ティア・マルフォイは過去の人 (祕(himeru))
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第一章 Noble foundling
ティア・マルフォイは目を覚ます。


何が起こったのか分からないが、聞いてくれ、初めはハリーとかわゆいにょたフォイを書こうと思ってたんだ。気づいたらニュートとにょたフォイを書いていた。

バブみのあるニュートとメスガキなドラコでフォイフォイして欲しいだけの話です。


 

この日、例のあの人は死んだ。私達にとって、否、私にとって酷く複雑なもので。

 

ずっと両親が慕っていた存在だった。ずっと私を縛る存在だった。ずっと、私の生きる理由だった。そういう家に産まれたから、そういう教えを受けてきたから、そういう考え方しか知らなかったから。理由なんていくらでもあって、でも結局は“ティア・マルフォイ”だから、で全ては語れる。

 

張り詰めていた息を吐き出すような勝利だった。目線の先では、ひっそりと、静かに誕生した英雄。ボロボロの体で、崩れ落ちた城を前に悪は倒されたと囁く。

3人の仲間達が笑い合うその姿をただ見ていた。そこに黒い影がそっと現れたのも。

 

みんなのヒーロー。

 

とある死喰い人がその杖を彼に伸ばしたのも。

 

この世の救世主。

 

それに気づいた誰かが目を見開いたのも。

 

私の▫️。

 

だから、これくらいいいよね?

 

「マルフォイ!!!」

 

その声が悲鳴に似てた。投げ出した体はポッターと杖先を繋ぐ直線上。不思議と痛みは感じなかった。力の抜けた体が拾い上げられる。ポッターだ。

 

「なんで!」

 

なんで?なんで…だろうなあ。ぼんやりと空を見上げる。今にも降り出しそうな重い空だ。

 

「お前は僕を嫌ってたはずだろ!?」

 

きらきらと輝くエメラルドが眩しくて目を閉じた。音が遠い。ああ、嫌いだとも。理解が出来なかったから、私の全てを否定するから、お前の傍は息がしづらい。それでも、何でかな、お前のその悔い残すことはないと言わんばかりの顔がムカついたんだ。命と引き換えに巨悪を倒しました、なんて立派な英雄譚見たくもない。このままお綺麗な英雄なんかにしてやるもんか。今まで散々邪魔してきたんだから、今度は私が邪魔してやるさ。

 

「ざまあ、みろ。」

 

精々、私の死を抱えて生きてくんだな。

 

ぽつり、頬に雨が堕ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目を覚ました。古臭いベットの上で身を起こす。息を吸って、吐く。見渡した部屋は変わらず“私にとって”時代遅れのデザインで。こんなんじゃビンテージ好きを嘯く田舎者のテンションだって上がらない。

 

ティア・マルフォイ。それが私の名前だ。聖28一族の1つに産まれたルシウス・マルフォイの実子にして跡継ぎ。英雄(“私達にとっては”呪いの子)と同時期に生を受け、そして、1人死んだ。あの淀んだ空も、あの光の歓喜も、あの生々しいまでの終わりも、全部覚えてる。それでも私は息をしていた。この、100年ほど前の世代で、また私は同じ名を得た。

 

時代は違えど、魔法は変わらない。母親の杖をおもちゃ代わりに振れば“既に”有った古書はふわふわと浮いた。ふにゃふにゃと喃語しか話せぬ口でもこの程度であれば英雄ではない私だとしても無言呪文で事足りる。例え、他人の杖であってもこの血に宿る純粋なまでの豊潤な魔力を正しく使えば容易いことだ。

杖を“置いてきてしまった”と慌てて姿を現した母親はこんな初歩の初歩を見て。赤子が杖を持ってることなど目に入らなかったかのようにガリガリの頬を萎びたトマトみたいに染めてよろこびを顕にした。

 

「ああ、ああ!ティア、私の喜び、私の天使!貴方は私の宝石よ!!」

 

興奮のせいか、赤子にするには荒々しい仕草で抱き上げたその人に思ったのは、違うな、それだけだった。だから

 

ーーーーー!!!!!!

 

癇癪を起こした。だって違うのだ。嫌なのだ。気持ち悪くて気持ち悪くて仕方ない…!!私の親はお前ではない!私の時代はここでは無い!!私の欲しいものはこれじゃない!!!私の、私の、私の!!!!

 

「ティア!ティア!素晴らしいわ!!こんな魔力暴走!こんなに魔力が豊富だなんて!!」

 

……私の名前は同じなのに…。

家具飛び交う中、高く笑う声に力を抜いた。

 

ードスン、ドスン、ガシャ、ド、バキッ、バササ

 

それにニコニコと笑った母親はマグルの絵本に出てくる下品な魔女みたいに嬉しそうに杖を1振り。それだけで全ては元通り。なんて都合のいいことだろう。私の精一杯の怒りでさえも無かったことになる。そして、母親は嬉しそうに私を揺りかごに戻し、去っていった。

どうせ父親にでも報告するのだろう。あの子供はこんなにも素敵なものを持っていましたよ。マルフォイ家に相応しい子供ですよ。それを産んだのは私ですよ。女の私など必要なかったくせに。

 

だから、故に、諦めた。ここには何も無い。私が愛したあの家族も。私を愛した家族も。私が認めて欲しいと願った父も。私がその温もりを求めた母も。私が生きてほしいと祈った誰かも。

抱き締められても安心できない。褒められても誇れない。教わっても慕えない。共に過ごしても喜べない。なんだこの歪な関係は。気持ち悪い。薄々思っていた感情ははっきりと根強く私に植え付けられた。

 

もしかしたら、そんな気持ちで使った魔法。この年で他人の杖で魔法を使えば褒めてくれると分かっていた。褒められることは好きだ。けれど、やはり、誇らしげに喜ぶ母親を見ても心はピクリとも動かなかった。

 

私はきっと未来に何か大事なものを落としてきてしまったのだと知った。

 

そんなことに気付いたとしても私はそれを拾いになどいけないし、それを落としていたよと差し出してくれる人もいない。

体は成長していくのに、心がそれに伴わない。理不尽なことばかり知ってしまった心はただ腐っていくのを待つだけだ。

同じ名前の似た体に押し込められた私は前よりずっと上手く生きてる。マルフォイらしい見た目で着飾って、息女として淑やかに振舞って、“既に教わった”ことを誰よりも早く吸収して。

マルフォイ家の真珠。魔女の中の魔女。気高き血の姫君。

全部、全部、私を示す名で。全部、前にはなかった呼び名だ。

 

あの時代、私が産まれた頃、例のあの人が倒された。1人の赤子によって。だからこそ、女児として誕生した私が跡取りになった。もう1人子を儲ける余裕はあの陣営の家系にはなかったのだから仕方ない。それでも母も父も精一杯の愛で育ててくれた。

けれど今は違う。例のあの人は未だいない。男系の家系であるマルフォイ家に欲しいのは女児よりも正当な後継者となる男児だ。だからこそ、ティア・マルフォイは綺麗に美しく誇り高きマルフォイ家の純血として完璧でいなくてはいけない。いつか、近い未来、純血を作り出す為に家を出る。私は必要じゃない。

 

「ティア、」

 

“今の”父親が私を呼ぶ。“以前”何度も肖像画で見た顔だ。目だけでわかってるなと問う。今日はクリスマス。我が家はホストとして豪華絢爛に品行方正に身分相応の華々しいパーティを開く。…くだらない。

 

「マルフォイ家に恥じぬ振る舞いを。」

 

カーテンシーと共に下げた顔でわらった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

クリスマスの夜、去年だったら家でワクワクとプレゼントでも待ってたのに。ああ、あの時貰った図鑑は最高だったな…。読み返したくなってきた。帰ってもいい?ちらと見た両親はヒッポグリフについて見知らぬ貴族に熱く語っている。だいぶ引かれてるの気づいてる?

 

なんでこんなことになったんだろう。そう思えど、答えは同じ。“かの有名な高貴な血、マルフォイ家のクリスマスパーティに招待されたから”。母さんがヒッポグリフの新しい生態を発見した故の、一時的な興味だ。来年にはきっとみんな忘れて、新しい奇抜なカボチャみたいなドレスのデザイナーが呼ばれてるだろうに。

母さんがプレゼントを飾るみたいに結んだ蝶ネクタイを弄る。遠目にはテセウスがその要領の良さで器用に同年代とおしゃべりしてる。ほっぺを赤くしてるあの子だって数年後にはテセウスのことなんか初恋として消費してボーイフレンドを作ってるんだ。

 

ギラギラ眩しいシャンデリアから目を逸らしてフリルやら宝石やらで膨らんだ人影の中で何かを探す。魔法生物が隠れてたりしないかな。妖精くらいならいてもおかしくないんじゃないか。さすがマルフォイ家の屋敷しもべは演奏の質が違うな、よくわかんないけど。

そうやって視線をあちこちに移す僕は落ち着きなく見えただろう。証拠に誰も話しかけてこない。まあ、そっちの方が僕としてもいいし。

 

そんな時、何かキラキラしたものが視界の隅に入った。ゴールドよりギラギラしてなくて、宝石より目に痛くなくて、ガラスより反射しないもの。それは、小さな女の子の形をしていた。自分と同じくらいの女の子。豪奢な椅子に行儀よく座ってる姿はまるで人形みたい。どこかの家の女の子はこんなビスクドールを大事そうに抱えてたっけ。

 

キラキラ、キラキラ。絵本で見たユニコーンの仔馬みたいな綺麗な毛並みにスウェーデン・ショートの鱗のような青白い肌は遠目にもすべすべとして見えた。

でも、それよりも、何よりも目をひかられたのはその瞳。何に例えたらいいのか、どうしようもなく、心惹かれて、逸らせない引力を持つそれ。

なんだろうか、近くをふよふよとロウソクの炎が舞う。ああ、そうだ、これは灰に似てる。1度だけ、見たことがある。あると言っても絵画の中だけだけど。不死鳥の死の瞬間。不死鳥の命が燃え尽きたあと、そこに残る灰にどうしようもなく似てる。

 

「きれいだ…。」

 

呟いた言葉は意識するより早く熱気を帯びた空気に溶けた。人間のはずなのに、人間じゃない。そんな特別な空気を持った子。どこまでも純粋で、どこまでも不純なその子は、絵画にだっていない。動くあの住人達よりこの子は人間らしくない。だからこそ、美しい。

 

ただ呆然とその子に見惚れる。瞼なんかどっかに行っちゃったみたいに瞬きすら出来ない。綺麗なその子の静かな目がこっちを見る。そして、

 

ふ わ り

 

口元に弧を描いた。元来、笑顔は威嚇から来たと言われている。友好関係を気づく上で必要とされる表情は敵対を示す顔だった。それを僕は身を持って知った。

 

「ハァイ、ミスター。」

 

するり、隙間を縫うように距離を詰めたその子は想像よりずっと小さかった。静かな灰が僕を見る。

 

「私はティア・マルフォイ。我が家自慢の葡萄ジュースも取らずにキョロキョロして。何か物珍しいものでもご覧になって?」

「え、あ、え。」

 

右見て、左見て、後ろ見て。彼女が話しかけてるのは僕?そんな気持ちでその子を見れば、肩をすくめるように綺麗な眉尻を器用に片方だけ上げる。どうやら僕で合っていたらしい。

 

「え、っと…は、ハァイ。」

 

片手を上げるけれどそれをちらと見た灰はまた僕のつまらない青を覗き込む。そろそろと手を下ろす。怖くて目を逸らした。

 

「ミスター、お名前は?」

「あ、その、えと…ニュート。ニュートン・スキャマンダー。」

「ほう。かのスキャマンダー家の方でしたか。噂はかねがね。」

 

その噂とやらはヒッポグリフにしか興味が無いとか、危険な魔法生物を愛してやまない変人一家とかそんな所だろうと少し伏せた顔を顰める。やっぱりこの子も人間で、めんどくさい。これだからお貴族様は嫌なんだ。濃い血に絡まれる僕を周りの子供は気の毒そうに見て、知らんぷり。そうだよな、僕なんかを助けてくれるわけない。

 

「誇り高きヒッポグリフと共に生きてる立派な一族だとか。」

「…え?」

 

そろり、上げた目線の先には変わらぬ灰。そこに陰りも嘲りも見下しもない。ただ事実だけを告げるその口元に形だけの笑みを浮かべる綺麗なその子は知らない。

ヒッポグリフを、この子は誇り高いと言った。危険視される魔法生物に眉を顰める人々は知らない、その生態を。さも当たり前のようにバカにすることもなく淡々と。

それがどんなに物珍しいのかこの子は知らないのだろう。驚いた僕にその折れそうに細い小首を傾げたのだから。

 

「ヒッポグリフを…見たことあるの…。」

 

だから、問うた。眠くなるような古い本か、年寄りの愚痴でしか知る機会のないであろうあの美しい生き物が好きなのだろうか。この高い身分を持つような魔法生物のような彼女は。

 

「ええ、」

 

ティア、誰かが彼女を呼ぶ。そちらには性格を表すような細くて針金みたいな金髪を持った男の人が厳かな仕草で1つ頷いた。それを見た彼女は躾られた蛇みたいにするりと身を翻す。

 

「おかげで腕に爪を立てられたわ。」

 

レースで透けた真っ白な傷一つない腕を揺らしながら。

 



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ティア・マルフォイは純血少女。

 

ペラペラと重い本を捲る。開いたことのないそれは見たことのある内容ばかりを綴っていて面白みのない。大釜の中身は腐ったドブ色。こんなのから出来上がるものを口にするなんて鳥肌が立つ。

同じネクタイカラーのペアの人間が混ぜるその手をぼうと眺めながら、ペラリ、教科書を弄ぶ。粗方刻むのも終わって綺麗な机の周りで他の生徒は慌ただしく手を動かしていた。

 

ホグワーツに入学して2年。寮はもちろんスリザリン。帽子には訝しげな顔をされたが、記憶を覗ける訳では無いそれはこの身を走る血の特色を叫んだ。

私の学年にはブラック家を初めとした聖28一族の子供はいなかったからか。マルフォイの家名を持つ私を誰もが持て囃した。猫撫で声ばかりが響く寮生活に私はいつから彼らのベイビーになったのかとうんざりする。

それでも都合よく手足になってくれる彼らを使ってるのだから私も私か。

 

1、2、3、4、5

 

「ストップ。」

 

匙を回すその手を止めて、1度ぐるりと反時計回りに回す。そして、もう一度時計回りに戻して手を離した。

 

「続きどうぞ。」

「え、」

 

戸惑ったようにこちらを見て、恐れるように魔法薬学の教授を窺う彼女を内心鼻で笑う。マルフォイの名を怖がってるのが丸わかりだ。

 

「あ!」

 

しかし、その反応も次の瞬間変わる。魔法薬が完成したのだ。綺麗に澄んだ翡翠色。純度の高いそれは下手すれば教授の見せた見本よりもずっと美しい色をしていた。

歓喜の色を浮かべる女生徒の反応に近くを通りかかっていた教授は鍋を覗き込んで賞賛の声を上げた。

 

「これはお見事!スリザリンに10点!」

 

それににこりと笑って教科書を片付け始める。あとはこれを瓶に詰めて提出するだけだ。それくらい任せてもいいだろう。

 

「凄いわ!さすがティアね!」

 

こそこそ、と興奮を隠し切れない様子で馴れ馴れしく名前を呼ぶ彼女の名前を私は知らない。もちろん、クラップでもゴイルでもないことだけは知ってるけど。

 

彼女に教えたのは“前の”時には当たり前だった調合方法だ。最後に時計回りに5回混ぜ、反時計回りに1回、もう一度時計回りに5回で完成。

それだけで純度がグッと上がるのだから、魔法薬とは不思議なものだ。

そういうのは結構ある。呪文はあんまり変わらないけれど、魔法薬はちょっとした違いが目に付いた。そして、魔法生物飼育学はこの時代まだなかった。

現在、魔法生物は危険視されている。それは何も分からないからだ。人は分からないことを理解しようとするのではなく、遠ざけようとする。理解するためにはそれに近づかなかければならない。言葉が通じない相手に歩み寄るのは危険を伴う場合の方が多いのだから仕方ない事だとも言えた。

 

まあどちらでも良いが。

 

だって私は知ってるのだ。その生き物に対する対処法を、生態を、特徴を。ならば恐れることはない。間違わなければいいのだから。

教室を出た私の視界の隅に小さな緑の影。

 

「ーー」

 

手馴れたように小さく音を口ずさむ。それだけでそれはパタリと動きを止めた。幼い頃よく聞いた魔法族の子守唄だ。マグルと違うのはそこに魔力が宿ること。簡易的な眠りの魔法。私に悪戯しようと付け狙っていたピクシーの寝姿をそっと木の上に移動させる。今日はいい天気だからきっと素敵な昼寝が楽しめるだろう。

 

時代が時代だからか、あの頃より魔法生物を見ることは少ない。きっと人間を警戒しているのだろう。だからなのか、認識しても危害を加えてこない私の反応を面白がって近くを彷徨うそれらには馴れた。適当に相手してやれば彼らも悪いようにはしないと私は知っている。変に突っかかれば大怪我するのはこちらだしね。傷のない腕を無意識に擦る。もう包帯生活は懲り懲りだ。

 

「やあ、ミス・マルフォイ。」

「こんにちは、ダンブルドア“先生”。」

 

知らぬふりですれ違おうとした相手に呼び止められ、眉を寄せた。それを押し隠し振り返るのも馴れたものだ。こんなことに慣れたかった訳では無いが。

“いつか”の校長ににこりと笑う。それに髭の短い口元で笑みを返すその人は若々しい。でもとてもタヌキに思えてしまうのだから、人とは変わらぬものだなと苦い唾を飲み込んだ。

 

「今は授業中では?」

「課題は提出したので一足早く抜けさせてもらいました。読みたい図書があるので。」

 

“前”は禁書になっていた本が今はまだ禁書に指定されていないことがある。そういうものを読んでおくのも悪くない。誰も知らないけれど、禁じられたことをしているようでスリルを感じられる。淑女でいなければいけない私の小さな“悪戯”だ。

 

「ほう!勉強熱心なようで結構、結構!変身術にもその熱心さを出してもらいたいものだ。」

「あら、私としてはとても頑張ってるつもりなのですが…どうも苦手なようで。」

 

貴方が。そう口には出さないが喉の奥で呟く。

 

その煌めく目が嫌いだ。希望を夢見て、どこかで後悔を抱え続けるその目が私を哀れんでいるように思えて。私なんか見捨てて勝手に明日を見続けていればいいものを。善人ぶって差し出してくる手を切り落としたくなる。

 

「そうかい、そうかい。人には向き不向きというものがあるから仕方ないな。」

 

杖を一振。それで抱えた教材の上にポトリと落ちたキャンディは頭の痛くなるような甘い匂いがした。いつか、父が母に内緒でくれたものはこの時代には既にあったらしい。

 

「おお、そうだ。君はスキャマンダーくんを知ってるかな。」

「ああ、あの監督生だった?」

 

確か名前は…テセウス・スキャマンダーだったか。ハンサムで人当たりもよく、成績優秀。“前”のハッフルパフの誰かを思い出す。

顔も思い出せない私にゆるゆると目の前の人は首を振った。

 

「ああ、違う。その弟の、ニュートン・スキャマンダーくんだ。」

 

ニュートン、ニュート…。ああ、あの変人で有名な。

 

「ええ、存じております。」

 

とてもヘタクソな生き方の彼。この時代には珍しい魔法生物保護派であることを隠しもせず、人付き合いが苦手なのか人と顔を合わせない。そのくせ、魔法生物には屈託もないふやけた表情をする変わり者と囁かれるハッフルパフの男。

 

「あー、彼はとてもユニークな頭をしている。話してみるといい。君の見たことの無いものが見えるかもしれない。」

 

何を言ってるんだコイツは。あのタイプは自分の思考に閉じこもるのが好きなのだ。それを外野が邪魔することを酷く嫌う。自分自身の世界で完結してるある種、完成された人間。それをズカズカと荒らしに行けと言うのか。遠回しに空気の読めない貴族として名を落とさせるつもりなのではないかと疑いつつ、引き攣りかけた頬を綺麗に持ち上げ直す。

 

「機会がありましたら。」

 

面倒なタヌキめ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「リタってほんとよくわかんない。」

「だって普通じゃないもの!」

「そうね、そうね。もしかしたらあの事故…。」

「ああ、あの。」

「そう、あの!あれもセイレーンに弟を捧げて自分が助かったのかもね!」

「わあ、怖いわ!」

「本当に!」

 

内緒話にしては大きく、推理にしては品がない。廊下の曲がり角、聞こえた甲高い声に顔をしかめる。そんな“相応しくない”話をしてるのはどんな蛮族なのかと顔を上げてギトギトなフィッシュアンドチップスを出されたような気分になった。我らが偉大なる魔法使いサラザール・スリザリンが掲げる寮色が見えたからだ。そして、同時に感じた魔力の動きに振り返れば、杖を構える褐色の女生徒。このままでは何の関係もない私の口は綺麗に無くなることだろう。魔法のレベルは違えど、いつかを彷彿とさせる立ち位置におざなりに杖を振るった。

 

「エクスペリアームズ。」

 

飛んできた杖をキャッチする。しっかりとした芯を使ってるいい杖だ。

 

「リタ!」

「またリタなの!?」

 

ザワつく観衆をわらう。何言ってるんだか。彼女は“まだ”何もしていない。杖は私の手の内にあるのだから、それこそ一目で分かるだろうに。彼らは目にインクでも塗りたくってるのか、それとも脳がトロールのものなのだろうか。

 

「ご機嫌麗しゅう、我が思慮深き深緑を纏う先輩方。」

 

1歩、踏み込むように口を開いた。歌うように、それこそ演劇であれば、スポットライトを奪うようなその動きに下劣な攻撃を繰り出そうとした彼らはこちらを睨めつけた。

 

「貴方は関係ないでしょう!」

「残念ながら。私も、貴方方も、彼女も、この緑に属する者。無関係とは周囲は思いますまい。」

「なんなの貴方!」

 

にこり。

 

「ティア・マルフォイ。スリザリン寮2年生。」

 

それだけで押し黙る彼女たちはスリザリン“らしい”。はて、名乗った“だけ”の私に何も言えなくなった彼女達に魔法を放ったのは誰だろうか。

 

「先輩方、小鳥はお好きですか。」

「、え、ええ。」

 

1人がぎこちなく頷くのに鷹揚に相槌を返して、チラリ、見える外を眺める。陽の当たる草上では数羽の小鳥が戯れていた。

 

「まあ!とても可愛らしいですよね!」

 

ピーチクパーチク囀っているそれら。

 

「私は蛇が好きです。寮のシンボルですもの、やはり愛着が湧くというものでしょう?」

 

突然の話題転換に目を白黒させる先輩方は気付いて居ないのだろうな。あの黒く長い優美な姿に。

するり、木の影で光る目はそれらを見ていた。

 

「ああやって、小鳥が元気に戯れる姿は、ああ、本当にとても愛らしい。」

 

黒い影は息を潜めて、擦り寄り、

 

「思わず、」

 

ごくり、一息に丸呑みする。

 

「縊り殺したくなるくらい。」

 

わらう。我が寮らしく、青ざめた肌となった先輩方は先程よりずっと素敵だった。

鳥は蛇の天敵だ。ならば弱いそれは食らって殺して消してしまうのが妥当というところ。

 

「なあ、そう、思うだろ?」

 

きっと私の表情は“私”らしい笑みだった。

 

 

 

 

 

階段を登る。動くそれらには慣れたもので。気分屋なそれを宥めるように手摺を撫でた。

 

「で、どういったご用件で?」

 

振り返ったそこには褐色の鋭い瞳。私より年上のはずなのに、まるで子供が駄々を捏ねる姿に似ていて鬱陶しい。私は子供が苦手なんだ。

 

「余計なことしないで。」

 

はて、余計なこととはなんだろうか。

 

「、はは!」

「何よ。」

 

わらってしまった。だって、なんだ、コイツは。

 

「もしかして、助けたとでも思ってるのか?」

 

私が、お前を?

 

首を傾けて見せれば訝しげにこちらを見る焦茶に片眉を上げる。何を勘違いしてるのだろう、コイツは。

別に誰が虐められようが、蔑まれようが、それにどう仕返ししようが、どうでもいい。ああ、構わないとも、好きにやってくれ。出来たら見世物として面白可笑しくやってくれれば尚良し。どうせなら派手にやってくれたまえ。

コイツがどのような立場の子供だろうと、コイツの弟がどんなだろうと、本当に、本当に、どうでもいい。今日の夕飯のデザートより興味が無い話だ。

ただ、私が気になったのは一つだけ。

 

「リタ・レストレンジ。」

 

レストレンジの、純血の娘。穢れた血を持たぬ、美しきブルーブラッド。

私が知るべきことなどそれだけで十分だ。

 

「この血は尊ばれるべきものだ。」

 

私も、お前も。あのような穢らしい血に蔑まれていい存在などでは無い。あれらはもっと頭を垂れるべきだ。こちらを敬うべきだ。私はお前を助けたのではない。あれらに立場を教えてやっただけ。

お前がどんな罪を犯そうが、お前がどんな人間だろうが、

 

「分かるか?この身は全てが許されるんだよ。」

 

純血こそが全てだ。私はそんな家で産まれた。

 

憎々しげにこちらを見る純血の娘の表情は酷く嫉妬に染まっていた。何故、分からないのだろうか。

 

ーバチンッ

 

瞬間、熱を持った頬に触れる。交差する視線。痺れるようなその感覚に眉を寄せた。手の中から私のものでは無い杖がひったくるように奪われる。走り去っていった黒髪を目で追って、唇を噛んだ。自由に動き回る階段に振り回されながら逃げるその姿は滑稽だ。

それが階下に消えて、見渡せば気まずげに目を逸らす絵画達。それに杖を振って分厚く真っ黒な布を被せてやった。しゃがみ込んだこの姿を見る者はいない。

 

「いたいよぉ、父上ぇ、母上ぇ。」

 

なんで、私が、

 



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ティア・マルフォイは猫をかぶる。

 

金色に光る目を見つめる。薄く瞳孔の開いたそれは美しい。滑らかな動きで私の腕に巻き付き、その口から鋭い牙を覗かせる。細長い舌が私にそっと意志を伝えた。

 

「いや、わからん。」

 

きょとんとする蛇。なんで分からないのと顔が言ってる。いやなんでわかると思ったんだと私は言いたい。

 

今は放課後。クラブでペチャクチャおしゃべりに洒落込むほど暇ではない私は禁じられた森の近くで“顔見知り”の蛇と伝わらないコミュニケーションをとっていた。

禁じられた森に生徒は近づかない。面白がって近付く生徒は真夜中にない肝を試しにくるものだから、まだ夕日にすらなってない今の時間この辺りは閑散としている。だからこそ、私は来るのだけど。

 

別に欲しくもない取り巻きが小バエのようにぶんぶんぶんぶんぶんぶん鬱陶しい。そういうとき、ちょっとしたお菓子やら軽食やらをカゴに詰めて、片手には“ちょっとした”本。もちろん、“見た目の割に”入るカゴの底には敷物。直に地面に座るなんて有り得ない!そうして、静かなそこで静かにティータイムに洒落込むのだ。

もちろん必要の部屋という選択肢もあったが、どこぞのタヌキに無い腹を探られても困る。きっとこんな私が必要の部屋に入れば、そこにまず見えるのは大鍋だろう。人間大のタヌキ鍋が出来そうなくらいの大きさの。

そんなこんなで私は一人の時間を過ごしているわけだ。おかげでホグワーツの屋敷しもべに私の好みが知られてしまった。そうそう、アップルパイにシナモンは要らない、わかってるじゃあないか!もしここがクビにされたらマルフォイ家で働くといい。

 

そして、出会ったのがこの蛇。目玉焼きもプリンも食べないくせにオムレツには目がない変なやつ。

 

オムレツサンドなる家では決して食べることのないそれで小腹を満たそうと口を開いた時、そいつは現れた。一心にこちらを見る姿に面倒だと抜いた杖には見向きもせず、ひたすらにパンに挟まれた黄色を見ていた。そっとそれを右にやれば顔も右に。左にやれば左に。上…と見せかけて背後にやれば気付いたらそいつも背後にいた。…やるな、お前。

仕方ないと端をちぎって近くに放る。そうすれば一目散にそれに飛びついた。器用に中の黄色だけを選んで。残ったパンが憐れで、杖先で近付ける。避けた。近付ける。避けた。近付ける。避けた。近付ける。跳ねた。…そうか、そこまで食べたくないか。

顔だけはこちらに向いたまま。心做しかキラキラと輝く目で残りのサンドイッチを見つめ続ける。

 

「…」

 

ぱかり、パンの間から落とした黄色は地面に着く前にそいつの無駄にでかい口に消えた。ケチャップだけが残る虚しいパンはほんのりと残る温かさだけが救いだった。

 

 

 

 

 

 

次の時はそれから1週間ほど経った時だったか。私は『占い学の始まり〜終わりに向かって〜』を読んでいた。そこにしゅるしゅるとした音が聞こえたのだ。クソほどつまらない文字から顔を上げて見たのはいつかの金色。瞳孔に似合わず丸っこい目が小さく小首を傾げた。

 

「今日はオムレツじゃないぞ。」

 

チョコチップスコーンだ。紅茶はアッサム。ひとさじの蜂蜜が入ったこれは絶品だ。

チラリ、カゴに目をやったその仕草は妙に人間臭くて、一瞬アニメーガスを疑ったが、オムレツ以外食べない偏食家のやつが人間になったところでコロコロしてるか、ガリガリかのどちらかしか想像出来なくて脅威を感じなかった。

そして、こちらを静かな動作で見たそいつはそっとその長い尾をこちらに差し出した。まるで人間の手のように。そこにあったのは鈍色の金属。その細い身にはとても重そうで、何となく手を差し出す。落とされたそれは思ったよりも重くなく、どうやらネックレスのようだった。細かい細工が施されたロケットペンダント。この突起を弄れば、知りもしない人間の顔が現れるんだろう。

 

「拾い物か。」

 

ああ、そう言えば、今朝寮で女生徒が朝から金切り声で騒いでいたのだったか。隣の部屋でギャンギャンとうるさいものだったから早すぎる朝食を食べることになった。そいつは形見だとかででっかいネックレスをいつも首から下げていた。確か、こんな感じの。手元のそれは考えてみれば、見たこともある気がしてきた。この中にしまわれた写真を暴けば、ハッキリするのだろうが、彼女のそばかすだらけの顔を見る気分ではない。

肩を竦めて、目の前の生き物にそれを押し返した。

 

「私のものではないな。」

 

だから落とし主にお前が渡しに行け。

しゅるり、しゅるり、舌を鳴らしたそいつは、つるりとした頭でネックレスをこちらにもう一度押した。なんのつもりだ、コイツ。

 

「要らん。」

 

無理矢理、その長い尾に鎖を巻き付けた。締め付けない程度に緩く。持ってきたのだから、持って帰れるだろ。そんな古臭いものより新しい茶葉の方がそそられる。ティーカップに伸ばした手にそいつはまたその金属を押し付けてきた。

 

「だから要らん。アクセサリーも骨董品も腐るほど家にある。…ああ!要らないって言ってるだろ!?これやるからそれは返してこい!」

 

その口に押し込んだのはいつかの黄色。ああ…私のオムレツサンド…。今度こそ食べたかったのに…。

 

 

 

 

 

こうして、こいつとの交流が始まった。ここで過ごしていればいつの間にか寄ってきて、時には首をその冷たい体で冷やしてきたり、時には本を読む手を邪魔したり、時には私の軽食を丸呑みしたり。おかげでオムレツサンドを食べたことはまだ無い。

 

「おい!やめろ!服に入るな!そこはお前の巣穴じゃない!」

 

襟のところをちょろちょろとしたかと思えば、器用に入ってくるそいつをずるり、引きずり出す。尾を掴んで目の前で吊るしあげればあたかもてへっ☆とでも言うように顔を傾ける。きゅるりとした目も相俟って得意ではなかった蛇という生き物が可愛く思い始めたなんて絶対認めない。

 

じとり、睨んでもそいつは動じない。暴れもしないのだから、まあ、意思疎通は出来ているのだろう。もちろん私はパーセルタングでは無い。あんなのは生まれつき持ってるか、机に齧りつき動物を粘着的に付け回した歴戦のストーカーだけが身に付けることの出来る特殊技能だ。

でもまあ、見ての通り、コイツは表情豊かというか、人間臭いキメラのような存在なので例外。

ぺいっと投げたつもりが開いた手に絡み付き、安全に私の体を伝って降りるコイツに言ってやりたい。私は避難はしごじゃないぞ。

 

そのままどこかに行く蛇は私の不機嫌に気付いて逃げるつもりなのかとその身を睨んでいれば、またそこからひょこりと姿を現した。何かを引きずってきたことからして、どうやら貢物でもしてご機嫌取りしようという考えらしい。

 

賢いコイツは時折何かを持ってくる。それは年代物の古書だったり、古臭いブローチだったり、安直な金貨だったり。それを差し出してくる。何がしたいのかわからん。でも私はマルフォイ家の子女だ。そんなものいくらでも手に入るし、そもそももう既に持ってる。だから要らないと言えば、コイツは何故か嬉しそうにそれをもってどこかに行くのだ。それが持ち主の元に帰ったのか、コイツの巣穴に持ち帰られたのかは知らん。

 

さて、今回はどんなガラクタを拾ってきたのかと見れば、そこには枝。

 

「は?」

 

枝。

 

「は?」

 

つ…枝。

 

「…」

 

否、認めよう。杖だ。比較的新しいだろう杖。どうやら杖を蛇に拾われたマヌケがこの学校にはいるらしい。

杖とは魔法使いの最も重要な道具であると同時に利き腕だ。奪われても全く魔法が使えないわけでないが足でカトラリーを扱うようなもの。闇の防衛術でまず初めに学ぶのが杖を奪う術だと言えば、どれほど大切か分かるだろう。

 

「あ!あったー!!!!!!」

 

どうやら、腕なしの間抜けな魔法使いが私の平穏を邪魔しに来たようだ。

そっと蛇から杖を受け取り、顔を上げる。そこにはゼーハーと寧ろそちらの方が疲れるのではないか?と思うような深呼吸を繰り返す男がいた。顔を伏せてもそのローブが穴熊寮の無害だと記している。

ハッフルパフらしいノロマさでもって、そろり、上げた顔には見覚えがあった。と言っても親しいわけでは決してない。とある不快な会話でもって上がった人物、というだけだ。そうでなければ、直ぐになど思い至らなかったであろう。

 

「え、えーと。」

 

きょときょと、視線をうろちょろさせるそいつは明らかに言いたいことがあるはずなのに言葉にしない。周りにはいなかったタイプだ。

 

「その、えっと、ね?」

「どうぞ。」

「え!」

 

杖の持ち手を相手に向けた。取ればいいのに、何故か1度引っ込めた手で恐る恐る杖を握る。初めてマンドレイクに手を伸ばす反応に似ていた。触った途端私が癇癪を起こすとでも思われているのか。

引っ張られた杖をそのままにするり、離す。はい、これで用事も終わったことだろう。杖が無事に戻ってきて良かったな。そんな気持ちで本に目を戻す。やっぱり面白くない。

 

「、あの!」

 

まだ居たのか。寄った眉間を無理矢理平らにしてそちらに目を向ける。胡乱な色を宿してしまったのは見なかったことにして欲しい。

視線を行ったり来たり。髪を撫で付けたり、杖を意味もなく摩ったり、それに意味はあるのだろうか。

 

「何か?」

「え、えーと、その、」

 

ぐるり、首を回して、下を向く。そして、その顔がパッと上がった。目の色は碧。緑ではない。

 

「彼!君の友達!?」

 

…彼?男が指さした先には1匹の蛇。ふてぶてしくもカゴの中に頭を突っ込んでいる。おい、またオムレツだけ食べただろう。

 

「…さあ、どうでしょう。」

 

友達、友達…友達?言葉も通じないコイツが?ツンとその額をつつけば擦り寄ってくるコイツが私の友達だと?

 

「じゃあ、名前は?」

「ヴァシー。」

 

以前、何となく付けた名前はするりと口から零れる。

 

「うん、いい名前だね。友達にこんな素敵な名前が貰えるなんて彼も喜んでるよ、きっと。」

 

何故、この男が安堵するのだろう。酷く嬉しそうな様子がむず痒くて目を逸らした。

 

沈黙。

 

「あー、あの、さ。」

 

言いづらそうに硬い声は立ち去らない。まだ何かあるのか。

 

「はい。如何しましたか?」

「そ、それ!」

「…はい?」

 

今度は私を指さしてくる。折ってやろうか。

 

「それ、その、言葉遣い?やめて欲しい…みたいな…。」

 

何言ってるんだ、コイツ。胸の前で何かを捏ねくり回すようにモゾモゾと動かす。ちらちらと向く視線は何を伝えたいんだか。

 

「私は貴方とそこまで親しいとは言い難いと思いますが。」

「え!?あ、そういうんじゃなくて!なんていうか、その、違和感が凄いっていうか、なんか、えっと、その…そう!」

 

歯の奥に挟まったものが取れたようなスッキリした顔でそいつは私を見た。きらきらとした目で。

 

「厳ついドラゴンがみゃおみゃお可愛らしく鳴いてる感じ!!」

 

これは喧嘩を売られてるのだろうか。

 

「いや!そのミス・マルフォイが厳ついとか可愛子ぶってるとか言ってる訳じゃないよ!?君のその容姿は綺麗だしヴィーラみたいに整ってると思う!だから、違う。そう、えっと、そんなことが言いたいんじゃなくて、その…普通に話せばいいと、思うんだ。僕みたいなやつに気を張ってるのは勿体ないし…。」

 

首元にやった手を落ち着きなく動かして、先程の勢いはどこに行ったのか、小さく縮こまる姿は捕食者を前にしたハリネズミみたいだ。

 

「別に気を張ってる訳じゃない。」

「え!あ、そうだよね、余計なお世話だよね、ごめん。」

「…そっちの方がゴチャゴチャ言われなくて楽なんだよ。そんなこともわかんないのか?これだから頭の回転の遅いウスノロは。」

「…う…そこ、まで…言わなくても…。」

「お前が良いと言ったんだろ?自分の言ったことにくらい責任を持てよ、先輩。」

 

トントン、自身の隣を叩いた。

 

「遠慮、しなくていいんだろ?なあ?」

 

重さだけのつまらない本よりよっぽどいい退屈しのぎになりそうだ。



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ティア・マルフォイは先駆者。

 

「マルフォイのお姫様見たか!?」

 

僕が3年生に上がったとき、彼女はこのホグワーツ魔法魔術学校に入学してきた。周りの子はソワソワ落ち着きなく天井を見上げてパッカリ口を開けてるのに、1人だけキュッと口を引き結んでつまらなそうにしてた。

やっぱり人間なのに、人間じゃないみたいで。魔法生物みたいな彼女をみんなが見てた。そうだよね、一目で特別だってわかっちゃう子。初めて見た時からなんも変わってないんだから、本当はシルキーだって言われても納得してしまいそうだ。

 

新入生が全員大広間に入ったのを確認すると先生は静かにスツールの上に帽子を置いた。3年ほど前に僕も被った帽子だ。ボロボロのそれはちょっと埃臭かったのを覚えてる。一体何人の人間が被ってきたのだろう。そんな考えを遮るように古びた帽子は歌い始めた。見た目に似合わぬ張りのある歌声だ。

 

 

 

 

 

ー私はきれいじゃないけれど

人は見かけによらぬもの

私をしのぐ賢い帽子

あるなら私は身を引こう

山高帽子は真っ黒だ

シルクハットはすらりと高い

 

私はホグワーツ組み分け帽子

私は彼らの上をいく

君の頭に隠れたものを

組み分け帽子はお見通し

かぶれば君に教えよう

君が行くべき寮の名を

 

グリフィンドールに行くならば

勇気のある者が住まう寮

勇猛果敢な騎士道で

他とは違うグリフィンドール

 

ハッフルパフに行くならば

君は正しく忠実で

忍耐強く真実で

苦労を苦労と思わない

 

古く賢きレイブンクロー

君に意欲があるならば

機知と学びの友人を

ここで必ず得るだろう

 

スリザリンではもしかして

君はまことの友を得る

どんな手段を使っても

目的遂げる狡猾さ

 

かぶってごらん! 恐れずに!

興奮せずに、お任せを!

君を私の手にゆだね(私は手なんかないけれど)

だって私は考える帽子!

 

 

 

 

 

おー見事な歌だった。大きな拍手に囲まれながら、ぱちぱちと乾いた拍手をする。早く終わって欲しい。新入生の組み分けにも豪華な食事にも興味がないのだ。それより行きたいところがいくらでもあるのに。

そして、お待ちかね、組分けだ。次々呼ばれる初々しい彼らは帽子を被るか被らないかの辺りで高らかに叫ばれた寮に駆けていく。時折完全に被る生徒もいたが、きっと適性があり過ぎる天才か、箸にも棒にもかからない性質かのどちらかだろう。毎度思うが、どうしてこうも綺麗に生徒を四分出来るのだろうか。年によっては全員ハッフルパフ(癖がない)とかそういうこともありそうなのに、聞く限りではそういうこともなさそうである。もしや入学証明書が届けられてる時点である程度分けられてるとか?ホグワーツのブラックボックスに思考が飛びかけたとき、聞こえた名前に瞬きをした。ほんの少しあったはずの喧騒が完全に消え去る。もう殆ど分かりきったはずの組み分けにも関わらず、大きな緊張と少しの期待を持って、その少女を見ていた。

 

「マルフォイ・ティア!」

 

なめらかな動作で人波を掻き分けた彼女は淑やかな仕草でスツールに腰掛ける。それだけで平凡な木のスツールがショーウィンドウのインテリアに早変わりだ。

そして、そっと帽子が近付けられて、置かれた。彼女は微動だにしない。あるかないかもハッキリしない帽子の顔は訝しげに口をへの字に曲げ、悩むように目を寄せた。数秒、

 

「スリザリン!!!」

 

至極当然というような歓迎と的外れな落胆。とんがり帽子の長考に湧きかけた微かな期待はふっと吹き消された。まあ、マルフォイ家の直系がスリザリン以外なわけないよね。綺麗な子だとソワソワしてたルームメイトもガックリと落胆してる。特にハッフルパフなんて来るわけないと思うよ。

 

慣れたように迷うことなくスリザリンに向かった彼女は促されるまま空いた席に腰を落ち着けた。有力貴族達が集まるど真ん中だ。そして丁度僕の後ろ。僕がここにいる理由?動物の世話をしていて席選びに出遅れたからだ。みんな、怖い人達には近付きたくないってこと。

 

静かに溜息を垂れ流して。目の前の現れたチキンを鷲掴む。うん、まあまあ。パサつく口内をゴブレットを傾けて潤した。

後ろからは不自然なくらい話し声以外聞こえない。生まれた時から羽根ペンみたいに持たされてきたカトラリーを彼らは手足のように器用に扱えるらしい。

 

「ミス、マルフォイは組み分けに時間がかかってたけど何を話してたの?」

「君は誰だと聞かれたわ。」

 

何故か、その問いと応えはよく聞こえた。ちょっと嫌味な質問に思えた。本当に貴方はスリザリンに相応しいの、と疑ってるような。

 

「だから私は言ったの。私はティア・マルフォイよ。この身に流れる真っ赤な血が分からないなんて、貴方、犬以下ねって。ふふ、冗談よ。少し、先祖のことを聞いたわ。代々スリザリンなんですって。当たり前よね。」

 

思わず、顔を顰めた。チョコレート味だと思って食べたら鼻くそ味だった時のような不快感。別にその言い草が嫌だったのではない。その傲慢なまでの言葉は誇り高さとも思えたから。寧ろあの襤褸を生きてるように“貴方”と扱った方が意外だった。だってあんなヘンテコな帽子、魔法族の子供でも滅多に見たことない。それなのに話しかけようなんて“変わってる”。違う、そうじゃなくて、僕は、ただ、後に続いた取り繕うような言葉達が気持ち悪かったのだ。自身の性質を誤魔化すような淑やかな笑い方。ぬいぐるみの口で無理矢理笑みを作ってヘタクソに縫いつけたような歪さ。

 

きみはそのままがいちばんうつくしいのに。

 

「古いだけの帽子でも私がわからなかったみたい。」

 

何故かその言葉が耳の奥に遺った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ミス・マルフォイはよく人に囲まれていた。よく、1人でいた。よく、笑っていた。

 

「あっ、」

 

思わず漏れ出た声を手で抑える。多分、全く押し留められてない。1人歩く彼女の後ろ姿に呼吸を止める。ミス・マルフォイのローブの中、その見事な金糸の隙間、そこで深く呼吸する何かを見つけた。

 

「スニジェット…。」

 

呑気にすぴすぴと寝息をたてる丸々としたそれ。君、本当に絶滅危惧種?と聞きたくなるような無防備さで居心地良さそうにフードを寝床にしている。

ミス・マルフォイはそんなもの知らないと颯爽と歩いてるが、恐らく、多分、絶対気付いてる。だって偶に寝相なのか黄色いもふもふがその華奢な背中に頭突きしてるもの!その度に鬱陶しそうに髪を払ってるもの!

 

こういう光景は時折見かける。よくよく見なければ分からないがミス・マルフォイの近くを魔法生物が彷徨っているのだ。なんで、彼女に近付くのか、僕はわかる気がした。

魔法族はみんな魔法生物を嫌がる。それか、利用しようとする。偶にいる保護しようって考え方の人はみんな彼らを哀れんでいるのだ。彼らはそんなに弱くはないのに。

彼女は良くも悪くも関心を寄せない。だから能動的になんて決して危害を加えてこないし、受動的に反応することも無い。居ないものみたいにそのまま行動する。宛ら彼女は木みたいだ。誰がいてもいなくても変わらない。だからこそ、安心する。

 

彼女の金糸の間でオレンジ色が瞬いた。くあり、欠伸をするみたいに嘴を動かして小さな翼でクシクシと顔を拭う。そして、お礼を言うみたいに首筋に懐いて、ころり、落ちるみたいにローブを抜け出した。さり気ない動作で自然に。誰も絶滅危惧種が高貴な彼女から飛び立ったなんて気付いてない。

彼女も彼女で歩みを止めることも、振り返ることもせず庭を突っ切って行く。次は占い学の授業なのだろう。隔離されるように建つ塔をちらりと見上げた。

 

その顔が仕方ないな、と言ってるのように見えたのは僕の都合のいい思考のせいか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして1年とちょっと。人気者で、孤高で、憧憬の彼女と変わり者と囁かれる僕が話す機会なんてありはしない。これからもきっとないだろうし。いつかの邂逅も忘れられているだろう。

 

そう思ってた。

 

それがどうしてこうなったのだろう。

 

「おい、聞いてるのか。」

「え、あ、うん。」

「…お前は聞いてなかったことも覚えてられない阿呆なのか?それとも何も耳に入らないことが普通なのか?そんな耳なら杭で穴を開けた方がいいんじゃないか。」

 

即死呪文より鋭い言葉を僕に突き刺す彼女の手にはキャラメルナッツクッキー。言葉は刺々しいのに、甘いものが好きなのか表情は柔らかだ。見た目は優雅にティータイムを楽しむ彼女と隅に座った僕の間には焼き菓子が入ったカゴ。ご自由に、と置かれ独り占めされることのないそれが器の違いを表していた。

 

あの日、僕のいつも通りイライラさせる言葉達はどうやら彼女の本心を刺激したらしい。それから皮肉げな顔と共に贈られる毒を拒否できたことは無い。ただ予想に反していたのは、決して彼女は怒った訳では無いことだ。のろのろと踏み込んでしまった僕にイラつき癇癪を起こされても仕方なかっただろうに。なにが面白かったのか、彼女は僕を否定することなく(ある意味全否定されているが)、こうしておしゃべり(ほぼ一方的な)をする仲になっていた。貴族の娘らしいロシアンブルーは破り捨てられ、現れたスウェーデン・ショート・スナウト種は迂闊に近寄った僕をおもちゃで遊ぶように爪先で転がす。本人はじゃれているつもりなのだろうが、こちらとしては致命傷張りの口撃を放ってくることが最近の僕の小さな悩みだ。

 

しかし、彼女は嫌味なだけの人間ではない。彼女の放つ他人にとっての嫌味は、彼女にとっては軽口と同義なのだ。パーソナルスペースがクディッチのスタジオ並に広い彼女は本心を語ることは滅多にない。よってその人物に対する心象など話すわけが無いのだ。だって、その人がどう見られようと、逆にその人にどう思われようとどうでもいいのだから、言わない方が面倒は少ない。

 

愛らしい口から飛び出す罵詈雑言。それはニヒリスティックな彼女の飾らぬ本心とも言えて、僕は嫌ではなかった。変に言葉を飾り立てる人間よりよっぽど素直で好ましく思えたからだ。僕がどうしようと、どう思おうと関係ないと振る舞うその生き方は酷く動物的だった。

 

「…これ。」

「え?」

「やる。」

 

そう言って差し出されたのはハナハッカ・エキス。光に透かしたその色は酷く美しくて、見た目だけで素晴らしい出来だと伝えていた。

 

「今日の課題だ。ペアのやつがあんまりにも酷い手際だったから殆ど私が作る羽目になった。あいつの教科書は古代文字でも書いてあるのか?八割方違うことをやってたぞ。」

 

彼女が魔法薬学の天才なのは知ってた。ホグワーツでは暴れ柳の荒ぶりくらい有名な話だ。教授より素晴らしいものを作るとか、教授でも知らないアレンジで最高のものにするとか。教授以上に出来る生徒なんて人によってはやっかまれるのに、彼女の対応が上手いのか、教授の性質なのか、寧ろとても気に入られていて。将来的には私の助手に!なんて熱心に誘われてるらしい。彼女自身もそのしつこさに時折顔を顰めて「蛇にテディベアとして生きろだなんてバカバカしい!」と唾を吐いていた。いや実際にはお淑やかに(?)舌打ちしただけだったが。それに君は決して蛇なんて可愛らしい存在ではない。

まあ、つまり、このハナハッカ・エキスは類を見ないくらい素晴らしい傷薬ってこと!

 

「え、でも、悪いよ!」

 

低学年で習う魔法薬だとしてもこんないい出来ならきっと皆欲しがるだろうし。念の為に彼女自身が持っておくのだっていいだろう。魔法薬っていうのは何も一瞬で出来るわけじゃないんだから。

そりゃあ、魔法生物の世話を趣味としてる僕としてはこれはありがたい。杖を向けられるのを嫌がる子には魔法薬で対応するから治療薬っていうのはいくらあってもいい。それにここまでの良品は僕じゃ作れないから。教授や保険医に頼んでもいいけどやっぱり使う先が魔法生物ってところがいい顔はされないのだ。

 

「ふんっ。この程度いくらだって出来る。そもそもお前は私をエピスキーさえ唱えられない赤子だとも思っているのか?」

「そ!そういうわけじゃない…けど…。」

 

ちゃぷり、慌てた僕の手元で液体が揺れる。そんな荒々しい扱いはダメだと直ぐに両手で小瓶を包んだ。

その細い手が重い本を開く。彼女は性格に似合わず読書は雑食派だ。愛と希望を歌う物語から小難しい論文、信じようなんて気も起きぬほどスピリチュアルな話だって暇そうに手繰る。その伏せられた目を飾る金を見ながら、そっと囁いた。

 

「えっと…その、ありがとう。」

 

ごにょごにょとした言い方はきっと人をイラつかせる原因の一つだ。それでも彼女はチラリ僕を見てまた顔を本に戻した。

 

「ん。」

 

そのツンと立った鼻筋の先で口端が小さく上がったのを目に焼き付けて。



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ティア・マルフォイは雨に乞い。

 

分かっていた。こんな日が来ることを。私は所詮、“ティア・マルフォイ”だから。

真っ黒な梟。毛並みの整えられたそれに舌打ちして睨みつければ、そんなことは知らぬと優雅に羽を繕った。ふてぶてしいその態度は誰から学んだのか。

そいつから受け取った内容の割にしっかりと手紙の形をしたそれ。こんな短い文章ならば、それこそメッセージカードで充分だったように。九割白紙の時代に合わせた厚紙は手の内でくしゃりとゴミになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やあ、ミス・マルフォイ。今日このあとどう?」

「ごめんなさい、ミスター。週末でもないのにホグズミードにでも行く気?」

「それはまた次の機会!今日はもっといい所に連れてくよ。…僕の秘密の場所。」

 

耳元で囁かれた声にぞわりと泡立った肌をなだめすかして、にこり、笑った。教科書を抱き込む手には青筋が立っている。

 

「校長にも見つからない場所だったらお受けするわ。例えば、そう禁じられた森とかいかが。」

 

小首を傾げた私に男は目を泳がせて、退散した。その先で仲間らしい奴らに肩を叩かれている。何が惜しかっただ。何も掠りもしてない惜しいがあるもんか。

禁じられた森は野放しと言っても過言ではない魔法生物が彷徨う場所だから、禁じられなくても今の時代の生徒は滅多に近付かない。しかもデートでそんな所に行こうとするなんて嫌がらせか脈ナシ、それか脳みその代わりにトフィーでも詰まった頭の持ち主だけだろう。

 

「彼、格好良かったのにいいの?」

「クディッチのシーカーでしょ!」

「勿体ない!!」

 

ワチャワチャと周りで煩い奴らの口をヘタクソに糸で縫い付けてやりたいのを我慢するなんて、私はなんて忍耐力があるんだろう!そんなにあのオークが魅力的に見えたならその無駄に空けた胸元にでも手を突っ込ませてやれ。勿体ない?寧ろあいつが私に釣り合うわけがないだろ!

最近、こういうことが多い。イライラして、思考がまとまらない。私は暇じゃないのに!

 

「クディッチより、かぼちゃジュースの方がもっとずっと素敵だわ。」

 

頭が痛い。

 

 

 

 

 

 

最近、ティータイムの過ごし方を変えた。必要の部屋や秘密の部屋ほどでは無い。仕掛けのないちょっと行きづらいだけの扉さえ見つければ誰でも入れる普通の部屋。私の家にもあるかもしれないが入ったことのないここは話に聞く“屋根裏部屋”程度の広さしか無かった。

窓が1つあるだけのそこで具なしのサンドイッチを食む。喉元を中々通らないそれを男の飲み物とか言われるコーヒーで流した。くだらない。

腰元ではぐるり、ベルトの代わりに居座る蛇が黄色を貪る。私のサンドイッチの中身はコイツの細い体に消えていった。

外はいい天気だ。昨日も一昨日も1週間前だっていい天気。きっとこんな日に木陰で過ごしたら気持ちいいのだろう。証拠に窓の外では見覚えのある赤茶色がウロウロしてる。“何か”を探してるみたいだ。

 

「馬鹿め。」

 

雨が降ればいい。外に出ようなんて思わない位の雨。湿気の残る部屋で体を小さく丸めた。ここは居心地がいい。地下にある寮に少し、似ている。“前”の7年で太陽が苦手になった私には丁度いい日差しだ。

 

「お前もそう、思うだろう?」

 

つるりとした頭を撫でれば、しゅるしゅると舌を鳴らすそいつを愛でた。野生だったコイツは私があの場所に行かなくなった数日後に現れた。放しても懲りずにベッドの下に潜り込む細身に諦めてそっと連れ歩くようになったのは最近のこと。同室のやつはよっぽど鈍いのか部屋に潜む蛇に気付かないため、頭の痛くなるような悲鳴は未だ聞いたことはない。これからも聞くことはないことを祈るばかりだ。

外を見る。赤茶色はもう居ない。代わりにここ数日執拗い男共がふざけ合いながら通り抜けていった。気取ったようにローブを翻す彼らの色は緑。どいつもこいつも家名ばかりの品のない奴らだ。

 

「降れ。」

 

睨んだ空には雲ひとつない。

 

「降れ。」

 

信じてもない占い学の占い結果は晴れのち晴れ。

 

「降れ。」

 

去年の今頃も確か照りつける太陽にウンザリしてた。

 

「降っちまえ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

「その蛇、アンタのペット?」

「さあ?」

「それ、何食べてるの。」

「オムレツ。」

「…はあ?」

 

どうやら、私の居場所はいつも誰かに侵される運命にあるらしい。いつかのビンタ女は私と同じように膝を抱えて、今日は首を食事所にしたらしい爬虫類を観察していた。

 

この褐色の肌に汗を滲ませながら、ここに飛び込んで来たのは数時間前。潜めるような息は私を見つけた途端、大きく飲み込まれたのが分かった。睨みつける目を無視して、外を眺める。放り出した腕はそのままだ。警戒してるその焦げ茶に言ってやりたい。先客は私だぞ、と。

でもそんな一言すら面倒で、カップに注いだ黒を啜る。冷めたそれは嫌な苦味を残して喉を滑り落ちた。

 

「何、してるの。」

 

そっと、絞り出す様な声だった。ちらり、そちらを見て、またコーヒーを嚥下する。湿らした口で小さく言葉を吐いた。

 

「シュガータイム。休憩中よ。」

「それコーヒー?美味しい?」

「人による。苦いわ。」

「何それ、美味しくなさそう。」

「美味しいんじゃない。」

「嘘つき。」

 

1歩、2歩、警戒するように目を逸らさないまま、こちらに近寄る。その刺すような目線は見なくたって分かった。無駄な疑心だ。お前に構ってるほど暇じゃないし、そこまでの興味もない。

ストン、目の前に座る。褐色の手は杖を握ったままだ。またコイツは奪われたいのか?

 

「これは?」

「サンドイッチ。」

「中身は?」

「デザートのフルーツサンド。軽食は少し前までオムレツサンドがあった。今あるのはこの具なしサンドだけ。」

 

ひらひら手元のライ麦パンを揺らしてちぎり食べる。トマトソースの味と、よく、それはもうよく味わえば卵の味が微かにする気がした。

 

「なんでこんなところにいるの。」

「なんで君は逃げてきたのかしら。」

「…質問に質問で返さないで。」

「あら私は先生じゃないわ。なんでも質問に答えると思わないで。」

「っ!、…。」

 

瞬間、女が苛立ったのが分かったが、それもすぐさま鎮火する。何故かは知らない。知りたいとも思っていない。

 

「…聞いていい?」

「内容によるわ。」

「オーケイ、聞くわ。」

 

潜められたその質問は、ここ数日騒がしくなった周囲から聞いたことのないもので。笑ってしまった。なんだ、いじめられっ子の彼女でも知ってたのか。誰から聞いたんだか。この調子では知らない人間など、このホグワーツにいないかもしれない。嬉しくもない「おめでとう」をあと何度聞けばいいのだろう。

不安がるような、期待するような、諦めたようなその目が私の答えを待つ。だから私は言ってやった。残念、

 

「お前に言う義理はないな。」

 

釣り上げられた茶色にははっきりと安堵が浮かんでいた。貴族の娘ならもっと隠せよ。呆れながら、不味い黒を飲み干した。

 

 

 

 

 

 

 

 

私の呪いが通じたのか、外は今にも雨が降りそうな厚い雲がかかっていた。まあ、降り“そう”であって、降ってはいないのだが。しかし、雨の気配があることは変わらない。重々しく感じるそれに自然と人々は自身の巣に帰った。

そんな中で出歩く私と、目の前からやってくる怪しげなアイツ。こそこそとローブとひょろりとした腕で何かを隠すような動き。ある程度高い常から猫背気味の背中を更に丸めるその姿は正に不審者だ。ホグワーツは外からの侵入者には素晴らしいセキュリティを発揮するが内から怪しいヤツが発生した場合はどうすればいいんだ。

 

「や、やあ…。」

「…。」

 

私の訝しげな目に耐えかねたのか、上げた手はチラリ、私が少し窺えた腕の中に視線を移したことによって素早く元の位置に戻った。ローブの前をかき集めて更に陰気な姿勢をダンゴムシのように丸める。本人はさり気ないつもりかもしれないが、バレバレだ。

 

「それは?」

「…!」

「…おい、口すら失くなったのか?なら私から見えているその具合の悪そうな青紫は飾りか?飾りなら飾りらしく綺麗に私が塗り替えてやろう。色は赤でいいな。ちょうどここにタバスコがある。」

「い!いい!!」

 

ブンブンと振られる首はそのまま吹っ飛んでいきそうな勢いだ。持ち主がこんなやつだったばかりに酷使されて可哀想に。

視線をちょろちょろと動かしたあと、足早に私に身を寄せた。性格の割に1歩はでかい。

 

「これ、その、やばい子とかじゃなくて、危険性もない!…ほとんど。水辺で弱ってて、湖に還すだけじゃダメで、えと、このままじゃ死んじゃうんだ!だから、えっと、その…。」

 

興奮したように詰め寄ってきたかと思えば、自信なさげに1歩下がる。しかし、バッと上げられた瞳はキラキラと輝いていた。

 

「危なくないんだ!!」

 

強い輝きに押されて、1つ、頷いた。それだけでホッと息を吐く彼の後ろから足音。怯えたように肩を竦めたソイツには先程の威勢はない。…呆れた。

 

「え、」

「来い。」

 

黄色のネクタイを掴んでリードのように引っ張る。苦しそうにもがきながらも着いてくるその姿は従順だ。曲がって人1人通れる隙間にその身を押し込む。

 

「え、えっ。」

「シッ!シ、シ、シ、シー…。」

「…。」

「奥、扉あるでしょう。開けて。」

 

黙ったまま首振り人形のように何度も相槌を打った体が更に奥に向かう。そして、潜り込んだ先で小さく溜息を吐いた。何でこんなやつ助けてるんだか…。

狭い入口で止まるその体を押して扉に身を預けた。場所があるのに身を寄せ合う意味が無い。

 

「その、最近、見なかったけど…ここにいたの。」

「ふんっ、私がどこにいようと関係ないだろ。」

「そう…だけど…。」

 

ソイツが抱き締めたものをゆっくりと置いた。そこで息するのは小さな命。水魔の幼体だ。

 

「水魔か。」

「うん、グリンデロー。凄く…弱ってるんだ。」

 

ガラス越しに撫でる手は柔らかで。思わず顔を顰めた。湧き上がった澱みにここでは息苦しいことに気付いて、扉の取手に手をかけた。

 

「ここは好きに使え。偶に野良猫が紛れ込んでくるが、どうせソイツは友達なんて居ないし。話を聞くやつも居ない。お前が何を世話しようと大事にはならんだろうさ。」

「待って!」

 

吐き捨てるように去ろうとした私の背中に声がかかる。こんな時ばかりハッキリとした低音に喉がムカムカとした。

 

「あの…その…」

 

その先を聞きたくないと思った。コイツは鈍いようで鋭い。

 

「なんか…あった…?」

「関係ないって言ってるだろ!!」

 

慣れた動作で開いた木製の扉は少し軋んだ音がした。それを無視して、走り出す。後からあわてたような足音が聞こえるが無視だ。

外は雨が降っていた。

 

「ねえ!」

 

庭先に出れば一瞬で濡れ鼠。顔に張り付く髪が鬱陶しい。

 

「待って!」

 

雨が地面を刺して、足音をかき消す。こんな天気の中、外にいる人間がいるなんて誰も思わない。

 

「待ってよ!」

 

腕を掴まれた。

 

「待ってってば!!」

 

振り払う。勢いが良すぎて足を滑らした。無様だ。

 

「あっ、ごめん、その、」

「ああ、そうさ。」

 

ぐちゃぐちゃの土を掴む。爪の間を黒く染めた。

 

「当たり前だろ。」

 

思い出すのは、あの土色の瞳。その口は私に“殺意”の有無を訊ねた。

 

「憎いに決まってるだろ!!!!」

 

「死ねよ!死ね!」

 

「私から愛を奪ったくせに!」

 

「なんで生まれてきた!」

 

「どうして私じゃダメなんだ!」

 

「私は還りたいだけなのに…!」

 

「お前らが私を必要ないことなんて知ってる!!」

 

「私だってお前らなんか要らない!!!」

 

「要らないんだよ!」

 

ガラガラの声で叫ぶ。喉から少し血の味がした。後ろの気配は身じろがない。早くいなくなってしまえ。

 

「弟が、生まれた。元々なかった私の立場なんて、更に降格だ。しかも今まで散々優秀だと褒めそやしてきたくせに今度は疎ましく思ってるのが丸わかり。何が邪魔するな、だ。跡取りが木偶の坊だったとしても自業自得だろ。そうならないように洗脳でもなんでも今から始めればいい。私はそんなことどうでもいいから。お前らの方こそ邪魔しなければ、それで…。」

 

口が止まらなかった。こんなこと、それこそこいつには関係ない。なのに、頭の中から言葉が零れていく。

 

「そうさ、そうとも。死ねばいい。両親も、使用人も、分家も、弟も、みんなみんな死ねばいい!」

 

でも、そんなことになったら父上も、母上も、いなくなっちゃう…。

滑稽な姿で頭を伏せる。こんな私が1番愚かだ。

 

「マルフォイの娘はこんな醜いやつさ。わらえるだろ。」

 

無理矢理上げた口角が震えた。

 

「わらえ。」

 

背後の存在は動かない。ガーゴイルみたいだ。

 

「わらえ。」

 

本当に石になってしまえばいいのに。私がバジリスクだったら真っ先にコイツを見てる。

 

「わらえ。」

 

息が苦しい。

 

「嗤えよ!!!!」

 

制服も髪も顔もぐちゃぐちゃだ。誰から見てもきっと憐れで、こんな私が1番嫌い。

 

「わらわないよ。」

 

べちゃり、視界の隅に黄色が踊る。髪の隙間から仰向けに倒れ込む変人が見えた。

 

「わらえないよ。だってわらうようなこと何一つだってないじゃないか。天気は最悪だし。まだ宿題だって手をつけてない。今日は普通の日だから夕食も期待出来ないし。明日の替えの制服は持ってない。そのくせ、明日はレポートの提出日!ほら、わらえない。」

 

決して赤茶色がこちらを見ることはなかった。

 

「笑えないよ。」

 

呼吸が、しづらい。



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ティア・マルフォイはボーイフレンド選定中。

 

吐き出した空気は随分と細かった。喉元を絞めるような、押さえるような、抑圧した感情。そうしなければ魔法薬を失敗させたように頭を締め付ける情動を爆発させていただろう。

何度も鋭く繰り返される深呼吸に、当たる空気を厭うたヴァシーが首を擽る。宥めようったって無駄だぞ。そんな言葉すら紡げない。何か、1つでも言葉にしてしまえば自身から感情のまま何を突き出すかわからなかったからだ。

 

杖を振って、アクシオ。無言呪文は失敗して杖先を向けた机の引き出しをしっちゃかめっちゃかにした。唇を噛んで飛び散った中身を直接漁る。そして無事だったそれと机上のケースを取った。杖を懐にしまって、魔法だって使わない。広げられた真っ白な紙にそっとインクを落とした。書き始めは、こう。

 

ーTo my great father.

 

これは、ただ、1人だけ逃げようとする奴への罰だ。この感情も、そんな身勝手なアイツへの怒りに決まってる。そうじゃなければ、なんだっていうんだ。

 

 

 

 

 

 

 

「さあ、集中して。」

 

背後の声に、溜息を吐きそうになった口を引き結ぶ。どうして私は授業以外をコイツと過ごさなきゃならないんだ。

チラリ、見た髭面は、ん?と穏やかぶって小首を傾げる。鼻につく。

 

「もう一度おさらいしておこう。」

 

今は放課後。「授業後、寮ごとに配り物があるのを忘れていたため取りに来るように」、そんなことをすれ違い様ダンブルドアに言われたため、私の貴重な時間を潰してやってきたわけだ。何故、私だったのか、と思うが紙束など口実なんだろう。だから、後々面倒になるとわかって、別のやつに押し付けるのは我慢した。くそ、なんでこの私がこんな雑用を。

 

そして姿を見せた私の紙束を催促する手を無視して、コイツは古びたクローゼットもどきに手を置いた。「これはマネ妖怪ボガートと言ってね。先程の授業で使ったんだ。」知ってる。“前”もこれと遊んだのだから。まあ、他人のを見る限りは面白かった。自分の時は心底不快だったが。

 

「そうだ、良かったら、君もチャレンジしてみるかい?君は優秀だからね。」余計なことを!ニコニコと笑うタヌキの魂胆は分かってる。私には開心術が効かないからだ。別に特別なことはしてない。ただ、閉心術を常にしてるだけだ。

生まれ直したとき、まず真っ先に危惧したのは、この知識を知られてしまうということだ。先のことを知られて、それを盾に脅されるなんてたまったもんじゃない。面倒なことは嫌いだ。だからこそ、それはもう必死に閉心術を身につけた。まあ、私はマルフォイ家の子女。容易に身につけられたが。

元々、閉心術を自然と行使してる人間もいるにはいる。逆に全く閉心術の才能のないやつももちろん存在する。そういうやつは大抵警戒心もクソもない誰にでも尻尾を振る犬みたいなやつだ。そういう奴は“心を閉じる”ということが理解できない。閉心術が得意な人間はその逆。“心を開く”ということを理解しない。要するに、常時全てを敵だと思えばいい。そうすれば閉心術など容易いのだ。

それをダンブルドアは危惧している。以前あまりにも自然に開心術を行使してきたこともあったが、それでも覗かれた感覚はなかった。さりげなく、であった為にさらりと撫でる程度の開心術ではあったが、無事私の閉心術が対抗出来たのには安堵した。本気の開心術がかけられることはないと信じている。その瞬間、マルフォイ家はダンブルドアを追い詰める手札を手に入れることになるのだから。それはダンブルドアも望むことではないだろう。

 

「ボガートは近くにいる者の1番恐れるものに化ける。大丈夫、所詮は偽物だ。」

 

つまりは、その人物の心を映す生き物。なんて、なんて、“ばかばかしい”。

 

「撃退する呪文は簡単だ。“リディクラス”!コイツを、」

 

クローゼット前に移動したダンブルドアはコンコンとそれをノックした。反応するようにガタリと揺れる。

 

「怖くない姿にしてしまえばいい。大丈夫!怖くなんかないさ。コイツが恐れるのは笑顔だ。笑いたまえ。」

 

にこり、口角を上げるその顔が忌々しい。楽しくもないのに笑えと言うのか。お前が一番私から笑いを奪ってるんだぞ。笑って欲しければ逆立ちでもしながらタップダンスでも披露しろ。

 

「さあ、杖を構えて。」

 

さっさと終わらせてしまおうと大人しく杖を眼前に据えた。撫でるようなダンブルドアの杖の動きに合わせてそのドアノブが回る。

 

ーギィィ。

 

ゆっくりと開いた隙間。出てくるものは分かってる。“前”もそうだった。あの時と違うのは

 

「あ、」

 

想像の中だった人物を実際に目にしたことがあるということだ。

真っ白な肌。潰れた鼻。切り裂いたような長身を黒いローブで包んでいた。そんなモノクロの人影で唯一爛々と発色する濡れたような、赤。

 

「我が、君…。」

 

口の中で呟いた言葉は、恐らく、音にはなっていなかった。カラカラに乾いた喉ではヒューヒューと風しか通らない。

ゆるりとした動作で差し出された手。恐れた赤が私の杖を見る。

震えた体は自然と膝を着き、頭を垂れ、かの方の望みを差し出そうとして、

 

「ミス、マルフォイ。」

 

思い出した。そうだ、まだ、例のあの人は、いない。恐らく、生まれてもいないだろう。そうだ。大丈夫。いない、いないのだ。だって、あの方に傷付けられることを恐れた家族さえ、いないのだから。

息をする。

 

「リ、」

 

この方を怖くない姿に、とはなんだろう。私が、怖くない姿。私がこの方を恐れない為に必要なもの。

 

「リディクラス!」

 

わからなくて、でも杖を振った。早く、この、恐ろしい幻を消してしまいたかった。

ぐるり、旋風が通ったようにその身が翻る。ローブに色が付く。目も覚めるような赤だ。その内に潜む白は私が着る制服と同じで。肌は健康的な橙色。柔らかな黒髪の奥でレンズ越しに翠が瞬く。

 

「……ッタ…。」

 

そして霧のようにその身は掻き消え自らクローゼットへと帰った。かの少年の姿を象ったのはきっと、一瞬。

 

失敗だ。

 

何も、笑えない。あれが、怖くない姿だと?あれこそ1番恐ろしいものだろうが!

ぱちぱちと2人きりの空間で乾いた拍手が響く。

 

「お見事!」

 

弓形に弧を描くその目は、今最も見たくないものだ。

 

「さて、あれは何か、私に教えてくれないか?」

 

あれ、とはどちらのことか。口端を釣り上げて、望み通り、私の恐怖の正体を教えてやった。

 

「生き残った…生き残る、ただの、少年ですよ。」

 

その存在を私は今度こそ殺すと決めている。頼むから目の前に現れてくれるな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

久しぶりに、彼を見た。前と変わらず、視線はウロチョロ。変わったのは周囲の視線。距離を取ったようなそれには訝しむような鋭い剣が含まれて。正に針のむしろ。それには生徒だけでなく教師の目もあった。

ビクビクと、しかしながらそれを気にすることなく、過ごすアイツは知らんぷりが上手いのか、鈍いだけなのか。否、どちらでもないのだろう。鈍くはない。むしろ、鋭い方だ。では素知らぬ振りをしてるのか?そういうわけでもきっとない。

奴はどうでもいいのだ。自身と魔法生物以外、全部、全部。石ころにどう思われても関係ない、それだけだ。本当に自分勝手なやつ。気に食わない。

 

「ティア、何か気になるものでも?」

 

まあまあの顔立ちの男が在り来りな青を近付けて、問う。腰に回された手がローブ越しに体のラインをなぞる。階下に見えた赤茶色から目を離し、男に笑む。

 

「穴熊が一匹、外に見えた気がして。」

「ワオ!ホグワーツではあまり見ないね。先生方に保護してもらおう。」

「ええ、」

 

寄せられた吐息をさり気なく逸らす。頬に当たったそれは虫が這うような感覚がした。

 

「本当に。」

 

 

 

 

 

 

 

 

今年もまた、クリスマスがやってくる。つまり、ウィンターホリデーが始まるということ。

荷造りしながら、目の前で浮かぶリストを見る。今年のクリスマスパーティの招待客だ。

 

「あら、ティアったら珍しい!今年は帰るのね!」

「ええ。今年もクリスマスはパーティを開くの。良ければいらして。」

「マルフォイ家のパーティに!?もちろん行くわ!」

 

鼻息荒くベットの上をぐちゃぐちゃにしたままドレスの色はデザインはデザイナーはと悩み出したルームメイトを無視して教科書をトランクに落とす。ゴミのように適当に放っても溢れることにならないのだから、本当にこのカバンは“優秀”だ。

 

入学してから数年。サマーホリデー以外で帰るのは初めてだな、トランクを閉める。少し荒い音を立てて、隅に寄せた。別に苛立ちでは無い、ただ重かっただけだ。

荷物整理をしてもほとんどプライベートエリアに変化はない。教科書類の書物が消えたくらい。滅多に着ない服も割れるんじゃないかと心配するインク瓶ももちろん何巻きもある羊皮紙も要らないのだから、こんなものだろう。家にそれこそ腐るほどある。

 

見ろ、覚えろ、叩き込めと眼前でバッサバッサと跳ねるリストを押しのける。執拗い。両親から送られてきたこれはあれらのように粘着的だ。

もうほとんど覚えてるんだからいいだろ!怒鳴りつけても変わらないことはここ数時間で理解した。無駄なことはしないに限る。

 

去年の今頃は、あの隠し部屋で優雅に茶をしばいていたのに、どうしてこうもペチャクチャ煩い中に身を投げなくてはいけないのか。理由も分かっているそれに八つ当たりと理解しながら眉を寄せる。ちなみにそのとばっちりでぐちゃぐちゃに丸められたリストは離した途端新品同様にまた文字の羅列を突きつけてきた。胸を張るような動きに今度は引き裂いてやろうかと思ったほどだ。

 

今年からは必ず長期休暇毎に帰ってくるように、そうふんぞり返って“命令”した父へ脳内で知る限りの拷問呪文を並べる。

今まで帰らなかったのは、単純。楽しくも有意義でもない数週間を過ごすくらいならホグワーツの図書室に佇む棚を攻略する方が余程いい時間だったからだ。人脈を築くためなんて見え透いた言い訳は少し前から薬にはならない。邪魔するなと言った口で“最高の魔女だ”と誉めそやす奴らの口は新聞で同じ動きを繰り返す写真より飽き飽きしてる。

 

「あ、もう汽車の時間だわ!」

「本当!?早く行かなきゃコンパートメント取れなくなっちゃう。」

 

その言葉にリストを鷲掴んで、素早くトランクを開け、滑り込ませる。そのまま鍵をかければハエのように飛び回ってたそれは視界から消え失せた。スッキリ。

 

トランクを持ち上げて、部屋を出る。必死に鍵を閉めようと彼女ら自身の重さで押し潰されるトランクを不憫に思う。買い手の実家の金のなさか、持ち主の体重か、少女特有の無駄な荷物か、どれに同情してるのかは私にもわからないが。

 

談話室に出れば多少の寮生とそれに見合わぬざわつき。その中で一目散に私に気付いた男が自身の荷物を腰巾着に押し付けて、こちらに手を差し出す。

 

「レディ、お手をどうぞ。」

「あら、ありがとう。」

 

遠慮なくトランクを渡した。それを受け取ってもう一方の手に持ち帰ると再びキザったらしく掌を差し出してくる。その顔は諦めを知らない。というか、手を取る選択肢以外を疑ってない。そして、私はその選択肢を選ばざるをえないのだから、ままならないものだ。

静かに手を重ねた。指を絡まされる。気持ち悪い。

 

「貴方をエスコート出来るなんて僕はなんて幸運なんだ!」

 

この男はスリザリンの良家。私のボーイフレンド候補だ。にこり、笑顔だけを返した。それ以上に私からやるものは何も無い。

 

手を引かれるまま、寮を出た。私たちの後ろをゾロゾロと群れのように着いてくるコイツらはどういうつもりなのか。知らないし、知りたくもない。他寮生は迷惑そうにこちらを見て、そそくさと道を開ける。何も言ってないのに、臆病な奴らだ。

 

ホグワーツを出る。そんな時、見えた男に小首を傾げた。何故あそこにいるのだろう。荷物も持たず、コートも着てない。帰省するつもりがないのは一目でわかった。真っ黒なセーターに黄色のマフラーがとても映えていた。

その顔がゆっくりと持ち上がる。こちらを見て。目が合った。

 

「あ、あの。」

 

相も変わらず覇気のない声。しかし、逸らされない視線は久々に交わっていて。雪に反射した光を受け止めてキラキラと綺麗に碧は輝く。そっと視界から外した。

 

「、うっ。」

 

どんとなよなよしい体を紳士気分のエスコート役が弾く。一言もなく、虫を払うような仕草で。なんて野蛮なやつだ。品性の欠片もない。

それでも私から碧が逸らされることはなかった。見てなくても、わかる。強い視線が首筋を焼く。

 

「ねえ、」

 

知らない、あんなやつ。ジャービーなんか隠し持って、しかもそれを用いた実験に失敗するようなアホ。もっと上手くできただろうに隠蔽も満足に出来ないのか。

退学処分になっても、唯唯諾諾と従って、大人しくホグワーツから去ろうとしたヘタレ。自分の言い分も通せない軟弱者なのか。退学するならするで、それを告げるのが礼儀じゃないのか。

本当に知るもんか、あんな、あんな、人の罪をわざと被った大馬鹿者。そんなの自業自得だろ。そいつの罪はそいつに償わせろよ。なんでお前が。このお人好しが。

私はお前みたいなやつが嫌いだ。1番嫌いだ。大嫌いだ。

 

「ティア!」

 

だから、お前とは友達なんかじゃない。

これは家に言われたからじゃないぞ。お前を庇ったからじゃない。お前を停学処分で済むよう手を回したからなんかでは、決してない。お前みたいなやつと、もう関わりたくないんだ。お前みたいな自分勝手なやつにはうんざりなんだ。私はマルフォイらしく、身分にあったやつと付き合っていくのは当たり前のことなんだ。

 

でも、これくらいはいいよな?

 

小さく振り返って突き飛ばされた姿勢のまま、こちらに強い碧を向けるそいつに口先だけで告げる。

 

ーうらぎりもの。

 

お前も私が要らないんじゃないか。

 

 

 

 

 

 

そして、ヤツとは一度も話すことなくヤツも、私も、学び舎を卒業した。優秀なる魔女としての称号だけ、手に入れて。



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ティア・マルフォイは無関係。

 

ホグワーツをトップクラスの成績で卒業した年、私はそのまま魔法省に入省した。魔法法執行部の魔法薬不正使用取締局だ。2回目ともなれば、簡単なことで。しかも時代遅れの教科書達は私の知る知識で補強させれば、追加でポイントを稼ぐなど無言呪文よりずっと容易い。

 

マグル間で始まった愚かな戦争は、私たち魔法使いをも巻き込んだ。否、一部のバカどもが自ら巻き込まれに喜び勇んで飛び込んで行った。

それに便乗した私も人のことは言えないが。

 

「マルフォイ家の一員として、この名を誇りたい。あなたに頂いたこの血で、この身でマルフォイ家を知らしめたい。我が家紋に素晴らしき功績を捧げたいのです。」

 

そう恭しく頭を垂れれば、満足げに許可した男。単純なヤツめ。ガチガチに固まった頭は言葉通りにしか受け取らなかったらしい。お気楽なことだ。

 

そして得た自由で私は世界を飛び回った。“前”を含めて初めての体験だ。戦時中だったこと、優秀な魔法使いであったこともあり、様々な場面で駆り出された。マグルに気付かれることのないよう、魔法使い並びに魔法生物について隠蔽し。時には闇の魔法使いと呼ばれる犯罪者を秘密裏に捕まえた。

尋問は特に得意な分野だ。“前”は当たり前だった進歩した真実薬をちょっと飲ませるだけでいい。この時代の真実薬への耐性など、容易に越えられるのだから時の流れは偉大だ。

人々は私を“至高の魔法薬使い”と言った。魔法薬学を50年は進めたと。それをせせら笑う。当たり前だ。私の作り方は80年先のそれなのだから。何も知らない愚か者達のお陰で、魔法省は私を手放し難くなった。そう、それは例え、マルフォイ家が帰還を命じたとしてもだ。

これでいい。これが、狙いだった。あれらに大人しく使われてやる義理などないのだ。私はただマルフォイの血と家が残っていれば、それでいい。これ以上、力を持たせる必要は無い。だって、元々“ティア・マルフォイ”はこの時代にいなかったのだから。

 

この先80年、魔法薬学者の功績を根こそぎ奪い取った。いずれは本にでも纏めて、更にこの立場を固めるために使い潰す。早い者勝ちなのだから、仕方ない。1つの発明で人生を変えた誰かなど知るものか。私は、私が良ければ、それでいい。だから、少しくらいネクタイを緩めようか。

 

「ミス・マルフォイ。君はもっと上に行きたいと思わないのかね。」

 

腰を撫でるその手を杖先で払って鼻で嗤う。

 

「ミスター、私は自分の力で上に上がります。誰かの補助がなければ逆上がりが出来ないマグルの幼子とは違いますから。」

「…本当に良いのか?」

 

不快げに歪めたそいつに笑顔で杖を振った。ハゲ頭の上に現れた薬瓶が逆さにひっくり返る。

 

「っ、この!、ヒック!」

「こんなのも避けられない愚図が私に何か与えようとするんじゃない。わらってしまうだろ?」

「お、ヒッ、まえ、ヒック!…!」

「ああ、そうだ。」

 

しゃっくり咳薬のお味はいかが?

 

 

 

 

 

 

英国魔法省は馬鹿げたプログラムを決行したらしい。ドラゴンを手懐け、利用しようというのだ。

別に魔法省自体が魔法生物を認めた訳では無い。ただ使えるものは使おうと道具のように使用を決めただけ。そして、魔法省魔法生物規制管理部には都合よく、使えそうな、使いやすそうな人物がいた、それだけの理由で始まったそれ。

愚の骨頂だ。誰が自分達を認めない存在に付き従うものか。敵意を持って睨みつけてくる奴らを心から慕えるか?無理に決まってるだろ。出来るやつがいるなら見てみたい!ナイフを突きつけてくる相手を笑顔で抱き締めに行くような狂気だ。私なら死んでも嫌だ。否、死にに行ってるようなその行為にこの言葉は適切ではないな。そんな死に方は嫌だ、が正しい。とても間抜けな死に方だ。

 

しかし、それは“少し”上手くいってしまった。例の、使いやすそうな変人がドラゴンを手懐けてしまったのだ。そして、それはそれは友人のように戯れる彼に、その他大勢は錯覚した。ドラゴンとは簡単に手綱を握れる存在なのだと。これだから、バカの考えることは嫌いだ。誰も彼もを好きになるような生き物など人間を含めて居ないというのに!

 

だから、こうなる。

 

「あ、ああ!」

「治療、治療を早く!」

「魔法薬はまだか!?」

「腕が、腕がぁ!!!」

 

赴いた東部戦線は阿鼻叫喚だった。これの滑稽なところは敵方からの攻撃ではなく、自業自得でこうなってるところだ。自身の魔力を使う気にもなれず、適当に魔法薬を投げる。さあ、好きなものをどうぞ。今話題の魔法薬学者のお手製薬だ。召しやがれ。

翻したローブで、外に向かった。木の奥に炎がチラつく。どうやらまだドラゴン達は興奮してるらしい。そりゃあ餌が足元をじゃれついてるんだ。猫だって捕まえて食べるだろう。

 

「やめて!止まって!お願いだから!」

 

両手を広げて、ドラゴンに叫ぶ人影は一つだけ。他の奴らはラジコンのように逃げ惑ってるか、猫じゃらしのように杖を振ってるか、懐中電灯のように攻撃魔法を放つ烏合の衆だ。これでは奴が守ってるのは人かドラゴンか分かったもんじゃない。

 

「落ち着いて!落ち着いてくれ!頼むよ!止まってよ!」

 

誰も奴の訴えなんて聞いちゃいない。それが現実だ。1人の言葉なんてたかが知れてる。だから、人は力でしか従えられない。

 

「メテオロジンクス。」

 

ふわり、季節外れの雪が振った。自然では有り得ないほど、小規模な雪雲だ。これが、今の私に出来る最大規模。

 

「レヴィオーサ。」

 

びゅーんひょい、だったか、この呪文は。懐かしくて何だか笑えた。ふわり見送った小瓶は雲上で中身を振り撒いているだろう。杖先で遊ぶように雲で見えないそれを動かす。中身は簡単、安らぎの水薬だ。小さな白をその身で受けたバカ達は次々と眠りについた。そっと杖先を傘に作り替える。変身術の応用だ。自身の魔法で眠るなど間抜けな姿は晒さない。

 

雪が、止む。

 

ドラゴンは暴れてはいなかった。安らぎの水薬は鎮静の効果がある。その巨体には眠るほどの効果は出なくとも心を落ち着かせる程度の力は発揮したのだろう。静かな目でこちらを見ていた。

立っているのは私と、もう1人。堅牢なドラゴンの翼の奥で守られた人。唯一、ドラゴンが気を許した存在。その目が持つ碧を認めて。

 

「待って、違う!彼らから危害を加えたわけじゃ…!」

 

訴えかけるような叫びは静かな森の中でよく響いた。立ち塞がったコイツにとって、私は何か。きっと、味方では、ない。

思わず喉を震わせた。失笑だった。なんて、見当違いな行動だ。

 

「帰れ。」

 

森の奥へ、促した。杖は逆さに腕に添うように握りしめて。

 

「これは人間の問題だ。お前らは、関係ない。」

 

驚いたように、苦しそうに、目を見開くそいつには目を向けない。名も無きドラゴン達の人間の数倍の大きさを持つ目を見つめた。

敵意はない。あるのは同情だ。こんな、戦争に参加するなんて馬鹿馬鹿しいだろう。勝手に始めたくせに巻き込むなと怒りたいだろう。私も、そう思う。マグル達は力など元よりないくせに、自分達の方が上だと存在しないものを主張したがる。呆れるよな。面白くないよな。不服だよな。わかるよ。お前らは姿も違うのだから、尚のこと、そう思うだろうに。

だからこそ、もう一度腕で指し示す。

 

「帰りたまえ。ここは、お前らのいるべき場所じゃあない。」

 

特に大きなドラゴンの理性あるそれと見つめ合った。静かな瞳だった。それが伏せられる。ゆっくりとした動作だった。まるで礼を述べるような。

のしり、その翼が広げられる。それに続くように次々とドラゴン達はその堅固な両翼を開いた。そして、立派な顎を垂らした先には赤茶色の髪の彼。

一緒に行くか、と問うような動きだった。その顔を懐かせて、おいで、共に行こう、と迎える。けれど、その硬質な肌に手を伸ばした男は首を横に振った。寂しそうに、けれど安堵したように、ゆっくりと。

 

「これで、いいんだ。やっぱり、君たちは自由な方がもっと、ずっと、素敵だから。」

 

次の瞬間、力強いはばたきだった。髪がぶわりと舞う。それをローブごと押さえつけて、1歩、後ずさった。

袖口から顔を出したヴァシーを押し戻して。やめろ、見えないくせに好奇心で這い出てくるな。好奇心は猫も殺すらしいぞ。偶に猫に狙われてるお前なんて瞬殺だろ!

 

遠くに影が遠ざかっていく。大きなその群れは風を作り出して。

後に残ったのはそれをただ、見つめる赤茶色の後ろ姿だけ。群れから置いていかれたように佇む姿は、少し寂しそうに見えた。気のせいだ。

 

「エピスキー。レパロ。」

 

そのボロボロの体が見苦しくて、杖を振った。簡単な治療とみすぼらしいコートは、まあ、見れる程度にはなったはず。

 

「…とう。」

 

ゆっくりと、その碧が振り返る。

 

「ありがとう。…えと。その、ひ、久しぶり。」

 

そろり、ぎこちなく上げられた片腕。コイツはブリキのおもちゃなのか?マグルのおもちゃでももう少し自然に動くぞ。もう一度吸い寄せられるように光源もないのに輝く目を見た。視線は逸らされ、手はなかったかのように気まずそうに下げられた。

 

コイツ、何も変わらないな。私と関わらなくなってから、何も。…忌々しい。

 

背を向けた。適当に魔法薬を放って帰ろう。私は治癒士として呼ばれたわけじゃないんだ。もういいだろ。ヒールのない重いブーツで地を踏みしめる。デザイン性など皆無な足先を守るだけのものだ。別に切り落としても生やしてやるのに。

 

「アイアンベリーを、ドラゴンを見逃してくれて、ありがとう。彼らは何も悪くないんだ。」

 

ああ、早く帰りたい。ポートキーでも使って戻ろうか。姿表しはこの距離ではバラける可能性が高い。頭がバラけなければ、どうとでも出来るが、そこまでしたい訳じゃない。痛いのは嫌いなんだ。

 

「魔法薬も!偶に基地に届くよ。さすが、君のやつはよく効くね。」

 

家に帰ったら魔法薬の補充をしよう。材料はあるから、ひと月ほど篭って。何、貢献してやってるんだ。休むわけでもなし、文句は言われないだろう。言われたらその口にフルーパウダーを突っ込んでやる。きっといい場所に行けるさ。

 

「君はすごいね。最近、名前を聞くよ。同僚にも君のこと訊ねられて、さ。」

 

今日のディナーは気に入りのバーにしよう。酒も美味しいらしいが、それよりもジェラートが素晴らしい。言えばオムレツも出してくれるのだから、最高だ。ヴァシーもあそこのオムレツのふかふか具合に夢中だろ?

 

「ね、ねえ、ティア、」

「お前が呼ぶな!汚らわしい!」

 

触れようとした手を杖先で叩く。掠ったそこは鋭く赤が滲んでいた。睨みつけた目は色の通り深い悲しみを浮かべていて。なんでお前がそんな顔をするんだ、裏切り者、と口汚く罵ってしまいたい。しかし今はそれよりもこんな辛気臭い顔を見たくもなかった。コイツの存在を感じない場所に行きたかった。

 

「……。っ。」

 

さっさと、帰ろう。後ろに踵を返す。もう用はない。

 

「わっかんないよ!!」

 

がちり、体が固まった。魔法をかけられたような、そんな感覚だった。杖なんて向けられてないのに。

 

「ああそうだよ!僕は君が言う通り愚図だしノロマだし馬鹿だし阿呆だし最悪さ!人を苛立たせないことなんてない!!でもさ、でもさ!」

 

しゅるり、襟首から顔を出したヴァシーがアイツを舌を鳴らして威嚇する。それを私は黙って宥めた。怒るな。お前が怒るとローブ下で巻き付かれた尾が絞まる。私を窒息させる気か。

 

「君は違うだろ!君は僕を放っておいてくれた!そういうやつだって認めてくれた!なのに!急に、急にだ!突然!訳わかんないよ!!!君はなんで僕と話してくれないの、僕の話を聞いてくれないの、目を合わせてくれないの!君は、君は!!……僕を…嫌いになったの…。」

 

風が吹く。背中から私を押すような強い風に身を任せて、爪先を動かした。ここはお前の居ていい場所じゃないと告げるように。

 

「何か、したかな。何が悪かった?教えて、僕、わかんないんだよ。できるだけ直すよ。頑張る。だから、ねえ、」

 

ひとりぼっちの男を置いて、ひとりきり歩く。眩しさに逸らした目は夜に慣れきって、私の進む道がよく見えていた。

 

「ティア、君を教えてよ。」

 

私だって知らないよ。



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ティア・マルフォイはやり直し。

 

戦争の結果は知っていた。勝敗が決まってる勝負ほどつまらないものはない。イカサマゲームより見応えのないものだ。これに次があると知ってれば、尚のこと。

 

「椅子取りゲームは一時休戦か。」

 

マグルのラジオ、新聞。どれをとっても戦争の終わりを喜ぶ内容ばかり。

 

お前らが勝手に始めたものなのにな。

 

魔法使い達も一息ついて、またマグルとの境界線を引き直した。私たちとあれらの生きる世界は違うのだ。そこに無枠にも首を突っ込んだのはどちらか。

日刊予言者新聞が一人の男をトップに据える。戦争の英雄、テセウス・スキャマンダーだ。さすが、英雄様。きらびやかなことだ。

 

―謎に包まれた薬学の天才、ティア・マルフォイに迫る!

 

写真もない私の記事とは大違い。

 

「まあ、こんな低俗なもの断ったのは私だが。」

 

私は安くないんだよ。不意打ちならもっと上手くやるんだな。

偵察魔法のかかった蝿をヴァシーがぱくりと飲み込んだ。次の記事は蛇の胃、大探検!なんてどうだ?

 

 

 

 

 

 

 

魔法省は嫌いだ。どこもかしこも古臭くて埃まみれ。そんなことにも気付かないいつ崩れ落ちるともわからない立場に縋り付く一部とそれの顔色を窺う一部、残りはかけても補充される歯車として壊れかけの機械音を鳴らす不良品の巣窟だ。

私は戦争後、個人的なラボを与えられた。次期局長を断った私をこの部署に縛るための手だろう。あまり意味はなしてないが。

 

歩けば、振り返った奴らがあからさまに欲に目を眩ませる。声をかけようとして、勝手に牽制し合ってるのが滑稽だ。どうでもいいことだが。私から声をかける?そんなことがあるわけないだろ。勝手に足を引っ張りあって無様に転び私の前から消えてくれ。

原因は、恐らく、最近出版した魔法薬学書だ。戦争で使った治療の上で必要な鎮静や治癒力促進、もちろん治療薬まで材料と作り方、効果を事細かに書いた。材料に関しては一つ一つどのような効果を齎すかまで書いてやったのだからきっと猿でも理解出来るものになったはずだ。

毒薬や強力な睡眠薬、拷問に用いられるようなものには一切触れなかった。そんなの世間に出せば、戦後まもない今、もう一度燻る火種にインセンディオするようなものだ。私は私自身を燃やすようなマゾヒストではない。

 

とはいえ、そんな穏やかながら、魔法薬を数歩進めた魔女のレシピだ。誰もが、絶賛し、手に取った。近々ホグワーツの教科書に採用する予定らしい。光栄なことだ。

しかし、馬鹿はどこにでもいるらしく私に直接話を聞きたいと猿が列をなしているのが現状だ。またはこの知識、そしてこの血を取り込みたいがための接近。こちらは頭だけでなく、性欲まで猿らしいのだから、呆れて何も言えない。

 

「おお!麗しきレディ・マルフォイ!」

「レディはバッドガイがお呼びじゃないんだ。学生からやり直してこい。」

 

「ハイ!ミス・マルフォイ!今日も君はセイレーンのように美しい!」

「ならそのまま海に沈んでくれ。子供からやり直してこい。」

 

「おお、なんと可憐な方だ。君のためなら世界だって捧げるよ。」

「ならまずはお前が視界に入らない世界を寄越せ。母胎からやり直してこい。」

 

「頼む!一晩だけでいいんだ!君とセッ」

「前世から、いややっぱりやり直すな、死ね。」

 

この脳みそトロールめ!いやむしろそういう目で見てこないトロールの方がマシだ!辛うじて被っていた淑女などとっくに投げ捨てている。実家から毎日のように吠えメールが届くが、呪文返ししてしまえば無問題だ。両親は毎日のように自身の怒鳴り声を耳元で聞いていることだろう。良かったな、お前らが娘に送った愛あるお言葉だぞ。

 

今は、半研究職のようなことをしてる。魔法薬学書の検分をしたり、押収した薬物を調査したり、材料となる生物や植物の生態系における変化を統計したり。これらならまだいいが、よくある魔法薬によるトラブル(主に異臭)を丸く収める雑用のような役人仕事など馬鹿馬鹿しくてやってられない。

 

「やあ、ミス・マルフォイ。」

「微生物からやり直して…あ、」

 

片手を上げ爽やかに笑う男は、知人ではない。しかし、私はコイツを知っていた。そしてそれはコイツも。私を一方的に知ってる。もう原型など留めてもいない本当が1ナノでも混ざっていたらいい程度の噂話で。

 

「はは、これでも現状には満足してるんだ。やり直そうとは思わないかな。」

 

にこやかなコイツの顔は引き攣った様子などない。隙ひとつない鉄壁の相対だ。差し出された手を見て、顎を引いた。ふむ、

 

「テセウス・スキャマンダーだ。薬学の魔女様?」

 

コイツ嫌いだ。

 

 

 

 

 

 

お茶しよう、なんて平凡な誘い文句。面白みのないそれにこんなヤツを好く気持ちがさっぱりわからない。モテる男は私をティーサロンに連れ出した。運の悪いことにコイツに出くわしたのは終業直前。

ディナーでも、と笑ったコイツに「初めましてでディナー?随分と軟派なことで。せめてクリームたっぷりのケーキでも出せよ。多少は苛立ちも治まるだろうさ。」笑いさえしなかった。気分を害した様子も“見せず”に私をエスコートしてみせるのだから、面白くない。

 

「ここはサンドイッチが最高なんだ。ソースに隠し味があるらしくてね、どんな偏屈な上司でもイチコロさ。」

 

コーヒー片手に喋り倒すコイツの手には、その“最高なサンドイッチ”とやらはない。私が頼んだ紅茶はそもそも茶葉のレベルが低すぎて、一口でやめた。これなら水の方が遥かにマシだ。

 

「もちろん、君の御要望のクリームたっぷりのケーキもあるよ。フルーツタルトも絶品だがね。」

「そこの君、オペラを一つ。」

「…。」

 

通りかかったウェイトレスに手を上げれば、恭しくオーダーを受けた。接客はまあまあだな。どれほど店が良くてももう来ることは無いが。

 

「で?そろそろ無駄話ばかりするその煩い口を閉じろ。用件がその程度なら私は帰るが?」

「まあ、待ってくれ。まだ“オペラ”も来てないだろ?」

「お前が目の前から消えてくれるならケーキの一つや二つ食べれなくても一向に構わないんだよ、私は。」

 

水を一口。悪くないグラスだ。見た目だけのものより、この無駄を省いた機能美がある。目の前の男と違って。

 

「なんだ、君は案外せっかちなんだね。もっと、」

 

かちゃり、コーヒーを置いた。その手で頬杖をついて、青の目を細めて、わらう。

 

「余裕のある子かと思ったよ。」

 

私は地に足がついてない子供とでも言いたいのかコイツ。

 

「それは期待外れなようでなにより。私は身の丈に合わない自尊心をお持ちなのだろうと思っていたから何も意外ではなかったな。」

「…。」

 

ピクリ、片眉を上げて、わざとらしく肩を竦める動作に瞬きをして。視線を逸らした。

ウェイトレスが銀盆を片手にするするとテーブルの間を縫うようにやってきた。

 

「オペラでございます。」

「ん。」

 

目の前に置かれた美しい黒。シンプルだからこそ、味に期待出来るというもの。添えられたフォークで一口。まあ、及第点。もう少しバタークリームにコーヒーを加えた方がいい。

目の前のコーヒーだけの男など知らぬとケーキを味わう。分かるか?私にとってお前はケーキより、下。

 

「君…性格が悪いと言われないか。」

「いいや、覚えがないな?意地が悪いと言われたことはあるが。」

「っ……、はあ。」

 

言いかけた言葉、奴の口から飛び出る前に喉奥に押し込まれた。代わりに“何か”を吐き出すように深く息をする。

気を取り直したように胸を張った男がまずしたのはシュガーポットを開けること。そしてポチャポチャポチャポチャと四角をコーヒーに溶かすこと。勢いよくそれを飲むこと。そんなスリーステップ。パブにいる下品な酒呑みのような仕草はとてもよく似合っていた。

少し落ち着いたように、ゆっくりとソーサーにカップを戻す。ほら、苛立ちには甘いもの、だろ?

 

「ああ、そうだな、君は“とても”意地が悪い女性のようだ。」

 

オペラの最後の一口。口端を拭く。もちろん、ナプキンは綺麗なままだ。汚れが付くような品のない食べ方はしていない。

 

「お褒めいただきどうも。それで?私は暇じゃないんだ。ご覧の通りデザートも終わってしまった。」

「……僕には弟がいるんだ。名前はニュートン・アルテミス・フィド・スキャマンダーといってね。」

 

随分と仰々しい名前だこと。そしてそれを全部覚えてるなんてなんなんだ、コイツ。自分以外はファーストとラストだけで充分だろ。ミドルネームなんてセカンドを覚えてれば良い方だ。

 

「ニュートは八歳年下でさ。学生時代は一年も被らなかったからか、結構価値観が合わなくてね。アイツが使ってる教科書を見た時は驚いたものさ!僕の時はこんな面白いことしてないぞ!ってね。」

 

身振り手振りでオーバー気味に取られるリアクションはパントマイムのよう。一種の芸を見てる気分になってきた。

 

「だからかな、ニュートは僕と話すのが苦手らしい。でもね、アイツは優しいからさ、話しかければ、まあ、話してくれる。ぽつぽつとだがね。ヘタクソなんだ、コミュニケーションが。人間より動物と話してる方がずっと愛想がいい。」

 

竦められた肩は全く困ってはいなかった。仕方ないなと言うような仕草。

 

「アイツを変人だって言うヤツらは多いが、僕はそう思わない。ニュートはさ、出来るやつなんだ!興味があればどこまでも執拗く追求できる!研究者気質の天才になりうる自慢の弟!!」

「お前、もしかしなくてもブラコンだな?」

 

興奮したように頬を紅潮させて、力強く力説する姿はどう見てもバカだ。分類は簡単、兄バカ。

 

「そんな弟が、滅多に動物のこと以外話さない弟が、偶にポロッと零すんだ。あんまりにも自然だから、違和感なんて感じてなかったんだが、一度気付くとどうにも目についてね。」

 

言ってることがストーカーなのは気付いてるのか、コイツ。もしくは粘着系彼女。彼氏じゃないところに悪質さを感じて欲しい。

 

「弟はどうやらとある人物にご執心らしい!その人物はホグワーツの後輩らしくてね、2つ歳下のスリザリン!しかも先輩後輩ってだけじゃない。まだふくふくのほっぺをしてた頃、同じ女性に会ったことがあるらしくてね。華麗に初恋も奪われてたって話さ!…それは忘れられてたようだが。」

「それは、それは、何とも印象に残らない陰気なやつなんだろうな。」

「それが何があったのか秘密の場所で密会するような仲になったらしいじゃあないか!あの頃はホリデーに会った時は驚いたよ!何ともまあ浮ついた顔をしてる!ってね。同時に寂しくて寂しくて死んじゃう兎みたいな顔をしてたが。」

「器用な表情筋を持つ弟殿なようで。」

「まあヘタレな我がハッフルパフ出身の弟は何をしたのやら卒業前から話してもらえなくなったらしい。それでも女々しく未だに想い続けてるんだから始末に負えん。おかげでこの歳まで女性経験はゼロ!ゼロだ!0.00000…とにかく1ビットもない!!!ああ!ああ!哀れな弟よ!」

「…。」

 

本当に哀れだな。兄に女性遍歴をこんな公共の場で語られる弟とは。

大袈裟な動作で目元を手で覆っていた男は静かにその手を下げた。そこから現れたのは問うような視線。

 

「どう思う?高嶺の花と名高いミス・マルフォイ。」

「とても弟君と仲良しなようで。もしくはそいつは随分とお喋りらしい。」

「ああ、仲良しさ!とてもね。でもアイツは口下手だ。好きな女の子に謝りに行くことすら出来ない。しかも勢いで押せば流されやすいんだから、あとは簡単だ。零していった言葉を繋ぎ合わせれば単純な弟の事など兄にはお見通しなんだよ。」

「ふん、探偵の真似事か?」

「名探偵と呼んでくれたまえ!家族限定のね。…だって君のことは全然読み取れる気がしない。君、本当に生きてるのかい?さっきから表情が石のようだ。前評判と違うな?喜怒哀楽…怒りがわかりやすいと聞いたんだがね。君はさっきから“無”だ。」

「お前のために何故私が表情を変えねばならないんだ。」

「…ああ、前言撤回。」

 

ゆっくりと乗り出すように肘をテーブルにつける。その青は私を舐めるように見た。不快だ。

 

「君は、確かにわかりやすい。」

 

ほら、そうこちらを指さす。その人差し指は要らないということで構わないな?

 

「今、押さえつけた。君は理解が嫌なんだろ。もっと言うなら他人に知ったかぶりされるのが。でも身内には違う。理解してくれないのがそれはもう嫌で嫌でしょうがない。まるで駄々をこねる子供みたいにね。」

「そうか。お前のプロファイリングによれば、お前は私の一番嫌悪するタイプのようだ。」

「はは、僕は案外君のこと好きになれそうだよ。」

 

口の中に苦い味が広がるようだ。虫を噛んだような不快感にうがいでもしに行きたいところ。

 

「ニュートは一途なんだ。きっとその子が振り向いてくれなきゃこの先一生独り身さ。」

「そうか。私には関係ないな。」

「本当に?」

 

そろそろ帰るか。カバンが勝手に動き出してる。中の腹ぺこが愚図ってる証拠だ。

 

「わかってるんだろう、マルフォイ。」

「知らんな。」

「ニュートン・スキャマンダーの想い人は君だよ。」

「なら言っておけ。お前はティア・マルフォイに相応しくないと。」

「おや、やり直してこい、とは言わないんだね。」

「…。」

「散々遠巻きにされる変人を、変人だけを、君は否定しないんだね。」

「あんなやつ、やり直したところで変わるまい。」

「そうかもね。そして、それを君は許容するってことでいいかな。」

 

立ち上がった。カバンを引っ掴んで、財布の中身を叩きつける。

 

ーバンッ

 

予想した通り響いた音に、店内のヤツらは沈黙した。

 

「ニュートには君以外もいるよ、良い奴だから。でも、マルフォイ、君にはニュートしかいない。そしてニュートも君以上はいない。どうか、これだけはわかってほしい。」

 

知ったような口を聞くな。

 



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ティア・マルフォイは知らない。

ランキング入りありがとうございます!
とても、それはもうとても驚いて1人でフォイフォイしてました。


 

私は知っています。魔法薬の可能性を、未来を、私は知っているのです。この本はただ、私が知っていることを、どんな低俗で偏屈な頭の固い人間でもわかるように噛み砕いただけなのです。もしも、これで魔法薬にこの先はないと言うならば、結構。どうか、その古臭く黴臭い泥水を飲み続けてくれたまえ。

 

ティア・マルフォイ著『癒し手』後書きより

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ミス・マルフォイ。我が校から新たな著名人が生まれたこと嬉しく思うよ。」

「私の初めての書がこの学び舎の導きとなること、とても光栄に思います。」

 

変わらない母校を訪れたのは、私の本が教科書として選ばれたからだ。まあ、我ながらそれはそれはねちっこく懇切丁寧に書いてやったのだから当たり前のこと。これで少しはポップコーンのようにポンポン爆発することも減るだろう。

 

「ああ、本当に、素晴らしい本だ!私も読んだが、古典的で革新的な、今までの薬学の必要なものを足して、不要なものを削ったあれらはこれからの常識になる!そう確信したよ!」

 

にこり。だろうな、そんなつまらない感想しか言えんのか、古木め。そのシワシワの年輪に何を刻んできたんだ。私が直接包丁で刻んでやろうか。

そんな内心をおくびにも出さず、差し出された本にサインする。もちろん手書きではなく、杖で操った羽根ペンで。その器用な杖使いに感嘆の声をあげてるが、気付け。お前の手垢が付いた本を触りたくなどないんだと。

 

「ところで、」

 

嬉しそうに今しがた乾いたばかりのサインを撫でる。ああ、更に垢まみれになっていく。可哀想に。

 

「近々、魔法薬学の教授が薬草探しに出たいらしくてね。新たな先生を探してるんだが…。」

 

チラリ、こちらを見てくる現校長に笑う。それに満足気に頷く年寄りに言ってやった。

 

「あと数年ほど先ならば、真っ先に立候補したでしょうに。」

 

もう少しいい歳こいて新発見を夢見てるようなバカに働かせておけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最近の私は基本自宅から動かない。魔法省に出勤しても名が売れたせいか雑用など任せられぬと仕事は与えられない。そもそも出歩いただけで甘い蜜を吸おうと狙うバカ達が騒ぐのだ。与えられたラボもそういう訳で人がひっきりなしに訪ねてくる。そんな所じゃおちおち書類も書いてられない。指圧によって逝った羽根ペンが何本あったことか…。

 

「ところで先生次回作はいかが致しますか?」

 

コイツは編集社の犬。取材の件やら、著書の売れ行きなど、事細かに訪ねてくる。そしてその度に問うのだ。「次は?」と。

 

「お前は今まで誰を見てきたんだ?次から次へとぽんぽん本を出せるのは頭のネジが外れた小説家か。今まで片田舎にでも住んでた知識だけはお持ちの頭でっかちな老害だけだ。その節穴には私が小説家か老害にでも見えるのか?それとも、日がな一日机に向き合ってられるような暇人にでも?ああ、すまない、お前の目は節穴だから見えないんだったな。」

「…申し訳ありません。」

 

まあ、書こうと思えば書けるんだが。そんな余計なことは言わず、宜しいと頷く。こういうのはタイミングを観なければどんどん付け上がる。

 

「でしたら、御知り合いに何か研究されてる方はいらっしゃいませんか。最近、先生の影響でそういった研究書が注目されていまして。名門ホグワーツご卒業の先生ならば、そんな御知り合い1人や2人。」

「知るか、切羽詰まってるなら自分で書け。お前の周りの人間を本にでもまとめれば化石人間のマニュアル本程度は出来るだろうさ。」

「そう言わずに!どんなマニアックな内容でも構いません!最悪、発行まで時間がかかったっていい!私も“見つけてこい”って言われてるんですよ。」

 

神でも崇めるように私に指を絡ませる、そいつを指で払って芋虫をすり潰す。ある程度形を残すのがコツだ。

 

「じゃあ、じゃあ、先生の写真集はいかがですか!?先生はお綺麗なので、実生活をパシャパシャっと撮らせていただければこちらで纏めますので!」

「どうやら次の本は写真付きになりそうだ。実験の様子を撮った拷問薬のね。」

「ああ!嘘、嘘です!」

「ああ、私も冗談だ。」

「は、はは、そうですよね…。……そうですよね?」

 

疑うような目でこちらを見てくるそいつに溜息を吐き出して、ちょうどいい塩梅の材料を鍋に入れる。そこからノンストップだ。手を止めたら失敗する。

 

「1人、心当たりがある。」

「え!」

 

とろみが出てくるまで只管に混ぜる。

 

「ニュートン・スキャマンダー。魔法省魔法生物部の男だ。」

「へえ!そんな辺鄙な所に御知り合いが…って男!?」

 

ドロっとしてきたらマンドレイクの葉を少し。ああ、ヴァシーありがとう。頭で押された瓶の中からひとつまみ。慣れたもので2グラムなど図らずともわかる。

 

「せ、先生!もしや先生のこいび」

「お前の頭は花畑なのか?除草剤でも胃に直接流してやろうか。」

「結構です!」

 

右に3.5回転、左に6.5、右に12…規定の回数、右に左にと混ぜていく。

 

「ところでその方はなんの研究を…?」

「魔法生物。部署で察しろ能無し。」

「ま、魔法生物ですか…また何ともまあマイナーな。」

 

縦に1、2、3、4、5、6往復。

 

「お前が何でもいいと言ったんだろ。」

「ええ、そうですね!でもそんな忌避されるジャンルに行くとは予想してなかったです!」

「お前の想像力の無さを露呈するな。」

 

あとは混ぜながら、呪文を注ぎ入れて…

 

「わ、ヴァシー、彼がニュートン・スキャマンダー氏かい?何とも先生に似合わない人だ!なんというか、先生に負けそう。」

「アクシオ!」

 

木枠を器用に尾で引きずってきたヴァシーを呼び寄せる。宙でその細身を結び、薬草が入っていた籠に放った。青々しい臭いに悶えてろ。

木枠の中では我関せず2人のホグワーツ生が箒に跨っている。時折見切れる小さな金色からクディッチだとわかる。真剣な表情ながらどこか楽しそうな男女はカメラを気にすることなく、競うように空へと飛んで行った。

 

「先生クディッチなんてされるんですね。しかも写真を残しておくなんて!」

「…傍迷惑なタヌキの要らぬお節介だ。盗撮で訴えないだけ感謝して欲しいくらいだな。」

 

勝手に送られてきたそれは確かに覚えがあって。選手に選ばれたくせに不安だ何だと言うアイツに付き合って箒を引っ張り出して来たことを思い出す。あれほどスニッチを追いかけ回したあとに実はポジションがチェイサーだったというオチがつく。やっと捕まえた金色をあの顔面に叩きつけてやった。

 

「ご友人だったんですか?」

「別に。時折、場所を貸してやっただけだ。」

「先生、」

 

無価値なそれの上に書類を置く。どうせ、見ることは無い。

 

「ヤバい匂いがします。」

「…杖先を逸らしたからな。」

 

魔法薬は失敗だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

久々の魔法省。エレベーターから降りて、目に入ったベンチに座る男に眉を寄せた。“この階”にいるには違和感を感じるソイツは本来別の階であくせくとしているはずだ。けれど実際は掌を合わせて、そこに吹き込むようにブツブツと何かを呟いている。手の間に呪いでも貯めてるのか?

まあ、私にはどうでもいいとそこを通り抜けようとして、

 

「話を、しよう。」

 

出来なかった。立ちはだかる長身痩躯。こんなに近寄ったのは学生以来だ。あの時よりも瞳の距離が遠い。

初めてだった。コイツが私の前に、否、“人間”の前に立ち塞がるのを見るのは。いつだって後ろか、横から声をかけてくるばかりだったから。そう、言ってしまえば驚いたのだ。コイツが自分から“行動”したことに。

そんな私の一瞬の空白を突くように矢継ぎ早にニュートン・スキャマンダーは言葉を重ねていく。

 

「少しでいいんだ。返事もしなくて、いい。いや、して欲しいけど、でも、うん、取り敢えず、話を聞いて。」

 

以前、省内ですれ違ったことがある。その時の見ててイライラするような覇気のなさが薄れていた。つまらなそうに垂れていた目には力があった。

 

「……紅茶が飲みたい。」

「!うん!うん!近くに美味しいところ…は知らないけどちょっと待って今調べて、」

「ラボに茶葉がある。お前が淹れろ。」

 

横をすり抜ける。驚いたように立ちすくむソイツに首で合図した。

 

「いいの…?」

「不味かったら承知しない。」

 

歩きだした私の後に続く足音は少し明るい気がした。

 

 

 

 

 

淹れられた紅茶は綺麗な色彩だった。流石私のセレクトだ。緊張した面持ちの木偶の坊の目の前で1口、嗜む。これなら砂糖もミルクも要らなそうだ。

 

「座れよ。」

「あ、あ、うん。」

 

恐る恐る腰を下ろす。それを横目に棚からチョコレートを取り出した。クッキーは多分とうに湿気てるだろうから、あとでヴァシーの胃へ旅立ってもらおう。

カバンから本を取り出した。最近ハマってる『杖の材料〜国を超える魔法〜』シリーズだ。材料になるものが膨大すぎて未だに増え続けている全27巻。まあ暇潰しには良い。

その8巻目を手繰りながら、時折紅茶を口に含む。チラリ、上げた視線の先ではアイツはヴァシーに遊ばれていた。久々に“普通に”会えたことが嬉しいのだろう。だからといって首を締めるのはやめてやれ。ラボにゴミが増える。

 

「君の本、読んだよ。」

 

どれほど時間が経ったか、ぽつり、言葉が落とされた。それに私の視界がブレることは無い。白い紙を踊る文字達を追っていく。

 

「君らしいなって思った。“これだけ丁寧に書いてやったんだ、理解しろ”って言われてる気分だった。……当たってる?」

 

私は何も言わない。けれどヴァシーが何かシューシュー舌を鳴らしながらゆっくりと頷いた。ほっとしたように緩む口なんて知らない。ホッチキスで留めてやろうか。

 

「後書きも、あれ、結構パンチあったよね。大丈夫だった?、なんて愚問か。君だもんね。」

 

あれでパンチ?なら赤子のへなちょこパンチレベルだぞ。何処ぞのグリフィンドールの魔女のパンチの方が余程効く。あのゴリラ女め。

 

「えっと、あと、その、……うん。」

 

すっとその猫背が伸びる。美しい姿勢だった。

 

「ありがとう。」

 

まるで壊れ物のように優しく置かれた言葉だった。手負いの獣に下から差し出すようなそんな柔らかさ。

 

「君が、僕のこと持ち出してくれたって聞いたよ。ああ、うん、わかってる。君から言ったわけじゃないんだよね。うん。でも君のおかげでこのつまんない日々が多少マシになると思うと、なんか、なんだろ、なんか、その、肩の力が抜けて…?ああ、違う、なんて言えばいいんだろ。」

「…本を出すなら、語彙力も身につけろ。」

 

本を捲る手は止めない。ああ、今何を読んでたんだっけ。

 

「うん、うん!本当にありがとう!君のおかげなんだ。本当に。君のおかげで、僕は、うつくしい魔法生物を、皆に知ってもらえるんだ。」

「お前にそこまでの文章力があるかは甚だ疑問だがな。」

「うっ…。で、でも!今までは彼らについて本にまとめるなんて夢のまた夢だったし!その機会を得ただけでも大きな進歩っていうか!そりゃあ、君みたいに凄い本になるかはわかんないけど…。」

 

何とも“らしい”言葉だった。“わかんない”ね。無理とは言わない辺りがコイツの自信の現れだとコイツは気付いているのだろうか。

 

「でも、頑張るよ。うん、すっごく頑張る。」

 

パタン、とっくに目を滑らせるだけだった本を閉じてチョコレートを摘む。ナッツの食感が楽しいそれは甘めの紅茶に良く合った。

 

「ねえ、もう一回言っていいかな。」

 

碧が弧を描く。それは酷く嬉しそうで、眩しそうで、泣きそうだった。いつか隣に並んでいた男は机を挟んだ向かい側で私が見慣れない服を着ている。

 

「ありがとう。」

 

私も、もう緑のネクタイは何処かにやってしまった。

 



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ティア・マルフォイは期待される。

 

見たことの無い顔だった。聞いたことの無い声だった。そこには僕の知らない君がいて、僕の知らない誰かがいた。そして気付くのだ。僕が知る君はほんの一部だってことに。

 

 

 

 

 

 

 

彼女は甘いものが好きだ。口では糖分は苛立ちがなんたらとブツクサと言っているが、それを抜きにしても好んで食べてるのはその嬉しそうな雰囲気を見れば容易にわかる。

彼女はヴァシーを大切にしてる。ヴァシーっていうのは彼女の近くにいる蛇で、オムレツが好き。彼女曰く気付いたら側にいて離れないから仕方なく許してるらしい。

彼女は優しい。いや、ちょっと嘘。身内には優しい。他人には何も言わないけれど、近くの存在には容赦なく棘言葉を放ってくる。ここだけ聞けば優しさとは程遠いけど。僕はこれが彼女の優しさだと思う。他人はどうなっても構わないから何も言わないし、関心も抱かない。下手に近付けば攻撃するけど。それに比べて、身内にはある意味遠慮がない。傍にいることが当たり前だからこそ、そこを更に居心地良くしようと我儘だろうと忠告だろうと言葉にするのだ。

だから、まあ、僕も少しは、片足、爪先くらいは彼女の内に入れてるのではないかと思うわけで。

 

「いや、だからっていつもの警戒心はどこにやったの…。」

 

目の前にはシンプルなソファの上で本片手に目を閉じる人。顔前…20センチ手前で手を振るけれどピクリとも動く気配はない。これは…寝てる。

起こそうかと少し机越しに近付けた手は、キュッと寄った眉間に跳ねるように引っ込んだ。起きてない?起きてない、セーフ。いや、起こした方がいいんじゃないか?なんてまた堂々巡り。

抱えた頭はそもそも何で自身が彼女の家(一軒家)に居るのか考え出した。

 

 

 

 

 

 

本の執筆活動を始めてから数年。僕は休暇の度に色んな国を旅した。魔法省の給料は週に2シックルしかなくても、取材旅行という名目があれば出版社がお金を出してくれたし、何より新しい魔法生物をこの目で探しに行けるのは最高としか言いようがなかった。こんな好待遇だったのは決して僕が期待されていたわけでも、魔法生物に興味を持ってもらったわけでもない。僕が彼女からの紹介だったからだ。

僕は恵まれた人間だと思う。こんなイラつかせる僕に良くしてくれる人もいるにはいるし。一応昇進だって出来ている。給料は少なくて、正直苦しいけど。でも、そう、恵まれているのだ。その中でも特に僕が恵まれたのは、彼女ーティア・マルフォイと知り合えたことだろう。

彼女は優秀な魔女であり、究極の探求者だった。至高の効率主義者でもあった彼女は友人関係においても無駄を省くような人で、そこに滑り込めた僕は我がことながら理由が分からない。一時期はそれはもう顔も合わせないほど嫌われていたけれど。また何があったのか。学生時代程ではないが、距離を縮められたと思う。

声をかければ返事をしてくれるようになったし、見なかったフリなんてしない。執筆について質問すれば罵倒されるし。初対面で突進した二フラーは逆さに吊られたし。寝ぼけ眼で出勤すれば顔面にアグアメンティ。建物内で溺れるかと思った。

あれ、これもしかして嫌われてるのでは?少し不安になったけど、そんなことはないと思い直す。彼女は他人に時間を割くその時間を嫌悪するような人間なのだから。彼女にとってどうでもいい話(執筆活動や魔法生物について)でも反応を示すということは多少は僕にも関心を持ってくれる証拠だ。

 

閑話休題。

 

まあ、そういう訳で休みさえ取れたら僕は比較的気軽に魔法生物探しに出掛けられるようになったわけ。なんていったって“あの”ティア・マルフォイの紹介だ。彼女の機嫌を取っておいて損は無い。つまり僕のこの現状は立派なコネということで、彼女に向ける感情を考えればこんなに情けないこともないんじゃないか、そう思う日々である。

 

そんな僕がイギリスに帰ってきたのは数刻前。今回も珍しい生き物に会えてホクホク顔の僕はそっとトランクを撫でた。

検知不可能拡大呪文がかけられたそれは僕の必需品だ。この中に出会った魔法生物を保護している。彼らを調査し始めてから自分で作ったものだ。彼らにとって過ごしやすいように個々に合った空間を違和感なく配置して、尚且つ気象や季節の変化も取り入れたそこは僕にしてはなかなか上出来なんじゃないかと自負している。これを魔法薬学の権威となりつつある彼女に見せれば、ぎゅっと眉を寄せて頭が痛いというように顬を抑えていた。「…お前は馬鹿なのか?」「え、なんかおかしな所あった!?」「ああ、分かった。馬鹿と天才は紙一重ということが。お前は馬鹿だ。」何故か、呆れられた。

 

今回の旅行ではまた新しい魔法生物に出会った。その特性上、悪とされがちなその子を紆余曲折の末、保護することになったのだ。その過程で杖は折れかかったため、先程杖メーカーに修理を頼んできたのだ。そこの店主にはそれはもう渋い顔をされたが、ハンカチで補強した杖を使い続ける勇気は僕にはない。

まあ、正直何も無い懐が落ち着かないが明日の朝一には仕上げてくれると言っていたので一晩の我慢だ。さて、それでは大人しく家に帰ろうとアパート前までやって来て、気付いた。

 

「鍵、どこ…。」

 

胸ポケット、なし。ズボン、なし。靴の中、なし。カバン、あるかもしれないが探すのは無理がある、…なし。二フラーのお腹、なし。

 

え、どこ。

 

まずいまずいとあちこち探すがどこにもない。ならば大家さんに、と足を向けようとして、そういえばオーストラリアに行ってるんだっけ、と思い出した。旅の前に言っていた気がする。アロホモラで開けようにも、そもそも杖がない。今取りに行ってもほぼ折れかけからまあ折れかけくらいにしか戻っていないのは予測できることだ。

どうしようかと考えて、仕方ない、宿を取るかと踵を返した。トランクで過ごそうにも、トランクを置く場所を確保しなくてはならない。何が悲しくてホームタウンで宿泊費を払わなければならないんだろう。とぼとぼと石畳を歩きながら薄っぺらな財布を出す。これじゃあ、マットレスがほとんど機能してないようなベットで眠るしかなさそうだ。

そう肩を落としていた僕の前に現れたのは、例の彼女だった。正確には偶然すれ違おうとしていたのが彼女だった、だけど。

 

「あ。」

「あ?」

 

顔を上げて、ピクリ、眉を動かす。それは多分どうしてここにいるんだとか、何やってるんだとか、そういう意味があったんだと思う。

 

「久しぶり。」

「ああ、久しぶりだな。お前のことだからまた訳の分からん場所で怪我でもして動けなくなってるんだと思ってたよ。」

「え!あ、今回は!そんなこともなくもなくもなかったけど…。」

「どっちだ。」

「…まあ、ちょっと…。」

 

思わず逸らした視線の隅で彼女が溜息を吐き出す。未知の魔法生物となると怪我はつきもので、命の危険を感じたのは1度や2度ではない。

 

「で?お前はこんなところで何してるんだ。帰るには遅い時間だぞ。」

「えーと、その、うん。」

 

それは君もではと言いそうになる口を誤魔化して空笑う。風で微かに香る濃厚な青臭さはちょっとアングラ寄りな夜市に行っていたことを窺わせた。

 

「家…入れなくなっちゃって…。」

「お前それでも魔法省の人間か?」

「…ごめん、なさい…。」

 

事情を説明すれば、何故か彼女の家にお世話になることになっていた。いや、鍵開けしてもらえればと思ったのだが、「私に盗人の真似事をしろと?」その一言で黙らされた。

実際、杖なしで安物ホテルでは休める気がしない。だからこそ有難いけれど、申し訳なさとほんの少しの疑心。それが顔に出てしまったのか。「誰でもホイホイ泊めるビッチだとでも思ってるならお前をそこらのスラムに身ぐるみ剥いで放り込むが。」全力で首を横に振った。同時に男として意識されてなさに落ち込んだ。

 

そして、連れてこられたのは壁。え、と思ったのも束の間、彼女が杖でトントントンと慣れたように叩くと立派な扉が現れた。なんというか、“らしい”家というか。こんな仕掛けが施された家、どれだけお金がかかってるんだろう…。

そうして通された部屋はそれはもう品があった。本当に、それ以外に言いようがない。家具は必要最低限でシンプルなはずなのに、その一つ一つが洗練されていて。

 

「夕餉は?」

「え、あー、まだ。」

「あっそ、私は腹が減ってないから、紅茶くらいしか出さないぞ。」

「あ、うん。」

 

そう言いつつ出してくれたのは茶菓子という名のサンドイッチだったし、紅茶は時間を考慮したのかミルクたっぷりな甘いものだった。それで腹を満たして、一息。

 

「…本は、どうだ。」

「え?まあ、順調…かな。ちょっと終わりが見えてきたよ。やっと、って感じだけど。」

「確かに鈍いな。」

「うっ。」

「まあ、薄っぺらにやれば1ヶ月で終わる。お前は、そうじゃないってことだろ。」

 

そっとその長いまつ毛を伏せながら、ミルクティで温めた吐息混じりに囁かれた言葉。彼女にしては柔らかい音だ。こんな声を聞ける人間はどれほどいるだろう。

 

「うん。」

 

カップで隠した口元はきっと緩んでいて。この空気がどうしようもなく好きだと思うのだ。僕も彼女もあまりお喋りではない。必然的に訪れる沈黙は決して気まずくなることはなく、ただ優しい静けさが漂っていた。居心地の良いそれが僕の勇気を押し潰す。この関係を変えたいと思ったことは無いのかというと嘘になる。このうつくしい生き物をそっとトランクにしまい込めたらどれほど幸せだろうと何度も思う。彼女の魅力は僕だけが知っていたいのに、理性的な部分がだからお前はダメなんだと嗤った。彼女はきっと僕なんかが釣り合わないくらい素敵な人なのにその本当の魅力に気づいてる人間が少ないことに安堵してる僕は汚い人間だ。

 

「僕、皆に餌あげてくるね。」

「ん、好きにしろ。」

 

本から顔を上げることの無い彼女に気が抜けて、慌ててトランクに身を躍らせた。こんな、僕が持ってしまった感情に歪んだ顔が見られてませんように。こんな身の丈に合わない独占欲に染まった顔なんて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まあ、そういう訳で、(杖なしだったためいつもより手こずった)餌やりを終えて、トランクから這い出ればそこには無防備な彼女。彼女の家族のヴァシーは器用に彼女の腕に巻き付き、肩を枕に寝ていた。流石だ。

 

「あ、こら、テディ!」

 

カバンから飛び出したモグラのようなそれは一目散に見事な金に飛びつく。本能に忠実な二フラーは彼女の肩を流れるそれに幸せそうに包まれる。サラサラと零れる金糸を抱いて嬉しそうだ。

一方彼女は一瞬瞼をピクつかせた。こちらの肩はビクついた。起きるかと思いきや、また深い呼吸を繰り返す。案外しっかりと寝ているらしい。

 

引っ込めた手をそっと、そっと伸ばした。近付けては、止めて、近付けては、止めて。そして、肩から零れるその美しい髪を指先でなぞった。柔らかい。

 

「ねえ、少し、期待してもいい?」

 

眠ってる彼女にしか聞けない僕は意気地無しだ。でも、こんなの期待する。彼女にとって、少しは安心できる人間になれてるんじゃないかって。眠ってる間くらい、身を任せられる存在になれてるんじゃないかって。そう自惚れてもいいかな。

 

3つの寝息が部屋に響く。そっと机に頬杖をついた。変わらず綺麗な寝顔だ。青白い肌と合わさって相変わらずビスクドールのように美しい。灰の目は閉ざされてしまったけれどそれでも彼女の美しさが損なわれることは無かった。

 

穏やかな部屋で、気付けば目を閉じていた。姿勢が徐々に崩れ、テーブルに突っ伏す。あーあ、このまま夢でも繋がれば、もっと彼女が理解できるのに。

 

「、おや…すみ…」

 

ゆっくりと意識を落とした僕の隣で、そっと黒い影が身じろいだことも気付かずに。

 




書きたいところまでが長すぎて分割しました。


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ティア・マルフォイは悪夢の中。

 

気付けば、森の中にいた。見たことがある。……禁じられた森だ。

何処か安定しないというか、ふわふわしているというか、あれ、僕は夢見てるのだろうか。ぼんやりと辺りを見渡す。なんか、そう、写真でも見てる気分だ。もちろんマグルの動かないものではない、魔法の写真だ。

 

「ナイトメア、君だろ。」

 

心当たりの名前を呼んだ。薄らと漂う霧を掻き集めるように渦を巻き馬を形作った。真っ黒な彼女は静かに僕を見る。

この子は最近保護した魔法生物だ。悪夢を見せるというその性質から害悪だと処分されそうになっているところを間一髪で助けた。とりあえずトランクで治療を施しているがいつかは安全な森で放す予定だ。

ここは、僕の夢ではない。それだけは何となく察していた。では、誰の夢か。これも、何となく察してしまっていた。

 

「ここは、」

 

言ってしまってもいいものか、悩んで目を泳がせた。けれど静かなその目が僕の思考を肯定する。

 

「ティアの、夢の中なんだよね。」

 

恐らく、僕以外の人間を警戒したナイトメアが暗闇に怯えた子供が親に縋るように僕を引っ張ってきたんだと思う。

見渡したそこはやはり見覚えしかない。これが、彼女の夢。これは既に悪夢なのか、それともこれから悪夢となるのかはわからない。僕は魔法生物と話せるわけではないから。

 

「彼女は悪い人じゃないよ。出て行こうか。」

 

もちろん、僕も、ここに居ちゃいけない。夢って言うのはその人の深層心理だから。他人が入ってはいけない領域だ。

促した僕を無視して、ふいと視線を逸らす。流されるように動いた僕の目は見慣れた金を捉えた。それに思わず着いていく。いつの間にか黒い馬の姿は消えていた。

 

黒い見慣れたローブを揺らしながら少女は歩いていく。僕が見えてないのか、こちらに一切視線を向けない彼女は酷く見慣れない顔をしていた。幼く拙いそれは彼女ではないようで、どうしようもなく人間臭い。

気付けば足を動かしていた。前を歩いていた少女は迷いなく木々をすり抜けていく。ああ、このまま進めば、あの、僕らの思い出の場所がある。でも彼女はあの頃と違ってバスケットなんて持ってなくて、その手にはあの頃のように分厚い本がある。

 

ピタリ、足を止めた。その顔を覗き込めば、驚いた瞳と目が合って。でも僕を見ていない。僕ではない、その奥。それをひたすらに見つめて、一度強く目を閉じた。伏せた顔は悩むように眉間に皺を寄せる。そして、ごくり、唾を飲み込んだ。

その視線を追う。そこに居たのはローブに包まれて、身を縮こませる誰か。足元に覗く黒がその人物が“彼”だと教えていた。木の根元で何かを耐えるように、隠れるように、背を丸める。

体をどこか硬い動きで彼女がすり抜けていった。やはり僕は幽霊らしい。彼女はフードを目深に被り、黒を揺らして歩いていく。そして、少年と木越しに背中を向けて腰を下ろした。

ビクリ、少年の肩が揺れる。それでも頑なに頭が持ち上がることはない。彼女も落ち着かない様子でローブの裾を弄っていた。1つ、深呼吸。

 

「…あー、ハロー、少年。」

「っ、こんなところまで僕をバカにしに来たのかマ」

「マート。」

 

彼女のらしくない挨拶に少年は勢い良く怒鳴り返そうとしたのが分かった。それを遮る聞き覚えのない名前。

 

「私はマート、いいな?」

「はあ!?君は!」

「マートだってば。聞き分けの悪いヤツ。」

「な!お前なんなんだよ!どっか行けよ!」

「やーだね。私は私のいたいところにいる。そういうならお前がどっかに行けよ。」

「…っ。」

 

喧嘩のような応酬。彼女は兎も角、少年は彼女を嫌ってることがよく分かった。それでも少年は動こうとしない。

 

「ま、お前がどうしようとどうでもいいけど?」

「なんなんだよ…。」

「お前のことなんて呼ぼうか。」

「僕は、」

「あ、マールな。私はマートだし、丁度いいだろ。」

「お、ま、え、な!」

 

自分勝手な彼女。その姿は僕の知る彼女とはだいぶ違うように思えた。なんと言えばいいのか、“らしい”のだ。年相応というか、どこか軽いというか。それに怒る少年も年相応に声だけでもわかる幼さがあった。

 

「で?マール、こんなところでジメジメと。なんだ?いじめられたか?」

「君には関係ないだろ。」

「ああ、もちろん。あるわけないだろ。」

「…。」

 

軽い調子で肩を竦める少女に苛立ったようにほんの少し顔を上げた少年は、やがて諦めたように脱力した。

 

「なら、ほっといてくれ。」

「ほっといてくれ?そのつもりさ。お前は自意識過剰だな。私が態々相手してやるとでも?」

「このっ!」

「私はここに“偶然”読書に来ていただけだ。そこに“偶然”陰気な誰かがいて、“偶然”本が面白いから夢中になって、“偶然”何の話をしたのか忘れるだけさ。」

 

ぱらり、彼女は重い本を開いた。これみよがしに響いた紙のすれる音はわざとらしい。

 

「“マール”、私はお前を知らないし。お前も“マート”なんて知らない。だろ?」

「…ああ、何処ぞの我儘で嫌味なクソお嬢様のことなんて知らないさ!1シリングもね!」

「よろしい。」

 

不発となった嫌味に少年はまた沈黙した。彼女は時折、本を捲る。少年は居心地悪そうに手元の草をブチブチと抜いた。2人ともフードのせいで表情は見えない。それでも気を抜いているように見えたのは気のせいか。

風が吹く。少女の緑の内側で揺れる金と、少年の赤の内側で引き結んだ口元が、微かに見えた。

 

「僕は、別にすごくないのに、何で皆期待するの。」

「へえ?それは気のせいだ。現に私はマールに何も期待などしてない。」

「…うるさい。皆、僕をすごいっていう。羨ましいっていう人がいる。なんで。」

「お前は全くすごくないぞ。だって現にこんなところで1人で拗ねてる。」

「拗ねてない!」

「いーや、拗ねてるね。だーれも僕を理解してくれないんだ〜って悲劇のヒロインぶってる。まったく、喜劇だと思わないか。」

「うるさい!何にも知らないくせに!」

「ん?ああ、そうだとも。知るわけないだろ。“マート”と“マール”は初対面なんだから。」

「ふざけるな!」

 

徐々にヒートアップしていく少年に対して切れ味鋭く少女は意味のわからない理論を押し通していく。少年の様子からして2人は知り合いであるはずなのに、小馬鹿にするように少女は“はじめまして”を主張する。

 

「ふざけてないさ。初対面なんだ、知ってやろうとしてるんだから、意地を張って貝みたいに無駄に閉じた口で好き勝手囀ったほうがお前も都合がいいだろ?」

「な!僕はお前に知って欲しいなんて思ってない!そもそもお前が原因だろ!?お前のせいでスリザリンから目をつけられてるし!よくわかんないうちにスリザリンへの対抗馬みたいにされてるし!そもそもスリザリンもグリフィンドールも嫌い合ってるくせに絡みに行くんだよ!」

 

うん、確かに。

爆発したように怒鳴り出す少年に頷く。僕の時もよく彼女に突っかかっていくグリフィンドール生を見た。反対にスリザリンは彼女が眉を顰めるから彼女に倣う形で相手にしていなかった。それを“お高くとまってる”と更に気に食わなかったようだが。

 

「僕なんて両親のことは知らないし、マグルの中で育ったんだぞ!魔法のことなんてやっと理解できるようになってきたとこだし、ルーン文字?分かるわけないだろ、赤ん坊の落書きの方がマシさ!それなのにみんなみんな僕を英雄だとか言うし、羨ましいっていう!なら変わってあげるよ!両親もいないご飯も服だって満足に貰えないこんな僕で良ければね!しかもよくわかんない内に例のあの人と宿敵みたいにされてるし!変に期待されてる!そもそも例のあの人って何だよ、普通に言えばいいじゃん。呪いの何かなわけ?僕は言えるよ、僕は言える、言うよ!?」

「…。」

「ヴォルデモート!!」

 

鴉がカァカァ鳴く。ヴォ、ヴォ…ヴォルモーロ??誰だ…?何かの小説の主人公か?フルネームだとしたらヴォル・モーロということかな。モーロなんてファミリーネームなかなかないだろうに。

 

「ほら、ほら、言えた。どうだ、言えたぞ。ほら、何も起こらない。……何も言わないの?」

「…。」

 

ふんすふんすと息巻く少年とその背後に位置する少女が僕には見えていた。静かに本を膝の上で開く華奢なその影。そう、こっくりこっくりとうたた寝する少女の姿がバッチリと見えて、思わず口をすぼめた。なんか、可哀想だ。

 

「ねえ、」

「っ!…そうか。」

「そうか?それだけ!?僕はあいつを呼んだんだぞ!呼んだんだ!それを君はそうか、それだけ!?」

「私はお前が何しようがどうでもいいからな。」

 

…話聞いてなかったくらいだもんね。木を境に温度差が激しい。ほんの少し、少女は眠そうに目を擦る。

 

「じゃあ、私に何を言って欲しいんだ。」

「それは…。」

 

言い淀む少年に少女は面倒そうに溜息を吐いた。そこに座った当初の緊張感はなかった。肩の力を抜くような、そんな息の吐き方で彼女は細く呼吸する。

 

「言っただろう、マール。お前と私は初対面だ。お前のことなんて知るか。お前の生まれも性格も見た目も、望みも宿命も、何も、な。」

「そんなこと言われたって、君は、」

「私はマート。いいか、マートだ。お前の知り合いにマートはいるか?」

「嘆きのマート…ルなら。」

「あんな陰険眼鏡女と一緒にするな。兎も角、私とお前は初対面で、死ぬまで他人だよ。」

「死ぬまで?」

「ああ、死ぬまで。」

「そっか…。」

「そうだ。」

「そっか。」

「ああ。」

 

優しい風が吹く。少女はくあり、猫のように欠伸をした。少年は背を反るように伸びをした。

 

「さて、親愛なる他人よ。お前はこんな日は何をするか知ってるか。」

「…クディッチとか?」

「馬鹿め、こんな天気のいい日にあんな野蛮なスポーツを出すな。自殺志願者か?」

「な!クディッチ楽しいだろ!?」

「楽しい楽しくないじゃない。お前知らないのか?あれほど死者が出るスポーツはマグル界を合わせても見つからないぞ。アホほど死んでるのに禁止にならないスポーツが野蛮以外のなんと言える。」

「え、そうなの。」

「…お前知らずにやってたのか…。」

 

呆れたように溜息を吐いた少女と心底驚いたように動きを止めた少年。テンポのいい会話は酷く楽しそうだ。それでも2人は決して振り返らない。自身から見える空を見上げて生き生きと話す。吹いた風が2人の口元が描いた弓月を見せた。

 

「正解は昼寝だよ、昼寝。」

「!?君がかい!?」

「お前は私の何を知ってるって言うんだ。」

「…それはそうだけど…。」

「暖かい日差し、緩い風、丁度いい木陰。ほら寝るには最適な環境だ。」

「はは、確かに。うん、こんな日に起きてるのは勿体ない!」

「だろ?寝れば嫌なことも多少マシに思えるさ。無くならないがな。」

「そこは無くしてよ!」

「残念、他人には出来ない相談だ。」

「もー!」

 

ああ、そうだ。ここは僕と彼女の秘密の場所だ。道理で違和感を感じなかったのだ。あの木は、彼女がいつも背にしていた大木だと、やっと気付いた。

少年が眼鏡を摘み目に浮かんだ涙を拭うほど笑う。声も音もなく、少女が、彼女が笑う。僕の見たことない無邪気さで。

 

ここに僕はいない。知らない少年と心地のいい空間を作り出す彼女は僕が惹かれた灰じゃない。でもどうしようもないほど綺麗で。

 

これは、僕にとっての悪夢だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

目を覚ました。机に突っ伏して寝ていたらしい。目の前で眠る彼女は変わらない。絵画よりも絵画らしく。魔法生物の中で深く呼吸をする姿はうつくしい。

一つ、息を吸ってトランクに手を伸ばした。薄く開いたそこからは黒い影が覗いていて。この子が自身に夢を見せていたのだと改めて確信する。

 

「もうこんなことしちゃダメだよ、ナイトメア。」

 

柔らかくその黒を押し戻す。そっとトランクを閉めた。もうこんな夢を見ないように。見せないように。

 

「…ハ…ィー…ッタ…、」

 

ぎゅっと眉を寄せた彼女がもう悪夢を見なくていいように、そう嘯いて。

 

「お願いだから、」

 

淡く弧を描いた口元が紡ぐ名から耳を塞いで。

 

「人間にならないで。」

 

僕のうつくしい魔法生物でいてくれよ。



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ティア・マルフォイは知らんぷり。

 

「ん…。」

「あ、おはよ…。」

「…戻ってきてたのか。」

「…うん。さっきまでちょっと寝てた。」

「なんだ、その顔。辛気臭い。」

「え、なんか変な顔してるかな。」

「…ヘドロみたいな夢でも見た顔だ。」

「あ…、うん、悪い…夢を見たんだ。君は?」

「私?」

「う、うん。なんか夢見たのかな、って。」

「………最悪な、悪夢だったよ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

魔法薬不正使用取締局とは、本来魔法薬並びにその素材に関する規制を取り締まる部門だ。故に希少な素材の保管も行っており、それ目当てに入局する者もいるとか。そんな事せずとも手に入れようと思えば、手に入れられるだろうに。貧乏人は大変だな。

 

ぼんやりと本を捲る。暇だ。この禁書と言われるこの本の中身は“私にとって”古くて見てられない。これくらい覚えておけと部署に置かれたそれらは欠伸が出るほど退屈だ。役に立たないそれらは落ち葉の代わりに燃やしてキャンプファイヤーでもした方が缶詰めで仕事する奴らにとってはよっぽど役に立つだろうに。

 

本当は次の局長は私の予定だった“らしい”。私を抜いた奴らの勝手な妄想だ。私はなりたいとも、なるとも、言ってないのに適当に捏造された私のありもしない熱意をだれかが買っていたようだ。何を感じ取ったんだか。もし私から感じるものがあるとしたらそれは殺意という熱だろう。

 

「ミス・マルフォイ!ミス・マルフォイ!!至急局長室に!」

 

また、無駄な説得か。これ以上言うようならその喉にコインを詰め込んでやる。遠慮するな、餞別だ。

杖を振って本棚に古書を戻す。ついでにと終わった書類を各デスクに配っていった。元気爆発薬もどうぞ。この時代のエナジードリンクのようなそれより元気が爆発するぞ。具体的に言うと耳から煙が出るくらい。

 

ドア一つ先の音が聞こえることはない。そういう魔法がかかってるからだ。盗聴防止魔法は魔法省の大抵の部屋に備わってる。良くも悪くも聞こえない方がいいことが多いのだ。

 

ノックをしようとして、がちゃり、ドアが開いた。内開きで良かったな。じゃなければ、お前らの言う天才の脳の細胞を減らす所だったぞ。

 

「どうぞ。」

 

先程の汽笛のような声は何処へやら気取ったようなそれに苛立つ。お前は何様だ。時代遅れめ。

するりと部屋に身を滑り込ませた。そこにいたのは真面目ぶった顔をする私より二十も上のくせしてパッとしたところもない年齢だけを笠に着る馬鹿だ。その癖に年下の私には謙る。お前にはプライドがないのか?

 

「君に頼みたいことが、あってね。」

「局長の件ならお断りだ。」

「…。その件ではない。」

 

ぞんざいな私の言葉遣いに動いた目尻。わかりやすくて、扱いやすい。まあ、お前なんぞ使う気もないから、どうぞ存分に嫌ってくれ。

 

「アメリカに、向かってくれないか。」

「は?」

 

何言ってるんだ、コイツ。

 

「アメリカのMACUSAからの要請だ。君から見たあちらの薬学はどうか意見が欲しいらしい。」

「知るか。お前らが来いと言っておけ。」

「そういう訳にもいかん。あちらの魔法法執行部長官直々の要請だ。無碍にはできん。」

「はっ。それはご苦労な事だ。だが、私には関係ないな。」

「…。ならば、これを読め。」

 

そう言って差し出されたのは粗い目の便箋。そこに見覚えのある封蝋を認めて、それを真っ二つに割開いた。ゆっくりと目を通す。見たくもないほど不味い魔法薬を飲み下すように理解していく。

 

ーぐしゃり

 

「明日には旅立つ。任期は。」

 

満足そうに頷く老害に吐き気がする。

 

「半年だ。」

 

クソッタレ。

握りこんだ手の内で慣れ親しんだ家紋が歪んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やあ!マルフォイ。ご機嫌はどうだい。」

「最悪に決まってるだろ。言わせるな愚図。」

「…今日も絶好調なようで結構。」

 

イライラしたまま省内を歩いていれば、気に食わないアイツ。キザな仕草で片手を上げたテセウス・スキャマンダーを無視して通り過ぎる。腹立たしい気持ちのまま早まる歩みに苦もなく隣を歩いてくるのが更にムカつきを加速させる。

 

「どうやら、アメリカに出張らしいね。」

「知ってるならお前に割く時間はないことを察しろ。」

「はは、引っ越す訳でもないんだ。そこまで急ぐことないだろ?」

「お前と無駄な時間を過ごすくらいなら、引っ越した方がマシだ。」

「ニュートのことだ。」

 

止めそうになった足を動かす。どこか鈍くなった気がする動作を無理矢理繰り返した。

 

「何かあったのかい。」

「…お前には関係ない。」

「そうか、あったんだな。」

「…。」

 

血の味がした。口元に持っていった指に着いた赤が苛立ち任せに唇を噛み切ったことを教える。

 

「ニュートが研究旅行に出かけて半年か…。」

「知るか、あんなヤツ。」

「君のところに何か連絡は?僕のところには長期で旅行に行ってくるとそれっきり。何の旅行かも言わなかった。まあ、僕は知ってるんだが。」

「…ストーカーめ。」

「はは、違うよ。ニュートの上司が“善意”で教えてくれたんだ。有難いね。」

 

この男は初邂逅から何度も私の前に現れては勝手に喋っていく。話の内容はあの変人が8割、仕事の愚痴1.5割、私を探るのに0.5割といったところか。面倒くさい。そのくせ、コイツの弟がいるときは話しかけにこないのだから。本当になんなんだ、この兄弟は。

 

「ニュートが今どこにいるのか知ってるかい?」

「知らない。」

「どれくらいで戻ってくるんだか。」

「知らない。」

「なんであんな急いで旅立ったんだろうね。研究旅行から戻ったばかりだったろうに。」

「知らないって言ってるのが聞こえないのか?」

「…どうやら本当にご存知ではないらしい。」

 

肩を竦めたその動作が癇に障る。でも何も言わない。私は、何も知らないからだ。

 

あの日、7ヶ月前、アイツはどこかへ行った。いつもだったら私が聞いてもないのに、余命を宣告されたような顔でどこにどのくらい何しに行くのかこと細かく話していくくせに。ただ一言、「旅に出ようと思うんだ。」それだけ。勝手に送り付けてきていた手紙は未だ一通もない。

 

「まあ、一つハッキリしたな。」

「アイツが心底勝手なヤツだってことか?」

「はは、それは今に始まったことじゃないだろう?そうではなくて、」

 

すっとその指が私の心臓に定められる。

 

「君と何かあったんだね、ニュートは。そうじゃなければ、弟が君に何も言わないなんて有り得ない。」

「私は何もしてない。」

「そういうことにしておこうか。でも、そろそろ君から動いてもいいんじゃないかい。」

 

お前も私と同じくせに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

家に行って荷物をまとめる。と言っても魔法でかき集めてトランクに流していくだけなのだが。服やら魔法薬やら本やら、次々に飲み込んでいくそれはまるでブラックホールのようだ。

 

もしくは、あの、死喰い人が姿を消した後に遺る黒い霧か。

 

本当は、あの日、アイツの様子が可笑しかったのを覚えてる。あの、最悪な悪夢を見た日だ。夢は忘れるものであるにも関わらず、私はしっかり悪夢を覚えていた。それもそのはず。あれはれっきとした私自身の記憶なのだから。

あの晩、馬鹿なアイツを引き連れて家に戻った。自身よりもトランクの中身を心配するよえなヤツだ。安宿ではある意味一睡だって出来ないだろうことは予想できる。ならば、まあ一晩程度泊めてやってもいいと思ったのだ。

紅茶を淹れさせ、適当に摘んで。アイツがトランクの中に姿を消したあと、本を開いていたはずだった。そして、いつの間にか旅立った夢の中は私を“前”に引き戻した。

あの時のまま、苛立ちと妙な高揚、そして微かな胸のざわつき。憎いヤツをマールと呼んで、私をマートと呼ばせた、いつかの私の血迷った既往だ。

目を覚ました時に感じた空虚さは気のせいだった。目の前で瞬いた光が翠緑に見えたのもきっと。何度か瞬きを繰り返せば、それは色を変え、否、正しい色を脳に伝え、しっかりと碧を認識する。その瞳に宿す光が酷く似ていた。目を閉じても隙間から無理矢理差し込んでくるそれが網膜を焼く。嫌いだ。

けれども見てしまうその色が揺れているのには気付いていた。幼子が泣いてしまうような、今にも癇癪を起こしてしまいそうな、そんな気配すら感じた。原因は知らない。知りたくもない。見なかったフリをしたのは、私こそが癇癪を起こしてしまいたかったからだ。

 

心ここに在らずで進める作業の中、間違えて宙に踊らせたバスケットを引き寄せる。中を覗き込めば予想通り。息を潜めて丸まっていた白を見つけた。

 

「お前は連れていかないぞ。」

 

ヴァシーは金色の目を瞬かせて小首を傾げる。なんで?と言わんばかりの動作だ。

 

「色々面倒だからな。」

 

海外に動物を連れていくために踏まなくてはいけない手続きが多すぎる。別にあちらに定住する訳でもなし、コイツを置いて行った方が楽だ。

だからといって誰かに預けるつもりは無い。そんなことしなくてもコイツも馬鹿じゃないから、適当に野に放っておけば帰ってきた頃に戻ってくるだろう。この蛇はカメレオンのように時と場合によって姿を変える。今は白いが、私以外がいる前だと黒いよくいる蛇柄になるのだ。擬態できるのであれば図太いコイツは一年など簡単に食い繋げる。事実、コイツは私に会うまでは野生で生きてきたのだから。

 

「おい、離せ。」

 

するり、私の腕に巻き付いてきたヴァシーは強く尾を締め付けた。杖腕を絞ってくる辺りが狡猾だ。血が止まりそうな力に眉を寄せる。誰に似たんだ?

 

「なんなんだ、お前は。乳離れ出来ない赤子か?そんなタマじゃないだろ。そのお綺麗な面でも使って遊んでこい。人間を揶揄うのは好きだろ。」

 

以前はニュートで遊ぶのがお気に入りだったコイツの額を擽る。私は知ってるぞ。時折魔法省の能無しで遊んでることを。

いつもならやりすぎるなと渋い顔をする私の許しを得たというのにコイツの締めは緩まない。そろそろ指先の感覚が無くなってきた。コイツ、本気だ。

 

「あー…あーお前探し物してなかったか?それ探してきたらどうだ。一向に見つかってないだろ。その細っこい体で隅から隅まで心行くまで探してこい。」

 

コイツは時折数ヶ月単位で姿を消す時がある。初めは訝しく思ったものだが、今は慣れたもの。何らかの金目のものをご機嫌取りのように持って帰ってくるのだから気にするだけ無駄だ。ついでに言えばコイツが差し出したそれらは毎度の如く「要らない。」の一言で拒絶している。どこぞの誰とも知らんヤツの手垢が付いたものなど使う気にもならん。

杖を辛うじて持つ手は真っ白だ。ただでさえ青白い手が蝋のように色をなくしている。これではそこいらの人形の方が人間らしい色をしてるのではないか。腕に螺旋の青アザが出来ていることを覚悟する。

 

「………はあ。」

 

今にも零れ落ちそうな杖を揺らし、クラブバッグを取り出した。最近アメリカで流行りらしいそれは贈り物だが、随分とタイムリーなことだ。因みに押し付けてきたソイツの顔は覚えていない。

バッグのチャックを開けそこにも荷物を詰めていく。服一式とマフラー、時計、あとは適当に。それをヴァシーの目の前の机にどすんと勢いよく落とした。ほら、

 

「これでいいだろ。」

 

満足そうにチャックの隙間に身を滑らせた細身に溜息を零す。嗅ぎなれた匂いに包まれたコイツは随分と嬉しそうだ。ああ、それは何より。

今日一日を通して溜まりに溜まった嚇怒が沈んでいく。怒りより勝った呆れは自然と目元を緩ませた。

 

 




次回からアメリカ編(映画第一弾)始めます。
ということでここまでは一章という形にしようかと…!


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第二章 Shapeless snake
ティア・マルフォイは利己主義者。


お待たせしました。原作いっきまーす!!!!


 

タラップから降り立てば、そこは異国の地。アメリカだ。マグルの中に混じって歩を進める。よろり、私のトランクにボストンバッグをぶつけた男は船酔いでもしたように懸命に足を動かしていた。人間らしからぬ青ざめた顔は東洋的で見慣れない。チラともこちらを見ることなく過ぎ去った男は歩くことに精一杯という様子に溜息を吐いた。

 

私は来たくもなかった場所で息をしてる。

 

 

 

 

 

 

 

デスクの荷物を片付けていく。これは私物。これは提出。これも私物。ああ、ここにあったのか、道理で家にないわけだ。これもダンボール。えっと、これは借りたままの資料だから返してこなくては。

体中にこもった空気を吐き出さないように口を引き結ぶ。周囲は「次の場所でも頑張れよ!」「またご飯行きましょうね。」「お前ならすぐ戻れるって!」慰めるように、憐れむように声をかけてくる。それにぐるぐると渦巻く不快感を諌めた眉だけで表現して。声だけは「ええ。」それに留めた。そんな形だけの言葉ならば何も言われない方が幾分かマシだった。

惨めな思い事閉じたダンボールの上に返すべき分厚い本を重石替わりに置く。今開かなければそれでいい。持ち上げようと差し込んだ指は聞こえた声に動きを止めた。

 

「皆、調子はどうだい?」

 

そんな言葉と共に入ってきたのはこのMACUSAが誇る闇払い、パーシバル・グレイブス長官。私たちアメリカ合衆国魔法議会魔法法執行部の憧れの部長だ。

 

「今日は皆に紹介したい人がいてね。」

 

そう硬質な容貌で優美に口角を上げて、一歩横にズレた。そこから現れたその人をどう表せばいいだろう。静かに佇む彼女に感じたのは咽ぶような愁傷だった。青白い肌に黒とボトルグリーンを纏い、ブロンドと言うには薄い金糸の下でスレートグレイを瞬かせる美貌。瀟洒で典麗で凄艶な幽寂。相反する秀美を集めた彼女はただそこにあった。

 

「彼女はティア・マルフォイ。君たちは知ってるね?今日から半年私の近くで薬学について意見を交わすことになった。」

 

私ーポーペンティナ・エスター・ゴールドスタインの愛称であるティナと似た響きを持つ音。長官の告げた名前に息を飲む。それはその名を聞いた誰もが同じで、それぞれが驚愕を露わにしていた。

それもそうだろう。だって今、この魔法界で彼女を知らない人はノーマジが想像するような何処ぞの山奥に潜む偏屈な魔法使いくらいだから。魔法薬学の進歩を推し進めた天才。彼女が作り出した、又は改良した魔法薬がどれほどの人を救ったのか数え切れないほどだ。私と殆ど変わらない年齢でそれだけの名声を受けてる魔法使いなど殆どいない。

そして、それがこんなうつくしい人だとは思ってなかった。メディア嫌いで知られる彼女は取材を受けることなどなく。才色兼備とはこういうことを言うのだと知った。類まれなる美貌と傑出する才能。彼女は何を持っていないと言うのだろう。

満足気に目を細めた敬愛する上司と冷たく凝然とした彼女に覚えた感情を飲み下した。

 

「やあ、ミス・マルフォイ!その御高名はかねがね!お会いできて光栄です。」

 

そう一歩前に出たのは同期と言って差し支えない闇払いの男。少し軟派なところがあるが、まあ実力はあるのだ。少々、その、“オアソビ”が過ぎるだけで。着崩したスーツでその青白い華奢な手を取り、キスを贈ろうと掌を差し出す。挨拶だ。

 

「は?」

 

しかし、同僚は唇は愚か、指一本さえ触れることはなかった。その喉元に杖の切っ先が向けられたからだ。時が止まった様だった。

思わず仰け反った男の後を追うように彼女は間を詰める。杖先を向けるのは敵対を意味している。まさかティア・マルフォイを装った偽物ではないか、懐に伸ばしかけた手は微動だにしないグレイブス長官と彼女の笑みに停止した。

彼女はその品のある顔を歪める。先程までの無表情が嘘のように皮肉げにその小さな唇の端を上げた。蛇のような悽然たる瞳が不快を告げていた。

 

「ほう。私に見てもらいたいというのはコイツらか?道理で痴鈍そうな顔触れだ。特に目の前の猿。私に好意がないことも察せないのか。コイツの目は曇りガラスなんだな?ああ、失敬。磨けば向こうが見えるガラスと比べては哀れだな。安心しろ、お前は磨いても見えるのは薄汚い欲だけだ。」

 

可憐な唇から吐き出された毒はこの一室を凍らせた。そんな中でも表情の変わらない上司を尊敬すればいいのか、彼女の豹変にピクリとも動じないことに慄けばいいのか回らない頭で考えてしまった。

 

「まあまあ、単なる挨拶じゃないか。」

「この国の挨拶は人を不快にさせることで友好を示すのか?そこら辺の幼子の方がまだまともな親交をするぞ。」

「とある島国には郷に入っては郷に従えという言葉があるらしいが?」

「私に合わせろと?ほう、随分大きく出たな。」

「大きい?こちらとしては小さな進言だが?」

 

肩を竦めた長官をギロリと睨みつけた彼女は一度眉間に皺を寄せるとゆっくりと杖を分厚いローブの中に引っ込めた。彼女の視線が逸れると警戒するように静かに後ずさった同期の足は止まることなく障害物のない限界まで距離を取る。まるで何処かで聞いたノーマジの熊対処法みたいだ。

それをぼうと眺めていた私に一つの視線が突き刺さった。長官の温度を感じない目がそっと瞬く。

 

「ああ、そうそう。ゴールドスタインくん。」

 

柔らかく、しかし厳かに憧れの人は私に声をかけた。

 

「今まで御苦労だったね。」

 

今日、私は誇り高き闇払いから一介の魔法の杖認可局職員になる。理由は、私の、ただの無駄な正義感だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アメリカに来て数ヶ月。言われた通り、大人しく、こちらの魔法薬について見聞を広めているが、なかなかどうして悪くは無い。

アメリカというお国柄か、様々な国の製法が混ざりあっていて面白く、イギリスにはない視点がある。こちらでしか入手出来ない材料も今は輸入品で手に入る時代ではあるが、やはり現地では鮮度が違う。物によっては採取して短時間しか使えないとあって直接では初めて見るものもあった。

今はまだだが、この先ではよく使われることになる数種類の薬草が生息地をアメリカとしていたことも初めて知った。これらは持って帰ってあちらで繁殖させよう。違反?知ったことではないな。

 

「ところで君はこの魔法界をどう思う?」

 

静かにかけられた言葉にアメリカでポピュラーな薬学書から頭を上げた。

相手はこちらではよく共に行動するパーシバル・グレイブス。MACUSAの闇払い長官だ。お堅そうなソイツは四六時中私を視界に置き、監視、否観察している。虫を見るようなその目に何度「お前を虫にしてやろうか。」と杖を向けかけたことか。しかし、我慢しなくてはいけないこともわかっている。そのため最近は咄嗟に取り出さないように杖のホルダーを懐から足の付け根に移したくらいだ。

 

「どう、とは?」

「そのままの意味だ。君の率直な意見を聞かせてくれ。君の鋭い切り口は参考になるからね。」

 

この数ヶ月、別に自身のためだけに動いていた訳では無い。そもそもこれは学生が気軽に出来るような留学ではないのだから、さもありなん。この国にも利点がなくてはいけない。だからこそ、細々と口を出してきたわけではあるが。

それは別に薬学だけの話であって、このようなご立派な評議をするためでないのだ、決して。だが、これの目からは逃がさないという強い意志を感じて、口を閉ざすことの方が面倒になるとひしひしと感じさせる。だからこそ、渋々と口を開いた。

 

「どうとも。」

「…ほう。」

「だって、私には関係ないだろう?」

 

魔法界、もっと言えばこの世の先を知っている。その上で思うのだ。私には何の関係もないと。バタフライ・エフェクト、蝶の羽ばたきが地球のどこかでは竜巻になるらしいが、その蝶自体には全く影響はないのだ。ただ飛んだだけのその動きでどれほどの被害が出ようと人が死のうと優雅に羽を動かし続ける。つまり、そういうこと。

 

「お前は一々魔法界のことを考えて、食事をするのか?シャワーを浴びるのか?ベッドに眠るのか?違うだろう?その時考えるとしても自身のことと、自分に近い人間のことだけだ。そんな図体だけがデカいちっぽけなものについて考えるだけ無駄というものさ。」

 

お前と中身のないディベートに割く時間などないんだよ。それならばこの本でお前を撲殺する方が余程有意義だ。

 

「…私は少々、君を過大評価していたようだ。」

「はっ、勝手にラベルを貼って“評価”とは随分とご立派なことで!お前にどう思われようとも私にはなんの影響もない。私は、私がしたいように望むように動き考えるだけだからな。」

 

どうせ、こいつも私も意見を交えたところで何も変わらない。なにせ、頑固な人間なもので。

 

「私はね。」

 

それでもコイツは自身の意見に余程自信があるらしい。多大な自尊心を滲ませながら、その石のような口角を上げる。

 

「魔法族こそがこの世の頂点に立つべきだと思っているんだよ。」

「…。」

「優れた力を持つ我々がノーマジ…ああ、君達の国ではマグルだったか、彼らに気を使い、隠れ、許容するのは可笑しいではないか。」

「ハッキリと言ったらどうだ。」

「ん?」

 

変わらない表情の中でその目だけが爛々と光る。私はこの輝きを知ってる。

 

「マグルなど死んでしまえばいい、と。」

 

あの方が宿していた狂気の色だ。

 

「はは、なんのことだか。私はただ疑問を呈してるだけだよ。このままでいいのか、とね。」

 

決して肯定はしない。上手い手だ。それでもありありとその殺意が滲み出ている。

 

「私はね、ミス・マルフォイ。魔法族にとって、もっと生きやすい世の中があるんじゃないかと思ってるだけだよ。我が愛する同族にとって素晴らしい世界がね。ああ、そう考えると私と君の意見は似てるかもしれないな。君は、どうだい?」

 

私とお前が似てる?

 

「はっ。」

 

鼻で笑い飛ばす。似てるか?ああ、似ているとも。私も貴様も所詮あちら側の人間だ。自分ばかりで他はどうでもいい利己主義者。でもひとつ違うことがある。

 

「誰かのためなんてお為ごかしで飾ったお前と一緒にするな。私は言えるぞ。私は私の為に何かを殺す。無論、理由もなくすることは無いが。」

 

太もものホルダーを撫でる。そこに収まる木脈が主人の意を汲んでドクリと脈打った気がした。

 

「もしかしたら次に杖を向けるのはお前かもしれないぞ?」

「そうかい。まあ、優秀な魔女である君だ。いつかはわかってくれると信じているよ。」

 

“優秀”な“魔女”である私、か。“優秀”でも“魔女”でもない私なら路上の石のように蹴り飛ばすくせに。

 



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ティア・マルフォイは拗ねている。

 

海上を泳ぐ船はもう少しすれば、目的地に到着する。行き交う人々は上陸に向けて右往左往と準備を始めた。老夫婦はその波に押し流されないよう隅で身を寄せあい、幼子は逸れないよう母親と強く手を握り合う。そんな中、ベンチに座る僕は遠くに見える栄えた陸地に目を細めた。

僕が目指すアメリカにはちょっとした用事が有ってやってきた。それが終われば自身の懐かしきマザーランドに帰国する予定だ。

 

そんな僕、ニュート・スキャマンダーには悩みがある。約一年前に飛び出してきた祖国に座す女性のことだ。きっとその人は今日も悠々とソファに座り、紅茶片手に小難しい文字を追っているのだろう。…逃げ出した僕のことなど忘れて。

喉を摩る。この息苦しい感覚にも慣れてしまった。尖りそうになる唇を覆って溜息を吐き出す。小さな貧乏揺すりくらい許して欲しい。

彼女の夢が忘れられない。僕が知らない彼女が頭から離れてくれない。あんな、無邪気で、わがままで、幼い彼女を僕は見たことがない。僕だけが本当の彼女を知ってると思ってて、僕だけが彼女の内側に入れてると自負していたのに。そんなちっぽけな自信は吹いただけで飛んでいってしまった。

彼は誰なんだろう。名前はマールじゃないことだけは分かってる。あとは多分グリフィンドール。小さな体躯は彼女と歳が近いことを察せさせた。

学生時代と卒業後の彼女は少し違う。学生時代は特に特大の猫を軍隊レベルで被っていたし、ホグワーツから一歩出れば彼女特有の傲慢さを限界まで表面に出して誰一人近づけさせなかった。結局は彼女の広すぎるパーソナルスペースは縮まることなく寧ろ広がっていってると言っても過言ではない。

そんな中知ってしまった僕の知らない彼女の内に入れた人。やっと家に入れたと思ってたのにそれが実は門扉で本当の玄関は山の頂上にあると知らされた気分だ。この例えじゃわからない?僕もわからない。

この一年、旅をして、研究をして、執筆をして、考えて考えて考えた。でも結局何も分からなくて堂々巡り。嫌になる。

何度も手紙を送ろうと思った。でも一言目で詰まるのだ。彼女はきっと僕なんかの手紙は必要としてないんだろうな、って。そしたらもうダメで。思わず便箋は散り散りに引き裂いてしまった。彼女に贈るために選んだ色気なくも品のある封筒はひとつ残らずゴミになり、残ったのは素っ気ない業務用のレターセットだけ。女々しい限りだ。

ボーと汽笛の音が鳴り響く。到着の合図だ。

 

トランクを持ち上げようとして、勝手に開いたロックを掛け直す。本当に油断も隙もない。抱き上げたそれを膝に乗せて、囁くように声を潜めた。

 

「ドゥーガル、頼むからいい子にしてて?」

 

宥めるように膝を揺らして、安心させるようにそっと。訴えるように聞こえた“別の”音に語りかけた。

 

「もうすぐだよ。」

 

もうすぐ、キミを帰してあげられるから。小さな鳴き声に応えるように返した言葉はご機嫌な羽音に重なった。

 

潮風が出迎えるように吹く。さあ、着いたよ、ニューヨークへ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ニューヨークはマグルの巣窟だ。魔法使いは潜み、マグル共が堂々と闊歩している。気に触る街だ。

 

「そう言えば、」

 

そうやって話を切り出した男に視線を向ける。今日も澄ました顔は健在だ。ひとりきりがお似合いな孤高ぶった雰囲気をお持ちなのだから是非とも私を連れ回すのはやめて欲しい。とても、不愉快だ。

 

「彼は君と同年代ではなかったかな?」

 

男が視線を落としていた書類がふわり浮いて私の前に差し出された。マグルへの不可視呪文がかけられた特別製だ。無駄に凝った呪文が鼻につく。ここだとでも言うように波打つそれに渋々ながら内容を検めた。どうやら入国者リストのようだ。他国の人間にこんなものを見せてもいいのだろうか。それとも勝手に“身内”としているのか。

 

「ニュート・スキャマンダー。」

 

随分と、久しぶりに目にする名前だった。苦味の走る喉元を紙カップに入った甘いミルクティで飲み下す。何故私が態々マグルだらけの街を歩かねばならん。

 

「どうやら彼はなかなか…図太い神経の持ち主のようだね?」

 

態とらしくストールを整えて、こちらに意味ありげな笑みを浮かべるパーシバル・グレイブスに鼻を鳴らす。

どうせ、アイツは“あの”トランク片手にこの地に足を踏み入れたのだろう。あれはアイツにとって正に生きる意味とも言えるほどのものだ。自分より他のものを大事にするやつの気が知れない。

けれど“その中身”はこの国では特に禁じられている。マグルーこの国ではノーマジと言ったか、に魔法がバレることは厳禁。人間の意思ではどうにもならない“生き物”を許容することはないのだ。柔軟性のない石頭共め。従える度量のない言い訳にペットを使うな。

 

「さて、な、私の知る奴は臆病で人の顔色ばかり窺う大馬鹿者だ。」

「ほう。…どうやら彼は君のお気に入りのようだね。」

 

ビリビリビリッ。目の前の紙が刻まれる。ああ、しまった。資料の作り直しだ。

 

「それは、興味深い。」

 

気に食わない男の一振で元の一枚の紙に戻ったそれが不愉快で今度は灰すら残さず燃やし尽くした。

それに余裕ぶって肩をすくめる男が向いた先には一軒の建物だったもの。私にとっては屋敷しもべの小屋のようなそれは聞いた話によれば人が住む家屋だったらしい。しかもマグルの。拡張もせずにこんな狭い中で暮らすなんて正気の沙汰とは思えない。

 

「ああ…ここか…。」

 

もう一面ほどしか壁の残ってないそこは煉瓦だらけで入りたくもない。目の前の男は興味深そうに、玄関へ続いたであろう階段を上り中を覗き込んだ。もちろん、私はその瓦礫の五歩ほど後ろでティーブレイク。

 

音が聞こえた。

 

「は?」

 

決していいとは言えないそれと共に辛うじてあった赤い壁に線が入る。亀裂だ。それに目を奪われた瞬間、崩れていた瓦礫の山から小爆発のように“何か”が駆け出した。

舗道を抉るようにそれは進んでいく。人など知らぬ。馬車など知らぬ。車など知らぬ。迷子の子供が親だけを探し求めるように走り、人々の悲鳴の間を駆け抜けて行った。

 

その道を眺めるように追っていったグレイブスはもう私など目に入らぬというでもいうように、どこかへ去った“何か”を見続けていた。

 

舌打ち一つ。

 

どうせならばこの気に食わない男を轢いていけばいいものを。

 

 

 

 

 

 

 

…しまった。もう何が“しまった”なのかわかんないくらいに“しまった”。

アメリカに着いたのはいい。少しだけ入国審査で怪しまれたけど、マグル用のトランクを見せれば躱せたんだからこれも無問題。マグルにシーカーかって言われて、咄嗟に学生時代のボジションーチェイサーだって応えたのだって僕にしては上出来じゃないかな。キミより先にスニッチを捕まえられたことない、なんて思った僕の口から思い出話が出てこなかっただけマシだろ?

でもその後がまずかった。銀行でニフラーを逃がしたことかもしれないし、オカミーの卵を落としたことかもしれないし、“ちょっと”騒ぎを起こしてしまったことかもしれないし、マグルにオブリビエイトしそびれたことかもしれない。…いや、多分、恐らく、嘘、絶対全部“しまった”。

ああ、こんな時、彼女がいたらいいのに。そしたら彼女がお気に入りのニフラーなんてすぐ見つかるし、卵を落とすなんてミスは皮肉交じりに指摘してくれただろうし、騒ぎなんて起こすことなくスマートに解決しただろうし、彼女はそもそもマグルを寄せ付けない。ああ、本当に、これだから僕は…。

 

出会ったのはティナ・ゴールドスタインさん。鋭く、隙あらばこちらを食い殺してやると、淡々と狙ってくる目がとってもチャーミングだ。僕は御遠慮願いたいけど。

彼女はアメリカ合衆国魔法議会の人らしくて、その、まあ、連行された。魔法生物違法所持法違反で。あとついでに第三条のAに反するらしい。…どんなのか知らないけどまあ多分マグルにはオブリビエイトしないといけない法律があるようだ。なんて面倒な。

そうして連れて来られたアメリカ合衆国の魔法省。案外堂々と存在していて驚く。時代遅れなこの国ならもっとヒソヒソと隠れていると思っていたのに。行き交うマグルは気にした様子もないし、建物全体にマグル避けが施されているのかもしれない。

ゴールドスタインさんに腕を引かれてる中、乱暴なことは出来ない。学生時代に培ってしまった(とある純血のご令嬢が手を差し出さない僕に向けた刃物が如き眼差しが忘れない)僕は英国紳士としてやってはいけないことくらいわかっているのだ。ならばそっと魔法を使おうにも新たに罪を重ねて拘束時間が長くなるであろうことを考えて、まだ一応回収されてない杖の出番を見ぬ振りをした。半ば思考を放棄して思う。ああ、逃げたい。

 

「悪いけど、僕、他に用事があって、」

「あっそ。」

 

う、素っ気ない。

 

「それはまた今度にして。」

 

今度に出来るなら今来てないんだよ…。そんなこと言いたいけど言えないのが、僕だ。

 

「そもそも何しにニューヨークへ?」

「…バースデープレゼントを買いに。」

 

彼女の誕生日はまだまだ先だし、そもそも渡せるかわかんないけど。もし“こんな状況”で渡す度胸があったら、そもそも一方的に避けてないんだろうなあ…なんて言わない、言えない。

 

「ロンドンでは買えないわけ?」

 

…ニューヨークにあって、ロンドンにないもの…は…、

 

「アパルーサ・パフスケインのブリーダーはここニューヨークにしかいないんだ。だから…、」

 

アパルーサ・パフスケインは愛玩生物として人気がある。フォルムも小さくて丸くてふわふわで、きっと、多分、彼女も嫌いではないはずだ。……好物は魔法使いの鼻くそだけど。

 

ゴールドスタインさんがドアマンに「第三条のAよ。」と告げる。うん、そんなに繰り返さないでくれないかな。重罪人みたいじゃないか。

 

「ほら。」

 

鋭い目線。もしも彼女がメデューサだったら僕は今頃カッチコッチを通り越して化石になってる。うん、そうだな、ああ、えっと、好きなだけ連呼すればいいよ。その代わりと言ってはなんだけど僕の頭にジャケットでも被せてキミの目から逃がしてくれないかな。

 

「言っとくけど、ニューヨークでは魔法生物の飼育は禁止なの。そのブリーダーは廃業させたわ。」

 

ごめん、ティア。キミへのプレゼントはまた考え直しみたいだ。



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