IS あの宇宙へ (ねこボール)
しおりを挟む

第一章 vsセシリア・オルコット編
1話 夢見る男


スポ根要素はこの『第一章』と、『第三章後半 織斑一夏プロデビュー編』から強くなります。


 IS、インフィニット・ストラトス。

 女性にしか扱えないそれを()()()()()()()()()()()織斑一夏は、急遽IS学園の寮に隔離されることになった。

 そこはどの国家にも属さず、あらゆる組織や個人からの干渉を一切受けない、今の一夏からすれば世界で最も安全な場所だった。

 

「はぁ」

 

 ベッドで寝そべる一夏は、ため息をついて天井を眺める。

 

 何故、自分がこんな目に遭わなくてはいけないのだろう。

 

 ISに興味なんてないのに。

 もっとやりたいこととか、やってみたいこととか沢山あったのに。

 

 聞いた話によれば、一夏は世界でたった一人の男性IS操縦者だと言うことで、IS学園への入学が決定しているようだ。

 たった一人の、男子として。

 

「なんで俺なんだよ」

 

 憎かった。

 自分の進路や未来、身の回りを一瞬でぶち壊したISが。

 

 憎悪を抱きながら、友人たちとすら話せない日々を、しばらく過ごした。

 

「織斑君。君宛に幾つか手紙が来ているよ」

 

 ある日そう言われて渡されたのは、手紙の詰まったダンボールだった。

 結構な量の手紙だ。多分全部に目を通せば、五時間は余裕でかかるだろう。

 無気力な一夏は、しかし貰った物だし一枚くらいは読もうと思って、比較的小さな手紙を手に取った。

 

 内容はISについてなのだろうと一夏は考える。

 世界で唯一無二の男性IS操縦者なのだ。きっと送り主は、IS開発の企業とか、ISに詳しい人間とかなのだろう。

 あんな物のことなんて、正直文字ですら見たくなかった。

 期待することもなく、両面テープを剥がして紙を開いた。

 

『織斑一夏さんへ』

 

 ────この瞬間だった。

 憎悪と名付けられた蓋が開かれ、いつからか捨て去っていた情熱が蘇る。

 

「……そうだよな。そう、だったよな」

 

 織斑一夏は一つの夢を持ち。

 そして、何億も()()()()()()()その夢を背負うことを、

 

「……やってやる」

 

 決心した。

 

 

 IS学園、一年一組。新学期の初日のホームルーム。

 自己紹介の時間だったが、少女たちの視線と関心は彼一人に向けられていた。

 一夏の幼馴染である篠ノ之箒もまた、久しい顔をちらちらと窺っている。

 

「では織斑一夏君、自己紹介をお願いします」

「はい」

 

 萎縮や緊張を一切感じさせない顔付き。

 堂々とした態度で立ち上がった一夏は、簡単に自分のことを話し始める。

 誕生日や趣味を話すたびに、女子たちが盛り上がりを見せた。学園で一人しかいない異性のためか、事あるごとに楽しそうに反応していた。

 

 だが、次の瞬間。

 教室に静寂が訪れた。

 

()()は、IS操縦者のてっぺん……世界最強(ブリュンヒルデ)になることです」

 

 ────世界最強(ブリュンヒルデ)

 文字通り、IS操縦者の頂点に立った者に与えられる、最強の称号。

 世界でたった一人の男性操縦者が、それになると言ったのだ。

 女子たちや教師、何よりその称号を持つ自身の姉、織斑千冬の目の前で。

 

 堂々と。

 

 まるではるか先の小さな物体を、だが確かに捉えているかのような、鋭くブレない眼差しで。

 

 困惑と驚愕のあまり、数秒ほどの沈黙が置かれる。

 やがてふふ、と鼻で笑ったのは、一人の少女だった。

 

「面白いジョークですわ」

 

「あんたはイギリス代表候補生のセシリア・オルコットさんだな?」

 

「まぁ、よくご存知で」

 

 ロールのかかった金髪をいじるセシリアを、一夏が睨みつける。

 それは敵意というよりかは、巨大な壁をぶち壊そうとするような、決意の表れだった。

 

「そりゃそうだろ。まずはあんたを超えなきゃ、最強になんてなれっこないからな」

 

 直後、ブフ、っとクラス中が噴きだす。

 彼女らからすれば、一夏のそれはとんでもなく馬鹿げた発言だった。なにせなんの知識も技術も持たない者が、専用機を持つ国家代表候補生にケンカを売ったのだから。

 単純に、実力がかけ離れすぎている。

 

 ────ただ、箒と千冬だけは理解できていた。

 彼は冗談だとか挑発で言ったわけじゃない。

 本気でやる気だ。セシリアを倒すというのも、世界最強(ブリュンヒルデ)になるというのも、絶対に成し遂げるつもりだ。

 真っ赤な炎を灯した瞳が、何よりの証拠だった。

 

「織斑君、冗談きついよ~」

「織斑先生がなれたからって言っても、難しいと思うな」

「謝るなら今のうちだよ」

 

「かもな」

 

 一言。一夏はそれだけ言った。

 

 否定なんてどうだってよかった。周りが何と言おうが、関係なかった。

 成し遂げなければならない。

 人類でたった一人の、男性IS操縦者なのだから。

 成し遂げたい。

 男の中でただ一人、ISに乗ることを許されたのだから。

 

「さすがにおいたが過ぎますわね」

 

 セシリアは既に笑いを止めていた。

 毛先から指を離すと、ゆっくりと席から立ちあがる。

 

「入学試験で教官を倒したとは聞いてましたけど、わたくしまで倒せるとお思いで?」

「少なくとも俺は無理だなんて思ってないぜ。やってみなきゃ、何もわからねぇだろ」

「やってみなきゃ……そうですか。よろしいですわ」

 

 スッ、とセシリアが人差し指を一夏の心臓へ向ける。

 途端、ほんの一瞬だけ放たれた、強烈なプレッシャー。迫力も相まって、一夏はその人差し指がライフルの銃口なのではないかと錯覚してしまう。

 

「決闘ですわ。あなたの思い上がりと目標を潰して差し上げましょう」

 

 決闘。

 そのワードを待っていたと言わんばかりに、一夏が食いつく。

 

「良いぜ、やってやろうじゃねぇか」

「ハンデをつけてもよろしいですわよ?」

 

 一夏は理解できている。

 セシリアは決して自分を馬鹿にしているわけではない。

 実力と幾多の経験によって裏打ちされた自信が、彼女の言葉になったのだ。絶対に勝てるとわかっているから、せめて退屈しないよう、そして自分に悔いを残させないように、選択を与えたのだろう。

 

 なんて、下らない。

 

「そんなもんいらねぇよ」

 

 ハンデをつけてしまえば、それはもう戦いではなくなる。ただの接待だ。

 そんなものでセシリアを倒しても、勝利に意味はない。

 欲しいのは強敵を打ち倒したと言う意味のある勝利。強敵に備えて修業したと言う意味のある成長。そう言った、夢への第一歩。

 

「あら、そうですか。ではせいぜい頑張ってくださいな」

 

「おう……ッ!」

 

 ハンデ無しの一対一。

 IS操縦ほぼ未経験の男性操縦者vs専用機持ちのイギリス代表候補生。

 明確に見える結末と、それでも挑もうとする男。困惑に困惑が重なって、クラス中がどよめいた。

 しかし、教室の隅で佇んでいた千冬だけは、不敵に微笑んでいた。

 

 決闘宣言によって重くなった雰囲気は、一日中続いた。

 

 ◇

 

 剣道部の道場で鈍い音が響く。

 竹刀を握った箒と一夏が対峙していた。切先で次の動きを探り合い、踏み込み、竹刀を振るう。

 息を切らしていたのは一夏だった。面の隙間から見える瞳は闘志に満ちているものの、肉体は限界を迎えていた。

 だが箒は油断も情けも見せず、篠ノ之流の剣術を披露する。

 一夏の頭が弾かれ、胴が叩かれ。被弾が増えてきた所で、待ったをかけたのは箒だった。

 

「もうやめておこう。久々なのだろう?」

「はぁ、はぁ。悪りぃ、あと一回頼む」

「う、うむ」

 

 箒は立ち上がった一夏を呆気なく葬ってやった。

 終わりに互いが一礼。頭を上げたと同時に、一夏が大きなため息をついて座り込んだ。

 

「クッソ〜!めちゃんこ弱くなってるよなこれ」

「あぁ。はっきり言ってクソ雑魚だ」

「あと二週間で勘戻せるかな?」

「ふふ。やってみなきゃ分からん、と言う台詞は誰のだったかな」

「こりゃ一本取られた」

 

 面を取った箒は汗を拭き取って、一夏の隣に座る。

 一夏も面を取って、箒に顔を向ける。ただ、箒が恥ずかしそうに目を逸らしたのは気づけなかった。

 

「久しぶりだよなーマジで」

「あ、あぁ」

「箒がいてくれて良かった。めっちゃ心強いし安心できるわ」

「そうか。うむ、そうか!」

 

 離れ離れになってはや六年。

 まさかのIS学園での再会に、二人とも驚いていた。

 

 だが、驚きの度合いで言えば箒の方がずっと大きい。

 一夏が、自分の知らない間に変わっていたのだから。

 昔は限りなく不可能に近い目標を、それでも堂々と人前で言ってのけるような男ではなかった。

 実力差のある敵に自ら立ち向かうような男でもなかった。

 

「一夏。良かったら教えてくれないか?お前が世界最強を目指す理由を」

 

 興味が湧いた。新しい一夏にも、惹かれていた自分がいた。

 一夏は照れ臭そうに笑ってから、少しだけ考え込んだ。

 

「……結構恥ずかしいから他の人には言うなよ?」

 

 即答。箒は勿論だと答えてやった。

 一夏はありがとうと返事して、話を始める。

 

「俺さ、最初はめっちゃISのこと嫌だったんだよ。自分の未来とか身の回りのこととかぶっ壊してきてさ。

 訳分からないまま勝手に今後のこと決められて、あーだこーだ指示されて。ISのために生きてる訳じゃねぇんだぞ、って」

 

 凄く、共感した。

 箒も同じような境遇だったから。

 姉がISを開発したせいで、一夏や友人と別れてしまった過去があるから。生活を滅茶苦茶にされた苦い経験をしていたから。

 

「でも……この前、手紙もらったんだよ」

「手紙?」

「うん。ISの企業の人とか研究してる人から」

 

 実物は寮の部屋にあることを付け加えてから、彼は内容に触れた。

 

「見てみたら……なんて言うか、悲しいこといっぱい書いてあったんだよ。

『自分は空に飛びたかったけど、出来なかった』とか『ISに乗れないのは分かっていても、いつか飛べると信じて研究してる』とかさ。

『街中を歩いてる女性はみんなISに乗れるけど乗ってない。でも自分は乗りたいのに乗れない』ってのは結構心に来るものがあったよ」

 

 少しだけ、一夏は悲しそうに俯く。

 箒は彼を見つめたまま、黙って聞き続ける。

 

「みんな空を飛びたいとか、ロボットに乗りたいとか、ロボットに乗って戦ってみたいって夢を持ってた。()()()()()()()()()()()()()を、な。

 でもそれを諦めてきた。どれだけ頑張ったって、叶わないと知ってしまって。ISは女性にしか乗れないから、って」

 

 一夏が拳を作る。

 グッと。力を強く入れているのか、小刻みに震える。

 

「でも、俺はどうだ?

 理由はよく分からないけど、ISに乗れるんだよ。ISに乗って空を飛べるし、どんぱち戦える。

 夢を持ってた人からすれば、俺って凄く羨ましい人間だったんだよ」

 

 それから一夏は、教室で見せたような、真っ直ぐな眼差しを箒へ向けた。

 箒の鼓動が、僅かに早まる。

 

「あの人たちの手紙を見て、俺も小さい頃から空を飛びたいとかロボットで戦いたいって夢を持ってたことを、思い出せたんだ」

 

 ────『カッケ〜!』

 ────『俺も飛んでみたい!』

 ────『俺も戦ってみたい!』

 

 いつからか、夢見ていた。

 アニメや特撮やSF映画のような、現実になり得ない空想と呼ばれた世界に、憧れていた。

 自分も、あの世界に飛び込みたいと思った。

 それは、人種も価値観も関係なく世界中の男子が一度は思い描く、無限の可能性を秘めた世界だった。

 

 人生を歩んで現実を知った彼らに、捨てられる世界だった。

 

 今、自分は、誰もが夢見て捨てたその世界に、飛び羽ばたこうとしている。

 今、いい歳しておきながら、一夏のガキンチョみたいに純粋で真っ直ぐな瞳は、その世界をもう一度映していた。

 

 ────『自分勝手で失礼なのは承知ですが、お願いです。夢を託させてください』

 ────『織斑さんが空を飛ぶ姿を、いつか我々に見せてください』

 ────『男の浪漫と夢を、この世界に羽ばたかせてくれ!』

 ────『君は私たち男性の代表なんです!胸を張ってください!ずっと応援してます!』

 

 瞼の裏で、言葉の数々を思い出す。

 

 託されたのだ。

 男の夢を。

 男なら誰もが一度は描き、しかし諦めていった夢を。

 贅沢なことに、世界で唯一のISに乗れる男だから。

 

 思い出したのだ。

 そう言えば自分も、夢を持っていたことを。

 現実ばかり見るようになって気付いたら捨てちまっていた、あの大きな夢を。

 

「思い出したらさ、すげぇ我儘だけど、夢を捨てきれなくなったんだよ。

 だって、俺なら出来るかもしれないんだぜ?ISに乗って、空を飛んだりアニメみたいに戦ったりさ!

 俺なら……俺だけが!」

 

 だから!と一夏は力強い声で捲し立てる。

 

「成し遂げたいって、俺が成し遂げなきゃならないって思ったんだ。世界でたった一人、俺が出来るから」

 

 一夏は空を見上げる。天井のはるか先の空を。

 無限の成層圏(インフィニット・ストラトス)を。

 いつか思いっきり飛びたい、あの宇宙(そら)を!

 

「みんなが託してくれた夢を背負って、世界最強になって、宇宙(そら)を飛ぶ。それが今の俺の……()なんだ」

 

 無邪気な瞳だった。キラキラと、純心な子どものように煌めいていた。

 幸せそうに、口角を上げていた。

 その手は絶対に夢を掴んでみせると言うかのように、固く握られていた。

 

「一夏……」

「ま、そのための第一歩が二週間後の試合って訳よ」

 

 一夏はてきぱきと防具を脱ぎ出す。

 

「それに多分、代表候補生を倒したとか、接戦したって話が広がれば、俺の宣伝効果もあるだろうしすぐに日本の代表候補に選ばれると思うんだ。

 理想はこれ。っつか、日本代表候補生になるのが第一通過点だしな」

「そう言えば、四組に日本代表候補生がいたような」

「更識簪さんだろ?あの人もいつか超えなきゃいけねぇな」

 

 防具と竹刀を片付けた二人は、簡単に雑巾掛けを始める。

 きつく絞った雑巾で、地面を拭いていく。箒は何か話題を振ろうとしたが、結局何も言い出せなかった。

 一方、一夏は頭と身体に馴染ませるように、箒に聞こえない声でIS操縦の基礎を復唱していた。「理論は感覚を助ける」と千冬に言われてから、彼の中でそれは格言となっていた。

 

「うっし終わり!じゃぁ俺アリーナ行ってくる」

「アリーナ?」

「おう、下見だ。()()()()()()()()()()()()()、戦いを想定出来ないからさ。んじゃ!」

 

 一夏は足早に道場を去って行った。

 彼の背中を見送ってから、箒は静かにシャワーを浴びる。

 汗と疲労が水に流されて。だけど、胸の中の感情は、ずっと残り続ける。

 

(夢、か……)

 

 背中でシャワーを受け、胸に手を当てて、考える。

 一夏のような夢は、無い。あんなに人が変わってしまうほど大きくて……眩しい夢なんて、持っていない。

 でも、誰にも何にも譲れない想いはあった。

 

(一夏、私はお前の隣にいたい……お前の夢を、隣で見届けたい)




ずっとずっと前に書いた単発作品です。
時間ができたら続きを書いてみたい、と考えております。

5/12追記
誤字修正しました。
誤字報告をしてくださり、ありがとうございます!

8/24追記
めっちゃ文消したり直したりしました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2話 何もないもの

1話と2話の落差が酷すぎるッピ(タコピー)


 ドーム状に作られた第二アリーナ。天井は透明なエネルギーバリアで覆われており、バリア越しには茜色の空が広がっている。

 箒をはじめとした女子たちが観客席を埋めて、ニ時間が経とうとしていた。

 

「反動制御が甘いですよ!隙が大きすぎます、もっと足腰と脇を意識してください!」

 

 『ラファール』を駆る山田真耶が、アサルトライフルの連射を避けながら告げる。

 ボロボロの『打鉄』を纏った一夏が、銃口で真耶を追いかける。も、弾は一向に当たらない。

 弾丸が放たれる度に一夏の体軸がブレる。グリップを握る腕も軋んで、中々照準が定まらない。

 

「オルコットさんは私よりずっと速いですよ!」

 

 今のままでは勝てない。真耶は遠回しに伝えた。

 

「ッ!」

 

 セシリア・オルコット。夢と目標を達成するために、超えなくてはならない第一の壁。

 彼女に負けているようでは『世界最強(ブリュンヒルデ)』になんてなれない。

 彼女に勝てないようでは、男たちの夢を背負って宇宙(そら)に飛ぶことなんてできっこない。

 

(僅かな脱力!脇を閉めて膝を少し曲げる!ケツをうしろに突き出して衝撃を逃がす!なんでこれだけのことが出来ねぇんだよ俺は!)

 

 実戦訓練を始めてはや四日が過ぎようとしていた。

 真耶の教えと教科書を暗記して。だが、技術の向上は見られない。

 一秒一秒進化しなければ、セシリアに勝つどころか接戦すらかなわないと言うのに。一夏は自分の弱さに歯噛みする。

 

「撃ちますよ!」

「チィッ!」

 

 今度は真耶のライフルが火を吹く。

 一夏は射撃を続けたまま、ステップでこれに対応。不規則な動きで立ち位置を変えていく。

 

(あの人天才か!?なんで何回も動く標的に当てられるんだよ!)

 

 真耶の射撃は恐ろしい精度を誇っていた。

 最初の何発かは回避に成功していた一夏だったが、リズムを掴まれた途端、銃弾の嵐の餌食となる。

 

「クソッ!」

 

 分かってはいたが、遠距離ではやはり分が悪すぎる。

 一夏はライフルを投げ捨て、腰から刀を抜いた。

 両手で構えると、捨て身の特攻。弾を跳ね除ける勢いで飛び上がる。

 

「はぁあああああッッ!!!」

「ッ!」

 

 真上からの一刀両断を、真耶は咄嗟に銃身で受け止めた。

 全力で振り下ろしたそれを止められ、一夏は思わず目を剥いた。

 

(マジかよ!?)

 

「動きが遅いですよ!」

 

 真耶の声で我に帰った一夏だったが、もう遅かった。

 彼女の片腕から現れたショットガンが、彼の腹部に密着していた。

 

()ッッッ!?!?」

 

 無情な一撃。無数の弾が一夏を喰らう。

 ISの動力エネルギーである『シールドエネルギー』を大きく削られ、一夏は墜落してしまった。

 

「もっと素早く次の行動に移ってください。ISの戦いでは動き続けることが基本ですよ」

「く、そ」

 

 なんとか立ちあがろうとする一夏だったが、機体が限界を迎えてしまった。

 緊急アラートが鳴り響く。機体の損傷が大きいらしい。

 底をつきかけていたシールドエネルギーも、とうとう空っぽになったようだ。

 撃たれた腹部をはじめ、『打鉄』は既に全身傷だらけだ。

 

「今日はこれでやめておきましょうか。オーバーワークは良くありませんし」

「はい……今日も、ありがとうございました」

 

 成長を実感できない。

 

 四日。

 

 与えられた猶予二週間の内の、もう四日も使ってしまった。

 だけど、射撃は一切当たらない。近距離は余裕で捌かれてしまう。防御と回避は全然ままならない。

 セシリアに勝つビジョンが、まるで思い浮かばない。

 

(なんで、こんなに弱いんだ……俺は……)

 

 たかが四日。

 だが、一夏にとっては数字以上に大きな時間だった。

 

 彼にあったほんの少しの自信を根こそぎ刈り、現実を見せつけるには、充分すぎる時間だった。

 

 塵も積もれば山となるとか、ゆっくり確実にとかなんて言っている場合じゃ無いのに。

 塵ではなく塊を積まねばならないのに。素早く確実に成長しなければならないのに。

 あまりにも、出来るようになったことが無さすぎる。

 

 ISを降りた勢いに釣られて、一夏は地に膝を着けた。

 疲労が、全身を蝕んでいる。

 でも、それ以上にずっと。

 

(畜生ッ!)

 

 誰にも表情を見せず、拳を地面に叩きつける。

 

 痛みよりも、疲労よりも、悔しさの方がずっとずっと強かった。

 燃え上がる向上心は、しかし冷酷な現実に阻まれてしまっていた。

 

(次は、セシリアの試合動画、見なきゃ)

 

 一夏は歯を食い縛って、アリーナを後にする。

 

 ◇

 

「あれじゃダメかもね〜」

「やっぱり無理だよ、セシリアに勝とうなんて」

「あと十日じゃちょっと……」

 

 観客席の女子たちは、否定的な言葉を残して、立ち去っていく。

 代表候補生に喧嘩を売った男の噂は、瞬く間に学園に知れ渡った。興味本位で彼を追う者もいれば、諭すように声をかけた者もいる。

 ほぼ全員が、勝てるわけ無いと思いながら。

 

(一夏)

 

 箒はひとり、少年が姿を消したアリーナを、じっと眺める。

 

(私は)

 

 地面が夕陽の色に染まっていく。

 景色の変化を、ただ黙って、見つめる。

 ただ黙って、拳を握って。

 

(私は、どうすればいい?どうすれば、お前の力になれる?)

 

 分からなかった。

 答えは一向に、見つからなかった。

 だから、見つめることしか出来ずにいた。

 

 箒だって、悔しかった。

 

 ◇

 

 それは翌朝のホームルームで突然告げられた。

 

「織斑。来週にお前の専用機が届くことになった」

 

 千冬がさも普通のことのように喋った。

 一夏は当然として、教室中がどよめく。

 

 専用機。

 

 IS乗りの名誉であり、栄光であり、一つの到達点。

 何千何万のライバルを蹴散らして枠を勝ち取った代表候補生でさえ、貰えるか分からない貴重な代物。

 それを一夏が貰うというのだ。

 

「ま、待ってください織斑先生!自分にはそんな物を貰う資格なんて……!」

 

 嬉しさとか喜びとかより、困惑が勝る。

 

 ISはそもそも、全世界で467機しか存在しない。

 ISの心臓部であるコアと呼ばれるパーツを、IS開発者・篠ノ之束──箒の姉──以外誰も増産できないために。また、その束が生産をやめたために、絶対数が限られているのだ。

 

 限られた数の機体────専用機を得ること。

 それは、数多くの代表候補生や代表候補生を目指す者たちにとって、夢であり目標だ。

 彼女らはその夢のために努力している。その目標のために競い合っている。

 

 まだ彼女らのレベルに達していないと言うのに、一夏は専用機を()()()()()()と言うのだ。

 周りが(しのぎ)を削っている間に。

 周りが自分の得ようとしている物────夢のために、努力しているのに。

 

「データを集めるためだ。お前は世界でたったひとりの、男のIS操縦者だろう?」

「そんな理由で、みんなが頑張ってるのに、まだ何もやってない自分が貰うのはおかしいでしょう!?

 自分には専用機に乗る資格なんて、ありません」

 

 夢を追いかけて、一夏は分かった気がした。

 自分に夢を託してくれた人たちが、どれだけ輝かしい世界を見ていたのか。

 そしてそれを諦めた時、どれだけ苦しく悔しく、辛い思いをしてきたのか。

 

 絶対数が限られている『IS』────つまり、叶う数が限られている『夢』を、何もしていない自分が奪ってしまうこと。

 夢のために努力する人たちを無視して。世界でたったひとりの男だからと、専用機を貰う。

 

 誰かが見ていた世界から輝きを奪い、苦い思いをさせる。

 

 それは、違うと思う。

 彼女たちと同じように努力して、熾烈極まる競争を勝ち抜いてようやく、専用機を手に入れる『資格』を得られるはずだ。

 

 一夏はそう、信じていた。

 

 けれども、千冬は呼吸をひとつ置いて、言い放った。

 自分と同じ頂上を目指す彼に、試練を与えるかのように。

 

「逆に聞くが、何もやっていないお前が、()()()()()()()を持っているのか?」

「────ッ!」

 

 胸を射抜かれたような衝撃だった。

 一言で、一夏は何も言い返せなくなった。

 

(俺には資格を語る『資格』すら、ない……!)

 

 なんの実績も残していない。誰かに認められてもいない。周囲からすれば、ど素人も良いところ。

 そんな人間に、資格を語ることなど許されるはずがなかった。

 

(一夏。まずは何もないことを知る所から、人は始まるんだ)

 

 千冬は眼前で視線を落とした弟へ、彼女なりのメッセージを送ったつもりだった。

 

「良かったですわ」

 

 教室の後ろから聞こえたのは、セシリアの声。

 一夏が緩慢と振り返る。

 

()()()()()()、わたくしの勝利にも少し価値が生まれますわね。『訓練機を倒した』では響きが悪いですもの」

 

 強者として、代表候補生セシリア・オルコットは言い切った。

 やっと勝利に少し価値が生まれた、と。

 専用機を持ってはじめて、一夏に少し価値が生まれた、と。

 

「……」

 

 彼は静かに、手のひらを握り締めた。

 無言の時間が流れる。

 何も言い返さない一夏に、セシリアが不満を募らせる。

 

「『世界最強(ブリュンヒルデ)』を目指している人間が、こんな惨めな言われ方をされて悔しくありませんの?」

「悔しいに、決まってんだろ」

 

 震える魂の、吐露。

 付き合いの長い箒でさえ思わず驚いてしまうくらい、一夏は全身から感情を滲ませていた。

 

「こんなに悔しいことが、他にあるかよ」

 

 技術もない。知識もない。経験もない。実績もない。

 この四日間を見る限りでは、才能もセンスもない。

 おまけに、何かを語る資格もない。専用機を持たないままでは価値もない。

 

 無に等しい、存在。

 

「何もないって言われて、悔しくない男がいるかよ」

「そうですか。では敢えてひとつ、忠告して差し上げましょう。

 何も持たないあなたでは、わたくしには絶対に勝てませんわ」

 

 一夏に、セシリアは巨大な壁(おのれ)を見せつけた。

 挑発ではなく、事実。何もないことを自覚していた一夏だから、誰よりもそのことを理解出来た。

 今のままだとセシリアには遠く及ばない、と。

 

 幾つもの現実を突きつけられて、不意に目頭が熱くなってしまう。

 折り畳んだ指を(ひら)けない。セシリアに、何も言い返せない。

 

(ちく、しょう。畜生、畜生、畜生ッッッ!!!)

 

 そんな自分が────心の底から、悔しかった。

 

(一夏……)

 

 箒は、見ているだけしか出来なかった。

 歯を噛み締め、感情に震える幼馴染の姿を。自分に熱く夢を語ってくれた、その少年を。

 

(私は……)

 

 噤んだ唇の中で、歯噛みする。

 何かひとつでも、自分が一夏にできることはないかと模索する。

 彼の夢を隣で見届けるために。彼に夢を叶えてほしいから。

 

(私、は)

 

 ホームルームが終わってから、箒は授業中も休み時間も、ひたすら一生懸命に考えた。

 

 でも、自分には何もなかった。

 

 特別な才能もないし、一夏を元気付ける言葉も行動も見つからない。

 一夏のように眩しい夢も、目標も、持っていない。

 何も、出来ない。

 

 気づけば、太陽は夕陽と呼ばれていた。

 

 振り向けば、一夏はもう席にも教室にもいなかった。

 

 彼は今日も夢に向かって前進するのだろうか。

 何も、持たないまま。何も、持てないまま。

 

 たった、ひとりで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────たった、ひとりで?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(いや、違う)

 

 俯いていた顔を上げて、彼の幼馴染である箒は、椅子から腰を離す。

 

(こんな時に私が、私が一夏の(そば)に居てやらなくてどうする!?)

 

 今、沢山の人が彼の目標を、夢を否定している。笑っている。馬鹿にしている。

 それに千冬やセシリアに現実を突きつけられて、一夏はきっと苦しく悔しい思いをしているだろう。

 

(信じて隣にいるだけでも、きっと、きっと何かが変わるはずだ!)

 

 ならば、一夏にとって接しやすいであろう自分が支えなくてはいけない。箒は使命感に駆られた。

 だから、一夏を支えてあげたい。隣で彼を応援したい。箒の心がそう叫んだ。

 

(私はお前の味方だ、一夏)

 

 箒は教室を抜け出した。

 力になりたいと願って。

 彼と彼の夢を、信じて。




pixivのIS短編消されててねこが寝転んだ。

元々単発で1話と2話の半分くらい作ってたので、それを投稿してみました。
面白いと感じていただけたら、幸いです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

3話 俺に()るもの

ファース党です。ワンサマー党です(あるの?)。
ブロリーです(MAD並感)。
強がりリグレット is god song。

誤字修正しました。報告してくださってありがとうございます!


 週末。

 セシリアとの決闘まで残り、七日。

 

「近距離はもっと小さく、鋭くですよ!」

「落ち着いて敵の動きを観察してください。予測だけでは絶対に避けきれません」

「射撃が右側にブレてます。左側に意識を向けてください!」

 

「クソッ!」

 

 真耶との実戦形式の特訓。

 ISを操縦する感覚は体が覚えてきた。でも、技術的な面はボロボロだった。

 射撃は()()()()()()まるで当たらない。近接は()()()()()()通用しない。防御や回避の()()()()簡単に狩られてしまう。

 

 やっぱり、成長を実感でき()()

 

「ハァ、ハァ、ハァ」

 

 実戦特訓を終えてからも、肉体を追い込む。

 各部活動が活動を切り上げる中、ひとりでグラウンドを何周も走った。

 ISを自由に動かせるだけの肉体を作り上げるために。

 

「フゥ、フゥ、フゥッ!」

 

 電灯の光の下で、スクワット。

 全身から大粒の汗が噴き出ていた。

 何時間トレーニングをしているのだろうか、運動着は彼の肌に密着していた。

 周囲では彼を見守る女子も何人かいたけど、一夏は気づいちゃいない。

 

 何かが、欲しかった。

 何もない空っぽな自分を満たす、何かが。

 

 だから、夢中に()()()()()()()()

 

 寮に戻ってシャワーを浴びて、食事を済ませて。

 ノートに一日の反省を書く。真耶に言われた課題や、自分で気づいた弱点、参考になるかもと思ったことなど。出来る限り、びっしりと。

 

 それから、セシリアの試合動画を見る。

 イギリスの第三世代型『ブルー・ティアーズ』。セシリアの専用機だ。

 精確無慈悲な射撃。死角から襲いくる遠隔操縦武装のBT兵器。迫力とプレッシャー。敵の隙や弱点を見逃さない洞察眼。堅実な守り。

 どれをとっても、不平等なほど強い。強すぎる。

 

 一夏の眼前に、(そび)える巨大な壁。

 

(()()()()俺が、超えられるのか?)

 

 今の一夏には、彼女を超えられる自信すら()()()()

 

(もう、寝よう)

 

 まだ十時前だと言うのに、一夏は部屋の明かりを消して、ベッドに寝転がった。

 最近の彼の就寝時間は驚くほど早かった。

 慣れない環境で肉体も精神もすり減らしているせいか、眠気がすぐにやってくるのだ。

 

(畜生……なんて情けねぇんだ、俺は)

 

 現実を拒むように、目を瞑って、顔に腕を被せた。

 自分への悔しさが込み上げてきて、歯を食いしばった。

 

 明日こそ、何かを得られたら。

 

 この学園に来て毎日繰り返していた。最初はやる気と希望に満ち溢れていたが、今では祈るような思いだった。

 

 輝かしい夢を見ていたはずの瞳は今、巨大な現実の壁を映していた。

 

(畜……生……)

 

 ◇

 

(今日こそは何がなんでも捕まえてやるぞ、一夏)

 

 休日の朝七時。噂によると、一夏は毎日早朝から校舎沿いをランニングをしているらしい。

 噂を耳にした箒は、校門の前で一夏を待っていた。

 ここ数日、彼女は夜に頃合いを見計らい、一夏の部屋へ何度か訪れたのだが、いずれも反応なし。

 本人に理由を聞くのも気が引けて、今日に至る。

 

(む……あれは)

 

 キョロキョロしていると、やがて向こう側から男のシルエットが現れる。

 ジャージ姿で、ハイペースな走りだ。

 

「ハァ、ハァ、ハァ」

 

 一夏だった。

 箒は一度咳払いして声と気持ちを整える。

 

「一夏、おはよう」

「よ、箒。おはよう」

「きょ、今日は暇「悪い、もう三周待ってくれ」

 

 言葉を遮り、一夏は箒を横切った。まるで、置き物の横を通り過ぎるかのように。

 二人の視線はほんの一瞬だけしか合わなかった。箒には、一夏が何かに夢中になっているように見えた。

 

(……本気、なんだな)

 

 そう言う部分は昔と変わらないな、と思った。

 何かに夢中になると、それっきりに集中してしまい、周りや手元を見ようとしなくなる彼が。

 

 安心感と同時に、寂しさが湧いた。

 きっと今の一夏には、私が見えていないんだな、と。

 

(だからこそ私が隣にいてやるんだ)

 

 一夏の小さくなっていく背中を見送って、箒はゆっくりと待つことにする。

 

 ランニングを終えた一夏と共に、食堂で朝食をとる。

 一夏は朝だと言うのに、量多めの和食定食を食べていた。隣の箒は味噌汁とご飯だけだ。

 

「さっきは待たせてごめん」

「気にするな」

 

 二人とも箸を口元へ運ぶ。

 

「んで、どうしたんだ?」

「今日は暇か?」

「まぁ。午前中なら空いてるぜ」

 

 午後からは、真耶と特訓を行うらしい。

 少し躊躇いを見せてから、箒は意を決して続けた。

 

「もし良かったら、午前だけでも剣道をしないか?」

 

 二人だけの時間を作って、一夏を励まそう。

 箒は誘いの裏に、そんな考えを隠していた。

 

「お、良いな。ワンチャン何か発見あるかもしれねぇし」

 

 箒の真意に気づけることもなく、一夏は剣道だけするつもりで二つ返事で了承した。

 断られたらどうしようと考えていた箒は、ちょっと安心して胸を撫で下ろす。

 

 朝食を食べ終えた二人はしばらくの時間を置いて、道場に向かった。他の部活は休みだそうで、道場は二人だけの空間と化していた。

 

 一夏にとっては入学日以来の剣道。

 何かを得られたら。その一心で、防具を纏い、竹刀を握る。

 

「よろしくな箒」

「うむ。遠慮は要らん、本気で来い」

「おうッ!」

 

 切っ先で睨み合い、タイミングを測って両者が飛び込む。

 踏み込みの音、竹刀と竹刀がかち合う音、竹刀と防具がぶつかる音。どれもが綺麗に響く。

 

「やるな一夏、前よりずっと強くなっているぞ」

「そりゃどうも」

 

 一夏からも箒からも汗が滴る。

 

(小さく鋭く。隙を見せるな、気迫で負けるな。目で見ろ、肌で感じろ)

 

 一夏は真耶に言われたことを反芻させて、剣道に応用する。

 まだブランクを感じさせる剣捌きだが、戦いの勘は多少なりとも戻っていた。初日とはキレが大違いだ。

 だが彼には、まだまだ──初日よりも──足りていないものがある。

 

(闘志が足りていないな)

 

 戦いに赴く者としての、闘志。絶対に負けられないとか、意地でも勝ちたいとか、ある種の執念。

 剣道────『道』とは己の心の投影。

 箒は一夏の剣に技術の進歩を感じても、一夏の道からは心を感じられなかった。

 

(一夏、熱を持たないまま夢中になって……いや、焦っていると言うべきか)

 

 箒の考えは、正しかった。

 

(このままじゃ何もない空っぽのままだ!セシリアに負けちまう!)

 

 何かを得ようと。塵ではなく塊を積もうと。ゆっくりではなく素早く確実に成長しようと。

 焦燥に駆られていた。

 だが落ち着く時間のなかった一夏は、自分の焦りを夢中になっていると錯覚してしまっていた。

 

 やがて先に息を切らしたのは一夏だった。

 肉体的な疲労と言うより、精神的な疲労が原因で。

 

「はぁ、はぁ、クッソォ!」

 

 やけくそになって、一夏はばたんと倒れ込む。

 結局はいつもと同じで疲れただけ。ただひたすら汗をかいて、息を切らしただけ。

 セシリア攻略に繋がるものなど、何ひとつとして得られなかった。

 

「ほら起きろ。道場で寝転がるなんてはしたないぞ」

「分かってるよ」

 

 差し出された箒の手を掴んで、一夏は立ち上がる。防具を脱ぐと、隅っこに置いてあったスポーツドリンクを手に取った。

 

(なんで、俺には何もねぇんだろうな)

 

 悔しさが止まらない。

 

(なんで、何も得られないんだろうな)

 

 学園入学前に燃え盛っていた炎は、見る影もなくなっていた。

 

(畜生……)

 

「一夏」

 

 声に振り返ると、箒が両手に小さな袋を持っていた。

 

「小腹は減ってないか?」

「あー、そういや少し減ったかな。結構やったし」

「ふふ。そう言うと思って作ってきたぞ」

 

 一夏の隣に座った箒が、袋の紐をほどく。

 中に入っていたのは、サランラップに包まれた拳サイズのおにぎり。焼き海苔が巻かれた三角形のものだ。

 

「おぉお!懐かしいな!」

 

 まだ一夏と箒が同じ小学校に通っていた頃の話だ。稽古の終わりに箒が作ってきたおにぎりを、二人で一緒に食べたのは。

 懐かしさに、一夏は思わず驚いてしまう。

 

「もう塩の量間違えたりしてねぇよな?」

「馬鹿にするな!もう間違えたりしない」

「はは。んじゃ、いただきます!」

 

 箒は久しぶりに、一夏の笑顔を見た気がする。

 それが無性に嬉しくて、彼女も無意識に笑顔になっていた。

 

「うめぇ」

 

 一夏の笑顔で頬張る姿は、記憶と全く変わらない。

 

「この梅干しがずれてるのも変わらねぇんだな」

「そ、それはわざとだ!わざと!」

 

 一夏もまた、記憶と変わらないおにぎりを懐かしんでいた。

 

(……いつぶりだろうな。こんな、こんなうまい飯食ったのは)

 

 変わらぬ味と記憶が、安心感となって心を満たしていく。

 咀嚼するたびに、焦りが落ち着いていく。

 

 ごくり、と飲み込んで。

 

 ふと、一夏の手が止まる。

 あと一口分のおにぎりを残して。

 

「うめぇ……マジで、うま、いよ……」

「一夏?」

「…………、畜生ッ」

 

 それは、学園で一人しかいない心を通わせあえる幼馴染の前だからこそ、こぼれたのだろう。

 ずっと自分の中で抑え込んでいた感情が、安心感に押し出されて、とうとうあふれた。

 感情の結晶が、頬を伝う。

 

「俺、何でも出来るって思ってた。俺なら絶対に出来る、って。

 でも、自分には何もないって知って……何も得られない日が続いて……」

 

 箒は、一夏の揺れる瞳を見つめる。

 

「今、セシリアにビビってる自分がいる。乗り越えられねぇと思ってる自分がいる。

 あれだけでかい口叩いたってのに情けねぇ……情けねぇ!」

 

 道場に男の嘆きが響く。

 弱い自分を責めて、一夏は拳を握った。

 

「今日まで俺なりに頑張ってきたつもりだけど、不安で不安で仕方ねぇ。

 このままじゃセシリアには勝てねぇのに。それが分かってるのに。

 ずっとずっと、俺は空っぽのままなんだよ」

 

 ただじっと、一夏は自分の手を眺めて。

 

「なんで何も無いんだろうな、俺は」

 

 あまりの悔しさと情けなさに、拳が震えて。

 

 その拳に、箒は優しく手を重ねた。

 

「え?」

 

 一夏の視線が、箒へ移る。

 

「……私はお前に的確なアドバイスも出来ないし、お前を奮い立たせるような言葉も言えない」

 

 ぽかんとした顔で、一夏は話を聞いていた。

 

「専用機をもらう話になった時、お前が泣きそうになっているのを見て、どうすればお前の力になれるかと考えた。……でも、分からなかった」

 

 一夏は情けない姿がバレていたことに驚いて口を挟もうとしたが、それより早く箒が喋った。

 

「だから、せめて私にできる最大限のことは何かと、考えた」

「箒……」

 

 箒はそれがきっと、何かを変えると信じて、告げた。

 

「私はお前の隣にいよう」

 

 隣にいる。

 一生懸命に考えた末に出た、答え。

 

 一夏はその答えに、射抜かれたような衝撃を受けた。

 でもそれは、以前の何もないと知った時のような、驚きの衝撃ではない。

 心を打たれた、衝撃だった。

 

「私はお前の隣で、お前の夢を見届けたい。織斑一夏が沢山の男の夢を背負って、世界最強になって、宇宙(そら)を飛ぶ姿を見てみたい」

「……ッ!」

「だからその、わ、私のためにも……自分に()()()()なんて言わないでほしい」

 

 箒の手は、これ以上ないほどの温かさで一夏を満たしていって。

 

「お前には、誰にも負けない大きな夢が()()じゃないか」

 

 はっとした。

 

 ずっと見失っていたものを、やっと見つけた感覚だった。

 一夏の全身に、稲妻が駆け巡る。

 

 道場から少しの間、音が消え去った。

 

(……そうだよな)

 

 自分にはひとつの、大きな夢があった。

 小さな頃に憧れたあの夢が。

 

(……そう、だったよな!)

 

 絶対に叶えたい夢が、あった。

 

 目先の、超えるべき壁に焦っていて、気付けなかった。

 

 壁の遥か上に、無限の成層圏(インフィニット・ストラトス)に、絶対に叶えたい夢が()ることにッ!

 

(俺が目指してるのは、壁じゃねぇ。その上、宇宙(そら)だったじゃねぇかよ!)

 

 それに、まだ、在る。

 

(俺は、沢山の男の夢を背負ったじゃねぇかよ!)

 

 幾つもの手紙を通して、一夏に託された男の夢。

 男なら誰もが一度は思い描く、夢。しかし現実を知って諦められた、夢。

 一夏はそいつを背負ったのだ。

 

 その夢を夢で終わらせないために!

 託された想いを無下にしないために!

 

 そして。

 

(応援してくれる人もいる!)

 

 隣に箒がいてくれる。

 自分の夢を見届けたいと言ってくれた人が、隣にいてくれる。

 

(俺には、いっぱい在るじゃねぇか!在ったじゃねぇか!)

 

 自分の夢は、自分だけの夢じゃない。

 男たちの夢であり、託された夢であり、箒が見届けてくれる夢だ。

 裏切る訳にはいかない。期待に応えたい。

 

 夢を、成し遂げたい。

 

 一夏の(くすぶ)る魂に、火が点く。

 空っぽだと思っていた己に、絶対に折れない──折りたくない──芯があったことに気づく。

 

「……ありがとう、箒」

 

 一夏は片手で持っていたおにぎりを食べ切り、箒の手に、空いた手を重ねる。

 

「俺、気付けたよ」

「え、あ、うむ」

 

 箒は突然手を重ねられて、頬を薄紅色に染める。

 一方の一夏は気にせず、そのまま箒へ続ける。

 

「無いもののためにじゃねぇ。俺は、俺に在るもののために頑張るよ」

 

 そうだ。

 無いものを強請(ねだ)ったって、どうしようもない。得られないものに夢中になってても始まらない。

 

 技術もない。知識もない。経験もない。実績もない。

 何かを語る資格もなければ、価値もない。

 

 上等だ。

 

 一夏は、夢のために。背負ったもののために。隣にいてくれる人のために。

 

 今確かに在るもののために努力することを、自分と箒に誓う。

 何かを得るのはその後でいい。

 いや、()()()()()()、何かを得られるはずだ。

 

 一夏の瞳に、灼熱の炎が宿る。

 照れていたはずの箒は、気付けば彼の瞳に夢中になっていた。

 

「おにぎり、ご馳走様。マジでうまかった」

「う、うん……」

 

 一夏は箒の温かさに熱で応えて、立ち上がる。

 

「俺、山田先生のところに行ってくる。この気持ちを忘れないうちに特訓するよ」

 

 自分の持ち物をまとめた一夏は、爽やかに笑って玄関へ向かう。

 箒は彼の瞳に夢中で、返事もせずついて行った。

 

「本当にありがとな」

 

 一夏はもう一度、箒の目の前で拳を握りしめた。

 箒からもらった温かさを力に変えるために。己に在るものを、もう(のが)さないために。

 

「じゃ!」

 

 一夏は腕を上げて、駆け足で去って行った。

 箒はじっと、一夏の逞しい背中を見届ける。どんどん小さくなっていくのに、尚もはっきりと見えた。

 

(……ふふ)

 

 結局、一夏も男の子なんだと思った。

 がむしゃらで、真っ直ぐで、熱血で。優しくて、喜怒哀楽がはっきりしていて、鈍感で……かっこよくて。

 

(そういう所はどこも変わっちゃいないんだな、お前は)

 

 期待と一緒に、高まっていくものがある。

 彼の夢を、隣で見届けたい。

 彼に、夢を叶えてほしい。

 

 箒は小さく笑って、一夏の熱い眼差しを思い出す。

 その目に焼き付けた、彼の眼差し。今まで見たことないそれは、でも、奥にある芯は変わっていないと確信できた。

 

 彼女は信じる。

 

 きっと彼ならば、宇宙(そら)だって飛べる!

 止まらないスピードで!

 

(頑張れ、私の好きな人!)

 

 篠ノ之箒は今、恋をしていた。




ウルトラスーパーボンバー熱血系戦闘民族サイヤ一夏君になってもらいます。
せめてセシリア戦まで書きたい......そう思っていた時期が、俺にもありました(刃牙)。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

4話 起爆する闘魂

一夏カロット(イチカカロット)です。


 特訓最終日。明日になれば、セシリアとの決闘だ。

 噂は既に全学生全教員に知られている。きっと明日のアリーナの客席は満員になるだろう。

 

 箒に励まされて以来、一夏は驚くほどの充実感を感じていた。

 毎日の特訓が楽しくてしょうがない。

 在るもののために頑張る。その感覚が凄く新鮮だった。

 成長とは別に、前進できている気がして。

 

「今日の特訓はお休みです!」

「……へ?」

 

 織斑一夏と山田真耶は明日の戦場、第二アリーナにいた。

 一夏は最終日と言うことで、今まで以上の気合を胸に特訓に臨もうとしたのだが……。予想外の言葉に、困惑してしまう。

 

「きょ、今日は最終日ですよ?」

「はい。だからこそ簡単なチェックで済ませます。詰め込み過ぎてもダメですからね」

 

 それ最終日にやることかよ、とやる気マックスの一夏は内心でツッコんでおく。

 だが、真耶の狙いはチェックともうひとつあった。

 

 成功体験。

 

 自分の重ねたものに意味があった、と成長を自覚できる時間。

 全ての感覚がパズルのように繋がる瞬間。

 

 真耶は本番直前に、彼女なりの激励を(おく)ろうとしていた。

 

「それでは早速『打鉄』を装備してください」

「はい」

 

 これだけ強い人が言うのだ。詰め込み過ぎは実際、良くないのだろう。

 一夏はそう思うことにして、素直に従い『打鉄』を纏った。

 

「……先生、『ラファール』は?」

「使いませんよ」

「え?でもチェックって」

「はい。簡単な、チェックです」

 

 呼び出した空中投影ディスプレイに、真耶はコマンドを入力する。

 すると、アリーナのあちこちに『ラファール』の形をした仮想ターゲットが出現。ターゲットは比較的高速かつランダムな挙動で動き始める。

 

「では織斑君、ターゲットを撃ち落としてください」

「は、はぁ」

 

 言われたままに、アサルトライフルを握り、ターゲットを狙う。

 

(なんで今更こんな遅いやつを──────)

 

 ?

 

(ん?)

 

 妙な、違和感。

 

(あれ?俺、今、『こんな遅いやつを』って思ったのか?)

 

 おかしい。何かが、おかしい。

 今までにない、謎の感覚だった。

 その速度を目で追える。照準が定まる。自然と引き金を引ける。

 銃弾が、当たる────。

 

(あれ?当たってんだけど、え?嘘マジで?)

 

 自分でも驚いてしまうくらい、命中する。

 全部狙い通りとまでは言えないが、視界の中心で捉えて確実に当てている。ターゲットがどんどん消えていく。

 真耶との特訓では一発も当てれなかったはずなのに。

 

「では、次は避けてください!仮想の弾丸が出てきますよ!」

 

 真耶が再びディスプレイを操作すると、一体の仮想ターゲットがライフルを構え、射撃を始めた。

 実弾と同じサイズ、同じスピードの銃弾が走る。

 一夏は軽やかなステップで回避しつつ、飛翔。空中でも地上と同様に、余裕を持って避けてみせる。

 

(すげぇ見える。っつか、なんだこの舐めた弾は?仮想だからか?)

 

 ハイパーセンサーで強化された動体視力と射線予測機能で、一夏は完全に弾道を見切っていた。

 真耶との特訓では、何十回何百回も被弾したのに。

 

「最後は刀で斬っちゃってください!」

「はい!」

 

 腰から抜刀。銃弾の雨を一気に潜り抜けて、逆袈裟斬り。

 刀を振り切ると、切断された仮想ターゲットが霧散した。

 真耶との近距離戦では、何も上手くいかなかったのに。何故かイメージ通りに敵を斬りつけれた。

 

「お見事!完璧です」

 

 着地した一夏へ、真耶は笑顔で拍手を送る。

 何が完璧なのかよく分からないが、褒められたのは正直に嬉しい。一夏は鼻を擦った。

 

「この二週間、本当によく頑張りましたね」

「先生のご指導があってこそですよ。ありがとうございます」

 

 真耶は一夏の感謝に照れつつも、驚愕の事実を告げた。

 

「実は今の仮想ターゲットは、()()()()()()()()()です」

「……三日目の、データ?」

「はい。三日目の実戦特訓の時の私の幻影と、戦ってもらいました」

 

 一夏はふと考える。

 つまり、自分は今、三日目の山田先生に勝った、と言うことだろうか?

 つまり、三日目の山田先生を『遅い』と感じる程度には、自分は成長していると言うことだろうか?

 答え合わせはすぐに行われた。

 

「織斑君はしっかり成長しています。少なくとも、三日目よりはずっと強くなっていますよ」

「ほ、本当ですか?」

 

 成長。その言葉が嬉しくって、反射的に聞き返した。

 真耶は即、首肯を返す。

 

「明日が凄く楽しみなくらいですよ!正直、どちらが勝ってもおかしくないと私は思ってます」

「は、はは」

 

 自分に二週間もの間、マンツーマンで指導をしてくれた人がそう言った。

 そう、言ってくれた。

 違和感が自信に昇華されて、一夏を更なる充実感で満たしていく。

 

 自分の中に在るものがまたひとつ大きく、強くなって。

 夢へと少しだけ近づけたような感覚を覚えて。

 

 ここに来て遂に、()()()()()()()ような気がした。

 

(俺、成長してたんだな!)

 

 二週間で初めての、成長と変化の自覚。

 人生で一番頑張ってきた濃密な期間が、やっと形になって見えてきた。

 込み上げる喜びと達成感に、笑みを隠しきれない。

 

 真耶もまた、未来ある少年の成長に喜ぶ。

 教師として、生徒の成長が嬉しかった。生徒の、自分の成長を自覚している姿が、微笑ましかった。

 

 故に。慢心しないように、釘を刺す。

 それが教師として、高みへ登れなかった者として。

 高みを目指す者への後押しと信じて。

 

「良いですか織斑君。明日は結果にこだわらず、そして油断せず、積み上げてきたもの全てをぶつける気で行きましょう。

 今までの頑張りは絶対に、絶対に()きますから!」

「は、はい!」

 

 普段の大人しくてオドオドしている真耶からは想像も付かないほどの、力強いメッセージ。一夏はちょっとびっくりしてしまう。

 けど、直後。自分の頑張りを認めてくれる人がいる事実に、堪らなほどの喜びを感じた。

 

「本当に、二週間ありがとうございました!」

「はい!先生も応援してますからね!」

 

 よし、よし!と。

 一夏は大きくガッツポーズを取った。

 

(三日目の先生に勝てるくらい強くなってるんだ!いけるぞ俺!)

 

 握る拳の力は強まるばかり。

 

 ……だったのだが。

 

(……あれ?『三日目の先生』ってどう言うこと?)

 

 その表現では、まるで日に日に先生が強くなっていたような言い方じゃないか、と。

 一夏は疑問に思って、ニコニコの真耶に訊ねてみる。

 

「もしかして、先生って日に日に強くなってたんですか?『三日目の私』って言い方が妙に引っかかるんですが」

「あ、あぁ。あはは。それはですね……」

 

 真耶は何かを誤魔化すように、笑い声をあげた。

 一夏は聞いてはいけないことを聞いてしまったような、なんか凄い罪悪感を感じた。

 

「私、すごいあがり症で。最初の方は緊張して全然集中できなかったんですよ。今は慣れて、まともな操縦をできるくらいには大丈夫になりましたけど」

「えっ。じゃぁ、この二週間で『本気でやった』って日はあります?」

「……ありません。どうしても緊張が残っちゃって、最後まで本気を出せませんでした。ごめんなさい」

 

 ガッツポーズを作っていた腕が垂れ下がる。

 乾いた笑いしか出ない。あれだけ強い人がまだ「本気を出していない」と言ったのだ。

 もっと上があるのか、と驚きを通り越して呆れてしまう。

 

 ────だからこそ、超えがいがあるとも言えなくないが。

 

 結果的に、真耶の激励は成功した。ついでに釘刺しも成功した。

 一夏は己の成長を実感して自信を持ちつつも、一段と気を引き締める。

 

 決闘前日。

 

 心身共にベストパフォーマンスだ。

 

 ◇

 

「随分努力されたようですわね」

 

 アリーナの更衣室から出てきた一夏に声をかけたのはセシリア。

 更衣室のすぐそばにいた辺り、彼女は一夏を待っていたようだ。

 高貴な佇まいには、強者の実力が見え隠れしている。

 

「まぁな。やれることは全部やったつもりだ」

 

 一夏は眼前に立ち塞がる巨大な壁に、熱き視線を返す。

 既に恐怖心や怯えはない。

 むしろ強敵を前に、挑戦者としての闘志が燃え盛る。

 

「二週間、あなたが頑張っている姿を何度か拝見しましたわ。相当ハードな期間だったでしょう。

 (はた)から見ても凄まじい鍛錬だったと思いますわ」

「励ましに来てくれたのか?」

「まさか」

 

 両者の間合いが、互いから滲み出る闘気で歪む。

 

「この二週間で何かを得ることができたか。それを聞きにきたのですわ。

 以前も言いましたが、何もないあなたでは、わたくしには絶対に勝てませんわ。それが変わったのか……わたくしが楽しめる戦いになるのかを、聞きにきましたの」

 

 セシリアは自分が勝つと分かっている戦いに興味はない。

 実力と実力の拮抗。意地と意地、誇りと誇りのぶつけ合い。接戦の末の勝利こそ、彼女にとって価値のある勝利なのだ。

 だから問うた。

 

 お前との戦いの末に、私は価値のある勝利を掴めるのか、と。

 

 挑発とも取れる発言だったが、一夏は動じない。

 彼の中に()るものは、もう、ブレやしない。

 

「明日になれば分かるさ」

「……なるほど」

 

 芯のある鋭い目付き。

 少なくとも、空っぽ、では無いようだ。

 

「明日は、あなたを一人の『戦士(ファイター)』として迎え撃ちましょう」

「なら俺は遠慮せず、あんたに全部ぶつけるぜ。俺に()る、全てを」

「えぇ。()()()()()()()()()()()

 

 一夏が歩み出す。二つの闘志がすれ違う。

 一夏は強烈なプレッシャーを感じ取り、しかし気合と覚悟で跳ね退()けてみせた。

 セシリアは紅蓮に燃ゆる熱き炎を身に受け、だが自身の更なる蒼炎でかき消してみせた。

 

 どうやら一夏だけではなかったようだ。

 

 決闘前日。

 

 両者共に、最高の状態である。

 

 ◇

 

 前日夜。

 一夏は真耶の言葉に従って、最後の時間くらいは自由にしようと思い、動画アプリを開いていた。

 ISの試合ばかりを見てたせいか、AIからオススメされる動画の殆どがIS関連のものとなっている。

 

(セシリアの試合は見尽くしたしなぁ。何見よっかな)

 

 画面をスクロールしていって、ふと目に止まったひとつの動画。

 イギリス代表候補生たちのプロモーションビデオ。タイトル画面の真ん中には、『ブルー・ティアーズ』を装備したセシリアが映っていた。

 

「うわ、めっちゃカッコいいな」

 

 明日の決闘の相手だと言うのに、他人事のように独りごちた。

 逆に言えば、それだけ落ち着いていると言い換えられるが。

 

 代表候補生。国家代表の枠を目指す、選りすぐりの精鋭。

 それは将来国を背負う──つまり有事の際は国家戦力となる──だけじゃない。

 ISが表向きではスポーツとして流行していたり、世界中がIS事業を推し進めたりしている背景もあって、彼女たちはスター的な存在でもあった。

 故に国がプロモーションビデオを作成し公開する行為は、何ら不思議なことではなかった。

 

(見てみよ)

 

 気まぐれ、だった。

 一夏は特に深く考えることなく、動画をクリックした。

 

 映像が流れる。

 ハイビジョンカメラによって、イギリス代表候補生の美しさや凛々しさが綺麗に収められていた。

 私生活やIS試合、訓練の一場面が切り抜かれて、まとめられていた。

 想像以上に厳しそうだなとか、自分もまずは彼女らと同じ場所に立ちたいなとか。最初は一夏もただの視聴者として眺めていた。

 

 やがてセシリアに焦点が当てられる。

 

 セシリアの超豪邸でのメイドを仕えさせた生活や、IS操縦のワンシーン。

 どのシーンでも振る舞いは高貴で、繊細で、力強い。セシリア・オルコットと言う人間の育ちや芯の強さがうかがえる。

 

 これが、明日戦う敵なのか。

 そう、知った気になって。

 

 ────『オルコット選手にとって、代表候補生とはどう言う立場でしょうか』

 

 インタビュアーが、街を歩くセシリアに質問した。

 セシリアは思考を置くことなく、当然のことのように返答した。

 

 ────『代表候補生とは、背負った者、ですわ』

 

 背負った者。

 ピクリと、一夏のこめかみが反応した。

 

 ────『わたくしたちは自分が倒していった好敵手(ライバル)の想いや国を背負っています。

 だから諦めたり、妥協したりすることは絶対に許されないのですわ。

 責任を持ち、誇りを持ち、執念を持ち、戦い続けなくてはなりません』

 

 セシリアが言い切ると、焦点は次の選手へと切り替えられた。

 一夏は画面こそ見つめていたが、意識は画面じゃない別の場所にあった。

 

 セシリアの台詞を思い出す。

 

 ────『何も持たないあなたでは、わたくしには絶対に勝てませんわ』

 

 あぁ、そうか。と。

 一夏はやっと、納得した。

 

 強者だからとか、蔑んでいたとかじゃなくて。

 彼女は、持っていた。

 持っていたからこそ、出た言葉だったのだ。

 

 彼女にも、()ったのだ。

 一夏に夢が在るように。背負った男たちの夢や、隣にいてくれる人が在るように。

 セシリアには好敵手の想いや、背負った国が在った。

 

 技術力に差があれど、経験値に差があれど。

 背負った者。

 その点に関して、二人は、同じ位置にいたのだ。

 

 一夏は無意識に拳を握った。

 力いっぱいに。

 己に在るもの全てを握り締めるように。

 

(負けたくねぇ)

 

 明日の決闘は、夢のための第一歩だと思っていた。

 違った。それ以前の話だった。

 

 背負った者どうしの戦い。

 男たちの夢を背負った者。国を背負った者。

 

 在る者どうしの決闘。

 叶えたい夢や隣にいてくれる人が在る者。好敵手の想いや責任、誇り、執念が在る者。

 

 意地と意地。

 誇りと誇り。

 闘魂と闘魂。

 

 ある意味、()()()全てをぶつけ合う戦いだったのだ。

 

(負けたく、ねぇ!)

 

 それは己の夢のために、在るもののために。

 ()()()()()()()

 男なら誰もが持っている、意地。誇り。闘魂。欲求。

 

 純粋なまでに、自分自身のためにッ!

 

(俺は……俺は、この人に勝ちたいッ!)

 

 闘魂、起爆。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 決闘当日。

 満員のアリーナの上空は、それはそれは青く澄み渡っていた。

 まるで、羽ばたく者を迎えるかのように。




次回はバトル......なのだろうか!?


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

5話 起動!夢を(つく)る白き翼

一仮面ライダーギャレンです(イチカメンライダーギャレン)。
一辛味噌です(イチカラミソ)。

セシリアとの戦いは次回です。
遅すぎるッピ......ごめんッピ(タコピー)
とんでもない脱字をしてました。申し訳ないです。


 アリーナは満員。全学生全教員が晴天の空の下、戦いの始まりを静かに待っていた。

 強者セシリア・オルコットは『ブルー・ティアーズ』を纏い、空中にて挑戦者の登場を待ち構えていた。

 

「……」

 

 ピットで黙り込んだ一夏と箒、千冬の三人。彼らは一夏の専用機の到着を待っていた。

 

(凄まじい闘気だ……声を掛けることすら集中の邪魔になりかねない、か)

 

 一夏から少し離れた箒は、最初こそ彼に声を掛けようとしたが、結局何も出来ずに時間を過ごしていた。

 

 剣術や合気道、剣道を通して養われた箒の直感が感じ取る。

 一夏の全身から溢れる焔の如き闘気。どれほどの集中力と熱意があれば、これだけの気を放てるのだろうか。

 もはや箒が触れて良いものではなかった。

 邪魔はしたくない。彼女は隣にいる者として、静観することに決めたのだった。

 

(この二週間でよくそこまで鍛えたな、一夏)

 

 千冬は腕を組み、片目で一夏を映す。

 見たこともないようなオーラ。学園で毎日会っていなければ、一瞬、本当に弟なのかと疑うだろう。それほどの変化──成長。

 彼女は一夏に頼もしさすら覚えていた。

 もしかしたら。

 頭の片隅の何処かで、らしくもなく期待してしまっていた。

 

(俺に()るもの……)

 

 一夏は椅子に座って、俯いて、己に在るものを見つめる。

 絶対に折りたくない、叶えたい夢。目標。

 男たちから託され、背負った夢。隣にいてくれる人。

 意地、誇り、闘魂。

 

 全てを拳に握り締める。

 

 今からの決闘は夢のための第一歩でもあるが、それ以上に。

 同じ『背負った者』としての激突。

 負けたくはない。

 ────勝ちたいッ。

 

(この二週間、やれることは全部やった。あとは自分を信じて突っ走るだけだ)

 

 己に在るもののために、必死に努力した。成長を実感できた。実際に成長していた。

 在るもの、手に入れたもの。己の全てを余すことなく、全力でぶつけてみせると誓う。

 

(……ふぅッ)

 

 僅かな緊張感が思考に勢いを与えつつ、高まった自信が肉体に熱を寄越している。

 これ以上にない仕上がりだった。

 

 水面すら揺らさぬ静寂。

 一秒が十秒にも一分にも感じるような、重く、張り詰めた空気。

 

 変化は、真耶からの報告によって起こった。

 

『織斑君、織斑君!専用機がピットに到着しましたよ!』

「「「!!!」」」

 

 スピーカーの放送と共に、ピットに設けられた重厚な扉が開いた。

 ゆっくりと、ゆっくりと姿を現す、純白の機体。

 まるで主人に永遠の忠義を誓うかのように膝をつき。あたかも操縦者を知っているかのように、コックピットを一夏に向けていた。

 

「これが俺の────」

 

 専用機(あいぼう)

 

 共に男たちの夢を背負い、世界最強を掴み、宇宙(そら)を飛ぶ白き翼。

 一夏はその純白の機体へと歩み寄る。

 

(よろしく頼むぜ、相棒)

 

 コツンッ、と。

 全てを握りしめた拳を、一夏は機体にくっ付けた。

 まるで自分の全てを共有するように。

 機体は何も反応しない。だが、一夏の熱き炎だけは確かに受け取っていた。

 

「織斑、オルコットが待っている。早く乗れ」

「はい!」

 

 気合を含んだ返事で、一夏はコックピットに乗り込んだ。

 背中を預ける。装甲が全身を覆う。機体の情報が羅列される。ハイパーセンサーによって、知覚が飛躍的に上昇する。

 一夏と機体が、『一つ』になる。

 

「最初は初期化(フォーマット)最適化(フィッティング)だ。三十分ほどそこでじっとしてろ」

「慣らしで飛行したりってのは出来ないんですか?」

「出来るが、オルコットにクセを見抜かれる可能性もあるぞ?」

「なるほど……でもさせてください。俺、まずはこいつと飛びたいんです」

 

 一夏の視線は既に、閉ざされたハッチにあった。

 弟のあまりの変わり様に、千冬は訝しむ。

 

「お前、この間は“専用機に乗る資格が無い”とか言っていたが、随分やる気だな」

 

 若干皮肉めいた言い方だったが、千冬は聞いてみたくなった。

 何故一夏がそこまで変わったのかを。

 

「無いことは問題じゃなかったんです」

 

 一夏はハッチを見つめたまま答える。

 自分に在るものを噛み締めるように一歩ずつ、カタパルトへ進む。

 

「俺は、俺に在るもののために戦います。在るもののために、乗ります」

 

 カタパルトに足を乗せると、ハッチが音を立てて、少しずつ上昇していく。

 前方に広がるは戦場。待つ者は強者。

 始まるは、全てを懸けた決闘。

 

「そして今日、ここで」

 

 一夏は、横にいた千冬と箒を一瞥した。

 

専用機(こいつ)に相応しい男になってみせます」

「ッ!」

 

 千冬は目を見開いた。

 無いもののために戦ってきた彼女にとって、一夏の真逆とも言える答えは衝撃的だった。

 一夏は、自分に在るもののために、専用機に相応しい男になる──資格を手に入れる──と言ったのだから。

 

「一夏!勝ってみせろ!」

 

 箒は最後、一夏の姿に無我夢中になって叫んだ。

 直後、一夏の集中を乱してしまったのではないかと、口に手を当てた。

 

 だが、違う。

 

 彼女の心からの声援(さけび)は、一夏の燃える闘魂の薪木となる!

 

「おう……ッ!」

 

 ピピッ、と甲高い音。情報の羅列が終了。

 始まる『初期化』と『最適化』。

 明かされる機体名。

 

 『白式(びゃくしき)』。

 

(一緒に『夢』を(つく)ろうぜ、白式!)

 

 初めて呼ばれた名前は、『夢』と共に。

 

「織斑一夏────白式、行きますッ!」

 

 カタパルトが射出された。

 白き翼が、青いそらへと羽ばたいた。

 

「……篠ノ之」

 

 ピットに残された千冬は、ハッチの先の戦場を見つめる。

 いつの間にか逞しくなった弟。今まで自分が敷いたレールを覚束ない足で歩いていたのに、今では自分とは違う道を堂々と歩み出している。

 それが嬉しくもあり、ちょっと、寂しくもある。

 不思議な気分だった。

 

「管制室に行くぞ。あいつの決闘を見届けよう」

「はい……!」

 

 ◇

 

 満員のアリーナの中。セシリアが上空に佇む中。

 一夏は空を飛んでいた。

 

(分かるぜ白式。お前、今、俺を理解してくれてるんだな)

 

 『白式』がどんどん一夏の特性を理解していく。理解が一定に達する度に、カチャリと、一夏と機体の感覚を繋げていく。

 命令から動作までのラグが無くなっていく。次第にイメージ通りの動きが実現されていく。

 

(俺もお前の性能を最大まで発揮できるように、頑張るよ)

 

 何周もアリーナを周る。

 何度も見る光景は、しかし今の一夏には新鮮に映った。

 

 やがて。

 

 あるタイミングで、一夏の感覚が白式と完全に一体化した。

 全てのピースが埋まったような、気持ちの良い感覚。

 それは、機体が一夏を完全に理解したサイン。性能の全てを一夏が自由自在に発揮できる証。

 

 陽の光を浴びる白が、形を変えた。

 各部装甲はよりスリムに、鋭く。翼部はより大きく、力強く。

 その姿こそが、一夏を守る盾であり、一夏の握る剣であり。

 一夏と共に夢を創る翼。

 

 一次移行(ファースト・シフト)、完了。

 

 白式、爆誕────!

 

「一次移行を終えたようですわね。待っていましたわ」

「待たせてすまねぇ。んで、待ってくれてありがとな」

「えぇ。是非、待った甲斐があった、と言わせてくださいな」

「……おう」

 

 一夏は上空の青い機体を見上げる。

 好敵手の想いや国、責任、誇り、執念を背負った青色。空に同化するような、澄んだ青色。

 セシリア・オルコットが駆る『ブルー・ティアーズ』だ。

 彼女は既にロングライフルを握っていた。

 

(俺の武装は)

 

 一夏がそう思うと、それに応えるかのように白式は武装データを表示した。

 

(えっと……ッ!?『雪片弐型』……!?)

 

 姉がずっと使っていた刀『雪片』と、同じ名を冠する刀。

 ────千冬が世界最強(ブリュンヒルデ)の道を切り拓いた刀と同系統の刀。

 何故、同じタイプの武器が?

 いや、考え込んでいる時間はない。

 今は集中。一夏は雪片弐型を呼び出して、柄を握る。

 

(後は……後は……?)

 

 ない。『雪片弐型』以外の武器が、ない。

 

「え?」

 

 『ブルー・ティアーズ』は中距離射撃型のISだ。しかも操縦者はイギリス代表候補生セシリア・オルコット。

 そんな相手に、近接特化ブレードだけで挑めと言うのだ。

 冗談じゃない。

 

 でも。

 

「……やるしかねぇッ!」

 

 それくらい出来ずして何が『世界最強』だ?

 

 一夏は雪片の切先をセシリアへ向けた。

 ライフル相手に刀で挑もうとする一夏に、会場中が驚きどよめいた。

 だがセシリアだけは表情を変えない。

 セシリアだけは、目先の『戦士』を見ていた。

 

「あなたに在る全てを、わたくしにぶつけなさい!」

「当たり前だ!そんでもって勝つッ!俺の全てで、あんたの全てを超えてみせるッ!」

 

 両者の(まなこ)に火が灯る。

 一夏は灼熱の炎。セシリアは蒼炎。

 視線が交わった。

 

 決闘の始まりを告げるブザーが鳴り響く。

 会場中が歓声を上げる。真っ青な空に風が吹く。

 

さぁ、踊りなさい!このセシリア・オルコットとブルー・ティアーズの奏でる円舞曲(ワルツ)で!

 

最後の最後にどっちが立ってるか、勝負だセシリアァッ!

 

 背負った者どうしの全てを懸けた激突が、幕を上げた。




一次移行で窮地を救われる→勝利
の流れを無くしたかったため最適化と初期化をさっさと済ませました。
どちらが勝つか、ワクワクしていただけたら嬉しいです。

白式との出会いは丁寧に描写したかったので、戦闘パートと区切りました。

没案
「さぁ、踊りなさい!このセシリア・オルコットとブルーティアーズの奏でる円舞曲(ワルツ)で!」
鎮魂歌(レクイエム)を聞くよりかはずっとマシだな!」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

6話 全てを懸けた激突!

6話目にしてやっとバトル......
ちょっと長いです。


 第二アリーナ、蒼穹。

 白と蒼が相見(あいまみ)える。

 

「オォオオオオオオオオオッッ!!」

 

 始まりと同時、一夏は一気に加速した。翼部スラスターから青白い炎を噴き、セシリアへ猛然と肉薄する。

 しかし距離は縮まらなかった。

 

「そこッ!」

 

 冷静にセシリアは後退しつつ、ライフルの引き金を引く。高出力の光線は一切の慈悲を持たず一夏へと走る。

 

「うぉ!?」

 

 一夏は加速中だったにも関わらず、咄嗟に横へ飛んでビームを回避した。

 素人ではまず不可能な行動。だが、今まで真耶の極限レベルの射撃を対応してきた一夏にとっては造作もなかった。

 

「やりますわね!ですが!」

 

 回避した先で、一夏の視野に二基、死角にもう二基。BTが待ち構えていた。砲口がエネルギーに満ちる。

 白式のハイパーセンサーが警告音を流す。

 誘われた────!

 まんまとセシリアの策に嵌められた一夏は、ところがニヤリと口角を上げた。

 

 四方向からのビームを、きりもみ回転しながら前進して受け流す。

 

「なッ!?」

「何度あんたの試合を見たと思ってんだよ!」

 

 接近されたらどうするか、撃ち合いを始めたらどうするか。セシリアの初撃パターンは全て暗記済みだった。

 この二週間での対策が実を結ぶ。

 回転を終えても一夏は止まらない。再度炎を噴いてセシリアへ接近。

 出鼻を挫かれたのは一夏ではなく、セシリアだった。

 

 一夏の驚異的反応に、セシリアは舌を巻いた。

 けども彼女だって代表候補生だ。驚愕して隙を晒すような馬鹿な真似はしない。

 

「近づかれたなら退くまでですわ!」

 

 セシリアは後方へ勢いよく退いてその場を脱却。

 次の瞬間、直前までセシリアの肩があった空間を、雪片が斬り裂いた。

 

「速ぇッ!」

「まだまだ円舞曲(ワルツ)は序曲でしてよ!」

 

 セシリアを目で追いかけた一夏の視界には、既に光線が放たれていた。首を振って回避。さらに自分を囲むように散らばった四基のBTからの射撃も、すり抜けるように回避。

 

 そして右脚が弾かれた。

 

「あ、ァッ!?」

 

 回避の先に射撃が置かれていた。

 理解に時間は要さなかった。セシリアは()()が出来る実力者だ。その技術に、試合動画で何度も目を剥いたものだ。

 実際受けてみて、その精度の凄まじさに戦慄する。特訓で散々受けて慣れたはずの衝撃と痛みに、歯を食いしばり。

 

「なめんじゃ、ねぇ!」

 

 一夏の戦いの勘は、崩れかけた体勢すらも利用してみせる。

 弾かれた右脚の衝撃を使って、空中でぐるりと前転。BTの追撃を全て一度の動作で避けた。

 

「おぉおおおおおおッッ!!!」

「なんて滅茶苦茶なッ!」

 

 一夏の瞳が映すは、セシリアただひとり。再び雪片の刃を煌めかせ、間合いを詰める。

 当然セシリアはそれを許さない。自分の得意な距離を保つように下がりながら、ライフルとBTで一夏を襲撃する。

 

 永遠に縮まらないような間合いでの戦闘が展開される。

 一見、圧倒的にリーチの足りていない一夏が不利なようにも見える。実際、一年生の多くがそう見ていた。

 しかし、戦闘経験をある程度積んだ上級生は、一夏の立ち回りに驚愕していた。見事、とまで感嘆した者もいる。

 

「中距離タイプの苦手な距離をわかっていらっしゃるようですわね」

「こちとらどんだけ対策してきたと思ってんだよ!」

 

 一夏の接近は決して刀を打ち込むためだけじゃない。

 セシリアに有利な間合いで戦わせないためでもあった。

 彼女と同じ中距離型の真耶との特訓を経て、一夏は嫌というほど間合いの重要性を叩き込まれていた。

 

 一夏が縮められない、のではない。

 セシリアが()()()()()()、のだ。

 

(クッ、狙いづらいッ!)

 

 トリガーに添えた人差し指が躊躇して、一瞬だけ発射タイミングがずれる。

 結果、一瞬だけ先に動ける一夏が──それでもギリギリで──ビームを避ける。

 

 スコープで照準を合わせるには距離が近すぎる。目だけで合わせるには遠すぎる。

 距離を一気に離そうとすれば攻撃が乱れて隙を作ってしまう。縮めようとすれば一夏が有利な近距離戦に持ち込まれてしまう。

 あまりにも中途半端(かんぺき)な距離だった。

 

(織斑一夏、想像以上にデキるようですわね)

 

 結局、セシリアは現状維持を選択。

 ハイパーセンサーと経験を頼りに、一夏を狙撃していく。

 

(強ぇ。マジで強ぇ!)

 

 身を捩り、背中から炎を吐いて、光線を躱す。

 だが死角のBTに対して思考が間に合わない。一夏の背面が何度目かの直撃を喰らう。

 

「グッ、クァア」

 

 痛みと衝撃にうめく。

 

 自分が今戦っている人は、滅茶苦茶に強い。

 対策を積みに積んで、ようやく追いつけたくらいだ。

 勝つにはまだ、巨大な壁を乗り越えるにはまだ、何かが足りない。

 

 だが、まだ何かが足りないと言うならば。

 

 まだ成長の余地があると言うこと。

 まだ、羽ばたけるそらがあると言うこと。

 

 だったら。

 

(まだだ!まだ飛べるだろ織斑一夏ッ!)

 

 セシリアに、己に在る全てをぶつけるために。壁を乗り越えるために。

 夢のそらに高く羽ばたくために!

 

 一夏の進化はまだまだ続く。

 

 一発一発を躱す度に、喰らう度に動きを修正して、洗練していく。

 迎撃を浴びながらも、一夏は接近と回避運動を止めない。白き翼を広げて空を駆け回る。

 

 二週間前まではど素人だった少年が、今は代表候補生を追いかけていた。

 

 ◇

 

「凄い」

 

 管制室のモニターで試合を見守っていた箒が、ボソッと呟いた。

 それは想像以上の接戦だから、だけではない。

 幼馴染で大好きな少年が今、空を飛び、国を背負った者を相手に戦っている。灼熱の炎を瞳に宿して。

 実際見てみると、全然現実味がなくて。でも、カッコよくて。

 箒は、夢に向かって突っ走る一夏に夢中になっていた。

 

「……」

 

 千冬も、弟の戦い様と止まらない成長に目を奪われていた。

 見たこともないような熱き闘魂。千冬はそれに、一夏の中に在るものと彼が背負ったものの重さを感じ取っていた。

 

 ────『俺は、俺に在るもののために戦います。在るもののために、乗ります』

 ────『専用機(こいつ)に相応しい男になってみせます』

 

 いつの間にか私の弟は大きくなっていたんだな、と。

 千冬はとびきりの嬉しさと、どこか置いていかれたような小さな寂しさで胸がいっぱいだった。

 

「山田先生、織斑にどんな鍛錬を付けたんだ?短期間でこの仕上がりは相当なものだったと見受けるが」

「わ、私は基本だけしか教えてません。本当に、基本だけしか……」

 

 一夏の進化に一番驚いていたのは、何を隠そう彼をずっと見てきた真耶だった。

 明らかに特訓の時とキレが違う。違いすぎる。

 一夏の()()動きにはまだ無駄こそ多い。が、迫力がある。

 何者にも触れさせぬ()()、と言ったところだろうか。

 

 初めて見るタイプだった。

 

「あんな動き、見せてもいませんよ。なのにどうして」

「……なるほど。もしかしたら、織斑は基本を我流に昇華させようとしているのかもな」

「戦いの最中に、ですか?」

「戦いの最中()()()()()、だ。オルコットに必死に食らいついている証だろう」

 

 なんとなくだが、千冬は分かった気がした。

 一夏はきっと、己に在るもの全てを屈指して、セシリアを超えようとしている。

 今この瞬間にも、知識も技術も経験も総動員して、進化している。

 

 きっと自分にできることは、世界最強の座で、羽ばたく少年を見届けることなのだろう。

 

(一夏、私に見せてみろ。お前のありったけの力を!)

 

 ◇

 

 ビームで塗装を剥がされ、傷まみれになった白式が飛び回る。

 セシリアが放つ光線は地面で砂埃を上げ、観客席を守るバリアで波紋を作る。

 

(わたくしの狙撃を、見切りだしている────!?)

 

 ふと気づく。

 当たらなくなっていた。BTもライフルも、紙一重で空を切っていた。

 装甲を掠めるシーンはあっても、直撃はしない。

 

(ですが!)

 

 セシリアは戦いのプロだ。代表候補生として、幾度も経験と鍛錬を重ねてきた。実力だけでなく対応力も凄まじかった。

 攻撃を続けながら、一夏用の射線を組み立てていく。

 

(十!)

 

 一夏は必死に体を動かしつつ、BTの残弾をカウントする。

 これまでの試合動画通りなら、四基とも残り十発だけだ。仮にエネルギー効率が上がっていたとしても、せいぜい三、四発しか増えていないだろう。

 弾切れになれば、セシリアはエネルギー充填のためにBTを引っ込ませるはず。

 捌き切れば、好機が訪れる。

 

(九!)

 

 戦いの中で研ぎ澄まされる、精神と感覚。鍛錬の成果と燃えるような闘魂が、一夏に急速かつ爆発的な成長を促す。

 スラスターの出力を一回一回調整。機体を己の肉体のように操作。死角を雪片の刀身で防ぎながら、一夏は光線を受け流す。

 

 背負ったもの。己の中に在るもの。

 互いの全てを懸けた決闘が、互いを高め合っていく。

 一夏が感覚を研ぎ澄ませば研ぎ澄ますほど、セシリアの狙撃も精度を増していく。

 

「ふふ。良いでしょう、認めましょう!あなたは『戦士(ファイター)』であり、わたくしを楽しませるに相応しい『挑戦者(チャレンジャー)』ですわ!」

 

(八!)

 

 凄絶な意識の集中。

 射線を予測しつつ発射の瞬間を目で見て、スラスターを噴かす。

 銃口とビームだけでない。一夏はセシリアの瞳、つま先の向き、手首の微妙な動きすらも観察し、次弾の予測に盛り込んでいた。

 

 無数の青い線をひたすらに捌く。

 

「胸をいただきましてよ!」

 

 恐ろしいスピードで一夏用の射線を組み上げたセシリアは、宣言と共に引き金を引いた。

 BTの雨を潜り抜けた一夏に、一筋の光が伸びる。当たれば間違いなく、BTの全残弾の餌食になる────!

 

「ァア!!」

 

 彼は咄嗟に腕を交差して、ビームを受け止めた。衝撃で全身が軋み、腕を弾かれる。装甲が割れて破片を散らせる。

 

 しかし。

 ただ、()()()()だった。

 一夏は止まらない。

 

「は!?」

 

 次の攻撃に移行しかけていたセシリアは、思わず驚きの声を出してしまう。

 

「二ィ!」

 

 もはや空間を完全掌握していた。BTなど見ていなかった。

 その灼熱滾る瞳はセシリアだけを睨む。

 全てを握りしめた拳は今、雪片を握りしめる。

 死角を守る盾ではなく、全てを懸けた矛として。

 

 夢の道を切り開く、刀として。

 

「一ィッ!」

「ならばこれで堕ちなさい!」

 

 セシリアがライフルを深く構えた。

 奥の手、七連速射。

 ビームエネルギーを大量消費し、反動で隙を晒してしまう故に使いたくはなかった。だがもうそんな事は言ってられない。

 負けたくない。

 意地も誇りも背負ったものも、何もかも────この男に勝ちたいッ!

 内に宿る蒼炎が激しく猛った。

 

 代表候補生(セシリア)は歯を食いしばり、一気に七回、必殺の光線を撃ち放つ。

 

「ゼロ……!」

 

 見上げたそら。降り注ぐ光の槍。

 見たことのない技だった。でも驚きや困惑はなかった。

 血潮滾る(まなこ)は、突破口を導き出していた。

 

「俺は堕ちねぇッ」

 

 一夏は低く呟くと、ビームへと自ら突っ込んだ。

 推進剤を連続で爆裂させて、線と線の隙間をすり抜けるように上昇。鋭角を描くその姿はさながら白い稲妻のようだった。

 正面から迫るビームは、雪片を振るって外へ弾き飛ばす。

 

 道を斬り開いた。

 

 体勢が崩れたセシリアの真正面をとる。

 

 日光を背に受けた一夏は雪片を振りかぶる。ボロボロの、だが絶対に折れない刀が白く輝く。

 今こそ全てをぶつけ────

 

「ッ、?」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 一夏が瞬時に違和感に気付けたのは、『剣道』という常に真剣勝負の世界に身を置いた経験あってこそだろう。

 何か、様子がおかしい。

 大きな隙を晒しているにも関わらず、セシリアの表情に焦りがない。

 彼女の瞳は、雪片が振り下ろされる瞬間を静かに待っているようだった。

 弾切れとなったライフルに代わって握られた、その短刀が鈍色に光る。

 

 セシリアは俺を誘っている。

 

 そう思い至ったと同時。ハイパーセンサーが警告音を鳴らした。

 振り返ろうとしたがもう遅かった。

 背中に四基のBTが激突する。

 

「が、ハ!?」

「エネルギーが無くたって、これくらいは出来ましてよ!」

 

 まさか、弾切れになったBTをミサイルのように飛ばすとは思いもしなかった。

 不意打ちの模範解答とも言える一撃。

 

 奥の手すら、()()()()のための布石。

 

 一夏の思考がコンマ秒止まる。

 

 セシリアの洞察眼は好機を逃がさない。

 一度引いて距離を作ると、片手に握った短刀『インターセプター』を突き出して加速。セシリア自体が弾丸となり、一夏へ突撃する!

 

「ァアアアアアアアアアアアアッ!」

 

 淑女とは思えない、腹からの雄叫び。

 そこでやっと一夏の意識が戦いに戻り、セシリアを視界に入れた。

 もう両者に距離は無く。

 

「グアァッ!?」

 

 高速の弾丸が右脇腹の装甲に突き刺さる。肉を抉られたような激痛が一夏の意識を掻き乱す。

 『白式』が操縦者(いちか)にダメージを与えまいと絶対防御を発動。シールドエネルギーが一気に削られ。

 

「ぅ、ギァ」

 

 セシリアの背中を雪片が斬りつける。

 超至近距離ゆえに威力は半減されたが、尚も強烈。小さく鋭い一撃は、セシリアのシールドエネルギーを大幅に減らしてみせた。

 

 相打ち

 

 ────ではない。

 

「まだ、ですわ」

「!?」

 

 セシリアが短刀を離し、一夏の両腕を掴む。そのまま腕を広げて、一夏の無防備な腹部を曝け出した。

 すると、セシリアのスカート状の腰部装甲が前面に開放される。

 今にも意識が消し飛びそうな一夏の眼前に現れたのは、左右に一門ずつの砲口。

 

「ッぁ?」

「この距離なら外しませんわよ」

 

 背中が凍りついた。

 一夏の知っている物なら、二門の砲口はミサイル型のBTだ。

 それを、この密着状態で使おうと言うのだ。

 ミサイルの物理的なダメージに加えて、爆発にももろに巻き込まれてしまう。

 

 セシリア自身も深刻なダメージを受けるだろうに。

 普通じゃ考えられない覚悟と選択。

 

「さぁ」

 

 セシリアは不敵に笑ってみせた。

 ガチャリッ、と終幕の合図が鳴る。ミサイル発射の準備完了を告げていた。

 

「円舞曲のフィナーレといきましょう」

 

 会場にいた誰もがセシリアの勝利を確信した。

 セシリアだって、勝利を確信した。

 

「一夏、負けるな……!」

 

 管制室にいた箒はモニターを見つめ、両手を組んで彼の勝利を祈っていた。

 

「織斑君!」

 

 真耶が教え子の窮地に名を叫んだ。

 

(まだだろう、一夏ッ)

 

 世界最強は、弟の可能性を信じていた。

 

「ッ!」

 

 第二アリーナ、蒼穹。

 大爆発が起こった。

 爆音と衝撃波が響き渡る。黒い爆煙が一気に体積を広げ、黒雲を作る。

 

 煙から脱出したのはセシリアだった。

 頭から墜落していくのは一夏だった。

 

(あぁ)

 

 肉体が痛みと疲弊に悲鳴をあげている。機体が緊急アラートを鳴り響かせている。

 全身の装甲がひび割れて、煤で黒ずんでいた。

 パラパラと、一夏の周囲に装甲のカケラが散っていく。

 

 終わった。

 戦いが、終わった。

 

(ちく、しょう)

 

 誰もが言うだろう。

 あの男は凄かった、と。

 あの男なら次はセシリアを倒せるかもしれない、と。

 

 誰もが認めるだろう。

 二人が全てを懸けたこの決闘を。

 織斑一夏と言う、世界最強を目指す少年を。

 

(ここまで、なのか)

 

 もう十分やったよな、と。

 また次があるさ、と。

 諦めがよぎる。

 

(俺、は……)

 

 世界でたったひとりの男性IS操縦者は、静かに目を閉じ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(まだだ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ない。

 

(まだ、指が動くじゃねぇかよ……)

 

 真っ逆さまに落下する最中(さなか)

 

 まだ雪片を掴めていた。まだ拳を握れた。

 上等……。

 

(まだ、セシリアを見れるじゃねぇかよ)

 

 まだ両目はセシリアを捉えていた。

 上等。

 

(まだ、心臓が動いてるじゃねぇかよッ!!!)

 

 まだ鼓動は続いていた。呼吸ができた。

 上等ッッッ!!!

 

 一夏は歯を噛み締め、漏れかけた意識を飲み込み、セシリアを睨む。

 ボロボロだ。一発でもぶち込めば、勝てるかもしれない。

 いや、勝てる。

 戦いの勘がそう言っていた。

 

 何が十分やっただ。何が次があるさだ。

 まだやれる。まだ()()()()

 

 生きているなら、まだ戦えるッ!

 

(セシリアを超えたいんだろッ!セシリアに勝ちたいんだろッ!

 夢を叶えたいんだろッ!織斑一夏ァッ!)

 

 夢を追いかける少年は、絶対に諦めやしないッ!

 

 青く澄んだ宇宙(そら)に、傷だらけの手を伸ばす。

 夢の、あの宇宙へ。

 

(俺は……!)

 

 俺に在るものは────

 背負ったものは────

 俺の夢は────

 

(俺たちは……!)

 

 男たちが託してくれた夢は────

 隣にいてくれる人は────

 共に夢を(つく)ろうと約束した『白式』は────

 

 まだッ!

 

「飛べる!!!」

 

 灼熱の瞳が(ほむら)を上げた。

 

 一夏の言葉に、白式が応える。

 雪片弐型の白い刀身が割れて、青色の光を放つ刀身が顕現する。

 一夏にほとばしる熱き衝動。流れ込み、駆け巡る熱血。

 

 君となら何処までも飛べる、と聞こえた。

 僕が夢を創る翼になる、と言っていた。

 

「なんですの!?」

 

 砕けた腕部装甲を抑えていたセシリアは驚愕を隠せなかった。

 仕留めたと確信したはずの強敵が、武器を変形させたのだから。

 まだ、闘魂は燃え尽きちゃいなかったのだから。

 

 会場にどよめき走る。

 箒と真耶は何が起こったか理解できず固まり。千冬は誰にも分からないくらい小さく笑う。

 

「オォオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」

 

 魂の咆哮。どよめきを吹き飛ばす。

 一夏は雪片を逆手持ちにして、セシリアに向かって思い切り投擲した。

 ただ真っ直ぐに。無限の成層圏を突き抜ける勢いで雪片が飛翔する。

 

「……最後の悪あがき、ですのね」

 

 唯一の武器を投げる。誰がどう見たってただの悪あがきでしかなかった。

 外せば無防備で無装備になるのだから。

 それは見切れないほど速い訳じゃなかった。

 セシリアはズレるようにその場から引き下がる。

 

 真上で雪片が停止した。

 

「ぇ?」

 

 雪片の柄を掴んだ織斑一夏が、眼前に()()

 瞬時に理解する。

 

「この土壇場で瞬時加速(イグニッション・ブースト)!?」

 

 ゾッとし、青ざめた。

 セシリアの直感が大音量で危機を訴えた。

 

 一夏は、自分が投げた雪片よりも速く飛翔し、雪片に追い付いていたのだ。

 無意識だった。無我夢中だった。それほどまでに集中していた。

 それほどまでに、白式が応えていた。

 

 彼は今にも血反吐をぶち撒けそうな、嗄れた声で叫ぶ。

 

「いくぜ白式ィイイイ!!!」

 

 二つの魂、今融け合う時。

 

 今こそ、今こそ全てをぶつける時ッ!

 

 雪片が青色に燃え上がるッ!

 

「チェスッッットォオオオオオオオオオオオオッッッ!!!」

「ッッ!」

 

 (いかずち)を叩き込むような一閃だった。

 全身全霊の袈裟斬り。

 一夏が振り下ろした青い刃は、『ブルー・ティアーズ』の装甲を容易に斬り裂いた。

 絶対防御が発動。『ブルー・ティアーズ』のシールドエネルギーが急減する。

 

「フガァッ!」

 

 刀を振り切ると同時、脇腹を抉るようなインパクトに一夏は息を吐き出した。

 腹を見ると、刺された短刀がセシリアの蹴りで更に食い込んでいた。

 

(カウンターで蹴り、かよ)

 

 セシリアは防御も回避も捨てて、『攻撃』を選択していた。

 二度三度ひっくり返る展開の中で、彼女は一切弛緩することなく、闘志を燃やしていたのだ。

 

 一夏の搾りに搾ってようやく出たカスみたいな体力も、とうとう尽きた。

 全身から熱が失せていく。

 そらが遠ざかっていく。

 

(……なんて、すげぇ奴なんだ)

 

 最後の最後に、畏怖した。

 セシリア・オルコットと言う強者に震えた。

 

 ────『わたくしたちは自分が倒していった好敵手(ライバル)の想いや国を背負っています。

 だから諦めたり、妥協したりすることは絶対に許されないのですわ。

 責任を持ち、誇りを持ち、執念を持ち、戦い続けなくてはなりません』

 

 痛みと共に感じた。

 彼女が背負った想いや国を。責任、誇り、執念を。戦い続けると言う覚悟を。

 彼女に在る全てを。

 

 沈んでいく意識の中、それだけは一夏に残り続けた。

 

 二機が重力のままに墜落した。

 

 地面と激突して、鈍い音が鳴った。

 

 




全部書き切ると1万字超えるので分けました。
次回でケッチャコ…(バトルはないです)
GWは業務ウィークですので、更新は来週あたりになるかと思います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

7話 決して消えない心の炎

『カッケェ〜!』
『俺も飛んでみてぇ!』
『俺も戦ってみてぇ!』

 ある日、少年は夢を見た。
 空を自由に飛ぶ夢を。ロボットに乗って、戦う夢を。
 それは男の子なら誰もが一度は見る、壮大で輝かしい夢だった。誰もが一度は思い描く、無限の可能性を秘めた世界だった。

 夢を見る理由に理屈などない。
 好奇心であり、興味であり、欲求だ。
 かっこいいからとか、自分もやってみたいからとか。
 少年にとってはそれだけで充分だった。それだけで、世界が鮮やかに映った。

 何も考えず、夢中になって飛行機を追いかけた。
 空想と自分を重ねて、ロボットや好きな物の真似をしていた。
 いつか追いつけると信じて。自分もなれると信じて。

 だけど、大きくなって、現実ばかりを見るようになって。
 いつからか、追いつけるわけがないと思って足を止めた。
 無限の可能性の世界を捨てていた。

 夢を見なくなっていた。

 あんなに憧れてたってのに。


(……ッ)

 

 意識が戻った。

 瞼を上げると、ぼやけて歪んだ世界が広がっていた。茶色はアリーナの地面で、白は壁だろうか。それで、あの細くて青色のシルエットは……。映るもの全てをはっきりと認識するまでに、数秒かかった。

 徐々に他の知覚も、うっすらとではあるが目を覚ます。

 音は聞こえない。背中が陽の光に照り付けられて熱い。右脇腹にぐちゃぐちゃにされたような痛みが残る。

 全身が砂まみれでザラザラする。

 

(あぁ、クソッ)

 

 ようやく、自分の置かれた状況を思い出す。

 

(セシリアを斬って……カウンターで蹴り食らって……一緒に堕ちたんだったな)

 

 ぼんやりとした意識で、ダッセェな、と自分を鼻で笑った。

 

(早く……立たなきゃ)

 

 一夏はぼろぼろの手足に、持ちうる意識の全てを注ぐ。

 ゆっくりと、ゆっくりと。関節を曲げて、手のひらを広げて、おもむろに立ち上がる。

 ちょいと風が吹けば倒れてしまいそうなくらい、足がガクガク震える。

 まともに体を支える力も残っちゃいない。自重だけで皮膚が破けてしまいそうだ。

 肺を膨らますだけで、毛穴と言う毛穴から血が噴き出そうになる。

 

 だけど、立ち上がった。

 

 まだ心臓が動いているから。息が吸えるから。

 

 まだ、飛べるから。

 

「……は?」

 

 長身のライフルを支えになんとか立っていたセシリアの声が、小さく揺れた。

 困惑と驚愕。目の前の出来事が、ただただ理解不能だった。

 

「あなた……まだ立てると言うの?」

 

 瞬間、アリーナから完全に音が消えた。

 誰もが言葉を殺し、息を呑んだ。

 信じられない光景だった。

 全員の視線が、彼に集まった。全員の耳が、彼に傾いた。

 

「まだ、だ」

 

 力強くそう言って。

 覚束ない足で歩み出す。一歩一歩が、衰弱しきった病人のように弱々しい。地を踏むたびに、肉体の至る部分が軋んで砕けそうになる。

 それでも、一夏は着実にセシリアとの間合いを詰めていく。

 

 ────『自分勝手で失礼なのは承知ですが、お願いです。夢を託させてください』

 ────『織斑さんが空を飛ぶ姿を、いつか我々に見せてください』

 ────『男の浪漫と夢を、この世界に羽ばたかせてくれ!』

 ────『君は私たち男性の代表なんです!胸を張ってください!ずっと応援してます!』

 

 背中を押したのは、男たちが託してくれた幾つもの夢だった。

 

 ────『私はお前の隣で、お前の夢を見届けたい。織斑一夏が沢山の男の夢を背負って、世界最強になって、宇宙(そら)を飛ぶ姿を、見てみたい』

 

 肉体に駆け巡る熱い血は、隣にいてくれる人がくれたひとつの言葉だった。

 

「諦めるわけにはいかねぇんだよ……」

 

 もしここで諦めてしまったら。

 目を瞑ることを良しとしてしまったら。

 託された夢も。もらった言葉も。己に()る全ても。何もかもが、消えてしまう気がした。

 それだけは嫌だ。

 なんとしてでも背負ったものを、己に在るものを、守り抜きたい。

 

 真っ直ぐに貫きたい。

 

「止まりたくねぇんだよ……」

 

 いつかのように足を止める、なんてことはしたくなかった。

 いつかのように無限の可能性の世界を捨てる、なんてこともしたくなかった。

 

 大きくなって、現実ばかり見るようになって。

 確かに、あんな世界はあり得ないと否定した。過去のはしゃいでた自分を馬鹿らしいとも思った。

 夢なんて所詮は幻想に過ぎないと考えてきた。

 

 だが、今は。

 

 男たちの夢と希望、そして無限の可能性が詰まった『IS』を動かせると知った今は。

 

 小さな頃に憧れたあの夢に向かって、突っ走りたい。

 だって、地球上の男で唯一、自分()()が叶えられるかもしれないのだから。『IS』を動かせる自分()()、憧れたあの夢を叶えられるのだから。

 

 今まで夢に向かって突っ走ってきた男たちから、バトンを受け継いだのだから。

 

 視線を上げた。世界を照らすような真っ直ぐな瞳で、『ブルー・ティアーズ』を纏うセシリアを捉えた。

 超えるべき──絶対に超えたい巨大な壁を見据える。

 

「……!」

 

 セシリアは今にも死んでしまいそうな一夏の、しかし未だ灼熱に燃える瞳に射抜かれた。

 体が強張る。

 デコピンでもすれば倒れそうな少年を前に、一寸も動けない。

 

「俺は……」

 

 もう、何度握りしめただろうか。

 悔しくて、握りしめた。

 嬉しくて、握りしめた。

 決意して、握りしめた。

 

 一夏は今まで何度も握り締めたその拳を、今、もう一度握りしめる。

 今度は己に在る全てを、その小さな手に込めた。

 

 両者の距離が静かに縮まっていく。

 たじろいだセシリアは抵抗する素振りすら見せない。杖代わりのライフルに体重を預けて、呆然と立ち尽くしていた。

 観客は少年に釘付けにされて、歓声のひとつも上げれなかった。

 

「もう良いんだ、一夏」

 

 管制室にいた箒は、合わせた両手を胸に押し当てて。

 

「……」

 

 真耶と千冬は信じ難い映像を前に、自分たちの役目を忘れてしまって。

 

「俺たちは……」

 

 いよいよふたりの距離がゼロと化して。

 織斑一夏は、拳を構えた。

 

「まだ、飛べる」

 

 彼は白いガントレット──白式の待機状態──が嵌められた右腕を、前へと突き出した。

 

 こつん、と。

 

 セシリアのちょうど腹部にあった装甲に、一夏の拳が当たった。

 あまりにも軽い音。

 しかし静寂のアリーナにはよく響き渡った。誰もがその音を聞き取った。

 

 拳を密着させたまま、一夏は動かない。

 

 水面すら揺らさぬ沈黙が挟まれる。

 

「………………なぜ、そこまでしますの?」

 

 溜めに溜めて出た言葉は、至極単純な疑問。

 セシリアには全く理解できなかった。なぜ、生身になっても立ち上がり、ISに立ち向かえるのかが。

 この状況は絶望的である。武器を持たない、それも満身創痍の人間がISに勝てる道理などあるはずがない。

 彼自身もわかっているはず。

 だと言うのに、なぜ?

 

 返答は、無い。

 

「……!?」

 

 それから、やっと、セシリアは気付いた。

 

「あなた、意識が……」

 

 言葉に反応するように、一夏の顔がかくんと下を向いた。

 だが、拳は下がらない。まだ戦う気があるかのように、セシリアにくっ付けたままだった。

 

 意識果ててもなお燃え止まぬ闘魂。

 

「────ッ」

 

 セシリアは震え上がった。一夏の底知れぬ執念に、恐怖を感じた。

 彼に押し出されるかのように、彼女は後退する。と、セシリアと言う支えを失って、一夏が前のめりに倒れ込んだ。

 

 宇宙(そら)を目指した少年が、地に這いつくばった。

 

 意識を取り戻してすぐの気絶。下手をしたら生死に関わる事態だ。

 開かれたハッチから担架を持った教員が飛び出した。大急ぎで一夏を担ぐと、応急処置をする時間すら惜しいのか、すぐに保健室へと走っていった。

 

 およそ先ほどまでの激闘からは想像もつかないような、静かな決着。

 

 戦場にはただひとり。

 最後の最後に立っていたのは、セシリアだった。

 

(最後の最後に、絶対に負けてはいけない部分で……ッ!)

 

 俯いて、力いっぱいに歯噛みする。

 そこにあったのは、決闘の勝者には似合わぬ表情。

 得られたものは、価値ある勝利ではなく。

 

(後退など、敗北を認めるような行為ですわ。だと言うのに、なんて無様な!)

 

 銃身を握る力は強まるばかりだった。

 

 停止していた時間が動き出したかの如く、観客席がざわつき始める。

 話題は揃って一夏についてだった。

 大多数に予想された通りの結末は、ところが見た者全員の記憶に焼き付けられることとなった。

 

「オイオイオイ。なんか今年の一年、レベル高くねぇか?」

「私らも頑張らなきゃ簡単に抜かれちまうっスね」

 

 ある者たちは危機感を覚え。

 

「織斑一夏君……まだ“様子見”かしらね」

 

 ある者は彼を、引き続き見守ることにした。

 

 ◇

 

 無限の成層圏へ、手を伸ばした。

 無限の可能性を秘めた世界へ、走り出した。

 

 だけど、届かなかった。

 

 背中には白い翼があったのに。

 夢が(えが)かれた眩しい風に、背中を押してもらったのに。

 彼女に貰った熱い血が、何度も力をくれたのに。

 

 己に()る全てを懸けても、まだ、届かなかった──────。

 

 

 

 

 

「ちく、しょう……」

「一夏!」「織斑君!」

 

 目を覚ますと、なんの模様もない白い天井が広がっていた。

 

「……あれ?」

「一夏、大丈夫か!?」

「箒?それに山田先生も」

 

 一夏の隣で、箒と真耶は椅子に腰を掛けていた。二人とも一夏の顔を見るや否や、安心してため息を吐く。

 

「ここ保健しィ、イッテェ!」

 

 両手を使って上体を起こすと、一夏は右脇腹に亀裂が入ったような痛みに襲われた。思わず低く呻いてしまう。

 全くと言って、箒が一夏の体勢を直してやる。

 

「痛み止めも効かんとは、随分酷くやられたな」

「お、織斑先生……」

 

 箒らの向かい側では、いつもの黒いスーツを着た千冬が腕を組んでいた。

 

「やっぱ俺、負けちゃったんですよね」

「そうだ。お前は負けた」

 

 期待していた訳じゃないが結果を確認した一夏に、千冬はなんの躊躇いもなく答える。

 遠回しな、慰めるような言い方を探していた箒と真耶は目を丸くした。いくらなんでも酷すぎる、と。

 

 はは、と一夏は小さく笑った。

 二人から見ると、凄く、辛そうだった。

 

「でも先生はちゃんと見ましたよ!今日は特訓以上のことが出来てました。先生、みんなに『私が教えた』って自慢しちゃいたいくらいですよ!」

 

 真耶は一夏を指導した者として、元気づけるような言葉を掛けた。

 

「最後の最後まで、立派だった」

 

 気持ちをどう表現して良いか分からず、でもせめて励ましたいと思い、箒は優しくそう言った。

 

「……ごめんな、箒。すみませんでした、山田先生」

 

 それが余計に辛くって。

 一夏はもはや謝るほか無かった。

 二人はそこで改めて、一夏がどれだけ決闘に想いを懸けていたのかを悟った。だから、謝るな、とは言えなかった。

 

「俺……俺、あんなに励ましてもらったのに!あんなに時間使ってもらったのに!それでも勝てなかった!」

 

 何十回も握ったであろうその手は今、掛け布団をぐしゃぐしゃに握りしめていた。

 

「本当に情けねぇッ」

「情けなくなんかない。お前は出来る限りを尽くしていたじゃないか」

「でも結果として負けたくない戦いに負けたんだ。みっともねぇよ、俺は……」

 

 吐き捨てるように言って、一夏は腕の白いガントレットに視線を落とす。

 全てを懸けた戦いに負ける。それは即ち、己に()る全てが負けたことを意味していた。

 幼馴染の言葉も、託された男たちの夢も、自分の夢も。意地も誇りも何もかもが、負けたのだ。

 

 形容しようがないほど悔しくて、一夏は歯を食いしばって黙り込む。

 触れられなかった。箒も真耶も、どうしようもなかった。

 

「0.09秒と13センチ」

 

 ただ、世界最強のIS乗り、織斑千冬は冷徹に告げた。

 

「お前とオルコットの勝敗を分けた差だ」

「……セシリアの方が先に動いてたんですね」

「あぁ」

 

 一夏は指を使って、13センチをイメージする。普段使っているシャープペンシル程度だろうか。

 

 小さいな、と感じた。

 

 頭の中で、0.09秒で出来ることを考える。そう言えば、人間の一回の瞬きはおよそ0.1秒と聞いたことがあったな。

 

 短いな、と思った。

 

 ()()()()()()()だったんだな、と他人事のような気持ちになって。

 

 13センチを作った指が、小さく震えた。

 瞬きして閉じた目が、開かなくなった。

 

「たったこれだけの差かよ……ッ!」

 

 13センチ差の根性で負けた。

 0.09秒差の経験で負けた。

 

 もう少しで、届いたじゃないか。

 

 誤魔化しきれない悔しさに、歯を食いしばった。

 放課後の鍛錬の時間を30分でも伸ばしていたらとか、どこかで違う判断をしていればとか。嫌でも考えてしまう。

 結果は変わらないと知っていても。

 

 迫り上がるものを(こら)え切れなかった。

 一夏の頬を、透き通った涙が伝う。

 

「なんで埋められなかった。なんで、なんで!」

 

 自分を責めるように嘆く。

 あと一歩で手が届いたかもしれないと、知ってしまったら。あの強い人を超えられたかもしれないと、思ってしまったら。

 諦めきれない。今すぐにでもあと一歩、いや、更にその先へ進みたい。

 掛け布団から離した手で目尻を雑に拭う。

 

「畜生……畜生ッ!」

 

 鼻を啜る音が、それだけで箒たちの言葉を失わせた。

 

「悔しいか?」

 

 千冬は腕組みしたまま、確かめるかのように一夏に聞く。

 即答だった。

 

「悔しいに決まってるじゃないですか……。

 勝ちたかったに決まってるじゃないですか!」

 

 箒も千冬も聞いたことのないような、震えた声。

 見え隠れする彼の瞳は、灼熱に燃えていた。

 

 まだ心の炎は消えていない。

 世界最強を目指す男は、まだそこにいる。

 千冬は強く確信すると、ぎらりと目つきを鋭くして言い放つ。

 

「ならば、その悔しさをも(たきぎ)にして上がってこいッ!」

 

 ぴたりと、一夏の手が止まる。

 箒らも言葉の意味を理解して、驚いてしまう。

 

「千冬姉……」

「敗北を知った者は()()()()()()()()()()()()()()()()。今日の気持ちを、決して無駄にするなよ」

 

 ()()()()()()()は、それだけを言い残して部屋を去って行った。

 

「待ってくださいよ織斑先生!」

 

 真耶も一夏たちを一瞥してから、後を追うように保健室を出ていく。

 部屋には傷だらけの少年と、その幼馴染のみとなった。

 

「……いち、」

 

 名前を呼びかけた声が喉でつっかえた。

 少年は、閉まった扉に眼差しを向けていた。

 

「超えたい」

 

 涙をこぼしながら、決意したかのように呟く。

 

「セシリアも、千冬姉も、何もかも超えたい。

 超えて……世界最強になって、宇宙(そら)を飛びたい!」

 

 それに理屈などなかった。

 欲求であり、使命感であり、意地だった。

 夢を託されたから。隣にいてくれる人がいるから。憧れた夢へ、突き進みたいから。

 少年にとってはそれだけで充分だった。それだけで、胸の奥が燃え上がった。

 

 彼は、いつか必ず全てを追い越すと、己に在るものたちへ誓う。

 

 真っ直ぐに何かを見つめる少年の拳に、箒はそっと手を当てた。

 

「お前なら、絶対にできるさ」

 

 やわらかく、微笑んだ。

 箒は信じている。

 きっと、一夏はこの敗北さえも力に変えると。

 

「……ゥグッ、ゥあ……」

 

 IS学園の一室にて。

 男の熱い涙が、そこにはあった。

 

 ◇

 

「織斑先生〜!」

「騒がしいぞ、山田先生」

 

 廊下を歩いていた千冬に、真耶が何とか追いつく。

 

「いくらなんでもあれは酷すぎますよ。もうちょっと優しい言い方があっても良かったんじゃないですか?

あれじゃ凹みますよ」

「やわな男には育ててないさ」

「せ、せめて頑張りくらいは褒めてあげても」

「それは面倒を見ていた山田先生の役目だ」

 

 聞くなり、真耶は若干不満そうな顔をした。

 千冬は毅然としている。まるで、自分は別の役目を果たしたと言わんばかりに。

 

「織斑君、あんなに泣いてて……よっぽど悔しかったんでしょうね」

「だろうな」

「私がもっと沢山教えていたら……なんて、言ったらダメですよね。すみません」

 

 悔やむことがあったのか、真耶の声音には明るさが抜けていた。

 無言の時間の中、何度目か、千冬は決闘を振り返った。

 

「……二週間、一夏が世話になった」

「え?」

 

 廊下に響いていた足音が()む。

 

「先生の教えがあったからこそ今日のアイツがあった。二週間、ありがとうございました」

「え、あ、は、はい!」

 

 珍しく直球で感謝を述べた千冬にびっくりして、返事が上擦ってしまった。

 

「また何か教える機会があったら、アイツをしごいてやってくれ」

「も、勿論です!」

 

 再び二人が歩み出す。

 真耶は初めて見る千冬の姿にあたふたしていた。

 

(私はここにいるぞ)

 

 世界最強の女は待っていた。

 自分に果敢に挑戦しようとする者を。

 

(挫折も屈辱も、何もかも超えてみせろ、一夏!)

 

 織斑千冬は信じている。

 あの涙の伝った跡さえも、自分を()ぎ上げた証になると。




予定だと次回で一章(?)最終回です。
続きは考えていますが、どうしても一夏のヒーロー嫌いの設定を無くしたり、オリキャラ(女)登場させたりしたいので「これ大丈夫なんかなー?」って感じです。

アルェ?クラス代表ってどうなるぅ...?
そんなもん知るか(シャモ)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8話 昨日の強敵は今日の好敵手(ライバル)

感想や誤字報告などなど、本当にありがとうございます。
励みになっております。

一夏ってモンハンでハンマー使ってそう


 セシリアと一夏の決闘から一夜が過ぎた。

 春の朝とは思えないほど眩しい日差しが、窓を抜けて教室へ差し込む。

 

「おはよー!」

「おっは〜!」

 

「今朝のニュース見た?」

「見た見た!あれマジでさ〜」

 

「ちょっと聞いてほしいんだけどさー」

「なになに?」

 

 今日も一年一組に、元気な声が飛び交う。

 ファッション雑誌を片手に盛り上がる者もいれば、身の上話で談笑している者もいる。初対面からはや二週間、既に和気藹々とした雰囲気が形成されていた。

 

 しかし箒だけはひとり、自分の席で俯いていた。

 どうしても今日は、雰囲気に馴染めなかった。

 

(一夏……)

 

 昨日の一夏を思い出す。

 全身のあらゆる箇所に包帯を巻いていた。痛々しい姿だった。

 あの状態で授業を受けられるのだろうか。

 朝食の時に姿を見なかったこともあり、心配で胸がいっぱいだった。

 

「おはようございます、皆様」

「おはよう、オルコットさん」

「おっはよーセシリア!」

 

 いつものように、ホームルーム十分前にセシリアがやってきた。

 品格ある立ち振る舞いは、決闘を終えても変わっていない。

 箒は横目でセシリアを見つめる。意識して彼女を観察してみると、なるほど。至る部分に強さが隠されている。

 

(歩行の軸が一切ブレていない、体幹が鍛えられている証拠だ。

腕をある程度脱力しているのは、すぐに武器を構えられるようにしているのか)

 

 ほんの数秒だけで、どれだけ厳しい世界を生き抜いてきたのかが窺えた。

 

(……強いな)

 

 武を嗜んでいる身として、強さを探求する者として、素直にそう思った。

 一夏が負けたのは偶然じゃなかった。完全な実力差──0.09秒と13センチ──だと、改めて理解する。

 

 これが、一夏が超えなくてはいけない壁なのか、と。

 数字以上の大きさに感じて、箒は自分のことではないと言うのに身震いしてしまった。

 

(ん?)

 

 セシリアを目で追っていると、どう言う訳か、彼女が近づいて来た。

 

「おはようございます、篠ノ之さん」

「あ、あぁ。おはよう」

 

 何気に会話したのは初めて。

 やわらかい表情のセシリアへ、箒は困惑気味な声を返した。

 

「織斑さんはどちらに?」

「すまない、私にも分からないんだ」

「そうですか」

 

 セシリアはたった一つの空席へ視線を向けた。

 少し不思議に思って、今度は箒から聞いてみる。

 

「一夏に何か用か?」

「えぇ。今すぐにでも言いたいことがありまして」

「……そうか」

 

 何を言うのだろうか。箒はセシリアを前にして考えてみる。

 勝ち誇るのだろうか。一夏の今までの発言を馬鹿にするのだろうか。

 

(もし、もし一夏が何か言われたら私は……)

 

 何をすれば良いのだろうか。

 隣にいる者として。

 

「……あ」

 

 気づけばセシリアはとっくに自分の席に座っていた。

 プライドが高く近づきにくい雰囲気のあるセシリアだが、彼女と仲のいい女子曰く『話すとそんなことない』ようで、周囲を数人が囲っている。

 

(これから一夏は、あんな風に、みんなと話せるのだろうか)

 

 ただでさえ怪我が心配なのに、今後の事を思うと更に不安が募る。

 あれだけ大口を叩いて負けたのだ。しばらく冷やかされたり、馬鹿にされたりしてもおかしくはない。

 

(一夏……)

 

 時計の長針が五を指した八時。甲高い予鈴が学園に響く。

 それと同時に一組の扉を開けたのは織斑千冬と山田真耶だった。

 

「全員席に着け。ホームルームを始める」

 

 千冬の一言で全ての会話が中断された。

 がらがらと椅子を引く音が止むと、セシリアが挙手する。

 

「先生、織斑さんはどちらに?」

「あぁ、あの馬鹿ならもうそこにいるぞ」

 

 出てこい、と千冬が扉へ言い放つ。

 二秒ほどの沈黙を経て、ようやくその少年は姿を現した。

 

「お、おはようみんな……」

 

「「「……」」」

 

 鉢巻のように額に巻かれた包帯が印象的だった。

 猫背気味の姿勢で教室に入った一夏は、少女たちから目を逸らして自分の座席へと歩む。

 

(無理だ、キツすぎる)

 

 一夏は今すぐにでもこの部屋を抜け出したい気分だった。

 朝食の時間を遅らせた理由だって、他人に見られたくなかったからだ。大口を叩いて負けた、自分の無様な姿を。

 

 出来ることなら一限目の直前にさりげなく入室したかった。

 今日だけは箒や先生以外とは会話したくなかった。それくらい自分が恥ずかしくて情けなかった。

 しかし残念ながら寮監は鬼の教師・織斑千冬。朝食中を発見されてしまい無理やり連れ出されて今に至る。

 

(これどうやって過ごせば良いんだよ)

 

 明らかに自分に集まっている視線が痛い。

 はっきり言って耐えられない。

 

(冷静になってみりゃ勢いで言いすぎなんだよな俺……)

 

 もちろん、夢が失われた訳でも、熱意が消えた訳でもない。むしろその逆で、今すぐにでも夢へ走り出したい。

 だがそれはそれで、これはこれ。一夏は過去の言動を振り返り、余計に恥ずかしくなりつつ反省する。

 

(ほんとやだどうしよ「ちょっと、織斑さん」

 

 思考を遮ったのは、自分の名を呼ぶセシリアの声だった。

 振り向くかどうかちょっと迷った彼は、ワンテンポ置いて首だけ捻ることにした。

 

「ど、どうした」

「一体何度呼べば良いのかしら……全く」

 

 ぼやいたセシリアが立ち上がる。

 それまで一夏にあった視線が一斉にセシリアへと移った。が、セシリアはそんなこと気にすることなく、堂々と一夏へと迫る。

 

(まさか)

 

 箒は、恐れていたことが起きるのではないかと身構えていた。

 

「……」

「え、えっとぉ……」

 

 目の前で立ち止まったセシリアに、一夏は困惑を隠せない。

 ただ、彼女の態度や表情が傲慢なものではないことは、直感で理解できた。すぐにそう思えたのはきっと、互いの全てをぶつけあったから、なのだろう。

 

 少女たちが見守る中で、セシリアが口を開いた。

 

「もう一度、決闘をしましょう」

 

 その言葉に、一夏は射抜かれたような衝撃を受ける。

 再戦したいと思っていた相手から、まさか再戦願いをされようとは。自分に勝ったはずの相手が、もう一度戦おうと言うとは。

 予想だにもしていなかった。

 当然他の者も予想できたはずもなく、一組がどよめき立つ。

 

「どうしてだ?」

「わたくしはあの瞬間……貴方が立ち上がり拳を構えた瞬間、貴方に恐怖して後退してしまいましたわ」

 

 声音から滲み出ていたのは、一切の不純物を含まぬ悔しさだった。

 

「はっきり言って屈辱でしたわ。なんの武器も持たぬ人間に、怯えてしまったのですから」

「でも君は俺に勝ったじゃないか」

「勝った……?」

 

 セシリアの眉が不機嫌そうにピクリと動いた。

 

「確かに、貴方の言っていた『最後の最後にどっちが立ってるか』と言う観点で見ればわたくしは勝ったと言えるのでしょう。

 ですが、わたくしはセシリア・オルコット!試合はもちろん、意地でも根性でも執念でも、全てにおいて勝ちたいのですわ!!!

 だから、今回の決闘は試合には勝っても勝負では負けた気分なのですわ!」

「そ、そうか……」

 

 プライドの高い彼女が自ら、自分の負けを認めるとは。……いや、プライドが高い故に、自分に厳しいのだろう。

 ムキになるセシリアの前で、一夏は勝手に一人で納得した。

 

 そして、自分に対して本気で向き合ってくれるセシリアに、少し嬉しくなって。

 

「それで。再戦、してくださりますの?」

 

「……俺も、君を超えたい(に勝ちたい)と思ってたんだ」

 

 宇宙(そら)を目指す少年が、立ち上がる。

 対峙する少女は、超えるべき、そびえる巨大な壁。

 

「次に戦った時は絶対に勝つ。それこそ、試合でも勝負でも。

 今すぐにやろうとは言えないけど、俺からも是非再戦をお願いしたい」

 

 その瞳は敗者には似合わないほど熱く。その差し出した手は挑戦者に相応しい力強さで。

 セシリアは昨日の強敵が、既に好敵手へ進化していたことを知る。

 

 ならば応えねばなるまい。

 高め合う良き好敵手として。拳を交えた友として。

 

「ありがとうございます」

 

 握手が交わされた。この瞬間、二人の再戦が決定された。

 見つめ合う両者に微笑みがこぼれる。

 

「わたくしのことはセシリアとお呼びくださいな」

「俺も一夏で良いぜ。よろしくな、セシリア」

「はい、一夏さん」

 

 もはや二人の垣根は消えていた。

 やっと仲良くなった彼らに、クラスメイトらも喜びを隠しきれず拍手を送る。

 

「ようやくじゃ〜ん」

「ついに一組完成って感じ!」

「わ〜い!セッシーとおりむーが仲良くなった〜!」

 

 誰が想像できただろうか。

 昨日の激戦から、みんなが笑顔になる光景を。

 彼らの青春は今、眩しいほどに光り輝いていた。

 

(ぐぬぬ、何故こんな羨ましい展開に)

 

 ただ箒だけはちょっと妬いていた。

 もちろん一夏とセシリアが仲良くなったことは嬉しい。それにクラスの様子を見る限りじゃ、一夏は今後上手くやっていけそうだ。

 ただ何か、何かズルい気がする。美味しいところを持っていかれたような……。

 

(いやいや、何を考えているんだ私は!二人が仲良くなったんだぞ、不純じゃないか!)

 

 嫉妬心を払拭するように首を振った。

 けど、やっぱりセシリアが羨ましい。

 

(……良いな)

 

「あぁ、ゴホン」

 

 拍手の嵐の中、唐突に咳込んだのは。

 鬼の教官、元世界最強、織斑千冬その人。

 

「……今はホームルーム中なのだが、なるほど。諸君らは私の話はどうでも良い、と」

 

 クラスが凍りついた。

 

「あっ」

「あっ」

 

 一夏とセシリアの顔から血の気が引いた。

 特に一夏はこれから降りかかるであろう何かを悟った。

 

「良かったなぁ織斑、早速リハビリができるぞ」

「あっ、いえ、これはですね……」

「セシリア・オルコット、織斑一夏。両名にはホームルームを中断させた罰を与える。()()()準備しておくように」

 

 確かに、IS学園は『IS』、つまりは一国を滅ぼすことも可能な『兵器』を扱う学園である。だから上官の命令は絶対だし、上官へ逆らったり妨害することも許されない場所だ。

 それにしたって、今回はあんまりにも。

 

(情けがなさ過ぎですよ……)

 

 千冬の隣にいた真耶は、悲しげな目でその二人を眺めるしかなかった。

 

(うむ、やっぱり羨ましくないな)

 

 箒の嫉妬心は一気に冷めて、むしろ一夏たちを憐れんだ。




えぇ、ここまで書いて気付きました。
白騎士事件の説明忘れてたお>\(^o^)/
どこかで辻褄合わせます。

今後、何人かオリキャラ(女)が出ます。苦手な方はご注意ください。
当然ですが、皆様に愛されるようなキャラを目指します。

次章はセカンド幼馴染とメガネ特撮ヲタ日本代表候補生のお話にする予定です。
二人の魅力を引き出せるよう、頑張ります。

私生活が一段落したので更新を早められたら、と考えています。

一章目おわり!
8/24追記
誤字修正していただきありがとうございます!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二章 vs更識簪、凰鈴音編
9話 見据えた壁


第二章が始まったので初投稿です。
鈴の登場は次回を予定してます。

※2024/2/28
本来こう言うことは書くべきではないかもしれませんが、本章は中弛みが酷いです。バトルだけ見たい方は13話からご覧になられることをオススメします。
偏に私の実力不足でした。申し訳ございません。
9〜12話のあらすじは、13話の前書きに記載しています。13まで飛ばされる方は、ぜひそちらをご覧ください。よろしくお願いいたします。


 セシリアとの決闘からはや十日が経ち、四月も終わりに差し掛かってきた頃。

 一夏はその日の晩も、グラウンドの地面を蹴飛ばしていた。

 

「ふぅ、ふぅ、ふぅ!」

 

 月明かりを受けて、滴る汗が淡く光る。

 入念な治療と経過観察を受けて、セシリア戦の怪我もだいぶ治ってきていた。

 しかし完治まではしていないためにISの装着許可が貰えずにいた。そのためISの修行が再開できない日々を過ごしていたのだった。

 

 が。

 

(クラス対抗戦まであと二週間弱……目指すは優勝ただひとつ!)

 

 クラス対抗戦。各クラスの代表によるIS試合だ。

 学園では一種の体育祭のような立ち位置にあるが、一夏にとっては実戦経験を積めるおいしいイベント。逃す手はまずない。

 自薦と満場一致の賛成によって、一夏は一組のクラス代表になっていた。

 

 そうして出る機会を得た対抗戦に勝つために。

 そしてその先で全てを超え、宇宙(そら)を飛ぶために。己に在るもの──託された夢や隣にいてくれる者──のために。

 

(今自分に出来ることを、全力で!)

 

 一夏はひたすら、出来る限りを尽くす。

 

「ふふ、カッコいいぞ。一夏」

 

 いっぽうで箒は建物の影で一夏を見守っていた。いや見守っていたと言うより一夏に夢中になっていた。

 全力で頑張る少年の様が、この上ないほどカッコ良くて。

 彼が毎晩走り込む様子は、箒だけの特別なワンシーンだった。

 

 そう、セシリアとの決闘が始まる前までは。

 

「一夏くーん!頑張って〜!」

「あんまり無茶しないでね〜!」

「ファイトだよ!」

 

「あ、あはは」

 

 幾つもの黄色い声援に、若干戸惑いながらも一夏は軽く手を振って応える。

 

 あの日から、明らかに何人か(と言うか何十人か)の一夏に対する目が変わっていた。

 一夏の絶対に諦めないド根性や熱血な姿に、ハートを射抜かれたのだろう。

 箒だってそれくらい分かる。実際自分もそうだし、あれだけカッコいいサマを見せられたら虜になるのは仕方ないとも思う。

 

 が。

 

(なんっっっなのだアレは!)

 

 ど〜も納得がいかない。キャーキャーはしゃぐ女子を横目に拳を作る。

 だいたい彼女らの中で何人が()()()()応援していたと言うのだ。心から勝利と前進を祈り、彼を支えようとしている者がどれくらいいると言うのだ。

 いや、いない!断言できる!だって全部自分だけしかしてなかった(してない)から!

 

 文句を言い出せばキリがない。

 

(……落ち着け、落ち着け篠ノ之箒よ)

 

 けど、まぁ、良いだろう。

 深呼吸してたわわな胸を膨らませる。

 

(いくらみんなが一夏を追おうとも、幼馴染と言う絶対的アドバンテージは失われやしない。唯一無二であることに変わりはない!)

 

 箒はちらりと集まっている女子たちを一瞥して。

 

(……勝ったな。あとでお風呂入ろう)

 

 (おの)が勝利を確信する。

 

 ◇

 

「ふぅ〜、疲れたぁ」

 

 走り込みを終えた一夏は、一人寮へと繋がる道を歩いていた。流石に夜にもなる通行人は誰もおらず(応援してる女子も先に切り上げているらしい)、昼とはうってかわって随分静かだ。

 手ぬぐいタオルで額の汗を拭きつつ、今日一日を振り返る。

 

(今日の授業は……大丈夫、ちゃんと理解してた。ISの基礎理論も頭に叩き込んである。

 スタミナも順調に戻ってきてる。怪我する前とほぼ同じ、ってとこか)

 

 決闘で傷めた右脇腹にも触れて、異常がないことを確かめた。もう全然痛みはないし、傷自体もほぼ塞がっている。

 あとはISの使用許可が下りれば、いつでも修行を始められる。

 

「早くお前に乗りたいよ、白式」

 

 右腕にはめられた白い相棒に、一夏は語りかけるように呟いて──

 

(ッ!?)

 

 ピタリと、その足を止めた。

 

(……()()()、かよ)

 

 彼はまるで観察でもされているような視線を背に受けていた。

 それは普段の生活ではまず感じることのない違和感。

 

(トレーニング再開してから毎日これだ)

 

 敵意こそ感じない。だが、自分だけが一方的に見られている感覚はどうも不気味で気持ち悪い。

 一夏は首だけを使って、そっと背後を確認する。

 樹木やらトイレやらすぐに隠れられそうな場所こそある。のだが、人影はどこにも見当たらない。

 

(振り向いたら振り向いたで、いきなり視線感じなくなるんだもんなぁ)

 

 やっぱり自意識過剰なだけなのかな、と一夏は頭を掻きながらやや早歩きでその場を後にした。

 

 

 

 

 

「……」

 

 ◇

 

 翌日の昼休み。食堂は今日も大賑わいだ。

 一夏と箒はなんとか座席を確保。未だ慣れない混雑具合にため息を吐きつつ昼食をとっていた。

 

「あら、こちらにいましたのね」

「ん……セシリアか」

 

 一夏らの背後からやってきたのはセシリア。その両手にはサンドイッチをのせたお盆が持たれている。

 

「隣、よろしいかしら?」

「おう」

 

 彼女はタイミングよく空いた椅子をひとつ持ってきて、一夏の隣に座る。

 決闘を終えてからの二人はよく会話する仲になっていた。お互いライバル視しているが、それはそれとして友情も芽生えていた。

 ちなみに箒のレーダーでは『脅威無し』判定である。なので一夏の隣に座られても特に気にしない。

 

「丁度良かったですわ。一夏さんに見せたいものがございまして」

「俺にか?」

「えぇ。まぁどのみち一夏さんもご自身で確認していたでしょうけど」

 

 セシリアは携帯を取り出すと、画面を開いて一夏へと差し出した。箒も気になって画面を覗いてみる。

 

「お、ランキング更新されたのか」

 

 そのサイトに載せられていたのは、ISのプロ選手らの情報だった。

 

 IS選手世界ランキング。

 意味はそのままで、世界のIS選手らの順位付けだ。上位勢はもれなく専用機持ちで、有名な選手ばかりである。

 しかし、セシリアが見せたいのは世界ランキングではないようで、一夏らの前で画面を違うページに移す。

 

「こちらをご覧くださいな」

「む、日本ランキングか」

 

 箒が呟いた通り、そのページは日本のIS選手ランキングだった。

 ランキング表のある人物を見た瞬間、一夏は驚いて思わず声を漏らしてしまった。

 

「こ、これ……」

 

 一位と二位は変わらず。そこは良い。

 問題は三位だ。

 

「更識簪……たしか四組の代表じゃなかったか」

「あぁ。今度の対抗戦で勝ち上がってけば、まず間違いなく当たる人だよ」

 

 一夏の瞳は既に真剣なものになっていた。

 

「前から更にランキング上げたんだな」

「彼女のずば抜けた才能を考えればもうとっくに専用機を貰っていても良いでしょうに……それでも『打鉄(うちがね)』だけでトップスリーに食い込んだのは、流石としか言いようがありませんわ」

 

 専用機を与えられる条件は二つある。

 一つは国別のランキングで『国の定める順位内』に入ること。ようは、完全な実力だけで政府を認めさせるのだ。例えば日本だと『上位三位』が条件である。

 もう一つは確かな実力がある上で、他者にはない特別な価値や才能を有していること。例えば、試験段階の新兵器を上手く扱える人間や、比較的若い年齢で国家代表候補になれる人間などがこれに該当している。特にセシリアはこの条件を満たしたことで専用機を手に入れた。

 

 ISの最重要パーツであるコアの絶対数が限られているために、条件は非常に厳しいものになっている。

 もちろん条件を満たさなければ、例え国家代表候補であろうと量産機で戦わなければならない。逆に条件から外れれば容赦なく専用機は剥奪される。

 

 一言で言えば、極めて入れ替わりの早い世界なのである。

 

「戦績はどうなっているのだ?」

「公式戦では十三戦八勝五敗。親善試合や他国との練習試合も多くこなしてますから、実力だけでなくキャリアも十分と言ったところですわね」

「む?」

 

 戦績を聞いた箒が首を傾げる。

 

「すまない、よく分からないのだが()()()()()()()()()三位になれるものなのか?」

「この五敗はいずれも海外の代表候補、それもそろって専用機持ちに負けたものですわ。ただ国内では全勝してますから三位になったのでしょう。

 その証拠と言ってはなんですが、ここを見てください。国内では三位なのに世界ランキングが三桁になってますのよ」

「なるほどな。……一夏?」

 

 箒の隣で、一夏は自分の手を静かに眺めていた。

 何度も何度も、いくつもの感情を握りしめた、その諸手(もろて)を。

 

「不安なのか?」

「いや」

 

 一夏は言葉を溜めて、

 

(つえ)ぇな、って思って」

 

 小さく、そう言った。

 彼は手のひらに、決闘に負けた時を映していた。

 全力で鍛えあげて、全身全霊で戦い抜いて、なおも負けてしまって涙を流したあの日を。

 

「あの悔しさを五回も超えてきたんだろ?」

「……そう、だな」

 

 一夏は脳裏で千冬に言われた言葉を思い出す。

 

『敗北を知った者はそうでない者よりずっと強くなれる』

 

 ならば、更識簪はどうなのだろう。

 悔しさを五度も薪にして。涙で五回も自分を磨きあげて。

 結果、国内では全勝。強力なライバル達を薙ぎ倒して、日本ランキング三位と言う結果を残した。

 

 知っている敗北の数が、乗り越えた苦難の数が大違いだ。

 

(今なら分かる。更識さんは、滅茶苦茶『強い』ッ!)

 

 過去を投影していた手のひらを、彼はぎゅっと握りしめた。

 固く握った拳が、無意識に震える。

 しかしその震えの中身は、決して不安や心配なんかじゃない。

 

(単純な実力差だけじゃなくて経験差も圧倒的。勝てる要素がまるでないことは分かってる。けど……)

 

 彼は既に、簪と言う屹立する巨大な壁を見据えていた。

 セシリアと同じだ。物凄く高い。頂点が見えないほどに。

 

 しかし。世界最強を、宇宙(そら)を目指すのならば。

 絶対に超えなければならないのだ。

 

 例え相手がどれだけ強かろうとッ!

 

(それでも俺は勝ちたい。俺は、更識さんを超えたい!)

 

 挑戦者(チャレンジャー)としての、夢を追いかける戦士(ファイター)としての魂が、熱く震える。

 露骨に目つきを変えた少年に、箒とセシリアは顔を合わせて笑みを浮かべる。

 

「一夏さん、ISが使えるようになるのはいつでして?」

「多分今週中だと思う。けど、急にどうした?」

「貴方の練習相手になろうと思いまして。予定を早いうちに組んでおきたいのですわ」

 

 セシリアの返事に、一夏はびっくりしてしまう。

 つい先日決闘を終えたばかりの好敵手が、自分の練習相手になってくれると言うのだから。

 

「い、良いのか!?」

「えぇ、もちろん。貴方には強くなってもらわないと困りますし」

「ありがてぇ!是非よろしく頼む!」

 

 一夏は目を輝かせて感謝した。

 実際、練習相手としてセシリアは最高の相手だった。ただ強いだけでなく、一夏の強みも弱みも把握しているからだ。

 それにセシリアからすれば、好敵手に対抗戦程度でつまづいて貰っては困るのだ。次の決闘で戦うころには、敗北も勝利も超えた最強の戦士になっていてもらわなくては超えがいがない。

 

「一夏、私もいつでも剣道の相手になってやれるぞ」

「おう!箒もよろしくな!」

「ふふっ。任せろ」

 

 箒もまた、一夏の力になるために剣道の相手を買って出た。

 心技体ともに発展途上の一夏にとって、彼女の動きや心構えはとても参考になる。こちらもまた、この上ないパートナーだった。

 

「早速だけど放課後に特訓メニュー作ろうぜ。俺だけで考えるとどうしても偏りだったり疎かにしちまう部分が出ると思うからさ」

「うむ、了解した」

「かしこまりましたわ」

 

 こうして、対抗戦に向けての特訓チームが結成された。

 篠ノ之流剣術を修めた箒に、イギリス代表候補生のセシリア。今考えられる最高の組み合わせであり、盤石の体勢だ。

 環境は整った。

 あとは自分次第。

 

(オーバーワークは覚悟の上だ。あと二週間弱、とことん鍛えるぞ!)

 

 右腕で眠る相棒を見つめつつ、一夏は気合を入れる。




ランキングと国家代表候補・国家代表の関係や、『各国の競技レベル』などについてはまたどこかで説明入れます。
セシリアのランキングについてもまたどこかで。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

10話 もう一人の幼馴染(ライバル)登場!?

早くIS3期か最終巻来てくれぇええええモッピーィイイイ!!!(届かぬ思い)

申し遅れましたが、この作品はスポ根系ロボバトルに申し訳程度のラブコメを「ぶち込んでやるぜ!」て言ってそっと添えた感じのものです。

※2024/2/28
本来こう言うことは書くべきではないかもしれませんが、本章は中弛みが酷いです。バトルだけ見たい方は13話からご覧になられることをオススメします。
偏に私の実力不足でした。申し訳ございません。
9〜12話のあらすじは、13話の前書きに記載しています。13まで飛ばされる方は、ぜひそちらをご覧ください。よろしくお願いいたします。



 五月を迎えたIS学園。

 一年生が入学してから一ヶ月が経過したことになる。新入生を温かく迎えた数々の桜はもう見る影もなく散っていた。

 代わりに運動部の活気ある声があちこちから聞こえてくる。春の大会に向けての最終調整をしているようだ。

 外からは見えないが文化部の活動も活発だ。どこも独自の雰囲気が形成されていて、学園の中を鮮やかに彩っている。

 

 まぁ、この少女にとってはどうでも良いことなのだが。

 

「はぁ〜ったく、やっと着いたわね」

 

 ボストンバックを担いだ小柄の少女、凰鈴音がため息混じりに独りごちた。

 受験時点では地元──中国の高校に行く予定だった彼女だが、ありあまる才能を買われてIS学園に急遽転入することとなった。その転入の処理のせいで一ヶ月遅れての入学となってしまったのである。

 

「一ヶ月、随分と長かったわね」

 

 視界には収まりきらないほど大きなIS学園。

 ここが新たな生活場所であり。

 

 そして何より。

 

(一夏……)

 

 いやいや、と頭をよぎった少年を振り切る。

 

(アイツに会える日が待ち遠しかったとかそんなんじゃないし!昨日も寝れなかったとか認めないし!うん、うん!っつかあの馬鹿、元気やってんでしょうねってあーもうだから気にしてないし!)

 

 うんうん気にしてない、と結論(?)を出した彼女は、取り敢えず受付を済ませるために学園に足を踏み入れた。

 

 ◇

 

「ガハッ!?」

「どうした一夏!こんなものも見切れないのか!ISでの戦いになればもっと早い一撃が飛んでくるんだぞ!」

「く、クソッタレェエ!もう一回だ!」

 

 武道館では今日も鈍い音が響いていた。

 剣道を極めるだけでなく篠ノ之流剣術も体得するために、一夏は箒に弟子入りしていた。

 実戦稽古を始めてはや三日。一夏は『剣道』と『剣術』の違いを知ることとなる。

 

(攻撃の来る場所が全然分からねぇ!しかも込められてる殺気もまるで違うじゃねぇか!)

 

 『剣道』は定められたルールの下に行われる『スポーツ』だが、『剣術』はルールなど一切ない『実戦』のための技術。

 剣術には、攻撃する箇所にも構えにも制限がないのだ。

 

 予測できない攻撃を浴び続ける一夏。防具を着けているとは言え、全身の至る部分が赤く腫れていた。

 熱を帯びた痛みに蝕まれる度に、歯を食いしばり気合を入れ直す。

 

(これが実戦なら何度死んでる?試合だったら何度負けてる?もっと意識を集中させろ!)

 

 打たれては立ち上がるを何度か繰り返して。

 やがて一夏が限界を迎える。

 

「……」

「も、もういっちょ、頼む……」

「やめとこう。これ以上は稽古ではなくなる」

 

 肩で大きく呼吸をする一夏に、箒はそう言い放つ。

 面の下で、一夏は顔を歪ませた。己の無力さが悔しくて情けなかった。

 

 ISでの戦闘になれば、それこそ箒の言うように恐ろしい速度で攻撃が繰り出される。

 いくら機体のハイパーセンサーで知覚が向上していても、咄嗟に反応するにはやはり操縦者自身の能力が高くなくてはならないのだ。

 今、箒の攻撃に反応できないようでは、簪との戦闘では被弾を避けられないだろう。いや、下手をしたら他のクラス代表にも負けてしまう可能性すらあるだろう。

 

 それでは、ダメなのだ。

 世界最強など、宇宙など程遠いのだ。

 

「どうすりゃもっと強くなれるんだ?」

 

 俯く一夏へ、箒は防具を外しながら告げる。

 

「そう焦るな一夏。一も知らない人間がいきなり十を得られるはずが無いだろう」

「分かってるよ。けど、あとたったの二週間だぜ?

 しかも相手はどいつもこいつも格上ばかりだ、不安にもなるよ」

 

 弱音をこぼす一夏──恐らく初戦の敗北が若干トラウマなのだろう──に、彼女は振り向くことなく言う。

 

「案ずるな」

 

 語気に力が入って、

 

「私がこの二週間でお前に剣術を……篠ノ之流の基礎と技を叩き込んでみせるさ」

 

 断言してみせた。

 それは一夏への献身であり、彼女の意地でもあった。

 今、一夏へ、自分が貢献できる唯一のこととして。そして、隣にいるものとして。

 

「だから私を……いや。何より自分自身を信じろ。

 自分を信じる者にこそ、努力は実るものだ」

 

 箒の激励を受けて、一夏の口が小さく綻ぶ。

 

「……へっ。そうだよな」

 

 彼女の言った通りだ。

 自分を信じなきゃ、前進などできるものか。

 自分自身を信じずして、夢を叶えられるものか。

 

 彼は何か、見失っていた大事なものを見つけた気がした。

 

「悪りぃな、弱音吐いちまって」

「気にするな。誰だってそう言う時もある。

 それよりほら、さっさと雑巾掛けをするぞ。セシリアを待たせるわけにはいかないだろう?」

「おう」

 

 一夏の次に待つものは、セシリアとのISでの特訓だ。

 真耶の教えだけでは学べなかった知識や技術が山ほどある。一つ一つを習得するためにも、時間は一秒たりとも無駄にはできない。

 

 雑巾掛けを終えた二人はアリーナへと向かう。

 

 ◇

 

「ふんふんふ〜ん、ふんふん♪ふっふ〜♪」

 

 受付を済ませた鈴の足取りは、それはそれは軽やかだった。

 現在はとりあえず敷地を探索中。一夏とばったり出会えたら良いな〜とか、久々の再会だってのに寮で待ち伏せするのは違うよね〜とか、そんな感じである。

 

(まずなんて言おうかな。元気にしてた?……はちょっとテンプレすぎて嫌だしー。約束覚えてる?……もなんかタイミング違う気がするしー)

 

 笑顔で言葉に悩みつつ道を歩く。

 実に二年ぶりの顔合わせだ。言いたいこと、聞きたいことが山ほどある。

 だが、やっぱり最初は再会を喜び合いたい。

 

 彼に想いを馳せて。

 けど二度と会えないと諦めて。

 気づけば二年。

 無色の時間はあっという間に過ぎ去って。

 

 けど、IS学園で会えると知って。

 気づけば一ヶ月。

 本当に、長かった。

 時計を見るたびに胸がときめいた。カレンダーにバツをつける度に心が踊った。

 

 だから、最初の言葉にどうしても悩んでしまう。

 彼女は二年分の思いの丈を全て込められるような、最高(まほう)の言葉を探していた。

 

(ここはビシッとかっこよく行くべきかな。いや、でもちょっと可愛い感じも入れたいしって……あれ?)

 

 ふと、視界に入ってきた。

 二人の少年少女。

 あのシャープで懐かしい横顔。間違いない。

 

「いち……ッ」

 

 ……二人の少年少女?

 ……二人、の、少年少女?

 

(??????????????????)

 

 誰だあの隣にいる爆乳は。

 断崖絶壁・鈴のにっこり笑顔が凍る。

 

「セシリアとの特訓はどう言う形式でやっているんだ?」

「攻撃と防御、機動の三つを一個一個集中的にやって、最後に実戦をちょっとって感じだな。セシリアが理論的にすげぇ細かい部分まで教えてくれるから、発見ばかりでほんと勉強になってるよ」

「そうか。……少し覗いてみても良いか?」

「大歓迎だぜ。っつかむしろ俺から頼むわ。箒から見て変なところあったら是非教えてくれ」

「あぁ」

 

 横切る二人を、鈴は目で追うしか出来なかった。

 会話こそ聞こえなかったが、何か、凄く仲が良さそうだった。っと言うか距離感が滅茶苦茶近かった。

 まるで、昔の自分と彼みたいに。

 

(???????????????)

 

 頭の中、理解が置き去りにされていた。

 それまでの思考は全て削除されていた。

 

(あーっ、あーっ)

 

 あの唐変木オブ唐変木のアイツにかの、かのの、かのじょが。

 いや、まさかそんな訳が……。

 

(あーっ、……あ?)

 

「……」

 

 途端、一人の少女が視界の端から現れた。

 眼鏡をかけた、水色のミディアムヘアの少女。まるでさっきの二人をストーキングでもするかのように、物陰から物陰へ移っていく。

 

 いや、鈴目線だとその少女は本当にストーカーだった。

 

 視線は間違いなく二人に向けられている。足音を一切立てることなく、気配を消して、更に一定の距離を保ちつつ移動を行なっている。

 ズボンのポケットが僅かに膨らんでいる辺り、何らかのデバイスを持っているのは間違いないだろう。持ち運びにあまり気を遣っていない様子を見るに、武器や火器の類では無さそうだが。

 

 一目で、そこまで把握できた。

 

 ──彼女なら、二人の関係を知っているかも知れない。

 

「ちょっと、ちょっとアンタ」

「!?」

 

 自分に向かって駆け足で近づく鈴に、少女は一瞬うろたえる。

 鈴はと言うと、初対面であることを特に気にすることなく訊ねる。

 

「あの二人の関係知ってる?」

「……関係は知らない」

「ストーカーしてるのに?」

「す、ストーカーじゃない」

 

 少女は鈴と目を合わせることなく答えた。

 はぁ?と鈴は顔をしかめて、

 

「どっからどう見てもストーカーでしょうが。明らかに二人を追ってるじゃない」

「ち、違う」

「何が違うってのよ」

「これは……ただの調査」

 

 少女はもじもじしながら返答する。

 ただいま絶賛不機嫌中の鈴は、怪訝そうにため息を吐いた。

 

「あのねぇ、そう言いながら他人を追跡する人間のことを世間ではストーカーって言うのよ」

「……本当に、ただの調査」

「……一応聞くけどどう言う調査よ?」

 

 なんとなく、少女が嘘を付いている訳じゃないことを感じ取って、鈴は確認してみる。

 

 すると少女は少しだけ口ごもった。あたかも、溢れる感情をなんとか奥歯で噛み殺すように。

 その瞳の奥で何かを煮えたぎらせながら。

 

 あまり他人に言いたくない事情なのかもしれない、と鈴はその沈黙で察した。

 良くも悪くも、鈴の人を見る目はよく働く。

 

「ごめん。言いたくないなら言わなくても大丈夫だから」

「別に……理由は簡単」

 

 鈴の意外なことに、少女は重たそうな口を開いた。

 

「クラス対抗戦に織斑一夏が出るから、対戦する場合に備えて、データを集めてる」

「へぇ……ぇっ、一夏ってクラス代表なの!?」

「? 知らなかったの?」

 

 本日付で転校してきた鈴は、思いがけない情報を得て驚いてしまった。

 逆に少女は、学校の隅々にまで伝達されたはずの情報をまだ知らない人間がいたことに驚いた。

 

「ふ〜ん、なるほどねぇ。じゃぁアタシがクラス代表になれば、一夏と戦えるってわけね。っでそれを口実にして一緒に練習したりも」

「ま、まぁ、多分。だけど、貴方のクラスの代表ももう決まってるはずじゃないの?」

「決まってても決まってなくても、アタシがその枠取るわよ」

「……?」

 

 会話に噛み合わない部分が多いことに、少女は疑問を抱く。

 そもそも、『織斑一夏がクラス代表になったことを知らない人間』がいること自体がもうおかしい。リボンの色を見るに自分と同じ一年生だし、情報は素早く伝わったはずだ。

 それに、クラス代表選出の話し合いに参加したであろう者が、今更になってその座を奪おうだなどと考えることも意味不明である。

 

(そう言えば、確か)

 

 疑問を突き詰めていた少女は、一つの情報を思い出した。

 

 今日付で、二組に中国代表候補生が転入してくる、と言う情報。

 もし彼女が該当者ならば、全ての言動と違和感の辻褄が合う。

 今度は少女から問いかけた。

 

「ねぇ、もしかして今日転入する中国代表候補生って、貴方のこと?」

「ん?そうだけど……あそっか、まだ言ってなかったわね。二組の凰鈴音よ、よろしく」

「……貴方のことは知ってる」

「え?」

 

 中国代表候補生、凰鈴音。

 ずば抜けた才能と想像を絶するような努力の末に、中国代表候補生に上り詰めた、()()()()()()()()()()天才だ。

 しかも中国代表候補生になるまでに要した時間は、僅か十ヶ月。まだ公式戦は二戦ほどしかしていないためランキングにこそ載っていないが、既に中国国内トップファイブは堅いと言われている。

 その超新星の噂は、日本代表候補である少女の耳にも届いていた。

 

 ──もちろん、専用機持ちであることも。

 

「私は専用機がなくたって、戦える」

「あっえ?どう言うことよ?」

「……ッ」

 

 困惑する鈴にそれ以上何も言うことなく、少女は走り去った。

 しかし、鈴ははっきりと分かった。

 最後、振り向くその直前に、言葉を噛み殺したことを。

 

 あれは、湧き出る感情を必死に堪えた証拠だ。

 

(もしかして、悪いことしちゃったかしら)

 

 自由奔放な鈴だが、決してデリカシーがない訳ではない。

 遠くなっていく少女の背中を見つめつつ、自分の言動を静かに反省する。

 

(なーんか、やな感じね。一夏と会うの明日にしよ)

 

 どうせなら元気な姿で再会したいし、とブルーな彼女は一旦再会を諦めることにした。

 寮へくるりとつま先を向けて、

 

「……あ」

 

 一夏の隣にいた爆乳女を思い出した。

 結局アイツとアイツの関係聞けてなかったじゃん、と。

 

(……)

 

 自分の胸を触って確かめる。

 驚異の胸囲差である。戦力が違いすぎる。

 

 普段ならばノリでムキーッ!となっているところだが、今はそんな気分ではない。

 なんだか余計にどんよりしてしまう。

 

(あーはいはい無情無情。あんな脂肪の塊の何が良いってのよバーカアーホ)

 

 結局無駄に悩み事を増やした彼女は、重い足取りで部屋へと帰るのだった。




うぉおおおおおお簪最強!鈴最強!うぉおおおおおお!!!!




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

11話 もうひとつの壁

試合はもうちょっと後になるかと思います。詰め込みたい要素がかなり多くて......。
今回は文字数も多いです。

※2024/2/28
本来こう言うことは書くべきではないかもしれませんが、本章は中弛みが酷いです。バトルだけ見たい方は13話からご覧になられることをオススメします。
偏に私の実力不足でした。申し訳ございません。
9〜12話のあらすじは、13話の前書きに記載しています。13まで飛ばされる方は、ぜひそちらをご覧ください。よろしくお願いいたします。


「一夏、二組のクラス代表のことは知っているか?」

 

 朝のホームルーム前の時間。

 箒は教室に入ると、セシリアと話していた一夏へ真っ先に訊ねた。

 

「全然。なんかあったのか?」

「今しがた聞いた話だが、どうやら二組のクラス代表が変わったらしい。それも今度の代表は専用機持ちのようだぞ」

「あら?わたくし、二組に専用機持ちはいないと記憶していましたが」

 

 俺もだけど、と一夏が続く。少なくとも昨日の時点では、一年生の中での専用機持ちは自分とセシリアだけのはず。

 それに専用機を与えられるような肩書きを持つ人間──例えば国家代表候補生──もいないはずである。

 

「実は隠してた、とかか?」

「考えにくいですわね。専用機を持っているなんて情報を隠して過ごせるとは思えませんわ」

「だよな。んじゃ転校生とかかな?」

「あり得そうですが、それはそれで時期が中途半端すぎますわ。まだ新学期が始まって一ヶ月しか経っていませんのよ?」

 

 さっそく推測を始める一夏とセシリア。

 特に一夏だが、強敵が増えたと言うのに、箒から見ると妙に落ち着いていた。

 

「敵に専用機持ちが出てきたと言うのに随分と冷静だな、一夏」

 

 呟いた箒に、一夏は僅かに口角を上げて、

 

「やることは変わんねぇしな。相手がどんなやつだろうと全力でやるだけさ」

 

 そう言った。

 そもそも一夏にとって、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()なのだ。

 ただ、()()()()()()()()()()()()()を、目の前の敵にぶつけるだけだから。

 

 その上で勝ちたい、と。

 その上で、超えてみせる、と。

 

 彼の中に在るものは、静かに燃えていた。

 

 言葉にこそしないだけで、新たな強敵の登場に、彼の闘争心と向上心はもう昂っていた。

 

「ですが専用機持ちと言うなら、量産機とは違って『対策』が必須ですわ。早めにリサーチをかけておきたいところですわね」

「なら休み時間にでも二組行くか。新しい代表の人にも挨拶しときたいし」

 

「その必要はないわよ」

 

 突如割り込んできた声に、三人は同時に振り向いた。

 全開のドア。そこに腕を組み、片膝を立ててもたれかかっていたのはツインテールの少女。

 見るやいなや、一夏は驚いたように少女の名を呼ぶ。

 

「おまっ、まさか、鈴!?」

「久しぶりね一夏。話したいことは沢山あるけど、とりあえず今日は宣戦布告をしに来たわ」

「宣戦布告? ……ってことは」

 

 言葉から状況を理解した一夏に、鈴は答え合わせでもするかのように告げた。

 

「そ。今日から二組のクラス代表はアタシになったのよ」

「……へぇ」

 

 明らかに初対面どうしとは思えない会話を繰り広げる二人に、箒は困惑する。

 

「ちょっと待て一夏。彼女とお前は知り合いなのか?」

「あぁ。小五の時からの()()()だよ」

 

 一夏は鈴から視線を逸らすことなく返事する。

 ただ、その目つきは、幼馴染を懐かしむ穏やかなものではない。

 強敵に燃える戦士(ファイター)の力強いものだった。

 

「……そう言う目、出来るようになったんだ」

 

 鋭い視線に、鈴は戸惑いを覚える。

 こんな目は、自分の知っているあの、優しくて鈍くてどこかバカっぽくて……大好きな……織斑一夏には無かったものだ。

 

 建前で宣戦布告と言っただけで、本当は、ただただ彼と話しをしたかった。

 だが思わぬ展開になってしまい、鈴は、言葉を間違えてしまう。

 

「ま、たかだか一ヶ月しかIS動かしてないんでしょ?手加減してあげるし安心しなさいよ」

「……そう、か」

 

 鈴は幼馴染に、そう言った。

 一夏は強敵に、答える。

 

「じゃぁ俺は、たかだか一ヶ月の力を見せてやるよ」

 

 この一ヶ月。

 一夏は己に在るものを確かめた。背負ったものの重みを知った。隣にいてくれる人に支えられた。強敵に備え、戦い、IS操縦者として成長した。

 遥か彼方の夢へと飛び始めた。

 

 それを、手加減してあげる……?

 

 いくら鈴がそれを知らなかったとしても、一夏は蔑ろにされたような気がしてならなかった。

 

 その視線はさらに鋭くなり、鈴の戸惑いを加速させる。

 

「な、何よ。そんなマジになって」

「鈴……手加減はなしだ、本気で来いッ。俺はお前の全てを超える気で行くぞ」

「……ッ!」

 

 今度は鈴が反応した。

 鈴だって、伊達で国家代表候補生を務めている訳じゃ無い。

 代表候補生になるまでの約一年。

 最短で、真っ直ぐに上へと突き進む中で、沢山の期待を一身に背負った。失敗し、挫折した者たちから夢を託された。

 専用機を貰うほどに認められた。

 血の滲む、どころか血反吐をぶち撒けるような努力を積み重ねてきた。

 

 それらを素人同然の人間に超えると言われちゃ、IS乗りとしての誇りが許さない。

 たとえ相手が幼馴染だろうと。

 

「分かったわ。本気でやってあげるから、負けて後悔すんじゃないわよ」

「手加減されるよっか本気でやられて負けた方がずっとマシだ」

「……ッ」

「……ッ」

 

「お二人とも、その辺で止めてくださいな」

 

 一夏と鈴の睨み合いを諫めに入ったのは、静観していたセシリアだった。

 

「そう闘志を剥き出しにすることもないでしょう。皆さんが困ってらっしゃいますわ」

 

 セシリアが教室を見渡す。と、一組の女子たちは口を噤んで二人を眺めていた。

 二人の醸し出す空気が混じり合い、緊張感を生んで、教室を覆っていたのだ。

 一夏はすぐさまスイッチを切り替える。

 

「わ、悪いみんな。つい……」

「ふんっ」

 

 鈴も場の様子を見て、一旦切り上げることにした。壁から背中を離すと、無言で二組へと戻っていく。

 張り詰めていた空気が一気に緩くなる。

 

「全く。すぐに戦闘態勢になるのやめれませんの?」

「いやマジでごめん。なんか、こう、湧き上がってきてさ」

「言いたいことは分からなくもないですが、メリハリも大事ですわよ。

 休む時はうんと休んで、楽しむ時はうんと楽しむ。話す時はしっかり話し合って、戦う時はしっかりと戦う。

 でなければ友人とのコミュニケーションもまともに取れなくなりますわよ?」

「……ごめん」

 

 一応プロとしてセシリアは指摘した。

 確かに、IS学園に入学してからはずっと戦いだとか夢のことしか考えてなかった。友達とのコミュニケーションにはそこまで意識を割いてなかった、と一夏は反省する。

 

 しばらくしてため息を吐いたのはセシリアだった。

 

「それにしても、またとんでもない強敵が増えましたわね」

「鈴のこと知ってるのか?」

「えぇ。凰鈴音、異例中の異例ですわ。

 僅か十ヶ月で中国代表候補入りして、しかも専用機も貰って。イギリスでも噂になったことがあります。才能だけで言えば本当に世界トップレベルですわよ、彼女」

 

 まさかあの鈴がか、と一夏は目を丸くする。中学ニ年生の終わりまで──中国へ帰るまでは、ISのことなんて全然興味なさそうだったのに。

 人って何が起きるか分からないなと思う一夏の隣で、セシリアは少し考え込んでから、

 

「一夏さん、今日から訓練メニューを変更します。実戦8、基礎2の割合でいきますわ。このままだと本当に時間が足りません」

「……お前にそこまで言わすほどなんだな」

「それと、箒さんにも参加してもらいましょう。わたくしだけでは近距離戦をカバーしきれません。都合は大丈夫ですか、箒さん?」

「……」

「箒さん?」

 

 箒は放心していた。

 唯一無二だったアドバンテージであり、自分にいつも勇気と活力をくれた『幼馴染』と言う関係。

 なんか当たり前のようにもう一人が出てきてしまった事実に、脳内は真っ白である。

 

「おーい、箒〜。生きてるか〜?」

「殺したのは貴方ですわ……」

「え?なんで?」

 

 セシリアはなんとなくだが、箒の一夏に対する想いを察していた。

 普段から彼の隣を意識していたり、彼との会話時だけ声のトーンが若干上がったりしている辺りを見て、あぁそう言うアレなんだなと。セシリア自身にはそんな経験がないためうっすらとだが。

 

 あと箒のそう言った想いに全く気づかない一夏が鈍感であることも分かっていた。

 

「今は黙ってて下さいな。多分貴方が何か言うだけで箒さんの残機が減り続けますわ」

「な、なんかごめん箒」

「だーかーらー!」

「良いんだ……良いんだ、セシリア」

 

 箒の目に光が──まぁギリギリ生きてることがわかる程度のうっすらとしたものが帰ってきた。

 多分死と生の境界線で反復横跳びした挙句ギリギリで戻ってきたのだろう。

 

「私が勝手に思い込んでいたことだからな……うん。

 あと、放課後は大丈夫だ……参加する……二人とも、よろしく、頼む」

「おう!よろしくな!」

「……なんて哀れな」

 

 とにかく、不安や心配といったネガティブな感情は一夏には無いようだ。

 それどころか、気合もやる気も充実している。

 そしてもうひとつの超えるべき壁が出来たと言うのに、一夏はワクワクすらしていた。

 

(鈴、俺も話したいことがいっぱいあるけど……まずはお互いI()S()()()()()()、戦いで語り合おうじゃねぇか)

 

 全開のドア。もう誰もいないはずのそこに、一夏は鈴の幻影を見ていた。

 

 ◇

 

 放課後。場所は訓練用アリーナ。

 白式を纏った一夏と、ブルー・ティアーズを纏ったセシリアが空中戦を繰り広げていた。

 

「回避軌道が甘いですわ!もっと無駄なく、スピーディに!」

 

 BT二基から連続で放たれる光線が、白式の装甲を掠める。

 もう何度目だろうか。一夏はすぐさま動きを修正し、続け様に伸びてくる光線を躱す。が、また掠める。

 

(クソッ!小回りが効いてない!もっと小さく、素早くッ!)

 

 単純に回避をして終わりではない。回避をしたら、そのまま次の回避や接近などに繋げなくてはならない。

 しかし一夏は行動をひとつひとつ独立させてしまっていた。行動から次の行動に移る際のタイムラグを狙われる。

 

「今のは右へ重心を寄せすぎです、それでは挙動が崩れてしまいますわよ!──ああもう!今度は左を意識しすぎでしてよ!」

「チィッ!」

 

 銃口の向きの僅かな変化で射線を予測。次の瞬間に放たれるビームを見て避けて、また避けて。

 既に掠めるだけでなく、直撃も数十回受けている。BTの出力を下げているためダメージは浅く済んでいるが、実戦になればどうなっていることやら。

 ──それではダメだ。

 もっと余裕を持って避けなければ。

 

「シッ!」

「ッ!?」

 

 もちろん実戦形式である以上、防戦一方では終わらない。推進剤を炸裂させて、一夏は急接近を仕掛けた。

 距離を詰める間も回避挙動を挟む。左右へ揺れながら、時には雪片でビームを弾き、間合いを詰めて。

 

「ウラァァアアッ!」

 

 雄叫びと共に繰り出された一撃は当たらなかった。

 つまり、接近と攻撃の出が遅かったことを意味していた。

 

「今のは大振りすぎる!それでは敵に避けろと言っているようなものだぞ!」

 

 地上から『打鉄』を纏った箒が注意する。一夏は視線こそセシリアに向けていたが、耳ではしっかりと聞いていた。

 

(避けられても怯むな、セシリアを捉え続けろ、重心を傾けすぎるな、もっと素早く無駄なく──グァッ!? ッ、今のトロい回避はなんだ!どんだけ当たったら気が済むんだてめぇは!

 もっと接近ッ、自分の間合いに持ち込んで──クソッ!また大振りになってるじゃねぇかよバカタレ!箒の動きを思い出せ、あの超速い攻撃──ダメだまた逃げられた!)

 

 脳の大半のリソースを戦闘に割きつつ、片隅で箒やセシリアに言われたことを反芻する。

 思考は止まらない。止めれない。止めれば負ける。

 反省を全身に言い聞かせて、次こそ成功させると意気込む。次の動きで成長していなきゃ、簪や鈴には追いつけない。

 

 課題も弱点も山ほどある。

 だからと言って落ち込んじゃいられない。だからこそ一個一個に真っ正面から向き合わなければならない。

 

 近づいては刀を振るって。

 ビームに当たり、掠っては動きを洗練していき。

 

「──── 一夏さん、ストップです。BTのエネルギーが切れてしまいましたわ」

「はぁ、はぁ、はぁ。休憩、か?」

「えぇ」

 

 やがて二十分間の攻防が終わった。

 動きを止めた途端、溜まった疲労が一気に溢れる。一夏は着地すると同時に、力が抜けたように片膝をついた。

 

「十分休憩ののち、箒さんに近距離戦をレクチャーしてもらいます」

「おう……。どうだった、俺の動きは」

「昨日よりも改善されていますが、やはり問題は重心移動(シフトウェイト)と動きの流動性、スラスターの使い方ですわね。ぎこちない部分が多いです」

「だよな。まだまだ詰めれるな」

 

 息を切らす一夏に、箒が更に課題を突きつける。

 

「刀の振り方も甘いな。ISのパワーアシストに頼っているせいか、力むべき部分で力んでいない。逆に頼らなくて良い部分を頼って、脱力すべき部分で力んでいるぞ」

「マジか……やっぱその道の人が見ると、そう言うの分かるんだな。助かるよ」

 

 セシリアとの訓練だけでは分からなかった課題だ。

 また一つ解決すべきことが増えた。が、逆に言えば伸び代がまた一つ増えた訳だ。

 一夏は自分の成長が楽しみで仕方ない。思わず笑みを浮かべる。

 

 そんな彼を見て、セシリアは好敵手の成長を確信しながら、そう言えばと思い出したように言う。

 

「一夏さんは、自分の強みを分かってらっしゃいますのよね?」

「…………逆に聞くけど、俺に強みってあるの?」

 

 一夏はしばしの沈黙の末、逆に聞き返した。

 課題しか見てこなかったし、自分が技術的に誰かに勝る部分も無いと感じていたからだ。

 それは後ろ向きな気持ちではなく、事実としてである。

 

「あら、自分の強みを分かったうえで行動しているのかと思いましたわ」

 

 一夏のリアクションにセシリアは驚きつつ、

 

「良いですか。貴方の強みは二つあります。これからはその強みをより強化していくことも念頭に置いておいてください」

「おう。ってか俺二つもあるんだな」

「はい。一つは距離の保ち方、ですわ。常に敵の得意な距離を取らせない。まさに近距離特化の白式にあつらえたようなセンスです」

「な、なんかセシリアに褒められると嬉しいな……」

 

 一夏のセンスを最も肌で感じていたのがセシリアだった。

 決闘の時からそうだった。最初から最後まで、自分の得意な距離では戦わせてもらえなかったのだ。

 

「っでもう一つは?」

「その様子だと本当にわかってないようですわね」

 

 セシリアは言葉を溜めてから、雪片に指を指した。

 

「もう一つは、その太刀の()()()のことですわ」

「……雪片か?」

 

 相槌を打った彼女は、決闘の時を振り返りつつ喋る。

 

「IS操縦者と言うのは、一撃一撃に、自分の思いや積み上げてきたもの、背負ったものを込めるものです。

 そのぶつけ合いを通し優位に立つことで『自分の努力は無駄じゃなかった』と戦いの最中で自信をつけ、過ごした時間や自分の真価を確かめていくのですわ。

 ……ですが、貴方のその青い刃は、たったの一発でそれら全てをひっくり返してしまいます。はっきり言いましょう。ほんの一撃でそれまで重ねたリードを覆されるのは、精神的に、本当に耐え難い苦痛がありますのよ」

 

 やや低めのトーン。まるで恨みでもあるかのような口調だった。

 セシリアの様子に呆れつつも、箒が話をまとめる。

 

「……威力が桁違い、と言うことで良いか?」

「はい」

「なんかすまん」

 

 一夏はなんだか物凄い罪悪感に苛まれる。

 だが、箒が言った『威力が桁違い』と言う点は一夏も把握していた。

 あの時、無我夢中で振るった青い刃は、間違いなく一撃でシールドエネルギーを大きく削っていた。

 

 自分の分も、相手の分も。

 

 彼は雪片の柄を触る。

 

「でも実を言うと、全く出せないんだよアレ。出したいのは山々なんだけどさ」

「……そうだったのですか。てっきり一夏さんはアレを切り札として考えているものだと思っていましたわ。訓練を始めてから一度も使ってませんでしたし」

 

 使わないのではなく、使えない。

 つまりは必要な時がきても、出来ないと言うことだ。

 あの時使えていれば──。そう言う後悔だけは絶対にしたくない、と一夏は心の底から思う。

 

「なんらかの条件があるのではないか?」

「俺も最初はそう思って、仕様データ見たり色々試したりしたんだけど何も分からないままなんだ」

「あの青い刃は文字通り一撃必殺の威力があります。出せるのと出せないのとでは戦い方も大きく変わるでしょうし、仕組みを把握しておきたいところですわね」

 

 アリーナの真ん中で話し合う三人。

 それを上から観察してる人物が、いた。

 

 ◇

 

 訓練用アリーナを上から眺められる廊下。

 そこに立っていたのはメガネをかけた、水色の髪の少女。手にはメモとシャープペンシルが持たれていた。

 

(攻撃はやっぱり単純。後隙も大きいしそこまで脅威じゃない。回避動作も隙ばっかりだし、射撃も意識することは少なそう)

 

 メモにはイラスト付きで一夏の接近パターンや回避パターン、それへの対抗策などが書かれている。

 

(けど……あの青い刃)

 

 セシリアと一夏の戦いを思い返す。

 あの時の青い刃は、間違いなくブルー・ティアーズのシールドエネルギーを消しとばしていた。実際、あの一撃を受けてからセシリアは身動きを取れていなかった。

 当たりどころが悪ければ即試合終了もあり得るほどのパワーを秘めているだろう。

 

(あれはやっぱり切り札なんだ。訓練でも一切使ってないし、あれだけは一度しか見れてないから対策のしようがない)

 

 ググッと、ペンを握る手に力が入る。

 

(同じ訓練機なら、絶対に私が勝てるのに……!あの専用機の力だけが、怖い……!)

 

 白式──織斑一夏の専用機。

 あれさえ無ければ。あれさえ、作られることがなければ。

 織斑一夏をどれだけ恨もうが、どれだけ妬もうが結果が何も変わらないことは理解している。

 

 だが、意地が、彼を許しはしないのだ。

 頭ではどれだけ分かっていても。

 

「……」

 

 歯噛みしていると、廊下の奥から聞き覚えのある声がした。

 

「アンタ今日も調査してんの?」

「……凰、鈴音」

「隣良い?」

「……勝手にどうぞ」

 

 少女の真横まで来て、鈴は窓に肘をついた。彼女の瞳もまた、アリーナで固まる三人を映す。

 

「昨日は悪かったわね。なんかやな気分にさせちゃって」

「……別に良い。私が勝手に気にしてることだから」

「そ」

 

 二人の目が合わさることはない。

 ただ、見つめているものは同じ。

 

「一夏って強いの?」

「……彼は脅威じゃない」

「へぇ。でも聞いた話だと、この間イギリス代表候補生にすんごい善戦したんだってね」

「あれは織斑一夏の力じゃなくて、専用機の力」

 

 少女は頑なに一夏を認めようとはしない。

 その物言いや声音からは、確かな敵意が感じ取れた。

 

「昨日もそうだったけど、アンタって専用機になんか恨みでもあるの?」

「貴方に言うことはない」

「ふ〜ん」

 

 鈴は少しだけ悩んでから、再び口を開けた。

 

「アンタの顔、ちょっと見覚えあったから調べてみたのよ。更識簪って言うのね」

「!?」

「日本代表候補、それもつい最近日本ランキング三位になったんだってね。通りで見覚えある訳よ。多分前の親善試合ですれ違ったんじゃないかしら、アタシたち」

「……」

 

 無言の簪に、鈴は構うことなく続ける。

 

「アンタには専用機ないの?三位って言ったらもう貰えそうなもんだけど」

「言う必要はない」

「教えてよ」

「嫌」

 

 たった一言の拒否には、しかし断固たる意志が込もっていた。

 たとえ何百回聞こうとも同じ答えが返ってくることを予感して、鈴はそれ以上聞かないことにした。

 

 またしばしの静寂が置かれた。

 

「……貴方は」

 

 声を発したのは意外にも簪からだった。

 予想外の出来事。鈴は内心、一瞬だけ驚く。

 

「貴方は、あの輪には入らないの?」

「いきなり変なこと聞くわねアンタ」

「昨日、クラス対抗戦を口実にして織斑一夏と一緒に練習する、みたいなこと言ってたから」

 

 アリーナの真ん中で話し合う三人。上から見ていると、凄く、楽しそうだった。

 鈴は僅かに目を細める。

 

「よく考えてみたら……敵どうし、だからね」

 

 今朝の一夏の眼差し。今思えば、あれは自分を幼馴染としては見ていなかった。

 あれは敵に向けるような、鋭く、獰猛なものだった。

 久しぶりに会って、会えなかった期間のことを沢山話して、笑い合って。そんな時間を想像していたけど、あの眼差しを見ると、彼にとってはそんなことどうだって良いのかもしれない。

 幼馴染への寂しい気持ちを、だけど彼女はIS乗り(彼の敵)だからと、必死に堪えていた。

 

 簪はチラリと鈴を一瞥する。

 

「貴方と織斑一夏は、幼馴染なんでしょ?」

「え?なんで知ってるの!?」

「朝、貴方が一組に入ったのを見たから、会話を聞いた」

「……いやちょっと待ちなさいよ。まさかアンタ朝から一夏の調査、ってかストーカーしてるの?」

「これは本当にただの偶然」

 

 簪は釈明を入れて、

 

「幼馴染なら、織斑一夏がどう言う人間か教えて欲しい」

「はぁ?」

「戦闘時の参考にしたい。敵の性格を把握するに越したことはないから」

「……どこまで調査したいんだかねぇ」

 

 鈴はずっと昔、一夏と初めて出会った時からを思い返す。

 

 小学五年生の時に、鈴は日本にやってきた。日本語を上手く喋れない、どころかほぼ知らない状態でだ。

 みんなについて行きたいと思って、毎日日本語の勉強をした。塾に行く余裕がなかったから独学だった。

 それでも、なんとかカタコトの日本語を覚えて、会話に頑張って参加しようとして。

 

 だけど許されなかった。

 いじめの対象になった。コミュニケーションが絶望的に取れなかったからだ。

 頑張った日本語を馬鹿にされ、笑われた。当時、言われた悪口こそ理解出来なかったが、その目や仕草、声色に確かな悪意があったことは感じ取れた。

 苦しかった。見返してやろうとか悔しいなんて気持ちはどこにもなく、ただ、悲しくて辛かった。

 止まらぬ身勝手な悪意に、ゴメンナサイと言い続けるしかなかった。

 

 それはある日の、いじめっ子の空席が目立つ放課後のことだった。

 

『なぁ、お前の家、中華料理の店なんだってな』

 

 傷だらけの少年が、ゆらゆらとそばに寄って来た。

 鈴は頷きつつ、またいじめられるのではないかと身を強張らせる。ところが、少年はあざだらけの顔でニコッと笑った。

 

『今日お前の家行っても良いか?えっと……そう!酢豚ってやつ食いてぇんだ!』

 

 その日から彼女の日常は変わった。

 少年が毎日一緒にいてくれた。休み時間も、放課後も。

 笑い合って、遊び合って、バカやって。少しずつ鈴に笑顔が増えた。

 本来の明るさや元気さも取り戻すことができた。

 

 中学生になってからは五反田弾も混ぜて三馬鹿を組んだ。

 

 別れる日には、約束もした。

 初めて出会ったあの日の、少年の言葉と共に。

 

『アタシが大人になったら、一夏に毎日いっぱい酢豚食べさせてあげるから!』

 

 思い出に浸っていた鈴は小さく、小さく笑う。

 

「優しくて鈍くて、どこか馬鹿っぽくて……ちょっと、カッコいいのよね」

「……………………そ、そう」

「あ、あぁ!?ちょっと今のナシ!忘れて!」

 

 簪の戸惑いの声を聞いて、鈴はやっと我に帰った。

 途端に頬を桜色に染めて声を荒げる。

 

「どこか馬鹿っぽいことだけは参考になるかも。ありがとう」

「くっ、アンタ意外とイジワルなのねって、えぇ……」

 

 鈴は、簪がメモを取っている姿を見てしまった。多分本当に、彼女は本気で一夏の人物像を考察しようとしている。

 あまりの真面目さに鈴は困惑してしまう。

 

「あのねぇ、いくらなんでも、そこまでしなくたって良いんじゃないの?」

 

 鈴にとっては単純な疑問だった。

 だが簪にとっては、単純な問題ではなかった。

 

「私には専用機がないから、こうするしかない。使えるものは全部使う気でやらなきゃ、あの人には追いつけない」

 

 瞳の奥ではグツグツと、何かが煮えたぎっていた。

 その表情。その目。鈴はよく覚えている。

 昨日のあの時とそっくりそのままだ。

 

「あの人って一夏のこと?」

「……言う必要はない」

 

 メモを取り終えると、簪は背中を見せて何処かへ去って行った。

 いまいち簪の人物像が掴めず、鈴はため息をこぼす。

 止めようとは思わなかった。どうせ何百回聞いても、彼女は同じ返答しかしないだろうから。

 

(んにしても、真面目よね〜)

 

 簪も、一夏も。

 簪は日本代表候補、それも国内三位だと言うのにマメにメモを取ったり、敵を調べたりして。

 一夏はアリーナで専用機持ちに揉まれまくって。

 特に一夏は、IS操縦歴一ヶ月とは思えないほど上手い。もちろん鈴が身を置く世界と比較すれば、まだまだヒヨっ子も良いところだが。

 

 彼女はじーっと、上からアリーナを眺める。

 

 そこには、幼馴染という名の敵がいる。

 

(アタシも頑張らなきゃ……。万が一、一夏に負けるようなことがあったら顔合わせできないしね)

 

 幼馴染としても、IS乗りとしても。

 

 IS学園に来た以上は、いつか彼と戦う運命にあるのだ。それが今回はたまたま早かっただけ。

 避けられぬ道ならば、とことんぶつかろうじゃないか。

 鈴は思い切って、寂しさを投げ捨てた。

 そのまま覚悟を決めて、彼を、真の意味で、IS乗りとして迎えることにする。

 

(一夏……一旦幼馴染はお預けよ。()()()I()S()()()()()()、戦いで語り合おうじゃない)

 

 ────新たな壁が、一夏に立ちはだかる。

 

 




修行パートはもう少しあります。クソ進み遅くてすみません。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

12話 ガッツを胸に!

長めです(約9000字)

※2024/2/28
本来こう言うことは書くべきではないかもしれませんが、本章は中弛みが酷いです。バトルだけ見たい方は13話からご覧になられることをオススメします。
偏に私の実力不足でした。申し訳ございません。
9〜12話のあらすじは、13話の前書きに記載しています。13まで飛ばされる方は、ぜひそちらをご覧ください。よろしくお願いいたします。


 クラス対抗戦まであと十日────。

 

 折り返しと言うにはまだ早いが、敵の対策を講じるには丁度いい頃合い。

 放課後、一夏と箒、セシリアの三人は教室で携帯の画面を見つめていた。

 

「なぁ、鈴の試合動画なくねぇかこれ」

 

 ある程度検索をかけてみた一夏が呟く。

 セシリアの時は名前を入力しただけで試合の動画が出てきたと言うのに、鈴の場合は思いつくワードを全て入力しても試合動画が出て来なかったのである。

 

「公式戦はすでに二戦しているのだろう?どういうわけだ?」

「公式とは言っても、試合の全てが動画として残る訳ではありませんわ。おそらく(ファン)さんの場合、その時は世間や企業から注目されていなかったのでしょう。彼女は模擬戦で代表候補を倒してから有名になったようですし」

 

 箒の疑問に答えたセシリアは、一夏の携帯の画面を覗きつつ続けた。

 

「無いなら無いで仕方ないことですわ。切り替えて更識さんの対策を考えましょう」

「だな。更識さんのはずっと前に見たことあるし今も残ってるはずだ」

 

 一夏の言った通り、名前で検索するとすぐに動画が表示された。

 画面を横にして机に置くと、早速三人で固まって動画を見始める。もちろんただ見るだけではない。動きを、特徴を、観察し分析するのだ。

 

 最初、試合を三本ほど見ている間、会話は絶えなかった。

 動画を止めては巻き戻して「ここがこうだったからこうしよう」とか、「こういう時はこう動くから、これで対応しよう」とか。一夏とセシリアの議論に、時折箒が口を挟む形で対策を講じていた。

 一夏が走らせるペンは止まることを知らず、あっという間にA4ノートの五ページほどが埋まる。

 

 大方パターンは弾き出した。後は、細かい部分を煮詰めるだけだ。

 三人とも無意識のうちにそう安心して、四つ目の試合を見始める。

 

 動画が始まって数分が経過した頃。

 

 彼らはほぼ同時に、とても小さいが、違和感の様なものを覚えた。

 

「なぁ。今の……ここの動きって新しいパターンじゃないか?」

「……そう、ですわね。前の試合とほぼ同じ状況でしたが、違うリアクションを見せてますわ」

「引き出しが多いな。これは厄介な相手だぞ」

 

 流石国内三位だな、と嘆息しつつ一夏はメモを取る。

 会話の数は減らない。それどころか増え続ける一方だ。

 

「あれ?()()加速のタイミングが違わないか……ほら今のも」

「上手いですわね。相手のリズムを()()()()()()()……、ッ!」

「この場合は一旦下がるべきだな。下手に迎え撃つと不利になりそうだ」

 

 またひとつ試合を見るたびに、新しい動作に対してああだこうだと対策を話し合い。

 

「ここもなんで避けたんだ?さっきの試合見た感じだとカウンター出来ただろうに」

「……」

「同感だ。いまいち()()()()()()()()な」

 

 またひとつ試合を見るたびに、疑問点が増えていき。

 

「今までと間合いが全然違う、すげぇ中途半端じゃねぇか」

「しかしこれはこれで、()()()()()()()()()だ。弾もかなり散らばってしまっているし、前のシーンを見た限りでは接近戦を仕掛けようとしても迎撃されてしまうからな」

 

 またひとつ試合を見るたびに、違和感が膨れ上がり。

 

 それは六本目の動画を見ている最中だった。

 

「ちょっとたんま、一回腕休ませていいか?これ以上書き続けたら腱鞘炎になっちまうよ」

 

 手をぶらぶらさせながら一夏がぼやいた。長時間の動画視聴に疲れたのか、箒も少し休憩しようと言って、水筒を手に取る。

 そんな様子を見ながら、セシリアが低い声で呟いた。

 

「……お二人とも、気付きました?」

 

 二人揃ってピタリと体を止めて、セシリアへ視線を向けた。

 するとセシリアは、焦りと驚きを綯い交ぜにしたような顔で言い放つ。

 

「更識さんは()()()()()()動きを変えていますわ」

 

 三人の中で最も経験豊富な彼女だからこそ、先に突き止めることができた。

 その、奇妙な違和感の正体を。

 

「戦術、武装、距離、リズム、タイミング、フェイント。言い出せばキリがありませんが、彼女は全てを変えていますわ。それこそ、別人かと疑うレベルで。

 おそらく彼女には、例えばわたくしのようにBTで敵を囲い込む、と言うような、ある種の固定された『戦い方』がありません。

 彼女は一戦一戦、自由自在にあらゆる部分を『変化』させています。それも相手が最も苦手とする方向に」

 

 セシリアの発言で、一夏と箒も違和感の正体に気付いた。

 瞬間、背筋が凍るような錯覚を味わう。

 

「……全部分で敵の対策してたって訳だ」

「えぇ。あえて言うのであれば、相手にとって『全てにおいて相性最悪の敵に変化する』ことが彼女の『戦い方』なのでしょう。

 ただ基礎能力が高いだけでは成し得られません。凄まじい分析力と研究量も加わって初めて出来ることですわ」

 

 何故、同じ人物を見続けていたのに会話が絶えなかったのか。

 何故、同じ状況でも簪の動きが大きく異なっていたのか。

 何故、新しくメモを取り続けていたのか。

 

 簪の『戦い方』が劇的に変化し続けていたからだった。

 

「待ってくれ。相手によって戦い方が変わると言うことは、今日まとめたものは全て無意味になるのではないか?」

「そう言うことになっちまうな」

 

 箒の不安に、一夏が苦笑を混ぜて答えた。

 

「それどころか、そもそも対策のしようがねぇ。全部の試合で共通した特徴とか動き────突破口を見つけられなかった」

「わたくしも、悔しいですが何ひとつ分かりませんでしたわ」

 

 セシリアもまた、想定外の敵がいたことに動揺を隠せない。彼女にとっても簪のようなタイプは初めてだった。

 変化量、変化幅があまりにも大きすぎる。

 

「困りましたわね。凰さんどころか、更識さんも対策できないとは」

「特殊な武装がある訳でもないのに……これが国内三位の実力と言うことか」

 

 困り顔でこれからのことを考え出す箒とセシリア。その間で一夏は少し黙り込んでから、拳を握った。

 白い相棒が眠っている、右腕の拳を。

 

 セシリアの時とは違い対策を講じれない。不安だ。勝ち筋がまるで見えて来ない。

 鈴に、簪に、果たして自分の力が通じるのだろうか。情報量が少なすぎる。そして多すぎる。イメージトレーニングすらままならない。

 考えれば考えるほど、一夏の中で二人(かべ)が巨大に、強大になっていく。

 

 だけど、それでも。

 誰よりも上を──世界最強を、宇宙(そら)を目指しているから。

 夢を叶えたいから。

 

「やるしかねぇ」

 

 (まなこ)に火を灯す。

 

「上を目指してりゃいつか()()()()相手にも当たるんだ。それが今回はたまたま早かったってだけじゃねぇか。

 ……これくらい超えてみせなきゃ、世界最強なんて程遠い」

 

 自分に言い聞かせるように。己を鼓舞するように。

 その決意を、一夏は言葉にした。

 

 二人は思考をやめて彼を見た。

 あぁ、と。

 彼のその表情、その仕草、その双眸。よく知っていた。

 ライバルとして見てきたから。隣にいる者として見てきたから。

 

 ────闘魂、起爆。

 

「全く、貴方という人は」

 

 呆れるほどの向上心と闘争心に、だがセシリアは口角を小さく上げる。

 それでこそ私を()()()()ライバルだ、と。

 

(もはや、かける言葉は何もいらないな)

 

 箒は無言で微笑む。

 一夏の真っ赤な情熱が、会話せずとも伝わってきた。

 

「しかし、こちらとしては完全な実力勝負になりますから、あと十日間で何としても自力を底上げてもらいますわ。時間を出来る限り延長し、訓練メニューもより厳しいものにします」

「っへ、ありがてぇ。俺としても願ったり叶ったりだよ」

「私も少し予定を変更しようと思う。痛い思いをすることが増えるだろうが、我慢して付いてきて欲しい」

「意地でもついてくさ」

 

 彼の熱意に感化されたのか、セシリアたちにも気合が入る。

 

 試合まで残り十日。

 強敵を超えるためのハードトレーニングが始まる。

 

 ◇

 

 それから数十分がすぎた頃、一夏は武道館にいた。

 普段と同じように胴と甲手(こて)(すい)を身に付けているのだが、面だけは外されていた。彼の眼前で、同じ装備で佇む箒の指示によってである。

 

「今日からは基礎稽古に加えて『技』を習得してもらう」

「技?」

 

 首肯を返した箒は、早速竹刀を握った。

 

「……何をぼーっとしているのだ。早く竹刀を取れ」

「え、面付けずにやるの?」

「そうだ」

 

 無情な返事を聞いて、一夏は目を丸くする。

 

「あの、痛い思いどころか俺死ぬよこれ」

「……面を外させたのはしっかりと技を()てもらうためだ。そんな信頼ないか私は」

「だってお前『死と隣り合わせの環境にすることで潜在的な力を引き出す』とか言いそうじゃん」

「む、なるほど。そういう考えも出来るのか」

「はいごめんなさい冗談です」

 

 その気にさせたくなかったので一夏はさっさと竹刀を握り、話を進めてもらうことにした。

 

「っで、技って?」

「説明を聞くより受けて貰った方が早い」

 

 既に切っ先を向けられていた。かかってこい、と言っている。

 ならば、と一夏も両手に収める矛の標準を箒へ合わせる。

 ひと呼吸分の沈黙が置かれた。

 一夏は竹刀を小さく左右へ振り、探りを入れ出す。

 

(重心は少し前に置いてるな……カウンターか?いや、それにしては肩が下がりすぎてる。あれじゃ攻撃を弾くだけで手一杯じゃないのか?)

 

 踏み込みの足はやや前に出ており、両肩部は脱力しきっているのか大きく下がっている。

 その独特な構えは、攻めて来ないあたり、攻撃を受けて初めて効果を発揮するものなのだろうと一夏は考察した。

 

「どうした、技を観なくてもいいのか?」

(本当は攻めたくねぇけど、どうせこのままじゃジリ貧だ。一気に行く!)

 

 覚悟を決めて一夏が仕掛けた。

 一、二と静かに近づいて、次の瞬間、大股で勢いよく間合いを詰めた。

 振りかぶった竹刀を、箒の頭頂目掛けて、

 

(小さく、素早くッ!)

 

 振り下ろす。

 バンッ!と小気味良い音が弾けた。

 

 それからだった。

 一夏の脳の認識が追いついたのは。

 自分の竹刀があらぬ方向を指していた。

 自身の頸動脈を、箒の竹刀が触れていた。

 

 理解は追いつけなかった。

 

「え……?」

 

 一連の動作はちゃんと目で捉えていた。

 それでもなお、認識が遅れた。

 

()()()()()()()()()……?」

「そうだ。よく観ていたな」

「い、いや……」

 

 従来のカウンターとは大きく異なる。

 攻撃を避けつつ反撃、ではない。攻撃を受け、それを的確に捌いた上での反撃。

 しかも捌きと反撃の間には刹那の猶予も──つまり相手の回避や防御を許す時間も無かった。

 一連の流れの全てが閃光の如きスピードだった。

 

「一足目に閃き、ニ手目に敵を断つ。名を『一閃二断の構え』」

「いっせん、にだんの構え……」

「近距離戦しかできないお前には必須の技だ。これから七日で習得してもらい、三日で慣れてもらう」

 

 一夏の首から竹刀が離れる。

 額から冷たい汗が滴る。観ても尚、聞いても尚理解が追いつけなかった。

 鼓動の爆音が全身を波打つ。

 

 なんだあの技は、と。

 あれが本物の刀なら、実戦なら死んでいたぞ、と。

 あんなものを習得するのか、と。

 

 ────あれを習得できれば、と。

 

「観て、受けて、(かた)を馴染ませ、実践する。悪いが私はこの方針でしか教えられない。それでも良いか?」

「何、今さら確認してんだよ……」

 

 一夏は自然と、笑っていた。

 明確に見えた自身の更なる進化に、もう高鳴りは止まらない。

 

「何が何でも習得してみせるッ!よろしく頼むぜ箒ッ!」

 

 再度一夏が構えた。

 箒もその笑みに応えるように、一閃二断の構えを取った。

 

 この日以降、放課後からセシリアとの訓練開始まで、百分間に及ぶ地獄の鍛錬が幕を上げる。

 

 ◇

 

 その日の夜も心地のいい風が吹いていた。

 時刻は十一時前。生徒は原則寮へ戻らなければならない時間帯だ。

 IS学園の頭上では幾億もの星が眩い光を放ち、少し遠くでは三日月がチラリと顔を出している。

 

「クラス対抗戦まであと十日、早いですよね〜」

「そうだな」

 

 千冬と真耶は学園の見回りに当たっていた。

 二人が現在歩いている寮の周辺には、景観を良くするために等間隔で桜の木が植えられていた。日が出ている間は良いのだが、今は電灯の光で出来た小さな日向(ひなた)に、薄気味悪い影を作り出している。

 

「聞く話によると、織斑君ものすごく頑張ってるそうですよ。絶対優勝する!って言ってるとか」

「私も嫌になるほど耳にしているよ」

「頑張り屋さんなんですね、織斑君って」

「……正直、私も驚いていてな」

 

 風に吹かれて、二人の髪がゆらっと靡く。

 

「昔はあんな男じゃなかった。必要最低限のことはやるが、それ以上を求めるような男ではなかった」

「この学園に来て変わったんですか?」

「いや、恐らく……」

 

 幾人もの男たちの手紙を読んで、自分の可能性を知って、夢を追いかけ出して。

 変わったのだろう。

 

 千冬はそう言いかけて、けど飲み込んだ。

 思い出した小さな背中を、今の大きな背中に重ねていた。

 

 昔はあんなに世話が焼けるヤツだったのに。自分が敷いたレールを、よちよちと歩いてたのに。それが少し、可愛かったのに。

 今では自分の中に在るものを芯にして、背負って、まだ先の見えぬ遙か未来へと突っ走っている。

 

 これが成長なのか、と不意に悟った。

 ちょっとだけ寂しくて、とびきりに嬉しくて。

 口元が、緩んだ。

 

「お、織斑先生……?」

「ん、んん!いや、これはなんでもないんだ山田先生」

「あの、あそこ」

 

 真耶が伸ばした指の先。目を凝らす必要もなかった。

 そこには、一人の男がいた。電灯に照らされた背中はやけに大きかった。

 ラフな格好の彼は桜の木の前で、木刀を振るっていた。

 

「どう見ても織斑君ですよね?」

「……あぁ、私の愚弟だ」

「ど、どうします?」

()()()()

「……ですよね」

 

 千冬は片手で頭を掻きながら、やれやれと言った顔で一夏へ迫る。

 近づくにつれて、ぶつぶつと一夏の声が聞こえてくる。

 

「違う、箒の言ってた(かた)はもっとこう……捌く時はヒュゥッて感じで、斬る時はズバーンッて……あぁクソ、なんで擬音でしか教えてくれねぇんだよ。っつかなんで擬音で理解できてんだよやべぇだろアイツ」

「おい、織斑」

「はい……あっ。こ、こんばんは、織斑先生」

「!?」

 

 千冬を見るやいなや、懲罰を覚悟した一夏。

 そして一夏を見るやいなや、言葉を失った千冬。

 

「おい、お前」

「すみません。でもあとちょっとだけ、五分だけでもお願いします」

「いや……どうしたんだ、その、湿布の数は」

 

 一夏の正面を見て初めて気づいた。

 頬、腕、脛。今見えている部位だけでも七つもの湿布が貼ってあった。

 あーっと、一夏は少し恥ずかしそうに項垂れて、

 

「ちょっと放課後に箒との特訓でやらかして。……あ、頬のは狙われてなかったのに自分から当たりに行っちゃったんです」

「……」

 

 痛々しい姿。実際、少なくとも七ヶ所は熱い痛みに襲われているだろう。なのに、それでも夢に向かって、努力している。

 やるべきことをやる。ただそれだけしかしていなかった昔からは想像もつかない姿だった。

 何年も彼を見てきたつもりだったけど、予想しなかった未来だった。

 

 本当に一夏は変わった、と千冬は改めて、姉として実感する。

 もう、あの幼くて、丸っこくて、可愛かった弟は、どこにもいない。

 

 今目の前にいるのは、世界最強を目指し、宇宙(そら)に夢見る、世界でたった一人の男性IS操縦者(おとうと)だった。

 

「……そう、か」

「ほんとすみません。時間守れてないのは分かってますし、後で寮監部屋行きますから、五分だけでも」

「もう一度、やってみろ」

「え?」

「ほら、私は時間がないんだ。さっさとしろ」

 

 突然の、普段の厳格な姉からは信じられない発言に、一夏はびっくりした。

 だが察するに、自分の形を見てくれるのだろう。

 棚からぼたもちだ、これ以上の僥倖はない。

 何せ世界最強の剣豪が見てくれるのだから。

 

 一夏はすぐにスイッチを切り替えると、桜の木に向かって木刀を構えた。

 

(思い出せ、箒の動きを……!)

 

 ふっ、と息を吐き、思考をクリアにした。

 桜の木を仮想敵と見立てる。するとどうだ、敵が迫ってきた。

 刀が振り下ろされて────。

 

「ッ!」

 

 幻影の刀を弾き、足を踏み込んだ。

 敵の懐はガラ空き。狙わぬ道理はない。

 神速を繰り出すつもりで、木刀を思い切り横薙ぎに払った。

 

 幻影は霧散した。

 

「どう、でしたか?」

「一閃二断の構えか……それなりに出来ているな。私にも、お前がイメージした幻影が何となく見えた。

 形はその調子で篠ノ之に教えてもらうと良い」

 

 千冬は腕組みをしたまま、

 

「だが、もし私とお前の見ていた幻影が同じだとしたら、一足目のタイミングが早すぎたな。それに二手目には焦りが見えたぞ」

「ッ」

 

 痛いところを突かれた。

 それは初日(きょう)から箒に散々注意されていた部分であると同時に、一夏自身すぐに解決すべきだと感じていた部分だった。

 

 やっぱり流石だな、と一夏は参ったようにこぼす。

 

「一目で分かっちゃうんですね」

「当たり前だ」

「……ありがとうございました、先生に見てもらえて良かったです。えっと、なんか満足したんで、戻りますね」

 

 一夏が寮へ戻ろうと、一歩前に出たその時。

 

「待て。まだ言うことがある」

 

 千冬が一夏の真ん前に立った。

 一夏はてっきり時間外の行動を怒られるものだと身構えたが、次に発された言葉は全然違う内容だった。

 むしろ、一夏に必要な、アドバイス。

 

「何故一足目が早くなるか、何故二手目に焦りが出るか、分かるか?」

「多分……攻撃を怖がっているからと、決着を急いでいるから、だと思ってます」

「違う」

 

 言い切った彼女は、更に言葉を連ねた。

 

「お前は、一閃二断の構えを取るうえで最も大切なものを持っていない。だから一足目が早くなり、二手目で焦る」

「最も大切なもの?」

「あぁ」

 

 夜風が吹いた。

 ざぁざぁと、緑の葉が揺れて音を立てた。

 その無数の音の中で、千冬の一つの言葉は、確かに一夏に届いた。

 

「敵の攻撃をギリギリまで引きつける勇気と胆力。捌いてみせると言う自信。この一撃で必ず斬り倒すと言う覚悟と気合い。

 言うなれば、ガッツだ」

 

 世界最強から放たれたのは、彼女からはまるで想像もつかないような根性論。

 技術的なアドバイスを貰えるとばかり思っていた一夏にとって、これまた思わぬ展開だった。

 

 しかし、何故だろう。

 ものすごく腑に落ちたような気がした。

 

「ガッツ、か」

「そうだ。ガッツを胸に戦え。ガッツを胸に、一閃二断を使え。

 そうすればきっと、お前の肉体も経験も、そして白式も応えてくれるはずだ。人やISは、良くも悪くも感情の影響を大きく受けるからな」

「はい……分かりました!ありがとうございました!」

 

 助言を言い終えた彼女は、最後に右手で拳を作った。

 世界最強を獲った右拳。それを、お辞儀から頭を上げた一夏の胸に、コツンと当てた。

 

「え?」

「頑張れよ、一夏」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──────へ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一夏は目を見開いた。

 世界が真っ白になったような、そんな衝撃を味わった。

 唖然と、呆然と、突っ立つことしか出来なかった。

 

「あ────、あ、」

 

 気付けばもう、姉の姿は見えなくなっていた。

 周囲を見渡しても、どこにもいない。

 

「……」

 

 風が吹いた。

 けど、姉が初めてくれた、胸の小さな(ガッツ)は消えない。

 葉が鳴った。

 けど、姉が初めてくれた、応援の言葉が耳に残り続る。

 

(なんだよ……なん、だよ!いきなりすぎるじゃねぇかよ!そんなのありかよ!)

 

 一夏は奥歯をグッと噛み締めた。両の手を固く閉じた。

 もう自分でも訳が分からないくらい多くの、色濃い感情が湧いて出てくる。

 

 世界でたった一人の肉親がくれたからこそ、その一言はとても温かくて。

 目指す先にいる世界最強がくれたからこそ、その一言があればどんな困難も超えられそうで。

 弟、ではなく一人の男として認められたような気がして。

 

(千冬姉に頑張れなんて言われたらよ……)

 

 痛みなんて吹っ飛んだ。疲労なんて消し飛んだ。

 血潮が熱く滾る。

 胸の炎が真っ赤に燃える。

 

 またひとつ、己に在るものが増えた。

 

(なおさら夢叶えなきゃいけねぇじゃんかッッッ!!!)

 

 闘魂、更に爆発ッ!

 

 ◇

 

()()()()()()()()()()?」

「……あぁ。必要ないと判断した」

 

 邪魔にならないように木の影で二人を眺めていた真耶は、千冬が戻ってくるとゆっくりと姿を現した。

 真耶から見ると、千冬の表情は少しほぐれていた。

 

「っで、織斑君にはなんて言ったんですか?」

「オーバーワークはするな、と言っただけだ」

「へぇ〜」

「何か?」

「いえ、なんでもないです」

 

 ニコニコスマイルの真耶。こうなっては止めようがない。

 無駄に察知力の高い彼女がちょっぴりうざったくて、千冬はため息をついた。

 

「織斑君、これからどんどん伸びますよ」

「あぁ……」

 

 保健室での会話の時は、IS乗りとして彼を頂点で待つことにした。

 だが、今回は。

 

(一夏……私は姉としても、お前の夢の行方を見届けよう)




次回、簪に焦点をあててそっからバトルです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

13話 日本三位への挑戦

試合までの流れが遅く、テンポが悪かったこと。
そして更新が遅いこと。
本当に申し訳ないです。

定期的に他の回を修正しています。元々二話(長くて一章)で終わらせるつもりだったので、結構矛盾点が出てきてしまっていたり、変な文を直しているためです。ご了承ください。

※2024/2/28
本来こう言うことは書くべきではないかもしれませんが、本章は中弛みが酷いです。バトルだけ見たい方は13話からご覧になられることをオススメします。
偏に私の実力不足でした。申し訳ございません。

以下には9〜12話のあらすじが記載されています。9〜12話をご覧になられたい方は、ネタバレになってしまいますので、スクロールにご注意ください。





========================================

 9〜12話のあらすじ
 セシリアとの決闘に敗北した一夏。彼は敗北を経験したことで、夢への決意をより強固にして、次なる目標である『クラス対抗戦優勝』に目線を向けていた。
 対抗戦参加者の中でも、彼が特に注視していたのは日本ランキング三位の更識簪。彼女を打倒する力をつけるために、セシリアと箒に協力してもらい、一夏は激しい鍛錬を積む。
 そんな中、一夏のセカンド幼馴染である凰鈴音がIS学園に転入してくる。鈴は好意を寄せる一夏に会えることを楽しみにしていたが、学園にいたのは幼馴染の一夏ではなく、IS操縦者・織斑一夏だった。小さなすれ違いから互いを敵視するようになった一夏と鈴は、IS操縦者として試合で決着をつけることを心に決める。
 一夏は必殺のカウンター『一閃二断』の動作を箒に、そしてそのコツを千冬に教えてもらい、絶対に負けられない戦いに備えるのだった。



 午後十八時二十五分。

 この時間になると、更識簪はノートとペンを持って整備室から抜け出し、アリーナを眺められる廊下へと向かう。

 出来るだけ人目を避けられるルートを進む。恥じらいと警戒心からだ。

 

(試合まで残り五日……私自身の調整もあるし、調査は今日が最後)

 

 対抗戦に備えて、彼女は今日も各クラス代表の訓練中の様子を視察しようとしていた。

 

(……)

 

 彼女にとって危険度の高い人物は二人。

 一人は凰鈴音。専用機持ちだが過去の試合動画はなく、また訓練時もあまり動きを見せようとしないために、対策が出来ていなかった。

 そしてもう一人が、織斑一夏。

 彼自体はさほど脅威じゃない。問題は彼の専用機の武装であるあの、青い刃だ。

 

(アレの発動条件は結局分からずじまい。一度しか見ていないから具体的なリーチの伸びも分かっていない)

 

 加えて、セシリアとの試合を見る限りでは、誇張抜きで一撃必殺の威力を秘めていることが窺えた。

 

(────ッ)

 

 なんて()()()なのだろう。

 言ってしまえば、アレは一度でも当たれば負けである。つまり偶然だとかラッキーと言った類いの一発を許した瞬間に、試合終了となる可能性を孕んでいるのだ。

 

 だから専用機が怖い。

 圧倒的な初見殺し性能だったり、量産機にはない応用性や威力の高い特殊武装だったり。どうしても対策しきれない部分が残ってしまうし、操縦技術だけでは埋められない差が出てしまう。

 

 ────だから彼が憎い。

 なんの競争も勝ち抜いていないくせに。

 専用機に乗る資格など無いのに。

 

(織斑一夏にだけは、負けたくない)

 

 目的地である廊下に着くと、窓からアリーナを眺める。今日も夕焼けの下で訓練機が飛び交っていた。

 ノートを広げ、グッとペンを握って、

 

(あれ?)

 

 すぐに気付いた。

 いつもなら既に訓練を始めているはずの『白式』と『ブルー・ティアーズ』がいない。片方ではなく二機ともだ。

 遅れているのかと思って十分ほど待ったが、一向に来る気配はなく。

 簪に嫌な予感が走る。

 

(まさか、このタイミングでアリーナを変えた?)

 

 一つの予感を皮切りに、幾つものパターンが頭に浮かぶ。

 

(今日は休み? 訓練メニューを変えた? もしかして追跡がバレた? ──何度か振り向かれたけど姿は見られてないはず。いや、推測された?)

 

 いずれにせよ彼女にとっては不味い状況だった。

 

(早く探さなきゃ。まずは……第四アリーナから)

 

 頭の中で素早くマップを広げた彼女は、最も効率の良いルートを選定すると、駆け足で一夏たちを探し出す。

 

 ◇

 

(結構延ばしちまった……セシリア、控え室で待つとか言ってたけど絶対怒ってるだろうなぁ)

 

 箒との鍛錬を終えた一夏は、急いで訓練用アリーナに向かっていた。

 時間を延長してまでの特訓の末に、今日も新しい湿布を貼られた彼だが、全くコツを掴めない日々が続いていた。

 

 ガッツ。

 

 一閃二断の構えにおいて最も大切なものであり、千冬から渡された大切なもの。同時に、形のない曖昧なもの。

 一夏なりに意識はしているが、変化は見られなかった。

 

(だいぶ動きは出来てきたけど、やっぱタイミングが早いし二手目も浅くなっちまう。あと五日で何とかしねぇと)

 

 気合いを入れつつ、気持ちを反省から次の特訓へ切り替えて、曲がり角を抜けた────。

 瞬間。

 一夏の視界には廊下ではなく、一人の少女の顔がドアップで現れた。

 

「きゃっ!」

「おふぇっ!?」

 

 身長差と姿勢のせいで、少女の頭突きが見事胸部に直撃。バランスを崩した一夏は少しよろめく。

 

「ご、ごめんなさ……い……」

「いてて、すみません。怪我はありません……か?」

 

 目と目が合った。一夏は少女を、少女は一夏を、知っていた。

 途端、少女の目つきが露骨に鋭くなる。

 

「更識さん、ですか?」

「……そう」

 

 写真で外見は知っていたが、何気に対面するのは初めて。対抗戦で戦うであろう相手を前にして、一夏は()()を差し出した。

 

「あーっ、えっと……。こんな形で言うのは変かもしれないけど、初めまして、織斑一夏です。対抗戦で戦うことがあったらよろしくな」

 

 ()()同じクラス代表として。

 あくまでただの挨拶のつもりだった。

 

「……あなたのその手には答えられない」

「え?」

 

 しかし簪にとってそれは、挑発のようにも、自慢のようにも、軽蔑のようにも映った。

 差し出された()()()()()()()()()。一夏の専用機『白式』の待機状態だ。

 ──頭ではわざとじゃないと分かっていても、意地が許しはしなかった。

 

 簪は無言で、その場を走り去った。

 

 ぽつん、と一夏は突っ立ったまま自分の手を見つめる。

 

(お、俺もしかして何かまずいことしちまったかな……)

 

 謎の罪悪感に襲われつつ、

 

(……ん?)

 

 ふと、落ちている物に気付いた。

 右手の奥でぼやけていた小さくて四角いそれを、屈んで取り上げる。

 

(対策ノートNo.14、更識簪……更識簪ぃ!?)

 

 すぐさま彼女が走って行った方を振り返った。

 が、もう彼女の背中は見えやしない。

 

(……これ、届けなきゃな)

 

 多分悪い印象を抱かれているであろう彼女に、自分から会いに行くのは少し気が引けた。

 だがそれはそれで、これはこれ。くだらない理由で人の落とし物を無視するような人間に、一夏はなりたくない。

 

 セシリアへ更に遅れることを連絡すると(即返信で滅茶苦茶怒られた)、彼は簪を追うために走り出した。

 

 ◇

 

(……どうしよう)

 

 アリーナからある程度離れた廊下で、足を止めた簪は考え込んでいた。

 あそこに織斑一夏がいた理由は色々考えられる。が、何にせよ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()逃げる形でここまで来てしまった。

 今から調査に戻ろうとは思えなかった。

 

「おーい!更識さーん!」

「ッ!?」

 

 途端、後ろからやってきたのは男の叫び声。俯いていた簪が驚いて振り返ると、此方へと走り迫る一夏が見えた。

 今度は何、と身構えようとしたが、

 

「これー!メモ落としてたぞー!」

 

 一夏がメモを掲げた。

 それを見るや否や簪から、え、と呆けたような声が漏れた。

 彼女はすぐさま確かめるようにポケットを叩く。無い。ペンはあるが、メモ帳は無い。──ぶつかった時に落としてしまったか。

 

「はぁ、はぁ、足速いんだな。一瞬でこんなとこまで……」

 

 追いついた一夏は、少し息を整えてからメモ帳を渡す。

 

「はい、どうぞ」

「……ありがとう」

 

 最低限の礼儀として、簪は感謝を口にしてから受け取った。

 

 ──それだけだった。

 

 さっきの出来事があった以上、どうしても気まずさを拭えない。一夏は言葉に迷った挙句それ以上のコミュニケーションを諦めて、タイミングを見計らい踵を返そうとした。

 

「中身、見た?」

 

 ところが、逆に簪から訊ねられた。

 彼女の警戒心を払うように一夏は手を振って、

 

「いやいや見てない見てない」

「嘘はつかなくて良い」

「マジで見てないって、マジで」

 

 簪はメモ帳に視線を落とす。

 それから少し時間を置いて、冷静になった。

 

「……そうじゃなきゃ、すぐには届けてくれない、よね」

 

 疑いは晴れたらしい。安堵して、一夏は胸を撫で下ろす。

 

「専用機は、どう?」

 

 更に簪が聞いた。

 一夏は彼女の声音の些細な変化を聞き取りながらも、特にその意味を考えることなく返答した。

 

「白式自体は凄いんだけど、俺がまだまだ未熟なせいで全部ダメになっちまってる。白式(こいつ)の全部を理解できてないし、何より俺の体が機体に追いつけてないんだ。

 もっと()()()()()()()()()()にならなきゃ、って思ってるよ」

「そう」

 

 窓から夕陽が差し込む。光を浴びた一面が薄く茜色に染まる。

 彼と彼女しかいない廊下はとても静かで、その声はよく響いた。

 

「……()()()()()()()?」

「え?」

 

 放たれた一言は、獰猛に、一夏の生まれて間もないIS操縦者としての矜持を抉りにかかった。

 

「なんの競争も勝ち抜いていないのに専用機をもらった貴方が、専用機に見合う操縦者になれる訳がないでしょ」

「────ッ」

 

 嫌味、妬み、怒り、不満。────恨み。

 そのどれもが彼女の声と言葉に乗せられていたように、一夏は感じた。

 

「貴方が専用機を貰った裏で起こっていたこと、知ってる?」

「……い、いや」

 

 簪の、片腕で作った拳が小刻みに震える。

 ただでさえ鋭い目つきを、もはや女の子には似合わないほど鋭利なものにして彼女は続けた。

 

「貴方が専用機を貰ったことで、私が専用機を貰えなくなった」

 

 え、と。

 今度は一夏から、呆けたような声が漏れた。

 

「より正確に言うなら、先延ばしされた。本来なら私の専用機が作られるタイミングで、貴方が現れたから。

 貴方がただ存在する。それだけで、ッ、()()()()()()()、私の積み上げてきたものは全て否定された」

「……」

 

 知らなかった。

 白式の開発が、簪の専用機の開発を後回しにしてまで行われていたことを。

 罪悪感に喉を締めつけられた。言葉が、出なかった。

 

「専用機を貰うには厳しい条件を満たさないといけないことは、貴方も知っているでしょう?」

「……た、確か日本ランキング三位以内に入るか、特別枠で才能を認められるか、だったよな」

「そう。だけどそれは、一度満たしたら終わりじゃない。ずっと、ずっと()()()()()()()()()()()()

 

 相変わらず廊下は静かで、二人の会話を遮るものは何もない。

 

「満たしていないと思われた瞬間、即終わりの世界で私は生きてるの。

 特に私は特別枠の方だったから、ただ勝ち続けるだけじゃダメだった。当時はギリギリの勝負すら許されなかった」

 

 空気が張り詰めていく。その緊張感の正体は簪の一言一言から滲み出る、凝縮に凝縮された感情。

 彼女がどれほどの思いを胸に選手として生きてきたか、一夏が察するのは容易かった。

 

「自分が、常に貰える立場にいるとは限らなかった。

 今だって、そう。もし私が貰えない間に私以上の才能を持ってる人が出てきたら。もし今試合を挑まれて、私が三位から落ちることになったら。専用機の計画は全部、水の泡になる。

 ────もちろん、私以外の人もそう。だから必死になって頑張ってる」

 

 彼女の真紅の瞳が、視線だけで一夏を射殺すような力強さを宿す。

 

「……だから。だから、貴方が許せない。

 なんの競争にも参加しなかった……専用機に乗る資格のない、貴方が」

 

 一夏は黙り込み、小さく俯いた。噤んだ唇の裏で、歯を噛み締めていた。

 一方的に言われて悔しいとか、ムカつくとか、そんな理由でじゃない。

 

 専用機に乗る資格。

 以前にもそんなワードの意味を考えたことがあった。けど、その時は資格を語る資格すらないと言われた。

 あれからひたすらに励んで一ヶ月が経った。

 

 ────今はどうなのだろう?

 己の中に()るものたちへ聞いてみる。この濃密な一ヶ月を通して気付いた、もしくは得た、沢山の在るものたちへ。

 

「……簪さんの言う通りかもしれない」

 

 言葉は、自然と湧いた。

 

「何にもやってこなかった俺が専用機を貰って、沢山努力と結果を積み上げてきた簪さんは、ただでさえ難しい立場なのに後回しにされて。怒るのは当然だと思う。

 俺には、君の気持ちとか言葉を否定する権利なんてない」

「……同情はいらない」

()()()()()()()()()()

 

 一夏はそこで、視線を上げた。真っ直ぐな瞳で、それを捉えた。

 眼前にそびえ立つその、巨大な、絶対に超えたい壁を。

 

 更識簪、日本ランキング三位を。

 

「俺も『専用機に乗る資格』ってやつにけじめをつけたいと思ってたんだ。さっきまではどうすれば良いか分からなかったけど、今、簪さんと話してやっと分かったよ」

「……どう、けじめを付けるの?」

 

 織斑一夏はいつだって挑戦者(チャレンジャー)だ。

 でっかい夢を追いかける一人の戦士(ファイター)だ。

 

 だったら、やることはただ一つ。

 

 彼は右拳を胸まで上げた。

 

「君との競争に勝ち抜いて、資格を証明してみせる」

「ッ!」

「これが俺の答えだ」

 

 単純明快な答え。

 今までが何もなかったと言うならば、これからの競争に勝ち抜き結果を残して、認めてもらうしかあるまい。例え、競争相手がどんな事情を抱えていようとも。

 自分がどんな事情を抱えていようとも。

 

 挑戦状を叩きつけられ、簪は呆気に取られていた。

 何か言い返されるだろうとは予想していたが、まさかここまで好戦的に返されるとは思いもしなかったからだ。

 

「……じゃぁな」

 

 言うと、彼はアリーナへと歩いていった。

 競争に勝ち抜けるよう。全てを追い越すよう、自分を鍛えるために。

 

 夕陽に雲が差し掛かる。

 廊下を照らす茜色がうっすらと暗くなる。

 たった一人、ぽつんと佇む簪は、ノートごと手を胸に押し当てた。

 

(私だって……私だって!)

 

 最後の最後に気圧された気がした。

 あれだけ幾つもの言葉を捲し立てたのに、たった一言で全てを吹っ飛ばされたように感じて。

 無性に、悔しくなった。

 

(あの人に追いつくために、ここまで……!)

 

 ◇

 

「遅いですわ!一体何をしてましたの!」

「悪りぃ。ちょっとあってな」

「貴方のちょっとは少し長すぎやしませ……」

 

 彼を一目見ただけでセシリアは気付いた。

 気合いの入れようが、今までとは明らかに違う。

 この僅かな時間で何があったのか。気になるところだがそれは内に留めておいた方がいい物なのだろうと気を遣い、彼女は聞こうとはしなかった。

 

「まぁ良いですわ。早速、実戦を始めますわよ」

「おうッ!」

 

 ◇

 

 あっという間に時間は過ぎて、対抗戦当日が訪れた。

 結論から言うと、一夏の初戦の相手は簪だった。その二人の勝者が、シードの鈴と当たる形式になっている。

 完全ランダムで決められたらしいが、それにしても運命的だと箒たちは感じていた。

 

「一夏はどこまでいけると思う?」

「隠しても意味がないのではっきりと言いますが、結局更識さんや鈴さんへの具体的な対策ができませんでしたわ。ですから、一回戦で負けるのも大いにあり得ます」

「そ、そうか」

 

 やけに座り心地の悪い観客席で、箒とセシリアは並んで座っていた。

 二人の視線の先には巨大な戦地(アリーナ)が広がっている。

 

「箒さんが教えていたと言う技はどうなりましたの?」

「……完成には至らなかった。私の教え方が甘かったばかりに」

「そうでしたか。ですが、箒さんが嘆くことはありませんわ。たったの二週間、それも放課後と僅かな休日しか用意されていなかったのですし」

 

 難しい顔をして目を落とす箒を、セシリアが慰める。

 しかしセシリアも、もっとああしとけばとか、あれを教えていればとか。不安や心配、小さな後悔と期待が胸で綯い交ぜになっていた。

 

「ちょろっと隣良いかしら」

「あ、はい……あっ」

 

 突然やってきた声に箒が振り向く。と、ひょいとやってきた少女は見覚えのある顔をしていた。

 小柄で華奢な体に対して、大きなツインテールが特徴の少女。

 

「凰さん……」

「鈴でいいわよ」

 

 凰鈴音。一夏が勝てば二回戦で当たる、中国代表候補生だ。

 

「あんたには色々聞きたいことがあるのよ爆乳ポニテちゃん」

「……篠ノ之箒だ」

「……な、なんて言葉遣いのなってない方ですの」

「まぁ良いじゃない。こーんなけしからん物付けてるんだから」

「や、やめろ!ぺちぺちするな!」

 

 箒の豊満な胸を左右に揺らすと、鈴が訊ねる。

 

「っで、箒と一夏はどんな関係なの?」

「お、幼馴染だ。お前と同じ関係だ」

「あっ!じゃぁもしかして一夏の言ってたファースト幼馴染って、あんたのことだったんだ」

「多分、そう言うことになる」

 

 そっか〜じゃぁ良いのよ、と鈴は満足げに笑った。

 どう言う意味か理解できず、箒とセシリアが顔を合わせていると、

 

『ではこれより、一年生の第一試合、織斑一夏対更識簪の試合を始める』

 

 スピーカーから放送が鳴った。

 アリーナ観客席はたちまち静寂に包まれた。本日の注目カードの一つに、みんな一瞬たりとも──それこそ最初の入場から最後の退場まで、目を離したくはないのだろう。

 三人も一旦会話を中断する。

 

「一夏……」

「一夏さん……」

 

 彼の師として二週間を過ごした箒たちは、無意識に彼の名を口にした。

 

「ちゃんと勝ち上がってきなさいよ、一夏」

 

 一夏の敵として、鈴は彼に期待を寄せつつ見守ることにした。

 

 ◇

 

 カタパルトに両足を乗せ、ただその時を待つ一夏。

 物音一つしない空間。集中しやすい。感覚を、肉体を研ぎ澄ませる。

 けど、今日は、そうすればするほど、鼓動がうるさくって仕方ない。

 

(結局、一閃二断は完成させれなかった……。あの青い刃の発動条件も分からず終いだった)

 

 恐らくこの戦い、ひいては鈴との戦いでも切り札になるであろうそれらを未完成のまま今日を迎えてしまった。

 これからへの不安や恐れ、ネガティブな思考が隅っこで湧いている。

 特訓してる間は、勝利に対して夢中になれたのに。

 試合前になると、自分のことも相手のこともより鮮明に、詳細にイメージしてしまう。

 

 負けについて深く考えてしまう。

 

 ────あの日を、思い出してしまう。

 

(けどッ)

 

 募る不安を潰すように手のひらを握って、深呼吸をして、気合を入れた。

 

(証明するんだ……簪さんを超えて、専用機(こいつ)に乗る資格ってやつを)

 

 相手は日本三位。選りすぐりの精鋭、国家代表候補の一人。

 肩書きも、残してきた結果も凄まじい。客観的に見れば実力差は如何ともしがたい。

 聞くところによれば下馬評も一夏一、簪九だそうだ。

 

 それでも。

 

 全てを追い越すと誓ったのだ。

 ならばここを超えて見せろ。ここで超えなきゃ男じゃない。

 自分にそう言い聞かせていると、ISの個人通信(プライベート・チャネル)が繋がれる。

 

『織斑、準備はできているか?』

「はい、いつでも行けます……ッ!」

 

 千冬の声に返事をすると、ハッチが上下に開かれる。

 向こうは戦場だ。

 あそこへ出ればもう不安もクソもない。やるしかない。全力でぶつかって、超えるしかない。

 

 カシュッ、とカタパルトから炭酸の抜けるような音が聞こえた。

 

『よし。カタパルトの発射準備も出来た。行ってこい』

「……了解ッ!」

 

 腹の底から声を張り上げると、僅かに屈んで、

 

「織斑一夏、白式、行きます!」

 

 急加速してアリーナへ飛び出た。

 グワンッ!と視界が一気にひらけた。

 空中でスラスター制御を行い、慣性を殺して浮遊する。一夏の登場と共に自然と拍手が起こったが、そんなことを気にするほどの余裕はない。

 

 白式がアラートを出すより先に、一夏は晴れ渡る空を見上げていた。

 

 青の中に黒一点。

 量産機『打鉄(うちがね)』を纏った更識簪がそこにいる。

 

「織斑一夏……!」

 

 強烈なプレッシャーが太陽光と共に、大地へ一夏へ降り注ぐ。

 

「こうして見ると、すげぇや。流石日本三位って言うだけあるな」

「馬鹿にしてるの?」

「違う……むしろ怖いくらいだよ。でもな」

 

 彼は唯一無二の武装、雪片弐型を呼び出して両手で握った。言うまでもないが、切っ先は簪へ向いている。

 彼我の距離は直線換算で百十三メートル。

 白式の加速力なら1.3秒で詰められる。

 

「俺はあんたを超えてみせる」

「……私は」

 

 雪片に応えるように、簪が鉄刀を呼び出す。拡張領域(バススロット)から召喚されたそれは、誰の手にでも馴染みやすく、扱いやすいデザインで設計されている。

 まさに多種多様の人間が乗る量産機のための武器。

 しかしそれを操るは、日本で三番目に強い選手。

 

「私は絶対に、貴方にだけは負けないッ!」

 

互いが準備を終えると同時だった。

 

『試合、始め!』

 

 開始の放送(ゴング)が響くと、すぐさま一夏が仕掛けた。

 スラスターから炎を噴いて、構える簪へ急接近する。

 

(織斑一夏の得意な距離で勝負する────その上で勝つ)

 

 絶対に彼に負けたくないから────絶対に彼に勝ちたいから。

 だからこそ、彼女は一夏の領域で勝負に出た。そこで彼を負かすことで、資格を認めさせないために。

 ところが一夏にとって、簪が近距離戦に応えてくれたことはこの上ない好都合だった。

 

(簪さん……あんたの試合を何度も見て、それからあの対策ノートを見て分かったことがあるよ)

 

 加速は止まらない。

 

(あんたは敵を徹底的に分析することで、自分の形を作ってるんだろう?あの今までの謎の視線の正体だって、俺を分析していたあんただったんだろう?)

 

 加速はもう、止められない。

 

(だったら俺は対策されてないことを、つまりは初見殺しをやるしかねぇ!今までの特訓でも、セシリアとの決闘でも一切見せなかった、しかも予測不可能なアクションで仕掛けるしかねぇ!)

(出鼻を挫くッ)

 

 砲弾のように肉薄してくる一夏に合わせて、簪は刀を振り上げる。

 彼の腕の角度から予測するに、横からの斬撃が来るだろう。それより早く刀を叩きつけて、怯んだところを追撃して、一旦距離を離して射撃に持ち込んで。

 そこまで彼女はイメージした。

 

 してしまった。

 

(俺の馬鹿な頭じゃこれしか考えられなかったよ……!)

(スピードを緩めない!? それどころかもう一段階スピードを上げた!? どうして!?)

 

 減速しなければ、太刀の間合いでは戦えないはず。彼の武器は太刀だけなのに何故?

 距離を詰めすぎることになんの意味がある?

 敵の理解不能な行動に、彼女は一瞬逡巡した。

 その躊躇った瞬間を、一夏は見逃さない。

 

 雪片から離した右腕で、鉄より固い拳を作る。

 その数瞬の動作が、更に簪の反応を遅らせた。

 

「ッシャオラァアアアアアアアア!!!」

 

 簪が刀を振り下ろすより、ずっと早く。

 

「ゥガッ!?!?」

 

 一夏の放ったアッパーが、彼女の顎をかち上げた。




簪の時系列としては、特別枠で専用機をもらえる話になった→日本三位になった
って感じです。

次回
全てを超えようとする者vs何かに追いつこうとする者





目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

14話 閃き断て!

あけましておめでとうございますが遅すぎるので初投稿です。
更新頻度が遅くて申し訳ないです。

ちょっとやりとり追加しました。



「ゥガッ!?!?」

 

 簪の顎が跳ね上がる。

 無防備と化した彼女の死角。一夏は拳を引き戻して、追撃の剣を構えていた。

 

「いっっけぇええええええええ!!!」

「ぐァッ!?」

 

 雪片のフルスイングでぶった斬る。完全に直撃、誰がどう見ても最高のオープニングヒットだ。

 斜め下に吹っ飛んだ簪は、スラスターの制御が追いつかず地面に叩きつけられた。

 

(地面! 堕とされた!?)

 

 半身でもろに衝撃を受けた。が、かえって状況を把握できた。彼女は即座に飛び起き、追撃を受けまいとバックブーストでその場を離れる。

 すぐさまダメージを確認。表示は問題なし。シールドエネルギーが減っただけで、機体に故障はなかった。

 

 互いが視線をぶつけ合う。

 上空に浮く一夏と、地を踏む簪。

 時間にしてものの数秒程度だが、予想だにしない光景に会場は早速大盛り上がりである。

 

 二人の思考を、差し置いて。

 

(な、んで!)

 

 簪は無意識に歯を食いしばる。

 おかしい。散々彼の動きを観察してはメモを取ってきたのに。全く知らないアクションだったではないか。

 まさか自分の偵察がバレていたとでも言うのかここで勝たなくてはまた専用機に負けてしまうまたあの人から遠ざかってしま落ち着け──落ち着け。落ち着け。

 

 滑る思考をどうにか落ち着かせる。

 想定外のことが起こるとすぐ冷静さを失ってしまう。あの時もそうだ。偵察中に織斑一夏と廊下で接触した時、どうして良いか分からなくなってしまい逃げることしかできなかった。

 それほどまでにアドリブに弱いからこそ、今まで何度も対策を積んできたのだ。だと言うのに、早速パニックになってしまった自分が情けなくて舌打ちする。

 

 しかし、簪だって伊達に経験を積み重ねてきちゃいない。

 自分の弱点とその対応法はちゃんと把握している。

 

(……認める。私はくだらない意地を張ってた。だから修正する。今は勝つことだけを考える)

 

 すぐに考えを改めると、彼女はルーティンの独特な呼吸で意識を集中させた。すると、戦闘に不必要な無駄な思考(ノイズ)が一気に消えて、一夏を倒すためのパターンが急速に構築されていく。

 

(どこか馬鹿っぽい……まさに今みたいな予測できない動きをしてくることを指してたんだ。凰鈴音から聞いておいて良かった)

 

 彼女は沈着な瞳で、上空の白を睨みつける。

 

 一方で。

 誰もが認めるであろう最高のスタートを切ったはずの一夏は、参った様子で簪を見下ろしていた。

 

(へっ、やっぱ気合いだけじゃ上手くいかねぇわな……)

 

 嫌に重たい汗が、額を伝って落ちていく。

 

(理想通りならあの青い刃が出てくれて一撃必殺、()()()()()()()()()()

 けど、出てこなかった。どでかいチャンスを逃がしちまった訳だ……)

 

 もう、初見殺しはない。

 ここから先は今までの戦い方、つまり、簪に完璧に対策されてるであろう戦い方しか残されていない。

 

(どうする? 次はどうすりゃ雪片を振るえる!?)

 

 頭をフル回転させる。自分の持っている(すべ)をどう使えば彼女に通用するかを考える。

 けれども、当然、相手がそれを悠長に待ってくれるはずもなかった。

 

「今度は私の番」

「ッ!」

 

 簪が武器を持ち替えた。

 虚空へ消えた刀。それと入れ替わるように、広げた両手に粒子が集まり、兵装をかたどる。

 片方はアサルトライフル。もう片方はアサルトライフルよりも口径の大きい、バトルライフル。

 

「遠距離戦────させるかよ!」

「遅い」

 

 地上へ急降下した一夏だったが、簪の迎撃はそれよりもずっと速かった。

 武器を出し終えた瞬間サイドブースト。瞬時に座標を変えつつ、アサルトライフルの連射を始める。

 

「う、おぉおお!」

 

 一夏は身を捩って無理やり軌道を変えることで、どうにか直撃を避けた。

 そのまま繊細なスラスター操作で体軸を左右に揺らし、迫る無数の弾丸を避けて────。

 バゴンッ!と。

 肩に強烈な衝撃が突き刺さった。

 

(チィ! 誘導されたか!)

 

 反射的に推測できたのは、普段からセシリアと特訓をしていたおかげか。

 簪は今、アサルトライフルの連射で、一夏をバトルライフルの射線へ誘導したのだ。まるでセシリアがBTを使い、ロングライフルの射線を絞るかのように。

 ただ、セシリアと違う点は、簪が予め一夏の回避軌道を知っていることにある。故に誘導は実に自然的かつ流動的だった。

 その技術力に、一夏は舌を巻いた。

 

(射撃精度も凄いけど、それ以上に怖いのは誘導の巧みさだ! 頭で分かってても気付けば射線上に入っちまう! マジで対策の鬼じゃねぇか!)

 

 続くアサルトライフルの連射を、360度フル活用で回避。

 もちろん誘導されていることは念頭に置いているし、それをさせないような機動をとっているつもり。

 しかし、またしてもバトルライフルの餌食になる。

 今度は胴体と胸部に、鋭いインパクトが突き抜ける。

 

(ク、ソ! ここは一旦退()がって作戦を────)

 

 そこまで思考して、彼は、歯を食いしばった。

 脳裏をよぎったのは、以前のセシリアとの決闘の結末。

 届かなかった小さな、だけど途轍もなく大きな差。

 

 0.09秒と13cm。

 

(違うッ! ここで退がったら、もうこの距離()は埋められねぇ!)

 

 理論と経験で補強された直感が、彼にそう告げた。

 弾丸の嵐を躱しながら、雪片をギュッと握り締める。

 両の手に握った、夢の道を切り拓くその剣を。

 

(元より俺にはコレしかねぇんだ! 多少の被弾なんて気にしてちゃやってられねぇ! ガッツだ、ガッツで押し切るんだ!)

 

 頭に被弾して首が弾かれたと同時。

 灼熱を宿した瞳で、地上の簪を捉える。

 

(目つきが変わった、何かを仕掛けてくる────!)

 

 簪の直感が、一夏から放たれた熱を感じ取った途端。

 

「オォオオオオオオオオ!!!」

 

 意を決した一夏が最大出力の推進で距離を殺す。

 簪の迎撃にも物怖じしない。

 アサルトライフルの連射で装甲を削られようと。バトルライフルの強力な一発でシールドエネルギーが減ろうとも。

 最短で真っ直ぐに、一夏は突撃する。

 

(いつもの感覚じゃ間に合わない! これだから専用機は!)

 

 悪態を吐きながらも簪は冷静だった。

 接近する一夏へ引き金を引きつつ、右へサイドブースト。秒も使わずその場を離脱して、

 

「逃すかよッ!」

「な」

 

 ホーミング弾のように一夏が肉薄する。

 簪のサイドブーストに、一夏は瞬時加速(イグニッション・ブースト)と見紛うほどの爆発的加速で対応していた。()()()()()()()()()()()()()()調()()()()()()()()と言う荒業を、無意識に、慣性で前進しながら、刹那でやってのけたのだ。

 

「な、に、その加速は!?」

 

 一夏は銃弾の嵐を突っ切って、簪の懐に潜り込んだ。

 見える、ガラ空きの脇腹。交錯する、二人の視線。

 ギラリと目を光らせて、彼は雪片を横薙ぎする。

 

「シュァラアアアアア!!!」

「クッ!」

 

 武器の切り替えが間に合わないと判断した簪は、握っていたバトルライフルで応戦。銃身で雪片を防ぐ。

 しかし、刀が止まったのはコンマ数秒程度。

 一夏はなりふり構わず雪片を振り抜いた。

 

(手応えがない!?)

 

 バトルライフルを切断した刀は、そのまま空を切って終わった。

 視線を上げると、簪は既に後退していた。銃一丁を犠牲にして。

 

(織斑一夏、無茶苦茶すぎる!)

 

 歯噛みした簪はアサルトライフルを即座にリロード。

 更に空いた片腕にもう一丁のアサルトライフルを呼び出す(コール)

 

(弾薬を惜しんじゃいられない。とにかく前進を止める!)

 

 距離を離しながら、二丁のライフルをぶっ放す。

 技巧な反動制御から放たれた弾幕。一夏はそれに、あろうことか真正面から挑みに行く。

 しかも最高速で直進。シールドエネルギーがジリジリと減少していくがお構いなしだ。

 あっという間に、弾痕まみれの白式が打鉄に追い付く。

 

「トォアッ!」

 

 唐竹割りからの横一閃。回避されて外れた。

 ステップバックした簪へ、飛び込みざまの三連撃。キレはあるものの、やはり当たらない。

 だが。

 

(しっかりと()るんだ、簪さんの動きを!)

 

 空振り続きの一夏ではあるが、彼はそのミスすらもチャンスを掴むための糧とする。

 簪の一連の回避動作を、リズム感を、その目と体で覚える。

 

(次はもっと────!)

 

 そうして次の一手をすぐさま修正し、洗練する。

 結果、彼は一手を繰り出す度に強くなる。日々の鍛錬で積み上げたものを薪にし、試合という名の炎を燃やし、自身を爆発的に成長させていく。

 

 次第に進化する一夏の前進と攻撃。

 誰よりも間近で変化を感じていた簪に、少しずつプレッシャーが押し寄せる。

 

(違う、つい昨日までとは全然違う!)

 

 セシリアの試合をベースに、普段の様子を参考にして対策を練っていた。けども、もうそれらはアテにならない。

 まるで別人レベルで、動きも技術も違う。

 

(落ち着いて、落ち着いて。今までやってきたことをやれば良い。そうすれば、勝てる)

 

 簪は射撃を続けつつ、すぐに一夏への迎撃パターンを組み直す。

 残る武器は今握るアサルトライフル二丁。それから拡張領域(パススロット)のバトルライフル一丁に、ショットガン一丁と刀二本。いずれも学園の規定に則って用意したものだ。

 

 アサルトライフルは全弾使う気で打ち込むとして、バトルライフルとショットガンをどう使おうか。どっちを使おうにも単発ではエネルギーを刈り取れないから、やはり短時間で立て続けに命中させなくては────。

 そこまで思考して、彼女は、歯を食いしばった。

 

 白式を止めるには、倒すには、瞬間火力が足りなさすぎる。

 

(……どうして)

 

 専用機と量産機の、如何ともし難い性能差がここに来て表れた。

 操縦者としての技術量なら圧倒的に上回っているのに。

 専用機のシールドエネルギーを一気に減らす術が、彼女には────量産機には、ない。

 

(織斑、一夏ァ!)

 

 一夏の斬撃を避けて、リロード。空になった弾倉だけを虚空へ消して、新しい弾倉を拡張領域から召喚。

 そのまま発砲。空薬莢を地面にばら撒きながら、必死に勝利への道筋を立てていく。

 

「ど、どう言うことだ」

 

 一夏の変化を目の当たりにしていたのは簪だけではなかった。

 観客席に座る箒もまた、彼の変化に驚きを隠せない。

 

「どう言うことってどう言うことよ?」

「太刀筋が……剣の振りがどんどん鋭さを増しているんだ」

「そんなもんよく遠目からでも分かるわね〜」

「分かるさ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……ふーん」

 

 周囲が盛り上がる中、何気なく呟かれた一言に、鈴のコメカミが敏感に反応した。

 ほんの少しだけ睫毛を伏せて、それから視線をアリーナに戻す。

 

(……まぁ、一夏にとってアタシはただの敵だもんね)

 

 戦況を追いかけながら、セシリアが口を開く。

 

「白式は近距離特化型ですから、装甲がある程度分厚いはず。何度か被弾したとは言ってもまだシールドエネルギーに余裕があるでしょうし、この調子で近距離戦に持ち込めれば……」

「ここからでも巻き返せる、と?」

「えぇ」

 

 自分達が紡いだ言葉に、胸が高鳴る。

 彼女らは思わず唾を飲み込んだ。

 

「……勝てるかもしれないな」

「……えぇ」

 

 二人だけの会話をよそに、鈴はじーっと戦う一夏を見つめていた。

 その目はどこか期待していそうで、だけど声音は凄くつまらなさそうだった。

 

「……ちゃんと上がってくれなきゃ面白くないしね」

 

 再び一夏が簪の懐へ潜り込む。

 傷だらけの機体には見合わぬほど綺麗な刀が、白く輝く。

 

(このままじゃジリ貧……次はショットガンで仕掛ける)

 

 また先までと同じように、簪は回避を試みた。

 片足で跳ねる動作と、スラスターの推進を合わせて横へ飛んで。

 ()()()()()()()()()()()()()()

 

「ウッ!?」

「何度も同じ動き見てりゃ、俺だって予測くらいできる!」

 

 間合いは完全に彼のものだった。

 回避と武器の切り替えに操作を割いていた故に、簪の反応がワンテンポ遅れる。

 

「ひとぉぉおおおつ!!!」

 

 一夏にとって最も邪魔なのは他でもないアサルトライフルだ。

 雪片を素早く振るって、一つの目のライフルを切断する。

 

(しまった! ライフルから!?)

「ふたぁああああつ!!!」

 

 咄嗟に、体よりも武器を守ろうと彼女は動いた。

 ()()()()()一夏のもう一つの狙い。

 数字を数えるような雄叫びを上げたのも、簪の意識をライフルへ集中させるため。

 

(見えたッ!)

 

 簪の胴体を遮るものはもう何もない。

 一歩を踏み込み、小さく鋭い一打を叩き込む。

 

「ゴァ、ァ」

 

 痛烈な一発だった。簪の顔が悶絶で歪み、全身から冷や汗が噴き出る。

 その隙を彼が見逃すはずもない。次こそ、返す刀で残ったライフルを両断。

 

(うそ、うそうそうそ!)

 

 簪は脳がショートしたような錯覚に襲われる。それまでのイメージが、対策が、全てが覆る。

 一夏の予測不可能な動きに対応が追いつかない。

 

(このままじゃまた専用機に負けるまたあの人から遠ざかる専用機には勝てないのずるいずるい火力が違いすぎる性能差がありすぎるなんでなんで嫌だ織斑一夏に────)

 

 負の連鎖の中、ふと思い出した言葉。

 ────『君との競争に勝ち抜いて、資格を証明してみせる』

 

(織斑一夏に、私が負ける?)

 

 簪は情けない顔つきで、眼前の少年を見た。

 刃を腹に叩きつけられて、息を吐き出した。

 

(こんな、こんな素人に。こんな資格のない人に、負けるの?)

 

 不思議と、力一杯に奥歯を噛み締めていた。

 体中が未知の熱気に包まれる。

 

(嫌だ! 織斑一夏にだけは絶対に、絶対に負けたくない! 絶対に勝ちたいッ!)

 

 まるでゴルフクラブのように下から掬い上げられた雪片。

 こんな、専用機に頼ってばかりの男に、負けたくない。

 上体を斬られて、顎を真上に弾かれた。

 初めての感覚だった。この気持ちだけは、譲れない。

 

(織斑一夏にだけは────)

 

 刀が今度は横からやって来る。

 この気持ちだけは、守り抜きたい。なんとしても。

 攻撃に対応出来ず、横腹を斬られて、シールドエネルギーがガクンと減った。

 この思いだけは、何が何だろうと、意地でも貫きたい。

 

(負けたくはないッ!)

 

 だから、腹の底から叫んだ。

 

「舐めるなぁあああああ!!!」

「!?」

 

 簪は両手の鉄クズを投げ捨て、一夏を思い切り蹴飛ばした。

 振り終わりを狙われていた。ガードしようと思った頃には、一夏は地面を転がっていた。

 

「クッ……!」

「専用機だからって勝てると思うなぁああ!」

 

 今度はまさかの、簪からの接近。

 その手に握られているのはショットガン。

 

(まずい! 流石にあれを連続で食らったら、白式でも耐えきれねぇ!)

 

 片腕を使って飛び起きた彼は、すぐに雪片を構える。

 簪が恐ろしく速く襲いかかる。逃げるか迎え撃つかを思考する時間はない。

 決断を直感に委ねた。

 迫り来る日本三位を睨む。

 

(────リスクは承知ッ! 挑戦者が引きさがれっかよ!)

 

 答えは、前へ一歩。

 

「ぉおおおおおおおおおお!」

「調子に乗るなぁあああ!」

 

 ショットガンが炸裂した。

 花火のように弾ける弾丸を、一夏は至近距離で浴びた。至る部分の装甲がささくれたつ。

 だが、前進は止めない。

 加えて二発、間髪入れず喰らった。とうとう絶対防御が発動して、シールドエネルギーが大幅に削れた。

 だが、前進を止めない!

 

「オラァッ!!!」

 

 溜めに溜め込んだ一撃。感触は、虚しく。

 (わか)たれたショットガンが地面に落ちる。

 

「なっ!?」

 

 ステップで距離を取っていた簪。次に出したのは、一本の鉄刀だった。

 

「次こそ貴方の距離で、勝つッ!」

 

 雪片の破壊力にも恐れることなく、彼女は自分から攻める。

 しかしこれは一夏にとってある意味好都合だった。ようやく自分の主戦場で戦えるのだから。

 簪が振り下ろした刀に雪片をかち当てる。ただ、その重さに膝が落ちる。

 

「ク、ゥッ!」

「私だって、戦える!」

 

 鋭いスウィング。一夏の間隙を縫うような一閃。

 防御が遅れて、白い破片が明後日の方向へ飛んでいく。白式のシールドエネルギーの残量を表すゲージが、とうとう赤色に発光する。

 

「専用機がなくたって! 貴方に勝てるッ!」

 

 言葉と共に放たれる斬撃。

 刀身を立ててこれを防いだ。

 

「私は、貴方にだけは負けないッ!」

 

 三、四、五と雪片で捌く。

 今まで箒としか練習してこなかった弊害が出ている。篠ノ之流の太刀筋しか知らないが故に、反撃のタイミングを掴めない。

 だが、だからと言って気圧されている訳ではない。

 

「俺だって……」

 

 簪の背景と言葉を受け止めたうえで。

 それでも、己に在るもののために。自分自身のために。

 

「俺だって負けられねぇ!!!」

 

 攻防の中、両者の感情が燃え上がる。

 譲れぬ想いがぶつかり合い、両者の間で火花を散らす。

 

「俺はここで! 資格を証明して! アンタを超える!」

「違う! 私が、私が勝つ!」

 

 耳をつん裂くような金属音を撒き散らして。

 迫り合いを制したのは簪だった。

 雪片をのけて、思い切り斬り込んだ。体勢が崩れてできた隙を突き、更に素早く斬り刻む。

 

「ゥウッ!?」

 

 痛みに呻いた一夏は、そのまま蹴りを入れられてたたらを踏んだ。

 

(や、ばい!)

 

 白式が甲高い悲鳴を上げている。シールドエネルギーの残量はごくわずか。

 いよいよ後がなくなった。

 極限の緊張が走る。限界を超えた集中力が、あらゆる知覚を過敏なまでに研ぎ澄ます。

 

「これで、トドメェ!!!」

 

 刀を振り翳した簪が、襲い来る。

 当たればお終いだ。

 どうする、どうする、どうする?

 

(どうすれば)

 

 この状況を打破するための策を、記憶と経験の隅から隅まで手探りで探した。

 過剰なまでに集中していたせいか、簪がスローモーションに見えた。

 そんな状況で、やっと見つけた、あの技。

 絶対に対策されていないであろう初見殺しの、あの技。

 

(一閃、二断……)

 

 できるのか?

 結局十日かけても未完成だった、あの技を。

 不安に駆られた。心配が募った。そもそも当ててどうにかなるのかと、更に先を考えた。

 

(だからって、ただ待つだけで良いのか?)

 

 簪が間合いに入る。刀が鈍色に光る。

 きっとここが、最後の勝負。

 

(待つだけで……)

 

 ここでやらなきゃ、どうする?

 

(待つだけで勝てる訳ねぇだろ! 何を考えてるんだ俺は!)

 

 即座に構えを取った。

 一閃二断の、その構えを。

 

(一か八かだろうと! 今まで積み上げてきたものをここで発揮しなくてどうする! ここで過去を超えなくてどうする!)

 

 意識を燃やすと、ひゅん、と。

 簪の野太い気合の掛け声の中で。

 声が、よぎった。

 自慢の姉の、鮮明な声。

 

『敵の攻撃をギリギリまで引きつける勇気と胆力』

 

 最後のピースがはめられた。

 

 直後、肉体が精神に釣られて動いた。

 ドンピシャなタイミング。ほんのちょびっとでもズレていたら終わっていた、そんなタイミングで、

 

『捌いてみせると言う自信』

 

 一閃。

 それは極めて滑らかに行われた。

 あまりにも滑らかすぎて、その現象がさも自然で当然であるかのようだった。

 簪の太刀が、雪片の刀身を滑るようにして捌かれる。

 

『この一撃で必ず斬り倒すと言う覚悟と気合い』

 

 彼女が捌かれたと認知した時には、頭上を雪片が走っていた。

 彼は空と同化するよう()()()()で、

 

『言うなれば、ガッツだ』

 

 二断。

 勇ましい踏み込みから袈裟斬りが放たれた。

 青色の刃は、打鉄を容易に切り裂いてみせた。

 

 がたん、と分断された黒い装甲が地面に落下する。

 

「ハァ、ハァ、ハァ……」

 

 驚くほど静かな戦場を伝うのは、一夏の荒い呼吸音だった。

 集中の途切れと疲労感で、全身から力が抜けた。そのまま雪片をつっかえ棒にして、なんとか立った姿勢だけは保つ。

 

「……」

 

 無言の簪は、重力に従うかのように両膝をついた。

 シールドエネルギーが底を尽きた打鉄は、ついに動かなかった。

 勝敗が決する。

 

『試合終了! 勝者、織斑一夏!』

 

 試合終了を告げるブザーと共に、勝者の名が響き渡る。

 箒とセシリアは顔を合わせて、

 

「「や……、やったぁあああ!!!」」

 

 二人の声を皮切りに、会場が大いに盛り上がる。

 世界でたったひとりの男性IS操縦者が国内三位を打倒すると言う、とんでもないジャイアントキリング。盛り上がるなと言う方がおかしいだろう。

 特に一夏のクラスメイトはお祭り騒ぎと言わんばかりにはしゃいでいた。

 

「一夏が! 一夏が勝ったぞ!!!」

「凄いですわ! これは凄いことですわよ!!!」

 

 嬉しすぎて語彙力を失った二人は、まるで自分のことだと言わんばかりに喜ぶ。

 それもそのはず、ずっと彼の努力を見守ってきたのはこの二人なのだから。

 

「……」

 

 ただ、一人。一夏のセカンド幼馴染、鈴だけは言葉を発さない。

 細めた目で、箒とセシリアを見つめていた。

 

(……次はアタシが、アンタと戦う番ね)

 

 足が地につかない思いのまま、鈴は歓声の飛び交う席を離れた。

 

「……」

 

 会場の盛り上がりが嘘のように、佇む一夏は静かだった。

 歓声の大雨に打たれながら、真っ青な空を見上げる。

 

(勝ったのか……俺……)

 

 実感はなかった。

 むしろ、今は一閃二断が成功したことに驚いていた。いきなり青い刃が出てきた理由を考えていた。

 

「……ぅう」

 

 小さな声に、彼はゆっくりと視線を落とした。

 

「……うぐ……っす……」

 

 簡単な慰めの言葉なんて、掛けられなかった。

 

「……どうして……勝てないの」

 

 痛いほど悔しさが理解できた。

 自分だってそうだったから。あの日、保健室で、今の彼女と同じように自問したことがあるから。

 

「私は、あの人だけじゃなくて……貴方にも追いつけないの」

 

 濡れた心の吐露に、彼は、

 

「お、俺は……」

 

 必死に探した言葉を、丁寧に繋げた。

 

「俺は、ずっと君を超えたい(に勝ちたい)と思ってた。今日だって勝つ気で戦った。

 それで、今こうして立ってるのは俺だけど……まだ、勝った気がしないんだ」

「……勝者は貴方で、敗者は私。この事実は変わらない」

「そうだけど……そうじゃないんだ」

 

 一夏は彼女の気持ちを汲み取った上で、考えに考えて、声を発した。

 

「君の言う通り、俺はまだ白式に頼ってばかりで……この試合だって、操縦者としての技術では完敗だった。本当に、最初から最後まで機体に助けられてばかりだった」

 

 それは決して、簪を慰めるためだけじゃない。

 次へ繋げるための自省であり、自分の弱さを認めるための言葉。

 そして、何より。

 

「……だから、また君と戦いたい」

「……!」

 

 同じ高みを目指す者への、挑戦状。

 簪は顔を下げたまま、だけど目を見開いていた。

 

「次こそ、次こそ俺は、勝負でも、操縦者としての技術でも君に勝ってみせる。

 君が認めてくれるほどに、強くなってみせる」

「……」

「……ダメ、かな」

 

 我儘なことは分かっている。

 しかし一夏としても、課題の残る試合だったのは事実。遠距離戦だけでなく、唯一誇れると思っていた近距離戦でも押されていたのだから。

 それに、もしライフルが実弾ではなくレーザーだったら。もし一閃二断をミスしていたら。

 もし、簪が専用機に乗っていたとしたら。

 きっと、立っていたのは自分ではないと思った。

 

 簪は考えるようにしばし無言になってから返答した。

 

「……貴方に負けた理由が、少し分かった気がする」

 

 やっと、彼女は顔を上げた。

 赤く腫れた、女の子には似合わないその目。思わず彼は視線を逸らそうとした。

 けどそれは、否、それこそが失礼にあたると思い、一夏は戦士(ファイター)として目を離さなかった。

 

「……でも、次こそ私が勝つ」

「……!」

 

 簪の声音はまだ潤んでいるものの、何か燃えているような印象を感じさせた。

 涙が溢れそうな瞳からは、しかし熱意が放たれている。

 

「今日は一旦、貴方に勝利を預けておく。だけど、次はちゃんと返してもらうから」

「あぁ。しっかり預かっておくよ」

「……お互いもっと、レベルアップ、しよ」

「……おう!」

 

 また一人、ライバルが増えたと一夏は感じて、でもそれが、無性に嬉しかった。

 

「試合、ありがとう。良い経験になった」

「あっ、あぁいや俺の方こそ。ありがとうございました」

 

 そう言って頭を下げてから、一夏は右手を差し出す。

 今度は、同じ高みを目指す好敵手として。切磋琢磨し合える友として。

 

「うん」

 

 簪が、彼の手を力強く握った。繋がると、二人は自然と笑顔になっていた。

 きっとこう言うことが、専用機に乗る資格に対する答えだと彼は思えた。同時にまた一つ、大切なものが増えたことを実感した。

 そのまま手を優しく引っ張って彼女を立ち上がらせる。

 すると、歓声は健闘を称える拍手となり、二人の全身に降り注ぐ。

 

「二回戦も頑張ってね。応援、するから」

「おう。ありがとな」

「うん。じゃぁ」

 

 彼女は打鉄から降りると、胸を張ってアリーナを去っていく。国内三位のプロ選手と言うだけあって、去り際も堂々としていた。

 一夏は小さくなっていく背中を見送ると、自分の手のひらを眺めた。

 

(白式……ボロボロにしちまってすまねぇな。それと、最後まで耐えてくれてありがとな)

 

 声は返ってこないけど、それで良い。

 

(俺、もっと強くなるから。もっと強くなって、お前と一緒にいっぱい戦って、勝って、夢を叶えてみせるから!

 ……だから、次もよろしく頼むぜ)

 

 約束した白い翼へ告白すると、彼もまた戦場をあとにした。

 顔つきを、一回り立派にして。

 

 

 

 一回戦終了。

 織斑一夏、辛勝!




次回
異例の中国代表候補生vsたった一人の男性IS操縦者



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

15話 夢ばかりじゃダメで

ドッカンバトルでやっとクウラのLRが出ました。
8周年が、幕を上げる(なお目玉キャラではない)────。
そのため初投稿です。
※1万字超えてます。申し訳ないです。
誤字修正していただきありがとうございます!


 十時過ぎには全一回戦が終了していた。

 戦場だったアリーナは地面も壁もボロボロだった。二年生の専用機持ちがアリーナのそこらじゅうを氷結させたり、別のヤツはなんかいきなり爆発させたり、三年生の専用機持ちは炎で暴れ狂ったり。……まぁはっきり言えば専用機持ちの戦闘が原因である。

 このままの使用は不可能だと判断されると、別のアリーナ── 一夏たちが毎日のように訓練で(かよ)っている場所が使われる運びとなった。

 

 箒とセシリアは、比較的見渡しの良い席に座っていた。

 

「そろそろだな」

「えぇ」

「……まさか、本当に更識さんに勝つとはな」

「わたくしも、まだ信じられませんわ」

 

 一夏が日本ランキング三位の更識簪に勝った。

 まるで夢物語のようで、二人は未だ実感を持てずにいた。

 

「一夏さんの進化のスピードには本当に驚かされますわね」

「全くだ。一閃二断もあの土壇場で完成させてしまったしな」

「日本には戦う度に強くなる戦闘民族なる者がいると聞いていましたが、一夏さんがそうなのかもしれませんわね」

「……ん?」

 

 セシリアの言葉に、箒が首を傾げる。

 そして箒のリアクションに、セシリアが首を傾げる。

 

「あら? MANGAにはそう書いてありましたわよ?」

「待て。待ってくれ。漫画をなんだと思っているんだ?」

「日本の歴史と技術の集大成、サブカルチャーでしょう?

 あれは実に素晴らしい物ですわ。躍動感のある絵と言葉で日本の文化(カルチャー)歴史(ヒストリー)を学べるなんて。是非ともイギリスでも取り入れてほしいですわ」

「……どこからツッコめば良いんだ」

「日本に来る前に沢山読んでおきましたから、知識にはある程度自信がありましてよ。 ……あっ! 一夏さんって、考えてみると地上最強の血をひく格闘士(グラップラー)ですわね! もしかして地下闘技場の王者(チャンプ)だったりしません?」

「私の中のセシリアが狂っていく……」

 

 箒は頭を抱えた。

 セシリアのことを真面目(もっと言えば堅物)だと思っていただけに、そのギャップ差に追いつけない。

 多分根本的な所から既に間違えてそうなので、説明は諦めた。

 

「あ、あの」

 

 っと、後ろから聞こえた声に箒が振り返る。

 そこにいたのは、一夏と激戦を繰り広げた簪だった。

 

「隣……座っても、良い?」

「ど、どうぞ」

 

 ありがとう、と答えて、彼女は箒の隣に座った。

 途端にぎこちなくなって、顔を合わせた箒とセシリア。

 敗戦を喫した彼女に、どう言葉を掛けていいか分からなかった。

 特にセシリアは同じ国家代表候補生(プロフェッショナル)であるが故に、余計に喋りにくい状況だった。

 

 けど、二人の予想を裏切るように簪が切り出す。

 

「……織斑一夏を鍛えていたのは、貴方たちだよね」

「い、一応」

「そう……うん」

 

 簪は憑きものが取れたような、晴れた顔で続ける。

 

「彼は……強かった」

「「!?」」

「悔しいけど、認める」

 

 大好きな幼馴染が、高め合える好敵手が、この強い戦士(ファイター)に認められた。

 誰よりも側で彼を見守っていただけに、素直に嬉しかった。

 

「今回は負けたかもしれませんが、貴方もとても強かったですわ。操縦者としての腕前では、間違いなく一夏さんを圧倒していました。

 同じプロとして、機会があれば是非貴方と戦ってみたいですわ」

「うん。私も、BT兵器の性能を肌で感じてみたい。いつか、戦おう」

「えぇ」

 

 箒を挟んで、実力者が言葉を交える。

 そのやりとりに箒は内心、嘆息を吐くばかり。

 瞳に映している世界の次元が、自分とは違いすぎる。同じだけの時間を生きているのに、こうまで()()()()と言うのか。

 

(……こんな人たちと、一夏は戦ったんだな)

 

 頂点を目指す少女たちと、彼は熾烈な争いを繰り広げた。

 片やイギリス代表候補、片や日本三位。

 凄いと思うし、幼馴染として誇らしい。

 

(一夏もみんなも本当に凄いな、自分たちの目標に向かって頑張っていて。何もやっていない()()()()()()())

 

 これと言って何もない自分と、確かに何かを持っているみんなを比べて。

 ひたすらに努力を積み重ねて遂に初勝利を収めた一夏と、何も積み重ねていない自分を比較して。

 箒は薄っぺらい手のひらに、ぎゅっと力を込めた。

 

(……一夏は、みんなは高みを目指しているのに。私は……)

 

 どんどん高みへ登っていく彼や彼女らを、箒はずっと見上げていた。スタート地点に足をつけたままで。

 

 置いて行かれている。

 不意に、そう感じた。

 

「簪さんは来月のイグニッション・プランに参加されますの?」

「うん、今後の量産機の性能も知っておきたいし。セシリアさんは?」

「わたくしも参加しますわ」

「選抜?」

「いいえ、元々ずっと参加してみたかったので志願しましたわ」

 

 現に、二人の会話に入れない。

 

 自分と彼女たちとは、何が違うのだろう。

 生まれついての能力なのか?IS操縦者としての実力か?財力か?

 あれやこれやと、彼女たちに()って自分には無いものを挙げていく。

 中々納得のいく答えが浮かばない。

 だって、彼女たちに在るものは()()()()()()()自分には無いのだから。比較のしようもないし、数が多いから明確な答えを出しようもないし────。

 

(そうか。私には……)

 

 何も、ない。

 彼のように眩しい夢を持っている訳でもないし、姉のような一人でISを考案・開発してしまうようなずば抜けた頭脳もない。セシリアのような人を惹きつける気高さもなければ、簪のようにすぐに立ち直れるハートもない。

 

(そう言えば、一夏も「自分には何もない」と言っていたことがあったな)

 

 無言のまま、ふと、一夏との会話を思い出した。

 入学して間もない頃、道場で話し合ったあの時間。

 確かあの時、自分はこう返したはずだ……。

 

(私はお前の隣に────)

 

 隣には誰も、いなかった。

 肝心の彼はずっと遥か上空にいる。

 思えば、彼も見ている世界のレベルが、自分とは違いすぎる。

 彼は世界の頂点を、まだ見ぬ宇宙(そら)を夢見ているのに。

 自分はどこを見ているのだろう。この足は何を目指しているのだろう。

 自問に、自答できない。

 

 そんな空っぽな自分がもっと嫌になる。

 

(……突き進んでいくお前の隣に、私はいれるのか……? いや、いて良いのか?)

 

 両隣の会話に挟まれる少女は、小さく俯いた。

 

 ◇

 

 ピットの鈴は、マゼンタ色の専用機『甲龍(シェンロン)』を身に纏い、軽い運動で汗を流していた。

 ポタリ、ポタリと滴った汗が地面に落ちていく。

 どうしても気持ちが落ち着かない。

 

(あぁん、もう!)

 

 武装の一つである青龍刀を振り回しながら、歯軋りする。

 

(一度腹括って決めたじゃない! アイツの敵に徹するって!)

 

 迷いを断ち切るように虚空を切り裂く。

 けども、もやは消えてはくれない。

 一夏の鋭い眼差しと言葉を受けて、彼女は幼馴染としてではなく、一人の敵として立ち塞がることを決心した。

 でも、彼と仲良く過ごす箒たちをみて、その決心は瓦解しかかっていた。

 

 やっとの思いで再会したと思えば、彼は幼馴染ではなく敵としてこちらを睨んでいた。

 包み隠さず言うと、かなり堪えた。

 でも悩んでばかりじゃいられないと、なら一層敵として挑んでやろうと思い切った。

 でも、自分とは別に仲良くしている女子たちがいた。

 

 もしかして、幼馴染と言う関係は。

 いや、自分は。

 もう一夏には必要ないんじゃないかとすら、思ってしまう。

 

 だけど、それだけは嫌だ。

 一夏の輪の中にいたい。

 だけど、一夏がそれを許してはくれない。

 敵として睨んでくるのだから。

 だけど、だけど、だけど。

 

「……あの馬鹿!」

 

 悪態をつくと同時だった。

 

『凰、準備はいいか?』

「……はい、大丈夫です」

『よし。カタパルトの準備は既に終えている。射出タイミングは任せる』

「了解」

 

 千冬と通信を終えると、鈴は大きく深呼吸をしてカタパルトに足を乗せる。

 ゆっくりと上下に開かれるハッチ。見える景色は戦場。

 腰部の装甲を指でトントンと叩きながら、リズムとタイミングを合わせる。

 

「……凰鈴音、行きます」

 

 吹っ切れぬまま、鈴がピットを飛び出した。

 

 ◇

 

「織斑一夏、行きますッ!」

 

 一回戦を終え、簡単な修繕とシールドエネルギーの充填を終えた『白式』がピットを飛び立った。

 一夏の気力は実に充実していた。一回戦を終え、専用機に乗る資格を自覚したことで、闘争心が更に高まっていたのだ。

 

 アリーナに飛び出ると、すぐに姿勢を直して浮遊する。

 訓練で見慣れた光景にどことなく安心感を覚えつつ、後から出てきた鈴を捉えた。

 

「よぉ、鈴」

「……本当に戦うことになるなんてね。てっきり簪と戦うと思ってたわ」

「……簪さんはマジに強かった。正直、まだ勝った気がしねぇ」

 

 一夏は皮肉を軽く受け流し、雪片の穂先を鈴へ向けた。

 

「でもここまで来たんだ。今は、俺がここにいるんだ。

 だから悪ぃけど勝たせてもらうぞ」

「アタシだって、伊達に代表候補生務めてる訳じゃないのよ」

 

 一夏の仕草に、鈴が応答。

 青龍刀を真っ直ぐに一夏へ伸ばす。

 

「マジで行くからね」

 

 鈴の言葉と同時、開始のブザーと音声が流れる。

 先手を仕掛けたのは。

 

(鈴の試合動画は無かった。ってことはこの試合で性能を把握しなきゃならねぇ! 様子見が出来るほど防御に自信はない、常に先手だ!)

(一気にぶっ叩いてあげるわよ!)

 

 互いが加速をつけた一撃を放つ。

 刀が十字に激突して、甲高い金属音が弾けた。

 その重さに両腕が痺れながらも、一夏は鍔迫り合いから退こうとしない。

 

「やる、じゃない」

「まだ、まだぁ!」

 

 オープニングヒットは一夏の前蹴り。

 意識が刀に向いていた鈴は無防備のまま、腹部に一発喰らってしまう。

 体勢が崩れた。

 当然一夏はこれを見逃さない。勢いよく雪片を叩きつけて、

 

「ゴァ!?」

 

 後ろにすっ飛んだのは、一夏だった。

 

(は、ぁ!? んだ今の!? こっちには背中しか向けてなかっただろうが!)

 

 観客も、そして一夏も驚愕を隠せない。

 即座にダメージを確かめる。満タンだったはずのシールドエネルギーが、わずかに減っていた。

 機体の故障箇所も確認。異常はない、白式は至って健康体だ。

 

(落ち着け。ダメージがあって故障がないってことは、少なくとも鈴から何かをされたってことだ)

 

 目つきを鋭くして、体勢を直した鈴の機体を観察する。

 白式でスキャンをかけても、検出される武装は目視できる青龍刀『双天牙月(そうてんがげつ)』のみ。

 

(見えない何かをされた……? いや、見えない何かってなんだ?)

 

 何一つ理解できない状況に困惑しながらも、

 

(いや……ダメだ! 考えてもわかんねぇ! とにかく手を出し続けて確かめるしかねぇ!)

 

 結論は最初と同じ。

 再びスラスターから炎を噴出し肉薄。雪片の照準を鈴の肩に定めて、

 

「グァア!?」

 

 距離は縮まるどころか、一気に引き離された。

 不可視の何かが身体を叩きつけた。機体の制御が追いつかず、宙で二転三転と後転。

 

「アンタ、アタシを倒すって言ってたわよね?」

 

 声が近くなっていた。プレッシャーが迫り来る。

 まずい、まずい! 直感が緊急警報を鳴らした。

 一夏は脚部のスラスターを炸裂させて回転を止めると、瞬時に迎撃体勢を取る。

 目の前。まさに鈴が青龍刀を振るおうと構えていた。

 

「果たして出来るかしらァア!?」

「うぉッ!」

 

 首を掻っ切るような一発を、どうにか上体をそらして回避。

 振り子のように戻ってくる斬撃は雪片で防ぐ。

 直後、不可視の衝撃。首が弾かれて、浮遊の状態が解除された。

 

(一発一発のダメージは小さいけど、重ねられるとまずい。先手に固執しない方が賢明ってとこか)

 

 あえて落下に従うことを選択。先手を取り続ける作戦は放棄。

 あの攻撃に対して、推測も不透明のまま攻め込むのはまずいと判断した。

 

(落ち着け、織斑一夏。見えなくてもスキャンできなくても、何かカラクリがあるはずだ!)

 

 くるりと回転して着地。鈴を見上げるよりも先に体を動かす。

 サイドブーストでその場を離れた瞬間、一夏がいた場所に小さなクレーターが出来る。

 

(イメージしろ、不可視の衝撃波を生み出すものを!)

 

 思考をフル回転させつつ、不規則な軌道を描いて衝撃波を避けていく。

 鈴は空中に佇んだまま、じっくりと観察でもするかのように視線だけでこちらを追いかけている。

 何故攻め込まないのか不思議だが、とにかくラッキーだ。ある程度推測する時間が生まれたのだから。

 

(見えなくて、ISのスキャンも潜り抜けて、こっちに背中だけを向けていても発生して、しかも地面にクレーターを作るほど威力のある衝撃波……)

 

 一体何があるというのだ。

 彼の人生経験と知識の中では、該当しそうなものは何一つない。そもそも衝撃波と言うものを身に受けること事態が初めてで、衝撃波がどう言うものかもよく分かっていな────。

 

(いや……ん?)

 

 ボコボコになっていく大地を駆け回りながら、彼は一つの疑問に到達した。

 

(()()()……衝撃波って、原理はわかんねぇけど空気だよな……? ……空気?)

 

 閃いたように目を見開いた。

 すぐさまISの知覚感度を最大限まで引き上げて、鈴を捉えた。

 ヒュゥッ、と空気が一点に集まっていくような音が微かに聞こえる。次の瞬間、鈴の両肩部の背景がほんの少しだけ湾曲したのを初めて確認した。

 すると、()()が急速にこちらに迫ってくる。

 

(間違いねぇ! 見えなくてスキャンもできないなんて、空気しかねぇ!)

 

 横へ跳ぶと、歪みが地面とぶつかった。

 破裂音を響かせてクレーターが生まれる。砲弾も残ってないことから、推測は確信へと変わった。

 

「仕組みはわかんねぇけど、理解できた! 射角無制限の空気砲ってとこか!」

「……へぇ」

 

 一夏を見下ろしながら、感心したように鈴が呟く。

 

「意外とやるじゃん。すぐに空気砲を見抜くなんて」

「これくらい、できなきゃ、上に行けやしねえからな!」

「上?」

「あぁ。……そういや鈴には、言ってなかったな!」

 

 降り注ぐ空気弾を避けて、一夏が叫ぶ。

 

「俺は、世界最強になって宇宙(そら)に行くんだよッ!」

「はぁ? 何よ、それ」

「俺の夢だ! だから俺は、ここでお前を、超えてみせるッ!」

 

 鈴の困惑をぶっ飛ばすような声量で言い放った。

 無論、その間も彼は観察を絶やさない。疾走しつつ、チャージ音から発射までのタイミングを見極め、()()のスピードを覚える。

 防戦の水面下、静かに反撃の下地を作り上げていく。

 

「アンタは……アンタは!」

 

 鈴はもう一本の刀を呼び出(コール)した。双天牙月の名が表すように、(ふた)つ目の青龍刀だ。

 ぴたりと空気砲の速射を止めると、震えた声が溢れる。

 

「人の気も知らないでぇえええええ!!!」

「は!?」

 

 ここに来て感情を爆発させたのは鈴だった。

 重力を味方につけて急加速。一夏目掛けて双天牙月を振り下ろす。

 一本でさえ腕が痺れるような威力だったのに、それが倍になったとなると受け止める自信がない。一夏は飛び退こうと足に力を込めて、

 

(これは流石に────いや逃げたくねぇ!)

 

 スタンスを広げて、鈴に応戦した。

 フルパワーで雪片を横薙ぎに払い、二本の青龍刀にかち当てる。

 強烈な威力が両腕を打ち抜いた。思わず手を引っ込めそうになったが、根性で耐えてみせる。

 

「なんだよいきなり! 人の気も知らないでだなんて!」

「うっさい! アンタにとってアタシとの関係はどうでも良いんでしょ!?」

「意味わかんねぇよ! どこをどう見てそうなったんだ!?」

「うっさいうっさいうっさい!」

 

 鈴が片手を引いた。

 追撃がくると分かった。けど片方でも手一杯の一夏には、防御や回避をする術がなかった。

 思考する暇もない。彼は思い切って歯を食いしばり、攻撃を受けることを選んだ。

 ガゴン!っと鈍い衝撃が肉体の芯まで響く。足がふわりと浮いたと思うと、背中が大地に打ちつけられた。

 

「何が夢よ! 何がお前を超えるよ!」

 

 地面を転がる一夏は一瞬だけど、確かに見た。

 襲いくる鈴の瞳が、少し、潤んでいたのを。

 

「そうやって敵としてしかアタシを見なくてさ! もう幼馴染なんてどうだって良いんでしょ!?」

「何言って」

 

 咄嗟に立ち上がった一夏の脳裏に走ったのは、何個かの記憶だった。

 それは鈴とIS学園で再会してからの記憶。

 思い返せば、そのどれもが、

 

(そうか。そう言うことか)

 

 振り回される青龍刀を、一夏は一閃二断の要領で捌く。

 一閃二断を切り札として考えていたが故に、一閃目の捌くモーションを盗まれたくなかった。が、そんな悠長なことを言っていられる状況ではない。

 

(確かに、俺はお前と『幼馴染』としては話してなかった。久しぶりに会った時だって、始めからお前のことをIS操縦者としてしか見てなかった)

「アンタにとって、再会なんてどうだって良かったんでしょ!?」

 

 左右の連続攻撃を、一本の剣で受け流す。

 力の流れを逸らし、またすぐに構えて次の攻撃を逸らす。

 

(セシリアの言った通りだ。俺は夢ばっかり見てて、鈴と、いや、鈴だけじゃなくみんなと向き合っていなかった!)

「そうやって黙り込んでさ! 言い返せない訳!? だったら幼馴染なんてどうでも良いですってハッキリ言ったらどうなのよ!」

 

 感情の昂りに比例して攻撃が荒くなっていく。

 どんどん体重が乗っていく。その代わりに、どんどん粗末に、大振りになっていく。

 一閃二断を叩き込もうと思えばできた。でも、一夏は鈴の思いを受け止めることを選んだ。

 繰り返し衝撃を受け流しながらも、伝わる思いの残響だけは胸に残す。

 

(自分のことばかりじゃダメだよな。だって、それだけじゃ、周りを見れなくなっちまうもんな。

 俺はそんな人間にはなりたくねぇはずだ。こうやってすぐそばで悲しんでた幼馴染とか、困っている人を無視するような人間には、なりたくねぇはずだ!)

「アタシなんてどうだって良いって……言ったらどうなのよ!」

 

 それまでで一番大きなスウィングだった。

 不満や怒りを全身で表現したような、二本同時の一撃。一夏はそれを、全身全霊を込めた雪片で受け止めた。

 強力なインパクトが機体を迸り、一夏の立ち位置に亀裂が走る。

 

「アタシはただの敵なんでしょ? ただの乗り越えるだけの壁に過ぎないんでしょ!? だからあんな目でアタシを睨んでさ、自分に協力してくれる人とだけ仲良くやってさ、今だって無言で」

「ごめん」

「────……」

 

 一夏はちゃんと鈴の目を見て、謝った。

 自分の持ちうる精一杯で言葉を紡ぐ。

 

「鈴から見れば、俺が夢だけ追いかけてる男に見えるのは仕方ないと思う。……いや、実際さっきまでそうだった。

 でも、今気付かされたよ。ずっと先の夢ばかりじゃダメで、もっと周りを、目の前を見ないといけないって」

「何よ今更! そんなカッコつけたこと言って!」

「許してほしいとは思ってない。でも聞いてほしいんだ!」

 

 雪片と双天牙月。

 両者の想いの迫り合いで、一夏は、胸の奥から吠えた。

 

「俺は──────!!!」

 

 それは、余りにも突然だった。

 

 まるで窓ガラスでも割れたような音が大音量でアリーナを駆け巡った。

 一夏の言葉を遮り、鈴の注意を割き、観客の視線を逸らす。

 直後、隕石でも落ちたかのような衝突音。衝撃で地面が揺れ、大気が小刻みに振動する。

 何かの落下地点には巨大な砂埃が舞っていた。

 

「何、あれ」

「……いや、わかんねぇ」

 

 二人の、観客の視線の先。ガガギゴ、と不気味で冷たい機械音。

 砂埃から出てきたのは、全身が黒い装甲で構成されたISだった。操縦者の素肌は一切見えないあたり、いわゆる全身装甲(フルスキン)仕様だろう。

 巨木と見紛うほどの剛腕。

 膨れ上がった胸部から下は不自然なほど細くシャープで、頼りなさすら感じさせた。それが返って外観に奇怪さをもたらしている。

 人で言うところの頭部に当たる部位では、複眼がウィンウィンと蠢いている。

 

 二人は既に戦闘を止めていた。

 否応なしに理解する。

 これは、敵襲。

 

「アンタ何者? 所属と名前は?」

 

 警戒心をマックスにして、鈴が尋ねる。国家の防衛を担う代表候補生としての行動が自然と出た。

 けども、目の前のISは何も答えない。

 

「所属不明。スキャン……未登録ISぅ? コアネットワークにも該当なし……ネットワークを遮断してるとかじゃなくて、該当なしなの?」

「どういうことだ?」

「……ISのコアは独自のネットワークを作って情報をある程度共有してる、って話くらいは勉強したでしょ? 代表候補生(アタシたち)はそこの情報をちょっとだけ見れる権利があるからそれをやってみたの。だけど、アレは()()()()()()()()()()()()()()()()()って結果が出た」

「じゃぁ、あの機体は現存するISのどれでもない、ってことか?」

 

 こくりと、鈴が頷いた。

 事態の重さは、政治だとか軍事だとかに疎い一夏でも分かった。

 人類史上最高の天才と言われる、篠ノ之束しか作れない467個のISのコア。その、どれでもないと言うのだ。

 まず考えられるのは、篠ノ之束か、彼女と同等の頭脳を持つ人間が新たにISのコアを作ったということ。そして、それを入手した人物がIS学園に敵意を持っていること。

 IS学園はあらゆる国から人や資材、情報が集まっている超重要施設だ。

 そこを襲撃するだなど、結果次第では最悪戦争に直結しかねない事案である。

 

「やばい、な」

「うん。ちょっと洒落になってないわよ」

 

 二人はこの状況でも相手への感情を優先させるような馬鹿ではない。

 アイコンタクトで意思を確認し合うと、共に迎撃体勢を取った。

 すると、あたかも二人の動きに合わせるように。そのIS、名付けるならば未登録機が剛腕を差し出した。

 ゆっくりと、握り拳が開かれる。

 

「え」

 

 突如として、青龍刀を握っていた鈴が膝から崩れ落ちた。糸を切られた操り人形のように、ただただ重力のままに。

 

「な、どうしたんだ鈴!」

「いや、え? なんか、え、システムダウンした」

「シールドエネルギーはまだあっただろ!?」

「ほぼ満タンだったわよ! どう言うこと、なんでいきなり」

 

 誰かを忘れていないか、とでも言いたげに、未登録機が機械音を立てる。

 全くもって理解できない状況。しかし思考停止などしてられない。

 一夏はすぐに考えをシフトした。

 

 観客席の防護壁は既に下りている。多分、観客は安全な可能性が高いだろう。

 問題は動かなくなった鈴だ。このままでは一方的に打ちのめされる。

 幸い、白式のシールドエネルギーにはまだ余裕がある。教員たちが来るまで何分かかるかは分からないが、どれだけ短くても二十分は戦える。

 

 よって、今すべきことは、教員が来るまで時間稼ぎをしつつ鈴を守ること。

 

「鈴、逃げられるか?」

「ごめん……緊急システムも止まってる。脱げない」

「分かった。……あとは任せろ」

「ちょ何する気、って!?」

 

 一夏は敵に向かって弾丸のように突進した。

 鈴が動けない以上、敵の注意を常に引きつける必要があると思ったからだ。

 唯一の武器である雪片を力一杯に握る。

 

「おぉおおおおおおおおお!!!」

 

 渾身の力で唐竹割りを繰り出す。

 稲妻のような一閃は、ところが片腕だけで食い止められた。

 巨岩でも叩いたのではないかと錯覚してしまうほどびくともしない。

 スラスターを最大出力にするが僅かに前進しただけ。押し出すこともできそうになかった。

 

「マジかよおい!?」

 

 鼓膜がギコ、と錆びた音を拾った。

 一夏は咄嗟に目を向ける。馬鹿みたいにでかい腕が振りかぶられようとしていた。

 

(やべぇ!)

 

 回避へ移行しようとしたが、遅すぎた。とんでもない風切音と一緒に巨大なパンチが放たれる。

 速すぎる、いくらなんでも速すぎる。下手に回避しようとすれば直撃しかねないことを悟り、一夏は防御を取った。

 雪片から離した腕で、ガッチリとガードを固める。

 

(よし、受け止め

 

 ◇

 

『────か!』

 

 枯れた声が聞こえた。

 多分、鈴の叫び声だなと思った。

 

『────ちか!』

 

 自分を呼んでんいる、と感じた。

 

『一夏ぁ!』

「……んぁ?」

 

 目を開くと、眼前。

 未確認機がトドメの一打を放たんとしていた。

 

「う、ぉおおぉぉおぉっっお!?!?」

 

 この時ばかりは全てのスラスターを使った。後先考えず真横へ、弾かれたピンボールのように逃げる。

 次の瞬間、未確認機の拳が大地を叩いた。その轟音と地割れだけでも威力を察するのは容易かった。

 一夏は何度かのバウンドの末、ようやく動きを止める。

 

『一夏、大丈夫!?』

「鈴……」

『アレはやばいわ! とにかく逃げて!』

 

 何故か鈴と個人通信(プライベート・チャネル)が繋げられていた。理由は、鈴が外付けの独立した通信システムを使ったからなのだが、今の一夏にはそんなことを知る由も知ろうとする余裕もない。

 ぼーっとする頭を上げて、肉体をどうにか立たそうとして。

 やっと、自分の状態を知った。

 

(頭から血……。ガードした腕が、ぶっ壊れて、やがる)

 

 額からじわじわと血が漏れていた。

 守りに使った腕の装甲は木端微塵で、潰れた内部の機構も露呈している。それでもまだパワーアシストが生きていて腕を動かせることは僥倖か。

 さらに気づく。白式が無数の警告を表示していた。

 ブラックアウト防止機能破損、と。シールドエネルギー残量僅か、と。絶対防御機能ダウン、と。

 

(ってことは、俺はぶっ飛ばされて、気ぃ失ってたのか……)

 

 腕っぷしひとつで、堅牢な『絶対防御』を貫通して人体にまでダメージを与えた。

 単純にパワーが違いすぎる。

 理解の上を行く事実に、身が竦みさえした。

 

 うぃん、と生気なき複眼がこちらを見つめた。

 一夏の背筋を、生身から出たとは思えないほど冷たい汗が流れる。

 

(やべぇ……コイツはマジでやべぇ)

 

 一番の信頼を置いているはずの腕が、戦慄で震えていた。

 一番動いて欲しいはずの足が、ダメージの蓄積で今にも倒れそうだった。

 しかし、それでも一夏は、

 

(でも……俺がやるしかねぇ)

 

 雪片を構える。

 

 目だけで鈴を一瞥。やっぱり、その場に留まったままだ。

 続いて先程未確認機が殴った地面を一瞥。歪に割れた地面が、途轍もない破壊力を物語っている。

 

(あれだけの破壊力だ、観客席に向けられたら防護壁もぶっ壊しかねねぇ。

 ……もしそのまま人に当たってみろ。まず間違いなく死んじまう!)

 

 最悪のパターンを想定した。

 それだけは何としても阻止しなくてはいけないと思った。

 

『何構えてんの!? 早く逃げて!』

「いや、多分今の俺じゃ、逃げてもコイツの攻撃を避けきれねぇ。だったら一か八か、コイツを止めるしかねぇ」

『だからって、だからって戦おうとするのは違うでしょ!? アンタ一発で失神したのよ!? もし次食らってみなさいよ』

 

 鈴の悲痛な声が、一瞬の詰まりを見せた。

 

『次食らったら、最悪死ぬわよ!?』

 

 承知していた。十二分に理解していた。

 その証拠に、今も手が震えている。

 だけど、今の一夏には、それでも戦うことを選んだ理由がある。

 

「さっき言おうとしたことなんだけどさ」

 

 未確認機がゆったりと近づいて来た。

 後退りしそうになった足を、わざと前へ出す。

 

「俺はお前の酢豚をずっと待ってたんだ」

『へ……』

「約束、だったろ?」

 

 声も震えていた。我ながら情けないと思った。

 けど、そんな弱さを超えたかった。

 だから言葉を続けた。

 

「安心しろって。約束果たすまで……鈴の酢豚食うまでは死ぬつもりねぇからよ。っつか、死ねねぇよ」

『な、何馬鹿言ってんの。今はそんなことどうだって良いわよ! 早く逃げなさいよ!』

「それによ」

 

 鈴の感情ぐしゃぐしゃの涙声に、彼ははっきりと答えた。

 

「ここでみんなを守れなきゃ、世界最強なんて、宇宙(そら)なんて程遠い」

『……』

 

 夢が。己に在るものたちが。

 そして、みんなを守りたい強い想いが。

 一夏の失われた体力に代わって全身を支えていた。恐怖に打ち克つ勇気を与えていた。

 なおも歩いて接近してくる未確認機を、一夏は灼熱の瞳で睨みつける。

 

『ほんと、馬鹿じゃないの。今までそんなヤツじゃなかった癖に夢とか語っちゃってさ。今度は約束守るまで死なないとかカッコつけちゃってさ』

 

 鈴だって、一夏の危険を考えると不安や恐怖でゾッとしてしまう。今も、出来るのなら無理矢理にでも一夏を止めたい。

 だけど、幼馴染がここまで言い切ったのだ。

 多分今の自分にできる最大限は、見守ることなのだろうと悟った。

 いよいよ吹っ切れて、通信機に叫んでやった。

 

『分かったわよ! 約束通り、夜にとびっっっきりの酢豚作ってあげるから! ちゃんとビシッと決めなさいよね!』

「ッ、しゃぁ! いよっしゃぁあああああッッッ!!!」

 

 幼馴染の力強い声援が最後の一押しだった。

 闘魂、起爆! 一夏は覚悟の雄叫びをあげ、さらに一歩、前進!

 

 乾坤一擲の一戦が幕を上げた。




恋愛経験皆無の癖にラブコメを書けるだなどと、その気になっていた俺の姿はお笑いだったぜ。
※某戦闘民族は『戦うたびに』ではなく『死の淵から復活するたびに』強くなるが正しいです。セシリアの理解がまだ浅かったことにしていただけると幸いです。

次回
乱入の剛腕IS vs 傷だらけの戦士(ファイター)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

16話 逆転戦士(ファイター)

原作10巻の47ページ目の挿絵(箒と鈴がペレー帽被ってるシーン)が可愛すぎるので初投稿です。


 IS学園はあらゆる国家において超重要施設である。様々な国から集まる情報、人材、資材、どれをとっても機密級で一級品だからだ。しかも学生は誰もが最低限ISを操縦できる技能持ちである。

 誰も、そんな施設を襲撃する輩が出てくるとは考えたこともなかった。

 その考えをピンポイントで突いたように──しかも専用機どうしの戦闘中に──突如襲来してきた未確認機に、みんな混乱と動転を起こしていた。

 

「な、何なのだアレは!? 一夏は、鈴は大丈夫なのか!?」

 

 箒でさえも取り乱して、柵に身を乗りだし声を荒げていた。

 ただ、その中で。

 セシリアと簪は極めて冷静だった。

 

「皆さん! まずは落ち着いてくださいな!」

 

 セシリアが大声で周囲を鎮める。

 国家代表候補生として、責務を全うするために立ち上がっていたのだ。

 一方、簪はポケットから幾つかの見慣れないデバイスを取り出した。それらを起動させると、事態を把握するために学園の様々なシステムへアクセスを試みる。

 

「……監視カメラにはデータを改竄された痕跡はないし、あの機体以外怪しいものも映ってない。襲撃されたのはこのアリーナだけの可能性が高いかも。ただ……電力系統の制御システムも学園のネットワークもクラッキングされてる。中枢機能を掌握されてると想定した方がいい」

「この観客席からも出られませんの?」

「うん。扉のロックもダウンしてる。」

 

 アリーナと観客席を隔てるように防護壁が下りてくる。

 それを背後に箒は、セシリアと簪のやり取りをぼけっと見ていた。

 

(何故そんな冷静になれるのだ? どうして、こんな状況でも自分から動けるのだ? なんで、私とそんなに違うのだ?)

 

 彼女には理解できなかった。

 湧き上がるのは何故、どうして。理由を求める声ばかり。

 声は次第に内側に向けられた。

 何故お前は動けない、と。どうしてみんなと同じようになれない、と。

 

(やっぱり、私に何もないからなのか? 力も、頭脳も、才能も、何もないからなのか?)

 

 心底、空っぽの自分が憎かった。こう言う時に何もできない自分が本当に嫌だった。

 ここで二人みたいに何かがあれば、高みを目指す彼女たちに並べるかもしれないのに。ここで何かが出来ればきっと、進み続ける彼の隣に、立てるかもしれないのに。

 

(一夏。お前も「自分には何もない」と言っていたことがあったな。……あの時のお前の気持ちが今、分かった気がする。

……それでも分からないことが一つだけある)

 

 今の自分と同じようなことを言っていた彼に問うた。

 

(……お前ならこう言う時、どうしようとするんだ?)

 

 空っぽな自分でも唯一積み重ねて来れた、彼との時間を振り返った。

 彼はいつだって、自分にできることを、背負った男たちの夢や自分の夢のために頑張っていた。

 汗を流し、涙を流し、体を動かし、気力を燃やし。

 例え壁にぶち当たろうと、ひたすら自分を信じて全力で。

 そうして最後には、目の前の壁を超えてしまっていた。だが決して慢心せず、矢継ぎ早に次の壁を見据えていた。

 

 それが、篠ノ之箒の見てきた織斑一夏だった。

 大好きな、彼の後ろ姿だった。

 

「…………あ」

 

 思い、出した。

 

「あっ、あ」

 

 彼の姿の共通点が、確かに見えた。

 

(……そうか。そう、だったな)

 

 彼は、無いものを手に入れようとしていた訳じゃない。

 どんな時も、彼は自分に()るもののために頑張っていた。

 

(お前はいつも、自分に出来ることを精一杯やってきたのだったな。無いもののためにではなく、自分の中に在るもののために!)

 

 箒の顔付きが瞬く間に変わった。

 瞳に輝きが宿る。

 

(だったら! こんな時、お前はこう思うはずだ、一夏!)

 

 もうウジウジしてはいられない。

 スタートラインを超える時が来た。ただ見守るだけじゃなく、見上げるだけじゃなく、彼の隣で一緒に走る時が来た。

 

 さぁ、行くぞ。

 

(今自分に出来ることを、全力で!)

 

 闘魂、起爆。

 簪とセシリアの会話に、箒が割って入る。

 

「取り込み中すまない! 私からひとつ良いだろうか」

「えぇ。どうされました?」

「扉のロックがダウンしていると聞いたが、それはどこも同じか?」

「うん。残念だけど、ここの非常口含めて全部が動いてない」

 

 ならば、と箒が切り出した。

 

「私の記憶が正しければだが、外に出れば()()の非常口があるはずだ」

「本当ですの!?」

「……ほんとだ、確かにある。正に敵襲を想定した配置だ」

 

 簪が学園のマップを確かめて、箒の記憶が正しいことを確認した。

 いつも一夏との訓練で通っていた場所だっただけに、何となくだが「今更手動の非常口なんて」と思った記憶が在ったのだ。箒は自分のそこそこ良い記憶力に感謝して続けた。

 

「どうだろうか。もし外へ出れたのならきっと避難できるはずなのだが……すまない、外へ出る方法は今考えている所だ」

 

 っと謝った箒に、セシリアが口角を上げて返事をする。

 

「謝る必要はありませんわ」

「え?」

「わたくし達は今ちょうど、()()()()()()()()()()を考えていましたの。ですけど外に使える非常口があると分かったらもう大丈夫ですわ。ありがとうございます、箒さん」

「あっ、いや感謝されるようなことは何も……」

「そんな事ない。私たちも気付いてなかったし、凄くナイスタイミングだった。ありがとう、篠ノ之さん」

 

 そこで箒は、目頭に込み上げてきたものを、必死に隠そうと堪えた。

 理屈はわからなかったけど、何故か、それは溢れ出てきそうだった。

 

「ここはお任せくださいな。……扉の前にいる皆さん! そこから離れて下さい、わたくしが破壊しますわ!」

「え、壊すの!?」

「今はそれが一番早いですわ! 責任も補償もわたくし一人が負いますから、さぁどいてくださいな!」

 

 扉に集まっていた生徒へ返答すると『ブルー・ティアーズ』を装着。有無を言わせないその態度に生徒達は皆従って、素直に扉から退いた。

 セシリアはすぐさまロングライフルの引き金を引いた。扉の枠をレーザーで切断すると言う神業を当たり前のようにやり切って、通路への出口を作る。

 

「ここからは────」

「案内は私に任せてくれ。二人はあっちへ加勢に行くのだろう?」

 

 箒が先導役を買って出る。自分に出来ることと、二人にしか出来ないことは区別できているつもりだ。

 

「本当に恩に着ります。お願いしますわね」

「ありがとう」

 

 次はセシリアと簪の出番だ。

 箒に感謝を告げて、彼女らは自分達の戦場へと走っていった。

 背中を見送ると、箒は駆け足で階段を上がって、出口の前に立つ。

 

「皆さん聞いてください! ここからは私が非常口まで案内します! 付いてきてください!」

 

 セシリアと簪、アリーナにいる一夏と鈴を信じて、箒は使命を全うする。

 

 ◇

 

 管制室では真耶と千冬を筆頭に、教員複数人がシステムの復旧を急いでいた。

 タイピング音が絶え間なく室内に満ちる。

 相手は鉄壁を誇るはずのバリアシステムを難なく突破し、不落と言われた中枢機能とその防御システムを全て陥落させている。

 そんな敵対者がもし学生を襲ったとしたら、どんな危害が及ぶか想像に難くない。教員は皆必死の形相だった。

 

「防護壁は何とか起動させました!」

「よし。出撃犯は?」

「現在ピットにいますがダメです! ロックシステムもハッキングされててハッチが開きません!」

「アリーナの織斑と凰は?」

「カメラにアクセスしてます! …………アクセス完了。映像、出ます!」

 

 真耶がキーを押すと、小さなモニターがぴかりと光った。

 そこに映し出されたのは、アリーナの中央付近で機能停止した鈴。そして巨大な腕を持つ人型のISと、顔の半分を血に染めた一夏。

 

「な……いち、か」

「リアルタイムデータ確認。甲龍(シェンロン)はシステムダウン、白式は損傷甚大、シールドエネルギー残量僅かです!

 敵機は……生体反応なし!? 無人機と思われます!」

「ッ!」

 

 未確認機のスキャンの結果に、真耶が驚いたような声を上げた。

 無人機。まだ実用化の目処も立っていないそれが、学園を襲撃したと言うのだ。

 千冬も目を剥くような結果だったが、今は一秒も惜しい。歯軋りして、感情を殺して、指示を飛ばす。

 

「織斑と個人通信(プライベート・チャネル)は繋げるか?」

「了解、アクセス…………完了、繋げます!」

 

 ◇

 

『織斑、聞こえるか?』

「織斑先生ですか……大丈夫です、聞こえます」

 

 未確認機と真正面から向き合いながら、一夏は簡単に返事をした。

 未確認機は一歩一歩、ゆったりと不気味に接近してくる。まだまだ間合いには程遠い。

 一夏も雪片の切先を突き出し、じりじりと足を進めていく。後退などとうに考えていない。

 

『今、ハッチのロックを解除している。時間はおそらく五分程度……いや三分で解除してみせる。その間は』

「すみません先生。時間稼ぎは出来そうにないです」

『────』

 

 千冬にとって最悪の返事だった。思わず絶句した。

 もう、一夏は三分だけ逃げる程度の余裕もないと言うのだから。

 

「だから、先生。自分があのISを撃破します」

『な、何!?』

「一か八かでもやるしかないんです! もし自分がやられたら、鈴もみんなもやられてしまいます! お願いします、撃破の許可をください!」

 

 通信越しに吠えた。

 既に肉体も機体もボロボロ、いつ動けなくなってもおかしくない。ならば、動ける内に終わらせるしかない。

 秒針を刻むように距離が削られていく。もう迷ってはいられない。

 

「お願いします!」

『……分かった。本事案の責任は全て私が持つ。撃破の許可を出す』

「ありがとうございます」

『敵機は無人機、操縦者がいないと考えられる。どこを破壊しても構わん。だから……』

 

 静かな間を置いて、千冬は願うように言った。

 

『だから、なんとしても生き延びろ。絶対にだ』

「……了解!」

 

 通信が途切れた。

 姉を心配させるとは何たるザマだ。ダサいにも程があるぞ。自分をそう責めた。

 だから後でちゃんと謝って、これからもっと強くなろう。そう決意した。

 

 血が滴る。間合いが縮まる。

 

 一夏の思考は勝利だけを考えていた。意識はみんなを守り抜くことだけに集中していた。

 

(やっぱり、今の体力であのパワーを捌きながら攻撃を加えるには、一閃二断しかねぇな)

 

 結論は瞬時に弾き出された。

 満身創痍の彼ではあるが、一つラッキーだったことがある。

 体で未確認機のあのパワーを、あのスピードを、あのタイミングを覚えたことだ。

 それに簪との試合の感覚もまだ覚えている。

 

 だったら、やるしかない。

 

(……ミスったら、死ぬ。鈴もみんなも、死んじまう! それだけは絶対に阻止してみせる!)

 

 敢えて嫌なことを考えて、全身に鞭を打った。

 誰も失いたくない。誰も傷つけたくない。

 みんなを、守りたい。

 

(ガッツだ……ガッツで押し切るんだ! 気持ちで負けるな!)

 

 ガッツを胸に、さらに一歩。あの日貰った姉の言葉を血肉に、気を引き締める。

 もはや無音だった。雨が一粒落ちただけでもノイズになるような、そんな静謐さがアリーナを包んでいた。

 空気が極限まで張り詰めていた。

 

 少年は止まらず、着実に前進していく。

 

「……」

 

 いよいよ互いの制空圏が重なった。

 もう瞬きすら許されない間合いだった。

 

 途端に空気がずっしりとのしかかる。

 血と汗がつぅっと素肌を滑る。

 鈴も自分のことのように緊張して、固唾を飲んだ。

 

 ぴと、と、赤色の水滴が先に落ちた。

 

「────ッ!」

 

 先攻は未確認機のナックル。

 大質量の横殴りの拳に、一夏は一閃二断を仕掛け、

 

(違うッ! このタイミングじゃない!)

 

 捌くだけに留めた。

 力のベクトルを虚空へ()なしつつ利用してみせる。雪片から伝わる衝撃を使って横へ大きく跳躍した。

 

(体重移動(シフトウェイト)をもっと速くするんだ!)

 

 慣性で地を滑った一夏に、追撃の手が迫る。

 先ほどまでの歩行とはうって変わって、ホバーによる高速接近。速度で威力が増した殴打を、彼は半身を翻すようにして受け流す。

 

(リズムを作って、呼吸を整えて!)

 

 反動をつけて、未確認機の裏拳が戻ってきた。

 足を広げて応戦。刃を背負い投げするように走らせ、巨大な腕を上へ逃した。

 インパクトで曲がった自分の腕が頭を小突く。

 

「クッ、ゥウ!」

 

 額から血飛沫が散って怯みそうになった。そこをどうにかバックブーストで後退して隙を誤魔化す。

 僅かに伝達されるインパクトでさえも、今の一夏の体力を消し飛ばすには十分なパワーだった。

 

『一夏大丈夫!?』

「あぁ。何とかな」

 

 悲鳴にも似た鈴の声に、一夏はそう答えた。

 虚勢だ。

 頭がくらくらする。足が小刻みに震えて、肩で呼吸をする他ない。

 視界が明滅している。時折ピントがずれて景色が歪む。

 緊張、恐怖、不安、プレッシャー。それらを超克するためのガッツ。その全てが、一夏の底を尽きたスタミナと気力を更にすり減らしていた。

 

(もう本当に後がねぇ。次なんかくらったら、意識が、消し飛んじまう)

 

 朦朧とする意識に、だが決死の喝を入れて、敵を見る。

 自覚があった。

 

 次で決めなきゃ、終わる。

 

(ここが気合の入れどころだぞ、織斑一夏)

 

 未確認機が大地を蹴った。一夏を仕留めようと剛腕を振り翳している。

 対して、彼は一閃二断の構えを取った。狙いは一点、未確認機の首の両断。

 

(みんなを守ってみせろ。ここを超えて、夢に近づいてみせろ!)

 

 刹那に全てを懸けた。

 限界だった体力と気力を更に搾り出して。完璧なイメージを視界にアウトプットして。

 最後に、一心同体の相棒に呼びかける。

 

(行くぜ、白式)

 

 大砲のような一撃が真正面から放たれると同時。

 傷だらけの戦士(ファイター)が動いた。

 

「シッ!」

 

 一歩を踏み込んで、小さく雪片を振るう。普通の一閃二断とは違い、なんと()()()()()()()()()()

 接触と同時に雪片を伝った押し潰すような衝撃。それを虚空へ逸らすのではなく、逆に利用した。

 力の向きのままに。ぐるん!と、一夏は巨大な拳の上で一回転。

 そのまま未確認機の腕を蹴飛ばして跳躍した。

 

 イメージ通りだった。動きは全て連結している、だから攻撃がスムーズに放てる。

 拳を振り抜いたばかりの未確認機は無防備同然。

 両者を遮るものは何も無い。

 

 刃が、届く。

 

 一夏の双眸が、ガッツの炎を燃やす!

 

「シャラァアアアアアアアアッッッ!!!」

 

 ()()()()でぶった斬る。

 空間を切り裂くような青い光が閃く。と、複眼を埋め込まれた頭部が静かに落下した。

 すとん、と一夏が着地する。

 

「はぁ、はぁ、はぁ!」

 

 生きている。

 今自分は、生きている。

 

(やった……)

 

 それは確かな手応えだった。

 敵を斬った。イメージ通りに動けた。ただ待つだけじゃなく、自分から捌きに行くと言う独自の一閃二断が成功した。

 ────勝った。この土壇場を超えてみせた。

 みんなを守り抜けた。

 夢に、近づけた。

 

『一夏ァ!』

 

 ◇

 

「あーぁなんでいっくんそう考えるかな〜()()だからって別に頭で制御してる訳じゃないでしょってか()()()()()()()()()からこそ一番狙われやすい頭部じゃない所に重要なモノ詰めとくんでしょもーあーもー馬鹿なんだからもー」

 

 ◇

 

 鈴の普通じゃない叫びに、彼は緩慢と振り返った。

 首から上を無くした未確認機が、拳を振り上げていた。

 

「────?」

 

 声に、ならなかった。

 白式のシールドエネルギーだってもう空っぽなのに。

 指すらまともに曲げれないと言うのに。

 

「は、は」

 

 笑っちまった。

 幼馴染の叫び声が虚しく響く。でも、もうそれに返事することもままならない。

 

 これが俺の最後か、と思った。

 抗いたかったが、抗えるほどの体力もない。生き延びたいけど、これは流石に耐えきれない。

 千冬に言われたことを思い出して、それから自分に在るものを思い浮かべて。

 小さく、歯を噛み締めた。

 

(……クソッタレめ)

 

 未確認機のトドメの一撃を、一夏は静かに見届けた。

 

 鉄拳が振り下ろさ────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やるっスよ!」

「了解ですわ!」

 

 ハッチとは別の、アリーナから直接繋げられた退場用のゲート。

 そこを起点に分厚い氷が地面を走った。その上をライフルとBTの最大出力のビームが並行、それぞれ伸びる先には未確認機がいた。

 咄嗟に氷を回避しようとした未確認機を、極太の光線が妨害。その場から一歩も動けけなかった未確認機は足を凍付けにされ、一瞬で自由を奪われた。

 

「今っス!」

「おっしゃ行くぜぇええええ!」

 

 氷の道を爆発的な加速力で疾駆するは、ダークグレーのIS。両肩には犬の頭を模した兵装が取り付けられていた。

 その手には、刀身の無い柄が握られている。

 

炎刃(エンジン)……」

 

 柄が操縦者の言葉に呼応した。

 超高熱の炎が噴き出る。業火の如く荒れ狂うそれは一気に収束して、真っ赤な刀身と化した。

 未確認機が拳を振るおうとしたがもう遅い。

 間合いはとっくに女の独壇場となっていた。

 

「全ッ開ッ!!!」

 

 減速することなく未確認機に斬りかかった。

 爆熱の刀身が、(くだ)されかけた腕を瞬時に溶断。彼女は斬り捨てざまに鮮やかに反転し、その勢いでもう片方も両断した。

 

「うぁっ」

「トドメ頼んだぜー、会長」

 

 女は肩で一夏を担ぐと、巻き込まれまいとその場から離脱する。

 

 会長、と呼ばれた少女は上空にいた。

 必要最低限だけ肉付けされた水色の装甲と、ドレスのように展開された液体のヴェールが、陽の光を受けて光り輝く。

 構えられたのは、穂先が水の螺旋で渦巻く大きなランス。狙う先は未確認機の首の切断面。

 

 少女は急降下し、怒りを込めた突きを放つ。

 

「みんなを危険に晒した罪は、少し重いわよッ!」

 

 未確認機の首を、ランスが真っ直ぐに貫いた。

 すると、ドリルの掘削音にも似た音が一夏たちの耳をつんざく。突き刺さったランスの先端が高速回転して、未確認機の内部をズタズタに破壊しているのだ。

 未確認機のもがくように抵抗していた腕が垂れ下がる。

 

(終わった……これで本当に、終わった)

 

 誰の目から見ても決着がついた瞬間だった。

 一夏はようやく、ありとあらゆる重圧から解放された。目尻が緩んだと思うと、一気に全身から強張りが抜けていった。

 

「ほらよ」

「すみません……ありがとうございます」

「おう。んにしてもぱねぇな〜、会長カンカンだぜありゃ」

 

 一夏を地面に置くと、女が腰に手を当てて呑気に呟く。

 

「あの、貴方は……」

 

 一夏は知っている。この専用機持ち達を。

 一回戦の様子も観てたし、何より目標の一つにしていたからだ。

 

「おうよ。俺こそが知る人ぞ知るダリル・ケイシーよ」

「ど、どうしてここに」

「なんかよ、俺らで開かねぇ開かねぇ言ってたら、会長の妹さんがゲートのクラッキング解除して開けてくれたんだよ」

 

 ほらあっち、とダリルが指差した。

 そこには氷を扱う専用機を纏った少女フォルテ・サファイアと、ブルー・ティアーズを纏ったセシリア、デバイスを立ち上げた簪がいた。

 

「みんな……」

「よく頑張ったなエロガキ。時間稼いでくれたおかげで間に合ったよ。サンキュー」

「え、エロガキって……」

 

 言葉はそこまでだった。

 体を支えていた力が蒸発していく。頭では意識を保たなくては、と考えていたのに、肉体が言うことを聞かなかった。

 

「んなもんお前、女の子二人に『はやく一夏さんを』だの『織斑君を』だの自分の名前言わせてんだぜ? エロガキ以外の何者でもねぇだろ」

「……」

「ん? おい聞いてるかエロガキー? エロガキー?」

「……」

「あ、てめ! おいまだイくな、イくな馬鹿! え、ちょおま、大丈夫だよなこれマジでイッてるんじゃねぇよな!?」

 

 イってはないです、と心の中でしょうもなくツッコんだのが最後だった。

 意識が、体から消えていった。




逆転したのは一夏だけじゃない。
彼女だって、逆転した。自分を一歩、超えてみせた。

次回で多分二章終わります。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

17話 紡がれたもの

ヒロインとは?ラブコメとは?そんな疑問を解決すべく私は一人、アマゾンの奥地へと初投稿しました。
2章の〆です。


「……んぁ」

 

 目を覚ますと、見たことのある天井が広がっていた。模様もなければシミもない、真っ白な天井だ。

 背中には包み込むような柔らかい感触。鼻を掠めるのは嗅いだ覚えのある独特の匂い。

 

「保健室か、ここ」

 

 一夏は目をパチパチさせると、ゆっくりと上体を起こした。

 瞬間、こめかみをぶち抜くような激痛が走る。思わずうめいて頭を抱えた。

 

「あぁ、いってぇ」

 

 やっと気付いた。

 頭と左腕には白い包帯がぐるぐる巻かれていた。

 全身も筋肉痛で痛む。一息吸い込む度に血管に電流を流されたような錯覚すら覚える。

 

(そっか。俺、未確認機と戦って、みんなに助けられたんだったな)

 

 痛みが、今日の記憶を呼び覚ました。

 簪と戦った。実感はないけど簪に勝った。専用機に乗る資格を自覚した。次に鈴と戦った。夢ばかりじゃダメだと気付かされた。未確認機が襲来した。戦った。鈴と約束した。首を斬った。

 けど、足りなかった。自分の力だけではどうにもならなかった。

 

 そこをみんなが助けてくれた。

 

 だから、今こうして生きている。

 

(みんな、凄かったな。フォルテさんとセシリアが動きを止めて、ダリルさんが反撃の芽を摘んで、最後は会長さんがトドメをさして。

 今思うとアレは完璧な連携だった。この上ないほどスピーディで、無駄が一切なかった)

 

 即興で自分達の長所を活かし合う。一体どれだけの経験と技術力があれば出来るのだろうか。

 一夏は一部始終を思い出して、心底感心した。

 

(……もし。もし、みんなが助けにきてくれなかったら、今頃どうなっていたんだろう。あとちょっとでも遅かったら、どうなっていたんだろう)

 

 俯いて、思い耽った。

 想起されるイメージは、悲惨そのもの。ただのイメージだと言うのに血の気がひくような、そんな光景だった。

 無意識に拳を作る。相当の力がこもっていたのか、小刻みに震えていた。

 

(……畜生ッ)

 

 最悪の、気分だった。

 

(力が足りなかった! 技術もハートも注意力も、何もかもが足りなかった!)

 

 一か八かの一閃二断。完璧にモノにしていれば、もっと安定感をもって戦えたはずだ。

 あの青色の刃。出て来なければ、首を斬れていなかったかもしれない。

 観察を怠った。勝手に人間と同じ部分が弱点だと思い込み、首だけに狙いを定めてしまった。

 

 ただでさえ足りないものが多い癖して、最後の最後に振り返ったあの瞬間、諦めてしまった。

 ハートすらも、足りなかった。上を目指すためには、みんなを守るためには一番大事なはずなのに。

 

(今こうして生きてるのは偶然が噛み合っただけだ!

 もし一個でも噛み合わなかったら……俺だけじゃねぇ、鈴もみんなも死んでたかもしれねぇんだぞ!?)

 

 静まり返った空気の中で、自分を責める。

 生来の強い責任感がそうさせていた。

 自分を責めていないと、弱い自分が言い訳をしそうだった。

 

(守りたいモノも守れねぇクセに、世界最強だとか宇宙(そら)だとか抜かしてんじゃねぇぞこの馬鹿タレが!)

 

 爪が食い込むほど握り締めた手を、布団に叩きつけた。

 痛感する無力さ。それは肉体の痛みも忘れるほどの、悔しさだった。

 

(……クッソォ!)

「────」

 

 途端。くぐもった誰かの声が聞こえた。

 一夏は一旦自責を止めて、反射的に声が聞こえた方向を見る。現在進行形で扉の奥、つまり廊下から聞こえる。しかも聞き耳を立ててみれば、向こうには複数人いることも分かった。

 横の机のデジタル時計を確認。夜の八時十七分だ。お見舞いに来てくれたのだろうか。

 誰だろう、と考えていると、扉がノックされる。

 

「はい、どうぞ」

「!? 一夏、目が覚めたのか!?」

 

 一夏の返事を聞くや否や、がたん!と横開きの扉が勢いよくスライドされた。

 

「みんな……」

「……良かった……本当に、良かった」

 

 一夏と顔を合わせた瞬間。箒は安堵して力が抜けたのか、膝から崩れ落ちそうになった。

 それを隣のセシリアが支えてやる。

 

「あらあら、次は箒さんがベッドで寝る番ですわね」

「それ、洒落になってない」

 

 セシリアの冗談には、簪が冷静なツッコミを入れた。

 

「中に入ってもよろしくて?」

「おう」

「では、失礼しますわね」

 

 入室した三人は一夏のベッドの傍らにあった椅子に腰を掛ける。

 真っ先に口を開いたのはセシリアだ。

 

「お体は大丈夫でして?」

「全身バキバキに痛ぇけど動けないほどじゃねぇから、多分大丈夫だろ」

「それは良かったですわ。では、お見舞いがてら少し報告をしたいのですが」

「頼むわ」

「はい。まずクラス代表対抗戦についてですが、あの後中止になりましたわ」

 

 そりゃそうなるわな、と一夏が呟く。

 あんな出来事があっても対抗戦を続けていたとしたら、流石に学園の体制を疑ってしまう。

 

「次に今回の騒動については、学生及び教員全員に箝口令が敷かれる運びになりましたわ。破った場合は査問委員会行きですのでご注意を」

「そんなぽか流石にやらねーって」

「分かってますけど、一応念の為に言っただけですわ。それで、今回の被害についてですが……」

 

 そこで一夏は息を呑んだ。

 自分の記憶が正しければ、鈴は怪我をしていなかったはず。襲撃されたのも恐らくあのアリーナだけである。

 だけど、やっぱり心配だった。もしかしたら、と言う可能性を捨て切れなかった。

 その不安はセシリアにも十分伝わっている。だから彼女は思いっ切り安心させてやるために、あえて強めに言ってやった。

 

「負傷者は一名。つまり、貴方だけでしてよ」

「……そっか」

 

 セシリアの言葉を聞いて、本当に安心した。

 一夏の表情から強張りがなくなる。

 

「じゃぁ、鈴もみんなも無事だったんだな」

「えぇ。貴方の前で言うのはおかしいかもしれませんが、あのような形の奇襲の被害をここまで抑えられた事は奇跡だと思いますわ」

「だな。でも、もしみんなの助けがなかったら俺だけじゃ済まなかったと思う。……二人とも、助けてくれてありがとう」

 

 一夏はそう言うと、簪とセシリアに深く頭を下げる。自分とみんなを助けてくれた二人には、感謝してもしきれない思いだった。

 ところが、彼の発言に対して少し不満を覚えた人物が一人。

 

「私とセシリアさんだけじゃない」

「え?」

 

 簪が、箒に目を向ける。

 

「私たちがすぐに助けにいけたのは、篠ノ之さんが私たちの代わりに避難を迅速に進めてくれたから。篠ノ之さんがいなければ、間違いなく被害は広がっていた」

「……そうなのか、箒?」

「お、大袈裟だ。私は私に出来ることをやっただけだ」

「大袈裟じゃない。篠ノ之さんは間接的かもしれないけど、確実に貴方とみんなを助けた一人」

 

 一夏は驚いたような顔で箒を見つめる。

 照れているのか頬を薄いピンク色に染める彼女は、一夏からぷいっと視線を逸らした。実際、それは照れ隠しだった。

 だって、一夏が生きているのだから。友人に褒められたのだから。

 そしてやっと一夏の隣で、一緒に進めるかもしれないのだから。

 嬉しくないわけがない。

 

「すげぇな箒、みんなを避難させてたなんて。結果的に俺も助けられたんだな……ありがとう」

「ふ、ふん。当然のことをしたまでだ」

「箒さんはもう少し素直になったらどうですの?」

「別に素直だし何も隠してなどないぞ!? なぁ一夏!?」

「えぇ……、そこ俺に振るのか」

「あっ、ふーん」

 

 サブカルヲタクの簪は二人のやり取りを眺めて察する。

 篠ノ之さんて、織斑君に対してそう言うアレが……と。

 

「まぁとにかく、わたくしからの報告は以上ですわ。詳しいことは後日先生方から話があると思いますから、質問があればそちらでお願いします」

「りょーかい、わざわざありがとな。……っでさ、俺からも今の話とは別で聞きたいんだけど、二人って簪さんと仲良かったのか? 初めて一緒にいる姿見たけど」

 

 セシリアの報告が終わると、一夏は始めから疑問だったことを訊ねた。

 ちょっと言葉に迷うように躊躇ってから、簪が返答する。

 

「今日初めてお話ししたから……仲が良いとは言えないかもしれない」

 

 控えめな物言いだった。

 あまり友人がおらず、他人とのコミュニケーションにも消極的だった彼女は、関係の境界線をまだはっきりと理解していなかった。

 過ごした時間で変わるのか、交えた言葉の数で変わるのか、共通の趣味で変わるのか。

 加えて相手がどう思っているかも分からなかったために、彼女は友達であるかそうでないかを断言しなかった。

 

「あら、わたくしもう友達だと思っていましたわ」

「うむ、私もだ」

「へ?」

 

 そんな些細な(なやみ)をぶち壊したのは、他ならぬ二人の少女。

 

「わたくし知ってますの。プリキュアと言うANIMEのEDで『手と手繋いだらもう友達』と言ってましたから。

 今日、わたくし達は協力と言う形で手を繋いだはずですわ。ですからもう友達ですわね!」

「プリキュアはよく分からんが、私も友達になれたと思っている。今後もよろしく頼む」

「……ありがとう。あとセシリアさん、その歌詞はドキプリの後期ED『ラブリンク』だね」

 

 自然と込み上げてきた涙。グッと我慢して、彼女は感謝する。

 誰かに『友達』と言われること。それが、こんなにも温かくて愛おしいなんて。十五年ほど生きてきたけど、初めての気持ちだった。

 

「じゃぁ、俺も簪さんと友達だな。試合終わった時に手繋いだしさ」

「うん、そうだね……。みんな、こ、これからよろしくお願いします」

 

 若干一夏の言い方に箒のレーダーが反応したが、新たな友情が眩しかったのでヨシとする。

 簪は嬉しさと恥ずかしさでもじもじしながら、この際だし勢いで言っちゃえと思って、小さく告白した。

 

「え、えっとね。友達になれたから、ではないんだけど、お願いがあるの」

「お願い?」

「うん」

 

 箒とセシリアも初耳だったらしい。二人揃ってどうした、と聞き返す。

 どうやらお見舞いよりもこちらの方が本命だったようだ。

 眼鏡をかける少女は、目を泳がせながら、

 

「み、みんなと一緒に特訓したいな……って」

 

 一夏たちの瞳は、確かに映していた。

 制服の裾をぎゅっと握りしめる簪の姿を。

 

「今日、織斑君と戦って気付かされた。ずっと専用機に囚われて、妬んだり恨んだりしてるだけじゃダメだって。

 今のままじゃ、ダメなんだって」

「簪さん……」

「でも、もしみんなと一緒だったら、きっと何かが見えてくる気がするの。今足りないものとか、必要なものとか……私一人じゃ分からないことが、きっと。

 だから、みんなと一緒に進みたい。もっともっとレベルアップしたいの」

「!」

 

 レベルアップ。

 そんな単語に反応したのは一夏だった。

 

「き、急なことだし私の勝手な考えだから、い、嫌だったら大丈夫……」

「……嫌な訳ねぇよ」

「え?」

 

 今も己の無力さが悔しい。あの場にいた者として責任も感じている。

 守りたいものも守れないのか、と。守れないくせに高みを目指しているのか、と。

 再び自責を始めれば延々と続くだろう。それ程強い感情だった。

 

 だが。

 

 だが、それではダメなのだ。出来なかったからとその場で足踏みしたままじゃ、高みには進めない。

 反省と後悔だけを繰り返すようでは、前進など出来っこない。

 

 彼は、止まりたくない。

 

「俺もさ、みんなと高め合いながら、今よりもっとレベルアップしたいんだ」

 

 俯いて下がっていた目線をがばりと上げた。

 煮えたぎる悔しさが薪となって、向上心を烈火の如く燃え上がらせる。

 次こそ守りたいものを守りぬくために。いつか必ずてっぺんを掴み取るために。

 

「簪さんがいれば、俺としてもすげぇ心強い。俺からも是非ともよろしく頼むぜ」

 

 声音に宿るは熱き闘志。

 箒もセシリアもよく、よく知っている。

 この少年は止まらない。いつだって挑戦者(チャレンジャー)として上を見据えている。

 

「……本当に、良いの?」

「ウェルカムですわ。切磋琢磨し合える友人がいることはこの上なく嬉しいことですし」

「まだまだ素人故に足を引っ張るかもしれないが、私で良ければ」

 

 二人もまた、友として彼女を迎え入れた。

 その優しさは、簪にとって困惑するほどの温かさで。でも抱きしめたくなるほどの、温かさで。

 

「……ありがとう。本当に、ありがとう……」

 

 更識簪は、一頻り感謝した。

 新しい仲間たちに。その優しさに、温かさに。

 

 ◇

 

 夜の十時を過ぎた頃。

 鈴は保健室に続く廊下を歩いていた。

 手には小さなタッパーと割り箸。タッパーには出来立ての酢豚。

 胸には、鼓動早まる心臓。一歩一歩、目的地に近づく度に高鳴っていく。

 

(遂にこの日が来たのね)

 

 日本を立つ前に一夏と交わした約束。

 大人になったら酢豚を食べさせる────。正確に言えば毎日と言うワードも添えたが、この際は置いておく。

 とにかく、一夏が約束を覚えていて待ってくれていたことが嬉しかった。そんな彼に応えたい一心で、慣れているはずのそれを丁寧に料理した。

 

(美味しい、って言ってくれるかな……。自信あるけど……)

 

 不安と緊張とワクワクと喜びと……無数の感情が頭で渦巻いている。今にもおかしくなりそうだ。

 そのせいか、顔が火照っているのが自分でも分かる。

 

(ま、まずはなんて言おうかな……ありがとう……だよね。いや、でも体は大丈夫?の方が良いかな……そもそも起きてるのかな?)

 

 ドアが見えた。

 間違いなく心臓のギアが二段階ほど上がった。後退りすらしてしまう。

 

(だ、ダメダメダメ! なんでここまで来てアタシが引き返すのよ!?)

 

 ちょびっとだけ冷静な鈴が言っている。『多分アイツのことだから寝てるわ。な〜に、そこまでビビるこたぁないわよ』と。正直に言えば願望なのだが。

 うん、うん! と鈴は首を大きく縦に振って歩を進める。

 とうとう目の前までやって来た。

 

(行くわよ? 本当に行くわよ? 良い、3、2……さ、3、2、1)

 

 寝てろ! と祈って3回ノック。

 

「はい、どうぞー」

「げ!?」

 

 秒で返ってきた返答。鈴の思考がフリーズする。

 

「あれ? 入ってもらっても大丈夫ですよー」

「……」

 

 声主は間違いなく一夏だ。

 なんでアンタ起きてんのよと、ちょっと理不尽すぎる怒りが隅っこで湧いてきた。

 けどもそれも束の間で、一瞬で緊張が戻ってくる。

 

「あのー」

「は、入れる訳ないじゃない!」

「え?」

「あっ」

 

 心の声がそのまま漏れてしまう。

 ちょびっとだけ冷静な鈴が言っている。『やばいわよやばいわよアンタどうすんのよコレェッ!?』と。正直詰んだ。

 

「もしかして鈴かー? マジで大丈夫だぞー」

 

 部屋の奥からは呑気に自分を呼んでいる。

 ふざけんじゃないわよ馬鹿、と頭の中で一夏のケツを引っ叩く。

 しかしもうバレてしまったし、ここから逃げれない。

 こうなりゃ、どうにでもなれだ。鈴は玉砕覚悟でドアを開けた。

 

「おっすー」

「……」

 

 喉元まで出かけた言葉が、失われた。

 ボロボロだった。

 幾つもの包帯や絆創膏、湿布が傷の数を物語っていた。

 

「どうしたよ?」

「あ、あのさ……体は、大丈夫?」

「まぁな。ちょっと痛ぇけどちゃんと動くし」

 

 腕をまくり、彼はそう言った。

 明るく振る舞っているけど、痛々しいことこの上ない。

 ならばこそと。

 鈴は一夏のその振る舞いに、ちゃんと応えようと思った。

 

「えっと、あの、ほら。さっき、約束したこと覚えてる?」

「もちろん。とびっきりの酢豚食わせてくれるんだろ?」

「う、うん。病人に食べさせるのは変かもしれないけどさ、約束だったしと思って」

 

 とりあえず、彼の(そば)の椅子に座った。

 

「じ、自分で食べれる?」

「おう。問題ねぇよ」

 

 緊張の絶頂。一年間待ちに待った瞬間。

 間違いなく人生で一番ドキドキしていた。脈を打つたびに痛みすら感じた。

 彼女はいつになく固い動作で、両手でタッパーを渡す。

 

「お〜。なんつぅか、すげぇ感慨深いな。ここで再会するなんて思ってもなかったし、なんやかんやで一年くらい経ってるし」

「アタシも……そう思う」

 

 言いながら、一夏は汚してはいけないからと、ベッドから体をずらした。

 急接近した一夏の顔に、更に心拍数が跳ね上がる。保健室が静かなこともあってか、脈が鼓膜を叩くのがはっきりとわかった。

 タッパーが開かれる。

 まるでずっとこの瞬間を待っていたと言わんばかりに湯気が放たれた。

 肉と甘辛い餡の匂いが強烈に食欲をそそる。特に、夕飯を食べていない一夏の胃にはクリティカルヒットした。

 

「めっちゃ旨そうだな……んじゃ、いただきます!」

 

 早速、餡の絡まったぶつ切りの肉と野菜が口に運ばれる。

 鈴はもう三周ほど回って思考を止めていた。ただ彼の言葉だけを待っていた。

 

「どう……美味しい?」

「……へへっ」

 

 一夏は幸せそうに微笑んで、

 

「めっちゃ、めっちゃ旨ぇ。マジで待ってて良かった」

「……うん」

 

 頭の中を満たしていた様々な感情が、安堵と達成感へと変わっていく。鈴はほんのちょっとだけ、口角を上げた。

 一夏は二つ、三つと酢豚を食べていく。

 彼もまた、約束を果たせたことに喜びや安心を感じていた。一口一口に彼女との記憶を思い出しながら、懐かしむように咀嚼して飲み込む。

 

 あっという間に、半分ほどが無くなった。

 静寂な室内を、かつかつと、箸でタッパーの底を叩く音が響く。

 

「……覚えてる?」

「ん?」

「ほら、アンタが初めてうちに来て酢豚食べた時さ……今みたいにぼろぼろだったじゃない?」

「あ〜! そういやそうだったな! あん時確か階段から落ちてよ」

「嘘」

「え?」

 

 鈴は語気を強めて、

 

「知ってるんだから。あの日アンタ、アタシをいじめてた奴と喧嘩したんでしょ。アタシを守ろうとして」

「……」

「あんな顔腫らしてて気づかない訳ないじゃない」

「……ま、ボコボコにされたけどな。それに今となっちゃ間違えてたと思うよ。暴力じゃなくて、ちゃんと大人に頼るべきだった」

 

 あの日以来、いじめが収まった。

 自分が自分らしく、ありのままで居てもいいと知った。喋って笑って遊んで、楽しいと思える時間がいっぱい出来た。

 だから、鈴にとって一夏はかけがえのない幼馴染で、そしてたった一人のヒーローだった。

 どんな時も優しくて、守ってくれて、ニコッと笑顔を見せてくる彼が好きになっていた。

 

 ()()()

 

「どうして、どうしてアンタってそんな……傷だらけになってでも戦うのよ……」

 

 だからこそ、怖かった。

 あの時も。今日も。いつだって誰かのためなら体を張って、傷ついて。それでも笑っちまうような彼の姿が。

 いつかそんな彼が、消えてしまいそうな気がして。

 

「今日だってちょっと間違えてたら死んでたかもしれないのよ? 怖いとか嫌だとかない訳?」

「あるよ」

「……じゃぁなんで戦うのよ」

「それでも守りたいから、かな」

 

 みんなには笑顔で元気に、幸せに生きて欲しい。

 口にはしなかった。けどそれが一夏の、切実な願いだった。

 聞いた理由に納得できず、鈴の不安と心配はより膨れ上がり、駄々をこねる子どものように続けた。

 

「アンタが傷付いて倒れてちゃ元も子もないじゃない! もし、もし本当に死んじゃったら守りたいものも守れないのよ!?」

「分かってるよ」

「わ、分かってるよってアンタ……」

 

 一夏は鈴の言葉を肯定すると、ニコッと笑ってみせる。

 

「だから、もっと強くなってみせるよ」

「……っ」

「次こそ鈴を不安にさせないように、さ。それに、テメェの守りたいものも守れねぇ男が世界最強なんかになれっこねぇしよ」

 

 少年の瞳は、きらりと輝いていた。

 遥か彼方の夢を見ていた。決意と闘志に満ち満ちていた。

 その力強い光が、あたかも矢のように、鈴のネガティブな感情を打ち抜く。

 

「馬鹿じゃないの」

 

 自分の知らない、新たな一面だった。

 だけど、そんな彼もカッコいいと思った。

 潤んだ両目を、袖で雑に拭う。

 

「そんな姿でカッコつけてんじゃないわよ」

「ボロボロで決め台詞は男の憧れシチュエーションなんだぞ。ちょっとはカッコつけさせてくれよ」

「な〜にが憧れシチュエーションよ。やるにしたって選ぶ言葉があるってもんでしょ。アンタが世界最強なんて言っても全く現実味ないし」

「はん、分かってねぇな〜。これから現実にするんだぞ」

「だからその状態でカッコつけてんじゃないわよ。はっきり言うけど全くキマってないから。めっちゃダサいから」

「……鈴の言葉が一番こたえるわ」

 

 一夏は頬を引きつって胸を押さえた。女の子の容赦ない言葉は、男の子の憧れにぶっ刺さりまくったようだ。

 

(えへへ)

 

 そう。

 こんなどうでも良いような、たわいもないコミュニケーションこそが、鈴の求めていたものだった。彼と別れてからの一年間、約束と共に、ずっと、ずーっと待ち焦がれていたものだった。

 世界でたった一人の男性IS操縦者なんて、彼女にしてみればどうでも良い。

 こんな穏やかな時間を、また一緒に過ごせることが嬉しかった。

 やっと、幼馴染と話せて、鈴は小さく笑う。

 

「ありがとね。守ってくれて」

 

 一夏もまた、幼馴染として答える。

 屈託も曇りもない笑顔で。

 

「おう」

 

 ◇

 

 どこにあるかも分からない研究ラボの一室。無数の空中投影ディスプレイだけが部屋の明かりだった。

 机にはメモやデータをまとめた用紙が乱雑に放置されている。しかしそれらは、有識者が見れば卒倒してしまうような内容が記されている。

 壁際に佇んでいる幾つかの人型の鎧はISだ。まだ整備段階なのかあちこちにコードを刺されていて、静かに命が吹き込まれる瞬間を待っているようだった。

 

「うーん」

 

 そこの主である女は不満だった。

 ディスプレイに羅列され、スクロールされていくデータをぼんやりと見つめていた。

 

「特定のISを機能停止させるのは上手くいったね。もうちょっとコア側が抵抗すると思ったけど。まぁ()()()()でしたとさ」

 

 映像、画像、文字、数字、数式……常人にはまず理解出来ないであろうそれらがどんどん流れていく。

 それは未確認機──女が付けた名はゴーレム──を介して入手した研究結果だった。

 

「白式も『零落白夜(れいらくびゃくや)』の結果も()()()()だったかぁ」

 

 至極つまらなさそうにぼやいた。

 あるディスプレイは、雪片の青い刃を映している。

 

「ってかいっくん、まーだ制御できてないっぽいね。ちーちゃん4時間でなんとかしてたし、いっくんも大丈夫だと思ったんだけどなぁ」

 

 これもまた面白くなさそうに一瞥。

 女にとって今回入手したデータはいずれも、好奇心や興味を刺激するようなものではなかったらしい。

 

「あーぁ。もうしばらく様子見るべきなのかなー。でも結局変わんなさそうだしなー。どうせ同じ結果だろうしなぁ」

 

 彼女の瞳は、暗かった。

 もう何もかもを諦めたようだった。生気が抜けて、ただ慣性で日々を生きているかのようだった。

 

「やっぱり、ダメなのかな」




簪と鈴に焦点を当てた章だったので、この終わり方がベストかなと思いました。
結局この章でも、零落白夜のことや白騎士事件のことを説明できませんでした。本当に申し訳ない(連邦軍技術者)。

マジでしばらく忙しくなるので更新はお休みします。
次章はあいつもこいつもお前も!?みたいなやつもオリキャラも大集合です。オリキャラは挿絵も入れてみようと思っています。
苦手な方がいましたらご注意下さい。

二章目終わり!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三章前半 vsラウラ・ボーデヴィッヒ編
18話 夢の旅人


やっと原作2巻目に突入したので初投稿です。
この章からオリキャラが出ます。また、スポーツ感が増すかと思います。オリジナル要素もいっぱいです。


 クラス代表対抗戦からまる一週間が過ぎようとしていた。

 未確認機による敵襲と騒動はもう過去の話として扱われていた。生徒に危機感がない、のではない。情報が少なすぎたために会話の内容がいつも同じになって、やがて話すことがなくなったのである。

 また、唯一の負傷者だった一夏も怪我の治療を終え、無事復帰に成功したのであった。

 

 今日は土曜日。

 いつもなら鍛錬に励むところだが、一夏は休養を取ることにした。

 っと言うのも、周囲(特にセシリアと簪)から『たまにはうんと羽休めしろ。操縦者にも機体にも休養が必要だ』と言われたのである。

 セシリアとの決闘に始まりクラス代表対抗戦、未確認機との戦闘。おまけに放課後はいつも、剣道全国大会優勝者や代表候補生と共に特訓。考えてみれば一ヶ月間、心身も機体も働きっぱなしだった。

 

 故障やオーバーワーク故のパフォーマンス低下で泣く戦士(ファイター)は少なくない。セシリア達はそれをよく知っていたからこそ、助言したのである。

 操縦者として先輩である彼女らの言葉に、一夏は素直に従うことにした。

 加えて一夏自身が最近、夢を追うばかりで周りを見ないのはダメだと反省していたこともあり。

 

「おいテメェやめろ! やめろって! あっあっ」

『カズキニシマァ、WIN』

「一夏、お前もうスカブラ降りろ」

「畜生ぉおおおおおおおおおおおおお!!! もっぺんやるぞ馬鹿!」

「しゃーなし、次は即死コンなしでやってやるよ」

 

 一夏は今、中学時代の旧友である五反田(ごたんだ)弾の家にいた。弾の家の一階は食堂を営んでいることもあり、二人とも二階で過ごしている。

 もちろん家の周囲には一夏の護衛が万全の体制で張り付いている。が、二人ともそんなことお構い無しで盛り上がっていた。

 

「おい? おい? んんん即死コンはなしでは〜?」

「嘘ピョーン、はいお前の負ーけ」

「クソがぁあああ! テメェはメテオでぶちのめ」

『カズキニシマァ、WIN』

「ぉおおおおぉぉおおおおおんん!!!」

「雑魚乙」

 

 二人は対戦型のビデオゲームで遊んでいた。

 一夏はボコボコにされているようだ。勝利するどころかまともにダメージも与えられていない様子。

 

「っで、IS学園はどうなのよ?」

「どうって? あっおい馬鹿やめろそれ」

「女の子しかいないんだろ? ハーレム天国じゃねーか」

「ハーレムでもねぇし天国でもねぇしお前は即死コンやめろ」

 

 平然と特定の操作(コマンド)入力によるコンボだけを行う弾に、一夏はブチギレ一歩手前くらいの声で答えた。彼の名誉を守るために補足すると、一夏が弱いのではなく、弾がプロ並みに強すぎるのである。

 

「お前顔良いし性格も悪くないんだからモテそうだけどな」

「恋愛は興味ねぇんだよなぁ普通に」

「それ15で女に囲まれてる男が吐くセリフじゃねーんだわ」

「いやお前もこっち来てみろよ、んまぁ〜地獄だぞ」

「っと言うと?」

 

 興味津々な弾に、彼は眉を下げて、

 

「最近は意識して頑張ってるけど、中々会話出来ねぇし出来ても続かねぇんだぞ? いざああ言う環境になると異性とどう接して良いかがマジでわからん」

「てめぇお得意のギャグかましてやれば良いじゃねーか」

「……千冬姉にクソつまらんって言われてから女子の前では言えなくてさ。歳近かったらいけるかな?」

「……お前、本気で悩んでるんだな」

 

 弾は思わず同情した。

 本来の織斑一夏は、結構ノリの良いやつである。しょうもないギャグを飛ばしたりツッコミ役になったり、色々と柔軟な男なのだ。

 ただ、それは男どうしだったり箒や鈴のようにかなり仲の良い異性が相手の時に限る。IS学園に入学してからの彼は、一ヶ月間ずっと女子だけの環境に馴染めず、どうしても言葉遣いや発言が浮いてしまいがちだった。

 ────それもあって、夢だけを見て周囲を気にしないようにしていた、とも言えなくないが。

 しかし、出来ればみんなと仲良くなりたいとも思っていた彼にとっては、意外と深刻な問題だったりする。

 

「できたらガチアドバイス頼むわ」

「吹っ切れていつも通りのお前でやりゃ良いんじゃねーの? 知らんけど」

「知らんけど、ってそれ使えばなんでも言えるじゃねぇか」

「でも割とマジで言ったつもりだぞ? これから三年間は環境変わんねーのに、いちいち悩んでもいられねーだろ」

「んまぁ百理あるけど……」

「そんなんでよく一ヶ月やってこれたなお前」

 

 一夏は自分のキャラが無惨に処理される光景を眺めつつ、

 

「この一ヶ月は夢中になってたからな」

「何にだよ?」

「……、ISに」

「ほぉ?」

 

 弾はIS、と言うより一夏が不自然な間を置いたことに食い付いた。長い間一緒に過ごしてきて分かったことなのだが、一夏が変に間を置く時は、ほとんどの場合何かを隠しているのである。

 良い意味でも悪い意味でも分かりやすい。

 

「いや、ほら。みんなに遅れを取らないようにさ。俺だけ何もできませんじゃカッコつかねぇだろ?」

「おん、そうだな」

「それに俺も上手く操縦できるようになりたいしさ」

「はいはいそうやって隠さなくて良いから素直に言えよ。何に夢中になってたんだ、おん?」

「……」

 

 ばつが悪いように黙り込んだ一夏。

 この時点で確信する。一夏は何か隠してる。

 

「こっそりエロ本読むのに夢中になってたのか?」

「ち、ちげぇよ馬鹿!」

「じゃぁなんだよ〜?」

 

 こうなると弾は止まらない。何がなんでも引き出そうとして来るのである。

 相変わらずテレビ画面は一方的な虐殺を映していた。

 一夏はしばしの思考の末、大きいため息を一つ吐く。

 

「あんまし他の人に言うなよ?」

「おう! 言わねー言わねー」

 

 ニッコニコスマイルの友人に彼は、

 

「……俺さ、夢があるんだ」

「夢?」

「うん」

 

 カチャカチャとコントローラーの操作音が鳴る中で。

 真剣な顔で、本気の声で、はっきりと言った。

 

「世界最強になって、宇宙(そら)を飛びたいんだ」

「ん?」

 

 全く予想だにしていなかった回答に弾は一瞬、コントローラーの手を止めてしまった。

 視線をテレビから彼の横顔に移す。

 

「どゆこと?」

「そのまんまだよ」

「世界最強って、IS操縦者の? 宇宙(そら)って、宇宙(うちゅう)ってこと?」

「……おう」

 

 あまりにもスケールのでかい話だった。

 弾は驚愕を隠せず、目を丸くしていた。何を言われても笑い飛ばそうと思っていただけに、まともなリアクションも取れない。

 

「お前そんなキャラだったか? 老後のこと気にしてた奴とは全然違うじゃねーかよ」

「キャラとかじゃねぇよ。普通に、今の夢なんだよ」

「一応理由聞いて良いか?」

「……ISに乗れるって分かった時に、昔の夢思い出してさ。ほら、やっぱ子どもの頃はみんなロボットで戦うとか空中バトルとか最強だとかに憧れるじゃん?

 俺ならそれができる……って思ったら、諦めきれなくなってよ」

 

 そのキャラの変わりようにも弾はびっくりしていた。今までこんな夢物語を、澄んだ瞳で語るような男ではなかったのに。

 言い終えた一夏はちょっと照れてから、唖然とする弾に聞き返す。

 

「弾は夢とかねぇの?」

「えっ……いや……まぁ……ない、かな」

「そっか」

 

 会話が途切れる。ゲーム音と操作音だけが部屋を満たす。

 変に居心地が悪くなった一夏は、空気を変えようと新たな話題になるものを探した。

 辺りを見渡す。男の子特有の部屋とも言うべきか、机にはカードが置かれていたり、タンスには漫画やフィギュアが収められていたりと、沢山の趣味で充実していた。

 その中でも一際存在感を放っていたのは、立てかけられた、やや縦に長めの黒いケース。

 しめたと言わんばかりに、一夏が訊ねた。

 

「なぁ、あれってギターか?」

「ん、あぁ。正確に言やベースだけどな」

「部活で買ったのか?」

「いや……趣味でよ」

「へぇ。ちょっと聴いてみてぇな」

 

 ただなんとなく会話を繋げようと言ったつもりだった。

 少しぎこちなかった弾はゲームを一時停止して、

 

「……聴くか?」

「え、マジ? 良いの?」

「下手だけどな」

 

 言うと弾は立ち上がり、ケースを開けた。

 現れたのは白色のベース。ケースの中に乾燥剤があることや弦が緩めて保管されていたことから、相当丁寧に扱われていることが窺えた。

 準備をしてストラップに肩を通した弾。その一連の姿は、中々サマになっていた。

 

「おぉ……」

 

 一夏から感嘆が漏れる。

 

「んじゃやるぞ? っつってもオリジナルだけどな」

「おっけー」

 

 一夏はリラックスしてその音楽を聴き入った。

 

(……すっげぇ)

 

 率直な感想になるが、カッコよかった。

 耳に残るような芯のある低音。思わず首で刻みたくなるリズム感。テンションが徐々に上がる曲調。何より生き生きとベースを鳴らす弾。

 途中、本当に趣味かとも疑った。音楽に疎い一夏がそう感じてしまうほどに、彼の技術力や人を惹き込む力は半端じゃなかった。

 

「……どうだった?」

「やばすぎ。あんま詳しくないから具体的なこと言えねぇけど、めっちゃカッコよかった」

「そ、そうか? そりゃ良かった、へへっ」

 

 照れくさそうに、弾が鼻を擦る。

 

「……マジですげぇよほんと」

 

 それは音だけではない。楽しそうにベースを弾いていた弾の姿もだ。

 弾の新たな一面を垣間見れた気がして、一夏は少し嬉しさも覚えていた。

 

「……あ、あのよ」

「ん?」

「あ、いややっぱなんでも────」

 

 弾の声は、突然の訪問者によって遮られる。

 

「ちょっとお兄! 下まで響いてるからお客さんにめいわ────、一夏さん!?」

「おっすー、お邪魔してます」

 

 訪問者の正体は五反田蘭、弾の妹だ。

 肩まで伸びた赤い髪をクリップで挟む中学三年生の彼女は、家の手伝いをしているのかエプロンを着用している。

 一夏と目があった瞬間、蘭は頬を薄紅色に染めた。

 

「き、来てたんですか!? IS学園は全寮制って聞いてましたけど」

「そろそろ男友達と遊ばねぇと頭おかしくなりそうでよ」

「あ、あぁ〜。そ、そうでしたか」

 

 普段は男勝りな蘭だが、一夏の前では途端に辿々しくなる。

 理由を分かっていない一夏に、弾はお前マジかと頭をよく抱えているとかいないとか。

 

「裏口から入ったんですか?」

「おう。流石に真正面から入ったら色々面倒に巻き込むかと思ってさ」

「それもそうですよね……確かに」

 

 返事をしつつ、彼女は兄貴を睨みつけた。

 アイコンタクトで、何故一夏が来ることを知らせてくれなかったんだ、と怒りのメッセージ。弾はヘコヘコ頭を下げる他なかった。

 

「あ、あの、良ければうちで夕食食べませんか? もちろんタダです!」

「良いのか? ご馳走してもらって」

「折角うちに寄ってもらったんですから、振る舞いますよ!」

「じゃ、お言葉に甘えて」

「ありがとうございます、張り切って作りますから! あとお兄、そろそろお客さん増えてくるから手伝ってね」

「お、おう」

 

 弾はどこか煮え切らない表情で、一夏らに続く形で階段を降りるのであった。

 

 ◇

 

 一夏はご馳走をして貰えると言うことで、五反田家のリビングにいた。今は座って、蘭の料理を待っている。

 

(んにしてもここで飯食うの久々だよなぁ)

 

 リビングから、フライパンや鍋を使う蘭の背中を眺める。

 どうやら店主である祖父の許可を貰って、この時間だけ食堂の手伝いから抜けているようだ。代わりに弾が大忙しらしいが。

 一夏は何故彼女がそこまでして自分に構ってくれるのか分からない。だが、折角の善意を遠慮するのも野暮な話だと思い、受け取ることにした。

 

「お待たせしました〜! 出来ましたよ!」

 

 しばらくすると蘭はそう言って、湯気の立つ皿を幾つか運んできた。

 

「うおっ、すげ。こりゃまた美味そうだ」

「えへへ。お口に合えば嬉しいです!」

 

 流石定食屋の看板娘だ。

 大きなエビフライ、サラダと豚の生姜焼き、味噌汁に山盛りの白米。彩り良し香り良し。活発な男子高校生が喜んでがっつきそうなメニューをしっかりとチョイスしている。

 一夏は大きな唾を飲み込んで両手を合わせた。

 

「いただきます!」

 

 早速、料理を口に運ぶ。

 出来立てのそれらは堪らないほどの絶品だった。エビフライは噛むとサクッと音を立てて、生姜焼きは白米との相性抜群で一度食べ出したらもう箸が止まらない。

 

「やべぇ! バチクソうめぇ!」

「ありがとうございます……正直、美味しいと思ってもらえるか不安でした」

「不安になる必要ねぇってこの美味さは。マジで最高」

 

 ガツガツと食べる一夏と対面する形で座った蘭は、タイミングを見計らって、

 

「あの……IS学園、楽しいですか?」

「勿論。めっちゃ楽しいよ。女子ばっかで居づらいって思うこともあるけどな」

「か、彼女とかって出来ました?」

「出来ねって。そもそも恋愛に興味ねぇし」

 

 後半の台詞は忘れることにして、とりあえずまだ彼女がいないことに安心して蘭は一息吐く。

 一番聞きたいことはもう聞けたため、ここから先は純粋に親睦を深める時間だ。彼女はあたりざわりのない質問をしていくことにする。

 

「学園って、やっぱり試合とかありますよね?」

「まぁな」

「攻撃されたら痛いんですか? 私、まだ適性検査で動かしたことしかないから分かんないんです」

 

 IS適性検査。文字通り、ISに対してどれだけ適性があるかを、簡単にだが検査することだ。

 一夏はぱくぱくと料理を口に入れながら、

 

「すっげぇ痛ぇ。ダメージとか危険を分かりやすくするように痛覚伝達信号ってのがあるんだけど、それ俺らじゃカットできねぇしさ」

「えぇ! それって『絶対防御』とかとはまた違うんですか?」

「うん。しかも絶対防御も完璧じゃねぇから、場合によっちゃ普通にアザも出来るし最悪怪我もするよ」

 

 全く知らなかった事実に驚愕する蘭。

 それもそのはずで、ISはテレビやネットで特集を組まれることが多々あるが、今みたいにネガティブな印象を残すようなリアルな話は中々載っていないのだ。

 蘭は貴重な体験を出来ていること(しかも相手は一夏)に感謝しつつ、会話を続ける。

 

「なんだか今の話だけ聞くと、ISに乗るのって辛そうですね」

「……俺だけかもしれねぇけど、痛いのも辛いのも楽しいんだよな」

「どうしてですか?」

 

 一日一日を鮮明に思い出せるほど濃密な一ヶ月を振り返って、一夏は微笑した。

 

「『自分は成長してるんだ』って実感出来た時さ、努力はもちろん、痛みとか辛いこととか全部報われたような気がして……あの瞬間って、本当にたまんねぇんだよなぁ」

「へぇ……」

「だから絶対報われる……いや違うな、()()()()()()()って思えるんだ。そう思うと、自然と特訓も試合も楽しいって思えるようになったよ」

 

 その瞳は、もはや生粋の戦士(ファイター)そのものだった。

 一夏は右腕で眠る白い相棒に目をやって、

 

「もし『勝ち』ってやつも実感できたら……もっとやばいんだろうなぁ」

 

 蘭の前で独りごちた。

 戦績だけ見れば、一夏は一度勝利を、日本三位の簪を相手に収めている。しかし彼はまだ、あの勝利を『勝ち』とは考えていなかった。

 理由は簡単で、試合のほとんどが機体、特に青色の刃に助けられる形だったからだ。

 自分自身の実力や技術で勝った、とは言えない内容に、未だ彼は満足できていなかった。

 

 勝利の実感をイメージした時、一夏の顔は恍惚を浮かべた。ただの想像ですらこんなに嬉しいのだ、もし本当に実感する瞬間が来たら……。

 闘志が燻った。全身がウズウズした。

 今まで見たことないような表情の一夏に、蘭はただただ驚くばかり。

 

「一夏さん、なんだか凄く変わりましたね」

「そうか?」

「はい。その……いい意味で変わったと思います」

「自分じゃ分かんねぇけど、褒め言葉として受け取っとくよ。ありがとな」

 

 流石に男前になった、とは恥ずかしくて言えなかった。

 蘭は二人っきりの時間を一秒でも無駄にしないように、捲し立てるように話をした。

 

「あ! そう言えば兄がですね、最近ベースにハマってるんですよ」

「らしいな、さっき聴かせてもらったわ」

「いつもうるさいんですよ〜、お客さんいなくなるとすぐ弾き出すんです」

「はは、まぁ良いじゃねぇか。弾も色々溜まってるんだろうし」

 

 そこからは二人で談笑に耽った。蘭の進学のことや学校での出来事、弾が彼女が欲しいといつも嘆いていることなど。

 一夏が料理を食べ終えて帰宅する時間になるまで、声が止むことはなかった。

 

 ◇

 

「蘭、まだ告ってねーのか」

 

 弾はドア越しでちょくちょく会話を聞いていた。

 細かい内容までは聞こえないが、声のテンションは伝わる。多分普通に雑談してるくらいだろう。

 

(っと言うよりアイツ鈍感すぎるだろ……女の子が手料理振る舞ってくれてる時点で察しろよ)

 

 妹の(熱い)想いに気付かない彼に、弾は少し困っていた。

 察してくれてるのなら色々楽なのだが、マジで一切気付いていないのである。コントのようにすれ違う二人の気持ちに、もうツッコむ気すら起こらなくなった。

 一夏に察しろと言う方が無理な話かもしれないが。

 

(鈴の前でもずっとあの状態だったら……ちょっと同情しちまうわ。まーハッキリ言葉にしない鈴も鈴でダメだけどな)

 

 いやそれを言うなら蘭もか、なんてことを考えていると、

 

「弾、さっさと戻って来い」

 

 厨房から祖父・五反田(げん)が呼んできた。構造上食堂とキッチンまでの廊下が壁一つでしか隔てられていないため、祖父の声がはっきりと届くようになっている。

 

「あいよー! 今行くよ!」

 

 雰囲気的に、恐らく今日蘭が想いを吐露することはないだろう、と安心して厨房に戻る。

 今は十八時を過ぎた頃。一般的な退勤時間を少し過ぎたあたりのためか、客も徐々に増え始めていた。

 弾の仕事は食材を切ったり、客に料理を運んだりすることだ。

 祖父の計らいで時給をちゃんと貰えるようになっているため、お金のかかる高校生の弾にとって手伝いに呼ばれることは有り難かったりする。

 

(んにしても、夢、か……)

 

 長ネギを手慣れた包丁さばきで切りながら、一夏の言葉を思い出す。

 

(正直かっこよかったな……夢を人前で言えるなんて。俺なんて恥ずかしくて絶対言えねーって。っつか言えなかったての)

 

 本当に変わった、と改めて感じる。

 中三の頃は老後はこうしたいだの、健康第一だのと年寄り臭いことばかり言っていた彼が。今では若い瞳を輝かせて、夢を語っているのだから。

 

(俺もあーやって言えるくらい自信持てたら……良いんだけどな)

 

 切った長ネギを容器に置くと、側には出来立ての料理が乗ったお盆があった。持って行け、と言う祖父からの無言の合図である。

 手を洗い、お客さんへ届け、戻ってまた食材の準備をする。

 

(夢なんて言ってもよ、本当に叶うかなんて分かんねー訳じゃねーか。才能も必要だし環境も良くねーとダメだし時間もいっぱい無いとダメだし。叶わない可能性の方がずっと高いのに、なんでアイツはあんなにマジになれるんだ?)

 

 弾はよく『バカ』と言われるが、決して思考能力がない訳じゃない。

 彼だって、分かる。夢を叶えられる人間なんてごく僅かだ。しかも一夏の言う世界最強、なんてレベルになればもっともっと少なくなる。

 だけど、彼のあの目は、声は、意気込みは、本気だった。

 才能だとか環境だとか無理だとかなんて全く考えていない、とことん、とことん真っ直ぐな決意表明だった。

 

 分からない。

 何故、あぁまで本気になれる?

 

(初めてよ、お前のこと羨ましいと思っちまったよ……一夏)

 

 弾は小さく俯いた。

 誰にも分からないほど、小さく。

 

(俺も本気で追いかけてみてーよ……色んなこと忘れてよ。夢を叶えられたら、って思っちまうよ)

 

 サクサクと白菜を切っていると、笑顔で蘭が戻ってきた。

 看板娘の登場に、常連客の表情が一気に明るくなる。

 

「お兄ごめーん! ありがとね!」

「ん? もう一夏とは良いのか?」

「うん。もう時間だからって、今帰ったよ」

「か、帰った!?」

 

 蘭の方に勢いよく振り返る。

 彼女は焦るような兄の姿に困惑して、

 

「何かあったの?」

「あっ……いや……。次いつ来るとか言ってたか?」

「それがさー、分かんないんだって。夏休みも用事いっぱい入りそうだし下手したら冬休みかも、みたいなこと言ってた」

「……!」

 

 弾は一度、まな板に目をやった。

 味噌汁と炒め物用に切られた白菜が置かれている。何の変哲もない、ただの野菜だ。

 それから緩慢と、蘭に目をやった。

 彼女は兄のよく分からない行動に首を傾げている。何も変わらない、いつもの妹の姿だ。

 

 不意に、拳を握った。

 否、無意識に握っていた。

 

(今のままで……終わりたくねー。終われねー!)

 

 爪先を、裏口の方に向けた。

 

「すまねー、すぐ戻る!」

「あっ、お兄! どこ行くの! 今からがピークなのに!」

 

 弾は振り返らず、厨房を飛び出て行った。

 

「もー! おじいちゃんも何か言ってよ!」

「……許してやれ。男があぁやって突っ走る時は、何かに夢中になっちまってる時なんだからよ」

 

 ◇

 

「一夏!」

 

 裏口のドアが弾かれるように開かれた。

 辺りを確かめると、奥の方で、今まさに迎えの車に乗ろうとしている一夏がいた。

 

「まっ、待ってくれ! 一夏!」

「ん……弾! 見送りに来てくれたのか! ごめん、邪魔になると思って声かけれなかった」

「待ってくれ! まだ、まだ聞きてーことがあるんだ!」

 

 焦燥に駆られて、普段とは全く違う様子を見せる弾。一夏は只事じゃないことを察知して、握っていたドアノブから手を離す。

 

「どうしたんだ!? なんかあったのか!?」

「はぁ、はぁ……あっ、あのよ」

 

 膝に手をつき肩を上下させる弾は、途切れ途切れの声で、

 

「お前、さっき夢のこと、話してたじゃんか? すげー、マジな顔でさ」

「あ、あぁ。話したな」

「ど、どうしてよ……あんな真剣に、マジになれるんだ? 夢なんて叶うか分かんねーじゃねーか」

 

 ちょうど帰路の真っ只中の車が、混み始めている道路を走る。

 向かいの歩道には、休日を過ごす学生たちが喋りながら歩いている。

 

「才能とか環境とか、そう言う自分じゃどうしようも無いこともいっぱいあるじゃねーか、なのになんで」

「分かんねぇから、さ」

「……え?」

 

 あの、夢を語った時と同じような表情で。

 一夏は、己に()るものをその目に宿す。

 託された夢を、貰った言葉を、自分に在る夢を。

 

「やってみなきゃ何も分かんねぇじゃん。出来るか出来ないか、叶うか叶わねぇかなんてさ」

「でも」

「だからこそ俺は信じてる。自分なら絶対に叶えられるって」

「……お、お前」

 

 建物から顔を出した夕陽が、二人を明るく照らした。

 

「才能、環境、時間。自分じゃ変えられないこといっぱいかもしれねぇけど、知ったこっちゃねぇさ! だったら俺は今自分に出来ることを全力でやる! 自分を信じて頑張り続ける!」

 

 一夏は空を見上げた。きっとこの茜色の空の上には、まだ見ぬ世界が広がっている。

 青天井の、無限の世界が!

 

「限界超え続けてよ、絶対叶えてみせるぜ、俺は!」

 

 月に語りかけるように。宇宙(ゆめ)のずっと先を捉えるように。

 一夏はそらを真っ直ぐに見上げて誓った。

 呆気に取られていた弾は、ほんの少し、口角を上げる。

 

「何だよ、それ」

「……わ、悪ぃ。自分語りになっちまったな」

「結構、かっけーじゃねーか。一夏のくせによ」

「くせに、は余計だろ」

 

 夢が叶うかどうかなんて、一夏も分からない。

 だからこそ、信じる。だからこそ、努力する。夢を叶えてみせるために。

 

(……へっ。そうだわな、疑うより信じてみねーと、何も始まらねーよな。やってみなきゃ、何も分かんねーよな。叶うかも、しれないんだしよ)

 

 純粋で、愚直なまでに真っ直ぐな少年の大胆な言葉は、弾の悩みも迷いもぶち壊した。

 いよいよ吹っ切れた。もう、どう言われようとどうなろうと構うものか。

 目の前の彼のように、自分も夢を追いかけたい。夢を、叶えたい。

 だから夢を、何よりも自分自身を信じてみる!

 

 一人の少年の、夢の旅が始まる。

 

「あ、あのよ、一夏」

「ん?」

「俺にも……夢があるんだ。聞いてくれるか?」

「あたぼうよ」

 

 弾も、青天井のそらを見上げる。

 

「俺はベースで、みんなを虜にしたいんだ。聞いたやつが元気になったり笑顔になったり夢中になるような……そんな音楽がやりてーんだ!」

「……すっげぇかっけぇじゃん。弾のくせに」

「くせに、は余計だろ! っつか今の感動的な場面じゃねぇのかよ!」

 

 折角の決意を台無しにされた気分で弾は咆えた。

 一夏は一頻り笑った。IS学園では絶対に出来ないであろうやり取りを十分に味わうと、

 

「織斑君、そろそろ」

「あっ、はい、すみません」

 

 運転手が出発を告げた。

 一夏はその立場上、常に安全を確保()()()()()()()()()()存在である。故に一分一秒たりとも門限を破ることは許されない。

 

「……行っちまうんだな」

「おう。本当にありがとな、マジで楽しかったぜ」

「こっちの言葉さ。暇になったらまた来いよ、今度は俺が炒飯作ってやるからよ」

「てめぇの炒飯は食い飽きてんだよ!」

 

 元気にツッコミを入れながらも、一夏もまた、しばらくまた会えなくなる寂しさを感じていた。

 だけど、永遠の別れじゃないのだ。また会える日が必ず来る。

 その日まで、寂しさを耐えることにした。

 

「……じゃ、また!」

「おう……鈴にもよろしく言っといてくれ」

「オッケー」

 

 弾は清々しい顔で、

 

「もしプロ選手になって試合することになったら呼んでくれよな。誰よりも応援するからよ!」

「あたぼう! お前も曲かなんか出来たら真っ先に俺に聴かせろよ、長文感想送るからな!」

「言われなくとも!」

 

 バタン、とドアが閉められた。

 ブゥン、とエンジンが鳴ると、IS学園に向けて出発。二十分もすれば街から出て、高速道路を走ることだろう。

 一夏は最後の最後に寂しさを隠しきれず、後ろを振り向いた。

 弾が大きく手を振っている。

 弾に見えるかは分からないが、一夏も全力で手を振った。きっとしばしの間、男どうしで過ごせる時間はやって来ないだろうから。

 

 曲がり角を曲がってから、一夏は体勢を直した。

 

(……弾にも負けてられねぇな)

 

 良い張り合いになったと思う。

 語り合った夢。

 一夏も、実現させたい。弾に、自分が世界最強になって男たちの夢を──きっとその時は弾の夢をも──背負って宇宙(そら)を飛ぶ姿を、見て欲しい。

 

(明日から特訓再開だ! 絶対やってやるぞ……叶えてみせるぞ!)

 

 決意新たに。

 少年の夢の旅が、再び始まる。




夢を追いかけるのは一夏だけじゃない。
彼もまた、夢の旅人。

弾をなんとしても登場させたかったので、このスタートにしました。
この章からは明るい雰囲気も目指そうと思います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

19話 イグニッション・プランへ!《前編》

あの二人とオリキャラはもう少ししたら出ます。
そのため初投稿です。
オリジナル要素あります。

誤字報告ありがとうございます!


「ほらほらしっかり脇を締めなさい!」

「クッ! オォオオオ!!」

 

 五月も下旬に差し掛かった頃。

 その日の放課後も、訓練用アリーナは熱気に満ちていた。

 

「ガァ!?」

「ガードが甘い! そんなんじゃ接近戦で勝てっこないわよ!」

「わか、ってるっつーの!」

 

 一夏と箒、セシリアに鈴、簪の五人はチームを組んで特訓に励んでいた。

 人数の関係上、今は箒が休憩を取っていて、一夏は鈴と、セシリアは簪と特訓をしている。

 

「あが!?」

「手を止めない! 本番で敵がお行儀良く待ってくれると思う訳!」

「ま、だまだぁあ!」

 

 またしてもガードが間に合わず直撃を受けた一夏。

 鈴の叱咤に意地で答えて見せるも、疲労を隠しきれない。重い衝撃に耐えながら動かし続けているせいで、腕が今にも千切れそうだ。

 痛みで体の至る部分が熱を帯びている。

 白式の装甲も深い傷だらけ。間違いなく今日も整備課にお世話になるだろう。

 

「また間に合ってないわよ! 隙だらけじゃない!」

「クソッ!」

「だから腕を下げない! 手を止めない!」

「チィ!」

 

 それからしばらくすると、ローテーションを告げるブザーが鳴り響く。

 

「次、アンタが休憩でしょ?」

「おう……ありがとな」

「はいはい。さっさと休みなさいよ」

 

 一夏はフラフラと地面に降りると、あまりの疲労に腰を下ろしてしまった。

 被弾しすぎた。特に接近戦。クラス代表対抗戦の時から感じていたことだが、迫り合いや手数で負けることが多すぎる。

 

(畜生っ……みんなと何が違うんだ?)

 

 負けん気で熱くなっている頭を深呼吸で落ち着かせ、頭上を見上げた。

 視界に入れたのは鈴と簪のペア。今は実戦形式で特訓している。

 

(あの二人に負けがちなんだよな。……言い換えれば、あの二人を観察してりゃ、自ずと俺と違うものが見えてくるかもしれねぇ)

 

 じーっと眺めていると、やがて近距離戦に入った。

 普通に考えれば、二刀流の鈴の方が単純計算で手数も二倍になって有利な距離。

 ところが実際はそうじゃなかった。簪は技巧な捌きで、鈴の連撃を完全に防いでいたのだ。

 

(すげぇ! 鈴の双天牙月(そうてんがげつ)をあそこまで抑えられるのか!)

 

 焦点を更に簪だけに絞る。同じ一刀流だ、参考になる部分は一番多いと判断した。

 よく見れば箒──篠ノ之流と太刀筋が似ていた。

 迫り合って弾き返す、というより的確に捌く、受け流す、の方が表現として合っている。受けた力の向きを僅かに変えることで、直撃を防いでいた。

 しかも鈴の二方向からの連続攻撃を、だ。

 

(あっ……なるほどな、防御が受け流す動作だけで終わってない。受け流してから次の受け流しまで自然に繋がってる。つまり切れ目がない、だから鈴の連続攻撃にも対処できてるんだ)

 

 凄まじい技術だと感じた。

 ところが、簪の技術はそれだけに留まらない。リズムとタイミングを覚えたのか、受け流した直後に反撃に転じていた。

 鈴は咄嗟に片腕の青龍刀でこれをガード。腕力一つで無理やり弾くと、再び攻勢に出る。

 そうそう見られない高等技術の応酬である。が、一夏が特に注目したのは簪の反撃の場面。

 

(今のは一閃二断っぽかったな。ガードからのカウンターは繋がってなかったけど、動きは近かった)

 

 そこで一夏は、妙な違和感を覚える。

 

(……一閃二断っぽい?)

 

 一閃二弾の動きを念頭におき、改めて簪を観察する。

 鈴の重たい一撃をさらりと受け流すその動作。間違いない、一閃二断における一足目の『閃く』動作とほぼ同じだ。

 それを連続で続けることで、鈴の嵐のような斬撃を防いでいた。

 

(そうか! 何も一閃(ガード)からカウンターに繋げなくていいじゃねぇか!)

 

 『一閃二断』に囚われるばかりに見失っていた観点。

 一閃(ガード)からそのまま次の一閃(ガード)に繋げる。こんな簡単なことを何故思いつかなかったのだ。

 一夏は疲労も忘れて勢いよく立ち上がる。

 最重要課題の一つであるディフェンス技術。その答えが、いきなり明確な形となって見えてきた。

 

(ガードからガード、弾くんじゃなくて受け流す! 俺とみんなが違うのはそこだったんだ!)

 

 そうと決まれば話は早い。試さずにはいられない。

 ブザーが待ち遠しい、早く自分の番は回ってこないのか。

 一夏は衝動を抑えきれず、受け流す動作の素振りを始めた。夢へ一歩近づけるかもしれないのだ、これを待てと言われる方が無理な話である。

 

(強くなるぞ! もっと……誰よりも!)

 

 ◇

 

 そう上手くいかないのが現実である。

 

「皆様お疲れ様でした。今日の特訓は終了ですわ」

「お疲れ〜。疲れたわもぉ〜」

「一夏、いつまで寝てるのだ」

 

「はぁ、はぁ、はぁ……クッソ」

 

 確かに被弾は減った。減ったのだが、本当に誤差程度の減少でしかなかった。

 剣道や箒との特訓。そう言った今までの経験が逆に悪いクセになってしまっていて、中々受け流す動作を繋げられなかったのだ。

 

「大丈夫、織斑君?」

「あぁ……悪い、ありがとな」

 

 簪が差し出した手を握って、一夏はなんとか起き上がる。

 約二名が『なんだ今の羨ましいなおい』と鋭い視線を向けたが、一夏の鈍感唐変木パワーは全てを弾き飛ばした。キョロっとした顔で二人を見つめ返す。

 ちなみに簪は色々察してぺこっと頭を下げた。

 そんな光景に、セシリアは色んな意味でため息を吐くしかなかった。

 

「ではまた食堂で」

「ほーい」「うむ」「了解」

 

 解散して着替えに行こうとする簪を、一夏が止める。

 

「簪、少し良いか?」

「うん、どうしたの?」

「ちょっと聞きたいんだけどさ、ディフェンスってどうすりゃ鍛えられる?」

「ディフェンス?」

「実はさ……」

 

 そこで一夏は、自分が直面している課題について話した。

 ガードからガードへの繋げ方や、細かい受け流し方。きっと基礎能力の高い簪ならば、どれも的確に教えてくれると考えたのだ。

 一夏の読みは、ずばり当たっていた。

 

「分かった。ISを纏って、今教えるから」

「えっ、今からお願いしても大丈夫なのか? 疲れてるだろうし明日でも……」

「大丈夫。私にとっても、貴方には少しでも早く強くなってもらわないと困るから」

 

 簪からしてみれば、どういう形であれ一夏は敗戦を喫した相手だ。だから彼は高め合える仲間であり友人であるが、同時にリベンジを誓う好敵手でもある。

 更に力を付けた一夏を打倒することは、簪の目標の一つだった。

 

「……ありがとう、助かるよ」

 

 彼女の闘志を受けて、一夏もやる気を燃やす。

 ボロボロの白式を纏い雪片を呼び出すと、簪も打鉄を纏った。

 

「先に言っておくけど、ディフェンス技術は一日二日でどうにかなるものじゃない。何週間も何ヶ月もかけて、頭じゃなく体で覚えるもの。だから、すぐには成果が出ない」

「オッケー。長い目で見るよ」

 

 言うと、簪は刀を握った。

 

「私が刀を振るから、織斑君は受け流してみて」

 

 こくりと頷くと、簪がゆっくりと刀を振り下ろしてきた。

 一夏は一閃二断の要領で、刀を滑らかに捌く。

 

「それだとダメ」

「えっ?」

「私の刀から加わる力を使いすぎてる。表現がおかしいかもしれないけど、受け流しすぎてる。腕をちゃんと使って、少し弾く力も入れてみて」

「……滑らかすぎてもダメ、ってことか」

 

 自分なりにイメージを構成し直して、再度簪の刀を受け流した。

 今度は、下向きの力を去なしつつ、腕を使って僅かに横へ弾く。

 

「そう、そんな感じ。今自分で腕を使ったから、次に何か来てもそのまま腕を使えるでしょ?」

「あっ……確かに!」

「ただ、これは最初が肝心。最初に腕を動かしてないと、次からは相手に勢いを付けさせた状態になってガードし辛くなるから」

 

 続けて刀が振るわれた。

 一夏はしっかりと腕を使い、二、三、四と絶え間なく刀を捌いてみせる。

 感覚で分かる。これなら手数で負けたり、何度も迫り合いに持ち込んでしまったりすることはないだろう。

 

「すげぇ……自分でも動きが繋がってるのが分かる」

「その感覚と動きを体で覚えて。もっと言えば、クセにして。そうすればどの角度でも対応できるし、急な攻撃も防げる」

「どうやって覚えると良い? こうやって相手がいる練習って時間限られてるしさ」

「素振りで良い。相手をイメージしながら動きを馴染ませて、どれだけ動かしても疲れない腕を作って」

 

 流石の代表候補生だ、と感心してしまう。

 教え方も分かりやすく、質問にもすぐ答えてくれる。積み重ねてきた人間にしか出来ないことだ。

 

「ありがとな。すげぇ分かりやすかった」

「それなら良かった」

「素振りもちゃんと頑張るよ」

 

 首肯で応じて、簪は打鉄を解除する。

 一夏もまた、白式を解除した。疲労や痛みがドッと肉体に押し寄せたが、それ以上に向上心で満たされる。

 早速今日から素振り開始だ、と一夏が意気込んでいると、

 

「分かってると思うけど、一つ言わせて」

「おう」

 

 打倒一夏を掲げる彼女は、期待と闘志を込めた声で、

 

「ディフェンスの技術は他の技術と比べて凄く地味な鍛錬ばかりになる……でも忘れないで。一流の戦士(ファイター)ほど、地味な鍛錬を怠らない」

「っへ、地味だろうとなんだろうと全力でやるだけよ」

「良い気合い。それでこそ私の……好敵手(ライバル)

 

 ◇

 

 更に三日程が経過した。

 放課後は時間いっぱい実戦形式で特訓し、夜は一時間休憩なしの素振り。一夏の鍛錬は順調に進んでいた。

 素振りでは鈴や簪たちの影をイメージしながら竹刀を振るっている。一夏は気付いていないが実はディフェンス技術だけでなく、観察眼も養う事ができていた。それは、鈴や簪の影をイメージする際に、実際の動きを観察して覚える必要があったからだ。

 

 まだ被弾は多い。しかし、着実な前進を体感していた。

 

(うげっ。今日も腕バカ痛ぇ……技術も身体も完璧にするんだったらほんとに数ヶ月は必要なんだな)

 

 今日も肩やら腹やらに湿布を付けて登校した一夏。教室のみんなにでかい声で挨拶をして、自分の席に座る。

 ちなみにみんなとは中学生の頃と同じテンションで接することにしたらしい。弾の言葉で吹っ切れたようである。

 

(ディフェンスっつってもガードするだけじゃダメだ。リズムが単調になっちまう。時折上体反らし(スウェーバック)とか上体屈み(ダッキング)みたいに回避も混ぜて……防御にもバリエーションを持たせる。今日からの特訓の目標はこれだ)

 

 昨夜の反省を、頭の中で反芻させた。

 毎晩、彼は一日の振り返りや反省をノートにまとめていた。そこで情報を整理したり、新しい課題や技のヒントを発見したりして、翌朝に再度まとめる。一夏にとって必要不可欠な日課であった。

 

 数分後、千冬と真耶が入室。朝のS(ショート)H(ホーム)R(ルーム)の時間だ。

 千冬が教壇に立つ。いつもなら簡単な挨拶だけだが、

 

「おはよう。今日は一つ知らせがある」

 

 今日は違うようだ。

 生徒一人一人に視線を送りながら、彼女は告げた。

 

「知っている者もいるだろうが、二週間後、フランスでイグニッション・プランが行われる」

 

 イグニッション・プラン。

 世界各国から技術者、IS企業、代表候補生が集結する年に一度のイベントのことだ。

 新しい量産機や装備のプレゼン、それらの試着試用運転、代表候補生どうしによる簡単な試合(ランキングには影響がないらしい)など。様々な交流を行い、界隈全体でIS事業をより活発にしていこう、と言うのが目的である。

 

「毎年我が校からは特別枠として二人が参加している。そこで今年も参加者を募りたいのだが……」

 

 千冬はちらりと一夏を一瞥した。

 彼の瞳は既にやる気で充実していた。何がなんでも参加してやる、と言う確固たる決意を感じさせる。

 そう来なくちゃ面白くない。千冬は少し口角を上げて、

 

「今年は織斑が既に参加者として選ばれている。そのため、申し訳ないが募る参加者は一名だけだ」

「え?」

 

 驚いたような声を上げたのは、何を隠そう一夏その人だった。

 それもそのはずで、まだ応募もしていないのに選ばれていたからだ。

 

「先生すみません。自分は応募した覚えがありませんが、どこで選ばれたのでしょうか?」

「イグニッション・プランに参加する会社の四十六社中、四十三社がお前の参加を要求してきた。もう言いたいことは分かるな?」

「……なるほど。自分のデータを取りたい、と?」

「そう言うことだ」

 

 織斑一夏は世界でただ一人の、男でISを動かせる人間である。

 その未知と可能性にまみれたデータは誰もが喉から手が出るほど欲しいものだ。解明できれば他の男でもISを動かせるかもしれない──つまり、ISの、()()()()()()()()()()()が向上するのだから。

 一夏は学生ながら、自分に在る価値をそれなりに理解しているつもりだ。

 

「人体データの受け渡し、のような形になるが学園(うち)に多額の寄付をしてくれてる会社も複数ある。流石に無視する訳にはいかなかった、すまない」

「いえ、自分も参加したいと考えていました。参加できて嬉しいです」

 

 てっきり面接や作文で選定されると考えていただけに、参加確定となったのは素直に嬉しい。

 イグニッション・プランでは世界中から精鋭が集まる。

 

 絶対に超えたいヤツらが、やってくる。

 

 今の自分がどこまで届くのか、どれだけ離れているのか、何が足りないのか。それを知るには絶好の機会。

 逃す手はまずない。

 

(イグニッション・プランは世界ランカーも集まる行事ですわ。一夏さんには良い刺激になるでしょうね)

 

 教室の後ろの方では、セシリアが不敵な微笑を浮かべていた。

 好敵手の更なる成長が楽しみで仕方ない。

 いつか来たる再戦の時。鍛え上げた一夏を試合でも勝負でも打ち負かすことは、今のセシリアの大きな目標だった。

 

(今年は本国の先輩方も参加するようですし、わたくしも足りない部分を補強しなくては。……負けてられませんわ)

 

 それから千冬が簡単な説明をして、SHRが終了。

 今週中に、成績を考慮したうえでの面接と作文で参加者を決定するようだ。

 

「織斑君と〜デートができちゃう〜」

「おりむーといっぱいスイーツ食べれる〜」

「フランスの観光地調べなきゃ」

 

 一組は騒々としていた。

 彼女らもIS学園の立派な生徒である。勿論参加するのなら相応のことを学びに行くつもりだが、それはそれとしてだ。

 ── 一夏と二人きりになれるチャンス! 仲を深めるチャンス!

 そう言った意味でも逃す手はまずない!

 乙女たちの恋心が真っ赤に燃える!

 

(……)

 

 騒がしい教室の隅っこ。

 箒は口を噤んで、窓から見える晴天の景色を眺めていた。

 

(一夏と一緒、か)

 

 彼の隣で夢を見届けたい。彼の隣で、共に歩み続けたい。

 友情だとか恋だとか、そう言う感情とは少し異なる。献身、とも違う。

 

(同じ景色を見て、同じように学んで、体験して、自分の力に変えれば……きっと一夏の隣を歩める)

 

 イグニッション・プラン。参加する人間は皆きっと、自分より高みにいるだろう。見ている世界のレベルが違うだろう。

 その差に自信を失うかもしれない。

 だが、彼女はあの時決心したのだ。

 

(今自分に出来ることを全力で……! 自分の言葉で熱意を伝えて、参加してみせるんだ!)

 

 頑張るぞ、と静かに気合いを入れた箒の隣に、一夏がのそっとやってくる。

 

「なぁ、箒」

「む、どうした?」

「あの……こう言うのってあんま言うべきじゃないかもしれねぇけどさ」

 

 一夏は他の人には聞こえないよう、小さい声で言った。

 

「俺、出来れば箒と一緒に参加したい」

「ふあ?」

 

 箒は耳を疑った。耳糞が詰まってて聞き間違えたんじゃないかとも考えた。いやでも耳の掃除は最近やったしそれはないかと思った。

 では今の一夏の言葉は何だったのか?

 咳払いして聞き直す。

 

「すまない、もう一度頼む」

「だから、出来ればその……箒と一緒に参加したいんだよ。イグニッション・プラン」

「正気か?」

「正気だよ! な、何かおかしかったかよ!?」

 

 まさか、一夏は私のことを……。

 脳内ピンク色の彼女の意識は今にもショートしそうだった。一気に赤色に染まった頬は、自分でも驚いてしまうほど熱くなっている。

 バレないよう、一夏からプイッと顔を逸らす。

 

「何故私が良いんだ? べ、別に誰でも良いだろう?」

「だってよ……一緒にいると落ち着くっつーか、なんか……力が湧いてくるって言うか。とにかく、俺、近くに箒がいて欲しいんだよ」

「────」

 

 必殺だった。

 一夏の放った言葉の全てが、箒のハートを打ち抜いた。もはや風穴だらけである。

 

 ただ、一夏には恋愛的な感情は何一つない。今の発言だって、学園に入学してから何度も箒に救われてきたが故に自然と出たものだ。

 挫けそうな時、悔しさに打ちのめされた時。彼女はいつも、隣にいてくれた。立ち上がる力をくれた。

 もう彼にとって、箒はただの幼馴染なんて枠に収まっちゃいなかった。彼女は大きな支柱であり、己の夢を直近で見届けて欲しい人になっていたのである。

 

「だからさ、その、勝手で悪いんだけど……出来たら……」

「任せろ」

「えっ、ぉ……あ、ありがとな」

 

 椅子から勢いよく立ち上がった箒。

 決意は覚悟に昇華していた。

 自分のためだけじゃない。自分を求めてくれた一夏の期待に応えるためにも。彼の隣を歩み続けるためにも。

 

(一夏がここまで言ってくれたんだ。絶対に参加してみせる!)

 

 闘魂、起爆。

 彼女だけの戦いが、幕を上げた。

 

 ◇

 

 イグニッション・プランの参加希望者は三十人を優に超えていた。

 今年の希望者は特に多いらしく、例年とは異なり二日間に分けて選定を行うこととなった。

 箒は二日目の選定に参加。急遽追加された簡単な試験と、例年通りの作文を終えて、今は面接の順番を待っていた。

 

(筆記試験は問題ない……作文も自分の思いを書けた)

 

 自分の書いた内容を振り返りながら、その時を黙って待つ。

 緊張していない、と言えば嘘になる。どんな質問が来るかも分からないし、自分の思いが百パーセント届くのかも分からない。

 剣道の試合とはまた違う。不安で、鼓動音が鳴り止まない。

 

 今の箒を一夏やセシリアが見れば、その弱々しい表情に驚いてしまうだろう。

 彼女はそれほどのプレッシャーと戦っていた。

 けど、誰よりも強い意志を伝えようと決心している。

 それほどの覚悟を、イグニッション・プランに懸けている。

 

(学園のアドミッション・ポリシーも覚えてるし、参加したい理由も言えるし……)

 

 言いたいことをもう一度整理していると、

 

「では次の生徒、入室を許可する」

「は、はい!」

 

 ドアの奥から聞こえた声の主は千冬だった。

 思わず大きな唾を飲み込んだ。ただでさえ不安なのに、相手が誰よりも厳しい織斑千冬と来た。恐怖すら感じた。

 

(いや、相手が誰であろうと気にするな。自分に出来ることを全力でやるんだ……精一杯熱意を伝えるんだ!)

 

 ノックして部屋に入った彼女は、途端に重くなった空気をその身で感じ取る。

 千冬と左右の教員二名が醸し出している圧力か。はたまた、怖気付いた自分が勝手に生み出した重さなのか。

 分からない。けど、ここまで来たのだ。もう後退りなどできない。

 先生の許可をもらい、椅子に腰を掛けた。

 

 名前と学籍番号を答えると、面接が始まった。

 

「早速だが、何故イグニッション・プランの参加を希望した?」

 

 腕を組んだ千冬からも、断じて視線を外さない。

 硬い握り拳を作り、彼女は答えた。

 

「私には目標があるからです」

「ほう? どんな目標だ?」

「友人の大きな夢を見届けたい────それに相応しい人間になりたいのです! このイグニッション・プランに参加して、沢山のことを学んで、自分を成長させたいのです!」

 

 ◇

 

 翌日の放課後、夕陽が西に沈みかけていた頃。今日も特訓を終えた一夏らはアリーナで解散した。

 全員ヘトヘト、特に一夏は息が上がりきっていた。皆、一日一日、己の限界を超えようと頑張っているのだ。

 

 ロッカーで着替えを終えた箒、セシリア、鈴、簪の四人は、雑談しながら寮へと戻る。

 

「セシリア、あんたちょっと太った?」

「はぁああああ!? 何を言っていますの!? ちゃんと摂生してますわよ!」

「さっき着替えてる時さ、なんか少しお腹出てたような気がするけど気のせい?」

「気のせいですわよ! こんなに運動して逆に太る訳ありませんわ!」

 

 セシリアと鈴はいつもこんな感じらしい。

 犬猿の仲、ではない。鈴のいつだって表裏のない真っ直ぐな態度が、セシリアをも素直にさせているだけだ。仲が良いからこそ出来るノリ、である。

 

「セシリアさんごめん……私この前、セシリアさんが購買でお菓子いっぱい買ってるの見ちゃった」

「なっ、ななな、何を言っていますの簪さん」

「そう言えば最近、セシリアは昼食の後いつも購買に行っているなぁ?」

「箒さんまで……そ、それではまるでわたくしがお菓子の食べ過ぎで太ってるような言い方ではありませんか」

 

 簪と箒の証言に、動揺を隠せないセシリア。

 彼女へ、ニッコニコの鈴がトドメを刺しにかかった。

 

「実はあたし見たのよね〜、セシリアが食堂の隅っこでプリン四つくらい食べてたの」

「……」

「本当か? プリンを四つも……なんてことを」

「これは有罪(ギルティ)

 

 セシリアは完全敗北した。

 証言は全て正しかった。否、一個間違えているとすればプリンは四つではなく五つであった。

 

「仕方のないことですわ! 日本のスイーツが美味しすぎますのよ!」

「な〜にが摂生よ、全くできてないじゃない」

「のほほんさんに誘われて……一個だけならと思いチョコレートのお菓子を食べてしまったのが全ての始まりですわ。最後までチョコたっぷりなんて美味しいに決まってますわ」

「本音は何故か太らないからズルい」

 

 一組の『のほほんさん』こと布仏本音(のほとけほんね)はクラスのムードメーカーであり、ゆるキャラのようでもあり、簪とかなり仲の良い人物である。

 あーっ、と箒は思い出したように、

 

「のほほんさんも毎日購買に行っているな……アレはお菓子を買っていたのか」

「セシリアならまだしも、その『のほほんさん』はどっから金湧いて来んのよ」

 

 なんてやり取りをしていると、目の前の角から突如千冬が現れる。

 瞬間、全員がビシッと背中を伸ばした。鈴は鬼のような千冬が昔から苦手らしく、表情がガチガチになっている。

 

「おっ、見つけたぞ篠ノ之」

「え? 私ですか?」

「あぁ。これを渡しておく、しっかり読んでおけ」

「は、はい」

 

 千冬からそれなりに分厚い角形二号封筒を渡される。

 中身が一体何なのか、箒は皆目見当もつかなかった。そのせいで変に緊張してしまう。

 

「何よそれ?」

「わ、分からん。こればかりは本当に分からん」

「もしかして機密文書」

「そんな訳ありませんわよ」

 

 簪にツッコミを入れたセシリアは、とりあえず開けて中身を見ることを提案した。

 こくりと頷いて、箒はゆっくりと開封。中は冊子と紙複数枚。余計に何なのか分からなくなる。

 ただ、周りに見られるとまずい物ではないはずだと思った。千冬はそう言った類の物を渡すときは、しっかり周りの状況に配慮してくれる。みんなの前で渡したと言うことは、別に見られても問題ない物だろう。

 

 箒はみんなの前で、紙を見ることにした。

 

「過去にイグニッション・プランに参加した先輩からのメッセージ……え?」

 

 呆気に取られたような声を漏らして、もう一枚、紙を取った。

 『イグニッション・プランの日程』。

 それとは別の紙を、もう一枚取った。

 『熱意と意欲がよく伝わった。胸を張って行ってこい』と千冬の手書きのメッセージ。

 

「……これは」

「もう一人は箒さんでしたのね! 嬉しいですわ!」

「おめでとう、今年は希望者沢山いたって聞いてた」

「良かったじゃない。アタシは今年初参加だから何も言えないけど」

 

 みんな、友人の参加を自分のことのように喜んでいた。

 イグニッション・プランは各国からISに関するエキスパートが集結する、その道の人間にとっては最高峰のイベントの一つである。

 彼女は、篠ノ之箒はその最高峰の舞台に立てると言うのだ。

 沢山のエキスパートと……一夏と同じ世界を見られると言うのだ。

 

 この学園の代表として。

 

「しかもこれ多分千冬さん手書きでしょ? あの人がこんなことするなんて結構意が……箒?」

「……ぅ……ぅぐ」

 

 熱意を、目標を誰かに認めてもらえる。

 それが、こんなにも嬉しいことだったなんて。

 全力で頑張った結果、少しだけかもしれないけど、前に進める。

 それがこんなにも、こんなにも嬉しいことだったなんて。

 

 セシリアが箒の肩に手を当てた。

 

「一緒に頑張りましょう」

「うん……うん……!」

 

 鈴と簪も口を綻ばせて、肩を振るわす箒を見守る。

 五月の終わりにしては暖かな風が吹いた。オレンジと藍色の混ざったような空では、星が小さくだけど、きらきら光っていた。

 

 ────篠ノ之箒、イグニッション・プラン参加決定!




感想、評価、お気に入り登録、しおりの移動などなど……いつもありがとうございます。
励みになっております。

一夏たちは特訓ばかりじゃなく、週1、2くらいで休養日を作っています。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

20話 イグニッション・プランへ!《後編》

挿絵ありとオリキャラ登場のため初投稿です。


 遂に二日後に開催されるイグニッション・プラン。

 IS学園からの参加者は一夏と箒、セシリアに鈴、簪。それから二年生のフォルテ・サファイアに、三年生のダリル・ケイシーの計七名。

 快晴に恵まれた六月九日、彼らは成田空港にいた。開催地のフランス・パリへは、学園が借りた大型チャーター機で行くらしい。

 一体いくら掛かってんだよ……と値段を調べた一夏は目を丸くした。それを隣でまぁそんな程度でしょうね、とか軽く流してたセシリアにもっと目を丸くした。

 

 三日間をフランスで過ごすことになる彼らは、一日目を現地で過ごして、二日目と三日目にイグニッション・プランに参加する予定だ。

 学園から空港までのバスの中では、一日目の過ごし方で大いに盛り上がった。みんなでエッフェル塔で写真を撮ろう、とは一夏の提案で、全員がノリ良く賛成した。

 

「皆さーん、忘れ物はないですよね?」

 

 今年の引率教員は学園で『上から読んでも下から読んでも同じ名前』としてお馴染みの、山田真耶。

 三年連続で参加しているダリル曰く『間違いなく今年は超絶大当たり』だとか。

 ピシッと挙手したフォルテはツッコむように、

 

「先生、今更確認は遅いと思うっス」

「流石に遅すぎるだろ! これだから真耶ちゃんおもれーんだよなー!」

「だ、だから真耶ちゃんはやめてください! 私だって先生なんですよ〜!」

 

 ダリルの呼び方に、真耶が顔を赤くしている。

 彼女ら三人のやり取りを、キャリーバッグに体重を預ける一夏はぼけーっと眺めていた。

 

「すげぇよなあそこ三人、朝から一生テンション高ぇぞ」

「流石は先輩方だ。私とは心の余裕がまるで違う……参考になるな」

「箒ぃ、あんたはあんたでなんか硬すぎんのよ。勉強も大事かもしんないけど、楽しめる時は思い切り楽しまなきゃ損よ?」

 

 生来の真面目さのせいか、箒は学園の代表として参加することに責任を感じていた。

 そんな箒の肩の力を抜いてやるように、鈴は軽い声音で、

 

「折角タダでパリ行けるんだしさ、一日目くらい勉強なんて忘れましょーよ」

「し、しかしだな。やはり選んでもらった以上はこう……真面目にと言うか……遊びに行くような感覚で行くのは少し気がひける」

「ふ〜ん」

 

 相槌を打った鈴は、小さな声で箒に耳打ちする。

 

「じゃぁあたし一夏と二人でどっか行こーっと」

「……ならば私も思いっ切り楽しむことにする」

 

 箒と鈴は友達だが、恋敵でもある。互いに立ち位置や関わり方は違えど、彼の事を好きな気持ちに差はない。

 ちょっとでも彼との時間を楽しみたい思いも同じだ。

 

「一夏、パリではいっぱい楽しもう」

「お、おう……鈴、お前今何言ったんだ? 一瞬で箒の人が変わったぞ」

「アンタには一生分かんない言葉よ」

 

 三人の側では、セシリアが(超高級)腕時計にチラチラ目をやっていた。

 

「そろそろですわね、もう一人の代表候補の方が来るのは」

 

 今回のイグニッション・プランには日本から代表候補が二名参加する運びとなった。

 一人は簪で、もう一人は今年の春のIS学園卒業生。特にダリルは、彼女とは先輩後輩の関係で親しい仲のようだ。

 

「簪さん、今回来られる方はどんな方ですの?」

「言葉で表すのは難しい。ふわふわしてる感じの人……って言えばいいのかな? でもみんなには凄く尊敬されてる。私も尊敬してる」

「なるほど。お会いするのが楽しみですわ」

 

 やがて五分もしないうちに、件の日本代表候補が姿を現した。向こうからIS学園の集団を見つけた彼女は、片手を振りながら歩いて来る。

 

「おーいみんな〜、私がやってきたゾ〜」

 

 灰色の髪を腰まで伸ばした彼女は、全く緊張感のないラフな服装をしていた。

 歪な形の、鉱石のような青い破片をチャームとしたペンダントが一同の目を引く。

 そのまま視線は日焼けのない白い肌へ。

 真耶と同じくらいの身長に控えめなボディライン。抑揚のない声と若干垂れた目が、彼女に緩い雰囲気をもたらしている。

 

【挿絵表示】

 

 

 初対面だが、一夏は彼女を知っている。

 

(日本四位、入間(いるま)優香(ゆうか)さん……!)

 

 彼女もまた超えたい人の一人だ。

 一夏の闘争心が静かに着火する。

 

「おっす先輩! お久しぶりっす!」

「久しぶりだナー、相変わらずフォルテとは仲良いのカー?」

「うっす。最近一周年迎えました」

「まじカ」

 

 ダリルが嬉々として優香と挨拶を交わす。

 一夏らも続いて挨拶しようとしたが、

 

「お久しぶりです、入間さん」

「────え?」

 

 その声を聞いて、優香は驚愕を隠せなかった。

 

「や、山田先生?」

「はい! 今年は私が引率ですから、よろしくお願いしますね」

「うわぁあああああ! 久しぶりなんだナ!」

 

 まるで母親との再会を果たした子どものように、優香が真耶の胸元に飛び込んだ。真耶は優しく迎えて、ぎゅっと抱きしめる。

 

「元気でしたか?」

「うん、うん! 先生のおかげなんだナ!」

 

 追いつけない光景に固まるしかなかった。二人を見つめながら一夏は困惑した声で、

 

「ど、どう言う展開?」

「山田先生と相当仲が良いみたいですわね……」

「まぁ学園で三年間過ごしてんだから、先生とアレくらい仲良くてもおかしくはないわよ」

 

 感動の再会(?)の邪魔にならないようにひそひそと話していると、優香が彼らの方に振り向いた。

 

「初めましてだナ。私は入間優香、ぴちぴちの十八歳だゾ。ザッシーは久しぶりだナ」

「ざ、ザッシー? 誰のことだ?」

「私のこと……(かんざし)の『ざし』から取ってるらしい」

 

 箒にそう答えた簪は、あだ名を付けられていることに満更でもない顔をしている。

 

「っで、そこの男子が例の織斑一夏だナ?」

 

 やっと真耶から離れた優香に聞かれて、一夏は自己紹介も兼ねて答えようとした。

 ところが声は遮られる。

 

「違うっすよ先輩。コイツはエロガキっす」

「な、何ィ! お前織斑エロガキって名前なのカ!?」

「違いますよ! 最初ので合ってます! 織斑一夏です!」

「そっカ。織斑先生の弟って聞いてたけどまさか下の名前がエロガキだとはナ」

「コイツいつも女連れ回してますからね。名は体を表すとは正にコイツのことっすよ」

 

 ダリルと優香の連携に、一夏は訂正を諦めて黙り込む。多分この人らには何言ってもダメだと判断した。

 セシリアたちの哀れみの視線がやけに痛い。痒いとかじゃなくて痛い、肌に突き刺さってる。

 

「ま、冗談はこの辺にしテ。エロガキも立派なIS乗り、しかも専用機持ちなんだロ?」

「は、はい」

 

 冗談続いてんじゃねぇかよ、と内心で突っ込んだのは秘密。

 すると優香は、品定めでもするかのようにじーっと一夏を見つめる。

 その瞳と佇まいから放たれる、戦士(ファイター)としてオーラ。確かめて、彼女はふ〜んと唸った。

 

「ザッシーが負けたってのは信じられないけど、実力はちゃんとあるっぽいナ」

「……俺が簪に勝ったこと、知ってるんですか?」

「代表候補の中じゃもう有名な話だゾ」

 

 すかさず簪が説明を加える。国家代表候補はIS学園での試合結果を、チームに逐次報告する必要があるらしい。

 セシリアとの決闘のような非公式な試合はまた別だが。

 自分より上の順位の簪を倒した少年に、優香は興味を抱く。

 

「お前と戦ってみたいナー」

「俺も……どこかで手合わせ出来たらと思います」

 

 それは一夏も同じだった。

 燻る闘争心を隠しきれず、抑えきれない。澄んだ瞳は熱を宿し、相棒が眠る右手は鉄塊の如く硬く握られている。

 付き合いの長い箒とセシリアは、彼から溢れたその闘争心の欠片を見逃さなかった。

 一触即発──とはならなかった。視線をさらりと受け流すように優香が笑う。

 

「ま、お前がプロ選手になったらいつか戦えるはずダ。私が結婚して引退しないうちにプロになってくれよナー」

「……彼氏さん、いらっしゃるんですか?」

「いねぇヨ。あっ、もしかして今私のこと狙ったナ? これだからNTR(寝取り)考えるエロガキは困るんだよナ」

 

 考えてねぇよ!!! と一夏は怒り狂いそうになった。人の嗜好を否定する気はないが、彼は百パーセント純愛派である。

 

「ないわ、一夏。流石にない」

「見損なったぞ」

「いや待って俺は完全じゅんあ……」

 

 一夏が振り向くと、幼馴染二人に冷たい目で見られていた。その冷たさには軽蔑も多分に含まれている。

 箒も鈴も純愛派らしい。本来なら、本来なら分かり合えたはずだったのに。

 

「簪さん、NTR(寝取り)ってなんですの?」

「自分も聞きたいっス」

「……語らねばなるまい。二人にも教えよう、NTRの全てを」

 

 あと向こうではなんか授業が始まった。真耶もちゃっかり参加している。

 どうしようもない状況に、一夏は馬鹿みたいにでかいため息を吐いた。

 

「滅茶苦茶だよ……」

「お前も大変だナ」

「何他人事みたいに言ってんすか」

 

 十五年生きてきた一夏だったが、初めて他人に対して忌々しさを覚えた(まぁ当然である)。

 

 それから更に時間が経ち、出発の時間となった。

 いよいよ日本を立つ。

 目的地はフランス・パリ。フライト時間は約十三時間。

 

「皆さん、時間です」

 

 真耶の一言は、それまで談笑に耽っていた少女たちを一瞬で戦士の顔に変えた。

 弛んでいた空気が一気に張り詰める。

 一夏と箒はその急激な変化に緊張感すら感じた。思わず背筋を伸ばし、息を呑む。

 

「皆さんは国家代表候補、織斑君と篠ノ之さんは学園の代表です。常に恥のない行動を心掛け、イグニッション・プランでは沢山のことを学ぶつもりで行きましょう」

「「「はい!」」」

 

 一際大きな返事をしたのは一夏と優香。例え技術や経験が劣っていようとも、一夏は気合いだけは誰にも負けないつもりだ。

 真耶が先頭となり移動。青空の下に出た彼らを迎えるのは、白色の大型チャーター機。

 逞しい両翼を携えたそいつは、無限にも思えるような大空を飛行する、人智と科学技術の結晶だ。

 

(いつか白式で……このそらを……)

 

 一夏が白い翼に目を奪われていると、肩にぽんっと手を置かれた。

 耳元にはダリルの顔。

 

「エロガキ、お前さっき先輩に『いつか手合わせしたい』っつったよな?」

「はい。日本ランキング入りが当面の目標ですし」

「……気をつけろよ」

 

 先頭の方にいた優香がチャーター機へ続く階段を登る。

 ゆっくりと上がっていく彼女の背中を眺めつつ、ダリルは声音を一つ落とした。

 

「あの人、ああ見えてマジで強ぇぞ」

「────ッ」

 

 言い残すと、ダリルもチャーター機へ搭乗する。

 いつもみたいなふざけた冗談(ジョーク)じゃない。直感で分かる。

 今の一言は、間違いなく、()()()()()()()()()の言葉だ。声の重みがまるで違った。ずっしりと、押しつぶすかのように全身にのしかかってきた。

 

(油断してた訳じゃない……けど、雰囲気に騙されてたかもしれねぇ)

 

 ダリル・ケイシーをもってすら『強い』と言わしめた優香の実力は、肩書きが証明している。

 国内四位の日本代表候補。

 その肩書きから想像される険しい背景。その肩書きを手に入れるまでに得たであろう無数のもの、背負ったもの。

 創造(イメージ)し、高い壁を見上げた。

 

(あの人だって今まで沢山のものを積み上げてきた戦士(ファイター)なんだ。強いに決まってるじゃないか!)

 

 だからこそ。

 走り出したばかりの挑戦者である彼は、己に在るものを熱く滾らせる。

 

(超えたい。優香さん……だけじゃねぇ、これから出会う強い人たち全員を超えてみせたい!)

 

 滑走路を踏み締めるように歩む。

 向かう先には、世界中から自分より強いヤツらが集結している。技術も経験も精神も、彼女らにはまだまだ及ばないだろう。

 しかし世界最強を目指すのならば、宇宙(そら)を飛びたいのなら。そいつらだって超えなくちゃならない。

 

(このイグニッション・プランを血肉にできれば俺はもっと成長できる。操縦者としても、人としても! ありったけを学んで吸収するんだ!)

 

 決意をより強固にして。

 各々が目標を胸に、フランスへと出発する。

 

 ◇

 

 機内では色んな出来事があった。

 一夏が簪と優香に対戦ゲームでボコられたり(二人とも弾と同じキャラを使っていた模様)、セシリアがずっと簪の携帯端末で某超一流スナイパー兼暗殺者が主人公の漫画を読んでいたり。箒と鈴、真耶の三人はトークで盛り上がり、ダリルとフォルテはいちゃついていた。

 

 そんなこんなで、波のような夕焼け雲を頭上に、シャルル・ド・ゴール国際空港に到着。

 

「凄い……空気が全然違う」

 

 初めて海外に訪れた箒の独り言に、一夏が頷いた。確かに、日本とは異なる。その地に対して明確な目的があるからか、呼吸するたびに、心が躍るのだ。

 既に幾つかの代表候補チームも現地入りしていた。周辺にはどうどうと国旗をエンブレムにしたチャーター機が止まっている。

 

「やっと来たな〜、待ちくたびれたぞ」

 

 滑走路に降りた一行を見つけると、スーツ姿の女が真っ直ぐに歩いて向かってきた。肩に担がれた大きなバッグからは、何らかの機材がはみ出ている。

 早速生徒を狙う不審者ですか!と真耶が構えたが、

 

「うわっ、まぁぁぁたあんたかよ〜」

「またかヨ」

「おいコラ二人揃ってまたとか言うんじゃねぇよ」

 

 ダリルと優香は、その女と知人らしい。

 女は真耶の後ろに群がる一夏らを確認すると、人数分の名刺を取り出し、一人一人に渡していく。

 

「初めまして。月刊インフィニット・ストライプスの記者やってます、巻紙礼子です」

 

 一夏含めみんな良く知る『インフィニット・ストライプス』。IS選手らや大会・試合の結果、武装や新機体などを特集する、IS専門のスポーツ雑誌である。

 これも、ISが表舞台において、『兵器』ではなく『スポーツ』として広まった結果生まれたものの一つだ。

 

「巻紙さんよ〜、まさかまた俺の取材すんじゃないでしょうね?」

「するに決まってんだろ、お前の女性ファンがいつも特集組めってうるせぇからよ。今日の夜空けといてくれよな」

「はぁああもうマジ無理何度目だっての。っつか特集するなら俺とフォルテのラブラブ生活の方が良いでしょ、重版確定っすよ?」

「ごめんそれはいらんわ」

 

 巻紙がダリルの冗談を軽くあしらう。ちなみにダリルの隣ではフォルテが真っ赤になった顔を隠していた。

 どうやら巻紙の興味は一夏にあるようだ。彼女は一夏との距離を一歩詰めて、

 

「君が織斑君だよね」

 

 一夏が肯定すると、巻紙は丁度良かったと呟いた。元々、近いうちに学園に赴こうと思っていたそうで、

 

「今回ウチで君の特集も組もうと思ってんのよね」

「自分のですか?」

「うん。なんたって君は世界でたった一人の男性IS操縦者だからね。ウチに、と言うかISそのものに男性ファンを取り込むチャンスって訳よ」

「そ、そんな……自分はまだプロでも無いですし」

「まーまーその辺も含めて色々インタビューさせて貰うよ。んじゃ今晩空けといてねー」

 

 敬遠する一夏に無理やり予定をこじつけると、巻紙は他の選手を探しに行った。

 イグニッション・プランはIS関係者だけでなく、記者にとっても一大イベントだった。

 

「アンタも超有名人って訳ね」

「俺自身で掴んだ名声じゃないけどな」

 

 ◇

 

 学園が予約したホテルは二人一部屋なのだが、とんでもなく広い造りだった。二人では勿体無いほどスペースが余ってしまう。

 一夏は立場上一人になれず、真耶と同じ部屋になった。寮では一人部屋故に、最初こそ異性と過ごすことに対してドキドキしていたが『いや自分のために同じ部屋になってくれた人に対して失礼じゃね、しかも相手は先生だぞ』と思うと不思議といつもと同じような落ち着きを取り戻した。

 

 時刻は午後九時半。空港での約束通り、一夏のインタビューが行われることになった。

 

「あの〜、えっと……」

 

 入室した巻紙は、目の前の光景に言葉が出なかった。

 それもそのはず。

 

「シャンゼリゼ通りはどうよ? ショッピングもカフェもできそうじゃない?」

「ありだな。散策もできるし、そのまま色んな所にも行けそうだ」

「俺ルーヴル美術館行きてぇ。美術館行ったことねぇし」

 

 ベッドに腰を下ろした箒と鈴、一夏の三人は携帯で観光地を調べながら明日の予定を立てていて。

 

「……!」

「……!」

「うぉ!? すげぇな今の超かっけぇ!」

「うるさいっスよ先輩。こう言うのは“心”で叫ぶもんなんスよ」

 

 セシリアと簪、ダリルとフォルテは四人並んで、ノートPCでアニメ映画を視聴中。

 

「どうやったらあがり症って治ると思います?」

「先生はいつも真面目すぎるんだナ。もうちょっと気軽に物事を考えても良い気がするんだナ」

 

 真耶と優香はハーブティーを飲みながら雑談していた。

 

 一室に現旧学園メンバー全員が集結しているのである。いくら広大な部屋と言えど、計九人は流石に密度が高かった。

 とりあえず部屋に入った巻紙は困ったように頭を掻く。

 

「す、すみません。あの、織斑君にインタビューしたいんだけど」

「ちょ巻紙さん静かにしてくださいよ。今いいとこだから」

 

 映画視聴中の(よりにもよって今うるさかった)ダリルに文句を言われ、巻紙は額に青筋を作った。

 

「このガキャッ」

「そんな短気だから巻紙さんは彼氏出来ないんだナ。あ、でももう二十八だから旬も過ぎてるのカ。おいおい救いようがないナ」

「それはちょっと本気で悲しくなるからやめろ」

 

 優香の追撃が、巻紙の気にしてた部分を蜂の巣にする。もちろん、付き合いが長い故に出来るやり取りだが。

 一夏はとりあえず話し合いに一区切り付けて、巻紙に訊ねる。

 

「すみません巻紙さん。インタビューされるの初めてなんですけど、これからどうすれば良いですか?」

「あー……もう良いやこのままやろうか。その方が君も自然体でいれるでしょ」

 

 巻紙は記者だ。嘘偽りのない、ありのままを読者に提供することが彼女の仕事である。

 変に緊張されたり硬い言葉を使われるよりも、普段と同じである方が彼女にとってはありがたかったりする。

 

「んじゃ早速始めようか。分からない事とか知らない事も素直に答えてくれれば良いからね」

「了解です、お願いします」

 

 わちゃわちゃした部屋でのインタビューが始まった。

 巻紙の質問は実に巧みだった。性別と名前を聞くと言うふざけた質問から入ることで一夏をリラックスさせると、そのまま学園での生活についてを聞く。

 学食は何が好きか。得意な科目は何か。答え易い質問から徐々にプライベートの話を引き出す方法は、長年の経験で培われた取材テクニックの一つだ。

 

 やがて内容はISのことになる。

 巻紙のメインはこちら。今までの質問は、インタビューに慣れさせるための、言わば下地作りに過ぎない。

 この頃になると、みんな、一夏の回答を静かに聞いていた。

 

「専用機の白式はどう?」

「……本当に凄いです。性能もそうですけど、コイツに乗ってると凄い心強くて。いつも色々助けられてます」

 

 試合と鍛錬の日々を振り返り、一夏はそう答えた。心の中で改めて、相棒に感謝する。

 

「プロにはなりたい?」

「そうですね、もっと力を付けたらなりたいです」

「え〜、そこは今すぐじゃないの?」

「正直言うとすぐになりたいです……でも自分はまだ、プロの厳しい世界で戦えるほど強くないので」

「ふーん。まぁ期待してるよ」

 

 多くの国家代表候補クラスのプロに見守られながら、インタビューは続く。

 巻紙はノートに一夏の回答をメモしつつ、

 

「……、ISは、好き?」

 

 その問いに、考える時間は要さなかった。

 

「もちろん好きです、大好きです!」

 

 一夏は前のめりになっていた。

 多くの人間を見てきた巻紙はすぐに理解した。この少年は、本当に、心の底からISが好きで好きで仕方ないのだろう。

 無邪気な子どもみたいに煌めかせた瞳が何よりの証拠だ。

 仲間のその回答を聞けてセシリアたちも頬を緩ませる。が、静かに、しかし誰よりも喜んでいたのは山田真耶だった。

 自然と、笑みが溢れた。生徒が自分の教えている物を好きでいてくれた──教員として、これ以上に嬉しいことはない。

 

「……そっか。立場上仕方なくやってるとかじゃ無いんだね」

「はい。むしろISを動かせる立場に感謝してます。乗れる理由は分からず終いですけどね」

「分かったよ。じゃぁ最後……このイグニッション・プランにかける意気込みは?」

「まだ未熟者の自分ですが、今日こうして沢山のプロたちと同じ舞台に来ることができました。胸を借りる……いや、違いますね。来たからには誰よりも成長できるように、全力で頑張ります!」

 

 一夏の熱意に、好敵手たちの笑みが不敵なものに変わる。

 あぁそうだ。彼はいつだって全力で真っ直ぐに、体当たりで挑んでくる。きっと今回だって。

 油断していたら簡単に追い抜かれてしまうだろう。

 意地と誇りを持つ少女たちは言葉こそ出さずとも、気を一層引き締めた。

 箒も今一度ここに来た意味を再確認する。彼に、みんなに置いていかれないように。

 

 未来ある少年少女の姿に、巻紙は小さな綻びを見せた。

 

「良い気合だね……うん、ありがとう。インタビューはこれでお終いね」

「ありがとうございました!」

 

 巻紙は仕事を終えると、次の選手の取材があるからと足早に出て行った。

 

「ったく〜カッコつけすぎなのよアンタは」

 

 やっと喋って良い空気になって、鈴が真っ先に一夏を小突く。

 

「初めてで良く分かんなかったんだけど、やっぱもうちょい硬めっつーか、謙虚な感じの方が良かったかな?」

「今くらいで良いと思いますわよ。特にあなたの記事を読む読者層は男性が多そうですし」

「私も嫌いじゃない」

 

 セシリアと簪の感想を聞いて、一夏は少し安心した。

 彼の隣にいた箒も、意志を表明するように、

 

「私もお前と同じ考えだ。明後日からは共に頑張ろう」

「おう。お互い沢山学べることがあるはずだしな」

 

 ベッドから立ち上がると、背中をぐーっと伸ばして一息吐いた一夏。

 喋り続けたせいか、喉が水分を欲していた。

 

「俺ちょっと喉渇いたしジュース買ってくるわ。みんなはなんか欲しいのある?」

「あたしコーラ」

「私は午後ティーだナ」

「いや先輩午後ティーはねぇっすよ。俺は水で」

「自分も水お願いするっス」

「りょうかーい。入間さんのは適当に買っときますね」

「サンクスナ」

 

 財布を持ち、賑やかな空間を抜ける。

 確か自販機は右通路の奥にあった気がする。

 フランスの自販機ってどんなんだろう、と一夏は考えながらドアをガチャリと開けた。

 

「わっ!」

「え、あっすみませ……ん?」

「ほう。織斑一夏のお出迎えと来たか」

 

 一夏は見た。

 一人は長い金髪を後ろで結んだ、華奢な少女。アメイジストのような瞳にシャープな鼻筋の彼女は、一瞬男の子に見えてしまうほど中性的な見た目をしていた。

 もう一人は銀髪を腰まで伸ばし、左眼に眼帯を付けた少女。鈴よりも更に一回り背丈の低い彼女は、しかし見事に太い芯の通った佇まいをしている。その紅の右眼は、シルエットから想像もつかないほどおっかない鋭さを有している。

 

「どうも……こんばんは」

「こ、こんばんは」

「こんばんは」

「……えっ、えぇ?」

 

 困惑に困惑が重なり、一夏は唖然とするしかなかった。

 これがただ偶々出会い頭でぶつかりそうになった人なら、そこまで気にすることはなかっただろう。

 しかしこれはどうしても無視できない。

 いや無視して良い奴じゃない。

 

 なぜならその二人は、自分と同じIS学園の制服を着ているのだから。




ほんまに登場人物多くてすみません。
金髪のアイツはオリジナル設定がかなり入ります。

今後も数人ほどオリキャラを出す予定ですが、いずれも挿絵ありで考えています(不評でしたら挿絵は無しで行きます)。
よろしくお願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

21話 イグニッション・プラン開幕!

風を追いかけ夢を叶えてダンシングインザスカイして初投稿です。
ISの曲どれも良すぎですわ。


「先生先生!」

「どうしました織斑君!?」

 

 一夏は叫びながら部屋に戻り、真耶に状況を伝える。

 全くもって理解不能な、その状況を。

 

「部屋の前にIS学園の生徒がいます!」

「何言ってんの? 学園のメンバーはここにいる人だけだけど?」

「いやマジだってほんと嘘じゃない! 今そこにいるから!」

 

 変な目で見てくる鈴に、彼は扉を指さして答えた。が、その興奮具合とは真逆に、室内が静まり返る。

 あまりに一夏がおかしくて、はぁ、と鈴は訝しげな顔でベッドから立ち上がる。

 

「まぁあんたのことだし、どうせ実はゴキブリでしたーとかでしょ? はいはいあたしが引っかかってあげるから」

 

 面倒くさそうに扉に向かい、ガチャリと開けて外を確かめた鈴。

 ぺこっと頭を下げると綺麗に九十度回転。そのままスタスタと帰ってきた。

 

「ほんとに誰?」

「だろぉ!? 鈴もわかんねぇよな!?」

「知らないわよあんな金髪の人とと銀髪の人! まさか荷物に紛れ込んできたとか!?」

「お、落ち着いてください!」

 

 騒ぐ一夏と鈴をなだめて、真耶はこほんと咳払いした。

 

「実はみなさんにはサプライズでお伝えしようと思ってたんです」

 

 前置きすると、彼女は外の二人を出迎える。

 新たに入室してきた二人は、まだ誰も見たことのない人物だった。鈴の言った通り、片方は金髪を一つ結びにした少女。もう片方は背丈の低い、長い銀髪の少女。

 セシリアやダリルたちも『どう言うことだ』と、真耶に目で問う。

 

「こちらの二人は本日付でIS学園に転入する一年生です。ではお二人とも、自己紹介をお願いします」

 

 真耶に促されると、先に金髪の少女が口を開いた。

 

「は、初めまして。僕……はシャルロット・デュノアと言います。イグニッション・プランではフランス代表候補として参加します、よろしくお願いします」

「ラウラ・ボーデヴィッヒだ。ドイツ軍に所属しているが、明後日からはドイツ代表候補として参加する。入学の処理が遅れたためこのような形での参加となった、よろしく頼む」

 

 一瞬、全員がフリーズした。

 あまりにも急すぎる展開。と言うのも、彼女らは転入生の存在など何一つ聞かされていなかったのだ。

 しかも転入生は二人揃って国家代表候補──特に同じヨーロッパ圏のセシリアとフォルテにとっては顔見知り──と来た。驚くな、と言う方が無理な話である。

 まぁ、真耶の言葉から察するに、敢えて秘密にされていたのだろうが。

 

 流石に静まり返ったままはまずい、と判断した一夏は、咄嗟に歓迎の空気にしようと拍手した。

 

「シャルロットさんにラウラさん、初めまして。織斑一夏です。呼ぶ時は一夏で良いぜ……あっ、(ワン)(サマー)でも大丈夫だぜ! よろしくな!」

「うん、よろしくね、一夏。わ……僕もそのままシャルロット、で大丈夫だよ」

 

 シャルロットがニコッと笑って返事を返す。

 二人とも仲良くなりたいな、と思ったその時。

 一夏は、見た。

 

 シャルロットの隣。

 ラウラが僅かに目を細めて、自分を睨んでいた。

 

(な、なんでいきなり睨まれてんだ、俺?)

 

 鍛えられた観察眼が、感情をも読み取ってしまう。

 ラウラのその刃物のように鋭い視線には、嫌悪が内包されていた。

 恨みを買った覚えは何一つない。そもそも出会ってまだ五分も経っていないのだ、恨まれることなどあるはずがない。

 

 セシリアたちが二人に向けて自己紹介を始めると、一夏はチラリと二人の様子を伺う。シャルロットは終始物腰の低い笑顔で挨拶を返している。ラウラは……無表情だが、簡単に挨拶を返している。

 

 確信する。

 

 自分は、ラウラに嫌われている。

 

(どう言うことだ、何か怒らせちまったか? もしかして最初の対応がまずかった……ドイツだと失礼に当たる仕草をしてしまった、とかか?)

 

 別に嫌われるのは構わないが、誤解があるのなら解決しておきたい。

 無言で思考を回す。あらゆる可能性を考慮するために、自分が彼女の前で行ったことや、彼女と自分の接点を洗いざらい弾き出していく。

 

(ラウラさんはドイツ軍所属でしかも代表候補なんだよな……。ドイツ軍、か)

 

 想起されたのは、埃を被った昔の記憶だった。

 

(そういや千冬姉、一年間だけドイツの軍隊に行ってたことあるよな? 理由教えてくれなかったけど……)

 

 一夏が中学生の頃、千冬は理由も告げずに、突如ドイツ軍の教官に着任したことがあった。

 生まれた時から千冬とずっと二人で暮らしてきた一夏は、その一年間だけ一人で過ごすこととなった。おかげで家事全般をある程度こなせるようになったのだが、今振り返ってもおかしい部分が多々ある。

 

(千冬姉はあん時まだIS選手だったはずだ。それがいきなり『仕事だ』っつって軍隊の教官になるか?)

 

 しかも日本に帰ってきたら、今度は引退と来た。

 第一回モンド・グロッソ王者(チャンピオン)────つまり初代世界最強(ブリュンヒルデ)の突然の引退は、世界中を驚かせた。

 圧倒的強さだった千冬はISの黎明期において、正に『象徴』そのものだった。故に、彼女が引退したことで出来た穴は非常に大きかったようで、引退が突然だったことも相まって世間からは『ISも終わりなのでは?』と囁かれたこともあったそうだ。

 

(……いや、それと俺がラウラさんに嫌われることに何の関係があるんだ? やっぱりわかんねぇよ……)

 

 二つの事象がどうしても結び付かない。論理的な接続ができない。

 何かを見落としているかもしれない。一夏はさらに視野を広げて考えようとしたが、

 

「明日は自由行動です。皆さん、是非二人と仲良くなってくださいね!」

 

 真耶が締め括った。いつの間にか全員の自己紹介が終わっていた。

 思考から現実に引き戻された一夏は、埒が明かないのもあって、それ以上を考えるのはやめた。

 

(ま、本人に聞いてみれば良っか。普通に俺の勘違いって可能性もあるしな)

 

 早速、鈴やダリルが二人に話しかけている。

 彼女らのフットワークの軽さにビックリつつも、一夏もまずはシャルロットとコミュニケーションを取ろうとして、

 

「おいエロガキ〜、飲み物買ってきてくれヨー。私干物になっちゃうゾ」

「あっ、すみません」

 

 そう言えば忘れていた。

 優香に言われて、一夏はテキトーに飲み物を買いに行くのであった。

 

 ◇

 

 一日目のお昼。

 イグニッション・プラン前の、最後の憩いの時間だ。みんな明日に備えて、今日は全力で楽しもうと考えていた。

 

 シャルロットとラウラも含め、現旧学園メンバー全員でエッフェル塔を背景に写真を撮ると、一夏らは別れて自由行動を取ることにした。

 ダリルとフォルテは夜までデートをするらしい。

 優香と真耶は一緒にのんびり観光。

 残った一夏たち一年生メンバーは、みんなで固まってシャンゼリゼ通りの散策だ。

 

 シャンゼリゼ通りの特徴は何と言っても、その横幅にあるだろう。

 何車線もの道路では自動車が大群を作り、両端の広い歩道では観光客と現地の人がそぞろ歩いている。

 全長約二キロメートルの通りだが、全てを見て回るには一日じゃ足りないほど数多くの専門店が軒を連ねている。もちろんカフェやレストランも並んでいて、映画館や高級ブランドの本店まで設けられていた。

 

 一夏はあまり騒ぎを起こしたくなかったため、帽子と伊達眼鏡を付けて変装していた。意外と効果があり、ただの観光客として周囲に溶け込むことに成功している。

 

「案内は僕に任せてよ。ここは結構来たことあるんだ」

「心強い」

 

「そろそろ新しい腕時計を買おうかしら」

「待てセシリア、今左腕に巻いてるそれは何だ?」

「そんなに腕時計買う金あるならあたしたちに飯の一つくらい奢りなさいよ」

 

 前方では、シャルロットや簪たちが盛り上がっている。

 シャルロットは昨夜の時点で既にみんなと仲良くなれていた。彼女の物腰低く和やかな姿勢と柔らかい笑顔は、周りの人間を惹きつけるのだろう。

 一方で、ラウラは一人。彼女だけは後ろの方で、楽しむと言うより、ただ着いてきているだけだった。

 タイミングを見計らい、一夏はみんなから離れてラウラの隣へ移動。控えめな声で話しかける。

 

「一個聞きたいことがあるんだけど、今良いか?」

「構わん」

 

 淡々と応答するラウラに、直球で昨日の一件を訊ねた。

 

「もしかして俺、ラウラさんに悪いことしちまったかな?」

「……どう言うことだ?」

「勘違いだったら申し訳ないんだけどさ、昨日俺に怒ってたりしなかったか?」

「どこをどう見てそうなった?」

 

 やっぱり、彼女は睨みつけるかのように目を細めている。

 それでも一夏はたじろぐことなく、遠回しにすることもなく、続けた。

 

「昨日俺が挨拶した時さ、ラウラさんに睨まれてるような気がしたんだ。それでもし嫌な思いさせたりしたんだったら申し訳なくって……あと誤解だったらそれも解いときたいんだ」

「そうか」

 

 ラウラは綺麗な歩幅で歩きながら答える。

 

「問いへの答えだが、貴様から悪いことなどされていない。ただ、睨んでいたのはあっている」

「……理由聞いても良いか?」

「貴様が嫌いだからだ」

「……ッ」

 

 どう返せば良いのか分からなかった。

 嫌いと言われてショックだったのではない。

 ()()を言わせてしまうほどのことを自分はしてしまったのか、と。

 言葉を失うほどの申し訳なさを感じた。

 

「なんか、ごめん」

「謝る必要はない」

 

 ラウラの目つきは変わらず、しかし声音だけ落ちて、

 

「これは貴様に何かをされたからではなく、私の勝手な気持ちなんだ。だから何も気にするな」

「お、おう……」

 

 会話はそれっきりだった。

 結局なにも分からず終い。何でもはっきりさせたい性分の一夏にとって、一番モヤが残る結果となった。

 ラウラの隣にいるままなのも気が引けて、彼はさり気なく元のポジションに戻った。

 

(……マジで訳わかんねぇ。雰囲気も『出会う前から嫌いでした』って感じじゃねぇか)

 

 はしゃぐみんなを横目に黙考する。

 

(あぁやって言ってくれたけど、ほんとに悪いことしちゃったのかな。キレるなんて通り越しちまうくらうの……。フランス来る前に海外の礼儀とかマナー調べとくべきだったな)

 

 罪悪感と小さな後悔が胸で綯い交ぜになる。

 もう一度謝ろうかとも考えたが、今の様子を見る限りでは適当に流されるだけだろう。

 俯いてどうしようかと考えていると、

 

「一夏はコーヒー飲める?」

 

 シャルロットに聞かれて、顔を上げた。

 どうやらカフェで休憩する話になっていたようだ。

 折角みんなで観光しているのだし、リラックスして気持ちを切り替えるには良い機会だと思って、一夏は思考を片隅に置くことにした。

 

「飲めるぜ、砂糖いっぱいのカフェオレなら」

「甘ちゃん」

「ダッサ」

「情けないですわね」

「子どもかお前は」

「ん? もしかして嫌われてる俺?」

 

 何故かみんなにちくちく言葉をブッ刺され、一夏は自分の好感度を疑った。

 唯一の救いはシャルロットが甘いのも良いよね、と同調してくれたことである(ちなみにこの後彼は変な意地を張ってエスプレッソを注文し、二十分かけて飲んだのであった)。

 

 ◇

 

 楽しい時間は実にあっという間だった。

 笑い合いながら街を歩いていると夜になっていて、部屋で集まって談笑していると眠気に襲われて。

 気付けばもう二日目の朝。

 

 一夏と箒、真耶の三人はイグニッション・プランの開催場である巨大なアリーナの前にいた。

 ISの試合会場としてもよく使用されるそこは、フランスの大手IS企業であるデュノア社が建設した施設だ。

 

「こんな馬鹿でけぇもん作っちゃう会社の娘さんと友達って、なんか凄くね俺ら」

「全くだ。人生はどんな出会いがあるか分からんな」

 

 シャルロット・デュノアは、デュノア社社長の娘だった────。昨日の観光中、簪がふとシャルロットの苗字に突っ込んだ時に判明した事実。

 本人は自分の立ち位置を謙遜していたが、デュノア社と言えば量産機の『ラファール・リヴァイヴ』をはじめとし、兵装やオプションパーツなど様々な分野において大きなシェアを得ている企業だ。つまり、一夏たちも様々な場面でよくお世話になっている企業なのである。

 

「そろそろ入場しましょうか。お二人とも、招待券を準備して下さい」

 

 真耶の言葉に従い、二人は招待券を取り出すとゲートへ進む。手荷物検査も無事通過して、待ちに待った入場の時。

 自動ドアが開かれると……広がる光景は長い通路。しかし配置された警備員以外特に目立ったものは無い。

 何百人も収容しているとは到底思えないほど静かだった。

 

「結構静かなんだな」

 

 一夏の印象そのままに呟いた独り言に、真耶が反応する。

 

「ふふっ、やっぱり最初はそう思いますよね」

「やっぱり、ってどう言うことですか?」

「先生も初参加はこの会場だったんですけど、同じこと思うんだなってちょっと懐かしい気持ちになっちゃって」

 

 微笑を浮かべる彼女に、今度は箒が訊ねる。

 

「先生は代表候補生を経験していると聞いてますが、その頃のイグニッション・プランは何をしてたんですか?」

「基本は企業の発表を聞いたり、新しいパーツや武器のデータを取ったり、交流試合をしてましたね。企業と候補生で製品について議論する機会もありますし、話を聞くだけでも凄く勉強になるんですよ」

「なるほど。参考になります」

 

 少し歩くと、大きなホールへ繋がる扉の前に来た。

 重厚な壁と扉で隔てられているためか、ホールからの声や物音は聞こえず、中の雰囲気を掴めない。

 しかし、一夏と箒に不安はなかった。

 一夏は正々堂々と、箒は学園の代表として胸を張って。強者の集う空間に踏み入ろうと決意していた。

 

 一夏がその右手で扉を触れる。

 

「行くぜ、箒」

「あぁ……!」

 

 一息吸って、彼は鉄製の扉を開けた。

 

 熱気に溢れていた。

 

 ISスーツを身に纏った各国の代表候補生たちが、黒いスーツを着こなす各企業のエージェントや記者たちが。各々の準備を行なっていた。

 部屋の奥にはこの日に向けて開発された幾つもの製品と数機の新型量産機が、発表される時を今か今かと待っている。

 

 国を背負った者。企業の命運を背負った者。

 一人一人から、気合が滲み出ている。

 企業の精魂を注ぎ込まれた数多の製品はその外観だけで、あたかも芸術品のような美しさや奥深さすら感じさせる。

 

「……すっげぇ」

「ここまで外と空気が違うのか」

 

 二人が驚愕を口にしたと同時。

 新たな入場者に、ホールの一同の視線が移る。勿論全員の焦点は世界でたった一人の男性IS操縦者、織斑一夏だ。

 会場がざわつく。

 

(……やはり一夏の存在は、誰にとっても大きいのだな)

 

 三十億はくだらない男性の人口の中で、たった一人だけの男性IS操縦者。

 そんな彼からデータを得ること。彼と友好的な関係を築くこと。

 ただの学園の生徒に過ぎない箒だが、それらが持つ意味の大きさは理解している。

 

(この状況、一夏にはかなりのプレッシャーだろうな)

 

 箒はちらりと、一夏の横顔をうかがう。

 

(……!)

 

 萎縮などまるで無かった。

 彼はまさに挑戦者(チャレンジャー)に相応しい精悍さで、堂々としている。

 

 入学から実に二ヶ月。

 無数の強者たちの視線を一身に受け止められるほどに、彼は強くなっていた。

 その熱気に呑み込まれないほどの力強い芯を、彼は手に入れていた!

 

(ふっ……私もお前みたいに堂々としていないと、格好がつかないな)

 

 一夏の歩みと共に、箒も進む。

 この状況でも戸惑うことなく前進する二人の背中を静かに見守りつつ、真耶も付いて行く。

 

「おーい、こっちこいヨー」

 

 ISスーツを着た優香に手招かれ、一夏らは日本代表候補の輪──とは言っても簪と優香の二人だけ──に入った。

 すると優香が、胸元に描かれた国旗を見せびらかす。

 

「じゃじゃーん、この胸の日の丸が日本代表候補の証なんだナ。どうだどうだー、私カッコいいだロ?」

「そっすね」

「……リアクション冷たくないカ?」

「いやもう流れ分かってますから! これで胸見てなんか言ったらエロガキ呼ばわりでしょ!?」

「チッ、バレてたカ」

 

 昨日散々エロガキ呼ばわりされて、流石の一夏も耐性が付いたらしい。

 普段と変わらない様子の一夏に、簪が不思議そうに、

 

「織斑君、意外とリラックス出来てるんだね」

「まぁな。ここでビビってちゃカッコ悪いし」

「篠ノ之さんは大丈夫?」

「うむ、問題ない」

「良かった」

 

 緊張していないか少し心配だったが、それも杞憂だったようだ。簪は友人たちの変わらぬ姿に安心する。

 一夏は自分に集まる視線を気にすることなく、周囲を見渡した。

 すぐに見つけたシルエット。セシリアに鈴、シャルロットにラウラ、ダリルにフォルテ。みんな自分のチームメイトと話し合っている。

 

 いや、正確に言えば、ラウラは一人だった。ドイツ代表候補と思わしきグループから一歩離れて、無言で佇んでいる。

 

「当たり前みたいに慣れちまってたけど、みんな代表候補なんだよな」

「改めて考えると、とんでもないことだな」

「学園に代表候補が七人……アメリカよりも多い」

「今年は一年生だけで五人もいますし、先生から見ても奇跡の世代ですね」

「っで私はその世代の先輩ダ! ほらほら敬エ〜」

 

 男のIS操縦者に、五人もの国家代表候補。更には、IS開発者の妹。

 彼らが一つの学年に固まったのは、真耶の言う通り、奇跡とも言うべき現象だった。

 

「っつか結構自由なのか、この時間」

「色々な確認の時間だね、私たちは二人だけだからすぐ終わったけど」

「……そう言えば、なぜ日本からの参加者は二人だけなのだ?」

 

 箒はずっと疑問に思っていたことを聞いた。

 箒の記憶が正しければ、日本の場合だと、ランキング一位が代表で、二位から四位が代表候補のはず。現状だと優香が四位で簪が三位なので、二位の人物が足りないことになる。

 俺もここで会えると思ってたけど、と一夏の疑問が続く。

 

 お尻を掻きながら優香が答えた。

 

「実は二位の人ナー、国籍日本じゃないんだヨ」

「え?」

「アホみたいに強いし()()()()()()()()()()()()()()()()から特例で専用機渡してるけどナ、あの人代表候補じゃないゾ」

「そうだったんですか……」

 

 会えると期待していただけに、一夏は少し肩を落とした。

 

「二位の人はそんなに強いのか?」

「うん。今の私とあの人には、かなり大きな壁がある」

 

 簪が箒に断言する。が、簪は決して超えられない壁じゃない、と言った目をしていた。

 どんな壁だって真っ直ぐに超えようとするライバルがすぐ側にいるのだ、自分だって負けてちゃいられない。

 

 真耶がちらっと腕時計に目をやる。

 

「スタートまであと二十分です。皆さん、トイレは早めに済ませてくださいね」

「「「はーい」」」

 

 それから間も無くして、放送が鳴った。

 各国と各企業、IS学園組で分かれて整列。主催の組織である国際IS連盟の代表が簡単な挨拶を済ませると、企業のプレゼンが始まる。

 一日目の内容は前半に製品および新型量産機のプレゼン、後半に各国代表候補による製品試用だ。特に一夏は後半のテストの際に、製品のデータを取りつつ、自分のデータを取ってもらう運びになっている。

 

 一夏と箒、真耶の三人は日本代表候補で一括りにされることになり、簪らと同じ卓に着いた。

 

 早速、プレゼンが始まった。

 それぞれの企業の色がよく出ている。淡々とデータを提示しつつ進める所もあれば、軽いジョークを混じえながら要点だけを纏めている所もあった。

 が、一夏と箒の目を引いたのは、プレゼンでは無い。

 

「今発表された新型スラスターですが、装備に伴い高機動用のアプリケーションをインストールする必要があるのは何故でしょうか? 同じような例を聞いたことがありませんわ」

「フランス代表候補のシャルロット・デュノアです。先ほど発表された新型アサルトライフルですが、現在普及している拡張マガジンとの互換性はありますか?」

 

 ライバルであり、仲間でもある彼女たちが。

 大企業のエリートへ、何も恐れることなく積極的に質問していた。

 その着眼点や姿は、どれもが勉強になる。

 

(確かに……俺たち『操縦者』が求めてるのは上振れの理論値じゃなくて普段どれくらい出力があるのか、だもんな。っとなるとさっきの製品の方が需要ありそうだぞ)

(ISに干渉するオプションパーツの場合はソフトウェアに与える影響も考えるべき、か。パーツの性能が良くてもISに異常が起きてしまったら元も子もない、整備性も考えると当然だな)

 

 国家代表候補はただ操縦技術が高いだけじゃない。

 技術者的思考や、ISに対する理解を持ち合わせてこその『代表候補』なのだ。

 周りを観察しながら、一夏はそのことを実感した。

 

(テクニックを磨くだけじゃ上には行けねぇ……俺ももっと視野広げねぇと!)

 

 箒もまた、自分と世界との差を感じていた。同じ物を見ていると言うのに、思考と言い目の付け所と言い、レベルが違いすぎる。

 けども、ビビっている訳じゃない。

 むしろ逆。

 周りとの差を、箒なりに埋めようとしていた。

 資料に目をやり、発言に耳を傾けながら、ノートにペンを走らせている姿がその証拠だ。

 

(学園じゃまず間違いなく体験できないことだ。この機会を活かなくては!)

 

 ◇

 

 八時間にも及ぶプレゼンが終わり、夕方の十六時。

 しばしの休憩後、場所はホールから大型のアリーナへ。これから夜まで製品や量産機のデータを取るようだ。

 各国の代表候補たちがウォーミングアップを始めていた。

 

「こうやって意識して見るとみんなすげぇ体だ……鍛えまくってんだな……」

 

 引き締まっている、なんて表現は、彼女たちの前では陳腐になる。

 伸ばせばスジがくっきりと現れるような筋肉は、瞬発力と持久力を高水準かつバランス良く両立していた。まさに、ISと言う戦いのスポーツに特化した肉体だ。

 感心してばかりの一夏に、箒は自信を持たせるように言ってやる。

 

「体つきならお前だって負けちゃいないさ」

「……そう言ってくれるとほんと心強いよ」

 

 どうしてこうも欲しい言葉をくれるのか。箒がいてくれて良かった、と彼は心の底から感謝した。

 気後れすることなく、一夏も上着を脱ぎ、ISスーツの状態になった。

 曝け出された肉体に、一斉に視線が集まる。

 

 二ヶ月の鍛錬の成果は凄まじかった。

 まだ未完成ではあるものの、搭載された能力は並じゃない。

 それは参加者全員が、一目で理解した。

 

「へぇ、ただの新人(ルーキー)じゃなさそうね」

「チフユオリムラの弟は伊達じゃない、と言う訳か」

「もし二ヶ月であれなら間違いなく化けるわ、彼」

 

 どの声も自分に向けられたものと分かりながら、一夏も準備運動を始める。

 いつだって、今自分にできることを全力で。それは試合だけでなく、データ取りにおいても変わらない。

 ゆっくりと集中力を高めていると、金髪の少女がやってきた。

 

「ね、一夏」

「ん……あぁ、シャルロットか。どうした?」

 

 シャルロットは後ろで手を組んで、

 

「どうだったかな、デュノア社のプレゼン」

「一番気になったのはやっぱし新型量産機かな。『ラファール・ドライヴ』だったけ、他の第三世代機と比べて拡張性二倍はえぐいって」

「他と差別化を図りたかったらしいけど……僕もびっくりしたよ」

 

 彼女は父が総力を注いで開発した新型量産機『ラファール・ドライヴ』を、アメイジストの瞳で見つめる。

 

「良いよね……あれ」

「個人的にあのマッシブな見た目もカッコいいんだよな」

「うん……僕もそう、思うよ」

「……?」

 

 まるで家族に置いてけぼりにされた子どもが発したような、シャルロットの寂しそうな声音を、一夏は聴き逃さなかった。

 僅かではあるが、しかし間違いなく、トーンが下がっていた。

 

(なんだ……今の違和感)

 

 一夏が思考を始めるより早く、シャルロットの声が続く。

 

「一夏もデータ取るんだよね?」

「えっ、あ、おう」

「デュノア社の製品評価もよろしくね。勿論忖度も贔屓も抜きで!」

 

 そう言い残すと、彼女は手を振ってフランスチームへと戻って行った。

 

(……聞き間違い、だったのかな)

 

 直感以外で理由を説明出来ないため、一夏は自分が感じ取った違和感を、間違いとして処理することにした。

 それに、今は目の前のことに集中しなければならない。

 強敵たちの前で、醜態を晒すわけにはいかないのだ。

 

(まずはデータ取りだ。どうせなら俺のデータですげぇって言わせてぇしな!)

 

 よーし! と意気込んで顔を上げた。

 エンジン全開で、拳を合わせる。

 

(気合い入れてくぜ、織斑一夏!)




シャルロット最強! ラウラ最強! うぉおおおおお!!!

テンポ良く進めたかったので、一日目の観光はかなり省略しました。
イグニッション・プラン編は次回で終わります。(長かったけど)シテ……許シテ……。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

22話 力の探求

流星の愛が君に一瞬の光送って初投稿です。
※約12000字あります。


 待機状態の白式を箒に預けた一夏は、新型量産機に搭乗し、発表されたばかりの製品や新型ISそのもののデータを取っていた。

 

 企業側は一夏のデータを取っていた。ISの核であるコアから操縦者と機体・兵装の連動記録をリアルタイムで抽出するらしい。

 たまに、表示される一夏のデータに驚く声が聞こえる。かなり特殊な数値や波形が出ているそうだ。

 

「ふぅっ!」

 

 現在の一夏は、夜の帳が下りた空で、デュノア社の新たな量産機『ラファール・ドライヴ』を駆っていた。周囲では実戦形式の試用運転が行われており、地上でもまだテストが続いているため、邪魔にならないよう端っこの方で飛行している。

 

 元々操縦性や安定性が売りだった第二世代機『ラファール・リヴァイヴ』。その機体の正統進化と銘打つだけあって、基礎スペックや操縦性は高水準で、安定性も抜群である。

 しかしこの機体の真の特徴は、その拡張性にある。量子化した武器を格納する『拡張領域(バススロット)』の大きさは従来の機体の二倍を誇っている。更に各部位の接合部分が可変式になっているため装着できるオプションパーツも豊富で、整備性も高い。

 これを量産できる機体に仕上げたと言うのだから驚きだ。

 

(すげぇなこの機体、マジで世界がひっくり返るぞ)

 

 その完成度の高さは、操縦者である一夏が一番感じていた。

 デュノア社がプレゼンで自信満々だったのも納得がいく。

 

 やがてデータを取り終えると、機体から降りて一夏は背筋を伸ばした。

 一夏の今日の仕事はこれでおしまいだ。

 

「お疲れ様。ほら、白式だ」

「おう。預かってくれてありがとな」

 

 箒から白いガントレットを受け取ると、右腕にかちゃりと嵌めた。優しくフィットするような感覚に、もはや安心感すら覚える。

 

「どうだった、良い機体とか装備はあったか?」

「どの製品も凄かったよ。完成度高ぇし、しっくりくる物もあった……でも俺はコイツが良いや」

 

 言うと、一夏はニコッと笑って、右腕の白式を見せる。

 予想通りの回答を得て、箒も小さな笑みを返す。

 

「こだわり、か?」

「かな〜。性能とかじゃなくて、もうコイツじゃなきゃ嫌なんだよな、俺」

「だったらもっと強くならないとな」

「あぁ。……悔しいけど、まだまだあの人たちには敵いっこねぇや」

 

 一夏は代表候補どうしが戦っている空を見上げた。箒も続くような形で、視線を上空に移す。

 彼女らは互いに新型量産機に乗って、新しい武装を握って、戦闘を繰り広げている。データ集取が目的だが、彼女たちは生粋の戦士(ファイター)だ。戦うことに対して手を抜いたりなどしない。

 本気でやり合っている。

 

 一夏の観察眼はしっかりと、彼女たちの動きを細部まで捉えていた。

 一挙手一動に技術が秘められている。どれもが何千何万の反復を経て身に付けられたであろう、洗練された動きだ。

 

「ディフェンス、オフェンス、機動……どれをとっても一級品、見てるだけでも勉強になるよ」

「お前も大変だな。夢を叶えるには、あんなに強い人たちを超えなきゃいけないもんな」

「……だからこそ燃えるんじゃねぇかよ」

 

 実力に差がある事実は、一夏も理解しているし受け入れている。

 けどもそれは決して、イコール諦めなんかじゃない。

 むしろ向上心の薪に、己の可能性への探究心になっていた。

 

 それに壁が高けりゃ高いほど、超えがいがあると言うものだ。

 

(あの人たちを超えられたら、きっと俺は……)

 

 まだ見ぬ高みに行けるはず……ッ!

 思わず右手が拳を作った。力いっぱいに握りしめた手が、小刻みに震えている。

 少年の闘志の現れを、幼馴染は隣でちゃんと見ていた。

 

(ふふっ……どこまで行っても、男の子なんだな)

 

 しばらくすると、真耶が戻って来た。

 

「織斑君、もう全部終わりましたか?」

「はい、問題無く終えました」

「良かったです、お疲れ様でした」

 

 彼女は一言労うと、来た方角を振り返って、

 

「一応皆さんの所に行ってたんですけど、まだまだ時間がかかりそうでした。私たちで先に切り上げましょうか」

「最後まで見てる、って言うのはダメですか?」

「うーん……正直オススメ出来ませんね。一日目の疲れって馬鹿にならないですから、明日に備えてお休みした方がいいと思います」

「分かりました、それじゃ帰って休みます」

 

 切り替えの良さ──と言うより素直さは彼の長所だ。

 仲間や先生の助言を素直に聞き入れ、あるいは実践し吸収する。彼の異様とも言える成長スピードの秘密はこの性格にこそあるのかもしれない。

 

「篠ノ之さんはどうしますか?」

「私も帰ります、一日中気張りっぱなしでしたから」

「分かりました。では帰りましょうか。タクシーを呼びますから、二人は帰る準備をしてください」

「「はーい」」

 

 ◇

 

 ホテルに帰った二人は簡単に夕食と風呂を済ませると、そのまま寝床に着いた。

 特にこれと言ったことはなく、二日目に突入。

 二日目は交流試合を行う。気ぃ張る場面少ねぇから昨日よりかは楽だぜ、とはダリルの言葉だ。

 

 場所は昨日と同じアリーナ。観客席はまばらに埋まっている。

 席の縛りがないようだったため、一夏たちは学園のメンバーで集まることにした。ただ、フォルテとラウラは試合の準備のために席を外している。

 

(アタシもね、二日目は学園のみんなで固まるんだろうなって思ってたわよ)

 

 腕組みする鈴の額には青筋が出来ていた。

 二つ離れた座席からは、一夏の弾んだ声が聞こえる。

 

(えぇえぇ右の箒はまぁ良いわよ。けど左のシャルロットは何!? なんでアタシのポジション奪ってんの!?)

 

 しかもなんか妙に距離感が近い。ちょっと上体を寄せているのは何だ、アピールか?

 おまけに時折見せる笑顔が人懐っこくて可愛らしい。相手が一夏じゃなければイチコロだったろう。

 こんなしょうもない場面でも、鈴の人を見る目は健在だ。

 

「あの、鈴さん」

「何? 何なの? 何ですの?」

「ドンマイですわ」

「うざ!」

 

 色々察したセシリアにも煽られる始末。

 それを楽しそうに眺めるのは簪だ。鈴の一夏に対する想いは、まだ付き合いの短い彼女でもよく分かっているつもり。

 

「でも偶然じゃないかな? 流石にシャルロットさんにその気はないと思う」

「分かってるわよ……分かってるけど、今日はちょっとかっこいいとこ見せようかなってなってた訳じゃん。試合見ながらさり気なく知識アピールしたりさ?」

「……ドンマイだね」

「ですわね」

「いやうざ!」

 

 ちなみに簪は割と本気で同情していた。

 

「ほんと凄かったよ『ラファール・ドライヴ』。世界中のシェア奪えるんじゃねぇかな」

「お父さんが会社の命運を懸けたって言ってたくらいだし、僕も普及して欲しいって思ってるんだ」

 

 一夏とシャルロットは、デュノア社の最新機について話し合っていた。

 

「デュノア社は長い間、第三世代機の開発に苦しんでたから……完成品を見た時のお父さん、見たことないくらい笑顔だったよ」

「だろうな。目に見えて進化した訳だし、めっちゃ嬉しかったろうな」

「素人の私でも完成度の高さがよく分かった……早く乗ってみたいものだ」

「あとは量産体制を整えるだけらしいから、上手くいけば年内には学園で乗れると思うよ」

 

 シャルロットが箒に答える。テストや開発に関わっていたため、彼女は製品についてある程度の情報を持っていた。

 

「おいエロガキ、さっきからうっせーぞ。これからフォルテが試合おっ始めるってのによ」

「そうダそうダー、うるさいぞエロガキ〜」

「……正直もうエロガキって言いたいだけですよね?」

 

 一つ下の座席で並ぶダリルと優香に、一夏が呆れたように返す。ちなみに真耶は優香の隣だ。

 一体いつになったら名前で呼んでもらえるのだろうか、とは考えちゃいなかった。流石の一夏もこればかりは諦めていた。

 

「確かフォルテさんのお相手は、オランダの方でしたわね」

「うん。まだ専用機は貰ってないらしいけど、かなり勢いあるって噂聞いてるわ」

 

 セシリアの確認に、頷きながら鈴が一言。

 すぐさま投影ディスプレイを呼び出したのは簪。ネットでフォルテの相手の名前を検索した。

 

「公式戦は六戦五勝。勝ち星は全部早い時間でエネルギーアウト……凄いね」

「エネルギーアウト……シールドエネルギーを削り切って倒した、と言うことか」

「うん」

 

 ISバトルにおいて、試合の勝敗を決める方法は二つある。

 一つは判定。制限時間まで両者のシールドエネルギーが残っていた場合、残量エネルギーの割合で勝敗を決定する方法だ。

 そしてもう一つは、エネルギーアウト。箒が言ったように、先に相手のシールドエネルギーを削り切った方が勝利。

 

 早い時間でエネルギーアウトによって勝利をおさめている。

 つまり、その選手は相当攻撃的なスタイルであることが考えられた。

 

 間も無くして、フォルテと対戦相手が姿を現す。

 

「おぉ、気合い入ってるナ」

「あいつ普段は大人しいっすけど、人一倍負けず嫌いっすからね」

 

 フォルテの瞳は熱で充実していた。いつもの静かな先輩とはまるで別人じゃないか、と一夏が感じてしまうほどに気合のノった顔つきだ。

 一方、相手は『ラファール・リヴァイヴ』──つまりは量産機──で登場。こちらも十分なやる気を感じさせる表情。

 

 両者のISから信号を受け取ると、ブザーが音を鳴らす。

 始まりのゴングだ。

 初っ端、相手は刀を握ってスラスターを炸裂させる。最短で真っ直ぐに、一気に距離を詰めた。

 

「は、速ぇ!」

瞬時加速(イグニッション・ブースト)……だけど相当極めてる。多分今の、リヴァイヴの理論値だよ」

 

 一夏とシャルロットがそのスピードに驚きの声を漏らす。

 

「でもあのスピードじゃフォルテは崩せねぇ」

 

 ダリルの台詞通りだった。

 幾多の戦いを経験しているフォルテは、予想通り、と言わんばかりに短剣を取り出し敵の一閃を防いだ。

 そのまま展開は空中での至近戦(クロスファイト)へ。刹那の気の緩みすら命取りになるような、ハイスピードの攻防が始まる。

 

「上手いわね、あの選手。気迫もあるわ」

「うん。絶対にこの距離は譲らない、って覚悟が伝わる」

 

 鈴と簪が試合を追いながら呟く。

 

「お二人ともキッカケを掴めずに……いえ、フォルテさんが掴ませてもらえない、と言ったところでしょうか」

「フォルテさんの専用機は冷気を操るんだよね……変に距離を離すよりも、近づいて動きを封じる方が得策かも」

 

 セシリアが冷静に戦況を分析。シャルロットは早速対フォルテ戦を想定しつつ考察を述べた。

 二人の言葉を耳に入れながら、一夏は試合を観察していた。視界の中心はフォルテ、ではなくオランダ代表候補だ。

 

(俺がもしフォルテ先輩を相手取ったら……多分同じような状況になってるはずだ。あの選手の動きは参考になるぞ)

 

 特に注目したのは、自身の課題でもある防御。的確にかつ連続でフォルテの剣を防ぎ、時には上体屈み(ダッキング)上体反らし(スウェーバック)で回避もしている。攻撃に転じる際もまるで無駄がない。

 一つ一つの動きの継ぎ目に隙のないそれは、一夏のイメージする理想にかなり近い形だった。

 

(上半身だけじゃねぇ、下半身の使い方も上手い! 腕の形を崩さずに腰の捻りだけでガードしてる時がある……俺も同じ動きが出来れば一つレベルを上げられるかもしれねぇ)

 

 簡単なメモを残しながら、凄まじい技術に目を剥いた。

 その直後だった。

 拮抗が崩れる。

 

「ッ!」

 

 真っ先に気づいたのは、ずっとオランダの選手を観ていた一夏だった。

 次いで、不思議な現象に目を凝らしていた箒が驚愕する。

 

「リヴァイヴの関節が────凍っているのか!?」

 

 リヴァイヴの肩と肘を、透明な膜が覆っていた。

 かと思うと膜は瞬く間に膨張し、歪で分厚い氷となった。激しかったリヴァイヴの動きを一瞬で止めてみせる。

 正体はもちろん、フォルテの専用機『コールド・ブラッド』が放った冷気に他ならない。

 

(リヴァイヴの構造は完璧に把握してるっスよ!)

(両手はお釈迦……けどまだ足が使えらぁ!)

 

 フォルテの反撃に、相手は残った二本の足で応戦。

 だが、試合はそう長く続かなかった。

 足だけの抵抗で、武器と冷気を操るフォルテに勝てるはずもなく。

 エネルギーアウトで、勝者はフォルテ・サファイア。

 

「凄い……冷気をあんな風に使うなんて」

「あたしの背筋まで凍ったわよ。ほぼ完封だったじゃない」

「いや。及第点もあげられねぇよ、あれは」

 

 簪と鈴の感想に、ダリルが厳しく指摘する。

 フォルテと付き合いの長い彼女は知っていた。

 

「あの関節固める攻撃は、フォルテがどうしてもキッカケ掴めねぇ時に使うヤツなんだよ」

「……つまり、あれは最後の手段と言うことですの?」

「あぁ。技術(テクニック)の面じゃ、フォルテが完封されてた訳だ。ったく、機体に頼りすぎてんだよあいつは」

 

 専用機だから勝てた。ダリルは直接言葉にこそしなかったが、誰もがそう感じ取っていた。

 逆に言えばあのオランダ代表候補は、己の技術だけで専用機を追い詰めていたのである。

 機体の性能差がなかったら、結果は逆になっていたのかもしれない。

 

 自分は()()()()()に勝った時、みんなに、自分自身に胸を張れるのだろうか。人の振り見て我が振り直せで、一夏は白い相棒を見つめた。

 

(俺は、大丈夫なのか? 俺も機体に頼りすぎてんじゃねぇのか?)

 

 セシリアとの決闘から始まった、夢への挑戦。その歩んだ道を振り返る。

 簪との戦い、鈴との戦い、未確認機との戦い。

 思い返せば、そのどれもが。

 

(……大丈夫じゃねぇわな)

 

 あの青色の刃──専用機の力──に頼っていた。

 簪との戦い。一閃二断の時に出ていなかったら負けていただろう。

 鈴との戦い。終始押されていた。でも不安は少なかった。きっと心のどこかで、アレがあるから行ける、と思っていたのだろう。

 未確認機との戦い。アレが出てこなかったら死んでいたかもしれない。

 

(確かにあの青い刃は強い……けどアレは俺が積み重ねた力じゃない。百パーセント、全部白式の力だ。

 今のまま進んだら……俺は一生あの力に頼ってしまんじゃないか? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()?)

 

 白式の力に頼ってばかり。白式の力で勝ってばかり。

 元から用意されていた強大な力を、ただ振るうだけ。

 

(それは嫌だ!)

 

 こだわりだった。

 でも譲れない信念だった。

 

 だって、カッコ悪いじゃないか。

 用意されてた力を振るうだけなんて、誰でも出来るじゃないか。そんなの誰が白式に乗っても変わらないってことじゃないか。

 

 そう思える程度には、彼の中に眠る()()()育っていた。

 

(俺は()()()()()()夢を叶えたいんだッ! ()()()()()()()()()()()()()()()()!)

 

 一夏は初めて白式と出会った日を思い出していた。

 一緒に夢を(つく)ろうと約束した。コイツに相応しい操縦者になると誓った。

 あの頃の情熱は、まだまだ全然消えちゃいない。

 寧ろ、今になって更に更に燃え上がっていた。

 

(帰ったらイチから出直しだ! この二日間のおかげで改善できる部分が沢山見つかった……()()もっともっと強くなれるはずだ!)

 

 歯噛みして、改めて決心する。

 全てを超えてみせる、と。自分に()る沢山のもののために努力する、と。

 

「どうしたの一夏、俯いたりなんかして」

 

 隣のシャルロットが心配してるかのように一夏の顔を覗く。相変わらず、彼女は物腰低い表情だった。

 

「いや、なんでもねぇよ」

「そう? もし悩み事とかあったら言ってね。ISのことだったら教えられるし、それ以外でも話は聞けると思うから」

「ありがとな。困った時は頼らせてもらうわ」

 

 彼女の優しさに、感謝の言葉を返す。何故シャルロットはこんなにも人懐っこくて優しいんだろうな、とか一夏は勝手に考えだした。

 その光景を並々ならぬ感情で眺める人物が一名。変な目で見る人物が一名。

 

「あんのさぁ……アタシの役目じゃないあれ。ねぇ簪?」

「簪さん、これが空港で言っていたNTR(寝取り)ですわね!? まさかいきなりお目にかかれるとは!」

(……ここで返事をしたら色々ダメな気がする)

 

 無視を決め込むことにして、簪は唇のチャックを閉じた。

 

 ◇

 

 数試合後、ギリシャチームで未だ反省会中のフォルテを置いて、ラウラとスウェーデン代表候補の試合が回ってきた。

 

 両者共に専用機だ。

 ラウラは黒色ベースで、右肩部のリボルバーカノンが印象的な機体『シュヴァルツェア・レーゲン』。相手は背中に二丁のガトリングを有する、遠距離タイプの機体。

 カタパルトから出撃した二機は、睨み合うように対峙していた。

 

 一夏は宙に佇む黒い機体を見つめて、

 

「『シュヴァルツェア・レーゲン』……AICを積んだ最新機らしいな」

「AIC?」

「おう。俺も聞いたことしかないんだけど、A(アクティブ)I(イナーシャル)C(キャンセラー)って言うヤツで、敵の動きを止められるんだってさ」

 

 箒と一夏の会話に情報を加えたのはシャルロットだ。

 

「つい最近出来た、PICを応用してる兵器だね。『動きを止める』って言うより『空間に働く慣性を停止させる』って言う方が合ってるかな」

 

 P(パッシブ)I(イナーシャル)C(キャンセラー)。全てのISに搭載されている機能だ。

 ISはこのPICを使うことで、三次元的な機動制御や浮遊、停止などを可能にしている。見えない力場を生み出す装置、とも言い換えられる。

 解説を聞いて、二人は嘆息した。流石は代表候補だ、知識量も並大抵じゃない(一応言っておくと、解説役を奪われて鈴は歯軋りしながらシャルロットを睨んでいた)。

 

「まぁ見せて貰おうじゃねぇの、AICの性能ってヤツを」

 

 腕組みをするダリルが興味津々に呟いた。

 全員が頷く。何を隠そう、その場の誰もが──解説をしたシャルロットでさえも──AICを目にしたことが無かったのである。

 

 数十秒後。準備を整え終えた二機が信号を発して、試合が始まる。

 両腕から紫電巡るプラズマ手刀を出し、ラウラが肉薄。相手は後退とガトリング射撃を同時に行う。

 ズドドドドッ!!! と発射音が空気を叩く。

 轟音が響く中、ラウラは落ち着いていた。空間を広々と使い、被弾を最小限に抑えながら、徐々に間合いを詰めていく。

 

「……凄まじい機動制御ですわね」

 

 スナイパーであるセシリアが感嘆してしまうほどに、見事な距離の詰め方だった。

 経験豊富な少女たちから一歩遅れて一夏が。彼から一歩遅れて箒がハッと気付く。

 

「ッ、アリーナの(へり)に追い詰めた!?」

 

 ある意味、急接近よりも恐ろしかった。

 逃げ場を無くすかのように、ラウラは相手を誘導していたのである。

 後退を止めた相手の背後には、外部とアリーナを遮断するエネルギーバリアが張られていた。これ以上退がるのは不可能。

 

(上手いじゃない。だけど!)

 

 追い込まれたかに思われたが、彼女も歴戦の戦士だった。

 一切の戸惑いを見せなかった。

 ガトリングを止めると急上昇。同時、両肩から計六発の小型ミサイルを射出。

 高性能爆薬を内蔵したミサイルが、一斉にラウラを襲う。

 

 しかし命中はしなかった。

 

「ふんっ」

 

 ラウラから放たれた四本のワイヤーブレードが、ミサイルを全て薙ぎ払う。

 衝撃を受けてミサイルは爆発。両者の間合いに爆煙の壁が出来上がる。

 

(ワイヤーブレードもあるのね、厄介だわ。中距離じゃ勝てない)

 

 つまり、今のこの間合いはまずい。

 敵を視認するためにも、彼女はすぐさまその場を離れようとして────。

 煙を尖った何かが貫いた。

 

 眼前に迫るそれは、ワイヤーブレード。

 

「ッ!?」

 

 咄嗟に首を思いっきり傾けて、ギリギリで躱した。

 機体が警鐘を鳴らした頃には二本目のブレードが伸びていた。こちらはサイドブーストで外す。

 直後に三本目。反射的に握っていたガトリングの砲身で弾き返す。

 次はどう来る? 彼女は四本目に備えて構えをとって。

 

 そしてラウラが現れた。

 

「なっ」

 

 迎撃しようとした。でももう、遅かった。

 

 ぴたり、と。

 

 まるでその空間だけ、時間が停止したかのように。まるで、動画の一場面を切り抜いたヘンテコな画像のように。

 彼女が、停止した。

 

「あれがAIC!」

「マジかよ、マジでミリも動けねぇのかよ!?」

 

 とうとう発動された兵器に、一夏もダリルも声を荒げた。

 簪たちも、目の前の光景に呼吸を忘れる。

 ラウラが伸ばした片腕の先。スウェーデン代表候補の女は、オブジェのように動かない。

 彼女が出来るのは鼓動のみ。それ以外は指を曲げることも、スラスターを動かすことも、装備を呼び出すことも許されない。

 

「……降参、しろ」

 

 ラウラが敵に、最後の選択肢を与えた。

 

「私に信号を送れ。思考と命令は、できる、だろ? 五秒、待つ……降参しない場合は、カノン砲を、撃つ」

「…………フッ」

「残念だ」

 

 超至近距離にて。

 ラウラの大口径リボルバーカノンが炸裂した。三度もの巨大な爆発音がアリーナの大気を揺るがす。

 途轍もない威力だった。装甲を木端微塵にされて内部フレームを露わにしたボロボロの機体が、垂直に落ちていく。

 どさっ、と朽ちた機体と地面がぶつかった。

 浮遊するラウラはただ黙って、敗者を見下ろしていた。

 

 決着がついた。

 

 衝撃的な映像の連続に、みんな言葉を失っていた。

 

「……ありかよ、あんなの」

 

 唖然とする一夏がようやく出した一言。

 余りにも反則的すぎる。タイマンであんなものを使われたら、勝てる気がしない。

 全員の感想が一致した瞬間だった。

 

(……ん?)

 

 静かだったからこそか。ふと一夏が違和感を覚える。

 

(入間(いるま)さん今の試合……いやさっきから一回も喋ってなくねぇか?)

 

 最初の試合が始まってから今まで、優香の声を聞いていない。いつもの様子を鑑みれば、一試合終わるたびに色々言いたい放題しそうなのに。

 下の座席に目をやると、彼女はずっと胸に手を当てていた。その仕草が何を意味しているのかは全く分からなかった。

 一夏には祈っているようにも、不安がっているようにも、胸を押さえつけているようにも映った。

 

(体調悪いのかな?)

 

 一夏なりの気遣いだった。

 

「あの、入間(いるま)さん。体調悪そうですけど大丈夫ですか?」

「えっ。あ、なんダ?」

 

 振り向いた優香の顔は、体調が悪そうと言うより、力の抜けた表情をしていた。

 そこで一夏は気付く。

 首にかけられた、歪な形のペンダント。そう言えば空港で初めて出会った時も、昨日も、ずっと付けていた気がする。

 位置的に、彼女はペンダントに手を当てていたのだろうか。

 

「体調悪くなんかないゾ。……あっ、今ので好感度アップを狙ったナ? ふふん、私の攻略はゲームみたいに簡単じゃないゾ〜でも心配してくれてありがとなエロガキ」

「何がなんでもエロガキに繋げてきやがるよこの人」

 

 とにかく、体調が悪くないのなら良かった。一夏は素直にそう思った。

 と同時に、歪な形にも関わらず見ていて落ち着くような質感のペンダントに興味が湧いた。

 

「話変わりますけど、入間さんのペンダントってどう言う種類の物なんですか? ちょっと気になりまして」

「ん……あぁ、このペンダントはナ……」

「っかぁ〜! 下手なんだよお前エロガキィ!」

 

 優香の言葉を遮ったのはダリルだった。

 彼女は人差し指を振りながら、

 

「良いかぁ? 女を落としてぇんならよ、お世辞でも良いから一言褒めるんだよ! 今のも『お似合いですね』くらい付けねぇとダメだぞ馬鹿!」

「え、えぇ……」

 

 困惑する一夏の視界には入っていなかった。ダリルの発言にうんうんと首を縦に振る幼馴染二人の姿が。

 何も言い返さない彼に、ダリルがでかいため息を吐く。

 

「情けねぇ。お前もうエロガキやめろ」

 

 じゃぁ先輩がエロガキ呼びやめてくれよ……と一夏は切実に思った。

 

 ◇

 

 アリーナから最も離れたトイレの一室。

 試合を終えたばかりのラウラが限界を迎えた。

 

「ゔぉぁ!? あぁ……っ、ぐぁっ」

 

 震える腕で便器に体重を預けて嘔吐。耐え難い頭痛に目を開くことすらままならない。整った顔は苦悶でぐしゃぐしゃに、鼻水でびしゃびしゃになっていた。

 

 彼女の専用機はドイツの超最新機で、第三世代機でも最高峰の性能(スペック)を有していた。

 が、それ故に操縦者に求められる身体能力(スペック)も半端じゃなかった。特にAICに必要とされる演算処理能力は、一般人の持つそれを遥かに凌駕していた。

 でも彼女はどうしても乗らなければならなかった。その圧倒的な力がどうしても欲しかった。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「ゔぉえっ、がはっ……ぉぁ……」

 

 専用機に乗るために手術をした。『ヴォーダン・オージェ』と呼ばれるハイパーセンサーを瞳に埋め込む手術だ。

 結果、視覚情報の処理速度と、ISへの命令送信・ISからの信号受信速度の爆発的な向上に成功した。

 

 一方で、デメリットも生まれた。

 それが、この有り様。

 AICを使った後はいつもこうだ。視覚情報の高速処理と高次元演算処理のために一時的に脳が膨張してしまい、周辺の神経や血管を圧迫することで激痛を引き起こすのだ。

 更に嘔吐とめまいも起こる。鼻水と耳鳴も止まらない。ひどい時は痛みで気を失ったり、痙攣を起こしたりもする。

 

(今日は……楽だな……)

 

 強がりじゃない。今以上の地獄を知っているだけだ。

 

(まだ使いこなせないのか、私は)

 

 胃液も尽きて、吐くものが無くなった。

 でも体は反応を起こし続けている。吐き気が残り続ける。

 鼻水と一緒に、塞がらない口からよだれが垂れる。

 

(教官のようになりたくて専用機(ちから)を手に入れたのにこのザマとはな……)

 

 教官。それは彼女にとっての憧憬(ゆめ)であり、人類史上最強と呼ばれた女。

 織斑千冬。

 

(今のまま進んでも……私は一生教官になれない! 追いつくこともできない!)

 

 専用機を手に入れたのも。手術をしたのも。負荷を分かっててもなおAICを使い続けるのも。

 全ては、圧倒的な力を持つ孤高の存在・織斑千冬のようになるために。弱い自分を捨てるために。

 

(もっとAICを使いこなさなければ……この力を完全に支配しなくては……!)

 

 ◇

 

 夕方には全ての交流試合が終了した。

 ド派手なぶつかり合いから、玄人好みの探り合いと高等技術の応酬まで……全てが一夏たちの学びになった。

 無事に閉会式が行われ、会場の片付けも済み、学園メンバーは来た時よりも二人増えて日本に帰ることとなる。

 

 アリーナをあとにした彼女たちは今、空港の長椅子に腰をかけていた。

 

「さーてあとは飛行機乗って帰るだけね!」

「やっと自分のベッドで寝れるっス」

 

 頭の後ろで手を組む鈴と、さっきダリルに厳しい指摘を受けて若干萎え気味のフォルテが呟いた。

 結局、学園メンバーで試合をしたのはフォルテとラウラの二人だけだった。二人以外はただひたすら座って見ているだけだったため、みんな元気を有り余している。

 

「わたくし試合をする気満々でいたのですが……」

「俺もよ。マジで毎年言ってるけど二日目くらいアリーナ増やせっての」

 

 メンバーの中でも、セシリアとダリルは不燃焼のままのやる気の捨て場に困っていた。

 ダリルはただ実力を試したかっただけだが、セシリアは違う。彼女は目の前のライバル、織斑一夏に知らせたかった。

 自分はあの時よりも強くなっているんだぞ、と。

 好敵手と認めた彼にだからこそ、己の成長を誇示したかった。

 

(まぁ良いでしょう……今度の学年別個人戦トーナメントでお互い勝ち上がっていけば再戦出来るでしょうし。その時こそ、わたくしの力を見せて差し上げますわ)

 

 彼女は蒼炎の瞳で、静かに一夏を見つめる。

 

「にしても早かったよなぁ、フランス来て三日経ってるんだぜ?」

「あぁ。一生の思い出になるな」

「帰ったらみんなに自慢しようぜ、めっちゃいっぱいプロの人と会ったって」

「その前にシャルロットとラウラの紹介だな。二人とも一組に編入するそうだぞ」

「マジ? 一組に代表候補三人もいるってことになんのか……偏りエグすぎだろ」

 

 熱い視線を当てられてることなど知らぬまま、一夏は箒と喋っていた。

 二人の会話にひょこっと入り込んだのはシャルロットだ。

 

「ねね、フランスは楽しかった?」

「おう! ルーヴル美術館めっちゃおもろかったわ」

「初めての渡海だったが本当に楽しかった。シャルロットのおかげで沢山買い物も出来たしな」

 

 箒がお菓子でいっぱいの紙袋を見せる。一組のみんなへのお土産だ。

 良かった、とシャルロットが笑って返す。母国を楽しんでもらえて喜んでいるようだった。

 

 みんなで談笑──とは言ってもラウラだけは独りだった。簪と優香、真耶の三人に話しかけられても、素っ気ない返答しかしなかった──している内に、飛行機が到着する。

 

「皆さん、飛行機が着きましたよ〜!」

 

 真耶の声で集合したメンバー十人。一夏たちは学園へ、優香はプロチームへと帰る。

 IS学園の生徒はこれから溜まった課題とレポート地獄、二週間後にはトーナメント戦が待っているし、優香は試合の準備があるらしい。

 帰っても休めなさそうだ。

 

(本当にあっという間だった)

 

 チャーター機に乗った一夏は、最後の景色を目に焼き付けようと、窓の向こうを眺めていた。

 夕日も沈み、藍色の空には無数の星が瞬いている。

 綺麗だった。掴めないと分かっていても、思わず手を伸ばしたくなるほどに。

 

(……この二日間、全てが勉強になった。来させて貰えて本当に良かった)

 

 自分にできることは全力でできた。

 データ取りも、見て聞いて知って学ぶことも。これ以上はないと言えるほど集中して取り組めたと思う。

 でも、そこで止まっちゃいけない。満足しちゃいけない。

 彼はそのことをよく理解していた。

 

(この二日間をバネにするんだ。そうすりゃ絶対、大きくレベルアップ出来る!)

 

 視線はもう次の物語、学年別個人戦トーナメントに当てられていた。

 目指すはもちろん優勝ただ一つ。

 誰にも負けたくない。全てを超えてみせたい。

 

(今のうちにメニュー考えとくか! ちょうど帰ったら土曜だし、すぐにでも特訓再開だ!)

 

 よしっ、と意気込んで携帯しているメモ帳を開く。既に日々の記録やイグニッション・プランのまとめでいっぱいいっぱいだ。

 その一枚一枚こそが、彼の積み重ねてきた力。

 そしてこれからも重ね続ける、彼の人生の記憶。

 

(メニュー考えるのってめっちゃ楽しいんだよな〜! 早く試してぇよ!)

 

 ニコニコしながら考え始めると、

 

「ちょっ流石にアタシでしょ! あんた行き隣だったでしょうが!」

「何を言っているんだ馬鹿者! 私がずっと隣なんだ!」

 

 鈴と箒が、座席を巡って言い争っていた。

 キングオブ唐変木の一夏は全く分っちゃいない。狙われてるのが自分の隣の座席だなんて。

 

「ねぇねぇ情けないと思わないの箒? 譲り合いって精神はない訳?」

「ない。断じてない。お前に対しては一ミリもない」

「あーあ言っちゃったわねじゃぁアタシもこれから一切譲らないからね!?」

「構わん。取られる前に取れば良いだけだ」

「何余裕かましてんのよ!? 何、ファースト幼馴染だから!?」

 

 なんか馬鹿やってんな〜、アイツら仲良いんだな〜。とか一夏が馬鹿抜かしていると、隣にちょこんとシャルロットが座る。

 

「一夏、帰ったら学園の案内お願いしても良い? ちょっとマップ見ただけじゃ分からないことが多いんだ」

「良いぜー、俺も最初は全然分かんなくてさ……」

「「ぬぁああああああああ!?!?」」

 

 幼馴染二人が負けた瞬間だった。




次回からラウラ&シャルロット編です。

いつも読んでくださってありがとうございます。
次回からは字数もコンパクトに出来るように頑張ります。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

23話 思い出の木の下で

スタート直後に転ぶくらいが似合ってるので初投稿です。


 一夏たちがイグニッション・プランから帰国して早くも一週間が経過した。

 一夏はみんなと訓練メニューを相談して、徹底的に基礎を鍛え直す方針にしていた。

 放課後はまず体力トレーニング。

 

「はっ、はっ、はっ!」

 

 運動部が活動しているグラウンドを二周する形で八百メートルダッシュ。思いきり地面を蹴飛ばし全力疾走。

 それを十セット。一セットあたりの制限時間は三分。

 これによって試合で最初から最後までフルスロットルで戦える体力を作る。

 

「三分四秒……どうした、全く駄目じゃないか! まさかもう疲れたとは言わんだろうな!?」

 

 ストップウォッチでタイムを測る箒の怒声。

 汗だくの一夏は、しかし決して弱音を吐かない。

 

「すまねぇ、もう一本頼む!」

「分かっている! さっさとスタートに戻れ!」

 

 協力こそ箒の意思だが、厳しい指導は彼女の意思でやっている訳じゃない。

 一夏が自ら願ったのだ。コンマ一秒でも遅れたら叱ってほしい、厳しく見て欲しい、と。

 彼はイグニッション・プランで学んだ。自分と、自分が超えたいヤツらには、まだまだ大きな差がある。

 

 その差を埋めて超えるためには、常人の何倍も努力しないといけない。自分に甘えてなどいられない。

 

「スラスター制御がまるでなっていませんわよ!」

「シッ!」

 

 体力トレーニングを終えると次はISでの訓練だ。

 セシリアの狙撃と、散らばった四基のBTのビームを躱しつつ間合いを詰める内容。機動制御の上達が目的。

 こんな所で躓くようでは、射撃兵装が主流のISバトルを勝ち抜くことなど不可能である。

 

 BTの速射を潜り抜けると、セシリアの狙いすまされた一撃が直撃。逆にセシリアの一撃を避けると、回避した先にBTが置かれている。

 機動制御において重要な、予測能力と細かなスラスター制御──つまりPICの応用──が足りていない証拠だ。

 

「イグニッション・プランで何を学びましたの!? もっと細かく鋭く体を振りなさいな!」

「クソッ!」

 

 青いビームをひたすらに避けて前進。

 当然だがセシリアは射撃をするだけじゃない。ビームを放ちつつ移動も行う。

 永遠に距離が埋まらない。自分の間合いに持ち込めない。

 

 これで世界最強を目指すなど、妄想も甚だしい。

 

「だぁぁぁらぁああああ!!」

「ぉおおおおおおおおッ!!」

 

 鈴とは接近戦の特訓。ハイスピードの攻防を身につけるためだ。

 課題だったディフェンスは、鈴の二刀流から繰り出される嵐のような斬撃に、なんとか喰らいつけるようにはなっていた。

 しかし鈴に言わせてみれば甘いも甘い。今はあくまで特訓だからと少し手を抜いているだけで、彼女が本気になれば拷問レベルの斬撃をお見舞いすることだって出来る。

 

「ガードで手一杯じゃない! 上体屈み(ダッキング)は、上体反らし(スウェーバック)は!?」

「ち、ぃいい!!」

 

 雪片を立てて鈴の連打を防ぐ。僅かに大ぶりになった一発は上体を動かして外す。腕の反応だけでは間に合わない攻撃には、腰の捻りも加えてガード。

 一発一発に骨が軋み、体勢が崩れそうになる。回避もギリギリ、攻撃に転じても鈴に簡単にガードされる。

 まだ改善の余地がある。伸び代がある──いや、伸び代しかない。

 

 ならば足踏みする理由などない。彼はひたすらに洗練と研鑽を繰り返す。

 

 簪との実戦形式の特訓では一日のまとめを行いながら、一夏が様々な発想や技術を試していく。

 彼はイグニッション・プランでプロたちの試合を直で見て、一つ気づいた点があった。

 

(俺には攻撃のコンビネーションがない!)

 

 自分の距離まで持ち込んでからの武器がないのだ。

 例えばオーストラリアの選手。彼女は敵の横腹に一太刀浴びせて──安直だが一夏は横腹(よこばら)()りと呼んでいる──、落ちた敵の顔に向かって即座に二発目を叩き込んでいた。

 あの上下のコンビネーションが出来れば、オフェンスにも安定感を持たせられるはず。

 

「フンッ!」

「踏み込みが甘い!」

 

 現実は簡単じゃなかった。

 胴切り、つまり初動が呆気なくガードされるのだ。おまけに反撃も付いてくる。

 

「ハァッ!」

 

 瞬時に引き戻した雪片で、簪が振り下ろした鉄刀を弾いた。

 流石に鈴と特訓してるだけあって、ある程度は簪の反撃も捌けるようになってきている。

 だけど、結局それだけ。

 敵のシールドエネルギーを一向に減らせない。ジリ貧な状況が続く。

 

 それではダメなのだ。

 もう青い刃には頼りたくない。頼らないと決めたんだ。

 己の積み重ねた力で全てを超えると誓ったのだ。

 

(もっと強く、もっと速く、もっと上手く────!)

 

 ◇

 

 三時間にも及ぶ訓練を終えて、少女たちは制服に着替え、寮に繋がる並木道を歩いていた。等間隔に立ち並ぶ電灯が、白い光で道を照らしている。

 六月も下旬に差し掛かってくると、夜になっても熱気が残っていた。

 小さな汗粒が、少女たちの首筋を伝う。

 

「最近の一夏ってホント頑張るわよね〜。あのやる気はどっから出てくんのよ」

 

 襟元を摘んでパタパタする鈴の言葉に、箒が口角を上げて、

 

「やはりイグニッション・プランだろうな。帰ってきてから明らかに気合いの入れようが変わった」

「世界トップレベルの試合を見れましたものね。日本風に言えば『滾った』のでしょう」

「男って分かんないわよねー。何で自分よりも強い人見て頑張ろうってなんの?」

 

 ったく意味分かんないわそう言うの、なんて続けた鈴の隣で、簪は静かに考えていた。

 

(そうは言うけど、鈴さんもセシリアさんも同じ)

 

 彼女は知っている。

 休日や放課後の訓練。自分が打鉄を纏ってアリーナに顔を出した頃には、すでに鈴とセシリアが実戦形式の訓練を始めているのだ。高等技術の応酬を見るに、恐らくお互い真剣勝負のつもりでやっている。

 

(イグニッション・プラン……だけじゃない。織斑君からの影響も大きいはず)

 

 そう思えたのは、簪自身が一夏の影響を受けていたからだ。

 イグニッション・プラン前からも含め、ここ数週間での彼の成長スピードは凄まじかった。

 接近戦での攻防は勿論、接近戦に持ち込むまでのプロセスも丁寧に磨かれている。単純な技術だけを見れば、すでに学園でも上位に食い込めるだろう。

 

(二人も織斑君の成長速度に危機感を感じて……彼に負けないように、追い越されないようにってやる気になってるんだ)

 

 私も負けてちゃいられない、と簪は意気込む。

 それは一夏にだけじゃない。鈴にも、セシリアにもだ。

 今、自分の隣を歩いている彼女らは仲間であり友人であるが、ライバルでもある。

 互いに国家代表候補だ。いつか訪れるであろう大舞台での激突の時、絶対に負けたくないと彼女は思う。

 

(鈴さんにもセシリアさんにも勝てるくらいの実力をつけれたら、きっとあの人の背中も見えるはず……もっと訓練時間を増やさなきゃ)

 

 ◇

 

 いつものように皆と夜ご飯を食べた一夏はさっさと課題を終わらせると、自前の木刀を持って寮部屋を抜ける。

 これから外に出て素振りだ。一時間ぶっ通しで、ディフェンスやオフェンスの形を体に馴染ませる。

 

(腰の使い方が少しずつ分かってきたぞ。一、二ってステップを踏んで動かすんじゃなくて、一で腕と腰を同時に動かすんだ)

 

 廊下を歩きながら動作のイメージをしていると、向こう側から見覚えのあるシルエットが現れた。

 金髪の彼女は、最近一組に転入してきたフランス代表候補の少女。

 

「あっ、一夏」

「よっすーシャルロット。お疲れー」

 

 シャルロット・デュノア。フランスの大手IS企業であるデュノア社社長の一人娘だ。

 一週間前にラウラと共に一組に転入した彼女。最初は『デュノア』の姓でみんなから謙遜されていたが、彼女の和やかな笑顔や優しさはそんな小っぽけな垣根をあっという間に超えてみせた。

 ラウラとは真逆で、シャルロットは既に一組メンバー全員と仲良くなれていた。クラス副代表の鷹月さん曰く『笑顔に、のほほんさんに似たのほほんパワーを感じる』らしい。一夏は首を傾げるしかなかったが。

 

 シャルロットは一夏の木刀を興味深げに眺めて、

 

「どうしたの? そんな木刀なんて持って」

「今から自主練するんだ」

「今から? どこで?」

「外、つってもすぐ近くの並木のとこだけどな」

 

 へー、と彼女は相槌を打つと、視線を一夏の瞳に移す。

 

「その自主練習、見てみたいなー」

「良いぜ。人に見せるほどのものじゃねぇけどな」

「やったー! 何気に一夏と放課後過ごせるの初めてだね」

 

 二つ返事で了承した一夏に、シャルロットは相変わらずの人懐っこい笑顔を見せた。

 

「ついさっきね、やっと転入前分のレポートが終わったんだ」

「あの二ヶ月分とか言ってたやつか?」

「うん。ほんと大変だったよ」

「逆に二ヶ月分を一週間で終わらせるのすげぇだろ……」

 

 二人はそのまま雑談しながら歩み始める。

 余りに自然で、違和感のない、日常の当たり前にあるようなワンシーン。

 故に一夏は気付けない。

 本当は、シャルロットに自主練習の時間を把握されていたことに。

 

 外に出ると、一気に静けさに包まれた。

 真っ暗な上空を見上げると、指で数えてみたくなるくらい綺麗な星屑が輝いている。小さな悩みなんて忘れてしまいそうなほど壮大な景色だ。

 一夏がいつも特訓している場所は、寮のすぐそばにあった。

 緑の葉を付けた桜の木と電灯が立ち並ぶ道。そこの、とある一本の木の下。

 

 一夏にとっては思い出深い場所だった。

 

「ここでいつも一時間くらい素振りしてんだ」

「へぇ。この木を選んでるのには何か意味があったりするの?」

 

 何か嬉しいことがあった子どものように、ほんのちょっとだけ口元を緩ませて一夏はこくりと頷く。

 

「初めて……千冬姉に頑張れって、言って貰えた場所なんだ」

「……()()()()()。それなら嫌でも気合いが入るね」

 

 一瞬だけ、シャルロットの声音が落ちる。だけど刹那の変化に一夏が気づくことはなかった。

 次の言葉が出る頃には普段通りの声に戻っていた。彼女は一夏から数歩ほど離れて、

 

「この辺で見てれば良いかな?」

「おう。多分退屈だと思うけど、そん時は全然帰ってくれても大丈夫だからな」

「分かったよ」

 

 木刀を構えた一夏は呼吸を整えると、眼前に(シャドー)をイメージする。

 今日の彼が描いた輪郭は、双天牙月を握る鈴。日々の訓練で観察し得た情報を鈴の影に充填し、瞼の裏でもう一度イメージし直す。

 集中力を高めて意識を戦闘態勢に持っていくと、準備完了。

 

「ッ!」

 

 雪片に見立てた木刀を振るう。腰と腕を連動させて、二方向からの攻撃を弾き、捌き、あるいは受け流す。

 時折放たれる大きいスウィングに対しては、上体屈み(ダッキング)上体反らし(スウェーバック)で対応。

 

(相手は二刀流、それもかなりの達人。一夏の周辺にいるのは……鈴だね)

 

 第三者のシャルロットにも影の正体が分かるほど、彼の動きは洗練されていた。

 

(相当鍛錬を積んでる。素早くて丁寧なブロッキングと回避、相手にしたらちょっと苦労しそう……え?)

 

 静観していたシャルロットが困惑する。

 一夏がいきなり手を止めたのだ。

 

「どうしたの?」

「ダメだ……ガードが間に合わなかった」

「!?」

 

 一夏のその言葉に、今度は驚愕した。

 

「凄いね」

「何がだ?」

「こう言う訓練って普通、自分に都合の良い影を作りがちなんだ。でも一夏は違う。自分のやられるタイミングを分かってるなら、ちゃんと影を捉えられてる証拠だよ」

「そ、そうなのか? 自分じゃよくわかんねぇけど……褒め言葉として受け取っとくよ」

 

 シャルロットも並の訓練を積んできていない。

 だから分かる。一夏のその潜在能力(ポテンシャル)の高さが。

 そして、知る。彼の訓練──ひいてはIS──に対する誠実さと直向きさを。

 

「とりあえず、攻撃を受けても続けてみたらどうかな? 僕もアドバイス出来るかもしれないし」

「そうだな。んじゃ、お願いしても良いか?」

「うん。任せてよ」

「ありがとな、助かるよ」

 

 時間にして約六十分間、彼女は一夏の素振りを細かな部分まで観察した。腕や腰だけでなく、肩や肘、足首の動きや一夏の視線移動、重心移動(シフトウェイト)に至るまで。少しでも彼にアドバイスが出来るようにと。

 

 やがて、大粒の汗を流す一夏が木刀をそっと下ろした。同時、感覚が鈍くなるほどの疲労感が腕に押し寄せてくる。

 

「ふぅ……今日はこれで終わり」

「お疲れ様」

「おう。悪いな、結局ずっと見てもらって」

「全然良いよ」

 

 決して一夏の訓練を否定しないように、彼からの評価が下がらないように、シャルロットは言葉を選んで、

 

「良い動きだったよ。関節の連動も前後左右の重心移動(シフトウェイト)もちゃんと出来てるし、素振りだけ見るとおかしな所は何も無かったかな」

「んー……そう言って貰えるのは嬉しいんだけど、どうしても鈴のスピードに追いつけなかったり、簪にガードの上から吹っ飛ばされることがあるんだよな」

「スピードは慣れだね、今すぐに何とかなるものじゃないと思う。ガードが壊されるのについては、踏ん張りが足りないんじゃないかな?」

 

 シャルロットのレスポンスの早さに、一夏は感心を覚える。

 やはり、国家代表候補は伊達じゃない。彼女たちが格上の存在だと改めて認識する。

 助言を頭にメモしていると、シャルロットが感嘆を発した。

 

「でも凄いよね、一夏って」

「え?」

「こんな夜遅くまで一人で訓練してさ……中々出来ないことだよ」

 

 そうかな? と一夏は返した。課題や超えるべき壁に夢中で、客観的な評価など気にしたこと無かった。

 シャルロットは首肯して続ける。

 

「よっぽどISが好きなんだね」

「……好きってのもある。でも、それだけじゃないんだ」

「へぇ……なら聞いてみたいなー、一夏が頑張る理由」

 

 興味だけじゃない。彼に関する情報ならなんでも欲しい。

 慎重に、だけど自然体で訊ねたシャルロットに、一夏は青天井の夜空を見上げて答える。

 この学園に来て何度目かの……だけどシャルロットには初めての、告白。

 

「俺、夢があるんだ。世界最強になってこのでっかい宇宙(そら)を飛ぶって言う、絶対に叶えたい夢が」

「……」

「だから自分にできることは全部全力でやろうって思ってさ」

 

 夢────。

 シャルロットにとってその一言は余りにも眩しくて、手を伸ばしても届かないものだった。

 途端に貼り付けていた表情が抜け落ちる。アメイジストの瞳に影が落ちる。

 ひどく、ひどく羨ましくって。

 

 誰が決めた訳でも無い自分だけのレールに乗って、誰のものでも無い自分だけの目標に向かう。

 

 それって、どれだけ、楽しいのだろう?

 

(……いいなぁ)

 

 シャルロットは蓋を閉じていた過去と、目の前の輝かしい一夏を比べてしまう。

 悲しみと妬ましさは嫌でも声に混じった。靴の中の親指をギュッと閉じて、

 

「夢……か」

「シャルロットには将来の夢とかあるのか?」

「無いね」

 

 空気を断ち切るような即答。

 それは思わず一夏が違和感を覚えてしまうほどに、シャルロットには似合わないものだった。

 

「だから一夏が羨ましいよ」

「……そっか」

「夢を追いかけるのって、楽しいの?」

 

 沸騰した嫉妬に咄嗟に蓋をしたつもりだったが、小さな水滴となって滲み出てしまった。

 自分でもらしく無いと思ってしまうほどに、自分の気持ちを隠しきれなかった。

 

 それほどまでに、気持ちに正直な質問だった。

 あれだけ完璧に作りあげ振り撒いていたはずの笑顔は、どこにも無かった。

 

 一夏は初めて見たシャルロットの暗澹な表情に、一瞬だけ戸惑って。

 思考を巡らせて、気持ちを察しようとして、でも何も分からなくて。

 ならばこそと、素直に、()りのままに答える。

 だって、自分の気持ちに嘘は付きたくないから。

 

「滅っ茶苦茶楽しいぜ」

「────ッ」

「だってよ……ガキの頃憧れて、でも諦めちまった夢に、ありがてぇことに挑戦させて貰えるんだぜ? この世界で俺だけが!」

 

 彼は超がつくほどド直球に、

 

「これが楽しくない訳ないだろ? 

 そりゃもちろん苦しいこともあるし、悔しいこともあったよ。これからだってきっと苦難ばっかだと思う。けど……この気持ちだけで俺は何度だって立ち上がれるんだ!」

 

 真っ直ぐな瞳でシャルロットを見つめた。

 彼女は呆然と立ち尽くしていた。自分とは正反対の生き方に、愕然としていた。

 嫉妬心は途端に当惑へと変わっていく。

 

「そんなに楽しいんだ……僕、分からないんだ。今も昔も、夢を持ったことないからさ」

 

 父の敷いたレールに乗って、父の言葉に従って、生きてきた。

 周りの評価を気にして、常に愛されようとして、嘘と笑顔を使ってきた。

 それが当たり前だった。

 

「好きなこととか趣味はあるよ? でも、そのために生きようって考えたことはなくて……」

 

 俺のあとを継ぐんだと言われ、男のように強くなれと言われ、今日まで生きてきた。

 僕、なんて一人称は、矯正されかけた時期の名残。数年も使っていると、私、に戻れなくなっていた。

 

「今はフランス代表候補だから、IS一筋で頑張ってるけど……それは夢とか目標じゃなくて、あくまで立場とか責任があるからで……」

 

 今は亡き大好きな母が、別れる前に言ってくれた。

 自分の思いのままに楽しく生きて、と。

 自分を育ててくれた威厳ある父が言っていた。

 お前は俺のあとを継げば良いんだ、と。

 

 シャルロット・デュノアは十五年間、真っ暗な狭間の中で彷徨っていた。

 

「僕も夢を持てたら、一夏の気持ちがわかるのかな? 楽しい人生を過ごせるのかな?」

 

 疑問は究極だった。

 運命の岐路の選択を一夏に委ねるような、そんな問いだった。

 

 一夏は真剣に考えて答える。

 

「それは……ごめん、分かんねぇ!」

「え!?」

「だって俺の夢は俺のもんだし。俺はバチクソ楽しいけど、他の人はもしかしたらめっちゃ苦しくて嫌な思いしながら追いかけてるかもしれねぇじゃん。だから一概に楽しいとか言えねぇよ」

「そ、そうなんだ……あはは」

 

 とんでもない肩透かしを食らったような気がして、シャルロットは引き攣った笑みを作るしかなかった。

 ただ、一夏はシャルロットのさっきの暗い表情に配慮しつつ、少しでも力になれればと、

 

「ま、シャルロット自身がこうしたいあぁしたいって思ったことを追いかけ続ければ、いつか分かるんじゃねぇの?」

「……それってどうやって見つければ良いの?」

「今日は肉食いてぇ的な」

「そ、そんな単純なの?」

 

 複雑に入り組んだ事情ばかりの世界を渡り歩いてきた彼女はまたしても困惑して。

 いつも真っ直ぐに突っ走ってきた彼は明るく笑って。

 

「俺だって『かっけぇ〜!』って気持ちから始まったしそんなもんだろ。夢とか目標持つのに理屈なんていらねぇって」

「っ」

 

 今のシャルロットにはクリティカルだった。

 面白いとか、楽しいとか。好きとか興味とか、気持ちに素直な一夏の生き方は、母の言っていたような『自分の思いのままに楽しい』生き方だと思った。

 

「面白いね、一夏って」

「よく言われ、いやよく言われねぇわ。初めて言われたわ」

「なんだか急に悩み相談聞いてもらった感じになっちゃったね……ありがとね」

「訓練見てもらったしな、ちょっとくらい恩返ししねぇと」

 

 言うと、一夏は額の汗を襟で拭って、

 

「中戻るか。あっちぃし」

「うん」

 

 ◇

 

 自室に戻ったシャルロットはノートパソコンを開き、レポートを記入していた。内容は一夏についてだ。

 ルームメイトのラウラはシャワー中。彼女に疑られないようにするには、この時間しかないのだ。

 が、シャルロットの指は止まっていた。キーボードを押せない。レポートは中途半端な部分で中断されている。

 

(僕がしたいことは……本当にこんなことなのかな)

 

 『織斑一夏と友好関係を築いて、可能な限りで白式の機密データを入手しろ』。何のためかは知らないが、父に言われた当面の任務。

 叩き込んでやったコミュニケーション術やISのメンテナンス・整備技術を活かせと言われた。

 

(僕がしたいこと……やってみたいこと……)

 

 今この瞬間の自分の行いと思考が矛盾している、ような気がする。

 別にやりたくてやってる訳じゃない。やれと言われたから、それ以外にやることがないから。そうしたら愛されると思ったから、やってるだけ。

 自分の気持ちなど、どこにもない。

 

(ううん、迷ったらダメだ……今までこうやって上手く生きてきたんだ。きっとこれからも……)

 

 思考はそこで止まった。

 これからも、このまま生きていくのか?

 それって、楽しいのか?

 

(分かんないよそんなの。そもそも()()()()()って何なのさ!?)

 

 そこで思い出したのは、桜の木の下での、一夏の一言だった。

 ────『今日は肉食いてぇ的な』。

 

(……今はケーキ食べたいな、チョコレートの。でも理由がないよ)

 

 直後、ガチャリと背後で扉が開いた。

 反射的にレポートの画面から用意していたウェブサイトの画面に遷移させ、シャルロットは音の方に振り向く。

 

「……えっと、そろそろ下着くらい履いてから出てきてよ」

「女どうしだ。別に構わんだろう」

 

 素っ気ない返事で、素っ裸のラウラはベッドの上に綺麗に折り畳まれていた──そう言う部分だけは几帳面──パジャマに着替える。

 深い意味はないけど、シャルロットは普段と同じ口調で聞いてみる。

 

「ラウラってさ、今したいことって何かある?」

「ケーキが食べたいな。チョコレートの」

「えぇ……」

 

 よりにもよってなんで全く同じなんだ、とシャルロットは頭を抱えた。

 

「じゃ、じゃぁその……そう言う、自分のしたいこと、ってどうやって見つけてるの?」

「……?」

 

 質問の意味が分からず、ラウラは首を傾げる。

 

「したいこと、だろう? したいと思ったのならそれで答えは出てるんじゃないのか?」

「なんて言うかさ、もっとほら、理由とか論理って言うか、あるじゃん?」

「……一週間ばかり共に生活して思ったことなのだが、シャルロット。お前は少しものを複雑に考えることが多いな」

「っ!?」

 

 思いがけない人物からの痛烈な指摘に、彼女は言葉を失った。

 ラウラは他人に興味のないような態度を取っておきながら、ちゃんと一人一人を観察していた。僅かな変化の見逃しすら命取りとなるような環境で戦ってきた軍人としての癖だ。

 

「否定する気はないが、その思考は時として()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……う、うん」

 

 会話はそこで止まった。

 ラウラは地べたにマットを引いてストレッチを始めた。

 シャルロットはトンカチで頭を殴られたような、そんな衝撃を味わった。

 

(もしかしたら、僕が考えてる以上に簡単なことなのかな……自分のしたいことを見つけるのって)

 

 明確な答えは一向に出ない。

 けど、大きなヒントを得たような、そんな気がした。




ラウラとのバトルやシャルロットの設定はだいぶ原作と変わってます。

※この作品の路線はあくまでスポ根ロボバトルです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

24話 その手に宿る重さ

箒誕生日おめでとう!


 学年別個人戦トーナメントまで残り三日。

 今日は最後の休養日。セシリアも鈴も簪も、みんな各々の好きなように放課後を過ごしていた。

 けど、一夏だけは違った。

 

「はっ、はっ、はっ!」

 

 分厚い雲に覆われた十七時。嫌な蒸し暑さに包まれたグラウンドを馬車馬のように走っていた。八百メートルダッシュの繰り返しで、通気性の良いシャツはもうびしょ濡れだ。

 最後のコーナーを抜けると、ストップウォッチでタイムを測る箒の真ん前を突っ切った。

 

「二分五十八秒。ついに十本とも三分を切ったな」

「はんっ、はんっ……やっと……やっとだ……!」

 

 膝に手をついて荒い息をする一夏。ようやく、試合三日前にしてようやく、目標を一つ達成した。

 自分でもスタミナが付いたと感じていたが、それは自惚れじゃなかったようだ。実際に数字で成長が見えると、達成感や喜びが湧いて出てくる。

 箒は真顔で、

 

「しかしまだまだ縮められるタイムだな」

 

 いや違うだろ!? とクッソ真顔の箒は内心クッソ焦りながらツッコむ。本当は好きな人の成長が嬉しいし、『凄いじゃないか一夏!』って褒めたかった。出来れば真正面から抱き付いて言いたい。

 素直になれないのは生まれつきだとしても、いい加減どうにかしたいと思う今日この頃である。

 

「あぁ……次は五十五秒切りが目標だな……」

「……」

 

 箒の照れ隠しの一言は、どうやら一夏のあくなき向上心を突っついたようだ。

 運動部の掛け声をバックに、呼吸を整えた一夏はつま先の向きを変えた。

 

「今日もありがとな、箒」

「あ、あぁ……どこに行くんだ?」

「アリーナ。こう言う時に少しでも差を埋めないとさ」

「ま、待て! 流石にオーバーワークじゃないか!?」

 

 思わず箒は一夏の背中を止めた。

 ここ最近、放課後はいつも体力作りにIS操縦と訓練ばかり。第三者の箒目線でも疲労の蓄積は目に見えていた。

 一夏は箒を心配させまいと、

 

「大丈夫だって、今日はちょっと動かすくらいだし」

「しかしだな……息を抜くのも大事だぞ」

「分かってるよ。でも、心配ありがとな。

 俺もちゃんとコンディションには気ぃ遣ってるからマジで大丈夫だよ」

 

 言うと、一夏はグラウンドを立ち去る。

 一人残された箒は、遠くなっていく一夏を黙って見つめる。

 

(……向上心の塊だな)

 

 率直な感想だった。

 幼馴染の関係だとか、好意だとかを置いて。求道者の箒は、一夏に尊敬の念を抱いた。

 いつかの道場での、彼が呟いた台詞を思い出す。

 

(自分に()るもののために頑張る、か)

 

 託された男たちの夢のために。協力してくれる友人のために。

 何より、一夏自身の夢のために。

 きっと責任感や使命感も背負いながら、頑張ってるのだろう。そうして強くなっていくのだろう。

 箒はそんな、純粋で直向きな彼が大好きだ。

 彼女は小さく笑って、淡い望みを胸に秘める。

 

(私も理由の一つになれたら……嬉しいな)

 

 ◇

 

 アリーナに繋がる並木道を歩く一夏。

 ずっと晴天が続いていただけに、夕陽のない夕方は逆に新鮮だった。

 ISスーツの入ったナップサックを揺らしながら進んでいると、前方。銀髪の少女と黒いスーツを纏う女が会話していた。

 ラウラと千冬だ。

 一夏は特に気にすることなく通り過ぎようとして、

 

(────!?)

 

 一瞬の思考の間。

 二人の姿から連想された単語は『ドイツ軍』。

 ドイツ軍の教官に一年間着任していた千冬。そして、ドイツ軍所属のラウラ。

 二人に()()()()キーワード。

 

(何か関係があるのか?)

 

 良くないことだと思いつつも、興味を隠しきれず一夏は並木の陰に潜んだ。物音に細心の注意を払いつつ聞き耳を立てる。

 

「そうですか……もうドイツで教官のご指導を受けることは出来ないのですね」

「私には私の役目があるのでな。すまないな」

 

 ドイツ。教官。ご指導。

 一夏の頭の中で、点と点が繋がっていく。

 

(あの一年間、千冬姉はラウラさんと出会ってたんだ)

 

 彼の推測と並行するように、二人の会話が進む。

 

「だがなラウラ、この学園には軍隊では学べないことで溢れている。初心にかえって今一度学び直し、自分を見つめ直してみろ。

 そうすればきっと、お前の言っていた『強さ』も()()()()()()()()()

「……私は」

 

 ラウラの声が詰まった。逡巡とか戸惑いとか、そう言うものじゃない。

 その一瞬の沈黙は、今にも爆発しそうな気持ちをぐっと堪えた一瞬だと、一夏は理解できた。

 

「私は、教官と出会ってからずっと教官を目標に生きてきました。

 その過程で、自分なりの『強さ』を見つけたつもりです」

 

 ぴくっ、と一夏の眉が跳ねる。

 ラウラは、自分と同じく織斑千冬──つまり世界最強を目標にしていた。

 そう言った類のモノとはかけ離れてる存在だと思っていただけに、かなり、意外だった。

 

「そうか」

「……呼び止めてしまいすみませんでした。失礼します」

 

 言うと、ラウラはその場を去る。かた、かた、と足音が小さくなっていく。

 一夏がたった今得た情報を整理していると、

 

「盗み聞きか?」

「!?」

 

 千冬の声。間違いなく自分に向けられているモノだと、一夏は即座に察した。

 無言でやり過ごそうとは思わず、彼は並木の陰から出た。

 

「すみません」

「別に責めようとは思っていない」

「千冬姉、ドイツでラウラさんと会ってたんだな」

 

 いつものように胸の下で腕を組む彼女はこくりと頷く。

 今ばかりは、教師と生徒でなく、姉弟として話す。

 

「IS部隊でな。あいつの実力は相当だぞ」

「じゃなきゃ専用機貰ってないだろうしな」

「今度のトーナメント戦ではあいつも出る予定だが、どうだ? 戦ったら勝てそうか?」

「わかんね。でもその時が来たら全身全霊で勝ちに行くよ、俺は」

 

 予想通りの回答に千冬は満足そうな顔をした。

 彼はいつだって変わらない。常に壁を見据え、真っ向勝負で挑み、最後は一つ強くなって壁を超えちまう。

 いつの間にか千冬は、そんな一夏の成長に期待するようになっていた。

 

 だからこそ、聞きたかった。

 

「……一夏」

「ん?」

「お前にとって、『強さ』とはなんだ?」

 

 哲学的な問いかけに、一夏は思考を要さず答えた。

 

「『()る』ってこと、かな」

「ほう?」

 

 一夏はこれまでの激闘を振り返りながら、ぎゅっと握った右手を見つめる。

 共に戦い続ける相棒が眠る、その右手を。

 

「例えばセシリアには誇りが在った。簪には意地が在った。鈴には想いが在った。それにみんな代表候補生で色んなもん背負ってて……だからみんな強かったし、俺もこの人に勝ちたいって思えたんだ」

「お前にそう言うのは無いのか?」

「自分なりに、ちゃんと()ると思ってるよ」

 

 その重さはいつも感じている。

 使命感、責任感、期待、プレッシャー。それらに押し潰されないように、逆に全てを背負って駆け上がるつもりで自分を鍛えているのだ。

 彼自身、何一つとて溢したくない。

 

「中学までは正直なんも無かったよ。だからIS動かせるってなっても、だからどうした、ってしか思わなかった。むしろ何でそれだけで人生振り回されなきゃいけねぇんだって腹も立ったよ」

「……」

「でも、そんな俺に大事なモノを託してくれた人たちがいる。知識も技術もない俺に力を貸してくれる人たちがいる。絶対に……裏切りたくねぇ」

 

 多分自分で聞き直したら小っ恥ずかしくなるような台詞。だけど、譲れない信念であり胸で滾る本心。

 一夏は自然と思いを紡いでいた。

 その瞳は世界を照らすような、真っ直ぐな瞳だった。

 自分自身を確立した一夏の姿に、千冬は珍しく正直に気持ちを吐露した。

 

「ついこの間まで子どもだったお前が……立派になったな」

「まだ未熟者だよ」

「ふふっ。そう言う所が立派になったと言ってるんだ」

 

 千冬は温かみのある微笑みを浮かべた。

 己の道を突き進んでいく一夏の背中を押すように、彼女は、

 

「三日後の試合では、お前の言う『強さ』を見せてもらおうか」

「あぁ。俺も千冬姉に見て欲しい。俺の頑張ってきた成果を」

「……期待してるぞ」

 

 くるっと身を翻し、千冬はその場を後にした。

 

(期待してる、か)

 

 重い一言だ。

 握りしめた右拳が、手首に嵌められた白いガントレットが、また重量を増した。

 力を抜けば地べたに落ちてしまいそうなそれを、しかし彼は決して落とさない。

 

(ちょっとは強くなれたってとこ、見せねぇとな)

 

 改めてやる気が湧いてくる。

 あと三日間もしっかり頑張ろう、と彼は意気込んだ。

 

 ナップサックを肩で担ぎ直し、数歩ほど進んで。

 前方に映ったのは、いるはずのない銀髪の少女だった。

 一夏は反射的に声を出した。

 

「ッ!? ラウラさん」

 

 木に凭れて千冬のように腕を組んでいたのは、先ほどこの場を去ったはずのラウラだった。

 彼女は片方の真紅の瞳で彼を睨む。

 鋭い視線に含まれるのは大きな敵意。

 

「どうしてここに?」

「自分は盗み聞きしておいて、いざされたら困るか?」

「ッ」

 

 何も言い返せなかった。

 一夏は驚いていた。

 盗み聞きされていたことに対してじゃない。最初の時点で存在に気づかれていたことに、だ。

 その優れた気配察知能力。

 彼女が戦士(ファイター)として格上であることを、身をもって実感する。

 ラウラはふんっ、と馬鹿にするように鼻を鳴らす。

 

「少し聞いていればなんだ、おんぶされて守られてるだけの人間が一丁前に『強さ』を語るか」

「……どう言うことだよ」

「知らんのなら良い」

 

 もう一度聞き返すが、ラウラは答えやしない。

 

「貴様は自分の強さを『在る』こと、とか言っていたな」

「あ、あぁ」

()()()()

 

 切り捨てるような言葉に、一夏はわずかに顔を顰めた。

 人それぞれに色々な考え方があるだろうが、否定される筋合いなどないはずだ。

 彼の感情などさておき、彼女は続ける。

 

「教官のお荷物らしい答えだ。不純物の塊のような、な」

「……あんたが俺を嫌うのは構わない。でも、そこまで言われて黙ってられるほど俺は大人じゃねぇぞ」

「何一つ捨てることのできない人間に、頂点など掴めるはずがないだろう」

 

 頂点。そのワードが示すものはただ一つ。

 世界最強の称号に他ならない。

 彼女も噂で知っていた。一夏が自分と同じ最強──織斑千冬の座を目指す人間であることを。

 

 向こう側で雷が落ちた。歪な光の線が瞬き大気を揺らす。

 

「……じゃぁなんだ? あんたは色んなもんを捨ててきたってのか?」

()()()()()

 

 眼帯で隠されたラウラの瞳が疼く。己を捨てて得た力が、ズキズキと疼く。

 疼きは過去を呼び覚ます。

 

 試験管で生み出され、力だけが全ての戦場で生きてきた。

 だけど、無力だった自分。周りよりも劣っていた自分。他人と比べられては低い評価しか下されなかった人生。

 悔しさと屈辱に打ちのめされてる時に出会った織斑千冬と言う孤高の存在。

 彼女のようになりたいと心の底から願った。彼女と同じくらい強くなりたいと憧れた。

 だから、だから!

 

「過去も、関係も、自分自身さえも捨てた! だから私は今ここにいる!」

 

 覚悟を秘めた力強い声音だった。たったそれだけでも壮絶な過去を想起させるほどに。

 また雷が落ちる。

 まるで彼女のボルテージの高まりを表すように。

 

「教官の強さに憧れて、教官のようになりたくて、力だけを求めた。そして得た。他の全てを超越する圧倒な力を!」

「それがあんたの『強さ』ってやつか?」

 

 そうだ、とラウラは答えて、

 

「貴様とは覚悟が違う、執念が違う! ただ与えられるだけで何も犠牲にすることなく、守られながら生きる貴様とは!

 貴様は出来るか!? 何かを捨てることが! 己さえも犠牲にすることが!」

「…………」

「……ふんっ、言い返すことも出来んか。情けない」

 

 黙り込んだ少年を、彼女は視線で射殺すつもりで睨みつける。

 認めたくない。許せない。イラつく。何一つ犠牲にできないこの甘ったれな男が、自分と同じ目標を掲げていることが。

 敵意と憎悪が増大していく。憧憬である織斑千冬のお荷物に過ぎないこの男が、生意気に『強さ』をほざいたことに。

 

「貴様のように()()()()()()ISに乗る人間は大嫌いだ。

 もし戦うことがあったら……二度とISに乗れないように、徹底的に痛め付けてやる」

 

 宣言すると、彼女は無言の一夏に背を向けた。

 小さくなっていく彼女の背中を、一夏は黙って見つめる。

 静寂を引き裂くような雷鳴が轟く。

 

 一夏は俯いた。

 一方的に言われて悔しいとか、苛つくとか、そんな陳腐な気持ちでじゃない。

 彼女の言葉が理解できない訳でもない。

 

 ただ、彼は激戦を超えてきた戦士(ファイター)として──。

 自分なりの答えを持つ者として──。

 

(……)

 

 脳内で繰り返されるのは彼女の声。

 

(全て捨てた、だと?)

 

 体が熱くなっていく。蒸し暑さで、じゃない。

 信念に、小さな火が付いていた。

 

(何もかも捨てて得た力が『強さ』、だと?)

 

 今日この瞬間までの経験と好敵手の顔がよぎって、煮えたぎった一つの感情。

 ──負けたくない。

 勝ちたいんじゃない。超えたいんじゃない。

 正しいとか間違いだとかの問題じゃない。

 

(ふざけんじゃねぇ。……そんな『強さ』にだけは、意地でも負けたくねぇ!)

 

 己に在るものたちが叫んでいる。

 奴にだけは負けたくない、と。

 何かを捨てて得たような『強さ』に屈したくない、と。

 

 閉じた唇の裏側で、力いっぱいに歯を噛み締める。

 鼓動の度に、心の炎がうねりを上げる。

 

 きっと戦うことになるであろうラウラとの試合は実力の勝負なんかじゃない。

 信念と信念のぶつかり合いだ。

 絶対に負けられない。負けたくない。

 

 拳に宿るこの重さのためにも、負ける訳にはいかない!

 

(あんたの『強さ』が全てを捨てたモノだってんなら……!

 俺は託されたもののために……。力を貸してくれる箒たちのために。俺自身の夢のために!

 俺の『強さ』を証明してみせる!)

 

 稲妻が落ちると同時だった。

 轟音響く大地にて、静かに。

 

 闘魂、起爆。

 

 ◇

 

 ついに開催された学年別個人戦トーナメント。

 全校生徒が参加するこの超ビックイベントは三日間に分けて行われる。もちろん会場一つじゃ時間がかかりすぎるため、学園にある全てのアリーナが使用される。

 学園の外からも多くの人間が訪れる。例えば企業の人間や国家のエージェント、プロチームのスカウトマンたち。

 生徒にとっては、彼らに能力をアピールする最高の機会だ。試合後のメンテナンスを担当する整備課含め、全員が気合を入れていた。

 

 そんなトーナメント戦も早いこと三日目。

 

「やはりこうなったか」

 

 たった今配布された一年生の決勝トーナメント表を見て箒が呟く。

 専用機持ちと代表候補生の六人に加えて、箒と三組の代表がベストエイトとして残っていた。

 

「ぎゃー、あたしセシリアとじゃない。勘弁してよもー!」

「僕は簪とだね、よろしくね」

「うん、よろしく」

 

 観客席で固まって座る少女たち。

 だがそこに、一夏はいなかった。

 

「……よりにもよって一夏さんは最悪の敵と当たりましたわね」

 

 セシリアの一言に、誰も何も言えなかった。

 一年生決勝トーナメント一試合目。

 織斑一夏対ラウラ・ボーデヴィッヒ。

 白式とシュヴァルツェア・レーゲンのAICのことを考えれば、正に相性最悪の組み合わせだった。

 

「で、でも一夏のことだから、きっと対策くらい考えてるはずだよ」

「多分対策なんてしても避けられないわよあれ」

 

 シャルロットのフォローするような言葉を否定したのは鈴。

 彼女はプロの操縦者として意見を述べる。

 

「ラウラだってAICを使うために色んな戦術考えてる訳で。

 一夏みたいな素人が対策したって、逆にすぐ対応されちゃうのがオチよ」

 

 心で信じてはいても、一同、頭では分かっていた。

 

 力の差がありすぎる。

 

 今まで代表候補生たちと接戦を繰り広げてきた彼だが、ラウラは余りにも天敵すぎる。

 機体に搭載された能力も。操縦者としての腕の差も。

 彼の前で口にすることはないだろうが、今日ばかりは負けても仕方がない。

 全員がそう考えて──いや、一人だけは、違った。

 

 二人の差を理解してなお、

 

(頑張れ、一夏)

 

 箒は信じる。

 盲信と言われようが構わない。

 もう自分にできることは応援だけだから。

 

(ここで勝てなきゃ最強になんてなれっこない。お前も分かっているはずだ。

 だから、頑張れ! 一本の剣に在りったけの勇気を込めて、勝ってみせろ!)

 

 ◇

 

 試合時間になった。

 カタパルトから青色の宙に放たれた二機のIS。

 片や白、片や黒。

 宙に佇むだけでデモンストレーションになるような二機が、アリーナ中央にて対峙する。

 

 観客席が一気に湧く。来賓席ではすでに拍手が起こっている。

 すでに観客の熱は最高潮だった。

 まるで一夏の冷静沈着さとは裏腹に。まるでラウラの鋭い殺気とは真逆に。

 

 両腕からプラズマ手刀を顕現させ、ラウラが構える。

 対して一夏は、構えない。雪片の切先は下を向いている。

 一部の操縦者にしか察知できないような、異様な空気が両者を包んでいた。

 

「どうした、貴様の土俵で戦ってやろうと言うのに」

「……」

「まさか怖気付いたとは言わんだろうな?」

「……」

 

 一夏は沈黙を貫く。

 だけどその静けさは、その眼光は、離れたセシリアたちに鳥肌を立たせるほどの気迫で充実していた。

 彼の周囲だけ、蜃気楼でも起こっているかのように、景色が歪む。

 それほどの気炎が、彼から放たれている。

 

 ラウラが口角を歪める。

 

「精々私を楽しませろ」

「……」

 

 互いの機体でカウントが刻まれる。

 10、9、8────。

 箒は固唾を飲んだ。

 セシリアたちは両者の動きを予想していた。

 7、6、5────。

 管制室では教師たちが見守っていた。

 織斑千冬は二人の激突を見届けようとしていた。

 4、3、2、1────。

 

 ラウラの手刀が紫電を巡らす。

 

 それでも一夏は、構えない。

 

 0。

 

「貴様の自信ごと殺してやる!」

 

 試合開始の合図と同時、爆発的な加速でラウラが接近。コンマ秒で両者の距離が殺された。

 黒色の機体が一夏の懐に潜り込む。

 だが、一夏は構えない。反応が間に合うはずなのに、迎撃できるはずなのに、指一本動かさない!

 

「死ねぇッ!」

 

 プラズマ手刀の先端が、一夏の顔面を直撃した。

 首を吹き飛ばすような一発に、白式のシールドエネルギーが大きく削られる。

 その衝撃に一夏の口の中が切れ、血の臭いで充満する。

 

「……ッ!?」

 

 それだけだった。

 攻撃をヒットさせたはずのラウラが違和感を覚えるほど、手応えがない。

 あたかも巨大な岩石を叩いたような感触。

 

 織斑一夏は砕けない。

 絶対に折れない支柱で括られたように、一歩だって退かない。

 

「その程度かよ」

「な……に?」

 

 ラウラの手が止まる。

 一夏の灼熱の闘志は彼女の殺気さえも燃やしていた。

 彼は捻れた首に力を込めて、手刀を押し返すように正面を向いた。

 口から鮮血が流れる。

 

「てめぇの『強さ』ってのはその程度なのかって聞いてんだよ」

 

 ラウラは理解が追いつかなかった。

 一撃で喉笛を掻き切る勢いで繰り出したはずの一撃に、この男は耐えるどころか、一ミリも動かなかった。

 思わず手刀を引き戻し、一歩、後退。

 

「どういう、ことだ?」

 

 その疑問に、一夏は答える。

 脳裏で激闘を思い出して。

 

「今まで戦って来た相手はみんな、何かを背負ってた。

 だから強かった! みんなの一発はどれも重くて、滅茶苦茶痛かった!

 けど……なんだ、今の腑抜けた一発は?」

 

 もはや戦場を支配していたのは一夏だった。

 気迫が会場を包んでいた。誰もがその普通じゃ考えられない光景に言葉を失っていた。

 声音に信念を乗せて、彼は告げた。

 

「確かにすげぇよ……力のために全てを捨てるなんて俺には出来ねぇから。マジに凄い信念だと思うよ。

 でもよ、大事なものまで捨てちまってんじゃねぇのか?」

 

 何一つ捨てることなく、全てを背負ってきた少年は断言する。

 ラウラの全てを跳ね退けるように。

 

「てめぇの拳は軽すぎる」

 




面白いと思っていただけたら嬉しいです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

25話 戦いの末に

※この辺ほんっと原作と変わってます
ぜひ後書きまで見ていただければ、と思います。お願いします。


「軽い、だと?」

 

 ラウラは動揺と困惑を隠せない。

 何故、この男はびくともしない。なんだ、この手応えの無さは。

 まさか本当に、自分の拳は軽いとでも言うのか?

 思わず構えを解いた彼女の眼前。口から血を垂らす一夏はそこでようやく雪片を立てた。

 

「あんたにだけは意地でも負けねぇ」

「……ッ」

 

 目力だけで威圧されていた。ラウラは嫌でもその事実を痛感してしまった。

 顔を顰める。

 認めるわけにはいかない。この男の強さを。

 守られてばかりで何一つ捨てずに生きてきたこの男の存在を。

 

「────舐めるなァッ!」

 

 渦巻く激情のままにラウラが仕掛ける。紫電巡るプラズマ手刀を突き刺すように前へ。

 対して一夏は真っ向勝負に出た。雪片を思い切り振るって、迫る手刀にかち当てる。

 鈍い金属音が火花と共に炸裂。

 

「おおおぉおおおおおおおお!!!」

「なっ!?」

 

 手刀の追撃よりも速く、雪片で押し込む。

 弾き飛ばされて体勢を崩したラウラの懐には、既に一夏が飛び込んでいた。

 横腹を狙う刃をラウラは咄嗟に防御。直後、腕の装甲から全身へ重い衝撃が伝った。

 

(な、なんだこの重さは!?)

 

 ラウラは驚愕した。

 今まで感じたことのない重さ。ガードの上からでも体軸がずれそうになるほどの衝撃。

 しかし彼女だって歴戦の戦士。理解はできなくとも、歯を食いしばって耐えてみせた。

 そのままもう片方の手刀で、雪片を引き戻した一夏に襲いかかる。

 カウンター気味の一撃を、彼はその目でしっかりと捉えて。

 

 すぱっ、と。

 受け流すように捌いた。

 

 続く手刀の連続攻撃も一夏は捌き、弾き、防いでいく。

 一発も有効打を許さない見事なブロッキング。

 

「凄い! ちゃんと特訓の成果が出てるじゃない!」

 

 観客席で鈴が喜ぶように声を上げた。

 これまでの鍛錬がここに来て遂に実を結んだのだ。

 

(何故私の動きに付いて来られる!?)

 

 一見乱雑に見える手刀の振り回しは、実際は技巧極まった斬撃の台風。一挙手一投足の全てが世界最強・織斑千冬仕込み。

 それらを、この男は一切受け付けない。たかだか操縦歴二ヶ月のこの男は、全てを防ぎ切っている。

 

 意味が分からない。

 

(まさか、まさか本当に私の拳は軽いのか!?)

 

 暗示にでも掛かったかのようにラウラは冷静さを失っていた。

 自分の力を疑ってしまうほどに。

 

(つ、つえぇ!)

 

 恐ろしく素早い攻撃に、一夏はなんとかギリギリで応戦していた。

 自身の成長を実感しながらも、尚もそれを上回ろうとするラウラの技術と殺気に恐怖すら覚える。

 

 だけど。

 一夏は決して恐怖に屈しない。

 

(テクニックだけで言えば間違いなく鈴たちより上だ、マジにつえぇ!

 でも、あいつらに比べれば軽い! 気持ちがまるでこもってない! そんなのに負けられねぇ、負けたくねぇ!)

 

 男としての、戦士としての意地が肉体に熱を与え、一夏に降り注ぐ恐怖と殺気を燃やし尽くしていた。

 

 ラウラは強者故に見えてしまっていた。

 一夏のその滾る炎のような闘気が。

 

(そんな……私の力が通用しないなど!)

 

 だって、そんなことがあるのだとしたら。

 彼女のようになりたくて全てを捨てたのに。彼女の力が通じないのだとしたら。

 

 何のために全てを捨てた?

 

「貴様にだけはぁああああ!」

「ッ!」

 

 感情の昂りと共に、僅かに大ぶりになった一発。

 一夏は見逃さなかった。上半身を屈ませつつ機体ごと下にずらす形の完璧なダッキングで回避。

 焦点は無防備な横腹。雪片に力を込めて、

 

「しまっ」

「トォアァアッ!」

 

 マックスパワーでぶった斬る。

 シュヴァルツェア・レーゲンのシールドエネルギーががくんと減って、ラウラが吸い込みかけていた酸素を吐き出した。

 完全に勢いを寸断。だが、それだけでは終わらない。

 ラウラが視線を一夏に戻した頃には、二発目が放たれていた。

 何度も練習した上下のコンビネーションだ!

 

「せありゃァッ!」

「チ、ィイ!」

 

 繰り出された顔面への斬撃を、驚異的な反射神経でラウラはガードした。手刀と雪片が再び火花を散らす。

 直撃を確信していただけに、一夏は目を丸くした。

 

「一撃目の時点で踏み込みが足りなかった」

 

 観客席の簪が冷静に分析する。

 だが、今のが決まっていれば一気に戦況を変えられた。あの簪がそう思うほどに、今のコンビネーションは惜しかった。

 

(コンビネーションまで使えるのか!?)

 

 最も驚いていたのはラウラに他ならない。戦えば戦うほどに、この男が操縦歴二ヶ月とはまるで思えない。

 冷や汗すらかきそうだった。

 

 ラウラは一旦距離を取ることを選択。スラスターに火を点けて瞬時に後退。直後、一夏の一閃が虚空を斬った。

 

「逃すかよ!」

「逃げたとでも思ったか!」

 

 ホーミング弾のように後を追いかけ出した一夏の前方。

 後退するラウラから放たれた二本のワイヤーブレードが、蛇のような動きで襲いかかる。

 回避は造作もなかった。一夏はスラスターを巧みに操って二本を掻い潜る。

 そして二本のワイヤーブレードと鉢合わせ。

 

「ッ!?」

 

 最初の二本は呼び込み、本命はこのもう二本の刃。

 それは、そのままAICとレールカノンのコンボに繋げるためのブレード。ラウラの必勝パターンの一つだ。

 

「掛かった!」

 

 ラウラの確信。同時、AICの起動準備をして、

 

「甘ぇんだよ!」

 

 その確信を、今度は一夏が裏切った。

 一瞬だけ真横へ急加速を行い射線から離脱。続いてもう一度加速して前進し、完全にワイヤーブレードの射程範囲から抜け出す。

 急速に縮まる二人の間合い。

 確信すらも外し、いよいよラウラは焦燥に駆られる。

 

「何故だ、何故避けられる!?」

「こちとら狙撃の達人に鍛えて貰ってんだよ!」

 

 一夏の叫びは、当の本人にもしっかり聞こえている。

 

「えぇ、いい動きですわ。まぁわたくしのBTなら今ので二回は当ててましたけども」

 

 ラウラ・ボーデヴィッヒは知らない。

 この二ヶ月間、織斑一夏がどれだけの激戦を乗り越えてきたか。

 ラウラ・ボーデヴィッヒは気付けない。

 ライバルたちとの鍛錬が、ライバルの力が、織斑一夏の力であることに。

 

 あっという間に間合いは一夏の射程距離と化した。

 AICは間に合わないと判断し、ラウラは手刀を構え、雪片を迎撃。

 衝突音は接近戦のゴング。

 互いが互いを食い破らんとする、目にも止まらぬスピードの剣戟が幕を開ける。

 先ほどとは違い、両者ともに攻撃の刃。一夏は在りったけの信念を、ラウラは背筋の凍るような殺気を剣に込めていた。

 

 一打一打のインパクトが、両者の体の芯を震わす。

 

(このスピードにも付いてくるだと!?)

(さっきよりも速ぇ! 一瞬でも気を抜けば蜂の巣にされちまう!)

 

 普段から二刀流の鈴と戦闘訓練をしている一夏でさえ付いていくのがやっとだった。衝突音が耳を突き抜けるよりも早く次の手刀が放たれる。

 一夏は腕だけではなく下半身も使って、今出せる最高速・最大威力の斬撃を返していた。

 

「小賢しい、ならば!」

 

 気が遠くなるような連打の中、ラウラが途端にパターンを変えた。

 縦に両断するように振り下ろされた雪片を、手刀の横薙ぎで一夏の腕ごと弾く。

 流石の一夏でも想定外の動きだった。咄嗟に腕を戻そうとするも、すでに遅かった。

 

「や、べ」

「はぁあああ!」

 

 ラウラのは風穴を開ける勢いで一夏の腹部を突き刺した。

 がはっ、と体を『く』の字に曲げた彼に、そのまま追撃を仕掛ける。

 ギタギタに切り刻む勢いで、左右の手刀で斬りつける。無情の連打だ。

 白式に次々と切り傷を刻み、シールドエネルギーを減少させて、一夏の全身に鋭い痛みを与えていく。

 

「どうだ! これでも私の拳が軽いと言えるか!」

 

 ラウラの怒声に、一夏は答えない。

 だが、意識を失っていた訳じゃない。意識はしっかりと闘争心で繋ぎ止めている。

 そしてやられっぱなしで終わる一夏でもない。そんな柔な鍛え方などしていない。

 斬撃の嵐に打たれながらも雪片を立て直し、少しずつガードを成立させていく。

 

「な、に……?」

 

 一方的にダメージを与えているはずのラウラが戸惑う。

 立てた雪片の刃の後ろで。あたかもラウラの怒声を否定するように、彼はラウラを睨みつけていた。

 無言の圧力は、しかしラウラの自信をそれだけで更に擦り削る。削りカスとなった自信は積もり積もって、自身への疑念に変わっていく。

 

 疑いはどんどん深くなるばかりだった。

 

(あり得ない……そんな筈はない! 私の拳が軽い訳がない! 

 現に見ろ、今圧倒してるのはわた────)

 

 ラウラの手刀が一夏の顔面を捉えた直後だった。

 

 血塗れの歯を食いしばり、捻れた首を戻した一夏の瞳が放った眼光。

 それは刃のように鋭く、炎のように熱く、成層圏の彼方まで真っ直ぐに突き進むような光だった。

 

 光がラウラをぶち抜く。

 

「う、ぁ」

 

 手刀を振り抜いたラウラの体が一瞬だけ強張った。

 恐怖とか躊躇いとかじゃない。本能がやばいと叫んだ。

 理解を超える何かがラウラの動きを止めたのだ。

 実力者故の反射的な行動だった。ラウラは無意識のうちにバックブーストをかけて一夏から離れる。

 

「え……? なんで?」

 

 観客席から一連の流れを眺めていたシャルロットが声を漏らした。

 

「今の状況は間違いなくラウラが有利だったのに、なんで自分から離れたの?」

「……私も経験したことがある」

 

 彼女の疑問に答えたのは箒。

 箒は一夏から目を逸らさずに、

 

「剣道の大会、あれは全国の三回戦だったか……。一言で言えば、相手の闘志に呑まれかけたんだ」

「闘志に呑まれかけた?」

「うむ。異様な殺気の中で、敵から湧き出る闘志に呑み込まれそうになって一歩下がったことがある。もしあの時下がらずに呑み込まれていれば、間違いなく私は斬られていたと思う」

 

 経験者だからこそ言葉に重みがあった。

 シャルロットは未経験ながらも、それが本当にあるのだとしたら恐ろしいことだと思えた。

 だって、手も足も動かさずに敵を威圧出来るモノがあるのだとしたら、それこそ究極の武器になるからだ。

 

(ISが好きとか、夢を叶えたいとかって気持ちだけじゃ無理だよね。そう言うのが出来るのだとしたら。

 きっともっと根本的な……生き方そのものが違うんだろうなぁ)

 

 視線を戦場に戻したシャルロットは、あの木の下で一夏と交わした会話を思い出していた。

 

(……一夏って、どんな生き方をしてるんだろう)

 

 自分の忘れたい過去と、戦う彼の姿を比べて、シャルロットは興味が湧いた。

 

 知りたい。

 

 それは断じて押し付けられたモノじゃない。

 自然に生まれた自分だけのモノだった。

 

「……」

 

 ラウラと一夏は不自然な間合いで睨み合っていた。

 片方は肩で呼吸をし、もう片方は表情を凍らせている。

 先ほどの激闘とは変わって、不気味な静寂が二人を包んでいた。

 

「……良いだろう」

 

 先に口を開けたのはラウラ。

 彼女は自分を肯定するために、彼を否定し殺すために、

 

「貴様は強い、それは認めてやる……ッ!

 だが、その上で私が勝つ。貴様よりも私の方が強いと証明する!」

 

 AICの起動準備と共に、眼帯を引きちぎった。

 現れた黄金の瞳は『ヴォーダン・オージェ』と呼ばれるハイパーセンサー。ラウラが誇りを捨てて手に入れた力の結晶。

 力の金と殺気の赤が、一斉に瞳孔を開けた。

 

「……俺はあんたにだけは負けねぇ」

 

 一方、一夏は。

 

「あんたが言う全てを捨てた力になんて、負ける訳にはいかねぇ!」

 

 腹の底から叫んで、己に在る全てを一本の剣に込めた。

 それは誰にも見えやしない。だけど、何よりも重い力。

 白式もその重さを、しっかりと受け止めていた。

 

 大きな純白の翼が推進剤を溜める。

 黒い鎧が殺戮の構えをとる。

 

 両者の動きは同時だった。

 

「いっちょ行くぜ、白式ィッ!」

「来い、殺してやるッ!」

 

 一夏は真正面から突っ込んだ。白式の最大速度で間合いを詰める。

 ラウラは四本のワイヤーブレードを全て射出し、()()()()()

 高速のワイヤーブレードが四方から囲い込むように一夏を襲う。

 

「そんなもん当たるかよ!」

 

 最初の二本を弾き返し、続く二本を躱す。何度も頭でシュミレーションしていた、こんなものに今更当たる一夏ではない。

 視線を前に戻した一夏の真正面には、ラウラが腕を伸ばして待っていた。

 

(あぁそう来るだろうと思ったさ! だから俺は────!)

 

 スラスターを爆裂させて急加速した一夏は、次の瞬間、ラウラの真前で停止した。

 既にAICを張られていた。

 一夏の体はぴくりとも動かない。どれだけ力を込めても、どれだけ意識しても、指一本も動かせない。

 

「ふん、馬鹿、め……急加速すれば、抜けられると、でも思ったか……!」

 

 正に()()()()()()()()()()

 そこで、ラウラのレールカノンがかちゃりと音を鳴らす。弾丸を装填した砲口が、完全に停止した一夏に照準を合わせた。

 一夏もその威力を目の当たりにしているから、知っている。当たれば一撃でシールドエネルギーが消し飛び、強硬度を誇るISの装甲でさえひしゃげて砕けるような威力だ。

 その最大火力兵器が今、必中を喫した。

 

 観客席にいた者はみな、一夏の敗北を悟った。

 セシリアは特訓の成果がよく出ていたと褒めて。鈴は善戦だったと一夏を讃え。簪は新しい課題が見つかったと言って。シャルロットは一夏がボロボロになる姿を見たくないと顔を伏せようとして。

 

 箒だけは一夏の瞳に違和感を覚えて。

 

 ラウラは嘲笑った。

 

「死、ねぇ!」

 

 ラウラがAICから砲撃に意識を切り替えた刹那。

 鼓動一回分しかないような、極めて短い隙が生まれた。停止結界が解除されたのだ。

 

()()()()()()()()()()

 

 一夏はそれを待っていた。

 停止結界から解放されると、ずっと溜めていた渾身の力で、全身を使って一気に刃を伸ばした。

 白色の切先が砲口に突き刺さる。

 元より狙いはこれだった。自分の実力じゃまだAICを突破できないと考えていたからこそ、一夏は真正面からブチ砕くと決心していた。

 

「な、きさ────」

「へッ────」

 

 二人の声は続かなかった。

 類を見ない大爆発が起こる。晴れ渡る青空に巨大な黒雲が生まれた。

 強烈な爆風がアリーナを走る。生徒たちの甲高い叫び声はたちまち轟音で掻き消された。

 とにかく、とんでもない威力だった。

 

「なんて滅茶苦茶ですの!?」

「マジあり得ない! アイツほんと馬鹿じゃないの!?」

 

 セシリアと鈴はあまりにも無理矢理な策に愕然としてしまう。

 

「でも、織斑君にはこれがあるから怖い」

「痛み分けなんてレベルじゃないよ……どっちかが壊れちゃうよ」

 

 改めて一夏の土壇場での爆発力を思い知った簪と、隣で二人を心配するシャルロット。

 

「……一夏」

 

 箒だけは、何となくだけど、一夏の行動が分かっていた。

 だから、見守り続ける。

 今の行動が吉と出るか凶と出るかなんて分からない。だけどきっと、彼の全身全霊で戦う闘志は奇跡を手繰り寄せると信じて。

 

 爆煙から二機が墜落する形で姿を現し、地面に叩きつけられる。

 両機とも酷い有様だった。

 

 白式は全身の切り傷に加え、至る部分の装甲が焦げて、ヒビ割れている。特に上半身部分の損傷は激しく、内部の機構が露呈していた。おまけに砲口に突っ込んだ雪片は、刀身の半分が木端微塵と化していた。

 シュヴァルツェア・レーゲンも無事な部分など何処にもない様子。レールカノンは原型を留めておらず、右腕部に至ってはフレームが丸見えだった。

 

 両機の緊急アラートが多重に鳴り響く。

 もうどちらの何のアラートなのかなんて判別できなかった。

 

 凄惨な光景に、口に手を当てる来賓すら現れる。

 上級生や教師陣でさえも言葉が出なかった。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 やがて、先に立ち上がったのは一夏だった。

 絶え絶えの息で、膝に手を当てて、なんとか踏ん張るように二つの足で重力を背負った。

 首だけ回して、手から離れた雪片を探す。

 

 あった。

 ……ボロボロだ。

 覚束ない歩みで近づいて、拾い上げようとした。

 視界に映る、朽ち果てたような腕。

 

「……すまねぇな、またこんなにボロボロにしちまって。

 本当に……いつもお前の丈夫さに助けて貰ってるよ。ありがとな……」

 

 相棒に感謝して、雪片を拾って、それからやっと黒色の敵を見つめる。

 

「クッ……ァア……」

 

 AICを使った反動の激しい頭痛と、全身の痛みで呻くラウラ。

 彼女は苦痛で閉ざした瞼をどうにか開けて、ぼやけた景色の中で白いシルエットを見つける。

 

 今にも弾けそうな頭を抑えながら、ゆっくりと起き上がった。

 

 二人とも、限界だった。

 肉体も機体も悲鳴を上げているどころではない。悲鳴を上げる力すら残っていない。

 指先で押されるだけでダウンしそうだった。

 息を吐き出すだけで意識すら漏れそうだった。

 

「織斑、一夏……!」

「ラウラさん……!」

 

 十メートル。ISバトルでは文字通り『一瞬』で埋められる間合い。

 それを一歩、一歩。フラフラの足で、それでもしっかりと大地を蹴って一夏が接近する。

 ラウラが腕を上げるよりも早かった。

 

「おぉぉおお!」

「がはッ!?」

 

 折れた雪片を掬い上げて、ラウラの胸部を斬る。

 ラウラがたたらを踏んで、そのままもう一度地面に倒れる。通常ならビクともしないはずの一発でさえ、今の機体にとっては大ダメージであり。地面に打ちつけられた衝撃でさえ、今の彼女にとっては激痛に他ならなかった。

 一夏は雪片を振り抜いた勢いで一回転。上体が倒れかけるも、雪片を地面に突き刺してなんとか堪える。

 

 ラウラは起き上がらない。

 否、起き上がれない。

 体力が底を尽きているのもある。

 

 だけど、それ以上に。

 無い。

 彼女には肉体を支えるだけの大切なモノが。目には見えないけど、確かに在るはずの大事なモノが。

 

 無い。

 

 空っぽなのだ。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 呼吸するだけでも必死な一夏は、倒れたラウラに向かって言い放つ。

 

「まだ終わりじゃねぇだろ……」

「……っ」

 

 ラウラは諦めていた。

 たった今の一発で、完全に自信が砕かれていた。

 

 大事な誇りも捨てて。仲が良かった友も捨てて。与えられた使命も捨てて。

 全てを捨てて。

 

 ただ純粋に、あの孤高の強さだけを追い続けたのに。AICと言う圧倒的な力を手に入れたのに。

 どうして、この男に敵わない。

 何一つ捨てられない、お荷物にすぎないこの男に……。

 

 理解できない。でも、無力さだけは痛感する。肉体の痛みなんてどうでも良くなるくらい、胸が苦しい。

 情けなくて、歯噛みした。悔しさが込み上げて、辛くて、もう何も目に映したくないと瞼を閉じた。

 

「俺はここにいるぞ……ラウラさん!」

 

 それでも一夏は吠える。

 コイツにだけは負けたくないから。

 信念を真っ直ぐに貫きたいから。

 

「立ってみろよ……!」

 

 その声が嫌で、ラウラは耳を塞ごうとして。もう戦意なんてない、私の負けで良いと()()()()()()()()()

 

 それだけはさせまいと、一夏は血を流して叫んだ。

 

「泣くほど悔しいなら! 今ここで立ってみせろよ!」

 

 一夏はどうしてもこの女にだけは負けたくない。だけど、こんな形で勝ちたい訳じゃない。屈服させたい訳じゃない。

 信念と信念のぶつかり合い。

 それは片方が諦めて終わる話じゃないはずだ。

 

 一夏が望むのは、互いが最後まで真っ直ぐに信念をぶつけ合う戦いだ。

 

 こだわりだった。

 それこそ、誰にも譲れない信念だった。

 

「他の誰でもない! あんた自身のために立ってみろよ!」

「うる、さい!」

「ここで起き上がれねぇ奴が千冬姉になれる訳ねぇだろうが!」

「黙れ……黙れ黙れ黙れ!」

 

 憧れの織斑千冬が頭によぎって。自分と同じ目標を持つ敵を前にして。

 この時、生まれて初めて。

 この男にだけは負けたくない。こいつにだけは負けられない。

 ラウラはそう、思えた。

 

 両の手に、振り絞って出てきた数滴の体力を注いだ。

 

「私は……私は!」

 

 死にかけだった魂に、小さな火が点く。

 もう一度。いや、何度だって……!

 傷だらけの少女が立ち上がった。

 彼女はまだ僅かに生きている左腕でプラズマ手刀を顕現させる。

 

「貴様にだけは負けないッ!」

「……へっ」

 

 必ず立ってくると信じて、既に一夏は雪片を構えていた。

 両者の距離は五メートル。

 それぞれが一歩踏み込んだだけで間合いとなる距離だ。普段の戦闘であれば、どう出るのか様子見をしても良いだろう。

 でも、今の二人には様子見していられるほどの余裕なんてどこにもなかった。

 

 だから。

 

((この戦士(ファイター)にだけは!))

 

 両者全く同じタイミングで、勇ましい一歩を踏み込んだ。

 分かっている。この一発が勝敗を分けることくらい。

 だから一夏は全身全霊で。だからラウラは先手必勝のつもりで。

 

 必殺の刃を繰り出した。

 

 半刀身の雪片と先端の欠けた手刀がぶつかった。

 迫り合いは一瞬。

 砕け散る音を響かせたのはラウラの手刀だった。

 

「おぉおああああああああ!!!」

 

 もう技術もクソもない、ただただ意地で押し込んだ。

 手刀ごとラウラを叩き斬る。

 肩から横腹を一閃するような袈裟斬り。重い、重い一発だった。

 

 ラウラが三度目のダウンをした。遂にシュヴァルツェア・レーゲンのシールドエネルギーが切れて、残量ゼロの表示を出した。

 一夏はまたしても自分の動きに振り回されて、くるっとその場で回ってしまった。けども、絶対に倒れないと意地で踏みとどまった。

 

 二転三転とした激戦が幕を下ろす。

 

 大歓声がアリーナの大気を震わせる。

 またしても起こしたジャイアントキリングに学生はもちろん、来賓すらも立ち上がって拍手を送る。

 

 試合終了のブザーと一緒に流れた勝者の名前。

 その名も、織斑一夏。

 

「はぁ、はぁ……」

 

 歓声を背中に受けながら、一夏は倒れるラウラに歩み寄った。

 ラウラは泣いていた。顔を腕で覆って隠してはいるが、涙が頬を伝っている。一夏だけにしか見えない涙だった。

 

「……おい」

「……来るな。私を見るな」

「ラウラさん……あんた、マジで強かったよ」

「馬鹿にしてるのか」

「ちげぇよ」

 

 一夏は損傷まみれの腕を差し出した。

 腕の隙間から、ラウラはそっと一夏を覗く。

 

「やめろ……その手を戻せ」

「何でだよ。戦いが終わったら……もう敵どうしじゃねぇだろ?」

「……」

「本当に、ビビっちまうくらい強かった。

 だから……また戦いたい。次はもっと良い試合ができると思うんだ」

 

 力こそ全てだったラウラにとって、一夏の言葉は理解不能の塊だった。

 だけど、不思議な熱さ──あの立ち上がった時に感じた胸の熱さと同じ熱さ──を感じた。

 ラウラにこの熱の正体は分からない。

 でも、掴んだこの熱さを逃したくはないと思った。

 

「……聞かせてくれ」

「おう」

「私の強さはは間違えていたのか? お前の強さが正しいのか?」

 

 一夏は断言する。

 

「正しいか間違いかじゃねぇよ。

 ラウラさんにはラウラさんの強さがある。俺には俺の強さがある。

 ただ俺は……ラウラさんの言ってた強さに負けたくないって思っただけだよ」

 

 未だに止まらない拍手と歓声の中で。

 一夏の声は、ラウラの胸に力強く響いた。

 

 なんて、強い答えなのだろう。

 

「そうか……なら、もう一つ聞かせてくれ」

「良いけど、とりあえず立てよ。寝っぱなしもまずいだろ」

「あ、あぁ」

 

 一夏はラウラの手を掴むと、ギュッと引き寄せてラウラを立たせる。

 

「んで、なんだよ?」

「この手の……お前の『拳の重さ』の正体を聞かせてくれ」

「あぁ、それは」

 

 彼は彼女を握った右手で拳を作り、前に突き出す。

 

「俺ん中に『在る』もの、だよ。背負ったもんとか、託されたもんとか、力を貸してくれる人とか、そう言うの。……言っちまえば、俺ん中じゃ拳の重さと強さはイコールだよ」

「……く、はは」

 

 ラウラは自嘲するように笑って、自分の拳に目を落とした。

 なるほど、背負ったもの、託されたもの、力を貸してくれる人、か。

 

 無い。

 そんなもの過去に全て捨てた。

 

「どうりで……勝てなかった訳だ。そんなもの私には無いからな」

「無いならこれから見つけていこうぜ」

「……何?」

 

 ラウラは暗い顔を上げて一夏の瞳を見た。

 彼は明るくニコッと笑って言う。

 

「俺、この学園に来て初めて知ったよ。一人じゃ何もできないって。

 この重さだって、みんながいてくれるから在るんだ。

 だから、これからみんなと一緒に過ごせばきっと、ラウラさんにも見つかると思うよ。誰にも負けない重さが」

「だが、私はずっと一人で……今更……」

「んじゃ俺と一緒に見つけて行こうぜ」

 

 爽やかに笑う一夏の顔を見て、ラウラは両目を見開いた。

 

 何もかもを捨てて、孤独に生きてきたラウラ。

 彼女にとって一夏の一言は、これ以上にない力強さに満ちていた。

 

 胸の奥底で、もう一つの熱が生まれる。

 またしても初めての感情。でも、それは決して焦げるような熱さじゃない。

 温かい。抱きしめたくなるほどに、優しい温かさ。

 

「俺も道の途中だからさ。ラウラさんが良ければ、一緒に走って見つけて行こうぜ」

「……あぁ」

 

 知りたい。この胸の、陽射しのような熱さと温かさの正体を、知りたい。

 きっとこの二つが、自分の重さになると感じたから。

 ラウラは胸にそっと手を当てた。

 

「そろそろ戻るか。次の試合もあるし」

「あぁ……そうだな」

 

 ボロボロの白と黒は、互いに一礼して、戦場を後にする。

 でも、睨み合っていた最初とは違う。

 戦いの末に信念を通わせた一夏とラウラはもう、敵どうしじゃない。

 

 きっとこれから、共に高めあう好敵手になるのだろう。

 

 

 

 

 

 

 決勝トーナメント第一試合終了。

 織斑一夏、辛勝!

 

 

 

 

 

 















「いやマジですまねぇな、ほんと」

 不自然だった。
 あまりにも唐突だった。
 血の気がひくような殺気だった。

「「!?」」

 一夏とラウラが、一斉に声の方向に振り向く。
 アリーナの中心と壁の中間付近に、そいつはいた。

「……は?」

 意味が分からなかった。一夏は自分の目を疑い、困惑の声を漏らした。
 ラウラもその突然すぎる出来事に呆然としていた。
 二人の視線の先。
 現れたのは、セシリアのブルー・ティアーズと同じ青を基調としたIS。細く鋭いフォルムで丸みがまるで無いその機体は、間違いなく専用機。

 操縦者は目つきの鋭い女だった。結ばずに流した長髪は艶やかな橙色で、街中で見かければ二度見してしまうような美貌だった。

「こんな卑怯な真似はしたくねぇんだが、結構重要な任務なんだ。しゃーねぇよな」

 女は拡張領域(バススロット)から二丁のレーザー銃を呼び出すと、なんの躊躇もなく一夏とラウラに向ける。

「私はオータムってんだ。よろしくな」

 戦いの末に、新たな戦いが始まる。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

26話 その瞳から繰り出される力(インビジブル・アタック)

 突然だった。

 誰もが、あの千冬でさえも、気付いたのは異変が起こってからだった。

 

 激戦を終えたばかりのアリーナ。ボロボロの一夏とラウラが退場しようとしたその瞬間。

 まるで別次元から急にテレポートしてきたかのように、いるはずのない、否、いてはいけない三機目が()()()()()

 

「システム一部ダウン、アリーナへの出入口が全てロックされています!」

「生徒と来賓の避難を急げ!」

「侵入機は有人機、機体識別番号不明!」

 

 管制室では慌ただしく教員の声が交う。

 以前の未確認機襲来を受けて強化された警備・防衛システム。それら全てを、あの敵機と思われるISは難なく突破して侵入してきた。

 事態は深刻。アリーナに閉じ込められた一夏とラウラの状況も考えると、死人が出たっておかしくはない。

 

「……」

 

 システム復旧を急ぐ真耶の隣。

 織斑千冬の握り拳には歪な血筋が浮かんでいた。

 

 千冬の刃の如き鋭い視線は、モニターに映し出された敵機操縦者の顔に当てられている。

 

「……山田先生、動ける教員は全員避難に当ててくれ。それと、可能な限りハッチの開錠を急いでくれ」

「え?」

「奴は私が……いや、私でなければ対応できん」

「な、ひ、一人で応戦するんですか!?」

 

 タイピングの手を止めた真耶の困惑に、千冬は誰も聞いたことのないような焦燥した声で言い放った。

 

「私以外では最悪死人が出る! 頼む、急いでくれ!」

 

 ◇

 

 観客席では既に避難が始まっていた。

 一部の上級生や教員の誘導によって、生徒や来賓はみな急いで避難所へ向かっていた。

 一方で。

 

「どう言うこと」

 

 アリーナに走る簪が、投影ディスプレイを操作しながら呟いた。

 

「警備システムが一つも反応してないし、どこのカメラにも引っかかってなかった。これだと侵入経路が分からないってことになる。明らかにおかしい」

「わたくしの所感では……まるでその場に一瞬でテレポートしてきたように見えましたわ」

「僕にもそう見えた。とにかく異常だよこの状況は」

 

 セシリアとシャルロットが続く。

 そのすぐ後ろには走りながら無線通信機──未確認機襲来時に使った通信システム──を起動させる鈴と、一夏が心配でみんなに付いてきた箒が並んでいる。

 

 彼女らは避難が始まるタイミングで、観客席を抜け出していた。

 無論一夏とラウラを救うためだ。

 避難中の生徒や来賓については、上級生の専用機持ちと代表候補生が護衛すると言っていたため、こちらに来ることが出来た。

 

「まだ繋がらないか?」

「待って、今白式の識別番号思い出してる……えっと……よし、繋がった! 一夏聞こえる、大丈夫!?」

 

 進みながら、全員が通信機の応答を静かに待った。

 

『……鈴か』

 

 返ってきたノイズ混じりの声は、セシリアや箒でさえも聞いたことのない弱々しいものだった。

 鈴が通信越しに叫ぶ。

 

「今あたしたちがそっちに向かってる! あんたはラウラととにかく逃げまわ」

 

 ガシャンッ、と。

 鈴の言葉を遮るように、通信機から鈍い音が鳴った。

 彼女たちの脳で想起された、悲惨な光景(イメージ)。強烈な不安に駆られた鈴と箒の足が止まった。

 

「一夏聞こえる、ねぇ一夏!」

「しっかりしろ! 返事をしろ! 一夏、一夏!」

「鈴さん箒さん落ち着いて! 今はとにかく急ぎましょう!」

「ここで足を止める時間が無駄。早く行こう」

 

 二人を宥めるセシリアと簪だが、必死に冷静さを装っているだけ。

 いくら国家代表候補生と言えど、彼女たちはまだ子どもだった。そして、一夏と関係を築きすぎた。

 四人とも焦りが目に見えている。

 

 だからこそ自分の出番だと、シャルロットは感じた。

 今まで幾つもの複雑な政治・社会的な場を経験してきた彼女は、咄嗟にこの場における自分の役割を見出す。

 

「まだ通信自体は繋がってるから、少なくとも機体は大丈夫なはずだよ。機体が大丈夫なら操縦者が無事な可能性も高いし……その可能性を下げないためにも、僕たちは急ぐべきだよ」

 

 真剣な眼差しで訴えると、四人は口を閉じた。

 けども、意思は皆同じ。アイコンタクトで頷くと、再び動きだした。

 

(一夏……僕は君の生き方を知りたいんだ。だからこんな所で死なないでよね……)

 

 今まで感じたことのない、説明不可能な感情と想いを覚えながら、シャルロットもアリーナに走る。

 

 ◇

 

「んじゃ任務開始だ」

 

 一夏が鈴に応答した直後だった。

 女──オータムと言ったか、彼女が両手のライフルの引き金を引いた。銃口がオレンジ色にピカッと輝く。

 

「やっ────」

 

 直撃を避けられたのは奇跡だった。

 光の瞬きと同時に、一夏は反射的に横へ飛んだ。次の瞬間、光線が翼部を掠める。

 一気に緊迫感が増す。

 一夏はすぐさま構えを取ろうとするも、もう踏ん張る力が残って無くて、飛んだ勢いのままに地面を転がった。

 

「クッ!」

 

 折れた雪片を地面に刺して無理やり停止する。

 

 ガバリと立ち上がり顔を上げると、前方。

 ビームの直撃を受けたラウラが地面に倒れていた。

 

「ら、ラウラさん!」

「あー心配すんな。あの女はこれ以上痛み付けねぇよ、獲物なんでな」

「ぐ……あがっ」

 

 直撃した腹部を抑えながら、ラウラが呻き声を上げる。

 彼女のISは既にシールドエネルギーが底をつき、機能が大幅に低下している。絶対防御だって碌に発動しない状態で、今の一撃を受けてしまったのだ。

 その痛みと肉体・機体へのダメージは想像を絶する。

 

「て、めぇ」

「へぇ。そんな顔出来るようになったんだな、お前」

 

 オータムは片方のライフルを拡張領域(バススロット)に仕舞って、

 

「二年前はスヤスヤお寝んねしてるだけだったのにな」

「……?」

 

 まぁ寝てたら覚えてねぇわな、と彼女は笑った。

 まるで一度会ったことがあるかのような物言い。

 一夏は戦闘用の思考をフル回転させつつ、過去の記憶を急いで振り返る。が、あんな女に会った記憶などどこにも無い。

 呼吸を整える時間を作るためにも、彼は低い声で問いかける。

 

「どう言うことだよ?」

「さぁな」

「……教えてくれたって良いじゃねぇか」

「く、あはは! 何だよ時間稼ぎでもする気か? 下手だなーお前」

 

 バレバレだった。

 オータムは余裕そうに笑うが、冗談じゃない。シールドエネルギーどころか体力も精神力もすっからかんだと言うのに、呼吸を整える時間すら貰えないと言うのか。

 乾いた笑いすら込み上げてくる。

 

 だが。

 

 倒れて苦しむラウラを見て。

 それから、ライフルを握るオータムを見て。

 

(状況は絶望的……でもやるしかねぇッ)

 

 一夏は覚悟を決めた。

 腰を落とし、折れた雪片の先端をオータムへ向ける。

 オータムがその仕草に気付いて、スッと笑いを止める。

 

「おいおい、お前まさかその状態で私と戦おうってか? 剣も半分折れてんのに?」

「じゃなきゃ構えねぇよ」

 

 んー、とオータムは腰に手を当てて、銃身で肩をコンコン叩きながら、

 

「私の任務はあの女の回収だけなんだけどな」

「だったら尚更だ」

「……死ぬかもしれねぇぜ、お前」

 

 最終警告だった。

 声音と瞳に装填された殺気から、彼女の実力を窺うのは容易だった。

 自身の状況も加味すれば、まず間違いなく勝てっこない相手であることくらい、一夏も理解している。

 

 だが。

 

 それでも彼は戦う。

 

 何故なら。

 

「ここでクラスメイト一人も守れねぇ男に、世界最強は似合わねぇ」

「ふぅん……。良い覚悟だ」

 

 オータムは先ほどまで使うつもりだったライフルを虚空へ消す。

 代わりに握ったのは、刀身も柄も真っ黒な太刀。敵を斬り倒すことだけを目的に研ぎ澄まされた刃は、それだけでもオータムの殺気をさらに鋭利にする。

 

「少し予定を変えるか」

 

 オータムの声音が一つ落ちた。

 途端、ドッと威圧感が増す。

 末恐ろしいほどにドス黒い殺気がたちまちアリーナを包む。一夏は心臓に刃を突き立てられたような錯覚さえ感じた。

 しかし彼は一歩も退かない。それどころか、その殺気に真正面から立ち向かおうと、足に力を込めていた。

 

 オータムは刀を一度振って、

 

「お前を叩き切ってからあの女を攫う」

 

 死刑宣告と共に。

 

 大地を蹴って、オータムが接近。爆発的な加速で一夏との距離を一瞬で詰めた。

 一夏は持てる集中力の全てを使い、オータムの瞳と微小な動きをよく観る。

 

(来る、右ッ!)

 

 明確に見えたビジョン。鍛え上げられた直感に従い、一夏は予測して先手を打つ。

 全身全霊を込めて、オータムの腕ごと弾き飛ばす勢いで雪片を振────

 

「が、ぁッ!?」

 

 一夏の無防備と化した左肩に、黒い刃が振り下ろされた。

 ラウラとの戦いで脆くなった装甲が砕けて、一夏に激痛が走る。同時、未知の体験に思考が滑る。

 

(な、んで!? 今確かに右が来たはず!)

「どこ見てんだ」

 

 追撃の前蹴り。反応が間に合わず、もろに受けてしまう。

 大きく後退した一夏に迫るのは左拳の正拳突き。

 

(これなら回避でき、)

 

 上体屈み(ダッキング)した一夏を襲うは、()()()()()()()

 自分から喰らいに行く形になった。顔面に直撃して、首ごと跳ね上げられる。

 鼻血が噴いた。口の中がぐちゃぐちゃに切れて血が溢れた。

 片目が腫れ上がって、視野がおかしくなった。

 それでも、どこか遠くにいきそうになった意識を、ギリギリで体内に留められた。ただただラッキーだった。

 

 崩れ落ちそうになった足を無理やり前に出して、どうにか堪えてみせる。

 

「ほらよ」

 

 視界の隅から黒い太刀が走る。

 一夏は雪片を両手で握り、斬撃をガード。

 衝撃でよろめいた頃には二発目が映った。これは受け流すようにして捌く。

 

「ふんっ」

 

 オータムは受け流された力を使って、ぐるんッ! と素早く横に一回転。そのまま攻撃に繋げて、勢いを乗せた蹴りを放つ。

 回避できないと判断し、一夏は蹴りも雪片でブロック。しかし威力を吸収し切れず真横に吹っ飛んだ。

 地面を滑る一夏にも、オータムは容赦無く襲いかかる。

 

「耐え切れるか?」

「チィッ!」

 

 オータムの片腕だけで真横に振るわれた刀を、雪片で逸らす。振り子のように戻ってきた返し刀も無理に弾くことなく受け流す。

 続け様に出されたハイキックは咄嗟の上体逸らし(スウェーバック)で寸でのところで回避。

 蹴り足はすぐさま踏み込みに使われ、刀の二連撃が放たれる。必死に喰らいつくように雪片を振るうが、捌けたのは一発。二発目は反応できず、胸部を深く斬りつけられる。

 

 鋭い痛みに、無意識のうちに後ろに下がる。

 

 直後、オータムの瞳から、殺気。

 背筋が凍ると共に、次の一撃を直感。

 

(やばい────左ッ!)

 

 即座に雪片を立てて攻撃に備え、痛みを噛み殺し、次こそ反撃しようと全身に力を入れて。

 薙ぎ払われた刀が右脇腹にヒットした。またしても虚を突かれる。

 

「ぐぁあッ!?」

 

 一夏に突き抜ける強烈な衝撃。口の中に溜まっていた血が肺の空気と共に吐かれた。

 大きくたたらを踏み、思わず脇腹に手を当てた。

 あまりにも重かった。ラウラや鈴たちとは質が全く違う。一発一発がISのエネルギーを減らすと言うより、直接操縦者を殺しにかかっているような威力だった。

 けども、一夏はそれ以上の脅威に晒されていた。

 

(なんでだ!? なんで()()()()()()とは違う部分に攻撃が来るんだ!?)

 

 訳が分からなかった。未知そのものだった。

 実際の攻撃が、目に映ったものとは異なる。

 

 幾度も修羅場を超えてきたはずの一夏が、恐怖していた。

 今までのどの戦いにも無かった現象。そこに更に信じられないほど高濃度な殺気とテクニックが襲いかかってくる。

 意志だけでなく、彼の生物としての本能すらも、オータムに恐れ慄いていた。

 

(強ぇ、洒落にならねぇくらい強ぇ。怖い……怖いよ!)

 

 震えすら起きそうだった。足が硬直すらしそうだった。

 逃げたって許されるよな、なんて考えすらよぎった。

 

(ただでさえまともに攻撃を防げてないのに、目で見えるものとは違うものまで飛んでくる。おまけに一発一発が強烈すぎる! 次に何か食らったら死んじまうんじゃないのか!?)

 

 体も機体もぼろぼろで。なのにたった一人で。

 こんな強いやつと戦うなんて、理不尽すぎるだろと思った。

 とうとう死さえも予感してしまう。

 

(こんな奴にどう対抗すれば良いんだ!? もう俺に出来ることなんて()()()()じゃねぇかよ! どうすりゃ良い、どうすりゃこの状況から抜け出せる────)

 

 瞬間、走馬灯のように頭を駆け巡った、己に在るものたち。

 手紙を通して託された夢の数々。力を貸してくれる箒やセシリア、鈴や簪。姉がくれたガッツ。弾との張り合い。鍛錬の日々。沢山の激闘。

 

 自分自身の夢。

 

(……馬鹿か、俺は)

 

 ドス黒い恐怖と殺気に襲われる中で。

 彼の肉体を奮い立たせたのは、無数の熱い光。

 

(()()()()じゃねぇかよ。絶対に折りたくねぇもんが……いっぱい、いっぱい在るじゃねぇか!)

 

 それこそが、織斑一夏の力の源。

 織斑一夏、最大最強の武器。究極無比の切り札。

 

 信念。

 

(ここで逃げたら、諦めたら、自分で折ることになる! それだけは嫌だ! こいつだけは真っ直ぐに貫くって決めたんだ!)

 

 オータムから逸らしそうになった視線を、グッと戻した。

 思考の全てを戦いに集中させる。

 例え指が曲げれなくなっても、片腕が吹っ飛んでも、何があっても最後の最後まで戦い続けると誓う。

 

(怖いけど、戦うんだ! ここを乗り越えなきゃ、ラウラさんを守れなきゃ、世界最強なんかなれっこねぇ! 宇宙(そら)になんか飛べっこねぇ!)

 

 彼の魂は、彼の中に在るものは、恐怖に断じて負けやしない。

 勇気を振り絞り、信念を両の手に込める。

 恐れを忘れたんじゃない。殺気を感じないようにしているのでもない。封じ込めたり、避けるのでもない。

 

 知った上で、乗り超える。

 

(見極めろ! 何かカラクリがあるはずだ! 殺気に、恐怖に屈するな!)

「ガッツはあるみてぇだな。そんじゃぁ……」

 

 刀と格闘の連携を凌ぎ切り、未だ闘争心を滾らせる一夏をそう評価し、オータムは一段階ギアを上げた。

 弾丸の如き速さで、一気に距離を殺す。

 

「こんなのどうよ」

「ッ!!!」

 

 黒い太刀が両手で握られていた。

 さっきまでの片腕とは別次元の一撃が来ることを予期して、一夏は血だらけの歯を食いしばる。

 回避できる俊敏さなどもはや残されちゃいない。全力で迎撃するしかない!

 オータムの瞳から繰り出される殺気を読み取ろうと、目に力を込める。

 どこに来る、どこに奴の攻撃が来る!?

 

 オータムの腕がピクッと動いた。

 同時、()()()()()()()()()()()()()()()()

 次こそ外さない!

 

(上、唐竹割りッ!)

 

 一夏は思い切り刃をかち当てようと、フルパワーで雪片を振り上げた。

 今持ちうる全てを注いだ最高の一撃。タイミングも角度も力みも完璧な一発だった。

 

 空振った。

 

 オータムの刀は振り下ろされなかった。

 

「なっ」

 

 一夏が視線を落とす。懐に潜り込んでいたオータムと目が合う。

 完全にガラ空きだった。

 振り抜いたばかりの腕は戻せない。回避はもちろん、防御も間に合わない。

 

(そんな、上からじゃ────)

 

 刹那の濃密な静寂。

 一夏の全身から冷や汗が吹き出て。

 

 オータムの凄まじき斬撃が閃く。

 横薙ぎの一閃。全身の力が一点に集約された、文字通り必殺の一撃。

 

 直撃だった。黒い刃は白式の装甲を粉砕し、一夏を思いっきりぶっ飛ばす。

 声すら上がらない。ダメージが大きすぎて、痛みが激しすぎて。

 地面に打ち付けられた一夏は水切りの石みたいにバウンドして、アリーナを何度も転がった。

 やがて静止した頃には、オータムとの距離はかなり離れていた。

 

 とうとうシールドエネルギーが無くなった。白式の機能が大幅にダウンする。

 倒れた一夏は動かない。

 それもそのはず。オータムが()()()()()()()()()()斬ったのだから。

 たった二ヶ月の素人が立ち上がれるはずなどなかった。

 

「お前にも見えてたんだろ」

 

 オータムが倒れた一夏に告げた。

 

「ありゃ全部、ただの殺気(フェイント)だ。お前、なまじセンスが良いからか直感頼りの部分が多いぜ。それじゃダメだ、一生殺気(フェイント)に騙されちまう。あとPICが全然使えてねぇ。

 まぁ……もっと腕上げて、()()()()宿()()()()をちゃんと見るんだな」

 

 アドバイスとも取れる発言に、オータム自身が困惑してしまった。

 ()()()()()()、才能豊かな操縦者を見るとどうしても成長して欲しくなってしまう。成長を見守りたくなってしまうのだ。

 まだまだ私も甘いなぁ、なんて一人ごちて、彼女はスイッチを切り替えた。

 

「ラウラだっけ? 女掻っ攫うか〜」

「クッ」

 

 もう起き上がることすら出来なくてずっと戦況を見ていたラウラに、オータムが近づく。

 一歩、一歩。ゆっくりと。

 ラウラは必死に抵抗の策を考える。だが、ISは動かず、自身も体力の限界。相手はISを纏った、ラウラから見ても相当な手練。

 敵うはずもなかった。

 

 彼女は最後の抵抗として、時間稼ぎを試みる。

 

「目的はなんだ?」

「AICとヴォーダン・オージェ」

「貴様の所属は?」

亡国機業(ファントム・タスク)。ダッセェ名前だよな、私もずっと思ってるわ。あ、言っとくけど時間稼ぎは無駄だぜ?」

 

 目論見は看破されていた。

 ラウラは自分の行く末を悟って、歯噛みした。

 

(私は……あの胸の熱さも分からないまま終わるのか)

 

 悔いが残る。

 何もかも捨てて生きてきて、自分が強くなったと思ってた。

 自分の力こそが絶対だと確信していた。

 でも、全てを背負った者の強さを知って。拳の重さを知って。初めての熱を知って。

 

 目を閉じて、彼女はそっと胸に手を置いた。

 

 もっと知りたかった。

 

 出来れば一夏が言ってくれたように、一緒に走りながら、胸の熱さの正体を知りたかった。

 

(すまない、織斑一夏。お前が必死に戦ってくれたのに……言葉を掛けてくれたのに……私は何もできない……!)

「いや、私としても結構嫌なんだぜ? もっと正々堂々と真正面から突っ込みたかったんだが……大事な任務なんでな」

 

 オータムが目の前に立った。

 ラウラは俯いて、全てを諦めた。

 最後に感じたのは、今まで感じたことのなかったはずの、後悔だけだった。

 

「悪いようにはしねぇからそんな悲しい顔すんなよ」

 

 最後の一言だった。

 それだけ言って、オータムはラウラに手を触れ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「強ぇ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 小さな声。

 あり得なかった。

 

 オータムは緩慢と後ろを振り向いた。

 ラウラも目を見開いて、顔を上げる。

 

 いた。

 

 傷だらけで、装甲が砕けまくった相棒を纏い。鼻と口から血を垂らし。腫れ上がった目で睨み。

 今にも倒れそうなほど足を震わせながら。

 半分に折れた雪片を握りしめて。

 

 世界でたった一人の男性IS操縦者が、立っていた。

 

 男は小さな、だが、何よりも勇ましい一歩を歩み、続ける。

 

「俺が今まで戦ってきた中で、あんたは間違いなく、誰よりも強ぇ……」

 

 「けど」、と。

 彼は血を吐きながら断言する。

 絶対に、信念だけは折りたくないから。

 

「俺はまだ負けちゃいねぇッ!」

 

 その瞳から繰り出された眼光が、オータムを真っ直ぐに貫いた。

 ハッとした。あのオータムがほんの、ほんの一瞬だけ、体を強張らせた。

 彼女は舌を巻く。それも、何処か嬉しさを感じながら。

 

(……なんつぅ野郎だ)

 

 もう死にかけなのに。別に寝てたって誰も責めないのに。

 その男は立ち上がり、あろうことかまだ戦おうと前に進んでくる。

 

 (こころ)に灼熱の炎を宿して。

 

(虫の息のくせに、目だけはギラッギラしてやがる……!)

 

 百戦を戦い抜き、幾度となく死闘を制してきたオータムは知っている。

 最も恐ろしく、最も強大な敵は、あの目を持つ者であることを。

 

 評価を改めなければならない。

 たかが操縦歴二ヶ月の男だと、下に見ていた。所詮は専用機を貰っただけの素人操縦者だと、たかを括っていた。

 

「……すまなかったな」

 

 オータムは戦士(ファイター)として最大の尊敬を示す。

 もう片方の手に二本目の黒い太刀を召喚。二刀流となって、彼女もまた一夏に近づいていく。

 

 この戦士(ファイター)には全力をぶつけたくなった!

 

「私はてっきりお前のこと、ただISが好きなだけのガキだと思ってたよ」

 

 両者の間合いが静かに、ゆっくりと縮まっていく。

 

「訂正する、お前は強い。それも恐ろしいほどに。だから戦ってやる、私の全身全霊をもって」

 

 動きは同時。

 オータムがスラスターから火を噴き、二本の刀を構えて突進。もはや慢心も手加減もない。両の手に込めるは殺気と本気。

 朦朧とする意識を闘争心で補い、一夏は決死の覚悟で構える。スタンスを広く取って、腰をグッと落とした。

 

(攻撃するためじゃない、迎え撃つための構え────腹ァ括ったか!)

(今の俺には殺気(フェイント)も本物も見分けられねぇ。だったら全部本物と思えば良いッ。どっちも捌ききりゃ関係ねぇ)

 

 オータムは刀を交差させて二刀一閃。一夏は一か八かの一閃二断(カウンター)

 両者ともに渾身の一発を放とうとした。

 

 その瞬間。

 

 ガシャン、とハッチが開いた。

 

「「!?」」

 

 二人の極限までの集中を途切らせたのは、一人の女の存在。

 プレッシャーの次元が違いすぎた。オータムから溢れる殺気を上から押さえつけるような圧力が、アリーナ一帯を覆った。

 一夏は構えを解いて、オータムは急停止して、ハッチの方向を見た。

 

「ち、千冬姉……みんなも……」

「……へぇ」

 

 打鉄を纏った織斑千冬(ブリュンヒルデ)が歩いて来る。

 後ろにはそれぞれの専用機を纏ったセシリアと鈴に、シャルロット、生身のまま駆けつけた簪と箒が立っていた。

 否、千冬から滲み出る威圧感に何も出来ず、ただ突っ立っていた。行動の全てが彼女の邪魔になるのではと感じて、体がすくんでいた。

 

「……凰、デュノア。二人はボーデヴィッヒを。

 オルコットは織斑を連れてここから出て行け。奴は私が引き受ける」

 

 動けない。

 あまりのプレッシャーに、代表候補生が。あのエリートたちが、動けない。

 

「さっさとしろ! お前らは代表候補生だろ!?」

 

 初めての怒声だった。

 肩をびくつかせて、三人は従うしかなかった。肯定も否定も許されなかった。

 素早くアリーナに入って、鈴とシャルロットはラウラを。セシリアは一夏を機体ごと担ぐ。

 慰めの声をかけることすらなく、一夏らも何も喋ることができず、すぐに退いてハッチに戻る。

 

 その間、千冬とオータムは静かに睨み合っていた。

 いや、より正しく言うなら、オータムが千冬から目を離せなかった。僅かでも姿を見失ったら、間違いなく首から上が飛ぶと悟って。

 

「自分の情けなさに腹が立つ」

 

 千冬は太刀を握って、間合いを詰めていく。

 オータムは嫌に重い汗を額から流す。緊張感が桁外れだった。

 

「生徒を守れず、二度も学園を危機に晒してしまった。あろうことか一夏をまた失いかけた」

「久しぶりだな、世界最強(ブリュンヒルデ)さんよ。元気してたか?」

「やはりあの時、貴様を倒すべきだった」

「……やべぇなこれ」

 

 千冬の怒りは頂点に達していた。

 馬鹿みたいに苛烈な殺気が、オータムの肌を切り刻むように駆ける。

 

(時間をかけ過ぎた……いや、アイツに時間稼ぎされちまった、だな。しゃーねぇ、任務は失敗だな)

 

 織斑千冬と交戦すれば、まず間違いなく無事では済まない。

 仮に、もし仮に勝てたとしても、次に控えているのは専用機持ちの代表候補生。それも三人。流石のオータムでも覆せない戦力差である。

 

 彼女はプロフェッショナルだ。故に、引き際を良くわきまえていた。

 AICとヴォーダン・オージェの入手は完全に不可能だと判断すると、刀を虚空へ片付ける。

 

「おい、織斑一夏!」

 

 ずっと奥でセシリアたちに介抱されていた一夏へ、オータムが叫んだ。

 もう彼を見下すことなどない。

 オータムの中で、織斑一夏は強者の一人になっていた。

 

「お前、まだ負けちゃいねぇんだろ!? 私も勝ったとは思ってねぇからよ、今回は引き分けにしとこうぜ!」

「……ッ!」

 

 突拍子のない言葉に、一夏は返答できなかった。

 オータムはニッと笑って、底抜けに明るい声で続ける。

 

「またいつか戦う時がくると思うからよ、そん時に決着つけようや!

 ……期待してるぜ、お前の成長をさ。またな!」

「逃がすとでも思ったか、オータム!」

 

 バゴンッ! と地面に亀裂を入れて千冬が肉薄するも、遅かった。

 

「DIVE TO BLUE」

 

 オータムが機体名を口にした瞬間。

 消えた。

 存在が、反応が、一瞬にして跡形も残さず消え去った。

 

「!?」

 

 急停止した千冬が周囲を見渡すも、いない。

 オータムの姿は影も形もなかった。

 立ち込めていた殺気も綺麗さっぱり無くなっている。

 透明化も疑ったが、存在そのものの消失を確定付けるように、ISのレーダーが無機質に告げる。

 

 『敵機なし』。

 

「……逃したかッ!」

 

 歯軋りして、彼女は鉄刀の切先を地面に叩きつけた。普通じゃない衝突音が弾けて、地面に蜘蛛の巣のようなヒビが入る。

 千冬の怒りは一夏たちにもヒシヒシと伝わっていた。

 

「……あんな千冬さん、見たことないわよ」

「一体あの人と織斑先生になんの関係がありますの……?」

 

 ようやく鈴とセシリアが喋った。

 途端、緊張感が切れて、その場にいた全員の肩の力が抜ける。信じられないほど重たい荷物を下ろしたような感覚だった。

 箒はすぐさま血まみれの一夏を心配して、

 

「大丈夫か、一夏?」

「お、おう……俺よりもラウラさんは?」

「わ、私は大丈夫だが……」

「一夏は自分の心配をした方がいいかもね」

「織斑君、すぐに保健室に行こう」

 

 ラウラの返事を聞いて、シャルロットと簪にそう促されて、一夏は逆に安堵した。

 ため息を吐きたくなったけど、今はとにかく酸素が吸いたい。心の中ではぁ、と一息吐いた。

 

 終わった。

 正に命懸けだった死闘が、やっと。

 

 無人機の時とは違って、最後の最後まで諦めず戦い抜けた。結果論だけど、ラウラも守り切れた。

 体も機体もおんぼろだけど、雪片も折れてるけど、ちゃんとしっかり生き延びた。

 

(ちっとは俺の目指す俺に、近づけたのかな)

 

 みんなの心配そうな表情が最後の光景だった。

 一夏の意識が、暗闇に沈んだ。




次回、三章に一区切りつきます(三章が終わるとは言ってない)。
自分の中のオータムをそのまま出してみました。カッコいいとか強いって思っていただけたら嬉しいです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

27話 祝福の(とき)

三章に一区切り付きます。
誤字報告ありがとうございます!


 見上げれば、どこまでも晴れ渡った青空。見渡すと、水平線の彼方まで何にもない更地。俯くと、空の青を映すほど透き通った水面(みなも)

 吹き抜けるのは心地よい風。無音で殺風景な慣れない空間は、ところが何処か安心感を覚える。

 不思議な世界だった。

 

「どこだ、ここ」

 

 気づけば、一夏は世界の真ん中にぽつりと立っていた。

 何処に向かうべきなのかなんて分からないけど、とりあえず一歩だけ、足を前に出してみる。すると冷んやりとした水面が波紋を作って、綺麗な輪っかが果てしなく広がっていく。

 それがちょっと楽しくて、もう数歩だけ前に進んでみた。

 

「……ん?」

 

 一夏が顔を上げると、向こう側。

 純白のワンピースを着た小さな女の子が佇んでいた。濁りのないつぶらな碧眼と、腰まで伸びた銀色の髪が印象的だった。

 

「こうして会うのは初めてだね」

「君は……白式……」

 

 根拠はないけど自然と出た名前。

 彼女はこくりと頷く。

 

「私ね、一夏にずっとずっと言いたいことがあってね、ここに来たの」

 

 すると、少女は小さく俯いて、悲しそうな声音で告げた。

 

「……いつもごめんね」

「え……?」

 

 一夏は困惑した。だって、謝られることなんて一つもないから。

 だが、彼女はまん丸の瞳で一夏を見つめながら続けた。

 

「私が弱いせいで、また一夏を傷つけてしまった。私がダメだから……いつも一夏を傷だらけにしてしまってる……ごめんね。こんな私を恨んでよ……」

 

 戦う度に傷つき、血を流し、時には死にかけさえする主人に、彼女はずっと罪悪感を抱いていた。

 自分が強ければ、と己の弱さを悔いていた。

 彼女は頻りにごめんね、と謝る。

 

「……」

 

 一夏は口を噤む。

 

 たった一機のかけがえのない相棒が、自分に謝り続けている。

 

 馬鹿な。

 そんな馬鹿な……ッ!

 何をやっているんだ、彼女は。

 

「……俺も君に、ずっと言いたいことがあったんだ」

 

 毎日感じていた。

 いつかこの言葉を伝えたいと、いつも思っていた。

 だから彼は最大の感謝を胸に、頭を深く下げる。

 

「いつもありがとう」

「……え?」

 

 たった二ヶ月。しかし幾度もの激戦と死闘があった。

 ほんの二ヶ月。だけど厳しい鍛錬を繰り返す日々だった。

 それらを何故、何度も超えられたのか。どうしていつも、力に変えられたのか。

 理由は明白だった。

 

「知識も技術も経験もない。そんな俺に君が翼をくれたから、剣をくれたから、俺はここまで来ることができたんだ」

「……そんな……私は何も……。武器だって一つしかないし、翼だって弱々しいし、全然頑丈じゃないし、私はみんなよりも弱いんだよ……一夏の夢に全然応えられてないんだよ?」

 

 彼女は一夏の言葉を疑うように訊き返した。

 

『夢に応えられてない』、だと?

 何を言っているんだ。

 そんな訳がないだろう。

 

 一夏ははっきりと断言する。

 

「あの日、君が相棒になってくれたから、今の俺がいるんだ。君だから、白式だから、一緒に夢を創りたいと思ったんだ!」

「……一夏」

「まだ君の大きな翼に応えられない、情けない俺だけど……いつか必ず、君が誇れる俺になるから。君とてっぺんを掴んで、このでっかい宇宙(そら)に羽ばたくから!

 これからも迷惑ばかりかけると思うけど、一緒に戦ってくれると……、嬉しいな……」

「……」

 

 一夏の想いに、少女は嬉しくなる。こんなに幸せなことはないと言えるほどに、幸福が五体を満たしていく。

 だからこそ、不安も大きくなる。

 

 何度も何度も伝わっていた、一夏の情熱。

 少女は力になりたいと願うと同時に、足を引っ張りたくないとも思っていた。もし自分以上にあの熱に応えられる機体があるのなら、自分から一夏と離れるべきだとも考えていた。

 そんな気持ちの中で、一夏を傷つけてばかりの日々が続いた。

 

 自信がなくなっていた。自分は一夏に応えられないんじゃないか、と無力さと情けなさで胸が苦しかった。

 でも、今、一夏が求めてくれている。出来るのなら、彼の夢を一緒に叶えたい。それが白式(じぶん)の夢だから。

 少女は、不安と葛藤で今にも溢れそうな涙を堪えて、

 

「……本当に私で良いの? いつも一夏を傷つけて、何にも強さなんて無いこんな私で良いの? 一夏が言ってた剣とか翼だって、みんなよりも強くないんだよ?」

 

 少女の吐露に、一夏はストレートに叫ぶ。

 

「それでも良い!」

「────」

俺は君が好きなんだ、君にこだわりたいんだ! 理由はこいつで充分だ!

「……あはは」

 

 少女から涙と笑いが溢れた。

 あぁ、なんて、幸せなのだろう。

 主人にここまで想って貰えていたなんて。弱くて情けない自分をそれでも受け入れてくれるなんて。

 

(……一夏の気持ちに応えたい)

 

 ────きっとこの瞬間だったのだろう。

 

「私は幸せ者だね」

「俺もさ」

「私、もっともっと頑張る。一夏が誇れるような白式(わたし)になる! だからね、これからも……いっぱい乗ってね」

 

 二人の距離が縮まる。まるで二人の関係を示すように。

 一夏は返事をするように、在りったけを握りしめた右拳を差し出した。まるで初めて出会ったあの瞬間のように。

 もう言葉も文字も、何も要らなかった。

 

 だって、意思は同じだから。

 

 涙を拭いて、微笑んで。

 少女も小さな拳を元気よく突き出す。

 

 コツンッ、と。

 

 ────二つの純白の心が、一つの白熱の魂に融け合う。

 

 ◇

 

「んが」

 

 腑抜けた声を漏らし、一夏は目を覚ました。

 見慣れた天井が映る。自分が保健室のベッドで寝ている状態であることを秒もかからず理解した。

 

(なんか戦うたびにここに来るよな俺。セーブポイントかな?)

 

 目を擦ってゆっくりと上体を起こす。

 至る部分に包帯が巻かれているが、動かせない箇所はない。痛みも、頭がじんと痛むだけで、それ以外は特になんともない。

 前回の無人機戦と比べるとだいぶマシな方だった。

 

「やっと目を覚ましたか」

「うぉあ!?」

 

 突如真隣から聞こえた声。

 一夏のケツがぶわっと浮いた。

 

「お、織斑先生」

「お前私のこと幽霊か何かと思ってないか?」

 

 それ言うなら死神なんだよなぁ。とか口に出すのは愚か内心でツッコんでもぶっ叩かれるだけなので、一夏は微動だにせず口も開かなかった。

 すると、黒いスーツに腕組みポーズの彼女は一つ息を吐く。それが安堵のため息であることくらい、一夏もすぐに理解した。

 

「……ごめん、また心配かけて」

「気にするな。今回ばかりは()()()()()()()

 

 思わず一夏は目を見開く。

 

(あのオータムとか言う女、千冬姉にここまで言わせるほど強ぇヤツだったのか)

 

 圧倒されすぎて具体的な強さの程度が分からなかったが、ようやく実感が湧いた。

 少なくとも、千冬(ブリュンヒルデ)に近い実力者。

 フェイントが見えるほど異常に濃密な殺気。脅威的なテクニックとパワー。経験から来る素早い対応力。思い返してみれば確かに、千冬に近いと言われても納得がいく。

 

(……あっ)

 

 先ほどの激戦を思い出していると、ふと気付いた。

 

(確かあいつ、千冬姉に「久しぶりだな」って言ってなかったか? 俺にも二年前会ったことあるような素振り見せてたし。

 それに『相手が悪すぎた』ってまるで、いや、既に実力を知ってる人の言葉じゃねーかよ)

 

 両者の言動はどう考えても面識がある前提だった。考えれば考えるほどに違和感は大きくなる。

 一夏は千冬に眼差しを向けて、改めて訊ねることにした。

 

「千冬姉に聞きたいことがある」

「なんだ?」

「俺と千冬姉は、あの女と会ったことがあるのか?」

「────」

 

 途端に、千冬が黙り込む。

 たちまち居心地の悪い静寂が立ちこめる。明らかに触れてはいけない何かに触れてしまったことを、一夏は一瞬で察した。

 

「……」

 

 千冬は一夏から逃げるように俯いて、歯を噛み締めて、

 

「すまなかった」

「?」

 

 初めて見る表情だった。

 普段の威厳や覇気はどこかに消えていた。目力も抜けて、心なしか頬のハリも落ちたように見える。

 彼女は慎重に言葉を探って、しかし何も隠すことはせずに告げる。

 

「二年前……私が試合をしていた日。お前はあの女に誘拐された」

「え? ゆ、ん? 誘拐?」

 

 全く予想していなかった強烈なワードに、一夏は呆気に取られる。千冬の声とは真逆の、素っ頓狂な困惑が漏れる。

 

「ごめん、俺なんも覚えてないんだけど」

「救出した時にはすでに気を失っていた。強力な薬品を使われていたらしい、覚えてないのも無理はない」

「よく俺無事だったな」

()()()()()()()()だけに連れ去った、らしい。どこまでが本当かは分からんがな」

「……」

 

 一夏にそう答えて、千冬は話を続ける。

 

「あの日、ドイツ軍が協力してくれたから、私はお前を助けることができた。私一人では間違いなく不可能だった」

「……じゃぁ、急にドイツ軍に行ったのは恩返しするためだったんだ」

 

 千冬はこくっと頷いた。

 彼女のことは、弟である一夏が一番理解していた。普段の冷徹そうな振る舞いからは想像もつかないが、彼女は義理人情に人一倍厚い人間である。受けた恩や感謝は返さなきゃ気がすまない、そんな人だ。

 疑問だらけだった一年間が、やっと腑に落ちた。

 

「なるほど。そう言う経緯があってドイツに行ってラウラさんと会った、と」

「あぁ」

「そんで一年後にやっと帰ってきたと思ったら今度は……俺に……迷惑かけたからって選手やめたんだ」

「それは」

 

 言いかけて、でも千冬は声を止めた。

 一夏に責任を感じてほしくなくて否定しようとしたが、もう無意味だった。

 彼は分かった。

 

 分かってしまった。

 

 千冬が急に選手をやめた理由を。

 

 理解は瞬く間に広がっていく。

 同時に想起されたのは、少し前の並木道での会話。

 

(……どおりでラウラさんに言われた訳だ)

 

『おんぶされて守られてるだけの人間』『教官のお荷物』。

 最初こそ意味が分からなかったが、今なら分かる。痛いほどに、その意味を分かってしまう。

 

(千冬姉に憧れてるラウラさんからしてみりゃ、どの面下げてモノ語ってんだってなるわな。守ってもらっただけじゃなくて、引退までさせたんだからよ。それにきっと、色んな人にも迷惑かけたんだろうな)

 

 自分の言動や行動を客観的に振り返って、彼は、

 

「ごめん」

 

 それしか言えなかった。

 彼の胸をじわじわと圧迫していくのは、責任感と情けなさだった。

 当時の織斑一夏は自衛手段を一つも持たぬ、ただの中学生。守られて助けられることが当然の子どもだったのだ。本来なら何一つ気負わなくても良いのである。

 

 だが。

 

 今の織斑一夏は違う。

 彼女がいた座を目指す、一人のIS操縦者として。

 みんなに助けられながらここまで来れた人間として。

 何も感じるな、と言う方が無理だった。

 

「ほんとに、ごめん」

 

 目を伏せて謝る一夏。彼を前に、千冬は言葉を失った。

 

「……」

 

 姉故に。何より、この学園に入学してからどんどん変わっていく一夏を一番近くで見守ってきたが故に。

 一夏の考えていること、感じていることが手に取るように分かる。

 無性に自分やオータムへ怒りが込み上げてくる。自責して自分の腹を殴りたい気分だが、それこそ一夏を余計に傷つける行為であることくらい彼女も充分分かっていた。

 ただ、彼女にはそんな怒りとは相反する、一夏に対しての想いがあった。

 

「……決して、お前を守れなかった自分を肯定する訳ではないが」

 

 それは慰めや気休めの言葉じゃない。

 IS学園に来てからの一夏をずっと見てきた彼女の、素直な気持ちだった。

 

「私は、引退して良かったと思っている。そしてこの学園で教師をさせて貰えて本当に良かったとも思っている」

「……どうして」

「お前の夢を近くで見れるからだ」

「!?」

 

 勢いよく顔を上げると、優しく微笑んだ千冬が映る。

 

「いつか私の()()を継いでくれる……いや、お前ならきっとそれすらも飛び超えるんだろうな。これからも楽しみで仕方ない。

 だからまぁ、私の言えたことではないが責任なんて感じるな。それにクヨクヨするお前は見たくない」

 

 あまりにも直球だった。

 今までの姉からは想像もつかないような、温かさと期待に満ちた激励。一夏は耳を疑った。

 数秒ほどの沈黙が訪れる。呼吸音すらノイズになりかねないほどの、静かで濃密な時間だった。

 見つめ合いの末、ひとつ咳払いをしたのは織斑千冬。まるで何かを隠すように、

 

「以上」

「え?」

「お前も目を覚ましたことだし席を外す」

「あ、はい」

 

 千冬は椅子から立ち上がって、

 

「私が来るまで面倒を見てた篠ノ之や凰たちにも、後でちゃんと感謝を伝えておけ」

「分かった」

「ではな」

 

 スタスタスタァ、と早歩きで彼女は保健室を抜けた。何故かこの時ばかりは背中が等身大に見えた。

 スライドされて閉まった扉を、一夏はしばらくぼーっと眺める。

 それからスっと自分のベッドに視線を落とした。

 

(そっか)

 

 自然と微笑みが浮かんだ。

 

(千冬姉……そう思ってくれてたんだ)

 

 抱きしめたくなるほどの、愛おしさすら覚えるような温かさに包まれていた。

 白いガントレットに手を当てる。不思議なことに、相棒も温かかった。

 まるで一夏と体温を分かち合っているかのようだった。金属が持つことのない、表現がおかしいかもしれないが、柔らかい温かさだった。

 

(クヨクヨしてる俺は見たくない、ね)

 

 俺は元気で明るい方が似合うよな、なんて思ったり。

 

(俺なら最強すらも飛び超える、ね)

 

 期待の言葉に、胸を躍らせてみたり。

 ぎゅっと、右手を握る。

 

(俺が迷惑かけちまったことも、千冬姉が選手やめちまったのも、どれだけ悔やもうがもう変えられねぇ過去なんだもんな。

 だったら千冬姉の今の期待に応えられるように。次は俺が千冬姉みたいに誰かを守れるように。強くなって、過去を超えていく方が俺には合ってるかもな)

 

 そう、思えた。

 

 彼はいつだってへこたれない。悔しさも責任感も情けなさも、何もかもを背負って前を見る。

 それは今回だって変わらない。

 

(頑張るぞ……もっともっと強くなってやる!)

 

 夢への挑戦者、織斑一夏は()()()()()()()()()

 

 

 

 同刻。

 

「おやすみ。どこか痛くなったりしたらすぐ起こしてね」

「あぁ」

 

 シャルロットとラウラが寝床につく。

 結局、シャルロットは簡単な事情聴取を受けて。ラウラは意識もあるし怪我もあまり無いということで部屋に返されていた。

 ラウラは布団の中でうずくまる。

 

「……シャルロット」

「なぁに?」

「織斑一夏は何故、傷だらけになっても立ち上がったと思う? 別に私が連れ去られたって関係ないじゃないか」

 

 ラウラの疑問は一つ。

 オータムに触れられようとしたあの瞬間。どうして一夏が立ち上がってきたのか、だ。

 普通は立ち上がれない。と言うより、立ち上がる必要なんてなかったはずだ。ラウラから見てもそれ程までに酷いダメージを負っていたのだ。

 なのに、何故?

 ラウラの問いに、シャルロットは昔から愛用してる抱き枕に腕を回しつつ、

 

「鈴の通信機がずっと繋がってたから聞こえたんだけどさ、『クラスメイトも守れない男に世界最強は似合わない』って一夏が言ってたんだ」

「何……?」

「あ、一夏ね、世界最強になって宇宙に行くって夢があるらしいんだ。多分それのこと言ってたと思ってるんだけどね」

 

 シャルロットもまた思い出していた。

 常に愛されようと嘘で塗り固めた自分とは違って、ただひたすら自分の気持ちに真っ直ぐな一夏を。

 

「凄いよね。自分の目標のためにあんな怪我してでも戦うんだから」

「……そうだったのか」

 

 ラウラは否定のひとつもせず納得した。否、納得できた。

 戦って知った、一夏の強さの正体。拳の重さ。『自分に在るもの』。

 そして初めて感じた、あの胸の熱さ。

 言葉は自然に出た。

 

「私も、あぁなりたいと思った」

「……僕もね、一夏の生き方を()()()()()って思ったんだ」

 

 シャルロットも同じだった。

 誰かに言われるがまま、誰かに決められた孤独な生き方じゃない。一夏みたいに自分のありのままに、面白おかしく人生を謳歌する。

 きっとそれが、大好きな母が遺した『自分の思いのままに楽しい』生き方だと思ったから。

 

「これから一緒に過ごせばきっと分かるよね」

「……それがお前のしたいこと、ならな」

「もー。ラウラだってそうでしょ?」

「……あぁ」

 

 ◇

 

「あーゴホン、もしもし。スコールか?」

『貴方ねぇ……任務に失敗しておいて良くそんな気楽に電話かけれるわね、オータム』

「いやマジですまん。あとマドカにどっちも渡せなくてすまんって伝えておいて欲しいんだけど」

『だいぶ怒ってるわよ、彼女』

「ですよねー、私しばらく帰らんわ」

『……貴方が夢中になるほど、織斑一夏君は強かったの?』

「く、あはは! 聞いてくれるか!? アイツまじで強ぇんだぜ! スコールもあの目を見りゃ分かる、アイツは鍛錬じゃ手に入れられねぇもんを持ってやがるんだ! テクはまだまだなんだけどよ、それでも結構高いレベルでさ、ありゃPICのコツも掴めりゃドーンと伸びるぜ! それにガッツもある、アイツはなんt」

『はいはいもうそこまでにして。良く分かったわ』

「とにかく、私はしばらく帰らねぇわ。こっちの仕事もあるしさ」

『そう……。寂しくなるわね』

「帰ったらいっぱいチューしような」

『えぇ。じゃぁ、体には気をつけてね』

「お互いな。マドカにもよろしく伝えといてくれ」

 

 フツ、と通話が切れる。

 とある月刊誌の会社にて。深夜に残業真っ只中の()()()()は座りながらうーんと背伸びをした。

 現在編集しているのはイグニッション・プランのページだ。

 

「どこに織斑(アイツ)挟もうかな〜」

 

 彼女は記者としても戦士としても、彼に絶大な期待を寄せていた。

 一夏の記事を試行錯誤するその姿は、まるで一人のファンのようだった。

 

(さっさとプロになれよな、織斑一夏。そうすりゃお前はもっともっとレベルアップできるし、私も楽しく取材(しごと)できるんだからよ!)

 

 ◇

 

「んにゃ〜」

 

 はるか上空を移動する研究ラボで、篠ノ之束は複数の投影ディスプレイを眺めながら頭を捻っていた。

 ディスプレイには一夏と白式の膨大なデータの羅列や、戦闘映像が流れている。常人なら脳がパンクする情報量だが、束はそのいずれも完璧に理解していた。

 だからこそ、意味不明だった。

 

「なーんでいきなり零落白夜(れいらくびゃくや)出なくなってんの?」

 

 零落白夜。雪片の青い刃のことだ。

 ついこの間の無人機戦の時までは出ていたはずである。

 それが急に出なくなった。最新の白式や雪片のデータにも一部異常値が見られる。原因は不明。

 一夏に特に変化は見受けられないのに。予想ではこの時点で一夏が雪片を使いこなせるようになっていたのに。

 何故ここに来て、ことごとく裏切ってきた? 理由が分からない。

 

 ()()()()()()()()

 

「いっくん、私にもっとISの可能性を見せてみてよ」

 

 久々の楽しみに、天災が口角を上げた。




ヒロインがだいたい出揃いました。

ここまでは構想なんてなくて、行き当たりばったりで書いていたのですが……次回新章から(少なくとも)五章終盤までは、1話目の時点から考えていた展開になります。僕がずっとずっと書きたかった展開です。
つまり、『スポーツロボバトル』のISです。タグの『スポ根』はまさにこのためにあるようなものです。
今までとは作品の毛色がめっちゃ変わります。束さんとか亡国とか、そう言った複雑なお話もしばらくメインではやりません。
※次回〜五章終盤は一夏たちの成長物語として、後半に繋げようと考えています。

また、一夏vsオリキャラのお話がしばらくメインになります。もちろんヒロイン(ライバル)たちも引き続き登場しますし、オリキャラも皆様に応援していただけるようなキャラを目指します。
ちょっとしたラブコメとか学生っぽさも増やしたい(増やします)と思っていますので、引き続き読んでいただけると嬉しいです。
どうぞ、よろしくお願いします。

次章『第三章 織斑一夏プロデビュー編』
全5話の予定です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三章後半 織斑一夏プロデビュー編
28話 SUPER∞STREAM


この章から本作が始まる、と思ってます。
ここからしばらくはガチスポーツ路線です。


 波乱の学年別個人戦トーナメントから早くも一週間が経過した。

 トーナメントはもちろん中止された。学園側は急遽学生全員の成績評価方法を変えるだけでなく、外敵を難なく侵入させてしまったことに対する説明会を来賓に行う羽目になったとか。

 また、学園は警備・防衛システムをさらに強化するらしく、技術職員の出入りも頻繁に見かけるようになった。

 

 生徒はと言うと、以前の無人機襲来である程度慣れてしまったのか大して話題にすることもなかった。勿論不安視する声もあったが、一週間も経つと自然と声は消えていた。

 

 一夏たちはと言うと。

 

「ファイトー!」

「ファイトー」

 

 朝七時。七月を迎えた快晴の空の下、運動着の一夏とラウラは寮周辺を走っていた。

 既に二周を過ぎており、二人の額からは大粒の汗が流れている。

 

「ねぇ」

「何だ?」

「あれマジでおかしくない?」

「あぁ」

 

 玄関前を通り過ぎる二人を、退屈そうに眺めるのは箒と鈴。最近一夏がラウラとトレーニングしてる、なんて噂を聞いていても立ってもいられず見に来た、と言う訳である。

 階段に座る鈴は足に肘をついて、

 

「アイツらこの間までいがみ合ってた感じだったわよね? それがなんで一緒にトレーニングしてんの?」

「しかもラウラ、妙に距離感を意識してないか? 常に隣を走るようにペースを調整していると言うか」

「いやマジそれね」

 

 中国屈指の天才と剣道全国覇者は見抜いていた。

 ラウラ、一夏のこと意識してね? と。

 箒はどこか遠くを見つめながら呟く。

 

「なぁ、ラウラ狩猟しないか? あいつを野放しにするのは危険すぎる」

「アタシもちょっとライバル増えるの勘弁だわ。手伝うわよ、クエスト貼って」

「目標はラウラの紅玉だな」

「あと黄金の瞳。眼帯も剥ぎ取れるわね」

 

 ここに日中幼馴染同盟結託。もうほんと最悪の瞬間である。

 ジリジリと照り付ける日差しに耐えること十五分。走り終えた一夏とラウラが帰ってくる。しかもなんか楽しそうに雑談しながら。

 一夏はTシャツの裾で汗を拭うと、箒と鈴を見つけて、

 

「よっすー! おは」

「ちょっとラウラこっち来なさい」

「おわ!? な、何だ貴様ら!?」

 

 身体の軽いラウラは二人に秒で連れ去られた。抵抗する隙すら与えない素早い動きは、一夏目線だとマジで手慣れた人間のそれだった。

 多分数人はああやってる。ちょっと鳥肌が立った。

 

 玄関から少し離れた人目の少ない所でラウラは下ろされた。解放された瞬間に、彼女は無言で構えを取る。当然の反応である。

 鈴はまーまーと手で制止しながら説明する。

 

「あんたに一個聞きたいことがあんの。ちょっと乱暴やっちゃってごめんね」

「ほう。……一応聞いてやる」

「どーも。んじゃ、アンタって一夏のことどう思ってんの?」

 

 すると、途端にラウラは顔を赤く染める。鷹のように鋭かった瞳は一瞬で年相応の可愛らしい瞳に変わった。

 ん? 妙だな。いやまさか。鈴の隣、箒は固唾を飲んで返答を待った。

 

「私は……織斑一夏のように、何度でも立ち上がるような強さを知りたいと思っている」

「そんだけ?」

「……アイツが一緒に知っていこうと言ってくれて……話したり一緒に行動してみると、私の知らないことをいっぱい知ってて……」

「もうちょっと具体的に言ってみんさい」

「……アイツといると胸が熱くなる。心拍数が上がるんだ。でも苦しい訳じゃない。むしろ心地良い、不思議な気持ちになる。今はこの熱さがアイツの強さなんだと考えている」

 

 あっ。箒と鈴は目を合わせて察した。

 こいつは敵ッ。

 視線をラウラに戻すと、恥ずかしそうに両手で顔を押さえている。なんだそのウブな反応は! と箒はツッコミたい気持ちを寸でのところで我慢した。

 

 しかし考えてみれば仕方ないのかもしれない。

 自分のために傷だらけになっても立ち上がった男の子、なんて嫌でも意識してしまうだろう。それがいがみ合ってた相手なら、尚のこと。

 きっと彼女の嫌悪は、興味の反転ではなかったのか。それが先日の一件で正に『反転』して、一気に興味に切り替わったのではないのか?

 なんて哲学的な思想に二人はたどり着いた。

 それならば、ラウラの変わりようにも幾分かは納得がいく。

 

 箒は腕を組み、鈴は腰に手を当てて、

 

「ならば仕方ないな」

「ラウラ、あんたのそれはね、好きって気持ちなのよ。誰かのことが好きって言うのはね、すごく、大切な熱さなの。女の子はそれ一つでどこまでも強くなれるのよ」

「……そうなのか。これが好意なのか。そんなに強い想いだったのか」

 

 ラウラは知識として知っていた感情を、遂に実感する。

 胸に手を当てると、熱い。ドクンドクン、と一夏のことを想うだけで鼓動がうるさくなる。

 でも、クセになる。とっても嬉しくて、楽しくて、喜ばしい気分になる。

 

「良い、熱さだな」

 

 ぼそっと呟いたラウラを、箒と鈴はまるでお姉ちゃんのように優しく見守る。自分たちにも同じ経験があった。なんなら今でもそれは変わらない。ラウラの気持ちは文字通り、痛いほど分かる。

 

 ふふっ、と箒は微笑むと、

 

「だからと言って許しはせんがな」

「え?」

「ライバルはもう要らないのよ。さようなラウラ・ボーデヴィッヒ」

「なぁ!? やめ、やめろ! うわー!」

 

 箒と鈴のツンツン攻撃が、ラウラを蜂の巣にする────ッ!

 

 ◇

 

「酷い目にあった」

「た、大変だったんだね」

 

 一組の後ろの方で、シャルロットはラウラの話を聞いていた。

 抵抗虚しくめちゃくちゃツンツンされたらしい。軍でもあんな拷問訓練はなかった、とラウラは力尽きている。

 

「わーい、またおりむーに勝ったー!」

「またまたまたまた一夏さんの負けですわ! 無様ですわね!」

「お前これ通算何連敗目だ?」

「28連敗目だね、いよいよ30目前だよ織斑君」

「ちくしょぉおおおおおおおおおおお!!! もっぺんだ、もっぺんやるぞオラァッ!」

 

 自爆寸前の人造人間みたいに叫んだ一夏は、セシリアや箒、のほほんさんや相川さんたちとババ抜きで盛り上がっていた。

 またゲームを始めたみんなを、シャルロットは少し羨ましそうに見つめる。

 

「良いよね、ああいうの」

「お前も混じれば良いじゃないか」

 

 ラウラの単純な一言に、シャルロットはうーんと唸る。

 

「なんかね、最近分かんないんだ。それって本当に僕がしたいことなのか、それともやらなきゃいけない、とかやるべき、やった方が良いって思ってるのかがさ」

「……すまん、よく分からん。アイツらが羨ましいなら行けば良いじゃないか」

「いやそう言う訳じゃなくてね……」

 

 常に周りに高く評価されなければいけなかった彼女は、思考すらも矯正されていた。

 あらゆる物事をデメリットやメリット、リスクリターンで比べて。それが正しいのかどうかを考えて。

 

 何より、無意識に愛されようとして。

 

 そうやって別れ道を選んできた。

 

 一夏の生き方を知りたい。これは本当に自分の気持ちだと思う。

 けど、それと今までの思考の何が違うのかと言われたら、答えられない。

 だから、自分の本当の思いと言うのが何なのか、彼女はよく理解できていなかった。

 

「ラウラはあれ見てどう思うの?」

「羨ましいな。だから次の試合から一緒にやろうと思う」

「その正直さが一番羨ましいよ」

 

 しばらくすると一夏が29連敗目を喫した。

 ワンモアワンモアと一夏が頼み込んでいる所に、ラウラが兎のように飛び込む。

 

「一夏、私も混じりたい」

「おう良いぜかかって来いよ! 敵は多いほど面白ぇってもんよ!」

「ここでラウラさん参戦は激アツってヤツですわね」

 

 みんなで騒ぐ光景を、シャルロットは静観しようとして。

 一夏がそうだ、とシャルロットに顔を向けた。

 

「シャルロットもやろうぜ!」

「ぇ、え!?」

「どうせなら代表候補生全員ぶっ倒してぇからよ!」

「それ29連敗中の人が言う台詞ですの?」

「おりむー燃えてるー!」

「ど、どうせなら、ね……」

 

 何か言い方が引っかかったが、でも。

 

(こう言うの、初めてだなぁ)

 

 誘われて彼女はちょっと笑みを浮かべそうになった。

 断るのもなんだし、折角誘われたのだから、とシャルロットも急遽参加を決定。

 一夏に箒、セシリアにのほほんさん、シャルロットとラウラ。計六名による頂上決戦が幕を開ける。

 周辺をクラスメイトが囲う。一組が突如として静寂と化す。

 

 一夏はこれ以上にない集中力で挑んでいた。瞳はオータムと戦った時のような眼光をギラつかせている。

 

(負けたら30連敗。ふざけんじゃねぇ、織斑家の恥だぞ!)

 

 絶対に負けられない理由が彼には在る!

 彼の気炎はクラスメイト達にもはっきりと見えていた。

 

「ねぇ、織斑君のアレって」

「ほう、気迫ですか。大したものですね」

「遂に覚醒したか、“彼の中の彼“が……」

 

 谷本さんやリアーデさんたちの呟きに、みんなが頷く。

 間違いない、今回ばかりは一夏が勝つ。ギャラリー全員が確信していた。

 何故なら彼はあの目をした時、いつだって劣勢を逆転してきたからだ。

 静かで張り詰めた空気の中、数分が経過。

 

「はぁ、はぁ、はぁ、シャルロット・デュノア……!」

 

 残ったのは一夏とシャルロットだった。

 

(嘘でしょ!? 一夏、いくらなんでも分かりやすすぎるよ!)

 

 最初は(トラップ)だと思っていた。数手後、深読みした自分が馬鹿だったことに気づいた。

 ババを引いた瞬間、触れられた瞬間。全部が素直に表情に出るのだ。流石のラウラとシャルロットも困惑を隠せなかった。

 

「ほら引けよ、引いてみろよ……引けるんならなぁッ!」

「シャルロット、トドメを刺してやれ」

「遠慮はいらないですわよ」

 

 箒とセシリアに背中を押され、シャルロットはごくりと唾を飲んで手を出した。

 一夏が差し出した二枚に触れる。右……変化なし。左……口角がわずかに上がった。

 

(絶対左がババじゃん)

 

 一ミリも迷わず彼女は右を引く。引いた札を捲ると、ハートのA。手が揃った。

 

「やったー!」

「おめでとう! 織斑一夏30連敗!」

「負け犬ですわ〜! ルーザー! 敗北者! お馬鹿さん!」

「織斑君逆に天才でしょ」

 

 クラスが拍手大喝采で賑わう。

 当の一夏は上の空だった。燃え尽き、自分の弱さに絶望し、なんかもう虚しくなっていた。目頭が熱い。男は完全敗北した。

 

「おりむー、30連敗したら何するんだっけー?」

「えぇ、はい。わたくし織斑一夏は、30連敗したら一組全員に学食のパフェを奢ることを誓いました」

「あざ〜す一夏パイセン!」

「うちチョコねー」

 

 貯金がぶっ飛ぶことを悟って、とうとう一夏は眉間を摘んだ。だけど辛うじて涙は堪えてみせる。彼は強い男の子だった。

 騒がしい中、ラウラは笑顔のシャルロットに寄って、

 

「どうだった? 楽しかったか?」

「えっ、あ、うん」

「前も言ったかもしれんが、お前は複雑に事を考えすぎだ。お前に何があったか分からんが、大事なのは本当かどうかを考えるのではなく、今どうしたいか、だと思うぞ」

「う、うん……」

 

 ラウラの助言に、彼女は首肯を返した。

 まだハッキリとは分からない。けど、今はなんだか、良い気持ちだった。

 不思議と勝手に口元が緩む。

 

(これが楽しい、ってことなのかな)

 

 だったらまた味わえると良いな、とシャルロットは思えた。

 使命とか責任とか立場なんて背負わずに、みんなと何かをする。それがこんなにも良いものだと、彼女は初めて知った。

 ふと一夏に視線をやる。ハイテンションのセシリアに煽られて(一夏をライバル視してるからか、30連勝できて滅茶苦茶喜んでいる)、彼は握り拳をぷるぷる振るわせながら上を仰いでいた。

 

(……僕もみんなと、笑って話せたら良いな)

 

 道のりは長いかもしれない。だけどいつか、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 きっとお母さんが遺した『自分の思いのままに楽しい』生き方ができる、と彼女は信じる。

 

 ワイワイガヤガヤと盛り上がっていると、予鈴が鳴り、教室の扉が開かれた。

 現れたのは千冬と真耶。片やいつもの黒色スーツに、片やラフな服装と、いつ見ても対称的な二人だ。

 

「席に着け、お前ら。S(ショート)H(ホーム)R(ルーム)を始める」

 

 千冬の一声でクラスは一気に静けさを取り戻した。

 ガガーッ、と椅子の引く音が止むと、千冬が連絡事項を喋りだす。これと言った連絡はなく、いつも通りの内容だった。

 あらかた言い終えると、千冬は一夏に焦点を当てた。

 

「あと、織斑。お前の白式だが、整備課では修復しきれんらしい。倉持に直接行く必要が出た」

 

 え、と一夏が驚く。

 

「あれだけ激しい戦闘をしたんだ、仕方ないだろう。お前でアポを取って行くんだな。平日でも構わん、届けを出せば公欠扱いになる」

「分かりました」

 

 ラウラとの一戦から続けてオータムとの死闘で、白式は類を見ないレベルの損傷を負っていた。

 特に顕著だったのは雪片。国内一流と言われるほどの技術を有する整備課を持ってしても、半分に折れた刃は修理出来なかったようだ。

 

(とりあえず昼休み取りに行くか)

 

 それから授業を受けていると時間はあっという間に過ぎて、昼休みになった。

 普段なら簪や鈴を呼びみんなで食堂に行くが、今日は一夏が抜ける形となった。ちなみにパフェは近いうち必ず奢る、と約束した模様。

 

 彼は白式を回収するために、整備課が活動している区画に足を運ぶ。格納庫のような広い部屋では、メンテナンス中の『打鉄』や『ラファール』が佇んでいたり、学生が細かなパーツを調整したりしていた。

 見慣れた上級生に「直せずにごめん」と謝られたが、とんでもない。普段からお世話になっている一夏はむしろ感謝してもしきれない、と簡単な差し入れを渡して、白式を返してもらった。

 

 待機状態の白式を右腕にはめると、彼は携帯電話を取り出す。

 電話帳を確認すると、あった。四月に聞いた倉持の電話番号だ。

 実際に電話をするのは初めてで、少し緊張する。

 

(そういや俺って倉持のパイロットって扱いだし、最初はお疲れ様です、から入るべきなのかな? それとも普通にもしもしで良いのかな? いや、お世話になってます、だな)

 

 なんて考えながら携帯を耳に当てると、僅か三コールで繋がった。

 

『はーいもしもーし! 倉持の篝火(かがりび)でーす!』

 

 出たのは女性だった。

 IS業界に関わっている人間が聞けば皆驚嘆するその名を、一夏は素通りして、

 

「あ、もしもし。お世話になってます、白式のパイロットをさせていただいてる織斑一夏です」

『知ってるよー、君の番号は私にかかるようにしてるから。で何よ? 白式のメンテ? デートの誘い?』

「あの、白式の修理をお願いしたいんですけど、都合が良い日ってありますか?」

 

 なるべく失礼にならないように、言葉遣いや声のトーンを意識する一夏。

 だが、次の一言には流石に困惑してしまった。

 

『あーそれなら明日来て』

「え゛? あし、明日ですか?」

『うん明日ー。じゃ朝九時に埼玉支部で待ってるからね〜』

「ちょ待っ」

 

 プツ、と無情な音。開いた口が塞がらなかった。

 

(段取りとか、そう言うのってないんすか……?)

 

 数秒の間、一夏は呆然と立ち尽くすしかなかった。

 

 ◇◇◇

 

 翌日。相変わらず晴れ。

 公欠をもらった一夏は簡単な変装をし、付き添いの教員と共に学園を出た。モノレールや電車を乗り換えたり、タクシーで移動したりすること二時間、言われた通り倉持の埼玉支部に到着。

 

 倉持技研──だけでなく、大手IS企業のだいたい──はIS事業を主力として、医療や素材関係にも手を出している企業だった。

 スーパーコンピュータを凌駕する、ISのコアの演算処理能力によって製薬・医療技術を発展させて。IS製造の過程で生まれた新素材や鋼材加工技術を応用して。倉持は設立後数年で国内の超巨大企業の一つになっていた。

 

 そんな企業の支部とだけあって、とにかく施設は大きかった。

 埼玉支部はIS事業専門。広大な土地には、研究所とアリーナが併設されている。恐らく自社で開発とテストを行えるのだろう。

 

「でっけぇ……」

 

 タクシーから降りた一夏は、視界を埋め尽くすほど大きな施設に感嘆する他なかった。

 ただ、突っ立っていても始まらないため、彼は早速敷地内に足を踏み入れた。場所すら指定されていないため、まずは玄関を探そうと辺りを見渡していると、

 

「織斑くーん、こっちこっち」

 

 向こう側のドアで手を振っているのは、中背中肉の一人の男性。研究員、と言われたらパッと想像しそうな白い服を羽織っている。

 無精髭を生やした、三十代後半ほどだろうか。短髪で眼鏡をかけた彼の元へ、一夏は駆け足で寄った。

 

「はじめまして。僕はこの支部の副所長をしてる山寺(やまでら)、よろしくね」

「織斑一夏です、よろしくお願いします」

 

 山寺と言う名字に心当たりがあったものの、一夏が訊ねるより早く山寺が話す。

 

「ごめんね、急いで来てもらって。篝火所長、本当に人のこと考えないからさ」

「あ、あはは。そうなんですね」

 

 どうやら山寺も篝火に頭を抱えているようだ。

 電話の対応から色々察してはいたが、一夏は愛想笑いをするしかなかった。

 一夏は山寺に連れられて、施設内に入る。一度外に出たりしたが、雑談していると、すぐに目的の場所に到着した。

 目に前には、ドーム状の施設。

 

「ここがうちの研究所……って紹介したいんだけど、僕って話すと長くなっちゃうタイプだし説明はやめとくね。とりあえず一旦入ろうか」

「は、はい」

 

 気を引き締めて、一夏は自動ドアを潜った。

 次の瞬間に映ったのは、ISの模型に、開発段階の新製品や投影ディスプレイと睨めっこする職員たち。整備課よりも更に自由そうな雰囲気と光景だった。

 山寺が所長、と呼ぶと、メモ板にペンを走らせていた女が振り返る。

 

「おっ。織斑君おはよー! 所長の篝火ヒカルノだよーん」

「お、おはようございます。織斑一夏です」

「んじゃそっちで白式展開しといて。展開し終えたら降りてどっか見学でもしててよ」

 

 客人に対しての態度に山寺がため息を漏らすが、一夏は特に気にせず指示に従う。言われた通りに円形の台座へ移動して、白式を展開した。

 

 いつもなら数秒かかるはずの展開を、何故か一瞬で終えてしまう。

 

(??? なんか今めっちゃ早く展開出来なかったか? オータム戦以来で感覚忘れてるだけか?)

 

 不自然すぎるほど素早い展開に、一夏は戸惑いを覚える。

 まさか重要な部分が故障してるんじゃないのか、と不安さえも感じた矢先。展開の様子を見ていた篝火が、興奮気味に近づいて来る。

 

「へいへいへいボーイ! まさかもうその段階にいるとはねぇ!」

「ん、え?」

「こいつは驚いた。流石千冬さんの弟ってだけあるわ〜」

「ど、どう言うことですか? ちょっとよく分かんないんですけど」

 

 相当珍しい様子なのか、研究員たちの視線は篝火一点に集まっていた。

 

「君、今すんごい早くIS纏えてたでしょ? それはね、コアと君が相互理解しあっている証拠。白式をめっちゃ愛して、白式にめっちゃ愛されてるって訳! 白式製作班(チーム)のリーダーとしても嬉しい限りさ!」

 

 頭がクエスチョンマークでいっぱいの一夏を置いて、篝火は一人盛り上がっていた。

 けども、そこは流石の埼玉支部所長。一目で白式の状態も把握していたようで、

 

「ってのはぁ、また後で話すとして。すぐ降りて。だいぶイっちゃってるし今から修理を始めるよ。

 下D(しもディー)福山(ふくやま)ん、南。雪片は丸ごと新しいヤツに替えるさね、ちょうどいい機会だし『デュアルインパクト』使おうか」

「了解」「うっす」「ほーい」

 

 質問を挟む暇も無かった。第一印象を覆すように篝火はテキパキと指示を始めて、それまでの自由な雰囲気が即座に統率される。

 機体から降ろされた一夏は、白式にチューブを繋げ始める篝火を見つめた。

 

「す、すげぇ」

「普段は自由気ままで自分勝手な人なんだけどね……ああ言う直向きな姿も知ってるからみんな付いて行っちゃうんだよ。かく言う僕もその一人さ」

 

 山寺が感心しているように呟いた。

 一夏も共感できた。まっすぐ芯の通った人間になら、自分も付いて行きたいと彼は思う。

 作業に集中する篝火は、一夏に目を合わせることなく、

 

「んも〜。どんな戦闘したらこんなとこ壊れるのさ、織斑君」

「すみません……最近激しいのが続いて」

「これは高くつくよ〜。そうだね、修理終わったらそのぷりっぷりの未成年お尻触らせろッッッ

「え゜」

 

 それ以上会話が続くことはなかった。

 堂々とした犯罪予告に、一夏は目を点にしていた。

 

「……織斑君、さっきの話は忘れてくれ。僕はやっぱりあんな人に付いて行きたくないよ」

 

 山寺が呆れたように呟いた。

 一夏もすんごい共感できた。

 

 ◇

 

 修理の間は何もすることがなかったため、一夏は山寺と共に敷地内を見学した。

 最新鋭の装備品からIS製品開発まで。普通ならまず拝むことすら叶わないそれらを、一夏は存分に堪能した。

 一区切りついた頃には丁度お昼休みの時間になっていた。二人は食堂で唐揚げ定食を買い、適当な座席に並んで腰を掛ける。

 

「「いただきます」」

 

 二人揃って手を合わせて食べ始めると、山寺は距離感を測るように、

 

「……織斑君」

「はい?」

「IS学園は楽しいかい?」

「もちろんです。毎日滅茶苦茶楽しいですよ」

「女の子だらけなのは辛くないの?」

「最初はキツかったですけど、今はもう全然慣れました。みんなと仲良く過ごせてると思います」

 

 山盛りのご飯をかき集める一夏を横目に、彼は質問を続ける。

 

「好きな教科とかある?」

「数学とIS関連の授業は全部好きですね」

「へぇ。じゃぁ……ISに乗るのも楽しんでるかい?」

「えぇ。白式に乗せてもらえて、自分は幸せ者です。心からそう思います」

「そっか……うん。良かった……」

 

 安心したように、山寺は優しく微笑んだ。

 そこで一夏は確信する。

 最初から感じていた、彼の苗字に対する心当たりの正体を。

 

「あの、山寺さん。もしかして春に、自分に手紙を下さいませんでしたか?」

「……え」

「入学前にダンボールいっぱいの手紙を貰ったんですけど、そこに山寺さんのもあった気がして」

 

 ピタッ、と。

 

 山寺の箸が止まった。

 

「まさか……覚えてくれてるのかい? あんな、情けない手紙を……」

 

 隅から隅まで、自分の想いを書き殴った。

 焦がれるほどの夢を持っていたこと。それが叶わないと知ったこと。

 悔しい想いを、世界で唯一ISを動かせる男の子に託したいと思ったこと。

 

 自分と同じ願いを持つ人と集まって、ダンボールに丁寧に詰めて、幾つもの(てがみ)を彼に送った。

 読んでもらえたら嬉しいな、と思って。

 

 後になって、酷く大人気ない行為だったと後悔して。

 

 憮然とする山寺に、一夏も箸を止めて、

 

「その節はありがとうございました」

「へ、え? いや、なんで」

「自分は……自分はあの手紙を読んだから、今日ここまで来ることが出来たんです」

 

 きっとあの手紙がなければ、ずっとISを憎んでいた。やることだけやって、挫折も屈辱も知れないまま、達成感も喜びも分からないまま過ごしていた。

 夢を追いかけることもなかった。

 一夏は山寺を前に、そう感じていた。

 

「自分にとってあの手紙はスタートラインなんです。本当に、自分の人生を変えてくれたんです」

「……ははっ。はは、いや、そこまで言ってくれるかい。あんな手紙に……」

 

 照れくさそうに、指先で頭を掻いた山寺。

 真っ直ぐな少年の言葉に、笑顔は少しずつ、少しずつ、違う感情に染められていく。

 必死に笑顔を貼り付けて、自然にこの場をやり過ごそうとした。

 もう立派な大人だから。

 

「……ッ」

 

 無理だった。

 

 限界が来て、彼は少年から視線を外すように俯いた。

 

「ごめんよ……こんな大の大人が、子どもに背負わせるようなことをしてしまって」

「そんな、むしろ自分は」

「正直に言うとね、君が……羨ましかった。君に自分を重ねて、悔しくて、でも夢を諦めきれなかった」

「────」

 

 今ばかりはどんなセリフも、慰めも、言ってはいけないと一夏は理解した。

 男だから。

 山寺は歯を食いしばる。自分の情けなさを噛み殺すように。

 

「十年前、篠ノ之博士の発表から研究を始めて、今でも続けてるのがその証拠さ。ISは女性しか扱えない事実を……覆してみせたい。男だってパワードスーツひとつで空を飛んで良いじゃないか。飛びたいんだ!

 理論上は不可能? 知ったこっちゃない。なんたって異例(きみ)が出てきたんだ、余計に諦められないよ」

「山寺さん……」

 

 声音、言葉、姿。

 全てから情熱が滲み出ている。

 

(きっと、この人は何度も挫折から立ち上がってきたんだ)

 

 その執念に、一夏は思わず飲み込まれそうになった。

 手紙だけでも火傷しそうだったのに、目の前で語られると熱さがまるで違う。重みが違う。比喩じゃなく、本当に肌でヒシヒシと感じた。

 山寺は何度か瞬きすると、やっぱり僕は話すと長くなるね、と一言置いて、

 

「君には勝手に手紙を送って、期待を押し付けてしまった。……本当に申し訳ない」

 

 山寺はそう言うと、そっと頭を下げる。

 

 一夏はその背に背負ったモノの重さを改めて感じていた。

 一つ一つに魂が込められている。人生が込められている。あり得ないほどに重たい。

 自分も茨の道を進む者。なおさら彼の苦心も、憧れる気持ちも、深く理解できた。

 

 だからこそ応えたい。

 全てを背負って突き進みたい。

 だって、それは、世界で自分だけが叶えられる夢だから。みんなが憧れて、でも無理だと捨てちまった夢だから。

 

 一夏はハッキリと宣言する。

 

「自分にも、絶対に叶えたい夢があります」

「……聞いて良いかい?」

「全てを超えて、世界最強になって、この宇宙(そら)を飛びたいんです」

 

 側から聞けば、馬鹿みたいな絵空事に聞こえただろう。

 しかし山寺は笑わない。

 

「カッコいい夢じゃないか」

「あの手紙があったからです」

「……どう言うことだい?」

「あの手紙を読んだから、自分にも夢があったことを思い出せたんです。

 だから、さっきも言いましたけど、あれは本当に自分のスタートなんです。押し付けられた、なんて全く思ってません。むしろ頑張る理由なんです」

 

 一夏は遥か彼方を捉えるような眼差しで、

 

「皆さんが託してくださった夢に絶対応えてみせますよ……自分は!」

 

 山寺は胸を射抜かれたような、そんな衝撃を受ける。

 背負わせてしまった、と後悔していたのに。この少年は応えてみせる、と言ってくれた。

 なんて逞ましい背中なのだろう。

 嫉妬はない。ただただ、彼に託して正解だった。

 例え彼が夢を叶えられなかったとしても、山寺は一夏を誇りに思えると感じた。

 

「凄いな」

 

 彼はそう呟いて、

 

「世界でたった一人の男性IS操縦者が、まさかこんなに凄い男の子だったなんてね」

「いえ、自分はまだ未熟者です。学園にはもっと凄い人たちがいて、いつも追いつくので精一杯ですよ」

「ははっ。謙遜しなくても良いよ、僕は本当に凄いって思ってるんだから」

「……ありがとうございます」

 

 自分の手紙が少年のキッカケになれて、山寺は嬉しかった。

 彼には最後まで走り切って欲しいと心から願う。自分のためじゃなく、彼自身のためにだ。

 同じ夢への挑戦者として。彼の挑戦は、是非とも成功してほしい。

 

「白式製作班のサブリーダーとして、君の夢に全力で協力するよ」

「ありがとうございます! 自分も、全身全霊で応えれるように頑張ります!」

「……もう良いかーい?」

「「!?」」

 

 突如、後ろから女声。

 二人がバッと振り返ると、真後ろにはうどんを食べ終えた篝火がいた。

 

「しょ、所長。いつからいたんです?」

山D(やまディー)が『女子だらけなのは辛くないの?』って聞いたあたりから」

「すんごい最初の方ですねぇ!?」

 

 小っ恥ずかしくなって山寺は大声でツッコんだ。

 一夏は誰に聞かれても良いことしか話していないため、盗み聞きされようがどうとも思っていない様子。ただ篝火が気配もなく背後にいたことに少しビックリしていた。

 篝火はと言うと、背もたれに腕を乗せて、

 

「織斑君、白式直しといたから飯食ったらさっきの所来てよ」

「すみません、急いで直していただいて。ありがとうございます」

「良いってことさ。んじゃ後でプリケツ触らせろよッッッ

「あっ」

「織斑君。一言言っておくと、所長はこうなったら逃げたって追いかけてくるよ」

 

 五本の指を気持ち悪く動かして、篝火は席を立った。

 一夏はケツを引き締める。こんな恐怖を味わったのはオータム戦くらいだ。

 三十分後の自分を想像して、一夏はでかいため息を吐いた。

 

 ◇

 

 昼食を食べ終えて研究所に戻ると、まず真っ先に一夏はケツを揉みしだかれた。ズボンの上からだったことだけが僥倖だった。

 

「ゎ、わッ」

「オホ〜良いハリしてんねぇ! ん〜〜〜至福ッッッ!」

 

 人生最悪の瞬間である。たまに頬擦りされてる気もするがそんなのどうだって良い。

 一番酷いのは公開処刑だったことだ。周りは皆ドン引きである。一夏は初めての屈辱に涙を流した。

 五分ほど地獄絵図が続くと、篝火は満足したのかスッと手を離す。隣では山寺が必死に頭を下げていた。

 

「みんな何サボってんのさ、さっさと仕事に戻るさね。山Dもさ」

「織斑君本当にごめん、ごめん!」

(全部白式のためだ……仕方がなかった……)

 

 だいぶ精神状態やばい一夏は自分に暗示をかけて全部忘れようとしていた。

 篝火は満面の笑みで、

 

「さて、織斑君。ちょいと進化した白式を見てもらおうか」

「……進化?」

 

 未だ熱がこもったケツを抑える一夏は、篝火に連れられて円形の台座まで移動する。

 鎮座していたのは、綺麗に修復された白式。その横には、完全に刃を取り戻した雪片が立てかけられていた。

 

「とりあえず白式は全部直して、スラスターも少し改良したやつをぶち込んどいたよ。出力がより向上してるから、素早い戦闘に期待できるさね。あと内部フレームもちょっち良いやつに変えといたよ」

「すげぇ。え、たった三時間でそこまで出来るんですか?」

「ケツ触れたからね」

「……はい」

 

 人間性に問題があるのは間違いないが、しかし技術者として超一流なのも間違いないだろう。ケツ揉まれまくった一夏でもそれは認めざるを得ない。

 ただ、篝火が紹介したいのは雪片のようだった。

 彼女は自信ありげにニヤけて、雪片を指差す。

 

「話したいのはこっち。この雪片見て、何か不思議に思わない?」

「ん〜……なんか、ちょっと刀身がデカくなってるような」

「そう、正解! よく気づいたね」

 

 すると彼女は、空中投影ディスプレイを呼び出した。画面に映し出されたのは、雪片の刃を拡大した画像。

 

「これがうちの発明した最新機能『デュアルインパクトブレード』さ!」

「デュアルインパクト……二重の衝撃ってことですか?」

 

 うんうんと頷いて、篝火はディスプレイで映像を流す。

 流れたのは拡大された刃の映像。刃先が物体と接触すると、接触の直後、一瞬のタイムラグを挟んで切刃が押し込まれた。

 

「刃先を特殊な機構にすることで、衝撃を増大させることに成功したって訳さ! 結果的に切断力も上がったんだけど、それだけじゃないんだよね」

「あっ! 二段構造だから、逆に衝撃を吸収できるとかですか?」

「おぉお、あったま良いね! 正直私が答え言いたかったけど!」

 

 イグニッション・プランでの経験がここで活きる。操縦者としてだけでなく、技術者として物事を観察する力が一夏にも少しずつ身についていた。

 篝火は上機嫌に説明する。

 

「刀身と刀身の接触の時、一段階目の接触で相手の威力をある程度殺せるって仕組みさね。

 つまりまとめると、例えば織斑君が100の力で刃を振れば接触した時の威力は110に。逆に相手の100のパワーは90で受け切れるってことさ!」

「めちゃめちゃ凄くないすかそれ。マジで大発明じゃないですか」

「うんうん、もっと褒めてくれたまえ」

 

 一夏はかなり興奮していた。ガキンチョみたいに目をキラキラと輝かせている。

 自分が強くなればなるほど、相棒の真価を発揮できる。

 堪らない喜びだ。はやく乗りたくて乗りたくて仕方ない。

 明らかに表情を変えた一夏に、篝火はとっておきを披露する。

 

「……織斑君、こっちこっち」

「ま、まだあるんですか!?」

 

 篝火が雪片の側面に指をさしつつ、一夏を手招きする。

 これ以上一体何があるんだ、と一夏は胸を躍らせながら雪片の側面を覗いた。

 

 現れたのは、黒色の文字。

 

「……すーぱー、いんふぃにてぃ、すとりーむ?」

「ブッブー! SUPER(スーパー)(スーパー)STREAM(ストリーム)さ!」

 

 雪片の刀身の、持ち手に近い部分に刷り込まれていた。

 堂々と。遠目から見ても文字が書かれてると分かるくらい大きく。

 一夏は単語の意味を思い出して、

 

「えっと……凄い流れ、ですか?」

「そう! 倉持技研白式製作班の『テーマ』さね!」

 

 篝火はいつになく真剣に語る。

 声音を一つ落として、

 

「この時代にスッゲー流れを作りたい。時代の流れを変えちまうような発明をしたい。私たちには無限の可能性があるッ!

 そんな願いとか決意を込めたテーマさ」

「……かっけぇ」

「でしょ? 織斑君も今日からうちのチームの一員だからさ、同じテーマを、って思ってね」

 

 一夏はそのテーマに見惚れていた。

 時代の流れ。無限の可能性。

 自分にも当てはまると思う。

 世界のてっぺんを取って、時代の先に立ちたくて。無限の可能性を秘めた夢を叶えたくて。

 

(SUPER∞STREAM、か……!)

 

 一夏はギュッと拳を握った。

 なんて素敵なテーマなのだろう。

 なんて、自分にピッタシな意味なのだろう。

 

(最高だ)

 

 ────最高だ!

 

「……あれ? 篝火さん、今、()()()()()()()()()()()()()()()()って言いました? 」

「うん」

 

 篝火はふっつーに肯定して、

 

「だって今日から君、うちのチームの選手だもん」

「……?」

「あー、だから、今日からプロ選手になったって訳さ。倉持技研所属の」

「誰がですか?」

「織斑君が」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え゛?」




OPかEDで走るアニメは神アニメ定期
個人的に1期OP終盤で草原を駆ける一夏がバチクソ好きです。
あとやっぱスーパスーパシーは外せない。神曲。


以下、一夏の戦績(一夏視点)
第一章
vsセシリア──敗北。この敗北をきっかけに、彼の中に在る『勝ちたい』『全てを超えたい』気持ちが強まった。夢への挑戦が始まる。

第二章
vs簪──辛勝。しかし『青い刃』の力で勝てただけで、未だ一夏はこの勝利を勝利だとは思ってない。
vs鈴──決着つかず(敗北)。一夏曰く「試合が続いてたら間違いなく負けていた」らしいので、彼の中では敗戦扱い。
vs無人機──敗北。加えて、最後の最後で諦めてしまった。みんなが助けてくれたからなんとかなった。

第三章
vsラウラ──辛勝。けどこちらも簪戦同様、勝った気がしないらしい。
vsオータム──完全敗北。けども、最後まで戦い抜いたと言う観点では自己評価高め。まだまだ世界は広い。
vsババ抜き──30連敗。雑魚。

敗北が多く、心の底から喜べる勝利も未だ無い彼だったりします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

29話 対戦相手は三十一位

オリキャラ登場します(今回は挿絵無しです)。
篝火さんは8巻でも「んーふふ。未成年のお尻はいいねぇ」って言ってるので間違いなく変態です。

8/14 描写追加しました。

また、この回で出てくる『判定』『エネルギーアウト』と言う単語ですが、詳細は22話の↓通りです。ボクシングの判定とKOみたいな感じです。

『ISバトルにおいて、試合の勝敗を決める方法は二つある。
 一つは判定。制限時間まで両者のシールドエネルギーが残っていた場合、残量エネルギーの割合で勝敗を決定する方法だ。
 そしてもう一つは、エネルギーアウト。箒が言ったように、先に相手のシールドエネルギーを削り切った方が勝利。』


「みんなに大事な話があるんだ。今回ばかりはマジで聞いてほしい」

 

 七月三日。倉持で白式の修理を終えた、翌日の昼休み。

 いつものメンバーで食堂の机を囲うと、一夏が真剣な面持ちで言った。

 只事じゃないことを悟って、箒は箸を止めた。鈴もスイッチを切り替える。

 セシリアは姿勢を正して、簪は興味津々に耳を傾け。

 ラウラは軍人モードに入り。どうしたの、とシャルロットが話を促す。

 

(まさか女か!?)

(誰!? ラウラ、それとも箒? もしかしてアタシに告白!?)

 

 この際脳内ちょっとピンク色の箒と鈴は置いておく。

 一夏は意味深に溜めを作って言い明かした。

 

「昨日さ、俺、プロのIS選手になった。倉持技研所属の」

「……はぁ?」

 

 まず真っ先に驚いたのはセシリアだった。

 

「どう言うこと? 詳しく聞きたい」

「昨日って白式の修理をしに行っただけじゃないの?」

 

 簪とシャルロットが詳細を訊ねる。

 とりあえず悪そうな話でなくて良かった、とみんな安心した。が、かなり重要な内容である事は間違いない。

 一夏は篝火の言葉をそっくりそのまま話す。

 

「『インフィニット・ストライプス見たけど、インタビューでプロになりたいみたいなこと言ってたっしょ? だから選手登録しといたって訳さ!』ってしか言われてねぇんだなこれが」

「でもあれ最後はハンコとサイン必要じゃなかった? 断れば良かったじゃない」

「やらなきゃ俺のケツが危なかったんだ、マジで」

「うっわ……」

 

 大真面目に語る一夏に、鈴は滅茶苦茶ドン引きした。しかし残念ながら全て事実である。

 一夏は恥ずかしくて言ってないが、篝火からは「倉持の意向でもあるのさ。まぁやっちゃった以上仕方ないからサインしてよ。しなかったら次は直でケツ触るいや触らせてッッッ」なんて脅迫を受けていた。本当に可哀想。

 ただ、プロの世界に興味があったのも事実。成り行きと勢いに任せて今に至る。

 

 話を聞いて、首を傾げたのはラウラ。流行に疎い彼女は、隣の箒に質問した。

 

「箒、すまないがインフィニット・ストライプスとは何だ?」

「IS雑誌だ。選手の情報とか試合結果を載せてるようなやつだな」

「なるほど、助かる」

 

 更にその横では、携帯を取り出した簪がアプリを起動する。

 

「電子書籍版なら毎月買ってるから、今見てみるね」

「わたくしも見たいですわ」

「アタシもー」

「俺が一番見てぇよ」

「分かった、ちょっと待って」

 

 簪は全員に見えるように、空中投影ディスプレイを呼び出した。携帯と接続して画面を共有する。

 ディスプレイには一瞬だけ簪のホーム画面が映る。ヒーローものの背景に、ゲームアプリがぎゅうぎゅう詰めにされていた。

 

「今月号だとしたらイグニッション・プランの特集かな?」

「そう言えば巻紙さん、一夏の特集も作るとか言ってたな」

「巻紙さん?」

「あぁ、シャルロットはあの時いなかったんだな。インフィニット・ストライプスの記者の方だ」

 

 シャルロットと箒が喋っていると、ディスプレイに件のページが表示される。

 一夏の一枚写真や少し爽やかさを意識したような顔写真に、インタビューとその回答がずらっと並べられていた。一夏はちょっと照れくさそうに、

 

「ちょっ、うわ。自分で自分見るの恥ずいわ」

「何照れてんのよ」

「こんな顔もできるんだな、一夏」

 

 鈴には肘で小突かれ、ラウラには揶揄われる始末。

 簡単にページを眺めていると、簪が問題のコメントを発見する。

 

「これだね……うん。絶対織斑君が言ってないコメントだね」

 

 拡大されたコメントに、全員の視線が集中する。

 プロにはなりたいか。確かに聞かれた、それは一夏も覚えている。

 ところが、回答は全くもって記憶と違っていた。

『今すぐにでもなりたいです。倉持技研さん選手登録お願いします!』。

 

「俺訴えても良いよな? 普通に大事件だぞおい」

「確か一夏さん、もっと力をつけたら、みたいに言ってましたよね」

「おう、これ全く違うよな? 俺の目が腐ってなかったら真逆のこと書いてあるように見えるんだが」

「他はどう?」

 

 簪がスライドして別のコメントも確認する。

 ビックリすることに、全て一夏の記憶通りの回答だった。つまりプロになりたいかどうかだけ変えられていたのである。

 一夏の困惑が噴火する。

 

「だいぶやってんなぁ!? よりにもよって一番大事なとこをよぉ!」

「随分酷い改竄だな……」

「こう言うのって本当にあるのね」

 

 インタビュー現場に居合わせていた箒と鈴が憐れむ。

 

「もし改竄だとしたらこれ、僕の所感だけど、()()()()()()()()()()()()()()気がする」

 

 つい癖で思考を走らせたシャルロットの発言には、セシリアがこくりと共感を示す。

 嘘偽りも多々ある政治的な交流や企業間でのやり取りにおいても場数を踏んできた、デュノア社社長の一人娘とオルコット家の令嬢。二人はしっかりと、改竄の裏にある意思を看破していた。

 

 しかしそんな複雑な世界を知らず、何でも白黒ハッキリさせたい一夏は携帯を取って、

 

「流石に電話するわ。ミスならミスで良いんだけど、わざとなら理由聞きてぇ」

「どうせミスって言われるだけだしやめといたらー?」

「私もあまりオススメはしない」

 

 鈴と簪に止められながらも、一夏が巻紙に電話をしようとした。

 その瞬間だった。

 まるで一夏の動きを全て知っていたかのように、一夏の携帯に着信が入る。相手は、巻紙。

 ちょくちょく取材したいから、とイグニッション・プランの時に電話番号を交換しておいた(無理やりされた)のだ。

 

 とんでもないタイミングでかかってきたことに、一夏は驚きつつも応答する。

 少女たちも邪魔にならないように口を閉じた。

 

「もしもし、巻紙さ」

「プロになったってマジですか織斑君!?」

「え、あ。はい」

 

 超興奮状態の巻紙に気圧され、一夏は思わず縮こまった。

 改竄について訊ねる暇もなく、彼女は捲し立てる。

 

「なんで連絡してくれないんですか! 今どこの出版会社も超忙しいんですよ!?」

「そ、そうなんですか……」

「世界でたった一人の男性IS操縦者がプロデビューですもん、そりゃ盛り上がりますよ!」

 

 巻紙が興奮するのも無理なかった。

 コメント改竄の犯人でもある彼女だが、何がなんでも一夏にプロになって欲しかったのだ。記者としても、戦士(オータム)としても。

 プロになり沢山の経験を積めば絶対強くなる────彼女は一夏の瞳の力(そしつ)を見抜いていた。何より、()()()()()()()()()()()()()()、才能ある一夏(こうはい)に期待せずにはいられなかった。

 

 彼女はデスクでパソコンを見つめながら、

 

「しかも試合も決まってるし! 会見とかはするの?」

「────え?」

 

 ◇

 

 都内の映画館の、フードコーナー。

 平日と言うこともあって、人気の映画以外は客数がほとんどない。また、従業員の大半を占めるアルバイトの業務と言えば、食品販売にチケットの確認、館内の清掃などと比較的軽作業が多い。

 

 ────体力を温存しつつお金を稼ぐには、丁度良いバイト先だ。

 

「お疲れ様でした」

「あっ、(まい)ちゃん。試合決まったらしいわね? しかも相手はあの織斑君らしいじゃない?」

「はい。……専用機持ち、ですね」

「専用機? まぁ私ISのことよく分からないけど応援行くから、いつもみたいに良い席のチケットお願いね」

「ありがとうございます。良い試合できるように頑張りますね」

 

 仲のいいパートのおばちゃんとそう話して、一人の女性が退勤する。

 長い黒髪を後頭部で一つに結んだ彼女の名は、服部(はっとり)舞。二十一歳。

 IS学園の卒業生にして、国内のプロIS選手。

 

 ランキングは三十一位。

 

 ハッキリ言ってしまえば、低い。

 

 ファイトマネーではまともに食っていくことなど出来ないため、朝から夕方まではバイトに勤しんでいる。

 そしてバイトが終わった後は、選手として訓練だ。これがまた体力を使うため、バイトでは出来るだけ体力を使わない──体力を使わないようにしているだけで、勤務態度は至って真面目──ようにしている。

 

 映画館を出た舞は休む間もなく、とあるビルへ車を走らせた。

 彼女の所属企業(チーム)である山本重工の小さなオフィスビルだ。中に入って三階へ行くと、フロアいっぱいにラボが広がっている。

 ラボとは行っても、パソコンやディスプレイ、データのメモなどが隅っこに置いてあるくらい。一番注目すべきはフロアの真ん中にある、人が一人乗り込めるくらい大きなISの模型だ。

 

「よ、お疲れ舞ちゃん!」

「お疲れ様です、会長」

「今調整してるから待っててな」

 

 会長、と呼ばれた五十代のおっちゃんは、模型にパソコンを繋げてデータを調整していた。

 模型の正体は、バーチャル空間を生み出し、バーチャル内でISを擬似的に操作できる特殊な機械。

 IS選手の大半はこの機械で訓練を積んでいる。

 選手とは言っても、ISのコアの数が限られてる以上、本物のISに乗ることは滅多にないのだ。特に資金もなければ、所属選手のランキングや人気が低いような山本重工は、アリーナでISを借りることすらままならないのである。

 

「会長」

「おう、どうした?」

「試合組んでくださってありがとうございます」

「はは、なんでぇいつも。良いってことよ」

 

 会長はガチャガチャと模型をいじりつつ、

 

「俺たちゃ舞ちゃんの戦う姿に元気貰ってんだからよ」

「……相手、凄いですね。よく試合組めましたね」

「だろ? 昨日チラッと選手名簿見たらたまたま見つけてよ、すぐ試合申し込んだら二つ返事で了承してもらったんだよ。しかも話聞いてみりゃデビューしたてだったらしいじゃねぇか」

「どうして織斑一夏を選んだんですか?」

「多分どの企業もメディアもあの少年にゃ注目してるはずだ。そこで舞ちゃんが試合して勝ちゃぁ、企業(うち)も舞ちゃんも一躍有名になれるって寸法よ」

 

 選手を所属させる以上、企業はスポンサーなのである。

 選手が有名になればなるほど、スポンサー企業の認知度は向上し、企業優位性を確保できたり顧客企業の会得につながったりする。

 今世界中から注目を集めている織斑一夏との試合は、スポンサーにとって自社の名を広める絶好の機会。その点で言えば、山本重工の会長はかなりの幸運に恵まれたのだ。

 

 ただ、その分選手にかかるプレッシャーは尋常じゃない。

 負ければ、企業もろとも織斑一夏の噛ませ犬、踏み台扱い。世界中から山本重工は一生『織斑一夏と倉持に負けた企業』呼ばわりされるのだから。

 

 加えて、低ランカーが専用機と戦うなどまずあり得ない話。

 三十一位が専用機持ちと戦うなんて、異例中の異例なのである。

 

 今、舞の背中には想像を絶するような圧がかかっていた。

 

(勝てるの、私が? IS学園の現生徒に? 専用機持ちに?)

 

 椅子に座って、機械の調整を待つ舞。

 今までにはなかった強烈な不安に、腕が小刻みに震えていた。

 

(とりあえず、試合決まったことは報告しよう)

 

 不安を紛らわしたいのもあって、彼女はSNSアプリを開いた。

 アカウントのフォロワー、つまり彼女のファンは3500人弱。タレントとしての才能があれば話は別だが、舞にはそんなのこれっぽっちもない。ランキングや人気を考えれば妥当の人数だ。

 彼女は試合告知の文を入力しようとして、

 

(ダイレクトメッセージ来てる……)

 

 通知に気づいた彼女は、そのメッセージを何の疑いも持たずに開いた。

 数少ないファンからたまに貰うメッセージに、よく元気付けられている。きっとそれだと思った。ちょっとだけだけど、不安も紛れると思った。

 

 

 

『逃げ腰の低ランカーが。全試合判定ってなんだよ、しょうもな。そんなんだから人気も出ないし弱いままなんだよ。

 逃げてばっかじゃなくてたまには向かい合えよ。まぁ勝てないんだろうけどw

 山本重工も馬鹿だよな、こんな選手ずっと雇ってさ。やめちまえよ選手』

 

 

 

(────ッ)

 

 酷い、メッセージだった。

 アンチと呼ばれる、他者の努力を否定する人間からの心ない言葉だった。

 胸を貫かれたようなショックだった。普段なら相手のアカウントをブロックして無視して終わりだけれど、今ばかりは。

 今ばかりは、何も出来なかった。

 

 全部が全部、自分に突き刺さる。

 

 携帯を見つめたまま、不意に歯を食いしばった。閉じた唇の裏で、グッと。

 

(学園で成績が良くて、みんなにもいけるって言って貰えて、才能があると思って、この世界に入ったのに。いざ始めてみて知ったのは、自分の弱さと情けなさだけ……)

 

 不安の中で膨らんでいくのは、弱い自分への悔しさ。言われっぱなしで、なのに一言も反論できない自分への悔やさ。

 笑って誤魔化すことなんてできる訳がなかった。

 

 だって彼女は、プロの戦士(ファイター)だから。

 

(私だって……私だって、エネルギーアウトで勝てたらって! 自分の手で相手を倒せたらって! 今でも夢見てるよ!

 でも私は弱いから、判定に持ち込むしか出来ないの!)

 

 自分のスタイルが嫌われやすいのはよく分かっている。

 それがカッコ悪いことも、しょうもないことも理解している。

 だけど、彼女には判定に持ち込むスタイルしかなかった。彼女にとっての、勝つための最善はそれだった。

 

 静かにアプリを閉じる。

 ネガティブな思考は、次の試合への懸念に変わっていく。

 

(織斑一夏……三位の更識選手とかオルコット選手と同じ一年生。きっと彼女たちとも訓練してるし、何より若い。間違いなく強い。

 ……通じるの、私の今までの戦い方は)

 

 相手は専用機持ち。そのクセにプロデビューしたてで試合動画が一つもないから、対策のしようがない。環境に差がありすぎる。年齢差による身体能力の差もきっとある。若さ故の怖さ知らずだってあるだろう。

 

 なんとかして確立した自分の最善は、通用するのか?

 周りから否定され馬鹿にされてもなお続けてきたスタイルで、彼に勝てるのだろうか?

 

 不安と悔しさに焦燥すらも乗っかって、いよいよ彼女は項垂れる。

 今回ばかりは、重すぎる。

 

(会長、ごめんなさい。弱くて……ごめんなさい)

 

 こんな低ランキングの自分を今でも雇ってくれていて、試合を組んでくれる会長には感謝しかない。

 なのに、その大きな感謝に応えられるか分からない。

 そんな自分が一番、悔しくて、情けなかった。

 

「舞ちゃんお待たせ、準備でき……舞ちゃん?」

「……」

「また、何か言われちまったか?」

「……すみません」

 

 会長は項垂れる舞の側に寄って、目の前でしゃがみ込んだ。

 下から舞の顔を覗く。目を逸らした彼女に、彼は熱い眼差しで、

 

「舞ちゃん。周りなんて気にすんな。んなもん勝ち続けりゃ勝手に変わるんだからよ」

「でも私、判定ばっかりだし、次の試合は専用機相手だし、……そもそも勝てないかもしれないんですよ……」

「何言ってんだ。試合始まってもねぇのに結果なんて考えんなよ。戦いっつうのは何が起きるか分かんねぇもんだろ?」

 

 会長は知っている。

 いつだって全力で、総力を尽くして戦う舞の姿を。

 

「俺たちゃな、舞ちゃんの必死に勝ちに行く姿が大っ好きなんだよ」

「……ッ!」

「確かにエネルギーアウトはIS選手の華だ……何せ自分の手で敵ぶっ倒した証明なんだからよ。

 けど判定でも良いじゃねぇか、同じ勝ちに変わりはねぇ。それに今二連勝中だろ、っつぅこた舞ちゃんの戦い方も間違えてねぇってことじゃねぇか」

「会長……」

「相手が専用機持ちだろうと関係ねぇ、勝ちに行こうぜ。

 舞ちゃんいつも頑張ってんだからよ、奇跡だって手繰り寄せるかもしれねぇだろ?」

 

 ニッ、と会長は笑った。

 

 企業と選手は、同じチームなのだ。

 選手が落ち込んでいたら企業が励ます。企業が落ち目の時は選手が活躍して活気づける。

 そうやってお互いを支え合って、一緒に一つの目標を目指していく。

 

 舞は今、その事実を身をもって実感する。

 

「ありがとうございます、会長」

「おう。ちっとは自信ついたか? なんてな」

「……私の戦い方を認めてくれる人がいると思ったら、少し嬉しくて……」

「わはは、それなら良かった!」

 

 怖い。それは変わらない。

 プレッシャーが半端じゃない。腕が震えるほどの不安なんて初めてだ。

 でも。

 戦うしかない。全力で勝ちに行くしかない。

 

 勝ちたい。会長の恩に、応えたい。

 

 プロだから。

 

(結局、私は私にできることをするしかないんだ)

 

 恐怖を前に、舞は立ち上がった。

 模型のISに乗り込み、バイザーを被ってスイッチを入れる。と、視界にはバーチャルのアリーナが瞬く間に形成された。

 設定を完了させると、目の前に刀を握ったISが出てくる。

 

(私の戦い方を認めてくれる人がいる……応援してくれる人がいる。その人たちのために頑張ろう。勝って、応えよう!)

 

 舞は一息吐くと、意識を集中させる。

 

(織斑一夏は強いだろうけど、きっと活路はあるはず。諦めなかったら、見えてくる物もあるはず!)

 

 巨大なプレッシャーや不安の中で、焦点を一点に定めた。

 ────勝利。

 かちゃり、とアームを動かして、舞の鍛錬が始まる。

 

 会長は舞の背中を眺める。

 

(舞ちゃんは自分の弱さを知ってる。だからこそ強ぇ)

 

 不敵に微笑んだ。

 ずっと彼女を見守ってきたからこそ、分かることがあった。

 

(次の試合、舞ちゃんは奇跡を起こすぜ……!)

 

 ◇

 

 夕方。試合が決定した一夏は早速、セシリアたちと鍛錬に励んでいた。

 どうしていきなり試合が決まったんだ、とか、話は通さないのか、とか色々疑問はあった。

 でも、例え成り行きだろうと、最後は自分の意思で選手になったのだ。なりたいから、なったのだ。

 ならば試合が急に決まったとしても、話がなかったとしても、文句など言えない。言ってられない。

 

(服部舞さん、戦績は四戦二勝二敗……印象はパッとしない。けど)

 

 セシリアのBTと狙撃を躱しながら、間合いを縮めていく。

 

(けど、それは印象だけだ! 四試合とも判定に持ち込んでるってことは長丁場に強い選手なのは間違いない!)

 

 戦績から相手のスタイルをイメージしながら、訓練に取り組む。

 

(長丁場に強い、つまりは相手の攻撃を去なすテクニックが高い証拠! それに相手を近づけさせない能力も高いはずだ。クソッ、最悪の相手じゃねぇか!)

 

 BTを避けた次の瞬間、セシリアの狙撃が肩を直撃。

 ぐらっと揺らいだ所に、更にBTの追撃がヒットする。

 

「がはっ!?」

「……」

 

 続いては簪と近距離戦の特訓。

 一夏は新しくなった雪片を使いこなすためにも、角度やタイミングを何度も試行錯誤していた。

 刀と刀がぶつかり合い、甲高い金属音が弾ける。

 

(どうにかして近距離戦まで持ち込めたとしても、チャンスは少ねぇと思う……一度掴んだ流れでそのまま決着まで持っていかねぇと後が不安だ)

 

 簪と素早い攻防を繰り広げながら、試合を想定する。

 今まではどの戦いも短期決戦だった。最終的にみんな積極的に戦いに来てくれた。故に初見殺しや一か八かの作戦が通用していた。

 しかし次はどうだろうか。

 おそらく試合時間をフルに使うだろう。更に相手は油断も慢心もなく、中々近づいてきてもくれないだろう。

 おまけに相手はプロで四戦もこなしている。経験値に差がありすぎる。

 

(判定ばかりだからってパワーがないとも言い切れない。下手したらエネルギーアウトで負ける可能性だってある。

 試合までの残り三週間で、オフェンスもディフェンスも仕上げなきゃいけねぇ!)

「甘いッ!」

 

 一夏の横薙ぎに払った雪片を弾いて、簪がカウンターを叩き込む。

 普段なら反応してガードできるはずのそれを、彼はまともに喰らってしまった。

 怯んだ瞬間、的確な追撃が襲う。一夏のブロッキングより速く、簪の一閃が彼の腹部を直撃。

 

「うがぁ、ぁ!」

「織斑君……」

 

 今日の最後。鈴との特訓はディフェンス強化が主体だ。

 彼女の二刀流から繰り出される斬撃のラッシュを、雪片で必死に捌く。時には上体屈み(ダッキング)上体反らし(スウェーバック)など回避も織り交ぜていく。

 

 雪片の『デュアルインパクトブレード』の恩恵はまだ感じられない。

 きっと振り方がまだ甘いのだ。これでは、倉持技研の努力の結晶が無駄になってしまう。それはダメだ。

 選手なのだから、それは断じて許されない。

 

(プロの試合は今までの学園の試合とは違う、もう俺だけの戦いじゃない! これからは俺を支えてくれる人たちのためにも負けられない! 勝たなきゃいけないんだ!)

「また腕が止まってるわよ! 回避も遅い! 重心移動(シフトウェイト)が散漫じゃない!」

 

 自分自身のためだけじゃない。倉持のためにも、特訓に協力してくれるみんなのためにも、夢を託してくれた男たちのためにも。

 

 次の試合は絶対に勝たなきゃいけない。

 

 絶対にだ。

 

(……勝てるのか? 俺が、プロで四戦も経験してる人に……。

あの悔しさを、プロの世界で二回も超えてる人に……?)

「ダラァッ!」

 

 鈴の鋭い一振りは、一夏の無防備だった上体に思い切りヒットした。

 踏ん張ることもできず、空中でもんどり打つ。いつもなら容易に防げるはずの被弾だった。

 

(ダメだ……こんなんじゃダメだ。勝たなきゃいけないのにッ。もっと集中するんだ!)

 

 

 

 

「彼、かなり集中力を欠いてますわね」

 

 特訓を終えた少女たちがロッカーで着替えていると、セシリアが呟いた。簪が首肯して、

 

「気持ちは分かる。やっぱり、デビュー戦ってプレッシャーが大きいもん」

「へ〜、やっぱみんなあんな感じになったの? アタシは普通に何ともなかったけど」

「わたくしもなーんともありませんでしたわね。もうほんっと全然余裕でしたわ」

 

 鈴にパツパツの胸を張って答えたセシリアだが、滅茶苦茶緊張してた。なんならデビュー戦前日は腹痛に悩まされたくらいだ。

 しかし。

 

(一夏さんは責任感が強い方です。勝たなきゃいけない、と気負い過ぎてるのですわ)

 

 ちょっと見栄を張っただけで、彼女は一夏の気持ちも十分理解していた。

 

「でも仕方ないよ。特に一夏って男の人たちの期待とか応援も背負ってるだろうし、試合だって急に決まっちゃったんだし」

「割とプレッシャーに弱いんだな、あいつ」

 

 シャルロットは同情して、一夏の強い部分しか知らなかったラウラは少し意外そうに言った。

 

(……)

 

 ただ、その中で一人。

 箒だけは知っている。

 この感覚。まるで焦るように鍛錬を積む一夏の姿。

 

(今の一夏は……セシリアと決闘する前と似ている)

 

 あの時ほど焦燥感に駆られている訳ではないだろう。が、あの時の辛そうな一夏を知っている箒は心配で仕方がなかった。

 

(……私が支えなくては。私が、一夏の力にならなくては)

 

 ずっと隣にいたいから。一夏の夢を隣で見届けたいから。

 箒は自分にできることを考える。

 少しでも一夏がリラックス出来るように。少しでも、彼が夢への第一歩をしっかり踏み出せるように。

 

 ◇

 

 みんなよりも少し長く特訓してから、一夏は寮部屋に戻った。

 シャワーを浴びて、夜ご飯までの間を、ベッドの上で過ごしていた。

 

 頭の中はずっと試合のことで満たされていた。

 プロの試合。今までとは全く異なる。

 今までは主に自分に在るモノのために、夢のために戦っていた。だからこそ常に自分と向き合えたし、集中もできていた。

 

 けど、次は、違う。

 スポンサーをしてくれる大企業が。応援してくれる人たちが。自分を支えてくれる人たちが。

 一斉にドンッ、と背中にのしかかる。

 

 プロとして産声を上げたばかりの彼だが、プロの試合が自分だけのものじゃないことぐらいは分かっている。

 

 想像しただけで息苦しくなってしまうほどに、彼は重圧を感じていた。

 

「あー、そういや弾に試合の報告してなかったな」

 

 以前弾と遊んだ時に言われた。

 プロになって試合が決まったら報告してくれ、と。

 ふとそんな言葉を思い出した彼は、弾に電話を掛ける。

 メッセージは嫌だった。プロになったんだ、と電話で自分の声にして伝えたかった。

 

「もしもしー?」

『言いてーことは分かってんぞ! お前とうとうプロになったんだな!』

「え? なんで知ってんの?」

『そりゃもうニュースになってるからな、試合も決まったんだろ?』

 

 えぇ……と思わず困惑が漏れる。

 折角ちょっと驚かせてやろうとか考えてたのに。それにニュースになる程の内容でもないだろうに。

 オチを潰されてどうしよう、なんて悩んでいた彼に、弾は最高に明るい声で、

 

『プロデビューおめでとうな!』

「────ッ、お前……」

『絶対試合見に行くからよ、良い席のチケット売ってくれよな〜』

 

 理由はよく分からない。

 けど、一瞬。

 一瞬、目頭が熱を帯びる。

 

 初めての祝福だった。

 

 一夏は俯いた。

 誰にも言えなかったはずの不安が、言葉に出た。

 

「次の試合さ、相手、四戦も経験してる選手なんだよ」

『強いのか?』

「あぁ……相手、四回中二回負けてんだ」

『ん、それで強いの? 俺よくわかんねーけど微妙じゃね?』

 

 一夏は知っている。この学園に来て最初に知ることができた。

 今でも鮮明に思い出せる。

 あの言い訳しようのない、誤魔化しようのない悔しさを。

 堪えても堪え切れない、あの悔しさを。

 

「強ぇよ。プロの世界で、負けを二回も超えてきてんだぜ……しかもそっから二連勝中。相手は悔しさもバネに出来る凄い人なんだよ」

『なるほどな、それは確かに強いかもな〜』

「うん。ほんと、クソ強ぇんだよ……」

 

 ずっと隠してきた。

 男の子だからって。女の子に言うのはちょっと恥ずかしいからって。

 周りはみんな確かにプロだ。代表候補生で、一夏から見れば大先輩。本来なら頼るべきだったのかもしれない。

 だけど、彼の小さなプライドが許さなかった。

 先輩と言えど、いずれ超えるべき壁。彼女たちより強くなりたいのに、言えるはずがなかった。

 

 隠してきた弱音が、溢れた。

 

「俺、勝てるかな……プロの世界でやっていけるかな……」

 

 ほんの少し、震える声。

 通話越しでも弾は分かった。

 

『お前……』

「カッコ悪ぃよな……プロになりたくてなったのに、プロの世界のプレッシャーに負けそうなんだもんな……」

『はぁ、しゃーねー奴だなお前』

 

 弾は頭を掻きながら、軽く言った。

 

『俺が応援するから勝つんだよ、一夏は』

「は……何言ってんだ」

『お前がぜってー勝つって気合い入るくらいの応援してやるっつってんだよ』

「それはありがたいけどさ……だからって勝てるか分かんねぇじゃん」

 

 珍しく後ろ向きな一夏の発言。

 逆に言えば、弾相手だからこその本音。

 もう一つ言うのなら、一夏相手だからこその本音も、弾にはあった。

 

『うるせー馬鹿。そもそも負けること考えながら戦うプロなんていねーだろうが』

「まぁそうだけど、でも……」

『俺は勝って欲しいけどよ、でも、一番大事なのは最後まで勝ちに行く姿勢なんじゃねーの?』

「ッ!?」

 

 思いがけない言葉に、一夏は目を見開いた。

 慰めるとかじゃなく、弾は自分の考えを話す。

 

『みんなに胸張って、自分は最後まで戦い抜きましたって言えるかどうかじゃねーのか? ビビりながら戦ってそれ言えるかって話だろ』

「……確かに……そう、だよな」

『お前頑張らずに負けた奴と、最後まで頑張って負けた奴、どっちが気持ち良く迎え入れれるよ?』

「最後まで頑張って負けた奴」

『だろ? じゃぁお前がそれになってみせろよ。ま、俺はお前の負けなんて考えてねーけどな?』

 

 一夏はしばし、無言になる。

 言い返せなかったとかじゃなく、弾の言葉を何度も頭で反芻させていた。

 勝ち負けにこだわり過ぎていたかもしれない。

 もちろんこだわるのは大事だ。けど、過程も大事なはずだ。過程こそ、大切なはず。

 

「たまにはすげぇ良いこと言えるんだな」

『は? いつも良いことしか言ってねーだろ俺はよ』

「……ありがとな。少し目ぇ、覚めたわ」

『少しじゃなくて全部ひらけよ!』

 

相変わらず弾のツッコミはキレが良い。

久々の会話でも安心感を覚える。一夏にとって弾と言えば、このキレの良さなのだ。

 

「俺、頑張るよ。みんなに胸張れるようにさ」

『おう。……あーい、今戻るよ! んじゃそろそろバイトに戻るわ! マジでチケット忘れんなよな!』

「あたぼう! 一番良いやつ渡すよ」

 

 そりゃ楽しみだ、と言い残して、弾は通話を切った。

 一夏は一息吐く。

 プロだから、みんなのために絶対勝たなきゃいけない。そう、考えていた。

 でも少し間違えていたかもしれない。

 気負い過ぎていた、と思う。

 

(相手のこと考えても、まだ始まってもないことの結果を考えても、キリがないもんな……)

 

 改めて、プロになった今だからこそ、初心に帰ろうと決心する。

 

 がむしゃらに、直向きに、誠実に。

 今自分にできることを、全力で。

 

(俺は俺にできることをするしかないんだ。

 だったら俺は自信持って頑張ったってみんなに言えるように、全力で努力しよう!)

 

 瞳に灼熱がたぎる。

 大きな期待やプレッシャー、責任を背に受けながら、焦点を一点に定めた。

 ────全身全霊!

 

(俺はいつだって挑戦者なんだ! 最後の最後まで諦めずに戦い抜こう。そうすりゃきっと、勝てるはずだ!)

 

 倉持技研所属、織斑一夏。

 プロの戦いが、始まった。




面白い、熱い、一夏頑張れ! オリキャラ頑張れ! と思っていただけるように頑張ります。
あとこの作品のメインヒロインは箒と弾です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

30話 STRAIGHT JET

遂にここまで来ました。


 七月七日。

 プロの初陣まで残り十八日。一夏の気合いの入れ具合は半端じゃなかった。

 

「はッ、はッ、はッ!」

 

 相手の服部舞(はっとりまい)は判定が多い────つまり長丁場に強い証拠だ。試合も制限時間いっぱいまでもつれ込む可能性が高いだろう。

 ならばスタミナ強化は必須。

 陸上部が活動するグラウンドの周りを、彼は馬車馬のように走る。

 

(最後までフルスロットルで戦えるようにしねぇと!)

 

 限界ギリギリまで走った後は少しだけ休憩。インターバルを挟んで、三十分間ひたすら走りまくる。

 

「何度言ったら分かりますの! もっと小さく鋭く機動制御しなさいな!」

 

 走り終えたら次はアリーナへ移動、ISでの特訓が始まる。

 セシリアの狙撃とBTを回避しながら間合いを詰めていく。

 舞は恐らく距離を離すのも上手い選手だ。故に、接近技術の向上は必要不可欠である。

 

 死角から放たれたBTの光を避け、前進しようとした瞬間。

 セシリアの狙いすまされた一撃が、一夏の肩を撃ち抜く。

 

「く、ぅ」

「それでは一生刀を振るえませんわよ、それで良いのですか!?」

「良い訳ねぇだろッ!」

 

 レーザーを避け、前進し、複雑な制御を体に覚えさせていく。

 

 次はラウラと接近戦の特訓。

 相手はプロで四戦も経験してる。一度接近戦に持ち込んだらエネルギーアウトまで持っていかないと、後から何をされるか分からない。

 掴んだチャンスをものにするためにも、攻防の技術を高める。

 

「ブロッキングばかりじゃ勝てないぞ!」

 

 攻撃スピードだけで言えば、同じ二刀流の鈴を上回っていた。

 弾き、受け流し、避けるだけでも手一杯。反撃する機会を見出せない。

 それではダメだ。

 一発でもぶち込まなければ、何も始まらない。

 

「ウォラッッ!!!」

 

 ラウラの片腕を真横に弾き飛ばし、強引に反撃へ出た。

 足を一歩踏み込む。そのまま踏み込みの力を腕に、腕の力を雪片に送り、フルパワーの斬撃を繰り出す。

 上下のコンビネーションの始動、横腹切りだ。

 

「その程度!」

「んな!?」

 

 しかしラウラの反射神経は凄まじかった。

 雪片をもう片方の手刀でガード。即座に刃を明後日の方向へ弾き返す。

 先ほど弾かれた手刀はカウンターに使用。完全に無防備と化した一夏へ、真っ直ぐに突き刺した。

 

「ぐおっ!?」

「リカバリーが遅すぎる、常に三手先まで考えろ!」

 

 打ちのめされたって諦めない。へこたれない。挫けない。

 歯を食いしばって、何度だって挑んでやる。

 

「もう一丁……かかってこいッ!」

 

 接近戦を絶対に制すためにも、一夏は必死になって取り組んだ。

 

 最後はシャルロットと実践形式の特訓。

 近中遠と全ての距離で戦えるシャルロットとの特訓で、あらゆる状況に対応出来るようになることが目的だ。

 舞は敗北(あのくやしさ)を二度も超えている選手だ。唯一動画に残っていたデビュー戦だけで対策を練るのは、あまり意味がないと判断した。

 

「くそッ、なんでこんな被弾すんだよ!?」

「焦らないで。冷静さを失ったら相手の思う壺だよ」

 

 シャルロットはとにかく上手い。

 射撃の精度、飛び込みや後退するタイミングの嗅覚が飛び抜けている。が、最も恐ろしいのは隙の無さだ。

 武器を拡張領域(バススロット)へ出し入れする際には、武器を戻してから取り出すまでの時間差、つまりは隙が存在する。しかしシャルロットは高速切替(ラビッド・スイッチ)と呼ばれるテクニックで武器を一瞬で切り替え、本来存在するはずの時間差を消すことに成功していた。

 

 彼女の何がすごいかと言えば、そのテクニックを、火薬庫と表現されるほど火器が豊富な専用機『ラファール・リバイヴ・カスタム』で使いこなしている点である。

 

 折角連射速度や弾が放たれるタイミングに慣れたとしても、すぐに武器が変更されてしまう。

 故にリズムを作れず、一夏は常にシャルロットの支配下に置かれていた。

 今度はアサルトライフルの連射を被弾。かと思えばいつの間にか距離が詰められていて、ショットガンの餌食なる。

 

「ぐあぁ!?」

 

 それまでのダメージの蓄積もあって、一夏は無意識のうちに地面に下り膝をついた。シャルロットも武器をしまって、おもむろに着陸する。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……クソッ!」

「服部選手が僕と同じタイプの可能性だってある。一夏、大切なのは常に冷静に敵を観察することだよ。今だって、僕のショットガンを対処できたら近距離戦に持ち込めたはずだからね」

「だな……すまねぇ、もっかい頼む」

「うん。一緒に頑張ろ」

 

 シャルロットに励まされて、一夏は立ち上がり、もう一戦交える。

 

 プロでの初試合。

 全身全霊をぶつけたい。相手に勝って(を超えて)みせたい。

 そのためにも、彼は自分を磨き高め続ける。今自分に出来ること、全てに全力を尽くす。

 

 

 

「また箒来ないのー?」

 

 特訓を終え、夕食の時間。

 鈴は少しつまらなさそうに呟きつつ、ちゃっかり一夏の右に座った。ちなみに左はラウラ。

 普段なら箒と鈴、ラウラの三人で誰が一夏の隣に座るかジャンケンしてひと盛り上がりあるのだが、それも無くなってから今日で四日目。

 

「一夏さんは何か知ってたりしますの?」

「んにゃ、なーんも」

「普段は元気そうだし、何か悩みとかある訳じゃ無さそうだけど……やっぱり不安だね」

 

 シャルロットの発言に簪が続く。

 

「訓練にも来てないし、よほど大事なことがあるとかかな?」

「むー……こう言う場合、箒が戻ってくるまで放っておくべきなのか? それともこちらから事情を確認すべきなのか?」

 

 まだ人付き合いに慣れていないラウラが、みんなに訊ねるように言った。勿論全員が理解している。その言葉は、箒への心配故に出たものであることを。

 山盛りの白米を飲み込んで、一夏が答える。

 

「一応、後で部屋行って話聞こうとは思ってたんだ。俺も心配だし」

「ふーん、んじゃこの話は一夏に任せるわ。どうせあたし達が聞いても()()しないだろうし」

 

 投げ槍なようにも聞こえるが、鈴はそれが一番解決への近道だと考えた上で発っしている。

 任された、と一夏が返すと同時。セシリアが汚いワードに反応した。

 

「ちょっと! ディナー中でしてよ!?」

「ごめんですわ〜、お許しでしてよ〜」

「ほんとうざいですわね貴方!」

 

 犬歯剥き出しのセシリアであった。

 二人のコントのように繰り広げられる会話に、一夏は笑いながら考え事をしていた。

 

(……結局、箒の誕生日プレゼント選べなかったな)

 

 今日、七月七日。

 世間は七夕だとか、お祭りだとかで賑わっている。けど、一夏にとっては大切な大切な人──篠ノ之箒の誕生日に他ならない。

 悔しさに挫けそうになった時。力が必要になった時。いつも、本当にいつも、彼女が隣で支えてくれた。

 

 感謝してもしきれないくらいの恩を感じている。

 だからせめて、誕生日プレゼントくらいは良いものを贈ろうと思っていたのに。

 

(リボンとか香水とか悩んだけど……どれも箒に満足してもらえるか自信なかったなぁ)

 

 女子だらけの学園で生活し始めて三ヶ月ほど経った。が、相変わらず女心は分からないまま。

 男と違って、どうしても女子には複雑で難しいイメージがある。心の底から喜んでもらえるには、どう言う贈り物をすれば良いか答えが出なかった。

 

(だっせぇな。これだけ助けてもらいながら、誕生日プレゼントひとつも選べねぇの……)

 

 ◇

 

「出来た」

 

 寮部屋の机で、作業を終えた箒が呟いた。

 その手に持たれているのは、丁寧に編まれたミサンガだ。

 情熱や勇気を意味する赤色と、希望を意味するオレンジ。そして、白式をイメージした白色の計三色で編まれている。

 

 刺繍糸から色の組み合わせ、編み方まで全てをこだわり抜いていた。

 なにせ想い人へ贈るものだ。特訓や夕食の時間を削ってでも、納得のいく物を作りたかった。

 

(喜んでくれるかな)

 

 あの日、焦るような一夏を見てから。

 一夏を支えたい、応援したい。

 その一心で自分なりに出来ることを探して、精一杯やったつもりだ。

 だけど、一抹の不安が残る。

 自己満足になっていないかな、と。

 

(ほんの少しだけでも、力になれたら良いな……)

 

 ミサンガに糸屑がついていないか確認して、椅子から立ちあがろうとしたその時だった。

 

 木製のドアが軽快な音を立てる。客人のノックだ。

 箒は咄嗟にミサンガを背後に隠して振り返る。

 

「は、はい」

「織斑です、箒って今いますかー」

「んな!?」

 

 今まさに一夏の部屋に行く所だった彼女は、不意を突かれたように驚いた。

 ミサンガをギュッと握って、ドア越しに叫ぶ。

 

「な、何か用か!?」

「おっ、いるんだな箒。聞きたいことあってさー!」

 

 一夏も大きな声で返す。

 ここ最近はずっとミサンガ作りに集中していたために、放課後の対面なんて久々だった。

 なんてタイミングの悪い奴だ、なんてため息混じりに吐いて。箒はちょっとだけドアを開けた。

 隙間からチラっと顔だけ出して、

 

「何だ、こんな時間に」

「単刀直入に聞くけどさ、放課後何してんだ? 最近特訓にも飯にも来てねぇじゃん」

 

 ギクッ、と。

 また不意を突かれて焦りすら覚えだす箒に、一夏はお構いなしに問う。

 

「悩みごととかあんのか?」

「そんな訳あるか!」

「お、おぉう。それなら良かった」

 

 威勢の良い返事に、一夏は安堵する。多分だが、今回は本当に何も問題がないパターンだと彼は感じた。

 もし何かあった場合、箒なら表情や声音に出るはずだから。

 人のプライベートの時間にズケズケ踏み入るのもどうかと思って、一夏はさっさと切り上げることにした。

 

「もし困ったりしてることあったら、いつでも言ってくれよな。手伝えることとかきっとあると思うし」

「っ、お前……」

 

 箒も馬鹿じゃない。

 一夏は心配してくれていたのだ。一言も言わず急に姿を見せなくなった自分を。

 わざわざ部屋にまで来てくれるほどに。

 

「えっと…………、そんだけ。んじゃ」

 

 プレゼントもないのにおめでとう、なんて言えず、一夏はそのまま立ち去ろうとした。

 遠のきかけたその手を、箒ががっちりと掴む。

 

「ま、待ってくれ!」

「ん。どうした?」

「……これ」

 

 彼女は目を逸らしながら、ぎこちない動きで一夏にミサンガを渡す。想いを込めて一生懸命編んだ、願いの紐を。

 一夏は両手で掬うように貰った。

 

「なんだ、これ?」

「ミサンガだ」

「ミサンガ?」

 

 目を合わせないまま、箒はこくっと頷いて、

 

「切れたら(ねがい)が叶うお守りのようなものだ」

「それは知ってるけど、なんで俺に?」

「お前、今度プロの試合だろ? 勝って、欲しくて」

「ッ!」

 

 目を見開いた一夏に、箒は自信がなさそうに告げる。

 

「私はみんなみたいにISの才能もないし専用機もないから、お前の訓練にはあまり付き合えない。けど、それでも自分にできることはないかと思って……つまりはその、お前の緊張を少しでもほぐすと言うか……」

 

 歯切れの悪い言葉だけど。

 気持ちはこれ以上ないほど、真っ直ぐに伝わってくる。

 情熱と優しさに溢れた、勇気が無限に湧いてくるような。そんな熱いエネルギーが、一夏の五体を急速に満たしていく。

 

「……ん」

 

 途端に照れ臭くなって、箒は告白を止める。

 大事な時に限って素直になれない自分に嫌気が差しつつ、本音を誤魔化すように言う。

 

「初めて作ったから出来はそこまで良くないぞ。も、もし変だったら捨てても構わんからな」

「……」

 

 一夏は三色のミサンガに目を落としていた。

 赤とオレンジと白。色やその組み合わせが何を意味するかはよく知らない。でもきっと、はちゃめちゃ素敵な意味が込められているのだろう。

 何より、見ているだけでも力が漲ってくる。

 

 なんて心強いお守りだ。

 

(俺……俺、こんなに応援して貰えてたんだ。こんなに、心配して貰えてたんだ)

 

 胸が震える。

 なんて有難い応援なのだろう。なんて、凄い期待なのだろう。

 プロになって。改めて自分に在るものの重さを知って。

 今、改めて、応援や支えて貰うことへの喜びを実感する。

 

 嬉しさを噛み締める。

 

(……応えなきゃ)

 

 指を折り畳み、ミサンガを優しく包み込む。

 

(応えなきゃ!)

 

 一夏は世界を照らすような瞳で、箒を見据えた。

 この刻だった。

 今まで種に過ぎなかったプロ選手としての意識が、遂に芽吹く。

 それは以前のような、焦燥感に駆り立てられた紛い物ではない。

 胸の奥から生まれた純粋な意志。

 

 絶対に勝つッ!

 

「あのさ!」

「な、なんだいきなり」

 

 目だけを動かした箒と、視線が重なる。

 言葉は自然と紡がれた。

 

「俺、箒の誕生日プレゼント色々考えてたんだ。でも全然選べなくてさ、渡せるものまだ何もねぇんだけどさ!」

「い、良いんだそんなの。覚えてくれててその……嬉しいぞ……」

 

 箒の照れ隠しも気にせず、一夏は腹の底から決意を叫ぶ。

 己とみんなへの誓いとして。男の矜持に懸けて。

 何より、箒には夢を見届けて欲しいから!

 

「俺、絶対勝つから! 勝って、それで、箒にサイン渡したいんだ!

 プロの、最初のサイン! 俺は箒に受け取って欲しい!」

「え?」

「ダメかな? 誕生日プレゼント……じゃねぇかな?」

 

 尻すぼみしていく声。口走っていた内容に一夏は赤面する。

 一度だけ考えてすぐに捨てた案だったけど、勢いで言ってしまった。

 沈黙が漂う。一夏からすれば堪ったもんじゃない空気だった。

 でも今更撤回もしたくない。

 どうしようかと考えていると、

 

「欲しい」

 

 これっぽっちの嘘も揶揄いもない声。

 

「最初のサイン、なんだな?」

「お、おう! あんましカッコいいもんじゃねぇけどな」

「そうか……ふふっ。そうか、そうか!」

 

 今すぐにでもガッツポーズを取りたい気分だった。

 ずっと一夏の隣にいたい、一夏の夢を隣で見届けたい。そんな感情も少し表現を変えれば、彼女は一夏の大ファンなのだ。

 

(私が第一号なんだな!)

 

 最高の、最高の最高の誕生日プレゼントだ。

 どんな贈り物よりも嬉しいと断言できる。だって、いつか世界で一番になるであろう大好きな少年の、一番最初のプロの証(サイン)なのだから。

 

「凄く楽しみだ」

「……へへっ」

 

 ◇

 

 夜、山本重工の小さなビルの三階。フロアいっぱいに広がる小規模のラボの、真ん中。

 日本ランキング三十一位の服部舞(はっとりまい)は、訓練用のISの模型に乗っていた。

 頭に被ったバイザー内には、バーチャルの戦場が広がっている。現在は、その世界でバーチャルと化したISを操作していた。

 

(白式は刀一本しかない専用機。遠距離からゆっくり追い詰めていけば良い……)

 

 刀を持った敵機にアサルトライフルの連射を浴びせながら、

 

(────そんな訳ない! 相手だって刀一本で戦ってきてる、接近の手段は幾つも持ってると考えるべきだ)

 

 彼女は一切の慢心も油断もなかった。

 何せ舞自身、IS学園で三年間戦い抜いた立派な戦士だ。学園のレベルの高さは十二分に理解している。

 そんな戦場を、織斑一夏は刀一つで生き抜いている。自分には予想もつかないような動きや技術を身につけているだろう。

 常に最大限の警戒を払うべきである。

 

(エネルギーアウトは無理でも……無理でも、良い。専用機持ち相手にそんなのを狙えるほど甘い世界じゃないことはわかってる。

 素直に判定で逃げ切れば良い。今まで通り、最善を尽くせば大丈夫)

 

 学園で好成績を収めて、才能があると思って。

 いざプロの世界に入ってみて思い知ったのは、己の弱さと情けなさだけ。

 当然、今の自分の戦い方が非難されるものであることは承知している。

 けど、己の弱さを変えるための手段は。彼女にとっての勝つための最善は。

 

 判定、だった。

 

(パワーがなくったって、スピードが遅くたって、専用機に勝てるのを私が証明するんだ。

 倒しきれなくても……逃げてばかりって言われても……!)

 

 バイザーの下で、舞は口元に小さな皺を作った。

 はっきり言えば悔しい。

 

 羨ましい。

 

 エネルギーアウト────それは、自らの手で敵を倒した証。強敵を超えた証。

 プロなら誰もが喉から手が出るほど欲しがる『勝ち星』なのだ。

 華やかに彩られる勝利の花道。永遠に刻まれる記録と記憶。

 打ち勝ったと言う過去は自分を支える誇りとなり、自尊心となる。

 

 だけど、彼女の手は星に届かなかった。プロの世界で、非情な現実をその身で知ったのだ。

 だから、判定で戦うしかないのだ。

 

(勝ち進み続ければ、いつかは手が届く。いつか、いつかきっと……。

 その時まで私なりに……頑張り続けるんだ……!)

 

 対策を煮詰めていると、ガチャリとドアが開かれる。

 訓練に夢中の舞は気付きもしない様子。一夏を想定した敵機にアサルトライフルを撃ち続けていた。

 

「おーい舞ちゃん、飯買ってきたぞー」

 

 背後から聞き慣れた会長の声。

 舞の意識がやっとバーチャルの世界から現実に戻る。彼女はバイザーをとって、

 

「会長。お帰りなさい」

「おう、舞ちゃんの好きなベーコンパスタ買ってきたぞ。一旦休憩しねぇか、二時間も乗りっぱなしじゃ集中も切れちまうしよ」

「はい。いただきますね」

 

 模型のすぐそばで、二人は休憩を取ることにした。

 流石に二十時を過ぎると、従業員は皆帰宅していた。二人しかいないビルはとても静かで、時折パソコンのファンの回転音が聞こえてくる。

 

「で、どうだい? 織斑一夏対策は」

「試合映像もないし、公開されてるスペックしか確認できてませんから本当に難しいですね。それに今までの敵とは比べ物にならないくらいパワーもスピードもあると思いますし、戦術は一つじゃなくて複数持っていくつもりです」

 

 舞の声音には不安が強く現れていた。口に出してみて再び、彼女は専用機と戦う現実に対し恐怖を覚える。

 会長はフォークを止めた舞を励ますように、

 

「そうか。んじゃ色んな舞ちゃんの戦う姿見れる訳だな! そりゃ楽しみだ!」

 

 彼は分かっている。大一番を前にした人間がどれだけ緊張しているかくらい。

 特に舞とは一年以上も付き合いがある。彼女がどう思っているのか、そしてどう返答をするのかも手に取るように理解していた。

 

「申し訳ないですけど……色んな姿は見せれないと思います。結局、次も判定で行くつもりです」

 

 そう言うだろうと思って、既に言葉は考えていた。会長は彼女の自己肯定感を高めようとして、

 

「でも次の試合は、相手を打ち負かすような力がなくたって、専用機に勝てるって言うのを証明するチャンスだと思ってます。負ける気はありません」

 

 初めて聞くような強気な発言に、会長は少し驚かされる。

 舞は舞なりに、降り注ぐプレッシャーや恐怖と戦っていたのである。

 抵抗心の正体が果たしてIS学園卒業生としての意地なのか、はたまたプロとしてのプライドなのか。そこまでは分からない。

 けど、もはや激励は要らなかった。

 

(やっぱり間違いねぇ、舞ちゃんは次の試合で奇跡を起こす。まだ誰も見たことねぇ景色を見せてくれる!)

 

 会長の直感が確信に変わる。

 徐々に闘志を高めていく彼女へ、彼は思わず期待を呟く。

 

「すげぇ楽しみだぜ」

「……全力で行きますよ、私は」

 

 ◇◆◇

 

 三週間は実にあっという間に過ぎ去った。

 濃密な時間を過ごし、二名の選手が試合日の朝を迎える。

 七月二十五日。飛行機の通った跡がハッキリと残るような青空が印象的な土曜日。

 

 試合会場は東京ウルトラアリーナ。最新の可変式アリーナは歌手やスポーツ選手にとって憧れの舞台であり、一つの到達点でもある。

 最大収容人数65000人。

 今日はその、65000が集まっていた。

 

「人多すぎだろこれよー!」

 

 人混みなんて言葉では表現しきれないような群衆に揉まれながら、弾が空に叫ぶ。

 会場はもう目の前だと言うのに、人の川に溺れて全く進めない。警備員がスピーカーで整列を促しているが効果はまるで見られなかった。

 

「チケット販売開始二秒でサーバーダウンしたってのも頷けるねー。ほんと私の分までもらってくれてありがとね、お兄」

「いやマジで。マジで俺GJすぎ」

 

 妹の蘭と決して離れないように。そして、大事な大事な荷物が潰れないように。

 弾はしばらくの間、必死に人波に抵抗した。

 試合開始三時間前に到着したはずなのに、気づけば一時間半前になっていた。いや、今回ばかりは九十分で数万人を入場させたスタッフを讃えるべきか。

 

 先ほどまでの大群が嘘のように、会場周辺が落ち着きを取り戻す。

 

「大分減ったな人」

「……こう見ると本当にウルトラアリーナってでかいんだね」

 

 さっきまでは人の多さに意識が乱されて分からなかった。けど今一度アリーナを眺めてみると、あまりの巨大さに息すら忘れる。

 視界の隅から隅までアリーナ一色だった。

 円形のこのアリーナは、全員の視線が中央に集まる。故に観客の一体感は凄まじく、興奮や盛り上がりは瞬時に伝染する。

 

(いつかここでベース弾けたらなー)

 

 弾が将来の自分をイメージしていると、蘭に腕をつんつんと突かれる。

 

「そろそろ私たちも行こ」

「ん、あぁいや先に行っててくれ。俺はちょっと野暮用があるからよ」

「トイレとかなら中でできるよ?」

「分かってるわ! そう言うのじゃねーよ!」

 

 はいはーい、と返事をして、蘭はチケット片手に会場に走って行った。

 そこは待ってくれないのね、とか弾は思ってない。一切思ってない。

 

 それから時間にして、僅か五分程度だっただろうか。

 駐車場から集団が現れる。一人の少年を、数人の屈強な男たちが囲うような形だった。

 弾は一発で見抜く。

 帽子やサングラスで変装こそしているが、雰囲気までは隠せていない。真ん中の少年は、一夏で間違いない。

 

「おーい! おーい!」

 

 周囲の人の多さを確認して、弾は名前を呼ばずに一夏へ手を振った。

 聞き覚えのある声に一夏も反応して、声主の方に振り返る。

 

「弾」

「おっす、久しぶりだな!」

 

 ボディガードに阻まれかけるも、一夏の説明もあって二人は無事再会を果たす。

 弾はニコニコ笑いながら、

 

「元気してたか?」

「まぁな」

「どうだ、勝てそうか?」

「あぁ」

「……お前」

 

 一夏は淡々とした口調で呟く。

 

「勝つ気さ。勝つために今日まで特訓してきたんだからよ。

 でも……この馬鹿でけぇアリーナ見たらどうしても緊張しちまってさ……」

 

 不安や心配だけでなく、自信や闘志、気迫も感じさせる。独特の緊張感(テンション)を纏っていた。

 サングラスの奥で、一夏の瞳がギラついている。

 弾は一夏と違ってスポーツ選手でもなければ、IS操縦者でもない。だけど一夏と同じ男だ。

 軽率な気休めは言うべきじゃないと、直感で理解する。

 

「俺、電話で言ったよな。お前が勝つくらいの応援するってよ」

 

 弾はずっと握っていた袋を、スッと一夏に差し出した。

 

「これ、お前に渡すよ。出来れば試合前に開けてくれ。

 お前が気合い入るようなやつ持ってきたつもりだからよ」

「なんだこれ? 箱みたいなの入ってるけど」

「そりゃ開けてからのお楽しみよ。まぁ、悪いもんじゃねぇとだけ」

 

 腕時計をチラリと確認するボディガードを見て、弾は爪先の向きを変える。

 

「んじゃ、俺は席行ってるわ。……負けんなよ、一夏」

 

 陳腐な台詞だったかもしれない。

 けど、弾はその一言に百もの意味を込めて言ったつもりだ。

 そのうち十でも受け止めてくれれば。渡した荷物で少しでも気合いが入れば。

 弾は一夏を信じ、応援席へと向かう。

 

 ◇

 

「遂にこの日が来ましたわね」

「なんだか僕まで緊張してきちゃった」

 

 既に会場入りしていたセシリアとシャルロットが観客席で言葉を交わす。

 無論、そこには簪やラウラもいて、

 

「特訓の成果を全部出せば勝てる。問題はそれをどこまで出せるか」

「デビュー戦は実力の二分の一でも出せれば上出来だからな」

「一夏はかなり場数を踏んでいる、その点は大丈夫だろう」

 

 そう呟いた箒に反論したのはセシリアだ。

 

「いえ、分かりませんわよ。

 プロの試合と学園の試合とでは、相手から感じる殺気の()()がまるで違います。それに、この会場をご覧になって下さいな」

 

 箒は言われた通り、会場を見渡す。

 頭が混乱しそうなほどの人──IS試合では異例も異例で、半数以上が男性──で溢れている。

 65000の数字が持つスケールは桁外れだ。何せ、小さなため息すら巨大な衝撃と化すのだから。

 口を開いたのは簪。

 

「国内、それもデビュー戦でこの人数は異常。服部選手にも同じことが言えるけど、中途半端な集中力じゃまず戦えない」

 

 さらにシャルロットが冷静に付け加える。

 

「これだけの視線を受けると、戦い方にも影響が出るんだよ。下手な姿は見せれないとか、派手に決めて盛り上げなきゃとかって。

 もし一夏にもその傾向が見られたら、この試合はかなり危ないね」

「まぁ、私たちとやった限りその心配はないだろう。が、どの道作戦や対策を練れなかったのは確かだ。慢心は出来ん」

 

 腕を組みながらラウラが締め括る。

 ただでさえ一夏が心配で仕方なかったのに、いよいよ箒は胸に手を押し当てた。

 まるで自分の大一番かのように、心拍数が上がっていく。

 

(大丈夫、大丈夫。アイツは言ったんだ、絶対勝つって。サインをくれるって。なら私は信じれば良い、一夏は約束を破らないからな)

 

 途端。箒の隣でずーっと黙っていた鈴がため息をついた。

 彼女は横に並ぶみんなへ言い放つ。

 

「全く、アンタたち分かってないわね。

 一夏が緊張したり力が出せないってんなら、アタシたちがその分応援してやれば良いじゃない!」

 

 と言って、彼女はカバンからトップメガホンを取り出す。

 一同、唖然。まさか鈴がそんなキャラだとは思いもしていなかった。

 否、鈴も自分なりに出来ることを精一杯考えていたのだろう。

 

「アタシの声だけしか聞こえないくらい声張り上げてやるわ。待ってなさいよ、一夏」

「それはやめろ」

「え、あすみませ…………え?」

 

 横の人間に、鈴は全身を硬直させた。

 次にラウラが困惑を漏らし、直後にセシリアたちがその存在に気付く。

 

「お、織斑先生……?」

「なんだ凰、随分嫌そうじゃないか」

「そのようなことがあろうはずがございません」

「お前たちもなんだ、意外そうな顔をして」

 

 腕と足を組み、申し訳程度にサングラスで変装──そこは一夏と同じ変装──した千冬は、じっと少女たちを見つめる。

 

「弟のデビュー戦を見に来て何が悪い?」

 

 有無を言わさぬ迫力。いや、元から彼女たちに何も言うつもりなんてなかったが。

 全員、口を閉じてしまう。これでは折角の休日も学園生活と変わらない。

 昔からどうしても千冬が苦手な鈴は、メガホンを手にプルプル震えていた。

 

(なんで? なんで千冬さんが隣な訳?)

 

 ちなみに本当にただの偶然である。

 特に鈴たちに関しては一夏からチケットを貰っているので、もう神の悪戯と言う他無い。

 

(声出なくなっちゃった)

 

 千冬がかなり苦手な鈴であった。

 

 ◇

 

 選手控え室。

 ロッカーや鏡などと言った必要最低限の物しか置かれていない、静かな部屋。

 椅子に座る一夏は一人、忙しない鼓動を落ち着かせようとずっと俯いていた。

 普段右手首につけている相棒は、試合前の最終チェックのために入場ゲート付近で展開させられている。故に、本当の意味で一夏は一人きりだった。

 

(落ち着け、やれることは全部やったんだ。あとは全身全霊でぶつかるだけだ)

 

 もう逃げ場はない。

 どこを見ようと何を考えようと、試合はもうすぐ始まる。

 

「シワだ」

 

 ふと、ISスーツの小さなシワが気になった。両手でピチッと伸ばす。

 すると、今度は別の部分にシワができた。

 

「まただ、変なの」

 

 またピチッと伸ばす。

 やっと綺麗になったと思ったら、また別の場所に生まれた。これも綺麗に伸ばすと、すぐ違う場所に山ができる。

 

「……」

 

 それも直して、再度新たなシワを直して。何度目か、シワが現れて。

 ガキン、と奥歯を噛み締める。

 

「クソッ、しつけぇな!」

 

 あり得なかった。

 特訓の時はあれだけ集中できたのに。いざ試合前になると、なんだこの緊張は。ストレスは。

 プロの世界は、こんなにも違うと言うのか。

 彼は思わず、学園に入学してすぐに経験したあの敗戦をイメージしてしまう。

 初めての戦い。セシリアに負けて、悔しさに打ちのめされたあの日。歯を食いしばっても、涙を堪えきれなかったあの日。

 

 次はプロの世界で味わうんじゃないのか?

 

「落ち着け、落ち着けよ織斑一夏! もうここまで来たんだぞ!? 今更何ビビってんだよ!」

 

 自分に怒鳴った。

 項垂れながら、一夏は左腕に付けた三色のミサンガを見つめる。

 

(箒にこんなにかっけぇヤツ貰ったのに、絶対勝つって言ったのに。挙げ句サインまで約束したのに、情けねぇ! あれだけでかい口叩いといて直前にビビるバカがどこにいるんだよ!?)

 

 今までにない気持ちだった。

 あれだけ特訓したのだ、自信はついている。闘志も高めてきたつもりだ。なのに、不安を払拭しきれない。ネガティブな思考のシミが消えない。

 戦いに集中しきれなかった。

 

(……そういや、弾に貰ったヤツまだ開けてなかったな)

 

 むしゃくしゃした気分を落ち着かせるためにも、一度思考を戦いから切り離した。

 一夏はロッカーに片付けた袋を取り、中の箱を取り出す。

 平べったい、四角い箱だ。箱自体は意外と頑丈そうな印象を受ける。

 

(まさかピザとか言わねぇよな? いや弾のことだ、普通にあり得るぞ)

 

 椅子に座って、恐る恐る蓋を開封する。

 と、まず真っ先に現れたのは、折り畳まれた白い紙だった。

 正直に言うとこの時点で、ほんの少しではあるけどリラックスできた。外と中のギャップ差が今の一夏には少し面白かった。

 

(でかい箱から小さな紙か。ははっ、アイツらしいや)

 

 一夏は小さく口角をあげて、紙を取る。

 気になったのは紙が綺麗に折りたたまれている点だ。端と端がピッタリと重なっている。

 ネタにしてはやけに作り込まれている気がして、彼は紙を広げてみる。

 

『一夏へ。

 これを見てるってことは、多分試合前にブツを渡せたんだと思う。

 プロデビューおめでとう。

 書きたいことは山ほどあるけど、まずはお前が一歩先に夢に近づいたな。

 俺も後から追いかけるつもりだ。

 だから、負けんなよ。お前の背中を追いかけさせてくれよ』

 

「……?」

 

 呆気に取られて、声も言葉も出なかった。

 一夏は流れ作業のように、紙の下にあった物を取り出す。

 するとまたしても紙が現れる。一夏は滑らかな触り心地のそれを置いて、二枚目の紙を見る。

 

『俺英語苦手だからこんなんしか思い浮かばなかった。

 前会った時のお前をイメージした造語なんだけどよ、意味は『真っ直ぐにブチ抜ける!』

 良いセンスしてね?』

 

 なんのことだか分からないまま、一夏は椅子に置いたそれをひらりと広げた。

 ISスーツだ。しかも特注品。

 そのままスーツを裏返す。

 

 すると見えた、横書きの文字。

 

「……ッ!」

 

 スーツに刻まれた、一夏へのメッセージ。

 いや、より正しく言うならば、弾から見た一夏のイメージ。倉持技研所属、()()()()()()のテーマ。

 

 『STRAIGHT JET』

 

 意味は手紙の通り『真っ直ぐにブチ抜ける!』。

 最高の親友からの、最高のメッセージ。

 今まさに一夏に必要だった一言。

 彼の指が小刻みに震える。

 

「は? 何してくれてんだよ、アイツ。試合直前だぞ?」

 

 ISスーツの特注品なんて、きっと凄く高い値段だろうに。

 もう試合の直前だと言うのに。

 訳のわからない手紙まで付けてきて。

 なんと言うことをしてくれたのだ、五反田弾は。

 

 なんて言うサプライズをしてくれたのだ、アイツは。

 

「……泣かすんじゃねぇよ、馬鹿が」

 

 彼はそれまで着ていたスーツを脱いで、新たなスーツを着用する。

 サイズはピッタシ。涙を拭いて、ふぅ、と一息吐いた。

 

(真っ直ぐにブチ抜ける。ならクヨクヨしてられねぇよな、弾)

 

 吹っ切れた、と言うべきだろうか。

 もう不安も緊張も無かった。ネガティブな思考も消えていた。

 在るのは燃える闘志のみ。

 

 澄んだ瞳が灼熱を宿す。鼓動のたびに、全身に記憶が駆け巡る。

 沢山練習してきた。沢山背負った。

 沢山の譲れない信念が在る。

 

(ぶつけてやるッ。がむしゃらに、全力で、在りったけを!)

 

 拳を合わせていると、控え室のドアが開かれる。

 姿を見せたのは白式の整備を終えた倉持技研白式チームのリーダー、篝火ヒカルノ。

 彼女は真剣な面持ちで告げる。

 

「一夏君、時間さね。行くよ」

「はいッ!」

 

 とうとう始まる、プロの試合。

 ゲートを進んでいくと、まっすぐに戦場だけを見つめる白式が佇んでいた。周辺には山寺たちもいる。

 みんな、一夏の大切なチームメンバーだ。

 

「頑張れ、織斑君!」

「ありがとうございます」

 

 山寺からの激励ももらって、一夏は白式に乗り込む。

 

「最後にチームからの贈り物モノだよ」

「え?」

 

 一夏の背後でそう言って、篝火がリモコンのボタンを押す。

 すると、白式の巨大な翼部に文字が現れる。純白の背景に黒い文字が堂々と記された。

 それこそは白式チームが掲げる信念。一夏にピッタシの意味が込められた素敵なテーマ。

 

 『SUPER∞STREAM』

 

「あとは勝つだけさね。行って来な、戦士(ファイター)!」

「はいッ!!!」

 

 今も未来も追い越しそうな翼に『SUPER∞STREAM』を。

 止まらないスピードで突き進んでいく背中に『STRAIGHT JET』を。

 最大の信頼を置く左腕に、大切な人からの贈り物を。

 

 舞台は整った。

 

 選手入場のアナウンスが流れる。

 矢継ぎ早に祝福を受けた少年は、ゆっくりと前に進んでいく。

 一歩一歩に力を込めて。苦しい時も楽しい時も、脳裏に思い出して。

 集中力は最高。いつでも試合を始められる状態だ。

 

 ────けども、この迫力は想像もしていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!』

「ッ!?」

 

 例えではなく、本当に空気が一夏の全身を叩いた。

 一人一人の野太い声援が、65000の束になって一夏を叩きつける。

 およそ130000もの視線が、蜂の巣にするかのように一夏に集束する。

 

「……」

 

 とんでもない迫力に息を飲み込んで。

 織斑一夏は左を見た。

 応援団までいるじゃないか。みんなで一斉に、自分の名前を大声で叫んでくれている。

 織斑一夏は右を見た。

 横断幕が掲げられている。名と共に頑張れ! と愚直なメッセージが書かれていた。

 

 自然に拳を握っていた。

 ぎゅう、っと力をこめる。

 

(こんなに沢山の人に応援してもらえるのか、俺は)

 

 巨大すぎる期待。に、応えたい。

 最高の応援。に、応えたい。

 

(こんなに沢山の人に……)

 

 歓声の嵐に打たれる少年は、無言で目を閉じた。

 瞼の裏を()ぎるのは、沢山のライバル。友人。姉。相棒。大切な人たち。

 

(……沢山の人に支えられて来た。沢山の人に、力を貸して貰った。だから今日を迎えられた)

 

 今、一夏の胸に在るもの。

 それはとびきりの感謝。

 沢山の人たちへの『有り難う』。

 

(勝とう)

 

 使命でなく、責任でなく。

 純粋な意志。

 

(勝って、胸を張って、『自分はここまで来れました』ってみんなに報告しよう。きっとそれが、俺に出来る最大の恩返しなんだ!)

 

 夢のために。みんなのために。自分自身のために。

 想いを胸に、一夏は目を大きく開いた。

 瞳に映るは強大な敵。

 打鉄を纏った服部舞が地に佇んでいる。

 ランキングは三十一位。戦績四戦二勝二敗。

 相手にとって不足なし。

 

(よぉ〜し……)

 

 さらに前へ進んで。

 一夏の両足がしっかりとアリーナの大地を掴む。

 

(よぉ〜しッ!!!)

 

 大歓声を背に受けて。

 一夏と白式の全身を激熱(げきねつ)が迸る。

 ボルテージマックス。集中力、最高潮。

 

 闘魂、起爆!

 

『只今より、織斑一夏選手対服部舞選手の試合を行います。

 なお、織斑選手は本試合がデビュー戦となります。拍手をお願いいたします』

 

 アナウンスの音声をかき消すような歓声と拍手が起こる。

 ともすれば集中を掻き乱すような轟音も、今の一夏にしてみればカンフル剤。ノリにノッた気合で身を引き締める。

 超迫力の大喝采の中、一夏は大きく息を吸って、

 

「────よ、」

 

 感謝を胸に。

 スタートラインに立たせてくれた全ての人へ、試合相手へ。

 頭を下げずにはいられなかった。

 

「よろしくお願いしますッ!」

 

 歓声を貫く一夏の一言。

 静寂は一瞬。言うならば嵐の前の静けさ。

 直後、まるで一夏の熱が一気に伝染したかのようだった。

 

『お────』

 

 興奮はもう、誰にも止められない!

 

『おぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!』

 

 65000、大熱狂!!!

 




是非アニメの一期OP(この回のタイトルです)聞いてみてください。
マジで神曲です。あと『強がりリグレット』も(ファース党並感)

次回、一夏が遂にプロの世界で戦います。
ぜひ応援をお願いいたします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

31話 ガッツポーズをみんなへ

バトル回です。
あらすじ結構変えました。


 東京ウルトラアリーナが大熱狂に包まれる中で。

 感謝の最敬礼から頭を上げて、一夏は眼前の敵、服部舞を睨んでいた。

 舞も同じく、白式を纏う一夏から視線を逸らさない。

 

(俺は挑戦者だ、最後まで挑戦者らしい戦い方をするんだ。そんでもって勝つ!)

(織斑は最初どう来る? 様子見、それとも初っ端から仕掛けてくる?)

 

 65000もの歓声が大気を揺らすも、二人の意識はもう敵にしか向けられていない。

 一夏が雪片を呼び出す。舞は返事をするようにアサルトライフルを握る。

 両者、準備完了。

 

 観客席では箒や弾が一夏の勝利を祈っていた。セシリアたちは好敵手(ライバル)の姿を興味津々に見つめていた。千冬は弟のデビュー戦に期待していた。

 両陣営はゲート付近で試合映像を見守っていた。

 

 メディアのカメラが、二人の初動を捉えた。

 

『試合開始!』

 

「!?」

 

 合図と同時。一夏がスラスターを炸裂させる!

 間合いが急速に縮まる。

 上空に上がろうとしていた舞はこれを中断。後退に切り替え、急接近する一夏へライフルを放つ。

 だが怯まない、臆さない。一夏は幾つもの弾丸を浴びながらも自分の間合いに持ち込んだ。

 

(は、速い! スピードが違いすぎる!)

「おぉおおおおお!!!」

 

 一夏の一閃と舞の回避は同時だった。

 横薙ぎに振るわれた刀を、舞は間一髪の所で避ける。

 反撃の隙など与えるものかと言わんばかりに、一夏は返す刀を繰り出した。

 素早いコンビネーション。舞が追撃も外せたのはただただ僥倖だった。

 

(風切り音が普通じゃない、こんなの一発でも食らったらお終いだ!)

(手を出し続けろ! 常に先手を取るんだ!)

 

 強引ながらも一夏が流れを掴む。

 更に詰め寄り、雪片の高速連打。一発一発に腰の入ったそれらは一度でもヒットを許そうものなら、一気に機体を斬り刻む威力と速度を有している。

 スタミナ配分など考えちゃいない。一挙手一投足に全身全霊を注ぐ。

 織斑一夏は挑戦者なのだから。

 

(くぅッ、なんて速い連打なの!)

 

 勢いを増していく攻撃はすぐに、回避だけでは捌き切れなくなった。

 舞は腕部に特殊シールドを呼び出し、ガードを試みる。しっかりとスタンスを広げるも、シールドに被弾した瞬間。

 

 あまりにも恐ろしい一瞬だった。

 

「!?!?!?」

 

 強烈な衝撃が全身を伝い、思わず()()()()()()()()

 スタンスを広げて尚、シールドの防御が成立して尚、である。舞の表情が驚愕に染まる。

 それこそが『デュアルインパクトブレード』の真価。一夏は白式のポテンシャルを充分に引き出せるほどの成長を遂げていた。

 

(馬鹿げてる、パワーが量産機の比じゃない! ずるい、ずるすぎるよ)

(チャンスだ! 行け行け行けぇえ!!!)

 

 雪片を構え、一夏が大きく飛び込む。

 狙うは上下のコンビネーション。散々練習したのだ、今こそ成果を発揮する時。

 照準を舞の横腹に定めた、その時。

 

(────だけど!)

 

 舞は思考を走らせ、作戦を切り替えた。

 最初から専用機の性能が段違いであることは想定済み。想像以上のパワーに驚いただけで、別に()()()()()()()()()()だ。

 故に怯みなどしない。

 これが、プロで四戦もの経験(キャリア)を積んだ者の実力。

 

 ライフルを手にしたまま、舞も自ら飛び込む。

 

「何!?」

 

 間合いが狂ったのは一夏だった。完全に想定外の動きをされて、不意を突かれる形となる。

 咄嗟に雪片をスウィングするが、踏み込みもなければ腰も入っていない。舞が防ぐには容易すぎる一発だった。

 シールドで刃が弾かれる。

 一夏に向けられたのは、奥底の見えない丸い銃口。

 

(しまった!?)

(全弾使い切る気で!)

 

 一夏の視界がマズルフラッシュで白く瞬く。

 胸部を中心に、上半身をズタズタに撃たれる。シールドエネルギーが微塵切りされていくように減少。装甲表面の破片が水飛沫の如く飛び散る。

 

(クソッ!)

 

 痛みが痛みを上書きするような状態でも、一夏が思考を止めなかったのは特訓の成果か。

 彼は銃弾の嵐から逃げるように横へ飛び退いた。追撃のケアも欠かさない、不規則な軌道でバックステップし一旦距離を置く。

 舞にとっては好都合な動きだ。何せ間合いをリセット出来たのだから。

 

 連射を止めないで、彼女は背中から青白い炎を噴いて宙に浮かぶ。

 一夏の上空を取った。展開は舞の有利な状況へ。

 

(ここまでは理想的な展開。次はどう来る、織斑!)

 

 一夏の取った選択は果たして。

 

(守りに出れば不利になる一方だ、攻めまくれ!)

 

 体勢を直すと、大きな翼をはためかせ飛翔。一夏も空中に躍り出る。

 小さく細かな軌道制御で迫る銃弾を避けつつ突進。減速を最小限に抑えつつ、最短ルートで肉薄する。

 舞はその技術に舌を巻くも、あくまで冷静沈着。バックブーストで間合いを保ちながらライフルをリロード。弾倉を満タンにして、再び弾丸を撒き散らす。

 

 甲高い金属音は被弾のサイン。

 一夏は貫くようなインパクトに歯を食いしばる。白式のエネルギー残量を示すゲージが徐々に削られていく。

 

(だからどうした!)

 

 一夏は前進を止めない。止めればそれこそ相手の思う壺だ。

 無数の視線と歓声を受けながらも自分のスタイルを崩さない。見事な集中力────は舞も同じだった。

 

(とにかく退いて時間を目一杯使うんだ! あれは一発も貰いたくない!)

 

 実弾兵装がISに与えるダメージなんぞたかが知れている。

 発射した弾丸のおよそ七割は命中しているが、それでもまだエネルギーを二割削れたかどうかだろう。

 それに比べて織斑の白い刀。あれはたったの一発でも、エネルギーもスタミナも根刮ぎ刈っていくだろう。さっき防御した際の感覚で分かる。

 

 あれだけは絶対に被弾してはいけない。

 

(慌ててダメージを稼ぎにいくのはダメだ。焦りは必ず隙を生む、嫌と言うほど経験してきた。判定で勝てば良い、ゆっくり、ゆっくりと!)

 

 自分に言い聞かせて、舞は空中を広く利用する。

 何百回ものシミュレーションが実を結ぶ。スナイパーであるセシリアが驚くほどの機動制御と間合い管理で、一夏の接近を一切許さない。

 永遠に間合いが埋まらないまま、白式のエネルギー残量が75%を切った。

 

 それでも一夏は全く止まらない。

 止まる様子すら見せない。

 

 舞は二度目のリロード。手慣れた動作で弾倉を交換し、再び引き金に力を込める。

 心拍音のような重低音が絶え間なくアリーナに響く。

 彼我の距離は200mをキープし続けていた。

 

(まだだ)

 

 銃弾を浴びながらも、一夏は極めて落ち着いていた。

 左右に揺れて被弾を減らしつつ、ひたすらに前進を続ける。

 

(まだ……まだ……)

 

 自分が追いかける展開になる、と言うことは読めていた。だから、一夏なりに一つの作戦を講じていた。

 一定のスピードで、一定の揺れで、一定の間合いを保ち続ける。

 エネルギーが70%を下回っても動きを変えない。

 全ては次のアクションのために。

 

(まだ……)

(普通なら被弾を嫌って多少なりとも動きを変えるのに……あくまで愚直に攻めてくるか!)

 

 舞の額から汗が滴る。

 バックブーストは一見簡単そうに見えるがその実、繊細な制御技術が要求される行動なのだ。

 なぜなら、背後の情報を視覚で得られないから。頼りになるのは事前に叩き込んだ戦場の図とISのセンサーだけなのである。

 

 背後に細心の注意を払い、眼前の敵を観察しながら、ライフルの反動制御を行い、銃弾を命中させる。65000もの視線を受けながら、しかも長時間その状態をキープする。

 集中は切れずとも、疲労は着実に蓄積していく。

 

(まだ突っ込んでくる、一体何が狙いなの?)

 

 流石の舞でも困惑が湧いてきた。

 前進の方法すら変わらないのだ、敵の考えていることが何一つ読めない。

 次第に一夏の被弾が減っていく。弾丸の群と群の間を掻い潜るように前進していた。

 

(まだ……)

(自分に射撃は効かないってアピールなの? それとも弾に目を慣らすことが目的? 何が何だか────)

 

 舞が三度目のリロードに入った。

 ほんのコンマ秒だけ連射が途切れた、その瞬間。

 

(今だッ!)

 

 白式の巨大な翼が推進剤を爆発させる。

 驚異を超え、脅威的な加速だった。瞬きすら置き去りにするようなスピードで、一夏が舞の懐に潜り込む。

 それまで一定だったリズム、タイミング、スピード、動き。全てを一転させるような超高速の突進は、舞の目と予想を完全に欺いた。

 雪片の刃はすでに、彼女の横腹に向けられている。

 

(はっ)

「ずぁりゃぁああ!」

 

 全身を使った横腹切り。

 肝臓を斜めに突き上げるような一撃はパワー、スピード、角度ともに申し分ない。命中しようものなら一撃で試合の流れを変えるだろう。

 

 だが、それも当たればの話だ。

 

「う、グゥッ!」

「何!?」

 

 咄嗟にブロックされていた。さっきと同じシールドに拒まれる。

 初撃を防がれた一夏は歯噛みしつつ、雪片を引き戻す。続け様に顔面への二撃目を放ったが、これはアサルトライフルの銃身でガードされた。

 意地で振り抜く。ライフルこそ両断したが、肝心の(ほんたい)へのダメージはゼロ。

 舞は最大出力のブーストで後退していた。

 

(じょ、冗談じゃない……)

 

 パラパラ、と腕に装備したシールドの破片が落下する。

 たったの三発でヒビ割れ、どころか砕けている。ただの装甲ではない、高耐久値を誇るはずのシールドが、だ。

 鉄屑と化したそれを、彼女は無言でパージする。

 

(織斑はずっとエネルギーを削られながら、今の一撃を狙ってたの?)

 

 本当に偶々ガードが間に合っただけで、僅かでもタイミングがズレていたら……。想像して、彼女は背筋を凍らせる。

 機体のパワー、スピードだけじゃない。

 エネルギーを減らされながらも一撃を虎視眈々と狙える強かな精神力。その狙いに追いつき、且つ機体の性能を発揮する確かな技術力。

 舞は一夏の評価を二段階ほど引き上げざるを得なかった。

 

(舐めてた訳じゃないけど、本当に強い……ッ!)

 

 今ので飛び込むタイミングも掴まれてしまった。

 おまけに終盤では射撃もほとんど回避されていた。目が慣れたのだろう。

 もはや距離を置くことは何の意味も為さないと判断。

 試合の残り時間を確認して、舞はその手に鉄刀を握る。作戦を変更したのだ。

 

(残り15分2秒……クリーンヒットはまだ一発もない、エネルギー残量は私がリードしてる。大丈夫、攻撃を受けないように立ち回れば、判定に逃げ切れる)

(刀に持ち替えた、近距離戦に付き合ってくれる────あの人に限ってそれはない! 何戦も経験してる人なんだ、何かの策があるんだ!)

 

 刀を持った舞に違和感を覚えながらも、一夏は構える他なかった。

 

(……なんだ、あの構え(フォーム)は)

 

 舞の不自然な構え方を、彼の観察眼が見逃すはずもない。

 独特、と言うのも違う気がする。

 刀の先端と、刀を握る片腕を大きく前に突き出している。最も似ている構えで言えば、フェンシングにおけるルフーレの構えだ。

 カウンター主体でもなさそうなその構えは、一夏はおろか、観客席の箒ですら見たことのないモノだった。

 

(いや、考えても分かんねぇ。とにかく手を出さなきゃ!)

 

 元より彼は近距離戦しか出来ないのだ、相手がどう出て来ようと真っ直ぐにブチ抜くのみ。

 大砲から放たれた砲弾のように突撃。両腕に力を入れて、一夏は袈裟斬りを繰り出す。

 しかし舞はそれを難なく捌いてみせる。攻撃の出に合わせるように刀を振るい、雪片を横へ弾いたのだ。

 

(!?)

 

 知らないテクニックに一夏が目を丸くしている間にも、舞の行動は続く。

 一歩踏み込み、ハグでもしてしまいそうな超至近距離にて。彼女は肩から下だけを使って、一夏の胴体を小さく切り付ける。

 

「クソッ!」

 

 一夏が雪片をぶん回した頃には、舞は間合いから離脱していた。

 最初と同じように切先と腕を前に出して、静かに一夏を待っている。

 

(ダメージはほとんどねぇ。このまま攻め続ける!)

 

 ぶつかって砕けようが、何度だってぶつかりに行く。

 今までそうやって一夏は突破口を見つけてきたのだ、それは今回だって変わらない。

 彼は何万回でも挑むつもりで、再び舞へ接近。

 

 次は雪片をカチ上げる。これも同じように出鼻を挫かれ、軽い一発ではあるが腹部に貰ってしまう。

 すぐに射程内から離れていく舞を、一夏は急いで追いかける。

 

(コイツはどうだ!?)

 

 腰あたりから横への一閃────はフェイント。雪片を頭上へ持っていくと、装甲をかち割るつもりで振り下ろす。

 が、舞の集中力は凄まじかった。その双眸はフェイントを見抜いていた。

 

(甘い)

(嘘だろ!?)

 

 同じように初動を阻害され、一夏はまたしても一撃喰らってしまう。

 苦悶から顔をあげた頃には、舞は刀を伸ばしても届かない位置にいた。要所要所をはぐらかされる焦れったさに彼は歯噛みしつつ、もう一度攻勢に出る。

 

 即引き下がる舞と、彼女を追いかけ回す一夏。

 彼女に一発も入れれない一夏と、徹底的なまでに一発だけしか攻撃しない舞。

 空中でのハイスピードの攻防は一瞬の気の緩みすら命取りになりかねない。故に両者の意識は極限まで研ぎ澄まされ、戦闘ただ一つに注がれている。

 それが例え一辺倒な行動になろうと、同じような展開が継続しようと、だ。

 

 ()()、二人とも気付けぬ点が一つだけあった。

 

「んだあの服部ってやつ、さっきから逃げてばっかじゃねぇかよ!」

「織斑ぶちのめせー!」

「こんなクソみてぇな試合見にきた訳じゃねぇんだぞ!」

 

 観客からみた()がどうなっているのか、だ。

 始まりからずっと同じ絵なのだ。

 舞が逃げて、一夏が追いかける。時折惜しいシーンがあっても、結局試合の展開が変わることはない。

 新鮮さがない、のである。

 

 特に今回の観客の大半は『今噂の少年織斑一夏』を見にきた、もしくは応援しにきた男たちだ。つまり、ISの試合をほとんどまともに見たことがないような人間ばかりなのである。

 そんな人たちが、応援してる選手の活躍を見られなかったら。

 しかも相手が消極的な姿勢を続けていたら。

 

 野次が出るのは時間の問題だった。

 

「いてこましたれ織斑ァ!」

「もっと真面目に戦えよ女ぁ!」

「逃げてばっかでお前プロなのかよ!」

 

 観客席で飛び交う罵声に歯軋りするのはセシリアだった。

 血の滲むような努力を積み重ねプロの地位を手にした彼女に、この空気は耐えきれなかったようだ。

 

「さっきから聞いていればなんていう人たちですの!? いくら一夏さん目当てでも贔屓にも程がありますわ!

 一生懸命に戦う人間を誰がバカにできますの!?」

 

 まぁまぁ、とセシリアを宥めるシャルロットの横。

 少女たちの中で唯一プロにして量産機乗りの簪もまた、イラつきを珍しく露わにしていた。

 

「専用機を相手取る時のプレッシャーも知らないくせに……。この人数に見られながら戦う戦士(ファイター)の凄さも分からないくせに……ッ」

 

 同じように積み重ねてきたから、経験してきたから。戦場の戦士(ファイター)たちの気持ちも考えも、痛いほどに理解できるのだ。

 それを馬鹿にされるのは、プロとしての誇りが許せない。

 

 ラウラはチラリと腕時計を確認する。

 

「残り10分を切った……このままでは一夏が判定で負けてしまうぞ」

「見た感じコンディションはベストなんだけどね。一発当てれば流れを奪えるけど……主導権は依然服部さんが握ってる。あの人、三十一位に位置付けられてるのが不思議なくらい強いよ」

 

 シャルロットの評価に、プロプレイヤーたちは皆頷いた。

 一方、剣術をおさめる箒は不思議そうに、そして興味深げに呟く。

 

「あの服部選手の構え、あれは何が狙いなのだ? それになぜ一夏の強打をああ何度も捌ける?」

「ふふーん、良いところに目をつけたじゃない箒。あの構えは「間合い管理さ」

 

 得意げに解説しようとした鈴の隣で、千冬が口を開いた。

 

「あぁやって刀を前に突き出すことで、懐までの距離感を狂わせているんだ。結果織斑の力む瞬間がワンテンポずれて、初動を刈り易くなる。

 しかも自分は一足先に攻撃に出られる。タメがない分一発の火力は低いがチリも積もれば、だな。元から判定に持ち込むつもりならこれ以上の構えはないだろう」

「なるほど……勉強になります」

 

 口をぱくぱくさせる鈴を挟んで、二人の会話は行われた。

 

(いやなんで? なんでアタシいつもこうなるの?)

 

 ちなみに本当に偶然偶々である。

 もう神の悪戯と言う他ないが鈴はそんな神ぜってー許さねーモードに突入した。

 

(もし偶然だってんなら抗ってやろうじゃない! 絶対負けないわよ!)

 

 鈴は人差し指を立てて、

 

「ちなみにあの構えの弱点は「しかしあの構えにも弱点はある」

 

 ち、千冬が口を開いた。

 

「単発には滅法強いが、連打には弱い。それにあくまで一時的に間合いを狂わせているだけで、()()()()()()()()()()()()()()()力負けすることもない。織斑がスタミナのある内に気付けばまだ勝機はある」

「さすが織斑先生ですわ」

「教官の解説はいつ聞いても分かりやすいです」

 

 口をぱくぱくさせる鈴を挟んで、セシリアとラウラが感嘆した。

 

(いやなんで? なんでアタシいつもこうなるの?)

 

 ちなみに本当に偶然偶々である。

 もう神の悪戯と言う他ないが鈴はいじけた。完全敗北である。

 

「最初からずっと相手のペースでスタミナを絞り取られてる。果たしてどこまで持つか……」

「加えてこの人数に見られてるからね。一夏は気づいてないだろうけど、スタミナとか気力の削られ方が半端じゃないはずだよ」

 

 それぞれの不安を語ったのは簪とシャルロット。

 遠目から見ても分かるが、一夏は既に息切れを起こしている。闘争心でどこまで体力を補えるかが勝敗を分けるだろう。

 箒は祈るように両手を組んだ。

 

(頑張れ、頑張れ一夏! お前なら絶対、絶対に勝てる!)

 

 ゲート付近では、ディスプレイで両陣営が観戦していた。

 

(怖いくらい理想的な動きだ、このまま行けばマジで勝てるぜ舞ちゃん!)

 

 山本重工、つまり舞のチームの会長が手に汗を握る。

 

(たった二、三発でシールドぶち壊すような豪打を惜しげなく連打してきやがる……とんでもねぇ重圧が掛かってるだろうに、それでも冷静に戦ってるんだ。なんてすげぇ奴なんだよ、舞ちゃんは!)

 

 会長は脳裏で、舞の鍛錬の日々を思い出す。

 何千メートルも走って、何十時間も練習して、何度も何度も作戦を煮詰めて今日を迎えた。どれだけ非難されようと、馬鹿にされようと、自分を貫いてきた。

 

 彼は柄にもなく手を組む。

 切実な願いを胸に。

 

(頑張れ舞ちゃん! 専用機なんて関係ねぇ、最後は舞ちゃんの手が上がってるはずなんだ!)

 

 戦況は変わらず舞が主導権を握っていた。

 

「はぁっ、はぁっ……ッ!」

 

 一夏の全身からとめどなく流れる汗。肩で呼吸するレベルの息切れ。

 いよいよ背中で感じ始める、背負ったものの重圧。

 試合時間残り7分。

 もう残された勝ち筋はエネルギーアウトしかない。

 疲れたなんて弱音は言っていられない状況。

 

「はぁあああああ!!!」

 

 一夏は自分の直感を信じ、何度目か愚直に飛び込む。

 間合いは体で覚えた、力む瞬間がズレることはない。

 舞の真正面に入り、肩から斜めに一刀両断するような袈裟斬りを放つ。

 

(焦ったね、モーションが大きいよ!)

 

 もう攻撃の出を潰す必要もなかった。

 僅かに体を引くだけで、一夏の一閃は空を切る。

 しかし一夏は止まらない。今度こそは、とスタミナを全部使う気で連打に出た。

 ブォンッ! と目の前をF1カーが横切ったかのような風切り音が、舞の聴覚からその超絶的威力を訴える。

 

(ま、まだ来るの!?)

 

 弾くどころかガードすら不可能だと感じて、舞は回避に集中。一発の被弾もしないつもりで、暴風のような斬撃の数々を外しまくる。

 

(14分間も動きっぱなしでスタミナなんて切れかけてるはずなのに……それでも真っ直ぐに攻めてくる! なんて精神力してるの)

 

 最初は専用機と戦うことを恐れていたが、今ではこの戦士(ファイター)が怖い。

 刹那でも隙を晒そうものなら、真っ二つに断ち切られそうで。

 エネルギー差は圧倒的に優勢だが、舞はだからこそと気を引き締めて、

 

(でも、私が勝つ!)

「オラァッ!」

 

 一夏が大振りのスウィングで体勢を僅かに崩す。

 その瞬間を彼女は見逃さない。鉄刀を小さく振るって、一夏の顎を跳ね上げた。

 

「ぐぉ!?」

 

 無論、一夏のカウンターは当たらない。舞はとっくに向こう側で一夏に切先を向けていた。

 

「はぁ、はぁ……、はぁ……はぁ……」

(……え?)

 

 来ない。

 一夏が、来ない。

 あれだけ果敢に攻めてきた彼が、遂に攻撃の手を止めたのである。

 

(作戦を変えた……いや、違う)

 

 舞の目はしっかりと確認する。

 雪片を握る彼の手が、小刻みに震えていた。それにもう少し目を凝らしてみると、呼吸も乱れている。

 

(効いてるの……私の攻撃が……?)

(クソ、やべぇ)

 

 今の一発でとうとう、これまで積み重ねられた無数のダメージと疲労が一気に噴き出てしまったのだ。

 一夏は未だ闘志を燃やしている。勝利だけを見据えている。

 しかし身体が動かない。どれだけ命令しても、筋肉がぴくりとも動かない!

 

(動け、動いてくれ! 次こそ当ててみせるから動いてくれよ!!!)

(ほ、本当に効いてるの……?)

 

 舞は確かめるように接近して、一夏を小突くように斬りつける。

 一夏は反応できなかった。認識はできていたのに、身体が追いつかなかったのだ。

 面白いように斬撃はヒットして、一夏が仰け反り後退する。

 

(効いてるんだ……私の攻撃が……!)

 

 舞の頬を汗が滴る。

 65000もの観客に見守られる中で、ふと過ぎった一つの考え。

 

 ────エネルギーアウト。

 

(いや、ダメだ。落ち着いて。あと6分逃げ切れば確実に判定で勝てるのに、そんな馬鹿な真似すべきじゃない……)

 

 エネルギーアウト。プロならば誰もが求めてやまない、敵を自らの手で撃ち倒した証。

 文字通り、眩しすぎる光を放つ最大最高の『勝ち星』。

 一体何度手を伸ばしてきた? 一体どれだけ夢見てきた? 一体どんな思いで諦めてきた?

 

(6分逃げ切れば……)

 

 想起されたのは過去の自分。

 みんなに才能があると言われて、プロの世界に足を踏み入れて。

 連敗して、才能がないことを知って。

 『勝ち星』から目を反らし、判定に逃げることが自分の最善だと言い聞かせて。

 

(判定で……)

 

 思い出すのは周りの声。

 逃げ腰野郎と言われてきた。卑怯者と言われてきた。

 それが悔しくて、いつか、いつか絶対見返してやろうと思って。

 

 勝ち進んでいけば、いつかは星に手が届くと信じてきて。

 

(……)

 

 今なら。

 シールドエネルギーも体力も有利な今なら。

 何万もの観客を前にして。

 

 専用機相手に。

 この強い少年相手に。

 

(……届く)

 

 舞が攻める。

 愚直なまでに真っ直ぐに突っ込んで、一夏に鉄刀を叩き込む。

 突然の攻勢に驚いた一夏は、出来る精一杯の動作で攻撃を受け流す。

 

(今なら、今ならエネルギーアウトで勝てる! 夢に手が届くんだ!)

(急に攻めてきた! なんて勢いなんだ! けど……)

 

 さっきまでの消極的なスタイルからは想像もできないラッシュ。

 ただ、鈴やラウラとの特訓のおかげで、一夏はどうにか捌けていた。

 体力もシールドエネルギーもない。このまま勢いにのまれようものなら、本当に負けてしまうだろう。

 

 だがこの距離。剣を伸ばせば届く距離。

 これは正に、織斑一夏の距離だ!

 

(今が最大のチャンスだ、もうこの機を逃したら勝てない!)

 

 一夏は残りの力の全てを両腕に注ぎ込む。

 

(あとでどんな痛みも受けてやる! だから今は、今だけは動いてくれぇええええ!!!)

 

 瞳が焔を上げるとともに。歯を食いしばった彼は、迫る鉄刀を舞の腕ごと弾き飛ばした。

 両者の闘魂滾る視線が交差する。

 一夏の雪片が白く閃く。

 

「しまっ」

「ウォルァあああああああああ!!!!!」

 

 フルパワーの横腹切りが舞の肝臓付近に直撃。

 金属の砕ける音が豪快に炸裂。

 

「がはっ!?」

 

 凄まじい衝撃が舞の体軸ごと揺らす。痛すぎて逆に意識がハッキリするような一撃に、彼女は肺の息を全て吐き出した。

 引き戻された雪片が次に狙うのは舞の顔面。

 激痛で歪む舞の顔を、真横からぶった斬る。

 

 強烈な上下のコンビネーションが決まった。

 が、舞の闘志を寸断するにはまだ足りない。彼女は綺麗な小顔に鼻血を垂らして、

 

(ま、まだこんな体力を残してたの!? やっぱり判定に逃げるべきなの!?)

 

 眼前には、がむしゃらにひたすらに真っ直ぐ攻めてくる戦士(ファイター)

 鼻血で赤く染まる歯を、がっちりと食いしばった。

 

(嫌だ、逃げたくない! ここで逃げたら、一生逃げ続けてしまう!)

 

 舞が選んだのは、前進。

 迷いを振り切るように敵へ立ち向かう。

 

(あと少し、あと少しなんだ! 倒れろぉおおお!)

(近距離戦なら負けねぇ、負けられねぇ! みんなのためにも絶対に勝つんだぁああ!)

 

 試合時間残り5分。

 クライマックスで始まった乱打戦に、会場の興奮が最高潮を迎える。

 攻防が交互に入れ替わるような剣戟。己の技術と経験を集約させ、両者が必死に刀を振るう。

 瞬きすら惜しくなるようなド派手な斬り合いに、千冬もが白熱していた。

 

(その間合いはお前の領域だ! 勝ってみせろよ一夏!)

 

 ここ一番の勝負所に、箒は勝利を祈り、セシリアや鈴は大声で声援を送る。

 

(頼む、一夏に勝利を!)

「頑張って一夏さん!」

「負けたら容赦しないわよ一夏ァ!」

 

 ラウラとシャルロット、簪は固唾を飲んで見守る。

 弾や蘭たちも思い切り叫ぶ。

 

「ぶっ飛ばせ一夏ァアアア!!!」

「一夏さんファイトぉおおお!!!」

 

 ゲート付近では、山本重工の会長がディスプレイを見つめていた。

 

(舞ちゃん……そこまで、そこまで夢見てたんだな……!)

 

 ずっと見てきた。

 舞が悔しさで歯軋りする姿を。

 ずっと知っていた。

 舞がエネルギーアウトの勝利を夢見ていたことを。

 

 そして、今知る。今見ている。

 舞が夢に懸ける情熱を。

 

 彼は無意識に声を張り上げた。

 

「頑張れ舞ちゃん! 行け、行けぇえええええ!!!」

 

 あの日の直感を信じて。

 舞の情熱に魅入られて。

 

(自分のスタイルを投げ捨ててまで勇敢に戦ってるんだ! 舞ちゃんなら奇跡だって手繰り寄せられる!)

 

 気の遠くなるような連打のぶつかり合い。

 一ミリでも集中を乱せばたちまち斬り刻まれるような激しい競り合い。

 両者の(まなこ)の炎が燃え盛る。

 

(一発、あと一発入れば勝てるんだ!)

 

 舞は人生最大の気合を刀に装填していた。

 

(みんなが俺に託してくれたんだ! その想いのためにも、俺は絶対に負けられねぇ!)

 

 一夏は己に在る全てを剣に宿していた。

 闘志は五分五分。体力もイーブン。

 ならばあとは、技量の優劣で勝敗が決まる。

 舞には豊富な経験がある。一夏には特訓で積み重ねた力がある。

 

「ぉおおおおお!!!」

 

 勝負に出たのは────服部舞。遠に判定なんぞ考えちゃいなかった。

 癖を読まれたり、目を慣らされる前に仕留めに行くべきだと決断したのだ。

 両腕で握る鉄刀を思いきり薙ぎ払った。

 

(届けぇえええええええ!!!)

「!?」

 

 一夏の瞳はしっかりと捉えた。首元に迫る高速の刃を。

 思考と命令が即座に行われる。

 今こそ鈴たちとの特訓が活かされる時。

 

「シッ!」

 

 機体ごと下にずれるような上体屈み(ダッキング)

 ドンピシャなタイミングだった。

 舞の渾身の刃が、一夏の頭上を走る。虚空だけを斬り、振り抜かれる。

 

 舞の思考回路が一瞬の停止を見せる。

 

(────……ッ)

「トォりゃぁああああ!!!」

 

 上体屈み(ダッキング)から踏み込み、カウンター。肝臓を引き裂くような横腹切り。

 一夏の刃が、舞の無防備な横腹に突き刺さる。

 『デュアルインパクトブレード』により、ただでさえ強力な一夏のパワーが更に大幅アップしているのだ。機体は当然として、その馬鹿でかい衝撃は操縦者をも貫く。

 シールドエネルギーも体力も気力もごっそりと削り取るような威力に、舞の闘志は完全に寸断された。

 膝を落とした彼女に、一夏は全身全霊の連打をお見舞いする。

 

「タァあらああああああああ!!!」

 

 振り子運動のように、左右の斬撃を顔面に叩き込む。

 斬撃を放つ度に体が軋む。気にしない。

 疲労が限界を超えてまともに酸素を吸えない。気にしない。

 舞を打ち倒すまで、一夏は絶対止まらない!

 

「ッ!?」

 

 連打の最中。

 刀から伝わる感触が消えた。

 驚いた一夏が視線を落とす。

 視界に映ったのは、地面へと落ちていく打鉄の姿。

 

 ガシャン、と舞が地面と衝突。

 この機を逃すまいと、一夏もまた地面に着地した。

 ルール上、地面に倒れた機体への追撃は許されていない。そのため相手が立ち上がるまでの間は、試合中でも体勢や呼吸を整えられる唯一無二のフリータイムとなる。

 彼女が立ち上がった瞬間を狙い、一夏が体勢を直す。

 

(まだだ、まだ俺は戦える! 勝つんだ、絶対に勝つんだ!)

 

 荒い呼吸をする一夏の頭上で。

 突然ブザーが鳴り響いた。

 それは試合終了の合図と共に、勝者が決定したことを意味していた。

 

『試合終了! 勝者、織斑一夏!』

「……へ?」

 

 途端。意識が戦いから離れたせいか、一夏の鼓膜が大歓声を拾う。

 試合中は集中していて聞こえなかったそれらに、彼はびっくりして耳に手を当てた。

 

(は? なに、何騒いでんだみんな?)

 

 キョロキョロと辺りを見渡しながら、状況の理解に努める一夏。

 歓声だけでは何も分からず、アリーナの巨大な電光板を見上げる。すると、電光板には『勝者』の文字と自分の名前と、自分の顔写真が映っていた。

 

(試合終わったってことか? 勝ったってことなのか?)

 

 一夏の疑問に答えるように、再び放送が流れる。

 『勝者、織斑一夏!』と。

 頭が追いつかなくって、彼はずっとキョロキョロするしかなかった。

 

 観客席ではそんな一夏を見守りながら、それぞれが思いを口にする。

 

「最後までハラハラさせますわね」

「まぁアタシたちが協力したんだから、勝ってくれなきゃ困るけど」

「今日はお祝いをしなければな」

 

 セシリアに鈴、ラウラは安堵して。

 

「良い試合だった。また織斑君は強くなってる」

 

 簪はライバルの成長を実感し。

 

「やっぱり凄いなぁ……一夏は」

 

 シャルロットは一夏に改めて興味が湧いて。

 

(良かった……一夏が勝ったんだ……!)

 

 箒は大好きな人の勝利にホッとして。

 千冬は無言ながらも、どこか笑みを隠しきれない様子。

 

「やりやがったぜあのヤロー! なぁ蘭!」

「凄い……かっこいい……」

「ど、どうした蘭?」

「私決めた。IS学園に入って一夏さんみたいな選手になる」

「えー!?」

 

 弾は蘭の決断を目の当たりにする。

 一人の人生に大きな影響を与えたなんていざ知らず、一夏は戸惑いを露わにしていた。

 

「え、え? 勝った……織斑一夏って俺が……?」

「おめでとう織斑君!」

 

 背後の声に振り向いてみれば、ゲートから白式チームのみんなが走ってきていた。

 心から歓喜しているのか年甲斐もなくはしゃぐ山寺は、歓声に負けじと大声で一夏を祝福する。

 

「凄かったよ本当に! デビュー戦でこんな大激戦を見られるなんて!」

「あ、いや……その……」

 

 一夏は困惑しながら観客席を見渡す。

 みんなが自分の名をコールしてくれている。拍手が鳴り止まない。「おめでとう」とか「すげぇ」とか、自分を祝ってくれているような単語がとにかく沢山聞こえてくる。

 

「か、勝ったんですか……自分は……」

「まだ実感湧かない?」

 

 みんなとやって来たチームリーダー、篝火ヒカルノの質問。

 一夏はぎこちない動きで頷いた。この歓声と、みんなの笑顔の意味を理解できていなかったのだ。

 篝火は腰に手を当てて、

 

「なら、振り返ってみれば良いのさ」

「え……」

 

 言葉に従って、一夏は後ろを振り返った。

 するとそこにいたのは、ぼろぼろの打鉄を纏った服部舞。

 鼻血を垂らすその姿は、今の試合がどれだけ壮絶な内容だったかを物語っている。

 

「服部さん……」

「強いんだね、織斑君」

「そ、そんな。自分はただ……」

「あの横腹切り、本当にえぐかった。あれはもうごめんだよ」

 

 そう言うと、舞はふらふらの足取りで踵を返す。

 

「次からも頑張ってね……私も応援するし」

 

 託すように言い残して、舞はチームメンバーに連れられるようにアリーナを去っていく。

 未だ状況をよく理解していない一夏は、しかしまずはと胸を張って、

 

「あ、ありがとうございました!」

 

 対戦相手へ最大のリスペクトと感謝を持って、頭を下げる。

 遠のいていく彼女は、腕を上げて一夏の礼に応えた。

 両者のスポーツマンシップを讃えて、さらに拍手と歓声が降り注ぐ。一夏はまるで見えない豪雨に打たれてるような気分だった。

 

「っで、いつまで頭下げてんのさ一夏君!」

「え?」

「え、じゃないよ! ほら、応援してくれた観客に応えなきゃ」

「ど、どうすれば良いんですか?」

「ファンサービスでぐるーってアリーナ一周したりさ」

 

 篝火に言われて、一夏はとりあえず宙に浮いた。

 ファンサービスなんて考えもしていなかったため、今回は篝火に言われたまんまの行動を実行してみる。

 

「と、とりあえずこんな感じかな」

 

 観客席へ近寄って、彼はグイッと腕を上げてみた。

 

『おぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!』

 

 拍手と歓声が勢いを増す。65000人の大喝采だ。

 もちろん、その全ては一夏ただ一人に向けられている。

 およそ一刻に過ぎないが、その熱気は。祝福は。笑顔は。

 すべては一夏だけのモノだ。

 

 初めての感覚に、開いた口が塞がらない。

 

(みんなすげぇ喜んでくれてる……)

 

 軽く握ったつもりだった握り拳は、ぷるぷると震えていた。

 ぎゅうっと、自然に強く握りしめる。

 まだ勝った実感はないけど。胸に湧き上がってきたのは小さな喜びと安心と、達成感。

 

(良かった……本当に、良かった……!)

 

 これで胸を張って、背負ったモノや支えてくれたみんなに伝えられる。

 『自分はここまで来れました』と。

 いよいよここから始まる。

 最強への、無限の宇宙(そら)への挑戦が。

 

「ありがとうございます……ありがとうございます!」

 

 一人一人にお礼をするように。

 アリーナを回りながら、一夏はガッツポーズをみんなへ披露する。

 最高のガッツポーズをみんなへ。

 

 

 七月二十五日。会場、東京ウルトラアリーナ。

 織斑一夏対服部舞。

 試合時間17分2秒(制限時間20分)、エネルギーアウト。

 勝者────織斑一夏!

 

 ◇

 

 試合日の夕方。もう五時を過ぎたと言うのに、未だに外は暑くて仕方ない。

 アリーナの駐車場から出た黒いワゴンは、山本重工の会長の車だ。

 冷房をつけた車内は、静謐に包まれていた。

 

「……」

「……」

 

 助手席には激戦を終えたばかりの舞が座っている。彼女はぼーっと、車窓から移りゆく景色を眺めていた。

 会長は慎重に言葉を探って、それからゆっくりと唇を開く。

 

「強かったな、織斑」

「はい……」

「悪かった……俺が早とちりで対戦申し込んじまったから碌な対策も出来ねぇで……」

「気にしないでください。負けるのには慣れてますし」

 

 会長は舞をちらりと一瞥する。

 舞は表情を見せない。ずっと車窓から外を見ている。

 

(負けるのには慣れてる、か)

 

 その言葉に、どれだけの感情が込められているのだろうか。

 彼は知っている。舞だけじゃない、何人ものプロを見てきているから。

 負けるのには慣れているかもしれない。

 けど、その悔しさを、情けなさを、忘れた訳じゃない。

 これからもずっとずっと付きあっていく。否、これからもっとキツい日々が続く。

 真綿で首を絞められるような、そんな苦痛がジワジワと続いてくのだ。

 

 プロの世界で負けると言うのは、そう言う苦しみを味わうことを意味するのだ。

 

 会長は必死に励まそうと考えて、

 

「……バカですよね」

「え?」

 

 舞が喋る。

 ほんのちょっとだけ震えた声で、ぼそりと。

 

「判定に逃げてれば勝てたはずなのに……自分から勝機を手放しちゃったんですもん」

「……」

「一発でも貰ったらまずいって分かってたんですけどね……エネルギーアウトで勝てるかもしれないと思ったら、つい夢見ちゃって」

 

 ずず、と鼻を啜る音が聞こえた。嗚咽が聞こえた。

 会長は決して見ない。ただずっと、前方だけに集中する。

 

「すみませんでした……私の馬鹿で、負けてしまって……!」

「夢に焦がれて夢に焦がされた、か」

 

 会長は前を見ながら、やわらかい表情で告げる。

 

「かっこいいじゃねぇか。だって、魂が燃えてる証拠なんだからよ」

「……!」

「次は掴んでみせようぜ。最高の勝ち星をよ」

「……ありがとうございます……頑張ります……!」

 

 舞は悔し涙を拭いて、決意する。

 いつか必ず、この涙を拭いた手で夢を掴んでみせると。

 会長は期待して、信じる。

 いつか舞が、エネルギーアウトで勝利を掴む日を。




ずっと追い求めていた夢が、ここ一番で目の前に転がり込んできたら……。
この作品では勝者だけでなく敗者にもスポットを当てられたら、と思います。

この試合はどうでしたか。
熱いバトルをお届けできたでしょうか? 両者を応援していただけるような内容でしたでしょうか?
読みやすかったでしょうか?
もし改善点などあれば是非ご指摘ください。お願いいたします。

次回で第三章は終わりです。
この作品で初の息抜き回みたいな感じになります。いや30話までやって1回も息抜き回なかったの馬鹿すぎでしょ(自虐)
もちろん息抜きだからと言って手を抜くつもりは一切ないです。それに、一夏君にとって大切な思い出になると思うので、ぜひ読んでいただければと思います。お願いいたします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

32話 スカイツリーからの景色

ウェイクアップ……ダン!したり、ウィッチに不可能はない!したり、デンプシーロールしたりしてて投稿遅くなりました。

息抜き回です。

アンケートを作りました。
よろしければ投票をお願い致します。
誤字修正しました。報告してくださってありがとうございます!


 一夏のデビュー戦から一週間が経過した。

 

 弾からは『おめでとう。あと来年期待しとけ』と言われたり。

 巻紙からはメールで『仕事で見に行けなかったけどよく勝ったな。ところで動画見た感じだがお前の長所と短所は……』とクソ長文の試合解説付きで祝われたり。ちなみにPICの使い方と接近の動きが短所らしい。

 

 倉持の意向で開設したSNSのアカウントが一日で五十万フォロワーを達成したり。その際セシリアから『一日でわたくしのフォロワー数超えないでくださいます?』なんてコメントを貰ったり。簪や鈴の個人アカウントにフォローされたり。

 マスコミはもちろん、学園の新聞部からインタビューを受けたり。

 クラスのみんなで祝勝会をしたり。

 

 箒にサインを渡したり。

 

 とにかく忙しなくて慣れない、けどどこか楽しい一週間を過ごしたのだった。

 

「っでなんだよ、急に二人で売店行こうなんて言ってよ」

「ちょっと話したいことがあってね」

 

 みんなとの夕食後。売店で、一夏と鈴はお菓子を選んでいた。

 新発売のグミを手にとって美味そうだなこれ、なんて呟いた一夏の隣。鈴はすこし緊張した面持ちで、

 

「今週の土日ってどっちか暇?」

「おん。土曜なら一日空いてるぞ」

「じゃーさ、土曜日さ……二人で東京旅行しない?」

「東京旅行?」

 

 こくん、と彼女は頷く。

 

「ほら、アンタ前の試合勝ったじゃん。そのお祝いって言うのもおかしいかもしれないけどさ、ちょっと良い休日過ごしてほしいなーって思った訳よ。昼は観光楽しんで、夜は焼肉行ったりさ」

「良いよ、そんなんして貰わなくても。気持ちだけでありがてぇし」

「そう言わずにさ、ね?」

「マジで大丈夫よ。ほんとありがうぶ!? えなにいきなり突っついおふふ!?」

 

 一夏の弱点でもある腹筋を人差し指でツンツンする鈴。

 彼の謙虚さが今だけはウザかった。

 

「人の厚意は素直に受け取るべきよ〜」

「まぁそれはそうだけど……そういや鈴と旅行って行ったことねぇな」

 

 中学時代を振り返りながら、一夏はうんうんと納得したような素振りを見せて、

 

「おっしゃ。じゃあ土曜日、行くか!」

「そう来なくちゃ!」

「具体的な行き先とか決まってんの?」

「ぜーんぜん。時間も場所も現地で決めてこその『旅行』でしょ?」

「お前『分かって』んなぁ」

 

 早速盛り上がる二人。

 ただし、二人の焦点は違う。一夏は旅行で盛り上がっているが、鈴は別の目的で盛り上がっていた。

 

(初めての二人旅〜!)

 

 そう。一夏のお祝い、そんな言葉は口実に過ぎない。

 本来の目的は二人でのデート! 二人だけの時間! 二人だけの思い出作り!

 鈴はニヤケを隠すのに必死だった。

 

(お昼は一緒にたくさん歩いて、色んなとこ寄って。一緒なお土産買うのも良いわね! それでそれで、夜はたくさん食べて、最後はちょっとロマンチックなとこで肩寄せ合ったりなんかしちゃったり!)

 

 早速想像に耽ってそわそわする鈴。

 だが、稀代の天才中国代表候補・凰鈴音は気付かなかった。

 棚の裏側に潜む存在にッッッ。

 

「────らしいが、どうする?」

「決まっているだろう、みんなに伝えるぞ。抜け駆けなどさせん」

 

 眼帯の軍人と剣道全国覇者の二人は、静かに売店を後にした。

 

 ◇

 

 快晴に恵まれた土曜日の朝。

『九時に学園から出てるモノレール駅に集合』と言う約束で、鈴は十五分ほど早めに駅に到着した。

 おめかしやメイクはもちろん、香水まで抜かりない。

 上はギリギリへそが見えないくらいのTシャツに、下はデニムのショートパンツ。細身を魅力的に見せるためだ。

 メイクはあくまでナチュラル。肌をトーンアップしてくすみをなくす程度。

 香水はキツくない柑橘系。自分のイメージに合うようなフレッシュさを意識。

 

 やれることは全部やったつもりだ。

 あとは一日、一夏と楽しむだけ!

 

(結構気合い入れちゃったわね……アイツのことだしどーせ何も気づかないだろうけど)

 

 まぁ結局自己満足だしねー、とか思いながら、日光を避けようと駅に入った。

 その瞬間だった。

 

「え?」

 

 鈴は思わず変な声を出した。

 何故なら、目の前。本来居るはずのない人物が数名、一夏を囲っていたから。

 

「よっ、鈴! おはよー!」

「言い出しっぺが一番最後なんて良くないですわよ、鈴さん」

「これでみんな揃ったね」

「僕友達と観光なんてはじめてだよ!」

「遅かったな」

「全くだ。幼馴染失格だな」

 

「いやちょっと待ちなさいよ」

 

 オールスター集結である。

 混乱しかけていた鈴はとりあえず一夏の襟を摘んで、ダーッと物陰に移動する。

 

「いてて、いきなり何だよ?」

「あんたマジでやったわね?」

「やったって何を?」

「どうして全員仲良く大集合してんのよ!?」

「ん? 鈴が誘ったんじゃねぇの?」

「え?」

 

 一夏は訳が分かってない顔で、

 

「俺もてっきり鈴と二人だと思ってたからさ、さっき来た時ビックリしたよ」

「……マジ?」

「マジ」

 

 唖然とする鈴の背後から、二つの影。

 彼女の肩にぽん、と手を置いたのは箒とラウラだ。ゲススマイルを浮かべた二人はねっとりとした声で囁く。

 

「抜け駆けはさせんぞ」

「今日はお互い親睦を深めあおうじゃないか、鈴」

「……」

 

 鈴は久々に冷や汗を掻く。もうガクブルである。

 

「え、何? 何が起こってんの?」

 

 スッと去っていく二人と震える鈴を、一夏は交互に見つめることしか出来なかった。

 この鈍感とーへんぼく男、今回ばかりは落ち度が一ミリもなかった。

 むしろ彼は被害者である。いや一番の被害者は間違いなく鈴だが。

 

(??????)

 

 計画が全てパァになって、鈴の頭もしばらくパァになった。

 

 ◇

 

 モノレールと電車を乗り換え、東京・浅草に着いた一行。

 彼女らの眼前に構えるのは、赤い大提灯を吊り下げる巨大な門。

 浅草寺の雷門である。左右に風神と雷神を奉安するそこは、観光に訪れた人で今日も賑わい溢れていた。

 

「東京と言えばここだと思う」

 

 観光誌を片手に呟いたのは簪。彼女、表情にこそ出していないが友人との旅行を滅茶苦茶楽しんでいた。

 

「サンダーモン、中々風情のある名前ですわね」

「どこをどう読めばそうなんだよ……カミナリモン、だぞ」

 

 セシリアは漫画の読み過ぎで勝手にルビを振っていた。

 

「あの像は風神と雷神って言うんだよね?」

「あぁ。災害からここを守るために安置されているそうだ」

 

 シャルロットにそう説明したのは箒。

 生家が神社を営んでいることもあって、彼女は神話や伝承と言った類の話に詳しかったりする。

 

「一瞬あの二つの像が教官に見えたが気のせいか?」

「気のせいじゃないのー」

「……まだ怒ってるか?」

「そりゃもうね」

 

 少し申し訳なさそうなラウラにそう答えて、鈴はプイッと顔を逸らす。

 すると目についたのは、手を繋いだり笑い合ったりしているカップルの数々。本来なら、自分もあんな風になっていたのに。

 

(なーんであたしってこんなツいてないのかな)

 

 無意識に大きなため息を吐く。

 別にみんなが嫌いな訳じゃない。だけど、今日くらいは二人が良かった。

 

(久しぶりに二人になれると思ったのになぁ……)

 

 羨ましそうにカップルを眺めていると、一夏の声が聞こえた。

 

「おーい鈴! 鈴ってば!」

「……何よ」

「一緒に写真撮ろうぜ、二人でさ」

「え?」

 

 鈴が振り返ると、一夏は携帯を片手にニッと笑った。

 

「元々二人で旅行って言ってたしな。一枚くらい二人の写真あっても良いだろ?」

「……みんなと撮ってれば良いじゃない」

「まぁそう言わずによ!」

「な、ちょっと!」

 

 鈴の手を引っ張って、一夏は雷門の前に立った。

 するとぐいっと彼女の肩を自分に寄せて、携帯の内側カメラを合わせる。

 途端に赤く染まったのは鈴のほっぺた。

 

「なな、何よ急に!?」

「だってよ、鈴が笑ってねぇと寂しいじゃんか」

「え……」

「何があったかわかんねぇけどさ、今日くらいははしゃいでこうぜ?」

 

 この少年は確かに、自分に向けられる好意に対しては鈍感で唐変木で朴念仁だ。

 しかしだからと言って、他人の感情を察知できないような馬鹿ではない。

 特に、付き合いの長い幼馴染に対してなら尚更。

 

 一夏は写真を一枚撮ると鈴の手を取って、

 

「さっさと中行こうぜ! 俺実は浅草初めてだからよ、もう楽しみで楽しみで────」

「ま、待ちなさいよ」

 

 一夏の腕を止めた鈴。

 彼女は目を合わせないまま、モジモジと訊ねた。

 

「あ、あたしが笑ってないと……寂しい?」

「おう」

「あたしが笑ったら……嬉しい?」

「おう!」

「そ、そう……ふーん」

 

 明るい返答を受けて、鈴の悩みは素っ飛んだ。

 好きな人が笑ってほしいと言ってくれたのだ。なら笑って応えなきゃ、カッコ悪い。

 そう、思った。

 

(折角一夏と外出たんだもんね、無駄に出来ないわ)

 

 吹っ切れると、彼女はいつもみたいにニッと笑う。

 

「今日はとことん付き合ってもらうわよ!」

「そうこなくっちゃぁ面白くねぇ!」

 

 二人はまるで修学旅行中の中学生のようなテンションで、セシリアたちを置いていく形で門をくぐった。

 

「……私たちも負けてはいられないな」

「あぁ」

 

 箒の言葉にラウラが頷いて、シャルロットが雷門へ指を指す。

 

「僕たちも行こ!」

「うん。案内は私に任せて」

「では簪さん、早速ですが美味しい食べ物を食べましょう。わたくしもうお腹がぺこぺこですわ!」

 

 えぇ……、と困惑したシャルロットと簪。

 ちなみに二人は知らないが、セシリアは食べ歩きする気で朝食を抜いていた。彼女は意外とグルメであった。

 

 ◇

 

 セシリアがどうしてもと(かなり珍しく)駄々をこねたため、みんなで花月堂を訪れた。

 花月堂────雷門近くにあるメロンパン屋だ。

 休日は行列が出来るほど有名なお店で、セシリアも昨日からマークしていたらしい。

 

 長い行列をみんなで並んで、無事購入に成功。

 真っ先に齧り付いたのはもちろんこの淑女、セシリア・オルコットだ。

 

「美味しいですわぁあああ! パクパクですわぁあ!」

「え、えぇ……」

 

 シュレッダーと見紛うような勢いでむしゃむしゃとメロンパンを食す彼女を見て、一夏は困惑するしかなかった。

 彼は思わず箒の肩を叩いて──箒の顔が少し赤くなったことには全く気付いていない模様──、

 

「な、なぁ。これセシリアだよな?」

「あ、あー、お前は知らないんだな。セシリアはお菓子やデザートに目がないんだ」

「もはや別人だろ……」

 

 お茶目というには、その姿は少しグロテスクな気もした。何故なら、彼目線だと人肉を貪るゾンビのように映ったからだ。

 この星に生を授かってはや十五年の一夏だが、メロンパンを五秒くらいで完食する少女なんて見たことなかった。

 

「美味しい! 外はカリッとしてるのに、中はすごいフワフワだよ!」

「うん。市販とは全然違う……もう一個食べようかな」

「長い列並んででも買う価値あるわねこれ」

 

 シャルロットと簪、鈴もまた、その美味しさに感動している様子。

 

「美味しい……美味しい……」

 

 一人呟きながら小動物のようにパンを齧るラウラに目を付けたのはもちろんこの淑女、セシリア・オルコットだ。

 いやもう淑女というより人肉を見つけたゾンビそのものだった。

 

「ラウラさん! そのちまちまとした食べ方はなんですの、もういらないと言うことですの!? いらないならくださいな!」

「ん、え? いや何を言ってるんだ、私は自分のペースで」

「するいですわ!」

「?」

「ちょっとずつ食べたらいっぱい食べられるじゃありませんの! わたくしより沢山食べられるじゃありませんの!」

「なぁみんな、セシリアは何を言ってるんだ?」

 

 これはもうIQが離れすぎると会話が成り立たないと言う一例だった。

 セシリアの食べ物に対する凄まじい執念を、必死にシャルロットが翻訳する。

 

「た、多分パンを齧る回数が増えるから、自分よりも多く食べてるってことじゃないのかな……多分」

「あんた天才ね。今の理解できるのね」

「す、推測だよ。あんなの理解できないよ、自分でも言ってて意味が分からないもん」

 

 流石のシャルロットでも理解までは出来なかったようだ。

 セシリアがお店を買収しますわとか呟き出すと、一夏がため息を吐いて、

 

「ったくしょうがねぇな。ほら、やるよ」

 

 まだ半分ほど残っていたメロンパンを、セシリアに差し出した。

 と、彼女は目をキラッキラに輝かせる。

 

「い、良いんですの!? 本当に!? really!?」

「お、おう」

「ありがとうございます! やはり持つべきはfriendですわね!」

 

 もはや高貴さのかけらもなかった。彼女は貰ったパンを一口で平らげた。

 もうちょっと味わって欲しかった一夏は、少し悲しそうな表情を浮かべている。

 箒と鈴は、彼女の良くある豹変を何とも思っていなかった。ラウラは自分のパンが狙われる前に一気に食べに掛かっている。

 

「ねぇ、今のってさ」

「言わない方が良い」

 

 気付いていたのはシャルロットと簪だけである。

 今のが、いわゆる間接キスであることに。

 シャルロットの口を止めた簪は、冷静に一言だけ告げた。

 

「日本には知らぬが仏ってことわざがある」

 

 全くもってその通りであった。

 

 

 

 それからはあっという間だった。

 本堂前で全員集まって記念写真を撮ったり。

 仲見世通りでお土産を買ったり。セシリアは食べ物屋を完全制覇したり。

 鈴に連れ回される形で、一夏たちは浅草寺内を隅々まで散策したのだった。

 特にシャルロットと簪は友人との観光が初めてだったこともあり、終始興奮気味だった。

 

 気づけばもう太陽は夕陽に名前を変えていた。

 浅草寺散策中に見えた東京スカイツリーにラウラやセシリアが興味を示したため、一行はバスでスカイツリーに向かった。

 そのままチケットを購入して入場し、上階へ。

 休日と言うこともあって、フロアは多くの人で満たされていた。が、そんなことは気にもせず、少女たちは地上350メートルからの景色に早速驚いていた。

 

 普段からISで地上を俯瞰することが多い彼女たちだが、それは殺風景な戦場(アリーナ)でのお話。

 街、それも大都会を超上空から見渡す体験は滅多にないのだ。

 一行の中でも心を躍らせていたのはラウラやシャルロット、セシリアの海外組。

 

「凄い、凄いよラウラ! 東京中見渡せるよ!」

「あぁ。上から見るとこんなに綺麗なんだな」

「夕陽が良いテイストになってますわね……今日が快晴で良かったですわ」

 

 茜色の暖かい光が、街中の冷たい光を包み込んでいるような、不思議な光景だった。

 地上から見ると空まで伸びていそうな巨大なビル群も、まるでただの突起物。細い道路を走る無数の自動車はまるでおもちゃ。簪が楽しそうに写真をパシャパシャ撮るのもおかしくはない。

 

「私は飲み物を買ってくる」

「分かったわよー」

 

 箒の言葉にそう答えると、鈴はふと気付いた。

 

(あれ? アイツいないじゃない)

 

 さっきまではすぐそばにいた筈の一夏がいないのだ。

 キョロキョロと探すも、人が多くて中々見つからない。

 

(ったくどこ行ったのよアイツ。こう言う時こそ二人になれるチャンスなのに……あ、いた!)

 

 しばらく探し回っていると、鈴はやっと一夏の背中を捉える。

 

 彼もまた向こう側のセシリアたちと同じように、じーっと、スカイツリーからの景色を眺めていた。

 家族連れやカップル、友人のグループでいっぱいのフロアで。

 たった一人、じーっと、静かに。

 

(何気に初めて来たよな、スカイツリー。まさかこんな綺麗だとは思ってなかった……って、あれウルトラアリーナじゃねぇか)

 

 一夏の視線のずっと先。

 そこには、東京ウルトラアリーナが設立されていた。時にはISアリーナに、時にはライブ会場に姿を変える巨大な施設が。

 

(……あそこで試合したの、ついこの間なんだよな)

 

 無言でアリーナを見つめる。

 周囲の音は、既に彼の耳には入っていなかった。

 

(服部舞さん……本当に、本当に強い相手だった。判断を一つでも間違えてたら、負けたのは俺だったかもしれねぇ)

 

 彼は脳裏で激戦を思い出す。

 沢山の想いを背負って、沢山の祝福を受けて臨んだプロの初陣。

 中々攻勢に出れず、苦戦した。攻勢に出ても、簡単に捌かれ続けて苦戦した。

 終盤、無数の斬撃をぶつけ合った。やっぱり苦しい展開だった。

 でも、なんとか、本当になんとかして勝てた。

 

 勝てた。

 

 勝てた……?

 

(そうだよな。俺、勝ったんだよな)

 

 試合後の観客席からの声援は今でも鮮明に覚えている。

 

(拍手がこう、大雨みたいにバーっと降ってきて。おめでとうとか凄ぇとかいっぱい言ってもらえて。……へへっ、今思い出しても嬉しいや!)

 

 ガッツポーズを作りそうになった腕を、公共の場だからと一旦堪えた。

 その代わりと言っては何だけど、小さな笑みを作って、アリーナを見つめる。

 無数の建物がある中ただ一点、アリーナだけを、見つめる。

 

(……)

 

 初めての感覚だった。

 試合直後は安心感とか達成感とかでいっぱいだったけど。

 今までは負けて、負けて負けてばっかりだったけど。

 今になって、まるで湧き水が出てくるように、少しずつ実感が湧いてくる。

 彼はわずかに俯いた。

 

(この三ヶ月、すげぇキツかったよなぁ。負けてばっかで、悔しくて、毎日限界を超えられるように自分追い込んで。筋肉痛だって毎日痛いのなんの。正直プレッシャーだって半端なかったし。でも……)

 

 肉体や精神に刻まれた苦痛と成長を思い出して。今日この日までの激闘や色濃い日々を振り返って。

 それからもう一度、試合を思い出して。自分だけに向けられた何万もの拍手や歓声、熱狂を思い出して。

 

(でもやっと、やっと…………ッ!)

 

 沢山の悔しさがあった。

 沢山の支えと助けがあった。

 沢山己に在るモノが増えた。

 

 全部を背負って、全部を信念に変えて、剣に込めて。

 ただひたすらに毎日頑張ってきた。夢へと突っ走ってきた。

 

「……、ぅ……ッ!」

 

 やっと、みんなに応えられた気がした。

 遂に、本当の意味で第一歩を踏み出せた気がした。

 幼馴染がくれたミサンガを付けた左腕。共に戦ってくれる最高の相棒を付けた右腕。

 両の拳を震わせて、歯をぐっと噛み締めて、

 

(勝ったんだ……)

 

 勝利を今、実感する。

 

(勝ったんだ!)

 

 少年はじっと、スカイツリーからの景色を眺めていた。

 

「鈴、一夏は知らないか? アイツの好きそうな飲み物も買ってきたのだが」

「それがさ、アタシもどこにいるか分かんないのよね。見つけたらまた言うわ」

「あぁ。頼んだ」

 

 下のフロアから戻ってきた箒にそう言って、鈴はくるっと爪先の向きを変えた。

 彼女は微笑みをもって、その場を後にする。

 

(今は一人が良いもんね、一夏)




これにて第三章後半は終わりです。
『スポ根』『感謝』『勝利』の三つをテーマにした本章でしたが、いかがでしたか?
面白かった、これからも一夏を応援したい! と感じていただけたら幸いです。

次回から新章に入ります。
が、次回は1話まるまる使って修行回です。ストーリーはほとんど進みませんが、今後のためにも絶対外せませんでした。
最高に面白くなるように頑張ります。
これからも一夏の応援を、どうぞよろしくお願いいたします。

次章『第四章 vs日本四位編』


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四章 vs日本四位編
33話 織斑一夏の夏休み───灼熱の二ヶ月


第四章の初投稿です。
修行回です。ストーリーはほとんど進みませんが、今後のためにも絶対に外せない一話でした。
読んでいただけたら嬉しいです。

ちょっとオリジナル設定入ります。


 八月七日。

 IS学園はこの日、六十二日間にも及ぶ夏休みを迎えた。

 長期休暇故に、基本的に生徒は全員寮から出て行く。

 

 箒たちも例に漏れず。

 箒と鈴は普通に実家で休みたいから。セシリアは家の仕事と試合を控えているため。シャルロットは会社に呼び出されて。ラウラは軍のみんなに今まで無視していたことを謝りたくて。簪は倉持で自身の専用機開発に携わるために。

 みんな、寮から姿を消した。

 

 しかし世界でたった一人の男性IS操縦者、織斑一夏は立場上、強制的に寮に留められていた。

 そのため、バカ広い学園で彼は一人ぼっちの状態だった。

 けども彼は、寂しさをあまり感じていない。むしろ外の暑さに負けないくらい燃えていた。

 

 なぜなら。

 

(今日から二ヶ月……みんなとの差を埋めるには最高のチャンスだ!)

 

 この二ヶ月を、ずっとずっと楽しみにしていたのだ。

 

 現在時刻は午前十時を過ぎたあたり。

 職員室の前に立っていた彼は、意を決して扉を開けた。

 

「失礼します! おはようございます、織斑一夏です! 織斑先生はいらっしゃいますか?」

「朝からやかましい奴だな……私はここだ」

 

 部屋の隅っこの方で、千冬はパソコンと睨めっこをしていた。

 一夏はスタスタと彼女の横に立って、

 

「織斑先生……いや、千冬姉。ひとつだけわがままを聞いて欲しいんだ」

「ほう。お前がわがままとは珍しいな、聞かせてみろ」

「今日から二ヶ月……夏休みの間だけで良いから、俺をとことん鍛えてもらいたい!」

 

 他の教員がいるにも関わらず、彼は大きな声と共に頭を下げて懇願する。

 

「頼む! みんなとの差をここで縮めたい! いい加減、ここらでみんなに追い付きたいんだ!」

「そうは言っても課題が山ほどあるだろう」

「もう全部終わらせてある。今すぐにでも提出できるよ」

「……そうか」

 

 すると千冬は手を止めて、一夏に体を向ける。その表情は真剣そのものだった。

 彼女は少しばかりの沈黙を置いて、

 

「お前はまだ何も分かっていない」

「え……?」

「お前の剣は()()んだよ。正午に第二アリーナに来い、それを教えてやる」

 

 それだけ言って、千冬は一夏を突き返した。

 

 何も言い返せぬまま職員室を出された一夏。彼は無意識のうちに、待機状態の白式に視線を落としていた。

 ふと気付く。不意に、堅固な握り拳を作っていたのだ。

 

(俺の剣が軽い……だと?)

 

 自信だとか、自惚れだとかじゃない。

 ある一つの事実が、千冬の言葉に対して疑念をもたらしていた。

 

(確かに千冬姉から見たらそうかもしれない。

 けど……、けどッ! 俺が今まで戦ってきた人たちはみんな、そんな()()()で渡り合えるような人たちじゃなかった!)

 

 疑念の正体は、強敵たちとの激闘の記憶。

 

(一体どういう意味なんだ? 気持ちだけは誰にも負けてないつもりなのに……まだ何かが足りないのか?)

 

 答えを出せぬまま、一夏は正午に向けてウォーミングアップを始めるのだった。

 

 それからすぐに迎えた正午。

 猛暑で熱気が立ち込める第二アリーナでは、白式を纏った一夏と、打鉄(うちがね)を纏った千冬の二名が対峙していた。

 千冬はやる気満々の一夏に対して、

 

世界最強(ブリュンヒルデ)が相手をしてやるんだ。お前の全身全霊をもってかかって来い」

「言われなくともッ」

「信号を送った。五秒後に始めるぞ」

 

 直後、白式が投影ディスプレイを立ち上げて、カウントを表示した。

 始まるのだ。世界最強を目指す少年と、世界最強に君臨する女の激突が。

 だが、一夏は決してプレッシャーや緊張に飲み込まれてはいない。

 己に在るもののためにも、今まで戦ってきた強敵たちのためにも、()()()と言われたまま引き下がる訳にはいかないのだ。

 

 カウントが今、ゼロになる。

 

「シッ!」

 

 先に動いたのは一夏。微動だにしない千冬の懐に入り込むと、すぐさま得意の斬撃を繰り出す。

 上下のコンビネーションの始動、横腹斬りだ。大きく踏み込んで、千冬の肝臓目掛けて雪片をフルスウィング。

 耳をつんざくような金属音が弾ける。

 

「なっ!?」

 

 あの服部舞をもって「えぐい」と言わしめた一撃を、千冬はいとも容易く刀でガードしていた。

 一瞬驚愕を露わにした一夏だが、しかし臆することはない。ガードされてもお構いなしに、二撃目を顔面へ。

 ところがこれも簡単に防がれる。スピードもパワーも最大で繰り出したはずなのに、まるで通用しなかった。

 

(なん、で!?)

「その程度だろうな」

 

 頭がクエスチョンマークまみれのまま、一夏はさらに猛攻を仕掛ける。

 技術と経験の全てを集約させた連打は、だが、届かない。千冬の刀の前にはなす術もなく、甲高い音になって消えていく。

 

(なんでだ、なんで届かねぇんだ!? まさか、俺の剣は本当にッ)

「今度は私が見せてやろう」

 

 途端、千冬は一夏の雪片を弾き返し、攻勢に出た。

 電光石火の横腹斬りを放つ。一夏は咄嗟にこれをガード────

 

「ギィッ!?」

 

 出来なかった。

 ぶわっ、と。

 雪片ごと持ち上げられるように、体が大きく浮いた。スタンスを広げて衝撃に備えていたのに、だ。

 尋常じゃないインパクトに思わず両手が痺れる。が、そんなことを気にしている場合じゃなかった。

 顔を上げた頃には、顔面へ二発目が迫っていた。

 

(しまっ)

 

 まるで場外ホームランを打たれたかのように、一夏の頭部が跳ね上がった。

 脳がシェイクされて意識が明滅。もう体勢を直なきゃとか次の攻撃に備えなきゃとか考えることすらままならなかった。

 無防備の一夏へ、暴風のような連打が叩き込まれる。

 機体を破壊すると言うより、操縦者に直接ダメージを与えるかのような斬撃の数々。一夏は文字通り手も足も出せぬまま、最後は地面に叩き落とされる形で戦闘を終えた。

 

 いや、戦闘というには一方的過ぎた。

 側から見れば、ただのリンチだった。

 

 地上に降りた千冬は、倒れる一夏へ言い放つ。

 

「お前にはひとつ、致命的とも呼べる弱点がある。

 それはPICを全く使えていないことだ。だから攻撃に重さが生まれないし、ガードもまともに出来ない。気持ちだけしかこもっていない剣など、いずれ限界が来ると言うことを知れ。

 ……明日(あす)の正午から特訓を始める。それまでに機体を直しておけ、良いな?」

 

 言い終えると、千冬は一夏を置いてアリーナを去っていった。

 

 ボコボコにされて地面に伏す一夏は、ごろんと寝返って、空を見上げた。真っ青な空は、今もぐにゃりと歪んで綺麗に映っちゃいない。

 

(んだよ畜生……軽いってそう言う意味かよ)

 

 自分の無力さを叩き付けられた。

 悔しくて、奥歯を噛み締める。

 

(あわよくばこの二ヶ月でみんな追い越して、千冬姉に追いついてやろうと思ってたんだけどな……ありゃ無理だ。俺の姉ちゃんバケモンだわ。二ヶ月じゃ背中も見えねぇよ……クソッタレ)

 

 次元が違いすぎる。諦めではなく、事実としてそう感じた。

 けど、それでもやっぱり悔しかった。

 だって、いつか千冬をも超える最強になりたいから。

 

 今のまま、何も出来ないまま終わりたくない……。

 否、終われないッ!

 

 一夏は青天井の空へ、純白の手を伸ばす。

 

(一発だ……一発だけで良い)

 

 視界はぐにゃぐにゃでも、視線はずっと真っ直ぐ。

 彼方の星を掴むように、手のひらを握りしめた。

 

(この二ヶ月で、千冬姉(さいきょう)の度肝を抜かす一発を!)

 

 織斑一夏の灼熱の二ヶ月(あついきせつ)が始まる。

 

 ◇

 

 翌日。

 第二アリーナにはそれぞれISを装着した一夏と千冬の他に、山田真耶もいた。どうやら彼女も昨日、職員室で一夏の声を聞いていたようで、

 

「山田先生もお前に協力したいんだとさ」

「二ヶ月間、一緒に頑張りましょうね!」

「はい! 今日からよろしくお願いします!」

 

 すると早速、千冬が一夏に訊ねる。

 

「織斑、そもそもPICは何か分かるか?」

「はい。パッシブイナーシャルキャンセラー……慣性制御装置のことです。物体の慣性をなくすような働きをするんですよね?」

「そうだ。ISの浮遊や機動制御はこれによって可能になっている」

 

 ここまでは一夏も授業で習った通りだった。

 だが、次に千冬が喋ったのは、一夏も知らない内容だった。

 

「しかし、PICはより正しく言うなら『力を発生させる装置』だ」

「力を発生させる……?」

 

 聞き返した一夏に、真耶が説明を加えた。

 

「例えば織斑君が宙に浮いてたら、重力が下向きにかかりますよね? PICはその時自動で、慣性────つまり重力とは逆ベクトルの力を発生させることで『擬似的に慣性をなくす』ことに成功してるんですよ」

「なるほど……なら例えば右向きに10の力がかかったら、PICは左向きに10の力を発生させて、右向きの力を無くしているんですね」

「そう言うことだ」

 

 千冬は話をまとめて、本題に入っていく。

 

「お前、白式のPICの設定オートにしてるだろ?」

「……はい」

「それだからダメなんだ。システムに頼っていては判断が遅くなるし、何より任意のタイミングで力を発生させられない」

「っと、言うと?」

「お前の例を借りるなら、100の力が欲しい時だな。

 マニュアル操作ならそのまま100の力を、任意のタイミングで好きな方向に加えられる。だが、オートだと機械が判断したタイミングとベクトルでしか力が加わらない」

「……あっ!?」

 

 そこまで言われて、一夏はようやく気づいた。

 今までの戦い。そして昨日の戦いに、千冬から言われた『お前の剣は軽い』と言う言葉の意味。

 

「そうか、俺はPICの力をフルに使えてなかったんだ……だからガードしても体勢が崩れたり、パワー負けすることも多かったんだ」

「ふん、やっと気づいたか。お前以外は全員、オートではなくマニュアルでPICを操作してるだろうな。見えない所で差を付けられていた訳だ」

 

 言うと、千冬がこれからの目標を告げる。

 

「今日から二ヶ月間、私と山田先生でお前を徹底的に鍛え上げる。

 目標はPICの完全なコントロール、そして接近戦の強化! 弱音を上げることは断じて許さん。いいな?」

「はい!」

 

 望むところだ。一夏は大きな声で返事をした。

 

「まずはPICのコントロールについてだが、見せる方が早いな。山田先生、実演をお願いします」

「了解しました」

 

 千冬に従って、打鉄を纏った真耶が少し宙に浮いた。

 一夏は首を傾げて、上を見上げる千冬に聞く。

 

「今から何するんですか?」

「ケンケンパーだ」

「……? ケンケンパーって、あの片足で飛んで両足で着地するやつですか?」

「あぁ。そのケンケンパーだ」

 

 PICの鍛錬が全く予想していなかった方法であることに、一夏は唖然とした。

 とりあえず山田先生を見ておけ、と言われて、一夏も空を見上げる。

 

「良いですか織斑君! しっかり見ててくださいね!」

「はーい!」

「……ちゃ、ちゃんと見ててくださいね!?」

「は、はーい!」

 

 と、打鉄の全スラスターから青白い炎が消えた。PICが発生させた力()()()浮遊したのである。

 真耶は片足を上げて、ぴょんっとジャンプして、

 

「キャー!」

 

 がっしゃーん、なんて擬音が似合う落下だった。

 真耶は空中で足場を固定し切れず、お尻を地面にくっ付けてしまった。

 

「い、いたたた……」

「……大丈夫ですか先生」

「っ! い、今のは忘れてください! 絶対忘れてください!」

「そうだぞ織斑。今のは典型的でダメダメで恥ずかしい失敗例だ」

「えぇ……」

 

 真耶のあがり症は治っていなかったらしい。と言うか少人数に見られる方が吹っ切れずかえって緊張してしまうらしい。

 けども、そこは流石元日本代表候補の教師だった。

 次は無事に成功。上空で片足だけでジャンプし、PICが作った足場に着地する。それを左右交互に繰り返してみせた。

 

「PICだけで浮遊、PICの力で足場を作ってジャンプ。着地する瞬間に再びPICで足場を作って着地。古典的だが一番効果的な鍛錬方法だ。

 まずはあれに慣れてもらう」

「はい!」

「地味な作業の反復になるが、一流の戦士(ファイター)ほどその努力を惜しまないと知れ」

 

 よーし、と気合を入れて、一夏も宙に浮く。

 まずはPICだけでの浮遊だ。スラスターの出力を全てゼロにして、

 

「うぉあ!?」

 

 途端、姿勢が崩れて滅茶苦茶な動きをとってしまう。

 今まで機械に任せていたことを、これからは全て自分で制御しなければならない。その厳しさを、一夏はいきなり身をもって体感することとなる。

 宙を乱舞する中、必死に意識を集中させ機体に命令を送るも、失敗。静止できずに砂埃を立てる。

 

「やっぱり最初はああなりますよね」

「私は最初からできたがな」

「織斑先生の物差しで測ったらダメですよ……」

 

 教師に見守られる中、一夏は額から汗を垂らして立ち上がる。

 

(なんだ今の、意味わかんねぇよ!? 何が起きたんだ!?)

 

 困惑の脳を()ぎったのは、千冬の言葉。

 

(……みんなこの制御を当たり前にしてたんだよな。やっぱすげぇやアイツら)

 

 改めて、好敵手たちへのリスペクト心が生まれる。

 一夏はふぅ、と息を一つ吐いて、

 

(けど、PICを完全にモノに出来ればアイツらに一気に近づけるはずだ! やるぞ、やるぞぉッ!)

 

 この日だけでも、千冬と真耶は五十回以上の落下音を聞いたらしい。

 その後も当然、特訓は続く。

 

「剣は振るえば良いモノじゃない! もっと角度とタイミングを考えろ!」

「チィッ!」

 

 千冬と接近戦の特訓。もちろん千冬は本気じゃないが、尚も実力差は明白。

 彼女は一夏の連打を難なく捌きながら、

 

「負けん気を活かせ! お前にはスピードと一発の威力がある、もっと手数を出して敵を圧倒しろ!」

 

 語るまでもないが、ディフェンス強化も行われる。

 千冬の殺気のこもった刃を、一夏は全力でブロック。まだ力負けしてしまうため、弾くと言うよりは受け流す動きを軸にしていた。

 時折上体屈み(ダッキング)上体反らし(スウェーバック)と言った回避も織り交ぜるが、千冬には簡単に見切られてばかり。斬られては斬られて、既に全身が腫れ上がっていた。

 

「さっき覚えたPIC操作はどこに行った!? 今は出来ないからと諦めるな! 常にPICを意識しろ!」

「クッソォおおッ!」

「打たれても熱くなるな! 冷静な思考を止めず、白式に命令を送り続けろ!」

 

 茜色の上空でも、特訓は続く。真耶の射撃を避けながら接近する。

 しかしアリーナに響くは被弾時の金属音ばかり。一夏は一向に真耶との距離を縮められずにいた。

 

「PIC操作はここでも意識してください! 方向転換、加速時にPICを使えば機動がより滑らかになりますから!」

 

 耳に入ってきてはいるが、もう返事をする体力すらなかった。

 一夏は無言で頷きながら、特訓を続けた。

 

 時間はいつの間にか十九時を過ぎていた。

 

「今日はここまで。まだまだ話にならん……機体をさっさとメンテして明日に備えろ、良いな」

「お疲れ様でした、織斑君。また明日」

「はい……ありがとう、ございました……」

 

 教師二人は、大の字で地面に倒れる一夏へそう言って、アリーナから去っていった。

 取り残された少年は昨日と同じように、空を見上げる。

 夏の夜空はとても綺麗だった。無数の星々がキラキラと輝いている。

 まだ、まだあそこには届かない。

 一夏は歯を食いしばる。

 

(クソッタレぇッ! 明日はみてろよ〜ッ!)

 

 次の日も特訓は行われる。

 朝はPICのコントロール、ケンケンパー。足だけでなく、全身にPICを適用しなければならないと理解したのはこの日だった。

 

(違う、今のじゃダメだ! 着地した瞬間は足だけじゃなくて全身をPICで支えなきゃいけねぇんだ!)

 

 少しずつPICの操作と感覚を、身に染み込ませていく。

 昼は千冬と接近戦。

 一挙手一投足、凡ゆる動きにPICの力を加えることを意識して攻防を繰り広げる。

 

「まだまだPICの力が加わっていない! 集中力が足りていないぞ!」

「上下のコンビネーションが打ちたいならもっと踏み込め! 一発目の横腹斬りだけで真っ二つにするつもりで打て!」

「ガードが脆い! 腕だけじゃない、足にもPICの力を込めろ!」

 

 千冬のアドバイスを全て血肉に変えて、一夏は特訓に取り組んだ。

 夕方は真耶との特訓。

 相変わらず、彼女の精密な射撃に一夏は接近出来ずにいた。セシリアとの特訓では何度か懐に潜り込めたのに、だ。

 被弾箇所は全て急所。関節や重要パーツ部分を的確に撃ち抜かれる。

 

「まだスラスターだけで動いていますよ! それだとスラスターの向きだけで簡単に動きが予測されてしまいます!」

「白式の加速力だけに頼っていてはいけません! PICの力も使ってください!」

 

 真耶のアドバイスも頭に叩き込んで、彼は何度も空を飛んだ。

 夜の帳が下りた頃に特訓が終わる。千冬は簡単に一日の評価を、真耶は労いの言葉を一言言って、アリーナを出ていく。

 

 ボコボコにされて寝転がった少年は、また空を見上げた。

 あの星々を見る度に思い出せる。初日の決意を。

 藍色の夜空へ手を伸ばす度に歯軋りする。打ちのめされた悔しさで。

 

(ボコられまくってもよぉ……俺にも意地があるからよぉッ。明日こそ……明日こそはッ!)

 

 猛暑日だろうと関係ない。

 過酷な鍛錬は続く。

 ケンケンパーでは何度も姿勢を崩して。

 

(足の方は慣れてきたのに、まだ全身にPICを応用できねぇ! 夜に理論書見直さねぇと!)

 

 千冬には全く刃が届かず。逆に彼女の刃は防ぎきれず。

 

(また腕力だけで振っちまった、何度ミスりゃ良いんだ馬鹿野郎! 常に思考する癖をつけるだけじゃねぇか!)

 

 真耶には撃たれてばかりで。

 

(白式に頼りすぎなんだよ俺は! コイツに似合う操縦者になるって決めたのに、やってることはコイツに頼ってばっかかよ! 情けねぇ!)

 

 体力が残ってる日は特訓後に自主練。

 長時間とはいかないが、使える時間を目一杯使ってケンケンパー。

 全ては、千冬に一撃をぶち込むために。

 

(明日こそ……明日こそ……)

 

 濃密な日々は時間感覚を忘れさせるぐらい、素早く過ぎ去っていった。

 気付くとカレンダーを一枚捲って、九月になっていた。

 特訓が始まって一ヶ月が過ぎようとしていたのだ。

 

「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……」

「つくづく……進歩がないなお前は。また明日だ」

「お疲れ様でした、織斑君……」

 

 いつもと同じように、地面に寝転がる一夏に背中を向けて二人はアリーナを後にする。

 毎日、毎日毎日同じ空模様を見上げていた。一夏はいつもと変わらず歯を食いしばって、でも、今日は耐えきれなかった。

 

「クッソォォオオオオオオ!!!」

 

 固い握り拳で地面を思い切り叩いた。

 胸で渦巻く感情は、肉体の疲労や痛みを遥かに凌駕していた。一夏の目頭が無意識のうちに熱を帯びる。

 

「毎日毎日協力して貰ってんのに全ッ然じゃねぇか! 一ヶ月間一体何してきたんだよ俺は!」

 

 無力さに対する悔しさ。二人や白式(あいぼう)への申し訳なさ。己に在るものへの責任感。夢への渇望。残された時間に対する焦燥感。

 それらは全て綯い交ぜになって、一夏の喉から叫びとなって溢れ出す。

 

「目標下げに下げて『一発』って決めたのに! それすら全く届かねぇ! 恥ずかしくねぇのかよ!」

 

 誰にも見せない涙があった。

 まるで成長が見えない。それは、彼にとって一番辛い事象だった。

 

「畜生ッ、畜生ォッ!」

(織斑君……)

 

 一夏を遠くから見守っていたのは、山田真耶。

 彼女だけは知っている。一夏のあの姿を。

 セシリアとの決闘前、特訓に協力していた時も今と同じ姿を見たことがあった。

 

(今は気づいてないだけで、貴方は凄く成長してるんですよ)

 

 真耶も思わず泣きそうになった。

 教師になってはや数年が経つが、ここまで努力する生徒はそうそう見かけない。もはや練習熱心なんて言葉じゃ片付けられないほど、彼は夢に対して愚直で真っ直ぐな生徒だ。

 

 そんな一夏の辛そうな姿は、真耶にとっても辛かった。

 

(きっと織斑君は私と同じで、成長が見えないと自信を見失っちゃうタイプなんだ……。分かります、自分が積み上げてきたものって見えないと迷っちゃいますよね……)

 

 どうにかして一夏を元気付けれないかと、真耶は考える。

 必死になって、うねりながら頭を捻って、

 

(……あっ!)

 

 思いついた。

 

(そっか! その手がありましたね!)

 

 真耶は一人でに笑う。

 きっとこれなら、一夏も自信を取り戻せるはずだ。

 

(織斑君、明日はきっと自分の成長に気付けますよ!)

 

 

 

 翌日。

 その日も千冬との特訓でボコボコにやられた一夏は地面に倒れていた。肉体の疲労というより、精神的な疲労が勝っていた。

 絶え絶えの息をする彼に、千冬は冷酷に言い放つ。

 

「全く……いつになったら私に本気を出させてくれるんだ? 付き合ってる身にもなってくれ」

「すみません……」

「ふん……しばらく休憩だ」

 

 一夏は千冬の大きな背中を見つめる。

 

(なんでだ、なんで届かねぇんだよ。同じ人間だろ、どうしてここまで違うんだよ)

 

 確かに次元が違いすぎるかもしれない。

 だが、同じ人間なのだ。手を伸ばし続ければいつか必ず届くはずなのだ。

 それなのに、最低限の一発すら届かない。

 

(たった一発すら届かねぇ。……ここまで出来ることは全部やってきたはずなのにどうしてだよ……畜生ッ)

 

 悔しさには、小さいながらも悲しみが含まれていた。

 一夏が歯軋りしていると、向こうのハッチから真耶が元気よく走ってやってくる。

 

「織斑先生〜! タオルとドリンク持ってきましたよ!」

「ん、あぁ気が利くな。ありがとうございます」

「────え?」

 

 その声に驚いて、一夏は目をカッと見開いた。

 彼の瞳は確かに捉える。千冬がとめどなく滴る汗を、タオルで何度も拭き取る姿を。

 

「もう秋になるのに、随分汗かきますね」

「全く、愚弟の相手も面倒なものだな」

(汗……?)

 

 開いた口が、塞がらない。

 

(なんで……なんで千冬姉がそんな汗かいてんだよ。しかもだいぶ息切れしてんじゃねぇか。いつも余裕かましてた癖になんで)

 

 考えていると、ふと、真耶と目が合った。

 と、真耶は笑ってウィンクを一夏に送る。

 その仕草の意味を、彼はしっかりと受け取った。

 

(俺が追い詰めていたのか? 千冬姉が疲れちまうくらいに……俺が……この、俺が!)

 

 筋肉に刻まれた動きが。脳に叩き込まれたPIC操作が。神経に暗記された感覚が。一斉に目を覚ました。

 一夏の鼓動と共に、それらは急速に交わっていく。一つになっていく。ドクンドクンと脈打つ度に、高揚感が迸る。

 

 胸に滾るは熱い思い。

 

(よぉ〜し……)

 

 それまで積み重ねてきたものが今、少年の燻る闘魂(ハート)に火を点けた!

 

(よぉ〜しッッッ!!!)

 

 ◇

 

「うぉおおおおおおおおおおおおおお!!!」

 

 走る。馬車馬のようにグラウンドを駆け回る。

 スタミナをつけて、常に全力を出せるように。

 

「はっ、はっ、ほっ、はっ!」

 

 ケンケンパーにも気合いが入る。

 ジャンプから着地はほぼ出来るようになった。そのためステージを上げて、更に素早く安定したジャンプ動作を繰り返す。

 

「今のはなんだ! まだっ、まだ甘いぞ!」

「はいッ!」

 

 PICの力を使って、千冬と接近戦。

 一夏は気づいちゃいないが、以前と比べてパワーやガードの安定性が爆発的に上昇していた。余程のことがない限り、もう姿勢を崩したりはしない。

 回避からのカウンターも実にスムーズ。こちらは意図していた訳じゃないが、重心移動(シフトウェイト)にも磨きがかかっていた。

 

「良い動きですよ織斑君! 今までとは比べ物にならないくらいです!」

「ありがとうございますッ!」

 

 真耶の射撃も避けられるようになってきた。

 あらゆる動きに、PICの力を精確に取り入れられている証拠だ。

 少しずつ、少しずつ距離が縮まっていく。

 

(あと少しだ……)

 

 胸の炎が燃え盛る。

 ブレない視線に灼熱が宿る。

 

(あと少しで……千冬姉に)

 

 積み重ねてきた努力が、遂に実を結ぶ時が来た!

 

(一発、届くッ!)

 

 

 

 それが起こったのは、夏休み終了まで残り十日となった日だった。

 千冬との接近戦。

 一夏はいつものように集中して、千冬の斬撃を見切って上体屈み(ダッキング)

 

「でやぁッ!」

 

 回避動作から千冬の懐へ踏み込んだ一夏は、超パワーの横腹斬りを放つ。彼女の肝臓を下から突き上げるような一撃だった。

 

 この瞬間。そう、まさにこの瞬間。

 待望の時が訪れた。

 

 ただでさえ強力だった一夏の腕力と白式の馬力に、PICの力が完璧なタイミングで加わって雪片を走った。

 

「ぐぉお!?」

 

 ぶわっ、と。

 一夏はガードに成功したはずの千冬を、刀ごと大きく持ち上げる。

 この二ヶ月で初めての現象だった。

 未知の激烈な手応えが、一夏の両腕から全身を貫く。

 

(今の手応えは────!!!)

(体軸がズレた!?)

 

 地上から観戦していた真耶が分かるほどに、千冬の体がズレる。

 一夏の最大最高の一撃は、千冬の度肝を抜くと同時。

 

「ッ────!」

 

 彼女の闘争本能を呼び覚ましてしまう。

 明らかに目付きを変えた千冬は無意識に雪片を弾き返して、カウンターに出る。

 正に神速の一撃。横への一閃は巨岩すらも両断してしまいそうな威力を有していた。

 千冬が理性を戻したのは、攻撃のモーションに入った直後。

 身の毛もよだつような危機感を感じて、真耶はでかい声で叫ぶ。

 

「しまっ────」

「織斑君逃げ────!?」

「くォおおおッッッ!」

 

 この二ヶ月。地獄のようなこの二ヶ月。

 濃密な鍛錬の毎日で、織斑一夏は彼女たちの想像を超える実力者になっていた。

 千冬の一閃を、一夏は即座に雪片で防いだのだ。

 パワー負けして横へ大きくすっ飛んでしまったが、それでも操縦者は生きている。世界最強が繰り出した強烈な一撃を、彼は防ぎ切ってみせたのだ。

 

「────お前……」

「はぁ、はぁ、はぁ……へ、へへ」

 

 不敵に笑ったのは一夏。

 未だに腕に残る手応えと、千冬のカウンターで理解した。

 今の一発は間違いなく、千冬(さいきょう)の度肝を抜かしてやった!

 

「よっしゃぁ……」

 

 特訓中であることも忘れて、一夏は大きくガッツポーズを作る。それは喜びの大爆発だった。

 

「よっしゃぁああああああああああああ!!!」

「騒ぐな。たった一発如きで」

「やっと、やっと届いたんだ……俺の剣が千冬姉に!」

 

 地上で見守っていた真耶の目からも、涙が伝っていた。

 生徒の成長と喜ぶ姿が、堪らないほど嬉しかったのだ。

 

「まだまだお願いします、織斑先生!」

「……全く、お前という奴は」

 

 この後一段階パワーを上げた千冬にボコボコにされたのは言うまでもないだろう。

 

 いつもの倍近く傷だらけになった一夏は、アリーナの地に背中を預けて、白式と共に夜空を見上げていた。

 疲労も痛みもある。だけど今はそれ以上に、達成感で満たされていた。

 今日の星々は、今までよりもやけに眩しい。一夏の目には無数のダイヤモンドのように映っていた。

 

(へへっ、届いたんだ……あんなに遠かったのに、届いちまったんだよ!)

 

 純白の手を伸ばす。

 今なら彼方のあの星も、この手で掴めてしまいそうだった。

 

(この二ヶ月は無駄じゃなかった。俺が積み重ねてきたものはちゃんと、全部に意味があったんだ!)

 

 声にならない喜びがあった。

 目標を達成できたことが、更に夢へ一歩近づけたことが、何よりも嬉しかった。

 

(あと十日……頑張るぞ。もっともっと強くなるぞ!)

 

 ◇

 

「織斑、今日の特訓は休みだ」

「え?」

 

 夏休み最終日一日前。寮部屋にて。

 朝、唐突に千冬から告げられた一言に彼は困惑しながら、

 

「な、何か予定でもあるんですか?」

「あぁ。今日の夜は空いているか?」

「え、あ、まぁ空いてますけど……」

「なら十八時に職員室前に来い。過酷な作業になるから、ゲロを吐かぬよう腹は空けておけよ」

「は、はい!」

 

 それだけ言うと、千冬は遠のいて行った。

 一夏は特訓がないことにガッカリするよりもまず、足をガクガク震わせていた。

 

(千冬姉がゲロ吐かないようにって警告するってことは、よっぽどやべぇ作業じゃねぇかよ……え、何? マジで何する気なの?)

 

 もう頭は作業のことで一杯だった。

 一夏は念には念を入れようと、朝食から抜くことを決心。食べ盛りの高校生にとっては苦痛の時間が続くが、姉の前でゲロ吐くよりかはマシだと思って我慢した。

 

 何も分からないまま時間は過ぎて、十八時になった。

 考えてみれば久々の休日だったため、肉体と機体を休めるには丁度良かったかもしれない。と一夏は必死にポジティブな方向へ思考の舵を切りながら、職員室前で突っ立っていた。

 

 ガラガラと扉が開かれると、現れたのは私服の真耶と、ポニーテールで私服状態の千冬だった。

 

「え、あの、織斑先生……?」

「なんだ?」

「いえ、何でもないです」

 

 一夏の背筋を冷たい汗が滴る。

 

(いや待って待ってなんで私服? あとなんで千冬姉はポニテ? マジでこれから何が始まるんだよ!?)

 

 一夏は勝手にプレッシャーを感じながら、二人について行くことにした。

 眼前の二人は談笑に耽っている。なんか最近の月9ドラマについて話し合っている気がするが、今の一夏からしてみればそんなのどうだって良かった。

 

「あ、あの山田先生。今から一体何が始まるんです?」

「第三次大戦ですよ」

「え゛?」

「嘘です! でもきっと織斑君にも楽しんで貰えると思います。ね、織斑先生」

「あぁ」

 

 冗談混じりな言葉ではあったが、一夏を顔面蒼白にさせるには十分な威力だった。

 これから本当にやばい作業が待っていることを悟って、彼はそのうち考えることをやめた。

 学園から出てるモノレールに乗って、東京へ。そこからタクシーを走らせること三十分。

 人混みの中を進んで着いたのは、一軒の建物。

 

「こ、ここで作業するんですね?」

「あぁ。心してかかれよ」

「織斑君、今日は沢山()()()()()()()()!」

「は、はひ……」

 

 ビクビクしながら一夏はすぐそこの階段を眺めていたが、二人が向かったのは一階の扉の方だった。

 

「え? あの、そこは」

「どうした、何かおかしいか?」

「いや、だってそこ焼肉屋……」

「そうですよ! 今から先生たち、焼肉を食べるんですよ!」

「え……?」

 

 訳もわからないまま、一夏は焼肉屋に入店する。

 タレや焼肉特有の香りは、朝から何も食べていない一夏の腹を全方位から刺激する。

 

「いらっしゃっせ〜!」

「あの、三人で予約した山田ですけども……」

「かしこまりました、こちらご案内いたしゃす!」

 

 子連れや学生グループが多い中で、三人は隅の方のテーブルに腰を掛けた。

 すぐにやってきた店員に、千冬は食べ放題の上のコースとだけ言って、

 

「さ、食うぞ」

「? え?」

「どうしたんですか織斑君。あっ、もしかしてお腹いっぱいですか?」

「いや、その……」

 

 一夏は何も理解できていないことを、そのまま言葉にして発する。

 

「すみません、なんで焼肉屋に……?」

「あー! 織斑先生、もしかしてなーんにも言ってないんですか!?」

「ん、いや、私はちゃんと……」

 

 既にタブレットで牛タンやハラミを注文していた千冬は、なんだかちょっとだけ恥ずかしそうに二人から視線を逸らした。

 そんな千冬を見てから、真耶は一夏に真相を教える。

 

「ほら、織斑君この二ヶ月間いっぱい頑張ってきたじゃないですか。今日はそのご褒美です!」

「……え……そ、そんな」

「しかも織斑先生が言い出したんですよ! 焼肉行こうって!」

「おい! 言い過ぎだ!」

「も〜、なら先生が隠さず言えば良かったじゃないですか」

「くっ……そう言うことじゃ……」

 

 なんでもペラペラ喋る真耶に千冬は怒りながら、今度は冷麺を頼んでいた。

 一通り注文し終えたのか、彼女はタブレットを一夏に渡す。

 

「あ……あの」

「あぁ、最低限の肉は頼んであるぞ」

「ち、違くて……。千冬姉から言い出したのか、焼肉行こうって?」

「……そうだ」

 

 彼女は腕を組んで、

 

「まぁなんだ……今までお前にはこう言うことをしてやれてなかったからな。たまにはと思ってな」

 

 一夏は周囲を見渡す。

 目に入るのは、子連れの親子。

 そう言えば、ああやって家族で外食なんて経験は一度もなかった。だって、物心ついた頃には千冬と二人きりだったから。

 それに千冬は早いうちにプロのIS選手(プレイヤー)になって、家にいないことが多かったから。

 

 別に家族と言う存在を羨ましいと思っていた訳じゃない。

 

 だけど。

 全く無意識だった。

 ほろほろと、涙が溢れる。

 

「う……ぅぐ……」

「お、おい。泣くな」

「だって……だって……」

 

 嬉しい涙だった。喜ばしい涙だった。

 一夏は両手で目尻を拭う。

 

「こう言うの、初めてだから……」

「……そうだな。だからこそ、いっぱい食ってもらわんと困る」

「うん……うん……!」

 

 一夏は湧き上がってきた言葉を、ありのままに口にする。

 

「いっぱい、ありがとう、千冬姉……ありがとうございます、山田先生! 俺、これからも頑張ります!」

「ふんっ」

「ふふっ」

 

 夏休み最後の思い出。

 それは、とても温かい一日だった。

 抱きしめたくなるような、優しくて温かい時間だった。

 





散々引っ張ってきたPICをやっと克服しました。

四章と五章はずっと書きたかったストーリーなので、何度も読み返していただけるようなクオリティを目指していきます。
是非とも一夏たちの応援をお願いいたします!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

34話 帰ってきた天才

Xで知ったんですけどこの時期はどうやらISアニメ2期から10周年らしいですね。
やっぱ2期といえば一夏の誕生日回の千冬様ですね。最高や。

っと言うわけで天才が帰ってきます。

誤字修正しました。報告ありがとうございます!


 夏休みも終わり、十月を迎えたIS学園。新学期は全校集会から幕を開けた。

 生徒会長──簪の姉にしてロシア一位(だいひょう)だが、一夏はまだ話したことない──や校長の挨拶を終えると、早速授業が始まる。二ヶ月もの休みの直後ではあったものの、そこは流石のエリート集団。みんなサボったり寝たりすることなく、集中して取り組んでいた。

 

 四限が終わると昼休みに突入。新学期初日にも関わらず、食堂はものの五分で満席になった。

 一夏らはどうにかギリギリで角っこのテーブルを陣取ることに成功。いつものメンバーで机を囲って昼食をとっていた。

 

「んにしても凄ぇなセシリア。四位に勝ったんだもんなぁ」

「ですが胸を張れるような内容ではありませんでしたわ」

「そうか? 試合動画見たけどBTも狙撃も命中精度完璧だったじゃねぇか」

「そのどれもが芯を外されていましたのよ。BTの手数で圧倒できただけで……技量で見れば完敗でした」

「んー、俺刀しか使ってねぇからよく分かんねぇ感覚だな。じゃぁさ、ここの場面はなんでわざわざ接近してんだ?」

「あぁ、それはですね……」

 

 一夏とセシリアが携帯で見始めたのは、夏休みに行われたセシリアの試合の動画だ。っと言うのもその試合は、イギリス四位に七位(セシリア)が勝利したと言う────専用機と量産機の差を考慮しても、セシリアの大金星だったのだ。

 

 ISにおける選手の順位は基本的に委員会が決める仕組みだが、襲名制が適用されることもある。例えば今回のセシリアの場合だと四位を倒したため、次のランキング更新ではセシリアが()()()()()()()()のだ。

 

(何故こいつは新学期からISの話ばっかりなんだ!)

(普通ここはみんなの思い出話で盛り上がる場面でしょ!)

(むー、私の話もいっぱい聞いて欲しいぞ)

 

 動画視聴中の二人をつまらなさそうに見つめるのは、箒と鈴とラウラ。

 話したいことは山々。なのに、一生喋る機会が回って来なさそうな雰囲気に、三人は辟易していた。

 

「ねぇ簪。こう言う久々に再会した時って、みんなで思い出を話し合っていくものだよね?」

「うん。でも織斑君にそう言うのは通じないと思う」

「……三人が可哀想だよ」

 

 シャルロットは三人に同情しながら、

 

(僕も思い出沢山あるんだけどなぁ)

 

 彼女もまた、自分の喋る機会を静かに窺っていた。

 今までのシャルロットなら、困っている三人が話せるように、会話の流れを変えようとしていたかもしれない。

 ただただ、三人に気に入ってもらう──愛される──ために。

 だが、一夏の言葉やみんなとの交流によって、彼女にも少しずつ自我が芽生えてきていた。

 当の本人はまだ気付いていないが。

 

(こう言う時って割り込んでも良いのかな。でもそれだと嫌われるかな……二人なら許してくれそうだけど、どうするべきなんだろう)

 

 シャルロットが一夏とセシリアをちらちら覗いていると、

 

「そうだ、織斑君。渡さなきゃいけないモノがあった」

 

 簪がそう言って、カバンの中から一通の手紙のようなものを取り出す。

 見るや否や素っ頓狂な声を上げたのは、箒と鈴とラウラだった。

 

「ななな、あ、あんた!?」

「まさかそれは!?」

「俗に言うら、ラブレターか!?」

 

 脳内ピンク色の少女たちが勝手に盛り上がる。

 そんな訳ありませんわよ、と動画を止めてセシリアがツッコもうとした瞬間。

 いやいや、とこの少年が口を開いた。

 

「そりゃねぇだろ。普通に考えて」

 

 クソ真顔の発言。

 

 一同、沈黙。

 

 居心地最悪の空気だが、それでも一夏はあくまで純粋な気持ちを語る。

 

「だって簪と俺は友達でライバルだろ? そっからどうラブレターに発展すんの?」

 

 この少年、IS学園と言う特殊すぎる環境で感覚が狂ってしまっていた。

 周りの女性を異性ではなく好敵手や学友としてしか見れなくなってしまっていたのだ。思春期だと言うのに。

 もうその姿はある種の()()()()()と言う他なく。

 

 これには流石のセシリアや簪も同情しか出来なかった。

 

「織斑君は鈍いのではなく感覚そのものを失っていた可能性が微レ存……?」

「わたくしも一夏さんと同じ立場だったらと思うと……何も言えませんわね」

 

 しかし、乙女は諦めない。

 ここで声を上げたのは鈴。彼女は勇敢にも一夏に訊ねてみせた。

 

「じゃ、じゃあさ、元々幼馴染だったらどうよ? 恋に発展してもおかしくないじゃない」

「ねぇだろ」

「うわ!? 大丈夫箒、鈴!?」

 

 該当者二名が声も出さず突っ伏してから、ここぞとばかりに目を光らせたのはラウラ。

 脱力した二人の背を揺らすシャルロットを横目に、彼女は勝ち誇った顔で、

 

「ふっ、ならば転校生だな。身長は平均より低めだが身体能力は高く、髪はロングでオッドアイだ」

「ちょっと何言ってるか分かんねぇけど多分ない」

「うわ!? 大丈夫ラウラ!?」

 

 該当者一名が声も出さず突っ伏した。

 一夏は僅か二言で剣道全国覇者と中国代表候補、ドイツ代表候補を薙ぎ倒してしまったのだ。虚しすぎる勝利である。

 そのあまりの戦闘力にセシリアと簪は大きな唾を飲んだ。

 

 哀愁を漂わす三人を眺めながら、シャルロットが呟く。

 

「一夏ってほんとに恋愛感情みたいなのないんだね」

「無い、のかな? そこはまぁよく分かんねぇけど、もし恋愛するとしても夢叶えた後だと思ってるよ」

「夢って、前に言ってたやつだよね。どうしてその後が良いの?」

 

 以前、とある木の下で聞いた一夏の夢。それを思い出しながら、シャルロットは更に聞いてみる。

 彼の人物像をより把握するために。少しでも彼の情報を入手するために。……彼女自身の興味もあって。

 そんな意図など知らずに、恥ずかしげもなく彼は答えた。

 

「好きな人が誇れるかっけぇ男になりたいから、かな」

 

 夢にしても、恋愛にしても。

 彼には確固たる信念があった。

 

「誰よりも強くなって宇宙を飛んだ、って男ならちょっとはかっこいいだろ? でも今はまだ未熟者だからな、する気はねぇや」

「……今のは結構痺れましたわね。こう、胸がバーニングしましたわ」

「私も。意外としっかりした理由があるんだね」

 

 想像以上の深い理由に、二人の好敵手は熱くなった。一夏と同じように、挫折も屈辱も経験してなお高みを目指し続ける二人にとっては、ハートに突き刺さる内容だったようだ。

 けども、刺さったのは簪とセシリアだけに留まらない。

 

 机に頬を密着させていた鈴は、小さく笑みを浮かべる。

 

(良いわよ、あたし待つのは慣れてるし。その日が来るまでずーっと待っててやるわよ)

 

 胸の熱を感じながら、ラウラは決心を思い出す。

 

(私も立派な女にならなくては。一緒に『強さ』を見つけていくと決めたのだから)

 

 呆気に取られていたシャルロットは、何度か瞬きしてからクスッと笑った。

 誰かの人形のようにしか生きてこなかった自分とは違う。

 大好きな母の遺言そのままに。ありのままの気持ちで生きる一夏の言葉や姿は、シャルロットには鮮やかで美しく、何より楽しそうに映った。

 

(やっぱり面白いなぁ、一夏は。いつも自分に真っ直ぐで……)

 

 一夏をずっと隣で見守ってきた箒は、机の下で握り拳を作った。

 その固く閉ざされた手のひらは決意の表れに他ならない。

 これからも、ずっと隣にいたいから。一夏の夢を見届けたいから。

 

(もっと自分に出来ることを見つけていかねばな。この先何があっても、一夏の隣に居続けるために!)

 

 それぞれがそれぞれの想いに耽っていた所で。

 変な沈黙に耐えかねた一夏が話題を変えた。

 

「────結局、簪のそれって何なんだ?」

「あ、うん。……大丈夫、ラブレターじゃないから」

 

 ガバリと起き上がった三人を安心させつつ、簪は手紙を渡した。

 受け取ると、一夏は躊躇いも疑いもせずに封を開ける。

 中から表れたのは一枚の紙切れ。見るやいなや、一夏は少し目を丸くした。

 

「これIS試合のチケットじゃねぇか」

「うん。入間(いるま)さんって覚えてる?」

「そりゃもちろん」

 

 入間(いるま)優香(ゆうか)────現在日本ランキング四位にして、簪と同じく日本代表候補。そして、去年のIS学園卒業生。

 以前のイグニッション・プランでは日本チームとして、一夏らと行動を共にしたことのある人物だ。

 一夏は入間の姿を脳裏に浮かべながら、簪に訊ねる。

 

「もしかしてこのチケット、入間さんの試合のやつか?」

「そう。『予定があっても絶対来いヨ』って言ってた」

「相変わらずだな〜。んで試合日はーっと……十月八日の日曜……明後日じゃねぇか!? だいぶ急だなおい」

 

 とは言ったものの、日曜は都合良く一日中空いていた。

 断る理由もないし、四位(いるま)の試合を見てみたかったのもあって、一夏は試合を見に行くことにする。

 すると簪は一夏に向かって、親指と人差し指で丸を作った。

 

「ん?」

「チケット代七千円。『少し割引してやるヨ』だってさ」

「そこはしっかり取るのね!?」

「プロも慈善活動じゃないから、仕方ないよ」

 

 簪の言葉にうんうん、と頷いたのは箒以外の国家代表候補(プロプレイヤー)。チケットの売り上げは給料に直結するため、どの選手も結構気にしている部分だったりする。

 一学生からすれば高い値段だが、幸い、一夏の財布はデビュー戦のファイトマネーで潤っていた。初めて自分で稼いだお金の、二番目の出費はIS試合のチケットとなりそうだ。

 

 ちなみに最初の出費は快眠用のマットレス。

 千冬へのプレゼントだった。

 

 ◇

 

 入間の試合日。

 遥か上空では、お天道様がにこにこと笑っていた。

 

 会場は一夏のデビュー戦でも使用された、東京ウルトラアリーナ。

 ISの試合ができる会場は他にも埼玉や大阪に設置されている。が、今回は集客が見込める対戦カードと言うことで、一番大きなウルトラアリーナが使用される運びとなった。

 65000の座席はおよそ八割が埋まっている。満員御礼の一夏が例外すぎただけで、この数字は国内試合では中々出せるものではないらしい。

 

 簡単に変装した一夏はチケットを片手に、キョロキョロと席を探し回っていた。

 

(Dブロックはここだろ? んでE列の113番は……っと)

 

 巨大な施設を歩き回るのはちょっとした冒険みたいで、席に向かうだけなのに一夏は楽しさを覚えていた。

 やがて自分の座席の列を見つける。既に着席している人の前を、頭を下げながら横切って、指定の椅子に腰を掛けた。

 安心して一息吐くと、

 

「よぉ、エロガキ。遅かったじゃねぇか」

「お久しぶりです織斑君」

「ダリル先輩に巻紙さん? なんで?」

 

 一夏の隣にはダリルが、さらにその隣には巻紙が並んでいた。

 困惑する一夏の肩に腕を回すと、ダリルはニィッと口角を上げて彼に話しかける。

 

「困った顔しやがって。俺がいたら嫌なのかぁエロガキのくせに〜」

「バチクソ嫌っすね」

「おまっ!? 随分言うようになったじゃねぇか、あぁん?」

「だって先輩何処にいてもエロガキって呼ぶじゃないですか! 夏休み前も体育ですれ違った時エロガキ呼びでしたよね!? あの後俺みんなにエロガキ呼びされたんすよ!?」

「それはどっちかっつぅと一組が悪いんじゃねぇの……?」

 

 と、言いつつちょっと罪悪感を感じたダリルは、話を逸らすように質問した。

 

「先輩からチケット買ったのか?」

「そ、そうですけど、お二人もですか?」

「おう! 俺は先輩のファンだからな! 多分先輩、俺らとお前のチケットまとめてくれたんだろ」

「私もこの試合には注目してましてね、見晴らしの良い席をお願いしたんです」

 

 一夏は前方に目を向ける。と、確かに巻紙の言うように見晴らしが良く、アリーナの端から端までを一望出来た。これなら試合を一瞬たりとも見逃さないだろう。

 ダリルは変わらず一夏の肩に腕を乗せながら、

 

「今日はすげぇ試合が観れるぜ」

「日本四位と五位の試合ですもんね。自分まで緊張してますよ」

「いや……それだけじゃねぇよ」

「それだけじゃない?」

 

 トーンの落ちた声で、彼女は続けた。

 

「この試合、先輩の()()()()()()()()()────つまり()()()なんだよ」

「十五ヶ月ぶり? 復帰戦?」

 

 入間の情報を全く知らなかった一夏は、二つのワードを不思議そうに反芻した。

 何も知らない一夏に対して、入間の大ファンであるダリルは嘆息をもらしながら話す。

 

「んまぁ知らねーのも仕方ねぇわな。試合動画も全部消えてるし、話題になったのも随分前だしな」

「確かに動画なくて変だとは思ってましたけど……何かあったんですか?」

 

 一夏の問いかけに、ダリルは僅かな時間口を噤んだ。

 言葉を探しているような、話しても良いのか悩んでいるような。一夏はそんな仕草に思えた。

 ダリルは、無言の──記者としても戦士(オータム)としても話題に触れようとしなかった──巻紙と目を合わせてから、一言告げる。

 

「先輩はIS操縦者としての天国と地獄を味わったんだよ」

「天国と……地獄、ですか」

「あぁ。そんでもって、地獄から這い上がってきた。だからこの試合は文字通り先輩の『復帰戦』って訳だ」

 

 いつものおふざけは何処にもない。

 その声音は間違いなく、()()を知っている人間のものだった。声に含まれた感情が、重さが、普段のダリルのソレとはまるで違う。

 いつしか同じ声音で言われたことを、一夏はふと思い出す。

 

(そういや、空港でもダリル先輩は言ってたな。入間さん(あのひと)はマジで強ぇぞ、って。

 地獄から這い上がってきた……何を意味してるのかはわかんねぇ。けどそれがマジなら、めちゃめちゃ強いんだろうな)

 

 敗北と言う地獄を経験しているから。

 あの悔しさや虚無感、苛立ちや堪えきれない涙を知っているからこそ、一夏は素直にそう思えた。

 白色のガントレットに目を落としていると、巻紙が説明を加える。その言葉の全てに、入間へのリスペクトを込めて。

 

「この一年と三ヶ月、彼女は更なる努力を積み重ねて帰ってきました。

 さっき控室で会いましたけど、今までとは面構えが違っていましたよ。逆境を何度も超えた戦士(ファイター)()をしてました」

「……自分は運が良いです。そんなすげぇ戦士(ファイター)の復帰戦をこの目で観れるんですもん」

 

 アリーナを見つめて、一夏は手のひらに拳をぶつける。

 

「それに五位のプレイも観れる。

 今日は観戦するだけじゃなくて、上位勢の動きを学ぶ時間にしようと思います」

 

 巻紙(オータム)は一言も返事をせず、だけど口の端を上げた。

 一夏の淡々とした口調から溢れる上昇志向と闘志に、思わず期待が高まる。

 

(それで良い、織斑。お前みてぇなヤツが強くなりゃ……この世界もちょっとは面白くなるからよ)

 

 それからしばらくして。

 試合の時間がやってきた。

 先に登場したのは五位の選手。どうやらそれまで誰も挑もうとしなかった入間に試合を申し込んだらしく、挑戦者らしい気力で充実した姿を現した。搭乗機は『ラファール』。

 五位が腕を上げてファンの歓声に応えていると、放送が切り替わる。

 

 入間の名前が呼ばれる。

 

 同時、『打鉄』を纏った入間がハッチから歩いて入場してきた。

 途端に湧き上がるは巨大なコール。何万もの声が一つになって、一人の戦士の名を叫ぶ。

 もちろんその中には、ダリルの声も含まれていた。

 

「いっるっま! いっるっま!」

「うぉお……凄い人気ですね、入間さん」

「織斑君も知ってるでしょうけどあのキャラですしね。それで強いときてますから、ファンも多いんですよ」

 

 大歓声がアリーナに響き渡る中、両選手が一礼。

 スタート位置に着いた二人の手元に、拡張領域(バススロット)から初期武装が呼び出された。

 五位が形作ったのはアサルトライフル。

 入間が形作ったのは────

 

「棍棒!?」

「よく知ってるじゃねぇか。現状あれ使ってるのは世界でも先輩くらいなのにな」

「い、いや。知ってるだけで観るのは初めてですよ」

 

 三メートルはあろうか。長い棍棒を入間はバトンのように回して、先端を敵へ向ける。

 これまで何人ものプロの試合動画を見てきた一夏だったが、棍棒なんて初めて見る武器だった。

 誇らしげに笑ったのはダリル。

 

「よぉく見とけエロガキ。先輩はあの武器一つでここまで来ちまった選手だからな」

「はいっ!」

 

 試合が始まる。

 五位はライフルを連射すると同時に上昇、後退。距離を取ってダメージを稼ぎに出た。

 近接武器を握る相手に対しては、最も効果的かつ堅実な作戦。

 一発一発が意図され計算された巧みな連射に、入間は自ら突っ込む。

 その全てを上回るように。冷静な機動制御で弾幕を掻い潜る。

 

「上手いっ、前進と回避が直結してる! PICの軌道変更とスラスターの前進が完璧なんだ!」

「ッ!?」

 

 一夏が漏らした独り言に、巻紙は驚いて眉を上げる。

 

(PICを使った機動制御を理解してる────こいつ、デビュー戦後の二ヶ月でPIC操作を身につけやがったか!)

 

 彼女が既に指摘していたように、PIC操作は一夏にとって大きな課題の一つだった。それを克服してきたとなれば、デビュー戦からは爆発的に成長しているはず。

 少年の飛躍に期待を膨らませつつ、巻紙は観戦に集中する。

 

 距離はあっという間に縮まった。

 五位の懐に、入間が入り込む。五位の射撃が甘かったのではない、入間の接近が上手すぎた。

 

(一年前とは違うってことっすか、四位!)

 

 五位は咄嗟に武器を切り替える。アサルトライフルを虚空へ消した次の瞬間には、諸手に鉄刀が握られていた。シャルロットも得意とする超高等技術の一つ、高速切替(ラビット・スイッチ)だ。

 鉄刀と棍棒が激突し、金属音と共に両者が弾かれる。

 リカバリーが早かったのは入間。弾かれた棍棒を頭上でくるりと回すと、もう一方の先端で五位の顔面を強かに捉えた。

 

(やっぱり手数じゃ話にならない、けど!)

 

 しかしそれで怯む五位じゃない。

 すぐさま入間へ視線を戻す。迫り来ていた追撃は身を捩って回避し、カウンター。腹部目掛けて走らせた鉄刀は、しかし命中まであと僅かの所で棍棒に阻まれる。

 攻防一体の棍棒は止まらない。入間は鉄刀を退()けると、棍棒のコンビネーションを繰り出す。

 左右から殴打。片方の先端で攻撃したかと思うと、棍棒を回転させてもう片方の先端で攻撃。

 

 五位がこれを二発とも防いだのは対策の賜物か。

 技術の応酬に、観客席で一夏は舌を巻いていた。

 

(今のコンビネーション、ワンツーじゃなくて、ワンのタイミングで左右同時に攻撃してた……刀じゃまず不可能な動きだ。俺ならどう対応する?)

 

 何度五位がブロックしようと、絶え間なく放たれる棍棒の殴打。360度をフル活用した攻撃は止まるところを知らない。

 次第に押されだした五位は、ところが不敵に微笑む。

 

(イメージと現実がここまで違うとは……。でもこんな戦い方は知らないっすよね!?)

「ッ!?」

 

 連打の一瞬の隙を突き、PICとスラスターで一気に加速。ラファールの重厚な装甲をもって、ショルダータックルをぶちかます。

 超至近距離故にダメージは半減した。が、予想外の一撃は入間を怯ませることに成功。

 

 その好機を五位が見逃すはずもない。彼女はPICが生み出す力を使い、凄まじい速度の連打を返す。

 流れを無理やり奪い取った。

 

「あの五位も相当やるな。結構ラフだけどよ」

「入間選手を倒せば四位……つまり代表候補入り。彼女も必死ですし、手段は選ばないと言ったところでしょうか」

 

 ダリルと巻紙の会話を聞きつつ、一夏は必死に両者の動きを観察していた。

 PIC操作を身につけた今だからこそ、理解できる。五位も入間もかなり技量が高い。

 特に五位の連打。あれは防ぐのも避けるのもかなりキツイ作業だろう。

 

 なのに。

 

 なのに。

 

「なんで入間さんは余裕そうな顔してんだよ……」

 

 涼しそうな顔で去なし続ける入間を見て、一夏は困惑をこぼした。

 その言葉に答えたのはダリル。

 

「まぁ見とけ。今に分かるさ」

「今に分かるって……」

 

 その瞬間だった。

 入間のガードが、ついに跳ね飛ばされる。

 懐は完全に無防備。五位のパワーを考えれば、大ダメージは必須。下手をすれば装甲すらぶち壊されるだろう。

 五位の豪快に振るった鉄刀が、入間の腹部に直撃して。

 

(手応えが────ッッッ!?)

 

 入間が()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「くっ────は!?」

 

 五位が体勢を直した頃には、ピンピンの入間が眼前にいた。

 咄嗟の縦の一閃も間に合わない。それよりも早く、棍棒の突きが再び五位の頭を突き上げた。

 もう入間のターンだった。

 攻撃は止まらない。左右の連打がラファールのシールドエネルギーを削っていく。

 

「は……?」

 

 何故あんな派手に飛ばされたのに、すぐに、それも余裕そうに反撃出来たのか。そもそも何故入間が攻撃を食らった瞬間に、五位がぶっ飛んだのか。

 何一つ理解できず一夏が言葉を失っている間にも、試合は進んでいく。

 

 上体屈み(ダッキング)でどうにか棍棒を回避し、傷だらけの五位が反撃。頭部を吹き飛ばすようなフルスウィングを繰り出す。

 直撃。入間の上半身が()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「ぐぁあ!?」

 

 棍棒が五位の鳩尾を突き刺した。

 綺麗なカウンターで入った。肉体はもちろん精神的なダメージも尋常じゃないが、それでも彼女は歯を食いしばり、必死の形相で攻勢に出る。

 左右の連打は、だが簡単に受け流される。

 縦断の一撃は、しかし簡単に受け流される。

 

 全ての攻撃が、受け流されていく。

 

「今頃五位のやつは手応えがねぇって嘆いてるだろうな」

「手応えがない?」

 

 聞き返した一夏に、ダリルは腕を組んで、

 

「エロガキ。お前防御の時、PICはどう使ってる?」

「踏ん張るための足場を作って、相手の刀を押し返すために全身に力をかける、って感じで使ってます」

「そうだよな。俺もそうだし、多少個人差はあれどどの選手も同じようにやってるだろうよ」

 

 ダリルは試合を眺めながら、末恐ろしそうに続けた。

 

「でも先輩は違う。あの人は、()()()()()()()()P()I()C()()使()()()()んだよ」

「え?」

「力の作用に反発してるんじゃねぇ。力に従っちまってるんだよ」

 

 更に解説を付け足したのは巻紙。

 

「被弾した瞬間、衝撃と同じ向きにPICの力を加える。そうすることで攻撃の衝撃を吸収して殺すんですよ」

「……だからあんな余裕そうに強打を受け流してた訳ですか」

「えぇ。私も長いこと記者をしてますけど……あんな芸当が出来るのはアジアでも入間さんくらいですよ」

 

 言われてから、一夏は意識して入間を観察してみる。

 よく見てみれば柔らかいガードだった。普通ならグッと踏ん張ってしまう場面を、彼女の棍棒は流水のように受け流していた。

 しかも、その受け流しの過程で一打を加えている。

 

(大きくぶっ飛んだのもわざとだったってか。しかもおまけに一発プレゼントまで付けて……)

 

 冷たい汗が背筋を伝う。

 夏休みの二ヶ月間、PIC操作を習得するために死ぬほど特訓した。マスターしたとまでは言えないけど、自信がつくくらいには上達したつもりだった。

 

 なのに。

 

 更なる上の世界が、目の前に広がっていた。

 

 入間のカウンターは、気づけば鋭い攻撃に切り替わっていた。無数の連打を五位に浴びせている。

 

「ISの影響でどんだけ知覚が向上してても、視覚の反応時間は0.2秒かかっちまう。ISの攻撃はそれとほぼ同じスピードで来るから、目で見てからPIC操作するんじゃ間に合わねぇ」

 

 ダリルはそろそろ閉幕しそうな試合を見つめながら言った。

 

「どの位置に攻撃が来るのかを予測する動物的な勘、瞬時にPICを操作する処理能力、精確な操作を続けるずば抜けた集中力。そして棍棒を自在に操る技術力。一つでも才能って言われるのに、先輩はその全てを高水準で揃えちまってる。

 だからあの人は世間からこう言われてる────」

 

 フィニッシュは刺突だった。

 

「『天才』ってよ」

 

 入間は棍棒を真っ直ぐに伸ばして、五位の顎を突き飛ばす。

 海老反りの姿勢になると、彼女はそのまま地面へと落下した。シールドエネルギーはまだ僅かに残っているが、何度も脳を揺らされたことで操縦者の意識がすでに途絶えていたのだ。

 扱いとしてはエネルギーアウト。

 

 勝者は入間優香。

 

 一年三ヶ月ぶりの試合は、ほぼ圧勝に終わった。

 彼女の復帰を待ち侘びていた男女のファンたちが、溜まりに溜まった声を爆発させる。

 

「待ってたました入間さん!!!」

「お前がいない間寂しかったんだぞぉおおおおおお!!!」

「一年三ヶ月待ってて良かったぁ!」

「あとでサイン貰いにいくからねぇええ!」

 

 入間は──キャラには似合わない──とびっきりの笑顔と両腕のガッツポーズで声援に応える。

 ダリルと巻紙も拍手をしながら、

 

「天才が帰ってきた、って所ですね」

「……まぁ正直、俺はあの人を()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 一夏はとてつもない試合内容に、何も喋れなかった。

 彼は俯いて考える。

 

(強ぇ……入間さん、マジに強ぇ)

 

 自分の技術は通用するのだろうか。

 自分の剣は、果たして彼女に届くのだろうか。

 

(正直、才能が違いすぎる。イグニッション・プランの時から上手いとは思ってたけど、まだ見方が甘かった。上手すぎる……何を取っても強すぎるッ)

 

 相棒が眠る右腕と、箒がくれたミサンガを巻いた左腕。その両腕の拳を、静かに握りしめる。

 不安とか心配とかじゃない。

 最強を目指すものとしての、純粋な気持ちだった。

 

(もし、あの人に勝てたら……あの強い人を、超えることができたのなら……)

 

 きっとまだ見ぬ世界に行けるはず。

 

 震えた。

 IS学園に入学してからずっと、死ぬほど特訓してきたつもりだったのに。

 まだ、まだまだまだまだ、先があると言うのか!

 

 途端、放送が流れて、一夏はハッと視線をアリーナに戻す。

 入間のファンサービスタイムに入ったようだ。一夏は飛行しながらの挨拶だったが、入間はスピーチらしい。

 

 彼女はISのマイクをオンにして、

 

「みんな! 久しぶりなんだナ!」

 

 うぉおおおおおお、と観客席の大気が震える。

 ファンがどれだけ彼女の復帰を待ち侘びていたのか、想像に難くない。

 入間は笑顔で続ける。

 

「一年と三ヶ月、本当に待たせちゃったんだナ! それにこんなんになって戻ってきちゃっテ……そこは申し訳ないと思ってル! けど!」

 

 彼女は大きく頭を下げた。

 

「ずっと待っててくれて、ありがとうなんだナ!」

 

 再び大歓声、拍手喝采。

 一夏の隣ではダリルも超興奮して拍手している。

 

「今日のこの勝利はファンのみんなとチームメンバー、そして……今日来てくれてるかは分かんないけど、恩師の山田先生に捧げたいんだナ!」

(山田先生!?)

 

 突然のワードに、会場で一夏だけが驚く。

 

(そう言やイグニッション・プランの時も山田先生にベタベタだったな、あの人)

 

 思い出していると、入間がスッと頭を上げた。それから一呼吸すると、目つきをキリッと変えて続ける。

 

「このまま更識に挑戦して三位を奪取する……正直みんなが求めてるのはそれだと思うし、私もアリだと思ってル。

 けど、まだひとつだけやり残しがあるんだナ!」

 

 やり残し〜、と観客が続きを促す。もちろんダリルも参加している。ファンの結束力の高さに、一夏は素直に感心した。

 みんなに聞かれた入間は、一瞬だけ溜めを作ってから答える。

 

「みんなは知らないと思うけど、実はIS学園に更識を倒した人物がいるんだナ!

 そいつはみんなも良く知る、最近プロデビューしたばっかりの白い専用機乗りダ!」

「えあ!?」

「おめぇのことだなこれ」

「織斑君のことですね間違いなく」

 

 突然の(ほぼ)名指しに、一夏は驚愕と困惑を露わにする。

 が、そんなの入間はお構いなしに口を動かす。

 

「三位より強いヤツが、私より下にいる。

 なのにソイツを放っておいて三位に挑戦する、それは出来ないんだナ!

 だから私は近い内に、ソイツに挑戦状を出ス! ソイツを倒してから三位に挑もうと思ってるんだナ!」

 

 具体的な名前こそ上げていない。だが彼女の台詞は、入間優香対織斑一夏のカードを示唆していた。

 会場は大盛り上がりも大盛り上がり。耳を塞ぎたくなるような巨大な歓声が、一人の少女へと贈られる。

 

 入間は歓声に負けない声で締め括った。

 

「次の試合は、今までで一番の内容にするつもりダ! だからみんな、是非とも試合を見に来て欲しいんだナ!」

 

 もう会場はお祭り騒ぎだった。

 祝福の声、次の試合を楽しみにしている声、期待の声。様々な気持ちと感情を乗せた声が、花道を歩く入間へ降り注ぐ。

 入間は表情を見せない。だがその背で受けた全ての声に応えることを、胸に誓っていた。

 

 明らかな挑戦を受けて、一夏は呆然としていた。

 もちろん嬉しいが、それはそれとして、だ。

 いくら何でも急すぎるし、早速対戦が確定したようなこの空気は、プロになったばかりの彼には重すぎた。

 

「あのこれリップサービスとかじゃなくてガチですよね?」

「おうガチだろうな。あの人リップサービスなんてしねぇし」

「私は織斑君を応援するつもりですよ」

 

 まだ整理の追いつかない一夏に、ダリルと巻紙はテキトーに返事した。

 特に入間のファンであるダリルはニィッと笑って、

 

「もちろん試合するよな、エロガキ」

「え……いや、する気はありますけど急すぎません? その、段取りとかって」

「するよなぁ?」

 

 もはや脅迫である。

 個人の判断で断言できる話でもないため、一夏は口を閉じて沈黙を貫いた。

 と、ダリルはそれを無言の肯定と受け取って、スマートフォンを触りだす。

 

「おっしゃ! そんじゃ俺みんなに言っとくわ!」

「ちょ! だからまだ早いですって!」

「うるせぇバカ! もう学園グループにメッセージ送っちまったよ!

 ……お、新聞部の部長が記事作るってよ!」

「黛先輩はマズイですって! 俺あの人に『織斑一夏は本当にエロガキなのか』って記事作られかけたことあるんすよ! そんな人にまだ未確定の記事作らせたらダメですって!」

「あ、そのエロガキの記事は俺のリークだわ。じゃぁあれ公開前に揉み消したのお前かよ〜しょうもね」

「ッッッッッダリル先輩ィィィ!!!」

 

 真犯人にブチギレる一夏であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「良い試合でした、入間さん」

 

 観客席の一角で、緑色の髪の教師が呟いた。

 メガネを外し、瞳からこぼれる涙を拭う。

 

「貴方を戦場(アリーナ)に戻してくれた人、みんなが納得する一戦でしたよ」

 




 アンケートにご協力いただき、ありがとうございました!
 また、感想や評価、お気に入り登録、しおりの移動、誤字報告、ここすきなどなど……いつも本当にありがとうございます。

 この作品はスポ根系ロボバトルものです。束さんとか亡国関連とかで話が紆余曲折するかもしれませんが、路線は『スポーツ』、テーマは『夢』で決めています。
 ヒロインの描写については、今回の序盤みたいな感じでちょっとずつ色んな場所に入れていこうと思っています。
 ※なお本作のメインヒロインは箒です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

35話 夢の傷跡

次回は来週中に出せると思います。




 入間(いるま)の完全復活は瞬く間にニュースになった。

 五位を寄せ付けなかったその姿は、早速朝のテレビに映し出されている。入間の後輩に当たる二年生と三年生には彼女のファンが多いようで、食堂の大型テレビの前に集まって盛り上がっている。

 

 朝のランニングを終えた一夏は一人、焼肉定食を食べながらテレビを眺めていた。

 脳裏に思い浮かべるのは一通の手紙。っと言うのも起床した時には既に、入間から『挑戦状』が届いていたのである。

 

 ただ一言、直筆で『十月三十一日、東京ウルトラアリーナにて挑戦願う』と。

 

「まぁじで早すぎだろあの人……つい昨日試合したばっかなのに」

 

 恐らく、復帰戦に勝つ前提で事前に挑戦状を郵送していたのだろう。

 入間の用意の良さに呆れながらも、静かに闘志に火を点けていた。

 

(もし戦うにしても、ただ基礎練するだけじゃダメだ。もっとPICを詰めて……それでも足りねぇ。なんたって入間さんにはあの『受け流し』があるからな)

 

 昨日目に焼き付けたあの動き。

 

 普通は攻撃を受けると、固く踏ん張って衝撃に耐えようとする。

 しかし彼女は違う。攻撃を喰らった瞬間、衝撃と同じ方向にPICの力を加えることで、衝撃を吸収して殺してしまうのだ。防御も同様。

 力の作用に反発するのではなく、従うことで力を受け流してしまう超絶高等テクニック。

 IS記者の巻紙曰く『アジアでも体現できるのは入間しかいない』離れ業。

 

(どんだけ威力があったとしても、単発じゃあの柔らかいブロックと受け流しで処理されちまう。それに受け流されたついでにカウンターまでくらっちまう。どうすりゃ良い?)

 

 試合を思い出しながら、脳をフル回転させて考える。

 柔らかなブロックと受け流し、そしてまるでバトンのように自由自在に振るわれる棍棒の攻略法を。

 

(……強打の連打。それも受け流しきれないほどの超高速の連打。

 ……いや、それを三週間で身につけるのは流石に無理があるな。仮に出来たとしても実戦に組み込めるレベルまで持っていける自信がねぇ)

 

 頭を悩ませながら、生姜の効いた焼肉を頬張っていると、

 

「遅いぞお前ら、いつまで食事を摂っているつもりだ。時間違反した者は校庭二十周だぞ」

「は、はい!」

「すみません!」

「急いで食べます!」

 

 鬼教師・織斑千冬の声。

 一夏含め、テレビに夢中になっていた少女たちが慌てて食事を口に掻き込む。

 

 IS学園は『IS』、言い換えれば一国をも滅ぼせる『兵器』──白式を相棒と思ってる一夏はこの表現が大っ嫌い──を扱う、パイロット・技術者育成学校だ。故に例えどんな小さな規則違反でも、罰は重く設定されている。

 千冬たち教員が普段から厳しいのは、罰を与えたくないのもそうだが、責任感や倫理観を生徒に養ってほしい願いあってこそ。

 

 もちろんその愛は生徒にも伝わっている。

 だから、教員に歯向かったり指示を無視するような生徒はどこにもいない。

 

「織斑、さっさとせんと校庭三十周だぞ」

「自分だけ重くないですか!?」

「ふっ、嫌ならすぐに食べるんだな」

 

 千冬が腰に手を当てながら言う。彼女なりの冗談だった。

 一夏が入学するまでは堅苦しいだけだった千冬にも、少しずつ変化が表れていた。

 

 授業が始まってからも、一夏の頭は入間との試合で一杯だった。

 板書をじーっと見つめながら、顎に手を当てる。

 

(カウンター主体のスタイル……違うな。カウンターっつってもまともな手段が一閃二断しかねぇし。あれは牽制の見せ札か切り札として使った方が効果的だ)

 

 英語の意見交換の時間。いつもなら積極的に意見を出す一夏だが、今日は口を閉ざしていた。

 みんなの意見も、あまり耳に入っちゃいない。

 

(そもそもあの棍棒にはどう対応する? 手数が多すぎて防御だけじゃ対処しきれねぇぞ……待て、考え方を変えよう。的を散らすって意味なら上体揺らし(ウィービング)が有効だ。ならウィービングから上体屈み(ダッキング)とか上体反らし(スウェーバック)に繋げて……回避を軸にしてみるか)

「おりむーおりむーねーねーおりむー」

 

 新しい訓練メニューを考えていると、同じグループののほほんさんに名をラップ気味に呼ばれた。彼はようやく反応して、

 

「どうした?」

「おりむーが喋る番だよー」

「え、あっまじ、ごめん。えっと……なんだっけ?」

「これだよこれ、四つの写真から一つ選ぶやつ」

「あー、あざす。じゃぁ俺は……」

 

 谷本さんにテーマを教えて貰って、一夏は適当に意見を述べる。

 どこか抜けてるような彼を、少し心配そうに見つめるのは箒。

 

「どうした、体調でも悪いのか?」

「……あ、あぁ、何ともねぇよ。心配させてごめん」

「そうか。なら良いが」

 

 体育の時間。スポーツの秋にちなんで十月はスポーツ月間らしく、今日はバレーの授業。

 本来の一夏なら張り切って頑張るのだろうが、今は入間に意識が割かれていた。

 

(考えれば考えるほど強ぇな、入間さんは。マジで才能が違いすぎる、『天才』って評価も納得しちまうよ)

 

 夏休みに死にものぐるいで身につけたPIC操作や接近戦の技術。

 少しはみんなに追いつけた、と自信が付いたのに。限界を大きく超えられたと思っていたのに。

 入間には、その先の次元を見せつけられてしまった。

 

(付け入る隙がまるでねぇよ……あれで一年三ヶ月ぶりとかえぐすぎだろ)

 

 勝てるか勝てないかは置いて、純粋に凄いと思った。

 

(でも変だよな、あんなに強い人がなんで一年三ヶ月も試合してなかったんだ? 海外からもバンバン試合の申し込み来るだろうに)

「一夏! ボール来るよ!」

「え?」

 

 シャルロットの叫びに一夏が視線を上げると、眼前にバレーボールが迫っていた。

 あっ、と間抜けな声がもれるよりも先に、高速のボールが顔面に直撃。一夏は衝撃のままにぶっ倒れた。

 

「いってぇ!? い、痛ぇ!」

「お〜っほっほっほ! これが(スーパー)セシリアのビッグバンアタックですわ!」

「ナイスサーブセシリア〜」

 

 最近簪のタブレットでバトル漫画を読み漁ってるらしいセシリアが、胸を張って高笑いする。ライバルを新必殺技でぶっ倒せてご満悦の様子だ。

 ヒリヒリする顔を抑える一夏の元には、同じチームのシャルロットやラウラたち、観戦していた箒が走り寄る。

 

「一夏大丈夫!?」

「死ぬな、死ぬな一夏!」

「いや勝手に殺すなよ箒」

「くっ、これはマズイな。衛生兵!」

「はーい! じゃぁ心臓マッサージと人工呼吸しましょうね〜」

「クビだろこの衛生兵」

 

 箒と夜竹さんに、一夏は真っ赤な顔でツッコんだ。

 ちなみに怪我はなかった模様。

 

 気付けば昼休みのチャイムが鳴っていた。

 普段なら鈴と共に食堂へ走り席を確保する所。だが、今日は箒たちに先に行っててとだけ伝えて、彼は入間のことを考える。

 

(結局参考になるのは昨日の映像だけ、か。だいぶキツイな)

 

 受け流しと柔らかいガードによる難攻不落の守りに、カウンターと圧倒的手数による疾風怒濤の攻め。やはり、強い。

 いや、強すぎる。まだプロになりたての一夏ですら、入間のような才能は滅多にお目にかかれないと思う。

 

 だからこそ、ずっと不思議に感じていた。

 

(なんでだ。なんであそこまで強い人の試合動画が一つも残ってないんだ?)

 

 何度ネットの海を探しても、一つも試合動画が見つからなかったのだ。無断アップロードらしきものも片っ端から権利者による削除がなされていた。

 日本だと、ランキング最下位の選手ですらデビュー戦くらいは記録されている。っと言うのに入間ほどの選手の動画が一つもないことに、一夏は変な違和感を覚えていた。

 

(そういやダリル先輩は確か昨日……話題になったのも随分前とか、入間さんは天国と地獄を経験したとか言ってたな。先輩なら入間さんのこと何でも知ってそうだし、試合動画も持ってるかもしれねぇな)

 

 早速ダリルに訊ねようと一夏が立ち上がった。

 それと同時。

 ポケットの携帯が震える。取り出すと、倉持技研の篝火から通話がかかっていた。

 

「あ、もしもし。お疲れ様です、織斑です」

『もしもしお疲れ様ー。篝火ヒカルノでーす、元気してた?』

「はい、めっちゃ元気でしたよ」

 

 デビュー戦以来の会話だった。

 一夏は周囲の喋り声が入らないように、教室の隅っこに移動する。

 

「っで、どうしたんですか? 白式のメンテとかですか?」

『あー違う違う、入間ちゃんとの試合について電話したのさ』

 

 ずっと意識していた名が出てきて、途端に一夏の目つきが鋭くなる。

 

『昨日の復帰戦で指名されてたっしょ? っで今さっき正式に試合申し込まれたんだけどね』

「自分も今朝、挑戦状受け取りました。今月末ですよね?」

『うんうん』

 

 電話越しに篝火は頷いて、

 

『試合、キャンセルしとくから』

「────?」

 

 一瞬、絶句した。篝火の言葉を理解が拒んだ。

 戸惑いを隠せないまま彼は聞き返す。

 

「え、キャンセルって、試合やらないってことですか?」

『うん』

「なんで……ですか?」

 

 口に出したのは、込み上がってきた単純な疑問。理由が全く分からなかった。

 しかし篝火はなんの躊躇いもなく返答する。

 

『君じゃ勝てないから、さ』

 

 理由はこれ以上ないほど明快なものだった。

 だからこそ、一夏の心に思い切り突き刺さってしまった。

 

「ど、どう言うことですか!? 自分じゃ勝てないんですか!?」

『そうさね』

「そんな! まだやってもないのに分からないじゃないですか!」

 

 すっかりやる気になっていた一夏は、周囲の目も気にせずヒートアップする。やっとエンジンが掛かろうとしてた所に、篝火の発言はあまりにも冷たすぎた。

 一夏の強い語気に対し、篝火はなおも冷静に告げる。

 

『三十一位にギリギリで勝った選手が、()()()()()勝てると思ってるのかい?』

「ッ」

 

 痛烈な指摘。

 反論に詰まった。確かに篝火の視点で見れば、入間との試合は無謀だと思われても仕方ないと思ってしまった。

 黙り込んだ一夏に、彼女はチームリーダーとして。織斑一夏と言う貴重な人材を預かる責任者として。

 感情を抜きに、自分の考えを述べる。

 

『私は勝てない戦いにみすみす選手を出すつもりはないよ。それにまだデビューしたての金の卵に、プロの世界で挫折なんて味わって欲しくないのさ。

 恐らく入間ちゃんは君のこと、人気を取り戻すための踏み台だと思ってるだろうし』

「篝火さん……」

『戦略的撤退、と表現すべきかな。今の織斑君に必要なのは経験と勝利を重ねて自信を付けていくことさ。

 だから、試合をするのはもっと力を付けてからで良いと思わないかい?』

 

 一夏は口を動かそうとして、けど、返答できなかった。

 試合をしたい気持ちは山々。

 だけど、篝火の考えも理解できた。

 断じて勝利を諦めていた訳じゃない。けど正直言って、次の戦いは勝ち筋が薄いとも感じていた。そんな状態で入間の踏み台になるなら、もっと力をつけた後でもありかもしれないと考えてしまった。

 加えて自分よりもずっとプロの世界にいる篝火の言葉だからこそ、説得力があった。

 

 だけど。

 だけど、その上で。

 いくら戦略的撤退と言われようと、あの挑戦状から逃げるようで、一夏はどうしても試合のキャンセルに踏み切れなかった。

 

「あの……どうしてもダメなんですか?」

『逆にやりたい理由があるのかい?』

「直筆の挑戦状を貰ったのに試合を断るなんて……失礼な気がして……」

『その真っ直ぐな気持ちも分かるよ。でも焦らないで』

 

 一夏の思いを汲み取った上で、篝火は言った。

 

『君にはまだまだ時間がある。ゆっくり経験を積み重ねて、勝てるようになった時に挑めば良いのさ。

 入間ちゃんはそれだけ強いから、ね』

「……そう、ですか」

 

 これが例えば箒やセシリア相手なら、一夏は意地でも意見を曲げなかっただろう。だが篝火は目上の立場、自分の面倒を見てくれるチームのリーダー。

 これ以上は食い下がれなかった。

 

『じゃぁ、後で私から断っておくからね』

「すみません……お願い、します……」

『ほーい。じゃぁねー』

 

 通話がぷつりと切れた。一夏は顔を上げれなかった。

 携帯を握り、ただ呆然と立ち尽くす。

 

 モヤが残る。

 

 今の決断について、一夏は背負ったものや己に在るもの、自分自身に胸を張れなかった。

 何より挑戦状から逃げたようで、嫌だった。

 

(……戦いたかった。勝てるからやるとか負けるからやらないとかじゃなく、真向勝負がしたかった)

 

 別に負けた訳じゃないのに。不意に、後悔を感じる。

 正体不明の感情だった。

 

(でも仕方ねぇよ。チームからしたら、負ける可能性が高い試合に選手出したくねぇもんな)

 

 複雑な事情はよく分からないけど、多分、この先の展開をより良く進めていくための判断なのだろう。

 自分にそう言い聞かせて、湧き上がる後悔に蓋をした。

 燻っていた闘志は、しかしもうやり場がなくなった。超えたかった強大な壁を見失ってしまった。

 

 頂点を目指し、目標を小刻みに一つずつ見据えて。それを超えようとただひたすらに頑張って。そうやってこの半年間を過ごしてきた一夏にとっては最悪とも呼べる損失だった。

 

 しばしの間ぼーっとしていると、

 

「おっすー! エロガキいねぇか?」

 

 真後ろから知っている声がした。

 一夏は緩慢と振り返る。

 

「ダリル先輩……と、フォルテ先輩」

「お久しぶりっス、織斑さん」

「おっ。おめぇ今日は女子どもはべらかしてねぇのか」

 

 ダリルとフォルテがくっついている。背の高いダリルが、フォルテを腕で寄せている形だ。

 聞いた話によればこの二人はカップルらしい。しかも相当ラブラブなようだ。

 今の一夏にしてみれば別にどうだって良いが。

 

「どうかしましたか?」

「なんだよ元気ねぇな、女と喧嘩でもしたのか?」

「してないですよ」

 

 ダリルはなら良いんだけどよ、と一言置いて、

 

「入間先輩から聞いたぜ。挑戦状貰ったんだってな!」

「はい」

「もちろん試合するよな? って訳で俺とフォルテのチケット取っといてくれよ。もっちー良い席で」

「……すみません、それは無理です」

「へ? 何で?」

 

 一夏は申し訳なさそうに告げる。

 

「試合、断ります」

「……怪我でもしたっスか?」

「いえ。ただ、まだ自分じゃ勝てない相手なので」

 

 言葉にして声に出すと、蓋をしたはずの後悔が滲み出てきた。

 俯き、奥歯を噛み締めそうになる。勝てないと言われたことじゃなく逃げることに対して、心底、カッコ悪いと思った。

 

「先輩?」

 

 フォルテの肩に巻かれていた腕が解かれる。

 ダリルは真剣な面持ちで、一夏の眼前に立つ。いつの間にか教室は静けさに包まれていて、クラス中の視線が二人に向けられていた。

 

「後悔はしねぇんだな?」

「────ッ!?」

 

 看破されていた。今まさに胸中で渦巻く謎の感情を。

 思わず一夏は目を大きくして、ダリルへ目線を上げる。

 幾多もの経験と体験を重ねてきたからこそ、ダリルは知っていた。

 

「すげぇ後悔してるヤツの顔だぜ、お前。

 多分チームで色々話し合って決めた結果なんだろうけどよ、その結果って、お前の気持ちとは違ったものなんじゃねぇの?」

「……」

 

 こくりと首を縦に振って、素直に彼は吐露した。

 

「本当は戦いたかったです。挑戦状まで貰ったのに断るのは、()()()()()()()()()()()()

 でも自分一人で戦ってる訳じゃないから、チームの意見に従おうと思って」

「……そっか」

 

 するとダリルは一夏の手を掴む。

 ガッチリと。絶対に離さないと言わんばかりに。

 

「え?」

「フォルテ。俺はエロガキと話してぇからよ、今日は一人で飯食っててくれ」

「うっス!」

「え、ちょ、何ですか? え?」

 

 一夏を引っ張って、ダリルは駆け足で一組を出て行く。一夏に有無を言わさない素早さだった。

 ヒソヒソと話し出す一組をよそに、フォルテは誇らしげに笑う。

 

(全く……先輩はほんと世話焼きっスね)

 

 フォルテは、だからダリルが好きだ。

 困ってるヤツは放って置けない、そんなダリルが好きだ。

 

 

 

「早ぇもんだよな、もう秋だぜ」

「そうですね」

 

 一夏はダリルと共に屋上へと上がった。

 カラッとした空気に、少し肌寒さを覚えるような風が秋の訪れを実感させる。

 先客は誰もいない。二人っきりの空間だった。

 

「なんでこんな所に?」

「まーまー、一旦座れや」

「……はい」

 

 彼らは適当な所に腰を下ろす。一夏は三角座りで、ダリルは胡座。

 僅かな沈黙を挟んで。

 柵のずっとずっと向こうまで続く空を眺めながら、ダリルが口を開いた。

 

「お前確か知らねぇんだよな、先輩の過去」

「ッ!」

「お前みてぇな()鹿()()()()()()()()()()()()は、あの人をちゃんと知った上で戦うか戦わないかを決めた方が良い。そっちの方が後悔しねぇ」

 

 ダリルはイグニッション・プランや放課後の特訓シーン、交わした言葉などで一夏の人物像をある程度把握していた。だからこそ、彼には入間の過去を教えるべきだと思った。

 ただそれ以上に、自分みたいに後悔をして欲しくなかった。

 

 急ではあったが、一夏としても話を聞けるのは有り難かった。ずっと気になっていたからだ。

 

「教えてください、入間さんの過去を」

 

 自分を見つめる真っ直ぐな瞳に、ダリルは首肯を返す。

 

「……あの人は天国と地獄を経験した。そんでもって、地獄から這い上がってきた」

「昨日言ってたヤツですか」

「あぁ」

 

 アメリカ代表候補は首につけた黒いチョーカー ──専用機の待機状態──に手を触れる。

 それから、ゆっくりと喋った。

 

「あの人は専用機を手に入れて、そして剥奪されてる」

「……え」

 

 言葉が出なかった。

 意識とは無関係に、一夏は白いガントレットを手で抑えていた。

 

「入間さんが……?」

「あぁ。デビューからそれはそれは破竹の勢いで勝ちまくってよ。あっという間に先輩は専用機を手に入れたんだ」

 

 専用機。

 数多のIS操縦者が求めて止まない、栄光の一つ。

 専用機乗りはその肩書きだけで強者として崇められ、目標にされ、祝福される。富や名声だって手に入れられる。

 専用機に乗れた者は皆、そうでない者よりも更なる高みへ登れる。

 

 専用機に乗れる。それはまさに天国と言う表現が相応しかった。

 

「世間からは『無敗の天才』だの『東洋屈指の才女』だの言われてたよ。なんたって専用機貰った時点じゃ七戦七勝オールエネルギーアウトだったしな。

 俺も含めてみんな、次の日本代表はあの人で間違いないって考えてた」

 

「けど」と。

 それまでの発言を全て否定するように、彼女は言った。

 

「専用機を貰ってからの五戦は、全戦全敗だったよ」

「は?」

 

 驚愕を上回ったのは困惑。どうしても信じられなかった。

 一夏は改めて、脳裏で昨日の入間を映し出す。

 受け流しなんて言う離れ業で敵の攻撃を一切受け付けず。その癖カウンターや怒涛の連続攻撃で自分の攻撃は一方的に押し通す。

 まさに絵に描いたような強者だった。

 

 天才だった。

 

「ば、馬鹿な。あの入間さんが専用機で全敗……?」

「初戦は仕方がなかった。そん時の相手は今や南米のスーパー王者(チャンプ)だからな。問題はそれ以降だ」

 

 当時の記憶を振り返りながら、彼女は続けた。

 

「初黒星、それも専用機の初陣で十分も持たなかったのがトラウマだったんだろうな。二戦目からは本来なら勝てる相手だったのに、ボコボコに負けちまったよ」

「ぼ、ボコボコって。そんなことがあり得るんですか?」

「……人の感情だとか願いだとかってのは、ISに強い影響を与えることがあるんだ。

 例えば試合中にシールドエネルギーを失ったはずのISが、操縦者の叫びに応えてフルスペックで動き続けた事例がある。原理は分かってねぇけどな。

 お前にもそう言う経験ねぇか?」

 

 聞いて、彼はふと思い出した。

 

(あの青い刃がそうかもしれねぇ)

 

 一撃で自身と他者のシールドエネルギーを吹き飛ばす、雪片弐型の青い刃。

 セシリアと戦った時、簪と戦った時、未確認機と戦った時。そう言えばいずれも、自分の感情の昂りや極限の集中に合わせて、あの刃は顕現していた気がする。

 今でこそ出てきていないが、それも思えば白式の力ばかりに頼りたくない、と考えるようになってからだった。『青い刃に頼らず戦う』と意志を固めてからは、一度も出ていない。

 

 今まで発動条件が分からず終いだったが、ダリルの言う通りなら、発現したタイミングやしなくなった時期にも納得がいく。

 

(俺の気持ちが反映されてるんだ……白式が俺に応えてくれてるんだ)

 

 ダリルの言葉を実感すると同時。

 浮かんだ一つの推測を、一夏はボソッと呟いた。

 

「まさか、入間さんのトラウマとか不安が機体に反映された……?」

 

 返事は頷きから入った。

 

「酷かったよ、本当に。機体の調子が悪くなって、操縦者の自信が無くなって、そしたらまた機体の調子が狂って。負の連鎖ってやつだ。

 先輩は下り坂を転がってくみたいに負け続けて、最後は専用機を剥奪されちまった」

「……」

「お前も専用機持ちなら分かるだろ、剥奪の意味の大きさが」

 

 呆気に取られる一夏に、彼女は言葉を連ねる。

 

「死ぬほど悔しかったんだろうな、先輩はその後自分の過去を全部消した。だから動画とかも消えちまってた訳だ」

「……地獄、ですね」

「あぁ、なんたって唯一無二の相棒を失ったんだからな。でも……ところが、だ」

 

 冷たい風に髪を靡かせながら、ダリルは力強く言い放つ。

 憧れ追いかけた背中を、再び瞳に映して。

 

「あの人は諦めなかったんだよ。決してな」

 

 ◇

 

「ふゥ……」

 

 とある都市部。ビルに隣接する、小さな研究所にて。

 入間は訓練用のISの模型──バーチャル空間を生み出し、バーチャル内でISを擬似的に操作できる特殊な機械──から降りると、ISスーツの上から運動着を羽織った。

 それから側の机に置いておいた、歪な形のペンダントを首にかける。

 

「あら、また走りにいくの?」

「あいつはかなりスタミナあるだろうし、いつもの倍は走らないと不安なんだナ」

「試合するかも決まってないのに……随分高く評価してるのね、織斑君のこと」

「イグニッション・プランの時とデビュー戦の時とじゃまるで別人だっタ。レベルアップのスピードが桁違いなんだナ。

私と戦う頃にはもっともっと強くなってると思うから、一切侮れないんだナ」

 

 付き添いのサポーター ──入間ほどの選手になると試合以外でも仕事が増えるため、事務の仕事を任せてたりしている──にそう言って、彼女は研究所を抜けた。

 お洒落なカフェや事務所、ゲームセンター。立ち並ぶ無数の施設を横目に、彼女は走る。

 

(恐らくエロガキはPICも克服してるはずダ。三十一位を相手にするつもりはないんだナ)

 

 高い評価は警戒心の表れ。今度の相手は専用機乗りだ、過剰に評価して備えるくらいが丁度良い。

 全ては過去の経験と反省からだった。

 やがて並木道に入った。地面にまばらに落ちた緑の葉は、片足で踏むたびにペシッと軽い音を立てる。

 乾いた空気を吸いながら走っていると、そよ風が吹いた。

 

 入間の目の前を、僅かに黄色の混じった葉が舞い落ちる。

 変色しかけの葉は紅葉のシーズンが近づいている証拠。

 

(そう言えばこの時期だったナ)

 

 嫌でも想起された、過去の記憶。

 

 足を止めた彼女は、胸のペンダントを手のひらに乗せる。

 まるで窓ガラスの破片みたいに歪な形のそれは、だが温かみを持った金属のような不思議な質感をしている。

 

 夢の傷跡だった。

 同時に、夢への誓いだった。

 

(もう一年経ったんだナ……相棒(こいつ)と別れてかラ)




一夏が青い刃に頼らず戦うことを決心した場面や、入間のペンダントは22話中盤で登場してます。
丁度半年前のお話です。もっと描写すべきでした(後悔)。

一夏は服部さんを倒したことで、31位にランクインしてます。

次回は入間の回想、一夏の決断がメインです。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

36話 真っ直ぐな答え

前回のお話なのですが、ダリルの専用機の待機状態、黒いチョーカーでした(勝手にオリジナル設定にしてました)。
修正済みです。
自分のリサーチ不足でした。本当にすみません。

リスペクト精神を持ち直して頑張ります。




「『三戦三連続エネルギーアウト、天才の進撃止まらない』カ。フフンッ、巻紙さんも良い記事書いてくれるナ!」

 

 入間(いるま)優香(ゆうか)。IS学園の一年生にして、プロのIS選手。

 その身に受けた衝撃をPIC操作一つで去なしてしまう離れ業。棍棒をバトンのように自在に操る特異な才能。

 二つを武器に勝ち続ける彼女は、誰の目から見ても『天才』だった。

 

「山田先生、放課後あいてるカ? 今日も練習付き合ってほしいんだナ」

「はい、もちろんです!」

「フフーン、ノッタナ? 今日こそ倒してやるんだナ!」

 

 入間の師匠は山田真耶。

 キッカケは出来心だった。『面白い先生だしイジってやろう』なんて思って関わり出してはや数ヶ月、いつの間にか入間は真耶の下で修行を積んでいた。

 

「ターンが遅いですよ入間さん。もっと早く、鋭くです!」

「そんなこと言われなくても分かってるんだナ! 私は天才だからナ!」

「PICばかりに頼ってもいけません! もっとスラスターを使ってください!」

「くっ、今日こそ絶対倒してやるからナァ!」

 

 彼女の才能をもってしても、真耶には喰らいつく程度が精一杯だった。

 精確な射撃に接近は阻まれ、近づいたら近づいたで変則的な接近戦を挑まれる。

 倒されては倒されて。いつしか入間は打倒真耶を目標に掲げていた。

 一方で真耶もまた、入間を愛弟子のように見守るようになっていた。

 

「お疲れ様でした。中々良い動きになってましたよ」

「うゥ〜、やっぱり山田先生は凄いんだナ……私じゃ勝てないんだナ」

「なんたって先生ですからね!」

「うゥ……」

「……先生ですね、最近お給料入ったんです。だから今日はチョコパフェ奢っちゃいます! 入間さんいつも頑張ってますし!」

「ほ、ほんとカ!? ほんとなんだナ!?」

「はい!」

「やッター! やっぱり先生は優しいんだナ! ありがとうなんだナ」

 

 気づけば、夕食を二人で摂ることも日常になっていた。

 入間はパフェを頬張りながら、真耶にふと訊ねた。

 

「なんで先生はそんなに強いのに選手にならなかったんダ? 教師するよりも稼げてたんじゃないのカ?」

「ふふっ。先生、元々選手だったんですよ」

「エェ!?」

「代表候補まではいけたんですけどね……専用機は貰えなくて。伸び悩んでそのまま諦めちゃったんです。ただ折角業界に関われたのならと思って、教師になりました」

「そうだったのカ。でも代表候補まで行って諦めたの、後悔してないのカ?」

「……正直言えば、後悔してます。どうしても『諦めなかったら』って想像しちゃいます」

「……」

「でも、良いんです」

 

 真耶は目の前の少女を、みんなに誇れる愛弟子を見つめる。

 

「今は後押ししたいんです、高みを目指す生徒たちを。

 先生は途中で折れて諦めてしまったから……皆さんには信念を貫いて欲しいですし、きっとその先に夢とか目標が待ってると思うんです」

「山田先生……」

「入間さんは、世界の頂点を目指してるんですよね?」

 

 恥ずかしそうな顔で頷いた少女に、真耶は優しく力強い微笑みを返した。

 

「できます、入間さんならきっと。なんたって先生の一番弟子ですから! だから絶対、最後の最後まで諦めないでくださいね」

「────うんっ!」

 

 入間は怒涛の勢いで勝ち上がった。次々と強敵を薙ぎ倒していき異例の速度で代表候補入り、日本ランキングは三位に。

 二年生の春に彼女は専用機を手に入れた。

 

「これが私の専用機……滅茶苦茶カッコいいんだナ!」

 

 紫色の機体。入間のために作られた、入間だけのIS。

 名を『疾風炎刃(えんじん)』。機動性を重視した設計なのだが、その特徴は何と言っても武器の棍棒。両先端が超高熱の刃と化しており、試験的な装備だがISの装甲とて溶断が可能となっていた。

 入間はそっと、機体に手を触れる。

 

 共に頂点を目指すパートナー。血は繋がってなくとも、心は一つ。

 

「よろしくナ相棒。私と頂点を掴もうナ!」

 

 それからすぐだった。

 入間と同じように専用機を貰ったばかりの選手──後に南米のスーパー王者(チャンプ)となる女──に試合を挑まれたのだ。

 勝てば頂点へ大きく近づける一戦。

 

「頑張ってきてくださいね、入間さん。先生は行けませんけど、ずっと応援してますから!」

「うん……勝ってくるんだナ。絶対、絶対勝ってくるんだナ!」

 

 国内全勝の実績と『無敗の天才』の肩書を持って、入間は意気揚々と海を渡った。

 専用機の初陣。コンディションはベストだったし、機体の調整も万全。闘志も最高潮まで高めて挑んだ。

 

「行くゾ、疾風!」

 

 六分二秒。

 それが、入間の疾風炎刃(せんようき)を纏っていた時間。

 

 相手は遠距離型だった。

 圧倒的だった。

 対策の全てを上回られ、一方的に打ちのめされた。文字通り手も足も出せないまま墜落した。

 機体のエネルギーアウトではない。頭部を打たれすぎたために、シールドエネルギーを残したまま失神したのだ。

 

 最悪の負け方が彼女の初黒星となった。

 

「ご、ごめんなんだナみんナ。負けちゃったんだナ。でも安心して欲しい、私は強くなって復活するからナ!」

「ドンマイドンマイ!」

「次も応援するからね!」

 

 学園に帰ってきた入間は意外にも明るかった。

 落ち込んでいたらどうしよう、と考えていただけに生徒たちはホッとしながら慰めの言葉を掛ける。

 が、真耶は。選手を経験し、入間をずっと見守ってきた彼女だけは、何も言えなかった。

 

(わざと明るく振る舞ってる訳じゃない。吹っ切れてる訳でもない。

 入間さんは自分が負けたことを……飲み込めていないんだ)

 

 何ヶ月もの努力が一瞬で水の泡になる虚無感。それまで積み重ねてきた実績がたった一度で崩れ去る喪失感。自尊心が一撃で砕かれる絶望感。

 天才ともてはやされ、全ての試合を思い通りに勝ち進んで、専用機を手に入れて。順風満帆から突き落とされたショックは、真耶でさえも計り知れなかった。

 

「先生、応援に応えれなくて申し訳なかったんだナ。

 でも次は任せてほしいんだナ! 次は絶対、絶対勝つんだナ!」

 

 弟子の言葉を、真耶は受け止めるしかできなかった。

 

 天才の初敗北の報せが広がると、海外選手がこぞって彼女に対戦を申し込んだ。

 休む間もなく次の試合が決まる。チームとしても入間の自信を取り戻すことを優先して、次は量産機乗りを相手とした。

 

(次こそ勝つんダ! 天才の底力ってヤツを見せてやるんだナ!)

 

 入間は走った。体を鍛えた。専用機を駆り技術を磨いた。

 半端ない気合いを入れて、専用機での二戦目に臨んだ。

 

 体は動かなかった。

 

(なんでダ、なんで受け流せないんダ!?)

 

 敗戦で刷り込まれた恐怖(トラウマ)は、鍛錬だけでどうにかなるほど甘くなかった。

 相手と重ね合わせたのは、敗戦を喫したあの女。

 

(怖い……怖いヨ!)

 

 痛みが呼び覚ます虚無感、喪失感、絶望感。

 入間の脳裏に過ぎる敗北の二文字。

 

(うわァぁああああ!?!?!?)

 

 輝く才能は見る影も無くなっていた。

 繊細なPIC操作を要求される受け流しは、集中の乱れで一切出来ず。棍棒の振りも滅茶苦茶、もはや振り回しているだけだった。

 結果、重ねたのは新しい黒星。

 

(次は、次は必ず勝たなきゃいけないんだナ! 私は天才で専用機乗りなんダ、もうみんなの期待は裏切れないんだナ!)

 

 焦燥感に駆られて、自分を限界まで追い込んだ。

 

「入間さん、今日は久しぶりに一緒に夜ご飯食べませんか? チョコパフェもありますよ」

「試合が近いからできるだけ特訓したいんだナ。すみませン」

 

 楽しかった時間を投げ捨てでも、勝利が欲しかった。

 

(疾風炎刃(あいぼう)の本当の実力を見せてやるんだナッ!)

 

 かけがえのないパートナーと、白星を掴みたかった。

 一緒に頂点に立ちたかった。

 

 三連敗。三年生になって四連敗、五連敗。

 もはや噛ませ犬としての価値すら無くなって、夏に入る頃には試合が組まれなくなっていた。

 『無敗の天才』の存在なんて、世間はとっくに忘れ去っていた。

 非難や中傷が自分だけでなく専用機に向けられることもあった。

 

 それでも。

 

(いいサ……天才にバッシングは付きものなんだナ)

 

 いつか来たる試合のために、入間は努力を重ねていた。

 ぼろぼろの彼女を支えていたのは専用機の存在。苦しい時、辛い時、ずっと側にいてくれる世界で一機だけの相棒。

 

(まだみんな私と疾風の真の力を知らないだけなんだナ。今に見てろヨ、疾風はゴミなんかじゃなイ……本当は最高にカッコいいISなんだゾ!)

 

 試合を待つこと三ヶ月。夏休みが明けた頃だった。

 政府から、一通の報せが届いた。

 

「専用機の、回収……?」

 

 入間は教室で一人、震える腕で頭を抱えた。

 回収。つまり専用機の解体────愛機の『死』を意味する言葉。

 途端に息苦しくなった。胸が張り裂けそうだった。眩暈がした。吐き気がした。

 

(なんデ。まだ五戦しかやってないじゃないカ。一度も疾風と勝ってなイ。疾風は一度も白星を掴んだことがなイ。確かに私は弱いかもしれないけど疾風は強いんだゾ、カッコいいんだゾ。疾風はまだまだ戦えるんだゾ。私と疾風は頂点を掴むんだゾ。今はまだ本当の力を出してな

 

 ゴトッ、と鈍い音がクラスに響き渡った。

 

「……優香ちゃん?」

「ちょっと大丈夫!? 優香!」

「ミキ、先生呼んできて! 呼吸は……浅いけどある。AED要らないかも!」

 

 何も考えれないまま、意識が沈んでいった。

 

 目が覚めた時には、保健室のベッドの上だった。

 

「……ア」

「入間さん! 大丈夫ですか!?」

「山田先生……?」

「良かった……本当に良かった……」

 

 安堵して涙を溜める真耶をぼーっと見つめて、それから思い出したように入間は呟く。

 

「……行かなキャ」

「え?」

 

 入間は無理矢理起きあがろうとして、でも、体は動かない。

 でも、それでも起きあがろうとする。

 

「みんなに見せてやるんダ……疾風の真の力ヲ」

「入間さん……」

「疾風は最強なんダ、一番カッコいいんダ。まだ一緒にいれるんダ。なのに回収なんて……回収なんてふざけるナ! 誰も疾風の凄さを知らないくせニ!」

「……」

「うゥ……うぁあァ……ぁあぁああアッ……!!!」

 

 真耶の胸に倒れ込んで、入間は声にならない声を上げた。

 全てを悟った真耶は何も言えず、だけど精一杯の力で、今にも崩れ落ちそうな少女を抱き締めるしか出来なかった。

 

 別れの日がやってきた。

 入間の目の前で、展開された『疾風炎刃』が静かに分解されていく。情報抹消のために装甲を粉砕され、心を通わせ合った日々の記憶が消されていく。

 最後に彼女の手元に残ったのは、歪な遺骨──愛機の微細な破片──だけだった。

 涙さえも枯れ切った少女は、遺骨を大切に大切に、そっと両手で包む。

 

(もう、良いヤ)

 

 彼女に在った何かが、ポキリと折れる音がした。

 

(疾風と一緒じゃないなら、頂点なんて意味がなイ)

 

 その日、天才は夢から目を背けた。

 

 授業以外でISに触れることがなくなってはや三ヶ月。入間は落胆もなければ喜びもない、起伏のない日々を過ごしていた。

 

 首にかけた歪な形の金属片のようなペンダントは、いつかの夢の傷跡。

 

「山田先生、今日も夜ご飯一緒に食べるんだナー」

「はい、もちろんです。でもごめんなさい、チョコパフェは難しいかもです」

「ちェ、昨日お給料日だったくせニー」

「ちょっと大きい買い物しちゃいまして。今月は節約なんです」

「仕方ないナー、じゃぁ今日は私が先生にチョコパフェ奢ってあげるんだナ」

「良いんですか? ありがとうございます」

「……貯金(ファイトマネー)だけはいっぱいあるからナ」

 

 一緒に練習はしなくなっても、師弟の関係は続いていた。

 

「ここのチョコパフェはいつ食べても美味しいんだナ〜」

「結局作り方は教えてもらえたんですか?」

「ダメだったんだナ。企業秘密っておばちゃん頑固だったゾ」

「教えちゃったら常連客を一人失いますしね」

「常連客にこそ教えるもんだろ普通〜」

 

 いつものように話していると、巨大なテレビがふと目に入った。

 映っていたのは、IS。専用機を纏った日本一位(だいひょう)の特集が組まれていた。どうやらまた海外選手に勝ったらしい。

 入間は無言で画面を見つめる。

 

(……もシ。もし、あそこに私が映っていたらどうなってたんだろウ)

 

 真剣な眼差し。

 テレビの一位と、過去の自分を重ね合わせた。

 もしかしたらあったかもしれない、自分と相棒の未来を描いていた。

 

(山田先生もみんなも、きっと喜んでくれたろうナ。疾風にも……もっと良い思いをさせてあげれたんだろうナ)

 

 ペンダントにそっと手を当てて、

 

(お前と楽しい時間を、もっと過ごせたんだろうナ)

 

 鼻で笑って、首を横に振った。

 

(いや、もう……もう、良いんダ。……選手をやめるって、決めたんだかラ)

 

 次の日。

 夜、真耶の寮部屋に訪れた入間は外出届を提出した。

 

「入間さんが外出なんて珍しいですね。明日どこに行くんですか?」

「あぁ、ちょっとチームの所に行くんだナ」

「何かあったんですか?」

「引退の手続きをするんだナ」

「……え?」

 

 入間は顔に笑みを貼り付けながら話す。

 

「いや〜、私には向いてなかったんだナ。はじめから頂点目指すなんてキャラに合わなかったんだゾ。これからはバイトとかしながら自分のやりたいことを探していくんだナ」

「……」

 

 真耶は自分の過去を思い出して。

 悔しさで泣いた夜。虚しさで空を見上げた日。無意味な『たられば』だと分かっていながら歯噛みした時を思い出して、

 

「……良いんですか?」

「うン。もう決めたことだからナ」

「諦めたら、本当におしまいですよ」

「仕方ないんだナ。私には……届かなかったんだかラ」

「じゃぁ、そのペンダントは何ですか?」

 

 真耶は誰にも見せたことのないような表情と声音で訊ねる。

 

「そのペンダントは、疾風炎刃(せんようき)の欠片じゃないんですか? 後悔してるんじゃないんですか?」

「……これはただの思い出なんだナ」

「思い出で、終わって良いんですか?」

「まぁ、いっぱい楽しんだからナ。私にはもうこれ以上なんてないと思ってるヨ」

 

 目を逸らしながら呟いた入間を、真耶は鋭く、しかし潤んだ瞳で見つめる。

 

「……ちゃんと私の目を見て言ってください。私の目を見て言えたのなら、もう何も言いません」

「……ッ」

 

 真耶は今にも泣きそうな声で、

 

「月日が経てば世間は貴方を忘れていきます。でも、貴方だけは忘れられない! 思い出を振り返るたびに悔しくなって、後悔して、それでももう諦めたからと自分に言い聞かせて生きていくんですよ!?」

「ッ……私には、私には届かなかったんダ! もうそれで良いじゃないカ!」

「良くありません! 努力家で才能があって、何よりISが大好きだった貴方が……自分で自分を裏切るんですよ!」

「それで良いサ! 私は立派にやったじゃないカ!」

「ではその子も────疾風炎刃(せんようき)も裏切って良いんですか?」

「ッ!?」

 

 ペンダントが照明を反射して、淡く輝く。

 

「首に飾ったまま。最後までやり切らないまま自分をへし折って、思い出にして良いんですか」

「それハ……」

「私は諦めて欲しくないですよ……一番弟子が夢を叶える姿を、この目で見たいんですよ……」

「せん、せイ……」

 

 生徒に見せる、初めての我儘だった。

 

 入間の腕は震えていた。決して恐怖や不安なんかじゃない。だけど、いやだからこそ彼女は震えの正体が分からなかった。

 不思議に思って視線を落とし、自分の手を見つめる。

 不意に重ね合わせたのは相棒の腕。紫色の力強くて、優しくて、カッコ良かった姿。

 

 思わず勇み立つ。

 

 きっとこの気持ちが答えなのだと、入間は直感した。

 

(私ハ……)

 

 掴みたい。

 

(私は……疾風(おまえ)と!)

 

 ()()()()、頂点を。

 

 掌に落としていた視線を上げる。

 俯いてばかりじゃ掴めないから。

 

「トレーニングをやめて三ヶ月、試合をしなくなって半年……」

 

 その日、天才は真っ直ぐな瞳で、再び夢を見据えた。

 

「まだ、全然間に合うんだナ」

 

 入間は走った。体を鍛えた。量産機に乗り、一から出直した。卒業までの僅かな間だったが、真耶と一緒に。

 もちろん卒業してからも激しい鍛錬を続けた。

 苦しさも惨めさも虚しさも耐え抜く。時折訪れる悔しさにだって、歯を食いしばって耐えてやる。

 

(もう一度、疾風ト────)

 

 全ては、ペンダントに誓った夢のために。

 

(今度こそ、疾風ト────ッ!)

 

 『無敗の天才』は『不屈の天才』となって再起する────。

 

 ◇

 

「そっからの先輩は雨の日も雪の日も、ずっと特訓してた。俺はそんな先輩がもっと好きになって、憧れたんだ」

 

 ダリルは懐かしそうに笑って、

 

「スゲェだろ。天国からドン底に突き落とされて、ドン底から這い上がって、って。こうやって言うのは簡単だけど、どんだけキツかったんだろうな」

「……本当に、凄いですね」

「あぁ」

 

 少し空を眺めてから、彼女は立ち上がった。そのままうーん、と背筋を伸ばして、

 

「これが俺の知ってる先輩の過去だ。どうだエロガキ〜聞けて良かっただろ?」

「はい。マジで聞けて良かったです、ありがとうございます」

「良いって事よ」

 

 一夏も彼女に続く形で起立。冷たい風に体を優しく撫でられる。

 ダリルは一夏の横顔をチラッと確認した。

 入間の過去を話す前と今。本人は気づいちゃいないだろうが、表情がまるで違っている。

 話して正解だったと感じながら、彼女は最後に告げる。

 

「おめぇが相手にしようとしてる先輩は、ある意味専用機に乗ってた時よりも強ぇぞ」

「挫折から立ち上がってきたから、ですよね。自分も同じように感じてました」

「あぁ。だからこの先のために試合を拒否するっての、俺は別にありだと思うぜ。ただ……後悔のない選択をしろよ、織斑」

 

 じゃぁな、と言ってダリルは屋上を後にした。カツン、カツン、と扉の奥から階段を下る音が聞こえる。

 一夏はその場にずっと佇んでいた。秋の穏やかな風に吹かれながら、小さく俯いて考える。

 

(どれだけの覚悟があったんだろう)

 

 自分も同じ夢への挑戦者だから、考えずにはいられなかった。

 

 ドン底に突き落とされた時、どれだけ悔しかったのだろう。

 自分のせいで相棒と別れた時、どれだけ自分を責めたのだろう。

 寂しさが溢れてきた時、周りから非難された時、ふと空を見上げた時。

 一体どれだけの思いに苛まれてきたのだろう。

 

 それでももう一度茨の道に進もうと決心した時、どれだけの覚悟があったのだろう。

 鍛錬を積む中で、復帰戦の中で。どれだけの想いに耐えてきたのだろう。

 

(入間さんはあの挑戦状に、どれだけの気持ちを込めて俺にぶつけてくれたんだろう)

 

 答えは一向に出ない。

 

 だけど。

 ()()()()()()()()()()

 

 胸に滾るは熱い炎。

 握りしめるは堅固な拳。

 

 彼は携帯を取り出すと、篝火に電話を掛けた。

 

「もしもし……篝火さんですか?」

『もしもしそうだよー。どうしたの、さっき言い忘れてたことでもあった?』

 

 軽い口調の篝火に、一夏は奥底から湧き上がる気持ちを伝えた。

 

「お願いします、入間さんと戦わせて下さい。色々考えましたけど、やっぱり自分はあの人と戦いたいんです」

『だから〜、厳しいようだけどね、三十一位にギリギリで勝ったような君じゃ勝てない相手なの。あの子本当に強いんだって』

 

 頑固な篝火だが、それは一夏とて同じ。

 彼は絶対に押し通すつもりで頼み込む。

 

「それでもお願いします」

『……みすみす自分から踏み台になろうってかい?』

「自分は……自分は夏休みの二ヶ月間、滅茶苦茶特訓しました。だからあの頃よりもずっと強くなってるはずです。それに試合まで三週間あります、そこでもっと特訓してもっと強くなってみせます! それでもダメですか!?」

 

 更なる進化を約束すると共に。

 電話越しに、胸中の思いをぶつける。

 

「逃げたくないんです……」

 

 迸る灼熱の感情。

 一夏にとってそれは、勝ち負けよりもずっとずっと大切な気持ちだった。

 

「入間さんの気持ちから、逃げたくないんですッ!」

 

 闘魂、起爆。

 

「今ここで逃げたら、自分は一生後悔し続けます! 自分に力を貸してくれる人たちにも、自分自身にも胸を張れません! それは、それだけは嫌なんです!」

 

 例えどんなに強大な壁が立ちはだかろうと、織斑一夏は逃げたくない。真っ直ぐにぶつかりたい。

 背負ったモノ。己に在るモノ。力を貸してくれるみんな。その全てに、いつだって胸を張れる自分でいたい。

 

 絶対に貫きたい信念だった。

 

 こいつを曲げちまったら、夢もクソもない!

 

「お願いします! どうか、どうか試合をさせて貰えませんか!」

『〜ッ』

 

 篝火は言い返そうとして、だが言葉が出なかった。

 声だけで分かってしまう。誰が何を言おうと彼は絶対退かないつもりだ。それこそ、例え織斑千冬(ブリュンヒルデ)に止められたとしても同じだろう。

 白式チームのリーダーは大きなため息を吐いた。

 

『分かったさね……選手(きみ)がそこまで言うなら試合を組んでやろうじゃない!』

「本当ですか!? ありが」

『ただし!』

 

 一夏の言葉を遮って、篝火は一言。

 

『やるからにはマジで取りに行くよ、日本四位(だいひょうこうほ)の座』

「はいッ!」

 

 一夏の燃える闘志には十分過ぎる燃料(ことば)だった。

 ふつりと電話が切れると、彼は無限の空を見上げる。

 

 今再び、少年の前に壁が立ちはだかる。

 相手は日本四位の『天才』。挫折から立ち上がってきた戦士(ファイター)であり、自分と同じ頂点を目指す夢への挑戦者(チャレンジャー)

 一夏は実力でも気持ちでも絶対に負けたくない。絶対に、入間を超えてみせたい。

 

(勝つぞ……次の試合、是が非でも!)

 

 遥か彼方の宇宙(そら)に勝利を誓う一夏なのだった。

 

 

 

 

「あ〜もう!」

 

 倉持技研埼玉支部。周囲がISの研究や新製品の開発・製作を進める中、通話を切った篝火が叫ぶ。

 隣では白式チームの副リーダーにして埼玉支部の副所長・山寺がクスリと笑って、

 

「結局試合する流れになりましたね」

「簡単に言うんじゃないよもぉ〜!」

 

 珍しく頭を抱える篝火に、研究員の視線が集まる。

 

「IS協会には『絶対負けさせるな』って言われて政府からは『日本だけの人材だから丁重に扱え』って圧かけられて! そんな中二戦目で四位と戦わせるなんて何言われるか分かったもんじゃないさね!」

「それでも織斑君の気持ちを優先した────所長も優しいところあるじゃないですか」

「あんな馬鹿頑固な子だと思わなかっただけだよ! ケツは柔らかいくせに!」

 

 山寺は焦る所長の隣に立って、

 

「もしものことがあったら、一緒に頭下げますよ。僕の頭で足りるかは分かりませんけど」

「山D……山D〜ッ! あんた最高! 山Dが副所長で良かった〜!」

「僕も、優しい所長で良かったですよ」

 

 泣きながら山寺に抱き付いた篝火は興奮したように、

 

「今度ケツ揉んでやるからなッッッ」

「やっぱ最低だよあんた」




一夏頑張れ! 入間頑張れ! どっちも負けんな!
そんな風に両者を応援していただけるように、これからも頑張ります。

次回『SMASH』
強敵を前にした一夏の修行パートです。箒たちの描写も頑張ります。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

37話 SMASH

今更ですが匿名投稿やめました。
今年もよろしくお願いいたします。


 日本四位(だいひょうこうほ)入間(いるま)との試合が決定した一夏。

 試合までの残り三週間を有効に使うためにも、彼は早速鍛錬に励んでいた。

 

(入間さんの攻略、それはあの受け流しを攻略するってことだ)

 

 次の試合はデビュー戦や学園での試合よりも制限時間が引き延ばされている。一夏は長時間の試合なんて初めてだし、加えて相手は経験豊富な選手。

 普段以上の体力が要求されるのは明らかだ。

 そのため彼は百メートルダッシュの繰り返しで、スタミナの底上げを図っていた。

 

(白式が持ってる武器は刀一本のみ。何が何でも至近戦で受け流しを攻略しなきゃいけねぇ)

 

 近接武器しかない白式を不便だとは思わない。

 むしろありがたい。()()()()()()のだから。

 そこからどう道を切り拓くかは己次第。

 

(前の試合を見た限りじゃまるで勝ち筋をイメージできなかった。けど、弱点がないヤツなんている訳がねぇんだ……活路はあるはずだ!)

 

 その後ISでの自主練を終えて、自室に戻った彼はパソコンのメールを確認した。

 すると巻紙からいくつかのファイルが送られていた。ラッキー、と一言が漏れる。

 ファイルの中身は入間の過去の試合動画。ネット上のものは全て削除されていたため、一夏がダメ元で記者の巻紙に訊ねたのだ。

 取材した時の録画が残っていないか、と。

 

(『私は織斑君応援してますから』か。へへっ、ありがてぇや)

 

 巻紙にお礼のメールを返して、早速動画を見てみる。

 画面に映し出されたのは入間が専用機を得てからの試合。つまり、入間の負け試合。

 対戦相手がどんなふうに受け流しを攻略したのか参考にしたかったのだが、

 

「……わっかんねぇな」

 

 最後の動画を閉じて、彼はため息を吐いた。

 いずれの対戦相手も『受け流しを攻略していた』と言うより、『自身の専用機の特殊武装で押していた』『初見殺しで押し切った』ような印象だった。

 もちろん参考になった部分もあった。あったが、最も重要な受け流しの攻略方法が分からず終いでは意味がない。

 腕を組みながらん〜、と低く唸る。

 

(今までは距離さえ詰めればなんとかなってたんだけど……いざソレが課題となるとかなり難しいな)

 

 机の時計をチラ見すると、もう夕食の時間だった。

 今日はみんなで食事をする話になっている。一夏は食堂に向かおうと立ち上がって、

 

(────いや! ソレに詳しいエキスパートがいるじゃねぇか!)

 

 ピーンと思い付いた。

 剣術を修める箒ならば、あの受け流しを崩す方法を知っているのでは、と。

 

 食堂へ足を運び、いつもの面子で机を囲う。

 セシリアたち専用機持ちは機体の整備で。簪は夏休み中にほぼ完成まで漕ぎ着けた専用機の最終調整で。みんなここ最近多忙らしく、放課後に顔を合わせる機会は食事だけだった。

 

 色んな話題で盛り上がる中、話に一区切りついたところで、一夏が口を開いた。

 

「なぁ箒」

「なんだ?」

「ちょっと後でさ、部屋に来て欲しいんだけど時間あるか?」

「ブフォッ!?」

 

 語弊ありまくりの台詞に鈴が水を噴き出した。

 シャルロットは目を丸くして頬を赤く染め、セシリアと簪はどうせ試合動画を見るかなんかだろうと二人で話を片付けて。ラウラは(純粋に遊ぶか話すかだろうと思って)自分も誘われないかとドキドキしながらスープを飲んでいる。

 

「ちょ、ちょっと! そそそ、そう言うのはもっと場所考えて言いなさいよ!」

「え、何?」

「ナニって!? アンタそんな大胆だったの!?」

「???」

 

 全く話が噛み合わない気がして、一夏は首を傾げる。

 なお鈴は『異性を夜の自室に誘う』と言う部分を滅茶苦茶ダメな方向で理解してしまっていた。シャルロットも同様。

 

「食事中にそう言う話はやめた方が良いんじゃないかな〜」

「だ、ダメだったの?」

「いや! 僕は全然良いんだけどね、その、あの……」

 

 ソワソワするシャルロットを横目に、簪とセシリアがこっそりと話す。

 

「シャルロットさんもHENTAI思考でしたのね」

「意外。そう言う一面あったんだ」

 

 ちなみに二人はダメな方向の意味を分かった上で、一夏がそんなことする訳ないと考えていた。多分少女たちの中で一夏をちゃんと理解してるのはこの二人だけだった。

 一夏のそばでほっぺたを膨らませたのはラウラ。一向に誘われない彼女は意を決して、

 

「私もお前の部屋に行きたいのだが……」

「申し訳ないけど出来れば箒にお願いしたいんだ、今回は」

「────」

「わ! ラウラが気絶した!」

 

 シャルロットが倒れたラウラを介抱する。

 一夏としては専用機持ち──いずれ超えたいヤツら──の意見より、箒の意見が聞きたかった。

 別にそれ以外の意図は無いのだが、言葉足らずなのがいけなかった。ラウラは全否定されたショックにより気絶。

 鈴は静かに食事をする箒の驚異的胸囲を凝視。それからラウラと自分の胸を交互に見つめて、

 

「……なるほどね。あーはいはいなるほど。そー言う訳ね」

「なんだよさっきから」

「っざけんじゃ無いわよ! こんな脂肪の塊の何が」

「そこまでにしろ、鈴」

「「「!?」」」

 

 鈴を諌めたのはなんと、あの、篠ノ之箒だった。

 てっきり興奮してるんじゃないかと思ってた──箒にクソ失礼なのは内緒──だけに、一夏を除いてみんな驚く。

 箒は焼き魚の骨を綺麗に抜きながら、

 

あの唐変木がそんな変なことを考える訳がないだろう。少しは冷静になれ」

「……確かにあの鈍感が、とは思ったけどさぁ」

「そうですわ。なにせあのうすらトンカチですもの」

少し馬鹿な人だからね」

「ぼ、僕もどうかしてた。ISしか頭にない彼がそんな意味で誘うはずないもんね」

「もしかして俺か? みんなが喋ってんの俺のことか?」

 

 一夏の直感はちゃんと当たっていた模様。

 正気に戻った鈴たちは再び食事を摂り出す。

 

「ごめんね箒」

「別に構わん」

「んじゃ、後で部屋来てもらって良いか?」

「あぁ」

 

 こうして食事は無事終了。一応言っておくとラウラはなんとか起き上がった(断られた記憶はぶっ飛んでた)。

 食堂で解散してみんなとはぐれた箒。その表情は緊張でガチガチに固まっていた。

 

(つつつ、遂に来たのか!?)

 

 この少女、一番興奮していたッ!

 

(あんなに大胆に誘われるとは思ってもいなかった……しかも私が良いだと! う、嬉しいがみんなの前で言うのは破廉恥すぎるぞ!)

 

 一夏たちの前で鼻息を荒くしなかったのは僥倖か。

 部屋に戻った箒は速攻でシャワーと着替えを終えて一夏の部屋へ。

 

 何も考えないようにしていた。だって何か考えただけで頭が沸騰しそうだったから。

 だけど。想い人の部屋の前に来ると、つい胸が早鐘を打つ。

 脈打つ血は異常に熱く、箒の頬に朱を差す。

 

(落ち着け、落ち着け篠ノ之箒。あの一夏が相手なんだぞ。そんなことする訳ないじゃないか! する訳が……)

 

 あーんなことやこーんなことを想像して、箒は両手で顔を覆った。一番破廉恥なのはこの少女で間違いない。

 

(もしそうなったら私たちはどうなってしまうんだ!? 早すぎるんじゃないのか!? まだお互い高校生だぞ!?)

 

 あたふたして、彼女は頭をブンブンと横に振った。

 

(ええい、ここまで来て考えるな! 考えるな……考えるな……!)

 

 深呼吸を一つ挟んで。

 箒は扉を優しくノックした。

 ガチャ、と扉が開かれる。

 

「よっす」

「う、ぅん」

「悪ぃな来てもらって。んじゃ入ってよ」

 

 何気に一夏の部屋に入るのは初めて。

 緊張した面持ちでお邪魔すると、整理整頓された室内が広がっていた。畳まれた掛け布団や机上に教科ごとに並べられた教科書などから、普段の心がけが見受けられる。

 

 箒は一夏の手招きのまま椅子に腰を下ろす。

 眼前には画面を立ち上げられたパソコンが置いてある。

 

(ま、まさかそー言う動画を見て気持ちを高めてからか!?)

 

 更に高鳴る鼓動。今にも破裂しそうな胸を押さえつけていると、一夏が冷蔵庫からジュースを持ってきた。

 

「これ飲みながら見ようぜ」

「えっ……」

「あれ、箒午後ティー嫌いだったっけ?」

「いや……」

 

 まだ経験のない箒だが、それでも違和感を覚える。

 『冷えたジュース』と『そー言う雰囲気』は明らかにかけ離れているッ!

 

「じゅ、ジュースを飲んでからするものなのか?」

「?」

「だからその……そのっ……」

 

 どうしても恥ずかしくて、口ごもる。ここに来て生来の生真面目さが遺憾無く発揮されていた。

 そんな箒の様子を見て、一夏は特に何も考えてなさそうな顔で聞いた。

 

「試合の動画、数も時間も結構あるからさ。退屈しねぇようにって思ったんだけどダメだったか?」

「ん?」

 

 流れ変わったな。

 

「試合の、動画?」

「おう。みんなにも近いうちに言おうと思ってたんだけどさ、今月末に入間さんとの試合決まったんだよ」

「入間さん……試合……」

「覚えてねぇか? イグニッション・プランで会ったじゃん」

「あ、あはは……はぁ」

 

 クソデカため息と共に、彼女は落胆するように肩を落とす。

 ウキウキ気分で妄想を膨らませていた自分が恥ずかしくて、真面目な彼に目を合わせられなかった。

 認める。さっきまでの自分はどうかしてた。勝手な期待というか、一夏のことを都合よく考え過ぎていた。

 

(たまには……良い、じゃないか……)

 

 馬鹿だと言われるかもしれない。

 けど、幼馴染の枠組を超えたい気持ちは、本気だ。

 まだ一夏には言えないけど。

 

「何だよ箒〜、ため息吐いたりムスッとしたり」

「何でもない。私が馬鹿だっただけだ」

「ん、そ、そうか」

 

 箒の恋心なんて一切気付かないまま、一夏は本題を切り出す。

 PCのスリープを解除して、

 

「箒には突破口を見つけて欲しいんだ」

「突破口?」

 

 一夏はそこで、入間について簡単に説明をしてから、自身が直面している問題を共有した。

 素直に、受け流しの攻略方法が分からない、と。

 箒はうんうん、と話を聞きながら、胸のどこかで喜んでいた。一夏に頼られたことがただただ純粋に嬉しかったのだ。

 

「なるほど。随分手強そうだな」

「随分どころかずっとずっと強いと思う。でも」

「分かってる、()()()()()勝ちたいんだろう?」

「あぁ。……頼むぜ箒」

 

 説明を終えたところで、二人は動画を見始めた。

 

 画面で激しくぶつかり合う二機の専用機。静かな部屋に響く、PCからの戦闘音。

 技術の応酬。意地とプライドが火花を散らせ、互いに積み重ねてきたものの真価を発揮しあう。高次元の戦いだった。

 片方が撃墜されるたび、エネルギーアウトを起こすたび、試合が切り替わる。

 

 三試合目が始まったあたりだった。

 箒はふと。本当に、本当にちょっとだけ一夏のことが気になって、ふと隣を一瞥した。

 

(っ)

 

 彼の横顔に、不意にドキッとした。

 そこにいたのはIS学園生徒の、いつもの明るく馬鹿で騒がしい織斑一夏じゃなかった。

 

 プロIS選手(プレイヤー)、織斑一夏だった。

 

 その刀のように鋭い眼差しと情熱を灯した瞳で、彼は何を見ているのだろう。

 試合の動画、だけじゃないと思った。勝利だけじゃないとも思った。

 もっと遥か彼方のもっともっと小さい何かを、だけど確かに捉えているように箒は感じた。

 

(ずっと……お前は変わらないな)

 

 変わらないままでいて欲しいと、彼女は思えた。

 ずっとずっと真っ直ぐに突き進んで欲しいと、箒は願った。

 願ったからこそ、彼女は視線を画面に戻した。

 

(私も真っ直ぐに進むと決めたんだ……お前みたいに。

織斑一夏の隣で、織斑一夏の夢を見届けたいから)

 

 いつか彼にそっと打ち明けたストーリーは、彼女の果てなき誓い。

 

 その誓いを果たすためにも。

 彼女は、視線を戻した。

 

 数十分ほど経っただろうか。全ての動画の再生を終えた。

 一夏はん〜、と相変わらず突破口を見つけられなかった様子。

 

「どうだった? なんか分かったか?」

 

 彼の問いに、箒は自信を持って答える。

 

「ひとつな」

「マジか!? なんだ、何があった!?」

 

 すると彼女は人差し指と中指を伸ばして、一夏の胸をトンと叩く。

 

「……?」

「受け流しの突破口、それは『突き』だ」

「突き……」

 

 彼女は二本の指を、今度は一夏の脇腹を横から切るように叩く。

 

「横や縦の斬撃は、身を捩ったり大きくステップされたりして衝撃を軽減されてしまう。だが斬撃ではなく『突き』、つまり貫くような衝撃ならどうだ? 実際今見たどの試合も、入間さんは()()()()()()()だけは受け流せていなかった」

「マジか……」

 

 一夏は箒の目の付け所に感心しながら、浮かんだ疑問をぶつける。

 

「けどさ、それこそステップバックで威力殺されねぇか? 斬撃よりもずっと受け流すの簡単そうじゃねぇか」

「いいや、殺されない」

 

 箒は剣道部として、また剣術を修める者として所感を述べる。

 彼女は一夏とくっつきそうになるくらい距離を詰めて──彼が少し顔を赤くしたことには気づけなかった──、

 

「お前と入間さんの試合は、まず間違いなくこの距離での乱打戦になる」

「お、おう」

「雪片と棍棒での斬り合い、叩き合いだ。おそらく試合中に手が止まるタイミングなんてないだろうな」

 

 二人はまるで選手とコーチが作戦会議をするように、会話を続ける。

 

「何十分も斬り合って息が上がっている所に『突き』を繰り出す。それも必殺の威力で、だ」

「十分目を慣れさせてスタミナも削ったところにズドン、か」

「精神的にも体力的にもダメージは大きいだろうな」

「……その一撃で倒せなかったら?」

 

 弱気な言葉ではなく、あくまでリスクの確認。

 それに対しても、箒は解を用意していた。

 

「そもそも受け流す、と言うのはダメージを0にするような技術じゃない。せいぜい1を0.2にするくらいだ。だから手を出した分だけ、必ずダメージは蓄積する。

 『突き』はその蓄積したダメージを一気に溢れ出させるための『キッカケ』にすぎん」

「なるほど……出しどころさえ間違わなければ倒せるって訳か」

 

 こくり、と彼女は頷き「その上で」と前置きして、

 

「はっきり言うが、私の目から見ても入間さんの戦闘センスはずば抜けてる。それも考慮すると、二発だな

「……」

「二発で仕留められなかったらお前の負け。逆に二発以内に仕留めればお前の勝ち、と私は見た」

 

 一夏は宣告を受けて、自分の拳を見つめる。

 

 二発。剣道全国王者にして篠ノ之流剣術をマスターした彼女が言うのだから、きっと間違いないのだろう。

 二発。ミスヒットも空振りも許されない極めて重たい数字。全てを的確な場面で急所に直撃させなければいけない崖っぷちの数字。

 外せば終わり。当てて勝てる保証もない。

 そんな数字。

 二発。

 

 上等。

 

 握りしめる拳は力強く。

 

「……へっ。シンプルな分覚悟も決めやすいぜ」

 

 作戦は決まった。ならば次は鍛錬方法だ。

 が、こちらもほぼ決まっていたようなものだった。

 

「月末まで付き合ってもらえるか、箒」

「お前にしてやれることはこれくらいしかないからな」

 

 箒は微笑みを持って、言ってやった。

 彼を隣で、全力で支えたいから。

 

「ありったけを叩き込んでやるさ」

「……本当に、ありがとな」

 

 これ以上ないほど頼もしい返事だった。

 これで月末までの方針が決まった。あとは勝利を目指し、ひたすらに突っ走るだけ。

 辛くても苦しくても構わない。その先にある勝利を掴むためなら、なんだって超えられる。

 

(習得するぞ……受け流しをぶっ壊す『突き』ってやつを!)

 

 打倒四位に向けて、少年は大きく足を踏み出した。

 

 ◇

 

 次の日の放課後。武道館では野太い声が響き渡る。

 

「もっと力強く踏み込め! 腕だけじゃない、足、腰、背中、肩、全部をグイッと使ってズドンッだ!」

「くぉお!」

 

 汗だくの一夏が繰り出した竹刀を容易く捌きながら、箒が声を張り上げる。

 

「予備動作が甘い、そんなんじゃ一瞬で見切られるぞ!」

「くっ! はぁッ!」

「甘いと言っているだろう! 最初は横腹切りと同じ構え、攻撃を出す瞬間まで『突き』を見せるな!」

 

 突きはシンプルながらも、次の試合では必殺技となる切り札だ。

 そこで形を覚えたり威力を上げるだけでなく、如何に不意をつけるかにも二人は重きを置くことにした。

 

 予備動作と構えを横腹切りと同じにすることで、動きをギリギリまで読ませないようにし。

 更に連続攻撃の最中にも繰り出せるよう動きに柔軟性を持たせる。

 二発で決着を付けるためにも、盛り込める要素は全部盛り込む。

 

「どうした! グラウンドを数十周走っただけでこれか!? 持久戦に持ち込まなきゃ突きもクソもないんだぞ!?」

「わかっっっ、っってらァ!」

 

 大きく踏み込み、一夏が竹刀を横薙ぎ。

 鋭い角度から箒の竹刀を弾き飛ばした。

 舞い込むチャンス。一夏はギラリと、箒の喉元に狙いを定める。

 

「シッ!」

 

 腰を大きく捻って、もう一歩踏み込む。

 横腹切りの構え。

 瞬間、弓を引くように竹刀を構えて、一気に力を溜めて。

 

「シャラぁああッ!」

 

 必殺の一撃を放った。

 低い姿勢から足のバネを使って、腰を思い切り回して。

 急上昇と回転により溜めた力を加速させ。矢を放つように、一夏は竹刀を突き出す。

 

「甘い!」

「んな!?」

 

 言葉と同時。箒の竹刀が閃いて、一夏の矛を明後日の方向へ弾き返した。

 勢いに引っ張られ、一夏は転びそうなくらい大きくよろけた。

 

「はぁ、はぁ、はぁ」

「動きもそうだが、視線も甘い。喉を狙っていたのが丸わかりだったぞ」

「視線もギリギリまで伏せてた方が良いってわけか、勉強になるぜ……もう一本頼む」

「あぁ」

 

 体勢を直すと二人は向かい合い、再び剣を振るい合う。

 当然だがこの後にはISでの特訓もある。特訓の量も内容も今まで以上にハードなものとなっていた。

 だが、一夏は絶対に弱音も文句も吐かない。ひたすらに自分の出来ることを積み重ねていく。

 それは特訓に付き合ってくれる箒に失礼だから、だけじゃない。

 

 彼にも少しずつ、プロとしての誇りが生まれていたからだ。

 周りへの感謝の気持ちを。背中に託されたものの重さを。己が目指すものの価値を。

 本当の意味で知り始めていたからだ。

 

 時間はすぐに過ぎ去って、カレンダーの日付を指す指は一段下を指すようになっていた。

 試合まで残り二週間。そろそろラストスパートをかけるタイミング。

 

 機体の整備を終えて、セシリアたちも今日から特訓に復帰。

 そこで一夏がみんなに声をかけて、模擬戦をする運びとなった。

 各々夏休みの間にどれだけ強くなったのか確かめよう、と言うのは半分本音。もう半分の本音はもちろん『突き』の効果を実戦で試すこと。

 

 いつものアリーナには一年生の代表候補と一夏が機体を纏って佇んでいた。箒は機体には乗らないらしく、みんなから少し離れた場所にいる。

 

「何気にシャルロットと模擬戦すんの久しぶりだよな」

「そうだね。なんやかんやであんまりやって来なかったし」

 

 一夏の相手に真っ先に名乗りをあげたのはシャルロットだった。

 

(一夏のデータ、それも二ヶ月分なんてまたとないチャンスだからね。悪いけど…………、本社に送らせてもらうよ)

 

 模擬戦をする二人が宙に浮き、所定の位置に着く。

 白式もラファールも以前と見た目に変化はない。だが、セシリアは見えない部分の変化を知っていたようで、

 

「ラファールは新型の装甲とブースターに換装済みと聞いてます。どの程度性能が変わったのか、楽しみですわね」

「あたしは一夏がどんだけ強くなったかが楽しみだけどねー」

 

 ラウラと簪もまた、興味深そうに呟く。

 

「織斑君が二ヶ月間、いつもと同じ特訓をしていたとは思えない。ここは何か凄い必殺技を習得したと予想してみる」

「それはシャルロットにも言えるがな。高速切替(ラピッド・スイッチ)に更に磨きをかけたか、はたまた新しい技術を見せてくれるのか。何にしても面白くなりそうだ」

 

 箒は一人、雪片を構える一夏を見つめる。

 両手にはノートとペン。一夏の練習の様子をメモして、改善点の発見やアドバイスに繋げるためだ。

 箒の意志だった。ISではもう周りについていけない彼女が、それでも彼女なりに一夏の力になりたいと思って取った行動だった。

 

(私との練習ではほぼ完璧だった。あとはプロ相手に、ISで成功させられるかどうかだな)

 

 上空の二名の意識は既に戦闘モード。

 一夏は雪片の切先を敵に向けて、シャルロットは敢えて一夏の望み通り近距離戦をしてやろうと──データを入手しようと──刀を呼び出した。

 両者の距離は十五メートル。ブースト一回で十分に詰められる距離。

 

「手加減はなしだからね」

「もちろん。俺だって本気でやらせて貰うさ」

 

 二人の機体が準備完了のサインを出す。

 と、鈴の甲龍が大音量のブザーを鳴らした。模擬戦開始の合図だ。

 シャルロットと一夏が互いにジリジリと間合いを縮めていく。睨み合いながら、体を揺すりながら、ジリジリと。

 

 両者共に緊迫感を漂わせる。

 アリーナの空気が張り詰める。

 

 もうすぐ、手を伸ばせば届く距離。

 

(今までの一夏ならここからガンガン来たけど……今日はどうかな)

 

 鉄刀を諸手で握りながら様子を伺うのはシャルロット。攻めでも防御でもカウンターでも柔軟に対応できる状態だ。

 シャルロットはじっと構えながら、

 

(来ない。ならこっちから行かせてもらうよ)

 

 攻めようとして、一歩を踏み込もうとして。

 ピタッ、と。

 何かが、シャルロットにその動作を中断させた。

 理論や経験ではなく操縦者としての直感が「奴に近づくな」と警鐘を鳴らしている。

 

(……どう言うこと? 一夏に、近づけない)

 

 地上から見上げていた少女たちは、早速一夏の進化を目の当たりにしていた。

 簪は驚いたようにその進化を口にする。

 

「剣先を小さく左右に振って的を絞らせないようにしてる。あれだとフェイントをかけるにしても実際攻撃するにしても、少し戸惑ってしまう」

「それだけじゃないわ。剣と一緒に体も小さく揺らして『行くぞ行くぞ』ってフェイントもかけてる。正に攻防一体ってやつね」

 

 進化の正体は、千冬仕込みの高等技術(テクニック)

 鈴が付け加えた解説に、少女たちは黙りこくってしまう。

 想像していたのだ。もし自分があそこにいたら、と。自分ならどう対処する、と。

 

 上空では睨めっこが続いていた。

 一夏もシャルロットも近距離で剣先を向け合ったまま────否、この状況においては()()()()()()()()()()()()()()()と表現すべきだろう。

 彼女もとっくにその観察眼で、得体の知れないプレッシャーの正体を見破っている。だが、だからと言って簡単に懐に飛び込めるほど一夏は甘い相手じゃない。

 

(どう仕掛ける? 僕の高速切替なら一瞬で手数を二倍に増やせるけど……)

 

 シャルロットは頭を高速回転させ、戦術を組み上げる。

 彼女にも代表候補としての最低限のプライドがある。刀を構えた以上、一撃もヒットがないまま遠距離には逃げたくなかった。

 

 何より逃げてしまえば貴重なデータが採れない。それでは、自身の存在価値がなくなってしまう。

 自分が出来る動きを考え、メリットとデメリットを比較して、

 

「────ッ!?」

 

 一瞬。多分、瞬きで目を閉じた瞬間だった。

 眼前にいたはずの一夏が忽然と姿を消していた。

 直後。戦慄。プレッシャー。

 懐。映ったのは白い機体。白い刃。白式を纏った織斑一夏と雪片だ。

 

(一瞬で間合いをゼロにした!?)

 

 二ヶ月前にはなかった飛び込みの速さに驚愕した頃には、雪片の刃が横腹へと迫っていた。

 彼女は咄嗟に刀で防御。今までならこれでブロックできていたが、果たして────

 

「ぅあ」

 

 口から漏れたのは間抜けな声。

 刃と刃がかち合った瞬間。シャルロットの全身を激烈なインパクトが貫く。

 あたかもダンプカーで跳ね飛ばされたような衝撃だった。

 PICの力と白式の馬力、鍛えられた一夏の腕力。そして雪片の『デュアルインパクトブレード』。四つが見事に合わさって放たれた豪打が爆裂。

 

 たった一発だった。

 だがたった一発で、彼女の体勢がいとも容易く崩れる。

 

「────!?」

「シャルロットの体軸がズレたぞ!?」

 

 セシリアはその凄まじきパワーに言葉を失い、ラウラが目を丸くする。

 シャルロットが体を『くの字』に曲げた時には、もう二発目が繰り出されていた。

 一夏の得意技、上下のコンビネーションだ。しかしそれは二ヶ月前までの安っぽい連続攻撃ではない。

 一撃一撃が敵を真っ二つにするような威力を秘めた、超パワーの連続攻撃。

 

(くっ、お昼に食べたものリバースしそうになったよ!)

 

 シャルロットがこれをバックブーストで回避できたのはただのラッキーだった。

 彼女は急いで呼吸を整えて体勢を直す────などと一夏がさせるはずもない。

 彼は恐ろしいプレッシャーを撒き散らしながらシャルロットへ肉薄。

 

「舐め、ないでよね!」

 

 一夏が即座に仕掛けて来ることは読めていた。

 やられてばかりのフランス代表候補じゃない。彼女は腕に力をこめて反撃に出た。

 刀と刀がぶつかって、弾かれたのはシャルロットの両腕。明らかなパワー負けだ。

 けどこれは最初の一撃の時点で予想済み。

 シャルロットは弾かれた勢いを使ってその場で一回転。回転で得た力とスピードを使って、一夏の動体を斬りにかかる。

 

「しッ」

 

 シャルロットの変則的な動きにも、一夏の目はしっかりと追いついていた。

 機体ごと下へ潜るような上体屈み(ダッキング)でこれを外した。と同時、シャルロットの足場へと深く踏み込む。

 雪片が狙うは彼女の横腹、ちょうど肝臓付近。

 

(踏み込みが早いッ! 回避と攻撃が直結してる!)

 

 一夏の素早い動きに舌を巻いてる暇もない。

 回避は間に合わないと見て、彼女は全力で一夏の一撃をガード。スタンスを広げて、PICをフル稼働させて、刀で直撃を防ぐ。

 それでも意識が肉体から引き剥がされそうなほどの衝撃なのだから驚く他ない。

 

(凄いパワーだっ、ガードの上からでも吹っ飛ばされそうだよ)

 

 コンビネーションの二撃目は上体屈み(ダッキング)で回避。

 彼女は攻撃の打ち終わりを狙って、一夏の懐へ踏み込んだ。

 

(ほんとは退がりたいんだけどね────もうちょっとデータ採らなきゃいけないからさ!)

 

 彼女の背中を押すのは勇気ではなく、あくまで使命感。自分が学園に存在する理由のために前へ。

 

 二人の刀が交差する。

 シャルロットは一夏のパワーに技術で対抗し。一夏のスピードには経験で対抗する。

 展開は火の出るような斬り合いへ。

 観客を呼べるほどハイレベルな至近戦だった。目にもとまらぬ速さで両者の刀が振るわれる。

 耳をつんざくような金属音が絶え間なくアリーナに響く。

 

「シャルロットと互角だと……」

「……ううん、織斑君の方がうわ手。パワーとスピードがまるで違う」

 

 ラウラと簪は目に映る光景が信じられないような様子。

 それもそのはず。たった二ヶ月で一夏が別人のような進化を遂げていたのだから。

 だけれど、彼女たちは知らない。

 織斑一夏が夏休みの二ヶ月、どれほど過酷な鍛錬を重ねてきたのかを。一体誰を相手に、二ヶ月間修行してきたのかを。

 

「アイツあんなハードヒッターだっけ? 一発一発の威力バグってない?」

「以前よりも振りが鋭くコンパクトになっているから……だけではありませんわね。下半身の動きを見るに、恐らくPICも完璧にものにしたのでしょう」

 

 上空で繰り広げられる剣戟を見つめながら、鈴とセシリアが言葉を交わす。

 特にセシリアの目つきが鋭い。戦闘時のそれとなんら変わりないほどに。

 

(織斑一夏……また、また貴方はレベルアップしたと言うの?)

 

 好敵手の一挙手一投足を観察しながら、彼女は闘志を燻らせていた。

 

 一方箒は一人、戦闘を細かい部分まで観察しつつメモを取っていた。

 敢えて表現するならその姿は、プロIS選手(プレイヤー)織斑一夏のコーチ、と言ったところか。無言の姿が絵になっている。

 

(アイツのことだ、二ヶ月間千冬さんと特訓していたんだろうな……私から見ても動きのキレが段違いに良くなってる)

 

 それでもまだ箒目線だと付け入る隙が残っているが、それは重大な問題と言うよりこれから調整して埋めていける程度の隙だ。

 今重要な部分はそこじゃない。

 重要なのは『突き』を出すタイミング。『突き』の動き、威力だ。

 

(一夏が押し出したな……シャルロットの目も慣れた頃だ、試してみるには丁度良いかもしれん)

 

 その考えは一夏も同じだった。

 上下左右の連打でギアを上げ至近戦を制しつつ、彼は好機を伺っていた。

 両の(まなこ)で淡々と。しかし視線は熱く熱く。

 

(ッ────機体の改造でもしたの!? 何もかもが今までと違いすぎる!)

(違う、このタイミングじゃない! もっと注意を引きつけるんだ!)

 

 シャルロットのガードの上からでもお構いなしに強打をぶち込む。

 ボディへ、ボディへ。完全にシャルロットの注意を逸らし、ガードを下げさせていく。

 

(ガードを下げさせて)

 

 素早い踏み込みで自身の制空圏を広げ、シャルロットを徐々に後退させる。

 連打の数だけプレッシャーを与え、スタミナを削っていく。

 

(視線はボディに集中)

 

 シャルロットの突然のカウンターにも怯まない。体をわずかに捩って避けて、猛攻続行。

 全ては一撃のための伏線として。

 

(横腹切りと同じ動作で)

 

 その時が来た────いいや違う! 織斑一夏がその時を掴んだ。

 箒が狙いを定めたタイミングと同じ、つまりはベストタイミングを。

 前に出た足で深く踏み込み、腰を大きくひねり。

 

(大きいのが来る! 横腹────)

 

 視線の誘導も完璧。弓を引くよう雪片を構えた。

 シャルロットが完全に横腹をガードしたところで、

 

(────プレッシャー!?!?!?)

(一撃(スマッシュ)を叩き込むッ!!!)

 

 必殺の矢が放たれた。

 シャルロットの喉元へと、真っ直ぐに。

 

 足、腰、背中、肩。一夏の全てを連動させ、PICと白式の力を刀の先に乗せた一撃。文字通り全身全霊の一撃が空気を貫き、シャルロットへ伸びる。

 斬撃ではなく『突き』。斬撃や射撃が当たり前のISバトルにおいて異質な動作。

 

「ッッッ!!!」

「────な」

 

 一夏の前に突如現れた、シャルロットを覆い隠すほど巨大で重厚なシールド。

 それはシャルロットが咄嗟に高速切替(ラピッド・スイッチ)で呼び出した大質量のシールドだった。

 偶然だった。理論と経験、動物的な直感をバランスよく兼ね備えたシャルロットだからこその判断だった。

 

 雪片の剣先が盾に突き刺さる。

 

 最初に轟音が炸裂。金属をダイナマイトでも使って破裂させたような轟音だった。

 次に、砕けたシールドが四方八方に飛散。突き(スマッシュ)の途轍もない威力を物語っていた。

 すぐさま対面し直す一夏とシャルロット。

 さっきまでと違うとするならその表情。両者が、その桁違いの威力にポカンと口を開けていた。

 

 背中から冷や汗を吹き出したシャルロットが歯を噛み締める。

 刹那、高速切替。両手に一丁ずつショットガンを握っていた。

 

(やばい)

 

 と、血の気が引いた。

 これ以上先は自分が危ないと、今の一撃で悟った。

 

 二つの銃口を一夏へと向ける。トリガーに添えた人差し指に躊躇は一切無い。

 自分がやられないために、彼女はショットガンを撃とうとして、

 

「ちょいちょいストップストップゥゥゥ!!!」

 

 最大速で二人の間に割って入ったのは審判係の鈴だった。

 彼女は一夏とシャルロットへ青龍刀を向けて、

 

「あんたらこれ以上は模擬戦じゃなくなるわよ!? ってか一夏は何、シャルロット殺す気!?」

「ご、ごめん。こんなぶっ飛んだ威力だとは……」

「シャルロットも。銃下ろして」

「う、うん」

 

 ショットガンを下ろして、シャルロットはゆっくりと下降していく。

 一夏もまた雪片が傷ついていないか確認しながら地上へと降りていった。

 二人の模擬戦はこれにて終了。結果としては引き分けとなった。

 

(今の一撃が当たっていたら、確実に負けてた……)

 

 シャルロットは落ち着いて深呼吸をした。

 心臓が鳴り止まない。明らかに動揺している。

 腕が痺れている。手を握ると、電流が流れたみたいにビリビリする。

 

(もしかしたら白式は既に、お父さんの言ってた次の段階(ステージ)に届いてるのかもしれない)

 

 彼女は焦燥感を覚えながら、自分が負けかけた事実に俯くしかできなかった。

 しかし今の一撃────今の模擬戦に影響を受けたのはシャルロットだけではなかった。

 

(……正直打鉄じゃもう話にならない)

 

 例えば更識簪。

 彼女は自分が追い抜かれる立場ではなく、追いかける立場になっていたことを痛感した。

 下唇を噛む。

 

(専用機が出来てもこのままじゃ至近戦で負ける……近接武器を見直すだけじゃない。一から出直さないと、彼には勝てない)

 

 もはや機体性能ではなく操縦者として負けていると考え、彼女は基本に立ち直ることを決心した。

 

(彼に勝てれば自ずとあの人が見えてくるはず……もう、負けられない!)

 

 昔からの目標を今度こそ超えるために。

 眼鏡の奥で、瞳が静かに燃え盛る。

 

(はっきりと認めましょう。わたくしは浮かれていましたわ)

 

 例えばセシリア・オルコット。

 織斑一夏を好敵手と呼び、織斑一夏の好敵手を謳う彼女は自身の二ヶ月を振り返り、自分へ怒りが湧いてきた。

 着地した一夏の顔を睨む。

 

(英国四位に勝って、強くなれたと思っていましたが……違いましたわ。彼はもっともっと強くなっていた、目線が最初から違っていた!)

 

 再戦を約束した者として。

 セシリアは己に恥じぬよう、彼に恥じぬよう、更なる飛躍を胸に誓う。

 

(織斑一夏……貴方を倒すのはこのセシリア・オルコットでしてよ)

 

 セシリアの隣で、ラウラ・ボーデヴィッヒは一人、ぼーっと空を見上げていた。

 赤い片眼で、青い空を。

 

(置いて行かれた、な)

 

 以前、一夏に言われた言葉がある。

 誰にも負けない重さ────強さを、一緒に走って見つけていこう。

 実際はどうだろうか。

 一緒なんかじゃない。彼はいつの間にか一人で先へと進んでいた。

 

(……前までの私なら、また一人になったと言って下らない力に頼っていただろうな。でも)

 

 ラウラは両目を閉じて、思い出す。

 一夏はずっと走っていた。来る日も来る日も走って走って、走りまくっていた。

 どんなに打たれようと、傷つこうと、強くなるんだと立ち上がっていた。

 きっと自分の知らない二ヶ月間も同じだろう。彼は鍛えに鍛えまくっていたのだろう。

 多分、今日の結果はその賜物だ。

 

(今はお前を見ていると、私も頑張ろうと思えるよ)

 

 ふっ、と口角を上げる。

 自分も一夏のようになりたいと思えた。

 一夏のように走りまくって、その先にあるであろう強さを知りたいと思えた。

 

(お前と一緒に走りたいから。一緒に強さを見つけていきたいから……私も挑戦しようと思う。自分の限界と言うものに)

 

 青天井の空を、彼女は見上げていた。

 

 雪片を拡張領域(バススロット)へ納めた一夏の元には箒と鈴が集まっていた。

 

「アンタヤクでもキメた? めっちゃ強くなってんじゃない」

「キメてねーよ。でもま、夏休み中クソほど特訓したし、先週もずっと箒と練習してたから強くはなってると思う」

「うむ。細かい反省点こそ多いが全体的に良かったと思うぞ」

「俺もシャルロット相手にこんだけ出来るとは思ってなかったよ」

 

 一夏も模擬戦の内容にかなり満足がいっていた様子。

 だが、どうにも納得いかない点が一つあったようで、

 

「でもあのスマッシュはやばくねーか? シールドぶっ壊れたぞ」

「スマッシュって?」

「あっ……あぁ。あの突きのことだよ」

「く……ぷふ! アンタ技名なんて付けてんの!? ダッサ!」

「良いじゃねぇかよ、技名あった方がカッケェだろ! なぁ箒!?」

「いや技名はダサいと思うぞ」

「はん、良いもんね! みんなの同意なんて要らねーし!」

 

 高校生にもなって技名をつけてるイタイ所を笑われる一夏。

 ダハハー、と鈴は一頻りに笑ってから、

 

「でも、アタシもあのスマッシュっての威力は相当やばいと思うわ。どう言う目的の技か知らないけど、当たれば必殺でしょうね」

「正直ちょっと威力ありすぎて自分でもビビっちまってるけどな」

「今回のようにガードされたら元も子もないがな。まだ洗練できると言うことだ」

「だな」

「アタシも手伝うわよ。どーせ試合かなんかで使うんでしょ?」

 

 っと鈴の名乗りに続いたのは、セシリアたちだった。

 

「わたくしも協力して差し上げますわ。そのスマッシュ? でしたっけ、クソダサい必殺技に」

「てめこらバカにしたな俺のセンスを」

「私も一緒に特訓したい。みんなでやればきっとスペシャルハイパー爆裂スーパースマッシュになると思う」

「メチャクチャだよ俺の技」

「私からも頼む。みんなと練習して今の自分よりも先に進みたいんだ」

「ラウラは真面目路線で嬉しいよ」

「僕も……スカッシュ……の力になれると思う」

「んー無理すんなシャルロットー」

 

 一人一人に丁寧にツッコミながら、一夏は内心喜んでいた。

 嬉しかった。

 こうして夏休みが終わってからもまたみんなと話せることが。みんなが協力してくれることが。

 心の底から嬉しかった。

 

 ISがなかったら出会えなかった彼女たちとの絆の結び目が、少しずつ硬くなっているような気がした。それがまた、本当に嬉しかった。

 

(みんなと一緒なら、俺はもっと強くなれる。やるぞ……!

次の試合もちゃんと勝って、みんなに胸を張るためにも!)

 

 試合まで残り二週間。

 夏休みとスマッシュの成果を確かめたところで、更に気合を入れる一夏なのだった。




次回 『熱流交換』
バトル始まります

鈴はISとか関係なく友達ポジションにいて欲しい。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

38話 熱流交換

バトル始まります。


 試合日前日。IS学園。

 休み時間で騒がしい一年一組にて。二限目が終わったところで、一夏は静かに教科書をカバンへと片付け始めた。

 白式の調整やメディアのインタビューなどのために、会場近くのホテルへ前日入りするのだ。

 

(やれることは全部やった。あとは全力でぶつかるだけだ)

 

 一夏は緊張を感じていた。

 デビュー戦の時と同じだ。試合前になると、どうしても背負ったものの重圧を感じる。使命感と責任感で胸がいっぱいになる。

 

 だけど、嫌な気は一切しない。むしろありがたいとすら思える。

 だって、それらは全て、織斑一夏にとって負けられない信念(りゆう)なのだから。

 

(おっしゃ……行くか!)

 

 ふぅ、と一息つくと、

 

「おりむーおりむー」

 

 背後からののほほんとした声に気付く。

 一夏が振り返ると、そこには布仏本音(のほほん)さんがいた。

 

「おっす、どうした?」

「実はね、おりむーに渡したいものがあってねー」

 

 そう言って彼女が差し出したのは小さな箱。ゆるいイラストのネコやらイヌやらのシールが貼られたそれは、平たい物入れのようだった。

 一夏はちょっと困惑しながらも箱を受け取る。

 

「なんだこれ?」

「ふっふっふー。それはねー、ファンクラブの人から貰ったものなのだー」

「ん? ファンクラブ?」

「そうー。学園のおりむーファンクラブー。なんと会員数303名〜」

「そんなもんあるのか……しかもやけに人多いなおい」

 

 ちなみに箒も会員である。会員番号は一桁。

 のほほんさんは相変わらず人懐っこい笑顔で、

 

「中身はちゃんと見るようにー。見ないとチョップしちゃうよー」

「あの瓦を一枚も割れないのほほんチョップか、そりゃ怖ぇな。ちゃんと見とくよ、ありがとな」

「ほーい。試合頑張ってねー!」

 

 箱が傷付かないようにカバンにしまってから、今度こそ一夏は教室を出る。

 みんなからの応援は背中で受けた。ラウラや鈴、シャルロットからの激励もちゃんと胸に刻んだ。

 セシリアと簪からのアドバイスも、しっかり頭に残っている。

 

「一夏」

 

 最後に廊下で待っていたは箒だった。

 一夏の努力や熱意を、いつもずっと近くで見守ってきた彼女。その口はもはや言葉など語らない。

 彼女が無言で突き出したのは、親指をピンと立てたグッドポーズ。

 

 たった一つの仕草には、しかし彼女の幾千もの意志が込められていた。

 お前なら勝てる。怪我はするな。明日は応援に行くから。最後まで頑張ってこい。

 ありったけの感情。その全ては、一夏にちゃんと届いている。

 

 一夏もグッドポーズで箒に返事をする。

 込めた想いはたった一つ。箒の気持ちを全部背負って────行ってきます!

 

 学園の外に出て、モノレールに乗って東京駅へ。

 待ち合わせのパーキングでは白式チームリーダー・篝火ヒカルノが車に乗って待っていた。

 

「おはようございます」

「おはよう。さっ、乗った乗った! 今日も混んでるからね〜、意外と時間がかかるさね」

 

 一夏が安っぽい軽の助手席に座ったところで早速発進。

 目的地は会場・東京ウルトラアリーナ近くの高級ホテル。

 部屋からは試合会場全体を見下ろせる。緊張感と戦意を高めるにはもってこいの場所だった。

 

 一夏は下ろしたカバンから、さっきの箱を取り出す。

 モノレールだとすぐ東京駅に着くため、中身の確認は篝火の車内でしようと思っていた。

 ハンドルを握る篝火はチラッと箱を見て、

 

「なんだいそれ?」

「友達から貰ったやつです。ちゃんと見てねー、って言われまして」

「開けたらドカーン、とかないよね?」

「僕の友達なんだと思ってるんですか?」

 

 と聞き返しながらも、内心恐怖を捨てきれなかった一夏は恐る恐る蓋を上げた。

 カパ、と開封すると、中には六通の手紙が。

 

(手紙……? そっか、確かファンクラブの人から貰った、って言ってたもんな)

 

 一夏の考えた通り、それらはファンクラブ会員からの手紙だった。

 取り出した一通目を丁寧に開封して、中の紙を黙読する。

 

 はじめまして、から始まったそれには、綺麗な文字で思いが綴られていた。

 最初は一夏を物珍しさだけで追いかけていたこと。でも、毎日直向きに頑張る姿を見て、少しずつ本当にファンになっていったこと。

 前のデビュー戦で勝った姿を見た時、涙が出るくらい感動したこと。

 

 だから一人のファンとして、明日の試合も応援していること。

 勝ち続けてね、と締め括られていた。

 

「……」

 

 一夏は目頭を熱くして、二通目を見た。

 その子には夢があるらしい。けど、中々上手くいかなくて、挫けかけていたそうだ。

 そこで一夏に出会った。

 入学直後に世界最強になると宣言した一夏の噂を聞いて、最初は彼女もバカにも程があると笑っていた。

 だが、彼が頑張り続ける姿を見て。遂にはプロになって、デビュー戦にも勝って、代表候補と戦うことになって。

 目標に少しずつ近づく一夏に、自分も最後まで諦めずやってみよう、と勇気を貰えたようだった。

 

 三通目、四通目……と夢中になって読んでいく。

 書かれていたのは応援だけじゃない。願いや期待、希望、感謝。沢山の想いが一人一人の言葉に変換されて、小さな紙に書き綴られていた。

 

 最後の六通目を読み終えると、一夏は込み上げる感情を堪えるように眉間を摘んだ。

 自惚れではなく、事実として。

 自分が誰かの力になれていることが。自分が白式(あいぼう)と共に、誰かに夢や希望を届けられていることが。心の底から嬉しくって。

 応援してもらえることが、本当にありがたくって。

 

 プロになっているんだ、と自信を持てた。

 

 篝火は前だけを見て、

 

「いっぱい貰えたようだね、負けられない信念(りゆう)

「はい……っ!」

 

 試合前日。

 ファンの気持ちも背負って、プロのIS選手(プレイヤー)織斑一夏は闘魂を熱くさせるのだった。

 

 

 

 

 夜。

 最終調整を終えた入間(いるま)優香(ゆうか)は、自室の隅っこで三角座りをして丸くなっていた。

 暗い部屋の窓際。月光を浴びて淡く光るのは、彼女の首元のペンダント。

 歪な金属片みたいなそれは、以前の専用機(あいぼう)の亡骸であり夢の傷跡。同時に、夢を誓った再出発点。

 

(……)

 

 気持ちが昂っていくのが分かる。

 早く試合をしたくて仕方がない。

 鼓動が早まっていくのが分かる。

 負ければまたあの地獄へ逆戻り。ファンも。積み重ねてきた努力も。誇りも。意地も。負ければ全てが水の泡だ。

 それだけはもう、嫌だ。

 

(明日の試合に勝てば、自信を付けられル。専用機に勝ったんだと、過去の自分を超えられル……)

 

 腕に力が入る。

 明日の試合は過去の自分との戦いだ。全てを失ったあの日を超えるための戦いなのだ。

 容易な相手じゃないのは百も承知。

 なにせ相手は刀一本で、ランキング三位の簪を撃破しているのだから。

 

 集中力を高めていると、携帯に着信が入る。

 相手は山田真耶。入間がたった一人尊敬する人間。

 入間は応答ボタンを押して、携帯を耳元へ持っていく。

 

「もしもし。お疲れ様だナ、山田先生」

『お疲れ様です入間さん。お昼は出れなくてすみません』

「良いんだナ、先生も仕事中だったんだロ?」

 

 えぇ、と真耶は答えて、

 

『いよいよ明日ですか、織斑君との試合』

「うン……」

『まさか二人がこんなに早く戦うなんて、先生思ってもいませんでしたよ』

「……正直のところ、アイツはどうなんダ? いかんせんデビュー戦と学園の試合動画しか見れてないから、どうしてもイメージを固められないんだナ」

 

 真耶はハッキリと伝えてやる。

 

『織斑君は夏休みの間に大幅にレベルを上げました。ランキングこそ三十一位ですが、実力はもう日本十番以内でしょう』

「そっカ」

『……本当に彼は強くなっていますよ。デビュー戦と同じ実力だと考えているなら、一瞬でやられます』

「あァ。もう、エロガキなんて呼べなさそうだナ」

 

 僅かに震える声。

 たった一人弟子と認めた少女に、真耶は優しい声音で訊ねる。

 

『……怖い、ですか?』

 

 普段の入間ならその問いに、笑って冗談を返していただろう。

 だけど、今の彼女は試合を前にして、どうしてもイメージしてしまう。

 全てを失ったあの瞬間。自分の実力不足で相棒を殺してしまった、あの絶望感。地獄。

 入間はペンダントを手で覆って、

 

「怖いサ。どうしても……思い出すからナ」

 

 唯一の師匠へ吐露した、正直な想い。

 対して真耶も、正直な言葉をぶつける。

 

『そうですよね。やっぱり、怖くなっちゃいますよね。

 でも、実は先生は何も心配してないんですよ』

「……」

『だって先生は知ってますから。織斑君は強いですが……それ以上に()()()()()()()()()()()ことを。

 誰よりも近くで、貴方を応援してきましたからね』

 

 弟子の栄光も挫折も復活も知っている師匠からの、力強い言葉だった。

 うン、と入間は頷いて、

 

「ありがとうなんだナ。少し……自信が付いたヨ」

『はいっ! 明日はたくさん応援しますからね!』

 

 ふつ、と通話が切れた。

 入間は携帯をソファに投げて、再び集中力を高め出す。

 部屋の隅っこで蹲って。じーっと、じーっと、じーっと。

 

(織斑……悪いが明日は叩きのめさせて貰うんだナ)

 

 試合前日。

 師匠からの激励を受けて、入間優香は静かに闘志を燃やすのだった。

 

 ◇

 

 十月三十一日。超が付くほどの快晴日。

 東京ウルトラアリーナは熱気に包まれていた。

 アリーナの65000もの座席は、今日も余す所なく埋まる予定。

 今国内試合でこれだけの観客が呼べるのはランキング一位と一夏だけだろう、とスポーツ雑誌の記者・巻紙礼子は思う。

 

(さぁて、今日はどう戦うつもりだ織斑)

 

 学園の関係者(ダリル)から聞く話によれば、デビュー戦よりも相当腕を上げているとのこと。どれほどの成長を遂げたのか、ワクワクが止まらない。

 

(あの『受け流し』にどれだけ食いつけるか、見せてもらおうじゃねぇの)

 

 楽しみに試合を待っていると、向こう側から落ち着いた服装をした綺麗な女性が歩いて来る。

 巻紙が足を引っ込めてやると、

 

「すみません。FブロックのM列98番はここで合ってますか?」

「あーはい、私の隣ですね……え?」

「ありがとうございます。失礼します」

 

 巻紙は固まった。秒でフリーズした。

 歴戦の戦士の毛穴と言う毛穴から、一気に脂汗が噴き出る。

 それもそのはず。

 

(なんで織斑千冬がここにいるんだよぉおおおおおおおお!?!?)

 

 もう全くもって訳わかめである。

 巻紙は推しのアイドルを前にしたファンみたいに口をパクパクさせて、

 

「あ、あの、どうしてここの席に?」

「見晴らしが一番良いと思いましてね」

「ち、チケットはどうやって入手されたんですか?」

「ネットです。最近は便利なもので、ボタンひとつで好きな席を購入できるようになったのでね」

「あぁ、あはは。そうなんですね〜」

 

 正直今すぐにでも泣き出したかった。最悪の再会である。

 

(今回も二秒でサーバーダウンしたって聞いたんだけどなぁ!? なんでチケット入手できてしかも私の隣選んでるんだよキモ過ぎだろ!)

 

 クソブラコンめ、と口にしなかったのは僥倖か。

 なお千冬は(携帯の画面に張り付いて)正々堂々とサーバーダウンまでの二秒でチケット購入を済ませている。一夏の試合を見たい、ただその一心でだ。

 実際ブラコンなのかもしれない。

 

 千冬は冷や汗でびしょびしょの巻紙の横顔を見つめて、

 

「もしかして私と貴方はどこかで会っていますか? 不思議と初対面とは思えないのです」

「ヘア!?」

「……変、でしたね。急に失礼しました」

 

 実際初対面じゃない。

 巻紙(オータム)と千冬は期間を置きながらも過去に()()()()()()()()のだから。

 アリーナへ視線を戻す千冬の隣で、巻紙は一人、ビクビクと肩を振るわせるのだった。

 

 別の応援席では、一夏からチケットをもらった五反田兄妹がいた。

 

「しっかし二戦目で四位と戦うなんてなー」

「一夏さん……今日も勝てるかな?」

「昨日LINではめっちゃ練習したし自信ある、とは言ってたな」

 

 すっかり一夏のファンになった蘭の横で、弾は会場を見渡していた。

 目に映るのは人、人、アンド人。満席のアリーナは二度目ながらも、凄まじいほどの密集具合にはどうしても慣れなかった。

 

(しっかしこれ全部一夏が呼んだ客か? すっげーなアイツ)

 

 まさか同級生がこう何度も65000人も観客を集める選手になるとは、弾には正直予想できなかった。

 そんな弾の視界には、小さいながら鈴たちも映っていた。

 

「もうそろそろね」

「えぇ。昨日の姿を見た限りではコンディションはベストでした。後は受け流しを相手にどこまで通じるか、ですわね」

 

 鈴とセシリアが言葉を交わす。

 そのそばでは、ラウラが腕を組みながら、

 

「やはり勝敗を分けるのはスマッシュの出し所だろうな。ベストタイミングで出せば必殺だが……」

「下手な所で出せば見切られて終わり。そこはもうある種の賭けになるだろうね」

 

 シャルロットの言う通りだった。

 いくら理論的に試合を進めようと、直感が働こうと、100%作戦が成功するなんて誰にも言えないのだから。

 だけど箒には不安なんてない。

 

「アイツは誰にも真似できないくらい努力してきた。もし勝利の女神がいるのなら、きっとアイツに微笑んでくれるさ」

「そうね。アタシだったらめっちゃ笑ってあげるもん」

「鈴さんが女神? ずいぶん……フッ、貧相な女神ですわね」

「アンタ胸見て言ったわね!? ぶっ飛ばすわよ!?」

「全くだ。笑わせるな」

「いやラウラにだけは言われたくないわ」

「なんだと!?」

「落ち着け二人とも。試合前にみっともない」

「「胸を張って見せつけるな!」」

 

 まだ試合が始まってもいないのに盛り上がる一行。

 呆れ気味のシャルロットは彼女たちを横目に、ずっと黙り込んでいる簪へ声をかけた。

 

「大丈夫、簪?」

「……うん、何も問題ない。心配かけた?」

「だってずっと静かだもん、心配にもなるよ」

 

 シャルロットの優しさ──とはシャルロット自身は思わない。周りを俯瞰して常に気を配る気質はあくまで、誰かに好かれようと立ちまわっている内に付いた癖に過ぎない──に、簪はありがとうとだけ答える。

 

 簪にとって今日の試合は大切な友人の試合でもあり、同じ日本代表候補として切磋琢磨してきた先輩の試合でもある。

 正直、どちらを応援するか、簪には決められなかった。

 

(どっちにも勝ってほしい。けど、どっちにも負けてほしくない。

 だからせめて、どんな結果になったとしても、二人には微塵も後悔してほしくない……)

 

 ◇

 

 ウォーミングアップを終えた入間。

 彼女は控え室で一人、己を極限まで研ぎ澄ませていた。

 目を閉じ、口を閉じ。鉛筆をカッターで削るように知覚を、意識を、鋭く研いでいく。

 

(どの試合も負けられないってのに変わりはなイ。けど、今日の試合は意味合いがまるで違うんだナ)

 

 今日これまでの全てを、脳裏で思い出す。

 栄光も、屈辱も。輝かしい時間も、真っ暗で何も見えなかった時間も。

 全てを思い出して、彼女は一つ、深く呼吸をした。

 

(今日勝てれば、過去を超えられル。専用機持ち(アイツ)に勝てたのなら、きっと自信を取り戻せル。疾風に相応しい操縦者になれル)

 

 時刻を確認。

 もうまもなく試合が始まる。

 過去を乗り越えるための試練が、始まる。

 

(さぁ、行くゾ。決着をつけニ)

 

 首のペンダントをぎゅっと握った。

 それからまるでペンダントを己に埋め込むように胸に押し当てる。

 最後に脳裏で相棒の姿を思い出して、

 

「一緒に戦ってくレ、疾風!」

 

 

 

 

 一夏もまた一人、控え室で戦意を高めていた。

 程よい緊張感で体が熱くなっている。試合を目前に闘争本能が刺激されて、早く白式に乗りたくって仕方ない。剣を振るい、積み重ねてきたモノをぶつけ、自分がどこまで強くなれたのかを知りたくってたまらない。

 

(勝てば四位────代表候補になれる。そうすりゃ一気に最強に近づける!)

 

 一夏にとって、今日の試合は頂点に登るための重要な一戦。

 彼は手のひらに、託されたものを思い浮かべる。背負ったものを、己に在るものをイメージする。

 男たちの夢。支えてくれる人たち。自分自身の夢。ファンのみんな。

 その全てが、織斑一夏の信念。絶対に負けられない理由。

 決意を固めるように、力いっぱいに拳を作る。

 

(勝つぞ……俺の全身全霊をぶつけてやる!)

 

 時は来た。

 ガチャリ、とドアが開かれる。

 一夏の額から一筋の汗が滴る。

 

「時間さね。行こうか」

「はい!」

 

 控え室を出て、廊下を抜けて、ゲートを進む。

 目の前には準備を完了させた白式と、山寺率いる整備班。

 

「頑張れ織斑君!」

「ありがとうございます……行ってきます!」

 

 相棒を纏う。意識がクリアになるような心地よい感覚と共に、白式と一つになる。

 システム起動、オール・グリーン。すぐにでも全力を出せる合図。

 

 途端、白式の大きな翼に浮かぶ黒い文字。それは白式チームのテーマ。

 SUPER∞STREAM────意味は『凄い流れ』。そして『無限の可能性』。

 一夏は忘れちゃいない。だってそれは、友がくれた最高のメッセージだから。

 STRAIGHT JET────意味は『真っ直ぐにブチ抜ける!』。

 

 織斑一夏は二つの言葉に勝利を誓う。

 ハッチが開かれる。視界の奥に見えるは戦場。

 これから相見えるは日本四位の強敵。

 

 アナウンスに従い、一夏はアリーナの地を踏んだ。

 

 挑戦者サイド。ランキング三十一位にして唯一の男性IS操縦者の登場に、大気を震わすほどの大歓声が飛び交う。

 65000の熱狂はもはや衝撃波。一夏は痛いほどの歓声を全身で浴びながら、頭を深く下げる。その動作と言葉は観客、ファン、スタッフ、関係者、試合相手。自分に関わってくれる全ての人へと向けたもの。

 

「よろしくお願いします!!!」

 

 大いに盛り上がる客席は、しかしもう一度巨大な歓声を上げることになる。

 お次は上位ランカーサイドの入場。

 元専用機乗りにして現日本代表候補。ランキング四位、通称────天才。

 打鉄を纏った入間優香が両腕を上げての登場だ。

 

 会場のボルテージは最高潮。

 生中継の視聴率もうなぎのぼり。今、日本中が、二人の試合を見届けようとしていた。

 

 二名が上空中央で向かい合う。

 所定の位置にて、一夏は愛刀雪片を握った。入間はお馴染みの棍棒を頭上で回転させて、両手で構える。

 

 一斉に静まり返って、観客が固唾を飲む。

 まもなく始まる激突。対戦カードは若き専用機乗りと、経験豊富な量産機乗り。

 彼が新代表候補に上り詰めるのか、はたまた彼女が現代表候補の意地を見せるのか。

 

 一夏の頬に汗が伝う。入間の両手に汗が滲む。

 張り詰めた空気。緊迫感を漂わせるアリーナ。

 

 二人のISが準備完了の合図を出して三秒後。

 戦いの火蓋が切って落とされた。

 

 ブザーが鳴り響く。開始のゴングだ。

 両者────攻めない。互いにゆっくりと歩を進めて、間合いを詰めていく。

 一夏は上体を揺すり、的を散らしながら。入間はその瞳一つで、行くぞ行くぞとフェイントを仕掛けながら。間隔を狭めていく。

 

 一夏には一瞬で懐に潜り込むスピードと一撃で試合をひっくり返す破壊力がある。入間には近距離戦でダメージを殺す受け流しと自由自在な棍棒のコンビネーションがある。

 

 二人とも、相手の武器を警戒していた。

 

(今まで通りなら入間さんはこの距離から仕掛けていた。けど今日は様子見か? どう来るんだ?)

(良い構えダ、攻め込む隙がまるで見当たらないんだナ。流石刀一本で戦ってきてるだけはあるナ)

 

 もう、手を出せば当たる距離。

 入間はスッと棍棒を構えて、

 

(さて、行くカ)

 

 それは一瞬だった。まるでマジックのようだった。

 入間が棍棒を構えたと思うと、次の瞬間。

 棍棒の切先が一夏の眼前まで迫っていた。

 

「!?」

 

 反射的な上体屈み(ダッキング)は普段の練習の成果。

 一夏は棍棒の突きを避けると同時に、入間の懐へと潜り込む。

 既に雪片の狙いは横腹に定めてある。

 

(動作が洗練されてる! 動きに一切無駄がない────コンビネーションが始まる前に攻めるんだ!)

(踏み込みが早イ! もう懐を取られタ────恐ろしいスピードだナ!)

 

 一夏が素早い横腹斬りを放つ。PICを乗せた一撃は、打鉄の装甲とて貫通するほどの威力を秘めていた。

 入間は機体ごと後ろに退くような上体反らし(スウェーバック)でこれを回避。更に踏み込んで来た一夏の返す刀も避けてみせる。

 

(風切音も尋常じゃなイ! まるで戦闘機が目の前掠めたみたいだゾ!?)

(コンパクトに連打連打! カウンターにビビるな────行くぞぉッ!)

 

 一夏が攻める。

 豪打を惜しげなく繰り出す。嫌になるくらい走り込んだのだ、初っ端から全力プレーでもスタミナに問題はない。

 対して入間は回避を繰り返す。とにかく避けまくって、カウンターの隙を窺う。

 

 入間は別に棍棒一つで戦っているわけじゃない。

 拡張領域(バススロット)にはアサルトライフルやバトルライフルが格納してある。やろうと思えば遠距離戦だって可能だ。

 だが、彼女は絶対にその判断はしない。それが例え窮地に追い込まれていたとしても。

 あくまで、彼女は近距離戦にこだわる。

 

(本当ならこういう奴は遠距離でチマチマやって片付けるのが早いんだけどナ。でもそんなことしてちゃ、疾風に相応しい操縦者にはなれないからナァッ!)

 

 入間は一瞬の──本当に瞬き一回分くらいの──間隙をぬってカウンターを打った。

 棍棒で突き刺すような一発。真っ直ぐに伸びたそれは、一夏の頬を僅かに掠める。

 

(クッ、上手ぇ! 振り終わりの一瞬を狙われた!)

(かすったくらいじゃ全く勢いを止められないカ。だったら直撃させるまでダ!)

 

 タイミングを覚え出した入間が、一夏の振り終わりに徐々にカウンターを差し込んでいく。

 360度、あらゆる角度から振りと突きを放つ。

 しかしそれらは一夏の頬を、頭を、白式の装甲を掠める程度。入間が下手なのではない、一夏が全ての芯を外しているのだ。

 

(もう一歩踏み込めれば……けどそれをさせてくれない! この人は間合い管理も抜群に上手い!)

(普通これだけタイミングを掴まれたらビビって攻撃はやめるもんだけどナ……コイツは精神力まで鍛え抜かれてル!)

 

 両者手を出し続けるが、一向に有効打はない。しかし会場の歓声は止まっていない。

 例えヒットは無くても、火の出るような高速の乱打戦に変わりはない。興奮するのは当然のことだった。

 

(一々踏み込んできやがっテ! しつこい野郎ダ、どっかに行けヨ!)

 

 展開に痺れを切らしたのは入間だった。

 彼女は一夏の踏み込みの瞬間を狙うように、棍棒を思い切り横薙ぎした。

 一夏の頭部を目掛けて棍棒が走る。

 

(大きいのが来る! ダッキング!)

 

 咄嗟の判断で、一夏は全身で下に潜るような深い上体屈み(ダッキング)をした。

 直後、頭上を横切る棍棒。舞い込む大きな好機。

 入間の表情が驚愕と焦燥に染まった。

 

(やばい避けられタ! 受け流す────いいや構わなイ! 一発耐えてやるんだナ!)

(横腹がガラ空き! 打ち込めぇえッ!)

 

 上体屈み(ダッキング)から大きく踏み込み、一夏は全力の横腹斬りをお見舞いする。

 これで受け流された時の感覚を掴める、と思った。受け流されたら、次は縦の攻撃に切り替えようと考えていた。

 雪片が入間の肝臓付近を直撃する。

 

 手に残る感触はいつもと同じ。

 

(なっ、受け流さねぇのかよ!?)

 

 予想外の出来事。一夏は思わず戸惑って一瞬手を止めてしまう。

 その一瞬を、入間は見逃さない。

 歯を食いしばって激痛と衝撃を耐え抜いた彼女が、今度は直撃必須のカウンターを叩き込む。

 

(しまった!)

(次は私の棍棒を受けてもらおうカ、織斑!)

(回避ガード、ッ、間に合わない! 堪えろぉッ!)

 

 棍棒の先端が、一夏の顔面を強かに捉えた。一夏が後ろへ弾き飛ぶ。

 確かに芯までヒットさせた感触が、入間の両手を走った。

 次は入間の好機だ。彼女は棍棒を引き戻し、嵐のような連打をかまそうと一夏の懐へ飛び込む。

 

(今度は私の────!?)

 

 弾いたはずの一夏の顔面。焦点がどこにも合っていないはずの一夏の両眼。

 だが、入間は目が合ってしまった。

 

 その刀の如く鋭い目と。その灼熱を宿した瞳と。

 目が、合ってしまった。

 

 一夏は後ろへ吹っ飛ばされようが、決して、入間を視界から外してはいなかった。敵を見失ってなどいなかったのだ。

 超えるべき敵を、ずっとその肉眼で捉えていたのだ。

 

 刹那、入間の全身が強張る。

 感じ取ったのは強烈な殺気。下手に飛び込めばカウンターを受けかねないと直感して、彼女はピタッと動きを止めた。

 折角の好機を無駄にしてしまった、なんて考えは彼女にはない。

 あるのはたった一つ。

 

(……最高ダ)

 

 入間は不敵な笑みを浮かべて、棍棒を握り直す。

 

(今確信を持てたゾ。お前を倒せたとしたラ……私は間違いなく過去を超えられるってナ!)

 

 一方、一夏は即座に体勢を直して雪片を構えていた。

 

(急所を突かれた! この人マジで上手ぇ、一瞬気ぃ失いかけちまった)

 

 彼は何度目か、入間の技術力の高さに目を瞠る。

 想像以上だった。実際対戦してみると、ビデオでイメージしてた以上に強い。

 しかもまだ、彼女は受け流しや棍棒のコンビネーションを残していると来た。

 

(……マジで強ぇ)

 

 その強さに畏怖すら覚える。

 けど、一夏にだって武器は残っている。

 死にものぐるいで身につけた超パワーの一撃と至近戦の技術。そして必殺のスマッシュが、まだ残っている。

 匙を投げる気は毛頭ない。

 それどころか凄まじい実力の入間を前にして、ある一つの思いが込み上げてくる。

 

(もし。もし、この強い人に勝てたのなら……俺はきっと……!)

 

 夢に大きく近づける。

 ならば、止まる理由はどこにもない。

 

「ぉおおおおおおお!!!」

「来イ、織斑!」

 

 一夏は雪片を構え、飛び出していた。

 




次回『火花散る激突』
バトルです。

本作の一夏は目上の人と話す時一人称を「僕」か「自分」に変えています。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

39話 火花散る激突

 プロIS選手(プレイヤー)・山田真耶は強かった。

 類稀な才能で日本ランキングを駆け上り四位にランクイン。デビューからあっという間に代表候補入りを果たした。
 多くの業界人からは将来を期待され、当時日本一位だった千冬にも「いつか戦う日が楽しみだ」とその実力を認められた。
 それ程までに、彼女は強かった。

 けど、その程度だった。
 三位の選手に勝てず。専用機を手に入れられず。
 目の前に立ちはだかった巨大な壁を、ただ見上げるだけしか出来なかった。

 そのうち才能の差を思い知って、彼女は夢を諦めた。
 いいや、違う。
 諦めてしまった。

 私はここまでなんだ、と。
 最後の最後で、彼女は自分自身をへし折ってしまったのだ。自分が積み重ねてきた全てを、自分自身で裏切ったのだ。

 選手引退後、空を見上げて、ふと瞳が潤んだ日もあった。無意味なたらればを考えて、そんな情けない思考に耽る自分を責めた日もあった。
 けど、ISが好きな気持ちだけは変わらない。これだけはどうしても、裏切りたくない。
 せめてIS業界に貢献したいと思い、彼女は第二の人生として当時設立して間もないIS学園で教鞭を執った。

 気付けば彼女は、IS学園の教員であることに誇りを感じていた。
 選手時代に経験した栄光、屈辱、後悔。その全てが、今になって活かされている気がして。何より若くエネルギッシュな少女たちの力になれている気がして。
 道こそ違うかもしれないけど、山田真耶は挫折から立ち上がったのだった。

 それから数年後。

「先生って上から読んでも下から読んでも『やまだまや』なんだナー」

 出会いは些細な会話からだった。
 最初は真耶もその少女のことを可愛らしい生徒、程度にしか思っていなかった。
 しかし、その少女は強かった。

 強すぎた。

 同年代よりも頭一つどころか五つも六つも抜けた才能を持って、少女は異例のスピードでプロ選手となった。
 目の前に立ちはだかる壁をぶち壊し、ひたすら真っ直ぐに自分の夢へと突き進んでいく。そんな少女を見て、真耶はある一つの想いを胸中に抱く。

 自分と同じ夢を見る、この生徒にだけは
 自分よりも才能に満ちた、この天才にだけは。

(この子にだけは、最後まで諦めてほしくない)



 だからあの時、真耶は崩れ落ちそうな少女を力強く抱きしめた。
 だからあの時、真耶は折れかけていた少女の心を奮い立たせた。

 だから今も、少女の背中へ────






「頑張って入間(いるま)さん!」

 

 観客席に座る真耶が声を張り上げる。

 その瞳には打鉄を纏った入間以外、何も映っちゃいない。

 

 真耶にとって一夏も大事な大事な教え子の一人だ。

 それでも彼女は入間だけを応援する。自分と同じ夢を見て、自分と同じように挫折して。しかし自分と違って尚も栄光を求める少女へ、最大限のエールを送る。

 

(貴方が貴方たるために、巨大な壁(おりむらくん)を超えてみせてください!)

 

 真耶の視線の先、アリーナ中央。

 試合開始から二分が経過。まだ序盤も序盤だが、両者はもう様子見なんぞ考えちゃいなかった。

 

「セァリャァアアアアア!!!」

 

 大きく前へ飛び出した一夏の唐竹割りを、入間が棍棒で防ぐ。

 頭上で弾ける衝突音に、爪先まで走る巨大なインパクト。入間はその桁外れの威力に再度目を丸くする。

 

(クッ! さっきの一発と言い、どこでこんな馬鹿力身につけ────)

 

 驚くほど素早いコンパクトな追撃は、反射的な上体反らし(スウェーバック)で避けてみせる。

 風切音と共にやってくる台風の如き風圧に、入間の毛穴から冷たい汗が噴き出る。

 直撃は許されない。特に未だズキズキと痛む肝臓(よこばら)は掠っただけでも危険だろう。と、分かっているのに、彼女は大胆不敵に口角を上げていた。

 

(まァ、それでこそ超えがいがあるってもんだよナ?)

 

 入間が視線を僅かに下げる。と、懐。既に一夏の足が踏み込まれていた。

 残像が見えるほど早い一閃が視界の角から走ってくる。狙いは顔面だろう。

 入間はスッと目を細めて、

 

(()()()()()()、全部ナ)

 

 無防備な入間の頬に、雪片の剣先がクリティカルヒット。

 PICと白式のパワーに、一夏の腕力。更に雪片の『デュアルインパクトブレード』。全てが重なることで生まれる爆発的一打が、入間の顔面を首元から吹き飛ばす。

 入間は()()()()()()()()()()()()()()()()

 

(手応えが────)

 

 そして一夏の鳩尾に棍棒が突き刺さる。

 

「グヴァ!?」

 

 一夏が吸い込みかけていた酸素を1ccも残さず吐き出す。

 刹那、心拍と共に全身を一周する痺れ。どうにか精一杯に顎を上げると、眼前。

 棍棒の穂先を向けられていた。

 

(ガーど)

 

 一瞬だった。

 ワンツー、ではなくワンのタイミングで、一夏の顔面の右半分と左半分がぶっ叩かれた。

 視界が明滅する。尚も入間を捉えようと一夏が目をかっ開くと、迫る棍棒がコマ送りみたいに映った。

 回避もガードも間に合わない。眉間とこめかみを三連打され、白式のシールドエネルギーが減少した。

 追撃は止まらない。たたらを踏んだ一夏の顎先が、棍棒で横へと強烈に弾かれる。

 

 そこで、一夏の瞳から光が消えた。

 

(やべぇな、脳震盪(のうしんとう)起こしやがった)

(気絶ではなく、あくまで一瞬の脳震盪故にブラックアウト防止機能が働かない。入間の奴め、機能の欠点を突いたか)

 

 観客席で隣り合う巻紙と千冬だけが、一夏の陥った状態に気付く。

 

 脳震盪(のうしんとう)

 頭に衝撃を受けた結果生じる、一過性の意識障害だ。

 

 通常、操縦者が気絶──つまり脳への血流量や酸素供給量が減少──しかけるとISはブラックアウト防止機能を働かせ、操縦者の意識を保とうとする。

 ところがただ頭を揺らされただけの脳震盪、しかも軽度のものと判断されるとISは無駄なエネルギー消費を防ぐために機能を働かせないのだ。

 未だ議論されている()()()()()。それを、入間は的確に突いたのである。

 

(意識を奪っタ!)

 

 今の意識なき一夏は、もはやサンドバック同然だった。

 

(一気に攻め────)

 

 入間の背筋が凍り付く。

 

 ギロリ、と。

 鷹のような獰猛な目つき。

 瞳の光こそ失えど、灼熱は燃えていた。

 

 織斑一夏はこの程度で終わる男じゃない!

 

「うオ!?」

 

 一夏は無意識に雪片を横薙ぎして、畳み掛けようとした入間の足を止めてみせた。

 予想外の反撃に驚いた入間へ、追撃のコンビネーションが襲う。横腹から顔面への連続攻撃は、だが、入間にはかすりもせずに振り抜かれた。

 

「はぁ、はぁ、はぁ!」

「こ、コイツ!?」

 

 一夏を突き動かしたもの。

 それは今まで積み重ねてきた尋常じゃない量の反復練習。凄まじき闘争本能。真っ直ぐな信念。

 正しく、一夏に()るモノたちだった。

 

 経験豊富と言えど、入間も初めての体験だった。

 驚愕よりも困惑が勝り、剣を振り回す一夏を呆然と見つめるしかできない。彼女ほどの実力者ならば、ちょいと隙を見て飛び込めば確実にダメージを与えられるはずなのに、だ。

 

「はぁ、はぁ、はぁ────は?」

 

 やっと、彼の肉体に意識が戻る。

 途端に目覚めた知覚たちが、彼の脳へ溜まった情報を一斉送信する。顔が痛い。鳩尾が痛い。口内が鉄の匂いで充満している。歓声が聞こえる。両手には雪片の感触がある。

 目の前には敵がいる。

 攻撃は────してこない。

 

(なんだ、何が起こった!? 何がどうなったんだ!?)

 

 一夏は瞬時に情報を整理する。

 

(落ち着け……俺は入間さんの顔を斬ったんだ。そしたら()()()()()()()()()()、鳩尾に棍棒がぶっ刺さってて、顔を何度もつつかれて……そっからなんも覚えてねぇ。ッいや、覚えてねぇならもうそれで良い)

 

 とにかく、彼は把握できている分だけをまとめる。

 分からない部分は考えるだけ無駄だと判断した。

 

(あの手応えの無さ、あのわざとらしいぶっ飛びよう。あれが『受け流し』か!)

 

 最も信頼を置く雪片を、ぎゅっと握りしめる。

 

(おまけにカウンターまで付けてきて、怯んだところに鮮やかなコンビネーション……何度も思ってるけど、この人は本当に強い!)

 

 遂に『天才』の所以に触れた彼は、大きな唾をひとつ飲み込んだ。

 分かっていたつもりだったけど、今、ようやく実感を得る。

 目の前のあの敵は、真っ赤な日の丸を背負った代表候補(ファイター)なのだと。

 

(かなり高く評価してたつもりだっタ……けどまだまだ甘かったんだナ)

 

 入間もまた、一夏の評価を修正していた。

 十分に引き上げていたはずの警戒心を、最大レベルまで引き上げる。

 

(コイツの執念はイカレてル。一瞬でも隙を見せたらあの破壊力でたちまち一発逆転もあり得るナ……なら意識を断ち切るだけじゃまず足りなイ!)

 

 天才のスイッチが入った。視界が狭まるほどの集中力を発揮する。

 ここに来て、入間の意識が極限まで研ぎ澄まされたのである。

 

(再起不能、それも完膚なきまでに叩きのめス)

(目つきが変わった、来る!)

 

 一夏の直感は的中した。

 彼我の距離七メートル。その間合いを、入間は脅威的な加速によって一瞬で殺す。

 加速で勢いがプラスされた真横からの棍棒を、彼は雪片で迎撃。合金どうしがぶつかり、耳をつんざくような金属音が響く。

 

 雪片を引き戻した頃には、頭部をかっ飛ばすような二発目が飛来していた。これは得意の上体屈み(ダッキング)で外す。

 回避から踏み込みの動作へ移り、攻撃。一夏は入間の横腹に向かって雪片を振るった。

 直撃。文字通り入間が纏う打鉄(うちがね)の装甲に、雪片の刃がダイレクトに当たった。

 

 入間が()()()()()()()()()()()()()

 なのに、手応えはゼロ。

 

(受け流────!?)

 

 何をされたか理解に至った頃には、棍棒で横腹を思い切り叩かれていた。

 入間のカウンターが綺麗に入ったのだ。

 

「ガハッ!?」

 

 巧緻極まったPIC操作で衝撃を去なす『受け流し』。洗練された棍棒術による変幻自在な攻撃。

 天才の二つの武器が、一夏に牙をむき始める。

 

 一夏が怯みを見せると、入間の高速コンビネーションが始まった。

 360度から絶え間なく放たれる打撃を、一夏は必死にガード。スタンスを大きく取って応戦するも、徐々に押され出す。

 パワーでは勝っていても手数に追いつけないのだ。

 

(このままじゃジリ貧だ! 回避してカウンターを)

 

 棍棒の動きに、一夏の目が慣れ始める。その頃合いを計ったかのようだった。

 『振り』が唐突に『突き』へと切り替わる。

 リズムと動きの変化に対応できず、一夏は腹部にもろに突きを喰らう。そのあまりの変化は至近戦を信条とするラウラや鈴をも驚愕させた。

 

(や、ばい! ガード!)

 

 真正面から迫る棍棒を、雪片で虚空へ逸らす。

 それにしても、手数が違いすぎる。被弾がどんどん増えていく。

 強引さと的確さが見事に噛み合った入間の多段攻撃は、一夏に手を出すことすら許さなかった。

 

 埒の明かない展開が続く。

 一夏は一旦戦術を変えようと、ハイスピードの至近戦の中で、チラッとシールドエネルギー残量を確かめる。

 

(クソッ、エネルギーは残り七割強────七割強!?)

 

 被弾数の割にはダメージを受けていない事実。

 理由は一夏が攻撃の芯を外したり、PIC操作によって衝撃に踏ん張ったりしてたためなのだが、今はそんなことどうだって良い。

 

(まだ余裕あるじゃねぇかよ! だったら行ける、行ける! 行くぞぉッ!)

 

 リスクを冒してでも彼は前進を選択した。

 自分を鼓舞して、足を一歩前へ。秒速六発の嵐の中に自ら突っ込んだ。白式の装甲が被弾の甲高い音を立てるが構わない。

 入間の連打を掻い潜り、自分の間合いを確保。

 

 視界の焦点は肝臓(よこばら)一点。

 

「おぉおおおお!」

 

 下から突き上げるような軌道で雪片をスウィング。

 必殺級の一撃は、しかし簡単に受け流される。当たっているはずなのに、いつもの手応えはどこにもない。

 入間の体が回転する勢いで捻られると同時、脇腹を衝撃が貫いた。

 

「く、ぉお!」

 

 PICで耐えて、雪片を振り上げる。

 今度は袈裟斬り。打鉄の分厚い装甲を真っ二つにするような一撃も、当然のように去なされる。

 打鉄に刀身が接触した瞬間、入間は前宙の要領でその場でグルンッ! と一回転。雪片を振り切ったと思うと頭上から棍棒が振り下ろされていた。

 反応するも防御は成立せず。頭蓋骨から背骨を伝うインパクト。

 

「まだまだァ!」

 

 一夏はめげず、恐れず、諦めず。

 しつこいくらいに肝臓(よこばら)斬りを放つ。ビデオを再生したみたいに、同じように受け流されてカウンターを浴びた。

 

「はぁあああ!」

 

 振り抜いた雪片を翻し、胴体へ斬りかかる。

 馬鹿の一つ覚えのように繰り出した。

 

(何度も何度も見飽きたゾ)

 

 入間は既に、一夏のパワーもスピードもタイミングも完璧に覚えていた。

 寸分の狂いもなく雪片を受け流してみせ、同時に鋭いカウンターを加える。もはや簡単な作業だった。

 

 それにしても末恐ろしいのは、その理不尽なまでの雪片の威力。全部を受け流しきっているのに、ちょっとずつダメージが蓄積している。

 彼女は畏怖を超え、素直に称賛していた。

 

(繰り出す全てが豪打。とんでもないヤツなのは十分に分かっタ。けど、その程度じゃ私は倒せなイ)

 

 視線を下げると、予想通り。

 

「ォルァッ!」

(また横腹、見え見えダ)

 

 またしても肝臓に向かってくる白い刀を入間は受け流し、カウンターを返す。

 一夏の頭部が跳ね上がった。

 

「クッ、カァアアア!!!」

 

 構うものかと言わんばかりに、一夏は胴体へ攻撃を繰り返す。

 無謀すぎる行いに、観客席の巻紙や千冬は疑問を抱いていた。

 

(あの野郎何が狙いだ、まさか下に意識を向けさせて上を攻撃ってか? そんな簡単なもん通じる相手じゃねぇのは分かってるはずだろ?)

(打つ手を失った……いや違う。あの(おとこ)とて数々の強敵と戦い抜いた戦士(ファイター)だ。まだ見せてない隠し玉があるのか?)

 

 一夏の狙いを理解しているのは、65000の観客の内でたったの六人。

 彼と共に鍛錬を積んだ少女たちだけだ。

 しかし。

 

「何をしていますの!? 良い加減出さないと貴方が先に倒れてしまいますわよ!?」

「まさかもう出せないほど体力使っちゃってるとかじゃないでしょうね!?」

 

 セシリアと鈴は不安に駆られていた。

 

「あの入間と言う女、数字以上に強いな。スマッシュを考慮しても、一夏が出会うには早過ぎたかもしれん」

「うん……正直刀一本って縛りだったら僕じゃ勝てない。一夏はよく……頑張ってる方だと思う」

「……」

 

 ラウラとシャルロットは諦観しかけていた。

 簪は沈黙したまま観戦していた。

 

 その中でも。

 そんな中でも、彼に技を教え、一緒に励んで来た箒だけは、期待の表情をしていた。

 不安や心配、落胆に包まれだした観客席で、たった一人、希望を捨てちゃいなかった。

 

(良いぞ、良いぞ! 入間さんの目線もガードも下に落ちてきている。注意を十分に引き付けている証拠だ!

 それに受け流されてると言えど、あの馬鹿げたパワーの一撃だ。相当なスタミナと気力を消費させているはずだ!)

 

 思わず手に汗握る。自分の試合じゃないと言うのに、箒の鼓動は早まっていた。

 片目が半分閉じるほど顔を腫らした大好きな人(いちか)を見つめて、

 

(完璧な布石────! 行け、一夏!)

 

 試合開始から十九分が経過しようとしていた。

 もう折り返しも始まっている。

 

「はぁ、はぁ、はぁ」

 

 気の遠くなるような下ごしらえだった。

 

 カウンターを喰らいに喰らいまくって、白式のシールドエネルギー残量は四割を切っていた。

 全身が痛い。左目も腫れ上がって視界がおかしくなっている。打鉄のシルエットが僅かにぼやけて見える。空の青がちょっと歪んでいる。観客席の人なんてみんな霞んじまっている。

 それでも彼は見失っていない。

 

 夢も、狙いも、越えるべき強敵も。

 断じて、見失ってなどいない。

 

 執拗な肝臓への一撃。

 これも簡単に見切られて、受け流された。でもカウンターのタイミングは身体で無理やり覚えた、間一髪で防いでみせる。

 ひび割れた肩の装甲がミシ、と悲鳴を上げる。気にしない。

 

 返す刀を胴体へ。

 何度目か受け流されて、雪片が空を切る。

 

(馬鹿げた執念ダ! どこからこんな気力が湧いてくるんダ!?)

 

 入間は一夏のしぶとさとしつこさに驚きを隠せずにいた。

 通用しないと分かっているはずの手を、何度も何度も使ってくる。それも、瞳に一縷の光を灯して。闘魂を燃やして。

 意味が分からなかった。

 普通なら心が折れていてもおかしくない展開なのに。どこかで戦術を変えるべきなのに。

 

(あぁ良いサ。だったらお前の全てを受け流してやル!)

(一発……)

 

 一夏の真っ赤な頬をカウンターがかすった。皮膚が切れて、血が流れる。

 気にしない。

 

(やっと一発ぶち込める……)

 

 横腹への一閃。余裕を持って受け流される。

 ダメージはほぼ無いだろう。けど()()()()()()だ。

 カウンターは上体屈み(ダッキング)で躱して、深く踏み込む。

 構えは横腹斬り。瞳の先は入間の肝臓付近。

 

(箒、みんな……見ててくれ)

 

 天才は懐へ視線を落として、受け流しの状態に入っていた。棍棒も既にガードではなくカウンターの準備に入っている。

 もはや受け流されるのは確定事項だろう。

 

 ()()()

 一夏の瞳が焔を上げる。

 弓を引くように雪片を引っ込めて、PICと全身の力を切先一点に込めて。

 

(これが俺の────俺のッ!)

 

 今こそ敵を穿つ時。

 渾身の一撃を、真っ直ぐにぶっ放す。

 

(俺のスマッシュだぁあああああッ!!!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 爆裂音が弾けた。

 

 信じられない轟音がアリーナを駆ける。それはまるで無数のダイナマイトが一度に爆発したような、そんな轟音だった。

 65000全ての観客の目が、アリーナ上空に釘付けになる。

 

 ()()()()()矢の如く放たれた雪片の先端が、入間の頭部を滅茶苦茶な威力で弾き飛ばしたのだ。

 

 両腕で雪片を突き出す一夏と、えび反りになって後方へ吹き飛ぶ入間。

 ほんの一秒前まで、誰がこの映像を想像出来ただろうか。

 

 巻紙は口をぽかんと開けて。千冬は腕組みを解いて。

 セシリアと鈴は口に手を当てて。ラウラは言葉を失い、シャルロットは瞬きを忘れて。簪は立ち上がって。

 箒は震える腕で小さくガッツポーズ。

 

 入間は糸の切れた人形みたいに地面へ落下する。

 がたん、と無機質な衝突音は静かなアリーナによく響いた。

 一夏は入間を追うように着地。フラッと揺れた足は意地の鞭で叩いた。

 

 直後、大歓声が青い空を縦横無尽に飛び交う。

 

『おおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!』

 

 唯一の男性IS操縦者の一発逆転に、熱くならない訳がない!

 たったの一発。たったの一発で、一夏と入間の立場がひっくり返った。

 

「一夏ぁああああ!!! うぉおおおおおおおお!!!」

「織斑さん最高ぉおおおお!!!」

 

 五反田兄妹も叫ばずにはいられない。

 

(あの野郎、ずっと受け流しとカウンター喰らいながらアレを狙ってたって訳かよ!?)

 

 巻紙(オータム)の顔からは笑みが溢れていた。それも、試合を心底楽しんでいそうな笑みが。

 記者としてもファンとしても、一度手を合わせた者としても。高鳴る鼓動を隠せない。

 

(とんでもねぇモン身につけやがって! ありゃなんだ、なぁなぁなんなんだよおい! 最ッ高ッじゃねぇか!)

 

 巻紙の興奮が伝わっているかのように、隣の千冬も落ち着きを失っていた。

 

(受け流しは極めて高い集中力と繊細なPIC操作が必要、故に不意打ちには滅法弱い。それに入間の受け流しの場合は正面からの攻撃が弱点……とは分かっている。分かっているが、なんだ今のは)

 

 夏休み────千冬が付きっきりで一夏と特訓した時には、あんな技は一つもなかった。

 つまり、一夏は夏休み明けから今日までのたった一ヶ月間で、あの異常な一撃を習得したことになる。

 それは千冬の予想をずっと上回る成長ぶりだった。

 

(()()()()()()()()()()()()。だが、だがまさか……お前にここまでワクワクさせられるとは)

 

 一夏コールが鳴り止まない。

 老若男女入り混じった大合唱に、だけど一人だけ抵抗するように彼女の名を叫ぶ教師がいた。

 

「立って! 入間さん! 立ち上がって!」

 

 地に伏したただ一人の弟子に、腹の底から叫び続ける。

 

「まだ貴方は戦えるはずです! 先生の知っている貴方ならまだ、まだ立ち上がれるはずです!」

 

 少女の勝利と前進を願い、山田真耶は大声で呼びかける。

 声が届いていようがいまいが知ったこっちゃない。彼女は何度だって名前を叫ぶ。

 自分が出来ることは、応援だけなのだから。

 

「どう見る、セシリア?」

「直撃も直撃、わたくしから見ても至高無上のベストヒットでした。まず立てないと思いますわ」

「……アタシもそう思ってたとこよ」

 

 セシリアと鈴は震える声で会話した。

 たった一発で現実的になった一夏の『勝利』にドキドキせずにはいられなかったのだ。

 

「お願いだ、立つな……このまま一夏に勝利を……」

 

 箒は切実に祈って。

 

「す、凄い。一撃でダウンさせちゃった……あんなの立てっこないよ」

「……本当にあるものなのだな。『一発逆転』と言うのは」

 

 シャルロットとラウラは肝を冷やして。

 

(……)

 

 入間とも一夏とも交流のある簪だけは、複雑な思いで何も考えることができず。

 

(立ってくる)

 

 一夏だけが、強敵の復活を確信していた。

 雪片を力いっぱいに握って、肩で大きく呼吸した。

 

(あの人の戦意は一発だけじゃ刈り取れない……だからと言って何度もスマッシュが通用するような柔な敵でもない! 箒が言った通り二発だ、二発目で決着をつける!)

 

 一夏はルールで許されている距離まで、倒れた入間へ接近する。

 

 カツン、カツン、と。

 傷だらけの白式が、入間にゆっくりと近づいていく。

 

(あァ……)

 

 鼻と口から鮮血を流して倒れる入間は、混濁する意識の中で、必死に思考を張り巡らせる。

 

(今の一発……すげぇナ。絶対防御も発動したゾ)

 

 絶対防御。普段は不可視のエネルギーバリアで守られている操縦者が生命の危機に脅かされた時、もしくはエネルギーバリアが突破された時に発動する、操縦者を保護するための機能だ。

 通常のISバトルにおいては滅多に発動しない機能。その絶対防御を使用したと、ISのログが知らせる。

 それは同時に、スマッシュの破壊力を物語っていた。

 

 癖付いた行動として、入間はシールドエネルギー残量を確認。

 三割を切っている。さっきまでは九割近く残していたから、半分以上削られていた。

 受け流すどころか防御もできず、踏ん張ることすらできず、意識の外から攻撃を受けたのだ。むしろこの程度の損害で済んでいるだけ有り難かった。

 

 立ちあがろうと、腕と足に力を込める。

 でも、思うように動かない。力そのものが入らない。

 

(くっそォ、体が動かないんだナ)

 

 一生懸命に首を動かすと、視野の奥に白い機体が佇んでいた。

 刀が日光を反射して白く輝いている。自分を倒そうとする凶暴な刃が、無慈悲にもこちらに向けられている。

 

(ふふッ。大ピンチってやつダ)

 

 入間は今日までの経験を思い出して。

 今は亡き疾風炎刃(あいぼう)の姿が脳裏を()ぎって。

 

(……超えなきゃナ)

 

 入間優香(いるまゆうか)には夢がある。

 それはこの世界の頂点に立つこと。それもたった一機の疾風炎刃(あいぼう)と一緒に、だ。

 共に情熱を分かち合い、苦労と苦難を分け合ったあのISと、頂点に立ちたいのだ。

 

 一度絶望を味わい、終わらせようとした夢。捨てちまおうとしたあの輝き。

 それでも、師匠が立ち上がらせてくれた。師匠がお前は諦めるなと言ってくれた。本心に気付かせてくれた。

 だから、もう一度追い求めた、あの光。

 

 大丈夫。今はちゃんと、瞳の先に見据えている。

 心配ない。胸のペンダントは熱いままだ。

 

(立つゾ。立って、あの強敵を超えてみせるゾ)

 

 入間は決意したのだ。次こそ、相棒に相応しい操縦者になるのだと。

 あの忌まわしき過去を、今日ここで乗り越えてみせるのだと。

 だから、だから!

 

(私が私たるために、こんな所で寝てられないんだナ)

 

 おもむろに起き上がる。

 両腕にありったけの力を注いで、上体を地面から離した。

 

 試合の続行を予感して、会場が再び盛り上がる。

 だけど、戦場は苛烈な殺気で満たされていた。

 一夏は雪片を構えつつ、自分の額から嫌に重たい脂汗が垂れるのを感じる。

 真ん前。膝を付いて立ち上がろうとする入間。まだ戦闘準備もできてない彼女から滲み出る濃密な執念を、一夏の直感はピリピリと感じ取っていた。

 

 入間の両足が、大地をしっかりと掴む。

 

(なぁ、見てくれてるカ、疾風……)

 

 もう、あの頃とは違う。

 弱くて、挫けて、諦めようとしたあの頃とは違う!

 

(私はまだ、立ち上がれるんだナ!)

 

 不屈の天才が静かに棍棒を構えた。一夏は返答するように、切先を入間へと向けた。

 ボロボロの二人。けれどもここにきて更に燃え上がる二人。

 互いに、絶対に負けられない敵をギラつく瞳で睨みつける。

 

(見るからにダメージが入ってる。チャンスだ、一気に畳み掛けろッ!)

(はン、もう一発アレを狙ってるナ────『天才』も甘く見られたもんダ。舐めるなヨォ!)

 

 動きは同時。

 一夏は大地を蹴って、入間はスラスターで加速して。

 雪片と棍棒が激突し、火花を散らせる。

 




次回は、もしよろしければ、PC版表示にして読んでいただけると幸いです。よろしくお願い致します。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

40話 七転び八起きの逆転戦士(ファイター)

 織斑一夏には負けられない理由があった。入間優香(いるまゆうか)には勝たなきゃいけない理由があった。
 白い剣には信念が込められていた。黒い棍棒には意地が込められていた。

 両者には、見果てぬ夢があった。

「おぉおおおおお!!!」
「ハァァアアアア!!!」

 アリーナの大地にて、白と黒が激突した。
 両者の熱量を示すように火花が散り、両者の力を示すように余波が大気を伝う。
 両者は弾け、しかし強敵を食い破らんと再び激突する。
 ある観客はその迫力と熱気を浴びて、思わず巨大な歓声を上げた。ある観客は二人のその姿があまりにも美しく映って、言葉を失ってしまった。

(食らエェ!)

 入間の攻撃の方が一つ速かった。超パワーの雪片を技巧極まる棍棒術で払いのけると、打突を一夏へと放つ。
 一夏はこれを首だけで回避したが、間も無くやってきた二発目を被弾。ただでさえ腫れ上がっていた左目がとうとう潰れてしまう。距離感が狂ったと思ったらもう一発を貰って、鼻から血を噴き出した。

(なんのこれしきィ!)

 一夏はPICで踏ん張り、燃えたぎるガッツで反撃。入間の領域(まあい)へ自ら踏み込んで、肝臓目掛けて雪片を振るった。
 狙い通りの箇所に雪片が着弾する。と、彼女はその場でコマみたいに一回転。衝撃を全て受け流したのだ。

(見えてんだヨ!)

 入間は回転の速度を乗せて棍棒を横薙ぎ。
 雪片を振り抜いた一夏の頭部に一閃が迫る。

(来る、躱せ!)

 カウンターのタイミングは体で覚えていた。
 一夏は素早く上体を屈ませカウンターを外す。そのまま右足を前に出し、打ち込んだのは横腹斬り。狙いは入間の胃の辺り。

 これも受け流されてしまう。
 手応えは皆無。だけど問題ない。
 一夏の本命はあくまでスマッシュ。それまでの攻撃は全てスマッシュの布石に過ぎない。

(もっと注意を引きつけるんだ! 連打連打連打!)

 カウンターを回避して、一夏はひたすらに入間の胴体を攻撃。
 振り子運動のように左から右へ。刀を翻し右から左へ。全て受け流されても、カウンターで腹を抉られても、手を出し続ける。
 スタミナ配分なんぞ考えちゃいなかった。試合時間残り十分で決着をつけるためにも、今できる最大限を尽くす。

(まだまだぁッ!)
(クソッ、こいつまだこんなふざけたパワー残してんのカ!?)

 入間は必死に連打を受け流しつつ驚愕していた。
 もう試合も後半だと言うのに未だ、放たれる斬撃の全てが破壊力抜群。
 単に機体のパワーだけじゃない。操縦者のスタミナと操縦技術も一級品であることの証明だった。

 雪片を横腹に受けた瞬間、衝撃に従うように横へすっ飛んでダメージを殺し、同時に棍棒を振るった。
 先端が一夏の顔面を強かに捉える。芯までヒットさせた確かな感触が入間の両腕を巡った。

「ぉぉおおおおおおお!!!」
「!?」

 なのに一夏は止まらなかった。
 鼻血を散らしながら、彼は全身を使って雪片をぶん回した。鋭利な穂先が入間の血で染まった鼻先をかすめる。
 あまりにも危険な紙一重。もし直撃していれば、首から上が飛んでいたかもしれない。

(チィッ! 馬鹿げたパワーを捌き続けるのはしんどいもんだナ!)

 受け流し続けているとは言っても、そのどれもが一撃必殺級。ほんの僅かに伝う衝撃ですら、スマッシュを食らった体には強烈だった。
 加えて敵は豪打を打ちまくれるスタミナと、受け流しやカウンターを恐れぬ強靭な精神の持ち主。一瞬でも気を緩めようものなら何をされるか分かったものじゃない。おまけにスマッシュも警戒しなければならない。常に極限のプレッシャーに晒されていた。

 少しずつ蓄積していく体力と精神力の疲労、そして今なお残るスマッシュのダメージが、入間を着実に蝕んでいく。

(良いさ認めてやるヨ。パワー面じゃお前は過去最強だってナ!)
(畜生、距離感もおかしいのに腕の感覚までおかしく────弱音を吐くな織斑一夏! 根性ォォ!)

 強打と受け流し。連打とカウンター。
 一見、一方的にカウンターを当てている入間の方が有利に見える状況。しかし実際には、息の詰まるような際どい攻防が展開されていた。
 一夏の常識離れした破壊力が、徐々にその効果を発揮しだしていたのだ。

(死んでも止めねぇ!)

 『天才』に在りったけの根性で応戦。
 一夏は左右の連打で、入間の胴体を斬りつける。

 受け流され、カウンターを浴びる。白式の胸部装甲を割られてシールドエネルギーが減少、呼吸が一瞬途絶えた。止まらない……。
 続け様、右と左を連続で受け流された。自分の動きに体を持っていかれそうになって、膝が崩れそうになる。止まらない。
 高速の追撃も回転で去なされた。正面からの棍棒を上体屈み(ダッキング)で避けたかと思うと、頭上から振り下ろされる。意識が消えかけた。止まらないッ!

 織斑一夏は決して連打を止めやしない。
 その荒々しい姿はまるで暴風の化身。その灼熱に滾る瞳はまるで鬼神の紅眼。

(なんてしつこいやつダ! 自慢の強打が何回も受け流されてんだゾ!? いい加減諦めろヨ!)
(勝つんだ、俺が勝つんだ!)

 カウンターの餌食となる一夏と、スマッシュのダメージを残す入間。両者共に、もうシールドエネルギーも体力も底をつきかけていた。
 特に一夏なんて白式も肉体もボロボロだ。
 白式は至る部分の装甲が割れていて、無傷な箇所を見つける方が難しかった。一夏は左目を完全に潰され、頬と鼻を血で染め、距離感だけでなく腕の感覚も失い始めていた。

 だが熾烈な攻防に競り勝とうとしていたのは、そんな満身創痍の一夏だった。

「しまッ」

 とうとう、一夏のラッシュが入間を崩す。受け流しのタイミングがワンテンポ遅れたのだ。
 一夏は雪片から小さな小さな、だけど間違いなく無ではない手応えを感じ取る。

(今の感触、もう少しだ! 攻めろぉぉぉッ)
(『天才』を舐めるナァ!)

 一夏の返す刀を入間は受け流し────ではなく、棍棒でガードした。
 この試合で入間が初めて見せた明確な『防御』に、観客席のIS操縦者たちが湧き立つ。

「あの入間さんがガードだと!?」
「もう受け流しを続けるほどの集中力も体力もない証拠ですわ。ここが攻め時でしてよ一夏さん!」

 箒とセシリアは興奮し、

「さっさとスマッシュ決めちゃいなさいよ!」
「チャンスだ、攻めろ!」
「負けないで一夏!」

 鈴とラウラ、シャルロットは声を上げ、

(……二人とも頑張って!)

 簪は静かに戦況を見守り、

(織斑の目つきが変わった。アレをぶっ放す気だな!?)
(あの打突は最初の構えが肝臓(よこばら)斬りと全く同じだった。入間とて瞬時に見抜くのは至難ッ!)

 席に並ぶ巻紙と千冬は期待感を覚え、

「入間さん! 一旦退()いて! 意地を張ってはいけません!」

 真耶は唯一の弟子へ、喉がはち切れそうな声で叫んだ。

(私にも意地があル!)

 日本四位は決して退かない。
 確かに拡張領域(バススロット)にはライフルが沢山格納されているし、安全圏からチマチマとエネルギーを削り続ければ試合にも勝てるだろう。今の状況をしのぐには、それが間違いなく最適解。
 そんなの彼女だって分かってる。

 だが、彼女は退かない。
 ピンチに真っ向から立ち向かう。

 胴体に襲いかかる雪片を、棍棒で全力ブロック。
 スタンスを広げていてもなお、その衝撃には耐えきれなかった。踵で地面を削るように滑る。
 体勢が乱れたところに飛び込んできた一夏は、咄嗟に突き出した棍棒で弾き返す。

(三十一位(コイツ)が正々堂々打ち合いに来てるんダ! 代表候補(わたし)が退ける訳ないだロ!?)

 一夏が雪片を構えるより早く動く。一、二と踏み込んで、棍棒を思いきり振り下ろした。ギリギリで防がれる。

(ここで強敵(コイツ)に打ち勝てなきゃ、疾風(あいつ)に似合う操縦者(おんな)になれないだロ!?)

 跳ね返された棍棒を頭上でぐるっと回し、そのまま繰り出したのは電光石火のコンビネーション。前と後ろの先端で、一夏の右頬と左頬をほぼ同時にぶっ叩いた。
 回避も防御もされなかった。二発とも顔面に命中し、一夏の頬の傷から鮮血が飛び散った。

「がはっ」

 一夏が低く呻く。
 頭を揺らされたために連打の疲れが一気に吹き出て、息が続かなくなった。腕の感覚が消え失せて、視界がぐにゃりと歪む。闘争心で繋ぎ止めていた意識が、いよいよ消えそうになる。
 体力がすっからかんになった。

(まだ、だ……)

 それでも彼は堪える。
 今度、彼の意識を繋ぎ止めたのは、絶対に譲れない夢と信念。

(誰よりも強く、なりたいんだァァァ)

 気力だけで反撃。入間の脇腹目掛けて雪片を打ち込む。
 それまでは簡単に受け流されていた一撃だったが、

「ぐァッ!?」

 斬撃を受け流そうとした入間の表情が苦悶で歪んだ。反応がまたしても遅れたのだ。
 ただ、今回の遅れは致命的だった。衝撃を半分も殺せなかった。
 ダイナマイト十個分とも思える威力を、五十パーセントも通してしまったのだ。

(マジ、かヨ!?)

 突然肝臓から全身を貫いたインパクトに、入間の動きが完全に止まった。
 時間にして僅か一瞬の怯み。だが、一夏は一瞬の隙をも見逃さない。

(もう一発ッ)

 畳み掛けるようにコンビネーション。
 落ちた入間の顔面を真横からぶった斬る。鼻血と鮮血の混じった赤色が散り、入間はたたらを踏んだ。

 最大の好機に、一夏の闘魂が燃え上がる。

(今だ、今なら大きいのが入る)

 彼は雪片を手元に戻しながら、左足を勇ましく前に進めた。
 仰け反り後退した入間の懐に潜り込む。腰を落として上体を低い位置まで持っていき、PICのパワーを全身に掛ける。
 思いの丈を、刀に載せる。

(二発目(さいご)のスマッシュ、届けぇぇぇッ!)

 勝負の二発目は、()()()()()()()()()ぶっ放す。
 一夏の切り札、スマッシュだ。

「決めろ、一夏ぁ!」

 最高のタイミングに箒が叫んで、

「やばいッ!」「行くな一夏!」「そこです入間さん!」

 巻紙(オータム)と千冬と真耶、三名の声は同時だった。観客の中でも百戦錬磨の二人と弟子を信じる一人だけが、アリーナの異様な空気を察知していたのである。
 直後。弓を引くように雪片を構えた一夏は、見た。

(なっ)

 ギロリ、と。

 入間の瞳が眼光を放つ。
 それは絶対零度の冷たさを秘めた、敵を射殺すかのように鋭い光だった。

 生死を分ける土壇場にて。

 天才・入間優香が覚醒した。

(来いヨ織斑)

 理屈だとか理論だとかじゃない。ただの直感だった。
 だがただの直感故に、迷いは一切なかった。
 入間は背中を後ろに曲げて、スマッシュを誘うようにわざと顎を上げていた。両手の棍棒は、既にカウンターの準備を終えている。

 ここに来て。体力も気力も集中力も尽きかけたここに来て、彼女が取った行動は『受け流し』。

(さっきの一発で全部覚えてんだヨ)

 凡人を超越するからこその天才。
 窮地を超えるからこその、天才。

 その瞳から繰り出される力が、一夏を一直線に貫く。

(お前の全てを超えて、私が勝ツ!)
(やばい、受け流されるッ)

 スマッシュのモーションに入っていた一夏は止まれない。
 止められない、止められない。例え理解できていても、止めようがない!
 今さら急停止など出来る訳がなかった。

 渾身の力で血の滲む歯を食いしばる。

(止まれっ、止まれ止まれ止まれ止まれ止まれ止まれ止まれ止まれ止まれ止まれ止まれ止まれ止まれ止まれ止ま止まれ止まれ止まれ止まれ止まれ止まれ止まれ止まれ止まれっ、止まれぇぇぇーッ!!!!!!




























────────違うッ!)



 闘魂、爆発。
 止まれないと言うならば、止まらないスピードでSTRAIGHT JET(真っ直ぐにブチ抜ける)のみ!

 一夏はただでさえ目一杯前に出していた左足を、もっと前へと移動(シフト)させた。
 腰が深くまで落ちる。と、地面と平行になるまで背中を反って、雪片を斜に構えた。視線はもう一度入間の肝臓へ。

 雪片の切先が、途端に鋭い弧を描く。

「────ハ!?」

 地面スレスレ超低空から、一夏がフルスウィングで雪片を突き上げるッ!
 打突を受け流そうとした入間を襲うは急上昇する斬撃!

「ぉぉぉおおおおおおおおお!!!」

 ()()爆裂。
 入間の肝臓を、究極の一打が直撃した。

「ガはァ!?!?!?」

 打鉄の装甲が木端微塵に破砕した。
 入間は口から肺の空気を全部吐いて、体を()()()に曲げる。
 同時、彼女の六十五兆個もの細胞に迸ったのは、死んでしまいたくなる程の激痛の稲妻。同時、彼女の体内で響いたのは重く鈍い不吉な音。
 ゴキリ、と。

(あ、あばらが持ってかれタッ)

 塞がらない口から大量のよだれが溢れる。
 あまりの激痛に入間の足は小刻みに震え、棍棒から勝手に離れた片腕は脇腹を抑えていた。
 当然の結果だった。スマッシュと同レベルの一撃を、無防備の肝臓に食らったのだから。

 正に天才を超える一閃。

 ピンチは今、チャンスへと逆転する。

(な、なんて奴だ! あの土壇場で打突を無理やり肝臓斬りに変えたのか!?)

 千冬すら予想だにしなかった一発だった。
 彼女は目を剥いて、

(体力と気力勝負の後半戦、今の一打は間違いなく両方を断ち切った!)
「行けぇええ織斑ぁあッ! そのままぶち込んじまえぇええ!!」

 千冬の隣で巻紙が元気よく拳を突き出す。
 その声援がまるで届いているかのようだった。入間の懐から、一夏が勢いよく上体を起こす。

「っっっぷはぁぁぁぁーッ!」

 一夏はたまらず新鮮な酸素を肺いっぱいに吸い込み、溜まった疲労と共に二酸化炭素を吐き出す。

(力をふり絞れぇッ!)
「ァ、アァ」

 目の前には体を折りたたみ、顔を上げるのがやっとな状態の入間。もはや指先で少し押しただけでも倒せそうだった。
 だが、この男の繰り出す攻撃がそんな生やさしいはずもない。

「ぉぉおぁぁあああ!」

 爆撃の如き破壊力の斬撃で、最後のラッシュを叩き込む。

(受け流────)

 瀕死の入間の顔面に、無情の雪片がぶち当てられる。
 彼女の頭部がホームランみたいに吹っ飛んだ。

(受けな────)

 ガラ空きとなった肝臓に追い打ちが刺さる。
 砕けた打鉄の黒い装甲は、もう守備力を完全に失っていた。ミリも軽減されなかった衝撃が、彼女の折れた肋骨をあらぬ方向へとズラす。
 入間は未知の痛みに絶句。それでも棍棒を構えようとすると、霞んだ視界に映ったのは、雪片を振り上げた一夏だった。

(ガーど────)
「チェェェストォォオオオッ!!!」

 胴を斜めに斬り裂くような一太刀。綺麗な袈裟斬りが決まった。
 一夏は更に連打を仕掛けようと刀を持ち上げたが、それ以上は何も必要なかった。

 入間は数歩ほど下がると、重力に逆らうことなく両膝を地面につける。そのまま糸が切れたように、ゆっくりと前のめりに倒れた。

 誰もが決着を予感した瞬間だった。

『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!』

 観客席から歓声の嵐が巻き起こる。なにせ逆転に次ぐ逆転勝負だ、これで熱くなるなと言われる方が無理だろう。
 歓声を向けられた一夏はと言うと、ルールに則るようにダウンした入間から距離を取っていた。

「はぁーっ、はぁーっ、はぁーっ、はぁーっ」

 肩を上下させながら空を仰ぎ、千鳥足で離れていく。
 ふらつきが酷い。こちらもそよ風が吹いただけで倒れそうな様子だった。

「あいつ……あんなに、あんなに限界だったのか」
「今のが最後の連打だったんでしょうね……でも100点満点中150点の連打よ。ほんっと、こんな時だけしっかり決めちゃうんだから」
「あぁ……だがまさかここまでやるとは、正直思ってもいなかった」

 箒と鈴、ラウラは想いを馳せる少年に感動すら覚える。
 傷まみれでもなお限界を超え続けようとするその姿は、少女らの記憶に深く刻まれていた。

「……一夏さんの最大の武器はスピードでも破壊力でもなく、あの爆発力ですわね」
「僕らの予想をいつも飛び越えて来る。いったい何が一夏をあんなに突き動かすの?」

 セシリアは恐ろしそうに語って、シャルロットは興味深そうに呟いた。
 セシリアに至っては一度それを身をもって味わっている。()()()()()、今の自分と一夏が戦ってみたらどうなるのか、無意識に想像してしまう。

(まだ決着はついてない。終わりのブザーが鳴るまでは試合中、どっちが勝つかは誰も分からない)

 同じ代表候補だから。いつも一緒に鍛錬を積み重ねているから。
 二人の実力をよく知っている簪は、黙って行く末を見守っていた。

「入間さん……」

 真耶は奥歯を噛んでアリーナを見つめていた。

 弟子の痛々し過ぎる姿が映る。
 纏われた打鉄には最悪レベルの破損が数多く見られる。特に粉砕された腹部装甲なんて、周辺の内部機構と一緒に交換が必要だろう。
 入間の身も相当傷ついている。顔は鼻血と鮮血で真っ赤だったし、今の腹への一撃とラッシュで体力も気力も無くなったはずだ。

 頑張りきった人間に「頑張れ」と言うほど、酷なことはないと真耶は知っている。
 だから、何も言えなかった。
 立ち上がってとも、まだできるとも、貴方ならとも、言えなかった。

「諦めないで……」

 ぽつりと出た一言は、最後の最後に残った純粋な本心。
 彼女は自分の後悔と挫折を吐露するように言い放った。

「もし、もし立ち上がれる力があるのなら……どうか諦めないでください! 他の誰でもない、貴方自身のために諦めないでください!」

 自分と同じように栄光を掴み、同じように挫折して。だけどそれでも立ち上がった入間にだけは、最後まで夢を貫いて欲しいから。
 たった一人の弟子へ送った、精一杯の応援だった。

(もう、ダメダ……)

 大地に寝そべる入間は、とっくに戦える体じゃなかった。気力も事切れてる。
 辛うじて意識が繋がっているだけの状態だった。

(もう……良いよナ? 私は十分頑張っタ……やれることは全部やったんだナ)

 打鉄のアラートが何重にも重なってうるさい。でも全力を尽くした証拠だと思ったら、悪い気分にはならなかった。

(にしてもアイツすげぇナ……まさかこれだけ頑張っても負けちまうなんてナ。あ、これでまた専用機全敗記録更新ダ……また勝てなかったナァ)

 入間は気持ち良く眠るように、そっと瞼を閉じる。
 暗闇の中、最後に浮かんだのは、胸に飾った歪な形のペンダント。力強く紫色に輝く、相棒の亡骸だった。

(ごめんナ疾風……頑張ったんだけど、やっぱり私には無理だったヨ……)

 入間の意識が深い闇へと沈んでいく。

(ごめんナ……こんなに弱くテ……)

 光から遠ざかっていく。あれだけ夢見たあの光から。
 入間は伸ばした腕を引っ込めて、

(ふざけるナ────ッ!)

 傷だらけの腕で、真っ黒などん底から這い上がる。
 目をかっ開き、両の手にありとあらゆる力を注ぐ。

(また自分で諦めるのカ? あの日の気持ちを忘れたのカ!? いいや違ウッ!)

 彼女は諦めない。
 相棒の亡骸(ペンダント)に誓った想いを胸に、体を起こす。
 まるで脱皮して剥がれた皮みたいに、入間からパラパラと砂が落ちた。
 彼女の闘志が轟々と燃え盛る。

(あの日を超えるんダ! 疾風に、私は強くなったんだぞって言ってやるんダ!)

 あり得ない光景だった。観客は途端に言葉を失った。
 入間優香が、のっそりと立ち上がったのだ。
 虫の息だと言うのに、眼だけはギラッギラしている。あたかも、入間の暗闇で光り輝いていたあのペンダントのように。
 その瞳が醸し出す迫力に、会場中が圧倒される。

 たった一人を除いて。

(……本当に、この人は強いッ)

 疲労困憊の体に鞭を打って、雪片を構える。
 最強を目指す少年は、胸を熱く滾らせた。

(超えたい……俺は、この強い人を超えたい!)
(……お互い次の一発が最後ってとこカ。話が早くて助かるヨ)

 体力も気力もない二人は、闘争本能のみで立っていた。
 痛みも疲労も許容量を超過している。だけどそれ以上に、勝ちたかった。
 一夏は眼前の強大な敵に。入間は過去の弱かった自分に。
 絶対に勝ちたかった。

 ()()遥か先に、叶えたい夢を見据えて。

(超えるんだ────俺に在る信念(すべて)を、この一撃に懸ける!)
(勝つゾ────私の意地(ぜんぶ)を、この一撃に込めル!)

 両者が至った結論は奇しくも同じ。

 刹那の静寂。
 木の葉すら揺らさぬ静けさを挟んで。

 同刻、二人は弾かれたように前進。
 一夏は両腕に雪片を、入間は両腕に棍棒を握りしめていた。
 小細工は一切なし。二人の性質を示すような真っ向勝負だった。

「おぉおおおおおお!!!」
「ハァアアアアアア!!!」

 間合いが重なる。
 己の在りったけを躍動させ、一夏は雪片を薙ぎ払う。入間は棍棒を振るう。
 刀と棍棒がかち合い、けたたましい衝突音が大気を駆ける。
 勝負は一瞬だった。

 入間の棍棒が、両手から弾け飛んだ。

(────)

 彼女は弱々しい表情で、今まさに雪片を構えた一夏を見つめて、

「ウワァアアアアアアアアアアアアッ!!!」
「ッ!」

 一夏は一歩を強く踏み込み、スタンスを広く取る。上体をぐっと落として、入間に背中を見せるように腰を捻り、雪片は弓を両腕で引くように構えた。
 最後に、瞳には全てを灰燼にするほどの灼熱を装填。
 拳を振りかざした入間は気付く。
 この構えは────そう、この構えは!

 正真正銘、()()()()()()()()()

「ぉぉぉおおおおおおおおおお!!!」

 入間の胴を穿つような打突が、打鉄のひび割れた装甲を吹き飛ばす。
 一夏の肩から伸びた腕、雪片の太刀筋まで。それらは美しさすら覚えるような直線を描いていた。
 
 会場中が息を呑んで二人の最後に刮目する。

 やがて、先に動いたのは一夏だった。雪片の重さに耐えかねて、両腕がぶらんと垂れ下がったのだ。
 雪片の切先が地面に触れる。カチン、と小さな音が鳴った。

 同時だった。
 入間が大の字になって、大地に背中を預ける。ドサッ、と無機質な音が立った。

 激戦、決着。
 今、勝者の名が、アリーナに響き渡る。

『試合終了。勝者、織斑一夏!』
『おおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!』

 途端に戦場に降り注ぐは65000人の大合唱。耳の穴に指を突っ込んで、その上で耳を塞ぎたくなるほどの大音量の歓声だった。

「一夏ぁあああああ!」
「アンタ最高にカッコいいわよーッ!」

 箒と鈴は幼馴染の勇姿に黄色い声を飛ばしていた。

「……置いていかれないようにしなくてはな」
「そうだね……ほんと、一夏って面白いなぁ」

 ラウラは騒ぐ胸を押さえ付けて。
 シャルロットは周りに遜るだけの自分と違って、己の夢に向かってどんどん突き進む少年が羨ましくって。

(随分と疼く試合をしてくれましたわね……早く帰って特訓しなくては気が落ち着きませんわ)
(これで織斑君は四位……、決めた)

 セシリアは好敵手の進化に焚き付けられたように闘志を蒼く燃やして。簪は敗北を喫した好敵手に対してある決意をして。

「「おっりーむら! おっりーむら!」」

 弾と蘭はノリノリでコールに参戦。

(……まさか一気に()()()と戦う可能性が出てきたとはな)
(とんでもねぇ破壊力身に付けやがって。あークソ、早くお前とバトりてぇよ!)

 千冬と巻紙はそれぞれの想いを表に出すことなく、拍手で一夏を祝っていた。
 一夏は沢山の歓声、例えるならば恵みの雨を浴びながら、青いそらを見上げる。目の前で倒れた少女ではなく、あくまで遥か先のそらを見上げる。

「勝った……のか? 俺……」
「そうだよ勝ったんだよ織斑君!」

 一夏が緩慢と振り返ると、山寺たちがすぐそこまで来ていた。
 白式チームの副リーダー・山寺は自分のことのように歓喜して、

「君が! 君があの四位に勝ったんだよ! わははーッ!」
「え……あ……」
「本当に凄いよ織斑君! 僕はもう嬉しくて嬉しくて!」

 山寺の喜びように一夏が困惑していると、リーダーの篝火が訊ねる。

「おめでとう、と言いたいけど本人は実感湧いてない感じかな?」
「……まだ、戦ってるような気持ちです」
「前回もそんな感じだったよねー。じゃぁ、改めて後ろを見てみるさね」

 篝火の言葉のまま、一夏は後ろに目を向ける。
 そこにはパージされた打鉄と、チームメンバーの肩に腕を回してゆっくりと退場しようとする入間がいた。
 一夏はすぐさま白式から降りて、

「入間さん」
「……」
「ありがとうございました!」

 一夏は最大の感謝とリスペクトを持って、頭を深く下げた。
 入間はほんの一秒程度の沈黙を挟んでから、ニコッと笑って振り返る。

「ありがとナ! マジで強かったゾお前!」
「じ、自分は。自分は入間さんが相手だったから……ここまで出来たんだと思います」
「ふふン、そんなに畏まっちゃっテ。まだデビューしたてって感じだナ」

 入間は明るく続けた。

「胸を張るんダ。お前は勝者、しかもこの私に勝ったんだロ?」
「は、はい!」
「うン、良い顔ダ。それで良いんだゾ」

 すると彼女はゲートの方に顔を戻す。
 一夏には表情を見せず、小さく俯く。噤んだ口の裏で無数の言葉を転がして、噛み砕いて、ようやく一言ぽつりと告げた。

「負けんなヨ」

 戦場を後にする入間に拍手が贈られる。
 それは健闘を讃える心、次への期待の心、共に敗北を悔しがる心。様々な想いが込められた拍手だった。
 入間は敗者ながら、せめてファンの心に応えようと、目線を上げてゲートへ歩いていった。

「……流石日本四位だけあるさね。登場から去り際まで強者(つわもの)らしいね」
「はい。本当に……本当に強かったです」
「とか言っちゃってー、そんな四位に勝ったのは君じゃないの!」

 篝火は一夏の背中を優しく叩く。

「次は織斑君がファンに応える番さね」
「あ……」
「行ってきな、勝者(ウィナー)

 篝火の言葉が、一夏に勝利の実感をもたらす。
 そう、四位に勝ったのだ。一夏は代表候補に勝ったのだ。
 あの天才を、超えたのだ!

 体はボロボロ。痛みと重みと苦しみで限界を何度も迎えている。
 だけどこの時だけは、そんなの全部どうでも良くなってしまう。この時ばかりは、全てが報われたように思える。
 言葉では表現しようのない、最高の達成感と至福が一夏の五体を急速に満たしていく。

(勝ったんだ……俺が、勝ったんだ!)

 一夏は震える手のひらを握って、そいつを思いっきり突き上げる。
 夢の、あの宇宙(そら)へ!

「やっっったぁああああああああ!!!」
『おぉおおおおおおおおおおおおおおお!!!』


 十月三十一日。会場、東京ウルトラアリーナ。
 織斑一夏対入間優香(日本ランキング────三十一位対四位)。
 試合時間28分56秒(制限時間30分)、エネルギーアウト。
 勝者────織斑一夏!

 ◇

 控え室に戻った一夏は学園の制服に着替えて、アリーナ内にある記者会見室へと向かっていた。ちなみに腫れ上がった左目は湿布で、切れた頬はテープで応急処置をしてある。
 今回の試合はデビュー戦とは規模が違うため、試合後の会見なるものがあるらしい。らしいと言うのも、篝火に簡単に説明されただけなため、一夏自身複雑なお話をあまり理解できていないのだ。

(喜び噛み締める時間もねぇのな)

 一夏は廊下を早歩きして、

(代表候補になるならないってのはすぐには決まらねぇらしいけど、ランキングはこれで四位か。俺の目指す俺ってやつに、ちょっとは近づけたはずだ。……へへっ、やっぱり勝つって嬉しいな!)

 一人でに微笑んでいると、曲がり角が見えた。
 記者会見室はそのまま前進で問題ない。だが、曲がって少し進むと、そこには入間の控え室がある。

(一言くらい挨拶しに行った方がいいよな? 相手はこの世界の大先輩だし。あとインタビューになんて答えた方が良いかも聞きてぇし)

 携帯の時間を見てまだ余裕があることを確認すると、一夏は角を曲がった。
 少し歩いて到着。彼は簡単に身なりを直し、控え室の僅かに開いたドアを軽くノックしようとして、

(誰かと話してる……?)

 会話が聞こえた。一人は入間で、もう一人は……聞き慣れた優しい声音。

(山田先生?)

 一夏は割り込めないと判断すると、壁にもたれて無言で待つことにした。

 ◇

「山田先生……」

 入間の控え室に誰よりも真っ先に入ったのは、山田真耶だった。
 へたり込む傷まみれの入間から、真耶は視線を逸らさない。

「お疲れ様でした、入間さん」
「……負けちゃったヨ」
「えぇ」
「……まぁ、頑張ったサ。出来る限りはやったサ」

 入間は胸のペンダントを手の中に収める。

「コイツにもう一度乗りたくて、頑張ったんだけどナァ……積み重ねたもん、全部出し切ったんだけどナァ……」
「入間さん……」
「……ハハッ」

 喉を震わせて、鼻を啜って、

「全部出し切ったのニ……それでも勝てなかっタ!」

 入間は叫ぶように嘆く。

「私はまた、また負けたんダ! 疾風に似合う操縦者になりたいって言ったのニ! ファンのみんなにも勝つって言ったのニ! 蓋を開けてみればこの有り様ダ! これからどの面下げて生きていけば良いんダ!?」

 たった一人の師匠だったから。目の前にいる人が、自分の全てを知っている人だったから。彼女は思いを隠さず全部吐き出した。
 心の底から自分を憎むように。

「私は……私はなんでこんなに弱いんダ!? 誰にも勝つことができないのカ!?」
「……」
「クッソォ……クッソォ〜ッ!」

 悲痛な慟哭だった。
 気持ちだけは誰にも負けないと思ってた、と。技術だって絶対に勝つつもりで磨いてきたのに、と。
 入間はどうしようもない、やり場のない怒りを言葉にして散らかす。

 真耶は、入間のその全てを理解できた。
 自分も同じような経験をしたことがあるから。苦しみも怒りも、知っているから。
 後悔に苛まれる少女に、彼女は素直な思いをぶつける。

「……貴方は」

 腫れた頬を濡らす入間に、真耶はしゃがんで目線を合わせる。

「貴方は試合には負けたかもしれません。でも間違いなく、過去の貴方自身には勝っていました。これだけは絶対否定させません」
「なんでダ!? こんなボコボコにされて負けたんだゾ!?」
「でも、貴方は立ち上がった」

 ずっと見守ってきた弟子に、師匠は断言してやる。

「二回目のダウンの時、はっきり言って私はもう無理だと思いました。あんなに傷ついて、死にかけの顔で……だけど貴方は立ち上がった。立派に、最後の最後まで戦い抜いた。貴方は諦めなかったじゃないですか」
「負けたくない試合に負けたんだゾ? 疾風(ゆめ)かたまた、遠ざかっちゃったんだゾ!?」
「試合に負けることは恥ずかしいことではありません。それに、確かに夢から遠ざかったかもしれませんが、だったら次はもっと大きく近づけば良いんです」
「そんなのまた負けたら分からないじゃないカ!」
「いいえ、貴方ならできます。今日見せてくれたあの不屈の心がある限り、貴方の夢の旅は終わらないはずです」
「でモ────あっ」

 真耶はそこで、椅子に座る少女をぎゅっと抱き締める。入間は自分を責め続けてしまう子だから『大丈夫』だと伝えてあげる。
 まるで母親のように力強く、そして優しく。温かな両腕で、今にも崩れ落ちそうな少女を胸に迎え入れる。
 言葉には己の経験を含んで、少女への激励を含んで、やわらかな声音で発した。

 彼女ならきっとやり遂げられると、信じているから。

「大丈夫です。だって先生、入間さんがすっごく強い子なことを知ってますから」
「……うぅ……ゥ」
「何度つまづいても良いんです。何度転んでも良いんです。
 その度に立ち上がり続ければ……いつかきっと、雪辱も悔しさも、誇りになる日が来ますから」
「ゥ……うゥ……ぅわぁぁああ!」

 真耶は信じてる。
 きっと胸をしとどに濡らすこの涙が、少女もっと強くさせるのだと。
 入間の胸のペンダントが、淡く輝く。
 まるで入間(あいぼう)の情熱に照らされたかのように。



(何を……)

 

 壁にもたれた一夏は固い握り拳を作っていた。爪が皮膚を破るほどの力は、自分への怒りの表れでもある。

 

(何を浮かれてたんだ、俺は?)

 

 背後から聞こえるのは、一人の少女の嗄れた嗚咽。押さえ切れなかったであろうその感情の発露は、一夏の埃を被りかけてた記憶を呼び起こした。

 

(知ってたはずだろ? 最初に味わったはずだろ? あの悔しさを……あの惨めさを!)

 

 今でも思い出すだけで悔しくなる。

 夢、背負ったもの、積み重ねてきたもの。そうした己に在る全てが負けたあの日。

 忘れるはずがない。だけど、今の今まで忘れていた。

 ちょっと立場が変わっただけで、忘れようとしていた。

 

 一夏は思い知る。

 勝者とは、敗者の上に立っていることを。

 勝者とは、敗者の夢や努力、喜び、悔しさ、苦しみ、痛み……そうした『積み重ね』を踏み台にして、高みを目指す者なのだと。

 

(俺は背負わなくちゃいけない! 入間さんだけじゃない、俺が戦った強敵(ひと)たちの夢を、涙を! 背負って、駆け上がらなくちゃいけないんだ!)

 

 脳裏を()ぎったのは、服部や入間に掛けられた言葉だった。

 あれはきっと、思いだけじゃない。技術、経験、ISで得たモノ、それら全てを託されたのだ。

 頼んだぞ、と。

 次はお前が────お前はもっと、と。

 

(見ててください! 自分はもっと強くなります! 誰にも負けないくらい強くなってみせます!)

 

 夢であり、欲求であり、使命感だった。

 そこに理屈はない。ただ、一夏は一人の挑戦者(チャレンジャー)として、そう思えた。

 改めて託された言葉を思い出す。きっと歯を食いしばって言ったであろう、二人の言葉を。

 

『次からも頑張ってね……私も応援するし』

『負けんなヨ』

 

 あの言葉に、どう答える?

 答えは、決まっている。

 

(石っころにつまづいた、とは言わせない)

 

 

 

 

 

 記者会見室では、数多くのメディアがカメラを構えて待っていた。

 巻紙も今日は休日だったが、壁際で彼の登場を心待ちにしていた。彼がインタビューで何を話すのか気になって仕方なかったのだ。

 

(さぁーて、そろそろかな?)

 

 巻紙が腕時計から目を離した直後だった。

 一夏が大きな扉を開けて入室。フラッシュが四方八方で瞬く。

 遠目ながらも凛々しく堂々とした彼の横顔を見て、巻紙は思わずビックリする。

 

(なんだあのバカに気合い入った表情は。少なくとも試合終えたヤツの顔じゃねぇぞ)

 

 一夏が全体へ一礼して椅子に座ると、早速インタビューが始まった。

 

「まずは勝利、おめでとうございます。試合の感想とかってありますか?」

「本当にギリギリの戦いでした」

「……もう一言貰えませんか?」

「……すみません、こう言うのには慣れてなくて」

(ははっ! 記者泣かせな選手だな〜、今日休みで良かったぜ)

 

 最初は巻紙も笑いながら会見を見ていた。

 ところが、一夏が質問に答えていくたびに不思議な違和を覚えていく。

 言葉の一つ一つや表情の動きから、何かに立ち向かう人間特有の覚悟と勇気を感じ取っていた。

 

(……マジでどうしたんだあいつ? 試合終わった後はあんな笑顔で飛行パフォーマンスしてたのによ)

 

 違和感の答え合わせは、一夏から行われた。

 

「では最後に、何か一言貰ってもいいですか?」

 

 ニュースや新聞の締めに使われるような質問だった。

 会見室にいた誰もが、試合の感想や今後の目標なんかを一言撮って終わるものだと思っていた。巻紙だって、そう考えていた。

 だが、彼はその考えを裏切るように喋る。

 

(調子に乗ってると思われたって良い、叶うわけがないと思われたって良い!)

 

 それは一夏なりの『勝者』としての意思表明だった。

 彼は世界を照らすようなまっすぐな瞳で、

 

「自分には夢があります。

 それは────みんなが託してくれた夢を背負って、世界最強になって、この宇宙(そら)を飛ぶことです」

 

 世界でたった一人の男性IS操縦者が、全世界を相手に、夢を宣言した。




バトルシーンから入間と真耶さんのやり取りまでは全て前書きです。


以前千冬は保健室で一夏に言いました。
「敗北を知った者はそうでない者よりずっと強くなれる。今日の気持ちを、決して無駄にするなよ」と。
これはただ、負けた時の気持ちをバネにして成長出来る、と言う意味だけではないと考えます。

勝者は何を背負わなくてはいけないのか。勝者は何の上に立っているのか。
それは、敗北の悔しさや惨めさを知っている人だけが、己の全てを踏み躙られた人だけが、真の意味で知っているはず。
だからこそ『そうでない者よりずっと強くなれる』のだと思いたいです。


このバトルは如何だったでしょうか?
各回のサブタイ回収なども意識して書きました。少しでも元気になっていただけたり、熱くなっていただけたのなら幸いです。

感想や評価、しおりの移動、ここすきなどなど……いつも本当にありがとうございます。大変励みになってます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

41話 『未熟な一位(チャンプ)』との遭遇

 四章の〆です。

 前回みたいな前書きに本文→タイトル表示→本文にまた本文
みたいな演出はもうしません。書いた後に気付いたのですが、本文が後書きと思われてしまって飛ばされてしまってる可能性ありますもんね...。

 今回は後書きの※部分だけでも見ていただけると幸いです。よろしくお願いいたします。



『自分には夢があります。

 それは────みんなが託してくれた夢を背負って、世界最強になって、この宇宙(そら)を飛ぶことです』

 

 唯一の男性IS操縦者による世界中のIS選手(プレイヤー)への()()()()()()()()()()()。同時に、元世界最強(ブリュンヒルデ)の弟による()()()()()()()

 試合後の会見で収録された映像は、瞬く間に世界を駆け回った。

 

 政治的な意味でも軍事的な意味でも、各国にとっては大問題となった。それもそのはず、日本だけが保有する男性IS操縦者(ひみつへいき)が『誰よりも強くなってやる』と言ったのだから。

 しかしそんなことなど世間はいざ知らず。

 特に男性陣の熱狂具合は凄まじいものだった。

 

 何せ女性だけが実現できていたロボットバトル──言わば男のロマン──に参戦したたった一人の少年が『(みんな)の夢を背負って誰よりも強くなってやる』と叫んだのだ。

 期待の声援や支援の表明は、今や世界中から彼に集まっていた。

 

 だが、そんなポジティブな反応だけで終わるはずもない。

 懐疑的な意見も出ているし、否定的な言葉も投げかけられている。SNS上では男性IS操縦者、と言うだけで政治や戦争に絡めた陰謀論だって囁かれているし、一部では誹謗中傷すら見られた。

 当然の反応だった。

 一般人からしてみれば、プロで二戦しか経験してない選手が。量産機に勝っただけの専用機乗りが、自分の立場も弁えず妄想甚だしい発言をかましたのだから。

 

 ()()()()()()()、一夏の知ったことじゃなかった。

 一夏は言わなければいけないと思ったのだ。

 男達や支えてくれる人達、強敵達から(おもい)を託された者として。

 

 誰よりも強くなるから、と。

 託されたものを全部背負って自分が夢を叶えるから、と。

 

 それは敗者の涙を知り、勝者の責任を知った男の覚悟だった。

 

「ったくすげぇこと言いやがって」

 

 月刊誌インフィニット・ストライプスの記者である巻紙は、今月出版予定の記事を大急ぎで作成していた。

 内容はもちろん一夏対入間の試合と、一夏の『夢』についてだ。最近急増している男性読者層に向けてページ数は十分に確保してある。

 

(前に学園行った時は戯言だと思って聞き流したんだけどな……結果まで出されるといよいよ現実味帯びてきたな)

 

 巻紙は以前一夏がぽつりと呟いた台詞を思い出す。

 

 『ここでクラスメイト一人も守れねぇ男に、世界最強は似合わねぇ』

 

(なるほどなぁ。あん時ボロボロのアイツを突き動かしたのは『夢』だった訳か……ようやく納得いったぜ。デビュー戦から三ヶ月で急成長してたのも概ね夢のために頑張ったから、てトコだろうな)

 

 ノートパソコンのキーボードを叩きながら、

 

(入間戦じゃPIC制御はもちろん、至近戦のテクも半端じゃなかった……相当練習したんだろうな。あの野郎、私の知らない間にIS選手(プレイヤー)として濃密な時間を過ごしてたんだな)

 

 巻紙から見ても、一夏の成長スピードは凄まじかった。

 たった三ヶ月で彼は別次元レベルの進化を遂げていた。頑張った、だけではない。相当良い師を付けた上で、文字通り必死になって励んだのだろう。

 

(前会った時からアイツはとんでもねぇ()()()を持ってた。そこに積み重ねた力も加わりゃ……デカい選手になるな)

 

 成長を見守る人間として嬉しい反面、下唇を強く噛んだ。

 巻紙(オータム)は画面を見つめながら顔を顰めて、

 

(なんでだよ。二年前は寝てただけの子どもが、なんで今になって……)

 

 ◇

 

 一夏と入間の試合から一週間が経過した。

 一夏目当てで大量の取材が入ったり企業のエージェントが何人も出入りしたり。一組では(ちゃっかり千冬と真耶も参加して)祝勝会が行われたり、新聞部が発行した番外号が秒で売り切れたり。一週間のうちに学園では色々な出来事があったのだが、本日は場所を移して東京ウルトラアリーナ。

 そこではプロIS選手、織斑一夏によるサイン会兼撮影会が行われていた。

 

「何よこの行列、気持ち悪!」

「まるで東京ディスティニーランドのアトラクションですわね」

 

 少し肌寒い風が吹き始めた十一月六日、晴れの日。

 外にいる鈴とセシリアは、会場まで続く長蛇の列に驚愕していた。ちなみに列を挟むように、数メートルおきに筋肉モリモリマッチョマンの黒服たちも並んでいる。

 

「テーマパークに来たみたいだぜ、テンション上がるな〜」

「そ、それは誰の真似だ簪。いきなり気持ち悪いぞ」

 

 簪の突然の声真似にラウラは困惑した。

 

「でも本当にビックリだよ、一夏ってこんなに人気なんだね」

「テレビでは逆転ファイター、とか言われてたな。戦い方や勝ち方もあって男性ファンが急増中らしい」

「なるほどね。通りで男の人もいっぱいいる訳だ」

 

 箒に説明されて、シャルロットは納得した様子を見せる。

 行列を作る人数は実に千人。そのうちの半数が男性と言う、これまで()()()()()()()()()()()()()()()I()S()のイベントでは異様な光景だった。

 

「っつーかアイツ、サインってどう書くのかしら? ワンサマー! とか?」

「真面目な一夏のことだ、おそらく奇をてらうことなくそのまま自分の名前ではないか?」

「ここは敢えてのおりむー」

 

 鈴とラウラ、簪が各々の予想を呟いたところで。

 ふっふーん、となんだかどこか誇らしげに笑ったのは箒だった。

 

「何よ箒、急に笑ったりして」

「教えてやる、一夏はな……こうやってサインを書くんだ!」

 

 バーン、なんて効果音が似合いそうなポーズで、箒は携帯の画面を一同に見せびらかした。

 そう、携帯の画面────写真フォルダではなく、携帯の壁紙を披露した!

 

「『幼馴染の箒へ おりむらいちか ファーストサイン』……は?」

「ふぁ、ファースト、サイン……だと?」

「そうだ」

 

 目を丸くする鈴とラウラに、箒は心底嬉しそうに語った。

 

「デビュー戦が終わった後に書いてもらったんだ。誕生日プレゼントとして……一夏の初めてのサインを。しかもちゃんと私の名前付きだ!」

「何よそれ! あたし何も聞いてないんだけど!?」

「誕生日プレゼント……そう言えば私の誕生日はいつなのだ?」

 

 なんかクッソ重たい話を展開しそうなラウラは置いておくとして。

 セシリアは箒の携帯の壁紙を見ながら、とても感心した表情をしていた。

 

「一夏さんったら、意外と抜け目がないと言いますか。これは高評価グッドボタンですわ」

「好きな人の初めて……何でも嬉しいよね、きっと。私は恋愛したことないからよく分からないけど」

 

 一夏の隣で夢を見届けたい。

 その一心でイグニッション・プランに参加したり、一夏の練習に全力で付き合ったり。そんなまっすぐな箒の恋心を知っているセシリアと簪からしてみれば、嬉しい予想外だった。

 友人の恋心が報われる。ただそれだけなのだが、二人にとっては心温まる話だった。

 

 一方でライバルが一歩リードしていた事実に、鈴は犬歯を剥き出しにしていた。

 

「許せないわ……一夏の初めてを奪ったなんて!」

「奪ったんじゃない、一夏がくれたんだ。私に初めてをな!」

「ここだけ切り取ったら物凄く誤解されそうだよね、これ」

 

 と言ったは良いものの、二人の会話から別の意味を見出していたのはシャルロットだけだった。

 いがみ合う鈴と箒以外誰も喋らなくなったため、彼女は途端に顔を赤く染めた。

 

「う、嘘だよ嘘。今の会話に誤解なんてないよね、あはは」

「簪、シャルロットは何を言っているんだ? 頭がおかしくなったのか?」

「こう言う人になったらダメだよ、ラウラさんは……」

「前々から思っていたのですが、シャルロットさんって実はエッチなのでしょうか? 事あるごとに変なことを考えてません?」

「え、エェエッチじゃないよ! 僕はフツーだよフツー!」

 

 多分一番誤解されそうなのはこの会話だろう。

 

 ◇

 

 アリーナの中では、IS学園の制服を着た一夏が一人一人にサインを渡したり、写真撮影をしたりしていた。

 イベントスタートから一時間が経過しているものの、現時点では二百人ほどの対応しか終えれていなかった。屈強なスタッフ曰くまだ八百人近くが並んでいるため、単純計算でも全員の対応を終えるまであと四時間はかかるだろう。

 

 だと言うのに彼は疲れを一切見せず、丁寧に笑顔でイベントをこなしていた。

 

「すみません、この子と一枚写真を撮っていただけませんか?」

「全然良いですよ! おっしゃ、カッコいいの撮らねぇとな」

「うん!」

 

 四歳くらいの男の子にサインを渡すと、一夏は隣で深く跪いた。

 男の子と背丈が揃うようにすると、ニッと朗らかに笑いガッツポーズを作って一枚撮影。

 

「ありがとうございます。この子、先週の試合を何回も再生してるんですよ」

「そうでしたか。何度も見てくれてありがとな」

「おにーちゃんかっこいいひと!」

「っ……ヘヘっ」

 

 自分よりもずっと小さな子にかっこいいと言われるのは初めてで、一夏は何だか気恥ずかしくなった。

 ついつい顔を綻ばせてから、気合を入れ直して、

 

「お兄ちゃん、もっとカッコよくなるよ! だからこれからも応援お願いな!」

「うん、いっぱいおーえんする!」

 

 バイバーイと手を振って、次の人の対応を始める。

 

 ファン対応は初めての彼だが、緊張しているような素振りはどこにもなかった。

 試合前の緊張に比べればずっとマシだから、とかではない。

 一夏にとってファンは、力だ。信念だ。勇気をくれる存在なのだ。

 だから、彼ら彼女らの前では堂々としていたい。胸を張っていたい。そんな思いを持って、今日のイベントに臨んでいた。

 

「ありがとうございました! 次の方……って、ついに来やがったな」

「来やがったって何よ来やがったって。来てあげたのよ」

 

 一夏が四百人ほどの対応を終えたあたりで、鈴たちと顔を合わせることになった。

 鈴とラウラ、箒は明らかに気合を入れたコーデ──ラウラに関しては前日にシャルロットと買い物に行って上下を揃えたらしい──だったが、一夏は何にも気づくはずもなく。

 彼はペンを片手に六人の少女を見つめて、

 

「これ全員に書かないとダメなやつ?」

「ったり前でしょ! あたしら客よ客!」

「一夏。私のサインにはラウラへ、と書いてくれ。一生のお願いだ」

「一生のお願いしょぼくね? まぁ良いけど……」

 

 ではわたくしには負け犬一夏よりとお願いしますわ、とか抜かして来たセシリアは無視して、一夏は出来る限りリクエストに応えた。

 ラウラと鈴には名前付き、箒にはローマ字で、簪とシャルロットは特になし。バカ言ってきたセシリアには『貴様を倒す者だ』とちょっとカッコつけたメッセージを書いて渡してやった。

 

 鈴とラウラ、箒は大切そうに色紙を抱えて、

 

「んじゃ次は写真撮影ね。あたしは隣でー!」

「では私が右だな」

「くっ! 流石に三万人を勝ち抜いた二人に文句は言えまい……今回は譲ってやる」

「え、何? 三万人?」

 

 一夏の疑問に答えたのはシャルロットだ。

 

「整理券の抽選参加者の数だよ。多分日本新記録じゃないかな? 織斑先生がランキング一位の時でも五千人くらいだったって聞いてるし」

「はえぇ、ありがてぇ話だな。ちなみに聞いときたいんだけど、セシリアが前イベントやったって言ってた時は何人だったんだ?」

「……二百人ですわ。定員三百人で」

「ごめん聞いた俺が悪かった」

「私の時は百五十人。定員三百人で」

「もうほんとごめん簪俺が全部悪かった」

 

 地獄の底辺争いから一夏が逃げ出したところで、七人で固まって写真を一枚撮影した。

 パシャリとフラッシュが瞬く。

 

 全員での集合写真はこれで二枚目。だが以前の写真はまだラウラと一夏の仲が悪かった──イグニッション・プラン一日目で撮影したもの──ため、みんなで仲良く撮ったのは今日が初めてだったりする。

 焼き上がった写真はみんな笑顔だった。

 でも例えば鈴は明るいスマイルで、セシリアは気品のある微笑みで、箒はちょっとムスッとしながらも誇らしげで。

 簪はみんなのお母さんみたいな和やかな表情で、逆にラウラはみんなの末っ子みたいな可愛らしい顔で、一夏は爽やかな笑みで。

 笑顔一つとっても、一人一人の特色が前面に出ていた。

 

 写真を受け取ったシャルロットは安心したように、

 

「……うん、みんないい顔してるよ」

「どれどれー、お、良いじゃない。ちゃんと綺麗に写ってるし」

「ふむ。どうだ一夏、私の笑顔はその……可愛いか?」

「可愛いんじゃねぇの? 俺は良いと思うぜ。私服も似合ってるし」

 

 昇天しそうになったラウラは、簪が地面激突ギリギリで受け止める。

 

「……な、なんでこうなるのにわざわざ聞いたの?」

「ラウラさんは流石に抵抗力が低すぎますわ。これはラブコメ漫画で修行が必要ですわね」

 

 帰ったら絶対ラウラに漫画を読ませよう。(簪の手により)絶賛漫画にどハマり中のセシリアはそう思った。

 一夏の側では鈴と箒が「少し羨ましい」と歯軋りしていたが、そんなこと一夏が知る由もなく。

 

「あと三時間くらいかかると思うけど、マジで昼飯一緒でも良いのか?」

「あぁ、三時間くらいならあっちの椅子で待つぞ」

「一夏さんの奢りと聞いてますから我慢しますわ」

「え、マジ? 助かるわー、ゴチ〜」

「オッケー中国とイギリスの代表候補はヤクザ、っと」

 

 なんて談笑をしているうちに時間がやって来た。

 スタッフが合図を出すと、一夏はすぐに気持ちを切り替えて、

 

「……じゃ、悪ぃなみんな。また後で」

「頑張りなさいよー」

「ヴァルハラ〜」

「ちょっとほんとに、ラウラ重たいよ……」

「鉛を運んでるみたい」

 

 力の抜けたラウラは、シャルロットと簪が肩を組んで連れて帰る。

 箒ら一行はイベント会場のすぐ横の長椅子に座って、一夏を見守りながら待つことにしたのであった。

 

 

 

 

 

 それからも一夏はファン対応をしっかりとこなしていった。

 偶に来る距離感の近い女性ファンに箒と鈴、ラウラの三人がキレそうになったり。それをセシリアと簪、シャルロットの三人が全力で諌めたり。

 ファンの中には山寺らと手紙を書いた男性がいて二人で盛り上がったり、一夏のガチファンを名乗ってキスを迫り無事連行された女性なんかもいたりしたが、大体はスムーズに進んだ。

 

 十三時頃になると行列はアリーナの中に収まるようになり、更に三十分も経つと一夏から最後尾が見えるくらい短くなっていた。

 

 限られた時間の中で、出来る限りのサービスを続けていき。

 やがて、最後の人を迎えた。

 そう────ロングスカートに半袖を纏ったその人こそ、()()()()の女性だ。

 後頭部で髪を一本に(ゆわ)えた彼女は、サングラスをかけており表情がよくわからなかった。ただ、極太の芯が通ったような佇まいは堂々としており、半袖から見える両腕は随分と鍛え込まれていた。

 一夏は挨拶してからサインを書こうとして、

 

「あれ、色紙がない……あれ? す、すみません! 今確認しますので少し待っていただいても……」

「あぁ、大丈夫だ。今日はサイン目当てで来た訳じゃないのでな」

「え……?」

 

 すると女性は一夏にぐいっと顔を近づける。

 サングラス越しに一夏の瞳をよ〜く見て、

 

「な、何でしょうか……?」

「ふふふっ……はっはっはっはー! 試合中も記者会見中も凄かったが、実際会ってみるともっと凄いな!」

 

 女性は何かを確信したように豪快に笑って、一夏の右手をがっしりと掴んだ。

 

「良い未熟っぷりだーッ!」

「は、はい?」

「その誠実さと情熱、力! 信念を持ち、夢を持ち、ひたすらにまっすぐ突き進む心! 素晴らしい未熟っぷりだ! わっはっはっはーッ!」

「あの、ちょ」

 

 一夏の右腕をブンブン振っていた女性はハッとして、すばやく両手を離した。

 彼女は自分を落ち着けるように咳払いを一つして、

 

「すまない。失礼した」

「は、はぁ」

「しかしだな、私はこう考えているんだ」

 

 女性は腰に手を当てて、大きな胸を張って語る。

 

「人は未熟故に成長できる。人は未熟故に恐れを知らず、己の道をまっすぐに突き進める。そう、未熟さとは人の可能性! 未熟者とは不断の探究者! とな」

「……な、なるほど」

 

 一夏は即座に周囲の状況を確認。

 危険物はない。不審な人物もいない。屈強なガードマンたちは一切動いていない。

 変わった様子は何もない。

 目の前の女性について、自分を襲って来た敵だとか危険人物だとかではないのだろうと簡単に結論付けつつ、油断はできないと警戒心を引き上げ────

 

「そこまで警戒しなくても良いだろう? 私は危ない人間ではないぞ」

「あっ、そう言う訳じゃなくて。すみません……」

「はっはっは……だが確かに一連の流れだと私は完全に変質者になってしまうな。いやしかし身分を明かすのはカッコ悪いと言うかサプライズにならないと言うか……君もそう思わないか?」

「じ、自分に聞くんですか?」

 

 うーんと少し悩んでから、女性は決心したかのように呟いた。

 

「君が身分を公開しているのに私は身分を公開しない。これは卑怯だな」

「自分はそうは思いませんけど……」

「いや、良い。私も少し未熟さを超克しないとな」

 

 言って、彼女はサングラスを取った。

 現れたのは日本人らしい黒色の大きな瞳。可憐さと凛々しさを兼ね備えたような眉も合わさって、一夏の印象としては『大和撫子』が良く似合う素顔だった。

 女性は不敵な笑みを作ると、右手の人差し指に嵌めた青と白の指輪を見せる。

 

「君ならこれで分かるかな?」

「……────ッ!?」

 

 途端、一夏は息を呑んだ。

 その素顔、その指輪と二つのカラー。

 日本で戦う選手なら、知らない訳がなかった。

 

「貴方は……日本一位(チャンプ)の」

「チャンプなんてやめてくれ。私は宮本(みやもと)美桜(みお)、永遠の未熟者だ」

 

 国内戦、海外戦と合わせて経験十五戦。内、全勝。

 最強と言われた千冬の後を継ぐように登場した侍。スーパーチャンプ。

 宮本美桜────誰もが認める日本ランキング一位にして、現()()()()。候補ではなく、正真正銘の国家代表IS操縦者。

 

 一夏は呆気に取られた表情になっていた。

 

「ど、どうして宮本さんがここに?」

「あの入間(いるま)を倒した男だ、会いたいと思うのが未熟者の(さが)だろう? そして……」

 

 宮本はスカートのポケットからチケットを取り出した。

 

「私の未熟さを是非君に見て欲しくてな」

「こ、これ、二位との試合のチケットですか!?」

「あぁ。急ですまないが、もし時間があったら来てくれ。その時は私の次元一刀(じげんいっとう)流をお見せしよう」

「ぜ、絶対行きます! ありがとうございます!」

 

 一夏は目をキラキラさせて、貰ったチケットを凝視する。

 来週に行われる一位対二位の試合。元々行こうとは思っていたが、チャンピオン側から来て欲しいと言われてチケットを貰ったのだ。実力を認められたような気がして、嬉しかった。

 彼はボタン付きの胸ポケットに仕舞おうとして、気づいた。

 

「……あれ? チケット二枚ありませんか?」

「そうだが?」

「え、どうしてです?」

「む?」

 

 宮本は訝しげに答える。

 

「本命がいるのだろう、その子と見に来たらデートになるじゃないか。彼氏いない歴イコール年齢の私でもこれくらいは気遣えるぞ」

「本命……デート……? 何を仰ってるんですか?」

「……ん?」

 

 流れが急に変わった。

 彼女は顎に手を当てて、

 

「待て。君はIS学園で巨大なハーレムを築き、中でも本命と呼ばれる一人の女の子と毎日イチャイチャラブラブをしているのではないのか?」

「……は?」

「合同練習の度に入間が言っていたぞ」

「────まさか、まさか自分のことエロガキとか言ってた感じですか?」

 

 どうか違ってくれ。何かの間違いであってくれ。

 一夏は一縷の望みにかけて質問した。

 返答は、果たして。

 

「君はスーパーエロティックど変態ボーイなのだろう?」

「あの人はぁあああああああああ!!!」

 

 一夏はブチギレた。マジで秒でブチギレた。

 尋常じゃない怒りように、宮本は首を傾げる。

 

「もしや嘘だったのか? 毎晩出席番号順に女の子を自室に呼んでいるとか、すでに苗字が織斑になった女の子が何人もいるとかも」

「全部嘘ですよ全部! ぜ、ん、ぶ!」

「な、何ィッ! ハーレムも本命もか!?」

「そうですよ嘘ですよ! ハーレムも無けりゃ本命もないし彼女もいませんよ! 普通に考えたら分かるでしょう!?」

 

 宮本、ドン引きである。

 

「……いや待て、彼女がいないのは流石におかしいだろう。君ほどの男を女子が放っておく理由がない」

「いませんって」

「……本当か?」

「本当ですよ。恋愛なんて興味ないですし」

 

 今度は宮本が呆気に取られたような表情を浮かべた。まるで地球外生命体にでも遭遇したかのように後退りする。

 

「馬鹿な……ではあの異性だらけの環境で、チューもハグもしたことがないと?」

「はい」

「あの環境でも女に興味がない、と?」

「はい」

「そ、そうか……ところで」

 

 宮本は自分の股間を指差した。

 

「モノは付いてるか?」

「付いてますよ!!!」

「……うん、君は未熟者だ

「こう言うのは未熟で良いんですよ!」

 

 今回ばかりはちゃんとした意味で単語を使った宮本。

 こんな男もいるのか、と驚きや困惑を超えた感情を抱きつつ、

 

「まぁ渡してしまったものはしょうがない。あちらの女性陣の誰かでも誘って来てくれ」

「あちらって?」

「誤魔化さなくて良い。君はずっと、なんなら今も向こうの椅子にいる少女たちを気にしているではないか。優しい男だな」

「ッ!?」

 

 バレていた。

 目の動きでバレたのか、重心の傾きでバレたのか。はたまた無意識に出た小さな仕草でバレたのか。それは分からない。

 しかし、バレていた。思考が、意志が、一位にはダダ漏れだった。

 一夏は今目の前にいる女性こそが日本で一番強い人なのだと、その身をもって実感する。

 ならばこそ、と。

 改めて、彼は最強を目指す者として胸を張った。

 

「強さを持ち、誠実さを持ち、優しさを持つ。君は間違いなく強い選手になるだろうな……戦う日が楽しみだ」

「自分はまだまだ道の途中です。でもその日が来たら自分の在りったけを、未熟さを、全部ぶつけさせて貰います」

「ふっ……わっはっはっはーッ! 私も負けていられんな! 未熟者どうし、頑張ろうじゃないか!」

 

 嬉しそうに言ってから、彼女は和風の手作り腕時計をチラ見した。

 どうやら時間が来たらしい。宮本は一夏の顔をしっかりと目に焼き付けると、くるっと踵を返す。

 

「ではな織斑君。試合、頼んだぞ」

「はい、チケットありがとうございます!」

「うむ……あ、あと最後に」

「はい?」

 

 宮本は向こう側の長椅子を見ながら歩き始めた。

 

「灯台下暗し、彼女らも大変だな」

「え?」

 

 最後のファンサービスは終わった。

 これにてイベントは終了。所要時間は約五時間、意外と予定通りに終えることができた。

 一夏が呆然と突っ立っていると、

 

「ちょっと一夏! 誰よ今の女性!」

「……え?」

「知り合いか? 随分と距離感が近かったが……」

「それにサインも撮影もしなかったのに、私たちよりも長い時間を取っていたな? どう言うことか説明して貰うぞ」

「ちょ、え? 違う違う、こればかりはマジで違う!」

 

 一夏は鈴とラウラ、箒の三人にぐいぐいと詰められる。

 もはや見慣れた光景だった。

 セシリアはいつもの四人? の恋愛劇に肩をすくめた。

 

「毎度毎度同じオチですわね、全く」

「でも織斑君もすごく楽しそう」

「一夏ってたまに狙ってやってるんじゃないかって時があるよね。今回は同情するけどさ」

 

 三人に迫られ困り果てる一夏を見て、簪とシャルロットは静かに微笑むのだった。

 プロになっても変わらない。

 何も、変わらない。

 強さを求める少年の日々は、楽しさに溢れていた。




 ラブコメをかけるだなどと、その気になっていた俺の姿はお笑いだったぜ☆

※以前からも告知の通り、六章より先はスポーツ路線を離れて『複雑な事情に決着をつける話』となります(亡国や束さん、シャルロットなどなど)。
 そのため次が最後の『完全スポーツ路線』になります。
 ただし全編一貫として『一夏のISに対する心構え(=一夏の戦いのスタンス)』や、作品のテーマ『夢』は絶対に変わりません。また、三章後半〜五章までのお話は必ず活かされます。変にストーリーをややこしくするつもりもありません。
 そこだけはご安心ください。

 さて、第四章もこれで終わりです。
 本章は主に一夏の急成長や爆発力の開花、信念と意地の激突、勝者の責任などなどを意識して書きました。入間さんも一夏のライバルとして相応しいキャラに出来たかな、と思ってます。
 熱くなっていただけたり、少しでも元気になっていただけたのなら幸いです。
 次回から始まる第五章も、一夏vsオリキャラの構図になります。が、五章は最後の完全スポーツ路線+僕個人の経験もあって、自分の考えられる最も熱い展開を書こうと思っています。なんなら五章で終わっても良いくらいの気持ちです。
 章テーマは原作『インフィニット・ストラトス』にも関わるものと考えていますし、六章以降のお話に繋がるモノでもありますので、是非ご期待ください。
 これからもどうぞ、一夏や箒たちの応援をよろしくお願いいたします!

 次回 第五章『vs日本二位編』
 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五章 vs日本二位編
42話 鉄剣(チャンプ)vs鉄拳(セカンド)


 五章開幕です。
 最後のスポーツ路線にして一気に物語が動く予定の本章。マジで過去一の気合で書いていきます。

 ……と抜かしておいて、いきなりオリキャラvsオリキャラとか言う二次創作にあるまじき構図からスタートです。
 都合上、次回と分割になってます。後書きにオリキャラ二人の挿絵(手書き)を載せているので、もしよろしければご覧下さい。

 ぐだぐだなスタートで申し訳ないですが、どうぞ本章もよろしくお願いいたします。




 それは一夏のサイン会が終わってすぐの出来事だった。

 

「なぁ箒」

「なんだ?」

「次の土曜日さ、二人で試合見に行かね?」

「え?」

 

 ◇

 

 十一月十三日。厳しい残暑も終わりを迎えて、入れ替わるように肌寒い風が吹き始めていた。

 上空は分厚い雲で覆われているものの、天気予報だと降水確率は十パーセント。一夏と箒の二人はほぼ手ぶらで東京ウルトラアリーナに足を運んでいた。

 

「ま、まさかお前が外出に誘ってくれるとはな」

「ほら、この間のサイン会でチャンプが来ただろ? 実はそこで試合見に来て欲しいって言われてチケット二枚貰ったんだよ。それで誰かと、って思ってさ」

「……どうして二枚も貰ったんだ?」

「そこは聞かないでくれると助かる」

「そ、そうか」

 

 一夏は伊達メガネや帽子で変装して、箒は滅茶苦茶気合を入れたコーデで、アリーナに入場する。

 本日アリーナで行われるのは、日本ランキング一位対同ランキング二位の試合。現在国内で考えられる最高の組み合わせだ。

 

「マジで人多いなぁ、先が見えねぇぞ」

「お前の試合の時はいつもこうなんだぞ」

「そうなのか……ありがたいなぁ」

 

 ()()()I()S()()()()()()誰もが目を離せない内容に、東京ウルトラアリーナは満員御礼状態。

 人混みではぐれないために、二人はくっつくように歩いていた。一夏の斜め後ろに箒が付いてくる形だ。

 

(一夏と二人で外出……そう言えば、これが初めてなんだな)

 

 箒は赤面していた。まるで遠足中の小学生みたいに、胸を躍らせていた。

 二人だけの時間をずっと求めていただけに、一分一秒がたまらないほどの喜びで満たされている。

 

(……)

 

 だけれども、一つ、彼女には疑問があった。

 

「い、一夏」

「ん?」

「その……なぜ私を誘ってくれたんだ? ISなら鈴たちの方がずっと詳しいし、会話も盛り上がるだろう?」

 

 そう。

 力もなければ才能もない。そのくせ知識も経験もない。

 

 目標もなければ、一夏のように輝かしい夢もない。

 

 そんな自分がなぜ、高みを目指す少年に選ばれたのか。それが大きな謎だった。

 別に今日に限ったことじゃない。いつも、何もない自分じゃ一夏には釣り合わないと考えていたから。

 少しでも釣り合うようにと頑張っても、精々練習のサポートや作戦を一緒に考えた程度。結局誰でも出来ることしかやれて来なかったから。

 

「今更だが、わ、私と試合を見ても何も楽しくなんかないぞ。解説もできないし、お前の話に付いていけるかも分からない……それでも良いのか? 今ならまだ……、引き返せるぞ」

 

 尻すぼみしていく箒の声に対して、一夏は特に考えたり振り返ったりすることなく、

 

「別に良いよ。箒と一緒にいたいから誘ったんだし」

「────────」

 

 世界が止まったような、そんな錯覚に襲われた。

 

 鈴やラウラが聞いたら卒倒するようなフレーズ。

 すれ違いざま会話を耳にした女性が勢いよく振り返るくらいには、愛の告白と呼べる文面だった。

 

「……」

「……っと、どった? 急に止まって」

「……」

 

 箒は無意識のうちに胸を押さえ付けていた。

 苦しみすら覚えるような高鳴り。ガトリングみたいな鼓動音が体内を全反射している。

 

「はぁ、はぁ、はぁ」

「え、えぇ!? 大丈夫か箒、苦しいのか!?」

「はぁ、はぁ……ん? 意外とあの世は現世と変わらないんだな」

「あーぁ昇っちゃったよこの人。ってなんだよ何ともねぇのか、なら良かった」

 

 どうにかして一夏を、何より自分自身を誤魔化さないと限界を迎えそうだった。

 ついつい口元が綻ぶ。嬉しさのあまり目頭が熱を帯びる。

 ────駄目だった。顔を背けないと、一夏に何か言われるかもしれないと思った。

 (あか)く、紅く染まった頬は、自覚できるほど異常に熱くなっていた。

 

「本当に大丈夫か? ……俺もしかして気持ち悪いこと言っちまったか?」

 

 心配する一夏には違う、と、どうにかして心の中で否定した。

 

 不安だった自分の存在価値。

 その全てを肯定してくれるような言葉。

 最高の、これ以上はないと断言できるような言葉を、こうもあっさりと、不意をつくように言ってくる。

 

 箒だって分かってる。今の言葉には、決して自分に対する好意はないってことぐらい。

 だけどそれは裏を返せば、一夏の誠の想い。一点の汚れもない本心と言うことだ。

 

(ずるい、ずるいぞ! 急にそんなこと言われたら私は……私は!)

 

 止まらないスピードで、想いが溢れていく。

 焦がれるほどの恋心。いつも見せてしまう不器用な態度に後悔してきたけど、今なら素直になってちゃんと伝えられるかもしれない。

 

 君のことが好きだって────。

 

(だ、駄目だ! 一夏は恋愛なんかに構っていられない。一夏は世界で一番強くなって、みんなの夢を背負って宇宙(そら)を飛ぶ男になるんだぞ!?)

 

 最後に箒を止めたのは。

 一夏の夢が叶ってほしい。そんな、祈りのような気持ちだった。

 彼女は深呼吸をして、篠ノ之流剣術の教えの通りに冷静さを取り戻す。

 

「取り乱してすまなかった。少し気が動転してしまってな」

「気が動転するほど嫌だったのか……マジでごめん」

「そ、そう言う訳じゃない! ただ……」

 

 箒は今にも無数の足音にかき消されそうな声でお願いした。

 

「その、今みたいな言葉は他の誰にも言うんじゃないぞ。私とお前の、二人だけの秘密にしておこう……い、良いな?」

「お、おう。もう言わねぇようにするよ」

 

 なんだか認識にズレがあるような気もするが、それはさておき。

 これで今の言葉は箒だけに向けられた想いとなった。

 彼女は内心、グッとガッツポーズを作る。

 

(やったぁ、やったぞ! くふふっ!)

 

 ちょっとした独占欲だった。

 でも一夏ならきっと笑って全部受け止めてくれるような、小さな小さなわがままだった。

 

 ◇

 

 アリーナの観客席に座る巻紙(オータム)は膝に肘をつけ、戦場を眺めていた。

 

(もし今日アイツが負けたとしたら、織斑と試合する可能性も一気に高くなる訳だ。織斑が選手になった時から想像はしてたんだが……なんつぅか、運命ってのはあるもんなんだな)

 

 彼女は二年前を思い出す。

 第二回モンド・グロッソ決勝戦が行われた日。千冬にとある表明をさせるために、彼女の弟を人質にしたあの日。

 千冬と共に現場に現れた一人の女性。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 名を、リベリア・フランカ。

 

(千冬(ブリュンヒルデ)が説明してねぇなら、織斑は何も知らねぇはずだ。どうなるもんかねぇ)

 

 思考に耽っていると、

 

「ふいー、やっと座れるな」

「アリーナはこれで三度目になるが、相変わらず座席探しだけでも一苦労だな」

(ゑゑ!? シュワッと!?)

 

 まさに運命的な遭遇だった。

 空いていた隣の席に一夏が、更にその隣に箒が座り込んだのである。

 

(おいおいこの間は姉ちゃんで今日は弟かよ!? これも運命ってやつか? でも流石に出来すぎちゃいねぇか、なぁなぁ神様おかしいだろおい!)

 

 偶然にビビっていると、箒が顔を覗かせた。

 

「む。一夏、隣の方はもしかして巻紙さんじゃないか?」

「え? んな訳ねぇじゃn巻紙さん!?」

「ど、どうも〜。お久しぶりですね」

 

 巻紙(オータム)はすぐに表情を作り直す。表上の仕事、スポーツ雑誌の記者・巻紙(まきがみ)へと。

 

「織斑君と、隣の方は束博士の妹────篠ノ之箒さん、でしたか。篠ノ之さんはイグニッション・プラン以来ですね、今日はデートですか?」

「いえ、普通に試合観戦です。先週宮本さんにチケットを二枚貰いまして」

「あら、そうでしたか」

 

 デート発言を速攻で否定した一夏の後ろでは、箒が残念そうに肩を落としていた。けど巻紙は大人なのでそこはスルーしてあげる。

 ワクワクを隠せない様子で訊ねたのは一夏だ。

 

「巻紙さんは今日の試合、どう見ますか?」

「判定はあり得ませんね。両者共にパワーがありますから早い決着になる、と言ったところでしょうか」

「あの、少しお聞きしても良いですか?」

「はい、どうされました?」

 

 今度は箒が不思議そうに質問した。

 

「二位の選手……リベリア・フランカさんは名前から察するに、外国の方ですよね?」

「えぇ。ドイツ国籍の女性ですよ」

「ではなぜ、リベリア選手はドイツじゃなく日本のISに参加して、それも専用機まで貰えているのでしょうか?」

 

 何も知らない──だから知ろうとしている──箒からすれば、至極当然の疑問だった。

 一夏は記憶を探って、

 

「専用機の話は、イグニッション・プランの時に入間(いるま)さんが『強すぎるから特例で』って言ってなかったか?」

「あぁ。だが折角の機会だ、詳しく知っておきたくてな。記者の巻紙さんになら何か聞けるんじゃないかと……」

 

 箒の勘はずばり当たっていた。

 巻紙は良い視点を持ってますね、と一言褒めてから回答する。

 

「まず、何故リベリア選手────ドイツ国籍の人間が日本のISに参加しているのか。理由は簡単です、単に日本のISのレベルが低いからですよ」

「ッ……。企業が強い操縦者を雇えば、業界の活性化にも繋がるしな」

「織斑君の言う通りでもありますね」

 

 順を追って、回答が続く。

 

「次に何故専用機を貰えているのか。これは正直、業界の闇でもあるんですよ」

「闇、ですか?」

「えぇ」

 

 聞き返した箒には首肯で応じる。

 業界の闇。プロ選手として業界に携わっている以上、一夏も真剣になって話を聞くことにした。

 巻紙は少し間を置いてから、悲惨な現実を語った。

 

「海外選手だから、ですよ」

「「?」」

「自国の選手じゃない故にファンから応援もされなければ、国籍が違いますから代表候補にも代表にもなれない。誰からも見向きされないんですよ。

 でも選手本人はそれを理解した上で、信用を得るため。あるいは目的のためにどんな試合も全力でこなす。つまり、雇用者側(企業や国)から渡された機体・装備を使う機会が圧倒的に増える訳です」

 

 そこまで言って、巻紙は僅かな思考を挟んだ。

 目の前の子ども二人にとって刺激の強すぎないような言葉を探ったのだ。

 だが、彼女は敢えて現実をありのままに伝えようと決心する。それは偽りの姿と言えど、記者として日々を駆け回るうちに生まれた矜持の表れだった。

 

「ファンにも政府にも守られておらず、安い金で思い通りに働かせることができる。その上文句の一つも言ってこない、実力ある輸入IS操縦者。雇用者の視点で考えてみて下さい……()()()()()()()()()()()()、他にあると思いますか?」

「「ッ!?」」

「リベリア選手の専用機は実験段階の製品を多量に搭載しています────今の彼女は日本のために働く、言わばデータ収集マシンなんですよ」

 

 箒は言葉を失い、一夏は口を閉じて黙り込んだ。

 悲しいとか辛いとか、そう言う陳腐な気持ちじゃない。

 信じがたい現実。リベリアの凄まじすぎる、実状。

 自分とは環境が違いすぎる。ISに懸ける想いが、違いすぎる。

 

(孤独感に押し潰されてもおかしくないはずなのに、それでも戦い続けてきたのか……!)

 

 特に同じプロの一夏は、彼女のとてつもない精神力に感嘆せずにはいられなかった。

 じーっと前を見る一夏に、巻紙は一言聞いてみる。

 

「……同情しますか、織斑君?」

 

 試すような質問。

 目にかけているこの男が、現実を知った今何を思うのか。とても興味があった。

 一夏は右腕の白いガントレットと、左腕の幼馴染から貰ったミサンガに視線を落として、

 

「同情は、したくありません。同情されることは操縦者の誇りが許しませんから。でも……」

「でも?」

「リベリアさんみたいに、たった一人でも二位まで駆け上がった凄い戦士(ファイター)がいる。そんな人を超えてみたいと思うのは、おかしいですか?」

 

 口から出たのは滾る闘争心。

 永遠の挑戦者は、複雑な事情や背景なんかではなく、そこに確かに存在する一人の強者を見据えていた。

 幼馴染のひたむきな向上心に、箒は静かに口角を上げていた。

 

(ふっ……根っからのスポーツマンだよ、お前は)

 

 よほど嬉しかったのか、珍しく巻紙は人前で微笑を浮かべつつ、

 

(ただこの様子だと二年前のことは全然知らねぇっぽいな。絶対話すんじゃねぇぞ千冬(ブリュンヒルデ)、どうせならリベリアが引退するまで何も言わずに見守ってやろうや)

 

 途端、アナウンスが流れた。

 俯いていた一夏と箒が視線を上げる。65000人の視線が、戦場一点に釘付けになる。

 会場を包んだのは、ため息すら雑音になりかねないような静謐。気持ち悪さすら覚えるような緊張感。

 

 始まるのだ。

 国内最強を決める、頂上決戦が。

 

『ただいまより、両選手が入場いたします。

 挑戦者サイド────十戦十勝十回(オール)エネルギーアウト。日本ISランキング二位、リベリア・フランカ選手』

 

 先に登場したのはドイツ国籍のリベリア・フランカ。

 腰まで伸びた茅色の長髪はあちこちへ跳ねている。放置された癖っ毛だ。

 恐らく幾度もの死線を潜り抜けてきたのだろう。その澄んだ瞳は極めて冷たく、心の臓を貫くような鋭い殺気を放っている。

 

 一夏と箒が注目したのは、彼女の専用機の造形だ。

 肘から上に突き出たパイプに、異常なまでに丸く膨らんだ前腕の装甲。下腿に備わった計六門の大型スラスターに、火炎を切り抜いたような奇妙なシルエットの翼部と巨大なバックパック。

 どれも教科書には記されていない造りだ。

 

「変わった構造の機体だな」

「さっきも言った通り、あの機体を構成するパーツのほとんどはまだ実験段階の代物なんですよ」

 

 巻紙は箒にそう言いつつ、拍手を贈っていた。

 同じように両手を叩いていた一夏は、ふと、気付く。いや、気付いてしまった。

 

(拍手がほとんどない……)

 

 周辺を見渡しても、自分たち以外は誰も手を動かしていなかった。

 歓声も一切ない。いつもなら衝撃波が生まれるくらい騒がしいのに、今はしんとしている。

 それどころかポツポツとブーイングや罵声すら聞こえた。

 

 痛み、苦しみ、孤独感。

 きっと、幾つもの苦悩を抱えて。でも全部を背負ってここまできたであろう選手に向けられたのは、無関心と憎悪。

 

 一夏は思わず歯噛みし、額に歪な青筋を立てる。

 耐えられなかった。

 

(ひ、酷すぎる! リベリアさんだって一生懸命頑張ってここまで来てるんだぞ!? 国籍なんか関係なく、リスペクトの一つぐらいはあっても良いだろうがッ!)

「織斑君、プロとしてこの光景をよく覚えておいてくださいね」

 

 憤りを隠せない一夏に、巻紙は優しく現実を突きつけた。

 

「これが輸入操縦者の日常ですよ」

「ッ」

『続きまして、上位ランカーサイド────十五戦十五勝十三回エネルギーアウト。日本ISランキング一位、宮本(みやもと)美桜(みお)

『おぉおおおおおおおおおおおおおおお!!!』

 

 リベリアとは逆の方角から、宮本が歩いて現れた。

 青と白を基調とした専用機は、洗練された美しいフォルムを描いている。何処となく打鉄のような雰囲気を漂わせてはいるが、機体の性能は圧倒的にこちらが上だ。

 特徴的なのは腰に備わった一本の太刀。斬鉄剣、と大きく名称が刻まれた鞘に収められてはいるものの、既に恐ろしいプレッシャーを漂わせている。一体、どれだけ機体と操縦者を斬ってきたのだろうか。

 

「あの斬鉄剣と書かれた太刀がメインウェポンか?」

「おう……宮本さんは次元一刀流ってのを使うらしいんだけど、箒は何か知ってるか?」

「次元一刀流? 初耳だな、父に聞いてみるか」

「あーそれただの厨二病ですから気にしなくて良いですよ。斬鉄剣ってのも正式名称じゃなくて、宮本さんが駄々捏ねて企業に刻ませたやつです」

「「えぇ……」」

 

 一夏と箒は顔を合わせて、二人揃って頷いた。

 この件に触れるのはもうやめておこう。

 箒は気を取り直して、

 

「宮本さんが太刀を使うのは分かった。だが、リベリアさんは何を使うんだ? あの巨大な腕ではまともに武器を扱えないんじゃ……」

「武器なら既に持ってるじゃないですか」

「え?」

 

 回答は一夏が紡いだ。

 

「拳だよ。拳だけ、だよ」

「こ……拳だけ……? 拳だけ、だと?」

 

 箒は耳を疑った。視線をすぐさまリベリアの機体へ移す。

 シールドと言っても差し支えないほど大きく膨らんだ前腕の装甲。その先の、重厚な鉄塊に覆われている拳。

 あれだけが武器だと言うのか、と困惑する箒。その隣では、一夏が苦い顔をしていた。

 

「俺も武装が拳だけってのは変だと思ってたけど、今なら理由がわかる気するよ」

「……────ッ! まさか、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のか!?」

「えぇ。あの巨大な前腕に搭載された『機構』こそが、日本が総力を上げて開発中の代物なんですよ」

 

 箒の最悪の予感を、巻紙はさも当たり前のことかのように肯定して続けた。

 

「装甲内部で特殊エネルギーを超圧縮して、拳を突き出した瞬間一気に放出。特に最大出力だと、莫大なエネルギーによる赤い閃きが発生して────誰が言ったか、その必殺の名は(イグナイト・)(ストライク)

「イグナイト・ストライク……」

「武装が制限されている分と言ってはなんですが、破壊力は桁違いですよ。無論、あの機体を使いこなすリベリアさんの操縦技術も並じゃないですけどね」

 

 巻紙が説明を終えた直後。

 戦場の二名が宙に浮いて、所定の位置に着いた。

 

 日本一位、宮本(みやもと)美桜(みお)は腰に()いた鞘から鉄剣を抜刀。強烈な殺気を纏った鈍色の刀身が今、顕現した。

 日本二位、リベリア・フランカは巨大な鉄拳でファイティングポーズを取る。するとカシュン、と両肘から突き出たパイプが上下した。エネルギー圧縮の準備が整った合図だ。

 

 一夏と箒は息を飲み込む。巻紙はリベリアを見つめる。

 会場中が宮本に声援を送る。

 

 火蓋が切って落とされる。




 評価の一言欄や感想、誤字報告などなど、全部見てます。本当に励みになります、ありがとうございます。

 以下は宮本(みやもと)美桜(みお)(ランキング一位)のイラストです。
 
【挿絵表示】


 以下はリベリア・フランカ(ランキング二位)のイラストです。
 
【挿絵表示】


 次回『篠ノ之箒《coloration》』
 coloration→着色。イグニッションハーツのOPタイトルでもあります。
 明日投稿します。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

43話 篠ノ之箒《coloration》

 ※前回から地続きです。
 前回の後書きに、オリキャラ二名のイラストを載せています。もしよろしければご覧ください。


 空中にて対峙した宮本(みやもと)とリベリア。

 日本一位・宮本は太刀の穂先を揺らしながら。日本二位のドイツ人・リベリアはファイティングポーズを取りながら。

 互いに敵の出方を探っていた。

 

 二人の警戒心と緊張感は、観客席の一夏や箒にそっくりそのまま伝わっている。

 

「宮本さんもリベリアさんもリーチは同じ。下手に手を出せばすぐカウンターが飛んでくるんだ……そりゃ簡単には動けねぇよ」

「ではお前だったらどうする?」

「そうだな、俺だったら────っ!」

 

 箒への回答は中断された。

 先に動いたのはリベリアだった。宮本に急接近すると、鉄塊の如き右拳でストレートを飛ばす。

 宮本は冷静にナックルを去なそうとして、

 

(うぉ!?)

 

 去なせなかった。ストレートの威力とスピードがあまりにも想定を逸脱していたのだ。

 両腕ごと、宮本の太刀が後方に吹き飛ぶ。

 一夏と箒がその桁外れの威力に驚いた頃には、リベリアは追撃を放っていた。宮本はこれを上体反らし(スウェーバック)でどうにか外してみせる。

 ハリケーンのような風圧が宮本のおでこを掠めた。

 

(なんと言う威力ッ! 普通のパンチでこれなら、(イグナイト・)(ストライク)は一体どれほどの破壊力があるんだ!?)

 

 一発、太刀の上から殴られた。たったそれだけでも、全身の骨がミシリと軋んだ。

 宮本の背中から冷や汗が吹き出る。

 

(過去十五たび、強者と戦ってきたが……パワーだけなら間違いなく彼女がナンバーワンだな)

 

 眼前の敵の評価を修正すると同時。

 宮本は大胆不敵にも笑みを浮かべた。闘争本能が、すこぶる昂ったのだ。

 

(良い、良いぞ。私の未熟が彼女のパワーにどこまで通じるか────いざ参る!)

 

 間も無くリベリアが繰り出した右拳に合わせるように。

 宮本の太刀が鈍色に閃く。

 

(次元一刀流、鉄閃(てっせん)!)

 

 鉄拳と鉄剣が衝突。アリーナ上空で金属音が飛び散る。

 耳をつんざくような、じゃない。重低音だ。激突時の衝撃の大きさが伺えた。

 迫り合いは無かった。結果は一瞬で出た。

 ダンプカーにでも跳ねられたみたいに吹っ飛んだのは────宮本! チャンプが弾かれた!

 

「宮本さんが打ち負けた!?」

「タイミングは完璧だった、一方的にパワー負けしたんだ!」

 

 冷静に観戦する巻紙の隣で、二人は驚いてばかり。

 

(鉄閃は通じんか、ならば!)

 

 驚異的なスピードで肉薄するリベリアを、睨み。宮本はとんぼ返りして体に残った衝撃を殺しつつ、体勢を一瞬で直した。

 すると迫り来ていたのは大質量の拳。当然、真正面から迎え撃つ。

 一位(チャンプ)の誇りにかけて。

 

(次元一刀流、()()(らい)!)

 

 宮本が放ったのは三連続の斬撃。神速の連打から生まれた残像はまるで雷のようだった。

 最初の二発はリベリアの巨拳を跳ね退けて、最後の一発は胴を斜めに滑る。クリーンヒットだ。

 高威力の一撃に、しかしリベリアも怯まない。再び食らいつくように殴りにかかる。

 

 展開は目にも止まらぬ乱打戦へ。

 宮本が弾かれたかと思ったら、次はリベリアの機体が刻まれて。

 リベリアが斬られたかと思ったら、次は宮本が打ち負けて。

 アリーナ上空のあちこちで衝突しまくる。馬鹿みたいな衝撃波が上空で荒れ狂う。

 

 一夏は必死に観察眼を走らせながら、ぽつりと漏らした。

 

「な、なんつぅぶつかり合いだよ。国内戦のレベルじゃねぇぞ」

 

 後に続いたのは巻紙の発言。

 

「圧倒的テクニックの宮本選手と圧倒的パワーのリベリア選手、と言ったところですね。今のところは宮本選手がリードしてますけど」

 

 一夏は小さく頷いた。

 彼は戦闘の状況を、ちゃんと理解していたのだ。

 

 宮本とリベリア。二人は一見、太刀と拳による派手なぶつかり合いを演じてはいるが、実際に被弾しているのはリベリアだけだった。

 宮本はぶつかり合いに負けて弾かれているだけで、別に被弾はしていない。追撃もしっかりと回避、あるいは太刀を使った防御で捌き切っている。それどころか間隙を縫って斬撃を浴びせてすらいる。

 

 技術差が如実に表れていた。

 日本で一番強い戦士(おんな)の技術が、これでもかと言うぐらい遺憾なく発揮されていた。

 

「────でも油断出来ませんよ。リベリアさんはパワーで宮本さんを上回ってます、一発でも直撃したら逆転だって……」

「その通りです。リードしていても、宮本選手は被弾どころか事故(アクシデント)すら許されない状況です。この試合、シールドエネルギーの差だけで優劣を語れるものではありません」

「それに、宮本さんは観客全員の期待を背負ってます。逆にリベリアさんは会場の全てが敵……精神的にもキツイはずです」

「しかもリーチが同じときてます。二人ともプライドの高い人物ですからね、どれだけ危険な攻撃が飛んできたとしても、自分の領域(テリトリー)から退くことなく激突し続けるでしょうね」

 

 プロらしく状況を分析する一夏に、巻紙が記者らしく補足を加える。

 別に特別意味のある会話ではない。知識と経験のある()()()()()出来る会話であって、それ以外の何物でもない。

 だけど、箒には今の二人が凄く、凄く魅力的に映った。

 

 一夏と巻紙が、()()()()()世界にいるような気がして。

 

(いいな……私には出来ないことだな……)

 

 口を噤んだ箒の隣では「自分だったらこうしてますけど」とか「織斑君ならリベリア選手のパワーとスピードにも」とか、今もなお言葉が交わされている。

 二人だけの言葉が。二人だけにしか出来ない、思いのやり取りが。

 

 疎外感を感じた。

 戦闘から視線を外し、俯いて、箒は力一杯に拳を握った。

 

(私も……()()にいたいと何度も思って……)

 

 羨ましい。どうして自分じゃないの?

 羨ましい。なんで自分じゃないの?

 ふつふつと煮え立つのは、静脈血のような暗赤色の感情。

 それは背中から抱きしめるように、優しく。白い紙に絵の具がじわじわ滲むように、じっくりと。箒を黒で濁った(あか)に染め上げていく。

 

(お前は私と一緒にいてくれる。けど、やっぱり不安なんだ! ずっと怯えているんだ! 今みたいに、いつかお前に置いていかれる気がして!)

 

 自分が一番一夏を知っているのに。自分が一番、一夏を側で見てきたのに。

 不安を殺すために。自分の価値を証明するために、今まで自分に出来ることは全部全力でやってきたのに。

 

 よけい遠く感じて、不意に泣きたくなる。

 

 まだ、隣に立つことは出来ないのか。

 どうして、自分は巻紙のようになれないのか。

 

(なんで、私はああ言う人になれないんだ?)

 

 自問。答えは明白だった。

 だって、巻紙には何かが()るから。

 だって、

 

(そうか、やっぱりどれだけ頑張っても、私には何もない────)

 

 ドンッ、と。

 アリーナ全体を震わす衝突音が、少女の耳元を横切った。

 

(ち、違う! それは言い訳じゃないか……嫉妬しているだけじゃないか!)

 

 彼女は首を横に振って。でもまだ何かが──もしくは何もかもが──足りない自分に悔しくなって、奥歯を噛み締めた。

 

(一夏の隣で夢を見届けたいのに……それだけなのに……)

「うぉお!?!?」

「ッ!?」

 

 想い人の驚嘆に顔を上げると、状況が一変していた。

 一体自分が見てない間に何が起こったのか。一夏や巻紙に確認するまでもなかった。

 宮本の顔色が明らかに変わっていた。観客席から見ても呼吸の荒さがよく分かる。目を限界まで開いて、絶え間なく肩を上げ下げしている。

 間違いない、と箒は確信した。

 

 宮本は今、リベリアの拳を被弾した!

 

(クッ! 振り終わりに二発連続、か。なんたる未熟だ宮本美桜(みお)!)

 

 懐に潜り込んで袈裟斬り。そこまでは良かった。

 だが振り終わりが致命的だった。まさか相打ち上等と言わんばかりに左ブローを腹部に、それも二発連続で放たれるとは考えてもいなかった。相当な覚悟がなければ出来ない作戦だ。

 

 パラパラ、と腹部装甲の破片が舞い落ちる。激烈な威力は、宮本の機体のシールドエネルギーを大幅に削っていた。

 全身を巡る五臓六腑が破裂したような激痛は、根性で耐える。

 

(あまり長引かせるのはまずいっ。私は死なんが機体が、いや何より太刀が保たないッ! 一気に決めさせて貰おう!)

 

 先に勝負に出たのは宮本だった。

 彼女は一息で精神を研ぎ澄ませる。

 

(()()(らい)でも(らい)(じん)でも、旋風(せんぷう)(らっ)()でもない!)

 

 脚部の計六門もの大型スラスターを噴かせて、一瞬で間合いを詰めたリベリア。

 彼女を強大な敵と見做し、称賛して、宮本は秘技を放つ。

 

(次元一刀流秘技、(せん)(ぼん)(ざく)()ァァァッ!)

 

 刹那、リベリアは目を見張った。

 眼前。ちょいと拳を伸ばすだけで当たる、目の前にて。

 振り翳された太刀が、宮本の機体が、雷の如き眩耀な『青』を迸らせていた。

 そのとんでもない熱量に大気は歪み、空間はひしゃげる。

 青色の太刀がさらに帯びるは、歴戦の戦士に死を直感させるほどの濃密な殺気。

 

 二位の鍛え上げられた勘が、裂帛の声音で叫ぶ。

 これはやばい! やばすぎる!

 

 それでも構わない。

 

 リベリアは止まらなかった。防御も回避も考えなかった。

 その鉄拳に想いの在りったけを込めて、思い切り突き出した。

 バシュン、とパイプが無機質な音を鳴らす。

 

「来るッ! 来ますよ織斑君!」

「え!?」

(イグナイト・)(ストライク)が!」

 

 巻紙の声。絶対に見逃さまいと、一夏は瞬きを堪えて凝視した。

 曇り空の下。砂の大地の上空。65000人に囲まれた、戦場にて。

 青色の光を纏った太刀と、特殊エネルギーを超圧縮した拳が今、激突した。

 

 それは光だった。

 青と赤が一夏の視界を埋め尽くした。脳が焼け焦げるほどの光を、しかし一夏はその目に焼き付ける。

 次いで襲い来るは大轟音。

 両者の必殺の威力を察するのはあまりにも容易かった。それほど象徴的で、体の芯まで響く衝撃波だった。でも、一夏は耳を閉じたりはしなかった。

 

 一夏は自分より強い奴らの力を、しかと見届けていた。

 

 すぐに目が慣れる。瞳に戦場が映る。

 どっちがどうなった。一夏は前傾姿勢になって、

 

「あっ、あぁ!」

 

 塗装が剥がれ、至る部位が焼かれた二機はまだ宙に浮いていた。

 相当吹っ飛んだのだろう。両者はアリーナの端から端まで離れている。

 しかし宮本は太刀を構え、リベリアはファイティングポーズを取っていた。

 巻紙をもってしてもマジか、と呟いてしまう状況。一夏に至っては唖然としていた。

 

 今の激突でも、まだ両者が倒れるには足りないのか!

 

(私は幸せ者だ……素晴らしい強敵に出会わせてくれた運命に、感謝せねばな)

 

 眼前の敵に微笑みを見せて、宮本は愛刀『斬鉄剣』の刀身を手のひらで撫でる。

 

 ピシリ、と。

 

 鳴ったのは、紙を裂いたような軽い軽い音だった。

 本当に何処ででも聞ける、日常にありふれているような音でしかなかった。

 

「え、なんだよ、あれ。刀が……」

「久しぶりに見ますよ、あれは」

 

 一夏ら観客の興味は、それ一点のみに集められていた。

 

 撫でられた『斬鉄剣』の刀身が、青白色に輝いていた。

 先ほどとは違う。

 合金の鈍色はどこにも見当たらない。刀身そのものが交換されたみたいに、全てがひたすら青白色なのだ。

 

(ダリル・ケイシーとの試合以来だな、コイツを使うのは)

 

 全く動じないリベリアを前に、宮本は静かに太刀を()()()()()

 一部のファンと巻紙だけが知っている。

 それこそは、比類なき究極最強の絶技。あらゆる敵を一撃にて葬る斬撃。

 

(次元一刀流奥義、(しゅん)(じん)(いっ)(せん))

 

 宮本の疾駆とリベリアの加速は同時。

 颯の如く空を駆ける両者。

 宮本は腰の太刀を握り。リベリアはカシュン、とパイプを鳴らし(イグナイト・)(ストライク)を装填して。

 距離は瞬時に殺された。

 

 二人の制空圏が、重なった。

 

 途端。両肘を引いたリベリアの瞳が、鋭い光を放つ。

 

(右! 見えた!)

 

 次の一発を完全に見切り、抜刀を図った宮本。彼女は鞘から青白の太刀を勢いよく引き抜いて。

 

 そして()()が迫っていた。

 

(な、何ィィィーッ!?!?!?!?)

 

 何が何だかマジで破茶滅茶で訳が分からなくて体が反射的に強張った思考も直感もクソもない滅茶苦茶本当に意味不明の一色で頭がこんがらがった。

 

 実際の現象が、ハッキリと見えたはずの一撃とは真逆。

 理解出来なかった。

 たった一瞬。稲妻が姿を表して消えるまでのような、一瞬。

 宮本の体は動かなくなってしまった。

 

 その()が、明暗を分けた。

 

「うぉぉぉおおおおおおお!!!」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 僥倖だった。

 彼女は体勢を一気に変更。超絶のタイミングで上体屈み(ダッキング)して、左拳を()()()()()()()()()()()()

 赤色の特殊エネルギーが頭上で炸裂し、遥か後方を穿つ。

 

 もう、二人を遮るものなど何もなかった。

 宮本は一歩を踏み込んで、世界を上下に斬り裂く一閃を叩き込む。

 

「────」

 

 装甲の内側の、さらに内側の、その内側の、もっともっと内側の……正に『命』そのものを断つ斬撃。

 リベリアの上体がぶった斬られた。

 彼女の背後では、慣性で僅かに前進した宮本がピタリと停止する。

 

 何も起きない。光もなければ音もない。

 さっきの必殺と必殺の激突からは想像も付かないほどの静けさがアリーナを包む。

 変わったことと言えば宮本の太刀が元の状態に戻っていることと、宮本の額から血が垂れていることぐらいか。

 

 歓声もない、静寂にて。

 

「刻もう、リベリア・フランカ。私の未熟な背中に、その名を」

 

 宮本が太刀をしまうと同時。

 リベリアが墜ちる。制御を失っているのか、頭から地面に激突した。

 決着がついた瞬間だった。

 

『試合終了。勝者、宮本(みやもと)美桜(みお)

『おぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!』

 

 一位と二位は入れ替わらず。否、一位が意地と実力を見せた、と言うべきか。

 日本を代表する大和撫子に降り注ぐは賞賛の嵐。

 一夏は拍手を贈りつつ、溜めに溜めたため息を吐く。

 

「すげぇ……ま、マジですげぇ」

「あぁ。凄かったな」

 

 適当に共感しただけ。

 箒の頭は試合とは別のことで一杯だった。

 

(私は……これから先、一夏について行けるのか? あんな人たちを超えなきゃいけない一夏に)

 

 どうしても不安になる。

 一夏が夢を叶えるにはこれから先、宮本のような強敵を何回も超えなきゃいけないのだ。今よりもずっとずっと強くならなきゃいけないのだ。

 それに自分はついて行けるのだろうか? 

 そもそも何もない自分が、彼の隣にいても良いのだろうか?

 

(無理だ……既にISの特訓でも、知識でも経験でも付いていけてないのに。そのくせ一夏みたいに目指すべき(こたえ)もないんだぞ……!)

 

 力があれば、知識があれば、経験があれば。目指すべき明確な夢でもあれば。

 

 専用機でもあれば。

 

 何かがあれば、変われるかもしれないのに。

 なのに、握りしめた拳は空っぽ。ゼロ。無。積み重ねてきたものなど何もない。

 

(一夏には何でも()るのに。みんなにも沢山在るのに……私は!)

 

 何もない無力な自分が嫌になって、瞼を強く閉じた。

 最後の最後。泣くことだけは、強がりが許さなかった。

 

(クッソォ……くっそぉ……!)

「あのぉ〜」

 

 何処か明るげに切り出したのは記者の巻紙。

 拍手と歓声の中、彼女はボイスレコーダーを一夏に見せびらかして、

 

「これからチャンプの控室、行っちゃいません?」

「え、えぇ!? どう言うことですか!?」

「実は今日は仕事で来てましてね。私の顔パスだったら二人くらい連れて行けますよ」

 

 巻紙としては箒は別にどっちでも良かった。

 彼女の狙いは一夏ただ一人。選手として何でも良いから経験を重ねてほしい、なんて老婆心で誘っていた。

 向上心の塊である一夏なら絶対に乗るだろうと確信に近い思いもあったが、彼の答えは。

 

「行きます! 是非行かせてください!」

「良いですよ」

 

 おし来たやっぱお前は来るよなぁ! と彼女は内心喜んでいた。絶対に表面には出さないが。

 巻紙はついで感覚で続ける。

 

「で、篠ノ之さんはどうします?」

「あっ……、私は、やめておきま」

「行こうぜ箒!」

 

 視線を逸らそうとした彼女に手を差し伸べたのは、一人の少年だった。

 彼はミサンガを付けた左手を差し出して、

 

「俺一人じゃ寂しいしさ」

「……、良いのか?」

「良いも悪いも俺が決めることじゃねぇだろ。ま、まぁ箒が嫌ならアレだけど……」

「わ、分かった。私も行っても大丈夫ですか?」

「全然良いですよ〜」

 

 巻紙の(非常に上機嫌な)返答を貰って、箒は二人と共に立ち上がる。

 いつもなら一夏が誘ってくれたと喜んでいただろうけど、今だけは素直に喜べなかった。

 

 両選手が退場しても未だ盛り上がる観客席を離れて、三人は控え室へと向かった。

 

 ◇

 

 宮本の控え室周辺は、勝利した選手がいるとは思えないほど静かだった。

 当然の話である。取材やインタビューの時間は別で設けられているため、普通は記者が立ち入るなどあり得ない話だった。部外者に至っては部屋に立ち入ることはおろか、周辺を歩くことすら論外である。

 巻紙は廊下を歩きながらそんな前提を確認して、

 

「でも私は宮本選手と結構仲が良いのでね。こうやって特別に通してもらってるんですよ」

「凄いっすね巻紙さん。流石と言うか」

「織斑君も同じような対応してくれて良いんですよ?」

「巻紙さんなら取材ぐらいいつでも歓迎ですよ! 試合終わった後とか問わず」

「いやいや冗談で……え? ま、マジですか?」

「はい! 入間さんのビデオとか、結構助けていただいてますし」

 

 思わぬ収穫に巻紙は内心スタンディングオベーション状態になる。

 記者としてだけじゃない。戦士(ファイター)としても、オータムと言う人間としても、彼──ひいては彼の()()()──には大変興味があったから。

 ちょっとでも彼に関われるのなら、それ以上に良いことはない。

 

 るんるん気分の巻紙と、チャンプが何を話すのか楽しみにしている一夏の後ろ。

 箒はやっぱり不安を払拭しきれず、無言で歩いていた。

 

(こんなところに来て何の意味がある? 私がいたって何も変わらないじゃないか……)

 

 ただ、歩を進めるだけ。

 そこに意味はない。一夏や巻紙のように、明確な理由や目的は何も、ない。

 

(何もないまま生きてきて……一夏の隣で夢を見届けたいと思っても、やっぱり何もなくて……)

 

 ぼーっと廊下を進んでいると、一つの扉が見えてきた。

 巻紙は顔だけ振り向いて、

 

「あれがチャンプの控え室ですよ。粗相のないようにお願いしますね」

「はい!」

「はい……」

 

 緊張しだしたのか、一夏は急に服装や髪を整え始める。箒は無気力のまま突っ立って、一夏の準備を待つ。

 タイミングを見計らい、巻紙は咳払いをしてからドアをノックした。

 

「宮本選手ー? 巻紙ですけど入っても良いですかー?」

『むっ! 巻紙さんか、どうぞー!』

 

 許可を貰って、三人は入室。

 部屋にいたのはISスーツの上から長袖を着て、鉢巻のように包帯を巻いた宮本。と、一人の若い男性。

 その男性は黒い短髪に、一夏よりやや高い身長と細身が特徴的な人だった。

 

「────?」

 

 箒は首を傾げる。

 一般人の入室は固く禁じられているはずの控え室。そこに当たり前のように佇むこの男性は一体何者なのだろうか。

 宮本の彼氏か夫だろうか? 歳は二十代前半ほどに見えるため、宮本の父ではないだろうが……兄か弟か?

 まぁ、どうでも良いか。結論も出さずに疑問を投げ捨てた箒の前で、男が口を開く。

 

「そこの少年が噂の織斑一夏君かい?」

「は、はい! 初めまして、織斑一夏と言います! よろしくお願いします!」

 

 硬い表情で頭を下げた一夏に、男は爽やかな笑みを見せた。

 

「初めまして。僕は宮本さんの」

「この男はツチだ! 土田健人(つちだけんと)でツチだ!」

「あの宮本さんそれ本当にやめて貰えません? おかげでみんなにツチって言われるんすよ?」

「わっはっはっはーッ! ツチは良い奴だからな、二人とも仲良くしてやってくれ!」

「は、はは、はい!」

 

 返事をするや否や、びっくりするほどガチガチに固まった一夏。

 ようやく一夏の様子に気付いた箒は、ふと少し気になって、彼に耳打ちする。

 

「あちらの男性を知っているのか?」

「し、知ってるも何も……あの土田さんは宮本さんの、つまり()()()()()()()()()()で、日本ISチームの監督なんだよ」

「────ッ!」

 

 瞬間。

 箒の脳天から爪先まで、稲妻みたいな衝撃が走る。

 

(トレーナー……? こんな所まで一緒に、選手といるのか……? 選手の隣にいられるのか?)

 

 息を一つ飲む。吐くのを、忘れる。

 人生で初めて味わう、表現しようのない衝撃。だが、そこには痛みや苦しみは一切伴わない。

 あるのは、まるで胸の蕾が花開いたような感覚。

 

 二人の目の前では、早速巻紙がボイスレコーダーを起動させてインタビューを始めていた。

 内容はもちろん試合についてだ。土田も交えて、三人で今日の試合を振り返っている。

 

 箒は目を丸くして、

 

「な、なぁ、一夏」

「ん、どうした?」

「あの人は……トレーナーは、どう言う仕事をするんだ?」

「俺が知ってる限りだと国家代表に回ってくる事務仕事こなしたり、練習をサポートしたり、って感じだな。あ、あと国際試合の契約とかか。秘書的なこともしてるっぽいぞ」

「……」

 

 箒は目の前の()()()()()を、自分と一夏に置き換えて想像してみる。

 もちろん一夏が選手で箒がトレーナーだ。

 例えば、一夏の練習メニューを考えて、サポートして、お互いを高め合う。

 例えば、一夏に回ってくる事務的な作業を、二人でたわいもない話をしながら片付ける。

 例えば、一夏が怪我をしないように指導する。例えば、例えば……。

 

 思いつくその全てが、

 

(一夏の夢を支えてあげられる……一夏の隣にいながら、夢を見届けられる!)

 

 全身が小刻みに震える。

 視界に映る、あの男性は。ちょっと手を伸ばしたら掴めてしまいそうな距離にいる、あの男性は。

 まさに、箒の求める理想像だった。

 

 彼女は最後の後押しが欲しそうに、一夏へぼそりと訊ねた。

 

「一夏……トレーナーは、いつも選手と一緒なのか? いつも選手の隣にいるものなのか?」

「だと思うぜ。ほとんど一緒だと思う」

 

 トドメだった。

 

 箒の魂に、ぽっと灯火が点いた。

 それは周りから見れば面白いくらい、小さな小さな炎。だけど、目も眩む灯り。

 炎は、箒を染め上げようとしていた濁った(あか)を瞬く間に焼き尽くす。

 そして代わりを果たさんと、箒を真っ赤に染め上げる。

 

 希望の光のような。

 今も未来も照らす太陽のような赤色で。

 

 箒は少年を見つめる。

 彼はまだ、自分よりもずーっと遠い場所にいる。

 今すぐ追い付くなんて無理かもしれない。けど、決心する。

 

 まるであの日、道場で。少年が戦う理由を誓ったように。

 箒は高みを目指す少年の隣に立って、誓う。

 

(わ、私は……私は……ッ!)

 

 知識もない。技術もない。力もなければ専用機もない。

 あぁ何もないさ。自慢できる物なんて(なん)にも無い。

 不安さ。不安で怖くて仕方がないさ! 本当に自分で良いのかって、大丈夫なのかって、今も足が竦んでる!

 でも、それでも高らかに叫んでやろう! だってこんな時、大好きな人(あのひと)ならきっとこう言うはずだから!

 

 上等だ。

 

 無いもののためにではなく。

 箒は、胸の灯火のために。今確かに生まれた己に在るモノのために、道を歩むことを誓う!

 

(いつの日か必ず(いちか)の隣で、同じ夢を歩きたい────お前のトレーナーとして! これが私の(こたえ)だ!)

 

 少女、篠ノ之箒は夢に出逢った。




 3話のオマージュです。
 紅椿なんて必要ねぇんだよ!(過激派ファース党)
 


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。