モブウマ娘ーずはスーパーカーをぶち抜きたい (唯のかえる)
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モブウマ娘ーずはスーパーカーをぶち抜きたい

 

 12月前半。

 吐息が白くなる頃。

 GⅠレース。

『朝日杯フューチュリティステークス』

 

 ジュニアのウマ娘達が挑む大舞台。

 フルゲート18人。

 そうだ、僕を含めて18人走っているんだ。

 

 それなのに、たった一人の名前を呼ぶ観客たち。

 

 僕ではない誰かの名前だけが呼ばれる。

 みんながその赤に熱狂していた。

 

 ちくしょう。こちとら転生者だぞ。

 この場では全く意味がない心の愚痴を溢す。歯を食いしばって、掛かりそうになる心境で足を回す。バ群の先頭を行く楽しげな少女を追って、ターフの上を必死の形相で駆けていく。

 

 それでも。

 それでも先頭を行く少女がどんどん遠くなっていく。

 

 勝ちたい。

 勝ちたい勝ちたい! なのに、距離が縮まらないのはどうしてだよ! 

 

 実力差、天性のものが違う。鍛練が足りない。

 ……それが分かっていても、たとえ実力が伴わなくても負けたくない。

 そうだ、僕は。

 ──勝ちたいんだ! 

 

 真っ赤なスーパーカーのテールランプが視界に焼けつく。そのまばゆい光が残像のように、彼女が楽しげにドライブした残光を僕に届ける。

 勝ちたい。届かない。

 うるさい、届け。届かせるんだ。

 心臓を死ぬ気で鳴らせ。

 足を死ぬ気で回せ! 

 

 でも、全然届かなくて……! 

 

 心臓がはち切れそうだ。懸命に足を回す。

 くそ、もうゴールが見える。

 実況が残り200mの絶望を告げる。

 観客はスーパーカーに釘付けだ。

 

 8バ身先へ、嘶きを吠える。

 まだ伸びる。また離される。

 9バ身。

 ──10バ身、大差。

 

 それでも。

 それでも僕は! 

 勝ちたい!! 

 君に勝ちたいんだ!!! 

 

「──マルゼンスキー!!!!」

『一着はマルゼンスキー! 後続を離して大差での勝利です!! ……二着は大きく遅れてハッピーセット!!』

 

 一人旅でゴール板を駆け抜けた少女が振り返る。

 全力を振り絞って余力の残らない足をガクガクと震わせながら、僕『ハッピーセット』はゴール板の向こうに悠然と佇む『マルゼンスキー』を睨み付ける。

 睨み付けられたはずなのに真っ赤な彼女は心底楽しそうに、期待に瞳を揺らして口元を緩めるのだった。

 

 

 ◇

 

 

 行きつけのバーガーショップ。

 トレセン学園の生徒があんまり居ないエリアにあるここは、我らモブウマ娘ーずの憩いの場であった。

 その窓際の席に僕たちは二人で座っている。

 

「どこもマルゼンスキーさんで一色だねぇー」

「そだねー」

 

 僕の横でペラリと雑誌を開く少女がいる。雑誌はみんな大好き『週刊トゥインクル』だ。見出しは一人旅の文字とスーパーカー。

 雑誌を読んでいる彼女の名前はヴァッサゴ。

 同じ舞台を走り、マルゼンスキーにぶち抜かれた負けウマ娘仲間。ついでに僕のルームメイトでもある。特徴は赤毛でツインテの可愛い子。腕は伸びないし、チェストブレイクもしない至って普通の女の子だ。

 

 ヴァッサゴちゃんの横で山積みのハンバーガーをむしゃむしゃする僕の名前はハッピーセット。ハンバーガーが好きな一般TS転生者だ。

 僕って転生者だし良いとこまでいけるんじゃね? とか最近まで調子に乗っていた愚か者でもある。

『領域』なるすーぱーぱぅわーに目覚める様子はない。

 なんだよ、ターフが急に首都高に見える集団幻覚って。よくわかんねーよ、お前写輪眼持ちかよ。しかも実際に加速していくし、固有時制御・二重加速かよ。マジカル八極拳使うぞちくしょう。

 

 ……そして、先ほどから名前が出てるマルゼンスキーというのは、この間僕に10バ身という絶望的な実力差を見せつけた今最高にマブイチャンネーである。なお、僕はそいつと同期デビューである。絶望かな? 

 前世でリアル競馬は知らなかった。それでもアプリのウマ娘はやっていたから強いんだろうとは思っていた。

 だが、所詮ジュニアよ。フハハ、転生者の僕にはかなうまい! とか思ってたんだよぉ……。

 でもさぁ、サクラチヨノオー√ばりの他と一線を画した『怪物』で登場するとは思わないじゃん? 

 レッドリボン軍と戦って調子に乗ってたら、ラディッツ降ってきたんですけどぉぉ!? フリーザ編始まっちゃったんですけどぉおお!! って感じだ。

 

「私らの事なんて端っこにちょこんとだけ。おかしい、私たちも同じGⅠレースに出たはずなんだけどなぁ……」

「そだねー」

「……ねぇハッピーセットちゃん、私の話聞いてる?」

「そだねー」

「……はぁ」

 

 ずぞぞぞぞ、と行儀悪くストローを鳴らしてコーラを呑む。考え事をしていたらペースを考えずに空にしてしまったようだ。ハンバーガーまだ残ってるのになぁ……。

 頬を膨らませたヴァッサゴちゃんへとおざなりな返事をしながら、考えることは一つ。

 

「マルゼンスキーに勝ちたいなぁ」

「……あの大差つけられてその台詞が出るのは流石はハッピーセットちゃんだね」

「誰が頭ハッピーセットじゃ!?」

「言ってないよ!? あーっ! 私のポテト取らないでよー!」

 

 ヴァッサゴちゃんに言いがかりをつけて、僕は彼女のポテトをむしゃむしゃしてやった。

 その後涙目のヴァッサゴちゃんを放置して、頬杖をついて空を見上げながら意味もなくストローだけを咥えてぷかぷかとふるって遊ぶ。

 

「僕、G1勝利ポーズのためにチャクラ宙返りも練習したんだけどな」

「また良く分からないこと言ってる……。勝てなかったから意味なかったね!」

「うるしゃい。チャクラローキックぶつけんぞ」

「……私以外の競技ウマ娘に言っちゃだめよそれ。選手生命に関わるから大事になるよ」

「……世知辛い世の中だ」

 

 うわぁあああ! 世知辛いのじゃー! と腕を振り回して暴れる。バーガーショップの店長の目が厳しくなるけどいっぱい頼むから許してくれ。てかここまじで立地悪くて僕らモブウマ娘ーずくらいしか見かけんのだ。今も僕らしかいないし。……経営大丈夫かな。

 一通りわちゃわちゃして、ぐったりと机に伏す。

 

 それだけふざけていても。

 脳裏からずっと離れない思考がある。

 

 どうすればマルゼンスキーに勝てるか。

 

「勝ちたい……」

「あんなのに勝てるのかな。私、全力だったよ。でも……どんどん遠くなった」

 

 ヴァッサゴちゃんが僕の不安な気持ちを代弁して、席が静まり返る。

 ひえっひえの空気になった。

 暗い表情。ヴァッサゴちゃんは折れかけているのか。

 僕は横に首を振ってから、残りのハンバーガーをむしゃむしゃする。

 

「でもさ、もぐ。勝ちたいじゃん」

「でも、全然格が違うよ」

「違う。勝てる勝てないじゃなくて、んぐ」

 

 あるだろ。ウマ娘に生まれたんだから。

 こう、胸の中のウマソウルが囁くだろ。

 

「僕ぁ勝ちたいのだよ、ヴァッサゴ君。ぐまぐま、んぐ。ご馳走様」

「あっ! ……痛っ!?」

 

 自分のハンバーガーの包み紙をくしゃくしゃにして、ヴァッサゴちゃんの残っていたポテトを全部食べる。お手拭きで手を拭いたら席を立ち上がる。そしてヴァッサゴちゃんの背中を強めに叩いた。

 涙目のヴァッサゴちゃんに親指で外を指して、ニヤリと笑う。

 

「いくよヴァッサゴちゃん、友情トレーニングタイムだ!」

「…………ハッピーセットちゃんって意外と暑苦しいよね」

「うるしゃい! 勝てない強敵が登場した後は修行編なの!」

「はいはい、付き合うよ」

「うむ、良きにはからえ! ジャーマンケーキちゃんとムシャムシャちゃんも誘うぞー、おー!」

「おー!」

 

 今名前をあげた二人も前回のレースの犠牲者。

 いうまでもなく、僕の友達。いわゆるモブウマ娘たちだ。

 僕たちは折れずに駆け出した。

 脳内BGMはベートーベンをぶっ飛ばせ改め、マルゼンスキーをぶっ飛ばせでセッション開始である。

 

 三冠路線の僕たちは12月から3月前半まで修行を敢行することにした。マルゼンスキーに勝ちたい、その僕の熱はみんなに伝播してものすごい熱量になった。

 担当トレーナーさんたちも目に炎を宿していた。

 

 修行内容はこんな感じ。

 

 まず峠を攻めるスピードトレーニングを行った。

 マルゼンスキーの土俵(?)で一度走り込むことでヒントを得るためだ。ユーロビートを爆音で流すラジオを背負いながら死ぬ気で走った。騒音で警察に厳重注意されてからは粛々と走った。途中で謎の豆腐屋ウマ娘が『領域』を見せながら参戦してきて僕たちは新たなスキルのヒントを得た。

 だからなんだよその『領域』ってのはよぉ!

 ぶっ飛ばすぞ、ぶっ飛ばされたけど、ちくしょう!! 

 後、ムシャムシャちゃんが豆腐屋のリピーターになっていた。

 

 冬の海で寒中水泳を敢行してスタミナトレーニング。

 冬の海は寒い。ただそれだけを僕たちは脳裏に刻んだ。

 遠泳中に足が攣りかけたジャーマンケーキちゃんがしばらく海は見たくないと遠い目をしていた。途中で鯛にこだわる謎の芦毛ウマ娘に襲われたりもしたが、僕たちは元気だった。

 

 KARATE道場に突撃して押忍ぴょいの瓦割りパワートレーニング。

 急に現れた謎の暗黒門下生と僕たちは看板を巡って死闘を繰り広げたり、ムシャムシャちゃんが闇堕ちしてムシャクシャしたりして本当に大変だった。プリファイなる謎のウマ娘が謎の暗黒流派を壊滅させなかったら、僕たちは無事に帰ってこれなかっただろう。彼女には王子様と幸せに暮らしてほしいものだ。

 

 山奥の曰く付きの神社に向かって『領域』くれー! と駆け込む根性トレーニング。

 ヴァッサゴちゃんが存在しないはずの弟の声を聴いたり探し始めたりして大変だった。その時たまたま通りかかった寺生まれのウマ娘さんが破ァ! と喝を入れてくれてなんとか元に戻ってくれた。

 やっぱり寺生まれってすごい、僕たちはそう思った。

 

 最後はレース展開を考えるための賢さトレーニング。

 市営の体育館を貸し切って、広々とした空間のど真ん中で眼鏡をかけて将棋をした。やっぱ『歩』が成った後の『と金』パイセンはすげーんだわ、僕たちもこうなりたいものだなと皆で語り合った。『と金』を取られないといけない展開になった時、僕たちモブウマ娘ーずは悲しくて涙した。

 

 そして。

 僕たちはトレセン学園に帰ってきた。

 

 修行編の終わりということで、横一列で学園の門を通る。

 担当トレーナーたちも後方師匠面で腕組して壁にもたれている。

 修行を終えた僕たちを見た一般トレセン学園生徒たちからどよめきが上がった。

 

 ──全員の作画が劇画風に変わっていたのだ。

 

『領域』を誰も覚えられなかったが、修行は成功したと言ってもいいだろう。うん、だからヴァッサゴちゃんそんな目で僕を見ないで欲しいんだ。

 ごめんて、ファン商売なのにこんな感じにしちゃって。

 実際強くなったから良いじゃん! 

 ごめんって!!

 

 結局僕たちは元の作画に戻るまで一週間ほどそのまま過ごすのだった。

 

 

 そして僕たちはマルゼンスキーが出走すると公表されていたGⅡレース『スプリングステークス』へと乗り込むのだった。

 

 

 ◇

 

 

『スプリングステークス』当日。

 僕たちは唖然としていた。

 なぜなら、マルゼンスキーと僕たち修行組モブウマ娘ーずの合わせて5人しかレースに出走しないからだ。

 

 これ重賞レースっすよね? 僕は首を傾げる。

 トレーナーに聞いたところ、マルゼンスキーの圧倒的な実力に大多数が彼女の出場するレースを避けた結果だという。

 ??? 僕はさらに首を傾げた。もう90度くらい傾いている。

 勢い余って180度回ってしまいそうだ。

 このレースに参加しない子たちはマルゼンスキーがGⅠレースを走らないとでも思っているのだろうか? 負けたくないから戦わない。別にそれでも良いけど、彼女がダービーとかに出場表明した時も彼女たちは逃げるのだろうか? 一生に一度しか走れないレースだ。その冠が欲しい子、夢だった子もこの世代にいるはずなのに。

 

「よし、決めた。僕が勝ったら逃げるなって挑発してやる。……こういうこと、マルゼンスキーはやらなさそうだし」

 

 今日の僕はただのハッピーセットじゃない。

 今日は前回の雪辱を晴らしマルゼンスキーに勝利して、全国に向けて言いたいこと全部言ってやる。

 つまりスーパーハッピーセットってことさ。

 

 いまだに作画が戻らない僕の担当トレーナーにそれ伝えると、メラリと瞳の中の闘魂を燃やした。

 どうなってるのそれ。

 

 そして僕たちは割り当てられた各待機室へと移動した。

 

 流石にレースになると馴れ合いは無しだ。

 全員でブロックすりゃ確かにマルゼンスキーは潰せるかもしれない。

 でもそれは、僕たちの思い描く勝利ではないのだ。

 

 マルゼンスキーはいつも通り逃げだろう。

 ジャーマンケーキちゃんは差し。

 ムシャムシャちゃんは先行。

 ヴァッサゴちゃんも先行。

 

 僕は、追込だ。

 あの真っ赤な背中を最後方からぶち抜いてやるのだ。

 作戦を決めて、僕はトレーナーに行ってくると告げ、外に出る。

 

 パドックに向かう途中の地下バ道。

 

 どことなく煤けたマルゼンスキーを見かけた。

 隠しているが、調子は最悪そうだ。

 あまり関わりのない僕でも気がつけるくらい、普段の明るさがない。

 

「マルゼンスキー」

「……あら? ハッピーセットちゃん」

「誰が頭ハッピーセットじゃ!」

「言ってないわよ!?」

 

 声をかけるつもりはなかった。

 なかったのだが……。

 なんか気に食わないので声をかけてしまった。

 このウマ娘は楽しんで走れればいいとかその類のキャラだったからな。

 僕のように溢れんばかりの勝ちたい欲、それが少ない子なのだ。いや、その有り余る力をぶつける相手がいなかったからその欲まで行きついていないというべきか。

 

 だから宣戦布告する。

 こなかった奴らに気を取られてる場合かと。

 僕自身、このよくわからない感情をマルゼンスキーにぶつける。

 

 ふんす! とドヤ顔をして腰に手を当ててふんぞりかえって大きく声を出す。

 

「聞いて驚け! 僕は二位以下のウイニングライブの練習をほとんどしてこなかった!」

「ええっ!?」

 

 急に何を言い出すのこの子は!? とマルゼンスキーが心底驚く様子を見せる。

 ふふふ、怖いか! 調子に乗った僕は啖呵を切っちゃうんだぜ! 

 

「だから勝つ。このレースは勝つ! 次のレースも勝つ!! よそ見してる場合じゃないぜ!」

 

 僕のセリフに、マルゼンスキーはまぶたをパチパチと瞬く。

 今の僕は不退転のアルティメットハッピーセット。

 勝てんぜお前は。とドヤ顔を決める。

 

 そんな僕にマルゼンスキーは先ほどまでの煤けた様子を吹き飛ばして、ひどく楽しそうに笑顔を浮かべた。

 その笑みは。うん。

 猛獣とかその辺の獰猛さを感じさせて、ちょっとヒュンとしてしまったのは内緒だ。

 

 ちょっとカチカチになりながら僕はマルゼンスキーに言い捨てて逃げるようにパドックに向かう。

 その僕の背中にマルゼンスキーが声をかけてきた。

 

「……ハッピーセットのお陰で調子はバッチグーよ。レースの後に一位のあたしが二位以下の振り付けを教えてあげるわ!」 

「う、うるしゃい! 僕が勝つからそんなことは起きないもん!!」

 

 僕は逃げ出した。

 なんでだろう、やべー導火線に火をつけた気がする。

 嬉しそうな笑い声が背中に届くのを感じるが、僕は振り返ることはしなかった。

 

 パドック。

 観客たちはマルゼンスキーの名を呼び続ける。

 かっ飛ばすスーパーカーを見せてくれー! 等の後続をいくら突き放せるかの声ばかり。

 観客の中じゃ、もうマルゼンスキーが勝ったも同然らしい。

 

 僕らはアウェイ感を感じながらも、絶好調っぷりをアピールすることは欠かさない。

 ヴァッサゴちゃんたちが少し萎縮しているので背中を叩いてやる。

 ニヤリと笑えば、修行のことを思い出したのかどことなく劇画風な表情になる。

 

 客席の観客が沸いていない静かなところになんとなく視線を向けると僕は驚いた。

 修行の時に出会った豆腐屋ウマ娘ちゃんと寺生まれのウマ娘ちゃんがいたのだ。

 そして行きつけのバーガーショップの店長の姿も見えた。

 シュノーケルを装備した謎の芦毛ウマ娘とプリファイちゃんと謎の暗黒門下生たちも集っている。

 あそこだけキャラ濃すぎだろ、ぶっ飛んでるぜ。

 周囲の観客もちょっと離れてるじゃん……。

 

 でも、ちゃんと応援してくれてる人が見つかった。

 僕らはそれに気がついたから、心内からさらに力が湧き上がってくるのを感じた。

 

 人気投票はダントツでマルゼンスキーが一位。

 申し訳程度に残り物票が入って、我らモブウマ娘ーずの人気順位が決まる。

 僕は二位だ。この評価は少し不満な顔をしておく。

 実況解説のメインは当然マルゼンスキーについて。

 僕たちのことも同じG1を走っていたことを把握しているのか、雪辱なるかと会場を盛り上げてくれている。

 

 軽くストレッチをしてからゲートに入る。

 狭い自分だけの空間で、僕は自分の中のウマソウルを強く意識する。

 勝ちたい。

 ウマソウルはその思いだけを伝えてくる。

 そうだ、僕は。

 

 ──勝ちたいんだ! 

 

 レースがついに始まる。

 観客たちはスタートの邪魔にならないように黙り込む。

 会場の音がなくなる瞬間。

 

 息を整えて、構える。

 

 ガコンッ! 

 ゲートの開く音。

 踏み出す。風を切る。

 視線の先に、挑発的な笑みで一度僕を見たマルゼンスキー。

 ニヤリと笑って返してやる。

 

 レース前半。

 最後方で脚をためる。

 気が荒くなる。

 ウマソウルが活発化していく。

 勝ちたい、勝ちたい、勝ちたい! 

 まだだ、掛かるな。まだだ。

 

 レース中盤。

 最前方で気持ちよく逃げるマルゼンスキーを、僕たちモブウマ娘ーずたちが速度を上げて狙う。

 早いレース展開かもしれない。

 だけど、そうでもしなきゃあの赤いスーパーカーには追いつけない! 

 今だ! 

 僕は荒ぶるウマソウルに身を任せ、徐々に進出を開始する。

 ジャーマンケーキちゃんも差し切るために僕の目の前で速度を上げた。先行策のヴァッサゴちゃんとムシャムシャちゃんが必死にマルゼンスキーからハナを奪うために速度を上げているのが見えた。

 僕たちとマルゼンスキーのバ身が狭まる。

 実況が盛り上がっているのを感じるが、内容まで頭に入ってこない。

 

 だが、中盤が終わり最終コーナー付近でアレが起こる。

 

 

「エンジンの違い、見せてあげるわっ!」

 

 

 マルゼンスキーが一段と強い踏み込みを見せた瞬間。

 僕たちは再び目撃する。

 凄まじい勢いで速度を上げる、赤いスーパーカーの幻影を。

 

 その時、一瞬だけ。

 一瞬だけだ。

 

 マルゼンスキーが僕を見た。

 遠くて聞こえないはずなのに、僕の耳に彼女の言葉が届く。

 

 

「これがあたしの、フルスロットルよっ!」

 

 

 追いついてみなさい、と僕にはそれが挑発に聞こえて、額に青筋がビキリと浮き上がる。

 吠える。

 

「誰が!」

 

 初めにムシャムシャちゃんが脱落した。

 レースの展開速度に追いつけずに、下がっていってしまう。

 僕は彼女を追い抜いた。

 

「誰の頭が!!」

 

 次に早めにスパートをかけたはずなのに、マルゼンスキーのいる先頭に届かないジャーマンケーキちゃんが沈んでいく。

 苦しそうに、でも諦めていない表情で足を動かしている。

 僕は彼女を追い抜いた。

 

 

「──誰の頭が、愉快ウルトラハッピーセットじゃァッ!!!」

 

 

 フシュウ! と鼻息を噴き出してペースを全開にマルゼンスキーを追う! ヴァッサゴちゃんと並んで互いに、マルゼンスキーの前を狙った!!

 

 僕もヴァッサゴちゃんも、お互いのことをいっさい意識せずに、マルゼンスキーだけを付け狙う。

 

 マルゼンスキーをぶっ飛ばす! 

 その思いで死ぬ気で足を回す。

 

 残り400。

 

 マルゼンスキーにどんどん追いついていく。

 その途中、ヴァッサゴちゃんが沈んだ。

 お願い、と聞こえた気がした。

 僕は彼女を追い抜いた。

 

 残り200。

 

 会場が、観客たちのどよめきで沸いている。

 スーパーカーのテールランプに死ぬ気で突っ込む。

 これが、今が僕の現状の最高速度。

 目ん玉カッぴらいて、歯を食いしばって死ぬ気で踏み込む。

 

 残り50。

 

 マルゼンスキーと並んだ! 

 いつかと違って視界に入ったマルゼンスキーの横顔は、僕と同じくらい死ぬ気で踏み込む必死の形相だった。

 

 残り10。

 

 並んだまま、お互いに決して譲らない!! 

 勝ちたい、勝ちたい勝ちたい! 

 僕が、僕が僕が僕が!! 

 

「あたしが!」

「僕が!」

 

 残り0。

 

「「勝つッ!!!」」

 

 ゴール板をほぼ同時に駆け抜けた。

 僕は、ゼヒューゼヒューと呼吸を繰り返しながらターフにぶっ倒れる。

 そして、掲示板の表記を待つ。

 

 映った。

 書いてある文字は、──ハナ。

 一着と二着を明確に分ける言葉。

 

 僕は涙が溢れた。

 

 会場が、歓声に沸いた。

 

『凄まじい接戦を制したのは、一着マルゼンスキー! わずかハナ差で敗れたのは、二着ハッピーセット!!』

 

 ちくしょう。

 また勝てなかった。

 嗚咽が漏れる。

 

 倒れたまま涙をこぼす僕に、影が落ちる。

 こちらに手を差し伸べて、頬を上気させた少女の姿。

 

「あのね、本当に楽しくて。こんなレース初めてで」

「うるしゃい」

「あっ……、そのごめんなさい」

 

 僕は涙を腕で拭いながら、マルゼンスキーの言葉を拒んだ。

 そして、宣言した。

 

「次は、僕が勝つ……!」

「! いいえ、次もあたしが勝つわ!」

 

 マルゼンスキーの差し出された手を握って、僕は立ち上がった。

 心底嬉しそうにマルゼンスキーは、僕と同じように瞳を潤ませて強く頷いてみせた。

 

 観客が僕たちの様子を見て、次のレースが今から楽しみだと騒いでいた。

 

 僕は勝利者がいるべき場所にマルゼンスキーを送り出し、一人寂しく地下バ道へと歩いていく。

 そんな僕の背中に3人の手が乗せられた。

 

 振り返る。

 モブウマ娘ーずのみんなが優しい笑顔で僕を見守っていた。

 代表して、ヴァッサゴちゃんが口を開いた。

 

「いいレースだったね」

「でも、僕負けちゃったよ」

 

 止まったはずの涙がまた溢れそうになる。

 そんな僕の頭をガシリとヴァッサゴちゃんは掴んだ。

 ……ガシリ? 

 

「うん、負けたもんね。死ぬ気で振り付け覚えなさい。じゃないと一生頭ハッピーセットって呼ぶからね」

「ひえっ」

 

 僕は白目を剥いた。

 

 ヤベェ、忘れてた。

 どうしようMake debut! の二位の振り付け中途半端にしか覚えてない。

 マジで知らんもんげ……。

 やばいよぉ、どうしよぉ……。

 

 そして僕はヴァッサゴちゃんに頭をつかまれたまま、ずるずると連れ攫われて行ってしまうのだった。

 

 

 この後のことはあまり思い出したくない。

 そこから、とにかく僕は死ぬ気で振り付けを覚えて、途中で勝利会見を長引かせてくれたマルゼンスキーも参加してくれて、約束通り踊りを教えてくれた、ちくしょう。

 最後にギリギリの時間でなんとか合わせをして、本当にギリギリでなんとかなった。

 

 だがしかし、観客も目が肥えていたようで。

 僕の踊りはどこかカクカクしていたと噂されたそうな。

 

 ウイニングライブ後、次からは絶対にこんなことがないようにとみんなに正座を強要されて、釘を刺された僕と担当トレーナーなのであった。

 




ハッピーセット情報
身長141のつり目っぽいアホ毛生えたハッピーミークみたいな奴。
基本どや顔してるか、アホ面さらしてるかの二択。
だいぶウマソウルに毒されているので、前世分が若干薄いウマ娘転生者。
ハンバーガーみたいな靴を履いてる。
推しはトーセンジョーダンだった。

ヴァッサゴ情報
モブウマ娘ーずの一人。かわいくて好き。
寺生まれのウマ娘に破ァ!されていなかったら、私は愛バで狂暴ですとか口走るようになっていた。

ジャーマンケーキ情報
モブウマ娘ーずの一人。可愛いしアプリでも地味に強い。
本当に地味に強い。

ムシャムシャ情報。
モブウマ娘ーずの一人。褐色可愛い。
ドカドカにするか迷ったけど、ムシャムシャしてこっちになった。



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マルゼンスキー視点

 

 ハッピーセットは知らない。

 マルゼンスキーという少女が、ハッピーセットというウマ娘を知ったのは実を言うとデビュー前の感謝祭だった。

 

 真っ白いちびっ子が白目を剥きながら、駿川たづなに追いかけられていたのだ。

 

 肩に身長の半分以上はあるエレキギターを担いで、ハッピーセットは校舎内を爆走である。一緒に青ざめた涙目で、ヴァッサゴという赤毛ツインテのウマ娘がベースギターを抱きしめながら逃げている。彼女たちを追いかける駿川たづなは両腕にプラーンとしたジャーマンケーキとムシャムシャを捕獲していた。それはもうこれでもかというほど目立った。

 これにはマルゼンスキーも二度見せざるえなかった。

 

 結局何だったんだ、と後でマルゼンスキーが仲が良い駿川たづなに話題に出すと呆れた顔で教えてくれた。

 ハッピーセットが主導として、突発的に感謝祭のステージをジャックしてロックンロールライブを始めたそうだ。

 

 うーん、これはロック! ええやん、許したろ! 

 そう言って観客たちは一度許した。

 

 だが、彼女たち。

 バンド名『モブウマ娘ーず』が歌い出したものが問題だった。

 

 彼女たちが歌い出したのは海外の超有名なアーティストが作った曲──。

 ──の改変だった。

 

『ロールオーバーベートーベン』

 彼女たちは歌い始めた。

『ベートーベン』を当時レースを賑わせていたレジェンドウマ娘『シンザン』に変えて。

 要は『シンザンをぶっとばせ!』という意味にして歌を歌い出したのである。

 

 なお感謝祭に来ているのだ、観客のほとんどがシンザンのファンである。

 無駄にうまい歌唱力で、会場を沸かせ、会場を真っ二つにした。

 この出来事は、当時のファンたちから頭ハッピーセット事件と呼ばれた。

 

 新たな新星を待つファンたちと、シンザンを神聖視するファン。

 まるでそれはロックンロールファンとクラシックファンを直接ぶつけ合わせるほどの戦争の火種であった。

 

 現場はシンザン派に推しウマ娘を推し始める謎のレスバトル会場となった。

 シンザン派も負けてない。

 じゃあ超えてみろやァ!! と大声でシンザン推しのみんなが叫んだ。

 

 この世界で『シンザンを越えろ』というスローガンが生まれた世紀的瞬間である。 

 

 そうして、会場の有様にブチギレた駿川たづなが事態の収拾を図るために主犯の『モブウマ娘ーず』を確保しに走ったというのが事の経緯である。

 ちなみに余談だが、このライブのおかげでGⅠに出れるくらいの人気と認知度を得た『モブウマ娘ーず』なのであった。会場で撮られたライブ映像は謎に価値が高騰し、ある意味伝説となっている。

 

 マルゼンスキーはその話を聞いてお腹を抱えて笑った。

 ひとしきり笑って、涙を拭き終わって。

 

 そして、少し考えた。

 

 マルゼンスキー自身にとって走るということは、ただ単純に気持ちの良いことだった。

 風を切ることが気持ち良い、自分はどこまで行けるのだろう。

 ただそれだけだった。

 他人の入る余地のない、素敵な競技。

 それがマルゼンスキーにとってのレース。

 

 誰かに勝利したいという、凄まじい熱意を持ったウマ娘たちがいることを、そこで認識した。

 そして、願わくば自身にもそんな熱意が湧いたらいいな、という思いが生まれて初めて芽生えたのだった。

 

 自分が本格化を迎え、デビューをした時。

 同時期に『モブウマ娘ーず』のメンバーがデビューしたと聞いて、楽しげに微笑んだ。

 

 

 ◇

 

 

 ハッピーセットは知らない。

 マルゼンスキーという少女が、ハッピーセットというウマ娘のレースを意識したのはハッピーセットのメイクデビュー戦だった事を。

 

 マルゼンスキーは自分が走るのも好きだったが、他人が走る姿を見るのも好きだった。

 その時、本当にたまたま今日はレースを見に行きたい気分だなと思ってレース場へ向かったのだった。

 今日はどんなレースかしら、どんな素敵なことが起こるかしら。

 そう思って覗いたレースにそいつはいた。

 

 あろうことか、パドックから真っ白いちびっ子が実況解説に噛みついていたのだ。

 その子の名前は、頭ハッピーセットである。

 

『3番ハッピーセット。まずまずな仕上がりですね』

「誰の頭がハッピーセットじゃ!?」

『言ってませんよ!?』

「うるしゃい! 今日は僕が勝つからな、ちくしょう!!」

『な、なかなかの気性難なウマ娘ですね……』

 

 パドックは自分の調子を観客に伝える場なので、当時の本人はちびっ子なりに精一杯自分が絶好調だぞ! と必死に伝えているつもりなのである。

 ちなみに後でトレーナーとヴァッサゴに叱られてからはやらなくなった。一部ファンは悲しんだ。ちなみにマルゼンスキーも結構好きなパフォーマンスだったので続けて欲しいと思っていた一人である。

 

 レースが始まる。

 ゲートが開き、レース前半。

 

『おっと最後方にいた3番ハッピーセット、落ち着かない様子! 掛かってしまったか!?』

 

 スタートこそ良かったものの、ハッピーセットはものの見事に掛かっていた。目を強くパチパチと瞬きながら落ち着かない様子で足をすすめている。

 

 マルゼンスキーは息を呑んで、ハッピーセットの一挙手一投足から目が離せなくなった。

 はっきり言って拙い走りだ。まさにジュニアのウマ娘と言った感じ。

 到底、学ぶものを見出すのも難しいレベル。ジュニアにしては少し他の子より身体能力が高いくらい。

 マルゼンスキーは本格化を迎える前からクラシック、シニアなどのウマ娘と併走することも多かったから、その手の技術の有無の審美眼は磨かれていた。

 

 だけど。

 見ているだけで感じたのだ。

 凄まじい熱意を。

 このレースで走る誰よりも、何よりも勝ちたいという小さい体からは考えられないほどの熱量が伝わってきたのだ。

 

 ──勝ちたい! 

 

 一歩ハッピーセットが足を踏み出すたびに、その思いがマルゼンスキーの胸の内に響いた。

 目の前のターフからビリビリと、波動のように気持ちが伝わってくる。

 それはマルゼンスキーがウマ娘の本能として最も知らない感情だったから、なおさら自分の中に目覚めたざわつきに戸惑った。

 他のウマ娘にだって勝ちたい渇望を強く持った子だってたくさんいるはずだ。

 なんで彼女のレースを見たこの時だけこんなに胸が騒ぐのだろうか? 

 

 自問自答する。わからない。

 

 レースも後半に差し掛かる。前半に掛かったせいでスタミナが無くなりかけているのか、ハッピーセットは苦しそうな表情だ。

 それでも速度は落ちない。

 マルゼンスキーにはハッピーセットが足を踏み出すごとに、ターフが震えるように揺れて見えた。

 勝ちたい勝ちたい、勝ちたい! その感情がターフを揺さぶっているように見えた。

 

 決着がつく。

 

 ハッピーセットが他のウマ娘を全て追い抜いて、ゴール板を抜けたのだ。

 いつの間にか息を止めていたマルゼンスキーは、ほっと息をついた。

 

「僕の、勝ちだ! デビューはもらったぞ、おー!」

「……ああ、そうね。あの子は、私の同期だものね」

 

 ストン、と納得のいく理由が見つかった。

 他のウマ娘との違い。

 同じ時代、同じ世代を共に走る者。

 トレンディドラマのような、運命的な出会いを期待している。 

 

 ターフで全身を使って、嬉しそうに騒ぐ白いちびっ子を見てマルゼンスキーは自分の胸を押さえた。

 あの子に追いかけられたら、私もレースの中で新しい楽しみを見出せるかもしれない。

 

 ターフからくる新緑の風を感じて、一度感じた胸の高鳴りは強くなるのだった。

 

 

 ◇

 

 

 ハッピーセットは知らない。

 マルゼンスキーという少女が、どれだけハッピーセット達と同じレースを走るのを楽しみにしていたのかを。

 

 日常で『モブウマ娘ーず』に声をかけようと思っても、トレセン学園のどこで練習しているのかと思うほどすれ違わない。マルゼンスキーは同じレースを走る相手でも、物おじせずに普段通り話しかけられるタイプのウマ娘だ。

 親しくなりたいという気持ちが大きくなる。

 普段と少し違う気持ちにドキドキする。

 どうしようかしら。そう思って一度担当のトレーナーに相談をした。

 

 マルゼンスキーの担当トレーナーは言った。

 であればとびっきりの出会いが演出できるな、と。

 マルゼンスキーは思い出した。

 自分の大好きなトレンディドラマを。

 最初にとびきり衝撃的な事件で出会い、どんどん主人公の女の子が相手を意識して惹かれていく展開。

 

 とびっきりの印象を植え付けてあげなきゃね。

 

 そう思って、今まで以上に充実したトレーニングに励む日々だった。

 楽しくいつも通り走ることと、後ろを突き放す走りのスキルを学んでいく。

 

 ……そのマルゼンスキーのあまりにも強すぎる能力に、周囲のウマ娘の中で敬遠されていることをヒシヒシと何処かに感じながら。本当に一緒のレースを走っても大丈夫だろうかと一抹の不安を胸に隠しながら。

 

 ──運命の日が来る。

 

 12月前半。

 吐息が白くなる頃。

 胸の不安とワクワクが入り混じった時。

 GⅠレース『朝日杯フューチュリティステークス』が始まる。

 

 マルゼンスキーとハッピーセット達『モブウマ娘ーず』とパドックで初めて直接顔を合わせた。

 

 今回のレースも余裕余裕! と謎の余裕を見せるハッピーセットに出会う。ハッピーセットはジュニア級の中では確かに精鋭と言えるくらい仕上がっていた。そのハッピーセットを諌める他の子達もいい感じの仕上がっている。

 

 だがそれでも、マルゼンスキーには届かない。

 

 なぜなら、マルゼンスキーは本格化が始まったばかりのこの時期に、すでにシニアのウマ娘に勝利できるほどに研ぎ澄まされていたのだ。

 まさに『怪物』だった。

 成長の余地をまだまだ残した『怪物』そのものだった。

 

 レースに参加したウマ娘達は分かってしまった。

 会場にいた観客全員も分かってしまった。

 

 ──格が違う。

 

 ぽきりぽきり、あっけなく心が折れる音がレース前にその辺で叩き売り状態である。

 それがわかっていないのは頭ハッピーセットだけであった。

 

 レースが始まる。

 開始直後、マルゼンスキーを潰すために、心が折れたウマ娘たちがせめて道を塞ごうと努力した。

 

 ──捻じ伏せる。

 

 作戦を逃げにしていたウマ娘たちが、先行策に見えるほどの大逃げの展開になる。必死に追い縋ろうと、死に物狂いで足を回す。だが、追い比べ状態にすらならない。

 

 ──捻じ伏せる。

 

 観客がマルゼンスキーの名だけを呼ぶ。

 そんな圧倒的なレース展開でも、マルゼンスキーは背中からビリビリと波動を感じた。

 声が聞こえた。嘶きが聞こえた。

『勝ちたい』

 諦めていないウマ娘がいるのか? 

 ちらりと、後ろを見る。

 

 ああ、よかった。

 

 先頭を行く自分を睨みつけるように、最後方から真っ白なウマ娘が飛び出してきた。

 心が軽くなった。

 

 ──だからだろうか? 

 

 その日、マルゼンスキーは今まで使ったことのなかった『領域』に踏み込みんだ。

 自分でも何が起こったのかわからないくらい、体が自由に動いた。

 今まで使っていなかったギアが、一段階上がるのを感じた。

 体の中で紅蓮の焔が湧き上がり、レースの中で劇的に成長をする。

 

『スーパーカー』が目覚める。

 

 そして、ゴール板を駆け抜けた。

 後続とは10バ身以上の圧倒的な大差勝利。

 

 LAPタイムは当時の日本レコードタイム1.21.1。

 それでいて余裕を感じさせるミドルペース。

 後に『紅焔ギア/LP1211-M』と『領域』は名付けられた。

 

「マルゼンスキー!!!!」

 

 自分の中の新たなステージに驚いていたら、後ろから名前を叫ばれる。

 恐る恐るマルゼンスキーは振り返った。

 

 そこには。

 ギラリとした視線、勝利への飽くなき渇望。

 

 走り終えた後のマルゼンスキーの不安を全てどこかに飛ばしていく幸せの詰め合わせ(ハッピーセット)がそこに立っていた。

 

 こうしてマルゼンスキーは転生者の伸びていた鼻っ面をたたき折る。

 そして同世代問わずウマ娘たちの心を、意図せずに叩き潰したのだった。

 

 

 ◇

 

 

 ハッピーセットは知らない。

 マルゼンスキーという少女が、GⅠ後にどれだけ不安に思ってトレセン学園の日々を過ごしていたかを。

 

 ──『モブウマ娘ーず』にどれだけ救われたのかを。

 

 今まで併走を頼んでいたウマ娘たちが、露骨にマルゼンスキーを避けるようになった。

 マルゼンスキーは自身のトレーナーに相談して、なんとか相手を用意してもらうことにした。

 それでも、マルゼンスキーと併走したいウマ娘がとたんにいなくなってしまう。

 

 クラシックとシニアのウマ娘ですら、つぶれてしまうからと断る有様。

 面と向かって同世代じゃなくて本当に良かったと言われたこともある。

 同世代にただ楽しんで走るだけならレースに出ないで、と言われた。

 

 GⅡレース『スプリングステークス』に出走を表明したはずなのに、なかなか相手が集まらない。マルゼンスキーが出るからという理由で、レースを避けるウマ娘たち。

 どう反応していいかわからなくて、曖昧に笑って過ごす日々。

 そんな中でマルゼンスキーが折れなかったのは生来の性格もあったし、白いちびっ子の睨みつけを思い出していたからだ。

 

 ある日、我慢できなくなった。

 

 マルゼンスキーはハッピーセットを探した。

 自分はレースに出てもいいんだよね? 

 そう聞きたくて、必死に探した。帰ってくる答えを想像するのは怖かったけれど、関わりなんてほとんどないのに、自分でもどうかと思うのに、探さずにいられなかった。

 

 いない。

 どこにもいない。

 トレセン学園中を探した。

 それでも見つからない。

 

 彼女も、折れてしまったのだろうか? 

 嫌な予感がマルゼンスキーの中で大きくなる。

 

 普段トレセン学園の生徒が行かない場所まで迷子の子供のように歩いた。

 

 そして。

 見つけた。

 

 いつかの感謝祭の様に『ロールオーバーベートーベン』を歌いながら。

『ベートーベン』を『マルゼンスキー』に変えて、ドヤ顔を晒しながら。

 大きな荷物を持って、マルゼンスキーをぶっとばせっ! と意気込んで、どこかに旅立つ四つの背中を見つけた。

 一緒にGⅠレースを走ったメンバーだった。 

 

 追いかけないとと思った。

 だけど見つけたはいいが、足がすくんで動かなかった。

 マルゼンスキーは世間じゃ『怪物』と呼ばれているが、強いだけの普通の女の子だったから。

 彼女たちにさえ、一緒に走りたくない、そう言われたらきっともう走るのが楽しくないから。

 

 ──結局、声をかけることはできなかった。

 

 マルゼンスキーは呆然と、旅立つ四つの背中を見送ることしかできなかった。

 

 雨が降る。

 傘もささずに道の真ん中に突っ立っていると、知らない男性が声をかけてきた。

 どうやら、この辺りでバーガーショップを経営している店長らしい。

 

 気もそぞろなまま、店に案内されてタオルを渡される。

 温かいコーヒーを出してもらった。

 案内したバーガーショップの店長は何も語らずに、マルゼンスキーを放置してグラスを磨いている。

 聞き覚えのある音楽が流れる。先ほど聞いたような曲だ。

 マルゼンスキーはなんとなく店内のジュークボックスに視線を向けた。

 

 その近くに色紙が一つ堂々と飾られていた。

『モブウマ娘ーず!』と中心に書かれて、先ほど見送ったハッピーセットとヴァッサゴとジャーマンケーキとムシャムシャの名前が記載された物。それはハッピーセットがいつかビックになるから置かせてくれ! と言って仕方なしに店長が置いていた物だった。

 

 その色紙をじっとマルゼンスキーが見つめていると、バーガーショップの店長さんが口を開いた。

 

「その色紙、初めは迷惑だなと思ったよ。とんでもない奴らがきやがった、って」

「……?」

「でもね。その色紙は未来で値も付けられない程すごい価値になると思うんだ」

「どうして、かしら?」

 

 ニヤリと、どこかのドヤ顔に似た顔で。

 謎の自信に溢れた雰囲気で。

 妙な確信を持った様子で。

『モブウマ娘ーず』ファンの店長は言い放つ! 

 

「いつかスーパーカーをぶち抜く連中の名前だからな! 何があったか知らないが、腑抜けてる場合じゃないぜ、マルゼンスキー!!」

 

 唖然としたマルゼンスキーの心の中で、消えかけていた熱が湧き上がる。

 

 彼女たちのファンが、自分との対決を望んでいる。

 それだけ分かれば、もう迷う事なんてない。

 ──だって、自分はウマ娘なのだから! 

 

「ふふ、……最高にチョベリグな気分だわ♪」

「ちょべ……?」

「ターフを疾走するスーパーカー。そんな異名に違わない走りで、簡単に抜かせてなんてあげないわ!」

「あ、ああ! それでこそ箔がつくってもんだ!」

 

 バーガー食いな、と注文してもいないのにマルゼンスキーに美味しいハンバーガーの提供が行われた。この後以降、ウマ娘があまり来ずにトレセン学園にいるよりも心落ち着くので常連になるマルゼンスキー。地味に『モブウマ娘ーず』が修行でいない間の店の経営を支えたのだった。

 メニューにはいつの間にかバーガーショップであるのにティラミスとナタデココが追加されていた。ウマ娘の中で最高にナウいとマルゼンスキーの言に踊らされた店長。売上は推して知るべしであったのは間違いない。

 

 

 ◇

 

 

 ハッピーセットは知らない。

 マルゼンスキーという少女が、ハッピーセットに声をかけられるまでどれだけ焦れていたのかを。

 

『スプリングステークス』

 パドックへ向かう道、地下バ道にて人を待つ。

 

 真っ赤な勝負服に身を包み、下を俯いて人を待つ。

 無言で、静かに。

 マルゼンスキーの明るさを知っている者が見れば、不安になる程静かに待っていた。

 

 スプリングステークスの出走表はあえて見なかった。

 見れば誰が出走登録したのか簡単にわかるから。

 

 ドラマのクライマックスみたいだと思った。

 ドキドキして、結末を待つ。

 

 5人。

 自分を含めて5人だ。

 レースが開催できる最低限の出走者数。

 他のウマ娘たちがマルゼンスキーとの勝負を避けた結果である。

 

 もし、もしも。

 もしも彼女たちが来なかったらどうしよう。 

 レースの開催が近づくにつれて、どうしても不安になってしまう。

 バーガーショップでの店長と話をした後、最低限の調子を取り戻したマルゼンスキーではあったがやはり不安なものは不安であったのだ。

 

 担当のトレーナーはマルゼンスキーの不安を見抜いて、出走者を教えてくれようとしたが、マルゼンスキーは拒否をした。

 

 だって、マルゼンスキーは信じていたから。

 きっと来てくれると信じたから。

 

 足音がした。

 誰かが後ろから近づいてくる。

 

 ああ、この波動は。

 この勝利への渇望、熱を感じさせる波動は。

 初めて彼女のレースを見たときに感じたソレだった。

 

「マルゼンスキー」

 

 振り返ると、真っ白なウマ娘ハッピーセットがいた。

 本当に小さくて、だけど気の強そうな瞳を自信でキラリと輝かせている。

 声をかけられてから、自分が何と言葉を返せばいいか考えてなかったことに気がつく。

 

「……あら、ハッピーセットちゃん」

「誰が頭ハッピーセットじゃ!」

「言ってないわよ!?」

 

 思わず吹き出しそうになる。本当にこの子はこういう謎のツッコミをしてくれるんだと思った。

 

「「……」」

 

 そのあと一瞬間が出来る。

 お礼を言うべきなのか、良いレースにしましょうと言うべきか。

 お礼にしては、こっちから一方的なものだしハッピーセットちゃんも困っちゃうわよね。とか悩んでいると。

 ふんす、と鼻息が聞こえた。

 ハッピーセットはまるで子供が背伸びをするように、身長差のある私の顔を見上げながら、やはり謎の自信に満ち溢れたドヤ顔でマルゼンスキーの度肝を抜く。

 

「聞いて驚け! 僕は二位以下のウイニングライブの練習をほとんどしてこなかった!」

「ええっ!?」

 

 急に何を言い出すのこの子は!? と心底驚く。

 そして。

 ──心の導火線に火をつけた。

 

「だから勝つ! このレースは勝つ! 次のレースも勝つ!!」

 

 目の前の少女から溢れんばかりの勝利への渇望が伝わってくる。

 どこを見ているマルゼンスキー、と。

 ハッピーセットの魂の熱量が溢れて、マルゼンスキーのウマソウルに薪を焚べる。

 

 一緒に走ろう、さぁレースをしよう! 

 宣戦布告される。

 

「よそ見してる場合じゃないぜ!」

 

『怪物』と呼ばれた。

 もうトレセン学園でマルゼンスキーと共にレースを走りたがる子は消えた。

 

 そんなマルゼンスキーに、一緒に走ろうと思ってくれるウマ娘が目の前にいた! 

 

 レースの前なのに、涙がこぼれそうになる。

 でも、ここまで宣言してきたライバルの前に涙なんて見せたくない。

 何度もパチパチと瞬きをして、不敵に笑う。

 

 このレースに参加しないウマ娘たちはなんて不運なんだ。

 枠が余っているなんてとっても勿体無い。

 だって、このレースは。

 

 ──最っ高に、気持ち良いレースになるって決まっているんだから! 

 

 言いたいことを言ったのか、ハッピーセットがマルゼンスキーの横を通ってパドックへ向かう。

 誰とでも名前を呼ぶときにつけていた『ちゃん』付けを止める。

 だって、彼女は私のライバルなんだから。

 それに宣戦布告されたのだ。こっちも言い返してあげなきゃね! 

 

「ハッピーセットのお陰で調子はバッチグーよ。レースの後に一位のあたしが二位以下の振り付けを教えてあげるわ!」

「う、うるしゃい! 僕が勝つからそんなことは起きないもん!」

 

 格好をつけるようにハッピーセットはマルゼンスキーを振り返ることはなかった。

 その背中をクスクスとマルゼンスキーは笑って見つめて見送った。

 

 そのマルゼンスキーの背中に、再び声がかかる。

 

「ハッピーセットちゃんはすごいでしょ」

「!」

 

 赤いツインテのウマ娘ヴァッサゴがいた。

 そしてジャーマンケーキとムシャムシャの姿も。

 あの時、返事が怖くて追えなかった背中たちだ。

 

「すんごいアホなことばっかするし、人のポテトは勝手に食べるし、頭ハッピーセットだし。だけど、どこか憎めなくてねー」

 

 たまにめちゃくちゃ暑苦しいし、と語るヴァッサゴの言葉に、目を瞑って腕を組みながらジャーマンケーキとムシャムシャが頷く。

 ヴァッサゴはどこか呆れているように肩をすくめながら言葉を続けた。

 

「私たちはさ、マルゼンスキーさんみたいに飛び抜けた魅力も強さも持ってない」

「そんなことは……」

「ううん、私たち自身が一番わかってる。一度、マルゼンスキーさんの走りを見て心折れちゃったもん。……でも!!」

 

 ずびしっ! と、マルゼンスキーの胸を指差しながら、ヴァッサゴたちは宣言する。

 

「今日私は勝つよ! 勝つまで走る、ダメだったらまた修行して挑む!」

「正直もう海は見たくないんだけどね。でも、今日は私が勝つからねー」

「もうムシャクシャするのはごめんです……。今日は私が勝ちますから」

 

 そうして、呆然とするマルゼンスキーの横を通り過ぎる。

 通りすがりに3人が声を合わせて一言。

 

「「「私たち5人いれば、重賞レースだって出来る! 貴女も気持ちよく走って!」」」

 

 そうして彼女らもパドックへ向かっていった。

 

 無言で、マルゼンスキーは上を向く。

 ポタリと、滴が落ちたが見たものは誰もいなかった。 

 

 

 ◇

 

 

 レースが始まる。

 いつも通り、気持ちよく思いっきりスタートダッシュを決める。

 

 ちらりと、ハッピーセットたちの顔を見る。

 全員と目が合って、不敵に笑い返される。

 

 ふふ、と笑みが溢れた。

 

 彼女たちは、本当に仕上がっていた。

 以前とは比べ物にはならないほどの研ぎ澄まされ具合。

 クラシックであるのに、シニアに挑めるほどの力を感じさせる。

 

 だが、マルゼンスキーも何もせずに彼女たちを待っていたわけではない。

 彼女も以前よりはるかに体が出来上がっていた。

 成長する『怪物』とは、まさに彼女のことだろう。

 

 ──かっ飛ばすわよ! 

 

 最高のレースにする。

 その思いが、今朝までのマルゼンスキーよりもはるかに強さを高めていた。

 

 レース前半。

 後ろから四人全員分の勝利への渇望の波動がビリビリとマルゼンスキーの背中を叩く。胸の奥のウマソウルが暴れ出す。マルゼンスキーは生まれて初めて掛かりそうになった。だが強靭な肉体と黄金の精神力でその胸の高まりを、まだだ、まだ掛かるな、まだだ! と鎮めて自身のレース展開をする。

 

 ここで掛かって、無様なレースにしたら、台無しだもの! 

 

 レース中盤に入る。

 踏み込みの音が聞こえた! 

 四人が仕掛けてきた、とマルゼンスキーには見ずともわかった。

 ヴァッサゴとムシャムシャがマルゼンスキーの前を奪うために、以前とは比べ物にならない加速力でバ身を縮めてくる。そして、その息遣いに隠れてジャーマンケーキが差し切るために身を低く沈めて加速するのを感じる。

 マルゼンスキーの頬が染まって、紅潮する。

 

 ああ、嬉しい。嬉しい! 

 こんなに楽しいレースは初めてだわ! 

 

 そして。

 ビリビリと、一歩踏み出すたびに最後方から蹄鉄の音が響く。

 ハッピーセットが普段の何も考えてなさそうな顔を引き締めて、マルゼンスキーを睨みつけるように前を狙ってくる。

 

 ──ぶるり、マルゼンスキーの胸の中でウマソウルが活性した。

 

 早過ぎるレース展開。

 そうじゃないとあたしに追いつけないと思ったんでしょ! 

 

 でも。

 でもでもでも! 

 ──そう簡単に抜かされてなんてあげないんだから! 

 

『領域』に踏み込む。

 世界が変わる。

 大好きな父の持っている真っ赤なスーパーカーのように、凄まじい加速力を再現する。

 クラッチを踏んで、ギアを上げる。

 今までそこまで上げてはダメと戒めていたけど!! 

 行ける、今まで行けなかったところまで!! 

 

「エンジンの違い、見せてあげるわっ!」

 

 ねぇ、だってそうでしょう? 

 一瞬だけ、白と視線を交える。

 追いついてきてくれるでしょ? 

 ──ハッピーセット。

 

「これがあたしの、フルスロットルよっ!」

 

 爆発的に加速する!! 

 今までよりもさらに速くターフの緑が後ろに流れていく。

 今が過去最高。

 いえ、まだまだ上がっていっている。

 

 なのに。

 足音が聞こえる。

 蹄鉄を鳴らす、気性難な息づかいと嘶きが!! 

 

「──誰の頭が、愉快ウルトラハッピーセットじゃァッ!!!」

 

 後ろから痛いほどの波動がマルゼンスキーの背中を打ち付ける。

 一人、一人と道中のウマ娘たちを追い抜くたびに、まるで魂が爆発するような音が聞こえる。

『モブウマ娘ーず』全員が修行で培ったアオハル魂が、今まさにここで燃焼されていっているのだ。一人一人の想いを爆発させて、ハッピーセットはマルゼンスキーに迫ってくる!! 

 

 残り400。

 

 どんどん気配が近づいてくる。

 すごい、すごい! 

 でも、だから! 

 

 ──あたしも負けたくない!! 

 

 背後でおそらく最後の爆発が響く!! 

 

 残り200。

 

 マルゼンスキーの中からレースに不要な余分なものがどんどん昇華されていく。

 レースの中で成長して、ここでさらに仕上がっていく。

 

 なのに、足音がすぐ後ろから聞こえる! 

 勝ちたい、勝ちたいと魂を響かせる足音。

 

 その強い想いにレース中のマルゼンスキーとハッピーセットのウマソウルが共鳴して、初めてウマソウルがマルゼンスキーに囁きかける。

 

 負けたくない、負けたくない!! 

 違う! 

 ──勝ちたい!! と叫んだ!! 

 

 残り50。

 

 横にハッピーセットが並ぶ。

 見ている余裕なんてない! 

 勝ちたい、あたしは勝ちたい! 

 生まれて初めてこんなに必死になったと思うほど、死ぬ気で足を回す! 

 

 残り10。

 

 譲らない、決して譲らないわ!! 

 勝つのは、勝つのは勝つのは!! 

 あたしが、あたしがあたしが!! 

 

「僕が!」

「あたしが!」

 

 残り0。

 

「「勝つッ!!!」」

 

 ゴール板をほぼ同時に駆け抜けた。

 限界だったのかハッピーセットが呼吸音を響かせて、ターフに転がった。

 

 お互いに、勝敗が気になって掲示板を食い入るように見つめる。

 

 映る。

 書いてある文字は、──ハナ。

 一着と二着を明確に分ける言葉。

 

 腕を天に掲げる。

 

 会場が、歓声に沸いた! 

 

『凄まじい接戦を制したのは、一着マルゼンスキー!!』

 

 勝利の実感が湧いてきて、胸の内が踊って、最っ高に気持ちよくて。

 何度も何度も空に手を突き上げる。

 

 生まれて初めて感じた、勝利の充実感。

 

 でも。

 嗚咽が聞こえて、はたと固まった。

 

 前回、大差負けしても睨みつけて戦意を失わなかったハッピーセットが泣いていた。

 息が止まった。

 足がすくんだ。

 

 そんな時に、ゴールして追いついてきた三本の手に背中を押されてツンのめる。

 振り返ると、清々しそうな笑みを浮かべ、──涙をこぼすヴァッサゴたちがいた。

 

 覚悟を決めてマルゼンスキーはハッピーセットの前にいく。

 また、この子と走りたい。

 手を差し出して、その想いを伝える。

 

「あのね、本当に楽しくて。こんなレース初めてで」

「うるしゃい」

「あ……、そのごめんなさい」

 

 時が止まったかと思った。

 おろおろと、行先を失った差し出した手が、宙ぶらりんに揺れる。

 

 だけど、そんな手をガシリと小さな手が捕まえた。

 捕まえてくれた。

 

「次は、僕が勝つ……!」

「!」

 

 会場が歓声で溢れる。

 ああ、本っ当に最高ね! 

 先ほどの不安なんかどこか遠くに飛んでいってしまって。

 

 自信満々に、──()()()()()()()()()()()()()

 

「いいえ、次もあたしが勝つわ!」

 

 

 マルゼンスキーは立ち上がらせたライバルの掴んだ手を確かめるように振ってから、何度も頷いてみせるのであった。

 

 




サクラチヨノオー√の現役時代マルゼンをイメージして書いてます。
このマルゼンは多分ダービーに出る。
そして特別ライブをやって『Gamble Rumble』歌って踊ってほしいと思う作者なのでした。
この作品の出演キャラたちに似合う曲だと思う。

予想以上に反響が多くてびっくりしました。
感想お気に入り評価ここ好きありがとうございます。
思い切ってマルゼン視点まで書いたんですが、正直自信はないです。
スポ根って感じで、そこまで主人公と関わらないライバル関係がもう少し上手く表現したかった。

やっぱみんなマブイチャンネー好きなんすねぇ。
もっとマルゼンSS増えろー!

 追記。
 色紙の部分のビッグをビックと書いてるのは、わざとです。
 その方が頭ハッピーセットらしいかなと思ってます。

 誤字報告は全て拝見させていただいています。
 作者自身の誤字が多く大変気を遣っていただけてありがたいです。
 本当に、いつもありがとうございます。


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一等星と流星群

大体ダービー救済は他がやってるからね。
さぁ(シニアまで)飛ぶわよ!


 

 トゥインクル・シリーズ。

 最も重要だと言われる、その最初の三年間。

 ジュニア、クラシック。

 そして、シニア。

 

 一つの世代にとって、ソレが終わりを迎える月。

 

 12月後半。

 年末の中山。

 今日で全てが決まり終わり、また始まる。

 

 地下バ道。

 

 マルゼンスキーは歩みを進める。

 堂々と胸を張って。

 燃えるような深紅の勝負服に身を包んで。

 肩で風を切るように。

 

 久しぶりに会う自身のライバル、大切な友達と対峙するために。

 

 地下バ道の中心を陣取るように、白い小さな背中が深紅を待っていた。

 いつかの対比。

 

 今度の声かけは、マルゼンスキーから。

 

「ハァイ、ハッピーセット。調子はどう?」

「マルゼンスキー久しぶりじゃん。調子は過去最高だよ」

 

 くるり、ふわりと勝負服を踊らせ白い背中を翻しマルゼンスキーを見るウマ娘。

 真っ直ぐに、美しいほど闘志を滾らせながら。

 ハッピーセットというウマ娘が立ち塞がっていた。

 自分が勝利することを微塵も疑っていない、闘志の擬人化。

 

 マルゼンスキーの体がぶるりと震える。

 恐怖ではない、気持ちの高揚による戦意の武者震い。

 

「だいたい半年ぶりかしら」

「そうだね」

 

 半年。

 そう、シニアの四月。

 大阪杯を最後に彼女、ハッピーセットは一度レースから姿を消した。

 消す際に、とんでもない爆弾を解き放って。

 

「貴女のあのインタビューでこっちは大変だったのよ? どの子もどの子も私に挑んできた」

「最高だったでしょ?」

「ええ、もちのロン! 最高にチョベリグよ。併走だって引っ張りだこ! 心無い言葉を言ったと頭を下げにきた子だっていたわ。その皆が闘志を燃やしていた。戦いを避けることをやめて、全員があたしに挑む時代」

 

 とある理由で消える前に、ハッピーセットはマルゼンスキー世代の全員を焚きつけた。

 

「どんな些細な情報でも、僅かなクセでも拾おうとみんながむしゃらになって挑んできた。これを最高と言わずになんていうのかしら?」

 

 ハッピーセットというウマ娘の特徴として、意図せずに他人を焚きつけるセンスがあった。彼女の闘志が発端となって、今やマルゼンスキーの同世代は全員が最強に挑む構図となった。

 だが、それでも。

 

「それでも、君はその挑戦者たちに全て勝ってきた。ただの一度の敗北もしなかった」

「そうよ。あたしはターフを駆けるスーパーカー。ファンもそれを望んで、あたしも最高のレースを望んで挑んでいるのだから。それが、今のあたしを最高に気持ちよく走るための力になるのよ」

 

 絶対に手を抜かない。

 フルスロットルの怪物。

 その姿は、まさしく一つの時代を築いた。

 

「ええ、今が楽しくてたまらないわ」

「──でも、それも今日で終わりだ」

 

 マルゼンスキーが三日月に口元を吊り上げる。

 対峙するハッピーセットも腰に手を当てて、マルゼンスキーの顔を見上げてドヤ顔で宣言をした。

 かつてその獰猛な笑みに怯えたハッピーセットは、今や微塵もそんな様子を見せず同じく獰猛な笑みを返す。

 

「君に最高の『幸せの詰め合わせ』を持ってきた。『敗北』という名の贈り物さ」

「『あなた達』に出来るかしら?」

「やるさ。その為の今日だ」

 

 会話をするハッピーセットとマルゼンスキーの横を、レースに出場するウマ娘たちが通り始める。

 

 見える者全員が闘志をたぎらせていた。

 

 ある者は勝負服の手袋を引き絞り。

 ある者は肩をぐるりと回しながら。

 ある者は優雅に尻尾を振いながら。

 それぞれがレース前のルーチンを行いながら、この地下バ道の先にある栄光。

 ただ一つの栄冠を目指して、極限の集中力でパドックへ消えていく。

 

 集った全員が全身から闘気を立ち上らせてレースに臨む。

 怪物を恐れるものなんて一人も居なかった。

 マルゼンスキーという『一等星』の光に姿をかき消された、限界まで力を高めた『六等星』たちが集った。

 

 ──誰かにとってこれ以上のない最高の幸せな贈り者たちが『有マ記念』に集められた。

 

「君に勝ちたい。マルゼンスキー、僕が君に勝つ」

「いいえ、今回もあたしが勝つの。勝つのはあたしよハッピーセット」

 

 それ以上の会話は要らない。

 二人は肩を並べて、紅白揃ってパドックへと乗り込んでいった。

 

 

 ◇

 

 

 ──『有マ記念』が始まる、約半年前。

 シニアに入り、G1レース大阪杯が終了した。

 その辺りの時間のハッピーセットの話だ。

 

 

 空の色とターフの色が混じってあやふやな世界。

 レース場にいる。

 それだけ分かった僕は不敵な笑みを浮かべた。

 少しだけ引き攣ったような笑みな気もするけど気のせいだ。

 

 ああ、夢だな。

 何度も何度も、最近同じ光景を見た覚えがある。

 頭の中の冷静な部分がそう判断する。

 

 ゲート内で、まだ走り出していないのに心臓が痛い。

 急に変な汗が噴き出してきて、僕の勝負服を湿らせる。

 スタートのために握りしめた拳が汗で滑って気持ち悪い。

 

 ああクソ、またゲートが開く。

 いや、開かないとダメじゃん。

 何考えてるんだ僕は。今回こそ、僕が勝つんだ。

 

 そうだろ? じゃないと──。

 

「──────?」

 

 ガコンッ! ゲートが開いた。

 慌てて大地を蹴って風を切る。

 強い向かい風だ。

 僕の小さな体はその風に吹き飛ばされそうになる。

 でも、勝ちたい。その気持ちだけで地面から決して足を離さないで、前に進む。

 馬鹿の一つ覚えだな。頭の冷静な部分で、僕が僕をせせら笑った。

 

 うるしゃい、これしか知らんもん! 

 

 目指すは、眼前を行く深紅。

 名前はマルゼンスキー。

 僕のライバルの背中。

 ライバル? ライバルだ。

 僕は、かませ犬なんかじゃない! 

 

「────―ちゃん?」

 

 一歩踏み出す。

 真っ赤な背中が遠くなる。

 一生懸命、足を動かす。

 それでもマルゼンスキーが遠くなっていく。

 

 必死で追っていると、僕の後ろから気配がする。

 嘘だろ? 僕は追込で走っているのに、僕の後ろに誰がいるってんだ。

 

 知らない顔、知らない背中が僕を追い越していく。

 向かい風が強くなる。

 ちっぽけな僕は、いつしかジリジリとしか進めなくなる。

 

 知らない奴らが、僕と深紅の間を走り出す。

 そして、真紅の横に並んだ。

 

 驚く。

 ムカつく。

 

 待て、そこは。

 そこは僕だけの! 

 僕たちだけの!! 

 

「────―セットちゃん!」

 

 遠い、足を動かすのは決してやめない。

 僕の足が遅すぎる。先に行ってしまったレースの相手たちはもう豆粒みたいだ。

 マルゼンスキーも、顔も知らない誰かも。

 風だけがどんどん強くなる。

 ジリジリとすら進めなくなる。

 その場で、地に足をつけているだけで精一杯だ。

 

 ふと、思考に魔がさす。

 

 僕は──。

 ────彼女の、マルゼンスキーにとってライバル足り得てるんだろうか? 

 

 ジュニア、クラシックと文字通り共に駆け抜け、一度も勝利できていない事実が重石のようにのしかかる。

 いつも背中に届かない。

 修行した後に挑んだ試合、全てだ。

 ハナ、アタマ、クビ、半バ身。

 大阪杯、一バ身。

 

 一生離され続けるだけなんじゃないか? 

 

 そんなやつ、世間でライバルと呼べるのか? 

 ゾッと、全身が凍りついて冷え込む。

 ついに僕は立ち止まってしまった。

 

 立ち止まってしまったのだった。

 恐る恐る周りを見回す。

 

 もう、周りには誰もいなかった。

 マルゼンスキーも。

 顔も知らない誰かも。

 

 みんな、先に行ってしまった。

 

 一段と強い突風。

 唐突な浮遊感。

 ズドン! と叩きつけられる感触。

 頭部にズキリとした鈍い痛み。

 

 夢がさめる。

 冷めたのか、醒めたのか。

 馬鹿な僕にはよくわからなかったけど。

 

 最近になってようやく分かってきた事は。

 ユメヲカケルのは、凡人にとって途方もないくらい難しいっていう現実だった。

 

 

 ◇

 

 

「……痛い」

「ハッピーセットちゃん!!」

 

 名前を呼ばれて、恐る恐る目を開く。

 薄暗い部屋。寮の自室だ。

 同室のヴァッサゴちゃんが心配そうに僕の顔を覗き込んでいる。髪の毛のセットも終わっていないのか、いつものツインテールは見えなかった。

 全身が汗で濡れて、心底気持ちが悪い。

 悪夢が終わり、体が怠い特有の感覚。

 目が覚めてきた僕は現状を把握する。どうやら僕はベッドから落ちて起床したようだ。

 夢の終わりの浮遊感は、ベッドからひっくり返って地面に落ちた時の感覚。

 最後の叩きつけられる感覚は、落ちた時に頭を打ってしまったんだな。

 犬神家の有名な死亡シーンの如く、足を天へ向けるダイナミック起床。

 

「大丈夫? 夢の中でも走ってる犬みたいになってたよ?」

「……あー、えーっと。空飛んでるハンバーガー追いかけてた。フライングスパゲッティ」

「またよくわかんないこと言ってる……。本当に平気?」

「本当はおセンチな気分……な訳あるか!」

「???」

 

 へっ所詮は夢よ! ペッ、数分後には忘れてやるもんね! 

 このポジティブさには、悪夢も裸足で逃げ出すぜ!! 

 消えろ、ぶっ飛ばされんうちにな! 

 

 僕はポジティブなのがウリなのだ。

 僕のファンも僕のそういうところが好きだからヨシッ! 僕も好きだからヨシッ! 

 現場ウマ娘のポーズをとって、ヴァッサゴちゃんにドン引きされたがヨシ。

 ドン引きしながらも、こちらを気遣ってくれるヴァッサゴちゃんは言葉を続ける。

 

「ねぇ。ここのところちゃんと眠れてないんじゃない? 大丈夫なの?」

「うぅむ……」

 

 実は僕もそう思ってる。なぜか朝までぐっすり寝れてないのだ。

 なんかもうよく覚えてないけど、夢見が悪いみたいなんだよなぁ。

 枕変えてみるか。

 安眠の質は選手生命に関わる。トレーナーにも相談しよう。

 

「ちょっと寝つきが悪いだけだから、ほんとーに平気」

「そう、ならいいんだけど……」

「心配ならさ、今日枕買い替えに行くから付き合ってよ」

「……うん。夜うなされてるみたいだから、いいの買おうね」

「え、まじ!? 僕うなされてるの!? この、僕が!?」

 

 僕ってうなされるとかと無縁な精神してると思ってたんだけどな。やばい、初めての経験でちょっとテンション上がってきた。僕のテンションの機微を感じ取ったのか、心配してくれていたはずのヴァッサゴちゃんがジト目になる。

 

「うん、ハッピーセットちゃんがうなされてたらやばいでしょ? だから私は心配してるの」

「誰の頭がハッピーセットじゃ!?」

「ふふ、言ってないけど察したね。えらいえらい」

「えへへ、褒められちゃった。……ってあれ? それって……うん?」

 

 僕の名前はハッピーセット。

 マルゼンスキーと同期で、最近シニアに上がって二つ名はシルバーコレクター。

 ──マルゼンスキーとの対戦戦績が、6戦0勝の無様な敗北者だ。

 

 そして、一つ人生の転機に差し掛かっているウマ娘。

 転機とは。

 

 ぶっちゃけ、マルゼンスキーに勝てなさすぎてトレセン学園を『休学』するつもりなのである。

 

 

 ◇

 

 

 とある雑誌の取材。

 僕はいまだに劇画調から戻らないトレーナーと共に、素晴らしいです! が口癖の記者と対面してお話をしていた。

 ちょっとだけ普通の取材とは異なる取材。

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 受けてくれてありがとう月刊トゥインクル。

 

 語るのは、これまでの事。

 そして、これからの事だ。

 さぁ、取材を始めようか。

 

 

 一番思い出深いレースと言われると、すぐにあのスプリングステークスが思い浮かぶ。

 あのスプリングステークスから大体一年たったと思うと、とても感慨深いものだ。

 ハナ差とはいえ、敗北は敗北。

 あのレースの後、僕たちは次は勝てると驕らずに、マルゼンスキーへと挑むために僕たちは再び過酷な修行やフォームの勉強を繰り返した。

 

 そして、その修行現場にはマルゼンスキーも一緒にいた。

 ……ちょっと待ってほしい。

 記者さん、そんな得体の知れないものを見る目で僕を見ないでほしいんだ。

 だ、だってしょうがないじゃないか! 

 

 僕が特別なSYUGYOをするぜ!! って言ったらマルゼンスキーが寂しそうに見ていたので、つい誘ってしまったのだ。

 断れるか? 断れないだろう。

 僕は断らなかったぜ! えっへん! 

 その結果、今世紀最大の誤り……とは言いたくないが、同じ修行をしたはずなのに一人だけずば抜けて戦闘力が上がってしまった子が生まれてしまう。

 

 ──そう、マルゼンスキーである。

 

 僕は白目を剥いた。

 読めなかった。このハッピーセットの目をもってしてもその未来は予知できなかったのだ。『モブウマ娘ーず』のみんなは、僕の頭を10tと書かれたピコピコハンマーでピコピコ叩いた。

 みんなには予知できていたらしい。

 この時ばかりは教えて欲しかった。

 いや、でも友達置いていけるわけないだろうが!! 

 心が二つある〜を現実で体験してしまった僕だったのだ。

 

 とにかくだ。

 僕は認めていないが、お前はやっぱ(頭)ハッピーセットだわ。と『モブウマ娘ーず』のみんなにも言葉でもポコポコされてしまった事件である。反省はしているが後悔はしていない。

 どうせマルゼンスキーの事だから勝手に修行して同じ位の力を手に入れてただろうからね。だから、僕は悪くない。……ごめん、ちょっとは悪いかもだけど。

 ちなみに、ポコポコ事件の際マルゼンスキーは微笑ましそうにその様子を見守っていた。

 

 そしてその魔改造マルゼンスキーがこの年の皐月賞を持って行ったよ! 僕も全力を振り絞ったけど、今度はアタマ差で敗北だよ、ちくしょう! 

 ダービーについては……特に語るまい。

 マルゼンスキーが出走を選んだなら僕たちは挑んだし、出走を選ばなかったならラジオNIKKEI賞で僕たちのダービーをやったまでだ。

 どちらにしろ、めちゃくちゃ熱い戦い。ね、そうでしょう? 

 

 そしてここからが本題。

 

 僕たち四人『モブウマ娘ーず』は、いつまでもマルゼンスキーへと一緒に挑めると思ってたんだけど、流石にそうは問屋が卸さなかった。そう、距離適正的なものである。

 元々ヴァッサゴちゃんは皐月賞の2000mでも結構難しかったらしく、スプリンターに転向。今は短距離メインで駆け回っている。

 ジャーマンケーキちゃんとムシャムシャちゃんは逆に距離が短いとスピードに乗り切れないことが発覚。ステイヤー路線で方針を固めている。

 そして、マルゼンスキーは……。

 あの子はなんかもうバグってるよね。全部走ってたよ。

 4月に女神像前でピカーってなって長距離もいける気がしてきたわ! とか言ってたのは流石に乾いた笑いが出てしまったよ。

 それを聞いた僕も女神像を美肌効果のある石鹸でピッカピカになるまで磨き上げたり、目の前の噴水に高い温泉の素とか入れたんだけど何も起きなかった。

 まぁ、僕は全距離適正元からあったからいいんですけどね! その後、たづなさんに追いかけられて予期せぬステータスアップも迎えましたよ、違うそうじゃないんだよ三女神様よ!! もっと厳かにピカー! とかあるじゃん?? 言ってることがわからない? あ、そう。

 

 コホン。と、まぁ。

 そんな感じで、みんなでマルゼンスキーに挑む機会が減ったのだ。

 だけど、距離適正的に僕は『モブウマ娘ーず』の代表としてマルゼンスキーの戦いに全部挑んでいる。

 

 ……結果は、知っての通り惨敗だよ。

 

 僕自身がマルゼンスキーのライバルだと思っていても、世間は一度も勝ったことの無い僕をそう捉えてくれていない。

 ……接戦を演じているからそんなことはない? いや、そんなことはあるさ。

 僕自身が、一度も勝てないでライバルと名乗っていいのか分からないんだよ。複雑なお年頃なんだよ、察してください。

 

 きっとね。

 この後の時代、僕なんかよりも才能のある子が現れる。

 確信がある。いや、もう現れてきてる。

 最近トレセン学園に入学してきたミスター何某とかシンボリのやベー奴とかね。

 でも。

 

 でもそいつらが台頭してきて、ようやくマルゼンスキーのライバルが生まれてきたとか言われるのは違うだろ! 

 

 だってさ、そうだろ? 

 僕たちは、あのマルゼンスキーと同期なんだぜ? 

 これだけで他の世代の奴らが味わえない、最高の戦いが用意されてるんだ。

 

 勝つんだ。

 荒唐無稽の挑戦だ。

 このインタビューを聞いた僕の同期たち。

 

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 心折れてマルゼンスキーから逃げ出した奴らも多いよ。

 無理だと思って、諦めて出走を取りやめる奴も多いよ。

 

 そんな奴らも戻ってこいよ! 

 まだレースは終わってないぜ! 

 

 まだ、間に合うんだ!! 

 

 やってやろうよ、僕たちで! 

 僕たちで最強に勝つんだ!! 

 

 その栄誉をぽっと出の後ろの世代に持ってかれるなんて、絶対に悔しいよ! 

 

 他でもない、僕たちが!! 

『スーパーカー』しか見えてない観客に魅せてやろうぜ! 

 沢山の『モブウマ娘』を目に焼き付けてやるんだ! 

 この世代の名前にマルゼンスキー以外が、ちゃんといたって存在証明をしてやろう! 

 

 僕たちの世代全員で! 

 

 

 ──僕ら『モブウマ娘ーず』が、スーパーカーをぶち抜くんだ!! 

 

 

 だから。

『僕はトレセン学園を休学することに決めた』

 別に怪我とかじゃない。

 でも、今の僕の実力じゃ足りないんだ。

 

 今という一番輝いてる本格化のこの時間を全てかけて、人生を賭けて博打を打ってくる。

 

 学園の方にも、もう話を通してる。

 僕のファンたちにも、申し訳ないけど待っててほしい。

 必ずスーパーカーに追いつく。

 絶対に追い越してやるから待ってて! 

 

 このインタビューを聞いてやる気が出たみんなへ! 

 僕が帰ってくる前に、スーパーカーをぶち抜いといてくれても構わない! 

 その時はスーパーカーと一緒に、勝った『一番星』に挑んでやる!! 

 だって、一着は一人しか手に入れることができないんだから! 

 

 ……逃げたと思われるかもしれない? 

 こんな発破をかけといて? 

 

 ハハハ、確かに僕のレースを見た事ないやつが言いそうだ。

 本当にみんなマルゼンスキーに目を焼かれすぎだよ。

 僕は逃げるのが苦手なんだ。

 自慢じゃないけど、僕の脚質は。

 

 ──最後方から『幸せの詰め合わせ』を届ける追込なんだぜ! 

 

 

 ◇

 

 

『休学』

 この選択をするあたって、結構僕なりに苦悩した。

 少なくともこの僕が悪夢でうなされるレベルで悩んだ。

 まぁ悪夢については、ヴァッサゴちゃんやジャーマンケーキちゃんムシャムシャちゃん、そしてマルゼンスキーと枕を買いに行ったら治ったんだけどね。やっぱくたびれ気味の枕はよくなかったみたいだ。

 

 とにかく、シニアに入って僕は気がついてしまったのだ。

 

 どれだけ体を鍛えても、どれだけフォームを改善しても。

 ──タイムが縮まないのである。

 ウマ娘のくせにもう腹筋はバキバキで、ネフェ○ピトーばりの太腿なのにだ。ごめん嘘、流石にあんな太くはない。でも、ふらふらと吸い寄せられるように沖野なるトレーナーが勝手に僕の太ももを触ったと思ったら、化物を見るような海外のホラー映画ばりの顔で叫んじゃったくらいだ。

 ちなみに大胸筋でバストアップに成功した。それに気がついた時に遠い目をしてしまったのは僕だけの秘密だ。背中に鬼神も宿っちゃったよ。着痩せするタイプでよかったと生まれて初めて思った。でもウマッターのクソリプで筋肉がキレてる系が飛んでくるのは許さない。

 

 嫌な予感がしてトレーナーに相談すると、ウマ娘の個として成長限界が近いらしい。

 流石の僕も涙目になってしまった。

 トレーナーも物凄く悔しそうな顔をしていたから、本当の本当に限界値に来てるんだろう。

 

 そもそもだ。

 ウマ娘とはウマソウルの出力に耐えられる体の作りになっている。

 要は、お馬さんと同じ速度とパワーを出力できる体ということ。

 逆にいえば、宿ったお馬さんよりパワーが出ない。出せないのだ。

 僕に宿っているウマソウルは、まだやれるアイツに勝たせろ! と囁き続けているが、難しすぎる超難問。

 原付のエンジンでは、スーパーカーのエンジンの加速力とスピードは出ないのだ。

 

 ちなみにマルゼンスキーは元気もりもり成長中である。

 ウッソだろおめぇ。前世のお馬さんレジェンドすぎない? レジェンドだったわ。

 

「というわけで、僕休学するんだ!」

「……というわけって、というわけって何さー! この頭ハッピーセット!」

「ご、ごめんって!? 相談するタイミングが、って今頭ハッピーセットって言わなかった!?」

 

 そして現在、僕はまた『モブウマ娘ーず』のみんなにピコハンでポカポカされてる最中である。

 特にヴァッサゴちゃんは怒り心頭なご様子なので、謹んで現状を受け入れてピコピコされておく。

 うん。

 実は相談してなかったんだよね! 

 ごめんってー!! 

 

「ゼェゼェ……。まぁハッピーセットちゃんが考えなしのアホなのはよく知ってるから、もう受け入れるけどさ」

「アホって言った! アホって言った方がアホなんだもん!!」

「特にバーガー屋の店長さんがインタビューの映像を見たときに腰を抜かして大変だったんだからね! ドンガラガッシャーン、って今日び聞かない効果音で大転倒だったんだからね!」

「僕がアホのハッピーセットです!!」

「よろしい。……で、実際に目的は? ここに書いてる博打ってなんなの?」

 

 すまん店長……。今度在庫が余ってるらしいティラミスとナタデココのデザートメニュー頼むからね。案外美味いんだよなあれ。

 呆れ顔のヴァッサゴちゃんは、僕の記事が載っている月刊トゥインクルを指差しながら『休学』の意図を聞いてくる。ジャーマンケーキちゃんとムシャムシャちゃんもジト目で僕を見てくる。

 

『休学』の理由。

 そりゃ当然修行ってのもあるけど、頭打ちになった体の限界をなんとかするという事。

 それは……。

 

「い、言わなきゃダメ?」

 

 僕は低身長から繰り出される上目遣いで、なんとかこの場を誤魔化そうとする。

 ガシリ、頭を掴まれ繰り出されるアイアンクロー。

 ヴァッサゴちゃん握力上がってない!? 

 イダダダダダダ!? だめみたいです!! こめかみがミシミシ言ってるって! 

 

「さ、笹針です! 笹針しに行きます!! とある笹針師を探しに行くの!」

「…………? それだけで休学? ハッピーセットちゃん疲れてるの?」

 

 笹針とは、ウマ娘たちの疲労回復を行う施術の一種である。

 ぶっちゃけ打ったところで、一般的に劇的に体が変化するわけではない。というか、劇的に効果があるならみんな打ってる。毎日毎秒打ちまくりである。

 現代医学的にちゃんとした病院とお医者さんに治療を頼んだ方が疲労回復も効果も期待できるので、日の目を浴びなくなってきてる技術。それが笹針だ。

 

 ──だが、転生者の僕は知っている。

 

 数多のウマ娘を(たぶん)導く救世主の存在を! 

 奇跡の腕を持つ(自称)伝説的笹針師の存在を! 

 その名も!! 

『安心沢刺々美』である!!! 

 

 いや、うーん……。

 救世主……? 

 正直ゲーム的にあまり良い思い出ないんだけど。

 育成を諦めるキッカケになる代表だったし。

 ぶっちゃけ不審者だ。思考もかなりちゃらんぽらん。

 やべーやつ代表なのは間違いない。

 

 でも、決して悪人じゃない。

 ……たぶん悪人ではない。

 ………………おそらく。

 

 とにかく! 

 今の僕の現状を、ぶち抜く手段は彼女しかいないのだ。

 彼女の笹針は、おそらくウマソウルに干渉する。

 システム的な要素といえばそれで終わりだろう。

 だがメタ的に考えよう。

 笹針で劇的にウマ娘が成長する要素とは、そこにしかないのだ。

 

 彼女の超適当なあんし〜ん笹針ブッパで、ウマソウルを刺激。

 成功すればウマソウルが振起して、文字通り一皮剥ける。

 なんならサポートカードイベントでヒトソウルすら笹針で打ち抜き、謎の成長させるやべーやつである。

 

 しかし、世の中都合の良いことばかりではない。

 失敗すればその真逆。

 

 調子は最低最悪になり、実力はものすごいレベルで封印される。五行封印もびっくりである。

 

 博打も博打。

 選手生命をかける大博打。

 おそらく失敗したら、僕はもうマルゼンスキーに追いつけないだろう。

 

 医療行為の延長ではあるが、一種のズルになるんだろうか。

 でも、もう僕にはこの手段しかないのだ。

 転生者のくせに特殊な力も、『領域』もないから。

 

 …………僕には何もない。

 

 とっくに気がついてた。

 才能なんてない。

 根性と負けん気、体の頑丈さは人一倍あるけど、それだけだ。

 

 本当に根性で限界まで体を鍛えようとして、すぐに頭打ちになる。

 頭打ちになった場所からは、どうやっても最強の真紅の背中に手が届かない。

 どんどんどんどん少しずつ離されていく。電光掲示板が物語ってる。

 まさに『モブウマ娘』だ。

 ユメヲカケルのにも才能がいるんだと、生まれて初めて精神的に挫折した。

 

 じゃあどうするか? 

 諦める? 

 僕が、諦めるだって? 

 

 諦めるくらいなら、人生全部賭けてでも一筋の可能性に賭けてやる。 

 マルゼンスキーと一緒のレースを走る、ハッピーセットってウマに。

 この世界で会ったことも噂も聞いたこともない不審者に縋ってやる。

 

 ──これまでと、これからの人生全部を賭ける。

 

 大穴狙いの一点賭けだ。

 僕は好きだぜ、そういう博打。

 失敗した時のことなんて、失敗した時に考えればいいさ。

 

 だから、コイツは僕の中にいるんだ。

 このハッピーセットってウマは、僕より頭が最高にハッピーなんだ。

 

 同世代たちを発破して、失敗した場合の僕がいなくなったレースを、マルゼンスキーに勝利してくれと頼むくらいに。

 僕は、この賭けに本気だ。

 

「それだけそれだけ。ま、あんし〜んして待っててよ!」

 

 にっこりと笑って僕は、『モブウマ娘ーず』のみんなに覚悟を悟られないように強がる。

 でも、付き合いが長い仲間たちには、僕自身が気がつけない怯えと不安が伝わっていたのかもしれない。

 

「怪しい。いつもなら私たちもひっぱって行く癖に」

「ぎくっ」

「…………けど、必要なことなんだよね?」

「うん。みんな、僕はブレないよ。だって僕はマルゼンスキーに勝ちたいんだから」

 

 そう。

 いつだってその言葉に帰結する。

 僕は自分の全てを賭けてでも勝ちたいのだ。

 あの真紅に。

 マルゼンスキーに勝ちたい、その一心だけでここまで来たんだ。

 

 その僕のセリフに集まっていたみんなはやれやれと肩をすくめて、顔を見合わせた。

 

「「「いない間にマルゼンスキーさんに勝ってても文句言わないでよね」」」

「! その時はみんなを追い抜くよ。へへへ、待っててね」

 

 その会話で、僕たちは笑顔で別れた。

 たぶん彼女達も、僕がいない間にマルゼンスキーに挑むのだろう。

 さすがは僕の仲間達だ。

 

 最後に。

 ここに戻ってくるのもいつになるかなとトレセン学園の校門で黄昏れる。

 背中には大きな荷物。

 僕のトレーナーさんも同じように荷物を背負って、後方で腕組みをしていた。好きだねそのポーズ。

 

 少し待つ。

 でも、待ち人は来ない。

 いの一番で駆けつけてくるイメージがあったんだけど、うーむ。

 いや、一番はヴァッサゴちゃん達だけど、さっき一緒に来ていてもおかしくないくらい仲良くなったつもりだったんだけどなー。

 

 なんというか、また自分のせいだとか思ってそうだし、どうせどっか近くに隠れてるだろ。本当に困ったおセンチちゃんだぜ。

 大きく息を吸って、大声で告げる。

 

「マルゼンスキー! 首を洗って待ってるんだな!! 次に勝つのは僕だぜ、ガッーハッハー!!」

 

 シーン。

 下校中の通りすがりの知らないウマ娘たちがびっくりした顔で、こっちを見ている。うん、君らじゃないから。ごめんって驚かせて。

 返事はなかった。

 むむ? マルゼンスキーがその辺で聞いてそうだと思ったんだけどな? 

 

 後何回か声出すか? 

 

 僕はそのまま何回も何回も大声を上げ続けた。

 僕のトレーナーも横に並んで一緒に宣戦布告をする。

 さすがは僕のトレーナーだぜ! 

 

 その後、暗黒微笑を浮かべた駿川たづなさんが校舎からものすごい勢いで駆け抜けてくるのが見えた。

 やばい! 飛び上がった僕とトレーナーは慌ててその場から逃げ出すのだった。

 

 ま、聞こえてなくてもこれだけ騒げば誰かが伝えてくれるだろ! 

 

 そして僕とトレーナーは、困った顔の駿川たづなさんに説教されてから、トレセン学園を去ったのだった。

 

 

 ◇

 

 

 僕はトレーナーと一緒に、十年茶くみに従事している金髪の助手のいる失敗知らずの笹針師を全国探し回った。

 その間、他のウマ娘達にはこなせないような特別なSYUGYOもする。限界まで体を鍛えたのに体がぶっ壊れなかった頑丈さだけを売りにした素敵なトレーニング達である。

 

 基本のスピードトレーニング。

 それはトレーナー考案(?)の小石を蹴りながらの日本縦断である。うん、僕これ漫画で読んだことあるよトレーナー。あれはアメリカ横断だったけど、デビ○バットゴーストでもさせるつもりかな? おいトレーナー、目を逸らすな。

 それでも走る時の足捌きが今まで以上に上手くなってしまって、無性に悔しかった。

 

 続いてのスタミナトレーニング。

 当然のように各海峡を泳がせようとするのは勘弁願いたい。でもスタミナは欲しい。僕は頑張った。その途中、再び鯛にこだわる謎の芦毛ウマ娘に再会。そのままバタフライで追い越されてしまった。あいつマジで何者だよ、ちくしょう! 

 

 体の筋肉を落とさない為のパワートレーニング。

 トレーナーが理事長から餞別として頂いたと言う、四種類のスピスタパワ根とラベルの貼ってあるアンクルを、全て同時に着用して生活することになった。

 たぶん違う、トレーナーこれ使い方違うと思う。

 ひえ、メガホンを振り回すな! というか何種類あるんだよそのメガホンは!

 ああああ、わかったってば! 青汁もケーキも食べるってば!! 

 ちなみに俺も付き合うぜ! とトレーナーも初めは青汁を一緒に飲んでくれていたが、飲んだ瞬間白目を剥いて気絶してしまったので以降控えさせている。僕は一体何を飲まされているんだ……。

 

 極め付けの根性トレーニング。

 頭から釣り竿を下げて、ゴール板手前を走っているマルゼンスキーの写真を常に見せられる拷問をさせられた。根性、根性……? 本当に根性が鍛えられてるんだよねトレーナー? 僕は冷静さを欠こうとしてますよ。

 全国各地でマルゼンスキーのファンからなぜか握手を求められたが、僕の目が血走りすぎてたせいでドン引きされてゆっくりと後ろに下がって逃げられてしまった。熊とか野生動物にする逃げ方なんだよそれは。やはりマルゼンスキーのファンも逃げるのはうまいんだな、僕はそう思った。

 ついでに、僕の有マ記念出走の為の票を各地の僕のファンに依頼をする日々でもあった。

 ……各地で今度こそ勝ってくれ、信じて待ってる。そう言われた。

 想いが背中に乗せられていくのはとっても重たくて、今までにない根性が必要な事だった。

 

 そして最後の賢さトレーニング。

 

 トレーナーは言った。

 これが一番大事なトレーニングだと。

 僕がなんでマルゼンスキーに勝ちたいのか? 

 それを考えるんだ、と。

 それに気がつけば君はもっと強くなれると。

 

 僕が考えたこともなかった問いだった。

 ただ勝ちたい。それだけじゃもうダメなんだ。

 

 僕が、マルゼンスキーに勝ちたい理由。

 その答えは────。 

 

 

 本当に簡単なことで、トレーナーと顔を見合わせて笑い合った。

 

 

 ◇

 

 

 そしてついに見つけた。

 安心沢刺々美を。

 

 本当にぎりぎりのタイミング。

 世間では、火をつけた僕が言うのもアレなんだが、マルゼンスキーを打ち倒そうと皆が血気盛んで、マルゼンスキーの出走するレースは倍率がヤバすぎるのだ。

 安心沢刺々美を見つけたのは、なんとか出走登録を済ませられるギリギリの時間だった。各地のファンにお願いしてなかったら、出走出来なかっただろう。あ、危なかった……。

 

 ちなみに僕のトレーナーは安心沢の人相を見た瞬間速攻で反対した。うん、手を常にワキワキしてる不審者だもんね……。

 だが、限界まで体を鍛えた僕の決断を最後には尊重してくれた。

 

 笹針診療所で主治医じゃなくてお茶くみ係をしていた安心沢に施術を頼むとドン引きされた。

 え? 本当に?? みたいな顔でドン引きされた。

 そして頼まれた安心沢の第一声。

 

「ワォ、あんし〜ん☆」

「やっぱり帰っていいですか! ひえっ!?」

 

 いやまって! やっぱコイツ絶対やばい。

 美人だけど白衣に真っ赤なボディコンスーツだし! 

 ゲームだったから許される怪しさで、現実で目にしちゃうと本当にやばいぞ! 

 僕の辞書に後悔という文字はないはずだけど、今だけ追加したい! 

 本当に成功するよね!? 

 してくれないと困るけど、いや、やっぱやめとけばよかったかな!? 

 

 ちょ、まっ!?

 

 ──────アッー!!!!! 

 

 

ブスッと 大 成 功 !

 

 

 この時に謎の手応えを感じたのか、トレセン学園に仮面をつけた怪しい笹針師が現れるようになるのは近い将来の話であった。

 

 

 ◇

 

 

 そして、訪れる。

 年末の中山。

 

 燃え尽きる覚悟で新たな力を解放した白の星屑が、一等星の真紅の輝きに手を伸ばす。

 

 

 ──その戦いの幕が切って落とされた。

 

 




止まらないハッピーセットBB。
次回、マルゼン視点とレース。

最近ハーメルンでマルゼンスキーの話が増えてきてて最高。
もっと増えてください!
あと今イベのショータイムLv5のマルゼンスキーとCBのステを見てきたのですが、あいつらだけクライマックスしてて笑う。


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その星の隣で

 

 マルゼンスキーには大切な友達がいる。

 

 出会った切っ掛けは、お互いが敵同士のレース。

 一度マルゼンスキーは圧倒的な勝利を彼女たちに見せつける。

 それは、それまで仲が良かった子たちの心を折るレース。

 マルゼンスキーにとって、一つの契機となるレースだった。

 

 それでも。

 そんなレースの後でも。

 とっても素敵な情熱を持っている子達がいた。

 その子達は、マルゼンスキーと正面から競い合おうとしてくれた。

 このトレセン学園の生徒達でも音を上げそうになるトレーニングを敢行して、体を仕上げて再び立ち塞がった。

 今までのマルゼンスキーの知り合い達とは全く違う性格のウマ娘達。

 レースで何度も何度も競い合った。

 

 そうして心を許しあう友となった。

 

 彼女たちはロックバンドもやっているみたいで『モブウマ娘ーず』と名乗ってグループを組んでいた。マルゼンスキーがピアノを弾けると言うことを知ると、その中のみんなを振り回すリーダーが思いつきのように電子キーボードを持ってきてセッションに参加させてくれたりもする。

 マルゼンスキーが巻き込まれて動揺していると、リーダー以外の悟った目をした子たちが、あーあ目をつけられちゃったねと笑っていた。

 ひどく楽しげな笑みだった。

 

 今までやったことがないことに挑戦するのは新鮮で、本当に物凄く楽しい日々。

 

 それまでのマルゼンスキーの知り合いは、大人の先輩として慕ってくれてトレセン学園でもGⅠを取れると期待してくれた後輩ちゃんたち。気持ちよく走る自由を優先してくれる自身のトレーナー。他には大好きな母経由で知り合ったバブリーなお姉様方など。

 ……そして、少し疎遠になってしまった同世代のトレセン学園の友達たち。今でも話はするけれど、やはり胸の内を少し隠して、気に障らないようにお互い手探りで語り合う関係になってしまった子達だ。

 

 マルゼンスキーには気になる友達がいる。

 

 その子は無茶苦茶なことばっかりやってて、そばから見ていて放っておけない子。

 少し目を離したら訓練と称してバーベルじゃなくて大岩を持ち上げようとしてたり、理事長にお願いをして重力室なる謎のトレーニングルームを建造させようとして困らせたり、ちょっとどこか頭のネジが緩んでいてみんなで必死で諌めたりする天然気味の子。

 先ほど話したバンドグループのリーダー……と言うより心配で周りが放っておけない誰よりも行動力のある子。

 

 マルゼンスキーには大好きな好敵手がいる。

 

 その子はいつも一生懸命に逃げるマルゼンスキーの背中を追ってきて。

 自分に才能がないと思っているみたいだけど、誰よりも努力をする才能を持っている素晴らしい子。たまにふらりとどこかに行って、今までよりも強くなって帰ってくる努力の子。

 マルゼンスキーが出走を決めると誰よりも先に出走登録を済ませて、堂々と宣戦布告をしに来る気持ちの良い子。

 

 その子は気がついてないけど、その子のおかげであたしはここまで強くなった。

 一人であったなら、きっと知らない世界。

 

 そんな幸せな世界を見せてくれた、大切なライバルだ。

 

 

 ◇

 

 

 かちゃん。

 高いところから物を落とした音が響く。

 いつものバーガー店で、サイドメニューのナタデココを食べていたマルゼンスキーがスプーンを指から滑らせ、皿に落としてしまった音だ。

 普段であれば慌てる素振りを見せるだろうが、今日は微動だにせず、視線は壁にあるテレビに釘付けだった。店長が注意してもよさそうだが、その店長はドンガラガッシャーンとよく聞く音でひっくり返ってしまってそれどころではない。

 ポテトを安心して食べていたヴァッサゴちゃんとケーキを食べていたジャーマンケーキちゃんと机の上に沢山食品をのせてムシャムシャしていたムシャムシャちゃんがバタバタと店内を駆け回る。

 

 直前の事だ。

 全員がテレビで頭ハッピーセットの宣言、インタビューを聞いていた。

 前半分を微笑ましくそんなこともあったなとニコニコ聞いていたら、その後の燃える闘志の押し売りで相変わらずだなと衝撃を受け、その直後の『休学』発言で絶句したのだ。

 

 怪我の心配や、ついに私がレースに出ている事で? とマルゼンスキーは血の気の引いた顔で、インタビューが終わった後の慌ただしい店内を呆然と見ていた。

 そんな時、倒れた店長の処置を終えたヴァッサゴ達がマルゼンスキーに近づいてくる。怒っている様子だ。

 なにか言われるのだろうか? マルゼンスキーは不安になった。

 だが、ヴァッサゴ達が口に出したのはハッピーセットへの不満だった。

 

「マルゼンスキーさん! マルゼンスキーさんはあの頭ハッピーセットから『休学』の話って聞いてました!? ……あー、その顔見るになにも言われて無かったんですね」

「え、ええ……」

「もう! 勝ちたいライバルにこんな顔させて!!」

「ジャーマンスープレックス……はだめ? じゃあピコピコの刑だねー」

「私もさすがにムシャクシャしてきました!」

 

 ジャーマンケーキちゃんとムシャムシャちゃんまで珍しくご立腹である。どこからともなくピコピコハンマーを取り出して装備し始める。

 マルゼンスキーはあまりの光景に呆気にとられた。

 そんなマルゼンスキーの手を三人が握る。

 

「「「あのアホを今からとっちめに行きますよ!」」」

 

 一緒に行こう!

 みんながマルゼンスキーの手を握って、ハッピーセットに理由を聞きに行こうと提案してくれた。

 それを、マルゼンスキーは。

 

「ごめんなさい。あたしは…………行けない。いいえ、行かない」

 

 断った。

 心配そうな三人が顔を見合わせた。

 マルゼンスキーは言葉を続ける。

 

 先ほどの衝撃を受けた表情から立ち直っていた。

 ヴァッサゴ達が自分よりも遥かに感情を昂らせていたから冷静になれたのだ。

 ハッピーセットのインタビューを思い出す。

 彼女は『休学』と言った後に何と言っていた? 

 今のままじゃ実力が足りないと言っていた。

 

 であれば。

 彼女はまた、挑みにくるはずだ。

 絶対に。

 

 ────あの子は逃げるのが苦手なんだから。

 

 宣戦布告を受けた選手としての姿でマルゼンスキーは告げる。

 

「確かに『休学』と言っていたわ。でも、その後に『絶対に追いつくから』と言っていたわ! 彼女は絶対に追いついてくる。そうでしょう?」

「………………はぁ。何だか妬けちゃうなぁ」

「え?」

 

 ヴァッサゴが耳と尻尾を一瞬しょんぼりとさせて、ジャーマンケーキとムシャムシャに肩を叩かれてすぐに立ち直る。

 

「ううん、何でもないですよ。ま、ハッピーセットちゃんが『休学』を相談したり報告しなかったことに関してはとっちめますからね?」

「ふふ、そうね。とってもびっくりしちゃってチョベリバよ! しっかりと懲らしめてあげて!」

「ちょべ……」

 

 立ち直って話を聞いていた店主がすごい勢いで首をブンブンと縦に振った。

 あれは絶対に追いつくと言っていた部分への首肯だろうか? それとも懲らしめるという提案に対しての首肯だろうか……? 

 ふふ、と口元を隠してマルゼンスキーは微笑む。

 

 その会話の後、店にあった一番新しい月刊トゥインクルを掴んで店を出てトレセン学園に戻ろうとしたヴァッサゴ達。

 

 だったのだが……。

 

 彼女達は少しだけ物言いたそうにモニョモニョと口を動かしてから、ええい! と気合を入れたようにまたマルゼンスキーの前まで戻ってくる。

 そしていつかのようにズビシ! と指をさして言ってやった。

 

「一応! 私たちも、マルゼンスキーさんのライバルだと思ってますから!!」

「あの子がいない間に、貴女に勝つのは私達だからねー」

「長距離でなら、今度こそ私が勝ちますから!」

 

 そう一方的に言い捨てて、今度こそ三人はバーガー店を飛び出して行ったのだった。

 

 残されたのは目を丸くしたマルゼンスキーと、クツクツと笑う『モブウマ娘ーず』のファンである店主だけであった。

 呆然とするマルゼンスキーに、店主は親指でいつかの色紙を指差す。

 

 その動作を見て、かつて言われた店主の言葉をマルゼンスキーは思い出した。

『モブウマ娘ーず』全員の名前が書かれた色紙に目を向けたマルゼンスキーは、ばつが悪そうな顔で前髪をいじるのだった。

 

 

 ◇

 

 

 少し時間を置いて、トレセン学園に戻るマルゼンスキー。

 するとトレセン学園の校門の前に見慣れた白いちびっ子ウマ娘ハッピーセットの姿を発見し、慌ててその身を周りの電柱の影に隠す。

 そして、彼女の後ろで腕組みをして格好をつけていたトレーナーに思いっきり目撃された。

 

 しー! とマルゼンスキーは申しわけなさそうに口の前に指を一本立てて、黙っていてほしいとお願いをした。

 隠れた理由は、ヴァッサゴ達にハッピーセットの下へ行かないと言った手前なのと、次に会うのであればレースがいいとマルゼンスキーが思ったからだ。

 

 ちょうどその時、待つのに飽きたのかハッピーセットがマルゼンスキーのいない校舎の方に向かって大声を出し始める。

 

 言っていた言葉は首を洗って待っていろ! 次に勝つのは僕だ! 

 悪役がしそうな三段笑いを行った。

 しばらく笑ってから、……なぜか不思議そうに首を傾げている。

 そしてまた何かを思いついたのか、何度も何度も同じような勝利宣言を繰り返し始める。

 やれやれと後ろでその様子を見守っていた彼女のトレーナーが、何か悪戯を思いついた顔で隠れたマルゼンスキーを見た。

 その後、ニヤニヤと笑いながらハッピーセットの隣に並んでハッピーセットのように大声を上げる。

 

 彼女のトレーナーは、──学園の生徒全てに宣戦布告をかました。

 

「うちのハッピーセットは長い間休学をするが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!! 詳しくはこの子のインタビューを見るんだな! わーはっはー!!」

 

 ハッピーセットは気が付いていなかったが、叫ぶハッピーセット達を見ていた学園に在籍するウマ娘達の動きが一瞬ピタリと止まり、ぎろり! と二人を睨みつける。

 それもそのはずだ。

 彼女のトレーナーは『お前らじゃ数ヶ月あってもマルゼンスキーには勝てないで? ま、うちの子は次に戦ったら勝つがな! ガハハ』とはっきりと喧嘩を売ったのだ。

 ここは天下のトレセン学園往来。

 自身の夢のレースに勝つためにきついトレーニングを続けられる勝ち気なウマ娘が多い場所。

 なんて太い奴だ! と、ウマ娘達の勝負に対する意識の導火線に火をつけたのだ。

 

 陰口? いいや、真っ直ぐな言葉でぶん殴るね! 

 彼女のトレーナーも、だいぶ頭がハッピーな奴であった。

 

 その直後、流石にその発言はアウトだったのか笑顔のまま校舎から疾走してくる駿川たづなの姿と慌てて逃げ出すハッピーセット達が見えて、マルゼンスキーはあはは……と乾いた笑いをこぼす。ちなみにトレーナーの方はバチ☆コーン! と大して上手くないウインクをマルゼンスキーに飛ばしてから逃げ出していた。

 

 多分あれは、彼女のトレーナーなりの激励だったんだろう。

 マルゼンスキーに対しての『うちの子以外に負けるなんて不甲斐ないところを見せてくれるなよ』というメッセージ。

 

 

 数日後。

 話はするが気持ちが疎遠になっていたかつての友人がマルゼンスキーのもとに訪れる。

 真っ直ぐに目を見て謝罪を受けた。かつて心無い言葉を言って申し訳なかったと。

 

 その友人の目には強い光が宿っていた。

 その目には。

 

『あの頭ハッピーセットに吠え面をかかせてやる。そして何より、自分が逃げ出してしまったマルゼンスキーに勝利したい』

 

 そう書いてあった。

 熱い心が燃え盛っていた。

 誰かさんの闘志の貰い火が、学園中で燃え盛った。

 

 マルゼンスキーはしっかりと謝罪を受け入れた。

 だが、謝罪に来た子にキッパリと告げた。

 

「かつてのあたしは、確かに気持ちよく走りたかっただけだった。──でも、今はもっと気持ちよく走りたいの」

 

 そう。

 

「たくさんの強い意志を持った子達と戦うの。そして、それぞれの持っている全力で戦うわ。ね? 想像するだけで最っ高に気持ちの良いレースができると思わない? 案外、あたしは欲張りだったみたいなの」

 

 かつての答え。

 気持ちよく走るだけ。

 今もその思いで、それを目的に走っていることを告げる。

 なにも間違いじゃない、私は今その目的を堂々と言えると胸を張って宣言した。

 

 さぁ久しぶりに並走して練習しましょう! と、眩しい物を見る目をしていたその子の腕を引いて、マルゼンスキーはターフへ向かっていく。

 

 

 それからマルゼンスキーは、様々な強さを持った選手達と戦った。

 全力で、楽しげに、最高に! 

 そして、その結果。

 

 ────無敗のまま、ハッピーセットが語った『一番星』として『有マ記念』へと臨む。

 

 

 ◇

 

 

 有マ記念。

 フルゲート16人。

 

 その戦いの幕が落とされる。

 

 ビリビリと各ゲート内からプレッシャーが放たれる。

 気の弱いウマ娘やゲートが苦手なウマ娘がいれば確実に出遅れてしまいそうな緊迫感。

 

 それでも。

 一度強く目を瞑ってから、カッと目を見開いて。

 不敵な笑顔を浮かべマルゼンスキーとハッピーセットはレース開始の合図を待つ。

 

 客席が静かになる。

 ビリビリとゲート内で各ウマ娘の緊張感が高まって行く。

 レース参加者全員、観客すら見逃すまいと集中力が高まる。

 空気すら張り裂けそうな、その瞬間。

 

 ガコン! 

 

 全員が集中力を高めた一秒一瞬たりとも無駄にしない一歩を踏み出し。

 各々の作戦の位置を狙って争いが始まる! 

 その中、マルゼンスキーはかつての『スプリングステークス』のように、ハッピーセットと視線を交えようとする。

 

 ──その油断を狙う者がいる! 

 

「死ぬほどゲート練習をしてきたんだッ! 私がハナを頂く……!!」

「ッ!」

 

 逃げの作戦。

 マルゼンスキーの得意とするソレをこのレースに参加した『流星』の一つが、マルゼンスキーよりも上手く駆け出し、集団の先頭『ハナ』を奪う。

 

 先駆け、──否! 

 先手必勝! 

 

 そう言わんばかりの逃げを狙う『流星』は、髪を靡かせ誰よりも早く加速する。

 

「やるわね! けど……甘いわっ!」

「!?」

 

 だがマルゼンスキー。その少女の二つ名『スーパーカー』は伊達ではない。

 清々しいほどの晴れの日。それゆえの良バ場。

 踏み締めるターフの芝を確かめ、観客の視線を釘付けにする、まるで優雅な踊りのように最前方へのステップを踏む。

 

 地を固める、そう言える表現で本日の芝の感覚を一瞬で体に慣らし、この中山レース場での踏切の最適解を見つけ加速する! 

 後ろに向けようとしていた視線を戒め、眼前を行く『敵』を見据える! 

 

 奪われた『ハナ』を一瞬で奪い返す!! 

 

 決して油断をしてはいけない、そう自分に言い聞かせてマルゼンスキーは笑みを深める。

 このレースに参加する全てが『最強』に挑んでいるのだ! 

 そう戒める!! 

 

 

 激しい位置取り争いがレースの先頭で行われる。

 ──故に、マルゼンスキーは気が付かない。

 その激しい『ハナ』の奪い合いの様子を見て遥か後方で、一人の『星屑』が口元を吊り上げた事に。

 

 

 ◇

 

 

 半年間だ。

 マルゼンスキーは、半年間の間とある少女がいない場所を走った。

 初めは少し心細かった。

 再び心折れるものが現れ、自身がレースにすら出場できなくなるのではないかと、小さな不安があった。

 

 だが、そんな不安をよそにレースは次第に白熱していった。

 

 心折れる者などおらず、僅かな癖でも見抜こうとトリックを仕掛けてくるウマ娘まで現れ始める。

 そのことごとくをマルゼンスキーという少女は面白いと正面から迎え撃っていく。いつだってギリギリの戦いを描いてきたとある少女との真っ向勝負のせいで、生半可な負けはしたくない、そう胸に誓っていたから。

 同世代全員が闘志を剥き出しにマルゼンスキーに挑んできた。

 

 危うげな時もあった。背後まで迫られる時もあった。

 

 それでもマルゼンスキーは勝利してきた。

 だって、あの白い少女ならもっと激しい接戦を繰り広げてきたから! 

 あの少女ならもっと激しい闘志で向かってきた! 

 

 その思いでマルゼンスキーは。

 

 

 ──その少女のいるレースに参加してしまった。

 

 

 ◇

 

 

 レース中盤も終わりに差し掛かる。

 

 先行策のウマ娘たちが加速する。

 自分達の前を逃げるウマ娘たちの『ハナ』を奪い、そのままバ群の中へと導き、体力の無くなっている所を仕留める作戦。

 

 成功すれば勝負を決めるほどのキラーチューン! 

 

 マルゼンスキーさえ存在しなければスピードスターとも呼ばれるだろう速度で、逃げるマルゼンスキーからハナを頂こうとする先行策の『流星』たちが鍔迫り合いを仕掛ける!! 

 それを見逃さずに虎視眈々とタイミングを図っていた差し策の『流星』が我こそは! と迅速果断に差し切り体勢を整え、勝利を狙う!! 

 

 だがしかし。

 残り四ハロン。残り800mの場所。

 カーブに入る瞬間。

 

「遊びはおしまいよ!」

 

 先行策、差し策。

 もろともに『ハナ』を奪おうとした瞬間。

 マルゼンスキーの凄まじい踏み込み。

 逃げていたマルゼンスキーの体勢が沈み込む。

 

 後ろのウマ娘たちを振りきるように加速して、勝負服の紅の残光が後続の視界に焼けつく! 

 

 トップスピードでカーブに挑み、後ろを突き放す。

 彼女の『領域』が目覚める。

 

『スーパーカー』

 その本領を発揮する! 

 

 マルゼンスキーは笑っていた。

 楽しげに、少女のように。

 勝利を目前に見据えて、気持ちよく走りきるために。

 

 そして。

 

 ──そういえば、ハッピーセットは? 

 

 ゾクリッ! 背筋が粟立つ!! 

 

 完全に意識の外に置いていた己の好敵手の気配を探した。

 曲がりながら、カーブの外を見た。

 かつてのレースなら、距離を詰めるハッピーセットの姿が確認できたはずだ。

 

 ────誰もいない。 

 

「っ、まさか! ……!?」

 

 カーブの内側。

 マルゼンスキーがトップスピードでカーブに入ったせいで一人分空いてしまった空白のエリア。

 

 そこに白く迫る影を見た。

 虎視眈々と息を潜めて、遥か後方から上がってきていた少女の姿。

 以前なら絶対に思考から外さなかった相手が、マルゼンスキーの虚をついて勝負を仕掛けてくる! 

 

「真打、登場ッ……だッ!」

 

 歯を食い縛って、激痛に耐えるような滝汗を流す白い星屑、ハッピーセット。

 彼女はとんでもないことをやっていた。

 高速で速度を一切落とさずに直進するように曲がるという絶業。

 ハッピーセットに理屈は解らないが、トレーナーに知らずのうちに日本縦断する間に躾けられた足技。

 

 それは歩幅を極端に使い分ける『等速ストライド』と海の向こうで呼ばれた究極の技術。

 ……といっても、ハッピーセットのソレは本家に比べれば稚拙と言えるものであった。

 

 だが飛び抜けたマルゼンスキーの才能を、繰り返した努力の技術で一歩分ずつ詰めていく!

 

 カーブで曲がる時、人は曲がる方向の外側に重心をかける。

 体を守るために、足の負担を少しでも減らすために本能でそうしてしまう。

 だがそれを無理やり歩数を増やし、体の内側にのみ重心をかけ、膝の関節にウマ娘の最大速度の負荷を掛けて、マルゼンスキーの内側をついてゴールへの最短距離を目指す。

 

 一般的な他のウマ娘が行うと一瞬で故障する足技。

 ハッピーセットの体の頑丈さを存分に生かした究極の選択! 

 半年休学して物にしたスピードトレーニングの足捌きを存分に生かす一手! 

 

 壊れても良い! 

 この瞬間に人生の全てを賭ける後先なにも考えない刹那主義の行動。

 まさに、博打うち! 

 曲線のソムリエ。弧線のプロフェッサー! 

 それは今の彼女を表すに相応しい名称だった。

 

 マルゼンスキーは感じた。

 最終カーブを終えて直線に入り、絶対に負けたくない相手が────半バ身先にいることを! 

 

「ォ……ッァア! 僕、が!!」

「…………………………ッ!!」

 

 最終直線に入る。

 残りのウマ娘たちは遥か後方。

 

 マルゼンスキーの視界がスローモーションになる。

 世界が真っ白になり、ハッピーセットの背中だけを視界がとらえた。

 

 音が消える。

 脳でアドレナリンが全開で放出される。

 それはスポーツ選手が入るゾーンの領域。

 

 ──負ける。

 このままだと、半バ身を維持されたまま負けるぞ。

 胸の中から誰かの囁き、ウマソウルの嘶きが聞こえた。

 

 バチバチ、思考が弾ける! 

 頭の中で沢山の選択肢が生まれた! 

 

 そして──────掴んだ。

 

 マルゼンスキーの口元が、三日月に歪む。

 

「まだよ!」

「……ッ!」

 

 まだだ! 

 中山レース場に一陣の風が吹く。

 

 観客は見た。

 一瞬。

 ほんの一瞬だけ速度を落とした『一番星』の再加速を。

 逃げて差すと言わんばかりの時代の先取り、ソレをこの時代の最強が行う。

 

 まさに好転一息。

 並の精神では出来ない行動選択。

 最終局面で一瞬だけ息を入れて、再加速する『怪物』の姿があった。

 

 一瞬で空いた半バ身差が詰まる!! 

 白と紅が、横に並んだ! 

 

 残り200。

 

 ビキリ、あまりの理不尽を感じたハッピーセットの額に青筋が走る。

 真横にはいつもいつも理不尽を与えてくる深紅の姿。

 沸々と並々ならぬ感情が押し寄せてくる。

 

 もう、ゴール板が見える。

 最後の上り坂、その先に栄光が待っている。

 

 残り100。

 

 今度はハッピーセットの視界がスローモーションになる。

 真横には、かつてのようにスーパーカーの姿。

 

 このままだとまたハナ差で負けるぞ。

 胸の中で誰か囁き、ウマソウルの嘶きが聞こえた。

 

 残り50。

 

 バチリ、思考が弾ける! 

 そして────なにも思い浮かばなかった。

 

 ずっと望んだ特別な『領域』も。

 勝ち筋を確定させる特別な選択肢も。

 最後に賭ける人生の残金すらも。

 

 

「──ぁああああああああああああああああ!!!!!!」

 

 

 残り10。

 

 ハッピーセットは全力で腕を振った。

 何度も『モブウマ娘ーず』と練習したフォームで。

 ハッピーセットは足で強く地面を蹴った。

 何度も『マルゼンスキー』に敗北した鍛え抜いた強靭な足で。

 がむしゃらに、ぼろぼろと涙をこぼしながら吠えた。

 言葉にならない、マルゼンスキーに勝ちたい答えを!! 

 

 

 ──全身全霊で、一人の少女の青春の力、全てを振り絞った!! 

 

 

 残り0。

 白と紅がほぼ同時にゴール板を抜ける。

 

 

 ハッピーセットはよたよたと歩く。

 ぜひゅ、ぜひゅ! 自身の呼吸音がうるさい。

 

 耳をペタリと伏せて、恐れるように尻尾を足に巻いた。

 地面の芝を見て、立ちすくむ。

 電光掲示板を見るのがこわかった。

 勝敗が分からないのに、涙が止まらなかった。

 

 その時ぎゅっと誰かに抱き締められる。

 マルゼンスキーだ。

 それを契機にレースを終えたウマ娘たち全員が、ハッピーセットとマルゼンスキーを抱き締めに来る。

 

 そして。

 ──────実況が叫んだ。

 

 

 

「年末、貴方の夢を叶えたのは!! 

 

 

 最高の『幸せの詰め合わせ』だぁーっ!!」

 

 

 

 観客が感極まったように、涙をこぼしながら歓声を上げた! 

 

 ──ハナ。

 

 電光掲示板に、そう書いてあった。

 視界が歪む。

 一着ハッピーセット。

 二着マルゼンスキー。

 

「ぁ…………」

「ついに負けちゃったわ。……おめでとう、ハッピーセット」

 

 ぼろぼろとハッピーセットは涙溢しながら、信じられないように目と口を開いたまま、声にならない嗚咽を漏らした。

 

「でも、いつまでもそのままじゃダメよ? ほら、ウィナーズサークルで皆が待ってる。ほーら、涙を拭いて!」

 

 レースに参加したウマ娘達が次は私が勝つと宣言しながら、抱き締めるのをやめてその場を離れていく。

 そして、マルゼンスキーと二人になる。

 観客は拍手と口笛、歓声を上げながらハッピーセットを待っていた。

 

 許可をもらったのか、ハッピーセットのトレーナーと『モブウマ娘ーず』のみんなが手を振りながら駆け寄ってくる。

 

 みんな泣いていた。

 

 それを見届けたハッピーセットは強く涙をぬぐうと、改めてマルゼンスキーに向き合う。

 

「マルゼンスキー」

「どうしたの、ハッピーセット」

 

 言いにくそうに、涙をこぼしながらポツリと言葉をこぼす。

 

「僕は……。僕は、ライバルになれたかな? ……これからも君のとなりで走れるかな? きっと僕なんかより強い奴らがいっぱい来る。それでも僕が君のライバルを名乗ってもいいかな……?」

 

 ずっとマルゼンスキーに勝ちたかった、ハッピーセットというウマ娘の吐露。

 

 始まりは大差を覆したかった。

 続いて走って、最高のレースを何度でも。

 実力の頭打ちで、置いていかれるのを恐れた。

 それでも。

 それでも横で走っていたかったから。

 だって、その少女と走るレースは最高に楽しくてワクワクして、とっても幸せだったから。

 

 なんとしても一勝をもぎ取って、隣に並べるという結果が欲しかった。

 そのためだけに、彼女は人生全てをかけた。

 

 キョトン、その表現が似合うようにマルゼンスキーの目が丸くなる。

 そして吹き出した。

 

「ふふ、あはは! やっぱりハッピーセットはハッピーセットね。そんなの、ずっと前からそうよ。……本当に気がついてなかったの?」

「誰が、頭ハッピーセットじゃ……。 ……そっか、そうだったんだ」

 

 心底安心したと、その場にへたり込むハッピーセット。

 それを見たマルゼンスキーはいたずらな少女の笑みを浮かべて提案をする。

 

「ね、あたしのライバルさん。アレ、やりましょう!」

「アレ?」

 

 マルゼンスキーが手を差し出す。

 宙ぶらりんに揺れる手。

 

 そして──()()()()()()()()()()()()()

 

「次はあたしが勝つわ!」

「……へへ。次も僕が勝つよ」

 

 その手を、互いに取った。

 

 一人は逃さないようにしっかりと。

 一人は追いかけてきてと力強く。

 

 お互いに手を握り合わせて。

 

 清々しいほどの青空の下、二人のウマ娘は再戦を誓う。

 どちらも、溢れた涙の跡が残る美しい笑みで笑い合う。

 

 これからたくさんの綺羅星が台頭してくる時代がくる。

 一つ一つの強い輝きに、スーパーカーの隣を流れた一瞬だけの星屑は忘れられてしまうかもしれない。

 

 だが、その時代、その横に確かに存在した。

 強い輝きに負けないように、持てる全てを使って輝く流星達が。

 

 

 確かに、美しく空を飾っていたのだ。

 

 

 ある所に強いウマ娘を見つけるとレースを挑みにいく少女がいた。

 少しちゃらんぽらんで、目を離すと訳の分からない行動の多い不思議な子。

 どんなウマ娘にも『幸せの詰め合わせ』を送り届けるウマ娘。

 

 

 ──その子の名前は『ハッピーセット』と言ったそうだ。

 

 

 




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