『呪詛師殺し』に手を出すな 外伝 (Midoriさん)
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夏油と菜々子と美々子
意在言外


『呪詛師殺し』──正確に知っておくべきことはそれだけだ。
本名も年齢も経歴も容姿も声も性別も知ったところで意味はない。
ただヤツが『呪詛師殺し』であることだけは覚えておいたほうがいい。
『呪詛師殺し』に手を出すな──裏で生きていきたいならな。


「ねぇ、夏油様。『呪詛師殺し』様って一体何者?」

 

「んー……呪詛師専門の殺し屋。正確には敵対してきたのが呪詛師だけだったって話だけど」

 

かつて夏油が拾った二人の子供──菜々子と美々子は現在、共に一年生の二級術師として夏油の任務を手伝っていた。

廃ビルに密集する低級呪霊の祓除。

菜々子と美々子の訓練に加えて、夏油の手持ちの呪霊の補充も兼ねた任務だ。

 

「私にもほとんどわからないんだ。彼女のことは。経歴どころか名前すらね」

 

二人が祓った呪霊を取り込みながら夏油は続ける。

 

「術式が()()だから容姿や声、性別だって()()()()()()()()()()()()()で実際は全く別かもしれない」

 

「マジでぇ? あの人が実は男だったとかありえる?」

 

「そうだとしたら……色々と複雑」

 

二人とも彼女に懐いているため、出会った際にはベタベタとくっついていることも多い。

そんな彼女が実は男であったとしたら。

夏油も二人の女性特有のアレコレに関しては彼女に任せていることが多いのだ。

 

──今度会ったときに性別のことだけでも偽りはないのか聞いておくか……。

 

彼女が二人に何か危害を加えるとは到底思えないが念のためだ。

 

「傷にいいからって、よくあの人と温泉行ってたし、下着とかも色々相談してんだけど……」

 

「場合によっては死なない程度に吊るす……かも?」

 

美々子が抱えていた人形の首に巻かれたロープを引く。

同時に上空から現れたロープが呪霊の首を同じように締め上げた。

これが美々子の術式──人形に与えた現象をターゲットした相手にも反映する。

当然、その効果は呪霊だけではなく人間相手にも有効である。

 

「性別云々はともかく、急に彼女のことを聞くなんてどうしたんだい?」

 

「高専に入って術師として稼げるようになったし、『呪詛師殺し』様に今までのお礼に何か贈るのもアリじゃないかって美々子と話してたんだよね」

 

「でも、あの人が何が好きとか全然知らないから……」

 

「ああ、それで」

 

「好きなものがわからなくても贈るならせめて嫌いなものは避けたいし。でも夏油様でも知らないなら……」

 

「他にあの人のことをよく知ってるのは……」

 

「うーん……一番付き合いが長いのは……あの甚爾()しか思いつかないな」

 

「ゲッ……アイツに聞くとか絶対嫌なんだけど」

 

「あのクソ猿……」

 

甚爾のことが出た途端に二人は揃って顔をしかめた。

なぜ二人が甚爾をこれほど嫌っているのか。

それは夏油が高専時代、鍛練として甚爾と手合わせしていたときのこと──

 

◆ ◆ ◆

 

術式を持たず呪力もない──舐めていた気持ちが欠片もなかったかと言えば、それは嘘だ。

呪術の基本は術式。

続いて呪力操作。

その両方ができないというのだから、術師の視点で見れば完全な欠陥品である。

対してこちらは変幻自在の呪霊操術。

しかも夏油には体術の心得もあった。

式神使いは術師本人を狙え──式神使いに対するセオリーだ。

自分を狙ってきたところを返り討ちにしてやる──そう思っていたのに。

 

「──がはっ!」

 

「おら、どうした。もう終わりか?」

 

「ぐっ……この……猿め……」

 

「その呪術も使えねぇ猿にボコられてるんだろうが。なあ、呪術師サマ。鍛える代わりに今までのあれやこれやを不問にするっつーから、高専(こんなところ)にわざわざ来たってのによ」

 

仰向けに転がった自分の腹を踏み付ける甚爾は余裕でアクビまで洩らしている。

いざ手合わせしてみればこの様だ。

手持ちの呪霊は烏合だと鼻で笑われ、ことごとく切り捨てられた。

仕方なく近接戦を挑めば文字通りの瞬殺だ。

 

──呪力を全て捨て去った結果がコレか……。

 

人間離れしているとはまさにこういうことをいうのだろう。

目で追えない圧倒的な速度。

呪力で感知することも不可能。

その上、立体的に動き回るせいで、どこから攻撃がくるのか全く読めない。

 

──それでも……。

 

私達が『最強』だと言い切った手前、ここで手も足も出ず負けたなど認められない。

せめて一撃──と、力が緩んだ一瞬を狙って跳ね上がるように体を起こす。

 

「お?」

 

ここにきてまだ立ち上がる気力があったのか。

夏油がいきなり足を跳ねのけたことで気を抜いていた甚爾は後ろ向きに体勢を崩す。

 

──油断したな。今なら入る!

 

だが──

 

「はい、お疲れ。また明日」

 

「がっ……!?」

 

天与の暴君とまで呼ばれた男を舐めてはいけない。

倒れかけた体勢でも甚爾は夏油の拳を難なくかわしてみせた。

更にカウンターで繰り出された蹴りが夏油の腹にめり込む。

それがトドメとなり、夏油はグラウンドに崩れ落ちた。

 

「おい、そこのチビ二人。コイツ、どうにかしておけよ」

 

「「夏油様!」」

 

余裕綽々で背を向けて去っていく甚爾と慌てた表情で駆け寄ってくる二人。

化物め──しかし、悪態の一つすら吐けないまま夏油の意識は闇に落ちていった。

 

◆ ◆ ◆

 

「おかげでスキルは向上したけど……ああも上から目線で叩かれるとはね」

 

あの屈辱は今でも忘れていない。

毎日毎日殴られ蹴られ、何度も骨を折られた。

術師としてのプライドは木っ端微塵に砕かれ、あの癪に障るニヤケ顔が夢にまで出てきたくらいだ。

 

──いずれ倍にして返してやる。

 

悔しさをバネに鍛練した結果、夏油の技術は飛躍的に向上したが、それはそれだ。

いつかあの男は地面に這いつくばらせてやらなければ気が済まない。

 

「ぶっちゃけ何回か美々子と二人でアイツ吊るそうとした」

 

「でもアイツ平気で縄ちぎって笑ってた」

 

「「マジムカつく」」

 

二人もそれは同じらしい。

恩人を目の前で何度も殴り倒されたのだ。

それで平然としていられるような人間ではない。

 

「次に付き合いが長いのは恵だけど……」

 

「恵には私達から一回聞いたことあるんだけどさぁ」

 

「オレのほうが教えてほしいくらいだ、って言ってた」

 

十年以上世話になっておきながら未だに誕生日すら知らないせいで祝うこともできないのだと。

仕方がないので任務で遠征した際の土産は彼女のものだけ少しグレードが高いものを選んでいるのだとか。

 

「後は本人に聞くのが一番早いんだけどね。あまり期待はできないよ。彼女、自分の情報はあまり出したくないらしいし」

 

「夏油様、何か聞いたことあるの?」

 

「『呪詛師殺し』じゃ呼びにくいから、せめて名前を教えてくれって言ったんだ。彼女、何て答えたと思う?」

 

「素直に本名……言うわけないよね」

 

「名無しでいい、とか?」

 

夏油は苦笑いを浮かべて首を横に振った。

 

「大量の偽造身分証の束を渡されたよ。この中から好きに呼べってね」

 

「うわぁ……」

 

「テキトー……」

 

「まあ、そんなわけで彼女に関しては何もわからないんだ」

 

敵に狙われることが多い彼女のことだ。

下手に情報を出してしまえば、それが弱点になってしまうこともありえる。

だから彼女は滅多に自分の情報を開示しない。

かつて夏油達に術式のことを明かしたのは特例と言ってもいいだろう。

 

「しかし、少なくとも贈られたものを無下にするような人ではないよ。君達が贈ったものなら何だって喜んでくれるんじゃないかな」

 

そう言いながら最後の呪霊を取り込んで夏油は二人のほうを振り返った。

 

「任務完了。どうする? 二人とも。今日はこの後の予定はないし、クレープでも食べにいくかい?」

 

二人は一度顔を見合わせる。

そして、何か決めたように同時に頷いた。

 

「夏油様、あのさ」

 

「私達、ちょっと寄り道してから帰ってもいい……?」

 

「うん。あまり遅くならないようにね」

 

◆ ◆ ◆

 

後日──二人が彼女に贈り物を渡したいというので家を訪ねたときのこと。

 

「今更確認しますけど、アナタって本当に女性なんですよね?」

 

「夏油君……私が男に見えるなら眼科に行ってきたほうがいいと思うよ」

 

「少なくとも女だってことは確定っぽい? 美々子」

 

「そうみたいだね、菜々子。安心した」

 

神妙な顔で問いかける夏油と、そんな彼に呆れた視線を向ける『呪詛師殺し』。

そして顔を見合わせて笑い合う菜々子と美々子の姿があった。



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七海建人
BLACK FLASH


忘我の境地に至ったとき──黒い火花は現れる。

【挿絵表示】



「やあ」

 

「……どうも」

 

高専での野暮用を終えて談話室に足を向ければ、そこには七海が一人でソファに座っていた。

 

「今日は呪詛師の引き渡しですか?」

 

「そう。ああ、ここいい?」

 

一声かけて七海の対面のソファに腰を下ろす。

 

「引き渡しはもう終わったんだけど、さっき灰原君に会ってね。「何か七海が悩んでるらしいから話を聞いてやってほしい」って言われてさ。自分じゃ「何でもない」ってはぐらかされそうだからって」

 

「灰原が……」

 

「彼、術師には珍しいタイプだよね。根っからの善人。いずれ私が君達の敵になるかもしれないのに」

 

そう言った途端、七海の顔が僅かに強張った。

彼はちゃんとわかっているのだろう。

恵のことをきっかけに高専に出入りする機会は増えたが、私の立場は以前と変わらずフリーのままだ。

高専の味方というわけではないし、敵対するなら容赦なく潰す。

それは灰原にも伝えたのだが──

 

「そう言ったら「人を見る目には自信があります」だって」

 

裏の人間相手に何を言っているのだ。

しかし、あんな真っ直ぐな目で自信満々に言われては笑うしかなかった。

あそこまでの根明は呪術界では滅多にいないだろう。

 

「話してみなよ。他言無用は約束するから」

 

七海は一瞬だけ息を飲んだが、やがておずおずと口を開いた。

 

「昔から常々思っていたんです。もう術師は五条さん達だけでいいんじゃないかと。私達がいても足手まといにしかならない」

 

「あー……そういうこと」

 

星漿体の件で情報収集をしたときからわかっていたことだ。

五条は一人で動いたときのほうが圧倒的に強い。

『蒼』も『赫』も周りに味方がいる状態では全力で放つことができない。

体術と六眼による精密な呪力操作で大抵の敵は制圧できるだろうが、それでも五条が最大火力を使えないというのは敵にとっては大きなメリットだ。

 

「もしかして術師辞めるつもり?」

 

「続けますよ。ただ……モチベーションが下がってしまうのを危惧しているだけです。追い付けるとは思っていませんでしたが、ここまでとは……」

 

あれほど圧倒的な存在が間近にいればどうしたって比べてしまう。

モチベーションを保てというほうが無理だろう。

かつて夏油が精神的に病んでいたとき、その原因の多くは疲労や凄惨な現場を見続けた影響だったが、五条への劣等感も少なからずあったはずだ。

二人で『最強』──しかし、五条と夏油を比べるなら総合的には五条に軍配があがるだろう。

それでも夏油は五条に正面から物を言えるうちの数少ない一人だし、呪力なしの純粋な体術、武器術のスキルは夏油が僅かに勝る。

 

「確かに君には既に一流の戦闘技術がある。経験も知識も十分で臨機応変な立ち回りもできる。加えて人や場を俯瞰的に観察する冷静さもある。実力は一級術師の中でもトップクラス。

だけど──そこ止まりだね」

 

「…………」

 

「君は自分の実力を正確に理解している。その上限も。だから無理をしない。無理をしてもそこから先はないとわかっているから」

 

僅かに七海が歯を食い縛った。

しかし、彼は何も言わない。

私が話していることが紛れもない事実だとわかっているからだ。

特級が術師の格付けから斜めに外れた位置付けだと言われるように、五条達(特級)七海達(一級)の間は一級と準一級の差の比ではない。

絶対的で圧倒的──一級のトップであっても特級には遠く及ばないのだ。

 

「もしも領域展開のことを考えてるなら君にはアレは向いてないと思うよ」

 

「なぜです?」

 

「んー……そもそも領域展開の仕組みってわかってる?」

 

「術式を付与した生得領域の具現化……です」

 

「その通り。生得領域は『心の中』と言い換えてもいい。それを現実世界に引っ張り出してくるわけだから、強烈な()の強さがいるんだよ」

 

そう、例えば五条のような。

あれほど天上天下唯我独尊という言葉が似合う人物もいないだろう。

極小とはいえ世界の書き換え。

生半可な意識では成り立たない。

七海の常識者な部分が逆に邪魔になってしまっているのだ。

 

「やはり……私はここで頭打ちですか」

 

ちらり、と視線を落とせば七海の膝に置かれた拳は固く握りしめられていた。

 

──いくら現状を正しく見ていても、理性と感情は別ってことだよねぇ……。

 

いや、周りが()()では仕方ないことかもしれない。

甚爾との特訓で五条は反転術式や領域展開まで修得した。

夏油も以前とは比べ物にならないほどに鍛え上げられ、呪霊操術と組み合わせて近距離から遠距離まで全てが攻撃範囲という化物染みた戦闘力になっている。

その結果、ますます七海は格の違いを思い知らされたのだろう。

以前、産土神の件で七海は己の弱さを自覚した。

だからこそ必死で鍛えてきたのに五条達はそれ以上に先へ行ってしまう。

 

──せめて後もう一歩先へ……ってところかな。

 

七海は冷静に見られる反面、胸の内は意外と感情が素直だ。

必要なのは自信だろう。

『最強』を前にしても揺らがないような絶対的な自信。

 

──またいつも通りのお節介か。

 

どうしたものかと逡巡する。

七海の長所を生かし、更に伸ばす方法。

 

「一つ……君が今より先へ行く手がある」

 

「今より先へ行く手……?」

 

「『()()』だよ」

 

『黒閃』──0・00000一秒以内に打撃と呪力が衝突した場合、呪力が黒く光る現象。

黒閃を発した攻撃の威力は平均で通常時の二・五乗にまで強化されるという。

平均で、だ。

もしも七海が全力で黒閃を放つことができたなら。

『最強』も無視できない火力を出せる──かもしれない。

しかし、七海は首を横に振った。

 

「黒閃を狙って出せる術師はいませんよ」

 

人間は刺激を受けて反応するまでにコンマ一秒かかると言われている。

それでは遅すぎる。

黒閃の経験がある者は何らかの極限状態で放った一撃が()()にも黒閃になった──そういうパターンが多い。

 

「まあね。でも、黒閃を()()()()()()は高くできる」

 

「───!」

 

「君は目はいいんだよ。動き回る呪霊の七:三の点を正確に斬れるくらいなんだから」

 

七海の術式──十劃呪法。

対象を線分したときの七:三の点に攻撃を当てることができればクリティカルヒットとなり、格上にもそれなりのダメージを与えることができる。

ただし、()に攻撃を当てるというのはそう簡単ではない。

呪霊が止まっていてくれるわけもないし、そもそも姿形が人や動物でないこともザラだ。

相手の動きを見切り、正確に打ち込む高い技術が要求される術式。

 

「その正確さを極限まで高めて僅かでも発動のチャンスを増やす。元々の攻撃力と術式のクリティカルヒットに加えて黒閃による強化──威力は今までとは別次元になるだろうね」

 

インテリ風に見られがちな七海だが、実際はゴリゴリの武闘派である。

普段は刀身を呪符で覆った鉈を使っているが、素手でも並の呪詛師なら圧倒できるほどの。

素の力、術式、呪力操作による強化──基礎は十分過ぎるほどにできている。

後はいかにして完全に威力を引き出すかだ。

 

「そして重要なのは黒閃の直後、術師は一時的にゾーンの状態になるってこと」

 

フロー状態、忘我状態とも言われる極限の集中力を発揮している状態。

普段、意図的に行っている呪力操作が呼吸のように自然に廻り、自らの潜在能力(ポテンシャル)を百パーセント以上に引き出せる。

 

「ねぇ、七海君。『最強』に一泡吹かせてやりたくない?」

 

◆ ◆ ◆

 

談話室から場所を変え、私と七海は高専の修練場にいた。

 

「精度を上げるとは言ったけど、人間の身体の挙動は無意識に動いてる部分が多いからね。頭の中で描くイメージと現実が僅かにズレるんだよ」

 

人間の行動は九割以上が無意識に行われているという。

細かな筋肉の緊張、弛緩もその一つ。

 

「例えば武器を振るとき、ずっと同じように力を籠めてるわけじゃないでしょ。一番力を籠めるべきタイミングは?」

 

「攻撃が相手に当たる瞬間です」

 

「オーケー。まずはインパクトに合わせて完璧に力を籠めることから始めようか。()()()、だ」

 

寸分の狂いなく。

イメージと現実を合致させる。

文字通り思うままに動けるように。

 

「けど、今言った通り細かい力加減は無意識な動きだからね。意識して合わせようとしても無理なわけ」

 

「では……」

 

「意識無意識は私の領分だよ。私の術式で君のイメージと動きを補正する。ああ、術式の内容は他言無用ね」

 

イメージと動きを完全に合致させ、その上で七海には『攻撃』のみに意識を集中してもらう。

力の籠め方、術式、呪力操作──雑念を捨てて持ちうる技術の全てを敵にぶつけられるように。

 

「どうせ実戦で使えなきゃ意味ないし、対人形式でやろうか」

 

袖に仕込んであった二振りのナイフを両手に握る。

 

「アナタが相手……ですか」

 

「不満かな?」

 

「いえ、お願いします」

 

七海の正面に立って対峙する。

談話室からここまで十分な時間は経っている。

術式を発動──七海の思考を『攻撃』の一点に集中。

そして、その思考も意識(マニュアル)から無意識(オート)へ切り替え。

七海の意識は奥底へ沈み、しかし身体は敵を倒すため無意識のまま動き続ける。

理性という枷を外され、闘争本能を剥き出しにされた七海。

ここから先、彼の攻撃には一切の加減も躊躇もない。

 

──さて、いってみよう。

 

そして、私達は同時に床を蹴った。

七海は間合いを詰めると最速の動きで斬り込んでくる。

 

──速いね。これが七海君の全開か。

 

繰り出された袈裟斬りをナイフで受ける。

催眠の補正で、いつもよりずっとスムーズに動けているだろう。

最終的には百パーセントの力を籠めた斬撃に百パーセントの呪力を乗せるのが目標だ。

 

──斬撃の精度を上げろ。

 

七海の斬撃を弾く。

まだ黒閃には至れない。

 

──もっともっと呪力を研ぎ澄ませ。

 

七海の斬撃を流す。

インパクトの瞬間、ナイフをズラして術式すら発動させない。

 

──呼吸、体重移動、視線、呪力の流れ。

 

七海の斬撃を逸らす。

力を別方向へ逃がされてしまえば威力は大きく落ちる。

まだ甘い。

 

──五感全てをフル稼働させて状況を把握。

 

七海の斬撃を往なす。

前後左右に高速で切り返し、七海が体重移動するタイミングに合わせて体勢を崩す。

更に感覚を尖らせなければ私には届かない。

 

──先の動きを読みきれ。

 

七海の斬撃を避ける。

いくら強力でも当たらなければ意味がない。

だが、七海は避けられた瞬間に一歩踏み込んで追い縋ってきた。

 

──そして最大限の力を籠めて。

 

七海の斬撃を捌く。

すると、七海は最大限取り入れた情報を瞬時に分析──最速で必要最小限までカット。

小刻みに入れたフェイクすら看破して最短で私が動く先に回り込んできた。

その反応速度はまるで野生の獣だ。

集中は極限の領域へ至っている。

今こそ登れ──高みへ。

 

──斬ってみろ。

 

攻撃を防がれるたびに七海は行動を最適化し、無意識下で微調整を幾度となく繰り返す。

そして、何合斬り合った頃だろうか。

ゾクッ──と不意に悪寒が走る。

鉈を受けようとしていたナイフを咄嗟に手放した──その瞬間。

黒い火花とともに鉈とぶつかったナイフが木っ端微塵に砕け散った。

 

──成功か……!

 

すぐさま催眠を解く。

無意識で動いていた身体が停止し、七海の意識が浮上する。

戻ってきた七海は信じられないと言わんばかりに目を見開いて己の手を見つめていた。

 

「今のが……黒閃」

 

「全身余すところなく自然に呪力が巡ってるでしょ」

 

「ええ……さっきまでの感覚とはまるで違う」

 

「でも、これで終わりじゃない。本当の地獄はここからだよ。一度でも黒閃の全能感を味わってしまうと「またあの状態に」って気持ちが出てくる」

 

「雑念が混じることになる、と」

 

黒閃を出せるレベルの深い催眠を常にかけているわけにはいかない。

そんなことをすれば七海は近付く者全てを反射的に攻撃する殺戮人形と化す。

催眠なしで今の精度を実現できるようになってもらわなければならない。

そもそも催眠をかけたところで百パーセント黒閃が出せるわけではない。

ほんの僅かに出せる可能性を上げるだけ。

効率がいいとは言えない。

 

「やめる?」

 

「まさか。途中で投げ出すのは気分が悪い。それに──」

 

──一度くらい『最強(彼ら)』の鼻を明かしてみたい。

 

垂れる汗を手の甲で拭って七海は鉈を握り直す。

 

「いいね」

 

私も残ったナイフを構え直した。

七海との剣戟が再開される。

 

◆ ◆ ◆

 

「さすが一級……まさか初日で出すなんてね」

 

夕方──自動販売機の横のベンチで水を飲みながら今日の内容を思い返していた。

結局、昼から夕方まで斬り合ったものの、黒閃が出たのは最初の一度きり。

しかし、私には何となく確信があった。

七海はここで終わる男ではない、と。

 

──将来、敵になるかもしれない相手に何やってんだか。良心も行き過ぎるとロクなことにならないのはわかってるのに。

 

相談を持ちかけてきた灰原も灰原だが、それを受けてしまった私も私だ。

七海にアドバイスしてやる義理はないし、何か対価を受け取ったわけでもないのに。

 

──いっそ敵も味方も全てを叩き潰して一人で立っていられるなら楽だったかもね。

 

残念ながらそこまでイカレてはいなかったらしい。

中途半端な良心を私はどこまでも抱え込んでいくのだろう。

 

「ん? 坊っちゃん」

 

「よぉ……」

 

曲がり角から姿を現したのは五条。

見れば随分疲れきった様子だ。

反転術式で治しているようだが、口の端に血の痕がある。

オートで無下限呪術を展開している彼がこうなっているということは──

 

「──もしかして体術オンリーで甚爾とやってたの?」

 

「反転術式も領域展開もできるようになったけど、そればっかり頼ってられねぇし。つーか、アイツやっぱり加減ってもん知らねーだろ。反転術式なかったら今日だけで二、三回は死んでる」

 

天与の暴君(アイツ)に近接挑むとか自殺行為だからね。あれでも昔よりマシになってるんだよ? 昔の甚爾なら初撃で殺してる」

 

「反転術式を使う間もなく……かよ。チッ……そう考えるとムカついてきたな。結局、全力じゃなかったってことだろ」

 

「わがままだねぇ……」

 

加減をしてもしなくても五条は不満らしい。

それから私と五条はしばらく色々と話していた。

恵のこと。

上層部のこと。

最近の呪術界のパワーバランス諸々。

 

「上層部に高専に『最凶』が出入りしてるって伝えたら青ざめて引っくり返っててさー」

 

「それで何人か逝ってないよね? あの人達は生かさず殺さずで針の筵に座っててもらわなくちゃ」

 

「当然。今まで好き勝手した報いは受けてもらうさ」

 

やがて辺りも暗くなってきたので私は空になったペットボトルをゴミ箱に放り込んで立ち上がる。

すると五条がジッと私のほうを見ていた。

何だろう。

私の顔に何か付いているのか。

 

「なあ、何かあった? スゲー機嫌いいように見えるんだけど?」

 

「ん? ああ、近々面白いものが見れそうだからね」

 

六眼は機嫌の良し悪しまでわかるのだろうか。

五条の問いを適当にはぐらかして私は高専を後にする。

一泡吹かせたいのにバレてしまっては興ざめだ。

 

「楽しみだねぇ」

 

◆ ◆ ◆

 

「夏油さん」

 

「七海? それにアナタまでどうしたんです?」

 

特訓を始めて数日後、私と七海は夏油の部屋を訪れていた。

 

「実験に手持ちの呪霊を使わせてもらえませんか? 試したいことがあるんです」

 

「ああ、いいよ。三、四級くらいならいくらでもいるし──」

 

「いえ、()()()()を」

 

七海の言葉に夏油が眉を潜める。

呪霊操術は手数が売り──だが、統計的にそのほとんどが二級以下の呪霊。

準一級以上は発生すること自体が稀である。

そして、一級ともなれば夏油にとって貴重な戦力だ。

それを実験に使わせてくれというのだから夏油が渋るのも無理はない。

しかし、七海の実力を考えれば一級以上でなければ相手にならない。

 

「私からも頼むよ、夏油君」

 

「まったく……アナタに言われたら断れないじゃないですか」

 

夏油は苦笑いを浮かべるも、いいよ、と頷いた。

 

「何体いる?」

 

「そうですね……四体、お願いします」

 

「……本気かい?」

 

「ええ」

 

──四体とは大きく出た……いや、違うね。

 

事実に即し、己を律する──そんな七海が四体必要と言ったのだ。

伊達や酔狂ではないだろう。

外へ移動し、七海はグラウンドの真ん中に。

私はグラウンドの端に立つ。

横には夏油と話を聞き付けたらしい五条、家入、灰原もいる。

 

「何すんの? 前言ってた面白いものが見れるってヤツ?」

 

「私も詳しくは聞いてないんだ」

 

「まあ、見てなよ。その目でしっかりとね」

 

七海は鉈の感覚を軽く振って確かめると、こちらを見て頷いた。

それを合図に夏油が空中から呪霊を出す。

 

「──いけ!」

 

夏油の命令と同時に七海に向かって四方から呪霊達が襲いかかる。

夏油には、何があっても呪霊達を止めるな、と言ってある。

 

──魅せてみなよ、七海君。

 

一級呪霊となればさすがに速い。

しかし、獰猛に牙を剥き出して突進してくる呪霊達を七海は凪いだ目で眺めていた。

自然体から、ゆっくりと腰を下ろして鉈を構える。

敵を前にしているとは思えないほどに、その動きは滑らか。

余計な緊張や焦りというものは微塵もなかった。

どう動けばいいか。

どう斬ればいいか。

そんなものは考えるまでもない。

本能のままに動けばいい。

最適化された動きは既に身体が覚えている。

そして四体の呪霊が七海に肉薄し、今まさに屠らんとしたその瞬間──

 

 

斬、と──四つの黒い火花が弾けた。

 

 

「は……?」

 

「なっ……!?」

 

「おお……」

 

「すごい……!」

 

五条達は驚きの声を洩らし、私は思わず笑みが零れる。

七海の技術全てを集約した全力の黒閃。

当然、一級呪霊と言えど耐えられる威力ではない。

断末魔の悲鳴すら上げることなく消滅してしまった。

 

「フーッ……」

 

七海は残心の姿勢を解いて一つ息を吐く。

黒閃を狙って出せる術師は存在しない──だが今の七海からは狙って出したと思わせるような凄みがあった。

灰原が真っ先に駆け出し、私も後に続いて七海に歩み寄る。

 

「すごい! すごいよ七海! あんなの初めて見た!」

 

「まさか四連続とはね。新記録じゃない?」

 

「運がよかっただけですよ。一度でも出来れば御の字のつもりだったんですが」

 

いつもと変わらない仏頂面。

だが、今はどこか吹っ切れたような清々しい雰囲気を纏っていた。

前人未到の黒閃四連発。

人間の反応速度に限界がある以上、運がよかったと言ってしまえばその通りだ。

しかし、それでもこれは七海の最大限の努力の対価だろう。

 

「どうだった?」

 

今だに呆けている『最強』二人に向かって振り返る。

才能(術式)の格では七海は五条達に及ばない。

どれだけ腕を磨こうが、そこはどうしたって覆らない。

それでも彼らですら黒閃の四連発など成し得ていないのだ。

七海だけが成した偉業。

普段、周囲を見下している彼らも、それを目の前で見せつけられては認めるしかないだろう。

そして、我に帰った二人は破顔し、同時に言う。

 

「「──やるじゃん」」

 

『最強』二人の心からの称賛だった。



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【原作時間軸】両面宿儺の指
第拾陸話


定石(セオリー)に囚われすぎてはいけない。
ときには定石を無視して動いてみたっていい。


「宮城県仙台市杉沢第三高等学校……ここか」

 

深夜──恵は五条から受けた任務のために特級呪物があるという学校に来ていた。

特級呪物──両面宿儺の指。

呪霊の源になる人間の負の感情が溜まりやすいとされる学校で魔除けのために置かれていた呪物だ。

 

──より強い呪いをもって呪いを制す……厄介な悪習だ。こういうことがあるからやめたほうがいいんだが……。

 

両面宿儺の指は特級の中でも危険度は最上位。

だからこそ封印した上で保管されていた。

しかし長い年月の間に封印は緩み、今や逆に呪いを寄せる餌になってしまったのだ。

寄ってきた呪いが指を食ってより強い呪いになってしまう前に回収しなければならない。

 

「しかし……百葉箱(こんなところ)に特級呪物保管するとかバカすぎるでしょ」

 

事前の情報によると呪物が保管されているのは校舎の横にある百葉箱。

特級呪物を保管するならもっと他の場所があっただろうに。

さっさと回収して帰ろうと百葉箱に手を伸ばしたとき。

 

──ん?

 

恵は思わず手を止めた。

百葉箱の掛け金が横向きになっている。

しかも南京錠もついていない。

まさか、と百葉箱の戸を開けると──

 

「なっ……!?」

 

百葉箱の中はもぬけの殻だった。

周りを見渡してもそれらしいものはない。

急いで五条に電話をかける。

特級呪物が行方不明なんて洒落にならない。

数回のコールの後、五条に繋がると恵は呪物が行方不明になった旨を伝えるが──

 

「マジで? ウケるねー。夜のお散歩かな?」

 

任務を振った本人はこのお気楽さである。

そもそも五条がこうなったのは、学生時代に夏油から「教職に就くなら、そのキャラはやめたほうがいい」と言われたかららしいのだが、それにしたって時と場合というものがあるだろう。

 

「それ取り戻すまで帰ってきちゃダメだからー」

 

「はぁ……土下座写真バラまかれたいんですか、アンタ」

 

恵がそう言った瞬間、電話越しに何かが落ちる音や倒れる音が聞こえた。

多分、机の上の小物が落ちたり、書類の山が崩れたのだろう。

 

──動揺しすぎだろ……。

 

あの土下座写真は五条にとってそれだけのダメージがあるものらしい。

 

「ちょっと待って? え? 見たとは聞いたけど、もらったなんて一言も──」

 

「言ってませんから。言ったら取り上げるでしょ。でも、オレも我慢の限界来たんで。明日には呪術界に知れ渡ってると思ってください」

 

「恵、落ち着こう。一回話し合おう。すぐそっち行くから……ん? 何、伊地知? は? 任務? 急ぎで? 今それどころじゃないから傑に……別件で出てる?」

 

電話の向こうで五条と補助監督の伊地知が何か話している。

どうやら緊急の任務が入ったらしい。

 

「あー……恵。一日だけ待ってくれない? ちょっぱやで任務終わらせてそっち行くから」

 

「一日だけですよ。二十四時間経ったら自動的にネットにバラまかれるようにしておきます」

 

「くっ……オッケー。『最強』は伊達じゃないって証明してあげるよ」

 

「二人で『最強』でしょ。夏油先生がいなくて大丈夫ですか?」

 

「煽るねぇ……まあ、イケるっしょ」

 

そう言って五条は電話を切った。

これでとりあえずは大丈夫だろう。

さすがに特級呪物が行方不明となれば上もうるさいだろうし、何よりプライドの高い五条なら絶対に来るはずだ。

スマホをポケットにしまうと恵は念のためにもう一度だけ百葉箱の周りを確認するが、やはり呪物らしきものはない。

 

──この暗闇だ。探すのは明日にしたほうがいいな。

 

◆ ◆ ◆

 

翌日、恵は高専の制服からカッターシャツとスラックスに着替えて杉沢高校に潜入していた。

高専の制服は闇に紛れるには便利だが、全身真っ黒なせいで昼間では目立ちすぎる。

 

──潜入したはいいが何だここ……。

 

呪いのレベルがおかしい。

学校が負の感情が溜まりやすい場所といってもだ。

足元を見れば巨大な呪霊がラグビー場の地面を()()()()()

 

──二級の呪いがうろつくとか普通じゃねぇぞ。死体でも埋まってんのか?

 

それとも例の呪物の影響だろうか。

いずれにしろあまり出現しないレベルの呪霊が湧いている。

 

──それに呪物本体の気配が強すぎる……近くにあるのか遠くに行っちまったのか全然絞れねぇ。

 

封印が解かれていない状態でこれでは呪力の感知も何もあったものではない。

五条の六眼ならわかるのだろうが、もうしばらく来るにはかかるだろう。

 

──仕方ねぇ……。

 

できることなら迷惑はかけたくなかったが。

恵はスマホを取り出して『し』の項目までスクロールする。

電話をかけた相手はすぐに出た。

 

「もしもし?」

 

「オレです。ちょっと意見聞きたくて。今いいですか?」

 

「大丈夫だよ。後は甚爾に任せておけば大丈夫だろうし」

 

電話越しに悲鳴や何かが壊れる音が響いている。

どうやら彼女も彼女で仕事をしていたらしい。

 

「で、何があったの?」

 

「実は──」

 

特級呪物が紛失したこと。

五条の応援もまだ時間がかかること。

学校でうろつく異常なレベルの呪霊のこと。

気配が大きすぎて場所が絞れないことなど、これまでの経緯を手短に伝える。

 

「さすが特級呪物……厄介だね」

 

「何でもいいんです。何か気付いたことがあれば教えてくれませんか」

 

「うーん……ちょっと待ってね。考えてみるから」

 

緩んで紙切れ同然とはいえ、まだ辛うじて封印は残っているはず。

既に呪霊が取り込んだとは考えにくい。

だとすれば持ち出したのは十中八九人間。

彼女は呪詛師専門の殺し屋と言われるだけあって人間の行動──悪意ある人間の動きには殊更敏感だ。

その経験と感性で何か手がかりを見つけてくれないものか。

そのときだった。

ゾクッ、と息が詰まるような圧力(プレッシャー)が恵の背に走る。

 

──呪物の気配……!

 

しかもこのプレッシャー。

間違いなく両面宿儺の指だ。

慌てて振り向けば、そこには一人の男子生徒。

 

「おい、オマエ──」

 

だが、呼び止める前にその男子生徒は凄まじい勢いで学校を出ていってしまった。

 

「大丈夫? 何かあった?」

 

「今、学校出ていった男から呪物の気配がしたんです。とりあえず追ってみるので後でまたかけ直──」

 

「待った」

 

電話を切って男を追おうとした恵だが、『呪詛師殺し』から突然の待ったが入る。

 

「恵、放っておくのはちょっとリスキーだけど、その男は追わずにそのまま学校にいてくれる?」

 

「……何でですか?」

 

「気配がさ、薄い気がするんだよね」

 

「薄い?」

 

「気配が大きすぎて場所が絞れないほどの呪物に恵がすれ違うような距離まで気付けないはずないと思うんだけど」

 

「それじゃあのプレッシャーは……」

 

「特級呪物──それも両面宿儺の指なら残穢だけでも相当濃いはずだよ。ついさっきまで近くにいたとか、触れてたとか。なら、指を持ってる相手は校内にいるんじゃないかな」

 

確かに筋は通る。

そもそも封印の解けかけた特級呪物を遠くまで運び出すとは思えない。

ましてや両面宿儺の指はそこにあるだけで呪いを寄せるような代物だ。

リスクが大きすぎる。

 

「まあ、恵の言う通り、その男が呪物持ってる可能性も十分あるんだけど。一般人なら呪物の危険性なんて知らないだろうからさ。万が一その男が今日明日中に封印解いたら……御愁傷様、だね」

 

「アンタって……そういうところドライですよね」

 

「助けられないものがあるってことは嫌ってほどわかってるからね。今からでも追うなら止めないよ?」

 

「いや、呪物本体が確認できたわけじゃないですし、五条先生と合流するまではここで粘ってみますよ」

 

「そう。ああ、念のために聞くけど、その子って手配書に載ってる顔だった?」

 

「手配書では見たことない顔でした。呪力の気配もなかったですし多分一般人だと思います。万が一に備えて後で確認しておきますけど」

 

茶髪のツーブロック。

黄色のパーカーにジーンズ。

身長は百七十センチほど。

見たのは一瞬だったが十分だろう。

学校に問い合わせれば術師の権限で名前も住所も教えてもらえるはずだ。

 

「一応、別の場所で解放されたときに直ぐ駆けつけられるように地図で人通りの少ない道は確認しておいた方がいいよ。ただでさえ土地勘がないんだし」

 

「はい」

 

それじゃ気をつけてね、と電話は切られた。

先ほどの男のことは気になるが、ここは彼女の考えに従う。

一番最悪なのは指の封印が解放され、周りの人間が巻き込まれること。

人の多い学校なら尚更被害は大きくなってしまう。

それに明日になれば五条も到着する。

合流後に改めて探せばいい。

 

──オレ単独なら間違いなく、あの男のほうを追う……だが、こういうときの裏の人間の嗅覚は並じゃねぇ。

 

呪物の気配がしたのは間違いない。

あの男とすれ違った瞬間に明らかに気配が強くなった。

普通なら放っておく理由はない。

後を追って回収──それで終わりのはずだ。

しかし、あの甚爾(クソ親父)や『呪詛師殺し』は普通とはかけ離れている。

裏で生き延びてきたことで研ぎ澄まされた勘──第六感や超感覚とでもいうのだろうか。

重要な場面の選択を彼らは外さない。

未来でも見えているのか──と言いたくなるくらいに易々と危機を掻い潜ってみせるのだ。

 

「いつになったら追い付けるんだろうな……」



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第拾漆話

在るはずだったもの。
始まるはずだったもの。
そうなるはずだったもの。


「全然来ねぇじゃねぇか……」

 

結局、夜まで学校で粘ってみたが一向に動きはなく、五条もまだ到着していなかった。

既に生徒は下校し、教員も学校を出ている。

当然、出ていった一人一人を観察してみたが、呪物の気配は全く感じられなかった。

 

──あの人の読みでも外すことあるのか……。

 

恵の頭に過るのは呪物の気配を漂わせていたあの男。

やはりあの男を追ったほうがよかったのではないか。

恵がそう考えていたそのとき──

 

「──っ!?」

 

押し潰されそうなほど重苦しい呪いの気配が校舎から漂ってきた。

 

──指の封印が解かれた……!

 

何が、外すこともあるのか、だ。

大当たりも大当たり。

学校に残っていて正解だった。

校舎のガラス窓を蹴り破って中に入る。

 

──解かれてすぐだってのに、もうこんなに呪いが集まってんのかよ。

 

校舎の中は既に呪いに埋め尽くされていた。

ほとんどは雑魚だが数が多い。

それから万が一、呪霊が呪物を取り込めば特級に転じる可能性もある。

探すのにあまり長い時間はかけられない。

 

──邪魔だ。

 

「『玉犬』!」

 

両手で犬の形を作ると、影から二匹の犬が姿を現す。

『玉犬・白』と『玉犬・黒』。

十種影法術──影を媒介に十種の式神を使役できる禪院家相伝の術式の一つ。

飛び出した二匹の玉犬は目の前の呪霊を次々と食らっていく。

 

──相変わらず気配がめちゃくちゃだ。どこにある?

 

すると、上の階から何か吹き飛ばされたような轟音が響いた。

 

──上!

 

通路を塞ぐ呪霊を祓いながら全速力で階段を駆け上がる。

 

──呪いが増えてる。近いな。

 

そして上った階段の先──廊下の突き当たりにひしゃげた扉が転がっていた。

その扉があった教室から二人の男女がただならない様子で這い出してくる。

 

「さ、佐々木……一体何が……」

 

「私だってわかんないわよ……!」

 

「おい!」

 

「は? え? 誰?」

 

いきなり現れた恵に二人は驚くが今はそんなことはどうでもいい。

優先するべきは呪物の確保と二人の保護。

見たところ二人とも怪我はない。

しかし、呪物の影響で非術師の目にも呪霊が見えるようになっているため、軽くパニックになっているらしい。

 

──そりゃそうなるか。

 

恐らく悪戯半分で指の封印を解いたのだろう。

まさか本物の呪いがかかっているとは思っていなかったわけだ。

 

「オマエら指はどうした」

 

「ゆ、指……? もしかしてこれ……? あ、ちょっと!」

 

女がポケットから取り出した指を引ったくる。

毒々しい色をした指の屍蝋。

間違いなく目的の呪物だ。

 

「詳しく話してる時間はない。いいから逃げるぞ!」

 

こうしている間にも恵達の周りには呪霊が雪崩のように押し寄せてきていた。

 

「きゃあああっ!」

 

「うわあああっ!?」

 

「いけ!」

 

二人に纏わり付こうとする呪霊を玉犬が食いちぎる。

これが両面宿儺の指──呪物となり二十に分割されてなお時を経て呪いを寄せる。

 

──呪物は確保したが……解放された指を持ったまま迂闊に動けねぇ。

 

このまま校内にいる呪霊を祓いきるしかない。

見れば二人とも今ので呪いの気配に当てられたのか気絶してしまっている。

動けない人間を二人も抱えながら呪いを祓うのは恵と言えど無理だ。

 

──式神が使えないのは痛いが……この場にコイツらを長く置いておくのもまずいな。

 

「二人を連れて逃げろ!」

 

恵の命令に従って二匹の玉犬がそれぞれ二人を咥えて走っていく。

恵が同時に使える式神は二種類。

もう式神は出せず、ここからは身一つでやるしかない。

自分の影の中に指を落とし、代わりに格納していた刀を引っ張り出す。

取り出したのは刀身が真っ黒に染まった抜き身の柳葉刀。

振った感覚を軽く確かめると恵は迫ってくる呪霊達に向かって走り出した。

素早く、そして逃がした二人のほうへ呪霊が向かわないように次々と斬っていく。

 

──『万象』で一気に片付けたいが、玉犬がまだ校舎の外に出てねぇ。呪霊に邪魔されてるのか。

 

低級呪霊相手なら玉犬がやられることはない。

だが、数が多いだけに手間取っているらしい。

しかも恵が指を持っているため、玉犬を助けに向かえば指に引き寄せられた呪霊がついてくることになる。

 

──ここで粘るしかねぇか……。

 

呪霊が後何体いるかもわからないが。

ちらりと恵の頭に浮かんだのは、鍛練と称し人間とは思えない動きで自分を散々殴り倒してきた甚爾(クソ親父)の姿。

きっと甚爾ならこんな状況は遊びにもならない。

 

──いくら鍛えられてるからって天与の暴君(アイツ)と同じになれるかよ。

 

「──っ!?」

 

すると天井から一際巨大な呪霊が這い出てきた。

 

──コイツ……昼間の……!

 

昼間、校内をうろついていた二級の呪い。

その巨体な体がただでさえ狭い通路を塞ぎ、恵の動けるスペースを更に減らしてしまっていた。

 

──正面に二級呪霊。左右は壁。後ろも呪霊の群れか。突進されたら進むか下がるしかねぇんだが……。

 

左右には避けられない。

二級呪霊より後ろの呪霊の群れのほうが一体一体の等級は低い──が数に手間取って足を止めれば、すぐに二級呪霊に追い付かれる。

もしも攻撃で恵の意識が途切れ、術式が解ければ玉犬に運ばせている二人が危険だ。

 

「フー……」

 

恵は一つ息を吐くと腰を深く落とし、呪霊に対して半身で構えて刀を引き絞る。

刺突でブチ抜けるのが理想だが、最低でも動きを止めて逃げられるだけの時間を稼ぎたい。

 

──こういうとき何も考えず突っ込めるクソ親父(アイツ)が羨ましいっての。

 

助走の距離も考えるとチャンスは一度。

そしてカウンターを食らうわけにもいかない。

下半身と腕を呪力で集中的に強化する。

頭の中で描くのは呪霊のド真ん中をブチ抜くイメージ。

全力で中心の一点のみを狙う。

そして、踏み出そうとしたそのときだった。

 

「──恵、伏せて」

 

「────!」

 

背後から聞こえた声に恵は咄嗟に構えを解いて伏せる。

すると声の方向から飛んできた攻撃が呪霊の大群を貫通し、更に正面にいた呪霊も消し飛ばした。

 

「お待たせー。助けに来たよー」

 

「……もうちょっと早く来れなかったんですか」

 

応援を頼んでから二十四時間ちょうどといったところか。

『最強』のプライドにかけて任務は終わらせてきたらしい。

立ち上がって振り向くと、そこには五条が立っていた。

 

「いやー、それがさー、今回の任務がマジで傑に振れよって感じのヤツでさ。分裂して逃げ回るタイプの呪霊で、しかも場所が美術館だったから賠償云々が面倒だからって大火力は出せないわで、祓うのにめちゃくちゃ時間かかったんだよ。でもギリセーフでしょ」

 

「ギリギリもいいところですけどね。時間も状況も」

 

「可愛くないねぇ……まあ、いいや。こんだけ呪霊が集まってたってことは行方不明になってた呪物見つかったの?」

 

「はい」

 

影から指を取り出して五条に渡す。

五条は受け取った指をしげしげと眺めていたが、やがて満足そうに頷いた。

 

「確かに両面宿儺の指だね。被害は?」

 

「呪いの気配にあてられて気絶したのが二人だけ。玉犬が校舎の外まで運んだので無事ですけどね」

 

「特級呪物の解放でその程度の被害で済んだなら上々だよ。それじゃ僕は一足先に高専戻ってコレ封印してもらうから。恵は被害者のケアよろしく」

 

「はい」

 

その後、校内に残った呪霊を祓いきった恵は、そのまま近くの病院に二人を運び込んだ。

そして『(高専関係者)』の医師に事のあらましを説明し、二人の入院は名目上──()()()()()()()()()()()()()()()()()、となっている。

 

◆ ◆ ◆

 

翌日──杉沢病院。

 

「──で、その箱持っていったヤツはいつ来るんだ」

 

「もう少ししたら来るはずなんだけど……」

 

「──佐々木先輩! 井口先輩!」

 

突然、荒々しく病室のドアが開けられ、転がり込むような勢いで一人の男が入ってきた。

覚えのある茶髪のツーブロック。

学校で恵とすれ違ったあの男だ。

 

──虎杖悠仁……だったか。

 

虎杖は恵には目もくれず一目散に佐々木達へ駆け寄ってきた。

 

「何か学校で倒れたって……大丈夫なんスか」

 

「聞いてよ、虎杖。信じられないかもしれないけど、私達、マジの化物に襲われたの!」

 

「化物?」

 

「虎杖が拾ってきたアレに巻かれてたお札取ったら天井から化物がどんどん出てきて──」

 

「毒の影響で幻覚見たんだろ。さっきもそう説明したはずだ」

 

「あんな体験しておいて『全部幻覚でした』なんて信じられるわけないでしょーが!」

 

捲し立てるように昨日のことを虎杖に語る佐々木。

しかし、これ以上あの現場であったことを話されるのはよくないと判断し、恵は佐々木の言葉を遮るように割り込む。

学校のような場所は噂の広まりも早い。

噂が呪いの火種になることもあるのだ。

急に割り込んできた恵に、ここでやっと虎杖は視線を向けた。

 

「えーと……誰?」

 

「伏黒だ。()()()()()()()()()()()()()をやってる。念のため、オマエが持っていった箱も回収させてもらう。とっとと出せ」

 

「箱?」

 

「これだ。持ってるだろ」

 

恵はスマホを取り出し、封印状態の指の画像を見せる。

 

「あー、はいはい。()()()()。つーか毒物って……コレに入ってたのってそんな危険なモンなの!?」

 

「本体はな。ソレはこっちで回収した。さっきも言ったが箱は念のためだ」

 

──あの時、こっちを追ってたら間に合わなかったかもな。

 

虎杖から箱を受け取って観察する。

箱に触れてわかった。

あのとき感じた気配は箱にこびりついた残穢。

仮にその気配を追って学校から出ていれば戻ってくるまでに二人は死んでいたかもしれない。

 

「先輩、ゴメン! オレがこんなモン拾ってこなきゃ……」

 

「いいって虎杖。二人とも大丈夫ってお医者さんは言ってたんだし。ねぇ、井口」

 

「ああ」

 

「明日にはオレが呼んだ専門家もくるし、すぐに退院できるだろ。万が一何か異変があったら、さっき渡した番号に連絡してくれ。職員が対応してくれる」

 

必要なことを伝えると恵は病室を出る。

 

──また助けられちまった。

 

被害を最小限に抑えられたのは彼女のおかげだ。

 

──本当にあの人どんな思考回路してんだよ。

 

どれだけ鍛えても彼女に追い付ける映像(ビジョン)が見えてこない。

場を見る観察眼。

人の考えの本質を見抜く洞察力。

裏の猛者達を相手に散々鍛えられた危機察知能力。

どれも恵では遠く及ばない。

今回も電話で恵が話した情報だけを頼りに、現場にいる恵より冷静な判断をしてみせた。

しかもそれがピッタリ合っていたのだから恐れ入る。

 

──今のオレじゃ裏に行ったところで三日もすれば路地裏で冷たくなって転がってるんだろうな。

 

「なあ!」

 

「ん?」

 

病院から出ようとしたところで後ろからかけられた声に振り返ると、そこには虎杖が立っていた。

 

「何だ。まだ何か用か?」

 

「あー……何か用っつーほどのモンじゃねぇんだけどさ。先輩達が倒れたのって本当にその毒物のせいなんだよな?」

 

「そう言ってる。他に何がある」

 

「いや、何かアレ、お札とか貼られててマジっぽかったしさ。もしかして本当に何かの呪いのせいなんじゃないかなーって。先輩は嘘言う人じゃねぇし、化物見たのも実は──」

 

「何言ってるんだ。()()()()()()()()()()()()()。バカバカしい」

 

虎杖の言葉を遮るように恵は言う。

そんなオカルトはありえないと。

努めて冷静に答える。

今度こそ疑いを持たないように。

それでも虎杖の目は真っ直ぐに恵を見ている。

本当に二人は大丈夫なのか、と。

 

──きっとコイツは本物の善人なんだろう。

 

他人のことを本気で思いやれる人間。

だからこそあの二人のことを心配し、毒のせいだと言い張る恵の説明に疑問を持った。

だが、それならば尚更、虎杖に呪いのことは話せない。

これからもあの二人とともにいさせてやるために。

数秒の間、睨み合うようにしていた恵と虎杖だが、やがて虎杖はフッと表情を緩めた。

 

「……だよな。悪ィ、変なこと聞いて。先輩達助けてくれてありがとな。それじゃ」

 

虎杖は踵を返して二人がいる病室に戻っていく。

ああ、とだけ返して恵も病院を後にした。

 

──そうだ。何も知らなくていい。

 

呪いは見えないだけですぐ側にある。

昨日まで呪いなんてまるで知らなかったような人間が一歩間違えたせいでこちら側に来てしまうことも十分にありえる。

だが、こちらは地獄だ。

イカれていなければ生きていけない業界。

人死にがザラにあるような環境に好き好んで踏み入る必要はない。

 

──精々噛み締めろ。普通の幸せってヤツを。

 

「お、やっと出てきた」

 

「五条先生」

 

病院を出たところで五条が柵にもたれかかって待っていた。

指の封印のために先に高専に戻ったはずだが。

何か忘れ物でもしたのだろうか。

それとも追加の任務でも持ってきたか。

恵が近付くと五条は無言のままズイッと手を差し出した。

 

「……何です?」

 

「何です? じゃないよ。写真だよ、写真。例のヤツ。削除するからスマホ貸して」

 

「ああ、あれ嘘です。ああでも言わなきゃアンタ来ないでしょ」

 

そう言えば、と恵は思い出す。

五条を呼ぶために土下座写真をバラまくと脅したのだった。

しかし、家入からそんなものは受け取っていない。

五条に言った通り見ただけだ。

 

「そんな……ヒドい……信じてた教え子に弄ばれて裏切られるなんて……」

 

「呪術師は嘘吐いてなんぼでしょ」

 

わざとらしく顔を手で覆って泣いたフリをする五条の脇を抜けて恵はスタスタと歩いていく。

 

「これってアレかな? 反抗期ってヤツ?」

 

「ふざけたこと言ってないで行きますよ。あの人用に土産買いたいんで」

 

「あ、それなら僕のオススメあるよー。ちょっと変わった大福なんだけどさ──」



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【原作時間軸】幼魚と逆罰
第拾捌話


自分ならできる──素晴らしいセリフだ。
表なら自信に溢れた主人公(ヒーロー)のセリフだろう。
だがな、覚えておけ。
裏ではそれは身の程知らずの敵役(ヒール)のセリフだ。


「ふーん。新しい子入ったんだ」

 

「はい。何か顔見るなりため息吐かれましたけど。つくづく環境に恵まれないとか何とか。その後は女子三人で仲良くなってましたよ……主に田舎の悪口で」

 

「あー……菜々子と美々子は田舎大嫌いだからね」

 

恵から連絡があったので何かあったのかと思えば、四人目の一年生──釘崎という少女が新たに加わったらしい。

なぜ高専に来たのか聞けば、田舎が嫌で東京に住みたかったから、と。

術師らしいと言えば術師らしいのだが。

ある程度のイカれ具合がなければ呪霊に立ち向かうなんてできない。

呪霊と戦う嫌悪と恐怖に打ち勝てず、呪術界から去っていった術師は山ほどいる。

 

「その子、上からの工作員って可能性は?」

 

「アイツはそういう曲がったやり方大嫌いなタイプですよ。感情も表に出やすいタイプですから工作員には向いてないでしょ」

 

「そっか。ならいいけど」

 

そのまましばらく話していると電話越しに遠くから恵を呼ぶ声が聞こえた。

 

「あれ? 今の声って真希? 一、二年合同で何かやってるの?」

 

「先輩達が交流会に向けて鍛えてやるって張り切ってるんですよ」

 

「ああ、もうそんな時期だっけ」

 

京都姉妹校交流会──京都にあるもう一校の高専との交流会。

年に一度、二日間かけて行われるそれは一種のレクリエーションなのだが、内容は()()()()()()()()()()()()()()呪術合戦。

如何せん内容が物騒なのだ。

恵が死ぬことはないだろうが、周りの生徒達が再起不能になる可能性もなくはない。

呪術界なんて常に誰かの謀略策略が行われているのだから。

 

──恵は抑止力になってる。でも、裏を返せば恵以外は好きにできるってことだからね。

 

小細工を弄して事故という体で押し通すか、逆に堂々と事を起こして適当な者を贖罪の羊(スケープゴート)に仕立てあげる。

どちらも上の連中の常套手段だ。

 

「それじゃまた何かあったらよろしく。くれぐれも上には気をつけて。何もできないだろうけど」

 

「はい」

 

◆ ◆ ◆

 

「漏瑚、そう苛立つな。暑くなる」

 

都内のファミレス──一人で来店したにも関わらずテーブル席を陣取っているのは額に大きな縫い目がある男。

一人でテーブル席というのも妙だが、それ以上に男にはおかしなところがあった。

おしぼりにも水にも手をつけず、メニューも開かず、注文もしない。

座っているだけなのかと思いきやそれも違う。

時折ブツブツと何か喋ったり、相槌を打ったりしているのだ。

まるでそこに誰かいるように。

それだけでも異様だが、もしもそこに見える側の人間がいれば、とても正気ではいられなかっただろう。

男の正面に一体。

隣のテーブルに二体。

間違いなく特級に分類される呪霊が集まっているのだから。

 

「わざわざ貴重な宿儺の指を撒き餌に使ったというのに失敗したと聞いて苛立つなだと? ふざけているのか」

 

男の正面に座る火山頭の呪霊──漏瑚は苛立った様子で指先でトントンとテーブルを叩いている。

というのも目の前の男が「計画が失敗した」と告げたのが原因だ。

 

「最初のプランでは二つ条件を満たせば勝てるはずだったんだけどね。どうも呪術界全体の動きが私の予想とズレている」

 

「条件?」

 

「第一の条件──呪いの王 両面宿儺を仲間に引き込むこと。宿儺の指を私が用意した器に取り込ませ、受肉させる──はずだったんだけどね。ところが指は高専の生徒に回収され、予定より早く五条悟が到着したのもあって取り返すこともできなかった」

 

かなり手間のかかる任務を伝手を使って五条に押し付けたはずなのだが。

なぜか五条は想定していたよりも遥かに早く任務を終わらせてしまった。

何がそれほど五条のやる気を煽ったのかは知らないが、用意していた器に指を取り込ませるという計画は失敗。

 

「まあ、最悪の場合、宿儺の指二十本を揃えた後に拉致して無理矢理にでも取り込ませてしまえばいいだろう。そもそも宿儺は予備のプランだからね。本命は別にある」

 

「本命?」

 

「そう。二つ目の条件──現代最強呪術師 五条悟を戦闘不能にすること。それがこの計画の要だ」

 

今の呪術界は五条の戦力が大きい。

五条一人がいなくなるだけでパワーバランスは一気に呪霊側が優勢になるだろう。

 

「しかし君達が五条悟に真正面から挑んでも勝ち目はないだろうね。彼は殺すより封印に心血を注いだほうがいい」

 

「封印? その手はずは?」

 

「特級呪物 獄門疆を使う」

 

「ちょっ……ご、獄門疆!? 持っているのか、あの忌み物を!」

 

獄門疆──それに漏瑚はひどく興奮した様子で食いついた。

頭の火山から煮え立ったマグマを噴き出すほどに。

それもそのはず。

特級呪物 獄門疆──それは源信の成れ果て。

()()()()()()()()()()()という生きた結界である。

特級呪物の中でもレア物──蒐集家の漏瑚からすれば垂涎物の品だ。

テーブルから身を乗り出す漏瑚だったが、男のほうは冷静に話を続ける。

 

「封印するためのプランは整えてある。でもまだ問題があるんだ」

 

「問題だと?」

 

「今後の作戦のために誘いをかけた呪詛師のほぼ全員に断られた」

 

「それは単に貴様の人望がないからではないのか?」

 

失礼だな、と男はオブラートに包むということを知らない漏瑚の言葉に顔をしかめてみせる。

それも仕方ないことだろう。

彼ら曰く、呪いを生み出す人間の負の感情──恐れ、怒り、殺意などといった感情は偽りのない真実の感情であるらしい。

ゆえに彼らの言葉はどこまでもストレートなのだ。

 

「原因は私じゃない。彼ら、口を揃えて言ったんだ──『呪詛師殺し』に手を出すな、ってね」

 

「『呪詛師殺し』? 何だ、ソイツは」

 

「呪術界の裏に君臨する呪詛師専門の殺し屋。敵対した呪詛師はことごとく潰されたという話だからね。それを恐れてだろう」

 

「たかが人間一人だろう? それともその人間も五条悟に並ぶというのか?」

 

「いや、五条悟は特別──規格外だよ。並び立てる術師はそういない。術式の情報がないのは痛いけれど彼女のほうは殺せないほどじゃないと思う」

 

「ならばさっさと殺してしまえばいいではないか」

 

「それがそうもいかないんだ。彼女は呪詛師にとっての抑止力。彼女を殺せば今まで息を潜めていた呪詛師が一斉に動き出す。彼らは基本的にまとまりないからね。殺すにしてもタイミングを間違えると本命のプランまで台無しになる」

 

呪詛師は基本的に協力という考えはない。

表向きは一応それらしい形をとったとしても、腹の中では虎視眈々と一人勝ちを目論んでいる輩が大半である。

好き勝手に暴れてもらうなら一番混乱が求められるタイミングでなければ。

しかし、漏瑚はフンとつまらなそうに鼻を鳴らした。

今の漏瑚にとって男の持っている獄門疆以外は些末なことだ。

 

「呪詛師と殺し屋の件はキサマが何とかしろ。それよりもだ。獄門疆をワシにくれ。蒐集に加える。そのかわり五条悟はワシが殺すとしよう」

 

「いいけど──死ぬよ、漏瑚」

 

五条ばかりに目を向けている彼らはまだ気付かない。

『呪詛師殺し』に手を出すな──それは決して誇張表現などではないということに。



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第拾玖話

拳銃より、ナイフより、毒薬より、核より、最も多くの人間を殺してきたものって何だと思う?
『退屈』だよ。
何も持たず、何も考えず──それだけで人を殺す代物だ。


「あれ? 真希さんに頼まれたやつ売り切れてるんだけどぉ。ダル……」

 

「最近暑くなってきたからな。寮にある自販機見てきたらどうだ? あそこは教員使わねぇだろ」

 

「マジかー……ちょっと行ってくる」

 

「私も」

 

休憩の合間に真希に言われて飲み物を買いにきたのだが、高専は出入りできる業者が極端に限られているためすぐに売り切れてしまう。

面倒だと思いつつも菜々子と美々子は慕っている真希(先輩)のために少し距離がある自販機のほうに歩いていった。

 

「自販機もうちょい増やしてくんないかしら」

 

「増やせるなら五条先生がとっくにやってそうだけどな。……ん?」

 

ざり、と背後から砂利を踏む音が聞こえて二人は振り返る。

そこにいたのはドレッドヘアの大男と、真希に似た顔立ちのショートボブの女性。

男のほうは覚えがないが、女性は恵と何度か面識があった。

禪院真依──真希の双子の妹だ。

そして、甚爾の従妹でもある。

 

「禪院先輩」

 

「やだなぁ、伏黒君。それじゃ真希と区別がつかないじゃない。真依って呼んで」

 

「呼び方なんて別に何でもいいでしょ。今日でしたっけ。交流会の打ち合わせ」

 

「そう。アナタが心配で学長についてきちゃった。ようやくあの家を出られたのね」

 

「……何が言いたいんですか」

 

「いいのよ。言いづらい事ってあるわよね」

 

代わりに言ってあげる、と真依は意地悪く笑みを浮かべて──

 

「──()()()()()()()()

 

「あ?」

 

「父親は()()だし、育ての親は手を出すな、なんて言われてるくらいだものね。裏ですら恐れられるアンタッチャブル。そんな人に目をつけられたばかりに一生飼い殺しにされるなんて。禪院家(ウチ)の相伝持ちとなれば利用価値はいくらでもあるもの。もしかして禪院家(ウチ)とも繋がりを作ろうとか考えてるのかしら」

 

何の話かわかっていない釘崎は首を傾げているが、恵はそれどころではなかった。

 

──親父のことはともかく、あの人のことを好き勝手言ってんじゃねぇよ。

 

そう怒鳴りそうになるのを呼吸を整えて無理矢理飲み込む。

なぜ京都校のヤツらはこうも人の神経を逆撫でするのがうまいのか。

ここに菜々子と美々子がいなくてよかった。

あの二人がいれば更に状況が悪化したことは想像に難くない。

殺すまではしないだろうが、真依が誰のことを言っているかわかった時点で吊るしにかかっただろう。

 

「聞いた話じゃアナタを窓口にして我が物顔で高専に出入りしてるんですって? 裏の人間のクセに。本当に気色悪いわよね」

 

そして、それは恵も同じこと。

身体の影で握られた拳は震えていた。

高専に入ってから少しは自制が効くようになったと思っていたのだが。

 

「アナタも腐った上層部に対する抑止力なんて言われてるけど、要するにスパイとしていいように利用されてるだけでしょ。ああ、本当に()()()()()

 

「──っ! 黙って聞いてりゃ──」

 

「真依、どうでもいい話を広げるな。オレはただコイツらが乙骨の代わり足りうるのか確かめたいだけだ」

 

恵がついにキレかけた瞬間、割って入った男は突然上着を脱ぎ捨て、更にシャツまで破り捨てる。

そして、山のように鍛え上げられた筋肉が惜しげも無く晒された。

 

「伏黒……とか言ったか」

 

ジロリ、と男の視線が恵に突き刺さる。

 

「──()()()()()()()()()!」

 

「「……ん?」」

 

男からの突然の質問に恵と釘崎は揃って首を傾げた。

何だコイツは。

初対面の人間にする質問ではないだろう。

だが、恵の脳裏には、ふと引っかかるものがあった。

 

──そう言えば何か同じような質問するヤツの話あの人から聞いたことあるな……。

 

十年ほど前に聞いたきりであるが内容が内容だけにはっきりと覚えている。

 

「性癖にはその人物の全てが反映される……でしたっけ」

 

「ほう? 話が早いな」

 

「何でアンタ今ので通じんのよ……」

 

「色々あったんだよ……ってかアンタ誰です?」

 

「京都三年 東堂葵。ちなみにオレは身長(タッパ)(ケツ)がデカイ女がタイプです。さあ、お前の番だ伏黒。さっさと答えろ。男でもいいぞ」

 

「何だこれ大喜利かよ……」

 

何が悲しくて初対面の男と性癖について語らなければならないのだ。

しかし、東堂は既に身を屈めていつでもこちらへ飛び出せる体勢をとっている。

恵は隣の釘崎に視線を向けた。

釘崎は丸腰。

金槌も釘も寮のロッカーの中だ。

もめ事になるのは面倒だし、無難にやり過ごすしかない。

 

「別に……好みとかありませんよ。その人に揺るがない人間性があればそれ以上は何も求めません」

 

このあたりが当たり障りのない無難な回答だろう。

悪くない答えだと女性二人も満足げに頷く。

だが、納得しない者が一人。

 

「──ああ、やっぱりだ」

 

東堂の頬を涙が流れる。

 

「退屈だよ、伏黒」

 

東堂の顔は失望の色に染まっていた。

薄っぺらい。

上っ面だけの答え。

やはり相手にするには物足りない。

去年大暴れしてくれた乙骨は今年は出ないというし、せめて停学中の三年生を引っ張り出さなければ最後の交流会が不完全燃焼で終わってしまう。

出る予定の一年生が半殺しにされたとなれば人数としても体面としても三年生を出さざるを得ないはず。

つまらない答えを聞かせ、自分なりの優しさを踏みにじったお前が悪い──そして、東堂が恵に向かってラリアットを見舞おうとした瞬間だった。

 

「んっ!?」

 

東堂の動きが突然止まる。

横を見れば一瞬で間合いを詰めた恵が東堂の腕を押さえていた。

 

──速い……!

 

全力を出すつもりではなかったとはいえ、まさか動く前に止められるとは。

 

「喧嘩っ早すぎるでしょ」

 

「フンッ」

 

東堂の腕の振りに合わせて恵は逆らわずに後ろに飛ぶ。

それを見て東堂はすかさず距離を詰めてきた。

そして繰り出される拳の乱打。

普通ならガードするだけで精一杯になるところだが──

 

「くっくっ……マジか、お前!」

 

「慣れてるんで」

 

恵は東堂の拳を全てかわすか逸らしていた。

高専に入学する前から甚爾と手合わせしていた恵にとってこの程度のことは何でもない。

東堂も一級術師だけあって呪力の流れから動きが読みづらいが、そもそも日常的に手合わせしていたのが完全に呪力が零という相手なのだ。

呪力の流れを読まずとも構えや体重移動で動きを先読みするポイントは十分ある。

 

──クソ親父(アイツ)のほうが躊躇なく致命傷になるところに攻撃してくるし、意味わかんねーくらい動き回るからな。

 

しかし傍から見ている真依と釘崎は呆気にとられていた。

 

──一級で入学した天才……そして何よりあの『最凶』に鍛えられただけはある。東堂先輩と渡り合うなんて……。

 

──()()が化物ってことは体格見りゃ何となくわかる……でも、それの攻撃を難なく捌けるってどういうことだよ……。

 

やがて東堂の拳が止まる。

その顔にはさっきまでの失望はない。

 

「どうやら天才って噂は眉唾ってわけでもなさそうだ。親友(ベストフレンド)にはなれないが好敵手(ライバル)にはなれそうだな」

 

「別になりたくねーよ」

 

話が通じない東堂に困惑しっぱなしの恵だったが、当の本人は脱ぎ捨てた上着を拾うと満足げな様子で去っていく。

 

「行くぞ、真依。ぼやぼやしていると高田ちゃんの個握に遅れてしまう」

 

「もう! 勝手な人!」

 

二人が見えなくなったところで釘崎が「結局何だったのよ」とぼやきながら近付いてきた。

 

「アンタ、アレ相手によく退かなかったわね」

 

「退くわけにいかなかったからな」

 

スッと恵は壁際を指さす。

釘崎が目を向けると、そこにはいつの間にか一人の女性が立っていた。

 

「……誰?」

 

「『呪詛師殺し』」

 

「はあっ!?」

 

さらりと放たれた恵の一言に釘崎は目を見開く。

『呪詛師殺し』が日常的に高専に出入りしているのは既に周知の事実なのだが、少し前に東京に来たばかりの釘崎はそれを知らないのだ。

口をパクパクさせて固まっている釘崎をおいて恵は『呪詛師殺し』に歩み寄った。

最近は忙しかったのもあって実際に会うのは一ヶ月ぶりくらいになるだろうか。

 

「隠れてないで出てきてくださいよ。好き放題言わせておくこともなかったでしょ」

 

「んー……でも可愛いじゃない。大好きなお姉ちゃんを東京校(こっち)にとられて嫉妬なんて」

 

「あれって嫉妬なんですか?」

 

「素直じゃないからね、あの子」

 

恵が話しているうちに菜々子達が戻ってくる。

二人は彼女を見つけるなり、飼い主が帰ってきた犬のような勢いで駆け寄ってきた。

 

「「『呪詛師殺し』様!」」

 

「ああ、二人とも元気そうで何より」

 

菜々子と美々子が『呪詛師殺し』にじゃれついている様子を恵が眺めていると、突然グイッとジャージの袖が引っ張られる。

いきなり何だ──という視線を向ければ、釘崎も、いいから来い──と視線で返してきた。

睨んでいたというほうが近いか。

そして、ジャージを掴んだまま『呪詛師殺し』から数メートル離れたところまで恵を引っ張っていく。

 

「どうした?」

 

「どうした──じゃないわよ……! 何であの『呪詛師殺し』が真っ昼間から高専うろついてんのよ!? しかもアンタ、普通に会話してるってどういうこと!?」

 

「ああ……あの人、俺の育ての親みたいなもんなんだよ」

 

「は……?」

 

そう言えば言ってなかったな、と恵は今になって思い出したらしい。

 

「元々あの人と親父が色々あったんだが、その縁で十年以上世話になってる」

 

「アンタの父親って……」

 

「『術師殺し』なんて呼ばれてた殺し屋だ。最近は専ら呪詛師ばっかり狩ってるが」

 

「ってことはアンタ……あの『最凶』に育てられたってこと……?」

 

「まあ……」

 

そのときの釘崎の表情は何と表現するのが正しかったのだろう。

宇宙人でも目にしたような驚愕。

世界の終わりを見たような絶望。

大切なものを壊されたような激怒。

他にも色々な感情がぐちゃぐちゃと乱雑に混ぜられたような。

ああ、人間は処理能力の限界に達するとこんな顔になるのか──そんな感想が思い浮かぶ表情。

その表情のまま釘崎は恵に向かってゆっくりと手を伸ばすと、ありったけの力を籠めて胸ぐらを掴み上げた。

 

「そういうことは早く言えやァ! こっちにも心の準備ってもんがあるでしょうが! 何で自己紹介が名前だけなのよ!」

 

「初対面でクラスメートに親紹介するヤツがいるか?」

 

「そりゃそうだけど! そこは臨機応変に対応しなさいよ!」

 

初対面の時点で『術師殺し』の息子で『呪詛師殺し』に育てられたなんて言われれば普通に引いていただろう。

そんなハッタリかますなんて命知らずにもほどがあると鼻で笑い飛ばしたかもしれない。

だが、それでも事前に何か言っておいてほしかった。

『呪詛師殺し』と言えば釘崎のいた田舎でも知られているくらいの危険人物。

敵対した組織をことごとく潰し、喧嘩を売ってきた身の程知らずは残らず首を掻っ切られ、足を踏み入れた廃ビルは大半が崩壊したという。

そんな人物がいきなり目の前に現れたのだから釘崎の心境は推して知るべしである。

驚き、恐怖、怒り──様々な感情が一気に押し寄せたせいで頭が全く働かない。

できたことと言えば、とりあえず感情のまま恵の胸ぐらを掴んで揺さぶることくらいだった。

 

「お前が何考えてるのか大体わかるが……別にあの人は見境なしに暴れ回ったりしねぇよ」

 

「信じられるわけないでしょ! 目の前にナイフ突き付けられて「殺さないから安心してください」って言われてるようなもんよソレ」

 

「…………。釘崎なら……と思ったんだがな」

 

「私が……何?」

 

「前に言ってただろ。勝手に被害妄想を膨らませて悪意に満ちた噂に晒され続けた人間がどうなったか」

 

その途端、ハッと釘崎の表情が変わる。

かつて都会から引っ越してきた沙織という少女を釘崎はとても慕っていた。

しかし、都会から引っ越してきた──それだけで村の連中は「田舎者をバカにしている」と決めつけて彼女を爪弾きにしたのだ。

 

──私……いつの間にかあの田舎の連中と同じ尺度でモノを見るようになってた。

 

そういうことを一番嫌っていたはずなのに。

釘崎は恵から手を離した。

噂に振り回されて右往左往するなどみっともないにもほどがある。

周りが何を言おうと自分の目で見たものを信じればいい。

 

「そうね……根も葉もない噂に振り回されて目を曇らせるところだった」

 

「いや、根も葉もないっつーか……あの人の場合、噂の大半が事実だけどな」

 

「は……?」

 

しかし、せっかく綺麗にまとまったと思ったところで、恵の一言がその雰囲気をぶち壊す。

今コイツは何と言ったのか。

釘崎は自分の耳を疑った。

沙織の場合は周囲の被害妄想──事実無根の言いがかりだったから釘崎は憤っていたのだ。

だが、『呪詛師殺し』の場合は噂の大半が事実だという。

 

「敵対した組織をことごとく潰してるってのも?」

 

「ああ」

 

「喧嘩を売ってきた身の程知らずは残らず殺してるってのも?」

 

「ああ」

 

「足を踏み入れた廃ビルは大半が崩壊してるってのも?」

 

「ああ」

 

「その気になれば高専に真正面から喧嘩売って勝てるってのも?」

 

「ああ」

 

根も葉もないどころか尾ひれがついたわけでもなく、実際にその通りだ。

何ならそこに『最強』を揃って土下座させたという話も加わるが本人達の名誉のために恵は黙っておくことにした。

ダラダラと嫌な汗が釘崎の頬を伝う。

色々と間違えたかもしれない。

 

「あ、こんなところにいたぁ」

 

釘崎が固まっていると、思う存分『呪詛師殺し』に抱き付いて満足したらしい菜々子が満面の笑みで駆け寄ってきた。

 

「『呪詛師殺し』様が稽古つけてくれるんだってさ!」

 

「無理無理無理無理! 死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ!」

 

「自分の目で確かめるんじゃなかったのかよ」

 

「あの東堂(ゴリラ)と普通に渡り合ってたアンタを鍛えた化物といきなり手合わせなんていくら何でも無理があるでしょうが! こちとら女子よ!? か弱いのよ!?」

 

「死なないくらいには手加減してくれるから大丈夫だってぇ」

 

三人が言い合っているのを横目で見ながら『呪詛師殺し』は輪から離れていた美々子にソッと尋ねた。

 

「ねぇ、美々子。何で私、初対面なのにあんなに怯えられてるの?」

 

「『呪詛師殺し』様はもう少し自分の評判を気にしたほうがいいと思う」

 

◆ ◆ ◆

 

「お? 戻ったか。真依達が来てたって話だったが……お前なら心配ねぇよな」

 

「東堂と少しやり合うことになりましたけどね」

 

「小手調べ程度でもアイツとやって無傷なら重畳だよ。で……何で野薔薇は顔死んでんだ?」

 

「キャパオーバーしたらしいです。あの人来たんで」

 

恵が視線を向けた先には菜々子と美々子に挟まれた『呪詛師殺し』がいる。

稽古つけてくれるらしいですよ、と言う恵の言葉に真希はニヤリと笑みを浮かべた。

彼女の指導が受けられる場所など世界中探してもここだけだろう。

 

「後から甚爾も合流するよ。どうせそろそろ金欠だろうし」

 

「『最凶』に稽古つけてもらったのに負けました、じゃ格好つかねぇよなぁ」

 

「負けるつもりなんてサラサラないだろ」

 

「しゃけ」

 

そんな真希達の様子を見て『呪詛師殺し』も、いいね、と笑ってみせた。

 

「とりあえずかかってきなよ。話はそれからしようか」



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第弐拾話

彼は大人だ。

どうやって大人になるか知ってる?

酒やタバコじゃなれないってことは知ってる。


一ヶ月後──神奈川県川崎市キネマシネマ。

 

「あれ? ナナミン?」

 

「お久」

 

「お久しぶりです。応援というのは君達でしたか」

 

警察車輌の間を抜け、立入禁止のテープを潜った先に見知った顔を見つけた二人は小走りで駆け寄っていく。

学生服でいきなり現場に入ってきた二人に若い刑事が慌てた様子で近付いてくるが、七海が、関係者です、と言うと釈然としない表情で渋々引き下がった。

 

「学生はそろそろ交流会だったはずですが?」

 

「美々子の術式が術式だからさぁ。吊るした拍子に相手の首折ったら終わりじゃん? だから呪霊狩りに専念してもらうんだけど、その特訓にちょっと重めの任務をこなしてくれって」

 

何でもありの交流会──しかし、殺しだけはご法度である。

呪霊相手の特訓なら夏油から手頃な呪霊を借りてもいいのだが、生憎と出張が入ってしまったらしい。

特級術師ともなれば高専に居ずっぱりというわけにもいかないのだ。

 

「で、どういう感じ?」

 

「死亡したのは男子高校生三名。死因は頭部変形による脳圧上昇、呼吸麻痺」

 

「呪術……だよね」

 

遺体の写真を見た美々子はその凄惨さに眉を寄せた。

どう見ても殴られたり蹴られたりした変形ではない。

死体を加工する呪詛師もいるが道具を使った痕跡がないことからそれとも違う。

手がかりは犯人のものと思われる残穢のみ。

 

「行きましょう」

 

残穢を辿って歩き出した七海を二人も追う。

どうやら屋上にあるバッティングセンターに続いているらしい。

 

「ねぇ、監視カメラは?」

 

「被害者三名以外に少年が一人。そちらの身元特定は警察が」

 

監視カメラに映っていなかったとなると犯人は呪霊の可能性が高い。

一人無傷でいたその少年が犯人の可能性もなくはない。

しかし、佇まいからして呪詛師ではないだろうとのこと。

話しているうちに屋上に着くが、そこで残穢は途切れていた。

 

「空振り……いや──」

 

振り返れば左側と背後にそれぞれ呪霊がいた。

等級なら三級程度か。

 

「罠だったっぽくね?」

 

「だね……絶対本命じゃない」

 

「こちらは私が。君達はそちらのもう一体を」

 

七海はそう言って上着のボタンを外すと背中に下げてあった鉈を取り出した。

そして、左側にいた呪霊に向かって歩いていく。

 

「大人には子供を守る義務がある……か」

 

「君達が子供扱いを嫌っているのは知っています。しかし、私も夏油さんやあの人には恩がある身。私がついていながら君達に万が一のことがあれば申し訳が立たない」

 

過小評価、過保護──というわけではない。

きっと恵や釘崎がここにいても彼は同じようにしただろう。

君達は、と言われたが今回は美々子を鍛えるのが目的なので、菜々子は一歩離れて七海が呪霊を祓うのを見ることにした。

 

──相変わらず綺麗な動きするよね。

 

いっそ芸術的とも言えるほどに無駄がない。

流れるように構えをとった七海は呪霊とすれ違った一瞬のうちに鉈を振り抜いていた。

一拍おいて呪霊の手足がパタリと倒れ、更に一拍おいて呪霊の本体が崩れ落ちる。

 

「えー……黒閃なしぃ? あれ見るの好きなんだけど」

 

「この程度の相手には無用ですから。そこそこで済むならそこそこでいい」

 

そこそこと言いつつも、七海の技術は並の術師を遥かに上回っている。

呪霊の手足はどれも綺麗に七:三の点で切断されていた。

あの一瞬で。

刀身が布で覆われている上に峰打ちだったのにも関わらずだ。

インパクトの瞬間に合わせて力を籠めるという単純な動作も極めれば威力は全く違ってくる。

 

──あの人が鍛えただけあるよ。

 

これで全力ではないのだから恐ろしい。

七海は自身に時間による『縛り』をかけている。

自ら呪力を一定時間制限することで、その時間以外は通常以上の呪力を行使することができるというもの。

今はまだ制限がかかっている時間。

そして黒閃も使っていないため全力にはほど遠い状態だ。

 

──黒閃を使()()なんて表現できるのはナナミンくらいだけどさ。

 

ほとんどの場合、黒閃は偶然に起きるだけのもの。

それが普通なのに。

七海はまるで意識的に出しているのかと思うほど発生率が高いのだ。

 

「もはや職人技って感じだよねぇ」

 

「菜々子!」

 

美々子の声に菜々子は振り向いた。

そろそろもう一体の呪霊も片付いただろう。

そう思っていたのに。

 

「この呪霊……おかしい」

 

美々子は震える手で宙吊りにされた呪霊を指さしていた。

呪霊の首には美々子の術式で発現した縄が巻き付き、手足はダラリと垂れ下がって確かに絶命している。

しかし、()()()()()()()()のだ。

相手が呪霊なら今の光景はありえない。

絶命した呪霊は霧散して消失するはずだ。

まさか──嫌な予感が頭を過り、菜々子はポケットからスマホを取り出してシャッターを切った。

思い違いであってほしい。

だが、嫌な予感ほど的中するものだ。

 

「嘘でしょ……」

 

「写ってる……」

 

菜々子のスマホには呪霊の姿がはっきりと写っていた。

呪霊は呪力の塊。

ゆえに呪力を流していない電子機器の類いでは姿形を捉えられない。

それが写っているということは、すなわち肉体が存在しているということ。

 

「こちらも」

 

もう一体の呪霊を撮影した七海のスマホに写っているのは腕時計をした腕。

腕時計をする呪霊がいるはずもない。

つまり──

 

「私達が戦っていたのは──人間……?」

 

◆ ◆ ◆

 

三人は映画館から移動し、近くにあった高専が所有する拠点の一つで得られた情報を整理していた。

 

「さっき『呪詛師殺し』様に電話で聞いたけど該当する術式持つ呪詛師はいないってさ」

 

「私は映画館の周りで監視カメラに映らない箇所回ってみた。でも人が通った痕跡はなし。やっぱり呪霊の可能性が高いと思う」

 

「でしょうね」

 

私のほうはこんな感じです、と七海は黒板に貼られた一枚の地図を軽くノックした。

地図には何ヵ所かマークがつけられている。

 

「ここ最近の失踪者、変死者、『窓』からの残穢の報告をまとめました。犯人は明らかに意図的に痕跡を残しています」

 

「映画館の残穢と同じように、か」

 

「また誘いをかけてきてる……ってこと?」

 

わざとこちらを挑発している。

自分はここにいるぞ、と。

絞り込んだ敵のアジトは地下水道の中──つまり一般人が入れないため戦闘になっても存分に暴れられる場所。

すぐにでも乗り込めるが確実に罠だろう。

 

「相手の情報がない以上、誘いに乗るしかないって感じぃ?」

 

「ええ。ですが、それは私だけで。二人には別の仕事を」

 

その途端、菜々子が露骨に顔を歪めた。

またか、と。

要するに足手まといと言われている。

せっかく夏油に手伝いを任されたというのに。

不満を露にする菜々子を諭すように七海は話を続ける。

 

「確かに君達は階級に見合った実力は身につけている。しかし、それでも足りない。被害の規模から今回の犯人は最低でも一級相当──もしくは特級に分類されると推測しています」

 

特級という単語に二人は息を飲んだ。

術師の中でも特級が斜めに外れた位置付けと言われるように、呪霊でもそれは同じこと。

 

「誘いをかけるということは、あちらには勝算があるということ。始めから不利を覚悟して戦わなければなりません」

 

七海が言うのだ。

これは脅しでも誇張でもない。

推測通り特級呪霊が出てくるなら、いくら七海でも二人を守りながら戦うのは無理だ。

それで全滅するのが最悪。

だからこそ七海は二人をつれていくリスクより単身で乗り込むリスクをとったのだ。

それがわからない二人ではない。

しばらく睨むように菜々子は七海を見つめていたが、やがて小さくため息を吐いて降参を示すように両手を挙げてみせた。

 

「わかった。適材適所ってことでしょ。私達は何すればいい?」

 

「よろしい」

 

一つ頷いた七海は上着の内ポケットから一枚の写真を取り出す。

どうやら街中で隠し撮りされたものらしい。

写っていたのは顔の右側を丸ごと覆うように伸ばされた髪が特徴の少年。

 

「映画館にいた少年──吉野順平。彼は被害者と同じ高校の同級生だそうです」



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第弐拾壱話

どんな話も見えている一面だけを信じてはいけない。
裏まで見通せ。
善意の裏。
悪意の裏。
そこに隠されたものを暴け。


翌日、菜々子達は伊地知の運転する車で映画館にいた少年──吉野順平を探していた。

 

「──うん、わかった。大丈夫。ナナミンいるし」

 

それじゃまたね、と菜々子は通話を切る。

 

「『呪詛師殺し』様、何か言ってた?」

 

「今回の件は手助けできないって。今、北海道で呪詛師狩ってるらしいよ」

 

被害が拡大しているため『呪詛師殺し』に手助けを頼もうとしたのだが、生憎あちらはあちらで忙しいらしい。

『呪詛師殺し』も夏油も頼れない。

一応確認してみたところ、五条も別の任務で出張になったらしい。

 

「何かさぁ……特級呪霊が絡んでる可能性あるのに、ナナミン一人に任せるとかおかしくない?」

 

「うん。本当なら地方の事件片付けるより、こっちを夏油様に任せるべきだと思う」

 

「きな臭いよねぇ……」

 

特級呪霊に勝てるとすれば特級術師か一部の一級術師。

確かに七海の実力は一級の中でも頭一つ飛び抜けているが、夏油と五条を地方に行かせてまで七海に特級案件を任せるだろうか。

どうにも配置がおかしい。

特級案件から特級術師を外して何の得がある。

任務の成功率を下げるだけではないのか。

二人は頭を捻るが、ここまでの調査で得た情報だけでは何とも判断し難い。

呪術界そのものがきな臭い噂で溢れすぎているのだ。

疑い始めればキリがない。

二人がため息を吐いて俯いたそのときだった。

 

「いました。吉野順平です」

 

伊地知の声に二人が後部座席から身を乗り出す。

車の前方にいるのはコンビニのビニール袋を下げた私服の少年。

顔と背格好も写真と一致する。

 

「私服ってことは学校はサボり?」

 

「ええ。しばらく高校には行っていないようです」

 

車のまま近付くと気付かれるので、ある程度人気が少なくなったところで三人は車を降りる。

降りる際に伊地知が助手席から手にとったのは二匹の蝿頭が入った小さな檻。

これが今回の任務の要だ。

この蝿頭にわざとターゲットを襲わせ、その反応で危険性を判別する。

 

「手順はわかっていますね?」

 

「呪いが見えない非術師の場合は私達が救助ぉ」

 

「見えるけど対処できない場合は助けた後に事情聴取」

 

「祓った場合は即時拘束。それが私達の手に負えない場合は一旦退いてナナミンと合流」

 

「合ってるよね?」

 

「ええ。問題ありません」

 

やり方としてはかなり荒っぽいが仕方ない。

誤認ならそれでいい。

少し距離をとりながら追っていくと、やがて人通りが途切れてきた。

そろそろ頃合いだろうと三人は電柱の影から顔を出す。

 

「行きますよ」

 

「待って……誰かいる」

 

「え?」

 

伊地知──痛恨のミス。

ターゲットの目の前に男がいたのを見逃していた。

しかし、美々子の言葉より先に蝿頭は檻から飛び出してしまっている。

 

「周りの確認くらいしろよバカァ……!」

 

「す、すいません……」

 

菜々子が小声で怒鳴るがもう遅い。

飛び出した二匹の蝿頭のうち一体はターゲットのほうへ。

もう一体はまるで見当違いの方向へ飛んでいく。

 

「あっち追って! こっちは見ておくから!」

 

「はいぃ……」

 

別方向へ飛んでいった蝿頭を伊地知に任せ、菜々子と美々子はもう一体の動きを追う。

まさかこんな形で躓くとは。

 

「ってか何あの男。デブ過ぎて邪魔なんだけど」

 

「ちょっと近付く……?」

 

手前にいる男が邪魔でターゲット本人が見えなくなってしまっている。

美々子の言う通り近付いたほうがいいだろう。

二人は電柱の影から出て、あくまで自然な様子を装ってゆっくりとターゲットのほうへ歩いていく。

 

「何をブツブツ言って──痛っ!? 何だ!?」

 

そして、ターゲットのほうへ飛び出した蝿頭は手前にいた男へ攻撃し始めた。

しかし、蝿頭は四級にも満たない低級呪霊。

襲われたところで死にはしない。

男の横を通り過ぎ様、素早く手を伸ばして肩に乗っていた蝿頭を引き剥がす。

 

──あ、見えてるね。

 

その時、順平の視線は菜々子の手──ちょうど蝿頭がいる位置に向けられていた。

見える側の人間であることは確定。

後は術式の有無とその内容だ。

 

「ねぇ、アンタ」

 

「え? 僕ですか……?」

 

いきなり現れた菜々子達に順平は困惑した様子を見せるが、見える側の人間とわかった以上、術式があってもなくても事情聴取はしなければならない。

 

「うん。聞きたいことあるんだけど、ちょっと来てくれない?」

 

「おい! 今オレが話してるだろ! 失礼だな」

 

「あ? 急ぎなんだけど」

 

「急ぎィ? ()()()()()()──」

 

「はー……うざぁ」

 

緩慢な動きで菜々子の手が男の胸ぐらを掴む。

何となく察しがついた。

順平とは顔見知りだったようだし、昼間にこんなところにいるあたり、この男は高校の担任だろう。

それが()()では学校に行きたくないというのも納得だ。

 

「お前みたいな体だけデカい子供に言われたくねーよ」

 

タイミングがいいのか悪いのか偶然そこに通りがかったのは廃品回収のトラック。

菜々子はそれを見てニヤリと笑うと身体を呪力で強化──同時に男の足を払う。

夏油仕込みの体術だ。

体格差があろうが素人一人投げるくらいどうということはない。

 

「がはっ!?」

 

宙を舞った男は綺麗な放物線を描いてトラックの荷台に放り込まれた。

そのままトラックは角を曲がって見えなくなってしまう。

後には一仕事終えたとばかりにパンパンと手を払っていい笑顔を浮かべる菜々子、小さく拍手している美々子、そして唖然とした表情で固まる順平が残された。

 

「邪魔者は消えたし……ほら、行くよ」

 

「あ、あの……」

 

「ん? 何か用事ある?」

 

「ない……けど。えっと……わざわざあんなことしなくても僕だけ引っ張っていけばよかったんじゃ……」

 

「んー……でもアンタ、アイツ嫌いじゃん?」

 

「──! 何で……」

 

「さっきので十分わかるっつーの。それに何かちょっとすっきりした顔してるし」

 

再度、行くよ、と告げて菜々子は歩き出す。

順平は僅かに迷う様子を見せたが、美々子が背を押したことで少々戸惑いながらも足を踏み出した。

 

「──ここでいいか」

 

少し移動して足を止めたのはそこそこ広さのある河川敷。

人気はないし、内緒話にはうってつけ。

そして彼が暴れても大丈夫な場所。

とりあえず順平を座らせ、両側にそれぞれ菜々子と美々子が腰を下ろす。

 

「それで……聞きたいことっていうのは……」

 

「この間、アンタ映画館行ったでしょ。何か変なモノとか人とか見なかった?」

 

「────!」

 

順平の表情が一瞬だけ強張る。

しかし──

 

「──いや……()()()()()

 

「……そう。わかった」

 

なぜ嘘を吐く。

順平が映画館を出たのは上映が終わり、室内のライトがつけられてから。

間違いなく死体を見ているはずだ。

あの無惨に変形させられた同級生達を。

犯人だから知らないふりを通しているのか。

または自分が犯人にされることを恐れているのか。

それとも何か他に隠しておきたいことがあるのか。

 

──隠しておきたいこと……か。

 

「美々子、押さえてて」

 

「ん……了解」

 

「ちょっと失礼。触るよ」

 

「は? えっ……ちょっ……」

 

「あー、こら、ジタバタすんなって」

 

美々子に順平の肩を押さえてもらい、菜々子は彼の身体を上から順にペタペタと触っていく。

先ほどから感じていた違和感。

菜々子の予想が正しければ──

 

「痛っ……」

 

腹に触れた瞬間、順平が顔をしかめた。

そして、顔を逸らしたことで前髪に隠れていた額のヤケドの痕が露になる。

形からしてタバコを押し付けられたらしい。

 

「虐待……? いや、イジメか」

 

「な、何で……」

 

「歩き方。何か庇ってるみたいだったから。後は学校行ってないあたり、それくらいしか理由ないでしょ。担任も()()じゃ頼りにならないだろうし」

 

恐らく複数人に暴行を受けたのだろう。

腹のケガは触った感触では打撲程度のようだが。

 

「でも、自分から喧嘩売りにいくタイプには見えないよね、美々子」

 

「たまたまクラスの中のガラの悪い連中に目をつけられたってところじゃないかな、菜々子」

 

「何でわかるのさ……そうだよ」

 

順平が反抗的な態度をとったのが気に入らなかった彼らの行動は徐々にエスカレート。

しかし、担任である外村はそれを「仲良くしてやっている」などと言う。

順平も溜め込んでいた鬱憤があったのだろう。

一度口を開けば怒濤のように愚痴が吐き出された。

その中で出てきたいくつかの名前。

佐山、西村、本田──それは映画館で亡くなった三人の名前だ。

 

──他の二人……伊藤とツバサって名前は聞いたことないけど……動機は十分か。

 

「他に誰かに相談しなかったわけ? 親とか」

 

「ウチ、母さんだけだから心配かけたくなくてさ……」

 

話をしながら菜々子は思考を巡らせる。

 

──イジメられてた復讐に殺したと考えれば筋は通る……けど、何か違う。

 

イメージが合わない。

何となく呪術師(こちら側)に近い暗さはある。

だが、映画館の遺体を見たときに感じたような強烈なドス黒さのそれではない。

実行犯ではないからか。

例えば順平が同級生達を誘い出す役で呪霊が殺す役だったとしたらどうだろう。

 

──それが自然ではあるけど……それなら犯人は何のために痕跡を残してる? どう見ても私達を誘い出すためだよね。

 

何か見落としてはいないか。

菜々子は監視カメラの映像を思い出す。

そう言えば監視カメラに映っていた順平は、まるで何かを追いかけているようではなかったか。

現場から逃げたのだと思っていたが、映画館から出るまでの間、順平は一度も後ろを振り返ることはなかった。

あの惨状以上に目を引くものが視線の先にあったのか。

 

──もしかして……逆?

 

犯人と順平が組んで三人を殺した可能性ばかり考えていた。

だが、犯人が痕跡を残すために三人を殺すのを見たことで順平が接触した可能性もあるのではないか。

残りの二人を殺すために。

 

──でも、その伊藤とツバサってヤツが死んだって連絡はないし、何より犯人は今頃乗り込んだナナミンとぶつかってるはずだし……。

 

他愛ない話を続けながら菜々子はチラリとスマホに目を落とす。

時間は十八時を過ぎたところ。

しかし、七海から任務完了の報告は来ていない。

予想以上に長引いているのか。

 

──どうするかなー……コイツを放置するのは絶対ダメだし。

 

順平からこれ以上の情報は引き出せそうにない。

伊地知に今後の動きをどうするか聞きたいが、まだ蝿頭を追っているのか、さっきから何度コールしても留守電になってしまう。

自分達の判断で動くしかないか──そう考えていたとき。

 

「あれ? 順平」

 

「母さん!」

 

後ろからの声に三人が振り向けば、堤防の上に一人の女性が立っていた。

彼女が先ほど順平が言っていた母親だろう。

夕飯の買い物帰りなのだろうか。

腕に下げたビニール袋からネギが飛び出している。

階段を下りてきた彼女は、ふと順平の両脇にいる二人を交互に見て目を瞬かせた。

 

「え? 何? 彼女? しかも二人?」

 

「ち、違うって! さっき会ったばかりだよ」

 

手を振って否定する順平だが、母親のほうはすっかりテンションが上がってしまった様子で「照れるなよー」とニヤニヤと笑いっぱなしだ。

すると菜々子はこれ幸いとばかりに人の良さげな笑みを浮かべて母親に近付いていく。

 

「ちーっす。さっき逆ナンさせてもらいましたぁ」

 

「あははっ! えー、マジかー。名前何ていうの?」

 

「菜々子でーす」

 

「美々子」

 

「菜々子ちゃんと美々子ちゃんか。ねぇ、何でこの子に目ェつけたの?」

 

「あー……何かいけそうだったから?」

 

それを聞いた途端、順平の母親は腹を抱えて大笑いし始めた。

笑いすぎて目尻には涙まで浮かんでいる。

 

「私達ぃもう少し彼と話したいんですけどぉ」

 

「ああ、全然いいよ。ねぇ、よかったら二人ともウチで晩ごはん食べていかない?」

 

「ちょっと!? いきなり何言ってんのさ!」

 

「だってアンタ、彼女どころか友達だってほとんど家につれてきたことないじゃない。二人だけで寂しく食べるよりいいでしょ」

 

「ありがたくゴチになりまーす」

 

「なりまーす」

 

うまくいけば家に入り込めるかもと考えていた菜々子はトントン拍子に話が進んだことに内心でほくそ笑んでいた。

順平の家に戻る道すがら母親──凪にもさりげなく蝿頭をチラつかせてみたが、彼女のほうは完全に見えない側の人間らしい。

 

──まあ、術式も完全に遺伝ってわけじゃないしね。

 

例えば夏油がそうだ。

夏油の両親は二人とも見えない側の人間で術式もない。

呪術自体まだまだブラックボックスの部分が多く、術式の発現のしやすさや遺伝の優性についての研究はほとんど進んでいない。

 

──術式はまだわからないけど、とりあえず得られた情報は伝えておくか。

 

家に辿り着いて凪が夕食の準備を始めたところで、ちょっと保護者に連絡してくる、と言って菜々子はリビングを出る。

伊地知を呼び出して今の状況を伝えると、彼が頭を抱えたのが電話越しに伝わってきた。

蝿頭を使った作戦は周囲の確認を怠ったせいで失敗し、フォローのために菜々子達を殺人に関わっているかもしれない人間に接触させ、あまつさえ彼女達が今いるのはその人物の自宅。

これで順平が暴れて菜々子達に何かあろうものなら──

 

「私の監督者としての責任が……」

 

「近くで監視してたほうがいいじゃん。犯人と接触してるのは間違いないし」

 

「何か気付いたことが?」

 

「私達みたいな学生が殺人事件について聞いてるのに、アイツは一度も「何でそんなことしてるのか」なんて聞かなかった。呪術師や高専のこと知ってるんだよ。多分、ナナミンが追ってる本命が何か吹き込んだんじゃない?」

 

「なるほど……ですが、それならやはり一度戻って七海さんと合流したほうがいいのではないでしょうか。犯人と繋がっていることがわかった以上、彼の近くにいるのは危険です」

 

「何か術式持ってるかもしれないけど、少なくとも家の中で暴れることはないと思う。母親に心配かけたくないからってイジメられてることも言ってないようなヤツだし。目を離した隙にまた犯人と接触されても厄介でしょ」

 

「……わかりました。しかし万が一の場合はすぐに逃げてください」

 

「りょ」

 

電話を切ってリビングに戻る。

台所を見れば美々子が凪に教わりながら何か作っていた。

 

「母さんも警戒心なさすぎだろ……」

 

一方、部屋の反対側のソファには頭を抱えた順平が。

菜々子は順平に近付くと隣に腰かける。

 

「ちょっと強引だったのは悪かったよ。珍しくってさ。母親っていうのが」

 

「え……それって……」

 

「うん。私達の親は物心ついた頃には二人ともいなくて。思い出も顔も記憶にないんだよね」

 

村の連中の言い方からすると二人とも術式を持っていたらしいが、わかっている情報はそれだけだ。

どんな人物だったのか。

なぜいなくなったのか。

失踪したのか死亡したのか。

死亡したなら死因は何なのか。

今更探るつもりはないが。

 

「だからアンタは大事にしなよ」

 

「うん……」

 

母親思いの善人。

それが菜々子が順平に抱いた印象だった。



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第弐拾弐話

二人とも飲み物は?

ギムレット。

別の意味で早すぎると思うよ……。


「美々子ちゃーん」

 

「凪さん……手の動きが何か怪しい」

 

「よいではないかー、よいではないかー」

 

「最悪の酔っぱらいだ……」

 

吉野家のリビングに順平と凪以外が入るのは久しぶりのことらしい。

そのせいか凪のテンションは酔いも手伝ってかなり高い。

 

──これが普通の家……か。

 

菜々子はそれを見ながら思う。

普通の家。

普通の家族。

これが当たり前。

これが日常。

『呪術師殺し』が日向の側と表現するのも納得だった。

明るく笑う彼女を見る度、自分が()()とはズレた世界の人間なのだと思ってしまう。

 

「あれ? 凪さん? 寝た?」

 

「ああ、かけるもの持ってくるよ」

 

菜々子が色々と考えている間に凪は美々子に抱きついたまま寝てしまったらしい。

美々子の肩口に顔を埋めてスヤスヤと寝息を漏らしている。

凪が酔い潰れるのはいつものことらしく、順平は慣れた様子で凪にかけるものを取りにいった。

 

「あ、ゴメン。電話だ」

 

すると、菜々子のスマホに着信。

伊地知からだ。

何かあったのか。

菜々子が出ていった直後、入れ違いで順平がリビングに戻ってくる。

 

「あれ? あの子は?」

 

「電話だって」

 

「ふーん」

 

凪に持ってきたタオルケットをかけてやりながら順平は横目でチラリと美々子を見た。

 

──ずっと気になってるんだけど何でこの子はぬいぐるみ持ち歩いてるんだろ……首に縄付いてるし。

 

河川敷に行く間もすれ違い様こちらを見る人々の視線が気になっていたのだ。

菜々子が前面に出ることが多いため、美々子は影に隠れがちだが、そこそこ大きなぬいぐるみを持つ女子高生というのはどうしたって目を引く。

しかも縄付きで。

どう見ても首吊りを連想させてしまう。

 

──術式……なのか?

 

すると、いつの間にか美々子が首を傾げて順平のほうを向いていた。

 

「…………? 何か聞きたいことある? そんな顔してる」

 

「あ、えっと……その……君達は呪術師なんだよね?」

 

「そうだけど……」

 

「人を……殺したことある?」

 

言ってから順平はハッと気付く。

今自分は何と言った?

そんなことを聞きたかったわけではないだろうに。

気付けば自然と口から飛び出していたのだ。

だが、不思議なことに取り消そうという気は微塵も起きず、ジッと美々子の目を見つめていた。

そして、美々子もまた順平の目を見つめていた。

その真意を探るように。

見つめ合うこと数秒──

 

「──ない」

 

美々子の答えは否定。

しかし、美々子はそのまま続けた。

 

「……けど、()()って感じ」

 

いつだって『殺す』という選択肢はそこにある。

それを選んでこなかったのは偶々だ。

先日戦った元人間の二人──解剖の結果、死因は身体を無理矢理改造されたことによるショック死だと家入は言っていた。

君が殺したんじゃない、そのあたりを履き違えるな、とも。

 

「私達は警察じゃない。()()()()()()()()()()()()人を殺しても本当の意味で裁かれることがない。だから、()()()()()()()()()()()()()()()

 

「正義が……なくても……」

 

呪術界にとってメリットがある──それが呪術師の免罪符。

非術師を救うため、というもっともらしい建前はあるが、上層部が求めるのは自分達の利益と安全だけだ。

大体、利益のためなら術師さえも適当な理由をでっち上げて消そうとするヤツらの中に真に非術師のことを考えている者がいるだろうか。

断じて否だ。

非術師が何人死のうと、術師が何人死のうと、呪術界にメリットがあれば上層部は黙認するだろう。

 

「だからって積極的に殺したいなんて思わないけど。そこの壁はやっぱり大きいよ」

 

「そっか……」

 

◆ ◆ ◆

 

「ナナミンが祓いきれなかった? マジで?」

 

「全身を粉々にしたそうですが生きている可能性が高いと。戦ったのは特級相当のつぎはぎ顔の人型呪霊。術式は魂に触れ、その形を変える──だそうです」

 

「魂ぃ……?」

 

伊地知からの電話をとった菜々子は思わず怪訝な声を出した。

呪い自体スピリチュアルなものとはいえ、魂云々の話は聞いたことがない。

生得領域とは別物らしく、自身の魂を知覚していなければ、その呪霊にダメージは与えられないのだと。

 

「攻撃してもノーダメージって……チートじゃん」

 

「ええ。ですから吉野順平の監視中に会敵しても絶対に戦わないこと。全力で逃げに徹してください」

 

「わかった。美々子にも伝えるよ」

 

電話を切った直後、文章で改めて伊地知から敵の情報が送られてきた。

言動、戦法──それらから感じる並の呪霊以上の狡猾さ、残忍さ。

 

──予想以上にヤバいヤツが絡んできてるっぽいなぁ。

 

七海が祓いきれなかったとなるとかなりの手練れ。

しかし、夏油も五条も出張中。

『呪詛師殺し』も北海道で仕事の真っ最中ときた。

 

「何もないことを祈るしかない……か」

 

◆ ◆ ◆

 

「次どれにしよっかなー。美々子、どんなの見たい?」

 

「恋愛映画見たい……ハッピーエンドのヤツ」

 

「いいね。ねぇ、何かオススメある?」

 

「それなら──って……何で普通に僕の部屋にいるわけ!?」

 

夕食の後、菜々子と美々子は順平の部屋でまったりと映画鑑賞をしていた。

順平は相当の映画好きらしく、壁には映画のポスターが貼られ、本棚には映画の原作がずらりと並んでいる。

品揃えは名作からマイナーなものまで何でもござれ。

 

「だってリビングで騒ぐと凪さん起こすかもじゃん?」

 

「寝かせてあげるべきだと思う」

 

「帰るって選択肢は……」

 

「どうせ帰っても美々子と二人だけだし。それならここで映画見てたほうがいいっていうか。どうせ明日も学校サボるんでしょ。いっそオールしない?」

 

「賛成」

 

「君達さぁ……はぁ」

 

どこまでも自由な二人に順平は呆れながらも無理矢理追い出すようなことはしなかった。

 

──誰かと映画見るなんていつぶりだっけ。

 

凪は映画にあまり興味はなかったし、せっかくできた友達も順平がイジメられるようになってからは世間話の一つすらしていない。

それまでは同じ映画好きということで好きな映画の話題で盛り上がっていたのに。

 

「ねぇ、聞いてる?」

 

「え? ああ、うん。僕のオススメは──」

 

◆ ◆ ◆

 

「こんな時間にコンビニに行くことになるとは……補導されなくてよかった」

 

丑三つ時、映画を見ていたはずの菜々子、美々子、順平の三人は外にいた。

ため息を吐く順平の手にはコンビニの袋がぶら下がっている。

というのも映画を見ている最中にポテチとコーラがないということが発覚し、菜々子の鶴の一声で買いに行くことが決まったのだ。

 

「お家映画にはポテチとコーラでしょーが。ねぇ、美々子」

 

「常備してないとか映画好きとしてありえないね、菜々子」

 

「そこまで言う!?」

 

「これでオールの準備はバッチリだし、心置きなく続きが見れる──」

 

そう言いながら玄関の扉を開けた途端、ぞわり、と嫌な気配が菜々子の背を走る。

 

「────! 美々子!」

 

「うん……ヤバい」

 

「え? 何? どうしたの?」

 

いきなり二人が緊張した表情に変わったことで戸惑う順平をおいて菜々子は家の中に飛び込んでいく。

息が詰まりそうになるほど濃い呪いの気配。

というより濃すぎて気配の源がわからない。

無事でいてくれと願いながら肩からぶつかるような勢いでリビングの扉を開ける。

 

「凪さん!」

 

「ん? あ、菜々子ちゃん。まだ帰ってなかったんだ──」

 

起きていたらしい凪は呑気にこちらに視線を向けるが、その背後には呪霊が迫っていた。

 

「チッ」

 

呪力で足を強化し、一歩で呪霊との間合いを詰めると勢いそのままに蹴り飛ばす。

どういうことだ。

なぜ普通の家で呪霊が発生している。

 

「菜々子!」

 

一瞬遅れて美々子と順平もリビングに入ってきた。

すぐに事態の異常性を察したらしい美々子は壁に叩きつけられた呪霊をターゲットに設定し、ぬいぐるみの首に巻き付いた縄を引く。

瞬時に空中から出現した縄がギリギリと呪霊の首を締め付けてへし折った。

 

「はー……危な。何でこんなところに呪霊が湧いてんの? 住宅地のド真ん中でしょ、ここ」

 

「菜々子! これ……」

 

「これって……宿儺の指じゃん……」

 

美々子が床から拾い上げたのは剥き出しの宿儺の指。

これが元凶であることは明白だった。

 

「母さん!」

 

なぜこんなものが──と考えようとしたところで順平の声がそれを遮る。

振り向けば起きていたはずの凪が机に突っ伏していた。

宿儺の指は猛毒。

その気配は術師である菜々子達でさえ息苦しくなるくらいなのだ。

呪いに耐性のない凪が当てられてしまうのも無理はない。

色々と考えたいところだが、まずはここから離れるのが先決だ。

菜々子の連絡で伊地知が()()()()の病院を手配し、凪はそこに運びこまれた。

回収した指も伊地知の応急の封印によって、これ以上呪霊が寄ることはないとのこと。

 

「呪いの気配に当てられただけだから多分大丈夫だろうってさ。私は伊地知さんに状況説明してくるから美々子はここにいて」

 

「うん。わかった」

 

ベッドに寝かされている凪を順平は悲痛な表情で見つめている。

唯一の肉親がいきなり倒れたのだから無理もないだろう。

それも呪いによって。

 

「ウチにあったアレって……」

 

「特級呪物 両面宿儺の指……そこにあるだけで呪いを寄せる最悪の呪物」

 

「何でそんなものがウチに……」

 

「誰かが意図的に置いたとしか考えられない」

 

特級呪物が家の真ん中に落ちているなんてありえない。

誰かが家に放り込んだのだ。

だが、何のために。

間違いなく一連の事件絡みだと考えられるが、

順平一人を始末するのにわざわざ特級呪物を使うだろうか。

しかも、順平は菜々子達とコンビニに行って家にはいなかったというのに。

考えに耽る美々子の隣で順平はふらふらと立ち上がる。

 

「ゴメン、母さん見ててくれる? ちょっと外の空気吸ってくる」

 

「え? ちょっ──」

 

美々子の言葉を最後まで聞く余裕すら今の順平にはなかった。

飛び出すように病室から出た順平。

彼の頭の中には「なぜ?」という思いだけが渦巻いていた。

どうしてこうなった。

普通に暮らしていただけのはずなのに。

なぜ自分にばかり不幸が降りかかる。

イジメの主犯格の伊藤。

彼に媚びへつらう取り巻き達。

イジメられている自分を見て自分の立ち位置を確認する女。

その状況を、構ってやっている、と表現する担任。

遠目から見ているだけの同級生達。

トドメのように今回の件で凪が倒れた。

命に別状はない、直に目を覚ます、高専が調査してくれる──などと言われても問題は既にそこではない。

凪はもう少しで呪霊に襲われて死ぬところだったのだ。

未遂だから何だというのか。

到底許せるわけがない。

そして、覚束ない足取りのまま病院から出たときだった。

 

「やあ、順平」

 

「真人さん……」

 

横から声をかけてきたのは、つぎはぎ顔の特級呪霊──真人。

映画館で高校生達を殺した張本人。

そしてここ数日、順平に呪術のことを教えてくれた人物でもある。

 

「酷い顔してるね。何かあったのかい?」

 

「母さんが──」

 

真人は順平が語るのを黙って聞いていた。

話が終わると真人は順平の肩に優しく手を置く。

辛かったね、と。

 

「人を呪うことで稼いでいる呪詛師は多い。そういう連中の仕業だろう」

 

「呪詛師……?」

 

「悪質な呪術師のことだよ。彼らは金さえ払えば殺しでも誘拐でも何でもやる。心当たりはないかい? 君や母親を恨んでいる人間。もしくは暇と金をもて余した薄暗い人間に」

 

「あ……」

 

いた。

真人が今言った条件にソックリ当てはまる人物が。

 

「犯人に心当たりがあるって顔だね。じゃあ、どうする? ソイツを問い詰めにいく? それとも君と一緒にいた高専の学生に頼る? もしくは──」

 

──君自身の手で殺す? と真人は何でもないことのようにそう言った。

ハッとして順平は顔を上げる。

真人は以前言っていた。

全ては巡るだけのもの。

腹が減れば食べるように殺したいなら殺せばいい。

生き様に一貫性なんて必要ない。

ならばいいのだろうか。

今まではダメだと思っていた。

今まではできないと思っていた。

今までは、だ。

順平は自分の手に目を落とした。

今は力がある。

真人が開花させてくれた力が。

 

「俺は順平の全てを肯定するよ」

 

ダメ押しとばかりに告げられたその言葉が順平の足を踏み出させた。

一線を越えてしまう一歩を。



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第弐拾参話

拾った大尉の軍服着てもオマエの中身は弱虫の脱走兵のままなんだよ。


「闇より出でて闇より黒く。その穢れを禊ぎ祓え」

 

里桜高校に降りた『外からは入れる』『内からは出られない』という効果を付与した帳。

あくまでも呪力の弱い者は、という条件だが。

 

「おー、できたできた」

 

校舎の屋上には二人の人影があった。

一人は真人。

もう一人はファミレスで漏瑚達と一緒にいた縫い目の男。

 

「もう高専に指を回収させるという目的は果したし、あの子に構う必要はないだろう?」

 

「まだ色々試したいこともあるしね。最期に呪術師釣る餌になってもらおうかなって。順平の家に直接乗り込んでもよかったけど、こっちのほうが面白そうじゃない?」

 

真人は発生して間もない呪霊。

貪欲に成長を楽しんでいる。

手当たり次第に人間を実験材料にして、更にその痕跡を追ってきた術師との戦闘も実験の一つとしか見ていない。

まだ真人には大きな伸び代がある。

今は自分や他人を変形させるだけだが、使い方によっては真人の術式──『無為転変』はまだまだ応用が利く。

今の段階でも五条(最強)が出てこない限り負けることはないだろうと踏んだ男は、好きにすればいいさ、と言って背を向けた。

 

「あれ? 君も見ていけばいいのに。きっと楽しいよ。愚かな子供(ガキ)が死ぬところは」

 

「色々と忙しくてね。何せ人手がないから」

 

◆ ◆ ◆

 

「クッソ……どこ行ったアイツ」

 

「ゴメン、菜々子……私が目を離したから……」

 

「いいって。まだいなくなっただけなんだし」

 

順平が病室を出てから既に三十分。

空気を吸ってくると出ていったにしては遅すぎる。

病院内を探してもそれらしき人物はいない。

すると、菜々子の携帯に再び地下水道の調査に出向いていた七海から着信があった。

 

「七海です。たった今、里桜高校──吉野順平の通っている高校に帳が降りたと『窓』から通報が」

 

「……ってことは」

 

「多分……そこにいるはずだよね」

 

行方を眩ませた順平。

順平の母校に降りた帳。

あまりにもタイミングが良すぎる。

今度は何を企んでいるのか。

いずれにしろロクなことではないのは確かだ。

早く行かなければ手遅れになる。

二人が里桜高校に向かおうとしたところで、ダメです、と七海から待ったがかかった。

 

「帳まで降りたとなるとヤツは生きている上、里桜高校にいる可能性が高い。行っては行けません」

 

「──っ!」

 

七海の言葉に菜々子は歯を食いしばる。

まただ。

子供だから。

学生だから。

それだけで何もさせてもらえない。

しかし、七海の言っていることは正しい。

特級呪霊のいる現場だ。

二級の二人が行ったところで祓える可能性はないに等しい。

七海と合流して態勢を整えてから向かうのがベストなのだろう。

だが、そうして待っている間に順平は何かしようとしている。

 

「すぐに戻ります。君達は待機して──」

 

「『()()()()』!」

 

菜々子の叫びに七海の言葉が止まった。

 

「それが私達の信念だ……!」

 

七海が菜々子達を守ろうとしているように、彼女達だって順平を守ろうとしている。

子供でも、学生でも──それでも彼女達は呪術師なのだ。

 

「ここでアイツ見捨てたら……何のために呪術師(私達)がいるんだよ!」

 

言い切ると同時に菜々子は通話を切って走り出す。

美々子もすぐさま後を追いかけた。

 

「ああもう……バカなことした!」

 

「菜々子は勢いに任せすぎ」

 

「わかってるっての!」

 

無駄──犬死──そんな言葉が頭を過る。

死ぬ覚悟があるかと聞かれればそれは否だ。

死にたくない。

今も緊張で身体が強張っているのがわかる。

それでも行くと決めたのだ。

 

「何であんなヤツのために……」

 

わざわざ七海に歯向かって。

少し前に知っただけの男のために。

人殺しをさせないため?

凪を悲しませないため?

呪術師の仕事だから?

 

「簡単だよ、菜々子」

 

「ん?」

 

()()──あの人がよく言ってるでしょ」

 

彼女は言っていた。

それはとてつもなく厄介なものなのだと。

理屈でどうにもならない感情論。

 

「結局、私達は順平が死ぬのを見たくない。そうじゃない?」

 

「……そうかも。面倒なところまであの人に似ちゃったなぁ……っと!」

 

すると病院を出たところで突然黒塗りの車が二人の行く手を遮るように目の前に飛び込んできた。

それは見慣れた高専所有の車。

伊地知まで止めにきたのか。

菜々子が顔をしかめるが、運転席の窓から顔を出した伊地知は真剣な表情で二人に後部座席を示した。

 

「乗ってください」

 

普段の伊地知なら間違いなく止めただろう。

意外な言葉に菜々子と美々子は顔を見合わせるも迷っている時間はない。

二人が後部座席に乗り込むと同時に伊地知は車を発進させる。

 

「止められると思ってたんだけど?」

 

「止めたいのは山々ですし、止めるのが大人の義務でしょう。私達の仕事は人助けです。その中にはまだ君達学生も含まれます」

 

ですが、と伊地知は続けた。

 

「止めたって聞かないでしょう?」

 

五条や夏油のせいでワガママを聞くことには慣れている。

しかし、それは彼らに力があるからだ。

今の菜々子達に事態を解決できる力があるかと問われれば間違いなく否と答えるだろう。

だが、情に厚い二人のこと。

止めても行くに決まっている。

力がなくても。

死ぬかもしれない危険を冒しても。

ならば、これ以上事態が悪化して手遅れになる前に二人を送り届ける──それが伊地知にとれる最高の選択だった。

不本意極まりない選択だが。

 

「絶対に死なないこと──これだけは約束してください」

 

「「うん」」

 

通勤ラッシュの渋滞をかわすために裏道を全速力で走り抜ける。

今日に限っては道交法も無視だ。

その甲斐あって三人を乗せた車は、ものの数分で里桜高校に到着した。

 

「私は他に動ける術師がいないか声をかけてみます」

 

ご武運を、という伊地知の言葉を背に受けながら二人は帳の中に突入する。

 

「どこ?」

 

「校舎に人の気配がないってことは……体育館とか?」

 

そう言った途端、体育館から呪力の気配。

二人はすぐさま体育館へ走る。

体育館の扉を開けると、そこには里桜高校の生徒の大半が倒れていた。

倒れていないのは三人だけ。

ステージにいる順平とその正面でクラゲの式神に吊り上げられている男、そしてステージの下で呆然としている担任。

 

──多分あれがイジメの主犯格だよね。

 

なぜこんなことになっている。

なぜ順平はいきなり学校を襲撃した。

 

──ひょっとしてアイツが指を放り込んだ犯人だとでも言われたとか?

 

「バッカじゃないの……」

 

「引っ込んでろよ、呪術師」

 

そう言う順平の目を菜々子達は知っていた。

どろりと黒く濁った薄暗い目。

初めて会ったときの夏油と同じ目。

 

「ここ任せていい? 美々子」

 

「そっちは頼むよ、菜々子」

 

呪力で足を強化し、菜々子は順平に向かい、美々子は式神に吊り上げられている男に向かっていく。

生徒が床一面に倒れているここでは戦えない。

まずは順平をここから遠ざける。

順平も二人の対処を優先するべきと判断したらしい。

吊り上げていた男を放り出し、菜々子の拳や蹴りをかわしながら校舎のほうへ逃げていく。

 

「『澱月』!」

 

クラゲの式神から伸ばされた触手をかわすと、とりあえず菜々子は式神に蹴りを食らわせる。

だが、ダメージが入った気配はない。

柔らかい胴体に衝撃が吸収されているらしい。

 

──式神を倒すよりセオリー通りに術師を狙ったほうがいいか。

 

「もう一度言う! 引っ込んでろよ、呪術師! 関係ないだろ!」

 

「うるさいなぁ! アンタが私のやることに指図すんな!」

 

「無闇な救済に何の意味があるんだ! 命の価値を履き違えるな!」

 

再び伸ばされた式神の触手が廊下いっぱいに膨れ上がって菜々子を包み込む。

 

「霊長ぶっている人間の感情……心は! 全て魂の代謝──まやかしだ! まやかしで作ったルールで僕を縛るな!」

 

順平はそう言って背を向けた。

死ぬほどの毒は注入していない。

数時間意識を失う程度のものだ。

 

「奪える命を奪うことを止める権利は誰にもない。そこで寝ててよ。僕には戻ってやることがある」

 

人に魂はあっても心はない。

命に価値や重さはない。

ただ世界を回るだけのもの。

だからこそ何をしてもいい。

どう生きようと自由なのだ。

順平が数日前に教えられた言葉。

そして、これが順平が選んだ生き方だ。

伊藤は殺す。

呪物を置いたのがアイツでもそうでなくても。

そうされるだけのことをアイツはしてきたのだから。

ああ、でもそうすると体育館にいる美々子も対処しなければ──そう考えていたときだ。

 

「自由は魂が呼吸する権利。呼吸を奪われた魂は絶命する*1──だっけ?」

 

「え?」

 

声が聞こえた瞬間、順平の真横にあった窓ガラスが砕け散り、菜々子が外から飛び込んできた。

廊下いっぱいに触手を広げて自ら死角を作ったのは失策だ。

式神が触手を伸ばしてきた瞬間、菜々子は手近にあった消火器を身代わりにして自分は窓から外へ脱出。

そして外壁を伝って移動すると順平の真横から奇襲を仕掛けたのだ。

驚いて動きを止めてしまった順平に攻撃を避ける術はなく、もろに腹に拳を食らって吹っ飛んだ。

 

「ぐっ!?」

 

これが夏油なら近接が苦手だというフリで近付かせた上で首をへし折られる──という可能性があるが、それがない順平では何も怖くない。

 

「さっきから何か語ってるけどさぁ……アンタの言葉じゃないでしょ、それ」

 

借り物の薄っぺらい言葉を並び立てられたところで何も感じない。

菜々子の脳裏に『呪詛師殺し』の言葉が過った。

 

──マインドコントロールに一回陥ると自分で考えることを放棄して指示者の言うことしか聞かなくなる。真偽や善悪がどうであれ、それが絶対だってね。

 

魂──と言っていたあたり、恐らくは一連の事件の犯人に吹き込まれたのだろう。

ただでさえイジメに遭って精神的に不安定になっているところに宿儺の指の件も重なったのだ。

甘い誘いをかけられれば理性は簡単に崩壊する。

 

「無闇な救済に何の意味があるんだって言ったっけ? ねーよ、そんなもん」

 

これは菜々子のワガママなのだから。

今の順平にどれだけ道徳や倫理を説いたところで意味はない。

ならばいっそシンプルにわかりやすい理由を示してやったほうがいい。

 

「私はただムカついてんの。私達がどれだけ求めても、もう二度と手に入らないものを持ってるアンタが、それを平然と捨てようとしてるのがどうしても許せねー」

 

本当の家族がいて。

あんなに愛されていて。

普通の生活を送っていたクセに。

呪いに唆され、そのありがたみも知らずに手放そうとしているのが気に入らない。

 

「そんな理由で……そんなくだらない理由で」

 

「復讐だって私からしてみれば同じようにくだらないけど?」

 

くだらない動機にくだらない動機を返しただけだ。

お前はくだらない理由で何もできずに終わるのだと。

 

──外からの情報を遮断させないこと。何でもいいから相手に考えさせるんだよ。指導者の言葉がどうでもよくなるくらいに。

 

怒れ怒れ。

今はそれでいい。

殺意も敵意も全てこちらへ向けろ。

 

──安心しなよ。私はアンタなんかに殺されてやらないからさ。

 

「まあ、何言ったって聞かないでしょ。昔から言うし──バカは死ななきゃ治らないって」

 

菜々子は自然体で構えると順平を正面から見据えた。

順平の動きは素人だ。

喧嘩慣れしているわけでもないし、術師の動きですらない。

 

──術式を使えるようになったのはつい最近のはず……例の特級呪霊が何かしたっぽいね。

 

以前、菜々子達が戦った改造人間は呪霊のように呪力が漲っていた。

改造の程度や方向性によっては脳を改造し、非術師に術式を使わせることができるのかもしれない。

しかし、まだ術式に慣れていないなら必ず隙はある。

『毒』と口にしたことから恐らく順平の術式は式神を介して毒を相手に注入するもの。

体育館に倒れていた生徒達の状態からして毒は効果を自在に調合できる。

式神の大きさも調整できるようだ。

 

──なら、やっぱり術師本人を叩くか。

 

菜々子は順平に向かって走り出した。

 

「初めて殺す相手がアンタかぁ……ちょっと物足りない気もするけど贅沢言ってる場合じゃないしね」

 

わざとそう口に出してやる。

余計なことを考えていると死ぬぞ、と。

そのとき順平の顔に僅かに浮かんだ恐怖を菜々子は見逃さない。

さっき感情なんてものはまやかしだと自分で言っただろうに。

なぜ怯えているのか。

順平が自分の身を顧みないで特攻してくるほどに例の特級呪霊に心酔していたなら少々厄介だった。

だが、まだ死に恐怖できるほどには頭は回っているらしい。

その恐怖をきっかけにして植え付けられて凝り固まった思考を抉じ開ける。

 

「澱月!」

 

死をチラつかせたことで順平もようやく菜々子はここで倒さなければならないと気付いたらしい。

式神の触手の先端にさっきまでなかった極太のトゲが生えている。

 

「奪える命を奪うことを止める権利はないって言うならさぁ」

 

だが、当たらなければ意味がない。

菜々子は触手を避け、更に式神を飛び越えてかわすと再び順平に向かって走り出す。

菜々子を倒そうとして式神を前に出しすぎだ。

式神と順平との間に距離が開いてしまっている。

盾にするために呼び戻そうとしても菜々子が距離を詰めるほうが早い。

一気に順平に肉薄した菜々子は躊躇なく拳を振りかぶった。

 

「私に奪われたって文句はないってことだよねぇ!」

 

再び菜々子の拳が順平の腹に突き刺さる。

だが、順平の目はまだ死んでいなかった。

まだ式神はやられていない。

自分に集中している今なら背後から──とでも考えているのだろう。

 

「甘いんだよ」

 

視線の動きで考えていることが丸わかりだ。

しゃがんで背後から伸ばされた触手をかわすと、しゃがんだバネを立ち上がる勢いに乗せて強烈なアッパーを順平の顎に見舞う。

 

「素人に負けるほど柔な鍛え方してないっての」

 

よろめいた順平の襟を菜々子が掴む。

次の瞬間、順平の視界は()()()と回り、続いて叩きつけられた背中に痛みが走った。

そして、仰向けに転がされた順平を菜々子が膝で押さえ込む。

 

「うっ……!」

 

「やっぱりつい最近までパンピーだったヤツが相手じゃこんなもんかぁ」

 

集中が途切れたことで式神の顕現が維持できなくなったのだろう。

式神が霧散して消えていく。

 

「ねぇ、何でこんなことしたの?」

 

「アイツが……伊藤が……」

 

やっぱりそんなところか、と菜々子はため息を吐いた。

指を置いたのは恐らく例の特級呪霊。

その本人にものの見事に謀られたわけだ。

きっと心配するフリをして内心では大笑いしていたに違いない。

 

「アンタ、素人だから付け込まれるのも無理ないけどさ。非術師が宿儺の指をどうこうするとかまず無理だから」

 

順平の家に置かれた指は封印が外されていたから呪いを寄せた。

しかし、封印の外された特級呪物を持ち運ぶのはリスクが大きすぎる。

あの指は直前まで封印がかけられていたはず。

そして呪力のない人間に封印は外せない。

ステージで吊り上げられていた男は明らかに式神が見えていなかった。

間違いなく非術師だ。

 

「それじゃ……」

 

「騙されたんだよ」

 

欺き。

誑かし。

殺す。

それが呪霊だ。

精神的に不安定で知識もない順平は最高のカモだっただろう。

菜々子は順平の上から退くと手を掴んで引っ張り起こす。

 

「まだ凪さんは死んだわけじゃない。目を覚ましたら悲しむよ」

 

「人に心なんてない……その悲しみだってまやかしだ」

 

「まだ言うの? それが本当だっていう証拠は──」

 

「──ないんだよ!」

 

順平は菜々子の手を振り払い、駄々を捏ねるように否定を続ける。

それを認めるわけにはいかない。

人に感情なんてない。

感情なんてものはまやかしでなければならない。

だって──

 

「そうでなきゃ……そうでなきゃ母さんも僕も人の心に呪われたっていうのか。そんなの……あんまりじゃないか!」

 

()()()()

 

あっさりと。

順平の叫びを菜々子は肯定した。

凪も順平も人の心に呪われた──その通りだと。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「────!」

 

「呪いはいつでもすぐ傍にある」

 

目を見開く順平に菜々子は淡々と現実を突き付ける。

順平は良くも悪くも善人なのだ。

呪いの恐ろしさをまるで知らない。

年に一万人近くいる呪いの被害者。

そのほとんどは見知らぬ人々から生まれた呪いから被害を受けている。

子供でも大人でも、男でも女でも、善人でも悪人でも、事故でも故意でも関係ない。

凪の件も特級呪霊や両面宿儺の指という特例が絡んできているがシンプルに見れば悪意ある者によって呪殺されかけた──という呪術師にとってはよくある事件の一つに過ぎないのだ。

しかし、当事者である順平は「はい、そうですか」と納得はできないだろう。

だからこそこんな事件を起こすまでに至った。

どこまでも他人に翻弄されて。

あんまりだと言うのも無理はない。

だが、どこまでいってもそれが現実である。

 

「アンタは知らなかっただけ。この世界は元々そういう場所だよ」

 

なまじ見えるようになってしまったせいで順平は気付いてしまった。

世界の理不尽に。

それを知らなければ。

それが見えなければ。

まだ幾分かマシだっただろうに。

 

「ただ……まだアンタは誰も殺してない。だから引き返そうと思えば引き返せる。あの日向の側に」

 

そこだけはまだ救いがある。

越えようとした一線から足を引くなら、ここが瀬戸際だ。

 

「だから戻りなよ。この件は私達がうまく収めておくからさ。他に学校なんていくらでもあるんだから、どこか別の場所で凪さんと二人でまた平和に暮らせばいい」

 

これから先、学校でのイジメを含めたこの一連の事件に関して順平の溜飲が完全に下がることは多分ない。

それを堪えて折り合いをつけるしかないのだ。

順平が唇を震わせて何か言おうとしたそのとき──

 

「──あれ? 今日は七三術師じゃないんだ」

*1
グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち



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第弐拾肆話

人殺しはしないほうがいい。
両目を閉じて寝たいだろ?


「──あれ? 今日は七三術師じゃないんだ」

 

突然、階段の上から声が降ってきた。

声の方向を見ればそこにはいつの間にか一人の呪霊が立っている。

 

「真人さん……」

 

「やあ、順平。手酷くやられたね」

 

立っているだけで並の呪霊を遥かに超える圧力(プレッシャー)

特級呪霊。

つぎはぎ顔。

人型。

ここまで揃っていれば疑いようがない。

 

──コイツが元凶……!

 

特級呪霊相手に素人の順平を庇いながら戦うのは無理だ。

最悪二人とも死ぬ。

菜々子の決断は早かった。

 

「式神をクッションに。落ちたらそのまま隠れてて」

 

「え? うわっ!?」

 

素早く指示を囁くと同時に腕を呪力で強化すると、順平の襟を掴んで窓に向かって放り投げたのだ。

窓ガラスを突き破って落ちていく順平が式神を出すのを視界の端で確認して菜々子は真人に向き直る。

 

「あーあ。順平を改造して君と戦わせるのも面白そうだと思ったんだけどな」

 

「趣味悪ィ……」

 

「そりゃそうだよ。呪いだからね」

 

真人は余裕の表情で階段を降りてくると菜々子と正面から向かい合った。

 

「それじゃ選手交代ってことで。ラウンド2といこうか」

 

言うが早いか、真人の右手が三本に分かれ、更にそれぞれが蛇腹剣のような形状に変化する。

 

──形を変えるだけじゃない! 質感まで自由自在かよ!

 

変形したそれは皮膚ではなく金属のような質感になっていた。

学習している。

より効率的に殺すための形を。

より残虐に殺すためのやり方を。

 

「ははっ!」

 

真人の腕の一振りで蛇腹が伸び、変則的にうねって廊下の床や壁を破壊していく。

 

──無制限に伸び続けるわけじゃないと思うけど、ここまで変形が自在とか聞いてないっつーの……!

 

後ろに退いてかわすのが精一杯で攻撃どころか近付くことすら難しい。

そもそも近付いて殴って蹴ったところで己の魂とやらを知覚していない菜々子の攻撃は通じない。

反則級。

規格外。

そんなものを相手に応援が到着するまで時間を稼がなければならない。

極め付きに厄介なのは──

 

──触れられたらアウト……。

 

伊地知から送られてきた情報によると術師は無意識に魂を呪力で覆っているため、七海は真人の術式に一度は耐えたらしい。

しかし、だからといって菜々子が耐えられる保証にはならない。

映画館の三人とバッティングセンターの二人を解剖した家入が言っていた。

一度改造された人間はまず助からない、と。

一度でも触れられるわけにはいかない。

そして、相手が特級ということは領域を使う可能性もある。

領域の効果で術式を必中へと昇華させられたら勝ち目はない。

 

──そうでなくても素の変形だけで十分キツいってのに!

 

狭い廊下では避けるのにも限界がある。

そう判断した菜々子は真人が壁に開けた穴から校舎の外へ飛び出した。

窓の下の植え込みをクッションにして衝撃を逃がすと菜々子は素早く校庭の真ん中めがけて走り出す。

 

「本当に呪術師っていうのは追いかけっこが好きだよね」

 

真人も菜々子を追って同じ穴から飛び降りてきた。

 

「アイツにアレコレ吹き込んだのってアンタでしょ」

 

「順平は頭いいからね。ちょっと背中を押しただけで勝手に色々考えて暴走していくのは中々面白かったよ」

 

「何が目的?」

 

「んー? たまたま玩具が手に入ったから遊ぼうと思ってさ」

 

真人にとっては映画館の件も七海との戦闘も全てが実験であり遊び。

順平はいい玩具だった。

初めて真人と出会ったのは映画館の件の後。

必死に追いかけてきた順平に真人は少し興味を唆られた。

そこで彼は言ったのだ。

「僕にも同じことができますか」と。

あの惨状を作りあげた自分を恐れるどころか同じことができるか聞いてくるとは。

面白い。

だから親切なフリを装って少しばかり魂を揺り動かしてやったのだ。

劣等感──渇望──慢侮──葛藤──復讐──少し刺激を与えるだけで面白いくらいに迷走する彼を見て対面するたびに笑いを堪えるのは本当に大変だった。

 

「まあ、順平じゃこのあたりが限界かなとは思ってたんだけど。結局誰も殺してないし」

 

もう戻れないところまで行き着いて欲しかったのだが。

イジメでズタボロに傷付き、唯一の肉親を失い、怒りに任せて人を殺し、最後に最も信頼していた者に殺される──そのとき順平はどんな顔をしただろうか。

 

「順平って考え過ぎて全部空回りしてるんだよね。周りは全員バカばっかりだって見下してるけど、自分だってそのバカの次くらいにバカなのに気付いてない──」

 

すると、饒舌に話していた真人の首に一本のロープが巻き付いた。

 

「──っと……何?」

 

だが、真人はすぐに変形して縄から抜け出してしまう。

 

「あれ? もう一人いたんだ」

 

「美々子!」

 

「体育館の人は大丈夫。一人重傷なのはいるけど命に関わる傷じゃない。担任のほうは軽く絞めて寝かせてきた」

 

菜々子の横に並んだ美々子は端的に状況を報告。

命に別状がなかったことにひとまず安堵する。

 

「そっちは?」

 

「ナナミンの言ってた通り。攻撃を当てることはできるけどダメージにはならないみたい。後はナナミンと戦ったときより変形のバリエーションが増えてるっぽいのと変形の直前に一瞬だけ()()がある」

 

「なら……」

 

「うん。突くならそこしかない」

 

わかっていた。

相手は特級。

格が違い過ぎるのだ。

なら、できることは一つだけ。

命懸けの時間稼ぎだけ。

 

「頼むよ、美々子」

 

「うん。死なないでよ、菜々子」

 

変形を察知することはできる。

それでも、さっきまではかわすだけで精一杯だった。

一人では。

 

──私達は双子だから二人で一人前なんだよ。

 

『最強』の二人や『最凶』の二人以上の相方に対する信頼。

だから何も迷うことはない。

菜々子は真人へ向かって走る。

美々子はぬいぐるみの縄を構える。

 

──向かってきた? 逃げてばっかりだったのに。

 

二人同時にかかってくることを想定していた真人は少し驚くが、わざわざ一人ずつ殺されにきてくれるなら好都合。

 

──まずはコイツから仕留めようか。

 

一方、菜々子と美々子も思考を巡らせていた。

 

──読みきるんだ。こいつの動き、変形を。

 

──狙うのは変形の直前の一瞬。

 

全神経を集中させて真人の呪力の流れを見切る。

しくじれば死ぬという状況で二人の頭の中は不思議なほどに冷静だった。

 

──あの人達ならこんな状況いくらでも越えてきた。

 

模倣なんてできるはずもないが。

二人には『呪詛師殺し』ほどの人心掌握の術はなく、『術師殺し』のようなイカれたパワーもスピードもない。

術式や経験も『最強』とは圧倒的な格差がある。

それでも鍛え上げてもらった技術は無駄ではない。

 

──勝たなくていい……というより私達じゃ勝てない。

 

──なら、全力でコイツをこの場に釘付けにするしかない。

 

感覚を極限まで研ぎ澄ます。

そして、菜々子が真人まで数メートルに迫ったその時だった。

ピリピリと肌に感じる真人の呪力の密度が圧縮される気配。

 

──今!

 

変形の前兆。

それを感知した瞬間に美々子はぬいぐるみに取り付けている縄を引く。

 

「おっ!?」

 

腕をモーニングスター(トゲ付きメイス)に変形させ、菜々子に向かって振り下ろそうとした真人。

しかし、変形寸前で空中から現れた縄が首に絡みつく。

体勢を崩されたせいで腕は空振り、地面を抉るに止まった。

 

──邪魔だな……先にあっちからやるか。

 

続いて真人は美々子に向かってドリルに変形させた腕を撃ち出そうとする。

だが、それを察知した菜々子が素早く足を払い、またしても真人の攻撃は見当違いの方向へ。

 

「おっと……」

 

菜々子を狙えば美々子が。

美々子を狙えば菜々子が。

攻撃を察知して対応してくる。

ダメージはないが、攻撃が当たらないことに真人の苛立ちは加速していく。

苛立てば攻撃は雑になり、ますます当たらない。

そして、何度目かの攻撃が阻止されたときだった。

 

「うえっ」

 

真人の口から吐き出された改造人間が菜々子に飛びかかる。

 

──コイツ……! 胃の中にストックしてたのか……!

 

迂闊。

七海からの情報で真人が改造人間を使うことは聞いていたのに。

まさか体内に隠していたとは。

ここまで真人が改造人間を使っていなかったために、もう手持ちはないと思っていた。

 

──どうする。

 

相手は人間だ。

ただ運悪く呪いに巻き込まれただけの一般人。

 

──一度改造された人間は元には戻らない。

 

改造人間の肩越しに美々子へと走る真人が見えた。

先に美々子から潰すつもりだ。

迷っている暇はない。

菜々子は飛びかかってきた改造人間の首に腕を回す。

 

──ごめん。

 

バキッ、と首の骨が折れる音が響いた。

 

「っ……」

 

最期のうめき声をあげた改造人間が崩れ落ちる。

腕の中に残る肉体が。

その重みが。

その体温が。

コレが人間だったのだと突き付けてくる。

 

──『弱者生存』って言ったって全部の人間を救えるわけじゃない。人を殺す覚悟はしてた……けど。

 

理想に酔わず、ときに冷酷になることも必要だとわかっている。

そして、身体はその通りに動いた。

特訓の賜物というべきか──苦しませないように一瞬で。

だが、心はどうだ。

 

──何が()()()()だよ。

 

ズキズキと胸が痛む。

最善策をとったはずなのに。

これ以外にやり方はなかったのに。

『弱者生存』を謳っておきながら自分達でその『弱者』を殺す。

その矛盾。

それは想像していたより遥かに重く苦しい。

 

「ふーん? 迷わず殺すんだ。魂は揺らいでいるようだけど」

 

自分を殺そうとしてくるモノを躊躇なく殺す。

それが異形とはいえ生き物──人間であっても。

 

──でも、だからどうしたって話。

 

いくら改造人間を殺せても肝心の真人に決定的なダメージが与えられなければ意味はない。

手詰まりなのは明らかだった。

 

「君達は正直期待外れだったな。あんまり新しい発見もなかったし」

 

再び真人の呪力が動く。

 

──変形!

 

気配に気付いた美々子が術式を発動させるが、ここまで何度も同じ攻撃を受ければ真人も慣れてくる。

 

──どうせ魂に響かないのなら受けても問題ないよね。

 

宙吊りにされるのにも構わず、真人は両腕を変形させる。

距離はそれほど開いていない。

ならば大きく変形させるより速度と強度に集中したほうが得策。

二人に向かって真人のそれぞれの腕が心臓を貫こうと伸びる。

 

「危なっ……!」

 

だが、腕の変形を先読みした二人はそれを回避。

その瞬間だった。

ぞくり、と二人の背に悪寒が走る。

嫌な予感。

視線の先の真人が笑っていた。

悪戯が成功したような悪辣な笑み。

何をしようとしている?

何を見落としている?

二人は必死で視線と思考を巡らせる。

腕の攻撃は回避した。

しかし、このままではマズイと二人の勘が告げている。

致命的な何かを見過ごしているのではないか。

そこで菜々子はハッと気付く。

()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

──まさかコイツ……!

 

その直後。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

咄嗟に腕を避けた直後で体勢は崩れている。

背後からの奇襲を避けられるはずがない。

無防備な二人の首に真人の足が絡み付く。

 

──腕は囮かよ……!

 

──やられた……!

 

「順平の前に君達の死体を晒してやろうと思うんだ。どんな顔するかな? 泣くかな? 怒るかな?」

 

真人の足がギシギシと絞まっていく。

首と足の間に辛うじて滑りこませた手のおかげで、すぐに首を折られることはなかったが長くは持たない。

もう二人に打つ手はない。

だがしかし──

 

「死ぬのはオマエだよ、ツギハギ野郎……!」

 

「ん?」

 

「こっちも選手交代──ラウンド3」

 

二人の言葉と同時に横から飛び込んできた二体の呪霊がそれぞれ真人の足を食いちぎる。

 

「おっ?」

 

「──私の大切な家族に汚い手……いや、汚い足で触らないでもらおうか」



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第弐拾伍話

忘れ物は拾い終わった。
だから家に帰るんだ。


「やれやれ……二人とも無茶が過ぎるよ」

 

そこには夏油が立っていた。

後ろには七海もいる。

 

「「夏油様!」」

 

「呪霊を最速で飛ばしてよかった……よく頑張ったね」

 

伊地知から緊急で連絡を受けたときにはさすがに肝が冷えた。

特級相手なら瞬殺されていてもおかしくなかった。

必死に自分が来るまでの時間を稼いでもらったのだ。

ここで何もできないなんて無様は晒せない。

夏油は足を戻す真人を確認しながら思考する。

 

──さて、相手は特級。魂に触れ、その形を変えるなんて反則級の術式持ち。しかも、こちらの攻撃は魂を知覚しない限りノーダメージ。通常の攻撃が意味をなさない相手にどう戦う?

 

そこで夏油は小さく笑いを洩らした。

いるではないか、一番近くに。

通常の攻撃が意味をなさない相手。

『最強』の片割れが。

 

──絶対的な防御力を持つヤツが相手なら……。

 

いくつか方法はあるが、今の状況なら一番有効なものを選ぶべきだろう。

 

「七海、二人を頼んだよ」

 

「はい」

 

夏油は七海に二人を任せると余裕のある足取りで真人に向かっていく。

 

「何人増えたところで魂の形を保っているオレに攻撃は効かないよ」

 

「魂……ね。なら……こういうのはどうだい?」

 

夏油が空中に手をかざすと空間が歪み、そこから全身に痘痕(あばた)が浮かんでいる呪霊が這い出てきた。

特級特定疾病呪霊『疱瘡神』──天然痘に対する恐れを元に生まれた夏油が所有する特級呪霊のうちの一体。

特級には特級を、というわけだ。

疱瘡神が両腕を広げると同時に周囲の景色が一変する。

帳によって薄暗くなっていた空は更に暗くなり、校庭の砂は荒い砂利へ。

周囲には大量の岩が転がっている。

 

──領域展開……!?

 

そして次の瞬間、領域とはまた別の何かが真人を囲んだことで彼の視界は完全に真っ暗になった。

 

──閉じ込められた……?

 

続いて、ゴンッ、と上から巨大な何かが落ちてきた衝撃。

それとともに真人は自分を閉じ込めている箱状の物体が地面に埋まるのを感じた。

 

──なるほどね。

 

領域が墓場。

この箱が棺桶。

落ちてきたものが墓石。

つまり今、真人は埋葬されている状態。

そして、外から聞こえる「三、二──」というカウントダウン。

 

──いや、ゆっくり考えている暇はないか。

 

どんな術式であれカウントダウンはマズい。

ゼロになった瞬間に何か起こるとみるべきだ。

幸いにも棺桶の強度は出られないほどではない。

真人は右手を斧に変え、棺桶を破壊して脱出する。

 

「元気いいなぁ」

 

すると、地面から飛び出した真人の前に狙いすましたように拳を振り被った夏油が現れた。

 

「何かいいことでもあったのかい?」

 

特級特定疾病呪霊『疱瘡神』──その領域展開の必中効果は三段階に分かれている。

一、棺桶で対象を拘束。

二、上から降ってくる墓石によって棺桶を地面に沈めて埋葬。

三、(スリー)カウントダウンが開始。

ここまでが領域の必中効果。

そして、三カウント以内に棺桶から脱出できなければ対象は強制的に病に罹り死亡する。

しかし、夏油の本命はそこではない。

ここが()()()()()()ということが重要なのだ。

 

──七海が集めてくれた情報と私の考えが正しければ……。

 

夏油の拳が真人の顔面を捉えて殴り飛ばす。

それでも余裕の笑みを崩さない真人。

いくら殴られても魂に響かなければ関係ない。

 

「だから効かないって──」

 

だが、真人の言葉が突然止まる。

 

「は……?」

 

ぼたぼた、と。

真人の鼻から血が流れ落ちたのだ。

真人は信じられないような顔で流れ出る鼻血を見ていた。

 

──どういうことだ……?

 

今まで殴られようが蹴られようが血の一滴も垂らさず平然と立っていた真人。

それは彼が魂の形を保つことで、それに連動するように体も形を維持していたから。

そんな真人が血を流した(傷付いた)ということは──

 

──魂の形ごと殴られた……? いや、違う。オレが魂の形を保っていられなくなっているのか。

 

領域は五条の『無限』も含め、あらゆる術式を中和する。

当然、真人の『己の魂の形を強く保つ』という効果も中和できるのだ。

 

「私の家族に手を出そうとしたんだ。報いは受けてもらうよ」

 

「いいね……面白い──っ!?」

 

反撃しようとした真人だが、すぐさま棺桶で拘束される。

再び始まるカウントダウン。

 

──攻撃が効くとわかった以上、領域内で特級とまともにやるのは得策じゃない。だが、逃げようとしても──

 

「がっ……!」

 

棺桶から出た瞬間に夏油の拳が今度は真人の腹にめり込んだ。

そして、また棺桶によって拘束。

必中効果を付与された棺桶はかわせない。

無理矢理隙を作ろうとするなら夏油を倒さなければならないが、近接戦闘の技術、経験ともに真人は夏油に遠く及ばない。

 

──身代わりを作る隙がない……。

 

疱瘡神の領域と夏油の間断のない攻撃によって真人は魂の形状維持と変形が行えなくなっていた。

棺桶が破壊されてしまうため、本来の術式効果による真人死亡の可能性は限りなく低い。

しかし、それでもいい。

今この状況は完全な夏油の土俵(殴り合い)だ。

重く鋭い夏油の打撃が確実に真人の呪力を削いでいく。

狩る側であったはずの自分が狩られる側になっている──そんなことは真人にとって初めてだった。

 

──ああ、なんて……なんて新鮮なインスピレーション……!

 

「ふふ……ふふふ……」

 

──これが……『死』か……!

 

生物の終着点。

他人に与えるばかりで今まで真人が経験したことのないもの。

死がすぐそこまで迫っていた。

それと同時に真人は自らの感覚がこれまでにないほど研ぎ澄まされていくのを感じる。

もっと深く。

もっと広く。

術式を──魂を──己を理解したその先にあるもの。

そして、その見本が目の前にある。

 

──今ならできるよね。

 

真人の口が開く。

体の形を変えようとしても、それより先に棺桶に拘束されてしまうが()()ならどうだろう。

口内にあるのは結ばれた二対の手。

 

「領域展開──自閉円頓裹」

 

形成されるのは何本もの腕が絡み合った薄暗い領域。

必殺の無為転変は必中必殺へと昇華する。

死が迫る感覚を経験したことで真人は次の段階(ステージ)へ至ったのだ。

ゴリゴリと音を立てて疱瘡神の領域が押し返されていく。

 

「へぇ……疱瘡神の領域を押し返すか」

 

同じ特級という分類(カテゴリー)でも、そこには優劣が存在する。

生まれて間もないにも関わらず、真人の力は既に疱瘡神を超えていた。

呪霊は人間の負の感情から生まれる。

真人は人間が人間を憎み恐れた感情から生まれた呪霊。

他の呪霊とは呪いの純度や密度がまるで違う。

その上で新たに得た領域展開。

並の領域では歯が立たない。

真人は勝ちを確信し、佇む夏油を見下ろし嘲笑う。

 

「今はただ──君に感謝を」

 

「必要ないよ」

 

そして、夏油もまた笑っていた。

絶体絶命のこの状況でなぜ笑っていられる。

真人は首を傾げるが、その答えはすぐにわかった。

真人の領域が疱瘡神の領域を完全に押し潰したのと同時──黒い閃光とともに領域が木っ端微塵に砕け散ったのだ。

 

「は……?」

 

「さすが七海だね」

 

「無事ですか、夏油さん!」

 

呆然とする真人の視線の先には鉈を振り抜いた七海がいた。

領域は()()()()()ことに特化した結界。

内側の強度を上げている代わりに外からの攻撃には脆い。

そして、領域そのものを一つの物体として定義すれば十劃呪法の対象である。

加えて黒閃による強化──外からであれば領域と言えど破壊することなど造作もない。

 

「感謝はこちらの台詞だよ。()()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()

 

夏油は真人に静かに笑いかける。

好奇心の強い真人のことだ。

新しい力を得たなら使いたくなるだろう。

 

「戦った感覚からヤツが領域展開を会得する段階(ステージ)まで上り詰めるのにそう時間はかからないと思いました。いや、もう既にその域に至っている可能性も考えたほうがいい」

 

里桜高校に来るまでの間に七海は夏油にそう伝えていた。

ならば逆にそれを利用させてもらうまで。

夏油の策──それは()()()()()()()()()

真人にわざと領域展開を使わせて消耗させた上で、二回目の領域展開によってトドメを刺す。

呪霊操術の強みは手数の多さ。

準一級以上──特級呪霊も複数使役できる。

それは術式だけではない。

()()()()()()()使()()()ということだ。

しかも自分の呪力を使わない上に連続で発動できる。

それはあの五条にすらできない芸当。

五条悟が『最強』なのではない。

五条悟と夏油傑が『最強』なのだ。

 

──やられた……! もう呪力が……。

 

領域展開で真人が呪力のほとんどを使ってしまっているのに対し、自身で領域展開をしていない夏油には十分な余力がある。

夏油が続いて取り出したのは二体目の特級呪霊──特級仮想怨霊『化身玉藻前』。

 

──しかし、ここが瀬戸際……振り絞れ、最後の呪力を!

 

玉藻前が領域を構築するその最中──真人の瀬戸際の集中。

領域展開によって真人の呪力は枯渇寸前。

しかし、僅かに残った呪力で真人は自らの体を瞬時に限界まで膨らませた。

そして、自ら弾けた勢いで領域が閉じきるより一瞬早く天井を越える。

 

「チッ」

 

七海が落下地点に走るが、ボロ布のようになった真人が排水溝に飛び込むほうが僅かに早い。

鉈は空振り、排水溝の蓋を砕くに止まった。

 

「夏油さん!」

 

七海の叫びにすかさず夏油が呪霊の大群を排水溝に放つ。

そして、七海と夏油もそのまま真人を追って地下へ。

真人がいなくなったことで帳が解除されたらしく、真っ暗な帳の隙間から晴天が顔を覗かせる。

消えていく帳を見ながら菜々子と美々子はグラウンドにへたり込んだ。

 

「生き残った……」

 

菜々子が自分の手を見ると、その手は小刻みに震えていた。

 

「ははっ……今になって震えがきてるんだけど……」

 

「私も……膝が震えて立てない……」

 

特級とやり合ったのだ。

死んで当然、手足が吹っ飛ぶくらいで済めば御の字──だというのにかすり傷程度で生き残ったのは奇跡的というしかない。

 

──危なかった。

 

今まで相手にしてきた呪霊達が可愛らしく見えるほどの格の違い。

あれが特級。

まさに化物だった。

だが、退けたことに安心してばかりもいられない。

まだやることが残っている。

 

「アイツ……拾いにいってやらないと」

 

◆ ◆ ◆

 

高専──霊安室。

 

「発見できず……ですか」

 

「最初から逃げの算段はついていたと見るべきだね。撤退の手際が良すぎる」

 

あの後、地下を虱潰しに探したが真人を見つけることはできなかった。

七海とともに地下水道の調査に赴いていた猪野に手伝ってもらったのにも関わらずだ。

やはり彼らは徒党を組んで動いている。

何かの目的のために計画的に。

その目的は今の時点ではわからない。

相手が動くまで待つより他にないだろう。

 

「吉野順平──彼はどうなりました?」

 

「悟がつれていったよ。非術師への攻撃……しかし彼の境遇を考えれば情状酌量の余地はあるだろう。生徒も教師も死亡者はいないし、何よりあの二人が揃って「助けてやってくれ」って言ってたからね」

 

「そうですか」

 

七海は夏油から視線を逸らして安置されている改造人間の遺体袋に目を遣った。

今回の件で菜々子が初めて殺した人間だ。

 

──この仕事をしている限り彼女達もいつか人を殺さなければいけない時がくる。しかし、それは今ではない──はずだった。

 

順平を助け、生徒と教師を助け、特級を退け、二人揃って生き残った。

成果としてはこれ以上ないだろう。

だが、菜々子が人殺しの一線を越えてしまった──その一点だけが七海の心を痛ませていた。

彼女達はまだ子供だ。

『呪詛師殺し』と夏油に鍛えられ、そこそこの場数も踏んでいる──しかし、だからといってそれで大人になれるわけではない。

人を殺すという行為。

彼女はその重みを今回身をもって知ったはずだ。

 

──最善策……ではあったのでしょうね。改造された人間は元には戻らない。私達もその場にいなかったし、特級と戦っている真っ最中に余計な時間をかけている暇はなかった。迷いなく殺すことが彼女達の命を救い、被害者を長く苦しませない唯一の手段だった。

 

七海は自分の手に視線を落とす。

昔──初めて人を殺した夜は一睡もできなかったのを覚えている。

それからしばらくは殺した相手の死に際の顔が頭の中から離れなかった。

だが、人間というのは()()()ものだ。

不快感は消えないが、一人また一人と殺すたびに動揺は薄れていく。

 

──術師は決して『善』ではない。いくら理由をつけても人殺しは人殺し。積み重ねていくたびに命の価値は曖昧になる。

 

七海は危惧しているのだ。

この先、彼女達が人殺しを続けることで壊れてしまわないか。

彼女達の信念を考えれば尚更その矛盾に苦しむのではないかと。

 

「『弱者生存』……元々はアナタがよく言っていた言葉でしたね」

 

「ん?」

 

「言われたんですよ。彼女達が吉野順平のところへ行くのを止めようとしたときに。ここで彼を見捨てたら何のために呪術師(私達)がいるんだと」

 

「ああ……術師には必要だからね。術師を続けていく意味が」

 

「意味……ですか」

 

「七海自身よく言ってるじゃないか。「呪術師はクソだ」って。その通りだよ。だから信念という寄瀬がないとやってられない」

 

『弱者生存』や『良心』あるいは『最強』──何でもいい。

ブレないための指標。

何のために。

誰のために。

何をおいてもそのために行動できるだけの理由が。

 

「監督不行き届きだった──なんて自分を責めるなよ、七海。あの子達はちゃんと自分で考えて動いたんだ」

 

七海に啖呵を切ったあの時に菜々子達は腹を括ったのだ。

命を懸ける覚悟を決めた。

人を殺す覚悟を決めた。

呪術師としてこれからも前に進むために。

 

「今回の件、先日の悟への襲撃の件と合わせてあの人に伝えておいてくれ。特級が徒党を組んで動くなんてただ事じゃない」

 

「はい」

 

◆ ◆ ◆

 

「戻れって言ったのに。結局こっち来たんだ」

 

「うん。どの道もうあそこにはいられなかったから」

 

セミの鳴き声が響く中、菜々子と高専の制服を着た順平が隣り合って階段に座っていた。

今日──交流会の前日に五条から急に呼び出しがあったのだ。

曰く、特級を退けた二人へのご褒美がある、と。

あの五条からのご褒美なんて絶対にロクでもないものに違いない。

どこかの部族のお守りだとか、食欲が失せるような奇抜な味のお菓子だとか、誰も着ないような壊滅的センスのプリントがされたTシャツだとか、そんなところだろう。

しかし、呼び出されたなら無視するわけにもいない。

重い足を引きずって渋々職員室に行ってみれば、そこにいたのは困ったように笑う順平と、『ドッキリ大成功!』という札を掲げる五条(バカ)

 

「転校生の吉野順平君でぇーっす!」

 

ハイテンションな五条と対照的に、二人の顔から一切の感情が消え去った。

 

「……吊るしていい? 菜々子」

 

「……いいよ。美々子」

 

場を冷えきらせた五条(バカ)を美々子が首に縄をかけて引きずっていく。

当然、無下限に阻まれて縄が五条の首に食い込むことはない。

 

「それじゃ……私達はあっちで話そうか」

 

そう言って菜々子は順平を高専の一角までつれてきたわけだが。

 

──あそこまで派手にやればね……大半は誤魔化せても目撃者がいたし。

 

菜々子は自分のスマホに目を落とす。

映されていたのは里桜高校でのイジメに関する記事。

あの担任もアレを見てようやく教師らしい働きをする気になったらしい。

自身も何らかの処分は免れないだろうが、それは今まで放置してきた分の罰だ。

精々噛みしめてもらわなければ。

 

「何で高専(ここ)に? 普通に過ごすって選択肢をあげたつもりだったんですけどぉ?」

 

「あの白髪の……五条って人に言われたんだ。「誰かを守りたいなら力の使い方を学べ」って」

 

「チッ……あの目隠し(バカ)……」

 

菜々子は思わず舌打ちを洩らす。

せっかくの説得が水の泡ではないか。

五条のことだ。

どうせ、使えそうだから、とかそんな適当な感じで声をかけたのだろう。

どこまでも自己中心的というか唯我独尊というか。

 

「凪さんもさぁ……いきなり息子が私立の宗教系の学校行きたいとか言い出したんだから怪しめっての」

 

菜々子は小さくため息を吐いた。

凪はどこまでも楽観的というか慎重な順平とはまるで対極なのだ。

もう少し考えてくれと言うべきなのか、信用されていることを喜べばいいのか。

 

「母さん、昔言ってたんだ。学校なんて小さな水槽に過ぎない。海だって他の水槽だってある──好きに選べばいいって」

 

「水槽か……」

 

言い得て妙である。

たまにいるのだ。

濁った水でしか生きられない生き物がいるように普通の生活では生きられない人間が。

菜々子の頭をチラリと過ったのは恩人である彼女の顔。

望んだわけでもないのに彼女は呪術界という腐った水槽に放り込まれてしまった。

そして、幸か不幸かそこで生きることができてしまった。

 

──出ようとしても出れない人間がいる一方で自分から飛び込んでくるヤツもいる……か。

 

「呪術師は正義の味方でも警察でもない。呪って呪われて人知れず死んでいく──そんなクソみたいな仕事でさ。こっちの世界は人の命が塵みたいに軽いんだよ。自分のも他人のも。昨日まで普通に喋ってたクラスメートが今日は死体になって転がってるなんてことも時々あるわけ」

 

事件、事故、病気──人は様々な原因で死んでいくが、術師の死亡率はそれの比ではない。

自ら危険な場所に赴いているのだから当然のことではあるのだが。

祓えなかったとして楽に死ねるなら御の字。

ぐちゃぐちゃにされても死体が見つかればまだマシ。

遺体がないこともザラにある。

そこまでの危険を犯して呪霊を祓っても公に自分達の存在が明らかにされることはない。

ここまで不快な仕事もないだろう。

 

「今回、アンタを助けられたのは運がよかっただけ。またアンタが危機に陥ったとき助けてあげられる保証はない」

 

だから強くなってよ、と菜々子は言う。

皮肉にも真人によって開花された才能がある。

まずはそれを徹底的に鍛え上げる。

命懸けで一度助けた命だ。

早々に散らされるのも気分が悪い。

 

「まずは明日の交流会で勝つ。そうすれば自信もつくでしょ」

 

「その交流会って……」

 

「殺す以外何でもありの呪術合戦。いきなりハードモードだけどね」

 

ヒクヒクと順平の顔が引き攣り、血の気がひいていく。

順平の実戦経験は里桜高校で菜々子とぶつかったあの一回だけ。

しかも、交流会は明日ときた。

 

「ビビってんじゃねーよ」

 

いくら何でも無茶だと俯きかけた順平の胸ぐらを菜々子が掴んで顔を上げさせる。

ハッとして順平が菜々子を見ると、その目は真っ直ぐに順平を見ていた。

 

──今のコイツには自信になるような実績がまるでない。

 

それでも呪術界に飛び込むだけの度胸はある。

必要なのは覚悟だ。

呪術師としてやっていくためのブレない覚悟。

何のために高専(ここ)へ来た。

何がしたい。

何が欲しい。

何を叶えたい。

 

「Do or do not. There is no try.*1──アンタなら知ってるでしょ」

 

「────!」

 

『やってみる』という選択肢はない。

『やらない』という選択をするなら今すぐ出ていったほうがいい。

ここに留まるというなら順平に残された選択肢は『やる』しかない。

大切なものを守れる力を──そのために順平は来たのだから。

覚悟を決めた顔で頷いた順平に菜々子はニヤリと笑って見せた。

 

「ようこそ、呪術界(地獄)へ。歓迎するよ、()()

*1
スターウォーズ/帝国の逆襲



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【原作時間軸】京都姉妹校交流会編
第弐拾陸話


聞こえるカ『呪詛師殺シ』。

頼みがあル。あなたにしかできない頼みダ。


うるさく響く蝉の声。

ジリジリと照りつける日差し。

九月になったというのにまだまだ暑い。

 

「帰ってきたばっかりだけど……北海道に戻りたくなるね」

 

北海道から東京に帰ってくるなり、五条から突然の呼び出しを受けて私は高専に来ていた。

 

「お、来た来た」

 

立ち並ぶ寺社仏閣の張りぼての間を抜けて更に長い階段を上れば、そこには相変わらず無駄に綺麗な笑顔を浮かべる五条。

その後ろには東京校と京都校の生徒達、両校の学長。

 

──さてさて……わざわざ交流会(こんな場)に呼び出して何企んでるのかな。

 

そう思った次の瞬間、五条は後ろにいる生徒達にこちらを示すと──

 

「はーい、京都の皆さーん。こちらが呪術界の裏社会で恐れられる『最凶』の片割れこと『呪詛師殺し』さんですよー」

 

などとぶっこんでくれた。

慣れた様子で私に向けて軽く会釈する恵達。

だが、初対面の京都校の生徒達はそうはいかない。

目を見開く(加茂)、数歩後退る(真依)、口をポカンと開けて固まる(三輪)、顔を青ざめさせる(西宮)、無表情のままの(メカ丸)、そしてニヤリと楽しげに笑う(東堂)

 

「『呪詛師殺し』……!? どういうことだ……!?」

 

しかも、チラリと視線を動かした拍子に京都の学長と目が合ってしまった。

楽巌寺嘉伸──京都校の学長であり、呪術界の保守派筆頭。

要するに私に頭を押さえつけられている上層部の一人だ。

仇を見つけたとばかりに睨んでくる楽巌寺。

 

──まあ、そうなるよね。

 

目の上のたんこぶが二つも揃ったのだから。

そんな楽巌寺に五条はスタスタと近付いていく。

 

「楽巌寺学長ー! いやー、よかったよかった! びっくりして死んじゃったらどうしようかと思いましたよー」

 

「クソガキが……!」

 

ニヤニヤと笑う五条と対照的に楽巌寺の額には青筋が浮かんでいた。

改革派と保守派という対立する立場。

五条の性格の悪さも相まって二人の仲の悪さは有名なのだ。

 

──それにしても……。

 

ぐるりと周りを見渡してみる。

東京(こっち)の恵と真希を筆頭に京都の加茂、真依、東堂と今年は御三家関係者と有名どころが揃っている。

乙骨がいないのは惜しいが、代わりに『呪詛師殺し()』という爆弾がぶちこまれた。

 

──今年は殊更荒れそうだねぇ……。

 

◆ ◆ ◆

 

「チキチキ! 呪霊討伐猛レース!」

 

指定された区画内に放たれた二級呪霊を先に祓ったチームの勝利。

区画内には三級以下の呪霊も複数放たれており、日没までに決着がつかなかった場合、討伐数の多いチームに軍配が上がる。

それ以外のルール一切なし。

 

「もちろん妨害行為はありなわけだが、相手を殺したり再起不能のケガを負わせることのないように……!」

 

勝手なことをした五条をギリギリと締め上げながら夜蛾が説明を終えると、開始時刻の正午まで解散となった。

正午まではそれぞれで最後の詰めのミーティングを行うらしい。

恵達を見送ると私は夜蛾の関節技と説教から解放されて身体を擦っている五条を振り返る。

 

「で、何で呼んだの?」

 

「え? 鍛えるだけ鍛えておいて本番は見に来ないとかナシでしょ」

 

「……本音は?」

 

「度肝を抜かれた楽巌寺学長が見たかった」

 

やっぱりそんなところだったか。

そんなくだらないことに私を利用しないでほしいのだが。

 

「こっちは北海道から帰ってきたばっかりで疲れてるんだけど。不意突かれて背中から刺されたらどうしてくれるのかな?」

 

「ハハッ、冗談。それで死ぬなら今まで生きてないでしょ」

 

「私だって死ぬときは死ぬよ」

 

無下限呪術のような絶対的な防御はないし、反転術式が使えるといっても、それはあくまでも私に意識があることが前提だ。

即死してしまえばどうにもならない。

 

「まあ、それだけじゃないからさ。ゆっくり話そうよ」

 

そう言って案内された部屋は観戦用にセッティングされた教室だった。

正面にモニターが数台設置され、壁には呪符が何枚か貼り付けられている。

聞いた話では区画内に放たれた呪霊には呪符が貼られており、祓われるとそれと対になるこちら側の呪符が燃えるのだとか。

事前に記録された呪力により東京校が祓えば赤色。

京都校が祓えば青色に燃えるらしい。

天与呪縛によって呪力が極端に少ない真希がいるため、記録外の消滅も赤色とのこと。

 

「遅い」

 

そして、部屋の中央には一人の先客が。

先ほどまで楽巌寺の隣にいた巫女装束に身を包み、顔を横切る大きな傷痕が目を引く女性。

 

──庵歌姫準一級術師……京都校の引率だったか。

 

記憶している東京と京都の教員のリストと照らし合わせる。

五条が呼んだらしいが平気で待たせるあたり彼に先輩への敬意というものはないらしい。

へらへらと笑って歌姫の文句を受け流す五条の脇を抜け、私は彼女に一歩近付いた。

 

「はじめまして」

 

「……はじめまして」

 

歌姫の表情にはありありと警戒が浮かんでいる。

どうやら彼女は私を利用しようという派閥の人間ではないらしい。

ここで余計なことを言って更に警戒させる必要もないだろう。

挨拶を交わすと私はすぐに下がり、五条に案内されるまま教室に置かれた椅子に腰を下ろした。

あっさりとした私の態度に歌姫は少し驚いたようだったが、彼女もこれ以上は何もないと察したらしく、五条を挟んで反対側の席に着く。

 

「話って?」

 

「…………? 何でキレてんの?」

 

「別にキレてないけど」

 

「だよね。僕、何もしてないし」

 

じろり、と歌姫の視線が五条に向けられるが全く堪えていない。

何もしていない、などとよく言えたものだと思う。

私をここに連れてきた時点で十分何かしたと言えるだろうに。

わざわざ楽巌寺(上層部)のいるこの日に呼び出した上で、この三人にしか聞かれたくない話とは何なのか。

すると五条は前を向いて一息吐くと、いつもの軽薄な笑みを消した。

 

「高専に呪詛師……あるいは呪霊と通じてるヤツがいる」

 

「なっ……!? ありえない! 呪詛師ならまだしも呪霊と?」

 

「そういうのが最近ゴロゴロ出てきてんだよねー。人語を解し、徒党を組み、計画的に動いてる。本人は呪詛師とだけ通じてるつもりかもしれないけど。聞いてるよね、僕が未登録の特級呪霊二体に襲われたって話」

 

「うん、少し前に七海君から連絡があったよ」

 

夜蛾との会食に向かっていた五条を一体の特級呪霊が襲撃した、と。

もちろん特級呪霊一体ごときに五条が負けるわけがない。

相手の特級呪霊は一方的に殴られ蹴られた挙げ句に領域展開まで使ったが、五条の領域展開に呆気なく押し負けて首をもがれたという。

しかし、そこへ更にもう一体の特級呪霊が現れて首を強奪。

追おうとした五条だったが気配を消すのが上手い相手だったらしく追跡は断念した──というのが事の顛末だ。

 

──相手が『五条悟』という個人の名前まで把握してたあたり人間(呪詛師)と繋がってるのは確定だろうね。

 

そして、この件の重要な点がもう一つ。

相手は人気のない場所で五条に攻撃を仕掛けてきたらしい。

しかし、五条が人気のない場所に行くのを相手が付け狙っていたのなら、彼がそれに気付かないとは考えにくい。

待ち伏せていたと考えるのが妥当。

なら、相手はその情報をどこで手に入れたのか。

五条が会食に行く日時、場所、そこへ向かうための道筋──そんな情報を知っているのは高専関係者だけだ。

だからこそ五条は内通者の存在を確信した。

 

「京都側の調査を歌姫に頼みたい」

 

「……もし私が内通者だったらどうすんの?」

 

「ないない。歌姫弱いし、そんな度胸もないでしょ」

 

その途端、歌姫が持っていた湯飲みが五条の顔面めがけて投げつけられる。

しかし、無限に阻まれて五条に届くことはない。

余裕の五条は、ヒスはモテないよ、などと言って更に煽る。

そんなやり取りを見ながら私は五条が彼女をここに呼んだ理由を何となく察していた。

 

──雑な扱いは信頼の裏返しか。

 

()()五条に真正面から噛み付ける人間はそうはいない。

御三家の一つである五条家の人間。

四人しかいない特級術師の一人。

何百年ぶりに現れた六眼と無下限呪術の抱き合わせ。

更に私と繋がりを持つ数少ない人物。

そんな彼にここまで砕けたやり取りができるのだから大したものだと思う。

 

──もう少し見ていたいけど……そんなことしてる場合じゃないよね。

 

ツンツンと五条の肩をつつく。

 

「その内通者だけど……()()()()()()()()()

 

「は……?」

 

「マジで?」

 

私の言葉に歌姫はポカンと口を開け、五条もこちらを振り返って驚きを露にする。

 

「本人から連絡があってね。私とはどうあっても敵対したくないんだってさ」

 

「呪詛師殺しに手を出すな……か。まったく……『呪詛師殺し』様様だね」

 

「それで? 内通者は誰なの?」

 

椅子から身を乗り出すようにして尋ねてくる歌姫だが、彼女にとっては辛い事実を告げることになる。

なぜなら内通者は──

 

「京都校二年生のメカ丸君だよ」

 

その瞬間、歌姫が目を見開いて立ち上がった。

顔からみるみる血の気が引いていき、唇は震えている。

なぜ。

どうして。

いや、そもそもその話は本当なのか。

嘘ではないのか。

ヨロヨロとした足取りで私のほうに近付こうとする彼女を五条が肩を掴んで止めた。

 

「彼女はこんな状況で嘘は吐かないよ」

 

「……動機は? 何でメカ丸はそんなこと……」

 

「情報を流す代わりに真人──例のツギハギ呪霊の術式で五体満足な身体にしてもらいたかったんだってさ。京都校の皆に会うために」

 

京都校二年生 メカ丸──本名は与幸吉。

彼は普段表に出てくることはなく、外部とのやり取りはメカ丸と名付けている人型呪骸を通して行っている。

 

──その理由が重度の天与呪縛……ね。

 

右腕と膝から下の肉体の欠損。

更に腰から下の感覚麻痺。

肌は月明かりでも焼かれるほど脆く、常に全身の毛穴から針を刺されたような痛みが走るらしい。

そのため本人は隔離された部屋で常に生命維持装置に繋がれているとのこと。

そして、代償として手に入れたのが日本全土を網羅する術式範囲と呪力出力。

ある意味、甚爾や真希とは真逆の天与呪縛である。

だが、メカ丸の能力も二人と同じく望んで得たものではない。

 

「呪術を差し出し、肉体が戻るのなら喜んでそうするさ」

 

私に接触してきたとき彼はそう言っていた。

 

──アイツだったら何て言うかな。

 

あの馬鹿げた感度の五感と人間離れした身体能力を手放して呪力と術式を得られるのなら。

 

──今考えても意味ないか。

 

ふと思い浮かんだ疑問を頭の隅に追いやって私は話を続ける。

今はそれより大事なことがあるのだ。

 

「傷口に塩塗り込むみたいで悪いんだけどさ。そのメカ丸君曰く、交流会の最中に敵方が高専に襲撃かけてくるらしいよ」

 

「ちょっとちょっと……さっきから次々爆弾放り込むのやめてくれない?」

 

さすがの五条も襲撃は想定していなかったらしい。

目隠し越しでもわかるほどのげんなりした視線を向けてきた。

じゃあ聞かない? と尋ねれば、聞くけどさ、と言って五条は椅子に座り直す。

歌姫も未だ動揺は収まらない様子だったが五条に促されて席に戻った。

 

「目的、手段、戦力は不明。ただし、特級が一体はいると考えていい。それから本人曰く、京都校の人間に手を出さないように『縛り』を結んだって言ってたけど、バカ正直にそんなものを守るとは思えない。敵が徒党を組んでるなら確実に『縛り』を結んでない別の相手が襲撃してくる」

 

裏ではよくある手口だ。

そもそも『縛り』は自分が自分に課すもの。

他者との『縛り』は反古にした場合のリスクが高い上に、こうやって裏をかかれることが多い。

 

「他に気付いたことは?」

 

「坊っちゃんが高専にいることは相手も把握してる。それなのに襲撃してくるってことは何か対策がしてあると思うよ」

 

「はぁー……マジか」

 

五条がため息を吐いて天を仰ぐ。

この件に絡んでいるのが普通の呪詛師でないことは確かだ。

知略に長け狡猾。

緻密であり大胆。

ここに五条がいることを知った上で襲撃しようなど、普通なら余程の身の程知らずとしか思えない。

だが、敵は特級呪霊と手を組むというありえないことまでやってのけている。

 

──坊っちゃんの賞金目当てでこんなことするとは思えない。もっと大きな目的があるはずなんだけどね。

 

そもそも何のための襲撃なのか。

高専(アウェイ)に乗り込んでまで。

敵は一度、五条への襲撃をしくじっている。

特級呪霊一体では一方的に弄ばれ、途中で現れた二体目は逃走に徹した。

勝てないことはわかっているはずだ。

 

──生徒を人質にすればあるいは……と考えたのか。いや、それじゃあまりにも浅はかだね。

 

相手はそんな手を使うほど甘くはない。

その程度の相手に特級呪霊を纏め上げる手腕があるとは思えない。

それに、なぜこのタイミングで襲撃するのかという疑問も残る。

主犯は誰だ。

動機は何だ。

色々な情報が欠けているため、今の時点では判断がつかない。

 

「とにかく……すぐにメカ丸の捕縛を……」

 

「歌姫が生徒想いなのは知ってるけど、それはやめたほうがいい」

 

「何でよ? わざわざ泳がせておく理由なんて──」

 

「裏ほどじゃないけど仮にも呪術界なんて薄暗い場所で生きてるなら、もう少し危機感は持ったほうがいいね」

 

泳がせておくのではない。

泳がせておくしかないのだ。

 

「私は内通者が一人だけとは言ってないよ」

 

「……内通者が複数人いるってこと?」

 

「その可能性を考えろって話。敵方も簡単に情報洩らすほどバカじゃないらしくてね。他に内通者がいるかもしれない状況で下手に動くと、そのことも敵方に伝わる。今は相手の策に乗った上で迎撃──ってのがベストだろうね」

 

「だよねぇ。今は少しでも情報欲しいし」

 

「ちょっと五条! アンタまで──」

 

敵がどう襲撃してくるかわからない。

五条が対策されている可能性も高い。

それなら生徒や補助監督(非戦闘員)の安全を第一に考えるべきだ。

しかし、五条は笑っていつも通りに言った。

 

「大丈夫。僕達『最強』だから。知ってるでしょ?」

 

「それは……」

 

歌姫も五条の強さは嫌というほど知っているのだろう。

優しく生徒に接するだけの人物ではないことも。

特級が最低一体いる──本来なら全体で情報を共有するべき事態。

それを隠して敵の思い通りに襲撃させるなど狂気の沙汰だ。

死人が出てもおかしくない。

そうなった場合の責任が彼に負えるのか。

 

──いや、最初から負けることを考える性格でもないか。

 

五条悟襲撃に続いて高専襲撃という非常事態。

並の神経ではパニックになるのがオチだ。

 

「そっちの見立ては?」

 

「そうだねぇ……」

 

こちらの情報がある程度洩れている。

敵の戦力は不明だが最低でも特級が一体。

五条は恐らく対策済み。

倒すことはできなくても足止めの手段が用意されているはず。

普通なら絶望的だ。

しかし──

 

「凌げなくはないかな」

 

絶望的な状況──そんなもの私にとっては日常である。

第一、敵対するなら潰すのが『呪詛師殺し』だ。

いつもとは少々勝手が違うが、やることは変わらない。

 

「恵は特級と相対したところでそう簡単にやられることはない。そっちの東堂君も見た感じ特級とやり合える実力はある。それに東京校のメンバーは一年生が多いけど私達が鍛えてるからね。逃げることくらいはできるよ」

 

団体戦のルールからして恐らく生徒達は二人一組(ツーマンセル)で行動するため、うっかり一人にならなければそこそこ生存率は高いはず。

問題は交流会とは関係ない術師や補助監督である。

五条達以外の高専に所属する術師達で特級とやり合った者はほとんどいないだろう。

そもそも一級呪霊でさえ稀なくらいなのだから。

いきなり特級と会敵すれば逃げるか死ぬかしか選択肢はない。

身を守る術のない補助監督ならまず死ぬ。

こういうとき手数の多い夏油がいてくれたなら楽だったのだが。

 

「そう言えば『最強』の片割れは?」

 

「出張中。『最強』の分断も計画のうちだと思う?」

 

「かもね。坊っちゃんは手数となると不利だから。『蒼』と『赫』の乱発って手もあるけど、周りの被害が大きすぎるよ」

 

現代呪術師最強と謳われる五条の弱点。

それは『何かを守ることに向いていない』という点だろう。

無下限呪術は強力ゆえに周りを巻き込んでしまう。

特に呪力同士を掛け合わせる『赫』の出力は『蒼』の二倍。

周りが全て敵なら問題ないが、護衛対象や非術師、味方の術師が周りにいる状況では出力を下げたところで撃つのはリスクが高い。

そういう弱点を夏油の呪霊操術ならカバーできるのだが、このタイミングで出張中ときた。

もしも夏油の出張が敵の策略に含まれているなら、任務の配置を指示している上層部にも裏切り者がいるということ。

 

──根は深そうだねぇ。



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第弐拾漆話

映画よりも遥かに刺激的な世界でしょ。


東京校サイドミーティング──

一年生──恵、釘崎、菜々子、美々子。

二年生──真希、棘、パンダ、そして順平。

三年生は停学中のため、この八名が東京校のメンバーである。

 

「で、どうするよ。団体戦形式は予想通りだがメンバーが増えちまった。しかも、つい最近まで一般人だったド素人」

 

「そうだなぁ。順平、オマエ何ができるんだ?」

 

「えっと……僕の術式は毒です。式神を通して相手に服毒させる感じで……」

 

「いい術式(モン)持ってんじゃん。元々は恵かオレが索敵だったんだが、恵は東堂の足止めしなきゃならんからな。式神使えるなら大歓迎だ」

 

「それじゃ配置は──」

 

東堂の足止めは恵。

パンダ班は真希、釘崎の三人一組(スリーマンセル)

順平は菜々子と二人一組(ツーマンセル)

棘と美々子は玉犬・黒と共に呪霊狩りに専念してもらう。

 

「東堂は間違いなく直で恵を叩きにくる。他の連中は人数で劣る分、極力戦闘は避けて呪霊狩りに専念──って作戦が定石(セオリー)だろうが……」

 

「あっちはオレら以上にまとまりないからなぁ」

 

「しゃけしゃけ」

 

楽巌寺なら恵には手を出すなというだろうが、東堂がそんな指示を聞くわけがない。

そして、加茂と真依も性格的に真希に突っかかってくる可能性は十分ある。

御三家の血筋は色々と面倒なことが多いのだ。

西宮、三輪、メカ丸は情報がないため何とも言えない。

 

「ん?」

 

三人が話しているのを見ていた菜々子の袖が不意に引かれる。

振り返ればそこにいたのは順平だった。

 

「あの……さっき紹介されてた『呪詛師殺し』って人って……」

 

彼女が現れた途端、場の空気が変わったのは順平でもわかった。

声を荒げたわけでもなく。

何か武器を持っていたわけでもない。

ただそこに立っている──それだけで。

周りの空気が異様な緊張感を漂わせていた。

逆に彼女だけは平然と五条と話していて、その対照的な雰囲気が妙に印象に残っている。

だが、そんな印象も菜々子の言葉で木っ端微塵に吹き飛ぶことになった。

 

「ああ、順平は知らないんだっけ。あの人は──」

 

そして、菜々子の口から語られたのは、まるで映画の中のような──いや、映画以上にぶっ飛んだ彼女のこれまで。

信じられないような話だが全て事実だという。

一つでも選択肢を誤れば死ぬ──そんな環境に彼女は身を置いてきた。

そうするしか生きる道がなかったから。

 

「死ぬことはしたくない。でも、殺し屋として生きなきゃ殺されるしかない。更に救いがないのはそうやって殺し屋として生きたせいで表の世界では生きられなくなった」

 

殺さなければ死ぬ。

死にたくないから殺す。

殺せば報復を企む連中が出てくる。

狙われるから殺す。

先手必勝とばかりに敵対勢力を叩き潰す。

その噂が広がり、もしかしたら自分達にも牙を剥くかもしれないと考えた敵が襲撃をかけてくる。

また殺す。

その繰り返し。

 

「その気になれば自分達を容易く殺せるような人間を放置ってのは無理でしょ」

 

彼女は基本的に敵対しなければ何もしない。

だから『手を出すな』と言われている。

しかし、敵対しなければ何もしないというその保証はどこにあるのか。

裏切り、騙し討ちが当たり前の裏の世界で信頼や信用など塵に等しい。

殺してしまわなければ安心できない。

『呪詛師殺しに手を出すな』──この共通認識ができて以来、孔の働きかけもあって以前ほど襲撃はなくなった。

だが、それも完全ではない。

襲撃がないということは彼女を狙う者がいなくなったこととイコールではないのだ。

隙あらば──と考えている連中は多いだろう。

彼女のことだけはどうにもならない。

五条や甚爾でも。

恵ですら。

 

「呪術界の上は真っ黒だから、高専もあの人を狙う連中の一角なんだよ。あのピリピリした空気はそういうこと」

 

菜々子の話が終わっても順平は衝撃のあまり固まったまま動かない。

東京の山奥に来ただけで、これほど世界は変わるのか。

殺し屋だの、裏の世界だの、普通に暮らしていればおよそ縁のない言葉のオンパレード。

呪術に触れてまだ日が浅い順平が受け止めるにしては少々重すぎた。

 

「おーい? 順平? 聞いてる?」

 

「どうしたの? 菜々子」

 

「順平が『呪詛師殺し』様のこと聞くから教えたら固まったまま動かなくなった」

 

「ついこの間までパンピーだった順平に、あの人の話は刺激が強すぎると思う」

 

「えぇー……これって私が悪いの?」

 

二人が何か話しているのを見ながら順平は改めてここが今まで自分が生きてきた世界とは違うのだと思い知らされた。

 

──僕……これからやっていけるのかな……。

 

だが、順平はまだ知らない。

呪術界がいかにぶっ飛んだものかということを。

 

「もう一つ教えておいてあげるけどさ。今回の交流会、さっきから言われてる東堂にはマジで気をつけなよ」

 

「えっと……どういう人なの?」

 

「順平にわかりやすく言うなら……筋肉モリモリマッチョマンの変態*1

 

「……本気で言ってる?」

 

◆ ◆ ◆

 

京都校サイドミーティング──

 

「伏黒恵──アレには手を出すな」

 

開口一番、楽巌寺は厳しい顔でそう告げた。

 

「知っての通りアレは呪術界の地雷。鬼子だ。その上、今回は『呪詛師殺し』本人が見ている」

 

面白半分にとんでもないことをしてくれたものだ。

楽巌寺の手は杖の持ち手を砕かんばかりに握りしめられている。

敵対してきたもの、自分にとって不利益なものをことごとく叩き潰す暴力装置。

後ろ暗いことを積み重ねてきた上層部にとってこれほど面倒な相手もない。

しかも、金で買収することはできず、人質さえ無意味。

何が敵対のきっかけになるかわからない以上、この交流会すらただのレクリエーションと軽視できなくなってしまった。

 

「もはや交流会の勝ち負けにこだわっている場合ではない。片八百長になっても構わん。悪戯に刺激せずやり過ごし──」

 

「下らん。オレは勝手にやらせてもらう」

 

しかし、真っ向から歯向かう者が一人。

やはりと言うべきか東堂である。

三年生の最後の交流会──それを八百長で終わらせるなどありえない。

それにあれほど面白いヤツ(伏黒恵)がいるのにその相手はするなという。

話にならない。

 

「待て、東堂。学長の話の途中だ。戻れ」

 

派手に障子を蹴り飛ばして東堂が足音荒く部屋を出ていこうとするのを加茂が止める。

 

「女の趣味の悪い、そして頭も足りねぇオマエらに一つだけ忠告してやる。爺さんもよく聞け」

 

しかし、東堂は憤怒の表情で振り向いた。

 

「あんまりオレのライバルをバカにすんなや──

殺すぞ」

 

禪院家の血筋。

あの五条悟に目をかけられている。

『呪詛師殺し』に鍛えられた。

一級で入学した天才。

だが、それで生き残れるほど呪術界は甘くない。

いくら名家の血筋だろうと、師が強者であろうと、一級の肩書きを持っていても、戦いの場に立てばそこにあるのは勝つか負けるか──生きるか死ぬかという選択肢だけだ。

 

「負けたからって親に泣いて縋り付きにいくような腑抜けか伏黒恵(アイツ)は? そう見えたんなら全員揃って眼科にでも行ってくるんだな」

 

そんな男ならこの世界ではとっくに死んでいる。

今度こそ東堂は用は済んだとばかりに部屋を出ていった。

 

「どうします? あの様子じゃ作戦行動なんて無理ですよね? 学長もどこか行っちゃったし……私、あの人に殺されたくないですよ。それに『呪詛師殺し』さんにも」

 

「放っておけばいいんじゃないかな。どうせアイツは伏黒君一直線だろうし。勝手に暴れてくれるなら私達は呪霊狩り(ゲーム)に専念すれば」

 

「いくら東堂(あの人)でも殺すまではやらないでしょうしね。それに伏黒君が殺されるとも思えないし」

 

「いざというときは東堂自身に全責任をとってもらう……カ」

 

東京校も東堂の強さは知っている。

恐らくあちらも東堂の足止めとして恵をぶつけてくるということは容易に想像できた。

互いの最高戦力が封じられる形にはなるが、元々こちらは恵とまともにやり合うつもりはないし、東堂にチームとしての動きは期待していない。

人数は不利だが、東京校は半分以上が一年生。

実戦経験や術式の練度は二年生、三年生で固めているこちらに分がある。

何より上空から索敵できる西宮が二級呪霊(本命)を見つけてしまえばいい。

 

「あくまでも目標は呪霊の討伐だ。全滅を避けるために呪霊以外との戦闘は控えてくれ」

 

──と言ったところで聞くかは怪しいが。

 

禪院家、加茂家、そして東堂と有名どころが揃っている京都校だが、個性が強すぎてまとまりがないのが玉に(キズ)であった。

*1
コマンドー



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第弐拾捌話

なんとなくテキトーに上手いことそれっぽくいい感じにやるんだよ。
ンな説明でわかるか?
チッ……あー、あれだ。
わかりやすく言うならセンスだ、センス。
これで理解できねぇならオマエには呪術の才能はあっても理解の才能がねぇんだ。
オレの説明が悪いわけじゃねぇ。
ちょっ……待て待て! 領域を出そうとするんじゃねぇよ!


「スタートォォォッ!」

 

五条のかけ声と共に両校の生徒が走り出す。

 

「例のタイミングでそれぞれの班に別れる。恵、死ぬなよ」

 

「あの人が見てる前で死ねませんよ──先輩、ストップ!」

 

恵の声に真希が足を止めた途端、目の前で呪霊が横から殴り飛ばされる。

土煙を巻き上げながら現れたのは予想通り東堂。

森の中を最短距離で突っ走ってきたらしい。

 

「よぉーし! 全員いるな! まとめてかかってこい!」

 

「鵺!」

 

すかさず恵が呼び出した鵺が東堂に突進すると同時に、真希の「散れ!」という号令で八人それぞれがグループに分かれて散開する。

恵だけはその場に留まって東堂の相手だ。

 

──一応それなりのが入ったと思ったんだが……。

 

鵺の帯電する翼をまともに食らった東堂は数メートル後退するも、しっかりと両足で立っていた。

 

「いい術式だ」

 

「マジか……」

 

──鵺の電撃食らっただろ……。

 

一撃でやられるほど柔ではないと思っていたが、普通ならしばらくはまともに動けないはず。

しかし、東堂は動けなくなるどころか余裕といった様子で獰猛な笑みを浮かべている。

 

「お返しだ一年。死ぬ気で守れ!」

 

そう言って東堂が拳を握ると、鍛え上げられた筋肉が巌のように隆起した。

ゾッと恵の背中に走る寒気。

先日は本当に小手調べ程度の実力しか出していなかったのか。

一瞬で間合いを詰めた東堂は全力の拳を遠慮なく叩き込む。

 

「フンッ!」

 

「くっ……!」

 

対して恵は呪力で強化した両腕をクロスさせて拳をガード。

合わせて打撃の方向に逆らわず後ろに飛ぶ。

そして、木にぶつかる前に鵺が受け止めることでダメージを最小限に抑えた。

 

──桁外れの膂力(パワー)に、あの巨体でこの敏捷性(アジリティ)。親父ほどじゃねぇが……出し惜しみできる相手じゃねぇ。

 

仮にも一級術師の肩書きを持つだけはある。

しかし、それは恵も同じ。

驚くべきは──

 

「アンタ、術式使わないらしいな」

 

「ん? ああ、あの噂はガセだ。特級以上には使うぞ」

 

──一級以下には使わねぇってことかよ……。

 

東堂という男は良くも悪くも有名で──初対面で女の好みを聞く、一級ながら特級を倒せる実力がある、高田ちゃん(高身長アイドル)の夫を名乗っている──など様々な噂が流れているのだ。

その噂の一つに『術式を使わない』という話がある。

なめているのか、何かの『縛り』か、それともただの秘密主義か。

 

「オマエに特級レベルの実力があるなら使うさ」

 

「そうかよ!」

 

一級呪霊に術式を使わず勝てる時点で東堂が化物なのはよくわかった。

加減はいらない。

そう易々と死ぬ男でもないだろう。

鵺を先行させ、恵も続けて東堂に向かっていく。

 

──式神使いでありながら術師本人が向かってくるか。

 

「面白い!」

 

式神は術師がやられてしまえば具現化を維持できなくなる。

だからこそ術師は安全な後方に待機して式神に戦闘を任せるのが定石(セオリー)

恵や夏油のような自らが戦闘に参加するタイプの術師は少数派なのだ。

 

──単に相手の意表を突くだけの術師なら何も問題はない……が。

 

以前の小手調べの感覚から恵がその程度の男ではないと東堂は知っていた。

積み重ねられた鍛練に裏打ちされた確かな実力。

素の力は東堂には及ばないが、それを補うだけの技術がある。

 

──手足の筋肉の機微、体重移動から動きを先読みする観察眼。オレのスピードについてこれる反応速度。

 

二人の間で高速の殴打や蹴りが交差する。

だが、どれも決定打にはならない。

東堂の掴みや投げは弾かれ、恵の式神の攻撃も動きを察知してかわされる。

一級術師というだけあって両者揃って攻撃がまともに通っていないのだ。

元より足止めが目的の恵としては、この状態が続いてくれるほうが都合がいい。

しかし、易々とそうはさせてくれないのが東堂という男である。

 

──コイツ……慣れてきてる。

 

少しずつだが東堂の動きが変わってきていた。

恵と式神の動きを分析して合わせてきている。

恵まれた体躯に優れた分析力と適応性。

東堂という男は性格以外は本当に優秀な術師なのだ。

 

──やるしかない。

 

東堂の術式がわからないため、安易に手の内は見せたくなかったのだが。

 

「んっ!?」

 

ガクン、と東堂の足が影に沈む。

恵の術式は影を媒体にした式神術。

術式の解釈を広げれば影そのものを使った応用も利かせられるのだ。

 

──なるほど。

 

体勢を崩した隙に前からは恵が。

後方から鵺が襲いかかる。

しかし、東堂に焦りはない。

それどころか感心したような表情を浮かべていた。

 

──少々安く見積り過ぎたな。

 

女の趣味を聞いたときは「ああ、コイツは退屈だ」と失望した。

身体も細いし、何よりやる気が感じられない。

だから、恵が攻撃を捌いてみせたときには驚いた。

普通に術師として成長していれば、その性癖通りのつまらない手合わせにしかならなかったはずだ。

趣味の悪さとそぐわない強さ。

何が彼をそうさせたのか。

恵の値段は東堂が最初につけたものより遥かに高かった。

 

「フッ」

 

パンッ、と小気味いい音が響く。

その瞬間──

 

「──は?」

 

突如、恵の全身に走る痛み。

何が起きたかわからないという表情で恵は声を洩らした。

 

──何で()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

東堂に向かって攻撃を仕掛けていたはずなのに。

気付けば恵のほうが東堂が繰り出した拳を食らい、鵺の突進によって吹き飛ばされていた。

鵺も混乱した様子で鳴いている。

 

──何が起こった……。

 

痺れと痛みで鈍る思考を無理矢理働かせ、恵は直前の記憶を呼び起こした。

影に足を取られて体勢を崩した東堂。

前後から挟み撃ちで東堂を狙う恵と鵺。

そこまではよかった。

だが、次の瞬間が問題だった。

確実に取れると拳を繰り出したその瞬間。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

繰り出した拳は大きく逸れて空振り、逆に東堂の拳が恵の脇腹へヒット。

直後に背後から鵺が突進したことで受け身を取るどころか、呪力で守ることもできずに吹き飛ばされたのだ。

影に足を取られ、拳を食らい、鵺の突進で吹き飛ばされる──

 

──そうなるはずだったのは東堂だ。

 

ところが実際に攻撃を受けたのは恵。

それはなぜか。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ためだ。

 

「今のがオマエの術式か……!」

 

「そう、オレの術式は術式範囲内の一定の呪力を持ったものを入れ替える──『不義遊戯(ブギウギ)』!」

 

ちなみに手を叩くことが発動条件だ、と東堂は術式の開示を終えた。

単純な発動条件に術式対象の制限も緩い。

手の内が全て見えていても、それを苦にしないどころか依然として優位に立っている。

シンプル──ゆえに厄介な術式。

 

「立て、伏黒。まだやれるだろう?」

 

「ハッ」

 

──化物が。

 

口の端から垂れる血を袖で拭って恵は立ち上がる。

 

──骨はイッてねぇな。

 

まだ大丈夫だ。

しかし、これで式神というアドバンテージが逆に枷になってしまった。

入れ替えの対象を増やして思考を鈍らせるほうが危険だと判断した恵は鵺を解除。

 

──体術主体でいくしかねぇ。

 

呪力を持ったものが対象ということは影の中に入れてある呪具を使うのもリスクになる。

使えるのは基礎的な呪力操作と体術、後は影の応用。

領域を使えば余程の想定外がない限り東堂には勝てるだろうが、呪力の消耗の激しさからガス欠になる可能性が高いため、それは最後の手段として残しておきたい。

それに東堂は特級にも勝てるという触れ込みだ。

領域対策の術を持っていても不思議はない。

()()()はそもそも禁じ手。

完全な振り出しというわけではないが、中々ハードルが高くなってしまった。

 

──いや、違う。この程度の制限で何もできなくなるなら一生かかっても追い付けねぇ。親父にもあの人にも。

 

恵は呼吸を整えて拳を握る。

どんな修羅場だってあの二人は乗り越えてきた。

 

──今まで培ってきたものを総動員しろ。感覚を研ぎ澄ませ。

 

体術、呪力、術式、呪具、持っている引き出しはそれだけか。

『呪詛師殺し』や甚爾と手合わせしているとき、どうやって食らいついていた。

 

「終わりじゃないぞ」

 

パンッ、と再び音が響く。

東堂が入れ替わったのは恵の背後にいた蜘蛛型の三級呪霊。

不義遊戯は移動という過程を飛ばして位置だけを一瞬で入れ替える。

目で追うということができないのだ。

反応できていないのか、そのまま動かない恵に向かって東堂は拳を放つ。

 

──東堂はゴリゴリの近接タイプ……どう移動しても最終的に攻撃はオレに向かってくる。それなら──

 

そして、拳が恵に当たるその刹那──東堂が全く予期していなかった現象が起こった。

 

「むっ……!」

 

バチッ──という音とともに東堂の拳が弾かれたのだ。

 

──何が起こった……!?

 

恵はかわすどころか防御の姿勢すらとっていない。

にも関わらず東堂の拳は届かなかった。

その隙を見逃す恵ではない。

すかさず恵の裏拳が東堂の頬を打つ。

 

──そりゃそうだよな。

 

この技を東堂が知るはずもない。

これは恵だからこそ──禪院家(御三家)の血筋だからこそ使える技。

秘伝──『落花の情』。

 

「バチチチチだよ。バチチチチ。何? できねぇ? センスねぇなぁ」という甚爾の意味不明な説明からよく発動まで漕ぎ着けたものだと思う。

 

──御三家に伝わる対領域の術。簡易領域とは異なり、自らは領域を展開せず、纏った呪力を瞬時に解放することにより触れたものを迎撃する。

 

秘伝の縛りがあるため御三家以外の人間に相談はできない。

しかし、五条は無限も領域も使えるので必要ないと放置していた上、真希と真依は実家での冷遇からわかる通り教えられていない。

加茂に頼る手もあるが、御三家同士の仲は基本的に悪く、禪院の血筋に指導するのは家が許さないだろう。

そして、禪院家に頼るのはそもそも論外だ。

 

──親父のうろ覚えの記憶から何とか成立させてみたが……何とかなるもんだな。

 

真希と真依以上に家から爪弾きにされていた甚爾が呪術に関してまともな教育をされているはずもない。

恐らくたまたま耳に入った程度のもの。

しかも、説明した本人が呪力がゼロのせいで見本もない。

そこから本来の落花の情と遜色ない完成度まで引き上げられる術師がどれほどいるだろう。

『最凶』と『最強』が近くにいるため印象が薄れるのも仕方ないが、恵も()()()()に並び立てる紛れもない天才の一人なのだ。

 

──伏黒……オマエは一体どんなものを食らってきた? 何を見てきた?

 

思いもよらない反撃を食らった東堂だったが、いつまでも呆けているほど抜けてはいない。

体勢を立て直しながら恵への評価をもう一度見直していた。

普通、不義遊戯を受けた者は視界や位置の切り替わりに混乱して動きがガタガタになってしまう。

しかし、一度攻撃を受けただけで恵は不義遊戯の入れ替えに対応──反撃してきた。

 

──まさかもう一段上だったとは。

 

目より先に手が肥えることはない──表現者の間でよく使われる文句だ。

二流三流の相手ばかりをしてきたのならこうはいかない。

あの『最凶』と『最強』に鍛えられた本物の強者。

どんな相手と戦ってきたか──その積み重ねが術師にとっては重要な財産である。

間違いなく恵は一流を見てきた。

それも超が付くほどの。

 

──コイツは間違いなく高みへ昇る。

 

最初に手合わせした瞬間からわかっていた。

あの五条にさえ並び立つかもしれない。

だからこそ全力で導こうと思っていたのに。

 

──オレにもまだ学ぶものがあったらしい。

 

導こうなどと烏滸がましい。

ぶるり、と東堂は震えた。

予感がする。

退屈が裏返る予感が。

目の前にいるのは東堂より高みにいる者達が作り上げてきた最高傑作。

最後の交流会に相応しい相手(ディナー)

ならば残さず食らい尽くすのが礼儀というもの。

 

「もっと! もっとだ! 魅せてみろ──伏黒恵!」

 

恵と東堂がぶつかり合う。

己の持ち得る全てを使って相手を叩き潰す。

学生同士の勝負とは思えない──そこだけまるで空気が違う戦いが展開されていた。

 

「何アレ……怖……」

 

それを空から箒に跨がって見ていたのは京都校の西宮。

自分とは圧倒的にレベルの違う戦いに冷や汗が流れる。

『最凶』の関係者だと聞いた時点で余程の強者だろうとは思っていたが、まさかこれほどとは。

 

「──落とせ!」

 

突然、西宮に影が落ちる。

二人の戦いに釘付けになっていた西宮の頭上に現れたのは身体を大きく広げたクラゲの式神。

 

「ヤバッ……」



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第弐拾玖話

投機的な情報をどう利用するか。
そのまま使うのか。
それとも捨ててしまうのか。
あるいは自分で解釈を加えて確実なものにしようとするのか。


「伏黒君?」

 

交流会に向けての練習中、三輪は真依に尋ねたことがあった。

伏黒恵とはどういう人物なのか、と。

一度、御三家繋がりということで加茂に聞いてみたことがあったのだが、そのときは「彼と私は同類だ」と意味のわからないことを言われて終わっていた。

 

「見てくれは普通だけど一級で入学したって時点で実力はわかるでしょ。禪院家(ウチ)の相伝持ちだし。でも、彼と戦わないなら後は楽よ」

 

「彼以外の東京校のメンバーって……」

 

「半分以上一年生。むしろ人数が多いだけに味方の足引っ張ってくれるんじゃない?」

 

「そっか。それならちょっと安心──」

 

──なんて言ってたのに! 真依のバカ!

 

ヒュッ……と音を立てて菜々子の肘が三輪の鼻先を掠めていく。

 

──この子……めちゃくちゃ強い!

 

一年生とは思えないほど慣れている。

攻撃に迷いがない。

 

──相手は素手……リーチではこっちが有利なのに!

 

会敵するや否や三輪の刀を容易くかわして懐に入り込んだ菜々子。

そこから菜々子の怒涛の攻めが始まり、三輪は防御するので精一杯になっていた。

中国拳法を軸にした肘や膝を使ったコンパクトな攻め。

ほとんど密着するような体捌きのせいで刀を振る間合いがない。

 

──一旦下がってから……。

 

「させないよ」

 

だが、下がろうとした瞬間、菜々子は三輪の足を踏みつけることで距離を取らせない。

続け様に腹に膝蹴りが突き刺さる。

 

「ゲホッ……!」

 

──何で躊躇なくここまで踏み込めるわけ!?

 

警戒はしているのだろうが、臆する様子がまるでない。

それは夏油と真希による近接戦闘の指導の賜物。

素手はもちろん、刀を始めとした武器や呪具の対処をこれでもかというほど叩き込まれてきた。

 

──アンタがどれだけ鍛えてきたか知らないけどさ、こっちは朝から晩まで体術オンリーで特級+天与呪縛とやり合ってんだよね。

 

なぜ菜々子が術式ではなく、体術主体の立ち回りが多いのか。

それは菜々子の術式が正面からの戦いに向いていないから。

菜々子の術式はカメラを介して被写体に干渉するもの。

だが、この術式は相手の姿を写せることが前提。

高速移動する相手や遠距離から攻撃してくる相手、逆に近距離で間断ない攻撃をしてくる相手などには相性が悪いのだ。

スマホを取り出し、構えて、カメラを起動し、相手を画面に写し、撮影する──その間、菜々子の両手は塞がっている。

しかも、画面を確認する必要があるため、視線もほとんど固定されていて無防備極まりない。

こそこそ隠れて行動するならともかく、正面切っての戦闘では致命的だ。

ならば術式に頼らなくても戦えるように体術を。

しかし、教えを乞いにきた菜々子に夏油は言った。

 

「術式に限界を感じて体術に切り替えることは間違いじゃない。術式を使う君。体術を使う君。どちらも術師としての君だ。しかし、問題はその先──体術に限界がきたとき、君はどうする?」

 

身体能力も呪力による強化も限界がある。

いずれ挫けるときが必ず来る。

そのとき菜々子はどうするだろう。

弱いと理解した上でそれでも術式と向き合うのか。

それとも術式でも体術でもない道を模索するのか。

これはただの思考された可能性。

どの道を選ぶのかは菜々子次第だ。

 

──っと、余計なこと考えてる場合じゃなかった。

 

「このっ……!」

 

まともに攻撃させてもらえず焦れた三輪は無理矢理に刀を構えて振ろうとする。

だが、この近距離で腕を伸ばすと──

 

「よっ」

 

菜々子の腕が三輪の腕を抱え込むように巻き付いた。

そのまま菜々子は関節と逆方向に全体重をかけるように後ろに倒れ込む。

 

──ヤバい……! 腕折られる!

 

「くっ!」

 

三輪は咄嗟に投げられる方向に自分から飛ぶことで腕を折られるのを回避。

結果、近くにあった崖から落ちることになってしまったが。

派手に水しぶきを上げて崖下の川に着水する三輪。

幸いにも浅い川だったため溺れることはなかった。

 

「ぷはっ……危な……」

 

術式を持たない三輪にとって刀は生命線。

腕を折られて刀が使えなくなれば三輪は棄権したも同然になってしまう。

しかし、安堵したのも束の間、三輪を追うように頭上から菜々子が降ってきた。

 

「ふっ!」

 

「うわっ……!」

 

三輪は後ろに大きく飛ぶことで振り下ろされた拳を回避しつつ距離をとる。

 

──今しかない!

 

崖から落ちたことは誤算だったが、怪我の功名──菜々子の間合いから離れたことでラッシュが止んだ。

再び懐に入られると厄介だ。

決めるなら今。

三輪は呼吸を整えると刀を一度鞘に納める。

そして──

 

──シン・陰流 簡易領域!

 

シン・陰流──それは平安時代、呪詛師や呪霊から身を守るために蘆屋貞綱という術師によって考案された呪術。

門下生であること、外部へ故意に内容を漏洩させないことなど、いくつかの縛りはあるものの、術式を持たない者も習得でき、術式を持つ者は術式との併用が可能。

そんなシン・陰流の技の一つ──簡易領域。

領域対策として編み出された弱者のための領域。

 

──半径二・二一メートル以内の領域内に侵入したものを全自動(フルオート)反射で迎撃する。

 

本来、簡易領域は領域の必中効果を中和し、身を守るものではあるが、こうして居合に転用することもできるのだ。

加えて三輪は鞘内に呪力を満たしていく。

刀身を呪力で覆い、鞘の中で加速させるシン・陰流最速の技──『抜刀』。

この一撃で決める。

 

──居合かぁ……。

 

一方で菜々子も思考を巡らせていた。

居合術、抜刀術──その真髄は抜刀と攻撃を同時に行うという圧倒的な速さ。

 

──素手と刀のリーチ差……それにさっきの攻めで警戒されてる。二度も懐まで寄らせたくないはず。

 

「とくれば……」

 

それでも菜々子は攻めの姿勢を崩さない。

全速力で三輪に向かって走り出し、真っ直ぐ距離を詰める。

 

──突っ込んできた!?

 

本当に迷いがない──いや、怖いもの知らずというべきか。

だが、それなら好都合。

超人的な反射神経がない限り『抜刀』を避けるのは不可能だ。

 

──後二十……。

 

──後十……。

 

──五……。

 

──三……。

 

「────!」

 

しかし、三輪が抜刀しようとした瞬間──領域が背後から忍び寄る存在を感知した。

 

──後ろ!?

 

正面から菜々子が迫ってきているのがわかっているのに。

三輪の身体は簡易領域により侵入したものを全自動(フルオート)反射で迎撃する──()()()()()()()

更に最悪だったのは正面の敵に特化した型をとっていたこと。

後ろから攻撃されてしまえば三輪は無理矢理身体を捻った体勢での迎撃を余儀なくされる。

そして、振り返った三輪が見たものは──

 

「く……クラゲ!?」

 

背後からこっそり針を伸ばしていたのは順平の式神である澱月。

 

──今更気付いても遅いっての!

 

三輪は何とか針を弾くも、その間に菜々子は間合いを詰めきっていた。

体勢を立て直すより先に後ろから菜々子の腕が三輪の首に絡み付く。

 

「おやすみ」

 

◆ ◆ ◆

 

「ふふふふっ……昔の自分を思い出すね」

 

「面白い子でしょ」

 

五条の後ろに座っていた冥冥は楽しげに笑いを洩らした。

黒鳥操術──複数の烏を使役して視界を共有できるという術式を持つ冥冥だが、彼女もまた術式に限界を感じて体を鍛え上げた術師の一人。

自身の身長ほどもある戦斧を軽々と振り回して並の呪霊なら圧倒できる。

そして、彼女は身体強化にも限界がきたことで再び己の術式と向き合い、昇華させたことで一級術師へ昇格した強者である。

 

「金をかけて身体を鍛えたことは無駄じゃなかった。それ以上のリターンを得られたからね。我ながら私自身に投資したのは正解だったよ」

 

「投資ねぇ。ホント好きだよね。そういうの」

 

冥冥という人物を語る上で外せないのがその性格。

所謂守銭奴ということ。

現金の報酬はもちろん、株、為替、不動産、ありとあらゆる手段で利益をあげることを趣味にしている。

組織に属していないフリーの呪術師のため、ある意味中立ではあるが、金が絡むと大体のことは引き受ける危うい性格なのだ。

 

「いい機会だから聞きたいんだけどさ、冥さんって()()()()?」

 

「どっち? 私は金の味方だよ。金に換えられないものに価値はないからね。何せ金に換えられないんだから。だけど、数少ない例外も存在する」

 

冥冥は五条の隣に座る『呪詛師殺し』に視線を向けた。

 

「客の情報は明かせないけど、彼女を探ってくれって依頼はいくつか来ていたよ。相手が彼女じゃなければ二つ返事で受けていた額だった」

 

守銭奴である冥冥でも彼女が関わる依頼には手を出していない。

理由は単純──割に合わないから。

彼女と敵対した時点で買収するのは不可能だし、例え全財産を使って軍隊を雇い、核シェルターに籠ったところで彼女は殺しにくるだろう。

個人であろうが組織であろうが世界であろうが、敵対したなら地獄の果てまで追いかけて容赦なく総滅する──それが彼女だ。

 

「探ってくれ……ねぇ? 心当たりがありすぎて誰だかわからないんだけど」

 

『呪詛師殺し』はそう言うとわざとらしく楽巌寺にチラリと視線を遣る。

しかし、楽巌寺の表情は変わらない。

微動だにしないまま前を向いている。

 

──私がここに来た時点で十分脅しは効いてる。保身が最優先の連中だし、しばらくは大きく動いたりしないでしょ。

 

となると、やはり一番の問題はこの後に起こる襲撃だ。

菜々子が映っているのとは別のモニターでパンダがメカ丸との戦いに決着をつけていた。

結果はパワー重視のゴリラモードと変則的な近接戦闘のゴリ押しによりパンダの勝利。

 

──これで京都校は三輪、メカ丸が脱落か。

 

東京校は全員残っているがパンダの消耗が激しい。

京都校で残っているのは加茂、真依、西宮、東堂。

 

──どのタイミングでくるかわからないからね。日没間際の全員疲弊しきったところじゃなければいいんだけど。

 

わざわざ両校が集まる交流会の日を狙ってきたのだ。

目的は生徒である可能性が高い。

 

──だけど、それじゃ五条悟を相手にするリスクと釣り合わない。

 

そんな大きなリスクを負っても釣り合いがとれるメリットとは何だ。

ここまで集めた情報を吟味し、彼女は思考を巡らせる。

 

──目に物見せてあげるよ。

 

『呪詛師殺し』を敵に回せばどうなるか。



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第参拾話

足腰は鍛えておくこと。

どんな状況でも真っ直ぐ立ち続けられる。

戦うときにも、逃げるときにも役に立つ。


「動き鈍ってんぞ、クソ魔女!」

 

「なら、さっさと捕まえてみろよ、一年!」

 

箒に乗って飛ぶ西宮を追っていたのは釘崎。

二人の戦いは存外長引いていた。

というのも様々な要素が重なったせいで互いに攻めきれていないのである。

まず釘崎の芻霊呪法──対象から欠損した一部を使う必要があるのだが、交流会のルール上、相手の腕や足を千切るわけにはいかない。

そのせいで、ひたすら金槌で釘を飛ばすだけの単調な戦い方しかできないのだ。

高速移動が持ち味の西宮ならば直線的な軌道で飛ぶ釘を避けるなど容易いこと。

その点で既に釘崎は西宮に遅れをとっている。

では、優位なはずの西宮がなぜ攻めきれていないのか。

 

──あの新人(ルーキー)……!

 

西宮は苦々しい顔で自分の腕に目を落とした。

触手が掠った左腕がズキズキと痛んで集中を乱す。

あんな巨大な式神が近付いてきたなら普通は気付く。

順平は西宮に近付かせるときは限界まで小さくしてから上空で一気に巨大化させたのだ。

 

──素人のクセに……!

 

呪術に触れてたった数日、高専に入ったのは昨日。

そんな相手に一撃食らわされたという事実が西宮を苛つかせる。

順平の術式自体は飛び抜けて強力というほどのものではない。

ランクとしては並のもの。

だが、普通の術師が時間をかけて得る感覚を順平は既にモノにしていた。

先日の真人による術式の開花と調整が素人でしかない順平を短期間で戦える術師のレベルまで押し上げていたのだ。

そして、順平の毒に加えて西宮の集中を削ぐ要素がもう一つ。

狗巻の呪言である。

 

──呪言は強力だけど対呪霊に特化した術式……呪力で耳から脳を守れば防げるって言われたけど……。

 

脳の内側を守るなんてことは通常の戦闘ではまず行わない。

守ることはできても守り続けるとなれば存外難しい。

森の中となれば姿も発見しにくく、いつ狗巻が来るかわからないために延々と気を散らされる。

 

──それに要注意なのはこの子も……。

 

西宮が箒を大きく振ると巻き起こる呪力の風。

人一人浮いてしまうほどの暴風に加えて、それに混じった砂利や枝が散弾のように釘崎の顔や体に直撃する。

 

「チッ……!」

 

それが目眩ましになっている間に西宮は飛び上がると、箒だけを加速させ釘崎の背後へ。

そして、釘崎が箒の気配に気付いて振り返った瞬間に箒が顔面めがけて突進する。

 

「うっ……!」

 

背後から高速で迫る箒を受けてしまった釘崎。

しかし──

 

──派手に吹っ飛ばされてるように見えるけど、攻撃が当たった瞬間、同じ方向に飛んで威力を流してる。それに受け身も慣れた動き。一年生のレベルじゃない。

 

顔面に攻撃を受けたのにふらつく様子もなく、受け身をとった流れのまま、すぐさま立ち上がっている。

何なのだ、今年の東京校は。

去年までと明らかに雰囲気が違う。

乙骨がいないことを考えてもだ。

 

──多分、原因はあの人だよね……。

 

『呪詛師殺し』。

『最凶』の片割れである殺し屋。

敵対した者を容赦なく一切合切葬る裏世界の化物。

そんな彼女が鍛えたなら今年の東京校が異様な強さになっているのも当然か。

半端な攻撃では意味がない。

しかし、下手に出力を上げれば殺しかねない。

 

「遠くからチマチマと……手が痛むから殴れませんってか? お上品ぶってんじゃねーよ」

 

「うわ……可愛くない……」

 

「生憎、アンタに振り撒く愛想なんて持ってないわよ」

 

「先輩には尻尾振っておいたほうが得だと思うけど。じゃないと呪術界で生きていけないよ」

 

「あ?」

 

「呪術師が実力主義だと思ってない?」

 

「実際そうだろ」

 

「それは男だけ。女はね、実力があっても可愛くなければなめられる。当然、可愛くても実力がなければなめられる。わかる? 女の呪術師が求められてるのは『実力』じゃないの──『完璧』なの」

 

女のクセに生意気だ──なんて散々聞かされてきた。

汗だくで鍛練していれば、女らしく化粧でもしていろ、と詰られる。

せっかく磨いた肌に傷がつかないように安全に徹して立ち回れば、これだから女は、とバカにされる。

呪術界に蔓延る凝り固まった女への偏見。

 

──実力だけじゃ足りない。

 

それを突き崩すためには『完璧』でなければならない。

そのために必要なものは二つ。

文句を言わせない、あるいはねじ伏せるだけの実力。

隙を見せない立ち振舞い。

そうでなければ男に並び立つことは許されないのだと。

だが、西宮の持論に釘崎は、ふん、と軽く鼻を鳴らしただけだった。

 

「『完璧』が()()()()()()なんて……周りの指図がねぇとテメェは何もできねぇのか」

 

そんなものに応える義務がどこにある、と釘崎は呟いた。

釘崎だって着飾って遊びにいくこともあるし、毎日のスキンケアも欠かしていない。

しかし、それを義務だと思ったことはないし、なめられないためにとも思っていない。

ただ自分のために──それだけだ。

呪術師は常に死と隣り合わせの仕事。

複数人で任務に行ったとしても周りが全滅することだってある。

呪霊を前に立っているのが自分だけ──そんなときに他人から求められてきた『完璧』が何の役に立つ。

『可愛さ』なんてものを評価してくれる者はその場にいないのに。

結局、最後に頼りになるのは自分の実力だ。

 

「だから私にも勝てないのよ」

 

「っ……!」

 

西宮は悔しげに顔をしかめながら、それでも言葉を絞り出した。

 

「どうせ知らないでしょ。女の呪術師がどんな扱いを受けてるかなんて」

 

「アンタ、ひょっとして禪院家のこと言いたいわけ?」

 

釘崎の言葉にピクリと西宮が反応する。

どうやら図星らしい。

 

「知らないほうがおかしいでしょ。こっちには禪院の血筋が三人もいるんだから。そっちにもいたわよね、真希さんの妹。真希さんもロクでもない家って言ってたし、妹のほうも同じこと言ってるのは想像つくわよ」

 

「そうよ……禪院家では完璧なんて当たり前。相伝の術式を継いでいなければその時点で落伍者。その中でも女はスタートラインにすら立たせてもらえないこともあるの。私達が当然のように享受してる幸せを手に入れるのに真依ちゃん達がどれだけの理不尽と戦ってると──」

 

「あー、はいはい。テメェがメンドくせぇのはわかったよ!」

 

西宮の言葉を遮るように釘が放たれる。

 

「スタートラインにすら()()()()()()()()()って言ったな。自分の人生のレールすら他人任せかよ」

 

「何ですって?」

 

「せっかくクソみたいな家のレールから外れられたんだろ。なら、わざわざクズどもと同じ土俵に立ってやる必要がどこにある。何で禪院家にこだわる。私なら自分を曲げてまでそんなところにいたいとは思わないわよ」

 

禪院家に非ずんば呪術師に非ず。

呪術師に非ずんば人に非ず。

絶対的な呪術師至上主義。

だが、それはあくまでも()()()()()()()()だ。

世の中全てに適応されるルールではない。

甚爾や真希があの家から出てきたように、出ようと思えば出られるはずなのだ。

なぜ禪院家に縋り付く。

なぜ掃き溜めの中で足を止めている。

 

「私はアイツみたいに俯いてウジウジしてるヤツが大嫌いなんだよ。真希さんはいつだって背筋伸ばして胸を張ってる。術式がなくても、呪力がなくても、昇級を邪魔されても、ちゃんと自分の足で真っ直ぐ立ってる」

 

それに比べてテメェらはどうだ? と釘崎は西宮を睨み付けた。

 

「家が何だ、かわいくなければ何だと……寄り集まってキズの舐め合いしてんじゃないわよ気色悪い。不幸自慢が趣味かテメェらは」

 

「言わせておけば……! アンタは簡単にリタイアなんかさせない。泣いて謝るまで可愛く叩き直してあげる」

 

「叩き直してやるのはこっちだっつーの。簡単に自分を曲げる甘ちゃんが」

 

そう言って釘崎は手を掲げる。

芻霊呪法──

 

「『簪』!」

 

辺り一帯の木に打ち込まれた釘に一気に釘崎の呪力が流し込まれる。

するとどうなるか。

一斉に木が半ばからへし折れたのだ。

 

──当たらない釘を飛ばし続けたのはこのため!?

 

上から次々と落ちてくる木を避けるために西宮は高度を下げるしかない。

 

「ふっ!」

 

待ってましたとばかりに釘崎は木に打ち込んだ釘を足場にして跳躍。

伸ばした手が西宮の箒に届く。

 

「高度を落としたってそれじゃ届かないでしょ!」

 

だが、箒に手が届いたから何だというのか。

西宮はすぐさま釘崎を蹴り落とす。

 

「いーや、届いたわよ!」

 

──これで十分!

 

将を射んと欲すればまず馬を射よ。

釘崎の狙いは最初から西宮ではない。

その手にある藁人形に差し込まれていたのは今の一瞬で手に入れた西宮の箒の枝。

 

──テメェも相当面倒な経験してきたんだろ。だから『完璧』にこだわる。だけど、私は見たんだ。一挙手一投足のミスが死に直結する『完璧』なんて生ぬるい世界で生きてきた人間を。

 

◆ ◆ ◆

 

一ヶ月前──

 

「んー……釘崎ちゃんの課題は戦闘経験の少なさと集中力……他にも色々あるけど、とりあえずその二つかな」

 

「あ? 私が集中してないって言いたいの?」

 

「いやいや、集中してないわけじゃない。問題は集中の密度と視野の狭さ。目の前の相手にはよく集中してる。でも、集中しすぎて周りが全く見えてない。向こうは多分二人一組(ツーマンセル)でくるから、目の前の一人に集中してる隙に背後から……って可能性は十分考えられるよ」

 

「それは……そうね……」

 

「正面への集中の密度を保ったまま視野を広げるイメージで──」

 

『呪詛師殺し』が話しているのを聞きながら、釘崎は思わず感心していた。

一人ひとりの立ち回り方やクセをよく見ている。

アドバイスも適切。

五条の授業より遥かにわかりやすい。

素性を知らないまま教員だと紹介されていれば普通に信じていただろう。

 

──何かもっと無表情で「寄らば斬る」みたいなオーラ放ってるのかと思ってたけど……。

 

『呪詛師殺し』といえば何よりもその容赦のなさ。

敵対したことごとくを殲滅し、撃滅し、総滅する。

そんな人物が普通に特訓に付き合っていることが信じられない。

 

──まあ、伏黒も「見境なく暴れまわったりしない」って言ってたし、実力とか呪詛師を殺しまくってること以外は割りと普通なのかしらね。

 

しかし、それはとんでもない勘違いだったと釘崎は思い知ることになる。

そのきっかけはある日のこと。

特訓の合間にスポーツドリンクのペットボトルを片手に何気ない話をしていたときだった。

 

「何で特訓の依頼を受けたのかって?」

 

ふと思い浮んだ疑問。

五条からの依頼なのだろうが、それにしても懇切丁寧に教えてくれている。

この一ヶ月で以前とは比べ物にならないほどに力が付いた。

そこで思ったのだ。

なぜここまでしてくれるのだろうか、と。

もちろん五条が少ないとは言えない謝礼を払っているだろうが、彼女は金で簡単に動く人間ではなかったはずだ。

釘崎の問いに「ふむ」と彼女は一つ頷いて──

 

「色々理由はあるけど、一番は()()()()()()()()()()だよ」

 

「……へ?」

 

あまりに自然な表情で放たれた言葉に釘崎は思わず間抜けな声を洩らした。

 

「そもそも私って呪術規定違反スレスレの立場だし。何か一つきっかけがあれば処刑対象にされるんだよね」

 

「い……いやいや、あの『呪詛師殺し』と敵対なんてするわけないでしょ。今だってこうやって鍛えてくれて──」

 

()()()()()()()()の見極めじゃない」

 

そんなものはどうでもいい。

 

()()()()()()の見極めだよ」

 

立ち向かうのか。

逃げるのか。

それとも呑気に和平の道を探るのか。

 

「君達がいくら「敵対しない」って言ったところで意味はないんだ。そうだね……例えば人質なんかが手っ取り早い。私を殺さなきゃ他の生徒達の命は保証しない、みたいな」

 

「それは……」

 

釘崎は言い淀んだ。

もしも真希達が人質に取られたら。

上層部に逆らうだけの力は釘崎にはない。

『呪詛師殺し』一人の命で複数人の命が助かるなら──と考えてしまうかもしれない。

 

「まあ、今の実力じゃ挑んできたところで返り討ちにするだけなんだけど。後は単純に金とか家からの命令とかね」

 

「なら──」

 

「敵対する相手を成長させてどうするんだって?」

 

普通ならありえないと考えるだろう。

しかし、まるでメリットがないわけではない。

 

「この特訓の中で君達は自分の手札をほとんど晒してる。術式、体力、思考、練度、武器、呪力量、そして成長の方向性まで。いざ敵対したときに初見殺しの技がないっていうのは私にとって大きなアドバンテージになる。そして、成長()()()()()しまえば土壇場での覚醒もない」

 

ゾッと釘崎の背に寒気が走る。

一人ひとりの立ち回り方やクセをよく見ている──それどころではなかった。

割りと普通──なんて思ったのも大間違い。

裏で凶悪巧者な呪詛師と戦ってきた彼女が普通であるはずがない。

 

「ひょっとして……私がただの善意や親切心で坊っちゃんに協力してるとでも思った?」

 

楽天家だねぇ、と彼女は笑った。

 

「油断しちゃダメだよ、釘崎ちゃん。今だって君は私の──殺し屋の間合いにいるんだから」

 

「──っ!」

 

釘崎が持っていたペットボトルが手から滑り落ちる。

咄嗟に後ろに下がろうとするが、『呪詛師殺し』が釘崎の手を掴んで引き寄せるほうが早かった。

 

「死にたくないなら気を抜くな」

 

◆ ◆ ◆

 

耳元で囁かれた言葉は釘崎の心に重く響いた。

彼女にとっては禪院家で求められる『完璧』すら優しく思えるだろう。

蔑まれたり殴られるのとはレベルが違う。

裏の世界では、ほんの些細なミスが文字通りの命取り。

ミスをせずとも、そこにいたというだけで巻き込まれて死ぬこともある。

そんな理不尽を踏み潰し、不条理を叩き潰し、ありとあらゆる障害を粉砕した上に立っているのが彼女なのだ。

だからこそ彼女の警戒は常に気を張り巡らせているというレベルを遥かに超えている。

恵と組み手をしていたときも。

釘崎に武器の使い方を教えているときも。

真希やパンダ、棘と休憩の合間に談笑しているときでさえ。

自然に振る舞っているように見えて、そこに一切の緩みはなかった。

たとえ談笑中に後ろから攻撃されても彼女は当然のように対処しただろう。

絶望的な窮地を容易く乗り越える隙のない強さ。

その強さに驚き、震え、惹かれると同時に、釘崎の心の中に湧き上がってきたのはどうしようもない嫌悪感だった。

 

──化物だとしか思えなかった。

 

『呪詛師殺し』のある種の完成された強さは圧倒的な孤独だ。

自分以外に信じているものがない。

守るものがないゆえの身軽さ。

愛情や友情、信頼、信用などを切り捨てたからこそ得た強さ。

だが、その果てには恐らく何も残っていない。

 

──あれが『完璧』も『理不尽』も乗り越えた先の成れの果てって言うなら私はゴメンだ。そんなのは私じゃない。

 

釘崎は自分が自分であるために命を懸けられる人間だ。

だから──

 

「──男も女も知ったこっちゃねーんだよ。テメェらだけで勝手にやってろ」

 

釘崎は思い切り金槌を振りかぶった。

 

「私は綺麗にオシャレしてる私が大好きだ。強くあろうとする私が大好きだ」

 

──私は私のやりたいようにやる。

 

そこがどこでも。

誰に何を言われようと。

昔も今も。

 

「私は──『釘崎野薔薇』なんだよ!」

 

釘が藁人形に打ち込まれると同時に西宮の箒はコントロールを失って落下する。

 

──箒が……!?

 

西宮の最大の武器である機動力は死んだ。

これで一気に状況は五分。

否、まだ攻撃手段を残している釘崎のほうが優位に立っていた。

 

──でも、私がトンカチで殴れば下手すりゃ殺しちゃう。

 

そのため最初はピコピコハンマーあたりで気絶するまでぶん殴ってトドメを刺そうと思っていたのだが。

 

「いや、それはさすがに手ェ抜き過ぎっしょ。せめて普通に殴る蹴るくらいしないと。気絶するまでに何発必要なの? って話じゃん」

 

という菜々子のもっともな意見により却下。

 

──普通に考えればそうよね。何? あのときの私、酔ってたわけ?

 

地面に落ちた西宮に向かって釘崎は一気に距離を詰める。

 

──散々遠くから甚振ってくれやがって……この一撃で決めてやる。

 

釘崎は右足で飛び上がると尻餅を着いた西宮の右膝に左足で着地。

更に、その勢いを止めることなく釘崎の右膝が西宮の側頭部めがけて迫る。

それは、とあるプロレスラーが編み出した変則膝蹴り。

その名を──

 

「シャ──」

 

──閃光魔術(シャイニング・ウィザード)……!?

 

こめかみを抉るように蹴り出された釘崎の右膝が西宮の脳を揺らす。

京都校のメンバーも身体を多少は鍛えているが、東京校のメンバーほどは鍛えていない。

加えて順平の毒で左手が使えないために防御もできない。

まともに釘崎の右膝をくらった西宮は一撃で意識を飛ばしてしまった。

 

──フッ……決まった……!

 

これが釘崎野薔薇だと見せつける鮮やかな勝利。

この一ヶ月のしごきは無駄ではなかった。

西宮に反撃の気配がないことを確認して釘崎は立ち上がる。

 

「パンダ先輩大丈夫かな……」

 

──死にたくないなら気を抜くな──

 

「────!」

 

西宮を倒して気が緩みかけた釘崎の目の端に一瞬映ったマズルフラッシュ。

咄嗟に金槌を盾にした瞬間、飛来したゴム弾によって柄が中ほどからへし折れた。

 

「っ……!」

 

──ムキになって語ってると思ったら……聞いてたってわけね。

 




──あんまり釘崎を脅かさないでくださいよ。何か吹き込んだでしょ。

──嘘は言ってないよ? 夜蛾学長の言葉だけどね、窮地にこそ人間の本音は出るらしいんだ。なら、私の言葉は全部本音ってことにはならないかな?

──言葉にせず腹の中に隠し持ってる本音もあるんじゃないですか。

──真っ黒過ぎて出せないだけだよ。

──本音が出る、とは言っても嘘を吐かないこととイコールじゃないでしょ。

──まったく……嫌になるほど鋭くなったねぇ……。


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第参拾壱話

『毒』と『薬』の違いって何だと思う?
正解はどちらも同じ。
その効果が有効か有害によって名称を変えてるだけ。
だから順平の『呪力から毒を生成する術式』をより正確に表すなら『人体に影響を与える化合物を作り出す術式』なわけだよ。
拡大解釈だって?
上等上等。
拡大し、拡張し、展延し、展開する──世界を自分の道理で塗り潰すのが呪術の本質なんだからさ。


「ああ、金槌壊れちゃったんだ。いいよ、こっちは大丈夫」

 

釘崎との電話を終えて菜々子はポケットにスマホをしまう。

釘崎から五十メートルほど離れた木の上で菜々子は気絶した三輪から奪った刀を手に真依と対峙していた。

 

「こっちは大丈夫なんて随分余裕じゃない」

 

「一年相手に二人がかりでも勝てない先輩とは違うってこと。わかる?」

 

「チッ……」

 

ニヤニヤと笑いながら堂々と挑発してくる菜々子に思わず舌打ちが洩れる。

 

「真希はどうしたのよ」

 

「お姉ちゃんが来なくて寂しい? シスコンかよ」

 

「口の利き方──教えてあげる!」

 

真依は、さっき撃った一発分を素早くリロードすると菜々子に向けて発砲。

しかし──

 

「ふっ!」

 

キンッ、という音と共に弾丸が両断される。

銃弾を叩き切るという人間離れした芸当に真依が呆気にとられているうちに菜々子は木から木へと次々に跳躍。

そして、真依がもう一度発砲した途端に素早く木の影に隠れてしまった。

 

──死角に入ったから何だっつーのよ。銃相手に距離取るとかバカじゃないの。

 

刀の届く距離など知れている。

距離を取るほどこちらが有利になるというのに。

真依は菜々子が隠れた木に銃を向ける。

どちらから出てくる。

右か。それとも左か。

しかし、菜々子が取ったのはどちらでもなかった。

 

「──っ! 下かよ!」

 

突然、真依が立っていた枝が落下する。

木の影に隠れた菜々子はそのまま木に沿うように降りて、下から真依の足場になっていた枝を切ったらしい。

 

──この子の動き……。

 

そこで真依はハッと気付いた。

さっきの弾を切った動きも。

木から飛び移る動きも。

まるで真希のそれだと。

噛み締めた奥歯がギシリと軋む。

 

「アンタなんかが……」

 

──真似してんじゃないわよ!

 

落下しながら真依は更に二発を発砲。

だが、それも容易くかわされて懐に入られてしまう。

 

「随分殺気立ってんね」

 

「うっ……!」

 

着地直後の真依の脇腹に菜々子の蹴りが突き刺さった。

その動きすら真希とダブって見える。

 

「この……偽物が!」

 

至近距離から一発。

だが、菜々子は怯むどころか迷いなく刀を振り下ろして弾丸を叩き落とす。

 

──何でこの距離の弾丸が見切れるのよ……!?

 

更に菜々子は続け様に放たれた一発を後ろに下がってかわすと、また木の影へ転がり込んだ。

 

「なぁに? さっきの野薔薇の言葉がそんなに効いた?」

 

「うるさい!」

 

「うわ、怖ぁ……そうカリカリしないでお仲間同士仲良くしない? 女でしかも双子なんて激レアなんだからさぁ」

 

「お仲間? 特級術師に拾ってもらってぬくぬくと暮らしてきたヤツに何がわかるのよ」

 

「だからぁ、そうやって悲観してすぐ被害者ヅラすんなよ。自分には差し伸べてくれる手なんてなかったって? 真希さんが何のために頑張ってるか少しは考えたことあんの?」

 

──コイツ……ペラペラと……。

 

さっきからやけに饒舌な菜々子の言葉一つ一つが真依の癇に障る。

そして、真希の動きを真似ているのも気に入らない。

六発全弾撃ちきった真依はポケットから取り出したスピードローダーで素早くリロード。

絶対に仕留める、と真依は息を整えて菜々子が隠れた周辺に狙いを定めた。

 

──装弾数は六発。銃は至って普通なんだけど……。

 

一方、菜々子は木の影で真依の情報を整理していた。

術式は不明。

使われた様子もない。

武器はリボルバーが一丁。

予備の銃はない。

しかし、その銃に気になる点が一つ。

弾数の多いオートマチック銃ではなく、敢えてリボルバーを使っているところが引っ掛かる。

 

──二級呪霊が本命なのにリボルバーの六発だけじゃ心細くない?

 

呪霊に通常兵器が有効と仮定した場合、四級なら木製バットで余裕、三級なら拳銃があればまあ安心、二級は散弾銃でギリというのがおおよその目安。

もしも二級呪霊(本命)と遭遇してしまったらリボルバー一丁では圧倒的に火力が足りない。

オートマチック銃で連射したほうが祓える可能性は高い。

 

──つーか、最初から真希さん狙いだったよね? 呪霊の相手はする気ないってこと?

 

真依なら真希の人間離れした身体能力は知っているに決まっている。

それでも真依はリボルバーで交流会に臨んだ。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と考えた。

何かタネがある。

たった六発の弾丸で真希を倒すカラクリが。

 

「お喋りが止まったわね。ビビって出てこられないのかしら」

 

「いーや? 閃きが合ってるか確認してただけ」

 

──いつまでもここに隠れてるわけにもいかないし……行ってみるか。

 

「フッ!」

 

手近にあった枝を投げて囮にすると同時に菜々子は反対方向へ走る。

枝に向けて一発。

囮だと気付いた真依はすぐさま照準を定め直して一発。

しかし、一瞬遅れたせいで菜々子には追い付かない。

 

──動きは()()()してるけど、速さは真希には及ばない。

 

偽物が……と呟きながら更に一発。

今度は菜々子の進行方向を予測して撃ってみるも少し早い。

菜々子の一歩先に着弾。

菜々子の動きは確かに速い。

それでも見えないほどの速さで動いているわけではない。

真依は少しずつ菜々子の動きに慣れてきていた。

再び引き金を引く。

四発目──タイミングは完璧。

しかし、ちょうど木の影に隠れてしまったことで幹に穴を空けるだけに終わってしまった。

 

──合わせてきやがった……!

 

菜々子の頬に冷や汗が一筋伝う。

真希なら余裕でかわしただろうが、今の菜々子の()()は裏技みたいなもの。

そろそろ限界が近いらしい。

 

──後二発……。

 

菜々子は汗を拭うと走り出す。

トップスピードを維持していられる時間はそう長くない。

しかし、止まればそこを狙われる。

 

「っと……!」

 

すると、木々が途切れた瞬間に横から銃弾が飛んできた。

今度こそ当たったかと思いきや、菜々子は走りながら刀で弾いてみせる。

五発目。

そのまま菜々子は木の間を縦横無尽に駆けるが、さすがに最後の一発となればそう簡単には撃ってこない。

真依は足音から菜々子の動きを探って慎重に狙いを定めているようだった。

 

──撃ってこないか……まあ、かなり警戒させたしね。

 

菜々子の体力も無尽蔵というわけではない。

長期戦になるほど不利になってしまう。

撃ってこないなら撃たせるまで。

菜々子は手近にあった木を駆け上がる。

 

──弾切れ直後に間合いを詰めれば私の勝ちは揺るがない。

 

そして、真依へ向かって菜々子は枝の間から飛び出した。

かわせない空中。

真依にとって千載一遇のチャンス。

間合いを詰められれば不利なことは真依もわかっている。

だからこそ真依はここで菜々子を撃ち抜くしかない。

 

──さあ、撃ってきなよ。

 

真依の頭には先ほど至近距離の弾丸を両断してみせた菜々子の姿が焼き付いている。

また弾かれるかもしれない。

そう思いながらも近接で勝ち目がないなら撃つしかない。

そして、真依は引き金を引いた。

狙いは顔面のド真ん中。

弾丸は吸い込まれるように菜々子に向かっていく。

 

──いい腕してる……けど!

 

放たれた弾丸を菜々子は片手で刀を一閃して弾いてみせた。

 

──これで六発目(ラスト)……!

 

リロードさせる隙は与えない。

このまま勢いを殺さず仕留める。

そのときだった。

突然、()()()が真依の持つ拳銃から飛び出してきた。

 

「────!?」

 

思わず菜々子は目を見開く。

存在しないはずの七発目──そのタネは真依の術式だ。

構築術式──己の呪力を元にゼロから物質を構築する術式。

そして、この術式で一度生成された物質は術式終了後も消えることはない。

それゆえに呪力消費が激しく、身体への負担も大きい。

真依の場合、銃弾を一発作っただけで一日貯めた呪力が枯れる上、術式発動時にかかる身体にかかる負荷によって鼻血を流してしまうほどに。

しかし、その甲斐はあった。

 

──私の勝ちよ。

 

菜々子は刀を振りきってしまっている。

切り返す暇はない。

真依は勝ちを確信して笑みを浮かべた。

 

──わかりやすく弾数でブラフを張るためのリボルバー……確かに並の術師ならどうにもできないだろうね。でも──

 

誰に鍛えられたと思っている。

菜々子達を鍛えたのは普通なんてものをことごとく捨て去ってきた『最強』と『最凶』だ。

定石だの王道だの知ったことかとばかりに我が道を突き進む連中に鍛えられた菜々子達が、そんな並の術師と同じであるはずがない。

刀を握っていなかった菜々子の左手が動く。

その直後──ダン、と着弾の音が響いた。

 

「あっぶな……」

 

「は……?」

 

真依の口から呆けた声が洩れ、さっきまで浮かんでいた笑みが霧散する。

幻の七発目──予測不可能なはずのそれを菜々子の手に握られているスマホが受け止めていたのだ。

 

──まさか……読まれてた……!?

 

ありえない。

真希にだって教えたことはないのに。

しかし、受け止めるなら弾丸が発射される前にポケットからスマホを取り出していなければ間に合わない。

 

「なーんか隠し球持ってると思ったんだよねぇ」

 

残念でしたぁ、と菜々子はニヤリと笑ってみせた。

 

「くっ……!」

 

この近距離だ。

弾丸をリロードする時間はないし、虎の子の七発目は使ってしまった。

もはや破れかぶれで真依は拳銃を振りかぶった──その瞬間。

プスッ、と軽い音がすると同時に真依の背中に痛みが走る。

 

「え?」

 

途端に真依の全身に広がる痺れ。

身体に力が入らない。

グラグラと視界が揺れ始め、思わず真依は地面に倒れこんだ。

 

──何よ……これ……。

 

混乱する真依の背後からガサガサと足音が近付いてくる。

 

「触手の射程ギリギリだったけど……よかった、当たって。ああ、死にはしないよ。数時間痺れて動けないだけで」

 

「アンタ……新人の……」

 

菜々子の動きに気をとられていた真依は全く気付いていなかった。

自分の背後──菜々子と真逆の方向で順平が密かに毒を練り上げていたことに。

 

「このっ……騙したわね! アンタも二人がかりじゃない!」

 

「私は、一年相手に二人がかりでも勝てない先輩とは違う、って言っただけ。二人がかりじゃないなんて言ってませーん」

 

けらけらと笑ってみせる菜々子と額に青筋を浮かべて拳を握る真依。

そのまま真依は立ち上がろうとするが、今回順平が調合した毒は即効性のもの。

既に毒は全身に回っていて手足をピクピクと動かすのが精一杯だった。

 

「大体、呪術師なんて騙してなんぼ──」

 

すると突然、笑っていた菜々子の身体がフラフラと揺れ始める。

 

「あー……順平、そろそろ限界っぽいから()()()()()よろしくー」

 

「はいはい。だから毒を使ってドーピングなんて無茶し過ぎだって言ったのに……」

 

「だって絶対勝ちたかったしぃ」

 

拳銃から放たれた弾丸の初速は秒速三百~四百五十メートル。

それにあの近距離だ。

普通にやり合うならまずかわせない。

真希のような天与呪縛でもなければ。

それを補うために菜々子は順平に興奮剤擬きの毒を調合させてドーピングしたのだ。

菜々子がやたら饒舌になっていたのはその毒の影響だった。

無茶をするにも程がある。

 

「うあー……キツかったー」

 

身体能力を強化してくれるとはいえ毒は毒。

立っているのも辛かったのか中和用の毒を注入してもらった菜々子は真依の隣にしゃがみこんだ。

そのまま菜々子はジッと真依の顔を見つめて何か考えている。

 

「……何よ」

 

「ねぇ、アンタ。もしかして呪術師嫌い?」

 

「……当たり前でしょ」

 

術師の家系──それも御三家に生まれた者にあるまじき発言だが、今更気にすることもないだろう。

女というだけで蔑まれ。

双子というだけで忌み嫌われ。

相伝の術式ではないというだけで見下される。

鍛練と称して理不尽に殴られたのも一度や二度ではない。

 

「努力も痛いのも怖いのももううんざり。でも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「ああ……なるほどね」

 

真依の言葉に菜々子は複雑な表情を浮かべた。

真依は気付いているのだ。

呪術において双子として生まれるその意味。

知らなければ厄介だし、知ってしまえば尚厄介なもの。

 

──だから、大嫌いな呪術師続けてるわけか。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「真希さんと仲悪いって聞いてたけど……何だ、アンタ、真希さんのこと大好きじゃん」

 

「うっさい……」

 

「しっかし、そうなるとメンドくさいなぁ。見事なまでにすれ違ってるし……とりあえず真希さんと話せる機会があったらちゃんと話しておいたほうがいいんじゃない? 同じ双子からのアドバイス」

 

そう言って菜々子は立ち上がり、順平と一緒に歩いていく。

 

「何話してたの?」

 

「んー……まあ、双子同士にしかわからない話があんの。それより何かめちゃくちゃ眠いんだけど……副作用ってヤツ?」

 

「体力の前借りみたいなもんだからね。あ、でも安心していいよ。依存性とか脳や内臓へのダメージはないように調合したから」

 

「へえ……やるじゃん……」

 

眠気がそろそろ限界なのだろう。

菜々子は澱月の上によじ登って寝そべると、そのまま目を閉じる。

 

「悪いんだけど私ここでリタイアね。本部まで運んだ後は美々子についてて。あ……ケガさせたら殺すから」

 

「は、はい」



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第参拾弐話

家具にするか呪具にするか……それが問題だ。


「真希は交流会で何使うつもり?」

 

「いつもの大刀だよ。私の階級じゃ持ち出せる呪具はあれが限界だしな」

 

呪霊を視認できるほどの呪力も持たない真希にとって呪具は生命線。

しかし、基本的に持ち出せる呪具の階級は術師の階級によって制限されている。

四級の真希では持ち出せる呪具がかなり限られてくるのだ。

それじゃこれ、と『呪詛師殺し』は手に持っていたものを投げて寄越す。

 

「貸してあげる。私の知り合いが作った呪具なんだけど」

 

真希が受け取ったのは一振りの刀。

 

「振ってみてもいいか?」

 

「どうぞ」

 

『呪詛師殺し』が下がったのを確認して真希は短く息を吸うと、ダン、と力強く踏み出した。

振り下ろし、切り上げ、横薙ぎ──真希は舞うように滑らかな動きで刀を振る。

 

「フッ!」

 

最後に突きを放って真希は姿勢を戻した。

振った感触は問題ない。

大刀に比べてリーチは短くなるが、そのぶん室内などの狭い場所で取り回しやすいのもいい。

 

「気に入った。でもいいのか?」

 

「作者曰く、武器は実戦で使ってこそ──らしいからね」

 

「なら遠慮なく使わせてもらうよ」

 

大暴れしてきなよ、と笑う『呪詛師殺し』に真希も、おう、と笑って返した。

 

◆ ◆ ◆

 

「──っと」

 

物理法則を無視して自分を追尾してくる矢。

しかし、真希の動体視力をもってすればかわすことは容易い。

かわされた先で方向転換して背後から迫ってきた矢も、きっちり叩き落とす。

チラリと視線を落とせば矢尻には少量の血液が付着していた。

 

「乱発し過ぎて貧血で倒れても知らねぇぞ」

 

「心配いらないよ。これらは全て事前に用意したものだ」

 

そう答えたのは京都校三年の加茂。

赤血操術──自身の血液と、それが付着したものを操る加茂家相伝の術式。

先ほどの矢がめちゃくちゃな軌道を描いて飛んできたのも加茂の術式によって操作されていたからだ。

 

──こっちは近接特化だが、あっちは全距離対応型だからな。距離とられると厄介なんだが……。

 

「わざわざ近接で挑んでくるとか喧嘩売ってんのか?」

 

「別に? こちらのほうが勝率が高いと踏んだだけのことだよ」

 

最後の矢を放った途端、弓を捨てて高速で肉薄してきた加茂の掌底を布で覆った刀身で受け止める。

 

──赤鱗躍動……血中成分を操作してドーピングするんだったか。

 

血液を操るということは形状や運動だけではない。

体温、脈拍、血中成分などの操作も術式の範疇である。

呪力による強化と術式効果により加茂が繰り出す殴打は威力もスピードも通常より桁違いに跳ね上がっていた。

だが、真希も刀一本で難なくそれに対抗してみせる。

 

──天与呪縛……術式もなく、呪力も一般人程度の微弱なもの。その代償として手に入れたのがこの人間離れした身体能力か。

 

決定打がないまま数合ぶつかったところで二人は同時に後ろに飛んで距離をとった。

 

「呪力が非術師並とはいえ、ここまで立ち回れるとはね」

 

「やっぱり天与の暴君(手本)が間近にいると違うんだよ。色々と勉強になるし、何よりいい指南役がいてくれたからな」

 

「指南役……『呪詛師殺し』……か」

 

彼女の話題が出た途端、加茂は不快感を示すように眉を潜めた。

 

「私個人としての判断だが……彼女は粛清すべき人物だと思っている」

 

「あ?」

 

「彼女は呪術界にとって脅威でしかない。高専が敵対するなら叩き潰すと公言している上に、それができるだけの実力が彼女にはあると聞いている。確かに彼女によって呪詛師の活動は抑えられているが、そのために彼女のような裏の人間に頼っているのは由々しき事態だ」

 

今のままでは呪術界の根幹が揺らぎかねない。

ゆえに粛清しなければ。

それが御三家──加茂家の人間として正しい判断だと思っている、と加茂は言い切った。

 

「そんなに家が大事かねぇ」

 

「君も同類だろう。理解できるはずだ。禪院家当主になると息巻いていたじゃないか。もっとも未だに四級術師のままらしいが」

 

「同類じゃねーし、うるせーよ」

 

純粋に実力だけで評価するなら真希は最低でも二級術師上位の実力はある。

潜在能力(ポテンシャル)を考えれば、いずれ一級術師の中堅相当まで伸びるだろう。

準一級術師である加茂と渡り合えているのが何よりの証明だ。

しかし、高専入学から一年半は経つというのに真希の階級は入学当時(四級)のまま。

それはなぜか。

禪院家からの妨害である。

術師の昇級は推薦制なのだが、禪院家が圧力をかけているため、真希を推薦する術師がいないのだ。

 

「肩書きがどうであれ、それでも文句を言わせねぇくらいの実力があれば問題ねぇだろ」

 

それに──と真希は続ける。

 

「あの人は呪力のねぇ私をバカにすることも侮ることもなかった。それどころか呪力がなくても立ち回れるやり方を懇切丁寧に教えてくれたよ」

 

状況に応じた武器の使い方。

無駄に体力を消耗しない足運び。

長時間動ける呼吸のやり方。

攻撃力を増すための力の込め方。

ダメージを最小限に抑える防御術。

基礎から応用まで徹底的に。

 

「術師は日々鍛えた身体を呪力で強化して戦う。真希──君の得た力など小細工に過ぎないんだ」

 

「ハッ……小細工っつーなら、さっさと倒してみろよ。私も倒せねぇお前にあの人が倒せるとも思えねぇが……何かしようっていうなら私はあの人の側につくぜ? 」

 

それが禪院家次代当主として正しい判断だと思ってる──と先ほどの意趣返しのように真希は言った。

 

「いいさ。それが君にとっての真実なら押し通せばいい。私は私の真実を信じるだけだ」

 

「言われるまでもねぇよ。我を通すのが呪術師だろ。他人の理解なんて最初から求めてねぇっての」

 

真希は刀の柄を握り直し、加茂も再び拳を構える。

二人が再び衝突しようとした──そのとき。

 

「「────!?」」

 

突如、建物の外から爆発音にも似た轟音が響く。

 

──何だ? 爆発? いや……違うな。

 

真希の常人離れした聴覚に雪崩れ込む破砕音。

それに混じるミシミシと何かが軋むような音。

何かが広範囲に渡って広がっていくような。

そして、その音はこちらへと近付いてきている。

何かおかしい──真希はすぐさま真横の襖を蹴り飛ばして部屋に入ると窓際まで駆け寄った。

加茂もそれに続く。

そして、二人が外を覗くと──

 

「「なっ……!?」」

 

そこにあったのは人の背丈を優に越える巨大な木の根。

それがまるで津波のように押し寄せてきていた。

 

「何だこれは……!?」

 

真希の隣で加茂も混乱した様子で声をあげる。

加茂が知らないということは京都校の術式ではないようだ。

当然、東京校にもあんな木の根を出せるような術式持ちはいない。

なら、これはどういうことだ。

考えに耽りそうになるが、木の根から逃げる棘と美々子が見えたことで一旦思考を中断する。

 

「棘! 美々子!」

 

その声で棘も真希達に気付いたようで、こちらに視線を向けた。

そして、棘は普段は術式の都合上滅多に出さないような大声で思い切り叫ぶ。

 

「『逃げろ』!」



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第参拾参話

呪術界がイカレたヤツらばっかりだって?

そりゃそうだろ。

まともなヤツはこんな仕事とっくに辞めてるよ。


「ハハッ、派手に暴れてるなぁ」

 

ズズン、と重く響く音を聞きながら、刀の柄尻で呪符が巻かれた杭のようなものを地面に打ち込む人物がいた。

金髪のサイドテールに小柄な体、そして目元に特徴的な紋様が刻まれた男──重面春太は今回の襲撃の黒幕である男に協力した数少ない呪詛師である。

『呪詛師殺し』に手を出すな──大半の呪詛師がそう言って協力を拒んだのに、なぜ彼は協力を受けたのか。

別に大層な理由があったわけではない。

重面が『呪詛師殺し』を噂でしか知らないということ。

そして「楽しければそれでいい」という楽観的な性格が理由だった。

 

「これでいいんだっけ? えーと、後は……ああ、そうそう──闇より出でて闇より黒く。その穢れを禊ぎ祓え」

 

呪文と同時に高専の真上から帳が降りてくる。

通常の帳ではない。

今回の襲撃のために特別に用意された()()()()()()()()()()()帳。

 

「おー、できたできた」

 

帳の発動が確認できた重面はゆっくりとした足取りで高専の中に入っていく。

 

「女の子がいっぱいいるといいなぁ」

 

◆ ◆ ◆

 

「ねぇ!」

 

「何? 歌姫」

 

「彼女、自由に動かしてよかったの?」

 

「んー……時間をロスしたくなかったってのもあるけど、あの場で下手なこと言って彼女まで敵に回してみなよ。彼女と侵入者の二正面作戦なんてさすがにキツいでしょ」

 

観戦室にいた五条、歌姫、楽巌寺の三人は今現在、生徒達がいる区画(エリア)へ走っていた。

ことの始まりは数分前──

 

「ん?」

 

「む?」

 

ボッ、と音を立てて壁に貼られた呪符が燃え上がる。

それも一枚二枚ではない。

壁に貼られた呪符全てが燃えたのだ。

 

団体戦(ゲーム)終了……? しかも全部東京校(赤色)!」

 

──これってさっき話してた襲撃……よね?

 

そうでなければ用意された呪霊が一気に祓われるなどありえない。

 

「妙だな……カラス達が何も見ていない」

 

先ほどまで交流会の様子を映していたモニターは真っ暗になっている。

 

GTG(グレートティーチャー五条)の生徒達が祓ったって言いたいところだけど……」

 

「未登録の呪力でも札は赤く燃える……」

 

「すると外部からの侵入者……いや、外部でも内部でも不測の事態に変わりあるまい」

 

楽巌寺はチラリと夜蛾に目を向けた。

夜蛾も一つ頷いて立ち上がる。

 

「オレは天元様のところに。悟は楽巌寺学長と学生の保護を。冥はここで区画(エリア)内の学生の位置を特定。悟達に逐一報告してくれ。それから君は……」

 

五条達に素早く指示を出した後、『呪詛師殺し』に目を向けた夜蛾だが、何を言うべきかと口ごもった。

指示してそれを素直に聞いてくれる人間なのか。

指示するとしてどう動かすのがベストなのか。

いや、動かすにしても彼女は教員ではない。

法外な対価を要求された場合はどうする。

戦闘力がずば抜けているという以外、彼女の情報はほとんどないに等しい。

その上、下手なことを言えばこの場で牙を剥く可能性もある。

高専と敵対するということは呪術界と敵対するということ。

しかし、彼女はそれでも顔色一つ変えずに自分達を叩き潰すだろう。

最悪の事態は回避しなければ。

夜蛾の手に僅かに汗が滲む。

次の夜蛾の一言に呪術界の未来が懸かっていると言っても過言ではないのだ。

 

──どうする……待機させておくか……協力してもらうか……。

 

しかし、夜蛾が何か言うより先に口を開いたのは彼女のほうだった。

 

「私は私でやることあるから好きに動かせてもらうよ。いいよね?」

 

「しくじるなよ」

 

「誰に言ってんの」

 

勝手に許可を出す五条を楽巌寺がジロリと睨み付ける。

仮に侵入者だとすれば内通者として一番怪しいのは彼女だ。その彼女を自由に動き回らせるなど何を考えている──そういう視線だったが、事前に事情を知っている五条は小さく肩を竦めてみせただけ。

時間がなかったため、その場で彼女を問い詰めたり行動に制限をかけることはできずに全員で大人しく彼女の背中を見送ることになった。

そもそも彼女は高専とは睨み合っている立場だ。

この混乱に乗じて……という可能性もある。

しかし、五条は首を横に振った。

 

「何か仕掛けるつもりなら、あの観戦室で僕ら皆殺しにされてるし、そもそも敵対組織の一つが勝手に潰れてくれるなら喜んで傍観に回るでしょ」

 

「確かに……」

 

「ぶっちゃけさー、彼女にとっては生徒がどうなろうと、高専がどうなろうと知ったことじゃないんだよ」

 

高専の味方でも五条の味方というわけでもない。

彼女が五条と情報交換しているのは、互いに一定の手の内を曝け出すことで無用なトラブルを避けているだけ。

そして、彼女が動く理由はいつだって自分のためだ。

誰かに指図されて動く人間ではない。

 

「今回の異常事態、相当根が深いってのが僕の見立てなんだけど……それなのに彼女みたいな実力者に傍観決め込まれるのはもったいないと思わない?」

 

知られていないとはいえ、仮にも学生時代の五条と夏油の二人を同時に相手して勝った人物だ。

実力は嫌というほどわかっている。

そんな戦力を有効活用しないなんてありえない。

 

「だから今回は情報を渡して誘いをかけた。この件は呪詛師(そっちの領分)も絡んでるぞ、ってね。まあ、安心しなよ。彼女がここにいる時点で向こうの勝ちはない」

 

そう言う五条達の前で帳が降りていく。



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第参拾肆話

強力な切り札が状況を覆すのはわかる。

しかし、ときにそれ以上の番狂わせを引き起こすものを知っているかい?

ビギナーズラックだよ。


「何があった?」

 

「ツナマヨ」

 

「呪霊を狩ってる最中にいきなり現れたぁ?」

 

棘、美々子と合流した真希と加茂は揃って建物の中を走っていた。

背後からは両目から木を生やした人型呪霊が木の根とともに追ってきている。

 

──少し前に悟を襲ったヤツだよな……?

 

東京校の生徒達にも激震を走らせた五条悟襲撃の一件。

顔の紋様、両目の枝、白い布で覆われた左腕──特徴は一致している。

それにビリビリと感じる濃密な呪力の気配。

間違いなく特級だ。

 

「なら、この帳はあの呪霊と組んでる呪詛師のか」

 

「しゃけ」

 

「ちょっ……と待て。真希、君は彼の言っていることがわかるのか……?」

 

「あ? 普通わかるだろ」

 

質問した加茂のほうが、何でオマエはわからねぇんだよ? という視線を向けられる。

 

──私がおかしいのか……? いや、そんなはずは……。

 

しかし、これでうっすらとだが状況はわかった。

前代未聞の特級呪霊による高専襲撃。

しかも、それに呪詛師まで絡んできている。

 

「で、わざわざ襲撃してきた目的が環境破壊する人間が気に入らねぇって……なら環境サミットあたりに突撃しろよ」

 

私はただこの星を守りたいだけだ──あの特級呪霊はそう言った。

森も海も空も──()()は、ただ時間を欲していると。

人間のいない時間を。

 

「環境問題について議論したいなら政治家か研究者に言えっての」

 

逃げる四人の背を追いながら特級呪霊──花御は襲撃の流れを思い返す。

 

──なるべく派手に暴れて真人が動く時間を稼げとのことでしたが。五条悟が帳を破るまでの数十分の間に宿儺の指と数個の呪物を奪取。帳が破られたなら即座に撤退。

 

花御は基本的に本能のまま動く呪霊の中で少しばかり変わった存在だった。

低級呪霊の多くは本能のままに人間を殺す。

殺人衝動、殺戮欲求、殺害意識。

ただそう生まれたから──理由としてはそんなものだ。

しかし、特級の一部は形を得るまでの千年の間に人語を解し、会話まで成り立つほどの知能を備えていた。

理性的に物事を捉え、自分なりの思想を持つほどに。

花御とて何の考えもなく人間を皆殺しにしようとしているのではない。

全ての人間が地球の害になっているわけではないことももちろん知っている。

だが、人が地球を癒すよりも、人が地球を傷付けるスピードのほうが遥かに速い。

だからこそ最早人間との共存は不可能だと判断を下し、縫い目の彼に協力した。

 

──死して賢者となりなさい。

 

花御の前に数個の木の毬が出現。

そこから飛び出した鋭い枝が四人を貫かんと迫る。

 

「『止まれ』!」

 

「百斂──」

 

だが、四人もただ逃げるばかりではない。

棘が花御諸とも枝を止めた隙に加茂が攻撃準備を整える。

 

「──穿血!」

 

「がっ……!」

 

両手の間で圧縮された血液が高速で放出され、花御の表面に僅かではあるが傷を付けた。

溜めが必要な穿血であるが、その分だけ威力と速度は他の技と比べても高い。

 

「やるじゃねぇか」

 

「急げ! どうせすぐ治してくる!」

 

──早めに東堂か伏黒……最低でも三輪と合流したいところだが……。

 

棘の呪言で止めて加茂と真希で削りながら帳の外を目指す。

しかし、いつこの均衡が崩れるかはわからない。

特に相手が呪言の対処法に気付いてしまえば終わりだ。

そこで電話をしながら走っていた美々子が振り返った。

どうやら連絡がとれたらしい。

 

「情報追加。この帳、五条先生だけ弾くんだって。それから、こっちに楽巌寺学長、歌姫先生が向かってる。西宮先輩、三輪先輩、メカ丸先輩、禪院先輩、菜々子、野薔薇はリタイアしたから本部にいる」

 

「ってことはここにいるヤツら以外で残ってるのは恵と東堂とパンダと順平か。恵と東堂は当然だし、パンダもわかるが……順平が残ってんのかよ。素人だろアイツ」

 

「術式自覚してすぐに菜々子とタイマンやるくらいには度胸あるから」

 

「そりゃ鍛え甲斐がありそうだ」

 

交流会が終わったらたっぷり扱いてやらねぇとな、と真希は意地の悪い顔で笑ってみせる。

 

「それからもう一つ。あの人が動いたって」

 

「マジか」

 

「でも、五条先生達と一緒には動いてないみたい」

 

「あの人の考えは私ら程度じゃ読めやしねぇよ。でもまあ、悪いことにはならねぇだろ」

 

──しかし、それならこっちのことは私らで何とかしなくちゃならねぇってことか。

 

四人は最上階まで登りきり、屋根の上に出たところで花御を振り返った。

もうかなり距離を詰められている。

このあたりでもう一度止めておくべきか。

 

「『止ま──」

 

しかし、棘が言葉を発そうとした直後に混じるくぐもった音。

違和感を感じた三人が振り返ると、踞った棘がボタボタと口から血を吐いていた。

 

──先に限界がきたのはこっちか!

 

呪言は発声した現象を増幅して相手に強制させる強力な術式ではあるが、いくつかの弱点も存在する。

そのうちの一つが実力差と強制力に比例した反動。

相手が格上であるほど効きにくく、強い言霊を使っていない場合でも術者に大きな負担がかかる。

 

──たった数回の呪言で棘がここまで……。

 

頼みの綱である棘が倒れたことで全員に動揺が走るが、その隙は致命的だ。

全員が棘に目を向けてしまった一瞬で花御は加茂に向かって肉薄していた。

 

「っ!」

 

美々子が咄嗟に花御の首に縄をかけて止めようとする。

しかし、術式を発動させるより早く花御の枝が伸びてぬいぐるみに繋がっている縄を断ち切った。

 

「嘘……!?」

 

なぜ術式のタネがバレている。

美々子の術式はこれまで見せていないというのに。

 

──その術式は真人から聞いていましたからね。

 

これで棘も美々子も戦闘不能。

真希も加茂に手を伸ばすが、棘が倒れた動揺が尾を引いているのか反応が僅かに遅れた。

 

──間に合わねぇ……!

 

ここで加茂を失うのは痛過ぎる。

特級の一撃だ。

ただの拳による一発だけでもまともにくらえば致命傷。

何かないのか。

誰か動けるヤツはいないのか。

誰でもいい。

この状況を何とかできるなら。

 

「──澱月!」

 

真希の心の声を聞き届けたように、花御の拳が届く寸前──ゼリー状の何かが加茂の前に現れた。

 

「え……?」

 

ダム、という鈍い音。

覚悟していた衝撃は訪れない。

加茂が思わず閉じた目を開くと、そこにいたのは花御の拳を受け止める巨大なクラゲだった。

 

「間に合った……」

 

花御の後ろにある屋根から順平が顔を出す。

菜々子を本部に送り届けて戻ってきてみればこれだ。

何とか間に合ったことに安堵しながら順平は花御に目を向けた。

 

──何だあれ……木……?

 

順平の脳裏に以前真人と交わした会話が過る。

あれは確か呪霊がどうやって発生するのか教えてもらっていたときのことだ。

 

「大地を、森を、海を、人々は恐れ続けてきた。それらに向けられた呪力は大きすぎるがゆえに形を得る前に知恵をつけ、今まで息を潜めていたんだ。みんな誇らしいオレの仲間さ」

 

──もしかして真人さんの……。

 

「おいおい……順平。オマエ、新人のクセにどれだけいいところ持っていく気だ? ええ?」

 

新人とは思えないファインプレーに真希が頬を引きつらせる。

これだからビギナーズラックというヤツは恐ろしい。

毒によって西宮の動きを鈍らせたこと。

三輪の背後から忍び寄って隙を作らせたこと。

菜々子へのドーピングと真依への不意討ち。

更に咄嗟の判断で澱月を滑り込ませて加茂を助けた。

モニターを見ていた冥冥が、彼は本当に今まで呪術に触れたことがなかったのか? と考えてしまうほどの活躍ぶりである。

 

「新手……ですか。おや……アナタは確か真人が興味を持っていた人間ですね」

 

「────!」

 

真人の名前が出た途端に「やっぱり……!」と順平の顔が強張った。

それを見て真希も察する。

 

──真人ってのは順平を唆してた特級だったな。

 

どうやら呪霊同士で徒党を組んでいるのは間違いない。

しかも、こちらの情報がある程度把握されている。

 

──だったら……まだ知られてねぇ情報だったらどうだ。

 

真希は刀身に巻かれていた布を剥ぎ取った。

すると、禍々しい意匠の刀身が現れる。

組屋鞣造の傑作──呪具『竜骨』。

 

──新人が頑張ってんのに私達が何もできねぇなんてのはダセェよなぁ。

 

「ハァッ!」

 

真希は持ち前の瞬発力を生かして一瞬で花御との距離を詰めると花御の首めがけて一閃する。

だが、花御は仮にも特級呪霊。

竜骨と首の間に腕を入れて平然と受け止めてみせた。

 

「悪くない……ですが──」

 

「まだ終わりじゃねぇよ!」

 

天逆鉾の『発動中の術式の強制解除』のように呪具の中には独自の能力が付与されたものがある。

竜骨の能力──それは『刃で受けた衝撃と呪力を蓄積し、峰から放出する』というもの。

 

──距離をとるなら……()()だろ!

 

「────!」

 

峰から一気に衝撃と呪力が放出される。

さっきの加茂との戦い──それに加えて特訓中に貯め込んだ分だ。

いかに特級呪霊と言えど片手で堪えるには無理があったらしい。

屋根から落とされた花御は盛大に落ち葉と土塊を巻き上げて森の中に吹っ飛んでいった。

 

「やったか!?」

 

「いや、吹っ飛ばすのが精一杯だった。腕も落ちてねぇ」

 

そう言うと真希は屋根の上から飛び降りる。

 

「憲紀! 棘は任せた! 順平は美々子の側から離れるな!」

 

「君はどうする? まさかとは思うが……」

 

「決まってんだろ。特級を潰せば、さすがに家の連中も私を無視できなくなる。こんなチャンス逃してたまるか」

 

一人では無茶だ──加茂がそう言う前に真希の姿は森に消えていた。

 

「相手は特級だぞ……いくら何でも……」

 

「大丈夫」

 

美々子は再びスマホを取り出すと相手に素早く真希と花御の位置を伝える。

 

「私達の仕事は済んだ。選手交代だよ」

 

電波が断たれなかったのは本当に僥倖だった。

美々子が見せてきた画面に表示されていたのは恵の名前。

恐らく東堂も一緒にいるだろう。

あの二人なら特級相手だろうと遅れをとることはないはずだ。

ひとまず安心か、と加茂は息を吐く。

 

──頼んだぞ東堂……強いだけがオマエの取り柄だろう。



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第参拾伍話

一撃必殺の技があるなら初撃で使え。
裏技を使うことを躊躇うな。
長引かせたって白けるだけだ。
ヒロインが死んだ怒りで覚醒? ふざけるな。最初から覚醒しておけ。主人公ごときがヒロイン様の手を煩わせるな。
盛り上がり? スロースターターはお呼びじゃねぇ。定時で帰りたいなら最初からトップギアでぶっ飛ばせ。
愛やら覚悟は早めに発注しておけよ。品切れで足りませんなんて洒落にならねぇぞ。
さあ、チャイムがなったぜ。行ってみようか。


「なるほど……いい武器です」

 

森に落とされた花御は自身の右腕に目を落とした。

千切れてはいないが、おかしな方向に折れ曲がってしまっている。

だが、それは問題ない。

花御の呪力量であれば腕を治す程度の呪力は大したことはない。

それよりも──

 

──かなり距離をとらされましたね。今から戻っても恐らく追い付けない。

 

ならば無理に追うより、ここで一人でも殺しておくほうがいいだろう。

 

「ふっ!」

 

瞬時に腕を治すと花御は森から飛び出してきた真希の攻撃を再び受け止める。

 

──速い……威力も中々。

 

しかし、花御の身体の強度は並みの呪霊のそれとは格が違う。

 

──クソ硬ェ……。

 

さっきから連続で斬りつけているのに倒れない。

何とか花御を反撃させない程度には押さえつけているが、このままではいつまでたっても倒せないのはわかりきっていた。

ジリ貧は確実。

何とかしなければ。

そのとき偶然にも竜骨が花御の顔面の木を掠めた。

すると、今までとはまるで別物のようにあっさりと切断される。

 

──顔面の木は他と比べて脆い……ここが弱点か……!

 

「くっ……!」

 

堪らず花御は後ろに下がると同時に指で何かを弾いて真希へ撃ち出した。

 

「あ? 何だこりゃ?」

 

腕に噛み付いてきた呪種を真希は無造作に引き剥がす。

そこには掠り傷とも言えない痕がついただけ。

何がしたかったんだ、と困惑する真希だが、その反応で花御は理解した。

 

──やはりこの少女……呪力が微弱過ぎる。

 

わざと呪力を解いているのかと思ったが、そうではないらしい。

 

──呪力で強化していないにも関わらず、この瞬発力……。あの男が言っていたのは確か……天与呪縛というものでしたか。

 

だが、それなら都合がいい。

呪種が機能しないほど微量の呪力なら術式への警戒は必要ない。

その量から恐らくは呪具なしではまともに戦えないことも花御は見抜いていた。

剣のみに警戒を絞り、距離をとって攻撃する。

剣を破壊してしまえばこちらの勝ちだ。

枝で真希を牽制しつつ、花御がジリジリと後退を始めたそのとき──

 

「──っ!?」

 

花御の真上から急降下してきた鵺が突進してきた。

 

──また新手ですか……!

 

「真希さん!」

 

「遅ぇよ、恵! ……と東堂」

 

真希の背後の森から出てきたのは恵と東堂。

美々子からの連絡を受けて慌てて駆けつけたのだ。

 

「どういう状況です?」

 

「かなりヤベェ。とにかく頑丈で、あの人にもらった呪具使っても中々まともに攻撃が通らねぇ」

 

「ふっ、さすがは特級ということだな」

 

五条を襲撃したことから特級の中でも上位に相当する呪霊。

正直なところ恵と東堂がいても祓えるかどうか。

仕方ねぇな、と呟いて真希は竜骨を握り直す。

 

()()()()()を使うとするか」

 

◆ ◆ ◆

 

「うっ……ぐあっ……!」

 

「はい、私の勝ち」

 

「クソッ!」

 

交流会に向けての特訓中──真希は砂だらけになってグラウンドに転がっていた。

今日だけで五十回は転がされている。

 

「これくらい軽くあしらえないなら私はとっくに死んでるよ。甚爾に追い付くにはまだまだだね」

 

「チッ……同じような天与呪縛っつったって私はアイツとは違うんだよ。だから、こうして鍛えて溝を埋めようとしてんだろうが」

 

真希は不貞腐れた顔で座り込む。

真希も甚爾と同じく天与呪縛によって本来持って生まれるはずの術式と呪力を持たない代わりに、人間離れした身体能力を与えられた人間だ。

ただし、真希の呪力は完全に零というわけではない。

一般人程度──呪霊を視認できないが、結界の類いには感知されるという何とも微妙なスペックなのだ。

 

「真希ってさぁ、色々と損する性格してるよね」

 

「はぁ?」

 

「結構荒っぽいかと思えば実は真面目で、しっかりしてるかと思えば肝心なところが抜けてたり」

 

「何が言いたいんだよ」

 

「努力していればいつかは報われる。実を結ばなかったとしても積み重ねてきた日々は決して無駄じゃない──そんなのは一般人の発想だよ」

 

そう言って近付いてくると、彼女は真希と目線を合わせるようにしゃがみこんだ。

 

「真希、君は何?」

 

「何って……呪術師に決まってんだろ」

 

「そう。そして、呪術師の成長曲線は必ずしも緩やかじゃない。僅かなきっかけで飛躍的な成長を遂げることもある。あの乙骨君だって昔は低級呪霊にいちいちビビりまくってたでしょ」

 

「だから何なんだよ。そこらにそのきっかけが転がってるとでも言う気かよ」

 

「そうだよ」

 

「あ? おいおい……マジかよ」

 

まさか肯定されると思っていなかった真希はポカンとした顔で『呪詛師殺し』を見つめる。

 

「言ったでしょ。愚直な努力が美徳になるのはあくまでも一般人の世界の話。こっち側には裏技というものがあってだね……」

 

他言無用だよ──そう言って彼女は、トン、と真希の額を指で突いた。

 

◆ ◆ ◆

 

──始めるよ。

 

それを合図に世界がガラリと切り替わる。

 

「フーッ……」

 

『呪詛師殺し』が真希に施した仕掛け。

それは催眠による肉体の制限(リミッター)解除。

普段、彼女が術式反転によって行っていることを順転で真希に仕込んだ。

すると、どうなるか。

 

「真希さん……?」

 

「二人ともちゃんと合わせろよ?」

 

次の瞬間、恵の視界から真希が消える。

更に続けて響いた衝突音。

慌てて恵がそちらに目を向ければ既に真希は花御に攻撃を浴びせていた。

 

──今の動き……まるで親父じゃねぇか!

 

「伏黒! オレ達もいくぞ!」

 

「あ……ああ」

 

恵は真希のいきなりの変化に戸惑ったものの、すぐに気持ちを切り替える。

特級相手だ。

気を抜いている暇はない。

 

「二人ともヤツが出す種には触るなよ! 私に効かなかったってことは多分呪力絡みだ!」

 

「「了解!」」

 

「くっ……」

 

タネをバラされてしまったことに花御は歯噛みした。

先に呪種を使ったのが仇になってしまったか。

術師にはあれが一番効くというのに。

 

「どうやらアナタ達には多少本気を出したほうがよさそうだ」

 

花御は左腕を覆っていた布を取り払う。

現れたのは肩のあたりに大きな蕾がついた黒い腕。

 

「さあ、戦いを──楽しみましょう!」

 

花御の言葉と同時に地面から大量の木の根が伸びてくる。

三人を飲み込もうと襲いかかってくる根だが、簡単にやられるほど柔な鍛え方はしていない。

まるで波乗りのように根を乗りこなし、あるいは駆け上り、次々と根をかわしていった。

 

「大丈夫か、二人とも!」

 

「はい!」

 

「おう!」

 

広がった根の高さは高専にある寺社仏閣を遥かに超えている。

さすがは特級。

並の呪霊とは格が違う。

 

「──! 後ろだ!」

 

三人が根の攻撃をかわしている間に根の中に潜り込み、背後に回っていた花御。

しかし、真希がいち早くそれを察知。

撃ち込まれようとしていた呪種を叩き切る。

 

──やはり通じませんか……!

 

すかさず三人は花御に向かって距離を詰めると同時に攻撃。

三人の攻撃を諸に受けた花御は思わずのけ反った。

 

──重い……各々が確実に私にダメージを与えるだけの威力の攻撃を持っている。

 

取り柄である身体の強度が役に立たない。

呪種も警戒されている。

 

──ならば……。

 

「二人とも、もっとタイミング合わせろ!」

 

追撃を加えようと三人が花御に肉薄した瞬間──突然足が空振り、三人は揃って体勢を崩した。

咄嗟に下を見れば、さっきまであった木の根がなくなっている。

 

「なっ……!?」

 

「足場が……!?」

 

「迂闊……!」

 

これだけの質量だ。

実物に呪力を通して操っているのだと思っていた。

しかし、実際は全て花御の呪力によって具現化されたもの。

花御が呪力を解くだけで足場になっていた大量の木の根は一欠片も残らず一瞬で消失してしまった。

 

「大地のありがたみを知るといい」

 

落下する三人めがけて木の毬から伸ばされた枝が迫る。

身動きの取れない空中。

しかし、恵達は一瞬のアイコンタクトで互いが次にとる動きを即座に理解する。

 

「鵺!」

 

恵が鵺を呼ぶと、それぞれの足に恵と東堂が掴まって木の枝を回避。

真希だけが空中に残された。

 

──仲間を見捨てるのか?

 

否──これは真希に対する信頼だ。

今の真希なら問題ない、と。

 

──甚爾(アイツ)なら……。

 

「ふっ!」

 

真希は空中で身を捻ってかわすと、そのまま垂直に枝を駆け登る。

 

「なっ……!?」

 

──あれをかわすだけではなく登ってくるだと……!?

 

花御は慌てて枝を消すが、真希が跳ぶほうが僅かに早い。

 

「落ちろ!」

 

再び竜骨の峰から放出される呪力と衝撃。

花御が防御するより早く、加速した刀身が頭部に振り下ろされた。

 

「がっ……!」

 

墜落した花御に数瞬遅れて真希も着地する。

 

「今ので頭潰せりゃ終わりだったのにな」

 

「相手は特級です。そう簡単に倒せれば苦労しませんよ」

 

口ではそう言ってみたものの、恵は内心で「いや……あの人達なら瞬殺するか」と考えていた。

『最強』と『最凶』にかかれば特級だろうと一方的に叩き潰すに違いない。

五条は対策されているため仕方ないが、彼女がこちらに来てくれなかったのが少々痛い。

彼女が来てくれていれば早々に決着がついていたはずなのに。

特級がいるという報告を蹴ってまで何をしているのか。

 

──いや、今はそんなこと考えてる場合じゃねぇ。

 

頭を振って浮かんだ考えを一旦追い出す。

今は目の前の相手に集中しなければ。

 

「で、オマエらの感覚的にはどうだ? いけそうか?」

 

「フッ……当然!」

 

真希からの問いに東堂は自信満々に答えた。

 

「オレのIQ五十三万の脳内CPUが弾き出した結論は──勝利(ビクトリー)。祓えるさ、オレ達なら」

 

真希と恵の「五十三万って……」というじっとりと湿った視線は当然無視だ。

とはいえ、東堂も一級術師の肩書きを持つ者。

何の根拠もなしに言っているわけではない。

 

──ここまでの戦いで彼奴はかなりの手札を晒した。

 

メインの攻撃手段として使っている地面から発生する木の根。

木の毬と、それから飛び出す一、二本の枝による攻撃。

呪いの種子。真希に通じていなかったことから、撃ち込んだ対象の呪力量に応じて何らかの効果を発揮するものと推測する。

解き放たれた左腕。封印されていたことから、強すぎて制御が利かない、もしくは使うことで本人に何かしらのデメリットがあるのではないか。

 

──これら全てがブラフである可能性。更に不測の事態を考慮した上で──それでも退くことはありえない。

 

なぜなら真希がいる。

突然動きが変わったことから何かしているのは東堂もわかっていた。

今、真希はもがいているのだ。

自らの殻を破ろうと。

 

──オマエもまた伏黒と同じく高みへ昇ろうとする者……ならばオレはそれを全力でサポートする!

 

パワー、スピードともに跳ね上がっている真希を主体に三人で動きを合わせる。

この三人であればダメージが与えられることは確認済み。

後はいかに相手の思い通りにさせないか。

 

「何か無駄に壮大なこと考えてるような気がするが……勝ちの目が見えたならそれでいい。恵はどうだ?」

 

「オレも問題ないです。好きに動いてください。合わせます」

 

真希は一つ頷いて花御を見据える。

ここが正念場だ。

 

「止まるな、二人とも。オレを信じろ」

 

「何やるつもりか知らねぇが……マジで止まらねぇからな? ミスったら殺す」

 

「同じく」

 

「上等!」

 

「それじゃ──」

 

──行くぞ! という声とともに真希が弾丸のようなスピードで先陣を切って飛び出した。

 

──やはり速い……ですが。

 

「──っ!?」

 

その直後、まっすぐ花御に突っ込む真希の正面に木の根が槍衾のように展開される。

真希のスピードは追いきれない。

しかし、こちらに突っ込んでくるのがわかっているのだ。

ならば、その位置に罠を仕掛けて待っていればいい。

 

──それでも……止まらねぇって言ったもんなぁっ!

 

だが、真希は止まる素振りを僅かも見せず、むしろそれをぶち抜かんばかりの勢いで突進。

みるみるうちに木の根が真希へ迫ってくる。

にも関わらず、真希は止まるつもりはない。

決めたのだ──信じると。

それに応えるように、パァン、と柏手の音が鳴り響く。

 

「なっ……!?」

 

不義遊戯──発動。

一瞬で花御と真希の位置が入れ替わる。

それにより自らが作り出した木の根に貫かれる花御。

 

──どういうことだ……!? あの少女は術式が使えるほどの呪力がない。少年の術式は式神。だとすれば残るはあの男。

 

突然の事態に混乱しながらも、花御は今の現象から東堂の術式を理解する。

 

──入れ替わりの術式ですか……!

 

しかし、理解したところで位置替えの急激な視界の変化はすぐに対応できるものではない。

更に今の位置替えで花御の正面には真希、背後には恵と東堂という花御を取り囲んだ絶好の配置が完成した。

 

「今だ!」

 

三人の攻撃が怒涛の勢いで間断なく花御を襲う。

 

「ぐあっ!?」

 

「フッ」

 

そして、攻撃の合間に混ざる拍手。

三人の体格差、そして式神による援護。

誰と入れ替わるか、手を叩くたびに生まれる選択肢。

花御がマズいと感じたときには既に手遅れだった。

 

──抜け出せない!

 

三人が周りを囲んでいるため、脱出も回避も不可能。

一人の攻撃を防御できても残りの二人と式神が攻撃を仕掛けてくる。

こちらから無理矢理攻撃しようとしても三人のうち誰かに潰されてしまう。

 

──真希、伏黒……オマエ達からは予感がする。退屈が裏返る予感が。

 

不義遊戯の視点移動は来るとわかっていても混乱してしまうもの。

花御はもちろん、真希と恵も。

しかも、発動は東堂の独断だ。

どのタイミングで、どう入れ替わるかわからない状態で連携を崩さず立ち回らなければいけない。

「止まるな」「信じろ」──たった二つとは言え、これ以上ないほどの無理難題。

しかし、それを二人は何の逡巡もなく了承し、それを実行している。

 

──後は真希が羽化を終えられるかどうか……。

 

下地は十分。

特級との戦闘で集中も高まっている。

だが──

 

──本当にアイツと同じならこんなヤツ瞬殺できるってのに……!

 

真希は悔しげに歯を食いしばった。

急激な変化に戸惑っていたのは恵だけではない。

真希自身も枷が外れたように動き回る自身の身体に意識を追い付かせることが精一杯になっていた。

加えて問題がもう一つ。

 

──頑丈さだけが取り柄だろうが……もってくれよ、私の身体!

 

天与呪縛で強化されている真希の肉体が悲鳴を上げていた。

『呪詛師殺し』が催眠による自己解放を真希だけに仕込んだ理由はこれだ。

人間が普段全力だと思って出している力は実際には七十~八十パーセントほど。

それをいきなり生理的限界まで強制的に引き上げるとどうなるか。

身体への負担、急激なエネルギーの消費──普通の人間が使えば間違いなく身体がもたずに自壊する。

つまり、この負担に耐えられるのは天与呪縛で並外れた強度を持つ真希のような人間か、反転術式で常に肉体を修復できる人間のどちらかに限られるのだ。

 

「くっ……!」

 

一方的に攻撃されながらも花御は思考を巡らせる。

このままでは祓われるのは時間の問題。

まさかここまで傷を負うことになるとは思っていなかった。

 

──仕方ありません。

 

「フッ!」

 

花御が腕を一振りすると突然、真希達の足元に色とりどりの花が咲き乱れる。

催眠効果によって相手の戦意を削ぐ花御が持つ呪術の一つ。

戦闘中で三人とも集中力が著しく上昇しているため、効果は僅か一瞬だけ。

しかし、その一瞬で花御は強引に三人の包囲網から抜け出していた。

 

「クソッ! 距離とられた!」

 

「あなた達を少々侮っていました」

 

──所詮は学生……まだ術師としては未熟という話でしたが……。

 

冷静で的確な状況判断、即興とは思えない息の合った連携、そして学生の域を超えた戦闘力。

最早なりふり構っている場合ではない。

 

「できることなら使いたくはなかった……」

 

花御は左手で地面に触れる。

それと同時に周りに生い茂っていた草や木が一斉に枯れ始めた。

植物は呪力を持たない。

しかし、花御の左腕は植物の生命力を奪い、呪力に変換する。

植物を愛する花御にとっては禁じ手だが仕方がない。

呪力を与えられたことで花御の左肩にある供花(くげ)がゆっくりと目を開く。

準備は整った。

 

「「────!」」

 

「近づくな、二人とも! とんでもない呪力出力だ」

 

「しかし、アナタの術式があればかわすことは容易いでしょう」

 

ならばどうするか。

 

「領域展──」

 

その瞬間──バンッと派手な音を立てて帳が消滅した。



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第参拾陸話

──無為転変は脅威です。私が生き残れたのはヤツがまだ未熟で運がよかっただけ。成長したヤツなら今度は一撃で私を殺すでしょう。

──でも、一度は防いだっていってなかった?

──それは無意識に魂を呪力で覆っているからだと……。

──ふーん? それじゃその無意識を意識的な段階まで引き上げればいいってわけだ。


「さて、仕事の時間だ」

 

高専の中を私は一人、五条達とは反対方向に進んでいた。

彼らから十分距離がとれたところでポケットに手を突っ込み、中から手のひらよりも少々小さい機械を取り出す。

空港から高専までの道中で私の耳に()()()()()()()呪骸。

それを片耳に嵌め込んだ。

 

「話は聞いてたよね?」

 

「あア」

 

呪骸からメカ丸の声が届く。

 

「五条悟と離れて何をするつもりダ?」

 

「襲撃は陽動……本命は別にあると思うんだよ」

 

「なぜわかル?」

 

「んー? 裏に長くいるとわかるんだよね。悪党の考えることっていうのは。特に今回は動きがあからさまだったし。とりあえず索敵・監視用の呪骸使って高専全体を見回ってくれる? 多分、侵入者がいるはずだよ」

 

メカ丸の術式は傀儡操術。

呪いを宿した人形──呪骸を遠隔操作できるというそれは索敵・攻撃ともに応用が利く便利な術式である。

使う呪骸は巨大ロボットから小型の虫ほどのサイズまで様々。

ハエや蚊のようなサイズであればどこにでも入り込めるし、わざわざ注意深く見る者もいないだろう。

道理で今まで誰にも気付かれずに情報収集できたわけだ。

 

「いタ! 真人ダ」

 

「オーケー。案内頼むよ。それと並行して高専にいる術師の退避。特級相手だからね。巻き込まれるよ」

 

「真人とやり合うつもりカ?」

 

「うん」

 

「何か攻略法でも見つけたのカ?」

 

「なくはないけど、まだ使えない」

 

真人攻略のヒントはいくつか見つけている。

だが、どれも今は使えない。

 

「おいおイ! そんな状態で何デ──」

 

「私が戦わなきゃ意味ないんだよ」

 

陽動に気付いていたのなら五条をこちらに回せばいい。

対策されているのにバカ正直に向こうへ行かせる必要はなかった。

では、なぜそうしなかったのか。

 

──仕掛けは打っておかないとね。

 

ここ最近の異常事態の連続。

それは氷山の一角に過ぎないと私は見ている。

せっかく相手が仕掛けてきているのだ。

掴まえた尻尾を逃がしたくない。

すると、メカ丸が少々躊躇うように声をかけてきた。

 

「一つ……聞いてもいいカ」

 

「何?」

 

「どうやってそこまで強くなっタ?」

 

「どうやって……ねぇ?」

 

何と答えるべきか。

身体的な強さなら甚爾との殺し合いの中で鍛えられた部分が大きいだろう。

それ以前のことは、とにかく必死でナイフを振り回していたとしか言えない。

死にたくない──その思いだけで恐怖心と殺人の嫌悪感を塗り潰していた。

しかし、私がそれを言う前にメカ丸が口を開く。

 

「オレは弱イ。だからやり方を間違えタ。弱かったから間違いを突き通せなかっタ」

 

その言葉には強い後悔が滲んでいた。

 

「大好きな人がいたんダ。どんな世界になろうとオレが側で守ればいいと思っていタ。その人が守られたかったのはオレじゃなかったかもしれないのニ」

 

「なるほどね」

 

想い人のため──創作物なら素晴らしい動機だ。

だが、現実ではこれ以上ないほどに重荷になる動機でもある。

 

「呪術界なんて薄暗い業界だから何をやるにしてもある程度の強さは必要だけど、それ以前の問題かな」

 

「それ以前?」

 

「夢や希望を持ってるから付け入られる。誰かのために、なんて考えてる時点で遅れをとってる」

 

私は手離した。

人並みの幸せも一般的な生活も。

普通の──多くの人間が当たり前に手にしているものの一切合切を。

『私』を守るために。

『私』が生きるために。

 

「呪術を差し出し肉体が戻るのならそうする? 甘い甘い。肉体を取り戻すためなら呪術も仲間も思い人も置き去ってひた走るべきだった。そのくらいの覚悟がないなら裏の連中と組むなんてことはやめたほうがいい。他力本願じゃ利用されて終わりだ」

 

ただただ己の利益だけを求めて全てを容赦なく食い潰す──裏の人間は総じてそんな手合いだ。

私も含めて。

 

「でもまあ、よかったね。私みたいにならなくて。寸前で引き返して正解だよ」

 

「『呪詛師殺シ』……オマエハ……」

 

「裏の怖さがわかったなら私に頼るのはこれっきりにしたほうがいい。私は別に歌姫先生みたいな『いい人』じゃないんだから」

 

──こういうこと言ってると、また恵に怒られそうだなぁ。

 

眉を潜める恵の顔が思い浮かび、思わず私は苦笑いを洩らした。

特訓中に釘崎にあれこれ吹き込んだのを見ていたらしい。

特訓が終わり、二人になった途端に「あんまり釘崎を脅かさないでください」だの「そのキャラ似合ってないです」だの散々に言われたものだ。

確かに似合わないことをした自覚はある。

 

──恵を助けたのは本当に打算なしの良心だったから、あの子のことになると私は弱いんだよ。()()()()()()()()()()()()()に鍛えてやるなんてお人好しにもほどがある。

 

色々なものを捨て去ってきた私がほんの一欠片捨てきれなかった良心。

本当に何のしがらみも持たないなら、甚爾や恵のような未練は作らなかった。

 

「いくら強くなったところで……何にも縛られずに生きるなんて中々できないもんだよねぇ。お……話は終わりだ。向こうの状況が変わったら連絡よろしく」

 

私は足を止めて正面を睨みつける。

 

「あ、ようやく見つけた。術師を間引けって言われたのにさぁ、全然いないんだもん」

 

廊下の奥からゆっくりとした足取りで現れたのはツギハギの人型呪霊。

コイツが真人で間違いない。

両側の袖からナイフを取り出す。

 

「じゃあ、とりあえず死んでくれるかな」

 

「お断りだよ」

 

無造作に伸ばされた真人の右手を私は瞬時に細切れにして切り飛ばした。

 

「お?」

 

すかさず真人の両目に両手のナイフを突き入れる。

目を貫き、ナイフが脳に突き刺さった感触。

普通なら致命傷だ。

しかし、目の端で真人の左手が動くのを見て私はナイフを抜いて即座に後ろへ飛ぶ。

 

「っとと……ひどいなぁ」

 

「おーおー……本当にダメージなしか」

 

距離をとる間に細切れにした腕も貫いた目も元の形に戻っていた。

事前情報と相違なし。

やはり普通の攻撃では意味がないらしい。

 

「君でしょ。領域展開までしたのに夏油君に手も足も出ずボコボコにされた特級呪霊って」

 

「いいね……殺りがいありそうじゃん」

 

真人の両腕が巨大な刃物に変形する。

足も人間のものではなく、より瞬発力に長けた動物の形状へ。

 

「キメラかっての」

 

──領域展開は使えないはず。使えばすぐに坊っちゃんが気付く。

 

原型の手のひらに触れないこと。

それが最低条件。

後は変形に対応しつつ臨機応変に。

そこから私と真人の激しい攻防が始まった。

しかし、向こうにこちらの攻撃はノーダメージ。

対して、こちらは無為転変を食らえば一撃でも詰む可能性がある。

本当に厄介だ。

 

「楽しいねぇ!」

 

「私は全ッ然楽しくないんだけどなぁ!」

 

互いに攻撃を繰り出しながら高専の中を縦横無尽に駆け回る。

真人はニヤニヤと笑みを浮かべながら執拗なまでの攻撃一辺倒。

攻撃が効かないという特性を考えれば当然か。

私の攻撃が通じないことはバレている。

ならば天逆鉾などのかなり特殊な呪具でもない限り防御は必要ない。

 

「んー……君、中々硬いね。それじゃこういうのはどうかな?」

 

すると、真人は「げえっ!」と胃の中にストックしておいた改造人間を手の平に吐き出した。

 

「『多重魂』」

 

真人の手の平の間で複数の改造人間が強引に練られ、混ぜ合わせられる。

その拒否反応を利用して魂の質量を爆発的に高めて放つ技──

 

「──『撥体』!」

 

膨大なエネルギーが私めがけて向かってくる。

しかも、回避不可能な広範囲攻撃。

 

──とくれば……。

 

迎撃の一手。

私は覚悟を決めて両手のナイフを振りかぶった。

 

──ただの攻撃じゃ押し負けるかな。

 

意識を深く深く落としていく。

撥体が発射され、私に届くまでの刹那。

私に焦りはなかった。

ここが瀬戸際。

この程度の危機は何度でも超えてきたのだ。

 

「フッ──!」

 

ナイフと撥体の間で()()()()が弾ける。

向かってきた改造人間の塊が派手な爆発音をあげて木っ端微塵に吹き飛んだ。

 

「え……?」

 

魂達の残滓の向こう側で真人がポカンとした顔でこちらを見つめていた。

なぜ生きているとでも言いたげな様子だ。

複数の魂を練り合わせただけあって威力に相当の自信があったのだろう。

甚爾なら真正面から受け止められただろうが、生憎私の身体はアイツほど頑丈ではない。

 

「ウッソ……何、今の! オレ初めて見たんだけど!」

 

「後で組んでる呪詛師にでも聞いたら? うわ、ナイフ壊れたし。また組屋に文句言われるじゃん」

 

技が弾き飛ばされたことを理解するやいなや、一転してはしゃぐ真人を無視して私はチラリと手元に目を向ける。

撥体のエネルギーと黒閃の反動に耐えられなかったのだろう。

両方のナイフが半ばから折れてしまった。

これでは使い物にならない。

ゴミと化したナイフは適当に捨てておく。

 

「まさかあれを簡単に壊されるとは思わなかったなぁ。君って何級?」

 

「生憎、階級はなくてね。『呪詛師殺し』って名乗りで察してもらえるとありがたいんだけど」

 

「へぇ! 君が」

 

どうやら向こうも私の肩書きくらいは聞いたことがあるらしい。

いや、協力している呪詛師が教えたのか。

その名前を知った上で動いているということは、たまにいる「自分なら勝てる」と考えるタイプの呪詛師のようだ。

 

──でも、高専襲撃なんてことを考えるヤツだからねぇ。

 

五条の対策をしっかり練るあたり、単なる野心だけで動いているわけではない。

ここに来るまでの間に交流会の行われている場所で帳が降りたのは見えていた。

そして、さっきメカ丸経由で送られてきた情報によると、あれは五条だけを弾く帳らしい。

 

──あの坊っちゃんを一時的とはいえ足止めするか……。

 

一朝一夕でできるものではない。

それだけでも並の術師とは違う。

 

──高専の結界を抜けてきたのもあるし、結界術に対する造詣が深い呪詛師……? 

 

しかし、天元の結界を攻略するほどの技量を持つ呪詛師に覚えはない。

そもそも天元は不死の術式で千数百年は生きている。

そんな相手が組み立てた結界を百年ほどしか生きない普通の人間が破れるものなのか。

規格外の天才という線もなくはないが、そんな人物がいれば見つからないほうが不自然だ。

 

──犯人がはっきりしないなぁ。

 

思考を巡らせながら真人へ向かって距離を詰める。

黒閃直後のゾーン状態。

この状態ならばあるいは。

 

「よっ……と!」

 

繰り出された拳をかわして蹴りで真人の膝を砕く。

しかし、一瞬体勢は崩せたものの、すぐに再生。

この程度では大して呪力も削れていないだろう。

黒閃の直後のゾーン状態だろうが魂とは関係ないらしい。

 

「だから効かないって」

 

「別に倒さなくていいからさ。粘れるだけ粘ってみようかと思ってね。──あ?」

 

すると、突然響くバシュッという音。

一瞬そちらに目を遣れば帳が上がるのが見えた。

五条が帳を破ったのか。

それが引き時の合図だったのだろう。

真人から感じていた殺意が失せる。

 

「っと……早いなぁ。まだ何も仕事してないのに。しょうがない。五条悟に来られても厄介だし──」

 

()()()()、と言って真人はドロリと溶けて地面へと消えていった。

 

「次は殺す……って? こっちのセリフだよ」

 

『呪詛師殺し』に手を出すな──その禁を真人達は破ったのだから。

「フーッ……」と息を吐いて座り込む。

仕掛けは済んだ。

後は針にかかってくれるかどうか。

そのために伝達役(メッセンジャー)として生かしたのだ。

 

「さて、あっちは──」

 

すると、五条の虚式『茈』による派手な破壊音が響き渡った。

 

「あっちも終わったかな」

 



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第参拾漆話

──これを機に武器を変えてみるってのはどうだ。

──何かおすすめあるの?

──おう! ある呪詛師の背骨を使って作った蛇腹剣なんだが──

──却下。


「ゴメーン。任務失敗したー」

 

「宿儺の指も呪胎九相図も手に入れられなかったのかい?」

 

花御に肩を貸して帰ってきた真人の報告を聞いて男は僅かに驚きの表情を浮かべた。

花御による高専の結界の突破。

嘱託式の帳による五条悟の排除。

交流会のど真ん中を襲撃されれば当然注意はそちらに向く。

そして、本命は陽動の裏で真人に呪物を奪取させる──その計画に穴はなかったはずだ。

 

「術師の間引きすらできなかった。事前にこっちの情報が洩れてたんじゃない? 対応がやたら早かったし」

 

「ふむ……」

 

さて、これからどうしたものか──と男は顎に手を当てて考える。

計画のズレが予想以上に大きい。

イレギュラーに次ぐイレギュラー。

用意した器への受肉は失敗し、新たな手駒も手に入れられなかった。

おまけに花御は半身を吹き飛ばされる重傷。

死にはしなかったが完全回復するには相当の時間を要するだろう。

重面も帰ってこないところから恐らく捕らえられたとみるべきだ。

今回の成果といえば五条悟に嘱託式の帳の効果が有効だったことを確認できたくらいか。

 

──そもそもこのズレはどこから始まった? 何が原因だ?

 

すると、思考に耽っていた男のズボンのポケットから振動が響く。

取り出したスマホの画面を見た男は、フッと小さく口の端を歪ませた。

 

「どうかした?」

 

「連絡があったよ。オマエ達とはこれきりで終わりにさせてもらう。縛りを果たして消え失せろ──だそうだ」

 

「なるほど。結局戻ったってわけか。色々とうまくいかないもんだね。あ、でも一つ新情報」

 

「ん?」

 

「『呪詛師殺し』とやり合ったよ」

 

「へぇ? で、感想は?」

 

「強かったよ。まるで触る隙がなかった。攻撃は効かなかったし、術式使ってる様子もなかったけど、素のナイフ捌きでアレなら並の特級はやられるだろうね」

 

「そこまでか……わかった。そっちは私が何とかしよう」

 

「お? 何か攻略法でも見つけたのかい?」

 

「まあね。十月三十一日の計画の直前で彼女には消えてもらう。そうすれば参加を渋っていた呪詛師も乗ってくるだろうさ」

 

◆ ◆ ◆

 

波乱の交流会一日目を終えた翌日。

さすがに事態が大きすぎるため生徒達は一日休みを挟むことに。

その間に五条、夜蛾、楽巌寺、歌姫、冥、伊地知は特級呪霊襲撃の件について話し合っていた。

 

「被害状況です。襲撃の裏で忌庫が狙われたようですが『呪詛師殺し』さんの機転により被害はなし。人的被害も死亡者はいません」

 

「捕まえた呪詛師は? 何か吐いた?」

 

「口が固いわけではないのですが……要領を得ない発言が多いです。動機は「自分が楽しければそれでいい」と」

 

「チッ……愉快犯か。ちょっとこっちのことなめすぎじゃない?」

 

生徒達を襲撃した花御と忌庫を狙っていた真人の他に帳を下ろした重面が高専に侵入していたのだ。

五条によってあっさりと捕らえられたのだが、大した情報は吐かなかったらしい。

そうするとやはり本命は真人による忌庫への侵入。

 

「貴重な呪具、呪物は山ほどあるが、わざわざ高専に襲撃をかけてまで手に入れるほどのものとなると……」

 

「宿儺の指……かもね」

 

その呟きに五人の視線が一斉に五条に集中する。

 

「最近、何かちょくちょく絡んでくるんだよね。六月に恵に両面宿儺の指の回収頼んだんだけど、そこで学生がうっかり封印を解いたイレギュラーがあってさ。そのとき最初に指を持ってきた学生が言ってたらしい。「拾った」って」

 

特級呪物──それも宿儺の指なんてゲテモノ中のゲテモノが財布みたいに学校のど真ん中に落ちているなんてことがあるだろうか。

 

「意図的に拾わされた……ってこと?」

 

「次に順平の件。家に宿儺の指を放り込まれて寄ってきた呪霊に母親が殺されかけた。指を放り込んだ犯人は今回忌庫に入ろうとしてた例のツギハギ呪霊」

 

凪を殺して順平をけしかけるなら別に宿儺の指を使う必要はない。

今考えてみれば、わざと回収させたようにしか思えないのだ。

 

「高専が長年かけても集まらなかった指がここ最近で一気に二本も見つかった。しかも、かなり不自然な形で」

 

「まさかとは思うけど……両面宿儺を復活させようとしてるんじゃ……」

 

「相手は特級呪霊を最低三体は仲間にしてるようなヤツだからね。ありえない話じゃない」

 

五条の言葉に全員の顔が強張る。

まだ推測の域を出ない考えだ。

しかし、それがもし当たっていたとしたら最悪という他ない。

呪術全盛の時代ですら歯が立たなかったのだ。

今、宿儺が復活したとすれば対抗できる人間は五条くらいだろう。

 

「指に発信器か何か付けておいて今回の件で高専保有分を一気に回収するつもりだった──そう考えれば辻褄は合う。迷いなく忌庫に向かってたらしいしね」

 

「この件って他の術師や学生達と共有しておくべきでしょうか?」

 

「いや……」

 

「上で止めておいてもらったほうがいいだろう。敵が何を企んでいるにしても学生の手に負える話じゃない」

 

その後の話し合いで忌庫の一斉点検が行われることになった。

特に宿儺の指は念入りに。

 

「ところで……彼女はどこだ? 忌庫への侵入を阻んでくれた礼をしたかったんだが……」

 

「ああ、ちょっと行くところあるらしいよ。うまくいけば何か情報手に入るかもしれないって」

 

◆ ◆ ◆

 

「組屋ー。いるー?」

 

「ああ? ……って何だ、オマエか」

 

高専で話し合いがされている間に私は組屋の工房(アトリエ)を訪れていた。

声をかけると工房の奥から出てきたのはエプロンをつけたガタイのいいスキンヘッドの男。

彼がこの工房の主である組屋鞣造。

真希に渡した竜骨の製作者であり、私が使っているナイフも彼の作だ。

 

「どうした? またナイフを壊したとか言うんじゃねぇだろ──」

 

「おお、察しがいいね。二本とも見事にポッキリ逝ったよ」

 

「またやりやがったのかテメェ!? あれ作るのにどんだけ時間かけたと思ってやがる!」

 

「黒閃と特級呪霊の攻撃に耐えられないようなナイフ作った君が悪い」

 

ピキピキと青筋を浮かべて怒りを露にする組屋だったが、私から黒閃と特級呪霊という単語が出てきた途端にギョッと目を見開いた。

 

「おいおいおいおい……黒閃に特級呪霊? どんな大事件があったってんだ」

 

「それをこれから話すんだよ。聞きたいこともあるしね」

 

ただ事ではないと察した組屋は「……とりあえず上がれ」と工房の奥へと戻っていく。

工房の奥には数々の呪具や家具が所狭しと並んでいた。

刀、弓、槍、鏡台、本棚、鞄──もっともこの中の大半は死体を材料に作ったものなのだが。

元々私達の関係は昔から狩った呪詛師の死体を組屋に引き渡していたことがきっかけなのだ。

 

「そうそう。前にもらった刀、役に立ったよ。使ってた子も気に入ってた」

 

「だろ? アレは──」

 

「それはそれとして」

 

組屋が語り出すのを遮って、持ってきたものを作業台の上に置く。

柄の部分が人間の手になっている一本の刀。

五条が捕らえた呪詛師が持っていたものだ。

 

「君の作品だよね」

 

「確かにオレのだな……って、待て待て! コイツはパクられたんだ! オレは全然関係ねぇぞ!」

 

私が何を言いたいのか即座に察した組屋は、その浅黒い顔を青ざめさせて顔の前でバタバタと手を振ってみせる。

まあ、意図的に協力はしていないだろうとは思っていた。

組屋はそのあたりは弁えている人間だ。

 

「その持ってたヤツってのは金髪サイドテールのチャラチャラした男で間違いねぇか?」

 

「そう。何? 知ってるの?」

 

「重面春太。女子供ばっかり狙って悪さしてる小物の呪詛師だ。で、ソイツがどうした? 身の程知らずにオマエに喧嘩でも売ったか?」

 

「私に喧嘩売るだけならまだよかったんだけどね。何と驚くことに五条の坊っちゃんがいる高専へ直接殴り込んできたんだよ。ちょうど交流会の最中で見に行ってた私も巻き込まれた感じ」

 

図らずも『最凶』と『最強』に同時に喧嘩を売るという事態になってしまったわけである。

それを聞いた組屋は頬をひきつらせていた。

 

「……高専は更地に変わったか?」

 

「幸か不幸か張りぼての建物がいくつか壊れただけで済んだよ。私もそこまで暴れてないしね。で、今聞いた限りじゃその重面に高専襲撃なんて考える度胸はないよね? 絶対に指示出してるヤツがいるはずなんだけど何か知らない?」

 

「なるほどね。少し前の話だ……詳しいことは喋らなかったが、五条悟を殺すために手を貸してほしいって連中が来やがった」

 

やはり組屋のところにも来ていたか。

どうやら呪詛師にも声をかけて回っているのは間違いない。

侵入したのが重面だけだったことから、声をかけた呪詛師達に『呪詛師殺し』に手を出すな、と言って断られたのだろう。

だから相手は『呪詛師殺し』の名前を知っていたのだ。

 

「話を持ちかけてきたのはリーダーらしい額に縫い目のある男。周りにいたのは単眼の火山頭のヤツ、目から枝生やしたヤツ、タコみたいな見た目のヤツ、全身ツギハギ野郎、男か女かもわかんねぇ白髪おかっぱのガキ、最後に重面だ。多分、そのときに(それ)パクっていきやがったんだろ」

 

「顔に覚えは?」

 

「重面以外は全員ねぇよ」

 

またも出てきたのは縫い目の男。

組屋は裏に身を落として長い人間だ。

彼でも覚えがないとなると相手は余程の新参か。

いや、高専襲撃の手際からして随分と相手は慣れているようだった。

 

──変身の術式で姿形を変えて生きてきたとか?

 

それなら情報が出てこないのも頷ける。

ヒントになるのは額の縫い目だけ。

 

「厄介なの引いたっぽいなぁ……」

 

◆ ◆ ◆

 

「うえっ……カビ臭っ」

 

「やあ」

 

「来たか」

 

五条が会議に参加し、『呪詛師殺し』が組屋の工房を訪れていたその時間。

メカ丸の前に現れたのは真人と一連の事件の黒幕である縫い目の男だった。

 

「『縛り』を反古にすると後のしっぺ返しが怖いからね」

 

「ねぇ、もう敵なんだし、さっさと殺していい?」

 

「殺すのは身体を治した後だ」

 

情報を提供する代わりに無為転変で身体を治す──それが彼らとメカ丸の間で結ばれた『縛り』。

メカ丸は情報提供を果たした。

しかし、まだ身体は治されていない。

今の状態でメカ丸を殺すと『縛り』の内容に反してしまう。

しかも、他者間との『縛り』は自らに科す『縛り』よりリスクが大きい。

そこを見落とすほど男は抜けていなかった。

 

「さっさと治せ、ゲス」

 

「はいはい。感謝してよね、ゲス以下」

 

無為転変──真人がメカ丸に触れて術式を使う。

それと同時にメカ丸の身体に変化が現れた。

ボロボロになっていた皮膚は本来の肌艶を取り戻し、欠損していた右腕と両足が形成されていく。

無為転変は天与呪縛をも無視できるのだ。

全身に巻かれていた包帯が取り払われ、生命維持装置の中から出てきたメカ丸は手足の感触を確かめる。

 

「可愛くないなぁ。もっとはしゃげよ」

 

「それは事が済んだ後だろう」

 

メカ丸の後ろから準備されていた呪骸達がわらわらと這い出てきた。

縛りを果たせば後は裏切り者を生かす理由はない。

真人達が消しにくることは想定済。

対策はしっかりと練ってきた。

 

「じゃあ、始めようか」

 

ピリピリと二人の間で殺気が高まっていく。

そして、互いが動こうとした瞬間だった。

 

「待った、真人。撤退だ。誰かが帳に穴を開けた」

 

「ええ? ソイツごと潰せばいいじゃん」

 

「あの帳に穴を開けるとなると中々の手練れ。五条悟じゃないとしてもここで戦うのは愚策だ。モタモタしている間に五条悟に援護に来られたら台無しになるよ」

 

「チェッ……残念」

 

そう言って男と真人が姿を消した直後、部屋の入口に人影が現れる。

 

「メカ丸君……だね?」

 

「ああ」

 

「私は夏油傑。呪詛師と結託して高専を襲撃した件について話を聞かせてもらおうか」

 

◆ ◆ ◆

 

「メカ丸が特級呪霊と呪詛師に情報流してたぁ!?」

 

五条から告げられた言葉に東京校のメンバーは目を見開いた。

特級呪霊襲撃だけでも混乱していたのに、まさか内通者がいたとは。

それも生徒の中に。

 

「動機が動機だから責め辛いんだよね。他に天与呪縛を何とかできる方法はなかったし」

 

「で、処分はどうなったんです?」

 

「老害どもが死刑死刑うるさかったんだけど……彼女が動いてくれたよ」

 

高専襲撃の件はさすがに上層部に報告せざるを得なかった。

しかし、そのときの老人達ときたら五条が辟易するほどの騒ぎっぷりである。

高専生でありながら呪詛師や呪霊と繋がる輩など生かしておけない、そもそも担任である歌姫の教育がなっていない、クビにするべきだ、などと好き勝手に言い放題。

自分達こそ何一つ褒められたことなどしていないクセに。

そんな老人達の前で五条と夏油は揃ってわざとらしく盛大なため息を吐き出した。

 

「メカ丸は今回の『呪詛師殺し』への依頼料を彼女の協力者になることで精算するそうです」

 

「その彼女からの伝言で──全国を監視できる情報網を潰されるのは私にとってデメリットにしかならない。余計なことをするな、と」

 

『呪詛師殺し』の名前が出た途端、老人達の怒号がピタリと止んだ。

それどころか顔隠しの障子越しにでも冷や汗を垂れ流して怯えている気配が伝わってくる。

老人達が言葉を失っている間に「じゃあ、そういうことで」と二人は悠々と帰ってきたというのが今回の上層部とのやり取りであった。

 

「死亡者はいなかったしね。建物はいくつか壊れたけど、そもそも張りぼてだし、交流会で壊れることは想定してたから」

 

「無罪放免ってわけですか」

 

「京都校の子達から「一人で悩むくらいなら何で相談の一つもしなかった」とか「そんなに私達が信用ならないのか」とかボロカスに言われて、女性陣からビンタまでくらってたからね。罰にはなってるでしょ」

 

後は東京校のメンバーがどうしたいかだ。

仮にも特級呪霊と戦うリスクを負ったのだから。

 

「私は別にいいわ。本部にいただけだし」

 

「私も」

 

「オレもさっさと避難してたからな」

 

しかし、釘崎と菜々子は花御が来る以前にリタイアしていたし、パンダもしれっと避難していたのでメカ丸の処分に関してはどうでもいいとのこと。

 

「私も縄が切れただけだし……順平は?」

 

「僕も澱月は無事だし特に何も……」

 

「オレも攻撃は受けてないんで……」

 

「いくら」

 

戦闘に参加していた美々子、順平、恵、棘も被害は軽微なため特になし。

喉を痛めた棘も今は家入の反転術式によって完全復活している。

 

──問題は……。

 

恵はチラリと横のベッドに目を遣った。

そこには──

 

「うぐっ……筋肉痛ってこんなに痛ぇのかよ……」

 

全身を酷使したせいで人生初の筋肉痛に悶える真希。

 

「真希は? 死刑とか手足切り落とせとか以外ならできる限り本人に償わせるけど何かある?」

 

「なら、もう一回特級連れてこい……今度こそ絶対潰す……! っ……痛ぇ……」

 

「今の状態で特級と戦ってもやられるだけだよ。どうせ再戦の機会は直に来るさ」

 

特級を取り逃がした真希は悔しげに顔を歪めるが、どうせ今の状態では何もできない。

指を動かしただけで全身に痛みが走るほどなのだ。

しかし、天与呪縛のおかげで人並外れた回復力を持つ真希のことだ。

明日には普通に動けるようになっているだろう。

 

「それじゃ恵、これ引いて」

 

「何です? これ」

 

恵が渡されたのは六面のうちの一つが丸くくり貫かれた箱。

 

「交流会二日目の内容を決めるくじ引き。僕ルーティンって嫌いなんだよね。つまんないじゃん」

 

「どこまで自由なんですかアンタ……」

 

「いいからいいから。はよはよ」

 

五条に促され、仕方なく箱に手を入れて漁る恵。

五条のことだ。

どうせロクな内容は入れていない。

野球やパン食い競争あたりは普通にありえる。

激辛麺の早食い程度ならまだ許容範囲だ。

そして恵が引いたのは──

 

《東京校+京都校VS『術師殺し』ステゴロ対決》

 

「ざっけんなクソが!」




交流会二日目の内容は執筆予定ありませんので悪しからず。
本当にステゴロでやったのか、くじを引き直して野球になったのか、それともそれ以外かはご想像にお任せします。


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【原作時間軸】呪術廻戦0編
第参拾捌話


『特級被呪者』乙骨憂太と『特級過呪怨霊』祈本里香に関する報告書。


「また厄介なもの抱え込んだね……」

 

五条から送られてきた書類。

それを見ながら私は盛大にため息を吐いた。

面倒事の火種。

それも洒落にならない化物の情報がそこには記されていた。

火種どころか核爆弾と言ってもいいかもしれない。

 

「うーん……」

 

さて、どうしたものか。

面倒の種があれば潰すのが私だが、今回の件は裏ではなく高専の話。

フィールドが違うため下手に手出しするほうがマズい。

そこまで考えたところでガチャリと鍵の開く音がした。

 

「……ただいま」

 

「おかえり」

 

書類の束に目を通している間に、もう恵が帰ってくる時間になっていたのか。

しかし、それならちょうどいい。

ちょいちょい、と恵をテーブルまで呼ぶと、書類にクリップで添付されていた写真を抜き取って渡す。

 

「恵の先輩になる転校生だってさ」

 

写真を受け取って目を落とした恵だが、その表情は苦々しい。

 

「どう思う?」

 

「自分は善人です、って感じの人ですね」

 

「その割りには渋い顔してるね?」

 

「……オレ、悪人は嫌いなんです」

 

それは誰だってそうだろうと思いつつも、その言葉には続きがあった。

更地のような想像力と感受性で一人前のふりをして生きている悪人が気色悪くて仕方ない。

しかし、そんな悪人を許してしまう善人が苦手なのだ、と。

許すことを格調高く捉えて美談にしてしまう。

そんな善人を見るたびに吐き気がする。

それが恵の考えだった。

 

「なるほどねぇ……」

 

「その人、イジメられてたでしょ? 目ェ見りゃわかりますよ」

 

「お、正解。同級生四人に執拗な嫌がらせ受けてたらしいんだよ」

 

「そんな人が高専でやっていけるんですか? どうせされるがままにイジメられてただけの──」

 

「そのイジメてきたヤツらをロッカーに()()()んだってさ。その子。幸いにも死亡者はなし。重傷で済んだらしいけど」

 

恵の言葉がピタリと止まる。

 

「マジですか?」

 

「マジだよ」

 

持っていた書類を恵に渡す。

それを読み進めていくうちに恵の顔から血の気が失せていった。

 

「特級術師……!? つーか特級過呪怨霊って……」

 

「下手すると街一つ吹っ飛ぶね」

 

特級に加えて過呪と付くだけあって呪いの格が違うのだ。

乙骨の事件が発覚してから()()()()までに祈本里香によって二級術師が三人、一級術師が一人返り討ちに遭っている。

書類には他にも底なしの呪力の塊であることや無条件の術式模倣(コピー)など信じられないような内容が書かれていた。

五条曰く、祈本里香は『呪いの女王』と呼んでも過言ではない存在とのこと。

六眼を持つ五条が言うのだ。

間違いはないだろう。

 

「初任務で完全顕現したらしいけど、そのときは坊っちゃんが監視してた……というか顕現した状態を見たかったんじゃないかな。ド素人に情報なしでいきなり任務振ったらしいし」

 

「追い詰められて特級過呪怨霊を呼び出すことを前提にしてたってことですか……。相変わらず無茶しますね、あの人も……」

 

「暴走しても止められる自信があってこそなんだろうけどね」

 

書類にあった内容はこうだ。

編入が決まってすぐに特級術師の称号を与えられた異例の少年──乙骨憂太。

そして、彼に憑いたのが生前は祈本里香という少女だった怨霊。

彼らの関係は数年前まで遡る。

 

「乙骨憂太と祈本里香は入院してた病院で出会ったらしい。で、仲良くなって退院した後も交流続けてたんだけど……」

 

「けど?」

 

「祈本里香が死亡した。享年十一歳」

 

交通事故だった。

頭を轢かれたことで即死。

しかも、乙骨の目の前で。

そして、死亡直後に里香は怨霊へ転化。

乙骨に取り憑いた。

というのが事の顛末らしい。

 

「非術師の一般人でしょ? それが特級に転化するなんて……」

 

「普通ならありえない。まだ調査段階で不明な点も多いしね。祈本里香に隠れた術師の才能があった可能性もなくはないよ」

 

敵対術師にトドメを刺すときに注意するべき点として呪力で殺すことが求められる。

そうしなければ死後に呪いへ転化することがあるためだ。

もしも、里香に術師としての才能があったのなら。

轢かれた際に呪いに転じた可能性もある。

それにしても呪いとしては異常な規模なのだが。

 

「そんな危険な存在を上層部の臆病な老人達が放っておくわけがない。彼が高専へ保護……捕縛されてすぐに上層部は乙骨憂太へ秘匿死刑を言い渡した」

 

「未成年ですよ?」

 

「でも、本人が了承した。それどころか望んですらいたらしい。自殺までしかけたんだってさ」

 

もう誰も傷付けたくない──乙骨はそう言った。

取り憑かれてから里香は乙骨を傷付けようとするものをことごとく排除したのだ。

イジメの学生を始め、自殺に使おうとしたナイフまで。

このままではいずれ自分の大切な人にまで危害を加えかねないから、と。

 

「だけど、坊っちゃんに説得されて高専へ編入。今は任務をこなしながら祈本里香の呪いを少しずつ解いてる。呪いを刀に移すことでね」

 

「ああ、呪いは物に憑いてるときが一番安定しますからね」

 

「うん。解呪するにはかなり時間がかかるだろうけど、地道にやっていくしかないんじゃないかな。乙骨憂太と祈本里香の間に繋がりができてるせいで、夏油君の呪霊操術で引き剥がすこともできないからね」

 

ああ、それと──と私は書類を捲っていく。

 

「一応、祈本里香の背景も調べたらしいんだけど……」

 

「何か気になる点でもあったんですか?」

 

「母親は祈本里香が五歳のときに急死。父親は小学校入学直前に二人で登山に行った際に失踪。一週間後に祈本里香だけが山頂近くの避難小屋で発見」

 

「不自然さ丸出しじゃないですか……」

 

「それが祈本里香の転化に関係してるかはわからないけど、そういう経緯もあって引き取った祖父母は両親のことは彼女が原因じゃないかって嫌ってた」

 

「もう一人……その乙骨って人はどうなんです?」

 

「そっちはまだ調査中。人手不足だからね」

 

まったく困ったものだ。

特級過呪怨霊なんてものを抱えこんだ割に情報があやふや過ぎる。

何せ里香がなぜあそこまで莫大な呪いになったのかは全くの不明。

ブラックボックスでは支配も制御もできない。

トライアル&エラーで探っていくしかないということだろう。

 

「今回は動くんですか?」

 

「いや……この件はこっちに被害がない限り動くつもりはないよ」

 

どこに地雷が埋まっているかわからない。

今回は傍観に徹したほうが良さそうだ。

尤も、暴走してこちらに被害が及ぶなら五条が止めようが遠慮なく介入するが。

 

「そもそも縄張りが違うからね。向こうで解決するなら関わらないほうがいいんだよ。わざわざ高専の面倒に首突っ込むほど酔狂でもないし」

 

あちらはあちら。

こちらはこちら。

縄張りが違えばルールも違ってくる。

裏なら暴れた時点で殺して終わるのだが。

五条が死刑を跳ね除けて編入させたのだから、私が無理に出しゃばって波風立てる必要はないだろう。

 

「っと……そうだ、恵」

 

話を終えてリビングを出ていこうとした恵の背に声をかける。

 

「手は大事にしなよ。君の場合、手は生命線に等しいんだからさ」

 

ビクリ、と恵の肩が揺れた。

なぜバレた、とでも言いたげな反応だが、私をなめてもらっては困る。

中学生の隠し事程度見抜けないわけがないだろう。

 

「……喧嘩自体は別にいいみたいな物言いですね」

 

「痛みを知らなきゃ更正しない連中なんて山ほどいるよ。死んでもわからないヤツらもいるんだし」

 

喧嘩程度ならかわいいものだ。

半グレ十数人ごときで恵がケガを負うわけもない。

まさか肯定されるとは思っていなかったのか、恵はしばらくリビングの入口に立っていたが、やがて自分の部屋に入っていった。

 

「中学生のクセに色々考えてるなぁ」

 

多感な時期だ。

色々思うところがあるのだろう。

 

「さて……と」

 

写真と書類を片付けて私は夕食の準備に取りかかった。



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第参拾玖話

手始めにコピーガードを用意しろ。


「鳴ってますよ?」

 

「……知ってる」

 

十二月二十五日のクリスマス。

朝っぱらからしつこくチャイムを鳴らすバカがいた。

だが、私は炬燵に入ったまま取り合わない。

なぜこの暖かい炬燵から出て、わざわざ寒い玄関まで行かなければならないのだ。

 

「どうせ帰りませんよ、あの人。不審者がいるって通報される前に出たほうがいいんじゃないですか?」

 

「甚爾がいてくれたらよかったんだけどなぁ……」

 

五条と夏油避けにはぴったりなのだが、朝からパチンコに行って不在である。

しばらく待ってみたものの、チャイムは一向に途切れることなく一定のリズムで鳴り続けていた。

これではおちおち眠れもしない。

「うぅー……」と一つ唸って私はもぞもぞと炬燵から這い出した。

 

「あ、やっと出てきた」

 

ドアを開けるとそこにいたのはやはり五条。

事前にアポを取るという発想がこの男にはないのだろうか。

 

「ちょっと頼みがあってね」

 

「何が悲しくてクリスマスを白髪包帯目隠し長身黒ずくめの不審者と過ごさなきゃいけないわけ?」

 

「僕とクリスマス過ごせるなんて激レアだよ? 普通の女の子なら泣いて喚いて喜んで万歳三唱するレベルだよ?」

 

「面倒事をプレゼントしてくるサンタはお断りって言ってるんだけど」

 

「そう言わずにさぁ」

 

電話やメールではなく、こうして直に五条が来るあたり面倒事の中でも相当なものだろう。

しかも、この男はこういう場合は絶対に退かない。

うざったいにもほどがあるくらいに纏わり付いてくるのだ。

 

「はぁ……さっさと入りなよ。近所の人に見られる前に」

 

「お邪魔しまーす。恵ー、久しぶりだねー」

 

「……どうも」

 

部屋に入った五条は炬燵に直行して断りもなく机の上のミカンに手を伸ばしている。

だが、今更何を言ったところで五条が態度を改めるわけもない。

 

「恵。ちょっとコーヒー淹れてくれる?」

 

「はい」

 

恵にコーヒーを頼んで炬燵に戻る。

不本意だが家に入れてしまった以上、話を聞くしかない。

寝起きの頭を仕事の思考に切り替える。

 

「今回は何?」

 

「憂太のこと」

 

「憂太……ああ、例の特級。交流会では圧勝だったんだって?」

 

毎年秋に開かれる京都校との交流会。

関わるつもりはなかったから見ていないが、聞いた話では乙骨が一年生ながら数合わせで出たらしい。

そして、あの東堂すら圧倒して東京校が勝利したとか。

 

「その彼が何?」

 

「起爆剤がほしいんだよね」

 

「呪いを解くための?」

 

「そう。ポテンシャルはある。でも、それを発揮させるためのトリガーがない」

 

呪術師の成長曲線は緩やかではない。

突然のブレイクスルーによって爆発的な成長を遂げることもある。

だが、そもそも予定では祈本里香の呪いを少しずつ刀に移すことで制御していくはずではなかったか。

一気に解呪しようとして大量に呪いを移しては刀がもたないだろう。

そんなことは百も承知の五条が無理にでも解呪を進めようとするということは──

 

「上層部が狙ってるってことかな?」

 

「正解。憂太の秘匿死刑はあくまでも()()。何かきっかけがあれば上は難癖つけて強引に執行しかねない。ビビりだからね。そうなれば僕が憂太の側につくって釘は刺したけど」

 

「消すなら力を使いこなす前に……か。そりゃそうだろうね。私だってそうする」

 

制御できない特級など脅威でしかない。

その乙骨という少年がどれだけ善良であってもだ。

 

「で? 何でトリガーの候補に私が出てくるの?」

 

「あくまでも現時点で考えられる手段の一つだけどさ、君の術式なら憂太の潜在能力を最大限に引き出せるでしょ」

 

五条が言っているのは催眠による身体能力のリミッター解除のことか。

私が普段は術式反転で使っているものを術式順転で使うことによって他者のリミッターを解除させる。

確かにあれなら文字通りの全力を引き出せるだろう。

強制的に成長を促すことによって乙骨を祈本里香を制御できるだけの実力まで一気に引き上げようという算段。

悪くはない案だ。

しかし──

 

「あれは反転術式使えないと自壊して使い物にならなくなるよ」

 

無問題(モーマンタイ)だよ。憂太は反転術式使えるし。何なら他人に使えるレベルでね」

 

「へぇ……?」

 

呪術に触れて一年も経っていない人間が反転術式を使いこなすとは。

反転術式は呪力を掛け合わせることで肉体を治癒する高等技術。

五条でさえ甚爾との鍛練の中で死の淵に立ってようやく得られたものだというのに。

 

──特級過呪怨霊に他人を治せる反転術式……何者なんだろうね。

 

そのあたりが今回の鍵なのかもしれない。

 

──こうなると彼の背景がわからないのが痛すぎるなぁ。

 

思考に耽っていると恵がコーヒーを持ってきてくれた。

そのままブラックで飲む私と、大量の砂糖をこれでもかと入れて飲む五条。

よくそんなものが飲めるものだと呆れつつも、コーヒーに入れる砂糖の量は個人の好みだ、何も言うまい。

 

──さて、どうするか。

 

コツコツと指で机を叩きながら思案する。

今回の件は金を積まれたから引き受けるというわけにはいかない。

リスクがデカ過ぎる。

 

「あれ? あんまり乗り気じゃない?」

 

「正直なところね。私は乙骨憂太が殺されても構わないから」

 

「何? 君も憂太の死刑に賛成ってわけ?」

 

「未成年だから殺さない──なんてのは表の話。裏じゃ子供だろうが毎日殺して殺されてるよ」

 

警戒されにくいため、子供に殺人術を仕込む輩もザラにいる。

五条曰く、若人から青春を取り上げるなんて何人にも許されていない──らしいが、そんなものは通用しないのだ。

 

「何より乙骨憂太を生かすことにメリットがない」

 

「あるよ。呪術界を改革するための──」

 

()()()()()

 

十年以上の付き合いで少々気が緩んだのか。

五条と私の間で随分と認識に差があるらしい。

 

「ねぇ、坊っちゃん。いくつか確認しておこうか」

 

私の雰囲気が変わったのを察したのか五条の顔からいつもの軽薄な笑いが消える。

 

「私達の関係は?」

 

「……利害の一致」

 

「そう。私は別に君の味方じゃないし、金を払えば動く便利屋でもない」

 

ただメリットがあるから互いに利用しているだけ。

呪詛師の情報提供。

厄介な呪物、呪具の保管。

高専上層部の制御。

そういうものの代わりに私達が呪詛師の排除、危険な呪物や呪具の回収、破壊を担っている。

それだけの関係。

高専が何か私にデメリットになることをするなら躊躇なく叩き潰すし、金を渡せば何でもやるほど考えなしではない。

 

「次。私の目的は?」

 

「……安全の確保と危険の排除」

 

「そう。私は呪術界の改革なんてものに興味はない。重要なのは乙骨憂太が私にとって害か否かだ」

 

資料を読んだだけでもわかった。

乙骨は善人だ。

誰かを傷付けるくらいなら……と自殺を考えてしまうほどに。

優しく、仲間想いで温厚。

厳しい鍛練にも食らい付いていく芯の強さを持つ努力家でもある。

しかし──優しいがゆえに闇に堕ちかけた男がいたのを忘れたのか。

 

「乙骨憂太と祈本里香が君にとって強力な手札だっていうのはわかるよ。だから、君が乙骨憂太を抱え込むのを止めはしなかった。私が危惧してるのはね──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ってこと」

 

「っ……」

 

その言葉に五条は痛いところを突かれたというように顔をしかめた。

一度は助けた。

二度はない。

そこまでしてやるほど私は優しくないのだ。

 

「……そのときは命懸けで止めるよ」

 

「足りないね」

 

五条の言葉を私はすぐさま叩き切った。

止めるだけでは甘過ぎる。

そもそも身近にいた夏油を止められなかった五条がそれを言ったところで意味はない。

 

「怯えられないように軽薄を演じるのはいいよ。でも、頭の中身まで軽くしちゃダメでしょ」

 

私の容赦ない言葉に五条の顔は苦々しく歪められていく。

「呪詛師にはさせません。信じてください」では話にならない。

それこそ一番信用ならない言葉なのだから。

視線で「何が望みだ」と尋ねてくる五条の前に私は指を二本立てる。

 

「もしも乙骨憂太が呪詛師になったら躊躇なく殺すこと。私が殺すときに一切の邪魔をしないこと。その二つを飲むなら一応の協力はするよ。絶対に解呪できるとは言えないけどさ」

 

『縛り』ではない。

ただの口約束だ。

しかし、それで十分。

 

「反故にしても僕達ごと叩き潰すだけってことでしょ。相変わらず物騒だね」

 

「この件に私は関わるつもりはなかったからね。わざわざ関わらせるなら、こっちのわがままも聞いてもらわないと」

 

「はぁ……オーケー。とりあえず里香の解呪を手伝ってくれるならそれでいい」

 

五条は小さく肩を竦めてみせた後、机の上のコーヒーに手を伸ばすと、残っていたそれを一気に飲み干した。

よくそんな砂糖まみれの液体を一気飲みできるな、と私が考えている間に五条はサッと立ち上がる。

 

「じゃ、善は急げだ。早速行こっか」

 

「は?」

 

「どうせダラダラしてたじゃん。ほら、立って立って」

 

天は六眼だの無下限呪術だのをこの男に与える前に常識を与えるべきではなかったのだろうか。

今日は夜に食べるチキンとケーキの受け取りがあったのに。

しかし、請け負ってしまったものは仕方がない。

 

「結局関わることになりましたけど?」

 

「やるべきことなら手短に……だ」

 

恵が渡してくれたコートに袖を通しながら私は祈本里香の解呪について考えていた。

催眠による自身の身体能力のリミッター解除──悪い案ではないが気が進まない。

万が一、乙骨が最大限に力を発揮しても祈本里香を制御できなければ、それはいずれ敵対するかもしれない相手に力をつけさせてしまったことになる。

そして、私の不安はもう一つ。

 

「今回はやけに渋りましたね。あんな条件まで付けて。それだけ祈本里香は強力なんですか?」

 

「いや……どっちかと言うと私が警戒してるのは乙骨憂太のほうだよ。書類に書いてあった彼の術式見たでしょ」

 

「術式? 確か……術式の模倣──」

 

そこで恵はハッと目を見開いた。

そう。私が今回の件に乗り気でなかった最大のポイントはそれだ。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「そうなると私の価値はガクンと落ちるんだよね」

 

扱いにくいオリジナルと従順なコピー。

生かすならどっちを生かすか。

つまり、これから私がやろうとしていることは半ば自殺行為に等しい。

恵は何か言おうと口を開きかけたが、言葉が見つからなかったらしく、そのまま口を閉じてしまった。

 

「そんな顔しなくても出会い頭にいきなり殺したりしないって。とにかく相手を知らないと動けないから、ちょっと見てくるだけ。ただ使い捨てにされる気もないしね」

 

そこまで話したところで先に外に出ていた五条から「まだー?」と声がかけられる。

 

「はいはい。ああ、そうだ。チキンとケーキの受け取りよろしく。夜には甚爾も帰ってくるだろうし、三人で食べようか」

 

「はい」



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第肆拾話

ブラックボックステスト開始。


「はっ!」

 

「っと……!」

 

寒空の下で模擬槍を持った真希と竹刀を手にした乙骨が対峙していた。

真希が横薙ぎ、打ち下ろし、突き、更に蹴りや合気道、フェイントなども織り混ぜられた攻撃を間断なく繰り出す。

しかし、乙骨もそれを竹刀で弾き、あるいは素早く躱して捌いていく。

数ヶ月前まで一方的にやられていた乙骨だが、ここ最近の成長ぶりは目を見張るものがあった。

 

「憂太も随分うまくなったよなぁ」

 

「しゃけ」

 

身体の動かし方、刀の使い方、そして何より呪いの扱い方を知ったことは大きい。

呪いを理解し、制御する。

六年経って、ようやく乙骨は、ずっと目を背けてきたものと向き合い始めたのだ。

だが、里香ほどの巨大な呪いを解呪するためには、何千何万もの呪力の結び目を読み、一つずつほどいていかなければならない。

気の遠くなるような作業だが、乙骨は確実に前へと進んでいた。

 

「憂太ー!」

 

「え?」

 

すると、組み手の最中、いきなり背後から聞こえた五条の声に乙骨は思わず振り返る。

その瞬間──

 

「うわっ!」

 

「チッ……!」

 

隙ありと言わんばかりに真希が殴りかかるも、乙骨が咄嗟に飛び退いたことで真希の攻撃は空振りに終わった。

以前なら反応できずに横っ面をぶっ叩かれていただろうに。

 

「余所見したまま躱すなんて随分と生意気なマネするようになったじゃねぇか」

 

「いや、今のはたまたま……」

 

不満げな真希に苦笑いしながら乙骨は手招きしている五条へ走り寄った。

 

「どうしたんですか?」

 

「今日は憂太に特別メニューをこなしてもらおうと思ってさ」

 

「特別メニュー?」

 

「うん。彼女と組み手をしてもらう」

 

いきなり知らない相手と組み手と言われて乙骨は少々面食らう。

五条の後ろに立っていた一人の女性。

乙骨の記憶にない人物だ。

五条の知り合いの呪術師だろうか。

しかし、後ろから追い付いてきた真希達も「誰だコイツは?」と言うように疑問符を浮かべていた。

 

「それでは! 紹介します!」

 

シュババッ! と効果音が付きそうなほど無駄にキレッキレの無駄な動きで女性を指し示す五条。

 

「こちら、かの有名な『呪詛師殺し』さんです!」

 

はい拍手ぅー! と五条は一人テンション高く叫ぶが、その瞬間の空気は極寒と表現していいほど冷えきっていた。

時間にして僅か数秒の沈黙。

その数秒が何十分にも感じられるほどに空気が重い。

 

──え? 何この空気……。

 

真希も、パンダも、棘も、拍手どころか身(じろ)ぎの音一つ発しない。

ただ一人、『呪詛師殺し』のことを知らない乙骨だけが首を傾げていた。

乙骨が初めて真希達と顔を合わせたときの空気も中々に冷えていたが、今回ほどではない。

やがて「ふぅ……」とため息を吐いて最初に口を開いたのはパンダだ。

 

「悟、今日はエイプリルフールじゃないぞ? クリスマスだ。冗談にしてもそりゃ寒すぎだろ」

 

「しゃけ」

 

白けた様子で肩を竦めるパンダと、それに同調する棘。

まさかそんなはずはない。

いつもの冗談だろう、と。

その名前は呪術に関わる者なら誰もが一度は耳にするが、半ば都市伝説のような存在であるのだから。

それに、裏を渡り歩くアウトローの中のアウトローがホイホイと高専に来るものか。

さっさと本当のこと言えよ、とパンダが笑いながら促す中、ただ一人、真希だけはジッとその女性を見ていた。

 

──隙が見えねぇ。

 

自然体で立っているだけ。

別に異常なプレッシャーを感じているわけでもない。

それなのに攻撃が通るイメージが微塵も湧いてこないのだ。

 

「……マジで言ってんのか?」

 

「真希さん……?」

 

低く唸るような真希の声。

呪いを前にしたときのような──いや、それ以上のありありとした警戒と緊張、そして僅かな怯えがその声には混じっていた。

乙骨は思わず振り返って真希を凝視する。

こんな一片の余裕もないような雰囲気の真希は初めてだ。

 

「だから、そうだって。で、どうする憂太? やる?」

 

「え……? あっ、はい! ……ぐぇっ!?」

 

乙骨が再び五条のほうを向いて反射的に返事をした次の瞬間、後ろから伸びてきた真希の手が乙骨の襟を掴んで引っ張った。

 

「ま、真希さん? いきなりどうし──」

 

「いいから来い」

 

有無を言わさず真希はズルズルとグラウンドの端まで乙骨を引きずっていく。

 

「え……マジで?」

 

「……こんぶ」

 

そんな真希の様子を見て、パンダと棘もダラダラと冷や汗を流し始めた。

二人はバッと振り返り、『呪詛師殺し』に目を向ける。

相変わらず彼女は自然体のまま。

表情は若干の苦笑い。

「やっぱりこうなったか」と言わんばかりの顔である。

しかし、パンダ達はそれどころではない。

 

──憂太と『呪詛師殺し』が手合わせなんて色々とヤバくないか?

 

せめて最低限の情報は伝えておかなければならないだろう。

変に萎縮してしまう可能性もあるが。

パンダと棘は顔を見合わせると同時に頷いて真希達のほうへ走り出した。

 

「オマエ、自分が誰の相手するかわかって返事してんのか?」

 

「え? 誰って……あの人でしょ?」

 

「ダメだコイツ……全ッ然わかってねぇ」

 

一方、グラウンドの端では真希が危機感のない乙骨を見てガックリと項垂れていた。

乙骨は所謂()()()()()()()タイプなのだが、如何せん根が善人なため、普段は少々抜けているところがあるのだ。

そこへ追い付いてきたパンダと棘が真希の肩越しに顔を出す。

 

「まあ、無理もないわな。ちゃんと呪術に関わり始めて数ヶ月で聞くには重すぎる名前だ」

 

「パンダ君……重すぎる名前って?」

 

「それなんだがな……いいか、憂太」

 

ガシッと肩を組んで乙骨を引き寄せるパンダ。

 

「今からすんのは呪術界で生きていくための超大事な話だ。心して聞け」

 

「またそれ?」

 

真剣な顔のパンダに対して乙骨は微妙に疑いを含んだ視線を向ける。

以前、訓練の最中に神妙な顔で呼ばれたときに突然「オマエ──巨乳派? 微乳派?」などと聞かれたせいで、乙骨はパンダの言う『超大事な話』という前振りが若干信じられなくなっていた。

 

「今回はマジだ! 冗談抜きのガチなヤツ! 最悪の場合オマエは死ぬ!」

 

「────!?」

 

それを聞いて乙骨の表情が一気に緊張に染まる。

いくら何でもパンダは冗談でこんなことは言わない。

 

「そんなに大事な話なの?」

 

「ああ。呪詛師ってのはわかるな?」

 

「う、うん……呪術を悪用する呪術師のことだよね?」

 

「そうだ。そういうヤツらを捕縛、あるいは処分するのも呪術師の仕事の一つなんだよ。でもな、長く呪詛師を続けてるようなヤツらは狡猾な連中も多いんだ」

 

高専の監視網を潜り抜けて逃げ延びる。

あるいは追ってきた呪術師を罠に嵌めて返り討ちにする。

単なる強さの物差しでは測れない狡猾さを持ち合わせているのが呪詛師という存在だ。

 

「そんな連中を狩りまくってんのが『呪詛師殺し』なんだよ」

 

「えーっと……要するにめちゃくちゃ強い人ってことで合ってる?」

 

「強いなんてもんじゃねぇよ。その気になりゃ高専と戦争……いや、叩き潰せるって触れ込みだ」

 

パンダの説明を引き継いだ真希の言葉に乙骨は言葉を失った。

高専と戦争ということは必然的に五条と夏油ともぶつかることになる。

それでいて叩き潰せる?

にわかには信じがたい話だ。

だが、真希もパンダも、そして棘も顔は真剣そのもので一切ふざけた様子はない。

 

「噂でしか聞いたことねぇけど……とにかく容赦がねぇんだ。敵対したヤツらは組織ごと皆殺し。本名も出自も術式も何もかもわからねぇが、そのえげつなさだけは嫌ってほどいろんな筋から伝わってる。そこから言われるようになった言葉が──『呪詛師殺し』に手を出すな。呪術界で生きていくならこれだけは忘れちゃいけねぇ言葉だ」

 

「『呪詛師殺し』に……手を出すな……」

 

真希の言葉を復唱する乙骨。

手を出すな、どころか組み手をする羽目になっているのだが。

 

「でも、何でそんな人が五条先生と……?」

 

「知らねぇ。私だって実際に見たのは初めてなんだからな」

 

噂は数あれど、目撃者がほとんど殺されているために彼女に関する情報は真偽不明なものも多いのだ。

 

「あのバカ目隠しも、さすがに何の考えもなしに連れてきたわけじゃねぇだろうが……」

 

「おーい。始めるよー」

 

五条の声に三人は慌てて元の場所に戻る。

やると言ってしまった以上、後には退けない。

それに真希の言う通り、五条にも何か考えがあるのだろう。

 

「はい、憂太」

 

戻ってきた乙骨に五条が投げ渡したのは近くの木に立てかけてあった刀。

乙骨が普段の任務で里香の呪いを移すために使っているものだ。

 

「え? これ真剣ですよ?」

 

「いいからいいから。彼女の相手するなら竹刀じゃ話にならないよ」

 

「でも……」

 

本当にいいのか、と彼女を見れば、もう既に両手にはナイフが握られていた。

一切飾り気のない、ただただ『殺す』という目的しか感じられない無骨なナイフ。

以前、組み手をしている中で、常に実戦のつもりでやれ。(痛み)があるのとないのとじゃ成長速度がダンチなんだよ──と真希は言っていたが……。

 

──絶対痛みだけじゃすまない……。

 

模擬槍で小突かれるくらいなら多少は慣れたが、今回は本物の刃物である。

 

──組み手……なんだよね?

 

真剣での斬り合い。

しかも、相手は『呪詛師殺し』。

普段の訓練とは明らかに違う。

 

──五条先生なら「反転術式使えるんだし、死ななきゃ大丈夫でしょ」とか思ってそうだなぁ……。

 

じっとりと嫌な汗を背中に感じながら乙骨は『呪詛師殺し』とグラウンドの真ん中で向かい合う。

何を考えているのか知らないが、ここまできてしまったらやるしかない。

 

「それじゃ始めるよ。特にルールはないから好きにやってね」

 

「は……はい!」

 

五条が足元から適当に拾い上げた小石を指で弾く。

落ちた瞬間が開始の合図。

乙骨は遅れを取らないように慎重に落下のタイミングを計っていた。

 

「ああ、そうだ……乙骨君」

 

「え?」

 

すると、今まで黙っていた『呪詛師殺し』が突然、乙骨に話しかける。

 

「本気でやりなよ。そうしないと──」

 

──死ぬよ。



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第肆拾壱話

さて、治療を始めよう。荒療治になるけどね。


小石が軽い音とともにグラウンドに落ちたその瞬間。

先に飛び出したのは『呪詛師殺し』。

倒れ込むような前傾姿勢から滑らかに加速して乙骨へと向かっていく。

そして、一閃。

乙骨の首めがけて右手のナイフが振るわれた。

 

「────!」

 

当然、乙骨も立ち尽くしているばかりではない。

石が落ちる直前の『呪詛師殺し』の言葉に少々戸惑ったものの、すぐさま刀を立てて首への一撃を防いでみせる。

それなりに速いが見切れないほどではない。

集中して丁寧に捌いていけば凌げなくはない。

今の一合で乙骨がそう思った──次の瞬間。

嵐のような斬撃が襲いかかってきた。

四方八方。

縦横無尽。

一瞬で乙骨の身体に何本もの傷が走っていく。

 

「ぐ……う、うぅ──!」

 

乙骨は刀で何とか身体の中心を死守しつつ、反転術式を発動。

しかし、癒えていく端から新たな傷がつけられていく。

 

「おーおー……一方的だな」

 

「しゃけ……」

 

当然だろう。

潜ってきた場数も。

その難易度も。

『呪詛師殺し』と乙骨では格が違う。

瞬殺されていないだけまだマシだが。

すると、五条の横に立った真希が「おい」と声をかけた。

 

「何で『呪詛師殺し』なんて連れてきてんだよ。つーか、どういう繋がりだ」

 

「解呪の手助けだよ。学生のときに色々あって、そのときから時々こういう面倒事の解決に手を貸してもらってる」

 

色々って何だよ、と突っ込みたくなったが、真希はそれを堪えて続きを促す。

 

「もちろん一筋縄ではいかなかったけどね。憂太が呪詛師になったら即殺すこと。彼女が憂太を害悪と判断して殺すときに邪魔をしないこと。その条件でやっと協力までこぎ着けた」

 

「なっ……!?」

 

「『縛り』じゃないから反故にしても呪術的なペナルティはないけど、その場合、高専対彼女との戦争になる」

 

「何でそうまでして協力させたんだよ? 時間かけてゆっくり解いていきゃいい話じゃねぇか」

 

「上層部が憂太を処分したがってるっていうのもあるけど、一番大きいのは憂太に全力を出してもらおうと思ってさ」

 

五条の言葉に真希はピクリと眉を上げた。

その言い方ではまるで乙骨が全力でやってないと言っているようではないか。

 

「君達の相手してるときに手を抜いてるって言ってるんじゃないよ? ただ、憂太は本気……というか全力の出し方を知らないんだよね」

 

やるやらない、できるできない、それ以前に。

そもそも全力というものを乙骨は知らない。

 

「他人を傷付けるくらいなら自殺してしまうほどの善人。祈本里香という絶対的な守護。それに憂太は自分を過小評価することがクセになってる。だから所謂タガが外れた状態になれないわけ」

 

里香を制御できる力も乙骨には十分にあると五条は読んでいる。

だが、乙骨は自己を過小評価した材料で組み立てしまう。

里香という巨大な呪いを制御している姿を乙骨自身がイメージできていない。

真希達との任務や訓練で自信はついてきているが、後一歩──最後の引き金を引く何かが足りないのだ。

 

「憂太が自分の殻を破るには劇的なきっかけがいる」

 

そこで白羽の矢が立ったのが『呪詛師殺し』である。

彼女は自分を害する者を一切の躊躇なく()りに行く。

子供だろうと大人だろうと。

男だろうと女だろうと。

呪霊だろうと人間だろうと。

鏖殺する。

 

「死にかけて地獄を見た日には否が応でも何か変わるもんなんだよ。ソースは僕」

 

「それでアイツが殺されたらどうすんだよ」

 

「初撃で殺さなかった時点でそれはない。あれでもかなり加減しながら戦ってるしね」

 

「あれでか……?」

 

真希の視線の先では、たった数分のうちに全身傷だらけになっている乙骨がいた。

頭から赤いペンキでも被ったのかと思うほど血を流し、白かったシャツは赤黒く変色している。

 

──ヤバいヤバいヤバいヤバい!

 

乙骨は全力で反転術式を回しながら、致命傷になる攻撃だけを何とか捌いていた。

血を流し過ぎたのか足はガクガクと震え、刀を握っている手も攻撃の衝撃で感覚が曖昧だ。

 

──もうこれ組み手ってレベルじゃないよ!

 

こんな殺意の高い訓練があって堪るか。

何とか避けているが、躊躇なく心臓や首などの急所めがけて何度もナイフが振るわれている。

それも寸止めする気などさらさらない速度と威力で。

しかも、それをやっている本人はつまらない作業をこなすかのように淡々としている。

それが乙骨には一層不気味だった。

 

「っ……!」

 

せめて一撃だけでも入れて距離を取る隙を作らなければ──ズタボロになりながらも、乙骨は何とか足を踏み出す。

しかし、それが限界だった。

ズルリ、と。

大量に流した自分の血で乙骨は足を滑らせてしまう。

咄嗟にもう片方の足を着こうとするも、ここまでの攻撃の衝撃が足にもきていたらしい。

無情にもガクリと膝は折れ、しかも手から刀が滑り落ちた。

『呪詛師殺し』が首めがけてナイフを横薙ぎに振るう姿がスローモーションになって乙骨の目に映る。

しかし──

 

『ゆう゛だを゛ぉ、ををぉぉぉをををををををををを──』

 

グシャリ、とナイフが乙骨の背後から伸びてきた鋭い爪を持つ手に握り潰された。

 

『──い゛ぃじめる゛なぁっ!』

 

そして、乙骨の背後から現れる禍々しくドス黒い気配。

鬼の如き身体。

目のない深海魚のような顔。

触手めいた長い髪。

完全顕現ではない。

しかし、完全に近い存在感をもって里香はそこにいた。

それほどに『呪詛師殺し』という存在を里香は危険だと判断したのだ。

 

「やっとお出ましか」

 

だが、里香が顕現しても『呪詛師殺し』は落ち着き払っていた。

むしろ、これが彼女の狙いだったのだから。

 

「坊っちゃん。上の連中は私の名前で黙らせて」

 

「ん、了解」

 

五条の返事に頷くと『呪詛師殺し』は乙骨と里香に向き直る。

 

「おいで、里香ちゃん。まとめて相手してあげるからさ」

 

──このままじゃ大事な乙骨君が死んじゃうよ? と更に『呪詛師殺し』は里香を煽るようなことまで。

しかし、このままでは『呪詛師殺し』の言う通り、本当に死ぬ。

組み手がどうこうという話は今はいい。

何が狙いなのかも知らない。

 

──だけど、僕がみんなの友達でいるために。ここにいていいって思えるように。僕が僕を生きてていいって思えるように。ここで死ぬわけにはいかないんだ。

 

真希達と過ごした眩しい日々をこれからも続けていくために。

 

「里香ちゃん──一緒に戦おう」

 

『イ゛ア゛ァ ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!』

 

高専の敷地に響き渡る咆哮。

里香の存在感が更に重さを増す。

特級過呪怨霊・祈本里香──二度目の完全顕現。

校舎の窓から夜蛾が慌てた顔で顔を出し、他の教員達も揃って顔面蒼白である。

動じていないのは『呪詛師殺し』と五条くらいのものだ。

 

「さて、変則マッチだけど……第二ラウンドといこうか」

 

残ったナイフを構える『呪詛師殺し』。

その目には微塵の恐怖も映っていない。

完全顕現した特級過呪怨霊を前にしてなお平静を保っているあたり、彼女が過ごしてきた日々はどれほど過酷なものだったのか。

 

──今の僕じゃ技術も経験もこの人には及ばない……でも。

 

乙骨にだって得てきたものはある。

乙骨の口元に浮かび上がる『蛇の目』と『牙』の印。

 

「『動くな』」

 

「────!」

 

──呪言!

 

『呪詛師殺し』の動きが止まる──が、彼女は四半秒にも満たない間に硬直から逃れると、突進してきた乙骨と里香の攻撃を躱してみせた。

 

──模倣できても、それを使いこなせるかは別なのか。

 

呪力の収斂にムラがある。

そのせいで本来の呪言と比べると威力が数段落ちているのだ。

模倣は無条件でも、その精度は乙骨の技量に依存しているらしい。

 

「ふーん……なるほどね」

 

本来、術式は一人に一つ。

それが一人の人間に扱える限界。

仮に複数の術式を使用すると脳のメモリーがはち切れてしまう。

 

「祈本里香が外付けとして機能しているわけか」

 

祈本里香の正体──それは変幻自在、底なしの呪力の塊。

だから、どんな術式にも対応できるし、いくら術式をコピーしても乙骨が廃人になることもない。

 

「つくづく化物だねぇ」

 

「はぁっ!」

 

乙骨と里香が『呪詛師殺し』を挟んで何度も攻撃を繰り出す。

しかし、二対一のハンデをものともせず彼女は未だに一撃もくらっていない。

里香の爪を躱し、乙骨の刀をナイフで逸らし、あまつさえ逆に攻撃を仕掛けてくる。

 

──もっと速く……!

 

対して乙骨も呪力強化による常人離れしたスピードで攻撃を躱しながら『呪詛師殺し』に追い縋った。

 

──もっと速く……!

 

何度も見た動きだ。

段々と乙骨は慣れてきていた。

そして、『呪詛師殺し』という強敵相手で普段の比ではないほど集中できている。

弾けるように乙骨は加速。

『呪詛師殺し』の脇をすり抜け、背後へと回り込んだ。

この上ない好機。

 

「『動くな』」

 

再びの呪言。

『呪詛師殺し』の動きが止まった一瞬で乙骨は手にした刀に一層呪力を込める。

この一撃で決める──そう言わんばかりに全力で刀を振るう乙骨。

しかし、それがよくなかった。

乙骨の使う刀は学生にも使えるようなよくある類いの呪具。

膨れ上がった乙骨と里香の呪力に耐えられるような物ではない。

『呪詛師殺し』に届く前に刀はボロボロに朽ちて砕け散ってしまった。

 

──まだだ!

 

だが、刀が使えなくなっても乙骨は止まらない。

すぐさま拳を握って振りかぶる。

刀が使えないなら殴るまで。

 

「っと……!」

 

だが、呪言の硬直が解けた『呪詛師殺し』はその拳を咄嗟にナイフのグリップで受けることで防御する。

しかし、更に天は乙骨に味方した。

何が何でも『呪詛師殺し』を倒すという意志。

研ぎ澄まされた集中。

呪力操作の精度の向上。

それらが合わさり引き起こされる黒い火花。

 

──黒閃!

 

ナイフが木っ端微塵に砕け散る。

思わず五条は口の端をつり上げた。

まさかまさかだ。

ここまで乙骨の能力を引き出すとは。

残っていたナイフもなくなり、これで互いに素手。

 

「ステゴロはガラじゃないんだけど──」

 

──できないってわけじゃないしね。と『呪詛師殺し』は拳を呪力で強化して乙骨と里香に肉薄。

あの天与の暴君(ステゴロ最強)と日々鎬を削っていたのだ。

いくら呪力が跳ね上がったところで経験値が違う。

乙骨の拳と里香の爪を捌きながら、その合間を縫うように繰り出される『呪詛師殺し』の殴打と蹴り。

ガンガンと、まるで鉄塊でも殴りつけているような音が響く。

 

──呪力の総量に裏付けされた耐久力(タフネス)。あれだけ反転術式を乱発してまだ底が見えない。

 

同時に『呪詛師殺し』はこう考えていた。

 

──()()()()()

 

乙骨と里香の持つ膨大な呪力。

その源は何なのか。

怒り。憎しみ。悲しみ。苦しみ。悔い。憤り。嘆き。恨み。蔑み。嫌悪。害意。敵意。殺意──呪いの元になる負の感情。

里香がこれほど大きな呪いになるほどの激情とは何なのか。

 

「ふむ……」

 

()()()──。

 

──()()()()()()()()()()()()()()。だけど、やっぱりおかしいんだ。

 

一般人。

それも非術師の家系の少女が、いきなり特級過呪怨霊になることは何度考えてみてもありえない。

抜けていたピースはかなり埋まった。

しかし、一番大事な部分に確信が持てない。

 

──となると……。

 

「アプローチを変えてみようか」

 

仮説が正しければこれでいけるはずだ。

 

「よっ……と」

 

「ぐっ……!?」

 

『ヴぁ……!?』

 

『呪詛師殺し』の両手がそれぞれ乙骨と里香の額に添えられた瞬間、強烈な目眩が二人を襲う。

なす術なく二人は揃ってグラウンドに倒れ伏した。

乙骨の意識が切れると同時に里香も顕現を保っていられなくなったのか姿を消す。

 

「マジか……」

 

真希が唖然とした様子で言葉を絞り出した。

勝ってしまった。

乙骨と里香を相手に無傷で。

間違いなく乙骨は今までで最高の力を発揮していた。

高度な術式の模倣に、呪力操作による超加速、更に黒閃。

そこまでしてなお『呪詛師殺し』に及ばなかったというのか。

 

「さて……そこの三人。ちょっと乙骨君を医務室まで運んでくれる?」

 

「あ……ああ」

 

乙骨を真希達に任せ、『呪詛師殺し』は一つ息を吐いてグラウンドに座り込んだ。

あれでまだ呪術を学んで一年未満とは。

何とも将来が恐ろしい。

上層部が消したがるわけだ。

すると、『呪詛師殺し』に影が差す。

見上げれば五条が近付いてきていた。

 

「どんな感じ?」

 

「んー? 解呪の糸口は掴めたって感じかな。これで多分いけるはずだよ」

 

「へぇ? 何するつもり?」

 

首を傾げる五条に『呪詛師殺し』はニヤリと笑う。

 

「催眠療法」



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第肆拾弐話

メリークリスマス!


頭がひどくぼんやりとしている。

まるで夢の中にいるように感覚が曖昧だ。

 

──何があったんだっけ……?

 

乙骨はゆっくりと目を開く。

 

「え?」

 

目の前に広がっていた光景に乙骨は言葉を失った。

そこにあったのは乙骨が生まれ育った仙台の町。

昔からよく見ていた景色だ。

乙骨を驚かせたのはそれだけではない。

 

「里香ちゃん?」

 

背後から聞こえた子供の高い声。

その声に乙骨は慌てて振り返る。

だってその声は──

 

──僕だ……。

 

幼い頃の乙骨がそこに立っていた。

そこでハッと気付く。

周りがやけに騒がしい。

「おい! 救急車はまだかよ!」だの「バカ、よく見ろ! 助かるわけねーだろ!」だの、大人達の叫び声が行き交っている。

 

──ああ、ここは……。

 

あのときだ。

乙骨の人生が百八十度変わったあの日。

呆然と立ち竦む自分がいて。

周りには大人達が集まってきていて。

目の前にはいつも渡っている横断歩道があって。

その先には──。

顔を上げかけて乙骨は咄嗟に顔を逸らした。

だってその先にあるのは変わり果てた里香の姿があるはずだから。

 

「何だよ……何なんだよこれ!」

 

何で今更こんなものを見せられているのだ。

これは乙骨が最も見たくなかった景色。

忘れようとした……忘れようとしても忘れられなかった景色だ。

それがまるで見せつけられるように目の前に広がっている。

何なのだこれは。

 

「落ち着きなよ」

 

すると突然、乙骨の世界に声が響いた。

 

「『呪詛師殺し』……さん……?」

 

先ほどまで戦っていた『呪詛師殺し』の声だ。

なぜ彼女の声が聞こえるのか。

いや、そもそもここはどこで、なぜこんなことになっているのか。

彼女が何かしたのか。

聞きたいことが山ほどあって、うまく言葉にならない。

 

「そこは君の意識の底だ」

 

それを察したのか『呪詛師殺し』は先んじてそう言った。

意識の底。

意識の深層。

深層心理。

 

「まあ、何で君がそんなところにいるのかってことは今は置いておこうか。乙骨君、そこからは君が心の奥に押し込めているものが見えているはずだけど、何が見える?」

 

「何って……」

 

乙骨は一瞬、躊躇うように息を飲んだ。

 

「昔の……里香ちゃんが亡くなったときの景色が見えます」

 

「ふーん……やっぱりそこが君の原点か。里香ちゃんはどうなってる?」

 

「里香ちゃんは……」

 

そう聞かれて乙骨は恐る恐る顔を上げる。

そして、やはり変わらず昔と同じ光景がそこにはあった。

ひしゃげた車。

道路に長く尾を引く赤黒い血。

その先にあるピクリとも動かない里香の身体。

 

「頭が……潰れてます」

 

死んでます──と乙骨は言った。

絶命している。

どう見ても助かる余地はない。

 

「昔の君はそれを見てどうした?」

 

「どうしたって……何もできませんでした。立ち尽くしてただけで……」

 

「んー……じゃあ、質問を変えようか。昔の君はそれを見てどう思った?」

 

「え……?」

 

「こうまではっきり覚えているくらいだからね。何も感じていなかったわけじゃないでしょ」

 

「僕……は……」

 

──あのとき……僕は何を思ったんだっけ。

 

もう一度、倒れた里香に目を向ける。

頭の中が真っ白になるほどの緊張。

自分の心音がドクドクとうるさく響いていた。

大人達が何か言っているのなんて聞こえないくらいに。

幼い乙骨はジッと里香を見つめていた。

そして、「里香ちゃん」と呼びかけたのだ。

いつもと同じように。

そうすれば里香が答えてくれるような気がして。

もしかしたら、また憂太の名前を呼んでくれるような気がして。

だって、「約束だよ」と里香は言った。

六年前の乙骨の誕生日に里香は母親の形見である婚約指輪を渡し、「里香と憂太は……大人になったら結婚するの」と無邪気に指切りを交わしたのだ。

これからもこの幸せな時間を続けていこうと。

ずっと。

二人一緒に。

里香の事故が起こったのはその直後だった。

 

「──信じたくなかった」

 

里香が死んだなんて。

里香がいなくなったなんて。

何かの間違いだと。

 

「そうだ……僕はあのとき、里香ちゃんの死を拒んだ」

 

動かなくなった里香の身体を見つめながら乙骨は思ったのだ。

「死んじゃダメだ」と。

何とかしなければ。

このままでは里香が遠くに行ってしまう。

ずっと一緒にいるという約束を守れなくなってしまう。

だから、乙骨は全身全霊で願った。

里香が離れてしまわないように。

里香が逝ってしまわないように。

そして、その願いは叶ってしまった。

里香が怨霊に転化するという形で。

 

「強い思いが呪いとなって祈本里香を繋ぎ止めたんだね」

 

『縛り』は失うもの、制限するものが大きいほど得るものも大きくなる。

最愛の人の魂を抑留することで乙骨は無条件の術式模倣と底なしの呪力を得ていたのだ。

 

「これで確信できたよ。全て逆だった。祈本里香が君を呪ったんじゃない。君が祈本里香を呪ったんだ」

 

「僕が……里香ちゃんを……」

 

いつだったか五条に話したことがあった。

もしかしたら僕が里香ちゃんを呪ったのかもしれません、と。

そのときはあくまでも可能性の一つでしかなかったが、それが正解だった。

里香の魂を引き留めていたのは乙骨自身。

里香は最初から乙骨を苦しめるつもりなんてなかったのだ。

 

『憂太』

 

後ろからかけられた声に振り向けば少し離れたところに里香がいた。

異形の姿がボロボロと崩れていく。

その中から現れる美しく整った顔立ち。

夏物のワンピース。

乙骨がよく知っている十一歳の頃の里香だ。

 

「里香ちゃんが……元の姿に……」

 

「元々、今回の呪いは意識の問題だからね。きちんと自覚してしまえば呪いの結び目を解くことはそう難しくないんだよ」

 

現実の高専の医務室でも人間の姿の里香が顕現していた。

 

──二人の間にパイプができていたのは僥倖だったな。

 

乙骨と里香──二人は指輪を通して繋がっている。

おかげで随分と記憶の再現がスムーズだ。

過去の出来事を鮮明に思い起こさせる催眠。

二人は今、指輪の繋がりを通じて同じ景色を見ている。

乙骨が里香の死を拒み、無意識に『縛り』を結んだその瞬間を。

 

──愛の力……なんて言葉はよく聞くけどね。

 

里香に執着していたのは乙骨だったが、里香の乙骨に対する思いも相当強いものだったのだろう。

六年間、ずっと里香は乙骨を守り続けていた。

乙骨の幸せを願って愛を捧げていた。

 

「呪いをかけられた側の里香ちゃんが(ペナルティ)を望んでいないなら、これで解呪は完了。二人とも自由の身だ」

 

しかし、それを乙骨は素直に喜べなかった。

気付いてしまったから。

だって里香を呪っていたのが乙骨ということは──

 

「全部、僕のせいじゃないか」

 

里香をあんな姿にしたのも。

同級生達を傷付けたのも。

呪われた青春。

人を避けざるを得なかった生活。

秘匿死刑。

全ての始まりは自分だった。

 

「……全部っ……全部僕が……」

 

ボロボロと涙を流して泣きじゃくる乙骨に里香が歩み寄る。

そして、里香は優しく乙骨を抱きしめた。

 

『憂太、ありがとう』

 

乙骨が涙に濡れた顔を上げる。

なぜ「ありがとう」なんて言ってくれるのか。

乙骨が願わなければ里香は六年前に成仏できていただろうに。

あんな姿にならずに済んだのに。

しかし、里香はそんなふうに他人のことを思える優しい乙骨のことが誰よりも好きだった。

 

『時間もくれて。ずっと側においてくれて。里香はこの六年が生きてるときより幸せだったよ』

 

あのとき引き留めてくれたから。

六年も一緒にいられた。

本当に片時も離れず側にいられた。

そして、何より生きている間には伝えられなかった言葉を伝えられる。

 

『憂太、大好きだよ』

 

ずっと言いたかった言葉。

何ならプロポーズのような言葉を先に伝えてしまっていたけれど。

その言葉に乙骨は涙を拭って答えた。

 

「僕も……大好きだよ、里香ちゃん」

 

できることなら全てをあげたかった。

未来も。

心も。

ずっと一緒にいたかった。

だから、せめてこれくらいはいいだろう。

憂太は里香の頬に手を添える。

そして、ありったけの愛を込めた口づけを。

 

「──愛してる」

 

幸せが、喜びが胸に満ち満ちていく。

ずっとこうしていたい。

そう思えるほどの幸せな時間。

しかし、すぐに終わりがやってきた。

里香の身体が雪が溶けるように消えていく。

 

『……バイバイ。元気でね。あんまり早くこっちに来ちゃダメだよ?』

 

またね──その言葉を最後に里香は光の粒となって乙骨の世界から消えた。

それは現実世界でも。

段々と里香の身体が透けていく。

 

「…………。……ん?」

 

すると、唇を離した里香が二人の邪魔をしないように静かに見守っていた『呪詛師殺し』にチラリと目を向ける。

その視線は少々不満げなもので。

そして──

 

『べぇっ』

 

と里香は舌を出した。

その仕草に思わず苦笑いを浮かべる『呪詛師殺し』。

里香を出させるために乙骨を散々痛めつけたことで嫌われてしまったらしい。

しかし、文句なら五条に言ってほしい。

解呪なんてものは専門外もいいところなのだ。

そのまま里香が消えるのを見送ってから『呪詛師殺し』は乙骨を呼び戻す。

 

「乙骨君、戻っておいで」

 

「……う……っ」

 

乙骨が目を開けると、そこは見慣れた高専の医務室。

さっきまで目の前にあった光景はどこにもない。

 

「おかえり」

 

横を向けば、『呪詛師殺し』がパイプ椅子に腰かけていた。

 

「お別れはできたみたいだね」

 

「はい」

 

すっきりとした顔で乙骨は頷く。

六年──随分長い時間をかけてしまったけれど。

里香は正しく逝けたのではないだろうか。

ずっと近くにいてくれた禍々しい気配が消えている。

あれだけ恐ろしいと思っていたものがなくなったことが今は少しだけ寂しかった。

 

「さて──」

 

すると、『呪詛師殺し』がゆっくりと立ち上がる。

 

「感動のお別れの直後で悪いんだけどね。報酬代わりに君に二つほど『縛り』を結んでもらいたいんだ」

 

「『縛り』……?」

 

乙骨はキョトンとして首を傾げた。

授業の中で『縛り』については聞いている。

呪術における重要な因子の一つ。

自分に制限をかけることで能力を底上げしたり、他者との誓約に使われたりするものだと。

 

「一つ、私との鍛練で得た情報を忘れること。二つ、今後、私に対して模倣の術式を使わないこと」

 

「え? そんなことでいいんですか?」

 

「むしろ私にとってはこれが一番大事なんだよ。というか、このままじゃ私、殺されるし」

 

「ええっ!? な、何で……」

 

いきなり物騒な言葉が出てきて乙骨は狼狽する。

 

「私って過去にやった諸々が原因で色々なところから命狙われてるからさ。乙骨君を通じて術式の情報が伝わるとマズいんだよね」

 

「そ、そうなんですか……」

 

正直なところ、乙骨は『呪詛師殺し』の術式が何なのかはよくわかっていない。

恐らくはあの夢みたいなものが関係しているのだろう──というくらいのもの。

しかし、些細なきっかけが命取りになるのは裏ではよくあること。

僅かな可能性すら潰すために『呪詛師殺し』はこうして『縛り』を持ちかけたのだ。

そして乙骨も、恩人を死なせるわけにはいかない、と即座にその『縛り』を了承した。

 

「ん、オッケー。まだ少し頭がボーッとしてるだろうけど、時間が経てば治るから」

 

「は、はい。あの……ありがとうございました」

 

「どういたしまして。それじゃお大事に」

 

元々、彼女の目的はそれだけだったのだろう。

『縛り』を結んだ後はあっさりしたもので、さっさと荷物をまとめて彼女は医務室を後にした。

 

「すごい人だったなぁ……」

 

呆然としながら乙骨は自らの左手に視線を落とす。

その薬指にある銀の指輪。

里香が確かにこの世にいた証。

 

「あんまり早くこっちに来ちゃダメだよ……か」

 

里香の最期の言葉を繰り返す。

 

「生きるよ、里香ちゃん」

 

生きて、足掻いて、命尽きるその日まで。

たくさんの思い出を積み重ねて。

いつか彼女と同じ空の向こうに行ったときに話して聞かせられるように。

 

「フーッ……」

 

建物の外に出た『呪詛師殺し』は「やれやれ」と言いたげに盛大に真っ白な息を吐く。

慣れないことはするものではない。

まさかあんな赤面ものの純愛ラブストーリーを目の前で見せられるとは思っていなかった。

 

「青春だねぇ……ん?」

 

気配を感じて視線を遣ると闇の中からヌルリと五条が現れる。

 

「やぁ、お疲れ。解呪達成だね」

 

「こんなことは今回限りにしてよ。こっちの専門は殺しなんだからさ」

 

「はぁ……やだねー、物騒で。高専に来てくれれば、こういう若人の成長に立ち会えた感動を味わえるのになー」

 

「興味ない」

 

「それは残念」

 

慣れたやり取り。

大して残念そうな素振りを見せるでもなく、正門まで送るよ、と五条は歩き出した。

 

「今更だけど、憂太が里香を呪ったかもって仮説を聞いたときに面白いと思ってさ、憂太の家系を調べたんだ」

 

「何か出てきた?」

 

「うん。あの子、菅原道真の子孫だった。超遠縁だけど僕の親戚になる」

 

「なるほどねぇ……思いの強さだけじゃなくて本人にも十分呪術師の素質があったってわけか」

 

菅原道真と言えば平将門、崇徳天皇と並ぶ日本三大怨霊の一人。

呪術界では有名な超大物呪術師である。

その血筋となれば特級過呪怨霊への転化も納得だ。

今回はかなり特殊なケースだろうが。

 

「あ、そうだ。君に一つ言おうと思ってたんだ」

 

すると、高専の正門まで来たところで思い出したように『呪詛師殺し』が振り返った。

 

「君さぁ……最初から私を巻き込むつもりだったでしょ」

 

乙骨の使っていたあの刀。

何百年前の名のある古刀ならいざ知らず、あんな安物の刀では里香ほどの巨大な呪いを抑え込むことはできない。

最初からチマチマと呪いを移して解呪する気など五条にはなかったのだ。

 

「あんまり舐めたマネしてるとそのうち手痛いしっぺ返しくらう羽目になるよ」

 

「だって可哀想じゃない。高専での四年間を丸々解呪のためだけに使うなんて」

 

だが、『呪詛師殺し』の睨みに臆することもなく、五条はそう言ってみせる。

 

「若人から青春を取り上げるなんて許されてないんだよ、何人たりともね」




渋谷事変は来年のアニメ二期を見て解像度を上げてから書こうと思います。


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