U.C.メーデー!:航空宇宙事故の真実と真相 (AzureSky)
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マハルポート巡洋艦衝突事故
提訴してやる①


 

大型貨客船と巡洋艦が

 

『衝突する、回避、回避!』

 

スペースコロニーの目前で、衝突します

 

『あぁクソッ、連邦に提訴してやる!』

 

さらに、制御を失った巡洋艦は農業ブロックへ

 

「不運が重なった事故でした」

 

コロニー内の被害と合わせて、769人が死亡します

 

「誰もが、連邦軍に対する怒りを顕にしました」

 

非難は、管制を無視した巡洋艦に

 

『命令するのか、本艦に!一級任務だぞ!』

 

しかし、原因はそれだけだったのでしょうか

 

「なぜ彼女は衝突を回避しようとしなかった?」

 

調査が進むにつれ、謎が深まります

 

『ルナー1736、出港します』

「止めて、何かおかしいぞ」

 

調査員たちは空前の重圧のもとで、悲劇の中に隠された真実を見つけ出すことができるでしょうか

 

『連邦の存在とは今や、害毒以外の何物でもない!』

 

 

U.C.メーデー!:航空宇宙事故の真実と真相

(原題:Space Crash Investigation)

 

 

これは実話であり、公式記録、専門家の分析、関係者の証言をもとに構成しています。

 

 

 

U.C.0077年、3月27日

 

《ルナー1736、ドッキングベイからの発進を許可。ゲート4にそのまま進み、ホールド願います》

 

サイド3第3バンチ マハルのメインポートは、これまでにない喧騒に包まれていました。コロニーの反対側にあるサブポートでのテロ未遂騒ぎによって、全便がメインポート側への発着を余儀なくされていたのです。

 

『ルナー1736、了解。発進準備完了。離岸後、ゲート4へ向かいます』

 

ルナライン1736便は新型のアルカナ級貨客船で、1万2千時間以上の飛行経験を持つ女性船長リーマ・ガラハウが指揮します。操舵手のエレン・ノーラン1等航海士も9千時間以上の操縦経験を持ったベテランです。

 

『やっと出港できますね、月に着く頃には歩けなくなってるんじゃないかと思いましたよ』

『月面で歩けないようならコロニーでは起き上がれもしないな』

 

クルーは、長引く待機時間に不満を感じていました。先に隣のドッキングベイから離岸していたエアユナ社の貨物船がスラスターの不調で立ち往生し、安全退避エリアへ牽引されてゆくまで40分近く待たされていたのです。

 

『お待たせいたしました、まもなく離岸いたします。シートベルトをご着用ください』

 

アルカナ級貨客船はその名の通り貨物室と共に客室を備え、560人の乗客が出港を今かと待っています。彼らは主にグラナダへ向かう出稼ぎ労働者と、乗り換え先のフォン・ブラウンへ向かう学生たちでした。春の休暇を終えたソニア・ラポリもその一人です。

 

「あの日は、両親に着いたらすぐ連絡するからと言って、そっけなく家を出てしまいました。なにせ、年に何度も乗っているいつもの船だったのです。父はその日、農業ブロックの視察へ行くと言っていました」

 

ようやく、ルナライン1736便は出港ゲートへ到着しました。あとは、空中に照射されているガイドビーコンに従って宇宙へ飛び出すのみです。しかしまだ、管制官からの許可を待つ必要があります。元連邦運輸安全委員会の調査官、グレッグ・カォはこう指摘します。

 

「宇宙港の周囲800kmにおいて、管制官の指示は絶対です。さもなければ、何百もの宇宙船が勝手に飛びまわり、大混乱となるでしょう」

 

マハルの管制室では、管制官のレオ・フリットが矢継ぎ早に指示を出しています。3次元のレーダーチャートに浮かび上がる無数の光点を、支障なく目的地へ導かなければなりません。

 

『ルナー5963、ゴルフ47にて待機。ユナイテッド8002は方位090へ向かい、高度-13000を維持してください』

 

そこへ、識別情報の無い光点が接近してきます。連邦軍の軍用艦です。

 

《マハルコントロール、こちら巡洋艦“グラン・カナリア”、入港許可を求める》

『グラン・カナリア了解、こちらマハルコントロール。現在サブポートは使用できません。パパ・ビーコンからロミオ・ビーコンへ周り、ゲート4へ向かって下さい』

 

「サブポートの閉鎖でいつもより発着間隔を短くする必要がありましたが、概ね自動管制システムで対応することができていました。ごく一部の船で推進剤が少ないのでキックの回数を減らしたいとか、測距装置が不調なのでタグボートの支援がほしいとか、そういったケースには管制官の判断での指示が必要でした」

 

『スラスター始動前チェックリスト完了。船長、いつでも出せます』

『了解、こちらルナー1736、出港準備よし』

《ルナー1736、ゲート4からの出港を許可。出港後はホテル・ビーコンに向かい、方位180へ。その後は高度6000を維持》

『了解、ホテル・ビーコンへ到達後180へキック、高度6000を維持する。よし、スラスター始動。フルハーバー』

『スラスター始動、フルハーバー』

『ルナー1736、出港します』

 

アルカナ級の2基の巨大な熱核ロケットがうなり始めます。船体の後ろのナセルに収められたエンジンは、2万トン近くあるルナライン1736便を10分足らずのうちに巡航速度まで加速させることができます。

 

『スラスター出力安定……あれ、なんでしょう』

『どうした』

『第6バーニアの温度が上がり過ぎてます、放熱板の故障でしょうか』

『またか。第6と第1を切って、残りで制御しよう』

『了解、第6バーニア、第1バーニア、バルブ閉鎖します』

 

バランスを取るために左右両端のバーニアを停止しましたが、アルカナ級貨客船は残る4つのバーニアにスラスター出力を集中し、問題なく航行できます。その時、管制から不穏な通信が聞こえてきました。

 

《グラン・カナリア、こちら入港管制。貴艦は待機されたし。出港船舶あり。待機されたし》

『バルブ閉鎖完了しました。スラスター出力問題ありません』

『まだ6番の温度上昇が止まらない』

 

けたたましい警報音が、バーニアの温度が危険域に達したことを知らせます。このまま上がり続ければ、爆発してしまうかもしれません。

 

『おかしいぞ、予備系統に切り替えてみろ』

『あ、予備の温度は正常値です。船長、原因は主温度計ですね』

『待て、なんだあれは!』

《衝突する、回避!回避!》

『両舷後進!右転は…駄目だ、別の船がいる!』

《Obstacle ahead, Obstacle ahead》

 

衝突の危険を知らせる警報が鳴り響きます。ルナライン1736便はなんとか停止を試みますが、2万トンの巨体を簡単に止めることはできません。

 

『駄目だ駄目だ駄目だ!』

『急速降下、上面バーニア全部吹かせ!』

『急速降下!』

 

しかし、遅すぎました。

 

『ウワーッ!』

『船長!船長!』

《あぁクソッ、連邦に提訴してやる!》

 

轟音とともに、ルナライン1736便は連邦軍のサラミス級巡洋艦“グラン・カナリア”と衝突しました。グラン・カナリアの船体下部と1736便の船体上部が接触し、更に左エンジンナセルが吹き飛ばされます。1736便は航行能力を失いましたが、グラン・カナリアには更に悲惨な運命が待っていました。事故の一部始終を目撃した元貨物船船員のハインツ・ローンは当時を振り返ります。

 

「巡洋艦の方がとーんと弾かれたあと、メインスラスターが暴発したんです。そのまま制御できなくなって、農業ブロックへ一直線に突っ込みました……今思い返しても寒気がします」

 

1736便の客室は衝撃に襲われていました。乗客のソニアもシートベルトに激しく締め付けられます。

 

「ものすごい音がして、突然真上に吹き飛ばされたような感覚でした。前の席に座っていた母親が、抱えていた子供を……その子は、天井に叩きつけられました。他にも小さい子供が、……シートベルトをすり抜けてしまって、飛ばされたんです」

 

ブリッジも被害を免れませんでした。リーマ船長は慣性で天井に打ち付けられ、頭部からおびただしい量の血を流しています。エレン操舵手は両肩を脱臼し、激しい痛みに耐えていました。

 

『せ、船長……!』

 

返事はありません。そこへ、シャオレン・リン機関士が駆けつけます。彼は異常を察知して機関室からブリッジへ向かっている最中に衝突の影響を受けましたが、幸運にも軽傷でした。

 

『なんだ、デブリに当たったか!』

『軍艦です!連邦軍のクソ野郎がぶつけてきたんですよ!』

『ああ、船長……なんてこった!』

『メーデーメーデー、ルナー1736、現在航行不能!シャオレンさん、手を貸して!船が言うことを聞かない!』

《こちら入港管制、今すぐ救助艇を送る》

 

コンソールを確認したシャオレン機関士は、目を疑いました。1番エンジンがまるごと脱落していたのです。

 

『落ち着け、オートの静止モードに設定するんだ。2番エンジンは停止させる』

『りょ、了解、オートパイロットを設定、静止モード、相対設定はマハルコロニー』

 

ルナライン1736便は、漂流状態から回復しました。すぐさま多数の救命艇がマハルから発進し、乗客と乗員の救助を行います。この事故で、1736便では乗客560名のうち12名が死亡し、20名が重傷を負いました。また、乗員35名のうち船長を含む6名が死亡、16名が重傷を負いました。犠牲となったのは主に着座せずに作業中であった乗組員と、座席に十分固定されていなかった子供たちでした。

 

「恐ろしい出来事でした……でも、助かった、良かったって思ったんです。ここから出たら一刻も早く、両親に連絡して安心させなくちゃって、そう考えていました」

 

しかし、被害は拡大していました。グラン・カナリアの乗員218名は全員死亡。さらに、直撃を受けた農業ブロックにいたソニアの父親を含む533名が死亡あるいは行方不明となりました。0065年のザーン減圧事故以来、最悪の被害です。航空宇宙事故調査官のグレッグ・カォはニューヤークの自宅でこの事件を知り、衝撃を受けました。

 

「不運が重なった事故でした。通常農業ブロックはほとんど無人なのですが、その日は新型農業プラントの導入デモを実施していて、関係者が多数集まっていたのです」

 

モビルワーカーによる救出作業は3日に渡って続きました。最終的に、農業ブロックの破片はコロニーの周囲1200kmまで散逸し、2ヶ月かけて全てのデブリが回収されました。

 



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提訴してやる②

 

事故発生から3時間後、連邦運輸安全委員会、FTSBによる調査が始まります。調査チームのリーダーはグレッグ・カォです。

 

「まずは、残骸を可能な限り早く回収することが必要でした。手をこまねいていれば、あっという間にラグランジュポイントを離れてデブリとなり、次なる事故の原因になりかねません」

 

特に状況が酷かったのは、反応炉が爆発を起こしたグラン・カナリアでした。ガーディアン・バンチの士官候補生も総動員されたデブリ回収によって、農業ブロックとサラミス級巡洋艦、そしてアルカナ級貨客船の残骸の照合が進みます。幸い、グラン・カナリアのBVR(ブリッジボイスレコーダー)とNDR(ナビゲーションデータレコーダー)は位置信号によりすぐに発見されました。これらは軍事機密にあたるため、一旦連邦軍の管理下で分析されます。

 

「最初からやり辛い調査でした。なにしろ軍が介入してくるので、事実を素早く正確に把握することができないのです」

 

連邦軍からの情報開示を待つ間、サイド3に到着したグレッグはまず管制官に話を聞きます。当時エリア管制を担当していたレオ・フリットと、入港管制を担当していたサム・パトラが調査に応じました。

 

「それではレオ、当時の状況は?」

「ええと……まずグラン・カナリアからの入港許可の要請がありました。サブポートが閉鎖されていたので、メインポート側へ回るよう指示しました」

「その後は入港管制に?」

「はい、ロミオ・ビーコンへ到達してからは、入港管制の指示に従うようにと」

 

しかし、レーダーの記録と矛盾が生じます。

 

「グラン・カナリアは、ロミオ・ビーコンを通過していない。パパ・ビーコンからコースを直進し、ケベック・ビーコンへ向かっている」

「本当だ……おかしいですね」

「グラン・カナリアからこの件に関して報告は?」

「一切ありませんでした。ただ、ケベック・ビーコンにも他の船はいなかったので……近道がしたかったんでしょう。正規の入港アプローチではありませんが」

 

早くも、グラン・カナリアが管制の指示を無視していたことが明らかになりました。また、彼らは何らかの理由で入港を急いでいたようです。

 

「サム、グラン・カナリアからはいつ連絡が?」

「はい、ケベック・ビーコンを少し過ぎたところで連絡が入りました。なんでも一級任務で、最優先で入港させろと。でも、1736便が出港中でしたから、待機するように指示したんです」

 

一級任務とは、連邦法上の緊急事態に該当する重要任務で、急患を運ぶ救急車のように航行において優先権を与えられます。しかし当然ながら、その権限を持ってしても物理的に他の船舶を押しのけることはできません。管制官の証言は、管制通信記録からも明らかでした。

 

『グラン・カナリア、こちら入港管制。貴艦は待機されたし。出港船舶あり、待機されたし』

『本艦は第一級任務を遂行中である。航路を変更させろ』

『出港船舶に優先権あり。航路を空けなさい』

『命令するのか、本艦に!一級任務だぞ!』

『衝突する、回避、回避!』

 

今まさに出港中の1736便が航路を変更するのは容易ではありません。管制官の判断は妥当であるように思われました。なぜ、巡洋艦は管制指示を無視したのでしょうか。

 

「ありがとう、ご協力に感謝します」

 

疑問の答えが明らかになる前に、グラン・カナリアの管制無視はサイド3の地元ジャーナリストによって広く報道され、コロニー市民の間に動揺が走りました。日頃から続いていた連邦軍の横暴が、ついに一線を超えたと考えられたのです。

 

「誰もが、連邦軍に対する怒りを顕にしました。私も家族を……父を失い、それが軍艦の管制無視が原因だったと知り、言葉が出ませんでした。友人の中には、そんな私を見て反連邦デモに参加する人もいました」

 

更に、事態はジオン自治共和国議会にまで波及します。マハル代表議員のエルンスト・シッダは後に“ジオン独立宣言”と呼ばれる演説を行いました。

 

『全ては管制を無視した連邦軍艦が引き起こしたのであります。連邦の存在とは今や、害毒以外の何物でもない!ここに至っては、かつて、かのジオン・ズム・ダイクンが、ここ、この演壇から発せんとして、発し得なかった一言を、今こそ発せざるを得ない。独立!連邦からの完全な独立であります!』

 

サイド3の政情は急速に不安定となり、調査チームにはジオンからも連邦からも多大な圧力がかかります。

 

「これまでにない政治的重要性を孕んだ調査です。結果は知っての通りですが……我々は連邦とジオンとの間の衝突を防ぐべく、なんとしても真実を究明する必要がありました」

 

グラン・カナリアの残骸は壊滅的であり、また軍事的な理由からも調査が難航すると考えたチームは、まず比較的状態の良いルナライン1736便から手を付けることにしました。生き残ったエレン・ノーラン一等航海士の他、乗組員にも話を聞きます。船長のリーマ・ガラハウは、病院に運ばれた後死亡が確認されていました。

 

「ではエレン、何が起こったのかをできる限り詳細に聞かせてください」

「あれは事故ではありません。連邦軍が故意にぶつけてきたんです。そうとしか考えられない」

 

乗組員は大型宇宙船同士の正面衝突という事故に強いショックを受けていました。事実、こうした事故は前代未聞のものでした。

 

「衝突の直前の様子を教えてください」

「ええと……第6バーニアに異常があったのですが、それ自体は大きな問題ではありませんでした。主温度計の異常です。出港しつつ問題に対処していたら、いきなり目の前に軍艦が現れたんです」

「なるほど……それで、どのような対応を?」

「すぐ両舷に後進をかけて……面舵をとろうとしましたが、右隣には貨物船がいて衝突の恐れがありました。向こうが上昇機動を始めたので、急速降下を試みましたが、間に合いませんでした」

 

2隻の船舶が正面から向き合った場合、両者は右転して互いに回避しなければならないことになっています。しかし、今回の場合ルナライン1736便の右には同じルナラインの貨物船が停泊しており、衝突の被害を拡大させる恐れがありました。そして当然ながらどちらがそれぞれ上下に回避するかは決められておらず、互いの動きを見ながら判断する必要があったのです。

 

「念のため確認しますが、TCASの指示は?」

「ありませんでした。相手は軍艦ですから」

 

空中衝突防止装置(TCAS)は全ての民間航空宇宙機に搭載が義務付けられている装置で、トランスポンダの信号に基づき回避方向を自動的に指示します。しかし、軍用艦は機密保持の観点からトランスポンダを搭載しておらず、TCASも機能させることができません。

 

「衝突の後は?」

「シャオレン機関士の支援を受けて、自動航行の静止モードで船を止めました。船長は衝撃で頭を強く打っていて……」

「船長は安全帯を装着していましたか?」

「はい、そう思います。ただ、ノーマルスーツのヘルメットは外していました」

「ありがとう、状況は良くわかりました」

「また何かあったらなんでも答えます」

 

聞き取りを終えた調査チームは、いくつかの疑問を覚えます。クルーはグラン・カナリアの存在に直前まで気づかなかったようですが、巨大な巡洋艦を見落とすようなことがあるのでしょうか。また、乗客に対して乗員の死亡率が想定以上に高いのには、何か理由があるかもしれません。

 

「よし、1736便のレコーダーを解析してみよう」

 



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提訴してやる③

 

『ルナー1736、了解。発進準備完了。離岸後、ゲート4へ向かいます』

『やっと出港できますね、月に着く頃には歩けなくなってるんじゃないかと思いましたよ』

 

ボイスレコーダーは、出港前のごく普通の会話から始まりました。調査官は、何か異常な点がないか慎重に聞き取ります。

 

『スラスター始動前チェックリスト完了。船長、いつでも出せます』

『了解、こちらルナー1736、出港準備よし』

 

「ここまでは特に問題は無さそうだ」

 

クルーの会話は、彼らが決められた手順を守って適切な業務をこなしていることを示していました。管制とのコミュニケーションも良好です。

 

『スラスター始動、フルハーバー』

『ルナー1736、出港します』

 

「止めて、何かおかしいぞ」

 

調査官は、早くも不可解な点に気が付きました。

 

「なぜ衝突注意警報が鳴っていないんだ?」

 

衝突注意警報は、長距離センサーで捉えた障害物が衝突コースにある場合に警報を発するシステムで、相対速度の大きくなりがちな宇宙船でははるか500km先の目標も識別して危険を感知できるよう設計されています。管制レーダーの記録では既にグラン・カナリアは1736便との衝突コースにあり、距離はわずか2400メートルでした。

 

「続きを聞いてみよう」

 

『スラスター出力安定……あれ、なんでしょう』

『どうした』

『第6バーニアの温度が上がり過ぎてます、放熱板の故障でしょうか』

 

「ここで船長と航海士の注意はバーニアの温度に向き、前方の確認が疎かになった」

 

《グラン・カナリア、こちら入港管制。貴艦は待機されたし。出港船舶あり。待機されたし》

『バルブ閉鎖完了しました。スラスター出力問題ありません』

『まだ6番の温度上昇が止まらない』

 

「入港管制がグラン・カナリアに呼び掛けている内容にも気付いていないな」

 

ここで、バーニアの温度警報が鳴り始めブリッジ内は一層慌ただしくなります。衝突注意警報は沈黙したままです。

 

『あ、予備の温度は正常値です。船長、原因は主温度計ですね』

『待て、なんだあれは!』

《衝突する、回避!回避!》

『両舷後進!右転は…駄目だ、別の船がいる!』

《Obstacle ahead, Obstacle ahead》

 

「ここだ、ようやくここで警報が鳴り始めた」

 

この時点で、衝突まで500メートルを切っていました。

 

「遅すぎる」

 

不審に思った調査チームは、アルカナ級貨客船を設計したMIP社に協力を要請します。もっと早い段階で衝突注意警報が作動していれば、事故を未然に防ぐことができたかもしれません。検証の結果は、驚くべきものでした。

 

「センサーに死角がある?」

 

アルカナ級貨客船が搭載している長距離センサーは上下左右前後合わせて6つあり、それぞれが円錐型の感知範囲を持っていました。しかし、500kmの長距離をカバーするために円錐は極めて細くなっており、隣のセンサーの感知範囲と重なるのは数kmも先だというのです。

 

「はい、特に前下方については、センサー搭載位置の制約で5kmより近くにある障害物は検知できません」

「しかし、それでは衝突を回避できないのでは?」

「いえ、500km先で警報を鳴らせるわけですから、航空宇宙局の規制にも則った適切な設計です。そもそも5kmもの近さからいきなりこちらに接近してくるものがあったら、避けようがありません」

 

MIPの技術者の主張通り、宇宙航行におけるスケールの常識は大気圏内とは比べ物にならず、5kmは至近距離と言えるものでした。アルカナ級の巡航速度であれば、0.5秒余りで衝突してしまうのです。

 

「問題は、巡航中における距離のスケール感と、港湾内での航行におけるスケール感が全く異なっていることでした。そもそもアルカナ級の衝突防止システムは至近距離で不規則に動く他の船よりも、はるか遠距離から高速で接近するデブリを回避することを念頭に設計されていたわけです」

 

管制レーダー記録を改めて確認すると、正規入港アプローチをとらなかったグラン・カナリアは1736便の斜め下方から接近しており、1736便がドッキングベイから顔を出した時点で不運にも衝突防止センサーの死角に収まっていました。ブリッジの視界からも、確認しづらい位置にあったのです。

 

「しかし、グラン・カナリアが入港軸線に乗ったタイミングはもう少し早いはずだ。なぜその時にはセンサーが反応しなかった?」

 

この疑問は、調査の中では解決されませんでした。ただ、戦後になって新しい説が唱えられています。

 

「後になって分かったことですが、事故の直前に近隣バンチのジオンの実験施設でモビルスーツの試験が行われており、そこでミノフスキー粒子の漏洩事故があったようです。その際に流出した微量なミノフスキー粒子が影響して、長距離センサーの感度が落ちていたのではないかという説があります。当時はそんな粒子の存在は一般的に知られていませんでしたから、この件の調査は不明瞭な形でまとめざるを得ませんでした」

 

調査チームは衝突防止センサーの設計が事故の原因の一つであった可能性を指摘した上で、もう一つの謎に取り組みます。

 

「乗組員の死傷者が多すぎるな」

 

乗客の死傷率が5.7%に抑えられたのに対し、乗員の死傷率は63%にも登ります。クルーは出港作業に追われていたとはいえ、なぜこれほどの差が出たのでしょうか。調査チームはルナライン社の安全基準を確認します。

 

「ルナラインの安全基準は、業界の中でもごく標準的なものでした。しかし、一つだけ致命的な誤りを犯していたんです」

 

答えは、死傷したクルーの装着していた安全帯にありました。

 

「これを見ろ……取り付け部分が完全に破断している」

 

ルナライン社が使用していた安全帯は取り付け部分が強化プラスチック製のごく一般的なものでしたが、通常このような形で破損することはありません。何か理由があるはずです。

 

「安全帯の使用期限は?」

「3年です。この安全帯は2年6ヶ月なので、使用期限内です」

「それは、船内活動基準で?」

「いいえ、船外活動も船内活動も同様です。同じ安全帯ですから」

 

ルナライン社の安全基準担当者の一言に、調査官は驚きを隠せませんでした。

 

「ごく初歩的なミスです。ルナライン社では、安全帯を使用するときに船内活動用と船外活動用を分けて管理していませんでした。船外活動において宇宙線や温度差の影響で素材の劣化は激しく進み、船内活動のみに使用される場合よりも使用期限はごく短くなります。ルナラインでは同じ安全帯を船内活動でも船外活動でも使いまわしていたため、どの安全帯がどれくらい劣化しているのかが分からなくなっていたのです」

 

ルナライン社が設定した3年の使用期限はメーカーの船内活動想定より短く調整されていましたが、それは使用時間の一部を船外活動として概算していたためでした。実際には当初の想定より高い割合で船外活動に使用されていた安全帯があり、事故の衝撃に耐えられず破断したのです。

 

「そして、空中に放り出された船長や乗組員は天井に叩きつけられた」

 

一部のクルーはノーマルスーツを着用していましたが、ヘルメットまで着用してはいませんでした。

 

「20トン以上の大型宇宙船では、ノーマルスーツの着用は義務付けられていませんでした。しかし、実際には出入港時などのタイミングにはノーマルスーツを正しく着用し、危険に備えるべきなのです」

 

そして、調査は乗客の被害の検証に進みます。この事故では多くの子供たちが犠牲になりました。

 

「今回の事故は……子供を守るためのシートベルトの設計に改めて焦点が当てられました。大人向けのシートベルトではどうしても固定が十分でなく、座席から飛び出してしまうのです」

 

しかし、全ての座席に子供向けのシートベルトも装備するのは現実的ではありません。調査チームは、ある提言を行いました。

 

「それぞれの宇宙港において、座席に取付可能なチャイルドシートを準備しておくのです。子供の搭乗人数に応じて、チャイルドシートを取り付けて安全に固定できるようにします。乗降時の所要時間や設備負担は増えてしまうものの、今回のような悲劇を減らすことはできるはずです」

 

事故後、ルナライン社は連邦運輸安全委員会の提言を受けてチャイルドシートを導入しましたが、現時点で他の航空会社には広がっていません。

 

「ルナライン1736便の問題点と、取るべき対策は概ね明らかとなりました。第6バーニアの主温度計は、よくある基板劣化が原因の不調であり、予備系統は作動していたことからも特筆すべき問題ではないと結論付けられました」

 

調査チームの前には、まだ2つの大きな課題が残っています。衝突の原因と目されている巡洋艦と、最も大きな被害を出した農業ブロックです。

 

「我々は巡洋艦の調査と並行して、農業ブロックの事故検証にも取り組みました。特に後者は533人もの犠牲者を出しており、事態の解明が必要でした」

 



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提訴してやる④

 

「あの日は、新型農業モジュールの動作デモを行うため、多くの技術者や経営関係者、メディア関係者が詰めかけていました」

 

マハルの第7農業ブロックで作業員として勤務していたユジュン・クロノフは事件当日を振り返ります。

 

「突然でした。セレモニーが終わってモジュールの稼働を始めるという時に、大爆発が起こったんです」

 

ユジュンが居た第7ブロックは直撃を受けた第5ブロックから500メートルほど離れていましたが、影響は深刻でした。

 

「爆発の直後に、自動で圧力隔壁が閉鎖されました。部屋3つ分くらいの空間に、私と他の作業員と、合わせて12人が完全に孤立してしまいました。一人がマニュアル操作で隔壁を開けようとしたので、私は必死になって止めました。なにせ、私たちの誰もノーマルスーツを着ていなかったのです」

 

作業用エリアには窓がなく、外の様子をうかがい知ることはできません。しかし、彼らは少しずつ自分たちがコロニーから離れて流されていくのを感じました。

 

「最初はとにかく脱出することを考えていました。きっと農業モジュールが事故を起こしたんだろうと。ですが、時間が経つにつれもっと恐ろしい可能性を考えるようになりました」

 

ユジュンは生命維持システムの動作訓練を思い出し、コンソールを確認します。幸いシステムは稼働していましたが、酸素残量は2時間ほどでした。

 

「酸素残量が表示されているという事実が、私たちを打ちのめしました。このエリアはコロニーの生命維持システムから切り離され、宇宙空間を漂流中であるとはっきりしたのです。泣き出す人や、遺書を書き始める人もいました」

 

しかし、ユジュンたちは幸運でした。爆発から30分後、外壁を掴むような音が響きます。

 

「モビルワーカーが私たちの作業ブロックに気づいてくれて、パイロットの青年……アナベルという若者でした、彼の声が隔壁の外から聞こえました。みんな必死に声を上げ、彼に感謝を伝えました。星の数ほどある屑の中から、よく私たちを見つけてくれたと」

 

与圧ブロックが接続され、ユジュンたちは死地を逃れました。しかし、彼らは農業ブロックの中で僅かな生き残りとなったことを知ります。

 

「隔壁のすぐ向こうにいた人たちは、皆宇宙に投げ出されて死んでしまいました。私たちは目の前で、同僚を、友人を、家族を失ったのです……最初に隔壁を開けようとした彼の……彼の恋人も、帰らぬ人となっていました」

 

第5ブロックは原型を留めないほど破壊され、第6ブロックは圧力殻が破断、第7ブロックもバラバラに分解しました。新型農業モジュール“AGRIX-3”の技術説明会を行っていた第6ブロックでは特に多数の犠牲者が出ました。グレッグたち調査チームは、回収したデブリから何が起こったのかを検証します。

 

「問題は、農業ブロックにいた誰一人として、ノーマルスーツを着用していなかったことです。爆風で圧力殻が破壊されたことによって、急減圧が起こり人々は意識を失いました」

 

通常、コロニー外壁は外殻、圧力殻、内殻の3重構造となっていますが、農業ブロックは無人運用を想定していたため圧力殻のみの構成でした。しかし、実際には定期点検などで作業員が入る必要があります。

 

「私たち農業ブロック作業員は、そんな危険があることは知らされていませんでした。コロニーの居住エリアと同じ感覚で、そのまま仕事をしていたんです」

 

これは、同じ圧力殻のみの構造である港湾ブロックでの勤務に厳格な安全規則があり、また危険手当で高収入な仕事となっているのと対照的でした。

 

「まさしく、安全意識の欠如です。あえて危険性を従業員に伝えないことにより給与水準を低く抑える意図があったとする説がありますが、今回は経営陣にも被害が出ているので問題そのものを認識していなかったと捉えるべきでしょう。連邦運輸安全委員会は、コロニーの外壁構造で作業エリアを明確に分類し、必要な安全処置が取られるよう法整備を提言しました」

 

しかし、一層構造の区域が第二種安全規制エリアに指定され、ノーマルスーツの着用が義務化されたのは事故から15年後のことでした。

 

「直後に起こった一年戦争を発端とするコロニー動乱により、連邦政府の対応は後手に回りました。その後の多くの事故も、今回の事故の教訓を活かせていれば防げたはずです」

 

一方、ユジュンたちのように隔壁エリアに偶然居合わせて爆風を逃れた作業員は他にも何グループかいましたが、そのうち約半数は救助が間に合わずに窒息死や酸素欠乏症の後遺症が残る結果となりました。非常用酸素タンクが破壊され生命維持システムが短時間で停止したり、無数に細分化された気密エリアの中でどこに生存者が残っているのかを見つけ出すのに時間がかかったりしたのです。

 

「グラン・カナリアの衝突により農業ブロック全体をカバーするメインの生命維持システムが機能を停止し、個別の気密エリアはそれぞれ予備の生命維持システムが環境を維持していました。一連の設備はデブリの衝突などで一部の気密エリアが隔離されるような事態を想定した設計で、ブロック全体がフレームごと破壊されそれぞれの気密エリアがバラバラに放り出されることなど考えられていなかったのです。その結果、気密エリアに閉じ込められた生存者が外部に、それも宇宙空間で、自分の居場所を伝える手段は装備されていませんでした」

 

調査チームは、全ての圧力隔壁に窓を取り付けるべきだと指摘します。

 

「無論、気密エリア全てに発信機や通信設備を設けることができれば最良です。しかし、まずは自動圧力隔壁に窓を付けて、隔壁の向こう側の様子が見えるようにする必要があるでしょう。救助隊は窓から内部の様子を確認できますし、内側から見えるのが隣の気密エリアかあるいは宇宙空間かで、隔壁を開放するかどうかの判断に大きく影響するはずです」

 

こちらの提言は、0082年の第一次コロニー再生計画から取り入れられる事となりました。現在ではどれほど小さな気密エリアであっても、非常隔壁には必ず小さなガラス窓が設けられることになっています。

 

「20年以上経った今でも、あの日のことを鮮明に覚えています。結局マハルの農業ブロックは再建されることなく、その後の一年戦争では居住区ごとコロニーレーザーに改造され、私たちは職を失い、故郷を失いました。しかし、この20年で人類が失ったあまりに多くのものから考えると、私たちは幸運な方だったと考えています」

 

一方で、当初の予想通りグラン・カナリアの調査は困難を極めました。マハルコロニー横の未使用バースを借り受けて、粉々になった破片を少しずつ組み立ててゆきます。

 

「無重力では、骨組みを作らずとも残骸を3次元に並べることができるのが唯一の救いでした。ただの金属片と化した巡洋艦の残骸をコロニーの残骸の中から判別するのは実に骨の折れる作業でした」

 

調査チームは、残骸の痕跡からグラン・カナリアに何が起こったのか分析します。また、メインポートの港内カメラの映像は有力な手がかりとなりました。

 

「はっきりしているのは農業ブロックへの突入後艦首のミサイルが爆発し、その後主反応炉が誘爆、凄まじい大爆発となったことです」

 

サラミス級巡洋艦の動力は熱核反応炉であり、稼働中に圧力容器が破壊されると旧世紀の戦術核兵器に近い威力の爆発を伴います。しかし、本来そうならないよう設計されているのが軍用艦のはずです。

 

「過去にサラミス級が起こした事故についても調査しましたが、反応炉が爆発に至ったものは1件もありませんでした。サラミス級の熱核反応炉は異常発生時に即座に燃料を遮断し、強制冷却されるように設計されています。従って船体が大破するような巡洋艦どうしの衝突事故においても、ここまでの大事には至っていませんでした」

 

ところが、記録映像を確認していた調査官は決定的な証拠に気づきます。

 

「ここだ、ここを見てくれ」

 

1736便とグラン・カナリアが衝突した直後、グラン・カナリアの船体下部の放熱設備が軒並みえぐり取られてゆきます。

 

「この瞬間、反応炉と放熱板を循環していた冷却材が漏出してしまった」

 

冷却材の漏出は極めて危険な現象です。主反応炉で異常が発生しても、強制冷却を十分に行えなくなる恐れがあります。

 

「しかし、燃料遮断はなぜ失敗した?」

 

こちらは、過去の事故記録に答えがありました。サラミス級は、燃料バルブの損傷に起因する暴走事故を3件繰り返していたのです。

 

「サラミス級は軽量化と高速性を優先する設計のため、燃料バルブのフェイルセーフが十分に対策されていませんでした。通常は動力が失われるとバルブは自然と閉鎖位置に戻るように設計されるものですが、サラミス級のバルブはそのままの位置で動かなくなってしまうのです」

 

これまで起こった暴走事故は訓練宙域などの広大な宇宙空間で発生しており、致命的な事態に陥る前に手動バルブの閉鎖などの対応で事なきを得ていました。しかし、今回の暴走では衝突までの猶予はありませんでした。

 

「衝突の衝撃で燃料バルブが破損し、反応炉に大量の燃料が流れ込みます。一方で冷却材が失われたため反応炉は急速に加熱し、超高圧状態となりました」

 

システムは反応炉の強制停止を試みますが、手立てはもはや残されていません。

 

「そして、高まった圧力は閉鎖されていたメインスラスターバルブを破壊し、スラスターは最大出力で噴射された……これがグラン・カナリア暴走の真相です」

 

事故発生から1ヶ月後、ようやく連邦軍からBVRとNDRの記録の一部が調査チームに開示されました。最大の謎、グラン・カナリアの管制無視の理由が明らかにされる時が来たのです。

 



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提訴してやる⑤

 

「連邦軍からの情報開示は、正直言って遅きに失した感がありました。既にガーディアン・バンチでのクーデター、いわゆる“暁の蜂起”事件が起きたあとであり、連邦とジオンの亀裂は決定的となっていました」

 

暁の蜂起発生後、当時ジオン自治共和国首相であったギレン・ザビの指示により、FTSBはジオン独自の事故調査委員会へ調査を引き継ぐよう要請されます。

 

「突然、時代錯誤な軍服を着た連中が入ってきて、我々に出ていけと言うんです。FTSBとしては共同調査の継続を訴えたのですが、聞き入れられませんでした。ジオン側の調査官とはここまで共に仕事をしてきてお互い信頼関係にあったため、調査資料をなるべく多く提供することにしました。しかしながら連邦軍からの開示資料は、あくまで連邦運輸安全委員会向けの開示だとしてジオンの調査チームに渡すことは許されませんでした」

 

結果として、ジオンと連邦それぞれの調査チームが別々に報告書を出す形になりました。ジオン側の事故調査報告書は、FTSBがマハルの調査拠点を撤収してまもなく発表されます。

 

「ジオン側の報告はごく政治的な主張で、全ての責任をグラン・カナリアの恣意的な管制無視に起因するものとして人的要因を訴える内容でした。報告書が公開されてすぐにジオンの調査官から私的に連絡があり、無念だ、中立的な調査結果を公表したかったが受け入れられなかったと聞きました」

 

グレッグら連邦運輸安全委員会の調査チー厶はフォン・ブラウンへ拠点を移し、グラン・カナリアのレコーダーの解析に取り組みます。ボイスレコーダーの内容は、一部が作戦機密にあたるとして削除されていたものの、概ね事故の推移を追うことができるものでした。

 

「それでは、聞いてみよう」

 

『まもなくサイド3です。到着まで10分』

 

声の主は、操舵手を務めるアメリ・アル・スタイン准尉です。

 

『フォン・ブラウンで時間を食いすぎたツケだな、もうマージンは2分も残ってないぞ』

 

艦長のボブナン・ウォーカー中佐は、明らかに苛立っています。

 

『も、申し訳ございませんでした……』

『謝罪はいい、何としても間に合わせるんだ』

 

「どうやら、時間の余裕がない任務だったようだ」

 

ブリッジは重苦しい雰囲気で、ほとんど会話はありません。サイド3へ近づくにつれ、事務的な連絡が続きます。通信手のニール・ハイネマン軍曹の声が入りました。

 

『マハルコントロール、こちら巡洋艦“グラン・カナリア”、入港許可を求める』

《グラン・カナリア了解、こちらマハルコントロール。現在サブポートは使用できません。パパ・ビーコンからロミオ・ビーコンへ周り、ゲート4へ向かって下さい》

『了解……艦長、その、サブポートは閉鎖されているそうです』

『だったらメインポートへ最短距離で向かえ。こっちは一級任務なんだ』

『了解しました』

『ニール軍曹、私が直接話をつける。入港管制を呼び出せ』

『りょ、了解』

 

「良く言えば職務に忠実、悪く言えば高圧的な艦長だな。誰も彼に意見できる環境じゃない。これではブリッジに一人しかいないのと同じだ」

 

軍隊には厳格な上下関係があるため、こうした状況に陥りやすい面があります。民間航空業界においてもクルーリソースマネジメント(CRM)の問題として前世紀から解決が試みられてきましたが、今でも事故の原因となり得る事象です。

 

『入港管制、こちら巡洋艦グラン・カナリア艦長。フォン・ブラウンからの一級任務だ。最優先で入港したい』

『ケベック・ビーコン通過、このまま入港コースに入ります』

《グラン・カナリア、こちら入港管制。貴艦は待機されたし。出港船舶あり、待機されたし》

『艦長、前方にアルカナ級がいます』

 

「ちょっと待て」

 

決定的な一言です。

 

「グラン・カナリアは、この時点で1736便の存在を認識していた」

 

ますます、グラン・カナリアがなぜ入港を強行したのか疑問が深まります。

 

『本艦は第一級任務を遂行中である。航路を変更させろ』

《出港船舶に優先権あり。航路を空けなさい》

『命令するのか、本艦に!一級任務だぞ!……アメリ准尉、そのまま直進させろ。衝突防止システムで押し退けてやれ』

《衝突する、回避、回避!》

『ボブナン艦長、相手も直進してきます!』

『何だと、ぶつける気か!あぁクソッ、連邦に提訴してやる!』

『急速上昇!イヤァアアッ!』

 

アメリ准尉の悲鳴が響きます。どうやら、グラン・カナリアのクルーの狙いが見えてきました。

 

「なるほど……彼らは、衝突防止システムによって、民間船舶を無理やり押しのけられると考えていたんだ。アルカナ級のセンサーに死角があると知らずに」

 

ボブナン中佐の経歴を調べると、これまでに小型船を相手に2度同様のトラブルを起こし、民間船舶側が衝突防止システムで強制的に回避するように強引な操艦を行っていたことが分かりました。

 

「ところが1736便が回避を行わないので、マニュアル操船で意図的に衝突させにきたのだと錯覚した」

 

『下部甲板大破!艦長、反応炉が!』

『燃料弁閉鎖!主機を潰しても良いから止めろ!』

『ダメです、バルブが……』

『畜生!』

 

衝撃音を最後に、ボイスレコーダーは終了しています。調査官は、まだ解明すべき謎があると考えていました。

 

「上官の命令があったとはいえ……なぜ彼女は衝突を回避しようとしなかった?」

 

操舵手のアメリ准尉は、1736便が回避行動をとらないのを見て両舷後進をかけましたが、明らかに遅すぎました。その距離はわずか550メートルであり、仮に1736便が回避を始めたとしても間に合わない近さです。

 

「そもそも、サラミス級にも衝突防止システムがあり、1736便との衝突が避けられない状況になる前に対処ができたはずだ」

 

ナビゲーションデータレコーダーの解析が、この疑問を解く鍵となりました。NDRには衝突の直前の航法システムの状況がすべて記録されています。

 

「ドッキングモードに設定されていたのか」

 

ドッキングモードとは入港後のドッキングベイへの着岸時に使用される操艦補助モードで、このモードでは前方の衝突警報システムなどは機能しません。通常、入港が完了するまでは使用されない設定です。

 

「クルーはとにかく着岸を急いでいて、入港する前からドッキングモードを起動していた。だから、1736便が異常に接近していても警報が作動しなかった」

 

しかし、調査官には腑に落ちない点があります。警報が鳴らなかったとはいえ、ブリッジのクルーは目の前に接近するアルカナ級を見ていたはずです。

 

「グラン・カナリアの視界に問題は無かったはずだ。1736便のように、別の問題の対応に追われていたわけでもない。それなのに、悠長に管制と口論を続けた……なぜ彼らはまだ回避行動が間に合うと考えていたんだ?」

 

謎の答えは、意外なところからもたらされました。調査チームに参加した航空宇宙心理学者です。

 

「エビングハウス錯視だって?」

 

エビングハウス錯視とは、巨大な形状が周囲にあるとその中心にある物体が実際より小さく見える錯覚で、今回の場合アルカナ級の背後には巨大なメインポートとマハルコロニーそのものがあり、中心に位置する1736便は実際より小さく、遠くにあるように錯覚されたのです。そもそも真空の宇宙空間では遠近感を捉えるのが難しく、更にアルカナ級自体は0076年に就航した新型船で、グラン・カナリアのクルーはその正確なサイズ感を知らなかった可能性があります。

 

「こうした錯視、錯覚は、いつどこのパイロットにも起こりえます。だからこそ、クルーは運航手順を守り、システムの十分な援助を得て危険を回避するべきなのです」

 

事故発生から6週間後、調査チームは事故の原因を報告書にまとめました。その中で、FTSBはグラン・カナリアの管制無視に加えてサラミス級の構造的欠陥、アルカナ級の衝突防止システムの不備、農業ブロックの安全管理基準を指摘しました。中でも、連邦軍による民間船舶への危険航行は強く非難します。

 

「力を持つことが、すなわち全てに優先することだという錯覚が連邦軍を支配していました。それゆえ彼らは安全基準を軽視し、ジオンを含めたスペースノイドを侮り、一年戦争という破局へ至ったのです」

 

一方、この報告はジオン共和国側からは冷淡な反応しか得られませんでした。

 

「MIPなどは、一切自らの設計に非を認めようとしませんでした。ただ、その後アルカナ級を改装して作られたムサイ級巡洋艦には、FTSBが指摘した通りの位置に補完用の短距離光学センサーが装備されていたといいます」

 

そして、そもそもなぜグラン・カナリアが大急ぎでサイド3へ向かっていたのか、任務の内容は軍事機密として長らく公表されることはありませんでした。しかし、0096年のラプラス事変を契機に、過去の事件の情報開示を求める運動が活発化します。そして、0098年になって真相が明かされたのです。

 

「グラン・カナリアは、フォン・ブラウンの生物化学研究所から大量のワクチンバイアルを輸送していました。事故の前日、ジオン独立過激派グループがマハルコロニーでテロを行うことを予告しており、連邦の諜報機関がその内容を掴んでいたのです」

 

過激派グループは強力なウイルス兵器を使用することで、穏健派の多いマハル市民を虐殺しようと試みていました。連邦政府はこれを事前に察知し、使用される予定のウイルスを無効化するワクチンを大至急送り込む必要に駆られます。

 

「当時の連邦軍が所有していた中で最も高速なのがサラミス級巡洋艦でした。一方でそのワクチンは専用の設備で超低温状態を保持しなければ急速に劣化してしまいます。サラミス級の貨物庫を改造する時間的余裕も無かったため、ひとまずバイアルを積めるだけ積んで、タイムリミット以内にマハルのワクチン保管庫に届ける作戦となったのです」

 

こうして設定された制限時間はわずか5時間30分でした。荷役作業やコロニー内の輸送も加味すると、実質的に許された航行時間は3時間以下です。

 

「この厳しいタイムリミットは、クルーにとって大きな精神的負担となりました。しかし、彼らは何としてもマハルコロニーの市民を救おうとしていたのです。その結果、事故で多くの被害を出すことになったのは皮肉と言うほかありません」

 

過激派グループはサブポートでのテロ未遂を陽動として行った後にウイルスを散布する計画でしたが、グラン・カナリアの衝突事故を受けて作戦を中止しました。結局、穏健派の首班とみなされていたマハル代表議員のエルンスト・シッダが独立演説で態度を豹変させたことで、世論はジオン独立へ大きく傾き彼らの目的は達成されたのです。

 

「この事故のあと、ジオンと連邦は対立を深め、翌々年には一年戦争へと突き進んでゆきます。しかし、全ては善意から始まっていたはずなのです。あのとき我々に何ができたのか、悲劇を止めることができなかったのか、今でも悩み続けています」

 

制作・著作 フェデラルジオグラフィックチャンネル

 




(凄まじい速さで流れるスタッフロール)


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ルナライン107便爆破事件
月は見えているか①


 

大型旅客船が

 

『何でしょう、異常発生』

 

爆発します

 

『何が起こった!』

 

船体は2つに分解

 

「絶体絶命です」

 

月面へ落下します

 

『このままでは……墜落するぞ』

 

パイロットは、残された手段で生還を試みます

 

「普通のパイロットなら、諦めてしまうでしょう」

 

爆発の原因は分かりません

 

「どうやったのか見当もつきませんでした」

 

事故の裏には陰謀の影が

 

『我々はスペースノイドに鉄槌を下す!』

 

調査チームは、悲劇の真相を解き明かすことができるでしょうか

 

「この事件は航空宇宙業界の常識を変えるものでした」

 

 

U.C.メーデー!:航空宇宙事故の真実と真相

(原題:Space Crash Investigation)

 

 

これは実話であり、公式記録、専門家の分析、関係者の証言をもとに構成しています。

 

 

 

U.C.0074年、8月31日

 

『最後のお客様の搭乗を確認、ハッチ閉鎖します』

 

9時15分ルウム発ジオン行のルナライン107便は、乗客の搭乗待ちにより定刻から5分遅れで出港準備を進めていました。

 

『ご搭乗の皆様、まもなく離岸いたします。座席につき、シートベルトをお締めください』

 

客室乗務員のリエナ・フォン・バーデンは本来非番でしたが、友人のビサ・ユスフが息子の入学式で休暇をとったため代わりに勤務していました。

 

「彼女はとても有能で、それを鼻にかけることもしない優しい人でした。私にとっては、入社した時からずっと一緒で……一番の、親友でした」

 

《ルナー107、ドッキングベイからの発進を許可》

『了解、ルナー107、発進します』

 

ルナライン107便は大型のマグノリア級旅客船で、1012人の乗客と38人の乗員をサイド3の首都バンチ、ズム・シティへ運びます。操縦するのは2千時間以上の経験をもつジョン・オルバネハ操舵手、指揮をとるのは1万5千時間近い航行経験のルデル・サイード船長です。

 

《ルナー107、ゲート2からの出港を許可。出港後は直進し、アルファ・ビーコンから方位350へ》

『ルナー107了解、アルファ・ビーコンから350へキック。ジョン、状況は?』

『反応炉出力よし、スラスター始動前チェックリスト完了。出港準備よし』

『よし、スラスター始動、フルハーバー』

『スラスター始動、フルハーバー』

『ルナー107、出港します』

 

マグノリア級の巨体がメインポートを滑るように離れてゆきます。正面に見える月をフライバイし、反対側のサイド3まで約8時間のフライトです。

 

『スラスター出力安定、フルハーバー速度に到達』

『よし、頼むぞ。えー、ご搭乗の皆様、船長のルデル・サイードです。本船はただ今5分遅れでルウムのメインポートを出港いたしました。まもなくサイド5圏を抜け、第1加速を行いますのでくれぐれも席をお立ちにならないようご注意ください。それでは、快適な宇宙の旅をお楽しみください』

 

ルナライン107便はゆっくりと船首方位を変えながらアルファ・ビーコン地点へ到達し、予定の軌道へ向けて加速を開始します。

 

「サイド間連絡船での加速は、約1Gほどの負荷で10分ほど続きます。慣れてしまえば何ということはありませんが、最初は誰しも面食らうものです」

 

離岸から20分後、ルナライン107便は慣性航行に移りました。この先は月の重力圏を利用して更にゆっくりと加速し、月面高度110kmほどの距離を掠める予定です。

 

『皆様、本船は慣性航行を開始いたしました。おくつろぎになっていただき、ルナラインの提供する船内レクリエーションをお楽しみください。』

 

客室乗務員のロラン・ハンは、第3キャビンで船内食の準備を進めていました。その時、キャビンからの呼び出し灯が点灯します。

 

『はい、ご用件をお伺いいたします』

『前の席の人が、荷物をひっくり返して大変なんです』

『分かりました、すぐ向かわせていただきます』

『どうしたの?』

『36列目のお客様から、前列でトラブルがあったみたいだって』

『分かったわ、見に行ってくる』

 

「私が手を離せないのを見て、リエナは代わりにキャビンの様子を確認に行ってくれました。どうやら、手荷物の中身をそこら中に撒き散らしてしまったお客様がいるようでした」

 

ブリッジでは自動航行モードの設定が完了し、平穏な時間が流れています。

 

『船長は聞きましたか? 今度のグラナダ杯は決勝戦がサイド2どうしになるみたいですよ』

『ふぅん、時代も変わったもんだな、うちのズム・ニュータイプスも頑張って欲しいもんだ』

 

その時、コンソールに小さな警報表示が描画されました。短い電子音が連続します。

 

『何でしょう、異常発生。貨物室のようです』

『温度上昇だって? 参ったな』

 

次の瞬間、轟音と共に光が広がり、ブリッジは暴力的な衝撃に包まれました。

 

『うわぁッ、なんだ、何が起こった!』

『船長、爆発です!』

 

またたく間にコンソールは無数の警告表示の海に沈みます。ブリッジの室内灯は幾度か点滅したあと消灯し、オレンジの非常灯に切り替わります。

 

『状況を報告!』

『ええと…反応炉出力喪失、5番から12番までRCS応答せず!』

『リアクションホイールは?』

『予備が生きてます、現在姿勢安定に向けて制御中!』

 

クルーは何とか事態を把握しようとしていました。反動でぐるぐると船体が回転し、操作盤にしがみつくので一苦労です。

 

『船長、速度計と座標計が機能してません、後部アンテナモジュールがやられました!』

『クソッ、じゃあまともに動くのは何だ?』

《こちら第2ブリッジ、第1ブリッジ応答せよ!》

 

マグノリア級には2つ目のブリッジがあり、こちらには交代要員として副長のアンナ・シマロンとタイキ・ヤスダ2等航海士が搭乗しています。本来であれば、フライトの後半は彼らが操縦を引き継ぐ予定でした。

 

『こちら第1ブリッジ、現在被害を確認中』

《船長、あれを見ましたか!》

『何だって?』

《船尾です、本船の船尾です!》

 

リアクションホイールの効果で少しずつ回転がおさまって来たところで、クルーは窓から見える光景に唖然とします。ルナライン107便は爆発の衝撃で真っ二つに折れ、船尾側が漂流しているのが見えたのです。

 

『なんてことだ……誰か応答してくれ、キャビンの状況は?』

《こちら第1キャビン、3番と4番の圧力隔壁が閉鎖したようです、現在救護活動中》

《第2キャビンも同様、お客様が閉じ込められています》

《第3キャビンは1番と2番が閉鎖、全く状況がわかりません!》

『……第4キャビンは?』

 

返答はありません。完全に破壊されてしまったようです。

 

『分かった、爆発により船体が引きちぎられたようだ、くれぐれも圧力隔壁を開放しないように』

『船長、エラーログが1万5千件あります、とても対処できません』

『ううむ、第2ブリッジ、そっちの状況は?』

《航法コンソールがシステムダウン、こちらからはまったく操作できません》

 

もはや、ルナライン107便は残骸となって宇宙空間を漂流している状況です。爆発の衝撃で軌道を外れ、船尾側はみるみるうちに遠く離れてゆきます。

 

『まずいことになったな……生命維持システムの稼働はあと3時間だ』

『……船長、長距離無線もダメです』

 

「長距離無線が使えないということは、メーデー信号の発信すらできず、周囲の船に助けを求められないということです。まさに、絶体絶命です」

 

『……分かった、何とか方法を考えよう。第2ブリッジ、悪いがエラーログの対応を頼む。緊急度順にソートしてくれ』

《了解》

『ジョン、爆発の直前の航法データは残っているか?』

『はい、方位010、高度0.5、速度1万2千ノットです』

『爆発でどれくらい軌道がずれたかだな……』

 

機外灯が規則的なリズムで点滅を始めました。第2ブリッジの操作で、SOSのモールス信号を送っているのです。

 

『月は見えているか?』

『はい?』

『月は見えているかと聞いているんだ』

 

ジョン操舵手は、舷側の窓を確認します。はるか右下方には月面が見えていました。

 

『はい、あそこに』

『よし……まさかコイツを使う日が来るとはな』

 

ルデル船長は電子六分儀を取り出しました。数百年前、大航海時代に使われていたものと原理は同じです。

 

『俺は天測で現在位置と軌道を割り出す。ジョンは残った船体質量とRCSの残燃料を推定して、ΔVを計算しておいてくれ』

『了解しました』

 

「天測航法は測位システムが使用不能になった場合の非常手段で、全ての宇宙船乗組員はこれを訓練しています。電子六分儀を使い、船から見える月の位置、地球の位置、その他基準星の位置から現在位置を計算するのです。これを時間を開けて繰り返せば、大まかな軌道と速度も分かります」

 

クルーは交代で4回の天測を実施し、爆発から15分後に誤差修正も含めた計算を終えました。

 

『このままでは……墜落するぞ』

 



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月は見えているか②

 

「普通のパイロットなら、諦めてしまうでしょう。船体は半分、エンジンも無い、航法システムもダウン。おまけに月へ墜落中です」

 

107便のクルーは、最悪の事態を回避しようと奮闘しています。このままでは、1時間もしないうちに月面へ衝突してしまうでしょう。

 

『船長、ΔVは約150m毎秒です』

『ううむ、元の軌道へ入るのは不可能か』

 

「ΔVとは、残った燃料を使ってどれくらいの加速ができるかの指標です。幸運にも107便にはまだ第1から第4までのRCS……姿勢制御用スラスターが残っており、少しだけなら軌道を変えることが可能でした」

 

爆発の衝撃と船体の分解によってルナライン107便の軌道は月の左側をかすめるはずが針路が右に大きく変わり、また速度も速くなっています。単純に月から離れる方向にRCSを噴射しても、減速量は焼け石に水です。

 

『待て、月の右を抜けるのはどうだ?』

『ええ、いや、しかし!』

 

ジョン操舵手は動揺します。これは、非常に危険な提案でした。

 

「サイド5とサイド3は月を挟んで反対側にあり、通常は燃料の節約のため減速スイングバイの航路を取ります。しかし、サイド5から月の右側を抜けると加速スイングバイとなり、既に速度超過状態のうえ減速手段を持たない107便は地球の周回軌道からも離れてしまう恐れがあったのです」

 

『このままでは衝突は避けられない。だったら、月をすり抜けた後に救助が受けられるチャンスに賭けるべきだ』

『……そうですね、加速スイングバイ軌道に修正を試みます』

『第2ブリッジ、聞いての通り墜落を回避するため加速スイングバイへ軌道を移す。君たちは救援信号の発信を続けてくれ』

《了解、船長の判断を支持します》

 

リアクションホイールで方位を修正したあと、慎重にRCSを噴射し軌道を変えていきます。もう、後戻りすることはできません。酸素残量が切れる前に誰かに見つけてもらうことができなければ、107便は永久に外宇宙をさまようことになります。

 

『……軌道修正完了、噴射終わります』

『推進剤はあとわずか、か』

『はい、これで抜けられれば良いんですが』

 

月がだんだんと大きくなり、ブリッジの視界を覆っていきます。軌道を変えたことで、月面への最接近は1時間先まで延びました。

 

『まだ、やれる限りのことをしよう。生命維持システムの最適化で、もう少し稼働時間を延ばせないか』

『やってみます。まず、船内の状況確認が必要ですね』

『分かった、ノーマルスーツに着替えよう。第2ブリッジ、そっちも準備してくれ』

《分かりました、こちらはタイキ航海士に任せます》

『そうだ、減圧する前に……船内の皆さま、船長のルデルです。本船は現在トラブルが発生したため、クルーが対応中です。皆さまの安否確認のため、乗組員が向かいます。隔壁を叩く音が聞こえたら、応えてください』

 

クルーは減圧のリスクに備えてノーマルスーツを着用し、ジョン操舵手とタイキ航海士が船内の被害状況の確認へ向かいます。既に生存者がいないエリアがあれば、そこの生命維持を切って他に酸素を回せば稼働時間が延ばせるかもしれません。

 

『誰か、誰かいますか!残っている人はいませんか!』

 

タイキ航海士は、隔壁を叩きながら各気密エリアをまわっていきます。そこここに乗客や乗員が恐怖に震えながら孤立した気密エリアに閉じ込められていました。与圧を確認したエリアは隔壁を開放し、乗員は確認作業に参加させます。

 

「こうした作業はグリーンエリアチェックと呼ばれ、安全なエリアとそうでないエリアを判別していきます。熟練した乗組員は隔壁を叩く音でそのエリアが与圧されているかどうか判断できますから、安全なエリアどうしをつなげ、行動可能な範囲を広げることができます」

 

与圧が失われているか無人であることが確認できたエリアは、正副それぞれの生命維持システムを遮断し、余剰となった酸素をグリーンエリアにまわします。一連の確認作業によって、推定稼働時間を30分延ばすことに成功しました。また、第1ブリッジと第2ブリッジの間を安全に行き来する事ができるようになりました。

 

『船長、状況はやはり酷いです。気密エリアの70%以上を喪失、お客様は数百人生存していますが乗員の生き残りは我々含め12人です』

『そうか……ありがとう、よくやってくれた』

『軌道はどうです?』

『あの後3回天測をやってみたが、かなりギリギリになりそうだ。測定誤差によっては……』

『……祈るしかありませんね』

 

この時、フォン・ブラウンの軌道監視センターは蜂の巣をつついたような騒ぎになっていました。航行中であったマグノリア級のトランスポンダ信号が失われ、無数の光点に分解しているのです。恐ろしい事態が起こったのは明らかでした。

 

『月軌道の全宙域にデブリ警報を発令、推定軌道に救助艇を急行させろ!』

 

しかし、比較的大きな残骸が漂流している軌道は基準航路から外れるため船舶がほとんどおらず、近くの船を助けに向かわせることもできません。

 

『目標αは現在月面への落下軌道、推定墜落地点は蒸気の海』

『目標βは?』

『……軌道を変えています、加速スイングバイ軌道です!』

 

監視員のビリー・ランドルフは確信を持ちました。

 

『目標βは、まだ生きているぞ!』

 

「あの時は、レーダー上の光点に確かに人が残っていて、生き残るためにもがいているのだと衝撃を受けました。そして同時に、果てしない無力感に襲われました。彼らをただ見ていることしかできず、フォン・ブラウンからの救助艇でも間に合いそうになかったのです」

 

1時間後、ルナライン107便の船首は最も危険な最接近点へと近づきます。ブリッジのすぐ左を、月面の地表が流れていきます。高度はわずか2キロメートルでした。

 

『まもなく最接近点……!』

『見ろ、表面の石ころまでよく見えるぞ』

『こんなフライバイは初めてですよ、船長!』

 

月の重力の影響で、107便の速度は凄まじい速さに加速しています。さらに加速スイングバイにより、離脱時には月の公転速度まで加算されるのです。月の裏側へ抜け、はるかな大宇宙が広がっていきます。

 

《船長!前方に発光信号!》

『なに、どこだ!』

《11時の方向、ワレ貴船ヲ救助ス!》

 

はるか彼方に、小さくまたたく光が見えました。サイド3からグラナダへ向けて航行していた貨物船“ヨーツンヘイム”が、フォン・ブラウンからの救助要請を受けて月軌道を捜索にやってきたのです。107便が発し続けていた発光信号を見つけ、呼びかけてきていました。ブリッジで歓声と、安堵の声が上がります。

 

『よくやった、返送する!生存者アリ、残量135分。救助求厶』

 

前照灯を使い、モールス信号で応えます。貨物船が反転し、全力噴射をしているのが分かりました。

 

「前例の無い速度差からのランデブーです。そのうえ、一方はまともに軌道修正もできません」

 

ヨーツンヘイムは貨物室の荷を全て投棄し、さらに加速します。一度107便が追い越しましたが、少しずつ後ろから追いつきつつありました。ヨーツンヘイムの操舵手を務めていたドメニコ・マルケスは当時をこう語ります。

 

「艦長……いや船長は、一度こうすると言ったら聞かない人でした。何としても助ける、それが海の男だと、そういうんですよ。海に行ったことがあるのかどうかも知りませんがね……ともかく、とんでもない曲芸飛行をやらされましたよ」

 

『ランデブーまであと1分!』

『もっと急げ、向こうは救助を今かと待ってるんだ』

『こんなところでぶつけて仲良く外宇宙へサヨナラなんてゴメンですよ!』

 

猛烈な速度で月から離れながら、ヨーツンヘイムと107便は横並びになりました。慎重にRCSで調整しつつ、ドッキングを試みます。そして、3分後に与圧ブロックを接続することができました。ブリッジどうしの通信も、有線で繋がります。

 

《ドッキング成功、聞こえるか、107便の諸君!》

『やはりお前だったか、マルティン! ありがとう、よく来てくれた!』

《ルデル! ルデルじゃないか!》

 

偶然にも、2隻の船長は商船大学時代の友人でした。しかし、二人には再会を祝う時間がありません。ドッキング後すぐに、107便の乗客の避難が開始されます。

 

『押さないで! ゆっくり歩いてください、お荷物は座席に置いたままで!』

 

15分をかけて、312人の乗客がヨーツンヘイムの貨物室へ脱出しました。107便の酸素残量はあと97分でした。

 

《急いでくれルデル、まずいことになりそうだ》

『ああ、分かっている』

《このままではサイド3圏に突入する。コロニーに衝突するかもしれんぞ》

 

107便のブリッジにはルデル船長が残っています。アンナ副長が最後の客室乗務員の脱出を確認し、船長に呼びかけます。

 

『船長!脱出しましょう!』

『すまん。ナビゲーションログを取るから、先に向こうへ移っておいてくれ』

『急いでくださいよ!』

 

アンナ副長の脱出を見届けたルデル船長は、ハッチを閉鎖しドッキングを解除しました。

 

《おい、ルデル! なんのつもりだ!》

 



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