I am Victoria, The Queen of Britain (琉球爺ぃ)
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家祖ヴィクトリア・イケニ・ブリタニア

ワトリング街道の戦い
 史実の中では、ガイウス・スエトニウス・パウリヌスは、ローマ軍団1万を率いて、ボーディカ女王率いる20万と戦闘し、ローマ兵数百人の損害で、半数近いケルト人を斃し、ワトリング街道の戦いで勝利したのである。

 歴史ifは、ヴィクトリアと愛し合っていた、ローマ帝国の市民権を持つ、ロンドニゥムに住まうローマ人ケータがボーディカの娘ヴィクトリアと一緒に、逆転勝利するという話である。

改訂前原稿
「欧州if ブリテン島の女王とローマ商人」


 ローマ帝国の法では、家父長に権限が集中する制度であり、一夫一妻制を根幹としていたことで、女性の権利も強くはあったが相続権は低く、女性を当主として認めるという意識も低かった。法的には、女性が当主となることが認められているが、非常に稀な例であり、女性の相続が認められないことが多かったのである。

 

 ケルト民イケニ族長プラスタグス王には、後継が妻のボーディカであり、娘ヴィクトリアで、男子が居なかった。ヴィクトリアをローマ皇帝と連名で王とするが、プラスタグスが死ぬと、約束を反故として、娘ヴィクトリアを凌辱し、イケニの土地を奪ったのである。自分に都合よく、プラスタグスの遺言を書き換え、イケニの財産を奪った結果であった。

 ヴィクトリアの母、女王ボーディカは、諸部族連合を率いて、ローマ帝国に叛旗を翻し、ローマ帝国との戦争を始めた。娘ヴィクトリアも参戦し、愛し合ったローマ人ケータと共に、ローマ軍との戦いに挑んだのである。

 

 ワトリング街道の戦いと呼ばれる、ケルトの諸部族連合軍28万を率いた、ケルト人イケニ族長の女王ボーディカは、ガイウス・スエトニウス・パウリヌス率いるローマ帝国軍と戦い、スエトニウスを斃し勝利したのである。

 

 ワトリング街道の戦いが、女王ボーディカの勝利に終わり、娘の夫(ボーディカの夫とも伝えられる)、ローマの軍団長(primus pilus centrio))を務めた、百人長カトゥスの子ケータは、ロンドニゥムにて、ボーディカとの結婚式と戴冠式をおこなったのである。

 

 

 

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 The Queen of Britainの始まりである。

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 ボーディカまたはブーディカとも言われ、ケルトにおける悲劇の女王として知られ、正直に言えば、アーサー王よりも実在する、ブリテン島の女王なのです。彼女が知られるようになったのは、ヴィクトリア女王時代からと言われ、ボーディカの名前は、ヴィクトリアの由来ともされています。

 

 ケルト由来の伝承を象徴する女王が、ボーディカであり、ローマ帝国に叛乱したというよりも、約束を破ったローマを誅殺したという形で、現代には伝えられています。

 

 軍事力でブリテン島の制覇しようとした、ガイウス・スエトニウス・パウリヌスの野望は潰えて、後を引き継いだ、プブリウス・ペトロニウス・トゥルピリアヌスによって、女王ボーディカの地位が認められた。ロンドニゥムの執政官であり、家父長となったケータ・デキアヌスが、ボーディカの娘ヴィクトリアを妻としたことで、ローマ帝国に承認された。

 ルキウス・アンナエウス・セネカの行為および、カムロドゥヌムが灰燼となり8万のローマ市民を虐殺した行為は、ケータ・デキアヌスの財産である妻を凌辱した結果であるとされたのである。ケータは、10万のロンドニゥム市民を守り、妻ヴィクトリアと共に、悪逆の徒であるガイウス・スエトニウス・パウリヌスを斃したとされたのである。

 

 

 

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 歴史は、勝者によって、紡がれる。

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 ワトリング街道の戦いは、ケルト民族の戦いであり、家父長制度の強い、ローマ帝国に対する、女性の権益が認められていた、ケルト民族の戦いでもあった。歴史ifとしては、家父長制度と女王の融合である。

参考映画
 「Warrior Queen」



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ワトリング街道の戦い


 史実におけるワトリング街道の戦いは、ローマ帝国が、ブリテン島の支配を確立した戦いであった。イングランド,ウェールズが、ローマ帝国の傘下に下ったのである。

 世にアーサー王の伝承は、6世紀頃となることから、King of Britainという流れは、騎士物語として有名となるが、アーサー王はローマ帝国からの流れであり、ケルト民族の伝承からは離れる。

 アーサー王伝説に伝わる、湖の乙女から与えられた聖剣ではなく、キリスト教の聖杯へと移行する部分は、統治の変遷でもあった。

 ケルト民族の風習を残して、ブリテン島に残そうとすると、ワトリング街道の戦いでケルトに勝ってもらいたいが、ローマとの決裂も避けたいなあということで、ボーディカの娘に恋をしたローマ人が、ロンドニゥムを守り、強硬派ガイウス・スエトニウス・パウリヌス率いるローマ軍団を撃滅して、ローマと交流を守りながら、ケルト国家建設に向けて動き出す歴史としました。



 朝日が昇る頃、鬱蒼とした森の切れ目が、ようやくにして見えて来た。大木の陰から伺うと、眼下を下ったところに、ローマ兵の本陣があった。二千の兵を率いて、ようようにして森を抜けた。夜間に森を突破して、ローマ軍の背後に出ることができた。義母の軍勢が、正面から突撃していた。

 28万対1万の戦いは、数的には、圧倒的にローマ軍が不利であった。だが、戦場の両側を森が迫る坂を駆けのぼる、ケルト軍は、ローマ軍の歩兵部隊に、衝撃力を失って、次々と屠られていった。だが、まだ戦闘は続いていている。

 

 なんとか、間に合ったみたいだ。

 

「ヴィッキー。あれが、ローマ軍の本陣だ。義母様達は、既に突撃している。ヤバいイぞ」

「あぁ。目標、敵本陣ッ。全員投擲」

 後方に控えていた、二千の兵達が、投げ槍を本陣に向かって投擲する。本陣の部隊は、せいぜい百ほどの部隊であった。百の部隊に、二千の槍が降り注ぐ、偉そうに指示を出していた指揮官らしき男にも三本ほど槍が突き立って倒れた。

「ヴィッキー」

「あぁ。わかってる。全軍突撃ッ」

 二千の突撃によって、百のローマ軍団本陣が崩れると、前線でケルト諸部族を虐殺していたローマ軍団が崩れていった。ケルト軍に向かって展開している、ローマ軍一万の後ろから、二千のケルト兵が、盾の無い後ろから食い破っていく。後方の混乱は、徐々に前方へと伝わっていく。

 

 太陽の傾く頃、ガイウス・スエトニウス・パウリヌス率いる、ローマ帝国軍ブリテン島派遣軍1万は文字通り全滅した。勝利に沸き返るケルトの軍団は、女王ボーディカの下で、ガイウス・スエトニウス・パウリヌスの首を掲げて、勝利を宣言した。

 

 

 

 

 

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 参加、ケルト軍28万、残余12万。ローマ軍1万、残余0

 ワトリング街道の戦いは、ローマ軍団の全滅で、勝敗は決した。

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 戦場を歩いていると、凄まじいまでの殲滅戦になっていたことがわかる。今も、息が在るローマ兵を生き残った戦士達が止めを刺して回っていた。ケルトの兵達(つわものたち)も六割を超える損害を出しており、壊滅に近い損害となっていた。

 確か、史実では、ケルト諸部族28万の殆どが戦死して、ローマ軍にはほとんど損害が無かったはず。

 

 本当に歴史が変わったんだ。

 

 そんな実感をした。

 

「ケータ、母様が呼んでいる。一緒に来い」

「わかった。ヴィッキー様」

「もぅ、ヴィッキーで良いって」

「いや、やっぱりケジメだから」

「わかったわよ、行こっ」

 

 すっと手を伸ばして、俺の手を取ると腕を絡めて、引っ張るように歩き出した。ヴィッキーは、俺が愛する女王様だ、彼女の死を見たくなくて、彼女を凌辱したローマ兵を嬲り殺しにするために、俺はケルトに味方して、ロンドニゥムを護った。

 

 





 ワトリング街道の戦いifとなります。

 ワトリング街道の戦いは、ローマ帝国の軍団が、最強を誇った時代、その象徴ともいえる戦いでもあります。地形の有利不利があったとしても、10倍以上の敵を、完膚なきまでに叩き潰したローマ軍団は、周辺諸国家に対して最強であったと思います。


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