囚われの少女を救ってから惚れられている。しかし相手は十一歳だ (松岡夜空)
しおりを挟む

第一章 ほらな
十狼刀決死組


 突き出した刀剣が、骨と骨の間を貫通し、男の動き止める。

 

 男の口から血が零れ落ちていくのを俺は笑って見ていた。

 

 こいつは人身売買で生計を立てていたクズである。いくら苦しめようが、罪であろうはずもない。

 

 

「アヤメ色の瞳に……黄赤の髪……」

 

 

 男が口を動かす。大したもんだと俺は思ったね。これから死ぬのに、最後の言葉が俺の自己紹介だってんだからよ。

 殊勝すぎて泣けちゃうね。

 

 

「何故だ。何故盗賊王ヒョウが、決死組なんかと……」

 

「さて何故だったかな……成り行き、暇潰し、まあ、両方かな」

 

 

 刀を引き抜こうとした。

 しかしその時、男が俺の手をつかんで止めた。

 

 汚い手で触りやがってと思う反面、俺は怒ることも忘れて感心しちゃったよ。

 いあ、中々出来ることじゃないよ、こりゃ。こちとら肺貫いたはずなんだからさ。

 ゾンビかこいつは。

 

 

「無駄なことだ」

 

「あ?」

 

「お前は確かに強い。だがそれだけだ。お前には何もない。欲もなければ感情もない。人に紛れていてもいずれ割れるぞ。お前の全ては虚構。そして皆お前の元から消え――グハ!!」

 

 

 男が言葉を締めくくるまえに、俺はつかまれていない手で男を殴り飛ばした。

 

 

「お前は俺の師匠か何かかボケー。まあ俺の師はとっくに――俺が殺したがな」

 

 

 刀を鞘に納め、俺は笑った。

 

 

 空を見上げる。

 今日は満月である。

 組織を襲撃するなら新月が理想だが、この程度の奴ら相手ならそんなもん関係ない。

 まあ(こいつら)にはと、言い換えてもいいけどな。

 

 

「盗賊王、ヒョウか?」

 

 

 ふと、後ろの木陰から声がする。この俺に存在を悟らせないとは、さすがに有火(あるか)だな。

 

 俺は笑って振り返った。

 

 

「やだなー姉さん、聞いてたの? 盗み聞きは良くないぜー」

 

「唇の動きでわかった。クセでな。しかしお前にそんなごたいそうな異名があったとはな」

 

「かっこいいだろ?」

 

「それは名で決めることではないな。重要なのは、盗賊王と呼ばれて、何をなしてきたかだ」

 

「名前通りのことさ。期待に添えてるかは、ちょっとわからないな」

 

「義賊か?」

 

「ま、俺基準では?」

 

「そうか。ならばいい」

 

 

 その実にあっさりとした問答に、俺は肩をすくめて笑った。もうちょっと突き詰めて聞いてみてもいいと思うけどな。自己申告程あてにならないものはねえからよ。

 

 

 でもまあ、それがこいつの信頼の見せ方だってんなら悪くはない。俺は嫌いじゃないね。

 

 

「勘違いしてくれるなよ」

 

「あ?」

 

「この世界ではあっさりと人が死んでいく。敵も味方も。お前のような野良犬の素性を詳しく知ったところで無意味と思ったまでの話」

 

「さいですか」

 

 

 訂正。やっぱり嫌いだった。

 

 

「まあ死ぬのは、あたしの方が先かもしれないがな」

 

「そんな湿っぽいまとめ方すんなよ」

 

 

 苦笑いを零しながら、俺は言った。

 

 

「あくまで可能性の一つを言ったまで。さて、掃討の仕上げだ。行くぞ、ヒョウ」

 

 

 腰の刀を持ち上げ有火(あるか)が言った。俺も同じく腰の刀を持ち上げる。

 

 

「了解」

 

 

 告げて、二人共々跳躍する。

 風を纏った俺たちの跳躍は、優に数メートルは越えていた。

 土の上の木の葉が、風にさらわれフワリと舞う。

 

 

 俺たちが去ったその先には、人身売買組織のアジトとも言える、弧寺院が建っていた。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 十狼刀決死組三番隊。

 

 東の大陸、東尾が有する最強の剣客集団。名前の通り全十隊ある。

 隊ごとに役割が違うが、俺、有火が所属している三番隊は、主に『外』で活動する。

 

 この外というのは他国を指し、つまり三番隊というのは、東尾の外交兼外攻部隊ということだ。

 

 必然、今回の任務、人身売買組織の掃討も、東尾ではなく、他国で行われていること、ということになる。

 というのも、東尾の女は東尾清女(とうびせいにょ)と呼ばれ人気がある。だから他国の人間によくさらわれる。

 

 今回の任務はさらわれた女子供の救出と、このゴミどもを凄惨かつ誰がやったかわかる形で皆殺しにすること。

 東尾(とうび)にあだなすとどうなるかを教えるわけだ。

 

 

 ――ま、俺は東尾(とうび)の人間じゃねえけどな。俺はただの雇われだからよ。

 

 

 北翼の盗賊王。それが俺のかつての異名。それがどうしてこんなことをやってるのかってのは――まあ、さっきも言った通り、ただの成り行きってやつさ。

 

 

 

  ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 コンコンコンコンコン……。

 

 

 弧寺院内の壁を叩いて回った。

 

 

 何故こんなことをしているのかというと―― 

 

 

 かんかん。

 

 

 一部鈍い音がした。

 

 

 やはりな。思ってすぐに抜刀した。壁の一部が崩れ落ちる。その先には隠し階段が続いていた。

 

 

「どうした、ヒョウ」

 

 

 頭の部屋を見て回っていた有火(あるか)が言った。

 

 

「隠し部屋」

 

「ほう。よく見つけたな」

 

「頭の部屋と隣の部屋との間に不自然な空白があった。最初からあったのか後から足したのかは知らないが、いずれにせよ、この手のアジトには必ず一つは隠し部屋があるもんだ。雪女から送られてきた間取りを見た時から、多分このラインだと思ってたよ」

 

「ふん、なるほどな。伊達に盗賊王とは呼ばれてないわけだ。家捜しをするのは得意らしい」

 

「誉め言葉として受け止めましょう」

 

「ふん。で、どうだ? 魔力痕の内訳は」

 

「喜。楽。愛。信。恐。複数。三人から五人ってところか」

 

 

 魔力痕というのは、魔術師が残していった痕跡のことである。

 

 

 魔力の構成要素は、己が念半分、死者の念半分で構成される。

 つまり、魔力の半分は己が念、思念(かんじょう)なのだ。

 

 一流の魔術師は、見鬼(けんき)と呼ばれる青魔術によって、死念にこびりついた魔術師の思念(かんじょう)がわかるのである。

 

 まあ難度は高いけどな。

 

 

「ふむ。おかしいな、かなり」

 

 

 さすがに有火(あるか)もバカじゃない。

 

 ここは隠し階段である。逃げるため、隠れるために作られたと考えるのが自然。

 

 しかし、この場に残された『感情』は、喜。楽。愛。信。恐。

 

 

 この感情分布は、どちらかというと宝物庫のそれである。

 ならばそれなんだろうと考えてみても、やはりおかしい。

 

 

 宝物庫なら、何故、信と恐、すなわち『敬意』という感情が残っているのか。

 

 これは、何かを奉っている時に残される、魔術師の感情だ。

 

 

 結論。この先には確実に何かがある。そして、何かがいる。

 

 

「まあ、この先に待っているのが鬼であろうが蛇であろうが――」

 

 

 有火(あるか)が指を鳴らす。

 

 すると、階段の左右に取り付けられた明かりが次々についていく。

 風を操り、砂台、つまり灯りの源である砂を一瞬でかき混ぜたのである。簡単にやっているように見えるが、有火(あるか)だからできる高等魔術だ。

 

 

「我ら東の狼の敵ではない」

 

 

 東の狼とは、こいつら十狼刀決死組三番隊の異名である。

 しかし先も言ったように、俺は決死組ではない。ただの雇われ。

 言うなら――

 

 

「まあお前はただの野良犬だがな。払った銭分は働いてもらうぞ」

 

「やれやれ。野良犬も金貰わないと食っていけない時代か。世知辛いね」

 

 

 肩をすくめながら、俺は笑った。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

出会い

 有火(あるか)と二人で階段を下りる。足音は立てない。別にビビってるわけじゃない。お互い足音を消すのがクセなだけだ。

 

 

 しばらく歩いた先に、いかにも頑丈そうな扉が見えた。古木でできており、見ただけで分厚さが伝わる。扉というより、門と言った方が近いかもしれない。

 俺は笑って腰の刀に手をかけ、鍔を持ち上げた。

 

 

「どうするゴリ姉。怖かったら一二の三で切るけ――うお!!」

 

 

 俺は言葉も半ばに跳躍した。有火(あるか)が俺の背後から、物言わず刀を振るってきたからだ。

 有火(あるか)の神速の抜刀が、かまいたちを起こし数メートル先の扉を破壊した。

 

 

 カラン。

 

 

 有火(あるか)が音を立てて納刀する。俺はそのすぐ横に降り立って、肩をすくめた。

 

 

「相変わらず冗談が通じねえなー、ゴリ姉。暴力ヒロインの時代じゃないぜー」

 

 

 言うも、有火(あるか)は何も答えなかった。ほんと冗談が通じないぜ。

 綺麗じゃないと『ゴリ姉』なんて呼べないってのにさ。

 目を正面に向ける。正面は、舞い上がったホコリのせいでよく見えなかった。だがそれも数秒の話だろう。じきこのホコリも晴れる。

 

 

 俺は笑って、腰の刀を引き抜いた。

 

 

 さあ――何が出る?

 

 

 ホコリが晴れる。その先から出てきたのは、ガキだった。

 

 

 年の頃は推定十前後。長い栗色の髪をまっすぐ下ろし、正座しながらこっちを鋭く睨み付けてくる。

 正座は東尾(とうび)特有の座り方だ。つまりこいつは東尾の女ということになる。

 

 

 しかし何故だ? 何故この女一人をこんなとこに押し込め、かつ奉っていた?

 

 

 十そこそこのガキが、この状況で、俺たち二人にガン飛ばす。

 間違いなくただのガキじゃない。聡いガキなんて環境次第でいくらでも作れるが、この状況にいて、かつ動揺しないガキというのは、どう考えても普通じゃな――ん?

 

 

 ふと、少女が膝の上で握った手に目を向ける。少女の手は小刻みに震えていた。今一度その顔を見ると、目や唇も微かに震えている。

 

 

 つまり、先のこいつのガン飛ばしは強がりってわけだ。しかし、例えこいつがどんな反応を返してこようが、やはりこいつには何かある。

 こいつが奉られていたという謎に関しては、まだ解明されていないのだから。

 

 

 可能性としては、俺が魔力痕を読み違えた、というのもなくはない。しかし、先の魔力痕は有火も確認していたはず。まさか野良犬でしかない俺の情報を全て鵜呑みにするほど、有火もバカではない、はず。

 とはいえ、一度聞いてみるか――

 

 

「ゴリ姉――」

 

 

 顔を向ける。その時――

 

 

『何だヒョウ。お前は本当に歴史に疎いな。この女は――』

 

 

 ふと、頭に誰かの声が流れ込んできた。

 何だとこれは――

 

 

「ちょっとちょっとー」

 

 

 そんな考えを塗り潰すように、自分達が下ってきた階段から、新たな女の声が聞こえてきた。

 先に商品として組織に潜入していた女、雪蘭である。

 布一枚を身体に巻いた、いかにも奴隷的な格好をしていて、その身に何があったのかは、あまり考えたくないところだ。

 

 

「いつまでこんなところで密会してんのよー。皆殺しにしてはい終わりじゃないんだからねー? 捕まった人らの解放はもちろん、生かした奴らの顔剥いだりとか、あそこ落としたりとか、それぶら下げて恐の魔力痕残したり、色々やること残って――あら?」

 

 

 ふと、雪蘭の目が俺たちを通り越してガキに向かう。

 

 

 雪蘭はそれを見て、合点がいったとばかりに手を打った。 

 

 

「ここの大将ロリコンだったのねー。うわー怖い」

 

 

 そんな一言で片付けていいのか、この問題を……。

 

 俺は今一度振り返って、ガキを見た。ガキは目を伏せながら、チラチラこちらを伺っている。

 

 

 本人に聞くのが一番早い。いずれにせよ両面の意見を擦り合わせないと真実にはたどりつけないだろうからな。

 だが、こいつにとったら、やっとつかんだ安心だ。

 

 

 ――今聞くことでもないか……。

 

 

「雪女。上で生きてる奴で、まだ話せる奴いるか?」

 

「さあーどうだろ。もう大体やっちゃってるんじゃないかなー」

 

「そこのガキはお前らに任せるよ。俺はガキと面倒が嫌いだからな」

 

「待ってください!!」

 

 

 呼ばれて、振り返る。

 女はやはり顔を伏せていた。

 

 

 そして、意を決したように顔を上げた。

 

 

兄様(あにさま)は――」

 

「へ?」

 

 

 兄様? どういうことだ? 

 俺はいつから、こいつの兄貴に――

 

 

「兄様。兄様ってば」

 

「……」

 

「兄様ああああああああああああああ!!」

 

「うお!!」

 

 

 俺は大きく上体を持ち上げた。

 そこにいたのは、先程の栗色の髪をした子供。

 

 

 名をリティシア=(リン)

 十狼刀決死組三年生にして、俺の義妹。(リン)という(あざな)も、何の因果か俺がつけた。

 

 

「はぁー」

 

 

 俺は黄赤ではなく、『黒色』に染めた髪を持ち上げた。

 

 

「あ、申し訳ございません。もしかして、うるさかったでしょうか?」

 

「いや、そうじゃない。いやまあうるさかったのは間違いないが」

 

「はわ!!」

 

 

 リンが口元を押さえて声をあげる。

 そのいかにもガキらしい仕草を見て、俺は笑った。

 

 

「しかし、それが一番の理由じゃない。ちょっと、昔の夢を見ててな」

 

「昔の夢……ですか?」

 

「ああ。無駄に臨場感があって、ちょっと疲れた。――何だよ?」

 

 

 リンは今も口元を両手で隠しながら俺を見ている。ただその顔が、ほんのり赤く、ポーッと照れている感じだったので、俺は尋ねた。ガキだからか、こいつは時々こういう脈絡のない、意味不明なことをする。

 

 

「あ、いえその、兄様の昔というのが、少し気になったもので」

 

「お前の夢だよ」

 

「え?」

 

「だから、お前と初めて会った時の夢を見てたんだよ」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ヒョウとリン

「あたしと初めて会った頃の夢……ですか……?」

 

「ああ」

 

 

 うんと伸びをした。のびをしながら、リンを見つめる。

 

 リンは口元を両手で押さえ、恥ずかしそうな顔を隠していた。いや、隠せてないんだけどさ。

 

 何つうか、そんな顔を見せられると、俺はとんでもなく恥ずかしいことを言ったのではないか、と思ってしまうのだが、よ~っく考えてみると、やはりそんなことはなかった。

 

 リンは今年で十二になる。つまり現在十一。俺は二十二。リンは東尾(とうび)の女だけあって精神年齢が高いが、それでもやはりガキである。

 

 だから時々、俺じゃついていけないような、突飛なことを考えたりやらかしたりする。

 

 それで俺以外が巻き込まれることもしばしばある。

 

 まあ物凄く端的に言うと、アホなんだよな、こいつ。だからこいつのやることなすこと、真剣に考えるだけ損なのである。

 

 

「ふわぁ……あ~あ」

 

 

 伸ばしていた手を下ろし、ゴシゴシと目をかいた。

 今一度リンを見つめると、リンはどこか気落ちした顔を見せながら、視線を横に流していた。

 

 相変わらずコロコロと表情を変えるやつだ。

 一寸先では違う表情になってやがる。

 

 

「あの……兄様」

 

「ん~?」

 

「兄様の夢に出てきた昔のあたしは、その……」

 

「ん? あーすげえ感じ悪かったな」

 

「はわ!!」

 

「まああの時のお前は俺のことを敵と誤認してたわ――」

 

「わ、忘れてください!! あの時あたしが言ったことは!!」

 

「あたしが言ったこと?」

 

「いや、その……」

 

 

 視線を外しながら、誤魔化すリン。

 

 俺はそんなリンをジッと見つめて、今一度ノビをした。

 

 

「まあいいさ。俺だって、特に覚えてねえからな」

 

「……」

 

 

 俺は頭をガリガリとかきながら、立ち上がった。

 

 チラリと、リンを見つめる。

 

 リンは沈んだ顔で、床をジッと見つめている。

 

 覚えていてほしいのかほしくないのか、どっちなんだよ、こいつは。

 

 ったく。

 

 

「……リン」

 

「あ、はい!!」

 

 

 俺は面倒なことが嫌いだ。

 

 そんな俺がわざわざ『こんなこと』を言おうとしている。

 

 それはつまり――……。

 

 どういうことなんだろうな。わからん。

 

 

「その、なんだ、制服」

 

「制服……あ!! お取りした方が――」

 

「違う違う。そうじゃなくて」

 

「?」

 

「だ~か~ら~。その、制服……似合ってるぞって……」

 

 

 いつの間にか視線を外してしまった目を、今一度リンに向けた。

 

 リンは口元を手で隠していた。

 

 だからその反応やめろっつうに。

 

 言ってるこっちが恥ずかしくなってくる。

 

 そんな俺の想いが通じたのか、リンは口元から手を離し、くすぐったそうな顔で、笑った。

 

 

「はい!! ありがとうございます。兄様」

 

 

 頭をガリガリとかいた。

 

 こいつの近くにいると、心が引っかき回されていけない。

 

 いや、引きずり回されて、という言い方の方が近いかもしれない。

 

 いや、どっちでもいいな、こんなこと。

 

 

「ふわ~」

 

 

 俺は壁にかけてある、北頭(ほくとう)の、王立魔術師学園の制服を手に取った。

 

 さっきも言ったが、俺は今年で二十二である。二十二の俺が、何だって今更学園に通わなきゃいかんねんというと、それには理由がある。

 

 それは――

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

目的

「語学留学~?」

 

 

 カポン。

 

 

 東尾(とうび)にある三番隊本邸の庭から、春起こしの音がする。

 

 春起こしというのは、東尾(とうび)の文化の一つで、音で春を知らせる道具である。

 

 東尾(とうび)の冬は厳しく水さえ凍る。つまり、落水で竹を動かせたなら、外に出ても安心だ、ということである。

 

 

 カポン。

 

 

 また音。

 

 目の前の男、十狼刀決死組(じゅうろうとうけっしぐみ)三番隊組長カルロ=惣一郎は、両手で湯呑を持って、ズズズと茶を楽しでいる。

 

 

「あのっさー、一個聞かせていただいてもよろしいですかね~?」

 

 

 呆れながら、俺は言った。

 

 

「なんだ?」

 

「あんたら十狼刀決死組三番隊は、東尾が誇る諜報員。厳密に言えば、外交兼外攻部隊なんだよねー?」

 

「だったらなんだ?」

 

「なんで諜報員が、語学留学するんだよ。もっと隠密に動いたりするのが普通なんじゃないんかい!」

 

「俺たちは普通じゃないからな」

 

「おい」

 

「いや、冗談で言っているわけじゃない。相手を殺すこと。脅すこと。情報を引き出すこと。知られていても全てできる。

 それが俺たち三番隊だ。それはお前にだってできることだろ?」

 

 

 まあそりゃそうだけどもさ。

 

 

「後、語学研修とは言ったが、それは表向きで、半分以上は実地調査だ。お前は知らないかもしれないが、北頭(ほくとう)アイスビニッツ第二王室王女フィリア=ルク=マキュベアリと、北翼(ほくよく)の無頼、ファルコ=ルドルフの結婚がほぼ確定した」

 

「ほー」

 

 

 カポン。

 

 

 また、春起こしの音がする。

 

 

「驚いたな。あそこの血筋は千年は続いてたろ。千年王国とか言って。それを半分、北頭(ほくとう)の血を継いでるとはいえ、他国の血を入れるとは。中々思いきったことをしたもんだ」

 

「思い切りすぎたな」

 

「ふーん。やっぱ問題でも?」

 

「いや? 現状何もない。貴賤結婚であるのは間違いないが、ファルコは文武両道品行方正、優秀な魔術師で、国民も受け入れているという報道事態は、王宮管理室が伝書を使って他国に配信している」

 

「そりゃ嘘だな、さすがに」

 

「いや、ファルコが優秀かどうか、国民が怒っているかどうかというのは、この場合大した問題じゃない。問題なのは、ファルコの素性だ」

 

 

 ズズズ。

 

 

 俺は茶を一口すすった。

 

 

「これが本当にただの貴賤結婚なら、その汚点は十年でそそげる。仮に親子三代に渡ってたかられたとしても、まともな国家ならそれで揺らぐことはない。が、もしもファルコのバックに北翼のどこかの国が付いている、すなわち工作員だった場合、向こう百年この問題は解決するまい。マキュベアリ家を楔にして、北翼(ほくよく)が汚水の如く侵食してくるのはほぼ確実だろうよ。特に北頭(ほくとう)は、位置的に西の防波堤になっている側面もあるしな。西を攻略するには必ず潰さなければならない。言うなら急所だ」

 

「まあ言わんとしてることはわかるけど、所詮ただの陰謀論だろ。それに北頭の探査能力は七体陸一だ。何も調べていないならバカってレベルじゃない」

 

「バカってレベルの可能性がある。だから調べるのさ。足と目を使ってな」

 

「つまり、もう依頼を受けているってことか」

 

 

 十狼刀決死組三番隊は慈善業者じゃない。西がどうなろうが北頭がどうなろうが本来無関係だ。それでも動くということは、どこかから依頼を既に受けていると考えるのが自然だった。

 

 

「まあ、そういうことになるかな」

 

「なるほどな。それでリンに語学研修兼実地調査というわけか。実地調査するぐらいなら依頼した奴に聞けと言いたいが、まあそれはいい。リンのサポートには誰をつけるつもりだ?」

 

「そんなものつけるつもりはないが?」

 

 

 ……やっぱりな。俺は舌打ち一つ。

 

 

「……お前っさー、いやまあいいや。裏がない可能性もあるから一応言っておくけど、間違いなくあいつ一人の手に負える話じゃない。リンはまだ十歳だぞ? お前の話が陰謀論じゃないなら、これは西半球全体の問題だろ。十歳のガキにこなせるわけがない」

 

「だからリンの仕事は語学研修と実地調査と言ったろ? 何を深読みしているんだ? お前。あいつにそこまでしてもらうつもりはない。現状は(けん)と言ったつもりだが?」

 

「だからあいつは十歳だって言ってるだろ。リンの年でその二つを一人でこなすなんざ不可能だ」

 

「俺は九歳で三番隊の副長だったぞ。仲間殺しで財務に回されたが。まあ結局ここに戻されたわけだがな。それぐらいのこと普通できるだろ」

 

「そりゃ俺とお前が先天性魔術師、すなわち魔族だからだ。それにあいつは北翼の人間に狙われてる。あれから二年、いや、正確には三年か、経った今でも、相手はもちろん、目的さえ明確にはわかっちゃいないんだ。わかっているのは、リンが何らかの理由で狙われている。それだけだ。その状況で、リンを異国に一人で配置するのは危険すぎる」

 

 

 カポン。

 

 

 春起こしの音が、響く。

 

 ズズズと組長が茶を飲み、それを唇から離した。

 

 

「ふっ、お前は本当にリンに甘いな。あいつのこととなると、すぐに饒舌になりやがる」

 

「というかあんたの差配が雑すぎるんだよ。特に教育に関しては毎度毎度ひどすぎる」

 

 

 カポン。

 

 

「そこまで言うなら、ヒョウ。お前がついていくか? お前は決死組じゃない。うちの組の周りをうろつく北翼(ほくよく)の野良犬だ。お前の動きを直接どうのこうの言う権限は、俺にはないからな」

 

 

 やっぱりこういう話のもっていき方かよ、くそ。

 

 

「はあ」

 

「不満か?」

 

「不満と言えば、あーたの掌の上で操られているのがただただ不満だ」

 

 

 湯呑を手にして、俺は言った。

 

 

「何だ。俺が狙ってやってるとでも思っているのか? 心外だな」

 

「よく言うぜ……」

 

「いいだろう。不愉快だ。そこまで言うなら、別の誰かをあてがってやってもいいぞ」

 

「誰よ?」

 

「それをお前に話す義理はない。ただこれだけは言っておこう。入れるとしたら男であると」

 

「あーたさー。もしかして、それで俺が嫉妬するとでも思ってる?」

 

「しないのか?」

 

「あったり前でしょうが。リンはまだ十歳だぞ。まあとはいえ、ここの隊の男は副長とあんた以外クソ雑魚だからな。不安と言えば不安ではある」

 

「そうだな。加えて言えば、その男とリンは、一年間同じ部屋で暮らすことになるわけだからな」

 

「ぶっ!!」

 

 

 俺は飲んでいた茶を吹き出した。

 

 組長は淡々と巻物に目をやっている。

 

 多分そこには、手が空いている人材(男)が書き連ねられているのだろう。

 

 

「一応言っておくが、これは当てつけではない。リンが北翼の連中に狙われているのなら、これは当然の措置だ。反論があるなら聞いてやる」

 

「……ゴリ姉と雪女は?」

 

「あの二人をたかだか雑兵の練兵につき合わせるわけないだろう。アホかお前。鬼の副長(かざや)を穏便に止められるのは、あの二人だけだからな」

 

「はあ」

 

 

 また溜息一つ。

 

 

「しかしあれだな。ガキはできずとも、恋仲ぐらいにはなるかもな。人間は心理からは逃げられない。頼れる相手を好きになるのは一種の防衛本能のようなものだ。加えて、本当に頼りたい相手が、自分を無視して、本国で寝てるようでは――」

 

「お前さ――」

 

「なんだ? 勘に障ったなら、この話は切り上げるか? 忙しいところ(笑)悪かったな」

 

「やっぱりお前、最初からこのために俺を呼んだろ?」

 

 

 茶を口に含む。

 

 

「ふっ。話し相手欲しさに茶を出すほど、俺が老いていると思ったか?」

 

「ちっ。だったら次回からは来ないようにするぜ。リンが呼んでるって言うから来てみりゃこれだ」

 

 

 置いていた刀、虎牙を手に取り、俺は立ち上がった。

 

 茶は全部飲み干している。

 

 ボキボキと首を鳴らす。

 

 何やかんや、俺は寝起きなのだった。

 

 

「で? どうする? やるのか? やらないのか?」

 

「語学研修と実地調査。それ以上のことは俺もやらねえからな? 俺は辛気臭いのは嫌いなんだよ」

 

 

 組長の話を聞きながら、刀を腰に差し、黄赤の髪を後ろで縛った。

 

 

「心配するな。お前の動きは全て計算ずくだ。野良犬は野良犬らしく、自由に振る舞えばいい。それがこっちのためになる」

 

 

「どうなってもしらねぇぞ……」

 

 

 襖の引き手に手をかけながら、俺は言った。

 

 

「ただ一つだけ、お前には制約をつける」

 

「ほらでた。なんだよ」

 

 

 振り返って、俺は尋ねた。

 

 

「新月布の存在を対象に悟られるなよ」

 

「……」

 

 

 新月布は決死組の代名詞のような銀具で、纏った存在を透過、つまり、傍目に見て消すことができる。

 

 見鬼(けんき)を用いて、組長を見据えた。

 

 組長は、魔力を乱すことなく、茶を飲んでいる。相変わらず、見事な魔装だ。

 

 

「リンには?」

 

「無論言っている。ただ、リンには刀を隠す以外で新月布を『使うな』と命じている。ただし、それもお前の権限で外してくれていい。

 ――ま、新月布は噂では広まってはいても、本来門外不出。一応な」

 

 

 (ふすま)を開く。

 

 

 カコン。

 

 

 また春起こしの音。

 

 襖を開いている分、より鮮明に聞こえた。

 

 風にさらされて、東尾にだけ咲く華、桜が、吹雪のように花弁を散らしている。

 

 廊下を飾る花弁の一枚を踏みつけながら、俺は口を開いた。

 

 

「了解」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

しゃあねえな

 ――ってなことがあって、今現在に至る、というわけだ。

 ああ長かった。

 

 

「ですが、兄様が一緒に来てくれるとは――その!! 思ってませんでした……」

 

「ん~?」

 

 

 学校の制服なるものに着替えながら、俺は振り返った。

 

 リンは正座し、俺に背中を向けている。

 

 デリカシーに欠けたのは間違いないが、ワンルームなのだから仕方ない。どうしても見られたくなきゃ、風呂場ででも着替えるしかない。

 

 まあー、後でカーテンでも買って帰ろ。俺はともかくリンがあれだし。

 

 

「まあ雪女かゴリ姉が来るってんなら行かなかったけどな」

 

「……そう、ですか」

 

 

 リンの気落ちした声が聞こえる。

 

 リンは背中を向けていたので表情まではわからなかったが、どうせ寂しそうな顔で俯いているんだろうなと思った。

 

 

「あ――でもまあ、それ以外だったら俺も来るつもりだったよ」

 

「そうなのですか?」

 

「当たり前だろ。仮にも義兄だし、一応その――心配してんだぜ?」

 

「そ、そうですか……」

 

 

 やはりシュンとした声で、リンが言う。

 

 こいつじゃあどうやったら納得するんだよ。

 

 軽くイライラした俺は、リンの近くに行って、その両耳に手を添えた。

 

 

「ヒャッ!!」

 

 

 リンがビクッとして、うずくまる。両耳を押さえながら振り返るリンを見て、俺はカラカラと笑った。

 

 

「いきなりそんなことをされたら、ビックリしてしまいます」

 

「ビックリすると思ってやったんだよ」

 

「ふふっ。何だか兄様、子供みたいです」

 

 

 くすぐったそうに笑って、リンが言う。

 

 

「そんなことより、お前さっきから何落ち込んだ感じになってんだよ」

 

 

 やや気恥ずかしくなってきた俺は、明後日の方向を見ながら尋ねた。

 

 

「え? そうでしょうか?」

 

 

 リンがさもそんなことないとばかりの口調で言った。

 

 こういうのを見ると、こいつも女だなと思う。中々に、化ける。

 

 俺は、そんなリンのそばに腰を下ろして、リンのモチモチしたほっぺをつまみ、引っ張りまわした。

 

 

「そんなのいらないからさー、さっさと理由を教えてくださいませんかねー、リンちゃんさーん」

 

「いひゃいいひゃい、いひゃいです、あひしゃま!」

 

 

 俺の手を何度も叩いてくるので、俺はその訴えに応じた。

 

 

「で? 何で落ち込んでんだよ。言え」

 

「その……」

 

「なんだよ、俺に来てほしくなかったってことか?」

 

「ち、違います!! 絶対に違います!!」

 

「じゃあなんなんだよ」

 

「あの……」

 

「おう」

 

「その……」

 

「お前マジでいい加減にしろよ。俺は待つのが嫌いなんだよ」

 

「いや違うんです!! あの!! せっかく兄様に来ていただいたのに、兄様と、同じクラスになれなかったのがその――少し……残念だな、と」

 

「あー」

 

 

 北頭の魔術学園のクラスは全部で十八。これは能力と属性で分けられる。

 能力には学力も含まれ、そのため授業は一般教養も含まれる。階級はABCDEとあり、仮に超絶的な魔術師がいても、一般教養がカスならEかDになる。ちなみにEはニクラスしかなく、授業内容は九割学業である。落ちこぼれと子供が在籍するのがEクラスである。通称Eレン。

 

 属性は魔力の質で、別に火属性だから火が得意水が苦手、なんてことはない。便宜的に火水風土とつけているだけである。ちなみに属性は、治癒を主とする白魔術の時に用いる。性格にも関係があると言われてるため、反発することがないよう属性でもクラス分けしているようだ。

 

 俺とリンは、最初、火のBクラスに在籍するつもりだった。ちなみに俺とリン尾属性は違うがその辺は提出した資料の段階で改竄している。AではなくBを選んだのは、いざ無理が出てもAに繰り上がるだけで済むかもしれないと考えたからだ。まあ、ちょっとした保険ってやつ。

 

『君はここで学ぶことなし、卒業!!』ってなことを言われても困るしな。まあ杓子定規な北頭(ほくとう)でそれはないだろうが。飛び級はあっても卒業は基本的に三月である。

 

 

 しかし、わざわざ北頭にまで出向き、テストを終え、蓋を開けてみれば、俺はB、リンは特待Sを獲得した上での、Aとなっていた。理由はちょっと考えればわかるだろう。

 

 

「それはな~、お前が~」

 

 

 俺は今一度、リンのほっぺを、むんずとつまんだ。

 

 

「特待Sなんて、一人でとってるからだろがあああああああああああ!! なんでお前はそう負けず嫌いなんだよおおいいいい!!」

 

「ふええええええ!! だから言いたくなかったんですうううううう!!」

 

 

 リンのほっぺを引っ張りまわすと、リンは泣きながら悲鳴を上げた。

 

 

「ったく」

 

「うぅ……ひどいです、兄様」

 

「ひどかねえ。それに残念でもねえ」

 

「あたしは……」

 

「ちょっとの時間だろー? 学校なんてほっときゃ終わってる。またすぐに会うさ」

 

「……はい」

 

 

 シュンとした顔でリンが言った。

 

 ったくこいつは。本当すぐすねる。

 

 俺は、銀具――魔術補助器具――である指輪を左右に合わせて五つ、バラバラにはめていく。五つ目。最後の一つをはめようとして――

 

 

「リン」

 

「はい」

 

 

 ピンと指で弾いて、その指輪をリンに放る。

 

 リンがそれを慌てて受け止める。

 

 

「やる。つけとけ」

 

「えええええええええ!?」

 

 

 リンが両手で口元を隠し、顔を赤くする。

 

 

「いや違うって。クラスが別れたからだよ。勝手に消えられると、困るからな」

 

 

 腕を組み、目を背けた。

 

 魔力探索と言って、自分の魔力はある程度までなら追うことができる。俺はそれに自分の魔力を込めて、リンに渡した。 

 

 例えるなら鉱山に行く前にヘルメットを渡したのとまあ同じだ。

 

 それで『え、プロポーズ!?』みたいな反応をするのが、このリンという女なのである。

 

 まあ北頭(ほくとう)には、大事な相手に指輪を送る、という風習があるのも事実なのだが――

 

 

 無駄な文化(こと)だけ調べてやがるんだから、こいつはよー。

 

 

 

「はい!!」

 

 

 リンの言葉が聞こえて、目を向けた。

 

 リンは大層嬉しそうに笑っている。

 

 伝わっているのかいないのか。

 

 思わないでもない。

 

 でもまあ、リンが喜んでいるのなら、それでいいか、とも思う。

 

 大事だ、という気持ちに嘘偽りはないのだから。

 

 

 

 

 

 

『兄様と同じクラスになれなかったのが、少し、残念だな、と』

 

 

 

 

 

 

 ふと、リンの言葉を思い出した。

 

 頭の中で一秒ほど、ヴァルハラ魔術師学園校則書を、パラパラとめくった。

 

 

 

 

 

 ヴァルハラ魔術師学園校則書。昇級について。

 

 一。クラスごとに年四回ある試験を突破すること。

 

 二。クラスで一番優秀なもの、クラスリーダーを、三人以上の魔導師立ち合いのもと、打ち倒すこと。

 ただし双方の同意がなければ成立しない。三人以上の魔導師からの推薦があった場合、クラスリーダーはこの申し出を受けなければならない。

 

 三。在籍しているクラスの魔導師、移籍先の魔導師、導長、学園長の四人の推薦と了承を得ること。

 

 一、二、三、いずれかをクリアした時のみ、当該魔術師の実力がそれに相応しいものと認め、昇級させるものとする。

 

 

 

 

 

 

 笑った。

 

 

「それじゃあとっとと行くぞ、リン」

 

「はい!!」

 

 

 リンの声が、後ろから響く。

 

 ガチャリ。

 

 扉を開く。

 

 光が視界を塗りつぶすように溢れてくる。

 

 どうやら今日は、快晴らしい。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

挑発

「東尾からの留学生――というのも珍しいが、二十二で留学してくる人も珍しいね。いや、うちは二十二までしか在籍できないからさ」

 

 

 ヴァルハラ王立魔術学園の廊下を歩いていた時、俺の担任になるらしい、スダレハゲ魔導師が言った。ちなみに魔導師とは、魔術師を導くもの、つまり一般的な学校でいうところの、教師ってことである。

 

 

「妹が優秀なものでね。そのお守りってやつさ」

 

 

 嘘はつかなかった。物事を隠す一番の秘訣は、偽ることではない。話さないことだからだ。

 簡単に言うと、Aの真実を話すことで、Bの真実に話が及ぶことを防いでいる。つまり、Aの真実を壁にしているわけだな。

 話術の初歩中の初歩である。知らずに使っているものもいるであろう。

 

 

「しかしその妹はA級。君はB級。離れてしまったね?」

 

 

 語尾に嘲りを感じた。

 

 俺は、変装の一環でかけさせられた眼鏡をクイと持ち上げ、笑った。

 

 怒る気にもならない。当然だ。リンを鍛え上げたのはこの俺。力の差は誰よりもわかってる。

 

 

「まあ一緒に来てくれるだけでも違うものかな。え?」

 

 

 スダレハゲが、無遠慮に人の肩を叩いてくる。中々の打力で、俺は少しよろめいた。

 

 目を向ける。

 

 スダレハゲが、白い歯を見せて、笑っていた。

 

 俺は目を上向けた。

 

 

 わかりやすいこって……。

 

 

「それではヒョウくん。入って下さい」

 

 

 しばらく教室の前で待たされた後、名を呼ばれた。ガラガラと扉を開き、中に入って、クラスメイトの前に立つ。

 

 

「本日東尾から留学することになった、リティシア=豹くんだ。みんなよろしく頼むよ」

 

 

 担任のすだれハゲ魔導師が言った。

 

 ちなみにヒョウとは本名だが、リティシアはリンの苗字である。俺には苗字がないからな。設定上、俺とリンは本物の兄妹ってことになってるから、これで丁度いい。

 

 教室内で、ヒソヒソと、様々な言葉と感情が飛びかう。

 

 

 興味、敵意、好意、無論、無関心もある。

 まあ順当なところだ。

 

 

 とりあえず、俺がすべきことは、このクラスで一番の強者、クラスリーダーを探すことなわけだが――

 

 見鬼(けんき)

 

 俺は目に魔力を込めて、クラス内を見据えた。

 

 見鬼(けんき)は魔力の流れを読む青魔術である。それすなわち相手の思念(かんじょう)を読む青魔術でもある。

 

 しかし、一流の魔術師はそれを防ぐため、整纏《せいてん》と呼ばれる青魔術で、心を読ませないようにシールドを張っている。

 

 たが逆に、その整纏(せいてん)が教えてくれる情報がある。

 

 それは、魔術師の力量である。

 

 一流の魔術師であればあるほど、強固なシールドを張っているもんだからだ。

 

 グルリと見まわし、当たりをつけた。

 

 こいつか。

 

 俺には一切興味を持たず、ボーっと外を見つめているツインテールの女。間違いなくこいつが、このクラスの『生徒』の中では一番強い。

 

 

「じゃあヒョウくん。向こうの空いている席に座ってくれるかな?」

 

「はいよ」

 

 

 背中越しに返事して、席に向かう。

 

 席に向かうとき、チラリと女を盗み見たが、やはり女は俺より外の方が気になるようだった。

 

 椅子を引いて、席につく。

 

 

「なあなあ」

 

「えと、は、はい!! な、何でしょう?」

 

 

 隣の女が振り返った。

 

 

「このクラスで一番強い奴。つまり、クラスリーダーはどいつだ?」

 

 

 周囲がどよめく。ハゲの魔導師すらも俺に目を向け始めた。

 

 

「俺は今日中にA級に上がるつもりだからよ、そいつをとっととぶっ潰さないとならないんだよ」

 

 

 試しに挑発してみる。

 

 どうにも乗り気じゃないみたいだからよ。

 

 

「ああ、それだったら絶対、ネイファちゃ――」

 

「おい!!」

 

 

 後ろから声がかかる。

 

 振り返った。

 

 瞬間。

 

 

 パシ。

 

 

 つかんだ。

 

 開いて、手の中の物を宙に放った。

 

 消しゴムのきれっぱしだった。

 

 しかし死念が込められている。当たっていたら大ケガしているところだ。死念は思念に引き寄せられる性質があり、それを物質に込め放つと、途轍もない爆発力を生み出す。

 腕にもよるが、ちょいとした弾丸級の威力は出る。俺がそれを楽々つかんだのは、同じく死念で包んで止めたからだ。

 わかりにくいかもだが、ま、何事も対処法ってのはあるもんでね。

 

 

 そいつを放ったのは『え? 人殺したことないの? 嘘でしょ?』って聞きたくなるぐらい、くっそ悪そうな顔をしている、ボーズ頭の男のようだ。

 

 見鬼《けんき》を使うまでもなく、俺に殺意を持っているのがわかる。

 

 ふーん。

 

 

「まあいいや。サンキューな」

 

 

 ピンと、消しゴムのきれっぱしを、ボーズ頭の頭上に飛ばす。

 

 それは天井を穿ち、パラパラと、くす玉でも割ったように、ボーズ頭の上に破片を落とす。

 

 頭に天井の破片を落とされて、男は怒り心頭に俺を見ている。血管がボーズ頭の上を蛇のように這っていて、中々に笑えた。

 

 ドヨドヨドヨ。

 

 周囲がどよめく。

 

 へへへ。

 

 力の差は歴然なのだが、俺はこういうのは結構好きだ。

 

 勝てる勝てないじゃない。肝要なのは、笑えるか笑えないかさ。

 俺は辛気臭いのは嫌いだ。だからこういう大した理由のない喧嘩は嫌いじゃないのさ。

 

 目を閉じて船を漕ぐ。

 

 

 切っ先。向けられた気がした。しかしそれが夢であることは知っていた。

 俺は脇の剣を抜くや、相手の腹を裂き、落とした刀で相手の喉を突いた。

 崩れ落ちたのは俺の師であった。その魔装には『恐』怖が溶けていた。

 俺が六歳の時の話である。

 

 

 バン!!

 

 

 机を叩かれる。

 

 目を開いた。

 

 そこにいたのは、失敗面のお団体。

 

 

「あれだけ大見栄切ったんだ。覚悟できてんだろうな!! クソ眼鏡野郎!!」

 

「眼鏡かけても一生『眼鏡眼鏡』しちゃう、お目々(めめ)にしてやろうか、おおん!?」

 

「くっくっく」

 

 

 お団体のテンプレ発言を断ち割って、俺は笑った。

 さっきも言ったが、俺はこういう大した理由のない喧嘩が嫌いではない。

 

 何より、夢で見た師とはえらい違いで、ついつい肩を揺らして笑ってしまった。

 

 

「なんだ、てめ――」

 

「こういうのを、テンプレっていうのかね?」

 

「あ?」

 

「だが――血がたぎるぜ。野良犬なもんでな」

 

 男らのコメカミに青筋が浮かぶ。

 

 俺はそれを、瞳の色を深くして、精神世界(アストラルサイド)から見据えていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

vsチンピラ

 ガタン!!

 

 

 椅子を蹴り飛ばされた。

 

 俺は片手を床につき、もう一方の手で眼鏡を押さえて、片手バク転して着地する。

 

 

 そんな俺めがけて飛んでくる拳。俺はそれを紙一重で避けながら、相手の足を払う。男が倒れるその前に、次の男に肉薄し、その拳が振るわれる前に、男の首根っこをつかんで、先に足を払った男が倒れるその前に、その後頭部めがけて放り込む。更に三人目に対しては、すぐさま背に回り込んで、掌底をぶち込み、最終的には三人まとめて吹っ飛ばしていた。

 

 

 ガヤガヤと、教室内が騒がしい。

 そんな中、俺は肩をすくめた。

 

 

「ま、イージーだな」

 

 

 恐らくリーダー格であろう、ハゲ頭に向かって笑いかける。

 

 

「ほざけ!! まだ終わってねえぞ!!」

 

 

 当たり前だが、気絶するほどの一撃も、心を折るほどの一撃も与えちゃいない。 

 

 三人がまたもや一斉に飛び掛かるが、そこに俺の姿はない。

 三人が慌てふためくこと、数秒。やっと俺は見つけられた。

 俺は教室の扉に背をつけ、男らの醜態を眺めていた。まあ別に見たくはないのだが。

 

 

「やめた方がいいんじゃないのー?」

 

「あぁ!?」

 

「残念だが、格の違いが歴然すぎる。今の動きでわからいなら、バカってレベルじゃないな。さっきも言ったが、俺の目的はAに上がることだ。恐らくB級最優秀魔術師であろう、そこの娘以外に用はない。今なら笑って許してやるが?」

 

「ふざけんな!!」

 

「まあその代わり、お前らが大事にしていそうなそこの娘は、この俺にケチョンケチョンにのされる未来が確定しているわけだが――あっはっは、あーおかし」

 

 

 ガン!!

 

 ハゲ頭が、唯一無事だった俺の机を、激しく蹴り飛ばした。

 

 それを見て、俺は笑った。

 激情家は嫌いじゃない。誰かのために怒る人間も。

 多分自分にないものを、持っているからだろう。

 

 

 そういう奴らを踏み潰すから、おもしれえんだ。

 

 

 俺はかけていた眼鏡を外し、髪を後ろで縛った。

 

 

「活かすゴングだ。好きだね、結構」

 

「ぬかしやがれ!!」

 

 

 外した眼鏡を男らの一人に投擲する。それは拳で弾き飛ばされ、ひしゃげて飛んでいくが、一人の追撃を少しばかり遅らせた。

 

 

「いってえ!!」

 

 

 更にもう一人が足を抱えて悶絶する。俺が先にまいていたマキビシが、足に刺さっていたからだ。

 

 

 俺はその声を尻目にその場から逃げ出し、扉を閉めた。すぐさま開かれる扉。開かれた瞬間、俺は相手の顔面に前蹴りをお見舞いした。

 

 

 男の一人がピンボールの玉みたいに勢いよく飛んで行く。

 

 俺はそれを見て肩をすくめ、笑った。

 

 

「わおー飛ぶねー。たまやーってか?」

 

「お前!! さっきから何がそんなにおもしれえんだ!! ずっとヘラヘラしやがって!!」

 

「人生が。なんつってね」

 

 

 笑いながらその場から遁走する。

 もちろん、逃げた先がこいつらにわかるようにだ。

 

 

 男らが駆けてくる。

 しかし休み時間である現在、廊下には人がたむろしている。

 素人じゃ、この人混みを走って踏破するのは難しいらしい。

 

 

 残った二人――一人は先の前蹴りでノックダウンしたようだ――が悪戦苦闘する様を、俺は廊下の端から見据えていた。

 

 

「早く来いよー。俺は待つのが嫌いなんだぜ?」

 

「くっ。ざけやがって!! てめえ絶対ぶっ殺す!!」

 

「あっはっは。いいねー。前時代の遺物を見ているようで、最高だね」

 

 

 俺はもう一度笑いかけ、こいつらにわかるように右折する。

 

 追っ手との距離、速度、全て計算し、相手が決して俺を見逃さないよう、細心の注意を払ってから、階段を上った。

 

 男らのだみ声が聞こえてくる。一人は足にマキビシ喰らってる。聞こえてくる二つの声にズレがあった。まあ――大した問題ではないが。

 俺は踊り場を経て、更に上へ。追っ手の一人も階段を上り始めている。俺はそれを、相手が見えない位置で待ち構え――

 

 

「あらよっと」

 

「え!!」

 

 

 ギョッとした顔を見せて、男が振り返る。

 俺が突如手摺りから飛び降り、男の背面に回ったからだ。

 

 

 男が振り返るよりも早く、俺はその足を払った。

 

 

「キャー!!」

 

 

 階段近くでたむろしていた女の悲鳴を聞いて、俺は転げ落ちそうになっていた男の後頭部を、そっと手で支えた。

 確かに考えてみれば、これは危ない。シャレになってないってやつだな。

 

 

「あ、いやがったな、てめえ!!」

 

 

 もう一人の男も、駆け付けてきた。

 

 俺は借りてきた猫のようになっていた男の首根っこをつかんで、追いかけてきた男めがけて、放り捨てた。

 

 

「うわああああああああああああああああああ」

 

 

 男の悲鳴が上がる。追ってきた男は、それで潰れた。

 

 シャレになってないって? 心配無用。悲鳴を上げていた女は無事だ。無関係な女まで巻き込むのは、さすがにやりすぎだからな。

 

 俺は男二人が潰れるのを見届けてから、階段を上がった。

 

 目指すは五階。A級の教室が並ぶ階層。周囲から注目を浴びる。俺は見鬼(けんき)で周囲を探った。お目当ての人間を見つけるためだ。

 

 

 こいつでもない。こいつでもない。こいつでもない……。

 

 

 走っている間にたどり着いた、A級火のクラス。窓から見える、リンの姿。男女に囲まれている。

 資料によれば、特待Sであっても、本来はDクラスからの編入らしい。即A編入は今年かららしく、それで物珍しく人が集まっているのかもしれない。

 加えて言えば、リンの年で特待Sは、普通にすごいことだからな。まああいつは根が暗いから、いつまで続くのかってところもあるが――

 

 

 リンが振り返る。目があった。驚いた顔をして、口元を手で隠す。俺の見鬼(けんき)は、リンではなく、その先にいる人物の魔装を捉えていた。

 

 ふん。やはりな。

 

 こっちは生徒だ――!!

 

 殺気。正面。

 

 

 バン!!

 

 

兄様(あにさま)あああ!!」

 

 

 リンが、机を叩きながら叫ぶ。その声に釣られてやっと気づいたと思われたら心外だが、俺もまた、殺意に向かって目を向けた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

vsチンピラ2

 拳。すぐ目の前にあった。

 

 俺は悠々と旋回し、その一撃をかわした。そして、互いに互いの尻尾を追うように回転し、同時に離れる。

 

 例のボーズ頭であった。恐らくこいつだけは、追いかけるではなく、回り込む、という選択を選んだのろう。

 

 

 少しばかりは、頭が回る男らしい。そうこないとな。

 

 

「よく動くな」

 

「いやーそれほどでも」

 

「ならこいつはどうだ!! 仲間の分の、お返しだよ!!」

 

 

 男が手を振り上げる。

 

 距離はあった。足も地についている。投擲か。

 

 男の手が縦に振られた。俺は足の横で指を鳴らす。風のカーテンに遮られ、男が放ったものが足元に落ちる。それは、俺が先にまいたマキビシだった。

 

 俺は口元だけで笑った。

 

 

「あぶねえなー。こんなもん顔面に食らったらシャレにならんぜ。喧嘩も想像力を働かせないとな」

 

 

 頭を指さし、俺は言った。

 

 男の頬から汗がタラリと落ちた。

 

 

「仲間の足ブッ刺しといてよく言うな。それにしてもやっぱお前ただものじゃないな? 何者だ? やっぱ例の、決死組ってやつか?」

 

 

 俺は口端で頬を断ち割りながら、笑った。

 

 

「魔術師なら見鬼(けんき)で覗いてみたらどうだ? 使えるんだろ? 初手見鬼は、魔術師の挨拶みたいなものだからな」

 

「一流の魔術師は、死念が思念を食らう魔装の揺らぎから、相手の心まで洞察するというが、実際に読めるのは、喜怒哀楽愛嘘信憎恐の九情までだろ。見鬼で見たところで――」

 

 

 そこまで言ったところで、男が言葉に詰まる。

 

 何かに気が付いたようで、男は目を見開いていた。

 

 

「お前まさか……」

 

「あ?」

 

「……お前まさか、あいつを精神世界(アストラルサイド)から見たのか……っ」

 

 

 フェミニストは、女を見鬼で見ることに怒る者が多い。

 

 確かに見鬼で読める感情は、喜怒哀楽愛嘘信憎恐の九情と少ないが、精神世界から見られるということは、本来聖域であるはずの心に土足で踏み込まれるのと同じこと。

 

 相手を大切にしているならば、見た人間を咎めるのは至極当然のことだ。

 

 

「さっきも言ったろ? 初手見鬼は魔術師の基本であり挨拶だ。腹が立つなら、お前も俺の心を覗いてくれても構わんぞ。まあ、無理だろうがな」

 

「何を見た。あいつの何を……」

 

 

 見鬼で俺を見据えながら、男が言った。

 

 随分と立腹してるようだ。

 

 発言いかんによってはただじゃおかない。

 

 そう面構えが語っている。

 

 俺は笑って、男を見据えた。

 

 

「何を見たかって? あいつがドロップアウトしてる心境を語ればいいのか? 上を目指すどころか、魔術師でいることにも疑問を抱いている。そういう魔装だったかな?」

 

 

 男は今にも飛び出しそうになるほど、目を剥いた。

 

 

「もういい。お前は黙れ」

 

 

 男がポケットから手袋を取り出した。手甲のところに火打ち石が仕込まれており、擦り合わせると火花がでる。

 

 俗に言う発火手甲。

 

 これから何をしようとしているのか、魔術師であれば誰でもわかる。

 

 それでも俺の上がった口端は下がらない。

 

 

「黙らせてみろよ。今までもそうしてきたんだろ? あの小娘一人を守るためによ。最後に一ついいこと教えてやる。裏道ばかり歩いている人間は、同じ道で必ずいつか誰かとかち合う。そして、その道を歩くものに、いつか必ず潰される。誰も通らない道だから文句も言えない。ま、一言で言えば――

 因果応報ってやつだ」

 

「黙れつってんだあああああああああああ!!」

 

 

 双方の手甲を擦り合わせ、火花を起こす。生まれた火花はすぐに爆炎と化し、周囲に焔の手を伸ばす。

 

 属性《エレメント》に魔力を通わし、呪を用いることなく、疑似的な魔術を発動させる、近代魔術の最高峰。

 

 魔力誘導か。

 

 

「ふん」

 

 

 豪ッ!!

 

 炎が廊下を突っ切っていく。足元で炎が幾本もの手を伸ばし、周囲の炎が俺の身体を焼かんと明るく照らす。

 

 俺は指を一本立てた。指先に魔力を込める。その指先を走らせた。いや、(つづ)ったというべきか。

 

 空筆。空間に魔力で呪を描く青魔術。呪、この場合、メッセージを伝える相手は、炎であぶられた教室の中にいる、リン。

 

 

「喰らいやがあああああああああああああ、ああ!?」

 

 

 男が両手で炎を持ち、俺に放とうとした、その時。

 

 男の手の炎が吹き上がった。それは天井にぶつかり這っていき、それがまた床に落ちる。

 

 俺と男をだけを囲む、即席の炎の檻の完成だ。

 

 

「な……何だ!! ど、どうなってんだ、これは!!」

 

 

 周囲を見渡しながら男が言った。

 

 

「魔力誘導は」

 

 

 俺は、足音もなく、近づく。

 

 男はきょろきょろと、周囲を伺うばかりだ。

 

 炎が壁になって、俺のことが見えていないのだろう。

 

 

「エレメントに自分の思念を乗せて操る術式。ならば――」

 

 

 男と肩を並べた。

 

 声でわかったのだろう、男が俺に目を向ける。

 

 

「相手より更に強い思念を乗せることができたなら、そちらになびくのが道理」

 

 

 男が横に手を振るう。

 

 しかしそれより先に、俺の一撃が男の水月に突き刺さった。

 

 

「ぐはっ!!」

 

 

 一歩、二歩と。

 

 腹を抱えながら、男が後退する。

 

 膝をつけて、男が倒れる。それでも完全に倒れ切らないように、片手でどうにか身体を支えた。

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ――ぐっ!!」

 

 

 俺はそんな男の後頭部に足を乗せた。

 

 そして、グリグリとねじり込む。

 

 

「いやー実に愉快な踏み台だ。これぞ勝者の特権だな。まあ、いらねえけどな」

 

 

 炎が揺らめき、俺の黒髪を本来の黄赤の髪に染め上げる。

 

 そんな中、男が俺を見上げた。

 

 その目は怒りで血走っている。

 

 次会ったらただじゃおかない。

 

 そう目が語っている。

 

 

 愉快だ。

 滑稽でもある。

 

 

 だから俺は笑った。

 

 

「悪いな。俺にも退くに退けない事情ってものがあってな。悪いがここは負けてくれや」

 

「あぁ!? なんだそれ――」

 

 

 男が言葉を結ぶより先に、その顔が床へと吸い込まれ、叩きつけられた。

 

 

「あ、すまん。まだ言いたいことあったのか」

 

 

 尋ねる。が、返事はなかった。

 煙が辺りを覆い始める。炎が撒く白煙じゃない。今や完全に俺に支配権が移っていた炎が、白い煙によって消され始めていたのだ。俺がリンに『消化』と指示したからだ。

 

 炎が鎮火し、白煙が去ると、その場に残されていたのは、白目をむいて倒れ伏す男一人だけだった。

 

 ギャラリーが男を囲むのを、俺は廊下の天井に足の裏をつけながら見ていた。

 

 ふと、ギャラリーの一人が、俺が教室に撒き、ボーズ頭が拾って捨てた、マキビシを手に取った。

 

 

「なんだこりゃ?」

 

 

 眼鏡をカチャリと持ち上げて、思案する女。

 

 俺はそれを見て、口端を持ち上げた。

 

 ふと、何の脈絡もなく、女が天井に目を向ける。

 

 俺はそれの視界に映るよりも早く、その場から姿を消していた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

盗賊王

 ガラララ。

 

 

 職員室の扉が開いた。

 

 扉を開けたのは、火のBクラスの担任魔導師、あのうだつが上がらないように見えた、スダレハゲだった。

 

 自分の席に座る俺を見つけるや否や、授業中の時には決して見せなかった鋭い目で俺のことを睨みつけてくる。

 

 ズカズカと近づいてきた。俺は椅子に座ったまま。

 

 俺の正面に立ち、見下ろしてくる。

 

 互いに見鬼(けんき)を用いている。

 しかし互いに互いの整纏(せいてん)を崩せない。

 つまりこいつは、ただものじゃないってことだった。

 

 

『予定通りと言ったところか? 決死組』

 

 

 すだれハゲが口だけを動かす。

 

 発声せずに相手に意思を伝える口話ってやつだ。

 

 一般人が健常者相手にこんなことをするわけがない。

 

 当然このスダレハゲは、裏に属する人間だ。

 

 まあ『あれ』を見るまでもなく、俺にはわかっていたことだが。

 

 

「ま、おおむねな」

 

 

 すだれハゲが椅子を引く。

 席につき、お互い向かい合った。

 

 

「で? どう思う? 俺はAに上がれると思うかい?」

 

 

 この学園は学年ではなく実力でクラスがわけられている。昇級は年四回のテストで決まるが、それ以外にも、クラスを上げる方法が二つある。

 

 一つは、クラスにおける最優秀魔術師、いわゆるクラスリーダーを、三人以上の魔導師立ち合いのもとで打ち倒すこと。

 

 二つ目は、担任魔導師、移籍先の魔導師、導長、学園長の四人が、上に上がるに足ると、認めること。

 

 今回俺が倒したのはクラスリーダーの女じゃない。

 

 つまり、俺が期待しているのは後者。

 

 今回の一件で、四人の承認を得られるのかどうかというのを聞いていた。

 

 後者の方法をとるには、こいつの了承も必要になってくる。言い変えれば、敵対心アリアリのこいつの了承を得なければ、俺はAに上がることは不可能、ということでもある。

 

 

「上がれないと言ったらどうする」

 

「決まってるだろ。次はクラスリーダーを潰すさ。ルール上問題ないんだろ?」

 

「相手が承諾するか、立会人の魔導師三名が承諾すればな」

 

「なら問題ない。認めさせるからな。どんな手を使っても」

 

 

 自然と声が低くなる。

 自分で言うことじゃないが、俺は嗜虐的なところが結構ある。

 

 だから、誰かを苦しめることにためらいを覚えたことは、ほとんどない。

 

 

「……お前の目的は何だ?」

 

 

 瞳の色を深くして、男が言った。

 見鬼(けんき)は性質上、発動すると瞳の色が深くなる。

 

 

「楽しむことさ。それがないなら生きている意味はねえ」

 

 

 嘘ではなかった。これは俺の信条だ。嘘ではないが答えも話さない。見鬼(けんき)の逃げ方には、こういう方法もある。

 

 もっとも、こいつに俺の整纏(せいてん)が崩せるとも思えないが。

 

 男が口を開く。

 

 その時。

 

 ガランガラン。ガランガラン。

 

 ベルの音。

 

 そして。

 

 ガタンガタン。ガタンガタン。

 

 引き出しから、何かが暴れるような音。

 

 ほぼ同時に響いた。

 

 俺は笑って、立ち上がった。

 

 

「話はまだ終わっていないぞ」

 

「授業はいいのか?」

 

「お前への尋問が先だ」

 

 

 俺は笑って、暴れていた引き出しを指さした。

 

 スダレハゲは俺への警戒を解かぬまま、引き出しを開き、伝書を取り出した。伝書とは、転移させたインクで文章のやり取りをする銀具である。引き出しが暴れていたのは、インクを転移するときの衝撃で、伝書が揺れていたからだ。

 

 男が伝書を縛る紐をほどく。そして――

 

 

 机をグーで殴りつけた。

 

 あまりのわかりやすさに、俺は声に出して笑ってしまった。

 

 

「了承されてたか?」

 

「あ? ――あ!!」

 

「答えは、その一言で十分だ」

 

 

 足を回した。伝書に何が書かれていたか? 大体察しがついている。そして今の男の反応で確信した。

 

 伝書に書かれていた内容は、学園長、導長、火のAクラスの担任、それらの、了承印。

 

 長いものには巻かれろってな言葉がある。北頭(ほくとう)はそれが顕著で、ハンコの押し方にしても、部下は上司に対して、斜め向きに押さなくてはならない。書面上ですら、部下は上司に頭を垂れろ、ということだ。

 

 上に上がるには、学園長、導長、移籍先の魔導師、担任の魔導師、四人の了承印が必要。

 

 文章だけで見るならば、四回の試験、面接があるように見える。だが実際は、一つの了承印さえあれば事足りる。

 

 

 書類上でさえ頭を垂れさせる、学園長の了承印さえあればな。

 

 

 問題は、その一番上をどうやって、いつ説得したのか、ということであるが――まあ簡単な話だ。

 

 学園長の了承印が押されたのは、俺がボーズ頭とやりあっていた、十五分の間につかれたと考えるのが自然。長く見積もっても、ここに来てからあの騒動が行われるまでの一時間と考えるのが普通だろう。

 

 しかし、あの騒動を見て学園長が了承することを決めたと仮定しようにも、学園長はあの場にはいなかった。

 

 それでも学園長は了承印を押している。

 

 つまり――

 

 あの場には、学園長より権限を持つものがいた。

 

 それだけの話である。

 

 

「待て、ヒョウ!!」

 

 

 扉の取っ手をつかんだ俺を、男が声で制止する。

 

 

「ん?」

 

「まだ俺が了承印を押すとは決まっていないぞ」

 

「押すさ。上に巻かれるのが、お前たちの国民性だからな」

 

「見くびるなよ、俺たちを」

 

 

 どすのきいた声で言うので、俺は背を向けたまま笑ってしまった。

 

 ったくよー……。

 

 俺を監視するために人をつけるなら、俺のことをもう少し調べてからにしてほしいもんだ。

 

 決死組に在籍しているとは言っても、俺はあくまで雇われの野良犬だ。

 

 俺の本職は『こっち』なんだよ。

 

 

「かっこいいなー。奥さんもあんたのそういうところに惚れたのかなー?」

 

「あ?」

 

「だけど、結婚すると大事な者って変わっちゃうんだよねー。なあ?」

 

 

 俺はポケットからそいつを取り出し、中を開いて、見せた。

 

 

 

 

 

 

『まあ一緒に来てくれるだけでも違うものかな。え?』

 

 

 廊下で話していたあの時、お前は俺の肩を叩くふりをして、俺の肩に自分の魔力を憑りつかせた。

 

 魔力探索。自分の魔力はある程度まで追うことができる。その性質を利用して、俺の居所を常に把握するめに。

 

 お前はあの時、俺を探るための布石を張ったつもりだろう。

 

 だがその時、俺はお前への探りを終えていたんだよ。

 

 

 

 

 

 

 振り返って、見鬼(けんき)で男を見据える。

 

 すだれハゲは、全身をまさぐって、目を白黒させている。魔装には、これでもかというほど、恐れが溶けていた。

 

 それはつまり、俺の見鬼が、ハゲの整纏を貫いたということも示している。

 

 

「心当たりはないかい? 『アーサー=クロイツ三佐』」

 

 

 名前の部分だけ口語にして、俺は言った。

 

 俺がアーサー=クロイツに見せたのは、肩を叩かれた時にこいつから盗んだ黒い手帳だった。中を見せているから、この場にいる――とはいえここにほとんど人はいないが――魔導師には、家族仲睦まじい写真の入った、ただの手帳にしか見えないだろう。

 

 だが、表紙を見れば一目瞭然。何せそう書いている。内閣直属守衛隊、ガーディアンウィザード。GWってな。

 

 

「お前……っ」

 

「さっきも言ったよな。俺は目的のためならどんな手でも使うぜ。嘘だと思うなら、好きにしろ。ただ結末がどっちに転ぼうが、お前は命令違反で何らかの処分が下るだろうがな。女はその辺シビアだから、気をつけろよ、お父さん」

 

 

 背中越しに放った手帳が、床の上を滑っていく。一応裏面を向けて投げ返してやったのは、俺なりの優しさってやつである。

 

 ガラガラと、今度こそ扉を開いた。

 

 

「ヒョウ!!」

 

 

 アーサーが駆け寄ってくる。俺は無視して扉を閉めるが、すぐ様その扉が開いた。アーサーが左右を確認するも、すでに俺はそんなところにいやしない。

 

 アーサーが拳を握り、プルプルと震えた。

 

 

「くそがあああああああああああああああ!!」

 

 

 あたりかまわず気持ちを吐露する。

 

 俺はそれを、窓の外のグラウンドに座りながら聞いていた。ちなみに、あいつの表情や動きがわかったのは、棒につけた鏡で、中を確認していたからである。

 

 俺はハゲの醜態をじっくり楽しんでから、その場から姿を消した。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ほらな

「ども~っ!!」

 

「キャッ!!」

 

 

 火のAクラスの入り口前で腰掛けていた俺は、やってきた女魔導師に向けて手を上げた。

 

 見鬼(けんき)で見据える俺に対し、女もまた見鬼(けんき)を使う。

 

 

 発動まで六秒。整纏(せいてん)見鬼(けんき)の併用は、完璧にこなそうと思うと地味に難しい。別にこいつの強さをランク付けしたいってわけじゃない。ただ――

 

 

 こいつは内閣守衛隊じゃないな……。

 

 

「お、オホン!! 話は学園長から伺っています。あたしが、この火のAクラスの担任、ナターシャ、ディーンです」

 

「どうも。リティシア=ヒョウだ」

 

「あ、あの~」

 

「ん?」

 

 

 扉を開けようとする俺に声をかけてくるので、振り返った。

 

 

「なんだよ」

 

「暴れないでくださいね?」

 

「おいおい。お前の目は節穴かよ」

 

「え?」

 

 

 俺はスペアの眼鏡をクイと持ち上げ、笑った。

 

 

「暴れるつもりなら、こんな形はしてないだろ?」

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 教室に入る。

 

 俺とナターシャの二人で、教壇に立った。

 

 万座の視線を一身に浴びる。その視線の中にはもちろんリンも含まれている。リンは口元を袖で隠しながら、俺のことを見ていた。

 

 多分に驚いているのが見て取れる。

 

 

「えーっと、オホン。それでは皆さん、知っているとも思いますが、ご紹介させていただきます。本日急遽Bクラスから転入することになった――」

 

「リティシア=ヒョウだ。よろしく」

 

 

 ナターシャよりも先に俺が言った。

 

 

 ガヤガヤガヤ……。

 

 例によって、クラス内でヒソヒソ話が展開される。

 

 ってか、せっかく髪色変えて眼鏡までしてるってのに、全然目立ってる気がするな。

 

 全然意味ねえじゃねえか、この変装。

 

 

 四方山話を断ち切るように、ナターシャが一つ咳払い。

 

 

「じゃあ君の席は――元々ネイファちゃんの席だった、あそこで」

 

 

『空席は全部で三つ』あったが、そのうちの一つを指して、ナターシャが言った。

 

 

 足を回す。

 

 リンの一つ隣の椅子を引いて、腰をつけた。

 

 ナターシャが背中を向けて、黒板と向き合う。俺はアゴ肘つきながらそれを見つめて――ふと、リンに目をやった。

 

 リンは今も、口元を押さえて、俺のことを見ていた。

 

 俺は本来、誰かに目を向けるってのが、好きじゃない。目を向けて、向こうがこっちを見ていなかったら、いい気分がしないからだ。

 

 しかし、リンのことは度々見てしまう。何故ってこいつは、いつもいつも俺のことを見てきているからだ。

 

 今もそうだ。

 

 いつまでも同じ格好で、ずっと俺のことを見つめてきている。

 

 

 何なんだよお前はって、言いたくなって、思わず笑った。

 

 

 かけていた眼鏡を外す。外す時、眼鏡の耳かけが髪をこすった。

 

 

 アゴ肘ついて、リンに目を向けた。笑った顔はほどけていない。

 

 

 口を開く。声には出さない。

 

 ただ口だけで伝えた。

 こいつの故郷、東尾《とうび》の言葉で。

 

 

 

 

 

 

『ほらな? すぐに会えただろ?』

 

 

 

 

 

 

 リンが口元を隠したまま、肩を大きく持ち上げる。

 

 両手を下ろした。

 

 リンは初め、とても困ったような顔で、笑った。

 

 しかしその後、何かに押されるように、表情を変えていって――

 

 

 

 

 

 

「はい!!」

 

 

 

 

 

 

 いつもの、くすぐったそうな顔で、笑った。

 

 

『だからお前声に出すなっつうに』

 

 

 口話で俺はそう注意した。

 

 

「はわ!!」

 

 

 リンが口元を袖で隠して声を上げる。

 

 

 そんなリンを見て、俺はまた笑った。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

穴熊(三人称)

 この章は三人称です。


 ヴァルハラ学園白魔術室。

 そこは言うまでもなく、体調不良の生徒が一時的に休む場所なのだが――

 

 そんな場所に、明らかに体調不良でない生徒がいた。名をアイリス=クーパ。紙パックの野菜ジュースを口に含みながら、伝書にペンを走らせている。

 

 誰がどう見てもサボりなのだが、白魔術室室長、ホイットニー=ウィキマンは、何も言わなかった。煙草をふかしながら、その行動を受けれいている。

 

 怠惰からではない。彼女もまた、少女の仲間であったからだ。

 

 

 パタンと少女が伝書を閉じる。

 

 

「ジジィども、なんて言ってた?」

 

 

 ホイットニーが尋ねた。

 アイリスはストローからジュースを吸い出す。

 

 

「とりあえず目的を聞いてみてくれって言ってましたよ。後、リティシア=凛。リティシア=豹。この二人のことも外務省を通じて徹底的に調べてみるそうです。目的がわからないそうなので」

 

 

 目的がわからない。多分に嘲りを込めて、二度言った。何故嘲りを込めたのか。普通に考えればわかるだろうと思ったからだ。

 

 

「まず間違いなく、ファルコ=ルドルフ関連だと思うけどねー」

 

「まあ、そうでしょうね」

 

「ただちょっと正体を表しすぎだね。隠密には程遠すぎる。そして、三番隊がこの問題に関与する意味がなさすぎる」

 

「東尾に得する取引をしたんでしょ? あいつらも、この国でのさばっている奴らも、そういう奴らばっかりじゃないですか」

 

 

 右を向いても左を向いてもクズばかり。

 どこを向けば綺麗なものが見えるのか。

 考えても無意味だから、いつしか考えるのをやめた。

 

 

「そうなると、依頼主がどこかってことになってくるんだけど……まあいいか。あんたあいつのこと、Aに上げたんだっけ?」

 

「はい。三佐のホルダーから連絡がきたので。これが送られてきた文面です。『そっちで俺をAに上げる手続きしといてくれる? でないとこの学園でハゲてるやつから順に殺しちゃうので。特に往生際悪いすだれハゲから順に殺します。北翼(ほくよく)の盗賊王。ヒョウ様より』だ、そうです。これ以上暴れられても面倒なので、あたしが学園長に言って、上げてもらいました』

 

「盗賊王なのか決死組なのか。よくわからない男ねー。まさかあの決死組が、他国の人間を雇うとも思えないけど」

 

「まああたしも火のAクラスの人間ですから。どこかまとまった時間……そうですね、次の昼休みまでには、聞きだしてきますよ」

 

「あ、何だったらあたしが聞こっか?」

 

 

 面倒くさがりのホイットニーにしては珍しかった。

 アイリスが目を向ける。

 

 

「多分こいつは魔族だね。魔族はあんたもそうだけど、美形に産まれてくるんだよねー。一説によれば、赤子の時に親から殺されないようにするためだとか何とかって聞くけど」

 

 

 その言葉を聞いて、アイリスは冷笑した。

 確かに魔族は美形が多い。だから自分も美人らしい。しかしそれは、一つの事実を確定させる。

 魔族は百パーセント親の遺伝子を継いでいない。どの親でも美形に産まれるということは、つまりはそういうことなのだ。

 

 

「そうですよね。顔は大事ですよね。女も男も生き物問わず。実質それ以外測るものなんてないですから。世の中には」

 

 

 同意してやったというのに、ホイットニーは苦笑いを零している。

 

 どうすればこの女は納得したのか。

 

 なんて、本当は興味の欠片もないけれど。

 

 そう、思うフリをした。

 

 

 バタン。

 

 

 扉を閉める。

 

 子供の頃からの癖で足音を消しながら歩いていると、自分のホルダーに連絡がきた。アーサーからだった。

 

 

『お前か? ホイットニーか? ヒョウを上に上がれるように画策したのは。何故勝手なことをした。これじゃあいつの思うつぼだ』

 

 

 アイリスは、返事を書くことなくページをめくる。この手の輩は無視するのが一番きくことを、アイリスは知っていた。

 

 ホルダーをパラパラとめくって、ビッシリ文字が詰まったページにたどり着いた。

 

 そこには二枚の写真。青年と少女の写真が添付されていた。

 

 

 リティシア=リン。

 

 

 今年度の特待S。子供にしては相当腕が立つ。何より魔力容量が十一位と破格である。

 

 

『兄様あああああああああああああ!!』

 

 

 ヒョウが拳を向けられた時、リンは立ち上がってまでして叫んでいた。あの二人の実力差から見ても、あんなもの何でもないことぐらいわかっただろうに。

 

 つまり、それだけあの義兄が大切である、ということだ。

 

 

 リティシア=ヒョウ。

 

 

『さっきも言ったろ? 初手見鬼は魔術師の基本であり挨拶だ。腹が立つなら、お前も俺の心を覗いてくれても構わんぞ。まあ、無理だろうがな』

 

 

 あいつはあの時、見鬼(けんき)を誘った。見鬼は確かに圧倒的に便利な術だが、欠点が一つある。それは眼球と脳が直結している、とうことだ。

 見鬼は目に魔力を集めて魔力の流れを読む。しかし、目と脳は直結しているため、見鬼中に魔力を叩きつけられると、脳に思念が流れ込み、感情が増幅かつ錯乱させられてしまう。その青魔術のことを、眩術(げんじゅつ)と呼ぶ。

 そして魔力誘導は思念を自然(エレメント)に憑依させて操る術なので、感情が乱れていると、上手く操れず、場合によってはああして乗っ取られる。これを思念介入(しねんかいにゅう)と呼ぶ。

 

 

 恐ろしく鮮やかな手並みと言わざるおえない。ヒョウは魔術戦の何たるかを熟知している。それでいて非情だった。目的のために手段を選んでいない。

 

 

 だが。

 

 

 ヒョウはあの時、空筆を用いた。空間に、消化とだけ描いて、リンに意思を伝えた。あの時あいつは、リンを見ていなかった。

 

 合図さえ送ることもなく、ただチンピラだけを見据えて、笑っていた。

 

 わかっていたのだ。リンならば、自分を見ているであろうと。そう確信していた。

 

 非情ではある。しかし、ヒョウはリンに対して、絶大な信頼を持っている。

 

 この二人にあるのは、絆だった。

 

 

「ふっ」

 

 

 口にこそ出していない。

 しかし、あまりにも臭い台詞だ。

 だからアイリスは、独り言ちに、つぶやいた。 

 

 

「笑える」

 

 

 カコン。

 

 

 一方その頃、東尾では――

 

 十狼刀決死組三番隊組長、カルロ=惣一郎が、春起こしの音を聞きながら、あぐらをかいていた。

 

 手は口元、正面には駒の並んだ将棋盤が置かれている。相手の手は穴熊であった。しかし対戦相手はいない。

 

 

 カコン。

 

 

 また春起こしの音が響いた。

 

 そんな中、カルロもまた、つぶやいた。

 

 

「まず――二カ月」

 

 

 

 < ほらな 了 >



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二章 あの時言えなかった言葉
二人の力


 カッカッカッカッカ――カッ!!

 

 解まで書き切って、チョークを放った。

 

 魔術力学を担当している魔導師が、あわくって、教科書と黒板を何度も見やる。

 

 

「正解か?」

 

「せ、正解です……っ」

 

 

 魔力力学担当のデブ魔導師が、悔しそうに言った。

 

 というのも、俺がここに晒し物にされている経緯は、俺がろくすっぽ授業も聞かずに寝ていたからだ。そんな俺にチョークが投擲され、難なくつかんだ結果、この明らかに学生基準じゃない問題を解け、という喧嘩に至ったわけだ。

 

 

 結果は御覧の通りである。

 ま、相手が悪かったな。

 

 

 俺は目に入れた情報は一秒弱で記憶できるという特技を持っている。

 つまり、教科書に解が書いているなら、それをパラ見すれば大体のことはわかるのさ。まあ、その分どうでもいいことはすぐに忘れるけどな。

 

 

 ガヤガヤと、教室内が色めき立つ。

 

 俺は席へと戻る途中に、ふとリンを見た。

 

 リンは相変わらず、赤い顔で口元を隠しながら俺を見ている。

 

 俺はそんなリンを見て、肩をすくめた。

 

 

「ま、イージーだな」

 

「――はい!!」

 

 

 リンがくすぐったそうに笑って言った。

 

 俺は眼鏡を持ち上げながら、笑った。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 四限目。魔術体育。

 

 体操服姿のリンがいた。正面には高跳び棒。一般人では絶対に飛び越えられない場所に、棒が設置されていた。

 

 その高さ、五メートル三十。

 

 飛脚法という青魔術がある。風が魔力に反発する性質を利用して、足の裏に魔力を集め、自身を矢のように飛ばす術。というより歩法だ。

 

 これはそのための訓練のようだ。

 

 挑む前に、リンがチラリと目を向けてくる。

 

 あぐらかいて見ていた俺は、『何だよ』と、目を開いて尋ねる。

 

 リンは言葉で答えず、ただ嬉しそうに笑った。

 

 

 リンが高跳びに向き合った。そして駆ける。

 踏み込むその前に、リンが前宙を三度組み合わせた。足の裏より、掌の方が魔力を放出しやすいからである。

 前宙する度に、周囲の風がかき乱され、リンの身体をフワリと支える。

 

 跳躍した。棒をギリギリのラインで飛び越え、旋回しながらマットの上に着地する。

 

 

「リンさん。五メートル三十……クリアです」

 

 

 満座から注がれる拍手喝采。

 

 リンが頬を紅潮させながら、荒く息をついている。

 

 その顔はすこぶる嬉しそうだ。

 

 まあリンは本来縦の飛脚法が苦手で、何気に新記録達成である。

 

 普段オドオドしている割に、意外と勝負強いんだよなーこいつは。正直そこらの三番隊の奴と組むなら俺はリンと組むね。それほどリンはできる。

 

 

 まあベストは一人でやることだけどな。ってのも、俺は一人でいる方が強いからな。

 

 

「すげえよ、あのミーティアちゃんに勝っちまったよ」

 

「あれで十一歳なんだもんなー。しかもふっつうに可愛いし」

 

「淑やかで清らか。東尾清女《とうびせいにょ》の話はよく聞くけど、マジだったんだなー」

 

 

 おー、誉められてんなー。

 

 思いながら、俺は周囲と一緒に手を叩いていた。

 

 リンへと目を向ける。

 

 リンもまた、俺に目を向けた。

 

 誉めてくれ。

 

 そう言わんばかりの顔だった。

 

 俺は声に出さずに笑ってしまった。 

 

 手で力一杯褒め称える。

 

 よくやったなと思う。強くなったなとも思う。

 

 三年前。あの時、あの場所に囚われていたお前じゃ、絶対にできなかっただろう。

 

 

『強くなりたいんです。自分以外の全てを守れる強さがほしい』

 

 

 決死組に入った理由を尋ねた時、お前はそう言った。

 

 それが半分嘘であったことを俺は知ってる。

 

 だけど、半分が本当であるのなら、それでいいじゃないかと思った。

 

 半ば自暴自棄ではあっても、家族も幼馴染も、全てを失った少女の言葉としては、十分に過ぎた。

 

 

 そう。

 リンは十分に過ぎるほど強くなった。

 

 

 あの時の願いは、リンの血反吐を吐くほどの鍛錬と、類まれなる才能によって、叶えた。

 

 

 後はリンの家族と幼馴染の仇。

 

 リンを狙う北翼(ほくよく)の連中を、この俺が皆殺しにさえできれば、リンを光の下に返すことができる。

 

 

 そうなったら、俺も――

 

 

「次、男子、前に」

 

 

 見学のために座っていた男子一同が立ち上がる。男子って年じゃねえが、俺もまた立ち上がった。

 

 

 キャーキャーと何やら騒がしい。てっきり俺に向けられているものと思いきや、それは後ろからきた男に向けられたものであった。

 

 

 長い金髪をした男で、女と見間違うばかりの顔をしているが、どうやら男らしい。

 

 

「大したものだね、君の妹は」

 

「いやーそれほどでも」

 

「君はもっとすごいのかな? リティシア=ヒョウくん」

 

「いやーそれほどでも」

 

 

 同じ言葉だが、言葉の抑揚と表情を変えて、俺は言った。

 

 それに俺は負けるつもりだった。というのも、さすがにやりすぎかなと思っていたからだ。

 

 俺はリンと違って、負ける時は負けることができる男なのさ。大人だろ?

 

 

 リンとすれ違う。

 

 特に声はかけなかったし、目も向けなかった。

 

 言うまでもないことだが、俺だってリンを見てない時ぐらいあんのよ?

 

 

「ミーティアさんの仇討のつもりはさらさらないけど、勝たせてもらうよ。さすがに、この学園の副会長たる僕が、転校初日の君に負けるわけにもいかなくてね」

 

「ふーん」

 

 

 そうか。

 こいつが副会長なのか。

 

 どうりでガキにしちゃ、中々の魔装しているなと思ったぜ。

 

 とすると、やはり負けた方がいいな。さすがにいきなり学園のナンバー2に勝っちゃ駄目だろ。常識的に考えて。

 

 

「兄様」

 

「ん?」

 

 

 背中から声をかけられて、振り返った。

 

 振り返ると、リンが口元を隠しながら、俺のことをじっと見つめていた。

 

 

「あの……兄様相手にこんなことを言うのは、逆に失礼かもしれませんが――」

 

「なんだよ」

 

「頑張ってください」

 

「へ?」

 

 

 しばしリンと見つめ合う。

 

 そうしてから、俺は笑った。

 

 

「リン」

 

 

 呼びかけながら、かけていた眼鏡をリンに向けて放る。

 

 受け止めたかどうか見ることなく、俺はセミロングに伸ばした髪を、後ろで縛った。

 

 

「兄様のこと、よく見とけ」

 

 

 足を踏み出すその前に、リンのいつもの声が、後ろから響き渡った。

 

 

 

 

「――はい!!」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

四つの手紙

 ドサドサドサ。

 

 

 外靴から中靴に変えようと下駄箱を開けると、封筒が四枚ほど零れてきた。一枚を除いて、ハートのシールで封がされており、どう見たってこれは、ラブレターというやつだった。

 

 俺は封を開けることなく、一枚一枚を見鬼(けんき)で見据えた。見鬼(けんき)は魔力の流れを読む青魔術で、魔術師の感情を読む青魔術でもある。

 

 というのも、魔力の構成要素は死念半分思念半分。故に魔力の流れを読むと、半分は魔術師の思念(かんじょう)がわかるという論理になる。まあ読めればの話でもあるが。

 

 そして魔術師の魔力、すなわち死念兼思念は、物質にもまた残る。それを魔力痕という。

 

 俺は、最後の一枚。ハートのシールがない、無骨な封筒を見て、笑った。

 

 

「リン。処分しとけ」

 

 

 その最後の一枚も含めた四枚を、リンに渡した。ちなみに俺もリンも未だ体操服姿である。さっきの魔術操育の帰りだからな、今は。

 

 

「え」

 

「えって、お前もしかして、俺のことひどい奴だと思ってる?」

 

「いえ、そのようなことは……」

 

 

 目を伏せて、リンが言った。

 

 俺はため息一つ。

 

 

「あのなあリン」

 

「ですが」

 

「ん?」

 

「あの、やはり少し……道に反するかな……とは、思います」

 

 

 余談だが、東尾(とうび)の人間は何かとつけて道という言葉を使う。

 まあ本当にどうでもいい小話ではあるが。

 

 

「それは、これが本物だったらの話だろ?」

 

 

 階段に足をかけながら、俺は言った。

 

 

「え……」

 

「時系列で考えてみろ。確かに俺はルイセってやつに、非公式とはいえ勝った。しかしそれはほんの数分前の出来事だろ? それなのに、何だってこんなもんが四枚も届くんだよ。普通に考えておかしいだろ?」

 

「そうですね。ですが、兄様はちょっと普通じゃないので……」

 

「あちゃー。言っちゃったね、リンちゃん」

 

「あ、いえその!! 今のは違います!! わ、忘れてください!!」

 

「……」

 

 

 

『わ、忘れてください!! あの時あたしが言ったことは!!』

 

 

 

 ふと、朝、リンが言ったことをふと思い出した。

 

 でもまあ、すぐ忘れた。

 

 俺は何かに固執するってのが、好きじゃないからな。

 

 本人も忘れてくれって言ってるんだ。

 これ以上深くつっこまない方がいいんだろう、多分。

 リンは良くも悪くも、構ってアピールする女じゃないからな。

 

 

「話を戻すが、時系列的にこんなもんが俺に四枚も届くのはおかしい。だからこれは偽装なんだよ」

 

「偽装……ですか?」

 

「そうだ。一番確率が高いのは、あの時のメガネデブ」

 

「三限目の時の、魔導師の方でしょうか?」

 

「メガネデブで通じるとはねー。さすがによくわかっていらっしゃる」

 

「あの、いえ、そういうわけでは……」

 

 

 リンが困った顔で、目を伏せる。

 

 リンはからかうと、すぐこういう反応をするから面白い。

 

 

「次点は体育中にトイレにいった青頭」

 

「ですがそれは、他の何人かの方も行かれていた気がしますが。その中には女性の方もいましたし」

 

「そうだな。だからガチって可能性もある。そして、四つ目の可能性として――」

 

「……」

 

 

 話している間に、俺とリンは、火のAクラスがある、五階についていた。

 

 

「じゃ、俺はこっちだから。またここで集合な。遅れるなよ。俺は待つのが嫌いだからな」

 

「え、あの……はい!!」

 

 

 手をパタパタと振って、俺は背中を向けた。

 

 

 

   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「ん!! おいしいです、これ!!」

 

 

 昼休み。

 食堂で一番安いセットを注文したリンは、紅い米を口に入れて感嘆の声を上げていた。

 

 東尾(とうび)にはない飯だった。空輸が発達した今の世の中、他国の飯なんていくらでも食えるというのは先進国の発想だ。

 東尾の本格的な冬期は港さえ凍らせる。凍らない港、つまり死念濃度が低い地域を求めて戦争さえ起きたほどだ。加えて土人特有のこじらせや、人さらいが多い件もあって、東尾の人間は外の人間と文化をすこぶる嫌う。

 仮に持ち込まれても、東尾の寒さは外食を殺していて、輸入したものを使いきれない、というのもあった。

 あの寒さの中、こんなもん食いに行っていたら頭がおかしい。東尾は温まる鍋料理と、冷たい海で脂をたくわえた魚料理が盛んであった。

 ちなみに輸出は毛皮、毛織物、魔鉱石が盛んである。主な交易相手は資源が薄い北頭(ほくとう)なので、商業的な同盟国と言えなくもない。

 

 

 皿の上のパンを取って、かじる。そんな時。机の上に影が伸びていた。振り返る。

 

 そこには、おぼんの上にどんぶり一つ置いた、金髪の女が立っていた。どんぶりからは湯気と香りが立ち上っている。

 

 

「手紙入れてたと思うんだけど、読んでくれなかったのかな?」

 

 

 互いに見鬼(けんき)を用いて互いの魔装(まそう)を見据える。

 

 こいつはあの時――俺がハゲのチンピラを追い払った時――リンの近くにいた女。

 

 その魔装は、学園ナンバー2と呼ばれるルイセより遥かに格上。

 

 

 間違いなくなく内閣守衛隊だ。

 

 

「となり。空いてる? 話があるんだけど。リティシア=ヒョウくん?」

 

「……」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

お前はここで

 バン。バン。

 

 

 俺はとなりの椅子に両足を置いた。 

 

 

「ダメだな」

 

「兄様……」

 

「お前は黙ってろ、リン。金髪。話があるならまた次の機会に聞いてやる。だから今回は出直してこい。俺は飯の時間を邪魔されるのが嫌いなんだよ」

 

 

 手をパタパタと振った。

 

 女は無表情だった。

 

 

「あたしがAに上げてあげたんだけど」

 

「そりゃどうも。だがそれとこれとは別の話だな」

 

「あたしがAに上げてあげたんだけど」

 

「そりゃさっきも聞いた――」

 

 

 言葉の途上で固まった。

 

 女が頬を膨らませながら、俺のことをにらんできていたからだ。

 

 何だ、こいつ……。

 

 その時。

 

 

 ガタン。

 

 

 と、強引に、両足を置いている椅子を引かれた。

 

 しかし、そんなことで退く俺じゃない。俺は退くのが嫌いなんだ。俺は足をそのままにして、女を見ていた。

 

 すると女は、自分のお尻を撫でるようにして、スカートを太ももにつけた。そしてそのまま、俺が足を置いたままの椅子に、座り込んでくる。

 

 

「うお!!」

 

「兄様!!」

 

 

 いきなりの生暖かい感触に、俺は倒れそうになるほど退いた。当然両足もどかしている。

 

 ある意味有効な手段だったとはいえ、この女、アホなんか……。

 

 ジト目で睨みつけるも、女は無視を決め込み、椅子を引く。

 

 おぼんをテーブルの上におき、魔術師特有の白い指先で、テーブルの上に文字を書いた。

 

 反射的に見鬼(けんき)を用いる。

 

 

『ここで話すか。別の場所で話すか。二者択一。選んで?』

 

 

 空筆……。

 

 

「兄様……」

 

「黙ってろと言ったろ、リン」

 

「はい……」

 

 

 シュンとした顔でリンがテーブルを見つめる。まあそんなことはどうでもいい。

 

 こいつとの話は、間違いなく微妙なものになる。

 

 知るとまずい情報。知ってしまうと、逃げられない情報。そして、知られると、困る情報。

 

 教育という意味では、リンにも聞かせた方がいいが――

 

 まあ、ちょっと早いかな。

 

 

「リン。お前はここにいろ」

 

 

 椅子を引いて立ち上がった。

 

 女は微笑して、おぼんごとリンに差し出す。

 

 

「じゃあリンちゃんにこれ。対価」

 

「え」

 

「清流派魔術師は対価で返すのが常識だから」

 

「ど……どうも。ありがとう、ございます」

 

 

 困った様子でリンが言った。

 

 そりゃそうだろう。 

 

 おぼんの上に乗ったドンブリの中身は、うどんと呼ばれるものだった。東尾の鍋に入れてよく食べられるものではあるが、飯の後にそんなもの貰っても――

 

 

「あ、これ美味しいです!!」

 

 

 リンの言葉と共に、俺の肩が下がった。

 

 

「お前っさー」

 

「あ、いえその申し訳ありません。このような料理は初めてで、つい……」

 

 

 両手で口元を隠し、リンが言った。

 

 

「うどんは東尾(とうび)の伝統料理だけれど、鍋から出して一つの料理として確立させたのは北頭(ほくとう)らしいからね」

 

「そうですね。このようにお蕎麦だけ出てくる料理を初めて見ました。最初はビックリしてしまいましたが、食べてみると、すごくおいしかったです。世界には、自分が知らないことがたくさんある。そう改めて思いました」

 

「ふふっ。喜んでくれたならよかったよ。いいリアクションもとれたしね。さて」

 

 

 ガタン。

 

 金髪女が立ち上がる。

 

 

「ああそうだ」

 

「何だよまだあんのかよ。俺は待つのが嫌いなんだぜ?」

 

「ヒョウ君への対価も考えないとね。一応時間を貰うわけだし」

 

「別にいらん」

 

「そうもいかないよ。与えただけの対価を貰い、貰った分の対価を返す。それが清流派魔術師の教えだから」

 

「そうか。しかし俺は、助けたい奴は助け、見捨てたい奴は見捨てる濁流派なんだ。そんなものは必要ない」

 

「うーん、そういうわけにもなー。あ、でも大丈夫か。君には足の上に座ってあげたしね」

 

「は?」

 

「だから。足の上に座ってあげたでしょ?」

 

「だから何だ」

 

「え? 嬉しいでしょ? あたし、十七歳だよ?」

 

 

 ダメだこりゃ。会話になりません。

 

 呆れ切った俺は、両掌を天井に向けて、頭を振った。

 

 

「じゃあ行こっか?」 

 

 

 椅子を机の中に入れながら、女が言った。

 

 

「ああ。――リン」

 

 

 一歩踏み出してから、俺はリンに向かって呼びかけた。

 

 

「え? あ、はい」

 

 

 相変わらず、俺のことを見ていたリンが、両手で口元を隠して言った。

 その仕草に俺は微笑み、口を開いた。

 

 

「何かあったらすぐ俺を呼べ。いいな」

 

「は、はい……」  

 

 

 視線を外しながら、リンが言った。

 

 

「いってらっしゃいませ。兄様」

 

 

 背中でリンの言葉を受けた。

 

 

 カランコロン。

 

 

「ふふ」

 

 

 食堂の扉を閉めた後、隣で女が冷笑する。

 

 

「なんだ?」

 

「信頼関係とは違うんだね」

 

「信頼していたいから置いていくんだ」

 

「ふーん。中々深いこと言うじゃん」

 

「そりゃどうも」

 

「でも、残念だけど、ちょっとズレてるね。君たち二人」

 

「お前に言われちゃおしまいだぜ」

 

「ふふふ」

 

 

 目を背ける俺。

 

 笑う女。

 

 食堂から本館に戻り、階段へと足をかけた。今更だが、食堂は別の場所にそれ専用の建物として、設けられていた。

 

 

「そういえばさ」

 

「何だよ」

 

「自己紹介がまだだったよね?」

 

「いらねえな」

 

「どうして? 少なからずあたしの情報を持っていた方がいいと思うけど?」

 

「いらねえ」

 

「いいのかなー? 君にとって必要のない情報だと思ったとしても、隊にとっては違うかもしれないよ?」

 

 

 あんな隊どうなっても構わん。

 

 ――と言おうと思ったが、その情報を抜かれるのもやや問題かと思った。

 

 

「……言ってみろ」

 

「ふふっ。立場は言わなくてもわかってるよね? あたしの名前は、アイリス=クーパ。年は十七で、好きな食べ物はパンナコッタ。好きな色は白。口説くときはそのへんよろしく」

 

「そんな機会は永遠に訪れないから安心しろ」

 

「こうやって並べてみると、ちょっと味気ないね。他に男の子が気になる情報ってなんだろ。スリーサイズとか?」

 

「気になる相手ならそうなんじゃないか?」

 

「じゃあリンちゃんのこと以外、興味ないってことか」

 

 

 目を向ける。

 

 その時の俺の表情がそんなにおかしかったのか、女は今日一番の顔で、笑った。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

話し合い

 バタン。

 

 扉を閉めた。

 

 天井はなかった。見上げた先は澄み渡る蒼空。つまりここは、屋上だった。

 

 

「ここなら邪魔されることはない。誰かに聞かれることもない。多分」

 

「多分かよ……」

 

「あたしの多分はほぼ絶対だから」

 

「いや、ほぼってついてる時点でもう絶対じゃないから」

 

 

 俺は手摺りまで歩いていき、そこを背にして、座り込んだ。

 

 見上げると、アイリスが正面に立っていた。中々の歩法だと思った。音を全く感じなかった。

 

 アイリスがその場に座り込む。

 

(かかと)を少し持ち上げて、黒タイツに包んだ膝を、こっちに向けている。踵を上げているのは、いざというときに即応するためであろう。

 

 スカートの裾が、太ももを綺麗に隠していた。

 

 

「一応言っておくと、ちゃんとはいているので。残念でした」

 

 

 太ももの上のスカートをヒラヒラさせながらアイリスが言った。うっすら肌色を透過させた黒い足が、スカートから見え隠れする。

 

 

「残念と思ってることを確認してから言ってくれ」

 

 

 一ミクロンも整纏(せいてん)を崩すことなく、俺は続けた。

 

 

「で? あなたたち二人の目的は?」

 

「語学留学」

 

 

 間髪いれずに答えた。

 

 

「真剣に聞いているんだけど」

 

「真剣に答えた」

 

「真剣に、聞いてるんだけど」

 

「だから真剣に答えたんだってば」

 

 

 アイリスが頬を膨らましながら、俺を見ている。

 

 調子狂うな、こいつ……。

 

 

「要するに、手の内を明かすつもりはないってこと? まあ大体の予測は立ってるけどね」

 

「正確にいえば、こっちも手の内を明かされていない、というのが正しい。まあこっちも大体の予測は立ってるけどな」

 

「ふーん」

 

「もっと詳しく話そうか? つまり、俺とリンには、表向きの理由しか聞かされていないんだよ。ついでにこっちの予測も根幹抜いて話しておくと、多分陽動だろうと考えている。俺とリンを囮にして、あいつらはあいつらで別のことをしようとしている。その可能性が高いんじゃね?」

 

 

 あえてペラペラと話しているのは、前にも言った、一つの真実を壁にして、もう一つの真実を隠すという手法である。

 手の内を七割明かすと安心するものは多い。この手法は意外とプロにも通用する。脳筋のプロは『俺がプロだから白状した』と過信するからだ。

 だから七割真実を話すと、残り三割はむしろ見えづらくなる。

 

 

『新月布を対象に悟らせるな』

 

 

 

 対象という言葉。

 

 そして、何故悟らせてはならないのか。

 

 それらの言葉を聞いた時、あいつのしたいことは大体察しがついた。

 

 ――ま、誰でも大体察しがつくことではあるけどな。

 

 

「要するに、全然信頼されてないってこと?」

 

「ま、そうかもな」

 

「怒らないの?」

 

「怒るわけがない」

 

「魔術師だから?」

 

 

 魔術師は、感情を操る。属性を操っているように見えても、それは属性に感情を憑依させて操っているのである。

 

 故に、魔術師は感情を一定に保つことが是とされている。感情の暴発イコール術の暴発だから。

 

 前回のボーズ頭の敗因もそこにある。とはいえ、素でやっても、というか素でやった方が、確実に俺が勝つが。

 

 俺は魔術は補助的に用いてるだけで、素の殺し合いの方が本来得意だからな。

 

 

「いや、単純に俺は決死組じゃないからな」

 

「嘘つけ」

 

「お前には盗賊王って名乗ったでしょうが。俺の出身は北翼(ほくよく)なんだよ」

 

「リンちゃんは?」

 

「あいつは――東尾(とうび)だが」

 

「ふーん」

 

「なんだよ」

 

「別に」

 

 

 笑いをかみ殺しながら、アイリスが言った。

 

 何だこいつ……。

 

 何か企んでやがるのか。

 

 

「じゃあどうして盗賊王の君が、決死組のリンちゃんといるの?」

 

「俺は雇われてんだよ」

 

「リンちゃんに?」

 

「いや、決死組に」

 

「へーその可能性もあるとは思っていたけど、あの決死組に。すごいね君」

 

「まあ正確に言えば組長にかな。多分反対意見は多いんじゃないかね」

 

「ふーん」

 

「一つ聞いていいか?」

 

「なに?」

 

「さっきからどうして笑ってるんだよ」

 

「ふふふ。別に。まあ恋心抱いているわけじゃないのは確かかな?」

 

 

 じゃあ何なんだよ。いや別に期待してたわけじゃないけどさ。

 

 音を立てて、風が吹く。

 

 降ってきた木の葉の一枚を指でつかんで、何となく、クルクルと回した。

 

 

「さっきお前も言っていたが」

 

 

 アイリスが小首を傾げた。

 

 俺は回していた葉を、空へと帰した。

 

 

「確かお前には、借りがあったな」

 

「……」

 

「俺は借りをそのままにしておくのが嫌いだ。だから一つだけ教えてやるよ。組長、つまり三番隊の組長は、バカじゃない。何せ、この俺が殺すと決めて、殺しそこなった相手だ。

 あいつの手順には、最低二手以上の意味があると思ってまず間違いない。

 つまり、ただの語学留学、陽動だとは、絶対に思わないことだ」

 

「ふーん」

 

 

 意味深な『ふーん』だった。

 

 しかし、俺の見鬼(けんき)を用いても、こいつの整纏(せいてん)は崩せない。

 

 アイリスは、膝の上にアゴ肘ついて、ニヤニヤ笑いながら俺を見ている。

 

 

「一個聞いていい?」

 

「なんだよ」

 

「組長を殺し損ねたってことは、君と組長さんは、敵同士なの?」

 

「ま、そうかもな」

 

「今でも?」

 

「雇われている間は敵じゃねえよ」

 

「敵同士じゃないなら、どうしてこんなに手の内を明かすの?」

 

「だから対価を返すためって言ったろ?」

 

「組長さんに迷惑かけてもいいの?」

 

「むしろ死ぬほど迷惑かかれと思っている」

 

「ふふっ」

 

 

 両手で口を隠して、アイリスが笑った。

 

 素の笑いなのが、一目でわかる。

 それでも綺麗だった。

 

 綺麗に笑う女は、心も綺麗なのではと思っている。

 我ながらアホな論理だなとも思っているのだが。

 

 

「なるほど。子供なんだね、きみ。だからかな」

 

「何が?」

 

 

 アイリスが立ち上がる。

 

 スカートを手で払って、裾を正した。

 

 

「最後にもう一つ聞いていいかな?」

 

「今更だ。一つも五つも変わらねえ。言ってみろ」

 

「組長さんに迷惑かかれと思っているなら、君は何のためにここに来たの?」

 

「何のためって、そりゃ――」

 

 

 リンのため。

 

 最初に頭に浮かんだのは、それだった。

 

 しかしそれは断固として認めたくなかった。

 

 死ぬまで俺のために生きる。それが俺の道だからだ。

 

 

「――無論、俺のためだ」

 

「ふふっ」

 

「なんだよ」

 

「嘘が下手だなあと思って」

 

「それはお前が勝手に決めつけてるだけだ」

 

「そうかなー」

 

 

 茶化した声で、アイリスが笑う。

 

 俺は見下されるのが嫌いだった。

 

 イライラしながら、アイリスの背に声をかけた。

 

 

「待て」

 

「なに?」

 

「俺からも一つ質問だ」

 

「え、嫌だけど」

 

「ああ!?」

 

「あはは。冗談だよ。なに?」

 

「……今の質問の意図はなんだ?」

 

「……対価」

 

「対価?」

 

「ご飯一つじゃ、足りないかなと思ってね。それじゃ」

 

 

 手を振って、アイリスがその場を後にした。

 

 言っている意味は、わからなかった。いや、本当はわかっていた。ただ気づきたくなかっただけだ。

 

 舌打ちする。

 

 風が吹き、また木の葉が舞った。

 

 それが止むころ、俺はその場から姿を消していた。

 

 

    ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「あ、兄様!!」

 

 

 食堂に戻ってきた俺に、リンが声をかけた。

 

 そんなリンの周りには、人がたむろしている。主に男だった。

 

 

「お、お兄様のお戻りか。じゃあねリンちゃん。さっきの話、考えといてよ。お兄様と一緒でも、全然いいからさ」

 

 

 そう言って、男らがワイワイ言いながら帰っていく。

 通り過ぎる時、俺におざなりな挨拶を送ってくるが、それが『嘘』であることは、魔術師の俺にはハッキリとわかる。

 

 

「リン。何の話だ」

 

「いえ、その……今日の帰りに、歓迎会もかねて、ご飯でもどうかと……」

 

「ふーん」

 

 

 見鬼(けんき)で男らの背を見やる。

 

 見鬼(けんき)で読める感情は、喜怒哀楽愛嘘信憎恐の九情。男らの魔装からそろって読み取れる感情は、愛と、楽、である。ちなみに俺に挨拶を送ってきた時は嘘であった。

 

 要するに、楽しみたいということだ。

 

 リンが一般人なら無論止めている。だがリンは三番隊の一員である。力づくで負けることはありえない。というか、十一歳相手にまずそんなことはしないだろう。

 

 普通に考えれば、まあ大丈夫――いや、違うか。

 

 本当は止めたくないだけかもしれない。俺は何かに執着するのが、嫌いだからだ。

 

 死ぬまで自由自在。それが俺なのだ。

 

 

「あの、兄様。あたしは……」

 

「行きたきゃ行っていいぞ」

 

「え……」

 

 

 振り返って、リンを見据えた。

 

 リンは、瞳を大きくして、俺のことを見ていた。その後、目を伏せて、寂しそうに視線をそらす。

 

 

 何だってそんな顔しやがると思う。

 ただ本当はわかってもいた。

 

 

 こいつはわかりやすすぎる。

 だからリンが自分にどんな気持ちを抱き、今自分にどんなことをしてほしいのかも、大体わかる。

 

 

 しかしするつもりはない。

 理由は簡単だ。

 リンは義妹だ。部下だ。何より十一歳だ。

 

 

 そして俺は、人の道に外れたことばかりしてきた、二十二の野良犬だ。

 

 

 ついていくことは簡単だ。止めることも。しかしそんなことをしても、こいつは今まで通り俺の背中を見続けるだけだ。

 

 

 それが間違っていることは、論じるまでもあるまい。

 例えそれが、こいつの真なる気持ちであったとしてもだ。

 

 

「何でも経験して、楽しんでこい」

 

 

 組長のことだから何か裏があるんだろうが、表向きの任務は、語学研修と実地調査。言ってしまえば、一学生に扮することとも言える。

 

 ならばいい機会である。

 ここでならこいつは、堅気になれるのだ。

 

 疑似的とはいえ、光の下に返してやれる。

 ちゃんとした幸せを、本当の幸せを、今なら味合わせてやれる。

 

 

 そしてそれは、野良犬の俺では、絶対にできないことだ。

 

 

「誰かのためにとか考えるなよ。お前は今が、そしてこれからが、一番楽しめる年なんだからよ」

 

 

 ガランガラン。ガランガラン。

 

 

 ベルの音。

 

 休み時間が終わったのだ。

 

 

「戻るぞ、リン」

 

「……はい」

 

 

 リンの気落ちした声を背中で受ける。

 

 振り返ろうと思った。

 

 だけどやめた。

 

 どうしてやめたのかは、考えようとしなかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

リンの行く先

 ベルの音が響く。

 

 終礼を告げる音だった。

 

 

「どうすんだ? リン。俺は帰るけど」

 

 

 荷物を背負いながら、俺は尋ねた。

 

 

「リンは……その」

 

 

 シュンとした顔で、リンが視線を伏せる。

 

 余談だが、リンが自分のことを名前で呼ぶときは、誰かに甘えたいときである。

 

 しかしそれがわかったからといって、対応方法がわかるわけでもない。

 

 この女は、よくすねるわりに、どうしてほしいかはあんまり言わない女だからな。

 

 

「あー、一応言っておくけど、別に強制しているわけじゃねえぜ? 嫌なら行かなくてもいいと思うが」

 

「あ、いやその、嫌とかではなく――」

 

「じゃあどっちなんだよ」

 

「あの、リンは、それとは別に、やりたいことがあるので――」

 

「ふーん」

 

「……」

 

「……なら俺は先に帰るぜ」

 

「……はい」

 

 

 視線を伏せながら、リンが言った。

 

 結局、どう言えば正解なのかわからなかったな。

 

 出る前に、リンを誘ってきた男らに目を向ける。

 

 ワイのワイのと女らと盛り上がっている。

 

 目を細めた。

 

 ああいう世界に飛び込もうと思えば、飛び込めるだろう。

 

 誰かに化けることは得意だ。人間らしく装うことは容易い。だがそんなことに意味はない。堅気の生活を、心から楽しめなければ意味などないのだ。そしてそれが一つの線引きでもあった。

 

 

 人間か、獣か。

 

 

 俺は、野良犬だ。

 人として欠ける何かを埋めるために盗みまくったが、結果的に何も埋まらなかった。

 いつしか盗賊王と呼ばれ、周りの人間が全員消えた後、廃業した。

 自分が求めているものは、きっと自分を殺せる相手なんだろうと気が付いたからだ。

 だから単身、決死組を襲撃した。

 そこになら、俺を殺せる相手がいるのではと思ったからだ。

 

 

 人間の生き方とは程遠い。

 その日暮らしに生き、いつしか誰か、自分を殺してくれる者を待つ、獣の生き方だ。

 

 

 ガラガラ。

 

 

 引き戸を開いて、廊下に出る。

 

 

「いいの?」

 

 

 隣に並んできたアイリスが言った。

 

 

「何が?」

 

「リンちゃん行っちゃうよ?」

 

「バカだなお前」

 

「……どういうこと?」

 

「心配するなら向こうの連中を心配した方がいいって言ってるのさ。リンは俺の妹だ。あいつらにどうこうされるようなことがあれば、腹切って死んでもいい。素の殴り合いならお前よか強いよ、リンは。加えて言えば、あいつはな――」

 

「はあ」

 

 

 話を遮るように、アイリスが大仰にため息つく。

 

 何だよと、俺は目を向けた。

 

 

「はぁ~~~~~~~~~~」

 

 

 両手をほっぺに添え、心底相手を哀れむような目を向けてくるアイリス。

 

 何だこいつ……。

 

 短い付き合いだが、こいつがズレていることは先刻承知している。

 

 こいつに真っ当な答えを期待しても意味がない。

 

 とはいえ、こんなぶっといため息をつかれる謂れはない。

 

『何だよ』とそう尋ねようとした、その時。

 

 

「あ、ヒョウくんだー!!」

 

 

 女が二人走ってやってくる。

 

 反射的に見鬼(けんき)を用いた。

 

 

「あのさ、あたし達、二人の歓迎会しようってことになってるんだけど――」

 

 

 女を見鬼(けんき)で見つめると、非難が矢のように飛んでくるのが世の常だが、俺ぐらいの魔術師になると、三流に見鬼の発動を悟らせない。

 

 見えた感情は、喜と楽。若い女の典型のような感情構成。

 

 

「俺も呼んでくれるのか?」

 

「当然じゃん。二人の歓迎会なんだからさ」

 

 

 なるほど。

 

 やっぱり、リンをどうこうしようということではないな。この手の歓迎会で女を喰う常套手段は仲間に女を引き込んでおくことだが、さすがにこの手順と感情構成で疑うのは疑心暗鬼にすぎる。

 

 

 学生として、盛り上がるイベントがほしいってことなのだろう。

 嫌いじゃないんだけどな。その考え方だけは。その場にいたいとは、思わないだけでな。

 

 俺はギャーギャー騒がしいのが好きじゃないのさ。

 

 

 ガラガラガラ。

 

 

 俺は隣の窓を開いて、そこから身を乗り出した。

 

 

「え、ちょっ!! ――ええええええええええええええええええ!!」

 

 

 女の声が聞こえる。ここは五階だった。

 五階から飛び降りた後、見上げた。

 女とその他の生徒も、俺のことを見下ろしていた。

 その中には、リンもいた。

 

 

 俺は二本の指を立てて、挨拶した。

 

 

 そのまま一人校門に向かう。風が吹く。その流れに乗って、俺は姿を消した。

 

 

 

 

 

   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

「――ま、とは言ったものの」

 

 

 俺はミドルストリートという、学園を一望できる場所から、棒付き双眼鏡で、学校の入り口を覗いていた。

 

 

 リンが負けることは百パーセントありえない。

 十一歳のリン相手に、そんなことをするのはありえない。

 

 

 しかし、リンを狙う北翼(ほくよく)の存在もある。アイリスと話し合った時のように、リンを一人に絶対にしないとは言い切れないが、さすがに手が空いてるのに放置はしない。するようなら、こんな北頭(ほくとう)くんだりまでそもそもこない。

 

 

 まあこの機会に、あいつが堅気相手にどういう対応するのか見せてもらおうじゃないの。

 距離はあっても俺には唇の動きで相手が何を言っているのか十割わかる。

 場合によっては変装して忍び込むってのもありだな。

 盗賊王であるこの俺は、老若男女問わず、誰にでも化けれるからな――お。

 

 

 双眼鏡の縁を強く目に押し付ける。

 

 

 学習棟からリンが一人で出てきた。

 後から誰かが出てくるという様子もない。

 キョロキョロと周囲を伺い、一人校舎裏へと駆けていく。

 

 

『あの、リンは、それとは別に、やりたいことがあるので――』

 

 

 

 そういやあいつ、そんなこと言ってたな。

 

 あの時は深く考えなかったが、あいつのやりたいことってのは、何だ?

 

 

 双眼鏡を目から離して、腕を組む。

 

 頭の中で、朴訥の音が聞こえたような気がした。

 

 そして――一つの解答に思い至った。

 

 

「まさかあのバカ!!」

 

 

 俺は双眼鏡を鞄に詰め込み、学園に向けて跳躍した。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

リンの目的

 校舎裏。

 

 リンが一人で立っている。辺りをキョロキョロと見まわしていた。俺はそんなリンの後ろに立って、パキリと小枝を踏み抜いた。

 

 

 音に反応して、リンが振り返る。

 

 

「兄様!!」

 

「何してんだ、リン」

 

 

 尋ねると、リンがシュンと目を伏せる。その手には、俺が処分するように言って渡した封筒があった。

 

 

「お前っさー」

 

 

 目蓋を下ろして、リンを指さす。

 

 

 リンにはこれが偽装であると告げたはずだ。封を開いて見るまでもない。俺たち魔術師には、見鬼(けんき)と呼ばれる魔術によって、その時その場にいた魔術師の心情が大体わかるからだ。

 

 それは同時に、リンにもわかるという事実を示している。何故なら、リンも同じく魔術師なのだから。

 手紙をきちんと見鬼で見ていさえすれば、わかるはずだ。

 

 

 どうして見鬼(けんき)を使わなかった? もしくは使った上で、見抜けなかったのか? あるいは、そこまで頭が回らなかったのか?

 

 

 いずれか、あるいは全てを、尋ねようと思った。

 だがやめた。

 すぐに愚問であると悟ったからだ。

 

 

 見鬼(けんき)は確かに便利な術式だが、相手の心に土足で踏み込む非道な術でもある。だからリンは滅多に見鬼(けんき)を用いない。

 

 

 仮に用いて『嘘』とわかったとしても、こいつは多分ここに来る。

 

 

 もしもがあるかもしれないから。

 もしも自分の見立てが間違いなら――誰かが、傷つくかもしれないから。

 

 

 こいつは、リンは、そういう女だ。

 

 

「リン」

 

 

 近づきながら、俺は言った。

 シュンと顔を俯けていたリンが、顔を上げる。

 俺はそんなリンに手を向けた。

 

 

「手紙。貸せ。後は俺が一人で片付ける」

「えええええええええええ!?」

 

 

 リンが口元を両手で隠しながら、大層驚いた声を上げる。

 

 

「え、いや、なに?」

 

「いえその、兄様らしくないなと思って……」

 

「いや、それにしたって驚きすぎだろ」

 

「申し訳ありません。ですがその、相手の方も喜ぶと思います。断られるとしても、受け入れられるとしても、本人からの方が、よいでしょうから」

 

 

 何故か目を伏せながら、リンが言った。

 

 

「まあそんな相手いないけどな」

 

「そうなのですか?」

 

「だからー、これは偽装。残った二枚も偽装。そう最初に言っただろうが。俺は確かに見鬼(けんき)が得意じゃないが、この程度の魔力痕は読み取れる。

 でもまあ、それじゃお前は納得しないだろ? スイッチ入ったお前は絶対折れないし。だから、俺がササっと見てきてやるよ。だから、貸せ」

 

「……」

 

 

 リンはどこか煮え切らない様子で、視線を土に落としている。

 

 こいつ何か隠してるな……。

 

 そう思ったが、リン相手に見鬼(けんき)を使うつもりはない。

 

 今もこれからも。

 

 深い意味はない。

 

 ただお前が――

 

 

『強くなりたいんです。自分以外の全てを守れる強さがほしい』

 

 

 復讐ではなく、誰かを守るために力がほしいというならば、俺はその心ではなく、その言葉を信じようと、そう決めた。

 

 

「あの兄様。兄様さえよければ、あたしが代わりに出向きましょうか?」

 

「ほー」

 

 

 アゴを持ち上げながら、リンを見下ろす。そんな俺を見て、リンがあたふたと手を振った。

 

 

「いやその、もしもということだってあります。もしもこれが偽装なら、その……兄様が騙されているところは、あまり見たくないですし……」

 

「ふーん」

 

 

 俺が行かないと言うと道に反すと言い、俺が行くと言うと自分が行くと言い出す。かなり前後で矛盾が発生している。

 

 まあ発言の矛盾なんてのはそんなに珍しいことじゃない。こんなことでいちいち揚げ足とってたらキリがないというのは確かだ。だがしかし、理由は把握しておいた方がいい。

 

 

 焦っているのか自分にとって都合がいいように解釈を捻じ曲げているのか。まず、その二択。リンの場合――

 

 

 多分、両方だろうな……。

 

 

「わかったよ」

 

 

 足を踏み出して、リンとすれ違う。リンはシュンと顔をうつむけたままだった。

 

 俺はすれ違い様、落ち込むリンのお尻をフワリと撫でた。

 

 

「はわ!!」

 

 

 リンが飛びあがる。俺はそんなリンの隙をついて、もも、ついで、胸元に神速で手を伸ばした。

 

 引き抜いたとき、俺の手には手紙『四通』が挟まっていた。

 

 リンが赤い顔で、尻を押さえながら俺を睨んでいる。

 

 

「……兄様。セクハラです」

 

「なんと言ってもらっても結構。それより、これはどういうことかな?」

 

 

 俺は、抜き取った封筒を扇状に四通広げた。

 

 それは、リンにとってわかりやすいようにであったが、俺が見易いようにするためでもあった。

 

 見鬼(けんき)。手紙に向けて発動させる。

 

 感情の内訳は『嘘』『嘘』『嘘』『愛』

 

 やはりな。

 

 思いながら、見鬼(けんき)を解く。

 

 俺の下駄箱に入っていたのは四通。数は合っている。ただし、リンの手にある一通を、カウントしなければの話である。

 

 これだと合計五通になる。数が合わない。どういうことなのか。

 

 答えは明白だった。

 

 

「お前も貰ってたのか。というか、引けか? 俺がお前の動きを見過ごすとは思えねえ」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

教えろよ

 愛の手紙だけをリンに返して、俺は言った。

 

 リンが黙って、向けられた手紙を受けとる。

 

 俺はため息を一つついた。

 

 

「お前っさー、俺のなんかどうでもいいから、自分の先に片付けてこいよなー。可哀想だろー。せっかく勇気出して書いたんだからさー」

 

「ですが……」

 

「あ、もしかして、行った先で変な奴が待ってたらとか思ってる?」

 

「えぇ!?」

 

「いやいや、お前の場合、待っている相手がガキなら健気ですむが、大人ならかなり危ない男ということになってしまうからな。どうするよ、駆けつけて、待ってるのが結構年いってるのだったら。年いった用務員がお前の魔力操育の姿見てとかさ。あっはっは。傑作だ。なあリン」

 

 

 尋ねると、リンは眉を鋭角にして俺を睨み付けていた。リンが俺に歯向かうことはかなり珍しい。あるとしたら大体誰かのため。

 

 とはいえ、それで折れる俺じゃない。当然だ。義妹相手に折れる道理がない。

 だから俺は、そんなリンを笑って見つめ返した。

 

 するとリンは、怒っても無駄だと察したか、何も返さず目を伏せる。

 

 

「その……」

 

「何だよ」

 

「こういったものは、お断りしてもよいものなのでしょうか?」

 

「え!! 何で断る前提なんだよ。ひっでーやつだな、お前。会ってみたら、意外といいかもなって、思うかもしれないだろ?」

 

「いえ。リンは絶対に思わないと思います」

 

「え? 何で?」

 

「いえその……何でも、です」

  

「ふーん。じゃあそう言ってやればいいんじゃね?」

 

「どう言えばいいですか?」

 

「お前とは合わないと思います。ごめんなさい」

 

「えぇ!?」

 

「何だよ。事実だろ?」

 

「ですが、もう少し言い方というものがあると思います」

 

「そこまで言うなら自分で考えろ。何もしない優しさほど周りにとって迷惑なもんはねえぞ」

 

「……はい」

 

 

 リンがシュンとした顔で目を伏せる。

  

 余談だが、リンが俺を見ていない時というのは、大体俺がやりすぎている時である。

 今回もリンは俺を見ていない。もしかしたら、またやりすぎたのかもしれない。

 

 

「リン!!」

 

 

 どんよりと歩くリンの背に、声をかけた。

 

 リンが振り返る。

 

 俺は、呼びかけたはいいものの、実は何も考えてはいなかった。

 

 目を上向け、紅い空と、流れる雲を見つめた。

 

 

「あーっと、兄様は、人を待つのが嫌いなんだ」

 

 

 この話の出だしはまずいと、自分で思った。

 

 だがここで切ったら、この話はここで終了である。

 

 

 何より――

 

 

 どうして俺が恥ずかしがることがあるというのか?

 相手はただの十一歳。

 

 

 仮に俺が『好きだ』とこいつに言ったところで、冗談にしかなりえない。

 その程度の小童ではないか。

 

 

 いつからこんなに意識をし始めたのか?

 わからない。

 そもそも、意識しているのかどうかも、わからない。

 多分ありえない、いや、あってはならないことだからだろう。

 

 

「まあ待たなきゃいけない時は待つけどな。それでも、いつまでも待っていたくないってのが本音だ」

 

「……」

 

「――断る理由にしてくれていいぞ」

 

 

 空を見ていたので、リンの顔は見えなかった。

 

 無言だったので、リンかどう思っているのかはわからなかった。

 

 ただ静かに、時が流れる。

 

 

「待っていて……いただけるのですか……?」

 

 

 目を向ける。

 

 リンが口元を押さえながら、俺のことを見上げている。

 

 頭をガリガリとかいた。

 

 

「俺は――待つのは嫌いだが、お前を待つのは、嫌いじゃねえよ」

 

 

 本音であった。

 

 はぐらかそうかと思ったが、はぐらかすことそのものが、恥だと思った。

 

 さっきも言ったように、俺がリン相手に照れる理由はどこにもない。

 

 

「はい!!」

 

 

 いつものように、リンがくすぐったそうに笑う。

 

 その笑顔を見て、俺はまた目を上向けた。

 

 

 

   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 手紙の指定場所に誰もいないことを、高い位置から双眼鏡で確認した俺は、校門の前に立っていた。

 

 リンには今日の朝、俺の魔力を込めた指輪を渡している。

 銀具化してないので持続時間こそ短いが、魔力が切れないうちは、リンの居場所がわかるようになっている。

 

 五。四。三。

 

 頭の中で数える。

 

 二。一。

 

 校門から飛び出してきた女が一人。

 

 長い栗色の髪が、後ろに伸びていた。

 

 

「よー」

 

 

 夕焼けを見ながら、リンに声をかける。

 

 

「兄様!!」

 

 

 目を向ける。

 

 顔が上気している。

 

 表情で、嬉しさを目一杯表現していた。

 

 俺は目を上向けて、空を見つめた。

 

 じゃあ帰るかと言って、しめてもよかった。

 

 だがその前に、どうしても言っておきたいことがあった。

 

 

「リン」

 

「は、はい!!」

 

「よかったのか?」

 

 

 歓迎会の件。告白の件。

 

 俺は、リンには陽の当たる生活が相応しいと、確信している。

 

 それでも、行けよ楽しいからと、強制するものでもないと思っていた。そんな奴がいたら、ただただ鬱陶(うっとう)しいだけだろう。

 

 道は、自分で選ぶもんだ。自分が求めていることを一番知っているのは、自分しかいないのだから。

 

 しかし他者から見て、大人から見て、本当にそれでいいのかと、聞きたくなる時ってのは、あるもんだ。

 

 俺にとって、それが今だった。

 

 

「……よかったです」

 

「そうか」

 

「兄様と一緒に帰ることができて」

 

「え?」

 

 

 振り返る。

 

 リンが、いつものように、くすぐったそうに笑っている。

 

 

「だって、兄様との初めての登下校ですから」

 

 

 何言ってんだ、こいつ……。

 

 不覚にも、顔が緩んだ。

 

 そんな自分に腹が立った俺は、リンの頭に、置くようにして、手刀をお見舞いした。

 

 頭に手を置きながら、リンが俺のことを見上げてくる。

 

 俺は目をそらしながら、口を開いた。

 

 

「アホなこと言ってんな。とっとと帰るぞ、リン」

 

「はい!!」

 

 

 リンが後からついてくる。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 ――リンが、俺に好意を持っていることは知っていた。

 

 

 そりゃそうだろう。

 

 これで気づかないようなら脳みそが溶けている。

 

 だが、これで受け入れるようなら、そいつはもっと、脳みそが溶けている。

 

 俺は二十二。リンは十一。

 

 いつかはぶった切れる関係だ。

 

 ぶった切れなきゃいけない関係でもある。

 

 

 歩道を二人で歩く。

 

 特に会話はなかった。

 

 俺は別に話すことが得意なわけではない。得意になろうとも思わない。

 

 視界を上げた先。真っ赤な夕焼けが広がっていた。眩しいからか、目を細める。

 

 

 俺は、基本的に人の名前を呼ばない。

 

 呼んでも、どうせ消えるならと、いつの間にか人の名を呼ぶのをやめていた。

 

 リンのことはいつかは消えると知りつつも、呼んでいる。

 

 (リン)という字をつけたのは俺だったし、リンには大きな借りがあった。

 

 何より、こんなガキ消えたところで何とも思わないであろうと、当時の俺は思っていたのだ。

 

 だが、今は――

 

 

「なあリン」

 

「え? はい」

 

 

 リンが振り返る。

 

 

 夕焼けの神秘性がそうさせるのか、こいつも夕焼けと一緒に消えてしまうんじゃないかって、そう思った。

 

 だからだろうか。

 

 

「覚えてるか? 今日の朝言った、夢の話」

 

「え、えと……はい」

 

 

 視線を伏せながら、リンが答える。

 

 リンはこのことを蒸し返されたくないらしい。

 

 しかし、俺は続けた。

 

 

「お前……初めて俺に会った時、何て言ってたんだ?」

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

あの時言えなかった言葉

「教えとけ」

 

「ですが……」

 

「覚えときたいんだよ。全部は無理でも、最初に交わした会話ぐらい、覚えときたいだろ?」

 

 

 リンが消えることはない。

 

 しかしこの関係が消える時は必ず来る。

 

 死か。あるいは他者への恋慕か。

 

 いずれにせよ、俺とこいつの道が、二つに分かれていることだけは、知っている。

 

 

「……わかりました」

 

 

 少しの沈黙を挟んだ後、リンが言った。

 

 俺は無言で言葉を待った。

 

 みんな消えていくなと思う。

 

 まあリンの消え方は、まだいい。きっと、俺以外の背を見るという消え方だ。

 

 いや、俺が必ずそうする。

 

 北翼(あいつら)との決着が済んだ後でな。

 

 人に道を決められるのはクソだ、なんてさっき言ってはみたけれど、俺の道がクソなのは疑いようがないわけで。

 

 だから、時々交わることがあっても、皆途中でリタイアしてしまうのだろう。

 

 ――正解だと思うぜ。

 

 俺はこの世界じゃないと笑えないから、ここにいるんだけどな。

 

 多分、死ぬまでずっと。

 

 

「じゃあ、耳を貸してください」

 

 

 目を向ける。

 

 リンは赤い顔でモジモジしなから、目を背けていた。

 

 

「え?」

 

 

 ちょっと何を言っているかわからず、俺は尋ねた。

 

 リンはと言うと、赤い顔で髪をイジイジしながら、目を背けている。

 

 

「だ……誰にも聞こえないように耳打ちしますから。耳を貸してください」

 

 

 内緒話でもするように、リンが小声でせかしてくる。その顔の赤さは多分、夕焼けのものだけではないはずだ。

 

 俺は眉間に手を置いて、たっぷり呆れた。

 

 

「誰も聞いちゃいねえよ、そんなもん。いいからとっとと言え。これは上官命令だ」

 

「やです」

 

 

 プイと顔を反らして、リン。長い栗色の髪が弧を描く。

 

 

「あのなあ」

 

「あ、あたしも組長に言われてます。自分のことを周囲に漏らさないようにって。だから耳貸してくれないなら、リンもこのことは兄様には言いません」

 

 

 頬を膨らましながら、リンが言う。

 

 しかしその顔は、怒っているというより、何か、別の気持ちをこらえているようにも見えた。

 

 前にも言ったが、リンが自分のことを名前で呼ぶときは、誰かに甘えたいときなのだ。

 

 そうしてほしいと、心から願っている時、リンは自分のことを名前で呼ぶ。

 

 ――まあ、俺もシンプルに気になるしな。

 

 

「わかったよ」

 

 

 顔も見ずに、俺は言った。だから、その時リンがどんな顔をしているのかは、わからなかった。

 

 

 足を止めて、リンに耳を近づける。

 

 リンの匂いがやってきた。

 

 くすぐるように、手を耳元に添えられる。

 

 リンの息遣いが、耳元で聞こえた。

 

 そして――

 

 

 

 

 

 

   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

「あなたも……ここにいる人たちと、同じなんですか?」

 

 

 二年前。

 

 隠し地下牢の中で、あたしは兄様にそう言った。

 

 あたしをさらったのは、北翼(ほくよく)の人たちだった。その時、あたしの母と父、兄と姉を殺したのも、北翼(ほくよく)の人たちだった。

 

 そして、兄様の出身地もまた、北翼(ほくよく)

 

 兄様は東尾(とうび)でも有名で、あたしのような田舎者でも、兄様のことは知っていた。

 

 だから言った。

 

 一言で言えば、八つ当たりだ。

 

 さらった人間にも、自分にもあたることができない、弱き存在。

 

 それが、二年前のあたし。

 

 兄様は、そんなあたしを見て、笑った。

 

 

「ああ。――極悪人だよ」

 

「ヒョウ」

 

 

 有火(あるか)姉様の言葉を、兄様が片手で遮った。

 

 

「普通、人をたたっ切ると、少なからず心ってやつが痛むらしいな。俺は多分、お前をさらった連中の倍以上殺して来たんじゃねえかなー。生きるためでもあったが、楽しむ意味もあった。その中には善人もいただろう。殺すに値すると思った時はガキでもやった。それでも、心を痛めたことは一度もない」

 

 

 二年一緒にいるからわかる。

 

 兄様は本来自分を語らない。

 

 そもそも人と話すこと自体が、そんなに好きではないのだと思う。

 

 いつも笑っていらっしゃるから、多くの人が勘違いしているけれど。

 

 本当の兄様は、わりと無口な方なのだ。

 

 

「仲間と思える人間が死んだことも何度となくあった。それでも、涙一滴零れやしねえ」

 

 

 そんな兄様が、自分を語る。

 

 それは、兄様が揺れている時なのだ。

 

 愚痴を言うのも言われるのも嫌い。説教するのもされるのも嫌い。

 

 誰かに支えられることも、甘えることもしない兄様だけれど、時々こういう弱みを見せる。

 

 それはいつも、東尾(あたしたち)と、自分の違いを知った時。

 

 

「お前みたいな弱っちい、哀れな奴を見てると俺はな――どうしようもなく、笑っちまう」

 

 

 口元に巻いた黒包帯の奥で笑いながら、兄様が言った。

 

 しかし――

 

 

「アホ」

 

「バッカねえ」

 

 

 即座に、兄様に向かって、二つの罵声が突き刺さった。

 

 壁にもたれかかっていた有火(あるか)姉様が、音も立てず、兄様に向けて足を動かす。

 

 

「人を斬って心が痛まない? 仲間が死んでも涙が零れたことがない? 何を洒落たことで、心痛めてるんだよ、らしくない。

 お前は、逆境だろうと順境だろうと、笑って対峙する。そして勝つ。ふざけた男だ。しかし、お前のような男を光だと思っている人間も、少なからずいる。うちみたいな隊だと特にな。

 ま、あたしは違うがな」

 

 

 兄様と肩を並べて、有火(あるか)姉様が言った。

 

 そして。

 

 コツンと、雪姉様が、鞘のまま抜いた刀で兄様の頭を小突いた。

 

 

「大体ねえ。囚われのお姫様を救いに来た男がさー、悪党斬って心痛めてたり、仲間の死で泣いてたりしたら嫌じゃん? 

 あんた捕まってる子みたら笑えるって言ったわよね? だったらその笑った顔で、別のこと言ってみなよ。『助けにきた』とか『よく頑張った』とか『怪我はないか』とか。

 それが言えたらあんた、メチャクチャかっこいい男だよ。ま、あたし基準では、あるけどね」

 

 

 あたしは――

 

 あたしは、この時のことを、とてもとても後悔している。

 

 どうしてあたしは、兄様にあんなことを言ってしまったのだろう。

 

 二人に及ばないのは仕方がない。

 

 今ですら及んでいないのだから。

 

 それでももっと、他に言葉はあっただろうに。

 

 酷いことを言ってしまったと思った。謝りたいと思った。

 

 だけど今は――

 

 有火(あるか)姉様と、雪姉様に、ちょっと嫉妬してる。

 

 

東尾清女(とうびせいにょ)からかけ離れたお前らに、どうこう思われてもねー」

 

 

 肩をすくめて、兄様が笑った。

 

 怒る有火姉様と、ため息つく雪姉様。

 

 兄様はしばしヘラヘラと笑った後、ポツリと口にした。

 

 

「ただまあ――よかったと思うぜ。無事で」

 

「お!!」

 

 

 耳ざとくその声を聞き取り、声をウサギのように跳ねさせる雪姉様。

 

 声だけで楽しんでいることがわかる。

 

 兄様を怒らせるには、十分すぎる。

 

 

「るっせえぞ、雪女!! いいかクソガキ!!」

 

 

 あたしを指さして、兄様が言った。

 

 

「助けにきたのはこいつらだ!! 頑張ったのはお前だ!! そして、怪我がなかったのはお前が色気のないガキだったから!! 以上!! わかったらどけ!!」

 

 

 兄様が、強引に雪姉様をどかして階段を登っていく。

 

 頬を膨らますあたし。消える兄様。そして膨らましたあたしの頬を、瞬く間に間を詰めた雪姉様が、指で押して萎ませた。

 

 その抜き足の速さに驚くあたしに、雪姉様が笑いかける。

 

 

「あんたも。こういう時は『ありがとう』ぐらい言わなきゃね。

 男はお姫様の一言で、いくらでも頑張れるものなんだからさ」

 

 

 立ち上がり、雪姉様がウインク一つ。

 

 

「ユキ。そんな台詞決めるぐらいなら、服ぐらいどうにかならなかったのか? そんな布一枚で出歩きやがって。目に毒だ」

 

 

 有火姉様が言った。

 

 

「あ、やっぱしー? アッハッハッハ」

 

 

 雪姉様が、お腹を抱えて笑う。

 

 笑う時、下ろした目蓋が、目の下に長い(まつげ)を並べている。

 

 あたしは――

 

 綺麗だと思った。

 

 雪姉様は、本当にいつもいつも楽しそうに笑う。

 

 それでいて、強く、楽観的なのに、言葉にはいつも重みがあった。

 

 聞いたことはないけれど、兄様は、雪姉様みたいな人が好きなんじゃないかと思ってしまう。

  

 あるいは、男の人はみんなそうなのかもしれない。

 

 あたしと雪姉様は、対極だ。

 

 雪姉様と比べる以前に、昔の言動を悔いる以前に、あたしが兄様を好きになるなんて、絶望で、何より罪であることも知っていた。

 

 だけどあたしは――

 

 

 雪姉様にも、誰にも、負けたくない。

 

 

 あれから二年経った。

 

 あたしは――

 

 ソッと、爪先を立てた。

 

 背はちょっとしか伸びなかったし。

 

 誰にも聞こえないように、兄様の耳に手を添える。

 

 強さも、雪姉様には遠く及ばない。背丈等々は言わずもがなだ。

 

 それでも届いている。一歩一歩。

 

 だったら、諦めたくない。

 

 兄様のことが、好きだから。

 

 そんな言葉さえ、今は罪だけれど、いつかは――

 

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 リンから耳を離して、目を向けた。

 

 リンは赤い顔をして、俺を見つめている。

 

 リンの言った言葉は『ありがとうございます』だった。

 

 確かにあの状況なら、そう言っていてもおかしくない。

 

 ありがちな定型句で、俺が忘れているのも道理である。

 

 しかし――

 

 

「お前本当にそんなこと言ったんだろうな?」

 

「え? 知りません」

 

 

 笑いをこらえるような声で、リンが言った。

 

 

「ああ!?」

 

 

 こっちは真剣に聞いていたんだ。

 

 それをこんな冗談で返されたら、イラつきもするってなもんだ。 

 

 リンは素知らぬ顔で足を回して、俺にその小さな背中を向けた。

 

 

「昔のことすぎて、リンももう忘れちゃいました。ただそんなこと言ったかなーって、そんな気がしただけです」

 

「ふーん」

 

 

 嘘くせえ話だ。

 

 でもまあいっかと思った。

 

 こいつがそう言うなら、それで。

 

 真実を暴くのが、常に正しいとは限らない。

 

 

「そう――」

 

「だけど」

 

 

 俺の言葉を遮るので、リンを見た。

 

 リンは未だ俺に背を向けている。

 

 

「だ、だけど、いつか――その、思い出す日が、くるかもしれません」

 

 

 たどたどしく話すリン。

 

 顔を持ち上げ、夕焼けを見ていることしか、わからない。

 

 ただ、多分、顔を赤くしながら言ってんだろうなって思った。

 

 

「だから……」

 

 

 俺は続く言葉を待った。

 

 

「だから……」

 

 

 中々言わない。

 

 俺は、自分が待つことが嫌いなことも忘れて、待った。

 

 しばらくして、リンが、夕焼けに染められた紅い髪を揺らしながら、振り返る。

 

 

「だから、その時が来るまで、リンのことずっとずっと、見ていてくださいね。兄様」

 

 

 目を開いた。

 

 ふと、今日のことを、思い出した。

 

 

『何故ってこいつは、いつもいつも俺のことを見てきているからだ』

 

 

 そうだったか……。

 

 気がついて、俺は笑った。

 

 足を回して、リンと肩を並べる。

 

 何と言おうか、迷った。

 

 足を数歩、先に進ませる。

 

 迷った挙句、頭に両手を置いて、逃げるように夕焼けを見つめた。

 

 

「ま、その時まで、気になってたらな」

 

 

 お前のことを。

 

 と、暗に含んだ気がした。

 

 きっと気のせいだと、思いこんだ。

 

 そんなわけ、あるものかと。

 

 

 

 

 

 

「――はい!!」

 

 

 

 

 

 

 リンの言葉が、耳孔を打つ。

 

 振り返った。

 

 リンの顔を見て、俺は自分の口元が緩むのを感じた。

 

 俺はいつだって笑ってる。

 

 順境でも、逆境でも。

 

 だがこの笑みは、それらとは違う種類のものだった。

 

 これに取り込まれると、俺が俺でなくなる。

 

 そう思った。

 

 

「あで」

 

 

 リンが言った。

 

 俺がリンの頭を手刀で打ったからだった。

 

 

「どうかなされたのですか?」

 

「ん? 言葉にならなかったから、行動で表してみたのさ」

 

 

 笑って応えた。

 

 嘘はつかなかった。ただ核心に触れなかっただけだ。嘘は、隠すのではなく、話さないことが、バレない秘訣だからな。

 

 リンが頬を膨らまして見上げてくる。

 

 しかし、すぐに頬を萎ませて、リンもまた笑う。

 

 

「ちゃんと、いいこと言おうとしましたか?」

 

「ああ」

 

「ふふ。じゃあ許します」

 

「ついでに、叩きやすい位置にもあったしな」

 

「それは許さないです……」

 

「冗談だよ。あーそういやカーテン買って帰らないとなー。後コーヒー豆と――」

 

「コーヒー豆とはなんですか? 兄様」

 

「あーお前コーヒー知らないのか。コーヒーってのは、子供が飲める酒みたいなもんだ。要は大人の飲み物よ」

 

「そのような飲み物があるのですね……」

 

「よし!! 家に帰ったら、兄様が最高においしいコーヒーを飲ませてやるぞ!! 感謝しろよ、リン!!」

 

「ふふ、楽しみにしています、兄様」

 

 

 夕日に向かって二人で歩く。

 

 ふと意味もなく振り返る。

 

 歩道に二人の影が伸びていた。

 

 笑った。

 

 伸びた影は、どちらも、人の形をしていたから。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

邪魔すんな(三人称)

 白魔術室。

 煙草をふかしながら、ホイットニーはアイリスのことを見つめていた。

 

 

「で、報告は?」

 

 

 尋ねると、アイリスが、自分も他者も嘲るように冷笑した。

 

 

「語学研修」

「は?」

 

 

 口から煙草を離して尋ねた。

 アイリスは無表情のままだ。一流の魔術師は感情を表に出さない。

 

 笑っているように見えても、アイリスのそれは九割愛想笑いだ。アイリスが素で笑うとしたら、よっぽどのことである。

 

 

「語学研修だそうですよ。彼ら二人の目的は」

「……あんた、それを真に受けて戻ってきたの? 他にわかったことは?」

「ないですね。本人がそう言っていましたから。それ以上の問答は無意味と思って、切り上げました」

 

 

 ホイットニーはガリガリと頭をかいた。

 ガキがと思う。

 年々若い奴が入ってくるが、年を経るごとに使えない奴が入ってくる。

 そんなことを言うと老害と思われそうだが、実際そうなのだから仕方がない。これを見れば明白であろう。

 

 イライラして、まだ半分も吸っていない煙草を、灰皿の上に押し潰した。

 

 

「まあいいわ。次はあたしがやる。もう帰っていいよ」

 

 

 犬でも追い払うように手を振った。

 

 

 まあそんなに難しい仕事じゃない。確かにヒョウは強いのだろう。だが(まと)は一つじゃない。

 

 

(任務は最低二人一組で動くのはどこの国でも同じ。だけどあんたらバランスが悪すぎるよ。これなら刺せる。ただ、策を打つとするならば――)

 

 

 ガン!! カランカランカラカラカラカラカラン。

 

 

 そんな時、灰皿が突如飛び上がり、震えながら机の上に着地した。

 ホイットニーも相当場数を踏んでいる。だから特に動揺することなく、目を向けた。

 アイリスは、人の机の上に土足を乗せながら、こっちを見下ろしてきていた。

 

 

「そうそう。もう一つわかったことがありましたよ。あの二人の間にあるものは、確かな絆です。それは、あたしが十七年、右を向いても左を向いても、絶対に見つけられなかったものです」

 

 

 一流の魔術師らしく、アイリスは怒っていても無表情だ。

 

 

「理由を聞くだけなら結構。彼らが凶行に走るようなら、喜んで止めましょう。説得になるのか、腕ずくになるのか、それはわかりませんがね」

 

 

 口調の抑揚も一切変化なし。

 だがしかし。

 

 

 アイリスが続く句を結ぼうかというその時、ホイットニーの総毛が、ゾッと逆立つ。

 アイリスの蒼い瞳が、これでもかというほど、見開かれていたから。

 

 

「しかし、万が一あの二人の絆を断つようなマネをしたら。あるいは、利用するようなマネをしたら。ホイットニーさん。あたしはあんたら全員――潰すよ?」

 

 

 バキバキと、周囲の鉱物にヒビが走る。台の上に置いた花瓶が砕け、床の上にヒタヒタと水を零している。

 練魔(れんま)。魔力を増幅する青魔術。鉱物は魔力に反発するため、一流の魔術師が魔力を練り上げると、そこらの鉱物にヒビが走る。

 

 

 これはつまり、アイリスの力を物語っている。

 アイリスは魔術の腕だけなら自分より上なのだ。いや多分、アーサーよりも上手だろう。伊達に魔術師名家を出ていない。

 しかし子供だった。

 

 

 なまじ腕が立つ分、アイリスという存在はシンプルに危険物に過ぎない。それでも上が使えと言えば使わなければならないのだから、ほんとこの国の人事部はゴミしかいない。

 

 

「花瓶が割れちゃいましたね。あたしが力を入れるとすぐこうなっちゃうんですよ」

 

 

 パチン。

 アイリスが指を鳴らす。

 

 呪に反応して、零れた水が宙に浮く。大小様々な水泡が砕けた花瓶と花を包み込み、それらをアイリスの元へと運ぶ。

 浮遊する水泡から、アイリスがスッと花を抜き取る。そして、その薄紫の花弁を、口元に当てた。

 アイリスは美人である。というか魔族は皆綺麗なのだ。だから、その紫陽花が嫌味なほど似合っていてムカついた。

 

 

「この花は、花瓶と一緒に今度弁償しに来ます。だから、また優しくしてくださいね? ホイットニー曹長」

 

 

 バタン。

『表情』に似合わずぬいぐるみをジャラジャラつけた鞄を背負って、アイリスが白魔術室から退出した。

 ホイットニーはポケットから煙草を取り出し、先端に火をつけた。

 

 

「まあいいか」

 

 

 ホイットニーが笑う。

 

 

「いずれにせよ、相手も知らずに策を打つのは下策中の下策だからね」

 

 

 紅を縫った口から煙を吐き出す。

 

 

「だからまずは、あんたのことをもう少し教えてもらおうかな? リティシア=ヒョウくん。いや――決死組!」

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 夜の二十二時。

 

 

「しっ、しっしっしっしっし、しっ!!」

 

 

 本日ヒョウにやられたボーズ頭のチンピラこと、マルコは拳をふっていた。

 

 庭におっ立つ巨木には、拙い絵が張りつけられている。黒い髪に眼鏡。そう。ヒョウの似顔絵だった。

 それは殴られすぎて、グシャグシャになっていた。

 

 

「しっしっし、ししししししし――」

 

 

 一心不乱に拳を振るい続けるマルコ。

 その後ろには、マルコの見目からは想像もつかぬほど、大きな家があった。

 マルコは金持ちの家の息子であった。というより、ヴァルハラ学園自体金持ちご用達の学園だから、当然でもあった。(特待を勝ち取ればその限りではない)

 しかし、その家は誰も住んでいないかのように、真っ暗であった。

 

 

「しっ!!」

 

 

 ダン!!

 

 巨木を殴りつける。

 

 手を離した時、ヒョウの似顔絵は散り散りになっていた。

 

 拳を口元にまで持っていく。

 

 気の充実が、己が魔力を炎のように揺らめかした。

 

 

「この借りは必ず返すぜ……眼鏡野郎……っ!!」

 

 

 高ぶった思いが声に出る。

 

 そんな時であった。

 

 

 カタン。

 

 

 郵便受けから音がして、駆け寄った。

 しかしそこには誰もいない。

 

 

(こんな夜遅くに誰が……)

 

 

 投函された様子の郵便受けを開いて中を見た。

 一通の手紙が入っていた。

 

 

 妹宛てであったが、あまりにも不穏であった。

 キョロキョロと辺りを見回してから、中を見た。

 

 

 そしてマルコは、目を見開いた。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 夜。

 ホイットニーは笑いながら、手を振るった。

 

 

 コロンとテーブルの上を転がる鉄の塊。

 ホイットニーが笑って白魔術室の明かりを落とす。

 

 

 暗闇の中、月明かりでうっすら光る、鉄の塊。

 それは――

 

 

 ヒョウがあの時撒いた、マキビシであった。

 

 

 《あの時言えなかった言葉 了》



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三章 貴女が盗んだものは
対価で返せ


今回から三人称になります。申し訳ない。


 放課後、学園長室に呼び出されたヒョウは、ソファーに座っていた。

 

 

 学園長は、上座の席に座っている。机の前に両肘ついて、口元を隠していた。 

 

 

 額には油汗。今は四月でやや涼しい。更年期障害ってやつなのか、あるいは自分を恐れてなのか。  

 

 

 まあ後者と考えるのが自然か。

 

 

「で? 俺に用ってのは?」

 

「君は先日、マルコくんと問題を起こしたそうだね?」

 

「ああ。あいつが突然喧嘩売ってきたもんでな。振りかかる火の粉を、ちょいと払ったまでのことさ」

 

「話には聞いている。彼の問題行動はあれが初めてではない。故に、彼は停学処分とすることにした。次に問題を起こせば、退学だ」

 

「そうか。いい判断したと思うぜ、学園長さん」

 

「しかし、君にも何らかの処分は下さねばならない。それでこそ、上に立つものとしての、公平な判断というものだ」

 

「ふっ。まあ間違ってはないかもな。で? 俺に下る処分ってのは?」

 

「善行」

 

「善行?」

 

「そうだ。魔術師として、悪事を働いた分の善行をしてもらいたい。いわゆる、対価で返す、というやつだ」

 

「俺は対価で返す、清流派魔術師じゃないんだけどねー。まあいいや。つまり、俺に何か解決してほしい案件があるってことだな?」

 

「端的に言ってしまえばそうだ。――入りたまえ」

 

「失礼します!!」

 

 

 気持ちのいい声がして、扉が開く。

 

 ヒョウが目を向けた。

 

 そこにいたのは、ピンク色の髪をした獣人(フェルナンテ)。こいつは――

 

 

『何だこりゃ』

 

 

 あのときのマキビシを拾っていた女。そして――

 

 

 

『すげえよ、あのミーティアちゃんに勝っちゃったよ』

 

 

 あの時、リンと最後まで競い合っていた、高跳びの時の女……か。

 

 

「……」

 

「ども―、リティシア=ヒョウさん」

 

 

 跳ねるような口調で、女が言った。

 

 

「こいつがどうかしたのか?」

 

「詳しくは彼女から聞いてもらいたいが、彼女は今ちょっとした問題を抱えていてね」

 

 

 フェルナンテの女を見る。

 

 少女はニコニコと笑っていて、特に『被害者』という面はしていなかった。

 

 

「とりあえず、前座れよ。茶も出ないところだけどな」

 

 

 横柄な口調と格好で、ヒョウは笑った。

 

 

   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「でさー、今ボクが抱えている問題っていうのは――」

 

「ちょっと待った」

 

 

 正面のソファーに腰掛けたミーティアの話を、ヒョウは早速へし折った。

 

 

「え?」

 

「お前、男なの?」

 

「えぇ!? 男の子に見えるかな? 身体つきはいいって、一部じゃ評判なんだけど……」

 

「いや、一人称」

 

「あー、この口調は、今のボクのマイブーム。可愛いでしょ?」

 

 

 やめた方がいいんじゃない? と言おうと思ったが、やめた。

 

 余計なお世話ってなものだし、一応この一人称でも形になるほど、容姿端麗だってのもある。

 

 フェルナンテと魔族は、見目が綺麗なものが多いからな。

 

 

「で? どういう被害なんよ。言ってみ?」

 

「なんかねー、欲しいって言ったら、家にそれが贈られてくる」

 

「めっちゃいいじゃん」

 

「でしょうー」

 

「はぁ?」

 

「あーいや、何かさ、人に話したら、それ絶対危ないってみんな言うから、ちょっと相談してみようかなーって」

 

「ふーん。まあ確かに危ないだろうな。無償の好意なんてものはありえねえ。その物を贈ってきている奴は、今頃お前の恋人気分なんじゃねえか?」

 

「えぇ! それはちょっと困る」

 

「八方美人のツケが回ったな」

 

「普通に楽しく過ごしてるだけだよー」

 

「それが傷なんだよ。心当たりは?」

 

「なし」

 

「お前が○○が欲しいと言ったものが贈られてくるのなら、お前が○○が欲しいと告げた相手が犯人だ。何人に告げた?」

 

「数えきれないぐらい」

 

「迷宮入りだな。あきらめろ」

 

「うわああああああああああストップストップストップ!!」

 

 

 ミーティアが困ったように手を上げるので、ヒョウは少し眉を持ち上げた。

 

 

(そこまで事件解決に躍起になっているようには見えなかったが……)

 

 

 ミーティアが指を一本立てる。

 

 

「告げた相手が犯人って言うけどさ、送られてくる物ほとんど今流行っているものなんだよ。ボクって流行に敏感だから」

 

「ふーん。いつから送られてきている?」

 

「え?」

 

「そこが起点なんだよ。知り合いじゃないなら、その日より少し前にお前と犯人は出会っているはずだろ。そこに、犯人がお前に執着するだけの何かがあったんだよ」

 

「うーん。何かあったかなー」

 

「ないのであれば知り合いなのかもしれん。どっちにしろこの問題は早期には解決できない。なので罠を張ることをすすめる」

 

「え、どんなどんな?」

 

「例えば、お前が口をつけたビンをその辺に放置。それを捨てるでもなく、盗んでいく奴がいたらそいつが犯人である可能性が極めて高い」

 

「うわー気持ち悪い。しかも違う可能性あるのがマイナス五百点。他にはないの?」

 

「であれば、らしい人間を捕まえて、お前が〇〇がほしいと言う。この〇〇は、雑誌なんかに乗っていないものにする。他の人間には言わない。それを繰り返す。届いたとき、それを言った相手が犯人だ」

 

「うえー。気が遠くなるー。ボク待つの好きじゃないんだ。他にはないの?」

 

「一遍死んでこい」

 

 

 ヒョウは告げて、そのまま出口へと向かった。

 

 

「うわああああああああああストップストップストップ!! それにさ、こういうものもうちに届くようになったんだって!! 本当に一刻の猶予もないの、本当に!!」

 

 

 振り返る。

 

 ミーティアは、手に持った何かをピラピラと振っていた。

 

 ヒョウはため息ついて、踵を返し、ソファーの手すりに腰かけた。

 

 

「見せてみろ」

 

 

 ミーティアが紙を渡してくる。

 

 

 ヒョウはそれを、見鬼(けんき)を通して見据えた。

 

 

『そろそろお金がなくなりそうなので、いただきにまいろうと思います』

 

 

 文章は新聞の文字を一文字ずつ切り抜いて作られている。

 

 しかしヒョウが着目していたのは、文面ではなく、魔力痕。

 

 魔力痕とは、魔術師が残した痕跡のことである。

 

 魔術師がまとっている魔力は、死念半分思念半分で構成されている。

 

 すなわち魔力の半分は術者の思念(かんじょう)で構成されており、一流の魔術師は、魔術師が残した痕跡から、その時魔術師がどういう感情であったかを読み解ける。

 

 そして、その読み解く術のことを見鬼(けんき)と呼ぶ。

 

 

 ――が、ヒョウの腕をもってしても、この手紙から痕跡を抜き取ることは叶わなかった。

 

 

 要するにわからない。正確に言えば、その時魔術師が、どういう感情であったかがわからない。

 

 同じではないか。普通の人間なら思うだろう。しかし、ヒョウは普通ではない。プロだ。

 

 ヒョウは、合点がいったとばかりに、紙を叩いた。

 

 

「欲しいものが届くと言ったが、そのことを誰かに話したか?」

 

「話したよ」

 

「話した相手に同級生はいたか?」

 

「いた」

 

「家族は」

 

「多分知ってる」

 

「執事やメイドのようなものには」

 

「そっちから聞いたから知ってる」

 

「部外者には?」

 

「うーん。範囲が広いなー」

 

「他人。近所のおばちゃん。駄菓子屋のオヤジ。友人の身内。その辺に落書きしての自己主張」

 

「ない。ない。ない。ない。ない」

 

「なら、魔導師には?」

 

「え? あ、う、うーん、は、話したかなー?」

 

 

 振り返る。学園長を見た。学園長は脂汗をたっぷり流し、両肘ついた手で口元を隠している。

 

 

 やはりな。

 

 

 ヒョウはこの段階で、この事件のオチ七割を読み切った。

 

 

 しかし、問題なのは、残りの三割。

 

 

 見鬼(けんき)で見たところ、ミーティアは『嘘』をついていない。つまり、本当に贈り物は送られてきているのだ。

 

 ただのストーカー犯罪《?》という可能性も十分に考えられる。

 

 だが――

 

 

「おっさん。封筒持ってるか? この紙が入りそうなやつでいい」

 

 

 脅迫状をヒラヒラと振って、ヒョウが言った。

 

 

「あ、ああ。あるにはあるが……」

 

 

 引き出しを開いて、学園長が言った。

 

 ヒョウは脅迫状を裏向きにし、指先で何やら綴った。

 

 空筆。魔力で空間、あるいは物質に文章、模様などを綴る青魔術。綴られた文章は、見鬼(けんき)を用いないと、見ることはできない。

 

(絶対ではない。しかし、これが活きる時は必ずくる)

 

 それを四つ折りにして、胸ポケットの中にしまった。鞄を持って、ヒョウが立ち上がる。

 

 

「お前、今日暇か?」

 

「あ、やってくれんの!? 助かるー」

 

「深読みしなけりゃ犯人はまずただのストーカーだ。よって、今日一日お前と行動を共にして、犯人を釣る」

 

 

 話しながら、学園長の元に向かった。学園長は、額に汗をかきながら、封筒を机の上に置いている。

 

 

「サンキュ」

 

 

 言って、ヒョウはそれを受け取る。

 

 

「ペンはあるか?」

 

「ここにありますが」

 

「借りるぜ」

 

 

 封筒の裏に文を書く。それを見た学園長は、目を飛び出さんばかりに見開いていき、パンと口元を両手で押さえる。

 

 そんな学園長を、ヒョウは細くした瞳で見据えた。

 

 話したらお前を殺す。そう暗に訴えた。

 

 校章が入ったその封筒に、脅迫状を入れることなく、別ポケットにしまう。 

 

 

「釣るってつまり、どうするの?」

 

 

 あごに指先を添えて、小首を傾げるミーティア。 

 そんなミーティアに、ヒョウがさも何でもないことのように、言った。

 

 

「要するに、擬似的に彼氏彼女の関係になるってことだ。ただし一日だけな」

 

 

「なるほどーって、ええええええええええええ!!」

 

 

   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 ガチャリ。

 

 扉を開く。

 

 扉の外で、リンが壁に背をつけ待っていた。

 

 

「兄様!!」

 

 

 顔を上げてリンが言った。

 

 

「あのなあリン」

 

 

 待っててもらって悪いなと、ヒョウが言おうとした時、手をとられた。

 

 とった相手はミーティアである。その瞬間、リンが目を見開くのが見えた。

 

 

「ゴメンね、リンちゃん!!」

 

 

 何しやがるとヒョウが口にするより早く、ミーティアが口を開く。

 

 そして、続けた。

 

 

「ボクとヒョウさんは、本日をもって、付き合うことになってしまいました!!」

 

「え」

 

 

 リンの目が点になる。

 

 そして。

 

 

「ええええええええええええ!!」

 

 

 リンの滅多に聞かない大音声が、響き渡った。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

考えとけよ

「なるほど。そういうことだったんですね」

 

 

 あの後、リンを屋上に呼び出して、ことの事情を説明したヒョウは、安堵の息をついた。

 

 

 何でって、このバカもといリンが頭を上げたのは、話が七合目を過ぎたあたりだったからだ。

 

 

 それまでリンはずっと顔を俯けていて、ヒョウはずっと慌てていた。何故かわからぬまま。

 

 

「ですが、ミーティアさんも大変ですね。その……誰かよくわからない人に、付きまとわれるというのは」

 

「……そうだな」

 

 

 リンは、北翼(ほくよく)の人間に狙われている。しかもその過程で、家族と幼馴染を殺されている。

 

 重みこそ違えど、リンには思うところはあるだろう。

 

 

「まあってなもんで、俺は今日一日あいつに付き合わなきゃいかん」

 

「一日で大丈夫なのですか?」

 

「俺は一日で片付けるつもりだ。ダラダラ長ったらしいのは嫌いだからな」

 

 

 まあ理由はそれだけじゃないけど。と、ヒョウは思ったが、口には出さなかった。

 

 

「ふふ」

 

「なんだよ」

 

「いえ。嫌いだからという一言で望みを叶えてしまうのが、兄様らしいなと思って」

 

 

 ヒョウはシニカルに笑いながら、目をそらした。ガリガリと頭をかく。

 

 

「あ、いえ申し訳ございません。その、困らせるつもりは、なかったのですが……」

 

「え?」

 

 

 ヒョウはリンに目を向けた。

 

 確かにヒョウは困っていた。というか、どう答えたらいいかわからなくなったのだ。

 

 ヒョウは先天性魔術師で、俗にいう魔族と呼ばれる存在だった。

 

 魔族は賢い。どれぐらい賢いのかは、九歳で三番隊の副長だった(らしい)、カルロを見ればわかるだろう。

 

 差別だと、騒いでいるわけではない。ただ時折、人間(リン)にできることと、魔族(じぶん)にできることの境界線がわからなくなって、戸惑う。

 

 そしてそんな時、不思議と笑みが零れるのだった。

 

 ただまあ、そんなことはどうでもよくて。

 

 

「どうして俺が困ってるって思うんだよ」

 

 

 ヒョウが尋ねた。そんなに態度に出ていただろうかと思ったのだ。確かに目こそ逸らしていたが、笑ってはいた。

 

 見破られる道理はないと思うのだが。

 

 

「あ、いえその、なんとなくで、言っただけなのですが……」

 

「何となくかよ」

 

「何となくですが、兄様のことはわかります。二年間その……見てきましたから。兄様のことを」

 

 

 両手で口元を隠しながら、リンが言った。

 

 ヒョウはまた目を背けて頭をかいた。だったら今の気持ちも読んでみろと言いたいが『じゃあ』とばかりに正答されても困るので、何も言えなくなった。

 

 そんな時。

 

 

 コンコン。

 

 

 扉が叩かれた。

 

 

「ねえまだー? そろそろ一緒に帰ろうよー」

 

 

 ミーティアの声が聞こえた。

 

 

「兄様」

 

「んー?」

 

「ミーティアさんのこと、どうかお救い下さい。リンには、お願いすることしかできませんが」

 

 

 ヒョウは一度目を上向けた。

 

 

『強さが欲しいんです。自分以外の全てを守れる強さが』

 

 

 昔リンに、三番隊に入った理由を聞いたことがある。その時の言葉がこれだった。

 

 

 立派な言葉だと思った。自暴自棄であっても、中々言える言葉じゃない。

 

 

 リンは、親兄弟幼馴染を、他国の人間に皆殺しにされている。そしてその後、門を叩いたのは、外交兼外攻部隊の三番隊。

 思うことは少なからずあったはずだ。消しようのない(ぞうお)が、リンの心の奥底でくすぶっているのが見てとれる。それでも、リンが嘘を言っていないこともまたわかる。

 

 

 それが、リンに使った最後の見鬼(けんき)。リンには使わない方がいいなと思った。他者のために生きる。それが嘘じゃないって言うのなら、それでいい。   

 それ以上の気持ちは、他者が触れていいものじゃない。

 

 

 あれから二年経った。少しは変わったかと思ったが、こいつは未だに他者のこと『ばかり』を考えているようだ。

 それは確かに美徳だった。

 

 

 他者から見てリンは、誉められるべき存在だ。手本にしろと言いたくなるような存在なのは間違いない。

 

 

 だが義兄である自分が願うのは、他者じゃない。リンの幸せなのだ。

 

 

「リン」

 

 

 腰を下ろして、リンの頭に手を置き、顔を近づける。

 

 

「え?」

 

「調練だ。お前に命を言い渡す」

 

 

 リンが両手で口元を隠す。

 

 ヒョウは続けた。

 

 

「お前が願うのはなー、相手じゃなくて自分の幸せだ。だから次に兄様と会うまでに、自分の願い事を考えておけ」

 

 

 腰を持ち上げる。

 

 今も口元を隠し続けるリンを見て、笑ってから、扉を開けた。

 

 

「は――」

 

 

 リンが言葉を結ぶ、その前に。

 

 

「あーもう遅いってヒョウさーん。早く行こうよ、ボク待つの好きじゃないんだからさー」

 

 

 ヒョウの手を取って、ミーティアが外に引っ張っていく。

 

 出る前に、ミーティアが振り返った。リンと目が合う。

 

 手を立て『ゴメンね』と合図を送るミーティア。

 

 リンは――

 

 

「行ってらっしゃいませ、兄様」

 

 

 静かに見送った。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

vsプロ

「ちょっと待った」

 

 

 表に出ようとしたヒョウを、ミーティアが呼び止めた。

 

 

「なんだよ」

 

「外に迎えの人がいる」

 

 

 下駄箱を壁にして目を向ける。

 

 確かに、校門の前に護衛らしき男が二人立っている。

 

 一人は厳つい顔をしたオヤジ。もう一人は眼鏡をかけた優男。

 

 ヒョウは少し目を細めた。見鬼(けんき)は使わなかった。見鬼(けんき)空気(エレメント)に悪意をのせる。A級猛者相手だと気づかれる可能性があった。

 

 

「なるほど。あいつらプロだな。どっちもできる。外から見張る(チーム)として申し分ない。交渉しようぜ」

 

 

 当たり前のように外に出ようとしたヒョウを、ミーティアが怪力で止めてきた。獣人(フェルナンテ)は腕力が強い。しかもこいつの瞳は魔力量十位の滅紫(めっし)色。魔力量と腕力は直結しているので――無論技術あること前提――より強い。首根っこを思い切り捕まれ、ヒョウは少しばかり咳き込んだ。

 

 

「何すんだてめえ!!」

 

「だからダメだって、ヒョウさん。あの二人、話がわかるようなキャラじゃないから。絶対別のところから出た方がいいって」

 

「別のところってどこからだよ?」

 

「うーん」

 

 

 ミーティアが唇に指先を当て、目を上向けた。ヒョウは待つのが嫌いなので、その短時間さえ我慢できず、足をパタパタと動かしていた。

 

 

 

   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

「いよっと」

 

 

 学校をグルリと囲む垣根から、鞄を放り捨てるミーティア。それが垣根を飛び越える前に、ミーティアが跳躍した。

 

 飛脚法。風は魔力に反発する。その性質を利用して、足の裏に魔力を集めて飛翔する青魔術。ちなみにミーティアは、前回の体育で五メートル飛んでいる。

 

 風をまとったミーティアの跳躍は、楽々と垣根を飛び越え、中空を舞う鞄をつかんで、そのまま身をひねり、華麗に着地した。

 

 さすがにフェルナンテである。訓練された選手顔負けの動きだ。

 

 

「いけるいける。ヒョウさんいけるよー」

 

「いや、もうきてるが」

 

「うわ、ビックリしたー!!」

 

 

 飛び越える前には垣根の内側にいたはずのヒョウを見て、ミーティアは大層驚いていた。

 

 ヒョウは垣根にもたれかかり、腕を組んでいる。騒ぐミーティアを静かに見据え、チラリと目を横に向けた。かけていた眼鏡をクイと持ち上げる。

 

 

「ついでに、迎えの連中もきてるみたいだな」

 

「え!!」

 

 

 ミーティアが振り返る。

 

 そこには、先に校門前に立っていた護衛が二人。

 

 魔力探索かと、ヒョウは思った。自分の魔力はある程度までは追えるのだ。ミーティアの所有物のいずれかに、自身の魔力を込めていたのだろう。

 

 

「おい小僧。悪いことは言わねえ。お嬢様置いてこの場から消えろ。そして二度と近づくな。ファルコ=ルドルフの件もあるからよ。洒落になってないんだわ。脅し抜きで二言目はないと思えよ」

 

 

 魔力量四位。若竹色の瞳を深くして、男が言う。握られた拳のケンダコが、男の戦歴を物語っている。

 

 

「ふーん」

 

 

 それを受けて、ヒョウはニヤニヤと笑った。順境でも逆境でも笑う男。それがヒョウだ。そしてこれは、ヒョウにとっては順境だった。

 

 

「いや、違うの!! ヒョウさんは――」

 

 

 口を挟もうとするミーティア。その口を塞ぐように、ヒョウがミーティアの鞄を引ったくった。そして言った。

 

 

「お前ら、仮にも魔術師ならわかると思うが、ここには爆弾が入っている」

 

「ええええええええええ!!」

 

 

 ミーティアが隣でうるさく叫んだ。二人は無言で目を見開く。

 

 一般人なら、バカバカしいと思うだろう。

 

 しかし二人は一流の魔術師だ。初手見鬼できている。ざっくり言えば、ヒョウが本当のことを言ってるか否かがわかるのだ。

 

 じゃあここに本当に爆弾が入ってるのかというと――

 

 

 ――あるわきゃねえわな。常識的に考えて!!

 

 

「ほうら、衝撃に反応するぜ!! 気をつけて受け止めな!!」

 

 

 ヒョウが鞄を高々と放る。

 

 

「うわあああ!! バカかてめえ!!」

 

 

 厳つい顔のオヤジが、叫びながら鞄を追いかける。

 もう一方の男はかちゃりと眼鏡を持ち上げ、ヒョウを見ていた。

 ヒョウがミーティアの腰に手を回す。笑って、二本の指を立てた。

 瞬間。

 眼鏡の男が目を見開く。

 見開いた目に、二人は映っていなかった。

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 パン!!

 

 

 厳つい顔の男、ジョニーが、柏手を打った。落ちてくる爆弾の入った鞄。それが自分の手元まで落ちてきたとき、ジョニーは手を開いた。鞄は手の間を通り抜けていくが、落下することはなかった。手と手の間で静止している。

 

 

 魔力道力。死念が魔術師に吸い寄せられる性質を利用して、魔力を込めた物質を、自分自身に引き寄せる青魔術。手を向け合うと、双方に吸い寄せられるので、間に入った物質は静止する。

 

 

「はあ」

 

 

 ジョニーが一息つく。

 

 

 スタスタと、上司であるロナウドが近づいてきた。ずれてもいないだろうに、眼鏡を押さえている。

 

 

「開けてみろ」

 

「え、でもここでは」

 

「いいから開けてみろ」

 

「……わかりました」

 

 

 ジジシ……。

 

 

 それを地面に置いて、ジッパーを開いた。中に入っていた教科書などを、どけて、どけて、どけて――結果、何も残らなかった。

 

 

「まあそうだろうな」

 

「あんにゃろおおおおお!!」

 

「ジョニー。お前が魔力を込めたのは、お嬢様に渡した紙幣だったな」

 

「はい。まだ追えますよ。あの野郎!! 次はギタギタに――」

 

「少しは頭を冷やせ、ジョニー。お前はどうしてあいつの言葉を信じたんだ?」

 

「どうしてって、あいつの魔装から――あ」

 

「そう。奴は嘘をついていなかった。にもかかわらず、言動とは違うことが起きている。つまり、あいつは嘘装を使っていたんだ」

 

 

 嘘装(きょそう)とは、自身の魔装を乱して纏い、相手に真の情報を与えなくする、見鬼(けんき)を逆手にとった青魔術。

 

 

虚装(きょそう)は魔力の流れを熟知していないと使えない、難度の高い青魔術。間違いなくただの学生ではない。あいつプロだ」

 

「だからどうしたというんです。だったらなおのこと追ってやるべきでしょう。魔術の腕が強さに直結しないということを教えてあげますよ。ついでに、魔力容量の高さもね」

 

 

 ジョニーの魔力量は若竹色の四位。ヒョウはアヤメ色の八位だった。魔力量は腕力に直結する。もしも魔力を完全に腕力に転換できたなら、瞳の色一つで十倍の差が出ると言われている。

 

 

 無論そんなことはそうそうできない。できても普通に考えて身体がついていかない。

 

 

 要は、魔力なんてものは使いどころ一つ、ということである。

 

 

「お前が鞄を追っている間、俺はあいつを目で追っていた。まあブラフであろうと思っていたからだ。そうしたら、あいつが空筆で告げてきたよ」

 

「なんとです?」

 

「敵ではない。目的は同じ。お前らは後方で張れ。だ、そうだ。つまりあいつは、犯人を釣るつもりのようだな」

 

「バカバカしい!! まさか従うつもりですか!?」

 

「当然だ。次に挑めば殺される可能性があるからな。生きて終われたのが行幸だった」

 

「え」

 

「言ったろ。俺はあいつの動きを目で追い続けていた。それでも最後は追えなかった。速すぎたからだ。あいつの魔術は闘争に特化している。しかも極めて高く残酷なレベルで。もしもあいつが殺る気だったなら、俺たちはよくて気絶、悪ければ死だ。しかも、気づかないうちにな」

 

「……」

 

「まあ今は味方のようだがな。いずれにせよ、隊長に連絡だ。そのあと、俺たちもお嬢様を追う」

 

 

 ロナウドがポケットからメモ帳型の伝書を取り出す。差していたペンの先に墨呪(ぼくしゅ)をつけ、サラサラと文を(つづ)る。

 

 

「……了解」

 

 

 ジョニーは頭をかきながら、返事した。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ミーティア

「やれやれ、散々な目にあったぜ」

 

 

 街の一角に着地して、ヒョウは肩をグルグルと回した。回しながら、荷物のようにその辺に置いた、ミーティアへと目を向ける。

 

 

「猫娘。猫娘? おーい」

 

 

 ミーティアは、涙目でプルプルと身を震わせながら、その場に突っ立っていた。目の前で手を振ってみるも、反応なし。さすがに素人相手にこの速さはやりすぎたのかもしれない。一応手加減はしたのだが。

 

 

 ――しゃあねえな。

 

 

 ヒョウは気付けがわりに、ミーティアのしっぽをぎゅっとつかんでみた。

 

 

「ふにゃ!!」

 

 

 ミーティアが変な声をあげながら、背筋を立てた。ブルリと身を震わせている。

 

 

 しっぽを引き離すように、くるんとミーティアが回る。お尻を押さえながら、向けてくるその顔は、赤くなっていた。

 

 

「引き離したぞ。とっとといこうぜ」

 

「え!? あ、あー、引き離せたんだー、よかったー、はぁ」

 

「ちょっと早すぎたか?」

 

「え?」

 

「いや、涙目で震えてたもんだからよ」

 

「あーっ、うん。正直びっくりした。面白くもあったけど」

 

「なんだそりゃ」

 

「でも、まだちょっと足がすくんで動けない」

 

「さっき動いてたぞ」

 

「咄嗟の時は大丈夫なの!!」

 

「面倒くせえ身体だなー。俺は待つのが嫌いなんだぜ?」

 

「それはボクだってそうだけど――あ!!」

 

 

 パチンと、ミーティアが指を鳴らす。

 

 

「じゃあじゃあ、ボクと腕組んで歩いてくんない? もたれかかったら、どうにか歩けそうだからさ」

 

「えー」

 

「え、そんな反応ある!? こういう時、普通男の子は喜ぶものじゃないの? 実はボクもちょっと勇気出して言ったのに!」

 

「人間ってのはそういうもんか?」

 

「え?」

 

 

 ミーティアが丸々とした目で見上げてくる。

 しまったとヒョウは思った。目をそらし、ガリガリと頭をかく。

 

 

「それじゃあつかめ。まあその方が彼氏彼女に見られやすいかもしれん」

 

 

 話題をそらすように、ミーティアに手を差し出す。ミーティアが笑って、ヒョウの手をつかんできた。うまくバランスがとれないからか、ミーティアの豊満な胸が押し付けられる。

 

 

 ヒョウは目を上向けた。照れたわけでも嬉しかったわけでもない。

 

 

 単純に気まずかったからだ。

 

 

 目を向ける。

 

 

 ミーティアは、きょとんとした顔で、ヒョウのことを見上げていた。しかしその後、意地悪そうな顔で口元を隠し、笑う。

 

 

「あれあれー? ヒョウさんの旦那ー。もしかして、照れてらっしゃる?」

 

 

 ヒョウは舌打ちした。足を動かす。

 

 

「おっとととと」

 

 

 ミーティアが慌てふためきながら、ついてくる。色々手に柔らかいものが当たっている気もしたが、もはや知ったことではない。ヒョウはなめられるのが、嫌いだった。

 

 

「そういやお前」

 

 

 しばし歩いた後、ヒョウが切り出した。

 

 

「この話の結末をどう考えてる?」

 

 

 ミーティアが上目遣いで見上げてくる。フェルナンテだけあって、その顔立ちはまさに猫。

 

 

「犯人を捕まえるのは当然のこととして、その後の結末は、ざっくり言って三つある」

 

 

「ほうほう」

 

 

「一。警務隊に引き渡す」

 

 

「一番妥当だね」

 

 

「二。二度と来ないように私刑にする」

 

 

「うわーそれはないなー」

 

 

「三。お前が言葉で諭す」

 

 

「あー」

 

 

「三択とは言ったが、過程を複合することはできる。例えば、言葉で諭してから警務隊に引き渡す。私刑にしてから言葉で諭す。俺も捕まりたくないもんで、一と二は複合できないけどな」

 

 

「つまり、実質五択だね。そして、複合する場合、必ず最後は言葉で諭す方法を通る」

 

 

「その通り。どれにするつもりだよ」

 

 

「うーん」

 

 

「結末を決めるのはかなり重要だ。例えば一番の場合、お前に裏切られたと考えるかもしれない。二番は一番確実だが、お前も俺もやりたくはない。三番は、言葉によっては恨みを増幅させる。突き放す言葉はもちろんとして、温かい言葉をかけてもやはり無駄なことがある」

 

 

「なるほどー」

 

 

「お前の問題だ。お前が決めろ」

 

 

「三番かなー」

 

 

「警務隊には渡さないのか?」

 

 

「そだね。元々解決したいというより、気持ちは伝えときたいかな、ぐらいのものだし」

 

 

「……どんな気持ちを伝えるつもりだ? 結構重要だぞそれ」

 

 

「ありがとう。そしてごめんなさい。かな」

 

 

「微妙だな。最悪刺激する」

 

 

「えぇ!? ここは、ミーティアちゃんの優しさがにじみ出てるシーンじゃないの!?」

 

 

「そういう気持ちが透けてるからダメなんだ。見抜かれたら火に油だ」

 

 

「うーん、難しいなー」

 

 

「まあ及第点とは思うけどな。俺はいいやつだなと思ったよ」

 

 

「え」

 

 

「なんだよ」

 

 

「え!? あーなんて言うの? ヒョウくんは見抜けなかったんだなーと思ってさー」

 

 

「見抜いたさ。及第点分は良い奴だ。人間なんてそれで十分だろ」

 

 

「……」

 

 

「だが現状、周囲に気配はないな」

 

 

「わかるの?」

 

 

「空気の流れで大体な。エレメントに悪意が乗るからよ」

 

 

「もしかしたらボクたち、ラブラブに見えてないんじゃない?」

 

 

「まあ可能性はあるな」

 

 

「うーんどうしたらいいんだろ? もっと腕を強くつかんでみる、とか?」

 

 

「いや、いいです」

 

 

「何故敬語!?」

 

 

「一応考えはある。ここだ」

 

 

「ここ?」

 

 

 店の前に立つ。

 

 

 ヒョウはプロとして、この街の地図は全て頭の中に入れている。どこに何の店があるのか、どこに抜け道があるのか、地元の人間より遥かに詳しかった。

 

 

「ここで、揃いの服を買う」

 

 

「えー、何それー、カッコ悪いー」

 

 

「いいんだよ、その方がわかりやすい。後、服着替えてからちょっとお前を一人にする。無論衆人環視のある場所でな。何かあったら即叫べ。心配するな。お前の護衛は優秀だ。あの二人貫ける奴はそうはいない。それで何の反応もないようなら――」

 

 

「ないようなら?」

 

 

「まあ――」

 

 

 ガタガタ。ガタガタ。

 

 

「おっと失礼」

 

 

 ミーティアと話していた時、鞄の中に入れていた伝書が暴れた。登録先はリンだけである。

 

 

 鞄から伝書を取り出し、中を開いた。

 

 

 文面は――

 

 

『名前をお借りします』

 

 

 ……?

 

 

 鋭いと自賛するヒョウであるが、この文面には、ただただ首を傾げたのだった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

確信

「でけー家だなー」

 

 

 門構えを見て、ヒョウが言った。

 

 鉄格子の門に、門番が二人。庭はちょっとした公園ぐらいの広さがある。

 

 門番は、ヒョウとミーティアを見て、大層驚いた顔をしていた。

 

 まあそりゃそうっちゃ、そりゃそうだ。これだけの家の娘が、男と一緒、しかもペアルックで現れたら、普通はこうなる。

 

 元々着ていた制服は、お互い紙袋に入れて持っている。そして、空が赤くなるまで歩き回ったわけだが、ここに来るまでの間、悪意は何一つ感じなかった。

 

 相手が達人なのか、相手が今日たまたま見ていないのか、そもそもそんな人間などいないのか……。

 

 

(まあ、どれも、断定するにはやや早いか……)

 

 

 門番が鉄格子の扉を開く。門番に厳しい目を向けられながら、中に入った。

 

 

「今更な質問なんだけどよ、お前の両親の仕事は?」

 

 

 庭を横断している途中で、ヒョウが尋ねた。ミーティアはまだ人の手を取って歩いている。

 

 

「え、なになに? ボクの両親のこと調べてどうするつもり? 挨拶に行く前の下準備ー?」

 

「事件解決」

 

「……あのー。そんな四文字で片付けないでほしいなー。せっかくテンション上げたのにさー」

 

「下がってくれたなら好都合だ。で? 仕事はなんなんだよ」

 

「んー? お父さんはグリーンポストの編集長で、お母さんは外交官」

 

「なるほどな。この家から想定できる通りの、超お嬢様ってわけだ」

 

 

 調べたいことがあって、まっすぐ家には入らず、庭をグルリと回った。方々には守衛が立っている。

 

 西側には垣を越える木が立っていて、その先には大きな窓ガラス。中はカーテンで仕切られていて見えない。

 

 

 見鬼(けんき)

 

 

 目に魔力を込めて、豪邸を見据えた。豪邸の中を、魔力が幾本もの線になって絡み合っている。

 

 

(なるほど。明かりは白雷球か)

 

 

 ヒョウは見鬼(けんき)を解いた。

 

 

「えっへっへー。疑似じゃなく、本当の彼氏になりたくなっちゃった?」

 

「まあ頭の隅には入れておこう」

 

 

 真面目に返答するのも面倒くさくなって、適当に答えた。

 〇〇系男子という言葉があるが、ヒョウは分類するなら枯れ木系男だった。

 その手の話題はジジィよりも興味がない。

 

 

「まあでもボクの彼氏になるなら、色々と変えてもらわないと困るけどねー。ボクお洒落に敏感だから。ヒョウさんを変えるとするとそうだなー、まずはその眼鏡を取って、頭もパーッと明るい色に変えちゃったりしたらー、ぜーったい似合うと思うんだけどな―ボク」

 

「それを言うなら」

 

 

 笑って、ヒョウが言った。

 

 

「お前も、その眼鏡は外さないのか?」

 

 

 ミーティアは獣人(フェルナンテ)である。つまり、耳が頭の上にある。ならばどうやってかけているのかというと、本来耳がある部分を髪の毛で覆い、そこに髪留めのように繋ぐことで、目にレンズをあてがっていた。

 しかし本来、獣人(フェルナンテ)の視力はそうそう落ちない。実際眼鏡屋を回って見てもそんな眼鏡は売ってはいなかった。

 多分特注なのだろう。この家の財力ならば、そんなことはお茶の子さいさいでできるだろう。

 

 

「あれ? あれれ? ヒョウさんは眼鏡ない方が好み? まあこれ伊達(ファッション)だから、ヒョウさんが言うなら別に外してもいいんだけど、どうしようかなー? 最近眼鏡女子がボクの中のマイブームで、このフローラルピンクの眼鏡は、ボクが今推している――」

 

「いや、盛り上がってるとこ悪いが、単にフェルナンテが眼鏡してるのが珍しかっただけだ。耳もないのによくつけれるな」

 

「んもーっ!! 何それー!? 耳あるからちゃんとここにー!! んもーっ!!」

 

 

 ミーティアが大層怒るので、ヒョウはカラカラと笑った。

 

 

(ま、どうにかなるざんしょ)

 

 

 広い庭の調べを終え、ミーティアが家の扉を開く。

 

 ヒョウはその間に、鞄の中から伝書を取り出し、開いた。

 

 最後のメッセージは『お前今どこで何してる?』だった。無論ヒョウのものだ。リンが意味不明に『名前をお借りします』なんて言うから、暇見て送った。返信はまだない。

 

 鞄の中に伝書をしまう。

 

 

(あのバカ……。返事ぐらいとっととしろよなー)

 

 

 ふて腐れながら、ヒョウは思う。

 

 しかし。

 

 あるいは、返信したくても、できない状況にあるのでは……? 

 そんな可能性も、十分にありうる。

 

 

(いや、まさかな……)

 

 

 しかしヒョウはその可能性を、頭の隅に追いやった。

 

 

   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「お嬢様!! これは一体どういうことですか!! この方は一体――」

 

 

 扉を開くなり、老執事が言った。

 ここで当たり前のことを言うようだが、老執事とヒョウは初見である。

 出会って一秒。

 老執事のしたことは、心配の言葉を投げかけたのみ。

 

 

 にもかかわらず、ヒョウは訝しげに目を開いた。

 

 

(こいつ……)

 

 

「ああ、スカイプ。この人はねー、なんとボクの!!」

 

「心配すんな。彼氏彼女とかそいういうアホな関係じゃない」

 

「えぇ!?」

 

 

 割って入ったヒョウが言った。

 これ以上ややこしい状況にされるのはゴメンだったし、何よりもう当たりはついた。

 

 

(相手が悪かったな。残念ながら、俺にその手は一切通用しないぜ)

 

 

「もう演技は終了だ。ジィさん。俺はこいつに雇われた護衛なんだ。何つってもこいつの元に、こんなもんが届いちまったみたいでな」

 

 

 ヒョウはポケットから脅迫状を取り出した。スカイプはそれを見て、『何だこれは!!』と顔にかき殴った。

 見鬼(けんき)精神世界(アストラルサイド)から見ても、スカイプが『嘘』をついていないことはほぼ確定。つまりスカイプは、この脅迫状を見て、本気で驚いているのだ。送り主ではありえない。それはイコール、スカイプは犯人ではないという式も成立させる。

 

 

(ふっ。やはりな)

 

 

 だが、ヒョウは目を細め、笑った。

 

 

「ってなわけで」

 

 

 パッと、スカイプから紙を取り返して、ヒョウが言った。スカイプが呆けた顔で、ヒョウに目を向ける。

 

 

「ちょっとこの屋敷を案内してくれないか。間取りを知りたい。後それが終わったら、リビングにあのゴリラと眼鏡の上司、つまり守衛隊長を呼んでくれ。色々調べさせてもらった上で、今後の方針を伝えたいんでね」

 

「……わかりました」

 

 

 家に招くように手を向けて、スカイプが言った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

お前だろ

「西を手薄にですか?」

 

 

 ヒョウの提案に、ミーティア家を守護する守衛隊長が答えた。

 

 ヒョウはリビングのソファーに腰掛けており、スカイプは守衛隊長の近くに立って、同席している。

 

 ミーティアは今はいない。犬の散歩に行っているからだ。無論監視はついているが、まあ釣れないだろうなと、ヒョウは思っていた。

 

 

 何故ならもう、目星はついた。

 

 

「そうだ。ここの守衛はガチガチすぎる。これじゃ外からちょっかいをかけることがまず不可能になる」

 

「そのための守衛です」

 

「犯人を釣りだした方が早い。西は高い木が茂っていて、比較的侵入しやすい。またこのリビングとも近い。というか、すぐそこだ」

 

「囲した敵には、あえて逃げ道を開けておく。斎の兵法書にある囲師必闕(いしひっけつ)の応用なのだと思いますが、そんなにうまくいきますかね。犯人の気質は今までの行動からいって、かなり奥手といっていいでしょう。突然そのような奇行に出るとは思えませんが。失礼ですが、奇策を練ればよいと思っておられませんか?」

 

「今までとは違うことが起きている。だから手順を変えるのさ」

 

「今までと違うこととは? あなたがこの屋敷にいることですかね」

 

「煽るな」

 

「失礼。失礼ですがという一文をつけそこねましたか」

 

 

 ヒョウは鼻で笑った。中々に言ってくれるが、こいつは相当できる。ジョニーとロナウドがA級猛者なら、この守衛隊長はS級猛者である。

 

 

 ヒョウはおもむろに、ポケットから例の脅迫状を取り出した。

 

 

「何ですかそれは?」

 

「猫耳あてに脅迫状がきてたのさ」

 

「脅迫状?」

 

 

 守衛隊長が、スカイプに目を向ける。

 

 

「いえ、私も今知ったのです。いやはや困ったことになりましたな」

 

「ちょっと拝見させていただいてもよろしいですか?」

 

「読んだら返せよ」

 

 

 ヒョウは手首のスナップだけでそれを放った。守衛隊長がそれを受け止める。瞳の色を深くした。見鬼(けんき)を用いたからである。訝しげに眉を持ち上げてから『裏面』を見た。

 

 

 その時、守衛隊長の目が、スカイプの時と同様に――スカイプとは違って、威圧的ではあったものの――見開かれた。

 

 

 口元に手を当てる。

 

 

「わかるか? 犯人は動く気満々なんだよ。ここで罠張らないでどこで張る」

 

「……いずれにせよ、今日と言い切れるものではないですね。今日は台風だ。夕方には雨も降るという。まず現れないでしょう」

 

 

 守衛隊長が、ソッと脅迫状をテーブルの上に戻した。

 表向きで。

 

 

「三日は試すさ。これで来ないようなら、内部犯を一から洗った方がいいな」

 

「……なるほど。手荒そうだ。いいでしょう。やっても構いませんが、ただし、条件一つ。一時間に一度、ミーティングの時間を作って下さい。不手際だ何だと後々騒がれたくないもので。それでよければ、ご随意にいたしましょう」

 

「……そうだな。じゃあそうしてくれ」

 

「それではまた一時間後」

 

 

 頭を下げて、守衛隊長が去っていく。

 

 ヒョウは鞄から伝書を取り出し開いた。リンからの連絡は未だない。

 

 ヒョウは口元を押さえた。

 

 リンは北翼(ほくよく)の人間に狙われている。もしもは十分に考えられた。しかし――

 

 

(あのリンが、そんなに簡単に負けるはずないんだけどな……) 

 

 

 アイリスにも言ったがリンは強い。今のリンを誰にも気づかれず、かつ殺さずに捕らえるのは困難極めるはず。それだけの調練は積んできた。だがしかし、唯一の懸念があるとすれば、それは――

 

 

(バカなんだなこれが。あいつの動きはこの俺でさえ読み外す。まあ位置ぐらいは把握しとくか)

 

 

 目を閉じた。魔力探索。リンには、常時ヒョウの魔力が維持されるような指輪を渡している。魔力の位置と、この町の地図を照らし合わせると――

 

 

(結構不穏な場所にいるな。意味不明な返信内容も含めると、見過ごすのはやり過ぎか。ただその場合、こっちの手順が限定されることになる)

 

 

 ヒョウはため息つきながら、目を上向けた。

 

 

(詰むまで後数手ってとこまできてるが、後一手足りないってのも事実ではある。少なくとも後一人いる。終わらせてから行くってのは、さすがに理想を求めすぎかな)

 

 

「それでは私も、仕事がありますから、この辺で」

 

「じぃさん」

 

 

 立ち去ろうとしたスカイプを、ヒョウが呼び止めた。

 

 

「は、はい。何でしょう」

 

「何でしょうじゃねえよ。俺は部外者だぜ? 俺を一人にしていっていいのかよ?」

 

 

 振り返って、ヒョウが言った。

 

 

「おっと……確かにそうですね。ではお嬢様が戻られるまで、ここに留まらせていただきます」

 

 

 スカイプが両手を前で重ね、その場て直立する。

 

 

「あんたさあ」

 

「はい」

 

「これは俺が、あんたを疑っているから言うんだが――」

 

「え?」

 

 

 ヒョウはかけていた眼鏡を机の上に置いた。そして――

 

 

「この脅迫状について、心当たりはないよなあ?」

 

 

 二本の指で脅迫状を挟んで、ヒョウが言った。瞳の色は深い。見鬼(けんき)を用いて、精神世界(アストラルサイド)からスカイプを見据えているからだ。

 見鬼(けんき)で読める感情は、喜怒哀楽愛嘘信憎恐の九情。つまり、今のヒョウに嘘は通用しない。

 

 

「まさか!! ありません、断じて!!」

 

「なら、文面は」

 

「文面?」

 

「そろそろお金がなくなりそうなので、いただきにまいろうと思います。この文面に、心当たりはないか?」

 

「そ、そうですね。見たことがあるような気もします。ただ特にひねりがある文でもないですから」

 

「なるほどな。確かにそうだ」

 

 

 ヒョウが投げかけた二つの質問に対し、スカイプは嘘をつかなかった。しかし後者に関しては、見鬼(けんき)の逃げ方としてはよくある形だった。

 こうやって曖昧に語っておけば、真実を言っても断定することはできない。

 

 一番手っ取り早いのは『お前が犯人か?』と聞くことである。証拠はないが――見鬼(けんき)で得た情報は証拠として扱われない――断定させることに意味はある。しかしそれは同時に危険でもあった。百パーセント追い詰めることと、九十九パーセント追い詰めるのは、違う。人は希望を追う生き物だからだ。政治の世界に『生かさず殺さず』という言葉があるように、こういう時は、ほんの少しでも隙間を開けておいた方がいい。完全に殺してしまえば、政界を追われる可能性が高くなる。この場合で言えば、牙を剥く可能性が高くなるからだ。

 

 

 加えて言えば、仮に証拠があっても、犯人がしてることは犯罪とは言い難い。

 

 

 ミーティアを喜ばせるためにやったと言われて、法がどれほどの裁きを犯人に与えられようか。ヒョウ自身そのオチの可能性は多分にあると思っている。

 

 しかし、スカイプがミーティアに向ける感情分布は、愛と憎が半々というところだった。憎んでるじゃないかと思われるかもしれないが、執事やってれば嫌なことの一つや二つあるだろう。ましてやミーティアはあんな性格だ。イライラするなという方が難しい。

 

 整纏(せいてん)もあるだろうが、スカイプは、正にも負にも吹っ切れていない。極めて正常な感情分布と言っていいだろう。現状は、だが。

 

 

(とはいえ、こいつが何かをしようとしているのはまず間違いない。だが、親が親だからな。別件と今回の一件が同時進行している可能性はゼロじゃないな。だがここは、潰すか。一応)

 

 

「あの……」

 

「ん?」

 

「トイレに立たせていただいてもよろしいでしょうか?」

 

「ああ。だが最後に一つ、これだけは言っておく」

 

「はい。何でしょう?」

 

「お前だろ」

 

 

 振り返って、ヒョウが尋ねた。

 

 

「え……」

 

「心配すんな。見鬼(けんき)は使っていない。だからこれは俺の独り言と思ってくれていい。俺はお前を疑っている。理由は言わない。だが、今後猫娘の身に何かあったら、証拠があるなしにかかわらず、俺は真っ先にお前を死界に落とす。犯人でないなら何事もないことを祈れ。犯人ならここで思いとどまれ。お前が何を企んでいるのか知らないが、ここまでならまだ引き返せる。残念だが、俺と敵対した時点で、お前の運は尽きてんだよ。以上だ。行っていいぞ」

 

「わ、わかりました」

 

 

 バタン。

 

 

 扉が閉められる。

 

 

 ヒョウは足を組み、足元に置いていた鞄を持ち上げた。

 机の上にそれを置き、中から小さな女神像を取り出した。逆さにして、足元から伸びた輪に指を入れ、引き抜く。

 輪の先から伸びる黒刃。輪の部分も黒い。ヒョウはそれを自分の身体に押し当てた。見鬼(けんき)で見ると、そこだけ自分の魔力が()き止められている。

 

 

(まさかまた、昔の商売道具を使うことになるとはなー)

 

 

 黒刃を、女神像を模した鞘に納め、それをポケットに忍ばせる。ちなみに鞘がこんな形なのは、暗器であることが一つと、この形が一番神意を溜め込みやすいからである。

 

 表に出していた脅迫状は、ポケットにしまっていた校章の入った封筒に詰め、それをまたポケットにしまう。

 

 

 返信がきていないと知りつつも、伝書を開いた。やはり返信はきていなかった。伝書が揺れていなかったので、きていないのは知っていたけど。

 

 

 羽ペンを手に取り、サラサラとメッセージを(つづ)る。

 

 

 伝書を閉じ、腕を組み、目を閉じた。

 

 

(後三十分待って返信がないようなら、一度リンの元に出向いた方がいい。その場合、フェイクを噛ませるか、あるいは――)

 

  

 頭の中で、幾通りのもの計画を練り上げる。

 

 

(ま、いずれにせよリン次第か)

 

 

 薄目を開き、ヒョウは思った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

噴水広場の前で@リン

 ヒョウとリンが別れた後、リンは一人で帰り道を歩いていた。

 寂しいが、ヒョウは仕事だ。ミーティアのことを考えたら、駄々をこねるわけにはいかない。自分にできることは、二人の無事を祈ることだけ。

 

 目蓋を下ろして、両手を合わせた。

 祈りは心だと、リンは思っていた。

 だから、祈ろうと思えば、どこでだって祈れる。

 

『リン。調練だ。お前に命を言い渡す』

 

 祈っているとき、聞こえてきたのは、ヒョウの言葉だった。

 

『お前が願うのはなー、相手じゃなくて自分の幸せだ。だから次に兄様と会うまでに、自分の願い事を考えておけ』

 

 

 目を開く。

 そういえば、ヒョウが言っていた。

 願い事。何かあるだろうか? 次というのはいつになるのだろう? ヒョウは一日でこの仕事を終えると言っていた。

 

 あの人は一度言ったことは絶対に外さない。だからあの人が一日で終えると言ったなら、今日の夜には会えるはずだ。

 

 だから、それまでには、ちゃんと考えておかないと。

 

 

「ふふっ」

 

 

 考えて、笑った。今日の夜が楽しみになってきたからだ。

 何を話そう。どんな願い事にしようか。

 大人になりたい。背を伸ばしたい。こんな実現不可能な願い事では、笑われるだけだろうか?

 

 帰り道にある噴水広場。

 本来ここは涼やかな場所で、リンのお気に入りだった。

 だが今日は、違った。

 

 

「この野郎ふざけやがって!! ぶっ殺されてえか!!」

 

 

 ドスの利いた声が響く。

 見ると、前にヒョウと喧嘩をしていた禿頭の男、マルコが、肥満気味の男の胸倉を持ち上げていた。

 彼女なのか、そばにいるツインテールの女性はどうでもよさそうな顔であくびをしている。

 

 周囲の取り巻きはたくさんいるが、助ける気配は一向にない。責める気はなかった。誰だって人のために怪我をしたくない。

 

 

 だが自分は、そんな自分が嫌だから、自分の目に映る人が傷つくのを見ていたくなかったから、強くなったのだ。

 

 だからここで退く道理は微塵もない。

 

 

「やめてください!!」

 

 

 声を上げた。

 禿頭の男が振り返る。

 

 リンは片足立ちになり、跳躍した。

 

 踏んでいるのは地ではなく、空。風は魔力に反発する。しかし、この場にいる全ての者に、自分の歩法を見破られない自信がリンにはあった。

 

 

「なんだてめえは?」

「それ以上暴力を振るうようなら、あたしが相手になります。狼の牙を、人の身で受ける覚悟があなたにありますか?」

「はぁ? 狼? 何言ってんだお前? まあ、いいや。いいかゴミ野郎。次ネイファにこんな意味不明なもの出したら、今度こそぶっ殺す!! わかったな!!」

 

 

 マルコが紙をビリビリと破り捨て、その場に放った。

 今日は台風らしく風が強い。まかれた手紙は風に流されいずこがへと飛んで行った。

 二人が去っていく。それに伴って、取り巻きもまた散り散りになっていった。

 

 

「ふぅ」

 

 

 足の動きを止め、一息ついた。

 

 

「大丈夫ですか? 立てますか?」

 

 

 リンが腰を下げて、尋ねた。

 男が顔を上げる。

 顔が青くなっている。既に殴られていたのだろう。格好はヴァルハラ学園の制服で、年は十六から八ぐらいだろうか。

 先述したように、やや肥満ぎみの男である。

 

 

「あ、ありがとう。助かった――あれ? もしかして、リティシア=リンちゃん?」

「え……」

 

 

 リンが口元を隠して、そそそと、後ろに下がった。見ず知らずの人間に名を知られているというのは、わりと怖いところがある。

 心技体鍛えていても、リンはお化けが大の苦手だった。それとまあ同じような理屈だ。違うかもしれないが。

 

 

「ああその、誤解しないでくれ。君と君のお兄さんはほら、有名人だからさ。知ってたんだ」

「ああ、そうでしたか。確かに兄様は、目立つ方ですから」

 

 

 自分のことを完全に棚上げして、リンが言った。

 余談になるが、特待Sであっても本来はD、あるいはEからのスタートである。

 即A編入は今年からで、リンが物珍しがられていたのもその辺が大きい。

 そしてこれが一つの布石であったことを知るのは、もう少し先の話になる。

 

 

「……あの、リンちゃん」

「は、はい……」

(初対面でリンちゃんと呼ばれるのはちょっと嫌だな……)

「ちょっとだけ話を聞いてほしいんだけど、時間もらえないかな?」

「え、えっと……」

 

 

 散々目立つことをしてきたリンであるが、本人自体はさして目立ちたくはなかった。

 だが、ここで被害者を放っておくというのはどうだろう?

 目を閉じ耳を塞げば、どんな悪もないのと同じ。そんな発想はいけないことではなかろうか。

 だが、目に映る、あるいは耳でとらえた悪を、全て根絶していくというのも、また違う気も――

 

 

「いやあの、大した話じゃないんだ。あの男、マルコの悪行について、少し知ってほしいことがあるだけなんだ」

 

 

 リンは滅多に見鬼(けんき)を使わない。相手に対し失礼であると思っているからだ。

 だからリンは、大した話じゃない、知ってほしいことがある、だけなのだろうと、信じた。

 

 

「……わかりました。ただあたしでは、力になれるかどうかは、わかりかねますが」

 

 

 一応念押しして、リンは承諾した。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

笑うマルコ

「許せません!!」

 

 

 噴水広場のベンチに腰掛け、リンは語気を強くして怒っていた。

 

 話によると、あのマルコという人は、妹のネイファという女性が降格しないように、昇級試験の相手を闇討ちし続けているのだとか。

 

 彼ことアイク=バルカンもその闇討ちされた一人らしい。

 

 

「そうなんだ。ヴァルハラ魔術師学園の昇級試験内容は、闘ばかりじゃない。闘見探錬呪治体屍陣の九分野、全てを無視して、あいつは相手を潰していく。あいつ以外の誰も得しない行為さ」

「その通りです。そんなことをされても妹さんは喜ばないと思います」

「やっぱり君もそう思うかい?」

「思います」

「じゃあここからが本題なんだけど」

「え?」

 

 

 声が裏返る。知ってほしいだけ、と言っていたので、あくまで部外者で終われる、と、虫のいいことを考えていたからだ。

 

 

「君か君のお兄さんに、彼への更正を頼みたいんだ」

「えぇ!?」

 

 

 リンが大きな声を上げる。

 

 パンと、アイクが手を合わせて頭を下げた。

 

 

「お願いだ。ご覧の通り、僕の力ではあいつを押さえられない。階級、知性、実力。その全てが彼より遥かに上でも、僕は技術系の魔術師だから、武闘派の彼には敵わないんだ。しかし君かお兄さんならあいつに勝てると思うんだ」

「……勝つことは容易いと思います。実際兄様は、あの方に勝たれていますし」

「だったら!!」

「ただ……」

 

 

 今現在ヒョウはミーティアの護衛中。大切な仕事だ。巻き込むわけにはいかない。

 

 一日で終わる仕事だとは言っていたけれど、仮に後日ヒョウに話したところで、協力してくれるとは思えない。ほっとけと言うのが関の山だ。

 

 この一件について、同情を感じているのは事実だ。

 

 しかし、この一件をどうにかするために、ヒョウに迷惑はかけたくない。というより、嫌われたくない。じゃあ見過ごすのかというと、そんな自分にもなりたくない。

 

 

 で、あるならば答えは一つしかない。

 

 

「……わかりました」

 

「ほ、本当かい!?」

 

「ただ、あくまで説得してみるだけです。兄様は話しても多分動かないでしょうし、あたしは暴力が好きではありませんから。結局、同情以上のことができなくて、申し訳ないとは思っていますが……」

 

「いや、いい、いい。十分すぎるぐらいさ。君ならあいつも話を聞くだろう。あいつの居所は――」

 

 

 パン。

 

 アイクが双方の手を握り込むようにして合わせた。魔術師には、自分だけの集中しやすい印というものがある。彼の印はそれなのだろう。

 

 

「魔力探索ですか?」

 

 

 リンが尋ねた。魔力探索は相手に魔力を取り憑かせ、相手の位置を探る青魔術。そんなものを、どうしてつけていたのかと、詰問するのがプロ以前の普通の感覚。だが、リンは人を疑うことを滅多にしない。だからこれも、ただの興味本位の一言であった。

 

 

「ああ。こんなこともあろうかと、つけておいたんだ。功を奏したみたいだね」

「そうでしたか」

 

 

 リンは特に疑うことなく、納得した。

 

 

「うん、わかった」

「どこですか?」

 

 

 頭の中を切り替えて、リンが言った。頭の中に地図を広げる。人を疑わないとはいえ、リンとてプロである。地図ぐらいは頭にいれていた。

 

 

「ここから南南西1、3キロ先」

「わかりました。方向と距離さえわかれば、後は高みから追えますね。地図は頭に入れていますので。それでは――」

 

 

 アイクを見た。どう言えばいいものかと思って、言葉に詰まった。

 

 すると、悟ったのか、アイクは正面で両手を振った。

 

 

「あ、いい、いい。僕がいても足手まといなだけだろ?」

 

「あ、いえその、申し訳ありません。不愉快にさせてしまったなら、謝ります」

 

「いい子なんだね、君は。君のような子供に託すのは申し訳ないけれど、僕らではどうすることもできないんだ。任せていいかな?」

 

「どこまでできるかはわかりかねますが、やれるだけのことはやってみようと思います」

 

 

 そう言い残して、リンはその場から姿を消した。

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

「マルコさん!!」

 

 

 街中を歩く二人に向かって、リンは呼びかけた。

 マルコとネイファが振り返る。

 

 

「あぁ? あ、お前はさっきの。どうしてここが――」

 

「そんなことよりマルコさん。あなたに、お話があります。少しお時間をいただけますか?」

 

「え、そんなもん、嫌に決まってんだろ」

 

「はわ!!」

 

 

 声を跳ねさせて、リンが驚く。

 

 

 てっきり無条件で聞いてくれると思ったのに、そういうことではないのか。

 

 

「いや、そんなに驚かれても困るな。百人いたら九十人はこう答えると思うぞ? 俺と話がしたいなら、そうだな。十万ルートは包んでくるんだな。それなら考えてやるよ。貰った上でな。あっはっは」

 

 

 笑って、マルコが背を向ける。

 紫の髪をした人は、何かを測るようにリンを見据え、やがて同じく背を向けた。その時、見鬼(けんき)は、用いていなかった。

 リンはポケットの中を引っ張ってみた。お金は入っていない。スカートの生地だけが、表に出ている。

 

 

 親指と人差し指の間であごを支え、リンは少し考えてみる。

 

 

 正直マルコの言葉は正論である。しかしアイクは自分ならいけると言っていた。きっと、自分だけが見落としている何かがあるのだ。

 周囲にとってはわかりやすく、自分にとっては見えづらい。そんな、灯台もと暗し的な、何かが――

 

 

(あ!! そっか!!)

 

 

 ポンと、リンは掌を叩いた。

 

 

「――あたしは、リティシア=ヒョウの妹ですよ」

 

 

(ここの情報を詰めておけば、多分大丈夫なはず)

 

 

 マルコが足を止め、振り返る。

 その顔には無数の青筋が浮いていた。

 

 それでもリンは微塵も動揺しない。

 本当に怖い人間は底が見えない人間である。

 怒りをまき散らし自分の力を誇示する人間に、素人は騙されても、決死組には通用しない。

 

 

「へー、そうなのか」

「少しは興味がわいてこられましたか?」

「ああ。血管ぶち切れそうなぐらいにな。ネイファ。先に帰っててくれ。俺はこいつと、少し話があるからよ」

 

 

 ネイファはため息一つ。

 スッと細めた瞳でリンを見据える。

 何かを探っているように見えるが、やはり見鬼(けんき)は用いていない。見鬼(けんき)を用いるとアルカナ反応により瞳の色が深くなるので、見るものが見ればわかるのだった。

 少女がツインテールにした髪をかき上げる。

 そして一人スタスタと帰路(?)についた。

 

 

「ついてきな。話すのに絶好の場所に連れていってやるからよ。くくく」

 

 

 マルコもまた、背を向けて歩き出す。

 

 リンは目を上向けた。

 

 

(兄様の名を勝手に使ってしまった。後で報告しておかないと……)

 

 

 思いながら、リンは足早に、マルコの後についていく。

 

 前を歩くマルコは、狂気を(はら)んだ顔で、笑っていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

カードで勝負

 マルコに案内された場所は、いかにも裏道といった場所であった。

 建物に挟まれているためいかにも薄暗く、道が狭い。

 

 

「この家の二階だ。ついてきな」

 

 

 階段を上るマルコの後に、リンがついていく。

 ふとマルコが振り返る。

 多分自分が足音を立てていなかったからだろう。

 リンは無表情で応じた。

 マルコは何か言いたげな顔を見せて、何も言わず、先に進んだ。

 

 ガチャリ。

 

 マルコが扉を開いた。

 リンは反射的に、新月布で見えなくしている刀をつかむ。

 漏れ出してくる明かり。和気あいあいとした声。

 

 音だけでも、リンが予想していたものとまるで違う。

 もっと、暗闇、煙草の煙、いかつい殺意などなどを予想していたのだ。

 リンは動揺を悟られぬよう、ソッと身体を傾け、中を覗き見た。

 

 

「ローン。トイトイドラ三。マンガーン!!」

 

 

 広がっていたのは、あまりにも予想外すぎる場所だった。

 リンは両手を口元にあて、動揺を隠す。

 反射的にしてしまうその仕草、表情は、狼ではなく、いつもの十一歳のリンであった。

 

 

「あ、兄貴じゃないですかー!!」

 

 

 麻雀を打つことなく、椅子に座っていた男が言った。

 立ち上がって、近づいてくる。びっこをひいていた。どうやら片足を怪我しているみたいだ。頭にも包帯を巻いている。

 

 

「どうしたんですか? 今日は。そんなちっちゃい子捕まえて。もしや彼女ですかい?」

 

「んなわけあるか。それよかお前」

 

 

 ガバリと男の肩に手をかけて、背を向けるマルコ。

 やはり何かあるのかと、リンが目を細くする。

 しばらくして。

 

 

「あっはっは」

 

 

 男が笑った。

 

 

「心配しなくても大丈夫ですよー。オヤジは下で寝てますし、何かあったらガツーンと俺が言ってやりますから」

 

「そ、そうか?」

 

「それにしても兄貴も大変っすねー。俺も親父に言ってやったんすよ。ここで姉さん見捨てたら兄貴じゃないだろうって。でもまあ大人ってのはどうもねえ。何でこう、乾いた意見ばっか出すんですかねえ。ネイファ姉さんの気持ち考えたら、兄貴は絶対正しいっすよ。今姉さんに必要なのは、自分を見てくれる人が少なからずいるっていう事実です。間違いないですって」

 

「お、お前ー。相変わらず口がうめえなー。さすがは接客業の店員だ。すげえよお前」

 

「おべんちゃらはやめてくださいよー。事実言ってるだけっすよー。で? 今日は何の用で?」

 

「ああ。あの部屋なんだが、今は空いてるか?」

 

「ああ。俺の部屋っすか? そりゃ開いてますよ。そもそも俺の部屋を客に使わせる方がどうかしてますからね。鍵はあいてますよ」

 

「サンキュ」

 

「ちょっと待った。その前に、マジで誰なんですか? この子。さすがの俺でも子供に乱暴は擁護できません――いて!!」

 

 

 マルコがポカンと男を殴る。

 

 

「んなことするかバカ!! こいつはあれだ。あの眼鏡野郎の妹だよ」

 

「え!! あいつの!! てんめえ!! 俺様はなあ、お前の兄貴に足と頭を――いでででで!!」

 

 

 今度はマルコが男の鼻をつまんだ。

 普通に痛そうで、リンは少し心配した。

 

 

「自分が一秒前に言ったこと忘れてんじゃねえバカ!! とりあえず、酒持ってこい酒。後、こいつにはジュースな」

 

「へい」

 

「いえ、あたしに気遣いは無用です」

 

 

 被せるようにして、リンが言った。表情はガラリと消えている。

 敵地で出たものを口に入れるほど、リンもバカではなかった。

 もっとも、リンは薬に対して耐性があり、よほどの量でなければ、大事になることはないが。

 マルコと男が顔を見合わせる。

 

 

「クシム。コップ二つとピッチャー持ってこい。水でいい」

 

「いえ、あたしは――」

 

「別にお前のためにしようってんじゃねえ。こっちもムダ金使わなくて済むと思っただけさ。ついてきな」

 

「……はい」

 

 

 

   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 カッカッカッカッカ。

 

 

 六畳ほどの小さな部屋で、マルコが手際よくトランプを切っていた。テーブルを挟んだ先で、リンが正座して座っている。

 

 

 テーブルの上にはピッチャーとコップ。お互い口をつけてはいなかった。

 

 

「お前は俺に話があると言っていたな」

 

「はい」

 

「偶然にも、俺もお前に話がある。ただ普通に話してもつまらねえ」

 

「いえ、あたしは別につまらないとは思いません」

 

「俺がつまんねえの!!」

 

「はい……」

 

 

 マルコに吠えられ。リンはシュンとしてうつむいた。

 年齢に関係なく、リンは押しに弱い女であった。

 

 

「さてゲームは何にするかな。お前、ブラックジャックは知ってるか?」

 

「武具の中にはそういったものはある、ということは存じておりますが」

 

「……マジに言ってる? それともギャグか?」

 

「えっ?」

 

 

 反射的に声が裏返り、そんな自分を隠すように、両手を口元にあてがった。

 多分自分の顔は赤くなっているだろうと思ったが、抑えようと思ってどうにかできるものでもなかった。

 

 

「ああいや、そうだな。お前外人だもんな、うん」

 

「申し訳ありません」

 

 

 シュンと俯く。

 台無しであった。

 やはりヒョウのように上手くいかないものだなと思う。

 自分を偽るのは、難しい。

 

 

「いや、別に悪くはないけど、調子狂うな。じゃあ物凄く簡単なゲームにするか。お互いに一枚引いて、カードが強い方が勝ちな。ただ、強いのは、ジョーカー、エース、キングの順な。エースはやっぱり一番じゃなきゃな。これは譲れない。三回勝負して、勝った方が聞きたいこと、言いたいこと、三つ質問。どうよ、シンプルでわかりやすいだろ? お前もカットしてくれていいぜ。俺の経験上シャッフルから入るサマは大体リフルシャッフル系を使うが、上手い奴ならこのヒンズーシャッフルでもできるだろう。まあシャッフルした後のイカサマだってごまんとあるから、完全なイカサマ防止とはならないだろうが、そこはまあ、信用だな」

 

「……」

 

「何だよ、嫌なのか? しかしこれ以上簡単な勝負となるとなー。あ、お前麻雀打てるか?」

 

「あ、いえそういうわけではありません。お心遣いには感謝しております。ただあの……この勝負はやめた方がよいと思います」

 

「え、なんで?」

 

「イカサマがないこと前提ですが、この勝負はきっとあたしが勝ってしまいます。お互いに、話したいことを一言ずつ告げる。そういうわけには参りませんか?」

 

「どうして勝てると断言できる」

 

「少しカードを引かせていただいてもいいですか?」

 

「は? 別にいいけど?」

 

 

 三枚ほどリンはカードを引いた。顔を曇らせる。引いたカードは、3、10、7。とりわけ、特筆すべきこともない、カードの並び。

 リンはそのカードを、デッキの一番上に戻した。

 

 

「申し訳ありません。もう一度混ぜていただいて構いませんか? あたしはその……混ぜることができないので」

 

「あ、ああ。別に構わねえけど」

 

 

 マルコが今一度シャッフルする。

 そして、デッキを今一度真ん中に置いた。

 

 

「再三になりますが、この勝負はきっとあたしが勝ちます。ただ証明することができません。ここは、信用です。信じられるかどうかは、お任せします」

 

「言ってる意味がわからなすぎるな。そして信用しないな。何故なら意味不明だから。そしてこれ以上ルールを簡単にすることもできない。だかれこれをやる。以上。先攻後攻どっちにする?」

 

「……あたしはどちらでも構いません。ご自分が勝てると思う方を、選んでみてください」

 

「主体性がないやつだなー。本当にあいつの妹か? まさか嘘ついてんじゃねえだろうな」

 

「……」

 

「……じゃあ俺が先手な」

 

 

 マルコがため息一つ、カードをめくる。

 

 

「……ではあたしは後手を。あ……」

 

 

 めくってすぐ、リンが顔を曇らせた。

 それを見て勝ちととったか、マルコが嬉しそうに笑った。

 

 

「アッハッハ。だから言ったろ? 勝負はやってみないとわからねえんだよ。まあ――俺も七だったわけですが。お前は?」

 

「いえあの、申し訳ありません。こちらです」

 

 

 リンがカードを提示する。

 表示されている文字は1。つまりはエース。

 実質最強と言ってもいいカードだった。

 

 

 マルコは狐につままれたような顔をしていた。

 考えてみると、ほぼほぼ勝てるカードでもったいぶった反応をしてしまった。

 だから目を伏せながら言葉を発した。

 

 

「……あの、申し訳ありません」

 

「……お前恐ろしくカード運強いな。まあいいや。まだ初戦だし。次は? 先手後手、どっちにする?」

 

「どちらでも構いません」

 

「じゃあ次は、お前が先手にしろ」

 

「わかりました」

 

 

 承諾しながら、カードをめくる。

 カードの数字を見て、またリンは顔を曇らせた。

 

 

「よしきた、クイーンだぜ。お前は」

 

「あの……申し訳ありません。エースです」

 

「……」

 

「あの……今からでも公平なルールに変えませんか? リンは別に、その方が……」

 

「いや、なるほど。これは俺が悪い。確かにお前は、あいつの妹だぜ」

 

「……」

 

「次はどっちにするんだよ。またどちらでも構いませんか?」

 

「はい……」

 

「ならお前が先手だ。悪いけど、こっちで配らせてもらうぜ」

 

「はい……」

 

 

 配られたカードをリンがめくる。その間、マルコはリンのことをじっと見つめていた。

 

 イカサマを疑っているのだろう。そしてそれは、誰でも思うことでもある。だが――

 

 

 札を確認して、リンは笑った。皮肉だなと思ったからだ。

 

 

 リンはイカサマをしていなかった。何もせず、エース二枚を引き、今またこのカードが手札に配られた。

 

 

 何故か? 飾らぬに言えば、運がいいのだ。

 

 

 親が死んだ。兄姉が死んだ。幼馴染も死んだ。自分だけが生き残った。ハッキリとわかる。運がよかったから、人の運命を喰らったから、生き残ったのだと。

 

 

 そんな自分はまさに――

 

 

「マルコさん」

 

 

 マルコが眉を持ち上げた。

 

 

「新しくカードをめくる必要はありません」

 

 

 リンは持っているカードを、マルコに向けた。

 リンが引いたカードは――

 

 

死神(ジョーカー)です。あたしの勝ちです」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

説得

 マルコが笑って、両手をあげる。

 

 

「……見破れねえな。完敗だわ」

 

 

 グラスに水をいれる。二ついれて、片方をリンに渡した。

 グビグビと、マルコが水を飲む。リンはやはり、手をつけなかった。失礼とは、思いつつも。

 

 

「かーっ。やっぱサマ用のトランプ使うべきだったぜ。正々堂々なんて、甘いことした。で、話したいことってのは? 言っとくけど、三つまでしか受け付けないからな?」

 

「ではまず一つ」

 

 

 リンが目蓋を下ろす。敵地においてこれも失策だが、少なからずマルコに心を許している証拠だった。そしてそれとは別の話で、リンは――

 

 

 目蓋を開く。居すまいを正した。

 

 

 ――リンは、怒っていた。

 

 

「あたしが二枚のエースを引いた時、あなたは、さすがあいつの妹だ、と言いましたね。撤回しろとは言いません。ただ覚えておいてください。兄様は、そのような人ではありません」

 

「……」

 

「仮に兄様があたしと同じなら、あなたは絶対に兄様には勝てません。あたしを打ち破ることができないのに、どうして兄様に勝てるのですか? 兄様であれば、例えどのような勝負でも、あたしなんて簡単に打ち破ります。恐らく兄様への再戦を望んでいるのでしょうが、やめた方がよろしいかと。怪我をするだけです」

 

「……ふん。ずけずけと言いたいこと言ってくれるじゃないか。まあそういうゲームだからしゃあねえか。他に言いたいことは?」

 

「二つ目です。あなたはクラスの人間を襲撃しているそうですね。妹さんのために」

 

「……」

 

「詳しい事情は聞きません。やめろとも申しません。ただこれは忠告です。やめた方がいいと思います。このような遊戯とは訳が違います。被害者がいて、加害者がいる。いつか必ず、報いを受けることになると思いますよ」

 

「へっ。報いならもう受けてるよ。この頭もそうだし、停学もされてる。ま、次は退学だろうなー。お前、死聴と死幻は知ってるよな? いってもお前の瞳の色は紫暗(しあん)。つまり、魔力量十一位の超々高魔力魔術師なんだからよ」

 

 

 死聴とは、高魔力魔術師と先天性魔術師が聴く、悪意ある幻聴のことである。人を見る、ただそれだけのことで、脳内で誰かが悪意を囁く。殺せ滅ぼせと。聞かなければ、強烈な頭痛がその者を襲う。

 これは、死念が与えた力の代償だった。死念は生者のために力を与えいるのではない。寂しくて、死界に生きとし生ける者を引きずり込みたくて、生者に破壊の力を与えているのである。

 死幻もそれと同じようなもので、悪意ある幻が、ふっと気を抜いた時に、突如見えたりするのだとか。

 

 他人事のような言い方をしたが、リンも同じく高魔力魔術師である。しかし、死聴も死幻も、聴いたことも見たことなかった。

 これは先のエース連続引きと同じく、リンの幾つかある特殊能力の一つであった。

 

 

「ああ、悪い悪い。女は死聴、死幻を聴かない見ないとするのがマナーだったか? まあいいや。とにかく俺たちってのは、そういう危険極まりない存在だ。仮に俺みたいな低魔力魔術師でも、一般人はみんな怯える。こいつも死聴を聞いてるんじゃないか。死幻を見てるんじゃないかと。だから、みんな魔術師学園に入る。そして、最低限の教育を受けきれなかった、いわゆるドロップアウト魔術師は、犯罪予備軍どころか、人殺し予備軍だ。もちろん、差別は犯罪だ。だから、誰も口に出しては言わない。が、誰もそんな奴を雇ったりはしない。つまり、次に何かをしでかし、退学になってしまえば俺は、晴れて人生の終わりってわけだ。特に北頭は、お前らが思っている以上に村社会だからな。ははは」

 

「で、あるならば、なおのこと卒業に努めるべきではないのですか? 今はまだ退学ではないのでしょう? 捨て鉢になるには早すぎます。そしてそれが難しいことだとは、あたしには思えません」

 

「百パーセントその通りだな」

 

「ならば」

 

 

 リンが言った。

 マルコは何も言わず、目を伏せて笑った。

 

 

(この人は未だ暴力に訴えてはいない。それが自分に勝てないからだとは思わない。根は悪い人じゃないのだ。だったらまだ――引き返せる)

 

 

 リンが、その小さな手を広げた。

 

 

「あなたの道は裏に通じています」

 

「……」

 

「あなたは多分覚悟をしているのでしょう。全てを失うことを。理解もしているのでしょう。それがどのような結末をたどるのか。それだけの想いを込めて、どうしてこんなことをするのか、あたしにはわかりません。探ろうとも思いません。ですが、覚えておいて下さい。あなたが正道から外れれば外れるほど、あなたの姿は周囲から消えていく。あなたを愛し、追おうとするなら、その者もまた、その闇の道に入るしかない」

 

「……何が言いたいんだよ」

 

「このまま同じことを続けたら、あなたの仲間も同じ報いを受けることになるでしょう。現に、先程の人は、足と頭を怪我していました。あれがあなたのせいではないと言い切れますか? 巻き込んでいない。そう断言できますか? 次は、あなたが守ろうとしている、妹さんの番かもしれないのですよ? ここであたしと出会ったのも(えにし)――いえ、きっかけと考えて、今後のことを、ほんの少しでも、一考していただけませんか?」

 

「お前は勘違いしてるな」

 

 

 マルコがグラスにいれた水を、グビグビと飲み込む。

 

 

「ネイファはな、最強なんだよ。報いを受ける? あいつがその気になれば、報いなんて簡単に払えるよ。あいつにできないことなんかない。ガキの頃からそうだった。何だったら『産まれた時から』そうだったんだ」

 

 

 先天性魔術師は、産まれた時から自我を持ち、泣くことさえしない。多分ネイファは、先天性魔術師なのだろう。

 ちなみにリンは人間だが、同じく産まれた時から自我を持っていた。理由は不明である。

 

 

「だが今は、弱ってる。殻に閉じこもって、自問自答してるんだ。本当にこのままでいいのか。この道を歩み続けて、本当にいいのかってな。俺はな、許せねえんだよ。あんなことがあったのに、ネイファを落そうとしているあいつらが。人間ってのは容赦ないもんだぜ。強者の時はヘコヘコ笑い、いざ落ちたら全力で落とそうとしてきやがる。だったらな!!」

 

 

 ガンと、マルコが机の上を叩いた。

 

 

「俺が相手になってやるって言ってるんだ!! 俺程度に勝てない奴が、あのネイファに勝てるわけがない!! あいつが立ち直りさえしたら、あいつが……っ」

 

 

 自分の拳を力一杯握りしめる。

 爪を立てていて、見ているだけで痛々しい。

 リンは目を閉じた。

 

 

 この人は悪だ。間違いない。実際アイクは攻撃された。他の学園の生徒達も。本人が証言しているし、自分も見てもいる。これらの事実を否定することはできない。それでも――

 

 

(申し訳ありません。これ以上は、立ち入れない)

 

 

 リンが瞳を開いた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

鏡に映る俺を見ろ

「……つまり、やめる気はない、ということなのですね」

 

「――当然だ」

 

「そうですか。残念です。――と、そう言えば、たくさん話してしまいました。申し訳ありません。三回という約束でしたのに」

 

 

 口元を隠して、リンが言った。

 

 その姿を見て、マルコが吹き出すようにして、笑った。

 

 

「あっはっは。お前本当にあいつの妹か――おっと、これはお前にとっての侮辱になるんだったか? それはさておき、別に構わねえよ。どうせガバルールだし。さてどうするかな。もう一回やるか? つってもお前にとってはもうメリットないか?」

 

「そうですね。あたしから言いたいことはありません。ただ……」

 

「ただ?」

 

「マルコさんに言いたいこと、聞きたいことがあるのなら、言っていただいても構いません」

 

「え」

 

「あたしは元々、公平な話し合いをするつもりでした。結果は残念でしたが、マルコさんへの裁きを、あたしがどうこうするのも、おかしな話ですから。何か聞きたいことがあるのなら、おっしゃってください。ただ、あたしに答えられること、言えることは、限られているかもしれません。それに関しては、先にお謝りしておきます。申し訳ございません」

 

「変わってるな、お前」

 

「そうでしょうか?」

 

「何の得にもならないだろう?」

 

「そのようなことはありません。情けは人のためならず、とも申しますし」

 

「東尾の格言か。聞いたことあるな。確か、情けは相手のためにならないから助けるなってことじゃないのか?」

 

「ち、違います。情けは人のためならずとは、誰かのために何かをすれば、一周回って自分のためになるから、積極的に助けていきましょう、という意味です」

 

「なるほど。つまり自分のためか」

 

「はわ!! そ、そのようなことはありませんが……」 

 

 

 目を伏せながらリンが言った。

 否定しようと思ったが、言われてみると確かにその通りでもあるのだった。

 

 

 そんなリンを見て、マルコが『ガハハ』と大笑する。

 そうやって笑われると、実はすごくいい人ではないのかと、思えてしまう。

 もしかしたら自分は、よく笑う人が好きなのかもしれない。

 

 

(もちろん、兄様への想いが消えてなくなってしまうわけではありませんが……)

 

 

 居住まいを正しながら、リンは思った。

 

 

「そうだな……じゃあお前の兄貴について。お前の兄貴は、今どこで何してんだ? お前ら留学生だろ。北頭(ほくとう)が平和とはいえ、お前みたいなガキを異国でいきなり一人にするとか中々だぜ。まだ来て一週間と経ってねえだろ」

 

「兄様は今、とても大事な仕事をしている最中ですから。それが何とは申し上げることができないのですが……」

 

「ふーん、つまり、この国を亡ぼす破壊工作している最中ってことか。お前ら決死組ってやつなんだろ?」

 

「はわ!! ち、違います!! 兄様は今、ミーティアさんを守るために護衛を――あ!!」

 

 

 リンが両手で口元を押さえるが、時すでに遅し。顔を赤くして、マルコを見つめるリン。マルコはそんなリンを見て、また笑った。

 

 しばらくして、マルコが立ち上がる。

 

 

「悪いけど、ちょっとトイレ」

 

 

 マルコが『鞄を持って』離席した。常識的に考えれば中々怪しいが、リンは疑うということを滅多にしない。だからその行動を、プライバシーを保護のための行動と思い込んだ。

 一人でちょこんとその場に座るリン。一人でいると、色々考えてしまう。リンが考えることと言えば、大抵ヒョウのことである。

 

 

(そういえば、兄様から何か返信とかきたりしていないのだろうか)

 

 

 伝書に手をかけた、その時。

 

 

 ガタンガタン。ガタンガタン。

 

 

 手の中で伝書が暴れた。

 

 

「はわわ」

 

 

 思わず声をあげる。伝書を手の中で跳ねさせながらも、捕まえて、開いた。

 

 

 文面は――

 

 

『お前今どこで何してる?』

『お前今どこで何してる?』

 

 

 同じ言葉が、二つ重なっている。つまり、一件見逃していた。

 

 

「はわ!!」

 

 

 リンはまたまた声をあげていた。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 マルコは洗面所に立っていた。

 

 足元には鞄。手には伝書を持っている。

 

 当たり前だが、マルコはリンとカードゲームで遊ぶためにこんなところに連れ込んだわけではない。

 マルコの目的は、リンの軟禁。つまり、リンはヒョウを釣り出すための餌なのだ。

 

 

(ヒョウの場所は聞き出せた。今はミーティアといるらしい。つまり、ダチをミーティア邸に走らせ『お前の妹はこっちで預かっている』という手紙を本人、あるいは執事等に伝えれば、普通に考えればまず来るはずだ。来なければ人間ではない。悪魔だ)

 

 

 しかし、どうだろう? 本当にいいのか? それで。

 

 

『あなたの道は裏に通じています』

 

 

 リンの言葉。

 頭の中に、静かに響いた。

 

 

『あなたは多分覚悟をしているのでしょう。全てを失うことを。理解もしているのでしょう。それがどのような結末をたどるのか』

 

『このまま同じことを続けたら、あなたの仲間も同じ報いを受けることになるでしょう。現に、先程の人は、足と頭を怪我していました。あれがあなたのせいではないと言い切れますか? 巻き込んでいない。そう断言できますか? 次は、あなたが守ろうとしている、妹さんの番かもしれないのですよ?』

 

 

 リンは子供だ。しかしリンの言ったことは、一理どころか百理ある。だがそんなことは、重々承知した上で、今の今まで罪を犯してきたのだ。

 

 

 何だったら、ネイファに災厄がかかってもいいとさえ、思っていた。『いつもの』ネイファなら絶対に打ち払える。そんな勝手な期待を、ネイファの双肩に乗せた。

 重ねていたんだ。妹であるはずのネイファに、『殺された』母親の姿を。子供のように、無垢に期待して、信頼した。しかしネイファは、自分より二歳も年下の、十四の妹だ。

 だから結果は惨憺たるもので、底のない沼に、どこどこまでも、沈んだ。

 

 

『あたしは元々、公平な話し合いをするつもりでした』

 

『ち、違います!! 兄様は今、ミーティアさんを守るために護衛を――あ!!』

 

 

 リンは子供だ。

 どれだけ大人びていても、それは間違いない。

 

 

(子供にここまで真摯に向き合われて、それでも裏切るというのか。いや、そもそも、子供を利用して、本当の目的を釣り上げる、その手段こそ、クソじゃないか。そんな考えに至れないほど、今の俺は堕ちているのか……)

 

 

 鏡に映った自分。

 染めていた髪も、縛れるほど伸ばしていた髪も、今ではない。

 青少年保護プログラムの禿頭刑を受けたからだった。

 

 

 だからどうしたと思っていた。

 ネイファのためならどうなってもよいのだと。

 それが本当は、ネイファのためになっていないことも、『実は』知っている。

 それでも、やった。

 何故か。

 それはつまり――

 

 

 自分のためってことだ。

 ネイファのためじゃないなら、当然そうなる……。

 

 

『ここであたしと出会ったのも(えにし)――いえ、きっかけと考えて、今後のことを、ほんの少しでも、一考していただけませんか?』

 

 

(きっかけか……)

 

 

『ち、違います。情けは人のためならずとは、誰かのために何かをすれば、一周回って自分のためになるから、積極的に助けていきましょう、という意味です』

 

 

 ミーティアは、知らぬ仲じゃない。ミーティアは実はあれでかなり賢い。かなり意外と思われるだろうが、マジでそうだ。

 しかし自由奔放すぎて、毎度何かに巻き込まれる。

 

 

(眼鏡野郎が護衛についているということは、また何かに巻き込まれたということだ。ここで邪魔をすれば、ミーティアの身に何かが起きるかもしれない。まあ、こんなことが、誰かのためにとは、ならないだろうが……これが今の俺にできる、精一杯なんじゃないのか……?)

 

 

 伝書に何も記さず、閉じようとした、その時。

 

 

『いいことを教えてやろう』

 

 

 今度はヒョウの言葉が頭に響いた。

 

 

『裏道ばかり歩く人間は、いつか必ず、同じ道を歩むものに潰される。誰も通らない道だから文句も言えない。一言で言えば――因果応報ってやつだ』

 

 

 笑った。

 確かに、どれだけ善行を積もうが、自分の末路は滅びなのだろう。

 それだけのことはしてきた。

 今更何かをして、許されるとは思っていない。だが――

 

 

(それでも、曲げられねえところってのは、あるもんなんだよ。男だからよ)

 

 

 パタン。

 マルコは誰に連絡することもなく、今度こそ、伝書を閉じた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ヒョウからの返信

『お前今どこで何してる?』

 

『お前今どこで何してる?』

 

 

 伝書に並ぶ二つの文字。

 これが意味する理由は一つしかない。

 

 

(一通見逃しちゃっていた!!)

 

 

「はわ!!」

 

 

 思わず声を上げてしまう口を、リンは両手で押さえた。

 キョロキョロと辺りを見渡す。

 独り言にしては、声がでかすぎたからだ。

 

 

(とりあえず、早く兄様に返事を返さないと)

 

 

 急ぎペンをとり、ペン先を走らせた。

 

 

『も、申し訳ありません、兄様。気づくのが遅れてしまって。今はマルコさんと、お話ししています。場所は、ウエストエリアの裏の遊戯施設なのですが、申し訳ありません、店名と明確な場所は、ちょっとわかりません。今からでも見てきた方がよいでしょうか?』

 

 

 伝書にそうメッセージを書き記した。

 

 

「ふぅ」

 

 

 書物を閉じてリンが一息つく。

 しかし。

 

 ガタンガタン。ガタンガタン。

 

 また伝書が暴れだす。

 慌てて、リンが伝書を開いた。

 

 

『アっホかてめえは!! 意味深なこと言うなら返信ぐらいとっととしろ!! 無駄に心配するだろうが!!』

 

 

「は!!」

 

 

『わ』と言う前に、手で口元を隠す。

 また独り言を言うところであった。

 指先で、伝書に綴られた文面をなぞる。

 怒らせてしまったと思って、シュンとする。

 しかしその後、心配してくれたんだと思って、笑った。

 羽ペンを手に取り、インクにつけて、ペン先を伝書につけた。

 

 

『申し訳ありません、兄様。ご心配してくださって、ありがとうございます。こちらは特に危険なことはありません』

 

 

 引き続き任務をお続け下さい。

 そう(つづ)るか悩んで、手を止めた。

 そして、今一度ペン先を伝書につける。

 

 

『兄様の仕事は、順調ですか?』

 

 

 (つづ)ったのは、別の言葉だった。

 伝書を閉じて、インクを転移させる。

 何となく、伝書を抱き締める。

 

 ガタンガタン。

 

 胸の中で伝書が暴れて、それを開いた。

 

 

『順調っちゃ順調だな。多分今日中に終わる』

 

 

 今日中という言葉を見て、リンの顔が自然と綻ぶ。

 もうすぐ会える。

 もちろんそれは、嬉しい。

 しかし一番嬉しいのは、口に出した言葉を、絶対に違えないということだ。

 それはつまり、今までのヒョウの言動も、全て外れない、ということでもあるのだから。

 

 

『ずっとずっと、リンのこと、見ていてくださいね、兄様』

 

『ま、その時まで気になっていたらな』

 

 

(……)

 

 

 ふとあの日の、夕陽の言葉を思い出す。

 勇気を出して言った。

 絶対に言葉を違えないということは、否定されたら、終わりということだ。

 しかし結果、ヒョウにはぐらかされて終わった。

 だが『その時まで』であった。

 つまり、今は気になってるということだ。ふいに出た言葉ということもあって、こんなに嬉しいことはなかった。

 だからついつい力一杯納得してしまったのだが、よくよく考えてみると、確約はできない、ということでもあった。

 

 

 嘘を言ったのが悪かったのだろうか? 

 素直に本当のことを言うべきだっただろうか?

 

 

(でもお礼も言いたかったし……)

 

 

 いや。いやいや。

 そんな自分をたしなめるように、頬を何度か叩く。

 

 

(お前は俺が守ると、言ってくれたことだってあるんだ。だから兄様は絶対に消えない。消えるわけない。ずっとずっとリンのそばにいてくれる、はずだ)

 

 

 リンは今一度、ペン先を伝書に乗せた。

 

 

『だとすれば良かったです。兄様と会えるのを、楽しみにしております』

 

 

 本を閉じて、伝書につけたインクをヒョウの伝書に転移させる。

 しばらくして、また伝書が揺れた。

 

 

『ところで、お前が話してるマルコってのは、あのハゲか?』

 

 

 リンは少し言葉に悩んだ。

 

 

(兄様は言葉が悪いのが玉に瑕だな……)

 

 

 リンが少し苦笑いを浮かべる。

 

 

『多分兄様の思われている方で間違いないかと。頭を剃り上げられている方です』

 

『あいつに俺のことを話したか?』

 

 

 リンは少し顔を曇らせた。ペン先にインクをつける。

 

 

『申し訳ありません。少し仕事の内容を話してしまいました』

 

 

『猫娘のことも?』

 

 

『はい。ミーティアさんのことも、付け加えてしまいました。申し訳ありません』

 

 

『あいつは俺がどこにいるか聞いてこなかったか?』

 

 

『はい、そうですね。あたしが一人でいたので、心配してくれたようで』

 

 

『なるほどな。ハゲに伝言しといてくれ。手薄なのは、西側だとな。そしてお前はそこにいろ。片付いたら迎えにいく。絶対にそこにいろよ』

 

 

 ガチャ。

 

 扉が開いた。

 

 マルコだった。リンは思わず伝書を閉じた。不思議と、密会の現場を見られたような、そんな気持ちになって、背筋がブルリと震えた。

 

 

「どうしたんだよ?」

 

「いえ、今兄様とお話ししていたのですが」

 

「眼鏡野郎と?」

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

リン、駆ける

「伝言を頼まれました。手薄なのは、西側だそうです」

 

 

 マルコが目を見開き、こめかみに青筋を浮かべた。

 しかしすぐに、笑って怒りを消した。

 

 

「ふん。とことん舐めてくれるぜ、お前の兄貴はよ」

 

 

 部屋に入ってきたマルコが、リンの正面に腰掛け、鞄から伝書を取り出した。

 

 ペン先にインクをつけ、伝書にサラサラとペンを走らせる。

 

 

「兄様が言いたいことが、お分かりになられたのですか?」

 

「ああ、わかったよ」

 

「差し支えなければその……教えていただいても、よろしいでしょうか?」

 

 

 目を伏せながら、リンは尋ねた。

 

 

(情けない……。副官としてここに来ているのに、部外者の人にもわかる言葉の裏が読み取れないなんて……)

 

 

「あいつは、俺に、というか、俺の仲間に、自分を襲撃させたいんだよ」

 

「えぇ!? そ、そのようなことは……!!」

 

「西が手薄ってのは多分そういうことだろ。ミーティアの家の西側が手薄なんだ。そこを襲えってことさ。俺はこう見えてもドラゴン族のヘッドだったからな。そういう仲間も多い。ま、今はほとんど残ってねえけどな」

 

「あの、失礼ですが、どうしてそのように思われたのでしょうか? 西が手薄という一言だけでは、その解には絶対に至らないと思います。今一度、考え直された方がよろしいのではないでしょうか? 間違っていた場合、その、皆さんに迷惑がかかってしまいます」

 

「いや、合ってるよ。絶対に」

 

「何故そう言い切れるのですか?」

 

「それは――俺が、極悪人だからよ」

 

 

 マルコが親指で自分を指して言った。

 その言葉を聞いて、リンが両手で口元を隠す。

 

 リンは嬉しい時によくこうする癖があるが、単純にビックリした時でも勿論こうする。

 そして今回はあまり嬉しくない驚きだったので、その後、リンはシュンと俯いた。

 

 

「ふっ。悲しませちまったか? まあ俺は優しさあふれるムーブばかりするから、勘違いさせちまうのも無理はねえ。あっはっは」

 

「いえ、その、はい……」

 

 

 自分のことを極悪人と称する。

 それはリンが聞いた、ヒョウの初めての言葉である。

 

 

(他の誰からも聞きたくなかったな……)

 

 

 マルコの大笑は、今も響いている。

 何がそんなにおかしいのだろう。

 思いながら、リンはマルコを見据えた。

 

 

(はっ!!)

 

 

 そんな自分の眉尻が持ち上がっていることに気が付いて、リンは頭を振った。

 

 

(今あたしちょっと怒っていた?)

 

 

 落ち着こう。このようなことは、これから何度でも起きる。

 その度にこのような感情になっていてはキリがない。

 

 

(早く兄様に会いたいな……。というか、本当にマルコさんの考えは当たっているのだろうか。一度確認した方が――)

 

 

 伝書に目を向ける。

 マルコは未だ大笑していた。

 その時。

 

 

 ガタンガタン。

 マルコの伝書が激しく揺れた。

 

 

 マルコが伝書を開くその前に、バタンと扉が開かれた。

 

 

「兄貴!! 大変っすよ!! 伝書、見ましたか!?」

 

「いや、今から見るところだけど? どうしたんだよ、クシム」

 

「今ソボオから連絡が来たんすけど、ネイファ姉さんが、家の前で――!!」

 

 

 言葉が締めくくられる、その前に、マルコは立ち上がっていた。

 リンは静かに、そんなマルコを見据えていた。

 頭が追いつかず、それしかできなかったからだ。

 

 

『ネイファはな、最強なんだよ』

 

 

 先の言葉をかなぐり捨てて、駆けるマルコ。

 本当に最強なら、駆け付ける必要なんて、ないはずなのに。

 

 

『報いを受ける? あいつがその気になれば、報いなんて簡単に払えるよ』

 

 

「どけクシム!!」

 

「え、あ、はい」

 

 

 バンとクシムを押しのけて、マルコが部屋から駆け出していく。

 一人部屋に取り残されたリン。

 予想外すぎて、目をパチパチとさせていた。

 

 

『お前はそこにいろ。片付いたら迎えにいく。絶対にそこにいろよ』

 

 

 ヒョウの言葉。

 リンにとって、ヒョウの言葉は絶対だった。

 だが――

 

 

『だが今は、弱ってる。殻に閉じこもって、自問自答してるんだ。本当にこのままでいいのか。この道を歩み続けて、本当にいいのかってな』

 

『俺はな、許せねえんだよ。あんなことがあったのに、ネイファを落そうとしているあいつらが』

 

『だったらな!! 俺が相手になってやるって言ってんだ!!』

 

『つまり、次に何かをしでかし、退学になってしまえば俺は、晴れて人生の終わりってわけだ。ははは』

 

 

(今、マルコさんを動かすのは、まずい)

 

 

 いつの間にか下ろしていた目蓋、開いた。

 

 立ち上がり、鞄を背負う。出ようとしたその前に、一度立ち止まって、テーブルの上に置かれたコップに目をやった。

 

 

 自分のために出されたものだった。

 しかしそこにはなみなみと水が入ったまま。

 

 リンはそれを手に取り、腰に手を当て、一気飲みした。

 そしてそれをテーブルの上に戻す。

 

 

「クシムさん、お水ありがとうございました!!」

 

「え? あ……はい」

 

 

 戸惑うクシムを押しのけ、マルコと同じように部屋から飛び出る。 

 

 

 カランカラン。

 

 

 鈴の音が響く。

 

 店を出て、手摺りに手をかけた。

 

 マルコ。真っ暗な路地裏を駆けていた。

 

 

(やっぱり!! 遅い!!)

 

 

 リンは手摺りに足を駆け、跳躍した。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」

 

 

 マルコは全速力で路地裏をかけていた。

 

 ネイファならどんな災厄でも払いのけられることは、知っていた。

 心の奥底で、それを見越して事件を起こしていたことも、知っている。

 

 それでもいざ起きると、駆けずにはいられなかった。

 矛盾であることはわかっている。

 

 心の天秤にいつも、期待と不安が乗っている。

 

 

 ネイファならと思いつつ、もしかしたら――

 

 

 ネイファも、お母さんやお父さんみたいに消えてしまうんじゃないかって、そんな不安を、いつまでも拭い去ることができないのだ。

 

 

「どこですか?」

 

「はぁはぁ、あぁ!? って、ええ!?」

 

 

 振り返った先で、リンは駆けていた。

 ただし、足と同等の隙間しかない、塀の上をだ。

 しかも、平地を走る、自分の最高速と同等の速度で。

 足の長さから考えても、これは通常ありえない。

 魔術を使わなければ――

 

 

(これは烈脚法!! 向かい風を殺して駆ける青魔術。平原で用いても足を滑らせる青魔術だってのに、その不安定な足場で楽々とこなすなんて……こいつ)

 

 

 驚愕するマルコ。

 リンは無表情で、息さえ切らすことなく、口を開いた。

 

 

「マルコさんはこれ以上何かをするべきではありません。加えて言えばあたしの方が速いです。先行します。住所を教えてください。この街の地図は頭に入っていますから」

 

「だ、誰が、ぜぇぜぇ、お、お前なん――うお!!」

 

 

 無駄に口を割らないマルコ。リンは塀から飛び降り、マルコの足を躊躇なく払った。転げそうになるマルコを、リンが抱き抱え、跳躍した。

 

 

 飛脚法。風は魔力に反発する。故に、足の裏に魔力を集め、跳躍する青魔術である。

 あの体育お化けのミーティアでさえ、せいぜい五メートル。ネイファで六メートルと少しと言ったところだろう。

 

 リンの飛脚法は、まあまあなガタイの自分を背負っているということもあって、四メートル弱しか飛んでいない。だが、これは競技ではなかった。

 リンは家の塀を蹴り飛ばし、反対側の家も蹴り飛ばし、ミーティアより、あのネイファより、遥かに高い跳躍を見せていた。

 

 

 見上げた先に、三日月が上っていた。

 それを背に、無表情のリンが口を開く。

 

 

「了解しました。では、このまま参りましょう。多分それでも、あたしの方が早いと思いますから。ですから、場所を、あたしに」

 

 

 感情を消し、淡々と事実を語るリン。

 先まで口元を両手で隠し『申し訳ありません申し訳ありません』を連呼していた時とはえらい違いだ。

 

 しかしそれが、自分のための変貌だということも、よくわかる。

 だからマルコは、腹立つこともなく、悔しく思うこともなく、笑ってしまった。

 

 

「――お前は、あの兄貴の妹なのかそうじゃないのか、よくわからねえ奴だぜ……」

 

 

   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 夕日が沈むころ、ネイファは家に帰ってきた。特にどこで何かをしていた、というわけではなかった。ただ、旧市街と新市街の間を通る河のほとりで、ボーっとしてきただけだった。

 

 

「やっと帰ってきたね、ネイファちゃん」

 

 

 ネイファが振り返る。そこにいたのは、アイクだった。手を後ろに回している。

 

 

「……」

 

 

 ネイファは目を細め、そんなアイクを静かに見据えた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ネイファ、笑う

「やっと帰ってきたね、ネイファちゃん」

 

 

 ネイファが振り返る。そこにいたのは、アイクだった。手を後ろに回している。

 

 ネイファは目を細め、そんなアイクを静かに見据えた。

 

 

「マルコの奴はいないよ。とある子が足止めしてくれているからね。本当は僕が隙を見て殺してやるつもりだったんだけどね。イレギュラーがあったからさ。流れに従ってみることにした」

 

「……」

 

 

 殺す。

 

 そんな単語を聞いてもネイファは欠片も動揺せずに、頭を回した。

 

 

(やっぱり、あの時少女が割って入ってきたのは、アイクの差し金か)

 

 

 ザッ。

 

 

 アイクが一歩、足を踏み出す。

 

 

(殴られている時に、魔力をマルコの身体に憑けていた。隙を見て殺すという言葉から見て、背中に回した手に持っているのは――凶器か)

 

 

 目に魔力を込めて、すぐに解いた。ネイファは『あの事件』の後から、見鬼(けんき)を使うことが吐きそうなほど嫌いになっていた。

 自嘲するように、ネイファが笑う。

 

 

「状況把握しているね。君は昔っから賢かったからなー。ガキの頃、五歳の子供にもお前は勝てないのかと、よく親に怒鳴られたものだ。課題をクリアするまではと、部屋に閉じ込められたこともあったっけ。あはは。ああ、せっかくだ。僕が今の状況を分かりやすく説明してあげるよ。君と僕の距離は約七メートル。歩けば八歩。駆ければ五歩って感じかな」

 

 

 一歩、アイクが間を詰める。

 

 

「後ろは家だ。しかし鍵がかかっている。確認済みだ。出入口は一つ。ここのみだ。今は夕方。今日は台風で風が強い。まあいずれにせよ、今の君では、この強風が奏でる狂想曲をかき消すこともできやしない。何せ今の君は『声が出ない』のだから」

 

 

 風。強く吹く。その度に、獣の遠吠えのような音が、響く。

 

 

「でもよかったじゃないか。声を失って。僕は今の君を歓迎するよ。何故だと思う? 昔の君は、強すぎたからだ」

 

 

 アイクがまた一歩足を踏み出す。

 

 

「多分かつての君に勝つのはルイセはもちろん、会長でも難しかっただろう。卒業することもなく、役職にさえついていないのは、君の素行が悪すぎたのと、君に卒業する意思がなかったから」

 

 

 アイクが足を止める。 

 

 

「かつての君は、誰よりも強く、誰よりも口が悪く、誰よりも綺麗に笑う女の子だった。毒を向ける相手に弱者も強者もなかったが、同時に、笑顔を向ける相手にも、弱者も強者もなかった。誰に対しても分け隔てなく接し、そんな政治も何もない生き方で、学園カーストのトップに、かつての君は立っていた。ふふふ。確かに君はすごかった。しかし今は違う。今の君は、両親を失い、声も失い、クラスも落ちて、狂犬に守ってもらえなければランクも維持できない、ハリボテのB級最優秀魔術師」

 

 

 風。また強く吹いた。

 

 庭の木から木の葉がハラハラ落ちて、制服のスカートが、風の方向にそよそよと流れる。

 

 

「おっと、勘違いしないでくれ、ネイファちゃん。僕は君のことを卑下しているわけじゃない。むしろより可愛くなったと思っている。女の子というものは、ちょっと弱いぐらいで丁度いいんだ。男より強い男なんてもってのほかだよ。許されない。だから君がどれだけ可愛く、魅力的であっても、手は出なかった。上級国民の肩書きも、かつての君のような子の前ではハリボテなんだよな。かつての君なら、そんな肩書きがなくても、渡り歩いていけただろう。この国がどれだけ疲弊していってもね」

 

 

「……」

 

 

「しかし君はかつての君ではない。断言しよう。宣誓しよう。僕だけは、君を見捨てない。もっともっと、君が弱くなったとしてもだ。ここにはあのマルコはいない。邪魔者はどこにもいない。あの時は狂犬のおかげで、答えを聞きそびれた。だから今一度、君の気持ちを教えてほしい。僕と一緒に歩くつもりはないか、ネイファ。現在も、そして未来も、何もかも暗闇に包まれた今の君にとっては、魅力的な申し出だと思うんだけど」

 

 

 アイクが遠く離れた距離から、手を出した。

 

 百年の恋であっても冷めてしまいそうな長口上に、ネイファは笑った。

 

 

 手を出す。

 すると、アイクの顔が、咲いたように輝いた。

 しかし、その笑顔を散華させるように、ネイファが手を引き、握りしめた。

 親指。突き出す。そしてクルリと反転させた。

 

 

 アイクが目を見開く。

 口に出さずともわかるだろう。

 このポーズが意味するところを。

 

 

 イコール死ね。

 地獄に落ちろと言い換えても可。

 

 

 アイクの顔が、怒りで真っ赤に染まる。

 望んだ通りの表情を見て、ネイファが口元だけで嘲笑する。

 

 

 アイクがガリガリと、頭をかく。

 血が出そうなほど、強く強く。

 

 

「わからないなー。わからない。どうしてなんだろう? 今後、君はどうやって生きていくつもりなんだい? 残った唯一の肉親であるマルコは、あの通りバカだ。噛みつくことしかできやしない。この前なんて、とうとう傷害で捕まりまでしたじゃないか。わかれよ。君はもうあのネイファ=ラングレイじゃないんだ。声を出すことも、呪を唱えることもできない、ただのガラクタなんだよ? 可愛がってあげようって言ってるのにさー、ダメなのかなー」

 

 

 アイクが後ろに回していた手を、ソッとネイファに公表する。

 

 包丁だった。沈もうとする夕日の光を照り返し、鈍く輝いている。

 

 アイクが包丁を持ち上げる。切っ先。ネイファに向いていた。それでもネイファの表情は、変わらない。

 

 

「もっともっともっと弱くなんないと、僕の理想の彼女にはならないのかなああああ!」

 

 

 突き出される切っ先。狂った叫び声と共に、駆けてくる。

 

 大の男でも叫ぶか腰を抜かすかしてしまうこの状況。

 

 ネイファは静かに、降り注ぐ木の葉を受け止めていた。掌の上の木の葉だけ、風の方向とは別に、舞っている。

 

 

 ネイファは無表情のまま、手を振り上げた。練魔(れんま)。風にさらわれ、木の葉が舞う。

 

 死界からエレメントを引き出すには確かに呪が必要だ。それを赤魔術と呼ぶ。しかし、その場に存るエレメントを操るのに、呪は必要ない。自身の魔力で起こす魔術を青魔術と呼ぶ。

 

 そして今この場に存在するエレメントは、風と土とそして水蒸気。

 今日は台風ということもあって、風がいい感じに湿っていた。

 

 

 ザッ!!

 

 

 アイクが足を止める。

 アイクは変態のゴミクズ野郎だが、それでも火のAクラスに所属する魔術師だ。

 わかったはずだ。

 

 

 いちA級魔術師でしかない自分と、声が出ない、元A級最優秀魔術師の自分との格の違いを。

 

 

 アイクが顔を強張らせて、その様を見上げる。

 

 ネイファの後ろに並ぶ槍衾(やりぶすま)ならぬ、木の葉衾。

 木の葉は一枚一枚凍り付き、立派な凶器と化している。

 これらが全て刺さればどうなるのか?

 

 

 怯えるアイク。

 

 そんなアイクを見て、ネイファは嗤った

 

 

 口を開いた。

 声は出ていない。

 やはり無理かと思う。

 ならば仕方ない。

 口の動きだけでわかるように、ハッキリ言ってやる。

 

 

 死ね。

 

 

 

   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 チッチッチっチッチ……。

 

 

 時計が音を刻んでいる。

 

 

 リビングには、犬で遊ぶミーティアと、目を閉じソファーに腰掛けるヒョウ。台所には今日の夕飯を作るスカイプ。

 

 

 そして。

 

 

 ヒョウが目を見開く。

 

 

 ボーン。ボーン。

 

 

 十八時を教える、時計の音。

 

 

 それを押しつぶすように――

 

 

 バリーン!!

 

 

 窓ガラスが割られる音が響いた。

 

 

 ヒョウは笑った。

 

 

(リン。やっぱりお前の引きは完璧だぜ!!)

 

 

 ヒョウはポケットから手を引き抜いた。人差し指には黒の輪。掌には黒刃。

 

 

 混乱の最中、部屋(リビング)が闇に包まれる。

 

 

(さぁて、ショーの幕開けといきますかー)

 

 

 髪の毛を後ろで縛り、ヒョウは神速で動いた。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇

 

 

「なんだ!?」

 

 

 台所で料理を作っていたスカイプが、振り返った。

 突然停陣(ていじん)、すなわち、白雷球の明かりを潰されたからである。

 

 

 ガシャン!!

 

 

 窓ガラスが割られる音。

 ヒョウは西を手薄にしろと言っていた。

 更にあの脅迫状。

 

 

(あれは確実に『知っている人間が』作ったものだ。何か、自分とは違う、別のものが動いている、ということなのか……っ)

 

 

「きゃああああああああ!!」

 

「お嬢様!!」

 

 

 反射的にスカイプは声を上げた。

 本心からの心配であった。

 

 憎らしく思っていても、その付き合いは十年にも及んだ。

 長い長い、本当に長い付き合いであった。

 好きにならない、はずはない。

 

 

 手探りで明かりを探す。この家には白雷球の他にサブとして、黒砂炎を利用した砂台も設置されている。それを見つけさえすれば、最低限の明かりは――

 

 

 そんな時、音とともに明かりがついた。音で死界を揺らすことによって風を操り、砂台の黒砂炎をかき混ぜたのである。簡単そうに見えて、S級魔術師にだけできる、高等魔術だ。

 

 戻った視界には、怯えるミーティアと、現場を調べる守衛隊長。ヒョウはいなかった。少なくとも、目の見える範囲には。

 

 割られた窓ガラスから吹き付ける強風が、魔物の叫び声ような音を上げている。

 

 

「ふむ。針先の餌に食らいつくと思いきや、食らいつかれたのは竿を持っている人間の方でしたか。何ともまあ、下らないオチがつきましたな」

 

「これは……一体」

 

「どうぞ。全ての答えはそこに」

 

 

 守衛隊長が、持っていた大きめの石を放ってきた。足元に転がったそれを、スカイプは拾った。石には紙が貼りつけられていた。

 

 内容は――

 

 

『妹は預かった。無事に帰してほしければ、ウエストエリア、〇〇―××まで来られたし』

 

 

「これは……?」

 

「どうやら彼は彼で厄介事を抱えていたようですな。あの性格ですからな。そこかしこで火種を抱えていてもおかしくはない。いずれにせよ、彼の計画は失敗です。スカイプさん。申し訳ありませんが、ミーティアさんを自室にまで連れて行ってもらってよろしいでしょうか? さすがにここに待機させるのは、危険極まりないのでね」

 

「は……はい。わかりました」

 

 

 スカイプが先導して、ミーティアを連れていく。

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 守衛隊長は、そんな二人を見送ってから、天井を見上げた。

 

 黒い刃が天井に描かれた陣の上に突き刺さっている。それが魔力の流れを堰魔(せきま)し、この家を停陣に至らしめている要因のようだ。

 

 

「ふっ。人をたぶらかし喰らうが狼の心性。祖国の童話でよく聞かされていたものですが、抜け目ない狼とはね。悪い冗談だ」

 

 

 守衛隊長は静かにつぶやき、笑った。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

盗賊王には通じない

「足元に気を付けて下さい、お嬢様」

 

 

 先頭を歩き、スカイプが言った。うるさいほどに窓が揺れている。多分台風の影響だろう。

 手に持った明かりは、黒砂炎を皿に乗せたもの。砂台から少し拝借した。

 

 

『今後猫娘の身に何かあったら俺は真っ先にお前を死界に落とす。犯人でないなら何事もないことを祈れ。犯人なら思いとどまれ。以上だ』

 

 

 ヒョウの言葉。スカイプは恐怖のあまり、トイレで吐いた。その時、怯えも一緒に流した。皮肉にも、留まるとは逆の決意を、スカイプは抱いたのだった。

 

 

 死界に落ちるのは構わなかった。生きていることに、未練はなかったからだ。本当に恐れているのは、何事もなさぬまま、死ぬこと。

 

 

「お嬢様」

 

「なに?」

 

「精神鑑定プログラム、というものを、ご存じでしょうか?」

 

 

 振り返って、スカイプが尋ねた。

 

 

「ううん。知らない?」

 

 

 ミーティアが答えた。魔力量十位、滅紫(めっし)の瞳が、暗闇の中で光っている。

 

 スカイプはニコリと笑ってから、また歩みを再開する。

 

 

「精神鑑定プログラムとは、高魔力魔術師と、先天性魔術師、そして一部の精神疾患の方に作られた法律でしてね。例えば私のような先天性魔術師、お嬢様のような高魔力魔術師には、死幻(しげん)死聴(しちょう)がございましょう?」

 

 死幻(しげん)とは、高魔力、先天性魔術師が見る、悪意ある幻のこと。

 

 例えば、赤子を抱いた主婦を見る。その刹那、自分の目に赤子を殴りつけている自分が映る。それが死幻(しげん)死聴(しちょう)もまた、それに類する。

 

 

「んもーっ!! 失礼だなー。ボクはそんなの聴いたことないよー」

 

「ははは。そうですね。確かに、そうかもしれません」

 

 

 女の魔術師は、死幻(しげん)死聴(しちょう)を視ない聴かない。

 それが魔術界のマナーである。

 

 

「話を戻しますが、高魔力、先天性魔術師は、死幻、死聴がある。薬はあっても、精神を病むものも多い。そういった魔術師に対し、酌量の余地を与えようというのが、精神鑑定プログラムの本質です」

 

「へー」

 

「昔、このようなことがありました」

 

 

 スカイプは一拍間を置いた。

 言ってしまえば戻れない。

 そう思ったからかもしれない。

 

 

「ある男が女性に恋をした」

 

 

 それは自分の娘の話だった。

 

 

「男は、女性が欲しいとねだるものを、ただただ貢いだ。男はそれが、愛の形であると、思っていたようです。女は年頃でありました。男は利用したもの勝ちだと、そう思っていたようです」

 

 

 止めることは、いつでもできた。いや実際止めた。それでも娘は引かなかった。

 年頃だった。一人娘であり、妻は早くに亡くしていなかった。男手一つで育ててみたが、やはり自分の育て方が悪かったのだろう、ある時期から悪い人間と付き合い始めた。貢がせるというのも、その延長だったと思われる。

 

 

「やがて、女に手紙が送られました。文面はこうです。そろそろお金がなくなりそうなので、いただきにまいろうと思います」

 

 

 いつかこうなるのではと思っていた。

 それでも止めなかった。

 一人娘に嫌われるのが怖くて、止めれなかったのだ。

 あまりにバカバカしい理由で、誰にも吐露できない。

 だから一人酒を傾けた。

 心の奥底に、澱のようなものがたまっていくのを、感じながら。

 

 

「女はその手紙にいたく恐怖を感じ、即警務隊に連絡しました。男は警務隊に厳重注意され、解放。その後、女を刺しました。男は殺人罪で捕まりましたが、その一年後不起訴、つまり釈放が決定しました。何故なら男は、先天性魔術師であったからです」

 

 

 ミーティアは、無言だった。

 ただ足音は、聞こえていた。

 振り返った時、いっそいなければいいと、思った。

 

 

「当時この事件は大層話題になりました。多くの新聞社が記事にした。女性に同情したというよりも、脱魔推進派にとって、美味しいネタだと思ったからでしょう。世論もまた、その男を飛び越えて、魔術師と、魔術師を優遇するような法に向かって、口撃した。解放された男がその後、娘と付き合っていた男らも皆殺しにし、その後、自殺したことも大きかったのでしょう。結局男の解放は、更なる犠牲者を出しただけだった。そんな中、グリーンポストに勤める一人の男、すなわちあなたの御父上が、とある記事を書いた」

 

 

 足を止める。

 ミーティアの足も、止まっていた。

 

 

「非常に痛ましい事件であり、どちらが悪いと論じるのは今更である。しかし死幻(しげん)死聴(しちょう)は、先天性、高魔力魔術師が確かにかかる病であり、望んでどうこうできるものではない。だから仕方ないのだと、無視できる問題でもないが、しかし、脱魔の声が一際強く上がる中、法の下の平等という理念に則って、この判決を下した裁判官を、私は評価したいと思っている。――ふっふっふっふ」

 

 

 思わず、笑っていた。

 

 世間様がこの事件を評するならきっとこういうだろう。

 

 登場人物が全員クズだと。

 

 全く持ってその通りだと、自分でさえ思っている。

 

 だが――

 

 クズはまだ、残っている。

 

 明かりを、床に落とす。カチャンという音をぶち殺すように、スカイプはミーティアの首を絞め上げ、壁に叩きつけていた。

 

 床に落ちた黒砂炎が、砂だけを燃やし続け、微かな明かりを灯している。

 

 

「以前にも言ったと思いますが、私も先天性魔術師でしてね。せいぜい利用させてもらうとしますよ。精神鑑定プログラムを」

 

「く、あっ、……あ」

 

 

 首。メキメキと音を立てている。

 

 重ねて、ミーティアの喘ぎ声が聞こえてくる。

 

 しかしそれ以上に聞こえてくる。殺せ。滅ぼせ。死聴(しちょう)だった。

 

 割れそうだった頭の痛みが、手の先から抜けていく。

 

 代わりに入り込んでくるのは、怒りと殺意。止められない。止める気もない。死聴(しちょう)のせいにもしない。娘のせいにもしない。

 

 ただ、知りたいだけだ。全てを失っても。人の道に反しても。

 

 あの時のあれが、仕方なかったというのなら、ならば――

 

 

「その時そのペンで、あの時と同じことが言えたなら、私も認めよう!! あの事件に確かに悪はいなかった!! 仕方なかったのだと!! それができるから、あの言葉はついて出たのでしょうが!!」

 

 

 ミーティアのぽっかりと空いた口。ふと、笑った。

 

 

「かもな」

 

 

 スカイプが目を見開く。首をつかんだ両手。逆につかまれた。

 

 

 風。巻き起こる。練魔(れんま)。その風に煽られ、落とした黒砂炎が焔を上げ、予備の明かりである砂台が、次々に灯火をつけていく。

 周囲の壁がビシビシとひび割れた。鉱石は風と同じで魔力に反発するからだ。故に、ミーティアの眼鏡もまたひび割れる。

 まるで、被っていた仮面を、破砕するかのように。

 

 

(こいつ!! いやバカな!! それはありえない!!)

 

 

 あいつの瞳はアヤメ色。すなわち八位。ミーティアの瞳は滅紫(めっし)色。すなわち十位。

 

 魔力容量は産まれつき決まっていて、努力でどうこうすることはできないはず。神合薬を用いて魔力容量を下げることはできても、上げることは――

 

 

 いや、まさか!!

 

 

「瞳の色が変わるほど魔力を練り上げていただと!? そんなバカな!! ありえない!! 瞳の色が二つも変わるほどの練魔(れんま)など――!!」

 

 

 闇。包まれる。

 

 

 恐怖なく。

 走馬灯なく。

 愛した者の影もない。

 

 

 これが死かと、思うことすらなく。

 スカイプは、全てが夢幻であったかのように、その場に倒れた。

 

 

   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「皮下注射と薬品で姿と声を変えていたのだろうが、相手が悪かったな。俺はな――」 

 

 

 足元の黒砂炎を踏み潰し鎮火しながら、声を発した。

 

 その者が発するのは、確かにミーティアの声。 

 その者の容姿は、確かにミーティアの姿。

 

 だがよく見ると、やや背が高く、所々、荒い。

 ミーティアを一人で放置していた三十分で、急ごしらえで作ったものだから、仕方ないと言えば仕方ない。

 

 ミーティアの姿をした何者かが、手を顔にかける。そしてそれを、下に引き抜く。

 

 ミーティアの顔が、桃色のカツラごと、破れる。眼鏡、耳、髪、顔と、丸ごと引きちぎって、その下から現れたのは――

 

 

 今でこそ黒髪だが、間違いなく、北翼(ほくよく)の盗賊王、ヒョウ。

 

 

「一度聞いた声を、老若男女問わず、完全にコピーすることができるんだ。俺がコピーできない声は、生身じゃない、お前みたいな声だけだ。

 盗賊王に、一切の変装術は通用しない!」

 

 

 自分の割れたミーティアの眼鏡、カツラなど、変装用具をその辺にポイ捨てし、ポケットに入れていた自分の眼鏡ケースを手に取った。中を見る。同じく割れていた。練魔(れんま)の影響で砕けていたのだった。

 

 

「やれやれ。最後の一個だったってのによ……」

 

 

 割れた眼鏡もその辺に放った。首に手を当てる。やや痛みが走った。鏡がないので見えないが、多分クビに痣がついているだろう。

 

 それでもヒョウは、やはり、笑った。

 

 

「まあこんなもんか?」

 

 

 スカイプを気絶させることはいつでもできた。

 それでもしなかったのは、スカイプは多分死聴(しちょう)を聴いていると思ったからだ。

 

 薬品も皮下注射もミーティアが大人になるまで待つことも、尋常ならざる行為だ。何故そんなことができたのか。

 恨みからではない。

 

 ミーティアを殺そうとしているその時だけ、死聴(しちょう)から解放されたからだろう。死聴(しちょう)は強烈な頭痛を伴い、酷いものはその痛みで舌を噛み切り自害する者だって、いる。

 

 

「人の悪意(こころ)を盗む代償としては。なあ?」 

 

 

 返事がないスカイプの背中に、脅迫状を詰めた封筒を放った。この手順は重要だった。元々このためにやってきたと言っても過言ではない。まあ高い代償ではあったが。

 

 

(気持ちを吐露し、欲望を解放させたところで、結局は元の木阿弥の可能性も、十二分にある)

 

 

 だが――

 

 

「でもま、こっちもブランクあっからよ。半分ぐらいは、自分(てめえ)でもてよな。あいつはお前が思っているように、悪い奴じゃなかったからよ」 

 

 

 踵を返す。

 

 本来ヒョウは、誰かに同情することは嫌いな男だ。

 

 しかし――

 

 誰かに同情しない、わけではない。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

お前がいたなら

 全てを片付けたヒョウは、リビングに戻ってきた。

 

 

 立ち上がったミーティアが、目を見開く。そして、シュンとした顔で、腰を下ろした。ヒョウはソッと、痛みが残る首に手をやった。

 

 

「どうでしたか?」

 

 

 ソファーに腰掛け、パラパラと伝書をめくっていた守衛隊長の男が尋ねた。多分その伝書には、娯楽系か情報系のアドレスを登録しているのだろうと思われた。

 今の時代、大体のことは、伝書でできる。

 

 

「やっぱりあいつだったみたいだな。覆魔伏(ふくまふく)かけてそこの廊下に転がしてるから、後は頼むわ」

 

「わかりました」

 

 

 シュンと落ち込むミーティアを素通りして、ヒョウが割れた窓に向かう。リンを迎えに行かなければならないし、何よりヒョウは、誰かに同情することが嫌いなのだ。

 

 

「あのさ」

 

「んー?」

 

「いや、その……」

 

 

 待てど暮らせど、続きはこなかった。ヒョウは密かに足をパタパタと動かしていた。ヒョウは待つのが嫌いなのだった。

 

 とはいえ、こっちの落ち度も少しはあるかもしれない。やはりとっとと『たたんで』おくべきだったのだ。

 

 

 ふと、誰もいない隣を見つめた。

 視線の先はやや下。

 百五十に届くか届かないという位置。

 もしもいたなら、リンの頭があり、きっと、自分のことを見上げているであろう、位置だった。

 

 

 もしもこの場にいれば、やれと言わんばかりに無垢な瞳を向けてきただろう。あるいは、目を伏せて、落ち込んだ顔を見せているか。

 縛られるのが嫌いな自分が、あいつの願いには抗えない。

 きっと、あいつの瞳を、誰にも盗られたくないからだろう。

 だからさっさと帰りたいのだが、もしもあいつがこの場にいたならば――

 

 

(やれやれ。これで最後だからなーほんと)

 

 

 ヒョウが首についた痣を手で隠しながら、口を開く。

 

 

「ありがとうと、ごめんなさいなんだろ?」

 

「え?」

 

「お前が相手に伝えたい言葉は。あいつがお前にしたことは、お前が喜びそうな物を渡した。それだけだ。後は、お前が判断しろよ。前にも言ったが――」

 

 

 振り返って、ミーティアを指さす。

 

 

「最後にかける言葉は重要だ。ちゃんと決めろよ、猫娘」

 

「――うん!!」

 

 

 ミーティアが立ち上がる。

 

 ヒョウが笑って、この場を去ろうとしたとき。

 

 

「あ、そういえばさ!!」

 

「何だよ。俺はだらだらと長ったらしいのは嫌いなんだぜ?」

 

「ボクの眼鏡は――」

 

 

 言われて、ギクッとした。

 

 

「あれは、処分した」

 

「え?」

 

 

 ヒョウが笑って、振り返る。

 

 

「まあお互い、眼鏡がない方が似合うと思ってな。じゃあな」

 

 

 二本の指を立て、ヒョウが消える。

 

 音も匂いもない、神速の飛脚法。

 

 赤い顔をして、その様を見送るミーティア。

 

 パタンと、守衛隊長が読んでいた伝書を閉じた。

 

 

「お供しますよ。何かあったら大変だ。もっとも――やや手遅れ。そのような気もいたしますが」

 

 

 ポーっとしたまま固まるミーティアを見て、守衛隊長は肩をすくめて、笑った。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

空に好きな人の顔が浮かぶ時

「ぐああああああ、ちくしょおおおお、いてえ、いてえよおおおお!!」

 

 

 アイクの叫び。

 

 傷だらけのアイクが担架に乗せられ、竜車に運び込まれるのを、リンは口元を隠しながら見つめていた。

 

 アイクとは知らぬ仲ではない。それでも駆け寄らなかったのは、警務隊、救急隊に阻まれていたから、というのが一つと、マルコが物言わず、リンの動きを手で制していたから、というのが一つであった。

 

 なので、リンは遠くからアイクの容態を確認した。

 

 

 アイクの身体には、幾本もの木の葉が刺さっている。木の葉の先端は鋭利に凍っていた。

 

 恐らく相手は、木の葉と水蒸気を風で集め、木の葉の先端を凍らし、攻撃したのだろう。

 

 魔力結合といって、水と魔力は結びつきやすい性質を持っている。そのため、魔力を内側に通して放置しておくと、通常以上の速さで凍ってしまう。

 

 容易く凍るとはいえ、その手順を踏み、かつ軽量のそれらを手裏剣の如く飛ばすには、かなりの知識と技術が必要である。

 

 

(一体誰が……?)

 

 

 視線を移す。

 

 家の塀にもたれかかるように立ち、警務官にあれこれ言われながらも、やる気なくあくびを零す女性が一人。

 

 マルコの妹、ネイファだった。傷一つついていない。

 

 ネイファが振り返る。

 

 リンとマルコを見て、ネイファが笑った。ツインテールにしていた髪の一房を、彼女がかきあげる。

 

 自分がやった、ということだろう。つまりは加害者ということだ。

 

 

 リンは落ち込んだ。自分の落ち度だと思ったからだ。自分がもっと、ちゃんとした手順を踏んでいれば、アイクは――

 

 

「もしかして君、この子のお兄さんかい?」

 

 

 駆け寄ってきた警務隊の人が言った。

 

 

「はい。そうですが」

 

「あーよかった。いや、困ったもんだよこの子。現場に落ちている包丁やら魔力痕から見ても、彼女が被害者なのは間違いないんだけども」

 

「えぇ!?」

 

「え?」

 

「あ、いえその、申し訳ありません」

 

 

 話の腰を折ってしまったことに、リンが頭を下げる。

 

 どういうことなのだろう。ネイファが被害者なら、アイクは?

 

 

 あるいはネイファのことを庇ったのだろうか……?

 

 

 多分違うだろうと、リンは思っていた。しかしリンは、真相について尋ねることができなかった。

 

 凶器にしてもそうだが、あまりにも闇が深すぎる。

 

 知りたくない。その気持ちが勝ってしまった。謝意よりも。

 

 

「――話を戻すけど、あの子、事情を全然話してくれないんだよ。詳しい事情は兄から聞けって空筆で言うくせに、いつ帰ってくるかわからないって言うわ、伝書の連絡先は知らないって言うわ、だから困――あ、ちょっと君!! 待ちなさい!!」

 

 

 話の途中で、ネイファがスタスタと塀の中に入っていく。

 

 警務隊の人が、その後を追った。

 

 だが、完全に姿を消す前に、ネイファが振り返った。

 

 ネイファとリン。目が合う。ネイファは寂しげに笑って、指を走らせた。空筆だった。

 

 

 見鬼(けんき)

 

 

 リンは瞳の色を深くして、メッセージを受け取った。ネイファはやっぱり寂しそうな顔で笑ってから、塀の中に姿を消した。

 

 

 空間に綴られた文面は――

 

 

『真実はそれぞれの心の中に』

 

 

「え!! あいつ俺の連絡先知らねえってマジかよ、クソ!! 家族だってのに、通りで全然連絡来ないわけだよ!!」

 

 

 マルコが事情を説明しに、同じくその後を追った。

 

 お互いに声を上げながら、やり取りしている。

 

 リンはその様を、寂しそうに見つめていた。

 

 

 空を見上げる。

 

 

 やや紺色に染まりかかっている。

 

 

 夜の合図だ。

 

 

 そんな時。

 

 

「おい」

 

 

 途端、リンの顔が間抜けになった。

 

 

 突如、夜の代わりに、好きな人の顔が、視界一杯に、広がったからだ。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

真実はそれぞれの心の中に

「うひゃあ!!」 

 

 

 リンが飛びのく。

 

 距離を置いて、改めて見つめた。そこにいたのは、首を曲げ、自分に覆い被さるようにして立っていた――

 

 

「兄様!!」

 

 

 嬉しくて、声が跳ねた。

 

 夜のように暗くなっていた気持ちが、パッと晴れていくのを感じる。

 

 こういう時、ああ自分はやっぱりこの人が好きなんだなと思えて、嬉しくなる。

 

 だが――

 

 

「あ……」

 

 

 すぐにその顔は曇天になった。

 

 ヒョウの首。痛々しい手形が付いている。眼鏡も今はかけておらず、制服も着替えている。

 

 服と眼鏡が損壊するほどの、壮烈な戦いがあったことは明らかだ。

 

 リンの視線に気が付いたからか、ヒョウが自分の首を手で押さえる。目を上向け、舌をチロリと出した。

 

 どうやら困っているようだ。

 

 ヒョウは同情や心配されることを、極端に嫌う。

 

 

(確かに、あたしのように小さな存在が心配したところで、兄様の力になれないのは間違いない。こんな気持ちはただの、自己満足だ。それでも、好きだから。力及ばずとも、何か、支えになれるようなことは、ないのだろうか――!)

 

 

「はにゃ」

 

 

 声が引っ張られてもとい、頬を引っ張られて、リンが顔を上げる。

 そこには、好きな人が、ニコニコ笑顔でリンのことを見ていた。

 

 

(ただこの人は、いつだって笑っている人だから油断はできない。何よりほっぺた。触られているし――)

 

 

「お前なあああああ。兄様の言うこと聞いてなかったんか!! あの場を動くなって、兄様は言っただろうがよおおお」

 

「ふえええええ!! いひゃい、いひゃいです、兄様!!」

 

 

 ヒョウの手を叩くリン。

 

 痛いと言いつつも、口元がニヤけてしまうのを止められない。

 

 ヒョウがリンの手を離す。

 リンは『赤くなっているであろう』頬を押さえて、ヒョウを見上げた。

 

 ヒョウの視線は自分を飛び越え、マルコに向いていた。

 

 マルコは今も警務隊の人と言葉の応酬を繰り広げていた。ヒョウはゆっくりと立ち上がって、言い合っているマルコの頭を、手刀で小突いた。

 

 マルコが振り返る。

 

 

「で? 再戦はいつにするんだよ」

 

 

 ヒョウが言った。リンが慌てて駆けて、ヒョウの隣に並ぶ。

 

 何故なら自分はヒョウの義妹にして、副官だから。どのようなことがあろうとも、ヒョウを全力でサポートするのが、今回の自分の仕事なのである。

 

(もっとも、今回でなくとも、自分はいつだって兄様の味方だと思っているけどっ)

 

 

「けっ、いいのかよ。見た感じ、こっぴどくやられたように見えるけど?」

 

 

 ヒョウの首の痕を見て、マルコが言った。

 

 

(むむむ)

 

 

 リンは自分の眉尻が立つのを感じた。

 リンはヒョウ第一主義である。

 好きな人の悪口は、どんな相手、どんな理由であっても許せなかった

 

 ヒョウが舌打ちして、首元を隠す。

 

 そんなヒョウを見て、マルコが大笑し、鞄から何やら黒い棒――正確には、棒に黒い布を巻き付けた物?――を取り出し、それをヒョウに投げ渡した。

 

 ヒョウがそれを受け取る。

 リンには、それが何かわからなかった。

 

 

「一本だけか?」

 

 

 ヒョウが言った。

 それが何かわからないリンからすれば『?』な話であった。

 

 

「お前は今日、妹をほったかしにして、どっかで仕事をしていたらしいな」

 

「だから?」

 

「お前らの事情はあえて問わん。だけどな、こいつにとってここは異国だろ。妹に寂しい思いさせるんじゃねえよ。俺がその気だったら――」

 

 

 マルコの言葉を、リンは口元を隠して聞いていた。

 脈絡は不明だが、その言葉は誰かにヒョウに言ってほしかった言葉なのだ。

 迷惑はかけたくない。しかし、それとこれとは話は別なのだ。

 

 だから嬉しくて、口元を両手で隠した。

 リンは嬉しい時や驚いた時、口元を隠す癖があるのだった。

 

 

「その時はお前が負けてるよ。なあリン」

 

「いやまあそうなんだけどさ」

 

 

 マルコがガリガリと頭をかいている。

 リンはクスクスと笑ってから、ヒョウを見上げた。

 

 ヒョウの顔は、ちょっといつもと違っていた。

 何だろう? 不思議なものを見るような、訝しげ、ともまた違うような。

 しばらくリンのことを見つめた後、ヒョウはプイと、視線を外した。

 

 

(何だろう? 何か不満に思わせることを、してしまったのだろうか……)

 

 

 リンはシュンとして、顔を俯けた。

 

 

「つっても」

 

 

 マルコが続ける。

 

 

「お前は言葉で言ってもわからない奴だ。だからこいつは、一本だけなんだよ」

 

 

 ヒョウは面倒くさそうに頭をかいた。

 

 

「アホくさ。で? 再戦は? これを返しに来た時でいいのか?」

 

「そうだな。もっとも、その時まで俺が娑婆(しゃば)にいるのかはわからねえけどな。まあ、もしもいたのなら、その時は再戦だ。次こそは俺が勝つ」  

 

 

 ヒョウが受け取った黒い棒を縦に放って、またつかむ。

 

 

「ふん。バカは死ぬまで治らないってやつだな。行くぞ、リン」

 

 

 ヒョウが踵を返す。

 

 リンも同じく頭を下げた。

 

 急ぎヒョウの後を追おうとして、今一度、振り返った。

 

 

「マルコさん!!」

 

 

 敷地内に入ろうとするマルコに、リンは声をかけた。

 

 

「なんだよ?」

 

「妹さんにとっての一番の行動は、お兄さんがそばにいることだと思います」

 

「あいつは俺の連絡先も知らねえんだよ。俺がしていることは、ただの自己満足だよ」

 

「もしかしたら、単にあたし達の邪魔をしたくなかっただけかもしれません」

 

「……」

 

「受け売りですが、真実はそれぞれの心の中に、だそうです。だったら、そんな真実だって、十分にあっていいと、あたしは思います」

 

「……まあ、考えておくよ」

 

 

 そう言って、マルコは数人の警務隊と一緒に、敷地内へと姿を消した。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

君が祈る願い事は

 カシャン。カシュ。カシャン。カシュ。

 

 

 帰り道、ヒョウは受け取った黒い棒の後端から、棒を伸ばしたり、縮めたりして歩いていた。

 

 リンはそれが何なのか未だにわからず、興味津々にそれを見つめていた。

 

 二人の肩は、不釣り合いながら、並んでいる。

 

 

「リン」

 

 

 カシャンと、棒を引っ込ませて、ヒョウが言った。

 

 

「はい」

 

 

 リンが答える。

 

 

「何だってあんな状況になってたんだって話は、まあ後々家に帰ってから聞くとして――」

 

「はい!!」

 

「え、なに?」

 

「あ、いえその、申し訳ありません。帰ってから兄様と話せると思ったら、嬉しくて」

 

 

 両手で口元を隠しながら、リンが言った。

 

 ヒョウは呆れたような顔で笑う。

 

 

「何だそりゃ? まあそれはともかく、約束、ちゃんと覚えているんだろうな?」

 

「約束……?」

 

 

 リンは口元を隠したまま、目を上向けた。

 

 

『お前が願うのはなー、相手じゃなくて自分の幸せだ。だから次に兄様と会うまでに、自分の願い事を考えておけ』

 

 

「はわ!!」

 

 

 リンが口の前で手を広げ、大きな声を上げた。

 

 

「お前ねー」

 

「……も、申し訳ありません」

 

「まあ元々、強要するものでもなかったってのも、あるかもな」

 

 

 リンがシュンとして目を伏せる。

 

 今日の夜、その話をするのを楽しみにしていた。けれど、忘れていた自分に落ち度があることも、間違いない。

 

 

(兄様とその話ができたら、楽しかっただろうな……)

 

 

 落ち込むリンの頭に、ヒョウの手刀の形をした手が、置かれる。

 

 リンが振り返る。

 

 ヒョウは笑った。

 

 

「が、お前はそんなこと言ってると一生考えないからな。今から考えろ。所要時間は五分だ。兄様が測っててやる」

 

 

 笑って、ヒョウが言った。

 

 

「え? え?」

 

 

 リンは慌てた。

 

 目を向けても、ヒョウは笑いながら、目をそらすばかり。

 

 リンは口元を隠しながら考えた。

 

 

 願い事。

 

 

 何もないと言えば、嘘になる。誰かを生き返らせたいとか、大人になりたいとか、そういったものを除いた上での話だ。ただし、リンの願い事には、例外なくヒョウが絡んでいる。

 

 目を向ける。

 

 ヒョウもまた目を向けてきた。

 

 

「一分経過ー」

 

 

 笑いながらヒョウが言う。

 

 恥ずかしくなってきて、目を逸らす。願い事があるとは言っても、節操のない奴だなとは、絶対に思われたくない。

 

 

 でも。

 

 

 ピクリと手を動かす。

 

 頭の中にミーティアの姿が思い浮かんだ。腕を組んで『ゴメンね』とばかりに手を縦にしていた。

 

 嫉妬はあった。だけどそれ以上に羨望があった。自分がヒョウと腕を組んでも、恋人と思われるはずもない。

 

 

 当然だった。

 

 

「二分経過ー」

 

 

 自分は十一。ヒョウは二十二。

 

 どうして恋人と思われようか。いや、恋とさえ、周りは称してくれないだろう。そうこれはただの、憧れだった。

 

 

「三分経過ー」

 

 

 自分の気持ちは周囲にバレているだろう。どうやら自分は態度に出やすいらしい。それでもそれは罪なんだと、止められたことは一度もない。みんな笑うだけだ。バカバカしいと、全員が思っているからだ。

 

 負けるものかと思う。誰にも取られたくないと思っている。自分が負けず嫌いの面倒な性格をしている、ということは自覚している。しかし冷静になって考えると、この気持ちは、ヒョウにとって迷惑以外の何物でもないのではないか、とも思う。

 

 

「四分経過ー」

 

 

 自分がヒョウに何を渡せると言うのだろうか?

 

 

 親が死んだ。兄妹が死んだ。幼馴染が死んだ。自分には平穏さえない。

 年の差は十一。仮に恋が成立したところで、ヒョウを咎人に落とすだけ。

 

 

 何にもないなと思う。

 

 

 好きです。ただ大好きですと、その言葉を告げるだけでも、自分にとっては罪なのだ。

 

 

 ポタ。

 

 

 冷たい雫が鼻の頭に当たって、頭上を見上げた。掌を、紺色の空に向ける。

 

 

 ポタポタポタポタポタ……。

 

 

「おーマジで降ってきたのか。通り雨なら、いいんだけどな」

 

 

 ヒョウが持っていた黒い棒の後端を、引っ張り伸ばした。

 

 

 そして。

 

 

 バン!!

 

 

 音を立てて開く。するとそこには、一本の傘が誕生していた。

 

 

「はわ!!」

 

 

 リンはビックリして、半歩下がった。こんなものは、東尾(とうび)にはない。東尾の雪は強く重く、この程度の傘では、防げないからかもしれない。むしろ風に煽られて邪魔になるまである。

 

 

「お前ってマジで土人だなー。折り畳み傘って言うんだぜ。しかし小せえなーこれ」

 

「そのようなものがあるのですね、北頭(ほくとう)には。しかしこの程度の雨なら、魔力誘導で防げそうな気もしますが」

 

「ま、一理あるな。しかしここは脱魔がひでえし、せっかくもらったもんだ。一流の魔術師は、あるもの全て使い切るってな」

 

「そうですね。ではあたしがお持ちします」

 

「そうか。じゃあこれ持っておけ」

 

 

 リンはその折り畳み傘のことを言ったつもりであったのだが、渡されたのは、ヒョウが持っていた紙袋であった。

 

 予想外のものを放るように渡されて、リンは慌ててそれを、抱き締めるようにして、受け取った。

 

 落とさずに済んだことに、ホッと一息。ついていると――

 

 

「え……」

 

 

 リンの肩を、ヒョウが抱き締めてきた。

 

 

 掠れた声を出して、ヒョウを見上げる。

 

 

 ヒョウはこんなこと何でもないとばかりに、笑って見下ろしていた。

 

 

 ――当然だった。

 

 

「後三十秒だぜ、リン」

 

 

 何故なら、自分は十一(こども)だから。ヒョウは二十二(おとな)だ。

 

 

 濡れないように肩を抱いてくれたからと言って、ヒョウが何かを想うはずもない。

 

 

 だからこの行動は、百パーセント、ヒョウの優しさからきているものなのだろう。

 

 

 口に出しては言えない。何故ならその言葉は、自分が口にしてしまうと、罪だから。

 

 

 だから、心の中で言うことにした。

 

 

 ――そういうところが、大好きです、と。

 

 

「兄様」

 

 

 必要以上に身を寄せながら、リンが言う。

 

 

「何だよ」

 

「リンの願い事は、もう叶っていると思います」

 

 

 言うと、ヒョウはキョトンとした顔で目を開き、そうしてから、笑った。

 

 

「ほんとか?」

 

 

 ヒョウが尋ねた。

 

 

 適当なことを言って、煙に巻いていると思ったのだろう。

 

 

 もちろん、本当だった。

 

 

 リンは今、珍しく、自分が幸せになれるよう、願っている。

 

 

 今だってほら、継続的に。

 

 

 雨さんどうか――

 

 

 

 

 

 

「――はい!!」

 

 

 

 

 

 

 ――ゆっくりしていって下さい、と。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

貴女が盗んだものは

「なるほど。じゃあ無事に解決できたってわけね」

 

 

 白魔術室。

  

 アイリスやアーサーと同じく、一魔導師として潜入していた内閣直属守衛隊の一人、ホイットニー=ウィキマンが、言った。

 

 話している相手は、ミーティアである。

 

 話していたのは、事件のあらましと、その後のこと。

 

 ミーティアも多くを語らなかったので、結論だけ言うと、スカイプは今後も執事として仕えることになったらしい。

 

 まあ自分も現場にいたわけでないから、その人事について、多くは語るまいが、ミーティアは、バカっぽく見えて、実はそこそこに考えている娘だ。そのミーティアが、そばに置いておこうと考えたのなら、きっとそれは正しいのだろう。多分ね。

 

 

「うん。先生の言う通り、すっごく頼りになる人だったよ、ヒョウさんって」

 

「うん。まあ、ねー」

 

 

 ホイットニーは苦笑しながら、目を背けた。

 

 頼りになりすぎなんだよなーと、心の中で、思う。

 

 

『そろそろお金がなくなりそうなので、いただきにまいろうと思います』

 

 

 あの脅迫状を作成し、ミーティアに渡したのは、実はホイットニーだったりする。

  

 ミーティアはサボり癖があり――まあミーティアには死聴(しちょう)があるので仕方ない側面もあるが――よく白魔術室にくる。その時に、この事件の相談をされ、ホイットニーは『この犯人は身内である』と即座に確信した。

 

 何故なら、この事件は十三年前にあった事件と実に酷似している。そして、ミーティアが欲しいものを告げた相手は、学生と身内。十三年前の事件を、ミーティア相手に再現しようとする学生はそうはいない。となれば、残っているのは身内のみ。

 

 ミーティアの話に穴がないなら、まず犯人は内部犯で確定。ここまでは、過去の事件を頭に入れている人間であれば、誰でもできる推理。しかしヒョウは他国の人間だ。まずこの事件のことは知っていなかっただろう。

 

 

(恐ろしい奴。このことから、ヒョウは頭脳戦に持ち込んでも十分脅威ということがわかる。次は、妹に駒をけしかけ、ヒョウがどう出るかを調べてみるか。この情報は、仮に敵対しなくても、今後必ず生きてくるはずだから)

 

 

 あごを擦りながら、ホイットニーが思案する。

 そんな時、ホイットニーの前に封筒を差し出された。

 白い封筒には、ヴァルハラ学園の校章が印字されている。

 

 

「はい先生」

 

「何これ」

 

 

 ミーティアから白い封筒を渡されて、ホイットニーは特に疑うことなく受け取った。

 

 

「ヒョウさんから。というか、倒れてるスカイプの背に乗ってたんだけどね」

 

「はあ?」

 

 

 開くことなく、まずは裏面を確認。

 

 文が(つづ)られていた。

 

 

『これ、持ち主に返しといてくれ。北翼(ほくよく)の盗賊王、ヒョウ様より』

 

 

 何を言っているのかわからなかった。

 

 あいつが一体自分に何を返そうというのか。

 

 ゾッと鳥肌が走る。あいつに何かを貸していた覚えがない。忘れていただけ、とも思えなかった。

 

 何かの罠では? 思って、白雷球の光にあてて透かして見るが、何も見えない。

 

 見鬼(けんき)を用いる。魔力が込められていた。

 

 

(しまった!!)

 

 

 封を開いて、中を見る。

 

 入っていたのは、自分が新聞紙を切り抜き作った、例の脅迫状。

 

 ひっくり返すと、裏面は白紙。

 

 ホイットニーは、見鬼(けんき)を用いたままだった。

 

 白紙の裏面には、空筆で文字が書かれている。

 

 内容は――

 

 

『犯人は内部犯。よって、犯人を釣る。手を貸せ』

 

 

 手で口元を隠す。

 

 その時、ヒョウのアヤメ色の瞳が、自分を見据えた、そんな気がした。

 

 

(こいつ……っ)

 

 

 魔力探索。魔術師は、自分の魔力ならばある程度追うことができる。これによって、今の自分のポジションを見切られた。

 しかし、ホイットニーの着眼点は、そこにはない。気にかかったのは、この封筒だ。

 

 

(校章から見ても、この封筒は学園で使われているものだ。時系列的に、ヒョウがこれを手に入れられる機会は一度しかない。学園長室、つまり、ミーティアから話を聞いてすぐ。つまりヒョウは、初手からこの脅迫状を封筒につめて、ミーティアに渡し、自分の位置を特定するシナリオを構築していたということになる)

 

 

 恐らく魔力痕の痕跡がなさすぎる点。つまり、魔導師にしても学生にしても、腕がありすぎるという観点から自分を特定したのだろうが、それでも初手でできる発想じゃない。

 

 

 ヒョウの鋭さは完全に神の域に達している。

 そんな人間に自分の位置を知られた。

 恐らくこの鋭さなら、自分の目的も察しただろう。

 自分の性格さえも。

 今後どうなるのかは、見当もつかない。

 何せ、こっちから知るヒョウは、まるでわからないのだから……。

 

 

「先生」

 

 

 ホイットニーは何も答えられなかった。

 手がおこりのように震えていた。

 深い闇の中にいる。

 今、そんな気分だった。

 

 

「盗賊王」

 

 

 目を向ける。

 ミーティアは、こっちの気も知らず、幼気な十六歳の顔で見上げてる。

 

 

「って書いてるじゃないですか?」

 

「それが?」

 

「ってことはやっぱり、ヒョウさんは泥棒さんなのかな?」

 

「……あんたがどう思っているか知らないけれど、こいつとはもう関わらない方がいいと思うよ。今ハッキリわかった。やっぱり魔族は人間じゃない。こいつは、化も――」

 

「本当に泥棒さんだと思うよ? ボクは」

 

「……何か盗まれたの?」

 

 

 少しでもヒョウを知ろうと思って、尋ねた。

 ミーティアは指先を下唇に当てて、顔を持ち上げた。

 

 

「盗まれたというより、盗んでくれた……かな」

 

「盗んでくれた? 何を?」

 

「多分、誰もが持っていて、誰もが持っていたくない(もの)

 

「……」

 

「ボク、すごく感謝したよ。だけど、同情とか、感謝とか、そういうものは何もいらないって感じで――まるで全てが、夢だったみたいに、どこかへと消えちゃった」

 

 

 カランカラン。カランカラン。

 

 

 授業の始まりを教える、鐘の音が響く。

 

 手を合わせ、目をキラキラと光らせていたミーティアが、目蓋を下ろし、笑った。

 

 

「先生」

 

 

 一度背を向け、桃色の髪をなびかせながら、ミーティアが振り返った。

 

 

「先生が、ヒョウさんの何を調べようとしているのか、先生が、ヒョウさんのことをどう思ったのか、ボクにはわからないけれど、多分それが、ヒョウさんの全てだと、ボクは思う。以上報告終わり。じゃあね、先生」

 

 

 今度は何の流行りをマネているのか。

 

 指を二本立てて、ミーティアが笑う。

 

 一人になった白魔術室。

 

 ホイットニーはガラガラと窓を開き、煙草を口にくわえた。煙草の先端に火をつけ、煙を肺に入れながら、今一度、自分が作った脅迫状の裏面を見鬼(けんき)で見据えた。

 

 

『犯人は確実に内部犯。犯人を釣る。手を貸せ』

 

 

 これが、脅迫状の裏面に(つづ)られていた文面である。

 

 

(まず間違いなく、ミーティア邸の人間と内通するためのメッセージ。そして、この文章から発せられる魔力が、魔力探索の目印にもなっている。封筒に込めればいいだけの話ではあるのだが、まあ一応、一石二鳥の手順ではある)

 

 

 目を閉じる。

 ミーティアから聞いた、ヒョウの行動を考える。

 

 

(初手である、ミーティアとのデートは、ヒョウが外部犯の可能性を疑っていることを示している。だが同時にそれは、ミーティアの性格、道具を調達し、ミーティアに変装するための手順でもあった。これもまた、一石二鳥。一手で二手三手と複数の効果を持たせている)

 

 

 一手で複数手の意味を持たすのは、賢人がよくすることだ。

 だから深くは考えなかった。

 だが――

 

 

 

『同情とか、感謝とか、そういうものは何もいらないって感じで――まるで全てが、夢だったみたいに、どこかへと消えちゃった。――多分それが、ヒョウさんの全てだと、ボクは思う』

 

 

 ミーティアの言葉。

 

 

『あの二人の間にあるのは、嘘偽りのない、絆です』

 

 

 アイリスの十七歳らしい、青臭い報告。

 

 

 

 これらの報告を合わせて考えると、少し違った顔も見えてくる。

 ヒョウは――ただ単に。

 

 

 

「二手三手と同時に潰し、早く帰りたかった……だけ?」

 

 

 煙草の先端から、灰が落ちる。おっといけねと、灰皿をとって、そのまま押し潰す。新しく煙草を取り出し、口にくわえた。

 

 

(考えてみると、ヒョウは入学した時はBクラスであった。しかし僅か一時間の間に、リンがいるAクラスに昇級した。そして今回、ヒョウはただの半日で事件を解決し、リンの元に帰った)

 

 

 確かにすごい奴だ。

 恐ろしい奴だ。

 しかし別の側面から見ると、実に笑える話ではないか。

 

 何せヒョウは、ただの一日さえ、リンと離れることができなかったとも、言えるのだから。

 

 

 ヒョウは盗賊王と名乗っている。

 泥棒だから、人の心さえ、盗める。

 こっちの情報さえも、即座に盗まれた。

 

 しかしこれは、ヒョウにとっても、不覚であったのかもしれない。

 人間でも魔族でも男である以上、恋はする。

 そうつまり――

 

 

「人の心を盗むは、泥棒だけにあらず……」

 

 

 先端に火がついた煙草。

 

 

 口から離しながら、声に出した。

 

 

 そして。

 

 

「アッハッハ」

 

 

 二十七歳の自分の言葉とは思えず、一人大笑した。

 

 

 震えはとっくに止まっている。

 

 

 調べる気も敵対する気も失せた、ということもあるが、女の自分が、坊やを恐れる道理はないだろう?

 

 

 ふと思う。

 

 

 次にリンと会ったら、言ってみてもいいかもしれないと。

 

 

 北頭(ほくとう)の超々名作怪盗漫画から、名言を一つ拝借して。

 

 

 

貴女(あなた)が盗んだものは、人の心です。――なんつってな」

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

その名はシュバリエ

「私が君に何をしてほしいか、わかるね?」

 

 

 アイクの父である、アイザック=バルカンが上等そうなソファーに腰かけながら言った。使用人の女にシャンパンを注がせる。

 

 その話を聞いていたのは、ミーティア家守衛隊長、シュバリエ=レギンであった。その両脇を囲むように、アイザックの正規の傭兵が立っている。

 

 

「この二人を襲えと?」

 

 

 使用人から渡された写真を手に取り、シュバリエは尋ねた。

 写真は二枚あり、一枚につき一人写っている

 

 

 一人はボーズ頭の男。

 もう一人は、紫の髪をした娘。

 

 下に名前が振られている。

 

 

 A。マルコ=ラングレイ。

 B。ネイファ=ラングレイ。

 

 

 どちらもまだまだ子供だった。

 

 

「そうだ。君ならば簡単なことだろう?」

 

「良心さえ邪魔しなければ」

 

「ほお。傭兵とは気楽なものだな。まあ当然か。我々のように、国の未来を預かっていないのだから。責任感、というものが、欠如しているようだね」

 

「出過ぎたことを言うようですが、この件は放置しておくのが最良だと思いますね。あなたの息子さんは青少年保護プログラムで不起訴がほぼ確定。青少年保護プログラムは、罰を与えることではなく、加害者を更生させるために作られている。故に、名前出自を表に出すことは厳禁。そこには両親も含まれる。復讐は何も生まないとは言いませんが、動いても深みにはまるだけかと、私は思いますがね」

 

「平和とは」

 

 

 白雷球の下、シャンパンを注いだグラスを回しながら、アイザックが言った。

 

 

「下民から牙を抜くことで生まれる」

 

「……」

 

「息子が襲われたことなど、私にとってはどうでもいいのだよ。所詮出来の悪い息子だ。だが民政に携わる者として、こういう輩は放置してはおけぬ。こういう、上に立てつくことを厭いもしない、バカな輩はね」

 

「なるほど。つまりはこういうことですか? お上に逆らった人間は徹底的に潰さなければならない。希望を持たせてはいけない。世の中、綺麗なものは泥の中にしかなく、空を求めればどうなるか、教えなければならない。北頭(ほくとう)の安全神話は私の祖国、北翼にも届いていたものです。しかしながら、そのやり口とは、奴隷商が奴隷を躾ける方法と似ている。なるほどなるほど。実に美しい国もあったものですな。私、感服いたしました」

 

「貴様!! 無礼だぞ!!」

 

「やめないか!!」

 

 

 部下の狼藉を、アイザックで言葉で止める。

 

 シュバリエは、自分の胸倉をつかんできた男の手を、笑って下ろす。

 

 胸倉をつかんできた黒服が、動揺しながらシュバリエを見ている。

 多分、胸倉をつかむ手を、力で、押し返したからだろう。

 唖然とする黒服に対し、シュバリエは口元だけで、笑った。

 

 

「逆にここまではっきり言ってくれた方が信用できる。何より、ミモザ君から借りた傭兵でもあるしね。傷つけては申し訳が立たない」

 

「申し訳ございません。何分、嘘をつけぬ小心者でして」

 

「ただし一つだけ言っておく。散々皮肉をぶつけてくれたが、それでもこの国が一番平和であり、先進国であるのは間違いない。交鳥七大陸。国に分ければ百国あまり。間違いなく北頭アイスビニッツは上位に入る。うまい物を食い綺麗な服をまといながら愚民は不平をたれる。ふざけるな人間らしい生活をさせろと。君はそんな愚民の言葉を信じるバカなのかね?」

 

 

 完全に論理のすり替えであったが、反論することもバカバカしかった。

 そして、アイザックの言っていることは、半分は正しい。しかし半分は間違いだ。

 だからシュバリエは、仰々しいほどに頭を下げた。

 

 

「失礼いたしました。確かにこの国は現状美しい」

 

 

 確かにこの国は美しい。

 だが、それも陰りが見えている。

 多分それには、上の人間はもちろん、下の人間も気づき始めている。

 だから、上の人間は異様なまでに金をかき集め始め、下の人間はこれでもかと金を溜め込み始めている。

 そういう負の連鎖が、自分達を呼び寄せる切っ掛けを作ったのだ。

 

 

(愚かな。人畜相手に鞭を振るい続けていれば、酒池肉林の生活が続いていたものを。つまりあなた方は、我々を敵に回すというわけだ。後悔しなければよいですがね)

 

 

「謝罪は結構。私が求めている言葉は、できるのか、できないのか。その答えだよ」

 

「いいでしょう。ここで引き下がっては、末席とはいえあなたに雇われている身として立つ瀬がない。引き受けましょう」

 

 

 写真二枚を胸ポケットに入れて、踵を返す。

 

 

「ご安心ください。プロとして、足がつかないようにやり遂げますよ。――お互いのためにね」

 

 

 シュバリエが振り返り、アイザックを見据えた。

 

 ワインを口に含んでいたアイザックが、グラスを外して、笑う。

 

 

「期待しているよ。虎戦傭兵団『ブルータス』団長くん」

 

 

 

  ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 もう一つの護衛先である、ミーティア邸に建てられた宿舎。

 

 そこには、シュバリエを含めて六人集まっている。これは全団員の約三分の一である。

 

 シュバリエは、団員に向き合わず、窓の外を見ていた。

 

 外では篠突く雨が降っている。

 

 

「襲うんですかい? 隊長」

 

 

 集まった団員の一人、ジョニーが尋ねた。

 

 

「雇われている以上はそういうことになりますなー。今更紳士を気取っても仕方ありませんから」

 

「しかしこの男もアホですね。いや、この男ってのは、こいつじゃなく、隊長を雇っている男のことですが。外務省の事務次官、つまり外務省のトップなんでしょ? 隊長に依頼した男は。面と向かって見て、気づかないもんですかね? 俺たちの正体に」

 

「いえ、彼は外務省の事務次官ではない。彼は、国土交通省の事務次官ですよ」

 

 

 雨で洗われる窓を見つめながら、シュバリエが言った。

 

 

「外務省に務めているのはお嬢様の母親の方だ。このバカ」

 

 

 叱責したのは、ロナウドであった。

 

 

「かつては建設省にいたようですがね。どうやら統合されたようです。それでも、統合された各事務次官を押さえて省のトップに立ったのだ。政治力は中々のものなのでしょう。実際、この計画の発案者でもある」

 

 

 キャビネットの引き出しを開き、分厚い紙の束を取り出した。

 背中を向けたまま、表題だけを後ろにいるジョニーに見せる。

 表題にはこう書かれていた。

 

 

 神意鹵獲計画。発案。アイザック=バルカンと。

 

 

「バカな男ですね。そんなもの。成功するはずないってのに」

 

「いや違いますね。その逆です」

 

「え」

 

「賢いのですよ」

 

 

 どうでもいいとばかりに、神意鹵獲計画の紙束を一人用テーブルの上に放る。

 実際どうでもよかった。

 これは、潰すべき大枠に入った、一部に過ぎないのだから。

 

 

 シュバリエが、クルリと振り返り、団員に目を向けた。

 

 

「さて、いい加減話を本題に戻しましょう。渡した資料に書いているように、ターゲットBの女は声が出ないそうです。そしてターゲットAは、恐らく青少年保護プログラムの一、禿頭刑を受けている。つまり、妹はどうかわかりませんが、兄には敵が多い可能性が極めて高いということです」

 

「調略ですね」

 

 

 ロナウドが言った。

 シュバリエは口元を触りながら、口を開いた。

 

 

「その通り。元々アイザックが我々を雇ったのも、政敵であるミモザ=ソーンが我々を雇っていたのを不可思議に思ったからでしょう。あわよくばこういう依頼をぶつけて、潰すために。我々がヘマをすれば自分の身も危ういが、ミモザの身もまた危うくなる。そしてあの男は、政治的に勝ち切る自信があるのでしょうね。先の計画の主導者でもありますし、あらゆるところへの根回しもぬかりなく行っているはず」

 

「なるほど」

 

「ですから最優先すべきことは、この二人の情報を集めること。そして、兄に怨恨を持つものを見つけ次第、ぶつけます。こちらの存在を匂わせる必要はありません。双方にとって無益ですから。ただし――」

 

 

 雨音。

 宿舎の中にまで、響いている。

 

 

「どこに横たわっているわからない、狼の尾は踏まぬように」

 

 

 静まった宿舎に、シュバリエの(バリトン)が、響く。

 

 

「それでももし、踏んでしまったら?」

 

 

 人を食ったような笑顔で、ジョニーが尋ねた。

 シュバリエが、笑う。

 

 

「その時は――」

 

 

 雷。

 音を置き去りにして、雷光を刻んだ。

 

 

「殺し合い。そんな結末もあるかもしれませんねー」

 

 

 轟音が響く。

 稲光が、シュバリエの狂気を、白く照らした。

 

 

  <貴女《あなた》が盗んだものは 了>

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四章 世界に一つだけの華を貴方へ
図書館に行こう


「えっ!? と、図書館……ですか?」

 

「ああ。ちょっと調べたいことがあってな。暇だったら、一緒にどうかと思ってよ」

 

 

 寝間着姿のリンに、ヒョウが言った。

 当たり前だが、もちろんここは自室である。

 

 

 そんな大したこと調べに行くわけじゃない。

 往復合わせて一時間程度で終わることだ。

 本来であれば、一人でササっと終わらせる。

 リンにもしものことがあってはならないと共に来たが、限度はある。

 

 リンは、自分にとって生涯最後の義妹で、弟子だ。

 多分、自分が遺す唯一のものになるのだろうなと、思っている。

 だからこそ、大切である反面、軟弱であってほしくはなかった。しかし――

 

 

『こいつにとってここは異国だろ。妹に寂しい思いさせるんじゃねえよ』

 

 

 先日のマルコの言葉に、感化されたわけじゃない。

 気になったのは、リンの反応だった。

 

 

 肩を持ち上げ、両手で口元を隠し。

 顔を赤くしながら、相手を見る。

 それは、リンがいつも自分に向ける仕草である。

 

 

 盗まれたなと思った。

 北翼(ほくよく)の盗賊王とまで呼ばれた、自分が。

 

 

(ま、一理あるしな。一理は)

 

 

 そんな言葉で、自分を誤魔化す。

 

 

「わかりました。そういうことでしたら、お供させてほしいです」

 

 

 くすぐったそうに笑って、リンが言う。

 

 

「じゃあ時間はどうするかな。朝、いや、昼、いや夜、うーん」

 

「あ、あの!!」

 

「ん?」

 

「あ、兄様さえよかったら、あたしが起こして差し上げましょうか?」

 

「いや、お前の起こし方はうるさいからな。頭がキンキンとする」

 

「で、では今回は、優しく起こして差し上げますから」

 

 

 あたふたと手を前に出しながらリンが言った。

 

 

「お前は兄様との約束を破って、どっかに一人で行くような奴だからなー」

 

「はわ!! あ、あれは、その……」

 

 

 リンが口元を隠して声を上げ、その後あたふたと手を泳がせる。

 それを見て、ヒョウはカラカラと笑った。

 

 

「冗談だよ。じゃあそろそろ寝るぞ。明日は早いからな」

 

「あ、ちょっと待ってください」

 

「ん?」

 

「も、申し訳ございません。あたしはその、もう少し起きていたいので、こちら側だけ、明かりをつけさせていただいてもよろしいでしょうか……?」

 

「いや、別にいいけど、なんだったら四方ともつけたままにして寝ようか? 俺はどこでもどんな暗さでも寝れるのが特技だからな」

 

「あ、いえその……私事なので……」

 

「ふーん」

 

 

 目を細めてリンを見る。

 

 リンは目を伏せて、自分と視線を合わさぬようにしていた。

 

 

(リンが俺と視線を合わさない時は、大体俺がやりすぎている時である。リンは年頃の女だし、詮索しすぎるのは野暮かな……)

 

 

 目を閉じ、片手を上げた。

 大抵のものには勝ち切る自信のあるヒョウだが、リンのこの仕草には、いつも負けてしまう。

 

 

「わかったよ。カーテンは? 閉めたいのか?」

 

「はい。お願いします」

 

「……あー、一応言っておくけど、何か危険なことするつもりなら、絶対俺に連絡入れろよ? 俺は百パーセント外さない。唯一懸念しているのは、見えないということと、知らないってことだ。いいな? 何かするときは絶対に俺に連絡を入れろ」

 

 

 過保護すぎると思われるかもだが、リンは思っている以上に想定外なことをする。

 

 それは前回の話を見てもらえればわかることだろう。

 

 

(言い過ぎたかな……)

 

 

 思ったが、リンは口元を隠しながら、ヒョウを見ていた。

 例によって肩を持ち上げ、その頬には朱が差している。

 

 

(こいつは何言っても感動するからな……)

 

 

 照れくさくなったヒョウは、ガリガリと頭をかいて、目を背けた。

 そして――

 

 

「はい!!」

 

 

 リンのいつもの声が、響く。

 

 夜。

 

 二方の黒砂炎の明かりを残して、カーテンを閉める。

 

 薄ぼんやりとした明かりがカーテン越しに映る中、ヒョウは床についた。

 

 気になると言えば、気になった。

 

 しかし、ここで隠密にカーテンを開けてしまったら、人としても義兄としても失格であろう。

 

 布団にくるまる。

 

 しかし、目を向けるぐらいは、罪ではなかろうと、白いカーテンに目をやった。

 

 明かりの位置も問題だったのだろう、そこにはリンの影がばっちり映っている。

 

 リンは何かを持ちながら、それを自分に合わせていた。

 

 何をしているのかは、明白である。

 

 

「ばっか」

 

 

 ヒョウはつぶやきながら、眠りに落ちた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

リンの朝の起こし方

 本来、ヒョウは誰かに触られることを極端に嫌う。

 

 睡眠中など持っての他で、握っている人間の命を保証しないでいいなら、ある意味もっとも早く起こす方法であると言えるだろう。

 

 そんなヒョウが、今現在、眠っている間に手を握られているのを、許している。

 握っているのがリンであると、わかっているからだ。

 

 握られた手。

 何か文字が綴られている。

 内容は――

 

 

 目を開く。

 

 

 正面にリンがいた。

 着替えも終わり、準備万端といった感じであった。

 

 

 リンはダボダボの服を着るのが好きで、春冬いつも長袖である。

 スカートもそれに準じることが多いが、今日のスカートは短かった。

 蒼と白で合わせている。

 空の配色と同じだからか、その二色が合うことは知っている。

 

 

 リンは子供だ。

 しかし普通に似合っていた。

 というか、リンなら大抵のものは着こなすだろう。

 

 リンはものがいい。

 性格も大人だ。

 背も子供にしてはやや高いほうかもしれない。

 リンと長く話していれば、誰でも一回は思う。

 

 本当にこいつは十一歳なのかと。

 脳の発達が著しく早い魔族ならばよくあることだが、リンは人間だった。

 

 だから自分は時折心を惑わされるのだ。

 そう思うことにしている。

 

 

「おはようございます。兄様」

 

 

 赤い顔で目を伏せ、リンが言った。

 赤い顔をしている理由は、着慣れていないものを着ていることが一つと、リンが掌に書いてきた、文字が原因であろう。

 

 

(恥ずかしいならするなよなーこいつ。こっちまで……)

 

 

 身体を持ち上げ、んっと伸びをする。

 実は照れ隠しの一環でやっていた。

 

 この部屋にいる二人、どちらも照れている。

 物凄くアホらしい話である。

 

 油断すると、口が変な方向に曲がりそうになるので、それを押さえた。

 

 

「リン」

 

「は、はい!!」

 

「すげえ地味な起こし方だな。他に何かなかったのか?」

 

「はわ!!」

 

 

 後ろで、リンのいつもの声が聞こえた。

 

 ヒョウはタンスから、服を上から順に取ろうとして、手を止めた。

 

 ふと昨日の、服を一生懸命選んでいるリンの姿が頭によぎったからだ。

 

 振り返る。

 

 リンは正座して、背中を向けていた。

 

 

「リン」

 

「はい」

 

「飯はもう食ったのか?」

 

「いえ。まだです」

 

「食べたいものはあるか?」

 

「特にはありません。兄様が食べたいものがあるのなら、それで……」

 

「そうか。後な」

 

「はい?」

 

 

 リンの言葉の語尾が持ち上がる。

 

 

「あ―その」

 

 

 頭をガリガリとかく。

 言うべきか、迷った。

 

 

「俺はお前みたいに、うまいこと服合わせるの無理だから、あんまり期待すんなよな」

 

 

 自分のための言葉だった。

 かなり遠回しだが、リンのための言葉でもあった。

 だから言うか迷った。

 

 

 一拍。

 間があった。

 

 

「期待します」

 

「あのな」

 

 

 思わず振り返って、目を向ける。

 

 リンは背中を向けたままだった。

 

 

「だって、兄様と二人きりで出かけるのは、初めてのことですから」

 

「いや、それはねえだろ。ちょくちょく出かけたことあるぜ?」

 

「いえその、調練や、たまたま二人になってしまったことは、あります。ですが、その……どこかに行こうと、誘ってくれたのは、初めてなので」

 

「……」

 

 

 どうやら物凄く期待されているようだが、昨日の会話をぜひ思い出していただきたい。

 

 

(いや、今回もただ調べものに行くだけなのですが……)

 

 

 ちょくちょく言っているが、リンにはこういうところがある。

 読めないというか、突拍子がないことをするというか、間が抜けているというか。

 

 

(しかしどうしようこれ)

 

 

 何かするべきなのか?

 予定変更、いや、追加するべきか?

 

 

(いや、見栄を張っても泥沼だな、多分)

 

 

 顔を向きぬまま、指を一本立てる。

 

 

「昨日も言ったけど、調べものにいくだけだからな」

 

「はい!!」

 

 

 嬉しそうなリンの返事が背中を打つ。

 

 

 ヒョウは笑った。

 リンの機嫌がいいからじゃない。

 ヒョウは、リンのその声が、嫌いではなかった。

 

 

 笑いながら、上着を脱ぐために手をかけようとして、その手を止めた。

 

 掌を見つめる。

 

 リンが先に、文字を綴っていた手。

 

 内容は――

 

 

 起きてください、兄様。

 

 

 掌を見つめる自分が、笑っていることに、気が付く。

 

 

「……」

 

 

 ヒョウは気を取り直して、服を着替え始めるのだった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

図書館にて、悪鬼集まる

 国立ヴァルハラ図書館。

 

 リンは勉強のためのノートを広げ、ヒョウは集めてきた資料をテーブルの上に並べていた。

 

 並んでいる資料は、主に北翼の歴史本、世界史の本も並んでいる。

 

 

「兄様」

 

「ん?」

 

 

 手を止めて、リンが尋ねた。

 

 ヒョウが顔を向ける。

 

 

「兄様が調べたかったこととは、それなのですか?」

 

「ん? いや? 全然?」

 

「ええええ!?」

 

 

 ヒョウのまさかの答えに、リンがビックリした声を上げる。

 

 周囲の人間に剣呑な目を向けられ、リンが両手で口元を隠した。

 

 ヒョウは笑って、唇の前に指先を立てる。

 

 

「はわわ……」

 

「図書館では静かにな、リン」

 

「はい。申し訳ありません、兄様」

 

 

 シュンとした顔でリンが言うので、ヒョウはカラカラと笑った。

 

 

「まあこれも調べたいことの一つではあるけどな」

 

「そうなのですか?」

 

「ああ」

 

 

『何だよヒョウ。お前は本当に歴史に疎いな。この女は』

 

 

 夢の中のリンを見て、『何かある』と思った時、突拍子もなく流れてきた、元相棒の台詞。

 

 あの時からずっと思っていた。

 

 恐らく自分は、過去のどこかで、リンの何かに触れている。

 

 それでも、今はまだ、これに取り組む段階ではない、とヒョウは思っていた。

 

 今は目先の任務、つまりファルコ=ルドルフである。だから今回の調べもの、というのも、実はファルコ=ルドルフについて調べようと思っていた。

 

 図書館には過去の新聞が貯蔵されている。ファルコ=ルドルフほどの有名人なら、一度や二度、新聞に記事を載せられたことがあるはずだ。

 

 今回はそれを調べに来たわけなのだが、急遽予定を変更して、北翼の歴史について調べることにしている。

 

 何故予定を変更したのかというと――

 

 

「気づいてるか? リン」

 

「え?」

 

「見られてるってことにだよ」

 

「え……」

 

「ご名答」

 

 

 リンの後ろから、声。

 

 目を向けるまでもなく誰かわかったが、一応目を向けた。

 

 蒼い髪に青い瞳。デニムのミニスカに白い服。白い帽子。

 

 ヒョウとリンを監視するために学園に侵入していた、内閣守衛隊。

 

 通称ガーディアンウィザード。

 

 アイリス=クーパ。

 

 

「ア、アイリスさん」

 

「やっ、どうもー」

 

 

 帽子を取って、アイリスが言った。

 

 リンは、目を見開いて、アイリスのことを見据えた後、シュンとした顔で目を伏せた。

 

 アイリスは、そんなリンを見てクスリと笑い、リンの隣に腰掛けた。

 

 

「よくわかったな。というかその髪はなんだよ。染めたのか?」

 

「うん。変装のためにカツラ買おうかなと思ったけど、面倒だから染めちゃった」

 

「ええ……。一ミリも共感できねえ話でビックリしたわ。というよくわかったな。俺たちがここに来るって」

 

「うん。リンちゃんが教えてくれた」

 

「え」

 

 

 リンに目を向ける。

 

 リンは逃げるように目を伏せた。

 

 

「いやその、聞かれたので、思わず」

 

「前日だろ? どうやって」

 

「伝書に決まってんじゃん」

 

「ええ……」

 

 

 心底呆れた声が出る。

 仮にも敵に、こっちの情報流すとは。

 お人よしにもほどがある。

 

 

「あ、もしかして、怒ってる?」

 

 

 荷物を机の上に置きながら、アイリスが言った。

 

 

「何が?」

 

「二人きりの時間邪魔しちゃったから」

 

「バカバカしい話だが、それで消えてくれるなら、そういうことでも構わんぞ」

 

「ふーん。ねえねえリンちゃん」

 

「はい」

 

「こいつ結構むかつくね。そう思わない?」

 

 

 ヒョウを指差すアイリスの頬は、風船のように膨らんでいた。

 

 

「え!! あ、いえ、あたしは、その……」

 

 

 リンが何と答えたらいいのかわからないとばかりに、目を伏せる。

 

 

(そこは普通に否定しとけよな―アホらしい)

 

 

 思いながら、ヒョウは外に目を向けた。

 

 

 外には火鳥と同化した『元』太陽、神陽玉が燦燦と瞬いている。青々とした木々が、図書館の中庭に木漏れ日と影を落としていた。

 

 

 そんなさわやかな中庭のベンチで、座っている女が一人。

 

 

 今日はツインテールではなく、髪をまっすぐ下ろしているが、あの紫頭は忘れない。

 

 

 あいつはBクラスのクラスリーダー、ネイファだ。

 

 

(何だよ今日は揃い踏みだな)

 

 

 椅子の前足を持ち上げながら、ヒョウは思った。

 

 

(ということは、あのハゲもどこかにいるな)

 

 

 このヒョウの読みはズバリであった。

 

 ヒョウらが二階で勉強していた時、マルコらは三階にいた。

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

「はあ」

 

 

 ヒョウがいる図書館の二階でアイリスと合流していたころ、三階でマルコは、ぶっといため息をついていた。

 

 一緒に勉強でもどうかと誘った妹のネイファは、マルコがちょっと煙草休憩を挟んだ間に、勉強道具だけを残して、どこかへと消えていた。(ちなみに十六歳の喫煙は法律違反)

 

 

 かれこれ三十分になる。

 

 トイレにしては長すぎた。

 

 早くも口が寂しくなってきて、ろくすっぽ使っていない鉛筆を、口にくわえた。

 

 何気なく、外を見た。

 

 人がベンチに座っているのが見えた。

 

 

「あ」

 

 

 思わず声が出た。

 

 座っていたのは、なんとネイファだったからだ。

 

 

 ここの図書館の一階はカフェになっていて、ネイファはそこのコーヒーを飲みながら、青々とした木々を眺めている。

 

 

 ネイファは、声を失った。

 ネイファの目の前で、父親が、母親を撲殺したからだ。

 理由を聞いたが、父はネイファを守るためにやったの、一点張りだった。

 その時自分は、黒魔術で錬生したドラゴンで夜な夜なダウンヒルしていて、現場にはいなかった。

 

 ネイファに残されたのは、バカな自分だけ。

 と言いたいが、実はそんなことはなかった。

 ネイファは、兄である自分の連絡先さえ知らない。

 自分の場合は、残されたというより、残ってしまったという言い方が、正しかろう。

 

 

 ネイファは普段ツインテールにしているが、好きな人と会う時、髪をまっすぐに下ろす癖があった。

 そうつまり、ネイファは恋をしていた。

 そしてそのネイファの好きな人が、ここヴァルハラ図書館にいた。

 

 

 ボーっとネイファのことを眺めていると、おばあちゃんが一人、ネイファの元にやってきた。

 どうやら道に迷っているらしい。

 ネイファは立ち上がって説明しようとしたが、ネイファの声は、先述したように、出ない。

 助けに行かなければ。

 マルコは立ち上がった。

 

 ネイファは、身振り手振りで、頑張って説明している。

 不思議とマルコは動けず、その様を眺めてしまっていた。

 ネイファがベンチの上に置いたコーヒーから、静静と湯気が上っている。

 

 しばらくして、おばあちゃんが嬉しそうな顔で、頭を下げる。

 ネイファは――

 

 小首を傾げて、笑った。

 差し込む木漏れ日よりも、ずっとずっと、光輝く笑顔に、マルコには思えた。

 今一度ベンチに座り、冷めてしまったであろうコーヒーを、また口に含む。

 

 

 目を伏せて、拳を握る。

 どうしてこんないい子が、こんな目に合わなければならないのか。

 何か手はないのか。

 本当に、どうしようもないのか。

 考えてみても、やはり答えは出ない。

 

 

 せめてこれから、真っ当な方法でと思ってここに来た。

 しかしそれで罪が許されるはずもない。

 ネイファを堕とそうとする者を、真っ向勝負とはいえ襲ってきた。

 初めこそ頭を下げ、金を払ってきた。

 だが、地面に頭を擦りつけ、頼み込んでいる時、仲間の一人が、自分の頭を踏みつける男に殴りかかった。

 

 

 勘違いしないでほしい。

 仲間のために、戦ったんじゃない。

 いい加減我慢ならなくなったから、その場にいた奴ら、全員一人で殴り倒した。

 殴った仲間も殴りつけて、その足で警務隊に出頭した。

 青少年保護プログラムの一、禿頭刑を受けて戻ってくると、ネイファはAクラスから、Bクラスへと、落ちていた。

 その時、自分の中の、何かが切れた……。

 

 

 大人に諭されてやめようとは思っていなかった。

 やめろやめろと言われると、意地になってしまうのだった。

 しかし――

 

 

『ここであたしと出会ったのも(えにし)――いえ、きっかけと考えて、今後のことを、ほんの少しでも、一考していただけませんか?』

 

 

 十一歳の子供にまで諭され始めたら、いよいよ終わりだ。

 そしてその言葉には、確かに理があった。

 

 

 だがそれでも、いつか報いを受ける時はくるだろう。

 きっとそれは、そう遠くないうちだろうなとも、思っている。

 

 

 笑った。

 酔ったわけじゃない。

 ただの、自虐だった。

 

 

 せめて、自分が消えるまでに、ネイファの声だけでも取り戻したい。

 そう思いながら、ネイファを見下ろした。

 そして。

 

 

 バン!!

 

 

 窓ガラスに顔を叩きつけるようにして、外を見下ろした。

 先におばあちゃんを満足させ、春の季節を楽しんでいたネイファが、今度は悪漢二人に絡まれていた。

 一人はモヒカン。

 もう一人は舌にピアスをつけていた。

 そして二人とも、揃いの月のネックレスをしている。

 

 

(どっかのチーマーか!!)

 

 

 マルコも暴竜族をしていたころ、ドラゴンのネックレスを証としてつけていた。マルコに至っては、二の腕から手の甲にかけて、ドラゴンのタトゥーまでしている。

 

 

 ネイファは美人だ。

 髪を下ろしたネイファは特に美人だ。

 

 だから、男ら二人はだらしなく顔を歪ませていた。

 そんな男らに、ネイファがグッと親指を立てる。

 男ら二人の顔が、歓喜に震えたが、甘い。

 ネイファはバカな兄の影響かはたまた同族嫌悪か、どちらかと言えば真面目な男に恋をする女なのだった。

 ニコニコ笑っていたネイファであったが、次の瞬間、ネイファはその親指で、自分の首を掻っ切った。

 

 

(あちゃー)

 

 

 マルコが目を覆って上を向く。

 しかしその唇は持ち上がっていた。

 それでこそ、マルコが知るネイファだから。

 そうこうしている間に、ネイファはその親指を下にする。

 

 

 イコール死ね。地獄に落ちろと言い換えても、可。

 

 

 男ら二人の顔にヒビが入る。当たり前である。

 更に一人の男は、拳さえ振り上げ――

 

 

「あの野郎!!」

 

 

 思わず大声を上げていた。

 

 確かに、ネイファは強い。

 前にアイクを返り討ちにしたように、声が出ていない状態で、多分自分より強いのだ。

 あんな悪漢、ネイファなら秒殺だろう。

 実際『かかってこい』とばかりに、両手を前に出し、魔力を練り上げている。

 

 

 このことからわかるように、実はネイファの心は大分安定を取り戻していた。

 あれから半年。いつまでも、眠ったままでいるネイファじゃないのだ。

 

 

 しかしそれでも、男が女に拳を上げる。

 許せることではなかった。

 

 

 周囲の注目を集める中、マルコが駆けだす。

 そんなマルコを――

 

 

 同じ階にいた、ジョニーとロナウドが、静かに見据えていた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

恋の御相手

「はあ、はあ、はあ」

 

 

 マルコは、自分なりの精一杯の早さで、階段を駆け降りた。

 

 あるいはヒョウならば、窓から颯爽と飛び降りて、助けに行くこともできたかもしれない。

 

 しかし自分はただの一般人なのだ。

 

 そんなこと、できやしない。

 

 

『いつも裏道ばかり歩いている人間は、同じ道でいつか誰かと必ずかち合う。そして、その道を歩くものに、いつか必ず潰される。誰も通らない道だから文句も言えない。ま、一言で言えば、因果応報ってやつだ』

 

『あれがあなたのせいではないと言い切れますか? 巻き込んでいない。そう断言できますか? 次は、あなたが守ろうとしている、妹さんの番かもしれないのですよ?』

 

 

 最近留学してきた、二人の言葉を思い出す。

 

 

 知っていた。

 

 そんなことはずっとずっと。

 

 それでもネイファなら、そんな災厄は祓えると、母親に接するように盲信していた。

 

 だがそれだけじゃない。

 

 本当は――

 

 

 中庭に出た。

 

 二人組の男は、事務員らしき男の肩を嬉しそうに叩いて、去っていく。

 

 ふざけるな。

 

 今更笑って終われる問題ではないのだ。

 

 こいつら。覚悟しやがれ。

 

 ギタギタにしてやる。

 

 思いながら、腕をまくった。

 

 だが、ネイファと、事務員らしき男が振り返ったのを見て、足を止めた。

 

 白いスーツに金髪。

 眼鏡の奥から新緑の瞳が光っている。

 

 

「ペイリさん……」

 

「やあ、久しぶりだね。マルコくん」

 

 

 ペイリ=クーデル。

 

 ネイファと同じ先天性魔術師で、多分ネイファ以上の天才だった。

 

 付き合いは、自分達が子供の頃から。

 

 ペイリは、ヴァルハラ市で悪名美名ともに名高い、幼児英才教育保護施設、ベビージュエルの先輩兼指導者だった。

 

 この先輩兼指導者というのは、ペイリがヴァルハラ学園を五年で卒業してしまったため――普通は一般教養含め十年以上かかる――であり、十歳という若さで、ペイリはベビージュエルの半分指導者(法律の関係上表向きは学生)になっていた。

 

 卒業後、ベビージュエルに十年勤め、その後、二十歳で公務員試験を受けて、一発合格。ここヴァルハラ図書館の司書になったと聞いている。

 

 絵に描いたような勝ち組の人生だった。

 

 マルコはこの先輩があまり好きではなかった。

 

 理由は単に嫉妬だったと思う。

 

 そしてネイファの想い人とは、このペイリだったりする。

 

 声も家族も失ったネイファにとっての、最後の希望だ。

 

 何故だろう?

 

 ありがたいはずなのに、思わず強く、拳を握っていた。

 

 それを目ざとく、ペイリの新緑の瞳が、捉える。

 

 マルコは自分の気持ちを隠すように、頭を下げた。

 

 

「どうも、こんちわっす。ペイリ先輩」

 

「あはは。いつも言ってるだろ? 僕はもう君らの先輩じゃないよ。それより君からもネイファ君に言ってあげてくれないか? 女の子が男の前で、財布なんて出すもんじゃないってね」

 

 

 言われてみると、確かにネイファは財布を出していた。

 

 どういうことだと思ってネイファに顔を向ける。

 

 ネイファは身振り手振りで状況を解説してくれた。

 

 どうやらペイリは、本来暴力沙汰になるところを、自分のポケットマネーで解決してしまったようだ。

 

 軟弱な手順と思うなかれ。ペイリは強いのだ。自分はもちろん、声が出ていたころのネイファよりも多分強い。

 

 金髪眼鏡に白スーツといかにも軟弱そうな格好をしているが、それは鷹が爪を隠しているのと同じだった。

 

 十歳でベビージュエルの教官。その経歴は伊達じゃない。

 

 ペイリがパンパンと汚れてもいない服を払う。

 

 ペイリはやや潔癖症なところがあった。

 

 

「安心しなよ、マルコくん。偽善でもなければ偽悪でもない。ただ警務隊の世話になりたくなかった。それだけのシンプルな理由さ。渡した金は、服のクリーニング代とでも思っておけば、安いものだろ?」

 

「ふふふ。そうですね」

 

 

 笑ってしまった。

 

 この人は、こういう人なのだった。

 

 合理的で、知的だった。

 

 自分とは正反対で、ネイファが顔を赤くしてしまうのも、仕方ないことなのかもしれない。

 

 

「何にしても無事でよかった。もう少し話し込んでいたいところだけど、勉強の邪魔しちゃ悪いかな。じゃあね、二人とも。勉強、頑張って」

 

 

 手を振って、ペイリが職場に戻っていく。

 

 それをネイファは赤い顔で見送っていた。

 

 

「声、早く戻さないとな」

 

 

 マルコが言った。

 

 ネイファが振り返る。

 

 

「じゃないと、告白もできやしない」

 

 

 マルコが続けた。

 

 ネイファは――

 

 

 心底うざそうな顔をしてみせた。

 

 

 その顔を見て、マルコは落雷を落とされたように衝撃を受ける。

 

 そんなマルコに追い打ちをかけるように、ネイファがグッと親指を下に向けて、会心の一撃を入れる。

 

 マルコは更に衝撃を受けた。

 

 マルコが石になっている間に、ネイファは髪をかき上げ、去っていく。

 

 誰がどう見たって、バッドコミュニケーションである。

 

 冷たい風が、寂しい音を奏でて、去っていく。

 

 

「はあ」

 

 

 マルコは苦笑しながら、青空を見つめた。

 

 

「やっぱダメな奴だな―俺は」

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 その時、その様子を図書館から見下ろしていた者が三人、いや、二グループあった。

 

 そのうちの一人がこの男。

 

 

 ヒョウ。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

見ていた者達

「何か一階に落ちてるの?」

 

 

 尋ねられて、目を向けた。

 アイリスがニヤニヤ笑いながらヒョウを見ていた。

 何がそんなにおかしいのかはわからないが、どうせロクでもないことだろう。

 まず間違いなく。

 

 

「いや……」

 

「リンちゃんだったらここにいるのに」

 

「はわ!!」

 

「あのね」

 

 

 やはりロクでもなかったか。

 思いながら、ヒョウはガンガンと窓を叩いた。

 こういうズレた手合いとは、付き合ったら負けである。

 

 

「外に、ハゲと紫頭がいたんだよ」

「えっと、マルコさんと、ネイファさんのことでしょうか? 兄様」

 

 

 苦笑いを零しながら、リンが言う。

 

 

「ああ。中々面白いことになっている。ちょっと見てみても、いいかもな」

「え?」

 

 

 リンが窓越しに階下を見つめた。

 ガタンと立ち上がり、アイリスも窓の外を見る。

 ヒョウは両手を頭に当てて、目を逸らす。

 

 

「特に何もないように思うのですが……」

 

「恨まれてるね、相当」

 

「えっ?」

 

 

 アイリスの言葉を受けて、リンが口元を隠して驚きを隠す。

 

 見鬼(けんき)という術がある。魔力の流れを追うことで、格下の魔術師の心を読む魔術である。

 

 見鬼(けんき)なんてものは、挨拶のように使っていけばいいのだと、口酸っぱく言っているのだが、リンは人に対して滅多に見鬼(けんき)を使わない。

 

 バカだなと思いつつも、リンらしいなとも思っている。

 

 

(とはいえ、例え使ったとしても、あの金髪の魔装は貫けなかったかもしれないけどな……)

 

 

 あいつは相当できる。

 感情を読めたのは、単にアイリスの腕が頭一つ抜けているからだ。

 

 

(リンが見鬼(けんき)に興味を持てば、もう少し形になるんだがな。やはり、求めていない力を上達させるというのは、難しい)

 

 

 逆に言えば、リンは力を渇望している、ということでも、あるのだが……。

 リンはこの二年の調練で、恐ろしいほどに強くなったのだから。

 

 

「ですが、何もせずに帰っていかれました。このまま何事も起きず、平穏に終わるのではないでしょうか?」

 

 

 シュンと顔を俯けながら、リンが言った。

 リンがマルコに少なからず好意を持っている、というのもあるだろう。

 だがリンは、周囲の災厄のほとんどが自分のせいだと思っている節がある。

 多分今回も、そう思っているに違いない。

 

 

「どうだろ? 自己嫌悪って言われるかもだけど、魔族ってねちっこいところがあるから。このまま終わらせるようなことは、ないと思うけどな」

 

「俺はそんなことないけどな」

 

「確かに、君は色々とズレてるから、そうかもね」

 

「あのー、お前にだけは言われたくないんだが?」

 

「あの……」

 

 

 シュンと目を伏せていたリンが、口を挟む。

 

 落ち込んでいるようにも見えたが、顔を上げた時、リンの表情は消えていた。

 

 

「どうしてお二人には、あの方が魔族であると、わかるのですか?」

 

「シンパシーだよ」

 

「シンパシー?」

 

「あたし達魔族は、お互いが魔族であるか否か、直感でわかるんだよ。実質勘なんだけど、外れたことはまあないかな」

 

「というかお前知らなかったのか?」

 

「いえその、もしかしたら、忘れていたのかもしれません。申し訳ありません。兄様」

 

 

 照れた顔を隠すように、リンが両手を口元に持っていく。

 

 リンは天才というより秀才だった。努力で得た力のためか、時々ポカもする。それがリンの突拍子のない発想や、行動に繋がるのだろう。

 

 呆れる反面、微笑ましいところもあり、ヒョウは笑った。

 

 

「まあ、廊下でいきなり発火するような奴だ。人に恨まれるのも頷ける」

 

「それは君のせいでしょ」

 

 

 アイリスのツッコミを受けて、ヒョウがまた笑う。

 

 確かに前前前回(第一章)にてマルコが魔術で発火したのは、ヒョウが眩術(げんじゅつ)をかけて、マルコの感情を増幅、錯乱させたからである。

 

 ヒョウは本来体術主体のため、この手の補助系の魔術に長けていた。

 

 

「ま、いずれにしても、俺たちには関係のない話だな。放っておいて、勉強しようぜ」

 

「え……」

 

 

 リンが掠れた声を上げて、ヒョウを見る。

 ヒョウが目を向けると、リンはシュンと目を伏せた。

 

 

(まあリンならこう出るわな……)

 

 

 ヒョウは人助けが嫌いである。

 誰かを助けても意味がない。

 そんな風に考えてしまう。

 とはいえ、そんな自分が嫌いでもあるのだ。

 

 

(だから、リンにこの光景を見せたのではないか? 自分が、人でいられるように)

 

 

 核心に触れた気がした。

 だからこれ以上、考えないようにした。

 

 

 リンが自分を見ていない時は、大体自分がやりすぎている時。

 それが全てなのだ。

 

 

(しかしどう伝えたものかな? 俺はこれでも自分が極悪人であることにポリシーを抱いちゃっているからね――あ)

 

 

『あなたも、あの人たちと、同じなのですか?』

 

『ああ。極悪人だよ』

 

 

 ポンと、手を叩く。

 

 

「お前っさー、今思い出したけど、初めて言った言葉『ありがとう』じゃねえじゃねえか。今ふっと思い出したわ。何だって兄様に嘘つくかねお前ー」

 

「はわ!!」

 

 

 リンが両手で口元を隠して、大声を上げる。

 

 そんな中、アイリスはクスクスと笑い、立ち上がった。

 

 ヒョウとリン。

 

 二人で目で追った。

 

 

「今来たばっかりだけどさ、ちょっと下のカフェでご飯食べに行かない? あたしが知っている限り、あの二人のこと話してあげるよ。それに――ここにはもう、いずらいでしょ?」

 

 

 ヒョウが周囲に目を向ける。

 そこには、ぶっ刺さんばかりの、剣呑な視線が並んでいた。

 

 

「はわ!!」

 

 

 リンが両手で口元を隠して、決して小さくない声を出す。

 それを見て、ヒョウは両手を持ち上げながら、笑った。

 

 

「やれやれ」

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 一方、図書館三階。

 

 ジョニーとロナウドもまた、ヒョウと同じくマルコ他二名を見下ろしていた。

 もっともこちらの場合、ヒョウのようにたまたま発見したのではなく、監視の名目で見下ろしていたのだが。

 

 

「見ましたか? あの金髪野郎」

 

「誰に物を言っている。ジョニー」

 

 

 ジョニーとロナウドの瞳は、色こそ違えどそれぞれ深みを増していた。

 見鬼(けんき)は性質上、発動すると瞳の色が深くなる特徴があった。

 

 

「今のは魔力探索ですね。チンピラに渡す金に、魔力を付与させてやがった。後でとっちめて取り返すつもりなんでしょうね」

 

 

 自身の魔力はある程度まで追うことができる。その性質を利用して、物に魔力を付与し、物体、ひいては持ち主を追跡する魔術を、魔力探索と呼んだ。

 

 

「加えて言えば、あの男は対象Bに多大な恨みを持っているようだ。対象Aに対しては『愛』と『哀』、すなわち『心配』を覚えているのが多少気になるが、まあ些細な問題だろう」

 

 

 金髪男こと、ペイリの心をガラス張りにして見抜き、ロナウドが言った。

 

 アイリスもそうだが、ロナウドもまたプロ。加えて言えば、ロナウドの専門は『見』、すなわち相手の心を読むことなので、この結果も残当であった。

 

 ロナウドがガタンと席を立つ。

 

 

「あいつにするんですかい、ぶつける相手は」

 

 

 同じく席を立ち、ジョニー。

 

 

「まああれが一番都合がいいだろう。放っておいても勝手に潰してくれそうだが、多少なりとも接触しておかないと、こっちの手柄にならないからな。そういう意味では、完全な隠密行動はできないとも言える」

 

「暴力の出番はありますか?」

 

 

 ジョニーが親指を用い、人差し指から順に折り曲げていく。小指にいくまでの間、計四回『ポキポキ』という音が響いた。

 

 これはジョニー特有の指の鳴らし方だった。

 

 

「そうだな。少なからずマウントはとりたい。どっちが上か、素人とプロの違いとはいかなるものか、教えることは、あるかもな」

 

「くくく。それはまた、楽しみで」

 

 

 ジョニーとロナウドが、波のない湖面のように静かに、魔力を練り上げる。

 

 本来風は魔力に反発する。しかしこの場の空気は至って無風。誰一人として、二人に注目する者はいなかった。

 

 些細なことだが、ほんのそれだけでも、二人が圧倒的な実力者であることが、わかるのだった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

悪党が笑う

 一階カフェ『ラインズダバイン』

 

 

 ヒョウ、リン、アイリス、の三人は、テーブルにつきながら食事をしていた。もしかしたら会うかもと思ったが、マルコ、ネイファ、ペイリの三人はどこにもいなかった。

 

 

「つまり話をまとめると、紫頭の前で父親が母親を撲殺。理由は痴情のもつれ。母親、父親双方ともに、浮気の形跡あり。そしてそれ以降、紫頭の声は出なくなっている。そしてそれが、半年間続いている。それでいいな?」

 

「そゆこと」

 

「ふむ」

 

 

 リンが必死にメモを取る中、ヒョウは腕を組み、目を閉じた。

 

 

 広がる暗闇。

 頭の中で、ペイリ、ネイファ、マルコの相関図を描いた。

 目を開く。

 この時間、わずかに四秒。

 

 

「なるほど。ということは、あいつは紫頭の声を取り戻したいってことか。となると、次の手順もおのずと絞られるな」

 

「え」

 

 

 リンが両手で口元を隠しながら、ヒョウに目を向ける。

 アイリスはストロー越しにコーヒーをすすりながら、ヒョウを見ていた。

 

 

「えっとあの……どうしてそうなるのでしょうか? リンには全くわからなかったので、教えてくださるとその、助かります」

 

「いや、今の情報でわかったわけじゃない。お前は見鬼(けんき)を使ってないからわからなかっただろうが、金髪は、紫頭に対して『哀』と『愛』、すなわち『心配』を感じていた。紫頭に対する心配は、普通に考えれば半年経っても未だ声が戻っていないことと考えるのが自然。今回の一件は百パーセントあの金髪が起点となる。そして、紫頭、ハゲの二人以外に対するアクションは無視していい。とすれば、考えられる行動は二つだ」

 

 

 ヒョウが指を二本立てた。

 

 

「紫頭の声を取り戻すために動く。もしくは、ハゲに憎しみをぶつける。金髪がいつからハゲを憎んでいたのかも重要だ。事件が起きた『後』なら、半年間『のみ』何もしなかったことになるが、事件が起きる『前』なら、数年以上何もしていなかったことになる。後者なら今後も何もしない可能性が高いが、前者なら半年は心理的な節目だ。そろそろ動くかもな。まあさっさと動かないなら、諦めるほかないが。そこまで暇でもねえしな」

 

「な、なるほど……」

 

「本当にわかってんのかー? お前」

 

「いやえっとその、じゃあ今後、あたし達はどうすればよいのでしょうか?」

 

「そりゃ順当に行けば監視――」

 

「あ、その前に一応言っておくけど」

 

 

 アイリスが挙手する。

 

 目を向けられたアイリスが、ズズズとストローでコーヒーをすすった。

 

 

「その監視には、あたしは参加できないからね」

 

「ええええええ!? そんな!? どうしてですか!?」

 

 

 ガタンと席を立ちあがり、リンが言った。

 

 

「いや、いたって普通の解答だろ。ちょっとビックリしすぎじゃね?」

 

「ですが、それでは……マルコさんが」

 

 

 唇を尖らせながら、リンが席に戻る。

 リンは時々、自分の優しさに他人を巻き込むことがある。それはリンが甘えられる相手に限定されており、一番巻き込まれるのがヒョウだった。

 

 ヒョウは、人間(リン)が言うから『もしかしたらおかしいのは自分なのでは?』と思って従ってきたが、やはり自分こそニュートラルであったと今確信した。

 

 ヒョウがリンを指さし口を開く。

 

 

「だからさー、他人のためにどうこうするってのは、本来不自然なんだよ。実はお前がやってることの方がちょっとおかしいんだぜ? わかったな? リン」

 

「……はい」

 

「これからは兄様の行動に口出す前に、ちょっと一考するように。自分の方が間違ってるかもとたまには考えようぜ? わかったな? リン」

 

「……はい」

 

 

 唇を尖らせながら、リンが言った。

 

 怒っているリンは珍しい。

 そしてヒョウは、怒っている相手を見るのが好きという悪癖を持っていた。

 

 

 だからヒョウは、カラカラと笑った。

 

 

 ズズズ。

 

 

 また、アイリスがストロー越しにコーヒーを飲む音が、響く。

 ズズズ、ズズ。

 飲み終わったカップを、アイリスが近くのゴミ箱に捨てた。

 

 

「あのさー、拗ねたり得意げになったり怒ったり高笑いしたり忙しいところ悪いんだけど、別に他人事だから参加しないってわけじゃないよ。ただあたし、こう見えて内閣守衛隊だから。表立ってそういうのに参加できないんだよね。一応隠密の身なので」

 

「あ。そう言えばそうでした」

 

 

 リンが赤い顔で口元を隠す。

『そう言えばそうでした』とは、多分自分のことも指しているのだろう。

 

 リンはこう見えても、東の大陸の諜報員。

 十狼刀決死組三番隊の正規兵なのだから。

 

 そして、先まで明るかったアイリスがやや不機嫌に見えるのは、もしかしたらこの祭りに参加できないからなのかもしれない。

 

 

「まあ俺たちに関しては今更だが、実際問題、俺たちが動くことはないかもな」

 

「え」

 

 

 リンが目を向ける。

 

 

「あいつの動きは全て読み切っている」

 

 

 口端を持ち上げながら、ヒョウが言った。

 

 

 リン。

 何だったら、ヒョウ自身も忘れているかもしれない。

 

 

 ヒョウは魔族。

 根っこは、ペイリと同じ、悪。

 そしてリンは、人間の中でも今どき珍しいほどの、善だった。

 

 

 悪と善。

 相反する二人を、アイリスは静かに見つめていた。

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 夜。

 

 

「ギャッ!!」

 

「グハッ!! グホッ!!」

 

「ちょっ、ちょっと待って、ちょっと待ってください!! お願いします!!」 

 

 

 路地裏で、地面に膝をつけながら、命乞いをする二人。

 

 顔は元々崩れていたが、今ではもっと崩れている。

 

 ペイリは煙草を口にくわえて、火をつけた。

 

 ちなみにクズ共が連れていた、つまらない女どもはもういない。

 

 金を渡して帰らせた。

 

 無論、その金には魔力を込めている。

 

 最悪警務隊を連れてきても、わかるように。

 

 

 魔力探索。

 

 

 一流の魔術師は、自分の魔力をある程度まで追うことができる。

 

 ペイリはクズ二人に自分の魔力を込めた金を渡すことで、クズどもが飲んだくれていた、安酒場の位置を特定したのだった。

 

 

「君たちにちょいと質問がある」

 

「は、はい……何でしょう?」

 

「君ら二人を見た時ピンときたんだ。その揃いの月のネックレス。男同士でペアルックもないだろう? 君らはどこかのチームに所属している。そうだね?」

 

「は……はい。ですが、その、チクったりは――」

 

「そうだよ。やりやがったなてめえ。後悔すんな。後でお前の図書館にまで押しかけて、袋にしてやるからな、覚悟――ギャッ!!」

 

 

 ペイリは男を蹴り飛ばした。

 

 そして言った。

 

 

「総長に会わせてくれ」

 

「え?」

 

「やりたいことのために、ちょっと人手がいるんでね。このチームを奪うことに決めたよ。ただ――」

 

 

 ペイリが足を上げる。

 

 真下には、蹴り飛ばされて、仰向けに転がっている男。

 

 

「おい。待てよ。ちょっと……待ってくれ」

 

「こいつは――いらないかな」

 

「やめてくれえええええええええええええ」

 

「ガン」

 

 

 ペイリが目を向ける。

 

 声を発した男は、小柄ながら、屈強な体躯をした男であった。

 チカチカと、消えかかった街灯が光る。

 僅かな光が、眼鏡をかけたもう一人の男の姿を映し出す。

 ペイリが即見鬼(けんき)で二人を見据える。

 

 

 言うまでもないがその二人とは、虎戦傭兵団団員、ジョニーとロナウドであった。

 

 

 消えかかった街灯が、今もチカチカと、瞬いていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

悪党同盟なるか

(なるほど。強いな。人間でこれだけできるということは、確実に何かを『やってる』やつだ。こいつらの関係者か? 少し探りを入れてみるか)

 

 

 ペイリは見鬼(けんき)を使ったまま、倒れている男を蹴り飛ばした。そして足を踏みつける。悲鳴が上がった。

 しかし、ジョニーとロナウドの魔装は、微塵も乱れない。

 

 二人の扱う見鬼(けんき)が、暗闇の中に微かな光を灯していた。

 

 

「顔面を蹴ってこっちの反応を見て、足を砕いて人質にすることも考える、か?」

 

 

 小柄な男、ジョニーがニヤニヤと笑いながら、言った。

 

 

「一手で二手三手と意味を持たせる。魔族がよく使う手順だな。まあ俺でもそうするがな。しかし、俺はこいつらの仲間じゃない。言うなら、第三勢力と言ったところか? そう言った方が、面白そうに聞こえるだろ?」

 

 

 手を広げて、ジョニーが笑う。

 百パーセント自分が格上であると、確信している顔であった。

 

 

(いっそここで殺すか……)

 

 

 ピクリと指を動かす。

 二人の目は、一挙手一投足を見逃すまいと、ペイリを見据えていた。

 

 

(いや、二対一はさすがに厳しい。しかもそれは最低だ。こいつらが二人だけで動いているとは思えない。この二人は確実に堅気ではない)

 

 

 舌打ちして、煙草を口にくわえる。

 少なくとも今交戦してくる様子はないし、煙草は口元に火のエレメントを貯えておける、という利点もあった。

 火力は、術式練魔でいくらでも増大できる。

 

 

「何が目的だ?」

 

「なーに、手を組みたいだけさ」

 

「手を組むだと?」

 

「いいかな」

 

 

 眼鏡の男が言った。

 

 

「お前は新市街ノースエリア〇〇ー××のマルコ=ラングレイに対し、恨みを抱いている。そうだな?」

 

 

 ペイリは舌打ちした。

 煙草を吐き捨て、靴で踏み潰す。

 

 

「お前らは、あのクズの敵か?」

 

 

 練魔で魔力を噴き上げた。

 

 

「やる気か? おい。いいのかよ? カッコつけて、最後は地べたに這いずる。そんな情けない結末晒すぐらいなら、同盟ってことにしておいた方が、かっこつくと思うがねー俺は」

 

「よせジョニー。何故組めない? 明確な理由が聞きたい」

 

「あいつは近いうちに俺が潰す」

 

 

 ネクタイを緩めた。

 

 マルコのことを、昔から恨んでいたわけではない。

 

 どちらかというと、好いていた。

 バカの利点は人を安心させることができる点にある。

 あいつのバカさ加減は、少なくともその役割を果たしていたように思える。

 

 

「だがそれは、俺の計画の下での話だ」

 

 

 未成年に飲酒喫煙。賭博に夜遊び。バカだと思う反面、羨ましい生き方をしているなと思ったものだ。

 自分には生涯できない。あんな感情むき出しの生き方は。

 

 だから、マルコのことを、母であるユイファに相談された時も、いいんじゃないかと、自分は答えた。

 

 何事もまっすぐに楽しめるのは、一つの美徳であると思うと。少なくとも自分にはできないと。時期がきたら、きっと大人になる時が来るはずだと思うと。

 無責任だと、思いつつも。

 それが本音だったから。

 

 そしてそれから半年後。

 ユイファが殺された。ネイファは声を失った。父は牢獄に繋がれた。マルコが大人になる、時期がきたのだ。

 

 しかしマルコは、妹のためという大義名分の下、周囲に迷惑をかけてまで暴れるようになった。そしてついには傷害で捕まった。

 

 あいつは真性のゴミだった。

 

 それでもいつかはと、半年待った。

 しかし結果は変わらなかった。

 

 死聴が言う。

 マルコを殺せ滅ぼせと。

 その通りだと思った。

 

 だが今、あいつのために戦おうとしている自分に、ホッとしている自分もいた。

 あいつを大事に想っているわけじゃない。潰したくないわけでもない。

 ただ――

 

 

「俺の知らないところで潰されたら迷惑なんだよ」

 

 

 こんな自分こそ、あの人が、好きでいてくれた自分なのではないか。

 そんな気がするのだ。

 

 

 しかし……。

 

 

「そうか。じゃあそれでいい」

 

 

 ロナウドが一切感情を動かさず、言った。

 

 

「何だと?」

 

「お前の計画に従おう。同盟という言い方がまずかったな。俺たちは従う。トップはお前だ。俺たちを手足の如く使ってくれ。そしてマルコを潰せ。それがお前の――本懐なんだろ?」

 

「……」

 

「それともただのツンデレ王子かよ? おい」

 

「よせ、ジョニー。からかうな。愚問だろ?」

 

 

 目を閉じた。

 

 

『だからさようなら』

 

 

 最期に聞いた、彼女の言葉。

 

 好いていてくれたことは、知っていた。

 

 魔術師は、言葉がなくても、見鬼(けんき)でわかるから。

 

 だから多分彼女も、魔術師らしく、魔装で伝えてくれたのだろう。

 

 

(俺の人生は、彼女が死んだとき、終わった。今更どうなっても、あの人がいる死界に混ざるだけ。だがその前に、やっておかなければならないことが、ある)

 

 

 滅ぼせ滅ぼせ滅ぼせ滅ぼせ滅ぼせ滅ぼせ滅ぼせ滅ぼせ滅ぼせ滅ぼせ滅ぼせ。

 殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ。

 

 

 死聴がうるさい。

 わかっているとも。

 すぐに餌をくれてやる。

 

 

 彼女が遺したものを救うためなら俺は、鬼にでも魔にでもなろう。

 

 

「いいだろう。ならばまずは、このゴミ共を徹底的に痛めつけ、総長の居場所を聞き出し、潰してこい。その後、このチームを使って俺の計画を実行に移す。金はいくらでも使っていい。どうせ俺にはもうすぐ無用になる」

 

 

 ペイリが踵を返す。

 

 後ろで、悲鳴が聞こえた。

 

 

(マルコ。お前の罪を償う時がきたのだ。泣け喚けそして死ぬがいい)

 

 

 ペイリが笑う。

 笑って伸びた口端からは、唾が垂れている。

 

 その表情は、死聴からくる頭痛と、後に来るであろう解放を予期し、歪んでいた。

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 ――数日後の、夜。

 

 

 ガシャーン!!

 

 

 家の窓が叩き割られた。

 

 

 リビングに放り込まれたのは、赤黒いレンガだった。紙が貼りつけられている。取って、見た。

 

 

『お前の仲間である、クシムとソボオは預かっている。罪を償う時がきたのだ。助けたければ、一人一人、別れて引き取りに来い。場所は――)

 

 

 それを見て、マルコは震えた。

 

 

(どうする。片方は俺が行くとして、もう一つは……)

 

 

 そんな時、後ろから紙を引き抜かれた。

 

 振り返った先に立っていたのは、ネイファだった。

 

 紙をマジマジと見て、それを放る。

 

 クルリと背を向け、ネイファが髪を持ち上げた。

 

 それを、一つ、二つと、縛る。

 

 手を下ろした時、ネイファの勝負髪である、ツインテールが完成していた。

 

 ツインテールの一房をかき上げて、ネイファが何も言わず、いや、何も言えず、玄関に向かう。

 

 

「待て、ネイファ!!」

 

 

 マルコがその肩をつかんで、引き止めた。

 

 ネイファは物言わず、マルコを睨み据えている。

 

 

 キレている。

 

 見鬼(けんき)を使わずとも、それはわかった。

 

 魔力が痛いくらい、吹き付けてくる。

 

 自分に対して怒っているのだろうかと、マルコはその手を引いた。

 

 

 バタン。

 

 

 扉が無情に閉められる。

 

 

「くそー!!!!」

 

 

 一人、マルコは吠えたてた。

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 ネイファは一人、夜道を歩いていた。

 

 

(あのバカ……)

 

 

 心の中で、自分のバカ兄貴に対して毒づいた。

 

 

(どうせまた自分のせいだ、なんて思ってるんだろうな)

 

 

 まあ事実そうだが。

 

 

(例えそれがあんたのせいでも、怒る相手は、一つしかないでしょうが。このあたしから物を奪うなんて、いい度胸してんじゃんよー)

 

 

 ふと。

 ネイファが足を止めた。

 

 

 目の前を数人の男に阻まれたからだ。

 

 皆、揃いのネックレスをしている。

 

 あの時、自分に絡んできた男たちがしていたものと、同じ、三日月のネックレスだ。

 

 笑った。

 

 

(なーんだ。マルコのせいじゃなく、あたしのせいじゃん。ソボオには悪いけど、これならよかったよ。だったら――)

 

 

 バッ。

 

 両手を前に出す。

 

 

(心置きなく、潰せんかんよ!!)

 

 

 ネイファが練り上げた魔力が、夜の闇に溶ける。

 

 それを、半分欠けた月が見下ろしていた。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」

 

 

 マルコは駆けていた。

 

 マルコに残された数少ない友人であるクシムとソボオがさらわれたと、ガラスを破って放り込まれた石に、書かれていたからだ。

 

 

『現に、先程の人は、足と頭を怪我していました。あれがあなたのせいではないと言い切れますか?』

 

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」

 

『巻き込んでいない。そう断言できますか?』

 

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」

 

『次は、あなたが守ろうとしている、妹さんの番かもしれないのですよ?』

 

「くそっ!! くそくそくそくそくそ!! くそー!!」

 

 

 数日前、わずか十一歳の少女に向けられた言葉を思い出す。

 

 子供に言われるとはと、心を入れ替えたつもりであった。しかしそんなものは、他者から見れば、ちゃんちゃらおかしい話である。

 

 もう実行してしまったことなのだ。ろくに罪を償うこともなく、終われるはずもない。少女がかつて言ったように、報いの時は、必ず来る。

 

 

 覚悟していた。

 こうなることも予測していた。

 ただ心のどこかで、見て見ぬフリをしていた。

 友人の優しさに甘えていたんだ。

 そんな自分に、今更ながら、殺してやりたいほど、腹が立つ。

 

 

 駆けてやってきた、クシムの家。

 心配で来たわけじゃない。

 呼び出された場所が、ここだったのだ。

 家族ごと、襲われたのかもしれない。

 

 

 クシムの家は、二階建てだ。

 

 二階には、落ちないよう、手すりがある。

 

 その手すりに、一人の少女が立っていた。

 

 

 黒い短髪の少女で、リンと同い年ぐらいか。

 表情も吸い取られたように、欠片もなかった。

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」

 

 

 激しく息をつきながら、膝に手を置く。

 

 顔を持ち上げ、マルコは言った。

 

 

「クシムを……俺のダチをどこにやった!!」

 

 

 少女は無表情のまま、小首を傾げた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

立ちふさがる虎

(何者だこいつ。見鬼(けんき)を使っても全く心が読めないどころか、魔装に乱れが一切ない。ただのガキじゃない……っ)

 

 

 もしものためにポケットに入れてきた発火手甲。

 使えば今度こそ退学のそれに、マルコは思わず手をやった。

 

 

(いや、相手はガキだ。ここで使う選択は百パーセントない。だが、話し合いが通じる相手なのか、こいつは……)

 

 

 そんな時。

 

 

 ガチャリ。

 

 

 少女の後ろの扉が、開いた。

 

 

(新手か)

 

 

 マルコは思った。

 

 開いた扉から光が漏れている。

 

 

 中から出てきたのは――

 

 

「今の声ってまさ――ってうわ!! 何この子!!」

 

「え!? クシム!! 何だと、これはどういう――」

 

 

 尋ねるように少女を見る。

 

 瞬間少女が跳躍した。

 

 とんでもなく高い。

 

 まるで月に帰ろうとするかのような飛脚法。

 

 少女がマルコの後ろに着地する。

 

 マルコは相手が少女ということも忘れて、思い切り手を振るっていた。見目は少女でも、実力差は虎と人間ほどもあると、本能でマルコは気が付いていたのだ。それでも振るってからマルコは思った。この一撃は当たるとまずいと。

 

 

 少女が無表情にその一撃を待ち受けている。

 その両腕が神速で動く。

 だが。

 少女の顔面に当たる寸でで、マルコの拳が止まった。

 否、マルコが強引にその手を止めたのだった。

 

 少女が目を見開く。

 だがすぐにその手を取って、ねじった。

 痛みに抵抗するようにマルコの身体が動く。

 その動きを利用して、少女は投げに転じた。

 

 

 バン!!

 

 

 マルコの身体が、石畳に叩きつけられる。

 

 腰だけを持ち上げようとするも、少女がマルコの両肩を手で押さえつけ、馬乗りになった。振り解こうとするが、振り解けなかった。

 

 

 魔力は腕力に直結する。マルコの魔力は三位。少女の瞳の色は紫紺。すなわち七位である。腕がある魔術師にとっては、性別も年の差も一切関係なかった。

 しかし、振り解けなかった理由は、そこにはなかった。

 

 

 マルコの両肩を押さえつけ、少女がゆっくりと、マルコに顔を近づけてきたのである。

 

 

「いや、え、ちょ!!」

 

 

 まさかキスということもあるまいし、ロリコンの性癖もないが、マルコは慌てた。

 

 例によって無表情故、意図も全くわからない。

 

 ゆっくりと顔を近づけてきた少女が、当然マルコの唇は素通りし、耳元で、ささやく。

 

 その言葉を聞いて、マルコが目を見開く。

 

 

 弾かれたように立ち上がった。

 

 少女も同じく立っている。

 

 

 また少女が口を開いた。

 

 声には出してはいない。

 

 マルコは読唇術を使えるわけではないが、その二文字は、何となく読み取れた。

 

 

「罠……?」

 

 

 クスリと少女が笑い、飛びあがる。

 

 マルコの家の手すりに飛び移り、そのまま他の家へ。

 

 

 そして、夜闇へと少女は消えた。

 

 

 カンカンカン。

 

 

 階段を鳴らして、クシムが一階に下りてくる。

 

 

「ちょっとちょっと兄貴。今のは一体――」

 

 

 少女がつぶやいた台詞は『住所』だった。

 

 そこは少し前に取り壊しになってそのままの、廃工場がある。

 

 そしてあの『罠』という台詞。

 

 これらを重ね合わして考えると――狙いは。

 

 

 クシムの言葉を最後まで聞くことなく、マルコは駆けだしていた。

 

 

(気をつけろネイファ!! 今回は、さすがにヤバいかもしれねえ!!)

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 指定された場所に向かう途上。

 ネイファは八人の屈強な男に、行く手を阻まれていた。

 

 

「ネイファ=ラングレイだな。警務隊を呼んでいないのはお利口だったな。呼んでいたら、今頃お前らのダチは、ズタボロになって発見されたはずさ。こっちは前科なし未来ありの若者が、いくらでもいるからよ」

 

 

 饒舌になって語る男を、ネイファは静かに見つめていた。

 チャチながら法律を利用している自分に、酔っているのかもしれない。

 

 

「付き合ってもらうぜ、ネイファ=ラングレイ。痛い目見たくなかったら、黙って従うことだ」

 

 

(八人か……)

 

 

 男の言葉を右から左に聞き流し、ネイファは状況と今後を確認していた。

 

 

 心の弱い奴ならば、ここでこいつらの言い分に従うだろう。人質もとられている以上、下手に出なければ、という考えも頷ける。

 従えばボスにも会えるし、言い分も聞けるという利点もあった。

 

 しかしそれは間違いである。それはただの逃げの発想だ。利点なんてものは、探せばどこにでもあるものなのだ。

 

 ソボオを取り返すには、暴力か謀略の二択しかない。話し合いが通じたらあんなメッセージは送ってこないし、こんなことをしでかしたりしない。ここで従っても、取り返す時の障壁が増えるだけ。だとすれば、結論は一つ。

 

 

(数できたのが裏目に出たな。お前らだけでも、ここで削る!!)

 

 

 パン!!

 

 

 ネイファが柏手を響かせる。

 男らは身構えた。

 

 

(遅いんだよ!!)

 

 

 ネイファの周囲を風が走った。それが周囲の水蒸気を一斉に集め、それを術式練魔で豪水に変える。

 ネイファが合わせていた手を離す。離したネイファの手の中には、水の玉がとぐろを巻いて、唸っていた。

 

 

「何だと!! 呪もなくエレメントもなく、どうやって水を!!」

 

 

 男が言った。

 答える気はさらさらなく――そもそも答えられないし――ネイファが両手を、相手に向けた。

 

 

「ぐっ!!」

 

 

 放たれた豪水を、男らはそれぞれ腕で受け止めた。

 

 いくら豪水にしたといってもただの水。さすがに連中を洗い流すほど膨大な水を呼ぶには、呪か大量のエレメントが必須である。

 

 

 だが――こっからだ!!

 

 

 掌から魔力を走らせた。

 すると、放水していた水が、男らの手もろとも凍り付く。

 

 

 魔力結合。

 

 

 水は魔力と結びつきやすい性質を持っていて、龍脈に魔力を流し込んでやると、すぐに凍ってしまう。

 そして――

 

 ネイファがまたしても、両手を向き合わせて、構えた。次にネイファが従えたのは風だった。風は魔力に反発する。

 ネイファはそれを手の中で凝縮圧縮し、溜め込んだ風を、相手に向けて放った。

 

 それを正面から受けた男らが、腕に絡みついた氷を皮膚ごと引きちぎって、飛んで行く。

 

 合計八つ。

 

 大の男らが石畳に転がる音が響いた。

 

 そこらに鮮血も舞っている。

 

 

「うわああああああああああ!!」

 

「いてええええ!! いてええよおおお!!」

 

 

 ネイファがツインテールにしていた髪の一房をかき上げた。

 こんなどうでもいい勝利で喜んだりはしない。

 こんなものは、勝って当たり前だ。

 問題はここから。

 

 

(さてこいつらをどう扱うか……)

 

 

 ここで潰してしまうのは簡単だ。

 突入して全員をボコることも不可能ではないだろう。しかしもしもはありうる。こっちは人質をとられているのだ。つまり後手。

 

 

(とりあえず、こいつらを使って、穏便に連れ出す方法を考えてみるか――)

 

 

「よええなーお前ら。そんな弱さで族やってるとかもはやギャグだろ。やめちまえ。才能ねえわ。最後には保護プログラムを利用した鉄砲玉にされるのがオチさ」

 

 

 そんな時、近くに停まっていた竜車の荷台から、声がした。

 

 ネイファが目を向ける。

 

 下りてきたのは、黒いスーツを着た小柄な男。

 

 口元には煙草をくわえている。 

 

 

(こいつ……)

 

 

 ネイファが思わず後ずさる。

 

 

「廃業する前によく見とけ。プロの暴力ってやつをな」

 

 

 ニヤニヤと笑いながら、プロの魔術師、ジョニー=ホワイトは、言った。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ネイファVSジョニー

(こいつ……かなりできる!! ただのゴリラじゃない!!)

 

 

 ネイファが両手を前に出し、身構えた。

 ジョニーはニヤニヤ笑いながら、口元で指をふった。

 

 

「巷では」

 

 

 ネイファが眉を持ち上げる。

 煙草を口から離しながら、ジョニーが続ける。

 

 

「北頭は、七大陸で一番平和と言われている。しかしどこよりも事なかれ主義であり、人は人を助けない。知ってるぜ。こういうのを、自己責任って、言うんだろう?」

 

「……」

 

「とはいえ、一人ぐらい警務隊に連絡を入れてもいいもんだな。今は深夜ゼロ時だ。皆寝静まっている。それでも一人ぐらいは、通報している可能性はある。それでも俺は、その可能性を危惧していない。その答えはなーんだ?」

 

 

 目を左右に向ける。

 シンと静まり返った家々。

 騒いだと言ってもそれほどの騒ぎじゃない。

 だが――

 

 

(まさか!! アイク絡みか!!)

 

 

 頷ける。

 明らかに『他国』のプロ魔術師がいることも、それならば。

 

 

「痛めつけるその前に、罪は知っておいてもらおうと思ってな。いかんなー。北頭は文明国。例え何をされようが、先に拳を出した方が負け。そう教わってきてるだろ?」

 

 

 ジョニーが煙草を捨てて、靴でひねりつぶした。

 魔力。練り上げられた。強大な魔力に死界がねじられ、ジョニーの周囲で稲津がほとばしる。

 

 

「お前らみたいなのが増えると、上級国民様が迷惑だとよ。悪いが地獄見てもらうぜ」

 

 

 ネイファは舌打ちした。

 

 柏手を打つ。

 

 風を操り、水蒸気を集め、水蒸気から術式練魔で水を顕現する。

 

 ネイファの背中から、九尾を思わせる九つの錐が伸びていた。先端は旋回させているため、当たれば肉が抉れ血が噴き出すことは必定。

 

 一切の躊躇なく、水の錐をけしかけた。

 ジョニーは鼻で笑って、その分厚い掌を、水の錐に向けた。

 瞬間。

 

 

 バリン!!

 

 

 水の錐がバラバラに砕け散り、飛沫が散った。男は無傷。例によって、ニヤニヤと笑っていた。

 

 

(思念介入か……)

 

 

 魔術師は感情を操る。エレメントを操っているように見えても、それはエレメントに感情を憑依させて操っているのだ。

 

 思念介入とは、エレメントに憑依させた感情を、自分の感情で上書きする魔術である。当然自分が格上でなければ成立しない。

 

 既存のエレメントを操る魔力誘導が通用しないのであれば、死界からエレメントを取り出して放つ、赤魔術しかない。 

 赤魔術には、思念介入が通用しないという長所があった。しかし欠点もある。それは、呪が必須という点である。

 しかし今のネイファは――

 

 

「……っ、……っ!!」

 

 

 口を開くも、出るのは掠れた声ばかり。

 自分の首を絞めるように、喉に手を当てた。

 

 

 謎だった。

 あの事件がきっかけで、確かに一時無気力にはなった。

 しかしあれから半年だ。

 もう立ち直りかけていると、自分でも思っている。

 しかし、声だけがどうしても出ないのだった。

 

 

(学園の試験じゃない。友達が取っつかまっている。ここで声を出さないで、力を見せないで、いつ出すんだよ、あたしは!!)

 

 

 

『――が全てと思っているあんたには、一生わからないでしょうね』

 

 

 ガツン!!

 

 

『お……俺はお前を助けようとした。み、見てたよな? ネイファ』

 

 

 

 突然過去がフラッシュバックして、思わず、目を閉じてしまった。

 思い出の中とはいえ、見たくなかった。

 

 母が、父に殺される、あの光景だけは。

 

 

 その時。

 

 

 バチバチバチ!!

 

 

 衝撃。

 

 後ろからだった。

 

 何が何やらわからないまま、振り返る。

 

 そこには、手を雷で発光させた、眼鏡の男。

 

 

(しまっ……こいつ……ら)

 

 

 口に出すことのできない、その言葉を最後に、ネイファの意識は闇に呑まれた。

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

「いやー弱いっすね。楽勝ですわ。一人でも余裕でしたけど、まあ俺には女を傷つける趣味はねえもんで」

 

 

 両手を持ち上げ、ジョニーが言った。

 

 

「私情を挟むなよ、ジョニー」

 

 

 眼鏡を持ち上げながら言ったのは、ロナウドだった。

 ロナウドがネイファを後ろから襲ったのは、作戦ではなかった。

 元々、ジョニー一人で片をつける予定だったのだ。

 それでもロナウドが出たのは、ジョニーがいつまで経っても動かなかったからだ。

 ジョニーは一般人に比べれば非情だが、なりきれないところもまたあった。

 

 

「挟んでねえっすよ。だから今回の計画にもちゃんと参加した。心配。愛情。嫉妬。三人の感情を見鬼(けんき)で全て読み切った上で立てた『兄貴』の計画で、こいつら兄妹は地獄を見る。胸糞悪い話さ。それでも、一切口は挟まなかったでしょ?」

 

「ふん」

 

 

 兄貴兄貴と慕ってはいても、赤の他人ではある。

 杯を交わしたわけではない。

 だから、怒るときは怒る。

 当たり前だった。

 

 脇で、ガラガラと竜車が引かれていた。

 傷を負った連中が、うめき声を上げながら、立ち上がっていた。

 

 

 ブブブ。ブブブブ。

 

 

 耳に挟んでいた伝書の紙が揺れた。クシムの家を張っていたテューエの合図である。つまりマルコは今、ペイリの元に走っているはず。ペイリの計画を乗っ取った、ロナウドの計画は全て上手くいっている。

 

 

「よしその女を竜車に積め。その女をペイリの元に運んだら――」

 

 

 ふと、振り返った。

 

 悪意がエレメントである空に乗ったのだ。

 

 振り返った先。

 

 月が昇っていた。

 

 その下の並ぶ高い建物に立っていたのは――

 

 

 リティシア=ヒョウ。

 そして。

 リティシア=リン。

 

 

 二匹の狼だった。

 

 

 ヒョウは笑って事の成り行きを見つめており、リンはシュンとした顔で目を伏せている。

 

 

 邪魔をする気はないということか。

 しかし、この二人の存在だけがキラーだった。

 

 

 恐らく、いや、まず間違いなく、この計画に登場する人物の中で、あの二人だけが、自分達よりも強い。

 

 

「何なんですかね、あいつら」

 

 

 隣に並んで、ジョニーが言った。

 

 ジョニーに目を向け、視線を戻した時、二人はどことなく消えていた。

 

 

  ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 ペイリの計画は実にシンプルなものであった。

 

 自分の手を煩わせず、かつ、マルコは存分にいたぶられ、そしてネイファの声も戻るかもしれない。

 

 これで戻らないなら、マルコをいたぶった連中から自分がネイファを助け、ネイファの面倒を一生見てもいいとまで考えていた。

 

 腐すなかれ。ネイファは自分に惚れているのだ。自分の地位も盤石だ。茶番ではある。何せ自分で仕組んで自分で助けようとしているのだから。

 しかし、女が求めている恋愛とは、つまりこういうことだろうと、ペイリは思っていた。

 

 だが――

 

 入口に現れた、予期せぬ男を見て、ペイリは笑って眼鏡を持ち上げた。

 

 

「おや、おかしいな。今から連絡を入れるはずだったのに、今、君がここに来るなんて。段取りが狂ってしまった」

 

 

 ここは、チーム『ルナティック』のたまり場である工場跡地だ。

 

 総長をジョニーらが潰した後は、ペイリが無断で使わせてもらっている。

 

 入口、中、ネイファの横手には、チームルナティックのメンバーを待機させていて、予定では、ペイリの手を汚すことなく、ネイファが見ている前で、マルコをいたぶるつもりであった。

 

 だが、自分が消えるその前に、この工場跡地に現れたのは、マルコ。

 

 

「へっ。俺は優しさに溢れるムーブばかりするからよ。女の子が教えてくれたぜ。この場所と、これは罠だってな」

 

「女の子?」

 

 

(誰だ……)

 

 

 口元を手で覆い、ペイリが思案する。

 

 

(まあおよそ、察しはつくがな)

 

 

 手で口元を隠しながら、ペイリは笑った。

 

 

「それよりペイリさん。どういうことだい? こりゃ」

 

 

 噴火前の火山のような様相で、マルコが言った。

 

 そんなマルコを、冬の氷湖のように冷たい眼差しで、ペイリは静々と見つめていた。

 

 

「ことと次第によったらよ――」

 

 

 マルコが目の前で、拳を握った。

 

 

「あんたと言えども、タダじゃすまねえぞ!!」

 

 

 ガキ臭い言葉と語調。

 

 ペイリは失笑させるには十分だった。

 

 

(予定は多少狂ったが、リカバリはいくらでもきく)

 

 

 カチャリと、ペイリが眼鏡を持ち上げる。

 

 

「取引しないか? マルコくん」

 

 

  ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

「本当によろしいのでしょうか? 兄様」

 

 

 隣でリンが言った。

 

 

 ヒョウとリンは、工場跡地から二百メートルほど離れた場所から、棒付き双眼鏡を用いてこの状況をのぞき見していた。

 

 

 双眼鏡から目を離してリンを見る。

 

 

 リンは困った顔で、目を伏せていた。

 

 

 リンがヒョウを見ていない時は、大体ヒョウがやりすぎている時である。ヒョウはそのことを知っていたが、自分の意見を押し通すには相応の理由があった。

 

 

「お前は、あの紫頭の声を取り戻したいんだろ?」

 

「それは……そうですが」

 

「あの金髪をぶちのめすのはいつでもできる。しかし結果的にあの二人の状況は何も変わらん。ここを打破してこそ、男ってもんであり、女ってもんだ。そうだろ?」

 

「そう……なのでしょうか」

 

 

 リンがまたシュンと目を伏せ、言葉を紡ぐ。

 

 ヒョウは自分の読みに絶対の自信があった。

 そしてそれが正しいとも思っていた。

 何故なら、ヒョウにとって闘争とは、勝っても負けても、面白いものだったからだ。

 そしてヒョウは、人の喧嘩を見るのが好きという、中々の悪癖を持っていた。

 

 

 ヒョウが、双眼鏡を目に当て、今一度、廃工場の会話を覗き見る。

 

 

「ネイファ君の声を戻したい。そのために、君にはダルマになってもらいたい」

 

「ダルマ~?」

 

 

 マルコが言った。

 

 その道の人間じゃないと、意味不明な言葉だろう。

 

 しかし、同じ穴のムジナであるヒョウは、笑った。

 

 そして言う。

 

 いつもの言葉を。

 

 

「やはりな」

 

 

 ヒョウが口端を持ち上げる。

 

 双眼鏡を目に当てていたヒョウは気づかなかった。

 

 そんなヒョウを、リンが心配そうに、見つめていたことに。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

離別

「どういう意味だ? それは」

 

 

 マルコは怒っていた。

 どうして怒っていたか。

 それは――

 

 

「要は、木偶(でく)になって殴られろということさ。彼女にとって大切な存在である君がいたぶられれば、彼女もたまらず声を取り戻すかもしれない。君は殴り殴られは慣れっこだろう。しかし勝たれては困る。君はわりと強いからね。だからこうして人質もとった」

 

 

 拳を強く握った。

 

 

「彼女の勝気な性格。君の無駄に頑丈な身体と犯罪歴。この二つを重ね合した結果、これが一番ベストだと考えた。少なくとも試してみる価値はある。このままでは一生前には進まない。人を殴ることはできても、自分を殴られるのはゴメンこうむる。まさか、そんな柔な男ではないんだろう? 君は」

 

 

 ペイリの言っていることは、間違っていなかった。

 この人が言うことは、いつだって正しい。

 

 しかしそれでも許せない。

 お前が傷つけた、俺の妹は――

 

 

「もう一つ、いい手があるぜ」

 

「ほう。聞こう」

 

「てめえを今この場で、ズタボロにすることだ!!」

 

 

 お前のことが、好きだったのだ!!

 

 

 拳を握りながら、駆けた。

 

 顎を狙うも、軽々と避けられ、水月に膝をぶち込まれる。

 

 重くかつ正確な一撃だった。

 

 マルコはたまらず膝をつき、みっともなくも、えずいた。

 

 そんなマルコの顔面を、ペイリが情け容赦なく、蹴り飛ばした。

 

 

「話をよく聞け劣等種族。先も言ったようにこれは役割分担なのだ。お前はズタボロになる姿がよく似合う。だが俺は違う。わかっているはずだ、お前も。彼女は俺のことが好きなんだぞ?」

 

 

 見鬼(けんき)で瞳の色に深みを増し、ペイリが言った。

 

 マルコはうなだれる。

 

 事実を言われたからじゃない。

 

 怒りでだ。

 

 握った拳が、プルプルと、震える。

 

 

「俺がそんな目にあったら彼女に残された唯一の大事なものが、消し飛んでしまうだろうが」

 

 

 怒りで頭が沸騰しそうだ。

 

 ぶっ殺すかもしれない。

 

 そんな思いを堪えるために、唇を噛む。

 

 そんな時。 

 

 

 カチャン。

 

 

 音がした。

 

 ペイリが振り返る。

 

 マルコもまた、顔を上げた。

 

 ネイファがぼんやりと薄目を開けている。

 

 

「ネイファ……っ!!」

 

 

 ネイファはまだ状況がよくわかっていないようだった。

 

 そんな中、ペイリは眼鏡を押し上げて、笑った。

 

 

「やあネイファ君。おはよう。よかったよ、大した怪我もなくて」

 

「ネイファ!! こいつは――」

 

「さあ君たち!! これでいいだろ? 勝負は僕の勝ちだ。僕と彼。二人を決闘させるという、バカバカしいゲームもこれで終わりだ。彼女を解放してくれ」

 

 

 え? 

 

 何言ってんだ、こいつ。

 

 お前まさか――

 

 これだけのことをして、まだ、悪党にならないつもりなのかよ……?

 

 

「お……そ、そうだな!! おい!!」

 

 

 中にいた兵隊の一人が言った。

 

 ネイファの横手にいた兵隊もまた、それに応じようとする。

 

 何はともあれ、これでネイファは解放される。

 

 そして――

 

 

 ネイファはこれを、信じるだろうなと思った。

 

 疑う理由がない。

 

 ペイリはネイファにとって、残された唯一の希望なんだから。

 

 そしてそれを破壊することが、決して正しいことではないのだろうということも、わかっている。

 

 だからこれは――百パーセント、自分のため。言い訳は、するまい。

 

 自分の安っぽい意地が、このままで終わることを、許さないのだ。 

 

 

「待てよ」

 

 

 震える足を両手で押さえつけ、立ち上がる。

 

 

「まだ勝負は終わってないだろ?」

 

 

 周囲のやつらが黙りこくって、こっちを見ている。

 

 ペイリもそうだ。

 

 状況がよくわかっていないのだろう。

 

 仮に、ペイリの言うことが正しいのだとすれば、この狂言を逃す気はない。殴り殴られは、確かにクズみたいな自分には慣れっこだ。

 

 自分がいたぶられて、ネイファの声が戻るというのなら、こんなに嬉しいことはない。

 しかし、それ以上に許せないことがある。

 それは――

 

 

 大切な(ネイファ)の気持ちを、こいつが軽々と扱ったこと。

 

 

 自分は、悪でいい。

 後日死ねと、ネイファの声でなじられるなら、それでいい。

 

 

 だからネイファ。

 こいつだけは一発殴らせてくれ。

 

 

 俺はこいつだけは許せねえ!!

 

 

「ネイファを助けるのは――この俺なんだよ」

 

 

 笑う膝を押さえながら拳を固めて、マルコは言った。

 

 ペイリはそんなマルコを静々と見据えて――

 

 

「ふ」

 

 

 吹き出すようにして、笑った。

 そして。

 

 

「あはははははははははははははははは!!」

 

 

 天上を見上げるようにして、嘲笑った。

 

 すぐに、笑えなくしてやる。

 

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 

 

 拳を握って、突っ込んだ。

 マルコ渾身の一撃を、ペイリがさばく。さばいたその手で、ペイリが打ってきた。

 鼻だった。

 

 

「あ、あ……うっ」

 

 

 出したくもないのに、情けない声が出る。

 足が早速倒れようとするかのように、ふらついた。

 根性で踏ん張る。

 

 

『いつも裏道ばかり歩いている人間は――』

 

 

 ふと。

 

 ヒョウの言葉が頭の中に響いた。

 

 思わず閉じていた目を開く。

 

 拳。飛んできていた。

 

 受けようと思ったが、違う場所から拳が飛んでくる。見えた拳は、フェイントだったのだ。

 

 

『同じ道でいつか誰かと必ずかち合う』

 

 

 次から次に飛んでくる拳。全てフェイントが織り交ぜられていた。一つたりとも、満足に受けることができなかった。

 

 こっちの拳は一撃たりとも当たらない。

 

 片目が腫れ上がる。

 

 満足に見ることも叶わない。

 

 唯一開いた瞳に見えるのは、ペイリの嘲笑う顔。

 

 ネイファは見たことがないであろう顔。

 

 今後も見ることはないであろう顔。

 

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 

 

『そして、その道を歩くものに、いつか必ず潰される』

 

 

 拳。避けられる。

 

 腹に膝を叩き込まれた。

 

 ふらつく身体。

 

 ネイファを見ようとして、後頭部に一撃入れられた。

 

 見ることさえ叶わず、また地べたを這った。

 

 周囲からのはやし立てる声。指笛の音。

 

 そしてペイリの、去っていく足音。

 

 

『誰も通らない道だから文句も言えない。ま、一言で言えば――因果応報ってやつだ』

 

 

 わかってんよ、そんなこと。

 

 ネイファを守るためという大義名分のもと、最低なことをやった。傷害で捕まったこともある。

 

 ネイファがそんなことを望んでいないってことも知っていた。

 学園をやめて、働く姿を見せるのが一番と、クシムのオヤジさんに誘われたこともある。

 

 

 それでもやった。

 誘いも蹴った。 

 何故だ?

 

 

 怖かったからだ。

 

 

 堕ちていくネイファを見ることも。

 学園をやめて、ネイファから目を切ることも。

 

 

 堕ちていくネイファを見る度に、それが夢じゃないことを突き付けられた。

 目を切ったら、ネイファも父さんや母さんみたいに消えてしまうんじゃないかって、怯えた。

 

 

 ネイファのためネイファのためと口では言いながら、本当は、自分のためにだけ、やっていたんだ。

 

 救えねえ。

 

 結局は自分のために、他人を傷つけていただけだった。

 

 だからよ。

 

 

「まだだ」

 

 

 立ち上がる。

 

 またはやし立てる声が聞こえた。

 

 

「まだ……」

 

 

 いよいよ自分が傷つく番が来たからって、逃げ出すわけにゃ、いかねえじゃんよ。

 

 意地ってもんがあるからな。男だからさ。

 

 

「俺は、終わってない」

 

 

   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

「……っ。……っ」

 

 

 声が出ない。

 

 身体をよじっても。

 

 どれだけ喉に力を込めても。

 

 マルコはバカだ。

 

 信じられないくらいに、バカだ。

 

 だけど、あいつがバカやるときは、いつだって、誰かのためだってことは、知っている。

 

 兄妹だもん。それぐらい、わかるよ。

 

 じゃあ、ペイリは?

 

 誰のために――?

 

 

『夜外に出歩くなって? よくいう。お母さんだって、夜遅くにペイリさんと会ったりしてるでしょ。知らないとでも、思ってんの?』

 

 

 ペイリの拳。

 

 マルコの腹に突き刺さった。

 

 

「うっ、あ……うぅぅぅ」

 

 

 マルコが腹を押さえて膝をつく。額を地面につけて、えづいていた。

 

 ペイリの顔。

 

 笑っていた。

 

 唇を噛む。

 

 結局一言も声を上げられなかった。

 

 この後も、あげれない。

 

 バカとも言えないし。

 

 何やってんのとも言えないし。

 

 本当に、バカなんだからとも、言えない。

 

 声が出ないことを、初めて悲しいと思った。

 

 それなのに――

 

 何も、言えない。

 

 

「ま……だだ」

 

 

 顔を上げた。

 

 マルコがまた、立ち上がってる。

 

 

「まだ俺は……」 

 

 

 首が自然と横に流れる。

 

 やめてよって言いたいのに、なんで……。

 

 

「終わっていない」

 

 

 声が出ないんだ……。

 

 

   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 ネイファの声を取り戻す方法は、感情の発露。そしてそれは、大切な人間、すなわちマルコをいたぶることである。

 ペイリが語った方法を、ヒョウはありだなと思っていた。

 更に言えば、ペイリとマルコは、ネイファにとってどちらも大事なものだ。

 二人で殴り合えば、ネイファの声が戻る可能性は実質二倍である。

 

 

 それが悪いことだとヒョウは思っていなかった。

 だがこの気持ちはなんだ?

 自分は百パーセント外さない。

 実際全て読み通りに進んだじゃないか。

 なのに、どうしてここまで頭の構想と違うのか。

 

 

 マルコがここまで踏ん張ると思ってなかったからか?

 ネイファがここまで嘆き悲しむと、思っていなかったからか? 

 

 

(俺にとって闘争とは、勝てばそれでよく、負ければ消えれる。それだけものだ)

 

 

 だがマルコは違う。

 マルコのこの一戦に全てを賭けている。

 

 

 マルコの想い。

 ネイファの想い。

 

 全てを読み外した。

 基本的なことだった。

 それでもわからなかった。

 

 

(俺は、この手の感情がないからな。笑ってるのも、自分が人間であると見せかけるための、ブラフに過ぎない)

 

 

 拳を握る。

 

 

「ちっ」

 

 

 舌打ちした。

 しくじったと思った。

 しかしヒョウは、負けを認めるのが嫌いだった。

 そして、自分が人間ではないのだと、突き付けられることは、もっと嫌いだった。

 

 

「勝負になってねえな、こりゃ。白けちまうぜ。後は警務隊呼んで終了だ。帰るぞ、リン」

 

 

 ヒョウが立ち上がるより早く――

 

 

「兄様」

 

 

 リンが立ち上がった。

 

 スカートのジッパーを下ろして、ストンと落とす。

 

 

「申し訳ありませんが、先に帰っておいてくださいませんか?」

 

 

 長い栗色の髪を持ち上げながら、リンが言う。

 

 上は制服。下は黒のスパッツ。

 

 そんなリンの姿を、月光が照らしてる。

 

 

「アホか、お前。自分の立場わかってんのかよ?」

 

 

 今更どの口が言うのかという言葉で、ヒョウは反論した。

 

 痛いところを突かれていると、自分でも、わかっていたからだ。

 

 

「わかっています」

 

 

 髪を結いながら、リンが言う。

 

 

「わかってねえよ、お前はな――」

 

「今、この場において、二人の無念を晴らせるのは、あたしだけです」

 

 

 無論だが、ヒョウならば、ペイリなんて三秒以内に片付けられる。

 

 それでもリンは、自分だけだと、言った。

 

 それはつまり、どういうことなのか。

 

 

「それ以上のことは――わかりたくもありません」

 

 

 長い髪を半分に折って、縛る。

 

 そして、消えた。

 

 飛脚法である。

 

 あぐらをかいて、アゴ肘ついた。

 

 頬を膨らまして、そっぽを向く。

 

 

「なんだよ、くそ……」

 

 

 置いていかれたスカートをつまみながら、ヒョウはいじけた声で、言った。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

リン、怒る

「まだだ……ぞ。まだ……」

 

 

 マルコが立ち上がった。

 

 まだ、終われなかった。

 

 自分はまだこいつのことを、一発も殴っちゃいない。

 

 こいつはネイファを傷つけた。許されることでは、断じてない。

 

 しかし……。

 

 

 ボタボタボタ。

 

 

 鼻から零れる血が、地面に落ちた。

 息を切らしながら、赤い斑点ついた、地面を見る。

 目端に映る手足も、血まみれの(あざ)まみれだった。

 

 

『いつか報いを受けることになると思いますよ』

 

 

 リンの言葉。

 

 

『それが因果応報ってもんだ』

 

 

 ヒョウの、言葉。

 

 

 顔を上げた。

 

 息が切れる。

 

 報いは、受けたって構わない。

 

 自分の一生は、報いを受けるにたるものだと理解している。

 

 因果応報。

 

 大いに結構なことじゃないか。

 

 自分の人生が大したものでないことは、嫌というほど、思い知った。

 

 自分が主人公なら、きっとこんなことには、なってない。

 

 

 だがネイファ。

 お前は違う。

 

 

「俺はまだ……終わっていない」

 

 

 俺が終わっていない。

 だったら、お前が終わるわけがない。

 

 

「まだ、戦える。まだ……」

 

 

 お前はすごい奴だから。

 そんなすごい奴が、俺より劣るなんて、あるわけねえじゃねえかよ。

 

 

 足。

 たたらを踏んだ。

 踏みながら、ペイリとの間合いを少しづつ、詰めていく。

 

 

 ピクリ。

 ふと、ペイリが眉を動かした。

 

 

 ペイリが見ているのは、自分ではなく、入口だった。

 警務隊でも、きたのかもしれない。

 後ろが何やら騒がしい。

 だがそんなことはもう、関係ない。

 

 

 お前には絶対に、一発いれる!!

 

 

「まだだあああああああああ!!」

 

 

 駆けた。

 倒れそうになる身体を意地で踏ん張り、握った拳を、ペイリの顔面目掛けて放つ。

 しかしそれも、軽々とつかまれた。

 そして――

 

 

「うわああああああああああああああああああ!!」

 

 

 あってはならない方向に、ねじられた。

 

 

「いい加減にしてくれないか。こっちも忙しいんだよ。それとも――腕の一本もへし折らないと、わからないかなあ?」

 

「あぐ、あああああああああああ!!」

 

 

 ボキン。

 

 

 聞いてはならない音を聞かされて、放り出される。

 

 痛みからだろうか。

 

 あるいは、悔しさからだろうか。

 

 涙が止まらなかった。

 

 勝てるとは、思っちゃいない。

 

 負けどころか、死ぬことさえも、覚悟している。

 

 しかし。

 

 それでも、一発すら、殴れねえものかよ!!

 

 生きた証を。戦った証を。

 

 たった一つ、たった一つさえ、残すことも、許されな

 

 

 ガツン!!

 

 

 頭。

 

 踏みつけられた。

 

 

 ガツンガツンガツンガツンガツンガツン!!

 

 

 何度も何度も何度も何度も何度も。

 

 意識を失うまで……。

 

 

   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 

 

 

 ガツンガツンガツンガツンガツンガツン!!

 

 

 マルコの頭。何度も何度も踏みつけられている。

 

 やめろ。

 

 やめて。

 

 いや違う。

 

 今自分がすることは、願うことじゃない。

 

 黙らせるんだ。

 

 自分の力で。

 

 助けるんだ。

 

 魔術師なんだから。

 

 天才なんだから。

 

 自分なら、それができるだろ?

 

 そうだよ。

 

 もっと最初からこの解答に至っておけばよかった。

 

 もっともっと、最初から――

 

 手に力を込める。

 

 動かせないどころか、拳を開くことさえ叶わなかった。

 

 魔力は掌から放出することが最も容易く、それ以外が果てしなく、難しいからだ。

 

 魔力誘導は使えない。

 

 それでもまだ、呪は禁じられていない。

 

 呪で死界から直接エレメントを取り出すことができれば……っ。

 

 喉に力を込める。

 

 

「……っ、……っ」

 

 

 やっぱり、出ない。

 

 なんでだ!?

 

 手を力一杯振るう。

 

 なんで!? ここで声を出さなくて、ここでいつものガサツな性格見せなくて、一体いつ出すって言うんだよ!!

 

 もうあたしは気にしてないって、何回も何回も、思っているだろ!?

 

 

 ザー、ザー、ラー、ルーラ……。

 

 

 ダメだ。

 

 心の中で呪を唱えても意味がない。

 

 何より――

 

 こんな震える口じゃもう、呪も、唱えらんないよ……。

 

 

 ガツン!!

 

 

 やめて。

 

 

 ガツン!!

 

 

 やめてください……。

 

 

 ガツン!!

 

 

 お願いします。

 

 何でもします。

 

 だから――

 

 もうあたしから、何も

 

 

 

 

 

 

 ガツン!!!

 

 

 

 

 

 

 一際大きな音。

 

 

 ペイリから――ではない。

 

 

 入口の枠を突き破り――

 

 

 人が、飛んできた。

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 

 

 

 なんだ?

 

 

 その場にいる誰もが静止して、倒れている男を見つめた。

 

 

 ペイリも同じくであった。

 

 

「うっ……あ、あ……お、かみ、く」

 

 

 男は白目をむいていて、所々痙攣していた。

 

 

 うわごとのように何かをつぶやいている。

 

 

 入口には一人の少女が立っていた。

 

 

「誰かな? 君は?」

 

 

 眼鏡を押し上げて、ペイリが尋ねた。

 

 

 ついでに、足を今一度下ろす。

 

 

 マルコに入れる、とどめの一撃。

 

 

 しかし、固かった。

 

 

 頭部とは確かに固いものだが、そういう固さじゃない。

 

 

 これはと思い、足元に目を向ける。足元には、誰もいない。何もない。ただただ、汚い地面が広がるばかりだった。

 

 

 少女を見る。

 

 

 背を向けた少女の手には、意識を失ったマルコがいた。

 

 

「名乗る気も起きません」

 

 

 少女が出口に向けて、足を踏み出す。その度に、風が痛いぐらいに吹き付けてくる。風は魔力に反発する。高魔力魔術師の嚇怒(かくど)が引き起こす、副次的突風。

 

 

「ただ、あなたを叩き伏せる前に、これだけは言っておきます」

 

 

 ペイリの顔が、初めて動揺で、歪む。

 

 それは、本来なんともない道で、狼にでも出くわしたかのような、そんな顔。

 

 少女がマルコを、地面の上に寝かせた。

 

 

「覚悟してください」

 

 

 立ち上がり、少女が振り返る。紫暗の瞳。色合いが、深くなっていた。

 見鬼(けんき)である。

 

 吹き上がる魔力が、少女の涙を宙に浮かせていた。

 

 

「絶対に許しません!!」

 

 

 ペイリは眼鏡を押し上げた。

 少女と同じく、瞳の色を深くする。

 

 

(多少驚かされたが、勝てる。魔術師は相手の感情を読まれたら、負けだ)

 

 

 お互いに、初手、見鬼(けんき)

 

 

「ふん」

 

 

 ペイリが鼻で笑う。

 

 

「やってみ――」

 

 

 言葉は、最後まで結べなかった。

 

 めり込んだ神速の裏拳が、そうさせなかったのだ。

 

 言葉を紡ごうとしていたペイリの顔が、不細工に、歪む。

 

 

 目端に映るのは、泳ぐ栗色の髪。

 

 足が、ふらつく。

 

 言うことを聞かない。

 

 そして。

 

 

 ガシャーン、カラカラカラ。

 

 

 壁にぶち当たって止まり、並べられていた鉄棒が、カラカラと転がっていく。

 

 振り返って、少女を見据えた。

 

 少女は、先の涙など嘘のように、感情を消してペイリを見ていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

VSペイリ

(何だ? 何が起こった?)

 

 

 頬を押さえながら、ペイリは思った。

 

 

 ペイリが先までいた場所には、少女、リンがさも当たり前のように立っている。

 

 

「どうしたんですか? やってみろとけしかけておいて、その程度なのですか?」

 

 

 ペイリを鋭く見据え、リンが言った。

 

 

 ペイリの表情が、屈辱と、笑みで、歪む。

 

 

 立ち上がって、唾を吐く。

 

 

 血と歯が混ざっていた。

 

 

 パン!!

 

 

 柏手を打つ。

 

 

 風を操り、水蒸気を集めて、掌に集まった水を切るようにして、手を横手に振るった。

 

 

 そこには、手の甲まで固めた、氷のかぎ爪が完成していた。

 

 

「覚悟はあるんですか?」

 

「覚悟ぉ? 何の覚悟だ? その年で、人を殺す覚悟でも説くつもりかぁ?」

 

「いいえ。あたしに殺される覚悟です」

 

「!!」

 

 

 片足立ちになったリンが、その場で跳躍する。

 

 栗色の髪が上下に揺れていた。

 

 

「誰かに刃を向けるとは、つまりそういうことかと。そしてあたしは――強いですよ」

 

「ふっ」

 

 

 ペイリが笑った。

 

 

 氷のかぎ爪で、壁をひっかく。

 

 

「半分脅しで言っているんだろうが、答えは『ある』だ」

 

 

 終始無表情だったリンの瞳が、少し開く。

 

 

「誰かを殺す覚悟も。自害する覚悟も。殺される覚悟も。全てある。死んだところで、ユイファさんのところに行くだけだからな」

 

 

「……そうですか」

 

 

「そういうお前はどうなんだ? 仮に俺より強くとも、覚悟がなければこの俺は殺せんぞ!!」

 

 

 ペイリが突っ込んだ。

 

 

 上体を下げての下段蹴り。

 

 

 リンは跳躍してかわす。

 

 

 追撃するペイリの氷のかぎ爪も、風に乗って更に後方へと飛ぶことで、かわした。

 

 

 だが、ペイリは全てを読んでいた。胸ポケットから小瓶を出す。中には水が入っている。

 

 

 口で栓を開き、傾け指を濡らした。ポタポタと、水滴が地面に落ちる。

 

 

 エレメントに魔力(かんじょう)を憑依させ、自在に操る近代魔術の最高峰、魔力誘導。

 

 

 パン!!

 

 

 リン。

 

 

 左右二本の指を立てて結んでいる。

 

 

 魔術師が、集中する時に結ぶ固有の手形(しゅけい)。印。

 

 

(印か。しかし今更、何ができる!!)

 

 

 ペイリの小瓶から伸びる、伸縮自在の水の剣。切っ先を、リンに向ける。それが、獲物を狙う蛇のように伸びる。リンは未だ中空だった。

 

 

 グサリ。

 

 

 そんな音さえ立てず、水の剣が、無情にもリンを貫く。

 

 

 にやりと笑うペイリ。

 

 

 悲鳴はない。鮮血さえもない。

 

 

 上がるのは――

 

 

「何だと!?」

 

 

 ペイリの驚愕の声のみ。

 

 

(残像!? バカな!! そんな魔術、聞いたこともな――うっ)

 

 

 側面。リンが駆けてくる。速い。烈脚法だ。振り返るも、ペイリの動きはぎこちなかった。

 

 

 魔力誘導は、感情をエレメントに憑依させて自在に操る青魔術。しかし、身体を自在に操るのも、また感情(こころ)。欠けていれば、当然身体は上手く動かない。その隙をついたつもりだろうが――

 

 

(何もかも折り込み済みなんだよ、カスがあああああああああ!!)

 

 

 小瓶からポタポタと落ちる水滴。ペイリは魔力を込めた。そこに紅が混じる。

 

 

 剣を伸ばす時、ペイリは通常以上に小瓶を傾けていた。こうなった時、それで掌を貫き、痛みで思念を呼び戻すためにだ。

 

 

 間合いに入り込んでいたリンの柳眉(りゅうび)が、微かに動く。

 

 

 ペイリが、小瓶を振りかぶる。

 

 

 思念を呼び戻され、崩れかけた水の剣。振りかぶった小瓶に追従して、今一度、水の長剣を形作った。

 

 

(俺の水の剣は鉄さえ両断する。死ね!! 死ぬがいい!! 劣等種族が!!)

 

 

 殺意だけを込めて、ペイリが水の剣を振るう。

 

 

 だが。

 

 

 砂塵(さじん)

 

 

 目に入った。

 

 

 リンが風で操ったのだろう。

 

 

 零れる涙。

 

 

 剣の動きが半歩、遅れる。

 

 

 それでも、振り抜いた。

 

 

 肉を斬った感触はない。

 

 

 リンは天井まで高々と跳躍している。天井を蹴り飛ばし、壁へ。壁を蹴り飛ばし、ペイリの背面から駆けてくる。だが――

 

 

(バカが!! 目を潰したところで、その動きの単調さなら、いくらだって読めるぞ!!)

 

 

 ペイリが振り返る。リンの両手。忙しく動いていた。印を何度も組み替えながら、駆けている。

 

 

 鉄をも両断する水の剣。リンの首筋に吸い込まれる。

 これは勝った。

 ペイリは思った。

 

 

 にやりと笑いながら、見下ろすペイリと、紫暗の瞳で見上げる少女。

 

 

 少女の手の動き。

 やけに遅く見えた。

 剣が中々進まない。

 まるで走馬灯の中にでもいるかのようだ。

 

 

 バカな。

 勝っているのは、自分だ。

 負けるはずがない。

 たかが人間風情。

 いや、こんな小娘風情に――

 

 

『お……かみ、くる』

 

 

 配置していた部下を無傷で殴り倒す、この強さ。

 

 

『誰かに刃を向けるとは、つまりそういうことかと。そしてあたしは――強いですよ』

 

 

 冷たさ。

 自分の知らぬ術。

 この覚悟とそして――

 

 

 バン!!

 

 

 突如、水の剣が、ペイリの意思に反して弾けて散った。

 

 

 舞う飛沫。

 

 

 水の雫一つ一つに映る、リンの姿。

 

 

 栗色の髪。紫暗の瞳が、ペイリのことを見据えている。

 

 

 速さ、髪の色も相まってか、一瞬見える幻影は――狼。

 

 

(このガキ!! そんなまさか!! 何故狼が、こんなと)

 

 

 小瓶を持ったペイリの手。つかまれる。そして、真下に。

 

 

「があ!!」

 

 

 指取りだった。親指をへし折られる。落下する、水の剣。

 

 

 それだけでは終わらない。

 

 

 爪先が浮いた。倒れる。正面ではなかった。背面に。

 

 

 手は逆手に向けられている。

 

 

 肘と肩を極められながら、自分の足が空を切る。いつの間にやら天井を見つめていた目が、地面に――

 

 

 水も小瓶も、未だに地面に落ち切ってはいなかった。それほどまでに速い、高速体術。

 

 

 もう片方の手はかぎ爪だ。受け身は厳しい。ならば――

 

 

「ッ!!」

 

 

 ペイリは咄嗟に、舌を弾いて音を立てた。

 

 

 そして――

 

 

 ゴシャ!!

 

 

 顔面から、地面に叩きつけられた。

 

 

 足がまっすぐ天井を向き、それがゆっくりと地面に落ちた。

 

 

 ペイリの顔面から、水の剣の残骸が、タラタラと流れてくる。

 

 

「……」

 

 

 リンはその様を、ただ静かに見下ろしている。

 

 

「うわああああああ!!」

 

 

 この場にいた者らが、蜘蛛の子を散らすように逃げ出していく。

 

 

 リンはそれらに手を出すことなく、見送った。

 

 

 一歩、二歩と、リンが音もなく、ネイファのもとに近づいていく。

 

 

 そんな時。

 

 

 カラン。

 

 

 数多の逃げ出す足音に紛れて、ペイリの氷のかぎ爪が、転がっていた鉄パイプに、触れた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

動かせ、時を

「うわああああああ!」

 

 

 クズどもが、蜘蛛の子散らすように、駆け出していく。

 

 その様子を、ネイファは呆然としながら見ていた。

 

 

(間違いなくただの子供じゃない。この子は一体……っ)

 

 

 カラン。

 

 鉄棒が蹴り飛ばされる音が聞こえて、足元に目をやった。

 

 そして気づいた。

 

 ペイリの氷の爪が消えてなくなり、それが、鉄棒の端に集まっていること。

 

 

 

(あれは魔力誘導!! 咄嗟に氷の爪を溶かし、水の塊をクッションにして致命傷を避けた!?)

 

 

 スッと、ペイリが立ち上がる。

 

 手には鉄パイプ。

 

 氷のかぎ爪はとけていて、代わりに鉄パイプの先端を、氷の斧に変えていた。

 

 ペイリがゆっくりと、近づいてくる。

 

 少女は気づいていない。

 

 顔を伏せながら、ゆっくりと自分の元へ近づいてくる。

 

 

「……っ。……っ」

 

 

 声を出そうと思った。

 

 しかし出ない。

 

 少女の背にゆっくりと近づくペイリ。

 

 手には、人を斬殺せしめる、凶器。

 

 ペイリがそれを振りかぶった時――

 

 頭の中で過去の記憶が弾ける。

 

 

 ◇

 

 

 廊下で自分を押し倒す母。

 

 自分の胸倉をつかむ母の手が、キリキリと音を立てている。

 

 母は、笑いながら、泣いていた。

 

 

『魔術の腕だけいっちょ前で、本当何もわかってないのね、あんた。浮気してる? 誰が? このあたしが、そんなことのために、あの人と会っていたと思ってるの?!』

 

 

 そんな時、家の扉が開いた。

 

 扉を開いたのは、父だった。

 

 

『な、なにをしているユイファ!! やめろ、やめないか!!』

 

 

 扉を開けてすぐが、この騒動だ。

 心情察する。

 父は慌てて駆けてきた。

 

 

『ねえネイファ。全部教えてあげましょうか? こいつが夜遅くに帰ってくる日、どこで何してるのか?』

 

  

 今更何を言うのかと思った。

 この女が、ペイリと浮気していることはわかっている。

 現場を目撃したわけじゃない。

 

 

 あたし達魔術師には、見鬼(けんき)で相手の心がわかるから。

 あたしの実力は、十三歳にして、魔導省官僚である、母の腕を越えていた。

 

 

『おいやめろ!! ユイファ!!』

 

 

 父が慌てる。

 どうしたんだろうと思った。

 そしてふと、気づいてはならぬことに、気が付いた。

 考えてみると、どちらも『悪』という可能性も十分にありうると。

 本能がその思考から逃げていた。

 母と父。

 どちらも悪だなんて最悪すぎる。

 だから片方は、きっと善なのであろう、と……。

 そして、父の淫行に気が付かなかった理由がもう一つ、ある。 

 

 

『こいつが毎日どこで、誰と会って、何してやがんのか』

 

 

 父が魔術師ではない、ただの政治家(にんげん)だったから。

 人間相手には、見鬼(けんき)は絶対に通用しない。

 この男が外でどんなマネしてようと、どんな手で自分の頭を撫でようと、絶対にわからない。

 

 鼓動が、一際大きくなった。

  

 恐る恐る父を見た。

 心臓が、時でも刻むかのように、胸の中で鳴り続ける。

 

 

『だからやめろって!!』

 

 

 そうだ。

 どんな一流の魔術師だって――

 

 

精神世界(アストラルサイド)から見る世界が全てと思っているあんたには、きっと、わかんないでしょ――』

 

 

 魔装(まそう)(まと)わぬ人間の心を読むことは、絶対にできないのだ……。

 

 

 バリン。

 

 

 何かが割れる音。

 

 父の手には、砕かれた花瓶。

 

 荒い息をつく父。

 

 父が笑う。

 

 人間特有の『黒い』瞳が、これ以上なく見開かれていた。

 

 

『俺はお前を救おうとした……。見てたよな? ネイファ』

 

 

 助けられなかった。

 一瞬だったから? 

 本当にそれだけか?

 

 嫉妬していた――からじゃないのか?

 

 自分も、ペイリのことが、好きだった。

 だからいや、そんなことあるわけない。

 そんな理由で、母を見殺しにするなんて、あるわけがないじゃないか、絶対に!!

 だが――

 

 それを示せるようなことを、自分は母に対し、今までしてきたのか……。

 

 

「あ……うっ……あ……っ」

 

 

 喉に手を当てる。

 

 声が出ない。嗚咽だけが零れる。言うべきこと、一杯あった。なのに、最後の言葉も、昨日の言葉も、全部思い出したくもない、最低のものばかり。

 

 後悔なんてしてる場合か。早く白魔術でもかけてやれと、天上から声をかけることはできても、過去の自分は微塵も反応しない。

 

 何より多分、もう、どうにも、どうにも――

 

 

「大丈夫だ、ネイファ。安心しろ。とりあえず救急隊だ、救急隊呼ぼう。な?」

 

 

 見上げる。

 

 見上げた父の顔は、ただただ暗闇。

 

 全身から力が抜ける。

 

 父の言葉に、得心したわけではない。

 

 母の言葉に、得心したのだ。

 

 でももう、何も戻らない。

 

 夢だろと思う。

 

 どこかでフッと目が覚めて、起きた時には布団の中で。

 

 その時には、何もかも戻ってるんだろうと。

 

 母と父が消えた家。

 

 自分の部屋で目覚め、立てた膝に、またうずくまる。

 

 声が戻らない。構わなかった。 

 

 夢じゃないのも、もういい。諦めた。

 

 だから――

 

 これから自分は、どうしたらいい?

 

 どう生きたら、許されるんだ……。

 

 

 ◇◇

 

 

 チャラン。

 

 

 ネイファが手を動かしたことで、鎖が鳴った。

 

 少女が足を止める。

 

 ペイリの振り上げられた氷の斧が、少女の脳天めがけて、振り下ろされた。

 

 その姿が――

 

 あの時の父親と、ダブって見えた。

 

 

 ◇

 

 

「いやー本当にすごいですよ、ネイファさんは。うちのペイリもそうですが、先天性魔術師というのは本当に、天才としか言いようがないです。とても五歳とは思えません。うち基準ですでに十。外の基準なら十四、十五ぐらいの能力を、すでに持っていますよ」

 

 

 ベビージュエルの指導員の言葉に、母が顔を赤くして喜んだ。

 

 それは、見鬼(けんき)整纏(せいてん)を貫けなくても、わかった。

 

 不思議と、母が喜ぶと、自分も嬉しかった。

 

 そんな俗な発想をする自分が子供っぽくて、嫌いだった。

 

 だけど、自分が嬉しいのだから――

 

 もっともっと、お母さんを喜ばせてやるぞって、そう思った。

 

 

「ネイファ。今日何食べたい?」

 

「え?」

 

「今日はネイファが食べたいもの、何でも作ってあげるから」

 

「じゃあじゃあ、あたし――」

 

 

 ――過去は変えられない。

 

 当然のことだ。

 

 どれだけ泣こうが後悔しようが、もうあの日常は戻ってこない。

 

 もう何一つ、言葉をかけることも、できやしない。

 

 でももし、あの時に帰ることが許されるなら、たった一言だけでいいから、言わせて下さい。

 

 それは、大好きでも、ありがとうでも、ごめんなさい、でもなくて――

 

 二度と会えなくてもいい。嫌われたままでもいい。

 

 だから――この一言だけ。

 

 

 ◇

 

 

「お母さん!! 後ろっ!! 避けてっ!!」

 

 

 掠れた声で、どうにか叫ぶ。

 

 目はつぶっていた。

 

 こんな声じゃ聞こえるわけがないと、内心、わかっていたのかもしれない。

 

 時が凍り付いたように、何も聞こえない。

 

 そんな時。

 

 

 カラン、カラカラカラカラ……。

 

 

 音がした。

 

 何の音かまでは、わからなかった。

 

 

「覚悟はある。そう言いましたね」

 

 

 凛とした、少女の声が聞こえた。

 

 目を開ける。

 

 

 ペイリの後ろで、子供とは思えぬ強大な魔力が立ち上っているのが見えた。

 氷の刃を刈り取られ、柄だけになった鉄棒を持ったペイリが、振り返る。

 

 少女の、リンの手には、抜身の刀が握られていた。

 命など容易く吸い取ってしまいそうな刀身が、妖しく光っている。

 

 

「死したその先に、大切な方が待っているから、別によいのだと」

 

 

 少女の冷たい問いかけ。

 ペイリは膝を伸ばし、クツクツと笑って応えた。

 

 

「バカが。待っていやしないさ。ただ同じ場所に行くだけさ。もう会えやしないんだよ、ユイファさんには!! だから俺は、あの人が遺した、最後の想いを完遂する!! ただそれだけのために生きてんだよ俺はああ!!」

 

「そうですか」

 

「そういうお前はどうなんだ? 覚悟はできたか? 他人のために、何もかもを投げ捨てる、覚悟が!!」

 

 

 少女は答えなかった。

 

 ただ無言で、刀を鞘にしまう。

 

 瞬間。

 

 リンが消えた。

 

 瞬きさえ許さぬ刹那で現れた場所は、ペイリの懐。

 

 

「じぃぃぃぃぃっ!!」

 

 

 ペイリが迎撃する。

 その前に――

 

 

 振り上げたリンの鞘の先端が、ペイリの水月に入った。

 

 ペイリが旋回し、そのまま宙を舞って、地面に叩きつけられる。

 

 

「ぐっ、がは!!」

 

 

 ペイリの水月に鞘を固定したまま、リンが鞘から刀を引き抜く。

 

 そして、抜身の切っ先を、ペイリの鼻先へと突き付けた。

 

 

「あたしには、詳しい事情はわかりません。ただ、貴方がその人を本当に愛していたのなら、その人もまた貴方を愛していたはず。

 貴方のその姿が、本当に彼女が望む姿なのですか?」

 

「……」

 

「そんなこともわからないのならば」

 

 

 カラン!!

 

 リンが刀を納刀する。

 

 

「誰かを好きになる資格も、誰かのためになんて言う資格も、どこにもありはしません!!」

 

 

 鋭い台詞だった。

 

 心技体。

 

 全てにおいて隙がない。

 

 

 顔を上げる。

 

 マルコは、傷ついたまま、伏している。

 

 リンは唇を噛んで、その場に立ち尽くしている。

 

 倒れたペイリはピクリとも動かない。

 

 

 誰のせいでこうなった?

 

 ペイリではない。

 

 自分だ。

 

 全部、自分のせいでこうなったのだ。

 

 思わず笑った。

 

 もちろん、自嘲だった。

 

 そんな時。

 

 

「終わったか?」

 

 

 入口から、声が入ってきた。

 

 肘を壁にもたれかけ、ダラリと立つその男は、眼鏡こそなかったけれど、すぐにわかった。

 

 

 東尾からの留学生。

 

 リティシア=ヒョウ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

貴女が向ける笑顔はきっと

 終わったか。

 そう尋ねられたのに、リンはヒョウを見なかった。

 

 目を伏せて、背を向けている。

 なんだか気まずい雰囲気だ。

 

 仲は、よくないのかもしれない。

 

 

「ふーん」

 

 

 周囲を見渡し、ヒョウが言った。

 繋がれたネイファのところで視線が止まり、ヒョウが笑った。

 

 

「なるほどね」

 

 

 額に指先を置いて、ヒョウが笑う。

 何が『なるほどだ』と腹立ちもしたが、この状態では何もできないのだった。

 

 

「――なら、とっとと帰るぞ。撤収したら、警務隊に連絡書き込んで、終了だ。もうすでに書き込まれている可能性も高いがな。アドレスは一応入れている。こいつは――」

 

 

 ヒョウが倒れているマルコを担いだ。

 

 

「俺が治療する。病院連れてったら、今度こそ退学なるかもしれねえしな。組長から幾つか薬も預かっている。まああとは適当にシナリオを考えるさ」

 

「……わかりました」

 

 

 不貞腐れた様子で、リンが返事をした。

 

 自分の拘束を解いてくれるつもりなのだろう、リンが近づいてくる。

 

 

「ああ、後な」

 

 

 ヒョウが言った。

 

 自分の元に足を個運んでいたリンも、足を止めた。

 

 

「寝起きにしけた面を見せられるのはうざってえから、やめた方がいいぞ?」

 

 

 顔を持ち上げた。

 ヒョウのアヤメ色の瞳が、自分のことを射抜いて離さない。

 

 

「じゃあ……どんな顔をすればいいって言うんですか?」

 

 

 代わりに答えたのは、リンだった。

 刀を持った手が、プルプルと震えている。

 

 

「みんなが、傷つきました。あたし達が、黙って見ていたからです。もっと早く助けていれば、こんなことになりませんでした」

 

「そうだな。俺は、極悪人だからな。俺は、俺以外を助けない」

 

 

 少女の口元が、ブルリと震える。

 先まで気丈だった少女の顔が、今にも泣きそうに揺れている。

 

 

「だがそんな俺でも、添え物ぐらいするのさ。仮にも関わった人間なんだからよ。リンゴか花か酒なのか」

 

 

 顔を伏せた。

 

 ズレた言葉だと思ったからだ。

 

 これだけのことが起きて、果物や花で、どうにかできるはずがないのである。

 

 

「まあさすがにこの時間だ。どこも閉まってるかな。俺は後で適当に見繕うが、こういう時、女ってのは便利なものだ。

 ただ笑うってだけで、華になるんだからよ」

 

 

 目を開いた。

 

 重石を乗せられたように下がっていた頭が、持ち上がる。

 

 ヒョウは、こんなこと何ほどの不幸かと言わんばかりに、笑っている。

 

 

「怪我した男にとっちゃ最高の見舞い品だ。それぐらいしてやれ。声も出りゃ最高だが、まあ、さっきのあれが鳴きの一回か?」

 

 

 リンが目を開く。

 

 リンは気づいていなかったのだろう。

 

 自分の声が、一瞬とはいえ、戻ったこと。

 

 

「まあお前程度にそこまでは期待せん。この程度の輩に無様にやられるようじゃ、話になんねえ。反論もどうせできないだろ?」

 

 

 呆然と、ヒョウを見据えた。

 

 そして思わず、笑った。

 

 不謹慎とは、わかっているけれど。

 

 十四歳(こども)の自分でもわかる、見え透いた吹っ掛けだなと、思ったから。

 

 そんな自分を見て、ヒョウは照れくさそうに顔を上向けた。

 

 

「リン。そいつの住所は覚えてるな。背負って送ってやれ。俺はこいつ連れて先に行っている。お前はトロいからな」

 

 

 言うや、ヒョウが消えた。

 

 唖然としてしまうほどに速い、神速の飛脚法だった。

 

 そんな自分の横にリンが並ぶ。

 

 刀身が光ると同時に、納刀していた。

 

 鎖が音を立てて、落ちた。

 

 

『ありがとう』

 

 

 言おうと思って、言えなかった。

 本当に出るのかと、ビビっていたこともある。

 だがそれ以上に、自分を止めたのは――

 

 

「バカだ……あたし」

 

 

 柄に額をもたれかけ、震える声で、リンがつぶやく。

 

 泣いているであろうことは、わからないことにした。

 

 慰めることと、同情は違うと思う。

 

 そして自分には、後者しかできないと思ったから。

 

 

 ほんの少しの時間を置いて、リンが頭をふった。

 

 袖で目元を拭い、倒れているペイリを両手で担ぐ。

 

 

「行きましょう、ネイファさん。ネイファさんのことは、あたしが背負います。後こちらの方も担いでいかないといけないので、ちょっとどうにかして、乗せてくれたら嬉しいです。後はこっちで落とさないように、どうにかバランスとるので」

 

 

 いやいや無理だろと思う。

 三人乗りで、数メートルを超える飛脚法とか怖すぎる。

 というか、家越え程度の飛脚法なら、病み上がりの自分でもできるし。

 

 天然なのかなと思う。

 まあ子供だしなとも思う。

 いや違うか?

 

 

 優しくて強い。

 強さと優しが同居している。

 それがこの子だ。

 

 

 今どきこんなの見せられたら、自分みたいな人間は、灰になって消えちゃいそうだ。

 

 

 自虐するように、笑った。

 

 

 そして。

 

 

 

 パチン!!

 

 

 

 両頬を叩いた。

 

 自分(こいつ)は一度、現実世界から叩いてやらないと、目が覚めないと思ったから。

 

 顔を上げる。

 

 

 声。

 本当に出るのか。

 不安だった。

 

 

 いや、出るはずだ。

 不安を握り殺すように、喉を押さえた。

 

 

 一瞬、母に祈ろうと思った。

 でもやめた。

 虫のいい話だと思ったから。

 

 

 罪は罪。

 自分の不始末は自分でぬぐう。

 それが――

 

 

 ネイファ=ラングレイという、女だったはずだ。

 

 

 

「う……うん。――っ。ありがとう」

 

 

 

 半年ぶりの、自分の意思で出した、自分の声。

 耳にして戸惑う。

 顔を上げると、リンが、我がことのように嬉しそうに、笑っている。

 

 

「ネイファさん、声が!!」

 

 

 バカだなって思う。

 自分の何を知っているんだかと。

 知ってる?

 自分みたいな人間はさ――

 

 

「そうだね」

 

 

 周りでそうやってはしゃがれちゃうと、斜に構えちゃってさ。

 

 

「まあ思ってたより、簡単だった。さすがあたしだ」

 

 

 素直に喜べないじゃんよ。

 

 

「……つか、そんな何人も同時に運ぶなんて無理だから。後はあたしが残るよ。何もかもあたしから始まったことなんだから」

 

「そんな、いけません!!」

 

 

「「「そうですよ、姉さん」」」

 

 

 入口から聞こえた三つの声を聞いて、目を向ける。

 雁首揃えていたのは、クシム、ソボオ、そして、ルーズ。

 マルコと自分に残った、最後の友人だった。

 

 

「後は俺たちが見ましょう。警務隊にも俺らから説明しますよ。だから行ってください」

 

「まあ何が行われたのかは、正直ちっともわからなかったですけどね」

 

「ここ探し当てるのマジで大変だったんすよ? 族関係の奴に連絡入れまくったり、そこら辺の奴、締め上げまくったりして、やっと見つけたんすから」

 

 

 笑った。

 

 そして、歩いた。

 

 

「クシム、ソボオ、ルーズ」

 

「あ、姉さん!! 声が!!」

 

「悪い。頼んでいいかな? 必ず借りはどっかで返すから。あたしは――渡さなくちゃいけないものがあるんだ。そしてそれを、一瞬でも、遅らせたくない」

 

 

「「「はい!!」」」

 

 

 背中から、三人の声が聞こえた。

 

 唇が震える。

 

 声は出る。

 

 まだ二本の足で歩くことはできる。

 

 それでも、一度外れた道だった。

 

 本来戻れないはずだ。

 

 

 大丈夫だとか。

 そんなことないよとか。

 いつだって逃げていいんだよとか。

 どんな御託並べたって、結局戻れない。

 それがこの世界の、ルールだから。

 そう思ってた。

 

 

 それなのに、まだ帰れる場所が、あるというのか。

 またやり直しても、許されるというのか。

 

 頭を押さえる。

 泣き顔を決して誰にも、見られないように。

 やっぱり自分は、弱いらしい。

 

 

「ありがとう」

 

 

 震える声で、それだけ言うのが、精一杯だった。

 それでも以前とは違う。

 感謝の言葉ぐらいは、言えるようになった。

 十分な進歩だ。

 

 

 そう思うよね? 

 お母さん。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

この景色が見たくて俺は

 目が覚める。

 

 

 見上げた先にあったのは、見慣れた天井だった。

 

 

 自分は一体どこで何をしていたんだっけと考えて、答えをつかむように、手を持ち上げた。

 

 

 包帯を巻かれた腕。片方の腕は曲げられて、固定されていた。

 

 

 全てを思い出して、身体を持ち上げ、痛みにもがいた。

 

 

 足元には、かけられた布団。上着は着替えさせられていた。

 

 

 ああ、自分は負けて、家まで連れて帰らされたんだと、すぐにわかった。

 

 

 振り返る。

 

 

 そこには、椅子に座って足を組み、コクリコクリと船をこぐネイファがいた。

 

 

 ハッと、ネイファが目を覚ます。

 

 

 見ていたマルコと目があった。

 

 

 マルコは声をかけようと思って言葉に詰まる。

 

 

 ネイファから見たマルコは、大馬鹿者だ。

 

 

 よせばいいのに自分が助けるんだと息巻いて、返り討ちにあった大馬鹿者。

 

 

 自分の看病のために、ペイリとの時間まで潰してしまった。

 

 

 せめて、ネイファの声が戻っているならば――

 

 

 ツンツン。

 

 

 指でつつかれる。

 

 

 目をやった。

 

 

 ネイファは、足元の皮袋からリンゴを取り出して、笑っていた。

 

 

 むいてくれるということなのだろう。

 

 

 顔と仕草でわかった。

 

 

『声で』わかったわけじゃない。

 

 

 そして起きてからこっち、ネイファの声は聞いていない。

 

 

 それはつまり、そういうことだ。

 

 

 マルコは全てを察して、首を縦に振った。

 

 

 カーテン越しに光が差す。

 

 

 リンゴの皮をむく音が、ただ静かに響いた。

 

 

 ペイリは悪だが優秀な男だ。

 

 

 そのペイリが考えた方法でも、ネイファの声は戻らなかった。

 

 

 つまりもう、どうしようもない、ということだ。

 

 

 悔しいなあ。

 

 

 悔しい。

 

 

 諦念が、心の中を蝕んでいく。

 

 

 出されたお皿。

 

 

 リンゴが乗っていた。

 

 

 ネイファがまた、小首を傾げて笑う。

 

 

 刺さっていたつまようじを取って、口に入れる。

 

 

 痛い。

 

 

 傷口に染みた。

 

 

 だからだろう。

 

 

 涙が零れた。

 

 

「あ、ゴメン!! そういやあんた、口切れてんだっけ! いや、あの人がリンゴもあった方がいいとか言うからさ……」

 

 

「いや、そんな――え?」

 

 

 あれ?

 

 

 思わずネイファを見た。

 

 

 ネイファは、やってしまったと言わぬばかりの顔で、口を押さえ、瞳を横向けている。

 

 

 何でだよ? 何で隠すんだよ?

 

 

 聞こうとしても、口が震えて声が出ない。

 

 

 潤んだ視界で、ネイファを見る。

 

 

 ネイファはあちこちに目をやって、マルコに渡していたお皿をかっぱらった。そしてそれをバクバクと口に入れる。

 

 

「あーおいし。やっぱり可愛い子がむくと、ただのリンゴも変わるもんねー。美味しいじゃん、これ」

 

 

「やっぱり!! おま……声!!」

 

 

 口が震えて、満足に話せなかった。

 

 

 どうしてネイファの声が戻ったのかはわからない。

 

 

 マルコが意識を失ったことで、声を取り戻してくれたのかもしれないし、違うかもしれない。

 

 

 しかしそんなことはどうでもいい。

 

 

 どっちにしても、ネイファの声は戻ったのだ。

 

 

「泣きすぎ。そして何より暴れすぎ。たかだか声のためにさ」

 

「たかだかって!! 俺がどれだけ心配して!!」

 

「あたしはもっと心配したよ。死んじゃうんじゃないかって、本気で思った」

 

「……」

 

 

 確かに――そうだ。

 

 

 自分にとってネイファの声とは、命をかけてでも取り戻したいものだった。

 

 

 しかし、ネイファにとってはどうだろう。

 

 

 残った一人の肉親を失ってまで、取り戻したいものだっただろうか?

 

 

 ネイファは優しい子だ。そう言ったのは、誰あろう自分ではないのか?

 

 

「――ゴメ」

 

「でもさ!!」

 

 

 マルコの謝罪を封じるように、ネイファが言った。

 

 

「多分お互いにさ、言いたいこと一杯あると思うんだけどさ、今はそれは封印しようよ。ある人が言ってたんだ。寝起きにしけた面は見せない方がいいってさ」

 

 

 ある人?

 

 誰だと思った。

 

 そしてネイファの顔を見て、すぐにわかった。

 

 ネイファは多分――その男のことが、気になっているであろうと。

 

 

 ヒョウかなと思う。

 あいつはやめとけと思う。

 だが助けられたなら――仕方ないのかもしれないな、とも思う。

 

 

「多分お互いに、言いたいこと一杯あると思う」

 

 

 ネイファが言うので、顔を上げた。

 

 

「でもこんな時に言うべきことは、お互い一個一個しかないとも思う」

 

「……」

 

「だからまずはあたしから」

 

 

 ネイファが一度、胸を上下させて、深呼吸。

 

 まっすぐマルコを見て、小首を傾げた。

 

 頭を踏みつけられたせいかな。

 

 視界に華が、広がった気がした。

 

 世界に一つだけの華が、視界一杯に。

 

 

 ずっとこれが、見たかったんだ。

 ずっとずっと。

 

 

「――あたしのために頑張ってくれてありがとう。マル兄」

 

 

 額を押さえた。

 

 涙が零れる。

 

 涙しか零れない。

 

 自分が言うべき一個とは何だろうと考えた。

 

 だけど、考える前に、言葉がポロリと、零れ出ていた。

 

 

「よかった……本当に……」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

世界に一つだけの華を貴方へ

「ネイファさんとマルコさん。今頃、楽しく話しておられるでしょうか?」

 

「ん~?」

 

 

 椅子の前足を持ち上げながら、ヒョウは言った。

 

 二人を家まで送り届けてからも、リンとの関係はギクシャクしたままだった。

 

 

「そりゃー無理だろ」

 

「え!!」

 

「いや、今はな。こっぴどくやられてたからな。できても朝だろうな。まああいつも考える時間ができるし、丁度いい調整だろうよ」

 

「そ、そうですか」

 

 

 ズズズと、作ったコーヒーを口に入れる。

 

 机の上に置いていた時計を見る。

 

 夜の十一時半。

 

 そろそろいいかなと、立ち上がる。

 

 ヒョウは前に言っていた調べものをしたかった。

 

 ズバリ、ファルコ=ルドルフについてだ。

 

 ファルコ=ルドルフの情報なんてものは、放っておけばそのうち目に入る。

 

 そんなことはわかっていた。

 

 わざわざ夜の図書館に忍び込んでまで調べることじゃない。

 

 それでも調べようとしているのは、多分ここから逃げ出したい、というのが、あるのだろうと、他人事のように分析する。

 

 

「リン」

 

「はい」

 

 

 リンが目を向けてくる。

 

 ヒョウは反射的に目をそらしてしまった。

 

 

「俺はちょっと出かけてくっからよ。新月布の使用は解禁すっから、一時間して帰ってこなかったら、戸締りしてそれ被って寝とけ」

 

「はい……」

 

 

 リンが目を伏せて、視線を逸らす。

 

 ヒョウはその前を通り過ぎて、玄関まで向かった。

 

 

「兄様!!」

 

「ん?」

 

 

 振り返る。

 

 

 リンは今も視線をそらしたままだった。

 

 

「今日はその……ありがとう、ございました」

 

「俺は何もしてないだろ?」

 

「マルコさんの治療をしていただきました」

 

「あんなもん、わけねえや」

 

 

 ヒョウはマルコを病院には送らなかった。

 何故ならマルコはヒョウとの騒ぎにより現在停学中。

 今回の一件が割れれば退学になる可能性があったからだ。

 

 

 だから、最低限の治療はヒョウが自ら行った。

 薬と伝書のアドレスは渡しておいたし、どうしても隠し通していたいなら、自分が通ってやってもいいと思っていた。

 謝りはしないが、悪いことをしたとは、思っている。

 

 

「そ、それに、ネイファさんにお声をかけてもくださいました」

 

「何だそりゃ? そんな大したこと言ってないだろ?」

 

「女性の笑顔は華だと、おっしゃってくださいました」

 

「あー、あれねー」

  

「素晴らしい言葉だと、リンは思いました。リンでは絶対に思いつかなくて、さすが兄様だなと、リンは――」

 

「そうか。まあお前がそう思ってくれたなら、よかったんだろうな」

 

 

 一歩足を踏み出す。

 

 

「兄様!! あの」

 

「リン」

 

 

 リンの言葉をピシャリと遮り、振り返る。

 

 

「お前はあの二人を助けたいと思ったから助けた。俺は別にどうでもいいと思ったから助けなかった。それが全てさ。

 俺のことを無理に立てる必要なんかない。俺は単に、しけた終わりが嫌いだから、言葉を付け足したまでだよ」

 

 

 そう言い残して、また足を回した。

 

 だが。

 

 

「よくないです!!」

 

 

 足。

 

 また一歩進ませる。

 

 

「だって、だって――」

 

 

 言葉は右から左に素通りだった。

 悪く思うなと思う。

 いつまでも付き合ってたら、永遠に終わらない。

 

 

「このままだと」

 

「……」

 

 

「このままだと、リンがしけた終わりになっちゃいます!!」

 

 

「え?」

 

 

 思わず足を止めて、振り返っていた。

 

 何か物凄い自分勝手な言い分が聞こえてきたような気がするんですが。

 

 リンは居住まいを正しながら、両手を広げた。

 

 

「兄様はおっしゃいました。寝起きにしけた顔を向けられるのはやめた方がいいと。このままだとリンは、明日も明後日も、兄様にしけた顔を向けてしまいます」

 

「あのさぁ……」

 

「リンは」

 

 

 リンが一度目を伏せた。

 そして、気丈に見上げてくる。

 

 

「リンは、朝起きて、リンのことを見てくれる兄様に、華を渡したいです。一日一日を、目一杯頑張れる華を。世界にたった一つだと思えるような、素敵な華を。兄様にずっとリンのこと、見ていてほしいから。兄様とずっと一緒に歩いていたいから」

 

 

 目を細めた。

 リンといると、時折、見ていられなくなってしまう。

 それは、自分にとってリンが、眩しすぎるからなのかもしれない。

 

 

 リンの手が、膝の上でギュッと握られている。

 

 

「でも今更、こんなことを言っても、ダメ? ……なのでしょうか? もう元には……戻れないのですか……?」

 

 

 涙声でリンが言った。

 顔は見れなかった。

 

 仮に――

 

 

「リン」

 

 

 リンが隣にいなければ、マルコは死んでいただろう。

 

 そして自分は思うのだ。

 

 

『ああ死んだのか、まあいいか』と。

 

 

 笑いながらだ。

 

 

「今度の休みは、暇か?」

 

「え……?」

 

 

 本当は、死への手向けなんかじゃない。

 

 それ以外の感情を知らないだけだ。

 

 そんな自分が嫌いだった。

 

 変わろうと思ったこともある。

 

 しかしやめた。

 

 だってそうだろ?

 

 

 人が死ねば悲しみ、人道に反することがあれば怒り。

 誰かが助かれば喜び、祝いの酒で喜びを分かち合う。

 

 

 自分にはそんなことできやしないから。

  

 

 誰かが死ねば笑い――

 人道に反することがあっても笑っている。

 

 

 それが自分だ。

 化けることは容易いが、それはもう自分じゃない。

 やはり、自分以外の人間が、輪に入っているのに過ぎないのだ。

 

 

 人が助かった時、戯れに笑って見せるが、本当はどうでもよかった。

 敵も味方もいなくなれば、またみんな消えてしまうから。

 酒も感謝も何もいらない。

 喜び方だって、知らないから。

 

 だが――

 

 

「もしも暇なら」

 

 

 リンの我儘に付き合っていると、よく誰かに感謝される。

 

 そんなもんいらねえなと思いつつ、悪くないなと思うようになった。

 

 手向けの華を向けるのではなく、華が広がる結末。

 

 それが本当に自分の望みなら、そんなもの、とっくの昔に気が付いているんだ。

 

 じゃあ何故、今はそれが悪くないなと思うようになったのか。

 

 それは――

 

 

「今度どこか遊びに行くか」

 

  

 広がる華の先に、喜ぶお前がいる。

 

 だから――

 

 

「二人だけで」

 

 

 そんな景色も悪くないのかもなって、思うようになったのだ。 

 

 

「はい!!」

 

 

 リンの、駆け込んでくるような言葉を、背中で耳にする。

 

 ふと思う。

 

 リンは十一歳であったと。

 

 

(しかし今更取り返しはきかないか……)

 

 

 笑って手を振った。

 

 扉を閉め、その扉にもたれかかる。

 

 空に月が昇ってる。

 

 風は冷たい。

 

 不思議と足を動かす気にはならず、ただ黙って月を見上げていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

見下ろす者

 留置場に連れ込まれたペイリは、最低限の治療を終えた後、事情聴取を受けていた。手はもちろん緊縛されている。

 近代魔術の最高峰、魔力誘導を防ぐためである。

 

 

 薄汚い机を挟んだ先に、品性の欠片も感じられない男がまっすぐこっちを見据えていた。自己主張だけが激しい見鬼(けんき)で、自分のことを見据えてくる。

 

 一流の魔術師は見鬼(けんき)の発動を悟らせない。

 

 この程度の見鬼(けんき)で『嘘は通用しないぞ』と言わぬばかりのこの面を見せるのは、中々に笑えた。

 

 

「巨躯で熊のような男に殴り倒された? 他の奴らと証言が違うようだが?」

 

「あーだったら僕は幻影を見ていたのかもしれませんね。先天性魔術師には死幻(しげん)がありますから」

 

 

 そばにいたもう一人の警務官のサラサラとメモを書く。

 

 ペイリは嘘をついていた。

 

 何故か?

 

 警務隊よりも、あの少女。

 

 いや、正確には『あいつら』の方が危険だからだ。

 

 

(少女が虚空から持ち出した得物は、東尾(とうび)の決死組が用いる刀と呼ばれるものだ。シャドウを見たからじゃない。あいつは確実に、狼だ)

 

 

 そして狼は一匹では行動しない。

 群れて行動し、狡猾に相手を死に至らしめるから、東の狼と呼ばれているのだ。

 余計なことを口走れば、潜伏している他の狼に殺されかねない。

 

 

 今更死などと思ってはいるが、公僕(こいつら)のために死ぬのだけはゴメンだった。

 

 

「まあ、いいだろう。じゃあ次の質問だ」

 

 

 男が十数枚の写真を出してくる。

 その中に、見知った顔が二人いた。

 

 

 ジョニー=ホワイト。

 ロナウド=ブラウニー。

 

 

 あの夜、自分に協力を持ちかけた二人である。

 

 

「何でもいい。こいつらについて知っていることがあれば、話してくれ」

 

「警部さん」

 

「牢屋というのは、随分と居心地がいいらしいですね」

 

「三色昼寝付き冷房完備か? 誰から聞いたか知らんが試してみるか? 地獄を見るぞ」

 

「テッジ=ラングレイ」

 

「……」

 

「知ってますか? 僕の最愛の人を殺した男です」

 

 

 サラサラと後ろでメモを書く音が聞こえた。

 

 

「この男は現与党である、聖エネラージ党の政治家でした。あなた方も知っているでしょう。今その男はどうしているんですか?」

 

「そりゃ、獄に繋がれてるだろう。裁判は終わったからな」

 

「違いますね。獄という名を借りた、お上専用の個室に、詰め込まれているのでしょう?」

 

「……」

 

「テッジ=ラングレイの裁判は実に迅速だった。控訴もしなかった。何故だと思います? ぬるいと言われる留置場よりも、獄の方が更にぬるいと知っていたからです。だから迅速に行われたのだ」

 

「違う。あれは――」

 

「刑期も七年と恐ろしく短かった。初犯かつ計画的ではないという、意味のわからぬ理由でだ。恐らく模範囚ということで、執行猶予込みで五年以内に奴は出てくる。議員には二度となれずとも、そのツテで奴はまたどこぞで女をひっかけ、遊び歩くだろう。奴はそれなりに情報を持っている。どこかの議員秘書で雇うというのが落としどころか」

 

「……」

 

「お前らに話すことなど一つもない。焼かれてしまえ。そう、その情報を引き出したがっている議員に伝えろ」

 

 

 何もかもを見抜くような見鬼(けんき)で、ペイリは言った。

 

 

  ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 アイザックは、虎戦傭兵団団長から提出された結果報告書を眺めていた。警務隊からの捜査報告書と並べてみても、差異はなかった。

 

 

(ふっ。中々食えぬ男のようだな)

 

 

 アイザックは、虎戦傭兵団団長に、ネイファとマルコを潰せと命じた。

 

 お上に逆らうとどうなるのか、知らしめる意味もあったが、一番の理由は、政敵である外務省幹部、ミモザ=ソーンが、突然、虎戦傭兵団という北翼の傭兵を雇い始めたからである。

 ミモザは北翼の人間を毛嫌いしていたはずなのだ。

 外務省は北頭の位置的に、西派と北翼派に二分されていた。ミモザは西派の先鋒だった。

 

 

(彼が直々に潰していれば、和睦か戦争の二択に持っていけたのだがね)

 

 

 アイザックは仕事柄、警務隊と少なからず繋がりがある。

 捕らえた男らに、虎戦傭兵団の顔写真を見せてみたが、誰一人として口を割ったものはいなかった。

 

 実行する前に、相応の脅しをかけていた。そういうことであろう。

 

 

(まあ……いいか)

 

 

 近いうちに蒼院選があった。

 

 ハッキリ言って、どの政党が勝っても同じである。

 

 アイザックは二十五の時、身を切る改革として、選挙立候補金を現状の百万から六百万に段階的に引き上げる法案を、政治家に提案した。

 

 もちろん身を切るとは表向き。その法案の真の意味は、民主主義でありながら、貴族政治を復活させるためにある。

 

 

 この国で政治家になれる人間は、ポンと六百万を出せる人間だけだ。

 政治家とは民が選んだ代表だが、出馬できる人間が金持ちだけなら、円卓を囲むのは全てが上級国民。必然それは、貴族政治と同じである。

 それでいて『選んだ君たちが悪い』という言葉で押し通せる。

 金持ちは必ず自分の特になることしかしない。

 そのドライな思考が、彼らを金持ちへと引き上げたのだから。

 時に下々のことを思う金持ちもいるだろう。

 だがこの国は民主主義だった。

 故に、最後には数の力で勝つのである。

 

 

 この国の政治家は、金だけを見つめている。

 だから、どの政党が勝っても同じだ。

 

 

 決して揺れない社会。

 美しく、整然とされた社会。

 他国からも我々の民政は評価されていた。

 美しい国、北頭アイスビニッツ。

 国内の人間も、他国の人間も、胸を張って『叫ぶ』その言葉が、自分たちの民政の正しさを教えてくれる。

 

 

 官僚である自分は、蒼紅選を気にする必要がない。

 だが重要なのは、蒼紅選を終えた後。つまり。

 

 

 国民に、全幅の信頼を、民主主義として、何をしても許されるという権利を、頂戴した後に始まる、ということだ。

 そのためには、この蒼院選は落とせない。

 そして、この選挙が終わるまで、自分は降りれない。

 

 

 ガタンと、アイザックが引き出しを開いた。

 入っていたのは、紙の束。

 表題は――

 

 

 神意鹵獲計画。発案――

 

 

 アイザック=バルカン。

 

 

(和睦にせよ戦争にせよ、蒼院選の前にミモザとの関係に決着はつけておきたかったのだが、まあいい。まだ時間はあるのだ。何せこの計画は、ファルコ=ルドルフ君『達』に帰ってきてもらわねば、始められないのだからね)

 

 

 パラパラとめくり、内容を精査する。

 ふと、テーブルの上に置かれた、明日の朝刊に目をやった。

 

 

『エレノア魔術大会出場のため、一時帰郷していたファルコ=ルドルフ、優勝のベルトを引っ提げて帰国。五月上旬にも復学決定か。伴ってフィリア=ルク=マキュベリ様の復学も決定。対応に追われる王室管理室と、ヴァルハラ学園内部』

 

 

 アイザックがチラリとカレンダーを見つめる。

 

 カレンダーには、今月の他に、来月の日付が小さく掲載されている。

 

 並んだ三十一日の中に、一つ、赤い印で丸が打たれている。

 

 日付は――

 

 

 五月三日。

 

 

「くくく。秒読みか」

 

 

 ガララと窓を開き、アイザックが一人酒を飲む。

 否。

 一人で飲んでいると、思いこんでいた。

 

 

 新月布を纏い、天井から下ろす女性が一人。

 東尾の魔雪を口に含まぬよう、口元は黒包帯で縛っている。

 同じく頭も縛った黒衣から、銀色の髪の毛が幾本か零れている。

 

 

 東尾が誇る、外交兼外攻最恐部隊。

 他国からの異名は、東の狼。 

 十狼刀決死組三番隊の古株の一人。

 

 

 エイリーク=雪蘭であった。

 

 

 頭上から、アイザックがパラパラとめくる計画書を見据え、目を細め、そして――

 

 

 風が吹く。

 アイザックは、何となく頭上を見上げた。

 

 

 その時雪蘭は、アイザックの視界からも、この部屋からも、姿を消していた。

 

 

 ◇◇◇

 

 

「むー……」

 

 

 リンは次の休みに着ていく服を考え中だった。

 その顔は、以前のような浮ついた態度ではなく、真剣そのもの。

 さながら次の戦場に持っていく得物を選ぶ、傭兵のような顔つきだ。

 

 

 姿見の前で、服を身体に当てていく。

 壁に張ったカレンダーには、赤で印を打っている。

 その日付は――

 

 

 四月二十二日。

 

 

 <世界に一つだけの華を貴方へ 了>

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

いつの日か貴女へ
君が立てるデートコースは


「兄様。一つ聞いてもいいでしょうか?」

 

 

 部屋でコーヒーを飲んでいた時、リンが言った。

 

 

「ん~?」

 

 

 椅子の前足を持ち上げながら、ヒョウは尋ねた。

 

 

「その……明日の件なのですが……」

 

 

 

『もしも暇なら今度どこかに遊びにいくか。二人だけで』

 

 

 

 以前自分が言った言葉を思い出す。

 

 ヒョウは腕を組ながら唸った。

 

 はっきり言って、あのときの自分はどうかしてたなと思う。

 

 正直酔ってた。こんな不得手な分野に自ら足を突っ込むとは。

 

 というか、よくよく考えてみると、女と楽しむために出かけるなんてことは初めてかもしれない。

 

 

「それなんだが、お前、どこか行きたいとことかあったりするか?」

 

 

 振り返って、ヒョウは尋ねた。

 

 ヒョウの気持ちを知ってか知らずか、リンがくすぐったそうに笑った。

 

 

「よかったです」

 

「は?」

 

「兄様のことだから、もう忘れてるんじゃないかと思いました」

 

「お前ね」

 

 

 まあハードル低いのは結構なことなんだけどさ……。

 

 

「ふふ」

 

「で? 結局どこか行きたいとことかあったりしないのか?」

 

「兄様はないのですか?」

 

「俺? 俺は――うーん」

 

「兄様が休みの日に行きたいと思っていた場所に、リンも同行させていただけるだけで構いません」

 

「俺がね――」

 

 

 少し考えた。

 

 実を言うと、問題がもう一つあった。

 

 その日を狙い打つようにして、マルコから頼み事をされたのである。

 

 行けたらなと曖昧な返事を返しておいたが、マルコには借りがある。

 

 できることなら回収してやりたいとは思っていた。

 

 

 この街の地図。

 頭の中から取り出した。

 

 

「――じゃあ買い物かな? 表通りに行けば、何かしろの店には行きつくだろ」

 

「眼鏡を新調されるのですか?」

 

「眼鏡はもういらね」

 

「ふふっ」

 

「何だよ?」

 

「え? あ、いえ、その――組長の指令を無視すると、また怒られてしまうではと、思ったので」

 

「激しい戦いの末にぶっ壊れてしまったからな。しょうがない」

 

「え、そうなのですか?」

 

「アホ。嘘に決まってるだろ。普通に秒殺だったよ」

 

 

 リンが胸に手を当てて、ホッとした顔を見せる。

 

 

「ビックリしてしまいました。兄様と向き合える人が、副長以外にいるのかと思って」

 

「お前ってやつは、人の言うこと何でも信じるよな」

 

「そ、そのようなことはありません。ちゃんと相手と内容を選んでおります」

 

「じゃあ俺はどの基準にいるんだよ」

 

「え?」

 

 

 ちょっと意地悪かなと思いつつも、聞いてみた。

 

 リンが自分に好意を持っていることぐらい、脳みそ溶けていなきゃ誰でもわかる。

 

 しかし年齢差が年齢差だ。

 

 だからこれはそう、ただからかって、遊んでいるだけなのだ。

 

 

「兄様の言葉なら……その、なんでも」

 

「え」

 

 

 真っ赤な顔で口元を隠しながら、リンが言う。

 

 ヒョウは知らず知らずのうちに、間抜けな顔を作っていた。

 

 

「と、とは申しませんが、その、何でもは言い過ぎですが、その、ある程度までならば、信用します」

 

「ふーん」

 

 

 リンは真っ赤な顔で目を伏せながら、視線をあちこちに移動させている。

 

 もうちょっとからかえないものかと考えた。

 

 このリンという女は、からかうと面白いのである。

 

 

「うーん」

 

「兄様?」

 

「ん?」

 

「もしかして、リンのことを騙そうとしておられますか?」

 

 

 リンがジト目でヒョウのことを見つめる。

 

 ヒョウは軽薄に笑って、両手を上向けた。

 

 

「俺がお前を騙そうとするわけないだろ?」

 

「そ、そうでしたか。申し訳ありません。疑ってしまいました」

 

「あーあ。とうとうやっちゃったね、リンちゃん」

 

「も、申し訳ございません」

 

「謝るだけじゃ足りないなー」

 

「えぇ!? ではその、リンはどうしたら許されるのでしょうか?」

 

「そうだなー。あ! 知ってるか? リン。北翼(ほくよく)じゃ、相手を疑った女は、相手にキスしなくちゃならないって風潮があるんだぜ? 参ったな―」

 

 

 無論冗談である。

 

 ヒョウは時折、自分とは真逆の演技をしてみせた。

 

 そうした方が、自分の(ほんしつ)には近づかれないと、思っているからかもしれない。

 

 

「え!! そうなのですか!?」

 

 

 リンが口元を隠して驚いた声を上げる。

 

 ヒョウはガクリと肩を落とした。

 

 

「いや、嘘に決まってるが」

 

「ふふっ。知ってました」

 

「え」

 

「昔兄様に、同じことを言われたことがあります。その時は信じてしまいました」

 

「え、マジ?」

 

「はい」

 

「例によって全く覚えてねえな……」

 

「兄様は覚えることが早い分、忘れるのも早いですから」

 

「そうなんだよねー」

 

 

 いや待てよ。

 

 

 信じてしまいました?

 

 

「え、ってことは、俺前に――え?」

 

「ふふっ。じゃあ――リンは今日はもう寝ちゃいますね。兄様」

 

 

 閉められたカーテンの間から顔だけを出して、リンが言った。

 

 

 その顔は真っ赤であり、楽しそうであり。

 

 

 ヒョウをからかっている可能性も多分にあった。

 

 

 だが、楽しい思い出を語っている、そんな風にも思えた。

 

 

「明日。楽しみにしています。兄様。おやすみなさい」

 

 

 カーテンが完全に閉じて、黒砂炎の明かりが消された。

 

 

 リンが寝るのなら、自分も寝ていい。しかしこれは結構、え~~。

 

 

 ヒョウはしばし、机の前で頭を抱えた。

 

 

 しかし答えが出ることは、ついぞなかった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

市場で二人

 ワイワイガヤガヤ。

 

 

 朝になり、市に足を運ぶ。

 

 

 市場は仮装した男女で盛り上がっていた。

 

 

 よくも悪くも、祭りの日にドンピシャしてしまったらしい。

 

 

「何の祭りだこれは」

 

「仮装大会の日というわけではなく、かつての大戦の死者を弔う日のようですね。かつての大戦は、魔族や憑き人の方の、差別からきたものらしいですから」

 

 

 街中で受け取ったパンフレット――世界の歴史――をお供に、リンが言った。

 

 

「楽しんでいるだけのようにしか見えないけどねー」

 

「それはそれでよいのではないでしょうか。数百年の時を経て、今の幸せがある。それを亡くなった方々に見せられれば、それで十分かと思います」

 

「お前ってやつは、本当堅苦しい思考してるなー」

 

「え!? そ、そうでしょうか? あたしの考え方は、堅苦しいですか?」

 

 

 リンが恥ずかしそうに、両手で口元を隠した。

 

 

「……では、どのように考えるのが正解だったのでしょうか? 兄様」

 

「そりゃ簡単だ。自分が楽しめれば、オールオッケイ」

 

 

 これはヒョウの信条だが、リンに持ってほしい思考でもあった。

 

 こいつはいつも、他人のことを考えすぎるから。

 

 ちょっとぐらい、他人じゃなく、自分のことを優先したっていいはずなのに。

 

 いつも言ってるが直らない。

 

 しかし、それでこそ、リンらしいなとも、思っている。

 

 

「……」

 

「なんだよ」

 

「ふふ。兄様らしい考え方だなと思って」

 

「誉めてんのか? それ」

 

「誉めています――という言い方は、あたしの立場ではやや失礼かもしれませんが」

 

「ふーん」

 

「あの」

 

「なんだよ?」

 

「もしかしたら、リンが、兄様の言葉に、その、感動しやすいのは――」

 

「お客さんお客さん」

 

 

 リンの言葉を遮るように、街中の男が声をかけてきた。

 

 男は虎の仮装をしていて、頬に傷痕のような三本線を入れている。

 

 

「知らないのかい? 今日は四月二十二日。大戦終息の日で、こういったコスプレ――じゃなくて、憑き人さんの格好をして、当時の死者を弔うのが習わしなんだ」

 

「へー」 

 

「ちなみに、この手の格好をしていると、商品を安く売ってくれたりする店も多いんだぜ? フェルナンテやレイブンなんかは、言うまでもなくそのままでいいけどな」

 

「ほー」

 

「で、ここで本題だ。どうだいお兄さんとお姉さん。この獣耳バンド。今なら五百ルートでお売りするよ。ついでに尻尾もこちらにたらふく種類を揃えてますんで。いかがでしょう」

 

「いらねえな。じゃあ」

 

「え!! ちょ、ちょっと待ってください!! いいんですか!? 彼女の猫耳姿、見たくないんですかい!? 絶対に後悔しますよ!?」

 

 

 ヒョウは足を止め、スタスタとその場に戻った。

 

 

「あのな。こいつは妹だ。こんなガキ彼女にしてたらおかしいだろ」

 

「あ、いや、彼女とはそういう意味で言ったわけでは――いえ、すいません」

 

 

 ヒョウは軽く舌打ちして、リンを見た。

 

 リンはシュンとした顔で目を伏せている。

 

 

「え。お前もしかして、あれがほしいのか?」

 

 

 ビックリして、ヒョウが尋ねた。

 

 確かにリンは子供だが、精神年齢は比較的に高いと思っていたのだが――

 

 

「え? あ、いや――」

 

「ほらー!! ほらほらー!! 妹さんもこう言ってますよ?」

 

「あんたは黙っててくれ」

 

「……はい」

 

「えっと――そうですね。兄様のそういう姿は、見てみたい気もします」

 

 

 どこか、取り繕ったような笑顔を見せて、リンが言った。

 

 

「ふーん」

 

 

 一度空を仰いでから、今一度リンに眼を向ける。

 リンはやはり、何やら気落ちしている感じだった。

 

 

 ――しゃあねえな。

 

 

 ヒョウは男のカゴからリンの服と同色の猫耳をとって、それをリンに被せた。

 

 リンが猫耳を押さえながら、顔を上げる。

 

 ヒョウは今一度、青空に目を向けた。

 

 

「やるならお前も一緒にだ。当たり前だがな」

 

 

 売り子は『してやったり』という顔で、ヒョウとリンを交互に見やった。

 

 リンははしばしヒョウのことを見つめて――そして、困ったような、それでいて、嬉しそうな顔で、笑った。

 

 

「はい!!」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

大人になる方法

「お前っさー」

 

 

 隣を歩くリンに向けて、ヒョウはジト目を向けた。

 

 

「ふふっ。とてもお似合いですよ? 兄様」

 

 

 向けられたリンは、くすぐったそうに笑った。

 

 

「本気で言ってんだろうなー」

 

 

 ヒョウがリンにあてがったのは、リンの服と同色の、白の猫耳と尻尾であった。自分で言うことじゃないが、中々にいいチョイスをしたと、ヒョウは思っていた。

 

 

 そして、リンがヒョウにあてがったのは、たぬきのヘアバンドと尻尾であった。タヌキには悪いが、猫や犬に比べると、どうにも間抜けに思えてしまう。

 

 

「嘘じゃないですよ。というより兄様なら、何をお付けしてもお似合いになると思いますよ?」

 

 

「誉められているのかいないのか」

 

 

「誉めています。という言い方は、あたしの立場ではやや失礼かもしれませんが」

 

 

「お前の立場だったら何を言っても構わないさ」

 

 

「え……」

 

 

「そりゃそうだろ? 妹なんだからよ」

 

 

「そう――ですよね。そうです」

 

 

「……」

 

 

「兄様」

 

 

「ん~?」

 

 

「リンはやはり、子供っぽいのでしょうか?」

 

 

 確かに、リンの今日の服装は気合が入っている。

 

 

 ただの腰紐ワンピースなのだが、生地が上等だからか、非常に上品に見える。

 

 

 それに伴って、リンが大人びて見えるというのも間違いではないが、それにしたって、五歳六歳上乗せされるかって言ったら、そんなはずもない。

 

 

 まあせいぜい、十二十三十四ぐらいか。大まけにまけて。

 

 

「そりゃそうだろ。お前は子供なんだから」

 

 

 リンがシュンとして、目を伏せた。

 

 

 まーたこいつは、すぐスネる。

 

 

「子供っぽいのが嫌なのか?」

 

 

 ヒョウが尋ねた。

 

 

「そうですね。リンも早く大人になりたいです」

 

 

「ふむ」

 

 

 指であごを擦る。

 

 

「兄様?」

 

 

「そう言えば、手っ取り早く大人になる方法があると聞いたことがあるんだが――」

 

 

「え」

 

 

 リンの単音が聞こえて、目を向ける。

 

 

 リンは両手で口元を隠し、ヒョウのことを見上げていた。

 

 

 違和感を感じ、ヒョウは口を開いた。

 

 

「何だよ」

 

 

「あ――いえその、精神的にではなく、ちゃんとした意味で大人になりたいです」

 

 

「お前っさー。そんな即現実的なこと言うなよなー」

 

 

「も、申し訳ありません。答えがわかってしまったので」

 

 

「え、マジで?」

 

 

「あ、申し訳ありません。答えがわかったのではなく、精神論であることがわかりました」

 

 

「あーそういうことね」

 

 

 まあそりゃそうっちゃ、そりゃそうだ。

 

 

「まあいいか。じゃあこの話は――」

 

 

「え!?」

 

 

「え? 何だよ」

 

 

「あの……お答えをお聞きするわけには、いかないのでしょうか……? リンはとても気になります」

 

 

 シュンとしながら、リンが言った。

 

 なんて我儘な奴だとヒョウは思った。

 

 

「今更言ってもなー」

 

 

「大丈夫です。考えてくれたお気持ちだけでも嬉しいですから。だから、例えどのようなお答えであっても、リンは必ず喜びます。お約束します」

 

 

 無垢な目で見上げながら、リンが言う。

 

 

 ほんとかよとヒョウは思った。

 

 

 まあいずれにせよ、どこかには行かなければならないのだ。

 

 

 違う場所にしようとも思ったが、リンがそこまで言うなら、ここでもいいか。

 

 

 ヒョウが指さす、その先は――

 

 

「朝飯まだだろ? 飯行こうぜ」

 

 

 カフェだった。

 

 

 コーヒー=大人という、さもしい論理だった。

 

 

 簡単に言えばネタで、そんなためてためて言うような内容じゃない。

 

 

 下らないことは知っていた。

 

 

 だから言いたくなかったのだ。

 

 

「ふふ。あはは。あはは」

 

 

 リンの笑い声が聞こえて、ヒョウは目を向けた。

 

 

 リンは珍しく、お腹を抱えて笑っていた。

 

 

 見慣れていないから、ついつい、見入った。

 

 

「あ、申し訳ございません、兄様」

 

 

 リンが五指を合わせて、笑う。

 

 

 そんなにおかしかったのかと思った。

 

 

 腹が立ったわけではない。

 

 

 ただ、微妙に噛み合っていないなと思った。

 

 

 目を上向けて、ちょっと考えてみる。

 

 

 そして。

 

 

『あ』と思った。

 

 

「はい。リンも行きたいです。お心遣い、とても嬉しく思っています、兄様」

 

 

 目を向けた先で、リンが笑っていた。

 

 

 頭をガリガリとかいて、目を背ける。

 

 

 問いただそうとは思わなかった。

 

 

(ったく、無駄にマセてるんだから、こいつはよー)

 

 

 カランカラン。

 

 

 ふて腐れながらヒョウは、カフェの扉を開けた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

謎の二人組現る

 カフェ『スジャータ』

 

 

 ズズズと、ヒョウがコーヒーを口に入れる。

 

 リンはいかにも甘ったるそうなカプチーノを口に含んだ。

 

 

「あ、おいしいです、これ」

 

「そうか。そりゃよかった」

 

 

 余談だが、リンは北頭(ほくとう)にくるまでコーヒーというものを知らなかった。

 

 なので一度飲ませてみたことがあるのだが、リンにしては珍しく、中々に不評であった。最終的に牛乳を混ぜればいける、という結論には達したが。

 

 だからまあ、このカプチーノもヒョウが選んだ。リンが喜ぶハードルは基本的にかなり低いが、正直ちょっとホッとしている。

 

 

「それよかリン。お前、何か欲しいものとかないのか?」

 

「あると言えばあるのですが――」

 

「そうか。じゃあ今日はそれ買いに行くか」

 

「ですがよろしいのでしょうか。あたしに付き合わせてしまって――」

 

「べつにいいさ。で、何がほしいんだよ」

 

「えとあの……念写機を……」

 

「念写機?」

 

「はい」

 

「ふーん」

 

 

 ヒョウはあごを一度擦って、カップを手に取った。

 

 

「お前まさか、俺の今のこの姿を、その念写機で撮ろうって腹じゃねえだろうな?」

 

「え?」

 

 

 リンが口元を両手で隠して言った。

 

 これだけでヒョウは、自分の予想が正しかったと確信した。

 

 

「じゃあ、却下だな」

 

「いえ、あの……」

 

「まあ、他に理由があるってんなら、聞いてやるが?」

 

「あの、そういうことではなく――」

 

「そういうことではなく?」

 

「兄様と……その、初めての、お出かけなので」

 

「……」

 

 

 前にも行っただろ? とは言うまい。

 

 前回は二人きりではなかったわけだし。

 

 

「だったら、この耳は外して撮る。それでいいな?」

 

 

 尋ねた。

 

 しかしリンは目を伏せて、視線を外している。

 

 リンが自分を見ていない時は、大体自分がやりすぎている時。

 

 と、ヒョウは今までずっと、思ってきたわけなのだが――

 

 

「お前っさー」

 

 

 尋ねた。

 

 

「はい」

 

 

 リンが顔を上げて、無垢な目で見上げてくる。

 

 そんな目で見られると、ヒョウも弱い。

 

 ヒョウは、カップで口元を隠しながら、目を上向けた。

 

 

「じゃあ、同一条件な」

 

「え」

 

「お前も一緒に映るか、お前の分も撮る。それで対等ってもんだろ?」

 

 

 お前も一緒に辱めを味わえ。

 

 そういうつもりで言った。

 

 だから、リンが顔を赤くするのは、ヒョウにとっては予想通りだった。

 

 しかし何だろう?

 

 何か違わないだろうか?

 

 答えが出る前に、リンはくすぐったそうに笑った。

 

 

「はい!」

 

 

 やれやれ。

 

 なんて、照れ隠しで呆れながら、ヒョウはまたカプチーノを口に入れる。

 

 しかし念写機か……。

 

 そんな高等なもの、この辺に売っているものかね?

 

 

 ◇◇◇

 

 

「念写機かい?」

 

 

 店を出る前に、店主に向かって問いかけた。

 

 店主もまた、熊の仮装をしている。

 

 

「うーん。そんな上等なもの、この辺りに売っていたかしらねー」

 

 

 やっぱりな。

 

 

「だ、そうだ。しょうがない。念写機はあきらめて、別のことしようぜ」

 

 

 リンに言った。

 

 リンはシュンとした顔で、目を伏せている。

 

 

 ったく、こいつはもー。

 

 

 思いながら、ヒョウは頭をかいた。

 

 

「あ、そうだ。念写機じゃないけれど、こういうのがあるわよ」

 

 

 言って、店主が一枚の紙を出してきた。

 

 手に取って、目を通す。

 

 内容は――

 

 

『本日AM九時より、飛燕盤《ひえんばん》による、魔術師街一周レース開催。※本戦はPM一時から。優勝者には、百万ルート」

 

 

 ヒョウは片眉を持ち上げた。

 

 

 この大会があることを、ヒョウは事前に知っていた。

 

 実はこの日、マルコから、自分の代わりにこの大会に出てくれないかと頼まれていたのである。

 

 まあ当然のものとして、リンとの用事を優先したが、一応こっちの依頼も回収できないものかと考えていた。

 

 これにかこつけて、出てしまう、というのも手だ。まああくまでそれは、自分抜きで予選に通っていれば、の話だが。

 一応仮に出れても本戦からとは言っている。しかし問題が一つある。

 

 

「確かに魅力的な大会ではある。が――全然念写機関係ねえじゃねえか。どこにもそんな文言入ってねえぞ」

 

「バッカねえ。ちょっとは頭使ってみなさいよ」

 

「あーたもしかして、その大会に念写機持ってくるやつが大勢いるだろうから、そいつらに借りろ、とか言うつもりじゃねえだろうな」

 

「あらまあ。よくわかったわね」

 

「頭を使わせてもらったもんでな」

 

 

 頭を指さして、ヒョウが言った。

 

 

「兄様。飛燕盤というのは、何なのですか?」

 

「飛燕盤ってのは、まあ端的に言っちまえば、オモチャの乗り物だな。円盤の上に足乗っけてそれで空中を走る」

 

「え!! そんなことができるんですか!? 危なくはないのですか!?」

 

「とはいえ、飛べる高さが三十センチ弱だったかな、確か」

 

「え?」

 

「だからオモチャつったろ? 物を飛ばすこと自体は簡単だが、安定性を持たすのは難しい。何よりこいつは、利便さではなく、他者を楽しませることを目的に作られている。再三になるが、オモチャなんだよ」

 

「ですが、素晴らしい乗り物だと思います」

 

「お前にかかれば何でも素晴らしいからな」

 

東尾(とうび)の冬にそれを使う。そういった活かし方はできないものでしょうか?」

 

「それなら駆動四輪使った方がいいさ。まあ東尾の決死組は使うなら走るし、北頭じゃ諸々の事情で廃止されているがな。しがらみなく使ってるのは西と翼ぐらいか」

 

「そうですか……」

 

 

 リンがシュンとした顔をする。

 

 リンの表向きの任務は、語学研修と実地調査。

 

 実地調査の役割とはちと違うが、こいつなりに、北頭から得られるものがないか、探っているつもりなのかもしれない。

 

 

「兄様はこういうものに、乗られたことがおありなのですか?」

 

「まあ遊びで乗ったことはあるな。北翼はこういうのがよく流れてくるからな。基本ジャンク品だけど」

 

「……」

 

「なんだよ」

 

「あ、いえ、何も……」

 

「うちに飛燕盤があったら、貸したげるんだけどねー」

 

「いや、いらねえよ。念写機借りるだけならな」

 

「あんたも鈍いねー」

 

「え!? 俺が!?」

 

「いや、そんなに驚かなくても」

 

「初めて言われたもんでな。巷じゃ鋭いって評判なんだがね」

 

「その者は、其方(そち)がそれに乗っている姿を見たいのであろう」

 

 

 客席の方から、話に割ってくる者が現れた。

 

 近づいてくる足音をたどって、目を向ける。

 

 一人は黒耳黒尾黒衣の獣人(フェルナンテ)の少女。

 もう一人は獣耳つきのシルクハットを被った、無表情の女。

 

 

「それに」

 

 

 二人が足を止める。

 

 フェルナンテのガキが口を開いた。

 

 

「どうやらお前は、その大会に何か思い入れがあるようだしのう」

 

 

 瞳の色を深くしながら、フェルナンテのガキが笑う。

 相手の感情を見抜く魔術。

 見鬼(けんき)である。

 フェルナンテの少女と、シルクハットの女の二人。

 どちらも発動していた。

 

 

(こいつら……)

 

 

 ヒョウは、笑ってこそいるものの、ヒョウにしては非常に珍しく、冷や汗を流して二人を見据えた。

 

 

(強いな、かなり。確実に堅気じゃねえな。何者だ)

 

 

 そんなヒョウの感情を見抜いたように、フェルナンテの少女は、口端を持ち上げた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

核心

 ヒョウは反射的に見鬼(けんき)を用いた。

 

 

 フェルナンテのガキは、見目だけで測るならリンと同い年かそれ以下だろう。

 しかし、このガキを含めた、この二人の魔術師の腕は、自分より上。

 

 

(まあ勝負がそれで決するわけでもないけどな)

 

 

 順境でも逆境でも笑う男、ヒョウが口元を持ち上げる。

 フェルナンテのガキも同じくであった。

 

 

「キャス。すぐに飛燕盤の手配を。会場に行けばこの者たちがそれを手に入れることができるように、速やかに動け」

 

「わかりました」

 

 

 女がポケットから手帳型伝書を取り出し、開いて、指を鳴らす。

 すると、伝書からインクが蛇のように飛び出し、それがまた手帳へと戻る。

 音でインクを操り、それで伝書に文字を描き、部下に指示を送ったのだろう。

 

 

 女がパタンと伝書を閉じた。

 その間、その冷たい蒼い目が、ヒョウから離れたことはなかった。

 

 

 ヒョウはいつものように、軽薄な顔で両手を持ち上げた。

 

 

「どういうつもりだ? ここまでされる義理はないはずだが?」

 

「ここのコーヒーはうまいか?」

 

「あ?」

 

「あたしは埋もれたものを発掘するのが好きでね。ここのカフェは中々に美味いコーヒーを飲ませる。あたしのお気に入りだ。ここで出会ったのも(えにし)。そう思っただけのこと」

 

「ほー」

 

 

 店主を見る。

 

 店主はキョトンとした表情を見せた後、自信満々に胸を叩いた。

 

 

「だったら念写機も手配しておいてくれるとありがたいんだがな」

 

「キャス。念写機の準備もしておけ。だが手癖の悪い男『らしい』からな。盗まれないよう、相応の対応はしておけ」

 

「わかりました」

 

 

 カランカラン。

 

 

 ヒョウとリン。

 二人でカフェを出る。

 

 

「悪いな、リン」

 

「え?」

 

「なんか、まーた妙なものに巻きこまれた感じだ」

 

(えにし)とおっしゃっていましたね……」

 

「まあ(えにし)っゃ(えにし)かもしれないけどな。狙ってこれができたら相当だ」

 

「いえ。(えにし)とは、東尾(とうび)の言葉です」

 

「!!」

 

 

 目を開く。

 

 口元に指をあてて一考した。

 

 

『手癖の悪い男『らしい』からな』

 

 

 この発言から見て、フェルナンテの子供は自分のことを知っているわけじゃない。聞いているのだ。誰かから。

 そして東尾の(えにし)という言葉。ただリンは東尾(とうび)の話をしていたし、絶対とは言い切れないか。

 

 

「まあいいか」

 

「よいのですか?」

 

「どうしようもないからな。何よりこの格好でシリアスは、似合わないだろ?」

 

 

 頭についたタヌキ耳を引っ張って、ヒョウは言った。

 

 

 

 ◇◇

 

 

 『もう終わりにしよう、お姉ちゃん』 

 

 

 金髪の女剣士が言った。天井には、暗闇を圧するほどの紫龍がとぐろを巻いている。床に綴った陣により、客席はガタガタと揺れていた。

 

 

 ここがどこかというと、劇場である。レース大会までまだ時間があったし、ヒョウは例の二人組について、厳密に言えば、レース大会に出るか否かについて、ゆっくりと考えたかった。

 

 

(出てもいいが、目的がわからなすぎるのが何ともなー)

 

 

 例えば、レース大会から戻った時、リンがいないなんて展開は、容易に想像できる。また、飛燕盤は足を拘束するため、どうしたって追撃は一歩遅れる。足を殺すために出させようとしている、とも考えられた。

 

 

 有火(あるか)雪蘭(せつらん)。どちらかがいれば確実に出るのだが、いない人間を勘定に入れても仕方がない。まあ仮にいたとしても、どうせ止められていただろうってのもあるが。

 

 

 チラリとリンに目を向ける。

 

 

 ここには、関係者全員に腹パン食らってもいいような理由で入ったのだが、リンはわりと楽しんでくれているようだ。顔見たらわかる。

 

 

 ヒョウは軽く微笑んで、同じく劇に目を向けた。

 

 

 劇の題材は、火鳥十二英星譚。つまり世界崩壊前の話である。今はそのクライマックスであるらしい。

 

 

『ルビィ様。ここでお別れです』

 

 

『待て。火月(かつき)……』

 

 

 熱演している役者には大変申し訳ないのだが、ヒョウは一ミリも感動しなかった。何せ経緯を知らないのだから。まあ見ていなかったからなのだが。

 

 

 ヒョウの拙い歴史の知識だけで語るなら、ルビィは今の近代魔術の祖と呼ばれる、虹玉暦最強の魔術師。

 

 

 火月(かつき)は四大神の一柱、火鳥の腹心で、十二英星の旗印のような女。いうなら女神だ。

 

 

 確かこの二人? は恋仲であったが、最後は莫大に膨れ上がった死念を抑えるため、火月(かつき)が自らの存在を――あれ?

 

 

 ヒョウは劇を見て、いや、正確に言えば、両手を結び、宙に浮かぶ少女、火月(かつき)を見て、目を見開いた。

 

 

 少女の長い紅の髪が、左右に広がっている。

 

 

 リンを見た。やはり、食い入るように劇を見ている。

 

 

 リンの髪は、栗色だ。しかし一度、リンの髪が紅に見えたことがある。

 

 

 ヴァルハラ学園登校初日の、帰り道の話だ。夕焼けに混ざって、紅く染まった髪を揺らしながら、振り返るリンの姿が一瞬、頭にフラッシュバックした。

 

 

 そして。

 

 

『何だよヒョウ。お前は本当に歴史に疎いな。この女は――』

 

 

 唇に手を当てる。

 

 

 舞台が暗転していた。

 

 

 まさか――

 

 

(似てるのか? いや、だとすれば、俺が忘れていても、博識の組長が知らないのはおかしい。いや待てよ?

 この歪なチーム編成。語学研修とかいう、リンを同行させるための取って付けた理由。組長にしてはおかしいおかしいとは思っていたが、まさかあの組長(クソボケ)、俺を使うための目的……)

 

 

 パチパチパチパチパチパチ……。

 

 

 しばらくして、拍手が上がった。

 

 

 ヒョウが心の罵声とは裏腹に、口端を持ち上げる。

 

 

 そして。

 

 

「ふん。なるほどね」

 

 

 いつもの言葉を、ヒョウは小さく口にするのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

俺もだ

「え!? 出られないのですか!?」

 

 

 舞台が終わった後、人気のない廊下でリンに打ち明けると、リンは大層驚いた声を上げた。

 

 その言葉を聞いて、ヒョウはガクッと肩を落とした。

 

 

「お前っさー、あんな胡散臭い二人の申し出、普通受けるか? 受けないだろ、常識的に考えて」

 

「はい、でも……」

 

「でもなんだよ?」

 

「いえ、兄様らしくないなと思って」

 

「俺は意外と常識人なのよ? リン。暴れてばかりの野蛮人とは違うのさ」

 

「……はい」

 

 

 リンがシュンとした顔で俯く。

 

 

(相変わらずわけのわからないことで落ち込む奴だなこいつは……)

 

 

 とはいえ、リンが自分を見ていない時は、大体自分がやりすぎている時である。

 だから、少しばかり、考えてみた。

 

 

 

『その者は、其方(そち)がそれに乗る姿を見たいのであろう』

 

 

 そういえば、フェルナンテのガキがそんなこと言ってたな……。

 

 

「お前っさー、あのフェルナンテのガキも言ってたけど、俺が飛燕盤に乗ったからなんだってのよ?」

 

「え!?」

 

 

 リンが両手で口元を隠し、顔を今日一番と思えるほど真っ赤に染め上げた。

 

 

「いえそれはあの、言葉にするほどのことでは、ないと思いますので……」

 

「ほー」

 

「……」

 

 

 リンが例によって、目を伏せる。

 

 

 再三になるが、リンが自分を見ていない時は、大体自分がやりすぎている時である。

 

 しかし、今日だけでこんなにも乱発されると、『もしかしてこいつわざとやってんじゃね?』と疑念を抱きもしてしまう。

 

 

「わかったよ。じゃあ、言えとは言うまい」

 

「……申し訳ありません、兄様」

 

「その代わり、ヒントを少しは出せ」

 

「え」

 

「そうだな。例えば、あれば。ちょっと動きで理由を表現してみろ」

 

「えぇ!?」

 

 

 また、両手で口元を隠すリン。

 

 

「心配すんな、リン。兄様は絶対外さない。せっかくだから俺の力を見せてやるよ。というわけで、ほれ。やってみろ。はい、五―四―三ー二ー」

 

「え!? あのじゃあじゃあ……はい!!」

 

 

 リンは両手を真横に出した。出す時に、軽くジャンプしている。

 

 少しだけ、時が流れる。

 

 

「……何それ」

 

「……わかりません」

 

 

 身を小さくして、リンが言った。シュンとした顔で目を伏せる。

 

 それを見て、思わず吹き出した。

 

 

「――アッハッハ!!」

 

 

 笑いながら出口に向かう。

 

 いつもと違う笑声を発する自分に、少し戸惑う。

 

 楽しくて笑うとは、つまりこういうことなのかもしれない。

 

 小走りして、リンがついてきた。

 

 

「兄様は時々、リンにひどいことをしますね」

 

「お前がちゃんと話さないからだろー?」

 

「そうまでして、その……リンの考えていることが、気になったのですか? 兄様は」

 

「へ?」

 

 

 リンに目を向ける。

 

 リンはそっぽを向きながら、真っ赤な頬を膨らましている。

 

 なるほどと思った。

 

 つまりこれは、リンなりの仕返しといったところか……。

 

 さて、どう答えるか……。

 

 

「あ―気になるね」

 

「え」

 

 

 リンが振り返る。

 

 

「じゃなきゃ、こんな北頭くんだりにまで来てねえよ」

 

 

 本気だからか。

 

 あるいは、リンの仕返しであると、読めているからか。

 

 不思議と照れはなかった。

 

 

「……ずるいです、兄様」

 

「大人はみんなずるいものなんだよ」

 

 

 真っ赤な顔で身を小さくするリンに向かって、ヒョウは笑って言った。

 

 外に出る。

 

 日差しが目に差し込む。

 

 今日も太陽と同化した神、神陽玉は絶好調のようだ。

 

 そんな時。

 

 目の前から一人の男が現れ目を向けた。

 

 

 銀糸の長い髪に魔族特有の端正な顔立ち。瞳の色は紫紺の九位。ミーティア家の守衛隊長。シュバリエ=レギンだった。

 

 

 シュバリエはこちらに気づくと、眉を持ち上げ、そして笑った。

 

 スタスタとこっちに歩いてくる。

 

 ヒョウは軽く片手で、リンの動きを制した。

 

 魔力を練り上げる。

 

 

「おやおや。このようなところで出会うとは、この街も意外と狭いものですね」

 

「全くだな。お前はこんなところで何をしている」

 

「仕事ですよ。しかしここだけの話、それもふけようかと思っています。私は暑い場所が好きではないもので」

 

「今日は楽しい祭りだと思ったが、裏で何か動いているのか。あのフェルナンテのガキは、お前の差し金か?」

 

 

 見鬼(けんき)を用いながら、尋ねた。

 

 このクラスに相手の心を魔術、見鬼(けんき)はまず通用しない。

 それでも使わない手はないのだった。

 

 初手見鬼は魔術師の基本である。

 

 

「フェルナンテのガキ? ミーティア様のことですかな?」

 

「ミーティア? 猫娘もここにきてるのか?」

 

 

 シュバリエは笑って、親指で背中を指さした。

 

 先には人垣ができている。

 

 

 パシャパシャパシャパシャ。

 

 

 更に響くのは、念写機のフラッシュ音。

 黄色い声も、いくつも飛び交っていた。

 

 

「キャー、ミシェイルさーん!! こっち向いてー!!」

 

「ミーティアちゃーん!! かわいいー!! ポーズ撮ってくださーい、ポーズ!!」

 

「イエーイ!!」

 

「うはっ!! さいこー!!」

 

「今年の大会も優勝してくださーい!! 応援していまーす!!」

 

 

 どうやらミーティアも例の大会に出るようだ。

 というか優勝候補らしい。

 

 

「とまあこういうわけなんですよ」

 

「猫娘もあの大会に出るってことか」

 

「彼女だけではありません。ミーティア様の義兄であられる、ミシェイル様も出ます。そして、ジョニーとロナウドもね。どうやら人手不足のようでね。あの二人では、荷が『軽すぎる』と思うのですが、まあたまには部下にも休暇を与えないといけませんから。狩りにしてもそうなのですが、弱者を一方的に狩るというのは、いつの時代も楽しいものですから」

 

「同じチームとしてか?」

 

「当然です。我々は雇われですから。雇われの我々が、お二人より前に出ることはありません」

 

「危険が起こっても下がりそうだな、お前は」

 

「おやおや、煽りは私の専売特許だと思っていたのですが、奪われてしまったようですね。これは困りました。ははは」

 

「ああ。優先順位が高い方を優先する。そういう男に見えるからな、お前は」

 

「……」

 

 

 シュバリエが表情を消して、ヒョウを見つめた。

 

 リンもまた表情を消している。

 

 リンはいつでも動けるように踵を持ち上げていた。

 

 この中で笑っているのは、ヒョウだけになった。

 

 そして。

 

 

「ふっ。まあいいでしょう。私はこの辺で。それでは」

 

 

 シュバリエがヒョウの隣を通り過ぎていく。

 

 リンの隣は避けたように見えた。

 

 賢明である。

 

 リンの隣には、いつも自分の尻尾が横たわっているから。

 

 踏んだものは、容赦しない。

 

 

「あの方は……」

 

 

 目を伏せながら、リンが言った。

 

 自分の(さが)が引き寄せるのか、さっきから裏の手合いとよく出会う。

 

 リンとしては、あまり喜ばしいことじゃだろう。

 せっかくの二人だけの、休暇だ。

 その気持ちは、わからんでもなかった。

 

 できれば今日一日ぐらいは、リンに、普通の子供らしい生活を与えてやりたい。

 ヒョウは思っていた。

 

 だからというわけじゃないが、気張っていた心をできるだけ静め、人垣に目を向けた。

 

 

「こうしてみると、会場に行ったところで、念写機は借りられないかもな」

 

「え?」

 

 

 リンが振り返る。

 

 呆れつつも、ヒョウは笑った。

 

 

「あのなぁ。本来の目的を忘れるなよ、リン。念写気が欲しいんだろ、お前は。あの空気の中、この格好で念写機借りに行くとか嫌だぜ、俺は」

 

「あ……」

 

 

 リンがポカンと口を開く。

 

 そして――

 

 

「ふふ……あはは」

 

 

 リンもまた、お腹を抱えて笑った。

 

 

「なんだよ」

 

「いえ……その何でもありません。ただその……」

 

「その?」

 

 

 問い詰めるようにして、尋ねた。

 

 リンは両手で口元を隠しながら、言った。

 

 

「いえその……忘れちゃっていました」

 

「お前な―」

 

「楽しくて」

 

「え」

 

 

 リンが赤い顔をしながら、視線をあちこちにやっている。

 

 何と言っていいかわからなくなったヒョウは、リンの頭に置くような手刀をお見舞いした。

 

 

「アホ。そういうのはな、目を伏せて言うもんじゃねえの」

 

「はい……」

 

「顔見て言ってりゃ、俺から一本取れてたぞ」

 

「え……」

 

 

 リンが顔を向けてくる。

 

 ヒョウは、どうしてそんなことを言ったのだろうと、激しく後悔した。

 

 

「ってか、お前、念写機どうでもいいならなおのこと大会なんてどうでもいいじゃねえか」

 

「いえ、そのようなことありません。是非一度見てみたいです。それに念写機もどうでもよくないです。必ず手に入れましょう」

 

「……忘れてたくせによー」

 

「楽しかったら、忘れちゃっていただけです」

 

 

 くすぐったそうに笑って、リンが言う。

 

 今度は目を伏せて言わなかった。

 

 厄介な助言をしてしまったと、ヒョウは目を上向けて、頬をかく。

 

 自分の顔色はわからない。

 

 

「見に行ってもいいけど、俺は出ねえぞ」

 

「構いません」

 

「ふーん」

 

 

 そんなスッパリ切り捨てられると、それはそれでモヤモヤした気分になる。

 

 まあどっちにしろ出ないんだけど。

 

 

(普段ならともかく、今の状況でリンから目を離すのは危険にすぎるからな……)

 

 

 今この祭りには、手練れが集まりすぎてる。

 そういう時は、大体何かが起きるのだった。

 

 

「兄様がそう判断なされたのであれば、きっとそれが正しい答えなのだろうと思っていますから」

 

「なるほどね」

 

「ですが、兄様のことですから、何だかんだ、出ておられるような、そんな気がしています」

 

 

 リンの言葉に、ヒョウは笑った。

 

 これは、先の発言に矛盾するものではあるが、自分自身、予感しているものがあった。

 

 

「俺もだ」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

スタート十秒前

 飛燕盤に乗った選手が走る度、水しぶきが舞う。

 

 

 水の気化熱により、頬を撫でる風は冷たいが、周囲の熱気は冷めていない。

 

 

 空からは、時折響く飛竜の鳴き声とともに、実況の声が響き渡り、同じく飛竜にまたがった撮影者が、念写動機片手に選手を映し、それをロータウン中空のミストスクリーンに立体映像として映し出していた。

 

 

 公式なのか非公式なのか賭けまで行われているようで、試合結果とともに、チケットが舞い、歓声と叫喚が響いていた。

 

 

「あ!!」

 

 

 隣でリンが声を上げるので、ミドルストリート――ヴァルハラ市街とアイスビニッツ本都シュペルヘイムを繋ぐ山腹の道――の手摺りにもたれかかっていたヒョウは、目を向けた。

 

 

 リンは棒付き双眼鏡を目に当てて、山腹の下にある会場を見ている。

 

 

 

「見てください兄様!!」

 

「だから見てるよ。何だよ」

 

「いえその、リンのことじゃなくて。あそこにいるの、ネイファさんとマルコさんです。それにミーティアさんも」

 

「ん?」

 

 

 リンが指差した先、出場者控え広場に目を向ける。

 

 

 確かに、ネイファと腕を吊ったマルコがいた。その他、失敗面のお団体三名。クシム、ソボオ、ルーズもいる。

 

 

 相対するは、黒髪にタキシードを着た男。多分あれが、ミーティアの義兄のミシェイルであろう。

 

 そして例のストーカー事件の時の猫娘、ミーティア。飛燕盤のコースはヴァルハラ市街を囲む、堀の上、つまりは水の上で行われる。転倒すると水浸しになるのは必定なので、水着の上に布を巻いた、男にとっては中々に眼福な格好をしている。

 

 そして、ミーティアの護衛である、ジョニーとロナウド。

 

 

 パンフレットによると、この大会は四対四のチーム戦らしいので、ネイファは怪我人三人連れて、ミシェイル、ミーティア、ジョニー、ロナウドという、そうそうたる面子と戦わなければならない、ということになる。

 

 

「ネイファさんとマルコさんも、出られるみたいですね」

 

「ああ、まず負け確だがな」

 

 

(順当にやればの話だが……)

 

 

 ヒョウが目を細める。

 

 

 ヒョウはネイファを助けようと思っていた。

 

 

 都合よく、この大会は(エレメント)に囲まれている。操作は容易い。無論反則だが、自分の呪を誰にも見切られずに発動させる自信がヒョウにはあった。

 

 

(まあこの手の場外乱闘にリンはうるさいから、口には出さないが)

 

 

 あの場にいるということは、ネイファら四人は予選を通った、ということになる。つまり、ヒョウの言った、予選を通ったなら出てもいいという条件を満たしている。

 

 しかし現在色々と不穏である。あのフェルナンテのガキと、シルクハットを被った無表情女は未だ現れていないのだ。

 

 

(まあ外から出てりゃ約束も果たしたことになんでしょ。要は勝てばいいってことなんだからな)

 

 

「大丈夫ですよ、兄様」

 

「ん?」

 

 

 リンに目を向ける。

 

 リンはネイファ、マルコのことを、ジッと見つめていた。

 

 

「何がよ」

 

 

 ヒョウが尋ねた。

 

 

「ネイファさんは勝ちます」

 

「……」

 

「マルコさんが言ってました。本気になったネイファさんは最強だって。だからきっと、勝ちます」

 

「ふーん」

 

 

 目を上向ける。

 

 何だろうな。

 

 変な感じだ。

 

 そうかとただ言えばいいだけなのに、無性に否定したくなる自分がいた。

 

 自分もあの二人はそんなに嫌いではないはずなのだが。

 

 やっぱり根が天邪鬼だからなのかもしれない。

 

 

「そこまで言うならリン」

 

 

 リンが振り返る。

 

 目を合わせながら、ヒョウは笑った。

 

 

「賭けるか? 俺と」

 

「え?」

 

「あいつらが勝つという絶対の確信があるのなら、何を賭けても文句ないだろ?」

 

「えぇ!? ですがリンは、何も賭ける物を持っていないので……」

 

「いやーあるある。考えたらきっとある」

 

「そうでしょうか? というより、あたしが持っているもので、兄様が欲しいものがあるのなら、そのまま差し上げても構いませんが」

 

「それじゃつまんねえだろ? そうだな――あ!!」

 

 

 ヒョウがパチンと指を鳴らす。

 

 

「ふふ。見つかりましたか? 兄様」

 

「ああ。お前が負けたら、今日一日猫語で話すってのはどうよ」

 

「えぇ!? それは……」

 

「無論、俺が負けたら今日一日タヌキの言葉で話してやるよ」

 

 

 頭のタヌキ耳を触って、ヒョウは言った。

 

 リンが目を上向ける。多分色々想像しているのだろう。

 

 そして、お腹を抱えて、笑った。

 

 

「じゃあ、負けられません」

 

 

 拳を握ってリンが言った。

 

 それを見て、ヒョウは笑った。

 

 

 利が薄い上に高いリスクを伴う賭けだが、ヒョウはこの賭博に絶対の自信を持っていた。

 

 というのも、このゲームはチーム戦。勝敗は、制限時間三十分以内に『四人の走った距離の合計』で決めるというもの。ただし、三十分以内にコースを二周半できたものが自チームから『二名出た場合』その時点で即そのチームの勝利となる。

 

 まとめると、このゲームで勝つには最低二人の強者が必要ってことだ。無論四人強ければなおよいが。

 

 

 ネイファとミーティアではチーム力に差がありすぎる。例え一対一であったとしても、ネイファがあの中で勝てるのは、ミーティアぐらいのものだろう。あのミシェイルという男も、見た感じ中々にできる。

 

 

(もらったな、この勝負。今からリンの猫語が楽しみだぜ)

 

 

 負けはどの角度から見てもありえない。

 

 ヒョウは心の中でニヤリと笑った。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 新市街と旧市街を隔てる河、モールスリバー。

 

 

 それぞれのチームが交互に並び、ネイファは端。これは任意ではなくクジで決められている。両隣には、前回自分に一杯食らわせた男が二人。

 

 

「よう。俺のこと覚えてるか? まさかまた会うことになるとは思わなかったぜ」

 

 

「ああ。覚えてるよ。あんたみたいに顔面偏差値低いと逆に覚えやすいからね。親に感謝しなよゴリラオヤジ」

 

 

 声を低くしてネイファが言った。

 

 

「あんだとてめえ!! 母ちゃんは関係ねえだろ母ちゃんは!! 俺はこう見えて親孝行で有名なんだ――」

 

 

「黙れジョニー。素人の言葉だぞ」

 

 

 眼鏡の男が言った。

 

 

 ジョニーが舌打ちする。

 

 

(ということは、このもう一人の男がロナウドってやつか。対戦表に名前書いてあったし。面も名前も覚えたぞ、こいつら……)

 

 

 ネイファが密かに心の中で怒りを燃やす。何せこっちは、まだ肩に軽い火傷を負ってるぐらいなのである。

 

 

「さあ始まりました、本戦第四回戦!! 対するは、前回優勝選手、ピーチャ=バルカンを破ったミーティア、ミシェイルペア。前回大会に出場していたトラバス=ロート、グリード=グッドマン選手は不慮の事故により欠場しており、代わりに初出場の二人組。ジョニー=ホワイト、ロナウド=ブラウニーさんが出ております。

 対するは、こちらも本戦初出場。『二人の』王族も通うヴァルハラ魔術師学園出身、元火のAクラス最優秀魔術師、ネイファ=ラングレイ選手。その兄である、マルコ=ラングレイ選手。他二名!!」

 

「「おいこらぁ!! 舐めとんか実況!!」

 

「やめな、ソボォ、ルーズ」

 

「姉さん」

 

 

 目を細めていたネイファが笑って目を向ける。

 

 

「四人、いや、足怪我して見てるだけになったけど、クシムも入れて、五人で一チーム。最後には必ず教えてやんよ。格の違いってやつを」

 

「「姉さん……」」

 

 

 二人が言った。

 

 その一連のやり取りを見て、笑っているのがジョニーとロナウドだった。

 

 ネイファは何も言わず、正面に目を向けた。

 

 

「全員準備はいいですか!? スタート十秒前」

 

 

「八」

 

 

「七」

 

 

「六」

 

 

「……………………GO!!」

 

 

 スターターの声と錬獣した竜の遠吠え。そして観客の声を引き金にして――

 

 

 八人が一斉に飛び出した。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。