ようこそ狂愛主義者のいる教室へ (トルコアイス弐号機)
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1章 入学~中間テスト編
0話 黒華梨愛の独白


 今でもたまに夢に見る

 

 かつて、理想の中で生きていた私を

 

 小さい頃、私はみんなに愛されていた

 

 今思えば私は神童だったんだと思う

 

 誰よりも勉強ができた

 

 運動神経もそこいらの男子以上だった

 

 頭の回転も速かったし

 

 新しいことも一瞬で理解できた

 

 私はすべてにおいて他人に優れていた

 

 そんな人がいれば、普通は嫉妬される、怖がられる

 

 けど私はそんなことはなかった

 

 驕らず謙譲で、接する人みんなに慈悲深く、何事にも寛容で、努力を惜しまず勤勉で、困っている人がいれば救恤し、過ぎた欲望は節制し、なによりも純潔だった

 

 みんなに意地悪で、嫌われちゃう人とも仲良くできた

 

 誰とも仲良くしない一匹狼な人にも人気だった

 

 見目もよかった私は殊更モテた

 

 男子に告白された回数は冗談抜きに100回を超えていたと思う

 

 女子にも20人くらいから好きだと言われ焦った

 

 私はみんなに愛された

 

 私もみんなを愛していた

 

 そんな私も中学生になった

 

 中学生になってからも、私はみんなから愛される私でいようとて、ますます努力を重ねた

 

 その時の私の能力は中学生のレベルを、ううん、そこいらの高校生よりよっぽど上だったと思う。

 

 だけれどみんな、だんだん私に取り合ってくれなくなった

 

 誰も私と目を合わせてくれなくなった。笑ってくれなくなった。隣を歩いてくれなくなった。祝ってくれなくなった。遊んでくれなくなった。話してくれなくなった。

 

 どうして愛してくれないの? 

 

 もしかして傲慢だから辟易したの? 怒ってなんかないけどそう見えた? 嫉妬してしまうようなことをした? 怠惰だから呆れられた? 私の望みは強欲だった? たまにする暴食が目障りだった? 成長していく身体が扇情的だった? 

 

 私はみんなから愛されようとした

 

 でも、訳も分からないまま、私は愛されなくなっていった

 

 愛されなくなって2年が経って、私は中学3年生になった

 

 そんな私に1人の後輩ができた

 

 気さくでお茶目でちょっと抜けてる、でもどこか頼りがいのある男の子

 

 誰にも愛されない私に彼は優しくしてくれた

 

 顔を赤らめながらも私の目を見てくれた。照れるように笑ってくれた。恥ずかしがりながらも、帰るとき隣を歩いてくれた。いいことがあると祝ってくれた。誘えばいつでも喜んで遊んでくれた。しどろもどろになりながらも話してくれた。

 

 そんな彼に私は恋してしまった

 

 愛に飢えた私は彼から愛されたかった

 

 彼はみんなを愛していた

 

 彼は私も愛してくれた

 

 でも、かつてみんなに愛されていた私には、そんな分け与えられて小さくなった愛なんかじゃ足りなかった

 

 彼の全部が欲しくなった

 

 私だけを愛してほしくなった

 

 愛は私の生きる理由だったから

 

 だから

 

『愛してます』

 

 私の『全部』を捧げることで、彼から『全部』をもらおうとして──

 

 彼は、私の狂愛に耐えられず壊れてしまった

 

 そしてようやく気付いたんだ

 

 あまねく人を容易く魅了し狂わせる

 

 私の魔貌に、ようやく気がついた

 



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1話

「んぁ……」

 

 とろんとした声が口から漏れた。

 私の座っている席はちょうどよくお日様が当たる位置で、それが気持ちよくてウトウトしていたのは覚えている。学校に向かうバスの中、どうやら眠っていたらしい。

 始めてくる都会の景色をもう一度目に焼き付けようと、車窓に目を見やると、首が一瞬攣った。変な寝方をして首を痛めたらしい。軽くストレッチするために首をゆっくり回すと、車内はすでに人でいっぱいなのが見えた。

 始発駅から乗れるよう都内のホテルを予約しておいてよかった、よくやった私、グッジョブ。

 

「席を譲ってあげようって思わないの?」

 

 すぐ近くで響く声。

 一瞬ドキッとしたけど、どうやら声をかけられているのは優先座席の座っている人のようだった。不機嫌そうな横顔をしたOL風の女性と、その真横には腰を曲げたおばあさんの姿。声をかけられている人は立っている人が陰になって見えないけれど、大方優先座席に座っているのは若い人で、おばあさんに席を譲るよう声をかけられたんだろうな。

 

「そこの君、お婆さんが困っているのが見えないの?」

 

 静かな車内で、正義感に溢れたその声は良く通り、周囲の人たちから自然と注目が集まる。

 

「実にクレイジーな質問だね、レディー」

 

 それはなんとも高校生らしからぬしゃべり方だった。

 いや日本人ならぬしゃべり方? なんでもいいけど、とにかく声の主が変人であるということは一口でわかった。

 

「何故この私が、老婆に席を譲らなければならないんだい? どこにも理由はないが」

 

「君が座っている席は優先席よ。お年寄りに譲るのは当然でしょう?」

 

「理解できないねぇ。優先席は優先席であって、法的な義務はどこにも存在しない。この場を動くかどうか、それは今現在この席を有している私が判断することなのだよ。若者だから席を譲る? ははは、実にナンセンスな考え方だ」

 

 そして変人らしからぬ小理屈をこねる。

 

「私は健全な若者だ。確かに、立つことに然程の不自由は感じない。しかし、座っている時よりも体力を消耗することは明らかだ。意味もなく無益なことをするつもりにはなれないねぇ。それとも、チップを弾んでくれるとでも言うのかな?」

 

「そ、それが目上の人に対する態度!?」

 

 不遜な態度を続ける変人と、そんな態度が癪に障ったのか、どんどんヒートアップするOL女性の応酬に、車内の空気が不穏なものに変わっていく。

 変人の言うことは正しい。

 なんだか妙な言い方になったけれど、彼の言ってることは紛れもなく正論で、反論の余地などとてもじゃないけど見当たらないものだった。だけど、正論を武器として使う人は、果たして正しい人間と言えるんだろうか。私から見るお婆さんは立っているのもやっとといった様子で、もしかしたら目的地までもたずに倒れてしまうかもしれない。もしそうなったら、彼はなんと声をかけるんだろうか。

 腕時計で時間を確認すると、到着予定時刻まで十数分といったところ。結構な時間寝てたらしい。

 

「よかったら、ここどうぞ」

 

 立ち上がり、人を掻き分けながらおばあさんに話しかける。居た堪れなくなった私は結局席を譲ることにした。

 ありがとうありがとうと、何度もお礼を告げるおばあさんの体を軽く支えながら、先ほどまで座っていた席に案内する。座ったとたんホッと息を吐いて足をさする老婆を見るに、やっぱり立ちっぱなしはかなり辛かったらしい。

 バスで起きた、ちょっとした騒動が終わり、注意を向けていた人たちの意識も散開する。

 到着まで立つことになった私は、近くの吊革や持ち手は全部埋まっていたので、唯一空いた空間である、変人の前まで移動することにした。そうして初めて目にする渦中の人物は、あろうことか荷物を隣において優先座席を2つ占領するという、よく言えば豪胆、悪く言えば傍若無人な、というかこっちでしか表現できないだろうけれど、とにかく怖れ知らずな人柄が垣間見えた。どっかりと腰を下ろしたその人は、ガタイのいい金髪の男で、私と同じような制服を着ていることから、たぶん同級生であることがうかがえる。

 そしてその顔には見覚えがあった、まさかの大物だ。

 

「なかなか美しい振る舞いだったねえマスクガール」

 

 ニヤリと笑いながら、私に話しかけてくる。マスクガールとは私のことだろうか。

 そのちんちくりんな呼び方含めて、この変人とはあまり関わり合いにはなりたくなかったし、私自身まともな他人と話すのは久しぶりなので、相手をするのに少し躊躇した。久しぶりの会話相手が変人って……。

 

「美しい振る舞い?」

 

「そうとも。君は何の打算もなく、ただ厚意で老婆に席を譲っただろう? 無償の善意とは愚か者のすることだが、醜いものでもないからねえ」

 

 無償の善意は愚者がすること……か。

 まぁ言わんとすることは理解できる。おばあさんがどうかは知らないけれど、人の善意や親切に慣れてしまった人は、我儘で自分勝手な人間に成長してしまう場合があるからだ。実際私が小学校の頃はそういう友達が結構いたので、矯正するのが大変だったのを覚えてる。まぁ原因はほかならぬ私だったわけだけど。

 

「私としては、あなたが席を譲らなかったことが意外だったけれどね。財閥の御曹司さん」

 

「ほう? 私のことはどこで知ったのかな?」

 

 目の前の男子生徒──高円寺六助のことを知ったのは中学校3年の時だ。私と同い年にして数千万円の資産を得たとしてニュースになっていたのをテレビで見かけた。私の家は貧乏だったので、一家そろって羨ましさに指を嚙みながらそのニュースを聞いていたものだ。まさか、同じ高校に通うことになるとは、あの時の私が知ったらどう思うかな。そのことを高円寺君に伝えると、堂々と胸を張った。

 

「いかにも、私こそ高円寺コンツェルンの一人息子、高円寺六助さ。それでマスクガール、なぜ私が席を譲らなかったことが意外なのかな?」

 

 え、なんでこんなに話が続くの。

 席を譲った心優しき少女に、正論でもって頑なに席を譲らなかった変人が絡むという絵面に、周囲から痛ましげな視線が突き刺さる。同情するなら助けてよ。

 

「えっと、なんでそんなに気になるの?」

 

「私は凡人には興味はないが、未知を既知としたい欲求くらいはあるのだよ。小さな時から社会の荒波に揉まれてきた私は、多くの人間と出会ったが、君のような人間は初めてでねえ。少し言葉を交わしたいと思ったのだよ」

 

「ええ……」

 

 コイツ、さり気に私のこと凡人とディスったぞ。

 初対面の、名前すら知らない人間を凡人だなんて表する彼の神経の太さにいっそ感服する。

 

「あなたって大人になったら財閥を継ぐんでしょ? そんな風な態度でいたら、印象も悪くなるし、人もついてこなくなるしで困るんじゃないかなって」

 

「心配はナッシングさマスクガール。凡人たちからの印象などどうでもいいが、仮にそれが必要だとしても、結果でいくらでも覆せるからねえ。そして、無類のカリスマ性の持ち主である私のことを慕うものはすでに数多い。君もこの学校生活でそれを知ることになるさ」

 

 暖簾に腕押し、豆腐に鎹。

 私の懸念などさらりと聞きながし、最後に前髪をファサッとかきあげて言葉を締める。理屈は意味不明だったけれど、自分に絶対の自信を持っていることはわかった。

 

「慕う人が多いって、財閥の人? 全員じゃないんだね」

 

 それだけ自信満々なら、全員ひれ伏してるとか言ってもおかしくないと思った。

 

「確かに一部の人間は私の素晴らしさを理解してないねえ。しかし問題ないとも。すぐに私を認めざるを得なくなるだろうさ」

 

「ふぅん」

 

 適当に相槌をうち、これで会話を終わらせることにした。周囲の視線が痛いし、なによりこの変人と会話してると私にも変人が移りそうだ。そしてさらになによりも変人と話すのは常人のそれの3倍以上の労力を必要とするのが心配だった。要するに疲れた。

 

「なにか言いたそうだねえマスクガール」

 

 え、続けるの? 凡人には興味ないのでは? そりゃないことはないけど、これ言ったら怒りそうだもん。

 

「結構失礼なことだし、黙っときます」

 

「レディーの失言を責めるほど、私の器は小さくないよ? 話してみたまえ」

 

 そうやって話を促そうとする高円寺君は、こちらをバッチリ見据えて全然逃がしてくれる気配がない。

 まぁ最初に私のことディスったのは向こうが先だし──。

 そう開き直った私は素直に話すことにした。

 

「高円寺君ってお父さんと仲悪い?」

 

 何気なく言った後、やっぱり初対面の人間に家族との関係を指摘するなんてやっぱりライン越えすぎかなと後悔する。件の高円寺君には私が言った内容が衝撃的だったらしく、目を丸くしていた。

 しかしそれも一瞬、すぐにとりなおすと、興味深そうに私に目を合わせてくる。

 

「なかなか穿った意見だねえ。どうしてそう思ったのかな?」

 

「ここまで話して思ったけれど、高円寺君って基本他人に興味ないでしょ。私のこと知りたいとか言っておきながらさっきまで目も合わせなかったし」

 

「異論はないよ」

 

「そんな高円寺君が、自分のことを認めない一部の人に『認めざるを得ない』なんていうのはちょっと違和感だったかな。そんな人は切り捨てるとか言われても驚かなかったかも。だから、高円寺君を認めないその人たちっていうのは、高円寺君にとって無視できない人なんじゃないかなって。それに」

 

 一度言葉を区切った。変人と話すのは疲れる。

 

「さっきニュースで高円寺君を見たって言ったけれど、あれ、一回しか見かけなかったし、なにより全然話題にならなかったんだよね。それって変じゃない? 中学生が数千万の資産構築なんて、日本社会の風雲児だ! とか騒がれて新聞の一面になっててもおかしくないでしょ。取材とかが殺到しそう。でも全然そんなことなかったし、高円寺君のことを露出させたくない誰かがいたのかなって。んで、そういった権利を振るえそうなのは実のお父さんとかぐらいかなって思って。そんなに優秀な跡取り息子がいるならライバルに対して牽制にもなるし、公表しない理由がないでしょ? だからそういった動きがなかったのは、お父さんは高円寺君のことあんまり認めてないのかなって思って。失礼になっちゃったのはごめんね」

 

 手を合わせて謝る。

 私が言ったのは全て単なる推測どころか妄想の類だ。向こうから催促したとはいえ、なんてことを言うんだと怒られても仕方がない。怒らないとか言ってたけど激昂するかもしれない。

 言い放った言葉を再確認してバツが悪くなった私だったけれど、話を聞き終えた高円寺君が唐突にパチパチと手をたたき始めた。

 

「ははは! あれだけの会話でそこまで想像を巡らせるとはねえ!」

 

 車内に響き渡る大声を出す。拍手も相まって目立ちすぎるからやめてほしい。

 

「なかなか面白い意見だったよマスクガール」

 

「私の妄想って当たってたりするの?」

 

「そのあたりはシークレットとしておこうじゃないか。身内の話など、ギャラリーの前ですることではないからねえ」

 

 それは確かに。昔ならこんなポカやらなかったけど、やっぱり鈍ってるな。しっかりしろ。

 

「ただし君の言った通り私へのマスコミの取材が打ち切られたのは事実さ。だから、私の存在を知れるのは自分で作ったHPだけなのだよ」

 

 そう言って携帯を取り出すと、少し操作した後私に画面を見せてくる。確かに高円寺君の顔写真が載ったHPだ。これまでの功績なんかが紹介されている。

 どうやって自分のことを知ったのか聞いてきた理由はこれか。高円寺の名前で調べないとこのHPに辿り着くことはない。私がどういう理由でこのHPを見つけたのか聞きたかったということか。

 つまり私が見たニュースは手違いで流れたもので、たまたま偶然の機会があっただけとのこと。

 高円寺君がやたらしつこかったのもこれが理由だったのだ。

 

「そういえば名前を聞いてなかったねえマスクガール。ぜひ教えてくれるかな?」

 

「黒華梨愛(くろは りあ)だよ」

 

「黒華ガールか、覚えておこう」

 

 そんな風に名乗った覚えはまったくないけれど、たぶん訂正を求めても無駄なので諦めることにした。私の名前を知って満足したのか、高円寺君は鞄からイヤホンを取り出すと耳に装着して爆音で音楽を聴き始める。前に立つ私にも丸聞こえだったけれど、もしかしたら話し疲れた私に対する配慮とかだったのかもしれない。

 いやそれはないな。もしそうなら荷物をどけて席を譲るべきだし、そもそも私に話しかけるべきではなかった。

 腕時計を見てみると到着まであと数分。

 

 まぁいい時間潰しにはなったかな。

 

 外に見える満開の桜を眺めながら、そんなことを思った。



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2話

目的地に着くと、乗客の多くを占めていた学生たちがぞろぞろとバスを降りていく。

 私たちには料金を払う必要がないので、特になにもせず運転手さんにお礼を告げてから、私もバスを降りる。

 地に足つけた私を出迎えたのは、天然石を連結加工したつくりの門と、『入学式』と書かれた立て看板。私がこれから通うことになる高校への入り口だ。

 

高度育成高等学校

 

 日本政府が主導で作り上げたという、これからの日本社会を支えていく若者を育成するための高校。私が生まれる10年以上前に設立されたこの学校は、事実として様々な分野で輝く人材を多数輩出していて、この学校の卒業生だという有名人はかなり多い。

 けれど不審な点もある。この学校の中で何が行われているかは完全に秘匿されているのだ。これまで各種マスコミが何度もこの学校の卒業生を取材するけど、誰も口を割らないという。

 合格した私たちにも、これからどんな教育が施されるかはまるで知らされていない。しかしそんな学校にも関わらず毎年この学校を志す中学生はとても多い。その理由は単純明快。この学校のみが持つ魅力のせいだ。進学率、就職率がほぼ100%というのはこの学校の謳い文句であり、他にはない唯一の特徴だった。さらに言えば授業費、入学費の一切が免除されていて、設備もあらゆる私立高校を遥かにしのぐとのこと。

 そんな高度育成高等学校の入学者数は毎年160人。たったこれだけの子供たちに日本という国家そのものから大きな期待がかけられているわけだ。

 その重圧は理解すれば相当の重みとなって押しかかってくるものだけれど……。

 とにもかくにも、毎年多くの学生がこの『勝利』への切符をめぐり、高校としては最大級の倍率を誇るこの学校に挑む。

 今私の周りにいる新入生はみな、その競争を勝ち抜いてきた『勝者』というわけだ。

 こうやって色々考えると、高揚感や期待で胸が高鳴る。

 

「ん~やはり私は今日も美しい」

 

 胸の高鳴りに水を差したのはつい先ほど聞き及んだ声。

 大きな門や周りの生徒には目もくれず、高円寺君は手鏡を見ながら自分の髪をいじっている。2本の触角を交互にねじねじしているが、私にはいったい何が変わっているのかさっぱりわからない。

 

無視しよう。

 

 初日から絡みすぎては私も変人認定されるだけ、あのバスには私と同じクラスの生徒がいる可能性だって十分あり得るのだ。

 

 

 案内に従って教室に向かいながら、これから過ごすことになる高校をいろいろ見回してみたけれど、やっぱりどこをとっても中学校とは違った。石畳の道は広々としていて、空いた空間には緑が植えられている。なによりも驚いたのが、門を潜り抜けたとたんに高さ十数階分はあるだろう建物がいくつも目に入ったことだ。中学校の校舎はせいぜい4階程度。しかも私の地元はど田舎そのもので、こんなに高い建物を目にする機会はほとんどなかった。思わず見上げていると首が痛くなりそうだ。

 清掃も行き届いていて、殊更ワクワクしながら教室へ向かっていると、後ろから声をかけられた。

 

「あのっ、ちょっといいかな?」

 

 立ち止まって振り返った私が見たのは細カチューシャをつけた茶髪の女の子。ちょっと幼い印象を受ける顔立ちで、クリッとした大きな目が可愛らしい。そしてなかなかの戦闘能力を備えた胸部装甲が視線を惹きつける。話しかけられた場所が場所なので、同じバスに乗っていたのかもしれない。首を少し傾げ、上目遣いでこちらを伺うその仕草はいかにも『手慣れて』いて、こりゃ男子が放っておかなさそうだ。

 

「どうしたの?」

 

「お礼を言いに来たの!さっきおばあさんに席を譲ってくれたよね!」

 

 ありがとう!とお礼を笑顔で告げてくる彼女に、私はすぐに反応することができなかった。

 なんでこの女の子がお礼を言いに来たのかわからなかったのと、こんな風に笑顔でお礼を言われるのが久しぶりだったからだ。

 たしかに私は立ちっぱなしが辛そうなおばあさんが心配になったし、車内の雰囲気も悪くなりそうだから、それを察して席を譲ることに決めた。

 いやまぁあのおばあさんを見かけたら、どちらにせよ私は席を譲っていただろうけれど……。

 見物人その1に過ぎなかったこの子がお礼を言ってくるのは筋違いに思えた。別に悪い気はしないけど、見当違いな感謝の気持ちにちょっと怯む。

席を譲っただけなのになぜこんなに注目されるんだろう、東京ではありえないことなのかな?

どう答えるべきかわからず、そうやって困惑していると、それを察したらしい女子生徒が私に一歩近づいてきた。

 

「私もおばあさんを座らせてあげたくて困ってたの。男の子は席を譲る気配がなかったし……。だからっ、そのお礼!」

 

 そう言われてもあまり納得いかなかってけれど、まだ訝しんでいるとただの失礼で無愛想な人間になってしまうので、とりあえず笑顔を作ることにした。

 

「ふふっどういたしまして」

 

「うん!ねぇ、よかったら教室まで一緒に歩かない?私、Dクラスの櫛田桔梗って言います」

 

そう自己紹介して隣に並ぶ。初対面の相手に対して随分と距離が近かったけれど、不思議と気にならなかった。

 むしろ気にならないことが少し気になるくらい。

 

「黒華梨愛です。私もDクラスだから、よろしくね」

 

「え、同じクラスなんてすごい偶然だね!よろしくねっ黒華さん」

 

こちらの顔を覗き込んで、見たこともない眩しい笑顔を向けてくる。

すごい偶然というけどクラスはAからDまでの4つしかないので、同じクラスになるかどうかは単純に25%。特段確率が低いわけじゃない。いちいち大げさに喜んでみせる櫛田さんに少し苦笑する。

 それは櫛田さんがちょっとおかしかったのと、脳裏に引っかかるなにかがあったからだ。

 

 

 教室の扉は自動ドアとかそんなことはなく、中学校と同じ、ガラガラと音を立てて開く同じタイプだった。いくらなんでも期待しすぎだったかもしれない。

 櫛田さんと一緒に教室に踏み込むと、新たな来訪者に多くの視線が集まる。

 

「見ろよあの子……!」

 

教室内にはすでに多くの生徒がいて、その一部はもう友達を作ったのか、話に花を咲かせていた。こちらを見て呟いたのはそんな風に雑談していた様子の男子生徒だ。私の隣に立つ櫛田さんを見て色めき立つ。

 

「私の席はあそこみたい。黒華さんはどこかな?」

 

「えーっと、あそこだ。ちょっと遠いね」

 

 黒板には生徒の座席を示す大きな紙がマグネットで張り付けられていた。私の席は窓側から2番目、後ろから2番目という絶妙に惜しい位置。できれば窓際1番後ろの席がよかった。

 その席にはすでに男子生徒が座っていて、その隣、つまり私の席の後ろにも女子生徒がいた。黒板で名前を確認してみると、男子生徒の方は綾小路、女子生徒の方は堀北というらしい。苗字しか載っていないので名前まではわからない。

 

「うーん残念っ、でも同じクラスならまたすぐ仲良くできるよね!またねっ、黒華さん」

 

「うん、また後で」

 

 櫛田さんは自分の席に向かうなり周りの生徒に声をかけた。

 教室につくまで、取り留めもない雑談を櫛田さんとしていたけど、あの子は本当におしゃべりが『上手い』

その恵まれた容姿も相まって、すぐにこのクラスのアイドル的存在になりそうな予感。

 

「おはようっ!」

 

 私も自分の席に着くなり、明るい声で後ろの堀北さんに挨拶してみる。挨拶はコミュニケーションの基本、ここで黙って席に座るのと、一声挨拶するのとではその人の印象が大きく変わる。

 けど、笑顔で返事を待つ私に対して堀北さんは一切リアクションを示さない。呼んでいた小説のページをぺらりと捲る様子から、もしかしたら他の人に話しかけたと勘違いしたのかもしれない。

 人間ってけっこう声の方向というか、意識に敏感な生き物だから気づくと思ったんだけどなぁ。

 

「おはよう!」

 

「聞こえているわ、何度も話しかけないで」

 

「ええ!?」

 

 どんなにコミュニケーション能力の低い人でも、自分に声をかけていると知れば目を向けるなり、逆に意識を背けるなりで、なんらかのリアクションを返してくるけど、まさか自分が挨拶されていると知ったうえで無視を決め込むとは。

 思わず大声を出してしまった私をじろりと一瞥すると、すぐに読んでいた小説に目を落としてしまった。ここまで拒絶されると傷つく前に困惑する。

 

「おいおい、さすがにその対応は冷たすぎるだろ」

 

 思わず立ち尽くす私にフォローを入れたのは隣に座る男子生徒、綾小路君だ。茶髪に、けっこう整った顔立ちを、覇気のない目がちょっと台無しにしていた。

 

「彼女と話す必要性がないもの」

 

「もう一度言うが、前の人の名前も知らないのは不便だろ。あっ、オレは綾小路清隆だ、よろしくな。こっちの堅物は堀北鈴音だ」

 

「勝手に私の名前を教えないでもらえるかしら?出会ったばかりの人のプライバシーすら守れないの?」

 

「あはは……私は黒華梨愛っていうの。よろしくね、堀北さん、綾小路君」

 

 綾小路君はなぜか堀北さんの名前まで知っていた。もしかしたら同じ中学校の同級生とかだったのかもしれない。それにしても、話す必要性がない、か……。

 

「黒華って今朝老婆に席を譲ってたよな?」

 

席に座った私に、綾小路君が唐突に話を振ってくる。

またその話か。

 

「うんそうだよ。てことは同じバスだったんだね、気づかなかったよ」

 

「黒華は目立ってたからな。なんで席を譲ることにしたんだ?」

 

褒められた、お礼を言われたと思ったら今度は質問か。

 

「なんでって特に深い理由はないけど? ただおばあさんが立つのも辛そうだったから、譲ったってだけ。もうこの話実は3回目なんだけど、そんなに不思議だった?」

 

「まぁそうだな。オレは事なかれ主義だから、黒華みたいに目立つことをする理由がわからなかったんだ」

 

 事なかれ主義。初めて聞く言葉だけれど、どんな人のことを言うのかはわかった。そういう人って物静かな人って通り一遍の表現しかできなかったけれど、わかりやすくていいな。

 

「何もせずに平々凡々な生活を送りたいってこと?」

 

「その通りだ。黒華は理解してくれるようでよかった」

 

「まぁそういう人は一定数いるよね」

 

「だよな。いやぁ黒華はどこかの誰かとは大違いだな」

 

どこかの誰かが堀北さんのことを指してるのは一発で分かったけれど、当の本人は気にした様子もなく読書にふける。

 これは必要性のない会話ということらしい。

そうこうしていると、また教室の扉が音を立てて開かれた。私と綾小路君は新たな来訪者を確かめようとして、そして目を丸くする。

 

「中々設備の整った教室じゃないか。噂に違わぬつくりにはなっているようだねえ」

 

 いや同じクラスかい!

 らしくもないツッコミが心の中で炸裂する。やってきたのは高円寺君だ。自分の席にどっかりと腰を下ろすと、両足を机の上に乗せ、カバンから爪とぎを取り出し、鼻歌を歌いながら気ままに爪の手入れを始めた。周囲の喧騒や注目などどこ吹く風、周りのことなどまさに空気かなにかのように行動している。

 突如教室に現れた変人に、クラスのみんながドン引きしている。

 私も当然その一員だ。

 

「またすごいのが入ってきたな」

 

「もしかしたらクラスごとにバスが違うのかもね」

 

というかそうじゃなければ運命のいたずらすぎる。

 

「今日は厄日ね。短時間でこんなに不運が重なるなんて」

 

 いきなり口を開いたのは堀北さんだ。読んでいた小説にはいつの間にか栞が挟まれ閉じられていた。これは独り言なのか話しかけてきたのか、非常に判断しかねるなぁ。

 

「不運って?」

 

「よりによって再会したくないと思った人とばかり同じクラスなことよ」

 

 そう言ってなぜか、私と綾小路君を見る。

 一体なぜ私がその再会したくない人というやつに含まれているのか、堀北さんを問いただしたくなったけど、そんな間もなく始業を告げるチャイムが鳴った。そしてほぼ同時にスーツを着た1人の女性が教室へと入ってくる。少し長い髪をポニーテールでまとめた、真面目そうな顔立ちの人だけど、着こなしたスーツはなぜかセクシーな胸元がチラ見えしていた。

 どう見ても聖職者として健全とは言い難い姿だけれど、あれはわざとなの?それとも気づいてないの?

 彼女はそんな私の怪しむ視線を気にした風もなく、ツカツカと教壇に上がると、着席するよう呼びかけた。

 

「えー新入生諸君。私はDクラスを担当することになった茶柱佐枝だ。普段は日本史を担当している。この学校には学年ごとのクラス替えは存在しないから、卒業までの3年間、私が担任としてお前たち全員と学ぶことになると思う。よろしく。今から1時間後に入学式が体育館で行われるが、その前にこの学校の特殊なルールについて書かれた資料を配らせてもらう。既に合格通知と一緒に配布してあるがな」

 

 前の席から資料が回ってくる。先生の言う通り、家に合格通知が届いたときに学生手帳と一緒に封筒に入れられていた学習要覧だ。私はこの資料はまだ斜め読みしただけなので詳細はちゃんと覚えていないけれど、校則や学年歴などが書かれていたはず。ほかにもこの学校独自のルールが定められていて、何より驚いたのはこの学校に通う生徒全員に敷地内にある寮生活を義務付けるとともに、在学中はごく一部の例外を除いて肉親を含む外部との連絡の一切が禁じられている点だ。当然、敷地内から勝手に出ることも禁止されていて、破ればなんと即退学という厳しさ。本来であれば相当不便だけれど、この学校の敷地内にはその不便さを補ってあまりある多種多様な施設が数多く存在するらしい。カラオケやシアタールーム、カフェ、ブティック、ほかにもいろいろ。その広大さは相当なもので、学生手帳の最後のページに載っていた地図を見て度肝を抜かれたのを覚えている。学校の中に街があるというより、街の中に専用の学校が建てられていると言った方がしっくりとくる。

 そしてそんな各種施設に使う金銭の代わりとなる重要要素が『Sシステム』だ。

 

「今から配る学生証カード。それを使い、敷地内にあるすべての施設を利用したり、売店などで商品を購入することが出来るようになっている。クレジットカードのようなものだな。ただし、ポイントを消費することになるので注意が必要だ。学校内においてこのポイントで買えないものはない。学校の敷地内にあるものなら、何でも購入可能だ」

 

 こちらは先生が1人1人に配っていく。アルファベットと数字の入り混じった学生証番号や、生徒の顔写真などが載ったシンプルなものだけれど、つくりはしっかりとしていてどこか高級感があった。

 これからはこのカードが私たちの財布となるわけだ。なくさないようにせねば。

 

「施設では機械にこの学生証を通すか、提示することで使用可能だ。使い方はシンプルだから迷うことはないだろう。それからポイントは毎月1日に自動的に振り込まれることになっている。お前たち全員、平等に10万ポイントが既に支給されているはずだ。なお、1ポイントにつき1円の価値がある。これ以上の説明は不要だろう」

 

 え、マジ……?10万円ポンとくれるの?

 衝撃的な言葉にクラスメイトたちで教室がざわつく。先生は今、私たち全員にいきなり10万円を与えたと言うのだ。

 急いで携帯を取り出し、専用のアプリを開いて確認してみると、『黒華梨愛』という文字の下に、

『100000PP』という数字。なぜPが2つ連なっているのかはわからないけれど、先生の言葉通り、私たちには本当に10万円が支給されたらしい。

 中学校時代の私のお小遣いは月々500円だったため、実に200か月分のお小遣いがもらえたということになる。気の遠くなるような数字に眩暈がした。

 

「ポイントの支給額が多いことに驚いたか?この学校は実力で生徒を測る。入学を果たしたお前たちには、それだけの価値と可能性がある。そのことに対する評価みたいなものだ。遠慮することなく使え。ただし、このポイントは卒業後は全て学校側が回収することになっている。現金化したりなんてことはできないから、ポイントを貯めても得はないぞ。振り込まれた後、ポイントをどう使おうがお前たちの自由だ。好きに使ってくれ。仮にポイントを使う必要がないと思った者は誰かに譲渡しても構わない。だが、無理やりカツアゲするような真似だけはするなよ?学校はいじめ問題にだけは敏感だからな」

 

 それだけ言って茶柱先生は教室を見回す。私を含め、多くのクラスメイト達は支給された金額の多さにまだ驚きを隠せないようだった。まぁそりゃそうだ。こんなことになるなんて思いもよらなかった。ハッキリ言って現実的な話じゃない。まさに夢のようだ。

 

「質問は無いようだな。では良い学生ライフを送ってくれたまえ。以上だ」

 

え?質問タイムなんてあったっけ?

言うだけ言って茶柱先生は退出してしまう。

いくつか疑問はあったけれど、まぁ後で職員室にでも行って聞けばいいか。

 

「思っていたほど堅苦しいところではないみたいね」

 

 また独り言のようだったけれど、振り返った私の方をちゃんと見てたので、話しかけたつもりらしい。正直分かりづらい。

 というかこれも必要性のある会話なのか。ていうか会話する必要性ってなに? 必要性がなかったら堀北さんは会話しないってこと? じゃあ堀北さんが今からしようとしている会話は必要性があるってこと? そもそも必要性のある会話ってなに? 会話というのは必要性がなければしないものなの?

アレ? 会話ってなに? 必要性って?

ダメだ、このままだとゲシュタルト崩壊を起こしそうな気がする。

 

「確かにね。この後も授業とかないし、てっきり初日からガチガチかと」

 

 今日は入学式が終わったら授業もなくそのまま解散の予定だ。まぁあらかじめ送っておいた私物の荷ほどきとか、これからの学校生活に向けた準備とか、いろいろやらなければいけないことがあるからその辺に対する学校側の配慮なのかもしれない。

 

「少し疑いたくなるわね。優遇されすぎよ」

 

 堀北さんの言う通り、ただの高校一年生に10万円支給するなど、いくら政府主導の高校とはいえ太っ腹というのを超えている。これが仮に全校生徒480人全員に支給されるなら、毎月4800万円がただ生徒が浪費するために消えることになる。年間だと6億に迫る。こうして冷静に考えてみるとありえないな。

 美味い話には裏があるというけれど、これが罠なのかサービスなのかはまだわからなかった。

 他のクラスメイト達は、疑う素振りなど見せず、出来たばかりの友達と何にポイントを使うかで盛り上がっている。彼らも彼らで、この学校にはもっとガチガチのガリ勉君が多いと私は思っていたけれど、全くそんなことはなく、フランクで気さくそうな生徒が多いように見える。

 

「………………」

 

 斜め前からものすごい視線を感じる。視線の主は綾小路君で、そっちの会話にいれてほしいという圧力をひしひしと感じる。

 

「綾小路は――」

 

「皆、少し話を聞いて貰ってもいいかな?」

 

私から綾小路君への慈悲を遮ったのは、爽やかな男の声だった。好青年といった雰囲気の男の子で、一言でいうとイケメンだ。いい子ちゃんなのか、手を挙げながら言葉を続ける。

 

「僕らは今日から同じクラスで過ごすことになる。だから今から自発的に自己紹介を行って、一日も早く皆が友達になれたらと思うんだ。入学式まで時間もあるし、どうかな?」

 

 相当ハードルが高いことを言い放った男子生徒に私は素直に感心した。

 クラスの人と仲良くなりたい、友達が欲しい。これまでと打って変わって環境が変わる日本の高校一年生のほとんどがまず心配するのが、友達ができるかどうか。私もネットで調べまくったからよくわかる。だから大抵の生徒はまず自分の席近くの生徒に声をかけ、まずその人と友達になる。この場合声を掛けられるほうも友達を欲しがっている場合がほとんどなので、これはたいてい成功する。そう、私と堀北さんと綾小路君のように。

そしたらまたその周りの生徒、また周りの生徒と――そんなサイクルを経て友達の輪は広がっていく。だから、こんな風に入学初日に声を挙げ、一気に友達を作ろうとするのは多くの人が思い付きこそすれ、実行するのは難しい。とても大きな勇気が必要になるうえ、知り合いのいない環境というのは人を委縮させるからだ。皆の視線を一身に浴びるその男の子は、その勇気を持った逸材のようだ、単にコミュニケーション能力が高いだけではない。みんなと仲良くなりたい、なってほしいという思いやりがなければそう呼びかけるのは難しい。

 

「賛成ー!私たち、まだみんなの名前とか、全然わからないし」

 

 1人の女の子が賛同したことで、俺も私もとクラス内で自己紹介をする流れができあがる。ハードルの高い一番手は例の男の子が引き受けるようだ。

 

「それじゃあ僕から自己紹介するね。僕の名前は平田洋介。中学では普通に洋介って呼ばれることが多かったから、気軽に下の名前で呼んで欲しい。趣味はスポーツ全般だけど、特にサッカーが好きで、この学校でも、サッカーをするつもりなんだ。よろしく」

 

 スラスラと文句のつけようがない自己紹介を平田君が終え、大きな拍手がクラス内で沸き起こる。

 さわやか系のイケメンフェイスに加え中学からサッカーをやっていると来た。多くの女子生徒が彼に好意的な視線を向けてるし、こりゃ入学初日からクラス内の女子で争奪戦が始まるだろうな。

 櫛田さんがDクラスのアイドルなら、平田君はスターといったところ。

 平田君の自己紹介が終わり、端の人から順に自己紹介を進めていくことになった。あまり気の強い人じゃないのか、途中で自己紹介が詰まってしまった井の頭という女子生徒や、山内君という男子生徒はジョークなのか虚言なのか判断しかねる自己紹介をしていた。

ほどなくしてこの学校で私が初めて話した櫛田さんの番が回ってくる。

 

「私は櫛田桔梗と言います、中学からの友達は1人もこの学校には進学してないので1人ぼっちです。だから早く顔と名前を憶えて、友達になりたいって思ってます」

 

櫛田さんはさらに付け加えた。

 

「私の最初の目標として、ここにいる全員と仲良くなりたいです。みんなの自己紹介が終わったら、ぜひ私と連絡先を交換してください」

 

全員と仲良く……ね。

最初の目標にしてはなかなか大きな目標を掲げながら櫛田さんは自己紹介を締めくくる。

櫛田さんの後、ややハードルが上がった自己紹介が突如中断されたのは、背の高い、髪を赤く染めた男の子の番だった。

 

「俺らはガキかよ。自己紹介なんて必要ねえよ。やりたい奴だけでやれ」

 

 殺気を振りまきながら赤髪の男の子が平田君をにらみつける。

 まぁ自己紹介に高いプレッシャーを感じる人も少なからずいるものだし、悪気なんてなかっただろうとはいえ、自己紹介を強制するような空気を作り上げた平田君には、何の非もないかと言われれば、別にそんなことはないけれど……。

 とはいえあんまりと言えばあんまりな対応を続ける赤髪の男の子にクラスの雰囲気が若干悪くなる。

居た堪れなくなったのかわからないけれど、結局赤髪の男子生徒は教室を出て行ってしまった。この後入学式だけど、それまでどこで過ごすつもりなのか。彼が出ていったのは一部の生徒にとってちょうどいい機会になったようで、馴れ合いを嫌うのか、何人かが続いて教室を出て行ってしまう。堀北さんもその1人だ。

 少し自己紹介がしづらくなったけれど、平田君はすぐに空気を持ち直し、自己紹介を再開する。どうしても彼女が欲しいらしい池君とか、いろいろな生徒が自己紹介を続けているうちに、あの男の出番がやってきた。

 いったいどんな自己紹介をするつもりなのか……。

平田君から自己紹介をお願いされた彼は貴公子のように微笑むと、なんと足を机の上で交差させるという衝撃的なポーズのまま自己紹介を始めた。櫛田さんはクラスのみんなと仲良くなりたいのなら、当然彼とも仲良くなる必要があるわけだけど、いったいあの変人とどう接するつもりなのか、ぜひ教えていただきたい。

 

「私の名前は高円寺六助。高円寺コンツェルンの一人息子にして、いずれはこの日本社会を背負って立つ人間となる男だ。以後お見知りおきを、小さなレディーたち」

 

クラスではなく、あくまでも女の子にだけ自己紹介をする。教室の生徒はみな私を含めて、なんだこいつは……といった怪訝な視線を高円寺君に向けていた。しかしそんな反応はどこ吹く風、言葉を続ける。

 

「それから私が不愉快と感じる行為を行った者には、容赦なく制裁を加えていくことになるだろう。その点には十分配慮したまえ」

 

「えぇっと、高円寺くん。不愉快と感じる行為、って?」

 

親睦を深めるはずの自己紹介の場におよそふさわしくない物騒な言葉が流れたことを不安に感じたのか、平田君が聞き返す。

 

「言葉通りの意味だよ。しかし1つ例を出すならば、私は醜いものが嫌いだ。そのようなものを目にしたら、果たしてどうなってしまうやら」

 

高円寺君なりのモテ仕草なのか、ファサッと長い前髪をかきあげる。もちろんそんな仕草にキュンとする女の子など1人もおらず、クラスに突如出現した変人にみな警戒するだけ。バスの中で席を譲って正解だったな……。

高円寺君の独特すぎる自己紹介にクラスの雰囲気がおかしなことになるも、平田君によるスムーズな進行が行われる中で霧散する。

そうこうしているうちに、ついに私の番がやってきた。そういえば、何を話すか全く考えてなかったな。

 

「黒華梨愛です。趣味は料理で、せっかくの寮生活なのでクラスのみんなと仲良くなったら、一緒に料理を作ってみたり、食べたりしたいなって思ってます。よろしくっ」

 

我ながら即興にしてはいい自己紹介ができたんじゃないだろうか。料理できる女子というのはそれだけで価値があり、クラスの一部男子が私を見て女の子の手料理が食べれるとはしゃいでいた。

いやまだ食べれると決まったわけじゃないんだけど……。

 

「黒華さん、料理ってどういったものを作るのかな?」

 

デキる男はやはり違う。平田君は自己紹介一つ一つとって話を膨らませようとしてくれる。

 

「本当にいろいろかな、和食、中華、イタリアンにフランス料理。あとお菓子とか作ったりするよ、ケーキとか」

 

「え、じゃあバレンタインもチョコ作ってきてくれるってこと!?」

 

どこからかそんな叫び声が聞こえる。

 

「ふふっ、そうだなぁ本命のチョコはこだわりたいかなぁ」

 

「「うおおおおおお!」」

 

 雄たけびをあげるのは山内君と池君の2人

人目も憚らず叫んでいるのを見るに、実に頭が悪そうだ。あの2人に本命チョコを渡すことはなさそうだなぁ。

平田君が私にお礼を言って締めると、またすぐに次の人に自己紹介の出番が回る。

そうして話を聞いていると、自己紹介も遂にラスト、綾小路君の番まで回ってきた。

 

「えーっと、次の人――そこの君、お願いできるかな?」

 

「え?」

 

平田君のご指名に素っ頓狂な声を出す綾小路君。どう自己紹介するべきかずっと考えていたのか、ガタッ!と大きな音をたて、不意を打たれたように立ち上がる。

 

「えー……えっと、綾小路 清隆です。その、えー……得意な事は特にありませんが、皆と仲良くなれるよう頑張りますので、えー、よろしくお願いします」

 

 そう言って自己紹介を終え、綾小路君は席に座る。たぶん何にも考えれてなかったんだろうな……。

 彼の出番は最後の最後、どう自己紹介するのか考える時間はたっぷりあったのに、口から飛び出てきた言葉はどれもこれも行き当たりばったりのものだった。

彼の失敗を察した皆の間で微妙な空気が流れる。

しかしそこはデキる男平田君だ。

 

「よろしくね綾小路君。仲良くなりたいのは僕らも同じだ。一緒に頑張ろう」

 

パチパチと拍手しながら綾小路君の健闘を称える。明らかに失敗した綾小路君の自己紹介に彼の爽やかな笑顔を付け加えたことで、クラス内からもパラパラと拍手が起きる。

やはりデキる男は違う。



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3話

 入学式。

 それは全ての人間が人の話をスルーすることを覚える最初のイベント。

 校長、理事長、市長、その他来賓の方々。

 歳をとって偉くなった方々の話というのは私たち若者にたって大変退屈であり、その上いったい何時まで話し続けるんだと思わざるを得ないほどに長い。あらゆる行動を制限されるその時間は苦痛以外の何ものでもなく、そのため私たちはその苦痛の時間をなんとか乗り切るために、人それぞれ戦う方法を身につける。

 

 あるものはただ無心となった。

 虚ろな目で俯き、ただひたすらに時が経つのを待ち続ける。あるものは貧乏揺すりを、あるものは手遊びをしたりと、人によってその戦闘スタイルが異なるのが特徴だ。ただし正気に戻ってしまうと、実はあんまり時間が経ってないことに気づいてダメージを受けてしまうのには注意する必要がある。

 

 あるものは妄想した。

 この体育館に突如悪役が現れ、それを颯爽と退治し一躍みんなのスターとなる。都合のいい妄想も極限まで突き詰めればそれは夢と変わらぬ思考の淀みとなり、故に気がつけば時間が経っているという。しかしニヤケ顔を他人に見られて気持ち悪がられないように注意が必要だ。1人でニヤついている人間ほど気色の悪い人間もいない。

 

 また、あるものは寝た。

 睡眠とはそれ即ち意識の跳躍であり、入学式においては先生方の冷たい目線を除けば、目覚めた時には疲れるどころかスッキリする最強のやり過ごし方である。故にその難易度は高く、緊迫した空気の中でも寝るという図太さ、そして確固たる意思が要求される。

 

 私、黒華梨愛もまた体育館で発せられるありがたいお言葉の数々を一言一句全て残らず右から左へと聞き逃がしていた。

 この特別な学校の入学式も、例に違わず非常に退屈なものであり、暇を持て余した私はどうせマスクが邪魔でバレないと堂々と欠伸をかまし、ただひらすら余計なことばかり考え、この退屈な時間を潰す。

 そう、例えばこんな風に脳裏にひたすら文章を思い描き続けることで──

 

 中略

 

 すなわちこうやってどうでもいい事の思考に脳のリソースの全てを回すことで時間は刻一刻と過ぎてゆく。

 そうすればこのように、気がつけば入学式は終わり、Aクラスから順に教室へと帰っていくことになるわけだ。

 今回もまたこの退屈な時間をなんとか乗り切った。この後は先生から軽くこの学校についての説明を受けた後、昼前には解散となる予定だ。程なくしてDクラスも退出するよう言われたので、私も思考を打ち切り、茶柱先生に続いて体育館を出ていく。

 なんというか、この辺は小中高全部一緒なんだ? 

 

 ◇

 

「さて、今日の説明はこれで以上となる。この後は自由時間だが、明日は朝8時45分から平常授業が始まるのでそのつもりで。入学初日からあまり羽目を外しすぎるなよ。では解散」

 

 入学式が終わってから、茶柱先生からこの学校の敷地内の説明を受けた。どうもこの学校は全生徒が暮らす寮。各学年の校舎やグラウンド、体育館などが揃う学校エリア。そしてケヤキモールと言われるショッピングモールの他、スーパーやカラオケなどの各種娯楽施設、商業施設が立ち並ぶ娯楽エリアの3つで構成されているらしい。配布された携帯にプリインストールされている地図アプリで見たところ、その他にも多くの建物やヘリパッドなどを見つけたけれど、まぁこれは私達学生には関係ない場所だろう。

 教室ではほとんどの生徒が寮に戻るつもりなのか、いそいそと帰宅準備を始めていたけど、一部の生徒はこの後遊びに行くつもりらしく、カフェがどうだの、カラオケがどうだの話に花を咲かせていた。私もあの中に混ざりたいけれど、今から混ぜて! なんて声をかけても引かれるだけ。

 仕方がないし私も寮に帰るか、そう考えて席を立った私に急遽救いの手が差し伸べられた。

 

「黒華さん! よかったらこの後、私たち3人とお昼食べない?」

 

 突如現れた救世主は櫛田さんで、相変わらずの眩しい笑顔だ。傍には緊張の面立ちで私を見つめる女子生徒が2人。たしか井の頭さんと、王さんだ。井の頭さんは自己紹介に詰まったのを櫛田さんにフォローされたおかっぱ頭の女の子。ツーサイドアップにした黒髪を揺らす王さんは中国からの留学生だと言っていた。

 涙が出るほどありがたい申し出だけれど、遊びに行くより先にやりたいことがあるのを思い出す。

 

「あ~先に寮で荷物の整理をしたいから、私はそれからでもいいかな?」

 

 遊びに行くにしてもたぶん買い物メインになるので、先に何が必要か把握しておきたい。お昼にはちょっと遅れるかもしれないけど、それはそれで好都合だ。

 

「もちろん私は大丈夫だよっ。2人はどうかな?」

 

「あ、私も先に部屋を見てみたいかも……」

 

「私も……」

 

 おずおずといった様子で手を挙げる。

 

「じゃあ荷解きが終わったらもう1回集合する感じにしよっか。これ、私の連絡先ね黒華さん。終わったら連絡してね」

 

 メールアドレスと携帯番号が書かれた紙を手渡してくる。準備がよすぎるけど、いつの間に用意してたんだ。私も学生手帳のメモ欄に手早く連絡先を書き込み、ちぎって渡す。

 

「ありがとう黒華さんっ。それじゃ、せっかくだし寮まで一緒にいこっか」

 

 綾小路君の羨ましがる視線を背中に感じながら教室を出ていく。校舎から寮まではすぐ近くで、短い道のりをおしゃべりしている途中、ふと気になったことができたので聞くことにした。

 

「井の頭さんと王さんって、もしかして黒いマスクつけた人苦手?」

 

 人見知りであることを考えても、私と話す2人は若干ぎこちなかった。一応これでも話しやすい雰囲気づくりや会話を心掛けているから、解消できるならしておきたかったのだ。

 

「え、いえいえ全然そんなことは!」

 

「う、うん! そうだよ、ね」

 

 ありがたいことに身振りまでつけて慌てて否定する。過剰な反応は図星であることが丸わかりで、少しおかしくなって笑えてくる。

 

「あははっ、ごめんね。次から黒はやめとくよ」

 

「うう、すみません気を使わせてしまって……」

 

 ちょっと落ち込んでしまう王さん。この後遊びに行くのに、そんな風にテンションを下げてしまったのはこちらの落ち度だ。

 落ち込まなくていいよと笑顔を向ける。マスクで顔は隠れていても、目が笑っていれば、笑顔というのは伝わるものだ。

 

「全然気にしないで。黒いマスクつけた人が攻撃的に見えるのはしょうがないよ」

 

「あ、ありがとう」

 

 お礼を告げる井の頭さんの緊張が若干ほぐれる。王さんも同様で、気が楽になってくれたならなによりだ。

 そうして歩いていると、寮にはすぐにたどり着いた。エントランスの受付で名前とクラスを告げると、なにやら冊子と部屋のキーカードを渡される。私のキーカードに書かれた番号は『1207』。この寮は13階建てだそうなので、かなり上の方の階に当たったことになる。そんなに高い建物には登ったことがないので、窓からどんな景色が見えるんだろうと考えると、少し楽しみだ。

 3人とも私とは部屋の階層が違ったので、エレベーター内で一旦別れを告げる。そのまま12階に着いたら、エレベーターから右手に少し歩いけば、1207号室、私の部屋に到着だ。

 扉を開けた私の目に飛び込んできたのは積み重ねられたダンボール箱。学校に合格時、ある程度の重量までなら、私物の携帯などを除いて好きなものを学校に送れるようになっていた。このダンボール箱の中身はその私物だ。生徒一人一人の部屋にいくつもダンボール箱を運び込むのは相当大変だったと思う。やってくれた業者さんに感謝だ。

 

「結構広いな」

 

 居間の広さは8畳ぐらいかな? 

 大手を広げて大はしゃぎできる訳では無いけれど、一人で暮らす分にはもちろん、友達を数人呼ぶくらいなら十分な広さだと。思う目につく家具はベッド、勉強机に椅子、テレビに固定電話などなど。あとは丸いセンターテーブルが部屋の真ん中にちょこんと置いてある。このテーブルは1人で使うには若干大きく、『友達と囲んで使え』という学校からのメッセージをヒシヒシと感じる1品となっている。カーペットとクッションが欲しいな。

 

「教科書はもう揃ってるんだ」

 

 勉強机には既に授業で使う予定の教科書や問題集がズラリと並び立てられていた。高校から科目数が爆増するため、中学校の時より使う教科書の数はかなり多くなる。分厚さもなかなかなもので、『数ⅠA』と書かれた黒い問題集は百科事典もかくやという分厚さだ。カバンの大部分を占領するこいつを毎日持ち運ぶのは、ちょっと大変だな。

 机の中には他にもいくつかクリアファイルが入っていた。見たところこの学校オリジナルのものらしく、徽章がデザインされている。卒業後高く売れるかもしれないので、私はこのクリアファイルのうち1つは使わずに綺麗に保存することに決めた。

 次にキッチンに向かう。

 コンロ、洗い場、冷蔵庫に電子レンジと、必須クラスの設備は一通り揃っていて、なんと小型とはいえオーブンまで備え付けられていた。これならお菓子やパンも焼けるだろう。コンロはガス火ではなく、IHで掃除も楽々といういたれり尽くせり具合だ。

 ただ私からすると足りないものも数多く、まずまな板と包丁が見当たらないのは問題だ。フライパンや鍋もないし、食器類も一切用意されていない。ポットがないからお湯も沸かせないし、なにより炊飯器がないのは致命的だった。明らかにここに炊飯器を置けと言わんばかりの場所があるのに、炊飯器がないのはいったいどういう了見なんだろう? ずっと既製品のご飯を使う気なんてサラサラないので、いくらポイントが足りなくとも炊飯器の購入は絶対だ。せっかく自炊しようと思ってたのに、これだと必要なものを用意するだけで結構ポイントを持っていかれそうだ。もしかしなくとも自炊より食堂とかで済ませた方が安上がりになるかもしれない。

 

「こっちが洗面所か」

 

 玄関のすぐに左手には脱衣所と一緒になった洗面所があった。あるのは鏡と洗面台、そして洗濯機だけで、収納棚を開けてもどれも空っぽだった。歯ブラシやバスタオルなんかの生活必需品は自分で買えということか。

 お風呂も覗いてみたけれど、シャワーと浴槽、あとバスチェアがあるだけで、やはりシャンプーなどは用意されていなかった。

 まぁここはホテルではないからね。お風呂も充分広いし文句はない。

 ちなみに風呂とトイレはちゃんと別々で、玄関の右手にトイレがあった。ウォシュレットまでついた便利なやつ。初めて見る高機能な家具の数々に感動する。貧乏家庭のうちでは到底考えられない豪華な部屋だ。成金ってこういう気分なのかもしれない。

 一通り部屋を探索し終わったので荷解きにかかる。この分だと今日のお昼ご飯はちょっと遅めになりそうだ。最初のダンボールを開けると中身は私服の山だった。きちんとビニールで小分けに包装されていて、グチャグチャになってしまった、なんてこともなく綺麗な状態で届いている。収納するためにクローゼットを開けると、学校で着る制服が何セットか用意されていた。この学校の制服の規定は割と緩く、シャツの色も白だけじゃなく水色や黒色など数種類用意されていて、またスカート丈の指定もそんなに長くない。今日も多くの女子生徒がその魅惑の太ももをチラリと露出させていた、というかスカート自体が短いのでどうしても見えてしまう。デザインは可愛いけど、冬場はさすがに寒そうだ。髪色も自由で、このように比較的緩いけど、ピアスはさすがに禁止で、あと何故かブレザーだけは着用が義務付けられていた、夏場もそれは変わらないらしく、一応薄めの夏用のブレザーも用意されているらしいけれど見当たらない。個別にポイントで買わないといけないのかもしれない。

 衣服の片付けは終わったので、次に雑貨類に取り掛かる。小学生の時から世話になっている目覚まし時計に、運命の出会いを果たした安眠枕。スタイル維持に必須の腹筋ローラーに、風呂上がりに使う足ツボマット。あと存在を認識したくないけどなくてはならない体重計、その他もろもろエトセトラ。ちなみにほとんど人に譲ってもらったやつだ。こんなに私物を買うお金は私にはなかった。

 あとは洗って使えるマスクが10個くらい。これが無いとクラスの皆に迷惑をかけることなるので、ほかの何を差し置いても必要になる。

 

「こんなもんか」

 

 携帯を確認してみると、3人もつい先ほど片づけを終えたらしく、『ラウンジで待ってるね』とメールが届いていた。私も今から行くと返信し、何を買うか頭の中でサッと整理する。

 ラウンジに着くとすぐに櫛田さんたちを見つけた。ソファーに座ってなにやらパンフレットのようなものを読んでいる。

 

「お待たせ~」

 

「これ読んでたから大丈夫! じゃあ早速だけど行こっか」

 

 2-2で並んでエントランスを出る。3人とも先程からパンフレットを気にしている様子だったので、それについて聞いてみることにした。

 

「櫛田さん、その手に持ってるのってなに?」

 

「これはね実はさっき部屋のポストを確認してみたら入ってたんだ。見たかんじオススメのお店とか、よく使うお店とかが載ってるっぽいね」

 

 なにその便利アイテムは……。

 櫛田さんに横から見せてもらったけれど、言う通りに敷地内での人気店や、遊ぶのによく使われる娯楽施設などが紹介されていた。レイアウトもかなり見やすいし、一瞬学校が用意したものかと思ったけれど、至る所に『新聞部』の文字が載ってある。新入部員獲得に向け早くも動き出してきたということか。

 

「ほんとうにたくさんありますね」

 

「だね。ラウ〇ドワンにジャン〇ラまであるし、これ今月中に制覇するの絶対無理でしょ」

 

「テレビで見たことあるお店とかもあるみたいだし、ほんといたれり尽くせりだね」

 

 あまりにもいく場所の候補が多すぎるので、適当なベンチに腰掛けてこの後の予定を決めることにした。4人でパンフレットを睨みながら相談した結果、ひとまずお昼を食べに、学内でも屈指の人気を誇るらしいレストランに向かうことにした。どうやらこの学校が設立した30年前からずっと営業を続けているらしく、なんでも食堂と並んでこの学校の食を司るシンボルとなっているとのこと。

 

「人多いね〜」

 

 娯楽エリアに着いたけど、至る所に楽しそうな生徒の姿がある、というか生徒の姿しかない。3,4人でグループを組んでいるところが多いので、ほとんど上級生かもしれない。見渡す限り色んなお店があって、どれもこれも私たちの為に用意されたものなのだと思うと、改めてこの学校の特別さを思い知る。頑張って勉強してきてて本当に良かった。

 賑やかな光景に、4人でキョロキョロしながら歩き続け、程なくして例のレストランに到着する。扉を開けると来店を告げる鈴がなり、すぐに店員さんが接客にやって来た、どうやら待つことなく4人席に入れるらしい。席に案内されながら見た店内はすでに多くの生徒で席が埋まっていたので、12時台なら待たないといけなかったかもしれない。学内屈指の人気店の称号は伊達ではないということか。

 

「ここはオムライスが美味しいんだって。ほらっあのトロトロして綺麗なの、なんて言うんだっけ?」

 

「ドレスドオムライス?」

 

「そうそれ! 私まだ食べたことないから楽しみだなぁ」

 

「私も初めてかも……」

 

 メニューに写真は載っていないけど、大きな文字で『オススメ!』と書いてあるし、たしかにこれが1番人気なんだろうな。それにしてもオムライスか……ドレスドオムライスなら十中八九デミグラスソースがかかってるだろうけど、ま、いっか。

 結局全員がオムライスを注文し、到着を楽しみに待つ。

 

「黒華さんってお料理が趣味って言ってましたよね?」

 

「うん、そうだよ」

 

 料理を待つ間、王さんの方から声をかけてきてくれた。

 

「そのオムライスも作れたりします?」

 

「ふふんっ、作れるよ。まぁデミグラスソースが買っても作っても高いから、普通のオムライスを作ることの方が多かったけどね」

 

 胸を張ってドヤ顔を決める。三ツ星レストランのコース料理を再現しろと言われても流石に無理だけど、それ以外なら大抵のモノは作れるのが私の料理の腕前だ。貧乏家庭の限られた予算で可能な限り美味しく、たくさん料理を作るのはなかなかいい花嫁修業となった。

 

「すごいね。せっかくだし私も料理始めてみようかな」

 

「料理はいいよ、たまにめんどくさくなるけど。井の頭さんは裁縫と編み物が得意って言ってたよね」

 

 自己紹介の時、言葉に詰まりながらもそう言っていた。今ドキの学生の趣味としては珍しいと思ったので機会があれば聞いてみたいと思っていたのだ。

 

「うんっ、人形とか作ったりするの。私が使ってる筆箱も自分で作ったんだよ」

 

 そう言ってカバンから筆箱を取り出して見せてくれる。

 え、すご、ガチじゃん。

 3人でその完成度の高さを褒めちぎり、照れた井の頭さんの耳が赤くなる。

 

「いいなぁ。私趣味とかないので……」

 

「実は私もなんだよねっ。何かいい趣味に巡り合えたらいいんだけど」

 

 なんでも王さんは日本語を覚えるので精いっぱいで趣味どころじゃなかったとのこと。新しい言葉を覚えるのって大変だよね。私も慣れるまでは時間がかかった。

 そうやって雑談しているうちに、ほどなくしてオムライスが4つテーブルに並べられる。

 なるほど、確かにこれはおいしそうだ。見事なまでに綺麗に盛り付けられたトロトロのオムライスの上に、いい匂いのするデミグラスソースがたっぷりとかけられている。上にトッピングされた細かく刻んだパセリも見た目によいアクセントになっていて、否応なしに期待が高まる。

 

「おいしそ~! これは写真撮らなきゃだねっ」

 

「今ドキ女子だね櫛田さん」

 

 櫛田さんは早速パシャパシャ写真を撮っている。

 

「こういうのはちゃんと記録に残さなきゃだからね。あ、そうだ。皆で写真撮ろうよ」

 

「えええ~!?」

 

 猛烈に恥ずかしがる王さんだけど、何気嬉しいのかあっさりと承諾した。

 

「うん、撮れてる撮れてる」

 

「黒華さんってマスクだけど、外さなくてよかったの?」

 

「うん、あんまり顔を見せたくないんだよね。だから食べるときも視線は外していただけると」

 

 3人ともずけずけと見えてる地雷に踏み込んでくる人じゃないのはここまでの会話で把握している。マスクを外し、極端までに下を向いて、なおかつ手で顔を隠しながらオムライスを口に運ぶという行儀の悪い私を咎めることもなく、また気を遣って食事中に話しかけるようなこともしてこなかった。その配慮が私にはとてもありがたい。

 口にしたオムライスはトロトロのオムレツ、濃厚なデミグラスソース、そしてふっくら粒の立ったご飯にパンチェッタや刻んだ玉ねぎが調和した見事なものだった。正直これは通ってもいいと思えるほどにおいしい。

 4人とも、夢中になってオムライスを平らげる。

 

「いや~初めてあんな美味しいオムライス食べたかもっ」

 

 店を出ると、満足げな様子で櫛田さんが呟いた。

 この学校での初めての食事のレベルが相当に高かったので、私も今後の学校生活を思うと期待で胸が躍る。

 

「この後はお買い物だったよね」

 

「うん、えっと……」

 

 櫛田さんがパンフレットを広げる。どこを回るか、色々書き込んだのだ。

 

「まずホームセンターでしょ? 次にコンビニ行って、ケヤキモール行って、最後にスーパーだね」

 

 櫛田さんの持つパンフレットには『新入生必須! 今すぐ買うべきアイテム一覧』なるものがあり、その中には炊飯器の写真もあった。やっぱりオーブンより炊飯器を用意するべきだと思うんだけど、学校は炊飯器を生徒に買わせることに並々ならぬ思いがあるのかな? 

 4人でホームセンターの中をうろちょろしながら、アレを買うコレを買うと、必要なものを買い揃えていく。私も家電製品売り場でしっかりと炊飯器を確保した。一人暮らしの人向けのIH炊飯器でお値段1万2千ポイント。

 た、高い……、初日にこの出費は痛すぎる、が、背に腹はかえられぬ。お米は絶対必要だ。

 ああいった重い製品は寮の部屋の前まで運搬してくれるらしく、明日の夕方には届くとのこと。残念なことに、今日はもうお米が食べられないことが確定した。適当にパスタでも作るか……。

 櫛田さんたちもドライヤーだとか延長コードとか、とにかく金にものを言わせて買いまくった。

 

「一気にお金使うのって気持ちいいね」

 

「黒華さん!? その考え方は絶対危険だと思う!」

 

 コンビニに向かう途中で呟くと、3人から猛烈なお説教を食らった。大丈夫、散財するのはいろいろ入用な今日だけだよ。

 

「私こんなに大きいコンビニ初めて見た」

 

 ど田舎の私の地元は、一応コンビニなるものは存在したものの、売ってる商品のバリエーションがしょぼく、雑誌なんかは月に一度更新されればいい方という有様だった。

 それに比べてここのコンビニは品ぞろえ豊富で、見たことのないジュースやカップ麺なんかがたくさん並んでいた。

 

「話してて思ったけれど、黒華ちゃんの地元って結構田舎?」

 

 首をかしげる井の頭さんはだいぶ普通に話せるようになってきた。なんでも緊張するのは人前と、初めて会う人と話すときぐらいで、それ以外は全然ハキハキとしゃべる女の子だ。こうして私もちゃん付けで呼んでくれるようになったしね。

 

「そうなんだよね~ほら見て、こんなカップ麺初めて見た」

 

 適当に手に取ったカップ麵を見せつけると、井の頭さんの視線がちょっと下に降りた。

 

「Gカップ……」

 

「はい?」

 

「ううん何でもないの! 気にしないで」

 

 私の手元からカップ麺が奪い去られる。呆気にとられるほど迅速な手口だった。私は知らないけれど、そんなに美味しいやつなのかな? 興味はあるけど、カップ麺は健康にあまりよくないので、私は買うつもりはない。

 化粧品やシャンプーといった日用品を小さな買い物かごに放り込んでいく。高いも安いも揃っている中、私の手は勝手に安いものを選んでいく。まぁこれはもう癖というか、身に着いた習慣というやつだ。そうしてコンビニ内を探索していると、立ち止まって商品を見つめる櫛田さんと王さんが目に入った。2人とも何か手に取って吟味している様子。

 

「あれ? どうしたの2人とも」

 

「あ、黒華さん。見てこれ」

 

 そう言って櫛田さんは手に持つハンドクリームではなく、見ていた商品コーナーそのものを指さす。

 

「無料……?」

 

 歯ブラシや絆創膏などが雑多に詰められていたワゴンには『無料』の文字。付け加えてプライスカードの代わりに、『1か月3点まで』と但し書きされたカードが添えられてあった。

 

「そうなんです。安物だけど、粗悪品ってわけでもないみたいで……」

 

「ポイントを使い切った人向けの救済措置なのかな?」

 

 櫛田さんの言う通りならいくらなんでも生徒に甘すぎる気がするけれど……。生活必需品を揃えたなら、ポイントを使う機会はそれこそ娯楽と食費しか残らない。後者も計画を立てれば月にいくらまで使えるかの算段がつくし、余程愚か者じゃなければポイントを使い切るなんて考えられないな。それに──いやまぁ確かに、もし間違いでポイントを使い切ってしまった場合、お恵みがなければ餓死するからね。あり得ない話ではない……のかな? 

 

「無料ならせっかくだし貰っていこうかな」

 

 タダより高いものはないなんて偉い人は言うけど、全然そんなことはない。1円もかからないならありがたくもらっていこうじゃないの。

 歯ブラシはホームセンターで電動のやつを買ったので、歯磨き粉1つとスポンジ2つをかごに入れた。

 

「みんなでバラバラに買って、使い心地でも報告しあう?」

 

「あ、いいねそれ賛成」

 

 櫛田さんの提案を受けてスポンジを1つ差し戻し、代わりにリップクリームを買うことにした。

 レジにはそれなりの列ができてたけれど、すぐに私の番まで回ってくる。会計は機械に学生証をかざすだけ。処理も一瞬で、せいぜいレジ袋に商品を詰め込む時間がかかるくらいだ。現金以外で会計するなんて今日が初めてだったけれど、最高に便利だ。卒業したらすぐにクレジットカードを作ろう。

 

「お、重い……」

 

 王さんに限らず、私たち全員の手にぱんぱんに膨れ上がったビニール袋が吊り下げられている。どれも底が破けてないのが不思議なくらいだ。

 

「先に寮に帰ろうか。王さん、重かったら私持つよ」

 

「そ、そんな、申し訳ないです」

 

「いいからいいから」

 

 王さんのちっちゃい手にビニール袋が食い込む絵面は見ていてなかなか痛々しい。ずっと力を込めてるせいで真っ赤になってるしね。半ば奪うように王さんのビニール袋を片方人差し指に引っ掛ける。

 

「黒華さん……力持ちだね」

 

「え? ああ、一応鍛えてるから」

 

 櫛田さんはちょっと驚いた様子で、井の頭さんは信じられないものを見たような顔をしている。伸び切ったビニール袋を指一本で保持する私は、傍から見たら怪力女に見えるだろうか。

 

「ありがとうございます!」

 

「いいって。2人のも持とうか?」

 

 冗談のつもりだったけれど、井の頭さんはおねがいと言ってなんと見るからに重そうな方を手渡してくる。え、遠慮しないなこの子、さすがに4つはちょっと重いかもしれない。コンビニから寮までの道のりを談笑しながらとぼとぼ歩き、エレベーター内で2人に荷物を渡す。井の頭さんは感激した様子で拍手を送ってくれた。

 この後はケヤキモールに行く予定だったけれど、ちょっと疲れたのでまた今度にしようということで、櫛田さんの部屋にお邪魔して駄弁ることになった。各人買ったものを部屋に置き、櫛田さんの部屋に再集合する。

 さすがにまだ私物を荷解きしたばかりなので、櫛田さんの部屋は私のそれと大差はなかった。目立つのはベッドに置かれた大きなクマのぬいぐるみくらい。殴り甲斐がありそうな重量感だ、という感想は野蛮人過ぎるかな? 

 床に直座りだと、お尻が痛くなるということで、ベッドに腰かけるよう櫛田さんに促される。細かな気遣いはさすがといったところ。4人で並んでおしゃべりしていると、あっという間に時間が過ぎていく。入学式とは大違いだ。

 

 ◇

 

「あ、黒華さん、そろそろ時間じゃないですか?」

 

 おしゃべりの最中、みーちゃんがはっと気づいたように教えてくれる。ちなみに『みーちゃん』というのは王さんのあだ名だ。なんでも親しくなった人にはそう呼んでほしいとのこと。腕時計を確認してみると午後5時半を回っていて、確かにそろそろスーパーに寄りたい時間帯。

 

「じゃあそろそろ行くね。3人はどうする? ついてくる?」

 

 私以外はスーパーに何の用事もないので特についてくる理由はない、ので、一応聞いてみる。

 

「もちろん行きます! 荷物持ってもらいましたしっ」

 

 櫛田さんと井の頭さんも頷く。みーちゃんはともかく、井の頭さんには荷物を持ってもらおう。

 すっかり身軽になり、体力も回復した私たちはてくてくとスーパーを目指して歩く。この時間帯になると行き交う生徒の数も減ってきていて、生活のための買い出しをしに来たのか、1人で娯楽エリアを歩き回る生徒の姿が目立つようになってきた。

 たどり着いたスーパーはなかなかの大きさで、入ってすぐの野菜や果物コーナーにも数多くの食材が取り揃えてある。みーちゃんは桃に興味津々な様子で、気づけば1つ手に持っていた、好物なのかもしれない。

 

「Tボーンステーキとか売ってあるんだけど」

 

 お目当ての食材や調味料を次々と買い物かごに放り込んでいくなか、精肉コーナーで見つけた厚さ2センチはあろうかという分厚いそのステーキ肉は、お値段なんと3200ポイント。これならステーキハウスで1万円くらいのものを食べに行くほうが全然マシだ。調べたけどそういう高級店もちゃんと用意されているらしい。卒業までに絶対に1回は行くと決意したのは、櫛田さんの部屋でどんな施設があるのか調べていたときのことだ。驚きの品ぞろえは野菜に肉だけでなく、魚コーナーにも鯛の尾頭付きが売ってあった。いったい誰が買うの……? 

 

「あれ?」

 

 ついでにということで、櫛田さんが買うお菓子やジュースも買い物かごに放り込み、いよいよ会計というところで、私は妙な場所を見つけた。

 

「あれ、ここにも無料品コーナーあるんだね」

 

 櫛田さんも気がついたらしく、顔を見合わせた私たちはとりあえず向かってみることにした。コンビニで見かけたものと同じく、デカデカと『無料』と掲げられたそのコーナーには例によって『1日当たり8点まで』というプレートが張り付けられていた。ここはどうやら日替わりらしい。

 

「レタスにトマト、合挽のミンチ……こっちは缶詰か」

 

 売られている野菜は萎びているわけではないけれど、決して瑞々しいわけでもなく、ミンチはどう見ても量が少なかった。缶詰については外見上特に変なところはないし、賞味期限ぎりぎりというわけでも内容量が少ないわけでもない。もしかしたら缶詰には問題がないのかもしれないな。他にもティーパックや海苔、サーモンの切り身に醤油に砂糖など、ここにある食材には共通点らしき共通点もない。せいぜいどれも多少小さかったりするくらいで十分使えそうなものばかりだ。

 

「コンビニにもあったよね。やっぱりポイントを使いすぎちゃった人向けなのかな?」

 

 少し眉をひそめた櫛田さんが不安そうに尋ねてくる。いろいろと華やかなこの学校においてこの無料品コーナーは異質な雰囲気を放っているから、少し怯む気持ちはわかる。

 さらに言えば、この無料品コーナーの食材はそれなりに数が減っていた。ポイントが振り込まれたはずの1日なのに、だ。まぁケチな人が持っていく可能性は十分にあるわけだけども。

 私が思い出したのは、今日の昼娯楽エリアで見かけた上級生らしき生徒たちの楽しそうな姿。もしこういった無料品コーナーに頼らざるを得ないほどもらえるポイントが減るのなら、あんなに楽しそうな表情ばかりなのは少し違和感がある。

 言い知れない不安が募ってきたけれど、今その話をしても仕方がない。無料品コーナーの食材の質がどんなものかも知りたくなったので、今日の晩御飯は無料品コーナーの食材中心で作るとしよう。

 サーモンの切り身とレタスを手に取り、少し考えてから海苔。あとはなんでもいいので醤油に砂糖、塩、あと食パンと缶詰を買っておくことにした、中身はツナだ。

 毎日これだけ買い揃えられるなら、毎日1食分以上の食費を浮かせられるだろうな。素晴らしい試みだと思うのでぜひ全国のスーパーで実施してほしい。

 

「なんか手慣れてるね黒華さん」

 

「趣味って言ったけれど、半分仕事みたいなもんだったからね。毎日家族のご飯を作ってたわけだし、スーパーの買い出しも私がやってたの」

 

 小学校4年生から始めた料理は最初はなかなか大変だったけれど、今はいちいちレシピを見なくても作れるし、みじん切りだってお手の物だ。

 さすがに重くなってきた買い物かごを櫛田さんと2人で持ちながらレジに並ぶ。井の頭さんは何も買わないらしいけれど、みーちゃんは手に桃を2つ持っていた。いつの間にか増えてる。

 この学校のことだからセルフレジかと思ったけれど、店員のおばちゃんたちが商品1つ1つをバーコードリーダーに通していく古き良きスタイルだった。一方で決済は学生証をかざすだけ。なんというか落差がすごい。

 食材を小分けにしてビニール袋に詰めるて、遠慮なく3人に押し付けて寮に戻る。こういうのはギブアンドテイクだ。並んで歩く私たちの間を吹き抜ける風はまだ少し冷たく、スカートがスースーする。4月もまだ始まったばかりだ。

 

「誘ってくれてありがとうね3人とも。今日は楽しかった」

 

 別れの挨拶もそこそこに、エレベーター内で解散となる。部屋に帰って時間を確認すると、もう6時を過ぎて久しかった。

 

「あ~疲れたぁ」

 

 マスクを洗濯機の上に放り投げ、制服のままベッドに飛び込む。携帯を取り出してポイントを確認してみると、『72241』という数字。今日1日で3万弱のポイントを使ったことになる。必要なもの全てを買い揃えたとはいえ、結構な出費だ。

 炊飯器を買ったのは失敗だったかも……、いや、それはないな。あれは用意していない学校が悪い。

 できるだけ無料の商品や安めの商品を選んで買っていったのは正解だった。一応無駄なモノは一切買っていないので、極端な話残りのポイントは全て遊びに回すこともできる。え? 電動歯ブラシはどう考えても無駄だロッテ? あれはどうしても使ってみたかったので必要な出費だ。まぁちょっと後悔してるけど。とにもかくにも、例のパンフレットを作ってくれた新聞部に感謝だ。

 

「そういえば無料品コーナーのことはなんにも載ってなかったな」

 

 気になった私はエントランスまで降りて自室のポストを確認する。櫛田さんが言ってた通り、見覚えのある派手な一面が見えた。部屋のベッドに飛び込んでから、隅から隅まで見落とさないように見てみるけれど、やっぱり無料品コーナーについては一切記述されていなかった。

 

「不気味だなぁ」

 

 新入生を応援するためのパンフレットなら、無料品をうまく使うコツくらい載せてくれてもいいはずだ。パンフレットの出来栄えは見事なものだったので、私が気づくことに新聞部の先輩たちが気づかないとは思えない。

 

「救済措置……か」

 

 櫛田さんはそんな風に考えていたけれど、1か月でそんなにポイントを浪費するような人間が果たして日本社会を背負えるような人間に成長できるだろうか? 

 来月からポイントが減ると言われた方がまだ現実的だ。思い返してみれば、そもそも茶柱先生は毎月初めにポイントが振り込まれると言っただけで、『毎月10万ポイント振り込まれる』と言ったわけじゃない。10万ポイントはこの学校に入学できたことへの報酬、ならば、来月からは何を報酬にポイントが支払われるんだろうか。

 これは明日先生に聞いてみるべきかもしれない。

 詳しいことは何もわからないけれど、考えれば考えるほど不信感が募る。言い知れぬ不安を感じたけれど、疲労感に重くなっていく瞼を、そのまま閉じることにした。

 

 ◇

 

 ああ、疲れた状態でする料理ほど面倒くさいことってあるんだろうか。

 

 ベッドから起き上がった私はキッチンに立った。

 今日作るのは『サーモンとレタスのクリームパスタ』だ。クリームパスタはソースから作ると主に生クリームのせいで材料費が馬鹿にならないので、こんな手の込んだものを作るのは入学初日の今日と、あとは気が向いた日だけになるだろうな。

 

 冷蔵庫から取り出しますは、無料だったサーモンの切り身とレタス。あとは生クリームにバターだ。玉ねぎも入れたかったけれど今日は我慢することにした。あとは塩コショウがあれば足りる。まず最初にまな板と包丁を用意して、パックから取り出したサーモンの皮を取る。包丁が安物なのでそんなにきれいにとれるわけじゃないけど気にしない。

 

「意外と臭みはないな」

 

 無料だったので少し怖かったけど大丈夫そうだ。いやまぁ大丈夫じゃないのがスーパーにおいてあったら大問題だけどね? 皮を剥いだらぶつ切りにし、水気を拭き取ってから塩を振ってサーモンの下準備は終わり。次はレタスだけど、水で洗ってから一口かじってみることにした。

 

「んー」

 

 微妙。

 味はそんなに悪いわけじゃないけれど、レタスに一番大事なシャキッと感が若干失われている。できればレタスは最後に軽く和えてシャキシャキした状態で使いたかったけれど、これならパスタと一緒に茹でてクタッとさせた方が美味しくなるかも。1食で全部使い切れるわけもないので、今日使う分以外はポリ袋に入れて冷蔵庫の野菜室に戻す。材料の準備が終わったのでパスタを茹でる。ちなみに使うのはペンネだ。普段このパスタを作る時はスパゲッティーを使うけれど、まぁちょっとした気まぐれみたいなもの。鍋に水を入れ火にかける。IHは初めて使うけれど、ぱっと見で火力がわからないのはちょっと不便かも。お肉を焼くときなんかは慣れてないと困るかもしれない。塩を入れて沸騰したら、ザルに入れたペンネとレタスを投入。疲れているからアルデンテではなく柔らか目に仕上げよう。茹で時間は表示通りにするべくタイマーをセットする。あとはソースを作って和えるだけ。フライパンにバターを投入し、溶けてきたら切り分けたサーモンを投入する。レタスに食感を期待できないので、サーモンは崩さないようにし、火が通ってきたら茹でたレタスと生クリームを入れ、味見をしながら塩コショウをし、弱火にして馴染ませる。

 

「あっ」

 

 ミスった。本来このパスタには玉ねぎを入れるけど、今回は入れておらず、その玉ねぎを炒める時間分ソースが早くできてしまったのでペンネがまだ茹で上がっていない。サーモンに火が入りすぎると固くなるので火を止めることにした。まぁ使い慣れていないIHもあるし、仕方ない仕方ない。

 ペンネが茹で上がったので軽く水を切り、フライパンに投入。手早くソースと和えて、お皿に盛り付け、最後に海苔を細かく刻んでトッピングする。

 これで完成だ。

 ペットボトルで買ったお茶をコップに注いでテーブルに並べ、準備完了、あとは食べるだけ。

 

「いただきます」

 

 うん、我ながら悪くない出来映え、クリーム系のソースにはやっぱり太めのパスタがよく合うな。それにレタスを茹でたのも正解だった。しんなりしてるけど疲れてる今はコッチのほうがいい。ただ1つ注文を付けるなら、やっぱり玉ねぎを使うべきだったかも。とはいえ無料の食品を3つ使ってこれなら十分すぎる。かなりリーズナブルに作れたし、これならポイントを節約できるはず。

 ほどなくして食べ終わり、使った食器やフライパンなんかを洗う。食洗器が欲しいけれど、一番安いもので3万近くした。まぁこれは本当にポイントに余裕ができたときに買うか考えよう。片付けが終わったので、今度こそ本当にやることがなくなった。

 適当に寮のマニュアルでも読んでおこうかな。

 マニュアルには特別注意することは書かれておらず、せいぜいゴミ出しの日と時間に気を付けていれば大丈夫そうに見える。適当に読み進めていくと、少し驚くべきことが書かれていた。

 

「電気代も水道代もかからない……」

 

 そういえば当たり前のこと過ぎて存在を忘れていた。しかしまさか無料とは……、使いたい放題というわけでは決してないと思うけれど、それでもサービスが過ぎる気がする。あとはもう服屋を確認して無料品コーナーがあれば、衣食住は全てポイントをかけずに確保することが可能なレベルだ。生活保護も真っ青の超待遇。

 

「エッチも禁止か……」

 

 破れば最悪退学とのこと。いやまぁそれはそうか。私たちは高校生なんだから不純異性交遊が認められているわけがない。ただこの寮は防音性も高いらしいし、まさか監視されているわけじゃないだろうから、バレずにやろうと思えば可能に思える。まぁ今の私にはそんな相手いないのが現実だけど。

 

「…………」

 

 あとは特に気にすることもないな。

 結局マニュアルは一瞬で読み終わり、机の中にしまってからお風呂を沸かしてベッドに飛び込む。

 長い1日だった。振り返ってみると、バスでのひと悶着と、櫛田さんにお礼を言われ、堀北さんと綾小路君と出会い、自己紹介をし、入学式を乗り切り、櫛田さんたちと遊んだ後、ご飯作って今に至る。

 今日は櫛田さんたちとずっと一緒にいたし、明日は堀北さんを誘ってみようかな……でもやっぱり断られそうな気もする。無理やり付きまとってもいいけどたぶんあの子はマジギレするだろうな……。もしくは綾小路君に声をかけて男子に手を出すか。言い方が悪かった、男子と仲良くなれるように頑張るのもいいかもしれない。

 とにもかくにも、ゆっくりでいいからクラスのみんなと仲良くなって、黒華梨愛という存在を受け入れてもらわないといけない。

 そのためにも、しばらくはいろいろ頑張らなきゃいけないだろうな。

 



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4話

 入学2日目。

 いよいよ学校生活が本格的にスタートした。今日はまだ授業初日なので、ほとんどの授業はシラバスの配布とか、使う教科書や問題集の紹介とか成績評価の方法とかの説明──つまりオリエンテーションで終わった。一部の科目はその後少しだけ授業が進んだけれど、中学の内容を少し振り返っただけで、高校受験を頑張った生徒にとってはお遊びみたいなものだった。先生たちのフレンドリーさも相まって、国主導の高校としては正直拍子抜けする授業だったけれど、自己紹介した先生の中にはかつて大学教授をやっていたりした人がいたのは驚いた。論文や教科書の著者名で聞き覚えのある先生が何人かいたからね。このあたりはさすがといったところ。

 いろいろ驚くことがあった授業だけれど、私が驚いたのは先生や授業そのものに対してではなく、生徒に対してであった。

 昨日、自己紹介を蹴った赤髪の男子生徒(櫛田さんから須藤君と教えてもらった。いつ知ったの?)、なんと1限目の初っ端から爆睡をかますという威風堂々っぷりだった。いざその様子を見つけた先生は何も言わなかったからよかったものの、授業料が税金で賄われているはずのこの学校では、教科書で頭を思い切りシバかれて説教されても文句は言えない。私が税金を払う頃には是非シバき倒すようにしていただきたい。

 そんな須藤君に釣られるように、他のクラスメイト達もだんだんまともに授業を受けなくなっていった。昼休み前の3限目には、真面目に授業を聞いているのは私や堀北さんを含めてごく少数の生徒だけ。入学前はがり勉君ばっかりと予想していたけれど、結果はまるで逆。フランクを通り越したアホが圧倒的に多いことに少し困惑した。こんな生徒ばかり入れていったい何がしたいのか、学校の真意を測りかねる。

 まぁ高校は義務教育じゃないから生徒の自主性に委ねているのかもしれないな、というのは私の一瞬考えた楽観的な考え方で、高い金をかけてるこの学校が生徒にあんな態度を許すわけがない。近々キツイ制裁が待ち受けてるはずだ。

 結局授業態度は改められることなく昼休みを迎えた。クラスメイト達の多くはいつの間に作ったのか、仲良くなった友達と一緒に食堂やコンビニに昼食に向かう。かくいう私も昨日は櫛田さん、井の頭さん、そしてみーちゃんの3人と買い物に行き、今日もご飯を食べようとお誘いを受けていた。

 まぁ今回は断ることにしたわけだけど。別に彼女たちのことが急に嫌いになったとかじゃなく、ただ単にやりたいことができただけ、昼休みに入ってすぐじゃないといない可能性があるので、断らざるを得なかったのだ。 みーちゃんの悲しそうな顔にさすがの私も涙を呑んだ。

 さて、茶番はここまでにしてさっそく行こう。向かう先は職員室。ポイントのことを先生に質問しに行くのだ。

 

 ◇

 

 丁寧に3回ノックすると、すぐにどうぞ、と入室の許可が出る。扉を開いて見た景色は中学校の職員室とそう変わりない。せいぜい教師の数が増えているぐらいかな。目論見通り、ほとんどの人が昼食を取っているように見えた。

 

「1年Dクラスの黒華です! 担任の茶柱先生はいらっしゃいますでしょうか?」

 

 私の言葉を聞いていた若い女性の先生が職員室をキョロキョロ見回したかと思えば、ちょっと渋い顔をして腕でバッテン印を作る。茶柱先生はいないらしい。

 どうしたものか少し考えていると、その先生がこちらに手招きしてきた。

 

「ごめんね~サエちゃん今職員会議中で、戻ってくるのは30分は後になると思う」

 

 そう教えてくれるのはウェーブのかかったセミロングをした若い女性の先生。

 昼休みに入ってすぐ職員会議って、お昼ご飯の時間すらもらえないのはさすがにちょっと職員に厳しくないかなそれは。国主導の高校の職場環境が実はブラックでしたなんて嫌なんだけど。

 

「黒華さんだったわよね? サエちゃんには何の用事なの~?」

 

 私の困惑を緊張と勘違いしたのか、下から目線でフレンドリーに聞いてくる。初対面にしては距離感が近いな、櫛田さんが教師になったらこんな感じになるのかもしれない。

 

「ちょっと質問したいことがありまして」

 

「ふぅん? 私でよかったら聞くけど、どうする?」

 

 願ってもない提案だったけれど、まぁ別に茶柱先生じゃなくてもいいか。質問に答えてくれるなら正味誰でもいい。

 

「ではお言葉に甘えて──ポイントって来月も10万もらえるんですか?」

 

 言った途端、周囲の空気が若干凍った。原因はどうやら私らしく、横目で見てみると、周りの先生が一瞬顔を上げて私のことを見てきたのがわかった。そのうちの1人、堅物そうな印象の男性と目が合い、そしてすぐに逸らされる。視線を戻して女性の先生を見てみると、なにやら考え込んでいる様子。あちゃーそう来たか、そう小さく呟いた声が私の耳に届いた。

 地雷を踏んだのとはまた違う、獅子の尾を踏んでしまったかのような気分。ウォルデ〇ートの名前を呼んでしまったハリー〇ッターはこんな気分だったのかもしれないな。

 

「う~ん、真嶋くんこれどうしたらいいと思う?」

 

 私の質問には答えず、先ほど私と目が合った男性の方に助けを求める。

 

「口を出すのも出さないのもフェアではない気がするが……。とはいえ黒華を放置するわけにもいかないからな。答えるしかないだろう」

 

「うわ~やっぱりそうよねぇ。ねえ、真嶋くんも一緒にいてよ」

 

 一体何の話をしているのかさっぱりだったけれど、口を挟んでも時間の無駄のように思えるので、黙って聞いておくことにした。

 

「そうだな──。黒華、俺は1年Aクラス担任の真嶋だ。こちらはBクラス担任の星之宮。君の質問に答えるが、場所はここでいいか?」

 

「え、変えた方がいいとかあるんですか? ご飯でも食べてもらいながら聞こうと思ってたんですが」

 

 まるで私がこの質問をしたことは隠したほうがいいと示唆しているような言い方だった。

 

「それを判断するのは君だ。俺たちのことは気にしなくていい。どうする?」

 

 あくまでも生徒の自主判断に委ねるとのこと。ならばここはおとなしく『善意』を受け取っておこう。

 

「では移動します。おすすめの場所とかあります?」

 

「こういう時は生徒指導室じゃない?」

 

 星之宮先生の提案に真嶋が無言で頷くと、なにやら近くの先生に声をかける。どうやら決まりらしい。携帯をいじりながら、先導する2人に続いて職員室を出ると、すぐ近くにある生徒指導室に入る。私が入室するなり、真嶋先生は後ろ手にカギをかけてしまった。なんというか、すごい厳重だな、私は質問しに来ただけなのに。

 

「はいどうぞ、粗茶だけど」

 

 そして星之宮先生は座った私に素早くお茶を出してくる。なにこれ、今から尋問でも始まるの? 

 ローテーブルを挟んだ向こうのソファに2人が座ると、真嶋先生が先に口を開いた。

 

「それで黒華、質問をもう一度聞かせてくれるか?」

 

「ええ、私たち生徒に支給されるポイントですが、来月も10万ポイントもらえるんでしょうか」

 

 職員室で言ったのと同じような口上を述べる。さすがに先ほどのような反応はなかったけれど、やっぱり2人はあまりこの状況を歓迎していないように見えた。

 

「……どうしてそう思った?」

 

「それは、重要なことなんでしょうか?」

 

「生徒一人一人を適切に指導していくために、我々教師は生徒の思考プロセスについても記録するようにしている。俺から茶柱先生に後で報告しなければいけないからな」

 

 いやそれじゃあ生徒の質問全てに対して、なんで質問してきたのか理由を聞いてるってこと? 

 あまり納得のいく説明じゃなかったけれど、変に渋っても長引くだけと判断し、素直に答えることにする。

 

「まず初めに疑問に思ったのは、私たち全員に毎月10万円も支給する予算がこの学校に充てられているのかという点です。全校生徒が480人だと仮定すると、年間約6億円が生徒に支給されるポイントで消えます。それに、ただの高校一年生に毎月10万円も支給するなんて現実的な話ではありません」

 

 返事はすぐに来た。

 

「なるほど、君の疑問はもっともだ。しかし君たちに10万ポイントが支給されるのは、この学校に入学することができたことそのものに対する評価の現れであり、学校からの報酬でもある。いきなり10万ポイントという大金を配られて、不審がるのも無理はないが、学校から後で返済を要求するようなこともないと約束する。心配する必要性はない」

 

 ──? なんだその意味の分からない回答は。全く質問に対する答えになっていない。

 

「いやあの、私は心配しているとかそういう話ではなく、来月も10万ポイントもらえるか聞いてるんですが」

 

「茶柱先生は説明しなかったか? ポイントは毎月初めに振り込まれると」

 

「それは聞きました。ですが、『毎月初めに10万ポイント振り込まれる』とは一言も聞いていません。それに、真嶋先生が先ほどおっしゃったように、私たちに10万ポイントが支給されたのは入学できたことへの報酬と聞きました。であれば、来月はいったいなにに対して報酬が支払われるんでしょうか」

 

 誤魔化し続ける真嶋先生に若干苛立ちながら、それを隠して追加の質問をしてみる。

 

「……君の質問には『答えられない』と回答しておこう」

 

「どちらの質問に対する回答ですか?」

 

「両方だ」

 

 来月も10万ポイントもらえるかどうか、そして何を基準にポイントの支給額が決まるのかは答えられないとのこと。

 

「では、生徒の評価方法を教えてください」

 

「それについても答えられないな」

 

 つまり単にテストの点数や内申点で決められるわけではないということだ。茶柱先生が『生徒を実力で図る』と言っていたけど、これについても明かすことはないってことか。

 

「どうしてです? 自分の成績を上げたいと考えている生徒のためにも応える義務があると思うんですが」

 

「君が社会に出て、例えば企業に入ったとき、人事がどう社員を評価するかは企業によるし、必ずしも教えられるとは限らない。自分が会社にどう貢献するかは自分で考えなければいけない」

 

「……生徒の質問にどうして答えられないのでしょうか?」

 

「黒華、君が将来大人になって社会に出たとき、聞けば必ず答えが返ってくるわけではないからだ。さらに言えば答えのない問題というのもこの世には存在する」

 

 のらりくらりと私の追及を躱していく。言いたいことはわかるけど、子供の疑問や相談に何らかの答えを出し、導いていくのが教師の仕事のはずだ。

 

「それらは大人の社会での話であって、子供の社会では別なのでは?」

 

「つまり、この学校では大人の社会を当てはめて考える必要があるということだ」

 

 高円寺君でも連れてくればよかったかな。いや、ここまで頑固に回答を拒否するとなると、どれだけ正論で叩き潰そうとも首を縦に振らないだろうな。無駄かもしれないけれど、少し切り口を変えることにした。

 

「はぁー……。わかりました、では今後の話ですが、さすがに授業についての質問ならお答えしていただけると思っていいんですよね?」

 

「それなら答えよう」

 

 言質はとった。

 

「では授業中に居眠りしようと、私語しようと先生方が注意しない理由を教えてください」

 

 私のため息と、『今後の話』という前置きに、今回の質問は終わりと勝手に勘違いしたんだろう。真嶋先生の反応が明らかに遅れる。私が何を質問しようとしているのか察したのだ。

 

「……中学校で義務教育は終わりだ。高校からは生徒がどのように授業を受けようとも、彼らの自主性に一任することになっている」

 

「他の高校ならわかりますが、この学校の授業費は税金で賄われていますよね? 国民の血税で運営されているこの学校の授業をサボるなんて、この国が許すんですか?」

 

「……それについてはノーコメントとしておこう」

 

 その手口はもう許さない。私はポケットにしまった携帯を2人に見せる。画面を見れば録音状態なのはすぐに理解できるはずだ。いよいよ2人が息を呑んだのがわかった。

 

「授業に関する質問なら答えていただけるのでは?」

 

 つい先ほど私に保証してくれたことだ。『なぜ授業中私語を注意しないのか』は、十分に『授業に関する』話題になる。拡大解釈できるように私が残した言質に真嶋先生は気づかなかった。ここで回答を拒否すると、真嶋先生は生徒に対して嘘をついたことになる。この学校が意地悪なことはもうわかったけれど、これだけは超えられないはずだ。教師が生徒に嘘をついたとなれば、生徒は一体何を信じたらいいのかわからなくなる。最後の寄る辺を失うことになる。それだけは学校も譲らないはず。

 

「お答えください。教師が生徒に噓をつくんですか?」

 

「お前の質問は授業に関することでは──」

 

「『授業内容に関すること』ではありませんが、『授業に関すること』なのは間違いないのでは? いい加減答えていただきたいものです」

 

 これが最後だと突き付ける。ここでも回答を拒否するなら、私は真嶋先生が悪意を持って私に嘘をついたと申告するつもりだ。入学早々そんなことをする生徒は即問題児としてマークされるだろうけど、真嶋先生だって入学早々生徒にやり込められたなどという評価は受けたくないだろう。それに私には手荒だけど対処法もある。

 長い沈黙の後、真嶋先生はようやくその重い口を開いた。

 

「………………お前の質問に答えるなら、国が許すことはないだろうな」

 

「ちょっ、真嶋くん!?」

 

「許さないとしたら、当然国はなんらかの制裁を加えますよね? どんな内容かと思われますか?」

 

「その質問は明らかに『授業とは関係ない』な。答えないぞ」

 

 チッ、追い詰めたと思ったら逃げられた。長考してたのは追い詰められたからじゃなくて、どうやって切り抜けるか考えていたからか。私が知りたいことを予想して、質問内容を限定してきたんだ。昔ならこんなミスしなかった、やっぱりちょっと鈍ったな。これは後で反省しておくとして、それはそれで知りたいことは知れた。

 

『来月も10万ポイントもらえる確率は低いこと』

『ポイントの支給額には何らかの基準がある可能性が高いこと』

『授業態度を改めなければ何らかの罰が与えられる可能性が高いこと』

 

 どれも『可能性』を持ち出しているのは、完全な言質はとれなかったからだ。仮にクラスのみんなにこの録音を聞かせるとして、どれだけバカが多かろうと、100人中90人は私と同じ結論を出すだろう。どうしようもないアホ10人は無理やり納得させるしかない。

 あと調査するべきは『ポイントの支給額を決める基準は何か』だ。これがわかれば現時点での疑念は全て晴れる。これについても先生は答えてくれないだろうから、学校を散策してヒントを探すか、先輩に聞いてみるとかその辺から始めないといけないか。

 こういう地道な調査は平田君や櫛田さんのような生徒の協力を得るのが1番楽だけど……まぁ、その場合分散して薄くなるので、やっぱり私1人でやらないといけないな。もうここでやれることもないし、解散にしてもらおう。出してくれたお茶を一気飲みする。

 

「質問は以上です。お時間いただきありがとうございました」

 

「ああ、気をつけて帰れ」

 

 たかだか教室までの道のりを心配されながら生徒指導室を出る。この後はどうしようか──。

 そう考えていると、ぐぅ~とお腹が鳴った。

 

 とりあえずご飯を食べよう。

 

 ◇

 

「ねえ、おかしくなぁい?」

 

 黒華が生徒指導室を出ていったと見るや否や、ソファに座る星之宮が不機嫌そうに愚痴る。主語がかけている言葉だったが、真嶋には彼女がいったい何のことを言っていているのか痛いほど理解できた。

 

「あれがDクラスとは、またとんでもない生徒が入ってきたな」

 

「絶対おかしいでしょ。まだ学校始まって2日目よ!? ポイントに気づく生徒はAクラスなら歴代で何人かいたらしいけど、今年はDクラスの生徒ってどれだけ……。しかも真嶋くんをハメて情報を引き出すことまでやってのけちゃったし。こっちは絶対に史上初でしょ」

 

 詰る星之宮にバツが悪くなった真嶋はただでさえ仏頂面な表情をさらに硬くする。とはいえ言い返す言葉はまるで思いつかなかった。あれは完全に真嶋のミスだったからだ。

 決して油断したわけでも、なめていたわけではない。たとえどのクラスに所属していようと、あの女子生徒は入学2日目という異例の速さでSシステムの謎に気づき始めた。真嶋はそんな生徒を甘く見るような人間ではない。ただ彼女の質問を乗り切ったと弛緩してしまった。諦めたのだと勝手に判断してしまったのだ。それがなければ黒華の打った一芝居にも引っかかることはなかっただろう。

 

「真嶋くん気づいてた? 最初は黒華さんのこと君って呼んでたのに、途中からお前呼びに変わってたの」

 

「俺に話をさせたのは星之宮だろ」

 

 自分で言ってて子供の僻みのように思えたが、真嶋としても愚痴を言いたいのは一緒だった。

 

「あ、そういうこと言う? 私1人じゃサエちゃんに対しても、黒華ちゃんに対してもフェアじゃないじゃん? そりゃあ助けを求めたのは私だけどぉ、こんなことになるなんて思ってなかったっていうか?」

 

 サエちゃんが聞いたら喜ぶだろうなぁ、とは、星之宮が真嶋と茶柱の両名に向けた強烈な皮肉だった。この2人はまだいがみあっているのかと思うと今更ながら呆れるが、あの2人の関係に突っ込んでも火傷するだけ。星之宮の愚痴は聞き流す。もう慣れたものだ。

 

「まぁ今回の話を報告するなら、生徒に出し抜かれた真嶋くんの査定も落ちちゃうもんね。これは借りってことで」

 

 そんなフォローならないほうがマシだ。この女に貸しを作っても酒で返ってくるだけ。とはいえこの後のことを思うと、酒を飲まずにもやってられなさそうだった。黒華が学校に報告しようとしまいと、この件は茶柱に話す都合上必ず上に上がるのだ。入学早々なにかと忙しい時期に泥をかけられる真嶋の心中も慮るものがある。

 

 ◇

 

 放課後、みーちゃんたちに部活動説明会に行かないかと誘われたけど、丁重にお断りさせていただくことにした。私としても参加したかったけど、それよりも先にポイントの件について調査しないといけない。

 チャイムが鳴り次第荷物をまとめ、別れの挨拶もそこそこに教室を出る。早速上級生の教室に向かおうとした私だったけれど、ここで思わぬ足止めを食らうことになった。

 

「なにやら面白いことを企んでいるようだねえ黒華ガール」

 

 教室を出た私に後ろから声をかけてきたのは高円寺君だ。相変わらずニヤニヤと不敵な笑みを浮かべている。

 

「企みだなんてそんな……」

 

「フッフッフ、誤魔化さなくてもいいとも。君が昼間からこそこそ動いているのは明白だからねえ」

 

 別にこそこそなんてしてないけど、私がこの学校を探っているのはなぜかバレてるらしい。私は何も言っていないのに隣に並ぶ高円寺君にわざとらしいため息をつく。そんなんで引く相手じゃないのはバスの一件でわかっているけど、一応の牽制だ。

 

「ただの野次馬ならお断りなんだけど?」

 

「案ずることはない黒華ガール。この私が協力してあげようというんだ」

 

 ホントかよ。

 

「高円寺君イヤホン持ってたよね? 貸して」

 

 試しに言ってみたけど、特に渋ることもなく素直に手渡してくる。しっかりとした作りの有線イヤホン。さすが、お金持ちはイヤホンひとつとっても高級品を使うらしい。

 妬みもそこそこに受け取ったイヤホンを自分の携帯につなぎ、昼休み録った録音ファイルを再生して高円寺君に渡す。私が何をするつもりか、少なくとも人通りの多い廊下で話すことでもない。

 

「ハハハ!」

 

 聞き終えるな否や大笑いしたのは3年校舎を目前とした場所だ。周囲の上級生が一斉に私たちを振り返る。悪目立ちするからやめてほしい、本当に。

 

「私が何をしようとしてるか理解してくれた?」

 

「もちろんだとも『マスクガール』。疑心暗鬼な君にさっそく見せてあげよう、私のトーク力をね」

 

 そう言うとその辺にいた女性の上級生に声をかけに行く。

 え、なに? ナンパ? 

 突然の行動に呆然とする私を置き去りに、高円寺君はなにやら楽しげな様子で上級生と話している。最初は怪訝そうだったその女性生徒もすぐに笑顔になっていることからも、見せてあげるなんて言ってたトーク力は確かにあるのかもしれない。いやそんなもの証明されても仕方ないけど。

 このまま置いていってもいいけど、後から何を言われるか分かったもんじゃないので、適当に携帯を触りながら高円寺君のナンパが終わるのを待つ。大体10分程度経ってから、高円寺君が目の前にやってきた。

 

「ナンパは終わった?」

 

「もちろんだとも。来週デートの約束を取り付けた」

 

 そんな自慢されてもどう反応しろと? 

 堂々と仁王立ちする高円寺君は顔をしかめる私を無視し、今度は衝撃的な内容を告げた。

 

「それから明言は避けたが、この学校はかなりの数の退学者を出すつもりのようだねえ」

 

 まるで今日食べた朝食の話でもするかのようにようにさらりと告げられ、思わず目を剥いた。

 

「な、ちょっとどういうこと!?」

 

「通常の学力テストとは一風変わった試験を生徒に課すようだ。そしてその試験に求められるのは学力だけでなく、人間を構成するあらゆる能力を多角的に必要とすると。成績不振の愚か者は容赦なくデリートされるそうだよ?」

 

 ナンパするうえの会話のいったいどこからそんな情報を抜いたのか甚だ疑問だったけれど、それより先に確認しないといけないことがたくさん出てきた。

 

「そんな話まったく聞いてないよ……」

 

「おそらく来月に明かされるのだろうねえ。10万ポイントは生徒の目を曇らせるための甘い餌さ。特別なこの学校に入学できたという優越感に拍車をかける。君も愚かなクラスメイト達を見ただろう?」

 

 授業中にもかかわらず好き勝手過ごし、休み時間にはポイントをいかに浪費するかを和気藹々と相談しあうクラスメイト達。微笑ましいといえば微笑ましいしいけれど、こうして新たな事実を知った後では、高円寺君の『愚か者』という評価は私にも撤回できそうにない。

 

「そういう意味で君の行動は一部理解できないねえ。このことをクラスメイト達に報告する気だろう?」

 

「当たり前でしょ。このままじゃ絶対に痛い目見るよ」

 

「思いあがった愚か者に、一度身の程をわきまえさせるのも優しさと思うがねえ。とはいえ協力すると約束した身だ。私の名前を出すことは許可しないが、君の視察には同行しよう」

 

 高円寺君の意見は私も全く同感だったけど、もし私がポイントの秘密に気づいたうえで黙っていたことがクラスにバレたら、私の立場は一気に後退する。そんな選択肢を取るわけがない。

 高円寺君が改めて協力を申し出たのは、私が高円寺君をあんまり信じていないのを客観的に感じ取ったからだろう。ここまで重要な情報をただのナンパで掘り出してきたのは、私の先生とのやり取りはいったい何だったのかと途方に暮れそうになったけれど、高円寺君が有能であることはもはや明らか。こうなりゃとことん付き合ってもらおうと、私は止めていた足を踏み出した。

 

 ◇

 

「うっし、これだけ情報集めれば十分だと思う」

 

 日が落ちてもう久しく、街灯が照らす夜の公園で私たちはベンチに座っていた。隣で手鏡を見ながら整髪している高円寺君を横目に見つつ、生徒手帳をペラペラ捲って集めた情報をおさらいする。

 

「高円寺君が言った通り退学者は確かに出るみたいだね。3年と2年の教室はいくつか明らかに席が欠けてた」

 

 高円寺君のナンパの後、上級生の教室に偵察に行ってみたけれど、不自然なまでに空いている空間がいくつか目に入った。気になったので上級生に聞いてみたけど、皆顔を引き攣らせたり、目に見えて落ち込んだりと、ただ事ではなかった様子から、あの空白は退学者の席があった場所なんだろうと目星をつけた。

 

「アルファベットがAに近づくほど席が多かったのは偶然かなぁ?」

 

 これも教室を見てみて思ったことだ。明らかにAとDでは退学者数に差があった。理由は2つ考えられる。

 1つはDクラスの方が試験の難易度が高いこと。もう1つはAクラスの方が優秀な人間が揃っていること。もしくはその両方ということも考えられる。塾みたいに成績によって授業ごと生徒を分けるのだ。まぁ十中八九Aクラスに優秀な人間が多いからだろうけど、その場合私が『優秀でない人間』にカウントされたのかが引っかかる。客観的に見ても私は超優秀だ。こうやってたった1日でクラスメイト達を説得する材料を集めて奔走したわけだし。だからこの辺は完全に明らかになったわけじゃない。

 

「まぁこれはいっか」

 

 クラスのみんなに『君たちは実は成績不振者としてDクラスに入れられた可能性があるんだよ!』などと言っても反感を買うだけだ。確定した情報でもないし黙っていよう。

 そう、今重要なのはポイントについての情報だ。

 

「高円寺君はどう思う? 話すべきだと思う?」

 

 私が聞いたのは『生徒の成績評価』についてだ。これについては他の上級生を私と高円寺君のそれぞれで捕まえて、コールドリーディングも交えて情報収集した。昨日櫛田さんたちと遊びに行って本当に良かったと思ったのはある程度情報を揃えた後だ、リハビリが済んでなかったら到底不可能だった。

 

「君の好きにするといい黒華ガール。凡人たちに興味はないんでねえ」

 

「左様ですか」

 

「私としてはむしろ頑なに隠す君の素顔の方が気になるねえ。直観だが君はさぞや美しい女性だろう? この私自ら君の眼鏡を選んだのだから、少しくらいサービスしてもらいたいねえ」

 

「残念だけど素顔を晒すつもりは当分ありませーん。人のテリトリーにずけずけと入らないでくださる? 眼鏡も選んでくれたのはそっちだけど無料だったじゃん」

 

 そう言って眼鏡ケースをパカパカ開け閉めする。この眼鏡はケヤキモールを視察中に購入したものだ。Ji〇Sの一角に『1か月1つまで無料』とあったのでせっかくだからとおしゃれ用に眼鏡を選んでもらったのだ。ちなみに私は目はいいので度は入っていない。伊達メガネである。

 

「まっ、美人なのは否定しないし、楽しみにしてれば? 高円寺君が見たこともないほど絶世の美女かもよ。可愛すぎて発狂するくらいの」

 

「ハハハ! それでは期待しておこう」

 

 どうせ見せてもらえるなんて思ってなかったのかあっさり引き下がる。高円寺君は間違いなく変人だけど、意外にも紳士的なところもあった。いやまぁつい今しがた紳士的でない一面が顔を覗かせてたけども。

 

「監視カメラも高円寺君がいなかったらたぶん気づかなかったし、感謝してるよ」

 

 そう言って見つめるのは公園を照らす街灯だ。陰になってわかりにくいけど、目を凝らせばそこにはPTZ型の監視カメラが設置されていることがわかる。この公園に限らず、敷地内のいたるところに監視カメラが設置されているのは高円寺君が指摘したものだ。無料品コーナーを血眼で探していた私は上を警戒していなかったので盲点だった。まぁ背の高い高円寺君はまだ気づきやすかったっていうのもあると思うけど。

 一通り確認を終えたので生徒手帳をぱたんと閉じる。時間ももう8時を回ってる、歩き疲れたし、作業も残ってるからそろそろ帰りたい。

 立ち上がると、高円寺君も手鏡をしまってついてくる。解散だと雰囲気で察したんだろう。

 

「今日は付き合ってくれてありがとね。お礼は応相談ってことで」

 

「気にする必要はナッシングさガール。私はこれで失礼するよ」

 

 そう言ってエレベーター内で別れる。男子の部屋は女子より下にあるらしい。

 

「意外といい人だったな」

 

 これは私の素直な感想だ。おばあさんに席を譲らなかったときは正直ムッとしたけど、私の視察には至って真面目に付き合ってくれた。会話も意外と普通に楽しかったし、案外仲良くしてれば退屈しないかもしれない。ちゃっかり連絡先も交換したしね。

 

「さて、やるか」

 

 自炊する時間はないので、晩御飯は適当にスーパーで買ったお惣菜だ。お米だけは散策途中に寮に寄って炊いていたので温かいのを確保してある。何が悲しくて入学2日目から冷や飯を食わなきゃいかんのだ。

 2時間くらいで作業や入浴などの諸々が終わったので、ベッドに入って携帯に目を通すと、櫛田さんたちからメールが届いていた。放課後にあった部活動説明会で、生徒会長が一言も発さずに1年全員を黙らせたことのお話と、Dクラス女子のグループチャットへのお誘いだ。

 適当に返信して電源を落とし、頭から布団を被る。

 暗いところならすぐに眠れる性分の私の意識は、すぐに泥沼に沈んだ。



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5話

 入学3日目。

 昨日女子でグループチャットができたように、男子でも同じものができたらしく、Dクラスにも友達同士でつるむ生徒が増えてきた。朝の空いた時間を1人で過ごす生徒も、友達の輪を広げたい生徒によってだんだんと開拓されていく。例外があるとすれば──。

 

「綾小路君って誰かとしゃべったりしないの?」

 

「ふっ」

 

 私は綾小路君に聞いたつもりだったけど、彼の返事を待たずして横から(綾小路君の方に身体を向けてるから、堀北さんは必然的に私の左側に位置するようになる)失笑が聞こえた。堀北さんは読んでいた小説を閉じると、面白いものを見る目を綾小路君に向けた。

 

「彼、いまだに友達ができていないのよ」

 

「そ、それはお気の毒様で……」

 

「待て、俺は昨日池たちと友達になったんだ。それに友達がいないのは堀北の方だぞ」

 

「私はいいのよ。欲しいと思っていないから」

 

「それはそれですごいね……」

 

 ただ綾小路君を揶揄いたかっただけなのか、堀北さんはさっさと会話を切り上げて小説に意識を戻す。まぁ1人が好きっていう人はたまにいるからね。女子にはかなり珍しいけど、堀北さんのは筋金入りに見えた。

 

「綾小路君は友達とかいっぱい欲しい感じ?」

 

「いや、それなりにいればいいと思ってる。櫛田じゃないしな」

 

 みんなと友達になると宣言していたのはまだ一昨日前のことだ。

 

「あれはちょっと特別だよ。他クラスの子とも仲良くなるつもりらしいし」

 

 入学初日にして随分遠大な目標を掲げるものだと感心したものだ。

 

「せっかくだしさ、私と友達になろうよ綾小路君」

 

「え、いいのか?」

 

 なぜか遠慮がちに聞いてくる。昨日はともかく、一昨日は櫛田さんたちの次に喋ったのが綾小路君──あ、高円寺君だったかも。まぁそれはそれとして、自己紹介も済ませたし仲良くしてもいいと私は思うのだ。

 

「そりゃいいでしょ。友達って一々許可とって作るもんじゃないと思うよ」

 

「そういうもんなのか。その辺はイマイチよくわからないんだ」

 

「最初は基本誰でも友達からスタートして、そのまま滅茶苦茶気が合う人なら親友、普通にいて楽しいとかそういうレベルなら友達。あんまり合わなかったり、自然と疎遠になっていくようなら知人とか知り合い。そんな風に移り変わっていくものだと私は思うな」

 

「じゃあ難しく考える必要はなさそうだな」

 

「そゆこと! 連絡先交換しよっか」

 

「え?」

 

「え?」

 

 綾小路君の顔はあまり見てないけど、過去一の仰天を顔に張り付けている。もしかして思いもよらないことを口から滑らせただろうか。

 

「いいのか?」

 

「え、ダメだった?」

 

「いや、俺はもちろん大歓迎だが、黒華はいいのか?」

 

「私から提案したんですけど? あ、もしかして」

 

 綾小路君が何を考えているか分かったので意地悪したい気持ちが沸きだす。

 

「女子とメアド交換したくらいで噂になると思ってる?」

 

「人の心を読むな」

 

「そういうのが気になる事なかれ主義の綾小路君とは、また今度にした方がいいかもね」

 

「いいや交換しよう、今すぐに」

 

 言うや否や学生手帳に連絡先を書きこみ、ちぎって渡してくる。心なしか嬉しそうだったな。

 

「はいこれ私の連絡先ね」

 

 そう言って渡す連絡先を綾小路君は恭しく両手で受け取った。名刺でもあるまいし。

 女子の連絡先がもらえたことが大層うれしかったらしく、綾小路君は急にニヤニヤと笑みを浮かべだした。イケメンが台無しだ。正直ちょっと気持ち悪い。

 

「ニヤニヤと気持ち悪いわよ綾小路君」

 

 オブラートに包むこともせずぴしゃりとやっつける堀北さんはなかなか容赦がない。綾小路君が猛反発したところで、始業を告げるチャイムが鳴った。

 と、同時に茶柱先生が教室に入ってくる。昨日も同じタイミングだったし、時間に厳しい人なのかもしれない。ていうか教師としてはそれが当たり前か。

 

「さて、SHRを始める。今日は──」

 

 どうやら今日の授業もほとんどが授業内容のオリエンテーションで終わるらしく、使う教科書を忘れた人は寮に取りに帰るよう通達されたりした。連絡事項を簡潔に告げた茶柱先生が出ていったタイミングで私は教壇に向かう。

 

「ごめんみんな! ちょっといい?」

 

 教壇に立って大声を出す私に、何事かとクラス中の視線が集まる。

 

「どうしたのかな黒華さん」

 

 特にお願いしたわけじゃないけど、私が話しやすいように、そしてクラスのみんなが話を聞きやすいように平田君が簡単なフォローを入れてくれる。このあたりはさすがはデキる男といったところだ。

 

「実は、今後の学校生活を送るうえで重大な話があるの。だからみんなには今日の昼休みは教室に残ってほしいなって思って。友達ができた人も増えたみたいだし、ご飯を食べながらでもいいんだけど、どうかな?」

 

「重大な話って?」

 

「もう授業が始まっちゃうから全部は説明できないけど──」

 

 あえて一度溜める。

 

「来月私たちがもらえるポイントが大きく減らされる可能性があるの。メインはその話」

 

 言い放った私の言葉に教室が騒然とする。これからいかに散財するかを考えていたみんなには寝耳に水だろう。

 

「え、それってマジなの?」

 

「マジだよ。ちゃんとみんなが納得できるように詳しい説明もするから、極力参加してほしい」

 

 内容が内容なのと、まだ入学して3日目なので、昼休みに重要な用事がある生徒の方は稀だ。一応挙手を求めると、ほぼ全員の手が上がるのが確認できた。手を挙げなかったのは高円寺君だけど、彼は事態を把握してるので不参加で全く問題ない。平田君が高円寺君が参加しないことが気がかりそうな様子だったけれど、今回の説明に高円寺君の名前は出さないのが彼との約束なので、高円寺君には後から説明する旨を伝えてひとまず話を終える。

 席に戻ると、さっそく綾小路君が声をかけてきた。

 

「いつの間に情報収集したんだ?」

 

「昨日の自由時間を返上して自分の足でね。まぁいい散歩にはなったよ」

 

 いい散歩ってなんだ、と後から自分でツッコミたくなったけど、綾小路君は特に気にした風でもなかった。

 

 ◇

 

 3限目が終わり、チャイムが鳴った。これから約1時間の昼休みが始まるわけで、その間に私の話をする必要がある。2回目も3回目もみんなを拘束すれば気に入らないと反発される可能性もあるからだ。授業合間の休み時間にお弁当とかのご飯は買いに行ってもらったので、昼休み始まってすぐに全員に話ができる。この場にいないのはどこかに旅立った高円寺君だけだ。まぁどうせ上級生とデートだろうな。昨日何人にも声をかけていたから、そのうちの1人でしょ多分。

 クラスのみんなは友達と席を合わせたり合わせなかったりまちまちだけど、朝と席の場所が変わった教室の中を私1人だけが歩くのはなかなか目立つ。皆の視線を浴びながら教壇に立った私は時間が惜しいとばかりに早速口を開いた。

 

「じゃ、早速だけど話を始めます。朝も言ったけど、私は支給されるポイントが増減する可能性が高いことに気づいた。今から話すのは、その根拠と、私なりに考えてきた、ポイントが減らされないようどうすればいいかっていうことの2つ」

 

「けどさー先生が言ってたくない? 。毎月10万ポイントもらえるって」

 

 口をはさんだのは金髪ギャルの軽井沢さん。しかし彼女だけではなく多くのクラスメイト達が同意するように頷いている。いきなり話が妨害されたように見えるけど、これはどのみち説明しなきゃいけないことなので、口を挟まれたのはむしろ好都合だった。

 

「先生が言ってたのは、『毎月初めにポイントが支給されること』、『入学したご褒美として10万ポイントを支給したこと』の2つだよ。この2つは繋がっているように見えて、まったく別の話なの。ちなみにこれは昨日別の先生にも確認済み。私がAクラスの担任の真嶋先生っていう男の先生に、『毎月10万ポイントもらえるんですか』って聞いたら、『ノーコメントだ』って返してきたからね。それで来月も10万ポイントもらえるとは思えないでしょ?」

 

「うわぁ、マジ? 詐欺じゃん詐欺」

 

「あはは、私他にもいろいろ質問したんだけど全然答えてくれなかったんだよね。でもさ、やっぱり常識的に考えてみてもあり得ないんだよね、私たちに毎月10万ポイントも配るなんて、さ。だってその場合、1年で6億近くのお金が流れ出ていくからね。日本ってそんなにお金持ちじゃないよ」

 

 誰かの愚痴に賛同しながら、悲しむべき現実を突きつけて話を補強する。ひとまず『考えすぎ』などという楽観的な考え方は消し去れたようなので、話を次に進める。

 手に持っていたファイルから紙束を取り出し、みんなに配っていく。途中櫛田さんと平田君が手伝ってくれた。ありがてぇ。

 

「何これ?」

 

「それは、昨日私が作った『無料品コーナー』がある店と、何が売られていたかのリストだよ。全部を網羅しているわけじゃないけどね」

 

 ただスーパーやアパレルショップ、コンビニに百均と、無料品コーナーが『ありそうな』場所を狙って回ったため、それなりに要所は抑えられていると思う。

 

「この学校の敷地内の一部店舗には、ポイントを使わなくても数量限定で使える商品が売られているの。商品はもちろん店によって違うけど、『どんなものが無料なのか』には傾向がある。学食では山菜定食、スーパーでは一部の食材。服屋さんでは下着とか、簡素な衣服とか。他にもタオル、ティッシュにハンカチ、筆記用具。コンタクトレンズに眼鏡なんかも売られてる。一見してバラバラだけど、ここには共通点があるの」

 

 答えを出す前に一度区切ると、ハッとしたように顔を上げた生徒が目に付いた。視線を送り、『答えて』と目で頷く。

 

「そうか……俺たちが学校生活を送るうえで最低限必要なモノは全部無料で手に入るようになってるのか」

 

 その共通点をわかりやすくまとめてくれたのは幸村君という眼鏡をかけた生徒だ。時間があまりないので私の話を素早く理解して要約してくれるのは助かる。

 眼鏡という本来お金のかかるものも無料で売られているのは、それがないと視力のない生徒のポイントがなくなったときに困るからだ。

 

「幸村君の言う通りだよ。極めつけは、寮の水道代や電気代が一切かからないこと。要は極端な話、この学校は一切ポイントを使わなくても生活していけるの。これが、私たちがもらえるポイントが減ると考えた最大の理由。たとえポイントが枯渇しても、餓死者とかを出さないように設計されている」

 

 食堂で無料で食べられる山菜定食は、食べてないので味は知らないけれど、栄養面はちゃんと必要な分が取れるように配慮されていた。ビタミンやタンパク質のどちらか一方に偏ったりしないようにできているのは、山菜定食を365日食べ続けても身体に問題が出ないようにするためだ。

 餓死者という強烈なワードを出したことで、動揺する生徒たちで教室が騒がしくなる。危機感を与えるために使った言葉だけど、話を遮られても困るので落ち着くよう呼びかけ、話を続ける。

 

「ここまでは皆理解してくれたと思う。1つ聞きたいんだけど、みんなもポイントが減らされるのは当然嫌だよね?」

 

「そんなの当たり前じゃん!」

 

 だよね。

 聞くまでもないことだけどこれは必要な工程だ。どんなに当たり前のことだろうと言質を取るのは結構大事なことだ。この後する話は反対されるというか、嫌がられるのが目に見えている。

 

「だから次の話に移ろうと思う。ポイントが減らされるとわかった私は、次にポイントはどういった形で減らされるのかを考えてきたの。ちょっとだけ待ってね」

 

「あの、よかったら手伝おうか黒華さん」

 

 背伸びしながら黒板にチョークで書き込む私に、平田君が協力を申し出てくる。さすがはデキる男といったところだけど、何を説明するかの説明が必要になって2度手間になるのと、女子の目線に鋭いものが混ざったのを感じ取ったので、今回はお断りさせていただく。

 

「ありがとう平田君! でも大丈夫。平田君は私の話に分かりにくいところとかがないかとか、クラスのみんなにかみ砕いて説明できるようにしておいてほしい」

 

 別の仕事を任せれば無理にお節介をやくこともない。ほどなくして黒板に書き終えたので、改めてクラスのみんなに向き直る。

 

「考えられるのは3つ。1つは『月ごとに支給されるポイントが決まってる説』。これは4月は10万、5月は例えば5万、6月は3万っていう風に、もうとっくに私たちのもらえるポイントが確定している説だね」

 

 これは全然あり得る話だ。生徒たちに支給されるポイントが決まっている方が、学校が立てる予算と現実で必要な金額の乖離が少なくなる。疑問があるとすればなぜそのことを私たちに伝えないのか、だ。浪費癖を無理やり矯正するとかが思いつくけど、それならそもそも10万ポイント払う必要はない。よって私はこの説は『あり得るけど、可能性は限りなく低い』と思っている。

 

「そうなったら最悪だなー。俺もう結構ポイント使っちゃったし。もらえるポイントがわからないんじゃ予定も立てられないじゃん」

 

 ぼやく山内君の言う通り、この説では生徒に毎月支給するポイント額が周知されないため、一部の雑な生徒は0ポイント生活を送る必要が出てくるかもしれない。

 

「予想に過ぎないけど、私はこの説が採用されてる可能性は低いと思ってる。それで、2つ目が『個人の成績に応じてポイントが増減する説』。これはもうそのまんま、テストの点数とか、内申点でもらえるポイントが変わるんじゃないかっていう説だね」

 

「いやいや、そんなの不公平だろ!」

 

「いや成績がいいやつと悪いやつが一緒くたにされる方が不公平だろ」

 

 山内君の文句を誰かが一蹴する。まぁ至極その通りだ。

 

「私も同意見かな。頑張る人間は報われるべきでしょ。さて、最後の3つ目なんだけど、『クラス全体の成績に応じてポイントが増減する説』。私はこの説が一番有力だと思ってる」

 

「ちょっと待ってくれ。さすがにそれはないんじゃないか?」

 

 立ち上がったのは幸村君だ。こういう時立つか座りっぱなしかでどういう中学校生活を送ったのかがわかるよね。

 

「3番目の説だと、頭のいい生徒が頭の悪い生徒に足を引っ張られるだろ。学校もそんな不条理な真似はしないんじゃないか?」

 

「は? なにその言い方ー」

 

 一部生徒で反発するような声が上がったけれど、幸村君の言うことは一理ある。私も情報収集が中途半端だったら同じ結論を出していたはずだ。

 

「幸村君の言うことはわかるよ。私も2番目の説が最有力だと途中まで思ってた。けど、私が3番目の説を推すのには理由があるの」

 

 黙った幸村君は続きを話してくれと促す。

 

「この学校はクラスに関することで1つ奇妙な点があるの」

 

「奇妙な点?」

 

「うん。クラス替えがないことだよ」

 

 クラスのみんながハッとした表情を浮かべる。みんな不思議に思っていても、大したことはないと深く考えずに聞き流したところだ。

 

「私たちは小中学校の9年間、1年ごとにクラスを入れ替えてきたよね? そしてそれは他の高校でも同じことが昨日ネットで調べてみてわかったの。この学校くらいだよ、3年間クラス替えがないのは。その理由はポイント額の査定がクラス毎だからじゃないかな? それならクラス替えがない理由にも納得がいくと思う」

 

「なるほど、確かにそれならありそうだが……さすがに根拠として弱くないか?」

 

「これだけじゃないよ。私はこの学校が生徒をどう評価するかもわかったの」

 

「生徒をどう評価するかって……単純に成績で決めるんだろ?」

 

 まぁそう考えるよね。それが『常識』だ。

 

「成績ってなに?」

 

「もちろんテストの点数や内申点だ。各教科の先生たちも昨日今日で話してただろ」

 

 確かに授業のオリエンテーションで成績評価については先生から教えられた。しかしそれらは『各教科の成績評価』であり、『生徒の成績評価』ではない。

 

「それも大事だけど、それだけじゃないんだよ。茶柱先生が一昨日なんて言ってたか覚えてる? 『この学校は実力で生徒を測る』 この場合の実力って学力だけ言ってるんじゃないんだよ」

 

「信じられない話だが、根拠はあるのか?」

 

「明確な証拠は出せないけど、これは先輩方から聞いた話だし、信じていいと思うよ。録音もしてるから、聞きたいなら聞かせてあげる」

 

 聞きたいという人が大勢いたので、携帯の音量を最大に上げて適当な録音ファイルを1つ流す。私が上級生から生徒の評価方法について聞き出している音声が教室に流れる。これだけやればさすがに全員納得する。

 

「うっわ、ほんとじゃん」

 

 軽井沢さんの呟きが全員の総意を体現していた。 

 

「とりあえず、私が考えたのはこの3つ。正直これ以外には知恵を振り絞っても出てこなかった。だからひとまず、2番目と3番目の説が採用されていると想定して、みんなに提案したいことがあるの。1番目はもはや気にするだけ無駄だしね」

 

「確かに―。節約するしかできることないもんね」

 

 結局それだ。1番目の説が採用されていることはほぼあり得ないだろう。

 

「んで提案なんだけど、とりあえず今月はテストはないだろうから、みんなで真面目に授業を受けてみない? 授業中の私語とか携帯は謹んで、居眠りとか遅刻もしないようにするの」

 

 即反発したのは須藤君だ。

 

「ちょっと待てよ。なんでお前にそんなこと強制されなきゃいけねぇんだ」

 

 最初の授業から爆睡をかますような生徒なので、真面目に授業を受けるのが難しい生徒だとは想定していたけれど、まさかポイントの増減が関わっている可能性があるのに反論してくるとは思わなかった。ここで先ほど取った言質を使うことは簡単だけれど、須藤君の中での優先順位は『ポイント<授業を真面目に受けないこと』なので、ポイントを脅し文句に使うのは無意味だ。喉まで出かかった言葉を飲み込み、攻め方を変えることにする。

 

「じゃあ須藤君はどうするの?」

 

 こうやって聞けば黙るしかない。堂々と居眠りする、遅刻するなどと宣言はできないからだ。

 ただこれは結果的に失敗だった。

 

「俺が何しようが俺の勝手だろうが?」

 

 開き直った須藤君は不機嫌なのがこちらからでも丸わかりで、今何を言っても噛みついてきそうな雰囲気だった。私がわざと答えにくい質問を投げかけたことに気づいたのかもしれない。

 

「須藤が言うことに賛成するわけじゃないけどさー。別に先生も注意してこないしいいんじゃね?」

 

 今の言葉でこの教室のどれだけの人間が授業を真面目に受けたくないのかが明らかになった。半数を優に超える生徒が同意したように頷いたのだ。

 たしかにー、などと騒ぎ出すクラスメイト達の姿に、もはやDクラスに成績不振者が宛がわれていることが明白になり、頭が痛くなる。とにかく今はこの流れを止めないといけない。

 

「先生が注意してこないのには理由があるよ。これを聞いてほしい」

 

 私が流したのは昨日生徒指導室で真嶋先生と星乃宮先生に質問しに行った時の録音だ。私が少し怖い人だという印象がつくかもしれないけど、このまま楽観主義を貫かれる方が問題だ。私が質問の際、『制裁』という言葉を使ったのは先の餓死者発言と同様、クラスメイト達に聞かせる際に危機感を持ってもらうためだ。

 

「聞いてもらったからわかると思うけど、私は先生をハメて、怠ける生徒には『制裁』が下ると言質をとった。これを聞いてもまだ授業を怠けて聞こうって思う?」

 

 半ば脅しに近いけど、これもいずれ感謝される時が来る。

 

「ちなみに私たちの素行は監視カメラでちゃんと見られてるよ。みんな、あっちを見てほしい」

 

 私が指さしたのは天井の隅にある監視カメラだ。多くの生徒がまだその存在に気づいてなかったらしく、驚きの声をあげる。私も気づいたのは今日の朝だからね。高円寺君にその存在を教えられなかったらスルーしていたはずだ。

 

「あそこだけじゃないよ。そこにそこにそこ。四隅全部に監視カメラが設置されてる。それに教室だけじゃないよ? 廊下もそうだし、敷地内いたるところに監視カメラが設置されてる。もう防犯用というより、生徒を監視するために置かれているみたいにね。多分、あの監視カメラで私たちの素行を記録して、成績に反映させているんじゃないかな」

 

「な、なあ。じゃあ先生たちは俺らを騙そうとしてたってことだよな!?」

 

 あ、まずいかも。怖がらせすぎたかもしれない。

 茶柱先生が私たちに重要な説明をしていないことに気づいた生徒がパニックになる。騒ぎになったらそれはそれで困るので、みんなを安心させる口実を探す。

 

「落ち着いて。確かに先生は制裁なんて強い言葉を使ったけど、それはポイントが減らされるくらいで済むよ。まぁ、あんまり酷いと0ポイントになる可能性もあるけど。茶柱先生が何も言わなかったのは、学校に口止めされてるからじゃないかな。学校としても、私たちに甘い餌をぶら下げて、どう反応するかを見たいっていう意図があるんだと思う。いくら何でも悪意でもってこういうことやってるわけじゃないと思うよ」

 

 みんなが説明を飲み込むのを待ってから口を開く。

 

「逆に言えば、真面目に授業を受けてればポイントはそんなに減らされないと思う。だから、皆で協力して授業態度をよくしたいの。今日の授業はみんな真面目だったとは言えないからね」

 

 私の言葉に一部の生徒がバツの悪そうな顔をする。入学3日目から弛緩してきたのか、今日の一部生徒の授業態度はとても褒められたものじゃなかった。まぁ、これから改善してくれれば誰も責めないでしょ。

 

「もちろん私の話はあくまでも推測だから、来月は10万ポイントどころか20万ポイントもらえる可能性も……まぁさすがにそれはないと思うけど、杞憂だった可能性もありえる。けど、今月だけでも我慢できないかな? 2番目の説が正解なら、自業自得で終わるけど、もし3番目ならクラスのみんなに迷惑をかけちゃうことになると思うの」

 

 もしそうなれば、一部の生徒が疎まれる羽目になってしまう。

 その一部の生徒になる可能性が極めて高い須藤君は私の視線に気づくと、不機嫌そうに立ち上がった。

 

「お前の話はわかったけどよ、やっぱ今更真面目に授業受けるなんて無理だぜ。それにポイントが減るっつっても10万もあるんだから大丈夫だろ」

 

「そんなの、何の保証もないよ」

 

「知るか、いいから俺を巻き込むな」

 

 あれだけ言っても説得できないのか……。

 彼のあまりに頑なな姿勢に、私は『退学』のカードを切るかどうか一瞬迷い、そしてすぐに切り捨てる。仮に話すとして、みんなの前で話しても今度こそパニックになって私では収拾がつかなくなる。そして須藤君単独にコンタクトするにしても、彼がどう反応するかわからない以上、このことは胸の内にしまっておくべきだ。まだ入学して3日、これから楽しくやっていこうという人たちを必要以上に怖がらせるのはさすがに気が引けるし、恨まれるだろう。

 結局須藤君はみんなの冷ややかな視線に居心地が悪くなったのか、教室を出て行ってしまった。もし彼がこのまま居眠りを続けるなら、ポイントがどんどん減らされていくことも考えられる。もし『居眠り1分あたりにポイントが10減る』などと決まっていれば、1日でポイントが数千円分減らされる可能性だってあるのだ。

 2番目の説が採用されているなら彼だけが損して終わるけど、もしそうじゃないのなら……。

 

「ありがとうね黒華さん」

 

 説明の後、松下さんがお弁当箱を食べ終わった私にお礼を言いに来た。確か、一昨日から軽井沢さんたちとつるんでいる女子生徒だ。長い茶髪がきれいだなぁと印象に残ってた。

 

「どういたしまして、どしたの?」

 

「黒華さんが何も言ってくれなかったらポイント浪費してそうだったから、そのお礼。今度何か奢らせてよ」

 

「やったぁ。行きたいカフェがあったからそこに連れてってもらうことにする」

 

 そしてついでということで連絡先も交換する。お礼を言いに来てすぐに終わりかなと思ったけど、松下さんはまだ何か話した気だった。

 

「黒華さんって実はすごい人?」

 

「アハァ。バレた?」

 

「そりゃバレるでしょ。先輩との会話も大概だったけどさ。先生とのやりとり聞いてちょっとビビったし」

 

「まぁあれは素直に話さない先生の方が悪い」

 

 それはそう、と松下さんが笑う。なんで私に実力を確認するようなことを聞いてきたのかはわからなかったけど、それ以上深堀することもなく、ただの雑談に入る。

 適当に取り留めもない会話をしていると、新たな来客が向かってきてるのがわかった。コバンザメみたいに女子を引き連れているのは平田君だ。

 

「黒華さん、ちょっといいかな?」

 

「むしろ平田君こそいいの?」

 

 コバンザメが私を見る目はなかなか訝しげだ。

 

「はは、もちろんだよ──黒華さんにはお礼を言いたかったんだ」

 

「ふぅん? どうして?」

 

 感謝されるのは嫌いじゃない。調子に乗った私は唇を尖らせ偉そうに聞く。

 

「もしこのままポイントが減ることに気づかなかったら、大変なことになっていたかもしれないからね」

 

「平田君、ポイントピンチなの? 実は金のかかる男子だったり?」

 

「いや、そんなことはないと思うよ。ただクラスの人には危ない人もいたと思うから」

 

 あくまでも自分が助かったからではなく、クラスメイトが助かったからお礼を言いに来たと言う平田君。その言い方に奇妙な感覚を覚えたけど、それを表に出すようなポカはやらずに平田君をおちょくる。

 

「感謝してる?」

 

「もちろんだよ」

 

「じゃあお礼はデート1回ね」

 

「ちょっとあんた抜け駆けする気!?」

 

 ずるい! と口々に叫ぶ。近くで大声を出されて後ろの堀北さんが不機嫌になるのが気配でわかったので、慌てて冗談だと訂正する。平田君も思わず苦笑いだ。

 

「ちょっと揶揄っただけでしょ~」

 

 平田君たちが退散した後、ちょっと愚痴るぐらいは許されるだろう。話を聞いていた松下さんは珍獣でも見るかのように私を見てきた。

 

「怖いもの知らずだね黒華さん。私だったら絶対にあんなこと言えないや」

 

「それは松下さんがあの辺の子と仲がいいからでしょ? 私は『まだ』そんな関係じゃないし、それに平田君には興味ないし」

 

「うわっ、それ他の女子の前で言わないほうがいいよ。言質とられるから」

 

「え、嘘偽らざる本音だよ? 平田君がデキる男なのは間違いないけど、さすがにみんな見てくれにこだわりすぎだよ。それにあんなに群がられてる男の子と付き合うのってなんかミーハーに見られそうでヤダ」

 

 小声で言うと松下さんが吹きだした。

 

「あははっ、黒華さんて結構明け透けなんだね」

 

 それは褒めてるのか貶してるのか非常に判断が難しかったけれど、松下さんの表情からは面白がっているということしかわからなかった。というか100%面白がって言っているのかもしれない。

 

「あ、もう昼休み終わるね。またね、黒華さん」

 

 そう言って自分の席に戻っていく。『またね』ということは、少なくとも松下さんには気に入られたらしい。

 ひとまず、目下の課題はほとんど解決した。残るは須藤君をどうするかだけど──。

 

「なんにも思い浮かばん」

 

 こればかりは天の助けが必要な気がする。どう接しようと今の須藤君には何も通じない気がするのだから、困ったもんだ。

 少なくとも昼休み後の授業態度が改善されただけで良しとしよう。クラスの急変に少し目を丸くした先生を見ながらそう思った。



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6話

 前略

 

 お父さん、お母さん、元気ですか。

 私は元気です。最初は一切外出できないと聞いて不安だったけれど、友達もできたし、学校にはいろんなお店や施設があって、毎日とても充実しています。

 入学から一週間が経って、初めての一人暮らしにも慣れてきました。

 念願の高度育成高等学校に入学して、私は今──

 

 守り続けてきた、純潔が奪われそうになっています──! 

 

 ◇

 

「憂鬱だ……」

 

 だらりと、だらしなく椅子に座った私、黒華梨愛の口から盛大なため息が漏れた。入学から一週間、こんな風に気分が落ち込むのは今日が初めて。その原因は、一部のクラスメイト達にあった。

 

「いやぁ今日の授業が楽しみすぎて全然寝れなくてさぁ」

 

「なはは。この学校は最高だよな、まさかこの時期から水泳があるなんてさ! 水泳って言ったら、女の子! 女の子と言えばスク水だよな!」

 

 今まで見たことがないほど目を輝かせ、喜色に溢れた大声を出すのはクラスメイトの池君と山内君だ。2人はいつもは遅刻ギリギリで教室にやってくるくせに、今日に限ってやたら早い。彼らの言う通り、今日は体育の授業で水泳をする予定なのだ。そしてその水泳の授業は男女合同、彼らは女子の水着が見れるということで、周囲の目も気にせず大はしゃぎしている。

 

「おーい博士ー。ちょっと来てくれよー」

 

 博士というのは、外村君というぽっちゃりした眼鏡をかけた生徒のあだ名だ。典型的なオタクであり、高円寺君以上に変な話し方をする。

 

「フフッ、呼んだ?」

 

「博士、女子の水着ちゃんと記録してくれよ?」

 

 は? 

 

「任せてくだされ。体調不良で授業を見学する予定ンゴ」

 

 その後も男子による思わず閉口してしまう最低な会話が続く。なんでも外村君が水泳の時間、私たち女子の身体を観察して胸の大きい女の子のランキングを作るらしい。あわよくば携帯で撮影するとか言ってるし、最悪すぎる……。

 こんな最低な会話、聞くつもりなんてまったくないけれど、男の子たちが大声で話すせいで嫌でも耳に入ってくる。せめて聞こえない声で、見えない場所でやってほしい……。

 周りの女子の蔑むような目線には気づかず、こんなことを明け透けにやって彼女ができると本当に思っているの? 

 

「うぅ……」

 

 自らの体を抱いて声を漏らしたのはみーちゃんだ。こころちゃん(井の頭さんの名前、この一週間で下の名前で呼ぶことにした)も大体似たような反応。私ですら結構きついんだから,気の弱い2人にあの男子の猥談は堪えるものがあるだろうな。

 

「大丈夫? みーちゃん」

 

 櫛田さんが心配そうにみーちゃんの顔を覗き込む。私以外の3人は席が近いので、ここ最近の朝の時間は、私がみーちゃんの席に座り、膝の上にみーちゃんを乗せるスタイルになっている。私からみーちゃんの顔は見えないけれど、まぁいい笑顔ということはないだろうな。

 

「なんていうか、すごい会話だね……」

 

「あはは……まぁ思春期の男の子だからね……」

 

 普段人の悪口を1つも言わない櫛田さんのフォローも苦々しい。そんなこんなで4人でダウナー状態でいると、身の毛がよだつような会話が聞こえてきた。胸の大きさランキングで賭けをするつもりらしい。その話を聞きつけた他の男子も一部を除いて我も我もと参加するし、ほんとこのクラスの人選はいったいどうなっているのか、クラス分けをした人に問い詰めたくなる。

 

「はぁ……」

 

 頼みの綱があるとしたら平田君だけど、彼は男子連中に注意しに行くような素振りは見せず、軽井沢さんといったイケイケ女子に囲まれながら代わりに謝っている始末だった。軽井沢さんたちも今の池君たちには近づきたくないだろうし、櫛田さんも男子と仲違いしたくないのか、ただ我慢するだけみたいだ。

 もはやこの状況をどうにかできるのは私くらいに思えた。あんまりきつく言いすぎると、男子に嫌われちゃうし、そもそも今は彼らに近づきたくないけれど、ほかならぬみーちゃんたちのためだ。腹をくくろう。

 

「さて、ちょっと行ってくるね」

 

「え?」

 

 立ち上がってみーちゃんを椅子に座らせる。

 一体何をするつもりかと、私へと集まる注目を浴びながら男子の塊に近づいてみると、彼らの猥談が鮮明に聞こえてくる。

 

「ばっか、お前可愛くなくても巨乳なら付き合うべきじゃねーの!?」

 

「俺は櫛田ちゃんや長谷部クラスじゃないと付き合わねーんだよ。女の子に妥協はなしだ」

 

 誰のことを話しているのかはわからないけれど、なかなかどうして失礼を通り越した会話をしているらしい。そりゃあ女子だって誰がイケメンとか、誰が根暗とかそういう話をすることも多々あるけれど、それでも本人には聞かせないようにしている。そういう話を陰でするのは、本人に嫌われない以上に、聞かれて不愉快な思いをさせないことの方が大きい。

 さて、男子は女子の胸の話をするのに夢中で私が近づいていることには気づいていない様子。長引かせることもないしさっさと始めよう。

 

「何の話してるの?」

 

 男の楽園に、聞こえるはずのない女子の声が響く。一斉に振り返った男子がいつの間にかそこにいた私の存在に大きくどよめいた。

 

「く、く、黒華ちゃん!?」

 

「おはよう山内君、みんな楽しそうだったからさァ、何の話してたのかな~って? 来ちゃったァ」

 

 目に見えて狼狽する山内君は、なんとここで驚くべき機転を見せた。机の上に置かれていたタブレット端末をさりげなく隠すよう外村君にさりげなくアイコンタクトを送ったのだ。普段の彼なら口に出していてもおかしくないはずだったけれども。窮鼠猫を噛むとは違うけど、追い詰められた獲物の必死の抵抗というわけか。

 まぁ外村君が気づかなかったら意味ないけど。山内君の必死の視線にまったく気づかず、完全に固まって動かない外村君にターゲットを定める。

 

「外村君、もしかしてそれ新しく買ったの?」

 

「え? いやいや、これはその、なんというか、気にするなでござる」

 

「ポイントいっぱいもらえたからさァ、私もそういうタブレット欲しいと思ってたんだよねェ。よかったらどんな感じか見せてくれない?」

 

 私の要求に顔から血の気が引いていく。具体的に何が書いてあるのかわからないけれど、女子の目に触れたら社会的に死ぬようなことだろうな。

 

「なんてね」

 

 追い詰めるのもここまでにしておこうと、おどける口調で言った。

 

「あのさ、言っとくけど君たちの会話、女子に丸聞こえだからね?」

 

「ええ!?」

 

 私の言葉を受けて一斉に教室を見回し、そして気づく。周囲の女子が向けるゴミを見るような目つきに。

 自分たちの醜態に気づいた男子たちの顔が真っ青になっていく。

 

「ハァ……。思春期の男子高校生だからさ、欲情するなとは言わないけど、せめて周りのこと考えてからやりなよ」

 

 こんなもんでいいかな。自分たちの破廉恥が女子にバレたと知って撃沈する男子(主に池君と山内君)を見届け、自分の席に戻る。

 

「ありがとう、黒華さん」

 

 なんと堀北さんにお礼を言われた。普段冷静沈着な彼女も、男子にあからさまな性欲をぶつけられるのは、なかなか堪えるらしい。

 

 ◇

 

「いやホントこのクラスの男子ヤバイわ。黒華さんさっきはありがとねマジで」

 

 昼休みが終わり、いよいよ水泳の授業が始まるということで、更衣室で着替えている最中に声をかけられた。軽井沢さんだ。

 

「どういたしまして。私もきつかったし」

 

「やっぱそうよね!? せめてもっと隠せっての。あれで彼女ほしいとかありえないでしょ」

 

 朝の時間、好き勝手言われていた女子の溜飲は、私が男子に注意したくらいじゃ下がらなかったらしい。更衣室内は男子への罵詈雑言で溢れかえる。キモイだの最低だの、こうしてみるとまぁどっちもどっちだ。

 

「梨愛ちゃんは見学なんだね」

 

「まぁね。あの最悪なランキングの1位だったし。桔梗ちゃんは泳ぐんだ」

 

「うん。泳ぐの気持ちよくて好きだからさ」

 

 私が見学するのは単純に顔を見せたくないからだけど、まぁわざわざこれを言う必要はない。面白がって無理やり顔を見ようとする無粋な輩がいないとも限らないし、言ったところで若干空気が悪くなるだけ。

 体操服に着替えるために制服を脱ぐと、やたら強い視線を1つ感じた。振り返った私と目が合ったのは佐藤さん、先日仲良くなった松下さんや、篠原さんたちと仲のいい女子生徒だ。

 

「佐藤さん、なにか用かな?」

 

「え? あ、ううん! なんでもないの!」

 

 しどろもどろになって退散していく。いったいなんだったんだ。

 明らかに私になにか話したげな様子だったけれど、特に接点があるわけでもないので心当たりは当然ない。着替え終わった私は首をかしげながら見学席に至る階段を上る。

 

「あれ? 黒華さんも見学なんだ」

 

 見学席に着くなり声をかけられた、先客の軽井沢さんだ。さっきまで一部を除く男子を罵倒していたけれど、どうやら彼女も見学する模様。見た感じ見学者は私と軽井沢さんの2人だけ。女子を観察するとか言ってた外村君もちゃんと授業に参加するようで、女子の視線から隠れるようにプールサイドに佇んでいるのが見えた。

 

「そうなの、泳ぐのは苦手じゃないんだけど、好きじゃなくてさ。軽井沢さんは?」

 

 ただ顔を出したくないだけだけど、建前上こう言っておく。

 

「私は単純にあいつらに水着姿を見られたくないだけ。どんな妄想されるかわかったもんじゃないし」

 

 そう言って震え上がりながら体を抱く。あいつらとは、言うまでもなく山内君や池君、あとこの場合は外村君もだろうな。池君と山内君はなにやら櫛田さんと話しているのが見学席から見えた。女子に嫌われたのを慰めてもらっているのかもしれない。

 

「ねぇ、見学だったら成績落ちるとかあると思う?」

 

 見学者が私たちだけしかいないのを気にしたのか、少し周りを見回しながら聞いてくる。軽井沢さんが聞いてきたことは私も一度考えたことだ。

 

「ちゃんと事前に連絡してるならいいんじゃない? 私も生理ですって言ったよ」

 

「うわっ! 私何にもいってないんですけど! あちゃー」

 

 わかりやすく頭を抱える。女子は特にポイントが何かと入用なので、私の話した授業態度を守ることには男子に比べなお厳しい。休み時間に私語した男子に罵倒が飛ぶこともたまにあった。女子がその原因となれば今後大きな顔はできなくなるからな。

 

「言い出しっぺの私も休んでるんだし大丈夫でしょ」

 

「あ、確かに。黒華さんマジサンキュー! 女神だわ女神」

 

 女神扱いする前に反省してほしい。私は水泳の授業はすべて見学することが確定しているので、強く言うことはできないけど、軽井沢さんが懸念するように理由もなく見学すればズル休みと判断されてポイントが削られる可能性は全然ある。

 次の水泳を何と言って休もうか考えていると、授業が始まった。この見学席も監視されている可能性があるので、雑談もそこそこに授業の見学に入る。

 正直、今更水泳の授業を見学しようと改めて学ぶこともないので、女子の私には誰の筋肉が1番好みか、ということしか見ることがない。ぱっと見で一番ムキムキなのは高円寺君だけど、私の好みではないな。彼は水も滴るいい男だとアピールしたいのか、ここぞとばかりに水を浴びている。もちろん変人の奇行などみんな見て見ぬふりだが。あと筋肉がすごかったのは綾小路君か。てっきり平田君か須藤君のどっちかだと思っていたけど、綾小路君の鍛え方はちょっと尋常じゃなかった。高円寺君ほどじゃないけど、明らかに須藤君以上に引き締まった身体をしている。相当鍛えないとああはならない。事なかれ主義とか言っていたくせに、筋肉フェチの女子をひっ捕まえるための訓練はしていたらしい。

 ちなみにここまで筋肉の話をしているけれど、私自身別に筋肉フェチということはない。ただそれ以外にすることがなくて暇なのだ。

 いよいよ頬杖を突くことも厭わないほど暇を極めた授業だったけれど、ここでレースをすることになった。女子は現役水泳部の小野寺さん一強だろうけど、男子の方は誰が勝つのか興味がある。高円寺君か、平田君か、須藤君か、綾小路君か。はたまた別の誰か──はさすがにないかな。彼ら以外に鍛えられてる生徒はほとんどいない。ちなみにこのレースに勝つと5000ポイントもらえるらしい。羨ましい、私なら確実にゲットできたのに。

 案の定女子は小野寺さんが優勝だった。2位は堀北さんだ。素人にしては結構早かった。そして次に男子のレースが始まる。注目株は綾小路君と須藤君だ。

 

「え、おっそ」

 

 私の目を引いたのは綾小路君だ。筋肉量のわりにあまりにも推力が出ていない。

 力任せに泳いでももう少し速度出るでしょあの筋肉なら! 

 対する須藤君は圧倒的に早かった。タイムまでは聞こえなかったけれど、先生がはしゃいでいることから相当いいタイムが出たらしい。

 その後のレースも私の予想通りのメンツが順当に勝ち進み、いよいよ最終レースに行く。

 

「黒華さんさぁ、誰が勝つと思う?」

 

 ただ眺めるだけに限界が来たのか、軽井沢さんが声をかけてきた。まぁ見学だし、生徒の泳ぎのフォームとかを見て誰が早いか予想しましたとでも後で言い訳しとけば大丈夫でしょ。

 そう判断し、真っ当に誰が早いか予想する。

 

「私高円寺君に一票で」

 

「え!? あんな変人絶対ないわ。私は平田君一択ね」

 

 平田君のいったい何がそこまで信頼できるのかわからないなぁ。まぁ平田君だって運動能力は十分高いように見えるけど、泳ぎだけなら私の方が速そうな感じもする。

 そして私たちの想いが乗った(?)最終レースが始まる。

 圧倒的だったので結果だけ言うと、高円寺君がすべてをぶち抜いて勝利した。ポイントでも賭けとけばよかったと思ったのは、まるで自分のことのように悔しそうにする軽井沢さんを横目に見てからだ。

 

 ◇

 

 その日の放課後、スーパーで日替わりの無料食品を買って寮に戻ってきた私の携帯が鳴った。電話をかけてきたのは櫛田さんだ。冷蔵庫に食品を入れながら電話に出る。

 

「もしもし? どうしたの?」

 

「あ、梨愛ちゃん。明日の放課後って暇かな?」

 

「放課後? 空いてるよ」

 

 何もなかったよねと言った後で思い返す。

 

「よかったぁ。あのねっ、梨愛ちゃんに協力してほしいことがあるの」

 

「協力?」

 

 櫛田さんからこんな相談を持ち掛けられるのは初めてのことだった。

 

「うん、私、堀北さんとお友達になりたくてさ。明日の放課後、綾小路くんに協力してもらって、パレットでばったり鉢合わせようって計画してるんだよね」

 

「ええ……」

 

 櫛田さんには悪いけど、若干引いた。

 確かに堀北さんは櫛田さんどころか、クラスの誰とも友達と言えるような関係にない。せいぜい綾小路君が彼女と多少話すくらいで、堀北さんはたいていクラスで孤立している。前の席の私ともそんなに話すわけじゃないレベルだ。平田君がそんな彼女のことを気にかけていたのも記憶に新しい。

 とはいえそれは堀北さんが自分で望んでやっていることだ。堀北さんは友達なんて必要ないなんて言うけど、それは決して不器用だからとか、恥ずかしいから言ってるんじゃなくて、本心から、心の底から友達なんて必要ないと思ってる。それが良いか悪いかは別として、そんな人とわざわざ一計案じてまで友達になりたいという櫛田さんの心境が、私には全くの意味不明だった。

 自分を拒絶するような人とわざわざ関わり合おうとする神経がわからない。

 櫛田さんはそんな私の困惑には気づくことなく言葉を続ける。

 

「梨愛ちゃんには、こころちゃんと一緒に先にパレットで席を確保してもらって、綾小路君が堀北さんを連れてきたら、2人のために席を空けてほしいのっ。2人がそこに座ったら、隣に確保したもう1つの席も空けて、私がそこに偶然たまたまやってくるっていう──どうかな?」

 

「どうかなって……そもそもどうして堀北さんにかまうの?」

 

 これがわからないと疑問で夜も眠れなさそうだ。

 

「だって、堀北さんいつも教室で1人じゃない? そんなのって寂しすぎるよ」

 

 実に櫛田さんらしい理由だけど、堀北さんがそのお節介を聞いたら怒るだろうな。それに納得できる理由でもなかった。

 

「ダメ、かな?」

 

 逡巡する私を見抜いたのか、不安げな声がスピーカーから漏れる。正直企てがバレたら私にも飛び火しそうなので、断りたいのは山々だけど……。

 

「いや、引き受けるよ。その様子だと、私が断ってもどうせ他の人に頼むでしょ?」

 

 他の人が嫌われるくらいなら、私が汚れ役を買って出よう。

 

「あはは、バレちゃってたか。でも、ありがとね! 梨愛ちゃん」

 

「どういたしまして。話はこれで終わり?」

 

「終わりだけど、どうせならお話しようよ」

 

 その後は取り留めもない雑談が始まる。正直、櫛田さんが堀北さんと仲良くしたいと考える理由が気になって、私は心ここにあらずといった感じだった。バレてなきゃいいケド。

 

 ◇

 

 そしてやってきた翌日の放課後。さっさと席を取らないといけないのでチャイムが鳴ってすぐに教室を飛び出し、パレットに向かう廊下でそのままこころちゃんと合流する。

 

「こころちゃんも引き受けたんだ」

 

「うん。せっかく櫛田さんの力になれるならって」

 

 2人で適当なドリンクを注文して2人席を確保する。少し遅れて同じクラスの女子2人が隣に座った。これで準備は完了というわけだ。かなり急いで来たのにもかかわらず、大人気のパレットはすぐに席が埋まっていく。

 

「私は正直気乗りしなかったなー」

 

「え、どうして?」

 

「バレたら堀北さんに怒られそう」

 

「あはは……確かに」

 

 脅かすつもりはなかったけど、こころちゃんの顔が若干引き攣る。堀北さんみたいなタイプは苦手らしいのはまだ分析し終えてないことだ。

 この後すぐに同じクラスの4人がこのカフェを出ていくのはかなり不自然な気がするけど、まぁ堀北さんが気づかないことを祈るしかないな。彼女は他人に興味がないようだし、私以外の顔を忘れていれば勝機はあるかもしれない。

 

「あ、来た」

 

 会話らしい会話もせず、できるだけ視線を送らないように入り口の様子を見ていると、少し遅れて綾小路君と堀北さんがやってきた。傍目にはデートしに来たカップルにしか見えないな。2人とも美形なので、美男美女カップルだ。

 手筈通り、2人を席に座らせるために立ち上がる。とはいえこれは──相当、いやかなり不自然だ。こころちゃんはともかく、私は綾小路君とも堀北さんとも少しは話す関係なので、ここで全く見向きもせず立ち去るのは怪しすぎる気もする。かといってDクラスの生徒が集まっていると悟らせるのもちょっと……。

 よし、綾小路君に丸投げしよう! 

 綾小路君が話しかけてくるならそれに応じ、気づかないふりをするなら私もそれを貫き通す。私は2人に一切目を向けないように、こころちゃんに話しかけながら出口に向かう。

 

「それでね──」

 

「…………」

 

 綾小路君は声をかけないという選択肢を選んだ。

 これ、私がいたこと絶対バレたでしょ。2人とすれ違った後、露骨に振り返る視線を背中に感じた。やっぱり断ればよかったな。仕掛け人として、私はどう考えても不適任だったし、こんなに早く席を立つのは不自然だ。

 そう、あまりに不自然。堀北さんは他人に興味はないけどバカではない。おそらく気づかれるだろうな。

 

「うまくいったかな?」

 

 若干不安げな様子でこころちゃんが聞いてくる。こういったことは初めてとのことだった。

 

「さぁねぇ。あとは桔梗ちゃんたちに丸投げだし」

 

 堀北さんに咎められたら、その場で謝ろう。たとえ堀北さんに嫌われようが絶交だと言われようが、彼女が私に興味を示さない以上、どういう関係になろうと、ハッキリ言って些事だ。

 

 ◇ 

 

「黒華さん、ちょっといいかしら」

 

 翌日の朝、教室にやってきた堀北さんが着席することもなく声をかけてくる。その表情は不機嫌そのもので、それを見るだけで櫛田さんの計画は失敗したのだとハッキリわかった。あの後、櫛田さんは成功したとも失敗したとも言わなかったのが不思議だったけど、この様子だと堀北さんにかなりキツイこと言われたのかもしれない。

 

「なにかな?」

 

「金輪際、ああいったことはやめて。不愉快だから」

 

 それだけ言い捨てて席に座ると、私物の小説を読みだす。私の返事すら待たないということらしい。正直ここまで不機嫌になるとは思ってなかった。

 

「ごめんね、堀北さん」

 

 私の謝罪も完全スルーだ。

 正直いくらなんでもその態度はどうなんだと思ってしまうけれど、堀北さんを騙そうとしたのは事実なので、私に彼女を咎める資格はない。

 怒られたのは綾小路君も同じなのか、居心地の悪い雰囲気のまま、今日の授業は終わった。



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7話

 入学から2週間が経った。

 最初は急変した環境にどこか戸惑いを見せていた生徒たちも、次第に新しい学校生活に慣れ始める。私のいるDクラスでも、入学当初の友達作り期間は実質終了、すでにいくつかのグループが出来上がっていた。

 女子で言えば、まず軽井沢さん率いる女帝チーム。女子の約3分の1はこのグループに属していて、イケイケなギャルが集まっているのがこのグループだ。対抗馬になるのは篠原さんあたりが属しているワイワイチーム。ノリがよくて面白い人が多いのが特徴で、私とも仲がいい人が多い。

 もちろん、軽井沢さんたちとも仲良くさせてもらってるけどね?

 最後のグループがみーちゃんとか私がいる仲良しチーム。優しくて争いごととかが苦手な人が多いけど、一緒にいて疲れない穏やかなグループだ。ちなみにまだグループに属していなくて比較的1人でいることが多い女子が、佐倉さん、長谷部さん、堀北さんの3人だ。名前の出てない櫛田さんはほぼ全員と仲良くしてる。どのグループにも属していないというより、全てのグループに属していると言った方が正しいと思う。

 男子で言えば、まず3馬鹿トリオの名前が挙がる。池君、山内君、須藤君の3人のことで、この3人は特に仲がいいらしく、いつも一緒にいるのをよく見かける。ここにたまーに綾小路君が加わっているから、最近では4馬鹿カルテットに改名しようという風潮が一部の女子にある。綾小路君、気づけ。

 そして平田君は相変わらず女子に集られているようで、見かけたと思ったら十中八九女子が近くにいる。あとはまぁ幸村君とか三宅君といった生徒は1人を好むようで、そんなにつるんでいる姿は見かけない。とはいえ男子は主に3馬鹿トリオが平田君を僻んでいる点を除けば、わりと全員仲がいいと思う。この傾向は男女の違いというのが露骨に出てるんじゃないだろうか。女子なんか、携帯のグループチャットで特定の誰かがいないグループを作ったりしてるからね、やっぱり恐ろしい生き物だよ女は。

 ちなみに池君と山内君にはなぜか恐ろしい女という印象がつけられた。水泳の時に注意しに来たのがトラウマになったらしい。そんなキツイこと言った覚えないんだけどな。

 それと男子で言えば最近「イケメンだと思う男子ランキング」なるものが作られた。これはなんとDクラスに限らない、1年の女子のほぼ全員が参加しているようで、今もなお推しを1位にするべく、熾烈な合戦が繰り広げられている。Dクラスからは平田君が5位に、綾小路君が8位にランクインしていた。まだこのランキングはできたばかりなので、まだまだ順位は変わっていくだろうな。なお、綾小路君は「根暗そうな男子ランキング」でも堂々の3位を陣取っている。哀れなり綾小路君。

 さて、他のことに目を向けるなら、クラスの授業風景が見違えるものになったことだろうか? 

 私の演説は一応効果があったようで、あの日以来みんな授業中の私語や携帯を慎むようになってくれた。池君と山内君は代わりにボーッと過ごしているようで、授業中に喋れなかった分を取り戻す勢いで休み時間はしゃぎまくる。まぁこれは責めることでもないし、教室が明るくなるので問題はない。

 問題があるとしたら須藤君だ。私の演説後、彼だけは授業態度を改めることなく、ほとんど最初から最後まで居眠りしている。私が声をかけに行くと不機嫌になり、見かねた平田君が声をかけに行けば威嚇し、代わりに櫛田さんがやんわり注意すると、渋々従いながらもやっぱり居眠りする。そんな日々を彼は送っている。彼があのままだとどうせ意味ないと、他の生徒の授業態度が悪くなるのも時間の問題なので、早く何とかしないといけないと焦っているところだ。ポイントが減る可能性を示唆しておいて、このまま来月まで解決しないのが最悪のパターンなので、遅くとも今週中には解決したい。

 

「さて行くか」

 

 4月も残すところあと半分。私の保有するポイントも半分近くになってきた。来月いくらもらえるかわからない以上、これからはより一層倹約していくべきかもしれない。

 

 ◇

 

 3限目の体育、今日は水泳ではなくバスケットボールの時間だ。なんでも夏休みまでは定期的に水泳の授業を行うとのこと。あくまでもこの時期に水泳をするのは特別な理由があってのことなのかもしれない。そういえば体育の先生も『泳げるようになれば必ず役に立つ』って言ってたな。どういう意味か分からなかったけれど、体育祭とかで水泳とかが種目としてあるのかも──いやさすがにそれはないか。

 学校で指定されている体操服に着替えた私たちがやってきたのは第2体育館、中学校のそれの1.5倍くらい広く感じる。設備も豪華で、上の方にはモニターが複数枚設置されていた。

 

「何に使うんだろアレ」

 

 呟くように言ったのは隣に立つ櫛田さんだ。上を見て首をかしげている。

 

「あれはプレーの確認用のモニターだよ。練習のときとかにフォームの確認とかをするの」

 

「そうなんだ、よく知ってるね梨愛ちゃん。何気に博識だよね」

 

 おしゃべりもそこそこに、チャイムが鳴ったので先生の元に全員集まる。見るからにムキムキマッチョマンの先生は、私たち全員に座るよう指示すると、須藤君を呼び出した。Dクラス唯一のバスケ経験者かつ現役プレイヤーということで、私たちに手本を見せてみろとのこと。パスやドリブルといった基本中の基本が説明される。

 

「よし、これでシュートの説明も以上だ、またで悪いが須藤、やって見せてくれ」

 

「へっ、任せてくださいよ」

 

 張りきった様子で前に出てボールを受け取った須藤君が、見事にスリーポイントシュートを決める。ジャンプも高かったし、フォームも綺麗で、クラスの男女からちょっとした歓声が上がる。授業を真面目に受けない須藤君はクラスでの評価は高くないけれど、それでも声を挙げずにはいられない見事なシュートだった。

 

「さすがだな須藤。ひとまず今日は細かい指導はしない。時間を取るから、各々好きなように練習してくれ」

 

 そう言ってタイマーを押すと、生徒たちに好きなようにするよう伝える。須藤君はさっそく男子を誘って3on3をやるらしい。私はどうしよっかな。バスケは久々だし、適当にシュート練でもやっとくか。この時間を適当に流すことを決めた私はひたすらゴールにシュートしたり、パスを失敗するみーちゃんたちをほほえましく眺めたりして過ごす。昔はこうやって手を抜くことを知らなかったので、何もかも全力全開で取り組んでいた結果何度も潰れそうになった。

 結局基礎練の時間は大して取られず、早々にタイマーの音が響き渡る。全員が集まったのを確認した後、先生がまた指示を飛ばした。

 

「さて、いきなりだが今から男女別でゲーム練をやるからな。チーム分けするぞ」

 

 先生が手を叩いて生徒を集める。水泳の時もいきなりレースをしたけど、バスケもいきなりゲーム練か。初めてだからとりあえずって感じなのかな? 

 

「おっしゃ! 待ってたぜこの時をよぉ!」

 

 ゲーム練と聞いた須藤君のボルテージがみるみる上がる。Dクラスで運動神経がいいのは平田君や高円寺君、あとは三宅君が比較的運動できるけど、他はあんまりって感じなのが実情だ。あの様子だとゲームが始まっても1人で無双しそうだな。

 

「まずは男子からだな。キャプテンは須藤と平田にやってもらうか。呼ばれた奴は前に来てくれ。須藤、山内、鬼塚──」

 

 どうやらチームはすでに決められていたらしい。先生が淡々とした様子で名前を呼んでいく。ちなみにコートは複数あるけれど、あくまでも私たち女子はまず試合を見学しておけとのこと。審判できるのが先生1人しかいないからね。

 

「せんせー、今回はポイントとかもらえないんすか?」

 

 手を挙げて質問したのは池君だ。そういえば水泳の時は成績上位者に5000ポイントが支給されてたな。池君のチームリーダーは平田君で、若干分が悪いように思えるけど、ポイントのためなら全力を尽くすということか。

 

「残念ながら、今回はなしだ。まぁチーム競技だからポイント配分も難しいんでな」

 

「ちぇ、しぶいなー」

 

 毎度毎度ポイントを配ってたら予算がなくなっちゃうしね、そこは仕方がない。軽いルール説明が済んだので、いよいよ試合開始ということで各々がポジションにつく。ジャンプボールするのは須藤君と平田君の2人、身長的に平田君チームは高円寺君がやったほうがいいと思うけど、あろうことか彼は目をつむって不敵に微笑んでいる。思いっきりボールを顔面にぶつけて醜態を晒してほしい。

 

「平田くん頑張れー!」

「負けないで平田くーん!」

 

 相変わらず平田君人気はすごいな。件の平田君は、男子の羨ましがるような、嫉妬するような視線に苦笑いしつつも、こちらに爽やかスマイルを向けて手を振る。そんなことしたら女子の黄色い声がもっと大きく──ほら、鼓膜が破けるかと思った。

 

「よろしくね須藤君」

 

「はっ! 今日こそ叩き潰してやるぜ平田」

 

「頼むぞ須藤!」

 

 池君が須藤君を応援するけど、あなた平田君チームでしょ。

 いよいよホイッスルが鳴り、男子の一矢報いたい思いと、女子の期待をかけたジャンプボールが始まる。先生が高々とボールを放り投げ、2人がほぼ同時に飛び上がる。しかしその差は歴然だった。

 

「っ!?」

 

「うぉ! たっけえ!」

 

 池君が驚くのも無理はない。須藤君はその高い身長も相まって平田君より頭一つ分以上高くジャンプしていた。その有利を遺憾なく発揮し、ボールはあっさりと須藤君チームにわたる。そしてさすがは経験者、着地後のプレイもスムーズで、ボールを受け取った須藤君は迫る追っ手を次々と抜き去ると、そのままあっさりとレイアップシュートを決めてしまった。プレイ開始30秒も満たない早業である。

 

「おいおいこんなんじゃ全然物足りねえぜ!」

 

 挑発するように平田君を指さす須藤君は絶好調といった感じで、続くプレーでもあっさりとパスカットに成功すると、そのまま単騎でゴールまで迫る。

 

「このままだと授業になんねえからな、おらよ山内!」

 

「え、いや俺かい!」

 

 一応これが授業であることも忘れていないらしく、明らかに須藤君1人に任せきりにしようとしていた山内君にボールが渡る。結構な急速なうえに不意打ちだったけれど運よくキャッチする。

 

「須藤君すごいね」

 

 平田君に淡い恋心を抱くみーちゃんですら須藤君の方を見ているのだから、この場において彼がどれだけ圧倒的なのかがわかる。あくまでも自分以外の生徒にもプレーさせながら、いいところは確実にかっさらっていく。思うように平田君が活躍しないことを嘆く平田君ファンの声がみるみる大きくなる。勝っても負けても声援があるとか、須藤君たちが不憫でならないな。

 その後のゲームは須藤君のワンマンプレーとはいかずとも、それでも須藤君チームが圧倒的に優位な状況でゲームが進んだ。一応須藤君は手加減してあげているようだけれど、点をわたすつもりはないのか、平田君チームがシュートしようとすると即ブロックしてしまう。あれでは点など決められるわけがない。結局男子のゲーム練は須藤君チームの圧勝で終わった。まぁ須藤君がよほど手を抜かなきゃこうなるよね。

 

「ハッ、余裕だぜ余裕」

 

 鼻を鳴らした須藤君は物足りないとでもいうように拳と拳を突き合わせる。結構激しく動いていたけど、まだまだ余力を残していそうだ。

 

「強かったよ須藤君。本当にバスケが上手なんだね」

 

「平田も悪くなかったんだけどな? まっ相手が悪かったぜ。高円寺が真面目にやってりゃ勝負にはなったかもな」

 

 そう言って須藤君は高円寺君を一瞥するけど、彼は気にした様子もなくコートから出ていく。高円寺君、ボールに触るどころか走ることすらしてなかったな。水泳はちゃんと泳いでいたけど、本気を出す出さないに基準でもあるんだろうか?

 いや、それは今はいいか。

 私は試合終了後で満足そうな須藤君に目を向ける。試合中の須藤君は本当に楽しそうだった。試合後は険悪ムードだった平田君とも普通に話していたし、もしかしたらこの時期にバスケの授業があったのは重畳かもしれない。

 

「次は女子だな。キャプテンは堀北と小野寺にやってもらう。名前を呼ばれた生徒は前に出るように。堀北、櫛田、佐倉──」

 

 チーム分けの結果、私は小野寺さんのチームになった。堀北チームには佐倉さんやこころちゃんみたいなほとんど運動ができない子もいるけど、堀北さんと櫛田さんの2人がいる。小野寺さん1人だけじゃ分が悪いかもしれないな。

 

「ジャンプボールはやっぱり小野寺さん?」

 

「あ、私がやっていい? ジャンプには自信あるんだ」

 

 私は身長も女子にしては高い方なため、特に文句が出ることもなく私がジャンプボールをすることになる。堀北さんチームは結局堀北さんがジャンプボールをするらしい。まぁ向こうで1番運動できるのは堀北さんだし、身長もそんなに変わんないしね。

 コートで整列して互いにあいさつした後、センターサークル内で堀北さんと向き合う。

 

「よろしくね~堀北さん」

 

「あなた、マスクをしたままするつもりなの?」

 

「もしかして心配してくれてるの? こう見えて私運動神経めちゃくちゃいいから、油断しないほうがいいよ?」

 

「それはこちらのセリフよ。マスクをつけたままでは、満足に呼吸もできないでしょう? それでよく挑発なんてしようと思ったわね」

 

 私の挑発をさらりと受け流した堀北さんは、それ以上何も言わずに、ジャンプボールに集中するように息をひとつ吐いた。

 男子の時と同じく、先生が笛を吹いた後ボールを上に高く放り投げる。

 その場でジャンプしようとする堀北さんに対し、私は一歩だけ助走し、そして勢いよく腕を振り上げて一気に飛び上がった。

 

「なっ!?」

 

「あいつすげえ!!」

 

 驚く堀北さんの顔が目に入り、須藤君の興奮する声が耳に届いた。昔の私は1メートル以上高くジャンプできていたので、鈍った今は80センチぐらいかな? けどまぁ初心者たちの戦場ではそれで十分、というかプロがいても驚くはずだ。余裕をもってボールに触れた私はそのまま小野寺さんの方にボールを飛ばす。

 

「ナイス黒華さん!」

 

 運動神経に優れた小野寺さんは素早く私のボールに反応し、初心者とは思えないきれいなドリブルでゴールに迫る。とはいえ、さすがに須藤君のような無双プレーはできない。櫛田さんが前に立ちふさがり、体勢を立て直した堀北さんが迫る。

 

「こっち頂戴!」

 

 しかし堀北さんチームで動きがいいのはせいぜい堀北さんと櫛田さんの2人だけ。言い方は悪いけど他はせいぜい雑兵だ。しかも櫛田さんは小野寺さんや堀北さんには及ばず、また堀北さんは小野寺さんばかりを見ている。つまり私はどフリーだ。気づいた時にはもう遅く、一度後ろに迂回してから回したパスはあっさりと成功し、そのままゴールまで急接近した私はレイアップシュートを決める。最初に須藤君がゴールを決めたときと同じ形だ。

 

「黒華、お前経験者だったのか? そんな報告なかったがな」

 

「部活自体はやってませんよ。一時期練習してただけです」

 

 もし今のバスケの練度で経験者レベルなら、私は『ほぼすべてのスポーツで』経験者ということになってしまう。チームのみんなとハイタッチしながらポジションに戻り、次のゲームに備える。相手チームはやはり堀北さんが主体となって攻めるらしく、スタートと同時にすぐにボールが彼女にわたり、ゴールに迫ってくる。

 初心者としては悪くない動きだけれど──。

 

「っ!」

 

 前に立った私を抜くためにフェイントをかける堀北さんだったけど、読んでた私は苦も無くボールを奪い、ストップをかけようとする生徒も全員抜き去る。さすがに堀北さんや櫛田さんは追い付いてくるけど、初心者につかまる私じゃない。私は余裕をもってジャンプシュートをスリーポイントラインから決める。

 

「す、すごいね梨愛ちゃん。全然追い付けないや」

 

「まだよ、彼女にボールを渡さなければ勝ち目はあるわ」

 

 堀北さん、負けず嫌いなんだな。私の動きに堀北さんチームの面々は絶望しているけれど、堀北さんだけは諦めていない。だけど残念なことに、私と堀北さんの間には絶対的な壁がある。ドリブルでは勝負にならないと判断した堀北さんはパスをうまく回して戦おうとするも、こっちのチームがうまくマークについているため簡単にはいかない。何度かパスが回されたけど、佐倉さんがキャッチをミスってボールがこちらにわたる。当然私には強烈なマークがつくけど、初心者のマークを撒くことなど容易い。フェイントに引っかかるのを見届けることもなく、パスを受け取った私は仕上げとばかりにゴールに飛びつく。

 

「あーさすがに無理―!」

 

 ダンクにチャレンジしてみようと思ったけど、高さが全然足りなかった。シュートに失敗してボールがまた堀北さんたちに回る。

 その後も私たちが圧倒的優位に立ち続け、あまりに勝負にならないからと、先生の独断で途中で小野寺さんとむこうチームの松下さんが入れ替えられたけど、それでも一進一退の勝負を続けて私たちのチームが逃げ切った。最後の方はわりといい勝負だったと思う。

 試合終了の笛が鳴り、改めてコートに整列すると、握手して試合を終える。

 

「完敗ね。まさか経験者とは思わなかったわ」

 

「あははっ、残念ながら、私が強いのはバスケだけじゃないんだよねこれが」

 

 激しく動き回って汗だくになった堀北さんが悔しがるように言った。未経験者なら勝てなくて当然だと思うけど、彼女の中ではあんまり納得いってないのかもしれない。

 堀北さんと握手を終え、コートを出るとすぐにお目当ての人物が興奮した様子で近寄ってきた。頑張った甲斐はあったらしい。

 

「まじすげえぜ黒華! お前はぜってえにバスケ部に入るべきだ!」

 

 須藤君は満面の笑みで、普段からは想像もつかないほど好意的に接してくる。無意識なのか、両肩を掴んでガクガク揺らすというボディタッチ付きだ。

 

「痛い、痛いよ須藤君」

 

「お、おう。わりいわりい。いやマジで最高だったぜ黒華。俺ちょっと感動したぜ」

 

 須藤君以外にも男女問わずに人が集まってくる。みんなが私の健闘を称えて、褒めてくれる。あの須藤君でさえだ。懐かしい、心から求めてやまなかった光景が垣間見えた気がして胸が熱くなってくる。

 そう、そうだ。私は本来『こうあるべきはず』なんだ。

 でも、今はそうやって感傷に浸っている場合じゃない。

 

「あ、あの……」

 

 私のプレーに大はしゃぎする須藤君に、あえて怯え竦むような目を向ける。目は口程に物を言うなんてことわざがあるけど、まさにその通りだとつくづく思う。マスクで顔の隠れた私はそれが特に顕著だ。表情が見えない分、私の感情を探るには目を見るしかない。

 須藤君もすぐに私の様子に気づく。

 

「あ……そっか、そうだよな……。クソっ」

 

 独り言のように呟くと、私の前から離れていく。私に対して凶暴な態度を取っていたことを思い出したんだろう。もしこれでも須藤君が私のことを嫌うというのなら、もはや私に解決方法は思いつかない。授業後、彼に接触してどのような反応をするかで、このクラスの命運が分かれるだろう。私はそこまで人心掌握術に長けているわけではないので、後は祈るだけである。

 

 ◇

 

 更衣室から出ると、なんと須藤君が私のことを待っていた。なんでも無下な態度を取っていたことを謝りに来たとのこと。

 

「更衣室で綾小路の奴に言われてよ。意固地になってるんじゃねえかって。確かに俺が悪かった。すまねえ」

 

 清々しいほどまっすぐ頭を下げる須藤君に思わず目をぱちくりさせた。ひとまず綾小路君には何らかの報酬を渡しておこうと決意する。

 

「お前マジで入らねえのか? 俺は女子バスケの練習も見てるから言うけどよ、今のお前なら間違いなく即レギュラーだぜ。スピードもあるし、身長もまぁ及第点だろ。それにあのジャンプ力は最高レベルだ、俺より跳んでたぐらいだからな」

 

 普段の須藤君では考えられないほど褒めちぎってくる。

 

「そもそも私バスケ部にいたことってないんだよね」

 

「いやいや、さすがに嘘だろ? あれで経験者じゃないってさすがに信じらんねえぞ」

 

「う~ん、なんていうか、一時期全部のスポーツをやってた時があるんだよ。バスケが上手いのはその関係。バスケだけじゃなくてサッカーもバレーもできるし、走ったらめっちゃ速いよ」

 

 よほどマイナーでなければ、全てのスポーツを平均より遥か上のレベルでこなせる自信がある。

 

「中学ン時100m何秒だ?」

 

「12秒09」

 

「嘘だろ!? 俺と大差ねえじゃねえか!」

 

 さっきから仰天してばかりで全然信じてくれてない。無理もない話だけれど、全部事実だ。

 

「じゃあさ、信じさせてあげるよ」

 

「どういう意味だ?」

 

「須藤君って朝練とかやってる?」

 

 ここからが本題だ。私から話しかけようと思ってたくらいなので、須藤君からアプローチをかけてきたのはむしろ好都合だった。この奇貨は必ずものにする。

 

「いや、高校じゃやってねえな。そもそもどの運動部もやってねえみたいだ」

 

「じゃ、明日から私と朝練しようよ。バスケに限らずジョギングとかさ。それとも朝早くに起きるのは無理? 須藤君いっつも遅刻してきてるもんね」

 

 詰るような私の物言いに少しムッとする須藤君。でも女子相手にそんなことでキレるのも情けない話である。特に苛立つ様子もなく飲み込むと、獰猛な笑みを浮かべた。

 

「いいぜ、やってやろうじゃねえか。黒華が自分で言うぐらい運動できるってんなら全然問題ねえ」

 

「決まりだね。朝6時にエントランス集合でいい?」

 

「おう、またな」

 

 ちょうど教室に着いたので須藤君と別れる。今日がバスケの授業で本当に助かった。須藤君に真面目に授業を受けさせる目途がこんなに早く立つとは。降ってわいた幸運を噛み締めながら、お弁当を回収した私はいつものメンツと席を囲んだ。

 

 ◇

 

 翌日の朝5時。久しぶりにこんなに早起きしたので目覚めがあまりよくない。耳元でうるさく鳴り響く目覚まし時計を半ば叩きつけるようにしてアラームを止め、盛大な欠伸をしながら洗面台に立つ。

 せめて7時くらいにすればよかった、6時から運動はさすがにちょっとハードだったかもしれない、主に時間の関係で。これが男子なら、着替えて顔洗って身だしなみ整えて、それで準備は終わりかもしれない。

 しかし淑女たる私にそんな甘えた朝の過ごし方は許されない。顔を洗うだけでなく、化粧はもちろん髪のお手入れなんかも欠かせない。私の場合はそれに加え朝食を作らなければいけないので、忙しさもひとしおだ。ジャージに着替えた頃には6時まで残り5分ほどとなっており、急いで残りの準備を終わらせる。エントランスに着いたのは6時ちょうど、ちなみに須藤君はいなかった。まぁ彼が寝坊するのは十分あり得たことなので、そのまま適当なソファに腰かけ須藤君がやってくるのを待つ。携帯を見てみると、どうやら5分前に起きたことを知らせるメールが来ていた。これだとそんなに待たなくても済むかも。

 

「悪い、待たせた」

 

 エレベーターから降りてきた須藤君は開口一番謝ってきた。かなりキレやすい人だけど、気に入らないこととかがなければ意外と素直な男の子なのかもしれない。相変わらず短く刈り上げた赤髪と、手にはバスケットボールを持っていた。ここで買ったものではなく私物なのか、いたるところに傷と汚れがついてて、お世辞にも綺麗な状態とは言えないボール。それがむしろ須藤君がバスケに捧げる情熱の強さなんだと、ありありと伝わってくる。

 

「ふふっ全然大丈夫だよ。さ、いこっか」

 

 なんでも屋外にも小さいけれど、ちゃんとバスケットコートがあるとのこと。歩いて7、8分くらいのすぐ近くにあるのは助かった。いざ見てみたバスケットコートは私の中学校にもあったほど小さいもので、いろいろと設備の豪華なこの学校にも、こういう古き良き時代というのがしっかりと残っているのがわかってしみじみとする。

 近くのベンチに荷物を置いて、早速準備運動にかかる。この辺はさすが運動部といった感じで、おざなりにすることなくしっかりと準備運動をする。けがをしたら元も子もないからね。

 

「なぁ黒華、お前はなんで俺なんかを朝練に誘ったんだ?」

 

「どうしたの? 藪から棒に」

 

「俺が怖くなかったのか? 自分で言うのも変だがよ、無意味にお前に嚙みついたろ」

 

 自分の雰囲気が刺々しいのはちゃんと自覚があるとのこと。なのに一見か弱い女子である私の方から須藤君に近づいてきたのが不思議だったそうな。

 

「ん~正直に言うと、仲良くなったら授業を真面目に受けてってお願いを聞いてくれるかもしれないから」

 

「マジで身も蓋もねえな」

 

「あとはまぁもったいないと思ったから?」

 

「もったいない?」

 

 須藤君がどんな答えが返ってくると思っていたのかはわからないけれど、気になった様子で聞き返してくる。

 

「うん、もったいないって。須藤君って毎日部活が終わった後も居残りで練習して、ちゃんと後片付けまでして帰ってるって小野寺さんから聞いたよ? 今日も遅れてきたことちゃんと謝ってたし、律儀なところもあるんだから、すぐにキレちゃう癖さえ直せば、もっと周りの見る目も変わると思ったの」

 

 今の言葉にはまだ続きがあったけれど、話している最中に準備運動が終わったので、途中で打ち切る。

 

「さて、なにから始める? 須藤君の練習だし、好きにメニュー組んでよ」

 

「そうだな……。まずお前の足が速いっていうのが気になったし、競争でもすっか」

 

 バスケットのゴールから適当に100mくらい距離を取り、同時に走り出して先に手をついた方の勝ちというシンプルなもの。バスケの練習にはならないけれど、昨日の私の話が余程衝撃的だったみたい。

 

「合図はどうする?」

 

「笛持ってきてっから、俺が適当なタイミングで吹く」

 

「おーけーそれで」

 

 笛まで持ってるって、ずいぶん準備がいいな。まぁ張りきってくれるならいいことだ。

 2人でゴールから離れた後、クラウチングスタートの姿勢を取る。

 

 ピィッ! 

 

 まだ寒い4月の早朝の空気を切り裂くような笛の音が鳴る。瞬間、一気に2人が駆け出す。最初のスタートこそほぼ同時だったけれど、さすがに須藤君の俊足には敵わず、ゴール付近で追い抜かれてしまった。

 

「はぁ。いやいや、おまえ、マジかよ」

 

 須藤君は驚きを通り越していっそ呆れたようだ。変なものを見る目で私のことを見つめてくる。

 

「下手な男子よりよっぽど早えぞ。ほんとに女子か?」

 

「須藤君、さすがにそれは怒るよ」

 

 須藤君の腹筋を軽く小突く。きちんと鍛え上げられた男の人の身体の感触が拳に伝わってきた。

 

「ぐっ、冗談だ冗談。お前がすげえ奴だってのはわかった。お前こそもったいないって俺は思うけどな」

 

「はいはい、その話はあとでね。次はどうする?」

 

 その後は1時間ほどかけてバスケの練習をする。須藤君の実力はさすがの一言で、昨日相手にしてた堀北さんや櫛田さんとはレベルが違う。まぁそりゃそうか。シュートもかなり正確で、突っ立って眺めていたけど、フリースローでのシュート率は70%ほどだった。高校1年生としては十分すぎるように見える。ちなみに昨日私が挑戦したダンクシュートだったけど、須藤君も今は練習中らしい。ジャンプ力は私の方が上なので、コツを教えたりする。

 

「ちょっと疲れたね、ご飯食べる?」

 

「いいのか? お前のだろ」

 

「どうぞ遠慮なく、須藤君のも作ってきてるよ」

 

 持ってきたバスケットを開けるとサンドイッチが顔を覗かせる。私は素顔を見られるわけにはいかないので背中を向けて食べていたけれど、須藤君は女子の手料理は初めてらしく、興奮した様子でサンドイッチを頬張っているのが見なくてもわかった。

 サンドイッチを食べ終わると、休憩がてらちょっとお話しすることになった。

 

「須藤君って、なんでこんなにバスケに一生懸命なの?」

 

「なんだよ急に」

 

「いや気になってさ。須藤君もさっき急に聞いてきたでしょ?」

 

 だからお互いさまってことで。そういうと須藤君はゆっくり口を開いた。

 

「そうだな……。俺にはこれしかねえからだ」

 

「どういうこと?」

 

「俺は幸村みてえに勉強もできねえし、平田みたいにいい子ちゃんでもねえ。けど運動なら大抵の奴には負けねえし、バスケなら1年で一番やれると思ってる。俺は基本できることの方が少ないけどよ、バスケだけならやっていけそうな気がするんだ」

 

「じゃあ、将来の夢はバスケのプロとか? NBAとか目指してる感じ?」

 

 私の言葉を聞いて、世界で活躍する自分を想像したのか、少し上を向いて笑う。

 

「そうなったらマジで最高だな。けど、簡単な道じゃねえぞ。並の努力じゃたどり着かねえ」

 

 私に向けての言葉というより、自分に向けての言葉のように聞こえた。

 

「わかってるんだ」

 

「ああ、俺は夢のためなら、どんなにキツイことでもやるつもりだ」

 

「ふぅん」

 

『なんでもやる』

 言うは易しの典型だ。須藤君の覚悟がどれほどのものか把握できない以上、さらに踏み込むのは難しいか。

 

「信じてねえだろ」

 

 向こうから踏み込む機会を与えてきた。

 

「だって須藤君授業真面目に受けないもん。キツイことから逃げてるじゃん」

 

「うぐっ。つってもよ、今更授業ちゃんと聞いても理解できねえし、そもそも必要ねえだろ」

 

 英語が話せないと困るだろうけど、概ね須藤くんの言う通りではある。

 

「そうでもないよ。勉強しなきゃ単位取れなくて、学校卒業出来なくなっちゃう。NBAドラフトは大卒じゃないと参加出来ないから、須藤君の夢も叶わないね」

 

 このままなら須藤君はただバスケが上手いだけの一般人止まりだ。ただがむしゃらにバスケを極めるだけで行けるほど、スポーツの世界は甘くない。

 しつこい私に須藤君はどんどん不機嫌になっていく。

 

「うっせえな。お前に関係ねえだろ」

 

「ある」

 

 もう帰るつもりか、立ち上がる須藤君の腕を掴み、やや強引に足を止めさせる。

 

「応援させてよ、須藤君の夢」

 

 まるで愛の告白のようなセリフに須藤君がギョッとする。

 

「いきなり何言い出すんだよ」

 

「実は、さっき須藤君が聞いてきたよね。なんで俺にかまうんだって。あれ、まだ続きがあるの」

 

 ひとまず私の話を聞いてくれるのか、歩き出そうとしていた足を引っ込める。

 

「嬉しくない? 自分のためになにかやってくれる人がいると」

 

 須藤君には、自分のために頑張ってくれる人が必要なんじゃないかと感じた。

 

「どうだろうな……俺にはそんなのいたことねえからわかんねえ」

 

 須藤君は、あまり『愛される』ことなくここまで育ったのかもしれない。もしそうなら、それはとても不幸で、悲しいことだ。そんなのはよくない。

 

「じゃあ私が須藤君の『その人』になる。『その人』がいることの喜びを教えてあげる」

 

 須藤君の目をまっすぐ見つめる。

 自分を『愛してくれる』人の存在が、どれだけ心を豊かにするのかを、須藤君に教えてあげる。初めて愛をくれる人に、私がなってあげる。

 須藤君の手を取って両手で包み込むと須藤君は身体をのけぞらせた。が、振りほどくようなことはしない、できない。

『私の身体はそういうことができるようになっていない』

 

「その代わりにさ、須藤君が私に感謝することがあったら、私を助けてよ」

 

 須藤君の手を解放すると、少し照れながらも深く考え込むような仕草を見せる。須藤君の大好きなバスケットボールの夢に、真摯に向き合おうとする私だからこそ言葉が届く。薄っぺらい上辺だけの感情では、彼を変えることなんてできない。だから──。

 

「俺みたいなバカでも勉強できんのか?」

 

「ふふっ、須藤君に良いこと教えてあげよう。私はたぶん1年生で1番頭がいい」

 

 おどけて言うとようやく須藤君の顔に笑みが戻った。こういうノリが彼には合ってるらしい。

 

「うっしっ。そろそろ練習再開すっか。付き合えよ黒華」

 

「はしゃぎすぎて、疲れて寝ちゃわないようにね」

 

 その後、無情にも1on1のゲームを求めてきた須藤君にボコボコにされながら、最初の朝練は終わった。



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8話

 入学してから3週間。

 4月もいよいよ終わりが近づき、また一段と暖かくなってきた。

 今は2限目の数学の時間。クラスのみんなは今も比較的真面目に授業を受けている。池君や山内君は当初は隙あらば私語をしようとしていたけど、今は静かに授業を受けている。その内容が頭の中に入っているかどうかは知らないけど。

 けれど、彼らの変化は些細なものだ。この1週間、クラス内で誰が1番大きく変化したか、そう問われれば皆同じ人物の名を挙げるだろう。

 そう、須藤君だ。彼はこれまで授業を受けようともせず居眠りし続け、それどころか昼休みに初めて登校するなんてこともあるという体たらくだった。けど彼は朝練のために早起きした甲斐もあり。ここ1週間きちんと朝に登校し、うとうとしながらも居眠りすることなく授業に参加している。ただ内容は全く理解できていないらしく、さらに板書の取り方もわからないときたので、彼は『居眠りしていないだけ』というのが実情だ。でもまぁ前よりはマシだと思うの。そのあまりの変わりように、クラスのみんなは困惑を通り越し、感動すら枯れ、いっそ怪しんでいた。同時に、須藤君に関するあらぬ噂が流れるようになる。

 頭を打っておかしくなった、家族を人質に取られた、宇宙人に連れ去られて中身が入れ替えられた、神の天啓が下りた、黒華と付き合い始めたから等々、大喜利かと思うほどふざけた内容がクラス内でまことしやかに囁かれた。馬鹿げた話だけど、そのレベルの変わりようだったということだ。

 何はともあれ、5月まであと一週間、私の立てた『クラスの成績に応じてポイントが増減する』説が正しい場合、支給されるポイントは確かに減っているだろうけれど、それでも減少分はけっこう抑えられたはず。

 朝早く起きて運動する甲斐もあるというものだ。

 

 ◇

 

 3限目の日本史、始業のチャイムが鳴ってみんなが席に座ったタイミングで茶柱先生が入ってくる。ちなみに茶柱先生は、当初みんなが授業を真面目に受けていることに衝撃を受けた様子を見せたことがある。今でこそ無表情で教室に入ってくるけど、あの時の彼女の顔は見ものだった。一体何があったのかと心配されたくらいだったからね。

 ちなみにそんな茶柱先生は一部生徒に佐枝ちゃん先生と呼ばれ親しまれている。なんでそんな風に呼ばれるようになったかは不明だけど、本人は特にやめるように言ったりはしていない。

 

「さてお前たち、急な話だが今日は小テストを受けてもらう」

 

 本当に急な話だな。一体何が私語になるかもわからないので、皆困惑したように顔を見合わせるだけだ。そんなみんなの様子は気にも留めず、先生はテスト用紙を前から配っていく。

 

「なお、今回のテストはあくまでも今後の参考用だ。成績表には反映されることはない。ノーリスクだから安心しろ。ただし、カンニングだけは当然厳禁だ。そんなバカなことをした生徒には相応のペナルティがあるからな」

 

 成績『には』とは、まるでそれ以外には反映されますよと言わんばかりだ。それにカンニングが発覚した際の『相応のペナルティ』というのも気になる。普通0点処理されるとかそんなものじゃないのかな? 

 そんな私の疑問は置き去りに、始めの合図が出されたのでテスト用紙をめくって問題を確認する。全部で20問らしく、また日本史の小テストかと思ったけど数学や理科といった科目の問題も出されてる。

 日本史の時間なのになんで? 

 

「えぇ……?」

 

 いろいろと気になることはあったけれど、ひとまず上から問題を解いている最中、思わず私の口から声が漏れた。この小テストの問題はそのほとんどが信じられないくらい簡単なもので、入学試験で解いたものより数段レベルの落ちたものだった。多分ほとんどの人が問題なく解ける問題ばかりだ。けれど最後から3番目の問題で難易度が急上昇した。

 いや、3問目だけじゃない、あとの2問もかなり難しい。というか最後の問題は絶対に現役の高校1年生には解けないでしょ。そもそも2、3年で勉強する範囲だ。 

 入学試験でも似たような問題があったのを思い出す。各教科に数問、『絶対に解かせない』という問題作成者の固い意志を感じさせる問題があったのだ。まぁ入学試験でああいった問題を出すのは理解できる。いわゆる解けることを想定していない、受験生に『無視させる』問題だ。特に大学入試ではそういった問題が急増する。単純な学力だけでなく、効率的な『解き方』がわかっているのかどうか、受験生に確認するためだ。けど成績にすら反映されないこの小テストでこんな問題を出す意味がさっぱりわからない。

 困惑の極みに達した私は、一通り問題を解いた後、現時点では分かるはずもないこの小テストの意味を考え続けた。

 

 ◇

 

 そして迎えた5月1日、朝早くに起きた私は朝食を準備している間、携帯を起動して振り込まれたポイントを確認した。そのポイントは──。

 

「54000ポイントか……」

 

 実に46000ポイントが減らされたことになる。私の授業態度は優等生そのものだったので、3番目の仮説が正しかった可能性が極めて高い。まぁそのあたりも今日答え合わせがされるだろうな。

 朝食のハンバーガーはお弁当箱には入らないので、バスケットに入れて持っていくことにする。私の料理は須藤君に大好評で、これからもポイントを払うから作ってほしいとのこと。料理の腕を褒められるのは悪い気がしないな。

 ジャージに着替えて寮のロビーに向かうと、すでに須藤君が待っていた。ちょっと忙しない様子を見るに、彼もポイントが減っていることに気がついたんだろうな。

 

「おはよ、須藤君」

 

「おう。なぁポイント見たか?」

 

 挨拶を交わすと早速聞いてくる。まぁ特に須藤君が支給されるポイントの額を気にする気持ちはわかる。

 

「見たよ。54000ポイントになってた。須藤君は?」

 

「俺もだ……クソッ」」

 

 こんな朝早くから苛ついているのは、自分のせいでポイントが減らされたんじゃないかと思っているからだろうな。ていうかまぁ十中八九そうだとは思うけど、今須藤君を責めたところで仕方がない。ここ1週間は授業態度も改善していたしね。

 

「まぁ気にしすぎるのもよくないよ」

 

 とりあえずフォローを入れておく。

 そもそも入学当初のみんなの授業風景を見るに、冗談抜きに私が注意しなければもっとポイントが減らされていた可能性もある。そこのところを履き違えてもらっても困るのだ。

 入学1か月目の記念すべきポイント支給日だというのに、見上げて映るは曇り空。あまり気乗りしない1日になりそうだ。

 

 ◇

 

 朝練を終えた須藤君と一緒に教室につくと、何やら異様な空気を感じた。その正体が何なのか気づく前に、私に声をかけてくる生徒がいた。平田君だ。

 

「黒華さん、ポイントを確認した?」

 

「したよ。やっぱりみんな54000ポイントみたいだね」

 

 朝練が終わってから携帯を確認してみると、クラスのグループチャットがポイントが減っていた件で賑わっていた。当然クラスはその話題で持ちきりで、思ったより多くのポイントが残ったことに安堵するような声もあれば、誰かを責めるような声もあったりとマチマチだ。そしてその責められる誰かというのは1人しかいなかった。

 

「チッ」

 

 いたたまれず乱暴に席に座る。教室に入った瞬間冷たい目線を感じたのは気のせいなんかじゃなかった。あれは私ではなく須藤君に向けられたものだったんだ。

 

「すまない須藤君。あらかじめみんなには言っておいたんだけど……」

 

「あ? なんだそりゃ、同情か?」

 

 悪いのは須藤君だけど、平田君の言動も余計だった。毛嫌いしている平田君が自分のために動いたと知っても、上から目線で何様のつもりだと苛立ちが募るだけだ。助けるという行為はどういった動機があれど、助ける側の人間が上にいるからこそ成り立つのである。

 そういう機微がわからない人だとは思ってなかったけど、実際にポイントが減ったことを知ったクラスメイトが、須藤君を責めると感づき、突発的に行動してしまったのかもしれない。この1か月で平田君が極端に争いを嫌う人だということはなんとなくわかっている。

 

「どうせ愚痴ろうが意味ないし、全員座って先生を待ったら?」

 

 偉そうにこんなこと言われてもウザいだけだろうけど、あえてそう言う。

 今須藤君にヘイトが向きすぎると、また自暴自棄になりかねない。そうなればようやく授業に参加してくれるようになったのに、また以前の須藤君に逆戻りする可能性がある。

 もちろん須藤君が自ら謝罪するのが一番だ。けど今の彼にそんなこと言っても素直に頭を下げるわけがない。それなら私に少しでもその不満を押し付けてもらった方がいい。

 

「なによその言い方! 黒華さんはムカつかないの? 須藤君のせいでポイントが減ったんだけど!」

 

 早速噛みついてきたのは篠原さんだ。ポイントが減額されたことがよほど気に食わないらしい。

 

「最近の須藤君は一応居眠りも遅刻もしてないし、これから気を付けてくれればいいでしょ。それに5万もポイント貰えるなら十分じゃない?」

 

「そういう問題じゃないって! 私たちが真面目にやってたのがバカみたいじゃない」

 

「真面目にやるのが常識だし、そもそも私が言わなきゃ絶対真面目に受けなかったでしょ」

 

 売り言葉に買い言葉。

 暗に『私のおかげでしょ』とでも言いたげな今の私の言葉は、まさに諸刃の剣だ。使い方を誤れば一気に険悪になる。決めつける私に篠原さんの顔が赤く染まっていく。図星をつかれた後ろめたさからじゃない、怒りでだ。

 けどこれでいい。今少し嫌われるくらいなんの問題もない。後から取り返せばいいのだ。

 私が自分の代わりにヘイトを浴びていると須藤君が気づくことで、彼は初めてそのプライドを捨てて頭を下げれるんだ。自分に代わり泥をかぶる私を見て、須藤君はようやく決心したように立ち上がった。

 

「ああクソ! 俺が悪かったって!」

 

 これでいいだろ! そう言ってまたどっかりと席に座る。傍から見ればまったく反省しているように見えないけれど、みんな須藤君が自分から頭を下げるとは思いもよらず、口をポカンと開けて硬直する。

 

「黒華さんも、篠原さんもみんないったん落ち着こう」

 

 この機を逃さずに平田君が場を治めようとする。この辺はさすがデキる男である。私も恩恵にあやかろう。

 

「うん……。ごめんなさい篠原さん。傲慢すぎた」

 

「…………」

 

 篠原さんは私の謝罪には返事をせず、苛立った様子で席に座った。平田君のもの言いたげな視線が気になったけど、直後に始業を告げるチャイムが鳴り響く。

 ほぼ同時に細長い筒を携えた茶柱先生が教室に入ってきた。その表情は普段のそれよりなお厳しく、これから大事な話がされるのだと嫌でも察する。

 

「せんせー、ひょっとして生理でもとまりましたー?」

 

 冗談の部類としては最悪すぎるチョイスだったけれど、池君なりに険悪な空気を和ませようとしてくれたのかもしれない。しかし茶柱先生はまったく気にする素振りを見せずクラスを一望するだけ。いよいよいつもと様子の違う担任の先生に、教室内の空気が張り詰め始めた。

 

「これより朝のHRを始める。が、その前に何か質問はあるか? 気になることがあるなら今聞いておいた方がいいぞ?」

 

 まるで生徒から質問が出ることを確信しているような物言いに、私が手を挙げる。

 

「先生、今朝確認したところ、支給されるポイントが減っていました。その理由を教えていただけますでしょうか?」

 

「ふっ、そうだな。今からその説明をするが、ひとまず全員自分の席に戻れ」

 

 そう言ってまだ着席してない生徒に促す。全員が自分の席に戻ったことを確認した茶柱先生はゆっくり手をたたき始めた。

 

「正直、感心したぞ。今回お前たちに支給されるポイントが減っていたのは、クラスの成績がポイントに反映されるからだ。お前たちの場合、遅刻に欠席が22回、授業中の居眠りに私語、携帯を触った回数が48回。お前たちの授業態度や、日々の素行が評価された結果、今回お前たちに支給されるポイントが決まった。つまり黒華、お前の予想は見事的中していたということだ」

 

 クラスメイト達の複雑そうな視線が集まって顔が熱い。

 上機嫌そうに褒めてくる先生だけど、タイミングが最悪だ。

 

「あ、あぶねー」

 

 そう胸をなでおろすのは池君だ。ポイントが減るとわかっていなければ、授業などお構いなしに私語しまくっただろうからね。覚えのある生徒はみな同じような反応で、つくづくギリギリの状況だったのだと思う。

 

「すみません先生、ポイントの増減の詳細を教えてください」

 

 手を挙げたのは平田君だ。今後の参考にするつもりだろうな。

 

「それは答えられない。人事考課、つまり詳細な査定内容は教えられないことになっている。社会に出てもそれは同じ。お前がこの学校を卒業して、企業に入ったとする。しかしその時の詳しい査定内容を教えるか否かは、その企業が決めることだ。わかるな?」

 

「それは……。いえ、わかりました。そういうことですか」

 

 最後はボソッと呟くと私の方を見てきた。多分質問に答えてくれない先生の話を思い出したんだと思う。皆は録音しか聞いていないけど、改めてその姿を目の当たりにしたということだ。

 

「質問はもういいな? 本題に入るぞ」

 

 持っていた筒から厚手の白い紙を取り出し、黒板にマグネットで張り付ける。張り付けられたポスターには、AからDまでの各クラスの名前と、その横に数字が書いてあった。Dクラスの横には『540』の文字。

 クラスのみんなもこれが何の数字なのかすぐに理解する。

 

「これがなんなのか理解できたか? この学校のSシステムだが、お前たちにはその全てを説明したわけではない。お前たちが自由に使えるポイントを『プライベートポイント』、そしてそのポイントの支給額を決めるポイントを『クラスポイント』という。今のDクラスのポイントは540。これに100をかけた数字がお前たちに支給されるプライベートポイントとなる」

 

 そんなシステムが採用されてたのか……。

 こんなの、ただの高校生に気づけるはずもない。上級生からも漏れなかったので、多分新入生に対してはトップシークレットなんだろう。

 

「先生、あの、AクラスとBクラスだけポイントがかけ離れているように見えるんですが、なにか理由があるんでしょうか?」

 

 手を挙げたのはまたもや平田君だ。彼の言う通り、Dクラスの540ポイント、Cクラスが520ポイントと僅差なのに対し、Bクラスは870ポイント、Aクラスに至っては980という圧倒的な数字だ。20ポイントしかクラスポイントが減っていないことになる。

 

「よく気づいたな平田、例年はこのような結果にはならないから説明が難しいが……。お前たちはなぜ自分がDクラスに入れられたと思う?」

 

「え、クラス分けとか適当じゃないんすかー?」

 

 茶柱先生の言い方はまるで各クラスには明確な基準があり、それに従ってクラス分けがされているような言い方だった。つまり──。

 

「この学校では、優秀な生徒から順にクラス分けされるようになっている。最も優秀な生徒はAクラスへ、最もダメな人間はDクラスへ、とな。ま、大手集団塾なんかでも実際に実施されている制度だ。お前らの中にはこう言われたことがある奴もいるんじゃないか? 『友達は選べ』と。不出来な人間の周りにいる人間もまた不出来な人間になっていくからな。それを防ぐための予防処置みたいなもんだ。つまりDクラスは本来最悪の不良品が集まるクラスというわけなんだが……。お前たちはその評価を覆したことになる。まったくこんな結果になるとは誰も予想していなかったぞ。職員室はお前たちの話題で持ちきりだったからな」

 

 これで本当に褒めてるつもりなのか、問いただしたくなる言葉だったし、少なくとも聞いてて気持ちのいいものではなかった。先生が言うには、学校は当初私たちを不良品などと判断したということだ。人間に使う言葉じゃない。当然怒る生徒も出てくる。

 

「ふ、不良品!?」

 

「落ち着け幸村。入学当初、学校はお前たちをそう判断していたわけだが、今のお前たちの評価は『平均よりやや劣る生徒』だ」

 

「な、そんなこと言われても嬉しくもなんともありません! いったいどうゆうことですか!?」

 

「このクラスポイントだが、これはプライベートポイントの支給額にだけ紐づけられているわけじゃない。クラスポイントが他のクラスを超えることがあれば、クラスのランクも入れ替わる。見てみろ、お前たちのクラスポイントが540なのに対し、Cクラスは520ポイント。僅差だが、お前たちの方が上ということになる。つまり、今日からお前たちはCクラス。昨日までCクラスだった連中は逆にDクラスに落ちることになる。不良品は彼らだったということだ」

 

 先生の話を聞く限り、この学校はクラスごとに争うシステムを採用しているということ。その時点でいくつも疑問が出てくるけど、一番気になるのはクラスのランクが上がることにいったい何の意味があるのかだ。

 

「先生、クラスのランクが上がってなんの意味があるんでしょうか?」

 

「いい質問だ。国の管理下にあるこの学校は高い進学率と就職率を誇っている。それは事実だし、このクラスの多くもその謳い文句を当てにしてこの学校を志願したんだろう。が、お前たちのような生徒をそのまま社会に送り出してやれるほど、この世の中は甘くない。この学校に将来の望みを叶えてもらいたいのなら、お前たちにはAクラスを目指してもらう。Aクラス以外の生徒には、この学校は何一つ保証することはないだろう」

 

「なっ!? ちょっと待ってください、そんな話聞いてませんよ!」

 

 茶柱先生が明かした衝撃の事実に、クラスメイト達が口々に騒ぎ出す。聞いてない、滅茶苦茶だ。そんな阿鼻叫喚と化した生徒たちの叫びを涼しい顔で受け流す。

 

「毎年、Dクラスは最初のひと月でポイントを枯渇させてきた。お前たちは黒華を筆頭にその事態をうまく避けたようだが、この学校ではクラスごとに成績を争ってもらうことになる。さすがにお前たちもその事実には気づかなかったようだな。例年に比べクラスポイントが上がったのはお前たちだけじゃない」

 

「あっ……」

 

 唐突に声を漏らしたのは櫛田さんだ。張り詰めた空気の中、彼女の声はよく通った。

 

「ごめんなさい……。私、他のクラスの友達に黒華さんが言ってたことを話しちゃったの……」

 

 そう言って頭を下げて謝罪する。

 

「いやいや! 櫛田ちゃんは悪くないだろ!」

 

 これは完全に櫛田さんを庇う生徒の言う通りだ。ポイントが減ることを知らない友達がいるとして、いったいどうしてそのことを黙っていられようか。

 それにクラス間で争うのを見落としたのは私の落ち度だ。ポイントをどうするかばかりを見ていて視野狭窄になっていた。今考えれば、クラスごとに能力が違うのは争い合った結果とすぐわかるのに、いったいなんでこんなことにも気づかなかったのか。

 

「櫛田の言う通り、黒華の話がクラスの垣根を越えて広まった。その結果、全てのクラスの素行が改善され、クラスポイントの減少が抑えらえたというわけだ。もしあの話をお前たちの中で留めておけば、もう少し差は縮まっていただろう」

 

「ちょっと! そんな言い方はないだろ先生!」

 

 項垂れる櫛田さんも、反発する男子生徒も無視し、茶柱先生は言葉を続ける。

 

「さて、お前たちにはもう1つ伝えておくべきことがある。こっちの話は、決して褒められたものではないがな」

 

 さっきの話のいったいどこに私たちを褒めた要素があるのか甚だ疑問だ。

 茶柱先生が張り付けたもう1枚の紙には、クラスメイト全員の名前と、その横に数字。これが何なのかはすぐにわかった。

 

「まったくこのクラスには馬鹿ばかりだな。これは先日行った小テストの結果だ。お前ら小中学校で一体何を勉強してきたんだ?」

 

 これは……たしかに想像以上にひどいな。

 一部の上位を除いて、クラスメイトの大半が65点程度しか取れていない。須藤君に至っては18点、いったいどの問題が解けたのか逆に気になるレベルだ。その次が池君の24点。クラス内平均は70点ほどかな。

 

「よかったな、これが本番だったら、7人は入学早々退学になっていたところだ」

 

「た、退学!? どういうことですか!?」

 

「そういえば説明していなかったな。この学校では中間テストに期末テスト、その両方で、1科目でも赤点をとったら即退学処分にすることになっている。『今回の小テストなら』、33点未満の生徒は全員退学処分の対象というわけだ」

 

 赤点をとったらしい、一部の生徒が大声を挙げる。張り出された紙には、31点の菊池君という生徒の上で赤線が引かれた。彼以下の生徒はみな赤点ということ。

 それよりも33点って……。一応私は皆の点数を頭に叩き込んでいく。念のためだ。

 

「ふっざけんなよ佐枝ちゃん先生! 退学とか冗談じゃねぇよ!」

 

「私に言われても困る。学校のルールで決められていることだし、そもそも勉強すれば解決だ、そうだろ?」

 

「ティーチャーの言う通り、このクラスには愚か者が多いようだねぇ」

 

 いつのまにやら取り出したらしい爪とぎで手入れをしながら、高円寺君が偉そうに言う。いつも通り足は机の上に乗せたまま。大した胆力だと思う。

 

「なんだと高円寺! どうせお前だって赤点組だろ!」

 

「フッ、どこに目がついているのかな池ボーイ、よく見たまえ」

 

 そう言って黒板を指さす。

 

「あ、あれ、ねえぞ? 高円寺の名前が──え、あ、は? 嘘だろ……」

 

 高円寺君の名前は貼り付けられたポスターの上の方、同率2位に名前を連ねていた。あんななりして勉強もできるらしい。高円寺君万能説が私の中で確固たるものとして固まっていく。

 

「まじかよ……、絶対バカだと思ってたのに」

 

 その気持ちはわからないでもない。バカであってほしいよね。

 

「まぁ安心しろ。当校設立以来、最初のひと月で上に上がったDクラスはお前たちが初めて、これは誇るべき偉業だぞ。中間テストまではのこり3週間、どれだけ馬鹿が多かろうと、お前たち全員が赤点を取らずにテストを乗り越える方法はあると確信している。せいぜい頑張って退学の危機を乗り越えてくれ。これでHRの時間は終わり。できることなら実力者にふさわしい振る舞いをもって挑むことを期待している」

 

 先生は締めくくると、質問を受け付けることもなく教室を出て行ってしまった。妙な言い方をする茶柱先生だけど、安心などできるはずもない。

 自分で言うのもなんだけど、私がいなかったらこうはならなかったはずだ。それくらいクラスのみんなも理解している。つまり茶柱先生の褒め言葉は全て皮肉だ。性格の悪さが滲み出ている。

 

 ◇

 

「なぁどうすんだよこれから!」

 

 重い空気を大声で切り裂いたのは池君だ、赤点候補者の彼は黙ったまま時を過ごすというのが耐えられなかったらしい。

 

「赤点取って退学なんて絶対いやだって!」

 

「だよな! 理不尽だ!」

 

 山内君という同調する仲間を得たからか、声のボリュームはだんだん大きくなっていく。正直ちょっとうるさい。2人の隣に座る生徒が思い切り耳をふさいでるのが目に入った。

 

「焦る気持ちはわかるけど、2人とも一旦落ち着こう」

 

 平田君はあくまでも穏当に呼びかけたけど、それがむしろ2人の琴線に触れるらしい。

 

「へっ、いいよな平田は。退学なんて絶対しないだろうし」

 

「なっ!?」

 

「ちょっと! そんな言い方ないでしょ! あんたたちがバカなだけじゃない!」

 

 煽る2人と平田君を庇う女子で舌戦が始まる。平田君は当事者なうえ、口を挟めば男性陣に噛みつかれるのが目に見えているため、どうすることもできない。

 そしてこの口論を激化する燃料がさらに投下される。

 

「赤点で退学はどうでもいい。なんで俺がDクラスなんだよ……!」

 

 聞かせるつもりはなかっただろうけれど、自制心を失った言葉は声の調整が不適切で、赤点候補者全員にしっかりと聞こえる音量で教室に響いた。

 

「なんだよどうでもいいって!」

 

「うるさいな……! こっちはそもそも不良品だなんて言われたことに納得いってねえんだよ!」

 

「んだよそれっ。自分はこいつらなんかと違いますーってか?」

 

「お前……!」

 

 山内君の挑発する物言いに幸村君が激昂する。顔を赤くして、つかみかからんばかりの勢いだ。

 

「みんな落ち着いてよ。先生が私たちに厳しいこと言ったのは、私たちに発破をかけるためなんじゃないかな?」

 

 危うい雰囲気を察して動いたのは櫛田さんだった。幸村君と山内君の間に立つと、身振り手振りで詰め寄る幸村君を制止させる。

 

「それにほら、悪いことばかりじゃないよ。私たちはCクラスに上がれたわけだし、これからもみんなで頑張ろうよ」

 

「それは、そうだが……」

 

 歯切れ悪い様子はまだ納得がいってないと如実に物語っていたけれど、ひとまず暴力に発展するような雰囲気は霧散する。

 

「ねえ黒華さん、これからどうしたらいいと思う?」

 

 もうちょっとみんなの様子を見ていたかったけれど、櫛田さんがここでなぜか私に話を振ってくる。さっき険悪ムードにしたのを忘れてしまったのかな。

 

「どうするもなにも──」

 

 やらなきゃいけないことなんて一択だと思うけど。

 これは飲み込んだ。

 先生の話と、クラスのみんなの様子を見て、私の中ではある考えが芽生え始めていた。

 

「ひとまず、みんなが今後どうしたいかを放課後に考えてみるとか」

 

 まぁまずこれか、どちらにせよ今後Dクラス、いやCクラスがどうしたいかのすり合わせをした方がいい。皆がどう思っているかは私も気になる。

 

「そうだね、僕も賛成だよ。みんなはどうだろう?」

 

 平田君が賛成を表明すると、女子連中が続くように同意していく。男子はそれが若干気に入らない様子だったけれど、櫛田さんが参加を表明すると俺も俺もと手が上がる。

 このクラスには単細胞しかいないのかと内心呆れた。

 

 ◇

 

「黒華さん、あなた本当に納得しているの?」

 

 授業が終わった直後、久しぶりに堀北さんが話しかけてきた。表情を見るにあまり機嫌はよくなさそうだけど、それは以前のいざこざとは無関係だろう。彼女の言葉には目的語が欠けていたけれど、何のことを言っているのかはわかった。

 

「私がDクラスに配属されてて納得できてるのかって意味?」

 

「そうよ。あなたは比較的優秀みたいだし、先生の話をあっさり受け入れていたのが不思議でならないのだけど」

 

「確かに、黒華は全然動揺しているように見えなかったな」

 

 綾小路君も横から口を出してきた。

 別にあっさり受け入れたわけじゃないけれど、2人の目にはそう見えていたらしい。

 

「全然そんなことないけどな。私もなんで~って感じだったし。能力順なら絶対Aクラスだと思ったんだけど」

 

 私が学校側でも黒華梨愛という生徒はAにぶち込む。自画自賛だけど、私ほど完璧な高校生もなかなかいないと思っている。私は自尊心がそれほど高いわけじゃないけれど、人一倍自信家なのは小学生の時からだ。

 

「……あまり気にしているようには見えないわね。少なくとも私は、納得することなんてできない」

 

「え?」

 

「どういう意味だ?」

 

 綾小路君の疑問には答えずに堀北さんは黙り込む。納得できないも何も、納得するしかない状況だけれど。段々と堀北さんがDクラスに入れられた理由に確信を持ちながらも、私は堀北さんに真意を問いただすようなことはしなかった。放っておいた方がいいと思ったのだ。

 私がそう判断したところで、平田君がこちらに歩いてきた。

 

「綾小路君、堀北さん。ちょっといいかな。放課後、クラスポイントを得るための話し合いをしたいと思ってるんだけど、君たちにもぜひ参加してほしいんだ」

 

 HR後の休み時間に言っていたことだ。

 

「なんでオレたちなんだ?」

 

「さっき参加者を募集したとき、2人は特に反応がなかったから、一応声をかけに来たんだ。どうかな?」

 

 2人は私の後ろにいるから見えてなかったけれど、前に立っていた平田君からは2人が参加しなさそうな様子が見えていたのかもしれない。平田君の懸念はたぶん当たってるし、やっぱりクラスメイト達のことをよく見てる。

 

「申し訳ないけれど、私は断らせてもらうわ。話し合いは得意じゃないの」

 

「無理に発言しなくてもいいんだ。その場にいてもらうだけでもダメかな?」

 

「私は意味のないことに付き合うつもりはないから」

 

 意味がないなんて断定はできないと思うけど、堀北さんはすっぱりと言い切った。

 

「……わかった、無理に誘ってごめんね。綾小路君はどうかな?」

 

 逡巡する様子を見せた綾小路君だけど、ゆるゆると首を横に振る。

 

「あー……俺もパスで、悪いな」

 

 大多数が参加する話し合いに堀北さんだけ不参加となると、クラスメイトからの顰蹙を買うことになる。事なかれ主義者らしくない判断を綾小路君がしたのは、その点を考慮したのかもしれない。まぁそんな気づかいで話し合いに不参加になるほうが事なかれ主義としてイレギュラーな対応だと私は思うけど。なんだかんだで堀北さんのことは大事に思っているのかもしれない。

 

「うん、僕こそ急にごめんね。でも、2人とも気が変わったらいつでも言ってほしい」

 

 そう言って他の生徒に声をかけに行こうとする。あ、これ私が無条件に参加すると思われてるやつだ。

 

「あ、ごめん平田君。実は私も参加できないの」

 

 後ろから声をかけると意外そうに振り返った。まぁ言い出しっぺの私が不参加とは思わないだろうな。

 

「黒華さんも? どうしてか聞いていいかな」

 

 2人にはそこまで踏み込まなかったけれど、私には聞いてくる。まぁこれはしょうがない。

 

「ちょっと放課後用事があってさ。でも終わり次第参加するよ」

 

「そうか、なら仕方がないね……。黒華さん、現時点で意見があったりしないかな?」

 

 私には若干粘りを見せる平田君。まぁ現状私がクラスメイトに頼られるのはしょうがないか。

 それに頼られるのは嫌いじゃない。

 

「うーん、今後のための話し合いってことだけど、たぶん目先の話だけした方がいいと思う。退学者を出すのは論外だしね。あと、もし勉強会とか開くなら、私は好きに使ってもらっていいからね」

 

 退学者を出したクラスに、どんなペナルティが課されるかわかったものじゃない以上、これは絶対だ。

 

「そう言ってもらえると本当に助かるよ。ありがとう黒華さん」

 

 お礼を言い残して平田君は自分の席に戻っていく。欲しかった返事は一切もらえなかっただろうに、負の感情を全く感じさせない振る舞いはさすがと言ったところだ。

 デキる男はやはり違う。

 

「平田も偉いよな。あんな風にすぐに行動に移すんだから」

 

 私が感じたこととは違ったけれど、綾小路君も平田君を称賛する。

 

「それは見方によるわね。安易に話し合って解決する問題なら苦労しないわ。頭の悪い生徒が集まって話し合ったところで、建設的な案が出るとは思えない」

 

 堀北さんはそう言うけれど、もしそれが本音なら、私が参加するかどうか聞いてから不参加を表明してもおかしくなかったと思うんだけれど。

 私だって建設的な案が出せるかどうかは知らないが、堀北さん自身が私のことを優秀だと言っていたのだ。発言と行動が矛盾している。彼女が放課後話し合いに参加せずに何をするつもりなのか、なんとなく察しながらもそれを口にすることはなかった。

 どうせ絶対怒るからだ。

 

 ◇

 

「黒華さん、よかったら2人でご飯行かない?」

 

 昼休み、私を誘ってきたのは松下さんだ。松下さんは普段、篠原さんとか佐藤さんとかと一緒にご飯を食べているので、こうやって昼休みに私を誘ってくるのは初めてのことだった。

 タイミングがタイミングだし、ただの気まぐれなんかじゃなくて、私と2人で話したいことがあるから声をかけてきたんだろうな。

 

「いいよっ。食堂でいい?」

 

 OKとのことだったので、2人で教室を出て食堂に向かう。周りに人が多い状況でご飯を食べるのは躊躇われるけど、幸い端っこの方の席を確保できた。

 食事中話せない私に配慮してくれた松下さんと黙食し、食べ終わるなり早速と言わんばかりに口を開いた。

 

「わざとだよね?」

 

 その短い言葉だけで、私に何の話をしに来たのか一発でわかった。

 主語も目的語も欠けているのは、周囲の人に何の話をしているか悟らせないため。私がその6音だけで意図を理解できると判断していることも鑑みると、松下さんは相当優秀な人なのかもしれない。

 途端に思い出したのは松下さんの小テストの結果だ。たしか平均よりちょい上くらいだったはず。絶対に手を抜いたでしょ。

 

「ああいうのは気に入らない?」

 

「ん~複雑って感じ? 篠原さんだってイライラしすぎだと思うけど、全面的に悪いのは須藤君。でも須藤君は絶対に自分から謝ったりしなかっただろうし……」

 

 綺麗な髪をくるくると指に巻き付ける松下さんは、自分でもどうするのが正解だったのかは理解していない、いや、判断できていないって感じか。

 そもそもあの喧嘩じみた騒動に正解は1つだけだった。須藤君が自ら謝罪しない以上、須藤君が傷つくか、彼に不満のある生徒が鬱憤を溜め込むかの二者択一。私は前者の方がクラスにとって不利益になると判断しただけ。

 

「あれはどうにもならなかったんだよ。運が悪かったと諦めるしかない」

 

「身も蓋もないって感じだね」

 

「でも対処療法はある。今日誘ってくれたのはその話をするためでしょ?」

 

「あはは……。参ったな」

 

 思惑を言い当てられて苦笑いする。

 

「黒華さんが言う通り、篠原さんの機嫌は私がとっとくよ。他のみんなはそこまで怒ってないからね。5万もポイント貰えるなら全然オッケーって感じらしいし。私もそう」

 

 そう言って自信ありげな笑みを浮かべる。篠原さんと仲のいい松下さんが説得してくれるなら、これ以上手を煩わされることはない。松下さんの協力は願ってもないことだった。

 

「ありがとう、お願いします」

 

 快く了承してもらったことで、2人で教室に戻る。平田君や櫛田さんが何かしたのか知らないけど、どうやら赤点候補者以外のほとんどの生徒は、先生の言っていたことを飲み込んだらしい。登校直後や、SHR直後の混乱した空気はすでに霧散していた。これなら放課後の話し合いも形になるだろう。

 

「後は運ゲーだなぁ……」

 

 こればっかりは仕方がない。部活動説明会に参加していれば何とかなったけど、あの日は学校の視察をしなくちゃいけなかったんだ。

 とりあえず今後のシミュレーションだけしておこう。授業中の先生の話は全て聞き流し、この中間テストをどのように乗り越えるか考え続けた。




 御清覧ありがとうございます。
 
 はい、というわけで悩みましたがいきなり下剋上を起こすことにしました。
 初めて後書きを使いますが、本作は結構独自設定(妄想多く含む)が出てくるので、これからはそういったところの補足説明に充てようかと思います。
 そんなんどうでええワって方はスルーしてもらってOKです。
 
 今回は原作とのクラスポイントの乖離についてです。

Aクラス:原作940CP→980CP(+40CP)

Bクラス:原作650CP→870CP(+220CP)

Cクラス:原作490CP→520CP(+30CP)

Dクラス;原作0CP →540CP(+540CP)

という感じでどのクラスもCPが滅茶苦茶上がってます。特にBクラスは顕著です。

一応裏設定はこんな感じにしてます。

Aクラス:黒華の話聞いても弥彦あたりが寝坊とかで減点させてそう。どうせ原作も半分くらいは弥彦が原因の減点でしょう。

Bクラス:黒華の話聞いた一ノ瀬がいち早くクラスを統制。特に櫛田が他クラスに友達を作るとすれば最初はBクラスだと思うのでガッツリ上げました。黒華の話が出たのは入学3日目なので、実際はもっと上がるかもしれません。Aクラスと100ポイントくらいしか差がないので、無人島でAに上がる可能性すらあります。

Cクラス:たぶん暴力でクラスポイントを大きく減らしたと思うのであまり恩恵を受けさせてません。龍園は従えた相手には真面目に授業を受けさせてますが、これは原作でもたぶんそう。あと櫛田の話が伝わるのが最後になるかと思いますのでそれもあんまりCPが増えてない理由です。Cクラスは不良品認定される説明を受けてますので、黒華へのヘイトがやばいです。

Dクラス:Sシステムの秘密を暴いても足を引っ張りそうなのは池、山内、須藤、軽井沢、篠原、佐藤あたりですが、どうも原作2巻冒頭の描写を見る限りポイントが減ることに気づいた場合、須藤以外は真面目に授業を受けそうなので、私語はかなり少なくなっています。
 問題は須藤の遅刻と居眠りですが、今回は入学2週間時点で主人公が解決済みなのでポイントの減少は最小限で済んでる感じです。
 
 それと本作は具体的な遅刻や私語の回数を設定していますが

 遅刻欠席1回につき-10CP
 私語や居眠りなど1回につき-5CP
 
 で計算してます。
 まぁ原作見る感じどのクラスも一桁目が綺麗に0なので、実際には多分どんな減点行為も最初の1か月は10点単位で設定されていると思います。もしくはそもそもそんなに細かく設定されていないかですね。ぜひ設定資料集とか出してほしい。
 
 正直540CPはいくらなんでもやりすぎかなと思いましたが、よくよく考えれば3日目でクラス全員にSシステムの秘密を暴露してるのに、半分しか残せないほうがおかしいと思いましたので突き抜けることにしました。

 今回の後書きはこれで終わりです。
 評価や感想、大変励みになっております。これからもどうぞよろしくお願いします!
 では、アデュー!


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9話

 放課後、授業が終わってすぐに教室を出ていく。

 私の不参加はすでに平田君に伝えているので、私が不参加なことは彼がクラスのみんなに伝えてくれるだろう。

 後はデキる男に任せておけばいい。というかこの程度の話し合いもできないならこのクラスの行く末は暗い。こんなのはAクラスに上がるための最低条件にもならない。

 とにかく今はできるだけ早く行動することだ。急がなければいけないけど、急いでいると悟られてはいけない。他クラスの生徒が教室を出ていく前に、素早く校舎から出て寮に向かう。

 エレベーターを降りて部屋に飛び込むなり、洗面台前に立って化粧道具を棚から引っ張り出し、鏡に映る私の大好きな、そして大嫌いな顔を見つめる。

 

「んーどうするっ」

 

 悩んだけど化粧は落とさずにそのまま行くことにした。普通なら失敗して一気にブサイクになる可能性もある強行だけど、私の顔なら大丈夫でしょ。

 というかブサイクになるために今こうやって化粧するのだ。ただあんまりやりすぎるとドン引きされるから注意しよう。

 まずチークを濃くつけおてもやんにしていく。次に眉毛を太く長く、少しがたつきも入れよう。この辺は適当でいい。

 最後にペンシルアイライナーを手に取り、そばかすを描いていく。不自然さが出たら意味ないので、これは丁寧にやっていく。左右不均等に描き終えたら、フェイスパウダーをはたいて完成だ。

 

「あとヘアゴムと眼鏡だ」

 

 手でぐしゃぐしゃに散らした髪を、適当に見繕ったヘアゴムでポニーテールに束ね、入学して3日目に高円寺君に買ってもらった伊達メガネ(0ポイント)をかけて鏡に映る自分を見る。マスクをしていないことが何より大きいけど、普段みんなが見る『黒華梨愛』とはまるで別人だ。まず気づく人はいないだろう。

 問題は私の素顔を見て対面する人間が正気を保てるかどうかだけど、ある程度顔に手を加えることでなんとかなるのは中学校時代に実証済みだ。美しさとは薄氷のようなもの。少し手に力を入れるだけで割れて溶けてしまう。

 

「目の色も変えたかったけど……」

 

 私の目は血の滲んだ黒色と表現するほかないような、日本人離れした目の色をしている。この目は神秘的で私の顔とも大層マッチしているので、顔のパーツで1番のお気に入りだけど、私の大きな特徴でもあるので今回はちょっと邪魔だ。カラコンをして誤魔化したかったけれど、あれは無料じゃないので買ってない。そもそも使う予定もなかったのだ。

 それにまぁ変装としては十分でしょ。

 着ていたシャツの色も水色のやつに着替えてから寮を出る。途中エントランスで同級生と思しき人に顔を見られたけど、ちょっと視線を感じるだけで済んだ。心配してた点はクリアした。

 教室を出た私が向かったのは生徒会室だ、アポイントなんて一切取っていないため、中に入るわけにもいかず部屋の前の廊下の壁に体を預けて、誰1人として面識のない生徒会の人が来るのを待つ。

 正直誰が来るかは完全に賭けだけれど、適当な上級生を捕まえて確認するわけにもいかない。確実性に欠けるし、接触する人が増えれば増えるほど私の話は広がってしまう。それは避けたい。この学校のことを考えると、『入学後に黒華梨愛という生徒が上級生を嗅ぎまわっていた』という情報が広まっていても不思議じゃない。クラスごとに争いあうとわかった今、私の動きを必要以上に広めたくない。

 携帯を触っているわけにもいかず、ただ暇を持て余していると、こちらに向かってくる足音が聞こえた。おそらく1人、その足取りは早いけれど、急いでいるという印象は受けない。

 姿を見せたのは、紫色の髪を左右対称にお団子結びにした小柄な女性。彼女の容姿だけでは生徒会役員だと判断できないけれど、何やら箱詰めされた荷物を手に持っていた。多分生徒会が管理する備品の一部だろう。私も中学校時代はあんな雑用みたいな真似をしたもんだ。

 

「あれ? あなたは……」

 

 こちらから声をかけるつもりだったけれど、意外と早く気付かれた。荷物を抱えたまま私の前で立ち止まる。

 

「もしかして生徒会入りを希望の方ですか? 1年生ですよね?」

 

「いえ、生徒会に入りたいのではなく、生徒会役員の先輩方にちょっとご相談がありまして。私、Dクラスのシラハアカネって言います!」

 

 正々堂々と偽名を名乗り、明るい声で挨拶する。第一印象大事、ホントに。

 

「ええ!? アカネって、私とおんなじ名前じゃないですか、すごい偶然ですね! 私は生徒会の橘茜です」

 

 え、そうなの? 偽名だけどそれはたしかにすごい偶然だ。

 ちなみにシラハアカネ改め白羽朱音さんは私の中学校時代の同級生だ。かつて副会長をやっていた。

 

「あははっ、こういうのってちょっと嬉しくなりますよね。それで先輩、お忙しいと思うのでよろしければ生徒会のお仕事の後にお時間いただきたいのですが……」

 

「あ、今からで大丈夫ですよ! 会長から、今日の放課後に接触してくる1年生がいたら、生徒会室に連れてくるように言われてますから。じゃあ行きましょうか」

 

 はい? 

 

 聞き逃せない台詞に猛烈に嫌な予感がして踏みとどまる私をよそ目に、橘先輩はガチャリと生徒会室の扉を開く。橘先輩は私を歓迎するらしく、ニコニコしながら扉が閉まるのを体で抑えるというサービス付きだ。

 橘先輩の話をかみ砕くなら、生徒会長が他の1年生と会う約束をしていると考えるのが普通だ。というかそうであってほしい、それしか考えられない。が、しかしもしそうでなければ、生徒会長は今日生徒会に接触してくる1年生がいることを確信しているということになる。

 

『生徒会長、一言も話さずに私たち全員黙らせちゃったんだよっ。ちょっと怖かった~(笑)』

 

 入学直後、部活動説明会に参加した櫛田さんから送られてきたメールの一文が頭をよぎる。

 これは、判断を誤ったかもしれないな。

 とはいえ今更帰るわけにもいかず、生徒会室に入る。

 踏み入った生徒会室は無駄な装飾品などはなく、厳格な雰囲気を閉じ込めた空間だった。どうやらまだ誰も来ていないらしく、人の気配はしない。橘先輩に口を挟めないまま、いそいそと応接室に案内される。

 

「会長はもうすぐでいらっしゃると思いますから、座って待っていてください。あ、お茶入れますね、緑茶でいいですか?」

 

「あ、あの橘先輩、私生徒会長と特に約束などはしてないんですが……」

 

「え? でも会長は放課後すぐに一年生が接触してくるだろうって言ってましたよ?」

 

「えっと、たぶん人違いです」

 

 限りなく申し訳なさそうな生徒を演じながら暗に帰りたいと願い出るも、橘先輩はうーんと可愛らしく首をかしげるだけ。小動物みたいで本当にかわいい。

 

「一応、ここで待っていてもらえますか? どちらにせよ私も今日は空けておくよう言われているので、もし人違いでも相談には乗りますよ!」

 

「そ、そうですか、ありがとうございます」

 

 善意100%の橘先輩の提案にあえなく撃沈する。

 人違いだろうとそうでなかろうと誰にも見つかることなく生徒会室を抜け出したかったけれど、それは叶わなさそうだ。名前が同じ後輩ができたことがどれだけ嬉しいのか、私にお茶を出した橘先輩はずっとニコニコして学校にはもう慣れたかとか話しかけてくる。私たちが今日茶柱先生になんて言われたのか知らないのだろうか。

 屈託のない笑顔がま、眩しいよ……。

 

 そうして生徒会室に連行されて5分程度経った後、隣の部屋でガチャリと扉が開く音がした。

 

「あ、これはたぶん会長ですね。呼んできますね」

 

 そう言って橘先輩はトテトテと応接室を抜け出していく。

 今のうちに隠れられたりできないかな……。

 そんな無駄なことを考えてる間に数十秒と待たずして橘先輩が戻ってくる。話が早すぎるでしょ。

 彼女が連れてきたのは眼鏡をかけた男子生徒だ。背はそんなに高くないけれど、知的な顔立ちをしていて、なにより眼鏡の奥で光る力強いまなざしが特徴的だった。彼は何も言わずに私を一瞥すると、向かいのソファーに座る。もちろん私の座っているものより装飾が豪華な方だ。こういう演出はちゃっかりしてるところが憎らしい。そして橘先輩は推定生徒会長にお茶を出すと、なぜかソファーには座らずに男子生徒の後ろにポジショニングする。秘書かなにかかな? 

 

「会長、こちらが先ほど接触してきた一年生のシラハアカネさんです」

 

「そうか、歓迎するシラハアカネ。俺は生徒会長の堀北学だ」

 

「ど、どうも」

 

 意外と友好的な表情を浮かべる堀北会長。

 というか堀北? 

 

「さて、早速要件を聞こうか」

 

 好奇心が顔をのぞかせたが、今聞いてもただの野次馬なので押しつぶす。

 

「はい、その、単調直入にお願いしますが、先日の小テストと、今回の中間テストの過去問を譲っていただけませんか?」

 

「ほう?」

 

 すぐに返事は寄こさず、興味深そうに私の目を見てくる。

 

「お前はDクラスと名乗ったそうだな。それは今もそうか?」

 

「あ、すみません。そういえばCに上がったところでした」

 

 本当は前までCクラスでしたと名乗るつもりだったけれど、急遽予定を変更することにした。もしこの生徒会長が『黒華梨愛』を探しているのなら、Cクラスと名乗ることでなにかしらの反応が得られると思ったからだ。生徒会長がどこまで私のことを把握しているのか探りを入れておきたい。これはそのための準備だ。

 

「ええ!? DクラスからCクラスに上がったんですか!?」

 

 すごい大声で橘先輩が驚く。茶柱先生は史上初だと言っていたけど、それだけ衝撃的な事案らしい。これは後でクラスのみんなにそれとなく伝えておこう。いいカンフル剤になるはずだ。

 

「そして、その裏には1人の女子生徒の存在がある。シラハ、お前がここに来たのは黒華梨愛の指示によるものか?」

 

 喰いついた! 

 あっさりかかったことに内心邪悪な笑みを浮かべる。やっぱり生徒会長は私のことを知っていたんだ。入学早々行動しだしたことを何らかの方法で知り、そして今日私が動くと踏んで網を張っていた。変装してきて正解だったなほんとに。

 

「いや、黒華さんは特に何も……。教室でみんなと話し合いをするそうです」

 

 後でみんなに根回ししておこう。確認されると嘘がバレる。

 

「そうか……。お前の言う過去問だが確かに提供できる。しかし条件を付けさせてもらおう」

 

「あ、ポイントならもちろんお支払いします」

 

「いや、シラハ、お前にポイントは要求しない。その代わり俺の質問に答えてもらう」

 

 生徒会長ならそんなに改まって聞く必要なんてないだろうに。堀北会長のまとう雰囲気が変質したのを感じ取り、なんとなく居心地が悪くなった私は少し座りなおした。

 

「シラハアカネ、お前はなぜ身分を偽っている?」

 

 思い切りクリティカルヒットを食らってしまい、思わず唖然としてしまう。

 いったいどういう──。

 そんな間抜けな思考をする時間すら許さずに堀北会長は畳みかけてきた。

 

「名前だけではない。髪型、伊達メガネもそうだ。あまつさえ化粧までしてお前の特徴のマスクも外している。『そう』と思ってかからないとまず気づかないだろう」

 

 あ、ヤバイ。完全にバレてる。

 理由はわからない。でもこのまま向こうに話を続けさせるわけにはいかない。

 

「あ、橘先輩にも話したんですが、どうやら人違いがあったようなんですぅあはは。お邪魔してしまったようなので、私はこれで失礼しますね?」

 

 笑ってごまかそうとする私だったけれど、そんな手法が通じる相手なわけがない。立ち上がろうとしたところですぐにストップが入る。

 

「人違いではない。俺は今日お前が来ると予想していたぞ黒華梨愛」

 

 あー。

 なんで? 

 

「会長、どういうことなんでしょうか?」

 

「コイツは自分の暗躍を他クラスに悟らせないため、あえて身分を偽ってお前に接触してきたということだ。あまつさえ変装までしてな」

 

「ええ!? じゃあおんなじ名前というのは……」

 

「お前に親近感でも持たせようとしたんだろう。小細工を惜しまないらしい」

 

「あ、いやそれは偶然です。私は橘先輩のこと知らなかったので」

 

 ショックを受けた顔をする橘先輩を放っておけず、口を挟んでしまう。この場で余計なことは絶対に言うべきではないのに。

 いや、もういいか。

 この会長は最初から身分を偽る生徒が、いや、黒華梨愛が生徒会に接触してくると予想していたのだ。いったい何の根拠があってそんな推測を立てられるのか想像もつかないけれど、明らかに『格上』だ。こちらの切れるカードは全て読み切られていると考えるべき、ならばこれ以上有利を引き出されないように真っ向勝負を仕掛ける。

 

「ふぅ、まいりました堀北会長、身分を偽った無礼、謝罪します。改めまして、私はCクラスの黒華梨愛です。それで、なんで偽名を使っているかでしたね」

 

「ああそれだが、答えなくて結構だ。代わりになぜ過去問を欲しがるのか答えてもらおうか。今度は嘘偽りなくな」

 

 つまり嘘をついたらこの交渉はご破算にするということ。それだけじゃなく私のことを吹聴するかもしれない。目的はわからないけれど、言われたとおりにするしかない。

 

「……私のいるCクラスはお世辞にも学力が高いとは言えません。退学の危機にある生徒が多く、確実に赤点を回避する手段が欲しいんです」

 

「ああそうだ、隠し事もなしと付け加えておこう」

 

 私に全てを話す気がないことを一瞬で見抜く。

 ぐぬぬ……なにがああそうだ、だ! 

『生徒会長を騙そうとした一年生』という私の後ろめたい部分を容赦なく突いてくる。もうちょっと後輩に優しくしなさいよ! 

 

「今日担任の茶柱先生から定期テストで赤点を取った生徒は退学になることを明かされました。しかしその際、妙なセリフを残していったんです。『お前たち全員が赤点を取らずにテストを乗り越える方法はあると確信している』と。ですが私のクラスには先日の簡単なテストで18点を取ってしまうような生徒もいます。そんな生徒が今から猛勉強に励んだところで、退学を免れる可能性は決して高くはありません。なのに茶柱先生は『確信』という強い言葉を使った。私はそこから、今回の中間テストには確実に赤点を回避する手段が残されていると判断しました」

 

「それで?」

 

「…………赤点を確実に回避するには1つの条件を満たすしかありません。『最初から出される問題と答えを知っていること』です。私はその条件を満たす方法として、堂々とカンニングする、あらかじめテストの内容を教師から聞くなど、いろいろ考えました。過去問の入手もその一つです。しかし中間テストの過去問を手に入れたところで、その問題が今回の中間テストに役に立つとは限らない。そこで、先日行われた小テストのことを思い出しました。あの小テストは妙でした。日本史の時間だったのに5科目で問題が作られていましたし、なにより明らかに難易度の高い問題が少し出ていました。私はずっとあの小テストの意味を考えていましたが──思いついたんです。もしあの小テストが過去にも出ていたら? 同じ問題が出ていたなら、カンニングでもなんでもして答えを出せます。今回小テストも要求したのは、それを確認したかったからです」

 

 包み隠さず、全部言った。

 これでもし続きを要求されたらアドリブで話さなければならない。嘘だと断定されればアウト。情報を抜かれただけで終わる。

 

「……どうやら全て話したようだな」

 

 どうやら大丈夫らしい。

 少し安心したところで、スピーカーからアナウンスが流れる。内容はなんと茶柱先生によるCクラス所属綾小路君の呼び出し。彼いったいなにをやらかしたんだ。

 気を取り直したところで、さっさと本題に入ろうと口を開く。

 

「ええ、それで、どうでしょうか? 譲っていただけるんでしょうか?」

 

 私の催促には返事をせず、堀北会長は少し考え込むように黙った。

 

「俺がなぜお前に長々と話させたと思う?」

 

「それは……私の思考パターンを探るためでしょうか? ですがなんのためにそんなことをするのかがわかりません」

 

「正解だ。お前という生徒を見極める必要があった」

 

 言い放った堀北会長はなにやら橘先輩に指示をする。頷いて応接室を出ていった橘先輩だったけれど、すぐにクリアファイルを手に戻ってくる。

 

「黒華、過去問を譲ってもいい。望み通り小テストもつけよう。ただしタダというわけにはいかない。ポイントを支払ってもらう」

 

「当然ですね、いくらでしょうか?」

 

 ひとまず交渉成立──。

 さすがに堀北会長もふざけた値段を吹っかけてきたりはしないだろう。

 ほっとしたところでお茶を一口。

 

「30万だ」

 

「ッ!! ゲホ! アッ、ゲホッ! オホッ!」

 

 むせて苦しそうな私の背中を橘先輩がさすってくれる。

 やさしい……。

 

「は、払えません!」

 

「だろうな。冗談だ、10万でいい」

 

 これは会長なりのジョークなの? 

 悪びれもせず答える堀北会長にますます敵愾心が膨れ上がるけど、我慢だ我慢。10万もかーなりキツイけれど、ギリギリ払える。中間テストが終わった後にでもクラスのみんなに請求しよう。

 

「ふぅ、それならお支払い──」

 

「だが、実は無料で手に入れる方法があるとすればどうする?」

 

 答えようとする私に覆いかぶせてくる。本当に主導権を握られっぱなしだな。何を言い出すつもりか皆目見当もつかない。持ってる情報量が違いすぎるのだ。

 

「……方法によりますね」

 

「当然だな。さて、話は変わるが黒華、お前は実に優秀な生徒のようだな」

 

 それ今関係あるのか? 怪訝そうな私を放っておいて堀北会長はクリアファイルから複数枚の紙を取り出した。過去問かと思ったけれど違う。この紙には見覚えがあった。

 

「当校の入学試験において、全教科満点を記録し、面接でも最高評価を獲得。先日の小テストも満点。学年トップの成績だ」

 

「な、なんで生徒会長がそんな情報を!?」

 

 心の声がそのまま出た。

 

「どうやらお前も中学校時代生徒会長をやっていたらしいな。この学校の生徒会は他とは一線を画す。こういった情報が入ることは稀だが、それでも一般の生徒とは比べ物にならない権力を持っている」

 

 それはそうなんでしょうね。こうしてまざまざと私の入試の答案用紙を見せつけられているわけですし! 

 しかしこの学校は生徒のプライバシーを守る気がないのか? なんで私の答案用紙が流出している? どういう了見で積極的に生徒の情報を流す? 訴えたら賠償金勝ち取れるのでは? 

 

「さらにお前は入学直後にプライベートポイントが増減することに気づき、クラス全体にそれを共有した。そういった生徒は時々現れるが、それは全てAクラスの人間であり、さらに入学してからある程度時間が経った後だ」

 

「お褒めの言葉どうもありがとうございます、それで──」

 

「俺もお前の立てた3つの説は耳にしたが見事だったな。すべての説に対して根拠を用意し、クラスメイトを説得した結果、お前たちDクラスは540ものクラスポイントを残すだけでなく、Cクラスへと昇格した。これは前代未聞の事態だ」

 

「ええ、それはもう──」

 

「さらに今日他クラスと競い合うと知った途端に、自身の行動を周囲に悟らせないように変装して俺たちに接触し、過去問を入手しようと画策した」

 

「あはは、会──」

 

「そして今、自分の実力を過小評価させるために、俺に出し抜かれた間抜けな生徒を演じているわけだ」

 

「………………」

 

 堀北会長の言葉を受けて、私は1つの疑念を抱いた。いくらなんでも私の思考が辿られすぎだ。

 確かに私は堀北会長が私のような生徒が来ることを予想していたことを明かした瞬間、間抜けな生徒を演じることに決めた。実力をさらけ出して警戒させる方が厄介だと判断したんだ。

 わざとへたくそな芝居を打って帰ろうとしてみたり、不意打ちをうけてむせてみたり。私は別に大根役者というわけではなかったはず。だからこそわからない。なぜそこまで読めるのか。

 そこだけは本心からわからなかった。

 

「心を読まれるのは気味が悪いか?」

 

「まぁ、そうですね。困惑してます」

 

「これまで俺はAクラスの最前線に立って戦い続けてきた。人を見る目はあるつもりだ。それに、お前の思考回路は俺と似ている。お前の行動一つ一つを分解すれば、その思考をある程度トレースすることは可能だ。さて、本題に入ろうか」

 

 今までの話はなんだったんだ。

 

「黒華梨愛、生徒会に入らないか?」

 

「えぇ!?」

 

 私にとってもその提案は意外だったけれど、橘先輩はもっと意外だったらしく、大きな声で驚いている。

 

「橘、書記の席が空いていたな?」

 

「え、ええ。ですが、本気ですか?」

 

「実力的には申し分ないだろう。それとも橘は不服か?」

 

「いえっ、会長がそうおっしゃるならっ」

 

 ピンと背筋を伸ばして堀北会長を肯定する。

 クリアファイルの中には、なぜか私の名前が書かれた生徒会の入部届が用意されていた。

 最初から、こうなると決まっていたのだ。

 ──化け物め。

 

「……目的を聞いても?」

 

「それについてはお前が生徒会に入った場合に教えよう。他でもないおまえのためだ」

 

 つまり生徒会に入った暁には、厄介ごとに巻きこまれるということ。わざわざ教えてくれるのは堀北会長なりの慈悲かなにかか。

 

「…………」

 

 簡単に決められることではない。

 ここで話を引き受ければ私はますますマークされるだろう。生徒会長自らスカウトしたとなればなおさらだ。

 生徒会に入った際の魅力は主に2つ。

 1つはその権力の恩恵を私も受けられることだ。

 そしてその強さは今さっき身をもって体感したばかり。生徒会役員だからと言って無条件にあらゆる情報をかき集められるわけじゃないだろうけれど、それは私の力量次第だろう。どちらにせよ今後クラス間抗争を勝ち抜いていくためには情報源の確保は必要不可欠。生徒会はその中でも最高峰の選択肢と言える。入学1か月目にして大きなアドバンテージを得られる。情報収集のために奔走する必要もなくなるからだ。

 もう1つのメリットは少なくとも目の前の2人の協力を得られること。

 自分でスカウトしたんだから堀北会長なりに私を利用する魂胆なんだろう。タダで使いつぶされる気は毛頭ないし、堀北会長もそんな間抜けに用はないだろう。それに情報と経験の両方が不足している私に、2年間この学校で戦い続けてきた2人の協力は喉から手が出るほど欲しい。

 

 ではデメリットはなにか。

 それも2つか。

 1つは私のことが間違いなく学校中に知れ渡ること。これはさっきも考えた通りだ。マークされれば振り切るのが面倒だし、単純に私の思考が読まれると戦いが不利になる。勝ち続けるために、クラスに最低もう1つのブレインを用意する必要があるわけだ。

 もう1つは面倒ごとに確実に巻き込まれること。こっちが重要だ。

 内容はわからないけれど、三年生の戦いに駆り出されることはさすがにないだろう。堀北会長が評価しているのはあくまで私個人で、私のいるクラスじゃない。となれば、私個人の力が必要になる場面──。

 つまり生徒会内での権力争いに巻き込まれる可能性が高い、というか確実にこれだ。

 これは正直巻き込まれたくないのが本音だ。堀北会長クラスがゴロゴロいるとはさすがに思わないけれど、容易く殺せる相手ばかりじゃないのは間違いないし、今の段階で敵を増やすのは賢い生き方とは言えない。

 そこにまだ入学したばかりの私が飛び込むのは、猛獣だらけの檻に棒切れ一本持たされて放り込まれるようなモノ。屈強な戦士でなければあっという間に生肉団子だ。

 最悪何もかもぶち壊して滅茶苦茶にする方法もあるけど、ハルマゲドンを起こすのは結構大変なのだ。監視カメラも多いし、そんなにうまくいくかもわからない。

 となると欲しいのは──。

 

「……堀北会長の敵って誰なんですか?」

 

 ここでようやく堀北会長の表情が変わった。これまでまともな反論1つできなかったけれど、仕返しぐらいはできたかもしれない。

 少し悩んだ堀北会長だったけれど、やがて口を開いた。

 

「生徒会の副会長だ。2年Aクラスの南雲雅。きわめて優秀かつ残虐な男だ」

 

「残虐……」

 

 斧持ってホッケーマスクでも被ってるのかな? 

 

「これまで、奴に歯向かった生徒は一人残らず退学している。その結果、奴は自身のクラスだけでなく、二年生全員を支配するに至った」

 

「え、ヤバイ奴じゃないですか」

 

 まさに独裁者というわけだ。

 自分のクラスだけでなく他のクラスも掌握しているということは、少なくとも2年生という枠組みにおいて、その南雲とやらは圧倒的な実力を有していることになる。

 なんでそんな人生徒会にいれてしまったんだ。

 

「南雲が生徒会を志望した時、俺はまだ生徒会長ではなかった。当時反対したのも俺1人、残念ながら南雲の生徒会入りを阻止することはできなかった」

 

 疑問は口にはしなかったけれど、堀北会長がまた私の心を読んで補足してくる。

 

「つまり、堀北会長は私と一緒にその南雲という男と戦ってほしいと。私を生徒会に誘った理由を言わなかったのは、それを伝えるだけでも私に危険が及ぶから」

 

 敵対した瞬間、2年全体もまた敵に回ることになる。厄介なんてレベルではない。

 

「その通りだ。俺もお前たちを最大限サポートするが、簡単に下せる相手ではないのは間違いない」

 

 堀北会長の目つきは真剣そのもの。なんだかんだで後輩思いの人なのかもしれないな。迷ったけれど、私はその目を信じてみることにした。

 人を見る目はそこまで自信はないけど、人の『目』を見る目はあるつもりだ。

 

「わかりました、引き受けます」

 

「……誘っておいて言うが、本気か? 南雲の話は冗談ではないぞ」

 

「これも何かのご縁ですし、必ずしも会長の味方になるとは限りませんから」

 

 私の言葉に橘先輩が若干顔を青くする。こんなこと言う後輩がいるとは思わなかったんだろうな。

 とはいえ報酬や状況次第では迷わず南雲側につく。たかだか10万ポイント相当の過去問に買い叩かれるつもりはない。

 生徒会入りを決めた私はペンを手に取り、入部届に必要事項を記入していく。 

 

「よく堂々とそんなことが言えましたね……」

 

「完全な味方ではありませんし、これくらいの牽制はあってしかるべきでしょう。堀北会長、ひとまずこれを渡しておきますが、受け取るのは中間テストが終わってからにしていただけませんか?」

 

「もとよりそのつもりだ。テスト返却日の翌日、授業が終わったら生徒会室に来い。そこで改めてお前を紹介する。南雲もすぐに仕掛けてくることはないだろうが、俺が勧誘したとなれば間違いなくお前に目をつけるだろう」

 

「でしょうね」

 

 クラスのみんなには迷惑をかけることになるかもしれないな。まぁでもおつりが出るくらいには貢献したでしょ。プラマイでプラスなら文句は言わせん。最悪ウソ泣きでもしよう。

 

「話を戻そう。お前の欲しがる過去問を渡す。約束通り無料でな。ついてこい」

 

 そうして応接室を出て生徒会長の席まで戻る。

 堀北会長はデスクを開いてすぐにもう一つのクリアファイルを手渡してくる。確認した中身は全科目の過去問で、一番後ろに紛れていた小テストの内容は、私が受けたものと全く一致していた。一言一句違わずだ。

 

「それと黒華、これは俺と橘の連絡先だ。お前のも教えろ」

 

 2人と連絡先を交換する。

 橘先輩、嬉しそうでよかった……。偽名だとバレたときは嫌われるかと……。

 生徒会室からは別々に出ろということなので、一足先に退出することになった。予想外のことは重なったけれど、ひとまず目的は達成だ。

 あ、けど一つだけ聞き忘れてたな。

 

「堀北会長、1つだけよろしいですか?」

 

「どうした?」

 

「私のクラスに同じ苗字の女子生徒がいるんですが、もしかして妹さんとか?」

 

 何気ない質問のつもりだったけれど、堀北会長の顔はあまり穏やかとは言えなかった。無関係ではないけれど、あまりいい関係でもないということか。地雷を踏んでしまったかもしれない。

 

「そうだ。だが俺に遠慮することはない。好きなように接するといい」

 

「そうですか、では失礼します」

 

「ああ、気をつけて帰れ」

 

『気をつけろ』か……。

 かつて真嶋先生にも同じことを言われた。今ならなぜそう言ったのかがありありとわかる。

 隙を見せるな、ということだ。

 その一言だけで、南雲という男がどんな人間か察せられて嫌になる。

 

「まぁ大丈夫か」

 

 相手が男なら最悪何とでもなる。いつでも殺せる人間のことなど考えても仕方がない。

 それよりもクラスでの話し合いだ。

 携帯を見てみると、どうやらもう話し合いは終わってしまったらしく、その旨を知らせるメールが平田君から届いていた。それと、ちょっとしたハプニングというか、トラブルがあったらしい。なんでも話し合い中に他クラスの生徒が櫛田さんに会いに教室にやってきたとのこと。普段ならそんなの気にしないけど、クラスごとに争うことになったので、一時的に話し合いを中断させられたらしい。

 

「──?」

 

 平田君の報告には違和感を感じたけど、その正体が何なのかまではつかめなかった。

 櫛田さんに会いにCクラスの教室に向かう。何にもおかしなところなんてない。

 多分、情報を詰め込まれすぎて神経質になってるんだろうな。

 そう、結論付けた。



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10話

 5月に入ってから1週間が経過した。

 中間テストで赤点を取れば即退学ということで、クラスのみんなも一見して真面目に授業を受けているように見える。ただし池君や、山内君といった生徒は私から見ても明らかに集中しておらず、ただボケェーと授業を聞き流しているのが現状。

 中間テスト対策として、先週から昼休みと放課後に私と平田君を中心とした勉強会を開いているけれど、彼ら2人は一度だけ顔を出したきりで、それからは顔を出していない。それも非常にくだらない理由で、なんでも平田君が女子にキャーキャー言われるのが気に食わないらしい。

 本当に大丈夫かと確認すると、あの変態共いい笑顔で『一夜漬けでなんとかなるっしょ!』とぬかしやがった。一度痛い目を見るべきだけど、それすなわち退学なので、どうしても制裁を加えられない。目下対策を検討中である。

 3バカトリオの残り1人である須藤君だけど、部活終わってからの時間と、朝練の時間を使って勉強を教えている。けれど放課後は私もやることが増えてきたので、そろそろ勉強会に参加させたいのが本音だ。いろいろ気まずいのはわかるけど、退学という重すぎるペナルティには替えられない。

 逆に軽井沢や篠原さんといった女子の出席率は高い。ひとえに平田君がいるからだけど、それでも男子の変態共よりははるかにマシである。しかし彼女たちも彼女たちで、問題のわからないところを聞こうとしたとき、平田君ではなく私が来ると目の前で文句を垂れ流す。

『え~なんで平田君じゃないの~」とかほざきやがったときは、マジで顔面をぶん殴って鼻っ柱をへし折ってやろうかと思った。人に教えを乞う立場でいったい何様のつもりだと正座させて説教したくなる。まぁ参加しているだけマシなんだけど。

 とにかくクラスの存続のために奔走しなければならない私は、非協力的なクラスメイト達に多大なストレスを感じている。こうやって頭の中で毒を吐き散らすのもストレス発散の1つだ。

 こう言った事情もあるので、今週から勉強会を分けようという案が密かに出ている。平田君ファンや彼と仲のいい男子を平田君に、それ以外の女子と男子を私に管理させるというもので、発案者は松下さんだ。ちなみに松下さんにはこの間好きに使っていいよとのことでウサギのぬいぐるみをプレゼントされた。まぁここ1週間で急上昇した私のフラストレーションに耐えられず、今はもう跡形もなく消し飛んでしまったわけだが。ありがとう松下さん。

 ひとまずこの案は昼休みに平田君に相談するつもりだ。どれだけ遅くとも池君と山内君は明日までには勉強会に参加してもらわないと本当に詰む。可能性は低いけど、過去問だって今年は役に立たない可能性もあるのだ。最悪過去問を餌に半ば脅迫という形で勉強会に参加させることも視野に入れているのが現状である。

 以前軽く偵察してみたけど、他のクラスはもうみんな勉強に取り掛かっている。このことからもCクラスの団結力が欠けていることは明らかであり、これでは勝てる戦いも勝てなくなる。問題児が多すぎて目の前が真っ暗になるが、なんとかするしかない。

 別に、問題がクラスの中だけならこんなに苛ついたりしない。けど最近になって他クラスが仕掛けてくるようになった。こっちの対策が非常にめんどくさい。どうせやるならバレないようにやってほしい。

 とにかく、テスト結果でクラスポイントがもらえる可能性がある上、みんなの士気向上にも繋がるので、この中間テストはCクラスを勝たせるつもりだ。今日もそのためにクラスメイト達の目を盗んで暗躍しないといけない。どこから私の情報が漏れるかわからない以上、私以外の誰にも真意を悟らせてはいけない。

 Sシステムの全貌を明かそうと奔走している時はよかったと思わず回顧してしまう。こうやって考えれば高円寺君はやはり有能だ。勉強会を手伝ってくれないのは不親切だと愚痴りたくなるけど、それでも一緒に行動していて不快感はなかった。今のCクラスのみんなを相手しているとストレスで禿げ上がりそうになる。

 私はまだぴちぴちのJKだぞ! この前ケヤキモールに行ったとき、ストレス発散用のサンドバッグを見かけたけど、買うかどうか本気で迷った。

 

「たうわ!?」

 

 脳内で罵詈雑言を吐いていると、斜め後ろから大きな声がした。振り返った私が見たのは堀北さんを睨む綾小路君、そして血の出た腕、最後にコンパスの針をハンカチでふきふきしている堀北さんだ。

 まさか刺したの? 綾小路君を? コンパスの針で? 

 状況証拠しかなかったけど、隣人の血を流すことも厭わない少女がすぐ後ろにいることに、私の背筋は凍った。

 

「どうした綾小路、いきなり大声をあげて。反抗期か?」

 

「い、いえ。すいません茶柱先生。ちょっと目にゴミが入りまして……」

 

 綾小路君の言葉に一瞬注目していたクラスメイトたちもすぐに視線を前に戻す。今のが私語扱いされるかどうかは微妙なところだけれど、ひとまず今の私たちのポイントには余裕があるからな。そこだけは本当に救いだ。

 授業が終わると、綾小路君はすぐに堀北さんに詰め寄った。

 

「やって良いことと悪いことがあるだろ! コンパスはやばいぞコンパスは!」

 

「ひょっとして怒られているの? 私」

 

「腕に穴が開いたんだぞ穴が! ほら!」

 

 そう主張して腕を見せつける。血は止まっているけれど、確かに小さな穴が開いている。

 

「何のこと? 私がいつ綾小路君にコンパスの針を刺したの?」

 

「いや手に持ってるだろ凶器を! 黒華も見たよな!」

 

「え? いやぁ私は……」

 

「そうなのかしら黒華さん? 正直に言ってもらえると助かるわ」

 

 絶対に言うなという強い圧力を受けた私はゆるゆると首を横に振る。いやまぁたしかに堀北さんが刺したとは限らないし? 

 

「黒華さんもこう言ってるし、綾小路君の気のせいよ」

 

「どう見ても黒華を脅してたよな今?」

 

「あなたが居眠りしそうだったからきっと罰が当たったのよ」

 

「居眠りも許さないとかどんな神様だよそれは」

 

 綾小路君渾身のツッコミは、ものの見事にスルーされた。哀れなり綾小路君。

 

 ◇

 

「黒華さん、ちょっといいかしら」

 

 昼休み、平田君と女子に囲まれながら勉強会の方針について話し合っていた私に声をかけたのは、まさかの堀北さんだ。傍には綾小路君がいかにもめんどくさそうな表情を浮かべている。

 

「なぁに?」

 

「山内君と池君が勉強会に参加していないでしょう? 私が受け持つわ」

 

 え、噓。

 私を干上がらせていた案件に思わぬ救いの手が差し伸べられ、思わず感激で震えた。

 

「助かるよ。堀北さんは成績もいいし、教師役を買って出てくれるなら願ったり叶ったりだ」

 

 平田君の言う通りである。ただ堀北さんがあの2人の相手をすることには一抹の不安がよぎるところ。そのあたりの調整が必要になるだろう。

 

「堀北さんはどういうメンツでやるつもり?」

 

「池君、山内君、綾小路君、そして私よ」

 

 綾小路君がバランサーとしての役割をこなせるかどうかは正直微妙だ。綾小路君もそれをわかっているのか、助けを求めるような視線を送ってくる。

 

「あ、よかったら私はそっちに参加していいかな? 池君とも山内君とも友達だしきっと協力できると思うの」

 

 そう提案してきたのは櫛田さんだ。

 櫛田さんが参加する場合、確かに池君と山内君の管理は任せられそうだけど──。

 どういうわけか、この2人はあまり仲がよろしくないらしく、櫛田さんと一計案じた後の堀北さんのご機嫌斜め具合は相当なものだった。チラリと盗み見た堀北さんは無表情そのままで、櫛田さんを歓迎していないのは私にもわかる。当然その感情をぶつけられる櫛田さんにわからないわけがない。

 

「ダメ、かな?」

 

 相変わらず上手い、いやこの場合は小賢しいというべきか。みんなの前でこう聞かれたら、堀北さんとしても櫛田さんの参加を認めざるを得なくなる。個人的に気に入らないからなどと言えば余計な反感を買うし、正当性ある反論もこの状況では用意できない。

 

「これ以上人員が必要かしら? そっちと違って少人数だし、心配いらないわ」

 

「う~ん。ちょっと言いにくいんだけど、堀北さんってその、2人とあんまり仲良くないじゃない? 私もいた方が円滑に進むと思うんだけどなぁ」

 

 堀北さんの狭すぎる交友関係がここで仇になる。

 

「……わかったわ。あなたの参加を認める」

 

 堀北さんとしてもこう言うしかない。私や平田君にしてみても、良くも悪くも言いたいことを言う堀北さんには櫛田さんみたいな緩衝材をくっつけておきたいところ。堀北さんと櫛田さんの間にあるギスギスした関係を除けば、ある意味理想的な陣容と言えるのがなんとも皮肉なことだ。

 

「こっちの勉強会で使ってる資料とかいる?」

 

「ええ、いただくわ」

 

 勉強会用のクリアファイルをそのまま渡す。中身は各教科の問題集と解答解説、あと私と平田君で考えた出題予測だ。私の方は過去問でカンニングしてあるため、テスト範囲が変更されない場所はそのまんま被っているものになる。

 

「堀北さんが山内君たちの勉強を見てくれるなら、勉強会のグループを分ける必要もないかな?」

 

「ん~どうだろう。人数多いと席取るのも大変だし、1人1人にかけられる時間も減るし、どのみち分けた方がよくない?」

 

 前々から大人数での勉強会は効率が悪いと考えていた。一度決まったものにすぐ文句をつけると余計な混乱を招くので黙っていたけれど、ちょうどいい機会なのでここで押し通したい。

 それにあまり大勢の生徒と一緒にいると『混ざってわかりにくくなる』

 

「それってどう分けるの?」

 

 平田君と同じ勉強会に参加できるか否かしか興味のない女子生徒が聞いてくる。まぁそこはちょっと悩みどころだなぁ、女子の方は平田君の方に行けないってだけで不満が出そう。平田君もそれがわかってるからこそグループを分けることに及び腰なんだろうな。

 

「普通にくじでしょ」

 

 適当なあみだくじを使ってグループを分ける。私の方でやばそうな生徒は篠原さんと軽井沢さんか。面倒な女子2人がセットだけど、こうやってメンツを見てみるとやっぱり分けた方が正解だったとつくづく思わされる。これなら私にかかる負担も多少減るでしょう。勉強会以外にもやらなきゃいけないことがここ数日の間に出てきたので、そちらの方に余力を回したいのだ。

 

「私のほうのグループは特別練の教室借りてやろうか。早速先生に申請してくるから、グループ決まったら教えてね」

 

 ここ最近は勉強する生徒で図書館も自習室も満杯だ。教室でやるならグループを分ける意味もないし、特別練を借りれれば静かな環境で集中して勉強に取り組める。なにより鬱陶しい他クラスの目がなくていい。

 後の話し合いは残りのメンツに任せ、茶柱先生を探しに職員室に向かった。

 

 ◇

 

 堀北が勉強会を開くことが決定したその日の放課後、オレたちは早速図書館の席を確保し、櫛田が山内たちを連れてくるのを待った。

 平穏な学校生活を送りたい俺としては、女子も交えてみんなと一緒に勉強会だなんていう、リア充も泣いて飛び出すようなイベントに参加する気力は全くなかった。

 しかし茶柱先生に呼び出された翌日の5月2日の昼休み、堀北から『昨日の件について話がある』という名目で昼飯に連れ出され、そしてあの手この手で協力を強制された。

 今隣ですました顔でいるこの女はあろうことか俺の昼飯を勝手に頼み、『奢ったから手伝え』などという暴論を振りかざしたのだ。開いた口が塞がらないとはあのことかとつくづく思う。

 抵抗しようとすればコンパスを取り出して脅され続け、結局なし崩し的にこうやって勉強会に参加することになっているというわけだ。

 

「あ、お待たせ~」

 

 手を振りながらやってくる櫛田に続いて、山内と池がやってくる。露骨に鼻の下を伸ばしてるのが櫛田目的でやってきたと丸わかりだ。

 

「いやぁ櫛田ちゃんが一緒に勉強教えてくれるって聞いてさぁ。堀北ちゃんもよろしくな!」

 

 挨拶もそこそこに、堀北が早速問題を配っていく。

 

「あ、そういや須藤も部活が終わり次第来るんだってさ」

 

「須藤君が? 黒華さんに勉強教えてもらってなかったっけ?」

 

「なんか、黒華ちゃんが忙しくなるから須藤の勉強を見れなくなるんだと」

 

 この時期にさらに忙しくなるっていったい何の用事だ? 

 

「1人くらいなら構わないわ──まずあなたたちに言っておくことがある。今回の中間テストでは全員50点以上を狙ってもらう」

 

「え、でも赤点は33点だろ?」

 

「そのあたりも説明していくわ」

 

 問題を配り終えた堀北がこの勉強会の方針について説明していく。

 

「50点以上を狙ってもらうのは単純に全員に安全圏に入ってもらうためよ。もしこれがギリギリ40点に達するか否かの学力なら、運が悪ければ赤点を取って退学になる可能性も十分にある。たとえ下振れても40点はとれるようにしておきたいの。他でもないあなたたちのためよ」

 

「ほ、堀北ちゃん俺らのために──」

 

「今私が配ったのは、黒華さんたちが作ってくれた確認用のテストよ。5教科すべての問題がその冊子に載っていて、得意不得意や勉強の足りない範囲がわかるようになっている。これは確認用だから、質問はなし。1時間半使って、全部解けなくてもいいから全力で取り組んで」

 

 それじゃあ始め。

 言うだけ言った堀北がタイマーをスタートすると同時に冊子を開く。

 なるほど、確かにこれはいい問題だな。全40問のこの確認テストは5教科がバランスよく載せられたもので、今現在の生徒の学力を測るのにうってつけだろう。肝心の池と山内の様子を確認してみると、最初の問題から首をかしげている。国語の要約問題だ。長文を読んで、ふさわしい内容を記した選択肢を選ぶ問題。どこから引っ張り出してきたのか知らないが、黒華の実力がこれ一冊で透けて見えるようだった。ただの高校生に作れるものではない。

 オレはテストの難易度から大体60点くらいが平均と見定め、適当に問題を解いていった。

 

 ◇

 

 ピピピピッ! 

 堀北の携帯が鳴って確認テストの終わりが告げられる。櫛田と堀北はとっくに解き終わっていたようだったが、池と山内は逆に全く解けていないのか、アラームが鳴ってもペンを必死に動かしていた。櫛田の手前、情けない点数を取りたくないんだろう。

 

「2人ともそこまでよ。ペンを置いて」

 

「あと1問! これだけだから!」

 

 それだけ必死になるなら普段から勉強しろよとは口が裂けても言えなかった。

 

「それ、最初の式から間違ってるから、意味ないぞ」

 

「ええ!? マジかよ」

 

 確認テストの結果だが撃沈した池の点数は32点、山内は28点だった。堀北は98点で、櫛田は92点と好成績。俺は62点と、目論見通りの点数を取った形になる。2点プラスしたのは、キリのいい点数を取ってしまうと、入試と小テストで50点を取ったことに関連付けさせられそうだったからだ。

 

「あの最後の問題は何なの? 問題文の意味すら理解できなかったのだけれど」

 

 採点が終わるなり堀北が愚痴ったのは確認テストにあった、明らかに範囲を逸脱した問題だ。俺も見てみて驚いたが、なんとフーリエ変換の問題が出ていた。俺は通常の学校のカリキュラムは知らないので、どの段階で勉強するのかは知らないが、明らかに高校1年生が解ける問題ではないだろう。これの面白いところは黒華はちゃんとフーリエ変換を理解しているらしく、あの問題だけ解説が手書きだった。ちょっとしたお遊びみたいなものかもしれないな。

 

「まぁいいわ、とにかく池君と山内君は危機感を持ちなさい。あの確認テストはほとんどの高校生が60点はとれるように調整されているテストだそうよ。30点で中学生以下、20点で小学生以下という基準になっているわ」

 

「じゃあ俺らは中学生くらいってことか?」

 

「中学生以下よ。あなたたちには数学からやってもらうわ。8問中1問しか解けてないなんて……。とにかくわからないところがあったらすぐに私か櫛田さんに聞くように。ただ同じ解き方ができる問題は自分で考えてもらうからそのつもりで」

 

 そう言って新たなプリントを2人に渡す。隅から隅まで数学の問題でびっちり埋められたプリントだ。そのグロテスクさに、うへえと池が不満を漏らす。

 

「綾小路はどうするんだ?」

 

「え、いや俺は」

 

「綾小路君はどれも同じくらいだし、2人と同じものをやりましょうか。解説も一遍に出来て楽だし」

 

 ただ堀北が楽なだけという理由で数学の問題を押し付けられる。これ全部解くのに相当な時間がかかるぞ。

 

「問題数が多いから、解く問題は1個飛ばしにしてもらって大丈夫よ」

 

 堀北も流石に多いと思ったのか、解く問題を半分に指定してくる。

 と、このタイミングで新たな来客がやってくる。部活が終わったのか、タオルを首からかけた須藤だ。

 おっすと軽い挨拶をして席に座る。

 

「須藤君、あなたは黒華さんの確認テストは受けたのかしら?」

 

「ああ、あれか? 受けたぜ。最初は12点だったが今は36点ぐらいならとれるようになった」

 

「はぁ!? 須藤が俺より上ってマジかよ」

 

 へへッと恥ずかし気に鼻をこする須藤はどうやら黒華の個人指導の成果が出てきているらしい。堀北に言われるまでもなく筆記用具をカバンから取り出し、早速問題に取り掛かる。

 

「うわぁいきなりわかんねえ」

 

「やっべ俺も。櫛田ちゃ~ん」

 

 開始早々ギブアップする池と、気色の悪い猫なで声を出す山内。2人が詰まった問題は連立方程式の問題だ。

 

『りんご4個となし3個で1340円、りんご3個となし2個で960円である。りんごとなしそれぞれ1個の値段を求めよ』

 

 基礎中の基礎の問題だが、2人は最初の式すら書き出せないでいる。そんな2人の様子が気になったのか、須藤が白紙のノートを覗き込む。

 

「お前ら大丈夫かよ。俺でもわかるぞそれは」

 

「ええ、ちょっと待て須藤にわかるなら俺にもわかる気がしてきた」

 

 そう言って机にかじりつくが、いつまでたってもペンが動くことはなかった。見かねた須藤は鼻で笑うと──

 

「しゃあねえな俺が教えてやるよ」

 

「いやいいって俺は櫛田ちゃんに教えてもらうから!」

 

「いや、須藤君に教えてもらいなさい。人に解説するのも立派な勉強方法の1つよ」

 

 堀北の言う通り、人に教えるためにはその分野を正しく理解している必要がある。日本史での問題の出し合いなどがいい例だ。自分が答えを知っている問題しか出せないが、出せる問題の範囲は十分勉強できていることになる。

 

「まぁ任せとけって池。まずだな、問題文に書いてあることをそのまま式にすんだよ。りんご4個となし3つで1340円だから、『4x+3y=1340』の式が1つ。もう1つがりんご3個となし2つで960円だから、『3x+2y=960』

 の式が1つ。ここまではわかるよな?」

 

「え、いやXとかYってどっから出てきたんだよ」

 

「あ? いちいちりんごとかなしとか書いてたらめんどくせえだろ。だから適当にアルファベットにすんだよ。深い理由はねえぞ」

 

「お、おう」

 

「後はこの2つの式を縦に並べてだな──」

 

 オレ、堀北、櫛田の3人は須藤がすらすらと連立方程式を書き込んでいくのを目を丸くして見ていた。式を変形して『8x+6y=2680』と『9x+6y=2880』の2つに整理し、そのままひっ算を使ってXを求めそのまま片方の式に代入してYも導く。この問題の答えは『りんご200円、なし180円』。

 文句のつけようがない綺麗な回答を出す須藤に俺は内心驚愕する。これが小テストのときに18点なんて点数を取った生徒と同一人物とは到底思えない。堀北もいっそ感心を通り越して呆れている様子だった。

 

「え、最後はなんであれで答えが出たんだ?」

 

「あーそういうのは考えんなだとさ。こうやったら答えが出るって覚えときゃいいんだよ」

 

 須藤の言う通り、数学は基本的に公式を徹底すれば大抵の問題は解けるようになっている。そこに『なぜ』という疑問をつけると泥沼に引きずり込まれるので、そこは無視して一般常識として頭に入れた方が健全だったりする。

 

「呆れたわ……そこまで解けるならなぜ小テストであんな情けない結果になったのかしら」

 

「うぐっ、あれはまだ勉強を教えてもらったばかりで全然だったんだよ。今は数学なら因数分解までできるぜ」

 

「それは当然よ。中学生で習う範囲なんだから」

 

「うっせえなちょっとくらい得意になってもいいだろ別によ」

 

 拗ねる須藤だが険悪な雰囲気は全くない。堀北も言葉自体は厳しかったが、声音は穏やかなものだった。あの須藤がここまでできるようになったことには素直に感心しているようだ。それに感心したのは堀北だけじゃない。

 

「俺ら須藤以下ってマジ?」

 

「いや逆に考えろ、須藤にできるなら俺らにもできる!」

 

 須藤の成長は池と山内にも火をつけたらしく、見違えるように集中して問題に取り掛かる。

 

「あれ、なんかうまくいきそうな感じ?」

 

 予想外の展開に櫛田が嬉しそうに笑う。堀北と3バカの組み合わせなど不安しか残らないが、想像以上に勉強会は円滑に回りそうだった。

 オレはこの場にいない顔を隠し続ける女子生徒の姿を思い浮かべる。

 先週も、あえて篠原の反感を買うことで須藤に謝罪させるよう誘導した黒華だが、須藤をここに送ったのもこの展開を予想してのものなのだろうか。

 

 ◇

 

「お、終わった~」

 

 図書館が閉まる午後7時前になり、勉強会が終了となる。へなへなと机に突っ伏す池と山内は魂が抜けるような溜息を吐いた。

 

「お疲れ様」

 

 短くはあったが、堀北から労いの言葉が飛ぶ。入学当初の堀北なら考えられないことだが、円滑に回った勉強会を見てなにか思うところがあったのかもしれないな。

 

「今回の勉強会だけれど、あなたたちの惨状を見てますます必要性を感じたわ、明日から昼休みも勉強会を開く。それと須藤君はともかく、池君と山内君は普段から勉強する習慣もついていないことだから、今日も寮に帰ったら勉強会でやった範囲をすぐに復習すること。明日の学校でも、ちゃんと授業を聞いてノートをとって。何を書けばいいのかわからないなら教えるわ」

 

「うっへえ。ずっと勉強じゃねえか」

 

「当たり前だろ。赤点で退学だぞ」

 

「須藤に正論言われるのは納得できねえ……」

 

 池が悔しそうに地団太を踏む。

 

「マジで須藤変わったよなぁ。やっぱり黒華ちゃんと付き合ってんの?」

 

 図書館を出ると、山内が急に須藤に尋ねた。とはいえこれはCクラスの人間なら全員気になっていたことなので、堀北を除いて全員が須藤を振り返る。

 

「あ? そんなんじゃねえよ」

 

「でもさ、ただの友達っていう感じでもないよね。友達以上恋人未満みたいな?」

 

「ち、ちがうって。顔もわかんねえんだぞアイツ!」

 

 確かに黒華はこの一か月マスクを着けて顔を隠し続けてる。中にはそんな黒華の素顔を暴こうとした愚か者がいたそうだが、黒華は視線に異常なまでに敏感で、食事中でも絶対に隙を晒していなかった。

 専らクラスでは顔に大きな傷があるとか、鼻とか口がコンプレックスなんじゃないかとか、そういう噂が一時期流れた。とはいえあまり触れて良さそうな内容ではないのでその噂もすぐに鎮火したわけだが。

 

「どうする? 黒華さんがとっても可愛い女の子だったら」

 

「いや、だからなんもしねえって」

 

「なんか須藤頑なじゃね? 実は好きなんじゃ──あ、すいません待って!」

 

 山内の逃走もむなしくヘッドロックを決められる。3バカと一緒にいるとこの光景も見慣れてきたな。

 

「まったく、くだらないわね」

 

 堀北がため息をついて呆れる。

 

「あはは、でもなんかさ、青春って感じじゃない?」

 

「青春? これがか?」

 

 怪訝な声が出たが、櫛田は自信満々に頷いた。

 

「こうやってみんなで勉強した後でさ、並んで寮に帰ってると、テスト前の学生って感じしない?」

 

 なるほど、言われてみれば確かに。

 勉強で疲れた身体を引きずり、どうでもいい話をしながら家に帰る。俺が思い描いていたような、みんなで買い物に行ったり、恋愛したりといった青春とはまた違うが、これもまた1つの青春か。

 

「悪くないな」

 

 その呟きは、ほぼ無意識に出た。

 

 ◇

 

 その日の夕方、勉強会を解散した私はそのまま寮へは帰らず、校内の食堂に向かった。

 食券機から少し距離を取り、列を作る生徒たちが料理を注文していく姿を眺める。目当ての人物はすぐに現れた。夕食なのにもかかわらず、食べ盛りの男子には味も量も物足りないだろう山菜定食を注文する生徒。

 1年のクラスはどこもポイントには余裕があるし、見た目からしてもおそらく上級生だ。

 件の生徒が席に座るのを確認した後、私も適当にチキン南蛮定食を注文し、料理を受け取り次第、その生徒からやや離れた席に向かう。

 

「あっ」

 

 後ろを通りがかるところで声を出す。

 

「これ、落としましたよ」

 

 両手がふさがっている私が顎でしゃくったのは、床に落ちてる四つ折りされた紙だ。気づいた男子生徒が拾い上げるのを確認する。

 

「いや、これは俺のじゃないな」

 

「え、でもあなたのポケットから落ちましたよ。もしかしたら大事なメモとかかもしれないですし、持っておいた方がいいんじゃないですか? それじゃ」

 

 これでいい。

 返事を待たずにさよならする。紙を開いた男子生徒が一瞬怪訝そうな目を向けてきたけど、無視だ無視。

 そんなことよりも私は初めて食べる食堂のメニューに興味がある。

 一口頬張ってみたけど、たっぷりと甘辛いタルタルソースのかかった鶏肉は、プリプリしててうまみたっぷりだった。こ~れは美味い。どうしても自炊がしんどい日なんかはこれから食堂を使おう。

 仕込みも済んだ。傍から見ても、ただの女子高生の日常にしか見えなかったはずだ。

 満足した私はそのまま寮に帰り着く。

 あとはなるようにしかならない。



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11話

5月から2週間が経った。

 Cクラスの生徒はその大半が勉強嫌いで、当初はことあるごとに悲鳴を上げる文句垂れ共ばかりだったけれど、2日目から開いた勉強会はようやく実を結び始め、赤点候補者たちもなんとか赤点を免れる兆しが見えてきた。それに伴って、みんな少なくとも勉強すること自体に文句を言うことはなくなり、意外と簡単とか、やってみたら案外できるとか、そういうポジティブな意見も増えてきた。いい兆候だ。

 1週間前まで私のストレス発生源となっていた池君と山内君も、堀北さんが勉強会を新たに引き受けてくれたおかげでなんとか勉強させる段階まで漕ぎつけた。須藤君曰く勉強会自体はいたって順調らしく、池君も山内君も櫛田さんに良いところを見せたいと、意外と真面目に取り組んでいるらしい。あくまでも動機が下心なのが実にあの2人らしいけど、当初懸念したような生徒同士のトラブルとかもないし、堀北さんの計画通りに勉強会が進めば、このクラスから赤点を取る生徒はいなくなるだろう。あとはテストまでじゃなくても勉強する癖をつけてほしいもんだ。

 まぁそういうわけで、目下の悩みはほとんどなくなった。他クラスがとっくに全員勉強していることを考えると、出遅れもいいところだけど、一度とはいえバラバラだったクラスがまとまったんだから上々だ。あとはクラス全員の結束力が高まるようなイベントがあればいいけど、まぁそれは先の話になるでしょう。

 私としては、ストレス発散用のサンドバッグを買わなくて済んだと安心もひとしおだけど、しかし懸念点がないわけじゃない。過去問を見ていて気づいたけれど、私たちに知らされているテスト範囲と、過去問に出題されている範囲が結構ずれているのだ。いまだに茶柱先生からはテスト範囲の変更については知らされていないので、ここにきて今年は過去問が役に立たないという可能性が出てきた。一応過去問を使わなくても退学を回避するプランも先週から走らせているけれど、いい成績を納めればクラスポイントが得られることも考えるとやはり過去問作戦に期待したくなるし、いきなり各方面に借りを作ることになってしまうので避けたいところだ。時間もないし、タイムリミットは今日になるだろうな。最悪自分から確認しに行くつもりだ。

 兎にも角にも、中間テストまで残り1週間。だんだんと近づいてくる試練の日を前に、教室内の空気は徐々にピリピリしてるけど、決して悪いものじゃない。最初の試練を無傷で乗り越えられれば、きっとみんなにとって前を見るいい機会になるはずだ。

 

 

「授業受けてみて思ったんだけどさ、地理とか化学って結構簡単じゃね?」

 

「あ、俺もそれ思った。ほとんど覚えるだけだし楽だよな」

 

 全員で食堂で昼食を取った後、そのまま図書館に直行して始まった勉強会。だんだん問題が解けるようになって調子づいてきたのか、池と山内がそんなことを言った。

 

「確かにそうだな。数学とか英語と違って基礎ができてなくても解けなくもない科目だ」

 

「油断は禁物よ。現代社会のテストでは時事問題が出ることも考えられるわ」

 

 今のところこの学校の出題傾向はわからないが、堀北の言うように時事問題が出る可能性は十分にありえる話だ

 

「ジジイ問題? なんだそれ」

 

「時事よ。時事問題、最近起きた社会の出来事から出題される問題。本来は教科書には乗っていないから、テレビやネットで調べないといけないけど、黒華さんたちが時事問題の対策もしてくれてるみたいだから、それを覚えてもらうわ」

 

「うはー黒華ちゃん様様だな」

 

 池の言う通り、今回のテスト対策における黒華の貢献度はすさまじい。勉強会の教師役にテスト範囲の絞り込みから問題、解答解説の作成、そして今言ったように時事問題の対策など、活動は多岐にわたる。過労死しないかが心配になるレベルだ。

 

「時事問題は最後でいいわ。今はできることをやりましょう」

 

「そうだな、あれこれ話している時間もない」

 

 テストまであと1週間しかないのだ。決して余裕があるわけじゃない。

 

「はい、じゃあ私から問題ね。帰納法を考えた人は誰でしょう」

 

「くっそ。さっきの授業で習ったよな? 確かベーコンだ」

 

「はっはっは。まだまだだなぁ健。答えはズバリ『フラスコ・ベーコン』だ!」

 

「え? 『フランシスコ・ベーコン』が正解だろ。微妙に違うぞ春樹」

 

「あれー?」

 

 山内も須藤も間違えたが、最初のころに比べればまだ成長したと言える。何でもかんでも最初から『わからない』、『無理』のオンパレードだったからな。池に関してはきちんと正解してるし、残り1週間必死にやれば赤点はなんとか免れそうだ。

 

「よっしゃ、これで満点確実だろ!」

 

「いや全然だろ……」

 

「でも、あと1週間頑張ればきっと大丈夫だよ。だから体調だけは崩さないようにしないと」

 

「大丈夫よ。何とかは風邪をひかないと言うし」

 

「あ、それ聞いたことあるぜ! なんだっけな……」

 

「『バカは風邪をひかない』だろ……」

 

「え、どういう意味だ?」

 

 しまった、思わず漏れてしまった。なんて誤魔化そうか考えていると、隣で勉強していた生徒が顔をあげた。

 

「おい、うるさいぞ。集中できないから静かにしてくれ」

 

 どうやら騒ぎすぎたらしい。不機嫌そうな顔を向けて注意してくる。

 

「すまない、次から気をつけさせる」

 

「いやぁ悪いな。問題が解けたのが嬉しくってさ~。帰納法を考えたのは『フランシスコ・ベーコン』だぜ? 覚えといて損はないからなぁ」

 

 そんなへらへら笑う池を見て、注意してきた生徒が怪訝な顔をした。

 

「お前らまさか『元Dクラスの生徒』か?」 

 

 男子生徒の言葉に、隣で勉強していた他の生徒たちも顔をあげてこちらを見てきた。

 それにしても、『元Dクラスの生徒』か……。

 その独特な表現だけで、この男子生徒がどこのクラスなのかがわかる。

 

「あ? なんだその言い方。俺らは今Cクラスだっつうの」

 

「よく言うな、どうせ黒華とかいう女のおこぼれ貰っただけの不良品のくせによ」

 

 その挑発にいち早く乗ったのはもちろん須藤だ。

 

「なんだとテメエ! 喧嘩売ってんのか?」

 

「いやいや事実を言っただけだろ? カッカするなよ」

 

「上等だぜおい。殴られる覚悟はできてんだろうな」

 

 まずいな……。

 堂々と暴力宣言する須藤に嫌でも周囲からの視線が集まる。暴力を示唆した今の発言を報告されると、何らかの処罰が下る可能性だってある。

 

「やめなさい須藤君。ここで問題を起こしても不利益になるだけ。もし停学になったら、テストを受けられない可能性だって出てくるわ。そうなったらどうなるか、あなたには想像できる? 最悪何の抵抗もできずに退学になる可能性だってあるわ」

 

「っ! た、確かにな。ちょっと熱くなりすぎたぜ――ていうかよ」

 

 頭を冷やして座った須藤が気づいたように言う。

 

「お前どうせDクラスだろ。俺らのことバカにしてる場合か?」

 

「なんだと!」

 

 鼻で笑う須藤の挑発に、今度は男子生徒の方が激昂する。やはり図星だったらしい。

 

「ハッ! やっぱそうなんじゃねえか落ちこぼれ野郎がよ」

 

「コイツ……! たった20ポイント差だろうが、いい気になるなよ」

 

「たった20でも上は上よ。現実を見たらどうかしら?」

 

 おいおいお前まで煽るなよ……。

 Dクラスの生徒は今度は堀北を睨みつける。

 

「顔がいいからって調子に乗るんじゃねえぞ」

 

「脈絡もない話をありがとう。今まで自分の容姿をそこまで気にかけたことはないけれど、あなたみたいな情けない人に褒められても不愉快なだけね」

 

「ふざけんじゃ……!」

 

 ついにDクラス生徒が机を叩いて立ち上がる。このまま殴りかかって来そうな気迫だ。

 

「お、おいやめとけって山脇。もし俺らから仕掛けたなんて広まったら……」

 

 同席していた生徒が慌てて袖をつかむ。

 『広まったら……』なにか起こるとでもいうのだろうか。

 

「クッソ! まぁいい。どうせすぐにわかるさ、今回のテストでも何人退学者が出るんだろうな?」

 

「他人の心配より先に自分の心配をしたらどうかしら? Dクラスさん」

 

「好きなだけ言ってろよ。お前らさっきフランシスコ・ベーコンだとか言ってたよな? テスト範囲もろくにわかってねえ奴にどうやって負けろってんだ?」

 

 なに? どういう意味だ?

 たしか山脇と呼ばれていたか、その生徒の言葉を堀北も一瞬理解できなかったらしく、目を丸くしている。

 

「いい加減にしとけよテメエ。こっちは勉強で忙しいんだよ」

 

 先に妨害したのはこちらだが……まぁ長引かせたのは向こうの方か。

 さすがに周囲の視線も痛いので、そろそろ引き留めようとすると、また新たな生徒がやってきた。

 

「はいもうそこまでにしとこう!」

 

 間に入ってきたのは桃色の髪を伸ばした美少女だ。

 なんというか、顔もそうだが、凶悪な胸部装甲が嫌でも目を惹きつける。

 

「あ? 誰だお前」

 

「私が誰でもどうでもいいでしょ? 同じ図書館で勉強してる生徒なんだから、さすがにそろそろ静かにしてほしいなーって。これ以上やるなら外でやってもらえる?」

 

「わ、悪い。そういうつもりじゃなかったんだよ一ノ瀬」

 

 俺たちに対する態度とは打って変わって、むしろどこか怯える様子を見せるDクラスの生徒。そんな恐ろしい気配の女じゃなかったが、どういう知り合いだ?

 

「おい、もう行こうぜ。これ以上こいつらといるとバカが移りそうだ」

 

「そ、そうだな」

 

 そんな情けない捨て台詞を残してそそくさと退散していく。

 

「君たちも図書館では静かにね。以上っ」

 

 一ノ瀬と呼ばれる生徒も颯爽と自分の元いた席に戻っていく。

 

「なんで挑発したんだ堀北、あの女子生徒みたいに場を治めればよかっただろ」

 

「挑発したつもりはないわ。向こうが短気なだけよ」

 

 どんな暴論だそれは……。

 

「なかなかいい挑発だったぜ堀北」

 

「褒めるなよ。ていうか、それよりもさっきアイツ、テスト範囲外って言ってたよな?」

 

「うんっ……。どういう意味かな? クラスごとに範囲が違うとか?」

 

 櫛田の言うことも可能性としてありえなくはないが、クラスごとに争うこの学校の仕組み上、与えられる試験の難易度に差がつけられることは考えにくい。となると考えられるのは1つだけだ。

 途端に胸の内に沸いてくる最悪の未来予測を握りつぶす。ようやくなんとなく居心地のいい場所を見つけたばかりだ。まだ失いたくはない。

 

「茶柱先生に確認に行きましょう。今すぐよ」

 

 反対する人間などいるはずもない。

 

 

「はい! 終わり! 今日はもうおしまい! 終わり!」

 

「あ~もう頑張ったアタシ!」

 

「うんうん。頑張った頑張った」

 

 昼休みがそろそろ終わりということで、勉強会を終了した途端に机に突っ伏したのは軽井沢さんと篠原さんだ。Cクラス女子のカーストトップ2であるこの2人は、私の受け持つ勉強会のメンバーなのだ。くじでこの2人が私のメンツにぶち込まれたときはいったいどうゆう了見だったのか、運命の女神を問いただしたくなった。まぁこの2人を平田君と組ませると勉強の能率が落ちるので、これでよかったわけだが。ここ最近はなんとか1時間くらいは集中してくれるようになったので、こうやってダウンするのも昼休み終了直前になってきた。

 

「あ~平田君が恋しいよぉ~」

 

「いつでも会えるでしょ軽井沢さんは」

 

 平田君と軽井沢さんはカレカノの関係だ。あの2人が付き合い始めた『ということになっている』のは4月の後半になってからだ。なんでも平田君から告白したとのことだけど、なんでこの2人が恋愛ごっこをやっているのかは私にもわからなかった。まぁ別に興味もないわけだけど。

 

「そうだけどさ~。やっぱり勉強教えてもらうなら彼氏がいいな~って」

 

「は? 勉強に歯ごたえがなくなってきた? しょうがないなぁ軽井沢さん! 宿題の量を倍にしてあげよう!」

 

「いやぁ! 違うの黒華さん! 冗談、冗談だって」

 

 笑顔で告げられた死刑宣告に必死に懺悔する。まぁ私も当然冗談なのは軽井沢さんもわかってるので、ただの悪ふざけだ。

 

「でもさぁ、やっぱり憧れるわ彼氏と一緒に勉強なんてシチュエーションは」

 

「篠原さんは彼氏いても勉強しないでしょ」

 

 即座に軽井沢さんのツッコミが入る。

 

「し、失礼な! 多分するわよ!」

 

「いや多分って言っちゃってるし」

 

 まぁこんな感じで、話していて楽しい生徒が多いのでこの勉強会も退屈はしない。進捗も順調で、このまま何事もなければ全員が赤点を回避できる感じになっている。

 

「あ~平田君みたいな彼氏が欲しい~。他クラスは敵同士だから難しいし、テストが終わったら上級生から探すかぁ……」

 

「Cクラスにはまだまだ男子がいっぱいいるけど?」

 

「いや無理無理、あんな子供っぽい変態! 中学生みたいじゃん」

 

「付き合うならやっぱり落ち着いた人のほうがいいよね~」

 

 女子高生が年上の男性に憧れるというはままある話だ。原因は篠原さんが言うように、同年代の男子に幻滅したりだとか、年上の落ち着いた雰囲気に憧れるとか、そういうのが多い。

 

「黒華さんは付き合うなら年上? 年下? どっち?」

 

「えーどうだろ。中学生の時好きだった人は年下だったけどなァ」

 

「えー意外! 黒華さんこそ年上好きそうだもん!」

 

 それ、何の根拠があって言ってるんだ?

 

「黒華さんもやっぱり彼氏は欲しい感じ?」

 

 それはもう間違いない。

 

「めちゃくちゃ欲しいけど、つくるのはきびしそ~。わたしめちゃくちゃ嫉妬深いんだよね」

 

「えっなんか意外。どんな感じなの?」

 

「もう他の女と話してるだけで嫌になる」

 

 もっと言えば他の女と友達なだけで我慢ならない。というか男でもそうだな。交友関係は私1人に限定してほしい。記憶の中の知り合いも私だけにしてほしい。私のことしか知らない人。うん、これだな。

 

「こ、こわ。けど焦るのはわかるかも」

 

「でも彼氏欲しいって言う割に、黒華さんって全然浮ついた話……あっ! 須藤君はどうなの!?」

 

 須藤君の話は4月の間に散々なされた。

 

「別にそういう関係じゃないよ。普通の友達」

 

「でも須藤君って黒華さんと仲良くなってから丸くなったよね。まだ時々怖いとこあるけど、最初の頃よりよっぽどマシだわ」

 

 須藤君はまだまだ喧嘩っ早いところがあるけれど、少なくとも道行く人みんな威嚇するとか、そういったことはなくなった。私の調教の賜物である。いやまぁ普通に朝練してるだけなんだけど。

 Cクラスのカースト上位の女子が集まると、話題になるのはこういう浮ついた話ばかりだ。あのクラスのあの人がかっこいいだの、付き合うならこういう人がいいだの同じような話ばかりである。まぁそういうのが意外と楽しかったりするわけだけど。

 特別棟教室のカギを職員室に返し、そうやって雑談しながら教室に戻ると、出ていく前とは違う空気が私たちを迎えた。

 

「うん……? どしたのみんな」

 

 軽井沢さんも気づいたようだ。

 見回した教室では、今朝と打って変わって暗い空気で満ちていた。生徒たちは多くが不安げな表情をしていて、教壇でなにやら話し込んでいる平田君たちの顔も厳しい。そんな中、櫛田さんが私たちに気づくと、すぐに駆け寄ってきた。

 

「梨愛ちゃん! 大変なことになっちゃったのっ」

 

「桔梗ちゃん、何があったの?」

 

 切羽詰まった様子の櫛田さんは私の質問を受け、なぜか堀北さんの方を見た。

 

「テスト範囲が変更されたのよ」

 

 思いがけない凶報に軽井沢さんたちが目を見開く。テスト1週間前のこのタイミングにテスト範囲の変更など、彼女たちのような学力の低い生徒にとっては死刑宣告に近い。そしてどうやら話はそれだけではないようだった。

 

「佐枝ちゃん先生、先週の金曜日にはテスト範囲の変更が決まってたのによ、忘れてたとか言って今まで俺らに黙ってたんだ!」

 

 池君が半ば叫ぶように補足する。

 

「落ち着いて、詳しく説明してほしい」

 

 説明を要求すると、頷いた堀北さんが、口を開いた。

 

堀北さんたちのグループは、今日も昼休みから勉強会をするべく図書館にいたらしい。内容としては暗記科目の勉強で、その時は問題の出し合いをして勉強していたとのこと。池君たちが問題1つ1つに一喜一憂する様子を見かねた生徒が静かにするよう注意してきたという。

 

「全面的に私たちが悪かったので、その場ですぐに謝罪したのだけれど、彼ら、私たちがCクラスの生徒とわかると態度を変えたのよ」

 

「あいつ、俺らが不良品だとか、何人退学するのか楽しみだとかほざきやがったんだ。不良品はむこうだってのによ」

 

「とにかく低レベルで滑稽な連中だったわ。どうでもよかったし勉強会の邪魔だったところに他クラスの生徒が注意しに来たのだけれど、Dクラスの生徒が気になることを言ったのよ。『テスト範囲もろくにわかってないやつ』と」

 

 聞き逃せない台詞を聞いて、堀北さんたちはすぐに職員室に向かい、そして茶柱先生に確認したところ、茶柱先生はテスト範囲の変更をあっさり認め、範囲をメモしたプリントを手渡してきたとのこと。教師としてあるまじき失態だけど、悪びれる様子などはまったくなかったという。

 

「そのプリントを見せてもらえる?」

 

 受けとったプリントに記されたテスト範囲は、私が持つ過去問の内容と一致していた。全然範囲の変更が通知されないと焦れていたけど、まさか『忘れていた』なんて――。

 いや、そんなのありえるはずがない。退学がかかってる定期テストに関する重大な連絡を忘れるなど、教師どころか社会人として問題だ。報告されれば更迭されてもおかしくないレベルの失態だと思うんだけど……。

 今はこれはいいか。

 テスト範囲の変更を『私に』知らせなかったのは茶柱先生だけじゃないしね。あの女……。

 

「黒華さん、アタシ達大丈夫なの?」

 

「軽井沢さんたちは大丈夫。今日の放課後からでも対策すれば間に合うよ」

 

「僕たちのグループもなんとかテストには間に合いそうなんだ。けれど――」

 

「私たちの方は正直かなりギリギリよ。まったく手を付けていない範囲だったから」

 

 平田君と私のグループが5月が始まってすぐに勉強会を開始したのに対し、堀北さんたちは先週始めたばかり。それも相手は3バカトリオと、Cクラスで最も学力の低い3人だ。元々の学力差に加え、勉強時間自体も劣っている。順調に回り始めた堀北さんの勉強会だったけれど、ここにきて思わぬ壁が立ちはだかった。

 

「ふざけやがって……こんなとこで退学なんて絶対ごめんだぜ!」

 

「ああ、絶対乗り越えてやる」

 

 一番不安だったのは池君たちのモチベーションだったけれど、意外と大丈夫そうだ。茶柱先生のあんまりと言えばあんまりな態度と、Dクラス生徒の煽りが逆にやる気を出させたか。

 

「とりあえず出題内容の絞り込みをしなきゃいけない。このテスト範囲は全員がいつでも確認できるようにクラスのグループチャットに貼り付けよう」

 

 なんともまぁ白々しいことだと自分で思う。

 テスト範囲が変わることなんてわかっていたし、そもそも赤点を免れるどころか、全員が100点を取る手段すら持ってるのに、それを隠してこうやって危機を乗り越えようと足掻く生徒を演じているんだから。

 でもしょうがないよね。だっていつか私がありのままを晒した時。皆にとって私は必要な人間じゃないといけない。

 今度は否定されないように、遠ざけられないように、私なしでは生きていけないように依存させなきゃいけないんだから。そのためだったらなんでもやる、そう決めたはずだ。

 

「それと須藤君。こんなこと言いたくないけど、1週間は部活を休んでほしいの」

 

「ん? ああ、最初からそのつもりだぜ。もう堀北に言ってある」

 

 え、マジ?

 想定外の答えに驚いたけど、堀北さんも頷いているし本当みたいだ。しかも須藤君から言い出したっぽいし。須藤君の成長速度は想像以上だな。

 と、このタイミングでチャイムが鳴る。5分経てば授業が始まるので、もう話し合う時間はない。

 

「とりあえず、残りの話は次の休み時間でやるから。思いつめて授業に集中できなくなるのは避けてね」

 

 それだけ言い残して解散する。

 どちらにせよ私たちの勝ちはほぼ決まっているのだ。焦らずにこのまま中間テストを迎えればいい。



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12話

 授業が終わり、水曜日の放課後を迎える。

 中間テスト当日まであと1日を残すところとなり、勉強会の方もラストスパートをかけにいく、

 クラスのみんなの中ではそういう予定だっただろうけれど、勉強会は今日で終わりだ。茶柱先生が出ていくのを待ってから、クラスメイト達が出ていく前に声をあげる。

 

「みんな、明後日の中間テストに向けて、ちょっと話したいことがあるの!」

 

 こういう時に私がSシステムの秘密にいち早く気づいたことが生きてくる。私がこうやってみんなに呼びかけると、高円寺君以外はみんな静かに話を聞いてくれるようになる。まぁ高円寺君は普段は割と静かだけど。喋る相手がいないだけともいう。

 とにかく、動き回る生徒がいないことを確認し、クリアファイルを持って教壇に上がる。やることは終わったので、ここからは単純に私の人気取りだ、せいぜい演出しよう。

 

「えーみなさん朗報です。今回の中間テストを100%乗り越える方法を見つけました」

 

「な!? それはほんとかい黒華さん!」

 

 退学者が出ることを、ある意味赤点候補者以上に怖れている平田君がすぐに食いつく。私はきちんと外にも聞こえるような大きな声を出して自信満々にアピールする。

 

「ほんとだよ。みんなにはこのプリントを配るね」

 

 前の席の人にプリントを人数分配って後ろに回してもらう。配ったのは当然、過去問と解答用紙だ。

 

「これってテストの問題だよね? 黒華さんが作ったの?」

 

「違うよ。それは学校が作ったの。明後日の問題はそれと全く同じ問題が出るよ」

 

「ええ!?」

 

 私の言葉の意味を理解した生徒たちが、興奮と驚きで騒ぎ出していく。ついていけてないのは3バカトリオみたいに鈍い生徒だけだ。

 

「え、なになにみんなどうしたんだよ!」

 

「つまるところだね、配ったその問題と解答を丸暗記すれば、明後日のテストは全科目満点取れるってことだよ」

 

「え、ええええ!? 嘘だろ!? まじかよ最高じゃん!」

 

 主に赤点候補者達がが感激の叫びをあげる。先日テスト範囲の変更が告げられた時は気が気じゃなかったと思うけど、みんなどっと安堵したように笑顔を見せる。

 

「ちょっと待って。黒華さん、どうやってこんなものを入手したの? 真っ当な方法で手に入るとは思えないわ」

 

「たしかにそうだ。説明してくれ黒華。これは本当に使って大丈夫なのか? 不正と判断されれば取り返しがつかなくなるぞ」

 

 喜んでばかりの生徒が大半の中、堀北さんと幸村君はちゃんと懸念するべき点に気づく。こういった生徒は今のCクラスでは貴重だ。平田君も安心感のせいで疑問を持つことはなかった。

 

「大丈夫。不正と判断されることはないよ。それは過去問なんだよ。私たちの先輩が、同じ時期に受けたテスト問題」

 

「それだったら、同じ問題が出るなんて考えられないんじゃないかしら」

 

「普通だったらそうだね。でもそれはただの過去問じゃないんだよ。黒板に向かって真ん中から右に座ってる人には去年の過去問を、左側の人には一昨年の問題を配ってるんだけど、実はその2つは全く同じ問題が出るんだよ」

 

 すぐにみんなが立ち上がってお互いに過去問を見せあう。そしてその2つが全く同じことに気づく。ここまで説明すればみんな理解しただろう。

 

「ほんとに大丈夫なのか? 正直俺は心配だ」

 

「うーん。出所言ったら安心する?」

 

 どうせ私が生徒会に入ることはすぐに明らかになるので、名前を出してもいいと許可はもらっている。

 こんな演出に使うつもりはなかったけど。

 

「そうね。それは教えてもらいたいわ」

 

「おーけー。その過去問はね」

 

 堀北さんを見据え、一度言葉を区切る。

 

「生徒会長にもらった」

 

 言った瞬間、堀北さんが固まる。あんまりよろしい仲ではないと思っていたけれど、瞳を揺らして動揺しているところを見るに、もっと確執に近い何かがあの2人の間にあるらしい。

 

「せ、せいとかいちょう!?」

 

「そ、ほら。1日にさ、私って話し合いに参加しなかったでしょ? あの時は生徒会の人に過去問を貰いに行ってたんだよ。まさか生徒会長にお世話になるとは思わなかったけど」

 

「す、すげー。生徒会長って眼鏡かけたあの人だよな? やっぱ黒華ちゃんすげえな」

 

 池君が感心するように言う。部活動説明会の時に堀北会長を見かけたのかな? 

 

「どうかな幸村君、これでも不安?」

 

「いや、さすがに生徒会長が渡したものなら大丈夫なんだろう。手間かけさせたな」

 

「お安い御用です」

 

 少し抵抗を見せていた幸村君が認めたことで、教室中に弛緩した空気が広がる。

 

「いやぁこれなら無理に勉強やらなくてよかったなぁ」

 

 と、一気に弛緩した空気の中をそんな声が飛んだ。これを聞き逃すわけにはいかない。

 

「はいそこ! 山内君。油断は禁物です。期末テストも同じような裏技があるとは限らないし、今日の勉強会も全員真面目に参加してもらうからそのつもりで」

 

「えぇ~!? いいじゃん今日くらいさぁ」

 

「その気の緩みで退学になったら笑えないでしょ。私がテスト2日前にこの過去問を配ったのは、一部の生徒が一夜漬けで覚えようとして寝落ちとかしそうだったからです。特に池君と山内君、須藤君の3人は今日帰ったら早速この過去問の暗記に取り掛かること。明日でいいやとか言って、もし赤点取っても私は救済しません」

 

「は、はい!」

 

 一応救済はできるけど、これで赤点を取るようなら明日の私は本気で切り捨てるだろうな。

 

「これは他クラスの奴らには内緒にしようぜ! 全員で満点取って驚かせてやるんだ!」

 

 茶柱先生から大々的に動きすぎることのデメリットが伝えられたのは記憶に新しい。クラス対抗戦である以上、Cクラスは誰も口を滑らせたりしないだろう。

 自分の席に戻ると、復帰した堀北さんが声をかけてきた。

 

「黒華さん、生徒会長にもらったって言っていたけれど……」

 

「うん、堀北さんのお兄さんだね」

 

 小声で言うと、また身体を強張らせる。大丈夫かこれ。

 

「私生徒会に入ることになったの。中学生の時も生徒会だったし、ちょうどいいかなーって」

 

 堀北さんが気にしているのはこの部分だと思ったけれど違ったようだ。私の目を見て、何かを話そうと口を開いては閉じるを繰り返す。

 

「これが残念なのかはわからないけど、会長は堀北さんについては特に何も言わなかった」

 

「っ……そう」

 

「私から聞いたら、好きに接しろだって。だから私はそうするつもり。堀北さんも、変な色眼鏡はかけないでもらえると嬉しいな」

 

「……………………わかったわ」

 

 飲み込むには長い時間がかかったけれど、堀北さんはきちんと頷いた。堀北会長だけれど、私が堀北さんの(ややこしいな)名前を出した時、強烈な反応が来たものの、それは嫌悪とか、憎悪とかそういう負の感情とはまた違うものだった。もちろん善に溢れたものでもなかったけれど、あれは葛藤に近い気がする。

 

「すごいな黒華、大金星だ。オレにはこんな方法とても思いつかない」

 

 綾小路君がいけしゃあしゃあと言ってみせる。

 

「ありがと綾小路君。過去問あるんだから、全科目100点取ってね?」

 

「任せろ。これで点数を落としたらなんて言われるかわからないからな」

 

 よし、これでこの事なかれ主義者は手を抜くことなく満点を取ってくれるだろう。もし1点でも落としたら高級焼肉を奢らせてやる。

 

「黒華さーん。いこー」

 

 軽井沢さんたちが声をかけてくる。そうだ、勉強会があるんだった。

 

「今行くー」

 

 自分で緩むなとか言っておいて、やることが終わった瞬間に気を抜いてしまった。まぁこの3週間いろいろ大変だったし、仕方ないよね? 

 

 ◇

 

 いよいよ迎えたテスト当日、みんな緊迫した様子で席に座ってその時を待っていた。チャイムがなり、同時に茶柱先生が教室に入ってくる。その顔には1日に見せたのと同じ、怪しげな笑みを貼り付けていた。

 

「欠席者はなし、全員いるみたいだな」

 

 出欠確認を終えた先生がぐるりと教室を見回した。

 

「元落ちこぼれのお前たちにとって最初の関門がやってきたわけだが、なにか質問は?」

 

「僕たちはこの数週間、懸命に勉強してきました。このクラスに赤点を取って退学する生徒はいませんよ」

 

「随分な自信だな平田」

 

 平田君だけじゃない、須藤君や山内君といった退学が危ぶまれていた生徒たちも皆自信を覗かせていた。先生はそんなクラスの様子に満足したのか、プリントを揃えると、前から順に配りだす。

 1限目は地歴公民が一緒くたになった社会科のテスト。そもそも暗記問題が基本なので、対策は容易な部類に入る。ましてや問題の分かっている社会科のテストなど苦戦する方がおかしいレベルだ。

 

「もし、今回の中間テストと7月に実施される期末テストの両方で赤点を免れたら、お前ら全員夏休みにバカンスに連れてってやる」

 

 バカンスとは、日本ではリゾート地で過ごす休暇のような使われ方をする。しかし本場フランスで使われるバカンスの本来の意味はただの長期休暇のことである。

 

「バカンスっすか?」

 

「そうだ。喜べ、青い海に囲まれた島で夢のような時間を送らせてやろう」

 

 本当かなぁ。悪夢のような時間じゃなければいいけど。

 テスト範囲の変更を知らせなかったこともあり、私はもはや茶柱先生を、というより、この学校のことを信じられなくなっていた。

 これ社会に出たとき大丈夫か。上司の命令1つ1つ疑ってかかるような人にはなりたくないんだけど。

 

「「「「うおおおおおおお!」」」」

 

 え、何怖い。考え事をしていたらクラスの男子が急に叫び始めた。どういうこと? なにかあったの? 

 

「どうした黒華、浮かない顔をして」

 

 多分考えが顔に出てたんだろうな。何が面白いのか知らないけれどニヤニヤ笑いながら私を名指ししてくる。いい機会だしみんなの前で直接聞いてやろう。

 

「夢のような時間って言いますけど。悪夢じゃないですよね?」

 

「何言ってんだ黒華ちゃん、バカンスだぜバカンス!」

 

 いや知らんがな。

 

「なんだ? この約2か月でずいぶん疑心暗鬼になったもんだな。安心しろ黒華、そのバカンスではお前たちに完全な『自由』が約束される」

 

「自由?」

 

「そうだ。そこでは全てが『自由』だ。お前たちはバーベキューでもなんでもして好きなものを食べれるし、浜辺でビーチバレーをして遊んでもいい。水上バイクなんてのもあるから、それを試してみるのもいいだろう。キャンプファイヤーを皆で囲んで団欒なんてのも乙だろうな。そしてそれらすべて、一切のプライベートポイントを使わずにできるとしたらどうだ?」

 

 なんだその怪しいセールスみたいな……。

 でも先生は嘘をつかないだろうし、言ってることは本当なんだろうな。

 

「ポイントを使わず!? マジっすか?」

 

「ああそうだ。楽しみにしておけ」

 

 ここまでだと区切り、テスト開始を告げる合図がなされる。

 もしここで過去問と違う問題が出題されていれば、それだけ赤点候補者が赤点の危機に見舞われる。

 そしてその肝心のテストの内容は──。

 

「ふぅ……」

 

 思わず息をついた。全くと言っていいほど同じ問題が並んでいる。周囲の生徒達も今度こそ安堵したようで、カリカリと解答を書く音に混じってため息が聞こえてきた。

 過去問作戦は最悪の場合今年だけ違うという可能性も最後まで残っていたので、これでもう一安心といったところだ。

 その後の国語と理科もまったく過去問と同じ問題が出題されていた。国語の記述は多少落とす生徒が出るかもしれないけれど、赤点の生徒が出ることはないだろうな。

 そのまま全員余裕綽々といった感じで昼休みを迎えた。

 堀北さんの勉強会メンバーが堀北さんのところに集まってきたので、自然私もそこに混ざる。

 

「余裕だな余裕! このまま全部満点だぜ」

 

「俺150点くらいとっちゃうかもなぁ」

 

 余裕そうな2人だけれど、こうやって笑いながらも過去問はしっかり手にしている。あの様子だと間違っても赤点を取ることはないだろう。

 

「俺、昨日の夜寝落ちしちまってさ。一昨日過去問やってなかったらまじで英語やばかったかもしんねえ」

 

 頭を掻きながらぼやくのは須藤君だ。今も英語の過去問を見つめている。喋りながら覚えられるほど英語は単純じゃないけど、まぁ今更それを言ったところで白けるだけだろう。

 それに須藤君の顔を見るに赤点ラインはとうに超えてそうだ。50点以上取れれば確実に赤点は回避できるだろうから、そこさえなんとかできるなら全然問題ない。

 

「テスト2日前に伝えておいて正解だったわね」

 

「ほんとに。我ながら妙案だったね」

 

 もしこれがテスト前日だったらまた違う結果になる可能性もある。これだけやって赤点が出ましたなんて洒落にならないからな。念には念を入れておくのだ。

 

 ◇

 

 そして土日を挟んだ月曜日の朝、ついにテストの結果発表日がやってくる。

 たとえ自信はあっても、それでも一抹の不安は拭い去れない。そんな生徒たちで教室には張り詰めた空気が漂っていた。そこに茶柱先生がチャイムと同時に入室し、緊迫もいよいよピークに達する。

 

「先生、テストの結果発表は今日だとうかがっていますが、いつ発表されるんでしょうか?」

 

「どうした平田。自信があるんじゃなかったのか?」

 

「……いつからなんでしょうか」

 

「心配するな、今からだ。あまり時間をかけても手続きが間に合わなくなるからな。では発表する」

 

『手続き』なんて今この場では不穏でしかない単語をわざわざ強調する。当然そんな言い方をされれば赤点候補者たちは敏感に反応する。池君や山内君は最後は神頼みなのか、両手を合わせてブツブツ呟いていた。

 いよいよ、茶柱先生が大きな白い紙を黒板にマグネットで貼り付ける。

 

「謝罪しよう。お前たちを侮っていた。見ろ」

 

 バチンと黒板を叩いてアピールする。先生が張り付けた点数表には、『100』という数字がいくつも並んでいた。

 

「全科目で満点を取った生徒が続出している。とてもCクラスの成績とは思えん。よくやった」

 

 それは、茶柱先生から始めて送られた純粋な賛辞。しかし今そんなものはどうでもいい。私の目は国語から順に全員の点数に流れていく。そして見つけた。

 

『英語 須藤健 68点』

 

 一番危ぶまれた須藤君の英語で50点を優に超えている。つまりこれは──。

 

「お前たちが一番心配している赤点だが──このクラスにはいない。おめでとう」

 

 先生の言葉を飲み込む生徒達。

 そして──。

 

「よっしゃああああああ!」

「やったぁ!」

「よかった……よかった」

「はあぁぁ……勘弁してくれ……」

 

 歓声、安堵、いろんな感情が綯い交ぜになった声が教室に響き渡る。

 突如として私たちの前に立ちはだかった試練を、なんとか乗り切った瞬間だった。

 

「見たか先生! 俺らもやればこんなもんなんですよ!」

 

「そうだな。素直に感心している」

 

「もっとこう、すごいぞ! とか、手放しで褒めてくれてもいいじゃないですかぁ」

 

「勘弁してくれ。キャラじゃない」

 

 キャラなんて気にする人なのかアンタは……。

 

「それとさらに朗報だ。今回の中間テストのクラス毎の成績だが、見事、お前たちが1位だ」

 

「うおおおおおお!」

「最強だ俺ら!」

 

 さらなる知らせにクラスのテンションが最高潮になる。

 

「続きだが、2位がAクラス、3位がBクラス。そして4位がDクラスだ。クラスの順位は平均点でつけられている。なお、1年フロアの掲示板に各クラスの詳しい点数表が掲載される。他クラスにどんな生徒がいるのか、気になる奴は見てみるといい」

 

 そう言われたら見に行くしかなくなるな。特に私はBクラスの生徒は全く知らないため、優秀な人間がいるなら要チェックだ。

 

「浮かれているところ悪いが、喜んでばかりいられないぞ? 再来月に行う期末テストでも満点ばかり取れるとは限らないからな」

 

「ちょ、佐枝ちゃん先生、今いいところなんだから余計なこと言わなくていいんすよ!」

 

「悪い悪い──さて、これでSHRは終了だ。言っておくが今日もこの後は授業だからな。調子に乗ってポイントをすり減らさないように」

 

「そんなことしませんて!」

 

 茶柱先生はそれだけ言うと、教室を出ていく。出る際に一瞬私の方を見たのは気のせいじゃないだろうな。言いたいことはなんとなくわかる。

 

「なあみんな、今日放課後祝勝会やろうぜ! 5月にもらったポイント全然使ってないしさ、どっかの店貸し切ってパーってやろう!」

 

「いいねそれ賛成! あたし早速店予約するわ!」

 

 妙なところで連携を見せる池君と篠原さん。

 そんな様子に堀北さんは呆れているようだった。

 

「まったく、呑気ね」

 

「3週間の間気が気じゃなかったからな。解放されればこうなる」

 

「たまにはバカ騒ぎもいいもんでしょ。2人も参加するよね?」

 

「まぁそうだな。皆で打ち上げなんて初めてだ」

 

「私は嫌よ。まっすぐ帰るわ」

 

「え~どうせなら参加しようよ~」

 

 そのあとも不貞腐れてみたりしたけれど、堀北さんにはまるで響かなかった。

 

 ◇

 

 その日の放課後、クラスの打ち上げ会場は娯楽エリアにある焼き肉屋に決まった。40人丸ごと入る大部屋と、打ち上げ用のコースがある店で、祝勝会にはうってつけの店というわけだ。

 この打ち上げだけど、Cクラスのほぼ全員が参加する予定だ。『ほぼ』というのはこのクラスにはまだ佐倉さんとか長谷部さんみたいな、まだ友人と呼べるような人がいない生徒や、大人数で集まるのが苦手な生徒がいるからだ。そういった人たちは今回欠席するというのは、櫛田さんからこっそり教えてもらった話だ。まぁこういうのが苦手な人はとことん苦手なので仕方がない。

 ちなみにこのことは堀北さんには伝えていない。言えば間違いなく不参加を表明するからだ。

 そんな彼女は今、私と校舎1階の掲示板前に来ている。茶柱先生が言っていた、各クラスの詳細な点数を把握するためだ。

 

「さすがはAクラスね。約2割の生徒が満点をとっている」

 

 堀北さんの言う通り、Aクラスの成績はすさまじい。90点未満の生徒も、大体は80~70点付近をマークしている。1人だけ60点くらいをフラフラしている生徒がいるけれど、やっぱり学力においては隙がない。過去問作戦がなければまず間違いなく負けていたことだろうな。

 

「逆にBクラスは思ってたほどじゃないね」

 

 Bクラスはクラスポイントを870も残した猛者集団である、というのは最初の印象だ。櫛田さんに聞いた話だけれど、一之瀬さんという女子生徒を中心としているクラスで、仲良しこよしやっているらしい。

 話に聞いただけだけど、今の印象としては『Cクラスの上位互換』といった感じだ。点数を見ても生徒1人1人のアベレージが高く、高いレベルの成績を納めている。堀北さんから見ればBクラスも相当な強敵に映るかもしれないけど、AクラスとDクラスの両方に接触した私としてはそれほど脅威には見えていない。まぁまだまだこれからだろうな、Bクラスと関わるのは。

 そしてDクラス。堀北さんは驚いただろうな。

 

「Dクラスは……赤点を取った人が出たのね……」

 

 Dクラスの成績表。そこには一本の赤い線が引かれてある。

 

『数学 野村雄二 32点』

 

 野村君が退学になったのかどうかはまだ知らないけれど、Dクラスは阿鼻叫喚だっただろうな。

 

「哀れね。政府主導のこの学校に見捨てられるということは、日本という国そのものから見捨てられるも同然なのに墓標すら残らないなんて……」

 

 野村雄二という生徒がいたという証も、救済がなされなければ、この無機質な点数表がはがされる時と同時に消え去ることだろう。

 

「行きましょうか。もう見るべきものは──」

 

 堀北さんの言葉を遮ったのは、カツンという高い音。カツン、カツンと一定のリズムとともにこちらに近づいてくる。姿を見せたのは、杖をついた小柄な少女。銀髪の、儚げな美貌の顔立ちに対し、どこか力強さを宿した目をしている。

 来客は彼女だけではなかった。背の高い筋肉質の男。剃っているのか、それとも病気かはわからないけれどスキンヘッドをしていた。2人はこちらに気づくと、杖をつく少女のペースに合わせてゆっくりと近づいてきて、こちらに目を合わせてきた。

 

「『はじめまして』、Aクラスの坂柳と申します。こちらは同じくAクラスの──」

 

「葛城だ」

 

 坂柳に葛城。どちらも今回のテストで高得点を記録した生徒だ。坂柳さんに至っては全科目満点だった。堀北さんもさっき見たばかりの2人の名前は憶えているはずなので、この2人が猛者ぞろいのAクラスのトップであることはすぐに理解しただろう。

 

「私は──」

 

「ああ、ご挨拶は結構です。Cクラスの堀北鈴音さんと、黒華梨愛さんですね? お2人のことは存じておりますから」

 

 クスクス笑いながら堀北さんの言葉を遮る。

 こーれはウザい。

 相手のことを知ってようと知るまいと、自己紹介を途中で打ち切るなど、『お前などどうでもいい』と言われているようにしか思えないからね。ましてそれをAクラスの生徒が言ってくるんだから、上に上がることに並々ならぬ思いがある堀北さんからすればなおさら不愉快だろう。

 

「すまないな。非礼は詫びよう」

 

 葛城君がかわりに謝罪する始末だ。坂柳さんはおとなし気な見た目に対し、随分と挑発的だ。

 

「ふふふ、なかなか面白い結果だと思いませんか葛城君。今回の中間テスト、順当にAクラスが勝つかと思いきや、実際に1位をとったのはCクラス」

 

「まっとうな方法で乗り越えたわけじゃないだろう。地力では確実に俺たちAクラスが勝っている」

 

 こっちが反則技を打ったのが葛城君にはバレてるのか、それともただのカマかけか。

 

「見苦しい言い訳ね。結果を正面から受け止めたらどう?」

 

「君たちは当初最も下のDクラスに配属されていたんだ。たった1か月でこれほどの結果を残せるとは思えない。ましてやクラスの半数以上が全科目満点というのは、テストの難易度を考えても現実的ではない」

 

「なら私たちのクラスメイトに聞いてみたらどう? 大半の生徒は楽勝だったと答えるはずよ」

 

 それはたぶんそうだろうな。池君とか山内君がべらべら自慢しそうだ。そして余計なことまで追加でしゃべって不要な情報を与えるところまでは見える。

 

「ずいぶん思いあがっているようだが、いまだにAクラスとCクラスの差は歴然だ。たった一度の勝利で立場が並ぶとは思わないでもらいたいな。ましてや君たちがCクラスに上がったのも、そこにいる黒華1人の功績だ」

 

「黒華さんは関係ないわ。どちらにせよすぐに追いつく、必ずね」

 

 初めて会う者同士がする会話ではないでしょこれは。

 睨み合う2人を中心に居心地の悪い空気を孕むこの場所に、また新たな参加者が訪れた。

 

「うわぁ、もしかしてお邪魔だった?」

 

 現れたのはストロベリーブロンドの髪を伸ばした女の子。可愛いとキレイの中間みたいな顔立ちで、なによりもその凶悪すぎる胸部装甲が目を引いた。絶対モテるでしょ。

 

「随分と殺伐としているところを見るに、高慢な態度はまだ治っていないようだな葛城」

 

 そしてもう1人。どこかで見覚えのある生徒だったけれど、すぐに思い出した。4月に流行った『イケメンだと思う男子ランキング』で常にトップ10にいたBクラスの神崎隆二君だ。写真で見るよりまたさらに男前だな。

 

「神崎君に一之瀬さんですか。今日は随分と賑やかですね」

 

 坂柳さんが楽しそうに笑う。確かに、まるで示し合わせていたんじゃないかと思うほど同じタイミングで各クラスの生徒が集まってくるな。残りはDクラスだけど──。

 

「くく、壮観だな。雑魚共が勢ぞろいじゃねえか」

 

 タイミングよく現れたと思えば、開口一番喧嘩を売ってきたのは中肉中背の男子生徒。紫がかった黒髪を首筋まで伸ばしたセンターパートの男だ。

 

「これはこれは龍園君ではありませんか。雑魚と言えば、Dクラスは唯一赤点者を出したようですね。いったいどれだけの阿鼻叫喚だったのか、ぜひ教えていただけませんか?」

 

 坂柳さんきっついな。龍園君が攻撃的なのをいいことに痛いところをガシガシ突いていく。

 

「ハッ、あの程度もできねえ雑魚なんざどのみちいずれ脱落だろうが。どうでもいいな」

 

「おや? 私はDクラスに退学者は出なかったと聞いていますが……。どうでもいい雑魚を救済するとは、龍園君はお優しい王様なんですね」

 

 揶揄うと表現するにはいささか過激な気がするけど、揶揄う坂柳さんに龍園君が露骨に舌打ちする。まぁ今回のテストでDクラスは失態しかしてないからな。仕方がない。

 

「何の用だ、龍園」

 

 警戒するように立ちはだかったのは神崎君だ。その表情から龍園君のことをあからさまに敵視していることがわかる。何かあったのかもしれない。

 

「あ? 点数表を確認しに来ただけだろうが。Dクラスにはそんなことも許されねえのか?」

 

「お前たちが俺たちBクラスに仕掛けたことを考えれば、警戒するのは当然だ」

 

「知るか。仮に俺のクラスの奴らがお前らと何かあったとして、俺に何の関係があるんだ?」

 

「君はそういうけど、もう私たちの誰も君のこと信じてないからね」

 

「雑魚の信用なんざ鳥の糞ほどの価値もねえな」

 

 Bクラスの2人を鼻でせせら笑った後、今度は私たちに顔を向けてくる。まさか全方位に喧嘩を売るつもりか。

 

「てめえが噂のマスク女か。そっちの気の強そうな女はお前の子分か?」

 

「子分じゃないよ、友達」

 

「友達でもないわ」

 

 いやそこは否定せずに合わせてよ。堀北さん、頭はいいけど舌戦はまだまだダメそうだな。こういうのは余計な情報1つ渡すだけでどんどん不利になるんだから、相方の言うことをむやみに否定したりしたらダメだよ。連携とれてないってバレちゃうじゃん。

 

「まぁその女はどうでもいい。俺はちょうどお前を探してたんだ。ちょっと面貸せよ」

 

 どうでもいい女扱いされた堀北さんの顔が攣る。プライド高い堀北さんからしたらウザいことこの上ないだろうな。龍園君と坂柳さんは堀北さんと致命的なまでに相性悪そう。

 

「さっき点数表確認しに来たって言わなかったっけ?」

 

「それはもう終わったからな。次はお前だ」

 

 いやいや点数表に見向きもしてなかったじゃん。

 

「ごめんなさい、タイプじゃないの」

 

「ならここで話すか? こっちとしちゃお前の悪行を学校中にバラしてもかまわないんだぜ」

 

「おや、気になるお話が出てきましたね。黒華さんの悪行、ですか」

 

 目を輝かせて乗り気な坂柳さん。Bクラスの2人も興味を持ったらしく、私に視線を向けてくる。

 

「いいじゃんここで話しなよ。どんな作り話を聞かせてくれるんだろうねー」

 

『悪行』などととんでもないし、龍園君が私がこのテスト期間中にやってたことの全てを知る術はない。憶測交じりになるだろうし、そもそも龍園君としても話したくない内容のオンパレードだろう。ここで話してもいいなど、ただのハッタリだ。ここで動揺するのが一番の悪手だ。

 

「くく、悪知恵と度胸はあるみたいだな」

 

「坂柳さんと違っておっきいから」

 

「は?」

 

 坂柳さんからすごい怒気があがるけど気にしない気にしない。これ以上ここにいても余計な情報を流すだけなのでもう帰ろう。AクラスとDクラスはともかく、Bクラスが邪魔すぎる。話をするだけこちらが損する。

 

「もう帰ろっか堀北さん」

 

「そうね、ここにいても時間の無駄よ」

 

「お待ちください。話はまだ終わっていませんよ。先ほどの──」

 

「じゃあねー」

 

 引き留める声を無視して教室に帰る。坂柳さんには姿が見えなくなるまですごい睨みつけられた。あれで敵対関係になったりしなきゃいいけど。

 

「黒華さん、私、決めたわ」

 

「はい?」

 

 歩いていると、いきなり立ち止まった堀北さんにそんなことを言われた。

 

「決めたってなにを」

 

「私は必ずAクラスに上がる。そのためにあなたの力を借りることにしたの」

 

 その言い方だとまるで私が協力することが確定してるみたいな言い方だな。なんていうか借りようと思えばいつでも借りれるみたいな。そりゃ『CクラスをAクラスに上げたい』私とも目的は一致してるから、言われればいつでも貸しますが。

 

「別にかまわないけど、急にどうしたの?」

 

「さっき他クラスの生徒と話している時、みんなあなたに一目置いているようだったわ。悔しいけど、葛城君以外は私に見向きもしなかった。それに何より、あなたには兄さんに認められるほどの実力がある。今回の中間テストにしたって、すぐに退学を防ぐ方法を見つけておきながら、クラス全体の学力向上にも貢献した。あなたを、認めざるを得ないと思ったのよ。Aクラスに上がるためには、あなたの力が必要だと」

 

 堀北さんは周りの注目なんて気にしない人だと思ってたんだけどな。いざ他クラスの人たちを見て思うところがあったのかもしれない。

 それにしても、私の力が必要、か……。

 

「堀北さんは、私を必要としてくれるってこと?」

 

「そうね、どうかしら。というより、拒否権はないけどね」

 

 そう言うと意地悪そうに笑った。

 

「私が勉強会を開いたおかげで、サンドバッグを買わなくて済んだのでしょう?」

 

「な、なぜそれを!?」

 

 まさかサンドバッグの前で悩んでいるのを見られていたのか? いやでもあの時は周囲に知り合いがいないかちゃんと確認したはず。

 

「さぁ? なぜかしらね。それで、協力してくれるの? しないの?」

 

「もちろん協力する。でも条件が1つある」

 

「聞くだけ聞きましょう」

 

 堀北さんが本気でAを目指すなら、これはその第一歩になる。

 

「私と一緒に打ち上げに参加すること。それが条件」

 

「……は?」

 

 何を言ってるんだコイツは。

 そんな視線を送ってくる。

 

「ちなみにこれはAクラスに上がるために必要なことです」

 

「関連性があるとは到底思えないのだけれど」

 

「私に見えてて、堀北さんに見えてないものがあるんだよ」

 

 超曖昧な言い方だったけれど、こういう時に私が堀北会長にスカウトされたという実績が生きる。堀北さんは私を通して、生徒会長の影を見ているのだ。

 

「……わかったわ」

 

「ありがと、堀北さん。これからよろしくね」

 

 右手を差し出すと、渋々といった感じで応じてくれる。

 初めて握った堀北さんの手は、女の子らしく華奢で、ちょっと温かかった。

 



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13話

 ──やばい。

 

 無事に中間テストを乗り切り、高まる勢いそのままにクラスのほぼ全員が参加する祝勝会が開かれることになった。会場は大きな焼き肉屋で、お手頃価格が売りの大衆焼き肉ではなく、ちょっとお値段の張る『イイ』焼き肉屋だ。5月に入って支給されたポイントは54000ポイントと、4月に比べ半分近くになってしまったが、それでも1か月過ごすには十分すぎる額が支給された。テスト期間で今月はクラスメイト達もほとんど遊びに行けていないらしく、せっかくのこの機会に豪華な食事を楽しもうという魂胆だった。

 青春を体験するのが目的の1つのオレとしても、このみんなで打ち上げというイベントは見逃せないもので、真っ白で無機質なあの場所では決して経験できるものではないだろうと、柄にもなく心が躍っていた。

 しかし、そんなオレに今、入学以来未曾有の危機が迫っている。それは──

 

「服が、ない」

 

 今日の授業が終わり、そのまままっすぐ寮に帰ったオレは、適当にネットやテレビを見ながら悠々自適に過ごしていたのだが、そんなオレを驚愕させる事実が知らされた。

 

『今回の祝勝会は6時45分に店前集合、参加者は全員私服で来るように! ポイントはその場で徴収します』

 

 祝勝会用に新たに作られたグループチャットに送られたその一文は、オレを大いに動揺させた。入学してからもうすぐ2か月だが、平日はもちろん、土日に至ってもオレは友達と外で遊ぶようなことはせず、基本外をぶらぶらしているか、もしくは部屋で適当に過ごしているかで、外出用のオシャレな服など1つも持っていなかったのだ。一抹の望みをかけクローゼットを開いてみたが、せいぜい簡素な部屋着が数着と、学校に来ていくための制服がしまってあるだけ。

 やるべきことは明白だ。今すぐにでも祝勝会用の服を買いに行かなければならない。だがこの世に生まれ出でてからというもの、ホワイトルームの真っ白の衣服ばかり着て過ごしてきたオレには、一般的な高校生がどういう服装をするものなのかが全く分からなかった。

 参考資料が必要だ。ホワイトルームで鍛え上げられたオレの頭脳は一瞬で4つの選択肢を提示した。

 1つはインターネットの力を使うこと。

 すぐに携帯を取り出し、『高校生 服装 男子』と検索にかけたオレが見たのは、平田並のイケメンがかっこつけたポーズをとった写真ばかり。

 おい、企業はいったい何を考えているんだ? これじゃあ自分の顔に自信のない人が参考にしづらいだろ! 

 どいつもこいつも服装じゃなくて『俺を見ろ』とばかりに爽やかにはにかんでいるし、こんなイケメンだから似合いそうな服装、何の参考にもならない。俺が同じ服を着たら──、

 

『え、綾小路くん全然似合ってないんだけどウケるー(笑)』

 

 とバカにされる展開になるに決まっている。却下だ却下。

 次にオレが選んだのは男子の力を借りること。

 オレは池、山内、須藤の3人に『祝勝会までの間、適当に買い物にでも行かないか?』と送る。この一文を送るのにもオレはなかなかのハードルの高さを感じた。しかし勉強会を通じ、4月の頃よりさらに仲良くなったあいつらとなら、俺から遊びに誘いに行くというリア充的行動もとれると思ったのだ。しかし、ここでまた誤算があった。連絡を送った後、固唾を呑んで返信を待ち受けていたオレだったが、待てど暮らせど返事が来ない。痺れを切らしたオレは3人に電話をかけてみたが、何度コールが鳴っても出ることはなかった。

 一体どうゆうことだ? まさか3人そろって寝てるのか? 

 こうなったら部屋まで押しかけてでもあいつらを誘い出そうと立ち上がったが、ここでまた気づく。オレはあいつらの部屋番号を知らないのだ。というか誰がどの部屋にいるのかオレは自分以外に把握していないことに今気づいた。なんでこんな時に虚しさを感じなければならんのだ。とにかく、池たちに頼るという選択肢はこの時点で消え去った。次だ次! 

 3つ目、女子の力を頼る。

 

「……いや無理だろ」

 

 俺が連絡先を知っている女子は櫛田、堀北、黒華の3人だ。

 櫛田の場合、まずただでさえ人気者のあいつを今から誘ったところで予定が空いているとは到底思えない。というか放課後にクラスメイト達から遊びに誘われているのをさっき見たばかりだ。それに仮に一緒に買い物に行けたとして、櫛田と2人っきりでいるところを他の奴らに見られたらどんな噂が立つのか想像もできない。弁明のために『何着ればいいかわからないから相談に乗ってもらった』というのもあまりにも情けない話で少々癪だ。

 次に堀北だが、そもそも一緒に遊びに行ってくれると思えないし、あいつにこんな情けない相談をするのは気が引ける。これ以上弱みを見せたら一体何を要求されるやら。ないな。

 そして黒華、あいつも櫛田と同じくそもそも予定が埋まっている可能性がある。そして仮に相談に乗ってくれるとして、あいつがオレのことを徹底的に揶揄うのは目に見えている。他人に吹聴するような真似はしないと思いたいが、面白半分で話す可能性は十分あるし、間違いなくこの先1年はネタにされるだろう。

 

『あははっ、なにそれ綾小路君かわいい~』

 

 きっとこう言うだろうな。うん、やっぱりダメだ。

 

 念のため考えてみたが女子を誘うという選択肢はやはりないな。一番ない。

 となれば最後の選択肢、1人で買いに行って店員にオススメを聞く。これしかない。

 思い立ったらすぐ行動だ。早速ケヤキモールに行くとしよう。

 

 ◇

 

 オレが向かったのは、池たちが『コスパがいい』と評価していた『UNIQL〇』というファッションブランドだ。店舗面積がかなり広く、オレ以外にも多くの生徒が商品を眺めている。店員の数も多いし、これは期待できそうだ。

 

「すみません」

 

 手近な男性店員に声をかけると、愛想のいい笑顔を向けて振り返る。

 

「いらっしゃいませ、いかがなさいましたか?」

 

「あの、服を上下一式そろえたいんですが、なにかオススメってありますか?」

 

「これから夏になりますが、春物をお求めでしょうか、それとも夏物を?」

 

「あー春物で。今この時期に着れるのがいいです」

 

「そうですね、では──」

 

 要望を伝えると、店員は迷いのない足取りで商品を手に取っていく。

 よかった、これなら大丈夫そうだぞ。

 

「女子高生の皆さまはどちらかと言えばカジュアルな服装よりもきれいで落ち着いた服装を好まれる方が多いですし、お客様は上背もありますから、こちらの白シャツとカーディガンを合わせてみるのはいかがでしょう。パンツは黒のテーパードパンツかスキニージーンズがおすすめですね。どちらも脚が細く長く見えますし、ゆったりしたカーディガンと合わせればYラインも綺麗に出ますので、大人っぽさを演出できるかと思います」

 

 おお……! 何を言ってるかさっぱりわからないが、なんだか行けそうな気がしてきたぞ。

 オレは店員がおすすめしてきた服を受け取り、試着室に入って着替える。鏡で確認してみたが、特に変なところもないし、これで大丈夫そうだ。着心地も悪くないしな。

 

「ど、どうっすか?」

 

「ええ、すごくお似合いですよ。やはり適度に鍛えてらっしゃる方はスタイルがよく見えますね。男らしさと爽やかさがバランスよくまとまっています」

 

 まさかこの店員、審美眼の持ち主なのか? 

 店員のお墨付きをいただいたオレはそのまま会計に向かって選んでもらった衣服を丸々購入する。

 これからもあの店員、いや店員さんにコーディネートを頼もう。

 なんとか危機を乗り越えたオレは余裕の表情で寮に戻る。

 ちなみに池たちは完全に寝ていたらしく、今更になって返信が来ていた。

 

 ◇

 

 そして迎えた6時半、そろそろ寮を出ればちょうど集合時間に間に合う時間。

 

「よし、行くか」

 

 部屋を出てエレベータでエントランスに降りたオレだったが、ここで見覚えのある黒髪を見つけた。

 あれは堀北だ。まだオレには気づいていない様子。

 どうする? 声をかけるか? 

 堀北ならきっとオレのコーディネートを素直に評価してくれるだろう。こちらから『どうだ? キマッてるか?』などと聞くつもりはないが、おかしいところがあればアイツは素直に指摘してくるはずだ。オレのチタン合金メンタルがダメージを受ける可能性はあるが、それでもクラスのみんなに笑われるよりマシだ。

 よし──。

 

「おーい、堀北」

 

「……綾小路くん、嫌な偶然ね」

 

「そう言うなって……というか、打ち上げには参加しないんじゃなかったのか?」

 

 堀北は明らかに外出用の格好をしている。気になったので聞いてみると、堀北はその顔を苦々しげに歪めた。

 

「黒華さんに誘われたのよ」

 

「教室では断ってなかったか?」

 

「あの後掲示板を見に行ったのだけれど、そこで黒華さんにAクラスに上がるのを手伝ってもらうことにしたの。彼女、了承する代わりにこの打ち上げに参加しろと」

 

「それで渋々参加することになったってことか」

 

 黒華が堀北を改めて打ち上げに誘った理由。

 おそらく堀北に少しでもクラスメイト達との親交を深めさせたいという狙いがあるんだろう。堀北は頭はいいが、視野が狭く、なによりも他者を最初から邪魔者だと撥ねつける悪癖がある。

 堀北兄との邂逅、そして今回の勉強会を通じて入学当初よりマシにはなったが……。

 

「よく引き受けたな」

 

「……そうね。自分でもそう思うわ」

 

 黒華だって堀北が素直に応じるとは思っていなかっただろうが、アイツは生徒会長自身に生徒会にスカウトされたという事実があるからな。これが堀北にとってどれほど重い意味を持つのか理解した上で堀北を打ち上げに誘ったんだろう。

 

「…………」

 

 そしてここで会話が止まる。

 くそっ、動けオレの口! 動けってんだよこのポンコツが!

 

「服、似合ってるな」

 

 そうだ、オレが堀北に声をかけたのは服装におかしなところがないか確認するためだ。自然な流れでオレの服装の話をするには、こちらから堀北を褒めるのが手っ取り早い。

 とはいえオレが言ったのは素直な感想だ。黒のトップスにトレンチディティールの効いたミディスカートを合わせた、大人のお嬢様風という感じで、清楚な堀北によく似合っている。こうやって見るとまた一段と可愛いな。刺々しい態度さえ直せば相当モテるだろうに。

 

「そうかしら? そういうあなたも意外と服装には気をつかってるのね」

 

「そうか?」

 

 軽く流したが、オレは内心感激していた。堀北が『気をつかっている』と感じるということは、それ相応におしゃれなコーデになっていると考えていいだろう。

 ありがとう! 名前も知らぬ店員さん。

 

「でも、なんで白のシャツで来たの?」

 

「え、どういうことだ?」

 

「これから私たちは焼き肉に行くのよ? 油やたれが跳ねたとき、白のシャツじゃ汚れが目立つわよ」

 

「なんだと!?」

 

 しまった、おしゃれな服装に満足してそこまで考えが及ばなかった。

 くそっ、焼き肉屋に行ったことはないが、それくらいは想定できたはずなのに……。

 

「まぁ安い店ならともかく、そこそこいい店らしいし、きっとエプロンがあるわよ」

 

「ほ、ほんとうか?」

 

「多分ね。なかったら諦めなさい」

 

 祈るしかないということか。一々店員さんに『焼き肉用のコーデを教えてください』なんて頼むわけにはいかないし、ちょっとファッションについても自分なりに調べた方がいいかもしれないな。

 

「話は変わるけど、今回の中間テスト、Dクラスでは赤点者がでたらしいわ」

 

「本当に唐突だな……。それはオレも聞いた。野村ってやつだろ?」

 

 オレも具体的に誰が話していたのかはわかっていないが、教室にいた際にクラスの誰かがそんな話をしていたのを覚えている。赤点を取れば本当に退学になってしまうのだと、みんな恐れおののいていたな

 

「ええ、でもその野村君という生徒は赤点こそとったものの、退学にはなっていないそうなの」

 

「なに? 学校の話は方便だったってことか?」

 

 口ではそういったが、オレ自身はその可能性は限りなく低い、いや、間違いなくありえないと考えている。赤点を取ったら、この学校は本当に退学処分にするだろう。

 交友関係の狭い堀北がどこからその情報を拾ってきたかはわからないが、その野村という生徒が本当に退学処分になっていないのなら、何らかの手を打ったと考えられる。

 そう、例えば『テストの点数をプライベートポイントで購入する』というように。どれだけのポイントがかかるのか、そもそもそんなことが実際に可能なのかは試してみないとわからないが、今回の中間テストで用意された裏ワザは過去問だけではないということだ。

 

「その可能性は低いでしょうね。おそらくDクラスの誰かがなにかしたんでしょう」

 

 その『手』の内容には、今の堀北では思い至らない。

 

「まぁ今日は気にしなくてもいいんじゃないか? 結果を見れば、オレたちはDクラスに大差をつけて勝ったわけだしな」

 

「……それもそうね」

 

 それからは、特に会話らしい会話もせずに2人で並んで歩く。

 気まずい時間は10分ほどで終わり、店の前に着くとすでに多くのクラスメイト達がいた。

 オレたちに気づいた池が駆け寄ってくる。

 

「おーい綾小路って、お前、なんで堀北ちゃんと2人で来てんだよ!」

 

「たまたまエントランスで会っただけだ。もうみんな来てるのか?」

 

「おう! ほとんど来てるぜ。櫛田ちゃんがポイントを徴収中だから払って来いよ。1人8000ポイントな」

 

 そう言って櫛田を指さす。Cクラスのアイドルは今もクラスメイト達に囲まれてなにやら談笑しているようだった。入りづらい……。

 

「あっ。綾小路くんに堀北さん!」

 

 どうやって声をかけようか悩んでいると櫛田の方からオレたちに気づいた。手を振りながらこちらに駆け寄ってくる。櫛田……制服姿も可愛いが、私服姿もまた一段と可愛いな。

 見惚れながらポイントの振り込みを終わらせると、櫛田はすぐには戻らずにオレたちを交互に見やる。

 

「2人ともすっごくおしゃれだねっ。お似合いのカップルって感じ?」

 

 おいおい、そんな揶揄うようなこと言ったらまた堀北が怒るぞ……。

 え、オレはどうなのかって? いやまぁ、自分で選んだ服ではないし? 櫛田に褒められたところでなぁ? 

 

「ふ、ふふふ」

 

「こんな人とカップルなんて、冗談でもやめてほしいわね。それと綾小路くんはその気色の悪い笑い方をやめて」

 

 グハッ! 

 い、痛い……。言葉の刃に胸が痛い。

 

「あはは……私は綾小路くんかっこいいと思うけどなぁ? でも焼肉なのに白い服で来ちゃったんだね」

 

「堀北にも言われたけど、やっぱり失敗だったか?」

 

「たれとか油汚れをとるのが大変でさぁ。綾小路くんって焼き肉屋あんまり来たことない?」

 

「実は初めてだ」

 

 だからこそ楽しみでもある。オレとしては山内たち曰く『食べ物で遊べる』という噂の『すた〇な太郎』とやらに強い興味があったのだが、この際どこでもいい。

 

「わっ珍しいね。ここけっこういいお店だし、きっといい焼肉デビューになるよっ」

 

 それじゃあね、と手を振ってクラスメイト達のところに戻っていく。あっちに行ったりこっちに行ったりで忙しそうだな。

 

「私も焼き肉なんて久しぶりね」

 

「行ったこと自体はあるんだな」

 

「ええ。本当に小さな頃に家族で……」

 

 あまりいい思い出ではなかったのか、それともまた別の理由か、思い出した堀北は少し目を伏せる。

 

「あれっ、綾小路君と堀北さんじゃん。おっすー」

 

 この軽い挨拶は黒華だな。遠くから手を振ってる。

 

「綾小路かっくいーね」

 

 近づいてきた黒華は開口一番揶揄う口調で褒めてくる。そんな黒華の服装は白いワンピースにピンクのカーディガンと女の子らしい格好だ。

 ん? 白いワンピース……。

 

「黒華、白い服だとたれと油が目立つんじゃないか?」

 

 指摘してみると、黒華は少し眉をひそめた後──。

 

「しまった!」

 

 世間知らずはオレだけではなかったようである。

 

 ◇

 

「えーでは僭越ながら、わたくし、黒華梨愛が乾杯の音頭を取らせていただきます。今回の中間テスト、7人もの赤点候補者を抱えながらも、なんとか全員無事に乗り切れました。それだけでなく、学年順位1位という大勝。これからもクラス全員が、平穏な学校生活を送れるようにみんなで頑張っていきましょう。では皆さん、お飲み物の用意を」

 

 乾杯の音頭は、過去問を提供してクラスに貢献した人物ということで黒華がやることになった。5月初めはわざとやったとはいえ傲慢な物言いもあり、一部のクラスメイトとはギクシャクしていた時期もあったが、今ではそれも解消してしまっている。今回の件で、黒華はクラスのリーダーとしての地位を着実に固めてた。

 

「乾杯!」

 

「「「「「乾杯!!」」」」」

 

 そして一斉にグラスを呷るクラスメイト達。

 こ、これがリア充の儀式か……。

 

「はぁ……やはり来るべきではなかったわ」

 

 乾杯が終わるなり対面に座る堀北が早速愚痴る。

 オレと堀北は見事なまでに端っこの席でテーブルを挟んで座っている。まぁこうなることはあらかじめわかっていたわけだが。

 

「まぁまぁ。ここで私たちと焼肉食べてるだけでいいからサ」

 

 目を笑わせながら言ったのは堀北の隣に座る黒華だ。てっきり他のクラスメイトと同じテーブルに座るかと思ったが、堀北を誘った張本人なので、今はこうしてオレたちと一緒にいる。

 

「それに、堀北さんはもうちょい他の子と仲良くなったほうがいいと思うの。これはその第一歩です」

 

「必要ないわ。クラスメイトとの連絡役は黒華さんで十分だもの。適材適所よ」

 

「連絡役?」

 

「あっ、私堀北さんと一緒にAクラスを目指すことにしたの。綾小路君もそうなんでしょ?」

 

 おい、オレはそんなこと一言も言ってないぞ。

 抗議の意を込め堀北を睨むと、目をそらすどころか真っ向から睨み返してきた。

『何か文句でも?』とでも言いたげだ。

 仕方ない、ここはやはり黒華に助けてもらおう。

 

「黒華、それは誤解だ」

 

「ふぅん?」

 

「よく考えてくれ。オレが役に立つと思うか?」

 

「じゃあお試しで手伝ってもらって、厳しそうなら降りてもらうってことで」

 

 適当に言い放つと、マスクの下にストローを突っ込んでジンジャーエールを飲みだした。行儀は悪いが、顔を隠すためにしていることなので、オレも堀北も注意することはない。

 よし、こうなったら徹底的に無能アピールしてやろう。密かな決意を抱いたところで、テーブルに肉が届く。

 なんだかんだで、生肉を直で見るのはこれが初めてかもしれない。スーパーに行けばいくらでも見つかるだろうが、オレは基本食堂とコンビニしか使わないし、自炊もしないので縁がない。

 

「うわぁ私こんな分厚いタン初めて見た」

 

 黒華が嬉しそうに肉を網に乗せていく。

 

「自分の分は自分で焼くわけじゃないんだな」

 

「人によって違うね。自分の食べる肉は自分で育てたいって人もいるし」

 

「育てる……?」

 

「ほら、ステーキとか焼き加減にうるさい人とかいるじゃん。あとは生焼けが怖いとかね。だから自分で焼きたいって人もいるの」

 

「そういうもんか?」

 

「そういうもんなのっ。ハイどうぞ」

 

 焼けたタンを俺たちの小皿に乗せていく。牛タンは一頭からとれる量が少ない希少部位であり、そのために高価な上に特別栄養価が高いわけでもないため、オレ自身まだ食べたことがない。味はついているようなので、なにもつけずにそのまま口に運ぶ。

 

(美味いな)

 

 さっくりとした弾力ある肉を噛み切れば、うま味がジュワッと口の中に広がる。肉に特有の臭みもないし、分厚すぎて硬く感じることもない。なにより脂っぽさないため胃がもたれることもなく、いくらでも食べられそうだ。

 

「……美味しいわね」

 

 堀北もご満悦らしい。

 そうして3人で次々運ばれてくる肉を堪能していると、隣のテーブルから声がかかった。山内だ。

 

「おーい綾小路。そっち女の子2人であんまりいっぱい食えないんじゃないか? ということで俺たちがもらってやってもいい」

 

 トングをカチカチ鳴らしながら肉を寄こせと要求してくる。隣のテーブルには池、須藤、山内、そしてなぜか櫛田が一緒に座っている。よく櫛田をゲットできたな。

 

「いやいい。2人が食べきれなかった分はオレが全部食べるからな」

 

「おいおいそんなことしちゃ太るぜ?」

 

「大丈夫だ。その分運動すればいいからな」

 

 オレはホワイトルームで鍛えられた肉体を維持するために、普段から負荷を与えるようにしている。今日はそれを少し重めにやれば、過剰なカロリーも消費できるだろう。

 

「あれ? 綾小路くんって普段から運動とかしてたっけ?」

 

「そうでもないが、太るのは嫌だからな」

 

「あっ、そういえば水泳の授業の時も綾小路くんって筋肉すごかったもんね。細身の理想的な鍛えられ方っていうか」

 

 櫛田が思い返すように人差し指を顎に当てながら言う。こんな動作1つでいちいち可愛く見えるんだからズルい。

 

「確かにな、お前なんかやってたのか?」

 

「いや、中学は帰宅部だった。それに俺よりも須藤の方がすごかっただろ。タイムもかなり早かったしな」

 

「へへっ、まあな」

 

 須藤は誤魔化せたが、堀北は怪しむような目でオレを見つめてくる。なんだ、嘘は言ってないぞ嘘は。

 

「よかったね3人とも。赤点取ってたら焼肉なんて行けなかったからね」

 

「いやいや、確かに寛治と健はやばかったとしても、俺は余裕だったぜ黒華ちゃん」

 

「いやお前だってギリギリだろ」

 

「俺は本気出せば満点取れるから。マジで」

 

「これも堀北さんと梨愛ちゃんのおかげだよね。2人がいなかったら結構まずいことになってたかも」

 

 確かに、黒華が過去問を渡すだけでは3人とも一夜漬けで済まそうとして、赤点を取ってしまうという結果になってもおかしくなかった。堀北が3人に勉強会を開き、テスト前だけでも勉強するようにしたおかげでCクラスが学年1位を取ることに成功したわけだ。

 

「私は自分のためにやっただけよ。ここで退学者を出すと、せっかくCに上がったというのに逆戻りする羽目になるかもしれない」

 

「またまたぁ。今どきツンデレか?」

 

 揶揄う黒華だったが、思い切り睨まれてすごすごと退散する。

 

「まっ、最初は気に入らなかったけどよ。案外堀北は悪いヤツじゃねえよな」

 

「意外と勉強ちゃんと教えてくれたよな」

 

「正直思ってたより優しかったっていうか」

 

「あなたたちね……」

 

「あははははっ。堀北さん、今なんかすっごいダサ──あ、ごめんなさい! 横腹を突かないで!」

 

 堀北の容赦ない制裁に黒華が悲鳴を上げる。こうなることはわかってただろうに、あいつ人を揶揄わないと死ぬ病にでもかかってるのか? 

 

「うぅ……。まぁあれだよ3人とも。期末テストじゃ過去問は使えないだろうから、普段からちゃんと授業受けて勉強しなきゃダメだよ……」

 

「うへぇ。再来月にはまた地獄の日々が始まるのかぁ」

 

「勉強すれば解決だけれど?」

 

「それが嫌だからこうやって嘆いてるんですがそれは……」

 

 この様子だと、次の期末テストは3人とも赤点ギリギリで乗り切ることになるだろうな。

 

「まっ、だいじょぶだいじょぶ。Aクラスに上がるためにも、3人には今とは比べ物にならないほど賢くなってもらうから」

 

「え、梨愛ちゃんはAクラスを目指すの?」

 

「そっ。堀北さんと綾小路君と一緒に」

 

 ねっ、そう言って顔を向けてくる。オレまで巻き込まれていい迷惑だが、黒華ならすぐにオレを必要とすることはなくなるだろう。

 

「確かに、中間テストも俺らが1位だったもんな! 案外楽勝なんじゃね?」

 

「それはないわね。Aクラスの平均点は私たちとそれほど大きな差はなかった。反則に近い手を使ってこれなのよ」

 

「え、じゃあきつくね?」

 

「きつくないよ」

 

 黒華が胸を張って断言する。その神秘的な目を輝かせながら、確固たる決意を口にした。

 

「私がみんなをAクラスに上げる」

 

「すごい自信だな」

 

「こう見えて自信家ですから。みんな自分の能力を疑いすぎなんだよ。自分で自分を疑うような人間に最善を尽くすことなんてできない」

 

 平田や櫛田もそうだが、黒華は特にDクラスに配属されていたのかが不思議な生徒だ。学力、運動能力、機転・判断能力、協調性。どれをとっても黒華は一級品であり、Aクラスでないのが不思議でならない。各クラスに能力が突出した生徒を配置する決まりがあると言われても驚かないレベルだ。

 

「そう、なんだ……」

 

 何やら考え込むように少し俯いた櫛田だったが、その後すぐに顔を上げ、黒華を──いや、堀北を見つめる。

 

「あのっ、私も仲間に入れてもらえないかな?」

 

「え、いいよ」

 

「ちょっと待って。そう簡単に許可できるものではないわ」

 

 あっさり櫛田を受け入れる黒華に対し、堀北は顔を硬くして櫛田の参加を拒否する。

 

「え~なんで? 仲間は多い方がいいって絶対」

 

「それは……」

 

「ダメ、かな?」

 

「……いいわ。けど、後で少し話したいことがあるの。打ち上げが終わったら、顔を貸してもらうわよ」

 

「もちろんいいよっ。よろしくね、堀北さん」

 

 仲間入りが承諾され、満足そうに頷く。黒華、堀北、櫛田、オレ。

 これ、オレ必要か? いらないよな? 

 

「よっしゃ、しゃあねえから俺も手伝ってやるよ!」

 

「須藤君はもうちょい学力を身に着けてからね」

 

「うぐっ」

 

「はいはい、じゃあ俺も俺も!」

 

「俺も俺も!」

 

「池君と山内君は口が軽そうだから却下」

 

「「ぐはぁ!」」

 

 立候補する3バカトリオがあえなく撃沈する。まぁ確かに須藤はともかく、池と山内は思いがけず重要な情報を漏らしたりしそうだからな。

 

「な、なんで綾小路はいいんだ?」

 

「綾小路君は一応勉強できるし、何より目立たないからね」

 

「えっと、それって褒めてるの?」

 

「もちろん。目立たないっていうのは結構大事だよ。何か暗躍してても注目されないからね」

 

「おいおい、暗躍なんてハードルが高そうなことオレには無理だぞ」

 

「ふぅん?」

 

 なにか面白いものでも見たかのような視線を向けてくる。

 

「まっ、物は試しってことで綾小路君もいろいろやってみなよ。案外性に合ってるかもよ?」

 

 そう締めくくると、最後の肉を網に乗せた。

 まぁ、黒華がこのクラスにどんな影響を与えるのかは少し興味がある。近くで見守ることぐらいはしてもいいかもしれないな。

 

 ◇

 

「あ゙~疲れたぁ~」

 

 ヨロヨロと呻きながらもお風呂を沸かし、そのままベッドに飛び込む。

 あの後も祝勝会は続き、席替えをやったり、みんなでビンゴをやったりした。

 席替えの時は、櫛田さんの席にいっぱい人が来て、それを山内君たちが必死に追い払おうとしたり(失敗した)、平田君のところに女子が殺到して男子から大バッシングが飛んだりした。このクラスの生徒はこの2人にしか興味がないのかな? 

 それとビンゴでは、池君と篠原さんといった今回の祝勝会を企画してくれた人たちが自腹を切って景品を用意してくれていた。3位の景品はコンビニスイーツ詰め合わせ、2位は掃除機、1位は敷地内にある高級イタリアンのペア食事券だ。想像より遥かに豪華な景品に舌を巻いた。みんなで割り勘したらしいけど、それでも相当ポイントが飛んだだろうな。

 ちなみに結果だけど、3位は軽井沢さんがゲットしていた。ただスイーツの詰め合わせなどいろんな意味で女子泣かせなので、本人の表情は複雑そうだったな。まぁ平田君と一緒に部屋で食べたりするんだろう。

 2位は外村君だった。彼の部屋はおそらく相当汚いと思う(偏見)ので、ちょうどいい人に景品が行ったんじゃないかな。

 そして1位はなんと綾小路君がゲットしていた。でも彼には一緒に高級イタリアンに行く人などいないらしく、絶望の表情を浮かべてチケットをじっと見ていたな。今度私から誘ってみるか。タダでご飯を食べるチャンスだ。

 まぁなんだかんだでやっぱり楽しかった。中学校のクラスメイト達が部活の大会後とかにこういう打ち上げをしているのは知ってたけど、私は一回も参加したことがないからな。たまにはバカ騒ぎも悪くないもんだ。

 

「あっ」

 

 寝転がりながら携帯を触っていると、メールが届いた。送り主は『Aクラスの坂柳さん』で、内容は『Aクラスに過去問を譲ったことへの感謝』、あと今日の放課後のお話の続きをしましょうとのことだった。どうも坂柳さんは自分の幼女体型を随分気にしているらしい。

 

『今度、ぜひ一緒にお茶をしましょう。放課後残していったあなたの失言に関する重要なお話があります』

 

 めっちゃ怒ってるじゃん。

 

「『あれはジョークです。空気を和ませたくて』っと」

 

 適当に返事する。今回の中間テストの結果は坂柳さんと暗躍した結果だ。

 私は彼女と出会った日のことを思い出していく──。



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14話 愛してやるから、お前も愛せよ






微エロ注意です。
そして長い。


 私が『それ』に気づいたのは、堀北会長に過去問を貰った日の翌々日。

 勉強会に使う予定の問題を印刷しようと思い、プリンター目当てにコンビニに向かっている時のことだ。

 

「――?」

 

 特に何を考えるでもなくコンビニへの道を歩いていると、ふと気づいた。背後に露骨な視線と気配を感じる。今の時間帯はまだまだ行き交う生徒も多いので、なんとなく見てるだけという可能性は十分にあり得るけど、やっぱり気になる。急に後ろを振り返るわけにはいかないので、私は携帯のカメラを内カメラで起動して後ろを確認してみることにした。

 結構距離が離れているけど、水色のショートヘアをした細身の女子生徒が1人、これだけだとまだ断定できない。後ろを気にしながらもコンビニまで来た私は、プリンターではなく雑誌コーナーに向かう。ここはすぐ前がガラス張りになっているので、外の様子が簡単に伺えるのだ。

 適当な料理本を手に取って立ち読みしている風を装いながら、外の様子を盗み見る。件の女子生徒は、なにやら携帯を耳にあてながらその辺をうろついていた。口元は動いている、が、適当に動かしているだけだ。一度も唇がくっついていない。私の様子を誰かに報告しているのではなく、携帯で誰かに電話しているふりをしてるんだろうな。私に直接視線を飛ばすようなことはしなかったけれど、コンビニの出入り口をチラチラ見ている。視界の端にはギリギリ私が写っているはず。

 

「下手くそが」

 

 バレバレの尾行なんて鬱陶しいだけだ。どうせやるならバレないようにやってほしい。

 試しに視線を送ってみると、素早く、けれど慌てた様子はなく私から顔を背ける。これで確定した。

 手に持つ料理本で携帯を隠しながら、私は堂々と女子生徒を撮影する。こっちを見ていないなら気づかれることはない。

 それにしても、尾行されることは想定していたとはいえこんなに早いとは。

 どうしても、1か月ずっとマスクをつけた私は簡単に黒華梨愛だと特定されてしまう。じゃあマスクを外せという話だけど、そうしたら今度はいきなり正体不明の超絶美少女がCクラスに出現したとニュースになってしまうし、そもそも勉強会どころじゃなくなる。

 結局マークを振り切ることは難しい。ここであの女子生徒に「つけてるよね?」なんて問い詰めても、どんなリアクションが返ってくるかわからない以上、下手に刺激するのではなく、むしろこの状況を利用する方が得策。先ほど撮った写真を載せ、素性を問う内容のメールを櫛田さんに送り、プリンターに向かって予定通り問題集を必要部数コピーする。

 

 「――♪」

 

 コピーが終わったので、鼻歌まじりに寮に帰る。一度も私を見るようなことはなかったけれど、しばらく歩いていると電話のふりを打ち切って私についてきていた。

 寮のエントランスまで来た私は、そのままエレベーターに乗り込み12階のボタンを押す。

 私の部屋の階が特定されるけど、どうせ寮の管理人に聞けば部屋など一発でわかるのだ。連絡したいことがあるとでも何とでもいえば管理人も断る理由がない。結局のところ、私は尾行されていようといまいと、普段通りに過ごせばよいのだ。

 

 

 それから私は5日かけて尾行してきた生徒の正体の把握に努めた。基本櫛田さんにメールを送って確認すればどこの誰かはわかるけど、やりすぎると櫛田さんに怪しまれるので、時には私から尾行してクラスを特定することもあった。

 私を尾行してきた生徒はAクラスとDクラス。Dクラスの人員は毎日変わるけど、大体4、5人でループしている。Aクラスで私を尾行してきている人間は3人だけだった。橋本という金髪の男子生徒、神室という女子生徒、そしてもう1人は名前はわからないけど、小柄で影の薄そうな女子生徒。最後のこの子だけ断トツで尾行が上手かった。まぁすぐ気づいたが。

 それと尾行の力の入れようも違う。Aクラスは夕方くらいまでしか尾行してこないけど、Dクラスは午前1時くらいまで寮のエントランスに男子生徒が張り込んでいる。結果が出るかもわからないのに、大した根性だと思う。

 どちらにせよ、私がやりたいことは決まった。高校でやるつもりはなかったけれど、今後戦っていくためには必要なことだ。

 そのためにいくつかやらなければいけないことができた私は、さっそくあの人の力を借りることにした。相談したいことがあるということで――。

 

午後10時に敷地内の公園で待ち合わせしたいこと

その際なんでもいいので適当なプリント数枚を持ってきてほしいこと

そして私に尾行がついていること

 

 この3つをまとめてメールで送る。了承する返信は意外とすぐに来た。

 伊達メガネをかけ、髪をポニーテールで纏め、簡単に変装っぽいことをした私は、午後10時と言わず、8時に着くように寮を出た。ちゃんと尾行されていることを確認し、公園内のベンチでひたすら待ち人の到着を待つ。

 空がだいぶ暗くなった頃、ようやくその人は現れた。午後10時ジャストだ。

 

「女子が1人で夜中にうろつくものじゃないぞ」

 

「すみません、ちょっと悩み事があって」

 

 私たち3人以外に誰もいない暗闇に、その声はよく通ったことだろう。

 現れた待ち人――堀北会長はそのまま周りにギリギリ聞こえるような声のボリュームで話し始めた。私がやりたいことを理解しているように思える。

 

「黒華、これが頼まれていたものだ、確認しろ」

 

 何も書いていない白紙のプリントを手渡してくる。なんでこんな要求をしたのか説明する必要があると思ったけれど、全然そんなことはなかった。一応盗み聞きしているだろう尾行にも聞こえるような音量で堀北会長に声をかける。

 

「ありがとうございます、このお礼はまた」

 

「ああ、ではな」

 

 短い会話を終え、堀北会長は立ち去る。一緒にいるところを他の人に見られないため、私はさらにたっぷり30分そこに残り、そしてようやく腰を上げた。尾行してきた生徒は最後まで付き合ってくれたようだ。それだけ確認した後寮に帰り、堀北会長にメールを送る。

 

『敷地内で監視カメラの死角となる場所、赤点の基準を1点下げるのに必要なポイント、テストの点数を1点買うのに必要なポイントを教えてください』

 

 これまた返事はすぐに来た。

 

『校舎裏、特別棟廊下、寮裏手のゴミ捨て場/20万ポイント/10万ポイント』

 

 決行する場所も決まった。準備も終わっている。あとは早ければ早いほどいい。 

 

 

 決行はテスト1週間前の金曜日になった。

 勉強会を終えた私は寮に帰り、ごみ捨てを装って寮裏手のゴミ捨て場に向かった。ごみを捨てるなり、徹底的にあたりを探る。

 堀北会長が言っていた通り、監視カメラこそなかったけれど、どこかに堀北会長自身が隠しカメラを仕掛けている可能性はある。

 いやまぁ0.1%もないと思っているけど、やることがやることなので念のためだ。特に怪しいものは見つからなかったので、そのまま寮に戻る。

 この行為もAクラスとCクラスの監視から見られたはず。というか見ててくれないと困る。

 勉強会の準備をして時間を潰し、早めにご飯を食べ、お風呂には入らず深夜を待つ。

 

 そして、深夜の11時になった。私は制服から、全身真っ黒の動きやすい服装に着替え、眼鏡と髪型を変えて変装アピールし、バッグを持って寮の部屋を出る。

 エレベーターを降りたけど、エントランスには誰もいなかった。まさか今日に限っていないのかと一瞬焦ったけど、寮を出た瞬間に背中に視線が突き刺さった。数は1つ。

携帯を取り出して、内カメラでさりげなくその姿を確認してみると、それはいつの日か見かけたDクラスの男子生徒で、櫛田さんに聞いた名前はたしか野村雄二。

1人で、細身の男子と、理想的な条件が整っている。

 やや早足でそのまま寮の裏手に回り、角を曲がったところでバッグを地面に置いて待ち伏せる。これでついてこないなんてことあるはずない。野村君は10秒もすればやってきた。

 

「うぉ! な、なんだよおま――」

 

 即座に野村君の胸倉を掴み、背中から思い切り壁に叩きつける。

 

「ッグゥ――! 痛ってぇ!」

 

 急な出来事にまるで反応できず、思い切り背中を打ち付けた痛みに崩れ落ちる。そのまま体勢を整えることを許さずゴミ捨て場奥まで引きずり、半ば投げ捨てるように突き飛ばして壁際に追い込む。

 

「な、なにすんだよ!」

 

 まさかつけていた女にいきなり暴力を振るわれるとは思っていなかっただろうな。

 野村君が痛みで立ち上がることができないことを確認した私は――マスクを外して素顔を見せた。

 私の顔を直視して硬直する野村君に詰め寄り、左手で前髪を掴んで顔を無理やり上げ、キスできそうな距離まで顔を近づける。

 私がやりたかったこと。

 

 ――それはDクラスの適当な男子生徒を私の傀儡にすることだ。

 

「あ、ああ……っ!」

 

「Dクラスの野村君だよね? 『はい』なら1度頷いて?」

 

 私の言葉にコクコクと何度もうなずく。

 言われたことが全然できてない。

 今度は空いている右手で首を思い切り締め上げる。苦しそうだけれど、そう簡単に折れない。

 目は絶対に『合わさず』にもう一度訪ねる。

 

「Dクラスの野村君だよね? 『はい』なら、1度、頷いて?」

 

 今度は言われた通り、1度だけ頷く。言うことをちゃんと聞いてくれたことを確認し、両手を離して野村君を解放する。

 

「ゲホッゲホッ」

 

 とっても苦しそう。

 崩れ落ちた野村君に四つん這いになって這いより、今度は優しく抱きしめてあげる。オトコの子の匂いと、腕の中で体がガチガチに固まっていく感触を感じながら、耳元まで口を持っていき、蕩けるように甘く囁く。

 

「ごめんね野村君。酷いことして。痛かったよね。私だってこんなことしたくなかったの」

 

 何か言おうとする野村君だけど、もう向こうからなにか話すことはない。

 耳たぶを甘噛みして黙らせる。

 快感に息を呑む音が聞こえた。体から力が抜けた瞬間を狙い、耳の穴に舌を入れる。

 

「――ッ!」

 

 言葉にならない悲鳴をあげ、ジタバタ暴れる。我慢できずに倒れそうになる野村君をそのまま押し倒し、ジュルジュルと卑猥な水音を立てて耳を吸い上げる。脚を絡め、胸が柔らかく潰れるほどに身体を密着させたこの体勢は、傍から見れば仲睦まじい恋人がエッチしてるようにしか見えないだろうな。まぁ似たようなことをしてあげてるわけだケド。

 すぐに抵抗をやめて動かなくなったところで口を離す。唾液に塗れ、びちゃびちゃになった耳がすごくエッチだ。頬が上気するのを感じる。久々にちょっと興奮してきたかもしれないけど、今は私まで発情してる場合じゃない。

 目から光が抜け落ち、放心状態になった野村君を見つめ、素の微笑みを向ける。素顔を晒した私とこんな至近距離で過ごせば、普通の人間は大体こうなるのだ。

 

「野村君、意識はあるよね?」

 

 こくん

 

「よかったァ。私ね、野村君にお願いがあるの。聞いてもらっていい?」

 

 こくん

 

 大丈夫そう。久しぶりにやったけど、うまくできてよかった。

 もしこれで失敗したら私は明日から痴女だと騒ぎ立てられるからね。それはさすがに嫌だ。

 ここで初めて野村君から身体を離し、バッグを取りに戻り、用意しておいた『細工した過去問』を取り出す。

 仰向けに倒れる野村君に馬乗りになってのしかかり、耳元で囁く。

 

「君にはね、これをクラスのみんなに配ってあげてほしいの」

 

 野村君は変わらず力なく頷く。

 

「アハァ。素直な人、好きだよ。野村君、Dクラスには多分私を尾行するよう指示した人がいるよね?」

 

「は……はい」

 

 拳を握り、思い切り腹に打ち込む。私は一度も返事をしろなんて言ってない。

 

「野村君さァ、『はい』なら1度頷く、もう忘れたの?」

 

 何も言わず、頷くこともしない。そういえば『いいえ』の場合にどうするか言ってなかったな。

 

「『いいえ』なら首を2回縦に振ろうか。わかった?」

 

 こくんこくん

 

「いいコいいコ。それでね? もう1回聞くけどォ。Dクラスには私を尾行するよう指示した人がいるよね?」

 

 こくん。

 

「誰? 名前、性別、見た目。これは声に出していいよ」

 

「……名前は、りゅうえん、かける。性別は男で、中肉中背の体格で、紫がかった長い髪をセンターパートにしている……。顔も、整っている」

 

「ふぅん? イケメン君なんだ。どんな人?」

 

「…………」

 

「アハッ! エラいね! これは声に出していいって言ってないもんね。うんうん。いいよ、声に出して教えて?」

 

「入学して、すぐにクラスを、暴力で支配した……。粗暴な男だが、狡猾で、頭は、まわる」

 

 つまりインテリヤクザならぬ、インテリヤンキーか。ただ過去問を配布するだけじゃ怪しまれるかな?

 

「君ってクラスの立場どんな感じ? けっこう上? 上じゃないならだれが上か教えて? はい、答えていいよ」

 

「お、れは、りゅうえん、さんの、手下、みたいなもんです。他の奴も、大体同じ」

 

「ふぅん。じゃありゅうえん君の独裁状態なんだ。まるで王様だね。あ、それとさ」

 

 1つ矯正しておこう。

 

「これからは私と2人きりの時は、『りゅうえんさん』じゃなくて、『りゅうえん』って呼ぼうか。これからの君のご主人様は私なわけだし」

 

「そ、それは――」

 

 首を絞めようか迷ったけど、跡が残ればそのりゅうえん君とやらにバレる可能性が高い。

 やっぱ腹か。跡が残ろうが服で隠れて見えないからね。

 いや、やっぱダメかも。体育があれば着替える際に指摘される可能性もある。

 じゃあさっき殴ったのもダメだったじゃん。

 ごめんね野村君。

 

「言うことを聞けなくてワルいコだね。でもいいよ、今のは許してあげる。それで、なんて呼ぶんだっけ?」

 

「りゅ、りゅうえん」

 

「うんうん! そう、それでいいの。それでね、話を戻すんだけど、この過去問。ううん、来週のテストの問題ってことにしようか。これをりゅうえん君に渡してほしいの。手に入れた方法を聞かれたらァ、私が目を離したカバンから、クリアファイルごと盗みだしたってことにして?」

 

 こくん

 

「怖い? うまくできるか心配?」

 

 こくんこくん

 

 ほっといても大丈夫そうか。

 

「いいコだね。もしうまくできたらご褒美あげるからサ」

 

 光のない目を見つめ、誘惑する。

 

「もしうまくできたら――私のこと、好きにしていいよ?」

 

 わずかに光が宿る。妖しげな欲望に染まった暗い光が。

 

「キスしたい? それとももう1回耳を舐めてほしい? さっきからずっと胸ばっかり見てるね、触りたい?」

 

 手を取って胸まで持っていき、やわやわと軽く揉ませる。

 

「もっと他のことがいい? 手とか口でいっぱいキモチよくしてほしい? 男の子と女の子の両方でたぁっぷり練習したから、私めちゃくちゃ上手いよ」

 

 扇情的な微笑みを向け、手を離す。

 

「それとも――やっぱり犯したい?」

 

 もちろん身体を捧げたりなんてしない。私だって幼気な1人の乙女だ。大切な大切な初めては、私に『全部』くれる人に捧げると決めている。

 だってそうじゃないと私の『全部』があげられない。私の『全部』を受け取ってくれない。

 処女なんてそこら辺にいる女ですら大事にするんだ。私が簡単にあげるわけがない。

 傀儡の完成まであと一歩。そろそろ仕上げといこう。

 この世には、自分の都合の良い人生を送るために役に立ついろんな力がある。

 『権力』、『知力』、『暴力』は言うに及ばず、『嘘』に『信頼』、『真実』なんかも時には武器になる。

 私にも、私にしか使えない力がある。

 それがただの私の顔なことには笑っちゃうけど、案外バカにならない力を持っている。しかし激しく使いにくい。

 私の魔貌はちょっと神様もやりすぎなレベルで、人を魅了したり、陶然とさせる前に男女問わず苦痛や畏怖を与えてしまうという欠点がある。人にとって、自分の認知できる限界を超えた存在は直視することすら困難なのだ。

 だから、さっきやったように、痛みや快楽で魔貌以外に意識を逸らせてやらないといけない。そうじゃないとまともな会話すら不可能になるからだ。

 あとはこうやって優しくしたり、誘惑してやればひとまず魅了は完了する。

 こうなればおねだりすればなんでも買ってくれるし、私から何か言わなくても、勝手に気を使って身の回りの世話まで甲斐甲斐しくやってくれるようになる。

 

 ――でもそれだけだ。

 

 私が人を殺せといっても殺してくれないし、自殺しろと言っても自殺してくれない。何でもかんでも言いなりの操り人形にはならない。

 もちろん、私だって最初からそんな野蛮な人を求めているわけじゃない。

 けど今後他クラスを出し抜いていくには、友情や忠義をあっさり裏切り、なによりも私を最上として行動する駒がいる。

 私に全てを捧げてもいいと心の底から、脳みその端から端まで本気でそう思っている人間が必要だ。

 私が殴れと言ったらたとえ親友でも容赦なく顔面を殴り飛ばし、犯せと命じたら密かに思いを寄せていた相手でもレイプする。そんな駒を各クラスに配置すれば、負けはほぼなくなる。

 一度魅了した人間を本物の操り人形にするためには、私の色に染め上げる必要がある。洗脳レベルで私を愛させないといけない。

 

 ――今からそれをやる。

 

 もう1度身体を密着させて顔を近づける。

 妖しげに目を光らせる野村君はもはや私に愛されることしか望んでいない。

 

 なら愛してやる。

 顔が触れそうな距離で目と目を強制的に合わせる。

 

 私のもう1つの『力』をお前にもやるよ。

 自分の『全部』を差し出す代わりに――、

 

 ――相手の『全部』を要求する。

 

 私の『狂愛』を、お前にも植え付けてやる。

 

「あっ、あ、アアアAhaAAaa!!」

 

 命の危機を感じた人間の、最後の抵抗。火事場の馬鹿力をどうにかするのは私にも難しい。大声を上げる口には拳を突っ込んで無理やり蓋をし、暴れる四肢はどうにもならないので、頭だけは上げさせないように全力で押さえつける。性別の関係上、体格差だけはどうしようもない。

 

 それでも目は外さない。

 

「私に愛してほしいんだろうが?」

 

 呪詛のように呟く。

 

「他人と関わるのは私が言った時だけでいい」

 

 絶対に目は外さない。

 

「私だけと話せ、私だけを信じろ。私だけだ」

 

 ――外してやるものか。

 

「走るのも駆けるのも歩くのも泳ぐのも跳ぶのも歌うのも踊るのも食べるのも飲むのも戯れるのも遊ぶのもはしゃぐのも祝うのも甘えるのも争うのも競うのも脅かすのも驚かせるのも妬くのも褒めるのも笑るのも敬うのも尊ぶのも泣くのも悩むのも悔しがるのも腐るのも恨むのも嘆くのも苦しむのも狂うのも怒るのも憎むのも誘うのも焦がれるのも仕えるのも憂うのも惜しむのも慰めるのも慈しむのも助けるのも救うのも求めるのも見つめあうのも触れ合うのも手をつなぐのも抱きしめあうのも絡むのもキスも犯すも蕩けるも溶けるも一つになるも全部全部全部全部全部全部全部――」

 

 私の『全部』をくれてやるんだから、そいつも私に『全部』捧げるべきだ。

 

「愛してやるから、お前も愛せよ!!!」

 

 

「ふぅ」

 

 ようやく静かになった。

 野村君は耐えられずに意識を失った。寝てる間に携帯を指紋認証で解除し、連絡先を互いに登録しておく。名前は適当に打ち込んでおく。携帯を確認された時に誰かバレないようにしなきゃいけない。

 次に服を捲り、殴った腹を確認する。打撲痕はついていないけど、後になって浮かび上がる可能性があるな。 まぁ洗脳が終わってるなら、自分で転んだ拍子に腹を打ったとでも答えるでしょう。

 確認したいことはもうないので、ぺちぺち頬を叩いて野村君を起こす。これでまだ傀儡にならないようなら最後の手段を取らないといけない。その場合傀儡どころか廃人確定なので、私としてはとりたくない手段だ。

 

「ぁ――」

 

 起きた。ボーッとした表情で周りを見回し、今度は私を見てくる。

 その瞳には、光が宿っていた。暗い光ではない。むしろ、爛々と眩い光。

 私と同じ『狂愛』を宿す、輝かしくも妖しい光。

 

「私の言ったこと覚えてる?」

 

 こくん

 

 よし、大丈夫そうだ。

 私は細工した過去問を入れたクリアファイルを渡した。

 

「じゃ、お願いね? ミスしたら――」

 

 脅すような私の言葉にも、一切表情を変えない。

 まぁ、いいか別に。これ以上何を言おうと一緒だ。

 野村君は頷くと、ヨロヨロと立ち上がって歩き出す。覚束ない足取りだけどまぁどうでもいい。

 さて、あとは野暮用を終わらせちゃおう。野村君が立ち去ってからも、マスクをつけた私はその場を動かずに待ち続ける。

 10分程度経っても何も起こらないので、まさか来ないのかと思ったけど、立ち上がろうとした拍子にその音は鳴った。

 

 カツンッ――。

 

 コンクリに硬い何かを打ち付ける音。聞いたことがない音だ。

 訝しんでいると、姿を見せたのは2人。1人は知ってる。もう1人は知らない。

 

「こんばんは」

 

 鈴の音のように澄んだ声。優雅な微笑みを浮かべた少女は、カツカツと杖とつきながら、私に近寄ってくる。

 

「こんばんは、あなたは知らないけど、そっちは神室さんだよね?」

 

「――っ、なんで」

 

「やはり尾行は気づかれていたようですね」

 

 想定内だとでも言うように、その少女は言葉を続ける。

 

「はじめまして黒華さん。私は坂柳有栖と申します」

 

「はじめまして、黒華梨愛です。それで、『4人がかりで』何の用かなァ?」

 

 指摘すると、坂柳さんの表情は変わらなかったけど、神室さんの表情は大きく変わった。わかりやすい女だ。

 

「ふふふ、そこまでわかっていらっしゃるとは。どうやらあなたたちもバレているようですよ、橋本くん、鬼頭くん」

 

 その呼びかけに応じて陰から出てきたのは、金髪の男子生徒と、高校生離れした強面の男子生徒だ。ほんとに同い年か?

 

「なぁに? 私これからリンチでもされるの?」

 

「とんでもありません、私はあなたと取引しに来たのですよ」

 

「ふぅん? 取引かァ。いい商談になるといいケド」

 

 正直私の持つカードは多くない。相手はAクラスなので、所有するプライベートポイントは当然負けているし、使えるのはせいぜい過去問と『情報』だけ。こういうのまったく得意じゃないけど、まぁ頑張ろう。最悪搾り取られそうなら全部投げ出して逃げてやればいい。

 

「過去問をお譲りしていただきたいのです。それも0ポイントで」

 

「随分吹っ掛けるね」

 

「むしろ安い買い物ですよ。なぜならあなたが代わりに得るのは退学しない権利ですから」

 

「坂柳さんおもしろーい」

 

「こちらの携帯で、先ほどのあなたと男子生徒のやり取りを録音させていただきました。この意味がお分かりですよね?」

 

 そう言って携帯を見せてくる。奪い取ることは容易いけれど、そもそもそんな必要性がない。録画されていたならともかく、ただの録音なら私と野村君がただ叫んでいるだけだ。

 どういう風に使うつもりなのかは知らないけれど、学校に提出されようが、学校中に言いまわられようが、私が深夜に大声を出す変質者という烙印が押されるだけ。

 それもストレスがたまっていたから叫んで発散していたとでも言えばいい。テスト週間の今なら誰もが納得するだろう。野村君の方も口裏を合わせればいいだけだ。

 そもそも私のやってることがわかるほど近距離に近づいてきたら、私は必ず気づく。視線というのは誤魔化せるものじゃあない。

 

「その録音が私の退学と何の関係があるの?」

 

「先ほどの男子生徒の悲鳴やうめき声が録音されています。あなたが彼を暴行したことは私たち全員が証人です。訴えればどうなるか、想像できませんか?」

 

 確かに私は野村君を殴ったし首も絞めたけど、そもそもその録音だけで暴力を振るった証拠になるわけがない。野村君に暴行の跡があった、私と密会していた、坂柳さんたちの証言があった。これだけ揃っても、野村君自身が私に暴力を振るわれたとは絶対に言わない以上、私が罪に問われることもない。

 そもそも坂柳さんは私が暴力だけを振るっていたと勘違いしている。こうやってわざわざ3人も護衛をつけてきたのがその証拠だ。出てきた野村君の様子からそう目星をつけて私を脅しに来たんだろうけど、間違った情報を持っていると知らせた時点で今マウントを取っているのは私だ。

 

「ただのストレス発散だよ」

 

「酷い人ですね、暴力がストレス発散ですか」

 

「大声で叫んでただけだよ。テスト勉強でストレスが溜まってさァ。サンドバッグを買おうか悩んだくらいなんだよね」

 

「随分野蛮なご趣味をお持ちなようで」

 

「交渉は終わりでいいかな。さっきから暴力がどうとか言ってるけど、全然見当違いだからね? その男子生徒に確認してみなよ」

 

 開き直る私の目を坂柳さんが観察するように見つめてくる。

 これで本当に私が暴力を振るっていたと訴えかけるならそれでもかまわない。野村君自身が私の無実を証明してくれる。

 

「……どうやらハッタリではないようですね。失礼いたしました」

 

「ご理解いただけたようで何よりだよ。それで、あなたは過去問の対価として何をくれるのかな?」

 

「いえ、同じ学年のあなたから過去問をお譲りしていただくより、他学年の方からいただいた方が安く済みますから、もう帰ります」

 

 それは坂柳さんの嘘だった。

 決裂と断言した坂柳さんたちは踵を返して帰っていく。しかしここまでやったんだから、私としてはこのままお帰りいただくわけにはいかない。

 

「坂柳さぁん。私の言う条件を呑むなら、過去問を0ポイントで譲ってもいいよ?」

 

「ほう?」

 

 カツンと杖をついた坂柳は、興味深そうな顔で振り返る。

 

「0ポイントで『本物の』過去問をお譲りいただけると。面白そうなお話ですね、いったいどんな条件でしょうか」

 

 わずかに残した言質に目敏く気づく。

 

「まず第一に、『本物の』過去問を譲った場合、あなたたちAクラスには学年順位で2位になってもらう」

 

「それはつまり、あなた方に1位を譲れと?」

 

 私の要求に、ここまで黙っていた3人のうちの1人、神室さんが口を開いた。

 

「何言ってんの? 私たちに何の得もないじゃない」

 

「そうですね、それでしたらプライベートポイントを支払ったほうがマシです」

 

「そうかなぁ? あなたたち『Aクラスには』得はないかもしれないけど、『坂柳さんには』あるんじゃないかなぁ」

 

「なにをおっしゃって――」

 

「葛城康平」

 

 私の出した男子生徒の名前に、坂柳さんが押し黙る。その生徒の名前を知っていることに疑問を持っているのではない、『なぜその名前を出せたのか』に疑問を持っている。

 

「なんでもAクラスはリーダー争いしてるんだって? それも今は坂柳さんが不利って聞いたけど」

 

 なぜ私がその情報を持っているのかはすぐにわかるはずだ。

 

「なるほど、生徒会長ですか。その情報には箝口令を敷いていたはずですが、一体どこから漏れたのか……。あなたの仰る通り、私たちは現在派閥争い中です。しかし、それと過去問に一体何の関係が?」

 

「葛城君のせいでAクラスが2位になったってことになれば、クラスのみんなはどっちにつくかなァ?」

 

 この私の言葉を聞いただけで、坂柳さんは私が何を提案しようとしているか理解したらしい。

 や、やばい。私だったら絶対無理だ。もしかしたら関わったらダメな相手だったかもしれない。

 

「葛城君には『偽の過去問』を提供すると、なるほど。ですがAクラスに不利益を与えてでも勝ちたいわけではないのですよ。クラスのリーダーの座はいつでも奪い取れます」

 

「Cクラスに負けるのがそんなに怖い? 意外と腰抜けなんだね」

 

「何とでもどうぞ。私の勝手な都合でクラスの皆さんにご迷惑をおかけするわけにはいきませんから」

 

 あくまでも『派閥の勝利<クラスの勝利』なのだと突きつけてくる。そう言われてしまえばこちらとしては何もできない。正論なのは相手だけど、こっちとしても譲歩してやるわけにはいかない。

 

「こんな深夜に3人も連れ出しておいて何言ってんだか」

 

「ここにいるお三方は進んで私に協力してくださっているのですよ。そうですよね? 真澄さん」

 

 絶対うそでしょ。神室さんの苦々しげな顔見てみなよ。

 

「……そうかもね」

 

「そういうわけですから、1位をお譲りするという条件を呑むわけにはまいりませんね」

 

 絶対に譲らないといけしゃあしゃあと主張する。

 

「そっか、だったら交渉は難航だね」

 

「いいえ難航ではありません、決裂です。過去問は上級生の方にお譲りしていただきます」

 

 傍から見ればその選択肢が最良のように思えるけど、私からすれば、坂柳さんのその言葉はすぐにハッタリだとわかる。プレッシャーを与えて有利に立ちたいだけ。

 

「ちなみにそれいくらで言われてるの?」

 

「あなたに教える必要がありますか?」

 

「当ててあげるよ。15万ポイントでしょ?」

 

 私がポイント額を言い当てられた理由に、坂柳さんはすぐに思い至った。

 

「なるほど、橋本君たちから、上級生が頑なに過去問の売値を減額しようとしないと報告を受けていましたが、あなたの仕業でしたか」

 

「『1年Dクラスが今とても困ってる。大金を巻き上げるチャンスらしい』。私が上級生に頼んで広めてもらった噂だね。もし過去問の存在に気づく人がいたら、少しでも安く手に入れようとDクラスを名乗るもんねぇ?」

 

 私の想定通りに、坂柳さんたちはDクラスを装って上級生に接触し、結果的に大金を要求された。

 私は別にAクラスが過去問を入手しようとしていると知っていたわけじゃない。

 ただ万が一ほかのクラスが過去問の存在に気づいた場合、Cクラスでは勝ち目がなくなるのだ。そのために手を打つことにした。

 まず大前提として他クラスに過去問を入手させるわけにはいかない。過去問の存在に気づくような人は大体Dクラスを装ったほうが安く手に入ると算段をつけるだろうと考えた私は、上級生をつかって噂を流すことにした。

 とはいえ監視がついていたため、露骨に接触するわけにはいかない。堀北さんが勉強会を開いてくれたあの日の食堂で、私は推定Dクラスの上級生に偶然を装って私の連絡先とメッセージを添えた紙を拾わせた。

 

『お願いを聞いてもらえたらポイントをお支払いします』

 

 その日のうちに連絡してきた2年生だという上級生に、前金の1万ポイント、そして成功報酬の2万ポイントをちらつかせ、『Dクラスから金を巻き上げられるチャンスらしい』という曖昧な噂の流布を『2、3年生に限り』頼んだ。他人任せの作戦は正直どれくらい効果が出るか不安だったけど、彼は思いのほかうまくやってくれた。坂柳さんたちはその噂を知る上級生たちに接触し、予想外にも大金の支払いを要求されたわけだ。たとえ噂の存在に気づき、ほかのクラスを名乗ろうと、それなりのポイントが要求されることになる。これでひとまず過去問の入手に二の足を踏ませることに成功した。

 次に私は、あえて堀北会長と接触する姿を尾行するAクラスとDクラスに見せることで、私が過去問を持っていることを認識させた。この日を境に私への監視はさらに強まることになるけれど、これも計算の範疇。

 そして今日意味深気にゴミ捨て場を探る姿を見せつけ、私が何かするつもりなのだということも知らせた。監視カメラのないここであんな姿を見せればAとDは必ず様子を見に来る。

 結果的にDクラスの野村君は私の跡をつけて返り討ちにあって傀儡になり、弱みを握ったと勘違いした坂柳さんたちが今こうやって接触してきた。

 

「あなたの言う通り、少なくないポイントを支払うよう要求されていますが、クラスの勝利のためなら仕方のないことです」

 

「それも嘘だね。あなたたちAクラスは今『テストの平均点』で勝負をしてるでしょ?」

 

 やはり情報は武器になる。生徒会に誘われたのは僥倖だった。堀北会長にはいくつか借りを返さないといけないけど、私に手伝えることなら喜んで協力しよう。

 

「勝負をしていることは否定しませんが、それがなにか? 先ほども言いましたが――」

 

「あなたの派閥にどんな生徒がいるかまでは知らないけど、いくら学力の高い生徒を集めたところで勝利は確実じゃない。あなたがこうやって過去問を探し回っているのは、葛城君に絶対に勝ちたいから。それほど求心力の高いあなたが、こんな序盤で大量のプライベートポイントを吐き出してもいいと考えてるとは思えないんだよね、違う?」

 

 相当吹っ掛けられていなければ、こうやって私と交渉したりしない。クラスの勝利にこだわるのなら、私の話など聞かずにさっさと帰ればいい。それをしないのは、やはり坂柳さんのなかで『クラスの勝利<坂柳陣営の勝利』の図式があるからだ。

 

「こうやって交渉が難航していること自体が答えになっていませんか?」

 

「なってないね。あなたは私に正論をぶつけることで譲歩を引っ張り出したいだけだ。内心では派閥として勝てるならクラスとしては負けてもいいと思ってるんだよ」

 

「人の考えを勝手に決めつけ、あまつさえ交渉材料にしようとするとは、まるで教育がなっていませんね」

 

「アハァ。それは否定できないなァ。でも今回の中間テストで私たちCクラスが1位になる。無料で過去問を手に入れたいなら、この条件は必ず吞んでもらう。もし本当にクラスの勝利を優先するって言うなら、今度こそ交渉は決裂だ」

 

 もし坂柳さんがクラスの勝利を優先するなら、元より交渉は不可能だ。

 私の最後通牒に坂柳さんは黙って間を空ける。

 私が焦るのを待ってるな、その手には乗らない。

 たっぷり3分間ほど睨み合いが続き、神室さんが焦れったそうに身をよじったところで、ようやく坂柳さんは口を開いた。

 

「思ったより頑固な方ですね。いいでしょう、その条件を飲みます。ただし確約は出来ません。私達は当然全員満点を取らせていただきますし、葛城君たちには偽の過去問をお渡ししますが、それでも彼は高得点を取ってくるでしょう。ほかの生徒も決して低い点数を取るわけではありません。これはお分かりですね」

 

「いいや分からない。あなた達には必ず2位以下になってもらう。もし1位を取ったなら、あなた達には賠償金を要求する」

 

「随分と強欲ですね。その条件には合意しかねます。あなた達がわざと点数を下げるようなことがあれば必ず賠償金を支払わなければいけなくなりますから」

 

「私たちの点数が不自然に低ければ賠償金を払う必要はないよ。それに、私から手を抜いてくれって頼めないんだよね。うちのクラスってそっちと違って纏まりないからさ」

 

 仮にこの話をクラスメイト達に打ち明けたところで、乗ってくれないだろうし、そもそも理解できない人が大半のはず。

 

「いいでしょう。賠償金の額ですが、最高でも20万ポイントしかお支払いしません」

 

「無理、最低でも50万払ってもらう。坂柳さんの陣営があなた達4人しかいないって言うなら知らない」

 

「正気ですか? たとえ葛城君陣営を妨害しようともAクラスが勝利する可能性は十分にあることは先ほど説明したはずです。こちらには他にも過去問を入手する方法があることをお忘れなく」

 

「はあ……。わかった。でも最高20万は論外だよ。最低でも40万。それに葛城君たちに負けるのが嫌だっていうなら、自分の手駒を葛城君陣営に滑り込ませて意図的に点を落としたり、勉強してる隣で騒いだり、偶然を装って飲み物をぶっかけるなりして邪魔してやればいい」

 

「それはもうやってます。最低35万」

 

 やってますじゃないんですけど。同じクラスでしょ仲良くしなよ。

 

「はいはい、おーけーおーけー。いいよ、その条件で合意する」

 

 タダ同然で得られた過去問でそれだけ分捕れれば十分だ。

 

「ようやくですか。随分手こずらせてくれましたね」

 

「まだ終わってないよ、あと1つ条件がある」

 

「はぁ? これ以上何を要求する気?」

 

 さらなる要求を重ねる私の露骨に苛立ちを見せる神室さん。

 

「万が一私たちのクラスで赤点を取った生徒が出た場合、その生徒を救済する為にあなた達にも協力してもらう。救済に必要になるポイントを出してもらう」

 

 頭ではほぼ間違いないと思っていても、今回の過去問作戦にはまだ懸念点がある。

 意外な提案に坂柳さんが目を丸くする。演技かどうかは知らないけど、私が過去問を完全には信用していないことは伝わっただろうな。

 

「それは――どういうことでしょうか。余程の愚か者でなければ、過去問を使えば赤点は回避可能では? わざと赤点をとってもあなた方にも得はありませんし、無意味な条件だと思うのですが」

 

「この過去問だけど、今年は役に立たない可能性がある」

 

「なにか根拠がおありなようですね」

 

「この問題なんだけど、私たちが聞いてるテスト範囲と出題範囲が違うんだよね。もしこのままテスト範囲の変更が知らされないのなら、今年だけ例年とは違う問題が出る可能性がある」

 

 今日でちょうどテスト1週間前だ。いくらなんでもテスト範囲の変更が知らされるのが遅すぎる。

 それを聞いた坂柳さんの表情が無になった。

 

「え? 何言ってるの? テスト範囲はーー」

 

「なるほど、そういう意味でしたか。ですがもしあなたの言う通りなら、過去問が有力な手段であるというこの交渉の前提が全て崩れますね」

 

「そこはお互い同じリスクを、ううん。赤点との距離が近いだけ、私たちが高いリスクを負ってるんだから、目を瞑ってもらいたいな。過去問を使うこと自体はあなたが自分で辿り着いたんでしょ?」

 

「しかたありませんね。では特別にお情けをかけてさしあげましょう。その最後の条件ですが、Cクラスが最低でも100万ポイントを先に救済に充てるようにしてください。それでも足りなければ、私たちの方で50万ポイントまで用意しておきましょう。万が一それでも救済が不可能でしたら諦めてください」

 

 Cクラスで100万ポイント集めるのはかなりキツイけど、こればかりは坂柳さんの提案をそのまま吞むしかない。

 

「よし、なら交渉成立でいいのかな」

 

「いえ、こちらからも2つ条件を付け加えさせていただきます」

 

 人差し指を立て、意地悪そうに微笑む。

 

「まず、過去問が役に立たなかった場合、2つ目の条件は無効としてください。その場合私たちAクラスの勝利がほぼ確定しますので、当然の配慮です」

 

 黙っていたけど気づかれた。さすがに目敏い。

 

「わかった、いいよ。それでもう1つは?」

 

「いくら0ポイントで過去問が手に入るとはいえ、あなたの提示する条件は私にとって大幅に不利で不平等なものです」

 

 私としては肯定も否定もできないので黙るしかない。坂柳さんもそれをわかっているので、私の言葉を待たずに話を続ける。

 

「それでも私がこの条件を呑むのはひとえに温情故です。あなたにはこの不平等の埋め合わせをしていただきます」

 

 さっきからずっと、しかたないだの、お情けをかけるだの、あくまでも自分たちが譲歩してやってると主張するのはそれが理由か。

 

「埋め合わせねぇ。何をすればいいのかな?」

 

「あなたには、私がクラスを掌握するお手伝いをしていただきます。具体的には、今後クラス間で直接競い合う試験が行われる場合、あなたには葛城君陣営を攻撃してもらいます。もちろん私たちもサポートしますよ」

 

 それは――YesともNoとも言い難い条件だ。1つだけ確認しないといけないこともある。

 

「それ、要はAクラスが負けても構わないってことなの?」

 

「構いませんよ。むしろ積極的にAクラスを叩き潰してください」

 

 見惚れるほどの笑みを浮かべながら平然と言ってのける。自分のクラスを叩き潰せって、そうまでしてリーダーの座が欲しいのか。恐ろしい女の子だ。神室さんもドン引きしている。

 坂柳さんはこの条件は絶対に譲らないつもりなのか、絶句する私に小さな紙を手渡してくる。鬼頭君を除く3人の連絡先だ。

 

「この条件を認めてくださるのなら、交渉成立としましょう」

 

「――OK、交渉成立。契約書は私が作って明日中にあなたへ送る。ただ最後の条件は契約書に盛り込もうにも、定義があいまいでいくらでも誤魔化しのきく内容になるから口約束になる。それでいい?」

 

「構いませんよ」

 

 了承した後、両手を差し出してくる。

 

「ご存じですか? 左手での握手には敵対の意味が込められているのですよ」

 

「知っててこんなことするんだ?」

 

 坂柳さんの両手での握手に応じると、新しいおもちゃでも見つけたかのような輝かしい瞳を向けてくる。

 

「遊び相手として、せいぜい私を飽きさせないでくださいね。黒華さん」

 

 どうやら相当厄介な女に目をつけられてしまったらしい。

 

 

 こうして坂柳さんと契約を結んだ結果、私たちCクラスは今回の中間テストで1位となった。

 あの女、テスト範囲の変更を知っていたくせに私には教えなかったのだ。全く油断ならないな。

 Aクラスは満点を取ったのは坂柳さん陣営の生徒だけで、他は70から80点付近をマークしていた。敵対する葛城君にどうやって偽の過去問を仕込んだのか気になったけど、なんでも葛城君陣営に滑り込ませたスパイを通じて横流ししたらしい。

 なにをどうやったらクラス内でそんなにギスギスできるのか逆に不思議だ。私は自分がAクラスじゃないことに疑問を持ってたけど、今はAクラスじゃなくてよかったと思ってる、ホントに。

 ちなみに事実を知った葛城君たちは大激怒だったらしい。同じクラスメイトを騙すなど卑怯だの、裏切り者だの、主に葛城君の子分がさんざん騒いだそうだけど、坂柳さんは全く気にした風でもない。

 人間様が負け犬の遠吠えを気にしても仕方がないのである。

 掲示板には仲良く並んで来てたのは、葛城君の提案でクラス内で派閥争いをしていることを察せられないようにするための対策らしい。どうせ隠しきれることでもないのにね。

 Dクラスは過去問の存在には気づいたのに、私に偽物を掴まされたせいで学年最下位となった。野村君は上手くやったらしい 。

 龍園君はクラスのみんなの前で、会ったこともない私が如何に無能か吹聴して徹底的にバカにしてきたとのこと。私たちに追い抜かれたDクラスは私に敵対心を持ってるだろうからね、まぁわからなくもない。結局今回無能だったのは龍園君の方で、見事なまでに私にハメられたわけだが。過去問を偶然盗めたなど信じる方がどうかしている。自分の能力を過信して、相手の能力を戦略に盛り込まないとこうなるのだ。まぁ今回は龍園君が勝つことなど尾行に気づかれた時点で不可能だったわけなので、私としても龍園君を軽視する理由にはならない。

 今回の中間テストで野村君には1科目だけ赤点を取るように指示を出した。龍園君がどうするかはわからなかったけれど、救済するならプライベートポイントを吐き出させることができる上に、Dクラスに傀儡を抱えたままにできるのでそれでよし。退学させるなら、クラスから退学者を出した際のペナルティの有無を確認できるのでそれでもよし。どちらに転んでもWin-Winの作戦。どうせ傀儡は機会があれば簡単に作れるんだし、ティッシュみたいにガンガン使い捨てていこう。捨て身の命令を何の抵抗もなく聞いてくれる人間が他クラスにいるだけでこれほど大幅な有利が取れるんだ、Cクラスにもスパイが発生しないように注意しないといけない。

 結果的には龍園君は救済を選んだ。お優しい暴君様だと思う。

 Bクラスは知らない。今回の中間テストでは全くと言っていいほど絡んでない。逆に言えば私の話を聞いても何もしなかった日和見なクラスともいえる。まぁ現時点で油断できる相手ではない。

 どうもDクラスとひと悶着あったみたいなので、そこは注目だ。なぜ1個上の私たちCクラスではなくBクラスに手を出したのかがポイントになるな。近いうちに何か仕掛けてくるかもしれない。

 

 この結果には私も満足している。堀北会長に結構借りを作ってしまったけれど、どうせ基本的には協力する予定だったし問題はない。

 気がかりなのは坂柳さんの派閥争いの手助けをしなきゃいけないことだ。クラスメイトのみんなを巻き込むわけにはいかないし、そもそも坂柳さんに協力することに気づかれたら満足に攻撃もできないので、また暗躍しなければいけないことが確定した。Aクラスにも傀儡を作ったほうがいいかもしれない。

 兎にも角にも、このままでは私が過労死するので、クラスをまとめて引っ張っていってくれる人材の育成が急務となった。今のところCクラスのリーダーっぽい立場にいるのは私と平田君だ。となると私がいないときには平田君にCクラスを統率してもらうという話になってくるけど、どうにも不安が残る。クラスメイトを守ることも当然必要だけど、臆病風に吹かれて消極的なままでは、いずれ詰む。

 この学校でクラスのみんなを守るためには、ただ勝つことだ。勝ち続けなければいけない。今のCクラスには貪欲に勝利を求めるリーダーが必要だ。

 それが堀北さん。私から何を言うまでもなく、彼女の方からAクラスへの下克上の手助けを要求してきた。

 勉強会を開いたり、打ち上げに参加したりと、入学当初と比べてわずかに変化がある堀北さんだけど、今の彼女じゃ勝ち続けるなんて到底不可能だ。勉強と運動はある程度できるけどそれだけ。クラスのリーダーとしてそれ以外のすべてが不足しているのに、本人がそれを頑なに認めないのが煩わしい。

 やっぱり早いうちに一度決定的な敗北を経験させる必要があるかもしれない。自分を見直させるためにはそれが一番だ。

 

「まぁ現時点でできることはないか」

 

 これ以上は考え込んでもしかたがない。お風呂も沸いたし、今日はさっさと寝よう。

 ベッドから跳び起きて脱衣所で着替えてお風呂に跳びこむ。

 疲れた体に、熱いお風呂はやっぱり気持ちがいいな。

 リラックスしながらまた思考に耽る。

 

 Aクラスに上がるための道標はまだ見えない。現時点では不足しているものが多すぎる。私1人だけ頑張っても意味が無い。

 でも私は必ず皆をAクラスに上げる。

 

 だってさ、考えてみてよ。

 私のおかげでみんながAクラスに上がれたと知ったら、みんな私のことどう思う?

 絶対に感謝する。私がいてくれてよかったって喜ぶ。私の存在を受け入れてくれる。

 きっと私に依存する。私がいなきゃ困るって。みんなにとって私はなくてはならない存在になる。

 その時になって私は初めて要求するんだ。『全部』頂戴って。

 だってそうでしょ?

 私は皆のために『全部』使ってAクラスを目指すんだもん。みんなも私に恩返ししなきゃいけない。

 そしてそれは私に『全部』捧げることでしか満たされない。その時になって拒絶するなんて絶対に許さない。

 

「アハッ」

 

 想像する。

 Aクラスで卒業して、みんなが私を愛してくれる未来を

 昔みたいに、みんなが私を愛してくれる未来

 私もみんなを愛する未来

 それはきっととても甘いものになる

 その時になって私は初めて満たされるんだ

 みんなが愛してくれないと私は満たされない、鎮まらない

 だからもし、皆が私を拒絶するって言うのなら――。

 

 皆に私の『狂愛』を植え付ける。私と同じ世界を味わわせてやる

 愛してやったのに、愛してくれない人間なんていらない

 あの時と同じように、全てを壊してやる

 この学校がどうなろうと知ったことじゃない

 全てを終わらせてまたやり直す

 必ず

 ――必ずだ

 

 

氏名:黒華梨愛

クラス:1-D

 

学力:  A

知性:  A

判断力: B

身体能力:A

協調性: C−

 

非常に努力家であり、多種多様な知識と技術を有する生徒。

入学試験においては全科目満点であり、面接試験でも好成績を残した。

しかしながら、本人の気さくな性格の割には友人と呼べるような存在がいない点から、協調性については評価保留とする。

本来であればBクラス、もしくはAクラス相当の生徒であるが、卒業校からの報告を憂慮し、Dクラスへの配属とする。

なお、理事長の判断により学生証や本データベースに使う予定の写真は撮影しておりません。独特な目が特徴ですので、他生徒との判別は容易かと思われます。

 

補遺:当該生徒の卒業校で起きた、前代未聞の暴力事件の首謀者である疑いがあります。明確な証拠はありませんが、担任各位、十分に注意するようにしてください。




御清覧ありがとうございます。
 
 はい、というわけで原作一章終わりです。あとは生徒会入りとかの短い後日談を書いたら二章に入ります。
 それと、一章は毎日更新していましたが、二章は週一更新になるかと思われます。理由は2つですね。
 
 1つはUAやお気に入りの伸びとかがどう変わるのかを確認したいから。

 もう1つなんですが、半分愚痴&原作のネタバレのようになるのでそういうのが嫌いな方はスルー推奨です。



 というのも、プロット自体は六章あたりまでは詳細に決まっているんですが、二章だけ白紙に近かったんですよね。
 原作通り暴行事件が起こったとして、オリ主が監視カメラを設置する手法をとっても、『それ別に綾小路がやったらいいだけやん。オリ主要らなくね?』という。
 じゃあほかの方法で暴行事件を解決させよう! となると今度は筆者の頭では面白い方法が思いつかない。
 もういっそ暴行事件を別のものにすり替えてやろうとすら思いましたが、その場合原作へのリスペクトが足りない気もするし、須藤と佐倉の成長イベも挟めない……。
 
 そういう三重苦があり、展開をどうするか悩んでいたので、現状ストックがないという理由で、週一投稿になるかと思われます。というかなります。



 今回の後書きはこれで終わりです。
 評価や感想、大変励みになっております。これからもどうぞよろしくお願いします
 では、アデュー! 

 


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一章幕間 生徒会

 生徒会。

 学校生活を送るうえでの課題や問題点の解決を主な目的とし、役員選挙によって選ばれた生徒が運営する自治組織だ。しかしその大層な肩書と異なり、大抵の学校では生徒会役員に出来ることなどたかが知れており、実際には教師の代わりに雑務を行ったり、任期の間に1回2回学校側になにか改善案を要求する程度。

 生まれてまだ十数年の子供に、学校を改変できるほどの権力が与えられるわけがない――。

 

 それは、この高度育成高等学校以外の話だ。

 私のいるこの高度育成高等学校の生徒会は、他の学校とは一線を画す強大な権力を持っている。

 現生徒会長としてこの学校のトップに君臨している堀北学は、歴代で最高の生徒会長と称されるほどの実力を有しており、それに由来する、私では想像もつかないような力を持っている。

 次期生徒会長の本命であり、入学当初はBクラスだったのにもかかわらず、Aクラスへの下克上を成し遂げた副会長の南雲雅もまた、その力で2年全体を支配することで頂点に立った。

 もちろん、この2人が生徒会役員だからこれだけの功績をなし得たわけじゃない。けれど、こんな歴史に残りかねないような怪物が集まるのがこの学校の生徒会――

 

 私のもう1つの戦場なのだ。

 

 

 私たちCクラスに突如告げられた中間テストの実施。赤点を取れば、問答無用で退学というその重すぎる処罰に、クラスは一時阿鼻叫喚と化した。平田君と勉強会を開いたり、堀北さんが赤点候補者向けの勉強会を開いてくれたことで、Cクラスは退学者を出さずに済んだだけでなく、学年順位1位を獲得するに至った。

 その祝勝会が行われたのがつい昨日のこと、今はその翌日の放課後で、私は今生徒会室の前にいる。

 中間テストを乗り切るために、生徒会役員から過去問を入手することに決めた私は、生徒会長であり、堀北さんの実の兄である堀北学と出会い、紆余曲折あって生徒会に勧誘された。

 受けるかどうか少し迷ったけれど、私は生徒会に参加することに決めた。今日私は、正式に生徒会役員となるのだ。

 

「失礼します」

 

 時間になったので扉を開け、生徒会室に踏み込む。

 以前ここに来たときは橘先輩しかいなかったので、ただその堅苦しい光景だけが私を歓迎した。

 でも今は違う。

 生徒会長の席に座る堀北会長を中心に、生徒会役員が勢揃いする生徒会室は、私が感じたこともない厳粛さに満ち溢れた空気を孕んでいた。

 そして視線――視線を感じる。

 期待、好奇、疑心、人によって込められた感情は違う、けれどもその全てが私を値踏みする視線。

 

「よく来たな。黒華梨愛」

 

 私を歓迎する堀北会長は席を立つと、そのまま私の前まで歩み寄り、右手を差し出してきた。

 

「ようこそ生徒会へ。歓迎しよう」

 

「はい、よろしくお願いします」

 

 私も右手を差し出し握手に応じる。堀北会長の手は男の人らしい力強さのわりに綺麗で、そして最近どこかで感じた温もりを持っていた。

 ああ、やっぱり兄妹なんだ――。

 

「生徒会役員はこの場にいるメンツで全員だ。手続きの前に、挨拶だけでもしておけ」

 

 そう言って一歩身を引いて、私の背中を少し押す。

 たかが自己紹介1つに物怖じする性格ではないと自負してるけど、これはさすがにちょっと緊張するかも。

 

「はじめまして、1年Cクラス、黒華梨愛です。精一杯やらせていただきますので、よろしくお願いいたします」

 

 丁寧な挨拶と主にしっかりとお辞儀をする。格式ある儀式は守らねばならん。

 生徒会役員として、ひとまず私がとるべき選択肢、それは積み重ねだ。

 信頼、情報、経験。

 生徒会としても、生徒としてもどれも足りていない私は、時にはプライドを捨て去ってでものし上がる必要がある。誰彼かまわず生意気言って調子に乗るのは愚の骨頂。表向きだけでも従順で真面目な生徒を演じて敵は可能な限り減らす。

 今の段階で権力争いに首を突っ込むのは論外。整備も済んでいないうえに乗りなれてもいない車で交通事故を引き起こすことはない。

 パチパチと拍手が鳴る中、1人の男子生徒が私に近づいてくる。すらっとした体格をした金髪の男子生徒、口元にだけは笑みを浮かべているけれど、目はまったく笑っていない。間違いなく、この男が南雲雅だ。

 あと蛇足かもしれないけど、めっちゃイケメンだ。

 

 

「はじめまして、だな黒華。お前の話は聞いてる、最初の1か月でDクラスをCに上げたそうだな」

 

 堀北会長、橘先輩、南雲副会長の3人以外の先輩方が驚愕に目を見開く。私のことを知らなかったのか、Dクラスが下克上を成し遂げたのを知らなかったのか、その両方か。

 

「そのうえ今回の中間テストでもCクラスは学年1位だそうじゃないか。今年の1年はAクラスも大概優秀だが、お前らはまさにダークホースだな」

 

 中間テストの結果が張り出されたのは昨日のことだけど、もうその情報を掴んでいるらしい。随分と熱心なことだ。もしかしたら私が2年の先輩に接触して噂の流布を頼んだのも知っているかもしれない。

 

「ありがとうございます。ですがまだ他クラスと本格的にやり合ったわけではないですからね」

 

「そうかもな。だがもともとDクラスの生徒が入学早々ここまで名を上げることはない」

 

 そうして私の前までやってくると、一瞬すぐそばの堀北会長に目線を切った。

 

「だがな黒華。俺にとっちゃお前のその功績ももはやどうでもいいと言ってもいい」

 

「さすがにその評価は初めて聞きましたね」

 

「もちろん評価していないわけじゃない。お前は正しく生徒会にふさわしい人間だ。けどな――」

 

 堀北会長を真っ向から見据え、ニヤリと笑う。

 

「お前が堀北会長直々のお誘いでこの生徒会にやってきたこと。それこそが最も重要なんだ」

 

 最初に南雲副会長の話を聞いた時は、てっきり堀北会長などなめくさった生意気な生徒を想像していた。

 けれど、今こうやって堀北会長に顔を向ける南雲副会長の目には、確かな敬意が宿っている。まるでライバルに勝ちたくてしょうがない子供のような目だ。そしてその目を私に戻し、右手を差し出してくる。

 正直意外だ、てっきり左手を出してくるかと思った。

 

「副会長の南雲雅だ。よろしくな」

 

「はい、よろしくお願いします」

 

 私も正面から握り返す。

 南雲副会長を皮切りに、他の役員とも個別に挨拶をする。橘先輩とも改めて握手し、全員に紹介が終わったところで、堀北会長がまた口を開いた。

 

「お前には早速今日から働いてもらうことになるが、まだ手続きが残っている。応接室に移動しろ」

 

 了承して応接室の扉を開く。テーブルには数枚のプリントが準備してあった。生徒会役員の連絡先や、規則が書かれたプリントなど。手続きと言っていたけど私が何か書かなきゃいけない資料は何もなさそう。適当にプリントに目を通しながらソファに座って会長を待っていると、少し遅れて橘先輩と堀北会長が入ってくる。外ではガチャガチャ扉が開く音がするので、向こうはもう解散したらしい。

 

「待たせたな。お前には早速仕事を頼みたい」

 

「その様子だと、生徒会本来の仕事ではなさそうですね」

 

「その通りだ。この生徒は知っているか?」

 

 テーブルの上のプリントの内ある1枚を私の前にスライドさせてくる。私が過去問を入手した日に目にした、生徒会を志望する入部届だ。けれどそこには私とは別人の名前が書かれていた。

 

「一之瀬帆波さん、ですか。名前は知っていますが面識は――」

 

 ありません、と言おうとしたけど、よくよく考えれば昨日掲示板の前でたまたま遭遇した。まぁ会話らしい会話すらしてないので、知っているのは顔と名前、そしてBクラスのリーダー的立場にあることだけだ。

 

「まぁ顔ぐらいは知っています。彼女がどうかしましたか?」

 

「お前たち1年の中に、生徒会を志望した生徒が2人いる。Aクラスの葛城と、Bクラスの一之瀬だ」

 

「2人ともいませんでしたけど」

 

「一次面接で落としましたから」

 

 私の疑問に橘先輩が答える。

 葛城君も一之瀬さんも、各クラスのリーダーを張ろうとするような人なんだから、優秀な生徒であるのは間違いないはず。それでも落としたのは単純に堀北会長のお眼鏡にかなわなかっただけじゃないということだ。

 

「葛城はあれ以来生徒会を志望するようなことはなかったが、一之瀬は生徒会に強いこだわりがあるらしい。あれからまた面接の申し込みがきている」

 

「熱心なことで大変結構では? 受け入れてあげたらいいじゃないですか」

 

 私としても他クラスとはいえ、同性の生徒会仲間ができるのは素直に嬉しい。

 

「おそらくはそうなるだろうな。先日南雲が一之瀬とコンタクトを取ったという情報が入った。ヤツはなんとしてでも一之瀬を生徒会へと入れるはずだ」

 

 つまりは私と同じだ。1年の情勢を把握するための手駒を南雲副会長も欲している。一之瀬さんの生徒会入りはもはや止められないだろうな。『1年の生徒会が1人だけでは、堀北会長が退いてから困る』とでも南雲副会長が言えば、堀北会長も一之瀬さんの生徒会入りを認めるしかなくなる。

 

「私に任せたい仕事とやらは、一之瀬さんが南雲副会長の手中に落ちるのを防ぐことですか」

 

「そうだ、頼めるな?」

 

 元より私に拒否権などない。

 頼める『か』ではなく『な』であるところに、堀北会長が今回の件をどれだけ重く見ているかがわかる。とはいえ簡単にはいかなさそうなのが私の本音だ。やりようはあるけれど、一之瀬さんの性格如何によってはかなりの長丁場になる可能性がある。

 

「……了解しました。やらせていただきます」

 

 真っ先に浮かんだのが南雲副会長の悪行を一之瀬さんにそれとなく知らせることだけれど、このアイデアはすぐに消し去る。堀北会長にスカウトされた私が、堀北会長に落とされ、南雲副会長に助けてもらった一之瀬さんに対して南雲副会長の悪口を吹き込むなど、どんな逆噴射が起きるか想像もつかない。

 重要なのは感づかれないことだ。人は自分が操られていることに気づくと大抵の場合強い不快感と抵抗感を覚える。私が露骨に一之瀬さんに近づけばまず警戒されるため、先に外堀から――具体的にはBクラスの面々と先に仲良くなり、私の流す噂や情報が一之瀬さんに自然と浸透するようにしないといけない。どうも今のところただの仲良しクラスらしいし、不可能ではないはず。

 

「にしても、最初の仕事からコレだと、ハードとは言いませんが、馬車馬のごとく働くことが確定したような気がして嫌になりますね」

 

 私の愚痴に堀北会長が薄く笑う。

 

「やめたくなったか?」

 

「さすがにそこまでは。忙しくなるのはわかってましたしね」

 

 ひとまず櫛田さんに頼んで適当なBクラスの生徒を紹介してもらおう。別に無理に南雲副会長の悪事を流布する必要はない。必要なのは一之瀬さんが南雲副会長と堀北会長、どちらにつくかを私がコントロールできる状態に持っていくことだ。場合によっては強硬手段も――いや、それはさすがにやめとこう。

 南雲副会長と争い合うのか、堀北会長を裏切るのか。

 どちらかはわからないけれど、私がこの2人の戦いに巻き込まれていくのは、まだ先の話だ。




御清覧ありがとうございます。

 というわけで主人公が正式に生徒会入りです。
生徒会抗争についてですが、原作とは別に6.9章という形でエピソードを書く予定です。ちなみにその時期には生徒会選挙は終わってますので、生徒会内部での争いというより、2年で行われる特別試験に黒華が外部から介入するという形を取りたいと考えてます。つまり原作にはない特別試験を考えないといけません。やっぱ生徒会には入れないほうが良かったとちょっと後悔しております。原作に記述がない部分は妄想で書くしかないのでどうしても時間がかかるのだ。

 そんなわけで? 今回の後書きは一之瀬が生徒会入りした時期と、7月のポイント変動についてです。



 原作4.5巻を確認したところ、生徒会に入る場合は4~6月末までの間か、10月中の面接にパスすることで生徒会に入れるようです。ちなみに黒華は面接を受けたことに『なってます』 まぁ南雲副会長も堀北会長直々にスカウトしたような生徒の生徒会入りを反対したりしないでしょう。むしろ率先して生徒会入りを催促するはず。
 一之瀬は8月にはすでに生徒会入りしているようなので、南雲副会長がよほど強引に一之瀬を入れたのではないのなら、4~6月末までの間に入ったことになります。
 つまり暴行事件の時にはすでに生徒会に入ってたんですね。
 5月1日に担任の星乃宮先生に生徒会入りについて相談しているので、中間テストの時期は勉強に時間を費やしていたとすると、一之瀬が生徒会に入ったのは6月中になりそう。特に1年の6月はよう実でもほぼ完全な空白期間でしたからね。

 次に7月のポイント変動ですが、原作の記述はこんな感じです。

 Dクラス:0cl→87cl(+87cl)

 Cクラス:490cl→492cl(+2cl)

 Bクラス:650cl→663cl(+13cl)

Aクラス:940cl→1004cl(+64cl)

 んで2巻冒頭の記述にこんな文があるんですよね。

『Dを除く全てのクラスポイントが、先月と比べ100近く数字を上昇していた』

『他クラスの連中はお前たちと同等かそれ以上にポイントを増やしているだろ。これは中間テストを乗り切った1年へのご褒美みたいなものだ。各クラスに最低100ポイント支給されることになっていただけにすぎない』

 ……。
 
 考えられるのは、6月に発表されたクラスポイントでは、A~Cクラスはそれぞれ100ポイント近く落としていて、7月にご褒美がもらえたことでクラスポイントが回復したとか。一之瀬も2巻で『ポイントはどうしても目減りする』という発言をしていますからあり得ない話ではないですし、それなら記述と矛盾もしません。
 つまり、

 Cクラス:490cl→390cl→492cl(+102cl)

 Bクラス:650cl→550cl→663cl (+113cl)

 Aクラス:940cl→840cl→1004cl(+164cl)

※括弧内は6月から7月へのポイントの推移

 これなら話が通りますね。Aクラスだけポイントがやたら増えてますが、原作にもそういう記述がありますし、矛盾もありません。
 これだけだとAクラスがSシステムの全貌が明らかにされた後に1か月で100ポイントも落とすんかいとも一瞬思いましたが、ポイントの減少を60くらいだと見積もっても

 Aクラス:940cl→880cl→1004cl(+124cl)

 という感じで、落としたポイントも最小かつ、得たクラスポイントも最大という結果を導けます。
 んで次に中間テストが発表されたのは5月なのに、なんでご褒美が7月なんだよっていう問題ですね。
 中間テストの日程ですが
 
 1日から1週間後に平田が勉強会を開始。翌日に堀北勉強会開始&破綻
 それから何日経ったのかはわかりませんが、約半月経った日に堀北勉強会再開。この時点で中間テストまで2週間とのことでしたので、テスト当日はおそらく6月だったと思われます。
 ちなみにこのことに気づいた時には一章をすでに書き終わってましたので、本作は早速矛盾が生じることになりました。致命的なミスではないのが幸いでしたワ。
 まぁこういう理由でポイントがもらえるのが7月になったのだと思われます。



 二章を書こうと思い、原作を読み返した時「!?」状態になったのでこうやって整理しました。このまま設定をその場その場で見つけながら書き続けてもまたどこかで必ず矛盾すると思われます。
 私はよく知りませんが、『ダンまち』という作品の二次創作に時系列などをまとめた資料があるそうですね。私はSS集は持っていませんのでそこはカバーできませんが、一応最新刊まで持っていますので需要があれば似たような設定集を勝手に作って問題などなければ公開してみようか考え中です。具体的な内容としては特別試験のルールや各クラスにいる生徒の整理とかですかね。他にも今回の中間テストや無人島試験などの詳細な日程と出来事なんかでしょうか。せっかくハーメルンにはアンケート機能もあることですので活用してみようかと思います。投稿は遅れる可能性が高いですが、作ってほしいという意見が多数でしたら作ってみます。



  長くなりましたが、今回の後書きはこれで終わりです。
 評価や感想、大変励みになっております。これからもどうぞよろしくお願いします
 では、アデュー!



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2章 暴行事件編
15話


 6月末。

 春はとっくに過ぎ去り、緑が眩しい季節がやってきた。敷地内の所々に植えられたイチョウやケヤキには幾匹もの蝉が羽を休め、耳が痛いほどに鳴き喚いている。

 

 夏は好きだ。

 

 澄んだ青空や濃い緑は見ていてスッキリとした開放感を感じるし、海や祭りと、何かとイベントが多いのもグッドだ。さすがにじっとりとした不快感を伴う暑さまでは好きになれないけれど、だからこそ風鈴やそうめんなんかに清涼感を感じるのだ。何よりもきゅうりとトマトが美味しい。

 

 まぁ、理由として一番大きいのは単純に冬が大嫌いなだけだけど。いい思い出が1つもない。

 

 こんな感じで、高度育成高等学校にも夏が到来した。

 中間テストが終わって約1か月、高校初の夏休みまでもあと1か月といった時期。さすがにクラスのみんなも学校生活に慣れてきて、今日も放課後は友達とのご飯やショッピングで盛り上がっている。

 当然、クラスの中心人物としての立ち位置を築きつつある私も友達と青春を謳歌する――わけにはいかなかった。

 残念ながら、今日も私の放課後は生徒会業務に始まり、生徒会業務に終わる。

 夏休み前の生徒総会が近づいてきているため、今この時期はバカみたいに忙しい。各部活動の成績や部員数に応じた部費の交渉(これは主に会長の仕事)、生徒会や学校に対する要望のまとめ、また私は書記であるため、生徒総会での配布書類や議案書の作成に追われたりと、多忙な日々を送っている。これは私に限らず、堀北会長を含め生徒会役員全員がそうである。

 そしてこれら生徒会の業務をこなしながら、私は今後のクラス間抗争を有利に戦っていくための情報収集に努めているのだ。買収、恫喝、泣き落とし。

 まぁ恫喝は冗談として、主に買収と女の涙で情報を得ている。主な対象は娯楽エリアの従業員だ。面白いことに、この学校の従業員たちはよほど重要な情報でなければ口止めはされていない。彼らもポイントを使って日々の生活を送っているので、買収は容易だ。

 もちろん私のポイントは枯渇する。誰か助けて。

 日々減っていくポイントを眺めながら、この学校の生徒会の圧倒的な権力は、こういう地道な努力を重ねて生まれるのだと、私は自分を無理やり納得させることにした。そうでなければやってられなさそうだった。

 幸いにも月末の今日は役員会議だけなので、私の身体と脳みそ、そして財布が悲鳴を上げることもない。夏休み中に生徒会室の改修工事を行うことや、寮の水道の点検が決定されたので、そのことを全校生徒に通知することなんかが告げられた。

 

「これで今日の役員会議は終わりです、ありがとうございました」

 

 議長の桐山先輩が終わりの挨拶をして会議は終了、正直私に関係のない話ばかりだったので、ほとんど聞いてるだけだった。せいぜい夏休みの間、生徒会に用事のできた生徒の相手をすることを申し出たぐらい。普段の生徒会活動の方がよっぽどハードである。

 

「黒華ちゃん、今日もスーパー寄っていく?」

 

 鞄に荷物をまとめながら話しかけてきたのは、1年Bクラスの一之瀬帆波さん。私が生徒会に入ってしばらくして彼女は南雲副会長の推薦を受けて生徒会に入ってきた同期だ。堀北会長には彼女と仲良くなるように特命が下されているので、この1か月一之瀬さんとは何かと関わりを持つようにしている。生徒会業務が終わった後に一緒にスーパーに寄るのもその一環だ。

 一之瀬さんを一言で表すと、善意の塊という表現がふさわしいと思う。

 どちらかと言えば堀北会長側の私に一之瀬さんはなにがしかの苦手意識を持つかなと最初は思っていたけれど、そんなことは全然なく、そのフレンドリーさは櫛田さん並、いや彼女以上だった。むしろ私の方が苦手意識を持ってしまったぐらいだ。こういう無償の善意を尽くす人間を見ると、昔の私を思い出して嫌な気分になる。

 とはいえ一之瀬さんのお誘いを断る理由もないので、素直に了承しようとした私だけれど、口を開いた瞬間に携帯が鳴った。私は生徒会役員以外の連絡先の通知音は切っているため、この中の誰かが私にメッセージを送ってきたということになる。

 うむ、すこぶる嫌な予感がする。

 

『話がある。ここに残れ』

 

 送り主は堀北会長。口に出さずに残るよう命令してきたということは、南雲副会長に聞かれたくない話があるのだ。誰にも違和感を感じさせずにここに残る方法を考えないといけない。

 

「ごめんね、実は生徒会の仕事で橘先輩に相談したいことがあって、約束を取り付けてたの」

 

 橘先輩も書記なので、実際に相談に乗ってもらったことは多い。これなら生徒会室に自然と残れる。ちなみに相談の約束などは一切取り付けていないので、問題は橘先輩が私のアドリブに乗ってくれるかどうかだけど、そこは堀北会長の右腕だ。頭の回転は速い。

 

「そうですね。会長、少しの間生徒会室を使っても?」

 

「かまわん」

 

 私たちのやり取りに南雲副会長はほんの少しだけ目を向けたけど、それだけ。大した用事ではないと判断し、挨拶だけして生徒会室を出ていく。あの人もあの人でここ最近は忙しいので、堀北会長にばかりかまってられないのだ。

 

「だったらしょうがないね。またね、黒華ちゃん」

 

「うん、バイバイ」

 

 手を振りながら一之瀬さんが生徒会室を出ていき、私たち3人だけが生徒会室に残る。堀北会長は扉を締め切ると鍵までかけ、私に向き直った。

 

「どうやらお前たちの学年で面白い案件が起きたようだ。見てみろ」

 

 そう言って資料を渡してくる。

 

「…………」

 

 その資料にはDクラスの男子生徒3名が、Cクラスの須藤君に暴行を加えられたため、Cクラスに対して訴訟を起こす旨が書かれていた。事件現場は特別棟、バスケの練習後に須藤君から話があると言われ、無理やり特別棟に連れていかれた小宮と近藤という生徒2人と、何かあった時のために呼んでおいた石崎という生徒の3人が口論になり、一方的に暴力を加えられたとのこと。資料には3人のけがの情報や病院からの診療結果などが添付されている。結構コテンパンにやられてるっぽい。

 

「面白くもなんともありませんね……」

 

 思わず深いため息が出る。

 これが『全て』事実なら、私たちがCクラスは大ダメージを受けることになるからだ。

 何が一番面白くないかって、こういう学生同士のいざこざを処理するのは学校ではなく生徒会、つまり私たちなのだ。身内が暴行事件を引き起こした私の立場は複雑で、『暴行事件を引き起こすような人間の仲間が生徒会役員なんて認められない』と、私を引きずり下ろす口実になる可能性すらある。

 

「もし裁判が起こるようなら、私ってどうなるんですか?」

 

 少なくとも裁判に生徒会として出廷することはないだろう。もしかしたら弁護人として立ち会うことすらできないかもしれない。生徒会役員の私が関わるのは、あらゆる意味で不公平だ。現に今誰よりも早く事件が起きたという情報を掴んでいるわけで。

 

「お前はどうしたい?」

 

「どうしたいって、出来ることなら今回の事件そのものをもみ消すように画策したいです」

 

「うっわ」

 

「それも1つの手ではある」

 

 生徒の代表たる生徒会役員の台詞としてはあまりにも反社会的すぎるので、即座に否定されると思ったけれど、ドン引きする橘先輩と対称的に、堀北会長は私の発言を一部認める。正直意外でもある。

 クラスのみんなからポイントをかき集めれば、今回の暴行事件をもみ消すこと自体は可能ではある。しかしそんなことをすれば須藤君はクラスのみんなから大目玉を食らうだろうし、何よりも『ポイントで暴行事件をもみ消せる』というこの情報はむやみに広めたくない。

 学校側は、生徒のあらゆる行動に対し無数のルールを定めている。しかしこれらの情報は質問すれば知れるものではなく、暴力のもみ消しにしたって、本来それが可能なプライベートポイントを所持していなければ教師から教えてもらえることはない。私にとってもこの情報は完全に偶然の産物なのだ。

 

「今回の件で多額のプライベートポイントを払うつもりはないので、まぁ難しいでしょうね」

 

「ならば、十中八九裁判になる」

 

 少しでも須藤君への処罰が軽減されるよう、負け戦に挑むしかない。

 

「今回の審議は俺と橘で行う。俺とお前の関係性を考えれば、お前が弁護人として裁判に参加することは許されないだろう」

 

「そりゃそうでしょうね」

 

 日本の法律に当てはめるなら、今回のようなケースでは『除斥』が適応されるはず。

 これは一定の要件を理由に手続きの公正さを失わせる可能性がある人間を、その裁判手続きの執行業務から排除することだ。具体的に言えば、裁判官やその家族が被告人や原告人である場合、その裁判官は該当する裁判を担当することができなくなる。

 これはそのまま私に当てはまる。須藤君の身内である私調停役として引っ張り出すのはもちろん到底不可能だし、私の知り合いである堀北会長が裁判を取り仕切るのも本来グレーだ。

 裁判というものは実際に不公正でなければよいというものではなく、建前だけでも公正らしく見せることが大事なのである。

 

「お前のクラスメイトに任せるしかないな。幸いにも今年のD……Cクラスにはユニークな生徒が多いだろう?」

 

「綾小路君のことですか? でも彼は……」

 

 綾小路君。堀北会長が注目するもう1人の生徒で私の友達。

 彼の入試の答案は私も堀北会長に見せてもらった。5科目全て50点、さらに小テストまで50点。追加で言えば、堀北会長はなんでも綾小路君と接触する機会があったらしく、そこでの綾小路君は一般的な高校生とは思えない優れた動きを見せたという。

 私がこのことを知っているのは綾小路君には内緒にしてある。問い詰めたところでウザがられるのが目に見えているからね。

 

「正直、綾小路君が表立ってなにかするとは思えませんけどね。間違いなく何もできない一般男子生徒を装うはずです」

 

「それでもかまわん。それと2人とも、この話は明日まで伏せていろ。南雲が知れば必ず首を突っ込んでくるだろうからな」

 

 そうなれば、私のクラスに堀北会長の妹がいることも露見する。それが堀北会長の弱点になるかどうかは私には判断が難しいけれど、知られていいことなど1つもないのは確かだ。

 

「話はこれで終わりだ。もしこの須藤という男が全面的に罪を認めたなら、今の話は全て忘れろ」

 

 そんなことになるわけないと、堀北会長の表情が物語っていた。

 

 

 2人と別れて寮に帰ってきた私は、すぐに須藤君に連絡を取った。部活の時間の終わりまで多少時間が残っているため、電話もチャットもまだ返ってこない。須藤君の通知をオンにして別の野暮用を済ませる。

 須藤君を待つ間に、私は堀北さん、綾小路君、櫛田さんの3人を部屋に呼ぶことにした。

 堀北さんと綾小路君からはすぐに向かう旨のチャットが届いたけれど、櫛田さんは友達と遊んでいる最中で参加できないとのこと。まぁ別に話だけならいつでもできるので問題はない。

 3人に連絡してから10分くらいで部屋のチャイムが鳴った。扉を開けて訪問者を確認すると、綾小路君と堀北さんの2人。仲良く一緒にやってきたらしい。

 

「いらっしゃい。上がって上がって」

 

 部屋に上げてクッションの上に座らせてから麦茶を出す。夏はこれが一番美味いと相場が決まっている。

 2人がほぼ同時にコップに口を傾けると、まず堀北さんが口を開いた。

 

「こうやって私たちを呼んだってことは、クラスポイントを増やす方法が分かったということかしら」

 

 クラスポイントを増やす。それは単にもらえるプライベートポイントが増えることを意味するわけじゃない。この学校はクラスをAからDまで分けていて、クラスポイントが多いクラスから順に割り振られる。つまり、Aクラスは最も優秀な生徒が集まる優秀なクラスということだ。

 そして、この学校の最大の魅力である、就職率・進学率がほぼ100%という謳い文句は、Aクラスにしか適応されない。

 そんな衝撃的な事実が暴露されたのが2か月前。私たちはAクラスに上がるために協力し合うことになったのだ。

 

「うん、いくつかね」

 

 私たちが初めに考えたのはどうすればクラスポイントを増やせるのか。Aクラスとの差は大体400ポイントほど。どこかしらで一気にクラスポイントを増やす機会がなければ、逆転など不可能に近い。やっぱり普段の生活で目減りしていくペースは私たちCクラスの方がどうしても上だしね。

 この状況を変えるために、生徒会役員である私は、この1か月の間、情報収集に注力した。明日はもう7月初めということで、そろそろ得た情報を共有しておくのだ。

 

「クラスポイントを増やす何よりの目玉は、特別試験っていう、普通の学力テストとはまた違う試験みたい。ものによるけど、がっつりポイントが変動するみたい。成績が悪いとポイントが減る場合もあるんだって」

 

 残念ながらその『特別試験』とやらは存在することしか情報を得られなかった。具体的にどんな試験が過去に行われたかについては、相当固いロックがかかっている。上級生に聞いても門前払いを食らったので、多分『特別試験の詳細を下級生に話したら即退学』くらいの厳しい処罰が定められているんだと思う。

 けどわずかとはいえ追加の情報も入手した。

 

「私たちが初めに受ける特別試験は、夏休みの間に実施されるらしいよ」

 

「夏休みに?」

 

 私の言葉に、堀北さんは眉をひそめた。

 

「先生は夏休みはバカンスだって言ってたよな? 嘘だってことか?」

 

「先生が自主的に噓をつくとは思わないけど、学校側からそう指示されるなら、あり得ない話じゃないと思う」

 

 私たちの信用をドブに捨てた茶柱先生の罪は重い。

 

「そんなことが許されるなら、もはや何を信じればいいのかわからなくなるわね」

 

 先生はその夏のバカンスについて『自由』と言っていた。私たちがどう過ごそうとも自由だと。

 夏休みまであと1か月だけど、いまだにそのバカンスの詳細については明らかにされていない。青い海に囲まれてとか言ってたので、無人島に連れていかれて強制サバイバルとかあるかもしれない。

 ……冗談のつもりだったけど本当にサバイバルかもしれない。なんか企業の研修とかで新人に無人島生活させるやつとか聞いたことある。

 

「ほかに情報は得られなかったの? 生徒会役員なら、もっと強力な権力を有していると思ったのだけれど」

 

「私まだ生徒会に入って1か月だよ……」

 

 私が曖昧な情報を持ってきたことがご不満らしい。

 生徒会が尋常じゃない権力を有しているのは事実だけれど、どちらかと言えばそれは堀北会長の実力に因るものが大きい。私としてももっと詳細を知りたかったけれど、これだけ集めるだけでもかなり大変だったのだ。むしろたった1か月でこれだけの情報をかき集めてきたことを褒めてくれてもいいんじゃないかなぁ。

 

「それに、クラスポイントを増やすのは特別試験だけじゃないよ」

 

 ボランティア活動といった慈善活動や、部活動の大会なんかで活躍することでもクラスポイントとプライベートポイントの両方を得られる。4月にあった水泳の授業で、成績上位者にポイントが与えられたのは単なるご褒美なんかじゃない、私たちに与えられたヒントだったということ。Cクラスで目立った活躍できそうな人は限られているけれど、いないわけじゃない。

 堀北さんもすぐに思い当たる。

 

「須藤君がバスケットボールで然るべき戦績を残せば、私たちにとってもメリットになるということね」

 

「須藤君もポイント貰えると知ったらもっとやる気出すだろうしね」

 

 そう簡単にポイントが得られるわけじゃないけれど、頭の悪い須藤君にも活躍する機会はきちんと用意されている。部活動だけじゃなく、例えば体育祭でも須藤君はCクラスの主力として活躍してくれるはず。そのためにも今回発生した暴行事件は何とかして須藤君の無実を勝ち取らないといけない。

 

「慈善活動って具体的にどういうことを言うんだ? この学校は外部との連絡が禁止されているし、ボランティア活動ってのも難しいんじゃないか」

 

 綾小路君の言う通り、この学校において私たち生徒は外に出ることはもちろん、家族と連絡を取り合ったり、インターネットの掲示板に何か書き込むことすら許されていないため、よくある地域の人と何か協力してボランティア活動とかをするのは難しい。

 いくら広いと言っても、学校関係者ばかりのこの場所では慈善活動をするのも結構大変だ。

 

「まぁ普段からできるのはベルマーク集めるとか」

 

「また懐かしい名前が出てきたわね」

 

「……なんだそれ?」

 

「え、ベルマーク知らないの!?」

 

 小学校の時集めてたじゃん!

 その後熱弁しても綾小路君は首を傾げるばかりだ。この世間知らずめ!

 

「で、そのベルマークとやらを集めたらクラスポイントももらえるのか?」

 

「いや全然?」

 

「この話に何の意味があったの?」

 

 一応ベルマークをそれなりに集めたらプライベートポイントはもらえたりする。けどクラスポイントを増やそうと思ったらせめてクラスの半数は人手を出して、週一で行われる献血に協力するとか、敷地内の清掃に協力するとかしないといけない。問題はその人手の部分だ。正直Cクラスにはそういう慈善活動に進んで協力してくれそうな人がごく少数しかいない。クラスの活動として認められる可能性はかなり低いので、私たちがクラスポイントを増やす手段として慈善活動は非現実的でもある。

 

「確かに、クラスの誰もボランティア活動なんてやりたがらないだろうな」

 

「やはりその夏の特別試験がブレイクスルーポイントになりそうね。今できるのはさらなる情報を集めるのと、何ができても動じないようにクラスのみんなに勧告しておくこと」

 

 それ、内容的にどっちも私の仕事になっちゃうじゃん。

 

「あと2年半以上あるんだし、今すぐAクラスに上がる必要はないと思うけどなぁ」

 

 今のCクラスの方針は3つに割れている。

 Aクラスに勝つのは無理そうだから、そこそこのポイントを貰って平穏な学校生活を送りたい保守派と、積極的にAクラスを目指そうとする急進派。そしてどっちでもいいと、クラスの流れに身を任せる中立派。堀北さんは言うまでもなく急進派だ。仲間割れを引き起こしているわけじゃないけれど、奇しくもAクラスのような状況になっているのだ。

 こういった事情もあるので、私としては特別試験の内容如何では、勝利よりもクラスの内政に力を入れる方が得策だと思っている。こうやって私たちだけでいろいろ画策するのにも限度がある。クラス毎に争うんだから、私たちだけじゃなくて、クラス全員の意識を統一しなければいけない。

 個人の力でどうにかなるような甘い試験が用意されていると考えるべきではないのだ。 

 

「Aに上がればクラスの士気も上がる。クラスポイントを得るのが最優先事項よ」

 

 まぁ前半は否定しない。けどただでさえクラスの上がった私たちはすでに目立っているし、そこからさらに勝ちすぎてはいよいよ的をかけられる。重要なのはバランスだ。どれだけ立派な塔を建てようとも、地盤が脆くてはちょっとした衝撃で崩れてしまう。ただでさえCクラスは基礎能力が足りていない人が多いのだ。勝ちたいならまず弱みを潰すべき。

 

「綾小路君はどう思う?」

 

「オレはそういうのわからないし、2人に任せる」

 

 予想通りすぎる返答が来たところで、私の携帯が鳴った。須藤君だ。シャワーを浴びたら私の部屋にやってくるとのこと。この2人と一緒に須藤君から事情聴取するのはあまりに残酷な話だな。

 

「ま、そんなわけでもう夏休みだし報告しておこうと思って。2人には悪いんだけどこの後来客があって……」

 

「わかった。もう行くわ」

 

 言葉を濁して帰らせることにした。2人を見送ってテーブルの上を片付ける。

 須藤君は連絡が来てから15分くらいでやってきた。その表情は決して明るいものではなく、いきなり女子の部屋に呼ばれて浮かれている男子の雰囲気ではない。私がなんで呼び出したのか、なんとなく察しているのがわかった。

 

「お疲れ様。お茶でいい?」

 

「ああ」

 

 例によって麦茶を出し、須藤君が一気に飲み干すのを見届けた私は早速話を聞くことにした。

 

「Dクラスの生徒を殴ったんだってね」

 

「……なんで知ってんだよ」

 

「それは今重要じゃないでしょ。ねえ須藤君、何があったのか聞かせてくれない?」

 

 しばらく考え込むように俯いていた須藤君だけれど、やがてゆっくりと経緯を話し始めた。私はノートに須藤君の言い分を書き連ねていく。書記をやっていたおかげでここ最近の私は早筆だ。

 

「俺が夏の大会でレギュラーに選ばれるかもって話はしたよな?」

 

「うん、この前朝練の時に言ってたよね」

 

 須藤君が授業中に寝てしまわないように、朝から身体を動かしてスッキリさせるという名目で始まった朝練はまだ続いている。この間まだレギュラーが確定したわけじゃないけど、選ばれる可能性を顧問の先生から示唆されたのはその時に聞いていたことだ。

 

「1年の中でレギュラー候補に選ばれたのは俺だけでよ。んでそっからちょっと経った後、同じバスケ部の小宮と近藤に呼び出されたんだ。話があるってな。どうせろくでもねえいちゃもんつけてくるだけだろうし無視しようとも思ったんだが、あいつらとは前々から言い争いになってたから、ケリをつけるいい機会だと思ったんだ。そん時は喧嘩なんてするつもりなかったんだが、特別棟に行ったらあいつらの友達だっていう石崎っつー奴がいてよ。俺がレギュラーに選ばれたのが我慢できなかったとか何とか言って、バスケ部を辞めろと脅してきたんだ」

 

 Dクラスの言い分と全く違う話だ。須藤君が嘘を言っているようには見えないし、ほぼほぼ向こうが言っていることの方が嘘だろう。

 

「それで挑発に乗って殴ったの?」

 

「いや、あんまり馬鹿馬鹿しいから無視してきた。レギュラー候補ってことで気分もよかったし、俺から殴り掛かったらやべえことになるってことぐらいはわかってたしな」

 

「じゃあ……どうして?」

 

 そこまでわかっているならこんな事件起こったりしない。

 当然の疑問をぶつける私に、須藤君が目に見えて落ち込む。

 

「……言いたく、ねえ」

 

「…………」

 

 歯を強く食いしばって俯く須藤君。

 碌でもないことを言われた、あるいはされそうになったらしい。無理に聞き出そうとしても答えてはくれないと判断し、須藤君が話したがらない部分は迂回することにする。

 

「じゃあ、これだけは確認しておきたいんだけれど、どっちから殴ったの? 須藤君? それとも向こうから?」

 

「……俺からだ」

 

 あ、終わった。

 向こうがどんな挑発をしてきたのかはわからないけれど、須藤君から先に暴力を振るった以上、罪の重さは確実にこちらの方が重くなる。嘘の供述をするわけにもいかない。

 

「――?」

 

 何かはわからないけど、強烈な違和感を覚えた。

 須藤君とDクラスの言い分が食い違っている以上、この時点で生徒会が審議を開くことが確定した。場合によるけれど、須藤君の話を聞く限りDクラスの3人にも過失が認められる可能性は十分にある。

 小宮と近藤とかいうバスケ部の生徒も大会にはしばらく出られなくなるはずだし、レギュラー候補の須藤君を挑発した結果彼のレギュラーが剝がされるとなれば、貴重な戦力を無駄にしたということで、バスケ部内部で顰蹙を買いかねない話だ。

 そこまでして須藤君のレギュラー入りが認められなかったってこと? 自分たちが泥を被ることになっても?

 

「なぁ、俺ってこれからどうなるんだ?」

 

 不安げな須藤君の言葉が私の思考を中断させる。

 生徒間で喧嘩が起きた場合、受ける罰は当然その規模によるけれど、大抵の場合は停学処分に落ち着く。私はこれまで学校で起きた暴行事件がどのように処理されたのかについてはまだ知らないので、具体的な期限は私にもわからない。

 

「近日中に学校から呼び出されて事情聴取されると思う。今回の場合は双方の言い分が食い違っているから、生徒会による裁判が行われる」

 

「は? 生徒会が?」

 

「そっ。こういう喧嘩の仲裁なんかは学校じゃなくて生徒会が行う。そこで審議を通して、改めて須藤君には処分が言い渡されるだろうね。ちなみに今回の担当は生徒会長と書記の橘先輩の2人」

 

「まさか、退学になったりすんのか……?」

 

「そこまで重い処罰が下りることはないだろうけど、まぁ十中八九停学処分になるだろうね」

 

 場合によっては夏休みの特別試験に参加できないかもしれない。

 

(そうなったらマジで最悪かも)

 

 須藤君の運動能力は一級品だ。試験の内容如何では彼がCクラスの主戦力になる可能性だって十分にある。無人島サバイバルとなれば体力が多い生徒が単純に有利だ。須藤君を欠いた状態でスタートする私たちは開幕から不利を強いられる。

 

「ふ、ははは……。そうなったらレギュラー候補って話は白紙で、大会にも出られなくなるってことか……」

 

 掠れた笑い声を出す。

 バスケ一筋の須藤君がバスケをできなくなるとすれば、最悪精神を病んで自主退学の道を選びかねない。そうなったら本当に終わりだ。それだけは阻止しないといけない。

 

「クズはどこまでいってもクズってことかよ……!」

 

 握り拳を振り上げ、そのままプルプルと力なく落とす。私の部屋の物にあたるつもりだったけど、思いとどまったって感じかな。不安と怒りに苛まれ、増大していくストレスのはけ口もこの場にはない。

 

「どういう意味?」

 

 私は須藤君の痛みを和らげるため、ここはあえて心を抉る選択肢を取る。

 

「……俺がこの学校に来た理由は話したことなかったよな?」

 

「そういえばそうだね」

 

「もともと俺はバスケが強え私立高校に行くつもりだったんだ。スポーツ推薦でな。けど……」

 

 両手で顔を覆い隠す。もしかしたら泣きそうになっているのかもしれない。

 慰めるのは簡単だ。けどまだその時じゃない。膿みを出し切ってからだ。

 

「暴行事件を起こして、推薦が取りやめになったんだ」

 

「それが、ここに来た理由なんだね」

 

「はっ、結局なんも変わってねえけどな」

 

 顔から手を離した須藤君の顔は、目が赤く充血していた。

 確かに、話を聞いている限り須藤君は何も変わっていないのかもしれない。そもそも人はそんなにすぐ変わる生き物じゃない。たかが15年、されど15年、私たちが自分の人格を形成した時間はそう短いものでもない。

 

「須藤君が暴行事件を起こしたとなれば、私たちのクラスポイントも差っ引かれることになる」

 

「また俺のせいでクラスのヤツらに迷惑かけるんだな」

 

「そうだね。2回目だし、みんな許してくれないかも」

 

 大顰蹙を買うのは間違いない。味方になってくれそうなのは平田君と櫛田さんぐらい、仲のいい池君と山内君も流石に愛想を尽かすかもしれない。

 

「私も簡単に許します、とは言えないかな」

 

 須藤君のせいで余計な仕事が増えてしまった。時期も悪い。正直乗り気がしない部分があるのも事実。

 

「でも見捨てたりはしないよ」

 

 須藤君の隣に座り、優しく頭をなでる。この前須藤君の手を握った時は少しだけ戸惑いを見せた須藤君だったけれど、今は驚きこそあれ私の手を素直に受け入れてる。私に『慣れてきた』証拠だ。須藤君にはそろそろ顔を見せてもいいかもしれない。

 

「って、なにやってんだよ! お前は俺の母親か!」

 

「え、嫌だった? でも辛くて苦しい時って、人に触れられてる実感っていうか、誰かが味方になってくれないとでしょ? だからほら」

 

 正座して膝をポンポン叩く。

 

「や、やめろ。優しくすんな……」

 

「なに? 泣いてるの? よしよし。大丈夫、大丈夫だから」

 

 ゆっくりと須藤君の身体を倒し、膝枕する。これなら私からは須藤君の顔も見えない。涙を流しても見えない。チクチクとこそばゆい感触をスカート越しに感じながら、須藤君が落ち着くまで黙って頭をなでる。

 男に付け入るにはやっぱりこれが一番だ。弱っている心の傷をさらに抉ってから、私はあなたの味方だと慰める。膝枕なんてすれば自分に好意があるのかと思われるかもしれないけれど、これも慰めのためだという言い分が立つ。

 結局男という生き物は女性の母性を求めるものなのだ。どれだけ気丈に振舞っている人間でも、心のどこかでは慰めてほしい、癒してほしいという欲求を抱えている。須藤君という人間はそれが特に顕著だ。普段は刺々しい態度を取っていても、それはただ自分の脆い一面を隠したいからやっているだけ、こうやって甘やかせばすぐにオチる。

 そうやってしばらく過ごしていると、須藤君が頭を上げた。もう十分らしい。無防備な自分の姿を晒したのが恥ずかしかったのか、心なしか顔が赤い。

 

「なぁに? 照れてるの?」

 

「うっせーよ! お前こそなんでそんな平然としてるんだよ」

 

「なぁに? 照れててほしかったの?」

 

「あーもういいもういい!」

 

 切り替えるためか、両手で頬をパチンと叩く。

 

「俺は、これからどうすりゃいいんだ」 

 

「それは、自分で考えなよ」

 

 そこまでサービスするつもりはない。それにさすがに須藤君にも自分がやらなきゃいけないことぐらいはわかっているはず。そして自分に何ができるのかも。焦って暴走する危険性も今はないはず。

 

「さて、もう帰ってもらおうかな。お仕事が残ってるし」

 

 この案件をどうやって乗り越えるか考えないといけない。背中を押して半ば追い出す形で須藤君に帰ってもらう。

 

「悪かった、黒華。また迷惑かける」

 

「もうこれっきりにしてよね。それじゃ」

 

 エレベーターまで須藤君を見送る。

 残念ながら今回の事件は須藤君が先に暴力を振るった以上、およそ真っ当な手段で切り抜けることはできない。具体的な解決策は思いついてないけど、限りなく黒に近いグレーな手法でもって片づけることになるはず。相手がDクラスなのは不幸中の幸いだ。私の傀儡がいるため、やりようはある。

 

「もうすぐ、かな」

 

 この件を私が主体となって解決すれば、私はCクラスの救世主となるだろう。今年中にはマスクを外して生活できるようになるかもしれない。



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16話

 7月1日。

 Cクラスの朝は毎日とても騒がしい。理由は単純、我らがCクラスはなかなか騒がしいメンツで構成されているからだ。毎朝今日の放課後はどこに行く、何を買うと盛り上がっている。

 しかし、それを鑑みても今日は特に騒がしい。

 なぜならポイントが支給されるはずの1日にも関わらず、『ポイントが支給されていない』から。

 私たちに毎月支給されるプライベートポイントの総額は、基本的に『クラスポイント×100』となる。先月発表された私たちのクラスポイントは522CP。中間テストの結果によるクラスポイントの変動はまだ伝えられていないけれど、1位を取った私たちCクラスのクラスポイントが大幅に減少させられるという事態にはさすがにならないし、クラスのみんなの授業態度も特に悪いものじゃなかった。

 私たちにポイントが支払われていない原因、それは須藤君が起こした暴行事件の処理が完了していないからだ。このことはまだ誰にも伝えていない。

 

「おはよう諸君。今日はいつにもまして騒がしいな」

 

 いつも通り、チャイムの音と共に茶柱先生が教室に入ってくる。

 

「佐枝ちゃん先生! なんで俺たちにポイントが振り込まれてないんですか!? 朝チェックしたら昨日と1ポイントも変わってなかったんだけど!」

 

 私たちに500程度のポイントを失うようなことをした覚えはない。焦る池君の言葉を聞いて、茶柱先生は教室の様子がおかしかったことに納得したようだった。

 

「なるほど、それで落ち着かなかったわけか。心配するな池。お前たちが頑張ったことは、学校側も当然理解している。まずは席に座れ」

 

 そう言ってクラスメイト達を座らせると、大きな紙を黒板にマグネットで張り付ける。先月も見た、各クラスのクラスポイントを発表する紙だ。

 

「これが、今月のクラスポイントだ」

 

 私たちCクラスのクラスポイントは655cl。クラスポイントが減るどころか、130ポイントも増加している。他のクラスも軒並み100ポイント近くクラスポイントを増やしているので、間違いなく中間テストの結果を受けてのクラスポイントの増加だ。本来であれば65500ポイント振り込まれていなければおかしい。

 

「あの先生、クラスポイントが0じゃないのに、どうしてポイントが振り込まれてないんでしょうか」

 

 当然の疑問をぶつけたのは、我らがCクラスが誇るイケメン男子、平田君だ。皆の不安を払しょくするために誰よりも素早く行動する。

 

「うむ。それなんだが、今回少しトラブルがあってな。1年生のポイント支給が遅れている。悪いが、もう少し待ってくれ」

 

「えーマジっすかぁ? 学校側の不備なんだから、お詫びとかしてくれないんですかぁ? 追加でポイント振り込んだり」

 

 詫びポイントを寄こせと山内君が騒ぐ。いやソシャゲじゃないんだしあり得ないでしょ。

 

「私に言われても困る。トラブルが解消次第ポイントは65000近く振り込まれるはずだ。ポイントが減っていなければな」

 

 さすがに今の露骨すぎる言い方にはクラスの全員を違和感を覚えたらしい。みんな困惑した表情を浮かべるけれど、先生は気にした様子もなく教室を出て行ってしまう。

 

「今のってどういう意味なんだろ?」

 

 私の席までやってきた櫛田さんが首を傾げながら聞いてくる。間違いなく須藤君の起こした暴行事件のことを言っているんだろうけれど、それを私から言うわけにはいかない。それは須藤君が自ら成長するチャンスを失う機会損失だ。

 

「さぁ……?」

 

 横目で須藤君を見てみると、まだ勇気が出ないのか、言い出そうか迷っている様子だった。

 

「ポイント振り込まれなかったらきつい感じ? 桔梗ちゃんはポイントピンチなの?」

 

 さりげなく櫛田さんの所有ポイントを探る。別に友達なんだから直球に聞けばいいんだろうけれど、なぜかそれは憚られた。

 

「ううん。10万くらいは残ってるから、全然大丈夫かな。梨愛ちゃんは?」

 

「わ、私は……」

 

 震える手で携帯の画面を櫛田さんに見せる。

 残金、残り1111ポイント!

 

「やったぁゾロ目だぁ」

 

「よ、よかったらポイント貸す?」

 

「だ、大丈夫です」

 

 ホントは全然大丈夫じゃない助けて櫛田さん!

 

 まぁ最悪Dクラスの野村君からポイント全額振り込んでもらえばいい。もしもの時に備えて必ず5万ポイントはキープするように口頭で指示を出している。

 とはいえたまに連絡を取るレベルの私が野村君から大金を振り込まれていると学校には知られたくない。あり得ないと思いたいけれど、私は他の生徒より厳重に監視されている可能性がある。

 一応警戒して物騒な内容のメールを何通か野村君に送ってみたけど、今のところ学校が動いた様子はないところを見るに、そこまで強く監視されているかは今のところわからない。

 しかしもし私に傀儡を作る能力がわかると判明すれば、『また』警察のお世話になってしまうかもしれない。あの時は20日ギリギリまで勾留されただけで済んだけど、今度は豚箱にぶち込まれるかもしれないな。

 

「ほ、ほんとに大丈夫?」

 

「大丈夫大丈夫。この学校はちゃんと0ポイントで生きていけるようになってるし、ポイントもすぐに振り込まれるでしょ。それに少しくらい0ポイント生活も経験しておいた方がいいかなって」

 

 すぐにポイントが振り込まれることはないだろうけれど、後者については本音だ。プライベートポイントは下手すればクラスポイントより遥かに重要なので、少しでも節約するために0ポイントで生活することも視野に入れている。

 けれど櫛田さんはここまで言っても納得いかなさそうな様子だった。

 

「じゃあ万が一の時には、桔梗ちゃんの力を借りるね」

 

 こう言ってしまえば無理強いもできない。

 自分でもなぜここまで櫛田さんの助力を断るのかわからなかったけれど、女の勘というのは侮れないものだ。

 

「おい、健。どうしたんだ?」

 

 素っ頓狂な池君の声に視線を向けると、須藤君が教壇に上っているのが見えた。珍しすぎる光景に教室の注目が集まる。そして――。

 

「すまねえ!」

 

 そう言って深く頭を下げる。何の脈絡もなくいきなり謝罪されて、何事かと教室がざわめく。今から須藤君がする話を外野に聞かせることはない。私は廊下側の窓に目張りをし、扉も完全に締め切りカギをかける。

 

「えっと、須藤くん?」

 

「ポイントが振り込まれてねえのは、俺のせいなんだ」

 

 そういって昨日私にしたのと同じ話をする。けれど肝心の、なぜ自分から暴力を振るったのかについてはあやふやなまま誤魔化した。当然気づく生徒も出てくる。

 

「ちょっと待て須藤。なぜ一旦は無視しようと考えたのに、結果的にお前から暴力を振るう結果になったんだ。まさか嘘をついてるんじゃないだろうな」

 

 幸村君の指摘を皮切りに、クラスのみんなの訝しむような視線が須藤君に突き刺さる。ここまで来て黙っているわけにはいかない。どのみち先生には正直に話す必要がある部分だ。

 

「それは、それは……」

 

 歯を食いしばり、拳を強く握りこんだ須藤君の視線が一瞬私を捉える。

 昨日からなんとなく察してはいたけど、私の予想通りのことをDクラスは言ったらしい。

 

「あいつら、俺がバスケ部を辞めねえなら、黒華をボコボコにして、顔写真を拡散するって言いやがったんだ……!」

 

 教室がシンと静まり返る。

 私が顔を見せたがっていないことぐらい、Cクラスの全員が知っていることだ。その理由は顔に大きな傷があるからとか、鼻とか口のパーツが悪いとか、いろんな噂が一時期流れたけれど、それでも無理やり私の顔を見ようとするような無粋な輩はクラスにはいなかった。

 それをDクラスの生徒は徹底的に侮辱するつもりだったと、須藤君の言ってることはそういうことだ。

 私を守るための手段を、須藤君は暴力意外に知らなかった。暴力の恐怖でもって黙らせる方法しか知らなかったんだ。

 

「最低じゃん……!」

 

 低い声で呟いたのは軽井沢さん。正直彼女は須藤君を真っ先に責め立てると思っていたけれど、それどころか須藤君の怒りと悔しさに寄り添うように、わなわなと肩を震わせていた。

 軽井沢さんだけじゃない、クラスのみんなが口々にDクラスへの怒りを露にする。

 

「そういうこと、だったんだね」

 

 体が冷たい。

 冷房が効いているからじゃない。私の胸の内が急速に凍えているからそう感じるんだ。

 相手はどんな気分だったんだろう?

 嫉妬したのか、それとも何か目的があって須藤君を呼びだしたのか知らないけれど、煽れるだけ煽って、無視されるとわかれば身近な異性に暴行すると脅迫する。須藤君に殴られて、してやったりと内心ニマニマしていたのかな? それとも痛みで少しでも後悔してる?

 まぁ、相手の心情なんて関係ないか。

 このまま相手の思うがままになんてさせない。

 

「須藤くん」

 

 短い言葉と共に立ち上がったのは堀北さんだ。クラス一冷たい氷の女と言っても、今の須藤君にはさしもの情けをかけるのか、そんなクラスメイト達の視線が集まる。

 

「あなたの何が原因でこんな事件が起きたのか、それはわかっているわね?」

 

 そんな視線をぶった切るような、強い口調で須藤君を叱責する。

 

「ああ……。俺がいっつもすぐに逆ギレする、凶暴なヤツだったからだ」

 

「いや、でも悪いのはやっぱり相手の方なんじゃないかな?」

 

 困惑したように呟いたのは櫛田さんだったけれど、その発言は大きな間違いだ。須藤君もそれがわかっているからこそこうやって私たちに頭を下げたのだ。

 

「どちらのクラスが先に仕掛けたか。それとこれとは話が別よ。須藤くんがそもそも普段から品行方正とは言わずとも、誰彼かまわず噛みつくような生徒じゃなかったら、今回のような事件は起きなかった。たとえ今回の事件で処罰を免れようと、須藤くんの意識が変わらなければ、また同じような事件が起きる」

 

 一切の反論を許さないド正論。須藤君も目を伏せるしかなくなる。

 例えばクラスにボコボコに殴られた生徒がいたとして、容疑者に上がったのが櫛田さんと須藤君の2人とした場合、どちらが強く疑われるかなど考えるまでもない。

 

「でもまぁ……あなたの気持ちは汲むつもりよ」

 

 そう言って私の方を見てくる。さしもの堀北さんも、須藤君の無念には慮るものがある。

 あの堀北さんが譲歩する姿勢を見せたことで、クラスの雰囲気も須藤君を守ろうという風潮に変わっていく。そんな絶好の機会を、平田君が見逃すわけがない。すかさず立ち上がり、教室を見回す。

 

「僕は、須藤くんを助けたい。彼は大事なクラスメイトで、僕たちの仲間だ」

 

 強く拳を握りしめ、力強い言葉で協力を表明する。もはや善意と決意しか宿っていないその言葉に、多くのクラスメイト達が感化されたようだった。

 

「私もサンセー。悪いのは絶対にDクラスでしょ」

 

 軽井沢さんもまた参戦する。Cクラスの女子をまとめ上げる彼女が須藤くんを助けると宣言するなら、クラスの約半数が味方となる。

 

 残るは男子だけれど、こちらについては全く心配していない。なぜなら――。

 

「私も、須藤くんを信じるよ! お友達だもんっ」

 

 櫛田さんが名乗りを上げないわけがないからだ。Cクラスのアイドルに、須藤君を見捨てる選択肢など存在するはずもない。そしてそしてCクラスのアイドルである彼女にこそ、男子たちはついていくのだ。

 

「まったくしょうがないなぁ須藤は。まっ、友達として助けてやるよ」

 

「……悪いな、寛治」

 

 池君も賛同し、須藤君を助ける方向でクラスがまとまる。あとは具体的な方針を固めていくことだ。

 

 

 昼休み、私、軽井沢さん、櫛田さん、平田君、そして須藤君の5人で教室にいた。この暴行事件に対してどう振舞っていくかを話し合うためだ。ちなみに堀北さんがいないのは群れるのが嫌だからとのこと。話し合いぐらい参加してほしいのが本音である。

 

「んで、これがDクラスの言い分ね」

 

 昨日生徒会室から持ち出してきたこの事件に関する報告書を見せる。順々に読みまわしたけれど、みんな読み進めるにつれてどんどん渋い顔になっていった。Dクラスの供述は須藤君のものとまるで正反対、自分たちに非は一切なく、須藤君が一方的に暴力を振るってきたとしている。共通しているのは須藤君から暴力を振るったことぐらいだ。

 みんなが報告書を読み終わったタイミングで、また口を開く。

 

「おそらくだけど、須藤君には今日中に学校側から事情聴取が入ることになる。Dクラスと言い分がまるで違っているから、生徒会を間に挟んで審議が行われるだろうね」

 

「ねえ、私たちも嘘ついちゃえば? 向こうが先に殴りかかってきたって」

 

「それはやめといたほうがいいと思う。事情聴取は須藤君1人だけに行われるだろうし、もしそこで嘘がバレれば停学処分じゃすまない。多分退学になる」

 

 そうなれば審議など待たずしてゲームオーバー。須藤君だけじゃなく私たちも処罰の対象になるかもしれない。

 

「僕たちに出来るのは、審議までに少しでも須藤君に有利な情報を集めること、か」

 

「……ねえ、これおかしくない?」

 

「え、おかしいって?」

 

「いやさ、向こうって黒華さんを暴力で脅すようなヤツなんでしょ? そんなヤツが須藤君に一方的に殴られるって変じゃない? 反撃ぐらいしてくるでしょ」

 

 確かに。軽井沢さんの疑問は的を射ているように思えた。須藤君は男子の中でもかなり体格がいい方だけれど、3対1でここまで一方的な喧嘩になるとは思えなかった。

 

「確かに、アイツらまったく反撃してこなかったな」

 

「え、じゃあ反撃してこない相手をここまで痛めつけたの?」

 

 報告書にある写真や診断書を須藤君に見せる。

 

「……いや、俺はここまでやってねえな。そもそも俺は腹は殴ってねえ」

 

 須藤君が指さしたのは石崎君の診断書。確かに腹に打撲痕が確認されているけれど、須藤君はあくまで顔面だけ狙ったとのこと。それはそれで相手を傷つけようとした意志が大きいと判断されそうだけれど、妙な話ではある。

 

「これ、考えたくはないけど須藤君はハメられたのかもね。バスケ部の話はあくまでも須藤君を呼びだすための建前。目的は須藤君を煽って暴力を振るわせること。それなら辻褄があう」

 

「でも、Dクラスはなんでこんなことするのかな?」

 

 暴力などとはまるで無縁そうな櫛田さんが首を傾げる。

 

「僕たちCクラスのクラスポイントを減らすため、かな」

 

 確かにそれはあるかもしれない。けれどDクラスのポイントも犠牲になる可能性があるし、確実性に欠ける。Dクラスのリーダーである龍園君は、中間テストが告知された途端に手下に私を尾行させるような狡猾な人間だ。そんな人間がクラスポイントのためにとる手段としてはしっくりこない。

 

「他にも目的があったかもね。そもそもこの学校が暴力をどこまで容認するのかを確認したかった、とか、どんなリアクションを起こすのかとか」

 

「うわぁ……悪質だわ」

 

「でも、ありそうな話だね。僕たちはまだ学校のシステムを完全には把握できていない。けれどこんな手段を取ってくるなんて……」

 

 まぁ、もうちょっと真っ当な手段で集めろよとは確かに思う。DクラスはBクラスにもなにやらちょっかいをかけていたようなので、それも目的があってのことだったんだろうな。

 

「私たちがやるべきことって、やっぱり目撃者を探すことなのかな? 石崎くんたちが須藤くんに脅迫してたって証言があったら、きっと須藤くんも処罰されずに済むよね」

 

「僕も櫛田さんの意見に賛成だよ。けど……」

 

「けど?」

 

「その、気を悪くしないでほしいんだけれど、須藤くんが処罰されずに済むってことはないと思うんだ」

 

「え、なんで? 悪いのは向こうでしょ?」

 

「それは否定しない。けれど、脅迫されたからといって暴力を振るっていいなんて法律、日本にはないんだ」

 

 平田君の言う通り、どんな事情があれ暴力が容認されるのは正当防衛と判断される範囲まで。

 たとえ殺すぞと包丁を持って脅迫されても、自分から仕掛けては処罰の対象になる。もちろんその事情は考慮されるけれど、無実とはいかないのが現実。

 

「梨愛ちゃんもそう思う?」

 

「まぁ、須藤君の無実を勝ち取るのはかなり厳しいだろうね」

 

 たとえ今回の事件がDクラスによって意図的に引き起こされたものだと判明しても、須藤君には必ず処罰が下る。無実を勝ち取りたいのなら、Dクラスに訴えそのものを取り下げてもらうしかない。

 

「そんな……」

 

 まるで自分のことのように櫛田さんが落ち込む。

 

「落ち込んでばかりもいられない。目撃者探し、審議対策、やれることを時間いっぱい使ってやろう」

 

 審議までそれほど長い猶予がとられるとはとても思えない。残念ながら時間は向こうに味方している。

 

 

 放課後、須藤君が茶柱先生に呼び出されたのを見届けた私は、校舎内にある情報資料室に来ていた。この部屋は文字通り『生徒に見られても問題がない』資料を保管する部屋で、一般の生徒が許可なく立ち入れる場所ではない。

 もちろん生徒会役員たる私もそれは同じだけれど、『生徒総会に備えて必要な資料を参照するため』とでも言えば入室も簡単に許可される。嘘も言っていないので問題はない。ただちょっと間違った資料を目にすることになっただけ、それだけなの。

 

「使えるものはなさそう……」

 

 これまでに生徒会が仲裁した案件の議事録なんかを床に広げ、役に立ちそうな情報を集めようとしたけれど、明確な証拠が出たり、もっと小規模な事件だったりと、今回の事件と類似するケースはあまり発生していないようだった。

 処罰については、基本的には停学とかプライベートポイントの没収がメインだ。

 クラスポイントが差っ引かれることも考えると、当事者に与えられる罰則としては大抵の場合その程度で済むらしい。役に立つかどうかはわからないけれど、これまでの暴行事件に関する資料の写真を撮っていく。

 

(さてどうしようかな)

 

 一通り目を通した後、私は考え込む。

 一応今回の暴行事件をどう解決するかについては1つだけ方法を思いついた。

 けれどこの方法はかなりリスキーでもある。私が直接助力できない以上欲しい結果を得られるかどうかは完全に賭けになるし、狙いがバレたらどんな逆噴射が起きるのかわからない。

 予備のプランが欲しいところだけれど、他にいい方法は浮かんでは消えていくのが現状。

 

「しょうがないからこの方法で何とかしよう」

 

 幸いにもCクラスには櫛田さんという頭のいい天使がいる。状況さえ整えば、成功率は格段に引き上げられるはずだ。



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17話

 翌朝、SHRの時間になると、茶柱先生による今回の暴行事件の通達がなされた。

 

「今日はお前たちに連絡がある。先日学校内でトラブルが起きた。そこに座っている須藤とDクラスの生徒達との間で喧嘩が起きたようだ」

 

 普通なら突然の報告に教室は騒然とするだろうけれど、須藤君が暴行事件を起こしたことはすでに全員が知っていること。茶柱先生の淡々とした報告を黙って聞き入れる。

 

「もっと騒がしくなると思っていたが、随分落ち着いているな。黒華が前もって伝えていたのか?」

 

「いえ、須藤君が自分からクラスのみんなに謝罪したんです」

 

 私の返答に、茶柱先生が目を見開いた。須藤君が自分から暴力を振るったことを報告するとは夢にも思わなかったのかもしれない。

 

「そうか。須藤とDクラスの証言は食い違っているため事実は不明だが、自分の非に自分で気づけたというなら何よりだ。だが、本件は反省しているからそれで済む話ではないのはわかるな?」

 

「ああ、わかってる」

 

「現在、学校側の判断は保留となっている。どちらの話が真実なのかで、処遇も対処も変わってくるからな。須藤の話では目撃者がいる可能性があるそうなので、学校側として目撃者を捜索中だ。このクラスにいるなら挙手してもらえるか」

 

 クラスの誰も手を挙げない。

 正直このクラスに目撃者がいたとしても判決に大きな影響が出るかどうかは不明だ。身内から目撃者が出たとして、その証言を学校側が簡単に信じるとは思えない。なにかしらの証拠を要求されるはず。

 目撃者として理想的なのは上級生、次にAかBクラスの生徒だ。

 

「どうやらこのクラスにはいないようだな。今頃他のクラスでも同様の説明がされているはずだ。被害を抑えたければ、お前たちなりに今回の件に取り組んでみることだ」

 

 曖昧なアドバイスを残して教室を出ていく。目撃者探しなんて警察みたいなこと生まれて初めてなので、なにがしかの具体的な助言が欲しかったところだ。

 まぁこういうところも生徒の実力が出ると云々かんぬん言って誤魔化されるのが目に見えているけれど。

 

「みんな、ちょっといいかな。昨日の昼休みに、1週間後の審議をどう乗り切るかを考えてみたんだ」

 

 教壇に立った平田君が昨日の昼休みに話した内容をまとめてクラスのみんなに伝える。部活に参加している人は上級生にあたってみること、そうでない人は他クラスの生徒に話を聞いてみること。学校の性質上他クラスに友達を持っている生徒は多くないけれど、決していないわけじゃない。もしかしたら自分が目撃者であることを秘匿しているような生徒も見つかるかもしれない。

 そういうわけで、クラスの人員は主に目撃者探しに充てられることになった。私は他クラスに友達と言える生徒は、Bクラスの一之瀬さんと彼女と特に仲のいい生徒ぐらいしかいないし、Aクラスの生徒は坂柳派はともかく、葛城派は私のことを強く警戒している。そのため私は目撃者探しでは力になれない。

 

「この事件が教室で起こった喧嘩ならよかったんだけどな」

 

 後ろで綾小路君がそんなことを呟いた。

 

「そうね、教室には監視カメラがついている。今回の事件に対して判断を保留にしているということは、事件の起きた特別棟には監視カメラはついていないってことよね」

 

 この学校には死角なんてないんじゃないかと思うほどに大量の監視カメラが設置されている。特別棟はその数少ない死角の1つだ。

 防犯が目的なのか、生徒を監視するのが目的なのかは知らないけれど、あえてわかりやすい死角を作っているのは、学校側からの『悪事を働くならここでやれ』という意図を感じずにはいられない。国主導のこの学校が時には汚い手を使うことを推奨していると思うと、なんというか大人の世界がどれだけ殺伐としているのか思い起こされて嫌になる。この学校のカリキュラムを終えた私はちゃんと真っ当な人間として社会に飛びだてるのか正直疑問だ。

 

「本当に監視カメラがついていないか念のため確認に行かないか? そうでなくとも何か手がかりが残ってるかもしれない」

 

 珍しく綾小路君から現場検証の提案がなされる。この自称事なかれ主義者は絶対に私たちに任せるだけ任せてフェードアウトしていくと思っていた。

 

「そうね。どちらにせよ現場検証は必要でしょうし」

 

 私としても断る理由はないため、今日の放課後は3人で特別棟へ調査に行くことが決まった。

 

 ◇

 

「あっつ!」

 

 放課後の特別棟は息苦しさを感じるほどの熱気が充満していた。基本的にこの学校は建物の中なら冷房が効いているため日中でも快適に過ごせるんだけれど、この特別棟は頻繁には利用しない設備が揃っているせいか、放課後は冷房が切られていた。おかげで特別棟は蒸し風呂状態である。

 

「やはりここに監視カメラはないみたいね……」

 

 暑さには強いのか、涼しげな様子の堀北さんの言う通り、事件現場には監視カメラは設置されていなかった。一応天井付近にコンセントは取り付けられていたけれど、それだけ。まぁ監視カメラがあったならこの事件が学校中を巻き込むようなものになるはずもない。

 

「監視カメラがあればそれで終わりだったのにな」

 

 綾小路君が残念そうにつぶやく。

 何度も何度も制服の袖で額や首をぬぐう綾小路君はすでに汗だくで、長居すれば熱中症になりかねない様子だ。

 

「せめて、せめて換気しよう」

 

 外の空気を取り込めばこの暑さも少しはマシになるかもしれない。私は救いを求めるようにフラフラと窓際に近づき、一気に窓を開け放った。

 

「アバババババババババババ」

 

 即座に窓を閉め切る。

 窓を開いた瞬間、凄まじい熱気を伴った風が流れ込んできた。顔面に熱風を浴びた私の体温は急上昇し、少しでも体温を下げようと猛烈な勢いで汗が噴き出す。ダメだ、これ以上ここにいたら確実にぶっ倒れる。

 

「ねえ、もう帰らない? ここには何にもないよ」

 

「オレももう限界だ……」

 

「そうね、もう行きましょうか」

 

 茹だるような暑さにリタイア宣言し、3人で特別棟を出ようと階段を下りる、が、そこで見覚えのある生徒がやってきた。

 

「あっ」

 

「あれ、佐倉さん、だよね」

 

 後ろで2つにまとめた髪と眼鏡は、佐倉愛理さんだ。同じCクラスの女子生徒。デジカメを持って気まずそうに私たちを見てくる。

 

「あ、そのこれは、写真を撮るのが趣味で、それで……」

 

「はぁ……?」

 

 思わず気の抜けた声が出た。

 別に私たちは何も聞いていないけれど、佐倉さんは焦った様子でまくし立ててくる。

 

「趣味って、どんな写真を撮るんだ?」

 

「えっと、廊下とか、窓から見える景色とか。あ、あの、もう行きますね」

 

 それだけ言って私たちから逃げるように背を向ける。私たちももう出るつもりだったけれど、お邪魔だったのかな? 3人で顔を見合わせていると、堀北さんが今しがたまで佐倉さんが立っていた場所を見やった。

 

「2人には言っておこうと思うのだけれど──」

 

 そう切り出し、

 

「佐倉さん、おそらく今回の事件の目撃者よ」

 

 結構重要な事実をここで伝えてくる。

 

「え、そうなの?」

 

「ええ、今朝先生が目撃者がいないか確認した時、佐倉さんだけは目を伏せていた。何か知っている人間でなければ、そんな反応はしないんじゃないかしら」

 

「はぁーなるほど。でもなんで今になって?」

 

「どうも佐倉さんは人付き合いが苦手のようだし、皆の前で彼女が目撃者だと暴露してしまえば、どんな反応をするかわからないでしょう? もしかしたら逃げ出してしまう可能性もあった」

 

 たしかに。

 現に佐倉さんはさっき私たちを見てそそくさとどこかへ行ってしまったわけだし。佐倉さんが目撃者だと判明すれば、きっとクラス総出で彼女に詰め寄っていたはず。

 

「とはいえ放っておくわけにはいかないし、誰かが話聞きに行かないとだね」

 

「黒華がやればいいんじゃないか? 適任だろ」

 

「いやぁーそれがどうも私、佐倉さんに避けられてるんだよねー」

 

 一応私はクラスメイトほぼ全員と友達と言えるような立場にいる。ただその唯一の例外が佐倉さんだ。多分入学してから会話した回数は片手の指の数もないと思う。一度私から話しかけた時は、すごい勢いで逃げられてしまった。もちろん私から何かした覚えはない。ただ漠然とした苦手意識を持たれている。

 それにどうも佐倉さんが私を見る目は……。

 なんというか、言語化するのが難しいけれど、どうも佐倉さんは私を『怖がっている』感じがする。確証はないけれど。

 

「あなた、佐倉さんに何かしたの?」

 

「失敬な! なんにもしてないよ! でもまぁ私が佐倉さんに話を聞きに行くのはやめといたほうがいいと思う。たしか桔梗ちゃんが佐倉さんと連絡先を交換してる貴重な人間の1人だから、桔梗ちゃんに頼むのがいいと思う」

 

「じゃあ、あなたから言っておいて」

 

「まぁそれはいいけど。ねえ、堀北さんってまだ桔梗ちゃんと喧嘩してるの?」

 

『目指せ! Aクラス同盟』を結んでいるのに、堀北さんと櫛田さんは未だに折り合いがよくない。私から見れば完全に堀北さんが原因に見えるけれど、櫛田さんも黙ってそれを受け入れている。それとなく探りを入れてみても、2人とも有耶無耶にして返してくるため、仲裁しようにもできないのが現状だ。

 

「何度も言っているけれど、あなたには関係ない話よ」

 

「はいはい。そうですねそうですね」

 

 今回も突っぱねられ、3人並んで特別棟の外に出る。

 まぁ佐倉さんについてはしばらく放っておくつもりなので問題はない。今佐倉さんを問い詰めようとも、あの様子では簡単には口を開かないだろう。

 だからこその放置だ。

 佐倉さんがどんな人間なのかはほとんど話したことがないから正確にはわからないけれど、今の彼女の心境はおそらく『自分が目撃者として名乗り出ればクラスを助けられるかもしれない。でも怖くてそんなことできない。臆病な自分が恥ずかしい、みんなに申し訳ない』と、まぁこんな感じかな。そしてその罪悪感は審議の日が近づけば近づくほど大きくなる。いっそ『無理して名乗り出ないでいいからね』と優しさと情けをチラつかせたほうがいいかもしれない。そうなれば心への負担はより増大するはず。

 

「あれ? 黒華ちゃん?」

 

 どこへともなく歩いていた私たちに声をかけてきたのは一之瀬さんだ。

 こんな時に特別棟に何の用だろう。

 

「おはよう一之瀬さん。こんな時に特別棟に用なんて珍しいね」

 

「にゃはは、実は用事があってきたわけじゃないんだよね。今朝CクラスとDクラスで喧嘩騒動があったって聞いて、ちょっと思うところがあったから現場に来てみたって感じ」

 

 つまり単純な好奇心でここにやってきて、私たちとたまたまばったり出会ったということ。

 Bクラスは中間テスト時に他クラスに全くと言っていいほど干渉していなかったけれど、今回の事件には首を突っ込むつもりなのか。

 

「黒華ちゃんがここに来たのも、現場検証のためでしょ?」

 

「そ──」

 

「仮にそうだとして、あなたに関係あるのかしら」

 

 肯定しようとした私の言葉を、敵愾心剝き出しの堀北さんが遮る。

 

「んー実は関係あるかないかで言われたら、あるんだよね。さっきBクラスに櫛田さんたちが来たんだけれど、なんでもCクラスが暴行事件を起こしたのはDクラスのせいだって言うじゃない? もしこの事件の裏に悪質な策略があったのなら、白黒はっきりつけるべきだと思って、私たちも捜査に協力することにしたの」

 

 ここに来たのもその一環で、私たちが特別棟にいることも櫛田さんに聞いたことだと言う。櫛田さんに確認すればすぐにバレる嘘をつくとも思えないので、一之瀬さんが言っていることは多分本当のことだ。

 それぐらい堀北さんにもわかっていると思うけれど、チラリと伺った彼女の横顔は苦々しげだった。多分勝手にBクラスの生徒との協力を取り付けたことに腹を立ててるんだろうな。

 

「なにか裏があるようにしか思えないわね」

 

 まぁそれは完全には否定しない。Bクラスからすれば私たちは背後を脅かす敵、むしろDクラスに叩き潰された方が得と言えば得になる。もし櫛田さんたちと協力を取り付ける際、見返りにポイントを寄こせなどと契約されていれば、Cクラスは余計な出費を迫られることになる。けどまぁこの心配は多分無用だ。櫛田さんがそんな契約を勝手に交わすとは思えない。必ず私たちに話を持ってくる。

 

「にゃはは、そう思うのも無理ないよね。うーんそうだなぁ、実はDクラスには私たちもお世話になったんだよね。悪い意味で」

 

 苦笑いしながら、BクラスとDクラスの間で起こった小競り合いについて説明してくる。どうもDクラスはいろいろと際どい手段を好む傾向にあるらしい。

 

「もし今回の事件もDクラスの仕業だとしたら、今のうちにしっかりと釘を刺しておかないとまずいでしょ? ここでCクラスが負けちゃったら、また同じような嫌がらせをBクラスにもやってくるかもしれない」

 

 一之瀬さんの言う通り、ここで須藤君が停学になってしまえば、また誰かをターゲットにDクラスは嫌がらせを仕掛けてくるはず。悪ガキにはそろそろお灸を据えなければいけない。

 

「わかったわ。あなたたちにも協力してもらうことにする」

 

「じゃ、決まりだね。えーっと」

 

「堀北よ」

 

「堀北さん、ね。そっちの男の子は?」

 

「綾小路だ」

 

「堀北さんに綾小路くん、だね。よろしくね」

 

 簡素な自己紹介を交わし、Bクラスと協力してこの事件の解決に臨むことが決まる。

 ちなみに一之瀬さんとの連絡役はまた私がやることになった。なんというか、ここ最近堀北さんのいいように使われている気がしないでもない。

 

 ◇

 

 翌日の放課後、授業が終わるなり席を立ち、早々に荷物をまとめ始めている佐倉さんの席へ向かう。私が近づいていることに気づいた佐倉さんは露骨に顔を強張らせた。

 

「えっと、佐倉さん」

 

「な、なんですか」

 

 目を泳がせ、手だけは忙しなく動かす佐倉さんを

 見て、私は彼女こそが目撃者だと確信する。正直Cクラスから出てきた目撃者なんてどれほど役に立つのかわからないけれど……まぁいないよりはマシなのは間違いない。

 

「無理しなくていいからね、佐倉さん」

 

「何のことですか、も、もう私行きますね。失礼します!」

 

 机の上に置いてあったデジカメを握りしめ、席を立って教室を出ていこうとする。取り付く島もないとはこのことだ。今の私と佐倉さんではもはや会話が成立しない。

 

「あっ!」

 

 用は済んだので、佐倉さんから目線を切った瞬間、小さな悲鳴と同時に何か硬いものが床に落ちる音がした。戻した視線に映ったのは、床に落ちたデジカメを拾い上げる佐倉さんと、適当な謝罪をする本堂君。勢いあまって本堂君とぶつかった結果、カメラを落としてしまったのかもしれない。

 

「そんな……映らない……」

 

 カチカチと何度も電源ボタンを押したり、電池を入れ替えたりした後、沈痛な面持ちで項垂れる。どうも落下の衝撃でデジカメが壊れてしまったみたい。よほど大事なものだったのか、呆然とした様子でペタリと座り込んでしまっている。さすがに申し訳ない気持ちになったので、一言謝罪しようと佐倉さんに歩み寄る。

 

「ごめんね佐倉さん。私が急に声をかけちゃったせいで……」

 

「い、いえ。大丈夫です……」

 

 私に話しかけられるや否や立ち上がり、急ぎ足で教室を出ていく。

 嫌われているとかそういう次元じゃないな。佐倉さんはほぼ初対面の私に強い警戒心を抱いている。

 

「…………」

 

 とある疑念が湧き出てくる。今はどうしようもないけれど、近いうちに必ず確認しておかないといけない。

 あまり嬉しくはない収穫を得つつ、席に戻ると堀北さんがなにやら話したげな様子で私を見ていた。

 

「どうしてあなたが話しかけたの? 佐倉さんには避けられていたんじゃなかったのかしら」

 

 佐倉さんを逃がした私にご不満なご様子で話しかけてくる。

 ほならね、あなたがやってみろって話ですよ。どんな会話術の天才でもあの佐倉さんの心をいきなり開くなんてこと不可能なわけですよ。それこそ櫛田さんでもね。

 

 ◇

 

 その日の夜、櫛田さんに電話をかける。決行の日は審議前の土日なのでまだ少しだけ日が開いているけれど、まぁ早ければ早いほどいい。

 

『もしもし? どうしたの梨愛ちゃん』

 

「んー今回の事件を解決するために、桔梗ちゃんにお願いがあってさ」

 

『なにかなっ。私にできることなら喜んで協力するよ』

 

 ここで拒否されたらむしろ困惑する。

 

「先に確認しておきたいんだけれど、桔梗ちゃんって事件起こしたDクラスの3人と仲良かったりする?」

 

『石崎くんたちのことだよね? ちょっと話するぐらいかな』

 

 つまり疎遠になってもそんなに困らない距離感、まさにベストな関係性だ。あとは私が今から話す内容を櫛田さんが受け入れてくれるかどうか。

 

「おっけー。ちょっと言いにくいんだけれど、桔梗ちゃんにやってほしいことを説明するね」

 

 作戦の概要だけを大まかに話す。細部を話すのは了承を得てからでいい。私の話を聞き終わると、櫛田さんはすぐには返事を寄こさず、ただ少しだけ息を漏らすような音が携帯から聞こえた。

 

『う、うまくいくかな』

 

「実は、私Dクラスに『お友達』がいてさ。協力してくれることになってるから大丈夫。一応当日なにが起こるか、いろんなパターンも考えてるしね。それに残念だけれど、私には須藤君を無実にする方法はこれぐらいしか思いつかなかったの」

 

 須藤君を救う唯一の方法だと、突きつけてしまえば、友達想いの櫛田さんはまず間違いなく私の作戦を受け入れる。まったく、打算ばかりで嫌になるけれど、しばらくの間は仕方がない。

 

『……どうかな、正直自信ないよ……』

 

 櫛田さんでも流石に渋るか。

 

「そう、だよね。こんなことしたらせっかくできた友達に嫌われちゃうかもしれないし……。じゃあ、こういうのはどうかな」

 

 悪魔の提案を櫛田さんに伝える。

 

『それは……けど、そんなことしたら梨愛ちゃんが……!』

 

「私はいいの。桔梗ちゃんにスパイみたいなことをさせちゃうわけだし、他クラスの生徒に嫌われるくらいどうってことないよ。これでもダメ、かな?」

 

『……梨愛ちゃんがそこまで覚悟してるってこと、だよね。だったら、私もやってみる」

 

 長考の末、櫛田さんは力強い返事を寄こした。

 これは僥倖だ。櫛田さんは他クラス目線での私の立場を気にしているようだけれど、邪道を好んで使うDクラス──というより龍園君には、前回の中間試験で偽の過去問を横流しした件も含め、私もそういった手段に精通していることをアピールしないといけない。櫛田さんの協力がなければ野村君がスパイであることがバレる羽目になるけれど、これならDクラスに爆弾を残した状態で夏休みの特別試験に挑める。

 なによりも大きいのはそう、『ナメられないこと』だ。これなら龍園君も私の話を呑んでくれるはず。

 いい加減暗躍も疲れた。私が得意なのはむしろカタログスペックが露骨に出てくる正攻法なのだ。

 

「ありがとう櫛田さん、じゃあまた明日ね」

 

「うん、またね梨愛ちゃん」

 

 櫛田さんの協力を取り付けたので、あとは最低限の仕込みを残すのみとなった。

 残念なのは今回の事件を解決したのが私であるとは明らかにされないことだ。もうある程度リーダーの座は確立されているとはいえ、まだまだクラスのみんなにはわからないことも多い。できれば夏休みの特別試験までに私の言うことには基本的に従うようにしておきたかったけれど、こればっかりは仕方ないな。



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18話

 翌朝、いつもの朝練を終えた私は、今日は須藤君に先に学校へ行ってもらい、寮のエントランスである生徒を待ち続けた。というのも、昨日の放課後、佐倉さんのカメラを壊してしまった件を謝りたかったのだ。打算ありきで声をかけた挙句、その人の持ち物を壊してしまうのはさすがに申しわけなく、とはいってもクラスのみんながいる教室の中で声をかけると佐倉さんはまた私から逃げ出してしまう。

 幸いにも佐倉さんはいつも遅れて教室にやってくるので、早めに部屋を出て待ち伏せていれば必ず出会える。突っ立ってエレベーターから降りてくる生徒を確認していると、いつも通り猫背の佐倉さんがやってきた。俯いている状態なので、近づく私に気づく様子はない。

 

「あの、佐倉さん」

 

「え!? な、なんですか?」

 

 まさかの出待ちに明らかに動揺する佐倉さん。私を見て、クラスを騒然とさせている事件の件だとすぐに直感した様子。すまんね、私は善意を施すタイプなのではなく、押し付けるタイプなんだ。

 

「違うの! その、壊しちゃったカメラの件で声をかけたの」

 

 なぜ佐倉さんが逃げるのか。その理由を悟っていることを伝えながらも、あくまでも今回は別のことで声をかけたと告げる。これで騒動に巻き込まれたくないという感情が罪悪感や後ろめたさを上回っていれば、佐倉さんは足を止めずに教室へ向かう。が、結局佐倉さんは私を振り返ることまではしなくとも、歩くことはやめた。

 

「壊しちゃったとき、だいぶショックを受けてたみたいだからさ、弁償したいの。どうかな」

 

 ポイントは全然持ってないけど、修理代ぐらいは払わせてもらう。

 

「いえ……あれは私が悪いので……」

 

「ダメ、かな? この場で修理代だけでも払わせてほしいんだけれど……」

 

 粘る私に、考え込むような仕草を見せる佐倉さん。どう断れば私が折れるか考えてるのかもしれないけど、そうそう退く気はないよ。

 

「じゃ、じゃあ、土曜日に家電量販店までついてきてもらってもいいですか?」

 

 断られるどころか、ショッピングのお誘いだ。予想の斜め上を行く返答にちょっとだけ動揺する。

 

「え? もちろんおっけーなんだけど、いいの?」

 

「あと、えーっと誰だっけ……あっ、綾小路くんにも一緒に来てほしいんですけど……」

 

「綾小路君? いいよ。私から連絡しておくね」

 

 なぜここで綾小路君の名前が出てくるのかさっぱり疑問だけれど、別に問題ナッシング。

 私を避けている佐倉さんに気を使ってポイントの支払いだけで済ませようと思っていたんだけど、まさか修理のためだけとはいえ休日の買い物に誘われるとは思ってもみなかった。

 このまま別々に分かれて教室に行くのも後で気まずいので、2人で無言のまま教室に向かう。佐倉さんが私と何か話そうと、口を開いては閉じるのが目の端に映っていたけれど、最後まで私から声をかけるようなことはしなかった。

 

 

 そして迎えた土曜日。

 肝心の綾小路君は暇だったようで、二つ返事で了承してくれた。当の本人もなぜ自分も誘うように言われたのかは全く心当たりがないらしい。

 肌を焼く灼熱の太陽を浴びながらケヤキモール一階の待ち合わせ場所まで向かう。

 

「2人ともお待たせー」

 

 待ち合わせは私がドベのようで、綾小路君も佐倉さんもベンチに座っているのが見えた。私が声をかけると、2人ともぎょっとしたようにお互いを見やる。一緒に私を待っていたにしては、違和感だらけの反応だ。

 

「お、おはよう……」

 

「ああ、おはよう」

 

「……もしかして隣に座ってたのに、お互いに気づいてなかった?」

 

 指摘してやると、2人とも気まずそうに顔を見合わせた。

 まぁ綾小路君が気づかなかったのも無理ないかもしれない。件の佐倉さんは眼鏡こそ普段と同じだけれど、今日はそれに加え帽子とマスクまで装備してきているのだ。ケヤキモール内は冷房が効いているけど、寮からここまでのクソ暑い道のりをマスクをつけたまま行き交うのはなかなかの苦行だ。

 ――そうまでして顔を隠したい理由があるということ。

 

「さすがに不審者っぽいですよね……」

 

「不審者っていうより、身バレを防ぎたい有名人に見えるかも。屋内なのに帽子被ってるし」

 

「えぇ!? うそ!?」

 

「そんなに驚く? 大丈夫だって。外部との連絡が禁止されてるこの学校に、メディアに露出するタイプの有名人がいるわけないし」

 

「うぐっ」

 

 いるとしたらモデルとかかな。アイドルとか子役タレントは卒業後の進路に露骨に影響あるしさすがにいないでしょ。自分の身なりが気になるのか、佐倉さんは結局マスクと帽子を外してしまった。それされると、常にマスクつけてる私も不審者に見られてる感じがするのでちょっと気まずい。

 

「確か、カメラみたいな電化製品の修理はジョー〇ンでやってたはず」

 

 なんか、そんなことが書かれたパンフレットを入学当初読んだ気がする。

 外部とのあらゆる連絡が禁止されているこの学校では、私たち生徒を含め、内部で暮らす人間が生活に不便しないように、あらゆるサポートが提供されている。生活必需品はもちろん、イヤホンとかカメラみたいな趣味の領域に入る製品もいろんな種類が取り揃えられている。

 さすがに需要者の数が数なので、店舗面積はそんなに広くないけれど、それでも私たちが利用する分には十分すぎる規模の店舗だ。

 

「あったあった。あそこだ修理受付」

 

「あ……」

 

 私と綾小路君はさっそく受付しようと歩き出すけれど、佐倉さんだけは動こうとせず、ただじっと修理受付を見つめている。その目には嫌悪感とか恐怖心とか、そういった負の感情で満たされていた。その視線の先にあるのは1つだけ、いや1人だけって言った方が正しいか。佐倉さんは明らかに修理受付にいる男性の店員を警戒している。

 

「どうした? 佐倉」

 

「え、えっと……なんでもないです」

 

 綾小路君も佐倉さんの様子が気になったらしく、気遣うように声をかけたけれど、佐倉さんは特に何も言うことなく、ゆっくりと修理受付に向かう。

 隣に立った佐倉さんは若干息が荒く、顔色も悪いように見えた。明らかになんでもないって様子じゃないけど、大丈夫かな。

 修理の依頼自体は当事者の私と佐倉さんでするので、その間綾小路君は手持ち無沙汰になる。どうやら綾小路君はこの家電量販店でいろいろ見たいものがあるらしいので、ここで一旦分かれる。

 

「あの、すみません。カメラの修理をお願いしたいんですけど、かまいませんか?」

 

「もちろん構いませんよ。それでは――」

 

 何やら作業をしていた店員が答えながら私たちへと振り返り、まず私に、そして次に佐倉さんに視線を送り、その瞬間呆気にとられたように言葉を詰まらせた。

 なぜかはわからない。わからない、けど、店員のおかしな反応の原因が佐倉さんにあるのは間違いない。店員が佐倉さんを見つめるその目は、見覚えのあるドス黒い感情で彩られていた。思わず、鳥肌が立つほどゾッとしたけど、隣に立つ佐倉さんはそれどころじゃなく、明らかに怯えた様子で委縮してしまっている。

 間違いない。この男は佐倉さんのストーカーだ。

 綾小路君を呼ぶように私にお願いしてきたのは、同じクラスメイトの綾小路君なら『もしもの時』の相談相手になるかもしれないから。彼と別れたのは失敗だったかもしれない。

 

「あの?」

 

「ああ、申し訳ありません。カメラの修理とのことでしたが、どちらのお客様のものでしょうか?」

 

「……この子のです」

 

 カメラの持ち主が佐倉さんだと判明しても、店員のリアクションは乏しいものだった。異常者のくせに、まともな人間にうまく擬態するタイプのストーカーだと判定する。この手のタイプはなかなか尻尾を出さない癖に、暴走したときは手が付けられないほど凶暴化するので、女子にとっては特に危険だ。

 一通りカメラが壊れるまでの状況を説明すると、カメラの状態を確認したいとのことなので、持ってきていた壊れたカメラを店員に渡す。私たちの前でカメラを開け、中身を確認していたけれど、どうもパーツの一部が破損しているらしく、電源がうまく入らないようになってしまったとのことだった。

 修理代だけれど、こういう電化製品はたいてい保証書がついているらしく、佐倉さんのデジカメもそれがあれば無償で修理できるらしい。

 幸い佐倉さんはしっかりと保証書を持ってきていたので、ポイントを支払う必要はなくなった。あとは必要事項を記入して終わりのようで、店員が一枚の紙を差し出してくる。

 一見、マニュアル通りに応対する店員と生徒の何の変哲もないやり取り。あとは震える手でペンを握った佐倉さんが必要事項を――氏名、電話番号、寮の部屋番号を書けばそれで無事やり取りは終了。

 

「ちょっといいか?」

 

「えっ?」

 

 目を強くつむった佐倉さんが、意を決した様子でペンを走らせようとしたその瞬間、いつのまにやら戻ってきていた綾小路君が半ば奪うように佐倉さんからペンを取り上げ、自分の氏名などを必要事項として紙に書き記していく。

 

「ちょ、ちょっと! 困るよ君」

 

「この保証書はこのカメラの購入者がこの子であることを証明していますし、法的な問題はどこにもないですよね? 修理が終わったらオレのところに連絡ください」

 

 有無を言わさず、店員に必要事項が記入された紙を差し戻す。

 

「それとも、彼女じゃなければなにか問題でも?」

 

「いや、そういうわけじゃないけどね……」

 

 店員は不服そうだったけれど、綾小路君の言う通り代理人を立てることには何の問題もないため、私たちは堂々と修理受付から立ち去る。

 肝心の佐倉さんだけれど、何とか危機を免れ、不安半分、安心半分といった感じで疲れ切った様子だったので、手近なベンチに座らせる。

 一息ついたことで落ち着いてきたらしく、ほうっと深いため息を吐いた。

 

「ありがとう、綾小路くん、黒華さん」

 

「ううん。私は何にもできなかったから。私からもありがとうね、綾小路君」

 

「礼を言われるほどじゃない。それにしても、すごい店員だったな。男のオレでも正直ゾッとしたぞ」

 

「ちょっと気持ち悪い、よね?」

 

「ちょっとっていうか、100%キモイと思うけどね」

 

 こういう時、女子はたいてい愚痴で盛り上がる生き物だけれど、佐倉さんはそういう生態ではないのであの店員の話はここで終わる。やることは終わったので解散してもいいけれど、せっかくの機会なので多少話してから帰ることにした。

 

「修理までは2週間って言ってたよね。その時も私たちも一緒に行こうか」

 

「い、いいの?」

 

「いいよこれくらい。佐倉さんみたいなレアキャラと仲良くなるチャンスだし。ねっ綾小路君」

 

「レアキャラ……」

 

「まぁそうだな。基本暇だしこれくらいは」

 

 2つ返事で綾小路君も了承する。堀北さんと絡むときは何かと面倒がる彼だけど、こういった誘いは意外とすんなり引き受けてくれる。まぁ自分で言ってたように暇なんでしょうきっと。

 

「……ありがとう、2人とも」

 

 感謝の言葉と同時に、私たちに頭を下げる。当初の敬語もいつのまにかなくなり、多少なりとも私たちに心を開いたみたいだ。実際、私のことを見る「目」も変わっている。

 このとき、私は確信していた。今、佐倉さんに暴行事件の件を問いただせば、必ず答えてくれると。正直な話、佐倉さんが目撃者として名乗り出てくれるかどうかはもはやどうでもいい。どうでもいい、が、それとは別に、今回のケースは佐倉さんからの信頼度を稼ぐいいケースだ。私が佐倉さんをレアキャラなんて表現したのは、一番信頼を得難いタイプの人間だからだ。

 女子は特にそうだけど、人は基本、群れる生き物だ。だから人はみんな高校に行く際、『高校 友達 作り方』と検索して一緒に過ごすことができる仲間を探す。

 そういった人から信頼を得るにはどうすればいいか、簡単だ。親切で優しくて、一緒にいて楽しくて、それでいて頼りがいのある優れた人間を演じればいい。どれかが欠けていてはダメ。すべてをそろえている必要がある。その際自分の能力を抑える必要なんて一切ない。「出る杭は打たれる」なんてことわざがあるけれど、私に言わせればあれは一部間違いだ。人より多少優れているだけの人間は確かに嫉妬や反感を買うかもしれない。けどそれは「優れた」の程度が低いから、視野を広げればどんぐりの背比べに他ならないから。けど世にいう「天才」は違う。バカみたいに長い杭を打とうと思っても、最後まで打ち切ることは難しいし、そもそも手が届かない。圧倒的な個人が集めるのは嫉妬や反感ではなく「羨望」と「恭敬」だ。

 もちろん中には本気で1人のほうが好きだという人もいるけれど、そういった人は少数だし、あくまでも個人で仲良くやれば簡単に信頼を得ることができる。根本的な方法は何も変わらない。

 けれど佐倉さんのような、人付き合いそのものを拒絶してくるタイプは如何ともしがたい。接触それ自体を拒まれては、信頼も何もない。だから、こういったきっかけが必ず必要になる。だからこの貴重な機会を必ずものにしなければならないのだ。罪悪感に苛まれる佐倉さんの心を解きほぐし、暴行事件を颯爽と解決する。そうすれば、佐倉さんは完全に私に心を開く。生徒会の仕事なんかよりも、こちらのほうが何百倍も重要な仕事、いや、使命だ。

 

「じゃ、用事も済んだし、お開きにしようか」

 

 立ち上がり、率先して今回のショッピングの終わりを告げる。考えていたこととまるで真逆の言動だけれど、これでいい。これがいいのだ。

 

「そうだな、帰るか」

 

 綾小路君も立ち上がり、佐倉さんただ1人が座ったままの状況が出来上がる。私と綾小路君が佐倉さんを見つめる目、本人にはどう見えているんだろうか。

 

「あ、あの……」

 

 勇気を振り絞って出した声。続きを促すようなことはしない。あくまで本人にしゃべらせる。

 

「須藤君のこと。わ、私にも協力できるかもしれない」

 

 須藤君の暴行事件、その目撃者であったことを告げた。その告白に私と綾小路君は顔を見合わせ、上げた腰をまたベンチにおろした。

 

「つまり、佐倉が今回の暴行事件の目撃者だってことだよな?」

 

 確認する綾小路君の言葉に、小さくうなずく。

 

「佐倉さん、無理しちゃダメって言いたいけれど、須藤君のためにも、クラスのためにも、目撃者を放っておくことはできない。佐倉さんが見たすべてを、少なくとも私たち2人に話してもらうことになる。いいよね?」

 

 ただ親切なだけの少女を演じるつもりはない。私はクラスのリーダー、時にはなけなしの勇気を振り絞ってもらうことも仕事の1つ。

 その後、佐倉さんが事件現場で見た光景をぽつりぽつりと語ってくれた。

 写真を撮りに特別棟に行くと、須藤君とDクラスの男子生徒3名が揉めていることに気づいたこと。須藤君はあくまでもDクラスの挑発を無視しようとしていたけれど、私を出汁にした脅迫にキレて殴りかかったこと。Dクラスの生徒は須藤君にボコされるがままで、最後に「大変なことになる」そう言い残し消えていったこと。

 須藤君の話した内容と概ね一致している。問題はなさそうだけれど、1つ気になることがある。

 

「写真を撮りに特別棟に行ったんだよね?」

 

「うん。そうしたら須藤君たちが……」

 

「揉めていたと。佐倉さん、須藤君たちが争いあってるところの写真とか撮ってない?」

 

 仮にこのまま佐倉さんを目撃者として裁判に出頭させたとして、ただ口頭で「私は見た!」などとCクラスの生徒が主張しても、鼻で笑われるのがオチだ。監視カメラの映像を確認してもらえればわかるかもしれないが、特別棟は極端にカメラが少ない。頼りにするには少々心もとないのが現実なのだ。

 

「と、撮ってます。ほんとに、咄嗟に撮っておこうって」

 

「それはナイスすぎるよ佐倉さん。ちなみにその写真データは?」

 

「それが、あの……」

 

 申し訳なさそうな佐倉さんの目が、私を捉える。

 

「この前黒華さんとぶつかったときに、壊れちゃったみたいで――」

 

「おっ――」

 

 お前って言おうとしたのだろうか。綾小路君が複雑そうな視線を私に向けてくる。やめろ、そんな目で私を見るな。私だって今、申し訳なさと恥ずかしさでいっぱいなんだ。あれだけ佐倉さんからの信頼がどうとか考えておいて、このオチはあまりにも始末が悪い。

 

「――ごめんなさい! 佐倉さんに負担をかけておいて、こんなっ、こんな……」

 

「や、わたしは大丈夫なんだけど――。あの、写真がないとダメなの?」

 

「ダメってことはないが……。佐倉の証言を信じてくれるかはかなり怪しくなるだろうな」

 

「というか、間違いなく信用しない。堀北会長はそんなに甘い人じゃないし」

 

 私がいようがいまいが、間違いなく有罪判決を下す。

 こりゃ予定変更しなけりゃどうにもならないかな。一度生徒会を仲介した裁判を経ないと、必要な圧力が弱まるため、第一審は必ず受けたかったけれど、第一審が始まる=Cクラスの敗北がほぼほぼ確定してしまった、ほかならぬ私のせいで。

 裁判は来週の火曜日、つまり3日後だ。それまでに何としてでもDクラスの訴えを取り下げさせる必要がある。それしか須藤君を無傷で守る方法は存在しないのだ。この事件の裏にいるであろう龍園君は相当な曲者だと予想されるけど、やるしかない。

 

「とにかく、ありがとう佐倉さん。けど、ここでの会話はとりあえず秘密にしておいてほしいの。佐倉さんが目撃者だって大々的に言っちゃうと、クラスのみんなからの負担も大きくなっちゃうし」

 

「黒華も多少なりとも責められるだろうしな」

 

 余計なことを吐き出す綾小路君の口を空手チョップで黙らせ、今日のお出かけは終了した。



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19話 嵐の前触れ

 月曜日の放課後、私は1人カラオケの一室にいた。須藤君の命運を分ける裁判、それを翌日に控えた私がカラオケなんていう高校生御用達の遊び場にいるのだから、明日の裁判は余裕! Dクラスなんざ軽く叩き潰してやるぜ! そんな雰囲気がCクラスには漂っていたと思うかもしれない。

 

「ま、そんなことは全然なかったケド」

 

 Bクラスの一之瀬さんも学校の掲示板(ネットと階段の踊り場のところの両方)を使った情報収集を行っていたようだけれど、まぁ、裁判で多少有力な証言となることがあっても、大勢には影響しないだろうものばかりだ。PPまで使って協力してくれたのに対しては冷たい意見のようだけれど、結末が変わらなければ意味がない。何も対策できないままのCクラスは相当焦っているのが現状、まぁ9割ぐらい私のせいなんだけど。

 せっかく佐倉さんが自分が目撃者と明かしてくれたが、そのことはクラスには話していない。これは犯行現場を押さえた写真の入ったメモリーカードを私が壊してしまったことを隠すためじゃなく、佐倉さんにかかる負担をなるべく軽減するためだ。今佐倉さんが目撃者だと話せば、なぜ今まで黙っていたんだという声が必ず出てくる、しかしすべてが終わった後に、例えば「実は佐倉さんが目撃者だというのは知っていたけれど、証拠がなく(実際には私が壊してしまったわけだが)、裁判に出頭させても有力な証言とみなされず、それどころかCクラス内で急場で目撃者に仕立て上げたのだと怪しまれてしまう。だから佐倉さんが目撃者であることは今まで伏せていた」とでも言えば、それなら仕方ないと皆納得するはずだ。ついでに私が佐倉さんの証拠能力を潰してしまったことを隠蔽できる。一石二鳥というヤツだ。

 それがCクラスの表面上の現状だ。『表面上』というのは、すでに私たちCクラスが勝つことが決まっているから。これから重要なのは、この勝利を餌に、どれだけの譲歩をDクラスから引き出せるか、それだけだ。

 

「何か飲むか」

 

 待ち合わせの時間まであと1時間はある。意図しない臨時の収入も入ったため、多少の贅沢くらいなら今の私にもできる。つい最近まではほとんど無一文に近かったからね。金銭的に余裕があるってやっぱり素晴らしい。

 飲み物にジンジャエールを、フードメニューからフライドポテトとチキンナゲット、鳥の軟骨唐揚げ、あとシーザーサラダを注文する。こうして見てみると、フードメニューも結構充実してるな。それに枝豆とかキャベツの塩昆布和えとか、明らかにアルコールと一緒にいただくやつも数種類ある。もしかしなくとも、教師陣がここでお酒を飲みながら大熱唱なんてこともあるのかもしれない。

 実はカラオケには生まれて初めて来た。私の地元は田舎も田舎でそんな施設はなかったし、この学校に来てからはカラオケのお誘いは全て断っている。マスクを外す必要があるというのもあるけれど、そもそも私は歌というものが好きじゃない。一応みんなとの話についていくために、流行りの曲なんかは聴くようにしているけれど、その時間はハッキリ言って苦痛の時間と言ってもいい。

 

「嫌なこと思い出したな」

 

 ただこれから会う人物のことを考えればカラオケ以外に選択肢は存在しなかったのだ。それぞれの部屋にはカメラはついていないがけれど、入り口にはちゃんとついているし、何よりも利用にはプライベートポイントが必要――つまり、誰がいつ利用したかの記録が必ず残る。これは大多数の人間にとっては重要なことだ。

 注文した食事の数々はいつの間にか消え去っていたため、追加で4種類ほど注文し、ドリンクもお代わりする。ストレス発散には暴飲暴食が一番だ。太るし肌も荒れるが、まぁ私はまだピチピチの10代なのですから、なんとかなるでしょう。

 そんな無駄なことに思考を割き、時間を潰す。待ち合わせの時間は午後5時。遅れてくるかと思っていたけれど、むしろ逆、待ち人は集合時間10分前にやってきた。外から扉が開き、浮かれ切った顔を覗かせる。

 

「櫛田ちゃーん、大事な話って……あ?」

 

 石崎大地。桔梗ちゃんに頼んで、呼び出してもらったDクラスの生徒で、今回の暴行事件の関係者だ。桔梗ちゃん『大事な話があるの』という内容のメールを送ってもらって誘い出してもらった。待っているはずの桔梗ちゃんの姿がなく、私が部屋にいることに不機嫌そうに顔を歪める。それにしても、1人で来たか。ちょっと意外だったな。

 

「なんでお前がここにいんだよ」

 

「とりあえず座ったら?」

 

「チッ騙したのかよ。俺は帰るぞ」

 

 閉じたばかりのドアをまた開き、背を向ける。

 

「帰る? それはやめといたほうがいいよ。退学したくないならね」

 

「退学? ハッ、バカなこと言ってんじゃねえよ」

 

 思ってた反応と違ったけど、石倉君は一度ソファに腰を下ろし、そして見下すように私を嗤った。

 

「退学すんのはお前ンところの須藤さ。さんざん痛めつけられたからな。見てみろよ」

 

 ぺちぺちと、顔に張り付けた絆創膏をたたいて怪我のほどをアピールしてくる。初めて会う女子になぜここまで敵愾心を見せるとはね。人に恨まれたり敵意を向けられるのは生まれて初めてのことで新鮮だ。

 

「俺に訴えを取り下げてほしくてこうやって接触してきたんだろうが無駄だったな。俺は訴えを取り下げねえ」

 

 もしかしなくとも、龍園君のほうから、Cクラスが接触してくる可能性について石崎君に伝えていたのかもしれないな。まぁ、それはもはや関係ないことだ。

 

「絶対に?」

 

「当たり前だろ」

 

「ふぅん」

 

 このまま雑談を続けてもらちが明かないし、石崎君もそろそろ帰ってしまうだろう。私を敵視している視線を向けながらも、強く警戒している。時間も怪しいし、さっそく始めることにする。

 

「『なぁ、今回の事件ってマジで須藤のヤツが起こしたのか?』」

 

「気味悪いやつだな、急にどうした?」

 

 怪訝そうな石崎君を無視して続ける。

 

「だから何回もそう言ってんだろ。つか今話すことでもねえだろ。それで次が、龍園さんにも口止めされてるし、詮索すんのはやめといたほうがいいぞマジで、だっけ」

 

「お前……」

 

「『でもさ、案外たいしたことないのかもね、あのマスク女も。』『だな。Dクラスの不良品どもには、もう一回底辺に戻ってもらわねえ』とこんな感じで始まったよね」

 

 ここまで言えば、石崎君も嫌でも理解する。

 

「もうわかった? 昨日、石崎君たちがこの部屋でした今の一連の会話――あれ、全部録音してあるんだよ。意味わかる?」

 

「なんで――。櫛田ちゃんは――」

 

「私レベルになると、クラスメイトの弱みの1つや2つは握れるんだよ。どうせそっちも似たようなもんでしょ」

 

 Cクラスの天使に騙されたことにショックを受けている様子の石崎君。こうやってあくまでも桔梗ちゃん自ら動いて石崎君を騙したのではなく、私の指示、いや脅迫を受けて動いたものだと思い込ませる。そういう約束だし、Dクラス内で桔梗ちゃんの評価が急低下するのは避けたいところ。同じような手段はとれないだろうけれど、他クラスの子とも仲良くできる生徒は貴重だ。

 先の録音ファイルはもちろん、桔梗ちゃんの協力ありきで手に入れたものだ。昨日の日曜日、桔梗ちゃんに石崎君含むDクラス生徒とカラオケに行ってもらって――で、まぁ私がいろいろ手を打った。

 

 そういってテーブルの上に私の端末を放る。画面に表示されているのはとある録音ファイルの再生ボタン。押せば、昨日日曜日、石崎君たちが今回の暴行事件を仕組んで起こしたことを認める旨の会話が流れる。石崎君は、私が無防備に携帯を置くのを見るや否や、手に取り、録音ファイルを削除する。もちろんその行為には何の意味もない。当然ファイル自体はコピーしてクラウド上に保存済みだ。削除できるのは私だけ。

 

「こ、これで――!」

 

「そんなことしても意味ないってわかってるでしょ? 録音ファイルはとっくに別の場所に保管済み。ここから出ていくっていうなら私はこの録音ファイルを提供し、学校中を巻き込んだ陰謀をDクラスが謀ったことを遠慮なく学校に報告する。ただの暴行事件ならともかく、生徒会まで巻き込んだんだ。相当重いペナルティが課されるだろうね。十中八九退学だ」

 

 冷たく言い放ち、携帯を回収してポケットにしまう。

 他の一般生徒が同じことを言っても何の根拠もない憶測になるけれど、私は違う。今のところ唯一の生徒会役員で、私が『退学になる』と言えば『そうなのかもしれない』と判断する。あぁ実はこの程度では退学にはならないのでそんな心配は無用なんだけれど、もちろんそのことを明かすつもりはない。

 冷や汗を浮かべた石崎君に、私は改めて向き直った。

 

「じゃ、話をしようか」

 

「待て、待ってくれ。一本電話を入れされてくれ」

 

「はぁ、まぁいいよ」

 

 どうせ相手は十中八九龍園君だ。電話をかけながら部屋を出ていく石崎君。話をしようか、などと言ったけど、石崎君と話すことは実はもうなくなった。

 もともと石崎君1人だけを呼んだのは、龍園君が彼を手駒としてどれほどコントロールしているのか知りたかったから女子とのお遊び1つとっても管理しているのか、それとも有事の際以外は好きに過ごさせているのか。今回桔梗ちゃんからのお誘いメールに石崎君1人で来たことから、龍園君は後者のスタイルでほぼ確定した。まぁ石崎君が仮にも敵対しているCクラスからのメールを龍園君に報告していない可能性や、龍園君が桔梗ちゃんからのメールに何の意図も感じ取れない愚図という可能性もあるけれど、前者はまぁまずありえない。中間テストの際、誰よりも早く私に見張りをつけた龍園君なら、係争中のCクラスから接触があった場合必ず報告させるようにしているはずだし、後者ならもはや龍園君を敵認定する必要すらなくなる。

 石崎君の電話は5分もすれば終わったようで、すぐに部屋に戻ってきた。顔を真っ青にしながら、龍園君がすぐに来る旨を伝えてくる。たぶんお叱りを受けることも伝えられたんだろうな。

 

「何か歌う?」

 

 敵対しているCクラスのリーダーには脅迫され、龍園君にもおそらくお叱りを受けることが確定し、石崎君は顔を下に向けて項垂れていた。見ていられないので声をかけたが、力なく首を横に振るだけ。私にはそんな石崎君の様子が少し興味深かった。

 退学の危機を私から聞いた時よりも、龍園君に電話した後のほうが、明らかに精神的に悪化している。つまり、退学よりも龍園君からのお叱りのほうが恐怖心が勝っているのだ。龍園君は石崎君含むDクラスを暴力でもって支配している、文字通りの暴君だが、単なる暴力――つまりは付随して発生する痛みだけでそれほどの恐怖心を抱くものなんだろうか。

 突き抜けた暴力――自他ともに顧みないそれの恐ろしさは知っているけれど、あくまでも一不良に過ぎない龍園君にそこまでの力があるんだろうか。

 もともと高かった龍園君への警戒度をさらに引き上げながら、到着を待つこと10分。扉がゆっくりと開き、この場の空気にはあまりに不釣り合いな、賑やかな音楽が外から流れ込んでくる。まず姿を見せたのはDクラスの山田アルベルト君、黒人の大男で、たぶん1年生で断トツで特徴的な生徒なので、顔と名前が一致すれば嫌でも忘れないだろう。扉を開き、中に入った彼はまるで執事のように外の人間を招き入れる。やってきたのは、もちろん龍園君だ。何も言わず、私に視線を向けることもなく、まっすぐに石崎君を見つめる。その内なる感情を表情から読み取ることはできない。

 

「龍園さん……」

 

「そのまま座ってろ」

 

 席でも譲ろうとしたのか知らないけれど、立ち上がろうとした石崎君を龍園君が座らせる。そのまま彼もソファに腰を下ろした。アルベルト君は出入り口を塞ぐように立ったまま。嫌な感じだ。

 

「じゃあ――」

 

 話を進めようとした矢先、龍園君は素早く手を伸ばし、石崎君の頭をつかんだ。そしてテーブルの上に並べてあった空き皿へと何の躊躇もなく思い切り叩きつける。

 

「ガアアアア!?」

 

 痛みに悲鳴を上げる石崎君。テーブルの上のほかの皿やグラスなんかも一瞬浮き上がるほどの威力。当然皿は割れるし、破片も石崎君の顔に突き刺さる。目に刺されば失明の恐れすらある行為だったけど、龍園君はそんなことは気にも留めてないのか、ボロボロになった石崎君の顔を無理矢理上げさせると、そのまま強烈なパンチを顔面にお見舞いする。気を失ってもおかしくない程強いパンチに見えたけど、石崎君はぎりぎりのところで意識を保っている様子。酷い怪我だけど、これどうやって学校に言い訳するんだろ。

 

「石崎、お前の失態に対する罰はこの程度じゃ済まさねえからな」

 

 吐き捨てると、そこで石崎君を開放する。アルベルト君は龍園君を止めようとする素振りすら見せなかった。龍園君がDクラスを支配したその過程。その一部をまざまざと見せつけられたような気がする。

 

「さて――」

 

 ここで龍園君はようやく私を見た。

 

「俺に話があるそうだなマスク女」

 

 要件なんてわかりきっているだろうに、そんな無駄な会話を挟んでくる。先の石崎君への暴行にしても、わざわざ他クラスの私の目の前でやる必要なんてどこにもない。仮に私がこの部屋に隠しカメラなんかを仕掛けていれば、今の過激な暴力行為が明るみになる可能性すらある。龍園君がそのことを考慮していないとは思えない。つまり、私の前で石崎君を躾けたのは目的があったから。自分が女すら本気で殴れるような男だと暗に伝えるため、そしてそれに付随する恐怖心を私に植え付けるため。ぐしゃぐしゃになった石崎君の顔を上げさせているのも、その一環だろう。精神的有利をとるために、小細工は惜しまない性質の人間。

 けれど有利なのは俄然、Dクラスの陰謀の証拠を握っている私のほうだ。仮に龍園君お得意の暴力でもって私を支配しようとしても、監視カメラとカラオケの利用履歴から、私と龍園君たちが同じ部屋にいることは簡単に調べられる。つまり仮に私が暴行されたとして、そのことはすぐに明るみに出る。恐れる必要はどこにもない。

 

「Cクラスへの訴えを取り下げてほしいんだよ」

 

「ま、須藤のバカを無傷で守り通すにはその方法しかないからな。だが――」

 

 龍園君は一度そこで言葉を区切ると、前のめりになって私を見てきた。私に陰謀の証拠を握られた今の龍園君は、首にナイフを突きつけられた状態のようなもの。だけどそれを感じさせるような要素もなく、ただ不敵な笑みだけを顔に浮かべている。

 

「訴えは取り下げさせない。絶対にな」

 

 そう言い放つ。

 

「あの、事態をちゃんと把握してる? 私は龍園君たちが須藤君を罠にかけ、暴力行為を引き出した、その確固たる証拠を持ってるんだよ。石崎君から聞いたでしょ?」

 

 そうでもなければ龍園君はここには来ない。いや私が呼べば多分来るだろうけど、たっぷり遅刻するとかするはず。龍園君がどこにいたのか知らないけれど、寮からこのカラオケまでにはそれなりに距離がある。ゆっくり歩けば10分はかかるのだ。つまりアルベルト君まで伴っていた龍園君はそれなりに急いでここにやってきた。私の証拠が有力であることの証明だ。

 

「このまま訴えを取り下げないなら、私としてもこのことを学校に報告するしかなくなる。確かに陰謀ありきとはいえ、暴力行為に及んだ須藤君には罰が科されるだろうけど、それは予定していたものより軽度になるだろうし、なにより君たちには重いペナルティが科される。得をするのは私たちのほうだ」

 

 石崎君に話したのと同じ内容を龍園君に伝える。けれどそれで龍園君が表情を変えることはなかった。いや、むしろ笑みは深まっていく。

 

「ククッ、退学、退学か。そりゃ確かに恐ろしいなぁ。だが『この程度のこと』で退学なんて罰が下されるのか、俺には疑問なんだがな」

 

「私が生徒会役員なの知らないの?」

 

「確かに大多数のヤツは生徒会のお前から退学の危機を言い渡されたら、その通りだと思い込むだろうな。この学校の戦いもまだ最序盤だが、一般生徒の俺らとお前では、持ってる情報にはそれなりの差があんのも事実だろうさ。だが――」

 

 龍園君は一度そこで言葉を区切った。

 

「あの手この手でこの学校を探ってんのはお前だけじゃねえのさ。『仮に』今回の事件を俺らが計画したものだと学校が判断したとして、科せられる罰はせいぜいクラスポイントの減額ってことはわかってんのさ」

 

 まるでクラスポイントなんて重要じゃないかのように言って見せる龍園君。そして同時に学校側がどのような罰則を与えるかについても知っている。龍園君の言う通り、私が録音ファイルを暴露したとして、誰1人退学になることはない。須藤君と石崎君たちには共に一定期間の休学が命じられ、またDクラスからは50程度のクラスポイントが差し引かれるはず。私としてはこの罰則は十分重いものだと見ているけれど、龍園君はそう思ってはいないのかもしれない。

 私たちCクラスの勝利条件は、須藤君を無傷で守りきること。休学措置が命じられた時点で、須藤君がバスケの大会には出られなくなる可能性が極めて高くなる。それは私個人にとっても、クラスにとってもマイナスだ。龍園君はそのあたりのことをよくわかっている。

 

「はぁー……。思ったようにはいかないもんだね」

 

 ここで粘ってもこっちに得はない。両手を挙げ、この場は素直に降参する。

 

「龍園君の言う通り、こっちが録音ファイルを報告したところで、退学者は出ない」

 

 問題はその情報をどうやって入手したかだけど、その点はまた今度だ。

 

「けれどそうなればCクラスとDクラスの差はさらに広がることになる。それはそっちも望むところじゃないでしょ? もしこの事件を今日中に解決しないなら、明日から私たちとそっちで戦争開始だ」

 

 ただでさえABクラスとCDクラスの差は激しいというのに、下位クラスで足の引っ張り合いが始まってしまう。Aクラスからすれば(特に坂柳さんからすれば)お笑いものになるだろう。

 

「俺はそれでもかまわねえが?」

 

「私は嫌だ。ハッキリ言ってこれ以上あなたたちにダル絡みされるのはゴメンだ。それにこれ以上Dクラスのポイントが下がるようなことがあれば、結果を出せていない龍園君の支配体制も揺らぐことになる。それは得策じゃないでしょ?」

 

 牽制とともに、それなりの被害を受けているという弱みもアピールしておく。龍園君がそれで満足するタイプかと言われれば非常に怪しいけれど、ないよりマシだ。

 

「Cクラスからは証拠となる全録音ファイルの削除、Dクラスからは訴えの取り下げ。これで手を打とう」

 

 契約書としてこの内容をしたためて、これでこの秘密の秘密の会合は終わり。そう思っていた私だったけれど、龍園君は首を縦に振らなかった。

 

「悪いがそりゃ無理な相談だな」

 

「ハァ? 何を言って――」

 

 続きを遮るように、龍園君が強くテーブルを叩く。バンッ! という強い音に私の言葉はかき消された。先ほどまで浮かべていた笑みはすっかり消え去り、怖い顔で私を睨みつける。

 

「さっきからおとなしく聞いてやったが、お前は俺を相手が女なら何もしねえとでも思ってんのか? お前にめんどくせえ武器を渡したのは事実なわけだ。ならいっそ、学校の規則やモラルなんて関係なく、反抗する気力も失せるほど、徹底的にお前をぶち壊してやる選択肢もあるんだぜ」

 

 つまりは龍園君お得意の暴力でもって、私を封じ込めるということ。

 

「何をする気?」

 

「ここでお前が屈服するまで痛めつけて、録音ファイルを消させるように命じる。ついでに今録ってるだろう録音もな」

 

 それぐらいは流石にお見通しか。

 

「選択肢として存在することと、実際に実行可能かどうかは話が違うよ?」

 

 龍園君の言葉がどこまで本気なのかわからなかったけど、私はあえて乗ってみることにした。

 

「アルベルト――」

 

 出入り口を塞ぐアルベルト君に、そう短く命ずる。当の本人は見るからにか弱そうな女子に暴力をふるうのはあまり気が進まないのか、緩慢な動きで私に近づき、丸太と見まがうような太い腕を伸ばしてきた。が、その腕が私に届くことはない。あと数センチ伸ばせば私の首を掴むことができるだろう位置で不自然に止まる。

 

「遠慮することはねえアルベルト。やれ」

 

「No, it doesn't work」

 

 伸ばした腕を引っ込めては伸ばし、引っ込めては伸ばしを繰り返す。間抜けな動作だけど、サングラス越しでも、アルベルト君が本気で困惑している様子なのがわかる。

 

「自慢じゃないけど、私生まれてから人に暴力ってものを振るわれたことがないの」

 

 そう言って龍園に笑いかけた途端に、私の横で甲高い音が鳴る。対面に座る龍園が私に向かってお皿を投げつけたからだ。けどその狙いは大きく外れ、飛び散った破片すら私には当たらない。その結果を見るや否や、龍園君はこちらに身を乗り出して私の胸倉を掴み取ろうとする。もちろん、その手が私に届くことはない。何もせずとも、相手のほうから手を止めてくれる。遠い近いは関係ない。私を傷つけようと思ったら、本当に手が滑っちゃったときとか、偶然による事故以外に不可能なのだ。

 龍園君には理解不能な絵面だったんだろう、不気味なものを見る目で私を見てきた。

 

「お前……何をしやがった? 気色の悪い女だ」

 

「女の子に使う言葉としては0点通り越してマイナスだね。じゃあ話を前に進めよう」

 

 龍園君の疑問は無視し、私はカバンから1枚のプリントを取り出す。今回の暴行事件を終息させる条件が書き連なれた契約書だ。

 私に暴力は通じないことを龍園君が理解した今、ようやく話し合いのスタートラインに立てるようになった。クラスポイントを犠牲にした特攻は龍園君の本意でもないため、この契約書にサインするしかなくなった。

 

「ク、クク」

 

 途中まで不機嫌そうに契約書を読んでいた龍園君だったけれど、急に愉快そうに笑いだす。その理由はただ1つ、いや3つか。

 

「お前正気か?」

 

 そう言って契約書をテーブルの上に滑らせる。書かれた内容は比較的シンプルなものだ。

 Dクラスは須藤君が起こした暴行事件の訴えを取り下げること。Cクラス黒華梨愛はDクラス龍園翔が指定した全録音ファイルを削除すること。そして――。

 

「正気も正気だよ。私たちCクラスと龍園君たちDクラスで同盟を結ぶ。て言っても、ただの不可侵条約みたいなもんだけどね」

 

 

 翌日の朝、かつての中間テスト当日の時のような、重苦しい空気をCクラスは孕んでいた。今回の暴行事件、須藤君の命運を分ける裁判が放課後にある予定だからだ。始業を告げるチャイムが鳴り、それと同時に茶柱先生が入ってくる。いつもと全く同じ光景、けれど、先生が湛える表情はいつもの鉄仮面と少し違った。

 

「朝のHRを始める前に、お前たちに1つ重要な連絡事項がある」

 

「なんすか重要な連絡って!? ただでさえ事件のせいで色々大変なのに!」

 

 いつも通り黙って話を聞けない池君。いつもならそんな態度を注意する茶柱先生だけど、今回は違った。池君とは目も合わせず、話を続ける。

 

「須藤の暴行事件の件だ。先日、Dクラスから訴えを取り下げる旨が伝えられた」

 

 先生の言葉を受け、クラスのみんなが動揺する。そんな中、平田君だけは事態を冷静に咀嚼し、そして結論にたどり着いた。

 

「それはつまり――須藤君が罰則を受けることはなくなった、ということでしょうか」

 

「そう思って構わない。真実がどうであれ、生徒同士で問題が解決したのなら我々学校側が干渉する問題でもないからな」

 

 つまり今回の件は一件落着。須藤君も無事に部活に復帰できるだろう。みんな、なぜDクラスが訴えを取り下げたのか、その点については疑問を持っている。けれど今重要なのは、事態は無事終息したということ。池君や山内君といった須藤君と仲のいい生徒が喜びを分かち合うのを確認し、私は1度教室に出た。先生の話がされてから、ちょこちょこ向けられる視線が気になったからだ。

 

「いったい何をしたの、梨愛ちゃん……」

 

 廊下に出てしばらくすると私の背中から声をかけてきた。今回の件は桔梗ちゃんも1枚嚙んでいるため、Dクラスが訴えを取り下げた裏に私の存在を見るのは至極当然のことだ。

 

「うーん、何をしたのか、か」

 

「私は梨愛ちゃんに頼まれて、日曜日に石崎くんたちをカラオケに誘った」

 

 私が先日電話で桔梗ちゃんに頼んだ内容を、思い返すかのように口にする。

 

「それで、ダメもとで訴えを取り下げられないか聞いてみてくれたんだよね」

 

「うん、でもダメだった。須藤くんにやられたって一点張りで、その話を全然したがらなかったし」

 

 それは私も知っている。

 

「梨愛ちゃんが関係してるんだよね?」

 

「そりゃあまぁ」

 

 特に隠すことでもないので素直に答える。

 

「……私には、須藤くんを守る方法なんて何も思い浮かばなかった――」

 

 普段は明るい桔梗ちゃんだけど、声のトーンを落とし、その表情に若干の陰りを見せる。

 

「梨愛ちゃんは――愛ちゃんはどれだけすごい子なの?」

 

 なんだか自分ではすごく答えにくい質問をされる。普段ならなんだかんだ言ってはぐらかすだろうけれど、桔梗ちゃんには手伝ってもらった恩義もあるし、ある程度種明かしをすることに決めた。

 

「じゃあ、今回私が何をしたのかをできるだけ話すよ。それでいい?」

 

 確認する私に、桔梗ちゃんは妙に重々しく頷いた。




 はい、というわけでまずはですね、何のご報告もなく失踪してしまい申し訳ありませんでした! そして御清覧ありがとうございます。

 とりあえずエタらないことを目標にこの二次創作を書かせていただいたのですが、2章という序盤も序盤で約半年音沙汰なくという状況になってしまいました。お恥ずかしい限りです……。
それとこれからの更新ですが、以前は週一更新と言っておりましたが、諸事情により不定期の更新となります。こればかりはどうしようもありません、どうかご容赦を。

 正直長い間書くことを辞めると熱が冷めるうえにそれ以外のやらなきゃいけないこと、やりたいことばかりが目に付くのも投稿が遅れてしまった理由となります。今になってアニメ2期を見て、また書きたくなったので時間を見つけて続きを書いたという感じです。

 こんな感じで責任感も何もない本二次創作ですが、次の投稿をお待ちしていただければ幸いです。それでは、アデュー!


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