揃って昼食を取っている。5人で仲良くご飯を食べていると、この学校の事が話のタネになるのは当然だった。

 

「ご飯も美味しいし、試験とかもあっちより緩そうだし、転校して正解だったかもね」

 

 二乃の言葉はきっとボクの事を思って言ってくれたのだろう。ボクが原因で転校してしまったのだが、それをボクがあまり気負わないように。言動がキツイのが玉に瑕だが、二乃は本当に家族の事を大切にしているのがよく分かる。

 

 そして、二乃の言葉通り、この学校の昼食は美味しいの一言に尽きた。いや、美味しいというよりも舌に馴染むというのが近いかもしれない。

 

 元々、ボク達は裕福な生まれではなかった。収入源は母親だけ。しかも、五つ子。今はマルオさんが引き取ってくれたおかげで何ともないが、幼い頃は高い物など口にした事なんて殆ど無い。

 

 母親が亡くなった後はマルオさんに引き取られ、所謂お嬢様学校に通ったのだが、食堂で出るのはどれも高級品ばかり。B級グルメ的なものを食べてきたボク達の舌に合う訳がない。美味しいというのは分かるのだが、とてつもなく感じた「これじゃない感」。

 

 だからだろうか。この食堂で出るご飯は箸が進みに進みまくる。

 

 そんな時だった。視界の端に折りたたまれた白い紙が見えた。そして、隙間から辛うじて見える紙の右上部分には赤いペンで書かれた「100」という数字。

 

 地面に落ちているそれを拾って、広げてみるとどうやら今日行われた英語の小テストの答案用紙らしかった。100という時点でその紙が誰の物なのかがボクには一瞬で分かった。

 

「まさか……」

 

 100点の答案用紙という事で五月は誰の物なのか想像出来たのだろう。昨日会ったばかりなのだから、その人物を思い浮かべるのにそう時間は掛からないだろう。思い出した当の本人は「嫌な事を思い出した」とでも言いたげに顔を顰めていたが。

 

 そして、一花も誰の落とし物なのか分かったらしかった。何かが閃いたような感じで口を開いた。

 

「あー、さっきの男の子のかな」

 

 そういえば、一花はついさっき誰かと話していた様子だった。姉妹の中でトップであろうコミュ力を持っている一花の事だから、さっそく友達でも作ったのだろうとしか思っていなかったのだが。

 

 そのせいで一花が話していた相手の顔を全く見ていなかった。その相手とは上杉さんだったのかもしれない。数分前の自分自身にちゃんと顔を見ておけと言っておきたい。

 

 恐る恐る用紙の下部に書かれた名前を見てみると、「上杉風太郎」の名前がローマ字で表記されていた。

 

 さらっと周りを見回してみると、席について項垂れている黒髪の男の子を見つけた。そういえば、これから家庭教師として受け持つ五月とのファーストコンタクトに失敗して、どうすれば関係を改善出来るか悩んでいたんだっけ。

 

「じゃあ、これ届けてくるよ」

 

 そう短く言って、ボクは歩き出した。歩き出したなどと格好つけて言ったものの上杉さんとの距離は大して離れていない。数歩歩いただけで目的地に辿り着いた。

 

 上杉さんが座っている席のすぐ前まで寄ったというのに未だに上杉さんは気が付かない。それ程までに五月との関係修復の案を練っているのだろう。まぁ、悩んでいる様子を見るに効果的な解決案は全く見出せていない様子だけど。

 

 ちらりと顔を覗いて見ると、数年前に見た少年時代の名残がその顔には見て取れた。不良少年という言葉がピッタリだった染めた金髪は黒髪に戻して、ピアスもちゃんと外したらしい。髪色が違うだけでだいぶ印象が変わるが、それでも面影はきちんと見えた。

 

 言ってなかったけれど、数年前に上杉さんとは原作通りの邂逅を果たしている。ついでに「お互い勉強頑張ろう」という約束もした。尤も、上杉さんは勉強星人とかいうニックネームが付くぐらいに頑張って約束を守ってくれたのに、ボクの方はダメという言葉が1万あっても足りないぐらいにはダメダメなのだが。

 

 上杉さんと合せる顔なんて生憎とボクは持っていない。ならば、京都で出会った「ボク」は隠して、高校で出会った「私」として、中野四葉として接していこう。そう遠くない内に「ボク」から上杉さんに向けた約束を守れなかったという謝罪を込めた手紙でも書こうかぐらいは思っているが。

 

 思案に耽る上杉さんを見ていると、ふとボクの中に悪戯心が芽生えた。バレないように上杉さんの背後に回り、気付かれない程度の音量で喉の調整をして、五月の声に寄せる。この時点でボクが何をしようとしているのか、大体は分かってくれたと思う。

 

 上杉さんの後ろで「あ~、あ~」とかやっているのに未だに気付かない。声量は抑えているというのもあるかもしれないが、上杉さんはもう少し気配に敏感になった方が良い。後で「もう少し周りに気を配った方が良いと思いますよ。色々な意味で」ぐらいの忠告ぐらいはしておいた方が良いかもしれない。

 

 いや、約束を守れなかったボクにそんな権利など1ミリもないので却下かな。

 

 気分がスカイダイビング並みに急降下しそうになったので、頭を切り替えて上杉さんへの悪戯に集中するとしよう。用意しておいた台詞を五月の声に寄せて言い放った。

 

「ごほん。昨日はよくも「太るぞ」なんて言ってくれましたね、上杉君。絶対に許しませんよ」

 

 ボクの声を聞いて、見事に騙されてくれたのだろう。上杉さんは首が大丈夫かと心配になるぐらいのスピードで振り向いてきた。

 

「五月っ! 昨日は本当にすまなかった!」

 

 そして、即行で謝罪の言葉を口にした。だが、ボクの顔や服装などをじろじろと眺めて、困惑し始めた。

 

「……お前、五月か?」

 

 



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第2話

「……五月じゃないな。お前誰だ? なんで俺の名前を知ってるんだ?」

 

 ボクが昨日話した五月とは違う人物である事に気が付いたのだろう。上杉さんは尤もな質問をボクに投げかけてきた。なのでその疑問を解消するべく、上杉さんの答案用紙を見せた。見せたのだが、上杉さんの反応はあまり芳しくない。

 

「……0点?」

 

 上杉さんがぽつりと困惑した声音で呟いた。てっきり「俺の答案用紙?」とか言うのかと思ったのだが、口にしたのは「0点」という言葉。不思議に思って、上杉さんに見せた紙を見てみるとそこには赤く書かれた0という数字が見て取れた。赤い丸が幾つもあるのに0点という摩訶不思議な答案用紙。しかも、点数の横に書かれた名前の欄は空白……

 

 あ、これボクのだ。

 

 転校初日にしていきなり行われた英語の小テスト。名前を書き忘れる、解答欄をずらす、単語で答える所を記号で答えるというトリプルコンボをしたが為に0点という点数を与えられ、パーカーの左ポケットに突っ込んでおいたはずのボクのテストの結果である。

 

 上杉さんのテストを入れたポケットは右側。そして、今しがた取り出したのはポケットの左側からだ。

 

「えへへへ、私のと間違えちゃいました。という事でこっちが上杉さんが落としたテストですね。ついさっき落としたので持って来てあげました。感謝してくれてもいいですよ!」

 

 今度こそ、きちんと上杉さんのテストを取り出して、()()の紙を恩着せがましい言葉を付け加えながら返してあげた。

 

「……どうして0点のテストまで俺の手元にあるんだ?」

 

「そんなの名前を書き忘れて0点なんていう恥ずかしいテストを持ちたくないからに決まってるじゃないですか。なのでそのテストは差し上げます。それでは!」

 

 上杉さんからの反撃が来る前にボクはその場から退散した。後ろの方で上杉さんのボクを呼び止める声が聞こえるが、きっと気のせいだろう。お願いだから気のせいであってくれ。

 

 人が集まる食堂で「なんで俺がお前の0点のテストなんて持ってなきゃいけないんだ! 0点のテストなんていらねぇ!」などという「0点」という恥ずかしい台詞を連発しているのはボクの幻聴のはずだ。

 

 100点しか取った事のない上杉さんの口から「0点」なんていう単語が聞こえたせいか、周りの人達もざわついている。その場で上杉さんの言葉に反応してみろ。転校初日で0点という驚異的な数字を叩き出したとして、ボクは一躍有名になれるだろう。そんな有名など要らない。

 

 てか、上杉さんと話していたせいで昼休みの終わりが迫って来ている。まだボクは昼食を食べ終わっていないのでさっさと食べなければ。

 

 

 ────────────────────

 

 

 その日の放課後。いつも通り5人で帰宅中の出来事。さっきからずっと物凄い視線を感じる。ちらりと振り返ってみると、そこには顔出しパネルに顔を填めている怪しい男がいた。誰あろう、上杉さんである。

 

 まぁ、知ってたとしか言い様が無い。原作知識を持っている身としては、視線の正体に当たりは付けていたので大して驚く事もない。だが、上杉さんの周りからの視線がヤバい。

 

 傍目から見れば、友達とかと撮るであろうパネルにたった1人で顔を填めて、しかもずっとボク達5人の方を見る超怪しい男でしかない。今までよく通報されなかったなと感心してしまうぐらいには怪し過ぎる。

 

 ……しょうがない。ここはボクが動いてあげよう。これから家庭教師になる人がストーカーだと噂されてもこっちが嫌だし。

 

「ごめん! ちょっと学校に忘れ物しちゃったから学校に行ってくる! 先に行ってていいから!」

 

 姉妹たちからそう言って離れた。常日頃からうっかり製造機として名を馳せているおかげか、大して怪しまれる事も無く、「あぁ、またか」的な目を頂戴してながら離れる事に成功した。

 

 何故だろうか。上手に離れる事が出来たというのに、あんまり嬉しくないのは。まぁ、ともかくとして、姉妹たちから離れる事に成功したので上杉の元に向かう。片手にスマホを持ち、カメラのアプリを起動しながら。

 

 上杉さんも自分に向かって来ているボクに気が付いたのだろう。ボクが上杉さんに近付くと上杉さんは口を開いて、話しかけた。

 

「お前は0点のやつか。今はお前に構ってる暇はないんだ。どっか行ってくれ」

 

 ボクは上杉さんに「0点のやつ」と覚えられているらしい。0点のテストを渡してあげたのにボクの名前を見ようとは思わなかったらしい。いや、そういえばボクのテストは名前を書き忘れて0点になったのだった。上杉さんがボクの名前を知らないのは当たり前の事だったのだ。

 

 それでも「0点のやつ」とかいうのは酷過ぎる気がするのだが。

 

 失礼な覚え方をしている上杉さんには罰をあげようと思う。カメラを起動しておいたスマホを上杉さんに向ける。ボクがこれからやろうとしている事は明白だろう。

 

「お前、まさか──」

 

 ボクが何をしようとしているのか察した上杉さんは声を上げる。だが、そんな事は知らんとばかりに上杉さんの言葉を遮るようにしてお決まりの台詞を吐いた。

 

「上杉さ~ん! はいチーズ」

 

 上杉さんの返答を聞くまでもなく、ボクは看板に顔を填めている上杉さんの写真を撮った。大仏のパネルから顔を出している上杉さんの写真は思いのほか、上手く撮る事に成功していた。これから上杉さんの妹であるらいはちゃんと知り合えた時には、この写真をプレゼントするのはアリかもしれない。

 

「お前! そんな写真さっさと消せ!」

 

 パネルから顔を外した上杉さんがボクの元まで駆け寄って来て、写真を消すべくボクのスマホを取り上げようとしてくる。勿論、そんな貴重な写真を消去されるのは何としてでも避けたいので必死に抵抗する。

 

「いいから寄こせ!」

 

「いやでーすー!」

 

「そんな写真消してやるから、さっさと寄越せ!」

 

「嫌ですよ! こんな面白い……良い写真消すなんて勿体ないじゃないですか!」

 

 ボクの手首を掴んでスマホを取り上げようとする上杉さんと必死に抵抗するボク。傍目から見れば、「痴話喧嘩を起こしているカップル」とか「スマホを取り上げようとしているストーカー男とそれに抵抗するボク」という色々と邪推出来てしまう光景だ。ボクと上杉さんの周りにいた人から注目を集めるのは当然の事だったのだ。

 

 そんな周りの状況に気が付いたのだろう。上杉さんは慌ててボクから手を離した。そこではっと何かを思い出したように顔を上げて、辺りを見回す。何度か辺りを見回しても、目的となるものは見つからなかったのだろう。明らかに気落ちした顔を浮かべた上杉さんは何かに思い至ったのか、顔面蒼白となった。

 

 血が流れていないのかと本気で思ってしまうぐらいには上杉さんの顔は白く、生気を感じられない。

 

 そこまであの写真が嫌だったのだろうか。もしそうならば、上杉さんには本当に申し訳ない事をしてしまったのかもしれない。

 

「上杉さん、あの……」

 

 ボクが声を掛けようとしたのと同時に上杉さんは膝から崩れ落ちた。そして、何かぶつぶつと呟き始めた。その呟きの声があまりに小さすぎたので耳を少しだけ上杉さんに寄せてみた結果、上杉さんが何を思って蒼白になっていたのかが分かった。

 

 こちらがそんな上杉さんの呟き。

 

「……五月、家庭教師、クビ、給料、借金、らいは……」

 

 あぁ、そういう事か。ボクと話していたが為に五月の事を見失い、謝るタイミングを見失ったと。このままでは五月から嫌われて、家庭教師のバイトがクビに繋がるのではないかと危惧している訳だ、そう考えると上杉さんには大変申し訳ない事をしてしまったような気がする。まぁ、謝るタイミングを探るとはいえ、女子高生をストーキングするという答えに辿り着いてしまったのは、中々に中々だが。

 

 ここは何て言えば良いのだろうか。だが、とりあえず今はこの場を早く退散したい。上杉さんは家庭教師のバイトの事で頭が一杯で忘れている様子だが、ボク達が今いるのは人が多く行き交う路上である。何なら、時間帯的に帰宅する人や夕食の買い出しに行ったりする人が多い為に人通りも多い。そんな場所で上杉さんが崩れ落ちているのだ。嫌でも注目を集めてしまう。

 

 要するに、めちゃくちゃ恥ずかしい。

 

 ここは上杉さんに希望を見出させて、立ち直らせる方が先決だろう。

 

「あのぉ、五月とは繋がりがあるので私の方から何か言っておきましょうか?」

 

「本当か!?」

 

 まぁ、姉妹だし、繋がりしかないのだけれど。だが、そんな言葉でも多少は上杉さんに活力を与える事に成功したらしい。地面を眺めていた顔を持ち上げて、確認の言葉を吐いた。しかも、かなり大きめの声量で。そのせいで更に注目が集まってしまった。立ち直らせる事には成功したし、これで少しは周りに気を回す余裕は出来たと思ったのだが、その瞳はボクの方にしか向けて来ない。

 

 本当にお願いだから、周りを見てくれ。

 

「……本当なので、その、あの、とりあえずここから移動しませんか? その、恥ずかしいんですけど!」

 

 この鈍い男が自力で気付く事は諦め、ボクから言う事にした。恥ずかしさが限界突破してしまったので言葉が強くなってしまったが、それぐらいは許して欲しい。だが、その強調された言葉が功を為したようで漸く上杉さんは周りの状況に気付いてくれたようで若干その頬を赤く染めていた。

 

 

 ────────────────────

 

 

「はぁっ!?!?!? 五つ子!?」

 

 ボク達が住むマンションへと向かう道すがら、上杉さんには本当の事を言ってあげた。ついでにボク達姉妹の名前も教えてあげた。そしたら、顎が外れるのではないかというぐらいには口を大きく開いていた。だが、驚きながらも納得の表情を浮かべていた。

 

「道理で給料が相場の5倍って事になってるのか。親父には後で文句言ってやる」

 

 脳裏で自分の父親の事を思い浮かべたのだろう。通常時の5割増しぐらいの顰めっ面を披露してくれた。原作知識を持っているボクの頭では文句を言う上杉さんと文句のらりくらりと躱す上杉さんのお父さんと騒がしい2人を注意するらいはちゃんという光景が普通に浮かび上がってきた。

 

 そんなボクを他所に上杉さんの顔に冷や汗の滝が流れ始めた。顔面蒼白になったり、顰めっ面になったり、冷や汗を流したり、上杉さんの色々な顔を物理的に見る事が出来た。なんて思っていると、上杉さんに思いっきり肩を掴まれた。

 

「……そういえば、お前ら5人の学力ってどうなんだ? 流石に5人全員がお前みたいに0点連発って訳じゃないよな? な?」

 

 そうであってくれと言わんばかりにボクの方を見つめてくる上杉さん。肩を掴んでいるだけあって、物凄い至近距離で見つめられるのだ。なんというか照れる。

 

 そして、本当に申し訳ないんですけど、姉妹全員が阿呆です。ボクみたいに0点を量産したりしないのだが、赤点を取らなかったという方が少ないぐらいには馬鹿です。

 

 だが、それを馬鹿正直に伝えていいものか。

 

「えぇと、あのぉ、そのぉ、大丈夫ですよ………………多分」

 

 なんて伝えるべきか迷いに迷った挙句、なんとか捻り出したのが「大丈夫ですよ」という当たり障りのない答えだった。「多分」という言葉を付け加えておいたから大丈夫じゃないとしても、嘘にはならないだろう。いやぁ、多分っていう言葉は便利だよね、本当に。

 

 ボクの嘘に騙されてくれたのか、上杉さんは肩から手を離してくれた。そして、項垂れた。

 

「あぁ、分かったよ。お前は嘘が下手って事が良く分かったよ。はぁ……」

 

 どうやら、ボクの完璧な嘘がバレてしまったらしい。これから起こるであろう数多の苦難を察したのか、口かあ大きな溜め息を吐き出した。そんな上杉さんには哀愁が漂いに漂いまくっており、あまりに可哀想過ぎた。だから、何かを言ってあげようと思う。

 

「ため息を吐くと幸せが逃げるらしいですよ」

 

 そう言うと頭に上杉さんの頭がセットされると同時に選んだ言葉が大間違いだった事に気が付いた。

 

 そして、思いっきり力を込められた。

 

「誰のせいで幸せが逃げてると思ってんだ、あぁ?」

 

 これが噂に聞くアイアンクローというやつか! 

 

「ちょっ、上杉さん! い、痛いです! 暴力反対! お父さんに訴えますよ!」

 

 なんていう阿呆みたいな会話をしていると、いつの間にかボク達が住むマンションに到着した。

 

 

 ────────────────────

 

 

「今日から君達の家庭教師になった上杉風太郎です。これから楽しく勉強を……」

 

 上杉さんは言葉を途中でやめて、リビングを見渡した。そして、叫んだ。

 

「何故だ…… 何故、お前しかいないんだぁぁああああ!?」

 

 そして、いるのがボクだけという事実を再確認して、膝から崩れ落ち、頭を抱えた。なんというか、ボク達姉妹が本当にごめんなさいとしか言えない。

 

 色々とあったが、上杉さんの家庭教師生活はこうして幕を開けた。前途多難というか、荊の道というか、散々な始まりだが。

 



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