【本編完結】レッドキャップ:ヴィランにTS転生した話 (WhatSoon)
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#1 レッドキャップ

窓から見える外は暗闇。

雲によって月すら遮られた深夜の街。

 

ここはニューヨーク、マンハッタン区。

通称、ヘルズキッチン。

 

そのメインストリートの外れ、寂れたビルの中。

年季の入った古い見た目に、不相応に飾り立てられたアンバランスな内装。

 

絨毯も壁紙も一流のブランド品だが、噛み合わせの悪い……所謂、「価値は分からないが、大金で飾り立てたような部屋」と言う印象があった。

 

 

そんなビルの中で柄の悪い男達は札束を数えていた。

口々に品のない会話をしている。

 

今日の取引は最高だった、とか。

売る前に味見しておけば良かった、とか。

 

彼等は麻薬の密売、そして若い女を拉致って売るような商売で儲けて来た、ヘルズキッチンでは「ありきたり」なギャングだ。

 

下卑た笑いを浮かべながら、男はライターを取り出した。

煙草に火を付けようと着火して……直後、ビルの電灯、全てが消えた。

 

 

「あ……?」

 

 

ライターを持ったまま、男は席を立ち上がり、辺りを見渡す。

 

ブレーカーが落ちたのか、それとも鼠か何かが電線を齧ったのか。

 

別の男が悪態を吐きながら、携帯電話のライトを付けようとして…………。

 

 

刹那、発砲音が響いた。

 

かろうじて視界に映ったのは発火炎(マズルフラッシュ)だった。

火薬が焼ける臭いがして、男の倒れる音、そして手元から携帯電話が落ちる音がした。

 

ライトが壁を照らしている。

その光の先には、真っ赤に散った男の血液があった。

 

 

「て、敵襲だ!」

 

 

男は声を荒らげて、腰に装備していた護身用の拳銃を取り出す。

 

ギャングと言うのは敵の多い仕事だ。

警察や、被害者の遺族、それどころか同業の組織からも狙われる。

 

だが、これは恐らく最後の「同業の組織」の仕業だ。

 

この暗がりも、恐らく細工されたもの。

そして、1m先すら見えない暗闇の中で正確に発砲出来る練度。

 

素人の仕業ではない。

 

 

「ど、どこに」

 

 

突如、悲鳴が聞こえた。

 

 

「ぎゃっ」

 

 

短い悲鳴と共に、肉を引き裂く音がした。

ごとり、と鈍く何かが転がる。

 

……その『何か』は男の足元に転がってきた。

 

首だ。

 

仲間の、切断された生首だ。

生気のない濁った瞳が、男を見つめていた。

 

 

「うわあっ!」

 

 

正気を失った仲間の一人が、拳銃を構える。

 

 

「よせっ」

 

 

何も見えない暗闇の中、発砲する事は味方への誤射が懸念される。

それでも、そんな事が分からないほど動転した仲間が発砲した。

 

 

金属を……弾丸を弾く音と共に火花が散った。

襲撃者に命中したのだ。

 

一瞬、散った火花がその襲撃者の姿を露わにした。

 

 

血のように赤いマスク。

黒く鈍く光るプロテクターを纏うスーツ。

その黒いスーツにはべったりと血が付いている。

被弾して流れた血ではないだろう。

恐らく、仲間を殺した時の返り血だ。

 

異常だ。

非現実的な恐怖が、そこに立っていた。

 

 

「な、何なんだ!?」

 

 

恐怖に怯える仲間が、声を荒らげる。

 

直後、また発砲音が聞こえた。

だがそれは、仲間の持つ拳銃からではない。

 

咄嗟に横に立つ仲間を見ようとして…………眉間に穴の空いた顔があった。

 

 

「ひっ」

 

 

男は恐怖のあまり、蹲る。

両手で耳を塞ぐが、怒声と発砲音、何かが倒れる音が聞こえてくる。

 

怖い。

 

男は目を瞑った。

 

息を殺した。

 

怯える男を他所に、物音が止んだ。

 

 

……男は恐る恐る、目を開けた。

 

そして。

 

目前に、覗き込むように座っている赤いマスクの姿があった。

 

 

「うっ」

 

 

悲鳴を上げるより早く、赤いマスクの腕が男の背中を持ち上げた。

そのまま、足を払われて無様に地べたに転がる。

 

仲間の死体と、目が合った。

 

地面に転がっていた携帯電話のライトが、襲撃者の姿を照らしていた。

マネキンのように目もなく、鼻もない、赤いマスクが無機質に男を見下している。

 

 

「く、来るな!」

 

 

男が拳銃を赤いマスクへと向けた。

……だが、襲撃者は恐れる様子もなく、男へ向かってゆっくりと歩き始める。

 

襲撃者が自身の赤いマスクを、こつこつと指で叩く。

 

 

『よく狙え』

 

 

男のような女のような、ノイズの入った機械音声が赤いマスクから聞こえてくる。

 

堪らず、発砲し…………襲撃者は、その弾丸を『避けた』。

 

 

「……あ?」

 

 

普通の人間には回避できる筈がない。

発砲から弾丸の着弾まで、1秒にも満たない。

 

常人の反射神経、身体能力では不可能だ。

 

これは悪い夢だ。

呆ける男が正気に戻ったのは、顔面に衝撃が走ってからだ。

 

プロテクターを装備した襲撃者の拳が、男の顔にめり込んだ。

 

 

「ぶ、はっ」

 

 

鼻が折れ、血が出る。

思わず尻餅をついて、男は襲撃者の姿を見上げた。

 

決して、図体のデカイ男ではなかった。

 

どちらかと言うと、小さいと言ってもいい。

170cm前後……そんな小柄からは信じられないほど重い一撃だった。

 

 

「な、おばっ、おまえっ」

 

 

襲撃者が手に持った武器を男に向けた。

それは拳銃のようだが……市販では出回っていない、特殊な作りの武器に見えた。

 

 

『お前がこの組織の頭だな』

 

「ち、違う!俺は何も知らない!」

 

 

たしかに男はリーダー格だった。

だが、この尋常ならざる場面で、恐怖のあまり逃げるような発言をしていた。

 

 

『なら仕方ないな』

 

 

そう言った赤いマスクは拳銃のような武器の銃口を、男の頭から離した。

男は一瞬安堵し……直後、腹部に激痛が走った。

 

見れば、襲撃者が手に持っていた真っ黒なナイフが男の腹に刺さっていた。

 

 

「ぎ、ぎゃっ」

 

 

襲撃者がナイフの柄を握り、捻る。

 

ナイフは切断する目的で使用されていない。

痛みを与える為に使われていた。

 

ぶち、ぶち、と繊維が断ち切れる音がする。

男が血の泡を吹いて、身を捩り逃げようとする。

 

 

『管理簿はどこだ?』

 

「あ、ぎゃ」

 

『言え』

 

 

襲撃者が男の耳元で囁く。

頬に触れた赤いマスクは、酷く冷たい。

 

 

「あ、そこの、引き出しの中……ぎっ」

 

『そうか』

 

 

赤いマスクの襲撃者が、ナイフを男から引き抜く。

血が流れて、男は必死に腹を押さえる。

これ以上、中身が溢れてしまわないように、必死に。

 

そして、息を荒らげる男の頭に銃口が突き付けられた。

 

 

「あ、え、なんで」

 

『殺さないとは一言も言ってないが』

 

 

発砲音が響いた。

 

男はもう、物言わぬ骸となっていた。

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

あー、クレープ食べたい。

チョコがたっぷりかかったバナナクレープが。

 

私は椅子に腰掛け、辺りを見渡し、現実逃避をする。

 

目の前には苦悶の表情を浮かべてる死体。

首がへし折れてる死体。

頭と身体の別れた死体。

眉間にデッカい穴の空いた死体。

まぁ、色々あって数人分の死体が転がっている。

 

下の階に行けば、まだ何人か増えるけど。

 

 

私の名前は『レッドキャップ』だ。

……本名はない。

 

名前が必要になったら逐次、偽名を用意されている。

だから、明確に自分を指している固有名詞は『レッドキャップ』しかない。

 

机の鍵にナイフを突っ込み、無理矢理捻る。

すると中から数枚の書類が現れる。

 

資料を読み取れば、今回の標的と一致している事が分かる。

死体から拝借したライターのボタンを着火する。

パチンと良い音がして火花が散った。

そのまま書類に火花がぶつかり、小さな炎が燃え移った。

 

私はそのまま、書類とライターをゴミ箱に投げ捨てる。

 

そして、席を立ち首をゴキゴキと鳴らした。

周りにある死体を見て、欠伸を一つ。

集中する必要もなく、気も抜ける。

 

夜ももう遅い。

少し眠い。

 

目の前のギャング達は、私の雇い主である『ウィルソン・フィスク』の手下だ。

言うなれば同僚……まぁ、顔も知らない奴等だが。

 

 

彼等はあまりに杜撰で迂闊だった。

 

彼等の知らない事だろうが、既に警察にもマークされており、逮捕されるのも時間の問題といった所まで来ていた。

まぁ、証拠隠滅とかも碌にやらない知性のカケラもない奴らだから仕方ない。

 

彼等が逮捕される事に何も問題はない。

だが、問題があるとすれば彼等の口が軽いという事だ。

 

フィスクもよく言っている。

『信頼こそが最も大切であり、信頼のない部下は敵よりも厄介である』と。

フィスクは彼等が警察に情報を提供し、不利益を被る事を危惧していた。

 

私が命じられたのは、早めの口封じと言う訳だ。

フィスクとの取引に使用していた書類は念入りに燃やしておいた。

彼等の死体も焼滅する。

 

反社会勢力のゴミどもが消えた所で困る人間はいない。

 

あぁ、強いて言うなら、彼等をマークして追いかけていた警官達は困るかな。

 

私はナイフを空に振る。

ビッ、と水分の切れる音がして、ナイフに付着していた血が壁に散った。

 

そのままナイフを太腿に付いてるプロテクターの内部へ収納する。

 

ナイフだけではなく、胸のプロテクターにも血がべっとりと付いている……帰宅前に洗わないと。

 

 

ふと、破壊した机の上を見ると、新聞があった。

 

そして、新聞の見開きに見知った顔があった。

私と同様に赤いマスクを被った男の姿だ。

 

そのまま、見出しへと目を滑らせる。

 

 

“スパイダーマン、大活躍!!爆弾魔を逮捕!”

 

 

『スパイダーマンか……』

 

 

私は新聞を手に取り、捲る。

 

緑色のプロテクターを着込んだ男……『ノーマン・オズボーン』。

爆弾魔『グリーンゴブリン』の逮捕。

 

 

『なるほど、この世界では逮捕出来たんだな』

 

 

私は新聞を燃えているゴミ箱に投げ捨てた。

燃料を焼べられたゴミ箱はさらに炎の勢いを強める。

 

この建物は木造と煉瓦での建築物だ。

火の広がりも速い。

 

すぐに燃え広がって、目の前の死体達も焼死体になるだろう。

 

 

私は窓を開き、飛び降りる。

 

ここは5階。

高さは15m程ある。

足で壁を蹴り、ダクトを掴み、勢いを殺して隣の建物に飛び移った。

 

振り返れば窓越しに、火の光が見える。

 

私は満足気に頷き、その場を後にした。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

ここはニューヨーク、ヘルズキッチン。

とあるアパートの一室。

 

私は机の上に置かれた白い物体……ババロアをスプーンで削り、口に入れる。

ババロアは卵、牛乳、砂糖を固めたゼリーのような、ムースのような菓子であり……私の好物だ。

 

頂点に乗っていたベリーソースが、ドロリと垂れる。

 

砂糖は良い。

血の臭いや、耳障りな悲鳴、肉を引き裂く感触……それらを忘れさせてくれる。

 

 

「……はぁ」

 

 

幸福から口を開けば、鈴のような綺麗な声が漏れた。

 

壁に立てかけてある姿鏡を見れば、可愛らしい少女が椅子に座っている。

 

髪はプラチナブロンドと呼ばれる色をしている。

金髪と白髪の中間のような髪色だ。

少しウェーブがかった髪質で、首の下まで伸びている。

 

目は青く透き通っており、宝石のように煌めいている。

 

年齢は……ティーンエイジャー、15歳前後に見える。

まだ幼さが残るが、将来性を感じさせる可愛らしい少女だ。

 

 

ただ、その顔に表情は存在しなかった。

無機質なマネキンのような冷たく鋭い視線が、鏡の中から私自身を見つめていた。

 

これがレッドキャップの中身。

そして、今生の私の姿である。

 

そう。

私には所謂、前世の記憶があった。

 

前世では平凡なサラリーマンだった。

そう、マン。男だ。

アメコミ映画が好きで、特にスパイダーマンが好きだった。

家にDVDもBlu-rayもあったし。

コミックも……まぁ、そこそこ持ってたし。

ポスターで壁は埋まっていたし。

フィギュアも飾っていたし。

本当に大好きだった。

 

そんな私はスパイダーマンの最新作映画を上映日に観るため、映画館へ向かい…………巨大なトラックに轢かれてグチャグチャのミンチになった。

 

 

そして、次に目が覚めたら私は超絶美少女になっていた。

……自惚や自慢ではなく、客観的な事実として、私は美少女になったのだ。

 

……せめて映画を観てから死にたかった。

公開前のトレーラーで最大に高まっていて、数ヶ月前から楽しみにしてたんだぞ!

と誰にも怒る訳でもなく、ただただ憤っていた。

 

 

この世界の私は戦争孤児であり、社会の裏で暗躍する闇の組織に拾われた『らしい』。

 

『らしい』と言うのは、それ以前の記憶がないからだ。

私は前世の記憶が蘇る前の記憶、その全てを失っていた。

 

 

そして、私を拾った組織の名前は『アンシリーコート』と言う。

 

『アンシリーコート』。

第二次世界大戦の裏で暗躍していた暗殺組織だ。

元々はイギリスに所属する特務部隊だったが……部隊長が邪悪な人間であり、国から離反し、自身の目的のために暗躍していたらしい。

 

目的は国家転覆、世界征服。

 

まぁ、ありきたりな悪の組織、と言う訳だ。

 

だが、組織の長が第二次世界大戦中、米国の英雄『キャプテンアメリカ』によって打倒され組織は崩壊した。

当時の科学力、資産、人員はもうない。

だが、現代でも水面下に潜み、組織の力を強めるべく暗躍し続けている。

 

組織の人間から聞いた歴史の話だ。

 

……この世界は私が以前、生きていた世界とは異なる。

この世界には悪の組織があり、スーパーヒーローが存在する。

 

『MARVEL』コミック、それに連なる世界なのだ。

 

だが、この世界は私の知っている『MARVEL』の世界とは限らない。

 

並行宇宙(マルチバース)』と呼ばれる概念がある。

似たような宇宙が幾つも存在し、それはほんの小さな違いから無限に分岐し、大きく姿を変えた異なる宇宙を生み出す。

 

世界によってはスパイダーマンは女性かも知れないし、老人かも知れないし、ゾンビかも知れないし、ロボットかも知れない。

そもそも、スパイダーマンが存在しない世界もある。

 

幸い、この世界にはスパイダーマンが存在しているようだ。

……新聞で見る限りは私のよく知っている姿だった。

少なくとも女や、豚、ゾンビではないだろう。

 

 

私には所謂、原作知識というものは多少あるが……正直言って役に立つとは思っていない。

 

映画に出てくる世界かも知れないし、コミックのストーリーのような世界かも知れない。

アニメ、ゲームの世界かも知れないし、全く異なる独自の世界だという可能性もある。

 

 

とにかく、『MARVEL』の内包する世界で私は悪の組織に拾われた。

それだけが確証を持って言える事実だ。

 

 

組織に加入した私を最初に待っていたのは、『安全装置』の取り付けだった。

手術によって心臓付近……左胸の奥に超小型の爆弾が埋め込まれた。

組織に反抗すれば爆破され、心臓が吹き飛んで死ぬ。

これが、組織にとっての『安全装置』だ。

 

私を含む若い子供たちは皆、訓練施設へと送られる。

 

そこでは効率的な人体の破壊方法、隠密行動を為す上で重要な体捌き、人の意識に入り込む人心掌握術…………一流の暗殺者になる為の教育が行われた。

 

そして私は、その訓練施設でもトップクラスの成績を叩き出すことに成功した。

 

この肉体は人よりも優れていた。

才能に溢れていた。

 

訓練施設で素晴らしい成績を残した私は、組織によって極秘計画へと参加する事となった。

 

それが『レッドキャップ・プログラム』だ。

私以外にも数名、優れた訓練兵が参加していた。

 

 

 

 

結果から言うと、私以外のプログラム参加メンバーは死亡した。

 

原因は『超人血清』。

キャプテンアメリカを超人たらしめた血清だ。

肉体と、高潔な精神を強化する夢のような血清だ。

 

だが、私達の使用した血清とは異なる。

 

『パワーブローカー』と呼ばれる人体強化、改造を生業とする科学組織によって提供された、『似非超人血清』だ。

 

『超人血清』を見よう見真似で、再現しようとして作られた完全な偽物。

だから『似非超人血清』だ。

 

『似非』と言うが、効果は凄まじい。

この血清は本家の超人血清と同様に人間の力を引き出すが、本家のような精神への影響も起こらない、単純な肉体強化を行う血清だ。

 

だが、大きな欠陥が存在していた。

 

適合率が非常に低く、適合しなかった者は皆、死ぬ事だ。

 

不適合者は心肺能力が極度に上昇し、身体中の血管に許容量を超える血が送り込まれ、全身の血管が破裂して死亡する。

 

一度死体を見た事がある。

目や鼻、耳などの身体中から血を垂れ流して、苦痛に歪んだ形相で死んでいた。

……痛ましい姿だった。

 

結局、私以外の数十人のプログラム参加メンバーは適合出来ず死亡した。

 

成功品はただ一つ、私だけだ。

 

これが『レッドキャップ』の起源(オリジン)だ。

 

 

超人血清によって私は、金属の塊を握り潰して粉砕するほどの握力、鉄パイプを捻じ曲げる程の腕力、飛んでくる弾丸を回避する程の動体視力と俊敏性を得た。

そして更には、治癒因子(ヒーリングファクター)……多少の傷は数時間で治癒する程の自己治癒能力を得た。

骨折程度ならば1日もあれば治る。

 

私は人間ではなくなった。

人を超えた「超人」となったのだ。

 

 

…………だが、この世界において私の力というのは微妙なレベルでしかない。

いや、確かに超人なのだが……世の中には戦車すら投げ飛ばす緑色のヤツとか、ハンマー持って空飛ぶ神様とか、身体が粉々に吹き飛んでも再生する黄色い爪のヤツとか、色々いるから。

 

一流の超人未満、一般人以上、並の超人と言った所だろう。

多分、スパイダーマンと殴り合ったら負ける。

 

スパイダーマンをあまり知らない人からすれば、大してパワーの強くないテクニカルなヒーローだと思われてそうだが……実際は自力で電車を受け止める程のパワーを持っており、崩れたビルの瓦礫を押し退ける事もできる超パワーのヒーローだ。

作品によってはハルクと殴り合って勝てる程のパワーがある肉体派ヒーローなのだ。

 

まぁ、この世界のスパイダーマンがどの程度のパワーかは分からないが、姿からして大きく相違のあると言った……

 

 

……しまった。

スパイダーマンの話になると、つい話が長くなる。

オタクの悲しい性だ。

 

 

閑話休題。

 

 

超人血清で強化された私だが、一流のスーパーヒーローとは天と地ほどの力の差がある。

私に出来るのは精々、軽自動車を頑張って持ち上げるぐらいのパワーだ。

電車とかトラックは無理だ。

 

 

私と言う完成品が誕生した事で『レッドキャップ・プログラム』は凍結された。

曰く、割に合わないそうだ。

一人の超人を作るのに数十人単位で構成員を死なせているのだから、それはそうだろう。

 

超人の肉体と一流の暗殺技術を持つ私は、組織からの任務を熟していった。

 

敵対する武装組織の壊滅、裏切り者の殺害など、そんなものばかりだ。

 

一般人の殺害は組織の一般的なエージェントでも可能であり、私に流れてくる任務はそれよりも難しいものしか来ない。

 

なので、一般人の殺傷経験は殆ど無い。

 

……勿論、悪人ではない警官や、敵対する『S.H.I.E.L.D.』のエージェントも殺しているが。

 

何も、気休めにはならない。

ただ、仕方のない事なのだと思い込むようにしている。

 

そうしないと、心が壊れてしまう。

私は悪役(ヴィラン)で人間を遥かに超えた力は持っているが、精神面は一般人と変わりない。

 

割り切れるような悪人でもなく、巨悪に立ち向かえるような善人でもない。

 

中途半端な人間なのだ、私は。

 

 

任務に挑む際、私は特殊なコスチュームを着ている。

 

様々な機能を搭載した赤いフルフェイスのマスク。

特殊合金性の全身真っ黒なプロテクター。

 

頭だけ赤く、身体は黒い。

 

赤い帽子(レッドキャップ)』……イギリスの伝承に登場する邪悪な妖精だ。

見境なく人を殺し、その血で帽子を染め上げる醜悪な妖精。

 

恐怖の象徴として、私はその名前を授けられた。

 

『アンシリーコート』からすれば、強力な暗殺者がいる事を知らしめる為のコスチュームなのかも知れない。

 

とにかく、組織外の人間にも『レッドキャップ』の名は知られるようになり、恐れられる事となった。

 

ちなみに、『レッドキャップ』の中身……つまり、私の容姿を知っているのは殆ど居ない。

同僚も取引先の相手も『レッドキャップ』の中身を知らない。

 

 

訓練所時代の奴等も、私がこんな事をしているなんて知らないだろう。

 

……いや、そもそも彼等が今も生きている保証なんて、どこにもないが。

そう考えると、血清に適合して生き延びている私は運が良いのだろう。

 

 

さて。

 

現在の『アンシリーコート』は秘密組織としての復活を目指して活動しているが……実際にやっている事は傭兵業に近い。

 

特殊な訓練を積んだエージェントを他組織に貸し出し、対価として金を得る。

 

その資金を組織の活動資金とする。

 

金さえ貰えれば、どんな人間をも殺す暗殺者集団。

それが、今の『アンシリーコート』の正体だ。

 

 

そして、十年近く前から、ニューヨークを牛耳る巨大なマフィアのボス……ウィルソン・フィスクと提携している。

 

ああ、提携と言うには少し、力関係が対等ではないか。

どちらかと言えば『服従』が近いだろう。

 

 

ウィルソン・フィスク。

通称、『キングピン』だ。

 

ニューヨーク、ヘルズキッチンを表と裏から同時に支配する巨悪。

表では大物政治家、裏では容赦のないギャング。

莫大な財力と、悪を束ねるカリスマ、狡猾な知恵、全てを兼ね備えるマフィアの王。

 

スパイダーマンや、他の色々なMARVEL作品に出てくる悪役(ヴィラン)だ。

全身筋肉の大男であり、一般人の癖にヒーローとも殴り合える。

 

幾人ものギャングを従えており、名あり悪役(ヴィラン)も従えている。

そして、彼は裏切り者に容赦は一切しない。

 

組織を裏切れば手痛い罰を受ける。

その命によって償わされる。

 

……まぁ、私に選択肢はない訳で。

断ったり、逃げたりしたら爆弾が起動され、ボン!と即死だ。

なので、嫌々ながらも組織に忠誠を誓い、今日も今日とて貢献している訳である。

 

 

「はぁ」

 

 

ため息を吐きながら、ババロアを口に運ぶ。

 

『レッドキャップ』ね。

いや『レッドキャップ』って。

 

 

「どう考えたって、悪役(ヴィラン)の名前」

 

 

多分、私はいつかスーパーヒーローにボコボコにされて刑務所にぶち込まれる。

いや、務所にぶち込まれるだけなら良い。

過激なタイプのヒーローと相対すれば、殺されるだろう。

 

悪は滅び、正義が勝つ。

ヒーローモノの基本だ。

 

 

「……私は、ヒーローの追っかけがしたいだけなのに」

 

 

特にスパイダーマンの。

私は新聞を複数種類、定期購読をしている。

スパイダーマン記事は熟読して置いておくタイプのファンだ。

記事を切り取ってノートに貼る、お手製のスクラップブックも作っている。

 

前世の映画や漫画、アニメでも見た憧れのヒーローが現実にいるのだから、私としては嬉しい限りだ。

 

一度会ってみたい!

あわよくばサインも欲しい!

 

でも、

 

 

「多分、出会ったらボコボコに……される」

 

 

私は悪役(ヴィラン)だ。

 

しかも、スパイダーマンが一番毛嫌いするタイプの、人を殺す悪役(ヴィラン)だ。

 

 

「辛い」

 

 

現在、私は16歳。

普通だったら高校生だが……。

 

あるのは華やかな学生生活では無い。

血みどろの銃殺、刺殺、撲殺生活だ。

 

 

ババロアを食べ終え、流しに皿を置く。

蛇口を捻って、水を出そうとした瞬間、携帯が鳴り響いた。

 

私は手に取って、通話ボタンを押す。

 

 

『…………』

 

 

無言のままブツリと電話を切られた私は、部屋を出て階段を降りる。

一階のポストを開くが、中には何も入っていない。

私はポストの……上、天井に貼り付けられた封筒を手に取り、自室へ戻る。

 

封筒をペーパーナイフで開くと、中には意味不明な文字列が並んでいる。

 

これは、暗号で書かれた文書だ。

見慣れたものでスルリと読み解き、依頼を頭に叩き込む。

 

そして、キッチンの火で封筒を炙り、隠滅する。

 

 

依頼は、ターゲットの抹殺。

ターゲットは麻薬の売人。

フィスクの下部組織に所属する下っぱだ。

 

麻薬の売買とは関係ない所で殺しを行い、警察に調査されている。

殺人罪で逮捕されれば、芋蔓式に麻薬売買の情報が警察に漏れる可能性が高い。

 

だから、殺して口封じをする。

 

いつものパターンだ。

 

 

 

私は今着ている服を脱ぎ捨て、クローゼットを開ける。

白く滑らかな肌が鏡に反射する。

 

黒い防刃、防弾スーツを着込み、上からプロテクターを装着していく。

裏社会でも著名なガンスミスの作ったハイテク拳銃を腰に入れ、肉厚なナイフを太腿に装着する。

合金が足先と踵に入れられたブーツを履き、最後に赤いマスクを装着する。

 

このマスクは外からは真っ赤な『のっぺらぼう』に見えるが、中からは透けて見えるマジックミラーのような素材でできている。

 

 

『あ、あー』

 

 

変声機の調子を確認し、クローゼットを閉じた。

 

私は目を閉じて、意識を切り替える。

今の私は『アンシリーコート』の暗殺者であり、邪悪な妖精『レッドキャップ』だ。

 

……私は、日常の中にある『私』と『レッドキャップ』を切り分けている。

 

 

……元々、私は一般人として生きてきた。

組織に歪んだ思考を植え付けられても尚、小市民的な心は消えなかった。

 

死にたくない。

殺したくない。

 

でも、殺さなければ私は死ぬ。

 

結果、私の精神は真っ二つに裂けた。

ただの一般市民である『私』と、容赦なく敵を殺す『レッドキャップ』に。

 

 

まぁ、『お仕事用』に意識を変えるサラリーマンのような物だ。

 

よくある話だ。

スーツを着たら声が少し高くなって、ハキハキと喋るようになり、背筋がシャキッとするのと大差はない。

 

 

『さて、行くか』

 

 

私は窓を開き、真っ暗なヘルズキッチンへと飛び出した。



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#2 マン・ウィズアウト・フィアー

男が走っている。

息を荒らげて、ひぃひぃ言いながら。

 

ここはニューヨーク、ヘルズキッチン。

ニューヨークで最も治安の悪い場所と呼ばれている。

 

そんなヘルズキッチンの路地裏。

 

男がゴミ箱に足を引っ掛けて転倒する。

 

あ、痛そう。

頬を擦って、血が出ている。

 

それでも気に留めず、立ちあがろうとして……。

 

 

私は背後から、その男のシャツを掴んだ。

 

 

「えっ」

 

 

そのまま、力任せに引っ張って、壁に投げ飛ばす。

鈍い音を立てて、男が叩きつけられた。

衝突した煉瓦造りの壁はひび割れている。

 

 

「ぐぇっ」

 

 

 

カエルみたいな声を出して、男は気絶した。

 

この男が麻薬の売人。

あぁ、あと殺人事件で調査中の容疑者か。

まだ証拠が集まりきって居ない為、留置所にも入れられていないラッキーな男だ。

 

あぁ、いや、アンラッキーか。

捕まっていれば私に殺される事もなかったろうに。

 

幾らフィスクと言えども刑務所内の人間を殺すのは難しい。

……難しいよね?

いや、フィスクの事だから出来るのかも知れないが。

 

私は、太腿を掌で叩く。

太腿のプロテクターが展開し、柄が飛び出す。

私はそれを引き抜く。

エッジまで真っ黒なカーボンで出来たナイフだ。

 

肉厚で、強固。

火に強く、血が付きにくい。

 

深夜のテレビ番組とかで宣伝されてたら思わず買っちゃいそうな高性能ナイフ。

肉を断ち、骨すら砕く強固なナイフだ。

それだけで、特別な機能なんてモノはないが。

 

私は持っていた柄をくるりと回し、切っ先を男の喉へ向けようとして……。

 

 

 

直後、後ろから飛んできた「何か」をナイフで叩き落とした。

咄嗟にその場を離れて、追撃に備える。

 

私の聴覚は血清によって数十倍に鋭くなっている。

例え、見ていなくても空を切る音から投擲物の存在を探知する事も容易い。

 

私は即座に振り返り、その姿を見た。

この路地裏は暗い。

真っ暗だ。

 

 

高性能な赤いマスクには暗視機能がある。

目を凝らせば、ひとりの男がいる。

 

 

大通りから漏れる微かな光を背に、一人の男が立っている。

 

それは赤い……赤黒い鬼の様なコスチューム。

目すら隠れるヘルメットは、装着者の視界を奪っているように見える。

 

だが、問題ない。

彼は視力を必要としない。

 

何故なら、元から見えていないからだ。

 

 

『デアデビル、か』

 

 

初めてではない。

数度、戦った事がある。

 

何故ならここは彼のホームグラウンド。

ヘルズキッチンだからだ。

 

私が弾き返した「何か」は金属の棒だ。

2本の金属の棒がワイヤーで繋がっている、ヌンチャクの様な武器。

ビリー・クラブと言う名前の武器だ。

 

 

デアデビル。

ヘルズキッチンを舞台に戦うクライムファイターだ。

幼い頃に特殊な薬品によって視力を失い、代わりに聴覚、皮膚感覚、嗅覚等が発達している。

見えずとも敵の位置を把握し、闘うことが出来る超感覚(レーダーセンス)を持つ戦士だ。

 

つまり。

 

この暗闇は彼の得意な戦場と言う訳だ。

 

 

「久しぶりだな」

 

 

私は返事もせず、ナイフを投擲する。

投擲先はデアデビルではない、ターゲットの麻薬売人だ。

 

だが、それもまたデアデビルの投擲したビリー・クラブによって撃ち落とされる。

 

 

「焦るなよ、長期休暇の宿題は初日に終わらせるタイプなのか?」

 

 

挑発には流されない。

兎に角今は、デアデビルを気絶させるか、デアデビルの攻撃を凌ぎつつターゲットを殺すか。

任務を遂行する。

 

……まぁ、デアデビルを殺すつもりはない。

仕事でなければ誰も殺したくないのだ。

私は小市民だから。

 

 

『邪魔をするな、デアデビル。この男は死んだ方がいい男だ』

 

 

私は努めて冷静に話しかける。

 

……私は『レッドキャップ』へと意識を切り替えている間、話し方が変わる。

 

この世界に生まれてから、私は無口で拙い喋り方になってしまっている。

それは喋り方やコミュニケーションが育まれるべき幼少期に、殺しの勉強をし過ぎたせいか……。

 

ただ、『レッドキャップ』として『仕事』をしている時は前世のような男らしい話し方になっている。

 

仕事の上では『威圧感』が重要だ。

敵を威嚇し、竦めさせる。

それには男のような口調が適正だ。

 

 

デアデビルが私を睨み、口を開いた。

 

 

「殺して良いかどうか。それは、お前が決める事じゃない。法が決めるんだ」

 

 

それは確かにそうだ。

デアデビルの正体……と言うか中の人はマット・マードック。

盲目の弁護士だ。

 

法律には厳しいんだよな、弁護士だし。

 

私は壁を蹴り、デアデビルに飛びかかる。

ビリー・クラブでの反撃を肘のプロテクターで防ぎ、膝を顔面へと放つ。

デアデビルは上体を後方へ逸らし、その攻撃を避ける。

 

ボクシングで言う、スウェーだ。

デアデビルの父はプロボクサーだった。

彼もその技術を習得しているのだ。

 

 

だが、避けられるのは想定内だ。

期待通り、と言っても良い。

 

 

私は右手を開き、壁を突く。

指が壁に突き刺さり、文字通り壁を掴んだ。

そのまま、私は腕を捻り空中で無理矢理、姿勢を制御する。

 

私は壁に突き刺さった右手を中心に、回転する。

 

そのまま、反動と腰の捻りを活かして回し蹴りを放った。

 

デアデビルも流石に想定外だったのか、その背面へと命中した。

 

私は殺しのプロフェッショナルなのだ。

ルール無用の戦いであれば、幼い頃からみっちりと仕込まれている。

そして更には、常人を遥かに超えた身体能力もある。

 

 

「ぐっ」

 

 

鈍い悲鳴を上げながら、それでもビリー・クラブでの反撃を行ってくる。

私は壁を掴んでいた手を離し、落下することによって回避する。

 

地を這う様に滑り、距離を取る。

プロテクターが地面と接触し、暗がりの中で火花が散った。

 

 

『どうした?辛そうだな』

 

「……そうでもないさ」

 

 

いや、ほんとに痛そうなんだけど。

自慢じゃないけど私の蹴りは凄く痛い。

血清によって強化された蹴りは厚い金属板すら破壊する。

 

そんな一撃が命中したのだから、多分、骨にヒビぐらいは入っているに違いない。

当たり所が悪ければ折れてるかも。

 

……デアデビルは、超感覚を持ち、武術の心得があるヒーローだ。

だが、彼は。

少なくとも、この世界の彼は。

超パワーなんて持たない一般人の延長線上にいるヒーローでしかない。

 

私の様な超人とは、身体能力で明らかな差がある。

それは戦いに於いて決定的な差となる。

 

だが。

 

 

デアデビルはビリー・クラブを連結し、棍棒のように振り回す。

私はそれを腕のプロテクターで防ぎつつ、様子を見る。

何度も、何度も叩きつけられるが私にダメージは通らない。

 

プロテクターと金属の棒がぶつかり合い、暗闇の中で火花が散る。

 

 

私は思考する。

 

デアデビルの強さ。

それは精神力の強さだ。

体がどれだけ重傷だろうと、どんなにピンチだろうと、決して折れない。諦めない。

 

まさに彼はヒーローそのものだ。

私の好んでいたコミックのヒーローなのだ。

 

 

『フフ……』

 

 

つい、嬉しくなって声を漏らしてしまった。

私の笑い声に警戒し、デアデビルが一歩後退する。

 

 

「……何がおかしい」

 

『いや失礼した。笑うつもりは無かったのだが』

 

 

 

そして、またデアデビルが構えた瞬間。

 

私は即座に身を翻し、足元の煉瓦を蹴り上げた。

これはターゲットの麻薬売人を壁に叩きつけた時、剥がれ落ちた煉瓦だ。

 

煉瓦はデアデビルの頭部に一直線へと向かう。

 

私の予想だにしなかった動きに慌てて、デアデビルは対応する。

ビリー・クラブを分割し、煉瓦を叩き落とした。

 

 

『フッ』

 

 

一瞬の出来事だ。

だが、その一瞬で隙は出来た。

 

その隙を私は見逃さない。

 

 

ゴキリ、と音がした。

 

 

「なっ」

 

 

私の膝が、壁に倒れ込むターゲットの麻薬売人の首をへし折った音だ。

 

 

『さらばだ、デアデビル』

 

 

私は足元のナイフを拾い、壁を蹴り、反動で非常階段の手すりを掴む。

そのまま、逆立ちの様に浮き上がって足で窓縁を掴んだ。

 

ひっくり返ったままの姿勢でデアデビルを見ると、私を睨みつけている。

 

 

 

……私は両脚を引き上げて飛び上がり、ビルの上へと駆け上がる。

 

デアデビルは悔しそうな顔をしている。

と、言っても顔の半分はマスクで見えないが。

口だけでも分かる。

 

身体能力に差があるデアデビルでは、私に追いつく事は出来ない。

 

 

……万が一の為に、ダミーの拠点を通過してから帰るとするか。

 

夜風が酷く冷たい。

 

冬だからか。

それとも……。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

自宅……いや、ヘルズキッチンでの拠点へ到着した。

自宅と呼ぶには定住してないからね。

組織の任務に応じて、年に一回は引っ越しをしている。

 

……あぁ、そう言えば。

ババロアを食べ終えた後の皿を洗っていなかった。

スーツを収納した後、洗わなくては。

 

私は屋根から自室の窓を手にかけ、開き……。

 

 

 

 

 

その瞬間、光と共に轟音と衝撃波が放たれた。

 

 

 

 

 

強烈な爆音に鼓膜は痺れる。

真っ白な閃光によって視界は奪われた。

 

 

爆弾?

 

 

私は受け身を取りながら地面に転がる。

 

ダメージは……殆どない。

このスーツと、血清のお陰だ。

 

だが、突然の衝撃で少し、頭が混乱している自覚があった。

 

何だ?

今のは?

爆弾?

何故?

 

見上げると、自室は完全に吹き飛ばされていた。

……隣の部屋には住人は住んでいない。

被害者は居ないだろう。

 

目的は?

 

間違いなく私か……組織に対して敵意のある人間の仕業だ。

 

私を殺そうとしているのか。

 

少しずつ冷静になって行く思考で、そう結論付ける。

 

 

……一旦、離脱する必要がある。

これだけの出来事があったのだ、直に警察も来るだろう。

襲撃犯がこの近くに居ないとも限らない。

いや、寧ろこの様子を窺っているに違いない。

 

私は路地裏に隠れ、マンホールを開ける。

そのまま地下へと逃れる。

 

目指すはヘルズキッチン内の別の拠点だ。

……私の拠点を爆破したのが誰かは知らないが、もう一つの拠点が無事だという事を祈ろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は今、ヘルズキッチンの港……その近くにある漁師の家にカモフラージュされた拠点。

その地下室に来ていた。

 

この拠点を管理している下っ端がいる為、マスクを脱ぐ事も出来ない。

 

正直、マスクの中が臭い。

下水道を通った所為だ。

 

ドブの臭いがする。

化学製品と汚物の匂いだ。

 

……爆風でプロテクターに傷も入ってるし、新調しなければならない。

 

そして、今。

脱げるものなら今すぐ脱ぎたい。

マスクに臭いが篭ってキツい。

 

私が無意識にした貧乏ゆすりに、下っ端くんは怯えている。

良い歳したオッサンが、歳下の女の子にビビってるんだから世話がない。

 

私は下っ端くんからレシーバーを受け取る。

これは、このニューヨークの地下を有線で繋がっている秘密回線だ。

 

 

『状況は?』

 

 

そしてコイツは『アンシリーコート』の幹部の一人だ。

 

 

……最近、幹部になったばかりらしい。

機械音声のような声で話しかけてくる。

 

この組織、私も含めて声を隠そうとする奴が多すぎる。

秘密主義者が本当に多い組織だ……。

 

 

私は状況を説明し……と言っても、任務から帰ってきたら爆破された!としか言いようがないのだが。

 

 

『……一度、街から離れろ』

 

 

そう言って、私用の詐称した身分証、新しい携帯端末、色々な手配をしてくれるそうだ。

落ち着くまで一旦拠点を別の場所に移して活動しろ、って言う話だ。

 

詳しくは再度、携帯端末に連絡すると告げられ、私はレシーバーを下っ端くんに返した。

 

下っ端くんは非常に恐る恐る、と言った顔で受け取り、慌てて逃げる様に部屋を出ていった。

 

 

 

あーーーーーーー、もう臭い。

脱ぎたい。全裸になりたい。

 

 

部屋を爆破した奴、絶対に許さないからな。

ぶっ殺……さないにも、ボコボコにしてやる。

 

私はそう、強く決心した。

 

あ、スパイダーマンの切り抜きを集めたスクラップブックも爆破されたのか。

 

絶対にブチのめしてやる。

 

バキリ、と音がして手元を見れば、椅子の手摺りが壊れていた。

 

……修繕代、経費で落ちるかな。



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#3 ピーター・パーカー part1

私は今、クイーンズに来ている。

 

クイーンズ。

それはニューヨークの東部。

比較的大きな区画で、人口も多い。

勿論、活気もある。

 

あと、この世界で言えば……。

 

 

『スパイダーメナスは正体を現せ!法を守らぬ自警団気取りに鉄槌を!』

 

 

ビルの壁に作られた巨大な電子掲示板に、白髪の生えた初老の男が映っている。

アレは新聞社「デイリー・ビューグル」の社長、J・ジョナ・ジェイムソンだ。

 

今日も元気にスパイダーマンへのバッシング報道をしている。

いやぁ、お疲れ様です。

 

J・ジョナ・ジェイムソンはスパイダーマンにおいて、非常にメジャーなキャラクターの一人だ。

覆面強盗に家族を殺された過去を持っており、マスク姿でヒーローをしているスパイダーマンを目の敵にしている。

 

……ま、私は嫌いじゃない。

寧ろ、好きだな。

権力や圧力、世論にも負けず、自分の意志を通せる信念があって……。

 

 

はぁ、私とは大違いだ。

組織によって飼い慣らされ、自身の命が何よりも大事で、他人の命を無責任に奪い続けている。

 

 

憂鬱になりかけた思考を、頭から振り払う。

 

 

 

クイーンズ区。

ニューヨークの行政区域の一つだ。

 

そして、クイーンズと言えばスパイダーマン。

スパイダーマンの正体……ピーター・パーカーはクイーンズ出身だ。

だからなのか、この世界のスパイダーマンもクイーンズを主に拠点として活動している。

まぁ、ニューヨーク市内で悪役(ヴィラン)が出たら、いつでも駆けつけているけど。

この間も、ブルックリンで珍獣ハンターみたいな悪役(ヴィラン)と戦っていたし。

 

それはともかく。

 

何故、私がクイーンズにいるのか。

ヘルズキッチンのあるマンハッタンから離れているのか。

 

何者かによってヘルズキッチン内の私の拠点が爆破されてしまったからだ。

爆破されたのは……まぁ問題だけど、一番の問題は拠点を発見されて待ち伏せされた事だ。

 

偶然、私の拠点が発見された。

と考えるよりも何者かが私を探っているのだと考える方が正しいだろう。

 

私の所属している組織、『アンシリーコート』の指示によって、クイーンズまで引っ越して来たと言う訳だ。

 

……ま、同じニューヨーク市内だけどね。

あんまり離れすぎると、お仕事に支障が出るからね。

 

 

「よし」

 

 

私は窓を開けて息を吸い込む。

 

ん〜〜〜〜げほっ、排気ガスの味。

 

クイーンズは都会だ。

仕方ない。

 

今、私がいるのはクイーンズの端の方にあるボロアパートだ。

主に学生とか、一人暮らしのサラリーマンとかが住むアパート。

家賃も安い。

 

別に組織が金を持っていない訳ではなく、私のような隠れてコソコソやる人間はセキュリティの厳しい最新式のマンションよりも、薄暗くて人気の少ないボロアパートの方が良いと言う話だ。

 

ヘルズキッチンの時も同様の理由でボロアパートだったし。

 

引越しの荷物は殆どない。

 

何故って?

爆破されたからだ。

 

私のお手製スクラップブックを爆破しやがって……。

 

思い出してきたらムカついて来たな。

私は机にある袋から飴玉を取り出し、口に含む。

がりがりと噛み砕き、ストレスを抑える。

甘味は私の精神安定剤だ。

落ち着く。

 

 

組織から新しくもらった携帯端末を開く。

見た目はスマホみたいだが、独自回線でのやり取りが可能なフィスクの手下用の携帯端末だ。

 

普通の携帯端末の機能の上に、秘密回線でのレシーバーとしての役割も果たす。

いやぁ、金持ちの悪役(ヴィラン)はスケールがデカいわ。

 

特に新しいメッセージもないため、胸ポケットにいれた。

見た目は完全に既製品のスマホだ。

万が一誰かに見られても怪しまれる心配はない。

 

部屋に置かれた姿鏡を見る。

下はジーパン、上はセーター。

スカートは何だかスースーするし、未だに慣れないし、ズボンしか履きたくない。

……流石に下着は女物を着ているが。

 

髪型は今日もセミロング。

一度バッサリ切ってショートにしようと目論んだが……三日で元の長さに戻ってしまった。

多分、治癒因子(ヒーリングファクター)が悪さをしているんだと思っている。

 

でも、まぁ、今日もバッチリ美少女だ。

にへら、とニヤつくと鏡の向こうの美少女が微笑んだ。

 

これが美少女補正だ。

何をやっても可愛い。

 

可愛いは正義だ。

……私は悪役(ヴィラン)だけど。

 

ベージュのコートを羽織り、ショルダーバッグに財布を入れて肩にかける。

 

財布には金がそこそこ入っている。

組織も無賃で私を働かせている訳ではない。

それどころか、一般的な社会人の数十倍は貰っているだろう。

 

 

家に昼食はないので、外食をする事にする。

 

……ないのは昼飯だけじゃなくて夕飯もだ。

それどころか、この部屋はキッチンすら無いんだけどね。

流石にトイレはあるけど。

 

……私は料理しない派の人間だ。

朝昼晩と外食している。

 

一生独り身の一人暮らしだろうし、問題ない。

この身体は女だけど、前世も心も男だし。

それに悪い組織で悪い事やってるんだから、平和な家庭を築ける訳もなく。

 

とにかく、部屋を出て街へ出た私は軽く食べられる店を探す。

夕食ならまだしも、昼食は控えめが良い。

 

 

 

 

 

ふらふらと外を歩いていると、サンドウィッチが描かれた看板が目に映った。

 

今日はここにするか。

 

私はドアに手を掛けて、中に入る。

ドアには鈴が付いており、耳心地の良い音がした。

 

 

年季の感じる店内には、欠伸をしている店主のおじさんがいる。

カウンターはそこそこ広く、五つほど椅子が並べてある。

 

テイクアウトだけじゃなくて、イートインも出来るのか。

 

なんて考えていると、店主のおじさんが声をかけてきた。

 

 

 

「ご注文は?」

 

 

とメニューを渡されて、上から見ていく。

 

『ハムレタス』

『マヨネーズベーコン』

『スクランブルエッグ』

『チキン』

『ベーコンレタストマト』

『ロブスター』

 

色々あるな、と眺めていると。

 

『ショートケーキ』

 

という文字が目に飛び込んできた。

 

……いやいや、ランチにショートケーキ味はない。

どんなのか気になるけど。

クリームとイチゴの入ってるサンドイッチかな?

でも、いくら甘い物が好きだからって、昼食はオヤツじゃないんだから。

 

 

「ショートケーキ」

「あいよ」

 

 

 

 

 

気付いたら私はテーブルに座っていたし、目の前にはショートケーキサンドがあった。

なるほど、予想通りのクリームとイチゴが入ったデザート系のサンドイッチだ。

パンはライ麦が入っているのか少し茶色い。

 

私は皿の上に乗っているショートケーキサンドを手に取り、齧る。

 

……美味しい。

サンドイッチ屋の癖にクリームが本格的だ。

ベタつかず、甘過ぎない。

特に、ライ麦のしっかりとした味わいがクリームの甘みを引き立てていて……。

 

 

チリン、と鈴がなった。

 

 

慌てて手についたクリームを舐め取り、紙ナプキンで拭き取った。

 

 

レジ前を視界の端に入れてみると、15歳ぐらいの少年が立っていた。

童顔だが……何というか、可愛い系のイケメンだな。

草食系っぽい。

 

 

「おじさん、いつもの5番の奴……強めに潰してね」

 

「あいよ」

 

 

店主のおじさんが厨房に入る。

その間、少年は落ち着かない様子で財布を取り出して……ふと、こちらを見て、口を開いた。

 

 

「えーっと、どうかした?」

 

 

ん?

あぁ、ジロジロと見過ぎてしまったようだ。

 

 

「何でもない」

 

「あぁ、そう……」

 

 

少年は頭をかいて、照れ臭そうに顔を背けた。

 

何だ?よく分からん少年だ。

 

私は手に持ったショートケーキサンドを食べる。

 

 

「あの、それ美味しいの?」

 

 

また少年が声を掛けて来た。

ぼとり、とクリームが皿の上に落ちる。

 

 

「……どうして?」

 

「いや、食べた事ないから……」

 

「店主さんと、仲良さそうだったけど」

 

「いや、確かに常連だけど……ショートケーキのサンドイッチは食べた事ないよ。いつも、5番」

 

「5番?」

 

「BLTね。ベーコンレタストマト。メニューに番号振ってあるでしょ?あ、ショートケーキは7番」

 

 

と、どうでも良い会話をしている。

 

この少年、何で私に話しかけてくるんだ?

初対面なのに、ぐいぐい来るし。

単にお喋りなだけなのだろうか。

 

今生の私は口下手で、話が下手なんだ。

あまり話しかけないで欲しい。

 

 

「あ、おじさん」

 

 

店主のおじさんが帰ってくる。

手には押し潰されて少し薄くなったBLTのサンドイッチ。

あぁ、あれが5番か。

 

 

「ほいよ、ピーター、4ドルだ」

 

 

少年、ピーターが店にお金を渡した。

 

 

「ありがとう、おじさん」

 

 

そう言って、少年は店から出ようとして、

 

 

「待って」

 

 

思わず呼び止めてしまった。

驚いた顔で少年が振り返った。

 

 

「え?……どうしたの?」

 

「あなた、ピーターって名前なの?」

 

 

だって、その名前は。

 

 

「え?うん、そうだよ……ピーター・パーカー。僕の名前、だけど?」

 

 

スパイダーマンの名前じゃないか。

 

 

 

 

 

◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

じゃあ、最初から説明しようか。

 

僕の名前はピーター・パーカー。

2年前、放射線を浴びた蜘蛛に噛まれた時から、ずっとこの街を守って来た、この世にたった一人の「スパイダーマン」だ。

 

大切な人を失ったけど、もっと多くの人を救った。

 

街も救った。

 

何度も、何度も、何度も。

 

時にはスタークさんと協力して宇宙からの敵とも戦ったり。

 

あ、スタークさんって言うのはトニー・スタークさんの事だよ。

超ハイテクのアーマーを作って装着して、しかも戦う社長だ。

アイアンマン、って呼ばれてる。

 

そんな僕だけど、今は16歳。

ミッドタウン高校に通う3年生(ジュニア)だ。

 

ちなみに一人暮らし。

保護者代わりにメイ叔母さんがいるけど……今はクイーンズのアパートで一人暮らしだ。

学校から近いし、良い経験だからって叔母さんからの仕送りで生活してる。

感謝してもし切れないね。

 

でもアルバイトはしてるよ。

新聞社に写真を送ってお金を貰ってる。

普通の人じゃ撮れないようなアングルの写真も撮れる。

スパイダーマンならね。

 

ちなみに、僕の正体を知る人は殆どいない。

キャップすら知らない。

キャップって言うのはキャプテンアメリカ……って、説明不要かな。

 

スタークさんは僕の正体を知ってるけどね。

 

 

さて、そんな僕なんだけど、今日は新聞社のアルバイトで、良い感じの写真を撮りに行こうと出かけてる最中だ。

 

あ、でもお昼だし……いつものサンドイッチ屋で昼食を買っていこうかな。

 

あそこは安くて美味しいんだ。

 

おじさんは、ちょっと無愛想だけどね。

 

 

 

住んでるボロのアパートから徒歩5分。

この距離感も通っちゃう理由の一つだ。

学校に行く前に買って行ったりもする。

 

そんなに人気のない店だけど、僕はこの店が大好きだ。

 

なんで人気がないかって?

大通りの外れにあるのと、ここの裏に大手のサンドイッチチェーン店があるからね。

こっちは店もちょっとボロっちいし、狭いし。

おじさんは無愛想だし。

 

 

いつも通り、僕はドアに手をかけて店内に入った。

チリンと鈴が鳴って、パンの匂いが鼻に来る。

 

 

「おじさん、いつもの5番の奴……強めに潰してね」

 

 

そうして、店主のおじさんに「いつもの」メニューを注文する。

 

5番ってのはベーコンとレタスとトマトのサンドイッチだ。

シンプルでオーソドックス、でもメチャクチャ美味しい。

僕のお気に入りだ。

 

そうやって注文した後、ふと、店内に他の人がいる事に気付いた。

 

珍しいな。

この店に他のお客さん、しかもテイクアウトじゃなくて店内で食べてるなんて。

 

店に対して失礼なことを考えながら、そのお客さんを見ると……。

 

 

「わ」

 

 

思わず声が出た。

そこにはプラチナブロンドの……多分、僕と同い年ぐらいの美人……いや、美少女がいた。

 

え?

モデルとか女優さんなのかな?

正直、びっくりした。

 

目に映えるプラチナブロンドと、青い目が僕の視線を惹きつけた。

 

手に持ってるのはショートケーキサンド。

……あれ食べてる人、初めて見たかも。

 

そんな彼女が手についたクリームをペロっと舐めた。

正直、行儀の悪い行為なんだろうけど……なんだろう?

凄く可愛らしく見える。

やっぱり美人は絵になるな、なんて。

 

……あれ?

というか、この女の子、僕の事をチラチラ見てない?

自意識過剰かも知れないけど、何となくそう思った。

 

バレないように見てるつもりっぽいけど……。

 

僕は意を決して、言葉をかけてみる事にした。

 

いや、可愛い女の子と話したいからなんて……下心は無いと言ったら嘘になるけどね。

 

 

「えーっと、どうかした?」

 

 

この時の決断が、僕を大きく変える出来事になるなんて……思っても見なかったんだ。

 

でも、この時の決断を僕は後悔していない。

例え、『あんな事』になってしまったとしても。



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#4 ピーター・パーカー part2

「ピーター・パーカー……」

 

 

私はその名前を反芻した。

目の前にいる青年を注視する。

髪は茶髪で短髪。

目鼻は整ってるけど……少し子供っぽい。

身長もそれほど高くないから、若く見える。

 

 

「えっと、僕の事を知ってるの?」

 

 

そう聞かれて私は息がつまった。

 

ピーター・パーカーは一般人だ。

初対面の人間、親戚でもなく本当に関わりにない人間が知っているのは異常だ。

 

怪しまれないように、言い訳を考える。

 

 

「いや、知り合いと似た名前だったから驚いただけ」

 

「知り合い?」

 

「そう」

 

 

嘘だ。

そんな名前の知り合いは居ない。

 

好きなコミックの主人公と同名ってだけだ。

 

 

「あ、バイトだから、僕もう行くね」

 

「……うん。呼び止めて、ごめん」

 

「いやいや、全然良いよ!」

 

 

そうやってにこやかな笑顔で、ピーターは手を振り店を出て行った。

 

店主さんはニヤニヤとした顔で私を見ていた。

なんだ?私の顔に何かついているのか?

 

 

 

クリームがついてた。

 

恥ずかしい。

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

飯を食べた私はそのままフラフラとクイーンズを歩き回った。

 

やっぱり、知らない街を歩くのは楽しい。

新鮮で、まるで知らない世界に来たような…………私が悪役(ヴィラン)だと言う事を忘れさせてくれる。

 

小さなマーケットで、雑誌を手に取る。

寝ぼけたアジア系のオバちゃん店員に金を払い、店を出る。

 

公園のベンチに座り、雑誌を広げる。

表紙に写っているのはブラックウィドウ……ナターシャだ。

 

この世界でもアベンジャーズは存在していて、街の……と言うか世界の平和の為に戦っている。

 

宇宙人とか、殺人ロボットとか、色々だ。

 

ブラックウィドウはアベンジャーズのメンバーで、黒い衣装に身を包んだ女スパイだ。

 

そして。

 

私とよく似た経歴を持つ女だ。

 

彼女は旧ソ連のKGB、国家保安委員会の一つ『レッドルーム』の『ブラックウィドウ・プログラム』によって育成された最強のスパイだ。

 

私はイギリスの元特務部隊『アンシリーコート』の『レッドキャップ・プログラム』によって作り上げられたエージェント。

 

ただ、明確に違う事があるとすれば。

 

彼女は自分の意思で組織と戦い、決別した。

それに比べて私は自分の意思なんてなく、組織に従順で、未だに誰かを殺して、不幸を撒き散らして生きている。

 

 

スーパーパワーを持っていれば、ヒーローって訳じゃない。

強い意志を持って正義を成す心を持つ者がヒーローだ。

 

誰かが言ってた。

 

……私はヒーローになれなさそうだ。

 

 

ペラペラと雑誌を読んでると、目の前を男が横切った。

白人の男性と、黒人の男性、二人がランニングをしている。

 

 

……いや、少し速いな。

ランニングというより、競争のように見える。

 

 

私は鬱陶しく感じて、ベンチから立ち、その場を後にした。

 

読み終えた雑誌をゴミ箱に入れようか悩んだが、スパイダーマンの特集があった事を思い出し、持ち帰る事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

気づいたら、夕方になっていた。

窓の外から見える太陽は低く、空も赤く染まっている。

 

私は雑誌の特集をハサミで切っていた手を止めた。

特集の内容は『スパイダーマン解決事件簿!』だ。

 

ここはクイーンズのボロアパート。

仮の我が家だ。

 

前の拠点が爆破された為、焼滅したスクラップブックを思い出し、怒りに震えながら新しいスクラップブックを作成していた。

 

……私の数少ない趣味の一つだから。

悪役(ヴィラン)生活の中で、人間性を保つ為には趣味が必要だ。

 

甘いもの、スクラップブック作り、後は読書かな。

 

作業をやめて意識を胃袋に集中する。

 

くぅ。

 

と可愛らしい音がした。

空腹の合図だ。

 

ハングリーセンスに感知あり……。

 

しょうもない事を考えながら再度上着を羽織り、ドアノブに手をかける。

 

……あー、でも今から、良い感じの飯屋を探すとなれば閉店までの時間に間に合わないかも。

 

なんて考えながら、ドアを開ければ。

 

 

「あ」

 

 

見たことのある顔の人が、隣の部屋に入ろうとしていた。

 

 

「ピーター?」

 

 

そう、ピーター・パーカーだ。

スパイダーマンの……え?スパイダーマンの隣室なの?私。

 

 

「えーっと、君は、サンドイッチ屋の……」

 

 

そこで、私はまだ彼に名乗っていない事を思い出した。

そもそも……ピーターもサンドイッチ屋で会っただけで、二度と会う機会なんて無いと思っていたんだろう。

だから私の名前を聞かなかったのだろう。

 

私は意を決して、口を開いた。

 

 

「ミシェル」

 

「え?」

 

「ミシェル・ジェーン、私の名前」

 

 

私のクイーンズでの偽名だ。

 

 

「そ、そっか。ミシェルって呼んでいい?」

 

「どうぞ、お好きに」

 

 

これで顔を合わせただけの他人から、見知った人に関係性がレベルアップした。

 

いや、スパイダーマンと関係性が深まり過ぎるのは良くないかも知れないが。

私、悪役(ヴィラン)だし。

正体がバレるかも知れない。

 

でも、私のファンとしての心は、彼を知りたいという欲で満ち溢れている。

浅はかで危機感のないミーハー心だ。

 

そんな考えは表情に出さないように意識する。

コミュニケーションを円滑化させるために、偽の表情を作る。

 

組織でもスパイ活動の為に習った事がある。

いわゆる、人心掌握術って奴だ。

 

もちろん、私は高得点を叩き出していた。

私は完璧なのだ。

 

 

「でも、まさか……隣室だなんて」

 

 

ピーターがそう言って、首を傾げた。

親愛なる隣室ってね。

 

 

「ふ」

 

 

やばい、自分で考えて、自分で笑ってしまった。

 

 

「えっと、どうしたの?」

 

 

そう言って聞いてくるピーターの頬は赤い。

恥ずかしがるな、私の方がもっと恥ずかしいんだぞ。

 

 

「何でもない」

 

「そ、そう?」

 

 

話が繋がらない、めちゃくちゃ気不味い。

なんなんだ、人心掌握術、全然実践できないし役に立たないじゃないか。

 

 

「ピーターの方こそ、どうしたの?それ」

 

 

私は彼の手に持ったカメラを指差した。

ちょっと良さげなカメラだ。

デジカメでも無さそうだし、ちゃんとした本格っぽいカメラだ。

 

 

「これ?バイトでカメラマンやってるんだ。景色を撮ったり、事件現場を撮ったり。新聞社に買い取ってもらってるんだよ」

 

「へぇ、どこの新聞社?」

 

「デイリービューグルってとこ」

 

 

私はそれを聞いて、また笑いそうになった。

 

アンチ・スパイダーマンのJ・ジョナ・ジェイムソンが社長兼、編集長を務めるデイリービューグルに、スパイダーマンが写真を売ってるなんて笑うなと言う方が難しい。

 

 

「それで?バイトは終わったの?」

 

「今日の分はね。今からご飯に行こうかなって思ってる所」

 

 

それを聞いて、私は指を顎に当てて少し考えた。

……今、私も夕飯を外食しようと出ている。

でも、クイーンズに全く詳しくない私は飯屋を見つけるまでに時間を食ってしまい入念に探索することは難しいだろう。

そうなれば最初に見つけた飯屋に入らざるを得ない。不味そうでも。

 

ならば。

 

 

「ピーター」

 

「え、何?」

 

「私も夕食に付いて行っても良い?」

 

「え」

 

「私、クイーンズに引っ越して来たばかりだから。この辺り、詳しくない」

 

 

ちょっと上目遣いでお願いする。

ピーターの方が私より、ほんの少し身長が高いからだ。

 

……いや、我ながらあざと過ぎるな。

やめよう。

 

 

「あ……うん。もちろん良いよ。でも、これから行く店ってタイ料理のレストランだけど……」

 

「うん、大丈夫」

 

 

タイ料理……あれ?どんなのだっけ?

馴染みがないから全然分からない。

 

 

「ちょっと辛いよ」

 

「……うん、大丈夫」

 

 

……私、辛いの少し苦手だけど。

ピーターのこと、知りたいし。

スパイダーマンのことも。

 

 

 

 

◇◆

 

 

 

 

「からい」

 

 

私は水をドバドバと飲んでいた。

 

私が注文したのはパパイヤのサラダ、ソムタムだ。

そう、パパイヤ。

私のイメージでは熟して甘い果物だ。

 

だが、実際に出て来たのは熟してない青いパパイヤ。

そしてトマト、ニンジン、ピーナッツ。

 

で、輪切りの唐辛子が沢山。

 

ちょっと辛い、ではない。

舌の感覚が無くなるほど辛い、だ。

ピーターめ、嘘を吐いたな。

 

 

「だ、大丈夫?」

 

 

でも、そう言って心配するピーターは良いやつだ。

流石はヒーロー。

 

注文する前にも、「それはやめた方がいいよ」って遠回しに言っていた。

結局のところ、無視した私が悪いのだが。

 

 

「大丈夫……大丈夫……」

 

 

何とか意地で食べきった私はスプーンを皿に置いた。

……今度来たら、ココナッツ系のデザートのみ注文しよう。

 

 

「それで……えーっと、ミシェルは何でクイーンズに引っ越して来たの?」

 

 

ヘルズキッチンの自宅が爆破されたので……とは口が裂けても言えない。

 

組織に予め捏造されているバックボーンを語る事にする。

 

 

「クイーンズの高校に編入するから。近い方が良いと思って」

 

 

組織からはヘルズキッチンでの襲撃犯が判明するまでの間は、普通の一般人に擬態して潜伏するよう指示を受けている。

その為に、わざわざ偽の身分証と、偽の学歴、そして偽装入学まで用意されていた。

 

 

「へぇ、そうなんだ。ちなみに、どこの高校?」

 

「ミッドタウン高校」

 

 

そして、私の編入先はクイーンズでも結構大きめの高校、「ミッドタウン高校」だ。

学生数も多い方が目立たないと言う組織の意図だ。

木を隠すなら森の中、人を隠すなら人の中、年頃の少女を隠すなら大きな学校の中だ。

 

 

「えっ?」

 

 

ピーターが驚いたような顔をした。

 

 

「あ、僕もミッドタウン高校に通ってるんだ」

 

 

マジ?

隣室で学校まで一緒って……。

 

 

「すごい、偶然」

 

「僕も驚いたよ。ちなみに何年生?」

 

「私は……16歳だから三年生(ジュニア)

 

「僕も三年生(ジュニア)だ。いや、驚いたな」

 

 

もしかしたら、同じクラスになっちゃうかもね、なんてピーターが笑いながら言った。

 

いやいや、でもミッドタウン高校の一学年におけるクラス数は7つもある大きな学校だ。

流石に同じクラスにはならないだろう。

 

偶然は何度も続かない。

私はヘラヘラと笑いながら楽観視していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日から同じクラスになる、ミシェル・ジェーンだ。彼女が困っていたら、みんな、助けるように」

 

「ミシェルです。よ、よろしく……」

 

 

ホワイトボードを前に私はびっしょりと手汗をかきながら目を泳がせていた。

 

クラスの後ろの方、右奥でピーターが笑っていた。

 

偶然って怖い。

私はそう思った。



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#5 ミッドタウン・ハイスクール

「ねぇ、あなた何処から来たの?」

 

 

あわわ。

 

 

「髪すっごい綺麗……どこのシャンプー使ってるの?」

 

 

あわわわ。

 

 

「部活何処に入るの?」

 

「バンドに興味ない?」

 

「好きなものある?」

 

「一緒に写真撮ってもいい?」

 

 

あわわわわわ。

 

 

しかして、私は同級生の少年少女に囲まれて質問攻めに遭っていた。

 

だが、まぁ……この歳頃の学生は勢いが強い。

未知に対する好奇心が強いのか?

このままで圧殺されてしまう。

 

私はちら、とピーターの方を見る。

 

ふい、と気まずそうに目を逸らした。

この薄情者が。

 

 

「よっ」

 

 

一人の男が割り込んで来る。

 

周りの学生くん達は彼を見て、譲るように私の側から離れた。

……まるでモーセの十戒みたいだな。

 

 

「あなたは?」

 

「俺?俺はフラッシュ。フラッシュ・トンプソンだ。フラッシュって呼んで良いぜ?」

 

 

そうやってニヤニヤと私を見て笑った。

 

……何か、嫌だな。

こう、下心が見え見えなのが嫌だ。

生理的に無理だ。

 

下心があるのは別に良い。

仕方ない。

私、美少女だし。

 

でも隠そうとする気すらないのは嫌だ。

せめて、表には出さないように気をつける努力をして欲しい。

 

私は心の中の温度が一段階下がっている事を自覚するが、そんな事も露知らずフラッシュは話しかけてくる。

 

 

「今日さ、ウチ、両親いないんだよね。ホームパーティとかどう?歓迎会しようぜ」

 

 

え、嫌だ。

行きたくない。

 

 

……あ、というかフラッシュ。

フラッシュを思い出した。

 

フラッシュ・トンプソン。

スパイダーマンに出てくるいじめっ子じゃないか。

スポーツ万能で、ちょっとばかし顔がいい。

詳しくは覚えてないけど。

 

ピーターを虐める悪い奴だ。

 

 

「ごめんなさい、今日は予定があるから……」

 

「そんな、つれない事言わずにさ。なぁ、良いだろ」

 

 

フラッシュが私の腕を掴んだ。

そして、私は眉を顰めた。

 

やめろ。

ベタベタ触るな。

仲良くもない女の腕掴むなんて、どうかしてるぞ。

……いや、こいつ普段からモテるから異性に対して「こういう」セクハラ紛いの事しても誰も咎めないのか。

 

 

「やめなよ、フラッシュ。嫌がってるじゃないか」

 

 

と、そこで声を掛けてきたのはピーターだ。

フラッシュは私を掴んでいた手を離した。

 

家帰ったら絶対洗う。

シャワー浴びる。

 

 

「あ?ピーター、お前には関係ないだろ」

 

「関係ないかも知れないけどさ……嫌がってるだろ」

 

「なんだと?なぁ、ミシェルちゃん、別に嫌がってないよな?」

 

 

そう言って、嫌がってると1mmも思ってないフラッシュが女性受け良さそうな笑顔を私に向けてきた。

 

ミシェルちゃん?

「ちゃん」って、お前……。

 

初対面の女に「ちゃん」付けするのか?

 

やば、鳥肌立ってきた。

 

私が具体的な返答をしないまま黙っていると、横からスッと女性が入り込んできた。

 

金髪で、ちょっと濃いめのルージュをつけている。

気の強そうな女の子だ。

 

 

「嫌がってるよ、フラッシュ」

 

「あ?」

 

「女心の分からない奴だね、アンタ」

 

 

そう言って、冷めた目で睨み付けている。

フラッシュは何か喋ろうとして……女を睨み付けた。

 

 

「……ちっ、分かったよ。ミシェルちゃん、歓迎会はいつでも開けるからね。気になったら声かけてくれよ、このフラッシュ・トンプソンまで」

 

「…………けっ、自意識過剰男め」

 

 

気の強そうな女の子が、フラッシュに聞こえないようボソリと呟いた。

 

 

フラッシュが席から離れても、周りの同級生達はあまり近寄って来なかった。

 

フラッシュ、クラスの人気者っぽいし、厄介ごとに巻き込まれたくないんだろうな。

 

顔が良くて、スポーツ万能で、学力もそこそこあるだけなのに……。

いや、そりゃ人気出るか。

 

しかし、誰も寄って来ないのは好都合だ。

さっきみたいな質問攻めをまた食らったらたまったモンじゃないから助かるが。

 

それより、目の前の女の子へ礼を言う事を優先すべきだ。

 

 

「……ありがとう」

 

「どういたしまして」

 

 

軽く、ウィンクをしてくれた。

……やば、可愛い。

そしてカッコいい。

 

危ない。

この身体が女じゃなければ、間違いなく惚れていた。

 

ふと、視界の端で項垂れてる男の姿が写った。

 

……あ、ピーターのこと忘れてた。

 

 

「ピーターも、ありがとう」

 

「いや、まぁ……僕は全然役に立ってないし」

 

 

そうやって恥ずかしそうに頬を掻くピーターを見て、気の強そうな女の子はニヤリと笑った。

 

 

「あーあ、本当だよ。ピーターは役立たずだ。能無しのボンクラだ」

 

「ちょっと。そこまで言わなくても良いだろ、グウェン」

 

「事実だもん」

 

 

へっ、と分かりやすく嘲笑のポーズを取る。

 

グウェン……グウェン?

 

 

「グウェン、って言うの?」

 

「ん?あ、自己紹介がまだだったね。私の名前はグウェン・ステイシー。よろしく、ミシェル」

 

 

そう言って、グウェンが手を差し伸べて来た。

 

 

「うん、よろしく」

 

 

手を握り返すと、ブンブンと力強く振り回された。

ホントに元気だ。

 

 

にしても、グウェン。

グウェン・ステイシーか。

 

確か……スパイダーマンの彼女だったか。

 

転生してからコミックに対しての記憶が薄れて来ている。

この身体の記憶力はかなり良い方だけど……何故か、前世の記憶だけ抜け落ちていく。

 

……恐らく、何かが影響しているのだろうが……。

私には分からない。

私は学者でも宗教家でもないし、魔術師でもない。

分からないモノは分からないのだ。

 

かと言って、前世の記憶を日記に書いたりなんて他人に見えるような媒体に保存したりはしない。

万が一、組織にバレたら大変だから。

 

いや、私の日記のせいで世界滅亡とか全然笑えないし……。

 

とにかく、どうやらピーターと仲良さそうだし……やっぱり付き合ってるのかな。

 

 

「グウェンとピーターって仲が良いの?」

 

 

そう質問した。

 

 

「まぁ、うん」

 

 

そう歯切れ悪く返すのはピーター。

 

 

「全然、仲良くないよ」

 

 

そう小馬鹿にしたように返したのはグウェンだ。

 

つまり……仲が良いって事で良いのかな?

 

付き合ってはなさそうだけど。

ピーター、グウェンが近付くと少し身体避けてるし…………ちょっと苦手意識でもあるのかな。

それとも、女の子慣れしてないのか。

 

……多分、後者だな。

どうしてだろう?ピーター、イケメンなのに。

 

そうやって、一人首を捻っているとグウェンが声を掛けてきた。

 

 

「あ、そうだ、ミシェル?」

 

「え、うん?何?」

 

 

うんうん唸りながらグウェンが私を見ている。

 

 

「ミシェル・ジェーンで、MJってどう?ニックネームで」

 

「……それだけはやめて」

 

 

だってそれ、スパイダーマンのヒロインの名前じゃないか。

メリー・ジェーン・ワトソンの愛称でしょ。

 

 

「え〜、良いと思ったんだけどなぁ」

 

「MJだけは嫌だ」

 

 

そうやってピーターと恋愛に発展するようなフラグを立てるのは辞めて欲しい。

 

いや、別にピーターが嫌いな訳ではない。

むしろ、憧れのヒーローだし、優しいし……ま、イケメンだし?

嫌いな訳がない。

 

だが、私の外見は美少女でも、心は男だ。

 

男を好きになる事はない。

これだけはハッキリと断定できる。

うむ。

 

 

「ミシェルで良いよ」

 

「しょうがないね。じゃあ、ミシェル?」

 

「うん」

 

「授業始まるよ、支度しないとね」

 

 

んべ、とピーターに舌を出してグウェンが席を離れた。

あ、もうそろそろ授業の時間か。

 

ピーターと私は慌ててロッカーへ向かった。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

ミッドタウン高校の授業は……何というか、簡単だった。

と言うのも、そもそも私が大学卒のサラリーマンの精神を持っているからと言うのと……何よりも、超人血清によって強化された頭脳があるからだ。

 

私が打った『パワーブローカー』製の似非超人血清。

その主な効能は、肉体の強化、治癒能力、そして記憶力、思考速度の強化もある。

 

やる気になれば教科書なんて1時間もあれば最初から最後まで暗記できる。

 

応用問題なんかは簡単に解けるとは言わないが、高校レベルの数学とかなら一瞬で解ける。

 

実際、教師に当てられても全く問題はなかった。

前日に予習しておいたからだ。

今日の授業の……ではない。

ミッドタウン高校、一年から四年までの全ての学習内容を予習していたのだ。

 

しかし、それだけ記憶力があるのに、前世の記憶だけは覚えていられない。

……誰か、並行世界に詳しい奴は居ないのか?

ドクター・ストレンジとか?

 

ま、いいや。

知っていても関わりを持てる気がしないし。

あっちはヒーロー、こっちは悪役(ヴィラン)

相容れない存在なのだ。

 

 

そうして気付けば放課後になっていた。

廊下に設置されている男子用ロッカーの前でピーターと誰かが喋っている。

 

 

「お前の所のクラス……可愛い……」

「……そ……だよな……あって……」

 

 

上手くは聞き取れないが、私はロッカーを漁っているピーターの背後から近寄る。

そのまま、ピーターが開いているロッカーの扉の後ろに隠れた。

 

 

「気になるなら見に行けば……」

 

 

バタン、とピーターが扉を閉じた瞬間。

扉に隠れていた私と、ピーターの目があった。

 

 

「うわあっ、びっくりした!何してんの、ミシェル?こんな所で……?」

 

「何も。ピーターを見つけたから、イタズラ」

 

 

驚いたピーターの顔が面白くて、へへ、と笑ってしまった。

 

それを見たピーターが少し目をぱちぱちとさせて、手で自分の頬を掻いた。

 

……あ、ピーターと喋っていた人がいるんだった。

 

 

 

「初めまして、私の名前はミシェル」

 

「……え?あっ、どうも。俺はネッドです……あ、ネッド・リーズね。ネッドはうちの学校に3人いるから」

 

 

恐る恐ると言った様子で、少し太めの少年が挨拶を返してくれた。

ネッド、ね。

 

ん……何か聞き覚えあるな。やっぱり、この人もコミックのスパイダーマンに出てくるキャラクターなのかな。

 

 

「よろしく、ネッド」

 

 

私が手を出すと、ネッドが首を傾げた。

 

 

「握手」

 

 

私がそう言うと、まるで壊れ物の高級品の陶磁器を扱うが如く、繊細な力加減で私の手を握って……。

 

 

「うわっ、すべす……やわら……」

 

 

ネッド、心の声が漏れているぞ。

 

……まぁ、仕方あるまい。

私は美少女だからな。

 

 

チラッとピーターを見ると、ネッドと握手した私の手を見てぼーっとしていた。

 

 

「ピーター、どうしたの?」

 

「え?いや、何でもないよ、ミシェル」

 

「……変なピーター」

 

 

私は首を傾げながら、ロッカーから離れた。

 

 

「それで、何の話してたの?」

 

「え……いやぁ……?」

 

 

と、ピーターが言い辛そうに顔を背けた。

 

 

「……やましい話?」

 

 

もしくは、やらしい話?

 

 

「いや、そういう訳じゃないけど」

 

「俺とピーター、ミシェルさんの話をしてたんだよ」

 

 

え?

 

 

「私?」

 

「ちょっ、おい、ネッド」

 

「別に良いだろ、ピーター。ピーターのクラスに女の子が編入して来たって聞いたからさ、俺がちょ〜っと話を聞いてたんだよ。俺、別クラスだからさ。どんな感じ〜ってね」

 

「……あ、そう」

 

 

ネッド、お喋りだな。

まぁ、困るほどじゃないけど。

面白い奴って感じだ。

 

 

「いやぁ、ビックリしたよ。他のクラスでも転校生が可愛い女の子だ〜って噂になっててさ、ピーターも」

 

「ちょっ、おい、やめろネッド」

 

 

ピーターがネッドの脇に肘を押し込んだ。

ネッドは「うっ」って鈍い声を出してる。

 

……今の、まぁまぁ強く押し込んだな。

ゲホ、ゴホ、とネッドが咽せている。

口は災いの元、か。

 

それにしても。

 

 

「可愛い?私が?」

 

 

そう聞くと、ネッドが返事をした。

 

 

「可愛いでしょ。鏡見たら分かるでしょ?」

 

 

……こう、ストレートに可愛いって言われる事、少ないから…………何というか……照れるな。

うん、可愛い自覚はあるんだけどね。

 

 

「ん、ありがとう」

 

「いやいや、事実だし」

 

 

あ、そうだ。

 

 

「……ピーターは?」

 

「え?」

 

「ピーターは私のこと、可愛いって思ってる?」

 

 

ここは気になるポイントだ。

ピーターはイケメンだ。

女の子も沢山、擦り寄ってくるに違いない。

そんなピーターから『可愛い』という認定が貰えれば箔がつくと言うモノ。

 

 

「え……いや……その……」

 

「ピーター、私のこと、可愛くないって思ってるの……?」

 

 

眉を下げて少し悲しそうな顔をする。

 

……どうだ?

可愛いだろう。

鏡の前で自分が可愛く見える角度の練習をしているんだぞ。

 

……何だか唐突に虚しい気持ちになって来た。

 

 

それを見たピーターが慌てて、首を振っている。

 

 

「そ、そんな事ないけど……あ、ミシェル、今日、放課後に予定あるんじゃなかったの!?……それって大丈夫?ほら、こんな所で話してる場合じゃないかも……」

 

 

あぁ〜……そう言えばフラッシュにそんなこと言ったな。

 

 

「あれ、嘘」

 

「嘘……?」

 

「そう」

 

 

そう言うと、ピーターは少し考える素振りをして、納得したように頷いた。

 

 

「……君って、良い性格してるね」

 

「褒められても困る」

 

 

ピーターは自分が揶揄われている事に気付いたようで、じっとりとした目で私を見ている。

 

 

「……へー、ピーターとミシェルさんって仲良いんだ」

 

 

そう言ってネッドが笑っていた。

 

 

「うん、仲良し」

 

「…………」

 

 

私が肯定したのに、ピーターは黙ったままだ。

 

この年頃の男子高校生は、女の子と仲良くするのを恥ずかしがる傾向にあるようだ。

 

そうやってピーターと話していると、後ろから金髪の女性が手を振りながら近寄ってきた。

 

グウェンだ。

 

 

「あ、グウェン」

 

「よっ、ミシェル」

 

「「げっ、グウェン」」

 

 

私とグウェンが挨拶をする傍ら、ネッドとピーターが渋い顔をして、少し離れた。

 

 

「あ、ナード共。陰気臭過ぎて目に入らなかったわ」

 

「何だよ、グウェン」

 

「ナード?ナードってなに?」

 

 

私が首を傾げてるとグウェンが耳打ちをしてきた。

 

 

「暗いオタクって意味」

 

「あぁ……そうなんだ」

 

 

スラングなのかな。

私はピーターとネッド、二人をチラッと見た。

……何というか、何故ピーターがモテないか、ちょっと分かって来た気がした。

 

私の視線に気付いて、ネッドが声を上げた。

 

「な、なに?」

 

「ミシェルにアンタらがオタクだよ〜って教えてただけ」

 

「はぁ?別に良いだろ、オタクでも」

 

 

そう言って心外だ!ってネッドがムッとした顔をする。

 

でも、何というか。

本気で馬鹿にしてる訳じゃないし、本気で怒ってる訳でもない。

 

そんな気がして、

 

 

「仲良し?」

 

 

って感想が出てくる。

 

ネッドとグウェンが言い争ってる中、ピーターがコソコソと私の側に寄ってきて耳打ちした。

 

 

「ネッドとグウェンは幼馴染なんだ。僕と二人が友達になったのは高校からだけどね」

 

 

へぇ。

疑問が解けた。

 

 

「ありがと、ピーター」

 

 

お礼を耳打ちすると、ピーターがビクッと震えた。

 

 

「……あ、あんまり耳元で声を出さないで欲しい、かな」

 

 

…………ピーターも耳打ちしたのに。

何で私だけダメなんだ。

分からん。

 

 

私はこの世の不条理を感じながら、言い争う二人を見ていた。

 

 

……平和だなって、ちょっと幸せな気持ちになっていた。

 

 

けど。

 

 

胸のポケットに入れていた携帯端末が震えている。学内だから、マナーモードにしていたんだった。

 

私はそれを取り出し、三人からは見えないような位置で画面を開く。

 

 

 

 

……はぁ。

 

 

 

 

「ごめん、三人とも。私、今から予定あるから、先に帰る」

 

「フラッシュに言ってたやつ?」

 

「え?さっき予定ないって言ってなかった?」

 

「……急に出来た」

 

 

そう返答すると、三人とも首を傾げながらも、納得したように頷いた。

 

 

「ふーん、じゃ、ミシェル。また明日ね」

 

「うん、明日。また学校で」

 

 

グウェンと、ネッド、ピーターに手を振り、私はその場を後にした。

 

 

携帯端末に届いたメールには……暗号化された文字列が並んでいた。




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#6 ウォッチメーカー

ニューヨークの地下には、一般人の知らない隠された地下通路がある。

それは張り巡らされた蜘蛛の糸のように、広大で複雑な迷宮のような地下通路。

 

私の所属している『組織(アンシリーコート)』や、他の組織が使用している闇組織御用達の通路だ。

 

誰が作ったのか?いつ作られたのか?

それは分からないし、知らない。

そして、知ろうとしてはならない。

 

暗がりの中を私は歩いている。

 

 

外は今……まだ、夕方ぐらいだろう。

 

だが、日光が一切差し込まず、数十メートル毎に薄く光る電灯のみが光源になっている。

そんな暗く、そして幾たびも別れ道が存在する通路を記憶を頼りに歩いていく。

 

 

私は今、『レッドキャップ』としてここに来ている。

マスクも、スーツも、プロテクターも装備している。

 

ただ、ヘルズキッチンで爆破された時の衝撃によって、プロテクターは半壊、スーツも焼け焦げている。

マスクも機能自体は無事だが、表面がひび割れてしまっている。

 

……ドブの臭いがしていたが、必死になって手洗いした結果、マシになっている。

まだほんの少し、臭いが。

 

そんな、側から見れば満身創痍のような姿だが。

私はそのボロボロのスーツを着て、目的地へと足を進めていた。

 

道を曲がり、進み、曲がり、登り、進み、下り、曲がり、曲がる。

 

そして。

 

 

『ここか』

 

 

私は金属で出来た梯子を登り、マンホールを開け、路地裏に到着した。

 

看板のないドアを見つけ、その横のインターホンを鳴らす。

 

少しして、インターホンのライトが緑から赤色になる。

 

……返事はないが、応答はしている状態だ。

 

 

『音痴なラジオを持ってきた』

 

 

暗号を口にして、少し待つ。

 

するとドアの鍵が外れる音がした。

 

 

一見、古臭そうで、テクノロジーとは無縁のような金属製のドアだが……実際は、オートマティック式の鍵が付けられたドアだ。

 

私はドアノブを回し、中に入る。

 

そこは狭い、狭い部屋だ。

 

壁にかけられた、妖精が描かれた絵画を除けると、裏にエレベーターのボタンがある。

 

下矢印のボタンを押せば、部屋全体が下に下がっていく感覚があった。

 

 

登って来て、また降りるのか。

 

 

なんて考えながら、私は壁にもたれかかった。

 

1、2分ほど降り、到着する。

 

再度ドアを開ければ、そこにあったのは、ハイテクな機械が大量に置かれた部屋だった。

 

机に無造作に置かれたレンチ、レーザーカッター。

謎の設計図が空中にホログラムで投射されている。

 

まるで、近未来の工房のような姿だ。

 

そして見渡せば、一人、私に目を向けている何者かがいる。

 

 

黒く、全ての光を吸い込んでしまいそうな金属の鎧を着込み、体の節々から強いエネルギーを感じる紫色の光が発光している。

 

西洋の騎士のように縦に切り込まれた兜の面からも、紫色の光を放っている。

 

そう、彼が。

 

 

『ティンカラー』

 

『初めまして……いや、会うのは初めてだが、喋った事はあるかな。多分、数年前に……スーツのメンテナンスで』

 

 

ティンカラー。

 

彼はこんな見た目をしているが、戦闘員ではない。

それどころか、どの組織にも所属していない。

フリーランスの技術屋だ。

 

 

『随分とお喋りだな』

 

『悪いかい?人となりを知る事、知ろうとする事は社会人の第一歩だ。君がクライアントで、僕は提供者さ。なら、君を知る事は君にあった技術を提供する事に必要な事だ……そう思わないかい?』

 

 

本当によく喋る。

 

彼もまたフルフェイスのヘルメットを被っているが、私と同様に機械音声へのボイスチェンジャーを搭載している。

 

老若男女、そのどれかも分からない。

 

ただ、身長は私よりも高く……おそらく、170cmぐらいだと思われる。

 

……いや、私は言うほど小さくない。

160cmぐらいある。

 

正確には160cmギリギリだが。

……私はチビではない。

スーツの底にある厚底は、決して私が身長を気にして使っているものでは無い。

小柄な私が敵に威圧感を与えるための……。

 

いや、まぁ、この話はどうでも良い。

 

とにかく、この目の前の技術屋、ティンカラーは私と同様に徹底的な秘密主義者なのだ。

 

 

『君に以前、提供したその多機能マスク。今も使ってくれてるようで感心したよ。だがまぁ、随分とボロボロになってしまっているね』

 

『なら、分かっているだろう?組織からの依頼は先に送っていた筈だ』

 

『あぁ、そうだとも。君達は僕のお得意様だ。数週間前にメールが来てたさ、準備はOK。万事、抜かりなくね』

 

 

組織からの指令、それは私のこのボロボロになったスーツの補修依頼だ。

 

以前から修理予定となっており、組織からも待つように言われていた。

 

まさか、今日連絡が来て、今日行かなくちゃならないなんて思ってもみなかったけど。

 

 

『それで、直るのか?』

 

『結論から言うと、「直せる」よ。勿論ね』

 

 

私は安心したような、少し苦しいような感情で胸を満たされた。

 

このスーツが壊れている間、私は任務を受けていなかった。

いや、受けられなかったが正しいのだが、束の間の休暇と休息を味わっていたのだ。

 

まるで、夏休み前日まで夏休みの終わりを知らなくて……急に両親から伝えられた子供のような気分だ。

 

 

『でもね、僕は「直したくない」』

 

『……なんだと?』

 

 

そんな私の心境を知ってか知らずか、思わせぶりな発言を続けるティンカラー。

 

ムカついて来て、思いっきり殴りたくなって来たな。ウザい。

 

 

『……おっと、勘違いしないでくれたまえ。僕はそのスーツを「直す」事に魅力を感じていない。だって作ったの、五年前ぐらいじゃないかな?詳しくは覚えてないけど、とにもかくにも「古い」んだ』

 

 

ティンカラーが私のスーツを指差す。

 

 

『技術はね、日々進歩している。素晴らしく、賢く、強く、易しく、そして一新される。君のスーツはもう「古い」。まるでヴィンテージショップで見かけたジーパンみたいに古いね』

 

『では、ど

 

『そこで僕は考えた』

 

 

私の言葉は興奮したティンカラーに遮られた。

こいつ、人の話を聞かないタイプだな。

 

 

『今の君にあった最新のスーツを作る……そう、これがベストってコト』

 

 

ティンカラーは自身の腕に指を這わせると、ホログラムのキーボードが出現した。

それを逆の手で操作し、幾つか入力すると部屋の奥でドアが開く音がした。

 

 

『付いてきてくれたまえ』

 

 

ティンカラーに続いて、私も歩き出す。

 

そして、その先で……壁にかけられたスーツを見つける。

 

 

『どうだい?』

 

 

それは、まるで騎士の甲冑のような硬質的なスーツ。

いや、鎧と言って良い。

現在の防刃スーツの上に、プロテクターを幾つか付けるようなスーツではない。

黒い装甲で全身を覆い、頭は今までのように赤い……だが、現在のようなただの金属のマスクではない。

真っ赤なガラスのような透過した素材が表面に貼り付けられており、その下に薄く透過されて幾つかの電子機器が見える。

 

全身が金属の塊になったようなスーツだ。

……まるで。

 

 

『アイアンマンみたいだな』

 

 

慌てて、私は口を閉じた。

 

技術屋の前で他の技術屋の名前を出すのはご法度だ。

プライドの高い人間ほど怒ってしまう。

 

私はチラリ、とティンカラーを見ると。

 

 

『お?気付いたかい?確かにこれはアイアンマン、トニー・スタークのスーツからインスピレーションを得たモノさ』

 

 

どうやら怒っていないようだ。

ほっと胸を撫で下ろし、ティンカラーの話を聞く。

 

 

『今までの身を守るためだけのスーツとは違う。このアーマーの素材になっている合金にはヴィブラニウムを混ぜてある。ヴィブラニウムには衝撃を吸収し、反射する性質があるんだよ』

 

 

ティンカラーが手元のコンソールを弄ると、部屋の壁面が開かれ、ガラス越しに真っ白な部屋が現れた。

 

中央には金属の板が存在してる。

 

 

また、彼がコンソールを弄ると強烈な炸裂音がガラス越しにも響き、何かが発砲された事に気がついた。

 

だが、部屋の中央に置かれた金属板は無傷だ。

 

 

『徹甲弾さ。戦車すら貫く強力なエネルギーが魅力的。だけど、そんな近代兵器最高クラスの破壊力でもヴィブラニウムの金属板にダメージを与える事すらできない。それに、見てくれ』

 

 

ティンカラーが指を指した先には、ヴィブラニウムの金属板……そして、下には。

 

 

『ただの木だよ。固定具はね。何の変哲もない木材さ。不思議だろう?あんな固定具が徹甲弾の衝撃を受けても折れていない。全ての衝撃はヴィブラニウムが吸収しているのさ、凄いだろ?』

 

 

確かに、凄い。

 

率直に感動してしまった。

 

そして、ただの板状に加工されたヴィブラニウムですら徹甲弾を防げるのなら。

曲面のように加工され、衝撃を逃すように作られたこのアーマーは。

 

 

『例えハルクのスマッシュを食らっても壊れないよ。ミサイルの爆風を食らっても壊れない。数十メートルの高さから落下しても無傷だ。詳しくはマニュアルをどうぞ』

 

 

机に置いてあった書類を、私に投げつける。

 

私はそれを手に取り、開く……。

 

 

何で図解とかあるんだ。

しかもカラーだし。

凝り性なんだな、コイツ。

 

 

『マスクも凄いぞ。脳波を読み取る特殊な装置が内蔵されている。頭の中で考えるだけでアーマーを動作させる事が出来る』

 

 

また、ティンカラーがコンソールを操作する。

 

 

『今は僕の手動だけどね。足の上部が……ほぉら自動で開いた。突き出してるのはナイフの柄さ。特殊合金性。すっごく硬いよ。投擲物として使い捨てる事も想定してるから、ヴィブラニウム合金じゃなくて炭素系の特殊合金なんだけどね』

 

 

そう言って言葉を一つ区切った。

 

 

『ヴィブラニウムって凄い貴重な金属なんだ。ユリシーズ・クロウって言う闇の商人から購入した……もう、ほんの少ししかない超貴重な金属だ。キャプテンアメリカの盾にも使われてるんだ。凄いだろ?是非とも僕に感謝してくれたまえ』

 

 

『あぁ、凄いな』

 

 

ティンカラーがあまりにもお喋りで疲れてきて、返事が適当になってきている。

 

あぁ、そう考えるとネッドのお喋りは可愛いもんだな。

 

ティンカラーは過剰だ。

不快なレベルでお喋りなのだ、コイツは。

 

 

『そんな素晴らしいスーツがもう、君の手に。もう直ぐね』

 

『もう直ぐ?未完成品なのか?』

 

 

そう私が尋ねると、待ってましたと言わんばかりにティンカラーは声を弾ませた。

 

 

『後は君の体格に合わせるだけ。その為に今日来てもらったのさ』

 

 

ティンカラーが上機嫌で話しかけてくる。

 

 

……ん?体格に合わせる?

フィッティングさせるって事か?

……という事は。

 

 

『今のスーツ、脱いでくれるかな?』

 

 

ですよね。

 

 

 

私はひび割れたマスクに手を触れて……。

 

 

『どうしたの?』

 

 

目の前にいる、私と同様にマスクを被った男……いや、男か女か分からないけど、とにかくマスクを被った男が訝しげに首を傾げた。

 

 

『……ティンカラー、マスクの下について何故、知りたがる?体格のデータなど、私自身が調べれば良いだろう。私の容姿を知る事によって何も利点は無いはずだ』

 

『ふむ、それもそうだね』

 

 

ティンカラーは納得したように頷いた。

だが。

 

 

『でもね、僕は知りたいんだ。端的に言えば知的好奇心さ。僕は君の素顔が知りたい。それはどんなに金を積んでも知られないし、この機会を逃せば二度と知ることは出来ないだろ?』

 

 

マスクによって中性的な機械音声に変換された声が、私の感情を逆撫でした。

 

 

『顔を見せてくれないなら、君のスーツは作ってやらない。組織にも協力しない。でも、困るだろうねぇ……君の上司も怒っちゃうかも知れないよ』

 

『チッ』

 

 

私は舌打ちをして、マスクに手をかけた。

 

 

『先に言っておくぞ、ティンカラー』

 

『なんだい?』

 

『私の素顔……そして、正体に対しては他言無用だ。もし話せば……必ず、殺す』

 

『いいよ、誰にも話すつもりはないからね』

 

 

へらへらと笑い声を交えながら、ティンカラーは了承した。

 

……本当に分かっているのか、心配だ。

まぁ、でも、本当にもしもの時は組織が始末する。

その時は仕事として、私が彼を殺す事になるのだろうが。

 

 

私はマスクの後ろ……首の裏にある着脱スイッチを押す。

空気の抜けるような音と共に、マスクの後頭部が展開し、そのままマスクを脱ぐ。

 

 

「……満足か、ティンカラー」

 

 

機械音声ではない、私自身の声が部屋に響いた。

マスクの下に収納されてたセミロングの頭髪がばさり、と肩にかかった。

 

私は苛立ちから、自身の眉間に皺が寄っている事を自覚した。

 

そんな私を見たティンカラーは無言で、そのまま動かず立ち尽くしていた。

 

 

……いや、動かなさすぎだろ。

反応が全くない。

 

 

「……おい、ティンカラー?」

 

『…………』

 

 

……ティンカラーって実はロボットで、処理エラーで動かなくなったりでもするのか?

なんて思ってしまう程に無反応だった。

 

マスクの下を見せろと強要して来た割に、何の反応も示さない姿に苛立ちが抑えられなくなってくる。

 

 

「おい、返事をしろ。ティンカラー」

 

『……え?あぁ、すまない。驚いたよ』

 

 

少し、元気のない様子でティンカラーが返事をした。

 

……何だ?

 

 

「不満があるのか、ティンカラー」

 

『いや、そう言う訳じゃない。君が女性だって事、知ってたんだよ、僕は』

 

「そうなのか?なら、どうしてそんな……落ち込むような事がある?」

 

『心外だな、落ち込んでなんていないさ。ただちょっと、昔の知り合いに似てたから驚いただけさ』

 

「昔の?」

 

 

秘密主義者である私とティンカラー、その間では自身の話なんて殆ど全くしない物だと思っていたが……予想に反して、ティンカラーは自身の過去を話し出した。

 

 

『そう。僕がまだ幼い頃にね……もう亡くなっているんだけど。大切な…………って、こんな話をしたい訳じゃないんだ』

 

 

そうやって話を中断させるが、何となく、ティンカラーがちゃんと生身の人間だと言う事を認識出来た気がした。

 

フルフェイスのマスクを付けて、肌を少しも出していないから人間っぽく見えないんだよな。

目とか紫色に光ってるし。

実はロボットだったと言われれば信じてしまうだろう。

 

 

『うん、君の容姿については納得した。ありがとう、僕の知的好奇心は満たされた……けど、体の測定は……僕がやるのはダメそうだね』

 

「何故だ?」

 

『え?いや?だって僕、男だし』

 

 

あぁ、やはり男だったのか。

 

 

「私は別に構わないが」

 

『嫁入り前の女の子の身体をベタベタ触れる訳ないだろ?バカなのかい、君は』

 

 

というか、そう言われると尚更なんでマスクを脱ぐ必要があったのか謎だ。

そもそも、最初っから女性だと知っていると言ってたし、どうするつもりだったんだコイツ。

 

目の前の変人の奇行に、私は頭を痛めた。

何か目的があるのか?それともイカれてるのか?

 

 

『あそこに更衣室あるから。そこで……えーっと、この電子メジャーを身体に通して。あ、勿論全裸で……データの方はなるべく僕は見ないようにするから』

 

 

異常な程に私に配慮し出したティンカラーに首を傾げながら、彼が手に持っている機具を受け取った。

 

機械で出来た輪っかのような物だ。

これを身体に潜らせると、輪の中の物体を3Dスキャンするらしい。

 

手に受け取ったリングを片手に、私はパーティションで仕切られた更衣室に入って行った。



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#7 フレンドリー・ネイバーフッド part1

データをティンカラーへ提供し終わった私は、クイーンズ内の自宅とは別にある拠点へ帰って来た。

 

ただ、着ているスーツは前のボロいスーツだ。

 

測定データを渡した所で、そんな数時間でスーツのフィッティングは出来ないらしい。

そりゃそうか。

 

結局、新しいスーツは一週間後に渡される事となった。

 

……正直、ティンカラーとはそんなに会いたいと思っていないが。

鬱陶しいし。

どうにか手渡しにならず、受け取る方法はないか。

置き配で頼む。

 

下らない事を考えながら、スーツを脱ぎアタッシュケースに詰める。

 

……プロテクターが傷によって変形していて、上手く入らない。

 

私は舌打ちをしながら無理矢理詰め込み、部屋の隅に押し込んだ。

 

 

ここはクイーンズの自宅から5キロメートルほど離れた場所にある、スーツの保管や、任務の指示書が送付される別拠点だ。

 

前回、ヘルズキッチンで拠点を爆破された事を反省し、任務に使用する拠点と、生活用の拠点に切り分けられたのだ。

 

ここの拠点の地下から直接、ニューヨーク内の広大な地下通路に繋がっており、様々な路地裏、空き地、施設……珍しい所だと商業施設のトイレとかに繋がっている。

 

私は血清によって強化された超人的な記憶力によって、様々な入り口からこの拠点に来る事が出来る。

 

ちなみに、この拠点はビジネスビルの地下にある。

地上に繋がる階段はないし、地下通路以外からこの拠点へ来る事はできない。

拠点と地下通路を繋ぐ扉には生体認証が設定されており、私以外誰も入る事は出来ない。

 

……組織としても、前回の拠点爆破襲撃事件は重く受け止めているようで、このような至れり尽くせりと言った高セキュリティルームが私に貸し与えられる事となったのだ。

 

あぁ、拠点の上にあるビジネスビルは雇い主、ウィルソン・フィスクの管理するビルだ。

フィスクがそのビジネスビルに来る事はないが、ビルを貸し与えられている企業はフィスクの手下だ。

 

言うなら、私と同僚という訳だ。

別に暗殺者とかエージェントって訳ではないが。

 

拠点を後にし、自宅付近の偽装されたマンホールから地上に出る。

 

空を見てみれば、暗くなっていた。

街灯が灯りで照らしている。

 

晩御飯も食べていないので、たまたま近くにあった中華屋でテイクアウトする。

 

汁なしのヌードルを注文して、白い厚紙でできた箱に入れてもらう。

前世の海外ドラマとかでよく見た、あの白い箱だ。

 

後はデザート用にプラスチックの容器に入った杏仁豆腐を……二つ、買った。

一つでは満足できない気がしていたからだ。

 

……いや、私の体は超人だ。

新陳代謝も凄い。

カロリー消費も物凄い。

 

沢山食べても太らない。

だから食べたい物は、食べたい量食べる。

 

ビニール袋に白い厚紙で出来た箱と、杏仁豆腐の入ったカップを二つ持ち歩く。

 

その頃には空もすっかり暗くなっていた。

……クイーンズは決して治安が良いとは言えない。

いや、ヘルズキッチンよりは遥かにマシだが。

私は早足で自宅へと歩き始めた。

 

そして。

 

 

 

「なぁ、嬢ちゃん。こんな暗い所で一人歩いてたら危ないぜ?」

 

 

テンプレみたいなイベントに遭遇してしまった。

ジャージを着ているチンピラの様な男が三人。

……いや、違う。

チンピラではない、マフィアだ。

『ジャージマフィア』だ。

 

『ジャージマフィア』はニューヨーク全域にいる半グレ集団で……全員ジャージを着ている。

ジャージを着てるから、ジャージマフィア。

ふざけた集団だが、その危険性はただのヤンキー集団とは大違いだ。

 

集団で、計画的に、暴力的に行動する。

 

彼等はあまり統率された集団とは言い辛く、各々が独自の判断で動いている。

 

ウィルソン・フィスクも彼等を傘下に入れるつもりはないのか、完全に放置している状態だ。

 

 

私は手にもった今日の晩飯の心配をしつつ、後ずさる。

彼等は私が怯えているように見えるのだろうが、実際は揉め事で晩御飯を失う事に怯えているに過ぎない。

 

彼等は特殊能力を持っていない。

それどころか暗殺術とは無縁の、ゴロツキだ。

 

私が殺す気になれば……三人、合わせて30秒で殺せるだろう。

 

私は両手に持っていた荷物を左手に集め、右手を……。

 

待て。

 

人の気配が急速に迫っている事に気付いた。

 

誰だ?

 

空を切るような音がする。

 

 

「何だ嬢ちゃん、俺たちゃ悪い事はしねぇよ。むしろちょっと気持ち良くなっちま……」

 

 

ガツン、と衝撃が走り、ジャージ男が吹き飛ばされた。

 

 

「なっ」

 

 

直後、白い何かが目の前をよぎる。

それはもう一人の男の顔面に命中し、壁に拘束した。

 

 

「ふが、ふがが」

 

 

息はできる様だが、喋ることは難しい様だ。

 

 

そしてそれは、『蜘蛛の糸』だ。

 

 

「あ」

 

 

私は思わず、声を漏らした。

 

赤と青のスーツが視界に移る。

黒い蜘蛛のマークが胸に見える。

 

 

「てめぇっ」

 

 

残された一人が腰から拳銃を取り出す。

……やはり、彼等はただのチンピラではない。

武装しているマフィアなのだ。

 

だが。

 

私はほんの少しも心配などしていない。

 

だって。

 

 

「……スパイダーマン」

 

 

私の目の前に、憧れていたヒーローがいるから。

 

 

「死ねっ!!」

 

 

火薬が弾ける音がして、拳銃から弾丸が放たれた。

 

スパイダーマンはそれを避けて、蜘蛛の(ウェブ)を射出する。

(ウェブ)はどうやら、スパイダーマンの手首にある機械から放たれているらしい。

 

ウェブシューターだ。

 

新聞からは読み取れない、生で見るからこそ分かる細かい情報に、私は感動していた。

 

(ウェブ)で手首を拘束し、そのままスパイダーマンが引き寄せる。

 

男が引き摺られ、スパイダーマンの拳が顔面に命中した。

 

 

「ぐぶぁっ」

 

 

鼻血を出しながら、よろける。

 

持っていた拳銃を取りこぼし、そのまま壁にもたれかかる。

 

パシュン、とスパイダーマンが(ウェブ)を射出し、男を壁に拘束した。

 

 

三人のジャージマフィアが、ほんの少しの時間で拘束された。

 

それも、致命傷もなく。

 

……私も、殺すだけなら30秒で終わる。

だが、こうやって殆ど傷もなく、骨すらも折らず、素早く無力化する事が出来るだろうか?

 

いや、出来ないだろう。

 

スパイダーマンは手加減が上手い。

本気を出せばコンクリートの壁に穴を開ける事も容易いパンチが出せるが、先ほどのパンチは男の意識を奪う程度に抑えられていた。

まるで、蟻を指で摘むかのような力加減だ。

 

……これも、実際に出会わなければ知らなかった情報だ。

 

 

 

 

「やぁやぁ、お嬢さん。大丈夫だったかい?こんな夜道を一人で歩いちゃ……危な……あっ」

 

 

スパイダーマンが手を振りながら私に近付き、途中で固まった。

 

……あぁ、暗闇だったから私の姿がちゃんと見えてなかったのか、ピーター。

 

ようやく、助けたのが知り合いの女の子と気付いたようだ。

 

 

「ん、ゴホン。こんな夜道を一人で歩いてたら危ないぞ?」

 

 

努めて、声に威厳を醸し出すように低く喋り出した。

 

思わず笑いそうになるが、堪える。

 

と言うか、さっきまで完全に普段の声で喋っていたじゃないか。

 

手遅れだよ。

誤魔化せると思っているのか。

 

……まぁ、別に困らせたい訳じゃないし、誤魔化されたフリをしよう。

 

 

「わかった、気をつける」

 

「そうしてくれたまえ。ぼ、オレが警察に連絡しておいたから……後で警察が来てコイツらを逮捕するだろう。君はもう帰っていい」

 

 

何だかもう声のトーンも口調もメチャクチャなスパイダーマンを見て、笑いを抑えられなくなりそうだ。

 

いや、本当に演技というか本心を隠すのが下手くそだ。

マスク越しなのに慌てているのが手に取るように分かってしまう。

 

……まぁ、そう言う所も好きなのだが。

誠実で愚直な感じが良い。

 

 

とにかく。

 

 

「ありがとう、スパイダーマン」

 

 

礼をする。

 

例え、助けて貰わなくても問題なかったとしても。

そうやって誰かを助けようとする心が嬉しい。

 

……初めて、誰かに助けて貰ったかも知れないな。

この世界に生まれてから、誰かを殺し、一人で何もかもやって来たから。

 

思わず、ちょっと感動してしまった。

 

 

「……これ」

 

 

私はビニール袋から、杏仁豆腐を一つ取り出した。

 

それを見てスパイダーマンは首を傾げる。

 

 

「……お礼、助けてくれたから」

 

 

スパイダーマンは納得した様な素振りを見せつつ、手を伸ばしてくる。

 

 

「本当にありがとう、スパイダーマン」

 

 

そしてまた、私は礼を言った。

 

そうだ。

 

私はこの世界に、ヒーローのいる世界に生まれて……でも今まで地獄のような場所で生きてきて…………何度も、何度も、何度も、何度も、辛くて死のうと思う時があった。

 

それでも生きて来れたのは。

 

 

「あぁ、どういたしまして」

 

 

スパイダーマンがカップを受け取った。

 

 

……今まで、生きて来れたのは。

 

スパイダーマンが、憧れが、希望が、この世界に居るって知っていたからだ。

 

 

「あ、家まで送って行こうか?」

 

 

と、エスコートを提案される

 

 

「いい。家まで近いから」

 

 

それはスパイダーマン……ピーターも知っている。

それでも聞いたのは、スパイダーマンが知る筈のない情報だから疑われないために…………いや、違うな。

きっと、本心から心配しての提案なんだろう。

 

徒歩、10分もかからないほどの距離なのに。

 

 

「そ、そうか。気を付けて帰るんだぞ」

 

「うん、ありがとう」

 

 

手を振って離れて……後ろを振り返れば、手に持ったカップを見つめるスパイダーマンの姿があった。

 

……スマホのカメラで撮りたいけれど。

勝手に撮ったら悪いし。

 

うん。

 

また今度、ピーターではなくスパイダーマンとして会う機会があったら、ツーショットでもお願いしようかな。



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#8 フレンドリー・ネイバーフッド part2

「ふう」

 

 

僕は疲れから、息を吐き出して椅子に座った。

目の前にあるのは空のカップ。

 

お礼として貰ったものだ。

 

記憶を遡る。

 

僕は今日、スパイダーマンとして、いつも通り夜のパトロールをしていた。

 

で、女の子が暴漢に襲われそうになっているのを見つけて……そう、いつも通り人助けをした。

 

ただ、いつも通りじゃない所が一つ。

 

助けた女の子が僕のクラスメイトで、隣室の女の子……ミシェル・ジェーンだったって事だ。

 

ミシェルは……何というか、凄い美人で可愛くて……ちょっと表情の変化に乏しくてクールっぽく見えて……でもちょっと茶目っ気のある女の子だ。

 

頭も良いみたいで……そう、僕は気が気がじゃなかった。

正体に勘付かれるかもって、ドキドキしながら会話していた。

 

そして、別れ際に礼として、多分彼女の今日のデザートであるカップに入った杏仁豆腐を貰った。

 

 

『ありがとう』

『……お礼、助けてくれたから』

 

 

うっ。

 

僕は手で口を覆った。

 

 

美人は絵になるって言うけど、美人が可愛い仕草をすれば……絵なんかよりも、よっぽど様になるんだなって思った。

 

とにかく、ちょっと驚いたって話。

 

 

僕は空になった杏仁豆腐が入っていたカップを机に置いて……。

 

 

チャイムが鳴った。

 

 

誰だろう?

こんな時間に……。

 

ちらり、と壁にかけられた時計を見れば、時針は夜の9時を指していた。

 

訝しみながら、ドアを開けると、そこには。

 

 

「ミシェル?」

 

「……遅くにごめん、ピーター」

 

 

え、何で?

 

今日のこと?

 

もしかして、僕がスパイダーマンだってバレた?

 

いや、そもそも……。

 

 

「と、とにかく中に入りなよ、立ち話もなんだし」

 

「ありがと」

 

 

そうやって、ミシェルが部屋の中へ……あっ。

 

僕の視線の先、机の上には空のカップ……そう、ミシェルがスパイダーマンに渡した筈のカップがあった。

 

……幸い、まだ気付いていないようだけど。

 

僕は素早く、だけど違和感がない様に彼女の前へ回り込む。

 

 

「そ、それで?どんな要件?」

 

「今日の話なんだけど……」

 

「きょ、今日?」

 

 

必死に背後へ、空のカップへと手を伸ばすが届かない。

 

ミシェルごしに壁の窓ガラスから、反射した景色を見る。

全然、届いてない!

 

 

「そう、今日。今日、怖い出来事があって……」

 

 

そう言ってミシェルが今日の、というか先程のジャージ男達に襲われそうになった話、スパイダーマンに助けて貰った話をしている。

 

話に相槌をうちながら、僕は必死に何とかカップを退けようとしている。

 

 

「それで……」

 

 

ミシェルの目が伏せて、視界が下に向いた瞬間。

 

僕は腕に装着していたウェブシューターを、最低パワーで出力しカップを巻き取る。

そのまま、机の横にあるゴミ箱へと投げ入れた。

 

かこん、と音がした。

 

 

「……え?今何か、音が」

 

 

ミシェルに聞こえてしまったようで、不審がる。

 

 

「た、多分、風で何かが落ちた音じゃない?」

 

「でも、ここ屋内……」

 

「はははは、このアパート、ボロボロだからなぁ。隙間風だと思うよ?」

 

 

不安を悟られぬように笑う。

 

そんな挙動不審な僕を見て、ミシェルは首を傾げた。

 

 

「はは、で、何の話だっけ」

 

 

さっきまで慌てていて、話は聞いていたけど詳しく理解しようとはしていなかった。

 

だから、話の流れが分からなくて、こんな質問をしてしまった。

 

ミシェルの眉が少し、顰めた様な気がした。

 

 

「……ピーター、話、聞いてなかった?」

 

「いや、いやいや、聞いていたよ。スパイダーマンに助けて貰ったんだって?運が良かったね」

 

「……まぁ、良いけど」

 

 

ちょっと不機嫌そうな顔をしているけど、やっぱり彼女は表情の変化に乏しい。

気をつけて見なければ、怒ってるって事も気づかないだろう。

 

 

「……ピーターにお願いがあって」

 

「う、うん?僕に出来る事なら何でも言ってよ」

 

ミシェルは少し悩む様な仕草を見せて、口を開いた。

 

 

「ピーター、付き合ってほしい」

 

 

え?

付き合う?

 

ミシェルが誰と?

僕と?

 

 

「え?」

 

「……夜中、食事に出かけられないのは困る。私、晩御飯食べたいし……ここ、キッチンないし、買いに行かないとダメだから……でも、一人で出かけたら危ないって怒られたから」

 

 

あ。

 

 

「だから、夜中、出かける時に付き合ってほしい」

 

「あ、うん」

 

 

うん、何だか、そんな気はしていたよ。

そりゃ、そうだよ。

僕達出会ってまだ一週間ぐらいだよ。

お互いのこと、全然知らないし。

 

いや、でも、嬉しい……かも知れないけど。

 

しかし、こんな不埒なことを考えてるなんて知られたら、幻滅されてしまうかも知れないな。

 

 

「いいの?ありがとう」

 

 

というか今、肯定しちゃったじゃないか。

 

いや、でも、嫌じゃないけど。

 

でも。

 

 

「僕で良いの?あんまり頼りないと思うけど」

 

 

そうやって自虐すると、ミシェルはキョトンとした顔になった。

……まるで、何を言ってるのか分からない、みたいな顔だ。

 

 

「ピーター、今日、学校でフラッシュに絡まれてる時、助けてくれた」

 

「……あ、いやぁ……実際は助けられなかったけど」

 

 

眉を下げて、口角がほんの少し上がって。

ミシェルが微かに笑った。

 

 

「でも、私にとってピーターはヒーロー。助けてくれたから。頼りにならないなんて、絶対ない」

 

 

彼女は……僕を、スパイダーマンじゃないピーター・パーカーとしての僕を、頼ってくれている。

 

……そんな事、今までなかった。

 

 

「それとも、ピーターは私とあんまり一緒に居たくない?」

 

「そ、そんな事ないけど」

 

「けど?」

 

「……そんな事ないよ」

 

「良かった」

 

 

ミシェルが立ち上がって、ドアに手をかけた。

 

 

「じゃあ、また明日。学校で」

 

「あ、うん。また、明日……」

 

 

バタン、とドアが閉じると共に。

 

僕はベッドに倒れ込んだ。

 

もう、何が何やら……頭が回らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よし」

 

 

私は自室でガッツポーズしていた。

これでいつでもピーターと用事を作り放題だ。

 

私は前世の頃からスパイダーマンが好きだ。

 

何度も失敗して、壁にぶつかり打ちのめされて。

それでも立ち上がって戦って、勝つ。

 

そんな彼が大好きなのだ。

 

だから、私にとってスパイダーマンは憧れで……そう、コミックのキャラクターじゃなくて現実にいるのだとしたら、アイドルのようなもので。

 

知りたい、喋りたい、関わりたい、という欲が際限なく溢れていく。

 

ピーターとの関わりが深まれば……いつか、私が自分のために人を殺す様な『悪役(クズ)』だとバレてしまうかも知れない。

 

それでも。

 

例え、私がこの世界で『悪役(ヴィラン)』だとしても。

 

この気持ちを抑える事は出来なかった。

 

 

「自分勝手で、考えなし」

 

 

私はそう自己評価して、布団に身体を埋めた。

 

先程のピーターの慌てようを思い出す。

 

私があげたカップ、机に置きっぱなしだったな。

慌てて(ウェブ)まで使って隠してて……。

 

 

「ふふ」

 

 

彼は自己評価が低いけど、絶対そんな事ない。

だって、スーパーパワーが無くたって、その優しさと責任感は変わらないから。

 

 

……私は。

 

 

「違う、けど」

 

 

壁に置かれた本棚がチラリと目に映った。

 

部屋に生活感を出すために置いてある本棚だ。

別に、私の趣味ではない本も沢山ある。

 

そして、一つ、目に映った。

 

 

『イカロス』

 

 

ギリシャ神話の本だ。

 

この本自体は読んだ事なんて無い。

だけど、イカロスの逸話は知っている。

 

太陽に近づき過ぎた愚かな男が、蜜蝋の翼を溶かされて地に堕ちる話だ。

 

 

「……縁起でもない」

 

 

私がヒーローに近付き過ぎて、いつか落ちて死んでしまうのだとしたら。

 

 

まぁ、それはもう、本望かも知れないな。

どうせ死ぬなら……『悪役(ヴィラン)』らしく、ヒーローに倒されて死にたいから。

 

 

 

突如、組織から預けられた端末が鳴った。

 

私は手に取り……確認する。

 

やはり、そこに移るのは暗号化された文章だ。

 

 

襲撃、犯。

発覚。

 

 

私は目を細めて、文章を読んでいく。

 

 

ヘルズキッチン、襲撃、者は。

フランク・キャッスル。

 

 

そして私は、目を見開いた。

 

 

「フランク……」

 

 

コイツは……。

 

私は携帯端末をネットワークに繋ぎ、名前を調べる。

 

 

「やっぱり」

 

 

そこに出てくるのは昔の事件。

 

傷害、殺害。

 

複数の犯罪歴。

しかし、相手は一般人ではない。

 

マフィアやギャング、犯罪者達を殺してまわる殺人犯。

殺害方法は銃殺、撲殺、爆殺。

死体の損傷が激し過ぎて、身元の判明が遅れるほど。

 

数年前に逮捕されて、死刑を言い渡されていたが……。

脱獄している。

 

つまり、今は私たちと同じ檻の外にいると言う事。

 

 

そして、一つ、写真があった。

 

夜の様に黒いジャケットに、目が痛いほど白い髑髏のマーク。

 

私は、知っている。

 

 

「……パニッシャー」

 

 

その、ダークヒーローの名前を。



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#9 クライム・ファイターズ

僕は今、何も見えない暗闇の中で白杖だけを頼りに歩いている。

 

でも、実際はそうじゃない。

 

まず、外は明るい筈だ。

夕方ぐらいだろうか、まだ太陽が赤く光っているだろう。

何も見えないのは夜だからじゃない、僕の目が見えないからだ。

 

そして、白杖だけが頼りな訳でもない。

僕には優れた嗅覚、聴覚、触覚があって……まるで蝙蝠の様に音の反射から物の位置がはっきりと分かる。

 

 

 

……僕の名前はマット。

マシュー・マット・マードックだ。

 

ヘルズキッチンで、弁護士をやっている。

 

目元にはサングラスをかけているけど、僕が目を見えないとしても相手に違和感を与えない為に付けているものだ。

だから盲目でも、サングラスは無意味な物ではない。

 

 

僕は、ドアを開けて自身の弁護士事務所に入る。

 

ここは『ネルソン&マードック』。

 

親友であり、仕事仲間でもあるフォギー・ネルソンとの共同事務所だ。

 

僕の職場でもある。

 

 

まるで見えるかの様に滑らかに歩き、自身の席に腰を下ろす。

 

……ここでは他人の目を気にする必要はない。

本来なら僕自身の超感覚(レーダーセンス)さえあれば、白杖すら要らない。

こうやって、見えずとも、見える以上に分かるからだ。

 

 

…………誰か、居る。

 

 

隣の部屋に隠れている……いや、隠れていると言うより、無警戒に突っ立っている。

 

でも、フォギーの訳ないし、カレンの筈もない。

彼等は僕が事務所に来れば間違いなく挨拶をする。

それに、今日はそもそも休日だ。

 

ただ、少し気になることがあって僕が個人的に来たに過ぎない。

 

だから。

 

 

「誰だ?」

 

 

僕は声をかけた。

 

そして、白杖に手をかける。

 

この白杖は……盲目の僕を演出するための小道具……ではない。

 

武器にもなる。

 

僕の声かけから、その何者かが動くのに気付いた。

 

 

「よぉ」

 

 

声、男の声だ。

 

そして、それには聞き覚えがあって、そして居ないはずの人間だった。

 

 

「フランク?」

 

「パニッシャーと呼べ」

 

 

くつくつと笑いながら、男が僕の前に立った。

 

フランク・キャッスル。

通り名は『パニッシャー』

 

犯罪者を殺しまくって、逮捕された筈だが。

 

 

「何故ここに?」

 

「そりゃあ、お前にも情報を分け与えてやろうと思ってだ。感謝して欲しいぐらいだ」

 

「情報?弁護士に対して犯罪者が何の情報をくれるって言うんだ」

 

 

僕はこの男と面識があった。

 

何なら、何度か共に戦ったぐらいだ。

 

でもそれは、マットとしてではない。

 

僕は……。

 

 

「デアデビルに、情報のお届けだ」

 

「それは」

 

 

彼が僕の目の前に紙束を投げた。

 

 

「……あぁ、すまない。見えないんだったな、読んでやる」

 

 

嫌味か皮肉か、嫌がらせか。

 

それとも、ただ単純に『僕の目が見えない』という事すら忘れていたのか。

 

 

「『レッドキャップ』って名前知っているか?」

 

「知っているさ……何度も戦った事がある」

 

 

レッドキャップ。

僕の宿敵……フィスクの手下だ。

 

赤いマスクに、黒いスーツを着た兵士だ。

 

僕が見つけたフィスクの不正への手がかり……それを持った構成員を何度も始末されている。

 

幾度か戦って……その全てで、僕は負けている。

 

 

「そいつの家を爆破した」

 

「……は?」

 

 

思わず、素っ頓狂な声が出てしまったが、僕は悪くないだろう。

 

爆破した?

 

いや、そもそも知っていたのか、レッドキャップの家を……正体を?

 

 

「正確には拠点か……ヘルズキッチンの拠点だ」

 

「まさか、少し前にあった爆発騒ぎはお前の所為なのか?」

 

「そうだが」

 

 

悪びれる様子もなく、彼は肯定した。

 

馬鹿なんじゃないか?

そう、言葉が喉まで出かかった。

 

 

「じゃあ、奴の正体は……」

 

「いや、それは断片的にしか分からなかった。奴の留守の間に忍び込んだが……奴自身の姿、スーツの下は見えなかった」

 

「……何故、正体を知る前に爆破したんだ?」

 

「殺せば誰だろうが一緒だ。死体の正体など、気にする必要はない」

 

 

僕は眉を顰めた。

 

 

「だが……」

 

「そう、殺せなかった。これは俺の落ち度だ。怠慢と言っても良い。だが、至近距離からのC-4ですら死なない超人なんて、俺は知らなかった」

 

 

僕は頷いた。

 

たしかに、レッドキャップは明らかに人間離れした身体能力を持つ超人だった。

壁を蹴り宙を飛んだり、数百キロもあるゴミ箱を投げたり、僕も経験がある。

 

軍用のプラスチック爆弾の爆発ですら死なないのなら、僕は黙るしかなかった。

 

 

「それで?正体についての手がかりか?」

 

「あぁ、そうだ。こういうのはお前の方が得意だろ。俺は敵をブチ殺したり、追い詰める事は得意だが探すのは苦手だ。レッドキャップの拠点の情報も、フィスクの組織構成員を拷問して吐かせたモンだからな」

 

 

フランクが手に写真を持った。

 

 

「……奴の部屋にはな、女物の服があった。女装癖とかじゃないなら、まぁ奴は女と言う事だ。そして身長は……」

 

「160cm前後……」

 

「戦ってりゃ分かる話だな、つまり」

 

 

僕は気付いた。

 

 

「……子供?女の?」

 

「そう、女のガキだ。部屋には歳食ったババアが着ない様な、今ドキの女の下着があった」

 

「そんな馬鹿な!?」

 

 

僕は机を叩いた。

 

レッドキャップは何度も、そう、何度も戦った。

そして、その度に何人もの証人が殺されているんだぞ?

 

そんな……そんなレッドキャップの正体が女の子供だって?

 

 

「馬鹿げてる」

 

「だが、事実だ」

 

 

フランクが何やら分厚いノートの様な物を手に取った。

 

 

「それは?」

 

「……ファンブックだ」

 

「ファンブック?」

 

「お手製の、な。恐らく、レッドキャップが作ったものだ」

 

 

パラパラとページを捲る音が聞こえる。

 

 

「こいつは、とある男が関わった事件や、雑誌に載っている情報をかき集めたスクラップブックだ。レッドキャップはどうやら、その『とある男』が気になるらしい」

 

「……その、男の名前は?」

 

 

パタン、とフランクがノートを閉じた。

 

 

「……スパイダーマン」

 

 

僕は唾を飲み込んだ。

 

スパイダーマンについては知っている。

僕と同じ様に非合法に街を守っているヒーローだ。

だが、僕よりも規模は大きく……宇宙人と戦ったり、謎のロボ軍団と戦ったりと、もっとスーパーヒーローのような存在だ。

 

 

「何故、レッドキャップの家からスパイダーマンの情報をまとめた本が……いや、まさか?」

 

「そうだ」

 

 

僕が脳裏に浮かんだ解答を、答える間もなくフランクは肯定した。

 

 

「きっと奴は……スパイダーマンを殺そうとしている。その為に情報を集めている」

 

 

フランクの言葉に、僕は頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くしゅん」

 

 

埃の多い部屋にいるからか、私はくしゃみをしてしまった。

 

ヘルズキッチンの拠点を爆破した犯人が判明してから二週間ほど経った。

 

毎日学校に行って、週に何回かピーターとご飯を食べて、グウェンとカフェに行って……ケーキを二つ食べたらドン引きされて。

 

とても充実した生活を送っていた……が。

 

 

私の目の前には赤いフルフェイスのマスク。

黒いパワードスーツ。

 

そう、ティンカラーの言っていたスーツのフィッティングが終わり、ついに私のスーツが帰ってきたのだ。

より強く、新しくなって。

 

 

ここはニューヨーク、クイーンズの地下。

自宅とは別にある仕事用の拠点だ。

 

私は着ている服をハンガーにかけて、黒いスーツを身に纏う。

赤いマスクを被り、機能をいくつかテストする。

 

スーツのアーマーが順に展開し、光を放つ。

マスクにナビゲーション音声が流れて、起動する。

 

 

『ふむ』

 

 

声が前のスーツと同様に変換されている事を確認する。

無機質で、女か男かも分からない様な音声だ。

 

手を何度か握り、噛み合わせを確認する。

スーツは驚くほど軽く、動きに支障をきたさない。

 

まるでラジオ体操の1シーンのように身体の動きを確認し、拠点から出る。

 

……任務の開始は1時間後だ。

 

……だがまぁ、慣らし運転のようなもので、相手はただのギャング集団だ。

 

フィスクの組織に従わない集団、それを見せしめとして皆殺しにする。

 

いつも通りだ。

 

久々の仕事だからか、憂鬱だけど。

 

ピーター、グウェン、ネッドの顔が頭に浮かぶ。

 

何やってるんだろうな、私は。

 

左胸に手を置く。

組織に埋め込まれた爆弾……胸の上からでは存在すら確認できない。

 

私は地下に伸びる通路を歩き出した。

薄らと光る灯を頼りに、ただ、歩いていた。



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#10 ファースト・エンカウント part1

私は、男の脳天にナイフを突き立てた。

特殊合金でできたナイフが男の頭蓋骨を粉砕し、脳をぶちまけた。

 

飛びかかってきた別の男の首を掴み、力任せに振り回す。

壁に投げ飛ばされた男の首は、あらぬ方向に曲がっていて、ドス黒く変色していた。

骨が折れて内側から血管が破れ、血が中に溜まっているからだ。

 

驚いた顔で戸惑う男の腹を引き裂き。

 

逃げようとする女の顔にナイフを突き立て。

 

命乞いをする老人を射殺する。

 

彼らは麻薬の流通や、拉致、人身売買を行うクズどもだ。

死んでも誰も悲しまない。

 

それは、私も同じだが。

私も自身の為に人の命を踏み躙るクズだ。

 

ただ、彼らと私に違いがあるとしたら。

私は超人で、彼らはただの人間だと言う事ぐらい。

 

 

彼らは外国籍のマフィアだ。

タクシー会社を隠れ蓑に、犯罪に手を染める組織だ。

 

彼らは愚かにも、フィスクの愛人であるヴァネッサを傷付けた。

 

それは虎の尾を踏みつけるような愚行だ。

手の込んだ自殺と言ってもいい。

 

この作戦は損得ではなく、激しい怒りによって決行された。

だからこそ、失敗は許されない。

 

他の地域でも私のような特殊な人間、超人のような奴らが作戦を遂行している。

 

逃げられる事がないよう、悟られる事のないように、同時に、そして素早く。

 

そして、クイーンズの担当は私だ。

少し古びたビンテージショップに偽装された拠点、そこに集まったマフィアどもを皆殺しにするのだ。

 

 

 

 

目前を弾丸が横切る。

私はその弾丸を放った先に向かって、ナイフを投げる。

眉間にナイフが突き刺さる。

 

男が血の泡を吹いて倒れた。

 

 

『これで最後か』

 

 

私は今、目前にいる股間を蹴られて悶絶している男の首を掴んだ。

 

そのまま力を込めて……。

 

 

「そこまでだよ」

 

 

突如、飛来してきた『何か』から、男を持ち上げて盾にする。

 

男の背中には白い……糸?

 

 

『…………スパイダーマン、か』

 

 

震える声で、私は彼の名前を呼んだ。

だが、スーツによって調整され……無機質で感情を伴わない声となった。

 

……まぁ、こう言う時、隠せるのが良いところでもある。

 

なんて、現実逃避をしながら視線を向けると。

 

 

……私を以前、助けてくれた時と全く同じ、赤と青のスーツを着た私の憧れ(スパイダーマン)が立っていた。

 

……ピーター。

 

 

「ん?君とは初対面の筈だけどね、僕のファンかな?ファンなら、その人、放してあげて欲しいんだけどね」

 

 

あぁ、彼は冗談で言ってるかも知れないが、確かに私は君のファンだよ。

ずっと昔から、この世界に産まれる前からファンだった。

 

だけど。

 

 

力を込める。

 

 

ゴキリ。

 

 

私は、男の首をへし折った。

 

心なしか、スパイダーマンの表情が険しくなった気がした。

マスク越しで見える事なんてないのに。

 

……ピーターも彼等が堅気の人間ではない事ぐらい、知っているだろう。

それでも、彼の責任感と優しさで……誰かが、誰かを殺す事を許せないのだろう。

 

 

「……どうして殺したんだ?」

 

 

だから、こうして怒っている。

 

 

『仕事だからだ』

 

「仕事……?」

 

『好き好んで殺している訳ではない』

 

 

つらつらと言い訳を並べながら、私はすり足で窓際へと移動する。

 

 

『お前とは戦うつもりはない。私の任務も終了した。退いてくれないか?』

 

「……君に戦う理由はなくても、僕にはある」

 

 

スパイダーマンがそう言った。

 

あぁ、そうだよね。

スパイダーマン。

貴方はそんなヒーローだ。

 

 

パシュン、と(ウェブ)が発射される。

(ウェブ)のサイズは弾丸よりも大きいが、弾速は弾丸よりも遅い。

つまり、弾丸すら避けられる反射神経を持つ私からすれば、スローに見えて仕方がない。

 

半身を逸らして回避し、一歩踏み込む。

だが、スパイダーマンの腕から伸びる(ウェブ)が切れていない事に気がついた。

 

直後、背後から引っ張られた壁掛け時計が後頭部に命中した。

 

だが、私は身を怯ませる事すらせずそのまま前へ飛び出す。

 

身体を捻り、手刀を放つ。

今、私が着ているスーツは全身合金製のアーマードスーツだ。

ヴィブラニウムを含んだスーツは固く、鋭利だ。

それは防御だけではなく、攻撃でも有効となる。

 

 

「くっ」

 

 

スパイダーマンが身を捩り回避する。

空振った勢いのまま回し蹴りを放つが、それも避けられる。

 

 

地面を滑るように移動し、死体に突き刺していたナイフを回収する。

 

牽制にローキックを放つが、回避される。

だがそれは想定済みだ。

私は突き出した足で地面を踏み締め、手に持ったナイフを突き出す。

 

だが、それも。

スパイダーマンは仰け反ってナイフを回避した。

 

 

……なるほど、やはり彼はスーパーヒーローだ。

超人的な肉体能力と、反射神経を兼ね備えている。

だが、まだ経験が不足しているようだ。

ピーターはまだ高校三年生、恐らくスパイダーマンになってから二年やそこらだろう。

 

戦闘経験も少なく、恐らく私のような戦闘のプロフェッショナルと戦った経験は数える程しかないだろう。

 

今は持ち前の反射神経と、予知能力(スパイダーセンス)を活かし、その肉体能力で避けているに過ぎない。

 

比べて私は、身体能力ではスパイダーマンに劣るが、組織仕込みの格闘術がある。

これはスポーツ格闘技のような相手を無力化したり、優しく寝かせるような格闘術ではない。

人を殺す事に特化した近接格闘術(シー・キュー・シー)だ。

 

私はナイフを持つ右手を引っ込め、その反動で腰を捻り左手を突き出す。

 

 

ナイフに集中していたスパイダーマンの顔面に拳が命中し、そのまま仰け反った。

 

……まるで、木を殴ったかのような殴り心地だった。

恐らく、ダメージになっていないだろう。

 

 

「……やるね」

 

 

あ、今、スパイダーマンに褒められた。

 

少し気分が高揚したが、直ぐに落ち着く。

いやいや、人殺しの技術を誉められても……喜べない。

いや、喜んではならない。

 

 

私は掌をスパイダーマンに向ける。

頭に装着している思考コントローラを使って、スーツの機能を起動する。

 

 

瞬間、空気が震える音がした。

 

衝撃波(ソニックブラスト)だ。

 

 

ヴィブラニウムには衝撃を吸収する性質がある。

先程、スパイダーマンを殴りつけた時もそうだが、マフィアと殺しあってる時に受けた衝撃もその全てが吸収されている。

 

それを解放し、指向性を持って放出したのだ。

 

空間が歪み、辺りの窓ガラスが独りでに破砕した。

 

咄嗟に避けられなかったスパイダーマンが吹き飛ばされて、壁に叩きつけられる。

 

 

「くっ」

 

 

……やっぱり、大したダメージにはなっていない。

 

また即座にスパイダーマンが立ち上がり、こちらを睨みながら構える。

 

スパイダーマンは私に攻撃を当てられず、かと言って私もスパイダーマンに有効打を当てられない。

 

そのまま数度、スパイダーマンの腹や首、顔面に打撃を入れたが……どうにもしっくりこない。

 

気付いたが、肉体的な強度もあるが全身のバネを柔軟に使って、攻撃のダメージを軽減しているようだ。

 

……だが、この戦い。

私が有利だ。

 

まず、一つ。

この状況では、単純に私の方が強い。

 

俊敏性は互角。

戦闘技能は私が上。

単純な腕力は相手が上。

 

だが、スーツの差がある。

スパイダーマンの着ているスーツは恐らく手作りの何の機能も持たない全身タイツ(クラシックスーツ)だ。

対して私は、ハイテクかつ高品質なアーマードスーツだ。

 

私の打撃はスパイダーマンに通るが、スパイダーマンの攻撃はスーツに複合されているヴィブラニウムによって吸収される。

 

スーツを脱いで戦えば、私が負けるだろうが……そんなモノは仮定の話でしかない。

 

 

次に、私とスパイダーマンでは勝利条件が違うからだ。

 

私は、隙を見つけてこの場から逃げられれば良い。

対してスパイダーマンは、私を戦闘不能にして拘束する必要がある。

しかも、殺しは御法度だ。

手加減もしなければならない。

 

この差は大きい。

 

 

 

私はナイフを中心に構えて、突きを繰り出す。

全身の体重を乗せたそれは、いくらスパイダーマンと言えども当たればタダでは済まない。

 

スパイダーマンは大袈裟に避けて、距離を取る。

 

距離を取れば、私は後ろに後退る。

そして、私が逃げようとしている事に気付き、攻めてくる。

 

そこを避けて、私はまた反撃をする。

 

その繰り返しだ。

 

やがて、何十回と打撃を加えた所、スパイダーマンの動きが鈍くなってくる。

 

流石に一発ではダメージになり得なくとも、何度も同じ場所に打撃を食らえば蓄積していくか。

 

そうして、同じ事を何度も何度も繰り返す。

 

スパイダーマンのキックを避けて、脇腹に拳を叩き込む。

 

突き出された腕を掴んで、膝を叩きつける。

 

 

カウンターの要領で、着実にダメージを与えていく。

 

 

「はぁ……はぁ……」

 

 

やがて息切れをして、足元も覚束なくなっている。

 

 

『どうした、スパイダーマン。もう限界か?』

 

 

限界と言ってくれ。

私も憧れのヒーローを殴りたい訳じゃない。

 

 

「まだ、やれる」

 

 

分かりやすくファイティングポーズをとって、最初よりもキレのない動きで私を攻撃する。

 

また、私はそれ避けてナイフを振るい……。

 

 

「ぐっ」

 

 

腹を、切った。

 

 

 

いや、筋肉に阻まれて、それほど深い傷にはならなかった。

 

それでも、スパイダーマンは驚いていた。

自身が注意を払っていたのに、ナイフに切られてしまった事を。

ナイフの鋭さが想像以上であり、流血している事に。

 

そして。

 

 

『!?』

 

 

私も驚いていた。

 

 

切ってしまった。

スパイダーマンを切ってしまった。

 

そもそも、ナイフはブラフとしてチラつかせて、殴打して弱らせる作戦だった。

切るつもりなんて、なかったんだ。

私はスパイダーマンを傷付けたい訳ではなかった。

 

血が、流れる。

 

傷を受けて怯むスパイダーマン。

憧れのヒーローを傷付けてショックを受ける私。

短い間だが、お互いの動きが止まった。

 

 

だが、先に正気に戻ったのは私だった。

 

私は即座に身を翻し、窓ガラスを叩き割った。

 

 

「待てっ」

 

 

スパイダーマンが声を出して、私を追おうとしたが。

 

 

「痛っ」

 

 

傷を押さえて、膝を突いた。

 

 

……心配で直ぐにでも駆けつけたいけど。

今の私は『レッドキャップ』だ。

彼のクラスメイトである『ミシェル・ジェーン』ではない。

 

私は窓から飛び降りた。

 

ここは2階程度、受け身も必要なく地面に着地し、全力で走る。

 

後ろから制止する声が聞こえたが、振り返る事すらしない。

 

 

ナイフで引き裂いた感触が、私の腕に残っている。

手に持っているナイフには、真っ赤な血が付いている。

 

それを振り払って、太腿のアーマーに収納した。

 

 

誰にも尾行されていない事を確認して、地下に潜る。

 

 

 

『はぁ……はぁ……』

 

 

私は息を切らしながら、拠点の中に滑り込んだ。

 

これは肉体的な疲労から漏れる息ではない。

精神的ショックで、呼吸が荒くなっている。

 

 

切った。

切ってしまった。

 

 

安全地帯に逃げ込んだ安心感からか、思考が回り始める。

『レッドキャップ』から『ミシェル・ジェーン』へと切り替わって行く。

 

 

切るのと、殴るのとは訳が違う。

血が出ていた。

真っ赤な、ピーターの血が。

 

 

『うっ、くっ』

 

 

吐き気に耐えながら、壁にもたれ掛かった。

手に残った肉を裂く感触を失くそうと、拳をコンクリートの壁に叩きつける。

 

ミシリ、と拳が壁にめり込んだ。

 

そもそも、私は何度も何度も人を殺してきた。

人を傷つけるのは初めてではない。

何なら肉を裂くよりも、もっとグロテスクで生々しい事をしてきた。

 

それは、私自身も分かっている。

 

なのに、震えが止まらない。

 

 

『お、げ』

 

 

堪らず、マスクを脱ぎ捨てる。

地面にカラカラと赤いマスクが転がる。

 

 

「うげぇ……おえっ……」

 

 

吐瀉物が地面に零れ落ちた。

 

 

「かっ、かひゅっ、はぁっ、はぁ」

 

 

息も絶え絶えで、拠点内の洗面所にフラフラと向かう。

 

水で口を濯ぎ吐き出す。

口の中に広がる酸味が、私の不快感を増幅させる。

 

 

「……あぁ」

 

 

謝っても、許されないだろう。

 

いや、そもそも、謝る事すら出来ない。

 

このレッドキャップの正体が露見すれば私は終わりだ。

警察に捕まる前に、左胸に埋められた安全装置が起動して爆殺されるだろう。

 

私は、死にたくない。

 

 

「う……うぅ……」

 

 

吐き気がなくなれば、次に来たのは涙だ。

 

憧れのヒーローを傷付けてしまった罪悪感。

友人を傷付けてしまった後悔。

そして自分自身への嫌悪、怒り。

 

全てがグチャグチャになって、涙として止めどなく溢れ出した。

 

 

頭に浮かぶのはピーターの顔。

私に笑顔で接してくれた、ピーターの。

 

 

そうだ。

そうだった。

 

 

私は、悪役(ヴィラン)なんだ。

人並みに幸せを求めて、仲良くしようとしちゃいけなかったんだ。

 

私は誰かを殺さないと生きていけない。

そして、私は死にたくない。

 

だから、私は私のために、他人を殺してきた。

 

そんな私が誰かを助けるヒーローと仲良くなろうだなんて。

 

 

ありえない。

 

 

絶え間ない自己嫌悪と後悔の中で……私は、無気力に項垂れていた。



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#11 ファースト・エンカウント part2

朝だ。

 

太陽光が窓から差し込み、私の顔を照らす。

 

洗面所へ向かって、顔を水で洗う。

 

鏡を見れば、いつも通りの私。

幾分か、昨日よりは精神的に安定している。

 

昨日、あれだけ泣いたのに涙の跡は残っていなかった。

 

 

ショートパンツを履いて、シャツを着て、ニーソックスを履いて。

 

いつも通りの時間に玄関のドアを開けて……。

 

 

隣の、部屋を見た。

 

……ピーターはまだ、寝ているのだろうか。

もう起きていて、準備をしているのか。

先に行ったのか。

そもそも、昨日の傷は大丈夫なのか。

今日は学校に来ないかも知れない。

 

 

ぐるぐると頭の中で思考が回って、気づいたらドアの前に立っていた。

 

でも、チャイムは鳴らせない。

 

だって私は……隣の部屋の同級生の女の子『ミシェル・ジェーン』は、昨日の夜のことを知る筈がないのだから。

 

私は踵を返して、通学路へ向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やぁ、ミシェル、おはよぅ……って元気ないね」

 

 

グウェンがそう言って、私の顔を手で揉んだ。

 

 

「……そう?」

 

「うん、やつれてるね」

 

 

ぐにぐに、と年相応な柔らかな肌を弄られる。

 

……やつれてる?

私自身でも鏡に向かっても気付かないのに?

 

 

「昨日、読んでた本が面白くて、夜更かししちゃったから」

 

 

適当な嘘を吐いて、誤魔化す。

 

 

「そうなんだ?まぁ、あんまり夜更かしはしない方がいいよ。美容の天敵だからね」

 

 

グウェンが努めて、笑顔でそう言った。

 

……なんだが、グウェンは納得していないようだ。

勘の鋭い女の子だ。

 

がらがらと、ドアの開く音がしてグウェンが振り返った。

 

 

「あっ、ピーター?」

 

 

グウェンの言葉に、私は息が止まりそうになった。

 

ぎこちない仕草で、グウェンの視線の先を見る。

 

そこには、顔をガーゼ等で応急処置しているピーターの姿があった。

その姿は、誰から見ても痛々しかった。

 

 

「ちょっと、ピーター?どうしたの、それ」

 

「ん?あぁ、グウェン、おはよう」

 

「おはようじゃなくてさ……」

 

「これ?」

 

 

ピーターが自分の顔を指差した。

少し、青痣が見えた。

 

 

「いやぁ、昨日、事故に巻き込まれちゃって……」

 

 

嘘だ。

それは私が付けた傷だ。

 

 

「え?大丈夫なの?」

 

「まぁ、大丈夫だよ。ちょっとぶつけただけだから」

 

 

嘘だ。

腹に大きな切り傷もある。

 

 

私は黙ってられなくなって、声をかけようと……。

 

 

「オイオイオイ」

 

 

そう声を出して、フラッシュが私とピーターの間に入り込んだ。

 

 

「なんだよ、フラッシュ」

 

「どうしたんだ?ピーター?いや、ミイラ男か?そんな仮装しちまってさぁ……今日はハロウィンじゃねぇぞ?」

 

 

フラッシュがニヤニヤと笑いながら、ピーターを煽る。

 

ピーターが私とグウェンを、ちらと見た。

私は目を逸らした。

 

 

「別に、君には関係ない事だから」

 

 

ピーターにしては珍しく、少し怒気を込めて声を出した。

 

 

「はぁ?何カッコつけちゃってるわけ?女の子の前だから?」

 

 

また、そう言ってフラッシュが煽る。

フラッシュが振り返り、私と目があった。

 

 

「ミシェルちゃんもさ、こんなナルシストのコスプレ男となんかよりも俺と話そうぜ?」

 

 

 

 

「……嫌い」

 

 

思わず、声が漏れた。

 

 

「え?」

 

 

フラッシュが顔をこちらに向けた。

 

 

「友達を馬鹿にするような人とは話したくない。行こう、ピーター。グウェンも」

 

 

私はグウェンとピーターの手を握って教室から逃げた。

 

フラッシュは、その場に立ち尽くしたまま、私を呆然と眺めていた。

 

 

廊下に出て、私はグウェンの手を離した。

 

そして。

 

 

「ピーターと保健室行ってくる。グウェンは先に行ってて」

 

「あ、うん。行ってらっしゃい?」

 

 

グウェンがよく分かっていなさそうな顔で頷いた。

 

 

 

そのまま、ピーターの手を引いて、保健室へ向かう。

 

 

「ちょっ、ちょっと待って、ミシェル?」

 

 

何やらピーターが騒いでいるが、私は振り返られなかった。

 

だって、ピーターがバカにされた原因は、私が付けた傷なんだから。

私が行った悪事を突きつけられる気がして、ピーターと顔を合わせたくなかった。

 

保健室に到着し、ピーターをベッドに座らせる。

 

幸か不幸か、教師は居なかった。

 

私は勝手に棚を漁り、アルコールの消毒液と、ガーゼ、テープなんかを取り出す。

 

 

「ミ、ミシェル?」

 

「……何?ピーター」

 

「何って、何をしてるの?」

 

 

そう言われて、私は首を傾げた。

 

 

「……ピーター、その手当て、自分で処置した?」

 

「え、うん。そうだけど……」

 

「下手だから、私がやりなおす」

 

 

私はハサミでガーゼを切って、傷口にあったサイズに変えた。

 

 

「え、いや、ミシェル?」

 

「大丈夫。私、こういうの得意だから」

 

 

組織で習った。

殺し屋なのに、応急処置の練習をした。

 

私は治癒因子(ヒーリングファクター)を持っている為、人の倍以上に傷の治る速度は早い。

重傷を負っても自力で応急処置さえできれば、程度はあれど一週間もあれば完治する。

まさに、医者要らずだ。

 

レッドキャップとして活動し始めた頃は、未熟で生傷も絶えなかった。

切り傷に始まり打撲や、銃創、あらゆる傷を自力で治療してきた。

 

自慢にもならないが、ノウハウはある。

 

……まぁ、並の医者ぐらいには出来る自信がある。

 

 

「いや、そ、そうじゃなくてさ」

 

「ピーター、とりあえず、服を」

 

「落ち着いて、ミシェル!」

 

 

肩を掴まれて、真正面に向けられた。

その、真っ直ぐな瞳が私を見ていて……内心が見透かされそうな気がして。

 

気まずくなって、私はまたピーターから目を逸らした。

 

 

「今日……何だか、変だよ。ミシェル」

 

「変じゃない。変なのは、傷だらけのピーター……だと、思う」

 

「そうかも知れないけどさ……ミシェル、何で僕を見てくれないの?」

 

 

うっ。

 

 

「そんな事ない。私は、ピーターを見てる」

 

「……今日、一度も目を合わせてくれてないよ。……傷だらけだから見たくないのも分かるんだけど」

 

「……違う」

 

 

そんな事ない。

私がただ、罪悪感に耐えられないだけだ。

 

だけど、私のせいでピーターが落ち込んでいるのだとしたら、それはもっと耐えられない。

 

 

「じゃあ、なんで」

 

「………………私が、悪い人間だから」

 

 

ボソリと、聞こえるか、聞こえないか分からない声量で呟いた。

 

どう考えたって失言だ。

今の私は『ミシェル・ジェーン』だ。

善良なミッドタウン高校に通う普通の女の子だ。

残虐な悪役(ヴィラン)の『レッドキャップ』ではない。

 

 

「ミシェルが悪い人間?」

 

「そう。ピーターが思ってるより、ずっと。だから本当は、ピーター達と仲良くする資格なんてない」

 

 

先程、フラッシュに「友達を」と言った。

まるで、ピーターとグウェンが友達であるかのような発言だ。

ミシェル・ジェーンとしては正しいのだろう。

 

だけど、昨日、あんなにも殴って、切って、傷付けた相手を「友達」と呼ぶなんて……恥知らずも良いところだ。

 

 

 

 

「ミシェルが何言ってるか分からないけど、僕はそう思わないよ」

 

「……本当だから」

 

「あぁ、そうじゃなくて……ミシェルがもし、本当に悪い人間だったとしても、僕は……僕達はミシェルの友達だよ」

 

 

私はまだ、目を逸らしていた。

 

 

「人と仲良くするのに資格なんて、必要ないと思うよ。それともミシェルは、僕やグウェン、ネッドとは仲良くしたくない?」

 

 

そう聞かれて、私は思わずピーターを見た。

目が合った。

 

 

「……そんな事ない」

 

「じゃあ、仲良くすれば良いと思うよ。僕もミシェルとは……えっと、仲良くしたいし」

 

 

ピーターがそう言って笑って、「いてて」なんて言いながら頬を触った。

 

あぁ、そっか、傷だらけだから笑うのも痛いのか。

 

 

 

でも、幾分か気が楽になった。

……きっと、レッドキャップとしての姿がバレたら嫌われると思うけど……ミシェルであるうちは彼らと向き合っていこうと思った。

 

 

「……ありがとう、ピーター」

 

「どういたしまして……って、ミシェル、ずっとハサミ持ってるけど」

 

 

あ、そうだ。

ガーゼを切ってる途中だった。

 

 

「処置し直すから。顔のガーゼ、取るね」

 

「え?あ」

 

 

ビリッ

 

 

「痛っ!?」

 

「傷口に直接貼るから痛い。まず消毒」

 

 

ひたひた。

 

 

「痛っ!?ちょ、まってミシェル!?」

 

「綿を肌にそえて、その後…………何?ピーター?」

 

「ちょっと待って欲しいんだけど!?痛いし、まだちょっと混乱してるから、さぁ」

 

「痛いのは手当が下手なピーターのせい。観念して欲しい」

 

「え?」

 

 

困惑するピーターをよそに、私はピーターの手当てを処置し直した。

 

 

「痛いって!!」

 

 

何度も痛そうに身を捩ったりしていたが、変な治療で治りが遅くなったりすると良くないという一心だった。

 

そして。

 

 

「…………」

 

 

私はピーターの腹部を服の上から見た。

普段より、少しだけ盛り上がっている。

多分包帯とかなんやらで、嵩張っているのだろう。

 

 

「ピーター、お腹も怪我してる。見せて」

 

「い、いや、ここは大丈夫だから」

 

「いいから」

 

「いや、僕がよくないんだって!」

 

 

無理矢理、シャツをまくると……。

 

 

「あっ」

 

 

赤く滲んだ包帯が目に映った。

傷口は包帯に隠れていて見えない。

 

だが、痛々しい。

普通の女の子が見たら卒倒するだろう。

 

私は手を伸ばして……。

 

 

「ピーター?ミシェル?何やってんの?」

 

 

声の先を見ると、グウェンがいた。

 

そして、グウェンの視線の先には。

 

ピーターをベッドに押し倒して、無理矢理服を脱がせようとしている私の姿があった。

 

 

「……グウェン?」

 

「え?どういう状況?」

 

「…………ミ、ミシェル、どいて……」

 

 

ピーターが必死の形相で、私に訴えかける。

 

傷の治療に専念していたので気付かなかったが、今、この状況は。

 

まるで私がピーターを押し倒してるかのような……。

 

 

「グウェン、誤解」

 

「え?いや、ミシェル?そもそも、何でこうなってるのか分からないんだけど?」

 

「…………ミ、ミシェル、とにかく退いて……」

 

 

ピーターの指が、私のふとももに触れた。

こそばゆい感触がして、思わず声が出てしまう。

 

 

「うっ」

 

 

……あ、今日、短パンだったな。

ニーソックス越しに、ピーターの指が太ももに触れていた。

 

私はピーターから急いで降りて、グウェンに向き直った。

 

 

グウェンは呆れた顔でピーターを見ていた。

 

 

「このスケベ」

 

「いや、不可抗力だよ!?」

 

「ピ、ピーターは悪くない。私が……」

 

「ミシェル、こんなケダモノ庇わなくていいって」

 

 

そう言ってグウェンが私の頭を抱きかかえた。

……ほんのり香水の香りがして、頭がくらくらする。

嫌な匂いと言う訳ではない。

ただ、魅力的で刺激的な香りが頭に充満し、まるでハンマーで殴られたが如くショックを与えられた。

 

 

「グ、グウェン……」

 

 

私は顔を埋めながら、グウェンの腕を軽く数回叩いた。

 

 

「ん?あっごめん、息できてなかった?」

 

 

私はグウェンから少し距離を取り、ピーターとグウェンから離れた。

 

私は、明らかに不機嫌だ!という顔をして二人を睨んだ。

私は表情に乏しいから、少しオーバーリアクションなぐらいが丁度いい。

 

 

……何故か、二人から微笑ましいものを見るような目で見られていた。

 

 

「ミシェルってさ、猫みたいだよね」

 

「……あー、僕もちょっとそれには同意かも」

 

 

なんて言っている。

解せない。

 

 

「というかグウェン、何でこっち来たんだ?」

 

 

ピーターが思い出したかのように聞いた。

それを聞いてグウェンは私をチラリと見て、その後、ピーターを睨んだ。

 

 

「ミシェルを置いていける訳ないでしょ?ピーターに変なことされてないか心配で来たのよ」

 

「グウェン、それは誤解……私はピーターの治療を……」

 

「男なんて一皮剥けば狼なのよ?ミシェルは少し気をつけた方が良いわ」

 

「ピーターは大丈夫だと思う」

 

「そ、そうだよ。僕はそんな事しないって」

 

 

そうピーターが同意すると、グウェンは呆れた目でピーターを見た。

 

 

「……ピーター、ちょっとこっち来て」

 

「え、あ、うん?」

 

 

私を置いて二人が席を立った。

 

……コソコソと会話してる二人に聞き耳を立てる。

 

 

「……男……して見られてない……情けな……」

 

 

グウェンが罵倒するような声が聞こえて、ピーターが項垂れていた。

 

よく聞こえないが……何の話をしているのだろう?

私は首を傾げた。



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#12 ファースト・エンカウント part3

ピーターの手当てを直した後、私達は2限目の授業から受けた。

 

フラッシュは……私の方をチラチラと見て話しかけたそうにしていた。

 

だが、まるで猛犬のように威嚇するグウェンに阻まれ、結局話す事はなかった。

 

 

授業が終わって放課後。

 

ピーターがネッドと合流して、ネッドがピーターの傷に驚いて、グウェンが先に帰って。

 

 

「じゃあさ、今日の映画は中止する?」

 

 

そう、ネッドが言った。

 

 

「いや?別に傷があるだけで、映画を見るのに支障はないと思うけど」

 

 

ピーターが言った。

 

 

そんな二人を私は側で見ていた。

 

 

「……あの、ミシェル?」

 

「なに?」

 

「何で僕の後を追いかけてるの?グウェンに付いて行かなくて良かったの?」

 

 

ピーターがそう言うのも無理はない。

今日一日、ピーターの側にべっとりくっ付いてるからだ。

 

 

「……ダメだった?」

 

「いや、ダメじゃないけど……何か用事でもあるの?」

 

「ないけど」

 

 

昨日、ピーターをボロボロにしてしまった罪悪感から、私はピーターの助けになりたい……という、欲求に駆られているのだ。

 

だが、困った事にピーターは傷塗れのボロボロでも、何でもかんでも一人でやってしまうし……。

 

そうして、気付いたら放課後になっていたのだ。

 

 

「ネッド」

 

「ん?何?」

 

「私も、映画見たい」

 

 

このままピーターのストーカーとして生きていく……。

あまりにも緩い決意と共に、私は彼らの遊びに同行の意思を示した。

 

 

「え?でも、見る映画ってヒーロー映画だよ?」

 

「大丈夫、私もヒーロー映画、好きだから」

 

 

と言うか、ヒーロー自体が好きなんだけど。

スパイダーマンとか、アイアンマンとか、スパイダーマンとか、キャプテンアメリカとか、スパイダーマンとか、スパイダーマンとか、スパイダーマンとか。

 

……あぁ、いや、彼等はこの世界で実在するから創作のヒーロー映画が好きってよりも、有名人のおっかけみたいな扱いになるのか?私は。

 

私のヒーロー好き発言を聞いたネッドは大袈裟に驚いた。

 

 

「そうなの!?」

 

「そうだけど……何で驚いてるの?」

 

「いや、てっきり……何というか……こう、読書が趣味っぽいと言うか……ピーターもそう思うよな?」

 

「ネッド、それはミシェルに対する偏見……でも、実際に読書は好きなんだよね?ミシェル」

 

「好き。歴史書も、文学も、コミックも」

 

「「コミックとか読むの?」」

 

 

む。

何故か二人とも驚いている。

 

 

「じゃあ……スーパーマンとか?」

 

「バットマンが好き。お気に入りの作品はウォッチメン」

 

「えぇ……?」

 

 

あぁ、この世界にMARVELのコミックはないが、DCコミックは存在している。

 

私はMARVELが好きだけど……DCも好きだ。

一番好きなヒーローはスパイダーマンだけど。

 

 

「なら……問題ないんじゃね?」

 

「うん、付いていく」

 

 

無理矢理、予定を歪めている事に罪悪感を持ちながらも私は付いていく事にした。

 

ネッドは嬉しそうな顔をしていたし。

分かる。

オタクとして同じ趣味の人間を見つけると嬉しくなるよね。

 

ピーターは……何だか、不思議な表情をしていた。

嬉しそうな……恥ずかしそうな……なに?

 

 

「ピーター、どうかした?付いて行かない方がいい?」

 

「いや、全然そんな事ないよ。僕もミシェルが一緒に来るのは賛成かな」

 

 

じゃあ何で、そんな顔をするんだ?

私は首を傾げた。

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

僕の前には、ミシェルとネッドがいた。

 

映画が見終わった後、僕と彼らは現在、映画館前の喫茶店に来ていた。

 

僕はコーヒーを。

ネッドはアイスティーを。

ミシェルは……パフェを目の前に置いて。

プリンとメロンとクリームを、もりもりと頬張っていた。

 

……まるでリスみたいだ。

そういえばリスのスーパーパワーを持った女の子がいるって、スタークさんが言っていた気がする。

 

すっごい出っ歯で訛った言葉を話す凶暴な女の子らしい。

スタークさんのスーツも噛まれてお釈迦になったとか……。

いや、絶対ミシェルではないな。

 

 

「凄く面白かった」

 

「それは良かった……ネッドは?」

 

「俺も面白かったよ。特に主人公の病的な悪への怒りと、暗闇の描写。影と恐怖を象徴する黒いスーツの……」

 

 

ネッドが語り、それをミシェルはうんうんと頷く。

 

何だかんだ、僕ら三人……あと、この場にいないグウェンも含めて仲が良いらしい。

 

……でも。

 

 

『私が、悪い人間だから』

『ピーター達と仲良くする資格なんてない』

 

 

今朝のことを思い出す。

 

ミシェル・ジェーン。

彼女は一ヶ月前にクイーンズに引っ越してきた僕と同い年の女の子だ。

 

表情を作るのが少し下手で、突拍子もない事をする女の子だけど。

頭が良くて、気配りができて、優しくて。

困ってる人がいたら、さりげなく助けに行こうとする。

 

完璧じゃないけど、それがより可愛いような。

 

 

……優しくて可愛い、善い女の子だ。

 

 

だからこそ、彼女の言う『悪い人間』と言うのが分からない。

 

あの時、ミシェルは。

……悲しげで、とても辛そうな表情をしていた。

 

何かが彼女を苦しめていて、何かが彼女を『悪い人間』だと思わせている。

 

それを分からない歯痒さと、話してくれない悔しさ、それ以上に彼女を救えない僕の無力さへの怒りが僕の胸を満たした。

 

僕は……昨日、謎の悪党……黒いスーツに赤いマスクの男に負けてしまった。

 

スパイダーマンとして、助けられる筈だった人間を助けられなかった。

 

……僕の目の前で死んでしまった叔父さん、ベン叔父さんの言葉を思い出す。

 

 

『大いなる力には大いなる責任が伴う』

 

 

これは僕に対しての戒めであり、ヒーローとして活動するための決意でもある。

 

どんな大きな困難にぶつかっても逃げない。

戦って、戦って。

助けられる人を絶対に見捨てない。

 

だから。

 

 

僕は強くならなきゃ、ならない。

 

目の前で殺されてしまった人の為にも、そして……僕に話す事も出来ず悩んでいる友人を助けるためにも。

 

 

「ピーター?」

 

 

ふと、ミシェルが僕を見つめていた。

コバルトブルーの綺麗な瞳だ。

まるで、深い、海のような。

 

 

「ネッド、ピーターの様子が変」

 

「ミシェル、こいつはいつも変だよ」

 

「そうなの?」

 

「そうなの」

 

 

と、失礼な会話をしている。

 

 

「失礼だな、ちょっと考え事をしていただけだよ」

 

「悩み事?」

 

 

ミシェルが不思議そうな顔で聞いてくる。

 

……君の、事なんだけど。

 

 

「悩み事には甘いものが良いよ。食べる?」

 

 

そう言って自身が頼んだパフェにスプーンを入れて、生クリームを僕の前に。

 

 

「ミ、ミシェル?」

 

「なに?食べない?甘いの嫌い?」

 

「いや、甘いのは嫌いじゃないけどさ」

 

 

ミシェルは僕の前に……先程まで、自分が使っていたスプーンで僕にクリームを食べさせようとしている。

 

分かっているのだろうか?

間接キスに……それに女の子から男に対して、食べさせてあげる、なんて。

 

それをジトッとした目でネッドが見ていた。

そして。

 

 

「ミシェルとピーターって付き合ってんの?」

 

 

と、爆弾発言をしてきた。

 

 

「ちょっ、ネッド!?」

 

「む?別に私とピーターは付き合ってない」

 

 

慌てているのは僕だけで、ミシェルは平常心で答えていた。

 

 

……いや、あぁ、そうだ。

グウェンも今朝言っていたじゃないか。

 

 

『ピーターさぁ、ミシェルから男として見られてないんだよ?情けなくないの?』

 

 

そりゃあ、情けなく感じているに決まっているじゃないか。

だってミシェル……すごく、可愛いし。

好き……かどうかは分からないけど、そりゃあ僕だって男の子だし。

 

いや、今はそれどころじゃなくて。

 

 

「……付き合ってないのに間接キッスみたいな事するの?」

 

 

そう、ネッドが言って。

 

 

「あ」

 

 

ミシェルが僕の目の前でフラフラしていたスプーンを手元に戻した。

 

 

「ピーター、ごめん」

 

 

そして、申し訳なさそうにミシェルが謝った。

 

 

「ちょっ、何で謝るのさ?」

 

「だって……嫌、じゃない?」

 

 

その聞き方は卑怯だ。

 

さては、揶揄っているのか。

そう邪推してみるが、どうやらミシェルは本当に申し訳なさそうな顔をしていた。

 

グウェンも言っていたが……彼女は本当に自己評価が低い。

低すぎる。

 

 

「そ、そんな事ないけど」

 

「そう……?」

 

「ごほん」

 

 

ネッドの咳払いが聞こえた。

 

 

「「あ、ネッド」」

 

「何で俺、お前らがイチャついてる所見なきゃならないんだ?」

 

「ちょっ、イチャついてなんかないよ!」

 

「イチャついてるだろ!なんだよ、当てつけか!?」

 

「ネッドもパフェ、食べたいの?」

 

「あ、いや、そうじゃないけど……え?」

 

「はい、口を開けて」

 

 

そう言ってミシェルがスプーンをネッドに近付けて……。

 

 

「いや、ネッド、それはダメだろ!」

 

「は!?邪魔するなよ、ピーター!この意気地無し!俺は美少女に『あ〜ん❤︎』して貰うのが夢だったんだよ、どけ!」

 

 

僕達が喧嘩している様を見て、ミシェルは……笑っていた。

 

 

『悪い人間だから』

 

 

……絶対、そんな事ないよ。

ミシェル。

 

だって、そんなに穏やかで……幸せそうに笑っているじゃないか。



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#13 インサニティ・アイズ part1

子供の頃。

 

危機的な困難に陥って……そう。

例えばテロリストが学校を占拠して、自分一人の機転で切り抜けるような……。

 

そんな幼稚な妄想をした事はないだろうか?

 

私は…………いや、それはどうでもいい。

 

ただ、そういったシチュエーションに少しは憧れてしまうのが男の子だ。

……いや、今は女の子なのだが。

最近、精神が肉体に引っ張られているようで、女の子らしい仕草をする事に違和感を覚えなくなったり、人並みにイケメンを見るとテンションが上がるようになってしまった。

幼い頃はこんな事なかったのに……何故だろうか。

思春期なのか?私は?

 

 

閑話休題。

 

 

とにかく学校とか、身近な場所に危機が訪れる妄想と言うのは、結構ありきたりな物で。

 

 

 

 

私の頭上で机が宙を飛んだ。

背後の白板に命中し、破壊音が耳を貫く。

危ない。

 

 

 

実際の話、そういう身近な場所で非日常な出来事に憧れるのは平和な世界で生きてきた人間の発想だ。

……血みどろな生活を続けている人間からすれば、平和な日常を脅かす非日常など疎ましく思えど憧れる事なんてない。

 

机の下で縮こまりながら、私はそう結論づけた。

 

そっと、顔を出して外を覗く。

 

 

そこには怒りに表情を歪めたトカゲ人間。

 

全身が緑の鱗で覆われ、顔はトカゲ。

凄まじい力を予想させる筋肉、それによって膨張した肉体。

体長も2mは超えているだろう。

 

私は彼を知っている。

『リザード』と言う悪役(ヴィラン)だ。

 

ここは理科室。

大きな横並びの机に隠れて、私は息を殺していた。

 

正直な所、あの程度のパワーであれば超人血清によって肉体強化された私と互角だ。

戦闘技術に差がある以上、普段であれば難なく殺す事が出来る。

 

だが、ここにはスーツもなく、学校の外にはクラスメイトが避難している。

私が戦闘を行えば、面倒な事になるのは火を見るより明らかだ。

 

 

『出てこい!クソ餓鬼!ズタズタに引き裂いてやる!』

 

 

大きな声でリザードが吠えている。

 

うーん、リザードは全身がトカゲのような……二足歩行するトカゲのような外見をしている。

という事は口も喉も人間のものとは異なる筈だ。

 

あれは一体、どう言うメカニズムで言葉を発しているのだろうか。

 

 

 

また、机が投擲される。

 

幸いにも私の隠れている位置とは離れていたので、そのまま息を殺して耐える事とする。

 

 

私が何故こんな目に遭っているか。

何故、学校に悪役(ヴィラン)がいるのか。

それを思い返し、私は右手でこめかみを押さえた。

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

気付いたのは、今月の初めだったか。

 

ミッドタウン高校にはアドバンスクラスと言う、選択式の専門的な授業があって、2年生になれば生徒がやりたい事を選んで受けるようになっている。

 

その、生物学の授業。

教師の名前がカート・コナーズ。

三十代後半の男性で、普段はオズコープ社の研究員らしい。

 

オズコープ社と言うのは、この世界に存在する世界的な兵器会社だ。

強力な武器は勿論のこと、遺伝子を改造して肉体を強化する薬なんてものを研究している。

 

遺伝子改造による肉体強化薬、私はあまり良いものだとは思わないが……。

 

まぁ、私は人の事は言えないが。

 

 

それでオズコープ社なのだが、どうにも最近は業績が悪いらしい。

 

と言うのも、社長のノーマン・オズボーンが逮捕されたからだ。

彼は自社製の肉体強化薬を服用し、凶悪な人格が芽生え、無差別殺人を犯した。

 

悪役(ヴィラン)名は『グリーン・ゴブリン』。

緑色のプロテクターを身に纏い、オズコープ社製のフライトグライダーに乗り、これまたオズコープ社製の爆弾を用いる悪役(ヴィラン)だ。

 

数ヶ月前……まだ私がミッドタウン高校に入学する前に、スパイダーマンによって倒され、現在は刑務所に収容されている。

 

そんな不祥事から株価は暴落、肉体強化薬に対しての信頼も底辺に。

挙げ句の果てに「オズコープ社製の武器は不安要素が多い」と避けられる始末。

 

元々はこの国の軍に採用されていたが、現在は採用を見送られる事が増えているらしい。

 

 

そんなこんなで、オズコープ社の研究員であるカート・コナーズは自身の職場である研究所が閉鎖され、現在はミッドタウン高校で臨時教師をやっている。

 

まだ実際にはオズコープ社に籍を置いているらしいが。

彼の研究は爬虫類の遺伝子を人間に取り込むゲノム強化薬の研究だ。

 

ノーマンの件もあり、当分は研究所も凍結されたまま……いや、それどころか二度とゲノム強化薬の開発は出来ないかも知れない。

 

そんな焦りが彼にはあった。

 

カート・コナーズにとってゲノム強化薬の研究は、金儲けの仕事のため「だけ」ではないからだ。

 

まず、彼には右腕がない。

昔は軍医をしていたそうで、右腕を失ったのも戦争が原因らしい。

 

とにかく彼はゲノム強化薬によって爬虫類の再生力を得て、腕を生やすのが目標なんだとか。

あとは人類の進化だとか。

 

 

そんな、カート・コナーズ。

 

名前を聞いた時、「あれ?知っている気がする」と私は思った。

恐らく、前世の記憶で知っている筈。

 

私はうんうん唸りながらも、結論は出なかった。

 

だが、私が彼の名前を知っていると言う事は、きっと、恐らく、彼がヒーローか悪役(ヴィラン)なのか分からないが「どちらか」なのだろう。

 

 

結局、気になっていた私はアドバンスクラスは「生物学」を選んだ。

 

他にも色々あったが……将来に活かすと言う意味では、結局、私には必要なかった。

どうせ、今後も悪役(ヴィラン)として人殺しをしていくのだから、経済とか学んでも仕方ないし。

 

カート・コナーズは少し陰気だが、優しい教師であった。

生物学の授業は……正直言って、私にとっては簡単だったが。

 

私と同じく生物学を取っていたクラスメイトはひぃひぃ言っていたが。

 

あぁ、ピーターは簡単そうにしていたな。

……フラッシュはキツそうにしていたが。

 

……ピーターが生物学を取っているのは分かる。

だって、彼は遺伝子改良された蜘蛛によってスパイダーマンになったのだから。

自身の起源(オリジン)を勉強しようと言うのは至極真っ当だ。

 

だが、フラッシュが生物学を取っているのは不思議だった。

……どうやら、彼の様子は最近おかしいらしい。

ピーターを虐める事もなくなったし、私に絡みに来る事も減った。

時折、私に視線をチラチラと寄越して鬱陶しいが。

 

……私が生物学を取っているから、彼も取った……と考えるのは恐らく自意識過剰だろうが。

 

 

とにかく、実際に事件があるまではカート・コナーズ先生は良質な教師だったと言う訳だ。

私も「名前に覚えがあったのは善人としてだろう」と結論付けていた。

 

 

実際は違ったが。

 

 

昨日、生物学の授業に来たコナーズ先生は、どうやら尋常ならざる様子を見せていた。

 

何か、焦っている様子が見えた。

いつも以上に。

 

そうしてコナーズ先生は私に声を掛けたのだ。

 

 

「君は遺伝子改造をどう考える?」

 

 

……何故、私に?

というのも、コナーズ先生の授業に付いて行け「過ぎて」いたのが原因らしい。

 

コナーズ先生は、どうやら私を科学者として優秀だと勘違いしているらしい。

 

そう、勘違いだ。

私はただ似非超人血清によって思考力が強化された記憶力の良い人間にすぎない。

 

 

とにかく私は、「遺伝子改造には否定的です」と言っておいた。

肉体改造によるリスクを私はよく知っているからだ。

 

……そう、私という完成品を生み出すのに何十人と死んでいった子供たちの事を思い出せば、薬物による身体強化なんて肯定できる訳がない。

 

その時のコナーズ先生は酷く落ち込んだ表情をしていたのを覚えている。

 

 

 

そして、翌日、彼は授業のために登壇し、そこで……自身の生成したゲノム強化薬を使用した。

 

注射器を横っ腹に突き刺して……すぐに失くなった筈の右腕が生えてきた。

 

そこまではクラスメイト達も驚きこそすれ、恐怖はしていなかった。

 

だが、全身が鱗に覆われて、肉体が膨張し、白衣を引き裂き、巨大なトカゲ面の大男になった時。

 

直後、怒声と悲鳴があがった。

 

 

そして私はカート・コナーズが『リザード』と呼ばれる悪役だったことを思い出した。

 

 

私達はクラスから逃げ出した。

学校中に緊急サイレンが鳴り響き、ミッドタウン高校は阿鼻叫喚の地獄絵図になっていた。

 

学校の外まで逃げていた私は途中で逸れてしまったピーターの事を思い出して、心配し……いや、心配の必要がないことを思い出した。

 

恐らく彼はスパイダーマンに着替え中……じゃなくて、変身中だろう。

でなければ、あの正義感が強く責任感も強いピーターが、一緒に逃げていた女の子を放り出して居なくなる訳がない。

 

まぁ、だからスパイダーマンに心配は必要ないだろう。

そう思ってクラス委員の点呼に参加して……ピーターだけではなく、フラッシュが居ない事も発覚した。

 

私は驚愕して……校舎に向き直った。

窓から椅子が落ちてきて、避難中の生徒が悲鳴を上げている。

 

その椅子が落ちてきた窓、教室。

強化された視力で見れば、そこにはフラッシュの姿があった。

 

それが見えた時、私は飛び出していた。

クラスメイトの制止する声も聞かず、フラッシュのいる2Fまで向かった。

 

 

そして、着いた時。

実際にフラッシュは腰を抜かして、息を殺して階段裏に隠れていた。

 

コナーズ先生……いや、リザードは階段に手をかけて、少しずつフラッシュの方へと向かっていた。

 

 

私は。

 

 

いや、フラッシュ。

彼はピーターを虐めていたムカつく奴だ。

あんな奴がどんな目に遭っても、助けなくて良いだろう。

ここで私が立ち回った所で、私に得るものは何もない。

 

そう、結論付けながら。

 

 

私は机をリザードの頭上から落とした。

 

……少しよろけたが、やはり無傷のようで私を見ていた。

 

フラッシュは驚いた顔で私の方を見ていて……。

 

 

「逃げて」

 

 

と声を上げなければ、もう少し固まっていた所だろう。

 

フラッシュは怯えた顔で、おぼつかない足で、1階へと下っていった。

 

リザードはそれを追わず、私の方を見ていた。

 

そこからは詳しく覚えていない。

 

 

ただ、とにかく逃げて、現在は元の理科室で隠れている。

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

『俺のことを馬鹿にするな!ゲノム強化薬は最高だ!新人類への目覚めなのだ!貴様も私を愚弄するのか!?』

 

 

暴れて、暴れて。

錯乱し、明らかに正常ではないコナーズ先生、いや悪役(ヴィラン)、リザードは私を殺そうと暴れ回っている。

 

窓ガラスを叩き割り、ドアを破壊して、リザードが姿を現す。

 

 

『中途半端な善人思想、常識に囚われた愚者が人類の進化を妨げる!その芽は摘み取られるべきなのだ!』

 

 

まだ、きっと爬虫類の眼には私は映っていないだろう。

 

それでも、時間の問題だ。

 

私はため息を吐いた。

こんな事ならば、フラッシュを助けるべきではなかったかも知れない。

 

きっと、もうすぐ私の位置もバレてしまう。

そうなれば逃げる事は不可能だ。

抵抗して戦えば……私が超人である事がバレてしまう。

私がレッドキャップという悪役(ヴィラン)である事はバレないかも知れないが、面倒な事になるのは明白だ。

 

だが、戦わなければ死ぬ。

 

 

私は、ボールペンを手に取る。

普段使っているナイフと比べて、幾分も頼りない。

恐らく、鱗で覆われたリザードの皮膚を貫けない。

 

だから、強固な皮膚ではなく目を狙う。

目に突き立て、直接、脳までダメージを与える。

それが今、最も有効な唯一の反撃手段だろう。

 

私は『ミシェル・ジェーン』としての顔を捨てて、『レッドキャップ』へと切り替えて行く。

ペンを握った拳に殺意を込める。

呼吸は深く、重く。

そして、息を殺す。

 

来い。

殺してやる。

 

そして、教室の中に入ったリザードが私の隠れる机の前に立ち……。

 

 

 

ガシャン!

 

 

 

と窓ガラスが割れる大きな音がした。

 

そして、赤い残像が私の目に映った。

 

その残像は窓を突き破り、教室の壁に水平に着地した。

 

 

『スパイダーマン!?』

 

 

リザードが驚く声を上げて、その赤い残像を目で追った。

 

 

私は思わずペンを落として、その姿に見惚れて、立ち尽くしていた。

 

そして、スパイダーマンが私の方を見て……。

 

 

「逃げて!早く!」

 

 

あ。

 

 

『逃すか!』

 

 

リザードの大きな鋭い爪の生えた手が伸びて来る。

 

スパイダーマンの放った(ウェブ)によって、それは阻まれる。

(ウェブ)の絡まった腕は私の目の前で静止していた。

 

 

「君の相手は僕だ!トカゲ男!」

 

 

スパイダーマンが全力で引っ張り、リザードが無理矢理向き直される。

邪魔をされたリザードの目が鋭く光った。

 

 

『どけ!』

 

 

リザードが腕を振るえば、机の上に置いてあったビーカー達が砕かれ、弾き飛ばされた。

 

私は机の下に隠れて、飛んできた破片を避ける。

そのまま、少しだけ顔を出して様子を窺う。

 

水道の蛇口が破壊され、机から水が噴き出していた。

 

 

『何故進化を拒む!?ゲノム強化薬は人類を新たな生物へ作り替える奇跡だ!スパイダーマン、貴様も蜘蛛の力を得た新人類なのだろう!?』

 

「僕は人間をやめたつもりはない、よっ!」

 

 

ウェブシューターによって壁にかけられた時計を引き寄せ、リザードへと投げつけた。

 

大したダメージは期待できないが、目的は攻撃ではない。

リザードの顔面に命中し、視界が奪われた隙にスパイダーマンが飛び出した。

 

壁を三角跳びの要領で蹴り、リザードの首を足で掴む。

強制的に肩車のような状況ができた。

 

 

『貴様!』

 

 

そうしてそのまま、スパイダーマンは拳を数度頭へ叩き込んだ。

だが、ダメージはあまりないらしい。

 

リザードは壁に向かって身体をぶつけて、スパイダーマンを引き摺り下ろした。

 

 

『どうやら俺を怒らせたいらしいな!』

 

「怒っているのは僕の方だ!」

 

 

……普段、あまり怒っている姿を見せないスパイダーマン、そしてピーターが怒っていた。

 

理由は……きっと、彼の大切な日常を破壊しようとしているからだろう。

その気持ちは私にも分かる。

 

……まぁ、冷静じゃないからか、前回と違ってピーターそのままの声で話してるミスを犯しているが。

 

 

私はリザードに気づかれないよう、移動する。

入口の方へ、這うように隠れて歩く。

 

 

『シャアッ!!』

 

 

強烈な、爬虫類の威嚇音と共に強靭な尻尾が振るわれた。

 

私が先ほどまで隠れていた机が破壊され、半壊した椅子がスパイダーマンへと向かっていった。

 

それを超感覚(スパイダーセンス)によって回避しつつ、リザードの首に糸を巻きつけた。

 

 

 

『放せ!』

 

 

リザードが鋭い爪で糸を引き裂こうとするが、スパイダーマンは横方向に回転しながら跳んだ。

逆に糸に腕を絡め取られ、リザードの身動きが取れなくなる。

 

 

「こっちだ!」

 

 

スパイダーマンの強靭な肉体によって引っ張られ、リザードが窓へ叩きつけられる。

100kgを優に超える肉体が、窓ガラスを突き破って中庭へと落ちていく。

それを追って、スパイダーマンも飛び出した。

 

 

私は隠れていた机から離れ、二人が落ちていった窓の側へ駆ける。

 

窓から身を乗り出せば、下に落ちた二人が見えた。

 

生徒達が避難している方向とは真逆、中庭……そこで二人は向き合っていた。



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#14 インサニティ・アイズ part2

僕はミシェルと離れ、ロッカーに隠してあったスーツを着ていた。

 

ミシェルが学校から出て行くのは見えた。

きっと、恐らく……誰も学内に居ない筈だ。

 

本当ならスーツなんて着ずに、今すぐトカゲ男……コナーズ先生のいる場所へ向かうべきだ。

 

……きっと、これで誰か死人が出れば……僕は死ぬほど後悔するだろうけど。

 

物陰でスーツを着終えて、僕は廊下へと飛び出した。

 

上の階で大きな足音、そして破壊音が聞こえる。

僕は窓ガラスを蹴破り、飛び出す。

 

屋上の時計台へ(ウェブ)を引っ掛けて、反動で上に飛び上がる。

 

……ミッドタウン高校の学生達の声が聞こえる。

でも、気にしてなんていられない。

 

 

超感覚(スパイダーセンス)を頼りに、危機がより強く感じられる場所を探る。

 

3階、理科室だ!

 

僕は屋根の上を走り、足元に(ウェブ)を出す。

強く引っ張って、弧を描くように飛ぶ。

遠心力と糸の引っ張る力を利用して、理科室の窓へと飛び込んだ。

 

 

……そして、コナーズ先生がいる教室へ足を踏み入れた時。

 

そこには。

 

 

居ない筈のミシェルが居た。

 

何で!?

 

 

『スパイダーマン!?』

 

 

僕はミシェルを庇いながら、コナーズ先生と戦う。

ミシェルへ伸びる大きな爪の生えた手を止めて、リザードへと何度も攻撃する。

 

鱗は固く、防御力は高いようだが、力自体は僕の方が上だ。

 

 

『どうやら俺を怒らせたいらしいな!』

 

「怒っているのは僕の方だ!」

 

 

僕の大切な友達を傷付けようだなんて!

僕はミシェルから引き離すため、コナーズ先生を引き寄せて中庭へと飛び降りた。

 

僕は受け身をとって着地出来たが、コナーズ先生は背中から地面に激突した。

 

 

『ぐ、わ、あ』

 

 

落下の衝撃がまだ残っているコナーズ先生へ飛び蹴りを食らわせる。

側頭部に命中したけど、強靭な太い首のせいでダメージは薄いみたいだ。

 

それなら!

僕はマンホールへ(ウェブ)を伸ばし引き寄せる。

空で弧を描くように回転させて、ハンマー投げのようにブン回す。

 

そのまま、コナーズ先生へマンホールを投げつけた。

 

 

『がぁっ!?』

 

 

ガシャン!

と大きな音を立てて命中する。

 

命中したマンホールは弾き飛ばされ、フリスビーのように壁へ突き刺さる。

 

狙った所からは少し外れてしまったようだ。

クリーンヒットとは言い難い。

 

やっぱりキャップって凄いんだ。

狙った場所に寸分狂わず盾を投げられるんだもの。

 

それでもダメージは大きかったようで、コナーズ先生は膝をついて呻いている。

僕は右手から(ウェブ)を放ち、コナーズ先生を巻きつける。

 

ここで拘束して、動けなくする。

 

そして、近づいた瞬間。

 

 

「つっ!?」

 

 

突然、腹部に痛みが走った。

 

これは……あの、赤いマスクの男に切られたナイフの傷だ。

激しい運動で開いてしまったのか……。

 

コナーズ先生はその隙を見逃さなかった。

爬虫類のような……いや、爬虫類『そのもの』の目が鋭く光った。

 

 

『ガアアァァアッ!!』

 

 

起死回生の一撃か、片腕にウェブが絡まり動けないまま、僕へ体当たりを繰り出した。

 

回避は、間に合わなかった。

 

恐らく百キロを超える巨体、そして凄まじい瞬発力!

僕はまるで車に轢かれたかのように吹き飛ばされ、校舎の壁に叩きつけられた。

 

コンクリート製の壁が強くへこみ、ヒビ割れる。

それが衝撃を物語っていた。

一瞬、意識が飛びかけたが無理矢理に気合いで繋ぎ止める。

 

 

「く、そっ」

 

 

コナーズ先生は僕が怯んでいる隙に、地面を這うように素早く移動し、先程投げたマンホールの下にある下水道へと飛び込んだ。

 

 

「待てっ!」

 

 

僕が追いかけて下水道に入ったけど……。

 

 

「見失っ……なった……?」

 

 

三方向へと分かれており、音も反射していて何処にいるのか分からない。

肝心の超感覚(スパイダーセンス)も、さっきの衝撃からまだ立ち直れていない。

 

 

「く、そっ!」

 

 

僕は右手を壁に叩きつけた。

……開いた傷口がジクジクと痛んでいた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

「ピーター」

 

 

僕が避難場所に着いた時……ミシェルにグッと抱きしめられた。

 

 

「ミ、ミシェル?」

 

 

強く、強く抱きつかれている。

 

 

「痛っ」

 

 

脇腹の傷口が痛む。

それを見たミシェルが離れて、僕の傷口を見て……表情が曇った。

 

 

「ご、ごめん、ピーター」

 

「いや、いいよ……大丈夫だから」

 

 

ミシェルが申し訳なさそうな顔をする度、何故か僕も心が辛くなる。

 

こう……キュッと、締め付けられるような……。

 

 

 

「ミシェルは大丈夫だったの?怪我はない?」

 

「私は大丈夫……」

 

 

 

そう言えば、何で教室に一人で居たんだろう。

聞きたい。

 

でも、それを聞いたら何故かあそこに居たと知っていた事になってしまう。

僕は彼女より先に避難した事になってるのだから、聞くに聞けない。

 

 

「ミシェルちゃん!」

 

 

男の声が聞こえて振り返ると、そこにはフラッシュがいた。

 

 

「フラッシュ?」

 

「あ、あぁ、ピーターか」

 

 

フラッシュは僕の顔を見て、何故か気まずそうな顔をしていた。

 

 

「フラッシュ、どうしたの?」

 

 

ミシェルが聞くと、フラッシュはミシェルへ向き直った。

 

 

「ごめん、その、大丈夫だったか?」

 

「大丈夫」

 

 

ミシェルが親指を立ててサムズアップすると、フラッシュは安心したように息を吐いた。

 

 

「助かったよ……本当に……ありがとう、ミシェルちゃん」

 

「どうも、気にしないで……あ、でも「ちゃん」付けはやめて」

 

 

そう言って、「ちゃん」付けされたミシェルが、渋そうな顔をする。

 

 

「わ、分かったよ、ミシェル。でも本当にありがとう、君は命の恩人だ」

 

 

呼び捨てにされてミシェルが、また渋そうな顔をした。

 

……まぁ、でも彼女はやっぱり表情が乏しいから注意深く見ないと気づかないだろうけど。

フラッシュは気付いてないだろうし。

 

 

フラッシュと分かれて、ミシェルが僕へと向き直った。

 

 

「ミシェル、フラッシュを助けたの?」

 

「そう」

 

 

こくり、とミシェルが頷いた。

それで気付いた。

彼女があの時、理科室に居たのはきっと……フラッシュを助けるためだったのだろうと。

 

きっとミシェルは、フラッシュに対してあまり良い感情は持っていないだろう。

なのに……。

 

 

「……凄いね」

 

「そうでもない」

 

 

本当に「凄いことはしてない」と言った表情で、ミシェルが頷いた。

 

 

彼女は……やっぱり。

 

 

「いや、ミシェル。人助けは凄いことなんだ。褒められたら素直に受け取らなきゃ……それもあの、トカゲになったコナーズ先生から助けたんでしょ?」

 

「そう、だけど」

 

「ミシェル、君は自己評価が低いみたいだけど……僕もみんなも君が凄い奴で、勇気のある人だって」

 

「やめ、て」

 

 

ミシェルが僕の胸に手を置いた。

まるで懺悔する咎人のように。

 

 

「私はそんな、凄い人間じゃない」

 

 

そう言ってまた、彼女は俯いてしまった。

 

……また、僕は彼女を悲しませてしまったみたいだ。

彼女は自己評価が低くて、自分をダメな悪い人間だと思っている節がある。

 

可愛くて、勉強が出来て、優しくて……それでも何故、彼女が人に褒められたくないのか。

褒められると辛そうな顔をするのか。

 

僕には分からなかった。

 

 

「でも……とにかく無事でよかったよ」

 

「……ピーターも」

 

「ごめん、心配してくれた?」

 

「してない」

 

 

……ミシェルって時々、さらっと酷いことを言うよね。

 

 

「あっと、グウェンとネッドは?」

 

「無事。二人は先に帰ったみたい。ここにいるのは野次馬と、逃げるのが遅かった人たち…………あ、そうだ。二人にメール、送らないと」

 

 

そう言ってミシェルが胸元のスマホを取り出した。

……最新機種かな?

見たことのない形状だけど、どこで売ってるんだろう。

 

素早く指が動いて、1分もかからずメールし終えたみたいだ。

 

……なんというか意外だった。

ミシェルってそんなにスマホの扱い早いんだ。

ちょっと機械音痴なイメージがあったんだけど。

 

 

「それって」

 

「うん、安否のメール。ピーターは無事って言っておいた」

 

 

そう言うとミシェルが仄かに笑った。

 

 

……そう、言えば。

 

僕がスパイダーマンとして、コナーズ先生がいる理科室に飛び込んだ時。

ミシェル、どんな表情をしてたっけ。

 

いつも見る表情とは全く違う……怒ってるのか、怖がっているのか、それも分からない……ただ、強く手元にペンを握っていたな。

怖かった……という表情なのだろうか。

僕は、

 

 

「あぁ、君がピーター・パーカーか?」

 

「え、あ、はい?」

 

 

振り返ると、そこには警官が立っていた。

初老の、多分40歳ぐらいの男だ。

 

 

「あの、貴方は?」

 

「俺はジョージ。ジョージ・ステイシー警部だ」

 

 

警察手帳を僕に見せて、身分を証明する。

 

……あれ?というか、ステイシーって。

 

 

「グウェンの、お父さん?」

 

 

ミシェルが僕の疑問を声に出した。

 

 

「ん?あぁ、そうだな。グウェンの親父だ……というか、あれか。君は……ミシェルって娘か?」

 

「あ、うん」

 

 

ミシェルが頷く。

 

 

「娘が世話になってるな。名前は娘……グウェンから聞いてるよ。で、ピーター、避難確認をする為に来たんだよ、俺は」

 

 

ジョージさんが手元の資料にチェックを入れた。

あれが避難簿だろうか。

 

 

「あの、グウェンのお父さん?」

 

「ん?ジョージで良いぞ」

 

「あ、ジョージさん……えっと、全員避難は完了したんですか?」

 

「そうだ。君が最後だ。あぁ、いや、あのよく分からん赤いタイツの男は知らんがな」

 

 

そう言ってジョージさんが豪快に笑った。

 

赤いタイツ……あぁ、スパイダーマンか。

僕のことじゃないか。

 

 

「にしても……コナーズ?だったか?教師がデケェ、トカゲ男になって暴れるなんて世も末だな」

 

「たしかに」

 

 

ミシェルがうんうん、と頷いて同意する。

 

 

「コナーズ先生はどうなったんですか?」

 

「ん?」

 

「暴れた後……捕まったんですか?」

 

「いや、マンホールの下へ逃げた形跡がある。つっても下水道の先はニューヨーク中へ繋がってる。何処に逃げたかはサッパリだ」

 

 

やれやれ、と言った顔でジョージさんがため息を吐いた。

 

 

「はぁ、スパイダーマンが取り逃すなんてなぁ。ついてないよ、全く」

 

「そう、ですね……」

 

 

そうだ。

僕が取り逃したんだ。

 

……あの状態、トカゲ男になったコナーズ先生は異常だった。

肉体もそうだけど、精神状態がおかしかったんだ。

 

もし、彼が……また誰かを傷付けるとしたら。

 

 

「…………僕が何とかしないと」

 

 

誰にも聞こえないように、小さく呟いた。

 

 

最後だったのもあって、僕達はパトカーで送ってもらえる事となった。

 

後ろの席、ミシェルと僕は借りてきた猫のように落ち着かないまま座っていた。

 

ミシェルと僕が同じアパートに住んでいると知ったジョージさんは、そのままボロボロのアパートへ向かい僕達をそこで降ろした。

 

空ももう暗い。

夕方と言うよりは夜だ。

 

 

「学校は今週休みだ。というか、コナーズが逮捕されるまでは休みだな、外に出る時は気をつけとけよ」

 

 

そう言って、ジョージさんはパトカーに乗ってアパートから離れていった。

 

 

 

「ピーター」

 

「ん?どうしたの、ミシェル?」

 

 

振り返ると、ミシェルが神妙な顔で僕を見ていた。

 

 

「今日は、おやすみ」

 

「ん?あ、おやすみ?」

 

 

部屋の前で手を振って別れる。

 

 

……おやすみ、か。

 

僕はまだ寝るつもりはないけど。

部屋に入って、脇腹の傷口を見る。

 

少し、血が滲んでいる。

僕は上からガーゼを張って、テープで巻きつける。

 

 

「……はぁ、またミシェルに怒られちゃうな」

 

 

そう言えば、彼女は何処であんな手当の技術を学んだんだろうか?

……もしかして、将来の夢は看護師とか?

医者かも知れないな。

 

人を助けるための仕事、か。

……ミシェルは優しいし、似合うだろうな。

今度、それとなく聞いてみようかな。

 

僕はズボンを脱いで、洗濯カゴに入れる。

明日にはコインランドリーに行かなきゃ。

 

……とにかく、考えても仕方ない。

 

僕は破れたスーツをクローゼットに投げ込み、スペアのスーツを出す。

 

 

あぁ、スパイダーマンのスーツはハンドメイドだから、また休みの日に修理しないと。

……メイおばさんから借りてるミシンが大活躍だ。

 

メイおばさんは僕がスパイダーマンだって知らないから、僕を趣味が裁縫の男の子だと思ってるけど。

 

 

両足を通し、腕を通す。

最後にマスクを被って完成だ。

 

僕は窓から物音を立てずに飛び降りる。

こっちの窓は向かいが立体駐車場のビルになっているから、誰も見ない。

 

元々はビルなんて無かったんだけど……後から立ったらしい。

窓から見える景色はコンクリートの一面なんて嫌だよね。

 

これが、このアパートが安い理由の一つなんだろうな。

 

なんて考えながら、僕はアパートの屋上へ乗り出した。

 

 

『ザッ……ザッ………クイーンズ警察署……』

 

 

耳元でイヤホンの音が鳴る。

これは小型の盗聴器だ。

警察の無線を傍受してる。

 

これを使って、警察より先に現場へ駆けつけて、誰かを助けるって事をよくしている。

 

ちなみに、スタークさん製だ。

 

ダイヤルを調整し、幾つかのチャンネルに切り替える。

 

 

違う。

違う。

違う。

 

……これだ。

 

 

巨大なトカゲ、リザードを発見したと連絡が入っていた。

 

僕はその地区へ向けて飛び出す。

ウェブシューターから(ウェブ)を放ち、スイングする。

 

夜の街を赤い残像が駆けて行った。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

ピーターが、いや、スパイダーマンが離れていく感覚を感じ取る。

 

超人血清によって強化された聴覚は、たとえ見ていなくても物の移動が分かるほど鋭い。

 

 

……おやすみ、って言ったのに。

 

 

私は声を出さずに、読んでいた本を机に置いた。

 

ピーターの腹の傷……私、レッドキャップがつけた傷が開いている事には気付いていた。

 

無理をしないで欲しい。

 

その思いから、「今日は、おやすみ」と言ったのに。

素直に寝てれば良いのに。

 

 

「……ばか」

 

 

でも、その自己犠牲精神こそが彼をスパイダーマンたらしめているのだろう。

 

助けられる人がいるのに、自分が何もせずに誰かが死ぬ事を許せない。

 

その力ある者の責任感こそが、スパイダーマンの本質だ。

 

私はコートを羽織って、部屋を出る。

道中で誰かに見つからないように、深めに帽子を被る。

 

 

彼が休まないのであれば、私も休む必要はない。

 

 

私はクイーンズに来てから通い慣れた……いや、通い慣れてしまった場所へ向かった。



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#15 インサニティ・アイズ part3

時間は21時を過ぎた。

空は暗い。

 

今日は雲が分厚くて、月も見えていない。

 

僕はコナーズ先生……いや、リザードの発見報告があった地区へと向かっていた。

 

そこは……オズコープ社の近くだ。

 

 

ビルからビルへスイングして、夜のニューヨークを駆ける。

 

空を切る音と、冷たい夜風が身を打つ。

 

 

やがて、オズコープ社が目に見えてくる。

大きなビルだ。

周りのビルとは一線を画す程に大きなビルだ。

 

 

 

……きっと、リザードの目的地はここだ。

 

僕はオズコープ社の壁を這うように走り、屋上で身構える。

 

 

リザードは、この周辺で発見された。

警官達を気にしないほど、何かに夢中なように走っていた。

 

その先はここ、オズコープ社ビルのある方角だった。

 

 

 

「……来た」

 

 

僕は屋根伝いに走り、飛び移るリザードを見つけた。

 

僕はビルから飛び降りて、(ウェブ)で途中の勢いを殺し、リザードの前に着地した。

 

 

……うっ、足が痺れる。

スタークさんのよくやっているポーズ、あれってちゃんと片手で地面に着いて衝撃を殺しているんだな……。

 

 

驚いたようにリザードが声を上げて、僕を睨みつける。

 

 

『スパイダーマン……邪魔をスる気カ?』

 

 

学校で見かけた時よりも声も、姿も人間離れしていた。

体格も2mを超して……大きくなっている。

 

……強化薬の投薬量を増やしたのか。

人間から遠ざかっている。

 

 

「何をする気か知らないけどさ、それはきっと叶わないよ」

 

『何故ダ?』

 

「僕が止めるからだよ」

 

 

(ウェブ)を放ち、右腕を掴んだ。

 

そのまま引っ張り寄せようとして。

 

 

『ウガァッ』

 

「えっ」

 

 

僕が引っ張られた。

 

ドカン!

 

と、強い打撃音がして僕は地面に叩きつけられた。

 

想像以上に力が強くなっている!

 

 

「このっ!」

 

『無駄、ダぁッ!!』

 

 

またリザードが(ウェブ)を引っ張り、僕は宙へ浮いた。

 

そのまま腕を回し、糸を巻きつけ、僕を真正面へと引き寄せる!

 

 

『ギャはハ!デスマッチとイこうじゃナイかッ』

 

 

至近距離で放たれたリザードの拳を僕は間一髪で避けた。

 

危ない!

今のは超感覚(スパイダーセンス)が無ければ避けられなかった。

僕は回避から即座に回し蹴りを放ち、リザードの顔に叩き込む。

 

 

『ハエでもトマったかァ?』

 

 

まるで無傷だ。

 

 

『シャッ!シャアッ!シャアアッ!!』

 

 

右ストレート、左フック、足払い。

 

全てを避けてカウンター気味に拳を、足を叩き込む。

 

元からタフだと思ってたけど、全然効いてないじゃないか!

 

 

『ちょこ、マ、カ、とォ!』

 

 

怒り狂ったリザードが右手を大きく振り上げる。

 

 

「わあっ!?」

 

 

体長2mもある巨体が、僕と短くつながっている紐を持ち上げればどうなる?

 

答えは簡単だ。

 

右腕を吊られ、僕は足が地面から離れてしまった。

 

 

『サンド、バッグにシテやるッ!』

 

 

左手の拳が握り込められて……。

 

 

突如、白い凍気がリザードの背中に降りかかった。

 

 

『ギャアッ!?』

 

「くらえっ、トカゲ男め!」

 

 

そう言って、そこに立っていたのは。

 

ジョージさん!?

 

右手に持っているホースから、白い冷たい空気が出ている。

背後にあるボンベは……液体窒素か!

 

 

僕はリザードが怯んだ隙に(ウェブ)を断ち切り、ジョージさんの方へ向かう。

 

 

「ジョ……」

 

 

あぁ、ダメだ。

スパイダーは彼の名前を知らない。

 

 

「警官さん、それは……」

 

「あぁ?スパイダーマン、こいつは液体窒素だ」

 

 

いや、そりゃ見れば分かるよ!

だってボンベに「液体窒素」って書いてあるじゃないか!

 

僕が聞きたいのは、

 

 

「何故、こんな危ない事を……」

 

「街を守るのは警察官の仕事だろうが、危ないも糞もねぇよ!」

 

 

液体窒素を掛けられて身動きが鈍っていたリザードが、鋭い目つきでコチラを睨んだ。

 

 

「話は後だ!こいつで俺が弱らせるから、お前が拘束しろ!」

 

「分かりました!ジ、警官さん!」

 

 

僕はジョージさんを守るように飛び出して、リザードの左腕に巻き付ける。

 

 

『馬鹿メ!同じ過チを繰り返ス、なド!』

 

 

そう言ってリザードが(ウェブ)を引っ張ろうとした瞬間、僕はリザードの大きく空いた股ぐらに目がけて滑り込んだ。

そのまま背後を取りつつ、(ウェブ)を切って、リザードの右足へ巻きつけた。

 

 

『う、ォオ!?』

 

 

そのままバランスを崩して、リザードが転倒する。

 

 

 

「今です!警官さん!」

 

「おっし、任せとけ!」

 

 

ジョージさんが液体窒素をリザードへと吹き掛ける。

 

 

『ギャ、グ、ウォ』

 

 

そうだ。

リザードは爬虫類の体だから温度の変化に弱いんだ!

 

そのまま左半身が凍結して……。

 

 

突如、僕の超感覚(スパイダーセンス)が警戒を強く示した。

 

 

「ジョージさん!危なっ」

 

『グオオオオォォ!!!』

 

 

突如、リザードが凍結していた左腕をもぎ取り、立ち上がった。

 

 

「なっ」

 

 

僕は咄嗟にジョージさんを庇おうとして飛び掛かった。

 

 

『邪魔だァ!』

 

 

右腕が僕の顔に命中し、地面に叩きつけられる。

 

 

『グ、ォオ!』

 

 

ずるり。

 

と音がして、砕けた左腕が生えてくる。

 

再生能力!?

 

いや、僕はこの能力を初めて見た訳じゃない!

学校で、変身した瞬間に見たじゃないか!

失った腕が再生していた所を!

 

 

尻尾で薙ぎ払われて、ジョージさんが吹っ飛ばされる。

そのまま貯水タンクに衝突して、気を失った。

 

 

『殺ス!』

 

 

まずい!

僕は体を起こそうとして、足元から崩れた。

 

ダメだ!

さっきの衝撃で脳が揺れてる!

平衡感覚がない!

 

だけど!

動け、僕の身体!

 

 

凍結された足元が滑って、僕は無様に転げた。

 

 

「やめ、ろ!コナーズ!」

 

『コイツを殺シたら、次はオマエだ!スパ

 

『そこまでだ』

 

 

突如、炸裂音が響いた。

 

それは……ただの発砲音にしては大きすぎた。

 

……ショットガン?

 

無数の穴がリザードの身体に出来ていた。

傷付けられたリザードの身体から、緑色の血が流れている。

 

 

『ギャアアアッ!?』

 

『どうやら再生力はあるようだが、痛みがないと言う訳ではないらしいな』

 

 

その機械音声のような声に、僕は聞き覚えがあった。

無意識に右手で脇腹を押さえた。

 

この傷を付けた赤いマスクの男が、そこに立っていた。







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#16 インサニティ・アイズ part4

私は右手に散弾銃(ショットガン)を構えて、リザードの前に立つ。

 

引き金を引いて、再度発砲する。

 

バカン!

 

と鈍い発砲音と共に、細かい散弾が飛び散る。

 

 

『ギャアッ!?』

 

 

悲鳴をあげて、リザードが仰反る。

 

この銃はティンカラーの作った武器だ。

通常の散弾銃とは違う。

反動を打ち消すための機能を最小限に抑える事で、小型化に成功しているのだ。

 

その分、一般人が撃てば肩が砕ける事は必至だ。

私のような超人のみが扱える散弾銃だ。

 

 

ちらりと、横を見ればグウェンの父、ジョージ・ステイシーが倒れている。

 

……息はある。

骨も折れてるし、気絶しているようだが。

命に別状はない。

 

 

『借りるぞ』

 

 

私は散弾銃を腰の裏にしまい、ジョージが背負っている液体窒素の入ったボンベを掴む。

そのまま片手で持ち上げて、リザードへと投げつけた。

 

 

『ガッ!?』

 

 

散弾銃に怯んでいるリザードの頭に、ボンベが衝突する。

 

私は肩に背負っていた武器を取り出す。

これはガンランチャーと呼ばれる武器だ。

 

様々な弾丸が装填できる武器で、条件、戦況に応じて撃ち分けられる大きな銃だ。

 

私はそれをリザード……ではなく、液体窒素の入ったボンベへ撃つ。

 

 

 

そして、弾丸は爆発した。

今撃ったのは小型グレネード弾。

一般人の頭ぐらいなら吹き飛ばせる小型の爆弾だ。

 

殺傷能力は高いが隠密性能が低い。

普段の暗殺では使用しない武器だ。

 

爆発を受けたボンベが砕けて、周りに液体窒素がばら撒かれた。

 

 

『凍、ル!?』

 

 

リザードの身体、その表面が凍結する。

私はガンランチャーのバレルを回し、別の弾丸へと切り替える。

 

再度、ガンランチャーを発砲する。

 

 

 

『ギャッ!?』

 

 

弾丸はリザードの身体、中心へと命中する。

 

そして、その弾丸の尻から、爪付きのワイヤーが幾つも射出される。

ワイヤーの爪は周りの床を突き刺して、リザードの動きを拘束する。

 

……これは、まぁティンカラーがスパイダーマンを参考にしたワイヤー弾だ。

 

そして、

 

 

『何を呆けているんだ、スパイダーマン。お前の出番だぞ』

 

「分かってる、よっ!」

 

 

スパイダーマンが立ち上がった。

 

……うむ、何度打ち倒されても立ち上がる。

やはり、それこそがスパイダーマンの美点だ。

かっこいい。

 

 

スパイダーマンがウェブシューターから(ウェブ)を放ち、リザードを拘束していく。

 

 

『ぐ、オ、オォ!!』

 

 

右腕、肩、腰、尾、頭。

素早く的確に身体を地面に縫い付けていく。

 

リザードは足掻こうとしているが、皮膚が凍結している事、私のワイヤー弾で拘束されている事、そしてスパイダーマンのウェブに絡め取られている事。

全てが相まって、無駄な抵抗となっていた。

 

 

『ク、そっ!クソッ!クソがッ!!』

 

 

しかし……まぁ、リザードからはカート・コナーズにはあった理知的で知性的な思考能力は存在していないらしい。

 

そのまま床に縛り付けられ、身動きが取れなくなった。

 

 

『お、オレが、人類、の進化ヲ!進めル!為に!人は進化するノダ!ゲノム強化薬にヨって!』

 

 

リザードが嘆きながら叫ぶ。

 

……コイツの目的は。

 

 

『何をしようとしていた、リザード?』

 

『ゲノム強化薬ヲ、オズコープ、ニィ、ある、液体雲発生装置デ、このニューヨークの人類ヲ進化さセ

 

『もう良い。分かった』

 

 

私は散弾銃を構え、リザードの顔面に押し付けた。

 

 

……コイツはもう正気ではない。

ゲノム強化薬によって人間を強くする?

誰もそんな事を望んではいない。

 

人は……ただ平和に生きているだけで幸せなんだ。

 

…………死んでいった仲間達の姿を思い出す。

レッドキャッププログラム……大人の勝手で身体を弄られ、壊れていった子供達。

 

血塗れの瞳が、私を見つめている。

 

 

無差別に人間を強化する?

了承もなく?

 

許される訳がない。

 

力ある者は望むとも望まなくとも、平凡な人生を送る事は出来ない。

彼の自論によって、幾人もの人間の未来が奪われる。

 

それも、罪のない……ただ、日常を生きるだけの人達の。

 

……許せない。

 

私は散弾銃(ショットガン)の引き金を……。

 

 

「やめろ!」

 

 

スパイダーマンが(ウェブ)を飛ばして、私の散弾銃を奪った。

 

 

『…………』

 

 

……今、私は何をしようとしていた?

私情で人を殺そうとしていたのか?

 

私は……レッドキャップは仕事で「仕方なく」人を殺しているから……仕方ないのだと。

私自身は人を殺したい訳ではないと言い訳をして生きてきた。

 

…………危うく、一線を超える所だったのか。

 

 

ありがとう、と。

心の中で、感謝を述べた。

 

 

私はスパイダーマンに歩み寄る。

……彼は私を警戒して、少し身構えた。

 

 

『そう身構えなくて良い。私はもう彼を殺す気はない』

 

「……え?」

 

 

呆けているスパイダーマンから散弾銃を奪い、腰の裏にしまう。

そのまま去ろうとして……。

 

 

「ちょっ、ちょっと待ってよ!?」

 

『……何だ?』

 

「全然分からないんだよ、君の事が……名前も、何がしたいかも!君が善い奴なのか、悪い奴なのかも!」

 

『……ハァ』

 

 

私は振り返り、スパイダーマンを真正面から見据えた。

 

 

『私の名前はレッドキャップ。職業は悪の組織の殺し屋だ。そして……』

 

 

夜風が酷く冷たい。

 

 

『『悪い奴』だよ』

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

あの後、スパイダーマンがジョージ・ステイシーの傷の具合を確認している間に、私はその場を後にした。

 

恐らくスパイダーマンは気付いていただろうが……気絶しているジョージ・ステイシーを放っておけない。

拘束しているリザードもいるし。

 

 

私は地下拠点でスーツを収納し……頭を抱えていた。

 

 

「まずい……」

 

 

そもそも介入するつもりは無かった。

もし、万が一。

万が一にもスパイダーマンが負けてしまえば……そう、不安になって見に行ったに過ぎない。

 

結局、我慢出来ずに助けてしまったが、このスーツは組織……正確にはティンカラーが管理している。

弾丸や、武器の消耗具合から、任務とは関係ない場所で使用した事がバレてしまう。

 

 

…………私の命の危機だ。

何かしらバックストーリーを用意しなければ……。

 

 

私はビクビクと怯えながら帰路に就き、震えながらベッドで就寝した。

 

あぁ、寝て起きたら無かった事にならないかな。

 

 

 

 

そして、翌朝。

 

当たり前だが、無かった事にはならなかった。

私の組織用のスマホを見ればティンカラーからの呼び出しメールが来ていた。

 

う、ぐ、胃が痛い。

心臓もバクバク言ってる。

 

今日は学校が休みだ。

まぁ、リザードが暴れ回った翌日だからだ。

臨時休校だ。

 

私は荷物をまとめて、ティンカラーの元へ向かった。

 

 

 

そして。

 

 

 

『何に使ったの?グレネード弾、ワイヤー弾、あと散弾が二発も』

 

「………………」

 

 

何も言い訳が思い浮かんで来なかった。

 

ちなみに今日はスーツを着ていない。

普段通りの服装で来ている。

 

と、言うのもメール内で「スーツ無着用で来るように」と書いてあったからだ。

 

それもそうか。

反乱の疑いのある人間に武装させたい訳はないだろう。

 

 

『言えないような事?組織にも?』

 

「う、ぐ……」

 

 

思わず変な唸り声が出てしまった。

 

……いや、今はレッドキャップなのに。

ミシェル・ジェーンではないのに。

 

それを見たティンカラーが意外そうに、驚いた顔をしていた。

 

 

『……まぁ、良いけどね』

 

 

どうでも、良いって事か。

 

まずい。

この事が組織に知られたら、私は。

 

 

『黙っておいてあげようか?組織には』

 

「……何?」

 

 

急に差し伸べられた救いの手に、私は訝しんだ。

 

 

『言ったらヤバいでしょ?君』

 

「……そうだが。何が望みだ?」

 

 

私は疑わしくなって、聞き返す。

 

……まさか、身体か?

そういえば、前回私の顔を見た時に凝視していたし、まさか。

 

 

『いや、別に……?君が死んだら僕のスーツとか誰が着るんだよ。困るんだよね、君は僕の実験生ぶ……ゴホン、パートナーなんだからね』

 

 

おい待て、今本音が漏れてなかったか。

 

 

「……すまない、恩に着る」

 

『まぁね。あ、でも弾丸代は払ってね。組織に黙って補充するから経費で落ちないよ』

 

「幾らだ?」

 

 

自慢ではないが、私は暗殺業で結構給料を貰っている。

お金には結構余裕が……。

 

 

『はいこれ』

 

 

そして、ティンカラーから渡された明細書を見て。

 

 

私は当分、スイーツを控える羽目になったのだった。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

それから、三日後。

 

 

「あれ?ミシェル、珍しいじゃん。昼ご飯がカロリースティックって」

 

 

がじがじ。

私はパサつく携帯食料をかじり、水で流し込んだ。

 

 

「……ちょっと、金欠」

 

「へぇ……そうなんだ」

 

 

ここは屋上。

ミッドタウン高校の屋上だ。

 

リザード事件から大して時間は経っていないのに、校舎はほとんど元通りになっている。

流石は凄い頻度でスーパーパワー絡みの事件が起きる世界だな、って思った。

修復技術の発展が凄まじいのだ。

 

ちなみに、リザードは特殊な刑務所へ収容されたらしい。

名前は……ラフト刑務所だったか?

水中に沈んでいる刑務所らしい。

この世界で最も脱出困難な刑務所と謳われている。

 

 

「普段は昼にケーキとか食べてるのにね」

 

 

そう。

私の食生活はメチャクチャなのだ。

 

超人血清によって栄養素がメチャクチャでも活動出来てしまう為、好きなものを好きなだけ食べる生活をしているのだ。

 

……だから、昼に外の店で買ってきたパンケーキやマフィン、マカロンのような常温でもそこそこ持つものを昼に食べている。

 

今日は購買で売ってるカロリースティック(4本入り1ドル)だが。

 

……小型グレネード弾があんなに高いとは思わなかった。

やっぱり、普段使いはナイフが一番良い。

 

がじがじ。

 

私は甘さしか味のしない携帯食料を齧り続けた。

 



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#17 ショック・ユア・ハート part1

「チケットを拝見致します」

 

 

私はチケットを手渡した。

 

ここはマンハッタン。

その港。

 

目の前には大きな……それこそ前世を含めても初めて見るような大きな船があった。

 

身分証明を出来るものを渡し、本人証明する。

 

だが、そこに書いてある名前は『ミシェル・ジェーン』ではない。

 

 

「ミカエル・ジョーンズ様ですね……係の者が案内いたします」

 

 

そう言われて私は船に足を踏み入れた。

 

 

 

今の服装はカジュアルなドレスだ。

黒いワンピース型のドレスで、肩はレース状になっていて透けている。

 

……足がスースーする。

やはりスカートは……何というか、慣れない。

下にショートパンツを履いても良いか?

 

……ドレスコード的にはダメか。

 

一見するとお洒落なドレスだ。

だが、普通のドレスではない。

 

防刃、防弾、防熱、防水、防寒。

ナイフで切れず、弾丸を通さない特殊なドレスだ。

ティンカラーが作った。

……あいつ、デザインセンスがあるな。

 

では何故、そんな物騒なモノを着ているかと言うと『仕事』だからだ。

 

今回の任務は暗殺ではない。

護衛、そして防衛だ。

 

『A.I.M』と『ライフ財団』。

今日、この二つの組織の取引が船上で行われる。

 

『A.I.M』は高度な科学技術を持つ組織だ。

正式名称は『アドバンスド・アイデア・メカニック』。

元々は『ヒドラ』と呼ばれる組織の科学兵器開発部門だった。

だが、戦時中、キャプテンアメリカによって『ヒドラ』は打ち倒され、残党として独立した組織となったのだ。

彼等の目的は世界征服だ。

子供の夢のような荒唐無稽さがあるが、倫理観のない科学者どもが本気で言っているのであれば……それは笑い事ではない。

 

『ライフ財団』は表向きにも存在する製薬会社の後ろ盾にもなっている大きな財団だ。

人体実験紛いの治験をしているという噂があり……あぁ、『A.I.M』と繋がっている事から察する通り、噂ではなく事実なんだが。

多数の資産家が集結して作られた財団であり……何か、重要なモノを持っているらしい。

 

その『重要なモノ』を受け渡す取引。

万が一邪魔者が現れた際、その邪魔者を殺すために私は呼ばれた。

 

二つの組織は非人道的な組織であり、多数のヒーローやチームからマークされている。

今回、何者かの介入があってもおかしくない。

 

そう思った『ライフ財団』が大金を払い、『組織(アンシリーコート)』から私が派遣されたのだ。

 

ちなみに『A.I.M』と『ライフ財団』には『レッドキャップ』が向かう、と言っただけで、私……レッドキャップの正体について彼等は把握していない。

 

今の私はただ、組織の金で豪華客船のクルーズチケットを買って乗り込んでいるだけの一般客だ。

 

 

私は案内役に連れられ、ホテルの一室のような部屋に案内された。

 

部屋には既にスーツケースが置かれている。

私は室内の椅子に座り、卓上にあった果物を口に入れた。

 

……やがて汽笛が鳴り、船が出航する。

自室の窓から外を見れば、陸地から離れていくのが見えた。

 

これで、この船は外界から遮断された闇取引には持ってこいの施設となった訳だ。

 

……だが、取引までには……まだ時間がある。

 

私はカード型のルームキーを手に取り、部屋から出る。

 

最低限、間取りは地図を読み把握しているが……実際に歩いて見た方が確実だ。

 

……む、今、ディナータイムか。

広場では食事が並べられている。

ビュッフェスタイルのようで、好きなものをお取り下さい……と言った感じか。

 

だが、道草を食っている場合ではない。

 

私はデザートコーナーにあったプリンを手に取り、スプーンを突き刺した。

 

遊びで来ているのでは無いのだ。

幾ら時間に余裕があるからと言って、緊張感に欠ける行動は、うわっ、このプリン美味……。

 

私は食べ終えたプリンの容器を机に戻し、二個目のプリンに手を伸ばした。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

私の名前はナターシャ。

ナターシャ・ロマノフだ。

 

国家の治安維持を目的とする諜報組織『S.H.I.E.L.D.』に所属するエージェントだ。

 

コードネームは……ブラックウィドウ。

 

『S.H.I.E.L.D.』は敵対している組織、『ヒドラ』の残党である『A.I.M』が怪しげな取引を行うと言う情報を掴んだ。

 

故に『S.H.I.E.L.D.』が数人、船上に忍び込んでる。

だがそれは、コソコソと隠れて船に侵入するような方法では無い。

 

偽の身分証を使ってクルーズ客船の乗船券を買い、真正面から入っているのだ。

 

私は隠密行動を任務とするエージェントだが……世間からの知名度が少し、いや、かなり知名度が高い。

 

それもこれも、仲良しヒーローチームに所属している所為とも言える。

だが、不満があるわけでは無い。

家族のいない私にとって、彼等は家族のようなモノだからだ。

 

私は普段の赤毛を金髪に染めて、カジュアルで少し露出の高いドレスを着て変装している。

 

武器や、普段の服は室内に隠してある。

今は船上で諜報活動を行い、怪しい客を探している。

 

情報収集を行うために、客の集まる場所に行く。

……どうやら、広場ではディナーが振る舞われているようだ。

 

私は壁に背を任せ、目を閉じて耳を澄ませる。

五感の一つを遮断する事で、残りの感覚を強化する。

 

 

食器の擦れる音。

どうでも良い世間話。

恋人同士の語らい。

客同士の小さなトラブル。

……具体性を持たない会話。

 

私は目を開いた。

 

代名詞だけで会話している高官のような男達……少なくとも、後ろめたい何かがあるのだろう。

 

私は足を踏み出し……少女とすれ違った。

 

 

ゾクリ、と嫌な感覚が背筋を走った。

 

私は極めて平静を装って、ゆっくりと振り返った。

 

 

白色の入った金髪に、深く綺麗な青色をした眼。

日に焼けていない白い肌、整った目鼻立ち。

まだ幼さを残した可憐な少女が、その身体の特徴をひっくり返したかのような黒いドレスを着ていた。

 

一瞬、私は息を呑んだ。

 

あまりにも綺麗だったからか?

いや、違う。

 

美しさの下に、研ぎ澄まされた暴力性を感じたのだ。

 

そう、何処か……私と似ている感覚があった。

 

彼女の髪は白金で、私の髪色は赤い。

目の色も、肌の色も……容姿は全く異なっている。

だが、私の心の奥底で「彼女は私に似ている」と言う結論が出ているのだ。

 

それも「今の私」ではない「過去の私」に似ている。

『悪の組織(レッドルーム)』に所属していた頃の、腐っていた私に……似ている。

 

 

私は一流のエージェントだ。

 

自身の勘だけで結論立てるのは、三流のエージェント。

論理的思考のみで結論を導くのが、二流のエージェント。

 

そして、一流は……。

自身の勘と論理的な思考、その双方から結論を選ぶ。

 

警戒する事に越した事はない、私は腕時計に偽装されている高圧電流を発生させるスタンガンを起動しておく。

 

 

「……どうか、しましたか?」

 

 

目前の彼女と、私の目があった。

彼女は懐疑的な目をしている。

 

 

「……いえ、貴方があまりにも綺麗だったから、少し目で追ってしまっただけよ」

 

「そう、ですか」

 

 

かちゃり、と彼女の手元が動いた。

私はコバルトブルーの瞳から目を離し、彼女の手元を見て…………。

 

スプーン?

手元にはプリンの入ったガラス容器があった。

 

 

「……それ、美味しいの?」

 

「え?あ、はい。美味しい、です」

 

 

彼女も毒気が抜かれたような顔で頷いた。

 

……気のせい、だったか。

 

彼女から何か私と似ている雰囲気を感じていたが…………スパイが任務先でプリンを食べているなんて、あり得ない。

 

私の勘も鈍ったのかも知れない。

 

 

「ジロジロ見てゴメンなさいね」

 

 

私はそう言って、彼女から離れる。

 

……敢えて背後を見せて隙を誘っても襲っては来ないし、追跡してくる気配もない。

 

私は腕のスタンガンを停止させて、足を進めた。

時間は有限だ。

取引の時間までに、場所や時間を引き出さなければならない。

 

彼女から感じた不思議な感覚を「気のせい」として脳裏に押し込んだ。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

私は自室に戻っていた。

広場でプリンを食べていた時……明らかに敵対組織のエージェントらしき女性から疑われてしまった。

 

私がプリンを食べているのを見て警戒を解いていたが……内心、焦っていた。

そもそも、私は何もボロを出さなかった筈だ。

 

すれ違っただけで疑われるなど……もしや、超能力者(エスパー)か?

前世であれば冗談に聞こえるだろうが、この世界では本当にエスパーがいる。

 

 

超能力を生まれ持つ『ミュータント』達が。

 

相手の精神、思考を読み取るテレパシー能力を持つ者……『テレパス』。

有名どころで言えば……『プロフェッサーX』か。

 

だが『プロフェッサーX』は車椅子の老人男性。

少なくとも疑ってきた女性はプロフェッサーXではない筈だ。

 

低レベルな『テレパス』であれば問題ない。

私の心には薬剤処置、低度洗脳による防護壁(プロテクト)が掛かっている。

組織による尋問対策の一つで、無意識領域の記憶暗号化……だったか。

 

……今思い出しても、あの訓練は気分が悪かったな。

生理的な嫌悪感と吐き気、自分の意識がグチャグチャになるような気味悪さ……それを思い出し、私は眉を顰めた。

 

とにかく、頭で強く浮かべていなければ『テレパス』に情報を抜かれる事はないだろう。

……プロフェッサーXレベルの超強力な『テレパス』は回避不能だが。

 

エージェントらしき彼女が追ってこなかった事から、少なくとも私に対して確信は持てなかったのだろう。

 

 

問題はない。

 

 

そう結論付けて、スーツケースをベッドの上に置いた。

 

ケースの取手部分のレンズ部に指を当てる。

指紋認証によってキーが解除され、スーツケースが自動で開かれる。

 

そこには見慣れた赤いマスクと、黒いアーマースーツがあった。

私は素早くスーツを装着する。

 

 

起動(ブート・オン)

 

 

スーツから空気が抜けて体にフィッティングされる。

マスクの内部に様々な機能が表示され、消えていく。

 

 

スーツの機能が正常に起動した事を確認し、ケース内に入っている武器を取り出す。

 

……今回、スーツケースのサイズ上の問題で散弾銃(ショットガン)やガンランチャーは持ち込めていない。

入っているのは小型の拳銃型武器だけだ。

 

一般的な人間相手であれば問題のない普遍的な口径を持つ拳銃だ。

拳銃本体はティンカラー製だが、弾丸は市販のモノだ。

 

私はそれを右腰に装着する。

後は太腿に収納している特殊合金製ナイフが2本、か。

 

……先程の異常に勘の鋭いエージェント然り、もし超人レベルのヒーローが来れば……少し心許ないかも知れない。

 

だが、今回の任務……呼ばれたのは私だけでは無い。

『A.I.M』と『ライフ財団』の私兵は勿論……もう一人、私と同じように呼ばれた悪役(ヴィラン)がいる。

 

……私も知っている男だ。

 

 

取引には、まだ時間がある。

だが、直前に顔合わせをしておく必要はある。

 

天井のパネルを一つズラし、ダクトに潜り込んだ。

 

船上は既に消灯時間だ。

船内で彷徨いている人間は居ないだろうが……警戒をしておくに越した事はない。

 

暗闇の中を進み、やがて一つの空き部屋まで辿り着いた。

ダクトの金属蓋を開き、私は音もなく着地する。

 

こういう時、ヴィブラニウム製のスーツは便利だ。

幾らしなやかに着地しようとも、金属製のスーツであれば音がなる。

 

だがヴィブラニウム合金によって衝撃は吸収され、まるで足裏がクッションのように衝撃を逃す。

 

音とは振動だ。

空気の揺らぎ、衝撃とも言える。

 

ヴィブラニウムが含まれている合金によって、物音は一つも立たない。

全身金属鎧のスーツだが、擦れた音すら鳴らない。

 

正に暗殺には持ってこいの材質、と言う訳だ。

 

 

私は降り立った部屋から出て、少し歩く。

ここは船の機関部、一般人は立ち入り禁止の場所に該当する。

 

そう。

この船の持ち主は『キングピン』。

ウィルソン・フィスクだ。

私の雇い主でもある彼は、今回の取引に合わせて場所の提供をしているのだ。

 

つまり、船の乗組員……全てがフィスクの手下だ。

機関部などは普通、見回りの対象だが……あえて、警備に穴を空けているのだ。

 

 

目的地の部屋の前に立ち、ドアノブに手を掛けて……。

 

 

「あぁ!?オレ様一人で充分だっつーの!」

 

 

私はドアノブから手を離し、マスク内の補聴機能と赤外線視覚化機能(サーモグラフィー)を起動する。

ドア越しから、内部の状況を盗み見る。

 

中に数名……恐らく『A.I.M』か『ライフ財団』の私兵が立っている。

そして一人、太々しく座る男の姿があった。

 

……どうやら、内部で争っている気配はない。

杞憂と言うことか。

 

 

「誰を呼んだか知らねーが、オレ様がいれば万事上手く行く!足手纏いになるぐれぇなら邪魔だ……

 

 

私はドアノブに手を掛け、開けた。

ガチャリ、とドアが開く音が部屋に響き、部屋内の視線が全て集まった。

 

私は座っている男を見る。

色褪せた黄色のスーツに、赤銅色のアーマーを装備している。

顔を覆い尽くすフルフェイスのマスクには、吊り目のように黄色く輝くレンズがあった。

腰のベルトにはカートリッジのようなモノが複数装着されている。

 

特筆すべきは両腕だ。

その両腕は太く大きい。

中の人間の腕が太い訳ではない。

まるで手甲(ガントレット)のような装置を腕にまとっているのだ。

 

私の姿を見た『その男』は、慌てたように私へと向き直り、心なしか姿勢が正しくなった。

 

……彼は少し、小心者なのだ。

弱者に強く当たり、強者を恐れる……至極当然な反応だ。

 

 

私は口を開いた。

 

 

『随分な言い様じゃないか……『ショッカー』。どうだ?足手纏いになるか……試してみるか?』

 

 

椅子に座っている『ショッカー』は、食い気味に首を横に振っていた。

 



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#18 ショック・ユア・ハート part2

シャワーヘッドから水が流れ落ちる。

 

 

「ん〜♪フフ〜♪」

 

 

オレは鼻歌まじりにバルブを閉めて、タオルを取り出す。

頭をガシガシと拭いて、鏡を見る。

 

そこには自信に満ち溢れたナイスガイが立っている。

長身、映える金髪……筋肉質な身体。

 

オレはシェービング剤を肌に塗り、カミソリを手に取る。

髭を剃り、水で顔を洗い、またタオルで拭いた。

 

 

オレの名前はハーマン。

ハーマン・シュルツだ。

 

歳は24。

職業は……そうだな、悪い男(バッドガイ)って所かな。

 

人呼んで『ショッカー』。

イカす名前だろ?

 

何でそう呼ばれてるかって?

ちょっと昔の話をしよう。

 

オレは昔、天才だった。

おっと、今もだけどな。

 

天才だったオレは、どんな金庫でもブチ壊せる手甲型の衝撃波発生装置……『バイブロ・ショック・ガントレット』を開発した。

 

ソイツを使って、そりゃあもう大暴れしたさ。

幾つもの銀行から金を奪って豪遊生活。

いつしか『ショッカー』と呼ばれるようになった。

 

……まぁ、長くは続かなかったけどな。

 

今思い出してもムカつくぜ……あのクモ野郎がオレをブン殴ってムショにブチ込みやがったんだ。

 

ムショで才能を持て余してたオレはフィスク……ウィルソン・フィスクの旦那に救い出され、今では忠実な僕ってワケだ。

 

オレの目的はただ一つ、あのクソッタレなクモ野郎をブチのめす事だ!

 

……あ、あとは金だな。

金は大事だ。

あっても困るもんじゃねぇ、そうだろ?

 

 

オレは衝撃吸収スーツを身に纏い、腕に『バイブロ・ショック・ガントレット』を装着する。

衝撃波を放つには、それなりのエネルギーがいる。

カートリッジ式のバッテリーが要るんだが……オレは予備を腰のベルトに装着する。

 

今回、『A.I.M』だったかと『ライフ財団』の用心棒をフィスクに頼まれた。

よく覚えてないが、今回の取引のセッティングをやったのがフィスクらしい。

 

オレはそれをスマートに終了させる為、用心棒をやってるって訳だ。

 

いつもの格好になったオレは、部屋の外で待機してた船の乗組員と共に移動する。

コイツらもフィスクの手下だ。

つまり、オレの同僚って訳だな。

 

 

「ここで少し待機していてくれ」

 

 

そう言われて部屋に入る。

部屋の中には黒いスーツ姿の強面共がいた。

 

……こいつら、素人じゃねぇな。

『A.I.M』のエージェントか。

もしくは『ライフ財団』の私兵か。

 

まぁ。

集まり方に微妙な亀裂がある。

恐らく2チーム、別々の奴等が集まって出来た集団だ。

 

なるほど、『両方』だな。

 

 

「ハーマン殿、今回の任」

 

「おっと……オレ様の事は『ショッカー』と呼んでくれ」

 

 

声を掛けてきた男の発言を遮った。

男が少し不機嫌そうな顔をするが……マスク越しに睨みつけて黙らせる。

 

この仕事は侮られたら負け。

つえー、こえーってのが大事だ。

 

相手をビビらせときゃ無駄な争いもしなくて済む。

自分へ有利に物事が進む。

 

椅子にドカッと座り込む。

 

 

「……ショッカー殿、今回の任務だが……もう一名、我々以外に外部の人間が来る。頼む、くれぐれも不躾な態度は……」

 

「あ?オレ様以外に雇ってんのかよ!オレ様一人で充分だっつーの!」

 

 

ビビる男にオレは声を荒らげた。

 

つーか、聞いてねェし。

んだよ、オレ一人じゃ信用なんねーってか?

 

舐めた態度にムカついて、オレは言葉を重ねる。

 

 

「誰を呼んだか知らねーが、オレ様がいれば万事上手く行く!足手纏いになるぐれぇなら邪魔だぜ」

 

 

オレがそう言い切ったと同時に、部屋の扉が開いた。

 

丁度良い時に来たぜ。

どんな面してるか拝んでやる。

 

オレは椅子の上から目線を向けて……ソイツを見た。

 

 

鮮血のように鮮やかな赤いマスク。

夜を煮込んだかのような黒いスーツ。

 

正直に言うぜ?

初めて見た奴だ。

初対面、見た事ねー面した奴だ。

 

だが、その姿の『噂』は知っていた。

 

 

レッドキャップ。

 

 

フィスクの下で働いてる奴なら、殆どの奴が知っている。

裏切り者、足手纏いをブチ殺しに来る暗殺者だ。

血も涙もなく、慈悲もなく、仲間だろうが何だろうがフィスクに敵対する奴は絶対殺す暗殺マシーン。

 

任務の遂行率は100%近ぇらしい。

少なくとも、オレが聞いた話では「失敗した」っつぅ話は聞かねぇ。

 

絶対に狙った獲物は殺す。

回避不能の弾丸みてぇな奴だ。

 

だがその知名度の割に、姿を見た奴は少ねぇ。

そりゃそうだ。

 

見た奴の殆どがブッ殺されて、この世に居ねぇからだ。

 

知ってるか?

フィスクの部下を一番殺してるのはレッドキャップだって噂があるぐらいだ。

 

誰も彼もがビビっている。

フィスクを裏切ればコイツが殺しに来るって、知ってっからだ。

 

 

無意識のうちに、オレは姿勢を正してた。

 

ヤベェ。

コイツはオレより『上』だ。

 

ビビるオレを前に無機質な赤いマスクが、オレの方へ向いた。

外からは顔も見えねぇし目線も見えねぇが、オレの事を見てるって事だけは分かった。

 

 

『随分な言い様じゃないか……ショッカー。どうだ?足手纏いになるか……試してみるか?』

 

 

男か女かも分かんねー声で、そう言った。

 

……あ?

何でレッドキャップがオレの名前を知ってんだ?

身体の熱が急激に冷めていく感覚に襲われた。

 

……マスクに目も鼻も口も無ぇ。

表情が無ぇ、声色も分からねぇ。

何を考えてるか全く分かんねぇ。

 

未知は恐怖だ。

目の前にいるのが人間だとは思えなかった。

言葉の通じねぇ猛獣の檻にブチ込まれたかのような恐怖だ。

 

オレは慌てて椅子から立ち上がった。

 

 

「じょ、冗談だって!アンタだって知らなかったんだよ、オレは。いや、アンタなら安心だ、ハハハ……」

 

 

ダサいと思われようが、舐められようが、それでもレッドキャップの機嫌を損なう方が怖ぇ。

オレが必死に弁明すると、レッドキャップは右手で自分の顎に乗せた。

まるで分からねぇっつう顔だ。

 

 

『そうか。なら良い』

 

 

そう言ってレッドキャップがこちらに近付き……オレは椅子から離れた。

 

 

『どうした?座って良いぞ、ショッカー』

 

「いやいや、ここはアンタが座るべきだ!」

 

 

この部屋に椅子は一つしかない。

元々それほど広くない部屋だ。

 

机に向かうように椅子が一つ……オレが座って、コイツが立ちっぱなし?

 

耐えられねぇ。

絶対に心が持たねぇよ。

 

 

『そうか、悪いな』

 

 

そう言って、レッドキャップが椅子に座った。

あぁ、そうだ。

この部屋の王様はもうオレじゃねぇ、この男だ。

 

 

……でも、何つーか、聞いてた感じとちょっと違うな。

もっとヤベェサイコ野郎か、喧嘩っぱやいシリアルキラーだと思ってたぜ。

 

それに、身長も何か小せぇし。

170……いや、無いか?

160cmぐらいか?

 

この部屋で一番小せぇんじゃねぇか?

偽物……にしては装備が整い過ぎてやがるし。

 

まぁ考えても仕方ねぇ。

 

 

『レッドキャップ』が椅子に座ったのを見て、財団だかA.I.Mだかの関係者が話を始めた。

 

取引は二時間後。

場所はコンテナ置き場の一角。

 

一時間後にここを移動って話だ。

 

は?

一時間の間、この狭い部屋で『レッドキャップ』と一緒?

 

ちら、と赤いマスクの男を見る。

『レッドキャップ』は無言で座っている。

……き、気味が悪ぃ。

 

間違いなく人生で一番気不味い一時間になる。

嫌な確信が、オレにはあった。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

そして、取引の時間は来た。

 

私は息を吸い込み、重く吐いた。

 

船内のコンテナ置き場……その一角は不自然に空けられており、周りに人が隠れられるような場所はない。

 

天井も高く、上からの襲撃は無いだろう。

吊られた蛍光灯が時折音を立てている。

 

スーツを着た『ライフ財団』の責任者らしき男が、アタッシュケースを持っている。

 

白衣を着た『A.I.M』側の責任者が、それを受け取ろうと歩み寄った時。

 

 

突如、破裂音と共に暗闇に包まれた。

 

 

「何だってんだ!?」

 

 

ショッカーの困惑する声、周りの響めき。

私はマスク内の暗視機能を起動する。

 

……蛍光灯は無事だ。

傷一つない。

 

恐らく電源元が切断されている。

 

私は太腿のナイフを取り出し、右手に構える。

 

間違いなく敵襲だ。

 

周りのエージェント達も暗さに慣れてきた頃……。

足元に何かが投げ込まれた。

 

 

 

瞬間、閃光と轟音が放たれた。

 

 

 

衝撃はなかった。

爆弾ではない。

閃光弾だ。

 

恐らく船内である事を考慮した選択だ。

 

暗闇で目を凝らしていたエージェント達は目を焼かれ、轟音に三半規管が狂わされて足元が覚束ない。

 

ショッカーは……。

 

 

「ぐあああああああぁぁ!!目がぁあああ!!」

 

 

……あ、うん。

ダメそうだ。

 

……動けるのは私だけだ。

だが、私も万全とは言い難い。

 

機械を狂わせる電磁パルスも発生しているようで、マスク内の映像が乱れている。

音も、多少はマスクが防いでくれたが耳にダメージが入っている。

本調子では無い。

 

少しすれば治癒因子(ヒーリングファクター)によって治るが、事態は待ってくれないだろう。

 

 

黒い、疾風のような何かが駆けてくる。

 

来た。

敵だ。

 

 

私は武器を構えて、アタッシュケースを持つ財団員の前に立つ。

 

狙いは恐らく、このアタッシュケースだ。

 

 

夜風のように、しなやかに接近する敵へナイフを振るう。

 

敵の持っていた金属の棒とかち合う。

その瞬間、金属の棒から電撃が走った。

 

 

『……チッ!』

 

 

このスーツは絶縁仕様だが、負荷をかけられ過ぎればどうなるか分からない。

 

ナイフを押し返し、弾いた。

 

青いスパークが走り、一瞬、敵の姿が鮮明に映った。

 

顔は……夕方に会ったエージェントの女だった。

だが髪色は出会った時の金髪では無い、赤髪だった。

恐らく、潜入用の変装だったのだろう。

 

だが、あの時に受けた印象とは大きく異なる。

髪と化粧だけで印象が変わるのだから、女とは魔性だ。

 

服装は黒いライダースーツのような服。

そして腰のベルト、そのバックルに『赤い砂時計』のようなマーク。

 

だが、そのモチーフが砂時計ではない事を私は知っている。

正体は『クロゴケグモ』と言う毒蜘蛛が背に持つ模様だ。

ツヤのある黒い体に、鮮やかで毒々しい赤いマークがある。

 

そして、その『クロゴケグモ』。

……英名では、こう呼ばれている。

 

 

『『ブラックウィドウ』か……!』

 

 

ブラックウィドウ。

凡ゆる諜報技能のエキスパートであり、最高峰のスパイだ。

国際平和維持組織『S.H.I.E.L.D』に所属する最強のエージェント。

 

恐らく全ての技能に於いて私より上だ。

だが、超人血清による身体能力強化によって身体能力でのみ私が勝るだろう。

 

 

私は一歩踏み込み、ナイフを横に薙ぐ。

ウィドウは最低限の動きで回避し、私の頭にハイキックを繰り出した。

 

 

「……くっ!?」

 

 

だが、私に傷一つ付ける事すら叶わない。

理由は二つ。

ヴィブラニウム合金製のハイテクスーツによって衝撃が吸収される事。

そして、身体能力に差があり過ぎる事だ。

 

私は一歩も怯む事なく、ウィドウの足を掴みコンテナへと投げ飛ばそうとした。

 

だが、その瞬間にウィドウが片足で私の腕に纏わり付き、肩車のような姿勢に移行した。

 

死角の外に逃げられた私は、ナイフをウィドウへ向けようとし……。

 

 

『がっ……!?』

 

 

衝撃が走った。

 

未知の衝撃に身を震わせ、私は膝をついた。

振り返るとウィドウの腕に装着されていた腕輪が青く光っていた。

 

『ウィドウズ・バイト』。

そう呼ばれている様々な機能を持つガジェットだ。

 

ヴィブラニウムは既知の物理的な衝撃に強い。

だが、魔法由来であったり、宇宙科学的なエネルギーは吸収しきれない場合がある。

 

ブラックウィドウ、彼女はヒーローチーム『アベンジャーズ』の一員だ。

宇宙人や悪魔なんかと戦う時もある。

 

その装備の中には私では考えられないような、未知の技術を持った武器もあるのだろう。

 

私は立ちあがろうとし、膝が動かない事を確認した。

自身の首へ意識を向ける……。

 

思ったより負傷が激しい。

首の神経にまでダメージが入っている。

呼吸を整え、治癒因子(ヒーリングファクター)の活動を意識的に高めるが……それでも動き出せるのに10秒は掛かる。

 

その隙にウィドウが走り出し、財団員の持つアタッシュケースを奪った。

その勢いのまま、別のフロアへ向かって駆け出す。

 

 

襲撃から奪取、逃走まで1分足らずの出来事だ。

 

 

首の傷が治った事を知覚し、私は立ち上がった。

 

手数がいる。

周りを見渡すが……まだ誰も彼もが閃光弾のショックから立ち直れていない。

 

 

『私はケースを追う!立ち直り次第、援護を寄越せ!』

 

 

身悶えする彼等に声をかけて、私はウィドウを追う。

 

単純な走力であれば私の方が上だ。

 

だが、ウィドウは巧みに物陰や、隙間へと滑り込み、私が全力で走れないようにしている。

 

この逃げ方ならば、単純な身体能力の差で競えない。

 

螺旋階段を飛び降り、やがて駐車場の中へと入っていった。

 

ドアの中へウィドウが飛び込み、数秒遅れて私も入り……。

 

 

見失った。

 

 

目の前には百台近い車が並んでいる。

物陰は十分にある。

あの一瞬で遠くへ逃げられる訳がない。

恐らく、近く、何処かの影に隠れているに違いない。

 

だが、少しでも時間が稼がれれば、それだけで距離を稼がれてしまう。

 

私は超人血清によって強化された聴覚を頼りに、ウィドウを探す。

 

 

カチャリ、と何かが擦れる音がした。

 

私は目の前にある車の屋根を踏み台に、物音がする方へ飛び出した。

 

屋根を踏みつけ、凹ませながら着地する。

そして、物音がした場所を覗き見れば。

 

 

白いペンダントがクルクルと回っていた。

 

 

『しまっ』

 

 

突如、爆発が起こった。

爆発は小規模だったが、足元にある車ごと吹っ飛ばされてしまった。

 

……態々、もう船のダメージを気にしている余裕は無いと言う事か。

 

地面を転がりながら、視界の中にウィドウを捉えた。

 

彼女は爆発と同時に、私から離れるように走っていた。

私は即座に姿勢を立て直し、大きく腕を振りかぶった。

 

私は全力でナイフを投擲した。

普段のギャング共へ投擲する時の比ではないほど、力を込めた。

 

それは弾丸とほぼ同速の加速を得て、宙を引き裂き進む。

 

ウィドウが反応し回避行動を取ろうとするが、一手遅い。

 

 

「ゔっ!」

 

 

ウィドウの右肩にナイフが突き刺さり、鈍い悲鳴をあげた。

 

私は深く息を吐いて、立ち上がる。

後ろから誰かが近づいてくる。

 

 

「お、おう。何だ今のデケェ爆発音は……!?」

 

 

爆発音を聞いて追いついてきたショッカーだった。

 

 

『……遅かったな。ショッカー』

 

「あ、いや……わ、悪い」

 

 

申し訳なさそうに謝るショッカーを見て、私はそれ以上追求する事をやめた。

 

ウィドウは息を荒くし、横たわっている。

 

 

「……やっぱスゲェぜ、アンタ」

 

 

何か、ショッカーが私を褒め称えているが無視する。

人殺しの技能など、褒められても嬉しくはない。

 

私がウィドウに近づくと同時に、ショッカーも側に駆け寄った。

 

 

「なぁ、アンタさ……こいつをどうするつもりだ?やっぱり殺すのか?」

 

 

そう言ってショッカーが倒れているウィドウを指差した。

 

……私は自身の右手で顎を撫でる。

困った時の手癖だ。

 

 

『いや、この女にはまだ利用価値があるだろう。拘束し、フィスクに受け渡すべきだ』

 

 

兎に角、殺すつもりは無かった。

殺せ、と命令されていない限りは殺したくない。

 

それにブラックウィドウのようなビッグネームを殺せば……間違いなく私はヒーローチームに恨まれるだろう。

 

心情的な理由と打算的な理由。

その両方から「殺すべきではない」と結論付ける。

 

私が消極的な発言をすると、ショッカーは意外そうに肩を竦めた。

 

 

「あぁ、了解だ。だが拷問とかは目の前でやらないでくれよな、俺そう言うの苦手なんだよ」

 

 

首を押さえて、吐くようなジェスチャーをしている。

……こいつ、私を何だと思っているんだ。

 

一度殴ってやろうか。

 

……だが、いや確かに。

必要であれば拷問をする時はあるな、私も。

そう考えれば、過度に怯えているショッカーの『レッドキャップ像』もあながち間違いではないのかも知れない。

非常に不本意だが。

 

 

そう思いながら、ウィドウの手からアタッシュケースを奪おうとし……。

 

 

耳が高速で飛来する物体を感知した。

 

 

『避けろ!』

 

 

私はショッカーの腕を引き、その飛来する物体を回避した。

 

飛来した物体は円盤状だった。

その物体は車にぶつかり跳ね返った。

 

宙へ回転しながら飛び上がった『それ』を見て、私は息が止まるような錯覚を覚えた。

 

それは『盾』だった。

赤と白、青い円の中に星のマーク。

 

 

「……おい、聞いてねぇぞ……」

 

 

怯えたようにショッカーが呟いた。

 

飛来したシールドの所為で、ウィドウから距離を取らされた私達の前に……一人の男が現れた。

 

その男は左手を宙に突き出し、宙を舞うシールドを手に取った。

紺を主体としたスーツに、白と赤のカラーリング。

顔の上半分を覆うヘルメットの中心には『A』の文字があった。

 

 

「大丈夫か、ナターシャ」

 

 

そう言ってウィドウへ声を掛けたのは。

 

最も誠実で、強く、誇り高きヒーロー。

 

 

『キャプテン・アメリカ』だった。



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#19 ショック・ユア・ハート part3

私は、目前の『キャプテン・アメリカ』と向き合う。

 

キャプテン・アメリカ。

本名はスティーブ・ロジャース。

マーベルコミックの世界において最もメジャーなキャラクターの一人だ。

 

第二次世界大戦中に私と同じ『超人血清』と呼ばれる、身体を超人に作りかえる血清を使用し、超人兵士となった男だ。

 

当時から彼は『自由』『平等』そして『平和』を愛する誇り高き男だった。

しかし、その肉体は貧弱であり、また虚弱だった。

彼はその高潔さを評価され『超人兵士(スーパーソルジャー)計画』へと参加する事になる。

 

そこで彼は『超人血清』を服用し、屈強な肉体を手に入れた。

……『超人血清』には副作用があり、人の心、感情を増幅させる効果が存在する。

 

ほんの少しでも邪な心があれば、途端に凶悪な悪人へと変貌してしまう。

だが、スティーブは違った。

彼の肉体は虚弱だったが、その心は『誰よりも』高潔だった。

 

よって、心の闇に囚われる事もなく、屈強な肉体を手に入れて『キャプテン・アメリカ』となったのだ。

 

……ちなみに、この『超人兵士(スーパーソルジャー)計画』。

『超人血清』を作成したアースキン博士が、戦時中に死亡してしまったため、以降は血清を作成出来なくなっていた。

 

しかし、やはり。

超人の兵士を生み出す、と言うのは魅力的なものであり、理念はそのままに……内容や手段は変わりながら続いて行く事になる。

そのため、複数の英雄(ヒーロー)悪人(ヴィラン)起源(オリジン)と密接に関係している。

 

……私の身体に打ち込まれた『似非超人血清』も、その系譜だ。

 

アースキン博士の『超人血清』を再現しようと目論んだ『パワーブローカー社』によって作られた血清だからだ。

 

つまり、キャプテン・アメリカは目指していたオリジナルであり、私は贋作なのだ。

 

……彼は私よりも強力で、強靭な戦士である。

と言う事だ。

 

肉体は20代後半から、30代前半ぐらいに見える。

これは『超人血清』により老化が抑えられているからだ。

実際の年齢は100歳近い。

 

鍛え上げられた無駄のない肉体は、スーツの上からでも視認できる。

 

 

私は、側で怯えるショッカーに目を向けた。

 

 

「お、おい……ど、どうすんだよ……?アベンジャーズなんて聞いてねぇぞ……?」

 

 

『アベンジャーズ』は巨大な脅威から世界を守るべく、複数のヒーローが集結し、協力する最強のチームだ。

 

キャプテン・アメリカ、アイアンマン、マイティ・ソー、ブラックウィドウ、ホークアイ……主軸となるメンバーは変わらずとも、何人ものスーパーヒーローが参加している。

 

ピーター……この世界のスパイダーマンは参加していないが、アベンジャーズに協力していた事はある。

昔、アベンジャーズを管理する国際平和維持組織『S.H.I.E.L.D』の長官である『ニック・フューリー』が報道で語っていた。

 

悪人(ヴィラン)の最も恐れる史上最強のヒーローチーム『アベンジャーズ』。

そのリーダーが目前に居る『キャプテン・アメリカ』なのだ。

 

 

『あまり怯えるな、ショッカー。ここに居るのは彼と……手負いのスパイが一人だけだ』

 

 

私は彼を……そして自分自身を奮い立たせるように発言する。

 

正直に言うと、キャプテン単騎だけでも私は勝てないだろう。

このまま、全力で逃走すれば……あるいは。

そう言ったレベルなのだ。

 

だがしかし、私も組織のエージェントだ。

敵前逃亡は裏切りとして処分の対象になる。

左胸の爆弾が炸裂すれば、幾ら『似非超人血清』を服用している私であっても死は免れない。

 

……脳裏に、ピーターの顔が浮かび上がる。

 

私は左の脹脛に存在するプロテクターを展開させ、ナイフを取り出す。

もう片方のナイフはウィドウに投擲してしまった為、ナイフはこの一本しかない。

 

強く。

ナイフを強く、握りしめた。

 

目前のウィドウが持っている『ライフ財団』のアタッシュケースを奪う。

これが最優先の目標だ。

その後は彼等と戦う必要はない。

逃げれば良い。

 

勝利条件は敵の殲滅ではない。

それがこの最悪な状況で、唯一希望のように感じられた。

 

 

「君、名前は?」

 

 

突然、目の前にいたキャプテンから問いかけられた。

 

私はマスクの下で眉を顰める。

 

 

『答える義理はない』

 

 

その発言の意図は読めている。

少しでも、時間を稼ぐ為だ。

 

先程、ウィドウが腕に注射器を刺しているのは見た。

恐らく、私の知らない技術で開発された最先端の治療薬か何かだ。

 

その効能が発揮されて、動けるようになるまで……彼は時間を稼ごうとしているのだ。

 

 

私は横にいるショッカーへ語りかける。

 

 

『ショッカー、私が交戦を始めたら……ウィドウからアタッシュケースを奪還しろ』

 

「あ、え……?大丈夫なのか?いくらレッドキャップと言っても、相手はアベンジャーズなんだぞ……!?」

 

 

そう言って不安そうな声色で、ショッカーが語った。

 

 

「……なるほど、レッドキャップか」

 

 

キャプテンが納得したように頷いた。

 

 

『チッ』

 

 

憧れのヒーローに名前を覚えて貰えるのは嬉しいが……今はそんな状況ではない。

 

それに万が一にもアベンジャーズ間で共有されてしまえば、活動もし辛くなる。

 

私はヒーローチームを相手にできるほど、強くはない。

やめてくれ。

 

百害あって、一利もない。

 

 

「奇遇だな。私も『キャップ』と呼ばれている」

 

 

知っている。

私は貴方のファンなのだから。

 

だが、会話を続けるつもりは無い。

私はナイフを構えて、それを返答とした。

 

それを見たキャプテンは手に持ったシールドを構えた。

 

キャプテン・アメリカの持つシールド。

あれは戦時中の国内に存在していたヴィブラニウムを『全て』使用して作成された、純度100%のヴィブラニウム製シールドだ。

 

『アイアンマン』であるトニー・スタークの父、ハワード・スタークによって作成された。

私のアーマースーツよりもヴィブラニウムの純度が高い。

つまり、衝撃吸収率が段違いに高いのだ。

 

ヴィブラニウム同士が衝突した場合、衝撃を吸収する能力が相殺し合い、互いに通常の金属のようにダメージを受ける。

つまり、より純度の高いヴィブラニウム製のシールドは、私のアーマー越しでも容易にダメージを与える事が出来る。

 

 

私はナイフを持つ左手を前に、右手を後ろに。

身体が敵の正面ではなく、横を向くように構える。

 

そして、後ろ足を少し曲げて……地面を蹴った。

 

 

風を裂く音がして、ナイフの先端がキャプテンの身体へと吸い込まれて行く。

 

即座にシールドで弾かれて、私はその勢いのままサイドステップを行う。

 

あの盾はヴィブラニウム製。

比べて私のナイフは炭素系の合成金属だ。

正面からぶつかった際、無理に押し込めばナイフ側が砕けてしまう。

 

ナイフの受けた衝撃は腕を通して身体に逃す。

 

再度、突きを放つが、これも盾で防がれてしまう。

 

 

『ショッカー!早くアタッシュケースを確保しろ!』

 

 

私が声を掛けた事で、呆けていたショッカーが慌ててウィドウへ向かって走り出した。

ウィドウは先程まで重傷だった事が嘘のように立ち上がり、アタッシュケースを手に逃げ始めた。

 

私とキャプテンは、それを視野の端に捉えながらも、視線は互いの手に持つ得物から外さなかった。

 

 

『……どうした?追わなくても良いのか』

 

「ああ。私はナターシャを信頼している。それに」

 

 

キャプテンが腰を低く落とした。

 

 

「余所見をしながら倒せるほど、君は弱くなさそうだ」

 

 

私はナイフを振りかぶり、横に薙いだ。

 

しかし、それはキャプテンには届かず目前で空ぶった。

だが、これは意図して狙ったものだ。

 

目前に振られたナイフを防ごうと構えていたキャプテンの前で、ナイフを空振った勢いのまま回転する。

 

右足を軸に回転し、回し蹴りを繰り出す。

シールドの縁に足が当たる瞬間、私は足下に引いて脚部装甲の突起を盾にひっかけた。

軸足で地面を蹴り、後ろへ跳躍する。

 

私のナイフを防ごうと外向けに構えていたキャプテンと、それを外側へと引き剥がそうとする私。

力の方向が噛み合い、シールドがキャプテンの手から引き剥がされ、宙を舞う。

 

 

私は即座に姿勢を立て直し、ナイフを突き出そうとし……。

 

突き出す前に、キャプテンの手の甲によって弾かれた。

 

 

『……くっ』

 

 

有効打となる筈だった一手が防がれ、思わず声が出る。

 

ナイフでの一撃は完全に読まれていた。

 

ナイフでの刺突攻撃は、構え、突き出し、引き裂く三段階を以って攻撃となる。

キャプテンはその『構え』の部分で攻撃を受け止めたのだ。

 

 

私は弾かれた拳でナイフを握り直し、再び数度の攻撃を行う。

突き、薙ぎ、引き、その全てが攻撃の直前で受け止められる。

 

埒が明かない。

 

そう考えた私はナイフを上段に構え、全力で叩き付けようとした。

 

キャプテンもそれに気付き腕を上へと構える。

 

 

私は右手からナイフを『落とした』。

 

ナイフは下に落下し、そのまま右手は手刀となってキャプテンに防がれる。

 

私は足下に落ちたナイフの柄、その尻を足先で踏みつける。

ナイフは鍔を支点とし、跳ね上がった。

 

 

『貰った……!』

 

 

そのまま左手でキャッチし、逆手に持ったままキャプテンの腹へと突き刺そうとした。

 

だが、キャプテンは上段で攻撃を防いでいた両手を下にずらし、右足で地面を蹴った。

 

肘と膝、その二つを以ってナイフの刃を挟み込んだ。

 

 

「さっきは油断したが、不意打ちは二度も通用しない」

 

 

そのまま身体を捻り、ナイフを弾き飛ばされてしまう。

 

 

これで互いに無手となった。

私は腰部にハンドガンを持っているが……。

 

果たして、この距離で構え、引き金を引くまで……キャプテンが悠長に待ってくれるとは思えない。

 

私はアーマーの爪を立てるように手を振るう。

キャプテンは上半身の捻りだけで避けて、拳を振るう。

 

私の顔面へと命中し、一瞬、眩暈が起こった。

 

私のヘルメットはレンズ部分や情報処理機能が存在する為、装甲部分が薄い。

ヴィブラニウムの衝撃吸収率も腹部や腕部に比べて、著しく低いのだ。

 

キャプテンの驚異的なパンチ力によって、その衝撃はヴィブラニウム合金による衝撃吸収能力を貫通したのだ。

 

 

一瞬、ほんの数ミリ秒。

私の意識が混濁したのを好機と見て、キャプテンが再度、私の顔面へ左フックを命中させた。

 

私は仰け反りながら、距離をとり、それ以上の追撃から逃れた。

 

 

「君は……まるでナターシャのような身のこなしをする。先程の彼のような純粋な犯罪者ではない……プロのエージェントか」

 

『だから……どうした?』

 

 

私は息を整えながら、返事をする。

 

 

「プロならば、彼等のような犯罪者と違って、私欲で戦っていない筈だ」

 

 

頭蓋への衝撃で、脳が揺れている。

平衡感覚は正常に動いていない。

 

私は時間を稼ぐ為、会話を続ける事とする。

 

 

「どうして彼等に協力する?彼等のやろうとしている事は、非常に危険な事だ。罪のない人々を傷付ける行為だ」

 

『……私には関係のない事だ。私は私の任務を遂行せねばならない』

 

 

そう返答すると、心なしかキャプテンの瞳は鋭くなった気がした。

 

 

「なら……そうだな。全力で止めさせてもらう事とする」

 

 

突然、キャプテンが走り出した。

それも私の方ではない。

シールドの落ちている方向に向かってだ。

 

治癒因子(ヒーリングファクター)での治癒に集中していた私は、一手遅れた事に気づく。

 

今すぐ向かっても間に合わない。

私はキャプテンではなく、落ちているナイフの方向に走り出した。

 

だが、距離の関係上、私の方が『早い』。

ナイフを拾い上げて、振り被る。

 

ナターシャへ投擲したように、全力でナイフを投げ飛ばした。

 

シールドはまだ、キャプテンの足元に曲面を下にして落ちている。

 

しかし、私が投擲した瞬間。

キャプテンは足下のシールドを踏みつけ上に弾き上げた。

私が先程、ナイフを拾い上げた時の手法と同様の手法だ。

 

ナイフは宙に浮き上がったシールドにぶつかり……逆に弾き返された。

物理学の常識では考えられない挙動だ。

 

だが、キャプテンの持つシールドはヴィブラニウム製。

それも純度100%である。

全ての衝撃を吸収したのだ。

 

そのままキャプテンはシールドを手に取り、回転する。

 

見覚えのある動きだ。

まるで、円盤投げのような……。

 

 

まずい。

 

 

思わず声に出しそうになった弱気な一言を、喉の下に押し込める。

 

私は右方向へ飛んだ。

 

直後、キャプテンはシールドを投擲した。

 

シールドは超高速で回転しながら、私の方へ向かう。

それも、私の『居た』場所ではない。

私が『逃げようと』移動する先へと投擲された。

 

私は回避が不可能である事を即座に判断し、右腕で防御しようと構える。

 

直後、失態である事を悟った。

このアーマーはヴィブラニウム合金製だ。

普段の敵からの攻撃への対処は、これで構わない。

装甲が敵の攻撃を吸収し、無力化するからだ。

 

だが、現在私へと向かっているシールドは?

純度100%のヴィブラニウム製シールドだ。

 

つまり、私の右腕、そのヴィブラニウム合金製アーマーでは防げない。

 

これは、悪癖だ。

アーマーに頼り、敵の攻撃を防御しようと構えてしまった。

私のミスだ。

 

 

私の腕に、丸鋸のように回転するシールドが命中した。

 

その一瞬は、まるで間伸びしたドラマの1シーンのようにスローで見えた。

 

高速回転するシールドによって、私のアーマーが切断される。

 

右腕の外部パーツを弾き飛ばした。

 

内部の防刃ウェアを切り裂いた。

 

私の皮膚を引き裂いた。

 

そして、刃と化したシールドは私の肉を引き裂いた。

 

 

鮮血が、宙に撒き散らされた。



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#20 ショック・ユア・ハート part4

右腕に『キャプテン・アメリカ』のシールドが突き刺さる。

 

 

『ぐ………………あッ!』

 

 

私は鈍い悲鳴を上げながら、血肉でシールドをズラし、急所への着弾を防いだ。

 

それは、数年ぶりの痛みだった。

ここ数年、私が強くなった事も相まって、敵から攻撃を受ける事はなかった。

スーツがヴィブラニウム合金のアーマーになってからは、更に被弾へのリスクが薄まっていた。

 

久々に感じる、死の恐怖。

私はそれを実感した。

 

逸れたシールドは車にぶつかり、反射した。

そして更に壁へとぶつかり、キャプテンの手元に戻った。

 

まるでピンボールのようだ。

 

……キャプテンはフィジカルのみの超人ではない。

 

超人血清によって強化されるのは、思考力、計算力もだ。

 

空気の流れ、抵抗、物質の剛性、反射角度、様々なモノを計算し、投擲したシールドを自分の元へ返らせる事も可能なのだ。

 

 

私は肉の抉れた前腕部を見る。

……痛覚と視覚、その両方から重傷である事を悟った。

 

だらりと下がった右手を握りしめようとするが、ピクリとも動かない。

 

……神経が切断されたか。

 

通常の人間であれば気絶してもおかしくない激痛だ。

似非超人血清にも痛覚を遮断したり、痛みに強くなる作用はない。

痛みに対する耐性は、普通の人間とは変わりない。

 

だが、私は組織(アンシリーコート)で訓練を受けている。

対拷問用の訓練だ。

水責め、窒息、火炙り、感電、針刺し、爪剥。

 

科学技術によって痕もなく治せる事から、これらの拷問に対する耐性を得る為に訓練……いや、拷問を受けた事がある。

 

痛みを与える為の拷問に比べれば、戦闘中に受けた攻撃の痛みなど……耐えられる。

 

 

「終わりだ。降伏しろ……命まで取りはしない」

 

 

キャプテンが構えを解き、そう語りかけてきた。

 

……生涯、腕を動かせなくなるような傷だが、私ならば自己治癒が可能だ。

半日ほど治癒に専念すれば、治癒因子(ヒーリングファクター)によって傷跡すら残さずに完治するだろう。

 

だが、半日だ。

今この戦いに於いて治る事はなく、左腕のみで戦わなければならない。

 

武器もない。

利き腕も動かない。

 

対してキャプテンは万全の態勢だ。

傷もなく、シールドは手の内にある。

 

勝ち目はない。

 

 

突如、真横の壁が爆発した。

 

壁際の車が吹き飛ばされ、私とキャプテンの間に落ちる。

 

私はその隙に、キャプテンから距離を取る。

 

吹き飛ばされた壁の瓦礫に、人影が見える。

誰かが倒れている。

 

……ウィドウだ。

その手には何も持っていない。

 

 

つまり。

 

 

壁の向こう、砂埃の中から一人の男が現れた。

プロテクターを纏ったスーツに、ガントレットを装備した両腕。

 

そのガントレットは金色のエネルギーを飽和しながら、排熱用の煙を噴き出していた。

 

そして、手元にはアタッシュケースがあった。

 

 

『……ショッカー、か』

 

 

私は呼吸を整えながら、声をかける。

 

 

「……あ?あ、オレってば元の位置に戻って来ちまったのか!?」

 

 

ショッカーが慌てたように声を出した。

 

 

「ナターシャ……!」

 

 

キャプテンがウィドウを抱き抱える。

 

私はショッカーへ声を掛ける。

 

 

『……殺したのか?』

 

「いや……女子供を殺すのはオレ、好きじゃねぇんだよ」

 

 

悪党(ヴィラン)としては及第点以下の考え方だが……私個人としては、その考えには好感が持てる。

 

 

『アタッシュケースは』

 

「ここに……っつうか、アンタ怪我してんのか!?」

 

 

今更気付いたようにショッカーが声を出した。

 

 

『問題ない』

 

「いや、どう考えてもヤベーだろ?腕、半分ぐらい千切れてるじゃねぇか……」

 

 

私が治癒因子(ヒーリングファクター)を持っている事を知らないからか、ショッカーは過剰に反応しているようだ。

 

 

『……ショッカー、お前はアタッシュケースを持って逃げろ。緊急脱出用の小船がある筈だ。コンテナの収容部屋に戻って、組織の幹部どもを連れて行け』

 

「あ、アンタはどうすんだよ?」

 

 

私は……そうだな。

私も隙を見て、海にでも飛び込めば良い。

海水で傷がかなり痛むだろうが、完全治癒するまで漂流し、その後陸まで泳いで戻れば良い。

 

夜の海の温度はかなり低く、普通の人間ならば低体温症で気を失って溺死するだろう。

だが、似非超人血清によって超人になった私からすれば、問題はない。

血清の差はあれど、キャプテンに至っては氷の浮くような海で漂流しても死ななかったぐらいだ。

 

 

『構うな、私は捨て置け。…………話はここまでのようだな』

 

 

目の前でキャプテンがシールドを構えている。

 

 

『ではショッカー、後は頼ん……』

 

「ここでブッ飛ばせば、アンタも逃げれるだろ!?」

 

 

ショッカーは両腕の手甲(ガントレット)、『バイブロ・ショック・ガントレット』を起動した。

黄金色の光が発せられ、細かな振動が発生する。

 

瞬間、金色の可視化された衝撃波(ショックウェーブ)が腕部から発射された。

 

狙いは目前にいるキャプテンだ。

 

 

バカか!?

 

 

そう怒鳴りたくなる衝動に駆られる。

だが、声を出すよりも早く事態は進行している。

 

キャプテンは衝撃波(ショックウェーブ)を回避する事もなく、真っ直ぐ、シールドを構えて突っ込んでくる!

 

衝撃波(ショックウェーブ)は船内の床を粉砕しながら、周りの車も吹き飛ばし、キャプテンを襲う。

 

しかし、キャプテンのシールドに触れた瞬間。

衝撃波(ショックウェーブ)は完全に無効化される。

 

まるで、シールドの向こう側では最初から衝撃波(ショックウェーブ)なんて発生していなかった、と言わんばかりの光景だ。

 

これはヴィブラニウムによる衝撃吸収能力。

衝撃波(ショックウェーブ)を武器とするショッカーと、衝撃を吸収するシールドを持つキャプテンでは相性が非常に悪い。

 

 

「そんな、バカな!?」

 

 

そのまま突っ切って来たキャプテンに、ショッカーは驚いたような声を上げる。

 

そして、キャプテンのシールドバッシュが炸裂し、ショッカーは吹き飛ばされた。

まるで、トラックに轢かれた空き缶のように乱回転しながら吹き飛んだ。

 

間違いなく、大ダメージだ。

まさか、死ん……。

 

 

「ぐぇっ!?」

 

 

いや、死んではないな。

彼のスーツは自身の放つ衝撃波(ショックウェーブ)に耐えられるよう、衝撃を吸収する素材で出来た耐衝撃スーツだ。

 

ヴィブラニウム程ではないが、それでも衝撃には強いのだろう。

 

 

吹き飛ばされたショッカーはアタッシュケースを手放し、別の場所にアタッシュケースが落下した。

 

ショッカー、私、キャプテン・アメリカ、ブラックウィドウ、そしてアタッシュケース。

それらが今、バラバラの位置にいる。

 

ショッカーはまだ体勢を立て直せていない。

ブラックウィドウは気絶している。

 

私とキャプテンが、同時に走り出した。

 

キャプテンはアタッシュケースへ向かっている。

私とキャプテンのアタッシュケースに対する距離はほぼ同じだ。

 

だが、私は右腕を使えない以上、万全の状態で走る事は出来ない。

走る、という行為は足さえ有れば良いわけではない。

腕が動かせない今、身体のバランス感覚が乱れており、激しい運動では粗が出る。

 

そんな状態でキャプテンに競り勝てるか?

お互い無傷の状態でも勝てなかったのに。

 

答えは否だ。

 

私はアタッシュケースではなく、ショッカーの居る方へ走っている。

私はショッカーへ向かって声を出す。

 

 

『ショッカー!私に向かって全力で衝撃波(ショックウェーブ)を放て!』

 

「あ、なんっ」

 

『良いから早くしろ!』

 

 

私は大声で怒鳴り、そのままショッカーへと接近した。

 

 

「あぁ、クソ!どうにでも、なりやがれ!」

 

 

私がショッカーの目前に到着すると同時に、ショッカーは衝撃波(ショックウェーブ)を放った。

 

衝撃波(ショックウェーブ)が私に直撃する。

 

 

『ぐっ』

 

 

思ったより強いダメージに私は奥歯を噛み締めた。

純度の低いヴィブラニウム製の装甲ではキャプテンのシールドのように衝撃を吸収しきれない。

金色の衝撃波がアーマーを貫通し、私の骨を軋ませる。

特に、装甲が引き剥がされている右腕が拙い。

 

血管や筋肉繊維がズタズタになっていく感触がある。

 

 

「何を!?」

 

 

衝撃波(ショックウェーブ)を受ける私を見て、キャプテンが驚いたような声を出した。

一瞬、動きが止まった。

 

その隙が、わずかな時間が、この戦いの勝敗を決した。

 

 

私のアーマーから赤いスパークが発生している。

溜めきれなかったエネルギーを放出するかのように。

 

そう、私のヴィブラニウム合金製アーマーには衝撃吸収能力の他に、そのエネルギーを放射する機能がある。

そして、そのエネルギーはヴィブラニウム特有の波長を発生させ、同じヴィブラニウムの衝撃吸収能力と相殺し、無効化する。

 

私は今にも破裂して砕け散りそうなアーマーの左腕を前に構える。

 

以前、スパイダーマンへと放った衝撃波攻撃(ソニックブラスト)だ。

 

だが、構える先はキャプテンではない。

 

 

「まさかっ……!?」

 

 

身動きの取れない、気絶しているブラックウィドウだ。

 

キャプテンが気付き、アタッシュケースの目前からウィドウの方へ走り出した。

 

 

『…………』

 

 

ショート寸前の思考コントローラーで左掌の衝撃波(ソニックブラスト)発生装置を起動する。

 

キャプテンがウィドウを庇うようにシールドを構える。

 

そうすると思っていたよ、貴方は。

 

私は掌を、ほんの少し下げる。

 

その直後、不可視の衝撃波が放たれた。

周りの車を弾き飛ばし、床を、天井の電灯を、進路上にある全ての物を吹き飛ばし、キャプテンへと向かう。

キャプテンのシールドが衝撃波を受け止める。

 

だが、先程のショッカーの衝撃波を受け止めた時とは違う。

確実に、吹き飛ばさんという力に押されているのが見えた。

 

 

「くぅっ!!」

 

 

キャプテンが力を込めるよう、声を出している。

 

 

……この衝撃波。

恐らくキャプテンに受け止め切られる。

 

それも想定済みだ。

私はウィドウを庇うキャプテンを直接狙って、衝撃波を放った訳ではない。

 

本当の狙いは、その少し下だ。

 

床が捲りあがり、崩壊する。

 

 

「なっ!?」

 

 

キャプテンならば受け止め切れるだろう。

この衝撃波自体は。

 

だが、キャプテンを支える地面はどうだ?

支えのなくなったキャプテンは、宙に浮き上がる。

 

咄嗟に背後にいたナターシャを抱き抱え、そのまま下の階層へ落下していた。

 

船中に緊急のアラートが鳴り始める。

船の機関部にダメージを与えてしまったらしい。

 

 

『ハッ……ハァッ……』

 

 

満身創痍。

そう呼べる状態で、私は膝をついた。

 

両手で地面から支えようとして、右腕が使い物にならない事を思い出した。

 

……これは半日程度では治りそうにないな。

 

左手で身体を支えながら、私はショッカーを見た。

 

ショッカーの表情はマスクで見えなかったが、呆けているのは分かった。

 

 

『ショッカー……今のうちに、アタッシュケースを回収し……組織のメンバーと共に船から脱出しろ……』

 

 

私はそう言って、朦朧とする意識のまま床に倒れた。

 

マスクが、地面にぶつかり大きな音を立てた。

 

 

息を整えながら、自力で脱出する手段を考える。

この状態で海に落下すれば……流石に溺死するか。

なんとか自力で立ち上がり、『A.I.M』か『ライフ財団』の脱出艇に便乗するしかない。

 

私は震える足で立ち上がろうとして……ショッカーに支えられた。

 

肩を貸すような姿勢で、ショッカーが私の左肩を支えている。

ショッカーの右腕にはアタッシュケースがあった。

 

 

「くっ、重っ」

 

 

は?

重くないが?

女の子に対して何て事を……。

 

あ、いや、違う。

重いのはスーツだ。

私ではない、筈だ。

そもそも超人血清によって私は太らない。

 

いや、そもそも……。

 

 

『何をしている、ショッカー……』

 

「……俺も今すぐ逃げ出してぇけどよ……助けてくれた恩人を見捨てて逃げるほど、オレはダサくねぇんだよ……」

 

『そう、か』

 

 

……たとえ、悪党(ヴィラン)であっても。

彼は根っからの悪人では無さそうだ。

 

がしゃり、とアタッシュケースが地面に落ちた。

 

 

「あっ、危ねぇ」

 

 

ショッカーがアタッシュケースを拾おうとする。

だが、落下の衝撃でアタッシュケースは開いてしまったようだ。

 

先程の激しい戦いで鍵や留め具が破壊されたのだろう。

 

そして、私の目にアタッシュケースの中身が映った。

 

 

それは5つの液体だ。

 

灰色。

紫色。

緑色。

黄色。

赤と黄色のマーブル模様。

 

それは小さなカプセル状の容器だった。

 

それぞれにテープが貼ってあり、文字が記入されている。

 

暴動(RIOT)

苦悶(AGONY)

鞭打者(LASHER)

捕食者(PHAGE)

絶叫(SCREAM)

 

不穏な言葉が並んでいる。

 

 

「おっとっと……」

 

 

気付かぬまま、ショッカーがアタッシュケースの蓋を閉めた。

蓋を閉める直前、中の液体が蠢いたように見えた。



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#21 ショック・ユア・ハート part5

機関部が故障した船内は騒動となっており、混乱に乗じて私達……私とショッカー、『A.I.M』と『ライフ財団』の幹部やエージェントは脱出する事が出来た。

 

人数が多かったため、船は二つに分かれた。

『A.I.M』と『ライフ財団』の幹部、エージェントが乗る船。

そして、私とショッカー、船内に居たフィスクの手下が乗る船だ。

 

フィスクの手下、全てがこの小舟に乗っている訳ではない。

追求された場合に、誤魔化す事が出来ないほど悪事に加担している船員だけだ。

 

残りは乗客の避難誘導などを行い、普通の船員のように振る舞っている。

 

 

ショッカーに肩を貸されていた私は小舟のデッキに降ろされ、煙の上がる大型客船を眺めていた。

 

 

……これ、私の責任問題にならないよな?

最終的にブッ壊したのは私の攻撃だけど……。

 

 

『すま、ないな。ショッカー、助か、った』

 

「あぁ、いや、気にすんな……あんたは恩人だからな……それに、すげぇよ。アベンジャーズを倒せるなんてよ」

 

『倒しタ、訳ではナイ。ただ逃げるタメ、ノ』

 

 

声がおかしくなっている事に気付いた。

ノイズが走り、音が途切れる。

恐らく、スーツに負担をかけすぎた所為で故障しているのかも知れない。

 

 

「お、おい。大丈夫かよ」

 

『大丈夫ダ。マスクの故障、ダ』

 

 

私は溜息を吐いて、姿勢を楽にする。

治癒因子(ヒーリングファクター)を稼働させ、体の急所、内臓などの負傷は治した。

あとは皮膚や、骨まで傷が到達している右腕を治せば良い。

 

……うっ、戦いが終わって興奮が抜け、右腕も痛みがジクジクして来た。

いたい。

 

ふと、一つ思い出した。

 

 

『そう言えバ、女と子供は殺したくナイと言ったナ?どう、してダ?』

 

「あ?あぁ……ちょっと昔話になるが良いか?」

 

『アぁ、時間は無駄にあるからナ』

 

 

やっぱイメージと違うなぁ、なんてブツブツ言いながらショッカーが語り出した。

 

幼い頃、両親を若くして亡くした事。

妹の為に金が必要だった事。

妹が病気になった時、金がなくて救えなかった事。

 

それから、彼は『ショッカー』になった。

あの時、助けてくれなかった金持ちから金を巻き上げるために。

腐った世界に『衝撃(ショック)』を与えるために。

 

だから、妹のような……女や、子供を殺す事。

それは自分のポリシーに反しているのだと、そう語った。

 

 

『そうカ……』

 

「あぁ、あんまり話した事は無いんだがな。あんたなら、言いふらしたりしないだろ?恥ずかしいんだよ」

 

『……恥ずかシいか?』

 

「女々しいだろ?」

 

『そンな事ナイさ。私は君の過去を笑わナイ。もし笑ってイる奴が居たら言エ。殺しテやるサ、ショッカー』

 

 

これは本心だ。

天才発明家でありながら、過去のトラウマから抜け出せないショッカー。

 

誰が笑うか、誰にも笑わせたくなかった。

 

 

「はは、あんたが言うと冗談には聞こえないぜ。……あぁ、そうだ。俺のこと、ショッカーじゃなくてハーマンと呼んでくれ」

 

 

そうショッカー……いや、ハーマン・シュルツが言った。

そのまま彼はマスクを脱いで、素顔を見せた。

 

金髪の……精悍な顔付きをした男だった。

だが、普段は整えているであろう金髪は、汗でベチャベチャに乱れていた。

 

 

『……私ハ、顔を見せる事ハ出来ないゾ?ハーマン』

 

「あぁ、良いんだ。これは俺なりの誠意って奴だ。あんたは『ハーマン』の人生を笑わなかった……良い奴だ。だから俺の事を知って欲しかったんだ」

 

『そうカ』

 

「あぁ、ありがとう。レッドキャップ。あんたのお陰で助かったよ」

 

 

ハーマンが頭を少し下げて、笑った。

 

 

『イヤ、私の方こそ助かっタ。お前ガ、居な、けれバ、勝テナカッタだろう。アリ「がとう、ハーマン」

 

 

ふと、変声機が途切れた。

無機質な機械のような声は、年端も行かない少女の声に変わってしまった。

 

完全にヘルメットの機能が停止してしまったようだ。

辛うじて視界はシステムを通していない為、問題ないが……。

 

私は、ハーマンを見た。

 

……酷く驚いたような顔をしている。

 

 

「……ハーマン、いや、ショッカー。この話は内密にしろ。さもなければ」

 

「あ、あぁ。秘密にするよ、当たり前だろ?」

 

 

私が言い切る前に、ハーマンがそう言い切った。

ハーマンの表情は……何だ?悲しみか?怒りか……憐れみ?

複雑な感情を押し殺そうとする顔だ。

 

 

「……そうか、すまないな。ショッカー」

 

「いや、俺こそ悪いな。声を聞いちまって……それに、オレはショッカーじゃなくてハーマンだ。ハーマンで良い」

 

「良いのか?」

 

 

正体を騙した……とは言わないが、意図的に誤認されるよう黙っていたのは事実だ。

それなのに……。

 

 

「オレが良いって言ってるんだから、良いんだよ……ガキは大人の言う事を黙って聞いてりゃ良いんだよ」

 

「何だ?歳下と分かれば急にガキ扱いするのか?良い度胸だな」

 

「うぉっと……悪ぃ悪ぃ……」

 

 

思わず、と言ったようにショッカーが笑った。

彼は共に死線をくぐり抜けた戦友だ。

 

私は……ほんの少し、友情を感じていた。

 

私も笑い、彼も笑う。

 

今はただ傷付いた身体を休めて、穏やかな時を過ごしていたい。

 

朝日が水平線から、昇り始めていた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

煙を上げる船の上に、ヘリが到着する。

いや……しかし、ヘリと呼ぶには些か近未来的過ぎたが。

 

一人、色黒の男が降りて来る。

 

黒いシャツに、黒いコートを着た厳しいスキンヘッドの男だ。

側から見れば悪役(ヴィラン)にしか見えない。

左目に眼帯をしている事も、より人相を悪く感じさせる要因の一つだ。

 

だが、乗って来たヘリには猛禽類のシルエットを象ったシンボルマークがある。

それは国際平和維持組織、『S.H.I.E.L.D』のマークだ。

 

そして、その男の前に一人のエージェントが現れた。

 

 

「フューリー長官、ご苦労様です」

 

「あぁ、君こそ」

 

 

色黒の男、ニック・フューリーがそう返答した。

 

 

それを見ていた「私」は担いでいたブラックウィドウ、ナターシャをヘリの医務員に受け渡し、フューリーへと向き直った。

 

 

「……まさか、キャプテンが取り逃がすとはな」

 

「私は超人だが、完璧ではないからな」

 

 

開き直るつもりはない。

だが、過度に信用される事も危険だ。

戦時中、私は幾度となく実感した。

 

 

目前に居る眼帯の男。

彼こそが『S.H.I.E.L.D』の長官、ニック・フューリーだ。

 

ナターシャからの救援要請に偶々本部にいた私が早急で現場へ来た訳だが……フューリーは遅れてしまったようだ。

 

 

「それで……どうしてだ?何があった?」

 

 

フューリーが私に幾つか質問を投げつける。

私はそれに返答していく。

 

 

「……ふむ、レッドキャップ、か」

 

「知っているのか?フューリー」

 

「少し、だが。ニューヨーク内で噂されている都市伝説のような存在だ」

 

「都市伝説?フューリーにしては曖昧な所感だな」

 

「フン、君の言うように私も完璧ではない。何でも知っていると思わない事だ」

 

 

不機嫌そうに、フューリーは鼻を鳴らした。

 

 

「それで、フューリー。その都市伝説とは?」

 

「あぁ。ニューヨークの裏社会を締めるマフィア……そのマフィアのエージェントらしい。どんな人間でも狙った獲物は確実に殺す。女だろうが子供だろうが関係なしだ。そう言った残忍な殺し屋として恐れられているらしい」

 

 

フューリーは手元のタブレットを弄りながら答えた。

 

 

「キャプテンの言っていた赤いマスクと、黒いスーツ。それが『レッドキャップ』という男の特徴だ。一説では顔が赤いのは返り血を吸っているかららしいぞ?馬鹿馬鹿しいが」

 

「男……」

 

 

私は右手で自身の口を覆った。

 

交戦中、私のシールドが奴の右腕に命中した時、一瞬だったが肌が見えた。

直後にシールドで引き裂かれ、血塗れになったが……あれは女か子供……もしくは、その両方だと思った。

 

 

「フューリー、その『レッドキャップ』が女性と言う可能性はあるか?」

 

「ん……?ふむ、そうか。確かに男であると言う証拠はないな。……それともキャプテン、奴が女だと言う確信があるのか?」

 

「確信はないが……」

 

 

私は交戦中、彼……いや、恐らく『彼女』から感じとった印象をフューリーに話した。

 

 

「……なるほど。そうか。これ以上は憶測の域を超えないか……だが、奴の血痕は現場に残っているのだろう?鑑定班に回して調べさせよう。それで女かどうかは分かるだろう」

 

「助かる、フューリー」

 

「あぁ、構わん。それに血痕から分析すれば……そいつのスーパーパワーの源も分かるかも知れん。インヒューマンズか、ミュータントか、はたまた人工的に強化された人間か……事態によってはアベンジャーズの出番かも知れん」

 

「そうだな。その時はスタークの手も借りるとしよう」

 

 

私はそう返答しながら、それほど大事にはならないだろうと確信していた。

 

確かに『レッドキャップ』は手強かった。

 

だがそれは、スーパーパワーありきの物ではない。

ナイフを操る技術、格闘術、不意を突く戦闘センス。

それらは一朝一夕で身につく様な物ではない。

 

恐らく、長年掛けて会得した技術だ。

 

 

だからこそ。

 

もし彼女が子供であるのなら……。

 

 

「どれほど、過酷な日々を送って来たのか」

 

「どうした?キャプテン」

 

「いや、何でもないさ」

 

 

私は自由と平等、博愛を尊ぶ。

だが、真に私は知っている。

 

人間は生まれながら自由ではない。

平等でもない。

 

だからこそ、それらを尊び、目指して生きているのだと。

 

そして、それらを奪い、踏みつける行為は。

 

……許されない。

 

私は彼女を追い込んだ人間……まだ、誰かも分かりはしないが、その何者かへ怒りを募らせた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

『A.I.M』と『ライフ財団』の取引護衛。

その任務完了後、私はティンカラーの居る地下室へ来ていた。

スーツの修復のためだ。

 

 

ちなみに、任務の評価は関係組織、全てから「とてもよかった」と評された。

レビューは星5つだ。

 

原因は以下の通り。

 

『A.I.M』と『ライフ財団』からはアベンジャーズ、しかもキャプテン・アメリカが介入したのに逮捕者も出ず、死者も出ず、それどころか取引物すら奪取されなかった事を評価された。

 

フィスクも、船は破壊されてしまったが……いや、そもそも破壊したのは私だが。

 

『A.I.M』からは科学技術を、『ライフ財団』からは多額の資金を提供され、当初予定していたよりも大きく得をしたそうだ。

 

そして『組織(アンシリーコート)』。

元々、組織(アンシリーコート)を半壊させたのはキャプテン・アメリカだった。

なので、今回、組織が作った超人傭兵(スーパーエージェント)である『レッドキャップ』がキャプテン・アメリカを出し抜けた事……それを大きく評価された。

 

これにより、資金が提供されスーツの修復に金の糸目を付けなくて済む様になった。

 

今は着ていたスーツを着脱し、中に着ている防刃、防弾のインナー姿になっている。

 

右腕のスーツを引き剥がす時……皮膚にアーマーが癒着しており、大変痛かった。

辛うじて声は出さなかったが、私以上にティンカラーが慌てている姿が印象深かった。

 

ちなみに現在、腕に木材を挟み、包帯で巻かれている。

言っても一日ぐらいで治る話なのだが。

 

 

『あー、これもう修復できないね』

 

 

ティンカラーが、血の付いた右腕部アーマーを転がした。

 

 

「そうなのか?」

 

 

ヘルメットも被っていない今、私は地声で問いかけた。

 

 

『うーん、交戦結果、右腕部のアーマーの一部が紛失してる。他の部分は何とかなるよ。左腕も……電子部品が殆どブッ壊れてるヘルメットもね。でも右腕は無理だ。ヴィブラニウムがないんだよ、同じ様に修復はできないな』

 

 

困ったなぁ、とティンカラーが唸った。

 

 

「……それなら、右腕部に武器をつける事は出来るか?」

 

『ん?あぁ、それなら大丈夫……いや、そうか。よし、何となく出来そうだな』

 

 

そうやってティンカラーは一人で唸り、一人で頷いた。

 

 

『まぁ、任せておいてよ。他部位は3日で直る。右腕は……同時進行で5日ぐらいかな。余裕を見積もって全部で7日。また一週間後に来なよ、その時に御披露目してやるさ』

 

 

そう言って顔に表示されている紫の光……の右片方が点滅した。

 

ウィンクのつもりか?

うざ……。

 

 

『お、あ、そう言えば!あげたドレスはどうだった?』

 

 

ドレス……船に搭乗した時に着ていたドレスか。

 

 

 

「どう?か……まぁ、悪くはなかったが」

 

『そうか!そりゃあ良かった』

 

 

今日一番、嬉しそうに返事をするティンカラーに私は訝しんだ。

……あのドレス、少し露出が高かったが。

 

 

あ。

 

 

「あぁ、でも。脱出時に船に置き忘れたな」

 

『え!?……でも仕方ないか。命あっての物種って言うしね……どうかな? また作ってあげようか?今度はプライベート用にもっと……』

 

「いや、着ないから不要だ」

 

 

そう言い返すが、ティンカラーは不服そうに唸っていた。

どうしても彼は私にドレスを着せたいらしい……何故だ?



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#22 ボンズ・オブ・モータリティ part1

「お、おぉ……!」

 

 

私は2枚の紙……チケットを手に持っていた。

 

 

「ふふふ」

 

 

普段は出ないような変な笑い声も出てしまう。

 

このチケットからはそんな甘美な匂いが……いや、チケット自体は紙の匂いしかしないが。

 

表面に書いてあるのは、「スイーツフェスタ202X」という文字。

 

そう、これはパティシエ達が競い合うスイーツの祭典……それの招待チケットなのだ。

 

私が日頃食べ漁っているケーキ屋、そこでお得意様にのみ配られる招待チケット。

ちょっと大きめな会場で行われる新作ケーキの試食会だ。

ニューヨーク中のパティシエが集まり、新作ケーキを披露する……最高に美味しいケーキが食べ放題。

 

少し鼻息が荒くなってしまうぐらいだ。

 

 

……開催日は……今週の日曜日だ。

考えただけでワクワクが止まらない。

 

 

「ふふふん」

 

 

下手くそな鼻歌も歌いつつ、チケットを机に置いて……2枚、か。

 

 

誰かもう一人誘えるな。

 

グウェン……は、あんまり甘いの食べられないんだよな。

 

じゃあ……。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

「ピーター、一緒にケーキ食べに行こう」

 

「え?今日?」

 

 

僕は今、ミシェル、グウェンと一緒に屋上で昼食を食べていた。

 

ネッドは……今日は病欠らしい。

昨日、スターウォーズの一挙放送やってたからな……深夜に。

寝不足で起きれなかったんだろうなぁ、って。

 

 

「違う、今日じゃなくて日曜日。これ見て」

 

 

……なんだか、ミシェル、いつもよりテンションが高い。

何か良いことがあったのだろう……恐らく、今見せてきたチケットの事だろうか。

 

 

「なになに?」

 

 

グウェンがミシェルの差し出した紙を覗き見た。

 

 

 

「「……スイーツフェスタ?」」

 

「そう!美味しい新作ケーキが食べ放題!2枚あるからピーターも来てほしい」

 

「え、グウェンと行っ」

 

 

ドスン!

 

と、脇腹に肘が捻り込まれた。

グウェンだ。

 

 

「ちょっと、何するんだよ、グウェン」

 

 

小声でグウェンに声をかける。

こういう無言で脇腹を突いてくる時は、大体グウェンが耳打ちしたい時だ。

 

 

「童貞、カス、女の敵……女の子からデート誘われてるんだから、断ったりするのは失礼だよ」

 

「で、デート!?」

 

「バカ、声が大きい」

 

 

また脇腹に肘が捻り込まれる。

脇の切り傷はもう無いけれど、グウェンは怪我をしなかった側へ肘を入れている。

まだ温情があるようだ。

 

にしても、デ、デート?

ミシェルを見ると僕達の小声話に首を傾げている。

 

 

いや、嬉しくない訳がないけれど、ミシェルに限ってそんな。

 

 

「女と男が二人で遊びに行ったらデートなんだよ、それは」

 

「そ、そうなんだ」

 

 

グウェンはちょっと極端過ぎると思うけど。

 

でも、まぁ。

 

 

「ミシェル、行くよ。その、デザートフェス?」

 

「ありがとう、ピーター!」

 

 

……何というか、こんなに嬉しそうなミシェルは初めて見た。

 

ニコニコとした笑顔で、ミシェルはエクレアを頬張っていた。

……クリームが頬に付いてるけど、指摘した方が良いのだろうか。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

日曜日。

スイーツフェスタ当日、朝。

 

スイーツフェスタの開催時刻は14時から17時までだ。

……勿論、最初っから最後まで食べ尽くしたいので14時前には会場に着いておきたい。

 

そして、超人血清の脅威的な新陳代謝能力によって、私は人の数倍は食べられる。

好きな物を好きなだけ食べる、それが私の人生のスローガンなのだ。

それを実行できるスーパーパワーもある。

 

私は寝巻きを脱いで、部屋のシャワーを浴びる。

プラチナブロンドの髪をドライヤーで乾かし、櫛で梳く。

 

化粧台を前に、グウェンから教えて貰った化粧を少しだけする。

 

曰く、「ミシェルは元が可愛いから、化粧は最低限で良い」とか何とか言っていた。

 

正直、化粧を始めたのは最近で……そもそも、ヘルズキッチンの生活中は人付き合いなんて殆ど無かったし……そう考えると、手間のかかる化粧なんてのは慣れていないので助かっている。

 

美少女に産まれて良かった!

……という訳だ。

 

普段着のシャツとショートパンツのまま、ベッドに腰掛ける。

テレビの電源を付けて時間を潰そうとして……。

 

あ。

 

一昨日、グウェンが言っていた事を思い出す。

 

 

『絶対に普段着で行ったらダメだからね!』

『もっと女の子っぽい格好で行かないと!』

『ドレスコードって奴だよ、TPOだから!』

 

 

私は慌ててシャツを脱いで、下着姿のままクローゼットを開ける。

 

 

「女の子っぽい服……?」

 

 

正直、私は前世が男というのもあって、自意識が男と女の中間のようになっている。

スカートを履くのも……なんだか恥ずかしい気がして、避けているのだ。

 

だから、シャツ、パーカー、コート、ジャケット、短パン、ジーンズ……みたいな服ばかりだ。

 

 

「うえっ」

 

 

グウェンに言われたのに……さっぱり忘れていた。

今から買いに行っても間に合う訳がない。

 

 

「ど、どうしよう」

 

 

ガサゴソとクローゼットの中を漁る。

あれもダメ、これもダメ、これも……多分ダメ。

 

 

「あ」

 

 

あった。

 

黒いカジュアルなドレス。

上下が合体してるタイプで肩の部分はレースで出来ている。

ティーンエイジャーが少しお洒落をして着るような……丁度、今にあったドレスだ。

 

そう、先日、船上での特殊任務に使用したドレスと同じドレス。

紛失したと言った私に、ティンカラーが作り直してくれたドレスだ。

 

……つまり、仕事ではなくプライベートのドレス。

 

正直、ティンカラーのことをキモいと思った。

大して親しくもない女にドレスを送るとか、どう言う神経をしているのか。

何を考えてるか分からなくて本当に不気味だ、アイツは。

 

結局、着る機会もなく、クローゼットの肥やしになっていた訳だが……まさか役に立つとは。

 

クローゼットの中にあるヒールも取り出す。

これもヒールの芯にチタン合金が仕込まれていて……まぁ、これもティンカラー製だ。

 

この間の「組織に独断行動を黙っていた件」も含めて、何故かティンカラーは「異様に」私へ優しい。

 

……かと言って、私を性的な目で見ている訳でもない。

私に惚れているという事もなさそうだ。

 

 

私はカジュアルなドレスに着替えて、鞄を手に取り、ドアに手を掛ける。

 

……あ、鞄に携帯端末入れないと。

そして、机に置いてあった充電中の携帯端末を手に取り……メールが来ている事に気付いた。

 

一瞬、訝しんだが……組織からのメールではない事を確認して、ほっと息を吐いた。

 

送り主は……ピーター?

 

 

『ごめん、ミシェル!ちょっと用事が出来ちゃって、少し遅れる!』

 

 

 

私は端末をジッと睨んだ。

 

……いや?怒ってはない。

怒ってないが。

 

そもそも、隣室だから用意ができたら一緒に行こうって約束していた。

……遅れるなら先に会場まで行っておくか。

 

私は携帯端末からメールを返信する。

 

 

『分かりました。会場の入り口で待っています』

 

 

私は端末を鞄に入れて、アパートから出た。

 

外はまだ明るかった。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

タクシーに乗って会場の入り口まで来た。

……ピーターと一緒にタクシーで来るつもりだったのに。タクシー代は割り勘で。

 

一人で全額、払う羽目になってしまった。

 

いや?お金に困っていると言う事はない。

そんな事はないが……。

 

初っ端から想定外の事があって、私は少し不機嫌になっていた。

折角、車の中で話そうと思ったのに。

 

 

 

そして。

 

 

 

……会場が開いて15分、ピーターが来る気配はまだない。

 

私はため息を吐きながら、携帯端末を開く。

ネットニュースが流れ込んできて、そこで一つ、目に止まった物があった。

 

 

『ビジネス街に巨大なサイ出現!?』

 

 

「……サイ?」

 

 

私は気になってページを開くと、それはニュースの動画だった。

そこそこ大きな音が携帯端末から出たので、慌てて音量を下げて入り口から少し離れた所に移動する。

 

カメラはニューヨーク市内のビジネス街を映している。

黄色と黒の立ち入り禁止テープで区切られる中、サイが映っていた。

 

だが、サイと言っても本物ではない。

 

私には分かった。

金属製のサイ型パワードスーツだ。

 

 

「…………ライノ?」

 

 

ライノはスパイダーマンに出てくる悪役(ヴィラン)だ。

元々は傭兵だったか……強力なパワードスーツに適合し、超人となった悪役(ヴィラン)だ。

 

この世界でライノを見るのは初めてではない。

数度、ニューヨークで暴れて……その度にスパイダーマンに倒されて、ニュースになっていた。

 

映像の中で彼はコンクリートで出来た地面に足跡を付けながら、練り歩いていた。

 

ニュースキャスターが離れた場所から状況を説明している。

 

……凄いプロ根性だな。

危ないのに。

この世界のニュースキャスターは凄い。

 

 

そうやって暴れるライノを前に、逃げ遅れた年老いた女性がいた。

杖が折れて、立てないように見える。

 

そして。

 

そのお婆さんを赤いシルエットが助け出した。

 

 

「……あぁ、そっか」

 

 

だから、ピーターは遅刻していたのか。

 

スパイダーマンがお婆さんを助けて、ライノに飛び掛かり……。

 

 

「お嬢さん、ちょっと良いかな?」

 

 

私は慌てて端末をスリープモードにして、振り返った。

 

 

「何、ですか?」

 

 

慣れない敬語で返しながら、目の前の男を見た。

 

 

……何だか、チャラい男だ。

ミッドタウン高校に私が編入した頃のフラッシュに似ている。

 

……今のフラッシュは、なんというか、爽やかスポーツマンって感じだけど。

心を入れ替えたらしい。

 

とにかく、今私の目の前にいる男は、なんというか……気に入らないタイプの男だった。

 

 

「お嬢さん、今一人?」

 

「一人……ですけど」

 

「じゃあさ、俺と一緒に入らない?ここ、今日はスイーツフェスやってるんだよね」

 

 

知ってる。

私もそれが目的で来たから。

 

 

「ごめんなさい、私、人を待っているから」

 

「えぇ?待ってるって……もう開催時間過ぎちゃってるよ?遅れてるんじゃないの?」

 

「そう、ですけど」

 

 

……ナンパ野郎に敬語なんて使う必要がない気がしてきた。

 

 

「遅れてくるような奴なんて放っておいてさ、俺と一緒に……」

 

 

あ?

 

 

「やめたまえ」

 

 

私が殺意を抱いていると、横から茶髪の男が現れた。

スーツを着た身長の高い、顔立ちの整った男だ。

 

 

「……な、なんだよ」

 

「私が彼女の待ち人だ。邪魔だと言っているんだ、君に」

 

 

茶髪の男が、ナンパ男の胸に指を突きつけた。

 

…………ん?え?あれ?私の待ち人はピーターだけど。

 

 

「ッチ、男連れかよ……」

 

 

舌打ちをして、ナンパ男が遠ざかっていって……。

 

 

「……私の待ち人。貴方じゃない筈、ですけど」

 

「ん?あぁ、そうだね。知っているよ…………おっと、すまない。彼を遠ざける為の方便だよ、気に障ったのなら謝ろう」

 

 

……どうやら、この気障な茶髪の男。

良い人のようだ。

 

 

「……いえ。ありがとう、ございます」

 

 

そして年齢も同じぐらいだ。

敬語は使わなくても良い……だろうか?

 

 

「いやいや、そう感謝される立場ではないさ。僕も君をナンパしに来た男だからね」

 

 

そう言われて、私は少し距離を取った。

前言撤回、良い人ではないらしい。

 

 

「ははは、凄い警戒されちゃってるね。大丈夫、無理に誘ったりはしないさ、待ち人がいるんだろう?」

 

「……そうです」

 

「彼氏さんかい?」

 

「……違う」

 

「なら、僕にもチャンスはあるかな」

 

 

そう言って白い歯を覗かせて笑った。

 

……イケメンだ。

メチャクチャ、イケメンだ。

 

私が普通の女の子ならキャーキャー言って付いていくところだが。

生憎、私は『普通』でもないし『女の子』かどうかも怪しい。

 

 

「……君の待ち人は何時頃来るんだい?」

 

 

腕を組んで、その男が柱に背を任せた。

……イケメンって狡いな。

どんな仕草でもカッコよく見えるんだもの。

 

 

「分からないです」

 

「……そうか」

 

 

男が神妙な顔で頷いた。

 

 

「なら、先に会場に入っていても良いんじゃないか?」

 

「……でも私、会場の前で待つって言ったから」

 

「遅刻するような人間に待ち合わせてあげなくても」

 

「ピーターは」

 

 

私は男の言葉を遮った。

 

 

「何の理由もなく、私の約束に遅れるような人じゃない」

 

「……そうか、ピーター君と言うのか……すまない。知ったような顔をして語ってしまった」

 

 

男が頭を下げる。

……本当に、誠実で良い人だ。

 

きっと、先程の発言も私に対して心配してくれて言ってるんだろう。

 

 

「じゃあ、僕は先に会場に入らせて貰うけど……あまり、外で待っていると冷えてしまうよ」

 

「……大丈夫」

 

 

敬語も忘れて、私は強がった。

 

まぁ、実際に。

超人血清によって強化された身体なら、堪えるような事もないのだが。

 

 

男が私から離れ、会場に向かう。

 

後ろから黒服の男が付いて行って……。

 

 

む?

服装と言い、黒服の従者と言い……金持ちの息子なのだろうか?

私達と年齢も近そうな……恐らく、学生だと思っているが。

 

彼を見送って、私はまた携帯端末を取り出した。

 

ニュースを再度開くと、ライノとスパイダーマンが争っている姿が見えた。

 

……正直、どんなエンタメ作品よりも、スパイダーマン関係の報道が一番面白いと私は思う。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

そして、3時間後。

時間は17時過ぎ。

 

もう、会場も閉まる時間だ。

ニュースではライノがスパイダーマンに倒されて、警察に拘束されていた。

ライノは重厚なアーマーを着込んだ巨体の悪役(ヴィラン)だ。

タフでしつこく、時間がかかってしまったのだろう。

 

スパイダーマンはキャスターにインタビューされかけて……急いで、その場を後にした。

普段の彼からは考えられないほど焦っていた。

 

……もう、スイーツフェスタも閉会式中だ。

急いだ所で間に合わないけど。

 

ケーキ、食べ損ねてしまったな。

 

はぁ、とため息を吐いて携帯端末から顔を上げると……先程、私を助けてくれた茶髪の男がこちらに向かっていた。

 

 

「あっ」

 

「待ち人は……どうやら、来なかった……のかな」

 

「うん」

 

「そう、か」

 

 

男はまた、神妙な顔で頷いた。

私が傷付かないように言葉を選んでいるようだった。

 

 

「君に、これを」

 

 

そして、男の手から箱が渡された。

白い、箱だ。

 

 

「これは?」

 

「会場内のケーキさ、主催者に言って6つ包んで貰った。味は保証しよう、僕が食べて美味しかったケーキだからね」

 

 

確かに、この重みはケーキ6つ分だ。

……箱がひんやりと冷えている。

恐らくドライアイスも入っているのだろう。

 

 

「ありがとう」

 

 

私は心の底から感謝した。

間違いない。

この男は良いイケメンだ。

私が純粋な女の子なら惚れていたかも知れない。

 

 

「……それと、良ければ君の名前を教えてくれないか?」

 

 

そう言って、私の目をすっと見つめてきた。

 

 

「ミシェル。ミシェル・ジェーン」

 

「……そうか、良い名前だ」

 

 

そう言って、男がニッと微笑んだ。

…………あれ?

 

この男の人、どうして名乗らないんだ?

 

 

「貴方は?」

 

 

そう聞くと、男は少し悩むような仕草をして、言いづらそうに口を開けた。

 

 

「僕か?僕は……」

 

 

深く、息を吸って。

 

 

「ハリー……ハリー・オズボーンだ」

 



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#23 ボンズ・オブ・モータリティ part2

「ハリー・オズボーン?」

 

 

オズボーン。

……ノーマン・オズボーン。

 

あぁ、私は知っている。

覚えている。

 

『グリーンゴブリン』、ノーマン・オズボーンの息子。

ハリー・オズボーンだ。

 

 

「……ノーマン・オズボーン……って知ってるかな」

 

 

知っているとも。

 

数ヶ月前、ニューヨーク中を暴れ回り、無差別に爆弾を落として回った悪役(ヴィラン)、グリーンゴブリン。

その正体は……兵器会社オズコープ社の社長、ノーマン・オズボーンだ。

 

 

「知ってる」

 

「そう、か。いや、すまない。僕は……その、君に悪意があって近付いていた訳じゃないんだ。……それだけは信じてほしい」

 

 

目の前のハリーは凄く……辛そうで、悲しそうな目をしていた。

 

そうか。

 

会社の社長もしていた皆に尊敬されていた父、ノーマン。

それが邪悪な殺人鬼として逮捕されたのだ。

 

彼の心中は穏やかではなかっただろう。

 

それに、父親がサイコな殺人鬼と言う事で、彼自身に心ない言葉を投げつける人もいたに違いない。

 

でも、それは……とても悲しい事なのだ。

 

 

「……大丈夫、信じる」

 

「そ、そうか。ありがとう」

 

 

そう言って笑うハリーは安心したように笑った。

 

 

「……すまなかった。隠していて」

 

 

そう言って申し訳なさそうにする、ハリー。

彼は根っからの善人だ。

 

今、どんな心境なのか……私には深く理解する事は出来ない。

 

だけど。

 

 

「隠し事をする事は、いけないこと?」

 

「……え?」

 

「誰だって人に言いたくない事はあると思う。それを言えない、言わないのは……別に悪い事ではないと思う」

 

 

……これは昔の、ピーターの受け売りだけど。

 

それに、悪役(ヴィラン)の息子だから何だ。

私は悪役(ヴィラン)そのものだぞ?

 

責められるべきは貴方ではない。

私だ。

 

 

「……そうか、ありがとう」

 

 

安心したかのようにハリーが頭を下げた。

その目は薄らと涙に濡れていた。

 

 

「……君の事がもっと知りたくなってしまった、な」

 

 

……少し、アドバイスと言うか声を掛けすぎてしまったか。

 

歯の浮くような台詞に心を込めて言ってくる。

 

純粋な女でなくとも……気恥ずかしくなって、自身の頬が上気している自覚があった。

 

 

「……う、今日は……その」

 

 

待ち人(ピーター)がいるから。

そう、言外に示した。

 

 

「あぁ、すまない。君を困らせたい訳ではないんだ。……そうだな、もし良ければ、今度オズコープ社が開催する夕食会に来てほしい」

 

「え、えっと……」

 

 

ぐいぐいと来るハリーに、私はたじろいだ。

 

 

「今日食べられなかったケーキも沢山あるだろうから」

 

「行く」

 

 

行く。

凄く行く。

全然行く。

寧ろ行かせて欲しい。

 

私は甘味に釣られる尻の軽い女だ。

 

 

「良ければ電話番号を交換して欲しい。これが僕の携帯電話の番号だ」

 

 

そう言って胸ポケットから出したメモ用紙に、サラサラと万年筆で電話番号を書いた。

 

 

「……うん、ありがとう。ケーキも用意してくれたし」

 

「どういたしまして。こちらこそ、凄く……そうだな、君と出会えて僕は今日、幸せだったよ」

 

 

また歯の浮くような台詞を喋って、ハリーは離れて行った。

 

イケメンは何やっても様になるんだなぁ、と後ろ姿を見て思った。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

まずい!

 

僕はスパイダースーツから素早く、ジャケットに着替えた。

 

一応、僕のパーティ用の服装だけど……僕は腕時計で時間を見る。

 

17時!?

……約束のスイーツフェスタの時間を過ぎているじゃないか。

 

間に合うか間に合わないかじゃなくて、とにかく急がないと。

僕は猛スピードで走って、ニューヨークの街を駆ける。

 

 

そもそも、今日の昼。

警察の電波盗聴イヤホンから、ライノの話を聞いてしまったのが悪かった。

 

ライノは傭兵上がりのスーパー悪役(ヴィラン)で……とにかく、警察官だけでは絶対に勝てない。

僕は既に数度戦っているけど……何度も脱獄して僕に戦いを挑んでくる。

 

今日じゃなくても良いのに!

何でよりによってミシェルと約束してる日なんだよ!

 

僕は喉まで出かかった声を飲み込む。

 

 

「はぁ……はぁ……なん、とか」

 

 

到着した。

 

息も耐え耐えになりながら、サッと身嗜みを整える。

 

ミシェルはきっと、先に会場に入っていた筈だ。

僕の事を待ってて……ずっと待っているなんて事はないだろうから。

 

……すっごく謝って……謝って……許してもらえるのかな。

 

それに……あんなに楽しみにしてたのに、僕は……。

 

胃がキリキリと痛む。

 

 

そうして、入り口の前が見えてくる。

 

 

居た。

ミシェルだ。

 

 

僕は声をかけようとして……ミシェルと話してる男の姿が見えた。

 

慌てて僕は柱に隠れた。

 

だ、誰だ?

もしかして、ナンパ男?

もしそうなら僕が……。

 

 

……いや、どうやら男とミシェルは仲良く話をしているみたいだ。

……ミシェルも笑顔だし……困っているようには見えない。

 

どうしてか、胸の辺りが苦しかった。

締め付けられるような……息苦しいような。

 

 

男が笑顔で手を振って、分かれた。

 

それを見て僕はミシェルの方へ向かって行った。

 

 

「……ミシェル!」

 

「あ、ピーター。遅刻だよ」

 

 

ミシェルがムッとした顔で僕を睨んだ。

 

 

「ごめん……本当に」

 

「私ずっと待ってたのに」

 

 

……え?

 

 

「……会場に入らなかったの?」

 

「ピーターを待ってるって、メール送った」

 

 

そう、そのメールは僕も見た……だけど、そんな。

 

 

「ごめん、ミシェル」

 

 

僕は頭を下げた。

 

ミシェルをこんな……ずっと外に放置していたなんて。

あんなに楽しみにしていたスイーツフェスタにも入らず……ただ、僕を持っていた?

 

そんなの……僕は、酷い奴だ。

 

ミシェルが一人、外で待っている姿を想像し、罪悪感を感じていた。

 

僕が頭を下げてる間、ミシェルはずっと黙っていた。

 

そして。

 

 

「……はぁ。ピーター、私、もう怒ってないよ」

 

「……え?」

 

 

僕が頭を上げると……ミシェルが仄かに微笑んでいた。

 

 

「ピーターが何の理由もなく……約束を破るなんて、思ってないから。何か、理由があったんでしょ?」

 

「それは……」

 

 

確かに。

スパイダーマンとして街を救うために戦った。

でも、約束を破ってしまったのは事実だ。

 

それに、この理由は……ミシェルには話せない。

……スパイダーマンの正体を知ってしまったら、この戦いに巻き込んでしまうから。

 

 

「だから怒ってない。それに……」

 

 

ミシェルが手元に持っていた白い箱を持ち上げ、僕の目の前に持ってきた。

 

 

「優しい人に、会場内のケーキ貰ったから」

 

「……そう、なんだ」

 

 

きっと、さっきの男の人なんだろうな。

また少し息苦しくなった。

 

 

「だから、ピーター。帰って二人で食べよ?」

 

 

努めて笑顔で、ミシェルがそう言った。

普段よりも……ちょっと無理した笑顔だ。

 

きっと、僕に罪悪感を抱かせないように、笑おうとしてるんだ。

……僕は、僕自身が情けなく感じた。

 

 

「ごめん、ミシェル」

 

「ピーター、違う」

 

 

ミシェルが僕の頬を突いた。

 

 

「こう言う時は、ありがとう、で良い」

 

「あ、ありがとう。ミシェル」

 

「うん」

 

 

そう言ってミシェルが満足気に頷いた。

 

それにしても、今日のミシェルは……普段よりずっと可愛らしい服を着ていて……。

 

 

「……可愛い、な」

 

「ピーター、何か言った?」

 

「いや、その」

 

 

ふと頭にグウェンの言葉が蘇った。

 

 

『ちゃんとミシェルのオシャレを褒めなさいよ』

『勿論、声に出して』

 

 

あっ。

 

 

「えっと、今日のミシェル、可愛いなって……」

 

「……そうかな?ありがとう、ピーター」

 

 

そう言って、ミシェルが頬を緩めた。

 

その安心しきった、嬉しそうな顔に僕は目を惹かれて……顔が熱くなった。

 

 

あ、そっか。

 

 

僕はきっと、ミシェルがこうやって幸せそうな表情をしているのが好きなんだ。

 

 

……きっと、それは……。

 

 

……僕がミシェルの事を好きって事……なのだろうか。

 

確信は持てない、けど。

 

 

ケーキの入った箱を大事そうに抱えるミシェルに並んで、僕達は帰路についた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

ガタリ、ガタリと車が揺れる。

舗装されていない道を走り、街から離れていく。

 

私……ノーマン・オズボーンは今、腕を拘束されて輸送されている。

目の前と左右に、武装した警官もいる。

 

……厳重体制だ。

そこまで警戒しなくとも、『私』は何もしないのに。

 

ちら、と目前の警官を見る。

 

 

「パトリックさん、私はこれから何処に向かうのでしょうか?」

 

 

名前は先程、他の警官と話している時に聞いた。

私は今、輸送されているが……実際に何処に輸送されるかは知らないのだ。

 

 

「……黙れ、ノーマン。私語は慎め」

 

 

そう言って警官……パトリックは眉を顰めて、私の言葉を遮った。

 

そこにあるのは敵意だった。

 

それもそうだ。

『俺』は過去に数十人の人間を殺している。

未だに死刑になっていないのは、その特異性の為でしかない。

 

肉体強化薬、と呼んでいる薬がある。

筋肉を強化し、思考すら強化する。

誰でも超人になれる。

 

夢のような薬だ。

 

だが、実際に服用した私に待っていたのは、抑えきれない暴力性の強化という副作用だった。

 

『俺』は自身の邪魔をした人間達を皆殺しにして、民間人を虐殺し…………スパイダーマンに打ち負かされ、逮捕されたのだ。

 

 

ガタガタと揺れる護送車の中で、私は後悔に苛まれていた。

 

 

クエスト社との軍事兵器採用競争に負けて……いや、彼等がオズコープ社に勝った原因は賄賂だが……しかし、それでも結果的には敗北し、焦る私は自分自身で人体実験を行った。

 

確かに身体能力は大幅に強化された。

 

だが、それと代償に暴力性と凶暴性が強化され、私の人格は二つに分離した。

 

ノーマン・オズボーンと言う『私』と、グリーンゴブリンと言う『俺』に。

 

『俺』はスパイダーマンによって倒されてから、その姿を潜めている。

だが、またいつ蘇るかも分からない。

 

私は心に、制御の利かない緑の悪魔を飼っているのだ。

 

 

 

突如、大きな爆発音がした。

 

 

ぐらり、ぐらり。

 

護送車が横転し、ひっくり返る。

 

耳鳴りがする。

突然の衝撃に吐き気もする。

 

叫び声が遠くに聞こえる。

 

怒声と発砲音。

 

そして金属の擦れる音。

 

 

そして、耳鳴りが止んだ。

 

 

目の前に血塗れで倒れている警官がいて、私は道路に突っ伏していた。

 

 

「……あ……あぁっ!?」

 

 

困惑しながら立ち上がり、振り返る。

護送車が燃えている。

 

警官……パトリックは息があるようだが……動けないように見える。

 

 

コツコツと、靴がなる音がして私はそちらを見た。

 

 

黒い、タキシードスーツの男だ。

この煙と炎が舞い、血が流れる場所に不釣り合いな、現実離れした男が居た。

 

 

「初めまして……ノーマンさん」

 

 

そうやって礼をする男……その顔は……酷く、普通で印象の薄い顔をしていた。

 

 

「君、は?これをやったのは君なのか?そもそも、目的は?」

 

「あぁ、そんなに焦らないで……ここには貴方を傷付けるモノはありません」

 

 

酷く愉快そうな顔で男が笑った。

 

 

「な、何が目的だ?」

 

「目的?そうですね、目的と言えば……私は貴方を助けたかった。貴方の復讐の手助けがしたいんです」

 

「復讐……?」

 

 

私は不思議に思った。

復讐なんて、何も……いや、一人だけ脳裏に映る姿があった。

スパイダーマン、か?

 

 

「そう、彼ですよ。私も彼を憎んでいます。どうですか、共に」

 

「違う。『私』は貴様とは違う!」

 

 

私は大きな声で怒鳴った。

 

コイツはきっとロクでもない奴だ。

恐らく新聞やマスコミでの悪評を聞いて、私がグリーンゴブリンそのものだと思っている。

だが、違う。

 

アレは『私』ではない。

断じて認める訳にはいかない。

 

 

「……まぁ、良いでしょう。好きになさって下さい」

 

 

諦めたような顔で男が笑った。

 

 

「ところで、貴方が向かう先は知っていましたか?」

 

「向かう先?より厳重な刑務所に、と言われていたが……?」

 

「いいえ、違います。刑務所なんて、そんな甘い場所じゃあない」

 

 

呆れたような顔をして、男が言葉を紡いだ。

 

 

「『レイブンクロフト精神病院』ですよ。一度入れば出られない厳重な病院。イカれた悪魔を二度と地上に出られぬよう封印する場所です。二度と息子さんにも会えないでしょうねぇ」

 

 

息子。

 

ハリーの顔が脳裏に浮かんだ。

 

 

「自身の罪を認める姿勢は素晴らしい。ですが、司法は貴方の敵ですよ、ノーマン。なら、今やるべき事が……貴方には分かる筈だ」

 

 

そう言って男は後退り……そしてまるで緑色の霧のようなモノを残して消えていった。

 

 

 

「現、実?なのか?」

 

 

私は辺りを見渡す。

この炎の熱も、血の匂いも。

現実だと言う証拠だ。

 

 

「う、ぐ」

 

 

私は呻いている警官を見つめて、助けを呼ぼうとして……

 

 

 

止めた。

 

 

ここから離れろ。

今なら逃げられる。

息子に会いたい。

 

 

そんな感情に支配された私は、警官達を見捨てて逃げ出した。

 

幸い、今この時間は深夜だった。

 

『俺』は無意識のうちに頬が吊り上がっていた。



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#24 ボンズ・オブ・モータリティ part3

翌日。

私はミッドタウン高校の教室で、グウェンと向き合っていた。

 

 

「グウェン、付き合って」

 

 

私はグウェンにそう言った。

 

グウェンは困惑した表情をして……そして、納得したように頷いた。

 

 

「うん。何に?」

 

 

何?

 

 

「あっ」

 

 

そこで私は自身の失言に気付いた。

 

 

「か、買い物に……」

 

「うん、いいよ。でもミシェル気をつけてね?そう言う言い方をしちゃうと勘違いしちゃう男がいるから」

 

 

グウェンがそう言うと。

 

……ピーターが咽せて水をこぼしていた。

 

あ、そうだ。

今日学校に来たら何故かピーターが頬を押さえてた。

どうしたのか聞いたら「壁にぶつかった……」とか言っていた。

 

……壁に頬からぶつかる事なんてあるか?

私は訝しんだ。

 

彼は隠し事が驚くほど下手だ。

よくスパイダーマンである事がバレてないな……。

 

 

閑話休題(それはさておき)

 

 

「で、ミシェル。買い物って?何がいるの?」

 

「……女の子っぽい服」

 

 

そう。

前日、ピーターとスイーツフェスタで約束した際に気付いたのだ。

 

私は、あまりにも女の子っぽい服を持っていない。

お洒落な勝負服がないと言う事だ。

 

価値観がまだ男寄りだからと言うのもあるが、カジュアルなジーパンや、ショートパンツ、みたいなのしか持っていない。

 

……あとはティンカラー製のドレスぐらい。

 

つまり、カジュアルとフォーマルの間の服がない。

ちょっとお洒落な服装をしなければならない時、困ると言うこと。

 

 

ハリーに誘われてる『オズコープ社の夕食会』、それに参加するための服もないのだ。

 

 

グウェンは私の言葉に…………凄く、意味深な笑顔をしていた。

 

 

「へぇ……ふぅん……なるほどねぇ……」

 

 

やはり、グウェンは凄い。

言わなくても何となくで理解してくれる。

コミュニケーション能力が高すぎる女だ。

 

……ん?

 

何故かニヤニヤとした目でピーターを見ているのが気掛かりだが。

 

 

「そういう事なら良いよ、勿論。じゃあ明日、土曜日に」

 

「うん、ありがとう」

 

 

そう言って約束している中、ピーターがチラチラとコチラを見ていた。

気になるなら話しかけてくれれば良いのに。

 

変な奴だ。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

私は今、ショッピングモールに来ている。

クイーンズでも有名な大きなショッピングモールだ。

 

その中にある服屋。

学生でも比較的買い求めやすい、リーズナブルな服屋に来ていた。

 

……そして今、下着姿で鏡の前に立っている。

ここは試着室だ。

そして、手元には……白い、ワンピース。

 

 

「グ、グウェン、これ絶対似合わない……」

 

 

カーテン越しに居るグウェンに、私は声を掛ける。

 

 

「絶対似合うって、とにかく着てみなよ」

 

 

……ぐっ、似合う……と言うのは何となく分かるのだ。

だって私、美少女だし。

だが、とにかく恥ずかしい。

 

もう少し煌びやかじゃない感じの、清楚っぽくない感じの、女の子っぽいけどカジュアルな服からスタートしようよ、グウェン。

何で、こんな、ハードルの高い……。

 

 

私はファスナーを引いて、ワンピースを着る。

……この、よく分からないベルトのようなモノは……あ、臍の上に来るように巻くのか。

 

そうして着終わって鏡を見れば……清純派の美少女が顔を赤らめていた。

 

 

「グ、グウェン、やっぱり似合ってない……」

 

 

カーテンを開いて、グウェンが私をマジマジと見る。

そうして親指を立てた。

 

 

「え?似合ってるよ、メチャクチャ可愛いーよ」

 

「似合ってない……!」

 

 

いや、似合っているのだろう。

容姿的には。

 

だが私は恥ずかしくて仕方がなかった。

……くっ、膝下がスースーする。

 

これに比べればティンカラーの作ったドレスはかなり着やすかった。

色も黒いし、スカートの丈も長い。

 

お淑やかな感じであったり、可愛らしさを全面に推した真っ白なワンピースは……劇物だ。

私を毒殺する猛毒ワンピースだ。

 

 

「う、ぐ、う」

 

 

変な唸り声を上げていると。

 

 

パシャ。

 

 

とシャッター音が聞こえた。

 

 

「グウェン……!?」

 

「あ〜、つい」

 

 

グウェンがスマホをポケットにしまった。

 

 

「……私で遊んでる?」

 

「いやいや、ホントの本気で選んでるよ。じゃあ、次はこれ着てみようか」

 

 

そう言って差し出された服は……。

ピンクのフリフリでレースなフワフワの……。

 

 

「ぐ、くっ」

 

 

 

変な唸り声を出しながら、私はそれを受け取った。

 

 

正直。

正直な話だが。

 

絶対に着ないような服だが、折角グウェンが選んでくれたのだ。

グウェンはこういう時、人を馬鹿にするような服を用意する訳がない。

その辺の信頼はある。

 

だからこそ、無下に出来ない。

私の唯一の女友達なのだ。

正しい女の子向けファッションは私には分からない。

だから、彼女に従う他、なかったのだ。

 

 

 

「似合ってるよ〜、ミシェル」

 

 

パシャ。

 

 

「ぐ、く、ぐぎぎ」

 

「次はこれ」

 

 

パシャ。

 

 

「う、う」

 

「これも、これも」

 

 

パシャ。

 

 

「う………ぅ……」

 

「あと、これ!」

 

 

パシャ。

 

 

「……………」

 

「あれ?ミシェル?」

 

 

私はもう瀕死だった。

グウェンの着せ替え人形にされて、私のプライドと羞恥心はズタズタだ。

 

 

「……疲れた?」

 

「……うん」

 

 

もう、本当に疲れている。

死にかけだ。

 

 

「じゃあ、最後にこれだけ」

 

 

そう言って、ミシェルに渡された服を見て……。

 

 

「あっ」

 

 

私は思わず声が漏れた。

黒白、チェック柄のスカートに、白いシャツ。

落ち着いた見た目の服装だった。

 

 

「うーん、ミシェルにはもっと可愛い系で派手なファッションが似合うんだけどね。ファッションって言うのは本人が好きで着ないとダメだからね」

 

 

私は渡された服装に着替えて、鏡の前に立った。

 

……そうだ、こういうので良い。

こういうのが良いんだ。

 

 

私はカーテンを開けて、グウェンの前に立つ。

 

 

「似合ってるよ、ミシェル」

 

 

そう言ってウィンクするグウェンは……うん、やっぱり滅茶苦茶カッコよかった。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

ぺろぺろ。

 

 

「そう言えばミシェル、夏期休暇中の旅行用の水着、買った?」

 

 

ぺろぺろ。

 

私は首を横に振った。

 

 

「えー?学校指定の水着で行くつもり?」

 

 

ぺろぺろ。

 

私は首を縦に振っ……

 

 

「……ミシェル、とりあえずシャーベット食べ終わるまで、話は止めておいた方がいい?」

 

 

私は首を縦に振った。

 

ぺろぺろ。

 

 

私が今舐めているのは商業施設内の露店で売っていたアイスだ。

クランベリー味。

甘酸っぱくて美味しい。

 

クランベリー単体は酷く酸っぱい果物なのだが、このシャーベットは大量に甘味料を投入されているらしく、私好みの甘味に……

 

おっと、溶ける、溶けてしまう。

ぺろぺろ。

 

シャーベットを貪る私を見て、グウェンは呆れたような、微笑ましいものを見るような、不可思議な目で見ていた。

 

 

「う、ごめん、グウェン。一口、食べる?」

 

「え?」

 

 

え?だって食べたいから、そんな目を……。

 

 

「私そんなに食い意地張ってるように見える?」

 

「ご、ごめん」

 

 

私はシャーベットを食べ終え、プラスチックの棒をゴミ箱に捨てた。

 

 

「それで……夏期休暇中の旅行の話」

 

「あ、あー、そう言えば」

 

 

そう、ミッドタウン高校では夏期休暇中に学年旅行がある。

各クラスの委員と教師が連携して旅行を計画する……そんなイベントだ。

 

で、私達の旅行先は……フロリダ州のマイアミだ。

マイアミと言えば……マイアミビーチ。

夏!海!ビーチ!と来れば、まぁ、そう言う事だ。

 

 

「でも新しい水着を買わなくても、学校指定の水着で……」

 

「あ、り、え、な、い」

 

 

グウェンが両手でバッテンを作った。

 

 

「み〜んな気合い入れた水着着てるのに、ミシェルだけスクール指定の水着……そんなんで良いの?」

 

「あ、え、うん」

 

 

別に、良いけど。

 

なんて言ったら話がまた、ややこしくなりそうだ。

 

 

「と、言う事で。午後は水着を買おっか」

 

「グウェンも買う?」

 

「私はもう買ってあるから大丈夫。あ…………そうだ」

 

 

ニッコリとグウェンが微笑んだ。

 

 

「ミシェル、好きな男のタイプ教えてくれない?」

 

 

は?

 

 

「え?」

 

「いや、そんな小難しい話じゃなくてさ……ちょっと気になる事があってね?ねぇ?お願い、ね?」

 

「え、えっと」

 

 

す、好きな異性のタイプ、か……?

 

年頃の女の子ならば、こう言う話は普通にする事……なのだろうか?

 

私は元々、男だったし……今生、今まで学校にも行ってなかったから分からないけど……。

 

いや、でも、そもそも私の自意識の半分以上はまだ男だ。

 

確実に、多分、きっと、男を恋愛対象として見る事なんて……無い。

 

と、思う。

 

でも……そうだな、敢えて……敢えて言うなら。

 

 

「私の、好きなタイプは」

 

 

グウェンの問いへ回答すべく、口を開いた。

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

目の前には狼狽えるミシェルの姿があった。

 

ミシェルは恋愛に対しての意欲が薄く、自身の可愛さ……美人である事に無自覚だ。

 

私、グウェン・ステイシーはそれを「勿体ない」と思っていた。

 

目前のミシェルを見る。

 

目を惹くプラチナブロンド。

宝石みたいにキラキラしたコバルトブルーの瞳。

小ちゃい口。

すべすべの肌。

 

小動物的な可愛さと、人形のような綺麗さを両立させた……奇跡的な可愛さ。

 

そして、そんな容姿以上に可愛い中身。

自己評価が低く、少し内向的だけど……だからと言ってコミュニケーションが苦手な訳でもなく、少しユーモアがあって……。

 

あぁでも、一つ……いや二つだけ、欠点と言うか、気になる事があった。

それは、異性に対して危機感が全く足りていない事だった。

二つ目は……異性に対する興味が薄そうに見える事だ。

 

 

 

 

私は今週末の出来事を思い出していた。

 

ミシェルはこの学校に転校して来た時から……特別と言って良いほど、ピーターとは仲が良かった。

 

そんなピーターが放課後、声を掛けてきたのだ。

それもミシェルが手洗いで教室に居ない間に。

 

 

「グウェン……ちょっと頼みがあるんだけど……良いかな?」

 

 

頬を腫らしたピーターが私へ声を掛けた。

……頬を腫らしてるのは私がビンタしたからだ。

 

先日、ミシェルがピーターとデートに出かけたのだが……ピーターのカスボケ童貞野郎が遅刻したのだ。

結局、時間通りに来ず、お家デートみたいな形になったそうで……何故知っているかと言うと、ピーターが結果報告をして来たからだ。

私は懺悔室かって……まぁ、懺悔するのは良いけど、とりあえずビンタしといた。

 

そんなピーターが至極、真剣な表情で声をかけて来た。

私は茶化したりする事もなく、話を聞く事にした。

 

 

「どした?ピーター」

 

「あの……ミシェルに聞いて欲しい事があるんだけど……」

 

「ん?自分で聞けば?」

 

 

このヘタレが。

何かと思えば……どうしてこう、彼はヘタれるのか。

 

ピーターの顔は悪くない。

上中下で評価するなら、上と中の間ぐらいはある。

上の下から、中の上ぐらいだ。

 

だが、そんな彼がクラスの女子に評価されていないのは……ひとえに、ひっじょ〜に情けないからだ。

 

こう、ガツガツ!とした貪欲さと言うか。

俺がリードするぜ!みたいな力強さと言うか。

我儘さとか、強さとか。

 

所謂、男らしさ。

 

そういうモノが足りてないのだ。

その点ではフラッシュに100点ぐらい負けている。

 

……まぁ、フラッシュはガツガツし過ぎだと私は思うけどね。

だけど、ああ言う奴がモテるのが世の中ってこと。

 

 

私が心の中のピーターを詰っていると、現実のピーターが口を開いた。

 

 

「好きな男のタイプとか……」

 

「OK、聞いとくわ」

 

 

間髪を容れず、私は即答した。

 

そう言う事なら、大歓迎だ。

私は他人の恋話が大好きだからね。

 

それに、ミシェルが恋でも何でもしてくれるなら、それは何というか微笑ましいし、嬉しいし。

 

 

 

 

はい、回想は終了。

目の前の出来事に戻る。

 

 

好きな男のタイプは?

 

と私に聞かれたミシェルは狼狽えていたが(そこもかわいい)、意を決したように口を開いた。

 

 

「私の、好きなタイプは……困った時に助けてくれる人、かな」

 

 

へぇ。

 

 

「優しくしてくれる人ってこと?」

 

「優しくしてくれる……って言うよりは、困っている人をそっと助けてくれる……そんな、頼りになる人かな」

 

 

あ、あー。

 

なるほど?

 

 

「……ヒーロー的な?」

 

「そうかも」

 

 

……ふーん?

 

ミシェルも可愛い所があるんだな……いや、違う、可愛い所しかないが、更に可愛い部分があるなんて……。

 

 

だって、それってさ。

 

 

「つまり、自分のピンチに助けてくれる白馬の王子様ってコト?」

 

「……あ、うん?そんな感じ……なのかな?」

 

 

しっくりしていない顔でミシェルが頷いた。

無自覚か、それも可愛い。

 

 

にしても。

 

あぁ、これは。

 

 

ピーター、脈なしって事か……。

 

……だってアイツ、頼りになるヒーローってイメージと真反対にいるような奴だし。

情けないし、頼りないし……まぁ、優しくて良い奴だけど。

 

哀れだ。

 

来週の月曜日……朝から落ち込むピーターの姿を幻視して。

私は十字を切りたい気持ちになった。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

僕は……ハリー・オズボーンは、机の上の携帯を眺めていた。

 

携帯電話に表示されているのは、連絡先だ。

 

ミシェル・ジェーン。

 

彼女は不思議な人だった。

齢は僕より一つ歳下だったけど……何というか、不思議な……そう、少し成熟したような印象を受けた。

 

 

「はぁ」

 

 

溜息を吐いて、携帯電話のモニターを消灯した。

 

ここは僕の家だ。

正確には、逮捕された父、ノーマン・オズボーンの家だ。

 

父が『グリーンゴブリン』として逮捕された後、この家は僕の名義となった。

 

ただ、広い。

広いだけの家だ。

 

一人で住むには……広過ぎる。

 

僕は席を立ち、一階にある父の書斎へと向かった。

 

そこは父がいなくなった時から、何も変わらない。

鏡に埃が溜まっていたが。

 

 

「父さん……なんで」

 

 

僕は今まで父が座っていた椅子に腰掛け、頭を抱えた。

 

父は、ノーマン・オズボーンは善人だった。

少なくとも、僕の前では。

強く、優しく、賢く、厳しい。

 

理想の父だった。

母が死んでから、男手一つで育ててくれた。

 

……無差別テロを行うような人間ではなかった。

 

僕は……机の上に立てられている写真立てを見た。

僕と父の写真だ。

 

僕はそれに手を伸ばそうとして……。

 

コンコン、と窓ガラスが叩かれた。

 

 

「誰だ?」

 

 

不法侵入者か?

 

僕が目を向けた先に……浮浪者のような男がいた。

ボロボロになった布を纏い、下には薄汚れた橙色の服を着ている。

 

そして、顔を見て……驚愕のあまり、息が止まるかと思った。

父が、ノーマン・オズボーンがいた。

 



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#25 ボンズ・オブ・モータリティ part4

浮浪者のような姿だった父を家へと迎え入れ……話を聞いた。

 

『肉体強化薬』と呼ばれるオズコープ社の開発した試作薬……それによって暴力性を持った人格が生み出されてしまった事を。

 

……やはり、父は自分の意思であんな事をしていた訳ではなかったんだ。

 

僕は胸を撫で下ろして……この不条理塗れの現実に、遣る瀬なさを感じていた。

 

 

「でも、父さん……何で帰って来れたんだい?」

 

「私にも分からない……ただ、誰か……何か……何者かに助けられた」

 

 

そう言って、父は語った。

精神病院に送られる直前、何者かに護送車が襲撃されたらしい。

 

 

「……父さん、これからどうするんだい?」

 

「勿論、自首する……だが、一つ。とても気掛かりだった事がある」

 

 

父は立ち上がり、書斎の姿鏡……その上部にあるワシのような形をした彫刻を触った。

顎が可動式になっていたようで、持ち上げると目が緑色に光った。

 

 

「な、何を……?」

 

「これは私しか知らない、隠し部屋へのアクセスキーだ」

 

 

書斎の大きな本棚がスライドし、機械のプレートのようなドアが現れた。

 

父はそのドアのすぐ横……黒いパネルに手を置いた。

 

電子音がして父の手形がスキャンされる。

そして、ドアが開かれた。

 

 

「このドアの生体認証には私と……ハリー、お前のみが登録されている」

 

「僕の……?」

 

「あぁ、私が居なくなったら……『処分』して欲しかったんだ」

 

 

そう言って、父がドアの中に入る。

僕も慌てて追従して中に入ると……そこは、本当に我が家なのかと疑うほど機械的な部屋だった。

 

まるでオズコープ社の研究室のような部屋だ。

 

本棚のように並べられたショーケースには、剥き出しのまま、緑色の液体が入った蓋付きのシリンダーが並べてある。

 

棚のような場所には橙色をした小さくて丸い機械が幾つも並べてある。

機械の中央にある目のようなレンズには光が灯っていない……起動していないと言う事だろう。

 

そして、人が乗れるような小さな台座……それには羽があって、まるで空を飛ぶ事を想定しているような見た目だ。

 

 

「ここは……?一体、何が……」

 

「ハリー、これを見てくれ」

 

 

父が壁に付いているレバーを引き上げると、部屋の隅で唯一暗くなっていたショーケースが明るく光った。

 

 

そこには、緑色のアーマーがあった。

人体を模したプロテクターに、邪悪な笑みを浮かべるマスク。

 

 

「グ、グリーンゴブリン……?」

 

「何を驚く事があるんだ?私が何故逮捕されていたか、知っているだろう?」

 

「で、でも」

 

 

ショーケースの中から、悪魔のような笑みで、邪な眼差しで、僕を見つめている。

 

僕は……どこかで目を背けていたのだ。

 

父は悪くない。

グリーンゴブリンは幻なのだと。

誰も被害者なんていない。

父は何も変わっていないと。

 

だが、現実は違う。

 

父は悪人で。

グリーンゴブリンは実在して。

確かに殺されてしまった人達が居て。

父は……変わってしまったのだ。

 

 

「……ハリー?どうした、気分が優れないのか?」

 

「あ、あぁ、ごめん。父さん……」

 

「……ここを出よう。私もあまり良い思い出がない」

 

 

父に促されて、部屋を出ようとして……背後で、ガラスが割れる音がした。

 

 

「……父さん?」

 

 

僕が振り返ると、一つ、緑色の液体が入ったシリンダーが床に落ちて割れていた。

緑色の液体は大気に触れて、気化していた。

緑色の煙となって舞い上がる。

 

父はシリンダーの並べられた棚の前で、虚な目をしていた。

 

 

「何を……!?」

 

 

ガシャン、ガシャンと。

 

父がシリンダーを手に取り、床に叩きつける。

中に入っていた液体が霧散し、視界が薄く緑色に染まっていく。

 

 

 

「な、何をしてるんだ!?父さん!」

 

「ハリー、ハリー、ハリー。私が変になったのは、この薬の所為なんだ。この薬は人をおかしくする……それを処分するために私は……私?私か?何故?なんで、こんな事を!?」

 

 

父が狂ったように笑い、棚を引き倒した。

全てのシリンダーが割れて、煙が部屋に充満する。

 

 

「父さ、げほっ、ゴホッ」

 

 

煙を吸ってしまい、頭が不明瞭になっていく。

意識が混濁する。

 

 

「大丈夫だ、ハリー……きっとお前も『俺』と同じになれる……『俺』達は一緒なんだ。ハリー。受け入れて、進むんだ。ハリー、ハリー。ハリー?」

 

 

平衡感覚を失い、僕は壁にもたれ掛かった。

 

目の前には父が三人いる。

そんな筈はないんだ。

 

父は一人だ。

母は?

母は死んだ。

僕は二人いる。

何故だ?

二人な訳がない。

違う、二人だ。

『僕』は僕で、『俺』も僕だ。

 

 

ライトが幾つかにブレて見える。

 

少しずつ、意識を失って行く。

 

 

ショーケース越しに……醜悪な緑色の妖精が、僕を嘲笑っていた。

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

「グウェン、今日は楽しかった」

 

 

私は手荷物でいっぱいになった両手を見る。

何着かの服と、夏期旅行の水着、それとグウェンお勧めの化粧品、シャンプー、よく分かんないアクセサリー。

 

沢山買ってしまった。

 

あまりにも沢山買うものだから、途中からグウェンが片方の袋を持っていてくれた。

 

 

「私の方が楽しかったかもね」

 

「……でも、グウェン。今日は何も買ってなかった。私の買い物に付き合わせただけ……」

 

 

そう、グウェンは手荷物がなかった。

ショッピングモールに来た時と、ショッピングモールを出る時。

荷物の数が変わっていないのだ。

 

 

「ふふん、出来る女と言うのはウィンドウショッピングで満足するものよ」

 

「そ、そうなの?」

 

「嘘。ちょっと金欠だったのよ」

 

 

グウェンがあまりに自信満々で言うものだから、私は納得してしまいそうになった。

 

……私は片方の手提げ袋を床に置いて、中を漁った。

 

アクセサリーの中から、一つ、取り出す。

 

 

「グウェン、これ」

 

 

私が手に取ったのは、革製のブレスレットだ。

外側は金属になっていて彫刻が刻まれている。

 

 

「ん?これ、さっき露店で買った奴だよね」

 

「うん」

 

 

これは……グウェンがジッと見ていたブレスレットだ。

値段もそんなに高くないけど……グウェンはひとしきり触った後、元の位置に戻していた。

 

だから。

 

 

「これは……私からのプレゼント」

 

 

そのブレスレットを、グウェンに手渡した。

 

 

「え……」

 

「今日、一緒に買い物来てくれたし……色々教えてくれたし……いつも、仲良くしてくれるから」

 

 

そう言うと、グウェンは手渡したブレスレットと私の顔を何度か交互に見て……満面の笑みで私を抱き寄せた。

 

 

「ふべっ」

 

「あぁもう、何て可愛いの!?ミシェルに彼氏なんてやっぱり要らない!私が彼女……いや彼氏になるから!」

 

 

胸元に抱きしめられた私は、グウェンにガシガシと乱暴に頭を撫でられた。

 

ぐ、苦じい……。

 

私が返事をしない……いや、出来なくなっていることに気付いて、グウェンが私を解放した。

 

 

「あ、あっ、ごめん。ミシェル、大丈夫?」

 

「はっ……はぁっ……だ、大丈夫」

 

 

息が出来なくて苦しいのは事実だ。

だが、物理的に息が出来なかった訳ではない。

グウェンの良い匂いを吸って、これ以上吸えなくなって……自分で息を止めていたのだ。

 

 

「でも、その、すっごく嬉しいよ。ミシェル。ありがとう」

 

 

そう言って微笑むグウェンを見て……私は胸が温かい気持ちになった。

 

ずっと。

 

ずっと、こうして……仲の良い友達と一緒にいたい。

 

今、この時だけは……何もかも、しがらみを忘れて、ただの『ミシェル・ジェーン』で居たい。

 

 

私は、心の底から笑っていた。

 

 

 

 

 

 

「ミシェル……本当に、一緒に帰らなくても大丈夫?」

 

「大丈夫。こう見えても私は力持ちだから」

 

 

私が両手に荷物を持っている事に、グウェンは心配しているようだった。

 

でも、安心して欲しい。

私が本気になれば車だって持ち歩けるのだから。

 

 

「そ、そっか……分かった。うん、信頼する」

 

「うむ」

 

 

渋々、頷いたグウェンを見て私も頷いた。

 

 

「じゃあ、ミシェル。また明日……は、休日だから、明後日!月曜日に……また学校で」

 

「うん、今日はありがとう」

 

「良いって事よ。じゃあ、またね」

 

「うん、またね」

 

 

……『またね』か。

 

グウェンと別れた私は歩き出す。

 

ショッピングモールから家まで、徒歩15分ぐらいだ。

そこそこ歩くが……外もまだ別に暗い訳じゃない。

 

ほんのり赤くなっているだけだ。

まだ夜と呼べるようになるまで1時間はかかるだろう。

 

 

「ふふ……」

 

 

私は今日の出来事を忘れないだろう。

……特別な日ではないけれど。

 

生憎、私の記憶力はかなり良いんだ。

超人血清のせいで。

 

だから、何てことのない毎日が、アルバムのように脳へ収められている。

 

初めてクイーンズに来た日から、ずっと。

 

 

私が悪役(ヴィラン)として今まで生きてきた中で、振り返りたくなるような思い出は無かった。

だけど、『ミシェル』としてなら……それは沢山あった。

 

ピーターと一緒に、ご飯を食べた事も。

ネッド達と一緒に、夜遅くまで皆で映画鑑賞会をした事も。

グウェンと一緒に、買い物した今日みたいな出来事も。

 

どれも、ありきたりだけど、幸せな記録の1ページだ。

 

だから、私は……。

 

 

 

手元の携帯端末を見る。

 

暗号化された文章が写っている。

 

『刑務所から脱走したノーマン・オズボーンの抹殺依頼』

 

私は携帯端末を閉じて、胸ポケットに入れた。

 

 

 

私は。

 

この幸せを守るためならば、どんな事だってしてみせる。

 

そう思っていた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

私はグウェンと買い物をした荷物を持ったまま……地下の拠点へと来ていた。

 

荷物を冷たいコンクリートの床に置いて、小さなコンテナからスーツを取り出す。

 

私服を脱ぎ捨てて、防刃のインナースーツに着替える。

 

下駄状のパーツを踏めば、自動でブーツが装着される。

腕も腰も、身体も。

 

アーマースーツは着るまで面倒に見えるが、実際は楽だ。

全自動だからだ。

 

私はアーマーを装着した右腕を見る。

 

ティンカラーによって修復された右腕は、以前から大きく変わっている。

破損してヴィブラニウムパーツが減ったため、修復しきれず最低限のアーマー部しか補填できていない。

左腕に比べて、追加装甲部が薄くなっている。

 

代わりに、新造のパーツが装着されている。

これは『クローフック』だ。

 

三つの鋭利な爪が付いており、それを特殊な合成繊維で編んだワイヤーで繋げている。

射出装置が付いており、遠くのものを拾ったり……それこそ、スパイダーマンのように天井に貼り付けてスイングする事だって出来る。

 

ぶっつけ本番は困るな……少し、この部屋で練習を……。

 

 

そう考えていると、自身の携帯端末が鳴り響いた。

手に拾い上げて確認すると『ジョージ・ステイシー』という文字が見えた。

 

グウェンの父か……何の用だ?

 

 

 

 

……マスクはまだ着けていない。

私は意識を『レッドキャップ』から『ミシェル・ジェーン』に切り替えて、電話に出る。

 

 

 

「はい、ミシェル、です。ジョージさんですか?」

 

「あ、あぁ。そうだ、ジョージだ。その、聞きたい事があるんだが」

 

 

慌てた様子でジョージが話を続ける。

 

 

「今、グウェンと一緒に居ないか?」

 

「…………え?居ない、ですけど」

 

 

私の心臓が強く打ち付ける。

動悸している。

 

 

「グウェンがまだ、帰ってきていないんだ。何かの事件に巻き込ま……」

 

 

私は携帯端末を足下に落とした。

 

 

グウェン。

 

グウェン?

 

グウェン・ステイシー?

 

……ノーマン?

 

グリーン・ゴブリン……?

 

 

私の記憶の中で、幾つかの事項が結び付く。

 

それはまるで『蜘蛛の巣』のように張り巡らされ、散らばった記憶の中から重要な項目が結び付いて行く感覚。

 

 

瞬間、『見たくない』景色が見えた。

 

想像し得る景色の中で、最も避けたい未来。

 

それが頭の中に浮かび上がる。

 

目を閉じても、その景色は映り続ける。

 

 

高所から落ちて行く『グウェン・ステイシー』。

 

高笑いをする『グリーンゴブリン』。

 

助けようとする『スパイダーマン』。

 

 

やがて、グウェンが落下して……死ぬ。

 

何度も、何度も……その景色が脳裏に浮かぶ。

 

 

 

「うっ……うぐっ……」

 

 

 

思わず呻いて、壁にもたれかかる。

 

電話越しに、ジョージ・ステイシーの声が聞こえる。

 

 

景色の中でピーターの、グウェンの、ゴブリンの姿形が変わる。

 

『役者』が変わり、『描き手』が変わる。

 

様々な世界で、様々な姿に変えて、同じ結末に落ちて行く。

 

血塗れのグウェンを抱きしめて、涙を流すピーター。

慟哭が響く。

私の心を締め付ける。

 

 

何故、今頃になって思い出すのか。

思い出してしまうのか。

 

それは分からない。

きっと誰かが……何かが、私の記憶を縛っている。

それでも、私は今、犯人探しなんてしている余裕はない。

 

 

……私は。

 

彼女を、救う、ために。

 

 

……血よりも赤い、真っ赤なマスクを装着した。

 



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#26 ボンズ・オブ・モータリティ part5

その日、僕はあんな大きな……僕にとっては大きな、大きな事件が起きるなんて知らないまま……いつも通り、パトロールをしていたんだ。

 

 

「お婆さん、もう落としちゃダメだからね!」

 

「えぇ、まぁ、ありがとう、スパイダーマン」

 

 

財布を落とした老婆の代わりに、財布を探してあげたり。

 

 

「はい、これ、ちゃんと返したからね」

 

「ありがとう!本当に……返ってこないと思ったわ!」

 

 

鞄をひったくられた女性を助けたり。

 

 

「ありがとう!」

 

 

車に轢かれそうになっていた子供を助けたり。

 

銀行強盗を捕まえたり。

 

看板にペンキを塗るお兄さんの手伝いをしたり。

 

事故を起こした車から運転手を救出したり。

 

 

そうして気づけば、空は暗くなっていた。

あぁ、人助けに集中し過ぎてたみたいだ。

 

休みの日は、一日中、人助けをしている事も少なくはない。

だから、ニューヨークの人達は僕の事を「親愛なる隣人」と呼んでくれている。

 

 

『大いなる力には、大いなる責任が伴う』

 

 

……死んでしまった僕の叔父の言葉だ。

強い力を扱う者には、責任がある。

 

自分だけのためではなく、世のため、人のために使っていかなきゃならない。

 

何より、僕が「何もしない」事を選択した所為で、誰かが不幸になってしまったら……それこそ、僕は耐えられないや。

 

それに。

 

人助けは嫌いじゃない。

感謝されたり、褒められたり、そう言うのって凄く気持ちいいからね。

それもあるかも。

 

 

……はぁ。

 

今頃、ミシェルはどうしているだろうか?

 

最近、僕は一人の女の子がずっと気になっている。

心ここに在らず……とまで行かなくても、暇な時にふと顔が思い浮かんでしまう程に。

 

それほど、彼女は魅力的だった。

 

決定的に感じたのは先週……二人でケーキを食べた時かな。

 

僕は彼女との待ち合わせに遅刻してしまって……スパイダーマンとしての活動だったけれど、それでも彼女はそんな事を知らないのに、僕を許してくれた。

 

 

『ピーターが何の理由もなく、約束を破るなんて思ってないから』

 

 

そう、言ってくれたんだ。

 

彼女は僕が隠し事をしているのを分かった上で、それでも暴こうとせず……怒る訳でもなく……許容して、微笑んでくれた。

 

彼女は寛容で……それで……。

 

 

僕は、彼女に恋をしたんだと、はっきりと……白黒のシルエットぐらい、はっきりと確信したんだ。

 

 

そんな彼女は今日、友人……ちょっと意地悪だけど優しいグウェンとショッピングに出かけてる。

 

いや、出掛けて「いた」かな?

流石にもうお開きになってると思う。

 

盗み聞き……じゃあなくて、偶々耳に入った話からすると、ミシェルが「女の子らしい服を買いに行きたい」ってグウェンに言っていた。

 

女の子らしい……?

と思ったけど、そう言えばミシェルはラフな格好が多かった。

シャツとズボン、それかショートパンツ……って姿がすごく多い。

 

僕はそれを「らしい」と思ってたし「似合ってる」と思っていたけど、彼女はそれを「女の子らしい」と思っていなかったのだろう。

 

先週はドレスを着ていたから、「女の子らしい」服を持ってないって訳じゃないんだろうけど。

 

……あ、そう言えば、あの時の格好……すごく可愛かったな。

写真撮らせて貰えば良かったかも。

 

 

とにかく、彼女は今日、グウェンとショッピングに行っていて……それで、僕もちょっとだけ付いて行きたかったけど。

流石に女の子の服選びに付いて行くのは……ちょっと、僕にはハードルが高くて。

 

はぁ、こんなのばかりだから、グウェンに「へたれ」って罵られるんだろうな。

荷物持ちでも良いから、付いて行けば良かったのに。

 

 

「……そろそろ、今日は帰ろうかな」

 

 

重い腰を上げて、辺りを見渡す。

 

22階建てのビルの上、そこから見下ろす景色は綺麗だ。

 

空も暗くなって、ビルや車の灯りが電飾のように街を飾り立てている。

 

僕は帰路に就くべく、足を踏み出そうとして……。

 

 

耳につけたイヤホンの音が鳴った。

 

それは、僕の持っている携帯電話からの転送だ。

転送元は……グウェンだ。

 

 

何の用事だろう?

 

あぁ、そうだ。

グウェンにミシェルの好きな人のタイプを聞いてたんだった。

 

今日、聞けたのか?

 

その連絡だろうか……だってグウェン、用事も無ければ僕に電話する事ないし。

 

 

僕はボタンを押して、電話に出る。

 

 

「もしもし、グウェン?どうかし──

 

『ハロー、スパイディ……』

 

 

だけど、そこから聞こえて来た声はグウェンの……いや、そもそも女性の声ですら無かった。

 

だけど、聞いた事がある声だ。

そして、僕がスパイダーマンだって事を知っていて、更に「スパイディ」なんて愛称で呼んでくるのは。

 

 

「ノーマン……!?」

 

『いいや、違うね。俺はグリーンゴブリンだ』

 

 

聞こえる筈のない声だ。

だって彼は、僕が、刑務所に……。

 

 

「な、なんで……なんでお前が、グウェンの電話を持って……!」

 

『グウェン?あぁ、グウェンね。グウェン・ステイシー……お嬢ちゃんは今、俺の横で寝てるよ』

 

「ふざけ──

 

『い〜や?スパイディ、俺はいつだって真面目さ……ほぉら、今すぐ、こっちに来ないと……』

 

 

ノーマン、グリーンゴブリンが言葉を繋いだ。

 

 

『大事な大事なグウェン嬢ちゃんが……死んじまうぜ』

 

 

僕は、足下の床が崩れ落ちる様な、錯覚をしてしまった。

 

 

「何が目的だ……!?」

 

『何がしたいか?何をしたいか……?オイオイ、そんなの今は大事じゃないだろ?お前は今すぐ彼女を救いたい。じゃあ、やるべき事は一つだろう?俺の下に来ることだ、違うか?ハハ』

 

 

そう言って、僕を小馬鹿にするようにゴブリンが笑った

 

 

「ど、どこに……」

 

『自分で考えろ!って言ったら面白いけど、ちょっと可哀想だな。それに俺も暇じゃない。お前が来るまで待ってたら、退屈過ぎて殺してしまうかも知れないし、なぁ?」

 

「どこにいるんだ……!」

 

『オイオイ、焦るなよ。今言うところさ。ところでスパイディ、母親に怒られた事はあるか?やろうと思ってた事をよぉ、やる直前に「やれ」つって怒られたら、そりゃあもう気分が悪ぃ──

 

「ふざけるなよ……!今すぐ見つけてブチのめしてやる!」

 

『おっと、怖い怖い』

 

 

怒りのあまり、壁に拳を叩きつけると、ゴブリンは驚いた様な馬鹿にするような声をあげた。

 

 

『場所は……オズコープビルから南東に200m。解体中のビルだ……ついでに、一個ルールを追加だ。お前が他の誰かに言おうモンなら、気付いた時点で大事な大事な、お嬢ちゃんをブチ殺してやるからな。一人で来いよ……俺の気が変わらない内にな』

 

 

ハハ。

 

ハハハ。

 

ハハハハハハハ。

 

 

狂った様な笑い声と共に、通話が切断された。

 

僕は……心に暗雲が立ち込めて、彼への怒りと、グウェンへの心配と、焦りに身を駆られ、ビルの上から飛び出した。

 

今すぐ、助けに行く。

 

だから無事で居てくれ……。

 

僕は、あんまり信じていなかった神様に、今だけは祈りたくなった。

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

オズコープ社のビル……その近くの解体中のビル。

 

そこに到着すると……上の方で灯りが点いている事に気付いた。

 

中に入れば、殆ど空洞だった。

壁や屋根は取り払われていて、鉄筋が剥き出しになっている場所もある。

 

下の階層は殆ど解体済みだったが、最も上の上層は床があって見えなかった。

 

その上層にゴブリンは居る。

そう確信した僕は、(ウェブ)を使って全力でビルをかけあがった。

 

階数で言えば17階。

落ちれば即死のような鉄筋の足場を蹴り、登って行く。

 

 

そして……居た。

 

一年近く前と全く同じ姿をした、ノーマン・オズボーン……グリーンゴブリンが。

 

だけど、その手にグウェンは居ない。

周りを見ても居なかった。

 

 

どこに……?

 

 

僕は辺りを見渡して……そんな僕に気付いたゴブリンが話しかけて来た。

 

 

「よぉ、スパイディ。久しぶりだな」

 

 

緑色のプロテクターで身を固めた彼は、気さくに話しかけてくる。

 

まるで、数年来の友人の様な馴れ馴れしさで。

 

 

「……ゴブリン。グウェンをどこにやった」

 

 

僕は怒りで……目の前のふざけた男をブチのめしたい欲求に駆られていた。

だけど、グウェンが見つからない今、僕は手を出せずに居た。

 

 

「オイオイオイ、二人であってすぐ別の女の話か?ちょっとは話を聞いていけよ」

 

 

そう言うと、ゴブリンは目の前にあるパイプ椅子へ座った。

 

 

「外を見てみな」

 

「外……?」

 

「そう、クレーンがあるだろ?その先だ」

 

 

僕は窓の外にある大型クレーンを見る。

このビルの屋上から繋がれたクレーン……。

それはビルの外へ向かう様に突き出されていて……。

 

待て。

 

先に、何かがある。

 

違う、誰かが──

 

 

「よっと」

 

 

ゴブリンが何かのスイッチを押すと、クレーンに灯りが灯った。

 

そして、その先にいる『誰か』の姿が見えた。

 

 

「グ、グウェン……!」

 

 

そこには、いつもの元気さ、溌剌とした表情を見せず、目を閉じて……眠っているグウェンが居た。

その体は紐で巻かれて、クレーンの先端に繋がっていた。

 

 

「そう、グウェン・ステイシー。お前の大事な友人、そうだろ?」

 

 

僕は唇を噛んだ。

 

ゴブリン。

彼は僕が、スパイダーマンがピーターである事を知っている唯一の悪人(ヴィラン)だ。

 

 

僕は、放射能を浴びて突然変異した蜘蛛に噛まれてスーパーパワーを得た。

詳しく説明すると、オズコープ社が主催する化学博覧会で噛まれた……つまり。

スパイダーマンが誕生した時、ノーマン・オズボーンはそこに立ち会って居た。

 

蜘蛛に噛まれて意識を失った僕が、救急隊員に運ばれているところも見ていた。

 

だから彼は、いくつかのヒントを持っていた。

 

そして、ゴブリンとして僕と対峙した時……その疑念の証明をして、スパイダーマンがピーター・パーカーである事を暴いたんだ。

 

彼はスパイダーマンの正体を黙っていた……逮捕されて数日間、僕は気が気でなかったけど。

理由は分からない。

 

ノーマンの心の奥底がリミッターになっているのか……それともゴブリンの愉快犯的な意識が黙っているのか。

 

とにかく。

 

 

「……彼女を解放しろ」

 

 

僕は、彼女を助け出す事を優先する。

 

 

「……そうだなぁ。俺の仲間になるなら考えてやってもいい」

 

「仲間……?」

 

「そうさ、俺はこの世界が好きだ。面白くて面白くて堪らない。だから、もっと楽しみたい。だがまぁ、何も一緒に楽しもうなんて言ってるんじゃあない」

 

 

ゴブリンが愉快そうに笑う。

 

 

「ただ俺を見逃すだけで良いんだ……分かるか?俺が人をブッ殺しても、黙って見てるだけで良い……それで、このお嬢ちゃんは助かる。どうだ?」

 

 

指を立てた。

それは僕と、グウェンを交互に差した。

 

 

……見逃す訳、ないだろう。

 

でも、今は……。

 

 

「分かった。見逃す。だからグウェンを──

 

(ダウト)だ、ピーター・パーカー。俺は嘘を吐くのは好きだが、吐かれるのは嫌いなんだ」

 

 

カチリ、とゴブリンは腰のバックル、そこにあったボタンを押した。

 

瞬間、窓の外で爆発が起こった。

 

 

「なっ」

 

「グッバ〜イ。金髪の可愛いお嬢ちゃん。スパイディが見捨てるから死んじまうなぁ。可愛そうになぁ」

 

 

それはクレーンに繋げられていた拘束部が爆発した音だ。

 

オレンジ色の破片が一瞬見えた。

 

それはゴブリンが好んで使っているオズコープ社製の爆弾だ。

カボチャのような色をしている事から『パンプキン・ボム』そう呼称していた。

 

クレーンのフックが破壊され、それと同時に拘束されているグウェンが宙に放り出された。

 

 

「グウェン!」

 

 

僕は窓ガラスを叩き割り、倒れ込むように体を前に出して(ウェブ)を発射した。

 

グウェンに巻き付いているロープに(ウェブ)をくっ付ける。

僕はうつ伏せの状況で窓際で踏ん張り、彼女が落ちないようにして……。

 

 

あぁ。

 

 

僕は今、ビルの窓際にいる。

グウェンはビルの外で落下している。

 

そして、今、僕は(ウェブ)を繋いだ。

 

だから……グウェンは弧を描いて、ビルの外壁に衝突した。

 

 

「…………ッ!?」

 

「おっと!痛そうだなぁ」

 

 

僕が失態を犯し、背後からゴブリンが嘲笑った。

 

少なくとも数メートルの高さから落下したのと、同等の衝撃をグウェンは受けただろう。

 

グウェンの頭から血が流れている。

 

 

「くっ……」

 

 

僕が悲観に暮れている中、背中を強く踏まれた。

 

 

「うぐっ!?」

 

「それじゃあ、ここからゲームスタートだ。ゲーム名は『危機一髪!?スパイダーマンは少女を助けられるか?』だな。ほらッ!」

 

 

再び、強く踏まれる。

背骨が軋む。

 

思わず(ウェブ)から手を離してしまいそうになる。

だけど、絶対に離しはしない。

 

この(ウェブ)の先に、グウェンがいるのだから。

 

脇腹を蹴られ、後頭部を蹴られ、足を踏まれる。

 

 

「くっ、そっ!」

 

「良い気分だぜ、スパイディ。俺は、お前に逮捕されてから、どうやって復讐(アヴェンジ)するかずーっと考えてたんだ。悔しいが、お前は俺より強い。俺じゃあ、お前に勝てない」

 

 

ゴブリンが泣き真似をする。

 

 

「だから、お前の大切な奴らを、お前の目の前でブッ殺す事にした!目の前で一人ずつ、ブチ殺してやるよ」

 

「やめ、ろ。ゴブリン……!」

 

「嫌だね。やめろ!つってマジで『やめる』奴は居ねぇよ!次は……そうだな、金髪のガキだ。なんつったかなぁ…………そうだ」

 

 

ゴブリンが手を叩く。

僕は彼が話に夢中になっている間に、少しずつグウェンを引き上げて行こうとして……。

 

 

「そう、ミシェル、だったか?次は、ソイツをお前の前でバラバラにしてやるよ」

 

 

怒りで、脳が沸騰しそうになる。

 

僕はグウェンを繋いでる方と逆の手で(ウェブ)を放とうとする。

 

 

「おっと、危ない」

 

 

その腕をゴブリンに蹴られて、あらぬ方向へ(ウェブ)が飛んだ。

 

 

「……反抗的だな。自分の立場が分かってねぇように見える」

 

 

そう言うと、ゴブリンは腰のバックルからコウモリのような形状をした手裏剣、『レイザーバット』を取り出した。

 

 

「そろそろクライマックスだ」

 

「何を……」

 

 

そして、ゴブリンが窓際に立ち、武器を持った手を振りかぶった。

 

そこで、僕は彼が何をしようとしているか気付いた。

 

 

「や、やめろ!」

 

「さっきも言ったぜ、スパイディ!『やめろ』つって──

 

 

そのコウモリ型の手裏剣を投げた。

 

 

「『やめる』奴は居ねぇってな」

 

 

その手裏剣が、僕の手からグウェンへと伸びる糸へ向かう。

 

 

時間が、凄く、遅く流れているように感じた。

 

 

手裏剣が(ウェブ)を切り裂いた。

 

僕は、立ち上がって、また繋ごうとウェブシューターを構える。

 

ゴブリンが僕の腕を掴み、捻った。

 

グウェンがゆっくりと自由落下を始める。

 

 

ダメだ。

 

 

ダメだ、ダメだ、ダメだ!

 

 

「グウェン!」

 

「別れの挨拶を言いな!スパイディ!落下したら、潰れたトマトになっちまうからよ!」

 

 

その瞬間、向かいのビル……その5階の窓ガラスが割れた。

 

 

「あ?」

 

 

ゴブリンが呆けた声を出した。

 

その叩き割られた窓ガラスから、何者かが飛び出した。

 

 

あれは……。

 

赤いマスクに黒いスーツ……レッドキャップだった。

 

 

彼は落下するグウェンを抱きしめて、そのまま地面に落下していく。

 

そして、右手からフックのようなものを射出し……このビルの壁へと突き刺した。

 

キリキリと火花を散らしつつ、足を壁に引っ掛けて、落下を阻止したのが見えた。

 

 

「グウェン……」

 

 

何故かは分からないけど、彼が助けてくれた事だけは分かった。

 

 

「チッ!ツマラねぇ事をしやがる!」

 

 

再度、ゴブリンが僕の脇腹を蹴った。

何度も殴られて身体中傷塗れの僕は、回避し切れずに蹴られてしまった。

 

 

「うぐっ」

 

「今日はここまでだが……!」

 

 

ゴブリンは腕のリモコンを押した。

突如、部屋の奥から飛行物が来た。

 

飛行する小型の土台、グライダーだ。

それにゴブリンは乗り、飛び上がる。

 

 

「だが、スパイディ。さっきの言葉は忘れるなよ?テメェの大切なモン全部ズタズタにしてやる。それまで大事に愛でとくんだな?ハハハハハハハ!!!」

 

 

高笑いと共にゴブリンが飛び上がる。

 

そのまま飛行し、このビルを去っていった。

 

 

僕は……一瞬、ゴブリンを追おうか考えて……ビルの下にいるグウェンの方へ向かう事にした。

 

身体のそこらが痛い。

幾つかの骨は折れているに違いない。

 

それでも、(ウェブ)を使って、痛みを悟られないよう……地面に着地した。

 

 

……目の前にグウェンを抱き抱える、レッドキャップの姿があった。

グウェンは頭から血を流している。

服も所々破れている。

 

……きっと、僕よりも酷い怪我をしている。

 

そう思っていると、グウェンを見ていた赤いマスクが……こちらへ向いた。

 

 

『頭部に裂傷、背骨の骨折、打撲、擦り傷多数……重傷だ』

 

 

何を考えているか分からない、中性的で機械的で平坦な言葉が聞こえる。

 

 

「……助けてくれた?」

 

『お前の為ではない。スパイダーマン……取引だ。取引をしよう』

 

 

そう言って、抱き抱えたグウェンを僕の前に突き出した。

 

 

『私は今からグリーンゴブリン……ノーマン・オズボーンを殺す。お前は彼女を連れて病院へ行け……そして、私の邪魔をするな』

 

 

その言葉は、僕の頭をハンマーで殴ったかのように強く響いた。

 

 

「殺、す?」

 

『そうだ。奴が死んでも、お前は困らないだろう』

 

 

僕はグウェンを手渡される。

……思っていたよりも、軽かった。

 

 

「殺すのは……ダメだ」

 

『殺すしかない』

 

「だけど……」

 

『その女は重傷だ。今すぐ病院に送り届けなければ……死ぬかも知れない。ここで問答している暇は無いはずだが』

 

「……分かった。だけど……僕は、納得していない」

 

『別に、納得してもらう必要はない。さっさと行け』

 

 

僕はグウェンを抱きしめて、なるべく揺らさないように気をつけながら(ウェブ)で移動する。

 

振り返ると、そこにはもうレッドキャップの姿は無かった。



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#27 ボンズ・オブ・モータリティ part6

振り返れば。

フィスクがノーマン・オズボーンを殺すように決めていたのは……彼がグリーンゴブリンになった直後だった。

 

オズコープ社と利権争いをしていたクエスト社、そこはウィルソン・フィスクの息がかかった軍事企業だった。

 

フィスクは賄賂や脅迫などで、この国の軍の正式装備として契約を掠め取るつもりだった。

そして、弱体化したオズコープ社を買収し、その科学技術を手に入れる予定だったのだ。

 

だが、その企みは追い詰められたノーマン・オズボーンがグリーンゴブリンとなり……クエスト社の重鎮を殺害した事によって大きく歪められる事となった。

最終的にオズコープ社は買収されたが……クエスト社の影響力も大きく落ちてしまった。

 

計画を歪められたフィスクはノーマン・オズボーンへの怒りを隠せなかった。

既に逮捕され、表社会から抹消された人間を殺すなど……無意味で無価値な事だ。

それはフィスクにも分かっていた。

 

だが、彼は相手に舐められたまま、不快な思いをしたまま、そいつがのうのうと生きている事が許せなかった。

キングピンは確かにインテリ系の悪役(ヴィラン)だ。

だが、それ以上に『怒り』という感情に従順な悪役(ヴィラン)でもあった。

 

逮捕され、超人用の刑務所に入れられたノーマンにはGPS付きの生体チップが入れられた。

オズコープ社の社長の逮捕、それは世間での話題性が強過ぎたため、迂闊に刑務所内で抹殺できなかったのだ。

 

だから、万が一。

万が一にも彼が刑務所から脱獄した時……見つけ出して殺せるように。

 

彼の位置が掴めるよう、生体チップを埋め込んだのだ。

 

 

私はマスクの位置情報表示機能を起動し、ノーマンの位置を表示する。

 

フィスクの所有する人工衛星から取得してきた情報が処理されて、マスクの中に表示された。

 

 

前方、100メートル。

視界に映るゴブリングライダー、そしてそれに乗るノーマン、グリーンゴブリンを視界に入れる。

右腕のクローフックを駆使して、それを追いかける。

 

そして、廃駅の上空にゴブリンが来た時。

 

 

私は太腿部からナイフを取り出した。

 

残念ながら、今私が持っている武器はこのナイフ一本だ。

前回、キャプテンアメリカやブラックウィドウと戦ってから、スーツの修復は間に合ったが……武器関係は用意出来なかったのだ。

散弾銃(ショットガン)とガンランチャーはあったが……今回のような追跡、暗殺任務では身軽な方が良い。持ってきていない。

 

よって私が持つ、唯一の武器。

炭素系特殊合金製ナイフを強く振りかぶり、ゴブリンの乗るグライダーへ向けて、投擲した。

 

ナイフは夜の空を引き裂き、グライダーのエンジンに命中した。

 

私の使用しているナイフは黒く、光を全く反射しない。

この光の少ない夜の空では視認する事すら難しい。

 

ゴブリンが何やら慌てているようだが、グライダーはそのまま地面へと滑空していく。

グライダーには左右に飛行エンジンが装備されている。

片方が破壊された程度では地面に真っ逆さま……とは行かないだろう。

 

廃駅の中にグライダーが不時着する様子を見て、私はクローフックを射出した。

 

電灯に突き刺さり、灯りを破壊する。

私は足で地面を蹴り、全力で繋がっているワイヤーを引っ張る。

前方向に強い力が加わり、宙へ飛び上がる。

 

クローフックの先端を収納し、巻き取る。

 

そのまま、私はゴブリンを追いかけて、廃駅の中に飛び込んだ。

 

 

剥がれかけたタイル。

ひび割れたコンクリート。

剥き出しの鉄筋。

くたびれた線路。

薄暗い中に輝く非常灯。

壁一面に書かれた下手くそなスプレーでの落書き。

 

かつては華やかで、多くの人が行き交ったであろう場所。

それはもう見る目もなく、堕ちて、堕ちて、堕ちて……堕落し、見窄らしい姿になっていた。

 

 

それは目前で横たわり、のたうつ緑の醜い妖精と同じだ。

 

 

『初めまして、ノーマン』

 

 

私が声をかけると、驚いたように振り返った。

そして、声を出そうとした所を──

 

顔面を強く殴りつけた。

 

 

「ぐがっ、なっんっ──

 

 

驚いてるゴブリンを、再度殴り付けた。

 

よろけながらも彼は無理矢理、私から距離を取る。

 

そしてプロテクターに包まれた指で私を指差す。

 

 

「て、めぇ!何モンだ!何故、俺を殺そうとしやがる!スパイダーマンの仲──

 

『仲間ではない。そして、もう喋らなくて良い』

 

 

言葉を遮り、拳を握りしめる。

ぎちぎち、と音が鳴った。

 

目の前の男への殺意を抑えられなかった。

先程のグウェンの姿を思い出せば……脳が沸騰するかと思うほど、狂いそうになる。

いや、既に狂っているのかも知れない。

 

私はゴブリンに真っ直ぐ歩き始める。

嬲り殺しにしてやる。

 

 

ゴブリンは腰に装着していた爆弾……『パンプキンボム』を取り出し、私に投擲した。

 

避ける事もなく、私はそれを左手で掴む。

 

 

「へっ!バカが!」

 

 

ゴブリンがスイッチを押せば、手に持っていた爆弾が爆発する。

廃墟となっている駅で埃が巻き上がる。

 

一時的に、互いの視界が不自由になる。

 

『パンプキンボム』。

非常に強力な熱エネルギーを放出し、直撃した人間を一瞬で跡形もなく蒸発させる。

最後は焼け焦げた骨だけしか残らない、強力な爆弾だ。

 

直撃すれば即死は免れない。

 

普通ならば。

 

 

「んぁ……!?」

 

 

だが、私は普通ではない。

 

私は埃を払い、ゴブリンの目前に立った。

そのまま、呆けているゴブリンの腹を強く殴る。

 

 

「うっ、おげぇっ」

 

 

ゴブリンがマスクの中で吐瀉する音が聞こえた。

 

確かに、彼の身に纏う緑のプロテクターは最先端かも知れない。

衝撃を吸収し、ダメージを軽減してくれるだろう。

 

だが、単純に。

それ以上の力で殴られれば無意味だ。

 

ゴブリンの腹部、腹筋を模したプロテクターが割れている。

 

ゴブリンが腹を押さえて前屈しようとする。

私はゴブリンの肩を持ち、地面に叩きつけた。

 

地面に倒れたゴブリンに馬乗りになり、顔面を殴る。

 

殴る。

 

 

「ギャッ」

 

 

何度も、殴る。

 

 

「ウッ、グアッ」

 

 

何度も、何度も、何度も。

 

 

「や、やめっ」

 

『……どうした、ノーマン・オズボーン。やめろと言われて、やめる奴は居ないんじゃなかったか?』

 

 

再度、顔面を殴り続ける。

コンクリートの床に頭が叩き付けられる。

 

ひび割れ、クレーターのように減り込んでいる。

 

……頑丈な奴だ。

 

殴っている内に、マスクが割れて本来の顔が見える。

 

そこに邪悪な笑みを浮かべる男は居なかった、恐怖と痛みに怯える哀れな男しかいない。

 

だが、私は手を止めない。

 

反撃しようと腰に伸びた腕を、足で踏み付けて圧し折る。

 

バキリ、と鈍い音がした。

 

 

「あっ……ぐっあっ……!!」

 

 

今日一番の悲鳴を上げて、悶える。

 

私はそれを見て──

 

 

 

笑っていた。

 

 

今まで私は、生きる為にやらなければならない事。

そして、やりたくない事。

 

その二つを矛盾しながら生きてきた。

 

殺さねばならない。

だが、殺したくない。

 

その矛盾に苦しみながら、折り合いを付けて生きてきた。

 

 

だが、今はどうだ?

 

私は目の前のコイツを殺さねばならなくて。

そして、心の奥底から殺したいと思っている。

 

今まで抑え込んできた何かが、決壊したダムの様に溢れ出す。

 

 

出来るだけ、苦しんで死ね。

そう憎しみを込めて殴りつける。

 

手のプロテクターに返り血が付着し、赤い雫が滴り落ちる。

 

ナイフが無いからなんだ。

武器がないから何だと言うのか。

 

私は全身が凶器だ。

人を殺すためだけに特化した殺人鬼だ。

『そうあれ』として生きてきた。

その身一つで人を殺す事など、容易い。

 

何度か殴っている内に、ゴブリンが反応しなくなった。

 

死んだかと立ち上がり、足で胸部を圧迫してみれば、呼吸によって上下に動いている事を感じた。まだ、死んではいない。

 

私は床に突き刺さっているゴブリングライダーを片手で持ち上げる。

手提げ鞄のように気軽に、私はそれをゴブリンの頭上で構えた。

 

グライダーの先端は刃物のように鋭くなっている。

これで首を掻き切れば、間違いなく死ぬだろう。

 

私は、グライダーを叩きつけようとして──

 

 

それを蜘蛛の(ウェブ)に阻まれた。

 

 

『……スパイダーマンか』

 

 

そこには先程分かれたスパイダーマンの姿があった。

グウェンは……恐らく、近くの病院へ預けられているのだろう。

彼は手ぶらで、だが満身創痍で私と向かい合っていた。

 

普段ならば、彼と出会えば歓喜するだろう。

 

だが……。

 

今、この時だけは、彼に会いたくなかった。

こんな醜悪な私を、見て欲しくはなかった。

そして、私の邪魔をして欲しくなかった。

 

私はマスク越しに、憧れの英雄(スパイダーマン)を睨み付けた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

僕は、目の前で殺されそうになっているノーマンを見て……咄嗟に(ウェブ)で助けた。

 

 

目の前にいる赤いマスクの……レッドキャップの顔が、こちらへ向いた。

無言で僕を見つめている。

 

目も鼻も表情もないマスクからは、何も読み取れない。

不気味だった。

 

 

『邪魔をするなと言った筈だ』

 

 

レッドキャップのマスクから声が聞こえて来る。

 

 

「殺すのは……殺すのだけは、ダメなんだ」

 

『何故だ?別に、お前に殺せと言っている訳ではない。それに、この男は……何人もの罪のない人間を殺している』

 

 

レッドキャップが僕を指差した。

 

 

『死んで当然だ』

 

 

彼の言っている事は正しく聞こえる。

だけど……。

 

それでも。

 

 

「死んだら、罪は償えない……それに、ノーマンだって、悪人になりたくてなった訳じゃない!彼は──

 

『あぁ、知っているとも。彼は薬のせいで邪悪な心を作ってしまったと……そう言いたいのだろう?』

 

 

僕はノーマンの過去を知っている事に驚いた。

 

 

「じゃあ、何で……」

 

『関係ないからだ、スパイダーマン』

 

「関係ない……?」

 

『そう、関係ない。例え、悲しい過去があろうとも。事情があったとしても。悪人は悪人だ』

 

 

レッドキャップの足元で、コンクリートがヒビ割れた。

強く、足で地面を踏んだようだ。

 

 

『人を殺して仕方ない?人を傷つけて許されると?そんな訳がない、許してはならない』

 

 

強迫観念に駆られるように、彼は矢継ぎ早に言葉を紡いでいる。

 

 

 

『遅かれ早かれ、殺されるべきなんだ。死ぬべきだ。誰かを傷つけてしまう前に』

 

「でも、たとえ悪人だったとしても……!いつか更生して……良い人になって……!」

 

『ならない。そして、なった所で意味がない。人を殺して善良な人間になろうだなんて、反吐が出る』

 

 

僕は黙ってしまった。

少しだけ、正しいと思ってしまったんだ。

 

だけど、一つだけ……苦し紛れだとしても、言い返したい事があった。

 

 

「それなら……それなら、君はどうなんだ……?君だって人を殺している!君は──

 

『そうだ。私も死んだ方が良い人間だ』

 

「え……?」

 

 

僕は声を失った。

 

 

『だが、私は死にたくないんだよ。スパイダーマン』

 

 

赤いマスクが僕を見ている。

その手でこめかみを押さえている。

 

 

『今まで私が殺してきた命……奪ってきた命。私が死ねば、それらは無意味になってしまう。彼らの命を奪って私は生きてきたのに……今更、自死を選べる訳がないだろう?』

 

 

何を言っているのか……全部は分からない。

分からないけど……凄く、悲しい気持ちになった。

やるせない気持ちになった。

 

 

『……私もいつかは死ぬ。それこそ、無様に、滑稽に、誰からも蔑まれて死ぬ。だが、それは今日ではない』

 

 

レッドキャップがグライダーを再度拾い直し、持ち上げた。

 

 

「待っ──

 

『私とこの男の違い。それは──

 

 

グライダーがノーマンの首に突き刺さった。

 

 

『ただ、強いか、弱いか。それだけなんだよ、スパイダーマン』

 



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#28 バース・オブ・ブラック part1

グリーンゴブリンの首を掻き切った後、無気力に項垂れるピーターを無視し、私は拠点へと戻った。

 

……ニューヨークの地下で夜の冷気に当たり冷たくなってしまった荷物を持つ。

可愛らしいスカートや、一緒に選んだ水着。

その全てがグウェンを連想させて胸が痛む。

 

それと共に、ノーマンを殺した事について『これでよかった』のだと私は納得出来た。

グウェンは善人だ。

非の打ち所がない善人なのだ。

そんな彼女を、何の理由もなく傷付けるなんて……死んで当然だ。

 

今すぐ、病院にいるグウェンの元へ向かいたい気持ちはある。

 

だけど、スパイダーマン……ピーターからグウェンの入院した病院は教えてもらっていない。

知らない場所には行けない。

心配になる気持ちと、ピーターだから大丈夫だろうと言う考え、その二つが両立していた。

私は……足元に落ちている携帯端末を拾った。

 

そこには幾つもの通知があった。

……グウェンの父、ジョージ・ステイシーだ。

 

通話の途中で切ってしまったから、心配しているのだろう。

 

私はジョージに電話をかけて……通話を落としたのはショックで気絶してしまった……と言う事にした。

正直、もっと上手い言い訳が考えられたかも知れないが、何も思いつかなかった。

 

とにかく、グウェンが大怪我をした事。

無事だった事。

入院している病院等。

 

幾つかの情報を得て、私は通話を終了した。

 

今日は夜も遅く、グウェンもまだ寝ているため……面会は昼以降でお願いしたいと言われた。

 

 

 

 

翌日の放課後。

 

私はピーター、ネッドと共に病院へ向かう事にした。

 

病院名は『NYメトロポリタン病院』。

マンハッタンにある大きな病院だ。

 

白塗りの大きな壁を見てネッドが怯んだ。

 

私とピーターは、レッドキャップとスパイダーマンとして、グウェンの負った傷について知っている。

だから、結構な重傷であり……このような大きな病院へ搬入されている事にも驚かなかった。

 

しかし、ネッドは違う。

ジョージからは事件に巻き込まれて怪我をした事しか知らされていない。

事件の詳細すら知らない……だから、今、想像以上にグウェンが大事になっているのだと知って慌てていた。

 

私は受付で面会書類に名前を書く。

 

待っている間、ネッドがソワソワとした様子でピーターへしきりに話しかけている。

 

私はそれを横目で流し見ながら、ふと、病院内に置いてある新聞に目が入った。

 

……グリーンゴブリン。

ノーマン・オズボーンの死。

 

表表紙に大々的に映ったノーマンの顔……そして、その功罪。

あれ程の人格者であった彼が何故?

そういった特集のようだ。

 

昨日の夜、殺害したノーマンの死体はそのまま廃駅に放って置いた。

スパイダーマンが片付けて居なければ、そのままだったのだろう。

 

結局、廃駅に侵入した悪ガキに見つかり、通報される事となる。

叔父と共に現場へ来ていて、壁にスプレーで落書きがしたかったそうだ。

アートは良いが、不法侵入して落書きとは……どうなんだ?

……まぁ、私も不法侵入して、殺人を犯して死体を遺棄している訳だが。

 

 

閑話休題(それはともかく)

 

 

グウェンは起きているらしく、私達は病室まで通された。

搬入されて数時間の後、手術は完了していたらしく、今は病室で安静に……と言った状態らしい。

 

私達はメトロポリタン病院の廊下を歩く。

薄い緑色の床と、仄かに光る電灯が続く。

 

 

「病室番号、121……122。ここ」

 

 

やがて、病室に着く。

 

私が入り口の前で……少し躊躇っていると、ピーターがドアノブに手を掛けて、開いた。

 

……ベッドの上にグウェンがいた。

上半身を起こして、私達を見た瞬間。

 

笑顔になった。

……身体中まだ辛いはずなのに。

例え、鎮静剤を打たれていたとしても、体が不調な筈なのに。

 

気丈に、彼女は笑っていた。

 

 

「よく来たね、ミシェル……と残り二人」

 

 

努めて明るく、彼女は笑っている。

ただ、声に元気が……いつもより、三割ほど減少していた。

それもそうだ、彼女は……。

 

 

「あ、これ?頭に傷がね……」

 

 

彼女の額。

前髪の生え際のすぐ側で、縫ったような跡があった。

少し、大きい傷だ。

 

……もしかしたら、傷痕が残ってしまうかも知れない。

私は息を呑んだ。

 

彼女は普通の人間だ。

私と違って治癒因子(ヒーリングファクター)なんて持っていない。

 

顔に、傷が残るかも知れない。

女の子、なのに。

 

私は心が苦しくなって。

それでも、彼女に何も言えなかった。

だって、傷に言及する事をグウェンが望んで居なかったからだ。

 

ベッドの側に車椅子が置いてある。

私がそれを見たのを感じ取って、グウェンが口を開いた。

 

 

「あ、あー。これ?これ、ねぇ」

 

 

言い淀む彼女に、ネッドが問いかけた。

 

 

「足も怪我したのか?骨折……とか?」

 

 

そう聞いたネッドに対して、私は……違う、と知っていた。

 

彼女は上半身を強くコンクリートの壁に叩き付けられた……下半身に傷は無かった筈だ。

 

それなら何故、車椅子があるのか。

それは。

 

 

「私、さ。もう二度と……歩けない、みたいで」

 

 

ぽつり、ぽつりとグウェンが語る。

彼女の脊椎が損傷してしまった事を。

骨が複雑に骨折し、神経に骨片が入ってしまった事を。

そして、それを治療できる医者がいない事を。

 

 

「何かさ。この病院に、世界的に凄いお医者さんが居たらしいんだけど……そのお医者さんも、数年前に交通事故で腕の神経に怪我しちゃったみたいで……ははは、運が悪いよね」

 

 

そう言って自虐するグウェンを見て。

私は。

 

 

「……ミシェル?」

 

 

私は涙を流していた。

ぼろぼろと、とめどなく。

 

 

「……ミシェル、こっちに来て」

 

 

グウェンに手招きされて、私はベッドの側に寄る。

でも、涙が止まらない。

私は服の袖で涙を拭って……。

 

 

「あぁ、もう、ミシェル。袖が汚れちゃうから」

 

 

枕元のティッシュで涙を拭かれてしまった。

そしてそのまま、グウェンに抱きしめられた。

 

 

「ぐ、グウェン」

 

 

でも、いつものような匂いはしなかった。

花のような香水の匂いじゃなくて……薬のような匂いがしていた。

それでも、安心するような匂いも、そこにあった。

グウェン、本来の匂いか。

 

 

「ミシェル。正直ね、私のために泣いてくれるのは嬉しいの。でもね、泣いてるミシェルを見るのは少し悲しいから」

 

 

そう言って離された私の頬を指で優しく摘んだ。

 

 

「ほら、笑顔の方が可愛い」

 

 

胸が、痛い。

苦しい。

 

 

「……というか、そこの二人。何でぼーっと立ってるの」

 

 

そう言ってグウェンが後ろの……ネッドとピーターを指差した。

 

ネッドは……あぁグウェンが「二度と歩けない」という話を聞いた時から呆けていた。

驚愕のあまり、脳がフリーズしているようだ。

 

ピーターは……私と同じように辛そうな顔をしている。

それでも彼は泣いていなかったが。

それは私よりも薄情だから……では無い。

彼の心が私よりも強いからだ。

罪悪感に駆られながらも、迷惑はかけまいと、我慢しているように見えた。

 

 

「はー、呆れた。泣いてる女の子を見たら慰めないとダメでしょ?もう、そんなんだから童……」

 

 

グウェンは言葉を繋ごうとして、あっ、とした顔で私を見た。

 

 

「ま、いいや。二人がちゃんと心配してくれてるのは分かってるし。今後ちょっと迷惑かけるかも知れないけどさ、その時は──

 

「迷惑なんかじゃない」

 

 

ネッドがそう言った。

 

 

「俺がちゃんとする。だからさ、心配しなくても……ええと、心配しなくても良いから」

 

 

照れるように、ネッドが言った。

 

それを聞いたグウェンはポカンとした顔で少し呆けて……直後、笑っていた。

 

でもそれは、『微笑んでる』と言うよりも『爆笑している』の方が近い。

 

 

「ふ、ふふふ、ネッドさぁ。く、ふふ」

 

「な、何で笑うんだよ」

 

 

グウェンは普段の様子と違って、酷く真剣な表情をしていたネッドを見て笑いを堪えられないようだ。

だけどそれは、侮辱しているような笑いではなかった。

 

 

「ふふ、ありがとう。ネッドも、そん時はメチャクチャ迷惑かけてあげるから」

 

「……分かった」

 

 

むすっとした顔でネッドが頷いた。

グウェンも茶化してはいるが、その顔は嬉しそうだった。

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

病室から出て、私達は待合室に戻っていた。

看護師の人にあまり長居するものではないと言われていたからだ。

怪我人を長時間起こしてはいけない。

安静にするべきなのだ。

 

……にしても。

 

病院の待合室にいる人間の殆どが暗い表情をしていた。

……治安が最悪なニューヨークの大病院だからか。

時々忘れそうになるが、この世界のニューヨークは前世の比ではないほど治安が悪い。

それはもう、毎日と言って良いほど強盗が起きるぐらいには。

 

そんな怪我人続出地域であるニューヨークだから、ここにいる人間も犯罪の被害者……その親族や配偶者、友人ばかりなのだろう。

私達も被害者の友人だし。

 

そんな悲痛そうな顔をしている人達の中に……見覚えのある顔があった。

 

 

「あ」

 

「ミシェル、どうかした?」

 

 

思わず出た声にピーターが反応した。

ネッドも不思議そうな顔をしている。

 

 

「……知り合いが居たから話してくる。先に帰ってて」

 

 

二人は驚いたような顔をしていて……え?何で驚くの?私の事を三人しか友達のいないボッチだと思っているのか?

実際、それに近いのだが……。

 

とにかく、二人から離れて、見知った顔……その人に声をかけた。

 

 

「……何をしているの?」

 

 

彼は手元に小さな花束を持ち、項垂れている。

病院に着てくるには少し正装過ぎる、スーツ姿だ。

 

 

「……ミシェル、さん?」

 

 

振り返った顔は……以前会った時よりも元気がなさそうで。

その整った顔立ちに影を差していた。

 

ハリー・オズボーンがそこに座っていた。



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#29 バース・オブ・ブラック part2

昨日。

目が覚めると父……ノーマン・オズボーンの姿はなかった。

僕は床に突っ伏していて、記憶も混濁していた。

 

逃走してきた父。

それを迎え入れてしまった僕。

そして……。

 

壁の向こうにある隠し部屋。

スーツも、グライダーも無くなっている。

 

……恐らく、父が持ち出したのだろうか。

いや、父ではなく、グリーンゴブリンなのか。

 

 

僕は鏡の飾りにカモフラージュされているスイッチを操作し、ドアを閉じた。

 

──この部屋はまだ必要だ。

 

……いや、違う。

必要な訳がない。

この部屋は処分しなければならない。

警察に事情を話して、この部屋のものを証拠品として持ち出して貰わなければならない。

 

しかし何故、必要だと思ったのか……まるで、自分が自分でないような不思議な思考を否定して、それでもドアは閉じたままにした。

中を覗いていると、父の罪を突き付けられているような気がして気分が悪くなるからだ。

 

 

外は……もう明るい。

時計を見れば短針が5時を指している。

 

意識が朦朧とする中、僕はキッチンまで移動して、水を飲んだ。

 

少し、頭が冴えた。

 

 

 

僕は玄関まで歩き新聞を拾う。

今朝の朝刊だ。

 

もしかしたら、居なくなってしまった父の事が書いてあるかも知れない。

 

僕は、その新聞を開いて……。

 

 

 

 

父が死んだ事を知った。

 

 

 

 

僕は今、ニューヨークのメトロポリタン病院まで来ていた。

ここに父の、グリーンゴブリンの被害者がいるからだ。

 

花屋で一束の花束を買って、失礼のないよう正装をして……病院まで来ていた。

 

謝罪と賠償……そして誠意を見せなければならないと、僕は思っていた。

父の罪は、子の罪だ。

 

それに僕は昨日、父を家へ迎え入れてしまった。

昔の情に流されて、犯罪者である父を迎え入れて、凶行の手伝いをしてしまったのだ。

これは僕自身の罪だ。

 

……父の被害にあった女性、その情報は公には出ていない。

被害者側の家族によって秘密にするよう、口添えされていたからだ。

知っているのは被害者自身と家族、そして加害者の息子である僕だけだ。

 

僕は、事件の当事者として……そして加害者の息子として。

被害者である女性へ償わなければならない。

 

だから、僕は花束を握りしめて病院の待合室で座っていた。

 

 

……だけど、そこまでだ。

 

 

それ以上、僕は踏み込めずにいた。

 

僕が行く事によって、きっと被害者の女性は不快な思いをするだろう。

僕と父を罵倒するだろう。

これからの人生、その全てを保障すると言っても、何様なのかと怒るだろう。

 

……彼女の怪我の具合について、僕は医者から聞いていた。

額と後頭部に大きな傷、脊椎の損傷によって下半身の不髄。

 

取り返しのつかない大怪我だ。

 

僕は……どう償えば良い?

どうすればいい?

 

父は何故……。

 

そうやって悩んでいるだけで、時間が過ぎ去って行く。

僕は臆病者で、卑怯者だ。

決断が出来ず、行動を先延ばしにしている。

 

ずっと目を伏せて、花を見ていると。

 

 

「……何をしているの?」

 

 

と声をかけられた。

 

その声は一番聞きたかった声で。

今は一番聞きたくない声で。

 

僕の心を掻き乱した。

 

 

「……ミシェル、さん?」

 

 

そこには……僕が想いを寄せている少女、ミシェル・ジェーンの姿があった。

 

 

……僕は、目を逸らした。

 

 

「……父が──

 

 

僕はポツリ、ポツリと少しずつ語った。

父を迎え入れてしまった事、父が死んだ事、被害が出てしまった事……そして、僕は自分がどうすれば良いか分からない事。

 

それを聞いたミシェルは。

 

 

「……そう」

 

 

と、ただ一言、頷いただけだった。

僕は不安になって、ミシェルを見た。

 

……悲しそうな、憐れむような目をしていた。

 

 

「……僕はどうしようもなく卑怯で……違う、こんな話をしたい訳じゃなくて……ただ、自信がなくて……すまない。情けない話をしてしまった」

 

「確かに、情けない」

 

 

そう言われて、僕はまた目を伏せた。

 

そして、ミシェルが再び口を開いた。

 

 

「でも、情けなくても……それは悪い事じゃない」

 

 

想像に反した言葉を聞いて……僕は再び視線を上げた。

 

 

「責任から、罪からも逃げれば良いのに……逃げずに立ち向かおうとしてる。そこは……ちゃんと、偉いよ。ハリー」

 

 

ミシェルが僕の花束を握っていない方の手を握った。

柔らかで、温かくて、思いやりを感じる手だった。

 

 

「ミシェルさん……」

 

「それと、別に『さん』付けじゃなくていい。私はそんな、大それた人間じゃないから……歳下だし」

 

 

その言葉に……少し嬉しいと思ってしまった。

だけど、僕はそんなことで喜んで良い人間ではない事を思い出した。

とにかく今は、そんな色恋に目を曇らせず、ただ被害者のために行動するべきだと僕は自戒する。

 

 

「ありがとう、ミシェル。僕は……謝ってくるよ。これから、被害者の……彼女が不便なく生きていけるように僕は償うつもりだ。僕の人生を擦り切らしても」

 

「……うん、それで良いと思う」

 

 

ミシェルが手を離して……それに僕は少し、寂しさを感じて。

 

僕も待合室の椅子から立ち上がった。

 

 

「……でも、ハリー?その被害者の部屋の場所って分かる?」

 

「……あ、いや。そうだな、受付の人に確認して向かうつもりだったけど」

 

「多分、教えて貰えない。親戚とか友人でもない限りは」

 

 

そう言われて、僕は自分の考えの浅はかさに気づいた。

 

 

「……しまったな。また出直すか……正式にアポイントメントを取ってから──

 

「私、知ってる。彼女の病室。だから案内しても良いよ」

 

 

そう言われて、僕は……。

 

 

待ってくれ。

 

何故、病室の場所を知っているんだ?

 

だって、病室を知っているのは……。

 

 

 

「私、彼女の友達だから」

 

 

僕は足下から崩れ落ちるような、そんな錯覚をした。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

私はグウェンの病室の前で立っていた。

 

ハリーとグウェンの会話に私は参加するべきではないと思ったからだ。

そもそも、私が助けるのが遅かったから……グウェンは二度と治らない傷を負ってしまった。

ハリーが彼女に負い目を感じている以上に、私は彼女に負い目を感じている。

 

それに……ハリーは。

 

まだ父の事を愛しているらしい。

言葉では父、ノーマンの事を否定しているが……それでも優しかった頃の父を忘れられないのだろう。

そんな父を殺した私が、ハリーと共にいるのも……おかしい話だ。

 

さっきはただ、ハリーが途方に暮れていたから声を掛けて助けた。

だけど、彼を友人として……まるで親しい人間のように話す事など私には……そんな資格はないだろう。

 

 

部屋の中で何かが落ちる音がした。

 

私は聞き耳を立てる。

 

 

「じゃあ……返してよ……」

 

 

グウェンの声が聞こえる。

 

 

「私の……足を……返してよ……」

 

 

彼女の啜り泣く声だ。

 

 

……私は、グウェンの事を勘違いしていた。

彼女は私やピーター、ネッドを相手に気丈に振る舞っていた。

だから、彼女は強いのだと……そう思っていた。

 

だけど、彼女はまだ16歳の女の子で。

急に未来の一部を奪われて。

……お洒落が好きなのに、彼女は、もう。

 

私は手を握り締めた。

 

 

ドアを開けて部屋に入る。

 

グウェンは……涙を流していた。

 

グウェンも、ハリーも私を見て驚いたような顔をしていた。

それでも無視して、私はグウェンの元へ歩み寄り……抱きしめた。

 

 

「ミ、ミシェル……帰ったんじゃ……」

 

「…………」

 

 

私は何か言おうとして……何も思いつかなくて。

普段、彼女に抱きしめられた時、私は安心できて……嬉しかったから。

だから、私は彼女を抱きしめた。

 

 

「ミシェル……?」

 

「……ごめん」

 

 

それでも口から溢れたのは謝罪だった。

彼女が傷を負ったのも……私が助けるのが遅かったからだ。

もっとはやく、現場に着いていれば……こんな事にはならなかった。

 

泣いてる彼女を抱きしめて、私も泣いてしまって……。

 

二人で抱き合って、何も言葉を発さず泣いていた。

 

 

……数分ほど、そうしていた。

 

 

落ち着いたグウェンに、ハリーが私の知人である事を伝えて……彼が優しくて頼りになる人だと伝えた。

 

……『頼りになる』と言った時に、グウェンがハリーの事を値踏みするような目で見ていた。

……きっと、恐らく、彼が本当に頼りになるか窺っているに違いない。

多分。

 

グウェンは涙をティッシュで拭いながら、口を開いた。

 

 

「正直、ハリーの事を私は信用出来ない。だって私をこうした奴の息子だし……」

 

「……すみません」

 

「でも、ミシェルが信じるって言うから。私はハリーを信じないけど、ハリーを信じるミシェルを信じるよ」

 

 

ようやく、グウェンが少し、笑顔を見せた。

 

それからハリーは、グウェンの入院費や医療費、その他援助を惜しまない事を伝えた。

金で全てが補填できるとは言わないけれど、先立つものが無ければ辛いのは確かで。

グウェン自身もこれからの人生……家族にかかる負担を考えれば、ハリーの申し出はありがたい事だった。

 

最後にまたグウェンと抱き合って、今度こそ別れた。

 

また明日くる、と伝えれば「そんなに来なくても良いよ」なんて言いながら、彼女は嬉しそうに照れていた。

何か欲しいものがあるか、と聞けは「ミシェルが来てくれるだけで嬉しい」なんて事を言われて照れてしまった。

 

 

私はハリーを連れて、病室を出た。

窓の外を見れば、うっすらと夕焼けが見えた。

 

思ったよりも長く居着いてしまった。

そう思いながら、隣にいるハリーを見る。

 

今日初めて会った時よりも、幾分かマシな顔色をしていた。

私が顔をジッと見ている事に気付いたのか、ハリーは真剣な顔で口を開いた。

 

 

「ミシェルさ……ミシェル、は……その、グウェンさんと本当に仲が良いんだね」

 

 

名前に敬称を付けようとして……思い直して呼び捨てにし直したハリーを見て、私はちょっと笑ってしまった。

何というか、彼自身の真面目さが表れているような気がしたからだ。

 

 

「そう?」

 

「うん、凄い……互いを思い遣ってる。良い友人だと思った……僕は、少し……その、羨ましいと思えるほどに」

 

 

そう言ってハリーは目を伏せた。

ハリーは前に少し語っていた。

彼にも仲の良い友人は居た……『居る』ではない。

『居た』のだ。

彼の父がグリーンゴブリンとして罪を犯した後、彼の周りから人が離れていった。

友人だと思ってた人も、信頼していた執事も……誰も彼もが居なくなってしまった。

 

彼は今、孤独を感じている。

そして、精神的に追い詰められている。

 

彼には……必要だ。

私は少し悩んで、その後、口を開いた。

 

 

「ハリーも、私の友人」

 

「……ミシェル?」

 

 

私は彼の友人になる資格なんて無いだろう。

それでも、彼には必要なのだ。

 

 

「だから、貴方の事を思っている。困った時……辛い時、言ってくれれば手助けはする」

 

 

彼には優しくしてくれる友人が、必要だ。

でも、誰も友人になれないのであれば……私がなるしかない。

 

それに、彼は善良だ。

私としても彼自身は好ましい。

 

 

私の言葉に彼は……涙を流した。

声をあげる訳でもなく、ただ耐え切れなくなったのか、目から涙が零れ落ちていた。

 

 

「……ありがとう」

 

「ん……でも、私が大変な時はハリーも助けてね」

 

「勿論だとも」

 

 

そう言って、ハリーは今日、初めて笑った。

 

二人で待合室まで戻る。

 

 

「家まで送ろうか?」

 

「……どうしようかな」

 

 

ハリーの申し出に悩む。

彼自身、下心なんて無く、純粋に心配して言ってくれているのだろう。

外は夕焼け、帰る頃には暗くなっているだろう。

 

……この世界のニューヨークは治安が悪い。

そう考えると、彼の申し出は当然のものであった。

 

でも、さらりと、そう言える所は……やっぱり、彼は優しくて頼りになると思った。

 

 

「タクシーでも拾って、僕がお金を払っても……」

 

「ミシェル?」

 

 

と、そこで私は声を掛けられた。

 

……あれ?帰った筈ではなかったのか?

そう思って聞き覚えのある声に振り返ると、そこにはピーターが居た。

 

ネッドは居なかった。

ハリーも遅れて、その声に振り返った。

 

 

「あ、ピーター?先に帰ったんじゃ……」

 

「いや、ネッドは帰ったけど……ミシェルを一人で帰らせるのはどうかなって思って……所で、その人は?」

 

 

ピーターがハリーの方を見た。

 

……何だか、少し警戒しているように見えた。

 

 

「この人はハリー」

 

 

だから敢えて、名前だけを開示した。

オズボーン……つまり、ノーマンの息子である事は隠して、紹介する事にした。

 

 

「ハリー、この人はピーター」

 

 

ハリーにもピーターを紹介する。

 

 

「……なるほど、彼がピーター、か……」

 

 

紹介されたハリーはピーターの事を警戒するように、小声で呟いた。

ピーターも顔は笑っているが……警戒するような空気を醸し出している。

お互いに笑顔だが……。

 

 

…………あれ?

 

何故か、ピリピリとした空気が漂い始めた。

 

私は困惑していた。



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#30 バース・オブ・ブラック part3

目の前でハリーとピーターが互いに探り合うように視線を交わしている。

 

き、気不味い。

 

正直、二人は仲良くなれそうだと思っていたのだが……だって、原作(コミック)だと親友だったし。

 

……いや、これは私の悪癖か。

この世界はコミックや映画の世界とは違う。

こうやって先入観を持って生きていると、いつかどうしようもないミスを犯してしまうかも知れない。

直さないと。

 

とにかく、彼等はピリピリしてるし。

私は気不味いし。

 

ピーターが口を開いた。

 

 

「あの、ハリー、さんはミシェルとどう言った関係ですか?」

 

「彼女かい?彼女とは友人だよ、ピーター。それに敬語は不要だ」

 

「それは……どうも」

 

 

彼女、と言う単語に眉をピクリと動かしながらピーターが頷いた。

 

 

「……ふむ、ピーターこそ。君は彼女とどう言った関係なんだ?恋人なのか?」

 

 

ハリーが爆弾発言するので、私は慌てて。

 

 

「ち、違う」

 

 

と否定した。

 

そんな勘違い、ピーターに失礼ではないか。

そう思って否定した訳だが……。

私がピーターをチラリと見ると……複雑そうな表情で頷いていた。

 

やっぱり、ちょっと迷惑に思っているようだ。

 

それを見たハリーは少し目を細めた。

 

 

「なるほど、ではピーターは今も友人、と」

 

「そうだよ」

 

 

『今も』という言葉にハリーが何故ピーターを知っているのか……あれ?最初に会った時に言っていたな、と思い出した。

 

そして、ハリーがピーターについて知っている事を思い出す。

 

……そう、スイーツフェスタに行った時。

ピーターが遅刻をして予定を全てすっぽかした、と言う情報しかハリーは持っていないのだ。

 

……それだけ聞けば、友人との予定を蔑ろにする最悪な奴だ。

ハリーが私の事を心配して、ピーターを警戒しているのだと今更気付いた。

側から見れば悪い男に騙される女なのか、私は。

 

……では、ピーターが警戒する理由は何だ?

さっぱり分からない。

私は探偵漫画(ディテクティブ・コミックス)のキャラクターではないし、超能力者(テレパス)でもない。

分からないものは、分からない。

 

あ……でも、もしかして。

これ互いに第一印象が悪くなってるのは、私が原因なのか?

 

二人は少し互いに睨みあって……不意にハリーがため息を吐いた。

 

 

「よそう、ここは病院だ。いがみ合う場所ではない……彼女の事は君に任せて、僕は帰る事にするよ」

 

 

ハリーが私の方を見た。

 

 

「ミシェル、すまなかった。彼には……そう、心配な事があってね。ピーターが送ると言うなら、僕は身を引くよ」

 

 

そう言って、今度はピーターの方を見た。

そしてピーターの肩を叩いて、何やらボソボソと耳打ちしている。

 

それを聞いてピーターは訝しみながらも、納得したように頷いた。

 

……何故、耳打ちなのか。

私に聞かせたくない事があるのか。

 

蚊帳の外に出されたような気がして、私はちょっと眉を顰めた。

だが、まぁ……私に隠れて話をしていても、それはきっと私に対して、悪感情を持って嫌がらせをしている訳ではないと言うのは分かる。

彼等はそんな事するような人達ではない。

 

単純に私に聞かれると気まずい事なのだろう。

聞こうと思えば、超人血清で強化された聴覚で盗み聞く事はできる。

だが、それはしない。

 

私に聞かせたくない事は、私は聞かないでおく。

それで良い。

 

 

そうしてハリーと別れて、ピーターと二人で帰路に就いた。

 

 

 

 

 

NYメトロポリタン病院はマンハッタンにある。

そして、私達の住んでいる場所はクイーンズ。

 

この二つは、大きな河川に分断されている。

 

そこそこ距離があると言う事だ。

来た時はニューヨークの市鉄に乗って来た。

 

帰りも同様だ。

 

 

……時間が悪かったのか、そこそこ混んでいる。

多種多様な人種と、性別の人がいる。

クイーンズはNYでも移民が比較的多い地域だ。

 

多様性の街、と言っても良い。

 

 

電車に乗ると……座る席もなく、私は壁際に立った。

……そして、その前にピーターが立った。

 

私と他の客とぶつからないように、気を利かせて私の正面に立って……壁になってくれているようだ。

 

……気遣いは嬉しい。

嬉しいのだが。

 

 

……こう、ちょっと、壁ドンみたいになっているのは如何なんだ。

そう言うのは好きな女の子や、気になる女の子にするべきではないのか?

 

 

ピーターの顔が近い。

恥ずかしいのか少し顔を赤らめている。

 

……様にならない。

ちょっと無理してカッコ付けている事に気付いて、私は少し笑ってしまった。

 

それを見たピーターが訝しんだ。

 

 

「な、なに?ミシェル」

 

「ううん?頼りになるなって」

 

 

適当に誤魔化すと、またピーターは耳まで赤らめた。

まぁ……うん、最近忘れがちだが、私は客観的に見れば美少女だから。

 

好きでもない女の子だろうと、頼られて嬉しくなってしまうのは男の(さが)か。

 

……ふと、ピーターの顔を見る。

 

いや、しかし。

うん。

 

やっぱりイケメンだ。

キリッとした感じではないけど、優しげで、母性をくすぐられるような顔だ。

 

……最近気づいたが、この世界には容姿が整っている人が多い。

イケメンと美女ばかりだ。

創作物(コミック)の世界だから、だろうか?

 

そう考えるとピーターの顔は……この世界では普通なのだろうか?

私にとってはイケメンだけど、他の人からすれば普通かも知れない。

 

 

「あ、あの、ミシェル?」

 

「……どうかした?ピーター?」

 

「そんなに見つめられると……その、恥ずかしいから……」

 

 

私は慌ててピーターから目を逸らした。

少し、凝視し過ぎていたのかも知れない。

 

 

「ご、ごめん」

 

 

私も恥ずかしさで頬が熱くなっていくように感じた。

 

互いに少し、気不味い雰囲気の中、私達は家へと帰った。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

ニューヨーク市内、ブルックリン。

 

私……ナターシャ・ロマノフとニック・フューリーは車の後部座席に乗って居た。

車を運転しているのは私と同じく『S.H.I.E.L.D.』のエージェント、マリア・ヒルだ。

 

 

「フューリー、何が目的なの?私、何も聞かされて居ないのだけれど」

 

 

私がそう聞くと、フューリーは手元のタブレットを寄越した。

画面の上では遺伝子データと思われる螺旋階段状の図が写っている。

細かな詳細データが表示されているが、私に理解する事は出来ない。

 

私は科学者ではない。

『S.H.I.E.L.D.』のエージェント、ブラックウィドウだ。

こういうデータはブルースの得意分野だろう。

 

 

「先日のマンハッタンでの任務、そこで交戦した赤いマスクを覚えているか?」

 

「あぁ、アレね?肩がまだ痛むわ」

 

 

記憶を遡る。

 

先日、『A.I.M』と『ライフ財団』の取引現場である超大型の客船へ潜入し……赤いマスクのエージェントと戦った。

彼はキャプテン・アメリカ……スティーブのような人間離れした身体能力と反射神経を持っていた。

 

取引の品を盗み出す事に成功したが、結局追い詰められて取り返され、私は肩にナイフが貫通し、一週間ほど入院する羽目になった。

 

『S.H.I.E.L.D.』の再生技術でも一週間……つまり、結構な重傷だった訳だ。

 

身体的にはもう既に万全だけど、精神的に痛いって言うか……尾を引いてるって言うべきか。

 

私が肩を撫でていると、フューリーが肯定した。

 

 

「そうだ。巷では『レッドキャップ』と呼ばれているが、ソイツの正体に目星が付いた」

 

「それ、本当なの?」

 

 

私の手元のタブレットを指差した。

 

 

「それはキャプテンが攻撃した際、流血した血液から解析した情報だ」

 

 

フューリーが手元のタブレットを操作すると、空白まみれのプロフィールが表示された。

 

一旦、分かってる範囲で情報を埋めてるみたいだけれど……何これ?

正直、全然分かってないじゃない。

 

 

「年齢は14から19歳。性別は女、ヨーロッパのラトベリア人だ。正真正銘の地球人で、スーパーパワーの由来は恐らく薬物。通常は人体に自然発生し得ない神経伝達物質が分泌されている。もしくは──

 

「……待って。追い付かないんだけど、女の子だったの?」

 

「あぁ、言ってなかったか?」

 

 

言ってないわよ。

秘密主義な上官にムカつきながら、話を続けるよう促す。

 

 

「名前や所在、その辺りはまだ確定はしていない。だが、遺伝子データが限りなく近い……恐らく肉親である人間がニューヨーク市内に住んでいる事が分かった」

 

 

再度、タブレットを操作すれば地図が出た。

 

地図が指している場所、それがここ『ブルックリン』だ。

 

 

「区内にある時計やラジオ、細かな電子機器の修理屋『フィックス・イット』。そこの店主……『フィニアス・メイソン・ジュニア』だ。年齢は24歳、性別は男」

 

 

フューリーがタブレットを操作すると金髪の男性の証明写真が表示された。

 

 

「技師である『フィニアス・メイソン』の養子で、直接血は繋がっていない。彼の死後、仕事を引き継いで『フィックス・イット』の経営をしている」

 

「なるほど、模範的な好青年ね」

 

「だが、それ以上に謎が多い。養子として引き取られる前はどうしていたのか?『ジュニア』と名乗る前の名前は?それすらも分からない」

 

 

タブレットの画面を閉じると、フューリーが運転席の後部にある収納部に収納した。

 

 

「さて、君の任務だが……私が取り調べを行うから、黙ってついて来て欲しい」

 

 

……私は疑問が湧いて、フューリーに投げ掛ける。

 

 

「じゃあ何故、私が呼ばれたの?何もしなくて良いなら、一人で行けば良いじゃない」

 

「あぁ、それは『コレ』と同じだ」

 

 

フューリーがコートの下から、護身用の拳銃を取り出した。

普段から好んで持ち歩いてるモノだ。

 

あぁ、そう。

私は『護身用』ね。

つまり、荒事が起こる可能性があると。

 

納得して頷くと、フューリーは拳銃を懐に入れた。

 

 

「着いたぞ。ロマノフ、目的地だ」

 

 

車が停車し、ドアが自動で開く。

フューリーが運転席にいるマリア・ヒルと少し会話して、外に出た。

私も続いて出れば……ブルックリンの街中、決して広くはない路地に『フィックス・イット』と書かれた看板があった。

 

小さな木造の店だ。

……なるほど、街の小さな修理屋さん……って所?

 

フューリーが無遠慮にドアを開くと、鈴が鳴った。

ちら、と鈴を見れば錆びていて音も心なしか響きが悪い。

 

年代物のようだ。

 

店内には所狭しと時計が立て掛けられている。

幾つか時代遅れのラジオが木造の机に並べてある。

売り物……と言うには、少し見窄らしい、アンティークのような配置をされている。

 

鼻を擽るのは少しカビの生えた木の匂い。

臭くはないが、少し臭う……安心するような匂いだ。

 

 

「あぁ、いらっしゃいませ。ご予約の方ですか?」

 

 

カウンターにいる店員が話しかけてくる。

金髪で、青い目をもつ若い男だ。

美醜の感覚で言えば容姿は整っている。

 

……何処かで見たような気がして、記憶を遡ろうとして──

 

 

「君がフィニアス・メイソン・ジュニアか」

 

 

フューリーに言葉で現実に引き戻された。

 

 

「え?あ、はい。そうですけど……?」

 

 

そう返した若い男……フィニアスは不思議そうな顔をして返事をした。

気弱そうで何だか頼りなさそう、と少し思った。

 

しかし……彼がフューリーの探し人であるのなら、この店の店主は彼と言う事になる。

そう考えると、若いのに自分の店を持っているのなら、案外自立しているのだろうか。

 

 

「話がある。私はニューヨーク市警の……」

 

 

フューリーが警察手帳を取り出す。

 

勿論、偽物だ。

偽装された警察手帳であり、国際的な平和維持組織である『S.H.I.E.L.D.』だからと言っても許される事ではない。

 

フューリーは世界の平和や、街の治安の維持の為ならば、法を犯す事も厭わない男だ。

私もそれをよく知っている。

 

 

「『ダム・ダム・デューガン』警部だ」

 

 

そう言って偽名を語る。

 

フィニアスは私の方をチラリと見たが、私は『黙って』ついて来いと言われているので、黙殺した。

 

 

「彼女は私の補佐だ。君に少し聞きたい事があるのだが……今、時間は大丈夫かね?」

 

「は、はい」

 

 

可愛そうに、フィニアスは怯えてしまっているようだ。

それもそうだ。

 

色黒で、体格がガッシリとしていて、眼帯を付けて……そして強面の警察官が来たのだから、怯えないわけがない。

 

 

「君、妹はいるか?」

 

 

フィニアスの年齢から計算し、レッドキャップの正体は彼の妹かと考え、問い掛けたのだろう。

 

 

「妹?……えぇ、妹が一人いました」

 

「いた?」

 

 

デューガン警部……いや、フューリーがフィニアスへ近付いた。

 

 

「『いた』とは?何故、過去形なんだ?」

 

「それは……もう亡くなっているからですよ」

 

 

そう言ったフィニアスの顔に嘘の色はなかった。

私はエージェントとして人の嘘を見抜く力に優れていると自負している。

 

つまり、『死んでいる』。

 

そんな馬鹿な話はない。

実際に私は戦ったのだからだ……もし、本当に死んでいるのなら、私と戦った彼女は何者なのか……となる。

 

……少なくとも、『死んでいる』と錯覚するほどの何かがあったのか。

それとも『死んでいる』と思い込んでいるのか。

 

どちらかに違いない。

 

 

「そうか、申し訳ないが、君と妹の話を聞かせてくれないか?」

 

「えぇ、まぁ……はい。良いですけれど、何故ですか?」

 

「それは言えない。機密情報だ」

 

 

フューリーはメモを取る素振りをしつつ、胸の小型カメラと録音機を起動したようだ。

 

 

「……10年ほど前まで、僕はラトベリア王国に住んでいました。父と母と妹と、です」

 

「10年……」

 

 

そう言ってフューリーは自身のこめかみを親指で押した。

 

 

「えぇと、当時の国王がクーデターと戦って、大規模な内戦が起きて……僕たち家族は亡命する事になったんです。それで、実際に亡命する際、僕だけが生き残ってしまった……これだけですよ。何もやましい事はありません」

 

「別に君を疑っては居ないさ」

 

 

嘘だ。

フューリーは確実に目の前の男を疑っている。

 

そしてまた、口を開いた。

 

 

「では、妹の行方は知らないと?」

 

「さっき言ったじゃないですか?妹は死んだ、と」

 

「死んだ事を確認したのか?」

 

 

フューリーは彼の妹がレッドキャップである、と殆ど確信していた。

だからこそ、フィニアスが妹は死んでいると断言する事に違和感を持っているのだ。

 

 

「ええ、ですから……私の目の前で『死んだ』と言ってるじゃないですか」

 

 

そう言い返したフィニアスの目は少し怒っているようだった。

そして、彼の声質や表情、焦りなどから嘘と断定できる要素がなかった。

 

彼は嘘を吐いていない。

そう分かるからこそ、フューリーは怪訝な目をしているのだ。

 

 

「……ふむ。では仕方ないな……分かった。協力に感謝しよう」

 

「えぇ。ですが、次来る時は連絡下さいね」

 

 

フューリーが握手を求めて、フィニアスが手を出した。

フューリーがグッと手を握って……なるほど、皮膚接触からでも彼は嘘は見抜ける。

 

だがまぁ、そんな悪あがきでも嘘と判断できなかったようで、観念したような顔で手を解いた。

 

室内の時計を見れば、それほど時間が経っていない事が分かる。

 

 

ふと、視界の隅に絵画が壁にかけてある事に気付いた。

 

真っ赤な靴を、二人の妖精が修理している様子の絵だ。

 

この部屋には時計とラジオ以外にまともな家具はない。

インテリアもない。

 

この絵画を除いて、となるが。

 

 

「あぁ、それですか。僕の養父が大事にしていた絵です」

 

「……へぇ、趣味が良いのね」

 

 

私は思わず口を開いた。

 

 

「妖精達は年老いた老婆達が寝ている間に、仕事を熟してしまうんです。それを老婆達は知らない。……知られていなくても、陰ながら人の助けになる。私の養父はそうなりたいと思い、この絵に願いを込めています」

 

「そうなの」

 

「えぇ……この絵の名前は──

 

 

フィニアスがにこり、と笑った。

 

 

「『妖精(ティンカラー)』と言います。良い名前でしょう?」

 

 

そう言った彼の目は、どこか遠い場所を見ていた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

私とフューリーは店を出て、二人で車に乗り込んだ。

 

 

「フューリー、どうやら無駄足だったようね」

 

「ふむ……しかし、彼は何か隠しているようだ」

 

「そうかしら?嘘を吐いているように見えなかったけど」

 

 

私がそう言うと、フューリーが私に呆れたような顔をした。

 

 

「何も嘘を吐く必要はない。隠したい事を言わず、それ以外で情報を補い、補填し、自分の望んだ筋書き通りにする事だって出来る」

 

 

フューリーは手をはらった。

 

 

「でも彼、妹を『死んだ』と断言しているわよ」

 

「そこだ。それが一番気になる……今後も定期的に監視は続けていくべきだろう」

 

 

車が動き出す。

窓の外が変わり、背後の『フィックス・イット』から離れていく。

 

 

「それで、フューリー。これで任務は終わりかしら?」

 

「いや、あと一件付き合ってもらおう」

 

 

フューリーがマリア・ヒルに一言声をかけると、カーナビゲーションシステムに行き先が表示された。

 

そこは病院。

NYメトロポリタン病院だった。

 

 

「病院?何故かしら?」

 

「研究所から提供された『アレ』が要求する遺伝子構造とバイオマトリックスが一致した患者がいる。キャプテンには反対されたが──

 

 

フューリーが取り出したタブレットには、ティーンエイジャーの少女の顔写真が写っていた。

 

 

「喜べ、エージェント・ロマノフ。君の後輩が増えるかも知れない」

 

 

車はゆっくりと病院へ向かっていった。



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#31 バース・オブ・ブラック part4

「え……じゃあ、1ヶ月も会えない……?」

 

 

私は病院で驚愕していた。

 

目の前にはベッドに腰を下ろしているグウェンの姿がある。

 

ここはNYメトロポリタン病院。

彼女が入院し始めた4日後、再度見舞いに来た私、ピーター、ネッド……そして入院中のグウェン、この四人が病室の中に居た。

 

 

「そう。最新の治療方法が見つかったらしくてね……上手くいけば足も動くようになるかもって……でも、結構大きな病院に転院する事になるから、1ヶ月は会えないんだって」

 

 

治療できるかも知れない……と言うのは嬉しい話だが、1ヶ月も会えないとなると……少し寂しい。

 

 

「ね、ミシェルは応援してくれる?」

 

 

でも、そう言われれば頷くしかない。

彼女のこれからの人生が、より良くなるように……私は協力できる事ならしたい。

後押しだって、勿論。

 

 

「うん、応援する。頑張って欲しい」

 

 

グウェンの手を握って頷くと、彼女は微笑んだ。

 

 

「夏休みまでには戻るから……上手く治ったら、一緒に夏期旅行でマイアミビーチに行こうね」

 

「うん」

 

「折角、水着も買ったんだし……絶対着て遊びに行かないと」

 

「……うん」

 

 

グウェンが未来について楽しそうに語る。

希望に満ち溢れているようだ。

 

私はそれを非常に好ましく感じていた。

先日の彼女は強がって、辛そうな事を隠して気丈に振る舞っていたけれど……今日の彼女は心の奥底から喜んでいるように見える。

 

私も自然と笑顔になって頷いている。

 

水着を人前で着るのは嫌だが。

本当に嫌だが。

恥ずかしいからだ。

グウェンやピーター、ネッドのような友人に見られるのは良い。

だが、見知らぬ人間に見られるのは……ちょっと。

 

そうして普段からは考えられないほど上機嫌なグウェンと、頷いてばかりの私。

 

それを遠目でピーターとネッドが見ていた。

 

 

「……あの、グウェン?」

 

「なに?」

 

「あの、二人……」

 

「あー、別にナード達は放っておいて良いでしょ。私達が仲良すぎて入って来れないんだよ、陰キャだから」

 

 

あまりに酷い言いように後ろの二人を見る。

ネッドは怪我人相手にあまり強く言い返せないようだった。

 

その後は、午前中にハリーがお見舞いとして買ってきたフルーツの盛り合わせを四人で食べた。

 

ハリーもこまめに来ているらしい。

グウェン曰く、来ても良いけど、別にそんなに来なくても良いのに……だ、そうで。

最近はそこそこ会話が弾んでいるようで、確執は解けたようだ。

 

うん。

グウェンは見る目があるし、ハリーは良い奴だから当然と言えば当然か。

 

 

見舞いの果物は私が切った。

ナイフの扱いは得意なのである。

年がら年中、振り回しているので上手くて当然だ。

 

それにしても……。

 

最近はグウェンからのスキンシップ……と言う名のボディタッチが激しい。

もし男だったら勘違いしていただろう。

 

……いや、男だったら、こんなにベタベタ触れ合ってないか。

 

 

「そう言えば、フラッシュとか、リズとか、その辺の奴らも来たよ。昨日だけど」

 

「「え?」」

 

 

他のクラスメイトならまだしも、フラッシュが来るのは意外だった。

そう言う繊細な部分があったのか、アイツ。

 

 

「最近、フラッシュも何か思う所があったのか……人が変わったように良い奴になったね」

 

「へぇ……?」

 

 

余り実感の湧かない私は、適当に返事をする事しか出来ない。

 

 

「ピーターもさぁ、うかうかしてらんないねぇ。ハリーもいるし」

 

 

……うん?

何でここでピーターとハリーが出てくるんだ?

 

ピーターが慌てた様子でグウェンに声をかけた。

 

 

「ちょ、ちょっとグウェン……!」

 

「え?何?図星でしょ?ライバルが多いと大変だね」

 

 

そう言ってグウェンがピーターの脇を突いた。

 

……あ、もしかして。

 

ハリーも、フラッシュも、ピーターも好きなのかな?

 

 

 

グウェンの事が。

 

 

「なるほど」

 

 

私は腕を組んで頷いた。

 

確かに、グウェンは非常に魅力的だ。

可愛いし、お洒落だし、スタイルも良いし、カッコいいし、優しいし。

 

納得した私はピーターに声を掛ける。

 

 

「ピーター、恋の応援なら任せて」

 

 

ぐっと拳を握ると、三人とも何とも言えない顔をしていた。

 

そして、グウェンが呆れたように口を開いた。

 

 

「……ミシェルってさ」

 

「うん」

 

「頭は良いけど……ちょっと抜けてるよね」

 

「うん?」

 

 

何故かお馬鹿認定を受けてしまった。

 

……人とのコミュニケーションは難しい。

私はそう思った。

 

 

 

2時間ほど病室で話した後、帰る事となり、ピーターとネッドが持ってきた荷物の片付けをしていた。

 

これはグウェンの父、ジョージ・ステイシーから頼まれた替えの歯磨きブラシとか、着替えとか、その辺だ。

 

下着はネッドとピーターが持っている袋に入っていないが。

それは私が持つ。

男には持たせられないからだ……え?

じゃあ私もアウトなのでは……とは言わない。

生物学的に私は女だ。

なので問題ない。

 

 

「ねぇ、ミシェル」

 

 

そして、二人が部屋から出て行った後、グウェンに呼び止められた。

 

 

「どうかした?グウェン」

 

「うん、一つだけ聞いても良い?」

 

「一つじゃなくても、幾つでも」

 

「ありがと」

 

 

グウェンが深く息を吸って、意を決したような顔をしている。

 

 

「もし、さ」

 

「うん」

 

「もしも、だよ?」

 

「うん」

 

「もし私が……今までと違う人間になったとして……それでも友達で居てくれる?」

 

「うん、当然」

 

 

要領を得ない質問だった。

だけど、彼女が不安に感じている事に私は肯定を返した。

 

何があっても、私はグウェンの味方だ。

それこそ、もしも……グウェンと私、どちらかが死ななければならなくなったら……迷わず私は自死する程に。

 

 

「ありがと。……うん、それだけ。今日は来てくれて、ありがとね?ホントに」

 

「私も楽しかったから。……今度は1ヶ月後になっちゃうけど」

 

「大丈夫!絶対治してみせるからね」

 

 

お互いにぎゅっと抱きしめあって、別れた。

これが今生の別れになる訳ではない。

 

人は生きてる限り、望んでいれば何度でも出会う事が出来る。

 

私は手を振って、病室を出た。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

僕、ハリー・オズボーンは少しずつ……少しずつだが心を持ち直して来ていた。

 

自宅の書斎で日記を開く。

これは僕が昔から、父に日記帳を買ってもらってからずっと書いている日記だ。

 

前日以前の記録を読む。

 

数日前。

ミシェルと会話して……父の被害者であるグウェンとの仲を取り持ってくれた。

 

グウェンは性格の良い女の子で、直ぐに打ち解ける事が出来た。

……だからこそ、父……いや、父を狂わせた『グリーン・ゴブリン』と言う存在に──

 

 

『憧れている』。

 

 

……いや、違う。

憎いんだ。

憧れてなんかいない。

 

僕の父は薬品によって身体能力が強化されたが、精神が汚染されてしまった。

結果的に際限なく欲望が増幅し、人を傷つけて、奪って、不幸をばら撒いた。

 

なんて『羨ましい』んだ。

 

違う。

僕はそんな事を望んではいない。

 

理性を失って、獣のように暴れるような姿なんて『最高にイカすぜ』。

 

違う、違う、違う。

『俺』はそんな事を『望んでいる』。

 

『俺』は『欲しいもの全てを手に入れる』。

 

無理だ。

人には限界がある。

『俺』に『そんな物はない』。

 

グウェンだって『メチャクチャにしてやりたい』。

彼女は『俺』を信じている『からこそ、その顔が歪むのが見たい』。

 

 

違う、違う、違う、違う──

 

 

「違う!」

 

 

僕は自分の思考を散らすため、机を強く叩いた。

日記が捲れる。

 

開かれたページにはペンで塗りつぶされた醜悪な悪鬼(ゴブリン)の絵が描かれていた。

 

こんなモノを描いた記憶なんて、僕にはない。

 

 

あの時。

父が死んだあの日から、僕の心に邪悪『で、偉大で、カッコいい』何かが住み着いている。

それは僕の思考を蝕んでいる。

 

誰も周りにいない時、悪鬼が僕に囁く。

 

復讐(アヴェンジ)しろ』。

『仇を討て』。

 

……でも、そもそも無理だ。

父を殺した犯人は分からない。

知らない。

 

新聞に乗っていたのは、脱獄した父の死体が廃駅で見つかった……と言う情報だけだ。

警察だって犯人を探している。

 

僕は……。

 

 

「お困りですか?」

 

 

……僕は後ろに振り返った。

彼は最近雇った使用人のベックだ。

 

父の凶行が原因で、この屋敷の使用人の殆どが逃げ出してしまった。

オズボーン家は沈み行く船のようなものだ。

逃げる事は正しい事だ。

 

だからこそ、新しく使用人を雇ったのだ。

 

 

「……すまない。何もないさ、大丈夫だ」

 

「そうでしょうか?私には何か、悩んでいるように見えますが……」

 

 

そう言ってベックが窓際で埃を払った。

 

ベックは父と友人らしい。

自称……だから、本当に友人なのかは知らない。

 

だが、父が本当に辛かった時に助けた事があると言っていた。

 

 

「いや、君に言っても仕方のない事だ」

 

 

僕は開かれていた日記を閉じて、机に仕舞う。

見られないように暗号鍵も付いている。

 

……少し待っても、ベックがこの場を離れない。

 

 

「……どうした?何かあったのか?」

 

「えぇ……貴方に見せたいモノがあります」

 

 

そう言うベックの手には大型のタブレットがあった。

 

……使用人の服には、そんなモノを隠し持てるような場所は無いはずだ。

不可解な現象に僕は眉を顰めた。

 

 

「……どこから取り出したんだ?」

 

「その前に一つ、ハリー坊ちゃんには謝らなければならない事があります」

 

「何を……?」

 

 

使用人らしからぬ言動に顔を顰めた。

 

 

「私、自分のことを『使用人』と言っていましたが、アレは嘘です。実は私……『魔法使い』なんですよ」

 

「……ふざけているのか?」

 

「いいえ?正真正銘の大真面目、ですとも」

 

 

ベックが指を弾くと、手元のタブレットは消えて、部屋の中央にプロジェクターが現れた。

 

 

「これは……」

 

「是非とも、貴方に見ていただきたい物があるんですよ」

 

 

そう言い切るとプロジェクターから、書斎の白い壁に向かって映像が投射される。

それは寂れた廃駅の、監視カメラ映像だった。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

「そん、な…………」

 

 

僕は驚愕した。

何故なら、今見た映像は警察も掴んでいない父の死の真相だったからだ。

 

 

「酷いでしょう?」

 

 

父は何度も殴られ、痛めつけられ、最後は首を裂かれて死んでしまった。

薬物でおかしくなってしまったとは言え、父は父だ。

目を覆いたくなるような真実に、僕は『憤りを隠せなかった』。

 

 

「まさか……彼が」

 

 

映像に映っていたのは父と──

 

 

「『スパイダーマン』が父さんを殺した、なんて……!」

 

 

スパイダーマンだった。

母が亡くなってから一人で僕を育ててくれた父を……容赦なく痛めつけて、命乞いをする父を笑いながら殺した。

 

映像には、そう映っていた。

 

 

「あぁ、なんて酷い……ノーマンは素晴らしい人間だった。それにも関わらず、彼は私刑によって彼を殺害した……命乞いを無視して、戦う意思を無くした男を殺したのです」

 

「……うっ……くそっ」

 

 

誰かが僕に囁く。

父だ、父の声だ。

 

『私の復讐をしろ』

『復讐だ』

『仇を取れ』

『蜘蛛男を殺せ」

 

 

「私もそうです。彼に怒りを抱いているのは貴方だけではありません。私は貴方と共に協力し……スパイダーマンを討ちたい」

 

 

『討て!』

『殺せ!』

 

 

「……討つ……殺す……」

 

 

『俺』は復唱する。

父の怨念が僕を突き動かす。

これが『俺』の『やるべき事』だ。

 

 

 

「安心して下さい、私達以外にも仲間はいます。貴方と同じ……スパイダーマンに復讐したい者達ですよ」

 

 

演技じみた仕草でベックが笑った。

 

僕はその姿を見て、ベックの正体が気になった。

きっと、今僕の前に晒している姿も偽りなのだろうと、そう思った。

 

 

「……ベック、貴方は……一体、何者なんだ?」

 

 

だから、そう訊いた。

 

 

「私ですか?私は──

 

 

再度、ベックが指を鳴らすと、緑色の雲が彼の体を包んだ。

 

 

『『謎の男(ミステリオ)』……そう呼んで下さい』

 

 

くぐもった声でそう返事をした。

 

だが、そこにベックの顔はなかった。

全てを反射する球体状のマスクと、緑色のコスチュームを着た男が立っていた。



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#32 バース・オブ・ブラック part5

コンクリートの壁に反射された光が、窓から差し込む。

このオンボロアパートは窓の外がすぐ壁だから……朝日が直接入ってくる事はない。

 

早朝なのに薄暗い部屋で、僕は欠伸をした。

 

ここはニューヨーク、クイーンズ。

そのアパートの一室。

僕、ピーター・パーカーの部屋だ。

 

パジャマを脱いで、シャワーを浴びて。

外出用の服に着替えて、髪をセットして。

 

リュックの中身を確認する。

 

前日に確認しているけど、出かける前にもう一度確認する。

心配症なのかも知れない。

 

時計を見て、8時少し前である事を確認する。

 

この時間、毎日はやる気持ちがある。

どうしても、そわそわしてリュックを背負い、部屋の外に出てしまった。

 

学校が凄く楽しい……訳ではない。

確かに勉強は嫌いではないし、授業も楽しいが……それだけで眠い朝から気分が上がる程でもない。

 

でも。

 

ガチャリ、と音がして隣の部屋のドアが開いた。

 

手元の腕時計を見れば、時間は7時54分。

約束の時間は8時なのに、いつも互いに少し早く出てきてしまう。

 

 

「おはよう、ミシェル」

 

 

声を掛けると、隣室の住人が目を数度開いて、閉じて……欠伸をしてから、返事をした。

 

 

「ん、おはよう……ピーター」

 

 

ミシェルは朝に弱い。

彼女はよく夜更かしをしている……当然、睡眠時間が削られれば、その分眠くなるのは当然だ。

 

僕もスパイダーマンとして活動した翌日は眠いからね。

 

 

「眠そうだけど……昨日、何かしてた?」

 

「……掃除?」

 

 

自信なさげに答える彼女は、やはり、どうやら寝惚けているらしい。

 

彼女と僕は毎朝、一緒に登校をしている。

ミッドタウン高校の始業時間は9時だ。

ここから高校までは歩いて30分……それを考慮して8時に出発予定としている。

 

 

「それじゃあ、行こう。ミシェル」

 

「……ん」

 

 

ミシェルは眠そうに目を擦りつつ、ベージュ色の肩掛け鞄を持って歩き出した。

 

普段は賢しい彼女の、こんな気の抜けた姿が見られるのは……きっと僕だけだ。

その事に少しの優越感と、大きな喜びと、幸せを感じていた。

 

 

二人でクイーンズの街を歩く。

途中、いつものサンドイッチ屋によってサンドイッチを買う。

僕は5番のBLTサンドイッチを。

ミシェルは7番のショートケーキを。

これは昼飯用だ。

 

いつもの風景、いつもの景色。

 

いつか、彼女と共に居る事も『いつも』と呼べるようになったら良いな……なんて大それた事も考えて。

 

街中の大きな電光掲示板を見た。

 

そこには、いつものJJJ……新聞会社『デイリー・ビューグル』の『ジェイ・ジョナ・ジェイムソン』が写っている。

彼は吠えるような強い口調でスパイダーマンをバッシングしている。

 

僕は何の気なしに視界に入れて……。

 

 

『スパイダーメナスは殺人鬼!?』

 

 

と言う見出しが見えて、驚愕で見直した。

 

僕が足を止めたのを見て、ミシェルが不思議そうな顔で僕の側に寄った。

 

 

『スパイダーマンがグリーンゴブリンこと、ノーマン・オズボーンを私刑に!』

『匿名の方から映像が届いたぞ!』

『ショッキング過ぎて人に見せられないほど残虐!』

『マスクを被った殺人犯に注意を!』

 

 

ジェイムソンの心当たりのない罵声に、僕は怯んだ。

 

 

「な、なんなんだ……これ……?」

 

 

喉が乾く。

視界がぐらりと揺れた気がする。

 

スパイダーマンが……僕が……殺人犯?

違う、だって殺したのはレッドキャップって言う奴で……。

映像なんて……そんなの捏造に決まってる。

 

もしかして、嵌められた……?

赤い、マスクの男に。

 

どうしよう。

これじゃあヒーロー活動に支障が出る。

声に出して反論するべきなのか?

でも、僕は顔も見せてない……それじゃあ、きっと誰も信じてはくれな──

 

 

「……ピーター?」

 

 

ぎゅっと手を握られた。

ミシェルの……女性特有の小さくて滑らかで、柔らかな手が僕に触れていた。

 

先程の悩みも全て吹き飛び、僕の心臓は活発に動き出した。

 

 

「ミ、ミシェル?」

 

「大丈夫?」

 

 

そう言ってミシェルが上目遣いで見てくる。

僕と彼女では10センチ弱の身長差がある。

 

僕と目を合わせようと自然とそうなってしまう。

 

そんな仕草に……僕の心臓は破裂寸前になる。

 

 

「だ、だだだ、大丈夫!大丈夫……大丈夫、だよ、ミシェル」

 

「……絶対、大丈夫じゃない」

 

 

挙動不審になった僕に、ミシェルが目を細めて訝しむ。

 

ミシェルが原因を探ろうと辺りを見渡し、僕の視界の先……デイリー・ビューグル社の大型電光掲示板を見つけた。

 

スパイダーマンをバッシングする内容は、まだ続いている。

 

それをジッと見つめるミシェルに、僕は不安を感じて声をかけた。

 

 

「あの、ミシェルはさ?」

 

「うん?」

 

「スパイダーマンの事……どう、思う?本当に人を殺しちゃったのかな……って」

 

 

そう聞くと、彼女は眉を顰めて少し困ったような表情をした。

 

 

「私は、スパイダーマンがそんな事すると思わない」

 

「……そう、かな」

 

 

予想外の返答に僕は声が詰まった。

 

 

「うん。だって──

 

 

ミシェルが僕を見て微笑んだ。

 

 

私の憧れ(ヒーロー)だから」

 

 

だけど、その笑顔は……。

 

少し、暗さを隠してるような気がした。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

私の憧れ(ヒーロー)……スパイダーマンが告発された日の夜。

 

私は赤いマスクに黒いスーツ……レッドキャップの姿となって、とある場所まで来ていた。

 

人の目を盗み、地下通路を通り……オズコープ社の地下4階まで来ていた。

 

廃棄された研究施設であり、遺伝子研究用の器材や……様々な実験装置が埃を被っている。

ふと、部屋のプレートを見れば『主任:カート・コナーズ』と言う文字が見えた。

 

ここはグリーンゴブリン騒動で停止された研究施設だ。

 

監視カメラが天井につられている。

それは私を視認しているが、別段騒ぎにはならない。

 

ここに私が居る事……それは、このビルの所有者が黙認しているからだ。

監視カメラの映像は当たり障りのない、前日のモノとすり替えられている。

 

私が今日、ここに来た事を監視者は知らないだろう。

 

コツコツと静かな廊下の床を鳴らして、私は会議室の前に立った。

 

ドアを2回ノックし、一呼吸置く。

返事も待たずに私はドアを開いた。

 

……会議室の中には5人の男がいた。

 

部屋の中、空いた席に座れば、私を含めた6人の人間がいる事になる。

 

私の座った向かいの席。

金魚鉢のような頭をした、緑色のスーツを着こなしている男がいる。

 

 

『初めまして……レッドキャップ』

 

 

そう声を掛けてくる。

声はくぐもっていて、男と言う事は分かるが素の声と合致はし難いだろう。

 

 

『あぁ。初めまして、ミステリオ』

 

 

私は目前にいる悪人(ヴィラン)、ミステリオをマスクの下で睨んだ。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

オレ、ハーマン・シュルツこと『ショッカー』は髭を剃って髪を整えて、シャワーを浴びて……鏡に映る惚れ惚れとするイケメン顔にニヤッと笑った。

 

コイツは仕事前のルーチンだ。

願掛けみたいなモンで、オレの仕事の成功を保証してくれる。

 

煙草を一本だけ吸って、灰皿に捩じ込み……約束の時間よりは少し早ぇが泊まってたホテルを出る。

ギターケースに偽装した鞄の中にはオレの『ショッカー』としての仕事道具がある。

 

街は静まり返って、人っ子、一人も居ねぇ。

ホテルの前には黒塗りの車が一台停まっている。

 

タクシーでも何でもねぇが、オレは気にせずドアを開けて、鞄を詰め込む。

そのままドカッとオレが座れば、運転手はオレを見る事もなく走り出した。

 

そんで、手元にある手紙を見る。

 

今時、手紙ってよぉ?

まぁ電子データよりは証拠が残り難いからって気持ちは少し分かる。

 

コイツは招待状だ。

 

内容は『一緒にスパイダーマンをボコボコにしようぜ!』って感じ。

正確にはちょっと違うかも知れねぇが、要約するとこんな感じだ。

 

オレはスパイダーマンに恨みがある。

そもそも刑務所にブチ込まれたのは、蜘蛛男の所為だし。

今こうやって雇われ傭兵みたいな事やって、日銭を稼いでるのも蜘蛛男の所為だ。

 

それで、この招待状の送り主……ミステリオって奴は俺みたいな悪人共で協力し、蜘蛛男をボコボコにする計画を立てたって訳だ。

 

 

とあるビルに到着する。

……いや、とあるっつーかオズコープ社なんだが。

 

なぁんで天下のオズコープ様が……あぁ、いや、そうか。

オズコープの社長ってスパイダーマンにブッ殺されたって言ってたな。

そりゃ恨んでる奴もいるか。

 

……今朝、スパイダーマンが元社長のノーマンを私刑(リンチ)で殺したってニュースで見たけどよ。

何だかアレ、こう、納得行かねェんだよな。

 

スパイダーマンは善人気取りのクソ野郎だ。

だからこそ、殺人なんてやらねーと思ってたんだが。

まぁ、映像って証拠があるんだからマジなのか。

 

……そう考えると、ノーマンはスパイダーマンの触れちゃなんねぇ部分をガッツリ踏み抜いちまったのかもなぁ。

 

おぉ、怖い怖い。

 

……トイレで、いつものスーツに着替えて、手甲(ガントレット)を装備する。

更衣室ぐらい用意しとけよ、ボケが。

 

静かな廊下をズカズカと歩きつつ、周りの研究室を流し見る。

ハイテクだな。

資本主義って感じがするぜ。

 

オレも科学を齧ってる身としては、羨ましい限りだ。

こういう場所なら、もうちょい精度の高い装備が……。

 

って、違ぇ、違ぇ。

今日はそんな目的で来た訳じゃねぇんだ。

 

オレは会議室のドアを開く。

 

そこには珍妙奇天烈な奴らが居た。

 

頭が金魚鉢の変なヤツ、死んだ筈のグリーンゴブリンと同じ格好してるヤツ、サイみたいな格好したアホみたいなヤツ。

 

……あ?

何か一人、普通のオッサンがいる。

紺色のジャケットを着たツーブロックの30代……から40ぐらいのオッサンだ。

 

何だコイツ、場違いじゃねぇの?

他の奴ら……オレも含めて、誰一人として普通の見た目してる奴いねーのによ。

 

席に座って少し待ってると、ドアがノックされた。

 

正直、ここに来る奴らの事は知らねぇ。

誰が来るかも、何人来るかも。

 

 

ドアを開けて入ってきたのは……。

 

あぁ、見知った顔だった。

 

 

『初めまして……レッドキャップ』

 

『あぁ。初めまして、ミステリオ』

 

 

レッドキャップの挨拶から、あの金魚鉢みてーなヤツがミステリオ……つまり、招待状の送り主だって事に気付いた。

 

まぁ、只者じゃねー雰囲気がビシビシ出てるからな。

 

レッドキャップが隣の席に座る。

ちょっと前だったらガチでビビっちまってただろうが、今はそんな事は無ぇ。

寧ろ、ちょっとオレも安心しちまうぐらいだ。

 

コイツは良い奴だ。

話も分かるし、冷静だ。

 

……目の前のサイみてぇな奴は、無理そうだ。

そもそもアイツ人間か?

 

ただレッドキャップの中身が女……しかもガキってんだから、少し罪悪感……っつーか気まずさが出てくる。

年端もいかねぇ女が、こんな悪い奴らとツルんでんだからな。

 

ガキは大人しく家で寝てる時間だが……おっと、こんなこと言ったらマジで殴り殺されちまうかも知れねぇ。

気をつけねぇと。

 

舐めてる訳じゃねぇ。

ただ、オレの中の固定観念としてガキは遊んで暮らすもんだって思ってるだけだ。

……そもそも、学校とか行ってんのか?

容姿も知らねーし、マジで私生活のイメージが湧かねぇ。

 

適当な事考えてっと、金魚鉢……ミステリオと呼ばれたヤツが席から立ち上がった。

 

 

『ようこそお集まり下さりました、5人の復讐者よ』

 

 

……ちょっと胡散臭ぇ、感じがする。

 

 

『まずは各々が自己紹介をしましょう。どんな目的を持ってスパイダーマンに復讐するか、意識合わせです』

 

 

そう言うとミステリオが指を弾いた。

パチン、と言う音がして壁が消えてなくなる。

 

まるで宇宙のような景色になって、オレはビビって席から転がり落ちそうになる。

 

だが、隣のレッドキャップは腕を組んだまま落ち着いてるし……何なら、あのよく分からねージャケット姿のオッサンも動じてねーし。

 

オレは気合いで持ち堪えた。

ビビってねぇーよ?

って雰囲気を出しておく。

 

 

『……フフフ』

 

 

……隣の席から微かに笑うような声が聞こえた。

 

 

『私の名前は『ミステリオ』!あらゆる真実をも捻じ曲げる魔術師さ』

 

 

再度、ミステリオが指を弾くと壁や床、全てが元に戻った。

 

 

『これはデモンストレーションって奴です』

 

 

……胡散臭いが油断ならねぇ、やべぇ奴だな。

 

 

『私は妻と娘をスパイダーマンに殺された。その仇を取りたいんです。ここにいる5人の方々と協力し、必ず怒りの裁きを下しましょう』

 

 

そう言って、ミステリオは席に座った。

 

……妻と娘を殺された?

スパイダーマンって、オレ達の知らねー所で結構殺してんだな。

 

 

なんて感想を持ちつつ、今度は隣の席に座っているグリーンゴブリン……いや、本人が死んだ訳だから、絶対偽物なんだが、そいつが立った。

 

 

「ハリー・オズボーン……先代の息子だ。父を殺したスパイダーマンを必ず殺す。……そうだな、『俺』の事は『ニュー・ゴブリン』と呼んでくれ』

 

 

そう短く言って席に座った。

……なるほど、現オズコープ社の社長じゃねぇか。

そりゃあ、オズコープ社のバックアップが有るんだから、こんなデケぇビルを貸し切れる訳だ。

何てったって、自分の持ち物なんだからな。

 

 

 

続いて、サイみてーな奴が立った。

 

 

「俺の名前は『ライノ』だ。用心棒をやってるんだが……アイツに何回も邪魔されている。スパイダーマンが居なくなりゃ、俺の仕事も楽になる。だから協力する」

 

 

ドカッとサイ男……ライノが座った。

2メートル近ぇ巨体が座っても壊れねぇ、オズコープの椅子って結構良い椅子なのかも知れない。

 

 

……あ、オレの番か。

 

オレは席から立って、自己紹介する。

 

 

「オレは『ショッカー』、傭兵だ。あんの蜘蛛男に一回捕まって務所にブチ込まれてる。絶対ぇ、ブチのめす。以上」

 

 

俺が座ると、隣のレッドキャップが立った。

 

 

『私は『レッドキャップ』だ。依頼を受けてここに居る。それだけだ』

 

 

男か女かも分からねー機械音声で喋って、レッドキャップが無愛想に座った。

 

……うーん、何つーかコミュニケーション能力に難があるよな。

寡黙と言えばカッケーが、陰気くせぇと言えばダサい。

……ダサイと言えば、目の前に意味わかんねーサイ男がいるが。

 

 

……そうして5人の自己紹介が終わり、残るはあの普通のオッサンだけになった。

 

 

オッサンは周りをチラチラと見て、「あ、俺か」って顔で立ち上がった。

 

 

「あー……俺はエディ、『エディ・ブロック』。ただの新聞記者だ。別にスパイダーマンに何か恨みがある訳じゃないけど、『相棒』がどうしても殺したいって騒ぐから……そんな感じだ。えーっと、よろしく?」

 

 

オッサン……エディが席に座る。

 

……何なんだ、アイツ。

訳分からねぇ。

 

でも、こん中で一番格下だってのは分かった。

後で舐められねぇ様に、ちょっと脅して──

 

 

『ハーマン』

 

 

横から、レッドキャップに小さな声で話しかけられた。

 

 

「お、おう。何だ?」

 

 

目の前に赤いマスクが見えるモンだから、ビビりそうになったじゃねぇか。

だが今、レッドキャップが話しかけてくるって事は結構重要なコトかと思い、耳を傾ける。

 

 

『あの男に近付くのは止めておけ。頭を齧り取られるぞ』

 

「……は?」

 

 

俺は小声で困惑した様な声を出しつつ、普通の新聞記者のオッサン……エディを見た。

は?アイツが噛み付いて来るのか?

つか、齧り『取られる』って、そんな口がデカいのか?

そういうスーパーパワーを持ってるミュータントなのか?

 

だが、疑う気持ちは少し有っても、レッドキャップの言う事だ。

コイツは、しょーもない嘘を吐かない。

 

慌てて俺は頷いて、それを見た赤いマスクが納得した様に俺から離れた。

 

 

そして、またミステリオが声をあげた。

 

 

『これで全員の自己紹介は終わりましたね。このメンバーで協力し、必ずあの蜘蛛男を倒しましょう』

 

 

ミステリオの発言に全員が頷く。

 

……レッドキャップとエディだけ頷いてねぇな。

協調性無さすぎだろ、コイツら。

 

 

『では、我々のチーム名……私が付けさせて頂きますね。そうですねぇ……6人ですので──

 

 

ミステリオが胸の前で手を叩いた。

 

 

『『不吉な6人(シニスター・シックス)』と言うのは、どうでしょう?』



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#33 シニスター・シックス part1

ウェブシューターから(ウェブ)を放ち、スイングする。

夜の街に、赤い残像が駆ける。

 

ここは、ニューヨーク。

ミッドタウン。

 

目的の場所は……あった。

 

ビルの壁に存在する電光掲示板は、夜中には使われていない。

日中はJJJ(ジェイムソン)が五月蝿い液晶も、夜は静かに眠っている。

 

黒くなった液晶が壁一面にある巨大なビル。

新聞社『デイリー・ビューグル』だ。

 

僕はビルの側面から壁を登り、換気用の小窓から中に入り込んだ。

 

僕の目的はジェイムソンが持っていると思われる、グリーンゴブリンを殺した殺人映像(スナッフフィルム)を回収し、確認する事だった。

 

ゴブリンを殺したのはレッドキャップだ。

それは僕が目の前で確認している。

 

なのにジェイムソンは僕がゴブリンを殺したと言っている。

……映像でも残っていると言われている。

 

それは本当なのか?

そもそも映像なんて、ある訳がなくて。

それとも捏造された映像があるのか……。

 

とにかく。

手掛かりを得る為に僕はデイリー・ビューグルのビルに侵入しているという訳だ。

 

アルバイトで何度も来ているので、デイリー・ビューグルの内部構造には詳しい。

僕は7階のジェイムソンの編集部長兼社長室まで向かう。

 

鍵がかかっているけど、オーソドックスなドアノブ式だ。

僕は万能鍵開けキット……スタークさんに絶対悪用するなと言われているガジェットを使って、ドアを開けた。

 

広い部屋にポツンと机が一つあるだけだ。

……いや、壁に大きなジェイムソンの顔写真がある。

自信過剰……と言うには控えめ過ぎるほど、彼は我が強い人間だ。

 

でも、彼自身は悪人や犯罪者を毛嫌いしている筈だ。

だから、恐らく今回の事も騙されたに違いない。

 

僕は机を漁り、一つのUSBメモリを見つけた。

メモリには『GG殺害の真実!』と書かれている。

 

GG……グリーン・ゴブリンか。

 

僕はそれをスーツの収納部に入れようとして……。

 

 

「貴様!何をしている!」

 

 

と大きな怒声が聞こえた。

 

僕は慌てて振り返ると、そこにはジェイムソンが居た。

 

 

「貴様、スパイダーメナスめ!私の持つ証拠を盗みに来たのか!何と恥知らずな奴だ!」

 

「あ、いや!違うんです!これは──

 

「問答無用だ!」

 

 

僕が弁解しようとしても、彼は怒るばかりだ。

だが、証拠を盗みに来たのは事実だ。

こればかりは言い訳が出来る訳もなく、僕は両手を上げた。

 

 

「ち、違うんです!恐らくこの映像は──

 

「……なんてね」

 

 

急にジェイムソンが笑顔になった。

口調もおかしくなって──

 

 

突然、僕は吹き飛ばされた。

部屋の中の机も、壁にかけられた写真も、全て吹き飛んだ。

 

 

「うぐっ」

 

 

背後にあった一面の窓ガラスが砕け散る。

僕は(ウェブ)を天井にくっつけて踏ん張って耐える。

この高さから落ちれば、流石に僕も重傷だ。

 

何とか耐えて、ジェイムソンを見れば、その姿が緑色のモヤになって消えた。

 

 

「今のは……!?」

 

 

部屋が暗くなる。

空から幾つもの墓標が落下してきて、突き刺さった。

天井は深い黒色になって星が輝く。

僕の周りを、まるでローマのコロッセオのように囲う。

床も気付けば土の様な見た目になっている。

 

まるで、現実ではないような……違う!

本当に現実ではないんだ。

 

僕の超感覚(スパイダーセンス)が目に映る景色を偽物だと判別していた。

 

 

「……誰だ!隠れてないで出てこ──

 

「隠れてなんてないさ!……隠れる必要なんて無いからね」

 

 

後ろから声が聞こえて、振り返る。

 

そこには鏡の様に反射する球体状のマスクを被った、緑色のスーツを着た男がいた。

 

 

「ジェイムソンをどこに……!」

 

「ジェイムソン?あぁ、気付いてないのかい?さっき見たのも幻さ」

 

 

男が指を鳴らせば、ジェイムソンが真横に現れた。

 

 

「私はミステリオ。真実を操る魔術師さ」

 

 

再び指を鳴らせば、ジェイムソンが膨張して……爆発した。

 

 

「うわっ!?」

 

 

それは幻覚ではなく、本当の衝撃波を伴って僕に襲いかかった。

 

そのまま吹っ飛ばされて、見えていなかった壁を突き破り、隣の部屋に転がり込んだ。

 

 

壁の向こうでは未だに不思議な光景が写っている……けど、こっちの部屋はいつも通り、普通の光景だった。

 

 

「……はぁ、ショッカー。少し出力を抑えてくれませんか?」

 

「アンタの演劇に付き合う義理はオレにはねぇ。まどろっこしいんだよ、アンタはよ」

 

 

そう言って幻覚に包まれた部屋から、人影が一つ現れた。

大きな手甲(ガントレット)

黄色のスーツ、茶色のプロテクター。

 

見覚えのある姿に、僕は口を開いた。

 

 

「……ハーマン?」

 

「あぁ?スパイダーマンよぉ……オレは『ショッカー』だって──

 

 

ショッカーが両腕を僕に向ける。

超感覚(スパイダーセンス)が警鐘を鳴らしている。

 

 

「前にも言っただろうが!」

 

 

直後、ショッカーの手甲(ガントレット)が金色に光り、衝撃波が放たれた。

 

 

ショッカーこと、ハーマン・シュルツとは一度戦った事がある。

彼は銀行強盗をしていて、金庫を『バイブロ・ショック・ガントレット』で破壊した所で遭遇した。

一度は負けそうになったけど、手甲(ガントレット)の構造上の弱点を突いて倒した。

……その弱点は、手甲(ガントレット)のボタン部を(ウェブ)で固められると衝撃波が撃てなくなるという弱点だが……。

 

勿論、今の彼の手甲(ガントレット)には弱点(ボタン)は見当たらない。

改良されている……手甲(ガントレット)自体、ハーマンが自分で作った物だ。

発明家である彼からすれば、欠点の改良は最優先事項だったのだろうか。

 

 

とにかく、今は目の前の事に集中だ。

僕は両手を組み、足で後ろに地面を蹴った。

 

僕が取った選択肢とは、衝撃を正面から受け止めず、身体ごと受け流す対策だった。

 

そのまま僕は吹っ飛ばされるけど、空中で姿勢を制御して、壁に対して受け身を取る。

 

 

「チッ!」

 

 

僕に有効打を与えられなかった事に苛立ち、ショッカーが舌打ちをした。

 

 

「驚いたな、二人がかりで来るなんて!勝てないからって、人数で押すつもりかい?」

 

 

僕は軽口を叩きながら、勝ち筋を探す。

幻覚を見せて来るトリッキーなミステリオ。

正面から遠距離攻撃を放って来るショッカー。

 

どちらも強敵だけど、僕に有効打を与えられない時点で何とかなる気がする。

 

僕は壁に背を預けて、立ち上がり──

 

 

「ふむ」

 

 

ミステリオが手を顔に当てて、声をあげた。

 

 

「私がいつ、二人だと言ったかな?」

 

「え?」

 

 

背後の壁が壊れて、銀色の両腕が飛び出した。

 

その両腕に抱き締められて、身体が宙を浮く。

万力の様な力に抵抗しつつ、僕は背後の敵を視認した。

 

 

「ライ、ノまで……!」

 

「久しぶりだな!そして、死ね!」

 

 

ライノが力を強めて、僕を押し潰そうとする。

 

ライノは元傭兵の犯罪者だ。

サイ型のパワードスーツを身に付けて、強盗や盗み、用心棒等を行う傭兵だ。

 

パワー系の敵だけど……。

 

 

「くっ……ふぅっ……!」

 

 

全力で腕を開き、ライノの腕を振り解く。

力自慢だけど、単純な腕力なら僕の方が上だ。

 

そのまま回し蹴りで露出している顔を蹴り飛ばして距離を取る。

 

 

「三人……流石にもう来ないよね?」

 

 

そう言いながらも僕は警戒する。

間違いなく、それ以上に来ているだろう。

 

僕は両目を閉じて、超感覚(スパイダーセンス)に集中する。

 

 

……窓の外だ!

 

 

窓の外から橙色の球体が投げ込まれる。

咄嗟に、僕はそれを蹴り飛ばした。

それは宙で爆発したけど、僕にダメージはない。

 

 

……しかし、窓と言っても、ここは7階だ。

空でも飛ばなければ来れない筈だ。

 

僕は窓の外を見た。

 

 

「グリーンゴブリン……!?」

 

 

それはスケートボードの様な形状をしたグライダーに乗るグリーンゴブリンの姿だった。

 

 

「違う……!『俺』はニューゴブリンだ!」

 

 

そして、その声は……。

 

ハリーの声だった。

 

 

「何で……!?」

 

 

蝙蝠型の手裏剣が投擲される。

 

違う、理由は分かっている。

彼は僕が……父であるノーマンを殺したと思っているからだ。

 

手裏剣を(ウェブ)で叩き落とす。

 

 

辺りを窺う。

 

ショッカーとミステリオ。

ライノとゴブリン。

 

これで4人……それでも、僕の超感覚(スパイダーセンス)はまだ見えない危険を察知している!

 

ガシャリ、とドアが開かれた。

 

 

「……あ、うわ。凄い事になってるな……」

 

 

……誰だ?

 

短髪で、ラフな格好をした男が入って来た。

明らかに場にそぐわない。

 

一見すると巻き込まれた一般人に見える。

超感覚(スパイダーセンス)でも全く反応しない……だけど、逆にそれが不気味だった。

 

深夜遅く、デイリービューグルに居て……この状況を見ても少し驚くだけで怖がらない。

 

間違いなく、普通じゃない……!

 

 

「あ、スパイダーマン。いやぁ、一回見てみたかっ『見つけたぞ!』

 

 

突然、男の方から複数の男性の声を重ね合わせたような不気味な声が鳴り響いた。

 

 

「はぁ……あんまり、やり過ぎるなよ」

 

『無理だ、エディ!止められない!止まらない!』

 

 

瞬間、男の身体が黒いタールのような物で包まれた。

それは大きな肉体を形成し、2メートル近い筋骨隆々な男の様なシルエットになった。

胸には白い蜘蛛の様なデザイン。

 

頭部は僕、スパイダーマンに近しい姿で……だけど、大きく口が裂けて乱雑に生えた歯が剥き出しになる。

そこから舌が伸びて、首付近まで垂れ下がった。

 

 

『一年ぶりだ、スパイダーマン!』

 

 

その姿を見た事はなかった。

初めまして、の筈だった。

 

 

『貴様が俺を教会に捨ててから、散々な目に遭った!変な奴らに7つに切り刻まれた!お前も同じ様に切り刻んでやる!!』

 

 

その言葉には覚えがあった。

 

1年前……教会に捨てた……?

 

そうだ、僕がアベンジャーズの人達と宇宙で戦った時、スーツに黒いタールみたいなモノが付着した。

 

スーツは真っ黒になったけど、それを着ると身体が頑丈になって……恐怖心も感じなくなった。

僕はそれを『ブラック・スーツ』と呼んで数ヶ月の間、使用していた。

 

だけど、『ブラック・スーツ』を着ていると力だけじゃなくて、怒りも増幅されて……抑えられなくなったんだ。

犯罪者を必要以上に攻撃してしまったり、常にイライラしてしまったり。

宇宙に詳しい仲間から、それは『シンビオート』って言う寄生生物だって教えられた。

 

それでも『ブラック・スーツ』の恩恵から捨てようとしなかったんだけど……取り返しの付かない事になりそうになって。

僕は音に弱いのを利用して、教会の鐘に身体をぶつけて……スーツを地面に投げ捨てたんだ。

 

『シンビオート』は宿主を失えば1時間も持たずに死亡する。

そう聞いていた僕は、満身創痍だったのもあって『ブラック・スーツ』を放置してしまったんだ。

 

まさか、あの場所に僕以外の人間がいて、回収されていたなんて!

 

 

『貴様は俺の完璧な宿主だと思っていた!だが、それは間違いだった!今の宿主はダメでバカな奴だが「おい、言い過ぎだろ!」悪い!だが事実だ!』

 

 

体内にいる宿主と喧嘩しつつ、肥大化した『ブラック・スーツ』が僕へと歩み寄る。

 

 

『今の俺は貴様と結合していた時よりも遥かに強い!もう今までの俺とは生物としての(レベル)が違う!俺は……いや──

 

 

その巨大な腕を薙ぎ払い、部屋の半分を吹き飛ばした。

 

床の絨毯が捲れ上がり、床の建材が露出する。

 

僕は一歩引いて避けたけど、当たれば間違いなくダメージになっていた。

 

……そして、一つ。

全く超感覚(スパイダーセンス)が反応しない事に気付いた。

 

コイツは……僕に対して特効を持っている!

 

 

俺達はヴェノムだ(We are Venom)!』

 

 

足で床を踏み抜いて、恐るべき速度で巨体が迫る。

腕から触手の様なモノが伸びて、避けようとした僕を引き寄せた。

 

しまった……!

 

普段から超感覚(スパイダーセンス)で反応して避けているから、超感覚(スパイダーセンス)で読めない攻撃への反応が遅れてしまう。

 

僕はそのまま床に叩きつけられ……頭上から足で踏み付けられた。

 

床は『ヴェノム』の力に耐え切れず、破砕する。

僕とヴェノムは下の階へ落下して、再び床を突き破る。

 

 

「くっ!離、せ!」

 

 

落下して行く中、ウェブで窓ガラスを引き寄せる。

ガラスは僕の引く力に耐えられず砕けた。

ガシャン!と大きな『音』が鳴って、一瞬ヴェノムの動きが鈍った。

 

やっぱり、弱点は克服出来ていない!

ヴェノムを全力で蹴り飛ばして、距離を取った。

 

 

息を荒らげながら、僕は距離を取る。

上の階層から、ショッカー、ライノ、ゴブリン、ミステリオが降りてくる。

そして、ヴェノムがゆっくりと立ち上がる。

 

これで……5人。

 

 

ミステリオが僕の前に立つ。

 

 

「どうかな?スパイダーマン。これが君を倒す為に集めた『不吉な6人(シニスター・シックス)』さ!」

 

(シックス)……?はは、は、足し算も出来ないのかい?どう見たって5人じゃ……」

 

 

僕は少しでも傷を癒す為、軽口で時間を稼ごうとして……。

 

超感覚(スパイダーセンス)に強烈な反応があった。

咄嗟に身体を後ろに曲げて、横からの攻撃に備える。

 

瞬間、発砲音が聞こえた。

弾丸が僕の前を横切り、壁に命中した。

 

 

「……君は」

 

 

見覚えのある姿に僕は震えた。

 

 

『これで6人だ、スパイダーマン』

 

 

レッドキャップ。

赤いマスクの男が、そこに居た。

 



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#34 シニスター・シックス part2

雲が月を覆い、僅かな街灯だけが光を灯す暗闇の摩天楼。

 

僕はデイリービューグル社のビルから吹き飛ばされた。

 

 

「ぐっ……!?」

 

 

苦痛で意識が飛びそうになりながら、僕は地面へと落下して行く。

 

頭上からグライダーに乗ったニューゴブリンが急降下し、落下速度を上回る速さで接近してくる。

 

 

ゴブリンが腰に装備していた『パンプキンボム』を投下する。

 

咄嗟にウェブシューターから(ウェブ)を放ち、ボムを上空に吹き飛ばす。

 

ボムは上空に押し戻されて、ゴブリンの近くで爆発した。

 

 

「ぐあっ!?」

 

 

グライダーに確かなダメージを与えると、ゴブリンは咄嗟にデイリービューグルのビルへと飛び移った。

 

だけど、この一瞬で地面に大きく近付いてしまった。

もうウェブで掴まるだけじゃ間に合わない……!

 

僕はビルの壁……ガラス部分に手を突き刺して落下速度を落とす。

静止は出来ない。

ガラスを砕きながら落下していく。

 

バリバリと、雷に聞き間違う程の音を立てて割れる。

 

そして、割れたガラスは鋭利なナイフになって僕のスーツと肉体を傷付けた。

 

 

「う、づっ……!」

 

 

でも、ここで手を離したら、僕は地面へ真っ逆様だ。

 

この高さなら死にはしなくても、骨の一つや二つは折れてしまう。

 

そうなれば、あの6人から逃げ切れず……殺される。

 

僕はもう既に戦う事を諦めていた。

戦力の差が激し過ぎる……ここは退くしかない。

 

ある程度、落下速度が軽減したのを見計らい、僕はガラスを蹴って宙に飛び出した。

 

上の階層に、まだ『シニスター・シックス』は居るだろう。

恐らく下を覗き込んでいる筈だ。

僕は辺りにある街灯に高出力で(ウェブ)を放ち、破壊する。

 

電灯が破裂する音と共に、灯りが消えて暗闇になった。

 

地面まで、残り10メートル。

頭上に地面が迫っている。

 

暗闇に紛れて、敵に見つからないよう祈りつつ……僕は路地裏のゴミ収集ボックスの中へ落下した。

 

詰め込まれたゴミ袋をクッションにして、落下の衝撃を受け流す。

入った時の反動で蓋が閉まり、外からは気付かれない状態になっただろう。

 

……拙い、意識が朦朧として来た。

ダメだ、今寝たら……寝たら……。

 

 

ゴミ箱の側面、隙間から外を伺う。

 

二つの人影が着地した。

 

……ショッカーと、レッドキャップだ。

ショッカーは自身の手甲(ガントレット)を活かして、着地の衝撃を相殺したみたいだ。

レッドキャップは……見た限り、何もしていない。

何か、衝撃を吸収する能力でもあるのだろうか。

 

回らない頭で考察していると、ショッカーが口を開いた。

 

 

「ちっ、逃げやがったぜ。とんだ臆病者だな……」

 

『それを言えば、多勢に無勢である私達も卑怯者だが』

 

「……ん〜?オイ、蜘蛛野郎の肩持つのか?」

 

『客観的な事実だ、ハーマン』

 

 

……二人は随分、仲が良さそうだ。

 

ショッカーの本名『ハーマン』と呼んで怒られていないのが証拠だ。

彼は自分の名前を呼ばれる事を嫌っている筈だ。

恐らく、レッドキャップ相手には特別に許している……と言う事だろうか。

 

自分の知っている悪人(ヴィラン)達の意外な交友関係に、僕は驚いた。

 

 

瞬間、レッドキャップの顔が僕の潜んでいるゴミ収集ボックスに向いた。

 

まずい、今ので見つかったのか?

 

そう思って抜け出す準備をしていた……だけど、レッドキャップは僕がいる場所から目を逸らした。

 

僕は安心した。

今の状態で戦えば、間違いなく負ける。

息を殺したまま、身を弛緩させた。

 

そして、レッドキャップが口を開いた。

 

 

『……我々は6人もいる』

 

「あ?」

 

 

突如、脈絡のない言葉にショッカーが驚いた。

 

 

『それこそ、一人では勝てないだろうな。スパイダーマンは』

 

 

そう言って、ショッカーから離れる様に歩き出した。

 

 

「ちょっ、おい!なんだよ!」

 

 

そのままショッカーも、レッドキャップの後ろを付いて行くように離れていった。

 

安心してため息を吐く。

……でも。

まずい、意識が……。

 

失血量と緊張感が失われた事も相まって、急激に意識が遠のいて行く……。

 

そして、そのまま僕は意識を失った。

ミッドタウンのゴミ箱ホテルで、一泊する羽目になってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

がさり、と蓋が開いた。

 

その瞬間、僕は目を覚ました。

混濁する意識の中、霞む視界のピントを無理矢理合わせる。

まだ薄暗い……だけど陽は昇っている。

恐らく、早朝だろうか。

 

一つの人影が、ゴミ箱で寝ていた僕を覗き込んでいた。

 

 

「……何してんの?」

 

 

徐々に視界が明瞭になって行く。

それに伴って、思考も。

 

そこに居たのは女性だ。

30歳前後の綺麗な女性だった。

 

黒いジャケット、黒いシャツ、黒いジーパン。

全身真っ黒で、髪も黒い。

 

だからこそ、色白い肌と赤紫色のリップが目立っていた。

 

僕を見た彼女の眉は下がっていて、困っている……と、言うよりは面倒臭そうな顔をしていた。

 

 

「……おはよう、スパイダーマン?」

 

 

……そうだ。

今、僕はスパイダーマンの姿で……『シニスター・シックス』から逃げていたんだ。

とにかく、誤魔化して……ここから離れないと。

 

 

「あ、えっと、コレは──

 

「あー、取り敢えず。ウチ来る?」

 

 

そう言って、女性は親指を立てて、後ろを示した。

指差した先は路地裏だ。

 

 

「ちょっと歩くけど、事務所あるから」

 

「事務所……?」

 

「そ、探偵事務所」

 

 

僕は身体を起こして、ゴミ箱を出ようとして……。

 

 

「痛っ……」

 

「まぁ……救急箱ぐらいはあるし、手当ぐらいはしてあげる」

 

 

そう言って彼女は僕の腕を掴んで──

 

 

「よっ、と」

 

 

片手で僕を抱き上げた。

 

 

「うわっ!?」

 

 

ティーンエイジャーとは言え、男性一人を持ち上げているのに辛そうな顔をしていない。

見た目に反して、かなりの力持ちだと言う事が分かって、僕は驚いた。

 

そうして彼女は僕を運ぼうとして……眉を顰めた。

 

 

「……くっさ」

 

 

ごろり、と僕は地面に転がされた。

 

 

「流石に無理。臭すぎ。一人で歩いて」

 

 

うっ……。

女性に「臭い」なんて言われたのは初めてで……結構ショックを受けてしまった。

 

身体も心もボロボロだ。

 

僕はよろよろと歩いて、路地裏を進んで行く彼女に声をかけた。

 

 

「あの、探偵って……」

 

「ん?私立探偵。金貰って色々調査する仕事してんの、私」

 

 

迷う事なく突き進んで行く彼女に置いて行かれないように、僕も足を進める。

 

そして、純粋に湧いた疑問を尋ねる。

 

 

「……何者、なんですか?」

 

 

片腕で人を持ち上げるパワーがあって……明らかに只者じゃない。

悪人では無さそうだけど……正体が分からなければ不安になる。

 

 

「何でも聞くね。知りたがり?自分の顔は隠してる癖に」

 

「あ、いや、すみません……」

 

 

彼女は僕へ、どうでも良さげな顔をして振り返った。

 

 

「……ジェシカ・ジョーンズ。名乗ったし……これで満足?」

 

 

ジェシカは気怠げに……また歩き始めた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

ミッドタウン・ウェスト。

AKA(もしくは)、ヘルズキッチン。

 

乱立された雑居ビルの中の一つ……そこに『エイリアス探偵事務所』があった。

 

所属しているのはジェシカのみで、経営も、業務も、調査も一人でやっているらしい。

 

 

マスクとパンツだけ残して裸になった僕は、ジェシカに包帯で巻かれていた。

羞恥心が凄まじい。

 

……何だか最近、人に治療されてばかりな気がする。

前もミシェルに手当てして貰ったし。

 

 

「よし、っと」

 

 

バチン!

 

包帯を巻き終えて満足したジェシカが、僕の背中を叩いた。

 

 

「痛っ!?」

 

「男なんだから我慢しな」

 

 

そう言う問題じゃない、と怒りそうになるけど、助けてもらったので強く言えない。

 

でも、絶対叩く必要は無いと思う。

 

 

「それで……何かあった?昨日のデイリービューグルの騒ぎってアンタがやったの?」

 

「アレは──

 

 

僕は昨日起こった出来事を語った。

冤罪をかけられている事。

僕を恨んだ悪人達が徒党を組んでいる事。

負けてしまった事を。

 

 

それを聞いたジェシカが、少し興味深そうな顔をして頷いた。

 

 

「……へぇ。じゃあさ、どうすんの?」

 

「どうするのって……」

 

「ヒーローなんだからさぁ。自分で考えて行動しなきゃ」

 

 

にやにやと意地の悪そうな顔でジェシカが笑った。

馬鹿にしているような……面白いものを見るような、そんな顔だ。

 

そして、僕は頭で対策を考える。

 

……無理だ。

どうすれば六人に勝てる?

 

 

……そう言えば。

 

 

『一人では勝てない』

 

 

そう、レッドキャップが言っていた。

逆に言えば一人じゃなければ勝てるって事だ。

 

一対一なら負ける事もない筈だ。

……多分。

 

必要なのは仲間数だ。

 

……そして、僕が呼べる仲間と言えば。

 

 

「ジェシカさん、電話を借りても良いですか?」

 

「良いけど。どこに電話すんの?」

 

「アイアンマンに」

 

 

僕は据え置きの電話を借りて、アイアンマン……スタークさんの電話番号にコールしようとして。

 

 

「あ、あー、うん。アベンジャーズの、ね……」

 

 

何処か歯切れの悪そうな声で、ジェシカは一人呟いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結果から言えば。

 

 

……ダメだった。

 

 

電話をかけて出てきたのはジャービスだった。

……ジャービスは、スタークさんの作ったAIだ。

 

スタークさんは……と言うかアベンジャーズの面々は今、宇宙にいるらしく数ヶ月は帰って来ないらしい。

何でもクリー、だか何だか……宇宙人と戦争中らしい。

 

とんでもなくデカいスケールの話に、僕は呆れる事しか出来なかった。

流石に呼び戻すのも忍びないし……僕の悩みがちっぽけに見えて来た。

 

結局、僕が人を信用せず、マスク姿で正体を隠してヒーローをやっているツケが来てしまったみたいだ。

 

だって、僕は他のヒーローへの連絡先も知らないし……知ってても、助けてくれるほど仲は良くない。

頼れる先輩ヒーローが一人いても、対等な立場の仲間は居なかった。

 

 

「……はぁ」

 

 

思わず溜息を吐いた僕に、ジェシカが呆れたような安堵したような顔で話しかけて来た。

 

 

「見て分かるけど……ダメだった?」

 

「うっ。電話も借りたのに……すみません」

 

「別に?謝らなくても良いけど……来られたら気まずかったし」

 

 

……ジェシカはスタークさん……と、言うよりアベンジャーズを知っているようだった。

でもそれは親しさと言うよりは、後ろめたさのような物を感じる。

気になるけど……何だか訊いたらダメな雰囲気を僕は感じ取った。

 

溜息を吐きながらジェシカが棚を開いた。

中から瓶を取り出し……栓を開けて、そのまま飲み始めた。

コップにも入れず、直飲みだ。

 

あまりのズボラさに驚く僕を他所に、ドン!と机に瓶を置いた。

 

 

……しかも、それは酒だった。

ヘヴンヒル・ウィスキー……と、ラベルに書いてあった。

 

僕は未成年だし、お酒には詳しくないけど……そんな飲料水みたいに一気に飲めるような物だっけ?

 

 

「アンタも飲む?」

 

「あ、いえ……僕、未成年なので……」

 

「は?」

 

 

ジェシカが驚いたような顔で僕を二度見した。

 

 

「小柄だと思ってたけど、まだガキなのか……」

 

 

ジェシカが何かに苛立った様子で舌打ちをした。

僕は何か粗相をしてしまったのかと、怯える。

 

 

「それで?どうすんの?」

 

「……仲間が要るんです。一人では勝てなくて」

 

「ふーん……?」

 

 

ジェシカがまた酒をあおり、ゴクリと喉を鳴らした。

 

……そこで、僕は気付いた。

彼女は僕を軽々と持ち上げていた。

アベンジャーズとも面識があるみたいだし。

 

……多分、きっと。

何かスーパーパワーを持っているに違いない。

 

 

「ジェシカさん、お願いがあるんですけど……」

 

 

僕はそう言って、彼女の協力を仰ごうとして……。

 

 

「良いけど?」

 

 

と、まだ何も言っていないのに了承された。

 

 

「あの、僕まだ何も……」

 

「子供を助けるのが大人の仕事。それに、街に悪い奴が居るのも見逃せないからね」

 

 

空になった酒瓶をゴミ箱の横に置いて、椅子にかけていたジャケットを羽織った。

 

 

「悪人チームには、ヒーローチームをぶつけるのが王道ってワケよ。分かる?」

 

「……あ、ありがとうございます」

 

 

思わず少し涙が出そうになった。

彼女は少し……いや、かなり粗暴だけど……凄く良い人だった。

 

 

「分かったなら、早く服を着て……って、スーツ姿は辞めて欲しいけど。私服とかないの?」

 

「う、すみません……」

 

「……ウチの旦那の奴ならあるけど。ほら、ちょっとデカいけど」

 

 

そう言って出された服を着る。

デカい黄色のシャツと、デカ過ぎる短パン。

僕は短パンを無理矢理ゴムで閉めて……マスクを脱いだ。

 

マスクを脱ぐのは少し嫌だったけれど。

助けてもらって、協力もして貰うのに姿を隠したままってのも不誠実な気がした。

 

そんなマスクを脱いだ僕を見て、ジェシカが少し驚いた。

 

 

「う、わっ。マジでガキじゃん」

 

 

ボソッとジェシカが言った言葉を聞き流して……。

うわっ。

ズボンがデカ過ぎる。

 

シャツもそうだけど……短パンなのにデカ過ぎて、僕からしたら長ズボンみたいになってる。

足回りや腕回りも全然違う。

まるで子供が大人用の服を着ているような……。

 

ジェシカの旦那さん……もしかしなくても、滅茶苦茶デカいんじゃないかな。

縦に、だけではなく横にも。

 

筋肉ムキムキだったりするのだろうか。

 

 

「……よし。着替えたんなら、さっさと行くよ」

 

 

そう言ってジェシカがドアに手を掛けた。

 

 

「行くって……何処にですか?」

 

「ん?そりゃあ、冤罪かけられた容疑者を助けるんだったら──

 

 

開いたドアの先から、光が漏れた。

 

 

「弁護士のトコでしょ?」

 

 

ジェシカがそう言って、笑った。

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

教師がホワイトボードにペンを入れる。

 

私は欠伸を一つ、教師にバレないようにする。

 

退屈だ。

 

 

グウェンは入院してるから居ないし。

ネッドは別クラスだし。

ピーターは……学校に来てないし。

 

少し心配だけど、学校に「休む」との連絡が入っていたので無事な事は確かだ。

 

傷が深くて休養しているのか……。

 

それとも。

 

私の助言(アドバイス)に従って、仲間探しに奔走しているのか。

 

 

まぁ、そっちの方が『私』(レッドキャップ)もやり易いから、助かるけど。

 

 

兎にも角にも。

休憩時間に話す相手もおらず、授業も簡単で退屈で、何のために学校に来ているか分からない。

 

寂しい……と言う感情が胸を締め付ける。

 

少し前は一人で生きる事が当然になっていたのに……今は誰かと居ないと寂しいと思うようになった。

 

私はきっと、弱くなってしまったのだろう。

 

これを退化と呼ぶか……心が豊かになったと考えるべきか。

 

 

……一人で居ればフラッシュに話しかけられると思って、休憩時間中はずっと寝たふりをしているけど。

 

会話拒否だ。

 

でも、そろそろ限界で。

クラスメイトが寝るフリをする私を「体調不良なのかな」とか心配している。

流石に罪悪感が湧いてくる。

 

 

……昼休みは、ネッドの所に行こうかな。

普段はグウェンとご飯を食べてるけど、居ないし。

 

ネッドが私達のクラスに来る事はあるけど、私から行くのは初めてかも知れない。

 

 

 

その後、ネッドの所に行ったら、クラスメイト中の視線がネッドに突き刺さっていた。

私もネッドも居心地が悪かったし……何だったのだろうか?

 

首を傾げていると、ネッドに溜息を吐かれた。

 



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#35 シニスター・シックス part3

ジェシカがドアをノックした。

 

でも、「コンコン」なんて可愛らしい音ではない。

どっちかと言うと「ドンドン」と言った方が良いような……いやもうノックと言うよりは、2回殴っている方が近いかも知れない。

 

ヘルズキッチンの離れにある一軒家。

少し寂れたような見た目をしていて……朝だと言うのに、カーテンも閉まったまま。

屋内の電気が点いてる訳でもなく、恐らく中は薄暗くなっているのだろう。

 

側から見れば留守にしか見えない。

 

だけど、少しするとドアが開いた。

 

そこに居たのはジェシカと同じぐらいの年齢をした男性だ。

赤いサングラスをして、無精髭を生やした男だ。

スーツを着ている……家から出る寸前だったのだろうか?

 

そして、手には白い杖。

……屋内なのにサングラス。

 

顔はジェシカの方へ向いていない……恐らく、盲目なのだろう。

 

 

「……ジェシカ。僕は今日、仕事なんだけど」

 

 

でも、何故か来訪者がジェシカである事は分かっていた。

……彼がジェシカの言っていた弁護士、だろうか?

 

 

「緊急事態。会社は休めば?」

 

「そう簡単に言ってくれるなよ……所属している弁護士は僕とフォギーだけなんだぞ?」

 

 

文句を言いながらも、僕とジェシカを部屋に入れてくれた。

 

ジェシカは勝手知ったる様子で、部屋の電気を点けた。

薄暗かった部屋が明るくなる。

 

そのままジェシカがリビングのソファーに座ったのを見て、僕も隣に座った。

 

 

「それで?緊急事態って?ザ・ハンド?それともルークと喧嘩した?」

 

 

弁護士の男はコーヒーを三つ入れて机の上に置いた。

 

……僕はまだ、一言も喋っていないのに、居ることに気付いている。

目が見えていなくても、察知する技術があるのだろうか。

 

 

「ザ・ハンドは前にルークとダニーがボコったから休業中でしょ。ルークと喧嘩したら私が勝つから喧嘩にならないし……要件はコッチ」

 

 

ジェシカが僕の肩を叩いた。

 

 

「……気になっていたんだが、その子は誰だ?」

 

「スパイダーマンよ」

 

「あ、僕、スパイダーマン……です?」

 

 

ジェシカに紹介されて、僕も慌てて自己紹介した。

何だか凄いシュールな空気になってしまった。

 

それを聞いた弁護士の男が手を顔に当てて、椅子に深く座った。

 

 

「……本当か?」

 

「私が嘘吐いた事、ある?」

 

「そう言うのは普段、嘘を吐かない人間が言うものだ」

 

 

彼が渋い顔をした。

そして、僕の方へ顔を向けた。

 

 

「マット・マードック。この街で弁護士をしている。よろしく」

 

「あ、はい!よろしくお願いします……!」

 

 

そう言われて、手を握ると……想像以上に硬かった。

石を殴っても、石の方が傷付くんじゃないかってぐらい。

 

弁護士……マットも何か思う所があったようで、僕の手を強く握った。

 

 

「……確かに。彼はスパイダーマンみたいだな。こんなに若かったのか……」

 

「私もビックリしたけど……まぁ、言って私もこのぐらいの歳にはヒーローしてたし?」

 

 

そう言ってジェシカが苦笑いした。

 

 

「え?ジェシカさんって昔、ヒーローやってたんですか?」

 

「まぁね。ちょっと色々あって……アベンジャーズと殺しあって引退した」

 

 

とんでもない発言が飛び出して、僕は一歩、ジェシカから距離を取った。

 

 

「はははは、大丈夫。大丈夫だから。今はちゃんと仲直りしたし?」

 

「そ、そうなんですか?」

 

「そもそも、今のアベンジャーズだって殺しあった敵も仲間に入れてるんだから、ヒーローやってたら珍しくないし」

 

 

僕はビビりながらも、ジェシカが悪人ではない事はさっきまで一緒にいて分かっているので……信頼する事にした。

 

でも、やっぱり。

スーパーヒーローをやってたから、あんな凄い腕力があったのか、と納得した。

 

 

「で、マット。話なんだけど──

 

 

ジェシカが現状について説明した。

シニスター・シックスと言う悪人チームがいる事を。

 

僕も情報の補填をしつつ、マットの疑問に答えていく。

 

マットは考え込むような顔をしていた。

 

 

「6人か……スパイダーマンと、ジェシカ……僕を含めて、少なくともあと3人は要るな。心当たりはあるけど」

 

「え?マットさんも戦うんですか?」

 

 

マットは目が見えない。

それは先程や……今、会話している状況からも確信できる。

だって、今まで僕やジェシカと一度も顔を合わせていないから。

 

 

「はは、心配してくれるのかい?」

 

「あ、いや……でも、目が見えないんじゃ」

 

 

僕がそう言うと、ジェシカが徐に席を立って、リビングから見えるキッチンへ向かった。

 

そして、引き出しから勝手にオレンジを出して、ナイフスタンドから果物ナイフを抜き取った。

 

僕はそれを目で追いつつ、マットとの会話を続ける。

 

 

「スパイダーマン、僕の目が見えないのは事実だ。でも──

 

 

カン、カン。

とキッチンで音がした。

 

ジェシカが果物ナイフの腹で、キッチンのシンクを2回叩いた音だ。

 

 

何をしているのだろう。

と思ってジェシカを注視していると。

 

 

突然、ジェシカが果物ナイフを投げた。

それも、マットの方に。

 

 

「ちょっ──

 

 

突然の出来事に僕は反応が遅れた。

ナイフはマットの後頭部に迫り……。

 

 

マットは2本の指でナイフを摘んで止めた。

それも、顔すら向けず。

 

 

「……ジェシカ、急に何をするんだ?」

 

「いや、実際に見た方が早いと思って」

 

 

悪びれる様子もなく、ジェシカがオレンジを齧った。

 

 

「君はいつも突拍子も無さ過ぎる」

 

「ちゃんと合図もしたのにさぁ……」

 

 

はぁ、と溜息を吐いて、マットがナイフを宙に投げた。

ナイフは回転しながら宙を舞い、ストン、とナイフスタンドに収納された。

 

 

「……えっと?あの?」

 

 

何が起きたのか分からず、僕はマットに声をかけた。

 

 

「一応、僕も非合法なヒーローをやっている。君と同じく、この街を守っているんだ。だから心配はいらない」

 

 

マットが両手を組んだ。

ジェシカがけらけらと笑いながら、僕の肩に手を乗せる。

 

 

「コイツ、何て呼ばれてるか知ってる?『ヘルズキッチンの悪魔』だよ、『悪魔』ってさ?笑えるわ」

 

「ジェシカ……いつの話をしているんだ?今は──

 

 

マットが僕に向き直った。

 

 

「『命知らず(デアデビル)』って呼ばれている」

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

私の名前はジェイ・ジョナ・ジェイムソン。

素晴らしき新聞社『デイリービューグル』の社長であり、編集長であり……そして、一人のジャーナリストでもある。

 

デイリービューグルは、悪を裁き、弱きを助ける……そして、真実を白日の下に晒す。

それが社訓であり、掟でもある。

 

そうして筋を通して来たからこそ。

このニューヨークに於いて最も発行されている新聞として、トップシェアへと上り詰めたのだ。

 

そんな私のデイリービューグルはミッドタウンに本社を構えている。

電光掲示板がビルの側面にあり、いつでも最新の情報をNY市民に伝えている。

 

 

……だが、これは何だ?

 

 

今朝、私は報道官がドアをノックする音で起こされた。

 

ジャーナリストである私が、取材される立場になるなど……。

 

兎に角、何事かと問えば……。

 

 

デイリービューグルの本社ビルが半壊したとの事だ。

 

私は頭の血管が数本、犠牲になったのを感じた。

 

 

復旧には『ダメージコントロール』も出張って来た。

ダメージコントロールは、政府と提携して建物や施設を復旧する会社だ。

主にスーパーパワーを持った馬鹿者達の暴れた後始末をする会社だ……税金がかなり注ぎ込まれている。

 

つまり、デイリービューグルが破壊されたのはスーパーパワーを持った悪人の仕業と言うことだ。

 

そして、このタイミングで破壊行為を行うのは──

 

 

「スパイダーマンですね」

 

 

黒服の男が、私にそう言った。

 

 

「なに?それは本当か!?」

 

 

簡易のプレハブ小屋で私に声を掛けたのはベック……クエンティン・ベックだ。

彼は私と同じくスパイダーマンに懐疑心を抱いており、彼を告発する手伝いをしてくれる善良な男だ。

 

スパイダーマンがグリーンゴブリンを殺害する映像を提供してくれたのも彼、ベックだ。

 

 

「えぇ、昨晩の話ですが……デイリービューグルでこんな映像が……」

 

 

そう言ってベックは手元のスマートフォンを見せてくれた。

 

そこにはスパイダーマンが破壊活動をする姿があった。

 

だが……しかし。

 

その映像に私は違和感を覚えた。

何故、こんな夜遅い時間に撮っているのか。

暗闇の中にしては鮮明に撮れている……まるでプロのカメラマンが撮ったかのような映像だ。

 

そして、なにより。

 

 

「むぅっ……らしくない」

 

「らしくない、ですか?」

 

「あぁ、らしくないとも!スパイダーメナスにしては……少なくとも奴は一般人に直接、害のある行動を起こすなど今までなかった」

 

 

私は右手を顎に、左手で脇を締める。

 

……これは、(フェイク)なのではないか?

 

そう頭に過ぎる。

 

思えば、このベックと言う男。

都合が良過ぎる。

 

世の中、都合の良い事は何度も起こりはしない。

大きなスクープが撮れた日に、私の妻は殺された。

会社に有意義な契約が結べた日、雇っていた探偵が犯罪者に堕ちた。

 

そんな事ばかりだ。

良いことも、悪いことも、平等に起きるのが人生であると私は考えている。

 

なら、この男はどうか。

何か裏があるのでは無いか?

 

 

「ベック、君は何故、奴を追うのだ?」

 

「……何故?」

 

「私は正義のためだ。義務感だ。社員を食わせるためだ。弔いのためだ。改革だ。……君はどうなんだ?」

 

 

私は最も大事な事を問う。

真実を追うジャーナリストには信念が必要だ。

信念なき者のスクープなど……真実を掴める事などない。

デイリービューグルは正当な新聞だ。

ゴシップ雑誌のような下らない物ではない。

 

 

「そうですねぇ……私は癌と腫瘍で余命も短く……最後に何か、社会に貢献できればと。そう思っていまして」

 

「社会に貢献するために?」

 

「えぇ、そうです」

 

 

いいや、それは間違いだ。

社会への貢献など出鱈目だ。

 

この社会はスパイダーマンを許容している。

ヒーローが悪人を退治する事に、このニューヨーク市民は何も疑問を抱いていないのだ。

奴を追った所で、社会には疎まれるだけだ。

貢献などできない。

 

私はそれを変えたくて、組織でもない個人に頼る事は危険だと、そう忠告しているに過ぎない。

それは社会への貢献ではない。

社会への改革なのだ。

この変革によって社会が受ける影響は悪い事になるかも知れない。

そうだとしても。

責任を持ち、情報を発信し……読者に委ねる。

 

それが私のジャーナリズムだ。

ベックにはそれが無い。

 

 

「……悪いがベック。この話は私の新聞に載せる話ではない」

 

 

私はスマートフォンで撮られた映像から目を逸らす。

 

このベックと言う男を、私は信用出来なくなった。

きっとこの映像も(フェイク)だ。

ならば、ベックが提供した前の映像も……(フェイク)である可能性がある。

 

 

「どうしても、ですか?」

 

「あぁ、どうもこうでもだ」

 

 

こうしては居られない。

私は以前出した「スパイダーマンがノーマンを殺害した話」の裏を取らなければならない。

もし、誤情報であるのなら、私は──

 

肩を叩かれた。

 

 

「それじゃあ、困るんですよねぇ」

 

 

振り向いた私にベックが右手を見せた。

 

そして、右手に付けている指輪から、緑色の煙が噴き出した。

 

 

「うぉおっ!?」

 

 

私の顔に煙が吹き付けられる。

涙と鼻水が止まらなくなり……呼吸が困難になる。

 

 

「な、にっ、を……ゴホッ」

 

「少し眠って頂きましょう……」

 

 

意識が混濁していく。

私は尻餅を搗く。

 

呼吸が辛い。

私は何度もパクパクと、まるで金魚のように何度も口を開く。

 

 

「大丈夫ですよ、ジェイムソン。貴方の代わりは……私が用意しますから」

 

 

ニッコリと笑うベックの顔が……一瞬で球体に形を変えた。

 

緑色のコスチュームに、虹色に反射する球体型のマスク。

彼は……私の嫌いな覆面男(マスクマン)だった。

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

ここはオズコープ社の本社ビル。

屋上に最も近い社長室だ。

……このフロアには、誰もいない。

社長である僕だけだ。

 

父はここで仕事をしていた……。

僕も数度、幼い頃に連れて来てもらった事がある。

 

夕焼けを、父と共に見た。

この高い景色から、街を見下ろすのが好きだった。

まるで、僕は鳥になったかのような──

 

 

『ハリー・オズボーン』

 

 

僕は夕焼けを眺めるのをやめて、振り返った。

そこには赤いマスクの……レッドキャップがいた。

 

僕は緑のスーツを着ていないが……彼はいつも見る仕事着だ。

 

 

「何の用だ?集合時間まで、まだ余裕はある筈だが」

 

『お前は本当にスパイダーマンを殺すつもりか?』

 

 

僕の問いに返事をする事もなく、質問を投げかけてくる。

僕の目尻が吊り上がる。

 

 

「勿論、当たり前だ。奴は僕の父を奪った。だから、復讐する責任が僕にはある」

 

『……そうか』

 

 

男か女か分からない声で、レッドキャップが返事をする。

 

 

『人を殺せば、戻れなくなるぞ?』

 

「……っ!」

 

 

僕の決断を惑わすような言葉に、『俺』は苛立った。

 

 

「何なんだ、お前は!?『俺』に復讐を諦めろと言うのか?何様なんだ!」

 

 

僕は強化された拳で、ガラスで出来た机を叩き割った。

 

 

「お前も人殺しだろ!善人ぶるな!」

 

『……そうか。だが、一つ覚えておくと良い』

 

 

『俺』の怒りを無視して、レッドキャップが言葉を繋ぐ。

 

 

『外法に身を堕とせば……外法によって殺される。その時、悔いたとしても……誰も配慮などしてくれない。……忠告はした。後はお前次第だ』

 

 

不穏な言葉を残して、レッドキャップが部屋から立ち去った。

のっぺらぼうのマスクに目が付いていれば、『俺』を嘲笑っていたのだろうか?

 

 

「…………くそっ!ふざけやがって……!」

 

 

『俺』は椅子を投げ捨てて、ガラスのパーテーションを砕いた。



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#36 シニスター・シックス part4

自己紹介の後、デアデビル(マット)が仲間に連絡を入れた。

 

夕方に集合予定として、それまでに一度解散となった。

僕はスーツが破れていたり、私服がジェシカの夫……ルークさん?のシャツを借りているのもあって、一度自宅に戻る事になった。

 

今日は「病気で休みます」と高校に連絡を入れてるのもあってクラスメイトや、学校の関係者に見つからないように気をつけつつ、何とか自宅に帰る事が出来た。

 

着ていた大きなシャツとズボンを紙袋に入れて、いつもの私服……チェック柄のシャツにチノパンを着る。

……グウェンに「もう少しお洒落に気をつけろ」と愚痴愚痴言われてる服だ。

 

ウェブシューターに(ウェブ)の原液を補充する。

カートリッジ式だから入れ替えるだけで良い。

この(ウェブ)の原材料は市販の薬剤を組み合わせて作っている。

空気に触れる事で固まって、粘着性の高い糸に変化する優れ物だ。

 

 

あとはバックパックにスーツを入れて準備はOKだ。

 

そしてまた、クイーンズの自宅からヘルズキッチンにあるマットの自宅まで移動する。

空を見れば太陽は沈みかけていた。

 

クイーンズとヘルズキッチンは近いけど……僕は少し急いだ。

 

 

 

何とか予定していた時間に到着し、マットの家のチャイムを押した。

流石にジェシカみたいにノックする勇気はなかった。

 

暫くすると、ドアが開いて……。

 

 

2メートル弱の黒人の男性が現れた。

かなり厳つい顔をしており、スキンヘッドだ。

 

 

「何の用だ、坊主」

 

「わっ……」

 

 

一瞬、腰が引けそうになるけど……よく見ると、見覚えのある黄色のシャツを着ている。

 

 

「えっと、ジェシカさんの旦那さんの……ルークさんですか?」

 

 

男は眉をピクリと動かした。

 

 

「そうだ。俺がルーク・ケイジだ……なら、坊主は誰だ?」

 

 

ルークが右手を顎に当てて、試すような物言いをした。

 

 

「僕は……スパイダーマンです。お世話になります、ルークさん」

 

 

そう言うと……ルークは微かに笑った。

 

 

「……なるほど。礼儀を弁えてる奴は好きだ……入ってくれ。もう全員集まっている」

 

 

ルークがドアを開き切って、僕はマットの家に招き入れた。

 

そこにはマット、ジェシカ……厳つい顔をして仕立ての良さそうな服を着ている男……そして、黒に白いドクロが書かれたシャツを着ている、厳つい男が居た。

 

 

……厳つい男が多すぎる気がする。

言われなかったら悪人集団だと思いかねない。

 

 

マットが僕が到着したのを感じ取って、口を開いた。

 

 

「これで全員集まった……スパイダーマン、僕を含めて、彼等はこのヘルズキッチンを守っている『ディフェンダーズ』と言うチームだ」

 

 

僕が視線を向けると、仕立ての良い服を着た男が会釈をした。

 

 

「取り敢えず、最初に紹介しておこう。まずは僕からだ」

 

「……チッ、小学生のホームルームかよ」

 

 

ドクロシャツの男は悪態を吐いた。

 

 

「僕はマット・マードック。『デアデビル』って呼ばれてる。目が見えない代わりに他の五感が強くなってる。具体的に言うと、心臓の音で人が嘘を吐いてるかどうか分かる。筋肉の収縮から次の動きを読める……目に見える以上に『視る』事ができる」

 

 

マットが自身の耳を指で叩いた。

 

 

「普段は弁護士をしている。もしも、弁護士が必要になったら呼んでくれ。次はジェシカだ」

 

 

マットがジェシカを手で指し示した。

 

 

「彼女はジェシカ・ジョーンズ……って、これはもうスパイダーマンも知っているかな。スーパーパワーを持っていて、車を持ち上げたり、空を飛んだりできる」

 

「え!?飛ぶ……んですか?どういう方法で?」

 

 

僕は話の腰を折ってしまう事に負い目を感じながらも、どうしても気になってしまって聞いた。

それに対しては、マットではなくジェシカが答えた。

 

 

「そんなの普通に飛ぶんだよ。こう……スーパーパワーで」

 

「普通にって……」

 

「私の友人のヒーローも普通にみんな飛んでるけど?別に珍しい事じゃない……キャロルもジーンも飛んでるし」

 

 

何だか聞いても無意味な気がして、僕は会話を中断した。

スーパーパワーに理屈は必要ないのかも知れない。

 

 

「話を戻そう。隣の彼は……ルーク・ケイジだ」

 

「ルークだ」

 

 

ルークが手を差し出して来た。

 

 

「あ、どうも……スパイダーマンです」

 

 

僕がその手を握ると……。

 

グッと力を込められた。

鉄パイプぐらいならトイレットペーパーみたいに潰せるんじゃないか、と思えるほどの握力だ。

 

僕は慌てて、手を振り解いた。

 

 

「な、何してるんですか……?」

 

「いや、悪い悪い……ちょっと確認したい事があってな……どれだけ耐えれるかってのを。お前は合格だ」

 

 

恐ろしい事を言いながら、ルークがジェシカの横に戻った。

 

……あ、脇にジェシカの肘が刺さった。

 

 

「……はぁ。で、ルークは『パワーマン』って名前でヒーロー活動をしている。凄い力と、何も通さない皮膚の防御力を持っている。少し前は軍公認のヒーローチーム『サンダーボルツ』にも所属していた」

 

「ま、今は金を貰って用心棒みたいな事をする雇われヒーローだがな」

 

 

「それで、その隣がダニー・ランド。『アイアンフィスト』だ」

 

「どうも」

 

 

仕立ての良い服を着た男……ダニーが僕に会釈した。

 

 

「『気』と呼ばれるパワーの使い手で、それを手に込めて撃ったり殴ったりする。後は……」

 

「傷の回復も出来る」

 

 

そう言ってアイアンフィスト、ダニーが僕に近寄った。

僕より身長が高くて……少し圧がある。

 

 

「失礼」

 

 

ダニーが右手を僕の肩に当てた。

するとダニーの右手が光出して……僕の身体が熱くなってくる。

 

 

「これ……?」

 

「『気』を送り込んで治療をしている。自然治癒能力を高めているだけだから、欠損や病気は治せない……そこだけは注意が要る」

 

 

数秒そうやって手を置いていると、身体が嘘のように軽くなった。

シャツを捲って確認すると昨晩、シニスターシックスによって付けられた傷が完治しているようだ。

 

 

「あ、ありがとうございます!」

 

「仲間なら当然だ。こちらこそ、今後よろしく頼む」

 

 

僕はダニーと握手した。

 

何だ、少し人相が悪いからって、やっぱりみんな良い人じゃないか。

残りの一人、ドクロのシャツを着た人だって……。

 

そう思ってマットに目を向けると──

 

 

「こいつはフランク・キャッスル、『パニッシャー』だ。指名手配犯の犯罪者だ」

 

「え?えぇ……?」

 

 

僕は間の抜けた声を出してしまった。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

彼は悪人専門の殺し屋……だから『処刑人(パニッシャー)』と呼ぶらしい。

 

マットが教えてくれたけど、昔は軍人だったそうで……妻と子供をギャングに殺されてから、悪人を殺しまくるようになったらしい。

 

ヒーロー……と呼ぶには些か過激な人で、僕としては苦手なタイプだ。

……いや、かなり苦手だ。

 

それでも僕だけではシニスターシックスに勝てないのは確かで、猫の手……犯罪者の手も借りたいのも事実だ。

 

マットも「今回は殺しは無し」と約束させているそうで……そのせいもあって不機嫌なんだとか。

 

 

僕達もシニスターシックスも6人。

自然と誰かが一人を担当して倒していく事に決まった。

 

彼等の殆どと面識がある僕が彼等の強み、弱点を並べていく。

 

 

 

「ミステリオは多分この事件の主犯で……自称、魔術師と言っているけれど……多分、幻覚の使い手だ。攻撃は他のメンバーに任せていたみたいだし」

 

「なら僕が行こう」

 

 

マット……デアデビルが名乗り出た。

 

 

「僕の超感覚(レーダーセンス)なら幻覚も効かない。多分、一番相性が良いと思う」

 

 

 

そうやって、ヒーローが一人に対して、悪人が一人、決めて行く。

 

 

「それで、このニューゴブリンって言うのは……僕が何とかしたい」

 

「それはどうして?」

 

 

ジェシカが訊いてくる。

 

 

「彼は父を僕が殺したって思い込んでる。それを解けば、敵対する必要もないと思う。……それにハリーは……僕の友達の、友達だからね。助けたいんだ」

 

「友達の友達?あんたは友達じゃないの?」

 

「あ……まぁ、うん。ライバルみたいなものだと思ってる」

 

 

そう言うと、ジェシカが首を傾げながら頷いた。

 

最終的に。

 

 

『ライノ』はルークが相手をする事になった。

パワーならルークが上らしく、またライノのスーツに搭載されている銃火器もルークには効かないらしい。

 

『ショッカー』はダニー……『アイアンフィスト』が相手をする。

ショッカーは衝撃波を飛ばして、遠距離攻撃できる。

そのリーチ差が一番の武器だ。

アイアンフィストも手から『気』による遠距離攻撃が出来るから、その差を埋める事が出来る。

 

『ヴェノム』は『パニッシャー』だ。

ヴェノムは確かに物理的な戦闘能力はかなり高い。

だけど、音や炎に弱い。

パニッシャーはスタングレネードや、小型の火炎放射器を持っているらしく、非常に有利だ。

 

 

 

そして……。

 

 

 

「この『レッドキャップ』って言う敵なんだけど……」

 

 

この名前を聞いた瞬間、マットとパニッシャーの目が鋭くなった。

 

 

マットが険しい顔で口を開いた。

 

 

「奴とは何度か戦った事がある……特筆して弱点のような物は無いな」

 

「……マットさんも戦った事があるんですか?」

 

「以前はヘルズキッチンを拠点にしていたみたいでね……それこそ、両手で数えきれない程、戦っている」

 

 

数えきれない程、戦っている。

つまり、それだけ敗北していると言う事だ。

 

……でも、チームで残っているのは。

 

 

「私が行く」

 

 

ジェシカだ。

 

 

「私が多分、このチームでは一番万能だと思う……ま、他の奴を倒せたら助けに来てくれれば良いから。時間稼ぎなら空飛べば良いし」

 

 

それを聞いて、マットが頷いた。

 

僕は続けて、レッドキャップに対しての情報を追加する。

 

 

「それに……何というか、本気で僕達と殺し合う気は無い……と思う。今までもそうだったし」

 

それを聞いたパニッシャーがバカにするように嘲笑った。

 

 

「ハハハ……ん〜?なんだ坊主、知らないのか?」

 

「何を……ですか?」

 

 

パニッシャーがバカにするものだから、僕も少し機嫌が悪くなる。

 

 

「そりゃあ、アイツの目的だよ」

 

「……それは、知らないですけど」

 

 

そう言えば……レッドキャップはいつも「仕事」と言って人殺しをしている。

じゃあ、今回はどうして……何の目的で?

それも、ニューゴブリンに「ノーマンを殺した」という事実を隠してまで。

 

 

「アイツの狙いはお前だよ、スパイダーマン。他の奴と一緒さ。多分、確実に殺せるからこそ協力してんだよ」

 

 

パニッシャーが嫌な笑い方をした。

 

 

「このヘルズキッチンに居た頃から、奴はお前に目をつけていたのさ」

 

「……本当、ですか?」

 

「嘘なんか吐くものかよ。ヘルズキッチンの拠点には、お前の事を調べていた痕跡があった。間違いなく、お前を殺すために算段を立てて居た筈さ」

 

 

そう言うと、パニッシャーが自身の鞄から焼け焦げたノートのようなモノを取り出した。

 

 

「これは……?」

 

「奴の前の拠点にあった調査書……まぁ、スクラップブックみたいなもんだ。見ろ」

 

 

パラパラとページが捲れて、パニッシャーの指が指し示した。

 

 

「ここだ」

 

 

そこには……。

 

『蜘蛛の能力?』

『自力で壁に貼り付く』

『糸は身体から?機械から?』

『トニー・スタークは正体を知っている?』

『スーツは普通の布製』

 

僕の能力を解析しようと書き示されたメモ書きがあった。

 

 

「コイツはお前が初めて会う前から、こうやってストーキングしてんだよ。分かったか?戦わない方が良い理由が」

 

 

……僕は、背筋が凍るような悪寒に晒された。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

『へくちっ』

 

 

私はクシャミをした。

 

……おかしな話だ。

治癒因子(ヒーリングファクター)を持っている私は、風邪も引かない筈だが。

 

それに今は『ミシェル・ジェーン』ではなく『レッドキャップ』として活動している最中だ。

誰かに聞かれでもしたら大変だ。

 

だけど、まぁ……今はオズコープ社のビルの個室にいる。

幸い、誰にも聞かれていない。

 

 

「ん?おい、アンタにしちゃあ、偉い可愛らしいクシャミだな」

 

 

……前言撤回だ。

ショッカーの姿をした、ハーマンが居た。

 

 

『一つ、提案がある』

 

「お?なんだ?」

 

『記憶を失うまで殴られるのと、黙って墓まで持って行く……どちらが良い?』

 

「へ?は、はは、そりゃあ黙ってるよ。俺は……それに誰に言うってんだよ!誰も信じねぇよ」

 

『冗談だ』

 

「アンタが言うと、冗談に聞こえねぇんだよ……マジで」

 

 

ハーマンが私の横に腰を下ろした。

 

 

『……ハーマン、一つ忠告だ』

 

「ん?何だ?」

 

『……今回の件、状況が悪くなったら真っ先に逃げろ』

 

「……おう?俺が逃げると思ってんのか?」

 

『違う。逃げると思っていないからこそ、忠告している』

 

 

ハーマンが首を傾げた。

 

私の『任務』に巻き込む必要はない。

そして、可能であれば……その姿を見ないで欲しいと、そう願っていた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

『スパイダーメナスは私の告発に対して、報復を仕掛けて来たのだ!許せん!』

 

 

テレビでデイリービューグルの社長、ジェイ・ジョナ・ジェイムソンが吠えている。

 

 

「結局、こうなっちゃうのか……」

 

 

マットの家で『ディフェンダーズ』の面々と会議をしている。

気分転換での休憩に、と付けたテレビからは僕をバッシングするJJJ(ジェイムソン)の放送が流れていた。

 

……そして、マットはそれを訝しげに見ていた。

 

 

「……どうかしました?」

 

「いや……少し、違和感があるな、と」

 

 

僕はテレビを見返す。

ジェイムソンが僕をバッシングしている……いつも通りだ。

 

 

「……?何かおかしい所ってあります?」

 

「…………声が」

 

「声、ですか?」

 

 

マットが頷いた。

 

 

「いつもと違う……いつもと抑揚の付け方が違うんだ。声帯のパターンは似せているけど、これは人工的に作られた声に違いない」

 

「……まさか」

 

 

僕は、ジェイムソンが……殺されたのではないか、と疑った。

 

それを見たマットが静かに口を開いた。

 

 

「……君は、彼を心配出来るんだな」

 

「それは……確かにジェイムソンは好きじゃないですけど……彼は悪人じゃないですよ。いや、悪人でも死んで良いなんて理屈はないです」

 

「へっ」

 

 

遠くで聞いていたパニッシャーが鼻で笑った。

ああもう、態度が悪いなぁ。

 

無視するようにマットが言葉を繋ぐ。

 

 

「スパイダーマン、君は優しい奴だ。僕はそれを……好ましく思う。僕はカトリック信者なんだ……殺人を許せない気持ちは一緒さ」

 

 

そう言って頭に手を乗せられた。

 

 

「そして、それを失わないよう……僕も……彼等も協力する。仲間だからね」

 

 

……何だか、子供扱いされているようで気になるけど。

 

素直に僕は受け止めた。

 

 

そして、ルークが僕に声を掛けた。

 

 

「坊主、作戦が決まったぞ」

 

 

作戦は……ミッドタウンにある街外れの廃ビルに彼等を誘き出して叩く……と言うシンプルな物だった。

 

廃ビルはアイアンフィストこと、ダニーが買収して用意するらしい。

 

……何でも、彼は『ランド・エンタープライズ』と言う会社の社長らしい。

スタークさんと一緒だ。

 

……社長がヒーローをやるのって流行ってるのだろうか?

 

 

そして、決戦は……今日の深夜。

僕がオズコープ社に忍び込んで……彼等を連れて誘き出す。

 

逃げ切ってもダメで、攻撃を受けるのも勿論ダメだ。

気付かれないよう誘い込んで……一気に叩く。

 

 

深く息を吸い込んだ。

そして緊張をほぐす為に、僕は口を開いた。

 

 

「よし、それじゃあ『ディフェンダーズ+()』で頑張って──

 

「おい、スパイダーマン。俺は『ディフェンダーズ』じゃねぇぞ」

 

 

そう言って、パニッシャーが話の腰を折った。

 

 

「……じゃあ、『ディフェンダーズ+(僕とパニッシャー)』で頑張ろう!みんな、よろしく!」

 

 

ヤケクソ気味な僕の言葉に4人が頷いた。

……うん、この場に5人いるのに、4人だ。

 

僕はため息を吐いた。

 



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#37 シニスター・シックス part5

深夜のミッドタウン。

今日は月が出ていて少し明るい。

 

僕はオズコープ社のビルに潜入する。

……デイリービューグルより遥かにセキュリティが厳しい。

 

超感覚(スパイダーセンス)に身を任せて、監視カメラを掻い潜り……上層に到着した。

 

 

「……この部屋は」

 

 

カート・コナーズ……コナーズ先生が元々いた研究室のようだ。

彼はノーマンがグリーンゴブリンになった所為で研究室を封鎖され、職を失った。

なのに、研究室の管理者はコナーズ先生のまま。

 

……つまり、この研究室は封鎖されてから一度も使われていない筈だ。

僕は息を潜めて、天井に張り付く。

 

そのまま天地が逆転した状態で、物音を立てぬように探索する。

 

研究室……パーテーションで区切られた会議室……コーヒーメーカーが置いてある休憩室。

 

耳を澄ませると……。

 

 

……誰かが話している。

声のする方は……会議室だ。

 

 

スニーキングは得意だ。

ダクトを通って、僕は別室の……会議室の屋根裏まで来た。

 

換気口から中の様子を覗き見る。

 

……居た。

シニスターシックスの6人全員。

 

 

「じゃあ、ジェイムソンを殺したのか?」

 

 

ショッカー……ハーマンが喋っている。

僕は耳をつけて聞き耳を立てる。

 

 

「いえいえ、無闇に殺しては跡が付きますから……監禁中です。いざとなれば……人質にも利用できますからね」

 

 

ミステリオがそう語った。

 

……良かった。

JJJ(ジェイムソン)は無事らしい。

 

……しかし。

場所が分からなければ救出できない。

 

どうにか監禁場所を知る事は出来ないか……。

 

そう考えていると、レッドキャップが悩むような仕草をしている。

 

……そして、視線を少し上に上げた。

何故か、天井を一瞥した。

 

……僕は今、天井に隠れているのだから、少し不安に思った。

より、物音を立てないように気を付けないと。

 

 

『ミステリオ、少し良いか?』

 

 

レッドキャップが口を開く。

僕は身体が強張った。

 

 

「どうしましたか?」

 

『そのジェイムソンの監禁場所について、教えてくれないか?』

 

 

……その情報は、僕が一番欲しい物だ。

 

 

「……えぇ、良いですとも。ですが何故?」

 

 

疑うような声色でミステリオが聞いた。

 

 

『知っていて損は無いだろう。それとも、お前は……私達を信用していないのか?』

 

 

会議室の空気が重くなる。

……新聞記者のエディと、ショッカーが少し怯むような仕草をしていた。

 

そして、当人であるミステリオも。

 

 

「いえいえ、言わないとは言っていません。このオズコープ社内……ここの最上階の休憩室を使っています」

 

 

僕は脳内に、その情報を記憶した。

 

 

『ふむ、そこのセキュリティは万全だろうな?』

 

「えぇ、そこについてはニューゴブリンが保証しています」

 

 

……僕はハリーを見た。

マスクは外している。

不機嫌そうな顔で頷いている。

 

……音を立てないよう、ダクトを戻り……監禁場所へ向か──

 

 

『オイ、エディ……何か上に居るぞ』

 

 

……ヴェノムの声が聞こえた。

僕は冷や汗を掻く。

 

 

「ネズミとか、か?」

 

 

エディの発言に対して、ハリーが声をあげた。

 

 

「このオズコープビルにネズミなんて居ない。居るとすれば──

 

『蜘蛛だ!俺の獲物だ!』

 

 

突如、エディの身体が黒いタールのような物で包まれた。

胸に白い蜘蛛のマークが現れ、顔はその凶暴性を表面化した異形の姿になった。

 

 

僕は下を見るのを諦めて、ここを離脱する事にした。

ダクトの高さは1メートル弱……立って全力で走る事は出来ない。

 

四つん這いになりながら、本物の蜘蛛のように駆ける。

 

 

『引き裂いてやる!』

 

 

怒声と共に、幾つもの黒い触手がダクトを貫いた。

 

何とか避けるが……超感覚(スパイダーセンス)に反応しない為、反射神経を頼りにするしかない。

 

ヴェノムが超感覚(スパイダーセンス)に反応しない理由……恐らくだけど、僕に一時期『ブラック・スーツ』として一体化していたのが原因だ。

今のヴェノムは僕の能力をコピーして再現する力を持っている。

つまり、その攻撃は僕自身の攻撃として、超感覚(スパイダーセンス)が認識してしまっている。

 

超感覚(スパイダーセンス)は外敵からの攻撃を予知する能力だ。

だから、自身のコピーであるヴェノムの攻撃は予知できない。

 

ダクトを飛び降りて、エレベーターの屋根に飛び乗る。

何かを破壊する音が近付く……超感覚(スパイダーセンス)が反応しないのに攻撃が来る違和感(ズレ)に、僕はまだ慣れていないみたいだ。

 

釣り上げているロープに足を掛けて、三角飛びの要領で壁へ張り付く。

上層階へ向けて(ウェブ)を左右に放ち、足を離して落下する。

 

その瞬間、エレベーターの天板が砕けて、真横にヴェノムが姿を現した。

 

 

『見つけたぞ!スパ──

 

 

ヴェノムの声を他所に、僕は(ウェブ)の反動で飛び上がる。

これはスリングショットの模倣だ。

 

 

大きく飛び上がり、エレベーターを支える主軸のロープへ掴まる。

ヴェノムとの距離は、高度5メートル程になった。

 

僕はまた(ウェブ)を駆使して、壁を蹴り上へ駆け上がる。

 

 

『逃げるな!』

 

 

ヴェノムも触手を身体中から伸ばし、壁に突き刺して駆け上がってくる。

その速度は僕と同等……いや、少し速い。

 

4メートル、3メートル……。

 

少しずつ近付いてくるヴェノム。

 

僕は壁を蹴ったタイミングで……宙に錐揉みし、下へ(ウェブ)を発射する。

 

狙いはヴェノムの顔だ。

 

 

結果は命中……しかし、(ウェブ)はヴェノムの体内に飲み込まれて、目隠しにもならなかった。

 

 

「くっ!」

 

 

僕は焦っていた。

ここで戦っても、時間がかかって他のシニスターシックスに集まられるだけだ。

 

かと言って、本来の目的である敵の誘導……それをジェイムソンを無視して優先した場合、ミステリオは間違いなく彼を人質にするだろう。

それは避けたい。

 

つまり、僕の任務(ミッション)はヴェノムの攻撃を回避しつつ、最上階のJJJ(ジェイムソン)を救出し、待ち合わせの廃ビルに逃げ込む。

 

よし、言葉にして並べてみたら簡単な気がしてきたぞ。

 

 

『引き摺り落としてやる!』

 

 

壁に張り付いたまま、ヴェノムの右手から触手が槍のように飛び出してくる。

 

僕は手を壁に貼り付けて、咄嗟に空中で姿勢を制御して避け切る。

 

超感覚(スパイダーセンス)が効かないから、目で見て避けなければならない。

 

……やっぱり、全然簡単じゃないや。

 

通気口の蓋に足を掛けて、固定具(ボルト)を破壊する。

(ウェブ)で引っ張って壁から完全に引き剥がし、勢いをつけてヴェノムに投げ飛ばす。

 

ヴェノムの触手で弾かれ、排気口の蓋が捻じ曲がる。

 

だけど、攻撃するだけが目的じゃ無い。

 

ダクトの裏に付けておいた、替えの(ウェブ)カートリッジが壊れ、(ウェブ)が四散した。

 

 

『うぐぉっ!?』

 

 

これは自宅に帰ったタイミングで持ってきた(ウェブ)の予備カートリッジだ。

今回、敵が6人と言う事もあって、念には念を込めて用意してきた。

 

それを蓋の裏に(ウェブ)で固定しておいた。

結果は狙った通り、ヴェノムが必要以上に力を加えた所為でカートリッジは蓋ごと壊れて、(ウェブ)の原液が四散した。

(ウェブ)の原液は空気に触れて、辺りの壁やヴェノムに対して幾重にも張り付いた。

 

僕は蓋が外れた排気口に足を掛けて、そのまま飛び上がる。

ヴェノムはまだ糸に四苦八苦しているようだ。

 

最上階のドアをこじ開けて、滑り込む。

 

ガラス張りの部屋を走って、ジェイムソンを探す。

 

時間に余裕はない。

刻一刻とタイムリミットは迫っている。

 

ヴェノムだけじゃない、他の奴らだって追ってきている筈だ。

 

チラリと二つあるエレベーターの内、もう一つの方を見れば上に上がってきているようだ。

 

僕は走りながら、周りの部屋を見る。

……あった、休憩室!

 

僕はドアを開けようとして……くっ、鍵が掛かってる。

それはそうか、監禁場所なんだから、それなりのセキュリティは用意してあるよね……ハリーも言っていたし。

 

僕はドアに(ウェブ)を放ち、無理矢理引っ張る。

 

 

「くっ!おぉっ!!」

 

 

全身の筋肉が悲鳴を上げている。

ドアが変形して、隙間ができた。

 

そこに指をかけて、無理矢理こじ開ける。

メキメキと音を立てて、ドアを留め具ごと破壊した。

 

 

「はっ、はぁっ」

 

 

疲れた。

できればもう二度とやりたくないや。

 

僕は室内の様子を見る。

 

中央に椅子。

そこに座らされているのは……ジェイムソンだ。

 

彼は僕を見て驚いたような顔をしている。

だけど、テープのようなもので口を封じられていて「ふがふが」とした声しか出ていない。

 

椅子にはロープで縛られてるけど……心許ない。

その上から、僕は(ウェブ)で巻き付ける。

 

……何だか、ジェイムソンは声を上げて抗議しているようだ。

だけど、配慮してる余裕はない。

 

 

「ジェイムソンさん、今から飛ぶよ!」

 

「ん!?んぐぅ!?」

 

 

僕はガラス張りの壁を蹴破る。

 

そして……。

 

 

「待て!スパイダーマン!」

 

 

ミステリオが部屋に入ってきた。

ショッカーも、ライノも、他の奴らだって来ている筈だ。

 

だけど、僕は振り返らない。

ジェイムソンを椅子ごと持ち上げて……。

 

外へ放り投げた。

 

 

「んんぐぐんぐぅ!?!?」

 

 

ジェイムソンがテープ越しに悲鳴……いや、怒声を上げている。

 

僕も続けて、窓から飛び出した。

 

 

左手で、宙を舞うジェイムソンの座っている椅子に(ウェブ)をくっ付ける。

右手で、他のビルに(ウェブ)をくっ付けてスイングする。

 

頂点に達したタイミングで糸を切り離し、今度は右手でジェイムソンを……左手でスイングする。

 

お手玉のように宙に投げ出されるジェイムソン。

普通の人ならショックで気絶してもおかしくないけど……彼は持ち前の強気で正気を保っていた。

それどころか、こちらを見て睨み付けながら声を出そうとしているぐらいだ。

 

……超感覚(スパイダーセンス)に反応。

振り返らずに(ウェブ)を放つ。

 

僕の横を(ウェブ)で絡め取られた蝙蝠型の手裏剣、『レイザーバット』が横切った。

 

(ウェブ)によって軌道がズラされたようで見当違いの場所に命中する。

 

 

追ってきているのはニューゴブリン……ハリーだ。

廃ビルまで距離はそれ程遠くない。

僕は攻撃を回避しつつ、目的地に急ぐ。

 

何度かニューゴブリンの顔に向かって(ウェブ)を放ち、撹乱する。

正直に顔に当たってはくれない。

腕で防御したり、『レイザーバット』で切り裂いて無効化してくる。

 

 

……何とか、アイアンフィスト(ダニー・ランド)が用意した廃ビルに到着した。

 

ジェイムソンを最上階に着地させて、僕はまたビルの外へ飛び出す。

僕を追いかけていたニューゴブリンが驚いて、迎撃しようとレイザーバットを投げる。

 

廃ビルに逃げ込んだ瞬間に、まさか飛び出して戻ってくるとは思ってなかったのだろう。

 

(ウェブ)を放ち軌道を逸らし、ニューゴブリンを両腕で挟んだ。

 

 

「離せ!触るなっ!」

 

 

怒り狂うニューゴブリンの殴打を避け、(ウェブ)を最上階の一つ下にくっ付ける。

そして、そのまま……廃ビルにニューゴブリンごと自分を投げ込んだ。

 

 

「くそっ!ちょこまかと!」

 

「安心して良いよ……!もう逃げるつもりは無いからね!」

 

 

僕はニューゴブリンへと走り出す。

 

僕を追ってシニスターシックスの奴らも来るだろう。

 

ニューゴブリンのフックを避けて、足払いで転がす。

床を舐めながらも、ゴブリンは僕へ蹴りを放ってくる。

 

 

……ディフェンダーズのみんなの事を考えてる暇はない。

ただ、今は目の前の戦いに集中する必要があった。



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#38 シニスター・シックス part6

黒い巨体が夜のミッドタウンを駆ける。

肉体は脈打ち、不規則に畝る。

 

触手を伸ばし、跳ね上がり、地形を無視して最短の距離を駆ける。

 

 

『オイ、エディ!ゴブリン野郎に先を越されちまってる!』

 

 

ヴェノムが体内にいる俺に話しかける。

 

 

「しょうがないだろ、アッチは飛べるんだから」

 

『お前も空ぐらい飛べるようになれ!』

 

「無茶言うなよ……」

 

 

俺、エディ・ブロックがヴェノムと出会ったのは、数ヶ月前。

 

『ライフ財団』の研究施設で出会った。

財団は前々から黒い噂に耐えなかった。

非合法な人体実験を繰り返してると……そう噂されていた。

 

新聞会社『デイリー・グローブ』に勤める新聞記者だった俺は、スクープをモノにするため、財団の研究施設に忍び込んだ。

 

……そこで行われていたのは、確かに人体実験だった。

だけど、俺が想像する数倍もヤバイ実験だった。

身なりの悪い……恐らくホームレスや、移民と思われる人間を檻に閉じ込めて、気持ちの悪い液体に取り込ませる実験だった。

 

後で知ったが……それは『シンビオート』と言う寄生生命体だった。

俺はそこから逃げ出そうとした。

 

だけど運悪く……そのタイミングで『S.H.I.E.L.D.』が財団の研究所を襲撃した。

 

結果的に『S.H.I.E.L.D.』のエージェントは迎撃されて撤退したが……一つの『シンビオート』を奪取していた。

 

そして。

 

それらの『シンビオート』の親元を封じ込める『檻』を壊してしまっていた。

 

その親元こそが……『ヴェノム』だった。

俺とヴェノムは財団の研究所から脱出する為に協力する事となった。

 

幸い、俺とヴェノムのバイオマトリックス……?の相性が良かったらしく想定以上のパワーで脱出する事が出来た。

 

以後、ヴェノムと俺は共生生活を続けている。

 

『シンビオート』の主食は宿主のアドレナリン、それとフェネチルアミンだ。

フェネチルアミンは生物の脳……もしくはチョコレートから得られる。

 

普段はチョコレートで代用しているが……稀に人間の脳を捕食している。

その際は街に繰り出し、悪人を見つけて食らうようにしている。

 

だが『ヴェノム』は短期間に何度も脳を食べたがり……そこでコイツが考えたのが、自警団(ヴィジランテ)活動だ。

 

街を警邏し、悪人を見つけて、ブチ殺す。

そして死んだモノは仕方ない……と脳を食らう。

 

……倫理観のない思考だが、合理的だ。

 

奴は俺と、自分自身を含めて「残虐な庇護者(リーサル・プロテクター)」を自称している。

 

……正義に目覚めた!

と言うには少し自分勝手な理由だが、それでも俺は満足していた。

 

だが、何にだって例外はある。

 

『ヴェノム』に取っての例外、それは。

 

 

『スパイダーマンは俺がブッ殺す!他の奴には殺らせねェ!』

 

 

スパイダーマンの存在だ。

ヴェノムは元々宇宙に居たらしく、スパイダーマンと結合して地球に来た。

シンビオートは寄生した生物の力と精神を増幅させる。

そこに悪意はない。

宿主を助けると言う純粋な生物としての本能だ。

 

だが、それがスパイダーマンには困るモノだったらしく……ヴェノムを教会に捨て去った。

結果、『ライフ財団』に捕獲されて研究材料となってしまった。

 

だから、恨んでいる。

 

その事を聞けば俺も気の毒に思うし、ちょっとばっかり手伝ってやっても良いかな……と言う気持ちになる。

 

だからこんな『シニスター・シックス』とか言うコスプレ集団に協力しているんだ。

 

 

……ニューゴブリンとスパイダーマンが、抱き合ったまま廃ビルに飛び込んだ。

 

遅れて、俺たちも廃ビルがある敷地に入り込む。

 

腕から細かな触手を作り、スパイクのようにして壁を駆け上がる。

 

 

『今すぐブチ殺して──

 

「残念だが、殺しは俺の専売特許だ」

 

 

カチャリ、と金属が擦れる音がした。

音がした方を見ると、ドクロマークの服を着た男が壁にワイヤーでぶら下がっていた。

 

その手には……。

 

 

『あ?』

 

 

ロケットランチャー。

 

紛争地帯の取材をした際に、一度だけ見た事がある。

対戦車用の武器だ。

……少なくとも、人に向かって撃つ武器じゃないのは確かだ。

ヴェノムは気付いていない……その武器の危険性に。

 

その弾頭が、発射された。

 

 

……まずい!

他人事に思っている場合じゃない。

 

咄嗟に触手で身を守ろうとして……直撃した。

 

強烈な爆発が起こる。

尋常じゃない熱エネルギー。

そして、轟音。

 

その全てがシンビオートには致命傷だ。

 

何層にも生み出した触手が焼き切れる。

衝撃を受けながらも咄嗟に廃ビルに転がり込む。

 

 

『オ、イ!エディ、これ、やべぇ、ぞ!』

 

「熱っ、あっつ!」

 

 

弱点を突かれたヴェノムが言葉を途切らせながらも語り掛けてくる。

熱波はヴェノムを貫通し、俺の服を焼け焦がした。

 

ワイヤーでぶら下がっていた男が廃ビルの同じフロアに着地する。

 

 

「思ったよりしぶといな……だが、安心しろ。直ぐに駆除してやる」

 

 

完全武装したドクロマークの男と向かい合う。

 

 

『舐めやが、って!後悔させてやる!』

 

「掛かって来い、害獣」

 

『害獣じゃねぇ!俺達は──

 

 

俺は……俺達は地面がめり込むほど、足を踏み込み、目の前の獲物へと飛びかかる。

 

 

『ヴェノムだ!」

 

「へぇ、そうかい。それなら俺は……『処刑人(パニッシャー)』だ」

 

 

パニッシャーが、武器を構えた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

上層で爆発音が聞こえる。

恐らくパニッシャーが戦闘を始めた音だ。

 

私、ジェシカ・ジョーンズの前に赤いマスクが座っている。

 

 

「初めまして……レッドキャップ、で良いのかしら」

 

 

瓦礫に腰掛け、座るその姿。

 

……事前にマットから聞いている。

百戦錬磨の暗殺者。

スーパーパワーと暗殺技能を持つ。

 

そして、スパイダーマンを狙っている……ティーンエイジャーの女だと。

 

……最後の情報は、スパイダーマンには意図的に伏せている。

彼はまだ子供だ。

敵が女だ、子供だ、と知れば……無意識にでも手加減してしまうだろう。

 

だが、敵はそんな甘い奴ではない。

手を抜けば間違いなく殺される。

そう、マットとパニッシャーは言っていた。

 

……私も、噂や人伝には聞いていたが、確かに何を考えてるかも分からない不気味さがあると、相対して理解した。

 

 

『……あぁ、そうだ。そう言うお前は……ジェシカ・ジョーンズか?』

 

「へぇ……別に覚えて貰わなくても良いけど」

 

 

名前を知られている事に驚きつつ、にじり寄る。

 

 

『……任務外の戦闘は避けたいが』

 

「アンタには理由がなくても、私にはあるんだよ」

 

 

また、一歩踏み込む。

 

 

「アンタ、フィスクの手下なのよね?」

 

『厳密には違うが……まぁ、そうなるな』

 

 

レッドキャップが立ち上がった。

 

 

「一つ、質問良いかしら……パープルマン、AKA(あるいは)キルグレイブって名前に覚えは?」

 

 

私は息を吸い込んだ。

 

……パープルマン。

本名はゼベディア・キルグレイブ。

特殊なフェロモンを持ち、人を洗脳する最低最悪のクズ野郎だ。

私がヒーローを辞める原因を作った悪人であり……忘れる事の出来ない屈辱を与えられた怨敵でもある。

 

ソイツをずっと、私は探している。

 

 

『パープルマン……キルグレイブか……あぁ……何も知らないな』

 

 

……嘘だ。

今の間は何かを知っている証拠だ。

 

突如湧いてきた宿敵の手掛かりに、心が躍る。

今すぐ目の前の奴をブン殴って吐かせたい衝動に駆られる。

 

一歩、また一歩前に進む。

 

 

「正直に喋ったら……半殺しで済ませてあげる」

 

『……仕方ないな』

 

 

レッドキャップがナイフを取り出す。

光を一切反射しない、真っ黒なナイフだ。

 

 

『あまり時間がない。手短に済ませよう』

 

「安心しな。独房に入れば、時間は腐るほどあるからね」

 

 

私は……地面を蹴った。

 

飛行能力と跳躍を重ねて、弾丸のように飛び出した。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

蝙蝠型の手裏剣、『レイザーバット』を回避する。

 

投擲ではなく、ニューゴブリンは今、手持ちのナイフとして活用している。

 

超感覚(スパイダーセンス)で攻撃を察知し、最短距離で避けつつ、距離を取る。

 

 

「ハリー!君は騙されてるんだ!」

 

 

……正直、僕はハリーが嫌いだ。

突然現れて……好きな女の子と親しそうにしてる男なんて……そりゃあ、嫌いに決まってる。

 

 

「何が騙されてると言うんだ!貴様が父を殺した!」

 

 

僕はまた攻撃を避ける。

手は、出さない。

 

必要以上に攻撃したくはない。

……ハリーは、ミシェルの友人だ。

 

彼女が悲しむような真似はしたくない。

 

 

「それはミステリオの嘘だ!アイツは魔術師なんて名乗ってるけど、ただの詐欺師だ!」

 

「何を根拠に!」

 

「君の父を殺したのは、レッドキャップだ!君の仲間のフリをしてる!」

 

「黙れ!それ以上『俺』を惑わすな!」

 

 

レイザーバットが擦り、スーツが切れる。

血が滲む。

 

 

「この、分からずや!」

 

 

僕は意を決して、ハリー……ニューゴブリンの腹を蹴り飛ばした。

兎に角、冷静にさせる必要がある。

 

気絶させるか、拘束するか、どちらかだ。

 

父であるグリーンゴブリン同様に薬で身体が強化されている。

それと同時に精神と思考も歪められている。

 

グリーンゴブリンよりは摂取量が少ないからか、力も、歪みも少ない。

 

……無差別に人を殺したりもしていない。

父の仇だと信じている僕だけに、その殺意を向けている。

 

まだ、間に合う。

償える。

 

手遅れになる前に……ここで確実に拘束する!

 

 

右手で(ウェブ)を放ち、ゴブリンの腕と繋ぐ。

それを引っ張り、距離を詰めさせる。

 

 

「ッ!」

 

 

拳が互いの頬をすれ違う。

ゴブリンのマスク、その側面が欠ける。

 

至近距離。

 

ゴブリンが足を踏み込み、僕の片足を踏みつけようとする。

 

僕は一歩下がり回避しつつ、(ウェブ)を引き寄せる。

ゴブリンが姿勢を崩す。

 

 

「このっ!」

 

 

左手でゴブリンの腹に拳を捩じ込もうとして、それを防がれる。

 

 

僕は頭を振りかぶり……。

 

 

頭突きをした。

 

 

「「ぐぅっ!」」

 

 

ゴブリンのヘルメットは予想以上に固く、ヒビ割れはしたが……僕にも衝撃が来る。

 

だけど、僕から攻撃した結果だ。

この衝撃は想定出来たし、耐えられる。

 

でも、ゴブリンはどうだ?

急な不意打ちで驚いて怯んでいる。

 

その差は大きい。

先に動き出したのは僕だった。

 

 

僕は右手を繋いでいた(ウェブ)を切断し、ゴブリンの無防備になっている腹を蹴り飛ばした。

 

ゴブリンは後ろに吹き飛ばされ、コンクリートが剥き出しになっている壁にぶつかった。

 

 

正面からの頭突きと、後頭部へコンクリートとの衝突。

 

前後にヒビが入り、マスクが割れる。

 

ゴブリンの……ハリーの素顔が現れた。

 

 

互いに呼吸は荒い。

極度の緊張感の中では、人間の疲労は数倍に跳ね上がる。

たった数分の運動でも、急激に体力を消耗する。

 

僕は息を整えて、ハリーに向かって走り出す。

 

ハリーが僕を迎撃しようと、レイザーバットを構える。

 

 

「父の仇だ!」

 

「違うって言ってるだろ!」

 

 

攻撃を避けて、顔を殴る。

整った顔が苦痛に歪む。

 

 

「君はただ、父が死んだ悲しさを恨む事で紛らわせてるんだ!」

 

「黙れ!」

 

 

ハリーの拳が僕に命中する。

 

 

「そんな事をしたら、君の友達だって悲しむ!」

 

「『俺』に親しい奴なんていない!俺は孤独だ!」

 

 

僕の蹴りがハリーに当たった。

 

 

「そんな筈はない!君にだって……大切な人がまだ居る筈だ!」

 

「このっ!」

 

 

ハリーが振り回した手が、僕の顔にぶつかる。

 

 

「思い出すんだ!」

 

「『俺』は父の、ノーマン・オズボーンの息子だ!仇は取る!」

 

「違う!君はハリーだ!ノーマンを忘れる必要はなくても、囚われたらダメだ!」

 

「『俺』は!」

 

 

ハリーの足が僕に当たった。

 

 

「好きな女の子に顔向け出来なくなっても良いのか!?ハリー!」

 

「『俺』に……僕に……!そんな資格なんて……!」

 

 

僕はハリーが……以前、病院で僕に耳打ちした言葉を思い出す。

 

『僕には彼女を守る資格なんてない……今は君に頼む』

 

……何だよ、それ。

その自己評価の低さは……僕の好きな女の子を連想させて……似てると思って、凄く不快になったんだ。

 

 

「誰かを好きになるのに資格なんて要らない!今からだって取り戻せる!君は……ノーマンと同じ道を辿らなくて良いんだ!」

 

 

ハリーの攻撃が……止まった。

 

 

「僕は……僕の体には父の血が流れてる!父が何人殺したと思う?147人だ!取り返しの付かない事をした……!好きな女の子の、友人だって傷付けてしまった!それでどうやって、償えるって言うんだ!」

 

 

ハリーは……泣きそうな顔をしていた。

彼が俯いた。

 

 

「……全部、君の父さん……いや、薬によって狂わされたグリーンゴブリンの罪だ。君の罪じゃない」

 

「世間はそう思ってくれない!僕もだ!」

 

「それでも、僕も……ミシェルだって、君の罪だって思わないよ」

 

 

ミシェルの名前を出した事で、顔を上げた。

 

 

「……なんで」

 

 

……僕はマスクを脱いだ。

 

 

「……ピーター?」

 

「そうだよ、僕だ」

 

 

彼とは真正面から向き合う必要があると思った。

 

 

「どうして……」

 

「君と同じで……力を身に付けてしまったから、こうなってる」

 

 

そうだ。

唐突にスーパーパワーを与えられたら、どうしたら良いかなんて分からない。

 

僕だって失敗をしてしまった。

だけど、僕には導いてくれる人がいた。

ベンおじさんと……メイおばさんだ。

 

だけど、ハリーには誰も居なくて……孤独で。

その心の隙間をミステリオに利用されてしまったんだ。

 

僕はベンおじさんの言葉を思い出す。

 

 

「『大いなる力には、大いなる責任が伴う』」

 

「え……?」

 

「僕の叔父の言葉だよ。もう……居ないけど」

 

 

死んでしまった叔父を思い出して……僕はハリーに歩み寄る。

 

 

「大切なのは……その力で何をするか、なんだ。君が罪の意識を持っているのだって分かる。だけど……その大きな力を扱うなら……良い事に使わなければならない」

 

 

肩を叩く。

 

 

「グリーンゴブリンから力を引き継いだとしても……善行に使っちゃダメなんて決まりはない。それは思い込みだ……思い留まるんだ。君は……まだ、やり直せる。誰も殺しては居ない」

 

「ピーター……」

 

僕はマスクを被り直す。

 

 

「僕は正義の味方……親愛なる隣人、スパイダーマンだ。君だってヒーローになれる」

 

 

ハリーが頷いた。

 

 

「……すまなかった、ピーター。気が動転していたみたいだ」

 

「良いよ。仕方ないから……でも、今はスパイダーマンだから。あの、名前がバレるとちょっと不味いんだって」

 

 

僕が慌てて訂正すると、ハリーが笑った。

 

 

「じゃあ、何でマスクを脱いだんだ……」

 

「……いや、だって……君ちょっと冷静じゃなかったし。驚かせて、落ち着かせようと」

 

「……それだけか?」

 

「それに、君とは顔を合わせて、真剣に話がしたかったから」

 

「そうか……」

 

 

納得したように頷いた。

もう、彼の目に狂気は無かった。

 

 

「……取り敢えず、僕がノーマンを殺した訳じゃないって納得したよね?」

 

「当たり前だ。ミシェルの友人である君が、そんな事をする訳ないだろう」

 

「ハハ……」

 

 

ミシェル、ミシェルって……そう言う彼に呆れて、変な笑いが出てしまった。

 

仕切り直す目的で、僕は口を開いた。

 

 

「行こう、ハリー」

 

「……どこに?」

 

「ミステリオとレッドキャップの所だよ。一緒に戦うんだ……ヒーローなんだから、悪人を捕まえないと。あ、でも殺したらダメだよ」

 

 

僕が最後に付け足した言葉に、ハリーは笑った。

 

 

「分かってるよ。僕は誰も殺さない」

 

「よし、じゃあ行こう……今は僕の仲間が戦ってる筈だから」

 

 

ハリーに肩を貸して、僕達は並び立った。

 

……ほら。

誰だって……やり直せるんだ。

 

僕は以前、レッドキャップから言われた言葉を否定するように……そう考えた。



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#39 シニスター・シックス part7

深夜のミッドタウン……廃墟のビル。

 

本来の時間なら、俺は自宅でぐっすり寝てる時間だ。

それがどうしてか、いつもの手甲(ガントレット)を装備して、よく知らねぇ善人様(ヒーロー)と戦ってるのか。

 

つまり、今日の俺は『ショッカー』として残業中だ。

 

まぁ……これは仕事じゃねぇが。

金は貰ってねぇし……スパイダーマンをボコれるって聞いたから参加したのに……殺気立ってる奴ばっかだし。

『レッドキャップ』からは「危なくなったら帰れ」なんて言われるし。

 

ハァ……?

自分より年下のガキ置いて帰れるかって話だよ。

しかも、俺と違ってアッチは仕事らしいし。

趣味でやってる俺と違って帰れねぇだろ、アイツ。

 

とやかく理由を作っても、結局は俺のプライドが許せねーって事で、忠告を無視して来ちまった訳だが……。

 

ふと、隠れてる壁から顔を出す。

 

金色のエネルギーが俺の顔を通り過ぎた。

背後の壁に拳状の穴が空く。

 

慌てて俺は顔を隠した。

 

 

確か名前は『アイアンフィスト』。

『気』だか『オーラ』だか、よく分かんねーエネルギーで殴ってくる奴だ。

戦った事はなかったが、名前とかその辺だけは知っている。

 

俺は普段、傭兵をやってるからな。

フィスクに刑務所から脱獄させてもらってから、忠誠は誓わされてはいるが……金を貰って悪事を働くのは辞めてねぇ。

 

それで、裏の仕事をするなら『情報』が最も大切なアドバンテージになる。

仕事敵のヒーローについては、『それなりに』詳しいと自負している。

 

だから奴についても、『それなりに』知っている。

 

俺は左手を壁から出して、衝撃波(ショックウェーブ)を放つ。

黄色いマスクを被った変人、『アイアンフィスト』が両手を金色に光らせて受け止める。

 

そのまま手で受け流すようにして……俺が放った衝撃波(ショックウェーブ)は横に逸れて壁を抉った。

 

 

「オカルト野郎が……」

 

 

悪態を吐きながら、粉塵に紛れて隠れる場所を移動する。

 

さっきからこれの繰り返しだ。

 

俺の放つ衝撃波(ショックウェーブ)は科学由来の理論的な攻撃だ。

圧縮させた空気弾に振動を乗せて放つ。

単純だが強力な破壊力を持つ『科学』だ。

 

対してアレは何だ?

拳が光って?

内なるエネルギーが?

発射される?

『オカルト』だ。

 

ヒーローのスーパーパワー全てが理屈立ってるとは言わないが、奴はその中でもマジで意味わからねぇ部類に入る。

 

『科学』と『オカルト』は相性が悪いんだよ。

アッチは俺の理屈をある程度分かっているだろうが、俺はアッチの理屈を1ミリも分かんねぇんだから。

 

さっきから、俺が放った衝撃波(ショックウェーブ)も全部受け流されている。

 

 

……逃げるか?

レッドキャップだって「逃げろ」って言ってたし。

 

 

だが、まぁ……俺が逃げて他の奴らに迷惑が。

 

……それは良い。

良いんだ。

意味わかんねぇ黒いバケモン、クソダサいサイ野郎、うさんくせぇ金魚鉢、悪ぶりたい坊ちゃん。

どいつもこいつも『仲間』じゃねぇ。

 

『シニスターシックス』なぁんてカッコつけているが、実際は個人技持ちの我の強え自己中集団だ。

 

俺が優先。

他人は後。

それは間違いない。

 

間違いないが……。

 

 

俺は、再度、手甲(ガントレット)引金(トリガー)を引いた。

 

狙うのは『アイアンフィスト』じゃねぇ。

奴を支えてる足場だ。

 

足元が抉られ、『アイアンフィスト』と距離がとれた。

 

 

……懸念してんのは、レッドキャップだ。

俺が逃げちまったら、目の前の敵が合流しちまうかも知れねぇ。

そん時……アイツが不利益被るっつーのは見逃せねぇ。

 

せめて、アイツの仕事が終わるか、こっから撤退するのが決まってからだ。

俺が逃げるのは。

 

 

……もしもの時は、使うしかねぇか。

 

 

ここが廃墟だから、俺は出力を絞ってる。

マジで本気を出しちまうと、ビルが倒壊しかねない。

 

だがまぁ、負けるよりはマシだ。

そして……唯一の『仲間』を見捨てて逃げるよりも、マシだ。

 

『アイアンフィスト』から放たれる『気』の弾丸を避けながら、そう結論付けた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

(マット)は今、赤い鬼のようなコスチュームを着て……『デアデビル』として『ミステリオ』の前に立っていた。

 

中を見透かす事の出来ない、光を乱反射する球体のマスク。

鱗のように全身に張り巡らされた緑のパーツ。

目をあしらった金色のプロテクター。

赤紫色のマント。

 

 

「よく来たね、デアデビル……真実を操る魔術師が相手をしてあげよう。遺書は書いたかい?書いてないなら今のうちに書く事をオススメするよ」

 

 

……確かに、魔術師らしき姿をしている。

 

だが。

 

 

「お前は魔術師を自称しているが……本質は詐欺師だろう」

 

「……知ったような口を利くじゃないか。デアデビル……その名の通り、命知らずの死にたがりめ」

 

 

ミステリオが両手を重ねて、その後開いた。

中に二つの歯車を模した刃が現れる。

 

 

「私を舐めた事を……後悔すると良い!」

 

 

その刃が僕へと迫る。

だけど、それは(フェイク)だ。

 

音は確かに、そこに大きな刃がある事を示している。

 

だけど。

風の流れを皮膚で感じて、反響する音から空間に発生しているズレを感じとる。

 

僕は手に持っていた『ビリー・クラブ』……二つに分かれた金属棒で『何か』を叩き落とした。

 

確かにそれは刃だった。

だけど、それは想定していたよりも小さい……10センチ程の小さくて薄い金属片だ。

 

 

「舐めてなどいないさ、事実だ……ミステリオ。すぐにお前の元へ向かわせて貰う」

 

「私の元に?何を言っているのか分からな──

 

 

僕は『ビリー・クラブ』を投擲した。

だけど、それは目の前のミステリオに向けて……ではない。

 

左右の何もない空間に投擲した。

 

ガシャン、と壊れる音がする。

地面に『それ』が墜落した。

 

ドローンだ。

光学迷彩を用いて視覚から姿を消していたのだろう。

だけど、僕の超感覚(レーダー・センス)には無意味だった。

 

2体のステルス・ドローンによる映像の立体投射、そして音響操作、攻撃。

 

それがミステリオの正体だった。

ドローンが哭くように異音を鳴らす。

弾けるような音と共に、動作を停止した。

 

同時にミステリオの虚像も消失した。

 

 

……ここに奴は居ない。

 

だが、どこに……?

 

今、廃ビルの至る所で戦闘が発生しており、超感覚(レイダーセンス)で状況を掴むのは難しい。

 

……奴が他の仲間を助けに向かうだろうか?

否、奴は独自の目的で動いている。

そして、奴は他人を駒として見ている。

助けに向かう事はないだろう。

 

ならば……人質か?

 

 

「ジェイムソンの所か……」

 

 

僕はドローンに突き刺さっていた『ビリー・クラブ』を回収し、最上階に居るジェイムソンの所へ向かう事にした。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

「チッ!思ったよりも気付くのが早い……」

 

 

私はジェイムソンを指輪の催眠ガスで眠らせて……悪態を吐いた。

『デアデビル』……名前だけは知っていた。

だが、想像以上に知覚能力に長けている。

 

私の天敵と言っても差し支えない。

 

スパイダーマンが呼んだ援軍……まさか、5人も集めてくるとは思わなかった。

……私の手駒では勝ち目がない。

 

ジェイムソンを囮にして、一矢報いる。

混乱した所を幻覚で相討ちさせる。

幾つもの策が、幾つもの演出が思い付く。

 

そうだ、まだやれる。

私はまだ負けていない。

 

 

……私は冷静だ。

そもそも、私はスパイダーマンへ直接の恨みは持っていない。

奴は踏み台だ。

私にとって……華やかな、素晴らしい栄光への道への踏み台。

 

私は両腕に搭載されたコントローラーを操作して、ドローンを──

 

 

『精が出るな、ミステリオ』

 

 

無機質な、何者かも分からない声がした。

私は振り返る……赤いマスクが見えた。

 

 

「あぁ……貴方でしたか」

 

 

レッドキャップだ。

安心すると共に、彼の姿を観察する。

 

赤いマスクはヒビ割れている。

右腕のアーマーは砕けて、流血している。

恐らく複雑に骨折をしているであろう……ぶらぶらとさせているのが信じられない。

見ているだけで痛々しい。

他のアーマー部分も所々煤汚れていて……満身創痍だ。

 

 

「負けたのですか?」

 

『馬鹿を言うな……始末してきたさ』

 

 

……彼が相対していたのは『ジェシカ・ジョーンズ』だったな。

別名はジュエル……だったか、パワーウーマンだったか。

話は知っている。

戦闘能力が非常に高いヒーローだった筈だ。

それこそ、スパイダーマン以上に。

 

……それを始末、出来たのか。

 

 

「それはそれは……申し訳ない事を聞きましたね」

 

 

与えられた仕事は確実に熟す……素晴らしいエージェントだ。

 

……彼の弱みを知れたのは良かった。

 

レッドキャップはハリー・オズボーンにノーマンを殺した事を知られたくなかったらしい。

私はハリーを利用するために、ノーマンを殺したのはスパイダーマンだと偽装したい。

そして私達は共に、スパイダーマンを殺したい。

 

素晴らしい関係だ。

 

彼の秘密を守る代わりに、協力してもらう。

それが私と彼が交わした密約だ。

 

 

「それで……どういう用件ですか?こんな場所まで足を運んで」

 

『あぁ……一つ、渡し忘れていた物があってな。直接会えるこの瞬間を待っていたんだ』

 

「……どういう事でしょうか?」

 

 

貰うものなんて有ったか?と私は首を捻った。

 

 

『お前はいつも、シニスターシックスの面々と会う時……ホログラムで参加していただろう?』

 

「……えぇ、そうですよ?」

 

 

私は……今まで本当の意味では顔すら合わせて居なかった。

別室に隠れて、ホログラムを投射し、会話しているフリをしていたに過ぎない。

 

その事実を見抜いた鋭さに恐れつつ、悪びれる様子もなく答えた。

 

 

『だから、お前が私の前に姿を見せる……この瞬間を待っていたんだ』

 

 

発砲音が聞こえた。

 

 

『受け取ってくれ、クエンティン・ベック』

 

 

レッドキャップの左手に……彼の拳銃があった。

その銃口は……私の方へと向いている。

 

 

少しして、激痛が走った。

 

 

視界を下げると、腹から真っ赤な血が流れていた。

 

 

『合成樹脂製の弾丸だ』

 

「う、あ……!?」

 

 

私は耐えきれず、足の力を失い……膝をついた。

手で押さえるが、血が止まらない。

これ以上、私の中身が溢れないように必死に留める。

 

 

「な、ぜ……?」

 

『単純な話だ、ベック。私の雇い主であるウィルソン・フィスクは、お前が考えるよりもずっと情報通と言う事だ』

 

 

私はレッドキャップを見上げる。

……普段は私の方が、身長は高かった。

だが今は。

惨めに膝をつく私よりも、彼の方が高い位置で見下していた。

 

 

『お前がノーマンを逃した事をフィスクは知っていた……なら、当然だろう?フィスクはお前を殺したがっていた。いや、お前はそもそも私が何故、ノーマンを殺したのかも知らなかったか?』

 

 

レッドキャップが拳銃を投げ捨てた。

 

 

『まぁ、それはどうでもいい。……お前は非常に臆病だった。私達が姿を捉える事も出来ない程に』

 

 

太腿のプロテクターが展開し、ナイフの柄が突き出る。

 

 

『だから、利用させて貰った。お前の屑みたいな脚本の演劇は……非常につまらなかったよ、ベック』

 

 

抜き出されたナイフは、先が折れてなくなっていた。

恐らく、ジェシカ・ジョーンズとの戦闘で破損したのだろう。

 

 

『要約しよう。お前は優れた演出家ではなく……死刑台に登らされた道化だった訳だ』

 

 

ゆっくりと、私に歩み寄る。

私は後ろに逃げようと、這いずる。

だが、足が上手く動かない。

 

 

『……地獄で悪魔(メフィスト)に、その三文芝居を見て貰うと良い』

 

 

ぐさり。

刃の歪んだナイフが、私に突き刺さった。

 

 

「ぐ、うっ……!?」

 

 

内臓が傷付き、血が滲む。

切れ味の落ちたナイフが……寧ろ、痛みを引き立てる。

口の中に鉄の味が広がる。

 

繊維の切れる音がする。

私のコスチュームか、それとも肉か。

 

ナイフがそれ以上進まぬよう、手で抑える。

だが、私の力の何十倍の力で……それはゆっくりと私を引き裂いていく。

 

 

「や、め……」

 

『ベック。これでも私は今、怒っているんだ……』

 

 

怒り?

何故、怒る?

 

私は必死に自身の頭の中から、彼が怒る理由を探す。

分からない。

 

 

『君は私の友人を巻き込んだ……二人もだぞ?それは、私には許せない事だ』

 

「あ、あ、あ……」

 

『だから、お前には死んで欲しいんだ。分かるだろ?クエンティン・ベック』

 

 

ナイフがゆっくりと、私を引き裂く。

激痛に意識を失いながらも、何度も痛みで強制的に覚醒させられる。

 

……右手を目の前の赤い悪魔へと向ける。

 

 

「違う……私は……ミス、テリオ……だ……」

 

 

そうだ。

私はクエンティン・ベックではない。

 

私はミステリオだ。

 

幼い頃から映画に憧れていたベックではない。

愚鈍な監督に扱き使われるベックではない。

この世界に何かを刻み付けたいと足掻くベックではない。

 

私は、ミステリオなのだ。

 

スパイダーマンを倒して……英雄になるミステリオだ。

私は優れた存在であると世界に証明するんだ。

 

私の夢の為に。

 

 

最後の力を振り絞り、私は指輪から催眠ガスを発射し──

 

 

『効く訳ないだろう?最後まで……本当につまらない人間だったな』

 

 

腹にグッと力が込められる。

 

 

「あ……」

 

 

ブツリ。

 

と、決定的な『何か』が切れる音がした。

それは私を生かすために必要な『何か』で。

 

急激に暗くなっていく視界の中で、私は考える。

 

何を間違えてしまったのか?

どこで、間違えたのか?

 

……分からない。

例え、分かったとしても、やり直す事はできない。

 

無意味で蒙昧な思考の渦に、私は沈んで行った。

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

目の前で光を乱反射していたマスクが割れる。

苦悶の表情を浮かべているのは……クエンティン・ベック。

SFXやVR技術のプロフェッショナル……映像技能の天才だ。

 

……別に、それほど功を焦らなくても。

真面目に映画でも作っていれば……それなりに成功を収める事が出来ただろうに。

 

本当に愚かな男だ。

 

……しかし、ステルス機能とホログラム投射機能を持つ軍事ドローン、か。

何処から手に入れた技術かは知らないが……彼に技術提供をした者が居るのだろうか。

 

……直ぐに殺したのは早計だったか?

 

 

私は腹に突き刺さっていたナイフを拾い上げる。

 

……ジェシカ・ジョーンズとの戦闘で鈍になってしまったな。

切っ先はへし折られ、幾度となくぶつかったせいで曲がっている。

 

もう使い物にはならないだろう。

 

ちら、と自身の足元にある拳銃を見る。

これも弾丸は空だ。

持ち帰りはするが、今は武器として使えない。

 

……ジェシカとの戦闘を思い出す。

紙一重だった。

 

だが彼女は物理攻撃主体のヒーローであり、私は物理攻撃を吸収するヴィブラニウムアーマーを着たヴィランだった。

相性の差は明白だった。

 

それでも、ここまで私を追い込めたのは彼女の戦闘センスによるものか。

 

……彼女は今、気絶した状態で……下の階に放置されている。

 

いずれ目が覚めるだろう。

この場は早く離れなければならない。

 

 

私はナイフの血を拭った。

 

 

……先程、私はベックを殺した時……不必要に痛めつけていた。

 

それは私怨だ。

 

彼の所為でグウェンは足を失った。

彼の所為でハリーはゴブリンになってしまった。

 

……今でも、私は彼の死体を踏み躙りたい感覚がある。

だが、死体は死体だ。

もうそれは、ベックと言う人間ではない。

命を失えば、それは骨と肉と臓物でしかない。

 

私は無意味な事をしたくない。

倫理的なモノで踏み躙らない訳ではない。

合理性の話だ。

 

ナイフを左手に握る。

 

 

……右腕を覆うアーマーはヴィブラニウム製ではなかった。

故に、ジェシカとの戦闘に耐えきれず砕けた。

砕けた金属片は私の右腕に突き刺さり……神経を寸断した。

 

異物が入っている状態では、治癒因子(ヒーリングファクター)による自己再生も期待できない。

歪な状態で治ってしまうからだ。

 

 

確かに痛むが……耐えられない程ではない。

 

 

困るとすれば……。

 

 

足音が聞こえる。

 

 

そうだな……。

 

 

「ミス、テリオ……?」

 

 

死体を見つけたスパイダーマンが驚いた声を上げた。

ハリー・オズボーンは顔を青ざめて沈黙している。

 

 

……右腕が使えなければ、戦闘で困ると言う事だ。

 

 

私は口を開いた。

 

 

『今日は遅かったな、スパイダーマン。止められなくて残念だろうが……仕方ないモノだと割り切ってくれ』

 

 

私は……私のように捻じ曲がったナイフを、二人の友人に向けて構えた。

 



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#40 シニスター・シックス part8

僕は目の前にいる赤いマスク……レッドキャップを観察する。

 

ヒビ割れた赤いマスク。

汚れの目立つ黒いアーマー。

グチャグチャに壊れた右腕の装甲。

左手にはスクラップ同然のナイフ。

 

右腕はどうやら使えないらしく……だらりと垂れ下がっている。

 

明らかな重傷だ。

 

……そして、恐らくそのダメージを与えたのは。

 

 

「ジェシカは……どうしたんだ?」

 

『……ジェシカ・ジョーンズか。……気になるなら下の階へ見に行けば良い。手当が遅れれば死ぬかも知れないな……もう、既に死体になっているかも知れないが』

 

 

……仲間の死。

それを予感した瞬間、背筋が凍る思いをした。

 

『パニッシャー』の言っていた事を思い出す。

コイツの目的は……僕を殺す事だ。

それならジェシカは巻き込んでしまった形になる。

 

マスクの下で、唇を噛み締める。

 

目前にある……臓物が見える程、腹を裂かれたミステリオの死体が見えた。

隣にいるハリーは顔を青くして……一歩下がった。

 

……そうか、ハリーは……死体を見るのは初めてか。

僕はヒーローをやっているから……見る事もあったけど。

これは普通じゃないんだ、異常だ。

 

怯えた様子でハリーが口を開いた。

 

 

「……何で、ミステリオを殺した……?仲間じゃなかったのか?」

 

『……違うな。元々、コイツを殺すために私はチームに参加していただけだ。『仲間』ではない』

 

 

冷めた口調で、冷静に語った。

 

……こんなにも、満身創痍という言葉が相応しい姿なのに。

どうして僕は……怖がっているのだろう。

 

 

「……お前が、父さんを殺したのか?」

 

 

確認するように……確信を持っているのに、ハリーはそう聞いた。

 

レッドキャップは僕の方を一瞥し、口を開いた。

 

 

『なるほど、聞いたか?……事実だ。ハリー・オズボーン。君の父……ノーマン・オズボーンを殺したのは私だ』

 

「……そう、か」

 

 

ハリーが視線を下げた。

横にいる僕では、その表情は窺えない。

 

 

『さぁ、どうする?ハリー……奴は死んで当然の男だった。そんな男の為に……私と殺し合うか?』

 

 

まるで挑発するように、反応を窺うようにレッドキャップが訊いた。

 

僕は慌てて、ハリーに声を掛ける。

 

ここで殺すとか……そんな悪意のある行動を取ってしまえば……また、ハリーはゴブリンに戻ってしまうと、そう思った。

 

 

「だ、ダメだ!ハリー!殺すとか、そんな……挑発に乗ったら!」

 

「大丈夫、分かっているよ……スパイダーマン」

 

 

ハリーが落ち着いた声色で、僕に語りかけた。

……存外、冷静で僕は安心した。

 

そして、ハリーが顔を上げた。

 

 

「でも分かっていても……『俺』は奴を殺したい。父の仇を……ブッ殺したいんだ、『俺』は」

 

 

その目は……先程までのように狂気に染まっていた。

 

 

「待っ──

 

 

声を掛けるより早く、ハリーがレッドキャップに駆け出した。

ハリーの右腕……そのプロテクターから仕込みナイフが飛び出す。

 

それを大きく振りかぶって、レッドキャップへ叩きつけようとする。

 

 

『……それがお前の答えか、ハリー・オズボーン』

 

 

レッドキャップが手に持った、黒く歪んだナイフで受け止める。

大きな音がして、互いのナイフが折れた。

 

武器を失ったハリーが、一瞬怯んだ所に……レッドキャップの左腕が伸びた。

 

そして、ハリーの首を掴み、持ち上げた。

 

 

「あ……ぐ……」

 

 

身長はハリーの方が高いが……それでも、途轍もない握力で首を絞められているようで、ハリーの顔が苦悶に歪んだ。

 

 

「や、やめろ!」

 

 

僕は遅れて、一歩踏み込もうとして──

 

 

『動くな、スパイダーマン』

 

 

レッドキャップはハリーの首を絞めたまま、僕へと向き直った。

 

 

『次に少しでも動けば……コイツの首を圧し折る。隙を見て助けようとしても無駄だ……私が殺すのに1秒もかからない』

 

 

……僕は、その場で動けなくなった。

もし、動いて……ハリーが死んだら。

 

そう思うと怖くなって……自分が動いた所為でハリーが死んだら……僕は彼女に……ミシェルに顔向け出来なくなる。

 

自分の浅ましさに幻滅しながらも、僕は二人から視線を外せずに居た。

 

 

『さて、ハリー・オズボーン。悪人見習いであるお前に……先輩から授業をつけてやろう』

 

「な……に……を……」

 

 

レッドキャップが手を緩めたらしく、ハリーの呼吸が安定してくる。

 

僕は怯みながら、その言葉に耳を傾けた。

 

 

『問題だ。悪人とは社会のルールを破る人間の事だ。では何故、ルールを破ってはならないか?』

 

「そんな……こと……当たり前……だろ……」

 

『問いには答えを返すべきだな。不正解だ』

 

 

レッドキャップがハリーの首を絞めた。

ギチギチと擦れるような音がする。

 

 

「ぐぅっ……あっ……」

 

「ハ、ハリー!?」

 

『授業に戻ろう』

 

 

また、レッドキャップが手を緩めた。

 

……そこで僕とハリーは気付いた。

この問いに正しく答えなければ……殺されると。

 

 

『ルールを破る事が忌避されているのは……社会という人間のコミュニティに於いて、法律と言うルールを互いに尊重しなければ……忽ち、弱者は殺されてしまうからだ』

 

 

ハリーが苦しそうに息を吸った。

 

 

『だから、弱者は他人に『善人であれ』『悪人にはなるな』と声高々に言う。これが一つ目の理由だ。だが、理由にはもう一つ……他人との繋がりを守る為だけではなく、もっと利己的な理由がある』

 

 

レッドキャップが僕へと一瞥する。

……彼が何を言いたいか、僕には分からなかった。

 

 

『何故、人は悪人になってはならないか?人を騙してはならないか?人を殺してはならない理由とは?それは──

 

 

レッドキャップがミステリオの死体を踏み付けた。

 

 

『より邪悪で。より狡猾で。より凶悪な悪人に喰い殺されるからだ』

 

「う……あぁ……」

 

 

ハリーが、怯えたような声を出した。

 

 

『ノーマンが死んだのもそうだ。彼は悪人だったが……より権力を持っていた男に疎まれて、私に殺された。足下の男もそうだ』

 

 

瞳孔の開いた目が、ハリーを眺めていた。

 

 

『さぁ、ハリー・オズボーン。お前はどっちだ?悪人に憧れる世間知らずか……それとも、狂気に堕ちた正真正銘の悪人か』

 

 

レッドキャップがハリーへ顔を近付けた。

 

 

「『俺』は……いや……僕は……」

 

『さぁ、どうする?どうなる?ハリー、お前は──

 

「そこまでだ」

 

 

声と共に、金属の棒がレッドキャップの頭部へと飛んで来た。

 

 

『チッ』

 

 

片腕しか使えない彼は、ハリーを地面に落として金属の棒を叩き落とした。

 

僕はハリーへ(ウェブ)を飛ばして、手元へ引き寄せる。

呼吸は荒い……首を絞められていたのもあるが、恐怖からもあるだろう。

 

 

『……久しぶりだな、デアデビル。何も変わりがないようで……安心した』

 

 

レッドキャップの顔の先にはマット……デアデビルが居た。

 

 

「そう言う君は……随分と変わったな。感情的になったように見える」

 

『……黙れ、そんな事はない』

 

 

言葉では怒りながらも、レッドキャップはデアデビルの元へ駆け出さなかった。

ここには僕もいる。

 

今、彼は挟み撃ちという形になっている。

負傷している事もあり、迂闊に手を出せないのだろう。

 

 

「君は他人を必要以上に痛めつける趣味はないと思っていたが……どんな心境の変化があったか聞きたいな」

 

『私は何も変わっていない。必要とあれば行うだけだ』

 

「……どうだか」

 

 

ハリーの息が整ったのを見て、僕はハリーから離れた。

レッドキャップを中心に、デアデビルと対角線上に構えた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

俺は吹き飛ばされて壁にぶつかった。

 

耐ショックスーツの吸収率を上回る衝撃に、思わず咽せる。

 

 

「チッ!オカルト野郎が……!」

 

 

俺を吹っ飛ばした黄色いマスクの男……『アイアンフィスト』に対して悪態を吐く。

 

 

「投降しろ。ハーマン……だったか?」

 

 

……しかも、何でか俺の本名を知ってやがる。

スパイダーマンの野郎のせいか。

本当にいけすかない奴だ。

 

 

「違う、俺はショッカーだ……そして、断る。まだ俺は負けちゃいねぇ」

 

 

バイブロ・ショック・ガントレットの出力を上げる。

……こうすっと、ちょっとエネルギー消費が激しくなって身体への負担が強まるから、あんまりやりたくなかったが。

 

 

俺は手甲(ガントレット)をアイアンフィストへ向けて、衝撃波(ショックウェーブ)を放った。

 

 

「無駄だ」

 

 

拳を光らせて、俺の衝撃波(ショックウェーブ)を受け流す。

受け流された衝撃波(ショックウェーブ)は壁を抉り取った。

 

そして、ゆっくりと俺へと近付いて来やがる。

 

……もう少し引き付ける必要がある。

 

 

「く、くそっ!」

 

 

俺は慌てた『フリ』をしながら、出力を抑えた衝撃波(ショックウェーブ)を放つ。

そして、即座に手甲(ガントレット)のカートリッジ式バッテリーを射出し、腰のベルトに装着した換えのバッテリーと入れ替える。

 

その頃には、アイアンフィストが……拳を伸ばせば届く距離にいた。

 

 

「……少し、眠ってもらうぞ」

 

 

そして拳を構えて──

 

 

「へへっ」

 

「……?何の──

 

 

俺は両手の手甲(ガントレット)を突き合わせ……衝撃波(ショックウェーブ)を左右の手から同時に放った。

 

衝撃波(ショックウェーブ)は互いにぶつかり、その衝撃は相殺した場所を面として前後上下に放出された。

 

今まで、アイアンフィストが俺の衝撃波(ショックウェーブ)を受け流せていたのはエネルギーの塊として放っていたからだ。

だが、そのエネルギーの塊同士をぶつける事で無作為に解放させた。

 

俺とアイアンフィスト、互いに吹き飛ばされてコンクリートの壁に衝突する。

 

 

「ぐっ!?」

 

「うげっ!」

 

 

だが、俺の着ているスーツは耐ショックスーツだ。

手甲(ガントレット)が暴発した時に備えて、衝撃を吸収する能力が付いてんのよ。

 

俺は即座に立ち直り、手甲(ガントレット)を目前の善人様(ヒーロー)へ向けた。

 

 

「形成逆転だ……!お前が寝てろ!」

 

 

俺は手甲(ガントレット)から衝撃波(ショックウェーブ)を放とうと引金(トリガー)を引こうとする。

 

そして。

 

 

 

 

乾いた発砲音が聞こえた。

 

 

「あ?」

 

 

……そして、激痛が腹を襲った。

 

血だ。

 

血が流れている。

 

 

「あぁ!?なん……!?」

 

 

足元がグラつき、俺は倒れた。

 

息は……出来る。

致命傷でもねぇ。

 

だが、ダメだ。

 

 

「痛ぇ……!」

 

 

痛すぎる。

立ってられねぇ。

 

仰向けになって、撃たれた場所を確認する。

恐らく背後からで……腹を貫通している。

俺の耐ショックスーツを貫通する弾丸……拳銃みたいなチャチな銃じゃねぇ。

ライフル弾に違いない。

 

 

「……殺しは無しと言ったはずだぞ、『パニッシャー』」

 

 

パニッシャー……?

俺はアイアンフィストが顔を向けた先にいた……俺の背後にいた男を見た。

ドクロのシャツを着た男で……手には銃器を握っていた。

 

 

「細かい野郎だ。助けてやったのによ」

 

「必要なかった」

 

「……ま、そう言う事にしてやるよ」

 

 

目の前の会話にムカつきながらも、俺は冷静に考える。

 

……スパイダーマンに仲間が複数いる事は知っていた。

コイツはヴェノムと戦っていた筈だ。

この廃ビルに入り込む前に見た。

 

なんで……?

 

そう考えていると、アイアンフィストが代弁した。

 

 

「『パニッシャー』、ヴェノムはどうしたんだ?」

 

「奴か?奴は逃げた」

 

「……そうか。元より、宿主の奴がスパイダーマンへの恨みなんてないからな……冷静だったのだろう」

 

 

チッ!クソ!

アイツ逃げやがったのか!?

 

……あぁ、だが俺もレッドキャップが居なかったら逃げてたか。

 

それはそうとしても、ガチでムカつくが。

 

パニッシャーが口を開く。

 

 

「兎に角、上の階へ応援に行くぞ。ルークもライノを捕縛した。残りはミステリオとレッドキャップだけだ」

 

 

もう既に負けた者として俺を見てるのが気に食わなかった。

 

……そして、俺がレッドキャップのお荷物になってるって事に……情けなくて、ムカついてきた。

 

俺自身と、コイツらに、マジでムカつく。

 

 

「うっ……ぎっ……」

 

 

血を吐きながら、身を捩らせる。

……クソ痛ぇが……ここで俺が止めなけりゃ……後で絶対に後悔する。

 

俺の姿を見て、アイアンフィストが振り返った。

 

 

「……パニッシャー、先にコイツの治療をしてやっても良いか?」

 

「チッ、そんな時間はねぇよ。後にしろ」

 

 

……そうか。

 

 

「う……死ぬ……死んじまう……!」

 

 

俺は敢えて情けねぇ声を出す。

屈辱だ。

だが、手段は選んでられねぇ。

 

 

「いや、やはり先に治療すべきだ」

 

「……勝手にしやがれ」

 

 

アイアンフィストが俺の方へ向かってくる。

どうやるかは知らねぇが、俺の手当てをするみたいだ。

 

流石は善人様(ヒーロー)だ。

反吐が出る。

 

アイアンフィストが俺に手を当てる……光ってるエネルギーみたいなもんが俺の中に入って来て……なるほど、手当の方法もオカルトかよ。

 

 

「へへ……アンタ……良い奴だな」

 

 

俺は声をかける。

だが、無視された。

 

腹の傷も殆ど治った。

まだ立てないが…………アイアンフィストが手を離した。

腰の布みてーなモンで、俺を後ろ手にさせて拘束する。

 

なるほど、底抜けのバカって訳じゃないらしい。

最低限の手当だけで止めて、俺を戦闘不能にしておくつもりだろう。

 

 

だが、まぁ。

 

俺は。

 

 

指一本ありゃ、攻撃出来んだよ。

 

 

出力を最大にした手甲(ガントレット)を起動する。

 

……間違いなく、この廃ビルにダメージを与えちまう。

だがまぁ、レッドキャップなら何とかなるだろ。

 

 

瞬間、途轍もない衝撃が俺と……目の前の善人様(ヒーロー)達を襲った。

コンクリートは捲れ上がり、鉄筋も捻じ曲がる。

轟音で耳が潰れて、耳鳴りがする。

 

……へっ、ざまぁみろ。

奴らの驚いた顔を目撃し、満足して……俺は気絶した。



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#41 シニスター・シックス part9

僕は首を押さえた。

……先程、レッドキャップに掴まれていた部分に少し違和感がある。

恐らく、痕が付いているかも知れない。

 

目の前で、そのレッドキャップを囲むように、スパイダーマン……ピーターと、赤い鬼のようなマスクを被った男……デアデビルと呼ばれた男が立っている。

 

僕も加勢しようと、震える足で立とうとして…………ピーターが口を開いた。

 

 

「……ハリーはそこで待ってて」

 

「それは僕が……信用できないからか……?」

 

 

枯れた声で、僕は訊く。

……先程、我を忘れて相手を殺そうとしてしまった。

正直、今の僕は信用できないに違いない。

 

すると、ピーターは首を振った。

 

 

「そうじゃなくて……その、守りながら戦える自信がないから、かな」

 

 

そう言われて……僕が足手纏いである事に気付いた。

……昔から、スポーツも勉強も出来た。

強化薬を吸い込んでからは、尚更……誰かの足手纏いになるなんて思っても見なかった。

 

冷静に分析してみると、僕は身体にダメージがあって……息も乱れている。

思考も曖昧だし、目の前の……赤いマスクの男に怯えている。

 

……ピーターは、怖くないのだろうか。

 

僕は目を上げる。

 

……違う。

きっと、彼にだって恐怖心はある。

だけど彼はそれ以上の……力ある者(ヒーロー)としての責任だけで、立ち向かっているんだ。

 

……少し、羨ましく思えて。

そうなれたら良いな、なんて思ってしまった。

 

気付けば僕は……彼に憧れを感じていた。

 

 

 

レッドキャップが足を一歩下げる。

コンクリートの床に、靴が擦れる音がした。

 

その瞬間、ピーターが右腕から(ウェブ)を放った。

半身を逸らして、レッドキャップが回避する。

 

……僕には見えなかった。

あまりにも早い攻防。

終わった後にようやく理解できた程のやり取りに、僕は驚嘆した。

 

そして、レッドキャップの背後からデアデビルが金属の棒で攻撃した。

 

それを左手で受け止めて、そのまま肘で頭部を殴る。

 

 

「ぐっ」

 

 

思わず怯んだデアデビルをカバーするように、ピーターが前に飛び出す。

 

レッドキャップの足元に(ウェブ)を放ち、左足を固定し……回避を封じた。

ピーターが腕を振るい、勢いのまま右側から殴りかかる。

 

……レッドキャップは右腕を負傷している。

防御は出来ない。

 

だが、糸で固定されていない右足を突き上げ、膝で拳を防いだ。

 

 

「痛っ!?」

 

 

ガツン!と鈍い音がして、ピーターが思わず仰け反った。

……あれは防御ではなかった。

ピーターの拳と、アーマーで保護された膝が衝突した結果、ダメージを受けたのはピーターの拳だ。

 

 

……何処となく、ピーターは本調子ではないように思える。

デイリービューグル、オズコープのビルで戦った時に比べて動きが鈍い。

 

そうか。

僕が……彼を殴って蹴って痛めつけたからか。

 

今、こうやって危機的状況に陥っているのは僕のせいだ。

思わず唇を噛んだ。

 

 

『人体で最も強力な武器は何処だと思う?答えは肘と膝だ。その硬さは拳以上の凶器となる……それは、このアーマースーツでも違いはない』

 

 

ノイズの入った機械音声で、レッドキャップが語る。

それに対して、デアデビルがゆっくり立ち上がり、口を開いた。

 

 

「やはり今日は……酷く饒舌だな。時間をかけたい理由でもあるのか?」

 

『いいや、寧ろ早く立ち去りたいぐらいだ。このまま見逃してくれれば……攻撃もしない。どうだ?』

 

 

レッドキャップが自身の右腕を一瞥した。

……アーマーがひしゃげて、所々血が見える。

傷口に砕けた装甲が刺さっているに違いない。

 

 

デアデビルが口を開いた。

 

 

「どうかな……僕が犯罪者とやり取りをするのは──

 

 

足元にある金属の棒を拾い上げる。

 

 

「留置所でだけだって、決めてるんだ」

 

『……そうか。それは非常に面倒だな』

 

 

ピーターも痛みから復帰して、ゆっくりと立ち上がった。

……拳からは血が出ていた。

 

 

そして、三人がまた、ぶつかるかと思った瞬間。

 

 

 

地面に大きな揺れが走った。

 

 

 

地面が傾き、砕けたコンクリートの破片が滑り落ちる。

 

そして、僕の足に大きな破片がぶつかった。

 

 

「うぐっ!?」

 

「ハリー!?」

 

 

廃ビルの下層が崩れたようで、傾く。

 

ジェイムソンが椅子ごと、ゆっくりと滑っていく。

 

その先に、壁はない。

このビルは目算でも10メートル以上あった。

そこから落ちれば……死は免れないだろう。

 

僕も慌てて踏ん張ろうとして、足を滑らせる。

先程の負傷で足に力が入らない。

 

僕も傾斜に流されて、ゆっくりと落下していく。

 

 

まずい。

死の恐怖が頭に過ぎる。

 

 

デアデビルが壁に掴まり、何とか耐えている。

レッドキャップも左手を床に突き刺して固定している。

 

唯一動けるのは、ピーターだけだった。

ピーター、スパイダーマンは壁を登れる程の特殊能力を持っている。

垂直のビルを登れるんだ。

これぐらいの傾斜は問題ない。

 

 

僕と、気絶したジェイムソンが傾斜を滑る。

 

互いに離れた位置で滑り始めて……助けるのは、僕か、ジェイムソンか。

どちらか、だ。

 

ピーターが僕とジェイムソンを交互に、一度ずつ見た。

迷いがあるように見えた。

 

 

「たっ──

 

 

僕は「助けてくれ」と言いそうになって……留まった。

 

この状況は誰が作った?

誰のせいだ?

 

ミステリオか……?

違う、ミステリオだけじゃない。

騙されたとは言え、僕も加担していた。

 

ジェイムソンを巻き込んだのは僕だ。

だから……。

 

 

「僕のことは良いから、ジェイムソンを……!」

 

 

これが……僕が出来る唯一の償いだ。

言葉を聞いたピーターが背後のコンクリートの柱に(ウェブ)を放って、バンジーのように飛び出した。

ジェイムソンを掴んで──

 

 

「ハリー!」

 

 

僕を助けようと、(ウェブ)を放つ。

だけど、それは僕の頭上を通り過ぎて……僕は転がり落ちていく。

 

数度、頭をぶつけて意識を失いそうになる。

それでも何とか気を強く保っていた。

 

 

『……チッ!』

 

 

直後、舌打ちが聞こえた。

 

僕は宙に飛び出して……そのまま首裏を誰かに掴まれた。

 

その誰かは……レッドキャップだった。

 

 

「な……」

 

『喋るな、舌を噛む』

 

 

短くそう言って、右腕からワイヤーを射出した。

ワイヤーの先端は三つ爪のクローになっていて、コンクリートの壁に突き刺さる。

 

キリキリとワイヤーが伸びる音が聞こえて、落下速度を緩和していく。

 

 

『ぐっ……つぅ……!』

 

 

痛みに悶える声に気づいて、その右腕を見れば。

ワイヤーが、負傷している右腕を絡め取っている。

 

左手で僕を掴み。

右手は落下を抑える為に……。

 

負傷して割れたアーマーでズタズタになっているのに。

それを更に傷付けてまで。

 

……どうして、そこまでして僕を助けるのか、分からなかった。

 

 

落下速度が収まった頃、ワイヤーがブツリと切れた。

 

 

僕とレッドキャップが地面に転がり落ちる。

落下速度は抑えられたとは言え、高さ数メートルからの落下だ。

落下の衝撃から、堪らず僕は肺から空気を全て吐き出した。

 

 

「はっ……はぁっ……!」

 

 

でも、死んではいない。

全身が痛くても、息が苦しくても。

僕は死んでない。

 

痛みと恐怖と……安堵。

涙で、視界が滲んだ。

 

 

滲んだ視界の中で、レッドキャップがゆっくりと立ち上がった。

……そのまま、立ち去ろうとしている。

 

思わず僕は、声をかけた。

 

 

「……待、て」

 

『……助けてやっただろう?今はもう黙って寝ていろ』

 

「なん、で……?」

 

 

息も言葉も途切れながら、必死に言葉を繋ぐ。

 

……それは疑問だ。

どうして、僕を助けたのか?

それがサッパリ分からなかったからだ。

 

僕みたいな人間を……助ける理由なんてないはずだ。

 

 

そう考えていると、レッドキャップが口を開いた。

 

 

『何も……死ぬ事はないと、思っただけだ』

 

 

そう言ってレッドキャップは振り返り……頭上を見上げた。

 

 

『……ジェシカ・ジョーンズか』

 

 

釣られて僕も視線を上げると……誰かが空を飛んで、廃ビルの中にいる人間を救出している姿があった。

 

視線を戻して、彼は僕から離れていく。

そして、何かを探すそぶりで辺りを見渡している。

 

何を考えているのかも分からない。

だけど……彼は……それほど悪い人間ではないのかも知れないと、僕は思った。

 

レッドキャップが瓦礫を押し退けて、誰かを担いだ。

……あぁ、あれは『ショッカー』だ。

彼はレッドキャップと……少し親しそうにしていた。

 

 

『……この、馬鹿が』

 

 

レッドキャップは呆れたように呟いていた。

 

視界が……薄暗くなっていく。

瞼が重い。

 

 

「あり……がとう……」

 

 

薄れる意識の中で、感謝の言葉を投げかける。

 

 

……それに対して、レッドキャップは呆れたような声を出した。

 

 

『……はぁ。やはりお前は──

 

「悪人にはなれないな、ハリー・オズボーン」

 

 

……それは、此処では絶対に聞こえる筈のない……想い人の声だったけれど。

僕はきっと幻聴だと思って。

 

そのまま意識を失った。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

「ハリー!?ハリー!」

 

 

僕は地面に倒れているハリーに近付いて、心音を確かめる。

 

……大丈夫だ、息はある。

 

 

そうしていると、背後に誰かが着地した音が聞こえた。

振り返ると……ジェシカが居た。

 

 

「あ、ジェシカ……無事だったんだ」

 

「ん?うん……まぁね。ちょっと、足腰痛むけど……まぁ、無事よ。無事」

 

 

ボロボロに破れたジャケットを投げ捨てて、シャツの姿になっていた。

 

 

「さーっきまで、他のメンツの救出に忙しかったから……もう、気失ってた重傷人を働かせ過ぎ。ビルぶっ壊した犯人が分かったら半殺しにしてやる」

 

 

そう言ってポキポキと拳を鳴らすジェシカに、僕は一歩引いた。

 

 

「それで?そいつがニューゴブリンでしょ?どうすんの?」

 

「ハリーは……もう、ゴブリンにはならないと思います」

 

「……どういうこと?」

 

 

僕はジェシカに……彼がどうしてこうなったのか、今はどうなのか……話をした。

 

 

「あぁ、薬でキレやすくなるヤツね。よくある話だわ」

 

「え、よくあるんですか?」

 

「よくある」

 

 

そう言ってジェシカが頷いた。

 

 

「この後……多分、『S.H.I.E.L.D.』が来るけど、それ経由でアベンジャーズに頼んでおくよ。彼の処遇は」

 

「アベンジャーズに?」

 

 

僕がそう聞くと、ジェシカが頷いた。

 

 

「そ。アベンジャーズに居るんだよ。彼と同じ、キレやすくて……緑色の奴がね」

 

 

へっ、と笑ったような声を出すジェシカに、僕は安堵した。

ハリーは……きっと、もう悪人にはならないだろう。

そして、それを助けてくれる人もいる。

 

なら、大丈夫だ。

 

 

そう思っていると、風を切るような音がして、ヘリが近づいて来る事に気づいた。

側面には猛禽類のマーク。

 

あれは……『S.H.I.E.L.D.』だ。

 

 

「……おっと。噂をしたら、もう来たね。……君はもう帰って良いけど。その若さで夜出歩いてたら補導されちゃうからね」

 

「あ、そう……ですね」

 

 

でも、後始末を全部任せて良いのかと、僕は悩んだ。

 

 

「捕縛したライノは逮捕で良いけど……後は死んでるミステリオと……残りは逃げちゃったしね。まぁ、何とか言い訳はするから、帰りな」

 

「で、でも」

 

「貸し一つ。今度、何かあったらアンタ呼ぶから……それで良いよ」

 

 

ジェシカが笑った。

 

 

「……ほら、早く帰らないと見つかるから」

 

「あ、ありがとうございました!他の人達にも言っといて下さい!」

 

 

そう言って、僕は彼女と別れて帰路に就いた。

 

長い、長い戦いだった。

……僕一人では解決できなかっただろう。

 

僕はみんなに感謝した。

 

 

……あ、でもやっぱりパニッシャーには感謝したくないかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日。

 

 

パジャマを脱いで、シャワーを浴びて。

外出用の服に着替えて、髪をセットして。

 

欠伸をしながら、自分の部屋を出た。

 

朝の登校時間だから起きたけど。

昨日は夜遅くまで戦っていたから、少ししか眠れなかった。

今日ぐらいは学校を休んでも良いかな、なんて思ったけど。

あまり休みすぎると進級できなくなるからね。

 

 

少しして、隣室のドアが開く。

 

 

……いつも以上に眠そうな、ミシェルの姿があった。

 

 

「おはよう、ミシェル」

 

 

そう言うと……彼女はいつものように右腕を上げようとして……左手をあげた。

 

 

「ん……おはよ、ピーター」

 

 

欠伸をする。

 

……右腕の様子をチラと見るけど、怪我はないように見える。

 

 

「……どうしたの?」

 

 

そう不思議がるミシェルに、何でもないと言いつつ二人でアパートを出た。

 

空は明るい。

 

いつも通りの平和な朝だ。

 

……ミシェルは忌々しげに太陽を睨んでいたけど。

 

だから僕はミシェルに声を掛けた。

 

 

「……何だか、今日も眠そうだね?」

 

「ん……ゴミの……掃除……してた」

 

「ミシェルって掃除好きなの?」

 

 

いつもいつも、掃除をしてるって言っている気がする。

それに、そんなに遅くまで掃除しなくても良いのに。

 

 

「昨日はデッカい蜘蛛まで出てきて大変だった……」

 

「……あぁ、あのアパートボロいからね」

 

 

僕は苦笑いした。

確かにあのアパートは汚い。

蜘蛛とか虫も結構出てくる。

 

……そんな所に女の子が住んでいるなんて……そりゃあ、掃除もしたくなるか。

そう納得した。

 

 

「腕も捻っちゃって大変だった」

 

「……え?それって大丈夫なの?」

 

 

心配して聞くと、ミシェルが右手を震わせながら開いて、閉じた。

 

 

「大丈夫」

 

「なら、良いけど……」

 

 

今日も二人でサンドイッチを買って、学校へ向かう。

 

……デイリービューグルの前を通る。

ビルはまだ工事中だ。

青いブルーシートみたいな布でビル全体が巻かれている。

 

朝からジェイムソンの怒鳴り声が聞こえなくて……それはそれで張り合いがない気もする。

 

ジェイムソンはちゃんと病院に搬送されたらしいけど。

 

……彼を心配するなんて、ちょっとやっぱ眠くて頭が回ってないみたいだ。

 

 

「……ピーター、ちょっと寄っても良い?」

 

 

ミシェルが指差した先は小さな売店だった。

 

 

「うん、良いよ」

 

 

二人で売店に寄って……新聞が立て掛けられているのを見た。

 

……デイリービューグルの新聞だ。

表にデカく僕の……というかスパイダーマンの写真が貼ってある。

 

 

『訂正記事:前日報道した内容について』

 

 

そう大きく見出しに書いてあって……僕がノーマン・オズボーンを殺したと報道したのは過ちだった、と書いてある。

 

……はは、ジェイムソンめ。

あんな事があった翌日に新聞を書くなんて……本当に呆れたジャーナリストだ。

 

 

そう思っていると、ミシェルがその新聞を一部、手に取った。

 

そうして、そのままレジへ向かおうとする。

 

 

「……ミシェルって、デイリービューグルを購読してるの?」

 

「ん?そう言う訳じゃないけど」

 

 

寝惚けている店員さんにお金を渡して、新聞を持って外に出る。

 

……他に買った物は無いみたいだし、本当に新聞を買いにきただけみたいだ。

 

 

「じゃあ、何で今回はデイリービューグルを買ったの?」

 

「だって、私──

 

 

ミシェルが微笑んで……口元を新聞で隠した。

 

 

「スパイダーマンのファン、だから」

 

 

僕はその仕草にドキドキして……赤くなった顔がバレないよう、顔を逸らした。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

「う、うぉっ!?」

 

 

目が覚めると、俺は知らない天井の下に居た。

 

待て。

待て待て待て?

 

何があった?

……思い返す。

 

俺は……?

ハーマンだ。

ハーマン・シュルツ、24歳。

イケメン、天才、ちょい悪のナイスガイだ。

いや、ちょっとじゃねぇか。

 

まぁ、よし。

覚えてる。

 

じゃあ、何があったか。

 

シニスター・シックスとかいうアホコスプレ集団と一緒にスパイダーマンを襲って……変なマスクの奴にボコられて……銃で撃たれて……ビルをぶっ壊した。

 

よーし、よし。

覚えてるぞ。

 

頭に異常はねぇな、間違いない。

 

 

……じゃあ、ここは?

 

 

天井も壁も薄いグリーン。

俺はベッドの上。

目の前には鏡。

 

……包帯でぐるぐる巻きになってる俺が映っている。

 

 

病院か?

 

誰が運んだんだ?

 

 

……取り敢えず、ナースコール押すか。

 

 

 

 

 

 

 

呼び出した看護師に聞けば、ここはマンハッタン内にある病院のようで。

病院前に置き去りにされていたのを緊急搬送されたそうだ。

 

……ちなみにそん時、俺のプロテクターや手甲(ガントレット)は外されていて、下着姿だったらしい。

 

……間違いなく、レッドキャップの仕業だ。

わざわざ、ショッカーだとバレないように脱がせたのだろう。

 

だが、なんつーか、一回りも年下の女に脱がせられたって考えると……クソ恥ずかしい。

 

……つか、ちゃんと手甲(ガントレット)とスーツは返してくれるんだろうか?

 

 

一抹の不安を抱きながらも、俺は辺りを見渡した。

 

ふと、ベッドの横に名義が書いてある。

が、それは俺の名前じゃなかった。

 

 

『ジャクソン・ブライス』……?

誰だ、これ?

 

 

「なぁ……これって、何だ?」

 

 

そう聞いてみると……どうやら俺が身元不明で助けられた後、俺の親戚を名乗る奴が出てきて……身分を証明して行ったらしい。

 

……机の上に、確かに身分証がある。

 

俺の顔で、『ジャクソン・ブライス』って書かれてるな。

気色わりー。

 

組織の奴か?

……いや、つっても俺はフィスクの組織に正式に所属してる訳じゃねぇし……貢献もあんまり出来てねぇし。

 

ここまでしてくれる奴なんて……。

 

 

「……看護師の姉ちゃん、俺の親戚ってどんな奴だった?」

 

 

 

……目が冴える程の綺麗な金髪で。

青い目をしていて。

俺より10歳ぐらい歳下の、姪を名乗る女の子。

 

 

「へっ」

 

 

思わず笑っちまうような話で、俺は失笑してしまった。

 

誰が叔父だよ、誰が。

そんな物騒な女の叔父なんてよ。

 

……まぁ、別に嫌って訳じゃないが。

 

 

ふと、花瓶が目に入った。

そこには一本の花が刺さってる。

 

綺麗なオレンジ色の花だ。

花の名前なんて知らないが、綺麗に咲いていた。

 

聞けば、その姪っ子が挿してったらしい。

一本だけ持って、この病院を訪ねに来たらしい。

 

 

「……はぁ、見舞いするぐらいだったら、フルーツぐらい置いてきゃ良いのによ」

 

 

花より美味い果物だろ。

 

なんて、俺は悪態を吐きながらも……その花を枯らさないように……毎日水を換えてくれって、看護師に頼んだ。



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#42 ブラン・ニュー・パワー part1

そわそわと、僕、ピーター・パーカーは落ち着かず辺りを見渡した。

ガラス張りの屋根。

外も明るいのに、それでも発光している電灯。

学校の体育館ぐらい広い部屋。

材質も分からない白くて滑らかな壁。

 

全体的にどこか芸術家の手が入ったような曲線がある。

 

つまり、普通の部屋ではない、と言う事だ。

 

そして、普通の部屋ではない場所の主も普通ではない。

 

僕は椅子に腰掛けて、その人を待っていた。

 

白塗りの壁に線が入って……開いた。

それが自動ドアだった事に今気付いて、開かなければ壁と一体化しているのだろう。

普段使いはしにくそうだな、なんて思った。

 

しかし、部屋の外から入って来たのは、僕の待ち人ではなかった。

中腰になっていた腰を、また椅子に下ろす。

 

そもそも入って来たのは人ですらなかった。

ロボットだ。

 

足の代わりに3つのタイヤがあり、上はアーム一本だ。

机のような取手にはグラスが乗っている。

 

そのロボットはゆっくりと僕の方へ走って来て、そのグラスを差し出した。

 

 

「あ、どうも……」

 

 

そう言ってグラスを手に取る。

 

……黒い、炭酸飲料だ。

多分、コーラ。

いや、十中八九コーラだ。

 

 

『こちらはコーラです』

 

 

ほらね。

目の前のロボット、ジャービスが喋った。

 

どう見ても前時代的なロボットだけど、実際は最先端のAIによって動く執事ロボットだ。

この目の前のロボットにAIが搭載されている訳ではなく、本体のスーパーコンピューターと通信し、遠隔操作しているのだ。

 

僕はコーラを一気に飲んで、グラスをジャービスに返した。

 

 

「それで……スタークさんは──

 

「待たせて悪いね。少し忙しくて」

 

 

そう言って少し大きな……自己主張の激しい声の大きさで部屋に入って来た。

年齢は40歳と少し。

髭を短く生やしていて髪も短く整えている。

黒いスーツ姿で、白いカッターシャツ。

だけど、首元にネクタイはなくて第二ボタンまで開けている。

 

律儀さと、自由奔放さ、その二つが容姿からも見てとれる。

彼が僕の待ち人。

トニー・スタークこと、『アイアンマン』だ。

 

『アイアンマン』。

ヒーローチーム『アベンジャーズ』の実質的なリーダーの一人で、天才科学者かつ、大企業『スタークインダストリー』の社長だ。

自作のアーマースーツを着て、『アイアンマン』として活動をしている。

僕の尊敬する先輩ヒーローだ。

僕をアベンジャーズに一時参加させたり、正体がバレないよう誤魔化してくれたり、学校の資金援助をしてくれたり。

親のいない僕にとって「父」……ではないにしろ、保護者みたいに思ってる。

一方的にだけどね。

 

 

「スタークさん!」

 

 

僕は立ち上がろうとして──

 

 

「あー、どうどう。ステイ、ステイ。ピーター、僕は男と抱き合う趣味はない」

 

 

右手をプラプラとさせながら、スタークさんが僕の前に立った。

 

指をパチン、と鳴らすと足元の床が開いて椅子が迫り上がってくる。

そのまま椅子にドサっと勢いよく座った。

 

 

「君も座りたまえ……あれ?コーラは?」

 

「……え?ジャービスから僕に渡されましたけど」

 

 

先程飲んだコーラを思い出す。

……あぁ、どうやらアレはスタークさんのだったらしい。

 

 

「……まぁ、良い。それで?ピーター、今日の要件は?君から来るなんて珍しいじゃないか」

 

「ま、まぁ……色々ありまして」

 

 

僕は目を泳がせた。

本当に色々あったけど。

 

主に──

 

 

「色々って……あれか?ビルをぶっ壊した件か?」

 

 

僕は驚いてスタークさんを見た。

知ってて当然、といった顔でジャービスから渡されたコーラを飲んでいた。

 

 

「知ってるんですか?」

 

「まぁ……僕が留守の間、何があったか。その辺はジャービスから教えてもらったよ。あと、ローディからも」

 

ローディ。

フルネームだと、ジェームズ・ローディ・ローズ。

軍人で、スタークさんの親友だ。

彼は『ウォーマシン』と言う名前でアベンジャーズにも参加しているヒーローだけど……。

 

 

「あれ?アベンジャーズってクリー帝国……だったかの戦いで、宇宙に行ってたんじゃないんですか?」

 

「ん?あぁ、行ってたよ。大変だったんだぞ?今はそれの後始末で忙しいんだ……分かるだろ?まともに書類仕事が出来るのは僕ぐらいだぞ。後は頭の硬い元兵士とか、宇宙を旅するピカピカ光るモヒカンとか、そんな奴等ばっかりだ」

 

 

苦虫を噛み潰したかのような顔でスタークさんが笑った。

 

そっか。

『ウォーマシン』はアベンジャーズの一員だけど、本職は軍人だから……宇宙に行かなかったんだ。

 

何となく分かった気がして、僕は頷いた。

 

 

「まぁ、その話はどうでもいい。終わった件について僕は興味がない。今は君の話だ、何の用だ?……おっと、可愛い女の子の落とし方は門外不出だ」

 

「……そんな事言ってると、またペッパーさんに怒られますよ」

 

 

ヴァージニア・ペッパー・ポッツ。

スタークさんの秘書で、奥さんだ。

 

 

「可愛いペッパーを妻にしたんだから、僕の技術は保証されたようなものだろ?ほら、そう言う事だ」

 

 

戯けるスタークさんを見て、僕は苦笑いをしつつ、ここ……スターク・タワーに来た理由を思い出す。

 

 

ここ最近。

沢山のスーパーヴィランと戦った。

リザード、ライノ、グリーンゴブリン……そして、レッドキャップ。

 

特にレッドキャップには負けっぱなしだ。

リザードだって……助けがなければ、グウェンの父、ジョージさんは死んでいた。

 

……力が必要だって思った。

それは勿論、訓練だってしている。

(ウェブ)を素早く、的確に撃つ練習をしたり、『アイアンフィスト』に武術指導を受けてみたり。

 

シニスター・シックスとの戦いの後から、色々頑張ってみた。

今日、ここに来たのも、強くなるためだ。

 

 

「あの、スタークさん?」

 

「何だ?僕は回りくどいのは嫌いだから手短に頼むよ」

 

「以前、作って頂いたスーツ。頂いても良いですか?」

 

 

あれは宇宙から敵が攻めて来た時に、スタークさんに作ってもらった赤と金色のスーツ。

名前は『アイアン・スパイダー』だ。

三つの爪が背中から生えていて……スーツ自体の衝撃吸収能力も凄くて……流石はスタークさんだなって思った。

 

そのスーツは、ニューヨークでの地道なヒーロー活動、『親愛なる隣人(スパイダーマン)』には過剰な力だとスタークさんに預かっていて貰っていた。

 

 

「……ふむ、ピーター?前に言ったこと覚えてるか?」

 

「『スーツがないとダメなら、スーツを着る資格はない』でしょ?」

 

 

以前、スタークさんに言われた言葉だ。

本質としては……力がなければヒーローになれないなら、なる資格がない。

過剰な力は、より大きな敵を引き寄せてしまう。

と言う話だ。

 

 

「そうだ。それで君は……それでも、スーツが要るのかね?ハイテクスーツが。君のいつも着ている手作りスーツじゃダメなのか?」

 

 

スタークさんが僕に問う。

 

力だけを求めるのは危険だ。

それは、分かっている。

それでも……。

 

 

「誰かを助けなきゃならない時。もし、その時までに出来る事があって……それでも、やらなかったとしたら……僕は凄く後悔するから」

 

 

もしも、あの時。

落下するハリーを……レッドキャップが助けてくれなかったら。

 

 

「誰かを救えなくて、後悔はしたくないんです。そのために、今出来ることは全部やっておきたい」

 

「そのために、僕の作ったスーツが要ると?」

 

「そうです。それが今、僕に出来る事だと思って……」

 

「分かったよ」

 

 

スタークさんが椅子を二回ノックして、立ち上がった。

椅子がシュッと下に下がって、床に戻った。

 

了承を貰えた僕は嬉しくなって、思わず席から立ち上がった。

 

 

「本当ですか?助かりま──

 

「いや、あのスーツはもう処分した。無いよ」

 

「……え?なんて?」

 

 

信じられない言葉が聞こえて、僕は耳を疑った。

 

 

「だから『アイアン・スパイダー』だっけ?あれ、もう無いよ。処分したから」

 

「え!?何でですか!?」

 

「あー、あ、ちょっとお静かに」

 

「……すみません」

 

 

思わず声を荒らげた僕は……悪くないだろう。

 

スタークさんが入って来た方の壁に向かって、歩きながら口を開いた。

 

 

「だってアレ、古臭いし……急拵えだったから納得行く出来じゃなかったし」

 

「……そんな」

 

「まぁ、落ち着け。ほら深呼吸、ひっひっふーって」

 

「それは深呼吸じゃなくて、妊婦さんのですよ」

 

「そうだったかな?」

 

 

惚けるスタークさんに呆れながらも、僕は首を傾げた。

 

……すると、ドアが開いてジャービスが戻って来ていた。

 

 

「どうもジャービス、ご苦労様」

 

 

そう言ってスタークさんは、ジャービスの台座から『何か』を取り上げた。

 

……それは腕時計だった。

高級品っぽく見えない。

頑丈そうな若者が付ける腕時計だ。

 

そのまま、手に持った腕時計を──

 

 

「はい、これ」

 

 

と言って、こちらに向かって放り投げた。

 

 

「う、うわわ!」

 

 

僕はそれを慌ててキャッチして……その腕時計が驚く程軽くて、中身の入ってない玩具なんじゃないかと疑った。

 

……表を見れば、ちゃんと現在時刻が表示されていたから、普通の時計なのだと納得したけど。

 

 

「……これ、何ですか?」

 

「ん?そうだなぁ……取り敢えず付けて」

 

 

僕は言われるまま、右腕に付けた。

……ちょっとカッコいいかも知れない。

 

 

「それで……ダイアル部分を開くんだ。パカって開くから」

 

「あ、はい……」

 

 

時計を開くと、そこには赤、青、黄色のボタンがあった。

 

 

「で、それを……青、赤、青、黄色の順に押すんだ」

 

「分かりました……青、赤?青?黄色……?」

 

 

僕はスタークさんに言われた通り、順にボタンを押した。

 

すると……その瞬間、視界が一瞬、真っ暗になった。

 

 

「うわあっ!?」

 

 

何かに覆われた。

その事に気づくのに、1秒もかからなかった。

 

即座に、視界が戻ってくる。

その視界には、まるでゲームのような……飛行機のコックピットのような画面が映っていた。

 

僕はスタークさんに抗議する。

 

 

「な、なんですか!?これ!?」

 

「おぉっと、まだ分からないか?ジャービス、鏡を」

 

 

スタークさんが指を弾くと、目の前にホログラム状の板が現れた。

それは今の僕の姿を写していた。

 

……スパイダーマンだ。

だけど、僕は今日、私服姿で来ていた筈で。

 

 

「これは……?」

 

 

それに……いつもの姿じゃない。

ボディ中央の黒い蜘蛛のマークは……白い。

蜘蛛の前腕部は僕の肩まで伸びている。

赤と青の配色は変わっていないけれど、所々に白いラインが入っている。

 

 

「そう!ナノマシン製のスーツだ」

 

「ナノマシン?」

 

 

聞き覚えはある。

ナノサイズ……ごく小さな……それこそ微生物レベルの大きさの機械の事だ。

じゃあ、これって。

 

 

「凄く小さな金属の集まりで、繊維状に合体している。強靭で壊れにくく……スーツとして着る手間もない。いつでもどこでもスーパーヒーロー活動……どうだ?君に今、一番必要なスーツだろう?」

 

「あ、ありがとうございます……」

 

 

僕は頷いて、礼を言った。

感謝よりも……今はちょっと、驚きの方が優っていた。

 

 

「ウェブシューター?だっけ?アレだけ無いから、後追いで用意する必要はあるけど。それぐらいは隠し持って手に装着する感じで。そこを小型化するのは君の課題だ。何でもかんでも僕にやって貰ってたら馬鹿になるからね」

 

 

そして、スタークさんがジャービスから紙束を手渡された。

分厚い参考書みたいな……それを、そのまま僕に投げた。

 

 

「わっ、ちょっ」

 

 

慌てて受け取り、中をパラパラを開く。

 

……凄い。

このスーツの構造や、メンテナンス方法……ナノマシンの作成方法まで載ってる。

 

 

「ナノマシンのメンテナンスキットは、後日君の家に郵送する。ま、ゲーム機程度のサイズだから床が抜ける心配をする必要はない」

 

 

至れり尽くせり……と言った内容に僕は感極まってしまいそうだ。

でも、何故、ここまで良くしてくれるのか……。

 

そう考えた瞬間、見透かしたようにスタークさんが語りかけて来た。

 

 

「はぁ……君は将来有望だ。僕ほどじゃないけど。能力がある。心構えもある。善人で……まぁ、ちょっと騙され易そうだけど。科学技術にも明るい。……まぁ、つまり、何だ?」

 

 

スタークさんが恥ずかしそうに自分の頭を掻いた。

 

 

「そう、ヒーローとしての素質は充分。これから僕がもっと歳を取って……ヒーロー活動出来なくなった時。次にアベンジャーズになるのは君達、若者だ」

 

「スタークさん……!」

 

「おっと、勘違いするなよ?まだ素質があるだけで、アベンジャーズに相応しいとか何とか思ってないからな。これからの話だ。君はまだヒヨコだ。僕みたいなニワトリ……あぁ、クソ。例えが悪いな、まるで僕が臆病者(チキン)みたいじゃないか」

 

「スタークさん……」

 

 

結局締まらない……少し、剽軽な態度に苦笑いしつつも、僕は頷いた。

 

 

「よし、話は終わりかな。スーツは胸の蜘蛛の部分を自分の指で4回素早くタッチしたら解除されるから」

 

「え?えーっと、はい」

 

 

言われた通り操作すると、スーツが消えてなくなった……元の姿に戻っていた。

 

 

「ナノマシンは全部、腕時計の中だ。……特に名前はつけてないけど、『スパイダー・ブレスレット』とか……いや、ダサいな。やめておこう」

 

 

笑いながら、スタークさんが歩き出した。

僕も釣られて歩き出す。

 

 

「ところでピーター、今日、他の予定は?」

 

「いえ、ないですけど……」

 

 

だって今日は土曜日だ。

学校も休みで……バイトも……バイト先が壊れた所為で無い。

……デイリービューグルのビルはまだ修復中だ。

 

 

「じゃあ、昼食でも一緒に食べよう……ハンバーガーは好きか?」

 

「好きです」

 

「じゃあ良し。聞きたい話があるなら、その時に聞こう。年長者としてアドバイスぐらいはしてやる……僕って良い奴だろ?」

 

 

そう言うスタークさんは……まぁ、本当に面倒見が良い人だから、否定はできない。

 

 

「じゃあ、さっきの件で聞きたい事が一つ……あるんですけど」

 

「さっき?何だ?」

 

「あの……『可愛い女の子の落とし方』について、ちょっと聞きたくて……」

 

 

そう言うと、スタークさんは目を数度パチパチさせて……正気か?と言った顔で僕を見つめて来た。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

「どうだ、ティンカラー」

 

 

私は、ティンカラーが……何やらよく分からない装置で、私の……レッドキャップとしてのスーツを弄っている所を後ろから見ていた。

 

 

「あー……もう、短期間に何回も壊しすぎだよ」

 

 

そう言ってブツブツと文句を言いながら、何やら装置でスキャンしている。

画面上に様々な項目が出ているが……私にはさっぱり分からない。

 

 

「……直せるか?」

 

「どうだろうねぇ」

 

 

投げやりな態度に私は不安になる。

 

 

「それが……スーツがないと困るんだ。スーツが無ければ……私は」

 

 

……悪人(ヴィラン)として活動出来ない。

スーツがなければ……私は『レッドキャップ』になれない。

 

 

「…………そうか」

 

 

呆れたような……納得したような、首を捻って、ティンカラーが頷いた。

 

 

「そうだねぇ、修理だけじゃなくて改修も要るんじゃないかな。キャプテンと戦った時も壊れてたし……更なるアップデートが必要。違うかい?」

 

「……確かに……そう、なのか?」

 

 

正直、このスーツに不満は無い。

スーツの衝撃吸収能力には何度も助けられている。

 

これが無ければスパイダーマンとも戦えない……ジェシカ・ジョーンズにだって一方的にやられていただろう。

 

 

「だから、二ヵ月」

 

 

ティンカラーが指を二本立てた。

 

 

 

「……長すぎないか?」

 

「二ヶ月でスーツの改修案の企画!練り上げ!実際の作業!ついでに、武器の用意までするんだ。二ヶ月なんてあっという間さ……寧ろ、短過ぎるぐらいだよ?」

 

「……確かに?」

 

 

普段、ティンカラーの作業速度が早すぎるだけで、勘違いしていたのかも知れない。

 

 

「寧ろ、僕に感謝して欲しいだね。って、事で二ヶ月間はスーツ無いから」

 

「……だが、スーツがなければ私は」

 

組織(アンシリーコート)には言っておく。まぁ……長期休暇だと思えば良いよ?」

 

 

両手をヒラヒラと、ティンカラーが振った。

 

 

「丁度、君、もう少しで学校の夏季休暇だろ?」

 

「……そう、だが」

 

「良いじゃないか、夏休み。学生なんだから。友達と海に行ったり、山に行ったり……そういうのも大切だと僕は思うなぁ」

 

 

私は眉を顰めた。

 

学生……ミッドタウン高校の高校生……それは偽りの身分だ。

それに執着している事を……組織(アンシリーコート)に近い筈のティンカラーには知られたくなかった。

 

 

「分かった……」

 

 

渋々……と言ったフリで頷く。

 

……内心は少し嬉しいが、それを隠して返事をする。

ポーカーフェイスは得意だ。

 

 

「それじゃあ、完成したら、組織(アンシリーコート)経由でまた連絡するから」

 

 

ティンカラーが手を振って……私は彼の工房を後にした。

 

 

夏が、始まる。

 

 

……下水道が熱くて、腐って臭い季節だ。

私は咽せた。



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#43 ブラン・ニュー・パワー part2

6月末。

少し気温が高まってきて、暑くなってくる季節。

空は快晴だが、照り付ける太陽は鬱陶しいぐらいだ。

 

ふと、端の席にいるミシェルを見ると……太陽を眩しそうに目を細めて睨んでいた。

 

 

「それじゃあ夏季休暇の間も……あまりハメを外さないように。それと、夏期旅行の集合時間には遅れないように!」

 

 

眼鏡をかけた長身の教師が、ホワイトボードの前で号令をかけた。

生徒達は各々、席の横にかけていた鞄を取り出して教室から出て行く。

 

……明日から夏季休暇だ。

7月と、8月まで。

合計二ヶ月の休みだ。

 

休みの間に夏期旅行と言う、教師と、学年の生徒で旅行するイベントがある。

今年はフロリダ州のマイアミ。

そして、マイアミと言えば『マイアミビーチ』……つまり海だ。

夏に相応しい旅行先だ。

 

旅行時の班メンバーは割と生徒間で自由に決められるため、僕とネッド、ミシェルとグウェンの四人だ。

 

グウェンはまだ復学していないけど……夏期旅行までには帰ってくると言っていた。

……元気になってると良いけど。

 

ネッドが車椅子の押し方と何とか、その辺を勉強していたので僕は感心していた。

彼女に不自由させまいと言う、ネッドなりの気遣いのようだ。

 

僕もそれに倣って、介助について勉強させて貰った。

ただ……トイレとか、お風呂とか、その辺はミシェルに頼む事になりそうだ。

それを言ったら、グッとサムズアップしていた。

やる気は十分あるらしい。

 

みんな、良い友人だ。

僕は友達に恵まれてるな、なんて思った。

 

 

さて、それはともかくとして。

 

 

「ピーター……助けてくれよ……」

 

 

そう言って、僕の机の前で情けない顔をしているのは。

 

 

「ネッド……」

 

 

ネッド・リーズ、その人だ。

 

 

「夏季の課題、一緒にやろうぜ……?な?」

 

 

夏季休暇には宿題が付いてきている。

とは言っても、それほど量は多くない。

僕は頑張れば、一日で終わるぐらいの量だ。

 

ただ、ネッドは三日ぐらいかかるらしい。

これは恐らく、勉学への理解度の差だ。

まぁだってネッドは……学年では中の下ぐらいなのだから。

 

 

「……見せるのは無しだからな?」

 

「わ、分かってるよ……?」

 

 

いや、これ絶対分かってないだろ。

課題を見せてもらおうと姑息な事を考えている友人に呆れつつ……ふと、ミシェルが席から居なくなっている事に気づいた。

 

……あれ?もう先に帰ったのだろうか?

 

 

「ネッド、ミシェルが何処に行ったか知らない?」

 

「……は?ピーター、ミシェルなら──

 

「後ろ」

 

 

唐突に背後から声が聞こえて、僕は振り返った。

ぼすん、と何かに当たって……それがミシェルだった事に気付いて僕は席から転げ落ちそうになった。

 

 

「わ、うわ!ご、ごめん……」

 

「ん……?何か謝る事、あった?」

 

 

そう真っ直ぐな目で見られれば……僕は黙らざるを得なかった。

愛想笑いをしていると、ミシェルが僕が座ってる席の側面に移動してきた。

 

……ネッドを立たせているのはどうでも良いけど、ミシェルを立たせているのはちょっと悪いかも。

 

そう思って席を立とうとして……ミシェルが僕を一瞥して首を傾げた。

 

 

「どうしたの?ピーター?」

 

「あ、いや。僕だけ座ってるの……何だか悪いなって」

 

「……気にしなくても良いのに」

 

 

そう言うとミシェルは隣の、誰も座っていない席から椅子を二つ拝借して僕の席に寄せた。

 

ネッドがミシェルに礼を言って座り、ミシェルも隣に座る。

そうなると、僕が立ってる理由もなくなる訳で。

 

……そんなに長く話し込むつもりは無かったのだけれど。

 

 

「それで……ええと」

 

 

驚いたり色々していて、何の話をしていたのか忘れてしまっていた。

すると、ミシェルに脇を突かれた。

 

 

「ピーター、夏季の宿題の話」

 

「あ、そうそう」

 

 

どうして話している当人より、ミシェルの方が分かっているのか謎だ。

 

 

「それでピーターよぉ、明日!図書館で一緒に課題やろうぜ?な?」

 

 

そんな僕の戸惑いをよそに、ネッドが懇願するように言ってくる。

 

 

「明日はダメだ。バイトがあるから……」

 

「はぁ?バイトぉ?」

 

「……あれ?ピーター、デイリービューグルのバイト……また出来る様になったの?」

 

 

ミシェルが訊いてくる。

 

 

「まぁね。でも、それとは別だよ」

 

 

デイリービューグルはまだ半壊中だ。

ただプレハブ小屋で普通に営業はしていて、ちゃんと新聞は発行している。

幸いにもPCが無事だったようで、ボロボロのビルから持ち出して使用している。

 

……ちなみにジェイムソンのPCは無事ではなかった。

ショッカーが吹っ飛ばしていたのを僕も見た。

 

 

ま、それはともかく。

明日のバイトはデイリービューグルとは関係ない話だ。

 

 

「今はピザの配達バイトをしてるよ」

 

 

そう言うとネッドが訝しげに聞いてくる。

 

 

「オイオイ、ピーター?バイトの掛け持ちって……何かお金に困ってるのか?」

 

「ん、良かったら……貸す?」

 

 

ミシェルが財布を手元に取り出した。

 

 

「あ、いや、良いって……ちょっと、欲しいものがあって」

 

「そっか」

 

 

ミシェルが財布をカバンにしまった。

 

……好きな女の子に金を借りるなんて……あまりにも、情けなさすぎる。

 

 

そもそも。

 

 

……僕が今、お金を貯めてるのって、ミシェルに渡すプレゼントの為だし。

借りたお金でプレゼントなんて……ありえないよ。

 

先日、スタークさんから教えてもらった『可愛い女の子の落とし方』について思い出す。

 

 

曰く「女の子にはプレゼントが一番だ。物欲的過ぎる?何も分かっていない。男がウンウン唸って自分のために必死に考えたプレゼント……そりゃ気持ちがこもってるのは女の子も分かるさ。気持ちが大事なのは当然だ。でも手作りと既製品、どちらに気持ちがこもっているか?なんて、貰う側次第で不安定だ。そこで、その子が欲しかったものをズバリと当ててプレゼント……これは及第点だが、満点ではない。真の満点と言うのは、女の子が欲しいと思ってなかったけど、貰ったら『欲しかった』気がするアイテムを選ぶ事だ。これがベスト。だから、僕はアクセサリーをプレゼントする事にしてる。趣味が合うように選べば問題ない。分からない?それは君がリサーチするんだ。……まぁペッパーにはクレジットカードを渡して好きな物を買うように言ってるけどね。それはどうでもいい。ただ安物は気を付けろよ?お金をかけていれば良いと言う話ではないが、純粋にかけたお金の額だけ、女の子は分かりやすく『私の事これだけ想ってくれてるんだ!』って思うんだ。分かるだろ?つまり────

 

 

長い。

いや、長すぎる。

要約すると『良いプレゼントを買って気を引こう』と言う話だ。

 

夏期旅行中のマイアミでアクセサリーを買ってプレゼントする。

これが僕の目標だ。

……マイアミはリゾート地だから、そう言う施設も多い。

今の内に稼いどこうなんて考えて、必死にバイトしているという訳だ。

 

 

閑話休題(それはともかく)

 

 

「それじゃあ、明後日……開館時間の10時に図書館でどう?」

 

 

僕はそう提案した。

出来るだけ早く終わらして……まぁ、夕方ぐらいには解散したいからね。

 

 

「了解」

 

「ん、分かった」

 

 

……あれ?

 

 

「ミシェルも来るの?」

 

「……え?」

 

 

単純に来ると思って無かったから聞いたけど……ミシェルは「来たらダメなのか」って聞かれたように感じたようで……凄いショックを受けた顔をしている。

 

だ、だってミシェル……勉強、僕より出来るし……。

まさかそんな、来るとは思ってなかったし。

 

……グウェンが居たら脇を肘で刺されていると思う。

って、そんな事考えてる場合じゃなくて!

 

 

「あ、ご、ごめん、ミシェル!いや、全然来て貰って良いから!」

 

「……うん」

 

 

楽しみだ、と笑うミシェルを見て……ただ勉強会するだけなのに、そんなに楽しいのかな?なんて僕は思った。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

そして、勉強会と言う名の「夏季休暇の課題を終わらせる会」当日。

 

折角、隣室だからと……いつも通り朝はドアの前で待ち合わせた。

 

夏休みに入っていつもの時間より出発時間が遅いので、シャワーを浴びてから部屋を出た。

 

鍵を締めていると、丁度、隣室のドアが開く音が聞こえた。

 

 

「あ、ミシェル?おは──

 

 

そこで僕は固まってしまった。

……黒と白のチェック柄の……スカート。

 

ミシェルがスカートを履いていた。

……ふ、普段はズボンとかショートパンツしか履いてないのに?

 

スラリと伸びた足は、凄く細くて。

黒いニーソックスは、ショートパンツの時と全く変わらないのに……何故か僕の目には違って見えた。

確かに、スイーツフェスタに出かけた時もスカートだったけど、アレはロングスカートのドレスだったし……こう、言ったら悪いかも知れないけどミシェルがこんな……その、女の子っぽい服を着ているのが珍しく感じて──

 

 

「おはよう、ピーター」

 

 

……声が聞こえて、正気に戻った僕は即座にミシェルへと目を戻した。

 

スタークさんも「女性の足や、胸を凝視するな!君が思っている以上に相手は気付いているぞ」と言っていた。

 

……ば、バレてないだろうか?

 

露骨に目を逸らしすぎるのもマズイかと、僕はミシェルの目を見て……コバルトブルーの瞳が僕の目を真っ直ぐと見つめていた。

 

……疑ってる素振りや、嫌がってる素振りは見えない。

 

 

「きょ、今日はスカートなんだ。珍しいね?」

 

 

挙動不審にならないように気をつけて、ミシェルへと声をかける。

 

 

「そう。スカートはあんまり履かないから」

 

「そ、そうだよね?」

 

「うん。でもコレは特別」

 

 

スカートを摘んでパタパタと動かす。

 

目、目が、目は、目を、向けないように……。

……スタークさん、これすっごく辛いよ。

 

 

「これは……グウェンが選んでくれた服だから」

 

「……そっか、そうなんだ」

 

 

目を細めて、嬉しそうに……大切そうに語るミシェルに僕は頷いた。

 

そして、ミシェルは僕の手元の時計……スタークさんから貰ったスーツ腕時計を見て、口を開いた。

 

 

「……そろそろ行かないと。遅れたらネッドがかわいそう」

 

「あ、うん。それもそうだね」

 

 

申し訳ないと言う気持ちはあっても、ネッドに可愛そう……なんて感情が湧く気はしなかった。

一人残されて涙目で待つネッド……いや、ないな。

 

ミシェルの後ろを追って、僕は歩き出した。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

勉強会は思ったより早く終わった。

終わった順は、僕、ミシェル、ネッドの順だ。

 

ミシェルは時折、ネッドの勉強を見てたので僕より少し遅れていた。

僕が終わった後は、僕がネッドに着いてミシェルは自分の課題に集中していた。

 

そうして僕達は、3時前には図書館から出ていた。

 

 

折角だからと、三人でよく行く喫茶店に入った。

 

ずるずると音を立てて、ミシェルがクリームソーダを啜っている。

……真っ赤なシロップ漬けのチェリーがプカプカとコーラの上に浮いてる。

大切そうにして……最後に食べるつもりだろうか。

 

ミシェルは甘い物を本当によく美味しそうに食べる。

……彼女以外の三人が、見てるだけで胸焼けするほど食べる。

 

 

あれ?

そう言えば。

 

 

「ミシェルってさ、バイトとかしてるんだっけ?」

 

「ん……んぐっ……うん?」

 

 

アイスを飲み込み、頷いた。

 

こうやって沢山甘い物を食べているけど……お金の出所ってどこなんだろうな……ってちょっと思った。

だって家族の話もしないし……そういう話はちょっと聞き辛いし。

 

 

「何やってるの?」

 

「あ、それ俺も気になる」

 

 

ネッドもそれに同調して、訊いた。

 

そして、訊かれた当人であるミシェルは。

 

 

 

一瞬、ストンと表情が全部落ちたような顔をして……また少し微笑んだ表情に戻った。

 

 

 

僕は目を疑って、ネッドの方を見たけれど……彼は気付いていないらしい。

見間違い?

それにしてはハッキリと見えたと思うけど……。

 

僕が少し悩んでる内に、ミシェルが口を開いた。

 

 

「ゴミ掃除……かな」

 

「掃除?」

 

 

……そう言えば、ミシェルはよく「掃除をしている」とか何とか言っていたような。

それがバイトだったんだ。

 

 

「そう。掃除。街にあるゴミを片付けて綺麗にするバイト」

 

「「へぇ……」」

 

 

意外な内容に僕とネッドは驚いた。

……だって、何と言うか……ミシェルは可愛いし、ウエイトレスとか接客業とかしてるんじゃないかって思った。

頭が良いから会計の手伝いの可能性も……。

 

……やっぱり、この話は止めよう。

何だかミシェル、話したがってない気がするし。

 

僕は無理矢理、話題を変えた。

 

 

「そう言えば、再来週には夏期旅行だね」

 

「そうだなぁ」

 

「うん」

 

 

二人が頷く。

 

そして、ミシェルが頬を緩めた。

 

 

「グウェンが帰ってくるの……楽しみ」

 

「そっかそっか、そうだよなぁ。二人は仲良いもんな」

 

 

ネッドが同調して頷く。

 

確かに、ミシェルとグウェンは仲がいい。

出会ってまだ一年も経っていないのに、凄く仲良しだ。

 

……あ、でも。

グウェンがミシェルを友達だと思っているのに違いはないけど、彼女はミシェルを小動物のように可愛がってる節がある。

 

過保護だし。

 

……今頃、グウェンも寂しがっているのだろうか。

寂しがって居そうだな。

 

 

そして。

 

 

「グウェンと一緒に、水着も買ったし」

 

 

爆弾発言が投下された。

 

 

「うぇっ?」

 

 

思わず変な声を出してしまった。

 

そうだ。

夏期旅行先はマイアミだ。

……グウェンが自由時間中にビーチに行きたい!

と声高々に言っていたじゃないか。

 

ミ、ミミ、ミシェルの水着?

 

……あ、ダメだ!

意図的に頭が回らないように気を逸らす。

 

 

「へ、へぇ?水着買ったんだ」

 

「うん。……結構、恥ずかしいけど」

 

 

恥ずかしいやつ!?

 

……僕は自分の脛を強くつねった。

好きな女の子の魅力的な姿を見たいと思うのは健全な事だろうけど……そんな、鼻を伸ばしたらダメだ。

 

ど、どうにか、ライノの顔を思い出す。

……よし、一気に萎えて、落ち着いてきたぞ。

 

 

「あーでもよぉ。グウェン次第じゃね?」

 

 

そして、ネッドがそこに水を差した。

 

確かに。

グウェンの怪我の治癒次第だ。

今はどうなってるか分からないけど……足がダメなら、博物館とか、ショッピングとか、そう言うのを選ばないと仲間外れになって可哀想だ。

 

 

「うん、確かにそう……ちょっと無神経な事、言っちゃったかも」

 

 

そう言ってミシェルが意気消沈して、しょんぼりとした顔をした。

それは海に行けなくなりそうで悲しいと言うより、グウェンへの配慮が足りなかった自分を恥じている様子だ。

 

そんな様子を見たくなくて、僕は口を開いた。

 

 

「でも、楽しみにするのは良いことだよ。グウェンだって……治ってたら行きたいだろうし」

 

「そうそう、ミシェルが気にする事じゃねーよ」

 

「……うん」

 

 

こくり、と頷いたミシェルを見て僕はネッドを一瞥した。

彼も安心したような顔をしている。

 

 

「……早く、グウェンに会いたいな」

 

 

そう言いながら、ミシェルはクリームソーダのチェリーを食べた。

シロップで味付けされて、甘味しかなくなったチェリーを大事そうに食べていた。

 

 



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#44 ブラン・ニュー・パワー part3

二週間後。

夏期旅行の初日……そして、グウェンが帰ってくる日だ。

 

私はそわそわとしながら、ミッドタウン高校の校門で待っていた。

 

キョロキョロと周りを見渡すが、グウェンが来る気配はない。

 

ピーターとネッドは先にバスへ向かっていた。

 

今日は朝から集合して、学校の貸し切ったバスに乗って全員で移動する。

 

……二人で良い席を確保してくれてるらしい。

 

 

グウェンからの連絡は無かったけど、父のジョージさんからは連絡があった。

予定通り来れるらしい。

 

グウェンはスマホも持っていないらしく、ジョージさんも入院先の病院から連絡を貰ったとか、なんとか。

……スマホは、グリーンゴブリンとのゴタゴタで壊れたとの話だ。

 

なので今、私はジョージさんから預かったスマホも持っていた。

これはジョージさんが買って、契約も更新したスマホだ。

 

グウェンの新しいスマホで、ジョージさんからの退院祝い。

私はそれを渡す大役を承ったのだ。

 

予定時間から五分を切った頃……真っ黒な高級車が校門の前で停まった。

 

窓ガラスはマジックミラーになっていて、中は見えない。

 

……もしかして、グウェン?

 

そう思って、でも勘違いしていたら恥ずかしいので……焦ってる様子を見せないようゆっくりと歩いて近付いた。

 

ガチャリ、と音がして高級車のドアが開いた。

 

車は防音設備がしっかりしていたみたいで、ドアが開いた瞬間……声が聞こえた。

 

男性の声と、聞き覚えのある女性の声。

 

 

それは……。

 

 

「グウェン……」

 

 

車から降りようとするグウェンに、思わず駆け寄ってしまった。

 

……そこには事件前みたいな、健康そうなグウェンの姿があった。

 

杖も持っていないし、車椅子もない。

 

 

「グウェン!」

 

 

少し、大きな声で話しかけてしまった。

そして、思ったよりも声が大きくて恥ずかしくなってしまった。

 

そのまま抱き着こうとして──

 

 

「あ……ミシェル!久しぶり!」

 

「わぷっ」

 

 

突然、視界が真っ暗になった。

それがグウェンによって抱きしめられていたのだと、解放されてからようやく気付いた。

 

夏なのにタートルネックのシャツを着ている。

頭には黒いカチューシャを付けている。

 

短パンで涼しそうな格好をしているからこそ、首まで覆うシャツに違和感を感じていた。

 

 

「ひ、ひさしぶり」

 

「ミシェル〜!会いたかったよ、ホントに!」

 

 

ガシガシと頭を撫でられる。

 

 

「う、ぐ、ぐ」

 

 

首が左右に揺れて、まともに喋る事も出来ない。

 

……何だか。

長期間離れていた所為なのか、前よりもスキンシップが激しくなっている気がする。

 

 

いや、そもそも。

 

 

「グ、グウェン?」

 

「なに?どうしたの?」

 

 

私の頭に手を置いたまま、グウェンが首を傾げた。

 

 

「足、大丈夫……なの?」

 

「え?……あぁ、そう?うん、大丈夫よ。大丈夫」

 

 

指でピースを作って、私の目の前で見せる。

 

……これには凄く驚いた。

だって、グウェンのカルテ……私も見たから。

脊椎損傷による歩行困難……そんな、一ヶ月とかそこらで治療出来る物じゃない。

そもそも治るかどうかも分からなかった筈だ。

 

それが一ヶ月で元通り?

……私みたいな治癒因子持ちでもないのに。

ヒーローのスーパー医療でも受けて治ったのだろうか?

治療能力を司るヒーローは結構多いし……。

 

疑問は尽きない。

それでも──

 

 

「治ったんだ……良かった」

 

 

それでも、良かった。

グウェンがまた、笑顔で歩けるようになって。

……少し、目が潤んでしまうほど嬉しかった。

 

 

「ありがとう。でも、治ったって訳じゃないんだよね」

 

「……え?」

 

 

思わず涙を引っ込めて、呆けた顔をしてしまった。

 

 

「神経部分は治ってないし、根本的には治ってないよ。でも、歩けるように対処したってだけ」

 

 

……私は首を傾げた。

 

 

「ど、どういうこと?」

 

「んー?怪我は治ってないけど、ちょっと体に──

 

「グウェンさん」

 

 

そこで、車の中に居た男性から声をかけられた。

……あ、しまった!って顔でグウェンが口に手を置いている。

 

車の中を覗きこむと、スーツ姿の男が居て……会釈された。

え?はい?どうも……?

 

 

「ま、まぁ、そんな感じ。普通に生活する分には変わらないから大丈夫!ミシェルは気にしなくて良いよ!」

 

「う、うん?」

 

「ほら、遅刻しちゃったら旅行に行けなくなっちゃうし!行こ、行こ!」

 

 

勝手知ったる様子でトランクを開けて、グウェンが鞄を取り出した。

病み上がりだし、持ってあげようと手を伸ばしたけど、グウェンがそのまま鞄を手に持った。

……彼女の方が身長は高いので手が届かなかった。

 

私は釈然としないまま、彼女の後ろを歩く。

 

トランクを閉めると、車を運転していた男性が窓から顔を出した。

 

 

「それでは、グウェンさん。お気をつけて」

 

「あ、はいはい!ありがとう、コールソンさん」

 

「いえ、では」

 

 

グウェンが頭を下げたのを確認して、その高級車は走り去った。

エンジンの音は静かだった。

 

誇示するための高級車としてではなく、実用も兼ね備えている。

私はそう感じた。

 

 

「……今の人は?」

 

 

私がグウェンに訊くと、少し悩むような素振りを見せた。

 

 

「ん?あ、あぁ〜。あの人?コールソンさん」

 

 

コールソン?

 

 

「……なんの人?」

 

 

答えになっていない。

 

整った茶髪に、黒のスーツ。

着こなされたスーツからは礼儀と几帳面さを感じた。

……只者じゃない雰囲気が漂っていた。

 

少なくとも医療関係者っぽく見えない。

 

 

「えっと、私が入院してた病院のスタッフ?」

 

 

……絶対、医療関係者じゃないと思うけど。

ヤクザとかマフィアとかだと言われた方が納得出来る。

 

でも、まぁ……。

 

 

「そうなんだ」

 

 

深く聞くのも、グウェンを困らせるだけだと納得した。

……そもそも、病院が変わって面会断絶になったのも訳分かんないし。

一ヶ月で歩けるように戻ってるのも理解出来ないし。

 

良い結果になっているのだから、それだけで満足して良いかな。

 

グウェンに隠し事をされている気がして、少し複雑な心境だ。

 

 

私は鞄にしまっていたスマホをグウェンに渡す。

ジョージさんからの退院祝いだと聞くと、嬉しそうに喜んでいた。

 

私はそれを見て満足して頷いた。

私もグウェンの笑っている顔が見れてハッピーだ。

 

……そう言えば。

 

 

「そのカチューシャ、かわいい」

 

「え?そう?やっぱり?」

 

 

グウェンは頭に黒いカチューシャを付けていた。

イメチェン……だろうか?

 

 

「これね……?ちょーっと頭に傷が残ってるから、それを隠すのに丁度良くてさ」

 

「え?うぁ……ご、ごめん」

 

 

唐突に話された言葉に、私は思わず謝った。

迂闊に触れて良い内容ではなかった……と後悔する。

 

 

「気にしなくて良いって!もう、ミシェルってば」

 

 

グウェンが私の頭を強めに撫でる。

ぐ、うぉ、頭が揺れる。

 

 

「私もう気にしてないし!良い女の条件はポジティブ、アンド、ポジティブなのよ?」

 

 

ニコ、と笑うグウェンからは……確かに、入院時の暗さはもう無かった。

辛さを隠してる……って感じもしない。

入院前と同じぐらい元気だ。

 

私は安堵してため息を吐く。

 

 

「ほらほら、ミシェルも元気出して!……そうだ」

 

 

グウェンが手持ちの鞄を漁って、中からビニールの袋を取り出す。

 

……それは?

 

 

「……チョコ?」

 

「そ、チョコでも食べる?」

 

 

そう言って、グウェンが袋の中から小分けされたチョコを取り出して、私に近付ける。

 

……甘い物に目がない私は、思わずそれを手に取ろうとして。

 

 

ひょい、と避けられた。

 

 

「ぐ、グウェン……?」

 

 

目の前でチョコに避けられ、思わず私はグウェンの顔を見た。

 

まさかこんな意地悪をするなんて。

何というか、グウェンらしくない。

 

 

「え?あ、違う違う。これは違うの!ほ、ほら」

 

 

そう言って、またチョコを近付ける。

 

なるほど。

お茶目な悪戯と言う奴か。

 

私はまたチョコに手を伸ばして。

 

 

私の手は宙を空ぶった。

 

 

「ひ、酷い……!」

 

 

思わず涙目になりながら、グウェンに抗議する。

すると、グウェンが慌てて手を振った。

 

 

「あ、ちょっ、ちょっと待ってね……」

 

 

グウェンが私に背を向けて、スマホを取り出して耳に付けた。

そのまま、ボソボソと何か小声で喋っている。

 

 

……あれ?あのスマホ、渡したばかりだから連絡先なんて、ジョージさんや私ぐらいしか無い筈だけど。

 

 

……いや、そもそも。

グウェンがチョコを持っているのが不思議な気がする。

それも、袋が結構大きかった。

お得サイズって感じの、そんな袋だった。

 

でも、グウェンは甘い物がそんなに好きじゃない筈だ。

好みが変わったのだろうか?

 

それとも、私の為に買ってきたのか?

 

……でも、病院から直接、学校に来たのだから寄り道なんてするのだろうか?

あの真面目そうなコールソンって人と?

 

私が首を傾げていると、グウェンがこっちに振り返った。

 

 

「よし。はい、どうぞ」

 

 

そう言って、今度はちゃんと私の手にチョコを置いた。

 

……疑問は尽きない。

でも、彼女が幸せそうならまぁ……良いのかな。

 

そう思いながら、口にチョコを入れた。

……カカオの風味が強めで、少し苦かった。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

「「え?」」

 

 

僕とネッドは……ミシェルの横で「当たり前のように」歩いてきたグウェンに驚いた。

……ネッドに至っては手に持った鞄を落としていた。

 

 

「よっ、ナードども!元気してた?」

 

「あ、うん」

 

「はい……」

 

 

思わず驚いて敬語になってしまったのも、仕方のない事だと思う。

 

いや、だって……え?

あんなに重傷だったのに?

 

ネッドも複雑そうな顔をしている。

グウェンが不自由しないように頑張るぞ!

なんて息巻いていたのに。

 

いやでも、元気な事はいい事だ。

 

 

「元気がないなぁ……あ、ちょっとピーターはこっちに」

 

 

グウェンに声を掛けられて、バスの裏に連れていかれる。

 

……ネッドはミシェルに質問を投げかけている。

多分、グウェンの事だろうけど……ミシェルも首を傾げていた。

 

 

「ど、どうしたの?」

 

「ミシェルと、どうなったかなーって」

 

「どうって?」

 

 

僕は質問の意図が掴めなくて、首を傾げた。

 

 

「……え?一ヶ月もあったのに何も発展なかったの?」

 

 

そこで、グウェンの発言に対する意図が掴めた。

グウェンは僕の恋路を応援してくれている。

……いや、正確にはミシェルが恋人を作るのに応援していると言った感じだ。

別に僕じゃなくても良いらしい。

 

 

「……あ、ありえない。どんだけ……?」

 

 

勝手にドン引きしてるグウェンに、僕はムッとした。

 

 

「で、でも、今回の旅行でちょっとは……」

 

「今まで何もアクション起こして来なかったのに、夏の雰囲気に騙された程度で何とかなると思ってるの?」

 

「ぐ、うぅっ……」

 

 

ぐうの音も出ない。

 

 

「もうホント幻滅したわ。ダメなオタクね。ダメオタク。クソナード。……やっぱ、ハリーの方かなぁ?」

 

「ちょっ、何でそこでハリーが出てくるんだよ」

 

「ん?ん〜?高身長、イケメン、高学歴、金持ち、スポーツ万能、コミュニケーション能力は二重丸!ハイスペ男子よ?クソナードと比べるのも烏滸がましい」

 

「うっ……」

 

 

また、ぐうの音も出ない。

 

喋れば喋るほど、メンタルにダメージが入ってくる気がしてきた。

 

 

「ミシェルって自己肯定感低いでしょ?自分を好き好き言ってくれる彼氏でも出来たら、ちょっとはポジティブになるかなぁって思ってたんだけど……はぁ〜、ピーターには荷が重かったかなぁ」

 

 

そう言って、目を細めて鼻で笑った。

 

す、凄くムカつく……でも図星だから何も言えない。

 

 

「ぼ、僕だって……!」

 

「ふぅん?そう思うのなら、ホントに努力しなさいよ?……よし、今回の旅行でジャッジしてあげる。私が協力するに足る存在か、否か」

 

 

グウェンが僕の頭を叩いた。

な、何様のつもりなんだ?

 

だけど、女子友達なんてグウェンぐらいしか居ないし……従うしかない。

 

 

「取り敢えず……バスの席ね。ピーターはミシェルの隣に座りなさい」

 

「え、ちょっ、隣!?ミシェルの隣はグウェンが座るんじゃないの!?」

 

「バカ、そうしたいのは山々だけど……いっつも私がべったり張り付いてたら、いつまで経っても進捗ないでしょ?そこはほら、勇気を振り絞って、ね?」

 

「わ、わかった」

 

 

僕は首を振って頷いた。

それを見て、グウェンがニヤリと笑った。

 

 

「よし、じゃあ戻るよ。私はネッドの隣に座るから」

 

 

僕とグウェンがバス前に戻ると、丁度ミシェルとネッドの話も終わっていた。

 

 

鞄をバスの下部分に入れて、乗り込む。

 

……レゴのミニフィグ、小さな人の形をした玩具が置いてある席がある。

ネッドがそれを手に取って、鞄に片付けた。

 

そして、それを見たグウェンが目を細めてネッドをつついた。

 

 

「……ねぇ、何それ?」

 

「え……?ボバフェットと、パルパティーン皇帝?」

 

「いや、そうじゃなくて……もしかして、これ置いて席の確保してたの?」

 

「そうだけど」

 

 

グウェンが口を開こうとして……閉じて。

呆れたような顔をして、目を逸らした。

 

……うん、まぁ、ちょっとだけ気持ちは分かる。

何で旅行にレゴ持ってきてるんだって話だよね。

 

 

「あ、ミシェル。ちょっと良い?」

 

「ん……何?」

 

「私、窓際が良いからネッドの隣座るね」

 

「ん、わかった」

 

 

グウェンがごく自然に窓際に座り、ネッドが隣に座った。

 

よくよく考えるとミシェルの隣に座らない理由にはならないのだが、物事は勢いが大事だ。

さも当然のように話す事で、疑問を抱かせずに物事を成し遂げる……いや、そんな大それた話ではないんだろうけど。

 

 

「じゃあ、私。ピーターの隣で良い?」

 

 

そして、消去法的にミシェルは僕の隣へ座る事になった。

 

心の中でガッツポーズしつつ……僕はニヤついた顔を見せないよう努めて凛々しく頷いた。

 

そして、全員がバスに乗り込んで……出発した。

 

目指すは、ニューヨーク空港。

そこからマイアミの国際空港へ……そしてまたバスに乗ってホテルへ。

 

それが今日の予定だ。

ホテル到着時には夕方ぐらいになってるから、特に何処にも行けないけれど。

 

実際に自由時間があるのは明日からだ。

 

 

僕はグウェンに言われた通り、ミシェルに話しかけようとして……こつん、と重い何かが僕に傾いてきた。

 

 

それは後頭部だった。

 

薄い色素の金髪の……頭だ。

 

 

「えっ」

 

 

それがミシェルの後頭部だと気付いて、心臓がバクバクと大きく音を立てた。

 

……な、なんで!?

 

そう思って、顔を覗き込むと──

 

 

ミシェルは口を半開きにして寝ていた。

 

 

あ、うん、そうだよね。

 

今日の集合時間は早かったし。

朝も早かったし。

仕方ないよね。

はは。

 

……はぁ。

 

 

僕はミシェルを起こさないよう、静かに過ごす事にした。

……仄かに、女性物のシャンプーの匂いがして頭がくらくらする。

 

前の席からグウェンが覗き込んできて、僕の顔を見た。

そして、ミシェルを一瞥して……ため息を吐いて顔を逸らした。

 

 

こうして僕は、この夏期旅行の始まりで。

幸先の全く良くないスタートを切ったのだった。



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#45 ブラン・ニュー・パワー part4

結局。

 

ミシェルは空港に着くまで寝ていた。

 

バス停に停まってみんなが降り始めても、それでも寝ていた。

 

小声で声を掛けても起きなくて、肩を叩こうと思ったけど……いや、ちょっと、この状況で触るのは不味いかと何とか躊躇ってたら、グウェンが起こして連れて行った。

 

起こした瞬間のミシェルは……フニャフニャで意識が朦朧としたまま連れ去られて行った。

 

グウェンが僕に向ける目はすごく厳しかった。

視線で「情けない」と非難されているように感じる。

……夏なのに背筋が冷えてしまった。

 

 

さて。

 

 

ニューヨーク市内の空港からマイアミ国際空港まで、飛行機で3時間ほど。

飛行機内の席は決まっていたため、残念ながら僕はネッドの隣だ。

 

ミシェルはグウェンの隣。

飛行機に乗り込む頃には昼近くになっていて、ミシェルも目を覚ましていた。

機内食を不味そうに食べていたのが印象に残っている。

そんなに嫌なら残せば良いのに、渋い顔をしながら完食していた。

 

僕はミシェルに聞こえないよう、ネッドとノートで筆談し今後の打ち合わせをしていた。

 

今日の夕方から、マイアミ市内の大きな商業施設、マイアミ・ベイサイドマーケットプレイスに行くチャンスがある。

勿論、学校での夏期旅行だし、個人での行動は禁止だ。

だけど、自由時間内であれば班行動が可能……つまり、僕とネッド、グウェン、ミシェルの四人なら行動できる。

 

晩御飯は学校が手配したホテルで早めに食べるので、夕食後にすぐ移動して……そこで、ミシェルへのプレゼントを買うつもりだ。

……勿論、事前に店も決めてあるしリサーチ済みだ。

 

ただ班行動故に、ミシェルも付いて回る。

いや、それが嫌だとは全く思わないんだけど、ただプレゼントを買っている場面は見られたくない。

ネッドには彼女の気を逸らして貰う事とする。

……後でグウェンにも言っておく必要があるかも。

 

 

 

そうやって作戦を練ったり、飛行機内で映画が見れる事に二人ではしゃいだりしてると飛行機がマイアミに到着した。

 

フロリダ州、マイアミ。

白い砂浜、青い海。

照り付ける直射日光。

 

……馬鹿みたいに熱い。

僕は元から薄着だったから大丈夫だったけど、ネッドは暑そうにシャツを脱いでタンクトップ姿になっていた。

 

グウェンもジャケットを脱いで、手に持っている。

 

ミシェルは……うん、彼女も丈の短いシャツを着ている。

暑そうに裾をパタパタとしていて──

 

グウェンに叱られていた。

はしたない、とか、恥じらいを持て、とか。

そう、怒られていた。

 

……うん、いつも通りだ。

彼女は何故か……自分が年頃の女の子だと言う認識が薄い。

最近スカートを履き始めたけど、その辺も若干心配になる程ガードが甘い。

 

……中が見たいか?と言えば見たいと言えば見たいし、そりゃ好きな女の子の……まぁ、見たいけど。

それは合意の上で見せて貰う事に意味があって、覗きであったり、彼女の隙を見て盗み見したりとか、そう言うことがしたい訳では──

 

 

 

閑話休題(それはともかく)

 

 

 

空港から泊まる先のホテルまで、またバスで移動だ。

今度こそはと意気込んでいると、ミシェルが黙って僕の隣に座った。

 

バスが動き出して、どうやって話しかけようか……なんて悩んでいると。

 

 

「ピ、ピーター?」

 

 

ミシェルが話しかけてきた。

 

 

「どうかした?ミシェル」

 

 

僕は努めて、冷静に返事をする。

 

 

「行きのバスでピーターを枕にしてたみたいで……グウェンから聞いたけど……その、ごめん。何時間も。迷惑だったと思う」

 

 

……ミシェルは僕よりも身長が少し低い。

160センチあるか無いか、それぐらいだ。

 

だから、座高もそれなりに低い。

椅子に座って、至近距離の僕と話をする際、必然的に下から見上げるような姿勢になる。

 

……つまり上目遣いだ。

しおらしい事を言いつつ謝ってくる彼女の、上目遣い。

 

それは凄まじい破壊力で……僕の頬が少し熱くなった気がした。

 

 

「大丈夫だよ。寧ろ全然、枕にして貰って良いって言うか……」

 

 

あぁ、拙い。

変な事を口走ってしまう僕に、呆れる事もなくミシェルが笑った。

 

 

「ありがとう。ピーターはやっぱり優しい」

 

 

そう言って褒めて貰えれば、天に昇るような気持ちになる。

 

……でも、しかし。

そうやって会話の中で「あれ?この娘、僕のこと好きなんじゃないの?」って思わせるようなワードを連発するミシェル。

実際は、恐らく何も難しい事を考えていないけど……無防備だ。

 

グウェンが危機感を覚えているように、僕も彼女を守らなければ……と思ってしまう。

 

そこまで全部折り込み済みで、彼女が意図的に思わせぶりな発言をしているなら、相当な悪女という事になりそうだけど。

 

……空港内で買っていた、キャラメルとピーナッツをチョコでコーティングした菓子を貪るミシェル。

口が小さいからか、まるでリスみたいな仕草だ。

 

そんな姿からは悪女の才能なんて1ミリも無いように見えるけど。

 

 

「……ん?」

 

 

僕の視線に首を傾げながらも、ミシェルはチョコ菓子を食べていた。

……アレ、僕が食べるとクチャクチャと咀嚼音を立ててしまうんだけど、彼女は無音で食べていた。

コツとかあるんだろうか?謎だ。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

マイアミ・エピック・ホテル。

海が見えるホテルだ……いや、別のビルに邪魔されて、あんまりハッキリ見えないけど。

窓から見える景色の半分が海で、半分はビルの壁だ。

 

まぁ、あんまり良いホテルとは言えない。

この夏期旅行は学生が積み立てた学費と……国からの支援で成り立っている。

それほど贅沢は言ってられないのだろう。

 

 

「水しかねぇ!」

 

 

ネッドが部屋の冷蔵庫を漁って文句を言っている。

僕達学生……教師も含めて、みんな二人一部屋取っている。

相部屋、もしくはツインって奴だ。

 

僕の相方はネッド。

ミシェルはグウェンと。

 

部屋の割り当ては結構自由だったから、友人間で決めていたりする。

……これ、ハブられてる人いるかも知れないなって思うと結構胃が痛いけど。

 

ネッドが水を開けて飲んでいる。

部屋の冷蔵庫にはミネラルウォーターが四本入っていた。

……見た事ない会社のラベル。

どう見ても安物だ。

 

ホテルにチェックイン後、晩御飯を食べて今は部屋に戻ってきている。

 

今は夜の7時だ。

自由時間は10時まで。

10時にはホテルのロビーで点呼に出なければならない。

 

三時間しか自由時間はない。

ミシェルとスマホで連絡を取って、ロビーで集まる。

女子の部屋は男子と別フロアになっている。

ちなみに、女子側は男子フロアへ入っても良いけど、男子側は女子フロアに入ってはならない。

 

 

 

エレベーターに乗って降りてきたミシェルとグウェンと合流し、ベイサイドマーケットプレイスに移動する。

 

幸い、僕達の泊まってるホテルは目的地に近い。

 

既にリサーチ済みの僕は、パンフレットをグウェンに渡した。

楽しそうに「ここ行こ!あそこにも!」なんて言ってるグウェンを見ると……元気になって良かったな、って思う。

 

 

 

少なくとも、この時はそう思っていた。

そう、この時は。

 

 

 

女性向けの服屋に直行するグウェンに引き摺られるミシェル。

そして、追いかける僕とネッド。

 

何やら買って手荷物が増えていくグウェン。

そして持たされるネッドと僕。

 

 

流石にムカっとして抗議した。

そしたら、ミシェルが──

 

 

「ごめん。これ私のだから、私が持つね……」

 

 

って言うから。

僕とネッドは押し返せずに、結局持つ事になった。

 

何でも、ミシェルの服をグウェンが選んでいるらしい。

ミシェルはそれの言う通りに買っていると言う訳で。

 

一ヶ月もミシェルと離れていたから、凄まじく飾りたい欲求が暴走しているらしく、僕達には彼女を止める事が出来なかった。

 

 

元気すぎる。

元気過ぎて僕らが困るほどに。

 

 

僕とネッドはため息を吐きながら、グウェンについて回った。

 

 

 

そうして、2時間が経過した。

 

 

……流石に危機感を持った僕は荷物をネッドに預けて、グウェンに駆け寄った。

このままでは目的が果たせない。

 

幸い、ミシェルは試着室に入っている。

今がチャンスだ。

 

 

「グ、グウェン。ちょっと良いかな……」

 

「ん?何?ピーター」

 

 

悪びれる様子も一切なく、こっちに振り返った。

 

 

「あの、ミシェルの事なんだけど──

 

 

そこで僕の計画について話した。

プレゼント計画だ。

 

 

「……なーるほど?ちなみに、アクセサリーって何を買うつもり?」

 

「えーっと、ネックレスかな」

 

 

これはスタークさんからの助言だ。

服や、指輪、腕輪みたいなのは調整が利きづらく、本人が試着してから選ぶ必要があってサプライズプレゼントには向かないとか。

 

それを誰から聞いたか、とかは抜いて話すと──

 

 

「ふーん?ナードにしては結構考えてるじゃん。良いよ、協力してあげる」

 

 

グウェンが頷いた。

 

 

「私がここでミシェルを止めておくから、今のうちにネッドと行ったら?……ネッドの持ってる荷物は私が預かってあげるから」

 

 

そう言って、ネッドから荷物を引ったくった。

 

……元々、ミシェルのために買ったとは言え、グウェンの手荷物じゃないか。

何て、口が裂けても言えないけど。

 

 

 

とにかく、僕とネッドは服屋から離れた。

少し早足で離れていると、ネッドが僕に質問した。

 

 

「で、ピーター。目星の店ってのは?」

 

 

もちろん、リサーチ済みだ。

マイアミで結構有名な、ティーンエイジャー向けのアクセサリー店。

 

 

「あ、えーっと、パンフレットによると……ここ──

 

 

臨時閉店中。

 

そう、看板には書かれている。

シャッターも閉まっている。

 

 

「……なんだけど?」

 

「ダメじゃん」

 

 

僕は足元から崩れ落ちた。

 

 

「お、終わった……」

 

「ど、どうすんだよ?」

 

 

呆れた様子で問いかけてくるネッドの声も遠い。

 

 

「二人の所へ帰ろう……」

 

「ピーター、ちょっと諦めんの早すぎだぞ……お前」

 

 

だ、だって。

僕、女性向けアクセサリーの良し悪しなんて分からないし。

評判が良い店だから、多分喜ばれるかな、なんて考え方で来たし。

ここ以外の店は分からないし、情けないけど僕の計画はここまでのようだ。

 

 

僕はとぼとぼと歩いて、グウェンたちの元へ戻る事にする。

 

 

 

「……そこの兄さん、そこの店が閉まってて困ってるのかい?」

 

 

……そう声を掛けてきたのは、露店を開いている年配の女性だ。

木でできた屋台の前で絨毯を広げて、地べたに座っている。

 

 

「あの、すいません……急いでるので」

 

 

怪しげ……とまでは行かないが、ちゃんとした店よりは信頼し辛いのは確かだ。

ベイサイドマーケットプレイス内に開いている事から、露店商売の資格はちゃんと持ってるんだろうけど。

持ってないと警備員に取り締まられるからね。

 

 

「まぁまぁまぁ……あそこに行くって事は、気になる女の子へのプレゼントだろう?違うかい?」

 

「……分かるものなんですか?」

 

 

図星を指された僕は、興味本位で店員さんに近付く。

ネッドも胡散臭そうな顔をしながら、続いて来る。

 

 

「あんな所へ男だけで行くのは、女性経験のない男ぐらいだからね」

 

「……うっ」

 

「大方、評判が良いからって何も考えずに来たってことだろう?間違ってはないけどね。彼女へのプレゼントなら、彼女を連れてくる筈さ」

 

 

ズバズバと言い当てられて、僕は少し気まずくなって頬を掻いた。

 

 

「……ウチにあるよ、女の子向けのアクセサリー」

 

「……本当ですか?」

 

 

運の良いことに、この露店はアクセサリー商だったらしい。

 

……いや、運じゃないな。

普段繁盛してるアクセサリー店が閉まってるから、その近くで客寄せしてる賢しい人なんだろう。

 

年配の店員さんが屋台からアクセサリーを幾つか見せてくれる。

 

 

「あ、でも僕、そんなにお金は……」

 

 

自分の財布事情から少し遠慮をしてしまう。

 

 

「青春してるガキンチョを応援するのが楽しいのさ、この歳になるとね」

 

 

そう言って店員さんがケラケラと笑った。

……かなり胡散臭い笑い方をするけど……うん、ちゃんと露店商の資格を持ってる人だから詐欺とかはしない筈……だよね?

 

 

「……ほい、これはアクリルガラスのアクセサリーだね。値段もそんなにしない」

 

 

そう言って出してきたのは、バラを象った綺麗な、透明なガラス細工のネックレスだ。

 

 

「……良いかも」

 

「だろう?」

 

 

そう言って、箱から二つ、色の違うネックレスを取り出した。

 

赤いバラと、青いバラだ。

 

 

「バラには花言葉があってねぇ……赤は『愛』とか『恋』だよ」

 

「……愛、恋」

 

 

復唱してると、少し恥ずかしくなって目を逸らした。

 

 

「なんだい、恥ずかしがり屋だねぇ。好きな女の子へのプレゼントなら、それぐらい情熱的なのが丁度いいのさ」

 

「……そ、そうですか。じゃあ赤を──

 

「待ちな。せっかちな男は嫌われるよ。青も聞いてからにしな」

 

「は、はい」

 

 

すっかりペースを握られてしまった僕は、露店商の言う事に耳を傾ける。

 

 

「青は『奇跡』さ」

 

「……奇跡、ですか?」

 

「そう、『奇跡』。でも昔は『奇跡』じゃなくて、『不可能』だったのさ」

 

「……え?全然真逆じゃないですか?」

 

 

僕は困惑して聞き直した。

 

 

「うむ。元々ね、青いバラは自然界に存在しなかったのさ。だから『不可能』って意味を持っていたのさ。だけどね、ちょっと前に遺伝子改良によって誕生した……それこそ、不可能と信じず成し遂げた奴らがいるのさ」

 

 

露店商が青いバラのアクセサリーを手に持つ。

アクリルガラスのバラが、光を乱反射して輝く。

 

 

「……だから『奇跡』なのさ。不可能を可能にする人間の力って事だよ」

 

「それって……なんか、良いですね」

 

「だろう?」

 

 

僕は頷いた。

……凄い、良いと思えた。

『奇跡』か……。

 

 

「じゃあその、青い方を……」

 

 

それに、ミシェルの目も綺麗な青だ。

そういう意味でミシェルっぽくて良いかも知れない。

 

 

「毎度ぉ。値段はコレね」

 

 

そう言って、露店商が伝票を見せた。

 

……う、ギリギリ予算から足りない。

 

 

「……ネッド?」

 

「ん?なんだよ」

 

 

呼んだら後ろから、ネッドがやって来る。

そして、財布を取り出して固まっている僕を見て……察したようで、呆れてため息を吐いた。

 

 

「貸し、一つな」

 

 

そう言って、僕に100ドル札を1枚渡してくれた。

 

 

「あ、ありがとう!絶対返すよ……」

 

「当たり前だ。再来月までには返せよ?デススターの発売日なんだよ」

 

 

頷きながら、露店商に金を払い、そのアクセサリーを買った。

小さな木箱に入っていて……うん、凄く良い雰囲気だ。

 

 

露店商に感謝を告げて、僕達はグウェン達の所へ戻る事にした。

 

……ちょっと想定より遅れてるから、少し早歩きで移動して、元の場所に来た。

 

 

けど。

 

 

「あれ?二人は?」

 

 

居なかった。

少し心配になってスマホを取り出すと……。

 

 

ちょっと別の店も見てくるね〜!(笑顔)

 

 

と、ミシェルから通知が来ていた。

……いや、これ絶対グウェンが打ってるだろ。

 

ミシェルはもっと簡潔で、他人行儀なメッセージを……うっ、言ってて悲しくなってきた。

 

時間は20分前。

……僕らが露店へ向かって直ぐじゃないか。

 

まぁ、別行動を促した僕も悪いけどさ?

学校側から、元々班行動するように注意されているのに。

 

慌てて僕はミシェルに電話を掛ける。

グウェンがスマホを新しくしたのは知っているけど、連絡先を交換し忘れていたのだ。

 

多分、グウェンがミシェルのスマホを使ってメッセージを飛ばしてきたのも、それが原因だと思う。

 

 

二度のコールの後、誰かが出た。

 

 

「はひ、もひもひ」

 

 

……何かを口に含んでいる。

 

 

「あの、ミシェル?」

 

「……んく、はい?」

 

 

何かを飲み込んで……ミシェルが返事をした。

 

 

「あの、今どこにいるの?」

 

「えっと……アクセサリー店に来たんだけど……閉まってて……」

 

 

僕は頭を抱えた。

 

……完全に入れ違いじゃないか。

ミシェル達は僕達が先程まで居た場所にいるらしい。

 

 

「グウェンもそこにいる?」

 

「ん、いる。代わる?」

 

「……いや、代わんなくていいよ」

 

 

僕は、ため息を吐きつつ、元の場所に向かった。

 

 

……グウェンが手荷物を幾つか持っている。

ミシェルも持っている。

二人は紙袋を横に下ろして、椅子に座っている。

 

ミシェルは……何だかカラフルなアイスを食べていた。

若干、毒々しい虹色をしている。

 

グウェンはそれを向かいで見ているだけだ。

何も食べていない。

 

 

「ふ、二人とも……」

 

「ん?あ、ごめんごめん!服屋見飽きて移動しちゃった」

 

「……はぁ」

 

 

楽しそうに笑うグウェンを見て、僕はため息を吐くしか出来なかった。

文句なんて言えない。

 

だって、彼女は昨日まで一ヶ月も入院していたのだから。

久々の自由で気が緩んでしまっているのだろう。

間違いない。

 

グウェンは反省の色を見せず笑ってる。

ミシェルは……申し訳なさそうな顔をしながら、アイスを食べる手を止めない。

……あ、うん、そうだね。

溶けるからね、アイスは。

 

時間が無くなったので、僕達はホテルに戻る事となった。

 

……いや、ネッドは完全に付き合わされた形で申し訳ないな。

 

ネッドがグウェンから荷物を押し付けられて持っている。

 

……彼女が怪我で困ってたら俺が助けるぞ!

なーんて言ってたから……まぁ、うん。

役には立ってるから……微妙な形とは言え、果たせているのだろうか。

 

僕もミシェルの荷物を預かった。

女の子に荷物を持たせないのが男の嗜み……ってスタークさんが言ってた。

多分、スタークさんに言われてなくても荷物は持ってたと思うけど。

 

ミシェルはグウェンと違って、本当に大丈夫?って顔をしていた。

申し訳なさそうにしつつ、僕が持ちたがってる事を察して、それ以上は何も言わなかったけど。

 

グウェンに連れられて、僕達はホテルへと戻った。

 

……ちなみに、本当に点呼ギリギリになってしまって慌てる羽目になってしまった。

お陰で疲れて、夜はぐっすりと眠れたけどね。



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#46 ブラン・ニュー・パワー part5

青い空!

照り付ける太陽!

白い砂浜!

 

そして思ったよりも多い人ごみ。

 

……僕は折りたたみのパラソルとクーラーボックスを持って、砂浜に突っ立っていた。

ネッドも同じく。

 

細やかな白い砂は足触りが良いけど……光を反射して、上の太陽と合わせて上下から僕の体を照り付ける。

……日焼け止めを塗って来たけど正直心配だ。

帰る頃には肌が真っ赤になってるかも知れない。

 

僕達は今、マイアミビーチに来ている。

夏期旅行二日目……ほぼ丸一日自由時間だから、今日はクラスのみんなも遠出したり遊びに出掛けている。

 

トランクス型の海パン一丁である僕らは、そこでグウェンとミシェルを待っていた。

 

……ネッドが口を開いた。

 

 

「な、なぁ、ピーター?」

 

「……何?」

 

 

暑過ぎて気怠くなっている僕は、雑に返事をする。

 

 

「もう先にパラソル立てねぇか?暑過ぎだし、直射日光キツいし……女子組おせーし」

 

「あ……うん、得策かも」

 

 

僕達は更衣室の前で待ってるんだけど……思った以上に二人の用意が遅い。

 

……女子の着替えは時間がかかるって聞いてたけど、この直射日光の下では耐えられそうにない。

 

ネッドに更衣室の前で待って貰いつつ、僕は良い感じの場所を探す。

 

……あんまり人が多くなくて、遠過ぎない場所。

更衣室から少し歩いて、妥協できる位置に来た僕はパラソルを立てた。

 

地面にもシートを敷いて、プラスチック製の杭を立てる。

クーラーボックスを置けば……風にも負けない、拠点の出来上がりだ。

 

……ちょっとクーラーボックスをズラす。

杭を強めに押し込む。

パラソルを傾ける。

 

凝り性を誰に見せる訳でもなく発揮していると──

 

 

「お、もう組み終わってるじゃん。ありがと〜」

 

 

と言うグウェンの声が背後から聞こえた。

 

振り返ると。

水着を着たグウェンの姿があった。

 

黒い、臍の上から首の上まで覆う、露出度の低い水着。

と思えば、下はビキニみたいなタイプ。

 

少し珍しいタイプだけど……まぁ、似合ってた。

 

自信満々に着こなす彼女に、僕は一瞬目を奪われた。

 

 

「む?私のセクシーさに悩殺された?……まぁ、ナードはお断りだけど」

 

「はは……」

 

 

でも、何というか……こう、派手なのを好む彼女からしたら控え目な感じがするけど。

 

ネッドが後ろからため息を吐いて、荷物をシートの上に置いた。

 

僕らや彼女達の着替えは更衣室のロッカーにある。

ここに持ってきてるのは飲み物とか、軽食、あとビーチボールぐらいだ。

 

 

……あれ?

ミシェルは……?

と思って見渡すと……グウェンの後ろに隠れるようにして居た。

 

グウェンは身長が高くて、ミシェルは小さいから、隠れやすいのかも知れない。

 

 

「ほら、ミシェル」

 

 

グウェンが振り返ってミシェルの背中を押す。

 

あぁ、そう言えば。

水着が恥ずかしいとか……図書館で言っていたな。

 

ミシェルが押されて僕の前に出てくる。

 

……グウェンが露出度の低い水着を着ていると思ったけど、ミシェルはそれ以上だった。

 

上は半袖の、ファスナーが前面についた白いラッシュガード。

下はスカートのようなフリルのついた薄い水色の水着だ。

 

 

…………よし、耐えた。

 

大丈夫。

取り乱してはいない。

 

思ってたより露出が低くて、何とか、本当に何とか耐えた。

 

……スカート状の水着から伸びる素足に視線が向かないよう、全力で逸らしつつ、僕は口を開いた。

 

 

「ミ、ミシェルも水着似合ってるね」

 

 

……若干上擦った声で、僕は言う。

全然耐えられてない。

グウェンが半笑いで僕を見ている。

 

 

スタークさんが言っていた。

「女性が普段と違う格好をしていたら絶対に褒めろ」と。

 

 

そう……高さ100メートルを越すビルから飛び降りるよりも勇気を持って、僕は言葉を口にしたのに。

 

一瞬の、緊張。

 

その後、ミシェルが少し笑って、頷いた。

 

 

「ありがとう、これグウェンに選んでもらった」

 

 

グウェンが鼻を高そうにして、自慢げに腕を組んでいた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

ネッドが必死にビーチボールを膨らませている。

空気入れが古いのか若干壊れていて、手応えもなくシュコシュコと音を立てている。

 

グウェンがそれを見て爆笑しつつ、クーラボックスに入ってる飲み物を飲んでいる。

 

……酷い光景だ。

搾取する人間と、搾取される労働者の姿だ。

 

現代の縮図だ。

 

 

 

誰かが荷物番をしなければならないという話になって、最初はネッドが一人で立候補していた。

 

だけど、一人は可愛そうだとか言ってグウェンもネッドの横に居座った。

 

結局、二人組で交互に遊ぶ事となり、僕とミシェルは水辺まで来ていた。

 

 

「……ぬるい」

 

 

海水を足で突いて感触を確かめるミシェルに、僕は微笑ましくて笑ってしまった。

太陽光に当たって、海水の温度が上がって温くなっているんだ。

 

 

「ミシェルは海、初めて?」

 

 

因みに僕は初めてではない。

……いや、凄く嫌〜な理由なんだけど、海外へ人身売買を狙うチャイナタウンのマフィア達と、スパイダーマンとして定期的に戦っているからだ。

何度か海に落っことされて、海水を飲んだ経験がある。

 

スーツに海水が染み込むと、洗濯しても磯臭さが抜けなくて……結局新調しなくちゃならなくなるから海では戦いたくない。

 

それに、海と言ってもマイアミビーチみたいな綺麗な海じゃない。

工業廃水も流れ出てる汚くて濁った海だ。

 

僕が臭いを思い出しかけて必死に忘れようとしている中、ミシェルが口を開いた。

 

 

「私……海に入るの、初めてじゃないけど。ここでは初めてかな」

 

 

……少し、分かり辛い不思議な表現をするミシェルに内心、首を傾げつつも頷いた。

 

多分、ここ……この国ではって事かな。

ミシェルは元々、別の国の人だったらしいし。

何でも、ラトベリアって言うヨーロッパの方で生まれたとか言っていた。

 

 

「何度も見た事はあるんだけど……あんまり、ね」

 

 

そう言ったミシェルの顔には、海にあまり良い思い出がないような顔だった。

 

だから。

 

 

「じゃあ、いっぱい楽しまないとね」

 

 

その良くない思い出を、良い思い出で上書きできたら良いなぁ……って漠然と思った。

 

僕の言葉に少し、ミシェルは驚いたような顔をした。

僕がここまで踏み込んだ話をするなんて、思わなかったのだろう。

 

そして、嬉しそうに笑った。

 

 

「うん、ピーターとなら楽しい思い出も作れそう」

 

 

……だからと言って、僕の心を掻き乱そうとするのは辞めて欲しいけど。

一々、発言が男心をくすぐる様な……本当に心臓に悪い。

 

 

ミシェルが海に足を踏み入れて、手で海水を撫でた。

一々、所作が綺麗だ。

無駄がないと言うか……遊びがないと言うのか。

まるで全ての動作が、洗練されたテーブルマナーのようだ。

 

何かバレエとか新体操のような、身体を動かすスポーツをしていたのだろうか?

 

分からない。

 

……僕はまだ、ミシェルの事を全然知らないのかも知れない。

 

表面上の彼女だけを見て惚れているのだから、僕は浅はかな人間だ。

だけど、彼女が見せてくれる内面は優しくて、思いやりに溢れた一面だけだから。

 

きっと、どこまでも。

彼女の瞳のように、透き通ったコバルトブルーの海のように。

綺麗な存在なんだって、僕は思っていた。

 

いつか、彼女が僕に自分の事を詳しく話してくれるように……立派な人間になりたいと思った。

強いだけじゃなくて、賢いだけじゃなくて、優しくて、誰からも尊敬されるような、そんなピーター・パーカーに。

 

 

「……ピーター?」

 

「あ、え?何?」

 

 

遠い目をしていた僕は、慌てて近くに目を向けた。

ミシェルが僕の顔を見てる。

 

 

「ぼーっとしてた」

 

「う、ごめん」

 

「ううん、咎めてる訳じゃなくて……何を考えてたのかなって」

 

 

……言える訳がないけど。

 

 

「綺麗だなって」

 

 

君が──

 

 

「うん。海、凄く透き通ってて、綺麗」

 

 

あ、うん。

察する筈もなく。

 

 

「ところで、ピーター。その腕につけてるの、いつもの時計?」

 

 

ミシェルが訊いてくる。

 

 

「あ、うん。これ防水だから」

 

 

指差されたのはスタークさんから貰った腕時計……そして、ナノテクスーツだ。

この旅行中にスーツを着るつもりはないけどね。

備えあれば憂いなしって言うし。

 

まぁだけど、今日は休暇だ。

少なくとも、夏期旅行中は絶対に着たくない。

一人の学生として、夏を楽しみたいんだ。

 

 

 

少し、砂浜から離れて腰まで海に浸かる深さに来た。

これ以上は深い場所に行くつもりはないけど。

 

でも、この辺りになると人も少なくなってきて、僕とミシェルの二人、遠く離れた場所に来たような錯覚を覚えた。

 

砂浜の方を見ると……遠くで、ネッドとグウェンが協力して浮き輪を膨らませていた。

 

あ、ネッドが余所見してる。

視線の先には……綺麗な女性だ。

 

それに気付いたグウェンがネッドを蹴り飛ばして……ネッドは砂浜に転がった。

 

僕はそれを若干呆れて見ていた。

グウェン、一ヶ月も入院してたとは思えないほど元気だ。

 

 

すると、ミシェルの声が背後から聞こえた。

 

 

「……そう言えば、ピーター。見て欲しいものがある、けど」

 

 

そう、言われて僕は振り返りつつ、口を開いた。

 

 

「へぇ、何かな?」

 

 

僕が振り返ると……ミシェルが自分の着ているラッシュガードのファスナー、そのスライダーに手を掛けていた。

 

そして──

 

 

ジジ、ジ、ジジジ──

 

 

と。

 

 

「え?」

 

 

ファスナーを下げ始めた。

 

一瞬、息が止まった。

思考も、止まった。

 

な、なにをやってるんだ?

 

そのままファスナーを下げ切って、ラッシュガードの面を開いて──

 

 

「わ、ちょっと!ミシェル、そんな!」

 

 

僕は慌てて視線を全力で逸らした。

 

 

「……どうしたの?ピーター」

 

 

不思議そうな声に視線を戻すと……そこには、ラッシュガードの隙間から、ビキニのトップスが見えた。

 

……そ、りゃそうだ。

水着に決まってるじゃないか、全く!

 

白い肌に、下のスカート上の水着と同じ色をしたトップスだ。

 

分かってる。

分かってるんだ、それが水着だって事は。

 

だけど、シャツの様なラッシュガードの下から見えるって言うのが、凄く背徳感を煽っていて。

 

 

バシャリ。

 

 

僕は海水を両手ですくって、自分の顔にぶつけた。

 

 

「ほ、本当にどうしたの、ピーター?」

 

 

うぅ、海水が髪の毛に張り付いてベタつく。

口元が若干しょっぱい。

 

それでも、少しは冷静になれてミシェルを直視する事が出来た。

 

 

「いや、ちょっと目に砂が入ってね」

 

「す、すな?」

 

 

困惑するミシェルをよそに、逆に質問をする。

 

 

「水着、凄く似合ってるけど……どうして見せてくれたの?」

 

 

だって、凄く恥ずかしいって言ってたじゃないか。

人に見せたくないから上にもう一枚着ていたんだって、安易に想像できる。

 

 

「だって、ピーターに見せたかったから」

 

 

うぐっ。

 

手で太腿を抓る。

よし、まだ僕は正気だ。

 

しかし、今の発言もそうだけど……その、聞いた人に勘違いされてしまうと思う。

僕はミシェルがどんな人か分かってるから、勘違いせずに済むけどね。

 

グウェンじゃないけど、僕もミシェルにお小言を言いたくなってしまう。

いつか、誰かに傷付けられないように。

 

 

「そっか、嬉しいよ。でも、あんまりそう言う事を色んな人に言うと──

 

「言わない」

 

 

ミシェルに遮られる。

 

 

「私が言うのは、ピーターだけ」

 

 

その瞬間、時が止まったような気がした。

 

 

「え?」

 

「だって──

 

 

 

次の言葉を一つも聞き逃さないよう、意識を集中する。

 

 

 

「ピーター、紳士だから。何があっても私に、手を出さないと思うし」

 

 

 

……今、この気持ちを表すとしたら。

 

 

 

年末、宝くじを買って一等を見ている時に。

途中まで番号が合ってて、それこそ億万長者!?ってなってる時に。

最後に確認して見たら、実は全然違くて惜しかった、みたいな。

 

 

そんな。

 

 

「ははは」

 

 

最悪な気分だ。

勝手に盛り上がって、勝手に盛り下がってるんだから、誰が悪いって僕が悪いんだけどさ。

 

ミシェルは多分、僕の心臓をドキドキさせて破壊しようとしてる暗殺者だ。

間違いなく。

 

急転直下でテンションが下がった僕は、それでも彼女に悟られないよう楽しそうに笑う。

 

 

その瞬間。

 

 

遠くで、悲鳴が聞こえた。

 

 

聞こえた方を見ると……。

 

……巨大な水の怪物だ。

 

 

「……うげ」

 

 

水がまるで人型になったような姿で、数メートルの大きさになっている。

陸地の近くで巨大化して、人を一人、掴んでいる。

 

見覚えがある。

 

名前は……『ハイドロマン』。

液体になったり、液体を取り込んで巨大化したり。

そんなスーパー能力を持った悪い奴だ。

出会った時は女性を誘拐しようとしてた。

 

一回だけ、戦った事がある。

 

その時よりも遥かに大きいサイズに、僕は彼が海水を取り込んだんだって瞬時に分かった。

 

 

「……ピーター、あれ」

 

「ミシェル、避難しよう」

 

 

僕はミシェルの手を引いて、グウェンやネッドの方へ向かう。

 

 

「あ、おい、ピーター!」

 

「ごめん!離れてた!逃げないと!」

 

 

グウェンや、ネッドと一緒に避難する。

 

……そうだ。

僕は今日、休暇なんだから。

 

スパイダーマンも休暇だ。

そんな、人助けなんて……あぁ、もう!

 

 

「ごめん、ちょっと忘れ物したから!ネッドとグウェンはミシェルをよろしく!」

 

「ちょっと、ピーター!?」

 

 

グウェンの声が聞こえる。

ネッドの声もだ。

 

僕は振り返らず、逃げる人混みに逆らって、走る。

 

 

ヒーローに休暇なんて無い。

泣きそうになりながらも、それでも助けを呼ぶ声があれば。

 

僕は──

 

 

水着のズボンに隠しておいた小型化されたウェブシューターを腕につける。

木でできた建造物の後ろに隠れて……右手の時計を開いた。

そのままナノマシンを起動して、スーツを装着する。

 

 

僕は、スパイダーマンだ。

 

 

僕はウェブシューターから(ウェブ)を放って、ヤシの木を使ってスイングする。

 

海水で出来た巨人、ハイドロマンの直ぐ側に着地する。

 

……粒の細かい砂浜のせいで足元が滑る。

その辺、考慮して戦わないと攻撃を食らうかもしれない。

 

 

『オ、オ、オオ!』

 

 

唸る様な大きな声を出して、ハイドロマンが僕を威嚇する。

 

 

「そんなに海水を取り込んで……君、塩で高血圧になっちゃうよ!」

 

 

僕は新型ウェブシューターの機能を切り替える。

1番の(ウェブ)から、4番の衝撃破(ショックウェーブ)に。

 

そして、中指でスイッチを押して起動する。

(ウェブ)の発射角度と同様、狙い澄ました先に衝撃波(ショックウェーブ)を放つ。

 

 

……まぁ、『ショッカー』のパクリ……じゃなくて参考にした武器だ。

 

原理は細かく言うと全然違うけど、数ギガヘルツの振動を発射する。

電力は腕時計、スタークさんのナノマシンスーツから流用している。

 

 

不可視の衝撃波(ショックウェーブ)がハイドロマンの横っ腹に命中して、そこの海水が吹き飛ばされる。

ハイドロマンは身体の一部を削がれた訳で、バランスが崩れる。

 

 

『グ、オ、オ!』

 

 

僕はウェブシューターを1番の(ウェブ)に戻して、ハイドロマンが掴んでいた男性を引き寄せる。

 

両手で抱えて、そのままキャッチだ。

 

 

「あ、ありがとう、スパイダーマン」

 

「どういたしまして!でも、お礼より先に逃げて欲しいかも」

 

 

その人を地面に下ろすと、こちらを振り返りつつ逃げ出した。

 

これで人質の心配もない。

 

 

『オオ、オ!俺の邪魔ォするな!』

 

 

取り込んでいた海水が減って、ハイドロマンのサイズが少し小さくなった。

だからと言って、全く安心は出来ない。

 

何故なら、ここは海の上。

水だけなら幾らでも回収できて、復活できるからだ。

 

即座に、ハイドロマンを中心に海面が渦巻いて元の大きさに戻る。

 

 

「さぁて、どうしようかな……」

 

 

衝撃波(ショックウェーブ)には限りがある。

ナノマシンのスーツの電力を大量に食うからだ。

スーツ自体の蓄電量は結構あるけど……そう、無駄打ちになるなら撃ってられない。

 

あれ?

もしかして、結構ピンチ?

 

 

そう思っていると──

 

 

「よぉ、スパイディ!お困りかい?」

 

 

後ろから陽気な声が聞こえた。

 

振り返ると──

 

 

「え、うわぁ……」

 

「『うわ』って何?『うわ』?って。え?何?なんで?それ親愛なる俺ちゃんに対しての態度?酷くない?ハラスメント?」

 

 

それは血よりも赤い……下品なほど赤い服を着たタイツ男だ。

赤と黒のコスチュームに、真っ黒なパンダみたいな顔。

腰や太腿には茶色い革製のポーチ。

背中には二本の刀。

脇には二つのハンドガン。

 

僕の最も会いたくない奴、ナンバーワン。

 

 

「スパイディのために、俺ちゃんが助けに来てやったのに!……まぁ、別件だったけど。もっと感謝してくれて良いんじゃない?いっそ、感謝の証としてファンサも求めちゃう!」

 

「絶対、絶対、嫌だ……」

 

 

そいつの名前は『デッドプール』。

 

頭のおかしい、下品で、失礼で、暴力的で、信用できない、若干悪人に足を踏み込んでいる、屑。

 

自称スパイダーマンの友人。

そして、金で動く傭兵だ。

 

 

『オ、オ、オ!』

 

「なぁ、スパイディ。アイツ、「オ」しか言わないけど何で?「あ」から「え」の母音に親を殺されたか?それとも、馬鹿なの?」

 

「ば、馬鹿なのは否定しないけど……水を取り込み過ぎると自我が弱くなって知能も下がるんだよ」

 

「へぇ……それって、エンサイクロペディアにも書いてある?」

 

『ウォオオオオオ!!』

 

 

怒声と共に海水で巨大化した腕が僕とデッドプールの間に落ちてきた。

 

砂が吹っ飛んで、拳の先にはクレーターが出来ていた。

 

 

「うわっ!世間話をしてる暇なんてないよ!」

 

「まぁ、そう言うなよ。スパイディ。これ結構重要な事なんだけど」

 

「何が!?」

 

 

僕はハイドロマンの攻撃を避ける。

デッドプールも避けてる。

 

よくこんな状況で無駄口が減らないもんだと、僕は逆に感心した。

 

 

「そのスーツってイメチェン?前のと違くない?」

 

「それ、今話す事じゃないよ!」

 

 

僕はウェブシューターが衝撃波を放ち、ハイドロマンの腕を吹き飛ばした。

 

 

「すっげー!よし。衝撃波に弱いなら、俺ちゃんに良い案があるけど」

 

「じゃあそれ、すぐやってくれないかな!」

 

「OK!親愛なる隣人に、愛と火薬を込めて」

 

 

デッドプールが、ポーチから丸い、緑色の何かを取り出した。

 

そして、そのピンに指を掛けて──

 

 

「ちょっ、お前!何してるんだ!?」

 

 

普段は絶対、『お前』なんて言わないけど、コイツだけは別だ。

 

デッドプールがピンの抜けた緑色のボールを、幾つか投げた。

 

あれは──

 

 

「爆発オチは映画の基本」

 

 

手榴弾だ。

 

僕も含めて、その場にいた全員が吹き飛ばされた。

 

 

海藻が僕の頭に張り付いた。

 

……やっぱり、僕はコイツの事が嫌いだ。

 



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#47 ブラン・ニュー・パワー part6

OK(オゥケィ)

 

じゃあ、もう一度だけ説明するぜ。

 

俺の名前はデスストローク!

……じゃなくて、デッドプール。

職業は傭兵だ。

 

なんやかんやあって超再生能力を手に入れた時から、この世にたった一人の『スパ──

 

『デッドプール』だ。

 

 

後は知ってるだろ?

 

沢山の人を助けたさ。

死の女神様と恋もした。

 

街も……いや、まぁ、救ったかな。

うん、一応。

そこそこの数、救ったと思う。

 

お前、どう思う?

別アースの作品合わせたら、結構救ってんじゃねぇの?

 

とにかく、俺の名前は『デッドプール』。

不死身のスーパーヒーローだって事だけ、覚えて帰ってくれ。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

「うーん、一度やってみたかったんだよね。このテンプレート自己紹介。新規層のファンにはしっかり説明しといた方が良いだろ?常識的に考えて」

 

 

デッドプールが砂浜で、誰に向かってか虚空へ話しかけている。

 

僕は頭に乗った海藻を捨てて、ため息を吐いた。

 

 

「Oh?どうかしたか、スパイディ?ため息は幸せを逃すぜ?……逆説的に言うと不幸せな奴はため息を吐きまくってるってコト?じゃあ俺ちゃん、ため息を吐いとくかな。不幸せだし。はぁ」

 

 

うるさくて、騒がしくて、頭のおかしい狂人。

 

それがこの、デッドプールへの僕達の評価だ。

 

僕個人の、ではない。

僕達の評価だ。

 

と、言うのも。

 

彼は元『アベンジャーズ』だ。

元だ。

めちゃくちゃ短い期間で参加していた。

何故、短いか?

解雇(クビ)になったからだ。

何をしたのか、スタークさんとキャプテンがメチャクチャ怒ってたらしい。

 

後はミュータントのヒーローチームにも参加していた。

多分、そっちも解雇(クビ)になっている。

知らないけど、多分そうだろう。

 

そんな男だ。

 

やる事、為す事、全部がメチャクチャ。

 

だって今も──

 

 

「……早く、治してくれない?それ」

 

 

下半身がなく、上半身だけで寝転がっている。

これで死んでないのが不思議だが、彼のスーパーパワーが不死性に由来しているから仕方ない。

 

 

「そう思うならスパイディ、俺ちゃんの下半身を持ってきてくれない?そこに落ちてる奴。生やすより、くっ付けた方が早いからさ」

 

「うぇっ……そもそも、何で自分で爆破したのに……一番ダメージを受けてるんだよ」

 

 

僕はデッドプールの下半身……内臓がちょっと見えてるグロテスクなものを持って、上半身へくっ付けた。

 

 

「お、センキュー。結局、スパイディは俺ちゃんに優しいよね。実はツンデレって奴?」

 

 

ほんの数秒で結合し、立ち上がる。

足をブラブラとさせて、具合を確認してる。

キモいし黙って欲しい、切実に。

 

僕は若干の吐き気を催しながら、気絶して液状で震えているハイドロマンに近付く。

 

泊まっていた船からポリエチレン製の容器を拝借して、ハイドロマンを封じ込めて蓋をする。

彼を(ウェブ)で拘束しても液体化ですぐに逃げられてしまうけど、これなら逃げ出せないだろう。

 

一作業終えた僕は、デッドプールに振り返った。

 

 

「それで?」

 

「それでって?」

 

 

僕はこめかみを揉む。

怒ったら負けだ、怒ったら負け……。

 

 

「何の用事?さっき別件で来てるとか言ってなかった?」

 

「あー、そうそう。元々、コイツ捕まえる為に来た訳じゃないんだよね。俺ちゃん」

 

「じゃあ、何しにきたの」

 

「知りたい?どうしても?」

 

 

イラッ。

 

 

「あぁ、知りたいよ。迷惑かけられるかも知れないし……主に僕が」

 

「でもダメ。教えてあ〜げないっ」

 

 

思わず手が出そうになるのを必死に抑える。

どうして、コイツは本当に。

 

 

「クライアントが秘密主義者なんだよ。俺ちゃんの尻の穴の数は教えてあげられるけど、それだけは言えない」

 

「……尻の穴は一つだろ」

 

「でも、そうじゃないかも知れないぜ?見る?」

 

「見ない」

 

 

僕はまた、ため息を吐いた。

 

ハイドロマンはスーパー能力を持った悪党だから、現地の警察官に直接渡すのも問題がありそうだ。

 

それこそ、『S.H.I.E.L.D.』みたいな特殊な組織じゃないと彼を拘束出来ないだろう。

 

 

「え、お困り?ゲロミズマンだったか、ゲスイドウマンだったかは俺ちゃんが預かっておこうか?」

 

「……何で?」

 

 

正直、デッドプールには信頼なんてない。

初見の見知らぬ相手よりも信頼してない。

 

時々、本当に洒落にならない事を仕出かすし。

金さえ貰えば……悪事を働く時もあるし。

 

基本的には善人だから、とやかく言う事はないけど。

どうせ捕まえられないし、捕まえるにしても時間がかかるし。

 

僕も早く帰らないと、グウェン達に不審がられるし。

……あぁ、でももう手遅れかも知れないけど。

 

 

「いや?別件の別件でね。俺ちゃん別に依頼を受けてないけど……」

 

「そういう思わせぶりな発言は良いから、教えて欲しいんだけど」

 

「OKOK、そう焦んないでくれ。こっちは依頼も何も契約してないから、俺ちゃんも話せる」

 

 

デッドプールが胸元のポーチからメモ帳を取り出す。

……海水を浴びて、表紙がぐちゃぐちゃになっている。

 

 

「えーっと?あった、あった」

 

 

それでも気にせずに捲って、目的のページを開いた。

 

 

「こいつ含めて何人かの悪党(ヴィラン)は『ジャスティン・ハマー』に雇われてる。(こっから説明タイムだから適当に読んでくれても良いぜ?)」

 

「ジャスティン・ハマー?」

 

「そう、『ハマー・インダストリー』の社長だ。死の商人とも言われてる。悪人(クズ)に武器を与えて、見返りに半分の報酬を得るカス野郎だ」

 

 

僕は手を顎にあてて、考える。

 

……確かに。

ミステリオもそうだけど、個人では持ち得ないレベルで強力な武器や装備を持っているスーパーヴィランはよくいる。

その元手となる大金や技術は何処から出ているのかと思ったけど……そんな所から出てたのか。

 

 

「続けると『ハマー・インダストリー』は武器商人でもある。そして、『スターク・インダストリー』のライバル会社だ」

 

「スタークさん……?」

 

 

トニー・スターク、アイアンマンの敵……と言う訳だ。

 

 

「YES!そう、トニー・スタークのライバル!……と言うにはちょっとカスみたいな奴だけど、因縁の相手とも言える。因みにこれはエンサイクロペディア調べ」

 

「じゃあ、『ハイドロマン』が襲ってきたのも……」

 

「今日、偶々『スターク・インダストリー』の慰安旅行がここ、マイアミだった訳だ。さっき助けたオッサンも社員だ。ついでに、旅行期間は明日まで」

 

 

僕は頭を抱えた。

どうして、よりによって明日まで。

……僕達の夏期旅行も明日までだ。

 

逆に言うと、明日までなら僕は彼等を助けられてしまう。

見殺しになんて出来ないし……旅行中に隠れてコソコソ、スパイダーマンとして活動しなくちゃならない。

 

僕の夏期旅行がメチャクチャにされる、そんな予感を感じとった。

 

 

「……と言うか。何で、そんな事に詳しいんだ」

 

 

情報通……と言うには、やけに内部情報を知り過ぎているデッドプールに僕は問いかけた。

 

 

「あぁん?そりゃ、俺ちゃんもハマーに誘われたからだよ」

 

「……はぁ?」

 

「あ!ちょいちょい、そんな怖い顔すんなって!大丈夫、俺ちゃんはヒーローだから。そんな事しないって!(デス)に誓って!」

 

 

僕は訝しげに彼を見た。

 

……目が泳いでいる。

 

多分、恐らく、デッドプールの言っている『別件』が無ければ参加してそうだな、なんて思った。

 

 

「ま、コイツ捕まえときゃアイアンマンに媚び売れるだろ。足元見れば金をふんだくっ……冗談、冗談だから」

 

「……まぁ、いいよ。それで?ハイドロマン以外に来ている奴っているの?」

 

「あぁ……?あー、あー、ちょい待ち」

 

 

またパラパラとメモ帳をめくる。

 

 

「……知らね。書いてねぇや」

 

「…………はぁ?」

 

「他にも雇われてる奴はいるだろうけど、俺ちゃんには関係ない話だし。そんなに気にしてなかったわ」

 

 

ムカつきながらも、考える。

 

他に何人ものスーパーパワーを持った悪人がいれば、警察や、普通の警備員だけでは『スターク・インダストリー』の社員を守り切れないだろう。

 

……ヒーローが必要だ。

 

僕以外の。

だって、こっちは休暇だから。

 

スタークさんに代わりに戦ってもらいたい。

だって、本人の会社の話だし。

 

僕はスーツの胸元、蜘蛛のマークをタッチして仮想タッチパネルを展開する。

スーツの視界に起動されたパネルを操作して、スタークさんに電話をかける。

 

……側から見れば、宙に対して手をフラフラさせている奇行に見えるかも知れない。

 

デッドプールに「何してんの?」って、狂人を見るような目をされている。

狂人はお前だろ。

 

数回のコールの後、スタークさんへ電話が繋がる。

 

 

「あ、スタークさん?もしもし」

 

『……ピーター。こっちは今ちょっと忙しいんだけど』

 

「う、すみません。でもちょっと急用があっ──

 

 

爆発音。

通話先から聞こえた轟音に、思わず眉を顰めた。

 

 

『すまない、ピーター。ちょっと今手を離せないから、ジャービスに繋げ直してくれ。後で聞くから』

 

 

また爆音。

 

 

「え、ちょっ、スタークさ──

 

 

ブツン。

 

ピー、ピー。

 

 

 

「き、切れちゃった」

 

「え?何?アイアンマンと電話してたの?今」

 

 

デッドプールが顔を近付けてくる。

 

……幸い、通話先の声は聞こえないだろうから問題ない。

 

 

ジャービスに掛け直して、事情を説明したけど……スタークさんも手が離せない用事中らしく、三日は来れないらしい。

 

 

思わず顔を顰めた僕に、何を思ってか、デッドプールが肩に手を乗せた。

 

 

「やっぱさ、つれぇよな……?蔑ろにされる気持ちってのは……分かるぜ?『痛みを知って、人は強くなれる』……これ、実写版グリーンランタン2の名言な」

 

 

その馴れ馴れしさにイラつきつつ、手を払った。

 

 

「スタークさんは来れないみたいだから……僕達で何とかしないと」

 

「え?達?」

 

 

デッドプールが首を傾げた。

 

……まさか。

 

 

「え?協力してくれないの?」

 

「そりゃあ……金の出ない仕事なんてしたくないし?サービス労働には断固として拒否する」

 

 

……ちょっとでも信頼してしまっていたらしい。

 

僕はまた、ため息を吐いた。

さっき言っていた「幸せはため息で逃げる」ってのが本当なら、僕はもう、この世で一番不幸な人間かも知れない。

 

……目の前の、コイツのせいで。

 

 

「正当な理由もあるぜ?俺ちゃん、別の仕事あるって言ったよね。それも人助け……人助けか?まぁ人助けみたいなモンだから、抜けれねぇワケ。残念ながら」

 

 

言い訳する姿に目を細めつつ……まぁ、コイツ、そういう人間だし仕方ないか……と僕は諦めた。

 

 

「……分かったよ。まぁ……でも、情報ありがとう」

 

 

実際、彼に期待し過ぎていただけで、助けてくれたし……情報も教えてもらった。

感謝こそしても、非難する必要はないかも知れない。

 

 

「スパイディに感謝される日が来るなんて……善行は積んどくもんだな。ついでにスーツにサイン貰っていい?『愛しのデップーさんへ❤︎』って」

 

 

いや、やっぱムカつくな。

 

 

これ以上、話しても仕方ないし……あんまり長時間、グウェン達と離れていても疑われる。

 

デッドプールに後処理は任せて、僕はその場を後にした。

文句を言っていたけど、罪悪感は少しも湧かなかった。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

ここは避難所。

マイアミビーチの側にある公共施設だ。

そこに私、グウェン、ネッドは居た。

 

 

「ピーター、大丈夫かな?」

 

 

そう言って心配しているのはグウェンだ。

……ネッドも、避難場所でウロウロと落ち着かずにいる。

 

私は……まぁ、ピーターがスパイダーマンだって知ってるから、そんなに心配していない。

ハイドロマンぐらいなら楽々倒して帰ってくるだろうと、そう思っている。

 

……普段の元気を潜めて、表情を沈ませているグウェン。

あまり、見ていて気持ちの良いものではない。

 

彼女は笑って、楽しそうにしている方が良い。

私はグウェンの手を握った。

 

 

「……ミシェル?」

 

「ピーターなら大丈夫」

 

 

根拠は何も言えないけれど、そう言った。

……遠くで、爆発音が聞こえた。

 

私達は窓から顔を出して、音のした場所を見る。

水で出来た巨人、ハイドロマンが爆散していた。

 

……どうやら、戦いは終わったらしい。

 

不安がる二人を宥めていると、避難所のドアが開いて……ピーターが入ってきた。

 

 

「二人ともゴメン!ちょっと遅くなった」

 

「お、ピーター!やっぱ無事だったか!」

 

 

そう言ってネッドとピーターが抱き合う。

……ネッド、普段はハグとかしないのだろうけど、それだけ心配してたって事かな。

 

ぼーっと眺めていると、握っていたグウェンの手が震えている事に気づいた。

 

……あ、まずい。

 

 

「ピーター、何で一緒に避難しなかったの?忘れ物って?」

 

 

グウェンが笑顔で、ピーターに話しかけている。

……いや、絶対笑ってない。

内心ではメチャクチャ怒ってる。

 

ピーターはそれを見て……うん、気付いてない。

グウェンが笑っている事に安心している様子だった。

 

 

「あ、グウェン。ビーチに置いてあった貴重品が──

 

 

バチン、と大きな音がした。

 

……グウェンがピーターの頬を叩いた音だ。

 

ピーターが尻餅をついて、グウェンが上から睨みつける。

 

 

「なんで、そんな危険な事したのよ!バカ!」

 

 

怒ったグウェンがドカドカと大きな足音を立てて離れていく。

 

ネッドがピーターの方を一瞥して……怒ったグウェンを追いかけて行った。

ピーターよりも、彼女の方を心配しているのだろう。

 

……仕方ない。

グウェンはネッドに任せて、私はピーターのメンタルケアでもしようか。

 

私はピーターの側に立つ。

 

彼は……うん。

凄くショックを受けた顔で床に座っていた。

 

それも仕方ない。

グウェンはピーターを小突く事はあっても、本気で叩くような所は見た事ない。

それだけ、心配だったのだろう。

本気で怒ってた。

 

 

「ピーター?」

 

 

私は、グウェンが去った後を眺めていたピーターに声を掛けた。

 

我に返って、私の方へ視線を向けた。

 

 

「は、はは。ごめん、凄く心配かけたみたいで」

 

 

正直、私はピーターを心配していなかった。

だけどそれは、彼がスパイダーマンだと知っていたからだ。

 

普通の友人ならば、ネッドみたいに安心したり、グウェンみたいに怒ったりするのが普通だ。

 

つくづく、自分は本当の意味で彼等に馴染めていないのだと……そう思った。

 

だけど、そんな事がピーターにバレないよう、言葉を合わせる。

 

 

「うん、心配した」

 

「……ごめん」

 

 

項垂れるピーターに、私は同情した。

 

……彼は人知れず、人助けをしただけだ。

誰にも言えず、理解もされず。

 

そして、彼本来の性分のせいか誤魔化すのも下手で……。

 

私はピーターを励ましたいと思った。

 

だけど、どうすれば良い?

 

 

 

ネッドみたいに『抱きしめる』とか?

 

……いや、好きでもない異性にハグされても困るだろう。

私は今、ネッドと違って彼と同性ではない。

……私は、中途半端な存在なのだ。

 

 

「……ミシェル?」

 

 

黙って見つめている私に、ピーターが不安そうな声を出した。

 

 

「どうしたら励ませるか分からないから……困ってた」

 

 

正直に、そう告げる。

 

すると、ピーターは少し呆れたような……苦笑いをした。

 

 

「一緒に居てくれるだけで嬉しいよ、僕は」

 

「そう、かな?」

 

 

よく分からない理屈に首を傾げる。

 

黙って側にいるのを励ましと言って良いのか?

そんな知識も、経験も、私には無い。

 

私は少し悩んで……グウェンの事を話す事にした。

 

 

「ピーター。グウェンのこと、嫌わないで欲しい」

 

「……嫌いになんてならないよ」

 

「凄く心配してたから、ちょっと怒ってる」

 

「……うん。僕が悪い」

 

 

そう言って項垂れるピーターを見て、私は胸が苦しくなった。

 

だって彼は……。

人助けをして……。

なのに……。

 

幾つもの思いが喉まで出そうになって、私は無理やり飲み込んだ。

それは、誰の為にもならないから。

 

彼の秘密を暴いた所で、悲しむのはピーターだ。

誰も喜ばない。

私の自己満足にしかならない。

 

……誰も、彼の理解者にはなってくれない。

彼自身も。

こうやって責められる事を仕方ないと、自分のせいだと、本気で思っている。

 

 

だから、私だけでも──

 

 

「ピーターは悪くない」

 

 

彼の理解者に、なってあげたい。

そう思った。

 

 

「……そうかな?」

 

「うん。理由は知らないけど──

 

 

嘘だ。

知っている。

彼の秘密を、私は一方的に知っている。

 

 

「ピーターが理由もなく、こんな事をするって思わないから」

 

「……いや?理由もなく、この場から居なくなる事だってあるよ。迷惑をかける事だって」

 

 

ピーターは私の言葉を否定する。

それは、スパイダーマンである事に結び付けられたくないのだろう。

少しでも正体がバレそうな返答は出来ないと、そう気を揉んでいるのが分かった。

 

それでも、誤魔化し方が下手な姿に私は少し面白く感じて、笑ってしまった。

 

 

「……ミシェル、何で笑ってるの?」

 

「ふふ、何でもない」

 

 

私も誤魔化すのが下手かも知れない。

 

お互いに秘密を抱えて、私だけがピーターの秘密を知っている。

少し罪悪感が湧くけど。

 

私の秘密は知られてはならない。

だって、この秘密を知られた時が……私と彼等の最後になる。

 

 

「行こう、ピーター。グウェンを追いかけないと」

 

 

二度と会えなくなるのは嫌だ。

嫌われるのも、嫌だ。

だから、私はいつか来る別れの日が来たとしても……話す事はないだろう。

 

……例え、二度と会えなくなったとしても。

彼等には友達だと思われていたい。

 

私はピーターの手を握って、立ち上がらせた。



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#48 ブラン・ニュー・パワー part7

晩御飯はホテルで、みんなで食べる。

夏期旅行に来ている学生全員で食べるのだ。

 

点呼も、そのタイミングで行われる。

 

……グウェンは、まだ怒っている。

怒っているけど……僕のために水を持ってきたりとか、不機嫌そうにしつつも僕の言葉に返事をしたりとか……そんな感じだ。

 

……どこかで、謝らないと行けないな。

何て思いつつ、僕は晩御飯をつつく。

 

と、言っても安ホテルのディナーだ。

そんなに豪華ではない。

 

目新しい食べ物がある訳でもなく。

それほど美味しい訳でもない。

 

特にこれといって特筆する事もなく、食事は終わった。

 

グウェンとミシェルは自室に帰って、僕とネッドも自室に帰る。

 

……今日の夜、浜辺でも散歩して……ミシェルにアクセサリーを渡そうとしてたけど──

 

流石にそんな事をしてる場合じゃない。

 

 

 

自室に帰って。

相部屋のネッドが就寝して。

……熟睡してるのを確認する。

 

僕は布団にクッションを詰めて、外からは寝ているように見せかける。

そして、こっそりと窓を開けた。

そのまま窓から外に出て、窓を閉める。

 

……鍵を閉められたら一巻の終わりだ。

そんなに長く出るつもりはないけど。

 

 

壁に張り付いたまま腕時計、ナノマシンスーツを起動して装着する。

屋根へと駆け上がり、周りを見渡す。

 

 

僕はスーツの胸、蜘蛛のマークを操作する。

仮想パネルから『スパイダードローン』を起動する。

 

胸の白い蜘蛛マークの中心が分離して、宙に浮く。

 

 

「『カレン』、街中にいる怪しい人……物も含めて探して」

 

『了解しました』

 

 

これは、無人航空機(ドローン)機能だ。

ナノマシンと言う性質上、設計すればどんな形、機能にでも変形できる。

胸のマーク部分のナノマシンをドローンへと再設計したのだ。

 

蜘蛛型のスパイダードローンを飛ばし、街の中を探索する。

 

……スタークインダストリーの社員が襲われる可能性があるのは、明日までだ。

つまり、街のどこかに悪人が潜んでいる筈だと、僕は考えた。

 

スーツに搭載された人工知能(エーアイ)『カレン』が、自動的に探索してくれる。

何か見つかれば連絡もしてくれるだろう。

 

僕はホテルの屋上で、ダクトに腰掛けて待つ事に──

 

 

『怪しい人物を発見しました』

 

 

……早いな。

 

人工知能(カレン)の言葉に、僕はスパイダードローンへ視界を繋いだ。

 

マスクの中の映像が、ドローンのカメラへと切り替わる。

 

 

……赤いスーツを着た、見覚えのある男が手を振ってる。

 

僕は頭を抱えた。

 

デッドプールだ。

少し離れたビルから手を振っている。

何でこんな場所にいるんだ。

 

 

「……カレン。確かに怪しいけど、彼はスルーしておいて」

 

『了解しました』

 

 

ドローンから視界を切断し、探索を再開させる。

 

僕は手を頭に当てて、考える。

 

そもそも、何で彼はマイアミに来てるんだ?

別件って?

 

聞いても答えてくれないけど。

彼は何も考えてない破茶滅茶な人物だけど、秘密に対しての口は固い。

傭兵という職業の都合上、そういうのに厳しいんだ。

 

だから、その彼の言う『別件』についての答えも教えてくれないだろう。

 

……彼は僕のいるホテルを見ていた。

 

気になるのは、何故僕の泊まっているホテルを見ていたか、だ。

 

……別件と言うのはホテルにある何か……もしくは誰かを監視している?

このホテルに危険人物でもいるのか?

それとも彼を雇った金持ちの護衛?

 

さっぱり分からないけど……きっと、悪事ではない筈だ。

人助けの事をバカにしたり、名声を欲しがったり、金儲けの事ばかり考えるような奴だけど……目の前で誰かがピンチになってたら助けるぐらいの善性は持ってる。

 

じゃないと、アベンジャーズに入れないからね、そもそも。

解雇(クビ)になったとは言え、最低限の素質はあるという訳だ。

 

 

『多数の怪しげな熱源を探知しました』

 

 

カレンの合成音声が聞こえる。

 

僕は視界をドローンに戻す……なるほど、映っているのは大きなビルだ。

 

ビルの中には熱源が沢山。

人や生き物の熱源じゃない。

超強力な人工の熱源だ。

 

恐らく、武器か、兵器だ、

それも何かしら……ハイテクなエネルギーを備えている。

 

壁に書いてある社名を検索すれば……なるほど、『ハマー・インダストリー』の子会社だ。

間違いなく『黒』だ。

 

……どうする?

今から行って、戦う?

 

いや……どれぐらいの規模か分からない。

思ったより熱源は多いし……。

強力そうだ。

 

敵の本拠地に乗り込むのは得策じゃないし、僕の手に負える相手じゃない。

 

……一応、スタークさんに情報を送っておくか。

助けも要るって言っておこう。

 

……あれ?

そもそも僕って戦う必要があるのか?

助けが来るなら、その人に任せておけば良いし。

誰かに頼まれた訳じゃないし。

 

……僕だって忙しいし。

 

取り敢えず、スタークさんにメールを送って、返事を待とう。

 

……そもそも、休暇に来ている『スターク・インダストリー』の社員だけが標的なら、これほど強力な武器は必要じゃない筈だ。

 

攻めてくる時は、見えているよりも少ない数で来るだろう。

……いや、楽観視してるかも知れないけど。

 

 

「……どうするかは、明日考えよう」

 

 

ドローンを回収して、僕はホテルの壁を下る。

 

とにかくスタークさんの指示を仰ぎたい。

僕だけでは、どうにか出来る気はしない。

 

デッドプールが見てるかもって考えて、自室に入ってからスーツを解除する事にする。

 

窓をそっと開けて……中に滑り込む。

なるべく音を立てないよう、静かに。

そして、外から見えないようにカーテンを閉める。

 

……ネッドの方のベッドを見る。

よし、布団も盛り上がってるし、多分寝てる。

 

 

胸のマークを複数回タッチして、スーツを解除し──

 

 

ゴトン、と何かが落ちた音がした。

 

 

振り返ると……地面に水の入ったペットボトルが落ちていて。

 

 

「ピーター……!?」

 

 

 

ネッドが驚愕した顔で僕を見ていた。

ベッドには大きな抱き枕が置いてあっただけだ。

 

 

あぁ、もう。

今日は厄日だ。

間違いなく。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

私は『夢』を見ない。

もしも、あの時。

もしも、こうだったら。

 

そんな仮定を見る事はない。

 

私が寝ている間に見るのは、いつも過去の焼き直しだ。

私は『記憶』を見ている。

 

白亜の建物の中を進み、ナイフで警備員を殺害していく。

強化プラスチックと硬化ガラスで出来た壁に、血が撒き散らされる。

 

まだ私が、『レッドキャップ』になって日の浅い頃の記憶だ。

 

戦闘技術も荒削りで、何発も弾丸を受けてしまう。

弾丸を受ける度にナイフで傷口を抉り、弾丸を抜き、治癒因子(ヒーリングファクター)で治療する。

 

激痛に耐えて、怖気に耐えて、吐き気に耐えて、罪悪感に耐えて。

 

私は、殺して、殺して、殺して、殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して……。

 

そして、目標にたどり着く。

 

震える白衣の女性は、一人の少女を抱いている。

 

 

『お前がキニー博士か』

 

「……こ、子供……?」

 

 

若く、今よりも身長が低かった私は、その言葉に頷かず……ナイフを構えた。

ナイフには血が、べっとりと付着している。

 

抱いていた少女を庇うように後ろにする。

 

……私は、マスクの下で目を細めた。

 

 

『そんなに研究物が大事か?』

 

「この娘はそんな……」

 

『……悪いな』

 

 

私は博士へと一歩踏み込む。

そして、博士の身体を引き裂いた。

 

血が流れる。

 

 

「あぁっ……!」

 

 

息を漏らして、血を流し、博士が倒れる。

だけど……即死ではない。

 

まだ生きている。

呼吸を荒くして、目は虚に天井を見ている。

 

あぁ……失態だ。

殺しの技術が下手なせいで不必要に苦しめている。

 

庇っていた少女が泣きながら、博士の元へ向かう。

 

 

「ママ……ママ……?」

 

 

私は、腰に下げていた拳銃を取り出す。

 

危険なのは、キニー博士ではない。

この少女だ。

 

少女が悲鳴を上げて、慟哭となり、それは唸り声へと変わる。

凶暴な獣のような目で私を睨む。

 

 

「……ローラ、ダメよ。ローラ、逃げないと……」

 

 

今にも息絶えそうなキニー博士が忠告する。

だけど、もう少女は正気ではない。

 

 

「ガアァアアアアアッ!!」

 

 

獣のような声をあげて、私へ飛びかかる。

両手の拳が裂けて、二本の大きな爪が生えてくる。

 

私は冷静にそれを見て、拳銃を少女の頭蓋へと向ける。

 

 

『私のために、死んでくれ』

 

 

懇願するような、祈るような、謝るような。

私は幾つもの意味を込めて、声を振り絞り……引き金を引いた。

 

少女の頭に真っ赤な弾痕が出来て────

 

 

 

 

ガタン!

 

 

 

 

私は地面に転がっていた。

研究施設の床じゃない。

 

木材で出来た床だ。

窓の外に、太陽が登っている。

 

白いレースのカーテンが光に照らされている。

 

 

「ちょっとミシェル、大丈夫!?」

 

 

寝巻きを着たグウェンが視界に映る。

私は顔の汗を自身のシャツで拭おうとして……シャツもべったりと濡れていた事に気付き、諦めた。

 

 

「悪い夢でも見たの?」

 

 

夢……?

いや、過去の記憶だ。

夢のような、幸せな微睡みではない。

 

でも。

 

 

「うん、怖い夢を見た」

 

 

そう言って誤魔化して、私は立ち上がった。

 

……下着まで汗でびっしょりと濡れている。

ここ数年間、少なくない頻度で過去を思い出す。

 

お陰で朝は寝不足な事が多い。

 

 

「ごめん。シャワー、浴びてくるから」

 

「う、うん……」

 

 

寝惚けた目を擦り、心配するグウェンをよそに私はシャワーを浴びる。

 

鏡を見る。

 

私だ。

私が、私を見ている。

 

それは当然の事だ。

だけど、今は自分にすら見られたくなかった。

 

 

 

 

グウェンと共に部屋を出て、朝食の会場へ向かう。

……彼女が頻りに「大丈夫?」と聞いてくる。

そんなに寝起きの顔が拙かったのか。

 

席には既にピーターとネッドが座っていて、何やら雑談をしている。

でも、ひそひそとした声で。

 

私達に気付くと、ネッドもピーターも慌てて黙った。

……私達には言えない事なのだろうか。

 

そして、全員が着席した瞬間。

ピーターが口を開いた。

 

 

「えっと、昨日は心配掛けて、ごめん」

 

「……まぁ、良いけど。今度やったら許さないから」

 

 

グウェンも昨日のピーターに対しての怒りは収まりつつあるようで……と言うか、怒りよりも私への心配が勝っているのかも知れない。

ちらちらと私を見ている。

 

私は眠気で霧がかかったような意識のまま、パンにジャムを付けて食べた。

 

三人の会話が遠く聞こえるようで、蒙昧な意識のまま糖分を得る。

 

 

「……ミシェルはどう思う?」

 

「んぐっ……?」

 

 

三人は今日の自由時間について話をしていたみたいだ。

 

慌てて、私は謝罪する。

 

 

「……ごめん、よく聞いてなかった」

 

「今日、ドルフィンモールへ行く予定だったけど、大丈夫?って話」

 

「大丈夫?大丈夫って……大丈夫。うん、大丈夫」

 

 

……何を心配されているのだろうか?

何が大丈夫なのだろうか?

 

それも分からないまま、私は「大丈夫だ」と口にした。

 

……グウェンが目を細めている。

取り敢えず頷いておく。

 

 

「ミシェルが朝弱いの知ってたつもりだけど……こんなに弱いなんて」

 

「でも、いつもこんな感じで……学校に向かってる頃には目が覚めてるよ」

 

「そうなの?」

 

 

ピーターとグウェンが会話をしている。

……グウェンも、もう怒っていないみたいだ。

 

まぁ、グウェンもピーターの事を心配して怒ってただけだし。

ほんのちょっと、すれ違っただけの話だ。

 

 

「俺はドルフィンモールに賛成だぜ?予定を変えるのも気持ち悪いしな」

 

 

ネッドが肯定して、頷いた。

 

 

「……まぁ、本人も大丈夫って言ってるし……予定通りで良いか」

 

 

クロワッサンを食べ終えた私は、その様子をぼーっと眺めていた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

呆けているミシェルを連れて、僕達はドルフィンモールへと向かった。

 

色々な施設のあるアウトレットモールだ。

レストランとか食べ歩きできる店も沢山ある。

 

……初日の晩に行った商業施設に比べて、遊べる場所が多いと言った印象だ。

 

 

そして……ネッドが僕の事をチラチラと見てくる。

 

……昨日、正体がバレてから説明もしたし、言い訳もしたのに。

 

僕は昨日の事を思い出す。

大きな声を出そうとしたネッドの口を咄嗟に(ウェブ)で塞いで……。

 

 

正体がバレれば危険な目に遭う可能性がある事を、納得するまで説明した。

 

 

ヒーローは恨まれやすい職業だ。

スパイダーマンは何人もの悪人に逆恨みされている。

 

もし、スパイダーマンの正体を知られたら……僕の日常は木っ端微塵だ。

それどころか、学校に急にミサイルが落ちてきたりするかも知れない。

毒ガスが撒かれるかも知れない。

 

それにスパイダーマンの正体を話さなくても、正体を知っていると知られれば……誘拐されて拷問されたり、人質にされるかも。

 

そう言うと、ネッドは神妙な顔で頷いた。

 

 

でも、その後、ヒーロー好きであるネッドが幾つも質問を投げかけてきて……アベンジャーズの話とか、スタークさんの話とか。

それこそ、根掘り葉掘り聞いてきた。

今も聞きたがってる。

 

お陰でちょっと寝不足だ、僕も。

 

前を歩くミシェルにつられて、僕も欠伸をした。

 

 

……そしてその後、スタークさんに『ハマー・インダストリー』が何やら武器を沢山持ってる事を報告した。

 

スタークさんは先日、詳しくは教えてくれなかったけど、何かしらの騒動に巻き込まれて……大怪我をしていた。

具体的に言うと骨折。

全治一ヶ月。

要、安静。

 

それでも、この件は僕の手に負える案件ではないと判断したようで援軍を寄越してくれるらしい。

 

そして、僕はお役御免だって。

学生は学生らしく旅行していろ、とスタークさんが言っていた。

 

……多分、これは思いやりだ。

旅行先で巻き込まれている僕に対して、ヒーロー活動をしなくて良いように気を遣ってくれている。

 

 

だから、僕は胸ポケットにミシェルへのプレゼントである青いバラのアクセサリーを入れていた。

夕方、このマイアミから離れる前にプレゼントを……と思って。

 

だけど、内心、このままで良いのか不安にもなる。

 

『スターク・インダストリー』の社員さん達はスタークさんの指示で、シェルターに隔離されているらしいし。

彼等もせっかく旅行に来たのに……。

 

僕だけが、見て見ぬフリをして旅行を楽しんで良いのだろうか。

 

……考えれば考えるほど、良くない方向に向かってる気がする。

 

 

でも、グウェンには昨日怒られたばかりだし。

それに、ミシェルにプレゼントは渡せないかも知れないし。

だって、ネッドみたいに他の人にバレたら大変だ。

 

 

「……ター?ピーター?」

 

「……え!?何?」

 

 

声を掛けられていた事に気付いて、僕は声の主を見る。

 

ミシェルだ。

 

 

「どうしたの?」

 

「え?あ、あぁ……えっと」

 

 

スパイダーマンとして活動すべきか、ピーターパーカーとして旅行を楽しむべきか、迷っている。

 

なんて、言える訳もない。

 

 

「ちょっと、悩んでる事があってね」

 

「……へぇ?」

 

 

ミシェルが首を傾げる。

 

それでも、深くは聞いてこない。

……ミシェルは、僕が言いたがらない事を聞き直したりしない。

意図的に話題を終わらせて、気にしないでいてくれる。

 

疎い訳じゃない。

きっと彼女は『人の触れられたくない部分』に聡いのだと思う。

 

それが彼女の良いところであり……隠し事が多い僕にとっては、共にいて楽な部分でもある。

 

 

それから、僕らは旅行を楽しんだ。

 

 

クレーンゲームで散財するミシェルを見たり。

香水コーナーに入っていくグウェンに無理やり連れて行かれるミシェルを見たり。

レアもののヒーローフィギュアに群がるネッドとミシェルを見たり。

 

……どうしてもつい、彼女を目で追ってしまう。

 

そして、昼になって。

 

 

「よし、フードコートでご飯を食べよう!」

 

 

グウェンが提案する。

 

僕もお腹が空いてきた頃合いで、丁度いい。

ドルフィンモール内にある様々な出店が集まる場所に来て……ミシェルが昼食をクレームブリュレで済まそうとしていて、グウェンに止められてて。

 

そう言った穏やかな幸せを満喫していた頃。

 

……スマホに通知が入った。

スーツから分離させて飛ばしていた、スパイダードローンからだ。

 

『スターク・インダストリー』の社員さん達が隠れているシェルターのあるビルに……複数の熱源が接近していた。

 

……僕はそれをスタークさんに転送する。

 

ダメだ。

気にしちゃダメだ。

 

きっと、スタークさんの呼んだ援軍も間に合ってる筈だ。

誰かが僕の代わりに戦ってくれる筈だ。

 

 

僕は、目の前で山盛りのサラダを買わされて涙目になっているミシェルを見た。

楽しそうに笑うグウェンを見た。

呆れた様子のネッドを見た。

 

……そして、僕は腕時計に収納されたスーツを見た。

 

 

このスーツを貰った時、スタークさんに話した言葉を思い出す。

 

 

『誰かを救えなくて、後悔はしたくないんです。そのために、今出来ることは全部やっておきたい』

 

 

僕が、スタークさんに言った言葉だ。

自分で言った言葉だ。

 

 

 

もし、スタークさんの呼んだ援軍が間に合わなかったら……。

犠牲がもし、出てしまったら。

 

……今、僕が出来る事は。

後悔しないために、やるべき事は。

 

 

「……ネッド、ごめん」

 

 

僕はネッドの肩を叩いた。

 

 

「悪いけど、良い感じに誤魔化しておいて」

 

「え、お……おう!分かった!」

 

 

小声で会話する。

ネッドも、僕の真剣な表情を見て強く頷いてくれた。

 

グウェンとミシェル、会話する二人に隠れて、その場から離れる。

 

物陰に入った瞬間、ナノマシンのスーツを起動する。

 

足は止めない。

走ったまま、スーツを装着して、壁を駆け上がる。

 

 

僕は未熟者だ。

覚悟はすぐには出来ないし、人助けより自分を優先したくなる時もある。

自分の言った言葉でさえ忘れてしまう。

 

だけど、それでも僕は『親愛なる隣人(スパイダーマン)』だ。

助けが必要な隣人がいるなら、この身を投げ打ってでも、僕は助ける。

 

いや、助けなければならない。

 

それが大いなる力を持った、僕の責任なのだから。



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#49 ブラン・ニュー・パワー part8

僕は前方の左右に(ウェブ)を飛ばして、建物の角にくっ付ける。

後ろに強く飛んで、(ウェブ)で勢いをつけて宙に飛び出す。

 

カートリッジ2、ゴム(ウェブ)だ。

 

僕はそのまま両脇に蜘蛛の巣の様なグライダーを展開して、滑空する。

 

この辺りには(ウェブ)でスイングしようにも、大きな建物がない。

少し遅くなるけど、これが最適だと僕は判断した。

 

全力で、そして最短で移動すれば5分で着く。

 

僕は、『スターク・インダストリー』が所有するシェルター付きのビルへ向かって飛んで行く。

 

 

……見えた。

 

そして、別方向から、そのビルへ向かって飛んでいる熱源も。

 

 

「……何だ、アレ?」

 

 

思わず口に漏れる。

 

見た目は……アイアンマンに近い。

ただ、色は赤と金色じゃない。

深い緑色だ。

 

アイアンマンは両腕両脚から『リパルサーレイ』という光熱エネルギーを放って空を飛ぶが……コイツらは背中にある熱ジェットで飛んでいる。

 

アイアンマンと同じく胸部分にエネルギーの供給装置があるみたいだけど、アイアンマンの『アーク・リアクター』と呼ばれる半永久発電装置に比べれば、エネルギーの発生量は遥かに少ない。

 

……アイアンマンの偽物。

もしくは、オマージュされた兵器。

 

だけど、肩には『スターク・インダストリー』の文字。

……『ハマー・インダストリー』に隠されていた兵器の筈なのに?

 

それに、『スターク・インダストリー』は武器の製造をしていない。

昔はしていたけど……スタークさんは辞めた筈だ。

 

だから、アレはきっと、ハマーが作った兵器で……『スターク・インダストリー』に罪を擦り付けようとしているんだ。

 

僕は少し、顔が熱くなったような気がした。

狡猾な手段で、僕の尊敬する人を貶めようとする彼等に……僕は怒っていた。

 

両脇のグライダーを収納し、背中の落下傘を展開する。

蜘蛛型の小さなパラシュートで最低限の減速を行いつつ、途中で切り離して地面へと落下する。

 

転がりながら受身をとって『スターク・インダストリー』のビル、そのオフィスの一部屋へと着地した。

 

僕はこのビルに近付いてくる、ハマーの兵器を見る。

 

体長は2メートル弱、色は緑色。

……頭は鶏のトサカのように平たい。

人間の頭部が入るような幅は無さそうだ。

 

恐らく、センサーしか存在しない。

人間が入る事を想定していない形状……間違いなく、無人のドローンだ。

 

……よし、コイツらは『ハマー・ドローン』と呼ぼう。

 

数は……1、2、3……14体。

 

……あれ?

昨日の晩に確認した時は、この倍の数があった筈だけど。

 

ハマー・ドローンがこちらを認識して、飛行しながら腕を向けてくる。

 

考え事をしてる暇もない。

 

その両腕には機関砲が装備されている。

まるで、アイアンマンのリパルサーレイの代用のように。

きっと恐らく、ハマーではリパルサーレイを再現出来なかったのだろう。

 

ライフル弾なみの破壊力を持つ弾丸が連射される。

触れるもの全てを抉り取り、貫通するような強烈な破壊力が僕を襲う。

 

僕は超感覚(スパイダーセンス)で飛んでくる位置を見切り、避ける。

 

 

直接被弾した訳でもないのに、衝撃だけで窓ガラスが割れる。

デスクが砕ける。

椅子が吹き飛ぶ。

 

 

なるほど、これは当たったら「痛い」じゃ済まなさそうだ。

 

 

幸い『スターク・インダストリー』の社員さん達は、地下のシェルターに篭っている。

ここにどれだけ被害が及んでも、流れ弾なんて事は起きないだろう。

 

ハマー・ドローンが、破壊した窓から侵入してフロア内に着地した。

 

……どうやら、飛行時間に限度があるらしい。

アイアンマンと違って細かな制御は利かなさそうだし、燃費も悪そうだ。

 

……地上戦なら、僕だって戦える。

僕はまず、一体目のハマー・ドローンに(ウェブ)を放ち、頭部のセンサーを固定する。

そのまま飛びかかって、僕はドローンの腕を全力で引っ張った。

 

ブチリ!

 

と千切れる音がして、腕が取れた。

断面図からは、切断されてスパークしたケーブルが見える。

 

無人機相手なら、僕も手加減する必要はない。

普段は抑えてるような力も存分に発揮できる。

 

……他のハマー・ドローンは機関砲をこちらに向けるだけで攻撃してこない。

恐らく、味方を攻撃(フレンドリーファイヤ)しないようにプログラミングされているに違いない。

 

証拠に、僕がハマー・ドローンから離れた瞬間、一斉射撃を受けた。

僕は机をひっくり返して逃れて、またハマー・ドローンへと飛びかかる。

 

機能もAIも……デザインも。

全てがスタークさんの作る物に劣っている。

これで『スターク製』を名乗ろうなんて……ナンセンスだ。

 

他のドローンを壁にしつつ、連続で破壊していく。

盾にすれば射撃してくる事もない……単調なAIだから、簡単な作業だ。

 

そして、ドローンの三機目を破壊した段階で、超感覚(スパイダーセンス)に強烈な危機への反応があった。

 

僕はその場から咄嗟に離れて……直後、金属の塊が窓ガラスを突き破り、壁を破壊した。

 

 

「うわっ!?」

 

 

砕けたコンクリートが粉塵を撒き散らす。

 

そして、その中から緑色の光沢を持ったアーマーが立ち上がった。

胸には星のマーク……背中だけではなく身体の肘、膝、肩、踵……様々な部分に複数のジェットが搭載されている。

 

顔はドローンと違い厚みがあり、四角いセンサーが怪しく赤色に光っている。

 

……間違いない。

コイツは他のドローンとは格が違う。

 

体長も2メートルはある。

僕より遥かに大きい。

 

 

『なんだ。やはり、トニー・スタークではないのか』

 

 

機械越しに、喋った。

つまり、コイツには人が入ってるって事だ。

 

……デッドプールが言っていた、雇われの悪人か。

 

 

「生憎、スタークさんは療養中だ。僕一人で十分──

 

『なら死ね』

 

 

僕の軽口を気に留めず、その巨腕が振り回される。

僕はそれを避けて……拳でコンクリート製の壁が抉られたのを見た。

 

……これも当たったら「痛い」じゃ済まないな。

中の人がスーパーマンでもない限り、スーツに強力なパワーアシスト機能が搭載されているに違いない。

 

そして、アーマー自体もかなり強固だ。

コンクリートを抉っても傷一つ付いてないぐらいには。

 

 

「ねぇ、先に自己紹介しない?僕はスパイダーマン。君は?」

 

 

僕は攻撃を避けつつ、時間を稼ぐ事にする。

これで気を逸らす事ができれば……。

 

 

『俺の名前は『チタニウムマン』だ。今から死ぬお前には必要ないが……殺した相手の名前を知らなければ、あの世で怯える事も出来ないだろ?』

 

 

チタニウムマンが腕のジェットを起動する。

そして、軸足を中心として加速し……その勢いのまま、僕へフックを繰り出した。

 

それを、僕は蹴り返して……足に鈍痛が走った。

……くそっ、ドローンよりも遥かに硬くて、力も強い!

 

そのまま止められなかった剛腕を、無理矢理避けて地面を滑る。

その瞬間、その場にドローンの機関砲の雨が降り注いだ。

 

 

「くっ!」

 

 

間一髪で避けながらも、何度もチタニウムマンの攻撃が掠る。

超感覚(スパイダーセンス)で何とか避けれてるけど、気を抜けば一発で終わりだ。

 

近付けば殴られる。

離れればドローンに撃たれる。

 

僕はチタニウムマンに、全力の蹴りを喰らわせる。

……少し後ろにのけ反ったけれど、スーツ自体にも、本人にもダメージは無い。

 

 

『無駄だ。俺のアーマーを貫くことはできない』

 

 

スタークさんは普段、こんなのと戦ってるのか……?

 

チタニウムマンの拳が机を砕き、破片が僕にぶつかる。

 

 

「っ!」

 

 

前のハンドメイドスーツなら突き刺さっていただろう。

だけど、このナノマシンスーツなら問題ない。

金属繊維に遮られて、デスクの破片が飛び散った。

 

 

『……ム?』

 

 

繊維のようなもので出来たスーツが想定以上に硬かった事に、チタニウムマンは驚いたような声をあげた。

 

そして、納得したような感嘆するような声を出した。

 

 

『……なるほど。そのスーツはトニー・スタークのモノか……?面白くなってきたぞ……!』

 

「そうかな……?家でホームドラマを観てる方が面白いと思うよ!」

 

『俺が好きなのは「残虐映画(スプラッター)」だ……それも、ヒーローのな!』

 

 

チタニウムマンがジェットを噴射させて寄ってくる。

背中だけではなく、身体の至る部分にあるジェットをコントロールし、細かく、小刻みに高速移動してくる。

 

左右に細かく揺らし、急に拳を突き出してくる。

 

巧みな操作に驚きつつ、ボクシングのような動きを見切る。

 

動きは超感覚(スパイダーセンス)で読める。

だけど、僕の攻撃が通らないのであれば──

 

僕以外で攻撃すれば良い話だ。

 

 

僕はチタニウムマンの攻撃を避けて、(ウェブ)を腕に引っ掛ける。

だけど、それは極細だ。

目に見えない程、細く透明だ。

 

そして、回避している間に別のものへとくっ付ける。

それはデスクや、花瓶、オフィスにある、ありとあらゆる物だ。

 

それを何度も繰り返す。

バレないように、精密に。

 

そして、チタニウムマンが腕を振りかぶった瞬間。

 

彼の肘に付けた(ウェブ)が、花瓶を引っ張ったのだ。

 

そして、花瓶は地面に落下し──

 

ガシャン!

と大きな音を立てて砕けた。

 

 

その瞬間。

 

ほんの一瞬、チタニウムマンの気が逸れた。

 

 

僕はカートリッジ2のゴム(ウェブ)を左右に発射して、そのまま飛び蹴りをする。

 

ゴム糸を切断し、空中で回転する。

周囲に張り巡らされていた細い糸を巻きこみ、極細の(ウェブ)を絡めとる。

 

 

『ムッ!?』

 

 

そのまま強く引っ張って、僕は背後に飛び退く。

 

チタニウムマンから離れた瞬間、ハマー・ドローンが僕へ向けて発砲した。

その瞬間、チタニウムマンを引き寄せて、その身体を盾にする。

 

チタニウムマンの体に大口径の弾丸が命中する。

 

 

『ぐっ、うっ!?』

 

 

大きな弾丸がアーマーに遮られて、跳弾する。

強い衝撃が、アーマー着用者の身体に貫通する。

 

ドローンはすぐに攻撃をやめたけど、何発かは命中した。

 

怯んだチタニウムマンを、背負い投げの要領で持ち上げる。

……『アイアンフィスト』に習った武術だ。

 

自身より大きく重いものを投げ飛ばす、重心のコントロール技術。

僕は足と腰でかち上げて、そのまま投げ飛ばそうとする。

 

……くっ、思ったより何倍も重い。

 

 

「くぅっ、落ち、ろ!」

 

 

ビルの下、中庭のプールへ落とそうとして…………

 

 

 

電撃を纏った鞭が、僕に飛来した。

 

それは青いスパークを放ち、空気を焦がしながら接近してきた。

一目で分かる……当たればヤバいって事が。

 

僕は咄嗟のところで回避する。

だが、それと同時にチタニウムマンに逃れられる。

チタニウムマンは内蔵されている各部のジェットを起動し、拘束している(ウェブ)を熱で焼き切ってしまった。

 

 

……今の攻撃は、いったい何だ?

僕は振り返る。

ドローンによって壊されたドア。

その直ぐ側に……居た。

 

ソイツも、アイアンマンのような見た目をしたスーツを着ている。

だけど、色は全く違う。

灰色の金属が剥き出しになったアーマー……恐らく、塗装もされていない。

最低限のコーティングだけで済まされた機能重視なデザイン。

 

胸には青いリアクター……これは。

スーツの熱源探知機能によれば、チタニウムマンより遥かに高エネルギーを作り出している。

恐らく……アイアンマンと同じ、『アークリアクター』だ。

独学で作ったのか、盗んだのか……。

 

そして一番目を引くのは、両腕から直に伸びる鞭。

革で出来た鞭……そんな物が可愛らしく思える程、凶悪な鞭だ。

それは、金属の繊維を編んで作られた金属鞭だ。

そして、鞭はスーツの腕から直接生えていて、リアクターからの供給で青い電撃を放っている。

 

それが、両腕に。

二本も。

 

 

『……『ウィップラッシュ』か。助かったぞ』

 

 

チタニウムマンが声をあげた。

 

……ウィップラッシュ?

それが名前か?

 

 

『……フン、スタークが来れば俺一人では厳しいと考えただけだ』

 

 

ウィップラッシュがぶっきらぼうに言い放ち、両手の鞭を回転させる。

スパークが発生し、破裂音が聞こえる。

 

何の……いや、空気が破裂している音だ。

 

鞭の先端が音速を越えて、ソニックブームを発生させている。

 

……これはピンチだ。

それも、かなりの。

だけど、これ以上に悪い事なんて、そうそうない。

 

ドン底ならば、頑張って抗って……後は這い上がるだけだ。

 

……そんな僕の気持ちを裏切るように、チタニウムマンが口を開いた。

 

 

『時間をかければ目的は達成される……ここは手間が掛かっても確実に殺すべきだ』

 

『……少し、話し過ぎだぞ』

 

 

チタニウムマンの踏み込んだ発言に、ウィップラッシュが忠告した。

 

 

『もうどうしようもない話だ。止められる話でもない』

 

 

だけど、チタニウムマンは気にせず笑っている。

……ハマーの計画は『スターク・インダストリー』の社員を襲う事じゃないのか?

 

 

「ねぇ、それって何の話?」

 

『……知らないのか?なら教えてやろう、蜘蛛男』

 

『……オイ』

 

『まぁ、良いだろう?どうせ手遅れだ』

 

 

僕は怖気が走った。

 

……手遅れ?

 

 

『俺達の目的がここの襲撃だけだと、お前は思っているな?』

 

「…………」

 

 

図星だ。

だけど、悟られないように黙るしかない。

 

 

『スタークの手下を殺す事だけが、今回の目的ではない。いや、寧ろ本題は別にある』

 

「別に……?」

 

『そうさ、蜘蛛男。ハマーは市民を虐殺し……その罪をスタークに擦りつけようとしているのさ』

 

 

……確かに、ハマー・ドローンに『スターク・インダストリー』のロゴが刻まれていた。

 

まさか。

 

……あのビルに隠されていた熱源の数より、ここを襲撃しているドローンの数が少ないのは。

 

 

『ここ以外にも複数の場所で襲撃している……マイアミ美術館、エアラインアリーナ、そして──

 

 

手に汗が、滲む。

 

 

『ドルフィンモール、だったか?』

 

 

一瞬、鈍器で頭が殴られたような衝撃を錯覚した。

 

そこには、グウェンも、ネッドも、ミシェルもいる。

 

 

「え……?」

 

『喋り過ぎだ、チタニウムマン』

 

『フン、もう作戦の時間はとうに過ぎている。虐殺は始まっている……もう止める事は出来ない』

 

 

ウィップラッシュを押し退けて、チタニウムマンが前に出てくる。

 

 

『お前に『止められるか?』なんて訊くつもりはない。俺はドラマの悪役なんかじゃない……ただ、『止められなかったな』と嘲笑いたいだけだ』

 

「そん、な……」

 

『そして何故、俺が話したか分かるか?蜘蛛男。お前が未熟だからだ。……そんな精神状態でどうやって俺達と戦う?』

 

 

言葉の終わりと共に、チタニウムマンが接近してくる。

僕は咄嗟に避けるけど……ギリギリだ。

 

集中し切れて居ない。

拙い。

 

興奮するチタニウムマンに、ウィップラッシュが舌打ちをした。

 

 

『……チッ、これだから頭の悪い愛国者(バカ)は』

 

 

文句を言いながらも、鞭を振り回す。

 

そして、チタニウムマンの攻撃を避けた僕へ、鞭を振るった。

命中した地面に、大きな爪痕のような焼け跡が残る。

 

……今すぐ、コイツらを倒して、みんなを助けに行かないと!

 

だけど、どうする?

チタニウムマン一人でも僕は苦戦していた。

ドローンも周りを囲んでいる。

 

多勢に無勢だ。

 

……だけど、諦める事はしない。

 

自分を奮い立たせて……僕は向かい合った。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

ピーターが居ない事に気づいたグウェンが、口を開いた。

 

 

「あれ?ピーターは?」

 

 

……私は気付いていた。

彼がネッドに何か頼んで、走り去ったのを。

 

そして、スーツに着替えてスパイダーマンとして飛んでいったのを。

 

……折角の旅行なのに、何かに巻き込まれてるようだ。

可愛そうに。

 

キョロキョロと辺りを見渡すグウェンに、慌ててネッドが近付いてくる。

 

 

「グ、グウェン!ピーターは今……」

 

「今?」

 

「ト、トイレなんだ!しかもトイレが混んでて遠くに行ってるみたいだ!」

 

 

……ネッドが必死に誤魔化している。

 

もしかして、ネッドはピーターがスパイダーマンだという事を知っているのか?

……そうだとしたら、いつからだ?

 

昨日はそんな様子はなかった……なら、今朝か?

昨日の夜か?

 

 

「ネッド、アンタ何か隠してない?」

 

「か、隠してないよ!」

 

「……じゃあ、ピーターを呼んできてよ。本当は何処にいるか知らないけど」

 

 

怒った様子でグウェンがネッドを睨んだ。

 

……ネッドは恐る恐るとした様子で私達から離れる。

どうするつもりだろう?

だって、ピーターはもう此処には居ないはずだ。

 

……それとも考えなしで、グウェンの圧に負けて逃げ出しただけ?

 

 

「……アイツら、何か隠してるよね。私に」

 

 

グウェンが私に言った。

 

……まずい。

ここで不信感を持たれれば、ピーターが困るだろう。

 

 

「ホントにトイレかも……?」

 

 

と言っても上手い誤魔化しが思い付く訳もない。

 

 

「……いや、アイツらの事だから……私達に知られないようにしたい事……やましい事があるに違いない」

 

 

やましい事……と言うには高潔過ぎるヒーロー活動だけど。

 

 

「でも、ピーターもネッドも、悪い事をするような人じゃないと思う」

 

「……ミシェルは純粋だね」

 

 

何故かグウェンに頭を撫でられた。

私を小動物のように扱わないで欲しい。

 

 

「男はみーんな、狼なのよ。ケダモノよ……男が黙って買い物に行くとしたら──

 

 

その瞬間……私は振り返った。

 

……何かに見られている気がする。

だけど、それは私を注視している訳じゃない。

私以外の何かを見ている。

 

私を視界に収めている誰かがいる。

 

 

「ミシェル……?どうしたの?」

 

 

……遠く離れたビルを見る。

目を凝らし、視覚を血清で強化すれば──

 

 

「ねぇ、ミシェルってば」

 

「うっ」

 

 

グウェンに肩を揺らされて、中断させられる。

 

……しまった。

不快な視線を感じてしまったから。

 

グウェンは深刻そうな顔をして、私を見ていた。

そして、その手を私の額に当てる。

 

 

「……やっぱり、熱でもある?大丈夫?」

 

 

私は元気だ。

身体に怪我もなく、血清のおかげで病気にもならない。

 

だから、彼女が何故心配しているか分からない。

 

 

「……大丈夫だけど」

 

「本当に?」

 

「うん」

 

 

グウェンはまだ納得していないようで、私を見つめている。

 

 

そして……。

 

 

ドン!

 

 

と大きな音がして、何かが近くに着陸した。

地面のタイルが割れて、舞い上がった。

 

咄嗟に私は振り返った。

 

それは……緑色のアーマーだ。

肩には『スターク・インダストリー』の文字。

 

 

「なんだなんだ?」

「キャンペーンか?」

「アイアンマン?」

 

 

周りに居た人達が集まってくる。

……『スターク』という名前から、彼等は特に不審がっていない。

 

スタークは突拍子もない事をするヒーローだからだ。

 

だけど、側には寄り過ぎない。

今、一番近くにいるのは……着地の際、すぐ側にいた私とグウェンだ。

 

だから、少し遅れた。

 

 

「あ……」

 

 

私は咄嗟に、グウェンに抱き着いて転がした。

 

 

「え、ミシェ──

 

 

発砲音。

……緑色のアーマーの両腕から煙が出ている。

 

 

「……え?」

 

 

グウェンが声を漏らした。

 

私の腹部は抉れ、血が流れていた。

悲鳴が、聞こえた。




続きは明日の朝7時


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#50 アーマー・ウォーズ part1

グウェンが私を、近くのレジ裏まで引っ張った。

あの緑色の襲撃者から隠れるために。

 

 

「ミ、ミシェル!血、血が」

 

 

慌てた声をよそに、私は腹を撫でる。

……随分と大きな弾痕だ。

 

人に撃つには過剰過ぎるだろう。

冷静に分析しつつ、指で弾丸をくり抜いて……なんて荒療治が、グウェンが側にいるので出来ない事に気付いた。

 

私は、両手を血に濡らして怯えるグウェンに安心させようと声を掛ける。

 

 

「だ、大丈夫……何も、心配しなくて、げほっ」

 

 

途中で口から血を吐いた。

……内臓にダメージがあって、血が逆流してしまったようだ。

 

かえって心配させてしまう、と私はグウェンの顔を見た。

案の定、泣きそうな顔をしている。

 

 

「ミシェル、ど、どうしよう……」

 

「ここは、危ないから、グウェンだけ逃げれば……」

 

 

グウェンが居なくなれば……治癒因子(ヒーリングファクター)で傷を完治させて、この場を切り抜けられる。

……その後、傷を再現するために自身の腹に一発撃てば良いだけの話だ。

 

 

「違うよ、私じゃなくて……このままだと、ミシェルが死んじゃう……から、どうしたら、良いの……?」

 

 

私の血と、彼女の涙が混じって、グチャグチャだ。

嗚咽を漏らすグウェンに、私は目を細めた。

 

……そうだ。

彼女は友人を見捨てて逃げられるような人間では無い。

 

 

……だけど、こうなった原因は。

私の平和ボケだった。

 

近くにあの緑色のアーマーが降りてきた瞬間に、彼女を無理矢理連れても逃げれば良かったのだ。

 

しかし、それは年頃の少女らしくないと……私は、グウェンに本当の姿がバレるのが怖くて、一瞬……ほんの一瞬、判断が遅れた。

 

そのせいで、こんな事になっている。

 

……広場にいるアーマーを見る。

周りに発砲している。

幸い、AIがポンコツなのか、銃の精度が悪いのか……流血している怪我人はいても、死体の姿は見当たらない。

 

私は、隠れているレジの裏にあった金属製の定規を手に取る。

……何もないよりはマシだ。

 

 

「グウェン、お願い……逃げて。私が、何とかする、から」

 

 

スーツもない。

武器もない。

マスクもない。

 

だけど、それでも。

 

グウェンを助けなければならないと、思った。

……そして、私の正体がバレようとも、死なせたくないと思った。

 

これは私の落ち度だ。

私が償わなければ、ならない。

 

大丈夫だ。

あんなアーマー……いや、無人機(ドローン)ぐらい私なら簡単に壊せる。

何も恐れる必要はない。

 

 

だけど。

 

 

「あ、れ?」

 

 

私の身が震えた。

恐怖している。

 

それは、あの緑色の玩具(ドローン)に対してではない。

 

私の正体が、グウェンにバレたら。

手を血に染めた殺人者だと、知られてしまったら。

 

きっと、私は彼女達とは……もう一緒に居られない。

 

 

「おか、しい……」

 

 

定規が手から離れて落ちる。

足が竦む。

 

ダメだ。

ダメだ、ダメだ。

 

違う。

私はグウェンを助けないと。

自分の我儘を押し通して、それでグウェンが死んだら……私は私を許せない。

 

だから、動いてくれ。

足を滑らせて、ゆっくりと尻もちをついた。

 

 

「何で、足……?」

 

「ミシェル……!」

 

 

ボヤけた視界の中で……グウェンが私の手を握った。

 

震える私の手を握って……彼女の目が私の目を見た。

……彼女の目に決意が見えた。

 

 

「……ミシェルはここでジッとして居て」

 

 

突然、言われた言葉に思考が止まる。

 

 

「で、も……」

 

「……私がミシェルを守るから」

 

 

彼女は泣き噦る子供をあやすように、優しく私に声を掛けて……立ち上がった。

 

そして、その目の先には、殺人ドローンがいる。

 

 

「だ、め……」

 

 

私はグウェンの裾を掴もうとして、その手を逆に撫でられた。

優しく振り解かれて、グウェンが私から離れる。

 

グウェンがインナーの……首元を下げた。

そこには大きな、縦に雷のように裂けた傷跡があった。

 

……私は、その傷を知っていた。

彼女がグリーンゴブリンとの戦いに巻き込まれて……受けた傷の跡だ。

 

そして、グウェンは私に振り返って……笑った。

 

 

「ミシェル、これから見る事は……全部、秘密にしてね」

 

「え……?」

 

 

グウェンの傷跡から黒いタールのような液体が流れ出す。

それは粘性を持って、まるで生き物のように練り動き、グウェンへ纏わりつく。

 

そして、黒いマスクに、黒いスーツのような姿に変わる。

その姿はスパイダーマンに似ている。

 

だけど目は白く、黒いフードのようなモノを被っていて……縁は白く、その内側は内臓のように毒々しいほどに赤かった。

そして傷口のあった場所から、舌のような器官が伸びて……それには幾つもの白い牙が生えている。

 

 

「あ……」

 

 

私は知っている。

 

それは『シンビオート』だ。

ヴェノムと同じ、地球外から来たエイリアンコスチューム。

 

 

『私達が……あんな奴、すぐに倒してくるから』

 

 

グウェン本来の声と、子供のような声が重なった、ノイズのような声が聞こえる。

白く鋭い目がウインクをした。

 

 

彼女はそのまま、隠れていたカウンターから飛び出した。

 

私は慌てて、身を横へ倒し……グウェンを視界で追う。

 

 

彼女は噴水の上に着地した。

ドローンがグウェンを見た。

 

 

グウェンが……シンビオートが、吠えた。

空気が震える。

 

そして、足場を蹴り、宙を舞う。

それを狙ってドローンが両腕を向けた。

 

その両腕には、私の腹に穴を開けた機関砲が──

 

 

「グ、ウェ……」

 

 

私の心配をよそに、グウェンの手から黒く細い触手が生えて、壁を突き刺した。

 

そのまま強く引き寄せて、ドローンの発砲を回避する。

 

……宙に一度飛んだのは銃口を上に吊り上げて、流れ弾で誰も傷つかないようにする為だ。

 

ドローンはグウェンの動きについて行けず、弾丸は宙へ散らばった。

 

そのまま、グウェンが空中で錐揉みしてドローンの頭を掴んだ。

 

甲高い獣の悲鳴の様な叫び声をあげて……両腕で捻る。

 

ドローンの首が、引き千切られた。

センサーを暗転させて、頭が転がった。

 

スパークする音と共に、ドローンが倒れる。

勝ち誇る様に雄叫びを上げて、倒れているドローンを踏み付けた。

 

ミシリ、と軋む音が聞こえた。

 

……まるで、獣のようだ。

普段の彼女からは想像できない、荒々しい獣。

 

私は傷口の痛みも忘れて……その姿を眺めていた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

私がその力を手に入れた──

いや、力と『共生』し始めたキッカケは……一ヶ月前だ。

 

ミシェルと、ハリーと別れて……一人で病室にいた時──

 

眼帯を付けた強面の人が来た。

彼は自身を『ニック・フューリー』、国際平和維持組織『S.H.I.E.L.D.』の長官だと名乗った。

 

彼は言った。

 

 

「また歩けるようになりたいか?その為なら、平凡な人生を捨てられるか?」

 

 

私は、頷いた。

だって、このまま歩けなかったら……私の大切な人達に迷惑をかけてしまうと思ったから。

きっと、迷惑をかけても、笑って許してくれるだろう。

 

だけど、私はそれに耐えられなかった。

怯えていた。

 

だから、その手を伸ばした。

 

転院なんて嘘を吐いて、私は『S.H.I.E.L.D.』の管理している研究施設に連れて行かれた。

 

私はそこで、彼……彼女……いや、違う。

性別のない、この子と出会った。

 

蓋の付いたシリンダーに入れられた、その子は『シンビオート』という種族と教えられた。

 

人に凄まじい力を与える代わりに、その感情を食い、増幅させる地球外生命体(エイリアン)だって。

 

 

私はこの子と遺伝子レベルで深く結合できるバイオマトリックスを持っているらしい。

 

つまり、相性が良いって事だ。

 

私とフューリーは密閉された空間の中に入って、その蓋を開けた。

 

黒い液状の生き物が這い出てくる。

 

最初はちょっと、気持ち悪いと思った。

怖いとも思った。

 

だけど、私はその子と触れて……まだ何も知らない真っ新な赤ん坊なのだと、感じた。

 

 

「そいつは『ヴェノム』と呼ばれるシンビオートから分離した。まだ誰の手にも渡っていない、外界にも触れていない……所謂、白紙のノートに近い存在だ」

 

「『シンビオート』の赤ちゃんってこと……?」

 

「……なるほど、そういう感想もあるのか。研究者達では出なかった見解だな」

 

 

私は……その子を撫でた。

 

 

『マ、マ?』

 

 

ふと、声が聞こえた。

それは歪な、子供のような声だ。

 

この子が発したのだと、私には分かった。

 

私は否定せずに、抱きしめた。

 

 

「なっ……?」

 

 

慌てた様子のフューリーをよそに、私とこの子は結合した。

黒い液体が私の中に染み込んでいく。

 

その子の抱える寂しさや、悲しさも。

安易に分かると同調はできないけれど、親も居なくて、孤独なのだと……それは悲しい事だと思った。

 

 

『ママ……?』

 

 

だから、私は彼女の母になろうと思った。

 

 

「フューリーさん、この子の名前は……?」

 

「名前か?……まだ、無いが。熱狂者(マニア)か、混乱(メイヘム)と名付けようと──

 

「そんなの、可愛くないでしょ?」

 

「……可愛い?」

 

 

フューリーが手を顎に当てて訝しむ。

……本当に、大人って。

 

 

「それなら……」

 

 

この子の父はヴェノム(VENOM)で。

私はグウェン(GWEN)だ。

 

二つを合わせて。

 

 

「決めた。貴方は『グウェノム(GWENOM)』よ」

 

『グウェノム?』

 

「そう、貴方の名前」

 

 

その瞬間、『グウェノム』の喜びが私に伝播してきた。

 

 

 

 

それから、私は『グウェノム』と二人三脚で訓練してきた。

この子の助けがあれば、私は歩く事も出来た。

 

『シンビオート』は生き物の脳か……チョコレートが好物らしい。

私はこの子に鶏の脳味噌や、チョコレートを与える。

 

気分はベビーシッターだ。

 

『グウェノム』は時々、私の感情に紐付いて癇癪を起こした。

フューリーは暴走だとか言っていたけど……私が宥めれば直ぐに落ち着いた。

 

そして、叱れば……キチンと反省した。

私はこの手のかかる、暴れん坊な子供と共生する事に慣れてきた。

 

細かなコントロールが出来るようになった頃、私と『グウェノム』の本格的な訓練が始まった。

 

『S.H.I.E.L.D.』が私に『グウェノム』を預ける条件は、将来、組織に従事して世界の平和の為に戦う事だ。

 

勝手に進路が決まっちゃったけど……。

でも、私の父、ジョージは警官で……父も街の平和のために戦っている。

 

絶対に口に出さないけれど、その姿には憧れていた。

だから、世界を守るために戦う事は苦に思わなかった。

 

それに、私のように悪人に傷付けられる人が減るのなら……それは、嬉しい事だから。

 

 

答えは一つだ。

 

 

そうして、残りの三週間。

私はフューリーと、ナターシャと呼ばれる女性エージェントに鍛えられた。

 

ハンドガンの使い方、格闘技、パルクール、追跡……それこそ、必要な事は全て。

 

時間が過ぎ去り、夏期旅行の当日となり……私は外出を許可された。

戻って来ても、週に三回は訓練と『グウェノム』の途中検査が必要らしい。

代わりに、幾らか賃金が出るとか……。

 

私はエージェント研修生ってワケね。

 

……そんな研修生である私は、フューリーに注意されていた。

 

 

「良いか、くれぐれも勝手に結合レベルを上げるなよ?」

 

「分かってるって……フューリーさん」

 

 

シンビオートとの結合レベルを引き上げると強力なパワーが得られるが……その分、精神が引き摺られて凶暴化する。

施設内であればナターシャに止めてもらえるけど、外で暴走すれば……死人が出てもおかしくない。

 

私は、フューリーの言葉に頷いた。

 

しかし、彼は全く納得していないようで……。

 

 

「事の重大さが分かってない……全く、お前は──

 

 

ぐちぐちとフューリーが怒る。

ここ数週間はずっとそうだ。

 

見た目通り堅物で、神経質な男だ。

 

 

一通り注意を受けた後、フューリーが私に思い付いたように言った。

 

 

「……そうだ、コードネームを教えておこう」

 

「コードネーム?」

 

「あぁ、ナターシャも『ブラックウィドウ』というコードネームがある」

 

 

……その名前を聞いて、私は思いだした。

ブラックウィドウ……そっか、ナターシャってアベンジャーズだったんだ。

雑誌か新聞で見た事ある。

 

私は少し驚いた。

 

ナターシャは、そんな私を見て笑っていた。

今更気付いたの?って。

 

 

「君のコードネームは──

 

 

フューリーが手元に、私のICカードを取り出した。

そこには、本名とは別の名前が刻まれていた。

 

 

「『エージェント・グウェノム』だ」

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

「くそっ!」

 

 

僕はチタニウムマンの攻撃を避けて……ドローンの攻撃を受けないよう立ち回る。

 

そして、回避した先でウィップラッシュに鞭を振られる。

それは(ウェブ)を使って無理矢理回避する。

 

 

『小賢しい奴め!』

 

 

チタニウムマンが更に一歩踏み込み、右ストレートを放つ。

僕はそれを受け流して、蹴りを食らわせる。

 

……怯む事もなく、ダメージが入っている様子もない。

 

 

強固なアーマースーツを纏ったチタニウムマンが前衛で。

長い射程と殺傷力のある鞭を持ったウィップラッシュが後衛。

そして、僕の行動を阻害するハマー・ドローン達。

 

完璧な布陣だ。

褒めたいぐらいだ……敵対してるのが僕じゃなければ。

 

 

グウェンやネッド、ミシェル……勿論、街の人だって助けないといけないんだ。

 

早く倒さなきゃならないのに……。

 

僕は焦っていた。

 

 

『埒が明かない……チタニウムマン、先にスタークの部下を殺せ』

 

 

ウィップラッシュが言った。

 

 

『ム……?だが良いのか?この場から離れて』

 

『あんなガキ一人なら大丈夫だ、行け』

 

 

チタニウムマンが僕を一瞥して、その足を部屋の外へと向けた。

 

まずい!

地下のシェルターに移動して、『スターク・インダストリー』の人達を殺すつもりだ!

 

僕は引き止めようと、(ウェブ)をチタニウムマンへ発射し──

 

 

『予想通り、前に出てきたな?』

 

 

ウィップラッシュが鞭を回転させた。

青い電撃を放つ鞭が、僕の(ウェブ)を絡め取って焼き尽くした。

 

そのまま僕へ鞭が放たれ、僕の横を通り過ぎる。

割れた強化ガラスの窓にぶつかり、ガラスが焼け焦げて白く濁った。

 

……チタニウムマンが僕達から離れていく。

 

ダメだ。

行かせたら、シェルターに避難している『スターク・インダストリー』の人達が殺されてしまう。

 

 

深呼吸して、僕は集中する。

 

 

カートリッジを切り替える。

番号は2、ゴム(ウェブ)だ。

 

残りの液量も少ない。

失敗は出来ない。

チャンスは一回だ。

 

 

僕は地面を蹴って、ウィップラッシュへ接近する。

 

 

『死にに来るような物だ……!』

 

 

鞭を短く振り回し、僕の足元へ振るう。

 

僕はそれを飛び越えて──

 

ウィップラッシュが宙にいる僕へ、もう片方の鞭を振ろうとする。

 

……空中では回避を出来ない。

そう思っているのだろう。

 

隙を晒せば無理にでも攻撃してくると、僕は予測していた。

だから、敢えて飛んだんだ。

 

僕はゴム(ウェブ)を最大出力で、こちらへ向かってくる鞭へ射出する。

空になったカートリッジが自動で排出された。

 

宙にいる僕へ振った鞭は、ゴム(ウェブ)が命中し勢いを殺されて地面に落下する。

 

僕を狙って振った鞭と、地面を攻撃した鞭が接触した。

ゴム(ウェブ)は電気を通さない……電気鞭に焼かれる事もなく、その左右の鞭を結合した。

 

瞬間。

 

 

強烈な破裂音が聞こえた。

 

 

『ぐぁっ……!?』

 

 

鞭に電流を流している回路が短絡(ショート)した音だ。

ゴム(ウェブ)も巻き込まれて破裂し、千切れてしまったけれど……衝撃は十分に来たようでウィップラッシュが怯んだ。

 

宙にいる僕は、そのまま(ウェブ)を頭上の天井に放ち……スイングする。

 

勢いのまま、僕はウィップラッシュへ蹴りを食らわせた。

 

ウィップラッシュが吹っ飛び、階段を転がり落ちた。

 

……きっと、アーマーに衝撃は吸収されて深いダメージはないだろう。

だけど、時間稼ぎにはなる。

 

 

その瞬間、ドローン達が僕へ銃口を向ける……だが攻撃は出来ない。

全てのドローンが対角線上に並ぶよう、位置を調整したからだ。

 

僕は宙で回転しつつ、(ウェブ)を乱射する。

ドローンの腕やセンサー部を拘束して、動けなくする。

 

ドローンが無力化出来た事を確認し、僕はチタニウムマンを追う。

 

……居た。

ジェットを使って、ビル中央の空洞から降りようとしている。

 

だけどまだ、飛び立っては居ない。

 

僕はウェブシューターのカートリッジを3に切り替える。

 

そのまま発射すると、通常の(ウェブ)のような見た目でチタニウムマンに命中した。

そしてそれは、大気と化学反応を起こし……凍結する。

 

空気中で熱を奪い凍結する、化学物質を配合した『氷結糸(アイスウェブ)』だ。

 

そこでチタニウムマンが僕の存在に気付いた。

 

 

『ムゥ……!?ウィップラッシュの奴、取り逃がしたか!』

 

 

僕が氷結糸(アイスウェブ)で狙ったのはジェット部分。

ジェットは熱料を発火させて発生したガスを推力にして移動する仕組みだ。

 

それを急激に冷やせば、どうなるか?

燃料は凍結し、推力も発生しない。

 

 

『何だ……?』

 

 

チタニウムマンがジェットが起動しない事を訝しんでいる。

 

氷結糸(アイスウェブ)は0度なんて生易しいものじゃない。

マイナス100度に近い超低温だ。

 

人体にぶつければ死んでしまう程の低温……エンジンを狂わせるのには持ってこいだ。

 

 

「間に、合った」

 

 

 

その瞬間、僕の背中に……超感覚(スパイダーセンス)に危機反応があった。

 

回避しようと、足を動かそうとして……力が入らない。

 

……疲労と、蓄積されたダメージのせいで回避しきれない。

 

 

 

僕の背中に衝撃が走った。

 

 

「うあぁっ!?」

 

 

電撃が僕の身体を焼く。

スーツを貫通して、激痛が走った。

 

 

ウィップラッシュだ……!

もう戻って来たのか!?

 

スーツの視界、それをサポートする機能に障害が発生し、ノイズが走った。

 

僕はそのまま、焦げて煙を出しながら倒れた。

……身体は、まだ動く、けど。

 

僕は両手を地面について、立ちあがろうと──

 

 

『フン……!』

 

「うぐっ」

 

 

背中を、チタニウムマンに踏まれた。

 

無理矢理頭を上げると、ウィップラッシュが僕の前に立った。

 

 

『先程は驚いたが……無意味だったな』

 

 

僕の顔を蹴り飛ばした。

 

 

「ぐっ……!?」

 

『……生意気な目だ』

 

 

口に、血の味が染みる。

 

 

『多少の時間稼ぎにはなったかも知れないが……結果は変わらない。お前を殺してから、私達はスタークの手下を殺すだけだ』

 

 

残酷な現実を、ウィップラッシュが語る。

 

チタニウムマンが僕を無視して『スターク・インダストリー』の社員を殺そうとした時、止めなきゃいけないと思って……無理をしてしまったけど。

 

無意味、だった。

それどころか、大きな失態だ。

 

たった少し、ほんの少ししか時間は稼げなかった。

二人にダメージはない。

 

僕の、判断ミスだ。

 

 

『お前は誰も守れない』

 

 

視界が明滅する。

意識が朦朧としてくる。

 

僕は、誰も……助けられな──

 

 

 

 

スーツの中で、アラートが鳴った。

視界の隅で、レーダーに反応が有った。

 

人工知能(カレン)が情報を口にする。

 

 

『高速で飛来する物体を感知』

 

 

……まだ、敵がいるって言うのか……?

 

 

『接近まで残り5秒。識別コード0529──

 

 

天井の窓ガラスが割れる。

 

 

『ム……!?』

 

 

チタニウムマンが驚き、降りかかったガラスを腕で払った。

 

逆光を浴びて、影が落下してくる。

 

そして、轟音と共に『何か』が側で着地した。

 

勢いはあまりに強く、地面が揺れて、コンクリート製の床が『何か』を中心にヒビ割れた。

まるで、小さな隕石が落ちてきたかのような光景だ。

 

 

その『何か』は右手で地面を突くようにしゃがんでいる。

 

 

赤と、金色のアーマーが光を反射する。

胸の中心で青い逆三角形が輝く。

 

よく知っている。

その『何か』の名前は──

 

 

『『アイアンマン』です』

 

 

ここには居ない筈の……僕の憧れの人(ヒーロー)が居た。

だって、骨折したって……大怪我をしてるって、言ったのに。

 

 

「スターク、さん……?」

 

 

ゆっくりと、アイアンマンが立ち上がる。

 

その姿は……遥か昔、僕がまだスパイダーマンでもなかった……小さな、子供だった頃。

僕を助けてくれた時と同じだ。

 

スタークさんは覚えていないだろうけど……僕にとっては今でも鮮明な記憶だ。

 

スーツの姿や形は変わっていても、彼は僕の憧れの人(ヒーロー)だ。

昔も、今も、変わらずに……。

 

 

その手を、僕を踏みつけているチタニウムマンへと向けた。

掌が青白く光る。

 

 

『そこまでにして貰おうか、二人とも。……僕をこれ以上、怒らせたくなかったらね』

 

 

珍しく刺々しいスタークさんの声が、アイアンマンから聞こえた。



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#51 アーマー・ウォーズ part2

目の前にアイアンマン……スタークさんがいる。

僕はその事実を理解出来ずに居て……だけど、これは現実で……。

 

ウィップラッシュが嘲笑いながら口を開いた。

 

 

『フン、真打ち登場と──

 

 

最後まで言葉は喋られなかった。

青白い光に吹っ飛ばされたからだ。

 

アイアンマンは両手をウィップラッシュへと向けていた。

 

 

『リパルサーレイ』。

アイアンマンが両手に装備している光学兵器だ。

光をエネルギーとして発射する装置で、これを使用する事で飛行している。

 

そして、それは敵へ向けた場合……強力なエネルギー武器となる。

 

 

リパルサーレイが直撃したウィップラッシュは吹き飛ばされて、ビル中央の空洞へと落下する。

咄嗟に鞭を放ち、ぶら下がり……落下を免れたようだ。

 

 

『スターク……!』

 

 

チタニウムマンが怒りを隠さず、声を荒らげる。

僕に乗せている足にも力が篭る。

 

 

「うっ」

 

 

思わず、声が出てしまった。

 

アイアンマンが、一歩近付いた。

 

 

『その汚い足を退けろ、マスカットくん』

 

『我が祖国の為に……!』

 

『聞こえなかったか?退けろ、と言ったんだ』

 

 

リパルサーレイが再度、光を放ち……チタニウムマンを数歩、後退させた。

 

 

『ぬぐぅっ!?』

 

 

吹き飛ばなかったのは、フィジカルがウィップラッシュよりも強いからか。

とにかく、その隙にチタニウムマンから逃れ、僕は壁へと凭れ掛かった。

 

……加勢しようと思ったけど、ダメだ。

力が入らない。

 

アイアンマン……スタークさんが僕を一瞥する。

……幻滅、されちゃった……かな。

 

 

『我が、名誉のためにィ!』

 

 

怒声を上げて、チタニウムマンがアイアンマンへ突進する。

氷結糸(アイスウェブ)の効果も切れたみたいで、ジェットを全力で燃やして突進している。

 

 

『接近戦なら勝てると思っているのか?おめでたい奴だな』

 

 

アイアンマンが片手で受け流し、リパルサーレイを起動する。

それは、チタニウムマンに命中しなかったが……目的は当てる事ではなかった。

 

リパルサーレイによって推力が発生した右手をそのまま回し、身体を回転させて回し蹴りを放ったのだ。

 

 

『うぐっ!?』

 

 

アーマー同士が衝突して、鈍く、重い打撃音が聞こえる。

 

互いのアーマーに傷はない。

だが、内部に存在する生身へのダメージはあったようだ。

 

アイアンマンが左手を突き出し、チタニウムマンの顔を殴る。

そのまま手を開いて、よろけているチタニウムマンへの追撃としてリパルサーレイを放った。

 

 

『ぐあっ!?』

 

 

吹き飛ばされたチタニウムマンが転がり、ビル中央の空洞にかかる通路へと倒れた。

 

 

アイアンマンが両手を地面に向けて、リパルサーレイを射出する。

足の踏み込みと併せて飛行し、チタニウムマンを追撃すべく追いかけた。

 

そして、両手を交差して地面へ向け……両腕の甲から赤いビームを放ち、床を切断した。

切断された断面は赤熱し、溶解している。

 

 

200ペタワットの『レーザーカッター』だ。

恐らく、チタニウムマンの装甲も易々切り裂ける程の熱量があるけど……あえて、当てずに床を切断するに留めたんだ。

直撃させれば死亡するから、だろう。

 

 

『コンクリートのベッドで寝ていると良い』

 

 

そして、アイアンマンが両腕のカートリッジを排出した。

 

切断された空中通路と共に、チタニウムマンが落下する。

 

 

『うおあぁぁ!?』

 

 

チタニウムマンは……叫び声を上げながら墜落した。

砂埃が晴れると、瓦礫に埋もれ微動だにしない姿があった。

 

恐らく、意識を失っているのだろう。

 

 

「やっぱり、凄い、や……」

 

 

思わず感嘆の声が漏れる。

僕が手こずった敵を、ほんの一瞬で無力化したのだ。

 

 

その瞬間、鞭が僕たちのいる階層の天井付近で巻き付き、鈍色のアーマーが飛び上がり……着地した。

 

ウィップラッシュだ。

 

 

『トニー・スターク、覚えているか……?貴様の兵器によって俺の──

 

『さぁね、覚えてない。しみったれた昔話なんて聞きたくもないね。それに──

 

 

アイアンマンが左手の掌をウィップラッシュへと向けた。

 

 

『重要なのは過去じゃなくて現在(いま)、君がテロリストとして僕の部下を殺そうとしていたって事だ』

 

『……お前は、そういう奴だったな。スターク。傲慢を絵に描いたような男だ』

 

 

ウィップラッシュが鞭を回転させる。

片方の鞭が飛び出して、アイアンマンの腕を絡め取った。

 

電流が流れるが……アイアンマンにダメージはないようで、怯む様子はない。

 

 

『傲慢じゃない。これは自信だ。事実、僕は君よりも優れている』

 

『ほざくな!』

 

 

鞭が宙を引き裂き、アイアンマンの頭に命中した。

 

そして……首が宙に飛んだ。

 

 

「ス、スタークさん!?」

 

『ハッ!呆気な──

 

 

ウィップラッシュが勝利を誇ろうとし……アイアンマンの頭部、マスクが空っぽである事に気づいた。

 

 

『な……!?』

 

『言ったろ?僕は君よりも優れているってね』

 

 

首のなくなったアイアンマンが、鞭に縛られていない方の腕で宙に浮いている鞭を掴んだ。

 

ウィップラッシュの左右の鞭が、アイアンマンの左右の腕によって掴まれていた。

 

 

『馬鹿な!?』

 

 

理解出来ない様子で、ウィップラッシュが喚く。

 

 

『さて、お勉強の時間だ』

 

 

アイアンマンはそのまま両腕を回し、鞭を絡め取って、ウィップラッシュへ近付いて行く。

慌てて、電流を流し続けるも、ダメージは無い。

 

逃れようにも、鞭が巻き取られていて離れる事は出来ない。

少しずつ、確実に近付いて行く。

 

 

『こういう武器は、腕から切り離せるようにした方がいい。復習は刑務所でするんだな』

 

『く、くそっ!』

 

 

接近してきたアイアンマンを、ウィップラッシュが蹴った。

……だけど、彼より力の強いチタニウムマンですらダメージを与えられなかった。

彼では、アイアンマンにダメージが入る訳もない。

 

アイアンマンの胸にあるアーク・リアクターが強く光り始める。

 

 

『そして、君の戦闘パターンも見切った』

 

 

光が収束し、飽和する。

 

 

『やめっ──

 

 

アーク・リアクターから閃光が放たれた。

高出力のエネルギーがウィップラッシュを吹き飛ばし、鞭を引きちぎり、壁へと衝突させた。

 

 

『ユニ・ビーム』

半永久発電機関、アーク・リアクターのエネルギーを直接発射するアイアンマンの切り札だ。

全力で撃てば、間違いなく敵を殺してしまうが──

 

 

『大変なんだぞ?君が気絶で済むように、出力を調整するのは』

 

 

これも、手加減していたようだ。

 

首のないアイアンマンが、落ちていた頭を手に取り、くっ付けた。

 

一瞬で決着が付いた事に驚きつつ……僕は身体を引き摺って近付く。

 

 

「ス、スタークさん……」

 

『あぁ……ピーター、大丈夫か?』

 

「大丈夫、です……」

 

 

本当は、まだ身体も痺れているけど……。

 

 

「その、ごめんなさい……」

 

『……は?何を謝ってるんだ?オイオイ待て、僕は君のパワハラ上司じゃない筈だ』

 

 

中身は空っぽのアイアンマンに、乱暴に頭を撫でられた。

 

 

「でも……その、助けが無かったら、僕は」

 

『それは僕も同じだ、ピーター。君がいなかったら、僕の会社の従業員は死んでいた。明日には謝罪会見をしていたさ』

 

「だけど……」

 

『ピーター、謙虚は美徳だが……素直に褒められてると良い。だから、何だ?その──

 

 

少し、気恥ずかしそうな素振りを見せて。

 

 

『助かったよ、ピーター』

 

「あ……」

 

 

思わず、涙が出そうになった。

僕のやった事は、覚悟は……無駄じゃないと教えてくれたから。

 

 

『いや、よく持ち堪えてくれた。僕が……あぁいや、僕はまだ病院にいるけど……そう、僕のアーマーが来るまで。よく頑張ったな』

 

「……はい」

 

 

やっぱりこれ、遠隔操作なんだ。

僕は納得した。

 

聞いた事がある。

『スターク・インダストリー』の所有する人工衛星……そこを経由する事で、どんな場所からでもスーツを操作出来るって聞いた。

 

……誰からって?

スタークさん本人が自慢していた。

 

 

「あ、でも、急がないと……ここ以外にも、襲撃されてるって……」

 

『それは大丈夫だ、心配する必要はない』

 

「大丈夫……?」

 

『そうとも、僕の最も信頼している友達を連れて来たからね。所要時間5時間以上、僕と空の旅を同行した……生真面目なお人好しさ』

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

私は宙を舞い、触手を壁に突き刺して移動する。

 

ミシェルを傷付けたドローンは、一体だけではない。

まだ街に複数体いる。

 

街を駆けながら、一体、また一体と破壊していく。

 

全部倒して……ミシェルを病院に連れていく。

 

 

……私はフューリーから戦う事を許可されていない。

まだ未熟だから、子供だから……責任が取れないから。

 

だけど。

 

ミシェルは私の前で震えていた。

怯えていた。

それなのに、私を助けようとしていた……。

 

だから、私は戦う事に決めた。

後で、きっとフューリーに怒られるけど……いや、怒られる程度で済めば良いぐらいだけど。

 

私は壁を蹴り、舞い上がる。

 

この姿……黒いスーツ姿は結合レベルを引き上げた姿だ。

身体能力が数倍に跳ね上がるが、リスクもある。

 

『シンビオート』と深く結合し過ぎると人格が引っ張られてしまう。

もし、その状態で暴走すれば……自力で戻る事は叶わない。

 

だから、『S.H.I.E.L.D.』から1時間のタイムリミットを設けられている。

1時間だけだ。

 

それ以上を過ぎれば、『エージェント・グウェノム』への射殺命令が出る。

 

だから、それだけは絶対に避けなければならない。

 

 

ドローンが子供を追いかけている所を目撃する。

 

私はアイススケートのように宙を回転して、回し蹴りを叩き込んだ。

 

 

よし、次は──

 

 

『そこまでだ』

 

 

声と共に、大きな何かが私に衝突した。

強烈な衝撃に、一瞬意識が飛びそうになり……何とか耐える。

 

木製のドアを壊し、私は店へ転がり込んだ。

店内に飾られていたグラスが落下し、砕け散った。

 

『グウェノム』が震えて、怒りを表している。

自然と唸り声が上がる。

 

 

即座に立ち上がって、元いた場所を見る。

 

……そこには、緑色のドローンとは見た目が異なる、赤いアーマーの姿があった。

 

体長は恐らく、2メートルを超えている。

そして、上半身の装甲が厚く、両腕も大きい。

逆三角形のシルエットをしている。

胸には青白く光る星形のリアクター。

 

……ドローンとは違う、明らかな強敵。

 

 

『……アンタが事件(コレ)の首謀者?』

 

 

私は訊きながら、ドアを蹴飛ばした。

 

宙を飛んだドアは、その赤いアーマーに弾かれてしまった。

 

 

『驚いたな、畜生の類いかと思ったが……まさか人間だったとは』

 

 

私は一歩ずつ、あの赤いアーマーへと近付く。

 

 

『そして、先程の質問にYESとは答えられないが……そうだな、部分的にはそうとも言えるな』

 

『馬鹿にしてんの……!?』

 

 

他人事のような言葉に、私の脳は沸騰寸前になる。

アドレナリンが分泌されて、シンビオートの活動が活発になっていく。

 

 

『……ブッ殺す』

 

 

舌から直接生えた牙が逆立ち、爪が鋭く鋭利になる。

 

今すぐ、コイツをバラバラに引き裂いてやる……!

 

肌がピリピリする。

『グウェノム』も興奮しているのが分かる。

 

……ママ、アイツ、嫌い?

えぇ、嫌いよ。

 

脳裏でグウェノムと会話する。

 

 

『私は『クリムゾン・ダイナモ』。名乗っておこう……黄泉の国への駄賃代わりだ。大義の為、恨んでくれるなよ?』

 

 

クリムゾン・ダイナモの両腕が金色に光る。

バチバリという空気を引き裂く音がして、放電し始める。

 

……当たったら死ぬかも知れない。

だけど、そんなのもう関係ない。

 

恐怖はない。

怒りと殺意が、脳を侵食する。

 

 

『何も知らない人を巻き込んで……傷付けて……そんな!お前が……!大義を語るな……!』

 

 

シンビオートはアドレナリンを……怒りを食らって強くなる。

 

私は今、怒っている。

今までの人生で、最も怒ってると言っていい。

 

『グウェノム』が私の怒りを食って、脈打つ。

 

力が溢れる。

私は、全能感に支配される。

 

私は一歩、踏み出そうとして──

 

 

視界の隅、空の上で……黒い飛行物体が見えた。

……その飛行物体は人型だ。

 

黒い、アーマー。

 

 

増援?

敵?

 

 

そのアーマーの肩部が開かれて、小さなペンのようなものがばら撒かれる。

それは小さな火を吐いて、空中で射出された。

……小型(マイクロ)ミサイルだ。

 

空中から地上に降り注ぎ……私から離れた位置で爆発した。

 

……それは、ドローンが居た位置だ。

私が確認していた奴らの位置と、全く同じ場所だ。

 

 

『何だと……?』

 

 

クリムゾン・ダイナモが気付き、顔を空へ向けた。

 

その瞬間、黒いアーマースーツが急降下して、クリムゾン・ダイナモに接近した。

 

黒いアーマーは……アイアンマンのような容姿だった。

だけど、違うのは……肩にガトリングガンやミサイルポッドを装備し、腕にも銃火器を装備している事だ。

 

黒いアイアンマンは背部の取っ手を引き抜く。

それは警棒のような形状で……縦にスライドして内部が露出し、シャフトが伸びた。

 

警棒の内部から、黄色いスパークが漏れる。

 

空中から地上へ落下し、そのまま警棒をクリムゾン・ダイナモへ叩き付けた。

 

 

『ぬぅっ!?』

 

 

バリバリと音を立てて、装甲を焦がす。

 

慌てたクリムゾン・ダイナモがスパークさせた腕を振るい、引き剥がした。

警棒を投げ捨てて、黒いアイアンマンが後退する。

 

 

『邪魔をするか……『ウォーマシン』め!』

 

 

黒いアイアンマン……ウォーマシンと呼ばれたアーマーが、地面に着地した。

地面が揺れて、その重量を私は感じ取った。

 

そして……マスクから男性の声が聞こえた。

 

 

『私は空軍大佐のジェイムス・ルバート・ローズだ。……君たちは何者だ?そして──

 

 

両腕を上げて、銃火器を展開する。

銃身がスライドして、標的へと向いた。

 

 

『君達は私の、そして市民の敵か?ハッキリと明確に答えてくれたまえ……この突撃銃(アサルトライフル)で蜂の巣にされたくなければ、な』

 

 

その両腕に装備された銃火器は……。

クリムゾン・ダイナモと……私にも向いていた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

「お、これヤバいんじゃね?」

 

 

俺ちゃんは好物のチミチャンガを食べる。

高速道路の高架橋の端で、双眼鏡を覗き込んだ。

 

視線の先には……今回の目標(ターゲット)

 

……そんで、振り返ればダッセェ、緑色のハマー製ロボットが転がってる。

 

双眼鏡を脇に挟んで、腕のスーツを捲る。

ドロドロに溶けてグチャグチャになった皮膚に……ハローな子猫ちゃんの女児向け腕時計が巻かれてる。

 

時間を見れば……。

 

 

「42分ね、まぁまぁな時間。配信ドラマシリーズの1話分ぐらいだな」

 

 

ハマーポンコツ超合金から刀を抜き取り、背中に差す。

首をボキボキと鳴らして、双眼鏡を投げ捨てる。

 

ガシャン!

って良い音がして砕け散る。

 

 

「うっし……あんま気が乗らないけど、俺ちゃんもそろそろ仕事の時間かな。そろそろ良い所見せないと怒られちゃうし」

 

 

高架橋を飛び降りて、走るトラックへと着地した。



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#52 アーマー・ウォーズ part3

痛ぅ……。

 

傷口がジクジクと痛む。

腹に空いた弾痕から血が流れる。

 

身体が冷えてくる。

意識も朦朧としてくる。

血溜まりが床に出来ている。

 

幾ら超人血清で身体強化されてると言えども、流石にこれ以上の放置はまずいか。

 

失血死は免れないだろう。

 

私は手に金属製の定規を取り、傷口に差し込む。

 

激痛。

まるで火に焼かれたような熱さを錯覚する。

 

私は傷口を穿り、銃弾を排出する。

……想像通り、ドローンの発射した弾丸は規格外の大きさだ。

恐らく、7.62ミリより大きい。

 

ハマーの独自規格か?

独自規格の弾丸なんて、誰が好むと言うのか。

 

 

「ふ、ふぅ、ひさびさに、やった……」

 

 

だが、もう二度とやりたくない。

私は治癒因子(ヒーリングファクター)を駆使し、傷口を修復する。

 

口に溜まった血を吐き出し、具合を確かめる。

 

……よし、万全だ。

失った体力は戻らないが、肉体の損傷はない。

 

そして、私は倒れているドローンに近付く。

周りを見ても人は居ない。

 

バレる事もない。

素手でドローンの腕部を掴み、無理矢理開く。

 

メキメキと金属が曲がる音が聞こえ、留め具が外れる。

 

……機関砲の内部が露出する。

中から一発、弾丸を取り出して手に持つ。

 

手の中で転がしながら、元いた場所に戻って座り込んだ。

 

 

私は自身の着ている服を触る。

……ボロボロだ。

 

撃たれて、地面を擦って、流血して……。

もはや血みどろのボロ切れみたいな状態だ。

 

……折角、グウェンに揃えてもらった服なのに。

 

悲しみよりも怒りが勝ち、ドローンを睨む。

どうして、こんな状況になっているかは知らないが……首謀者を殺せと言われたら、喜んで殺すだろう。

 

弾丸を逆さに持ち、元々撃たれていた部分へ押し当てる。

 

 

「よし……」

 

 

深く呼吸し……覚悟を決める。

定規を弾丸の尻……薬莢へと当てる。

 

そして。

 

拳で、強く叩いた。

雷管へ衝撃が走り、火薬が発火する。

 

破裂音がして、弾頭が射出された。

 

私の骨、内臓を押し退けて、体内に侵入する。

 

再び、流血する。

 

 

「いっ……」

 

 

側から見れば、狂人の所業だ。

態々、自己治癒を行ったのに再度体に穴を空けるなんて。

 

だが、今回の弾丸は重要な内臓へのダメージを与えていない。

筋肉で意識的に抑え込み、弾も浅い位置で止まっている。

 

グウェンは専門家ではないし、医者でもない。

私が「撃たれた」と言う認識はあるだろうが、どれほど重症だったかも分からないだろう。

 

前の傷は「当たりどころが悪く死に至る重傷」だ。

今の傷は「偶々当たりどころが良かったので軽傷」だ。

 

これなら、二日ぐらい放置しても死なない。

 

私は体を横倒し、空の薬莢を投げ捨てた。

砕けた定規を足で蹴る。

 

……これで一安心だ。

 

グウェンが戻って来ても、不審がられる事もない。

 

……後は。

グウェンが無事で居てくれれば……それで良い。

 

意識が朦朧としてくる。

治癒因子(ヒーリングファクター)による過剰な細胞再生。

弾丸によるダメージ。

度重なる失血。

 

そして、安堵からの気の緩み。

 

それらによって、私は意識を失った。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

一瞬の硬直状態。

 

ウォーマシンと呼ばれた黒いアイアンマンが……私と、クリムゾン・ダイナモに銃口を向けている。

 

私は弁明しようと思って口を──

 

 

『舐めるな!この程度では怯まぬっ!』

 

 

クリムゾン・ダイナモが両腕を光らせて、ウォーマシンへ突進した。

青白いスパークが掌から発生している。

 

 

『……そうか。ではまず、お前から対処しよう』

 

 

ウォーマシンの脚部装甲が展開し、ジェットを噴射した。

 

そのまま後ろに飛行しつつ、背中のガトリング・キャノンが前に迫り出した。

 

 

まずっ──

 

 

私は咄嗟に、背後の店内へ飛び込んだ。

 

砲身が高速で回転する。

モーターの稼働音が鳴り響く。

 

直後、まるで空気を引き裂く稲妻のような轟音がした。

それは、ガトリングガン・キャノンの連続した発砲音だ。

 

クリムゾン・ダイナモに命中し、跳弾する。

辺りのガラスが割れて、ベンチに反射された弾丸が穴を空けた。

 

弾丸が弾けて、周りに散らばる。

 

金属同士がぶつかり、火花が散る。

 

 

『ぬ、う、この程度!屁でもないわ!』

 

 

装甲に銃弾の痕を付けつつ、そのままクリムゾン・ダイナモはウォーマシンへ走って行く。

 

最早これは個人同士での戦いではない。

まるで、戦場のような光景だ。

 

 

『果たしてそうか?』

 

 

ウォーマシンが一歩後退し、掌を突き出す。

その掌から光が発射され、クリムゾン・ダイナモを押し返した。

 

距離が離れた瞬間、両腕を突き出し、突撃銃(アサルトライフル)を発射した。

 

鈍い、金属の弾ける音がした。

 

ガトリング・キャノンによってダメージが蓄積された部位を狙い、弾丸が何度も命中する。

 

直後、クリムゾン・ダイナモの右肩が弾けて、右手の光が消失した。

 

 

『損傷が……!?』

 

 

焦ったクリムゾン・ダイナモにウォーマシンが接近し、右腕を胸に叩きつけた。

 

鈍い金属の衝突音が響き、クリムゾン・ダイナモが押される。

 

脚部の装甲が地面を抉り、後ろに滑った。

 

だが、ダメージがあるようには見えない。

 

 

『功を焦ったか!』

 

 

クリムゾン・ダイナモが無事だった方の左手を振り上げ──

 

 

『違うな』

 

 

ウォーマシンの右腕、そこにある黒い謎の外付け装置が……火を噴き、薬莢を弾き飛ばした。

 

それと同時に装置の中心にあった金属の杭が飛び出し、クリムゾン・ダイナモの胸に突き刺さった。

 

 

『な、なにっ!?』

 

火薬式金属杭撃機(アーマー・ブレイカー)だ。お前らのような奴の為に用意してきた』

 

 

クリムゾン・ダイナモの胸に穴が空く。

その瞬間、目に相当する頭部センサーから光が消えた。

腕の光も消失し、起動を停止して倒れた。

 

胸部のリアクターを破壊したため、エネルギーの供給源が無くなったのだ。

 

そのまま寝ているクリムゾン・ダイナモに向けて、腰から幾つかの小さな円板を取り出し、貼り付けた。

 

すると、青いスパークが発生し、アーマーを地面に縫い付けた。

……何かは分からないが、恐らく拘束具なのだろうと思った。

 

 

 

『さて──

 

 

ウォーマシンが、こちらへ腕部の突撃銃(アサルトライフル)を向けた。

 

 

『君は敵か?それとも、味方か?どちらなんだ』

 

 

勿論、私は──

 

 

こいつ、ママに武器を向けてる。

 

 

脳裏で言葉が聞こえた。

……まずい、癇癪を起こしている。

 

敵意を感じ取って『グウェノム』が震えた。

 

 

『違う、ダメ……』

 

『違う?ダメだって?どっちなんだ』

 

 

ウォーマシンが一歩、こちらへ近付く。

 

ママが怖がってる。

コイツはいなくなった方がいい。

 

私は焦る。

ここで争えば……間違いなく、私も、この子も死んでしまう。

 

 

『抑えて……』

 

『抑えろだって?君は何を──

 

 

私の、全身の肌が……シンビオートのスーツが逆立った。

 

爪はより鋭く、舌から唾液が流れる。

 

より、シンビオート本来の姿に近付く。

結合レベルが、飛躍的に上昇する。

 

 

『……何のつもりだ』

 

 

ウォーマシンが警戒し、一歩引く。

右手の突撃銃(アサルトライフル)は私の頭に。

左手の突撃銃(アサルトライフル)は私の心臓へ。

 

ガトリングガンも展開し、動けば即座に撃つと警告されている。

 

思考が微睡む。

怒りと凶暴性のみが残る。

 

……『私達(わたし)』は、姿勢を少し低くして飛びかか──

 

 

「はぁい、そこまで」

 

 

グサリ、と何かを背後から刺された。

 

思考が一気に覚醒した。

私は首を捻り、後ろを見た。

 

それは……注射器だ。

でも病院で見るようなタイプではない。

 

銃器のような形状で、カートリッジを入れて使うタイプの武器のような注射器だ。

 

そんな注射器を……赤と黒のスーツ男が持っていた。

 

『グウェノム』が一気に沈静化される。

シンビオートの力が収まり、スーツが溶け出す。

 

私の素顔が露出される。

 

 

「げほっ、ごほっ……」

 

 

思わず、私は咳き込んだ。

 

 

『子供……?女……?』

 

 

ウォーマシンが銃火器を下げたのが見えた。

 

私は足が動かなくなり、その場で尻餅を搗いた。

『グウェノム』は……眠っている。

死んでいるわけではない。

 

安堵して、ため息を吐いた。

 

 

『オイ、デッドプール!どういう事だ、説明しろ』

 

「ビタミンC」

 

『何?』

 

「シンビオートはビタミンCを大量に取り込むと休眠状態になる。変な設定だよな、俺ちゃんもそう思う」

 

「う、ぁ……」

 

 

口を開こうとして……気分が異常に悪い事に気付いた。

意識も朦朧とするし、吐き気もある。

 

 

「シンビオートと高レベルで結合すると、強制解除された時にそうなる。シンビオートに任せていた体の部分が急に離れる訳だからな。これ体験者からのレビューって事で」

 

『デッドプール、何を言っている!?』

 

「あー、はいはい。ローディちゃん、見て分かる通り、このヤンチャガールは敵じゃあないんだって。ほら、その物騒な武器を早くしまえ。公然猥褻罪で逮捕されるぞ!」

 

『気安く渾名で呼ぶな!そして説明が全く足りん!……全くお前はいつもそうだ!あの時も──

 

「あ、の……」

 

 

口論を始めた二人に、私は恐る恐る割り込んだ。

 

 

「あっちに、友達が……撃たれてて……病院に……早く……う、おぇっ」

 

 

話してる途中に気持ち悪くなって、地面へ蹲り……吐いてしまった。

 

ツン、と酸味の強い臭いが鼻にくる。

 

 

「ヤベ、俺ちゃんも貰いゲロしちゃいそう……ちょっと、目を逸らしてても良い?オェエッ!あ、もう大丈夫」

 

『既に救援要請は出しているが……分かった。そちらを優先しよう。どの辺りだ?』

 

 

ウォーマシンが膝をつき、私と目線を合わせた。

もう、敵対する意志は無いようだ。

 

私はホットパンツにしまっていた、グシャグシャになったドルフィンモールのパンフレットを取り出し……先程までいた場所を指差した。

 

 

『分かった。君は休んでると良い。後で話がある。……デッドプール、お前もだ!まだ話があるからな!この場から離れるなよ!』

 

「うへぇ……」

 

 

マスクの上からでも分かるほど、嫌そうな顔をしている。

 

ウォーマシンが両手を地面に向け、光を放った。

そのまま飛行し、ミシェルのいた場所へ向かって飛んで行った。

 

……ミシェルに関しては、一安心だ。

そして。

 

 

デッドプールと呼ばれた男が、腕時計を見ていた。

……女児向けのマスコットキャラクターが描かれた玩具みたいな腕時計だ。

 

 

「57分」

 

「……え?」

 

 

デッドプールが時間を読み上げた。

 

 

「シンビオートとの結合レベル上昇からの時間。危なかったな。危うく射殺される所だったんだぜ?感謝しろよ〜?このオレサマに」

 

 

それは『S.H.I.E.L.D.』に決められている結合時間の上限の話だ。

 

 

「貴方……もしかして、フューリーの……」

 

「あー、違う違う!あっちの堅物じゃなくて、別の堅物に雇われたの!カッチカチの堅物」

 

「別……?」

 

「そ、どっちかと言うと敵対してる奴。俺もフューリー嫌いだし」

 

 

私は血の気が引いた。

『グウェノム』は動かない。

デッドプールに注射された薬剤のせいだ。

私も体調不良で上手く動けない。

 

もし、彼が、敵対する組織のメンバーなら──

 

 

「アレ?もしかして、勘違いされちゃってる?待て待て待て待て、俺ちゃんが女子供殺すように見える?」

 

 

正直に言うと。

 

 

「見え……るけど?」

 

「ハァ!?嘘だろ、どう見たってスーパーなヒーローじゃん!マジかよ!」

 

 

頭を抱えて、膝を抱えた。

イジけるような態度を取っている。

 

 

「俺ちゃん、女と子供……ましてや、女で子供なんて絶対殺さないようにしてんのに。何故だか分かるか?女子供代表」

 

 

少し、口調にイラつく。

そして、喋ることすらキツい状態の私にダル絡みをしてくる精神に、正気を疑った。

 

 

「それは読者人気がなくなるからだ。分かるか?ヒールでダークなヒーローっつうのは良い。だが、ガキをブチ殺せば読者からの人気はパーだ。どんだけデザインが良くてもな。人気がなくなれば出番が減る。気付けばエンサイクロペディアの片隅に3行ぐらいの説明文だけで存在を匂わされるキャラクターになっちまうんだぞ!そんなんじゃ映画には出れねぇし、アニメにもなんねぇ!出番も削られちまう。良いか?チヤホヤされたかったら女と子供は絶対殺すな!俺ちゃんとの約束だ!」

 

 

……どこを見てるか分からないが、途中で虚空に向かって話しかけていた。

正気を疑ったが……本当に正気を失っているとは思わなかった。

 

 

「つー訳で俺ちゃんは帰る。ドロン、おさらば」

 

「え……?」

 

 

さっき、ウォーマシンに「その場にいろ」って言われてた筈なのに。

全く無視して、落ちてた注射器を回収し、その場を後にした。

 

尻を掻きながら、走り去っていくデッドプールを、私は眺める事しか出来ない。

 

 

「え……えぇ……?」

 

 

その場には私と、拘束されているアーマー男しか残されていなかった。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

戦いは終わった。

 

スタークさん曰く、今回の騒動は『ハマー・インダストリー』によるネガティブキャンペーン……が要因の一つだが、それ以外にも様々な思惑が絡んでいたらしい。

 

この国を転覆させ、某国を蘇らせようとするカルト集団が居たらしく、それらが黒幕だったとか。

『スターク・インダストリー』はこの国を支える大企業だ。

そんな大企業にダメージを与えられれば、国家全体へ不況が発生する事は明らかだ。

だから、ハマーを唆して攻撃させたらしい。

 

『スターク・インダストリー』からアイアンマンスーツの情報を盗み出したのもソイツらだ。

 

実際にスタークさんが捕まえて、叩きのめしたとか。

名は『スパイマスター』……そのまま、安直な名前だ。

 

数日前は盗まれたスーツを着た奴らと戦っていたらしい。

多勢に無勢で、何とか勝ったがスタークさん自身もダメージを負ってしまったとか。

 

最終的に、マイアミでの事件が証拠となってジャスティン・ハマーは逮捕されたらしい。

一件落着だ。

 

とにかく、夏期旅行の最後はメチャクチャになったけど……。

 

僕はスタークさんと分かれて、ドルフィンモールへと戻った。

 

スーツを解除して、辺りを見る。

銃弾によって開けられた穴や、火で燃えた跡。

数時間前からは見る影もないほど、ボロボロになってしまっていた。

 

僕は、息を呑んだ。

 

頭のどこかで、僕の友達は大丈夫だって思い込んでいたらしい。

無意識のうちに、最悪な事態にはならないと……そう、目を逸らしていた。

 

現実に、この惨状を見せつけられると……心は不安で一杯になった。

 

グウェン、ネッド、ミシェル……。

 

名前を叫びたい欲求に駆られながらも、僕は救急隊が設立した救難テントへと向かった。

 

そこには幾人もの人が悲痛げな顔で仮設ベンチに座っていた。

 

僕はテントを回って、知っている顔を探す。

 

誰か……誰か居ないのか?

 

重症患者と、死者はテントに居ないらしい。

つまり、ここに居ないと言うことは……。

 

僕は勢い良くテントを捲って──

 

 

「うわぁお!?急に開けんな!」

 

 

驚いた声を出された。

テントの中にいたのは。

 

 

「ネッド!?無事だったの!?」

 

「おう、無事だ。なんか良く分からねぇけど……スパイダーマンみたいなマスクの奴に助けられた」

 

 

僕はそれを聞いて、爆笑している赤と黒のパンダみたいな奴を思い出した。

 

……ちょっと気分が悪くなったけど、まぁ、感謝はしておこう。

 

 

「でも、お前の方こそ大丈夫か?……随分、ボロボロだけど」

 

「え、あ、うん。まぁ、色々あったからね」

 

「……後で聞かせろよ?」

 

「うん……あ、でも、それよりも!グウェンとミシェルは!?無事なの!?」

 

 

僕はネッドの肩を揺する。

ネッドが慌てた様子で僕を宥める。

 

 

「ちょっ、落ち着けピーター!おまっ、お前ホント力が強ぇから!」

 

「あ、ごめん……」

 

「全く……」

 

 

ぱたぱたと服の皺を伸ばして、机に置いてある紙のリストを持った。

 

 

「それは?」

 

「近くの病院への入院者一覧だ。ほら、ここ」

 

 

グウェン・ステイシー

症状:軽症

吐き気、眩暈

 

 

「あ……」

 

 

僕はホッと胸を撫で下ろした。

どうやら、重症ではないらしい。

 

……そして、ミシェルの欄もあった。

死んでいなかった事に喜びながら、詳細を見る。

 

 

ミシェル・ジェーン

症状:重傷

出血多量、意識不明

 

 

「……え?」

 

 

僕はリストを地面に落とした。

プラスチック製の板が音を鳴らした。

 

 

「あ、おい!ピーター、落とすなよ」

 

「ちょっ、ネッド!何をそんなに冷静になってんの!?ミシェル、これ凄く大変な──

 

「あーもう、だから揺らすなって!」

 

 

そう言われて、また肩を掴んでいた事に気づいた。

 

 

「ご、ごめん」

 

「ヤバかったら俺もこんなに落ち着いてねぇよ!それは入院時の記録!」

 

 

ネッドがリストを指差した。

 

 

「今は目が覚めてるし、それほど大きな怪我じゃなかったって話だって。病院からも連絡が来たから」

 

「そ、そっか……」

 

 

僕は胸を撫で下ろした。

 

それでも、血を流してたって事は……大きな怪我をしていたのだろう。

思わず、シャツを強く握り締めた。

 

そんな僕の様子を見て、ネッドが口を開いた。

 

 

「……じゃあ、その入院してる病院まで行くぞ」

 

「う、うん……あれ?行って良いの?」

 

 

僕は首を傾げた。

だって……それなら、ネッドは何故テントの方に居たのか分からなくなる。

ネッドも心配で病院に様子を見に行っても、おかしくないのに。

 

 

「そんなの、お前を待ってたからに決まってるだろ!電話も寄越さないしよ」

 

「あぁ……ごめん。スマホ壊れちゃって」

 

 

ウィップラッシュのムチによって電撃が流され、スマホは故障していた。

……結構、ショックを受けている。

 

ネッドから借りるほど、お金を持ってないのに……。

またバイトの掛け持ちしなきゃ。

 

いや、スタークさんに言って……ダメだ。

そんな事で迷惑かけたくないし……うん。

 

結局、僕とネッドは救難テントから離れて、グウェンとミシェルが入院している病院へ向かった。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

スマホが鳴る。

 

 

「はぁい、こちらデップー」

 

『……そのふざけた態度は控えて貰いたい』

 

「開口一番からそれ?そうあんまりカッカしてると、身体が真っ赤になって巨大化しちゃっても知らないぜ」

 

『はぁ……まぁ、いい』

 

 

電話先から老人のため息が聞こえる。

 

 

『シンビオートの宿主はどうだった?コントロール出来ているのか?』

 

「そりゃもう……バッチグー。全然、まーったく、問題なし。水道から出てくる水よりも安心」

 

『……そうか、ニック・フューリーの失脚に繋がるかと思ったが』

 

「人の失敗見て揚げ足を取ってるようじゃダメだぜ?ロスお爺ちゃん」

 

『長官だ。国務長官に対して生意気な態度を取れるのは……お前ぐらいしか知らん。全く、人選ミスだったと言わざるを得ない』

 

 

俺ちゃんは眉をヒクつかせて怒ってる姿を幻視して失笑しちゃった。

 

 

「そんなに嫌だったら、アンタん所の……何?『サンダーボルツ』にでも頼めば良かったじゃん」

 

『お前には関係のない話だ。傭兵は傭兵らしく、黙って役割を果たせば良い』

 

 

おっと、煽り過ぎちゃったかな。

 

 

「ハイハイ、分っかりましたよ、と」

 

『所定の口座に金は入れておく。以降、この電話番号に電話しても無駄だ。回線も放棄する。他言した場合は──

 

「そりゃあ、もう。お口チャックしとくぜ」

 

『……チッ』

 

 

舌打ちと共に電話が切れた。

 

スマホを投げ捨てると……そのまま瓦礫に紛れて壊れた。

 

 

「最後にスパイディに挨拶したかったけど。ま、しゃーねーか」

 

 

俺ちゃんは止めておいた盗難車のドアを開けて、エンジンをかけた。

 

 

「あ、そう言えば……」

 

 

目標(ターゲット)の宿主の側に一人、明らかに勘の鋭過ぎる女が居たような──

 

 

「ま、良いか。俺ちゃん関係ねぇし?」

 

 

 

 

 

え?俺ちゃんの出番コレで終了!?マジで?



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#53 アーマー・ウォーズ part4

「グウェン……大丈夫だっ──

 

 

病室を開けると、そこにはげっそりしてるグウェンと、色黒の……眼帯を付けた厳つい男がいた。

 

僕達に気付き、ニッコリと人当たりの良さそうな顔で一礼し、病室から出て行った。

 

……な、なんだ、あの人?

 

明らかに堅気じゃない姿に、僕は戸惑いながらもグウェンに声を掛ける。

 

 

「えーっと、グウェン?」

 

「……何?」

 

 

病衣を着て、ベッドに横たわっている。

凄い……不機嫌そうだ。

 

いやコレ、声を掛けに来たのは失敗だったかもってちょっと思った。

 

 

「いや……無事で良かったよって」

 

「……そりゃ、どうも」

 

 

心なしか目が死んでる。

……これ不機嫌なんじゃなくて、疲れてるだけなのかも。

 

 

「えっと、良かったら飲み物とか取ってくるけど」

 

「良い……まだちょっと、気分が悪くて……吐くかも」

 

「そ、そっか」

 

 

僕とネッド、両者共にどうしたら良いか分からずにオドオドしている。

 

それを見てグウェンがちょっと笑った。

 

 

「ハハ、そんなに慌てなくて良いって……ホントに気分悪いだけだから……はぁ」

 

「だ、大丈夫か?」

 

 

ネッドが訊いた。

 

 

「大丈夫だったら入院してない」

 

「へへ、そ、そうだよな……?」

 

 

ネッドが項垂れた。

 

僕も気になる事があって、質問を投げかける。

 

 

「グウェン、さっきの……あの、眼帯の人って誰?」

 

「アレ?あぁ、えーっと、私のリハビリを手伝ってるお医者さん……」

 

「……え?あの見た目で?」

 

「……何?ピーターって見た目で差別するタイプの人なの?幻滅するわ……ナードの癖に」

 

「い、いや、そんなつもりじゃなくて!」

 

 

ネッドが僕の脇を肘で突いた。

チラリとそちらを見ると、ポスターを指差していた。

 

 

『病院ではお静かに』

 

 

……僕は黙って、頷いた。

 

 

「無茶したから、メチャクチャ怒られてた……まぁ、私が悪いから文句は言えないんだけどさ」

 

「あの顔で怒ったら怖そう、だね……」

 

 

僕はさっきの眼帯を付けた厳しい顔が……怒っている顔を想像して、震えた。

 

胡乱な目で、グウェンが僕を見た。

 

 

「それで……ミシェルの見舞いには行ったの?」

 

「え……いや、まだ……」

 

「は?……元気だったら、思いっきり蹴飛ばしてたのに」

 

 

不服そうな顔で物騒な事を言うグウェンに、僕とネッドは顔を青褪めた。

 

 

「ははは、うん、じゃあ僕、ミシェルの所行くね」

 

「お、俺も……」

 

 

二人でそそくさと逃げるように部屋を出ようとして。

 

 

「ネッドは残って。さっき先生が来て夏期旅行の予定変更あったし……相談したい事もあるから。あと、八つ当たりさせて」

 

「ア、ハイ……」

 

 

僕はネッドを見捨てて、病室を出た。

 

自分から八つ当たりさせろって言う人、初めて見たかも知れない。

 

 

病室を出ると、先程の眼帯をした人がいた。

夏なのに黒いコートを着ていて……おかしな人だ。

 

僕はなるべく顔を合わせないよう、そこから離れて──

 

 

「オイ、そこの君」

 

 

呼び止められた。

 

 

「ぼ、僕ですか?」

 

「そうだ。君以外に誰がいる?少し、聞きたい事がある」

 

「は、はぁ……?」

 

 

僕は慌てて、眼帯の人に向き合った。

 

 

「君から見て、彼女はどう見える?変わりはないか?」

 

 

彼女……グウェンの事だと察した。

 

 

「あ、いえ……グウェンはいつも通りだと思いますよ?今はちょっと疲れてそうですけど」

 

「……そうか、なら良い」

 

「えっと……」

 

「なんだ?話は終わったぞ。君はもう好きな所に行けば良い」

 

 

何だか追い払うような仕草をされて、僕は眉を顰めた。

 

それでも、あまり話をしたい訳でもないし……ミシェルの所へ行く事を優先したくて、僕はその場を離れた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

ミシェル・ジェーン。

 

そう書かれた病室の前で、僕は立っていた。

深呼吸して、ドアを叩く。

 

……返事はない。

僕はそっとドアを開けて、中に入る。

 

薄緑色のカーテンに落ちゆく太陽が遮られて、蛍光灯の光が部屋の主を照らしている。

 

……きっと、何もなかったら今頃、僕達は帰りのバスに乗っていただろう。

 

 

僕は服の裾を握りしめて、ミシェルの前に立った。

 

 

……目を、瞑っている。

白い肌はいつも以上に白く……生気を感じさせない。

その整った顔立ちとも合わさって、まるで精巧に作られた人形のようだ。

 

だけど、微かに漏れる吐息が彼女が生きているのだと教えてくれる。

 

病室の隅に置かれた計測器から、僅かな電子音が聞こえる。

 

 

……僕は、少し……心が痛んだ。

 

 

彼女の寝顔を見たのは初めてだったけど……寝顔すら綺麗だと、場違いなのに思ってしまった。

 

 

「……ごめん」

 

 

何に謝っているのか、何故謝るのか。

それは分からないけど、ただ胸の中にあった罪悪感を吐き出した。

 

 

「……これも、渡せなかったな」

 

 

胸の中に入れてあった小さな木箱を手に取る。

表面が少し焦げていて……僕は顔を顰めた。

 

そっか。

戦っている途中も入れていたから……ダメージがあったんだ。

 

僕は中身の無事を確認しようとして……。

 

 

「……何してるの?ピーター」

 

 

声が、聞こえた。

目の前のベッドから。

 

そこには目を細めて、眠そうな顔をしているミシェルが居た。

 

 

「……あ、あぁ、えっと、その、おはよう?ミシェル」

 

 

思わず慌ててしまって……少し気恥ずかしく感じて、目を逸らした。

 

 

「おはよう……お見舞い?」

 

「そ、そうなんだ。お見舞い……入院してるって聞いたから」

 

「……大袈裟。そんなに重傷じゃない」

 

 

ミシェルが呆れたような顔でため息を吐いた。

 

……でも、大量出血で気を失ってたって聞いてたけど。

それは重傷なんじゃないだろうか。

 

 

「そっか、何があったの?」

 

「撃たれた」

 

 

一瞬、思考が全部飛んだ。

 

 

「う、撃たれたの?」

 

 

出来るだけ、意図的に声を抑えて聞いた。

 

 

「うん……見る?」

 

 

そう言って、彼女は布団を捲り……病衣を捲ろうとして。

 

白い肌が見えた。

 

 

「あ、いや、ちょちょっと、大丈夫!大丈夫だから……」

 

 

慌てて止めつつ、目はそちらの方に向かう。

 

……包帯で巻かれた彼女の腹部が見えた。

外からは傷の具合も、血も、何も見えない。

 

それでも巻かれた包帯の量と範囲から、結構な重傷だった事は目に見えて分かった。

 

 

「……凄く、痛そう」

 

 

何も思い付かなくて、そんな感想しか出てこない。

 

 

「そうでもない。痛過ぎると、脳が痛覚を遮断するように人間は出来てる。ショック死しないように」

 

 

あまりに物騒な事を言うのだから、僕は目を丸くした。

 

 

「で、でも……それでも、生きてて良かった」

 

 

僕は、心の中からそう思った。

彼女が死んでいたら僕は……きっと、立ち直れなかった。

 

……身近な人の死は、何度体験しても、耐えられる物じゃない。

 

 

「……そう。生きてて良かった。私も、そう思う」

 

 

……普段は自己評価が低い彼女でも、死ぬのは嫌だったらしい。

僕は「生きていて良かった」と考えてくれる彼女に安堵した。

 

そんな僕に、彼女が口を開いた。

 

 

「ところで、その箱……」

 

 

ミシェルが目敏く、僕の手に持っていた木箱に指差した。

……これはミシェルにプレゼントしようと思ってた、青いバラのアクセサリーだ。

 

だけど。

 

 

「え、えっと、これは……」

 

 

僕は慌てて隠した。

隠してしまった。

 

こんな所でヘタレだから、僕は……。

 

 

「言いたくないなら、良い。気になっただけだから」

 

 

彼女はそう言って諦めた。

諦めてくれる。

 

だけど……今だけは、深く聞いてほしくて……。

 

違う。

違うんだ。

 

僕は自力で彼女に渡さなきゃならないんだ。

 

人に聞かれて、済し崩しに渡してるようじゃ……いつまで経っても、前には進めない。

 

だから──

 

 

「その、実はこれ……」

 

 

僕はミシェルへ木箱を見せた。

 

 

「何?」

 

「その、ミシェル似合うかなって……思って、その、プレゼントを……」

 

「どうして?」

 

 

ど、どうしてって。

それは僕が君の事を好きだから、なんだけど。

 

そこまで言うには自信がなくて、僕は咄嗟に言い訳を考える。

 

 

「いつも、その、仲良くしてもらってるから。お礼と言うか……その」

 

「……私の方こそ、ピーターには感謝してる」

 

「でも……えっと……」

 

 

あぁ、もう。

僕は一体何を言っているんだ。

 

混乱しながらも、必死に言葉を繋いでいく。

 

 

「似合う、って思ったから……その、受け取って欲しくて」

 

「……よく、分からないけど。うん、受け取る」

 

 

ミシェルが木箱を手に取って、開ける。

 

だけど。

 

……中に入っていたガラスのバラは……ウィップラッシュによって受けた電撃によって……白く、変色していて。

 

青いバラじゃなくて。

青と白の混ざった「まだら模様」になっていて。

 

僕は思わず声を出した。

 

 

「あ、ご、ごめん!避難してる最中に落っことしちゃって……色が……変になって。また、その、別のを用意するから」

 

 

慌てて、僕は木箱を手に取ろうとして……ミシェルに避けられた。

 

 

「あ……」

 

「ううん、ピーター。これで良い……これが良いから」

 

 

彼女が木箱の中の、青と白のバラを手に取った。

表面に少し、ヒビが入っている。

割れるほどじゃないけど……不恰好だ。

 

色も、変だし。

 

 

「ピーターが選んで買ってくれたんだから……それだけで嬉しい。ずっと持ってたって事は……ずっと渡そうと思ってたって……違う?」

 

 

……僕の考えなんてお見通しみたいだ。

 

 

「そう、そうだよ。渡そうと思ってた。病室なんかじゃなくて……もっと、良い所で」

 

「……そう。そっか。それなら、やっぱり……私はこれが良い」

 

 

バラのネックレスを首から掛けた。

 

その姿に……僕は見惚れてしまいそうになった。

 

お洒落とは程遠い病衣だし、ネックレスも割れているし。

 

それでも、彼女が身に付ければ……そういう物なのだと納得させられるような、不思議な感覚があった。

 

……端的に言うと、似合っていると感じた。

 

 

「似合うかな……?」

 

「……うん、綺麗だと、思う」

 

「ん……ありがとう」

 

 

ミシェルが……仄かに笑った。

 

それだけで僕は……この夏期旅行も悪い物じゃなかったなって……そう思えた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

ピーターが病室から出て行って。

 

私は胸元のバラのネックレスを手に持った。

 

光に、透かす。

 

青色と白色が混じっている。

中で小さな傷がいくつも出来ていて、光を乱反射する。

 

キラキラと煌めいて、私は目を細めた。

 

綺麗だ。

……ピーターも、そう言っていた。

 

きっと元々は青くて、綺麗なバラのアクセサリーだったのだろう。

その頃を見ていないけれど、そちらの方が綺麗だと感じる人が多いのかも知れない。

 

だけど、私は……純粋なものは似合わない。

汚れの一切ない綺麗なガラス細工は……私には不相応だ。

 

私は白と青のバラを両手で、壊れないように優しく握りしめる。

 

 

……ピーターは、私にコレをくれた。

 

それは何故?

 

ピーターは私に世話になったから、仲良くしてくれているからと言っていた。

 

だけど、私には違うと分かる。

 

もっと良い景色で渡したかった、と言っていた。

ただプレゼントをするだけなら、そんな事を気にしなくても良い。

 

年頃の男が……女にアクセサリーを渡す意味なんて。

どれだけ鈍くても分かってしまう。

 

彼は……ピーターは。

 

きっと。

 

 

私の事が好き、なのだと思う。

 

 

顔が熱くなっていくのを自覚した。

 

ピーターの前では冷静を装っていたけれど……正直、ずっと恥ずかしかった。

 

彼が……まだ、私に好意を気付かれていないと思っているから……私は敢えて、気付かないフリをしたけれど。

 

……いつから?

 

いつから、ピーターは私の事を意識していた?

こんな……暗くて、社交性もなくて、女らしさもない、私に?

 

何で?

……容姿?

流石に容姿なら私も自信がある。

誰もが認める美少女だろう。

 

だけど、ピーターはそんな……容姿だけで女性を好きになるような男か?

いや、違う。

絶対、違う筈だ。

 

じゃあ、どこに惹かれた?

 

……わからない。

 

 

そして。

今までの行動を振り返ってみると。

 

 

「う、うぅぅ」

 

 

私は枕に顔を埋めて、唸る。

 

旅行に来てからもそうだけど……ずっと前から。

彼とのコミュニケーションを思い出す。

 

触れたり、触ったり、話したり、無自覚に見せてしまったり。

思わせぶりな事をしてしまっている。

 

 

「こ、これじゃ……人を弄んでる屑……」

 

 

そういう所でピーターが私に好意を持ってしまったのなら……私はとんでもない悪女だ。

 

それでも、私は彼の好意に……少しだけ、嬉しいと感じてしまっていた。

 

 

だって。

 

 

私はピーターの事は──

 

 

違う。

 

そもそも、好きか、好きじゃないか。

そんな話じゃない。

 

私は人を殺して生きてきた悪人で。

彼は何人もの人を助けてきた善人で。

 

……私には男だった頃の記憶もあって。

性自認すらあやふやで、チグハグで中途半端な人間だ。

 

私の心臓を引き裂いたら、きっとドス黒い邪悪な何かが溢れ出すに違いない。

 

そんな私には、彼は眩し過ぎる。

 

……彼に相応しい人間ではないと、断言できる。

 

誰だって、そう思うだろう?

きっと私も第三者なら、相応しくないと言うだろう。

 

だから、ピーターの恋は実らない。

実らせてはならない。

 

それに、いつか破綻する時が来る。

必ず、別れの時が来る。

 

彼に知られる事なく去るのか……それとも私の悪行が知られて決別するのか。

 

どちらにせよ、ピーターは苦しい思いをするだろう。

 

その時に苦しむぐらいなら……いっそ、今、突き放した方が良い。

 

でも、だけど……私には出来ない。

突き放してしまえば、この心地良い関係も崩れてしまうから。

私はこの感情を手放したくない。

浅はかで未練がましい思いだ。

 

 

彼に好意を持たれる事は、嬉しい。

彼の好意に応えられなくて、苦しい。

彼の純粋さに、憧れている。

だけど、悲しい。

私は、辛い。

気持ち悪い。

 

 

様々な感情が混ざり合う。

 

それは、手元にある白と青が入り混じったバラのアクセサリーのようだ。

 

誰か、私に答えを教えて欲しい。

 

……誰も教えてくれないだろうけど。

 

私にはもう、どうすれば良いか……分からない。

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

「全く、酷い目に遭った」

 

 

私は態々故郷から離れて……マイアミまで装飾品を売りに来たというのに。

 

腰を摩りながら、救難者向けテントのベンチに座る。

 

不幸中の幸いだが、露天の装飾品は全て持ち帰る事が出来た。

 

……ばさり、と本が落ちる。

 

それは花言葉が書かれた辞書のようなもの。

 

 

「おっと。花になんて興味は無いが、これが無ければ売れる物も売れん」

 

 

知識を語って、客をその気にさせるのは商人の手腕だ。

その為ならば、勉学を惜しむ事はない。

 

私は本を地面から拾い、汚れを手で払う。

 

そして、偶々開いたページを見た。

バラの花言葉が書かれたページだ。

 

……そう言えば、先日、バラのアクセサリーを買って行った少年は、好きな娘に渡せたのだろうか?

 

そう思いながらも、内容を流し見る。

 

 

 

 

赤いバラは『純愛』『美しさ』

 

 

 

 

 

青いバラは『奇跡』『神の祝福』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

色の混ざったバラは────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『あなたを忘れない』

 

 

 

 

 

 

 



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#54 バースデイ・ソング part1

私……グウェン・ステイシーは目前で神妙そうな顔をしている……ミシェルを見ていた。

 

 

ここはミッドタウンにある喫茶店。

私とミシェル、そしてナード共もよく来る学生向けの店だ。

値段が少し安め、味はそこそこ。

コーヒーよりも紅茶が美味しい店。

 

 

先日……そう、夏期旅行で事件に巻き込まれた後、私達入院組は二週間の入院を余儀なくされた。

私は体の精密検査……ミシェルは傷の治療。

 

二週間。

長いと見るか、短いと見るか?

私は長いと感じた。

シンビオート……『グウェノム』との結合による身体への負担を調査する、裏ではそう言う名目で検査されていた。

『S.H.I.E.L.D.』が裏でコソコソと何かしていたのは事実だ。

 

……『S.H.I.E.L.D.』と言えば、勝手に結合レベルを上げた事をニック・フューリーに怒られた。

それはもう、ネチネチ、ネチネチと。

言ってることが正しいから反論出来る訳もなく、実際に私が悪いので……仕方はないが。

 

ただ、また同じような場面になったら、同じようにすると思う。

後で後悔はしたくない、とフューリーに言えば……呆れながらも頷き、今後のメンタル・トレーニングの量を増やされた。

 

結合を辞めさせられないなら、コントロールする能力を鍛えるしかないと言う判断だ。

……まぁ、言っても聞かないと思われているのは確かだ。

 

 

閑話休題(それはさておき)

 

 

ミシェルの入院期間も二週間だったのは驚いた。

腹を撃たれて、あんなに血が出ていたのに。

医者曰く、撃たれどころが非常に良くて、重要な内臓に傷がなく……骨にもダメージが無かったのが早期の退院理由らしい。

 

傷痕も残らなかったし……私は安堵した。

私は首の下や、前頭部に傷が残っている。

……こんな想いは彼女にして欲しくなかったから、嬉しかった。

 

……ちなみに、グウェノムの存在がミシェルにバレた事は『S.H.I.E.L.D.』に言ってない。

言えば確実に巻き込まれるからだ。

 

彼女には平和な所で生きていて欲しい。

それだけが私の望みだ。

 

 

そうして私達は退院後、他のクラスメイト達とは遅れてニューヨークに戻って来たのだった。

 

気付けば八月になっていた。

夏季休暇も残り一ヶ月となっていた。

 

そんな中、夏期旅行後に初めてミシェルに呼び出されたのだ。

 

 

「グ、グウェン、話したい事があって……」

 

 

プラチナブロンドの綺麗な髪が光を反射させる。

おどおどとしながら、彼女が言葉を紡ぐ。

 

私は何か……大変な事にでも巻き込まれたのかと真剣に話を聞く事にした。

 

 

「信じられない話だけど……まだ確定してるとは言えないんだけど──

 

 

私は息を呑んだ。

 

 

「ピーターは私の事……好き、だと思う」

 

 

そして、ため息を吐いた。

 

……知ってる。

多分、彼と彼女に関わっている人間の殆どが知ってる。

 

思わず、声が漏れる。

 

 

「はぁ……心配して損した」

 

「グ、グウェン。私は本気……嘘は吐いてない……!」

 

 

信じて貰えてないと思ったのか、彼女が念を押してくる。

 

 

「はいはい、分かってるって。知ってる知ってる。ピーターがミシェルの事をLOVEな意味で好きなのは」

 

「……え?なんで?」

 

 

逆に何故、知られてないと思ってるのか。

ピーターがヘタレすぎるのか?

それとも、ミシェルが恋愛ごとに疎過ぎるのか?

 

両方確かだが、原因は多分、後者だ。

 

 

「寧ろ、何で気付いてなかったの……?」

 

「え、え……?」

 

 

困惑したような顔をするミシェルが面白くて、思わず笑ってしまった。

 

 

「……グウェン?」

 

 

笑った私を見て、ミシェルが頬を膨らませた。

私は慌てて弁明する。

 

 

「……ごめん、ごめん、バカにするつもりは無いんだって」

 

「なら、良いけど……」

 

 

渋々、と言った顔でミシェルが頷いた。

 

 

「それでぇ……?何で気付いたの?」

 

「えっと……これ」

 

 

ミシェルが服の下、胸元からネックレスを取り出した。

……白く変色してる、青いガラスのバラだ。

 

 

「……なにそれ?」

 

「ピーターがくれた」

 

「へぇ……あぁ、なるほどね」

 

 

私は夏期旅行中、ピーターがミシェルにプレゼントを贈る計画をしていたのを思い出した。

ナードにしては強気な作戦だったので、恐らく誰かの入れ知恵……と思っていたけど、案外馬鹿に出来ない物である。

 

彼女に好意を意識させたのであれば、100点満点の正解だろう。

 

色は少し変で、少し割れてるように見えるけど……ミシェルが満足そうに、そして大事そうにしているのを見て。

私は口出しするのは無粋だと感じて、口を噤んだ。

 

時にはお洒落よりも優先すべき事がある。

 

気を取り直して、私はミシェルへ声をかけた。

 

 

「で?ミシェルはどう思うの?」

 

「……ピーターのこと?」

 

「勿論。好きなの?嫌いなの?」

 

 

私は少し、意地悪な質問をする。

答えは一つしか出せない。

 

 

「す、好きだけど……」

 

 

嫌いとは言えないだろう。

友人として、かも知れないが……ミシェルはピーターに気を許している。

 

 

「なら良いじゃん。付き合えば?」

 

 

だから私は、気軽に……こんな質問をしてしまった。

 

 

「……それは無理」

 

 

……まさか、悩む素振りすら見せないなんて思わなかった。

当てが外れた私は、思わず首を傾げた。

 

 

「ピーターのこと、異性として見られないの?」

 

「…………そういう、話じゃなくて」

 

 

ミシェルが曇ったような顔で俯く。

……思わず、話を止めてしまいそうになるけど……興味が1割、彼女への心配が9割で話を続けてしまう。

 

 

「じゃあ、どうして?」

 

 

そう聞くと……ミシェルが俯いていた顔を上げて、口を開いた。

 

 

「私と……ピーターでは釣り合わない……から」

 

 

美人で綺麗で優しい、頭もいい彼女と。

頭は良いけど、ヘタレな彼は。

 

釣り合わない……なんて、ミシェルが言う筈がない。

 

ならばコレは、ミシェルの……自己評価が恐ろしく低いと言う事だろう。

 

 

「そんな事ないよ?」

 

 

だから私は否定する。

彼女は大切な友人だ。

それこそ、今まで出会った同性の中でも、一番と呼べる程に。

 

彼女は人を妬まない。

彼女は過剰に自信を持たない。

私を利用しない。

顔色を窺わない。

 

……それに、少し勝ち気過ぎる自覚がある私に、ずっと一緒にいてくれている。

 

彼女には幸せになって欲しい。

それが私の望みだ。

 

 

「違う。私はピーターや……グウェンが思ってるほど、良い人間じゃない」

 

 

……私は、どうすれば良いか分からない。

恋をすれば、この自己肯定感の低さを埋められるかと思ったけど。

 

まさか……前提として、好意を否定するとは思わなかった。

 

だから。

 

 

「…………あんまり、そう言う事は言わないで欲しいかな」

 

 

思わず、心の底からの思いが、口から溢れた。

 

すると、ミシェルが少し慌てた。

 

 

「う、あ、ごめん……その、えっと……」

 

 

ミシェルの顔からは、私に嫌われたかも知れないと怯える表情が読み取れた。

 

だから私は、席を立って……彼女の横に座った。

 

 

「え……?グウェン……?」

 

 

そして、思いっきり頭を撫でた。

 

 

「私はミシェルの事が好きだからね……大切に想ってるから。だから、もっと自信を持って欲しい。それだけ」

 

 

手を離すと、彼女は少し名残惜しそうな顔をしていた。

 

 

そのまま、向かいの席の紅茶……私が注文したものを手に取って引き寄せた。

 

あぁ、あとチョコレートも。

私はあまり好きじゃないけど……。

 

……グウェノムの物だ。

コッソリと隠れて食べさせている。

 

 

ボックス席なのに、隣に座ってる様子は変かも知れないけど……そんな人の目を気にするよりも優先すべき事が私にはある。

 

 

「もし自分を信じられなくても……ミシェルの事を大切だと想ってる私やピーター、ネッドの事を信じれば良いから。貴方を大切に想ってる人がいるって、覚えていて欲しい」

 

「…………グウェン、ありがとう」

 

 

少し。

ほんの少しだけど、先程よりは確実に良くなった笑顔に私は頷いた。

 

 

「どういたしまして」

 

 

そう言って、チョコレートを手に取る。

食べるフリをして、机の下に持っていけば……ばくり、とグウェノムが食べた。

 

 

ちょっと真面目過ぎる空気を変えたくて、私は話題を変える事にした。

これ以上話しても、彼女の自己肯定感が高まらない限りは無駄だと判断したからだ。

……ピーターには頑張って貰わないとね。

 

そう、ピーターの話だ。

 

 

「そう言えば……ピーターの誕生日って知ってる?」

 

「……知らない」

 

「そろそろ誕生日なんだよね、彼の」

 

 

ピーターの誕生日は8月の……10日だ。

去年はネッドとお祝いしていた。

 

今年は……ミシェルも一緒に来て欲しいと。

そう思っている。

 

そう伝えた。

 

 

「……分かった」

 

「あ、ミシェルの誕生日っていつ?……もしかして、もう終わっちゃってる?」

 

「私?私は……」

 

 

彼女は一瞬、思い出すような素振りをした。

……自分の誕生日を忘れるような事なんてあるのだろうか?

 

 

「私は、8月11日……翌日」

 

「へぇ、凄い偶然じゃない?お祝いしなくちゃ」

 

「お祝い……?」

 

 

誕生日を祝われる事に慣れてないような、そんな素振りを見せる。

 

私は彼女の中に、闇を見た。

家庭環境を知らないけれど……彼女の自信の無さは、そこから来ているかも知れないと思った。

 

話したがらないから、聞かないけれど……。

 

ミシェルだけの誕生日パーティーを開けば……彼女は気後れしてしまうかも知れない。

……私は策を考えた。

 

 

「それじゃあ、合同で誕生日パーティしよ?場所は……どうしよう?私の家か、ネッドの家だね、アパートに四人はちょっと狭いし」

 

 

一人が無理そうなら、ピーターと合同という形にすれば良い。

 

 

「……分かった。私も行く」

 

「ふふ、ミシェルも主役なんだから当然でしょ?予定が決まったら連絡するから、よろしくね?」

 

「うん、楽しみにしておく」

 

 

祝われるのが楽しみと言うよりは、一緒にいられるのが嬉しいと、そんな素振りだ。

 

……私は腕時計を見た。

 

 

「あ、まずっ……ちょっと、この後予定があるから、帰るね!明日、また何処かに遊びに行こ!」

 

「うん、今日はありがと」

 

「こちらこそ」

 

 

私は自身の分の代金……に、少し上乗せしてお金を残し、席を立った。

 

 

……ニック・フューリーから指示されている訓練の時間だ。

 

『S.H.I.E.L.D.』の支部へ向かうため、タクシーを停めた。

代金は勿論、『S.H.I.E.L.D.』の支払いだ。

 

私は車に揺られながら、今日会う予定の……感情のコントロールが得意だと言われている人の名前を思い出す。

 

 

ブルース・バナー。

 

 

どんな人、なのだろうか?

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

『あーかったりぃ』

 

「そう言うなよ、仕事だ。仕事」

 

 

俺はバイクから降りて、停める。

 

門の前にいる刑務官に手帳を見せて、身体検査を受ける。

 

 

『オイ!コイツ、ケツを触りやがったぞ!』

 

「あーはいはい、そうだな」

 

 

……思わず返事をしてしまったが、側から見れば俺は独り言を言っているようにしか見えない。

 

刑務官が訝しんだ……いや、違うな。

俺を頭がおかしい奴だと思ってる顔だ。

 

ため息を吐きながら、刑務所の中に入る。

 

 

『陰気臭ぇクズばかりだ!檻がないなら全員食っちまいてぇぐらいに!』

 

 

脳裏に響く声に、俺は呆れて話しかける。

 

 

「……頼む、少し静かにしてくれ、『ヴェノム』」

 

『あぁ!?何だってんだよ、エディ!オレに文句があるのか!?』

 

 

そりゃあ、もう。

沢山ある。

 

少し前にスパイダーマンを倒す為……変な奴らの仲間に入れられたのも怒ってるぐらいだ。

結局、人間火薬庫みたいな奴と戦って逃げ帰ったし……俺は得るものは無かったし。

 

 

俺は、エディ・ブロック。

デイリー・グローブ社で働く新聞記者だ。

……まぁ、専属の新聞記者と言うよりは、フリーのジャーナリストだけど。

主にデイリー・グローブに記事を売ってるだけだ。

 

そして。

 

 

『エディ見て見ろ!あの女!尻がデカ過ぎるぞ!』

 

 

脳裏ではしゃいでいる声……コイツは俺のイマジナリーフレンドではない。

 

コイツは『ヴェノム』……そう自称している。

『シンビオート』という異星生命体らしく……人に寄生して生きる寄生生物でもある。

 

俺とコイツが出会ったのは一年近く前。

ライフ財団とか言うゴシップのあり過ぎるヤバい会社に潜入して……まぁ、そこで会った訳だ。

 

 

そして。

 

 

「エディ・ブロックさん。囚人との直接のやり取りは禁止されています。会話だけに留めてください。そして……お気をつけ下さい」

 

「はいよ」

 

 

俺は刑務官の発言に頷いて、開け放たれたドアを潜る。

 

 

……広い広間のような部屋の中心に、ガラス張りの部屋が一つ。

 

プライバシーの一欠片も存在しないような部屋だが、俺は全く同情しない。

 

こうなって相応しいような奴が、中に収容されているからだ。

 

俺は、ソイツに声をかける。

 

 

「初めまして……クレタス・キャサディさん。少し、お話よろしいですか?」

 

 

ガラス張りの檻の中で……新聞を読んでいた男が振り返った。

 

頬骨の張った顔。

ギョロリとした目。

痩せた身体。

 

一目見た感想は『ヤバそう』これに尽きる。

 

 

『クレタス・キャサディ』は連続猟奇殺人犯だ。

数えきれない数の殺人で告訴されている。

恐らく、警察が発見出来ていないだけで、もっと多く殺しているだろう。

 

老若男女。

未来ある子供も。

年老いた老人も。

屈強な男も。

美しい女性も。

 

分け隔てなく、平等に殺した。

 

イカれたサイコパスだ。

 

実際、彼は以前まで『レイブンクロフト精神病院』に入院していた。

あそこは精神病院と言っているが……社会に出してはならない異常者を拘束する刑務所みたいな場所だ。

 

そこを脱走し……事件を起こした。

今はこのニューヨーク、ライカーズ刑務所に拘束されているが……いずれ、『レイブンクロフト精神病院』に戻る事となるだろう。

 

『レイブンクロフト精神病院』は一度入ったら二度と出られない……そして、外部との連絡も不可だ。

 

俺は『クレタス・キャサディ』に興味があるんじゃあない。

『レイブンクロフト精神病院』に興味がある。

 

中がどうなっているのか?

問題はあるのか?

そう言った事を聞こうと思って、ライカーズ島まで態々来た訳だが……。

 

既に少し、後悔している。

 

 

『初めまして、エディ・ブロック。すごく……会いたかったよ』

 

 

ガラス張りの部屋越しに、クレタス・キャサディは獰猛に笑った。

……あぁ、動物園の檻の中にいる肉食動物の方が、まだ大人しく感じる。

 

そう、思った。



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#55 バースデイ・ソング part2

僕は自宅のボロアパートの前で項垂れていた。

 

空は赤い。

太陽は傾いている。

ニューヨークの街並みをオレンジ色に染め上げていた。

 

しかし、こんな綺麗な景色とは裏腹に。

今日は散々な一日だった。

 

ピザの宅配バイトをしてる途中に空飛ぶ昆虫アーマーを付けた銀行強盗と遭遇して……スパイダーマンとして戦って……ピザはグチャグチャになって、バイトはクビになって。

 

先日の戦いの所為でスマホが壊れて、買い直すのにお金がいるのに。

 

デイリー・ビューグルで、すっかり元気になったジェイムソンの下でバイトしても……大した金は貰えないし。

かと言って、メイおばさんにお金を借りるのも悪いし……ネッドは現在進行形で借りてるから、これ以上借りれないし。

 

また、ため息を吐いた。

 

スパイダーマンは無償のボランティアだ。

金持ちにも、恵まれない人にも、サラリーマンにも、ホームレスにも、妊婦さんにも、子供にも。

誰にでも平等に『親愛なる隣人』として手助けをする……それがモットーだからね。

 

でも、それだけ同年代の学生よりもバイト出来る時間は少ないし……スーツの補修や、(ウェブ)の原料にもお金は掛かる。

 

つまり、貧乏という訳だ。

今、もしも、地面に大金が落ちてたら……いや、こっそり懐には入れないかなぁ……困ってる人がいるだろうし。

 

腹を撫でる。

 

……何か食べたい。

 

だけど、節制しないと。

スマホがないと困るし……友人とも連絡を取れない。

 

代替え機を用意して貰うのにも、お金が掛かるし……初回の費用が払えなければ、分割払いも出来ない。

……そもそも、前回のスマホの支払いだって終わってなかったし。

 

 

……考えれば考えるほど、泥沼にハマっていく気がした。

 

僕は思考を中断し、アパートのドアを開けて──

 

 

「「あ……」」

 

 

ミシェルと目があった。

 

彼女は夏らしく、肩まで出した白いフリルの付いた服を着ていて……下はホットパンツだ。

サンダルを履いていて、綺麗な足を惜し気もなく披露している。

 

グウェンとは違う方向性でスタイルが良い。

スレンダー……と言うべきか。

無駄のない綺麗さがある。

 

一瞬、目を奪われて……また、ミシェルと目があった。

 

 

「……何してるの?ピーター、そんな所で」

 

「ははは、えーっと……何というか……世界の不条理に嘆いてる?」

 

「……何言ってるか、よく分からない」

 

 

困ったような顔をして、ミシェルが眉を顰めた。

 

 

「ミシェルは?……見たところ、今からお出かけ?」

 

「そう、ご飯食べに行く」

 

「へぇ……」

 

 

……腹が鳴りそうになって、腹筋に力をこめて……無理矢理黙らせた。

 

近所のスーパーで買ってきた、ロールパンが部屋にある。

レーズンも、バターも入ってない……ただのパンだ。

 

安くて、いっぱい入ってて、そこそこ美味しい。

 

 

……本当にお腹が減ってきた。

昼も食べてないし。

 

早く部屋に帰ってパンを食べようと思い、ミシェルの横を通ろうとして……。

 

 

「ピーターも一緒に行く?」

 

 

と誘われてしまった。

 

……財布の中身を思い出し。

今月、給料日までの残りの日数を思い出し。

……断ろうかと悩みながらも。

 

 

「ありがとう、僕も行くよ」

 

 

結局、一緒に行く事を優先してしまった。

だって……好きな娘に誘われたら、男は行くしかないじゃないか。

 

……はぁ。

明日、いつものサンドイッチ屋でパンの耳でも貰おうかな……。

 

僕はミシェルの横に付いて、歩き始めた。

……明日の食事では、この幸せには代えられないからね。

 

後悔はない。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

ニューヨーク市内。

旧スタークタワー……現在の名称は。

 

 

「へー、ここが『アベンジャーズタワー』」

 

 

ニック・フューリーに指定された訓練場所だ。

『アベンジャーズタワー』と呼ばれているが、実際は『S.H.I.E.L.D.』の基地的な要素もある。

 

だから、ヒーロー以外の従業員の出入りもある。

 

私はフューリーに渡されていた身分証を、ゲートにかざして入る。

今時の身分証はICカードとしての役割もある。

 

 

「えーっと……8階っと」

 

 

エレベーターのボタンを押して、少し待つ。

……私は室内にある鏡を使って、髪を少し整えた。

 

 

今日はフューリーの言っていた感情をコントロールする訓練の日だ。

講師はブルース・バナー博士だ。

 

ちなみに会った事もないし、どんな人かも知らない。

 

 

「出来るだけ温厚な人でありますように」

 

 

だって、ニック・フューリーは陰湿で頑固で陰険な秘密主義者の説教好きだし。

私が祈っていると、エレベーターが到着した。

 

ドアが開き、私は廊下を歩く。

 

……人は全然居ない。

でも、時々白衣を着た科学者のような人がいる。

 

いや、科学者のような……ではなく、本当に科学者か。

 

 

そうして廊下を歩いていると……部屋の入り口に『ブルース・バナー』と書かれた部屋があった。

 

ここだ。

 

私は息を深く吸い込んで、ノックしようと手を伸ばし……ドアが自動で開いた。

……センサーが手に反応したようだ。

 

 

「あ、わっ……」

 

 

急に開いたドアに手が空振り、そのまま中に入った。

 

中には……何やらよく分からないけど高性能っぽいコンピューターやら……空中に表示されたホログラムとか。

 

かと思えば、金属製の板に手書きの設計図みたいなものも貼られている。

 

……何と言うかこう、すっごい、真面目と言うか……騒いじゃダメな雰囲気があって、私は更に緊張した。

 

奥の方で、光と……物音が聞こえる。

 

 

「し、失礼しまーす……」

 

 

部屋に足を踏み入れて……奥に進んでいく。

 

 

そこに居たのは……タコスを食べる中年の男性がいた。

白衣をだらしなく着て、白髪も染めていない。

無精髭を生やした短髪の男性だ。

 

……この人がブルース・バナー博士?

 

そう思いながら、声をかけようと近付いて──

 

 

『ママ、その人、凄く怖い』

 

 

グウェノムが怯えたような声を出した。

 

殺人ロボットや、ハイテクアーマーを着た極悪犯にすら怯えなかったグウェノムが。

 

私は、息を呑んだ。

 

 

……私の足音に気が付いたのか、バナー博士が私に振り返った。

 

タコスを口に含みながら。

 

 

一瞬、目があって。

 

 

「え?……げほっ……」

 

 

バナー博士がタコスを飲み込んで、咽せて、水を飲んだ。

 

 

「えっと……グウェン・ステイシー?」

 

「は、はい。グウェンです」

 

 

私は頷きながらも……グウェノムが怯えてるという事から、少しも気を緩める事は出来ない。

 

 

「あれ?今日の18時って言ってなかった?まだ17時……」

 

 

バナー博士が時計を見る。

 

……17時と55分。

 

タコスを机に置いて、あっと声を上げた。

 

 

「し、しまったな……作業しながら食べるから……時間の感覚がおかしくなっていたようだ」

 

「は、はは……」

 

 

思っていたよりもズボラ……と言うか、ダラしない性格に私は苦笑いした。

 

 

「それで……時間まで5分あるし、夕食を食べてても良いかい?待ち合わせする人もいるし」

 

「あ、はい……どうぞ」

 

「では失礼」

 

 

そう言って、バナー博士がタコスを食べた。

急いで食べている。

 

しかし……待ち合わせ?

私以外にも訓練に参加する人がいるのだろうか?

 

……聞いてないけど。

 

少し、気不味い時間が流れて……まぁ、気不味く思ってるのは私だけみたいだ。

 

バナー博士は何というか……凄く、マイペースな人だ。

 

この数分のやり取りで、そう確信した。

もしかしたらコレが、感情をコントロールするコツなのだろうか?

 

そんな事を考えていると、研究室のドアが開いた。

 

 

「すみません、バナー博士。今日もよろしくお願いしま──

 

 

そう言って入って来たのは。

 

 

「……ハリー?」

 

「グ、グウェンさん?」

 

 

ハリー・オズボーン、その人だった。

……私がこんな事をしている原因を作ったグリーンゴブリンこと、ノーマン・オズボーンの息子だ。

 

入院中、よくお見舞いに来てくれてたし……彼自身は凄く善良だったから、もう恨んでないけど。

 

そんな彼が、何故ここに?

 

 

「あれ?二人とも知り合いかい?」

 

 

そう言うバナー博士は、意図的に私と彼を合わせるつもりは無かったようだ。

偶然だろう。

 

と、言う事は。

 

 

「……フューリーか」

 

 

あの秘密主義者の陰険男は……言えば良いのに。

 

必要な事は何一つとして教えてくれないフューリーに、私は心の中で悪態を吐いた。

 

 

「グウェンさん、何故ここに……?いや、そもそも身体は大丈夫なのか……?」

 

 

ハリーが困惑している。

 

あぁ、そう言えば。

シンビオートと結合して、歩けるようになったという事を伝えてなかった。

 

それよりも。

 

 

「ハリーこそ、何でここに……?」

 

 

何故、ハリーがアベンジャーズタワーに居るのか。

ここはアベンジャーズか……『S.H.I.E.L.D.』の関係者しか入って来れない筈だ。

 

私は困惑するハリーから視線を外し、バナー博士へ目を向けた。

 

 

「え、えっと、積もる話があるので……少し、話をしてきても良いですか?」

 

「勿論……いや、しかし、君がハリーと知り合いだったとは……」

 

「はは……」

 

 

ハリーの事を親しそうに呼ぶバナー博士に驚きつつ、私はハリーを引っ張って部屋の隅に移動した。

 

かくかくしかじか、では済まない量の話をする必要があった。

 

互いに経験した大きな出来事を共有するために。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

ピーターの顔が、直視出来ない。

 

見ていると、こう、顔が熱くなるし。

動悸もするし。

 

それに。

 

……ありえない程の罪悪感で苦しくなる。

 

だからこれは、きっと恋じゃない。

 

 

私とピーターは、以前も来た事のあるタイ料理のレストランへ来ていた。

 

今日は前回の失敗……激辛サラダを注文してしまった事を反省し、店員に聞いて辛くない料理を注文した。

……見た目は真っ赤だったけど、確かに辛くはなかった。

 

 

目の前にいるピーターを盗み見る。

 

目があって……私は目を逸らした。

すると彼は少し悲しそうな顔をする。

それは、とても申し訳ないと思うし……もっと、いつも通りでいれたら良いな、とも私だって思っている。

 

だけど、無理だ。

 

私の憧れが……言うなら、アイドルが、もし。

もし……自分に好意を向けているとしたら?

 

それも、私の最低な部分を少しも見ずに。

 

……私は、貴方に好意を向けて貰えるほど、良い人間じゃない。

 

そう言いたくなる。

 

 

……だけど、それは決して、ピーターを悲しませたい訳じゃなくて。

 

 

目の前のミニトマトを転がす。

 

 

沈黙に耐えられなくなって、私は口を開いた。

 

 

「そう言えばピーター……誕生日、もうすぐって聞いた」

 

「ん?あぁ、そうだよ。今月の10日だけど……」

 

「私も。今月の11日」

 

「へぇ、そうなんだ……凄い、偶然だね」

 

 

ピーターが無理矢理話題を膨らませようとしてるのは薄々勘づいている。

……私も、ピーターとは話したいし、今まで通り……だから、その姿勢は歓迎している。

 

 

「それで、グウェンが……誕生日会しようって言ってた」

 

「……ミシェルの?」

 

「私と、ピーターの。合同で……」

 

「そっか……それは……嬉しい、かな」

 

 

ピーターが考えるような素振りをしている。

……何を考えてるかはちょっと分からない。

 

ぼーっと、ピーターを見ていると、彼が口を開いた。

 

 

「……この夏休みが終われば、僕達は四年生だよね?」

 

「そう……だけど?」

 

 

ピーターが何を言いたいか、分からなくて問う。

 

 

「これから……集まって遊べる機会も減っていくと思うんだ。バラバラの未来へ、進んでいくと思うから」

 

 

ピーターの言葉に、私は頷いた。

 

 

……幾ら仲が良くても。

別の学校、仕事……卒業すれば別の場所へ分かれて行く。

 

会えなくなる訳じゃなくても、会える機会は減って行く。

……普通の学生ならば。

 

 

「だから、集まる機会が出来るのは僕は嬉しい」

 

「……そうだね」

 

 

私も頷いた。

 

あぁ、そうか。

 

ピーターが急に……夏の間に、私へアプローチを仕掛けてきたのは。

友人という関係では会う機会も減ってしまうから……恋人という関係にしたかったのだと、そう思った。

 

……それだけ、ピーターは私のことを、す、す、好き、なのかな。

 

頬が熱くなる。

 

 

「……ミシェル?」

 

 

また、目を逸らしてしまって、ピーターが困ったような顔をする。

 

……私はピーターに、そんな顔をして欲しい訳じゃない。

必死に首を戻して、ピーターを直視する。

 

私今、変な顔、してないかな?

そう心配しつつも……目を合わせる。

 

でもやっぱり、彼の顔を見ていると私は気が動転してしまう。

 

 

「ピーターは高校卒業後……何したい?」

 

 

だから、私は誤魔化すためにも話を進める。

 

 

「卒業後?えっと、僕は……大学に行こうと思ってるんだ」

 

「どこ?」

 

「エンパイア・ステート大学かな」

 

 

エンパイアステート大学……ニューヨークにある大学だ。

今住んでいる場所からも、それほど遠くはない。

 

それにしても、スパイダーマン生活もしつつ、受験勉強をしているのか。

素直に尊敬する。

 

そう思っていると、ピーターが口を開き──

 

 

「ミシェルは?将来、何をしたいの?」

 

 

そう、訊き返してきた。

 

 

将来?

 

私が、何をしたいか?

 

 

「私は……みんなと一緒に居られれば、それで良い」

 

 

……グウェンと、ネッドと、ピーターと。

ずっと一緒にいたい。

 

馬鹿な話をして。

お洒落なんかして。

美味しいご飯を食べて。

美味しかったね、なんて話して。

 

叶わない夢だとしても。

 

今、私が学生で居られるのは奇跡のような物だ。

組織の誰かが、何かの思い付きで、私をこの高校へ隠している。

だけど卒業すれば……また、私は『ミシェル・ジェーン』では無くなる。

 

 

私の言葉を聞いたピーターは、少し笑った。

 

 

「それは……僕もそうだけど、そうじゃなくて……えっと、卒業後の事を聞きたくて」

 

「卒業後……?それなら──

 

 

夢と現実が剥離して行く。

 

私は夢見がちな少女ではない、現実主義者(リアリスト)だ。

 

夢を見るには……この身も、心も汚れ過ぎている。

 

だから──

 

 

「仕事……してると思う」

 

 

私は、現実から逃れられない。



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#56 バースデイ・ソング part3

私とハリー、二人で会話した結果。

お互いが『S.H.I.E.L.D.』のエージェント、その訓練生だと言う事が発覚した。

 

……フューリーの奴、分かってて黙っていたに違いない。

 

私は、シンビオートの宿主としてのスーパーパワーを。

ハリーは、何か薬?とかで肉体を強化してスーパーパワーを。

 

つまり、『S.H.I.E.L.D.』のエージェント訓練生である前に、スーパーパワーを持った若者と言う事になる。

 

フューリーは若者限定のアベンジャーズでも作りたいのだろうか?

そう、邪推せざるを得ない。

 

そして、私とハリーに共通して発生している問題点。

 

 

それが──

 

 

「感情のコントロール」

 

 

バナー博士がそう、語った。

 

 

「怒るな……そう言うのは簡単だ。だけど、制御するのは難しい」

 

 

手に持ったタブレットを操作して、ホログラムが表示される。

何かの論文だ。

 

 

「怒りのピークは10秒にも満たないと言われている。少し待って、落ち着くんだ。分かるかい?」

 

 

私とハリーは顔を合わせて、頷いた。

 

 

「それでも怒りが抑えきれない時がある。どうすれば良いと思う?」

 

 

バナー博士が訊いてくる。

ハリーは挙手して、返答を口にしようとする。

 

……何と言うか、学校の講義みたいだ。

 

 

「ストレスを発散するために……何か、ルーチンを持つ、とか?」

 

「それもある。だけどね、ハリー……それでも、収まらない怒りは存在する。そうだな……もし、僕が友人を誰かに痛め付けられたとしたら──

 

 

バナー博士が手に持ったタブレットに力を込める。

 

ミシリ、と歪む音が聞こえた。

 

 

「殴り倒して……足を持って振り回し……壁に叩きつけて……引き摺り回す。そしたら、落ち着くだろうね」

 

「そ、そうですか」

 

 

ハリーが引いた様子で口を閉じた。

 

……バナー博士って、見た目は非力そうなインテリ系って感じがするけど……結構パワー系なのかな。

 

 

「怒りには一過性のものと、絶対に収まらない怒りがある。その、絶対に収まらない怒りは……無理に抑え込まなくても良い」

 

「抑え込まなくて良いの?」

 

 

感情をコントロールする訓練、講義のはずなのにそんな事を言って良いのか?

私は訝しんだ。

 

 

「そうさ。それは『正しい怒り』だ。その怒りを持って力を解き放つ……だが、正しい事を成す。そして、必ず怒りの中から戻って来る。コレが大事なんだ」

 

 

体験談のように語るバナー博士に、私とハリーは頷いた。

 

……ハリーは、この人の正体と言うか……どんな人なのか知ってそうだ。

後で聞いてみよう。

 

 

「つまり、君達に必要なのは『怒りを抑える力』じゃなくて、『怒りを正しい行動へ向かわせる力』と『怒りから帰ってくる力』なんだ。今日の講義はその手段、そして心の持ち方について勉強して行こう」

 

 

バナー博士が、資料を私に配った。

 

……訓練と聞いていたけど、やっぱり学校の授業のようだ。

私は頷いて、その資料……手作りの教科書を開いた。

 

 

 

 

 

そして、二時間ほど。

 

 

 

 

 

授業が終わり、私とハリーは研究室を後にした。

バナー博士は座っていた机に向き合って、紙に図面を書き始めた。

 

普通の仕事もしながら、私達の面倒を見るって、凄く……ワーカーホリックなのかな?

 

そんな失礼な事を考えながら、エレベーターに乗る。

 

ハリーと私、二人っきりだ。

 

静かなエレベーターの中で、小さな音量で音楽が響く。

 

 

……そして、徐にハリーが口を開いた。

 

 

「あの、グウェンさん?」

 

「何?」

 

「今日は、その、お疲れ様でした」

 

「うん……まぁ、お疲れ」

 

 

よく分からない世間話に頷く。

聞きたい話の前のワンクッション……そんな言葉が頭に浮かんだ。

 

 

「それで……えっと、お変わりは無いですか?」

 

「……この子と共生したんだから、変わりはあるよ」

 

 

私がタートルネックの首元を下げると、黒い、シンビオートが蠢いた。

『グウェノム』はバナー博士と離れてから、怯えもなくなって元気になっていた。

 

 

「それは、あの……失言でした。申し訳な──

 

「謝罪は禁止。ハリーが悪いとは思ってないよ、後悔もしてないし。仕事で同僚になるんだから……もっと気楽に。グウェンって呼び捨てにしても良いし」

 

 

いい加減、ハリーの感じている罪悪感にも少し鬱陶しく感じたのだ。

だって私……今は別に不幸じゃないし。

 

 

「……ありがとうございます」

 

「敬語も必要ないんだけど」

 

「あ、ありがとう?」

 

「うん、それで良いよ」

 

 

ヘラヘラと笑う。

 

人間関係は、もっと気軽で良い。

勝手に罪悪感を持たれて、申し訳なさそうにされるのも疲れるし。

 

そして、私は聞きたかった事を思い出し、口を開いた。

 

 

「そんな事よりさ、ハリー。ブルース・バナー博士ってどんな人?」

 

「どんな……?いや、見た目の通り、善良で優しい、頭の良い先生だよ」

 

「いや、そうじゃなくて……なんかこう、隠してる事と言うか……そう──

 

 

私は頭の中で一つ、浮かんだ。

 

 

「私達みたいに、怒るとヤバいとか?」

 

「あ、あぁ……え?グウェンは知らないのか?」

 

「何を」

 

「バナー先生のヒーローネームだよ」

 

 

ヒーローネーム……?

 

と、言う事はやっぱりバナー博士はヒーローなんだ。

 

……でも、私、そんなにヒーローについて詳しい訳じゃないし……知ってるか不安だけど。

 

 

 

「勿体振らずに教えてよ」

 

「バナー先生は『ハルク』だ」

 

「……ハルク?」

 

 

ハルクって……。

 

 

「あの、緑色のムキムキの巨人の?」

 

「そうだ」

 

「え?あの、トラックなんかも投げ飛ばしてるあのハルク?」

 

「その通り」

 

「う、嘘でしょ?」

 

「本当だ」

 

 

私は目頭を摘んだ。

 

 

『ハルク』

緑色の巨人だ。

身長は2メートルぐらい。

筋骨隆々で上半身は裸。

獣のような叫び声を上げて、敵をちぎっては投げるヒーロー。

怒れば怒るほどに強くなると噂の。

……いや、ヒーローと言うにはちょっと、野蛮過ぎるぐらいの。

 

あぁ、そっか。

ブルース・バナー博士のこと、『アベンジャーズ』の関係者か『S.H.I.E.L.D.』のメンバーだと思ってたけど……違うんだ。

彼自身が『アベンジャーズ』だったのか。

納得。

 

 

「……あー、そりゃ、私達に感情のコントロールを教えるには……最適な人だね」

 

「間違いなく、そうだね……」

 

 

ハリーが腕を組んで頷いた。

 

 

「でも何で知ってるの?新聞にも本名も顔も載ってないのにさ……本人から聞いた?」

 

「いや、フューリーから教えてもらったんだ」

 

 

……は?

私には何も教えてくれないのに。

 

今度あったら文句言ってやる。

手をグッと握ると、ハリーが苦笑した。

 

 

「……はは、グウェンもどうやら、フューリーの秘密主義には納得が行かないようだね」

 

「まぁね。ハリーも?」

 

「あぁ、この間なんて急に飛行機に乗せられて……アフリカまで連れて行かれたよ」

 

「それは……何と言うか御苦労様」

 

「彼の無茶振りに共感できる仲間ができて嬉しいよ、僕は」

 

 

私とハリーは目を合わせて、苦笑いする。

 

そして、エレベーターが一階に到着した。

 

 

……まだちょっと話したいな。

自然とそう思った。

 

プレイボーイっぽい雰囲気もあるけど、実際のハリーは好青年で裏表のない良い性格をしている。

……私としては、ミシェルにはピーターよりもコッチを選んで欲しいけど。

 

 

「ハリー、時間はある?」

 

「あるよ……どうかしたのかい?」

 

「ミシェルの話、聞きたくない?」

 

 

ぴくり、と頬が動いた。

 

やっぱり。

 

私と話してる時、聞きたそうにしてたからね。

……それでも、女性の前で他の女の話をしようとしないのは彼のポリシーか、思いやりか。

 

ま、私はそんなの気にしないけど。

 

 

私はハリーに顔を向けて、アベンジャーズタワーの1階にある一角を指差した。

 

 

「あそこの喫茶店……奢ってくれるなら、話してあげても良いけど?」

 

「……分かった。任せてくれ、こう見えても少しは持っているから」

 

「どう見ても、でしょ?良い所の坊ちゃんっぽいし」

 

「ぼ、坊ちゃん……?僕、一応歳上なんだけど……?」

 

 

私は笑いながら。

ハリーは少しショックを受けた顔で。

 

二人で喫茶店に入った。

 

 

……ハルクの抹茶ラテ。

みたいな『アベンジャーズ』を意識したメニューがあって、私は失笑してしまった。

 

ちなみに、美味しかった。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

……俺は、エディ・ブロックは。

 

刑務官へ挨拶をして、ライカーズ刑務所から出た。

 

苦虫を噛み潰したような、そんな不快感を感じながら。

 

 

『オイ、エディ……さっきの男、相当ヤバい奴だな』

 

「あぁ、それは同感。初めて会ったよ……あんな、ヤバい奴」

 

 

クレタス・キャサディ。

連続殺人犯のサイコ野郎だ。

 

頭がおかしいってのは知ってたけど……想像以上だ。

 

好きとか嫌いとか、そんなんじゃない。

理解出来ない気持ち悪さがある。

 

……今まで、新聞記者という職業柄、色んな犯罪者と話した事はあるが……こんな気持ちは初めてだ。

 

俺はバイクに跨って……側に警官が寄って来た事に気付いた。

髭を生やした、初老の男だ。

 

 

「エディ・ブロックだな?」

 

「……そう言うアンタは?まずは自己紹介をするべきだろ」

 

「私はパトリック・マリガン……ニューヨーク市警の刑事だ」

 

 

警察手帳を見せてくる。

確かに。

 

本物か偽物かなんて、俺には見抜けないが。

 

 

「クレタス・キャサディから、何か話はあったか?」

 

「何かって?」

 

「……奴はまだ幾つもの未解決事件を抱えてる。死体の場所も分からない」

 

「あぁ、なるほど」

 

 

俺は勝手に納得した。

 

クレタス・キャサディは警察相手に黙秘してるし、記者との面会を拒否している。

 

何故か、俺だけが許されている。

 

何の関係もない筈の俺だけが。

 

だからこそ、警察はクレタス・キャサディから……何か情報を盗めていないか、俺を気にかけているって訳だ。

 

 

「このままだと奴は、レイブンクロフト精神病院に逆戻りだ。あそこは警官ですら入れない。それまでに手掛かりが欲しい……」

 

「そいつは……俺に期待しても無駄だと思うけどな」

 

「……余罪を追求出来れば、奴を死刑にだって出来る。このまま未解決事件の情報を、司法取引でもされれば……無期懲役ぐらいになるだろう」

 

「確かに」

 

「奴は死んだ方がいい人間だ、被害者の家族の為にも」

 

「……うわ、警官が死ねって言うのか?」

 

「警官だって人間だからな」

 

 

悪びれる様子もなく、パトリックが頷いた。

 

 

『コイツ、偉そうだが、おもしれぇな』

 

 

ヴェノムの声が頭に響く。

返事はしない。

コイツの声は外へ聞こえてないからだ。

返事をすれば異常者扱いされる。

 

 

「だからエディ……何か分かったら教えろ」

 

「どうも。分かったら、ね……そんな時は来ないだろうけど」

 

 

パトリックに手を振り、俺はバイクへ跨った。

そのままエンジンを吹かして、ライカーズ刑務所から離れる。

 

こんな所、二度と来たくないね。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

ガラス張りの独房で、頁を捲る。

 

話が進む。

 

私は。

 

今日出会った……エディ・ブロックについて思い出す。

 

奴は普通じゃない。

 

何か。

 

異様な、凶暴性を秘めている。

 

私と同じように。

 

だけどそれは……私以上の強い暴力を兼ね備えている。

 

始めて写真を見た時。

 

その目が、表情が、全て。

 

やはり、私の人を見る目は正しい。

 

私は彼を知りたい。

 

彼の力を。

 

そして、暴力の正体を。

 

頬が自然に吊り上がる。

 

口が三日月のように裂けた。



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#57 バースデイ・ソング part4

クレタス・キャサディとの初対面から2日後。

 

俺はまた、その男の前に来ていた。

 

 

「やぁ、また来てくれたね……エディ・ブロック」

 

「はぁ……俺はもう、二度と会いたくなかったけどな」

 

 

目の前で……ガラスの檻に入れられたクレタス・キャサディが笑う。

 

何が面白いんだか。

シリアルキラーの考える事は、俺には全く分からない。

 

こんなイカれた奴とは二度と会いたくなかった。

 

だが……コイツは面会人に俺を指定してくる。

 

その所為で、未解決事件の手掛かりが欲しい警察は俺に会うよう促してくる。

 

本当に……鬱陶しい話だ。

 

 

「それで……ちゃんと本は持って来たのかい?」

 

「あぁ、勿論。特例だって看守さんが言ってたぞ……でも、何だ『神曲』って?詩集みたいだけど」

 

 

皮の表紙に螺旋が描かれた詩集だ。

少なくとも、俺が本屋で買わないタイプの本だな。

 

 

「エディ・ブロック……君は学がないようだね」

 

「そんな事はない。これでもガキの頃は学校でも指折りだったんだぞ」

 

「そういう『学』の話をしている訳じゃない。君は愚か者じゃない筈だろう?エディ・ブロック」

 

 

何度も何度も名前を呼んでくるクレタス・キャサディに苛ついて、顔を顰めた。

 

 

「それで……?今日は何の話をしてくれるんだ?今朝見た夢の話でもしてくれるのか?なぁ?」

 

「もっと良い話さ……エディ・ブロック。一つ、取引をしよう」

 

「取引?ダメだな、収監されてる罪人とは取引するなって注意されてるんだよ。それに、俺は檻の中にいる奴とは取引しない……ガキの頃、動物園の猿からそう学んだんだ」

 

「私は猿ではない……人間だよ、エディ・ブロック。君は社会の『ルール』に縛られているのかな?哀れだ」

 

「そう言う、お前は檻に縛られてるだろうが。哀れんでやろか?おっと、悪いな。囚人に金は恵んでやれない」

 

 

俺は我慢できず、悪態を吐く。

 

 

「……それもそうだ。話を戻そう」

 

「いいや、その話は聞きたくないね」

 

「良いのかい?スクープを手にするチャンスだぞ?」

 

 

スクープ?

 

俺は金の匂いを嗅ぎつけて、耳を傾けてしまった。

 

 

「僕と君。交互に質問して行く……そして、質問には正しく答える。そんな取引さ。一つ知りたい事を話す。君も話してほしい。なぁ、簡単な話だ」

 

「どんな質問でも良いんだな?」

 

「あぁ、どんな質問でも良いとも」

 

「じゃあ、俺から質問だ。今まで殺して来て……まだ警察に見つかっていない死体があるだろ。死体はどこにある?」

 

 

俺は恐る恐る……しかし、警察の要求している質問を聞いた。

 

だが、この情報はコイツにとっての人質みたいなものだ。

全部話せば死刑になる事も、分かっている。

 

クレタス・キャサディは狂っているが、馬鹿じゃない。

馬鹿ならもっと早く逮捕されていた筈だ。

 

 

「少し卑怯じゃないか?死体の場所……そして、動機は教えてやる。だけど、一つずつだ。一つの質問に答えるのは一つだけだ」

 

 

クレタス・キャサディが指を一本立てた。

 

……思ったより、乗り気な返事に俺は内心で驚いた。

 

 

「じゃあ、そうだな……二年前、お前が殺したアンナって奴の死体はどこだ?」

 

「アンナ……あぁ、思い出したよ。可愛いアンナ。彼女は首を裂いて殺した……綺麗だったんだ。頸がね。ウェストコースト、教会の墓に紛れ込ませた」

 

 

……俺は気分が悪くなりながらも、手帳に記入した。

本当かどうか、それは調べれば分かる話だ。

 

 

「じゃあ、次は私の質問だ。君の名前は?」

 

「ふざけてるのか?エディだ。エディ・ブロック」

 

「そうだ、君はエディ・ブロックだ。さて、次の解答を答えよう」

 

 

また、自慢気にクレタス・キャサディが語り出す。

 

 

「オットー?あぁ、彼はいけすかない奴だった。私と肩がぶつかった時、怯えて謝ったんだ。彼の方が大きいのにね。腹を裂いて腸をバラまいた。彼の店、精肉店の地下にある筈だ。気付いてなかったのかい?」

 

「アンジェラか……あぁ、思い出した。スーパーで店員相手に怒鳴り散らかしている客がいて……彼女がそれを諌めたんだ。英雄のようだったよ。褒め称えられるような存在だった。あぁ、気持ち悪い。足を削いで、ヘルズキッチンの裏道に放って来たさ。見た目も良かったし……遊ばれた後、死んでいると思うけどね」

 

「ルーカスは皮を剥いで、海へ投げ捨てた。漁師だったんだ。今は魚の餌だろうね……笑えるだろう?」

 

「ジョンは──

 

 

幾つも、恐るべき犯行を語って行く。

話される度に精神が疲弊していく。

 

その度に彼は、どうでも良い質問をしてくる。

 

好きな食べ物。

趣味。

結婚はしているか、とか。

 

 

そして。

 

 

「さて、私の番だ、エディ・ブロック。君は暴力を秘めている。それも私よりも遥かに強力で、凶悪な……きっと私よりも暴力的だ。違うか?」

 

 

俺はペンを動かす手を止めた。

 

……『ヴェノム』の事を知っているのか?

 

 

「さぁ?知らないな」

 

「エディ・ブロック……それは契約違反だ。YES(はい)NO(いいえ)で答えてくれ」

 

「じゃあ、違う。俺は暴力なんか振るわない」

 

「……へぇ」

 

 

意味深に笑うクレタス・キャサディに不快感を感じながらも、話を進める。

 

そして、次の質問。

 

 

「エディ・ブロック。君は人間か?血は赤いのかい?」

 

「当たり前だ」

 

「本当かなぁ……今すぐ手を裂いて、確かめてみたぐらいだ」

 

 

クスクスと笑うクレタス・キャサディに……俺は怯えた。

 

 

「もう、この話は終わりだ。お前とは話さない」

 

「えぇ?もうなのかい?……じゃあ仕方ない。持って来た本を受け取り口においてくれ」

 

 

俺はゆっくりと檻へ近づき、手に持っていた本をガラスの開いた場所に置いた。

 

 

その瞬間、クレタス・キャサディが近寄って来て──

 

 

俺の手に噛み付いた。

 

 

「……痛ぇっ!?」

 

『テメェ!何しやがる!』

 

 

咄嗟に『ヴェノム』が出てきて、カメラの視界に入らない位置で、彼を強く突き飛ばした。

 

椅子を弾き飛ばし、彼はガラスの壁に激突した。

その瞬間、激突を感知して警報が鳴り始めた。

 

手から血が流れる……瞬時にヴェノムが傷を塞ぐ。

一瞬の後、俺の手の傷は無くなった。

 

 

壁に手を突いて、クレタス・キャサディが立ちあがる。

その顔にあるのは……狂気的な笑顔だ。

 

口からは血が出ている。

誰の血だ?

自分自身の血か?

それとも、俺の血か?

 

 

「ん、んふっ、ふふふっ、血、血の味が違うなぁ……エディ・ブロック。君、人間じゃあないだろ?」

 

「何を……」

 

 

直後、刑務官が現れて、俺を檻から引き剥がした。

 

刑務官が俺に声を掛ける。

 

 

「離れて!離れなさい!」

 

 

俺は自分の手を見た。

……ヴェノムによって傷は塞がれている。

噛まれたと言っても、証拠がないだろう。

 

内心を見透かされないよう、冷静を装って言葉に従う。

 

ガラス張りの檻から離れて……クレタス・キャサディは俺を目で追っている。

 

笑いながら、俺の手を見ている。

無傷の手を。

 

 

「そうか、そうか。エディ、エディ・ブロック……君は特別だったんだ。やはり、私の見る目は正しかった、素晴らしい……最高だよ」

 

「静かにしなさい!受刑番号344!」

 

 

興奮するクレタス・キャサディに刑務官が怒鳴った。

 

 

「私なんかよりも、余程の怪物なのに君はルールに縛られている。法に、規則に。何故だ、エディ・ブロック?教えてくれ……私に答えを──

 

 

バチン!

 

と、大きな音がした。

 

彼は糸が切れたように倒れた。

刑務官が檻に電気を流したのか……。

 

 

俺は刑務官に連れられて、待合室まで下がらされた。

 

 

「エディさん、あまり囚人を興奮させないでください」

 

「は?え?俺が悪いの?」

 

「そうだとしても、そうではなかったとしても、です。面会は禁止です。これ以上会うのは囚人にも、貴方にも、良くないですから」

 

 

 

ガシャン、と大きな音がして、門が閉まった。

 

俺はライカーズ刑務所から追い出されて……入口の前にいる。

 

 

「あぁ、クソ……いや、待てよ?二度とアイツと会わなくて済むって話なら、そりゃ良い話か」

 

 

俺はため息を吐いて、自身の乗っているバイクへと向かう。

……そこには、パトカーが停まっていた。

 

俺は心底、めんどくさくなる。

 

ドアが開き、二人の男性が降りて来た。

 

一人は……以前会った、パトリック・マリガン刑事。

もう一人は……誰かは分からないが、服装と状況から見るに警官だろう。

 

俺はバイクの元へ歩いて行き──

 

 

「エディ・ブロック。何か分かったか?」

 

 

そう言って、パトリックが話しかけて来た。

 

 

「あぁ、あったとも」

 

 

俺は若干の面倒臭さを感じながら、クレタス・キャサディから話された情報を話した。

 

パトリックの隣にいた警官が熱心にノートへ書いていた。

……この人は、パトリックと同年代に見える。

 

 

「あー、パトリック?」

 

「マリガン刑事と呼べ。呼び捨てにされるほど親しくないし、気も許していない」

 

「あぁ、そう?マリガン刑事……その人は誰なんだ?」

 

 

俺が指を指すと、パトリック・マリガンが目を細めた。

 

 

「関係ないだろう?それと、人に指を指すな」

 

「まぁ、よせ。パトリック」

 

 

もう一人の男性がパトリックを宥めた。

 

 

「俺はクレタス・キャサディの担当警部だ。まぁ、早い話が……奴を逮捕した警官だ」

 

「へぇ、そりゃ凄い。で?名前は?」

 

 

俺が聞き直すと、彼は胸元から手帳を取り出した。

 

 

「俺の名前はジョージ。ジョージ・ステイシーだ」

 

 

そう言って手を差し伸べてくる。

 

どうやらこっちは……話が分かる人らしい。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

誕生日会は8月10日……3日後、グウェンの家でする事となった。

 

僕は椅子に腰を掛けて、頭を抱える。

 

費用、と言うか、パーティに必要な食べ物の持ち込みなんかは、グウェンとネッド……それにグウェンの父であるジョージさんが用意してくれるらしい。

 

何故、ジョージさんが……と思ったけど、グウェン曰く普段娘が世話になってるからとか何とか。

 

……金欠だから凄くありがたいけど、グウェンとの付き合いは……その、付き合ってあげてるとか世話してあげてるとかじゃなくて……対等と言うか……あぁ、もう何て言ったら良いのか分からない。

 

だけど、お金を貰ったり感謝されるために一緒にいる訳じゃない。

ジョージさんも分かってるとは思うけど……こう、ちょっと申し訳なさが出てくる。

 

会ったら感謝の言葉を伝えておこう。

そう決心した。

 

 

さて。

 

 

目下、僕は非常に大きな問題を抱えている。

 

極悪銀行強盗との戦い?

逃走する指名手配犯とのカーチェイス?

迷子の女の子の両親を捜索?

 

どれもこれも、大した悩みじゃない。

半日もかからない話だ。

スパイダーマンならね。

 

それで、今僕が何を悩んでいるかと言うと。

 

 

「ミシェルへの誕生日プレゼント……どうしよう」

 

 

そう、これだ。

 

数週間前にプレゼントは渡したばかりだ。

 

青いバラのネックレスだ。

……彼女は毎日着けてくれている。

きっと気に入ってくれていると思って良いだろう。

 

だけど、それの所為でお金がない。

 

スマホも壊れちゃったし、もう僕自身で手一杯だ。

いまから、お金を捻出しようとするのは無理だ。

 

消費者金融に借りるぐらいしか選択肢はない。

だけど、借金でプレゼント……?

そんな事をして、バレたら……ミシェルに軽蔑されてしまう。

 

だから、用意できるのは金の掛からないプレゼントだけ。

 

……スタークさんの言っていた恋愛術は金の掛かる物ばかりだ。

本人が金持ちだから問題ないのだろうけど、僕みたいな貧乏学生には厳し過ぎる。

 

今、この状況では役に立つ内容が思い当たらない。

 

 

僕はげんなりとしながら、壁側に置かれたカメラを見た。

数万円するカメラだ。

貧乏学生が持つには少し、いやかなり高めの高級品。

だけど、最近のカメラよりは古い……ちょっとしたアンティークみたいなカメラ。

 

僕自身が写真を撮るのが好きだってのもあるけど、アレはデイリー・ビューグルで仕事をする際に必要な仕事道具でもある。

 

……これは、メイおばさんの家から持ってきたカメラで……遺品だ。

 

誰の遺品か?

……ベンおじさんの遺品だ。

 

 

僕の育ての親で、僕がスパイダーマンである理由の一つ。

 

僕がクモの力を手に入れてから……自惚れていた時期に。

僕は目の前を横切った強盗を、関係ないからと見過ごして。

……その夜、ベンおじさんは強盗に殺されてしまった。

 

僕の責任だ。

 

だけど、僕の……後悔の言葉にベンおじさんは許してくれた。

そして、『大いなる力には、大いなる責任が伴う』事を教えてくれた。

 

力ある者には……誰かを助ける責任がある。

その言葉を胸に、今も僕はスパイダーマンをしている。

 

 

そんなベンおじさんが遺したカメラ。

 

メイおばさんの家にある僕の成長アルバム……その中にある写真も、このカメラで撮った。

 

大事で大切なカメラ。

 

僕はそれを手に取った。

 

 

……僕はミシェルとの、今までの出来事を思い出す。

 

 

彼女の出会いから、まだ一年も経っていない。

だけど、色々な事があった。

 

僕は彼女に、急速に惹かれて行った。

 

彼女の容姿が綺麗だから?

いや、違う。

それだけじゃない。

 

きっと、初めて恋愛感情を自覚したのは……リザードが学校に現れた時だ。

彼女はスーパーパワーもないのに、親しくもない知人であるフラッシュを助けるために危険を冒した。

その優しさと、自己犠牲の心に……彼女は心の底から善人なんだって……好意を持った。

 

 

そして、スイーツフェスタでの出来事も。

僕がライノと戦って……遅刻して、それも予定の会にすら参加出来なくて。

普通なら怒って、僕をビンタしたっておかしくない。

酷い奴だと思われても仕方ない話だ。

それなのに彼女は……僕がただ、遅刻するような人間とは思わないからと言う理由で……何かあったのだと察してくれて、その上で聞かずにいてくれて…………それは、凄くありがたい思いやりだった。

彼女はスパイダーマンじゃなくて、僕を信用してくれているのだと、そう感じたんだ。

 

笑顔で許して、僕を慰めて……その時から、彼女は僕の特別になった。

 

 

他にも色々な出来事があった。

思い出を重ねる度に僕は彼女を好きになって行った。

きっと僕は、彼女を知れば知るほど……好きになる。

 

 

彼女の事が大切なんだ。

……一緒にいたいと、そう思ってる。

 

願わくば、高校生活が終わっても……。

 

 

僕はカメラを弄る。

幾つか、彼女の写真もこのカメラで撮った。

旅行の時に、祝い事の時に、イベント事でも。

 

 

ふと、名案が思い付いた。

 

 

ミシェルはスパイダーマンが好きだと言っていた。

ファンだって……。

 

それなら。

 

……僕はカメラを片手に……机の上で充電していたスーツの入った腕時計を取って、部屋を出た。



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#58 バースデイ・ソング part5

そして、誕生日会当日。

 

僕は眠気目を擦りながら、ポストを開ける。

 

……あれ?

何か大きな荷物がある。

 

僕はそれを手に取り、自室に戻った。

白い箱には送り主の名前が書いてない。

 

横を見ると……『スターク・インダストリー』のロゴだ。

 

……スタークさん?

 

僕は箱を開けると……中にはプレゼント用に梱包された箱と、手紙があった。

 

折り畳まれた手紙を開くと……それはスタークさんの直筆だった。

 

 

『誕生日おめでとう!ピーター・パーカー』

 

 

その言葉が端的に書かれていて……あぁ、これはスタークさんからの誕生日プレゼントなのだと僕は感動した。

 

ラッピングを剥くと……スターク社が提供している最新のスマホが描かれた箱が入っていた。

 

 

「わぁ……流石スタークさん!」

 

 

僕の今欲しいものをピンポイントで贈ってくるスタークさんに驚きつつも、感謝しつつ、箱を開ける。

 

 

……中に入ってたのはスマホじゃなかった。

沢山の電子部品……つまり。

部品の刺さってない電子基盤や、袋詰めされた部品。

 

 

つまり、組み立てられていないスマホだ。

 

 

「……は?え……?」

 

 

僕が困惑しつつ……箱の中に手紙がある事に気付いた。

 

慌てて手に取り、開く。

 

 

『これは僕からの宿題。楽しんで。byスターク』

 

 

そして、組み立てのマニュアル。

電子工作キット。

 

……いや、いやいや。

どこにスマホを自作する学生がいるんだ。

 

僕はスタークさんに呆れながら……机の上に並べた。

 

まだ、朝は早い。

 

誕生日パーティには時間の余裕もある。

 

僕は指をポキポキと鳴らして、椅子に座った。

 

 

……はぁ、将来は携帯会社でも起業しようかな。

『パーカー・インダストリー』……みたいな。

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

俺、エディ・ブロックは自宅の郵便ポストを開けた。

 

……今時、郵便物なんて使うのは物好きか、テクノロジーに弱い情弱ぐらいだ。

 

いつもは何も入っていないが、今日は例外だ。

一枚だけ入っていた封筒を取り出し、ペーパーナイフで開ける。

 

中に入っていたのは……ライカーズ刑務所からの便りだ。

 

内容は……小難しい言葉で書かれているが、要約すると『クレタス・キャサディへの死刑執行を、本日8月10日に行う』と言う話だ。

 

 

「こんなの送ってきやがって、俺が殺したとでも言いたいのか?」

 

 

クレタス・キャサディへの質問の結果、得られた情報は全て警察に回した。

勿論、独占取材と称して新聞社にも売った。

それはもう、大きな金になった。

 

結果的に、語られた内容は正しく、幾つもの未解決事件が解決した。

クレタス・キャサディと司法取引をする必要もなくなったため、そのまま死刑と言う話になった。

 

国としてはもっと早くから死刑にしたかったんだろうな。

用済みとなってからは迅速に予定が進んだようだ。

 

だが、まぁ。

奴の死刑が執行されるのは、俺が情報を警察に売ったからという事になる。

 

つまり、奴を殺したのは──

 

 

『オイ、エディ!卵が焦げるぞ』

 

「お、おっと」

 

 

俺はフライパンの上のスクランブルエッグを混ぜる。

肩から黒いタール状の物体が流れて、顔を作り出す。

その顔は、俺の前に向き直った。

 

 

『エディ!気にするな!』

 

「え?卵が焦げたこと?」

 

『そうじゃない!バカが!』

 

 

ヴェノムの顔面に頭突きをされる。

 

 

「オイ、火を使ってる時は止めろ!」

 

『エディ、奴が死ぬのは自己責任だ!オレ達の所為じゃない!』

 

「あ、あぁ……何だ?励ましてくれてるのか?」

 

『違う!』

 

 

再度、頭突きを食らってよろける。

フライパンを落としそうになるが、必死に耐えた。

 

 

「危ないって言ってるだろ!」

 

『お前がふざけた事を言うからだ!』

 

「何もふざけてない!おかしいのはお前だろ!変な事言いやがって!」

 

 

ギャーギャーと騒ぎながら、朝食の準備をする。

ヴェノムは……まぁ、騒がしい奴ではあるが、悪い奴じゃない。

 

その騒がしさが、今は心地良かった。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

私は隣室のドア……その横にあるブザーを押した。

 

そわそわとしながらも、いつ、その部屋の主が現れても良いように服を整える。

 

途端に、ドタバタという音が聞こえて、私は少し笑った。

 

少しして、ドアが開き……いつも通りの服装のピーターが出てきた。

 

 

「あ、ミシェル……?」

 

「ピーター、時間」

 

 

私は自身のスマホを取り出し、時間を見せた。

デジタル時計は14時33分を指し示していた。

 

……今日は私とピーターの誕生日会がある。

グウェンの家が会場だが、待ち合わせ時間は15時。

そして、私とピーターは隣部屋なのもあって「一緒に行く」と予定していた。

 

その時間は……14時と30分。

今は?

33分……いや、34分だ。

 

つまり。

 

 

「遅刻」

 

「わ、え!?あ……ご、ごめん!すぐ用意するから!」

 

「ん……」

 

 

頷きつつ、私はドアの前で待つ。

……ごそごそと布が擦れる音がする。

 

急いで着替えてるのだろう。

 

私は肩にかけている鞄にスマホを戻し、コンパクトミラーを取り出し髪を整える。

 

少しして、ドアが開きピーターが現れた。

 

……いつものチェック柄の服じゃなくて、ちょっとお洒落をした服装みたいだ。

 

 

「ご、ごめん、ミシェル……」

 

「行こ」

 

 

私はピーターと一緒にアパートから出て、歩き出す。

グウェンの家までは徒歩20分ぐらいだ。

 

足を動かしながら、私はピーターに訊く。

 

 

「どうして遅れたの?」

 

「あ、うん……それは、その」

 

 

言いづらそうに吃るピーターに、私は笑った。

 

 

「別に怒ってないから……慌てなくても良い」

 

「あ……ありがとう、ミシェル」

 

 

感謝の言葉に頷きながら、足は止めない。

 

 

「それで?理由は?」

 

「えっと……これ、なんだけど」

 

 

ピーターが胸ポケットからスマホを取り出した。

しかし……あれ?壊れていたのでは無かったのだろうか?

壊れていると思ったから、わざわざノックで呼び出したぐらいだ。

 

 

「買ったの?」

 

「いや、貰ったんだけど……プレゼントで」

 

 

誕生日だからか……しかし、新品のスマホを誕生日に送ってくれるなんて、結構金持ちだと思う。

……それとも保護者……メイおばさんからか?

 

気になって、私はピーターに訊く。

 

 

「誰から?」

 

「えっと、スタークさ……じゃなくて、『スターク・インダストリー』に勤めてる親戚から。ほら、スターク社製」

 

 

覗き込んでみると、確かに。

スマホの液晶下部に、『スターク・インダストリー』のロゴがあった。

 

しかし、親戚?

スターク・インダストリーに勤める?

……いや、恐らく、トニー・スタークだ。

 

 

「良かったね、ピーター」

 

「うん、ありがとう……これの設定をするのに手こずっちゃって……」

 

 

……ん?

ピーターは携帯電話の設定に手こずるような、機械音痴だっただろうか?

寧ろ、機械に強いイメージがあったが……。

 

まぁ、良いか。

 

 

 

 

 

 

数分後。

 

 

 

 

グウェンの家に着いた。

 

そこそこ広い庭に、木造の一軒家。

公園には使われてなそうなブランコ。

 

父のジョージさんが作ったのだろうか?

……きっと、グウェンは凄く愛されているのだろう。

 

私はドアのチャイムを鳴らして、ピーターと待つ。

 

 

「ミシェル……何だか、楽しそうだね」

 

 

と、ピーターに言われた。

私は頷いた。

 

 

「誕生日を祝われるのは初めてだから」

 

「……へぇ」

 

 

ピーターがナイーブな声を出したのを聞いて、気になって振り返ろうとして──

 

ドアが開いた。

 

 

「お、二人とも、遅かったな。もう準備は出来てるぜ」

 

 

ネッドだ。

先に来ていたのだろう。

 

でも、遅い……?

私はピーターの右手にある腕時計を盗み見る。

……いや、時間は集合時間より10分早い筈だけど。

 

 

グウェンの家なのにネッドに招き入れられて……私は机にケーキを置いてるグウェンを見つけた。

 

 

「あ、グウェン」

 

 

声を掛けると振り返って、満面の笑みで撫でられた。

 

 

「誕生日おめでとう、ミシェル!……と言っても、まだ一日前だけどね」

 

「ん、ありがとう。嬉しい」

 

 

何だか小動物みたいな扱いを受けてるみたいで、居心地が悪い。

グウェンの手から離れて、机の上のケーキを見る。

 

ホールのショートケーキだ。

 

しかし、私、ピーター、グウェン、ネッド……この四人で食べるには少し大きい気がするけど。

 

私はグウェンに振り返って、質問を投げる。

 

 

「さっきネッドに、遅かった……って言われた……もしかして、集合時間、間違えた?」

 

「ふふふ、いやいや。ミシェル、耳貸して」

 

 

グウェンの側によると、耳打ちされた。

 

 

「ネッドだけ30分前に時間を教えたの。準備の手伝いをさせるために」

 

「あ、あぁ……そう、なんだ……」

 

 

素直に「手伝って」と言えば、ネッドも手伝ってくれそうだけど……何というか、グウェンらしいと言うか。

でも、二人に対する扱いが酷い気がする。

それだけ気心が知れている、のだろうか。

 

ふと、そちらの方を見る。

ネッドとピーターは談笑している。

ピーターがネッドの肩を叩いて、笑ってる。

 

……私といる時に比べて、何も緊張せず、凄く自然体だ。

一緒に居た時間の差か、それとも……私が異性だからか。

少し、羨ましく感じた。

 

……もし、私がこの世界でも男なら。

ピーターとあんな関係が築けたのだろうか?

それとも……そもそも、ピーターは私に興味を持ってくれなかったのだろうか?

 

考えても仕方のない。

無意味な事を考えていると、グウェンに肩を叩かれた。

 

 

「よし、じゃあ早速ケーキにローソク立てよっか」

 

「分かった」

 

 

私は空想を振り払い、現実に戻る。

 

ローソクは17本。

私とピーターの年齢分。

 

グウェンが蝋燭を出したのに気付いて、ピーターとネッドが戻ってきた。

 

私とピーターが見てる前で、グウェンが蝋燭を立てた。

そして、ネッドが火を付ける。

 

ゆらゆらと、赤い炎が私の目に映る。

 

グウェンが電気を消して……薄暗い中で、蝋燭に灯した火だけが私達を照らしている。

 

 

グウェンが口を開いた。

 

 

「歌でも歌う?」

 

「いや、そんな歳でもないだろ……」

 

 

ネッドは否定的だ。

 

ピーターの方を見ると……どっちでも良さそうな顔をしてる。

 

私は正直歌いたくない。

だって……その、下手だし。

 

前世ならまだしも、この世界に生まれてから歌なんて歌った事がないし。

 

 

「まぁ良いか。じゃあ、ミシェルとピーター、火を消して」

 

 

……え?

二人で?

 

私とピーターは目を交わして……少し左右にずれて、蝋燭の火を消した。

……ピーターの吐息が少し頬にかかって恥ずかしかった。

 

それはピーターも同じようで、複雑そうな顔でケーキから離れた。

 

グウェンとネッドが、それを見て笑ってる。

何が面白いのか、凄く気まずいのに。

 

 

「うん、二人とも誕生日おめでとう」

 

「おめでとう」

 

 

グウェンとネッドが祝福して、私達も礼を言う。

……こうやって祝ってもらうのは、凄く、凄く久し振りだ。

 

あれ?

久し振り?

組織に引き取られてから、誕生日なんて祝って貰った事もな──

 

 

電気が点いた。

 

熱で少し溶けている蝋燭を、ネッドが片付けた。

 

 

「よし、じゃあケーキを切ろう」

 

「俺がやるよ」

 

 

ネッドがグウェンから包丁を受け取り、ケーキを五等分にした。

 

……私達は四人なのに?

 

あぁ、そうだ。

ジョージさんのか。

 

そう言えば……。

 

 

「グウェン?ジョージさんは……?」

 

「え?パ……お父さん?今日は仕事だって……遅くなるって言ってたけど」

 

「そっか、残念」

 

 

お礼を言おうと思ったのに。

この誕生ケーキを用意してくれたのもジョージさんらしいし。

 

娘の友人の誕生日にお金を出してくれるなんて……。

 

 

「まぁ、娘の友達の誕生日会だから、居ない方が良いかもって気を遣ってるんじゃないかな?だから気にしなくて良いよ」

 

 

グウェンにまた、撫でられた。

……セ、セットしてる髪の毛がぐしゃぐしゃにならないよう、気を付けて優しく撫でてくれているけど……それはそれとして、凄く恥ずかしいから辞めて欲しいんだけど。

 

それでも、幸せそうに笑うグウェンを見ると文句は言えない。

 

 

席に座り、切り分けたケーキを皿に乗せる。

 

甘くて、美味しい。

こんなに幸せなのに……美味しいものも食べて。

幸せ過ぎて、胃がもたれてしまわないか心配だ。

 

ケーキが食べ終わり、グウェンが空の皿を持って台所へ向かった。

……皿に生クリームが沢山付いていた。

何だか少し、勿体ない気がするけど……流石に舐めるなんて事はしない。

 

ふと、ネッドが気付いたような顔をして──

 

 

「あ、そうだ。これ、誕生日プレゼント」

 

 

白い袋を私に渡した。

口に赤いリボンが付いている。

プレゼント用に梱包された袋だ。

 

 

「ありがとう、ネッド。開けても良い?」

 

「勿論」

 

 

私が袋を開けて、隣に居たピーターが興味深そうに覗き込んでくる。

 

中に入っていたのは……。

 

 

「DVD?」

 

 

ヒーロー映画のイラストが描かれたパッケージだった。

私も見た事のある……だけど、以前の部屋と一緒に燃えてしまった作品の。

 

 

「いや、Blu-ray」

 

「……ありがとう」

 

 

嬉しくなって私は微笑んだ。

やはり、ネッドは趣味が良い。

 

そして、私の事をよく見ている。

プレゼントが嬉しいのは物欲が満たされるから……よりも、人に想って貰えて、心を込めて贈り物を用意してくれたから、だと思う。

 

 

「で、ピーターにはコレな」

 

「あ、うん、ありがとう……」

 

 

ネッドがピーターにプレゼントを渡す。

でも、私に渡したプレゼントと違って梱包されていない、そのままのプレゼントだ。

 

だから、私にも見えた。

あれは……何?

カード、のように見える。

 

 

「ネッド、何これ」

 

「何って……ギフトカード。5ドル分」

 

 

……あまりにもの落差に私は一瞬、息を呑んだ。

そもそもプレゼントを選ばないなんて選択肢があるとは思わなかった。

しかも……5ドルって。

 

 

「何?もうプレゼント贈っちゃってるの?」

 

「あ、グウェン」

 

 

食器を洗面台に置いてきたグウェンが戻って来た。

 

グウェンが机の下を漁り、そこから小さな箱を取り出した。

 

 

「はい、ミシェルにはこれ」

 

「ありがとう」

 

 

受け取ってみると、手のひら程の大きさの箱で……軽かった。

 

 

「ほら、開けて開けて」

 

「ん……」

 

 

急かすグウェンに頷きながら、箱を開けると……中には口紅が入ってた。

 

 

「あの、グウェン、これ」

 

「ミシェルは化粧っ気がないからね……別に化粧しなくても可愛いからってのはあると思うけど……ほら、意中の男性を射止めたかったら必要になるでしょ」

 

「う、うん……」

 

 

勢いの強いグウェンに押されて、私は口紅を手に持った。

……普段、化粧なんて本当に軽くしかしていない。

 

こんな……色の濃い口紅なんて、使った事すらない。

少し、不安になる。

 

 

「に、似合うかな」

 

「ふふ、私が選んだのだから。当然」

 

 

肩を掴んで抱き寄せられる。

……まぁ、でも、確かに。

 

グウェンは私のお洒落師匠だ。

流行どころか、女物の服すら分からない私にレクチャーしてくれる。

 

だから、彼女の薦めてくる口紅も、きっと似合う……のだろう。

 

 

「で、ピーターにはこれ」

 

「……えっと」

 

 

小さな箱だ。

 

 

「ヘアワックス。もっとお洒落して、と言うメッセージ」

 

「あ、うん、はい……ありがとう」

 

 

ピーターが頷きながら手に取った。

 

……ピーター、少しウェーブがかった癖毛だもんね。

 

 

グウェンネッドのプレゼントが渡し終わって、ピーターが箱を取り出した。

 

 

「えっと、ミシェルには僕からコレを」

 

「何これ?」

 

「えっと……」

 

 

言い淀むピーターを前に、私は箱を開けた。

 

中には何枚かの写真が入っている。

 

……ニューヨークの綺麗な景色の写真。

 

 

「ピーター……これって」

 

「僕が撮った写真なんだ」

 

 

私は頬が緩んだ。

写真が好きなピーターらしい、綺麗な……。

 

高いビルからの眺め。

街の夜景。

海。

ネオンの光。

 

私は一枚ずつ捲っていく、そして。

 

 

「……あれ?」

 

 

最後の一枚に気付いた。

……赤いマスク姿の男。

 

 

「スパイダーマン……?」

 

 

私が言うと、ネッドとグウェンが覗き込んで来た。

 

それは街をウェブスイングするスパイダーマンの写真だ。

 

 

「えっと、ミシェルってスパイダーマンのファンだって言ってたから……その、以前、綺麗に撮れた写真を持ってきたんだ」

 

 

……以前?

いや違う、嘘だ。

 

ビルの窓に反射した景色から……デイリー・ビューグルが建て直された後の写真だと分かる。

つまり、撮られたのは最近。

 

……わざわざ私にプレゼントする為に撮ってきた「自撮り」だ。

 

 

ネッドが「お前、マジか?」みたいな顔でピーターを見ている。

 

……あれ?

やっぱり、ネッド……スパイダーマンの正体を知っているのだろうか?

 

そんな疑惑を他所に、ピーターが……流石に恥ずかしい事をしている自覚があるのか下手くそな笑みを浮かべた。

 

 

グウェンがピーターの肩を殴った。

肩パンだ。

 

 

「ピーター、途中までは結構良かったのに……」

 

「え?え?ダメだった?」

 

「それが分からないから、アンタは童……いや、何でもない」

 

 

理由は分からないが責められている。

グウェンが呆れてため息を吐いている。

 

私はピーターを擁護しようと口を開いた。

 

 

「だ、大丈夫。私は嬉しいから」

 

「ほら、グウェン。嬉しいって言ってるから」

 

「……バカ」

 

 

グウェンが小声でピーターを貶している。

 

実際。

この写真……スパイダーマンの自撮り写真は、正直嬉しい。

 

家に帰ったら、スクラップブックにラッピングして挟もうと思うぐらい。

 

 

そして。

 

 

グウェンが私の方を見た。

 

 

「ミシェルからピーターへのプレゼントは?……そもそも、ある?」

 

 

辛辣だ。

勿論、買って来てるに決まってるだろう。

 

 

「えっと……これ」

 

 

鞄の中から木箱を取り出した。

 

 

「開けても良いかい?」

 

「うん」

 

 

ピーターが木箱を開ける。

ミシェルとネッドが覗き込む。

 

……何だか少し恥ずかしい。

 

中に入っているのは、写真立て……フォトフレームだ。

 

 

「ピーター、写真撮るの好き……だよね?」

 

「うん……うん、すごく嬉しい。ありがとう」

 

 

ピーターが嬉しそうに微笑んだ。

どうやら喜んでくれたようで、私は安心して頷いた。

 

それを見てグウェンが口を開いた。

 

 

「ピーターさぁ。今、カメラ持ってる?」

 

「あ、うん……勿論。持ってるよ。誕生日会だから」

 

「じゃあさ……このフレームに入れる用の写真、今撮っちゃおうよ」

 

 

グウェンがピーターの肩に肘を乗せた。

ピーターが私とネッドを見る。

 

 

「いいね、分かったよ。じゃあ、ソファーの前に集まって」

 

 

ピーターが鞄からカメラを取り出して、タイマーを弄っている。

そうして、机の上に置いて……四人でソファーの前に並んだ。

 

フラッシュが焚かれて……シャッター音がした。

 

ピーターがカメラで写真を確認する。

私は後ろから声を掛けた。

 

 

「ピーター、どう?」

 

「えーっと、ほら。こんな感じ」

 

 

覗き込むと、私とピーター、グウェンとネッドが笑顔で写っていた。

 

思わず、頬が緩んだ。

 

その表情を見たピーターが、私に声を掛けた。

 

 

「……ミシェル?」

 

「ん、何?」

 

「いや、すごく嬉しそうだから」

 

 

……だって。

 

写真なら、ずっとこの景色が残るから。

 

私が居なくなって……いつか、みんなに忘れられたとしても、ずっと残る。

 

形として私が……『ミシェル・ジェーン』が居たと言う記録が残る。

それが凄く、堪らなく嬉しい。

 

だけど、こんな話はピーターには出来ない。

 

 

「写真写りが良かったから、かな」

 

「へぇ……写真で良かったら、何枚でも撮るよ?」

 

「……ありがとう、ピーター」

 

 

私は感謝の言葉を述べて、また写真を見る。

 

……客観的に見る事はなかったけど、私はみんなといる時……こんな風に笑っていたのか。

 

 

「本当にありがとう、ピーター」

 

 

……私は幸せを噛み締めるように、言葉を重ねた。



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#59 バースデイ・ソング part6

コンクリートと鉄板で仕切られ、窓もない部屋の中。

その中心にガラスに仕切られた小さな部屋があった。

そして、中心はベッドに縛られている男がいる。

赤みがかった髪の男だ。

 

男は縛られたまま、目を見開き左右へ視線を揺らす。

ベッドは斜めに掛けられていて、前にいる我々からも見えた。

その男を挟むように、二人の刑務官がいる。

 

……男は死刑囚だ。

 

両腕、両足は拘束されている。

左腕には管が繋がっていて、その先には大きな機械がある。

機械には幾つかのシリンダーが生えており、薄緑色の液体が入っている。

 

毒物による死刑……それが、この国での執行方法だ。

 

 

『これよりクレタス・キャサディへの執行を行う』

 

 

スピーカーから無機質な言葉が聞こえた。

それと同時に、側に居た刑務官がクレタス・キャサディへと口を開いた。

 

 

「何か言い残す事はあるか?」

 

 

キャサディが首を上げて、ガラスの外にいる傍観者達へ目を向ける。

 

ここにいるのは警察関係者と……奴に殺された被害者の親族達だけだ。

 

だが彼の目は我々へと向けているが……何も見ていない……そう思えた。

静かな狂気を感じさせる瞳に、誰かが怯えたような声を上げた。

 

そして、キャサディが口を開いた。

 

 

「今日は誕生日なんだ。祝ってくれても良いよ」

 

 

唐突に話した言葉に、刑務官はキャサディを睨み付けた。

 

 

「別に今日は貴様の誕生日ではないだろう」

 

「そうかな?クレタス・キャサディはここで死ぬけど……新しく誕生するんだ」

 

「……何が生まれるんだ?」

 

「それは私にも分からない……私は今、禁断(パンドラ)の匣なんだよ。この身体の中に今、何が入ってるのか……人の内臓か、それとも……ふふ」

 

 

その言葉を戯言だと思ったのか、刑務官がため息を吐いた。

 

そして、もう一人の刑務官へ目線を向けた。

頷き、壁際にあるレバーを下ろした。

 

キャサディに繋がれている機械が音を立てて稼働し始める。

薬物の入ったシリンダーが減って行く。

 

それと同時に、キャサディの顔が歪んだ。

 

 

「おゥっ、歌でも歌いたい……最高の気分だ」

 

 

二人の刑務官は無視しつつ、距離を取った。

 

キャサディの身体が跳ねた、腕を縛っているベルトが音を立てた。

傍観者達は息を呑んだ。

 

この邪悪な殺人鬼が死ぬことを……誰も彼もが望んでいる。

異常な光景だと、俺は感じた。

 

 

誰も彼もが人の死を望んでいる。

殺意の渦巻く密室。

正直……少し、不快だ。

 

 

キャサディは白目を剥いて……口から赤い泡を吹き始めた。

咽せる声が、ガラス越しにも聞こえてくる。

 

……俺は訝しむ。

死刑が執行される瞬間を見るのは、初めてではない。

 

このような症状を引き起こす薬ではない筈だ。

法律で、人の体に苦痛を与えるような薬物での死刑は行わない、と書かれている筈だ。

 

何か──

 

そう、キャサディの言うように。

開いてはならない禁断(パンドラ)の──

 

 

ブツリ!

 

と鈍い音がして、キャサディを縛る拘束具が弾け飛んだ。

 

まずは腕だ。

次は足。

 

やがてベッドからずり落ちて、地面に四つん這いになる。

 

それを見て、左右の刑務官は腰から拳銃を抜いた。

伏せているキャサディの頭部へ向けて銃を構えている。

 

俺は彼に繋がれている管の先を見た。

シリンダーは空っぽだ。

間違いなく刑は執行された。

 

なのに、人の致死量を上回る毒物を打ち込まれた罪人が……死人である筈の男が呻いている。

 

キャサディが……顔を上げた。

目は真っ赤に充血している。

 

鼻と口から、血がとめどなく溢れ出すように溢れている。

正気も、生気も、何も感じない。

ただ狂気のみがある。

 

そして……我々のいる場所へ向かって這いずり、窓ガラスへ手を突いて……。

 

 

 

発砲音がした。

 

一瞬、遅れて悲鳴が聞こえた。

 

 

 

それは刑務官の一人が、その異常な様子に対する恐怖へ耐えきれなくなり……発砲した音だ。

キャサディの額には穴が空き、血を流している。

 

だが、我々と彼らを遮るガラスは強化ガラスだ。

ひび割れもなく、損傷もなく、弾痕もない。

 

ずるり、と死体がガラスへと倒れながら……異変が起きた。

 

 

 

キャサディの肢体の皮膚が赤く変色し、血が噴き出した。

 

いや……違う。

なんだ?

それは血か?

 

 

粘性を伴った赤い『何か』が窓ガラスへ飛散った。

 

 

中の様子が見えなくなる。

 

その直後、刑務官の悲鳴が聞こえた。

幾度かの発砲音、光。

 

人がガラスを叩く音。

 

何かが切断された音。

 

……人が無作為に倒れる音。

 

 

 

そこで、我に返った。

 

俺は懐から拳銃を抜き取り、大きな声を出す。

 

 

「皆さん、退避してください!今すぐに!」

 

 

他の警察官、刑務官が被害者の遺族達を誘導し、部屋から避難させる。

 

部屋から減っていく人数に安堵しつつ、真っ赤に染まったガラスへ近づこうとし……。

 

 

『ハッピーバースデイ、トゥ、ユゥ……』

 

 

掠れたような、悲鳴のような、奇声のような、まるで人間の声とは思えない声で……言葉が聞こえる。

 

 

『ハッピーバースデイ、トゥ、ユゥ……』

 

 

いや、違う。

言葉じゃない。

これは歌だ。

 

バースデイ・ソングだ。

 

真っ赤な『何か』で染まったガラスがひび割れる。

俺は一歩、恐怖で後ろに下がった。

 

周りにいる人間も下がっている。

 

この悪夢のような世界で、歌が紡がれる。

 

 

『ハッピーバースデイ、ディア──

 

 

そして、ガラスが割れる。

地獄の蓋が開かれた。

 

聳え立つ、2メートル弱の赤い、『何か』。

それが姿を現した。

 

 

大虐殺(カーネイジ)……』

 

 

それは、あまりにも邪悪で、狂気的な姿だった。

 

内臓をひっくり返したようなドス黒い赤色をしたタール状の皮膚を持ち……その両目は大きく、白く、吊り上がっていた。

体には黒い血管のようなものが浮き上がっている。

 

化け物だ。

怪物だ。

 

 

「うわあああぁぁぁっ!?」

 

 

若い警察官が悲鳴を上げて、発砲した。

 

併せて、俺も、周りにいる人間も、全員が化け物へ発砲する。

 

恐怖で拳銃を持つ手が震えるのか、何発か照明や、死刑執行用の機械に当たる。

 

よろけるように、怪物が後ろに下がっていく。

機械の管に穴が空いて、白い煙が流れ出す。

照明が壊れて、ガラス張りの執行部屋の奥が暗くなり、見えなくなる。

 

怪物が煙と、暗闇の中に隠れる。

 

 

……やったのか?

恐怖で麻痺する思考の中……この悪夢から解放される事を願いながら……一人の若い警官が、執行部屋へと近付いて……。

 

 

突如、煙と暗闇の中から、触手が伸びて来た。

それは、警官の足を掴み、引き摺り倒した。

 

 

「い、いやだぁっ!」

 

 

悲鳴を上げながら、引き摺られ、暗闇の中へ消えた。

顔を引き攣らせて、耐えようとしても無駄だった。

 

 

「バーク!」

 

 

俺は連れ去られた警官の名前を叫びながら、拳銃を暗がりへ向けた。

 

……無理だ!

彼が連れ去られた以上、発砲した場合……誤射してしまう危険性がある。

 

撃つべきか、撃たないべきか……ほんの一瞬、迷い──

 

 

突如、執行部屋の非常灯が点いた。

 

そして、そこでは。

 

 

首のなくなった、死体と。

 

何かを咀嚼している赤い怪物の姿が、あった。

 

 

限界、だった。

人が耐えられる恐怖には限度がある。

 

今、それを遥かに上回る光景を見た。

 

あの怪物は、我々を食べようとしている。

 

考えてみれば分かる話だ。

捕食者と被捕食者。

 

被捕食者(シマウマ)捕食者(ライオン)に立ち向かうか?

いや、立ち向かわない。

ただ、逃げるだけだ。

 

それが最も賢い選択だから。

 

 

「わあぁぁっ!?」

 

 

一人、一人と逃げ出す。

涙を流し、嗚咽を漏らし、恐怖で顔歪めて。

 

嫌だ、怖い、何故?と叫びながら、逃げる。

 

だけど、誰が責められる?

 

こんな、化け物と対峙して……誰が立ち向かえると言うのか。

 

 

「く、くそっ」

 

 

俺は震える足で無理矢理張って、怪物へと銃を向ける。

気付けば、周りには誰も居なくなっていた。

 

赤い怪物が、俺に気付き、一歩、一歩近づいて来る。

 

 

発砲。

 

体に命中する。

だが、気にせず寄ってくる。

 

 

発砲。

 

頭に命中する。

それでも、気にせず寄ってくる。

 

 

カチャリ、カチャリと。

 

弾が空になったと気付いた時には……もう遅かった。

 

 

「……あ、う……わ」

 

 

言葉にならない声が漏れる。

 

身体が強い力で圧迫された。

赤い怪物が伸ばした触手が……俺の体に巻きついている。

 

そのまま、宙へと持ち上げられた。

 

 

『ハロー、ジョージ・ステイシー……』

 

 

化け物が俺の名を呼んだ。

 

 

「はっ、はっ……!?」

 

 

息を漏らしながらも、触手から逃れようと踠く。

すると、触手の締め付けがさらに強くなった。

 

骨が軋む程の強力な力で、締め付けられる。

 

 

「う、うぐっ」

 

『私は君に感謝、しているんだ。これでも』

 

「……う、あ?」

 

『君が私を捕まえなければ、私はこう、なれなかった。最高の気分だよ、ジョージ・ステイシー』

 

 

その言葉、口調に俺は気付いた。

 

 

「お、前……キャサディ、か?」

 

『いいや、違う』

 

 

ニタリ、と凶暴さを少しも隠そうとしない残虐な笑みを浮かべた。

 

 

『私は……いや、俺は『大虐殺(カーネイジ)』だ』

 

「カーネイジ……?」

 

『そう……お前が最後に見る事となる悪夢だ』

 

 

赤い怪物……いや、カーネイジが舌舐めずりをした。

 

恐怖。

 

食い殺される恐怖。

 

痛みに対する恐怖。

 

そして……娘を一人残して死ぬと言う恐怖。

 

 

俺は、心が折れた。

涙と共に、誇りも、自尊心も、正義感も、義務感も、全てが溢れて俺の体から抜け落ちて行く。

 

 

「た、頼む、キャサディ、殺さないでくれ」

 

『……何故だ?』

 

「俺には娘がいるんだ……俺の帰りを待ってくれている娘が……」

 

『そうか……なら──

 

 

 

 

 

グサリ。

 

何かで腹が突き刺された音だ。

強烈な痛み。

 

 

『死ね、喰う価値すら無い』

 

 

言葉を話せないほど、口に血が逆流する。

 

触手から解放されて、地面に転がる。

 

俺は身を縮めようと、腹を抑えようとする。

 

だが、身体が動かない。

 

ゆっくりと、死が近付いてくる。

 

視界の中に、赤い化け物が見える。

 

 

頭に過ぎるのは、娘の……グウェンの顔だ。

きっと、凄く、落ち込んでしまう。

 

妻に先立たれて、男手一つで育てて来た娘だ。

俺が居なくなっても……生きて、いけるだろう。

 

あぁでも、しかし。

娘のウエディング姿すら見られないなんて。

 

俺は、何て……。

 

 

何、で。

 

 

視界が暗闇に染まっていく。

 

二度と目覚める事が出来ない闇の中へ、沈んでいった。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

「え……?」

 

 

私の目の前で、グウェンが驚愕したような顔でテレビを観ている。

 

先程まで、私とピーターの誕生日を祝っていたのに……もう、気楽な空気は無くってしまった。

 

私も併せて、テレビを観る。

 

 

『今日未明、ライカーズ刑務所で連続殺人犯であり、死刑囚であるクレタス・キャサディが逃走しました。現場にいた警官と職員、38名が犠牲となりました』

 

 

……言ってしまえば、私達には関係のないニュースの筈だ。

 

このニューヨークではよくある事件だ。

……今回もまた、スパイダーマンやスーパーヒーローが解決してくれる。

 

私はグウェンの服の裾を掴んだ。

 

 

「グウェン、どうしたの?」

 

 

そう、訊いた。

 

 

「パ、パパ……今日、ライカーズ刑務所に……行って……そんな」

 

 

私は、息を呑み込んだ。

 

酷い、勘違いをしていたのかも知れない。

 

事件が後に解決したとしても……被害者は返ってこない。

 

何を、何を考えていたんだ?

私は。

 

 

「グ、グウェン、大丈夫だから。きっと」

 

「で、でも、でも!」

 

 

テレビに、被害者のリストが出る。

 

そこには、よく知っている名前があった。

 

 

ジョージ・ステイシー。

殉職。

 

 

「あ…………」

 

 

グウェンが放心したような顔で、テレビを眺めている。

 

ネッドはどうして良いか分からない様子で、狼狽えている。

ピーターは辛そうな苦しそうな顔をしながらも、テレビの光景を睨んでいる。

 

私は。

 

私は、どうしたら良い?

 

どうやって、慰めれば良い?

 

 

分からなくなって、グウェンの手を握ろうとして……。

 

 

「お願い、少し、一人にさせて」

 

 

私は手を、手を、どうすれば良いか分からなくて。

 

だけど、グウェンに拒否されたのは分かった。

 

 

「……分かった」

 

 

私は頷いて、彼女から距離を取る。

 

 

「ごめん……ミシェル……気持ちは凄く、嬉しいから」

 

 

ボロボロと涙を流し、放心した様子のグウェンを一人にさせたくなくて……それでも、これ以上、拒否されたら耐えられなくなってしまいそうで……臆病な私は彼女を一人、残して。

 

グウェンの家から離れた。

 

 

ネッドもピーターも、追い出されるような形でグウェンの家から離れた。

 

……今、このニューヨークには……グウェンの父、ジョージさんを殺した男がいる。

 

しかし、一人で刑務所内の警官や刑務官を殺害し……脱出するなんて。

間違いなく、特殊な力を持った悪人(ヴィラン)だ。

 

 

アパートへ戻り、部屋の前でピーターが私に視線を向けた。

 

 

「ミシェル、危ないから……今日は外に出ない方がいいよ」

 

「分かった。ピーターも、外出しないで」

 

「勿論だよ」

 

 

嘘だ。

嘘吐きだ。

 

ピーターは必ず、脱走した死刑囚を捕まえに行く筈だ。

スパイダーマンとして。

この街の、親愛なる隣人として。

 

 

そして、私も。

 

 

ピーターと別れて、私はベッドに腰掛ける。

 

手元にはスマホ。

真っ暗な画面に、酷い顔をした私が映る。

怯えと、恐怖。

怒りと、憐憫。

そして、葛藤。

 

意識を耳に集中して、隣室からスパイダーマンが出ていったのを感じた。

 

 

……私はスマホを起動し、電話番号を入力する。

そして、耳元へ移動させる。

 

数回のコール音の後。

相手が出る。

 

私は目を閉じて、意識を切り替える。

 

 

「お前に頼みがある」

 

 

私は目を薄く開いた。

 

そこにはもう、グウェンの学友である『ミシェル・ジェーン』は居なかった。

 

そこに、居るのは。

 

私は──



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#60 バースデイ・ソング part7

カチリ、カチリと時計の針が進む。

緊急で特番が組まれたニュースがテレビを流れる。

机に置かれた一切れのケーキが待つ相手は……もう、帰っては来ない。

 

……待ち人の、父が買ってくれたスマホに着信が入る。

 

私は慌てて手に取り、それに出る。

 

……父が実は死んでいなかったとか、そんな一縷の望みを捨てきれずに。

 

 

「…………」

 

『私だ』

 

 

フューリーの声だ。

私は苛立って口を開く。

 

 

「何の用?」

 

 

これが八つ当たりだと言う事は分かっている。

やらない方が良いと言う事も。

 

 

『まずは、お悔やみ申し上げる……君の父は善良で模範的な市民だった』

 

「……そう」

 

 

父が死んだ事は、認めたくはない。

だけど……それでも。

 

人は簡単に死んでしまうのだと、私はもう知っていた。

以前の私とは違う。

 

今の私はただの女子高校生じゃない。

 

 

『……気分はどうだ?』

 

「最悪よ。寧ろ……良いと思う?」

 

『それはそうだな……すまない』

 

 

素直に謝るフューリーに……私は珍しいと感じた。

 

 

「それで?要件は何?」

 

『君の今後についてだ。私は……いや、私が君の身元保証人になる。君が望むのであれば、その家はまだ君の物だ。良いか?』

 

「……本当にパパは死んでしまったの?」

 

『……そうだ。私が直接確認した訳ではないが、信頼するエージェントが確認した』

 

 

喉が乾く。

机の上にある清涼飲料水を口に含む。

 

甘い、甘い、砂糖の味が口に広がる。

 

 

「そう……そっか」

 

『…………一つだけ言っておきたい事がある』

 

「なに?」

 

『一人で何とかしようと思うのはやめろ』

 

 

私は息を呑んだ。

 

 

「……何でも、悟ったような事を言うのね」

 

『君はまだ子供だ』

 

「私には力があるのに」

 

『それでも、君は子供だ』

 

 

私はフューリーに苛立つ。

 

 

「子供、子供って……!」

 

『良いか?君はまだ責任を取れるような立場ではない。君がもし……その犯罪者に殺された場合、誰が責任を取る?』

 

「…………それは」

 

『それは大人だ。私だ、私なんだよ。責任を取りたくない訳じゃない。だが、大人として……君の無茶を許す事は出来ない』

 

 

私は……フューリーの言葉から、思いやりのような心を感じて苦笑した。

いや、違う。

きっと彼は私を利用しているだけだと、思い直す。

 

 

『良いか、グウェン・ステイシー。一人で犯人を捕らえようなど……ましてや、殺そうなどとは考えるな』

 

「殺そうなんて……そんな事、思ってない」

 

『だが、一人で捕らえようとする事に否定は出来ない。違うか?』

 

 

私は黙ってしまった。

図星だからだ。

 

 

「私はただ……この街にいる大切な誰かを。これ以上、傷付けられたくないだけ」

 

『その気持ちは分かる。だが、それはプロに任せておけ』

 

「貴方は?何故、貴方がそれをしないの?」

 

 

私は率直に質問を投げた。

 

 

『私は今、エジプトにいる。私が守らなければならないのはニューヨークだけではない。この世界、全てなんだ』

 

「そう、スケールの大きな話ね……私は──

 

『既にエージェントの要請はしている。だから、君の助力は必要ないんだ。分かるか?』

 

「……分かった」

 

 

渋々と私は同意した。

 

 

『……どうやら、分かってないようだ。また連絡をする』

 

「…………」

 

『ベビーシッターを雇っている。君のだ。少なくとも彼と共に行動を──

 

 

私は通話を切る。

 

机の上に置かれたスマホを見る。

 

徐に開いて、保存されている写真を開く。

 

 

ネッド。

 

ピーター。

 

ミシェル。

 

 

……みんな、みんな大切な私の友達。

 

父を殺した殺人犯、クレタス・キャサディは今、恐らくニューヨークに潜伏している。

 

…………もし。

 

万が一にも。

 

私の、友達が。

 

殺されてしまったら。

 

 

私はスマホをスリープモードにして、机に置く。

 

 

父を殺した犯人への強烈な怒りは、興奮物質(ドーパミン)へと変換される。

それは、シンビオートの好物だ。

 

私の怒りを喰らい、『グウェノム』は強くなる。

 

 

『ママ……悪い奴を殺したい?』

 

 

グウェノムに訊かれる。

私は答える。

 

 

「いいえ。私はただ捕まえたいだけ」

 

 

席を立ち上がる。

 

 

『どうして?悪い奴は死んじゃえば良いのに』

 

「私はパパの後を継ぎたいの。悪人を裁くのは法よ…………私はただ、捕まえるだけ」

 

 

ジャケットを羽織る。

 

 

『……わかんないや』

 

「まだ分からなくても良い。だけど……この怒りは、正しい行いを成す為にあるから。私達で、彼を捕まえるの」

 

『…………』

 

「だから、お願い。協力して?」

 

『……分かったよ、ママ』

 

「良い子ね」

 

 

ドアを開き、外へ出ようとして……。

 

父の作ったブランコの前に、見知らぬ男が立っていた。

 

 

「……誰?」

 

 

濃い黒緑色のライダースーツ。

深みのある緑色のプロテクター。

 

口を覆う大きなマスク。

真っ黒なゴーグル。

 

整えられた金髪。

 

 

……その髪型にだけ、覚えがあった。

 

 

「……ハリー?」

 

 

マスクを下げて、ゴーグルを外した。

確かに、ハリー・オズボーンだった。

 

 

「何?その格好」

 

「……これは、どうでも良い」

 

「どうでも良くないけど」

 

「今は君の話がしたい。何の為に外に出た?」

 

 

ハリーが真剣な表情で私に問い詰める。

私は察して、口を開いた。

 

 

「あぁ、そう。貴方、フューリーに頼まれた?私が外に出て無茶しないように。お守りを、監視を」

 

「僕はどうだって良い。君の話が訊きたいんだ」

 

「……私は、父を殺した犯人を捕まえたいだけ。これ以上、父や……私のような人間を生み出さない為にも」

 

「そうか」

 

 

ハリーが目を伏せた。

 

 

「邪魔、しないで」

 

 

私は身体をグウェノムで覆う。

だけど、戦いたくはない。

 

ハリーも友人だ。

友人を守る為に戦おうとしているのに……それを傷付けてしまうのは本末転倒だから。

 

少し、緊張していると、ハリーが溜息を吐いて首を振った。

 

 

「違う、グウェン。僕は君を止めようなんて思ってない……フューリーにだって、無条件に止めろとは言われてない」

 

『……何?』

 

 

私は困惑しながらも、グウェノムとの同化は止めない。

 

 

「フューリーは君が一人で行こうとするのを知っていて……そして、穏便には止められない事も分かってた。彼にも、そして僕にも」

 

『…………』

 

 

私は黙る。

 

フューリーが何でも知ってるような素振りを見せるのも……そして、実際に分かっているのもムカつく。

 

 

「だから、僕には……君を見極めて欲しいと頼まれたんだ」

 

『私を?』

 

「そうだ。君がもし……怒りで暴走しているのなら、無理矢理にでも止めろと言われていた」

 

 

ハリーが手に腰のポーチから注射器を出した。

あれは……シンビオートの力を抑制する濃縮されたビタミンCの鎮静剤。

 

それを、またポーチへ戻した。

 

私はグウェノムとの結合を解除する。

彼に私を止める意図は見えなかったからだ。

 

 

「だけど今の君は……違うとは思ったんだ。前の僕とは」

 

「前の、ハリー?」

 

 

言葉の意図が分からなくて、聞き直した。

 

 

「僕は以前、父を殺したと思っていた犯人を……殺そうと思って、法を破ろうとしていた。怒りをぶつけたかったんだ」

 

「……そう」

 

「だけど、君は違う。君は……ただ、犯人の蛮行を止めたいだけだ。誰かを守る為に……それには僕も共感できる。君は、凄いよ」

 

「そんな大それた話じゃないけど」

 

 

私を過剰に評価するハリーに呆れた声を出した。

 

 

「いいや、君は凄い人間だ。だから君は選ばれたんだ……フューリーに。シンビオートに」

 

 

私は……ただ黙る事しか出来なかった。

 

ハリーはマスクを口に戻して、ゴーグルを付け直した。

 

 

「僕が君を助ける。君の目的のためにも……一人より、二人の方が安全だろ?」

 

「……それってフューリーからの頼み?」

 

「意地悪を言わないでくれよ……確かにそうだけど、これは僕自身の望みでもあるんだ」

 

「……そう、ありがとう」

 

「感謝される程、僕は出来た人間じゃない」

 

 

ハリーが背部に背負っていた二つのボードを取り出し、合体させた。

それにはエンジンが内蔵されており、一つになったボードは宙に浮いていた。

 

 

私は意図を察して、グウェノムと結合する。

 

 

『私が結合出来るのは3時間よ』

 

 

訓練の成果から、『S.H.I.E.L.D.』に指定されている連続結合時間の制限は延長されている。

だけど、それでも。

 

3時間で何とかなる話、なのか?

 

 

「そうか、ならそれまでにケリを付けよう」

 

 

だけど、ハリーはその不安を拭い捨てるように言い切った。

 

そして、フライトボードに乗った。

 

 

「宛はあるのかい?」

 

『えぇ……グウェノムが、この街に潜む危険を感じ取ってる。幾つか、だけど。手当たり次第に見つけて潰す。それで良い?』

 

「あぁ、上等だよ。行こう、二人で」

 

『いいえ、三人よ。グウェノムも含めて三人』

 

 

私は手から触手を(ウェブ)のように伸ばして、

電灯を使って飛び上がる。

 

ハリーもフライトボードを使って、サーフィンのように空気に乗って飛翔した。

 

夜の街に二つの影が消えていった。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

『久しぶりだね。一ヶ月ぶりだ』

 

「…………あぁ」

 

『……どうやら、元気がないようだ』

 

 

目の前にいるのは、紫色に発光する黒いマスクを被った男。

 

ティンカラーだ。

 

 

『いや、驚いたよ。休日に君から電話が掛かってくるんだから。急いで準備して待ってたんだよ?』

 

「そうか……それで、頼みのものは用意出来たか?」

 

『スーツかい?勿論さ。最新のスーツはまだ用意出来てないけど、もしもの時の為に……僕は色々用意してあるんだ』

 

「すまないな、ではそれを──

 

『でも、何に使うつもりだい?』

 

 

ティンカラーの言葉に息が詰まる。

この質問は想定していた。

 

だが、結局、言い訳は思いつかなかった。

 

 

「……私の友人が殺されるかも知れない。それを守りたいだけだ」

 

『なるほどね……』

 

 

ティンカラーが腕を組んで頷く。

マスクが紫色に妖しく光る。

 

 

『でも、それは君がやるべき事なのかい?表の世界の話だろ?』

 

「そうだ」

 

『僕は知ってるよ?君が……先月、腹を撃たれて入院した事も』

 

「それがどうかしたか?」

 

『入れ込み過ぎだよ、君は』

 

 

空気が重くなった。

普段の軽薄な姿は潜めている。

 

表情も声色も分からないが、それでも分かった。

彼は『何か』に怒っている。

 

 

「…………それは」

 

『病院でのカルテ、血液情報、DNAデータの改竄は組織が行った。君の痕跡を消す為にね。分かるかい?君が何かをすれば……組織(アンシリーコート)が付いて回るんだ』

 

 

私は黙った。

黙るしかなかった。

 

 

『このままじゃ、君……組織に対する忠誠心を疑われても仕方ないよ。そしたら君は死ぬ……それか、この街を去って実験台にでもなるとか?死ぬより辛い目に遭うだろうね』

 

「……それでも」

 

 

私は言葉を絞り出す。

 

 

「それでも、私は大切な者を守るためなら命なんて……立場だって、投げ捨てる。私はどうなっても良い」

 

 

私の命はどうなっても良い。

組織から処分されても、この街に居られなくなっても良い。

 

みんなを助けられるなら、私はそれで良い。

 

 

『どうでもいい?……君の事を大切に思ってる人達が悲しむよ』

 

「……それがどうかしたのか?お前には関係ない話だろう」

 

 

思わず、言葉が荒くなる。

 

ティンカラーには関係のない話だろう。

私の友人を語って欲しくはなかった。

 

それに時間は有限だ。

もし、こうして問答をしている間に……グウェンが、ピーターが、殺されてしまえば……私は後悔する。

 

 

『僕だって君が心配さ。だから、スーツは──

 

「お前は私の友でも、親でも、兄妹でもないだろう?」

 

 

自分でも驚くほど冷たい声が出た。

 

 

『あ……あぁ、そう、だね。僕は君の友達でも、家族でもない。そうだ……そうだね』

 

 

だから、マスク越しでも分かるほどショックを受けているティンカラーに罪悪感が湧いた。

 

今のは事実だが……失言だった。

 

 

「……すまない、ティンカラー。言い過ぎた」

 

『いや、良いんだ。僕が悪かったよ……そうだ、そうだったよ。悪いね』

 

 

要領を得ない返事に、私は胸を締め付けられるような痛みを感じた。

 

この気持ちは何だ?

別に親しい友人だと言う訳でもないのに……何故、こうも辛いのか。

 

私が理解不能な辛さを感じていると、ティンカラーが口を開いた。

 

 

『僕は君に、妹の影を求めていたんだ』

 

「……妹?」

 

『そう、妹だよ。君は……よく妹に似ている。君と妹は別人だって分かってるのに』

 

 

ティンカラーの独白に、私は眉を顰めた。

……彼が私に親切にしていたのは、そんな理由だったのかと。

 

彼のノスタルジーからだったのか、と。

 

それを軽蔑するつもりはない。

他人に重ねられて想われる事も否定しない。

 

私が抱いた感情は──

 

 

「優しいな」

 

『……何の話だい?』

 

「いや、優しい人だと思っただけだ」

 

 

彼の私を想う気持ちが、本来は誰かに向けられるべき物だったとしても……人を想う気持ちは本物だ。

 

だから、尚更、私には謝る必要があった。

 

 

「すまなかった、ティンカラー。だが、スーツは必要なんだ……頼む」

 

『……いや、良いさ。少し、待っていてくれ』

 

 

ティンカラーがタブレットを操作した。

カーゴに載せられた見覚えのあるスーツが姿を現した。

 

それは……。

 

 

「……以前の私のスーツか?」

 

 

壊れてしまった筈のアーマースーツだ。

だが、その姿は依然とは少し異なる。

 

色が真っ黒なのだ。

プロテクター部も全て黒い。

 

シンボルである赤いマスクも、黒く磨かれた黒曜石のような黒さだ。

 

 

『これはスペアパーツの寄せ集めだよ』

 

「スペア?」

 

『そうだ、ヴィブラニウムを損失した場合に換装出来るよう……特殊合金で作った劣化パーツ。その寄せ集めさ』

 

 

目の前にある黒いスーツは……私が普段着用していたスーツとは材質が異なると言う訳か。

ヴィブラニウム合金から特殊合金へ……かなりの劣化だ。

 

だが、ヴィブラニウムは貴重な資材だ。

以前の破損したスーツは現在製作途中の最新スーツに流用されているのだろう。

 

 

『入っているシステムは一緒だから、着心地は以前とは変わらない筈さ。ただ、材質が違うから防御力は格段に落ちるし……衝撃の吸収機能もないけどね』

 

 

自分の作った物を説明する時、彼は楽しそうに見える。

 

 

「……だが、これで十分だ。ありがとう、ティンカラー」

 

『素直に礼を言うなんてね……よっぽど、切羽詰まっていただろ。君』

 

「そうだ、私は焦っていたとも。しかし──

 

 

私は人型に立てられた黒いスペアスーツを見る。

 

 

「『レッドキャップ』ではないな……」

 

 

赤くはない。

真っ黒だ。

 

 

『まぁね。組織に隠れて行動したいなら、寧ろコッチの方が良いだろ?』

 

「それも、そうだ」

 

 

黒光りするフェイスパーツが私の顔を反射している。

 

 

「名前は?」

 

『え?』

 

「このスーツの名前だ。名前は重要だ……その姿の存在を指し示す導になる」

 

『あぁ、それなら──

 

 

ティンカラーが、真っ黒なスーツを一瞥した。

 

 

『『ナイトキャップ』ってのはどうだい?』



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#61 バースデイ・ソング part8

ディ──

 

エ──

 

起き──

 

起きろ──

 

エディ!起きろ!!

 

 

『エディ!!!』

 

「うわっ!?」

 

 

飛び上がり、周りを見渡す。

 

ニューヨーク市内のアパートだ。

俺の家だ。

 

ソファの上で寝ていた俺は相棒へ文句を言う。

 

 

「はっ……何だよ!急に驚かすなよ!」

 

『今すぐテレビを付けろ!』

 

「あ……?ドラマは昼間に散々観ただろ」

 

 

ヴェノムはこう見えて、日中にやってるような恋愛ドラマが好きだ。

そんな事の為に起こしたのか……?

 

 

『違う!もう良い、オレがつける!リモコンを寄越せ!』

 

「ちょ、ま、まま待て!壊されたら困る!」

 

 

俺は慌ててリモコンを手に取り、テレビの電源をつける。

 

 

『──からの中継です。ライカーズ刑務所では現在でも混乱の状況から抜け出せていません』

 

 

一気に目が覚める。

俺はテレビに目が釘付けになる。

 

破壊されたコンクリートの壁。

ブルーシートに覆われた人型の起伏。

……死体だ。

 

……何があった?

 

俺はスクープの気配を感じて、テレビに──

 

 

『脱走した死刑囚、クレタス・キャサディの行方はまだ分かっていません。ニューヨーク市内に潜伏している可能性が非常に高く、不要な外出は控え──

 

「……何だって?」

 

 

この状況はクレタス・キャサディが作り出した?

どうやって?

奴には何のスーパーパワーもなかった筈だ。

 

もし持っていれば、そもそもライカーズ刑務所になど入っていないだろう。

 

 

「お、おい、ヴェノム!何だよ、これ!」

 

『奴は……恐らく、オレの血と結合した。普通はありえない話だ……!相性が良過ぎた!』

 

 

俺は記憶を遡る。

……確かに、奴に噛まれてしまった事がある。

 

それだけだ。

 

それだけで……?

 

 

「お、俺の所為か?」

 

『エディ、オレ達の所為だ』

 

「そんな、馬鹿な話が……」

 

 

俺は腰を抜かして、ソファに座り込む。

頭を抱える。

 

確かに俺はヴェノムと組んで、人を殺す事だってある。

だが、好き好んで善良な他人を殺したい訳じゃない。

 

悪人しか食わない。

俺とヴェノムの唯一の守っている約束だ。

 

テレビは一日三時間だってのも全然守らないし、家の外で話しかけるなってのも守らない。

だが、それだけは守っている。

自己中心的で暴力の塊のようなヴェノムが、だ。

 

だが、これは……。

 

 

『エディ、ウジウジするな!今するべき事をしろ!』

 

「い、今するべき事?」

 

『クレタス・キャサディを見つけて、ブチ殺す事だ!悩む事はない!これ以上、被害者を出さない為にもオレ達がケリをつける!』

 

 

俺はヴェノムの言葉に……頷いた。

 

こういう時、コイツの無神経さと言うか、単純さには救われる。

 

 

「……あぁ!そうだ、そうだな!」

 

『そうだ!オレ達は何だ?言ってみろ!』

 

 

ヴェノムの言葉に俺は頬を叩き、立ち上がる。

 

 

「俺達は──

 

『オレ達は──

 

 

一歩、歩き出し、コートを羽織る。

 

 

「ヴェノムだ」

 

残虐な庇護者(リーサルプロテクター)だ!』

 

 

足を踏み外し、玄関でこけた。

何とか手を靴箱にかけて、転倒防止できたが。

 

 

『エディ!?』

 

「何で、お前が驚いてるんだよ!お前はテレビに影響され過ぎだ!」

 

『だが格好良いだろうが!』

 

「何でこうも噛み合わないんだよ……あー、クソ」

 

 

アパートのドアを開いて、外に出る。

そのまま階段を登り、屋上へ出る。

 

 

 

ヴェノムとの結合レベルを上げて、身体を真っ黒なタール状の肉体で覆う。

 

その場に、筋骨隆々の黒いバケモノが現れた。

俺達(ヴェノム)だ。

 

 

「それで……奴の位置は分かるか?」

 

『当然だ!奴は元はと言えばオレの一部!そして、恐らく今も結合している筈だ……蜘蛛野郎から盗んだ超感覚で分かる!』

 

 

頭を上げて、周りを見渡す。

 

 

『………………あ?』

 

「おい、どうした?」

 

 

ヴェノムの困惑した声に、俺は問いかける。

 

 

『7だ……』

 

「7?何がだ……?」

 

『少なくとも7体、このニューヨーク市内に潜んでやがる!』

 

「だから、何が7体なんだ!?……まさか、じゃないが──

 

 

俺は最悪な事態を想定して、絶句する。

 

 

『そうだ!オレを親としたシンビオートのガキ共が7体いる!敵はクレタス・キャサディだけじゃない!』

 

「なっ……はぁ!?何でだよ!」

 

『オレが知るか!』

 

 

ヴェノムが不機嫌になって、腕を振るった。

煉瓦で作られた壁に穴が空く。

 

……あ、あぁ、ここ住んでるアパートなのに。

 

 

「ど、どうすりゃ良い?」

 

『エディ、決まってるだろ!』

 

 

頬に裂けるような感触が走る。

……鏡で見たら、凶暴な顔をしてるんだろうな、なんて思う。

 

 

 

そして、ヴェノムが口を開き────

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

ニューヨークの片隅、ヘルズキッチン。

超高層ビル。

 

治安の悪いヘルズキッチンには似合わない、白亜の壁を持つ建造物。

 

それは権力と財力の象徴。

正しく、王の城だ。

 

磨き上げられた壁面からは、まるで高価な壺のような気品すら感じさせられる。

 

しかし、その白さとは裏腹に……そこには特大の邪悪が潜んでいる。

 

そして私は……その高層ビルの最上階に居た。

 

 

目前にはデスクに座るスキンヘッドの大男。

白いスーツを着こなし、杖を手に持つ。

空いた方の手でデスクを苛立ちながら、指で叩いていた。

 

 

「つまり……何か?『財団』は新たに生まれた寄生虫を確保するために、街へ戦力を放ったと?」

 

「はい。先程、財団に配置した内通者から連絡がありました」

 

 

額には血管が浮かんでいる。

相当、『キレて』いる。

 

だが、あくまで冷静に物事を考えている。

 

 

「ニューヨークに連続殺人鬼と、人喰いの化物が蔓延ると……そう言う事か?」

 

「はい。確認された寄生生命体(シンビオート)は五体……全て、ニューヨークに来ています」

 

 

ミシリ、とデスクが音を立てた。

 

 

 

「『財団』は私に許可なく……この街を実験場とするつもりか?……ジェームズ、お前はどう思う?」

 

「……えぇ、そうです。クレタス・キャサディに寄生している寄生生命体(シンビオート)を確保するつもりです。そして、副次的に『財団』が所持している寄生生命体(シンビオート)を用いた兵士の実証実験を行うつもりかと」

 

「なるほど……概ね、私と同じ考え、か……」

 

 

バキリ、とデスクが割れた。

強化プラスチックのデスクが、だ。

 

 

「ジェームズ、この街の王は誰だ……?気色の悪い寄生虫か?それとも、ちっぽけな医薬品会社か?」

 

「いいえ、違います。それは勿論、貴方です」

 

「そうだ!この街は私──

 

 

デスクが完全に破砕し、真っ二つに裂けた。

 

 

「ウィルソン・フィスクの物だ……!それを……私の、許可なく……街を汚した……!奴らは間違っている!愚か者どもだ!」

 

「えぇ、彼らは愚か者です」

 

 

私は同意し、頷く。

フィスク様……キングピンの癇癪を見るのは初めてではない。

それどころか、両の手で数える以上に私は見ている。

 

しかし、恐れる事はない。

彼はどんなに怒ろうとも理知的で……最悪のラインは越えない。

私のような『使える』部下を捨てる事はない。

 

 

「ジェームズ、今すぐに刺客を送り込め!そうだ、そうだな……『赤いの』を送り込め!確実に殺せ!」

 

「……申し訳ありません。『レッドキャップ』は現在、療養中です」

 

「何……?」

 

「彼の所属する組織曰く……前回、クエンティン・ベックの暗殺任務の際に、超人達と戦い、全治二ヶ月の治療が必要だとか」

 

 

フィスク様が顔を顰めながら、頷いた。

 

 

「仕方あるまい。忌々しい自警団どもが……ならば今、誰を動かせる?誰がいる?」

 

「でしたら……この男はどうでしょう?」

 

 

私は手に持っていたタブレットに、一人の男の情報を表示させ、フィスク様に見せる。

 

 

「……フン、良いだろう。報酬は言い値で構わん。交渉はお前に任せよう」

 

「ありがとうございます」

 

「奴らに思い知らせてやれ。この街を汚す者はどうなるのか、を」

 

 

フィスク様の言葉に私は頷く。

 

 

「はい、あの愚か者達に思い知らせてやりましょう」

 

「あぁ、そうだ……!この私に逆らう者は──

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

私は、この街を見下ろす。

 

人は誰も歩いてなど居ない。

 

……当たり前か。

刑務所を抜け出した連続殺人犯が、この街にいると知っているのだから。

 

命の惜しい者は、家で蹲り怯えている筈だ。

 

だが、きっと。

 

私の友人達は。

 

 

私は真っ黒なマスクの下で目を細めた。

 

 

ティンカラーの用意した真っ黒なスペアスーツ……『ナイトキャップ』は夜に溶け込んでいる。

 

この暗闇の中で、目視での視認は難しいだろう。

 

時間は23時を過ぎている。

闇がニューヨークを覆い尽くしていた。

 

まるで、邪悪そのものが覆い尽くしているように。

 

この世界には悪人(クズ)が多過ぎる。

 

利己的で私欲を満たす為ならば、殺人も厭わない犯罪者。

それは、私も含めて……だが。

 

脹脛からナイフを抜き取り確認する。

腰の裏のショットガンの動作を確認する。

マスクの機能を確認する。

各部のパーツの稼働を確認する。

 

……問題なし。

 

ティンカラーの腕前を疑う訳ではないが、たった一つの些細な誤差が死に直結する。

それが殺し合いだ。

 

ポツリ、ポツリと雨が降ってくる。

マスクが濡れて、顎から滴り落ちる。

 

雲が月すら隠し、街灯だけが街を照らしている。

 

ピーター、グウェン、ネッド……。

 

私の友人を脅かす悪人(クズ)どもは。

 

この、私が殺す。

 

 

『そうだ、奴等は────

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

『キャサディ……俺と同じ奴等が、この街に集まっている』

 

「君と……カーネイジと同じ?」

 

『そうだ……俺と同じシンビオート達だ』

 

 

私は肩をすくめた。

 

足元には真っ赤な血が流れている。

降ってきた雨が血を流し、下水へと降りていく。

 

首のない死体だ。

カーネイジが食い殺した後の死体だ。

 

……カーネイジはシンビオートという生き物だ。

彼等は人間の脳を主食とする。

だから、首から下には興味がないらしい。

 

 

「それは困ったね。私達の目的はエディ・ブロックを殺す事だろう?」

 

『あぁ、そうだ。俺は(ファーザー)を食い殺し……更なる力を得る』

 

「……そう、親殺しだ。君に罪悪感とかはないのか?」

 

 

私はカーネイジに問う。

 

 

『俺達はそう言う感情を持たない』

 

「……奇遇だね、私もだ」

 

 

私が最初に殺したのは祖母だった。

次に母の愛犬。

 

私は家族を殺す事に、罪悪感などは微塵も感じなかった。

 

そう言う意味では、カーネイジとは気が合う。

 

 

『だが、奴以外にもシンビオートが集まるのであれば、好都合だ。俺が強くなるために集まってくる餌のようなものだ』

 

「ふむ?だがしかし、勝てるのか?君は生まれたばかりだろう?」

 

『何も問題ない。俺達(シンビオート)は生きてきた時間で強さが測れる訳ではない。心配するべきは、やり過ぎてしまう事ぐらいだ』

 

 

カーネイジが笑い声を上げた。

 

 

『キャサディ、お前の殺意、悪意、害意、敵意……全てが俺達(シンビオート)の力になる。……(ファーザー)の宿主は臆病で人殺しすら控えてる。結合レベルも低いと見て良いだろう』

 

「なるほどね」

 

『キャサディ、お前の望む血と混乱の世界を俺が作り出してやる……それを邪魔する奴等は────

 

 

カーネイジの頬が裂けて、長い舌が露出する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『「『『皆殺しだ』』」』

 

 

 

夜のニューヨークに、悪意と殺意が渦巻いていた。



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#62 キル・ゼム・オール part1

雨が、降り注いでる。

 

痛みに、恐怖に、度重なる傷跡に……この街が涙を流しているかのように。

 

静寂の中に雨音が落ちる音のみ響いている。

赤と青の光が、交互に暗闇を照らしていた。

 

撥水性の高い青と黒のレインコートを身に纏った警官が空を見上げた。

 

忌々しげに空を見つめて、溜息を吐いた。

 

 

……私はそれを、ビルの上から見ていた。

 

真っ黒な『ナイトキャップ』スーツは暗闇に紛れるのに最適だ。

貯水タンクの裏から、警官達の動向を窺う。

 

……クレタス・キャサディの居場所を私は知らない。

恐らく、何かしらの超能力(スーパーパワー)を会得したと思われるが、その正体も不明だ。

 

情報不足は、不測の事態を引き起こす。

彼等の会話を盗み聞き、居場所や能力を探るのが先決だ。

 

無闇に街を走り回っても、探知能力のない私なら見つけるのに時間がかかる。

ニューヨークは広い。

手探りに探すのは、無謀だ。

 

 

……何か近付いている。

それも大きな音を立てて。

 

 

破砕音を伴いながら、まるで大型の獣のような荒々しさで迫ってくる。

 

私は背中の散弾銃(ショットガン)を手に取り、ビルの下を注視する。

 

突如、警察車両が跳ね上がった。

宙を舞い、壁にぶつかり地に落ちた。

大きく鈍い音がして、燃え上がる。

 

警官は四名、車両は二台。

 

車両には警官も乗っていた筈だが……あの様子では生存は絶望的か。

衝撃による圧迫死か、炎上による焼死か、酸素の燃焼による一酸化炭素中毒か……いずれにせよ、碌な死に方ではないだろう。

 

現れたのは灰色の巨体。

タール状の皮膚に大きく裂けた口。

 

間違いなく、シンビオートだ。

 

 

灰色のシンビオートは腕を振り回し、警官に襲い掛かる。

 

警官達は恐慌しながらも、数度の発砲で反撃を行う。

だが、無意味な抵抗だ。

 

皮膚に着弾するが、まるでダメージが入っているような様子はない。

液体のように見える皮膚は、衝撃や切断に対する耐性が高い。

 

そのまま触手が一人を捕まえた。

 

 

「いやっ──

 

 

バクリ。

 

と、頭から食われた。

 

頭部の無くなった肉体が血を大量に流し、雨で濡れた地面に倒れた。

流れ出る血は水に溶けて、下水道へ流れて行く。

 

そこで、もう一人の警官は抵抗が無意味だと言う事に気付いたようだ。

 

 

「ば、化物!」

 

 

悲鳴を上げながら、拳銃を捨てて、背を向けて、走り出す。

 

だが、自身より身体能力が高い化物から逃げられる訳がない。

触手に捕まり、引き寄せられる。

 

 

私はそれを眺めていた。

無感情に、無慈悲に、無意味に。

 

助けなければ、なんて思う事はない。

他人を助ける為に危険を犯すつもりはない。

私は正義の味方ではない。

 

 

そして、灰色のシンビオートには見覚えがあった。

記憶を遡り……思い出す。

しかし、頭の奥底にある『コミック』の記憶ではない。

この世界に生まれてからの記憶だ。

 

あの灰色は以前、ハーマンと共同で『ライフ財団』取引を護衛した際に見た。

アタッシュケースの中にいた五つの液体。

その中にあった灰色の液体、そこには『暴動(ライオット)』と書かれていた。

 

あれがシンビオートだとしたら、コイツは『ライフ財団』の……名前は『ライオット』か。

 

 

ライオットが口を開いた。

食うのか?と思っていたが、どうやら様子が違う。

 

 

『オイ、オマエ……キャサディの居場所をしってるか?』

 

 

鈍く重い、人とは思えない声で訊いた。

どうやら、彼等もキャサディを追っているらしい。

 

 

「し、知らない!知る訳ない!」

 

 

そして、警官もライオットも情報を持っていない事が分かった。

……なら、ここに居座る必要も無いだろう。

 

私は、ライオットが警官に集中している間に、その場を離れる事にした。

 

奴らは勘が鋭く、探知能力も高い。

見つかれば面倒だ。

 

 

『そうか……なら、もう必要ないな』

 

 

ライオットの声と共に、警官の悲鳴が聞こえる。

 

胸は痛まない。

私に助ける義理はない。

 

……私は、ビルの縁に足をかけて──

 

 

その瞬間、何かが視界の隅を横切った。

 

黒い、女性型のシンビオート。

……私のよく知る少女の姿。

 

グウェン・ステイシーだ。

 

私は目で追う。

 

シンビオートと結合したグウェンが、ライオットに飛び掛かり蹴飛ばした。

細い足からは考えられない程の力があり、2メートル近い巨体が転がった。

 

同時に、触手を伸ばして警官をキャッチした。

 

 

『オマエ……何者だ?キャサディではないな……』

 

 

少しもダメージがない様子で、ライオットが立ち上がる。

灰色の肉体に走る黒い血管が脈打つ。

怒り狂っているのが目で分かった。

 

……まずいな。

 

私は貯水タンクの上に登り、二体のシンビオートを見下ろした。

 

その場を「立ち去る」と言う選択肢は、もう頭の中には無かった。

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

咄嗟に。

 

そう、咄嗟に蹴飛ばしてしまった。

隠れているなんて出来なかった。

見過ごす事も出来なかった。

 

コイツが……目の前にいる灰色のシンビオートが、キャサディじゃないって事は分かっている。

 

本来の目的にはない敵だってのも分かってる。

 

だけど……目の前で誰かが死にそうになってるのに、見過ごす事なんて私には出来なかった。

 

 

「グウェノム!」

 

 

背後からハリーの声が聞こえる。

フライトボードから飛び降りて、私の真横に立った。

 

……ハリーに外では『グウェノム』と呼んでもらうようにしている。

正体がバレないようにする為だ……が、正直、『グウェノム』という名前も『グウェン』と言う名前も似たような物で、誤差レベルでしかない気がするけど。

 

まぁ、やらないよりはマシだ。

 

 

「急に飛び出すからっ」

 

『ゴメン、でも待てなかったから』

 

 

気を失った警官を地面に下ろして、私は目の前にいる灰色のシンビオートに向き直る。

真っ白な目を鋭くさせて、私を睨み付けている。

 

体長は……2メートル近い。

私より遥かに大きい。

 

 

『グウェノム……?知らない名前だ……『財団』のシンビオートではないのか?オマエ』

 

 

……『財団』?

私は聞きなれない単語に困惑しつつも、それを表には出さない。

 

 

『そう言う貴方は何様?どう言う要件で警官を襲っているの?』

 

『フム……『財団』の管理するシンビオートではないなら、持ち帰れば……報酬(ボーナス)が出る、間違いなく』

 

 

私の言葉を無視して、独り言を呟いている。

そして、ニタリ、下品に頬を歪めた。

 

笑っている。

凶暴に、下劣に。

 

格下相手を舐めるような顔で、私を見る。

 

 

『中身は死んでも良い……引き剥がしてでも、オマエを持ち帰る』

 

 

私を指差すと同時に、背中から触手が無数に生えた。

その触手の先は槍のように鋭く尖っていた。

……まずいな、私よりもシンビオートの身体制御が上手いみたいだ。

 

 

『随分、物騒な奴ね……ハリー、援護お願い』

 

「了解。でも、あまり無茶はしないでよ?」

 

『当然……!』

 

 

私は触手を細く、糸のように飛ばして壁に突き刺す。

そのまま身体を宙に投げ飛ばし、灰色のシンビオートに接近する。

 

私は爪を鋭く尖らせて、引き裂こうと振り下ろす。

灰色のシンビオートも腕をメイスのような形状に変化させる。

 

私と灰色のシンビオート、二人の攻撃がぶつかった。

 

 

『くっ』

 

 

私はそのまま弾き飛ばされて、街灯にぶつかった。

……力負けだ。

 

灰色のシンビオートの方が私達よりも大きい。

力のぶつかり合いは質量が物を言う。

 

根本から折れた街灯が地面に倒れる。

そのまま先頭の、電灯部分が砕けて破裂した。

 

 

灰色のシンビオートは、その隙を見逃さずに私へと突進してくる。

両腕、両足の四足歩行で……まるで獣の様だ。

 

その瞬間、黒い蝙蝠型のナイフが灰色のシンビオートに突き刺さった。

ハリーの投げた武器だ。

 

 

『フン、邪魔をするな……コイツを引き剥がしたら、直ぐにオマエの相手をしてや──

 

 

突如、灰色のシンビオートの頭部が爆発した。

炎を撒き散らし、皮膚を焼く。

 

ハリーの投げた武器は『レイザーバット』を改修した武器だ。

中心に燃焼する液体と起爆剤が入っている。

以前、一緒に訓練をしている時に教えてもらったが……実際に見るのは初めてだ。

 

 

『アアァァ!?』

 

 

皮膚を焼かれたシンビオートが奇声と悲鳴を上げながら、身を捩る。

 

シンビオートは音と炎に弱い。

これは結合している私もよく知っている事だ。

 

私はその隙に体勢を立て直し、足元の街灯のポール部分を爪で短く切り取った。

 

即席の槍だ。

切断部分は鋭く尖っている。

 

そして、私は金属の槍を灰色のシンビオートに向かって……投擲した。

空を裂き、灰色の巨体へ迫る。

 

 

『舐めルな!』

 

 

だが、シンビオートは背中から触手を伸ばして、それを弾き飛ばした。

弾き飛ばされた金属棒は、そのまま壁に突き刺さった。

 

……凄い力だ。

完全にダメージを与えたと思ったのに。

 

 

『ハァ……小賢しい奴らだ……』

 

 

シンビオートが私を一瞥し、その後ハリーを睨み付けた。

背中の触手が、大きな棘の生えた球体のような形状に姿を変えた。

 

 

『まずはオマエを叩き殺してやる!』

 

 

折り畳んでいたシンビオートの足が伸ばされて、飛び上がる。

コンクリート製の壁を両手で掴み、まるでバターのように抉り取る。

そのまま、砕けたコンクリートの破片をハリーに向けて投げ飛ばした。

 

 

「くっ」

 

『まずっ!』

 

 

咄嗟にハリーは避けたが、幾つか命中する。

強化薬によって身体能力が向上しているハリーでも、散弾のように撒き散らされたコンクリート片の範囲攻撃は回避しきれなかったようだ。

 

私は灰色のシンビオートに向かって走り──

 

 

 

突如、サイレンの音が聞こえた。

それもかなり大きな音で、だ。

 

それは背後の停まっていた警察車両からだ。

中にいた警官の一人は死に、一人は気絶しているのに。

 

 

私は身を震わせて、前のめりに転がった。

 

シンビオートは火と、『音』に弱い。

結合状態が一時的に不安定になった私は、足が動かなくなり立てなくなる。

 

音は私達にとって致命傷だ。

 

だが、それは灰色のシンビオートだって一緒だ。

 

ハリーへ向かおうとしていた、シンビオートは身を震わせて、壁にぶつかった。

 

……やはり、相手の方が私よりも結合の度合いが高かったようだ。

音が、より効果的に作用している。

 

灰色のシンビオートが、音を出しているパトカーを見つけて、その手を振るおうとし──

 

直後、私も気付いた。

そこに、黒いマスクを被った何者かがいた。

 

そいつは、右手で見た事のない拳銃を構えていて、左腕に銃身を乗せていた。

 

ドアの開いた警察車両、その砕けた窓の縁から灰色のシンビオートへ銃口は向けられていた。

 

 

瞬間、発火炎(マズルフラッシュ)が光った。

発砲音とほぼ同時に、ライオットに弾丸が命中する。

 

 

だけど、先程の警官の射撃ではダメージは無かった。

この攻撃も無意味な物ではないか、と思った。

 

発砲によって跳ね上がった銃口を、即座に左腕に叩き付けるように戻した。

 

ガキン、と鈍い金属の接触音が聞こえた。

そして、更に追撃の発砲。

 

 

『う、グォッ!?』

 

 

ライオットが苦悶の声を上げる。

 

何故か、ダメージが発生しているようだ。

 

……サイレンによって結合が不安定になっているからか。

弾丸の衝撃は吸収しきれず、宿主にダメージを与えてるようだ。

 

 

発砲、そして、更に発砲。

連続で的確に、同じ場所に向かって連続で命中している。

 

 

『グッ、オッ!?』

 

 

私も訓練の一環で射撃訓練をした事はあるけど……比べるのも烏滸がましい精度だ。

間違いなく、プロだ。

アマチュアの私とは格段に違う。

 

……もしかして、彼がフューリーの言っていた援軍のエージェントなのだろうか?

 

 

弾丸を何発も食らった灰色のシンビオートは、そのまま足を痙攣させて倒れた。

 

そして、黒いマスクの男がハリーを一瞥した。

 

ハリーが気付き……シンビオートへ駆け寄って、腰から注射器を取り出す。

そのまま、注射器を灰色の巨体へ突き刺した。

……アレは、私に使う予定だった濃縮されたビタミンCによるシンビオートの鎮静薬だ。

 

24時間以上、シンビオートの力が使えなくなる。

……私で実証済みだ。

 

灰色のシンビオートが悲鳴を上げつつ、宿主の身体に逃げ込んでいく。

宿主は……人相の悪い、紺色の服を着た男だ。

警備員のような服装だった。

 

黒いマスク姿の男がそれを確認し、パトカーの中で何かを操作した。

その瞬間、サイレンの音が止み、私も息を吹き返した。

 

 

『う、ふぅ……うぅっ、気持ち悪……』

 

 

だけど、短時間とは言え弱点を突かれ続けた私達はかなり疲弊していた。

長時間、揺れる車に乗っていたような……吐き気がある。

 

ハリーが拘束具で、気絶しているシンビオートの宿主を拘束し……そのまま、黒いマスク姿の男に近付いた。

 

 

『…………』

 

 

黒いマスクの男は、無言でそれを見ている。

 

 

「お前は……レッドキャップ……なのか?」

 

 

レッドキャップ?

聞き覚えのない単語に私は首を傾げた。

 

でも、レッド?……にしては黒いけど。

それに、ハリーの警戒する理由もよく分からない。

 

だって、私達を助けてくれたのだから……仲間、なんでしょ?

 

 

『……ナイトキャップだ』

 

 

中性的な機械音声で、そう返した。

 

……あれ?

じゃあ、ハリーの言っている人とは別人?

 

 

「いや……黒くはなっているが、お前はレッドキャッ──

 

『今はナイトキャップだ』

 

 

有無を言わぬように遮り、ハリーが困惑したような顔をしている。

ハリーはそのまま、私を一瞥した。

 

しかし、私はそもそも『レッドキャップ』という人も知らないし、今何が起こってるかも全く分かってない。

私を見られても困る話だ。

 

ハリーがため息を吐いた。

 

 

「分かった、分かったよ。それで、何の用だ」

 

 

警戒したまま、問い質した。

 

 

『彼女の力を借りたい』

 

 

そう言って、ナイトキャップが私を見た。

 

 

『え?私?』

 

『そうだ、シンビオートはお互いの存在を探知出来ると聞いた……違うか?」

 

『あ、うん……多分?』

 

 

グウェノムの力を借りて、街に感じる『嫌な気配』。

それを辿れば、灰色のシンビオートと遭遇した。

 

つまり、この『嫌な気配』の正体がシンビオートならば──

 

 

『……待って。それじゃあ……この街にシンビオートが沢山いるって事?』

 

 

私の言葉にハリーが驚いたような顔をしている。

マスクとゴーグル越しでよく見えないけれど。

 

 

『確信は無かったが……そうらしいな』

 

「らしい、だって?この騒動はお前達の仕業じゃないのか?」

 

 

ハリーが怒ったような口調で問いただした。

……仲が、悪いのだろうか?

 

 

『違う。私は関係ない』

 

「……信用は出来ない。それで、グウェノムの探知能力を借りて……シンビオートを見つけてどうするつもりだ?」

 

 

確かに、私の力を借りてシンビオートの位置を把握する……と言うのは目的ではなく手段だ。

何を望んでいるかは分からない。

 

 

『私はクレタス・キャサディを追っている』

 

『キャサディ……?』

 

 

私達もそうだ。

しかし、シンビオートを探すと言う手段と、キャサディに何の関係が?

 

 

「キャサディとシンビオートは関係ない筈だ」

 

『奴……ライオットはシンビオートを奪おうとしていた。奴等の目的は『財団』の管理していないシンビオートを確保する事だ』

 

『財団って?』

 

 

確かに……灰色のシンビオート……ライオットも『財団』と言っていた。

しかし、私にそれは分からなかった。

 

しかし、ナイトキャップは私の疑問を無視して話を進める。

 

 

『シンビオートを回収しに来た奴等が、キャサディを狙っている』

 

 

そして、そこで私とハリーも理解した。

 

 

『つまり、キャサディもシンビオートと結合している可能性が高い』

 

「……なら何故、シンビオートが?お前の言う『財団』の──

 

『いや、それに関しては偶然だろう。奴等はシンビオートの管理について厳格だ。……野放しになっている別のシンビオートが原因である可能性が高い』

 

 

そう言って、ナイトキャップが私を見た。

……え?何で?

 

 

『ちょっと、私はキャサディと面識なんて──

 

「そうか……アイツか?」

 

 

私の言葉を遮り、ハリーが頷いた。

 

 

『ヴェノムだ』

 

 

その名前には聞き覚えがある。

頭の中でグウェノムが『パパ!』と言っている。

私は直接会った事はないが、彼等は面識があるらしい。

 

 

『恐らく。何かしらの接触があり、結合した可能性が高い。キャサディ、そして結合したシンビオートを追うのであれば……蛇の道は蛇、シンビオートの協力が必要だ』

 

「……なるほど」

 

 

ハリーが頷いたのを見て、私も頷いた。

分からない単語が出てきたが、兎に角、この目の前の……ナイトキャップ?は協力してくれるらしい。

 

 

『じゃあ、よろしく……?』

 

 

私は、ナイトキャップに手を伸ばし──

 

 

「ちょ、ちょっと、こっち来て!」

 

 

私がナイトキャップに握手を申し込もうとしたら、ハリーに首の根っこを掴まれて路地裏まで連れてこられた。

 

 

『な、何?協力するんだから、握手ぐらいは──

 

「君は奴の怖さを知らないんだ」

 

 

ハリーが真剣な顔で……怯えたような表情で言うのだから、私は驚いた。

こんな顔をしたハリーを見るのは初めてだった。

 

 

『こ、怖いって?彼、良い人なんでしょ?』

 

「……いや、全然、全くだ。彼は……悪人だ」

 

『悪人?』

 

 

私達を助けてくれたのに?

 

 

「彼は……仲間を刺殺した事だってある。何人もの人間を殺してきた、殺し屋だ」

 

『こ、殺し屋って……そんな』

 

 

そんな、スパイ映画に出てくるような存在が……人殺しで生計を立てるような奴がいるなんて。

正直、信じられなくて。

 

 

「冗談で言ってる訳じゃないんだ。僕だって殺されかけた……あまり、信用しない方が良い」

 

『え、えっと……うん、分かった』

 

 

あまりに熱弁するのだから……それだけ、真剣な話だと分かって……ハリーが警戒しているのも分かった。

誇張でもなく、本当に悪い人間だとハリーは認識している。

 

そして、私に危害が及ばないように忠告してくれている。

 

……だけど、どうしても、彼が悪い人間だとは思えなかった。

助けてもらったから?

いや、それだけじゃなくて……何だろう?

分からない……勘、だろうか。

 

 

「……ただ、僕達だけでは力量不足なのは事実だ。気を付けながら、不意打ちされないようにしつつ……協力はしてもらおう」

 

『……難しい事、言うね』

 

 

私とハリーが警察車両の前に戻ると、ナイトキャップが私達へ顔を向けた。

 

 

『話は終わったか?』

 

「あぁ……協力はする」

 

『そうか』

 

 

ナイトキャップが、警察車両のボンネットに腰掛けた。

私の方へ顔を向けて、口を開いた

 

 

『では、この付近にいるシンビオートの位置を──

 

「うわぁああ!?」

 

 

悲鳴が聞こえた。

……気絶していた警官が目を覚ましたようだ。

腰が抜けているようで、座ったまま後退りをしている、

 

ハリーが慌てて駆け寄り、話しかける。

 

 

「だ、大丈夫ですか?」

 

「あ!?え?……あぁ、い、いや」

 

 

震えながら、倒れているライオットの宿主を一瞥した。

……あの姿では彼がシンビオートの正体だとは分からないだろう。

 

 

「さ、さっき巨大な化物がいた筈なんだよ!何処に行ったか知らないか……?」

 

「あぁ、それなら──

 

 

ハリーが口を開こうとした瞬間、警官が私の方へ目を向けた。

 

 

「あ、あぁ!化物だ!」

 

 

化物……?

あ、あぁ……今、私の姿はグウェノムと結合している姿だ。

無理もない話だ。

 

 

「お、落ち着いて下さい……!」

 

「ひ、ひぃっ」

 

 

ハリーが話しかけるも、恐慌状態のままだ。

そして、そのまま警官が腰に手を伸ばし──

 

 

拳銃を取り出した。

 

その銃口は私に向いている。

指は、引き金に掛けられている。

 

撃たれる、と思った。

拳銃を……しかも、一般人から向けられるのは初めてだった。

だから、どうすれば良いかも分からなくて脳裏に迷いがあった。

 

 

そして。

 

 

その瞬間、背後から寒気がした。

即座に振り返ると、ナイトキャップが拳銃を構えていた。

 

ハリーに先ほど言われた言葉が脳を過ぎる。

彼は、善人ではない。

 

ナイトキャップの持つ拳銃は、警官へ向けられていた。

 

 

『待っ──

 

 

発砲音が、夜のニューヨークに響いた。



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#63 キル・ゼム・オール part2

銃口から煙が上っている。

 

ナイトキャップの持つ、一般には流通していなさそうな特異な形状をした特注品(カスタムメイド)の拳銃。

その銃口からだ。

 

……私は、即座に撃たれた方を見た。

 

警官の手から、血が流れていた。

引き金に掛けていた指が弾け飛んだのか……骨まで露出している。

 

持っていた拳銃は地面に転がり、銃身は砕けていた。

グリップは血で汚れている。

 

 

……銃弾で、拳銃を弾き飛ばした?

 

 

理解はしたけど、納得は出来ない。

この姿になる前なら、この行為の異常さに気付かなかっただろう。

 

だけど、『S.H.I.E.L.D.』の訓練で射撃訓練をした今なら分かる。

 

その精度と、速度の異常さに。

 

警官が銃を抜いて、構えたのを見てから……それと同様の動作を行い、彼よりも早く発砲したのだ。

それに、全く迷いが無く、外す事など少しも恐れず……事実、命中させている。

 

私が呆気にとられていると、背後から声が聞こえた。

 

 

『……ホークアイのようにはいかないか』

 

 

独り言か、謙遜か。

 

少しも誇らず、それどころかもっと上手く出来る人間がいると、そう言った。

 

……プロの、殺し屋、か。

ハリーの言っていた言葉に、ようやく今更、納得する事が出来た。

 

 

「う、うっ」

 

 

警官が手を押さえて、蹲る。

 

……あぁ、そうだ。

当然だ。

 

先程の技術に目を奪われていたけど……今、警官の指は拳銃と共に弾け飛んでいた。

……第二関節から先がなく、断面すら見える。

 

引き金にかけていた指が、拳銃と共に吹き飛ばされたのだろう。

 

相当、痛いに違いない。

 

 

「だ、大丈夫ですか!?」

 

 

ハリーが慌てて、警官の側に寄る。

腰のバッグから救急セットを取り出し、手当てをしている。

『S.H.I.E.L.D.』特製の人工皮膚パッドや、痛み止めようの小型注射器などを取り出している。

一般には流通していない、最先端の技術で作られた救急セットだ。

 

それを見てナイトキャップが口を開いた。

 

 

『……ハリー、無駄な消耗は控えた方が良い。その程度の傷では死にはしない』

 

 

非情な発言に、私は驚きつつ……合理的なのも理解した。

……これから、シンビオートと結合したキャサディと戦うのだ。

その力は未知数だ。

消耗は抑えた方が良い。

 

……それに、私とキャサディ以外にもシンビオートがいる。

視界の隅で倒れているライオットの仲間だ。

恐らく、出会えば戦闘は避けられない。

 

そんな中、治療薬や応急処置の道具を使うのは……不味いと言うのも分かる。

 

だけど──

 

 

「無駄だって?……彼は一般人だ。巻き込まれた人間を見捨てるなんて、僕には出来ない」

 

 

私もハリーと同意見だった。

 

……あの警官は、シンビオートが引き起こした事件に巻き込まれただけの、善良な市民だ。

巻き込まれて傷を負ったのだから、助けてあげたいと私も思っていた。

 

 

『警官は一般人じゃない。これが仕事だ』

 

「だけど──

 

『それに……武器を構えれば、撃たれても仕方ないだろう?指一本で済んだのだから、寧ろ傷は少ない方だ』

 

「そういう問題じゃない。……どうして、そこまで非情になれるんだ」

 

『私の方が問いたいな……何故そこまで他人に優しく出来る?』

 

「……ならっ!あの時、僕を助けたのは──

 

 

険悪な空気に、私は慌てる。

 

 

『ストップ!二人とも落ち着いて!』

 

 

ナイトキャップとハリーの間に立ち、両方を制止した。

 

……ちょっと、ナイトキャップの事は怖いけど。

それでも怯えてなんて居られない。

 

私は、ナイトキャップの方を見る。

 

 

『……私を助けてくれた、んだよね?』

 

『キャサディを探すのに必要だったからだ』

 

 

身も蓋もない理由だが、私は頷いた。

 

 

『それでも、ありがとう』

 

 

それでも、助けて貰ったのは事実だ。

例え、撃たれたとしても、グウェノムの再生能力ですぐ治るとしても。

 

 

『…………フン』

 

 

顔を背けた様子に……何だか、素直になれない子供のような姿を幻視した。

少しだけ、怖さが和らいだ気がする。

 

私とナイトキャップが会話している内に、ハリーは処置を終えていた。

……痛み止めの影響か、意識が朦朧としている警官を近くにあるアパートの屋根の下に寝かせる。

 

 

……周りに、頭のない警官の死体が一つ。

黒く燃えたパトカーにも、恐らく死体がある。

 

竦みそうになる。

死体を見るのは初めてだ。

『S.H.I.E.L.D.』に入ってからも……以前の、夏季旅行中に巻き込まれた事件の時だって、死体はなかった。

傷を負って血が出ていた人は見たけど……死人と怪我人では全く違う。

 

……あの時……腹を撃たれて、顔を青ざめていたミシェルを思い出した。

 

頬を叩く。

ここで怯えてなんて居られない。

何とかしなきゃ、と言う使命感が心と体を突き動かす。

 

恐怖はある。

だけど、もう怯えない。

 

 

『よし……それで、どうするの?』

 

 

私は、ナイトキャップに訊いた。

今、この状況で最も的確な判断が出来るのは、彼だと思った。

 

……そもそも、私はこの事件の詳細を知らない。

財団とか、シンビオートとか、分からない事ばかりだ。

 

今この状況を最も理解できているのは彼だ。

 

 

『……丁度良い。この車両を使う』

 

 

ナイトキャップが警察車両の窓を、指でノックした。

 

 

『パトカーを……?盗むの?』

 

『……何を言っている?今更だろう。警官の指を弾き飛ばした私に言うのか?』

 

『あ、うん、確かに』

 

 

言われてみれば、確かにそうだけど。

 

ナイトキャップは首のない警官の死体を漁り、キーを取り出した。

そのまま鍵を開ける。

 

 

『運転って貴方が出来るの?私達は無理だけど』

 

『免許なら、両手で数える以上に持っている』

 

 

10個以上の……複数の、免許?

 

それって偽装じゃ──

 

声には出さないが、喉まで言葉が出かかった。

 

警官をアパートの玄関に寝かしたハリーが戻ってくる。

 

 

『あ、ハリー』

 

「……救急車は呼んである。この混乱した状況だと……時間は掛かるかもしれないが。一先ず、命に別状はないだろう」

 

『そう……』

 

 

私は安心して、頷いた。

 

 

『……何をしている?早く乗れ』

 

 

ナイトキャップが地面に倒れていたライオットの宿主を、パトカーの後部座席に乗せた。

 

慌てて私も後部座席に乗ろうとし──

 

 

『お前は助手席だ。シンビオートの場所を案内して貰うからな』

 

 

……と、言われて助手席に乗った。

 

ハリーは後部座席だ。

気を失っているライオットの宿主の隣だ。

……いや、ちょっと、嫌だな。

 

助手席の方がマシだ。

 

そして、ナイトキャップは運転席に座る。

 

……こうして近くで見ると、身長は少し低めだ。

私と同じか……それ以下だ。

少し、意外に感じた。

 

ナイトキャップが車両に搭載された通信機器を起動させる。

警察の無線通信が聞こえる。

……何やら、至る所で音信不通になっている警官が居るらしい。

 

ダッシュボードを漁って、紙を私に渡した。

ニューヨークの地図だ。

 

 

『シンビオートの居る場所を逐次、報告しろ』

 

「あ、えっと……ごめん、地図読めない」

 

 

自分が今、どの方角を向いているのか……何処にいるかも分からない。

近所なら何となく分かるだろうけど……普段、スマホの地図アプリに頼っていた事が裏目に出てしまった。

 

……ナイトキャップが呆れた様子で私を見ている。

 

 

『……なら、純粋に方角だけ教えてくれれば良い。近場から教えろ。構わないな?』

 

『うん……あ、今、えーっと、あ、あっち?』

 

 

私はグウェノムで探知した方向を指差した。

 

 

『そうか』

 

 

ナイトキャップがエンジンをかけて、警察車両を走らせる。

雨で出来た水溜りを、タイヤが弾く。

 

運転席に座る、黒いマスクの横顔を見た。

何を考えているか、表情が見えない無機質なマネキンの顔のようなマスクだ。

 

 

『……一つ、訊いておきたい事があるんだけど』

 

『何だ』

 

『キャサディを見つけたら、どうするの?』

 

 

彼は自身を殺し屋だと言った。

それなら……恐らく──

 

 

『……逆に、お前はどうしたい?』

 

『私?』

 

 

急に問い返されて、言葉が詰まった。

だけど、答えは既に決めてある。

 

私は口を開いた。

 

 

『無力化して、捕まえて……警察に突き出す』

 

『……そうか』

 

 

ナイトキャップが少し、悩むような仕草を見せた。

 

 

『それなら、尊重しよう。捕まえるだけだ。殺しは無し……それで、良いか?』

 

『あ、うん……それで、良いよ』

 

 

思わぬ返事にホッと息を溢し……バックミラーを見た。

 

ハリーは納得してなさそうな顔をしている。

……額面通りに納得してしまった。

だけど、私もあまりこの人……ナイトキャップを信用しない方が良いのだろうか?

 

だけど、どうして、だろう。

……そんなに悪い人だと思えないのは。

 

彼が詐欺師ならば、かなりの凄腕だ。

私は騙されているのだろうか?

ハリーの言う通り、人の命を何とも思ってない悪人なのだろうか?

 

私は悶々とする意識の中で、シンビオートの気配に集中する事にした。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

『思ったより、時間がかかったな、エディ』

 

 

俺達は足元に転がる。

二人の人間を見下ろした。

 

苦悶(アゴニー)捕食者(ファージ)の名を持つ、シンビオートの宿主だ。

ヴェノムを親とする人工のシンビオートだ。

 

俺がまだヴェノムと共生していなかった時、侵入した『ライフ財団』で見かけた奴らだ。

 

今はもう、宿主の人相も確認出来ない。

弛緩した肉体……その首から上は存在していない。

 

ヴェノムが喰った。

 

 

『しかし、雑魚だったな』

 

 

雨で薄められた真っ赤な鮮血が、ニューヨークの下水道に流れて行く。

 

 

「あー、うん、それは確かに……なんつーか、見掛け倒しだったな」

 

『信頼関係が薄いからだ。シンビオートの凶暴性に宿主がブレーキを掛けていやがる』

 

「えーっと、つまり?」

 

『宿主はシンビオートを信用していない。シンビオートは宿主の意図を理解せず暴れようとしている。統率に乱れがあった……共生失格だ』

 

「へぇ……?」

 

 

つまり、ヴェノムほど理性がある訳でもなく。

奴等の宿主は俺みたいに、シンビオートに意識を委ねる事を良しとしなかったのか。

 

ヴェノムが宿主を失い、震える『アゴニー』と『ファージ』を見下した。

 

 

『力関係も分からないクソガキ共め……』

 

「……ソイツら、どうするんだ?食うのか?」

 

 

俺がヴェノムに訊くと、興味無さげに鼻で笑った。

 

 

『元は俺の一部だ……お前は自分の鼻糞を食うのか?』

 

「いや、食わない……というか、例えが気持ち悪いぞ」

 

『とにかく俺はどうでも良い……協力者(アイツ)に聞け』

 

「あ、あー、そうだな……おーい」

 

 

投げやりな態度に無責任だと呆れつつも、俺は協力者に呼びかける。

 

……先程、出会った顔見知りだ。

仲間だとは言えないが、これから起こるシンビオートとの戦いで有利に立てる能力があり……キャサディや『財団』のシンビオート達を殺害すると言う目的は一致するため、協力する事にしたのだ。

 

屋上の端に居た男が、気付いて側に近寄ってくる。

 

そして、宿主の死体を一瞥して、すぐに視界から外した。

表情はマスクで見えなかったが。

 

 

「ンだよ、呼んだか?」

 

「このシンビオート、どうするんだ?お前の方で何か言われてるか?」

 

「ハッ、どうでもいい」

 

 

返ってきたのはヴェノムと同様の返事だ。

 

 

「ウチのボスの命令は『財団』の目論みをブッ壊して邪魔すること……だ。殺すとか殺さないとか、シンビオート?だったか?ソイツを確保する、しないってのもどうだって良い」

 

 

気怠そうに言う。

マスクの目の部分が黄色く輝いている。

 

 

『随分と他人任せだ』

 

「俺は給料貰って仕事してんだよ……お前らみたいな趣味で人殺してるような奴とは違う」

 

 

吐き捨てるように言って、俺から顔を背けた。

 

 

『エディ、やっぱりアイツムカつくな。今すぐ喰い殺すか?』

 

「お、おい。やめろ」

 

 

俺は小声で物騒な提案をするヴェノムを宥めつつ、アーマースーツを着た協力者の後ろ姿を見た。

 

……彼の協力は必須だ。

いや、正確には彼と敵対する事は危険だ。

 

俺達、シンビオートは『音』に弱い。

言い換えれば、空気の『振動』に弱い。

 

それを操る能力、技術を持つ相手は天敵だ。

勝つか、負けるか……それ自体は分からないが、タダでは済まないだろう。

 

ヴェノムがアゴニーとファージを下水道の入り口に蹴飛ばした。

雨で流れて落ちて行く。

 

……宿主が存在しなければ、シンビオートは長生き出来ない。

直接殺さなくても、放って置けば死ぬだろう。

 

 

『ハーマン!次の場所に行くぞ!』

 

「うるせぇ、オレは『ショッカー』だって言ってるだろうが!」

 

『どうだって良いだろうが、呼び名なんて!それともハーマンちゃん?とでも呼ばれたいのか?やはり、女々しい奴だ!』

 

「あ?まだオレは、お前が逃げた事も許してねーからな!今ここでブチのめしてやろうか!?」

 

『俺達は逃げていない!』

 

「逃げただろうが!あん時、お前が逃げた所為で酷い目にあったんだぞ!」

 

「お、落ち着け。二人とも」

 

「『お前は黙ってろ!』」

 

 

喧嘩するヴェノムと……ハーマン・シュルツ、『ショッカー』を宥めようとするが逆効果だったみたいだ。

 

ギャーギャーと言い争う一人と一匹に頭を抱える。

こんな調子でキャサディを止められるのか、と。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

血が撒き散らされる。

 

キャンバスに赤い絵の具をぶち撒けたような、そんな爽快感が胸を占める。

 

 

「いいね、最高だ」

 

 

カーネイジが頭を喰った後の死体を切り刻み、壁へ叩きつける。

 

教会に飾られた壁一面の絵画に赤色をぶち撒けていく。

 

 

「神様がいるのなら、私にはバチが当たるだろうね」

 

『人間の宗教と言うのは分からんな……だが、お前は神を信じていないだろう?キャサディ』

 

「神様は信じていない。私が信じるのは、コレだよ」

 

 

私は血で汚された宗教画を嘲笑う。

 

 

「混沌と無作為、そして混乱だ。秩序や、理性、ルールなんてくだらない……これが人のあるべき姿だ」

 

『クク、お前は破綻している。『異常』だ』

 

「『異常』だって?……社会は少数派(マイノリティー)を『異常者』として切り離したがる。だけど、私は『異常者』ではない」

 

 

靴に付いた血で、足元に血のラインを描く。

 

 

『なら、キャサディ……お前は何者だ?』

 

「『復讐者(アベンジャー)』だよ……この世界が私を異物として切り離そうとするなら、私は世界を拒絶する。常識を血で塗り替えてやるさ」

 

『……やはり、お前は面白い』

 

「ありがとう、喜劇(ショー)を楽しんでくれ…………君も、ね?」

 

 

私は振り返り、壁に背を任せている男を見る。

腹は裂かれて血は流れている。

顔には青い痣。

 

あぁ、誰がこんな酷い事を!

……私とカーネイジだ。

 

 

「この……化物、共め……」

 

 

息も絶えそうになりながら、私を睨みつける。

青いレインコートを着たニューヨーク市警の男……名前は──

 

 

「化物『共』ね、私もカウントしてくれるのかい?嬉しいよ、パトリック。ありがとう」

 

 

パトリック・マリガン。

私を逮捕したジョージ・ステイシーの同僚だ。

 

どっちが部下だったかな。

よく覚えてないけど、死人の階級なんてどうでも良いか。

 

 

「…………クソ、がっ」

 

 

私の周りにある死体達も、ニューヨーク市警の警官達だ。

私を追い詰めて……逆に殺されてしまった愚か者達。

 

 

「どうだい?パトリック……無力さを噛み締めているかい?」

 

「……お前達の好きには、させない」

 

『お前に何が出来る?俺を止める事は出来ない』

 

 

パトリックが口から血を吐いた。

内臓が傷付いていて、死も間近に迫っている筈だ。

 

 

「私、じゃなかったとしても、いずれ、誰かが止める……悪は、滅びる」

 

『…………つまらない理屈、いや幻想(ファンタジー)だ』

 

 

カーネイジが背中から槍を生み出す。

私はパトリックを嘲笑った。

 

 

「世界がより良く、善人のために回って行くなんて……そう信じたいだけだろう?」

 

「例え、そうだと、しても……化物が好き勝手に出来るほど……この世界は、腐っては……いな──

 

 

触手の槍が切り離され、針として飛び出した。

パトリックの身体に突き刺さり、力なく倒れた。

 

 

『観客が喜劇(ショー)の邪魔をするな』

 

「……エ、エドワー、ド……」

 

 

そのまま血の泡を吹いて……目を閉じた。

 

死んだ。

生命が失われたのだと感じた。

 

普段なら凄く気持ちの良い瞬間だが……今のは少し、不愉快だった。

 

 

「エドワード?家族の名前か?」

 

 

私は少し不愉快に感じて、目を細めた。

 

……家族愛なんてのは幻だ。

そんなモノに最後まで縋るなんて、愚か者のする事だ。

 

そんなモノを私も、カーネイジも信じない。

 

 

 

窓の外では雨が降り注いでいる。

流れた血を洗い流すように。

 

ニューヨークの夜が更けていく。

雨音だけが教会に鳴り響いている。

 



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#64 キル・ゼム・オール part3

デヴァイン大教会。

ニューヨーク市内にある大きな教会だ。

 

教会の外には数台の警察車両が止まっている。

それでも、車両の中には誰も居ないようだ。

無人の警察車両が、静かにランプだけを光らせている。

 

雨が降り頻る中、僕はそれを見ていた。

 

側にあるビルの四隅に立っているガーゴイル像の上に乗って。

 

 

『内部に熱源反応……生体反応あり』

 

 

マスクの中でAI(カレン)が報告してくる。

ジョージさんを殺した犯人が、この中に居るかも知れない。

 

スーツの胸から分離していたドローンが戻って来て、収納される。

 

足を踏み出して、僕はガーゴイル像から飛び降りた。

 

100メートル近い高さからのダイブだ。

背中から小型の(ウェブ)パラシュートを展開して、落下速度を減速する。

 

そのまま地面に手から落下し、前転して衝撃を逃す。

流石に、あの高さから落ちたら僕でも怪我をする。

 

教会内に入り、足音を立てないよう奥へ進む。

 

 

高そうな調度品を避けて、壁に貼り付いて奥へ、奥へと……。

 

……うっ。

 

どうして教会って、こうも尖ってる装飾が多いんだろう?

踏んだら痛そうだし、避けながらなるべく平らな場所を踏もう。

 

 

……血の臭いがする。

 

それも凄く、濃い臭いだ。

 

 

……う、わ。

 

 

警察官の死体が落ちている。

……一目で死んでると分かった。

 

だって、首から上がないから。

 

口の中が酸っぱくなる。

緊張と、吐き気で唾を飲んだ。

 

……ライカーズ刑務所から自力で脱出した、と言う話からクレタス・キャサディ死刑囚がまともな人間じゃないのは分かっていた。

だけど……こうも、首から上をまるで齧りとったような死体を見れば……恐ろしい化け物が奥には待っている気がして、少し怖い。

 

だけど、ジョージさんの仇だ。

 

……これ以上、被害者を出さない為にも僕は戦う。

息を大きく吸い込んで、意識を集中する。

 

……死体の血は黒く変色している。

空気に触れて、酸化したんだ。

 

殺されて時間が経っている。

そう、考えた。

 

この近くには居ないのだろう。

 

気配はない。

全くと言って良いほど、感じられない。

 

超感覚(スパイダーセンス)に少しも感じられない。

 

僕は一度、地面に降りて、死体を漁る。

……拳銃の中にある弾丸の数から、数発、犯人に撃ったのだと分かる。

 

争った形跡はある。

だけど、警官の服に傷はない。

 

……恐らく、最初の一撃で殺されたんだ。

それも、頭から上を……食べられた?

 

凄く大きな顎と、鋭い牙を持っているに違いない。

 

やっぱり、相手は人間じゃなくなっているのかも。

 

だけど、それこそ、そんな大きな怪物なら……超感覚(スパイダーセンス)に反応しても良いはずだ。

 

これは脅威に対して敏感に反応する。

隠れている敵だって、見つける事が──

 

 

……いや。

例外がある。

 

あの『ヴェノム』だ。

僕と結合していた時期がある所為で、僕の能力を解析されている。

ヤツには超感覚(スパイダーセンス)が反応しない。

 

でも、『ヴェノム』と結合しているのはエディ・ブロックって人の筈だ。

 

僕が追っているのは、キャサディだ。

 

いや、でも、そうか。

もしかして、キャサディも──

 

 

 

突然、真横の壁が崩れた。

聖母を模した装飾が砕けて、破片となって僕へと向かって来る。

 

 

「うわ!?」

 

 

そして、そのまま、壁の奥から赤い触手が伸びて来て──

 

超感覚(スパイダーセンス)に反応はない。

 

だけど、猛烈な寒気が僕の身体を襲った。

これは恐怖から来る危機感からだ。

 

心拍数が急激に上昇する。

 

 

咄嗟に(ウェブ)を伸ばして、距離を取ろうとする。

 

だけど、伸びて来る触手は一つ、二つなんて数じゃない。

 

幾つもの細い触手が、僕へと詰めてくる。

その先端は鉤爪のような形状で、黒く変色している。

 

それを無作為に振り回して、砕けた石壁の奥から埃を巻き上げて襲いかかってくる。

 

宙で錐揉みして、迫ってくる一本を蹴飛ばした。

 

だけど、他が避け切れない。

 

触手の先端にある鉤爪が、僕の身体を切り裂いた。

 

 

()っ!」

 

 

スーツが切り裂かれて、身体から血が出る。

ナノマシンが即座にスーツを修復して塞がる。

傷口も抑え込んで、応急処置を自動でしてくれる。

 

だけど、傷が無くなる訳じゃない。

 

痛みで顔を歪めながらも、必死に距離を取る。

幸い、傷は浅い。

 

皮膚の表面が裂けただけだ。

傷も二の腕と、太腿、横っ腹……傷は浅い。

 

距離を取れば、触手の射程限界が来たのか……その主が埃を掻き分け姿を現した。

 

まるで血のように赤い、ドロドロの皮膚を持った怪物だ。

乱雑に生えた歯を剥き出しにして、口からは長い舌がみえている。

 

……まるで、赤い『ヴェノム』だ。

体型はヴェノムよりも細い。

だけど、小柄って訳じゃない。

僕よりも長身だ。

 

知り合いのリチャーズ博士が僕の『ブラック・スーツ』……いや、『ヴェノム』を解析した時に言っていた『シンビオート』って種族で間違いない。

 

 

だけど、僕の超感覚(スパイダーセンス)を無効化するのは『シンビオート』という種族としての能力じゃない。

僕と結合して、力をコピーした『ヴェノム』としての能力だ。

 

なら、目の前の赤いヤツは……『ヴェノム』のクローン?

とにかく、きっと近い生物に違いない。

 

 

傷口が痛みながらも、頭は回る。

現実逃避、かも知れないけど。

 

超感覚(スパイダーセンス)が効かない所為で、攻撃を全部避けるのは不可能だ。

攻撃され続けていれば──

 

 

赤い怪物が歯を剥き出しにして笑った。

 

 

『……スパイダーマンか。目的とは少し違うが……お前のコーデックスも頂くとしよう』

 

 

コーデックス?

……全く何か分からないけど、兎に角目の前のヤバい奴に命を狙われてるって事は分かった。

 

知らない奴からも命を狙われるなんて……僕って人気者?

 

そんな軽口を叩いている余裕がないってのも、流石に分かるけど。

 

 

「急に出てきたけど……何者?僕は君じゃなくて、クレタス・キャサディに用があるんだけど」

 

『なら丁度良いな、俺の宿主がキャサディだ』

 

 

……あぁ、なるほど。

やっぱり、キャサディも『シンビオート』と結合したみたいだ。

 

嫌な予感ほど命中する。

 

……今日の運勢は最悪だ。

 

 

「それじゃあ、君を倒す理由が出来ちゃったな……まぁ、命を狙って来るんだから、どっちにせよ戦う事になってたと思うけど」

 

『戦う?倒す?お前は喜劇俳優(コメディアン)だったのか?傑作だ、お前は俺に殺されるだけだ』

 

 

赤いシンビオートを纏ったキャサディが、触手を広げた。

 

 

「それじゃあ、笑い死なないように気を付けて……えっと、赤い『ヴェノム』?」

 

『違う。ヤツと一緒にするな……俺は──

 

 

触手が一斉に、僕へと殺到する。

 

 

『『大虐殺(カーネイジ) 』だ……!』

 

 

その先端は小さな鉤爪、なんて可愛い物じゃなくなっていた。

 

鋭いドリルのような針、小さな斧、鎌……選り取り見取りだ。

 

全く、欲しくはないけど。

 

(ウェブ)を放ち、触手を拘束しようとするけど……素早く小刻みに動いて狙いが定まらない。

 

 

触手の扱いが、ヴェノムより上手い。

……ヴェノムは僕と同程度のパワーがある。

僕の能力をコピーしたからだ。

 

だから、ヴェノム相手に僕は苦戦したけど……この目の前のカーネイジはもっと強いって事だろうか?

 

それなら、まずい。

 

かなりピンチだ。

 

だけど、逃げる訳には行かない。

凄く怖いけど。

 

……大いなる力には大いなる責任が伴う。

敵からも責任からも、僕は逃げるつもりはない。

 

迫り来る触手を避けて、僕はカーネイジへと向かって行った。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

『ここか?』

 

『えぇ……凄く、大きな反応があるって……グウェノムも言ってる』

 

 

私は真横にいるナイトキャップを一瞥した。

ナイトキャップが乗っていた警察車両を停めて、降りる。

 

ハリーも降りて……ライオットの宿主は警察車両に乗せたままだ。

まだ気絶してるし。

 

目の前には大きな教会がある。

その中から……強烈な反応が来ている。

まるで首の裏を針で刺すかのような、鋭い感覚。

 

間違いない。

ここに……シンビオートがいる。

 

それがキャサディか、違うかは分からないけど……居るのは間違いない。

 

私は教会を警戒しながら観察しているナイトキャップをよそに、入り口へと近付く。

 

それを見たナイトキャップが慌てて私を止めた。

 

 

『待てグウェ……グウェノム。私が先行する』

 

『探知できる私が先に行った方が、不意打ちされなくて良いでしょ?』

 

『…………そうだな』

 

 

そう言い返すと、渋々と言った様子で頷いた。

ハリーも後から追いかけて来て……私とナイトキャップの間に挟まった。

 

……うん、まだ彼を凄く警戒してるみたいだ。

 

 

『それじゃあ、入──

 

 

真上。

 

強烈な反応が来た。

 

上から、強襲される!

 

 

咄嗟に触手で足を伸ばして、壁を叩いた反動で自分の体を弾き飛ばした。

ゴロゴロと転がり、そのまま向かいの壁にぶつかる。

 

それと同時に、屋根が砕けて、私の居た場所に大きな質量が落下して来た。

 

ドカン!と強い音がして石床が砕けて散る。

 

 

『チッ!避けたか……だが見つけたぞ、クレタス・キャサディ!』

 

 

そう言って表れたのは……大きな、筋肉質で、真っ黒なシンビオートだ。

……脳内でグウェノムがはしゃいでいる。

 

あぁ、じゃあ、コイツが……グウェノムの『パパ』?

 

つまり──

 

 

『ヴェノム……!』

 

『俺達がお前をブチのめ──

 

「待て待て待て、ヴェノム!」

 

 

ヴェノムの中から、男の声が聞こえた。

 

 

『なんだ、エディ!邪魔をするのか!?』

 

「オイ、キャサディは男だったよな……?」

 

『あぁ、そうだ!気味の悪い男だ!』

 

「目の前の奴は……?」

 

 

ヴェノムが私をジロジロと見る。

……何だか居心地が悪い。

 

そして、目を見開いて驚愕した。

 

 

『胸があるな、女だぞ?エディ!』

 

 

……グウェノムと結合すると身体のラインが出てしまう。

 

 

『……キモ』

 

 

私は嫌悪感を感じて、一歩下がった。

 

 

「だよな?じゃあ──

 

『……キャサディは女だったのか?』

 

「違う!コイツはキャサディじゃないって事だ!」

 

 

……これが、グウェノムの父?

凄く……うん、ポンコツと言うか……うん。

 

そんな私の心境も知らず、グウェノムがはしゃいでいるけど。

 

 

『ヴェノム』

 

 

私の後ろから、ナイトキャップが前に出た。

 

私を庇うように前に立つ。

……いや、私の自意識過剰かも知れないけど。

 

 

『誰だ?いや、待て。見覚えがあるぞ』

 

『……レッドキャップだ』

 

 

……ナイトキャップが、自身を『レッドキャップ』と言った。

 

一体全体、結局の所、彼の名前はどっちなんだろう?

付き合いの短い私にはサッパリ分からない。

 

 

『そうだ!だが、何故だ?前は赤かった筈だ』

 

『今日は少し、色が違うだけだ……』

 

『知ってるぞ、イメチェンって奴だ』

 

 

ヴェノムの声に、宿主……エディと呼ばれた男が口を開いた。

 

 

「なぁ、ヴェノム、もう黙った方が良いと思うぞ……」

 

『何故だ?』

 

「そりゃ……」

 

 

馬鹿な事を言ってるからだろう。

恐らく、宿主は恥ずかしいのだ。

 

微妙な空気になっていると、ドタドタと走って来る音が聞こえた。

 

 

「お、オイ!勝手に先に行くなよ!」

 

『お前が遅いから悪い』

 

 

その声にヴェノムが悪態を吐いた。

……態度的に仲間、なんだろうか?

 

穴の空いた屋根から飛び降りたのは、茶色のスーツに、黄色のアーマーを着込んだ男だ。

フルフェイスのマスクで、目が黄色く光っている。

両腕に大きな手甲(ガントレット)を付けていて、よく目立つ格好だ。

 

そのまま着地して──

 

 

「うぉっ」

 

 

よろけた。

思ったより高度が高かったようで、上手く着地出来なかったみたいだ。

そのまま尻餅をついて、慌てて立ち上がった。

 

私が苦笑いしながら、横のナイトキャップを見ると──

 

 

『……ハーマン?』

 

 

驚いた様子で言っていた。

……彼が驚いている姿は初めて見たかも知れない。

 

 

「あぁ、アンタか。一ヶ月振りだな……って、何で黒くなってるんだ?」

 

『事情があるんだ……それより何故、お前が此処に居る?』

 

 

ナイトキャップが気安い態度で言葉を返す。

……何だか、親しそうな雰囲気だ。

 

どう言う関係なのだろうか?

いや、ハリーが言うにはナイトキャップは殺し屋……ならこの、ハーマンも殺し屋?

 

……先程の姿からは、あんまりそんなイメージが湧かないけど。

 

 

「フィス……いや、あー、オレ達の?ボスからの命令だ。この街に入り込んで来た化物共をボコボコにしろってよ」

 

『……そうか、なるほど。目的は同じ様だな』

 

「いや、良かった。アンタとは戦いたくなかったしな」

 

『まぁ、そうだな』

 

 

何やら親しげに頷いているのを見て、敵じゃないのかと安心して息を吐いた。

 

そして、それを見てヴェノムが口を開いた。

 

 

『ハーマン、その赤い奴の、後ろのガキ共は何だ?』

 

「あ?オレが知るかよ……レッドキャップ、コイツらは誰だ?」

 

『あぁ……』

 

 

レッド……?ナイト?ややこしい。

兎に角、ナイトキャップが私とハリーを一瞥した。

 

 

『この黒いシンビオートと共生しているのは……』

 

『思い出したぞ、『躁病(マニア)』だ!俺の舌を切り取って『ライフ財団』が作ったガキだ……!』

 

『……そうなのか?』

 

 

ヴェノムの言葉に、ナイトキャップが私を見た。

 

 

『今は『グウェノム』よ』

 

『……ン?何だ、どう言う事だ?』

 

 

困惑した様子でヴェノムが首を傾げた。

 

 

『私が付けたの、名前を』

 

『あ?何故だ?』

 

『可愛くないからよ』

 

『……エディ、若い人間の女は考える事が分からない。お前が話せ』

 

「え?は、はぁ?」

 

 

ヴェノムの顔が割れて、宿主、エディの顔が表れた。

何と言うか……冴えない顔をした男だ。

 

 

「ど、どうも?」

 

『どうも』

 

 

ヴェノムよりはまだ、まともな感性と落ち着きがあるみたいで、私が『S.H.I.E.L.D.』のエージェントだって事もすんなりと理解してくれた。

 

……でも、しかし。

これがグウェノムの『パパ』ね。

少し、幻滅したかも知れない。

凄い自分勝手な奴だ。

 

話が済んで、ナイトキャップがもう一人……ハリーを紹介した。

ヴェノムとハーマンとも面識があった様で、ハーマンが引き笑いをしていた。

 

 

「な、何がおかしいんだ」

 

「いや、何……お前が悪いんじゃない……『シニスター・シックス』の面子が殆ど揃っちまってる事にな」

 

「……それは僕にとって、思い出したくない過去だ」

 

 

ハリーが眉を顰めて、目を逸らした。

それを見て更にハーマンが馬鹿にする様に笑っていた。

 

……何だか、あんまり仲良く出来ないかも知れない、この二人とは。

仲良くする意欲が湧かないと言うか……。

 

だって、自分勝手なシンビオートと、チンピラなんだもん。

 

そんな私の心境を知ってか知らずか、ナイトキャップが口を開いた。

 

 

『……私達の目的もキャサディの確保だ。一旦は協力と言う形で構わないか?』

 

「僕は構わない」

 

「オレも、アンタが言うなら反対しねぇよ」

 

 

みんなが同調する中で反論するのは少し、気まずいけど……私は口を開いた。

 

 

『……少し、良い?』

 

『どうした?』

 

『話があるの……そこの、ヴェノムに』

 

 

私が目を向けると、再びエディを黒いシンビオートが覆った。

鋭い目付きで私を睨む。

 

 

『何だ、クソガキ』

 

『……キャサディにシンビオートを植え付けたのは貴方でしょ?』

 

『勝手に奴が奪っただけだ』

 

 

……自分が原因だって、認めるつもりはないらしい。

間接的に、父が死ぬ原因を作ったのはコイツ、なのに。

 

ダメだ。

そんな事を考えていると……怒りに呑まれてしまう。

 

 

『どうしてキャサディを追うの?……責任感?』

 

『『責任感』?『責任』だと?ククッ、聞いたかエディ?傑作だ!』

 

 

その言葉を聞いた瞬間、ヴェノムが馬鹿笑いした。

 

 

『な、何?何がおかしいのよ!』

 

『『責任』とは凡庸な弱者の為の言葉だ!俺達には必要ない』

 

 

頭に血が昇りそうになる。

だけど、押さえ込む。

 

……バナー博士との怒りのコントロールトレーニングが役に立っている。

 

 

『お前もそうだ、躁病(マニア)……いや、今はグウェノムだったか?』

 

『じゃあ、何でアンタはキャサディを追うのよ』

 

 

矛盾点を見つけて、私は訊いた。

その言葉にヴェノムが笑い……舌を伸ばした。

 

 

『俺達は、勝手に盗んだ力を扱い……勝手に暴れている奴が、呑気に生きているのが許せないだけだ』

 

 

あまりにも身勝手で、横暴な理由に私は言葉を失った。

 

 

『そん、なのって……』

 

『勝手に喚いていろ。俺達はお前らに協力しない。ハーマン、お前との協力もここまでだ』

 

「はぁ?」

 

『俺達はガキ共の馴れ合いに手を貸すつもりはない……勝手にやらせて貰う』

 

 

そう言うと、ヴェノムは触手を伸ばし、穴を空けた屋根から上へと飛び上がった。

ハーマンは何か思う所があったようで、レッドキャップを見て……ため息を吐いた。

 

 

「心配すんな、オレはアンタに協力するから」

 

『すまないな、ハーマン』

 

「気にすんな」

 

 

ナイトキャップの背中をハーマンが叩こうとして……ナイトキャップに避けられていた。

 

でも、「アンタら」じゃなくて、「アンタ」ね。

結局、ハーマンも私達の事は気に入らないみたいだ。

 

……頭の中でグウェノムが私を心配する声が聞こえた。

大丈夫よ、と返事をした。

 

 



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#65 キル・ゼム・オール part4

砕けた石片が僕へと迫る。

 

これは余裕を持って回避出来る。

 

確かに超感覚(スパイダーセンス)はヴェノムやカーネイジには反応しない。

だけどそれは、彼等が僕の能力を学習しているからだ。

 

壁を破壊して飛んでくる石は……原因がどうであれ、彼等の能力ではない。

 

僕は石片を回避して──

 

 

「うっ!?」

 

 

激痛。

 

肩に赤い針が刺さっている。

……カーネイジの触手の先端だ。

それを切り離して、瓦礫に紛れさせて発射したんだ。

 

まさか、こんな事が出来るなんて。

 

 

即座に針を引き抜こうとする、

……針の先端が釣り針のように反っている。

無理矢理引き抜くと、周りの皮膚もズタズタだ。

 

……でも、仕方ない。

刺さったままじゃ動きが鈍る。

僕は決心して引っこ抜いて……痛い!

涙が出そうだ。

 

手を握りしめる。

よし。

ちょっと違和感はあるけど、動かせない程じゃない。

 

距離を取って、そのまま壁の裏に隠れる。

カーネイジが歩いて来て、僕が隠れている場所を睨み付けてる。

み、見つかっては居ない筈だけど……。

 

 

『出て来い、臆病者が……逃げるのか?』

 

「今、作戦会議中なんだ、悪いね」

 

 

軽口を叩きつつ、左手のウェブシューターのカートリッジを切り替える。

カートリッジは4番、衝撃波(ショックウェーブ)だ。

 

……ヴェノムは音に弱かった。

これはシンビオートの共通する弱点らしい。

 

なら、目前のカーネイジだって弱い筈だ。

空気の振動をぶつけてやる。

 

 

『一人で作戦会議だと?バカが……お前を真っ二つにして二人分にしてやる!』

 

 

一呼吸、集中だ。

 

 

「それはちょっと遠慮したい、かな!」

 

 

壁の裏から飛び出して、ウェブシューターから衝撃波(ショックウェーブ)を発射する。

 

 

『グッ!?』

 

 

想定外の攻撃にカーネイジが怯んだ。

赤い表皮が捲れて、中にいる宿主、キャサディが見える。

 

僕は糸を飛ばして、キャサディを引き寄せ──

 

 

『うるさい奴め!』

 

 

キャサディの背から生える触手の、先端が切り離された。

 

それは僕の方へ向かって、一直線に飛んでくる。

だけど、針みたいな当たったら痛い……ぐらいの大きさと形状じゃない。

 

小さな手斧だ。

僕の二の腕よりも大きい。

 

当たったら、間違いなく致命傷。

 

だけど超感覚(スパイダーセンス)が利かないせいで、ギリギリの回避なんて出来ない。

 

 

「くそっ!」

 

 

衝撃波(ショックウェーブ)を切って、咄嗟に(ウェブ)を屋根へ発射する。

そのまま上昇して、大袈裟に攻撃を回避する。

 

当たったら死ぬ……そう怯えて攻撃をやめ、回避に専念してしまった。

 

そして、その代償は大きい。

 

目の前にカーネイジが迫っていた。

 

 

「しまっ──

 

 

そして、僕の腹にカーネイジの手が突き刺さった。

 

 

「ぐ、うっ!」

 

 

手を開いて、爪を鋭く尖らせたその手は僕の腹に五つの刺し傷を作った。

 

そのまま天井にぶつけられて、石の装飾が砕け散る。

 

あ、頭がチカチカする。

一瞬、気を失いそうになった。

 

屋根に引き摺るように擦り付けられる。

ガラガラと装飾が壊れて、その衝撃は僕に来る。

 

そのまま地面に投げ飛ばされて、高そうな絵画のレプリカを破りながら床に転がる。

 

い、息、息は、息は出来る。

だけど衝撃に身体が驚いたのか、身体が一瞬動かなかった。

関節が軋む。

 

僕は地面を転がりながら体勢を立て直し、地面に片手をついて止まった。

 

視線はカーネイジの方へ。

……僕の血が付いた手を舐めている。

 

 

う、うわぁ。

 

 

僕を殺そうとする奴等とは沢山戦ったけど……人型なのに、僕を食べようとする奴は久々だ。

ゾッとする。

 

 

『力の差が歴然だ。大人しく喰われた方が辛い思いをしなくて済むぞ?』

 

 

カーネイジが僕の血がついた爪を舐めながら嘲笑った。

 

 

「悪いけどお断りだよ……僕は君のオヤツじゃない」

 

 

強がりながらも、腹の痛みは抑えられない。

痛いのはまだ良いけど……腹筋に力が入らない。

 

 

『そうだな……お前は、(ファーザー)前の前菜だ!』

 

 

地面を蹴って、後ろに下がろうとした瞬間。

 

丁度、カーネイジの横にあるドアが少し開かれた。

 

 

『ムッ!?』

 

 

即座に横を向いたカーネイジに釣られて、ドアの方を見た。

 

銃身がドアから見える。

その先にレッドキャップが半身、見えていた。

……あれ?いや、違う?

いつもは赤いマスクなのに、今日は真っ黒だ。

別人だろうか?

 

……でも、あんな格好をしている人間が他に沢山居るとは思えないけど。

 

見えている銃口は……レッドキャップが使っている所を前も見た、散弾銃(ショットガン)だ。

 

カーネイジとの距離は、殆どない。

至近距離からの──

 

 

炸裂音。

 

 

散弾銃(ショットガン)の発射音だ。

 

カーネイジが反応するよりも早く、発射された。

カーネイジが吹っ飛ばされる。

 

シンビオートは弾丸によるダメージが殆ど効かない。

ただ、衝撃は逃せない。

 

だから、勢いを殺しきれず吹っ飛ばされたんだ。

 

 

直後、背後から聞き覚えのある声が聞こえた。

 

 

「無事か!スパイダーマン!」

 

 

声を聞いて振り返れば……あれ?

ハリーの姿があった。

ゴーグルとマスクを付けているけど、ハリーだ。

 

 

「な、なんで、ここに?」

 

「あぁ……友人の付き添いだ」

 

「友人?」

 

 

僕はレッドキャップを一瞥した。

油断する様子はなく、カーネイジが吹っ飛ばされた方を凝視している。

 

警戒しつつも……少し、驚いているように見える。

追撃する訳でもなく、吹き飛ばされた先を見ているからだ。

 

 

「彼と友達?」

 

「違う、僕のエージェント仲間とだ」

 

 

ハリーが『S.H.I.E.L.D.』に保護されたのは、ジェシカから聞いていた。

だけど、まさかエージェントになってるなんて。

……言ってくれても良いのに。

ハリーはスパイダーマンの正体がピーター・パーカーだと知っているから、「スパイダーマンの連絡先が分からない!」と言う事はないだろう。

 

僕がジトっとした目を向けている事に気付いてないのか、無視しているのか……腰から注射器みたいなのを出して、僕に刺した。

……何の薬かは分からないけど、多分手当してくれてるんだと思う。

 

ガサリ、と音がしてレッドキャップの後ろに誰かが居る事に気付いた。

 

 

「お、やったか?案外、楽勝だったな」

 

 

レッドキャップの後ろから、見覚えのある声と顔が見えた。

 

 

「ハーマン……?」

 

 

茶色のスーツと黄色いアーマー、そして手甲(ガントレット)

ハーマン・シュルツ、ショッカーだ。

 

 

「随分な様子だなぁ、スパイダーマン……だが、俺はハーマンじゃなくて『ショッカー』だ。次間違えたらブン殴るぞ」

 

「あ、うん」

 

 

突っ込む気力もない。

結構、痛い攻撃を連続でくらってるし。

血も沢山流れてる。

 

 

カーネイジが吹っ飛んだ先から、瓦礫が投げ込まれた。

 

 

『むっ』

 

 

レッドキャップが咄嗟にアーマーで弾いた。

壁から出来た石材程度では傷すら付かないようだ。

 

……そして、カーネイジも。

散弾銃(ショットガン)程度じゃダメージは無いみたいだ。

 

 

「おおっと」

 

 

ハーマンが手甲(ガントレット)から衝撃波(ショックウェーブ)を放ち、瓦礫を吹っ飛ばした。

巻き上がった瓦礫の埃も吹き飛んで、カーネイジの姿が見える。

 

全く怪我はなし、元気その物だ。

 

 

『……カーネイジ、か?』

 

 

ようやく敵の姿を直視できたのか、何やらレッドキャップが驚いたような口調で話す。

機械音声だから声色では何を思ってるのか全く分からないけど……。

 

でも、カーネイジの名前を知ってたのか。

……僕も今さっき知ったばかりなのに。

 

 

『次から次へと、邪魔者どもが!』

 

 

触手を振り払い、壁を破壊する。

部屋と廊下がぶち抜けて、大きな広間のようになる。

 

……カーネイジは範囲攻撃が得意だ。

触手を飛ばす攻撃も、遮蔽物が無ければ回避は困難だ。

 

自分に有利な戦いの場を作ろうとしてるんだ。

 

 

その隙にレッドキャップの後ろから黒い影が飛び出した。

 

小さな、女性のような影だ。

 

宙を舞い、そのまま飛び蹴りをカーネイジへと食らわせた。

 

 

『グゥッ!?』

 

 

驚いたカーネイジが振り払おうとするが、それと同時にもう片方の足でカーネイジの身体を蹴った。

その反動で宙を舞い、レッドキャップの近くに着地した。

 

 

『ダメ!全然ダメージ無い!』

 

『……奴は、炎か音でしか対処出来なさそうだ』

 

 

レッドキャップと会話をしている事から、仲間だと言うのは分かる。

 

シンビオートと結合した、女性のような姿をしている。

フードのように大きく裂けた口に、舌がネクタイのように伸びている。

 

 

「……ハリー?あれも知り合い?」

 

「あぁ、彼女が『S.H.I.E.L.D.』の仲間だよ」

 

 

え?

シンビオートと共生してるのに?

 

 

「多分きっと、君とも仲良くなれる」

 

「そうかな……」

 

 

あんまり自信はないけど。

だって、ヴェノムと同じシンビオートだし……。

 

って、それよりも。

 

 

「これってどう言う集まりなの?」

 

「あぁ、これは……」

 

 

レッドキャップの側に、黒いシンビオートと結合した女性と、ハーマンが集う。

 

 

「……まぁ、対クレタス・キャサディ同盟みたいなものだよ」

 

 

歯切れの悪い言葉に首を傾げつつも、仲間が出来たことに僕は少し喜んだ。

 

……息も整って来た。

傷の具合も良い。

さっきの、注射のお陰かも。

 

立ち上がると、ハリーが心配して声をかけて来た。

 

 

「……大丈夫なのか?傷は結構深かったと思うが」

 

「勿論。こんな傷には慣れてるし……まだ、やれるよ」

 

 

足についた埃を払い、レッドキャップの後ろに近寄る。

 

 

「手を貸すよ、目的は一緒なんだろ?レッドキャップ」

 

 

僕が声を掛けると、黒いマスクが振り返った。

……全く、何を考えてるかサッパリ分からないけど。

 

 

『ナイトキャップだ』

 

「あ、そう……よろしく、レッドキャップ」

 

『……あぁ』

 

 

訂正を諦めたようで……頷き、僕らはカーネイジに向き直った。

 

こう言うの、何て言うんだっけ?

確か、ネッドがプレイしてたオンラインゲームの用語で……そう、『レイドバトル』って言うんだっけ?

 

カーネイジが咆哮し、触手を分裂させた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

「おい、ヴェノム。さっきのちょっと態度が悪かったんじゃないか?」

 

『エディ……奴等はシンビオートを甘く見過ぎている』

 

 

俺達は物音がする一層上の通路を走っていた。

 

 

『あんな遊び感覚で、ガキを連れて戦えるような相手じゃない。俺は自分の所為で誰かが死ぬのはゴメンだ』

 

「……守りきれる自信がないからか」

 

『違う、誰かに足を引っ張られるのが嫌なだけだ』

 

 

正直に言えない照れ隠しが6割、それで本音が4割か。

 

ヴェノムの言葉に頷いて、俺達は騒音がする部屋の上に立った。

 

既にアイツらと、キャサディとの戦いは始まっている筈だ。

ヴェノムと繋がっている感覚から、シンビオートの気配を感じる。

 

首の裏を刺すような刺激だ。

 

俺達は足元の亀裂から、下を覗き込む。

 

 

片方は……ハーマンとレッドキャップ、あとガキが二人。

……いや、追加でスパイダーマンも居るな。

 

あの中に参加してたら、ヴェノムがブチギレて居ただろう。

未だにスパイダーマン絡みのニュースを見ると、テレビに向かって暴言を吐いているし。

 

そうして、対面しているのは……赤いシンビオートだ。

恐らく、クレタス・キャサディに違いない。

 

妙に静かになったヴェノムを心配しつつ、俺は口を開いた。

 

 

「よし、じゃあヴェノム。作戦はこうだ。キャサディが真上に来た段階で床を砕いて颯爽と──

 

『帰るぞ、エディ』

 

「は?」

 

 

俺の意志を無視して、俺達の足が動き出す。

ドスドスと早足で、部屋の外に繋がるドアへ向かって行く。

 

 

「お、オイ!ヴェノム、どうしたんだ!?」

 

『想定より拙い事態だ、『赤』はヤバい!』

 

「赤?あぁ、キャサディと結合してる赤いシンビオートの事か?そんなの俺達なら──

 

『ダメだ!』

 

「逃げるのか……?」

 

『ああ、そうだ!』

 

 

素直に肯定された事に驚いて、俺は思わず口を開いた。

 

 

「何でだよ、お前、そんな臆病だったのか!?」

 

『エディ!お前が──

 

 

俺達は足を止めて……ヴェノムが分離し、俺へと向き直った。

 

 

『お前が、死ぬ』

 

「……は?」

 

『当然、俺もだ。ここは一旦退け。万全な準備を整えて、確実に勝てるように準備をする』

 

 

珍しく……本当に、初めて見るかもってぐらい珍しく弱気になっているヴェノムに驚いた。

 

それだけ、本気でヤバい状況なのだろう。

だけど、それでも俺は口を開いた。

 

 

「ま、待てよ、他の奴らはどうするんだ?まだ戦ってるんだぞ!?」

 

『知るか!俺達には関係のない話だ!』

 

「関係ないって……いや、お前のガキだって居るだろ?あの……グ、グ、グウェノム?だったとか?」

 

『シンビオートに親子の絆なんて存在しない……絆があるなら、俺はカーネイジを殺そうとしない』

 

「カーネイジ?誰だよ、それ」

 

『キャサディと結合している奴だ!俺が集合精神(ハイブマインド)から引き出した名前だ』

 

「ハイ、ハイブ……?オイ、もっと説明しろ!」

 

『そんな事はどうだって良い!問題なのは奴が俺達よりも強い事だ!』

 

 

ヴェノムが壁を叩き、砕いた。

 

 

「俺達、よりも?」

 

 

『そうだ!戦えば確実に負けるぞ、エディ……そして、確実にお前は食い殺される。コーデックスを狙ってな……それで良いのか?俺は嫌だ』

 

「ヴェノム……」

 

『分かったら帰るぞ。そうだ、『S.H.I.E.L.D.』の倉庫から武器でも盗む。そいつで武装して──

 

「俺の心配なんてしなくて良い。戦うんだ、ヴェノム」

 

 

ピクリ、とヴェノムの動きが止まり、俺の顔を凝視する。

 

 

『死ぬぞ?』

 

「俺達は……残虐な庇護者(リーサルプロテクター)なんだろ?」

 

『…………そうだ』

 

「なら、自分より弱い奴が戦ってるのに……逃げて良いのか?庇護者なんだろ?」

 

『……だが──

 

「お前が本当は戦いたいのは知っている。逃げる事が嫌いだろ、お前」

 

 

少しして、ヴェノムが頷いた。

 

 

『当たり前だ』

 

「逃げるぐらいなら死んでやるってぐらい気が強いお前が……何で逃げる必要があるんだ?」

 

『…………』

 

「そんなに俺を死なせたくないのか?」

 

『違う』

 

「大丈夫だ、ヴェノム。俺達は一つだ。死ぬ時は覚悟してる……それに──

 

 

ヴェノムと目が合う。

 

 

「俺達は負けない、そうだろ?」

 

 

ヴェノムの目が鋭く、鋭くなって行く。

 

 

『……そうだ』

 

 

口は弧を描き、長い舌が露出する。

 

 

『そうだな!』

 

 

俺の身体をヴェノムが覆う。

元の真っ黒で、残虐な俺達に戻る。

 

俺達は元いた位置に早足で戻った。

深呼吸をして、作戦を考え……ヴェノムへ伝える。

 

 

「じゃあ、ヴェノム。作戦は──

 

『今すぐ飛び降りて、ブチのめす!』

 

「あ?え、待っ──

 

 

床を叩き割り、カーネイジの頭上から落下する。

 

カーネイジが見上げて、俺達と目が合う。

 

 

『来やがったな!(ファーザー)!』

 

『ブッ殺してやる!』

 

 

俺達の右腕がカーネイジの顔面にぶつかる。

カーネイジの触手が俺達の身体に突き刺さる。

足で踏み付け、顔面にフックを繰り出す。

カーネイジの体皮が壁に弾け飛ぶ。

触手が斧のような形状をして、頭上に迫る。

 

 

『殺して食ってやる、(ファーザー)!』

 

『喰うのは俺だ!死ぬのはお前だ!不肖の息子(クソガキ)め!』

 

 

腕を振り上げ、斧型の触手へと叩きつける。

斧がずれて肩に刺さるが……表面を引き裂いただけでダメージは無い。

だが、その手を掴まれて、壁へと放り投げられた。

 

空中で体勢を立て直すが、そのまま壁が耐え切れず、別の部屋へと投げ飛ばされた。

 

……周りの奴等が、少し引いたような目で俺達とカーネイジを見てやがる。

 

 

『早く加勢しろ!』

 

 

そう言うと、グウェノムがため息を吐いた。

 

 

『全く、手の掛かる『パパ』なんだから……』

 

 

そんな事を言いながらも、爪をナイフのように鋭く尖らせて俺達と並び立つ。

 

 

『やめろ!俺達をそんな変な呼び方で呼ぶな!俺達は──

 

 

足を踏み出し、地面を砕く。

 

 

『ヴェノムだ!』

 

『はいはい』

 

 

俺達とグウェノムは、カーネイジに飛びかかった。



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#66 キル・ゼム・オール part5

ヴェノムが腕を振るう。

コンクリートの壁に丸く穴が空くほどの腕力で、ストレートを繰り出した。

 

大振りな攻撃をカーネイジは回避し、触手で薙ぎ払う。

ヴェノムの皮膚が引き裂かれるが……1秒程で傷はなくなる。

シンビオートの再生能力の前では、細かな傷などダメージの内に入らない。

カーネイジは致命傷を狙っている訳ではなく、消耗によるパワーダウンを狙っている。

 

カーネイジは追撃に一歩踏み込み、その爪を構え……グウェノムによって防がれた。

グウェノムがその赤い腕を掴み、捻る。

その勢いのまま、蹴りを顔面へと繰り出した。

 

しかし、カーネイジは腕を掴まれたまま、力任せに腕を振りまわした。

 

 

『あっ!?』

 

 

グウェノムは振り解かれ、投げ飛ばされヴェノムに衝突した。

 

 

『うっ!?』

 

『ぐあっ!?』

 

 

二人と二匹はそのまま絡まるように転がり、壁にぶつかった。

 

ひっくり返ったグウェノムの上に、ヴェノムが倒れている。

 

 

『邪魔だ!クソガキ!』

 

『そっちこそ、早く退いてよ!』

 

 

……まるで、チームワークがなっていない。

片方は我の強い……いや、我が強過ぎる宇宙生物(シンビオート)、もう片方は戦闘経験が殆どない女子高校生。

 

気が合う訳もなく、連携できる訳でもない。

 

 

「ちっ、狙いが定まらねぇ……」

 

 

横を見れば、手甲(ガントレット)を構えながらも、カーネイジを捉えられないハーマン。

 

『ショッカー』は超能力(スーパーパワー)を持たない悪人(ヴィラン)だ。

普通の人間が、ハイテク装備をしているだけに過ぎない。

 

反射神経や動体視力は並だ。

目の前で繰り広げられてる超人同士の戦闘にはついて来れないのだろう。

 

それに……カーネイジに不用意に接近すれば、触手を切り離して攻撃される。

ハーマンでは回避する事も出来なければ、耐える事もできない。

良くて戦闘不能、悪ければ死だ。

 

そんな博打を打てない彼は、距離をとってカーネイジの動きが止まるのを待つしかない。

 

スパイダーマンとハリーも飛び込み、攻撃を仕掛けるも……いなされて、吹っ飛ばされる。

ハリーに至っては血を流している。

 

もう殆ど乱戦状態だ。

フィジカルに優れるスパイダーマン、ヴェノム、グウェノムだけが接近戦を熟せている。

四人共、同程度の身体能力がある……ハリーは一歩遅れていると言った感じか。

 

私も、彼等よりは僅かに身体能力が劣る。

……私はヴィブラニウム製のスーツが無ければスパイダーマンと戦えない。

そして、そのスパイダーマンと同等か、それ以上のパワーを持つカーネイジに勝てる道理はない。

 

 

『カーネイジ』……か。

その姿を見て、私はコミックの記憶を思い出した。

彼はスパイダーマンを学習したヴェノムの子供だ。

なので、彼等と同程度の腕力や俊敏性がある。

スパイダーマンのコピーのコピーだから、当然の話だ。

 

身体能力は互角。

 

だが、スパイダーマンは超感覚(スパイダーセンス)を無効化されて、分が悪い。

ヴェノムとは……カーネイジの宿主、クレタス・キャサディで差が付く。

奴は生まれながらのシリアル・キラーだ。

人殺しに天賦の才がある。

 

人間だった頃から何人もの被害者を殺しながら、生き延びてきた才能……それは洞察力、危機感知能力、戦闘センス、思考パターンだ。

 

ただの新聞記者であるエディ・ブロックには持ち得ないセンス。

そして、キャサディはカーネイジを使い熟している……いや、カーネイジが主体となり、完全に一体化している。

そして、宿主の凶暴性もシンビオートの特性と強く結び付いている。

 

コミックでも、スパイダーマンとヴェノム、二人がかりで何とか倒せたような強敵。

それが『カーネイジ』だ。

 

 

……だが、この世界のスパイダーマンは……まだ若い。

ティーンエイジャーで、戦闘経験も浅い。

ましてや、普段は自分よりも身体能力で劣る悪人(ヴィラン)達を、殺さぬように手加減しながら戦っている程だ。

自分と同等、いや、それ以上の敵と戦うなんて事は殆ど無いだろう。

 

 

……しかし何故、今更。

何故、こんな記憶を思い出したのか?

少し、疑問が脳裏を過ぎる。

以前からそうだ。

 

私は前世の記憶を忘れ過ぎている。

……いや、忘れているが、何かの拍子で頭に蘇る。

 

忘れているなら、こんな鮮明に思い出せない筈だ。

 

まるで……何かに鍵を掛けられて、解錠されたような──

 

違う、今はそんな事を考えている場合じゃない。

 

 

恐らく、この世界のスパイダーマンでは、ヴェノムと組んでも勝てない。

かと言って、グウェノムや、ハリーは戦闘力としては不足している。

 

私もヴィブラニウム製のスーツが無ければ……カーネイジと正面からは戦えない。

 

……チッ、スーツさえあれば。

そう考えても仕方のない話だが、思わず愚痴を言いたくなる。

 

それに私を含めて……全員がチームでの戦闘経験が少ない。

故にチームでの戦いに慣れておらず……6人集まっても足して6のパワーは出ていない。

良くて3か2ぐらいだ。

正面から敵にぶつかろうとも、互いに邪魔になり思うように攻撃出来ていない。

 

 

それに比べて、カーネイジはどうか?

……奴は対多人数戦闘において、無類の強さを誇る。

その触手による攻撃は広範囲、かつ連続の攻撃を可能としている。

厄介極まりない。

 

人数の差で有利だとしても、我々が勝てない理由がコレだ。

 

 

ならば、奴に勝つにはどうするか?

 

弱点を突く、これしかないだろう。

 

そして、カーネイジ・シンビオートの弱点と言えば……『炎』と『音』だ。

 

『炎』なら、ハリーの武器に頼る事が出来る。

ゴブリンの使用していた爆弾が該当する。

だが……先程のライオットとの戦いを鑑みるに、有効打とは言えなさそうだ。

もっと強力な……それこそ、ヒューマントーチや、ファイアスターのような炎を司る超人でなければ致命傷を与える事は難しい。

 

 

なら、『音』だ。

 

つまり、『ショッカー』の『バイブロ・ショック・ガントレット』が対カーネイジ戦に於いて重要になる。

ハーマン・シュルツは技術者だ。

この場でシンビオートの嫌がる周波に手甲(ガントレット)を調整させ、攻撃させれば……有効打になりうる。

 

問題は彼の身体能力が一般的な人間レベルだと言う事か。

そこは似非超人である私がカバーすれば良い。

 

……だが、周波数を調整した衝撃波(ショックウェーブ)だけでは、カーネイジの動きを封じられてもキャサディを止める事は難しい。

 

 

カーネイジはヴェノムとスパイダーマン、そしてグウェノムと戦っている。

……息を切らしているハリーに、私は近付く。

 

 

『ハリー、少し良いか?』

 

「う……あぁ、何だ……?」

 

 

眉の下が切れて、血が目に入って鬱陶しそうにしている。

だが、呼吸も荒いまま私を睨み付けた。

 

……まぁ、闘志は十分のようだ。

これなら任せられるか。

 

 

『耳を貸せ……作戦がある』

 

「……信用、して良いんだな?」

 

『少なくとも、奴を倒すまでは』

 

 

私がカーネイジに目を向ける。

 

スパイダーマンが(ウェブ)の反動を活かして跳び蹴りを放っていた。

そのまま足を掴まれて、振り回される。

 

 

「うわあっ!」

 

 

情けない声をあげながら、地面に叩きつけられた。

石のタイルが砕け散る。

……中々、痛そうだ。

 

流石に、このままでは勝てないと悟ったのか、ハリーが深く息を吐いた。

 

 

「分かった、信じる。だが、今だけだ」

 

『それで十分だ。それと……ハーマン、少しこっちに来てくれ』

 

「ン?オレか?」

 

 

三人が時間を稼いでくれている間に、指示をする。

互いに連携を……なんて話ではない。

ただ単純に、順に的確な行動をするだけだ。

 

チームワークなんかじゃない。

即席チームの連携なんて信用できる物ではない。

私は彼等を駒として、活用する。

彼等は指示された通り、的確に動く。

 

私情を挟まず、アドリブは最小限に……。

それが最善(ベスト)だ。

 

そして、消費すべきリソースを選ぶ。

力で負けて、連携も取れないならば、それ以外の『何か』で埋め合わせする必要がある。

 

彼等の命は賭けられない。

今、最も安全に……そして使い捨てられる物は何か?

 

結論は既に出ている。

 

……私はハリーの鞄から一つ、球体を拝借する。

そして、二人が頷いたのを確認して、私は前線へ向かう。

 

太腿からナイフを引き抜き、片手に散弾銃(ショットガン)を構える。

 

 

『隙を作ってくれ、私が奴を倒す』

 

 

マスク越しに声を出せば、ヴェノム、スパイダーマン、グウェノムが一瞬こちらを見た。

各々、このまま戦い続けても勝てない事は理解している。

 

 

「OK!」

『了解……!』

『…………チッ』

 

 

……返事をしたのは二人。

一人は舌打ちだが……同意と受け取って良いだろう。

 

ヴェノムが腕を振りかぶりカーネイジに叩き込もうとし……振り払われる。

 

グウェノムが爪を硬化させて引き裂こうとするが……触手に防がれる。

 

スパイダーマンが(ウェブ)を放ち、カーネイジの足に引っ掛ける。

そのまま引き寄せて転ばせようとするが、爪で(ウェブ)は切られた。

カーネイジが腕を振るい……両手でそれを受け止めた。

何とか受け止めるだけで精一杯の様子だ。

 

だが、三人がカーネイジの攻撃を食い止めてくれた。

 

……カーネイジは手強い。

安易に隙は作れない。

 

それに、先程、私が声を掛けた所為でカーネイジは私に意識を割いている。

 

だからこそ、だ。

それが狙いだ。

 

 

『全員、離れろ!』

 

 

私はナイフを突き出し、真正面から突っ込む。

一見するとバカな行為だ。

 

先端を硬化させた触手が私に殺到する。

私は半身を逸らし、体を捻り、足を踏み込む。

散弾銃(ショットガン)で目前の触手を吹き飛ばす。

 

だが、これだけでは全てを回避する事など出来ない。

 

散弾銃を投げ捨てて、咄嗟に盾にするが──

 

 

ナイフのような形状をした触手が、アーマーをバターのように貫通して私の身体を切り裂いた。

 

皮膚だけじゃない。

筋肉の繊維ごと切り裂かれている。

 

普通なら激痛で身を悶えさせるような深い傷だ。

 

 

……治癒因子(ヒーリングファクター)は自身の傷を認識して治療部位を集中すれば、効率よく回復できる。

私は皮膚や血管はそのままに、動きに最低限必要な筋肉のみ修復する。

 

表面の傷はそのままで良い。

 

そのまま、触手を踏み台に飛び込む。

ナイフを逆手に持ち、カーネイジの頭に目掛けて振り下ろす。

 

 

『……バカめ!』

 

 

だが、そんな隙だらけの攻撃など、カーネイジからすれば対した脅威ではない。

 

触手の間合いの内に入られたら、腕を振るうだけだ。

カーネイジの爪が私に突き刺さる。

 

腹部の装甲を容易く貫き、私の腹に刺し傷を幾つも生み出した。

 

 

……グウェノムの悲鳴が聞こえた。

スパイダーマンの息を呑む声が耳に聞こえた。

 

だが私は、悲鳴をあげない。

動きも緩めない。

 

 

ハーマンを一瞥する。

……彼は困惑した顔で私を見ている。

目に見えて狼狽えている。

 

チッ、『私が隙を作る』と言っただろうが。

細かな詳細を伝える時間は無かったが……今はどう見ても好機だろう。

 

私は血を吐きながら、ショッカーに声を出した。

 

 

『やれっ、ハーマン!』

 

 

血でくぐもった声は、マスクによって調整され機械音声として出力された。

……喉元まで血が昇っており、口の中で泡のようになっている。

 

私は腹に突き刺さったカーネイジの腕にナイフを突き立てる。

そのまま、アーマーのクローと結合し、引き剥がせないよう固定する。

 

 

ハーマンが我に返る。

即座に手甲(ガントレット)を構えた。

 

カーネイジが状況を理解し、焦る。

咄嗟に腕を引き抜こうとするが、無駄だ。

 

私はナイフを持っていない方の左手に握っている球体を起動した。

ハリーから貰ったパンプキンボムだ。

 

瞬間、爆発音と共に肉の焼ける音がした。

 

 

『ガッ!?』

 

 

パンプキンボムの内部には、可燃性の粘着物質が入っている。

焼夷弾と同様の仕組みだ。

それは炎上しながら周りに撒き散らかされた。

 

左腕のアーマー部に付着しており、絶えず燃焼している。

 

が、これ、は、拙い。

ショックで気を失、い、そう、だ。

 

私は舌を強く噛んだ。

激痛と共に、口の中に鉄の味が広がる。

無理矢理目を覚まして、腕の激痛から気を逸らす。

 

どうせ、治癒因子(ヒーリングファクター)で治る。

痛いのは、今だけだ。

 

左手を一瞥する。

幸い、表面のアーマーにダメージは殆どない。

だが、このアーマーはヴィブラニウムではない。

貫通した熱が、合金で出来た装甲の下にある腕を焼いている。

オーブントースターに腕を突っ込んで起動したような状況だ。

 

インナーと皮膚が溶けてグチャグチャになり、アーマーと癒着している。

 

 

ハーマンは手甲(ガントレット)を私と、カーネイジに向けている。

 

そうだ。

私が隙を作って、彼の手甲(ガントレット)で攻撃する。

それが作戦と呼ぶには単純過ぎる……狙いだ。

 

……だが、撃たない。

ハーマンは手甲(ガントレット)を構えたまま、腕を振るわせて、私を見ている。

 

何故、撃たないんだ?

まさか、怖気付いたのか?

 

……いや、私が巻き込まれる位置にいるから撃てないのか?

 

 

カーネイジが焼けた体皮を削り捨てて、その爪を振るった。

 

ブチリ、と何かが切れる音がした。

それは、肉が断ち切られた音だ。

 

宙に『何か』が飛んだ。

……ナイフを突き立てていた、私の右腕だ。

肘から先がカーネイジに刺さったナイフと結合したまま、切り離されたのだ。

 

支えを失った私は、地面に投げ出されつつ……咄嗟に、地面で燃えている可燃性の液状爆薬に傷口を突っ込んだ。

 

治癒因子(ヒーリングファクター)で治している余裕も、時間もない。

傷口を焼いて無理矢理止血するが、カーネイジが私へと腕を振り上げる。

 

 

『まずはお前だ!』

 

 

防御体勢を取ろうとするが……左腕は神経まで焼けて動かない。

右腕は断ち切られてしまった。

 

 

『ちっ──

 

 

頭上からカーネイジの爪が振るわれて──

 

 

咄嗟に、何かに引き寄せられる。

爪は私の居た場所に、大きな爪跡を残した。

 

私を引き寄せたのは……(ウェブ)だ。

スパイダーマンに引き寄せられたのか。

 

 

……助けられたのか、私は。

 

 

直後、強烈な衝撃波(ショックウェーブ)がカーネイジに命中した。

 

 

『ギャアッ!?』

 

 

ハーマンめ、遅い。

遅過ぎる。

 

後で殴……腕がないな。

左腕に感覚はない。

右腕はそもそも肘から先がない。

 

……蹴り飛ばすか。

 

 

ハーマンは身を捩り苦しむカーネイジに対して、そのまま衝撃波(ショックウェーブ)を浴びせ続ける。

 

 

「……ハッ、精々、苦しみやがれ」

 

 

ハーマンが息を切らしながら、足を踏ん張っている。

 

カーネイジは堪らず、キャサディの中に逃げ込んだ。

やはり、衝撃波(ショックウェーブ)攻撃の効果は、シンビオートに対して絶大のようだ。

 

姿を見せたキャサディは……囚人服の姿のままだ。

宿主の内部にシンビオートが隠れた事によって、衝撃波(ショックウェーブ)の効果が薄れた。

 

そのまま逃げ出そうとして──

 

 

ハリーに掴まれた。

 

 

「ぐっ!?」

 

「逃す訳、ないだろ!」

 

 

幾らシリアル・キラー……殺しの才能があると言っても、キャサディ自身は超人ではない。

比べて、ハリーは強化薬を服用した超人だ。

 

衝撃波(ショックウェーブ)によって動きが鈍いカーネイジが迎撃しようとするが、それよりもハリーの動きが速かった。

 

そのまま地面に引きずり倒して、ハリーは腰から注射器を取り出し……突き刺した。

 

 

「あ、がっ!?」

 

 

キャサディは苦悶の表情と、苦しげな声を出している。

だが、注射器に入っているものは毒物ではない。

 

ただのビタミンCだ。

……まぁ確かに、過剰摂取すれば毒にもなるかも知れないが。

 

だが、シンビオートに対しては下手な毒物よりも遥かに強力な鎮圧剤となる。

彼等は宿主の血中にあるビタミンCの濃度が上がれば、結合していられなくなる。

シンビオートの特性だ。

 

カーネイジが悲鳴をあげて、キャサディの体から這い出てくる。

 

 

『引き剥がしてやる!』

 

 

瞬間、ヴェノムが飛び出し、カーネイジを掴み……キャサディから引き剥がした。

ブチブチと繊維が千切れる音がする。

 

 

『ギャアァッ!?』

 

 

キャサディから本体を引き剥がされたカーネイジは、そのまま壁に投げ捨てられた。

赤い液状の寄生生物が、壁に掛けられている傷だらけの宗教画に張り付いて……地面に落ちた。

 

そのまま、パンプキン・ボムによって発生した炎に落下した。

 

 

『あッ、熱い、熱……い』

 

 

悲鳴を上げながらカーネイジが燃えていく。

ドロドロに溶けながら、まるで可燃性の液体のように大きく火を撒き散らしながら身体を捩っている。

 

それを、横たわったままキャサディは見ていた。

 

 

「……あ、あ、あぁ、そんな」

 

 

手に入れた力が目の前で燃えていく。

その事実にショックを受けるキャサディを…………私は見下ろしていた。

 

すぐ、側で。

 

 

「……あっ──

 

 

キャサディが私に気付いた。

だが、深く結合していたシンビオートが引き剥がされた直後だ。

身体が上手く動かせないようで……顔だけをこちらに向けて、体は横たわったままだ。

 

私はキャサディの首に足を乗せようとして──

 

 

『なっ、何してんの!』

 

 

グウェノムに飛び掛かられた。

私とグウェノムは転がりながら、壁にぶつかった。

 

 

『…………』

 

 

私は無言のまま、グウェノムと目を合わせた。

 

スパイダーマンと、ハリーの私を見る視線が厳しくなる。

先程までは確かに協力していた。

 

だが、ハリーには言った筈だ。

信用して良いのは(カーネイジ)を倒すまで、だと。

 

 

『今、殺そうとしてた……でしょ?』

 

『それが、どうかしたか?』

 

 

私は悪びれる事なく答えた。

そもそも、私は悪人を殺す事を『悪い事』だと思っていない。

 

人を殺すような屑は殺されても仕方がないのだ。

私や、キャサディ……こんな奴らは死んだ方が良い。

 

 

『どうしたって……約束、したのに!』

 

 

……あぁ、そう言えば。

警察車両の中で「殺さずに捕まえる」なんて言っていたな。

 

……まさか、本当に信じているとは。

グウェノム……いや、グウェンが少し心配になる。

こんなに怪しい風貌の、悪人の言葉を信じては良い訳がない。

 

いつか、詐欺師に騙されてしまわないか私は心配に──

 

 

『本当は良い人だって、思ってたのに……!』

 

 

……本当に、彼女は。

人を見る目がない。

 

 

『嘘に決まっているだろう?退け』

 

 

唯一無事だった足でグウェノムを押し退けて、距離を取る。

カーネイジとの戦いで力を使い果たしてしまったのか、無抵抗のまま地面を転がる。

……そして、ハリーに抱き止められて、停止した。

 

 

これでようやく……と思いたいが、生憎、スパイダーマンとハリーが私を止めようとしている。

 

二対一……無理だな。

肉体の損傷的に、彼等を無視してキャサディを殺す事は難しい。

 

ならば、仲間を増やせば良いだけの話だ。

 

 

『ヴェノム、お前もキャサディを喰い殺したいのだろう?手伝え』

 

『俺達に命令するんじゃねぇ!だが……奴を殺すのには賛成だ!奴は俺が喰い殺す!』

 

 

ヴェノムもキャサディを喰い殺したくて我慢出来ない様子だ。

それはそうか。

彼等に『人殺しはダメ』という考えはあっても、それ以上に『悪人は喰い殺す』と言う欲望の方が強い。

 

 

『ハーマン、お前はどうする?』

 

「オレは……態々、もう戦えねぇ奴を殺すってのは好きになれねぇ」

 

『……そうか』

 

 

想定外の発言に私は驚きつつも、頷いた。

 

仕方ないか。

 

手負いの私とヴェノム。

スパイダーマン、グウェノム、ハリー。

 

……手数が足りない。

せめて、誰か一人を戦闘不能に出来たら。

 

 

『く、うぅっ……』

 

 

グウェノムがハリーの側で唸る。

苦しそうだ。

 

直後、アラーム音が聞こえた。

その音はグウェノムから聞こえる。

……恐らく、中でスマホが鳴っている音だ。

 

 

「まずっ、グウェノム!」

 

 

ハリーが咄嗟に、グウェノムへと駆け寄った。

 

そして……シンビオートの結合が解除された。

 

 

「もう3時間経ったのか……?」

 

 

以前、言っていた結合時間の限界か?

ハリーの言葉から推測しつつも、想定外の事態に私は動けずに居た。

 

素顔になったグウェンの服装は……誕生日会の時と変わっていない。

ハリーのようなエージェントの服装じゃない、普通の私服姿だった。

 

そのグウェンの口からは、血が垂れていた。

カーネイジと戦っている間に口を切ったのか?

傷口自体はシンビオートの再生能力で治っているようだが……それでも痛々しい。

 

そう、思いつつも。

 

この場で一人、彼女の正体を知らず……それでも彼女と仲の良い友人がいた。

 

ピーター・パーカー、スパイダーマンが……グウェン・ステイシーを呆然と見つめていた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

私、ナターシャ・ロマノフは『ブラックウィドウ』として完全装備でニューヨークまで来ていた。

 

その理由は、この──

 

 

「シッ!」

 

 

私は電撃を纏ったスティックを、短い呼吸と共に振るう。

そして、緑色のシンビオートに叩きつけた。

 

怯みながらも、背中から鞭のようにしなる触手が飛んでくる。

その触手に足を掛けて飛び上がり、シンビオートの頭に踵を叩きつける。

 

 

『ぐあっ』

 

 

小さく悲鳴をあげたシンビオートに、右腕を押し付ける。

そのまま、右腕に装着された腕輪『ウィドウズ・バイト』を起動する。

 

スパークが発生して、シンビオートの宿主へダメージを与える。

 

 

『ぎゃああっ!?』

 

 

断末魔が聞こえて、シンビオートが動きを止めた。

……中の宿主が気絶したようだ。

 

呼吸を整えながら、拘束具を腰のポーチから取り出し──

 

その瞬間、緑色のシンビオートが宿主から分離して私に飛び掛かった。

 

 

「……ッ!」

 

 

想定外の攻撃に驚きつつも、そのシンビオートを蹴り飛ばした。

そのまま壁にぶつかり、トマトのように潰れた。

 

そして、ドロリ、と溶けるようにマンホールへと吸い込まれて行く。

 

……蓋の隙間から、下水道へと流れていく。

 

 

取り逃がした。

 

だけど……シンビオートは、宿主が居なければ長時間生きる事すら出来ない。

一先ずは安心と言った所か。

 

 

「全く……何がちょっと殺人犯を捕まえるだけ、よ……あの()と同じ、シンビオートが居るなんて聞いてないわよ」

 

 

誰に言う訳でもなく、一人愚痴る。

 

 

「……もしかして、キャサディもかしら?」

 

 

ため息を吐きながら、電磁警棒を腰に仕舞う。

 

日中はニュージャージーに居たのに……ニック・フューリーに呼ばれて、私は急いでニューヨークまで来た。

グウェン・ステイシーの父を殺害した脱獄犯の捕縛……それと、彼女が暴走しないように監視すること。

これが私に課せられた任務だ。

 

……初っ端から、全く知らないシンビオートと戦わされるし、想定外の事ばかりだけど。

 

 

直後、爆発音が後ろで聞こえた。

 

思わず両手で耳を覆う。

 

振り返ると、ビルの三階の窓ガラスが割れた。

爆風に吹き飛ばされたガラス片が地面に落ちて、細かく砕ける音がした。

そして、その窓から粘性の何かが飛び出した。

 

 

『キ、キェエ……』

 

 

それは焼け焦げて……色も分からなくなっているシンビオートだ。

 

窓の縁に足を掛けて、男が立っている。

黒いジャケットを着た男だ。

口と鼻を覆うマスクまで着けているが……目付きは鋭く厳つい顔をしているのが、マスクの上からでも分かる。

その右手には『S.H.I.E.L.D.』の標準装備である火器が握られている。

 

 

……まぁ、全く焦る必要はないけれど。

私達の仲間だ。

 

そのまま飛び降りて、彼は左腕を地面に突き立てて着地した。

そこそこの高さだ。

衝撃が相当ある筈だが……堪える様子はない。

あの特異な左腕の性質故か。

 

私は彼に声を掛ける。

 

 

「あんまり目立つ事はしないって、言わなかった?焼夷弾は目立たない武器かしら」

 

「そうも言ってられなくなった……相手はシンビオートだ。油断すれば逃げられる」

 

「うっ……まぁ、そうね」

 

 

実際、私は取り逃がしてしまった。

……死に際を確認できなければ、死んでない可能性が出来てしまう。

 

心配性で秘密主義者な上司は、それをどう思うだろうか?

……また、面倒な事に巻き込まれなければ良いけれど。

 

彼が足元の焼け焦げて動かなくなったシンビオートを踏み躙る。

……完全に殺したようだ。

 

そのまま私を見て、声を掛けてきた。

 

 

「それで、君の弟子の場所は?」

 

「弟子って……部下か、せめて後輩って呼んで欲しいわね」

 

 

確かに私はグウェン・ステイシーを指導したが……自分が師匠だなんて思った事はない。

そもそも、私は教師役なんて柄ではない。

彼女は『S.H.I.E.L.D.』の後輩で……部下みたいな物だ。

それだけの関係だ。

 

 

「そうなのか?随分、他人行儀だな……君達は仲が良さそうだったが」

 

「……はぁ、彼女は、こっちの教会の方に居るわ」

 

 

私は手元の小型端末を見る。

……彼女の首に埋め込められたマイクロチップのGPSだ。

プライバシーの侵害……かも知れないが、それだけシンビオートは危険な存在で、宿主も含めて管理しなければならないと言う訳だ。

フューリーだけじゃなく、面倒な国防長官にも危険視されている。

 

 

「そうか、急ごう。ナターシャ」

 

「……えぇ、そうね。急ぎましょ」

 

 

私はため息を吐いて、先行する彼に付いていく。

 

彼が左の肩を解すように回した。

サイバネティック・アームの軋む音が聞こえた。



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#67 キル・ゼム・オール part6

僕は……目の前にある光景に……思考が一瞬、停止した。

 

ハリーの仲間の……シンビオートに寄生されたエージェント……その正体が、グウェン?

 

突如、目前に現れた僕の日常の友人。

その、姿。

 

なんで?

どうして?

 

でも、確かに考えてみれば……グリーンゴブリン……ノーマン・オズボーンにビルから落とされて……怪我をして、二度と歩けないと言われていたのに完治した理由。

それが、シンビオートならば……なるほど、納得出来る。

 

だけど、彼女が『S.H.I.E.L.D.』のエージェント?

平和維持組織の、テロリストや宇宙人なんかとも戦うエージェントだって?

 

……そんなのって、危ないじゃないか。

どうしてそんな、危ない事を……?

それにシンビオートだって危険だ。

 

ハリーは……ハリーは知っていたのか?

 

シンビオートとの結合が解けて、立てなくなっているグウェンをハリーが抱き抱えている。

 

間違いなく、知っていた。

絶対に知っていた。

 

何で教えてくれなかったんだ?

……知らなかったのは僕だけ、なのか?

 

いや、少なくともネッドは知らない筈だ。

ミシェルだって……。

 

でも知ってたからって、僕にどうにか出来る話じゃないんだろうけど。

そんな事が考えたい訳じゃない。

 

それでも、何で、分からない。

 

思考が錯綜する。

 

 

「スパイダーマン!」

 

 

ハリーが叫んだ。

 

そこで僕は我に返った。

 

ヴェノムがキャサディへと走って来ていた。

 

 

「く、そっ!」

 

 

意識を切り替える。

 

ハリーには聞きたい事が沢山ある。

グウェンにだって。

 

だけど、今の僕は親愛なる隣人(スパイダーマン)だ。

目の前に死にそうになっている人がいるなら、それが誰であっても助ける。

それが最優先だ。

 

ウェブシューターから(ウェブ)を放ち、ヴェノムの腕に貼り付けた。

 

そのまま、横に移動しながら引っ張る。

キャサディから引き剥がそうと──

 

 

『退きやがれ!』

 

 

ヴェノムがその腕で(ウェブ)を掴み、引っ張り返してくる。

 

 

「くっ!」

 

 

力は互角だ。

 

足を強く地面に突き立てる。

衝撃に石畳が割れて、跳ね上がる。

 

宙に浮いた石片を、足で蹴り飛ばした。

 

 

『あがっ!?』

 

 

ヴェノムの顔面に命中し、力が弱まる。

その隙に、もう片腕のウェブシューターのカートリッジを切り替える。

衝撃波(ショックウェーブ)だ。

 

 

「大人しく、してくれ!」

 

 

中指でトリガーを起動し、発射する。

 

衝撃波(ショックウェーブ)がシンビオートに効くのは、カーネイジの例から良く分かっている。

 

弱点を突かれてよろける。

ヴェノムに付いた(ウェブ)を足で踏みつけて、下向きに引っ張る。

 

腕を地面に引き寄せられたヴェノムは、そのまま転倒した。

 

 

『ぐ、あっ!?』

 

 

石材で出来た床に顔をぶつける。

砕けて地面に頭を擦り付けさせる。

 

拘束しようとウェブシューターを──

 

 

ダメだっ!

 

キャサディを狙ってるのはヴェノムだけじゃない!

 

 

僕はキャサディの前に滑り込み、蹴りを腕で防いだ。

黒い金属製のアーマーを纏った足……レッドキャップだ。

 

 

「くぅ……!」

 

 

骨が、軋む。

 

凡そ、普通の人間では有り得ないパワーで足が振り切られた。

衝撃を腕で防ぎ切れず、側頭部に足先がぶつかる。

ぐらり、と視界が揺れて転がされた。

 

即座に姿勢を立て直し、レッドキャップを見る。

 

だけど、彼の顔は僕じゃなくてキャサディを見ている。

 

僕は(ウェブ)を飛ばし、足に引っ掛ける。

 

 

『邪魔だ!』

 

 

足を後ろに振り、僕を引っ張る。

前に引き寄せられて僕は倒れる。

引き摺って、石床が捲れ上がる。

 

 

レッドキャップは両腕を失っている。

右腕はキャサディに切断されている。

左腕も……爆弾で燃えたのか動かす素振りもない。

 

明らかな重傷。

なのに、動きは衰えない。

 

 

「う、ぐっ!」

 

 

力を込めた所為で、キャサディに付けられた傷が痛む。

凄く、凄く痛い。

 

今すぐ家に帰って、寝たい。

横になって、休みたい。

 

思わず、そう考えてしまう程に痛い。

 

 

でも、絶対、確実にレッドキャップの方が痛むはずなんだ。

キャサディに対する殺意が何故、そんなにあるかは分からない。

 

これも彼が言っている『仕事』なんだろうか?

 

 

レッドキャップは(ウェブ)が切れず、更には僕に引っ張られてキャサディに近づけない。

その事に苛ついたのか、僕に向かって駆け出した。

 

僕は両足で地面を蹴り、彼に飛びかかる。

 

腰を両手で掴み、そのまま転がる。

 

 

『邪魔をするな!』

 

「それは、無理な相談かな!」

 

 

転がって、転がって……彼が下で、僕が上に跨る。

彼の両腕は使えない。

 

僕はウェブシューターを──

 

 

背中に、超感覚(スパイダーセンス)が危機を鳴らした。

 

咄嗟に背中へ迫って来ていた爪先を防ぐ。

仰向けのまま、レッドキャップが足を振り上げたんだ。

なんて身体の柔らかさだ。

 

足を防いだまま、僕は視界の先に居たヴェノムへ(ウェブ)を発射する。

立ちあがろうとしていたヴェノムの顔面に(ウェブ)が命中して顔を覆った。

 

これでもう少し、時間が稼げる筈だ。

 

ハリーはグウェンから離れられないだろう。

彼女は今、無防備だからだ。

 

実質的に一人でヴェノムとレッドキャップの相手をしなきゃならない。

厳しい戦いだ。

 

だけど、やるしかない。

 

 

「キャサディは、殺させない!」

 

『何故だ……何故、そこまでする』

 

 

下から……レッドキャップから声が聞こえた。

いつも通りの機械音声だ。

 

その声にどんな感情が乗っていたのか、それは分からない。

 

 

『奴は人殺しだ……死刑囚の脱獄犯だぞ?お前が捕まえて警察に突き出しても……いずれ死ぬだけの存在だ!守るべき価値があると思うのか?』

 

 

その言葉からは、心底、僕を不思議がる気持ちが伝わった。

 

 

「価値があるとか、ないとか……そんなの、僕が決める事じゃないんだ。彼は法律に裁かれるべきなんだ!僕や、君みたいな個人が裁いて良い訳がない!」

 

『……お前らしい解答だ、だが!』

 

 

直後、レッドキャップの左腕が動き僕の首を絞めた。

 

 

「ぐ、うぐっ!?」

 

 

何で……動かせない筈じゃなかっ──

 

 

『奴を生かしておけば、不幸になる人間はいるかもしれない……それだけで殺す意味がある』

 

 

首を絞めたまま僕を横に押し倒し、体勢が逆転する。

彼が上で、僕が下だ。

 

僕は視界の隅で、ハリーに抱えられているグウェンを一瞥した。

 

 

「ダメだ……キャサディ、を、恨んでる人だって、いる……」

 

 

グウェンは、キャサディに……カーネイジに父親であるジョージさんを殺された。

恨んでいる筈だ。

憎い筈だ。

 

 

『あぁ、そうだ、そうだろう?なら──

 

「だけど、彼女は……殺さないって選択肢を、選んだんだ……だから、僕、は……その決意を、守りたいん、だ」

 

『……な、ん』

 

 

その言葉に一瞬、レッドキャップの手が緩んだ。

僕はウェブシューターから壁に向かって(ウェブ)を放つ。

それを全力で引っ張り、壁を壊し、石を手元に引っ張った。

 

石の塊がレッドキャップの背中にぶつかり、よろける。

そのまま振り払って、立ち上がる。

 

 

レッドキャップも受身を取って、僕と視線がぶつかる。

 

何を考えてるか分からない……表情のないマネキンのような黒いマスクが、僕を見ていた。

 

そして、左腕を開いたり、閉じたりしている。

……やっぱり、本調子じゃないようだ。

 

使えないフリをしていたって訳じゃないだろう。

……このほんの少しの時間で動かせるようになったのだろうか?

 

僕は地面に手を置いて、姿勢を低く……足を曲げる。

 

いつでも飛び出して、戦えるように。

 

 

……その隙に、ヴェノムがキャサディへと迫っていた。

 

 

「まずっ──

 

 

咄嗟にそちらへ行こうとして──

 

 

レッドキャップに抑え込まれた。

地面に引き摺り倒される。

 

 

「ぐ、あっ!?」

 

『……お前はここで、私と見学だ』

 

 

腕を背中に回されて、膝で抑え込まれている。

無理に動かそうとしても、動かない。

 

ヴェノムがキャサディの頭を掴み、持ち上げる。

 

 

『よぉ、キャサディ……さっきは散々、俺達を痛ぶってくれたな?』

 

「ふ、ふふ……喰うなら、早く喰ったら良い……エディ……もう私に力はない、せめて君の身体の、一部に」

 

 

死が目前に迫っているのに平然と笑っているキャサディに、ヴェノムが眉を顰めた。

 

 

『気色悪ぃ……まぁ、そんなに死にてぇなら、安心しろ。今すぐ喰ってや──

 

 

突如、天井のガラスが割れた。

 

大きな音がして、一瞬、ヴェノムの動きが止まった。

 

 

僕は視界を上に向ける。

レッドキャップも釣られて、上を見た。

 

黒い人影が、ヴェノムの頭上に落ちてくる。

 

それは黒いライダースーツのようなコスチュームを着た赤髪の女性だ。

 

 

手に持ったスティックは帯電している。

それをヴェノムの頭に叩き込んだ。

 

直撃し、電撃が光った。

 

 

『ぐ、なん、だ!』

 

 

腕を振るい、女性を振り払う。

彼女は咄嗟にスティックを手放し、ヴェノムの顔を蹴り飛ばした。

 

 

『むぐっ!?』

 

 

その反動で宙を回転し、そのまま着地した。

 

 

「あんまり蹴り心地は良くないわね」

 

 

あれは……ブラックウィドウ、ナターシャさんだ。

何度かアベンジャーズ関係で一緒に戦った事がある。

凄腕のスパイで、凄く綺麗な──

 

 

「うっ」

 

 

レッドキャップの足が強く、僕の背中にのし掛かった。

 

 

『ブラックウィドウか』

 

 

レッドキャップがそう呟いた。

その声が聞こえたのか、ブラックウィドウがこっちを向いた。

 

 

「あら、久しぶり……見ない間に顔が黒くなったの?」

 

『そんな事はどうでも良い』

 

 

どうやら互いに面識があるようで会話が進む。

その隙に、何とか僕は拘束を振り解こうと身をよじろうとする。

 

 

「貴方は拘束するようにフューリーに言われているわ。抵抗しないなら痛くはしないけど?」

 

『フン、また前のようになりたいのなら──

 

 

好戦的な態度を取るレッドキャップを見て、ブラックウィドウが笑った。

 

 

「勘違いしないで欲しいけど……貴方と戦うのは私じゃないわ」

 

『……何を──

 

 

直後、僕の上に居たレッドキャップが吹っ飛ばされた。

 

大型車両にでも撥ねられたかのように宙を舞い、壁に激突した。

教会が揺れて、砕けた石と埃が舞う。

 

 

「え、なっ、何?」

 

 

僕は寝転がったまま、視線を吹っ飛ばした『何か』に向けた。

 

それは銀色の腕だ。

 

そして、その銀色の左腕を持った男が居た。

黒いジャケットは右腕も覆っているのに……左腕は肩から先がない。

チャックのような物が付いていて、取り外されているようだ。

 

露出したその銀色の腕から軋むような音が聞こえた。

 

誰、だろう?

僕の知らない人だけど……多分、仲間、かな?

 

 

石の瓦礫を蹴り退けて、レッドキャップが姿を現した。

 

……スーツは傷だらけになっているけど、立ち上がって歩いている。

致命傷にはならなかったようだ。

 

側にいたハーマンが側に走り寄った。

 

 

「お、オイ、大丈夫か?」

 

『問題ない……この、程度なら』

 

 

だけど、動きが何処かぎこちない。

それはそうだ、アレだけ吹っ飛ばされたんだ。

骨が折れていてもおかしくない筈だ。

 

そして、レッドキャップが口を開いた。

 

 

『しかし……ウィンター・ソルジャーが来るとは、な』

 

「ウィンター、ソルジャー?」

 

 

僕は地面に手を突いて、立ち上がりながら銀色の腕を持つ男を見る。

鼻から下を隠す黒いマスクを付けていて表情は判りづらいけど、鋭い目はレッドキャップを睨んでいる。

 

 

「その名前は捨てた……今の俺は、ただの『バッキー・バーンズ』だ」

 

 

ウィンター・ソルジャーと呼ばれた、バッキーが右腕……普通の人間の方の腕に持っていた銃器をレッドキャップへと向けた。

 

 

「投降しろ、レッドキャップ」

 

『……誰が、するものか』

 

 

レッドキャップが腰からナイフを取り出して、手に持つ。

ブラックウィドウの前にいたヴェノムが立ち上がる。

 

一触即発。

 

静かだけど、直ぐにでも争いが再開しそうな空気だ。

 

そんな静かな空気の中、バッキーが口を開いた。

 

 

「レッドキャップ……お前は昔の俺に似ている。悪いようにはしない、投降するんだ」

 

 

その言葉は全く意味が分からなかった。

……僕は、レッドキャップの正体も、その立ち位置も、何を目的にしているかも分からないからだ。

 

だけど、このバッキーは知っているようだ。

 

聞きたい。

そんな気持ちがあった。

 

どうして彼が僕を殺そうと考えているのか……殺そうとしている筈なのに、僕を無視して誰かを殺そうとするのか……何で、あの時……グウェンを、ハリーを助けてくれたのか、も。

 

僕は全く彼の事を知らないんだ。

だから……。

 

 

『私とお前が?……冗談はよせ、ウィンター・ソルジャー……私はお前のような人間ではない』

 

 

明確な拒否の言葉が聞こえた。

 

 

「なら、少し痛い目を見てもらう」

 

『それには慣れている……お前のような奴を殺すのもな』

 

 

直後、レッドキャップがナイフを投擲した。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

目の前にナイフが迫る。

 

俺はそれを左腕のサイバネティック・アームで弾き飛ばす。

 

 

飛ばして来たのは、ただのナイフだ。

恐らく剛性が高く、質量のある重い特殊合金製ナイフ。

 

だが、俺の左腕は純度の高いヴィブラニウム製の義手だ。

 

傷付く事もなく、衝撃が来る事もない。

 

 

『チッ!』

 

 

目の前で黒いマスクが……機械音声で舌打ちをした。

 

……コイツが、レッドキャップか。

キャプテンアメリカ(スティーブ・ロジャース)から聞いていた姿とは少し違うが……。

 

なるほど、この殺気と余裕の無さ、張り詰めた強迫観念に似た行動力……理解出来る。

 

……ティーンエイジャーの女が出して良い殺気じゃない。

特殊な措置を施された殺人兵……やはり、俺と同じだ。

 

 

俺も昔はそうだった。

 

体に超人血清を打たれ、洗脳され……『ウィンター・ソルジャー』として、『ヒドラ』のエージェントとして悪行を重ねていた。

『ヒドラ』に仇なす善人や兵士を殺して回った。

 

親友であるスティーブのお陰で洗脳は解けて……今はこうして『S.H.I.E.L.D.』のエージェントとして贖罪を行えている。

 

スティーブにも、ニック・フューリーにも、彼女は殺さず捕まえるようにと……そう言われている。

 

スティーブは善意からだろう。

フューリーは……分からない。

 

だが、彼の目的は世界平和だ。

被害者である彼女を害する事はない……と思いたい。

 

 

レッドキャップが弾き返されたナイフを蹴り上げ、左手に握り直した。

……彼女の右腕は肘から先が無い。

何かしらの戦闘があって、切断されてしまったようだ。

 

手負いの獣……だが、それが一番恐ろしい。

 

レッドキャップが踏み込み、俺へと接近してくる。

……速い。

 

全く予備動作が見えなかった。

なるほど、殺し合いの技術も習得しているようだ。

 

ナイフを逆手に持ち、俺へと振り下ろす。

俺は咄嗟に銃を捨て、右腕を彼女の手首とぶつけた。

 

 

『……ッ!』

 

 

振り下ろす手前、そこで衝撃を殺されたナイフは俺へと届かない。

 

だが……凄い力だ。

少しでも手を抜けば、振り下ろされ……俺の顔面へと突き立てられているだろう。

 

そして、彼女の攻撃を防いだのは右腕だ。

 

俺の左腕……つまり、サイバネティック・アームはフリーだ。

 

短く振り絞り、腰の回転から最小限の間合いで突き出す。

 

 

『ぐっ!』

 

 

鈍い音がして、レッドキャップの体が浮いた。

ボディブローのつもりだったが……自ら浮く事で衝撃を逃された。

 

逆手に持ったナイフの(バック)で、俺の腕を掴んだ。

 

足を振りかぶり、膝が俺の腹に──

 

 

サイバネティック・アームで、その膝を掴んだ。

そのまま力任せに弾き返す。

その勢いのまま、レッドキャップが距離を取った。

 

 

『チッ!』

 

 

超人血清による反射神経の強化の賜物。

だが、それだけではない。

 

人間の肉体は脳から命令され、微弱な電気によって動作が反映される。

だが俺の左腕、ヴィブラニウム製のサイバネティック・アームは人間の肉体よりも反映される速度が早い。

 

本当にほんの少しの差だ。

普通の人間なら知覚できない程の差。

だが、俺達のような超人兵士(スーパーソルジャー)なら……その差は大きい。

 

左手を強く握り締め、引き絞る。

いつ来ても迎撃出来るように。

 

 

だが、そんな俺の考えとは裏腹に、レッドキャップは動きを止めて俺を見た。

マスクの下では恐らく睨んでいるのだろう。

 

 

『解せない……何故、武器を捨てた』

 

 

……俺の足元にあるライフルの事か?

 

 

「これは対戦車用だからな……化物を相手にする為の武器だ。人間に撃つモノじゃない」

 

『……ふざけた事を言う』

 

 

俺の目的は彼女の捕縛だ。

殺す事じゃない。

 

あのアーマーが何製かは分からないが……サイバネティック・アームをぶつけた感触から、魔術由来でも、宇宙由来でもない普通の合金だと分かった。

確かに、強固な素材なのだろう。

 

だが……このライフルなら、恐らく貫通する。

もし命中すれば、当たり所が悪ければ即死だ。

 

こいつは使えない。

 

俺は足で蹴り、ライフルを壁に滑らせた。

 

 

……後ろで咳き込みながら、誰かが立ち上がった。

 

スパイダーマン、か?

アベンジャーズの奴らから聞いている。

ニューヨークを守っている国から認可を受けてないボランティアのヒーロー、だったか。

スタークが自分の弟子だとか何とか言っていたような気がする。

 

彼に彼女は……少し、荷が重いだろう。

力や強さの話じゃない。

 

殺意と、その狡猾さの話だ。

レッドキャップと少し手を合わせて分かった。

 

奴は人殺しのエキスパートだ。

ナイフは的確に俺の眉間へと振り下ろされていた。

少しの躊躇いもなく、油断もない。

 

淡々と任務を熟す人殺し……昔の俺と同じ、冷酷な殺し屋。

 

奴のような人間を相手にするのは、少し難しい。

殺し合いの練度が必要だ。

 

 

俺はスパイダーマンに対して背を向けながら、手で抑えるようにジェスチャーする。

 

手出しは不要だ。

それなら、ヴェノムと戦っているナターシャを助けるか……あそこで見ているだけの変な黄色い男を捕まえるか、それを優先して欲しい。

 

意図は伝わったようだ。

視界の隅で赤い残像が、ナターシャの方へ向かっていった。

 

レッドキャップへ向き直る。

彼女がナイフを構えた。

 

 

『……武器を捨てた事、後悔するなよ』

 

「武器ならある」

 

 

俺は腰の収納部からナイフを抜き出した。

 

人殺しの技術。

刃渡りの少し長いナイフ。

超人的な身体能力。

 

……本当に、鏡のような存在だ。

 

だけど、俺はスティーブに救われた。

そして、誰も彼女を救えなかった。

 

 

互いにナイフを構えたまま、少しずつ近付いて行く。

 

 

そして、間合いに入った瞬間。

 

 

ナイフが交差し、火花が散った。



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#68 キル・ゼム・オール part7

どうすりゃいい?

 

どうすりゃいい、どうすりゃいいんだよ。

 

誰か、オレに教えてくれ。

 

 

シンビオートと結合していたクレタス・キャサディをしばいて……カーネイジを焼き殺した所までは良い。

 

だけど、レッドキャップとヴェノムが……キャサディを殺そうとすっから揉めちまった。

 

シンビオートと結合してた女はガキだったし……ハリー・オズボーンはそのガキを守ろうとしてる。

 

 

それで、それで……。

 

 

ブラックウィドウ?

ウィンター・ソルジャー?

 

 

アイツら、『アベンジャーズ』だ。

 

最近よく会うな!つって笑う事も出来ねぇ。

そんな場合じゃねぇ。

 

以前、ウィドウに勝てたのはレッドキャップがダメージを与えてたからだ。

無傷のアイツにはオレが勝てる訳ねぇ。

 

だってオレは……ただの銀行強盗だ。

 

弱っちい、ただの銀行強盗。

小悪党だ。

 

宇宙を救う英雄様(ヒーロー)なんかに敵う訳がない。

 

分かっている。

 

オレに出来る事は何もない。

 

 

目の前でナイフがぶつかり合って……火花が散る。

 

オレじゃ全く見えねぇ速度で、ただ音と光だけが正しく認識できる。

ウィンター・ソルジャーと、レッドキャップが戦っている。

 

だが……レッドキャップが押されている。

本調子じゃねぇんだ。

 

腕が……切れちまってるからだ。

 

ごろり、と壁際に切られた腕が落ちている。

血が流れて、真っ赤な水溜まりを作っていた。

思わず目を逸らしたくなるような光景だ。

 

だから、もしかすると……レッドキャップが負けるかも知れねぇ。

 

だが、あの銀色の腕が生えてる奴も、スパイ映画に出てくるような女も……レッドキャップを拘束するって言ってた。

アイツらはヒーローだ。

そんな悪い待遇になるとは思えねぇ。

 

だから、オレは逃げるべきなんだ。

 

あぁやって戦ってる間に、バレねぇように、コッソリと。

今までそうやって生きてきた。

 

 

……オレは既に一度、フィスクに刑務所から出して貰った事がある。

だが二度目は、どうだ?

どうなる?

 

フィスクは役立たずには厳しい。

アイツに処分された奴を何人も見てきた。

 

オレも……殺される、のか?

 

分からねぇ。

だが、危ない橋を自分から渡る意味はねぇ。

 

 

そもそも、アイツらが勝手に「キャサディを殺す」って揉めたのが悪いんだ。

 

態々、無抵抗の奴を、自分の感情で殺すのは……仕事じゃねぇ。

それは、一線を越えてる。

 

オレ達は外法に生きる屑だからこそ、越えちゃならねぇラインがある。

 

だから、感情に身を任せて、誰かを殺そうとするのは……ただの人殺しだ。

屑以下だ。

キャサディと変わらねぇ。

 

 

もう、レッドキャップを助ける意味はねぇ。

 

 

 

……助ける意味なんて。

 

 

理由が。

 

 

理由を探している。

 

 

頭の冷たい部分では……アイツを助けたいって思うのは、おかしい事だって分かってる。

バカな事だってのも。

 

アイツはオレよりも強い。

だけど、アイツは未成年の女で……子供だ。

 

アイツはオレの許せねぇラインを越えた。

だけど、アイツは悪意があってやってる訳じゃない。

そうせざるを得ない場所に居すぎて……おかしくなっちまってる。

 

アイツを助けても何の得にもならねぇ。

だけど。

 

 

だけど……。

 

 

アイツは、オレを……必要としてくれた。

 

明らかに自分より弱いオレを、情けねぇビビってたオレを。

 

初めて会った時から、そうだ。

 

あの時から。

 

キャプテンアメリカと戦った時も。

クレタス・キャサディと戦った時も。

 

 

オレを必要としてくれた。

 

 

オレより遥かに強ぇのに。

 

 

オレよりずっと若いのに。

 

 

……時間が経って枯れちまった一輪の花が。

 

退院した時に花瓶から持って帰った花を。

 

ゴミ箱に捨てられず、柄にもなく押し花のやり方を調べて。

 

気泡が入りまくったラベルで密閉された、花の栞が。

 

本も読まねぇのに……。

 

そんな、不恰好な栞が……オレの心に挟まり込んで来たんだ。

 

 

「は、はは……」

 

 

思わず笑っちまった。

 

オレは自分が一番大切だった。

 

だって、一番大切だった物はもう、無くなっちまったからだ。

 

信じられるのはオレ自身と、金だけだ。

 

その筈だった、のに。

 

 

「これじゃあ……オレ、バカみたいじゃねぇか」

 

 

手甲(ガントレット)のグリップを握って、立ち上がる。

 

コイツはただの道具だった。

銀行の金庫に穴を開ける為の、発明品。

 

だが、今は……オレの武器(ちから)だ。

 

 

「あぁ、マジで……いつから、こんなにバカになっちまったんだ」

 

 

……どうすりゃいい。

 

オレじゃあウィンター・ソルジャーには勝てねぇ。

 

……どうにかして、気を逸らす……何かしらの、手段が。

 

クソッ、考えろ。

考えろ、考えろ、考えろ。

 

オレは天才、ハーマン・シュルツだ。

いつだってオレは切り抜けて来た。

すげぇ発明だってした。

誰にでも出来ねぇ事をやってのけた。

オレは強くて、賢い。

 

だから何か……妙案を思い付け。

頼む、オレ。

 

 

……目を横にずらす。

 

 

呼吸を荒くしながら、倒れてるティーンエイジャーの女。

それと、ハリー・オズボーン。

 

 

……レッドキャップも、あのガキのこと気に掛けていたよな。

 

だから、この『案』は絶対に嫌われる。

幻滅される。

 

だけどもう、それ以外に何も思いつかなかった。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

ナイフが再度、交差する。

 

 

『チッ!』

 

 

火花に紛れて、ウィンター・ソルジャー……バッキー・バーンズのサイバネティック・アームが迫る。

 

膝のプロテクターで、その拳を防ぎ──

 

 

『うぐっ!?』

 

 

防げない。

 

脚部のプロテクターが破壊されて、私は地面に転がった。

……プロテクターの下のインナーが露出する。

黒い、防刃防弾繊維のタイツのようなインナーが、血で滲む。

 

 

『ハァ……ハァ……!』

 

 

呼吸が荒くなる。

治癒因子(ヒーリングファクター)の酷使、肉体の損傷、失血。

 

様々なダメージが蓄積し、今、身体が悲鳴をあげている。

 

 

「終わりだ」

 

 

耳にバッキーの声が聞こえる。

 

淡々と、自分の勝ちを誇る訳でもなく……ただ、事実を述べた。

 

この戦いは、私の負けだ。

 

 

何故、こうなった?

 

原因は何だ?

 

ヴィブラニウムのスーツが無い事か?

そもそも、腕を失っている所為か?

 

違う。

 

きっと、欲張ったからだ。

 

今、ここでクレタス・キャサディを殺そうとしたからだ。

 

奴は今後も……刑務所を脱獄して、誰かを殺す。

カーネイジは死んでいない。

奴の身体の血と深く結合していて……また、蘇る。

私はそれを知っている。

 

……だが、それはスパイダーマンに許されなかった。

 

知っている。

 

彼は命の尊さを知っている。

人が命を奪う罪の重さを、知っている。

 

誰にも死んで欲しくない。

殺して欲しくない。

 

大切な人を失って、取り返しのつかないミスを犯し……誰にも不幸になって欲しくないから、戦っている。

ずっと、戦ってる。

 

知っている。

よく、知っている。

 

だから、私は……好きなんだ。

 

 

……こうして、戦う事になるのも分かって選択した。

 

 

その結果がこれだ。

 

血反吐を吐いて、地面に手をついている。

 

 

「安心しろ、『S.H.I.E.L.D.』は悪い場所じゃない。君の罪も──

 

『無理だ』

 

 

私は顔を上げて、バッキーの顔を見る。

 

彼は何も分かっていない。

……意識もなく洗脳されて人殺しをしていた彼と。

生きる為に他人を犠牲にしてきた私とでは。

 

全然、違う。

 

 

『私は、そちら側に、は、いけない……』

 

 

他人を救えるのが英雄(ヒーロー)だ。

他人を犠牲にするのが悪人(ヴィラン)だ。

 

だから、私は悪人(ヴィラン)だ。

今更、どの面を下げてヒーローになるんだ?

ヒーローになど、なれない。

 

 

「……いつか、気が変わる。拘束させてもら──

 

 

……微睡む、視界の隅で。

 

グウェンの顔が見えた。

 

そして、ハリーの……。

 

 

大きな音がして、ハリーが吹っ飛ばされた。

 

 

何だ?

何が……衝撃波(ショックウェーブ)か?

 

ハーマン?

 

 

バッキーの視線が、ハーマンの方へ向いた。

 

スパイダーマンとブラックウィドウも……戦闘をやめた。

ヴェノムですら、何事かと様子見をしている。

 

ハーマンが、グウェンの肩を掴んで……手甲(ガントレット)を頭に押し付けている。

 

 

……何をしているんだ?

 

何を、やってるんだ?

 

血が、急激に頭に上っていく。

 

 

「ウィンター・ソルジャー……それ以上、動くんじゃねぇ。動いたら、この女の頭を吹っ飛ばす……ハリー・オズボーン!お前もだ!動くな!」

 

 

ハリーが立ちあがろうとして……止まった。

バッキーがハーマンを睨んでいる。

 

……グウェンが、ぐったりとしていて……。

 

 

『……ハーマン、何を……して、いるんだ』

 

 

私も……ハーマンを睨み付ける。

視線で人が殺せるなら……私は、ハーマンを殺しているかも知れない。

そう思えるほど、強く睨んでいた。

 

 

「……良いから、こっちに来い。レッドキャップ」

 

『私は……助けてくれと、頼んだつもりは……』

 

「んな事どうだって良いんだよ!良いから、今すぐ来い!」

 

 

……私はバッキーを一瞥する。

油断のない顔で、どうすれば彼女を助けられるか考えているのだろう。

 

軋む身体に鞭を打って、グウェンとハーマンへ近付く。

 

 

『今すぐ、その娘を離せ……』

 

「……オレだって、こんな事やりたくねぇよ。だが逃げるのに必要だ」

 

『…………』

 

 

コイツ……。

 

いや、違う。

ハーマンが悪い訳じゃない。

 

そうだ、ハーマンは人質なんて取りたがるような性格じゃない。

 

一人でなら、私を見捨てれば、逃れた筈だ。

 

……だから、この状況は私が招いた状況だ。

 

私のミスだ。

ハーマンの所為にしては……ならない。

 

 

「引くぞ」

 

『……分かった』

 

 

ハーマンが手甲(ガントレット)を、バッキーへ向けた。

 

想定外だったのか避け遅れたバッキーに衝撃波(ショックウェーブ)が命中した。

 

 

「バッキー!?」

 

 

ブラックウィドウの視線が、吹っ飛ばされたバッキーに移る。

 

 

「もう一発だ」

 

 

再び、ハーマンがブラックウィドウの頭上に衝撃波(ショックウェーブ)を放った。

 

屋根が崩れて、石が頭上へと降り注ぐ。

 

 

「危ない!」

 

 

咄嗟にスパイダーマンが飛び出して、ブラックウィドウを抱きしめて転がる。

ガラガラと崩れる屋根に下敷きになる。

 

……まぁ、彼等なら大丈夫だろう。

瓦礫程度で死ぬような、柔な人間ではない。

 

 

ヴェノムが一瞬、私達を見て……心底、軽蔑した目で走り去った。

恐らく、他人の手でスパイダーマンに勝っても嬉しくないから、か。

そして……人質なんて言う卑怯な真似は好きじゃないのだろう。

 

 

キャサディは……頭に石がぶつかったのか、血を流して気絶している。

だが、あの様子なら死んでいる訳ではないだろう。

……今なら、殺せる。

邪魔する奴は居ない。

 

 

「アイツは諦めろ」

 

 

キャサディを見ていると、ハーマンが横から口を出した。

……私は今、助けて貰っている立場の人間だ。

 

彼の言う事は、大人しく聞こう。

 

ハーマンがグウェンを抱えたまま、踵を返し、教会の出口へと向かう。

私もそれに倣って、歩く。

 

……道端に落ちている、切断された自分の腕を拾う。

治癒因子(ヒーリングファクター)で切断された腕を生やすのは、時間がかかり過ぎる。

 

日中、ピーターや、グウェン、ネッドにバレてしまう恐れがある。

そうしたら……もう彼等と一緒には居られないだろう。

 

だが、切断された腕を繋ぐだけならば……半日もあれば繋がるだろう。

だからこの、切られた腕は必要だ。

 

私が、ミシェル・ジェーンで居る為に……必ず、必要だ。

 

幸いにもカーネイジの爪が鋭かったお陰で、傷口の断面図も綺麗だ。

直ぐに繋がる。

 

……そうだ、ティンカラーの所ならば、治療器具もあるかも知れない。

少なくとも、裁縫したり、固定したりする為の道具はある。

 

 

「……良い逃げ場所とか分かるか?」

 

『あぁ、それなら──

 

 

私の言葉を遮って……。

 

グサリ、と肉が切れる音がした。

 

 

「あ……?」

 

 

ハーマンの口に血が、滲む。

何が起きたのか分からない、と言った顔をしている。

 

 

『……ハーマン?』

 

 

ハーマンが膝をついて、グウェンを手放した。

地面に転がる。

 

 

『お、おい……ハーマン』

 

「え、ぐっ、ふ」

 

 

口から、血を吐いた。

息も出来ないような、血の量だ。

 

 

私は背後を振り返った。

 

 

「ハァ、ハァ……」

 

 

息を荒げて……ハリーが立っている。

呆然とした顔で、私達を見ている。

 

その手には何も握っていない。

 

私は……ハーマンの背中を見た。

 

 

黒い、コウモリのような刃物が……背中に刺さっていた。

 

……深く、スーツを貫通して。

 

血が、流れている。

 

 

『ハーマン……?』

 

 

どさり、と音がして……ハーマンが倒れた。

 



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#69 キル・ゼム・オール part8

目の前には。

 

血を流して倒れているハーマン。

呆然としているハリー。

気を失っているグウェン。

 

……そして、私の腕。

 

私は持っていた腕を捨てて、ハリーの胸倉を掴む。

 

 

「ぐ、あっ」

 

 

分かっている。

 

彼が悪い訳ではない。

ハーマンがグウェンを人質にした時点で……彼も冷静では居られなかったのだろう。

 

だから、私が彼に詰め寄っているのは怒りからではない。

 

焦りから、だ。

 

 

『ハリー、持っている救急キットを出せ……今すぐに!』

 

「ぐ、うあ」

 

 

……強く締め付けていた所為で、話す事も出来ていない。

そんな事に今更気づく程、私は焦っていた。

 

ハーマンが、死ぬ?

 

今はまだ息がある。

心臓も動いている。

 

背中に『レイザーバット』、黒いコウモリ型の手裏剣が刺さっているだけだ。

だが、ハーマンは超人的な能力を持っていない。

 

肉体の強度は一般人と変わらない。

背中をナイフで刺されれば、普通の人間はどうなる?

 

……放っておけば死ぬ。

 

私は呼吸を整えつつ、ハリーを掴む手を緩める。

咳き込みながらも、口を開いた。

 

 

「あ、あれは……もう、ない」

 

『……なに?』

 

「警官に使って……グウェンに使った……やつで、最後だ……」

 

『…………』

 

 

私はハリーを手放した。

力なく地面に転がる。

 

どうする?

ウィンターソルジャーや、ブラックウィドウに頼むか?

 

無理だ。

そんな事をすれば……彼等は私達を拘束する。

 

フィスクに知られれば……ハーマンは死ぬまで命を狙われるだろう。

私は……私も、死ぬ。

組織にバレた瞬間に、胸の爆弾が起動され……死ぬ。

 

 

私は、どうすれば良い?

 

……そうだ。

ティンカラーだ。

彼の研究室(ラボ)なら、治療道具もある。

以前、スーツのメンテナンスを頼んだ時に見た。

 

私はハーマンの股に腕を通して、担ぎ上げる。

 

絶対に、死なせはしない。

 

 

 

……私の、カーネイジに切断された腕が視界の隅に映る。

アレがなければ自己治癒に一ヶ月は掛かる。

……間違いなく、グウェンやピーターに正体がバレてしまう。

 

そうなれば私は……。

 

嫌われたくない。

この世界に生まれて初めて、楽しいと思えた。

ずっと、ずっと、私は人を殺して……心を許せる相手すら居なかった。

 

……日常を捨てたくない。

たとえ、それがいつか失われるモノだとしても。

ずっと、ずっと微睡みの中で『ミシェル・ジェーン』で居たい。

 

嫌だ。

嫌だ、嫌だ、嫌だ。

 

 

肩に乗った重みが、私にのしかかる。

 

 

ハーマンが死ぬのは……もっと嫌だ。

私はきっと、耐えられない。

 

彼が私の身勝手で死ねば……後悔する。

ずっと、死ぬまで……いや、私が地獄に落ちても後悔し続ける。

 

だから、どちらかを切り捨てなければならないなら……それは。

 

 

私は、自身の腕から視線を外した。

 

 

今の私に腕は一つしかない。

持てる物も、一つだけだ。

 

何かを捨てる覚悟は必要だ。

 

ハリーの視線を背に受けて……後ろの瓦礫から、ヒーロー達が這い出てくる前に……。

 

私はハーマンを背負い、その場を後にした。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

暗い、地下通路を走る。

ハーマンの傷が痛まないよう、慎重に……だけど、素早く。

 

ハーマンの呼吸が黒い肩のアーマーに掛かり、白く曇る。

 

息はある。

死んではいない。

 

まだ、大丈夫だ。

きっと、何とかなる。

 

願う。

祈る。

彼を死なせないでくれ、と。

 

……散々、命を奪ってきた。

私が死なない為に……自身の邪魔する善人すらも。

 

どの面を下げて祈るのか、そう思われたって良い。

 

だけど、頼む。

 

彼を死なせないでくれ。

 

こんな死に方をする程、悪い人間じゃないだろう。

だから、だから。

 

肩に背負った成人男性、一人分の重みが……その命の重みと感じた。

 

……今まで私は。

殺して、殺して、沢山殺して……。

 

そうやって殺して来た『誰か』達にも、きっと想ってくれている人が居た筈だ。

気付かないフリをしていたんだ。

 

私が、私を苦しめないように……自身の罪悪感に蓋をして、考えないようにして来たんだ。

 

人を殺すと言う事は……それだけ、重い……本当に、重い罪なんだ。

それが善人であろうと、なかろうと。

 

屑である私が、勝手に奪っていい命なんて無かったんだ。

 

 

『はっ、はぁっ』

 

 

呼吸が乱れる。

 

肉体の疲労も、精神の疲労もピークだ。

 

だけど、足は止めない。

 

ドアを開けて、部屋に入る。

ボタンを押して……エレベーターを起動する。

 

早く、早く、早く、早く。

 

焦りながら、私はドアの前に立つ。

 

そして、ドアが開き……転がり込む。

 

……ティンカラーの研究室(ラボ)だ。

椅子に座っていたティンカラーが、エレベーターに乗って来た私に気付き、振り返る。

 

 

『やぁ、遅かったね。思ったより手こず──

 

『ティンカラー……!』

 

 

背負って来たハーマンを机に横たわらせる。

焦っている私に気付き、ティンカラーがハーマンの側に近寄った。

 

 

『た、助けてくれ……頼む……彼を……彼を、死なせないでくれ……』

 

『……僕は医者じゃないんだけど』

 

 

……その言葉に全ての希望が打ち砕かれた気がして、縋るような目でティンカラーを見た。

 

 

『でもまぁ、出来るところまで何とかするよ』

 

 

ティンカラーが指を鳴らすと、白い樽のような形状をしたロボットが集まり出した。

パネルが展開し、医療器具が現れる。

メスや、縫合針がアームの先に付いている。

 

ハーマンの体に管を通し、何かの液体を流し込んでいる。

 

 

『……助かる、か?』

 

 

それでも心配で……私は思わず、ティンカラーに訊いてしまった。

 

その言葉に振り返り、彼は自信ありげに頷いた。

 

 

『勿論さ。だけど、君にも一つやって欲しい事があるんだ。』

 

 

私は自身の胸に手を置いて、ティンカラーに近寄る。

 

 

『何だ?私に出来る事なら何でもする、だから──

 

『まぁまぁ、落ち着いて』

 

『う……』

 

 

ティンカラーが落ち着くように促した。

これが落ち着いてられる状況か?

 

だが、焦っても何も状況が変わらないのは確かだ。

私が口を噤むと、ティンカラーが喋り出した。

 

 

『そう、欲しいのは……君の血さ』

 

『血……?』

 

 

ティンカラーの側に居た白い樽のようなロボットから、注射器の付いたアームが生えて来た。

 

針は……目視できるほど太い。

血を抜く為の注射器のようだ。

 

 

『僕は医者じゃないから……ちょっと痛むだろうけど、我慢してね?』

 

 

ギラリと、針が光を反射した。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

視界の隅から隅まで、金色の草が生えた平原に立っていた。

 

すげぇ綺麗な景色だ。

 

だが、なんつーか……こう、あんまり好きにはなれねぇ。

 

地平線の彼方まで続く、輝く草。

太陽もねぇのに、どこまでも明るく澄み渡った空。

 

常識の通じねぇ、不気味で意味不明な景色だ。

 

こんなに広い、ただ広いだけの平原で立っている自分の状況に……オレは首を傾げた。

 

……見渡すと、一人の少女がいた。

靄がかかって姿は分からない。

だけど、何となく……それがオレの死んだ妹なんだって分かった。

 

あぁ、なるほど。

じゃあ、ここは死後の世界だ。

 

全く信心深くなかったし、死後の世界(アフターライフ)なんて信じて居なかったが……いや、あるんだな。

 

いや待て、何で信じようとしてるんだ。

それとも、これは死の直前に見ている幻覚なのかも知れねぇだろ?

 

まぁ、確かめる方法なんてねぇだろ。

意味のねぇ詮索だ。

 

金色の草を押し退けて、オレは靄のかかった妹に近付く。

 

 

『よぉ、久々だな』

 

 

声を出そうと思ったが、上手く喋られない。

 

だが、妹は理解したように笑って頷いた。

 

顔も見えねぇのに、何で表情が分かるのか……オレにも分からない。

 

 

『ここって死後の世界なのか?』

 

 

そう訊くと、頷かれた。

そうか……オレ、マジで死んだのか。

 

 

『そうか……そうかぁ……』

 

 

オレは頭を抱えて、座り込んだ。

 

悔いはない。

なぁんて、言える訳がなく。

 

やりたい事だって、やらなきゃなんねぇ事だって沢山残ってる。

 

けど、まぁ……オレ達は人を傷付けて生きている悪人(クズ)だ。

まともに老いぼれて死ねるなんて思っては居なかった。

 

だから、仕方のない事だと納得はした。

 

だけど、一つだけ……たった一つだが、思い残す事はある。

 

 

『聞いてくれよ……』

 

 

喋らねぇ妹に話しかける。

 

 

『オレの友人に……いや、違うな。オレが友人だって思ってるだけかも知れねぇが……まぁ、そんな奴がいるんだ』

 

 

靄のかかった妹の顔がオレを覗き込む。

 

 

『そいつはな……オレより強くて……でも、どこか危なっかしいんだ』

 

 

聞かせるように話しているが……本当はただ独り言を喋っているだけなのかも知れない。

返事も欲しいと思ってねぇし……ただ、言葉を続けている。

 

 

『顔も知らねぇし、本名だって分からねぇ……知ってるのは声だけだ。歳の若い……そうだな、お前が生きてたら、同じぐらいの歳かもな』

 

 

誰も返事はしない。

反応も返っては来ない。

 

 

『そんな子供が……オレのような悪事を働いてるんだ。理由は知らねぇ。だが、本当はそんなに悪い奴じゃないって思うんだ』

 

 

ビルの下敷きになったオレを助けた時……損得だけじゃなかった。

気のせいじゃなければ……アイツもオレの事を、嫌っては居ないはずだ。

 

 

『どっかでボタンを掛け違えちまったように……何かがアイツを、おかしくしちまってる』

 

 

足元の草を握りしめる。

 

 

『子供が服のボタンを掛け違えたら、どうすりゃ良いと思う?オレはな、大人が……掛け直してやるのが当然だって思ってるんだ』

 

 

遥か昔に、歳の離れた妹の世話をしていた記憶が蘇る。

まだ母親が生きていた頃……それでも病気でまともに立てなくなっちまってた頃。

 

妹に服を着せて、ボタンを留めた記憶が蘇る。

 

 

『……だからさ、オレ……やる事があるんだよ』

 

 

オレは地面に手を突き立てた。

 

 

『まだ、死にたくねぇよ』

 

 

……風の音だけが、オレの耳に入ってくる。

 

妹も、何も反応してくれねぇ。

 

 

沈黙に耐えられなくなって、オレは顔を逸らす。

 

そして、後ろを見ると──

 

 

『あ?』

 

 

そこには大きな……大きい……いや、大き過ぎる扉があった。

 

さっきまでは無かった筈の……高さが100メートルぐらいはある大きな扉だ。

 

 

『……は?』

 

 

オレが呆けていると、ゲラゲラと笑い声が聞こえた。

 

妹……いや、オレが妹だと思っていた『何か』だ。

こんな笑い方をする奴じゃなかった。

 

じゃあ、誰なんだ?

 

……いや、そもそも何でオレはコイツを妹だと思ったんだ?

 

何なんだ、コイツは?

 

全然似てないだろ。

 

そもそも人間じゃない。

 

真っ赤な肌をして、同じ色のマントを羽織っている。

2本の尖った耳と、笑った口から覗き見える鋭い牙。

ツノのようなモノが生えていて、顔は険しい……壮年の男のようだ。

だが、その目に……瞳はなく、白眼しかない。

充血して赤い血管だけが見える。

 

 

思えば、ここも金色の草原じゃない。

 

真っ赤な血で濡れた骨が、地面に突き立てられているだけだ。

空も赤く……まるで血のような色だ。

 

 

心の底から、怖気が湧き上がる。

 

何故、オレは誤認していた。

誰だ?コイツは?

何処なんだ?ここは?

 

絶叫を無理矢理飲み込み、オレは後退る。

 

そして、怯えた様子のオレに、真っ赤な何者かが語りかけてくる。

 

 

『ハーマン・シュルツ……何も怯える必要はない』

 

 

いつの間にか持っていたグラスには、真っ赤なワインが入っていた。

絶対に、先程までは影も形も無かった筈だ。

 

 

『私はお前をどうこうしようと言う気はない……今は、まだ』

 

『だ、誰だよ、アンタ……それに、ここは』

 

 

骨をかき分けて、少しでも距離を取ろうとする。

 

こつり、と足が何かにあたった。

 

それは見覚えのあるガラス玉……死んだ筈の、ミステリオのマスクだ。

マスクの下にはミイラのように干からびた、死体の頭部がある。

 

 

『いっ』

 

 

腰を抜かして、へたり込む。

 

 

『ここが何処か、私が誰か?それはどうでも良い。どうせ目が覚めれば覚えていない話だ』

 

『何を……言って……』

 

 

目前に赤い顔が迫る。

 

まるで金縛りにあったように動けなくなる。

 

 

『私はお前に興味はない。私に必要なのは……もっと純粋な、魂の持ち主だ』

 

 

恐怖で荒くなっていく呼吸を、必死に鎮めようとする。

心臓が破裂するのかってぐらい音を上げている。

 

必死に距離を取ろうとして……地面がなくなった。

 

 

『うぁっ……!』

 

 

気付けば、背後にあった扉が開いていて……その先は崖のようになっていた。

 

光の奔流の中に、オレは落ちていく。

 

赤い……まるで、悪魔のような男が扉の外から、落ちるオレを覗き込んだ。

 

 

『いずれまた……いつかまた、必ず、ここへ戻ってくる。その時までは──

 

 

その狂気的な笑みを目に刻みながら……オレは落ちて行った。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

「……う……ぁ?」

 

 

何か……怖い、夢を見ていた気がする。

だが今はそんな事を言ってる場合じゃない。

ここは、どこだ?

オレは今、どうなってる?

 

ここは……ベッドか?

蛍光灯がオレの頭上を照らしている。

 

……顔を触る。

マスクはない、手甲(ガントレット)も。

 

スーツは脱がされていて……薄い緑色の、患者衣みてぇなモノを着ている。

 

オレは上半身を起こした。

机もない、白一色の部屋。

……病院って、様子じゃねぇな。

 

それで……腰に、何かが乗っていた。

 

視線を下ろすと……女だ。

女のガキが椅子に座って……上半身だけうつ伏せにしていた。

綺麗な白っぽい……金髪の髪が見えた。

手で触れると、サラサラで……って、何してんだ、オレ。

 

誰だ?コイツ……そう訝しんでいると、ドアが開いた。

横にスライドするタイプの、自動ドアみてぇだ。

 

そして、この部屋の外から入って来たのは……黒いフルフェイスのマスクと、アーマースーツを着た男だ。

 

 

『フフ、目が覚めたかい?ハーマン・シュルツ』

 

 

老若男女、どれとも取れねぇ機械音声だ。

……だが、何つうか……聞き覚えのある……。

 

あぁ、分かった。

レッドキャップの声と同じだ。

 

 

「てめぇ、何者だ……」

 

『ティンカラー。職業は……発明家、かな』

 

「医者、じゃなくてか?」

 

『医者ではないね。医師免許も持ってないからね』

 

 

小馬鹿にしたように笑う……目の前の男……いや、男か?

 

兎に角、ティンカラーが──

 

 

「あ?『ティンカラー』だと?」

 

『うん?そう言ったよ?』

 

「嘘を吐くなよ……オレの知ってる『ティンカラー』は年老いた小せぇジジイだ。てめぇ、何者だ」

 

 

オレの脳裏には椅子に座って……機械を弄る老人の姿が浮かんだ。

 

昔、オレと『ティンカラー』の二人で仕事をした事がある。

機械工学に詳しい『ティンカラー』が、オレのスーツの改善点やら何やらを教えてくれた。

 

5年か、もっと前の話だ。

まだフィスクの手下にもなってねぇ頃の話だ。

 

だから、オレの古い知人と同じ名前を騙るコイツを、信用できない。

 

 

『あぁ……君、僕の養父と知り合いかい?』

 

「……養父?」

 

『そう、僕は彼から『ティンカラー』を受け継いだだけさ。君の考えるような不穏な事なんて何もない』

 

 

コイツが、嘘を吐いてる可能性も考えられる。

……信用するには、情報が足りねぇ。

 

だが、まぁ……。

 

 

「……取り敢えず、アンタが助けてくれたのか?」

 

『いや……まぁ、部分的にはそうだね。でも、君をここまで連れて来たのも、君を助けるために頑張ってたのも……レッドキャップだ』

 

「……そうか」

 

 

助けるつもりで割り込んだのに……結局、助けられたのはオレだったのか。

 

 

『だから、お礼は彼女に言ってくれ』

 

「………ん?」

 

 

ティンカラーがオレの腰辺りを指差した。

うつ伏せになっている少女だ。

 

 

「……おう、気になってたんだが……コイツ、誰だよ?」

 

 

何となく……本当は何となく、分かっているが……自分を信じられなくて、ティンカラーに訊く。

 

 

『君の思っている通りの人だ』

 

「は?……じゃあ、コイツが?」

 

『そうだよ』

 

 

……確かに。

服の上からじゃあ分かり辛いが……腕が片方無い。

カーネイジに切断された場所と、一致する。

 

だが……思っていたよりも、幼い。

後ろ姿しか見てねぇから細かくは分からないが……身体の小ささから見るに、15歳ぐらいのガキだ。

 

スーツに厚みがあるのか……あのオレの知っている赤いフルフェイスのマスク姿の時より、一回り……いや、二回りは小せぇ。

 

 

「そうかよ……」

 

 

だが、肝心のレッドキャップは身動きをしない。

 

まるで死んだかのように呼吸を殺して、伏せている。

 

 

「……なぁ、コイツ、大丈夫なのか?」

 

『え?何が?』

 

「そりゃあ……だってよ?身動きしねぇし、何か……無理でもしたのかって」

 

 

だって、先程、頭を撫でても反応が無かったし。

……オレを助ける為に、何か無茶でもして、寝てるのかと……。

 

それを聞いたティンカラーが笑った。

いや、嘲笑った。

バカにされている、そう思った。

 

思わずオレは口を開いた。

 

 

「な、なんだよ?笑うような所があったか?」

 

『あぁ、勿論。凄く笑えるよ。だって、そこにいるレッドキャップは……狸寝入りをしているだけだからね』

 

 

……あ?

 

 

「狸寝入り?」

 

『寝たフリって事だよ。起きてるよ、その娘は』

 

 

……じゃあ、さっき撫でちまったのも、バレてるって事か?

 

いや、そもそも何で寝たフリなんてしてるんだ?

 

 

「……オイ」

 

「………………何だ?」

 

 

肩を揺すると、小さく返事された。

だが、顔は上げない。

うつ伏せのままだ。

 

 

「何で顔を上げないんだ?」

 

「……見られたくない」

 

 

何だよ、そりゃ。

 

モゾモゾと頭を動かして、ボソボソと喋っている。

 

見られたくねェなら、マスク付けっぱなしで良かっただろ。

 

しかも、オレと同じような患者衣まで来て……。

 

首を傾げると、ティンカラーが割り込んで来た。

 

 

『彼女は君に輸血していたんだよ。血を抜いたからね。少し、元気がない』

 

「輸血?」

 

 

……血液型が一緒なのか?

いや、それにしても態々、コイツから血を抜いてオレに入れる意味がねぇだろ。

輸血パックの用意が無かったのか?

 

 

『そう、彼女の血にはね……少し、特殊な因子が入っていて、人体の再生能力を著しく高める力があるんだ』

 

「あぁ……なるほど……いや、そうなのか?」

 

 

そう言えば、レッドキャップは戦闘で負った傷を高速で再生させていた。

 

その血を輸血して、オレの再生力を高めた……のか?

そんな事が出来るのか?

 

 

『そういうモノなのさ』

 

 

オレは医者じゃねぇけど……納得は出来ねぇ話だ。

賢い奴の血を入れれば賢くなる訳じゃねぇし、強ぇ奴の血を入れても強くはならねぇだろ。

訳分かんねぇ。

 

悶々としていると、うつ伏せのレッドキャップが口を開いた。

 

 

「……悪かった」

 

 

何の謝罪か、分からなかった。

思い当たる節が沢山あって……それでも謝られるような事でもないと思っている。

 

だから、オレは黙って頭を撫でた。

……髪質が良いからか、撫で心地が良い。

 

 

「…………やめろ」

 

 

……怒られた。

オレは手を引っ込めて、ティンカラーの方を見た。

 

……何考えてるか分からねぇ顔で、レッドキャップを見ていた。

 

 

『……素直になったら良いのに』

 

 

ボソっと呟いた言葉に、微かに震えていた。

 

だから、オレは安心させたくて声を掛けた。

 

 

「あ?あー……何だ?助けてくれたんだろ?」

 

「……元はと言えば、私が無茶をして……巻き込んでしまったのが原因だ」

 

「気にしてねぇ……って言ったら嘘だが」

 

「…………」

 

 

また、少し震えた。

……何か、怖がってんのか?

 

 

「その程度で幻滅するぐらいなら、そもそも助けようなんて思わねぇよ」

 

「……ありがとう」

 

「逆だ、逆。感謝するべきなのはオレだ」

 

 

また撫でて……今度は手で払われた。

撫でられるのは嫌らしい。

 

 

「……それで、何で顔を隠してるんだ?」

 

「…………合わせる顔がない」

 

「気にしてねぇよ……つか、見せる気ねぇなら何でスーツ脱いでんだよ」

 

 

そもそも、何でオレの側で寝たフリなんかしてるんだよ、コイツ。

オレが起きる前にどっかで待っとけば良かっただろうが。

 

そう思ってると、ティンカラーが小さく笑いながらオレに耳打ちして来た。

 

 

『彼女はね……君が心配で心配で待ってられなくて、ずっと側で見てたんだよ』

 

「黙れ、ティンカラー」

 

『それで、君が起きそうになったから慌てて寝たふりを──ぐえっ!?』

 

 

ドスン!と重い音がしてティンカラーがよろけた。

レッドキャップがうつ伏せのまま、ティンカラーを蹴ったのか。

 

少し気まずい空気が流れて……オレは苦笑した。

そして、彼女がぼそぼそと喋り始めた。

 

 

「……別に、血を抜くのにスーツを脱ぐ必要があって……態々、着直す必要もないと思っただけだ」

 

「お、おう……?」

 

 

言い訳を並べる彼女に、オレは腑に落ちないが……それでも、否定すると面倒臭そうだから頷いた。

……しかし、それでも彼女はうつ伏せのままだ。

 

その伏せている顔が、どんな顔なのか……少し、気になった。

 

すると、見透かしたようにレッドキャップが口を開いた。

 

 

「……ハーマン、お前は私の顔が見たいのか?」

 

 

気になる。

正直に言えば……かなり、気になる。

 

だが、まぁ……。

 

 

「アンタが見られたくねぇなら、見ないでおく」

 

 

興味本位で人の踏み入られたくない場所に踏み込むほど……オレは無神経じゃないと、思いたい。

 

 

「…………そうか」

 

 

そう言って……レッドキャップが顔を上げた。

 

 

「……なんっ──

 

 

一瞬、黙ってしまった。

 

まるで作り物かってぐらい、綺麗な……少女が居た。

後ろ姿からも分かっていた通りの、15歳ぐらいの子供だ。

 

……オレがあと5つ……いや、10ぐらい若かったら惚れてたかも知れない。

 

それぐらい、美人だった。

 

だが、そんな少女の整った目元は……赤くなっていた。

それに、目が潤んでいるし……鼻水出てる。

 

……布団の上に、仄かに赤い色が付いていた。

多分、口紅だ。

 

 

「……あまり、じろじろと見るな」

 

「あ、いや……」

 

「……やっぱり、人に見せられるような顔をしていない」

 

 

そんな事はない。

確かに……まぁ、最良の状態とは程遠いだろう。

でも、元が美人だからなのか……それでも綺麗に見える。

 

 

「……何で顔を見せてくれたんだ?」

 

「気になっていたんだろ?」

 

「そりゃ……まぁ、そうだが」

 

 

ヤバい。

歳下の女の……しかも、未成年のガキと話すのは慣れてねぇ。

 

どうすりゃ良いか分からなくて、視線でティンカラーに助けを求めれば……腕を組んで、黙ってオレ達を眺めていた。

……まぁ、さっきは要らない事を言って蹴られたもんな。

 

 

「お前は……無闇に話さないと、思ったから……でも、本当に──

 

 

レッドキャップと、目が合う。

 

普段は互いにマスクを被ってるから、見える事のない目だ。

 

青い、澄んだ海のような眼がオレを見つめていて……突然、抱きつかれた。

胸元で、泣き噦る。

 

 

「生きてて……良かった、本当に……お前が死んだら……私は」

 

 

慰めの言葉も、感謝の言葉も、謝罪も、何も出てこなかった。

 

……こんな、子供が。

何で『レッドキャップ』なんて、名乗ってるんだ?

何で人を殺す仕事をしているんだ?

どうして……こんなに歪められてしまったんだ?

 

そう思うと、胸が苦しくなって……言葉に詰まる。

 

だからオレは、黙って彼女の頭を撫でようとして……残った方の手で叩かれた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

ハーマンを病室……ではなく研究室(ラボ)内の空き部屋に残して、ティンカラーと外に出た。

ここは病院ではない。

病室なんてモノは無い。

 

 

「本当に助かった、ティンカラー。私に出来る事なら、他にも──

 

 

幾つか、聞きたい事があって私はティンカラーを見て──

 

 

『…………』

 

「……どうした?ティンカラー」

 

 

彼は黙って、私を見ていた。

そして、慌てて視線をずらした。

 

 

『え?何?何でもないけど』

 

 

コイツの奇行は今に始まった事ではない。

だから、私も気にしない事にした。

 

 

「……そう言えば頼みたい事があるんだが」

 

『腕の事だろ?』

 

「あ、あぁ……」

 

 

図星を指されて、私は思わず眉を顰めた。

 

しかし……この腕が何とかなるのであれば、私はピーター達と別れずに済む。

そんな資格があるのか、と言えば……無いかも知れないが。

……正直、ボロが出る前に彼等とは別れた方が良いのかも知れないが。

 

……いや、そもそもの話。

よくよく、考えれば……ミッドタウン高校に潜入しているのも組織の命令だ。

 

腕を無くした原因を問い詰められるだろう?

その時、私は何て言えばいい?

 

組織に黙って出撃し、腕を切られて帰って来たとでも言うのか?

良い訳がないだろう。

 

フィスクか、組織(アンシリーコート)か。

どちらかに処分される事は目に見えている。

 

……死活問題だ。

 

だが、腕を捨てた事に、後悔はしていない。

 

ハーマンを助けられたのだから、私の身体にもまだ価値があったのだと、そう思う事が出来たからだ。

 

考えていると、ティンカラーが私に振り返った。

 

 

『何とかなるかも知れないよ?』

 

「何?本当か?」

 

『うん、君の元の腕と……全く同じモノを用意すれば良いんだろ?』

 

「あぁ、すまない……本当に感謝している」

 

 

……そう言えば、ティンカラーは何故、私を助けてくれるのだろうか?

 

彼は組織の人間でもなく、ただの取引相手でしか無い筈だ。

 

私を心配してくれたり、頼みを聞いてくれる。

組織やフィスクの意図に反した行為を取り、独断行動をしても助けてくれる。

 

……何だか、警戒しているのが申し訳無くなる程だ。

 

もう少し、信用しても良いのかも知れない。

私は密かに、心の中でそう思った。

 

 

ティンカラーの後ろを歩く。

 

 

「しかし、腕のスペア……義手か?同じモノを用意するなんて、出来るのか?」

 

『フフ、まぁね。こういう時のために……って訳じゃないけど、偶々、利用できるモノを持ってたんだ』

 

 

彼の研究室(ラボ)は大きい。

それこそ、全ての部屋を、私は把握出来ていない。

 

廊下を歩き、部屋の前に立った。

タッチパネルに手を置き、カードキーを差した。

 

……何だか、厳重なセキュリティーだ。

他の部屋には、こんな鍵など付いていないのに。

 

ティンカラーと共に部屋に入ると……そこには沢山のロッカーがあった。

横に1メートル程、縦はもう少し小さい。

 

そして、青白い蛍光灯が光っていて……部屋は少し、いや、かなり寒い。

まるで冷蔵庫の中のような寒さだ。

 

そして、ティンカラーが引き出しに手を掛けて、引っ張ると──

 

 

「……何だ、コレは」

 

 

そこには、私が横たわって居た。

 

一糸纏わぬ姿で、私が光のない目で天井を見上げて居た。

 

……まるで、死んでいるかのような……。

ゾクリ、と寒気が走った。

自分と全く同じ姿をした死体を見れば、誰だってそうなる。

 

 

私が一歩、後退ると、ティンカラーが振り返り──

 

 

『何って……それは、君の『死体』かな』

 

 

そう、答えた。



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#70 キル・ゼム・オール part9

目の前にある、目と口を閉じて……呼吸もしていない『私』。

 

目を逸らし、ティンカラーを睨んだ。

 

……忘れていたが。

コイツは、組織(アンシリーコート)に繋がっている技術者だ。

 

社会悪とされている組織に協力する発明家……何か恐ろしい事をしていても、おかしくはない。

 

これが何かは分からない。

クローンか、それとも……。

だが、間違いなく違法行為なのは確かだ。

 

ティンカラーが『死体』が、私を見た。

仄かに、マスクから紫色の光が漏れている。

 

 

『これは『LMD』だよ』

 

「……『LMD』?」

 

 

事も無げに、彼が答えた。

さも、重大な事じゃないかのように……。

私にとっては、目の前にある現実を受け入れ難いのだが。

 

普通はそうだ。

自分の死体なんて見たら……失神してもおかしくはない。

気を病んでいれば狂ってしまうかも、知れない。

 

 

『そう、『ライフ・モデル・デコイ』……略して『LMD』だ』

 

 

ティンカラーがガラスで出来た蓋を開ける。

中には薄く、色の付いた液体が詰まっている。

 

……酸っぱいような刺激臭がした。

 

これは……防腐剤の臭いか。

思わず鼻を抑えそうになる。

 

 

『科学の進歩は凄くてね。人工的な筋肉、人工的な心臓、脳と同様のパワーがある小さなスーパーコンピューター……そして(ブルー)と呼ばれる人工血液。これらを組み合わせれば、人間を作る事だって出来ちゃうんだ』

 

「…………」

 

 

倫理観が、ない。

人殺しである私が言うのも何だが……ティンカラーは狂っている。

 

『出来る』と『やる』とでは全く異なる。

技術的に可能であっても、人は常識や倫理観で止まる、筈だ。

ブレーキが付いてないのか?

 

 

「これは『組織(アンシリーコート)』の依頼で作ったのか?」

 

『いいや?僕の私用だ。プライベートな理由さ』

 

 

組織の為でもない、か。

それなら何故、私の『LMD』を作ったのか……それが一番分からない。

何のためだ?

 

私が訝しんでいると、ティンカラーが口を開いた。

 

 

『君は人間の生命……いや、魂って何処にあると思う?』

 

「……それは今、必要な事か?」

 

『そうとも……まぁ、答える気がないなら『無い』でも良いんだけどね』

 

 

ティンカラーが私の『LMD』を見る。

……よく考えなくても、その私は全裸だ。

こんな奴に見られた所で羞恥心など少しも感じないが……少し、嫌悪感は感じる。

 

 

「魂なんて、そんな不確かなモノは……」

 

 

前世の記憶、なんてオカルトを持っている私が否定するのは……事情を知っていれば、さも滑稽に見えるだろう。

誰もその事は知らないが。

 

私は否定したが、ティンカラーは気にせず話を進める。

 

 

『人間の魂はね……ここにあるんだ』

 

 

そう言ってティンカラーが『LMD』の頭を指差した。

 

 

「……頭?」

 

『正確には脳……そこに刻まれた『記憶』だよ』

 

 

ティンカラーが再度、私の方を向いた。

……マスクの下で、どんな顔をしているのかは知らない。

どんな感情を持って語っているのかも、分からない。

 

 

『その人間の行動指針や、善悪の判断、人格を形成するのは『記憶』だ。今まで歩んで来た道、経験が人間の在り方を決める。逆に、それさえ無ければ……死んでいるも同然だ』

 

「……それは、短絡的過ぎないか?」

 

『そうかも知れない。ただ僕は『記憶』だと思ってる。実際、この『LMD』だって君の記憶をコピーすれば……君のように振る舞い出すよ。それこそ、自分が『LMD』だって知らずにね』

 

「…………」

 

『それってさ、『生きてる』と思わないかい?』

 

 

……何を言っているか分からない。

今ここで、こんな言葉を話す意味も……私の『LMD』を見せた意味も、分からない。

 

だが、彼の言葉を否定する気にはなれなかった。

私も……前世の記憶に思考を引き摺られ、趣味、嗜好、倫理観……性自認すら歪んでいるのだから。

 

 

『僕にはね。どうしてもやりたい事が……いや、違うな。やらなきゃならなかった事があったんだ。だから『コレ』を作った』

 

 

……ならな『かった』か。

 

 

「過去形だな……出来たのか?」

 

『いいや?不可能だと思い知っただけさ。僕は他人より少し頭が良いけど……僕のやりたい事は、人間に許された領分では無かった』

 

 

黒いマスクが、俯いた。

私は声を掛ける事が出来なかった。

 

彼は確かに異常だ。

人のレプリカを作るなんて常識的に考えても、おかしい。

 

 

『……幻滅したかい?』

 

 

だが、彼が私を助けてくれているのは事実だ。

何度も、何度も……。

 

……私の複製品を作る理由は分からない。

だが、それだけで彼を判別したくはない。

 

 

「……別に」

 

『別に?』

 

 

……聞き直すな。

全くもって、ムカつく奴だ。

 

 

「……はぁ、私はお前に何度も助けてもらっている。だから……まぁ、許してやる。ハーマンも助けてくれたしな」

 

『……そっか、悪いね。君に嫌われるのは少しキツイ所があるから』

 

「それに」

 

『それに?』

 

「元々、お前が頭のおかしい奴だとは知っていたからな」

 

『……言うねぇ』

 

 

……随分と偉そうに語ってしまったが、頭がおかしいのは私もだ。

彼と大差ないだろう。

 

しかし、隠しておけば良かった物を……態々、私に見せたのだ。

そこは誠実さだと考えるべきだろう。

 

本音を言えば、彼の目的は知りたい。

だが、語らなかったと言うことは……言う気がないという事だ。

問い詰めても、口を割らないだろう。

 

円滑な関係のためにも、秘密は探らない方が良い。

どこに地雷が埋まっているかも分からないのに、手探りで地雷原に入るバカは居ない。

 

私は肘から先のない右腕を、撫でた。

焼けた傷口が痛む。

 

 

「それで、どうするんだ?腕の話は何処に行った?」

 

『おっと、そうだった……』

 

 

忘れていたかのような態度に、多少、ムカつくも何も言わない。

こちらは治療して貰う側の人間だからだ。

 

ティンカラーが私の『LMD』の腕を手に取った。

力なく手先がぶらぶらと揺れている。

 

……やはり、気色が悪いな。

まるでシリコンで出来た精巧な人形だ。

 

 

『この『LMD』の腕を切断して……君の腕に移植する』

 

「……出来るのか?そんな事が」

 

『これは君の血液から採取した生体情報と一致させている……君の治癒因子(ヒーリングファクター)を誤認させて、無理矢理くっ付けるんだ』

 

 

……メチャクチャだ。

現代医療に喧嘩を売っているのか?

 

神経や血管の接合なんかも、私の治癒因子(ヒーリングファクター)に任せた荒療治だ。

 

……いや、だがしかし。

ティンカラーは『LMD』の腕を切断すると言ったか?

この『LMD』は何か、重要な目的があって作った筈だろう。

 

そう思って、ティンカラーを見た。

 

 

「……この『LMD』の腕を切るのか?」

 

『ん?あぁ……そっか……別に良いんだよ。結局、僕の願いは叶えられなかったから。これは、ただの人の形をした廃棄物だ』

 

 

そう言って、ティンカラーが『LMD』の腕を手放した。

 

……しかし、勝手に人の死体を作って、勝手に『廃棄物』とか何とか言っているのは……。

 

少し複雑な気持ちになる。

胸の中にモヤッとした気持ちが残るのは確かだ。

 

だがまぁ、他に治療方法がないのであれば仕方がない。

……私は手術の準備をするティンカラーを手伝う事にした。

 

『LMD』の入っている引き出しを引き抜くと、底にはローラーが付いていた。

地面に置くと、ストレッチャーの完成と言う訳だ。

 

カラカラと、自分の死体を運んでいると、ティンカラーが向かいから話しかけて来た。

 

 

『あ、そう言えば……手術代とか、治療費とか……アーマーの代金とか、武器代とか……費用については──

 

 

全身が、硬直した。

 

前回の費用の件について、思い出す。

……リザードと戦った後の、請求された金額の話だ。

 

 

「う、あぁ……えっと、その──

 

 

思わず、吃る。

 

前回で溜め込んだ金の大半を放出した。

弾丸の代金だけで、だ。

黒い『ナイトキャップ』アーマーの代金や、手術費も含めれば……想像を遥かに超える金額になってしまう。

 

そんなモノは払えない。

今更になって、その事に気付いてしまった。

 

クレタス・キャサディに対する怒りと、グウェンに対する心配のあまり、余裕がなくなって思考もメチャクチャになっていたようだ。

……反省、しなければ。

 

神妙な顔をしている私が面白かったのか、ティンカラーが笑った。

 

 

『フフ、意地悪だったかな?……特別に無料(タダ)で良いよ』

 

「……何?何故だ?」

 

 

思わぬ返答に、私は首を傾げた。

ティンカラーが自身の腕から、ホログラムを投影した。

 

デジタル時計だ。

そこには8月11日という日付が書いてあった。

 

 

『日が変わって……今日は君の誕生日だ。おめでとう、『ミシェル・ジェーン』』

 

 

……私の、潜伏している間の名前を、知られているのに驚いた。

一度も彼に話した事はない筈だ。

 

あの平和な日常は私の……誰にも邪魔されたくない、触れて欲しくない場所だ。

だから、ハーマンやティンカラーにも詳細は話していなかった筈だ。

 

だが……彼に、組織が設定した誕生日すら知られてしまっている。

私の想像以上に、組織と『ティンカラー』の繋がりは深いらしい。

 

しかし。

 

 

「誕生日など……組織に付けられた仮の情報でしかない」

 

『そうかもね。でも、もしかしたら君の本当の誕生日かも知れない。365分の1だけど、可能性は0じゃないし……だから誕生日プレゼントとして、ね?』

 

 

意味の分からない理屈に、私は渋い顔をする。

何で自分と遺伝子レベルでそっくりの『死体』を運びながら、誕生日を祝われなければならないのか?

摩訶不思議な状況だ。

 

まぁ、金銭的に助かるのは事実だ。

だが、一つ。

根本的に分からない事がある。

 

 

「……助かる。助かるが……何故、そこまでしてくれる?」

 

『うーん、何でだと思う?』

 

 

コイツは何故、私を助けるのか?

 

ドレスの件だってそうだ。

リザードの時も、今回だって。

組織に関係しない場所で、私を助ける理由とはなんだ?

 

……まさか、私の事が好きなのか?

ピーターの件を思い出す。

私は彼の好意もつい最近まで気付かなかった……考えたくはないが、私は鈍感なのかも知れない。

 

 

いや、自意識過剰か。

 

殺意は読み取れるが……どうにも、私は好意には疎い。

 

悩んでいると、ティンカラーが少し笑った。

 

その笑い声の意味が分からず、私はただ彼を訝しむ事しか出来なかった。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

「ふっ……くぅっ……!」

 

 

全力で、身体にのし掛かっている瓦礫を押し退ける。

 

瓦礫……と言っても小さな破片程度じゃなくて屋根そのものが落ちてきたぐらいだ。

雨が瓦礫伝って、水滴となって僕の頬を伝う。

 

……足元にはブラックウィドウがいる。

下から僕の事を見てる。

 

 

「あ、のっ……手伝って欲しい、んだけど!」

 

 

ショッカー……ハーマンによって破壊された教会の屋根が、僕の全身にのし掛かっている。

こうやって支えていないと、僕とブラックウィドウはペシャンコだ。

 

 

「私が手伝っても、大した助けにならないでしょ?邪魔をしないようにしてるのよ」

 

「そう、かも、知れないけど、さ!」

 

 

ブラックウィドウは常人よりは強いパワーがある。

多分、一流のアスリートと同じぐらいだ。

 

だけど、僕はその数倍……いや、数十倍のパワーがある。

現にこうして、1000キログラム近い天井を持ち上げられてるし。

 

彼女の助けは……比率としてあまり助けにはならない。

 

 

「ぐ、ぎっ……」

 

「ほら、喋ったらシンドイでしょ?黙って頑張って」

 

 

だからと言って、こうして一人で頑張っているのも辛い所がある。

 

楽な状況で勝つのは誰だって出来る。

本当に重要なのは……こういう助けがない状況に打ち勝つ事だ。

 

……ぐぇっ、言ってて情けない気持ちになってきた。

酸欠で頭がクラクラして来た。

眩暈もする。

 

時間をかければ、ペシャンコになってしまう。

 

 

「ふっ!」

 

 

僕は全力で瓦礫を押し返した。

 

パラパラと破片が飛び散って、光が目に入った。

 

 

「はぁ、はぁっ……」

 

 

肩で呼吸していると、後ろからブラックウィドウに肩を叩かれた。

 

 

「お疲れ様。あと、ありがとう」

 

「はぁ……どう、いたしまして」

 

 

僕は息を切らしながら腰を下ろし、頭上を見る。

 

屋根が壊れて、月が見える。

いつの間にか雨は止んでいたようだ。

 

そのまま目を横に向けると……地面が砕けて、銀色の腕が生えてきた。

 

 

「わぁっ!?」

 

「バッキーね、手伝ってあげて」

 

 

バッキー……?

 

あ、レッドキャップが言っていた『ウィンター・ソルジャー』って人か。

面識がないから、ちょっと気後れするけど……小走りで近づき、大きな瓦礫を投げ捨てる。

 

すると、そのまま瓦礫の下から……銀色の腕をもつバッキーが現れた。

 

ジャケットについた埃を払っているけど……石の角とかで結構な傷が入ってる。

ボロボロだ。

 

それに気付いてか、バッキーが顰めっ面をした。

 

 

「……すまない、助かった」

 

「どういたしまし、て?」

 

 

バッキーは無傷……とは言わないが、大した怪我はしていないらしい。

彼は瓦礫を蹴り分けて、ブラックウィドウの方へ近づいて行く。

 

……多分、普通の人間じゃないんだと思う。

僕みたいな超能力(スーパーパワー)を持ってる超人っぽい。

普通だったら骨折とかして、動けなくなってる筈だ。

 

って、そんな事より……グウェンだ。

ハーマンが人質として連れ去ろうとしていた。

……アイツがまさか、そんな事するとは思わなかったけど。

 

それだけ切羽詰まっていたのだろう。

だけど……ハーマンは女子供には優しい……いや、違う。

優しいってよりは傷付けないように気をつけるぐらいの良識はあるって話だ。

 

だから、グウェンに対して乱暴は働かないと思うけど……そもそも、人質作戦だって彼らしくない話だ。

 

それでも、グウェンが心配なのは確かだ。

ハリーが先に追っていたけど……合流しなきゃ。

 

 

「あの、二人とも!先に行ってるからね!」

 

 

僕はハーマンが逃げた先、扉の向こうの廊下へと飛び出す。

 

……屋根が崩れていたのは、幸いにも僕達がいた部屋だけだ。

廊下は問題ないようで、来た時と同じ景色になっている。

所々、石畳が剥がれているけど。

 

早足で歩いていると、人影が見えた。

一人は倒れていて、一人は壁に背を向けて座っている。

 

……倒れているのは、グウェンだ。

 

 

「グウェ──

 

 

声に出そうになったけど、思い止まる。

 

この姿……スパイダーマンとしては彼女の名前を知っていると不自然だからだ。

 

どう呼んだら良いかも分からなくて、僕は走って側に寄る。

 

床の上に、直に寝かされている。

慌てて抱き起こすと……良かった、息はある。

意識を失って寝ているだけのようだ。

 

僕は視線を横にずらして……足を抱えて壁にもたれ掛かっているハリーを見た。

……震えている。

 

 

「……ハリー?」

 

 

僕が声をかけると、ビクッと体を反応させて……顔を上げて、僕を見た。

 

 

「あ、あぁ……」

 

 

その返答に不安になった僕は、グウェンをゆっくりと降ろして、ハリーの肩を掴んだ。

 

 

「……何があったんだ?何で、そんな……」

 

「ぼ、僕が……う、うぅ……」

 

 

歯を食いしばって、辛そうな顔をしている。

……どうして、こんな事になっているんだ?

 

 

「もしかして、レッドキャップに何か──

 

「違うんだ、僕がやったんだ!」

 

 

僕が訊こうとすると、大きな声で遮られた。

ちょっと、驚いてしまった。

 

そんな様子の僕を見て、ハリーが申し訳なさそうな顔をして……口を開いた。

 

 

「……グウェンを連れて逃げるハーマンを追って…僕は、どうにかして助けなきゃって思って……彼の背中に……武器を……うぷっ──

 

 

地面に向かって、ハリーが吐いた。

……こんな時でも、僕やグウェンにかからないように顔を背けて、見えないように気を付けていた。

 

しかし、先程の言葉から推測すると……ハーマンからグウェンを救ったのだろう?

何か、困る事が……そんな、辛い気持ちになるような事があるのだろうか?

 

 

「ハリー、何で今……そんな、落ち込んでいるんだ?」

 

「……落ち込む?違うんだ、僕はただ……自分は、ヒーローになんかなれないって……君のようにはなれないって自覚しただけだ」

 

「僕?」

 

 

ハリーは……僕みたいになりたいと思ってたのか?

こんな場面じゃなければ嬉しかったかも知れない。

だけど、今は喜んでいられるほど、気楽な状況じゃないみたいだ。

 

 

「僕はハーマンの背中を刺した……殺してしまったかも知れない。レッドキャップも凄く、怒ってた。悲しんでいた……僕は、どうしようもない屑だ。父と変わらない。人を殺す事しか、出来な──

 

 

一人ぼっちの子供のように、震えて涙を流すハリーに……僕は。

 

 

ビンタした。

 

 

「う、えっ……?」

 

「ハリー、僕は『泣くな』なんて言わない。だけど、『諦める』のはダメだ」

 

 

呆然とするハリーの肩を強く揺する。

 

 

「僕達をヒーローたらしめているのは、超能力(スーパーパワー)じゃない。諦めない強い心なんだ」

 

「強い、心?」

 

「何度負けても、何度挫折しても……それでも、立ち上がって前に進む、強い心だ。君がもし、取り返しのつかない事をしてしまったとしても……それでも、より多くの人を助けるために立ち上がらなくちゃならない」

 

 

……スパイダーマンとして僕は沢山の人を救って来た。

だけど、犠牲は少なくはなかった。

 

助けられなかった人もいる。

僕のミスで、取り返しのつかない事になった事だってある。

悪人にブチのめされて死にかけた事だって、両手の指で数えられない程ある。

 

後悔した。

泣いた。

沢山、苦しんだ。

 

何度、スパイダーマンをやめようか悩んだか。

 

それでも、何度でも僕は戦った。

 

今まで助けられた人の応援と、助けられなかった人に報いる為に。

 

誰かを助けられるとして……僕が何もしなくて、その人が苦しむ事になったら。

僕はきっと、後悔する。

 

だから、僕はヒーローをやめない。

僕はスパイダーマンだ。

 

僕の言葉に、ハリーが口を開き……小さな声で喋る。

 

 

「大いなる力には……大いなる責任が、伴う」

 

 

独り言で……まるで、自分に語りかけるように。

 

 

……僕が昔、彼に言った言葉だ。

ベン叔父さんが昔、僕に言った言葉だ。

 

スパイダーマンの、本質だ。

 

 

「そうだよ、ハリー。君は強い。そして、優しさだって持っている筈だ。君はヒーローなんだ。だから……責任から逃げようなんて、甘えるのは僕が許さない」

 

「……スパルタ、だな」

 

 

涙はもう、止まっていた。

 

 

「まぁね。ヒーローは軽い気持ちで出来ないから……悩んだ時はいつでも呼んでくれよ?尻を蹴ってやるから」

 

「……フフ、それは痛そうだから、勘弁して欲しいな」

 

 

ハリーが笑ったのを見て、僕は手を伸ばした。

彼が握り返してきて……彼を立たせる。

 

……シニスターシックスの時と一緒だ。

彼は数ヶ月前までは普通の人だったんだ。

僕が先輩ヒーローとして、しっかりしないと。

 

 

「……話は終わったか?」

 

 

後ろから、声を掛けられた。

驚いて振り返ると、バッキーとブラックウィドウがいた。

 

 

「うわっ……いつから聞いてたの?」

 

「君が彼を殴った所の……少し、前からだ」

 

 

じゃあ、殆ど最初からじゃないか。

……ヒーロー歴の浅い新人である僕が語ったけど……バッキーは僕よりも歳上だし、きっとヒーロー歴も長い。

 

何だか恥ずかしくなってきた。

マスクの下が暑くなってる……気がする。

 

僕が恥ずかしがってるのを他所に、バッキーがハリーを見た。

 

 

「俺から言う事は殆どない。だが、誰かを守るために、誰かを傷付けてしまう事は……不可抗力だ。そして、傷付けないように手加減をするには……相手よりも数倍は強くないと成り立たない」

 

 

バッキーが銀色の腕で、ハリーの頭を軽く小突いた。

 

 

「お前は未熟だ。後悔する暇があったら鍛錬しろ。強くならなければ、信念も守れない」

 

 

……うーん。

僕よりも説教向いてる。

 

やっぱり、若輩者である僕が語るべきじゃなかったかな。

そう思っていると、ブラックウィドウが僕の脇を肘で突いた。

 

 

「貴方の感動的なスピーチも悪くはなかったわ」

 

「あ……えっと、慰めてる?」

 

「本心よ」

 

 

……今すぐ穴があったら入りたい。

 

ブラックウィドウが、そのままグウェンに近付いて肩に背負った。

結構、力持ちだ……やっぱり。

……瓦礫の撤去だって手伝ってもらった方が良かったかも知れない。

 

そして、一つ、大事な事を思い出した。

 

 

「……あ、キャサディは!?」

 

「奴はあちらの広場で拘束している」

 

 

振り返って目を凝らすと……金属製のメダルが貼り付けられて、動けなくなっているキャサディがいた。

 

……ハイテクな手錠なのかな?

いや、手だけじゃなくて全身が動けなくなってるみたいだけど。

 

でもこれで……僕がここで出来る事は終わりかな?

 

ハリーにグウェンの事を聞きたかったけど……バッキーとブラックウィドウがいる。

ハリーとグウェン、両方の知り合いだってバレたら、正体を探られる可能性だってある。

 

……まぁ、彼等が態々、僕の正体を探るなんて事はないだろうけど。

 

僕がこっそり、その場から離れようとすると──

 

 

「スパイダーマン」

 

 

バッキーに呼び止められた。

……忘れてはいないけど、僕は政府非公認のヒーロー……自警団員(ヴィジランテ)だ。

 

違法行為だって詰められて……逮捕される可能性だってある。

バッキーに体を向けながらも、少し後ずさった。

 

そんな様子の僕に、苦笑しながらバッキーが言葉を続けた。

 

 

「フューリーが、君を『S.H.I.E.L.D.』に勧誘しようとしている」

 

「フューリー……?」

 

 

聞き覚えのない名前に首を捻ると、ブラックウィドウが口を開いた。

 

 

「ニック・フューリー。『S.H.I.E.L.D.』の長官よ?一番偉い人」

 

「へ、へぇ……え?いや、何で僕?」

 

 

僕が聞き直すと、バッキーが呆れた顔で返事をした。

 

 

「何でも、若い候補生を探しているらしい」

 

「若い、候補生?」

 

 

……ハリーや、グウェンが『S.H.I.E.L.D.』に所属しているのもフューリーが絡んでいるのか?

 

僕はブラックウィドウに背負われて、気を失っているグウェンを見た。

 

……無意識に、僕は歯を食いしばっていった。

 

 

「……『少なくとも、僕は貴方の下では働きません』って言っておいて下さい」

 

「随分とフューリーを嫌ってるんだな」

 

 

嫌い……嫌い、か。

そうかも。

 

軽く頷いて、僕はバッキーに問いかける。

 

 

「話は終わり?それだけ?」

 

「あぁ」

 

 

……よし。

政府非公認のヒーロー活動については怒られないらしい。

 

……バッキーが腕のような物を拾った。

いや、『ような』じゃなくて、腕だ。

カーネイジによって切断されたレッドキャップの腕。

 

……そう言えば、彼は大丈夫だったのだろうか?

結構血を流していたけど……敵対はしたけど、別に死んでほしい訳じゃない。

 

ニューヨークで活動していれば、いつかまた、会う事もあるだろう。

 

 

僕は彼等に背を向けて、窓に足をかける。

 

 

「……いや、待て。彼女の件について話したい」

 

「……え?彼女?」

 

 

彼女……女の人……一人しかないな。

消去法的にグウェンのことだ。

 

 

「あぁ、奴と出会い……もし、勝つ事が出来たのなら、拘束して『S.H.I.E.L.D.』に引き渡して欲しい」

 

「……何の、話?」

 

 

まるで、その『彼女』が悪人かのような言い方だ。

だから、グウェンじゃないと言う事は分かった。

 

それなら、誰だ?

 

 

口が、乾く。

 

 

数時間前から水を飲んでないのに、沢山運動したからだろうか?

それとも、思い付いたとしても……考えたくない情報が頭に入って来たから、だろうか?

 

 

「レッドキャップの話だ」

 

 

息が、一瞬止まった。

 

少し遅れて、僕は首を振った。

 

 

「はは……それじゃあ、レッドキャップが……女、みたいな──

 

 

……彼が、女?

何故、無意識のうちに男だと思っていたのか。

口調、だろうか。

 

それとも、あの残虐性と言うか……殺意のせいか。

僕に馬乗りになって殴ってくるような所か。

 

 

「……そうか、知らなかったのか。良いか、スパイダーマン。君にとっては聞きたくない話かも知れないが──

 

 

バッキーが、諭すように僕の肩を叩いた。

 

 

「レッドキャップは女だ。それも……成人すらしていない、子供の女だ」

 

 

僕の中で、彼の……いや、彼女に対する感情が、揺らいでいた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

ここはカフェ。

ニューヨークのミッドタウンにある、安っぽいカフェだ。

 

私は新聞を見る。

普段は新聞なんて読まないけど、今日は特別だ。

 

 

『逃走していた死刑囚、クレタス・キャサディ逮捕!』

 

『死者、複数!ニューヨーク市の悪夢!』

 

『奇跡の生還!パトリック・マリガン刑事へ独占インタビュー!』

 

 

キャッチーなタイトルの書かれた新聞、その一面は数日前の事件ばかりだ。

 

でも、どこにもスパイダーマンや、シンビオートの話は載ってない。

勿論、私……エージェント・グウェノムについても。

秘密裏に情報操作されたのだろう……ニック・フューリーの手によって。

 

……読みながら手を伸ばして、ココアを手に取る。

口に含むと、カカオの風味と、濃厚な甘味が口に広る。

あまり、好きな味ではない。

 

けど……まぁ、グウェノムは頑張ってくれたし。

チョコレートを摂取して、ご褒美と言う訳だ。

 

私は新聞を下げて、机の向かい側に座っている少女を見る。

 

……私と同じ物を飲んでいる。

だけど、私と違って真剣な表情でストローを吸っている。

まるでリスみたいだ。

 

 

「ミシェル、美味しい?」

 

「ん……」

 

 

口に含みながら、ミシェルが頷いた。

 

これは先日の……誕生日会がお開きになってしまった事への穴埋めだ。

私の奢りで、カフェまで来ている。

 

……彼女の手を見る。

白い……傷一つない肌だ。

 

……でも、何だろう……少し、違和感を感じていた。

 

 

「……ねぇ、ミシェル?」

 

「ん、何……?」

 

 

飲んでいたココアを机に置いて、ミシェルが問いかけてくる。

 

 

「ちょっと右手、出して?」

 

「……え?右手?」

 

 

恐る恐ると言った様子で伸ばして来た手を、私は手に取る。

 

……いつも通り、ミシェルの手だ。

おかしい事なんて……何もない。

 

撫でると……シルクのような肌触りで、掴むとモチモチしている。

筋肉が付いてるのか心配するほど、柔らかな手だ。

 

だけど、意識を集中すると……違和感を感じたのは鼻だ。

グウェノムによって強化された嗅覚。

 

ミシェルの手に鼻を近づけて、嗅ぐ。

 

 

「うぇっ……グ、グウェン?」

 

「あ、分かった」

 

 

私の言葉に、ミシェルが少しビビったような顔をしている。

 

……あ、急に手を嗅がれたら、そりゃそうなるか。

側から見れば、私はヤバい奴に見えてるだろう。

 

 

「ミシェルさ、香水付けてるでしょ?」

 

 

一瞬の沈黙。

 

 

「…………うん」

 

 

少し間が空いたが、ミシェルが頷いた。

 

やっぱり。

手からちょっと、酸っぱいような……多分、果実の匂いがした。

でも、ちょっと強過ぎだと思うけど。

 

そんな事より、香水を付けている、と言うのが大事だ。

 

私は頬が緩んだ。

 

……ミシェルがついに、自分からお洒落を気にするように……。

化粧もしてなかったミシェルが。

ベージュのパンツしか持ってなかったミシェルが。

香水を……。

 

 

「グウェン……?」

 

「フ、私は嬉しいよ」

 

「え?何で……?」

 

 

困惑するミシェルを見て、私は……あぁ、やっと平穏に戻って来たんだなぁと実感した。

 

父が死んで……フューリーの養子になって。

辛い事が沢山起こったけど……それでも、私は私で。

友達も私に対する態度を変えなかった。

可哀想な女だって、憐れむ事もなかった。

 

だから、それが嬉しかった。

 

これからも日常は続く。

父は居なくなってしまったけれど……父と過ごした日々の記憶は残る。

 

ココアを飲み干し、ミシェルの手を握る。

遠慮した様子で、握り返して来た。

 

事件の後、少し落ち込んだ様子だったけれど……少しはマシになったようだ。

 

……彼女は私の父とも面識があった。

だから、知人の死に悲しんだのだろう。

 

優しい子だ。

 

何があっても、彼女を守りたい。

 

父の死は、私の考えに強く影響を及ぼしたみたいだ。

人は……急に死んでしまう。

父のように……私だって、助けがなければグリーンゴブリンに殺されてたかも知れないし。

 

もし、ミシェルが……例えば。

事件の時に出会った『悪い奴ら』に危害を加えられそうになったとしたら、私が絶対に助けに行かなきゃ。

 

……まぁ、その為には訓練を頑張らなきゃね。

 

私は時計を確認し、ミシェルの手元のココアを見る。

……結構残っている。

味わって飲んでるみたいだ。

 

急かすのも悪いし、お金を置いて席を立つ。

 

 

「じゃあ、お先に」

 

「……グウェン、用事?」

 

「まぁね……養父(パパ)がうるさいんだよね」

 

 

先日の事件の結果も踏まえて。

私が勝手に独断行動をするなら、それに耐えられるように訓練しよう!と言う結論に達したらしい。

 

まぁ悪いのは私だ。

ハリーにだって迷惑を掛けちゃったし……。

 

とにかく、バッキーって人に近接格闘術を教えてもらったりしつつ、走り込みしたり、筋トレしたりしている。

足手纏いにはならないよう、頑張らなきゃ。

 

そう意気込んでいると、ミシェルが心配そうな顔をしつつも笑った。

 

 

「……がんばってね」

 

「うん、ありがとう。ミシェルもがんばってね」

 

「…………え?何を?」

 

 

困惑するミシェルに後髪を引かれつつも、私は席から離れる。

 

そして、店の外に出て……ミシェルの方を見ると……店員を呼んで、追加の注文をしていた。

彼女は食いしん坊だ。

店員が何度か頷いて……驚いたような顔をしている。

何個注文しているんだ、彼女は。

 

面白くて少し笑って……アベンジャーズタワーに向けて、足を進めて──

 

 

「あっ」

 

「おっと」

 

 

誰かとぶつかって、転びそうになり……手を掴まれた。

 

 

「大丈夫?」

 

 

それは黒い髪……鋭い目付きの中には、緑色の瞳がある。

私と同い年ぐらいの少女だった。

黒いジャケットのボタンは全て開かれており……下には露出の高い服を着ていた。

 

具体的に言うと、ヘソが見えている。

 

かと思えば、下はジーパン。

穴すら空いてない、ピッチリとしたヒップラインの良く見えるジーパンだ。

 

手には……今時珍しい、紙の地図を持っていた。

 

観光客……だろうか?

 

思わず目を引かれそうになるが、目線を上げて、口を開いた。

 

 

「ごめんなさい、前を見てなかった……かも」

 

「私も。地図を見てたんだけどね……ちょっと、集中し過ぎた。ニューヨークって入り組み過ぎだと思わない?」

 

 

……田舎から来た人、なのだろうか?

愚痴る彼女に、思わず口を開いた。

 

 

「行きたい場所があるなら……案内とか、いる?」

 

 

……おっと、しまった。

ニック・フューリーとの約束があったのだった。

 

訂正しようと思って口を開こうとし──

 

 

「それ、ホント?助かるわ」

 

 

言葉を引っ込めた。

考えなしの善意は身を滅ぼす。

 

私は内心を悟られないように気をつけて、地図を覗き込んだ。

 

 

「で、どこに行こうとしてるの?」

 

「えーっと、ここ」

 

 

黒いマニキュアがされた指の先、そこに赤い丸が書いてあった。

 

……あれ?

結構近い……と言うか、かなり、見覚えのある場所だ。

 

 

「アベンジャーズタワー……?」

 

 

思わず、声が漏れた。

 

 

「そうそう!それそれ」

 

「へぇ……」

 

 

奇遇だ。

私も行こうとしてた所だ……と考えて、少し停止。

 

アベンジャーズタワーに用事?

と言う事は……彼女も『S.H.I.E.L.D.』のエージェント?

それとも……アベンジャーズ?

いや、それはないか。

 

 

「私も行こうとしてたから、一緒に行きましょ」

 

「そりゃ凄い偶然ね。ビックリしたわ……あ、そうだ。貴方名前は?」

 

 

彼女と目が合う。

 

……視線は鋭い。

多分、内心で探っているのだろう。

 

私と同じく、アベンジャーズタワーに用事があるなんて……一般人ではないだろう。

だから、互いに警戒している。

 

 

「私はグウェン・ステイシーよ」

 

「グウェン……ね。うん、分かったわ。よろしく」

 

 

警戒を解いて、握手を求めて来た。

……名前を聞いただけで、私がエージェント候補生だと分かったのだろうか?

だとしたら、凄い記憶力だ。

 

……それとも、私の事を調べていたのか。

自意識過剰かも知れないけど。

 

満足そうに手を離した彼女に、私も慌てて質問をする。

 

 

「逆に……貴方の名前は?それと……アベンジャーズタワーに行く予定って?」

 

「はは、質問が多いね……」

 

 

苦笑いをしながら、彼女は口を開いた。

 

 

「私の名前はローラ・キニー。好きなように呼んで」

 

 

にこりと笑った。

 

そして。

 

 

「で、用事の方は──

 

 

笑顔が吊り上がり……まるで、凶暴な獣のような笑みを浮かべた。

 

 

「私の頭をブチ抜いた奴を、ブッ殺しに来たのよ」

 



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#71 ステイ・ウィズ・ミー part1

時は過ぎて……いや、こんな詩的表現をする程じゃないかな。

だって、キャサディ……カーネイジの事件から一ヶ月も経ってない。

 

夏休みが終わって、9月。

 

つまり、新学期。

そして、新学年。

 

僕達は四年生(シニア)になった。

 

僕も、ミシェルも、グウェンも……勿論、ネッドもだ。

 

……僕はちょっと歴史の成績が悪くて、グウェンは数学がちょっと苦手で、ネッドは両方ヤバかったらしいけど。

互いに勉強を教え合ったり何とかして、補習は乗り切った。

 

……僕の主な理由は出席日数が足りなかった事なんだけどね。

ヒーロー活動は私生活を犠牲にしている。

 

 

そんなこんなで、ニューヨークは秋。

公園に生えてる木々が少し黄色くなってきて、暑さとも少しの間はサヨナラ出来そう。

肌寒い時もあって、僕はシャツの上に羽織る服を用意したり……。

 

それは毎年の事だから、どうでも良いかな。

 

重要なのは四年生(シニア)だという事。

つまり、卒業年次だ。

 

 

……僕は目の前の紙に目を落とす。

机の上、白い一枚の紙。

 

進路の調査だ。

別に学校から願書を出す訳ではなくて、各々で出すし……エッセイとか、推薦とか、面接とか……色々用意しないとならない。

 

これはただ、教師が把握したいだけのアンケートみたいなモノだ。

進学する生徒にサポートしたり、相談を受けたりするための……。

だから、これで進路が決まる訳じゃない。

適当に書いていいし、何となくってレベルで良い。

 

……いや、この時期になって何となくって進路を決めてたら……まずいと思うけど。

 

僕はそこに自分の名前と、進路に『エンパイア・ステート大学』と書いた。

そして、紙を二つ折りにして教壇前の箱に入れた。

 

グウェンも何か書いて箱に入れた。

悩んでいる様子はなかった。

 

そして、ミシェルの……手に持ったペンは全く動いてなかった。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

「ピーター」

 

「ん?グウェン、どうかした?」

 

 

僕はロッカーの前で、グウェンに呼び止められた。

次の授業まで、あと15分……時間はあるとは言え、そんなに長話出来るような暇はないんだけど。

 

 

あぁ、そう言えば。

彼女が『S.H.I.E.L.D.』のエージェントだって話は、ハリーから聞いた。

あんまり実感が湧かないけど……僕は知らない体で彼女と関わっている。

知ってたら、おかしいからね。

追求したら僕がスパイダーマンだってのもバレちゃうし。

 

だから、これまで通りだ。

 

……しかし、彼女がミシェルと一緒に居ないのは珍しいと思った。

 

彼女が手招きするので近付くと、耳を引っ張られて小さな声で話しかけられた。

……ちょっと耳が痛かった。

 

 

「……ミシェル、元気ないよね?」

 

「え?そうなの?」

 

 

ばしん、と太ももを蹴られた。

痛くはないけど、僕の返答がミスだったのはよく分かった。

 

 

「理由は知ってる?」

 

「い、いや……そもそも気付いてなかったし」

 

 

ため息を吐かれた。

 

 

「アンタ、ホントにミシェルを幸せにする気ある?」

 

「あ、え……う、うん」

 

 

突然、そんな事を言われるから照れ臭くなって……それでも頷いた。

しかし、その返答にグウェンは納得していないようだ。

 

 

「チッ……即答してよね」

 

「ご、ごめん」

 

「……はぁ、まぁ良いわ。これ」

 

 

グウェンが上着のポケットから何か取り出して、僕に押し付けた。

二枚の紙だ。

 

……映画のチケット?

無料券……みたいな奴だ。

NYシネマで使える、どんな映画でも一回無料のクーポン件。

 

一枚につき、一回観れるみたいだ。

つまり、二回分。

 

だけど、何で僕に押し付けたのかは分からない。

僕は疑問を口にした。

 

 

「えっと、何これ?」

 

「……ナードには少し難しかったか」

 

 

腕を組みながら、僕から目を逸らし……ため息を吐かれた。

さ、察しが悪いのは申し訳ないけど、そこまでされるような事かな?なんて口には出さない。

言ったら、また蹴られるだろう。

 

グウェンが呆れながらも、答えを教えてくれた。

 

 

「それを持ってミシェルを誘うの。彼女、映画が好きでしょ?」

 

「あ、うん。確かに……じゃあ、チケットを一枚買ってネッドと三人で──

 

 

ばしっ、と太ももを蹴られた。

さっきより威力は強めだ。

 

 

「いっ──

 

「ホント、バカ、バカ過ぎ。二人っきりで行きなさいよ……そこは」

 

 

その言葉に、僕はギョッとした。

 

 

「でも、ちょっとそれってデートじゃ──

 

「だから、そう言ってんのよ。あーあ、やっぱりハリーを応援するべき?……アンタにアドバイスしてるとマジで時間の無駄かもって思う時があるわ」

 

 

あまりにも辛辣な言葉にメンタルが破壊されそうだ。

しかし、実際それは図星なので……平謝りするしかない。

 

 

「わ、わかったよ、ごめん……ミシェルを誘うよ。でも……頷いてくれるかな、二人っきりで」

 

「大丈夫よ、絶対」

 

 

その自信は自分が当事者じゃないから……そして、同性だから出てくる自信だ。

女の子をデートに誘うってのは、僕にとっては一世一代の大事なんだぞ。

凄く勇気がいる事なんだ。

……それこそ、銃口の前に立つ事よりもね。

 

 

「じゃ、明日か明後日、いや次の月曜に──

 

 

グウェンの足が後ろに下がったのを見て、言葉を止めた。

このまま言えば間違いなく蹴られるだろう。

 

 

「今から、誘ってきます……」

 

「よろしい」

 

 

思わず敬語になった僕に、満足したようにグウェンが頷いた。

 

女子用のロッカーがある場所に向かって歩く。

後ろからグウェンが付かず離れずの距離を維持して歩いてる。

 

……僕がデートに誘うのに、自分が干渉してるとミシェルに悟られたくないけど……その結果は見たいと言った感じか。

 

ミシェルはロッカーを開けて、ぼーっと扉の裏についた鏡を見ていた。

……うーん、これは確かに、落ち込んでるのだろうか。

少なくとも様子がおかしいのは確かだ。

 

……何で今まで気付かなかったのだろうか?

僕が鈍感だからか……それとも、僕らがいる時はバレないように取り繕ってたとか?

いや、自意識過剰か。

 

多分、僕が鈍いだけだ。

 

僕はミシェルに無言で、後ろから近付く。

……声をかけるのにビビっていて、話しかけるタイミングを逃してしまった。

ちょっと、近付き過ぎちゃったかなって思った瞬間……ミシェルが振り返った。

 

 

「あっ──

 

 

ビクッと肩を動かして、ミシェルが後ろに退いた。

ガタン、とロッカーの縁を踏んで、転けそうになって──

 

 

「危なっ」

 

 

思わず手を伸ばして……このまま腕だけ掴んでも後頭部をぶつけてしまうだろう。

僕は肩を掴んで引っ張って……もう片方の手で壁をついた。

 

ミシェルが驚いた顔で、僕を見上げている。

ほんの少ししかない身長差だけど、確かに僕を見上げていた。

 

……どうやら、彼女は無傷のようだ。

 

 

「だ、大丈夫?ミシェル?」

 

「…………」

 

 

無言のミシェルが……いつもの表情の乏しい顔を歪めた。

 

……そこでようやく気付いた。

僕がまだ彼女の手を掴んでいて……壁に手をついて、動けないようにしていて……その上で密着している事に。

 

シャンプーか、香水の良い匂いが鼻をくすぐった。

 

 

「わ、わわわっ、ごめん!ミシェル!」

 

 

僕は慌てて、彼女から手を離して離れた。

僕の謝罪に、ミシェルの表情が幾分かマシになった。

 

……アレは一体、なんの表情だったのだろう。

照れてるとは思えないような……まさか、照れ隠し?

いや、怒ってるかも……あとは、恥ずかしいとか……き、気持ち悪がってるとか?

 

 

「ううん、ありがと。ピーター」

 

 

仄かに笑ったミシェルに、僕は嫌われてないのだと安心して……息を吐いた。

心臓はまだ、ばくばくと鳴っている。

 

 

「ほ、本当にゴメン。その、わざとじゃなくて……」

 

「……本当に気にしてない。大丈夫」

 

 

重ねて僕が詫びると、彼女が面白いものを見たかのように笑った。

 

 

「それで……どうしたの?ピーター。何か用でもある?」

 

「あ、えーっと、それなんだけど……」

 

 

僕はグウェンから貰ったチケットを二枚見せた。

 

 

「一緒に映画、観に行かない?」

 

「行く」

 

 

即答だ。

もう少し、悩むかと思ってたけど……嬉しい。

 

 

「じゃ、じゃあさ……今日の放課後に──

 

 

首筋にピリピリと痛みが走る。

超感覚(スパイダーセンス)に反応あり。

 

即座に振り返ると、グウェンが柱の裏から凄まじい形相で僕を睨んでいた。

 

え!?ダメなの!?

 

 

「何かあった?」

 

 

僕はミシェルに視線を戻し、慌てて否定する。

 

 

「な、何にもないよ?」

 

「……そう?」

 

「そうそう。映画なんだけど……今日はやっぱり無理だから……明日、土曜日とかで良いかな?」

 

 

ピリピリとした感覚がなくなる。

多分、これで正解みたいだ。

 

 

「ん、わかった。丁度、今日は私も用事があったから」

 

「そうなんだ……じゃ、じゃあ、明日、よろしく?」

 

「……ん?分かった?」

 

 

緊張のあまり支離滅裂になっている僕に、頷きながらもミシェルが首を傾げた。

 

僕はミシェルと分かれて、やり遂げた顔でグウェンの元へと近付いた。

蹴りは飛んで来なかった。

 

 

「ギリギリ及第点ね」

 

「そ、そうかな?」

 

「100点満点中、31点」

 

 

……厳し過ぎる。

殆ど赤点じゃないか。

 

 

「ちなみに内訳は?」

 

「ミシェルが転けそうになった所を庇って30点。今日じゃなくて明日にしたので5点。自力で気付いてなかったからマイナス4点。合計で31点よ」

 

 

メチャクチャ詳しく内容が出てきた。

……あれ?

でもこれなら、僕が誘った手順に対する加点は無いって事?

庇った所と、グウェンに気付かされた所以外は評価されてないじゃないか。

 

 

「ちなみに何で今日じゃダメなの?」

 

「女の子の支度には色々時間がかかるの。学校に行った時と同じ服装で映画館に行かせるなんて有り得ないわ。デートなのよ?」

 

「あ……うん、そうだね?」

 

 

よく分かってなかったけど、確かに……そうなのかも知れない。

 

 

「後は今、映画デートしたら映画館しか行けないでしょ?土曜日なら、昼に映画を見て……一緒にご飯を食べたり、何かしら理由を付けてデート時間を伸ばせるわ」

 

「……なるほど」

 

 

流石、グウェン。

まるで恋愛博士だ。

 

……彼氏が居たって話は聞かないけど。

メチャクチャ気が強いから、男が寄って来ないってネッドが言ってた。

 

これはネッドの陰口じゃなくて、グウェンがネッドに語った内容らしい。

彼女のタイプは……金持ちで、優しくて、女性をエスコート出来るスーパーイケメンらしい。

……そんな奴いないよ。

 

 

「そう言えば──

 

 

グウェンが僕の思考を中断させた。

 

 

「ピーターって、デート用の服って持ってる?」

 

「デ、デート用?これじゃダメなの?」

 

 

僕は今、自分が着ている服を指差した。

全く同じではないけれど、似たような服装で行く気だった。

 

そして、僕の言葉にグウェンがため息を吐いた。

 

 

「ありえないわ」

 

「ど、どこが?」

 

 

自分のファッションセンスを否定されたみたいで、少し気に掛かって問いかけた。

 

 

「そのロングスリーブのチェック柄のシャツ、クタクタのチノパン」

 

「それのどこが──

 

「オタク臭い」

 

 

ぐっ。

 

精神に強烈な一撃が入った。

僕の守ろうとしていたプライドは粉々に砕け散った。

 

 

「他にないの?」

 

「な、ない……色が違うだけで、そんなに違いは……」

 

「それって叔母さんに買ってもらってるの?」

 

 

遠回しに、センスが古臭いとか、保護者が好きそうな服装だとか言われているみたいで、素直に指摘されるよりもキツい言い方だ。

 

 

「違うよ、僕が買ってる」

 

「……救いが、ないわ」

 

 

僕の肩を叩いて、グウェンが呆れたような顔をした。

 

少しの間、互いに無言になった。

あまりにも気まずくて、口の中が酸っぱくなる。

 

そうして、グウェンがようやく口を開いた。

 

 

「ピーター、今日暇よね?デートに誘うぐらいだし」

 

「う、うん。そうだけど」

 

「……服、買いに行くわよ」

 

 

出てきた提案に、僕は思わず声が出そうになった。

……お金がないからだ。

確かに、確かに……先月の給料が入ってから日はあまり経っていない。

 

だけど、ネッドにお金を返したり、食費だったり……そんな色々で、使えるお金と言うのはあまり無い。

今日、高い服を買ったら今月の食費が大変な事になる。

 

そんな僕の葛藤をよそに、グウェンが話を進める。

 

 

「私も今日、夜に予定があるから長時間は一緒に行けないけど、デートを明日予定にしちゃったんだから、絶対に今日行かないとダメね」

 

「そ、そうだね」

 

 

多分、僕よりもデートについて熱心かも知れない。

そんなグウェンに流されて、僕も頷いてしまった。

 

 

「じゃあ、放課後!午後の授業が終わったらすぐ行くから。時間は有限なのよ」

 

「うん……分かった」

 

 

そうして返事をした後……グウェンが夜に用事があると言っていた事を思い出して、気になった。

 

 

「そう言えば、グウェンは夜に用事があるんだね」

 

「うん?……あー、友達よ、友達」

 

「友達?」

 

「そ、女友達」

 

 

グウェンは余りにも気が強いから友達が少ないって、ネッドが言っていた。

ちなみにコレも悪口じゃなくて本人談らしい。

 

しかし……ミシェルが転校してくるまで、あんまり人と(つる)んで無かったと思ってたけど……そんな、校外で会うような友達が居たんだ。

 

 

「……何か、今メチャクチャ失礼な事を考えてない?」

 

 

ピリピリと首筋が痛んだ。

 

 

「そ、そんな事ないよ?」

 

 

僕は慌てて否定した。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

深い緑色の防腐液が入ったケースに、白い肌をした少女の腕が入っていた。

猟奇的な光景だ。

……知らない人間が見れば、どんな邪悪な秘密結社なのかと訝しむだろう。

 

だが、実際は……世界を守るための治安維持組織だ。

 

ここはワシントンDCにある『S.H.I.E.L.D.』の研究施設の一つだ。

巨大な地下シェルターのB6階だ。

 

薄い緑色に塗装された壁の一室に、様々な機械が所狭しと並んでいる。

そんな部屋に、私は一人立っていた。

 

検死を専門とする科学者が並べた資料を読みつつ、待ち人を待つ。

 

 

……ドアが開き、誰かの足音が近づく。

そして、声をかけられた。

 

 

「呼んだか?フューリー」

 

「あぁ。キャプテン」

 

 

ハグや握手なんてしない。

そんな気楽な仲ではない。

同じ国を守る同志であっても、友人等ではない。

 

私は私服を着たキャプテン・アメリカ……スティーブ・ロジャースに、少女の腕を見せた。

 

 

「……これは?」

 

「レッドキャップの腕だ」

 

 

キャプテンが顔を上げて、私を睨んだ。

 

 

「……何故こんな所にある?持ち主はどうなった?」

 

「落ち着け、キャプテン。これを拾ったのは君の友人だ」

 

 

キャプテンは指で自身の鼻を撫でた。

 

 

「……バッキーか?」

 

「あぁ……そして、彼が到着する前に、既に切断されていたらしい」

 

「…………」

 

 

鋭く、険しい視線はそのままで、キャプテンが目を下ろした。

 

 

「切断面が鋭利だな。研ぎ澄まされた刃物で斬られたようだ」

 

「シンビオートによって切断されたらしい」

 

「シンビオートに?……彼女は無事なのか?」

 

「それは分からない。取り逃がしたからだ」

 

 

そう言うと、キャップが顔を曇らせた。

 

 

「バッキーでも……だが、こんな切断のされ方をすれば、失血死する」

 

「普通の人間ならば、な」

 

「……どういう事だ?」

 

 

私は施設員から貰った情報が書き込まれた……死体の診療簿(カルテ)を渡す。

パラパラと捲り、情報を読み取っていくキャプテンに向かって、口を開いた。

 

 

「この腕には異常な性質が付与されていた」

 

「異常な……?」

 

治癒因子(ヒーリングファクター)

 

 

言葉に覚えがあったようで、キャプテンが頷いた。

 

 

「それは……『ウルヴァリン』が持っている肉体を再生させる因子の事か?」

 

 

ウルヴァリン。

自身の肉体を如何なる状態からも再生できるミュータントだ。

ヴィブラニウムを凌ぐ硬度を持つ、アダマンチウム合金の鋭い爪を持つ。

『X-メン』と呼ばれるヒーローチームに所属している、熟練のヒーローだ。

 

彼ならば……それこそ、頭蓋を撃ち抜かれても生き残るだろう。

 

 

「……と、言っても彼程ではないな。恐らくは死んでいないだろう」

 

 

そう言い切ると、キャプテンが安堵した。

……彼は、どうやら彼女の事を気にしているようだ。

殺し合った相手だと言うのに……それは彼の優しさか。

それとも、未成年の子供が悪事に巻き込まれているのを助けたいのか。

彼は性善説を信じている。

 

キャプテンが再度、私の目を見た。

 

 

「この腕から、レッドキャップの正体は分かったのか?」

 

「いや……我々の持っているデータベースには、この指紋パターンは存在しなかった」

 

「……表立って、犯罪歴はなく、逮捕された経験もないと言う事か」

 

「あぁ……近い遺伝子情報から近親者は割り出せる。それは血の遺伝子情報で割り出せる情報だ。それに、彼……割り出した近親者には生き残っている親類等いなかった」

 

「……彼女の存在を証明する資料は……この国には、存在しないのか?」

 

「そうだ。だからレッドキャップの正体と言うよりも……彼女自身がレッドキャップという存在そのものだと言って良いだろう。彼女に正体なんて物はない」

 

「それは……悲し過ぎる」

 

 

キャプテンが腕を組み、悩ましげな顔をする。

悲痛な表情で……口を開いた。

 

 

「……それで、何故、私が呼ばれたんだ?」

 

「彼女の腕から肉体を強化している原因が分かったからだ。そして、それは君に関係している」

 

「私に?」

 

「君と……バッキー・バーンズに、だ」

 

 

訝しんだ顔をするキャプテンに、告げる。

 

 

「『超人血清』だ」

 

「……アレは、バッキーに使用された物で最後だった筈だ。まさか……誰かが新しく作っているのか?」

 

「あぁ……と言っても君達に使用されたものより劣悪だ。肉体の強化が定着する可能性は限りなく低い」

 

「それは──

 

「副作用が出る可能性が高い。それに体の成長していない子供に使用しなければ意味がない。……成功品を生み出すのに、何人の子供が犠牲になったか」

 

 

プラスチックが軋む音がする。

キャプテンの持っている診療簿(カルテ)、それを挟んでいるバインダーの音だ。

 

 

「……誰が作っている?」

 

「裏事情に詳しい諜報員から聞き出した情報によると……『パワー・ブローカー』と呼ばれている男らしい」

 

「『パワー・ブローカー』……?」

 

 

キャプテンが驚いたような顔をした。

 

 

「いや、彼は既に死んでいる筈だ。私やハルクと戦い……最終的に、パニッシャーによって殺害されている」

 

「……カーティス・ジャクソンか?あぁ、彼は死んでいるな」

 

 

パワー・ブローカー社。

様々な人体実験を繰り返し、超人を人工的に生み出そうとしていた会社だ。

実際に何人か、その会社によって肉体強化された犯罪者と対峙した事がある。

だが……その会社の社長、カーティス・ジャクソンは既に死んでいる。

10年以上前の話だ。

 

彼女の年齢から遡れば……超人血清を投与されたのは、それより後になる筈だ。

 

 

「では、何故?……誰か、別人が名乗っているのか?」

 

「その通りだ。君は話が早く済んで助かる」

 

 

私はタブレットを操作し、施設の機能を起動させる。

ホログラムが投射されて、宙に資料が表示される。

 

薄い紫色をした肌、瞳の存在しない黄色い瞳。

短く整えられた白髪。

凡そ、人間離れした容姿だ。

 

 

「……コイツが?」

 

「そう、『パワー・ブローカー』だ。自分で名乗っている」

 

「それ以外に分かる事は?」

 

「無い。本名も、人種も……いや、そもそも地球人かも分かっていない」

 

「……そうか。居場所は?」

 

「不明だ。だが……近く、マドリプールに来る。我々の偽装したブローカーが彼と取引を行う。勿論、我々の仕組んだ罠だが」

 

 

キャプテンが顎を手に置いた。

彼は悩ましい時、このような仕草をする。

そして、その悩みとは……大抵──

 

 

「私も同行しよう」

 

 

自ら掲げた信念に、殉ずる前の小さな悩みだ。

 

 

「そう言うと思っていた」

 

 

私が頷くと……少しして、キャプテンの目が厳しくなった。

 

 

「……しかし、フューリー。何故、彼女を気に掛けている?」

 

「私が?……そう見えるか?」

 

「あぁ、君は……あまり興味を持たない人間だ。それも自身の敵とも言える存在に、そこまで執着するのは珍しい。地球の危機でもないのに」

 

「ふむ……」

 

 

私は迷う。

彼に話すべきか……。

 

……鋭い目付きは怖くはない。

だが、何事にも信頼関係と言う物はある。

 

私は観念して口を開いた。

 

 

「贖罪だよ」

 

「……君らしくない言葉だ。そして、何の贖罪だ?フューリー、何をした……何をしてしまったんだ?」

 

 

キャプテンの追求に、ため息を吐く。

ここまで来たのなら、話さなければならない。

 

 

「ラトベリア、と言う国は知っているだろう?」

 

「あぁ……『あの男』が君主を務めている国だ」

 

 

あの国の君主は……この国の国力を削る為に、オーバーテクノロジーを悪人に渡していた。

実質的なテロ行為に等しい。

 

彼は生かしておくには、危険な存在だと。

私はそう判断した。

 

その判断は恐らく間違ってはいない。

 

彼は独善的で傲慢な……そして、あまりにも強大だった。

 

 

「私は彼の力を削ぐ為に、一つ、策を講じた」

 

「……何をした?」

 

「内戦を引き起こした」

 

 

私はあの時……多少の犠牲は出しても、彼を倒さねばならないと考えた。

国に秘密裏に、戦争を行う……作戦名は『シークレット・ウォー』。

我々はラトベリアへ潜入し、絶対君主である『あの男』と敵対する組織へ支援をした。

 

結果、内戦が起きた。

起こそうと思っていた訳ではない。

だが、起こるかもしれないと考えた上で……私は行動していた。

 

 

「フューリー、それは……許される事ではない」

 

「あぁ、そうとも。国にも極秘で……この話を知っているのは『S.H.I.E.L.D.』でもごく少数だ」

 

 

キャプテンの表情が厳しくなる。

 

 

「結果的に『あの男』を君主から引き摺り卸す事は出来ず……多大な犠牲が出た。無意味だったとは言わない。だが、結果はあまりにも小さかった」

 

「……そうか、彼女は──

 

「私の考察が正しければ、彼女は内戦の犠牲者だ」

 

 

少しの沈黙が、私とキャプテンの間で流れる。

私は懐の拳銃を取り出す。

 

……いつも私を守ってきた拳銃を、彼に手渡した。

 

 

「撃ちたければ撃て、スティーブ・ロジャース。私は許されない事をした。そして、これからも行う」

 

「…………」

 

 

キャプテンが拳銃の銃口を私に向け……そして、下げた。

少しの軽蔑を含んだ目で、キャプテンが苦笑した。

 

 

「狡い男だ」

 

 

続けて、キャプテンが言葉を繋いだ。

 

 

「私が撃たないと知っていて、パフォーマンスとしてやっている」

 

「いいや、違うさ。だが、そうだな……ここで死ぬのは困る。私にはまだ、やるべき事があるからな」

 

 

私は拳銃を受け取り、黒いコートの内側に戻した。

キャプテンが口を開く。

 

 

「私は君を許す事はない。だが、世界の平和の為には……時として手を汚す事も厭わない、そんな強い指導者が『S.H.I.E.L.D.』には必要だ」

 

 

キャプテンがそう言い切った。

そのまま踵を返し、この部屋のドアを開けた。

 

 

「マドリプールでの作戦を行う時、必ず私を呼べ。秘密主義は結構だが、反感を買う事になるぞ」

 

「十分に承知している」

 

「……どうだろうな」

 

 

彼が去った事で、部屋の中は静寂に包まれる。

機械音が虚しく響く中、私はまだ成人すらしていないであろう……細く、白い手を眺めた。



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#72 ステイ・ウィズ・ミー part2

「グウェン、これとかどう?」

 

 

僕がハンガーにかかった服を見せる。

 

 

「……マジで言ってる?」

 

 

その言葉に、僕は黙って棚に戻した。

 

ここはニューヨーク市内の古着屋だ。

何でもグウェンのオススメらしい。

 

古着だからってのもあるけど、値段は割と控えめだ。

 

 

「じゃあ、これとか……」

 

 

僕は虎柄のシャツをグウェンに見せる。

今日一番、凄い表情で僕を見た。

 

呆れと嫌悪、侮蔑の混じった凄い顔だ。

 

 

「それ着て学校に来たら、アンタのニックネーム……『タイガー』になるわよ。勿論、馬鹿にされるって意味でね」

 

 

つまり、似合ってないと言うこと。

僕はまた棚へ戻した。

 

振り返って、グウェンを見る。

 

来た時より元気が無くなっている。

僕も、グウェンも。

 

 

「も、もうグウェンが選んだ方が良いんじゃない?」

 

「私が選んだら、アンタの美的感覚が育たないでしょ?評価してあげてるだけ有難いと思いなさい」

 

「はい……」

 

 

僕はトボトボと歩き、棚にある服を確認する。

……でも、なんというか、全く分からないんだけど。

どれがカッコいいんだ?

 

……ファッション雑誌とか買っておけば良かったかな?

でもファッション雑誌のモデルって高身長のイケメンばかりで、僕が着ても似合わないような服ばかりなんだよな。

ズボンにチェーンとか付いてるの、よく分かんないし。

アレって何でつけてるんだろう?

財布を落とさないようにするため?

 

思わずため息を吐きそうになっていると……一人の女性が僕を横切った。

 

 

黒髪ロングの……緑色の綺麗な目をした……目付きの鋭い女性だ。

凄く、気が強そうだ。

 

でも目を引いたのは服装だ。

上は黒く丈の短いタンクトップ、ヘソまで出してる。

下は真っ赤なベルトに黒い光沢のあるズボン。

靴も真っ黒だ。

でも、全身が真っ黒と言う訳じゃなくて、それこそズボンに銀色のチェーンを巻いている。

 

何て言うんだろう……凄い、攻撃的なファッションだ。

 

……僕とは真逆。

なるべく近寄らないようにしよう。

 

なんて思ってたら、その女性がグウェンの前で止まった。

 

……あ、揉め事になるなら僕が止めないと!

 

そう思って慌てて近寄ろうとして──

 

 

「お、グウェンじゃん?」

 

「あー、奇遇ね」

 

 

そう言って軽くハグした。

僕は驚いて、思わず二人を見ていた。

 

すると、黒髪の女性が僕を一瞥した。

そして親指で指差して、グウェンに向き直った。

 

 

「メチャクチャ見てくるけど、誰?」

 

「私の友人、ピーター・パーカーよ」

 

「ふぅん……」

 

 

納得したような顔で僕へ近づいて来る。

……僕よりちょっと、身長が高い。

 

僕の前で止まって、手を伸ばして来た。

 

 

「ローラ・キニー、よろしく。好きに呼んで良いから」

 

「あ、うん。よろしく?」

 

 

恐る恐る手を伸ばしたら、ぎゅっと握られた。

……うっ、結構強い力で握られた。

一瞬、思わず手を引きそうになってしまった。

 

でも、思ったより穏やかな人かも知れない。

メチャクチャ気が強そうに見えてたけど。

 

 

「へぇ……グウェン、これ彼氏?」

 

「違うけど」

 

 

即答だ。

だけど、心底嫌って言い方じゃなくて否定するだけで済んでいるだけマシだ。

多分、僕と彼女……ローラが初対面だから、あまり印象が悪くならないように気を遣っているのだろう。

 

 

「じゃ、普通に友人なんだ」

 

 

気の抜けるような返事からは、感情をあまり感じられなかった。

……本質的に、僕には興味が無いなのかも知れない。

 

グウェンがため息を吐いて、口を開いた。

 

 

「ま、こんな場所で会うなんてね。夜にも会うのに……で、何の用事?」

 

 

夜の用事……あぁ、彼女がグウェンの言っていた友人なんだ。

……まぁ、何となく、そんな気はしていたけど。

そんなに友人が沢山いる訳じゃないらしいし。

 

 

「私は普通に服を買いに……アンタも?」

 

「いや、私はピーターの付き添い」

 

「彼の?」

 

 

ローラが僕の顔を見た。

思わず目を逸らしたくなるような、そんな迫力のある顔だ。

怖いって言うか、美人で、目が鋭くて、圧があるって言うか……やっぱり怖いや。

 

 

「ふぅん……これ、どう?」

 

 

棚に手を伸ばして、シャツを抜き取り……僕へ手渡した。

黒いシャツで……白いドクロが真ん中に付いてるシャツだ。

 

 

「うぇっ、これはちょっと」

 

 

派手だ。

ってのもあるけど……パニッシャーの事を思い出してしまう。

アイツも黒い服に白いドクロのマークを付けてるからなぁ。

 

……ここ、古着屋だよね?

もしかして、コレってパニッシャーの古着って可能性もある?

 

……いや、パニッシャーが古着屋に服を売りに来てるイメージが湧かないや。

 

 

僕は思わず棚に戻して、それを見たローラが笑った。

 

 

「まぁ、確かに似合ってはないね」

 

 

そう思ってるなら何で渡すのか。

 

 

 

そのまま、僕が服を選んではグウェンにダメ出しをされて……ローラが定期的に変なシャツを持ってきて……そんな事をしている間に1時間近く経っていた。

 

時計を見た瞬間、ちょっと驚いてしまったぐらいだ。

時間が経つのは本当に早い。

 

 

そのまま、時計から視線を落として……ローラを見ると足を止めていた。

 

 

視線の先には木で出来た人形があった。

棚の上に赤い帽子を被せられて、鼻の長い木の人形だ。

 

決して短くない時間、彼女はそれを見ていた。

 

 

見かねて、グウェンが思わず声を掛けた。

 

 

「……どうしたの?ローラ」

 

「え?あぁ……昔ね、お母さんがね、私に読み聞かせてたんだよ」

 

 

ローラが棚の上にあった人形から目を逸らした。

確か……『ピノキオ』だったか。

嘘を吐いたら鼻が伸びる木の人形だ。

人になりたいと願っていて……最後に願いが叶えられて人になる。

そんな話だ。

 

懐かしんでいるのかな、なんて思って僕が彼女に目を戻すと……少し、悲しそうな顔をしていた。

……多分、きっと彼女の母はもう──

 

 

「あ、ごめん。こんな話しても困るよね?」

 

「あ、いや……僕は、困らないよ」

 

 

そう言うと、ローラが僕の目を見て笑った。

本心を見透かされるような目だ。

そのまま、するりと視線をズラしてグウェンを見た。

 

 

「……なるほどね。良い友人だね、グウェン」

 

「そう?ただのナードだけど」

 

 

そう言ったグウェンを僕は目で追った。

照れ隠しで貶される僕の気持ちにもなって欲しい。

……まぁ、暗いし……オタクなのは間違いないけどさ。

 

 

「ふふ、まぁ良いよ。そういう事にしてあげる」

 

「……何か勘違いしてない?」

 

「どうかなぁ……じゃ、私はコレで……アンタも服選び頑張ってね」

 

 

来た時よりも機嫌を良さそうにして、僕らに背を向けつつ手を振って出ていった。

結局、服は買っていなかった。

お眼鏡に叶う物は無かったのだろう。

 

なんだか……嵐のような人だと思った。

 

 

「……ピーター、私もそろそろ時間なんだけど。早く決めてくれない?」

 

「あ、うん、分かったよ……!」

 

 

何だか終わった気がしていたけど、僕はまだ服を一着も買っていなかった。

……結局、それから30分かけてOKを貰った服を買った。

 

ついでに、グウェンが自分用に買おうとしてた服のお金も出そうとしたら──

 

 

「そのお金で、ミシェルに美味しいものを食べさせてあげたら?」

 

 

と言われて、財布に無理矢理押し込まれた。

……凄くお人好しだと思った。

 

グウェンも、ネッドも、ミシェルも……みんな、お人好しの良い友人だ。

僕には過ぎたような……本当に良い友人だ。

 

僕は自分の紙袋と、グウェンの紙袋を持って店を出た。

 

明日、ミシェルに変だって思われなかったら良いな。

そんな凄くハードルの低い願いを抱きながら、僕は自然と笑っていた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

私は服を脱いで……胸元に付けていた青と白の、砕けた薔薇のアクセサリーを外す。

壊れないよう、ゆっくりと棚の上に置いて……黒い防刃タイツを穿く。

下着も付けず、そのまま首まで覆う真っ黒なタートルネックを身に付けて……外に出る。

 

 

「準備は出来たぞ、ティンカラー」

 

 

目前にはいつも通り……黒いスーツに紫色の光を漏れさせているティンカラーの姿があった。

 

 

『よし、それじゃあフィッティングの作業をしよっか』

 

「……そもそも、必要か?前の身体測定時のデータを使えば良いだろう?」

 

 

私はそう愚痴りながら、アーマースーツを装着する。

 

以前のとは異なる形状で……胸のプロテクターや、肩、肘、膝、足先……指の根元から指先まで、赤い金属で覆われている。

そして、指先は小さな爪のように尖っている。

これは……素手での戦闘を想定してだろう。

 

ならば、この赤い金属は何なのか……。

 

私は自身の新たなスーツを見ていると、ティンカラーが口を開いた。

 

 

『君はまだ16歳だろう?』

 

「17だ」

 

 

ヘルメットを被る。

真っ赤な、マネキンのような表情の付いていないマスクだ。

外側からは真っ赤で中は見えないが、内側からは透けて見える。

マジックミラーのような素材だ。

 

 

『……あれ?そうだっけ?まぁ、まだ身体が成長する可能性は大いにある』

 

『……そうか?』

 

 

機械が作り出した合成音声で返事をする。

 

しかし……そう言えば、最後に身体測定をしたのはいつだったか……。

私の身長も伸びているのだろうか?

 

鏡を見る。

……スーツの上からは自身の顔すらも分からない。

 

 

『そう、だからキツかったり、大きいと感じた所があれば言って欲しいんだ』

 

『……む、そうだな』

 

 

身体を軽く動かす。

アーマー同士は干渉せず小さな音一つも出さない。

自身の足に手を伸ばしたり、身を捩り、胸をそらしてみて──

 

 

『どうだい?』

 

『そうだな……基本的に問題はないが、胸が少し窮屈だな』

 

『…………あー、そう?分かった、少し調整しておくよ』

 

 

気まずかったのか、ティンカラーが少し黙っていた。

……腕を繋ぐ手術中にも私の裸を見ていたし、そもそもLMDは全裸だったろうに。

思春期の男じゃあるまいし、何を気にする必要があると言うのか。

 

内心でため息を吐く。

 

この世界に生まれてから……自身が女性だと言う事は十分に理解していた。

身体の変化や、生理にも慣れた。

 

だから、こんな反応をされても困るだけだ。

……だが。

まぁ、そこを指摘してやるのも可哀想か。

 

私は話題を変えたくて、気になっていた事をティンカラーに訊く事にした。

 

 

『この赤い部位は何だ?』

 

 

スーツ各部の赤いパーツに関してだ。

指先に爪のように装着されている事から……恐らく、特殊な機能があるのだと思っていた。

 

 

『あぁ、それはね……『アダマンチウム』だよ』

 

『……何だ?それは?『アダマンタイト』の事か?』

 

 

アダマンタイトは、神話や創作の世界に登場する金属の事だ。

軽く、何物にも壊されない……まるで『ヴィブラニウム』のような性質だ。

 

 

『まぁ、大体同じかな……8種類の金属を合わせて作った特殊な合金……それがアダマンチウム合金だよ』

 

『……ふむ』

 

 

私は顎に手を当てて、思考する。

……そうだな、確かに『アダマンチウム』と言う単語には聞き覚えがある。

恐らく、私の前世の記憶の中か。

何か、重要な性質を持っていた気がするが……忘れてしまった。

 

 

『『ヴィブラニウム』が不足している所為で、腕部のパーツを作れなかったからね。何か使えないかと『S.H.I.E.L.D.』のデータベースを漁ってたら発見しちゃったんだよね』

 

『……いや、待て。『S.H.I.E.L.D.』だと?』

 

 

何故、コイツが『S.H.I.E.L.D.』のデータベースに入れるのか。

 

 

『フフ、僕は天才発明家であり……凄腕のハッカーでもあるのさ』

 

 

自慢気に親指を立てた。

 

……もしかすると、コイツに出来ない事は無いのかも知れない。

医者に近い事も出来るし……ウザイが、優秀なのは確かだ。

慄きながらも、話を聞く。

 

 

『特殊な金属を幾重にも重ね合わせて溶解する事で出来る金属、それが『アダマンチウム』。そして……一度硬化すれば、如何なる物でも傷付ける事は出来ない』

 

『……それは、凄いな』

 

『その代わりに、材質は凄く高価でね……多分、もう作れないかな。少なくとも、僕の予算じゃね』

 

『お前の?』

 

 

組織の金じゃないのか?

……ティンカラーのポケットマネーから出ているのか?

 

 

『……いや、さっきの言葉は忘れて欲しいな。僕の興味本意だよ。どれぐらい硬いか試してみたかったんだ』

 

 

そう言うティンカラーを、私は訝しんだ。

……と言うのも、態々そんな金属を私のスーツに使う理由が無いからだ。

試したいのであれば、自身の手元に置いておけば良いはずだ。

 

 

『…………』

 

 

しかし、問い質す気にはならない。

……好意的に考えれば、彼の思いやり、か。

例え、そうではなかったとしても……彼には恩がある。

業腹だが、コイツはハーマンを助けたり、私の手助けを何度もしている。

 

だから、話題を変える事にした。

 

 

『『ヴィブラニウム』と、どちらが硬いんだ?』

 

『硬度だけなら『ヴィブラニウム』以上さ』

 

『……そこまでか』

 

 

まさか、不足分のパーツを埋めるために用意した金属の方が優秀だとは思わなかった。

 

 

『でも、衝撃を吸収する能力は無いからね。爪とか肘とか攻撃する為の場所だったり……ヴィブラニウムの上からメッキのように付けたりしてるんだ』

 

『……一概に、どちらが良いとは言えないか』

 

『適材適所さ……それにね、『アダマンチウム』は凄い機能があるのさ』

 

『凄い機能?』

 

 

私は問い返す。

 

 

『ミュータントの精神感応(テレパシー)なんかも防いでくれる。洗脳だって効かない。だから、マスクにも使ってるんだ』

 

 

私はマスクの前面を触る。

……正直、前との違いは分からない。

 

 

『あぁ、でも前面は前と一緒だ。マジックミラーのように内側から透ける金属ってのは中々無くてね……どうしても、脆くなってしまう。ダンプカーにでも轢かれない限りは大丈夫。ヒビも入らないよ』

 

『…………』

 

 

私は黙る。

何度か、マスクにダメージが入った事を思い出していた。

……結局、あまり信用ならないと言う話だ。

 

この世界にはダンプカーよりも強烈なパンチを繰り出す奴が沢山いる。

いつかマスクが割れてしまわないか、そう心配していた。

 

 

『マスクの外にカメラを付けて、網膜投射する事も考えたんだけど……結局カメラ部分が衝撃に耐えられなければ意味がない。電気ショックでも食らって、カメラを壊されたら目も当てられないからね……だから、どうしてもコレが最善なんだ』

 

 

言い訳染みた言葉に、私は頷いた。

 

 

『それは分かった……もう、脱いでも良いか?フィッティングは十分だろう?』

 

『ん?あぁ……十分データも取れたからね』

 

 

タブレットを弄り、何やらデータの収集を行なっていたようだ。

 

……このスーツ、もしかして普段からティンカラーに情報を流しているのか?

考えてなかった訳ではないが……任務中の映像なんかも撮っているんじゃないかと、そう疑った事がある。

 

だが、以前……スーツを着用してリザートと戦った時、ティンカラーによる組織への隠蔽は成功していた。

だから、映像は撮っていないのだと高を括っていたが……。

……そう考えれば、ティンカラーが態々、スーツから通して得た任務中の映像を捏造でもしているのか?

 

 

私がタブレットを凝視していると、ティンカラーが私を見た。

 

 

『……うん?どうしたんだい?』

 

『いや……』

 

 

目を逸らしながら、マスクを脱いで──

 

 

「よぉ、邪魔するぞ……って?」

 

 

丁度、ドアが開き、ハーマンが姿を現した。

 

一瞬、思考が停止する。

どうやらハーマンも同じようだ。

 

……私はティンカラーを睨んだ。

 

 

「何故、彼がいる?」

 

『え?彼もウチのお得意さんになったからね。用事があるなら同じ日にしようかと思って──

 

 

思わず足が出そうになった。

いや、だが、ここで暴力を振るうようなイカれた女ではない、私は。

 

そのまま顔をハーマンに向ける。

 

 

「あー、おぅ、その……何だ?間が悪かった感じか?」

 

「いや……別に」

 

 

そもそも、彼は私の素顔を知っている。

あまり見られたくないのは確かだが……気恥ずかしいのだ。

 

私はそのまま、アーマーを着脱する。

空気の抜けるような音がして、バラバラになって地面へ落下する。

身体のラインがよく分かる、密着した黒いインナーが姿を現す。

 

……ハーマンが私から目を背けた。

はぁ、気にしていないと言うのに。

いや、彼には言ってなかったか。

 

まぁ、今更、見ても良いよ、なんて言えるような雰囲気ではないが。

見て欲しい訳でもないし……言ったら痴女みたいじゃないか?

 

そのまま別のドアを開けて、更衣室へ入る。

 

 

扉越しに、ハーマンとティンカラーの会話が聞こえる。

私はインナーを脱ぎ捨て、下着を付ける。

……この瞬間は、自分が女なのだと強く意識させられる。

 

 

黒いオーバーニーソックスを履き、膝上までしか丈のないホットパンツを履く。

ゆったりとした茶色のシャツを着て、その上から白いオーバーサイズのシャツを着る。

 

 

女の体は冷えやすい。

似非『超人血清』によって強化された身体ならば問題はないが……それでも周りの目がある。

鬱陶しくとも上着は着ておくべきだ。

 

後は、お洒落か。

興味がない……とまでは言わない。

着飾る事に興味がない訳ではない。

だが……どれだけ服を着こなしても、それは私だ。

 

……容姿が優れていようが、中身は──

 

ため息を吐く。

あぁ、ダメだ。

自己嫌悪は家でしろ。

 

……それだけ、ここが落ち着けるような場所だと言う話かも知れないが。

 

 

ドアを開けて、出てくると……ハーマンが私を一瞥して……一瞥して、もう一度、私を見た。

 

……何だ。

その反応は。

 

 

「どうかしたか、ハーマン」

 

「あぁ、いや……似合ってるぜ?」

 

「……何で、疑問系なんだ」

 

 

私は眉を顰めた。

すると、ハーマンは更に焦り出した。

 

 

「いや、違うんだ。マジで似合ってる。ただちょっと……今まで、アッチの姿でしか見た事が無かったから──

 

「はぁ……そうか?」

 

 

そう言えば彼は、私の私服を見るのは初めてか。

前回、私が帰った時……病室で寝ていたからな。

 

私は再度、ため息を吐いた。

今日何回目かも分からない。

 

 

「それで?」

 

「それで……って?」

 

「何の用事なんだ?ここは病院ではないだろう?経過観察ではあるまい」

 

「あー……」

 

 

私の言葉にハーマンが顔を逸らし、頬を掻いた。

……言いづらい事でもあるんだろうか?

 

 

『彼の新しいスーツをね、僕が作ってるんだ』

 

 

ティンカラーが手を上げながら、割り込んで来る。

 

 

「スーツを?」

 

「まぁ……ちょっとな」

 

 

私は首を傾げながら、ティンカラーを見た。

 

 

『男の子にはね、あんまり言いたくない事だってあるんだよ』

 

「……『男の子』と呼べる年齢ではないだろう」

 

「あ?オレはまだ25だぞ?」

 

 

私はその言葉に呆れて笑った。

 

 

「四捨五入すれば三十路(みそじ)だろうが」

 

「ぐ、うっ……」

 

 

ハーマンが苦しそうな顔をしながら、自身の髭を撫でた。

短く切り揃えられた髭だ。

 

 

「そのチンピラみたいな容姿を少しは整えたら、もう少し若く見えるかも知れないぞ?」

 

「……これぐらいチョイ悪っぽい見た目の方がモテるんだよ」

 

 

その言葉に頬が緩んでしまった。

チョイ悪?

私達は正真正銘、悪人(ヴィラン)だろうが。

ちょっとでは無いだろ。

 

 

「……んだよ、何か笑う事でもあったか?」

 

「いや、何でもない」

 

 

口に出すのは野暮だ。

そんな私を見て居心地の悪そうな顔をしている。

 

 

『ふーん、仲が良いんだね』

 

 

そうティンカラーが言った瞬間……私はハーマンを盗み見た。

私のほんの少しの心配をよそに、ハーマンが笑った。

 

 

「まぁな……」

 

 

その言葉に安心して、私も同意する。

 

 

「それなりだ」

 

『フフ……』

 

 

そんな私を見て、ティンカラーが笑った。

……何も面白い事など無い筈だが。

 

 

「……私の用事は終わった。先に帰らせて貰うぞ」

 

「あぁ……あー、またな?」

 

 

ハーマンの言葉に頷き、後ろ手を振る。

ドアを開けて、地下通路に向かう私の背に、ティンカラーが声を掛けた。

 

 

『次の任務までには調整して、いつもの拠点に置いておくからね』

 

「助かる」

 

 

返事をしながら、ドアを閉め……地下へ降りる。

 

……暗い、地下通路だ。

先程までの明るさは無い。

 

仄かに光る電灯の中を、私は歩く。

 

勘違いはしてはならない。

私が生きているのは……明るみではなく、こんな暗闇の中なのだと。

そう自分へ言い聞かせる。

 

 

……胸ポケットの携帯端末を取り出す。

二通のメールが来ていた。

 

一通は、ピーターからの……明日のお出掛けスケジュールの相談。

 

もう一通は──

 

 

暗闇の中で、似非超人血清によって強化された目でメールを読む。

中に書いてあった暗号文書を読み解く。

 

『次週、マドリプールにて。要人警護』

 

私は苦笑する。

人殺しである私に警護の依頼か?

 

メールの本文をスクロールし、警護対象の名前を確認する。

 

 

…………パワー・ブローカー?

 

 

私を……いや、私の仲間……組織に攫われた子供達の死んだ原因である『超人血清』を作った男だ。

 

そんな男を……守る、だと?

 

思わず端末に力が篭るのも……きっと、仕方のない事だろう。

 

 

……今でも血を吐きながら、呪詛を吐く……生に縋る子供達の嘆きを覚えている。

 

『助けて!』

『痛い!死にたくない!』

『何で僕が!』

『お母さん!いや!』

 

今でも……いつまでも覚えているだろう。

生きたくて仕方のなかった彼等が死んで……私が生き残ってしまった。

 

……私は、彼等を殺して、生き残ったような人間だ。

 

胸ポケットに携帯端末をしまう。

少し、気分が悪くなってしまった。

 

顔には出すな、表情を殺せ。

明日はピーターと出掛ける日だろう?

私は『ミシェル・ジェーン』だ。

今は、今だけは『レッドキャップ』ではない筈だ。

 

 

ハーマンが血を流して倒れた光景を思い出した。

ダメだ、思い出すな。

 

 

あの時、何を考えた?

やめろ、何も思い出すな。

 

 

今まで殺してきた人間に、情を抱くな。

生きるために仕方がなかったのだと、そう考えろ。

 

 

地下通路の壁に、背を預ける。

呼吸を整える。

 

 

私は、私は────



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#73 ステイ・ウィズ・ミー part3

鏡を見る。

 

髪型……良し。

寝癖は……ワックスを取り出して髪型を整える。

 

服装も……多分、良し。

ジーパンに赤いYシャツ。

青いフード付きの上着。

 

……グウェンからOKを貰った服装だけど、正直よく分からない。

ファッションは難しい。

 

一応、昨日にも一回袖を通してみたけど……うーん、やっぱり分からない。

 

 

 

デートと言えば待ち合わせ。

と、言ってもミシェルはデートと認識してなさそうだけど。

多分、いつも通りネッドを含めて遊びに行く感覚と一緒だと思う。

 

とにかく、デート。

多分、これはデート。

男と女が二人っきりで遊べばデートだって誰かが言ってた。

 

……確か、ヒューマントーチだっけ?

直ぐに思い出せる……凄いムカつく顔をしてたのを思い出したから。

 

奴はヒーローチーム『ファンタスティック・フォー』の一員。

体から炎を出すスーパーパワーを持ってる。

それを利用して空を飛んだり出来る。

凄い陽キャで、僕を弄ってくる。

仲が良い……とはあんまり言えないけど、腐れ縁って奴だ。

ヒーロー仲間って感じかな。

 

……あと、メチャクチャモテる。

素顔を公開してるヒーローだからかな。

結構、イケメンだし……お金持ちだし……頼り甲斐もあるし。

僕とは真逆の存在だ。

 

 

兎にも角にも。

待ち合わせ……と言っても、僕とミシェルの部屋は隣同士だ。

待ち合わせの5分前にドアを開ければ……隣室のドアが開いた。

 

 

……うん、ミシェルだ。

 

いつも通り、傷一つ無い白い肌に……薄い金髪。

服装も……いや、今日はスカートを履いている。

学校には履いて来ないけど……それだけ、今日はオシャレをしようと考えてくれてるって……いや、自意識過剰かな。

ネッドも含めた三人の時だってスカートを履いてた気がする。

 

それはともかく。

 

 

「おはよう、ミシェル」

 

 

と言えば……いや、今はもう10時前。

「おはよう」と言うには少し遅いかも知れない。

 

失敗したかな、と思っていると、ミシェルが笑った。

 

 

「うん、おはよう。ピーター」

 

 

彼女の一挙一動に気を取られながら、僕達はアパートを出た。

土曜日だからか、人通りは少し多い。

人混みに混じらないよう、少しだけ遠回りして歩く。

 

ミシェルは僕より、少しだけ背が小さい。

歩幅を合わせて、映画館へ向かう。

 

……無言で歩くのも気不味いと思い、僕はミシェルへ話しかける。

 

 

「お昼はどうする?」

 

「……考えてなかった」

 

 

思わず内心でガッツポーズを出しそうになった。

僕は予め用意していたセリフを読み上げる。

 

 

「それなら、映画が終わったら一緒に食べに行かない?映画館の近くに、ランチの美味しい喫茶店があるんだ」

 

 

ちなみに、グウェン調べだ。

何でも、ハリーと行ったらしい。

……同じ組織で活動してるからか、プライベートでもそれなりに関わりがあるらしい。

 

 

「ん、わかった」

 

 

同意に内心でホッとする。

そのまま、会話を続ける。

 

 

「ミシェルは行きたい場所、ある?」

 

「行きたい、場所……?特には無いかな」

 

 

えっと、だったら……ど、どうしようかな?

昨日必死に考えたプランが幾つも頭で反芻して──

 

 

「ピーターが行きたい場所に着いて行く」

 

「……え?」

 

 

思ってもなかった言葉に、僕は思考がフリーズした。

 

 

「エスコート、して貰おうかな」

 

「え、エスコート……」

 

 

身体がガチガチに緊張する。

ど、どどど、どうしよう?

 

例えば……動物園とか?

いや、ミシェルってそもそも動物好きだったっけ?

 

遊園地?

昼から?

映画を見た後、疲れてないかな?

 

じゃあ……か、科学館?

尚更ダメだ!

僕の趣味が優先され過ぎている。

確かにミシェルは理系の成績も良かったけど……好きかどうかは別だ。

 

オタク臭いって思われそうで……。

いや、オタクなのはバレてるけど、えっと──

 

悩んでいるとミシェルが小さく笑った。

 

 

「ピーター?……そんなに気負わなくても、良いよ?」

 

「は、はは……」

 

 

変な笑いをしながら、ミシェルに視線を戻す。

……やっぱり、いつもより少し元気がない。

 

だけど、それでも僕を気遣っている。

そんな顔をさせたくて……僕は彼女を誘った訳じゃないんだ。

 

安心させたくて、僕は笑いながらミシェルへ話しかける。

 

 

「頑張ってエスコートするから、任せてよ」

 

 

頑張って……いや、頑張っては余計だったかな?

もっと余裕のある大人のような……いや、流石に無理があるな。

 

ミシェルの手を握って……手を引いて……なんて、僕には出来ないけれど。

 

僕はただ、彼女に心の底から笑って欲しかったんだ。

 

 

 

映画館の前で、上映中の作品を確認する。

……何の映画を観るかも決めずに来たのは初めてだ。

 

上映スケジュールぐらい調べてから来た方が良かったかも知れない。

 

上映してるのは……残虐映画(スプラッター)と、恋愛映画(ラブロマンス)だけだ。

 

 

思わず顔が蒼白になってしまった。

……一つぐらいはアクション映画とかヒューマンドラマとかあるかなって無意識に思ってたけど……すっごく間が悪かったらしい。

 

何が楽しくて好きな女の子と残虐映画(スプラッター)を見るんだ。

……恋愛映画(ラブロマンス)は……ちょっと、ハードルが高いし。

 

ミシェルの方を見ると……あれ?

ボーッとした顔で上映リストを見てる。

見ているけど……目が動いていない。

心、此処にあらずって様子だ。

 

 

「え、えっと……ミシェル?」

 

「……ん?どうしたの、ピーター」

 

 

振り返って僕を見た。

……先程までの顔じゃなくて、いつも通りの仄かに笑った顔だ。

 

 

「今やってるのって残虐映画(スプラッター)と、恋愛映画(ラブロマンス)しかないみたいなんだけど……」

 

「……血が出るのは少し、苦手かも」

 

 

そう言われると、選択肢は一つしかなかった。

 

僕は意を決して、無料クーポン券を売り場で恋愛映画(ラブロマンス)のチケットに交換した。

 

……交換、してしまった。

 

な、なん、好きな女の子と恋愛映画(ラブロマンス)を見るなんて、その、ハードルが高過ぎないか?

今更そんな事を言っても逃げる事は出来ない。

 

 

ポップコーンも買わず、飲み物だけを買った。

僕はソーダを……彼女はミルクティーを。

 

……やっぱり、凄い甘党だ。

シロップの追加がし放題だったからか、ちょっと入れ過ぎだってくらい入れている。

 

 

シアタールームは、席が二つごとに区切られていた。

ペアで見るための劇場なのかな?

……グウェンが、ここをオススメして来た理由が分かった気がした。

 

 

やがて、暗くなって……映画が始まった。

 

 

それは……正直に言うと、つまらない恋愛映画(ラブロマンス)だった。

普通の男と、普通の女が出会って……普通の日常の中で少しずつ仲が良くなっていく話。

 

大きなトラブルも起こらないし、話の中盤で恋人になって……それ以降、ずっと仲良くデートなんかしてる。

 

……好きな女の子とデートしてる最中に、何で他人のデートを見なきゃいけないのだろうか?

 

そう言えば、観客も少なかったな……席も沢山空いていたし。

これはちょっと、失敗だったかも知れない。

 

結局、何の山場もなく終わって……退屈で寝てしまいそうになりながらも、何とか耐えた。

 

エンドクレジットが流れて、劇場が明るくなる。

 

 

……僕はミシェルの方へ視線を向けて──

 

 

彼女は、泣いていた。

 

 

一瞬、僕は息を呑んだ。

 

泣きたくて泣いてるような様子じゃない。

必死に目を拭って、僕から顔を逸らしている。

 

この映画に、そんな悲しい場面があったのだろうか?

ただ、普通の男女が……普通の恋愛をしていただけだ。

ごく普通の恋愛模様を描いた、日常的な映画だった。

 

何で、泣いてるのか……僕は分からなくて。

 

声を……掛けられな──

 

 

いや、ダメだ。

僕はミシェルの肩を軽く叩いた。

傷付けないように、そっと。

 

彼女は、僅かに肩を震わせた。

 

 

「大丈夫?ミシェル」

 

 

……違う。

大丈夫な訳ないんだ。

 

何でそんなに泣いてるか、聞かなきゃ。

 

目を擦りながら、ミシェルが僕を見た。

……濡れた瞳が宝石のように輝いていた。

 

 

「……ごめん、ピーター。すぐ、泣き止む……から」

 

 

声を震わせながら、そう話した。

申し訳なさそうにしているけど……僕は、少しも迷惑だなんて思ってはいない。

 

映画を見ていた周りの客は、もう劇場から出ていた。

僕と彼女だけが、ここに居る。

 

 

「……何で、泣いてるの?」

 

 

聞いてしまった。

ミシェルが、僕を見た。

 

 

「……わからない」

 

 

……多分、これはきっと嘘だ。

彼女には分かっている。

だけど、僕には言いたくないらしい。

 

頼りない、からかな。

それとも、恥ずかしいから。

無理に聞いたら悪いかな、なんて理由を付けて僕は言葉を飲み込んだ。

 

……僕はミシェルの手を握った。

少し、温かい。

 

黙って、ただ握った。

 

どうしたら良いか分からなくて、僕には……。

 

 

「……ピーター?」

 

「……あっ」

 

 

彼女は困惑したような顔をしていた。

 

……そして、僕も手の感触で現実に戻って来た。

まま、や、うわっ!?

柔らかい……じゃなくて、何してるんだ、僕は!?

 

僕は慌てて手を離した。

 

 

「ご、ごめん。その、えっと……ごめん」

 

「……変なの」

 

 

そう言ってミシェルが笑った。

目には、もう涙はなかった。

……だけど、それでも。

僕はまだ、彼女が心配だった。

 

もしかしたら、病気で熱っぽくなって、涙脆くなってるのかも知れないし。

大事を取って、家に帰るべきだろうか?

 

 

「あの、ミシェル?辛いんだったら……その、今日は一旦、家に帰る?」

 

 

そう、提案した。

きっとグウェンには怒られてしまうけど。

 

そんな事よりも、ミシェルに無理をさせたくなくて……。

思わず、逃げてしまった。

 

僕が彼女を元気付けなきゃならないのに。

 

……さっきの言葉を撤回しようと口を開こうとして──

 

 

「ピーター」

 

「う、うん?」

 

 

ミシェルが先に口を開いた。

 

 

「もう少しだけ……一緒に居てほしい」

 

 

そう言って、今度は彼女から手を握って来た。

 

 

「もう、少しだけで良いから」

 

 

……今日は、僕がエスコートするんだ。

僕は、彼女の手を握り返した。

 

 

「もちろん……ミシェルの気が済むまで一緒にいるよ」

 

 

手を握る事にも、握られる事にも、もう恥ずかしくはなかった。

そもそも、何が恥ずかしかったんだろう。

好きな女の子と手を結ぶ事は……嬉しかったとしても、忌避するような事じゃない。

 

それにミシェルが元気になってくれるなら、彼女が楽しいと思ってくれるなら……僕に出来る事だったら何だってする。

 

ミシェルの目と、僕の目が合う。

顔は背けない。

照れたりなんかしない。

 

 

「お昼ご飯、一緒に食べようよ。……朝に言ってた、美味しい所を知ってるから」

 

「…………うん」

 

「その後も……行きたい場所を探して、一緒に行こうよ」

 

「……うん」

 

「今日だけじゃなくても良いから……明日でも、来週でも」

 

「うん」

 

 

握った手を。

握られた手を。

……振り解かないように気を付けながら……僕達は映画館を後にした。

手の中にある温もりを、何があっても守りたいと……そう、思った。

 

 

「ありがとう、ピーター」

 

 

感謝の言葉が、僕の後ろから微かに聞こえた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

『彼女は壊れている』

 

「あ……?」

 

 

ティンカラーが突然話した言葉に、オレは首を傾げた。

 

 

「何処がだよ」

 

『それは勿論、心さ……身体は治癒因子(ヒーリングファクター)で治るからね』

 

 

かちゃり、かちゃりと機械を弄りながら、ティンカラーは答えた。

 

二日連続でコイツと会うのは……正直、気が滅入りそうだったけど、オレの新しいスーツを作るって言うんだから、科学者の端くれとしては気になっちまったんだ。

だから、態々、暗くて長い地下通路を通って、コイツのラボまで来た。

 

……んで、分かったのは。

コイツは正真正銘の天才だと言う事だ。

音とか衝撃波とか、その辺の知識なら負けてねぇ自信はあるが……コイツはそれに加えて、機械工学のスペシャリストだ。

広く浅く……じゃねぇ、広く深い知識を持っている。

下手すれば、コイツのジジイよりも頭が良いのかも知れねぇ。

 

……まぁ、コミュニケーション能力が終わってるが。

喋れねぇのとは違う。

一々、気に触るような事を言いやがる。

 

 

「……マジで言ってんのか?」

 

『あぁ、『マジ』だよ。僕は君の事を信頼してるからね。彼女の事に関しては嘘を吐く気はないよ』

 

 

電子機器のケーブルを接続しながら、オレの方すら見ずに答えた。

 

……コイツの事は詳しくは知らない。

だが、レッドキャップのスーツを作ってるって事からも、それなりに親しいのだとオレは感じていた。

 

よくこんな奴と仲良く出来るな。

 

オレは顎の髭を撫でて、アイツの事を思い出す。

 

 

「……アイツ、仕事の外で人を殺そうとしてたぞ」

 

『そう、だからだよ。普通の人間に人は殺せない。少し、頭のネジが外れない限りはね』

 

 

やっと、ティンカラーがオレの方を見た。

真っ黒なマスクの中から、紫色の光が漏れている。

表情も声も分からない。

 

 

「それなら、フィスクの下にいる奴は全員、頭がおかしいだろうが。オレだって……人を殺した事はある」

 

『ネジの外れ方にも色々あるんだよ。彼女のネジはね……まだ完全に外れては居ない。だけど、歪んでしまっている』

 

 

ティンカラーがスパナでネジを叩いた。

ネジは傷付いて、変形してしまった。

 

そのまま廃材のネジ穴にあてがって、無理矢理しめた。

 

 

『こうやって歪んでしまえば……奥に戻す事も、外す事も出来ない。

 

「…………」

 

『それが一番、辛いんだよ』

 

「……知ったような口を聞くんだな」

 

『知ってるからね』

 

 

廃材をシュレッダーに投げ込むと、金属のネジごと粉々になった。

 

 

『所謂、PTSD……心的外傷後ストレス障害って奴だね。辛い記憶、怖い思い出、それらがずっと心に残り続ける。ふとした瞬間に、それが心に蘇り……蝕む』

 

「……トラウマって奴か」

 

『彼女は『超人血清』によって、記憶力が強化(ブースト)されているからね。尚更、忘れられない。いや、忘れる事なんて出来ないんだ』

 

 

オレは歯を噛み締める。

……この仕事をやってりゃ、そりゃ狂う奴だって出てくる。

悪人なんて多少なりとも誰だって狂っている。

 

オレだって、多分、きっと、どこかがおかしいんだ。

自分では気付かないだけで。

 

 

「つうか……何で、そんな事をオレに言うんだよ。アイツとはただの同僚だぞ」

 

『そうかもね。でも、君だって彼女は大切だろ?』

 

 

思わず黙った。

そりゃあオレだって……アイツには辛い思いなんてして貰いたくはねぇよ。

助けて、助けられて、助けて、助けられて……そうやって、何度も互いを支えた。

 

この短い期間の間でも……オレは、そう、妹がいた頃の優しさ、なんて柄にもないモンを思い出させてくれた。

 

オレだって、アイツを守りたい。

 

 

そう思っていると、ティンカラーが口を開いた。

 

 

『だからね……君に、一つだけお願いがあるんだよ』

 

「なんだよ」

 

 

オレは眉を顰めた。

コイツの勿体ぶった言い方をする癖は、本当に嫌いだ。

そこさえ直せば……いや、それ以外にもムカつくポイント結構あるな。

無理か。

 

 

『彼女より先に死なないでくれ』

 

「はぁ……?」

 

『次に親しい人間が死んだら……どうなるか分からない。危うい薄氷の上に、彼女の心はあるんだ』

 

「……チッ、まぁ言われてなくても。オレは死ぬ気なんてねぇよ」

 

 

そう言うと、ティンカラーが笑った。

機械音声だが……まぁ、心の底から嬉しそうな声だった。

 

ふと湧いた疑問を、コイツに投げ付ける。

 

 

「なぁ。お前は何で、そんなにアイツを気に掛けてるんだ?」

 

『……何でだと思う?』

 

 

逆にティンカラーが聞き返してくる。

聞いて欲しくないって感じだな。

 

……まぁ、オレはそんな事、気にしないが。

 

 

「そうだなぁ……もしかして──

 

 

 

 

オレは一つ、思い付いた説を口に出す。

 

 

 

 

「お前が、アイツの兄貴だから……とか?」

 

 

一瞬、静かになった。

ティンカラーが手を止めたからだ。

 

研究室の中で、ファンが回転する音だけが響いた。

 

 

『フフ、そんな訳……ある筈がないよ』

 

「だ、だよなぁ」

 

 

笑ったような声で返事をした。

だが……ティンカラーが金属のパーツを強く握っていた事はよく分かった。

変形しちまっている。

 

だがそれは……不安だからってよりも、怒ってるんだと感じた。

 

何に怒ってるんだ?

 

訝しんでいると、ティンカラーが口を開いた。

 

 

『僕はね、目の前で妹を殺されたんだ』

 

「……おっと、そりゃ悪い事言っちまったな」

 

『別に良いさ、知らないのなら仕方ない』

 

 

ティンカラーが、作業を再開する。

静かな工房で、また金属が擦れ合う音だけが響く。

 

……触れて欲しくなさそうな話題だが、それでもオレは聞いた。

 

 

「……誰に殺されたんだ?」

 

『…………君、無神経だって言われない?』

 

「まぁな。だが、アンタ程じゃねぇよ」

 

『僕かい?』

 

「気になるような言葉を投げ付けて、自分だけ満足して黙るのは良くないぜ」

 

『…………む』

 

 

オレの言葉に、ティンカラーが黙った。

マスクの下で、どんな顔をしてるか少し気になった。

 

だが、どんだけ注視しても……紫色の光しか見えない。

 

ティンカラーがため息を吐いた。

機械のノイズとして出力されたが、それがため息だとはオレでも分かった。

 

 

『そう、僕の妹を殺したのはね』

 

 

ティンカラーが手に持っていた金属を机に置いて、椅子に座った。

オレの顔に、目を向けている。

 

……片手間じゃなくて、ちゃんと話したいって心の表れだろうか。

 

 

『『魔術師』だよ』

 

「……はぁ?魔術師?」

 

『『魔術師』さ。オカルトなんて不確かな物を信じてる馬鹿共……僕が一番嫌いな人種だよ』

 

 

ティンカラーがマスクに手を当てる。

……その手は震えていた。

 

きっと、マスクの下は怒りで表情を歪めているのだと感じた。

 

 

『あの時の光景は今でも鮮明に覚えてる……自分の名前を教えたんだ。妹を殺す直前、この僕に。奴は自分の事を──

 

 

ティンカラーが、オレの方を見た。

 

 

『『エンシェント・ワン』……そう名乗っていたね』



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#74 ステイ・ウィズ・ミー part4

僕は手を引く。

女の子らしい柔らかな手を。

 

周りの目なんて、どうでもいい。

恥ずかしいなんて思わない。

 

……いや、ちょっと照れくさいかも知れない。

だけど、この手を離す方がもっと嫌だ。

 

……手を離せば、どこかに消えてしまいそうで。

そんな事はないと思っているけど、今のミシェルは……どこか危うくて。

 

彼女の自己肯定感が低いのは知っていた。

初めは謙虚だと思っていたけど……自虐も混ざっていた。

自分は幸せになるべきはない、と本気でそう思ってる。

 

そんな事はない。

誰だって、生きているからには幸せになる権利がある筈なんだ。

……だけど、彼女は頑なに認めようとしない。

 

何とかしたいと思っていた。

僕は……彼女が、ここに居ても良いのだと教えたかった。

 

 

僕とミシェルは喫茶店に入った。

振り返ると、もう涙は止まっていて……申し訳なさそうな顔をしていた。

そして、何度か僕と繋いでいる手を見ていた。

 

店員さんに興味を持たれながらも、僕らは奥の席へ通された。

大きな窓からは、外の景色が見えた。

 

 

「あっ……」

 

 

向かい合って座る為に手を離せば……ミシェルが小さく声をあげた。

そして、声を出してしまったのが恥ずかしかったのか、僕から目を逸らした。

 

……そんな表情をされると、僕も恥ずかしくなってくるんだけど。

 

 

向かいの席に座ったミシェルは……まぁ、いつも通り……とは言えないけど、少しだけ元気が出てきたようだ。

数ページしかないメニューを真剣な顔で見ている。

 

僕も手元のランチメニューを開いて……。

 

ゔっ。

……高い。

 

僕はミシェルへ目を戻して……彼女も、メニュー越しに僕を見ていた。

 

目があって……彼女は瞬きをした。

長いまつ毛が揺れる。

 

 

「どうかした?ミシェル」

 

 

そう問い掛けると、再び視線をメニューへ落とした。

そして、小声で僕に話しかけて来る。

 

 

「ん……えっと、少し値段がすると思って」

 

「そ、そうだね」

 

 

僕も苦笑いしながら頷く。

 

……あ、そうだ。

そうだった。

 

 

「その、僕が払うからさ、値段は気にしなくても良いよ……僕がここを選んだし、ね?」

 

 

しどろもどろ。

格好が付かないけれど、前にスタークさんが言っていた事を実践する。

 

『デートをする際は、男が全部払え。男は甲斐性がないとダメだ。金とプレゼントは自身がどれだけ相手を気にしているのか、もっとも分かりやすく伝える方法の一つだ。僕もペッパーと外食をする時は星が三つ付いてるような高級レストランを──

 

らしい。

 

大丈夫。

苦しむのは明日以降の僕だ。

今日の僕は気にしない……うん、大丈夫。

 

ミシェルが喜んでくれるなら──

 

 

「大丈夫、私は自分で払うから」

 

 

ミシェルが否定した。

その顔はメニューに遮られていて、口から下は見えなかったけれど……眉を顰めていた。

 

 

「……え?」

 

 

思っていた反応と違うので、思わず素っ頓狂な声が出てしまった。

……あぁ、本当にカッコ悪い。

思わず手で口を塞いだ……けど、一度出してしまった声は戻らない。

 

そんな僕を見て、ミシェルが言葉を繋げた。

 

 

「そのお金で……代わりに──

 

 

メニューを机に下ろして、僕へ口元を見せた。

仄かに笑っていた。

 

困ったような、嬉しそうな顔だ。

 

 

「また、遊びに行きたい。今日だけじゃなくて……また」

 

 

その言葉に、僕は顔が熱くなった。

 

 

「勿論、だよ……うん、また。今日だけじゃなくて、何度でもね」

 

 

こんな事を言われて喜ばない男は……うん、多分居ない。

そして、そんな理由で断られてしまったけど……それもミシェルらしいと思った。

……もっと僕に甲斐性があれば良いんだけど。

 

その後、店員に注文して……凄く生温かい目で僕達を見ていたけど、とにかく注文した。

 

メニューも片付いて、手持ち無沙汰になった僕にミシェルが口を開いた。

 

 

「……この後、どこかに行く?」

 

 

……あ、そうだ。

今日はエスコートするって自信満々に言ったんだ。

 

 

「そうだね……うーん、何処がいいかな?」

 

 

腕を組みながら悩む。

……映画館での出来事とか色々、そう色々あって考えている暇がなかった。

 

お金もそんなに無いし……科学館、博物館、美術館、動物園、水族館、公園……うーん?

ミシェルみたいな女の子が喜ぶ場所って何処なんだろう。

……もっとしっかり、グウェンに聞いておくべきだったかも。

 

悩んでいる僕を見て、ミシェルが少し笑った。

 

 

「そんなに深刻な顔、しなくて良いのに……ピーターが最初に思い浮かべた場所は?」

 

「最初?最初は……あっ」

 

 

科学館?

いやいや、そんな場所……今まで誰を誘っても渋い顔をされてきた場所だ。

ネッドですら嫌がっていた。

 

科学オタクの僕ぐらいしか喜んで行かない。

学内の学習見学みたいな行事でしか行く事はないのだろう。

いつ行っても、老人と……子供連れの家族ぐらいしか居ない。

 

 

「どこ?」

 

 

そんな僕の心境を知ってか、知らずか、重ねて訊いてくる。

観念して僕は口を開いた。

 

 

「えーっと……NY科学館だよ」

 

「へぇ……」

 

 

ミシェルが興味深そうに声を上げた。

僕は慌てて、否定する。

 

 

「そ、そんなに面白い場所じゃないよ?」

 

 

確かに入場料は高くない。

金欠な僕からすれば嬉しい話だ。

 

映画代より安い……いや、今日は映画代払ってないけど。

 

それでも、何というか……楽しい感じの場所ではない。

元素配列の模型とか……宇宙飛行士の服とか、エンジンの模型とか、人間の脳の断面図とか、そんな物を展示している。

 

ロマンチックな要素もないし、デートで行くような場所ではない。

寧ろ、退屈だって同級生達は言っていた。

 

必死に否定する僕に、ミシェルが口を開いた。

 

 

「でも……ピーターは楽しいと思ってる」

 

 

そうだ。

知らない事を知ること、知っている事を深めること、試すこと、研究すること。

それが科学だ。

 

そして僕は、科学が好きだ。

機械を弄るのも好きだ。

陰気な科学オタクだって、陰口を叩かれる事もあるけど……この気持ちは変わる事はなかった。

 

だから僕は、彼女の言葉に肯定した。

 

 

「うん……僕は好きだよ」

 

「それなら、大丈夫」

 

 

何を根拠にそう言えるのかは分からないけど、ミシェルが頷いた。

 

 

「ど、どうして?」

 

「もし、私が楽しみ方を分からなかったらピーターが教えてくれたら……良いし」

 

 

……そう言われれば、僕は何も言えなくなってしまった。

 

口が上手いと言うか……いや、本心なのかも知れないけど。

多分、もし彼女と口論になったら僕は何も言い返せずボコボコにされてしまうだろう。

 

そんなこんなで話していると、注文した料理が机に並べられた。

僕はチリ味の野菜スープとパン。

彼女は卵とチーズ、ハチミツのパスタだ。

……何だか甘そう。

 

味は……美味しかった。

評論家じゃないから、そんなに色々言えないけれど……うん、美味しかった。

ミシェルも満足そうな顔をしてたし。

グウェンのオススメする場所なだけある。

 

 

店を出て、科学館へ向かおうとして……ミシェルが後ろから手を伸ばして僕の手を握ってきた。

 

……うん?

 

振り返ってミシェルを見ると……何事も無さそうな顔をしている。

 

うん。

 

まるで手を繋ぐのが当然だとも言えるような態度に、僕は驚いた。

……でも、僕だって嫌な訳じゃない。

むしろ、嬉しいし。

 

手を握り返して、歩く。

 

 

……もしかして、彼女も僕の事を好きなんじゃないだろうか?

なんて考えてしまうのは、自意識過剰だ。

 

昔、もっと幼かった頃。

隣の家に住んでる赤髪の女の子が、僕の事を好きなんだって勘違いして……告白して……。

以降、何日も揶揄われる事になった。

結構、トラウマだ。

 

彼女が僕に抱いているのは友情であって、恋とか愛とか、そんなのじゃない可能性だってある。

いや、どっちかと言うと、その可能性の方が高い。

 

勘違い、するな。

 

……僕が女の子に好きになって貰える要素なんてない。

今まで一度も女の子に『好き』と言われた事はないし。

 

だから、これは勘違いだ。

もし、そうだったら嬉しいと言う希望的観測に過ぎない。

 

 

好きな女の子の手を引いて、僕は歩く。

釣り合う事のない恋心に、僕は傾倒していた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

クイーンズ、NY科学館。

 

結構大きな施設で……芸術家(アーティスト)が作った不思議な形状をした建物だ。

 

受付でお金を払って、僕達は中に入った。

色々な展示物を見ながら、ゆっくりとした歩みで先に進む。

 

前に来た時と展示物が少し変わっていて、結構、新鮮な気持ちになった。

特に最近、エジプトで発見された不思議な光る石とか……新たに見つかったファラオの墓だとか……そう言うのって面白いよね。

 

心配だったけど、ミシェルも楽しそうに展示物を見ていた。

……元素記号表と、それに基く模型を見て楽しそうにしている女性を見たのは……初めてかも知れない。

 

小さなプラネタリウムで星を見て、火星に降り立った探査機を見て、月の石を見て……。

 

それでも、彼女は楽しんでいた。

安心して吸った息を吐いた。

 

僕は嬉しかった。

自分が好きな物を、他の誰かに興味を持って貰える事が……初めてだったから。

それも、自分が好きな女の子だから……凄く嬉しい。

 

展示物がある度に立ち止まって、解説のパネルを読んだりして……進んで行くと、僕らは大きな機械が展示されている広間に到着した。

 

高さ、3メートルほどの大きな機械だ。

 

 

「ピーター、アレは?」

 

 

僕と手を繋ぎながら、ミシェルが訊いてきた。

 

時折、彼女へ展示物について解説した。

教科書にも載っていないような事で、ついつい長話をしてしまって……鬱陶しく思われてないか心配だったけど、彼女は楽しそうにしていた。

 

そんな流れで、僕に質問をしたのだろう。

 

 

「これは放射線の実験をする為の機械だね」

 

「へぇ……」

 

 

彼女が手を引くから、僕もつられて機械の側に寄った。

展示された資料を熱心に見るミシェルから目を離して、大きな機械を見上げる。

 

……僕にとって、この放射線照射装置は、凄く思い入れのある機械だ。

今はもう、使ってないみたいだけど……昔は公開実験なんてのもやっていた。

 

 

 

今でも鮮明に思い出せる。

 

 

 

……ここが僕の、いや『スパイダーマン』の起源(オリジン)だからだ。

全てはここから始まったんだ。

 

数年前、高校での学習見学でNY科学館に来た時の話だ。

 

この放射線照射装置を使った実験が、学生向けに行われて……そこで放射線を浴びた蜘蛛に噛まれて、僕は超能力(スーパーパワー)を得たんだ。

蜘蛛のように壁に張り付く能力、凄い腕力、危険を察知する超感覚だ。

 

力を手に入れた僕は、その力を試したくて……非合法な覆面プロレスに参加した。

勿論、周りのプロレスラーは力自慢だろうけど、僕は超人だったし……負けなかった。

人気者になった僕はファイトマネーを沢山貰って……僕には『蜘蛛男(スパイダーマン)』と言うリングネームが付けられた。

 

そして、自惚れて……傲慢になって……僕は一人の強盗が逃げて行くのを見逃した。

 

彼は警察に追われていた。

僕は目の前で、何をする訳でもなく見ていた。

 

ただ、面倒だったからだ。

自分には関係ないと、そう思ったからだ。

 

その夜、僕の伯父であるベン・パーカーが死んだ。

覆面の強盗に拳銃で撃ち殺されたんだ。

……死の瞬間、僕は立ち会う事すら出来なかった。

 

メイ叔母さんは泣いていた。

僕も泣いた。

たった二人の家族を、一人、失ったからだ。

 

怒った僕は、逃げた強盗を殴って、殴って、殴って……覆面を剥いだ。

覆面の下は……僕が見逃した強盗だった。

 

僕は後悔した。

凄く、凄く後悔した。

何度も自分に怒りをぶつけて……どうしようもなく、情けない気持ちになった。

 

 

『大いなる力には、大いなる責任が伴う』

 

 

僕は凄い力を持っていたのに、それを正しい事に使わなかった。

その所為で、ベン叔父さんは死んでしまった。

 

だから、僕は……『親愛なる隣人』、ヒーローとして『スパイダーマン』は生まれ変わった。

 

それが僕の『起源(オリジン)』だ。

 

 

 

この放射線照射装置を見ると、今でもそれを思い出せる。

 

 

「……どうしたの?ピーター?」

 

「あ……いや、何でもないよ。少し、懐かしい事を思い出したんだ」

 

 

ミシェルと繋いだ手から、熱が伝わる。

 

もう、これ以上、誰も失いたくない。

そんな思いが僕の中にある。

 

大切な人も、そうではない人でも、例え悪人だったとしても……誰も、死なせたくない。

死んだら、二度と会えないから。

 

 

ミシェルが僕の顔を見る。

 

 

「……ここ、ピーターにとって大事な所なの?」

 

「うん、まぁ……そうだね」

 

 

そう返すと、尚、興味深そうにミシェルが装置を見た。

コバルトブルーの瞳が、光に反射されて輝く。

 

 

「そう、なんだ……」

 

 

何かに感動しているように、僕は見えた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

結局、問題が起きたのは最初の映画館の時だけで……いや、僕にしては本当に珍しく問題事は起こらず、時間は過ぎ去って行った。

この腕につけたナノテクノロジーのスーツは杞憂だったみたいだ。

 

科学館を出れば、空も赤く染まっていた。

 

……少し、寂しいと感じた。

この一日が終わってしまうのが、惜しい。

 

ミシェルとは……いつでも会える。

月曜日になれば学校でも会える。

その気になれば明日だって、隣の部屋のドアを叩けば会える。

 

……でも、それはずっとではない。

僕達はもう、四年生だ。

来年の六月になれば卒業して、散り散りになる。

 

だから、こうやって学校で約束して『遊ぼう』なんて誘えるのも……それまでだ。

 

僕は今借りているアパートから離れて、大学に近い場所を借りるだろうし。

もしかしたら、メイ叔母さんの家から通うかも知れないし。

 

ミシェルも……どうなるか、分からないし。

 

 

だから、それまでに想いを伝えなきゃならない。

恋仲になれば、例え学校なんか無くても、強い繋がりが出来る筈だから。

 

視線を横にずらす。

 

プラチナブロンドの髪が揺れている。

僕より少し身長の低い彼女が、僕の視線に気付いて僕を見た。

夕焼けの下で、彼女はもっと綺麗に見えた。

 

 

「……どうかした?」

 

「ううん、少し寂しいなって」

 

 

彼女の容姿は綺麗だ。

それも、驚くほど。

人間、生きていれば大なり小なり、傷付いて完璧では無くなる筈だ。

だけど、彼女にはそれがない。

 

傷一つない球体のように、貶める言葉すら思いつかない。

 

……告白、か。

僕には少し、ハードルが高い話だ。

 

 

「……なら、もう少し遊ぶ?」

 

「それも良いけど……でも、あんまり遅くなると危ないから」

 

 

彼女は綺麗な灯りのように、人の視線を引き寄せる。

ハリーだって、フラッシュだって、彼女の事が好きだ。

 

だから、早く告白しないと──

 

でも。

 

彼女には幸せになって欲しいんだ。

それが一番大きな想いだ。

 

幸せな彼女の隣に立ちたいと思うのが、二つ目の想いだ。

 

独占したいなんて、そんな事は……思ってない。

きっと僕が囲える腕の中よりも、彼女の存在は大きい。

 

 

「……危なくなったら、ピーターに助けて貰うから」

 

「ははは…………え?冗談だよね?」

 

 

こんな見るからに力もない、少し前まで苛められていたような男に?

僕が冗談だと思って笑うと、ミシェルは不思議そうな顔をしていた。

 

頼りにしてくれるのは嬉しいけど……。

 

 

「あの、ミシェル?ニューヨークの夜は本当に危ないんだよ?」

 

 

それは僕がよく知っている。

正直言って治安は最悪だ。

毎晩、毎晩……強盗とか、バスジャックとか、色々出てくるし。

……スパイダーマンとして、よく戦ってる。

 

 

「……そうかも」

 

 

思い出したように彼女が頷く。

……初めて会って、数日後。

夜の街で悪い男に囲まれていたじゃないか。

 

あの時は僕が『スパイダーマン』として助けられたから、良かったけど……もし、少しでも遅かったら……どうなっていた事か。

 

 

「だから大人しく帰ろうよ。晩御飯でも買って……」

 

「分かった。晩御飯を買って……一緒に食べよう」

 

「……ん?一緒にって?もしかして、僕の部屋?」

 

 

さも、僕と一緒に食べるのが当然かのような発言に少し驚く。

彼女にどう言う心境の変化があったのか分からないけど……距離が縮まったと考えるのは、早計かな。

 

 

「あ、ううん……えっと、違う。忘れて」

 

 

彼女も発言のおかしさに気付いたのか、彼女は慌てて首を振った。

 

……いや、そうじゃなくて。

別に嫌って話ではないんだ。

 

 

「別に良いけど……いや、一緒に食べたいな。うん、晩御飯は僕の部屋で食べる?」

 

「……ん、そうする」

 

 

ミシェルが少し申し訳なさそうな顔をして、でも頬は少し笑っていて……そんな顔で頷いた。

 

……でも、夜に僕とは言え……男の部屋に来るのはマズイんじゃないかな。

彼女は危機感が無さ過ぎる。

 

本当に……いつか、誰かに襲われるかも知れない。

いや、僕はそんな事しないけど。

 

彼女がもし、僕の知らない場所でそんな目にあってしまったら……脳が爆発するかも知れない。

グウェンが心配して、彼女にべったり張り付いている理由がよく分かるよ。

 

何処に行こうか、何処で買おうかなんて話しながら歩く。

 

だから、ちょっと前方が不注意になっちゃって……僕は誰かにぶつかってしまった。

 

 

「あ、ごめんなさ──

 

「チッ、ちゃんと前向いて歩け──

 

 

僕は咄嗟に謝りつつ、その男の顔を見て……固まってしまった。

 

目の冴えるような金髪、人相の悪い顔……少し筋肉質な長身。

それだけ見れば、ただの柄の悪い男だ。

 

だけど、僕はこの男を知っていた。

 

……一年前、僕が捕まえて刑務所にブチ込んだ時と変わってない。

ここ最近、スパイダーマンとして会った脱獄犯の、連続強盗犯。

 

ハーマン・シュルツ。

『ショッカー』がそこに居た。

 

……生きてたんだ。

ハリーが傷を負わせたって言ってたから、少し心配して……いや、別に僕が心配する義理はないんだけど。

ハリーが気に病んでたから……うん、ちょっと気にしては居たけど。

 

今日はオフのようで、ラフな格好をしている。

あの黄色いスーツも着ていない。

だけど、その手にはキャリーケースがあった。

……もしかしたら、中に武器とか、危険な物が入ってるのかも知れない。

 

そんなハーマンが……僕の隣にいるミシェルを見て、固まっていた。

ミシェルは……驚いたような顔をして、それから怯えるような顔で僕の手を強く握った。

 

……僕は咄嗟に、彼女を庇うように立った。

 

視線を遮られたハーマンが僕を睨んだ。

だけど、怯えるつもりはない。

 

……何があっても、彼女は守らないと。

 

 

「オイ、ガキ」

 

 

……ハーマンは僕がスパイダーマンだって分かっていない筈だ。

もし、ここで急に殴りかかられでもしたら……ミシェルを守るために戦う事になったら、正体がバレてしまうかも知れない。

 

そうなれば……彼女が危険に晒される。

スパイダーマンの正体を知っているのは危険だ。

僕には何の後ろ盾もない……ヒーローチームにも参加していない。

大切な人を守れるのは、この体、一つだけだ。

 

そして、スパイダーマンは沢山の悪人に恨まれている。

何かの拍子で、彼女がスパイダーマンの友人だとバレたら……人質に取られてしまう。

あの時の、グウェンのように。

 

ハーマンが、ミシェルを指差した。

 

 

「そこの女とは……どんな関係だ?」

 

「そんなの、どうだって良い……だろ」

 

 

思わず喧嘩腰になってしまって、後悔をする。

どんなに情けなく見えても、怯えた様子でこの場をやり過ごすべきだった。

喧嘩になった時点で、僕は負けだ。

 

だけど、もう遅い。

ハーマンの眉が顰められた。

 

 

「彼女か?女の前だからって格好付けてんのか?」

 

「違う……だけど、友達だ」

 

 

空回りしてる僕を見てハーマンが笑った。

だけど、馬鹿にするような顔じゃなくて、自虐するような笑い方だった。

 

 

「へぇ……友達ねぇ?手ぇ繋いでんのに?」

 

 

そのまま視線がミシェルへ繋いでいる手に移った。

僕の後ろにいる彼女の顔は見えないけれど、きっと怯えている。

 

一歩、前に出る。

 

 

「ぶつかったのは悪かったよ、だけど彼女には──

 

「あ?どんな勘違いしてんだ?」

 

 

今度こそ、馬鹿にするように僕を嘲笑った。

……す、すごくムカつく。

 

何だよ、馬鹿にされるような事をしてるつもりは無いんだけど。

 

 

「こんな小せぇガキに興味はねぇよ」

 

「ち、ちいさい……?」

 

 

後ろから呆然としたような声が聞こえた。

思わずハーマンを睨んだ。

……ハーマンが少し、引き攣った顔をしていた。

 

僕の睨み顔なんて、怖くない筈だけど?

 

でも、彼女の何処が……あ、いや、確かに……ちょっと幼い感じがあるけど……それは容姿じゃなくて言動だ。

初対面の相手にそんな事、言われる筋合いはない筈だ。

 

 

「まぁ……別に喧嘩しようって訳じゃねぇよ。少し、安心しただけだ」

 

「安心……?」

 

 

意味不明な言葉に僕が訝しんでいると、ハーマンが勝手に納得して頷いた。

そのままミシェルを一瞥した後、僕の顔を見た。

その目は少し、穏やかだった。

 

 

「……大事にしろよ?」

 

「え……いや、分かってるよ。言われなくても」

 

「……へっ、お熱いことで」

 

 

ちょっと笑って、僕の横を通り過ぎた。

後ろ手を振っている背中を、僕は視線で追った。

 

……今の僕はピーター・パーカー。

スパイダーマンじゃない。

だから、追いかけて捕まえるなんて事も出来ない。

それにミシェルだって居るし……。

 

何がしたいのか分からなかったけど、とにかく危険が去って……息を吐いた。

そして、ミシェルを見ると……な、なんだろう、凄く怒ったような顔でハーマンの後ろ姿を見ていた。

 

初めて見る表情だ。

 

目を離している内に別人に入れ替わったかのような……ちょっと怖くなって僕はミシェルに声を掛ける。

 

 

「大丈夫だった?」

 

 

すると、彼女は慌てて怒った顔をやめて、笑顔に戻った。

……よかった、いつものミシェルだ。

 

 

「……何もされてないから」

 

「でも、怖かったりとか──

 

「別に」

 

 

全く怖くなかったと言う彼女に、僕は驚いた。

……凄く、危ない場面だったと思ってたけど。

 

そう訝しんでいると、ミシェルが慌てて口を開いた。

 

 

「その、ピーターが守ってくれてたから」

 

「……そ、そうかな?」

 

 

……何だか、取ってつけたような理由だけど。

それでも僕は納得する事にした。

 

止めていた足を再び動かして、歩き始める。

今度は誰かにぶつからないように気を付けて。

 

……すると、ミシェルが唐突に口を開いた。

 

 

「……ピーター、私って子供っぽい?」

 

 

息が詰まった。

さっきのハーマンの言葉を気にしているみたいだ。

 

正直に言うと……そう、少し子供っぽい。

こうやって気にしてる所とかも、かなり子供っぽい。

コーヒーにミルクを大量に入れる所とか、フィギュアショップで目を輝かせてヒーローフィギュアを眺めてる所とか、昼食を食べずクッキーを食べてる所も。

……あんまり、自分が綺麗な女性なんだって認識してない所だって。

 

決して短所とは思えないけど……。

 

 

だけど、彼女はそれを気にしているようだから、僕は否定した。

 

 

「そ、そんな事ないよ?」

 

「…………」

 

 

一瞬の沈黙。

 

そして。

 

 

「そう、なら良かった」

 

 

ミシェルが苦いものを食べた時と、同じ顔になった。

怒ってる顔ではない、ただ何とも言えない表情だ。

心底、嫌そうな顔だ。

 

どうやら、僕の嘘がバレてしまったようだ。

 

……くそ。

こんな気不味い思いをしてるのは、ハーマンのせいだ。

次にあったら絶対捕まえてやる。

グウェンを人質に取った事だって許してないんだ。

 

そう心の中で愚痴りながら、僕はミシェルの手を引いた。



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#75 クライ・フォー・ザ・ムーン part1

犯罪都市、『マドリプール』。

海に浮かぶ小さな都市国家だ。

 

島そのものが都市であり、暴力が支配する貧困層の下層(ロータウン)と、支配層の上層(ハイタウン)で構成されている。

そして、上層(ハイタウン)だろうが下層(ロータウン)だろうが、『マドリプール』では人の命は一握りの金よりも軽い。

 

明日、隣人が消えても誰も気にも留めない。

そんな都市だ。

 

だから、ここには世界中から犯罪者や、後ろ暗い者達が集まる。

……国際的に指名手配されているような大物達も、だ。

 

排気ガスで作られた黒い雲が光を遮り、日は登っても夜は明けない。

私は上層(ハイタウン)の高層ビルから街を見下ろしていた。

 

 

「この街の眺めはどうかね?」

 

『…………』

 

 

視線の先、下層(ロータウン)の路地裏で一人の男が私刑(リンチ)されている。

代わる代わる別の男に体を蹴られ……それを見ている野次馬は酒のつまみにしている。

似非超人血清によって強化された視力によって、数百メートル先まで鮮明に見えた。

 

 

『フン、最低だな』

 

「愚者を嘲り、己の価値を認識する。それは人だけに許された特権だ」

 

『……お前も、趣味が悪い』

 

 

私は壁一面に貼られた窓ガラスから目を逸らし、後ろを見る。

 

紫色の肌に、白い髪……凡そ人間離れした容姿をした男。

 

 

「ふむ、分からないか……君は私の最高……いや、二番か三番目ぐらいには傑作なのだが。いやはや、作者には似ないと言う訳か」

 

 

そう言って笑っている男の名は……『パワー・ブローカー』だ。

今回の任務は彼の護衛……に、なるのだが。

 

正直、良い気分とは言えない。

彼は『似非超人血清』の生みの親だ。

 

……今日、初めて出会ったが……やはり、碌な人間ではなかった。

 

奴は私を『傑作』と呼ぶ。

『パワー・ブローカー社』は普通の人間に超能力(スーパーパワー)を与える組織だ。

今まで何人もの人間を弄ってきて……そして生まれた超人を自身の『作品』と呼んでいるのだ。

 

反吐が出る。

 

だが、私は彼に手を出す事は出来ない。

組織は彼と懇意にしている。

……彼を傷つける事は、つまり組織への反逆となる。

 

逆らえば、死ぬ。

私は、こんな場所で無駄死にしたくはない。

 

 

「まぁ、良い……君の同僚を紹介しよう。仲良くしてくれたまえ」

 

 

パワーブローカーに勧められるまま、私は別室に移動した。

高級そうな調度品が並べられた部屋に二人の男が居た。

 

一人は日系人の男で床に座り、座禅を組んでいる。

 

もう一人は……背後からしか見えないが白いフードを被った男だ。

カウンターに突っ伏している。

 

 

『……随分と個性的だな』

 

「だが、腕が立つ。それに君も個性的だろう?」

 

 

そう言われれば、黙るしかない。

私も全身をアーマースーツで覆った異常者だからだ。

 

 

「どちらも私の護衛だ。……念には念を。賢者は事前の用意が周到なのだよ」

 

 

パワーブローカーがコレクションを見せるように自慢してくる。

 

そのまま、目線は座禅を組んでいた男に移った。

和服を着ており、側には刀が置いてある。

銀色の鞘に、銀色の柄が見える。

……凡そ、刀らしくない派手なデザインだ。

 

 

「彼は『ケンイチロウ』だ。この街を支配している女の部下だ」

 

『……そうか』

 

 

全く見向きもせず、ただ黙って目を瞑り静かにしている。

……しかし、隙はない。

何処からでも迎撃できるように、自然に体が組まれている。

 

恐らく、かなり強い。

それこそ、私以上に。

 

間違いない。

コミックにも出てくる名うての悪人(ヴィラン)だ。

 

だが、その名前は分からない。

恐らく、『ケンイチロウ』と言う名前よりも有名な悪人名(ヴィランネーム)がある筈だ。

刀……和服……サムライ?

ダメだ、靄が掛かったように思い出せない。

 

気になる。

 

 

『…………』

 

 

しかし、好奇心は猫をも殺す。

迂闊に探りに行って良い相手ではない。

それに、瞑想に集中しているようだし……邪魔をして不機嫌になられても困る。

 

私は黙って、彼から目を逸らした。

 

そして、カウンターに突っ伏している白いフードの男を見た。

その手には酒の入ったグラスがあった。

 

 

室内にカウンター、か。

小洒落たバーのような一角に、財力を感じる。

ただのビルの一室に、こんな物を用意する必要は無いはずだ。

それも、ここはパワーブローカーのプライベートな一室だ。

客も取らない、完全に贅沢の為のカウンターだ。

 

そんなバーテンダーも居ない無人のカウンターで、男は突っ伏して居た。

 

私はパワーブローカーに視線を戻した。

 

 

『彼の事は自慢しないのか?』

 

 

その言葉に頬を吊り上げて笑った。

 

 

「ふふ、君の方が彼の事は詳しい筈だが?」

 

『……私の方が?』

 

「話しかけてみたまえ」

 

 

……私の知り合いだと?

パワーブローカーから離れて、白いフードの男へ近付く。

 

……カチャリ、と金属が擦れる音がした。

咄嗟に右手を首の前に置く。

 

人差し指より少し大きい、小型のナイフが迫っていた。

それを手で摘み、勢いを殺す。

 

手に握ったナイフを見る。

真っ黒に塗装された……暗闇では視認する事も難しい暗器だ。

 

予備動作もなく……正確に投げてきた。

 

まるで、百発百中の暗殺者……『ブルズアイ』のような投擲技術だ。

だが、奴は黒いコスチュームを好む。

白いローブを着ているコイツとは真逆だ。

 

 

『……随分な挨拶をする。私達は同僚だろう?』

 

 

私は手に持ったナイフを撫でる。

白いフードの男が顔を上げた。

 

 

「この程度で死ぬのならば、足手纏いになるだけだ」

 

 

……一瞬、息が止まるかと思った。

そこにはリアルな骸骨を模したマスクを被った顔があった。

 

私はコイツを知っている。

いや、この世界に来てからも……関わった事がある。

私はパワーブローカーを一瞥した。

 

 

『『タスクマスター』か』

 

 

タスクマスター。

彼はただの人間だ。

ミュータントでもないし、超人でもない。

鍛え上げられているとは言え、身体能力はトップアスリートと同等レベル……つまり、私のような超人レベルではない。

 

だが、私は彼に勝つことが出来るか?と問われれば……首を横に振る。

彼には一つ、特殊な技能がある。

写真的反射能力(フォトグラフィック・リフレクションズ)』だ。

彼は見たものを全て記憶し、その技能を全て熟達(マスター)する。

 

しかもそれは、実物でなくても良い。

映像さえ見れば……如何なる技術だろうと模倣できる。

そして、模様した複数の技能を組み合わせる事で、模倣元よりも優れた戦闘技術を発揮する。

 

つまり。

剣術の達人『ソーズマン』の剣技。

『キャプテン・アメリカ』の盾捌き。

『ホークアイ』の弓技。

先程見せた『ブルズアイ』の投擲技能。

『ブラックパンサー』の身のこなし。

『アイアンフィスト』や『シャンチー』の格闘技。

『パニッシャー』や『ニック・フューリー』の熟達した銃火器を扱う技術。

全ての技能を、用途に合わせて切り替える事が出来るのだ。

 

確かに治癒因子(ヒーリングファクター)のような真似出来ない物もあるが……そんなものを弱点とすら思えない程に、優れた技術を持っている。

 

 

……そして。

彼の真に恐るべき所は……その技術を人に教える才能まで持っている事だ。

彼に師事すれば、街のチンピラも、裏社会のエージェントになれる。

 

私も……彼に技術を叩き込まれた一人だ。

組織(アンシリーコート)に雇われて、教官をしていた時期があるのだ。

私がまだ、『レッドキャップ』と呼ばれていなかった頃の話だ。

 

 

「……私を知っているのか?」

 

 

だが、彼は私を覚えていないらしい。

 

それは彼の記憶力が悪いからではない。

寧ろ逆だ。

彼は記憶力が良過ぎる。

あまりにも多くの事を正確に憶えている所為で、新たに技能を習得すれば……古い記憶から抹消されていく。

 

彼は自身の妻の顔すら、もう思い出せない。

結婚していた事実すら憶えていないだろう。

 

それが彼の欠点だ。

 

 

『……昔の教え子だ』

 

 

寂しいとは感じない。

彼には恨みもないが、親しみも感じない。

だが、敵対するのは避けたい。

命が幾つあっても足りる事はない。

 

 

「なるほど……そうか」

 

 

納得したように頷き、私の手からナイフを受け取った。

忘れていたと指摘されても、憤ったり疑う訳でもなく、ただ納得した。

自身の欠陥について自覚している証拠だ。

 

 

パワーブローカーに視線を戻す。

人間離れした容姿の男が、手にグラスを持っていた。

 

 

私はタスクマスターの座っている席の隣に座った。

椅子を180度回転させて、カウンターに背を向けた。

 

 

『…………』

 

 

冷え切った空気に、胃がムカムカしてくる。

ストレスだ。

尋常じゃなく気まずいし……気を張って居なければならない。

 

早くニューヨークの……クイーンズに『帰りたい』。

……いや、違う。

ここが私の居場所だ、勘違いしてはならない。

 

私は視線をタスクマスターへ向けた。

グラスを傾けて、マスクに開いた口型の切れ込みから飲んでいる。

随分と器用な飲み方だ。

 

ガタン、とグラスをカウンターに置き、私を見た。

私の視線が気になるようだ。

 

 

「……何だ?」

 

 

不思議そうに問いかけてくる。

 

タスクマスターは金を目的に傭兵をしている。

……雇うのに幾らかかったのか、少し気になっていた。

 

 

『幾らで雇われたのか……と』

 

 

タスクマスターがパワーブローカーを一瞥した。

別段、気にしてなさそうな様子に頷き、私へ向き直った。

 

 

「クライアントの前で、報酬の話は御法度だぞ?傭兵ならば常識だ」

 

『私は傭兵ではない』

 

 

私が否定すると、ピクリと肩を動かした。

 

 

「なるほど、ただの『人殺し』か」

 

『…………』

 

 

突然の侮辱に、怒りも出なかった。

それに、それは事実だからだ。

 

 

「……フン、自覚はあるのか。お前は何の為に殺している?」

 

『組織の命令だ』

 

「……ハッ」

 

 

私の返答にタスクマスターが苦笑した。

マスクの上からでも分かるように、わざとらしく苦笑したのだ。

 

 

『何がおかしい?』

 

「お前は『空っぽ』だ。ただ惰性で人を殺す奴は……やはり、ただの『人殺し』で良い。傭兵や暗殺者なんて気取った言葉で飾る事も出来ない」

 

『それの何が悪い』

 

「強さはプロ級だが、心は素人(アマチュア)だ、と言っている。その意識の甘さは……いつか取り返しの付かないミスをするぞ」

 

 

眉間に皺が寄るのを感じた。

何故、こんな奴に説教を受けなければならないのか……。

 

そもそも、私は好きで殺している訳では──

 

いや、ここにはパワーブローカーがいる。

迂闊な発言は控えるべきだ。

組織への忠誠心が疑われてはならない。

 

 

『忠告か?』

 

「いや、生き方の話だ。貴様は私の教え子なのだろう?迷っている生徒を導くのは教師の役目だ」

 

 

……私が迷っていると看破しているようだ。

確かに、ハーマンが死に掛けた時から……私は人殺しに忌避感を憶えている。

だが、これからも組織で生きていくならば、そんな感性は不要だ。

自身の感情に蓋をして、己を見失っている。

だから、迷っているという指摘は正しい。

 

……しかし、それを組織に知られたくはない。

久々に会って教師面している、このガイコツマスクの男にもだ。

 

 

『余計なお世話だ……酒の飲み過ぎだな。よく喋る』

 

「あまり強がるな。己に正直になれば良い。何故なら貴様は──

 

「そこまでにしてろ、タスクマスター」

 

 

パワーブローカーに遮られ、タスクマスターが黙った。

 

 

「追加講義の代金を支払うつもりはないぞ?」

 

「……フン、サービスだ」

 

 

タスクマスターが酒を勢いよく飲み干してグラスを投げた。

シンクを滑り、回転する。

そのまま勢いを殺して、シンクの前で静止した。

 

……投擲技術の無駄遣いだ。

 

それと同時に、電子音が鳴った。

パワーブローカーが手元に携帯端末を取り出し、開いた。

 

目を通して、私達を一瞥した。

 

 

「……仕事の時間だ。喜べ」

 

 

何も嬉しくないが。

マスクの下で見えないとは言え、不快そうな顔をしないように気を付ける。

 

 

下層(ロータウン)の港に招待されていない鼠が来たそうだ」

 

 

端末を閉じて、パワーブローカーが私を見た。

 

 

「君は、調査と……追跡。発見次第、鼠の始末を頼む」

 

『生死は?』

 

「問わない。夜には重要な取引がある……後顧の憂いは断たねばならない」

 

『……了解した』

 

 

私が椅子を立つと同時に、先程まで酒を飲んでいたタスクマスターが立ち上がった。

 

 

「私も行こう」

 

 

椅子の下に落ちて居たシールドの縁を踏んだ。

地面から弾かれて、宙に浮き上がり……そのまま腕に装着した。

……『キャプテン・アメリカ』の模倣だ。

 

だが、シールドには星条旗を模したデザインは施されていない。

ただ『T』の一文字が刻まれて居た。

 

タスクマスターが、そのドクロのマスクをこちらに向けてきた。

 

 

「オークション会場の場所は分かるか?」

 

 

そして、私に問いかけてきた。

……事前に地図は記憶して来た。

大体の位置は分かっている。

 

 

『地図の上では知っている』

 

「なるほど。実際に行った事は無いと」

 

 

黙っていると、私の横を通り、タスクマスターはドアの前に立った。

そして、振り返り……私を見た。

 

 

「何をしている?行くぞ」

 

『……分かった』

 

 

一瞬、パワーブローカーを一瞥してから、頷いた。

 

何でコイツが私の上司みたいな立場になっているんだ。

 

ドアを抜けて、タスクマスターの後ろを歩く。

窓から、汚れたマドリプールの景色が見えた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

「あんの、クソ野郎……絶対いつかブッ殺してやる」

 

 

私は薄暗い密室の中で愚痴る。

蒸し蒸しとした空気に息が苦しくなる。

クーラーなんて気の利いた物もない……とにかく、暑い。

そして、鼻を擽るのは磯と腐食した臭い。

 

 

私はコンテナを二本の爪で引き裂き、外に出た。

 

思い出されるのは先週の週末、ニック・フューリーとの会話だ。

 

 

『ローラ・キニー。君を呼んだのはレッドキャップの情報を得る為だ。戦わせる為ではない』

 

 

思い出しても血管がブチ切れそうになる。

態々、『ジーン・グレイ学園』から遥々来たって言うのに、やる事が事情聴取だけってマジで舐めてるのか?とキレそうになる。

いや、キレた。

 

何度、あのクソ眼帯野郎をブン殴りそうになったか……我慢できたのを褒めて欲しいぐらいだ。

 

だがまぁ、流石に私がアイツをブン殴れば……校長に迷惑が掛かる。

それは気が引ける。

良くして貰ってるし。

 

でも結局、最後まで蚊帳の外だった。

糞眼帯め。

 

だから、情報を盗んだ。

このマドリプールに来る可能性が高いと突き止めたのだ。

……ちなみに、情報源は友人の女の子だ。

 

情報を盗む目的で接触したが……まぁ、良い娘だったし。

何だかんだ、普通に友人として認知している。

若干の罪悪感が湧いてしまったぐらいだ。

 

 

で、情報を得た訳だが。

 

 

後は簡単な話だ。

糞マフィアに拉致られて、マドリプールで売られそうになってる女共に紛れた。

 

出国前にコッソリ、彼女達を逃して……コンテナ内には私しか居ない訳だが。

 

だから、まぁ、コンテナから出れば──

 

 

「な、何だ!?」

 

 

外には糞マフィアのお仲間が居た。

人数は一人……だが、他にも居るだろう。

 

手の甲を引き裂く感触と共に、アダマンチウムで覆われた爪が現れる。

両手の甲に、二本ずつ。

足からも、一本ずつ爪が生える。

だがまぁ、足の方は骨が剥き出しになっている……アダマンチウムではなく、ただの骨の爪だ。

 

強面の男が集まってくる前に……男が助けを呼ぶ前に、飛びかかる。

 

 

私は『ミュータント』だ。

生まれた時から超能力(スーパーパワー)を持つ超人、それが『ミュータント』。

 

そして、私の持つ能力は──

 

 

「わあぁっ!?」

 

 

飛び上がった私に驚き、男の持つサブマシンガンを発砲した。

壁に爪を突き刺し、自身の軌道を変える。

 

常人離れした、獣のような『反射神経』。

そして、『俊敏性』。

 

私は壁を蹴り、錐揉みながらサブマシンガンを切り裂いた。

アダマンチウム製の爪によって、ただの金属製のサブマシンガンは三つに分かれた。

 

腕に二本の『爪』を生やす能力。

 

足を振り上げ、男の腕を蹴り上げる。

だが、ただの蹴りではない。

 

 

「ぎゃあっ」

 

 

足の先には一本の『爪』が生えている。

 

それが突き刺さり、腱を切り裂いた。

きっと重篤な後遺症が残るだろう。

 

 

「でもまぁ、殺してないだけマシだと思ってよね」

 

 

頭を掴み、地面に叩きつける。

失神して男は動かなくなった。

 

……と、後ろから手榴弾が投げ込まれた。

 

応援が来たみたいだ。

 

咄嗟に回避しようとして……足元に気絶した男がいる事を思い出した。

 

 

……あぁ、クソ。

 

 

男の前から動かず、体で爆風を受け止める。

辺りに煙が立ち込める。

 

 

「やったか!?」

 

「……プッ」

 

 

……あまりにも三下っぽいセリフを吐くもんだから、笑ってしまった。

 

煙の中を疾走し、手榴弾を投げた男の首を足で絡めとる。

そのまま捻って絞める。

 

 

「この服、お気に入りだったんだけど……弁償しろ」

 

「何で、あ、がっ……」

 

 

 

私が生きているのが信じられないようだ。

まぁ、普通はそうだろう。

 

確かにさっき、手榴弾の爆発によって身体の半分が吹き飛んだ。

だが、その程度なら私は死なない。

 

超人的な再生能力……『治癒因子(ヒーリングファクター)』だ。

 

気を失った男を蹴り飛ばす。

 

 

「集まられると面倒だな」

 

 

獣のような身体能力。

鋭い爪を生やす能力。

肉体を再生する治癒因子(ヒーリングファクター)

 

これが私の能力だ。

 

 

私は足の爪をコンテナに突き刺して、上に登る。

上からマフィアを数える。

何者かに襲撃されている自覚はあるようだけど……誰に襲われているかは分かってないみたいだ。

 

……残り12人。

 

 

私はコンテナから飛び降りた。

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

マドリプール、バッカニアベイ。

 

外海から運ばれたコンテナが置かれるコンテナ・ターミナルだ。

数メートルごとに灯が並ぶが、間隔は遠く暗がりもある。

隠れるにはもってこいの場所だな。

 

……海が近く潮の香りが鼻を擽る。

ドブのような臭いもする。

 

そして……似非超人血清で強化された嗅覚は血の臭いを感じ取っていた。

 

 

『……近くで血が流れていたようだ』

 

「そうか」

 

 

タスクマスターが一言、頷いて歩き出した。

視界を広く、背後に壁が来るよう意識し、周囲を警戒しながら歩いているようだ。

 

そして、何を思ったか急にコンテナの縁を掴み、上に乗った。

……高さは3メートル近くあるが、小さな窪みを蹴り上げるように素早く登ったようだ。

 

私は大人しく、強化された身体能力で無理矢理登った。

 

 

タスクマスターがフードを深く被り、高台から周囲を見渡している。

そして、何かを見つけたようで手招きをした。

 

 

「こっちだ」

 

『…………あぁ』

 

 

誘導されるまま、私はタスクマスターを追う。

 

……血塗れで倒れる男達がそこに居た。

息はあるみたいだ。

 

タスクマスターは小さなナイフ……いや、針のような物を取り出して、倒れている男へ近付く。

 

 

「う、あっ……あんた……」

 

 

意識の朦朧としている男に、タスクマスターが針を刺した。

首の血管に一撃だ。

 

 

「あっ……あっ……」

 

 

針には薬剤が塗られていたようで、男の表情が崩れる。

恐らく、自白剤。

それもかなり強力な……被投薬者の事を考えていない『使い切り』の薬だ。

……あまり、見ていて気持ちの良い物ではないな。

 

 

「ここで何があった?話せ」

 

「爪、爪を生やした……奴が……」

 

『爪……?』

 

 

私は周囲を観察する。

 

コンテナに刻まれた、均等に並んだ二本の傷。

なるほど、爪痕か。

 

そして……男の物ではない血溜まり。

常人なら意識を失うほどの失血……だが、そこから血で出来た足跡が先へ、そして壁にまで付いている。

 

 

「殺した筈なのに……生きて……」

 

「……治癒因子(ヒーリングファクター)か」

 

 

タスクマスターが私を一瞥した。

 

私は腰からナイフを抜き出し、辺りを警戒する。

血の付いた足跡は奥へと続いている。

 

 

「あ、あがっ……」

 

 

男が痙攣した。

血の泡を吹いて……瞳孔が開く。

 

 

「……チッ、もう使えないか」

 

 

タスクマスターが手を離せば、男はドサリと地面に倒れた。

受け身も取らない……意識がないみたいだ。

いや、意識だけではなく、命もか。

 

私は敵の正体を考える。

 

爪、治癒因子(ヒーリングファクター)、一人で集団を襲うほどの凶暴性。

 

 

『……ウルヴァリンか?』

 

 

奴は死からも蘇る強力な治癒因子(ヒーリングファクター)と、アダマンチウム製の爪を持ち……凶暴な性格をしている。

 

だが、ウルヴァリンの爪は『三本』。

ここにある傷は『二本』。

 

違和感がある。

 

 

「答えを急くな。追跡するぞ」

 

『……あぁ、分かった』

 

 

タスクマスターがシールドを左腕に、右手でシールドから剣の柄のような物を抜いた。

柄だが……剣の身はない。

不思議な形状をしている。

刀身のない剣など……剣と呼んで良いかも怪しい。

 

そのままコンテナ沿いにタスクマスターが足音を立てずに歩く。

……『ブラックパンサー』の模倣か?

それとも、『ブラックウィドウ』の潜伏技術か。

 

血の足跡を追い、タスクマスターが進む。

遅れて、私も背後を歩く。

 

そして……角を曲がった瞬間、足跡が消えた。

 

 

「ム……」

 

『……何だ?』

 

 

私は頭に疑問符が浮かび……タスクマスターが注視し……足跡に反応した。

 

 

「コレは……『バックトラック』か!」

 

 

タスクマスターが声を上げて、背後を振り返った。

 

バックトラック……動物が足跡を消すために行う行動だ。

自身の足跡に重ねて、後ろ歩きで離脱する事で突如、消えたかのような痕跡を残す。

 

遅れて、私も振り返れば……頭上、コンテナの上から人影が迫っていた。

 

 

『チッ……!』

 

 

舌打ちをしながら、ナイフを構え……その人影の鋭い爪がぶつかる。

 

いや、ぶつかったが……まるで、バターのように容易く切り裂かれる。

爪はナイフに半分以上食い込んでいた。

 

まずい。

 

咄嗟にナイフを捨てて、腕の赤い装甲……アダマンチウム部分で防御する。

 

ガキン、と弾かれる音がする。

……互角か。

なら、奴の爪もアダマンチウム製か?

 

襲撃者の腕は一本ではない。

もう一本の腕が振り上げられていた。

 

私は腕と接触している爪を滑らせて、襲撃者の体勢を崩す。

肩パーツを顔面にぶつけ、押しのける。

 

 

「う、ぐっ!?」

 

 

血を流しながら、人影が転がる。

 

……若い、女?

やはり、『ウルヴァリン』ではない。

何者だ?

 

 

距離を取った瞬間、タスクマスターが声を掛けて来た。

 

 

「知り合いか?」

 

『いや』

 

 

ウルヴァリンのような女……?

そんな知り合いは居ない。

 

まるでコピー品のような……複製……?

クローン……?

……まさか。

 

 

『『X-23』か……!』

 

 

記憶の奥底から情報が溢れ出してくる。

 

女……X-23が血反吐を吐きながら、立ち上がった。

 

 

「私は、ローラ・キニーだ……その名前で呼ぶな!」

 

 

唸り声と共に、姿勢を低く……獣のような構えを取る。

 

その両手には二本の爪、足に一本の爪。

 

 

間違いない。

 

……思い出した。

ウルヴァリンのクローン体、X-23だ。

 

ウェポンI(キャプテン・アメリカ)』や、『ウェポンX(ウルヴァリン)』を生み出した『ウェポン・プラス計画』の23番目の個体だ。

 

ウルヴァリンの遺伝子情報を利用して、代理出産によって産み出され……暗殺技術を仕込まれた父親の居ない子供。

ウルヴァリンと同様の能力を持つ、ミュータントだ。

 

 

この世界でも戦った事がある。

それも、彼女が幼かった頃に。

頭部に弾丸を食らわせたが……お得意の治癒因子(ヒーリングファクター)で死んでいなかったようだ。

 

……しかし、何故、私に殺意を向けている?

タスクマスターの方が彼女の立ち位置からは近かった。

 

態々、私を狙ったとしか思えない。

 

恨まれるような事は──

 

 

あ──

 

 

「アンタだけは……!」

 

 

心臓が早鐘のように鳴り響く。

汗が流れ出る。

口が、乾いた。

 

頭の中で、凄惨な記憶がフラッシュバックする。

幼いX-23を庇う、彼女を産んだ代理母の研究者……セアラ・キニーの死に際を。

 

ナイフで引き裂いた、手の感触を。

血を吐いて撒き散らす、彼女の姿を。

慈愛を持って娘を見る瞳を。

 

ダメだ。

忘れろ、気にしなくて良い。

奴らは非人道的な研究をしていた科学者だ。

殺されて当然の奴だ。

 

そうだ。

善人なんかではない。

 

例え、その死に際に、自身の娘を庇おうとしても。

愛を持って娘に接していたとしても。

 

私の敵だった。

違う、私の所為ではない。

 

 

マスクの下で、思考が錯乱する。

呼吸が乱れる。

身体が硬直する。

 

 

「何をしている!」

 

 

タスクマスターの叱責が聞こえ、顔を上げれば──

 

 

目前に、アダマンチウム製の爪が迫っていた。

 



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#76 クライ・フォー・ザ・ムーン part2

「よ、ピーター……ミシェルが何処にいるか知らない?」

 

 

惚けたような声に僕は振り返った。

 

ネッドだ。

 

 

「……今日はずっと居なかったよ」

 

「知らねぇよ……俺、クラス違うし」

 

「あ、うん……確かに」

 

 

ロッカーに教科書を戻して、次の授業の支度をする。

 

 

「病欠か?」

 

「いや、家の用事らしいよ……ほら」

 

 

僕はスマホのショートメッセージを見せる。

 

『月曜から三日程、実家に帰ります』

 

いつも通り、お固い文章のメールだ。

 

前の土曜日のデートで少しは距離が縮まったとは思ってたけど……どうやら、変わらないらしい。

 

……いやでも、文章にハートマークとか顔文字を付けるミシェルの姿は想像出来ないかも。

 

 

「あー、そっか」

 

「え?何、ネッド。何か用事でもあったの?」

 

「いや?『デススター』が届いたから、一緒に組もうと思って」

 

 

デススター……あぁ、レゴのか。

 

 

「でも発売日ってまだじゃなかった?」

 

「会員だから早く届いたんだよ。ラッキーだった……ほら」

 

 

ネッドが鞄からミニフィグ……小さなレゴのフィギュアを出した。

ダース・ベイダーだ。

 

……何で学校に持って来てるんだ。

 

 

「本体がメチャクチャデカいし……パーツも多いからさ。お前と、ミシェルも誘おうかなって」

 

「そっか……帰って来たら、また誘おうよ」

 

「当たり前だろ」

 

 

そう言われて、僕は苦笑いした。

折角早く来たけど……ミシェルが帰ってくるまで組む気はないらしい。

 

まぁ、それがネッドの人の良さだと思う。

 

 

「しかし……ミシェルの実家、ねぇ」

 

「ん?どうしたの、ネッド」

 

 

ネッドが悩ましそうに腕を組んだ。

 

 

「ピーターは気にならないのか?」

 

「あー、いや?僕も気になるけど──

 

 

気にならない、と言ったら嘘になる。

実際、ミシェルは自分の家とか……家族の話とか、今まで居た高校についてとか、話したがらない。

僕だって気になる。

 

でも。

 

 

「本人が隠そうとしてるし。無理に聞くのは良くないかなって」

 

「……うーん」

 

「触れて欲しくないみたいだし」

 

 

ネッドが腕を組んだ。

 

まだ17歳の女の子が、親元を離れて一人暮らしをしてる時点で……ちょっと、気になる所はある。

家族は心配にならないのだろうか?

 

……そもそも、彼女の自己肯定感の低さとか……あの時の涙とか。

それって多分、彼女が言いたがらない事に関係してるのだと思う。

 

もしかしたら、家族関係で困ってる事があるのかも知れない。

だから、無理に踏み込めない。

 

ネッドも何となく、そう思ってるようで口を噤んでいる。

 

 

「僕達が出来るのは、出来るだけ居心地の良い場所になる事ぐらいだよ。プライベートな事は……教えてくれなきゃ分からないし」

 

「……それは、ヒーローでもか?」

 

 

ネッドの言葉にドキリと心臓が跳ねた。

周りに人はいるけれど……誰も気にしていないようだ。

 

少し、落ち着いて言葉を返す。

 

 

「隠れてコソコソ人の秘密を暴こうとするのは……ヒーローじゃないよ。ストーカーだよ、それ」

 

「あー、まぁ、確かになぁ」

 

 

無理矢理誤魔化した言葉に、ネッドが納得していないような顔で頷いた。

 

 

「じゃあ彼女が『助け』を求めたら?」

 

「……その時は助けるよ、絶対に」

 

 

その返答にネッドが口笛を吹いた……ような仕草をした。

掠れて音は出てなかった。

 

 

「あー……いや、僕は知らないけどね。ヒーローなんかじゃないし」

 

 

慌てて言葉を取り繕う。

どこで誰が聞いてるか分からないし……。

 

 

「ふーん、そう言うモンなのかね」

 

「そう言う物なんだよ。勝手に人の触れられたくない場所に踏み込むのは良くないから」

 

 

僕の言葉に、ネッドが苦笑した。

 

 

「……俺もそうだけど、踏み込む勇気がないってのもあるよな」

 

「まぁ、そう、だけど……」

 

 

気まずくなって頬を掻く。

……結局は、ミシェルが悩んでいる事を……彼女から話して欲しいって言うワガママなのかも知れない。

勝手に追い回して、秘密を暴こうなんてしないのも……嫌われたくないからだ。

 

 

「あ、いや、ピーター悪い。別に責める気はないんだよ」

 

「いいよ、事実だし」

 

 

次の授業に向けて教科書を脇に挟んだ。

窓の外、青い空は灰色の雲に覆われていた。

この空の下で……僕の知らない場所で、ミシェルは元気にしてるのだろうか?

 

……今日は雨が降るかも知れないな、なんて思った。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

目前に爪が迫る。

アダマンチウムの爪だ……腕の防御は間に合わない。

私は咄嗟に地面を蹴り、後ろに倒れるが……回避しきれない。

 

 

マスクに爪が刺さる。

 

 

『……ッ!』

 

 

咄嗟に顔を捻り、喉への攻撃をずらす。

爪の刺さっている部分が抉れて、顎から下の肉が抉り取られた。

 

……回避していなければ、間違いなく死んでいた。

殺意の篭った攻撃だ。

 

マスクの機械部分が損傷し、機能が停止する。

辛うじて視界はそのまま視えるが……ティンカラーの危惧していたとおりになってしまった。

 

下顎を繋ぐ筋肉がなくなり、顎がダラリと垂れる。

血が止めどなく零れ落ちる。

早く止血しなければ……。

 

倒れながら地面を手で叩き、逆立ちのような姿勢でX-23の顔面を蹴った。

 

 

「うぐっ」

 

 

金属で覆われた足先の蹴りだ。

鼻をへし折り、骨を陥没させ、失明させる。

 

……と言っても、治癒因子(ヒーリングファクター)がある都合上、時間稼ぎにしかならない。

 

反動で転がり、そのまま距離を取る。

そして、タスクマスターの横に着地した。

 

 

「……精神攻撃でも受けたか?」

 

 

タスクマスターが私に話しかけた。

 

……まさか、罪悪感で頭が混乱していたとは言えないので、それは渡りに船だった。

乗っかる事にする。

 

 

カヒュッ……。

 

 

声が出ない。

掠れた空気の音が鳴った。

 

……いや、下顎が無くなっているのだから当然か。

舌もないのだから声を出せる訳がない。

 

それを見たタスクマスターが私から視線を外した。

声が出せないと言う事は分かったようだ。

 

 

「……下がっていろ、ここは私がやる」

 

 

 

そう言いながら、タスクマスターがX-23を見る。

彼女の顔面に血は付いているが、傷はもう無くなっていた。

治癒因子(ヒーリングファクター)での再生速度は私を遥かに上回っているようだ。

 

鼻を抑えて、血を口から吐いた。

……折れた歯が地面に転がった。

 

血塗れのX-23がタスクマスターを睨む。

 

 

「アンタに、用は無いんだけど」

 

「貴様に無くても、私にはある」

 

 

タスクマスターの持っている剣身のない柄から、橙色の光が伸びる。

そのままショートソードのような形状になった。

小さな盾の中心部からも、同様の光が広がり……キャプテン・アメリカの持つシールドと同じ大きさになった。

 

随分ハイテクな武器だ。

 

私は数歩、後ろに下がった。

恐らく、今の私では足手纏いになる……そう思ったからだ。

それに……治癒因子(ヒーリングファクター)での再生に専念したい気持ちもある。

このままダラダラと血を流していれば、失血で気を失ってしまう。

 

 

私の足が地面を擦る音がして……X-23がタスクマスターに飛びかかった。

 

その鋭い爪が振るわれて……シールドから生成されている光の壁で防いだ。

 

 

「なんっ──

 

 

X-23は驚いているようだが、私もだ。

アダマンチウム製の爪を防ぐなんて……いや、違う、爪と盾は接触していない。

 

強力な斥力のような物が光として放たれていて、触れる事すら出来ていないのだ。

 

 

「講義の時間だ。『吾輩』の技術をよく見ておけ」

 

 

その発言は、恐らく私に向けての言葉だ。

 

タスクマスターがシールドを振り上げ、X-23の腕を吊り上げた。

そのままフリーとなったボディに、肘を捻じ込む。

 

 

「ゔっ……!?」

 

 

鳩尾に一撃……恐らく、内臓に強烈なダメージが入った。

 

 

「レッスン1、治癒因子(ヒーリングファクター)持ちとの戦い方だ。例え傷が治ろうとも……痛みには耐えられない」

 

 

そうだ。

私も他人事ではない。

 

急所にダメージが入れば、私も怯む。

タスクマスターは脳が痛覚を遮断しない、ギリギリの場所を狙っている。

 

そのまま剣を振り上げ──

 

 

「このっ!」

 

 

爪と剣が交差した。

光で作られた剣に、X-23の爪が食い込む。

 

このままでは剣を抜けて、攻撃が通る。

私も……恐らく、X-23もそう思った。

 

その瞬間シールドの下から、黒い金属が見えた。

 

 

乾いた発砲音が聞こえた。

 

 

「う、ぐっ」

 

「レッスン2、情報はアドバンテージだ。隠し武器は有効なタイミングで使え」

 

 

シールドの下で隠し持っていたのは拳銃だ。

市販されている普通の拳銃……オーダーメイドでもない普通の武器だ。

 

勿論、X-23に致命傷を与える事は出来ない。

腹部に命中し、血を流しているが……1分も掛からず再生するだろう。

 

だが、怯んだ。

 

 

滑るように爪を払い……まるで芸術作品のような剣捌きを披露する。

……私には真似できない。

まるで、剣術の道に生きる達人……それも尋常じゃない才能の持ち主のような剣だ。

 

そのまま、剣を振るい……左肩から切り下ろした。

 

 

「レッスン3、隙には最大限の一撃を与える」

 

「……っ!」

 

 

声にもならないようだ。

剣は首と肩の間から、胸の上まで抉り込んでいた。

内臓に致命的なダメージは入っている筈だ。

普通の人間ならば即死レベルの重傷だ。

 

骨と神経が切断されて、左腕がダラリと力を失っていた。

 

だが、彼女は治癒因子(ヒーリングファクター)持ちのミュータントだ。

どれだけ大きなダメージを与えようとも、時間があれば再生できる。

 

 

X-23が足を振り上げて、足先から生えている骨の爪で突き刺そうとする。

タスクマスターは上半身を仰け反らせて回避したが、その隙にX-23も後退した。

 

距離が空いた。

 

 

X-23が警戒した様子のまま、傷口を再生させようとしている。

時間が経てば不利……そう思った瞬間、音が聞こえた。

 

 

「そして、レッスン4は──

 

 

金属がコンクリートと接触した音……つまり、拳銃が地面に転がった音だ。

……何故、このタイミングで遠距離攻撃が出来る武器を捨てるのか。

 

その疑問はシールドを手に持ち、振りかぶっているタスクマスターを見た瞬間、解決した。

あれは……『キャプテン・アメリカ』の模倣(コピー)だ。

 

 

「使える物は『全て』使え」

 

 

身体を捻り、タスクマスターがシールドを投擲した。

 

シールドはタスクマスターの手を離れ、巨大な円盤状の投擲武器となりX-23へと襲い掛かった。

 

片腕が動かない状況……そして、体のバランスが崩壊している状況で防ぐ手段は一つしかない。

無事の方の右腕、その爪の峰で防ぐ。

 

だが、片腕で抑え切れる質量ではなく、腕に負荷が掛かっている。

防いでいた腕は弾かれて、姿勢を崩した。

それでも、攻撃は防ぐ事が出来たようだ。

 

 

しかし、それはタスクマスターの想定通りだったようで、慌てる様子もなく背中から何かを取り出していた。

 

 

「レッスン5。休む隙を与えるな──

 

 

折りたたみ式の化合弓(コンパウンド・ボウ)だ。

カシャリ、と音がして展開された。

 

矢をつがえ、引き絞る。

滑車(カム)が回転し、弓が変形する。

 

タスクマスターは超能力(スーパーパワー)を持たない。

身体能力だけなら、普通の人間と変わらない。

だからこそ、武装を近代化して補っているのだろう。

 

ギリギリと弦が音を鳴らして……。

 

 

「苛烈に、そして絶え間なく攻撃せよ」

 

 

矢が発射された。

 

正確に……そして、素早く。

まるで『ホークアイ』だ。

 

 

そして、盾を弾き姿勢を崩しているX-23には……回避する術はない。

そのまま矢は──

 

 

「がっ」

 

 

X-23の首に突き刺さった。

 

 

死ん──

 

 

「……いや、まだだ」

 

 

……死なないか。

そもそも、眉間に弾丸を命中させたのに生きていたんだ。

 

この程度では死なない──

 

いや、何故……死んでいない事に安堵したんだ、私は。

彼女は敵だろう?

 

思案している私を無視して、タスクマスターがX-23に飛びかかった。

 

 

「これにて講義は終了だ」

 

 

そのまま剣を胸の中心に突き刺した。

両手で押さえ込み、傷口を広げる。

 

 

「いっ──

 

 

血を吐き出しながら、X-23が悶える。

そのまま地面に突き立てて、彼女を拘束する。

 

幾ら私より再生能力が高くても、刺さったままでは治癒速度も落ちる筈だ。

 

 

タスクマスターはX-23に馬乗りになり、腰から大きいナイフを抜いた。

そのまま刃を、首に当て──

 

 

「ま、て……」

 

 

私は慌てて静止した。

……下顎は砕けていて再生中だ。

なのに無理に声を出そうとしたので、掠れた老人のような声が出た。

それに、傷口に血が染みて痛い。

ズタズタになった顎の筋肉からくる激痛が脳を焼く。

 

あまり大きな声では無かったが、幸いにもタスクマスターは聞き取ったようで……手を止めて私を見た。

 

 

「何だ?」

 

 

頭を回転させる。

何故止めてしまったのか……かなり後悔している。

黙って殺されるのを見過ごせば、何もこんな苦労を背負う必要は無かった。

 

だが──

 

 

「…………」

 

 

X-23は困惑したような顔をしている。

大量に血を失って、喉に矢も刺さって……意識が朦朧としているようだ。

 

それでも、何故私が庇ったのか……気になっているようだ。

 

 

……彼女は、私に似ている。

 

私と同じように人殺しをしていて……沢山の人間を殺している。

だが、彼女は……私と違って、愛してくれる人が居た。

 

そして、私がそれを奪った。

 

憎まれて当然だろう。

殺したいだろう。

 

 

もし、私が……同じ立場であれば。

例えば……そう、大切な友人が、勝手な都合で殺されてしまえば……許せないだろう。

 

その痛みは、真の意味では理解出来ない。

私は大切な人など居なかったから……失った事もない。

 

だが、しかし……その焼けつくような怒りは分かる。

だから今、私が感じているのは……罪悪感だ。

 

 

「……かの、じょ以外にも、潜入している、奴が、いるかも、知れない……尋問、するべきだ」

 

 

掠れた声でそう言うと、タスクマスターはナイフを持っていない方の手で顎を撫でた。

 

 

「私情を建前で誤魔化すだけの知恵はある、か……」

 

 

図星だ。

私は竦んだ。

 

……もし、彼が私を見限れば……組織にもし、この情報が入ってしまえば……どう、なるかも分からない。

 

標的(ターゲット)を殺せないエージェントなんて、出来の悪い欠陥品だ。

……処分、されるかも知れない。

 

無言でタスクマスターを見ていると……ため息が聞こえた。

 

 

「……良いだろう、金にもならない殺生は避けるべきだ。拘束し、連れ帰るぞ」

 

 

ナイフを腰に戻し、ワイヤーでX-23の腕と足を縛った。

そのまま喉に刺さった矢を、勢いよく引っこ抜いた。

勢いよく血が出た。

 

 

「う、どご、触っでんのよ!変態!」

 

 

……随分と元気だ。

野生すら感じる鋭い目付きで、タスクマスターを睨んでいる。

だが、そのまま無視して作業を進めている。

大きなホッチキスのような金属片をワイヤーで包んだ腕に打ち付ける。

 

 

「い、いだっ!?」

 

 

アレは、痛いな。

本来は地面にカーペットを固定するための物だ。

直接、腕に突き刺すのは……それは、もう痛いだろう。

 

 

「……拘束はした。だが、運ぶのはお前だ」

 

「わかった」

 

 

私の顎の再生も進み、漸く声がいつもの声に戻ってきた。

だが、マスクに内蔵された変声機が壊れている所為で、本当にいつも通りの女声だ。

 

 

「……女、子供?」

 

 

ボソボソとX-23が何かを言っている。

……チッ、早い所、予備のマスクに替えなければ……『ミシェル・ジェーン』に紐付けられる情報は排除しなければならない。

 

私は口に溜まった血を吐いて、X-23を肩に背負う。

……私の方が彼女より小さいからか、少し不恰好だ。

 

 

「抵抗すれば直ぐに殺す。大人しくしていろ」

 

「…………」

 

 

私の脅しに返事もなかった。

……クソ、顔が見えないから何を考えているのかも分からない。

 

私はタスクマスターに視線を戻すと……投げた盾を回収したり、弓を背中の収納部に差し込んでいる様子が見えた。

……彼は組織に所属しない傭兵だ。

自営業だから、そういう装備品の扱いには煩いのだろう。

 

そうして、再度、私を見た。

X-23を抱えている私を見て、鼻で笑った。

……そんなに不恰好だろうか。

 

 

「ついて来い。一時的な拠点へ向かう」

 

「拠点?……パワーブローカーのか?」

 

 

あの上層(ハイタウン)の高層ビル以外に奴の拠点が存在するのか?

そう思って訊いたが、タスクマスターは首を振った。

 

 

「違う、私のだ」

 

 

それ以上喋らず、早足で歩くので慌てて私もついて行く。

目的地の場所も分からないまま、ただタスクマスターの後ろを歩く。

 

 

「ねぇ……」

 

 

耳元で声が聞こえた。

X-23の声だ。

 

 

「……何だ」

 

「どうして、庇ったの」

 

 

……訊いたら教えて貰えると思っているのか?

お前と私は敵なんだぞ。

 

そうは思っていたが、口には出さない。

 

 

「庇った訳ではない。先程言った通り、尋問するからだ。凡そ、死んだ方が良いとすら思わせてやる」

 

 

怯えさせようとそう言ったが、X-23に怯える様子は無かった。

それどころか私の言葉を疑っているようだ。

 

 

「……別に、アンタの事を許す気はないけど。何されても」

 

「許して欲しいとは思っていない」

 

 

これは本音だ。

私は許されるような人間ではないと、自覚している。

 

 

「……調子が狂うわ、その声」

 

 

馬鹿にするような言葉に私は眉を顰めた。

ハーマンに先日言われた「小さい」と言う言葉を思い出した。

確かに私は同年代の中では幼く見えるかも知れない。

だが、それは組織による過酷な訓練でホルモンバランスが崩れて成長期に十分な成長がなかった所為で……クソ、不快だ。

次に会ったら絶対殴ってやる。

 

私は怒りを言葉に乗せて、X-23に話し掛ける。

 

 

「ふざけた態度は止めてもらおうか、X-23」

 

「……私にはローラ・キニーって名前があるんだけど」

 

「あぁ、そうか。分かった、X-23」

 

「……はー、うっざ」

 

 

ローラ・キニー……セアラ・キニーから貰った名前か。

それを呼ぶ権利は私にはない。

 

言葉を交わしていると、タスクマスターが振り返った。

 

 

「あまり無駄口を叩くな」

 

 

短い叱責に、眉間がピクピクと震えた。

どう考えても私が悪い訳ではないだろう。

 

 

「あーあ、怒られた……」

 

「黙れ」

 

 

肩に担いだX-23が煽る。

……助けなかった方が良かったかも知れない。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

「ここだ」

 

 

タスクマスターに連れられて来たのは……下層(ロータウン)のボロいビルだ。

活気のない場所。

 

なるほど、隠れ家としては最適か。

 

私はX-23を抱えながら、前を歩くタスクマスターについて行く。

 

ふと、人の気配を感じた。

 

 

そちらの方へ顔を向ける。

……気のせい、ではない。

 

警戒しているとタスクマスターが振り返った。

 

 

「私の協力者だ。腕の良い情報屋だ」

 

「……そうか」

 

 

タスクマスターがドアを開けると……確かに黒い服を着た三十歳を少し過ぎたぐらいの美人が居た。

その手には黒い……拳銃が握られていた。

 

 

「……誰よ?」

 

「彼女は私の生徒だ、メルセデス」

 

 

……はぁ?

今はもう生徒じゃないのだが。

 

と、思ったが答えない。

 

……いや、そうか。

タスクマスターが私に配慮しているのは、自身の生徒だと誤認しているからか。

昔は確かに生徒だったが……今はもう契約も切れている。

 

私が生徒だったと言う知識だけを持っていて、契約が切れているという事を忘れていて……未だに生徒だと思っているのだろう。

 

……しかし、好都合だ。

利用できるものは利用させて貰おう。

 

 

「はぁ……で、その担いでる方かしら?」

 

「当たり前だろう。担がれているのは情報源だ」

 

 

私はX-23をソファの上に投げ捨てた。

ドサッと音がして転がる。

 

 

「うぐっ……もうちょっと丁寧に扱いなさいよ」

 

 

私に文句を言うが……コイツ、今から自分が尋問されると言う事を理解しているのか?

それとも楽観主義者なのか?

……先程まで殺しあってた相手だぞ。

 

何故、そんな態度が取れるんだ。

 

……あぁ、何となく分かった。

治癒因子(ヒーリングファクター)持ちは自身を攻撃した相手に大らかだ。

どうせ直ぐに治るからと、それほど気にしない。

 

……私もそうだから、分かってしまう。

だが、それでもコイツは異常だが。

 

そんな騒いでいる様子のX-23を見て、メルセデスが驚いたような顔をしていた。

 

 

「ローラ・キニー……」

 

「何だ?知っているのか?」

 

「まぁ……えぇ」

 

 

メルセデスと呼ばれた情報屋の女性が頷いた。

 

 

「ミュータントよ」

 

「見れば分かる」

 

「……そこそこ有名なミュータントなのよ」

 

 

タスクマスターの返答に苦虫を噛み潰したような顔でメルセデスが返した。

 

……どんな内容で有名なのか聞きたいが、話し掛けられるような空気ではない。

 

 

「……彼女、何をしたの?」

 

「不法入国だ。この、マドリプールに」

 

「とんだ厄介ごとね」

 

「それに、パワーブローカーに殺すよう言われている」

 

「……はぁ」

 

 

そう言われると、メルセデスは自身の眉間を指で揉んだ。

心底、面倒臭そうな顔だ。

 

 

「何で貴方は、いつもそうやって面倒な事ばかり持ってくるの?」

 

「自力で解決出来る時は、ここには来ない」

 

「えぇ、そうでしょうね……あーもう、本当に、頭が痛い」

 

「頭痛薬でも飲むか?」

 

「要らないわよ、全く……」

 

 

ため息を吐きながら、ウォーターサーバーの前に行きコップに水を入れた。

 

 

「私にもくれ」

 

 

タスクマスターがそう言うと、メルセデスはキツく睨んだ。

 

 

「私、ウェイトレスじゃないんだけど」

 

「知っている」

 

「……あー、もう。他に要る人は?」

 

 

メルセデスが私を見た。

 

首を横に振る。

こんな誰かも知らない人間の提供する水など、怖くて飲めた物ではない。

 

 

「あ、私欲しい……」

 

 

ソファで芋虫状になっているX-23がそう言った。

……私は呆れてしまった。

 

メルセデスがコップを取りに行った。

 

 

「……お前は緊張感とか無いのか?」

 

「なるようにしかならないわ。それに……ずっとコンテナに入ってたから、凄く乾いてて……」

 

 

そういう話では無いだろう。

 

 

「はい」

 

 

メルセデスがコップを私に渡した。

腕も足も拘束されているX-23が私を見上げる。

 

……は?

 

 

「の、飲ませて……」

 

「…………」

 

 

私はコップを傾けて、X-23に飲ませる。

……まるで雛鳥に水をあげている気分だ。

 

しかし……彼女は先程まで私を殺そうとしていた筈だ。

それなのに、何故……今、ここまで警戒を解いているのか。

 

……私が油断した隙に不意打ちをするつもりか?

 

もしそうなら、かなりの策士だ。

 

 

空になったコップをメルセデスに返して、私は少し距離を取った。

不審な素振りをしたら、いつでも攻撃できるように意識する。

 

そして、視線を逸らせば……タスクマスターが棚を漁り、酒瓶を取り出していた。

勝手知ったる様子だ。

 

まぁ、自分の拠点と言ってるから問題は──

 

 

「あぁ!勝手に飲むな!」

 

「む?別に良いだろう」

 

「良くない!」

 

 

メルセデスに酒瓶を取り上げられて、タスクマスターが不服そうに座った。

 

……彼女と、タスクマスターの関係が気になる。

ただの情報屋とは思えないが。

 

 

「で?情報源って……拷問でもするつもり?」

 

「そうだな……爪でも皮でも剥ぐつもりだ。それと……ここに硫酸もあるだろう?」

 

「…………まぁ、あるけど」

 

 

本当にどう言う拠点なんだ?

この事務所のようなフロアに何故、硫酸が置いてあるのか……私には分からない。

 

訝しんでいると、メルセデスがX-23を一瞥し、タスクマスターへ話しかけた。

 

 

「彼女の尋問なんだけど、私に任せて貰って良いかしら?」

 

「……何故だ?」

 

 

メルセデスの提案に、タスクマスターが疑問を投げた。

……あまり、彼女の事を信用できない私からすれば有り得ない話なのだが。

 

 

「勿論、慣れてるからだけど?」

 

「……だが──

 

 

その瞬間、タスクマスターの胸元から音が鳴った。

……携帯端末だ。

 

ボタンを押して、耳元に寄せた。

 

 

「何だ?……そうか、分かった……今すぐか?……すぐ向かう」

 

 

通話を終了し、端末をポケットに戻した。

 

恐らく電話の相手は分かるが……タスクマスターに声を掛ける。

 

 

「どうした、タスクマスター?」

 

「パワーブローカーからだ。今すぐ戻って来て欲しいと言っている」

 

「今すぐだと?」

 

 

私はX-23を一瞥する。

 

 

「彼女はメルセデスに任せる。行くぞ」

 

「あ、あぁ……」

 

 

タスクマスターがメルセデスを見た。

 

 

「頼めるか」

 

「勿論よ」

 

「ソイツは猛獣より危険だ、十分注意しろ」

 

「えぇ、それも勿論」

 

 

その言葉に、X-23が反応した。

 

 

「……うわー、酷い言いよう」

 

 

言い切ったタスクマスターは急ぐように部屋を出た。

それにつられて私もドアをくぐる。

後ろ髪を引っ張られような気持ちになりながら、その拠点を後にした。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

レッドキャップ……か。

母さんを殺した、仇だ。

 

そのマスクの下は……恐らく、私よりも若い女。

思い出したくない記憶だけど、確かに母さんを殺した時……小さい、子供だった気がする。

 

私は無意識の内に……考えないように、していたのかも知れない。

マスクの下は醜悪な怪物だと思いたかった。

母さんを殺したのは殺されて当然のクズだったんだって、恨みたかったんだ。

 

だが、その下は……昔の私と同じ……人間だ。

人を殺す事しか出来ない。

殺さなければ生きていけない……そんな人間。

 

兵器(ウェポン)と呼ばれる、人間以下の道具。

一発の弾丸として、意思もなく、ただ誰かを殺す……そうやって生きてる。

きっと、そうだ。

 

私は……父さんに助けてもらったから……今は、こうして人になれている。

人を殺さなくても生きていける道を見つけた。

 

だけど……彼女は……?

 

彼女は私を殺したくないと思っていた。

母さんは殺したのに……何故?

誰かに強要されているのだろうか?

本当は──

 

……私は、取り返しのつかない事をしようとしている?

 

分からない。

何も分からない。

 

ずっと、知らないフリをして考えずに……ただ仇だと信じていた。

楽だったからだ。

何かを恨んで生きていれば、それだけで、このどうしようもない人生に目標が出来るからだ。

 

だけど、確かめたい。

確かめないといけない。

 

その為には、ここから逃げないと。

 

身を捩る。

ワイヤーと金属片が食い込んで、激痛が走る。

 

あのドクロマスクの奴……念入りに拘束しやがって。

 

 

『では、マドリプールにレッドキャップはいるのだな?』

 

 

耳に、男の声が聞こえる。

 

……メルセデスと呼ばれていた女が、電話をしているようだ。

耳を澄ます。

息を殺して、会話に集中する。

 

 

「えぇ、そうね。タスクマスターと一緒に……パワーブローカーの部下としてよ」

 

『ふむ……』

 

 

相手はタスクマスターではない。

誰かに近況報告をしている。

 

誰だ?

 

 

「それと……ローラ・キニーが目の前にいるわ」

 

『……あぁ……そうか、全く。とんだ、お転婆だな。すまないが──

 

「えぇ、こちらで預かっておく。でも一時的に、ね」

 

 

電話先の相手は私の事も知っているらしい。

……それに、預かる、か。

 

私に恨みを抱いている人間は多い。

X-23として生きていた頃、数多くの要人を暗殺した。

消せない罪……それは過去から私を追い続けている。

 

どうにかして脱出する必要があるが……情報は少しでも欲しい。

このまま静かに待つしかない。

 

 

『部隊は既に向かっている。混乱に乗じて連れ出してくれ』

 

「ええ、そのつもりよ」

 

 

プツンと音がして、通話が切れた。

私はソファに横たわりながら、メルセデスに声を掛けた。

 

 

「さっきの……相手は誰なの?」

 

 

大量に失血したせいで、息切れを起こしている。

教えてはくれる筈は無いだろうが、取り敢えず訊いて反応を確かめ──

 

 

「さっきの?あぁ、ニック・フューリー」

 

 

思考が、停止した。

 

 

「……フューリー?」

 

「『S.H.I.E.L.D.』の長官よ。知ってるでしょ?」

 

 

それは、知っている。

電話越しで分かり辛かったが……確かに、言われてみればフューリーの声だった。

 

だが、私が疑問に感じているのは──

 

 

「何で、あんたが、フューリーと会話してんのよ」

 

 

メルセデスが引き出しを開けた。

……下からでは中は見えない。

 

大きなハサミのような、ペンチのような物を取り出して、私に近付く。

 

……そう言えば、彼女、私を尋問するって言ってたな。

流石にこれ以上、痛いのは勘弁したいんだけど。

 

 

「私はね……」

 

 

そのハサミで……ワイヤーを切断した。

バチン、と大きな音がして解ける。

 

 

「『S.H.I.E.L.D.』の諜報員(スパイ)なのよ。よろしくね、お転婆さん」



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#77 クライ・フォー・ザ・ムーン part3

上層(ハイタウン)、高層ビル。

 

部屋に入れば、パワーブローカーが私達に悪態を吐いた。

 

 

「遅いぞ」

 

「仕方あるまい。相手はミュータントだった」

 

「……なに?」

 

 

タスクマスターの返答に、パワーブローカーが興味深そうに身を乗り出した。

……私はこそこそと部屋の隅に移動して、アタッシュケースを取り出す。

ケースを開けると、中には細かなパーツが収納されている。

 

……ティンカラーが念には念をと、マスク等の重要なパーツは予備を用意してくれていたが……まさかこんなに早く使う羽目になるとは。

 

予備のスーツはアダマンチウムもヴィブラニウムも使われていない。

特殊合金製で、本来のスーツより劣る。

 

……マスクの破損部分を分解し、予備のマスクのパーツと差し替えるか。

破損していたのは合成金属の部分だし。

と言うか、アダマンチウムやヴィブラニウム部分は、余程の事がない限りは損傷しない。

 

全てを取り替えるより、破損部のみを交換した方が良いだろう。

少し、手間だが。

 

視界の隅でパワーブローカーがタスクマスターに詰めて居た。

 

 

「ミュータント……どんな奴だ?」

 

「ふむ、ローラ・キニーと名乗っていたな」

 

 

ヘッドパーツの固定具を外し、マスクを脱ぐ。

……顔にへばりついていた自分の血が剥がれて、ヒリヒリする。

皮膚が少し剥がれたな。

まぁ、どうせ治癒因子(ヒーリングファクター)ですぐ治るが。

 

汚れは取れない。

……先に顔を洗うか。

 

 

「ローラだと?」

 

 

直ぐ後ろに居た着物姿の……ケンイチロウが反応し、立ち上がった。

 

急に立たないで欲しい。

驚いて壊れたパーツを落としそうになった。

 

……と言うか、かなり身長が高いな。

2メートル近くある。

 

一般的に人間は大きければ大きいほど強い。

重量差、そしてリーチの差は強さに直結するからだ。

 

タスクマスターがケンイチロウを見た。

 

 

「知っているのか?」

 

「うむ、彼奴(きゃつ)の義娘だ」

 

「……誰だ?」

 

 

チャキリ、と金属が擦れる音がした。

手に持った刀を強く握った音か。

鞘も、柄も、全てが銀色の不思議な刀だ。

 

ケンイチロウは不敵に笑っていた。

 

 

「ウルヴァリンだ。ローラは、そのクローン……そして、義理の娘でもある」

 

「ウルヴァリン……?誰だ?」

 

 

タスクマスターは分かっていなさそうだ。

……まぁ、彼は記憶をよく失っている。

仕方のない話だろう。

 

パワーブローカーがタスクマスターに話しかける。

 

 

「それで?そのローラとやらは、どうした?」

 

「拘束して、私の知人に任せている」

 

「……殺せと言った筈だが?」

 

「単独の行動ではあるまい……情報を抜くべく尋問すべきだ」

 

「……ふむ」

 

 

パワーブローカーは訝しみながらも、興味を失ったように目を逸らした。

……私が提案したのだと知られると、少し困る。

タスクマスターが黙っていてくれたのは、かなり助かる話だ。

 

私はアタッシュケースから取り出したマスクを手に持ち──

 

 

「レッドキャップ、君も来い。今から仕事の話をする」

 

 

そう、パワーブローカーに言われた。

 

マスクの換装には時間がかかる。

今から装着しようにも、壊れたマスクは分解中だ。

 

……アタッシュケースの上にマスクを置き、そちらに寄る。

あまり、素顔は見せたくないのだが。

 

 

……ケンイチロウに一瞥される。

一瞬、興味深そうな目をしていたのは私が女だからか。

 

タスクマスターは……腕を組んでパワーブローカーを見ている。

全く興味は無いようだ。

それはそれでムカつくな。

 

パワーブローカーが上機嫌そうに口を開いた。

 

 

「素顔を見るのは初めてだが……いやはや、私の作った『超人血清』には美容効果でもあったのかね?」

 

「…………」

 

 

うざい。

容姿を褒められても嬉しい人間と、嬉しくない人間がいる。

コイツは後者だ。

 

 

「その顔なら『殺し』以外にも使い道が──

 

「パワーブローカー、話を進めてくれ」

 

 

タスクマスターが話を遮った。

 

……それは彼なりの優しさ──

 

ではないな。

普通に話が脱線してイライラしてるだけだ、コレは。

 

 

「……取引予定の施設が襲撃された」

 

「詳細は?」

 

 

タスクマスターが間髪を容れずに質問する。

その態度にイラついたようでパワーブローカーが睨んだ。

 

 

「……今から話す。焦るな」

 

 

パワーブローカーが腕に装着されている端末を弄ると、壁に埋め込まれたモニターに資料が表示される。

 

……監視カメラの映像だ。

 

 

「私がよく利用しているバーだ。今日の夜に、ここで取引予定だったのだが──

 

 

写っているのはオーナーらしき女。

それを囲むスーツ姿の護衛。

 

スーツ姿でサングラスを掛けた黒人の男。

そして……左腕にサイバネティック・アームを持つ男。

 

 

「……ウィンター・ソルジャー?」

 

 

思わず声が漏れた。

それに対して、パワーブローカーが私を一瞥した。

 

 

「そう、ウィンター・ソルジャーだ」

 

 

映像が進む。

 

オーナーの女が何やら叫び、黒人の男を指差した。

直後、女の護衛が武器を構え──

 

その瞬間、ウィンターソルジャーが飛び出し、護衛達を打ちのめした。

黒人の男も護衛から武器を奪い、戦っていた。

 

……コイツも只者ではない。

誰だ?

 

 

「彼はサム・ウィルソン……通称は『ファルコン』だ」

 

 

私は顎に手を置く。

 

……ファルコン、か。

奴もウィンターソルジャーと同じく、『アベンジャーズ』だ。

ジェットパック、そして機械の羽を装備し、空中戦を得意とするヒーローだ。

本人自体は熟練の軍人……つまり、超人ではないが……かなり小回りの利く奴だ。

 

飛行能力を活かしたサポート。

ヒットアンドアウェイを得意とする戦闘テクニック。

ハイテクドローン『レッドウィング』を活かした波状攻撃。

 

……厄介な敵だ。

 

勝てるかは分からない。

少なくとも飛ばれれば追いかける事も出来ない。

 

それに、ウィンターソルジャーに関しては……惨敗している。

スーツを新調したと言えども、埋まる差ではない。

 

 

……厳しい。

 

 

だが、それを口にする事は出来ない。

パワーブローカーが好戦的な態度を取っているからだ。

 

それに、タスクマスターならば……と言う考えもある。

あの、ケンイチロウと言う男も、一方的に負けるような事はないだろう。

……いや、戦っている所を見た事はないから、完全に見た目で判断したが。

 

数では有利だ。

 

私、タスクマスター、ケンイチロウ。

ウィンターソルジャー、ファルコン。

 

三体二ならば、片方を二人がかりで倒し……最後に三人で囲えば良いだけの話だ。

 

……この考えに問題があるとすれば、彼等の他にマドリプールへ来ているヒーローが居ない前提だと言う事か。

 

 

「奴等は私を嗅ぎ回っているが……それで手を引くのは沽券に関わる」

 

 

パワーブローカーが話す。

 

 

「取引場所は変更したが、予定通り取引は行う」

 

 

……思わず顔を顰めそうになる。

だが、マスクを付けてない今、そんな顔は出来ない。

持ち前のポーカーフェイスを維持する。

 

 

「準備をしておけ、三時間後には出立する」

 

「うむ」

 

「了解した」

 

 

……タスクマスターは返事していない。

何ともマイペースな奴だ。

 

 

私はアタッシュケースの前に戻り、壊れたパーツを分解する。

 

……本当に良い装備とは、整備性も優れるものだ。

と、ティンカラーが言っていたな。

 

マニュアルを一通り読めば換装出来るのだから、このスーツは『本当に良い装備』なのだろう。

 

 

後ろでタスクマスターが、パワーブローカーに話しかけていた。

……意識をそちらに割く。

 

 

「まだ何を取引するのか聞いていない。武器か?」

 

「答える必要はないが……武器、と言えば武器になるな」

 

 

聞き耳を立てながらも作業は止めない。

 

 

「ハッキリしないな」

 

「……単体では武器にはならないんだ。ただ、使えば最強の兵器が作れる」

 

 

……ふと、手が止まる。

振り返りたくなる気持ちを抑える。

 

 

「どんな人間でも超人になれる……素晴らしい夢だと思わないか?」

 

「……痛みを伴わず、人は強くなれない」

 

「随分と古い考えなのだな、君は」

 

 

息を呑んだ。

 

 

「『超人血清』だよ、タスクマスター」

 

 

 

下唇を噛む。

 

 

「血清、か」

 

「どんな人間でも超人になれる……当たり外れはあるが、孤児や必要のない人間に使えば良い。君の好きな『痛み』だろう?」

 

 

分解したパーツが地面に転がる。

 

 

「……それは『痛み』ではない、『犠牲』だ」

 

「似たような物だ。優れた人間は愚者へ負担を押し付ける。それが社会と言う物だ」

 

 

……また、あの子供達のような存在が生まれるのか?

外の世界から隔離され、身も心も歪められ……最後は苦しんで死んだ。

何も幸せな事などない、地獄のような人生を送る無垢な子供を。

 

非道な行いだ。

 

最悪で、最低だ。

 

私は……それの、手伝いをしている?

 

また、あんな子供達を作るために、人を殺して……悪事を働いている?

 

 

考えたくない。

考えてしまう。

 

 

聞こえる。

生を渇望する怨嗟の声が聞こえる。

 

 

見える。

自身の血と吐瀉物に塗れた子供の手が見える。

 

 

死んだ子供達の手が縋る。

 

 

それは幻聴と幻覚だ。

だが、私は……確かな重みを感じていた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

ガチャガチャと音がして鍵が開いた。

 

中に入って来たのは……メルセデスだ。

 

手にはスープの入ったカップ。

中にはエビが入っている。

 

 

「ローラ、食事の用意をしたわ」

 

 

そう声を出しながら、ソファへ近付く。

 

 

「ちょっと、返事ぐらい──

 

 

回り込み……異常に気付いた。

誰も居ない。

 

即座に窓を見た。

 

鍵は付いていないが、開く事も出来ない固定窓。

 

唯一の出口は金属製の鍵付きのドア。

 

 

「……あーもう!本当にお転婆なんだから!」

 

 

彼女はスープを机に置いて、クローゼットを開いた。

 

勿論、誰も居ない。

 

見渡して、隠れられるような場所を探している。

 

 

私は、それを「上」から見ていた。

 

 

天井に突き刺していた爪を収納し、着地する。

 

僅かに木製の床が軋む音がして……即座にメルセデスが振り返った。

 

……流石、『S.H.I.E.L.D.』のエージェントだ。

注意深い。

 

だが、一手遅れた。

 

 

「ロッ──

 

「ごめん!行く所があるから!」

 

 

名前を呼ばれる前に、私は外へと飛び出した。

 

 

「ちょっと、待ちなさい!」

 

 

後ろから声が聞こえる。

だけど、立ち止まる事はない。

 

私にはやるべき事がある。

止まっている時間はない。

 

 

「スープ、冷めるじゃないの!」

 

 

……空いた小腹を撫でる。

最後に食事をしたのはコンテナに進入する前だし、大量に血を流して腹は減っているけど……。

 

それでも私は立ち止まらない。

 

 

行き交う人々の隙間を潜り抜ける。

 

 

マドリプールの下層(ロータウン)は乱雑な街だ。

様々な人種が入り混じった混沌そのもの。

 

安っぽい中華の店、非合法な薬の店、武器商人、怪しいネオンを煌めかせるバー。

様々な店が町を彩る。

 

廃墟の壁にカラフルな色をぶち撒けたような光景だ。

 

 

私はビルの間を抜けて、薄暗い道を歩く。

 

振り返る。

人の気配はない。

……メルセデスの追跡は逃れたようだ。

 

安心し、ため息を吐いて……周りを見渡す。

 

 

「……で、ここどこ?」

 

 

しかし、道が分からなくなっていた。

 

そもそも、マドリプールに来るのは今回が初めてだ。

 

父さんが経営?してるバーがあるらしいけど……詳しくは知らないし。

というか、あの野生の塊みたいな父でも経営者になれるってのが、この街のヤバさを物語ってると思う。

 

……耳が声を拾った。

 

 

成人男性、二人が言い争っている声だ。

 

 

……来た道に戻ってメルセデスに見つかるのも嫌だし、とにかく奥へ進む。

声の聞こえる方だ。

 

 

 

「携帯の通知音ぐらい切っておけ」

 

「そりゃ悪かったけど、そもそも作戦自体がダメだったんだって!」

 

「お前も賛成しただろうが」

 

「一時の気の迷いだった!そもそも誰だよ、スマイリング・タイガーって!」

 

 

言い争いは白熱してる。

 

 

「お前に似てる奴だ、写真を見るか?」

 

「あぁ、見せてもらう!これの何処が似て、似て……似てるな、俺に」

 

「だろう?」

 

「うん、まぁ……」

 

 

何だか喧嘩は終わったようだ。

角を曲がれば、喧嘩していた二人の男性が見えた。

 

白人の男性と、黒人の男性だ。

 

白人の男性はこのクソ暑いマドリプールの気温に反して、腕の先まで覆うジャケットを着ている。

レザー製のグローブまで装着している。

見てるだけで暑くなりそうだ。

 

黒人の男性はスーツ姿だが……ボロボロだ。

まるでギャングの抗争に巻き込まれたかのような擦り切れ具合だ。

 

……只者では無さそうだ。

私は気配を消して様子を伺う。

 

 

「これじゃニック・フューリーに文句を言われるぞ」

 

「まぁな」

 

 

……ニック・フューリー?

 

思わず、少し前に出てしまった。

 

 

直後、白人の男性がジャケットの……肩についているジッパーを切り離した。

袖が取れて……金属製の義手が姿を現した。

 

 

「……何者だ」

 

 

先程までの明るい態度を隠して、剣呑な眼差しを私の隠れている方向へ向けた。

 

……バレてる。

観念して私は表に出て行く。

 

 

「えーっと、はじめまして?ウィンター・ソルジャー」

 

 

この男の名前は知っている。

結構な有名人だからだ。

 

名前を呼ばれたからか、警戒を解かず私を睨む。

……黒人の男性の方は私の姿に驚いていた。

こっちは索敵能力が低いみたいだ。

 

 

「……俺はバッキーだ」

 

「あ、そう?じゃあ、はじめまして。バッキー……そっちは?」

 

「俺か?サム・ウィルソンだ」

 

 

サム……サム?

聞き覚えのある名前だ。

 

 

「ファルコン?」

 

「あー、まぁ……そう呼ばれているな」

 

 

頬を掻きながら、サムが頷いた。

 

なんだ、『アベンジャーズ』か。

それなら、ニック・フューリーの仲間だ。

警戒するだけ損した。

 

 

「私の名前はローラよ。貴方達の敵ではな──

 

「フューリー、逃走したローラ・キニーを発見した」

 

 

バッキーが耳元を抑えて、そう言った。

……よく見ると、小さなインカムが耳に掛かっていた。

 

 

「げっ」

 

 

そりゃそうだ。

『アベンジャーズ』と『S.H.I.E.L.D.』は協力関係にあるヒーローチームと組織だ。

バッキーに至っては『S.H.I.E.L.D.』のエージェントだって話だし。

 

私の顔を見て、サムが申し訳なさそうな顔をしている。

 

 

「あー、悪いな。お嬢ちゃん」

 

「一緒に来てもらうぞ」

 

 

バッキーが金属製の義手を伸ばして……私は一歩引いて避ける。

宙に手を空振ったバッキーが、ため息を吐いた。

 

 

「……はぁ、俺達は子供の癇癪に付き合っている暇はない」

 

「知ってるわよ」

 

「大人しくついて来て……保護させて貰えると嬉しいのだが」

 

「保護?お断りよ」

 

 

もう一歩引いて、手を交差させる。

アダマンチウム製の爪が伸びた。

 

 

「どうしても、会いたい奴がいるからね」

 

「会いたい奴だって?誰の事だ?」

 

 

サムが訝しんだ。

 

 

「レッドキャップよ」

 

 

その返答にバッキーが眉を顰めた。

 

 

「……諦めろ」

 

「嫌、だ」

 

 

私が舌を出すと、サムが苦笑した。

スーツが真っ二つに割れて、背中に二つの翼が現れた。

スーツの下には赤いコスチュームが隠れていたみたいだ。

 

ゴーグルを顔に付けて……あぁ、ニュース誌でよく見る『ファルコン』の姿だ。

 

戦闘態勢って訳ね。

 

サムが口を開いた。

 

 

「俺達みたいな独身には、ティーンエイジャーの相手は厳しいな」

 

「口を慎め、サム」

 

 

あまり仲が良くなさそうな二人に、私も苦笑する。

しかし……まずい。

 

私一人じゃ絶対に勝てな──

 

 

 

プルルル。

 

 

 

……気の抜ける着信音だ。

サムの方から聞こえて来た。

 

 

バッキーがサムを見る。

サムが私の様子を窺う。

 

 

……電話っぽいな。

さっきの喧嘩的に、これのせいでゴタゴタに巻き込まれたっぽいのに……まだ通知音を切っていないのか。

 

 

「えーっと……どうぞ?」

 

 

私が顎をしゃくると、サムが胸元の端末を取り出し、耳に当てた。

 

 

「おい、サラ……さっき俺は仕事中だって言ったよな?……だから、融資の話は──

 

 

気の抜けた私とバッキーは構えを解いた。

だが、バッキーの顔は厳しい表情のままだ。

 

 

「ローラ、お前はレッドキャップに会ってどうするつもりだ?」

 

「分からない」

 

「……分からない、だと?」

 

 

心底、不思議そうな顔で私を見た。

 

 

「えぇ、分からない。ここに来るまでは殺したかったけど……分からなくなった。だから、会って確かめたい」

 

「……何を言ってるんだ?」

 

「私も分からない……あれ?今、結構変なこと言ってる?私」

 

「……はぁ」

 

 

バッキーがため息を吐いた。

 

 

「サラ、だから待てって。いや、家族のことを蔑ろにする訳じゃ──

 

 

サムの声が路地裏に響いた。

 

 

「……まだ通話してる」

 

「緊張感がないんだ」

 

 

バッキーがサムを横目で見ながら答えた。

表情は幾分が柔らかくなった。

 

……が、元々人相が怖いのか、少し厳しい。

 

 

「……今から君を、安全な場所に連れて行くのは骨が折れる。時間もない。だから、付いてくるなら勝手にしろ」

 

「へー、話が分かるようで助かるわ」

 

「納得はしていない。合理的に判断しただけだ……それと、彼女を殺す事は許さない」

 

「分かったわ」

 

 

私は頷いた。

 

 

「サラぁ、分かった分かったって。じゃあな、また連絡するから……よし!待たせたな」

 

 

丁度、電話が終わったようで、サムがファイティングポーズを取った。

 

私とバッキーはお互いに顔を合わせた。

 

 

「……もう終わったぞ?」

 

「え?本気か?」

 

「本気だ。行くぞ」

 

 

私はバッキーの後ろを付いて歩く。

事態が飲み込めていないのか、サムが首を傾げながら慌てて歩き出した。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

薄暗い中で、目を瞑る。

 

マスクの中で呼吸を整える。

 

瞼の裏に、もう幻覚はない。

耳には、タイヤが地面を蹴る音しか聞こえない。

 

私はトラックの後部、荷室の中にいた。

椅子に座り……集中する。

 

もう、大丈夫だ。

 

 

目を開ければ、目前に真っ暗なモニターがある。

天井に付いている蛍光灯が薄らと光っていた。

 

 

 

現在、パワーブローカー……そして、護衛の私達は移動中だ。

取引先に向かって、上層(ハイタウン)下層(ロータウン)を繋ぐハイウェイを車で走っている。

 

そして、各々が別の車両に乗っている。

私はこのトラックの荷台だ。

 

何故、私は荷室の中で座っているのか。

それは──

 

 

モニターが光る。

『サウンドオンリー』の文字が見えた。

 

映像がないならモニターじゃなくて良いだろ、って突っ込みたくなるな。

 

スピーカーからパワーブローカーの声が聞こえた。

 

 

『何者かに追跡されている。最後尾の車両と連絡が取れない。行け』

 

『了解した』

 

 

荷室の後ろ、リヤドアが開く。

街の喧騒、車の走る音が耳に聞こえる。

 

座っている椅子ごとスライドし、外に滑り落ちる。

 

椅子……いや、モーターサイクルのタイヤが回転する。

 

そのまま加速して、乗っていたトラックと同速になる。

 

 

これはティンカラーの作った大型のバイクだ。

真っ黒なボディに赤いパーツで装飾されて、スーツ姿の私によく馴染む車両。

 

装甲は、戦車よりも強度が高い特殊合金。

重さは500キログラム以上。

そして、最高時速は350キロ。

 

正に、モンスターマシンだ。

 

 

……態々、私の為に用意したと言うのだから恐れ入る。

本人曰く、『趣味だ、ロマンだ』らしいが。

 

とにかく、こんな物騒なマシンを持っているから私はタスクマスターや、ケンイチロウとは別行動となったのだ。

 

 

私は速度を敢えて落として、後続へと迫る。

後ろを見れば……飛翔する物体。

 

赤いスーツに、銀色の翼。

 

 

『ファルコンか……』

 

 

私はマシンの側面を叩き、パーツを展開する。

そして中から、特注のサブマシンガンを手に取る。

 

更に速度を落とし、ファルコンへ接近する。

 

 

……私に気付いたようだ。

 

ファルコンの特殊な飛行装置。

アレはワカンダ製の超技術で作られたハイテク装備だ。

時速、400キロは出る。

 

前に行かれたら、追いつかない。

ならば、どうするか?

前に行かせなければ良い。

 

 

私は身を捻り、サブマシンガンを構える。

 

トリガーを引き、銃口から弾丸が放たれた。

空の薬莢が弾き出され、道路に落ちる音が聞こえる。

 

ファルコンは咄嗟にウィングを盾のように身を覆う。

弾丸はウィングを貫通する事なく、弾かれた。

 

……あの羽、ヴィブラニウム製か?

弾丸が少しも跳弾して居ない。

衝撃が殺されているようだ。

 

そのまま飛行能力を失って地面に落下する。

 

ウィングを下敷きにし火花を散らして道路を滑る。

私と距離が引き離されて行く。

 

 

『チッ!』

 

 

私は強く舌打ちした。

一見、有効打に見えるだろう。

だが実際は、完全な失敗だ。

 

 

初撃でダメージを与えられなかったのは不味い。

あのタイミングが最も有効なタイミングだった。

 

一度、警戒させて仕舞えば──

 

 

風を切る音が聞こえる。

ジェットの音も、だ。

 

 

私の頭上に、翼が見えた。

 

 

『ファルコン……!』

 

「上、失礼するぞ」

 

 

軽口を叩きながら、更に加速しようとしている。

 

人間、下を見るのは簡単だ。

だが、頭上に対する攻撃は難しい。

 

人は地面を見て歩くが、空を見て歩く事はしない。

 

 

私は再度、頭上にいるファルコンへ向けて、サブマシンガンを放つ。

 

 

「おっと、惜しいな」

 

 

急速旋回、バレルロール、様々な軌道で弾丸を避ける。

避けきれない物はウィングで叩き落としている。

 

凄まじい飛行技術……まるで曲芸だ。

 

 

……銃火器では有効打を与えられない。

 

 

ハンドル中心部のタッチパネルを弄り、自動操縦モードに切り替える。

 

そのまま、私は立ち上がり、車体に足を乗せて──

 

 

 

バイクを蹴り、飛び上がった。

 

 

 

「うわっ本気かよ!」

 

 

驚く声を無視し、ファルコンへ接近する。

そのまま避けようするが……手を伸ばし、足を掴んだ。

 

 

『この先には、行かせない』

 

「ホラー映画じゃないんだぞ……!」

 

 

ゆっくりと高度が落ちて行き、トラックの荷室の上に着地した。

 

私は落下の衝撃から転がり……後部の縁を掴んで止まる。

顔を上げれば、ファルコンは前部で同じように膝をついて居た。

 

 

飛ばれれば確実に逃げられる。

だが、飛ぼうとした瞬間、確実に隙が出来る。

狙いはその一瞬だ。

 

私の思考を読んだのか、ファルコンも警戒して行動しない。

 

 

「サム!」

 

 

声が横から聞こえた。

 

それと同時に、衝撃が来る。

だが、耐えられない訳ではない。

 

声の方向を見ると、大型のバイクに乗った男が居た。

 

……銀色の腕。

ヴィブラニウム製のサイバネティック・アーム。

 

 

『ウィンター・ソルジャーか』

 

 

手にはアサルトライフル……先程の衝撃はソレか。

 

一瞬、意識をそちらに向けてしまった。

 

一瞬だ。

だが、その一瞬の隙を突かれた。

 

ファルコンがトラックの縁から手を離し、ジェットを噴射した。

 

逃げられる。

そう、思った。

 

だが、実際は違う。

彼は前方に向けてジェットを噴射し、私へドロップキックを繰り出したのだ。

 

 

『チィッ!』

 

「女の子がちょっと口悪いぞ!」

 

 

女の子だと?

……いや、待て。

 

何故こいつらが私の性別を知っている?

どこまでだ?どこまで知っている!?

 

途端に不安になった私は混乱し……気付けば、そのまま宙に投げ出されていた。

 

慌てて、自身の足をファルコンの足に絡める。

 

 

「ちょっ、何を!」

 

 

抗議の声を上げるが、離すつもりはない。

そのまま走行するトラックの側面に貼り付く。

 

そして、手を貫手の形にして、荷室へ突き刺す。

腕を固定して足で掴んでいたファルコンを投げ飛ばした。

 

 

「うおっ!?」

 

 

先程と同じようにウィングで落下の衝撃を逃しているようだが、時間は稼げる。

その隙に荷台へ登ろうとして──

 

 

バイクの駆動音が耳に響いた。

 

ウィンター・ソルジャーだ。

アサルトライフルは私に向けられている。

 

まずい。

 

 

その瞬間、荷室の屋根が弾け飛んだ。

中から壊れたようだ。

 

……そうか、気付いていなかった。

この車両は……私と同じ、パワーブローカーの護衛……ケンイチロウの車両だ。

 

彼がどんな能力を持っているかは知らないが、少しは役に立つだろう。

 

 

そして、人型の『何か』が荷室の屋根に着地した。

 

 

それは、甲冑だった。

和風の甲冑を模したアーマースーツだ。

胸の中心には太陽の光を模した、赤い旭日のラインが刻まれている。

 

そして、その装甲は……銀色だ。

 

銀色の、侍だ。

 

 

『ふ、はは』

 

 

思わず、笑ってしまった。

 

 

彼があまりにも場違いだからか?

いや、違う。

 

期待外れだから?

いや、違う。

 

 

彼の実力を疑って居た私に、笑ったのだ。

 

 

その、銀色の侍には見覚えがあった。

 

 

そう、そうだ、ケンイチロウ。

ハラダ・ケンイチロウだ。

あぁ、私はよく知っている。

 

コミックにもよく登場する、著名な悪役(ヴィラン)だ。

銀色の甲冑を身に纏う、ミュータント・サムライ。

 

そう。

 

『シルバー・サムライ』が、そこに立って居たのだ。



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#78 クライ・フォー・ザ・ムーン part4

シルバー・サムライ。

 

本名、ハラダ・ケンイチロウ。

日本の『ヤクザ』の首領であり、そして凄腕の『用心棒』でもあり……日本で最も凶悪な『サムライ』だ。

 

更に、彼はX因子によって突然変異した人間……つまり、ミュータントだ。

ミュータントは生まれながらに、特殊な能力を持つ人種……

 

そして、シルバー・サムライの持つ特殊能力は──

 

 

 

マドリプールの高架道路を走るトラック……その荷室の上でシルバー・サムライが刀を上段に構えた。

刀身が赤く光り、何かが弾けるような音が響いた。

 

銀色の甲冑が擦れ、軋むような音が聞こえる。

 

 

瞬間、シルバー・サムライが荷室から飛び降り、バイクに乗ったウィンター・ソルジャーへ刀を叩き付けた。

 

 

「……ッ!」

 

 

咄嗟にウィンター・ソルジャーはバイクから飛び降り、護衛車両の屋根に着地した。

 

バイクはまるでゼリーにスプーンを入れたかのように、抵抗もなく真っ二つにされた。

 

 

これがシルバー・サムライの能力だ。

彼は特殊なエネルギーを物質に込める事が出来る。

エネルギーを蓄えた刀は『タキオン・フィールド』を形成し、ありとあらゆる物を切り裂く。

 

全ての攻撃が防御不能。

それがシルバー・サムライの強さだ。

 

 

だが。

 

シルバー・サムライが道路に着地した。

そのまま距離は引き離されて行く。

 

 

……え?

 

 

その姿が、少しずつ小さくなって行き──

 

 

直後、ウィンター・ソルジャーの背後にシルバー・サムライの姿が現れた。

 

 

『……何だ?』

 

 

一瞬、何起こっているのか分からなくて頭が混乱したが──

 

あぁ、テレポート・リングか。

彼の持つ装備の一つだ。

多少の制約はあるが、ありとあらゆる場所へ、瞬間移動できる。

 

 

つまり。

最強クラスの近距離戦闘能力を持つサムライが、瞬間移動で距離を無視して攻め込んでくる。

 

合理的、かつ反則的な戦闘能力なのだ。

 

 

「かぁッ!」

 

 

シルバー・サムライが刀を振るう。

横なぎに振るった一撃を、ウィンター・ソルジャーはサイバネティック・アームで防ごうとした。

 

しかし、タキオンフィールドを纏い赤く光る刀と接触した瞬間──

 

 

「……ッ!?」

 

 

ウィンター・ソルジャーは腕を滑らせて受け流した。

無理に回避行動を取った所為で、アームに一文字の傷が付いた。

それは、決して浅くはない。

 

シルバー・サムライが口を開いた。

 

 

「良い判断だ」

 

「…………」

 

 

火花が散り、ヴィブラニウムの破片が落ちる。

ウィンター・ソルジャーは苦悶の表情を浮かべていた。

 

彼は超人的な反射能力と、判断力で、タキオンフィールドを纏った刀が防御不能だと見抜いたのだ。

そして直接、防御する事は不可能だと即座に見切りを付け、受け流した。

 

どちらも、近接戦闘のセンスが抜群だ。

……私が入っても足手纏いになりそうだ。

 

私も……シルバー・サムライもチーム戦は不慣れだろう。

ここは任せるべきだ。

 

 

ならば、私がやるべき事は──

 

 

前方で、強烈な爆発音が聞こえた。

 

 

……パワーブローカーの乗る車両、その背後で爆発したようだ。

高架道路が分断され、瓦礫となって崩れ落ちる。

 

爆薬で高架の柱を破壊したのだろう。

数メートルに渡って……道路が落下した。

砕けたコンクリート片が下層(ロータウン)に降り注ぐ。

 

 

……このままでは護衛対象と離れてしまう。

恐らく、それが敵の狙いだろう。

 

 

私はマスクに搭載されている脳波コントローラーで、自身のバイクを呼び戻す。

誰も乗っていない大型の二輪車が、大きなモーター音を響かせて私に接近する。

そして、トラックと速度を合わせて並走を始めた。

 

トラックの側面から飛び移る。

車体が大きく揺れたが、足で道路を蹴り、無理矢理立て直す。

 

自動操縦を解除し、スイッチボックスにある赤いボタンを押し込む。

エンジン内に特殊なガスを送り込まれ──

 

爆発的な燃焼が起こり、急加速した。

即座に最高速度になった鉄の塊が、切り離された道路へと突っ込む。

 

私は、瓦礫が盛り上がっている場所に前輪を向けた。

時速400キロ弱で瓦礫に乗り上げ、そのまま宙へと飛び出した。

 

 

勿論、このバイクに飛行能力はない。

羽根なんてないし、無重力装置もない。

 

ただ勢いよく飛び出して、落下するだけだ。

 

だが、勢いは充分だった。

 

抜け落ちた道路を飛び越え、その先へと着地した。

 

 

サスペンションが歪み、大きな音が聞こえる。

道路を滑り、火花が散った。

 

目前にはカーブ。

このままの速度で突っ込めば、落下するだろう。

 

 

私は足を地面に引っ掛けて、倒れないようブレーキを掛ける。

身体とバイクを極限まで倒せば、肩が地面に擦った。

 

それは、アダマンチウム製のパーツだ。

接触しても傷はなく、コンクリートで出来た道路の表面が削れただけだ。

 

車体が滑り、急激に進行方向を曲げた。

ガードレールにぶつかり、歪む。

 

無理矢理車体を持ち直し、そのまま曲がり切る。

 

 

背後を見れば……護衛の車両は急停止している。

シルバー・サムライとウィンター・ソルジャーの戦い、その決着は付いていないようだ。

 

 

……気にしていても仕方がない。

そのままバイクを加速させて、本隊への合流を目指し──

 

 

一台の車両が合流車線から突入して来た。

少し古いが重厚な見た目をしたバイク……確か、ハーレー。

 

 

この高架道路は現在、パワーブローカーによって封鎖されている。

入口は私兵によって閉鎖され、実質的な独占状態だ。

 

だから、確実に敵だ。

 

 

いや……そんな事を考えなくても、一目見れば敵だと分かった。

 

バイクに乗っている人間だ。

 

青と呼ぶには濃すぎる紺色のコスチューム。

赤と白のストライプ。

背中に背負っているのは星条旗を模したシールド。

 

 

キャプテン・アメリカだ。

 

 

まだ彼は私に気付いては居ない。

そして、戦いは先手が有利だ。

 

 

私はアクセルを回しつつ、バイク側面にある武器庫を開く。

 

サブマシンガンは先程使ってしまった。

残っているのは……ショットガンだ。

 

私は固定具のボルトを破壊し、ショットガンを手に持つ。

 

右手はハンドルに。

左手はショットガンを。

 

前を走るキャプテン・アメリカに向けて構える。

 

 

直後、キャプテンがこちらへ視線を向けた。

 

……何故、気付いたのか。

勘、と呼ぶには鋭過ぎる。

 

彼の手が背中のシールドに伸び──

 

 

直後、私は発砲した。

ショットガンから破裂音が聞こえて、小さな金属の球体達がキャプテンへ迫る。

 

シールドを構えるのは間に合わないと考えたのか、身を捩り、バイクを倒して……背中に背負ったまま、シールドで防いだ。

弾をシールドが防いだ、と言うよりは弾にシールドを当てにいった、が正しいだろう。

 

凄まじい反射神経だ。

 

 

『チッ……!』

 

 

思うように行かず、舌打ちをしながら、ショットガンのトリガーガードへ指を掛ける。

そのまま、手の平をグリップから外し、勢いよくショットガンを振り上げる。

 

トリガーガードに掛けた指を軸に、ショットガンが回転する。

その勢いでレバー部分を前後させて、空になった薬莢を排出し……次弾を装填する。

 

レバーアクションのショットガンは片腕でリロードが可能だ。

それを考慮して、ティンカラーがバイクに武装を搭載する際に私が注文したのだ。

 

更に、連射可能な短機関銃(サブマシンガン)と、散弾が撃てる散弾銃(ショットガン)ならば狙いを定め難い車上でも有効だ。

 

 

しかし、私がリロードをしている間に、キャプテンもシールドを手に持ち直していた。

 

 

再度、ショットガンを構えた瞬間……キャプテンがシールドを投擲した。

だが、私に向かってではない。

 

マドリプールの暗い道路を照らす、街灯へ向けてだ。

街灯はへし折れて、私の前方でゆっくりと倒れてくる。

 

……横に倒れた街灯ぐらいでは、私の乗る大型バイクは止まらない。

だが、少し隙は出来る。

 

その隙に逃げられるのも、攻撃されるのも、好ましく無い。

 

再度、スイッチボックスを弄り、急加速する。

そして、急激にハンドルを切り、車体を倒す。

車体が横向きに滑りながら、倒れ来る街灯の下をくぐり抜けた。

そして、背後で蛍光灯が破裂する音が聞こえた。

 

手で地面を叩き、無理矢理立て直す。

アクセルを回し、遅れていた分を取り戻す。

 

私の乗っているバイクの方が、奴のバイクよりも遥かに速い。

直ぐにキャプテンの側面へ来た。

 

その距離は3メートル程だ。

 

徒手空拳では届かないだろう。

シールドは……街灯にぶつかった後、後方で回転しながら弾かれていた。

 

 

手に掴むには間に合わない。

取りに戻るには、もう遅い。

 

私はキャプテンの体へショットガンを向ける。

狙いを済ませ──

 

 

キャプテンが腕を宙に翳した。

 

 

……何をしているんだ?

 

 

そう思った瞬間、宙に飛んでいたシールドが腕へと吸い寄せられた。

そのまま手に取り、腕に装着した。

 

……物理法則を無視している。

恐らく、『S.H.I.E.L.D.』のハイテク装備だ。

 

前回はそんな装備は持っていなかった筈だ。

私だけではなく、彼も装備を強化していると言う訳だ。

 

予想外の出来事に驚いて、一手遅れてしまった。

 

盾はキャプテンの腕にある。

しかし、撃たない理由はない。

 

銃口を……少し、下げる。

シールドを持っているキャプテンに散弾では有効打にならないだろう。

 

ならば、狙うべきなのはキャプテンではなく、乗っているバイクだ。

 

私はそのまま引き金を引き、発砲した。

再び、炸裂音が響く。

 

咄嗟にキャプテンはシールドを回転させながら、道路に投げた。

まるでタイヤのように側面を地面につけて回転し、バイクと少しの間並走した。

 

バイクを狙った弾丸はシールドに防がれてしまった。

 

そして、地面にぶつかったシールドは再度、不可解な挙動で腕に戻った。

 

……理屈が分からない。

何だ、アレは。

 

再度、ショットガンをリロードをしようとトリガーから指を離し──

 

キャプテンの乗るバイクが接近して来る。

 

接近戦をするつもりだ。

そのままリロードは強行しつつ、こちらも車両を接近させる。

ステップから足を外し、蹴りを繰り出す。

 

シールドと足が衝突する。

双方、ヴィブラニウム製だ。

衝撃を吸収する特性を無視し、そのまま強く押し込む。

 

……私の乗っているバイクはティンカラーの使った特注品のモンスターマシンだ。

比べて、キャプテンが乗っているのは市販の正規品。

 

その差は大きい。

私の乗るマシンは微動だにしないが、彼の乗るハーレーは揺らいだ。

 

 

「くっ」

 

 

思わず声を出したキャプテンに、ほくそ笑む。

 

このまま車両を押し倒してやる。

 

私は再度、蹴りを放とうと足を引き寄せた。

 

だが、その瞬間。

バイクからキャプテンが飛び出した。

 

 

『なっ』

 

 

そのまま私の方へ飛び移り、脇を腕で挟んだ。

 

勢いを殺し切れず、私はバイクから振り落とされ……私は地面へと投げ出された。

 

咄嗟にキャプテンを蹴り飛ばしたが、時速数百キロで走る中、私は地面へ落ちる。

 

……集中する。

体のヴィブラニウム製パーツで覆われてる部分……地面に接触する瞬間、その部分で地面を叩く。

転がりながら、衝撃を複数回に分けて分散し……ヴィブラニウム製のパーツで吸収して行く。

 

最後に腕で地面を叩き、身体を弾き上げる。

 

 

……よし、無傷だ。

 

 

だが、ティンカラーの作ったバイクは……ガードレールをブチ破り、下層(ロータウン)へと落下していった。

 

 

あっ。

 

 

直後、下で爆発音が聞こえた。

 

 

……下を見るのが怖い。

ぶっ壊したと言ったら、ティンカラーがショックを受けそうだ。

別に組織の備品だから、私の懐は痛まないが。

それよりも、前方の護衛隊から切り離された事が問題だ。

 

 

意識を切り替える。

 

辺りを見渡せば……キャプテンは、ヴィブラニウム製のシールドで地面を滑っていた。

彼も無傷だ。

 

前方の車両、パワーブローカーの乗る車両は私達を置き去りにした。

後方は道路が落下しており、ここまで来れないだろう。

 

つまり、援軍は来ない。

 

 

完全に、一対一(タイマン)だ。

私は呼吸を整える。

 

キャプテンが立ち上がり、私へ顔を向けた。

 

 

「……君に、会いたかった」

 

 

キャプテンが、そんな言葉を私に掛けた。

 

……それを、私は鼻で笑った。

 

 

『フン、人気者(アイドル)になった覚えはないが?』

 

「あぁ、そうだな……君は別に、アイドルではないな……『特別』でもない」

 

 

私は太腿からナイフを取り出し、逆手に持つ。

 

 

『ならば、お前は凡人に殺されるのだな』

 

「殺されるつもりはない。罵るつもりはないんだ。ただ君は……特別ではない、普通の──

 

 

一歩、近付く。

 

まだ、キャプテンは盾を構えていない。

 

 

「普通の、女の子だろう?」

 

 

私は踏み込み、ナイフを振り下ろした。

それは腕に掴まれて、傷を与える事は叶わなかった。

 

 

『普通の女だと?私が?』

 

 

普通?

 

普通な訳があるか。

 

彼は私の事を何も知らない。

 

似非超人血清によって力を得た超人だと言う事も。

何人も殺して来た殺人犯だと言う事も。

前世を持つ、性別すら中途半端な人間だと言う事も。

ただ流されるままに非道を働き続け、それで妥協して生きている屑だと言う事も。

 

何も、何も分かっていない。

 

 

私はマスクの下で、キャプテンを睨み付ける。

 

 

「あぁ、そうだ。君は普通の女の子だ……ただ、不幸に蝕まれて……こうならざるを得なかった、普通の女の子だ」

 

 

……どこまで知っているかは分からない。

だが、キャプテンや……ファルコンだって、私の事を知っていた。

 

いや、知っている『つもり』のようだ。

 

 

『私は、悲劇のヒロインになった覚えはない』

 

 

ナイフを持つ腕を捻り、もう片方の腕を叩きつける。

……衝撃は入った筈だ。

 

 

「くっ」

 

 

だが、それでもキャプテンは身動ぎすらしなかった。

 

有効打にならなかった。

私は反撃を恐れて、一歩下がる。

 

……だが、反撃は来なかった。

私は訝しむ。

 

 

『……何故、攻撃して来ない』

 

 

蹴りを入れても、いなされるだけで反撃はして来ない。

明らかな隙を見せても、攻撃はして来ない。

 

……最初に、シールドを投擲した時。

彼は私ではなく、街灯を攻撃した。

 

それ以外でも……明確に、私を傷付けようとする攻撃はなかった。

 

 

「君は『守られるべき人間』だ。私は傷付けようなんて思ってもいない」

 

『馬鹿にしているのか……?』

 

 

実力差があるからと、見下しているのか?

 

……いや、違う。

 

彼は高潔な心の持ち主だ。

そんな事は考えない筈だ。

 

なら、何故だ?

 

何故、攻撃をするつもりすらないのに、私の前に立っているんだ?

 

 

「違うんだ。私はただ、君を『助けたい』だけだ……」

 

 

頭に、ハンマーで叩かれたような衝撃が走った。

殴られた訳じゃない。

ただ、それだけ衝撃だったのだ。

 

『助ける』?

 

誰を?

 

……私を?

 

 

思わず、頬が吊り上がる。

 

 

『フフ、正気か?』

 

 

思わず嘲笑ってしまった。

 

キャプテンが驚いたような顔をしている。

尚更、可笑しく感じてしまう。

 

 

『そんな話は……10年以上前にするべきだった。遅い……遅過ぎだ』

 

 

今まで殺して来た屍から目を背けて、自分だけ自由になれるのか?

それは、許される行為なのか?

 

答えは否だ。

 

 

私は再びナイフを叩きつける。

シールドに弾かれて、音が鳴った。

 

 

「そんな事はない……君は──

 

『いいや、何も分かってない……私はもう、お前の言う『守られるべき人間』ではない』

 

 

もう、助けて貰おうなんて、私は考えてなど居ない。

 

昔は……そう、私がまだ訓練所にいた頃は……誰かに助けて欲しいと考えていた時もある。

だが、結局……誰も助けなど来なかった。

 

待っても、待っても、待っても、待っても……。

 

私と共に連れて来られた隣人は、過酷な訓練に耐え切れず精神に異常をきたした。

そして、組織はそんな『お荷物』を抱えていられるほど優しい場所ではない。

彼は人殺しの練習にと、肉袋としてサンドバッグになったのだ。

 

殺したのは誰か?

無防備な彼を痛め付けたのは誰だ?

私だ。

 

組織の期待を裏切れば、死ぬ。

それをよく知っていた私は、迷いもせず『仕方のない事』だと言い訳し、殺した。

 

 

『今の私は──

 

 

昔から、ずっとそうだ。

 

 

私は巨悪に抗えるほど、強くはない。

人の命を無感情に奪えるほど、覚悟もない。

だが、他人を思いやれるほど、優しくもない。

 

ヒーローにはなれない。

ヴィランにもなり切れない。

 

男でもない。

女でもない。

 

ミシェル・ジェーンと言う名前も本名ではない。

 

何にも、なれない。

 

 

だから──

 

 

今の私を指し示す言葉は、一つだけだ。

 

 

 

『ただの、人殺し(レッドキャップ)だ』

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

ナイフが目前に迫る。

一歩引いて、私はシールドで弾く。

 

私が攻撃をしないと理解してからか、攻めは苛烈になるばかりだ。

反撃を恐れず、一心不乱に私を攻撃して来る。

 

……だが、後悔はない。

 

私は彼女と……戦いに来たのでは無いからだ。

 

 

それでも、一つだけ……気づく事があった。

 

 

彼女は以前、見た時と装備が違う。

より、優れた性能の装備で身を固めているのだろう。

 

 

 

なのに──

 

 

 

 

明らかに──

 

 

 

 

 

以前より、弱くなっていた。

 

 

 

 

 

迫りくる攻撃には、振り切る力が篭っていない。

敢えて急所に隙を見せても、攻撃して来ない。

 

顔は狙わず、腕や胴、足ばかりを攻撃する。

 

恐らく、彼女は気付いていない。

 

それは罪悪感か……彼女に残っている善性か。

 

どちらかは分からない。

 

 

ただ、以前出会った時から……何か心境の変化があったのだろう。

 

攻撃を防ぎながら、呼び掛ける。

 

 

「私達には君を保護する用意が出来ている!後は君次第だ!」

 

『そんな戯言を信じられると思うか……!?』

 

 

肘が私の腹に突き刺さる。

……鈍い痛みが走る。

 

内臓にダメージが入ったのだろう。

 

 

「信じてくれ……!」

 

『……例え、お前がそうだったとしても!他の奴らがどう思うかは……まだ、分からない!』

 

 

ナイフの腹を掴む。

手の平が切れて、血が滲む。

 

 

『私は今まで『S.H.I.E.L.D.』とだって戦って来た!お前達の仲間を何人も……両手で数えられる以上に殺した!恨む人間が居る筈だ!』

 

 

回し蹴りが迫る。

シールドで防ぎ、ナイフを持つ手を捻る。

 

そして、そのまま奪い取る。

……ナイフの刃は私の血が滲んでいた。

 

 

「私が説得する……!」

 

『人の恨みを甘く考えるな、キャプテン!他人はお前のように高潔ではない!』

 

 

こちらに向かって徒手空拳で突っ込んでくる。

私はナイフを地面に投げ捨て、身構える。

 

彼女は足を強く踏み切り、片足を振り上げた。

 

……下ではなく、上からか!

シールドを上方に構えて、踵落としを防ぐ。

 

 

「何があろうと、君を守ってみせる!だから──

 

『白馬の王子様のつもりか?現実を、見ろ……!』

 

 

強く力が篭る。

 

 

「君は……その場所に、ただ立ち止まっている方が楽なのかも知れない!君に取っては……だが!」

 

『まだ、喋るか……!』

 

 

シールドで足を弾けば、距離が開いた。

 

 

「罪悪感を感じているのだろう……?自身に罪があって、幸せにはなってはならないと。君は……そう思っている訳だ」

 

『……黙れ』

 

 

身を震わせながらも、レッドキャップは接近して来ない。

 

 

「だから、自分を傷付ける環境に身を置いて、己の心を守っているんだ。罪悪感の捌け口にしている」

 

『説教を聞きたい訳ではない!』

 

「聞くんだ、聞く必要がある……!」

 

 

舌打ちをして、彼女は足元にあったショットガンのグリップを踏み付けた。

反動で跳ね上がり、手に収まった。

 

 

『私を卑怯者だと、そう罵りたいのか……?』

 

「違う。楽な道を選んでしまうのは『普通』の事だ。君は、『普通』の……守られるべき人間なんだ」

 

『……今すぐ、その減らず口を叩けなくしてやる』

 

 

ショットガンを私へ向けた。

シールドは構えない。

 

敵対する意思は見せたく無い。

 

 

「だが、そんな楽な道が……君に取って良い道とは限らない。だから、選んで欲しいんだ。罪と向き合う道を──

 

 

引き金が、引かれた。

 

 

 

銃口から煙が漏れた。

 

 

炸裂音。

 

 

そしてコンクリートが破砕する音。

 

 

しかし、私には命中していない。

私の足元に着弾していた。

 

ひび割れたコンクリートが目に映った。

 

 

『……何?何故、外れた?』

 

 

彼女自身も分かっていないようだ。

ただ、無意識に……無抵抗な人間を殺したく無いと、そう思ったのだろう。

 

……いや、それは私の希望的な予想か。

 

一歩、踏み込む。

彼女が身構えた。

 

私は安心させるべく、穏やかな声を掛ける。

 

 

「……共に来て欲しい」

 

 

手を差し伸べる。

彼女は、私の手を少し眺めて……一歩引いた。

 

 

『無理だ……私は、組織を裏切れない……!』

 

「大丈夫だ。追手からだって、私達が──

 

『違う!』

 

 

機械音声に変換された声に、感情が乗っていた。

それは葛藤……苦悶、そして諦めだ。

彼女は……震えていた。

 

手を自身の胸に当てて、言葉を紡ぐ。

 

 

『私の、胸には爆──

 

 

絞るような声が聞こえて──

 

 

「そこまでにして貰おう」

 

 

直後、頭上から剣を持った何者かが現れた。

 

 

「っ!?」

 

 

驚きながらも、私はシールドで剣を弾く。

……剣は橙色の光を発していた。

 

ドクロのマスク、盾に刻まれたTの文字。

白いフード……見覚えがある。

 

 

「タスクマスターか!」

 

「ご名答だ、スティーブ・ロジャース」

 

 

再び剣とシールドがぶつかり、私達は弾かれた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

「それ以上の発言は、お前の立場を危うくするぞ」

 

 

私の目前に、タスクマスターの背中があった。

 

 

『タ、タスク、マスター……?』

 

 

拙い。

どこまで聞かれていた?

言い逃れ出来ない内容だった。

 

キャプテンの言動に動揺して、口に出してしまった。

恐る恐る、タスクマスターへと目を向ける。

 

 

「教官と呼べ」

 

『……教官、どこまで話を聞いて──

 

「知らん」

 

 

バッサリと言葉で両断された。

 

 

「ただ、無闇に己を蔑むのは止めろ。リスクを無理に渡る必要はない」

 

 

指で、私の後ろ……彼が乗って来たであろうバイクを指差した。

 

 

「話は聞かなかった事にしてやる。失態はその身で返せ……そして、先に行け」

 

『……すまない、助かる』

 

 

私はキャプテンに背を向けて、走り出した。

 

 

「待ってくれ!君は──

 

「貴様の相手は私だ」

 

 

私を追おうとして、キャプテンがタスクマスターに弾き飛ばされた。

 

 

「くっ!邪魔を、するな!」

 

「それは無理な話だな」

 

 

タスクマスターなら、一方的に負けるという事はないだろう。

 

私は彼の乗って来たバイクに跨り、走り出す。

後方で彼等が戦う音が聞こえた。

 

私を呼ぶ声が聞こえる。

だが、それは直ぐに風を切る音に掻き消された。

 

 

 

そして。

 

頭上で風を切る音が聞こえた。

 

 

……ファルコンだ。

 

 

私を無視して、そのまま前方へと加速した。

パワーブローカーの元へ向かうつもりだ。

 

……乗っているバイクは、先程まで乗っていたティンカラー製ではない。

速度が遥かに劣る。

 

思わず舌打ちをしそうになりながらも、本隊への合流を急ぐ。

 

 

……先程の、キャプテンの言葉が脳裏に焼き付いて離れない。

 

『助けて』と言えば助けてくれるのだろうか?

ヒーローは私を守ってくれるのだろうか?

 

……いや、考えない方が良い。

何も恐れることがない人生など、夢や幻だ。

私の手には落ちて来ない。

 

ナイフで臓物を刻んだ手に、幸せの青い鳥は来るのだろうか?

来る訳がない。

 

私の胸に占めるのは、諦めだけだ。

 

キャプテン……か。

彼には私を救えない。

救われたいとも思わない。

 

だから、この話は終わりだ。

終わりなんだ。

 

なのに、どうしてか。

 

仄かに、幸せを望んでしまうのは。

友人に囲まれて、バカな話をして、遊びに行って、恋をして。

そんな物は手に入らない筈だ。

手に入れてはならない、筈だ。

 

ミシェル・ジェーンが幸せに生きていられるのは、誰も私の正体を知らないからだ。

アレは薄氷の上になり立っている白昼夢でしかない。

 

きっと、グウェンも、ハリーも、ネッドも……ピーターだって、私がこんな人間だと知ったら幻滅する。

嫌いになる。

 

何故、騙したのかと怒る筈だ。

 

……呼吸が乱れる。

 

 

嫌だ。

嫌われたくない。

 

……ピーターに、罵られたら……きっと、私はもう立ち直れない。

 

死んでも良い。

彼と会えなくなっても良い。

 

だけど、嫌われたくない。

 

だから、私は動けない。

決断出来ない。

 

中途半端な幸せは、私を縛る枷になっていた。

 

このままで良い。

私は、ずっとこのままで良い。

何もしない。

 

ただ、流されて生きていたい。

 

 

頭の中に掛かる靄を振り払いたくて、私はアクセルを強く回した。



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#79 クライ・フォー・ザ・ムーン part5

マドリプールの高架道路を疾走する。

風を切り、排気ガスで光を遮られた街を走る。

アクセルを回せば、私の乗るバイクが加速した。

 

目前にパワーブローカーの乗る車両が見えた。

他の車両に比べて仰々しい、装甲が貼り付けられた車だ。

 

その車両の上をファルコンが飛んでいた。

 

 

まるで、川に浮かぶ魚に狙いを定める(トビ)……いや、奴は(ファルコン)か。

 

……私の手に武器はない。

サブマシンガンも、ショットガンも置いて来てしまった。

 

パワーブローカーを護衛する車両、その後部座席の窓が開き……アサルトライフルの銃口が見えた。

 

瞬間、上空に浮かぶファルコンへ一斉射撃が放たれた。

彼は羽根で身を覆い、回転した。

 

弾丸をヴィブラニウム製の羽根で防ぎ、弾く。

弾頭が潰れた弾丸が落下し、金属音が響いた。

そして、彼は再度羽を広げて高度を上げる。

 

だが、それだけでは終わらない。

 

腕の端末を操作すると、バックパックの中心部が分離した。

それは鳥のような形状をしたドローン……『レッドウィング』だ。

 

分離したレッドウィングは急降下し、護衛車両と並走し出した。

直後、下部が展開し……レーザーのような物が放たれた。

それは高熱を帯びた光となり、タイヤを焼き切る。

破裂するような音がして、黒い煙が見えた。

 

 

『……チッ』

 

 

足を失った護衛車両はコントロールを失い、道路を滑った。

そのまま速度を急激に落として行く。

すれ違いざま、助手席から伸びている銃口へ私は手を伸ばした。

 

 

『そいつを寄越せ』

 

 

声を掛ければ理解したようで、アサルトライフルが窓から投げ出された。

宙に飛んだアサルトライフルを掴み、握りなおす。

 

急停止した車両をそのまま追い越し、ファルコンへと接近する。

そして、銃口を上に向ける。

 

単発で数発発射した。

 

回避行動を取られて避けられるが、それは問題ない。

ファルコンと車両の間隔が開いたからだ。

 

 

業腹だが、私の仕事はパワーブローカーを守る事だ。

 

奴に有効打は与えられなくとも……目的を遂行させなければ、それで良い。

 

 

目前にトンネルが迫る。

トンネルを抜ければ目的地である取引場所……下層(ロータウン)に着く。

 

それまでに、奴は決着を付けたい筈だ。

 

ファルコンが身体を傾けて、高度を下げる。

このまま進めば、トンネルに衝突してしまうからだろう。

 

だが、高度が下がるのであれば……有効打を与えられる可能性が出てくる。

 

アサルトライフルの残弾は、僅か。

予備の弾倉なんて持っていない。

 

 

そして、トンネルの入り口を潜った。

ファルコンも同様に続いて来る。

 

 

薄暗い中、橙色の光だけが照らしてくれる。

普通の人間ならば、視界は悪いだろう。

 

だが、私には問題ない。

マスクの暗視機能が起動される。

それに、超人血清によって視力も強化されている。

何も問題はない。

 

しかし……ファルコンの付けているゴーグルも、恐らく暗視機能がある筈だ。

 

困るのはパワーブローカーの護衛達ぐらいか。

先程までは攻撃の機会を窺っていたようだが、暗闇での同士討ちを恐れてか……銃口は車両の中に収まった。

 

彼等はパワーブローカーの雇った私兵だ。

軍人でもない、エージェントでもない。

ならば、練度の低さは仕方のない事かも知れない。

 

暗闇でファルコンのバックパックから吹き出した炎が輝いた。

トンネルの中で噴射音と燃焼する音が響く。

 

真っ直ぐ、加速する。

 

 

ここで決めるつもりだ。

 

……タスクマスターが乗って来たバイクでは、間に合わない。

速度の関係上、追い付くのには時間が掛かる。

 

そう考えると……ティンカラー製のマシンは、非常に優秀だったと再認識した。

だが、今ここに無い物を求めても仕方ない。

 

護衛車両の隙間を抜けて、限界まで速度を出す。

 

……間に合わない。

攻撃して止めるしかない。

 

だが……この距離で発砲しても先程の護衛の時と同様に、ファルコンは羽根で防ぐだけだ。

 

私は、アサルトライフルを前方の……蛍光灯へ向けた。

 

引き金を引いて、発砲する。

破裂音がして、割れたガラス片がファルコンへ迫る。

範囲攻撃……回避は困難だ。

弾丸一発よりも、こちらの方が有効だろう。

 

このまま命中すれば少しは傷が付く、そう思った。

防御行動を取れば、それだけ離れる。

どちらでも良い。

 

だが、ファルコンは高度を下げながら前面へ羽を展開した。

羽で砕けたガラスを防ぎながら、そのまま落下する。

そして、パワーブローカーの乗る車両の上に着地した。

 

 

『小賢しい真似を……!』

 

 

咄嗟にバイクを踏み台にして、別の護衛車両に飛び乗った。

乗った瞬間、護衛車両が左右にブレた。

 

屋根に衝撃が走り、驚いたか。

 

 

ファルコンへ視線を向ける。

あちらも私を見ている。

警戒されているようだ。

 

私は銃口をファルコンへ向けて──

 

 

その瞬間、視界の隅にレッドウィングが見えた。

 

咄嗟に、そちらへ銃口を向ける。

だが、それは囮だった。

 

ファルコン自身が飛翔し、私へと迫って来ていた。

そのまま私の腕を掴み、宙へ投げ飛ばそうとした。

 

 

『くっ……!』

 

 

もう片方の腕で、ファルコンの腕を掴み返す。

空中に足が投げ出されるが、そのままファルコンへしがみ付く……だが、勢いは殺せず、壁にぶつかって弾かれる。

投げ出される事は防いだが……かなりの速度で壁に叩きつけられた。

 

ヴィブラニウムによって衝撃は減少する。

ダメージも殆どない。

 

だがしかし、アサルトライフルは道路へと落下した。

砕けた音と共に、壊れた銃器は後方へと置き去りになる。

 

私は壁を蹴り、宙を飛ぶファルコンに蹴りを繰り出した。

 

 

「おっと、足癖が悪いぞ」

 

 

咄嗟に軸回転……バレルロールされて、私はバランスを崩した。

遠心力に従って、私の体はファルコンから引き剥がされそうになる。

 

 

『ぐ、うっ』

 

 

咄嗟にアームに搭載されているクローフックを射出し、護衛車両の屋根に突き刺す。

 

このまま腕を回してワイヤーを巻き取る。

このまま、引きずり下ろしてやる。

 

 

「なんて馬鹿力だ……!」

 

 

地上戦では勝ち目がないと悟っているのだろう、私に向けて蹴りを放った。

だが、無視する。

ヴィブラニウム製のアーマーを貫通する攻撃力はない。

 

ファルコンは特殊な飛行スーツを着用する、凄まじい技能を持ったヒーローだ。

だが、身体能力は一般的な軍人の域を超えない。

私の着るアーマースーツを貫通させる攻撃手段は殆どない。

 

ヴィブラニウム製の鋭い羽ぐらいだ。

だが、羽は飛行に使われている。

 

つまり、飛行中のファルコンでは私に有効打を与えられないのだ。

 

しかし、その瞬間、風を切る音が聞こえた。

レッドウィングだ。

そのまま、通り過ぎる瞬間……その羽根でワイヤーを断ち切った。

 

 

『チッ!』

 

 

ワイヤーは特殊繊維だ。

安易に切断する事は出来ない、筈だった。

 

だが、レッドウィング……アレはヴィブラニウム製のようだ。

刃物のように鋭く研がれたヴィブラニウム製の羽根ならば、切断されても仕方がない。

 

また高度が上がり、私は天井スレスレまで持ち上げられた。

 

 

「このままランデブーと洒落込むか?」

 

『誰が貴様と──

 

 

そのままバックパックのジェットを稼働させて、身を捩り、宙返りをした。

 

トンネルの天井に叩きつけられ、金属の天板が砕けた。

蛍光灯が割れ、視界が明滅する。

 

 

『うぐっ』

 

 

ヴィブラニウムに衝撃は吸収されるが、三半規管にダメージが入る。

今、地面がどこにあるかも分からない。

 

ファルコンはよくもこんな……上下左右に動いて回って、目が回らないのか。

 

強烈なGに身を軋ませながら、再度壁にぶつかった。

押し込まれながら、ジェットは最大噴出されている。

 

ガリガリと大きな音を立てて、壁を削りながら引き摺り回される。

 

 

「抵抗しないなら、こんな事もしなくて済むんだが……」

 

 

コンクリートの破砕音がする中、ファルコンの声が聞こえる。

 

 

『任務は、遂行、しなければ……』

 

 

任務の失敗。

それは忠誠を疑われる事になる。

だから、死なないために……私が出来るのは敵と戦う事だ。

 

 

「もうちょっと気楽に生きた方が楽だぞ」

 

 

気楽、に……?

 

 

『黙れ……!』

 

 

私は壁に押し付けられながら、腕をファルコンに伸ばす。

そのまま、振り上げて……叩き付けた。

 

 

「いっ!?」

 

 

金属同士が接触する音がして、ファルコンが弾かれる。

……チッ、羽だけではなく、スーツのプロテクター部分もヴィブラニウム製か。

 

関節部を狙うべきだった……と、後悔してももう遅いが。

 

コンクリートに穴が空くほどの力で殴ったが、スーツに傷はない。

 

だが、確実にプロテクターの下……肉体に衝撃は入ったようだ。

ファルコンは宙をフラついて、パワーブローカーの乗る車両の屋根へ墜落した。

私も同様に、だ。

 

狭い屋根の上で、私はファルコンと向き合う。

 

 

「つぅっ……一歩間違えたら落ちているぞ、お嬢さん」

 

『舐めた口を利くな……羽を毟り取って、屠殺してやる』

 

「おっと、そりゃ怖いな……!」

 

 

私は不安定な足場の中、ファルコンへ一歩踏み出し──

 

 

「そらっ!」

 

 

ファルコンの羽根が屋根へ突き刺さった。

 

拙い。

 

奴の勝利条件は私を倒す事では無い。

目標(ターゲット)であるパワーブローカーを連れ去る事だ。

 

人質にでも取られれば手出しもできない。

私の負けだ。

 

 

『面倒な……』

 

 

……前面は羽根で防がれている。

私は車両の縁に手を掛けて、側面に移る。

そのままリアドアの取手へ手を掛ける。

 

鍵が閉まっている。

当然だ。

 

無理矢理、全力で引っ張ってドアを引きちぎる。

そのまま後部座席へ滑り込んだ。

 

パワーブローカーを至近距離で護衛する為だ。

 

 

だが。

 

 

 

『……居ない?』

 

 

パワーブローカーは居なかった。

一瞬、既にファルコンによって連れ去られてしまったのかと疑ったが……羽によってこじ開けられた屋根から、ファルコンは困惑気味に視線を下ろしていた。

 

いつから居なかった……?

 

どのタイミングで連れ去られ──

 

 

いや、違う。

 

 

最初から、居なかった……?

 

 

まさか──

 

 

あの、クソ野郎──

 

 

「囮か……!?」

 

 

ファルコンが、声を荒らげた。

 

 

直後、車の速度が急激に落ちる。

ファルコンが車から投げ出される。

 

 

「くっ……!」

 

 

だが、ヴィブラニウム製の羽をクッションのように使い、衝撃を殺していた。

ダメージは無い。

 

直後、護衛車両が前方を塞ぐように停まった。

後方の車両も、後ろを塞ぐ。

 

……パワーブローカーが居ないのならば、護衛隊が取引場所に行く必要はない。

彼等はここで足止めをするつもりだ。

 

だが、彼は飛行能力を持っている。

そして、銃火器程度では止まらない。

悪手だ。

 

護衛達が車から降りる。

……その手に武器はない。

 

 

「何だ……?」

 

 

ファルコンが困惑しつつ、護衛達と私を見比べる。

 

……驚いたような様子をしないよう努める。

まるで計画通りかのような態度をする。

 

車を降りた護衛達は……何故か、思い詰めたような顔をしている。

あれは戦おうと言う顔ではない。

 

……知っている。

仕事柄、よく見る表情だ。

アレは、死が直前に迫り、諦めたような顔だ。

 

何故、そんな顔をするのか分からない。

 

……護衛達が腕時計を触った。

全員、同じ腕時計だ。

 

だから、気付いた。

見た目は腕時計だが、何か……そう、パワーブローカーの用意した装備だと理解した。

 

 

瞬間、護衛達は身を捩った。

苦しそうな声をあげて……身体が膨張する。

 

 

「は……!?」

 

 

思わず、私も声をあげそうになったが……何とか持ち堪えた。

 

そのまま護衛達は姿形が変わっていく。

身体が緑色に変色し……人型のトカゲに形を変えた。

だが、肌は爬虫類ではなく、まるで植物のような見た目をしていた。

 

 

……なん、だ?

 

何が起こった?

 

 

まるで、出来の悪いB級のホラー映画みたいだ。

 

 

ガラスのような目玉が一斉にファルコンへと集まる。

そして、護衛……いや、バケモノ達がファルコンへと襲いかかった。

 

 

「なっ、マジかよ……!?」

 

 

私は驚いて、一歩下がった。

彼等の口から堪える涎に、忌避感を覚えたからだ。

 

そして、彼等は鋭い爪で、一心不乱に、奇声を上げて……ファルコンへと迫る。

 

 

「うお、おっ!?」

 

 

ファルコンが身を回転させて羽で叩いた。

元護衛達は衝撃を吸収しきれず、地面に転がる。

それでも多勢に無勢だ。

 

一人を吹き飛ばしても、次の一人が攻めてくる。

休まる事はなく、殺到していた。

 

 

その様子を……私は呆然と見ていた。

 

 

明らかに正気を失ってる。

肉体も……人間だった頃の面影はない。

 

……彼等は、人に戻れるのだろうか?

 

いや、戻れるなら、変身前……あんな顔はしていなかった筈だ。

何らかの弱みを握られて、脅されて、無理矢理使わされているのだろう。

 

パワーブローカーならやりかねない。

奴は非道な男だ。

 

 

だが、責任の一端は私にもある。

……何も抵抗せず、従って来た私の──

 

 

目を逸らす。

罪を、直視出来ない。

私はこの醜悪な行為に加担している……嫌悪出来るような立場ですらない。

 

 

ファルコンはこんな姿になった護衛達も殺そうとせず、羽で切断したり突き刺したりもせず叩いて無力化している。

 

だが、数が多い……負けないにせよ、時間が掛かるだろう。

 

私は隠れて、その場を離れる。

 

……ファルコンが気付き、声を荒らげた。

 

 

「お、い!待て!これが、本当に正しいと思うのか!?」

 

 

返事もせずに距離を取る。

止められた車を一つ、拝借する。

 

 

「こんな事をする奴を守る意味なんてあるのかよ……!?」

 

 

耳に聞こえる声を無視して、アクセルを踏み込む。

ファルコンを置き去りにして、加速する。

 

 

パワーブローカーが居る筈の、取引場所に向かうためだ。

私は彼を守らなければならない。

 

……いや、違う。

本来ならば、その場に残り……ファルコンを始末するべきだった。

 

だが、それすら出来なかった。

頭の片隅に選択肢としてはあった。

……しかし、選択出来なかった。

 

私は……その場を離れたかった。

幾つか理由を探して、この場所から離れたかっただけだ。

 

私が加担している非道から、目を逸らしたかっただけだ。

 

 

私は……卑怯者だ。

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

マドリプール、下層(ロータウン)

大量のコンテナが並ぶ場所に場違いな人間がいた。

仕立ての良い黒いビジネススーツを着た男だ。

……しかし、それ以上に特筆すべき所がある。

 

肌が紫色である事、目が発光している事。

 

人間離れした姿……間違いない、パワーブローカーだ。

私は息を殺し、上層階のコンテナ、その裏に隠れる。

 

……パワーブローカーは一人で来ていた。

護衛も居ない。

 

アタッシュケースを一つだけ持っている。

武器すら無い。

 

 

別の人間が一人、その場に近付く。

 

 

「初めまして、パワーブローカー。お会い出来て光栄だわ」

 

 

スーツを着た女性。

今回の取引相手……として、偽装したエージェントだ。

名前は、シャロン。

シャロン・カーターだ。

 

彼女自身は腕の良いエージェントだ。

表舞台に立つ機会は少なく、今回のような作戦では適任と言える。

 

 

「……ふむ?」

 

 

 

しかし、取引相手が来たと言うのにパワーブローカーの顔は浮かばない。

手を顎に置き、思案する。

 

そして。

 

 

「あぁ、なるほど……」

 

 

勝手に何かを納得したようで、頷いた。

 

 

そして……辺りを見渡し……私の居る方角で止まった。

その視線は、私が隠れている場所へ向けられている。

 

偶々か、気の所為か?

 

……いや、違う。

 

私を見ている。

だが、その顔は穏やかだ。

 

まるで昼下がりに散歩をしているかのような、恐るべき事は無いとでも言いたいような憎らしい顔だ。

 

無視されたシャロンが口を開いた。

 

 

「あの、パワーブ──

 

「あぁ、良いんだ。君は……どうでも良い」

 

 

手で言葉を遮り、身体を私に向けた。

 

 

「出てきたまえ……ニック・フューリー」

 

 

……名前までバレているのなら、仕方がない。

私はコートの内側から拳銃を抜き出し、それを隠しながら姿を見せた。

 

 

「改めて挨拶をしようか?パワーブローカー」

 

「いや、構わない……お前の事はよく知っている」

 

「ほう、それは光栄だ」

 

 

小馬鹿にするような態度に眉を顰める。

不快だが……怒りはしない。

 

怒りは行動を鈍らせる。

冷静に思考を巡らせた。

 

私は腕を隠しながら端末を弄り、隠れている他のエージェントへ指示を出す。

包囲して居たエージェントが攻撃準備をする。

だが、姿は見せない。

 

いつでも、不審な行動をしたら攻撃出来る様に……十に近い銃口がパワーブローカーへ向けられた。

 

 

「フン、随分と数を用意したな?……おっと、ブラックウィドウまで居るな。数だけではない、質も良い」

 

 

内心、驚く。

 

どうやって我々の居場所と、姿を暴いているのかは分からない。

だが、これほど危機的な状況である筈なのに、この余裕はなんだ?

 

そう訝しんでいると、パワーブローカーが嘲笑った。

 

 

「さて、ニック・フューリー……何故、ここに私の護衛が居ないか分かるか?」

 

 

それは我々が足止めをしたからだ。

 

シルバーサムライ、タスクマスター、レッドキャップ。

彼等を止めるために主力を割いた。

 

そして狙い通り、彼は分断された。

その筈だ。

 

 

「分からないようだから、教えてやろう」

 

 

パワーブローカーが手を、シャロンへと向けた。

頭の中が冷えて行く。

何かは分からないが、『拙い』。

 

シャロンが警戒しながら、一歩引いた。

いや、だがそれではダメだ。

 

恐らく、奴は──

 

 

「シャロン!直ぐに離れ──

 

「そもそも護衛など、必要無いからだ」

 

 

手から青いスパークが放たれ、シャロンを吹き飛ばした。

コンテナがひしゃげ、その身体がめり込んでいた。

 

……少なくとも打撲、骨折。

悪くて内臓破裂だ。

 

即座にエージェントが飛び出して、銃口をパワーブローカーへと向けた。

 

しかし、恐れる様子はない。

薄く笑いながら、銃口を無視して私へ話し掛けて来る。

 

 

「エネルギーボルトだ。面白いだろう?」

 

 

その手に武器は握られて居ない。

素手だ。

 

何かしらの、特殊能力。

 

 

「……ミュータントか?」

 

「さて、どうだろうな」

 

 

そもそも容姿が人間離れしている時点で、特殊な能力を持っていてもおかしくはない。

可能性は考慮していた。

だから、複数人のエージェントを用意したのだ。

 

だが、普段から護衛に囲まれているから誤解していた。

奴は戦えない商人では無い……超人だ。

 

 

「私は身を守る為に護衛を雇っているのではない。ただ……面倒だからだ、戦うのが。それだけでしかない」

 

 

足が宙に浮く。

 

そのまま地面から離れて、宙に立ち……私と視界の高さが一致した。

理屈は不明だ。

 

その手にはまだ、アタッシュケースが握られている。

私達程度ならば、片手を使わなくても勝てるのだと、そう言っているようだ。

 

私へ腕を向けて──

 

 

その瞬間、ワイヤーが飛び出し、パワーブローカーの腕に巻き付いた。

 

 

「むっ……」

 

「フューリー!射殺許可!」

 

 

声を出しながら、ブラックウィドウ……ナターシャがパワーブローカーを地面へと引き摺り下ろした。

 

私はそれに応える。

 

 

「あぁ、許可する!」

 

 

私の指示に、ナターシャが地面を蹴って後ろに転がった。

直後、エージェント達がパワーブローカーへ一斉に発砲した。

 

弾丸が命中し、砂埃が舞う。

 

……ビジネススーツが穴だらけになるが、血は流れていない。

血の色が赤いか、それすら分からない。

 

 

「……野蛮だな。品性のない、まるで獣のようだ」

 

 

自身のビジネススーツを手で掴み、そのまま引き裂いた。

その下は……素肌ではなかった。

黒に紫のラインが入った、タイツのようなコスチュームだ。

紫色のラインは発光している。

 

 

「獣は利益を与えても従わない……だから、力で──

 

 

その手がバチバチと音を立てて、青く発光する。

 

 

「屈服させてやろう」

 

 

獰猛に、薄く笑った。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

シールドと剣がぶつかる。

 

……タスクマスターの持つ剣は、橙色の光を放っている。

見た目からして普通の武器ではない。

 

ヴィブラニウム製のシールドでも、衝撃を殺し切れなかった。

 

 

私は剣を弾き、シールドを構えて身体ごと衝突させる。

咄嗟の所でタスクマスターが身を翻し、その攻撃を避けた。

 

身体能力では私が上だ。

装備も……盾だけならば、こちらが上。

 

だが、戦闘技術は奴の方が上だ。

 

総合的に見れば、私が有利。

しかし、今は少し異なる。

 

……先程、レッドキャップに殴られたり蹴られた部分が痛む。

万全では無い。

これで身体能力の差が埋まってしまう。

 

 

「随分と奴に入れ込んでいるようだな、キャプテン・アメリカ」

 

 

嘲笑う訳でもなく、驚く訳でもなく、ただ淡々とタスクマスターが話した。

身を少しでも休めたい私は、会話を続ける。

 

 

「当然だ。彼女は……守らなければならない」

 

「金にもならない事を、よくするものだ」

 

 

タスクマスターが右手を左のシールド裏に入れた。

 

 

「……世界は、金だけでは生きていけない」

 

「しかし、金がなければ死ぬ事もある」

 

 

その瞬間、タスクマスターが何かを投擲して来た。

 

 

「くっ!?」

 

 

シールドで弾けば、『何か』は宙に跳ね上がった。

回転しながら落下したそれは……三叉の小剣だ。

誰の、何の技術かは分からない。

だが、間違いなく達人級の技量だ。

 

 

「ふむ、気を逸らしても無駄か」

 

「……不意打ちとは、卑怯だな」

 

「戦いに卑怯などない。結果が全て……それが戦いだろう?」

 

 

剣を構え、一歩、タスクマスターが踏み込んだ。

 

 

「貴様を殺せば報酬(ボーナス)も弾んで貰えるだろう。楽しみだ」

 

 

更に一歩踏み込んでくる。

 

 

「一つ、教えてくれ……君は彼女の何を知っている?」

 

「さぁ、何も?」

 

 

手に持った剣の射程、その一歩手前で止まった。

 

そして、タスクマスターが口を開いた。

 

 

「だが、奴の所属している組織ならば知っている。いや、覚えている」

 

「組織、だと?」

 

「あぁ、反吐が出るような屑共だ。お前の想像以上に邪悪で……強大だ」

 

 

表情は分からない。

ドクロのマスクの下で、どんな表情をしているのか。

ただ、笑ってはいないだろう。

 

 

「……そう、か」

 

「だから、キャプテン・アメリカ……お前のしている事は奴を傷付けているだけに過ぎない……ただの偽善だ」

 

「偽善だろうと、助けられるのならば──

 

「そもそも、その考えが間違っている。助ける事など不可能だ。あの組織は底無しの泥沼……一度踏み込んだモノを、逃す事はしない」

 

「それ、は……」

 

「泥沼から抜け出せないのに、助けようと力付くで引っ張ればどうなる?」

 

「…………」

 

「二つに裂けて死ぬ事になる」

 

 

思わず、私は返事が出来なかった。

 

 

「この血に塗れた場所が奴の居場所なのだ。無理に連れ出そうとするのは止せ……奴の為にならん」

 

「……知っている事を教えてくれ。私は彼女を助けたいだけなんだ」

 

 

彼は何かを知っている。

そう確信し、私は聞き出そうとする。

 

 

「フン、私は貴様の教官ではない。答える義理など……何処にもない」

 

 

一歩、踏み込まれた。

 

瞬間、彼の持つ剣が振るわれた。

シールドで弾き、私は足を突き出す。

 

その足を、全く同じ動作で彼のシールドが防いだ。

 

盾の技量は……全くの互角。

やり難い……!

 

反動で転がりながら、シールドを投擲する。

その瞬間、奴もシールドを投擲した。

 

空中で衝突し、弾き飛ばされる。

 

 

回収を──

 

 

その瞬間、タスクマスターが剣を振りかぶった。

咄嗟に手首を掴み、捻る。

 

 

「チッ……!」

 

 

咄嗟に彼は手首を軸に、剣を回転させた。

私は身体を逸らして避けつつ、足の甲で剣の柄を蹴った。

 

剣は宙を舞い、タスクマスターの手から離れた。

 

これで素手……武器の技能は活かせない。

 

私は口を開く。

 

 

「投降しろ、話して貰う事がある!」

 

「武器が無ければ戦えないとでも?」

 

 

タスクマスターの手……そこにつけたグローブの爪部分が露出した。

金属製の爪のような物だ。

 

それを振り回し、まるで獣のように襲いかかってくる。

 

咄嗟に避けるが、爪はコンクリートを抉っていた。

 

 

「『ブラックパンサー』……!」

 

「ご名答だ」

 

 

彼の戦闘パターンが見切れない。

単純な戦闘力だけならば、スーパーパワーが無い分、元より劣る。

 

だが、様々な種類の攻撃がベストなタイミングで切り替わる。

想定の範囲外の攻撃を、最高クラスの技量で放たれる。

厄介だ。

 

視界の隅に、私のシールドが見えた。

何とか、拾う必要がある。

素手での戦闘は彼の方が強い。

同じ土俵では戦えない。

 

ならば──

 

地面を蹴り、タックルを繰り出す。

しかり、それと同時にタスクマスターが蹴りを繰り出した。

 

それは、ピンポイントで私の急所を狙った攻撃だった。

熟練の武術家のようだ。

 

拳を突き出せば──

 

彼は手を回し、攻撃を受け流した。

まるで水でも殴ったかのような感触だった。

 

 

「くっ!」

 

「今のは『シャン・チー』だ」

 

 

そのまま拳が腹に突き刺さった。

 

 

「ぐあっ……!」

 

 

内臓に響く一撃だった。

焼け付くような痛みが身体を襲った。

 

 

「そして、これは『アイアン・フィスト』」

 

 

衝撃に身を任せて、地面を転がる。

距離は取れた……だが、シールドは一歩先にある。

 

彼はマントの下に手を伸ばし、折り畳み式の弓を取り出した。

 

 

「さて、次は何か分かるだろう?」

 

 

弓……間違いなく、『ホークアイ』だ。

私は回避行動を取りつつ、盾に手を伸ばす。

 

弓を引き絞る音が聞こえる。

 

咄嗟に腕に装備している電磁石を起動し、シールドを引き寄せる。

 

一手、間に合わない。

 

 

そのまま矢が放たれ──

 

 

瞬間、風切るような音が聞こえた。

何者かが、タスクマスターへと接近していた。

 

それに反応して、咄嗟にそちらへ矢を放った。

 

首に矢が突き刺さる。

それは黒髪の……ティーンの女性だった。

 

刺さった傷口から勢いよく血が出る。

 

 

だが、その女性は無視してタスクマスターへ襲い掛かる。

 

 

「チッ!」

 

 

弓を捨てて、タスクマスターが後転した。

距離が開く。

 

……私は首に矢が刺さっている女性……いや、少女へ声を掛ける。

 

 

「すまない、助かった……しかし、矢は大丈夫なのか?」

 

 

そう聞くと彼女が答えた。

 

 

「ぐ、ほほへ、はひ──

 

 

矢を手に握り、無理矢理抜いた。

喉に穴が空いて喋れられなかったのだろう。

 

 

「お、げぇ……くぅ、痛すぎ……」

 

 

傷口は即座に再生した。

その少女に、私は見覚えがあった。

……そうだ、フューリーがマドリプールに来ていると言っていた。

 

 

「……ローラ・キニーか?」

 

 

一度……彼女が『S.H.I.E.L.D.』に拘束されている所を見た事がある。

彼女がまだ殺人マシーンだった頃の話だ。

 

 

「ごふっ!ごほっ、おえっ!そう、そうよ」

 

 

血反吐を吐きながら、そう答えた。

コンクリートが血で濡れる。

 

 

「君は──

 

「ローラ・キニー……!」

 

 

タスクマスターが会話を中断し、割り込んできた。

手には剣とシールドが握られている。

 

 

「メルセデスは、どうした……」

 

「え?あ、あぁ……ええっと?」

 

 

ローラが頬を掻いた。

メルセデス……?

誰のことだ?

 

ローラが言い淀んでいると……タスクマスターが震えた。

 

 

「貴様……!やはり、あの時殺しておくべきだったか……!」

 

 

タスクマスターが怒気を込めて、そう言った。

光る剣が地面を抉る。

盾を持つ方の手に、いつの間にか(チェーン)が握られていた。

先端には金属の杭のようなものが付いている。

 

タスクマスターは手首にスナップを利かせて、(チェーン)を回転させる。

ただの金属製ではないようで、コンクリートに抉れたような傷が付いていた。

当たれば……肉を削がれるだろう。

 

 

「タダでは済まさん!確実に殺す!」

 

 

その様子を見て、ローラが口を開いた。

 

 

「あ、アレ?ちょっとヤバい感じ……?」

 

「どうやら、彼の地雷を踏み抜いたようだ」

 

「あー、私の所為?」

 

「そうなるな」

 

 

ローラが両腕を前に突き出す、手の甲が裂けてアダマンチウムの爪が現れた。

 

ふと、疑問が湧いて問う。

 

 

「そう言えば……君はどうやって、ここまで追いついた?」

 

「え?……あそこ、バイク」

 

 

ローラの視線の先には横に倒れたバイクがあった。

足があるならば、一人だけでも先に行かせる事が出来るだろう。

 

私はローラを一瞥した。

 

 

「勝てるか?奴に」

 

 

私は視線をタスクマスターへ戻した。

 

 

「……勿論」

 

「そうか……いや、君はバイクに乗って先へ行け」

 

「……え?」

 

「助けて貰って感謝する。だが、ここは私が何とかする」

 

 

私はシールドを手に持ち、タスクマスターと対峙する。

(チェーン)が高速で回転し、空を切る音がする。

 

 

「退け……!」

 

「断る」

 

 

その瞬間、(チェーン)が鞭のようにしなり、私に襲い掛かる。

シールドを構え、最小限の動作で弾いた。

 

 

「ローラ、行ってくれ」

 

「わ、分かった……けど、大丈夫なの?」

 

 

確かに……身体にはダメージが蓄積している。

疲労もある。

足は重い、内臓も痛む、腕は疲れて上げる事も辛い程だ。

 

だが、何も問題ない。

 

 

「あぁ、まだやれる」

 

 

タスクマスターが放った(チェーン)を再度、弾いた。

 

ローラがバイクに駆け寄り、エンジン音を鳴らす。

 

タスクマスターが私を睨んだ。

 

 

「……何故、先程より動きが良くなっている?」

 

 

心底、分からないと言った声を出した。

 

 

「簡単な話だ。私は……敵を打ち負かすより、誰かを守る戦いの方が得意なんだ」

 

「……ふざけた事を言う」

 

「至って真剣さ」

 

 

バイクに乗ったローラが離れていく。

 

私は、視線をタスクマスターへと戻した。

 

 

「それに私だけじゃない。君が弱くなっている」

 

「チッ……まぁいい。直ぐに貴様を殺し、あの女を追うだけだ」

 

 

ローラはタスクマスターを怒らせて……私の邪魔をしただけだと思っているが、そうではない。

 

彼は繊細な技能を売りにする男だ。

今の冷静さを欠いた彼ならば……勝ち目はある。

 

好機は逃さない。

どんな状況だろうと、糸を手繰り寄せて……勝利を掴む。

 

それが、私達(ヒーロー)の戦い方だ。



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#80 クライ・フォー・ザ・ムーン part6

車を走らせる。

 

 

『……もう少し、速くは走れないのか』

 

 

護衛車両は装甲が分厚い。

更には複数の材質を組み合わせた、角ばった形状の金属板が貼り付けてられている。

単純に車体が重いのだ。

 

焦りと罪悪感……心を占める得も言われぬ感情……それらが交わり、苛立ちとして残っていた。

 

……キャプテンは私を助けようとしている。

ファルコンも……攻撃に手加減を感じていた。

 

何故、彼等は私を助けようとしているのか。

助ける価値など無いだろうに。

 

どんな事をしようとも、車はこれ以上速く走る事はない。

手をマスクの顎に当てて、思案する。

 

……彼等は私が女、それも未成年だと言う事すら見抜いていた。

一体、どこから情報が漏れたのか。

 

……ミシェル・ジェーンの姿に紐付けられては居ない、と信じたい。

彼等がそこまで辿り着けば……少なくとも、もうピーター達とは居られない。

それは……回避しなければならない。

 

ミッドタウン高校を卒業するまで、あと1年もない……卒業すればミシェル・ジェーンとしての活動も終わるとしても今は──

 

 

いや、待て。

 

 

そもそも、何故『ミシェル・ジェーン』として活動している?

何故、『ミッドタウン高校』に潜伏する必要があった?

ヘルズキッチンの拠点を爆破した犯人の正体も分かったのに。

 

……あの、直属の幹部。

私に指令を下している幹部が、高校への編入を指示した。

 

それは組織(アンシリーコート)のボスの指示か?

それとも、幹部が出した指示なのか?

 

 

『…………』

 

 

道路交通法を無視した速度で車を走らせながら、私は眉を顰めた。

 

 

そもそもの理由は『拠点を爆破された為、ほとぼりが冷めるまで隠れる』と言う話だった。

だから偽りの身分証(ID)を与えられ、高校に編入させられ……だが、それがおかしい。

高校に編入させる理由がない。

 

隠れるだけならば、地下室にでも篭って隠れていれば良い筈だ。

態々、表の学校へ通わせて正体がバレるリスクを背負わせる理由がない。

 

……誰かが、何らかの目的を持って編入させた。

 

そう考えるのが妥当だ。

 

何故だ?

ピーターがスパイダーマンだと知っているからか?

情報を集める為に……いや、知っているのならば既に彼への攻撃を行なっている筈だ。

 

彼を恨む人間は多い。

キングピンにでも正体を教えれば多額の金銭が動く筈だ。

 

だが、していない。

それはつまり……別の理由があると言う事だ。

 

あの学校に何かがある?

 

……いや、違うのか?

私が『学校に通う』事に意味があるのか?

 

何の、為に?

 

……悩んでも答えは出てこない。

誰も答えは教えてくれはしない。

 

 

……あの学校に通い、ピーターやグウェン……ネッド達のような『友達』を作ってしまった。

その所為で今、私は『おかしくなって』しまった。

 

……いや、違う。

私が『おかしくなっている』事に気付いてしまった、か。

 

それ以前ならば殺しに躊躇う事など無かったのに。

顔も、心にもマスクをして隠せていたのに。

今はもう……。

 

それが目的なのだとしたら、高校へ通わせる指示をした何者かは……相当性格が悪い。

 

……試されているのか?

普通の価値観を育んだとしても、組織を裏切らないと言う保証が……欲しいのだろうか?

 

 

目前に大きな倉庫が見えた。

目的地である下層(ロータウン)の物流センター……その中心部だ。

 

ドアを開け……自動ロックか。

開かない。

 

鍵は……護衛の奴らが持っていたか。

私はドアを蹴り飛ばし、破壊する。

 

窓ガラスが割れて、大きな音がする。

車を降りて肩を回す。

 

既にパワーブローカーは中に入っているだろう。

直ぐに向かうべきだ。

 

……気は、進まないが。

 

ファルコンとの戦いで見た、人間を化物(モンスター)に変貌させる技術……そして、それに込められた悪意を思い出す。

吐き気を催す程の、醜悪さだ。

 

化物(モンスター)の見た目が、ではない。

醜悪なのは、その技術と……それを躊躇いなく人に使うパワーブローカーの存在だ。

 

奴は被験者を人間だと思っていない。

弱者を踏み躙り、自身の欲を満たしているだけだ。

 

……クソ。

考えない方が良い。

 

私は組織に首輪を付けられた犬……いや、彼等と同じ化物(モンスター)だ。

 

キャプテンにも言った筈だ。

裏切れないと。

 

そして、裏切らないとも。

裏切らないと選択したのであれば……こんな事を考えずに、ただ心を殺して悪事を働き続けるしかないのだ。

 

だから、余計な事を──

 

 

 

耳に、エンジン音が聞こえる。

 

 

私は即座に振り返る。

バイクか……何者かが近付いて来ている。

 

太腿のプロテクターを展開させて、ナイフの柄を握る。

抜き取り、音の先に目を凝らす。

 

 

ローラ・キニーだ。

 

 

やがて、そのバイクが到着し……搭乗者が地に足をつけた。

 

 

『…………』

 

 

タスクマスターの協力者、メルセデスはどうなったのか。

……いや、ローラの事だ。

殺しては居ない筈だ。

 

それとも、メルセデスが裏切ったか。

彼女は、私やタスクマスターに何か隠し事をしているように見えた。

それが何かは分からないが、信用は出来なかった。

 

あれほどの拘束状態からローラは脱出した。

何者かの協力があったと考えた方が、辻褄が合う。

 

 

バイクから降りたローラが、私に一歩近付いた。

 

 

「さっきぶりね」

 

『…………』

 

「縛られてソファに寝っ転がされて……結構辛かったんだけど?」

 

 

彼女は手の甲から爪を……いや、生やしていない。

臨戦態勢では無い、と言う事だ。

 

 

「返事もなし?ほんっと、つれない奴」

 

『……何を考えている?』

 

 

彼女は私の事を恨んでいる筈だ。

彼女の母を殺したのは私だ。

恨まない理由はない。

 

 

「さぁね……どう思う?」

 

『何を考えて居ようと、お前を殺すだけだ』

 

 

ナイフを強く握る。

今度は大丈夫だ。

 

罪悪感で戦えない、なんて事もない。

怯む事もない。

 

必ず、殺せる。

躊躇わずに、戦える。

 

 

「先に少し、お話しない?」

 

 

なのに。

 

 

『……話す事など──

 

「私の母さんの事、覚えてる?」

 

 

何故、そんな事を問うのか。

 

 

『セアラ・キニーの事か?』

 

「……やっぱり、覚えてるんだ」

 

『それがどうした』

 

 

彼女が戦う意志を見せなければ……私は、戦えない訳ではない。

無抵抗な人間だろうと殺せる。

私は『そういう人間』だ。

 

 

「アンタ、もしかして、さ……」

 

 

ローラが目を細めた。

疑念を持って……それでも答えが分かっているかのような目で。

 

 

 

 

 

「今まで殺した相手のこと、全員覚えてるの?」

 

 

 

 

体が萎縮した。

ナイフを握る手が緩む。

 

 

『何を根拠に──

 

「私の母さんが死んだのは8年前。そんなにも昔……私ですら、母さんの顔が朧げになってる。記憶と言うよりは、思い出と呼べるぐらいにね」

 

『……それが、どうした』

 

「母さんを殺された私ですら、擦れているのよ?貴方はずっと何人も殺して来た筈……たかが、殺してきた標的(ターゲット)の一人……その名前を覚えてる」

 

 

まるで心の内が暴かれるような気がして、無意識のうちに一歩下がっていた。

 

 

「つまり、他の殺した相手だって覚えてるんじゃないか……って、そう思っただけよ」

 

『……私は、記憶力が良いだけだ』

 

 

実際、超人血清によって私の記憶力は強化されている。

だから、殺した相手を忘れた事などない。

 

銀行員のデイヴィス、証券会社のマルコ、マフィアのクラーク、警官のスコット、ただの母親であるベイカー、詐欺師のベネット、要人の護衛だったオットー……。

 

覚えてる。

顔と名前を全て……どうやって殺したか、も。

 

忘れられない。

 

 

「……なんで、覚えてるの?」

 

『先程、言っただろう?記憶力が──

 

「違う。忘れたら良いのに……何で、覚え続けているの?」

 

 

……これ以上、この女を喋らせてはならない。

動揺を殺意で塗り潰し、私は彼女に向かって歩き出す。

 

 

「それは凄く、辛い事だと思うけど」

 

『……黙れ』

 

 

ナイフを強く握る。

 

 

「本当はやりたくないんじゃ無いの?何で、そんな組織の為に──

 

『黙れ……!』

 

 

ナイフを振りかぶり、突き出す。

 

ローラは私のナイフに手のひらを突き出し……刃は手のひらに突き刺さった。

 

 

「……話して」

 

 

そのまま握られる。

押す事も、引く事も出来ない。

 

 

『何も話す事など、ない……』

 

「アンタは母さんの仇だけど……それでも、それが……貴方の責任じゃないとしたら」

 

『私が殺した……それ以上は何も……』

 

「貴方も被害者だとしたら」

 

『違う……!』

 

 

握る力が強くなる。

 

 

「私は……殺すべきじゃない相手を、殺そうとした事になる」

 

『貴様の勝手な妄想を……押し付けるな……!』

 

「嫌よ、私は……我儘だから」

 

『こ、の……!』

 

 

彼女の腹を蹴る。

 

 

「うぐっ」

 

 

ナイフを手放せば、彼女は吹き飛んで転がった。

 

 

『私はお前の母を殺したんだぞ……?そんな相手を、何故……そんな、そんな事を──

 

 

思考が滅茶苦茶だ。

この女は馬鹿だ。

何を考えているか分からない。

イカれている。

 

咽せながら、ローラが私を睨んだ。

 

 

「私は、もう……『X-23』じゃないわ。ローラ・キニー……ウルヴァリン(ヒーロー)の娘よ」

 

『それが、どうしたと──

 

「だから、困ってる人が居たら、助けるのは……『当たり前』なの」

 

 

一呼吸。

 

直後、その両手に爪が生えた。

二本の爪だ。

 

 

『助けなど必要ない』

 

「それなら、無理矢理『助け』させて貰うから。ちょっと痛いと思うけど……我慢して」

 

 

何なんだ、コイツらは?

キャプテンも、ファルコンも、ウィンターソルジャーも、母を殺されたローラ・キニーでさえ……どうして私を助けようと考えているんだ?

 

……いや、どうしてか、分かる。

分かってしまった。

 

ああ、そうだ。

 

ヒーローだからだ。

彼等のコミックを読んでいたから分かる。

 

例え、どんな時だろうと……身を犠牲にしても人を助けようとする、彼等の姿を知っている。

そして、私はその姿に憧れていた。

 

私はスーパーパワーを持った、特別なヒーローになりたかった訳じゃない。

だけど、誰かを助けられるような人になりたかったんだ。

 

 

私が、もう、決して、なれない、姿に………。

ローラはヒーローになっていたのだ。

 

 

……この胸を占める感情はなんだ?

嫉妬、なのか?

それとも、怒りか?

僻みか、憧れか、憎しみか、悲しみか……。

 

私の心を蝕み、私を弱くする『何か』だ。

 

 

そんな物は要らない。

 

捨ててしまえ。

 

足を、引っ張るな。

 

私はナイフを強く、強く、強く……握った。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

私は、落下する。

視線の先には高架道路の淵から覗き込む、タスクマスターの姿があった。

 

天井のガラスを砕き、ピンクのネオンで飾られたバーに墜落した。

 

営業中だったようで、驚いた客が逃げ出した。

 

……骨にダメージが入っている。

無理矢理立てば……カウンター内にいたバーテンダーが私を見ていた。

 

 

「すま、ない……後で弁償をする……」

 

 

驚いたような、怖がった顔で何度も頷かれる。

 

……上から、何かが落下してくる音がした。

 

即座にシールドを上に構える。

 

 

「君は直ぐに避難を──

 

 

タスクマスターの持つ剣と衝突し、足元のタイルが割れた。

 

 

「くっ……!」

 

 

肋骨が数本折れている。

足の骨にもヒビが入っている。

 

苦痛に思わず顔が歪む。

 

 

「こんな時でも他人の心配か?」

 

「こんな時だから、こそ……だ!」

 

 

シールドで押し返し、片足を軸にして回転する。

そのままタスクマスターをシールドで殴り飛ばせば……酒瓶が飾られている棚に突っ込んだ。

 

ガラスが割れる音が何度もして、酒が地面に飛び散る。

……高そうな酒も混ざっていた。

 

バーテンダーは……もう避難しているようだ。

こんな場所を見たら卒倒してしまうかも知れないな。

 

タスクマスターが砕けた棚の木片を蹴り飛ばし、立ち上がった。

 

 

「あぁ、何と勿体ない事をするんだ」

 

「酒が好きなのか?それなら浴びるほど呑んで……そこで寝て居て欲しいな」

 

「生憎だが……今はそんな気持ちではない。直ぐにでも貴様を殺し、あの女を追わねばならん」

 

 

あの女……ローラか。

……メルセデスと言う女性の事を聞いてから、彼は怒っているようだ。

 

 

「……君にも大切な女性が居るんだな」

 

 

タスクマスターが木片を手に握った。

 

 

「さぁ、どうだろうな」

 

 

そして、投擲して来た。

私はシールドで弾き返した。

一寸違わず、首の急所を狙って来た。

恐るべき正確さ……故に、読みやすかった。

 

 

「これは照れ隠しか?」

 

「……私はメルセデスの事を知らない」

 

「知らない?」

 

 

タスクマスターが酒に濡れたマントを脱ぎ捨てれば、ドクロのマスクが顕になった。

 

 

「あぁ、正確には覚えていない、だ。何も」

 

「覚えていないのに……大切だと思っているのか?」

 

「お前には分かるまい……いや、他の誰にも」

 

 

マントを私に向かって投げ……タスクマスターがマントの陰に隠れた。

 

その瞬間、マントの裏から剣先が現れた。

 

 

「くっ」

 

 

咄嗟に盾を構えて防ぐ。

 

視界はマントで覆い隠されている。

どのタイミングで、どこに攻撃が来るか分からない。

 

マントを手で掴み、投げ捨てれば……既にタスクマスターはそこに居なかった。

 

 

「居なっ──

 

 

私はシールドを後方に投げた。

壁に張り付いていたタスクマスターが剣で防いだ。

 

そのままタスクマスターは地上に降りて、私は反射したシールドを回収した。

 

 

「……見えていたのか?」

 

「いや、勘だ」

 

 

その返事に不愉快そうな顔をしながら、タスクマスターが再度構えた。

 

私は少しでも傷を癒せる時間が欲しくて……声を掛けた。

 

 

「メルセデス……と、言ったか?彼女は死んでいない。ローラは、もう誰も殺す事はない」

 

「……あの女、X-23については調べ上げた。奴は昔、殺しをしていた。保証など何処にもない」

 

「そう、だが」

 

「一度、血に濡れた者は……そう簡単に抜け出せはしない」

 

 

直後、タスクマスターが剣を振りかぶり……投げた。

 

あまりにも奇抜な剣技……だが、研鑽の上に成り立つ確かな技術。

一瞬、反応が遅れてしまったがシールドで叩き落とす。

 

だが、剣は牽制だ。

タスクマスター本人も、既に肉薄していた。

 

 

私はシールドを振るい──

 

彼がシールドを振るい──

 

 

衝突した。

 

 

「くっ!」

 

「フン……」

 

 

私は身を回転させ──

 

彼が身を回転させ──

 

互いに放ったキックが衝突する。

 

 

「うぐっ!?」

 

「……フフ」

 

 

互いにダメージが入る。

だが、私の方が傷は深い。

 

確かに、身体能力ならば超人血清によって私がアドバンテージを稼いでいる。

だが、怪我と疲労によって……その差は限りなく縮まって居た。

 

ならば……怪我をしている私の方がダメージが入る。

ヒビの入っていた骨に、衝撃が染みる。

 

だが、私は崩れない。

即座に身を持ち直す。

 

 

私はシールドを構え──

 

彼がシールドを構え──

 

 

正面から衝突した。

 

お互い、一歩も後退しない。

タスクマスターが笑い声を上げた。

 

 

「フハハ、どうだ……自分の技量で打ち負かされる気分は……!」

 

「まだ、負けてなど居ない……!」

 

 

互いに同じ技を使うのならば。

 

 

私はシールドで弾き返し──

 

彼は爪を振りかぶって──

 

 

胸元が引き裂かれた。

 

 

「ぐ、あっ……!?」

 

 

決して浅くはない傷が……数本の線が身体に刻まれた。

 

タスクマスターが私を見下ろし、口を開いた。

 

 

「私は『ジュークボックス』だ。レコードを切り替えれば何者にもなれる」

 

「はぁ……はぁ……!」

 

 

胸元を抑えながら、立ち上がる。

圧迫し、血を抑える。

超人血清による治癒促進で、致命傷にはなり得ない。

……彼女達のような治癒因子(ヒーリングファクター)持ち程ではないが、傷の治りは早い方だ。

 

 

「だが、そうだな……何者にもなれると言う事は、何者でもない事でもある」

 

「……何を」

 

「自分だけの自己同一性(アイデンティティー)は『タスクマスター』と言う名前だけだ。記憶もなく……浸る思い出もない。だが、それでも一つだけ……覚えている物がある」

 

 

タスクマスターが独白を続ける。

 

 

「あの、チキン・スブラキの味だ」

 

「……スブラキ?」

 

 

ギリシャ料理……串焼きだ。

様々なスパイスで味付けした、チキンのスブラキ。

 

タスクマスターが自嘲するかのように笑った。

 

 

「おかしいだろう?顔も名前も忘れてしまった誰かが……私の為に作ってくれた、その料理を……まだ覚えている。彼女の料理は、それに似た味がしていた」

 

「……君は」

 

「恐らく、彼女は私の過去を知っている。だが、私は彼女の事を知らない」

 

「…………」

 

「私は知りたい。知った側から、失われていく記憶だとしても……」

 

 

地面に落ちている剣を拾い直した。

 

 

「だから、私の望みを……彼女を傷付ける者は……私が全て、殺す」

 

「……そうか、君も……誰かの為に」

 

 

彼に感じていた同情(シンパシー)の正体が分かり、私は立ち上がった。

 

 

「お喋りは終わりだ……あの世への駄賃にはなったか?」

 

「いや……まだ、これでは全然足りないな」

 

「強欲だな……国の象徴でもある男が」

 

「悪いか?」

 

「いいや……私も欲深い人間だからな」

 

 

タスクマスターが剣を構え──

 

 

 

ピリリリ。

 

 

 

と、電子音が響いた。

 

 

「………」

 

 

タスクマスターがマントの方へ視界を寄せた。

鳴っていたのはタスクマスターのマント辺りだった。

 

彼の端末、なのか?

 

 

私が構えを解けば、タスクマスターは即座にそちらへ移動した。

 

……今は少しでも身体を休める時間が欲しい。

この隙に呼吸を整える。

 

彼はマントの下から携帯端末を手に取り……ボタンを押した。

 

 

「私だ……あぁ……そうか。良かった」

 

 

通話をしながらも私への警戒は欠かさない。

携帯端末を握っていない方の手には、剣が握られている。

 

そして、私は今のタスクマスターに攻撃などしない。

本来なら隙を狙い、攻撃した方が良いのだろうが……それは公平(フェア)ではないと思ったからだ。

 

 

「分かった……あぁ、お前も」

 

 

再び携帯端末のボタンを押して、通話を終了した。

 

……幾分か身体の状態が良くなった。

タスクマスターへ声を掛ける。

 

 

「……誰からだ?」

 

「電話の相手を話せるほど、私と貴様は仲が良い訳では無い筈だが?」

 

 

先程までの張り詰めた空気は霧散していた。

心なしか、タスクマスターも怒りから解放されたように見える。

 

私は思い付いた名前を一つ、挙げる。

 

 

「メルセデス、か?」

 

「……フン」

 

 

無言の肯定だ。

否定もせず、彼は携帯端末をマントに収納し……穴の空いたマントを羽織った。

 

 

「新たな仕事が入った。貴様と戦う理由はもう無い……ここは退かせて貰う」

 

「待て」

 

 

私から距離を取り始めた彼を、思わず呼び止めた。

 

 

「何だ?私は暇では無いのだが」

 

「彼女の……レッドキャップについての話を聞きたい」

 

「……何故、私がそれに応じる必要がある?」

 

 

至極当然の質問に私は頷いた。

 

 

「もし話さないのであれば……全力で足止めをさせて貰う。その様子、急いでいるのだろう?」

 

「…………」

 

「図星か?」

 

「……敵対する理由は無いと言った筈だが?」

 

 

タスクマスターと視線がぶつかり合う。

 

無言で数秒、睨み合う。

 

……先に目を逸らしたのは、タスクマスターだった。

 

 

「……小賢しい男だ」

 

 

呆れたように笑い、タスクマスターが私へ向き直った。

 

 

「奴が組織を裏切れない理由を教えてやる。だが、代わりに……もう私の邪魔をしないと誓え」

 

「……あぁ、邪魔はしない。だが、今日だけだ」

 

「それで十分だ」

 

 

口約束だ。

……だが、私は約束を破るつもりはない。

そして、タスクマスターも私は約束を破らないと確信しているように見えた。

 

……信頼されているのか、それとも私の性格を理解されているだけか。

 

タスクマスターが腕を組んだ。

 

 

「彼女の所属している組織……『アンシリーコート』は、エージェントに安全装置(セーフティ)を付けている」

 

「アンシリーコート……?」

 

 

名前も聞いた事がない組織に、思わず聞き返してしまった。

 

 

「何だ?知らなかったのか……?まぁ良い……それぐらいサービスはしてやろう」

 

 

タスクマスターが馬鹿にするように私を嘲笑った。

 

 

「奴らの前身はイギリスの元特殊部隊だ。殺しの技能を商品とする、金にがめつい殺し屋どもだ……そう、私のように」

 

「そんな組織が……」

 

「大層な名前だが……陰湿な屑どもだ」

 

 

タスクマスターが吐き捨てるように言った。

……法を無視する傭兵ですら嫌う、邪悪な組織……そんな組織が私達の知らない所で活動していた。

恐ろしい話だ。

 

私は気を取り直して、タスクマスターに質問する。

 

 

「……その、アンシリーコートの安全装置(セーフティ)とは一体何だ?彼女に何が──

 

「爆弾だ」

 

 

……目を細めた。

 

 

「爆弾……?」

 

「そう。裏切り者を即座に処分出来るように……エージェントの心臓付近に爆弾が仕掛けられている……らしい。又聞きだが、恐らく事実だ」

 

 

衝撃のあまり、一瞬何も聞こえなくなった。

……命を握って、組織に忠誠を誓わせ……悪事に加担させているのか?

 

それは──

 

 

「…………」

 

 

なんて、非道な。

 

 

「言葉も出ないか?世の中には貴様が考えている以上の『悪』が存在する、と言う事だ」

 

「……爆弾の起動方法は?裏切れば……なんて言ってるが、誰かがスイッチを握っているのだろう?」

 

 

私はタスクマスターに質問する。

彼は呆れたような声でため息を吐いた。

 

 

「……そこまでして救いたいのか?」

 

「答えてくれ、頼む」

 

「知らん」

 

 

縋るような私に、彼は吐き捨てた。

 

 

「ただ、そう言う話がある……と知っているだけだ。奴の事は忘れたが、組織については偶々覚えていただけだ。それ以上は私に求めるな」

 

 

タスクマスターは記憶に難のある男だ。

覚えていた情報が少しでも有っただけで、運が良かったと思うべきか。

 

私は口を開く。

 

 

「命を握られ……望まぬ殺しを強要されている、と言う事か?……何、て──

 

非道(ひど)いか?だが、奴にも責任はある」

 

 

突き放すような言葉に、思わず私は聞き返す。

 

 

「責任?責任だって?」

 

「『殺す』事が嫌ならば、組織を裏切りさっさと死ねば良かったのだ」

 

「それは、極論だ……!」

 

 

激昂する私を嘲笑うように、タスクマスターが鼻を鳴らした。

 

 

「自身の命を守る為に誰かを『殺し』続けているだけ……いや、覚悟もなく、ただ流されるように『殺し』を行なっているなど……唾棄すべき事だ」

 

「違う……彼女には選択肢が無いだけで……!」

 

「選択肢と言うのは、自らの手で切り開く物だ。いつか他人が作り出してくれると待っている者には、訪れない」

 

 

私はタスクマスターに詰め寄ろうとして……激痛が走った。

骨折と複数の切り傷に、思わず顔が歪む。

 

 

「無駄話は終わりだ。約束通り、私の邪魔はしてくれるな」

 

「…………くっ」

 

 

認めたくない。

認めたくないが……確かに、少しは理解できる考えだった。

 

だが、彼女は──

 

 

「彼女はまだ、子供だろう……?」

 

「……そうだな」

 

 

タスクマスターが腕のプロテクターからワイヤーを射出した。

 

 

「まだ話はっ──

 

 

穴の空いた天井に向かって射出し、そのまま飛び上がった。

 

目で追えば……左右の腕からワイヤーを交互に射出し、かなりの速度で離れて行った。

 

……ウェブスウィング。

いや、ワイヤースウィングか?

『スパイダーマン』の技能か。

 

 

足が竦み、地面に尻餅をついた。

……身体中、怪我だらけだ。

手当てしなければ。

 

腰のポーチから『S.H.I.E.L.D.』の治療キットを取り出し……注射器を体に突き刺した。

薄く透き通った緑色の液体が、身体に染み渡る。

 

呼吸を整えながら、身体の具合を確かめる。

 

……結構な重傷だな。

こんなに怪我をしたのは、久しぶりだ。

 

レッドキャップ、彼女から受けたダメージが無ければ、これ程苦戦する事は無かっただろう。

……その事について、後悔するつもりは無いが。

 

 

タスクマスターから聞いた話を、脳内で反芻する。

 

組織、アンシリーコート、爆弾、望まぬ殺人……。

 

眉を顰める。

 

私の許せない悪とは、他人を食い物にする者だ。

他者の幸せを踏み躙り、自分だけが利益を総取りする……それも、自らの手は汚さずに。

 

それも子供の命を爆弾で縛り、他人を殺させる、だって?

 

 

許せる訳がない。

 

 

思わず地面を叩いていた。

砕けたタイルが音を立てた。

 

……その音に反応してか、少し離れた場所で物音がした。

 

 

「誰だ……?」

 

 

即座にそちらを見る。

 

……この店のバーテンダーだった。

まだ避難していなかったのか……?

 

そう思った直後、この店の惨状を思い出した。

……拙いな。

 

 

「すまない、随分と壊してしまった」

 

「あ、あぁ、それは良いんだが……」

 

「後で弁償する。良ければ店の名前を教えてくれないか?」

 

 

そう訊くと、バーテンダーは壁を指差した。

書いてあったのは『プリンセス・バー』の文字だ。

 

 

「分かった、ありがとう。それと、一つ……頼みがあるのだが」

 

 

私は立ち上がり、バーテンダーの肩を叩いた。

そして、店の外……店内の奥、駐車場らしき場所に止めてある大型バイクを指差した。

 

 

「あれは君のバイクか?」

 

 

マドリプールは広いが、道は狭い。

小回りの利くバイクを持つ者は多い。

 

 

「いや、この店のオーナーのバイクだけど……」

 

「言い値で構わない。買い取らせて貰えないか?」

 

「ま、待ってくれ……勝手に売ったら殺されちまうよ、俺……ちょっと電話するから待ってくれないか?」

 

「あぁ……手間取らせて、すまないな」

 

 

バーテンダーが電話している間に、身体の具合を確かめる。

治療薬を服用したからと言って、即座に傷が治る訳ではない。

 

鎮痛作用と、治癒能力を高めるだけで……治癒因子(ヒーリングファクター)のように即座に再生する訳でもない。

だが、それで十分だ。

 

即座にフューリー達と合流をする。

彼女を……レッドキャップを助ける為の作戦を考える。

 

休んでなんて、居られる訳が無い。



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#81 クライ・フォー・ザ・ムーン part7

視界に青い稲妻が走る。

パワーブローカーの手から放たれた……彼自身の言っていた『エネルギーボルト』と言う奴か。

 

直撃した『S.H.I.E.L.D.』のエージェントが吹き飛ばされ、地面を転がる。

 

電気エネルギーではない……見た目は稲妻のようだが、物理エネルギーのようだ。

 

 

パワーブローカーが私を嘲笑う。

 

 

「どうだ?フューリー……勝敗とは戦いの前に決しているものだ。この結果は、私の情報を得られなかった貴様のミス……そう思わないか?」

 

 

彼が宙に浮きながら腕を振るう。

エネルギーボルトが放たれ、エージェントが吹っ飛ぶ。

 

……少しずつ手数が減って行く。

時間を掛けるのは不利だ。

 

だが『切り札』は確実に、有効に、最も効果的に使えるタイミングで使わなければ意味がない。

 

 

「随分と頭が良いようだ。一つ、講義でもして頂けるのかな?」

 

「貴様らのような猿には意味はない……私は無駄な労力が嫌いだ」

 

 

猿……我々を人だと認めていないようだ。

彼は何だ?宇宙人か?ミュータントか?

それとも──

 

今は考えている場合ではない。

身体を動かす時だ。

 

コンテナの裏から、別の場所へ。

移動しながら発砲する。

 

……紫色の皮膚には貫通しない。

先程、エージェントからの集中砲火でもダメージすら無かったのだから当然だ。

 

私を目で追いながら、パワーブローカーが嘲笑った。

 

 

「無駄な事だ。この程度の攻撃では──

 

 

瞬間、パワーブローカーの腕を、足が挟み込んだ。

ブラックウィドウ、ナターシャだ。

 

そのまま関節を固定しながら、捻り──

 

 

「人の話を遮るものではない」

 

 

全く気にせず、笑った。

 

 

「くっ」

 

「この身体は特別製だ。貴様らの攻撃など効かない」

 

 

パワーブローカーは羽が生えている訳でもなく、ジェット噴射している訳でもないのに……自由自在に飛んでいる。

そのまま壁にナターシャを叩きつけた。

 

コンクリート製の壁が砕けた。

ならば、それと同等の衝撃をナターシャは受けた事になる。

 

 

「ロマノフ!」

 

 

思わず、声が出る。

 

 

「私を倒すには力不足のようだな」

 

「……うっ」

 

 

そのまま落下して行き、コンテナの上に落下した。

ミシリと音を立てて、天板が歪んだ。

 

……死んでは居ないだろうが、それでもダメージは大きそうだ。

 

 

対するパワーブローカーは地面にゆったりと着地して、身体についた埃を払った。

一々と動作が癪に触る奴だ。

 

 

「さて、残りは有象無象だ。どうする?フューリー」

 

「…………」

 

「恐怖で声も出ないか?」

 

 

私を嘲笑い、一歩、近づく。

 

それを……私は笑って迎えた。

 

 

「……何だ?何がおかしい?」

 

「いや……お前の言っていた事を思い出しただけだ」

 

「何を──

 

「『勝敗とは戦いの前に決しているもの』か。なるほど、道理だ」

 

「……私は人を見下すのは好きだが、笑われるのは嫌いだ」

 

 

パワーブローカーの手がスパークする。

青い光が、薄暗い大型倉庫で光る。

 

そして彼は──

 

 

「その命、死んで償っ──

 

 

話している途中に、まるで何かに殴られたかのようによろけた。

 

 

「もう一度言ってくれないか?パワーブローカー。よく聞き取れなかったぞ?」

 

「貴様、一体何をっ──

 

 

そのまま首を曲げて、地面に転がった。

何が起こっているか分からないのだろう。

 

カラクリが分かっている私ですら、注視しても見えないのだから分かるまい。

 

 

「戦う前に既に準備しておいた。いや……呼んでおいた」

 

「呼ぶ……?この大型倉庫の入口……その監視カメラには……やはり、誰も入って来ていない!誰もここにはぁっ──

 

 

パワーブローカーがよろめいてコンクリート製の柱にもたれ掛かる。

そのまま、周りを見渡す。

何者から攻撃を受けているか分からない以上、背中を晒す事はリスクだと考えたのだろう。

 

 

「くそっ、センサーでっ──

 

 

パワーブローカーが手を額に当てようとし──

 

 

直後、私は彼の目に向けて発砲した。

ホークアイ程ではないが、射撃には多少の自信がある。

 

 

「うぐぁっ!?」

 

 

目に弾丸が直撃し、悶える。

手で防げる程の余裕も無かったか。

 

なるほど、皮膚と違って、流石に眼球には通るらしい。

 

 

「やはり……お前は戦士でも兵士でもない。身体は何かしらで強化(ブースト)されているようだが、判断が鈍い。素人だ」

 

「貴様ぁ……」

 

本体(ハード)は良くても、中身(ソフト)がお粗末では意味がない。一つ勉強になったな?」

 

 

パワーブローカーが怒りに顔を歪めた。

先程までの余裕のある表情はない。

 

 

「貴様には後悔する時間も与えん!」

 

「それは結構だが、気付かないか?」

 

「……何をっ──

 

 

パワーブローカーが再び、周りを見渡す。

 

何もない。

誰もいない。

 

そう、誰も居ないのだ。

先程、壁に叩きつけられたナターシャも。

最初に攻撃されたいシャロンも。

エージェントも……一人もいない。

 

 

「驕りと怒りは目を曇らせる。フフ、お前は常に曇っていたようだが、彼等が避難した事に気付かなかったか?」

 

「避難……だと?」

 

 

そう、避難だ。

 

『彼』に全力を出して貰うには、周りに人がいると困るからだ。

 

私は『彼』に話しかける。

 

 

「もう良いぞ、スコット」

 

「誰をっ──

 

 

名前を呼ばれた瞬間、パワーブローカーが吹っ飛んだ。

 

突然、そこに腕が現れた。

身体も、足も……真っ赤なスーツに銀色のヘルメットを被った男が立っていた。

 

それは極小のサイズから、等身大に大きくなり……それでも、止まらない。

 

まだ、まだ、まだ大きくなる。

 

(アント)程の大きさから、巨人(ジャイアント)へ。

 

 

尻餅をついたパワーブローカーが驚いた顔で、『彼』を見上げた。

 

 

「なぁっ、何が……!?」

 

 

驚いて言葉も出ないようだ。

 

『彼』が巨大化して行く。

やがて屋根を突き破り、20メートル程の大きさになる。

 

 

「彼の事は知っているかね?パワーブローカー」

 

 

パワーブローカーが私を一瞬一瞥し……我に返り、即座に宙へ飛ぼうとした。

逃げるつもりだろう。

 

だが──

 

 

『おぉっと』

 

 

大きな低音の声が響く。

目の前の巨大な『彼』が発した声だ。

 

即座に、手が振り下ろされ……巨大な質量の塊と化した手がパワーブローカーに迫る。

 

 

「ぐ、おぉっ!?」

 

 

巨大な手がパワーブローカーに命中し、吹き飛ばされた。

衝撃は私の鼓膜を震わせた。

 

 

「フフ、まるでハエ叩きだな」

 

 

私は一歩下がり、落ちてきた天井……そのコンクリート片を避けた。

 

宙で叩かれたパワーブローカーは、壁にぶつかり……まるでピンボールのように弾かれた。

コンテナにぶつかり、力なく地面へ落ちる。

 

慌てて立ちあがろうと四つん這いになるも……ダメージは軽くないらしい。

自分に何が起こったか分からないようで、身動きすら取れないで居た。

 

そのまま、『彼』が一歩、地響きを立てながら進み──

 

 

「教えておこう、パワーブローカー。彼の名前はスコット・ラング」

 

 

足が振り下ろされる。

 

 

「あっ──

 

 

人の踏み潰す力は、我々の想像する以上に強力だ。

体重を全て乗せた一撃となるからだ。

 

そして、20メートル大の人間の踏みつける力は──

 

 

「そして、またの名を『アントマン』と──

 

 

砕ける音がした。

 

まるで、クレーターのように地面へヒビが入る。

 

 

「いや、今は『ジャイアントマン』と呼ぶべきかな?」

 

 

彼……巨大化したアントマンが足を退けた。

 

驚くべき事にパワーブローカーは原型を止めていた。

随分と頑丈だ。

 

だが──

 

 

「……まぁ、もう聞いていないようだが」

 

 

意識を失っているようだった。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

『何だ……?』

 

 

巨大な音がした方へ、視線が移る。

 

音は……パワーブローカーが取引場所に指定していた大型の倉庫から聞こえていた。

 

そして……天井を突き破り、銀色のヘルメットが見えていた。

 

 

 

アレは……『アントマン』だ。

ハンク・ピムか、スコット・ラングか、別人か……誰かは分からないが、あの姿、そして巨体は『アントマン』で間違いない。

 

物質の大きさを自由自在に変えるピム粒子を使い……体の大きさを変幻自在に変えられるスーパーヒーローだ。

そして、アリと意思疎通が取れる特殊なヘルメットも被っており──

 

 

 

違う、そんな事はどうでも良い。

 

重要なのはパワーブローカーがいる筈の倉庫から現れたと言う事だ。

……助けに行かなければならない。

 

アントマンが巨大化後、もう攻撃をしていないと言う事は……つまり、勝敗が決したのだろう。

まだ戦っているのなら追撃を行なっている筈だ。

 

今は倉庫がどんな状態になっているか分からない。

パワーブローカーは無事なのか?

護衛は居るのか?

そもそも取引相手は?

 

積み重なった疑問は、私の行動を億劫にさせる。

 

そして、目前にはローラ・キニーの姿がある。

……私の最優先事項は任務の遂行だ。

それはパワーブローカーの護衛だ。

 

彼女と戦っている場合ではない。

 

 

しかし──

 

 

「アッチが気になるだろうけど……行かせてあげないから」

 

 

と、ほざいている。

 

 

『チッ……』

 

 

思わず舌打ちをし、ナイフを構える。

 

さっさと、殺し……最低でも戦闘不能にして、助けに向かわなければ。

 

 

ローラが腕に生えた二本爪を構える。

アダマンチウムでコーティングされた爪だ。

彼女本来の能力は骨で出来た爪を生やすだけ……アレは彼女の所属していた研究所が施した強化処理だ。

 

 

彼女は足で地面を蹴り、私の元へ走り出す。

獣のような俊敏さ、そして凶暴さ。

 

クズリと呼ばれる動物がいる。

イタチのような生き物で大きくはないが……手を付けられない程に凶暴。

自分より何倍も大きいヘラジカを殺す。

オオカミだって殺す。

その生き物が生息する場所では「熊よりも恐ろしい」と評されている。

 

彼女の凶暴さや、荒さ、俊敏性は……それに近しい。

 

そして、クズリの英名は──

 

 

『まるで『ウルヴァリン』だな』

 

「あんまり嬉しくない褒め言葉っ!」

 

 

アダマンチウムの爪、それに私はプロテクターの赤い部分をぶつける。

アダマンチウムにはアダマンチウムだ。

 

弾かれた彼女は地面に転がりながら、爪で地面を抉った。

……いや、斬ったと言うべきか。

 

決して破壊できない最硬の金属、アダマンチウム。

彼女の爪も、決して刃こぼれせず……常に最高の切れ味を維持している。

 

コンクリート製の床に二本の傷跡が生まれていた。

 

私はナイフを腹の下に構えて、突進する。

全身の体重を乗せたタックル……その先端にナイフを構えている。

 

彼女は爪を交差させて、ナイフを防いだ。

それは想定済みだ。

 

ガードの上から、私のタックルが命中する。

 

そのまま、ローラは後ろに倒れるよう姿勢を崩し……足を振り上げた。

 

私に向かって、蹴り上げたのだ。

 

 

ヴィブラニウムのアーマーが音を響かせた。

衝突したのは足先から生やした一本の爪だ。

 

だがしかし、こちらはアダマンチウムでコーティングされていない……ただの骨の爪だ。

 

 

「くっ!」

 

 

そんな物では、ヴィブラニウムの装甲を纏った私に、小さな切り傷すら負わせられないだろう。

私は身を捩り、彼女の腹に肘を押し込み……そのまま地面へと叩きつける。

 

 

「う、ぐあっ!?」

 

 

内臓に衝撃が走ったのだろう。

そして、私の肘の先端はアーマーによって鋭利になっている。

皮膚を突き破り……打撃だけではなく、直接内臓にダメージを与えてやる。

 

体重を乗せようとし──

 

 

「どい、てっ!」

 

 

彼女に振り落とされる。

私は地面に転がりながら、コンクリート製の地面を手で叩き……立ち上がった。

 

 

『随分と辛そうだな……私を『助ける』つもりでは無かったのか?』

 

「アンタ、本当に良い性格してるね……」

 

『よく言われる』

 

 

ローラが口から血反吐を吐いた。

……内臓は既に治っている。

 

治癒因子(ヒーリングファクター)の性能ならば、私より彼女の方が遥かに上だ。

だが、身体能力ならば私の方が僅かに上のようだ。

 

そして、戦いの技術においても、だ。

 

 

「ホント、ムカつく……友達とか居なさそう」

 

 

……いや?

居るが。

 

あぁ、だが……レッドキャップとして友達と呼べるような気安い存在は居ないか。

言ってハーマンか……いや、友達ではないだろう。

腐れ縁の仲間……だろうか?

 

……どうでも良い話だ。

 

 

そんな私を見て、ローラがため息を吐いた。

随分と余裕のある顔だ。

 

 

『ここで私の足止めをしていれば、事態は解決すると思っているのか?』

 

「もちろん」

 

 

自信満々に答える彼女を見て、私は手を顎に当てた。

 

キャプテンはタスクマスターと戦っている。

ファルコンは怪物化した護衛達と。

ウィンターソルジャーはシルバーサムライだ。

 

彼女を助けに来れるヒーローは居ない。

 

 

『彼等は皆戦っている最中だろう……根拠はあるのか?』

 

「正義は勝つのよ……あなた、コミックとか読まないタイプ?」

 

『…………』

 

 

読む。

なんなら、勧善懲悪のコミックが大好きだ。

この身体になる前から……だが。

 

 

『コミックと現実は違う……必ずヒーローが助けてくれると思うな』

 

 

これ以上、喋らせるのも不愉快だ。

私はナイフを持つ手を、背中に隠す。

 

 

一歩、踏み込み……投擲した。

ナイフは宙を割いて彼女の背後……壁に突き刺さった。

 

 

「どこ狙って──

 

 

ナイフの柄にはワイヤーが付いている。

クローから接続したワイヤーだ。

 

彼女がそれに気付いたが……私は素早くワイヤーを弾いた。

 

宙で弛んだワイヤーが輪を作る。

 

そのまま、もう片方の腕で掴み、引き絞る。

 

 

「あぐっ!?」

 

 

彼女の首に、ワイヤーが巻かれた。

首を絞めるように、絡まる。

 

 

治癒因子(ヒーリングファクター)を持っていようが……息が出来なければ気絶するだろう?』

 

「ご、のっ!」

 

 

咄嗟に爪でワイヤーを斬ろうとし──

 

 

『させない』

 

 

私はワイヤーを手で握り、地面へ振り下ろす。

ローラはバランスを崩して、地面へ転がった。

 

 

「う、くっ……」

 

 

足でワイヤーを踏みつけ、手で巻き取る。

壁に突き刺さって居たナイフが外れて、ローラの背中に突き刺さった。

 

 

「ぎっ……」

 

 

息も出来ないからか、血の泡を吹きながら声にならない音を出している。

ギリギリと軋む音が聞こえる。

 

ワイヤーは特殊な金属繊維を結って作ってある。

確かにファルコンの装備によって切断されたが……それはヴィブラニウムだからだ。

恐らく、ローラの爪であるアダマンチウムでも切断出来るだろう。

 

だが逆に言えば、それらでなければ切断出来ないと言う事だ。

 

どんなに乱暴に扱おうが、素手では引き千切られない。

これ一本でトラックすら持ち上げられるとティンカラーが豪語する程だ。

 

全力で引き絞り、彼女をそのまま手元へと引き寄せる。

 

 

『自分より弱い人間に助けられる事はない』

 

「……ぅ」

 

 

何か喋ろうとしているが、声も出ないようだ。

目も霞んでいるだろう。

 

それでもローラは諦めて居ない。

それが……すごく不快に感じた。

 

私は彼女を踏み付ける。

 

 

「か、はっ」

 

 

溜めて居た空気すら吐き出された彼女は、爪を必死にワイヤーへと向ける。

 

 

『加虐趣味は無い……大人しく眠っていろ』

 

 

腕を蹴り飛ばし、ワイヤーへ絡めとる。

身動きを出来なくして行く。

 

 

「…………」

 

『私に助けなど要らない』

 

 

殺さずに無力化出来るのであれば……トドメを刺す必要もない。

 

そのまま引き絞り、身体を──

 

 

「……っ!」

 

 

彼女が片方の腕を振り上げた。

 

私はワイヤーを切断させないよう、体の位置を入れ替え──

 

いや、違う。

狙いはそこではない。

 

まさか。

 

 

「ぐ、あが、あっ!」

 

 

爪は自身の首へと突き刺さって居た。

抉るように、喉を縦に引き裂いたのだ。

 

正気の沙汰ではない。

 

思わず怯んだ……直後、首に巻いて居たワイヤーが切断されて居る事に気付いた。

 

 

『チッ!』

 

 

治癒因子(ヒーリングファクター)持ちは狂っている。

自分の痛みに鈍感で、必要とあれば自身の身体も切り刻む。

 

私にも分かる。

同じだからだ。

 

呼吸が整ったローラが、動きの精細さを取り戻した。

 

グン、と何かに引っ張られた。

私が繋いだワイヤーを握り返し、引っ張ったのだ。

 

 

『舐めた真似を……!』

 

 

逃げる訳ではなく、私が退がれないように行動した。

 

だが、私が退く訳ないだろう?

何故、自分より弱い相手に逃げなければならない?

 

 

目前にアダマンチウムのクローが迫る。

腕のプロテクター……赤い、アダマンチウム部分で防ぐ。

そのまま滑らせて、拳を彼女の顔に叩き込む。

 

彼女は野生的だが、近接戦闘は私の方が技術で勝る。

ならば、負けはしない。

 

拳が減り込み、顔面を陥没させる。

 

 

「ぐっ!?」

 

 

それでも彼女は怯まない。

鼻もへし折れている筈だ。

治癒因子(ヒーリングファクター)で傷は治るが、痛みはある筈……それでも一瞬も怯まなかった。

 

 

「う、がぁっ!」

 

『やはり、獣のようだな……!』

 

 

血を撒き散らしながら、爪を突き出す。

 

それを私は身体を横にし、そのままローキックを繰り出す。

 

足払いを食らった彼女は、そのまま地面へと倒れ込む。

 

 

『あのまま気絶していれば、痛い目を見ずに済んだだろうに』

 

 

私は足を振り上げ、彼女に向かって叩き落とそうとし──

 

直後、彼女が仰向けになった。

 

 

『何を──

 

 

振り翳した足は、彼女の腹に突き刺さる。

 

 

「うっ、ぐっ──

 

 

そして、彼女は口を膨らませ──

 

 

「べっ!」

 

 

血を吐き出した。

いや、吹いた。

 

それは、勢いがあった。

 

口に血を溜めて居たのだ。

攻撃を喰らいながら……それでも溜めていた。

自身の喉に爪を突き刺した時から、ずっと血を頬に溜め込んでいたのだ。

 

十分に圧力の掛かった血は、口から吹き出されて……私のマスクへ掛かった。

 

 

『なっ──

 

 

視界が黒く染まる。

このマスクはカメラで撮った映像を、内部へ投射している訳ではない。

マジックミラーのように外側からは真っ赤に見えるが……内部からは透けて見える特殊な金属で出来ている。

 

よって、血液によって視界が遮られれば──

 

 

「は、はぁ……どう、前が見えるかしら」

 

『姑息な……事を……!』

 

「アンタ達に言われたく、無いかな……」

 

 

手で血を拭おうとするが……取れない。

ベッタリとくっ付いている。

 

直後、身体に何かがぶつかり、押し倒される。

血のついて無い部分から見えたが……ローラに押し倒されたか。

 

 

「その気取ったマスク、引き剥がさせて貰うからっ!」

 

 

まずい。

マスクが無くなれば弱くなる……訳ではない。

 

だが、顔を見られるのはダメだ。

両腕を交差し、顔の前に出す。

 

 

『ぐっ!?』

 

 

瞬間、何かが腕に突き刺さった。

激痛。

 

骨までヒビが入った。

 

アダマンチウムの、爪だ。

 

私のアーマーを突き破り、突き刺さったのだ。

 

だが、これは好機だ。

そのまま突き刺された腕に力を込める。

 

 

「なっ、このっ……!」

 

 

抜こうとしても抜けないのだろう。

私は自身の腕の骨で、爪を挟み込んだ。

 

思わず叫びそうになるほど痛い。

 

だがしかし、放すつもりはない。

 

彼女の位置は分かる。

私が掴んだ腕の先にいる。

 

足を一歩、下げて……蹴り上げた。

 

 

「う、ぐっ……」

 

 

感触から……腹だ。

肋の数本を打ち砕いた。

 

内臓に骨が突き刺さり……痛むだろう。

だが、治癒因子(ヒーリングファクター)持ちはこの程度では致命傷にならない。

 

爪は私に刺さったまま。

ワイヤーも腕同士で絡まっている。

 

ならば見る必要もない。

もう片方の腕を振り下ろす。

 

 

「くっ」

 

 

彼女は即座に、私の腕に突き刺していた爪を収納し……ワイヤーも手放し、後退した。

 

……今、彼女が何処にいるのか分からない。

 

マスクの血を触るが……固まって、くっ付いている。

剥がれない。

 

視界が見えないまま、彼女に勝つのは至難だ。

今すぐ、このマスクを開ければ……この戦いには勝てる。

 

だが、私の素顔を知る人間が居れば……もし、万が一にでもミシェル・ジェーンと紐付けられてしまえば。

 

二度と、私は顔を出して表を歩けなくなる。

組織も私に自由を許さないだろう。

 

決断を遅らせれば……それだけ、不利に──

 

風を切る、音が聞こえた。

 

 

「がっ……!」

 

 

何かが彼女に突き刺さったのか。

 

 

私はマスクについた血を、指で擦った。

辛うじて、ほんの少し見えた。

 

……ローラの首に、矢が刺さっていた。

 

 

「迷いは人を弱くする」

 

 

声が聞こえる。

男の、声だ。

 

 

『タスク、マスターか』

 

「まだ迷っているのか?」

 

 

化合弓(コンパウンド・ボウ)を仕舞いながら、彼が私に近付いた。

 

ローラは身動きもせず、地面に転がっている。

辛うじて胸が上下している事から……息はあるようだ。

矢に刺された傷程度ならば、すぐに治る筈だが……。

 

 

『……彼女はどうなっている?』

 

「神経毒だ。喰らえば半日は意識を失う……だが、治癒因子(ヒーリングファクター)持ちならば死にはしない」

 

 

その言葉を聞いて……安堵した。

安堵……安堵、か。

 

私の思っている以上に、彼女へ入れ込んでいるのかも知れない。

死なせたくないと考える程度には。

 

 

『何故、ここにいる?キャプテンは?』

 

「当分は立てない程度には痛め付けて来た」

 

『殺しては──

 

「いないな」

 

 

……なら、彼はもう復活しているだろう。

重症のまま動き出している筈だ。

 

あのタフネスさは肉体に依存している訳ではない。

彼は心が折れない限り、強靭な精神力を持って行動し続ける。

 

 

タスクマスターが倉庫へ視線を向けた。

巨大なアントマンの姿はない。

ただ屋根が壊れて無くなっている。

 

 

「……パワーブローカーは?」

 

『恐らく、あの倉庫の中だ』

 

「そうか」

 

 

タスクマスターが倒れたローラを無視して、倉庫へ足を向けた。

私も続いて向かおうとし──

 

 

「来なくて良い」

 

 

と返された。

 

……私だって、そうしたい。

だが、無理だ。

 

『奴を守る事が私の任務だ。途中放棄を組織は許さない』

 

「……好きにしろ」

 

 

タスクマスターの後ろを歩く。

……後ろで倒れているローラを一瞥する。

 

ローラは、私を助けようとしていた。

そんな彼女を……痛め付けて、コンクリートの床に転がせている。

 

私は酷い奴だ。

 

だが、それでも……救いの手は要らない。

これで諦めてくれれば良いが……恐らく、無理だろう。

突き刺されて、首を絞められても戦う……そんな彼女は諦めが悪いだろうから。

 

この場で殺した方が、私にとっては良い筈なのに。

それでも……やはり、死んで欲しくはなかった。

 

私は中途半端な……酷い奴だ。

本当に。

 

 

『もし何者かに拘束されているのであれば、助けなければならない』

 

「……あぁ、そうだな」

 

 

タスクマスターが少し、悩むような素振りで返事をした。

私はそれを訝しみつつも、肯定と受け取り納得する。

 

後ろ髪を引かれるような気持ちのまま……その場を後にした。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

「こんなものか」

 

 

私は目の前で倒れているパワーブローカーを縛った。

と、言っても縄とか紐ではない。

 

『S.H.I.E.L.D.』製の電磁ロックだ。

体にコインのような金属を複数貼り付け……それが各々引き寄せあって、固定する。

ハルクの動きを阻害できる程の拘束力を持つ。

 

私は小さくなり、等身大に戻ったアントマンへ声を掛ける。

 

 

「助かった、スコット・ラング」

 

「いや、どうもフューリー……それより、忘れてないよね?」

 

 

私は彼……スコットの発言に頷く。

 

 

「これで『S.H.I.E.L.D.』の保管庫に侵入した件は不問にしておく。今度からは必要な時、必要な物を申請するように」

 

「どうも、どうも……でもピム博士が嫌がるからさ」

 

 

ハンク・ピム……アントマンのスーツを作った、先代の『アントマン』だ。

そして、物質のサイズを自由に変えるピム粒子を発見した科学者でもある。

 

昔は『S.H.I.E.L.D.』に所属していたし、アベンジャーズの初期メンバーでもあったが……少し、いや、かなり性格に難がある男だ。

今は組織から脱退し、娘と暮らしている。

 

そして、何か事あるごとに『S.H.I.E.L.D.』から自身の発明品を盗んでいる。

……当人は「私が作ったものだから、私の物の筈だろう?」と言っているが。

 

だが、今は『S.H.I.E.L.D.』……いや、国連の所有物だ。

盗むのは辞めて貰いたいが。

 

 

「……また侵入する度に、一つ私の言う事を聞いてくれるなら別に良いぞ?」

 

「いや、僕だって別にやりたくてやってる訳では……それに頼み事って危険な事だよな?今回みたいに」

 

「世界を救う手伝いだ」

 

 

私は無線を起動して、避難しているエージェントを呼び戻す。

 

 

「うわぁ、光栄だなー。でも、やっぱり危険なのは『ノー』でお願いしたいんだけど……棚の下に落ちた指輪の探索とかは、手伝っても良いよ」

 

 

スコットが喋っているのを聞き流しながら、私は拘束したパワーブローカーに近付き──

 

目の前に矢が横切った。

 

 

「うわっ!?」

 

 

そして、私より離れた位置にいたスコットが驚いた。

……そのまま、視線を横に移す。

 

 

「遅かったな、トニー・マスターズ」

 

 

髑髏のマスクを被った、フードの男が立っていた。

 

 

「……何だ、その名前は?私はタスクマスターだ」

 

「そうか、それなら君に倣って『タスクマスター』と呼ぼう」

 

 

本名を忘れているのか。

 

横からスコットが耳打ちをしてくる。

 

 

「もしもし、フューリー。彼とも戦えって言われる感じ?」

 

「……大きくなって踏み潰せば良いだろう?」

 

「大きくなれるのは数分だけ……それ以上すると頭がおかしくなるんだ」

 

「聞いてないぞ」

 

「聞かれてないし」

 

「…………」

 

 

土壇場で大事な事を言い出すスコットに、頭を抱えそうになる。

 

 

「無駄話はやめて貰おう……そこの男は私が預かる」

 

 

タスクマスターがパワーブローカーへ一歩近付く。

 

 

「フューリー、僕はどうすれば良い?」

 

「無理はしなくても良い……だが、戦えるか?」

 

「うーん、まぁ、勿論」

 

 

瞬間、スコットが走り出し……視界から消えた。

小さくなったのだろう。

 

彼は小さくなってもパワーは変わらない。

寧ろ、圧力のかかる面積が減る為……まるで弾丸のような攻撃となる。

 

そのままタスクマスターへ──

 

 

『ぎゃっ』

 

 

ペシン、と音がして何者かに叩き落とされた。

注視すればスコットが地面で転がっている様子が見えた。

 

……まぁ、大したダメージは負って居ないだろう。

 

そう思っていると、等身大の大きさに戻り私の横に戻って来た。

 

 

「フューリー、アレは誰だ?何か凄く怖い顔してるんだけど」

 

 

私はスコットを叩き落とした者へ、視線を戻す。

 

 

それは、血で汚れた赤いマスクを被っている。

……伝承通り、そのままの見た目だな。

 

罪のない者を殺し、その血で帽子を染める邪悪な妖精──

 

 

「初めまして、レッドキャップ」

 

『……ニック・フューリーか』

 

 

老いも若さも、性別すら感じさせない機械の声だ。

……成る程、正体を隠す事に長けているようだ。

 

顔だけではなく、全身の至る所が血塗れだ。

……恐らく、ローラの返り血か。

 

死んでいないとは思うが……万が一の事があれば困るな。

彼女は『S.H.I.E.L.D.』や『アベンジャーズ』のメンバーではない。

 

だが、目の前に居るのは探していた相手だ。

今は彼女に集中したい。

 

この作戦の第一目標はパワーブローカー。

だが、二つ目は……彼女だ。

 

血塗れの赤いマスクと、私の視線が交わる。

 

無言で顔を向かい合わせる。

マスクの下では、どんな表情をしているのか……私は思案していた。

 

 

そして──

 

 

「うわっ、こっちのスーツにも血が着いてる!誰の血だよ、これ!」

 

 

スコットが気の抜けるような声を出していた。



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#82 クライ・フォー・ザ・ムーン part8

私は目前の……眼帯の男を見る。

コイツが、ニック・フューリーか。

 

『S.H.I.E.L.D.』の長官で……グウェンにシンビオートを植え付け、危険な世界に巻き込んだ男。

 

思わず、眉間に皺が寄った。

 

 

「レッドキャップ、君と会って話がしたかった」

 

 

フューリーがそう言った。

 

 

『別に貴様と話す事などない』

 

 

何故、こんな奴に目を付けられているのか……分からない。

不快だ。

 

 

「……ローラ・キニーはどうした?その血は、ローラの物だろう?」

 

『フン、気になるのであれば、自分で確かめに行ったらどうだ?すぐ外で転がっている筈だ』

 

 

フューリーが気にするように視線を外へと向けた。

そして、フューリーが視線をタスクマスターへと向けた。

 

……何を考えているのか?

私には分からない。

 

ただ数手先を見透かされているような、居心地の悪さがあった。

ニック・フューリーの戦闘力は大した事はない……だが、奴の知能、策略……勘の鋭さは危険だ。

 

奴に興味を持たれた事は、私にとっての不運だ。

間違いなく。

 

フューリーの視線が私へ戻る。

 

 

「さて、君達はそこの……パワーブローカーが欲しいのか?」

 

『そうだ、邪魔をすれば……』

 

「くれてやる」

 

 

思わずマスクの下で眉を顰めた。

 

 

『何だと?』

 

「え?」

 

 

アントマンも驚いて、フューリーを見ている。

……と言う事は、フューリーの独断か?

 

横のタスクマスターに視線をズラす……腕を組んでフューリーを見ている。

マスク越しだから、何を考えているか分からない。

 

だが、驚いては居ないようだ。

……それとも、驚いていないフリをしているだけか?

 

 

「聞こえなかったのかね?レッドキャップ」

 

『違う、お前の正気を疑っている』

 

「ハハ、至って正気だとも」

 

 

フューリーが苦笑した。

 

 

「私は君達と戦って勝算は無い。ならば、ここで手打ちにするのが良いと思っただけだ」

 

『…………』

 

 

嘘だ。

 

間違いなく、嘘。

 

フューリーは執念深く、正義の為ならば自身の命を投げ打つ事すら厭わない男だ。

身の安全のために犯罪者を受け渡す?

それも、ここまで大掛かりな作戦までした相手を?

 

あり得ない。

 

何か、考えがあるのか?

 

 

『どうする?タスクマスター?』

 

 

思わず、タスクマスターへ声を掛ける。

少し悩むような素振りを見せて……口を開いた。

 

 

「一旦、ここは連れ帰るのが得策だ。このまま、ここに居れば……聞こえるか?」

 

 

訊かれて、私は耳を澄ます。

……チッ、複数の足音が聞こえる。

 

『S.H.I.E.L.D.』のエージェントか?

少なくとも私達の援軍ではないだろう。

 

フューリーの取引とやらも、私を疑心暗鬼にさせて時間を稼ごうとしている策なのかも知れない。

……奴の言葉は何一つとして信用出来ない。

 

私はタスクマスターへ声を掛ける。

 

 

『パワーブローカーは……私が抱える』

 

 

タスクマスターがフューリーとアントマンを警戒している間に、パワーブローカーを抱き上げ──

 

随分と重いな。

まるで金属で出来ているかのような重さだ。

100キロはオーバーしているだろう。

 

だが、私は超人だ。

無理矢理、肩に背負い持ち上げる。

 

 

「おぉ、凄い力持ち」

 

 

アントマンがふざけた事を言う。

私より身長の高い人間を担いでいるのが、物珍しく見えるのだろう。

 

呑気な発言に苛立ちつつ、外へ向けて後退る。

フューリーから目を離したくないからだ。

 

しかし、タスクマスターは警戒する様子もなく、私の横を素通りし……出口へと歩き出した。

 

慌てて追い掛けようとして──

 

 

「レッドキャップ」

 

 

フューリーに声を掛けられた。

顔だけ……フューリーへと向ける。

 

 

「『S.H.I.E.L.D.』は君を歓迎する。司法取引も考えている。そんな仕事は辞めて、私に付かないか?」

 

『…………』

 

 

不可能な提案に、苛立つ。

 

 

『断る』

 

「……だろうな」

 

 

この返答は想定していたようで、フューリーは気にせず頷いた。

何なんだ、コイツは。

何を考えているんだ?

私をバカにしているのか?

 

 

そして──

 

 

「いつか、君を解放してくれる誰かが現れた時……その時は助けになろう」

 

 

なんて、事を言う。

 

私を解放する?

違う、そんな者は現れない。

このドス黒い泥のような世界で、ずっと泳ぎ続ける。

それが私の人生なのだ。

現れたとしても……私は手を取らない。

取れない、だろう。

 

私は顔を背けて、口を開く。

 

 

『私は……期待なんてしない。期待しなければ……失望もしない』

 

「それは君の哲学か?それとも、誰かの言葉か?」

 

 

黙る。

 

これ以上は話す事など無い。

寧ろ、話し過ぎてしまったぐらいだ。

外に出たタスクマスターを追いかけて、その場を後にした。

 

後ろから追ってくる気配はなかった。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

「フューリー、本当に良かったのか?あの紫色の彼を捕まえるのに結構頑張ってた筈なのに」

 

 

スコットが私へ問い掛ける。

 

 

「あぁ、問題ない。既に手は打ってある」

 

「……へぇ、それって教えてもらえる?」

 

「無理だな」

 

 

スコットの疑問を無視して、彼らの出ていった出口を見つめる。

 

 

「期待しなければ失望もしない……か」

 

 

レッドキャップの言葉を思い返す。

……酷く、消極的な言葉だ。

まるで夢も希望もないような、言葉……だが、私はそれに、少しの希望を感じた。

 

何故なら、彼女の本心では……期待したいと思っているからだ。

期待は出来ないが……期待はしたい、のだろう。

 

そうでなければ、こんな事は言わない。

彼女自身は気付いて居ないのかも知れない……だとしたら、無意識に漏れた言葉だ。

 

考えて話す言葉よりも、何も考えず話す言葉の方が……本当の心が宿る。

私はそう思っている。

 

彼女は諦めている。

だから、それ以上に期待できる誰かが居れば……彼女を救えるかも知れない。

 

その為には彼女を取り巻く害意を、私達は取り除かねばならない。

今はただ、助ける為の手段も……助けられたいと思わせる状況も、見つからない。

 

これは私の落ち度だ。

もっと彼女について……組織について、調べなければならない。

 

そして、振り返り……別の出口からやって来た相手を見る。

 

 

「遅かったな、サム・ウィルソン……バッキー・バーンズ」

 

 

酷く疲弊した様子のファルコン(サム・ウィルソン)と、ウィンターソルジャー(バッキー・バーンズ)が立っていた。

 

バッキーの腕は……左肩から先がない。

鋭利な断面で切断された様子で、切断された左腕を右脇に抱えていた。

 

サムが少し苛立った様子で、私に話し掛ける。

 

 

「本当に人使いが荒い……こっちは大変だったんだぞ?」

 

「そうか?」

 

「あぁ、そうだ。殺人エージェントの赤いお嬢さんとダンスして、よく分からないエイリアンみたいなのに変身した一般人と戦った。本当に疲れた……一週間の休暇をくれ」

 

 

サムが悪態を吐いた。

 

 

「良いぞ……しかし、その……変身したエイリアンとは何だ?スクラル人か?」

 

「いや違う、物の例えだ。パワーブローカーの発明で無理矢理、バケモノに変身させられた奴らだ……今はトンネル内に縛って放置してる」

 

「……ふむ、遺伝子的な物ならブルースに任せよう。魔術的な物なら……ストレンジが最適だな」

 

「どっちでもいい。でも、あんまり実験体みたいに扱ってやるなよ?可哀想だから」

 

 

その言葉に思わず苦笑した。

 

 

「私を何だと思っているんだ」

 

「秘密主義者で、必要とあれば何でもするヤバい長官」

 

「……否定はしないが、何でもはしないぞ?そして──

 

 

会話を終えて、バッキーへ視線を向ける。

 

 

「バッキーは──

 

「バーンズだ。そこまで親しくなったつもりはない」

 

「そうか。バーンズ、その腕はどうした?」

 

「……サムライに斬られた」

 

 

バッキーが顔を顰めて、そう言った。

 

私は頭の中の情報を探る。

……ヴィブラニウムを切断できるようなサムライ?

そんな奴は一人しか知らない。

 

 

「なるほど、シルバーサムライか?」

 

「知るか。ただ銀色(シルバー)だったのは確かだ……そのままの名前だな」

 

 

バッキーが壁にもたれ掛かった。

腕が無くなって体のバランスも取りづらいのだろう。

 

険しい顔をしているが、無視して声を掛ける。

 

 

「その腕はワカンダに直して貰えばいい……そして、シルバーサムライはどうした?」

 

「逃げられた……いや、痛み分けと言った所か。それこそ深い傷を負わせたが……俺もこの通りだ」

 

 

自身のヴィブラニウム製のサイバネティック・アームを指差した。

 

 

「そうか……君も休暇が必要か?」

 

「当然だ……当分、腕が直るまではな」

 

 

その言葉に頭を悩ませる。

彼等のような超人レベルのエージェントは少ない。

 

穴埋めは……この間、エジプトでスカウトした男に頼むか?

しかし、彼は独自の宗教観念でしか──

 

いや、今はそんな事を考えている場合ではないか。

 

 

「外にローラ・キニーは居たか?」

 

「ローラ……あぁ、あの喧しい奴か……いや、見なかったが──

 

 

シャッターが蹴破られた音がした。

即座に全員がそちらを警戒し……入って来た人物の姿に溜息を吐いた。

 

 

「すまない、フューリー!出遅れたが……今はどんな状──

 

「キャプテン、もう終わっている」

 

 

そこに居たのは……満身創痍のキャプテン・アメリカ(スティーブ・ロジャース)だ。

服もボロボロで血塗れ……本当に、病院のベッドで寝ていないのが不思議なぐらい重傷だ。

この中にいる誰よりも傷を負っている。

 

恐らく内臓や骨、見えていない部分も傷だらけだろう。

 

偏に精神力だけで動いている状態だ。

恐れ入る。

 

 

「そう、か……間に合わなかったか」

 

 

ずるり、と、そのまま壁にもたれ掛かった。

 

……ここは野戦病院か?

重症人が多過ぎる。

 

 

「フューリー、彼女は……?」

 

「レッドキャップなら、もう居ない」

 

「……そうか」

 

 

酷く落ち込んだ様子で項垂れる。

……仲間でもない、いや寧ろ敵である少女の為にこれ程に想える……それは彼の美徳なのだろう。

 

だが、想いだけでは人を救えない。

現実的な計画(プラン)が必要だ。

 

 

「……フューリー、タスクマスターから、幾つか……彼女について、情報を引き出せた」

 

「そうか」

 

 

私は頷く。

どこまでタスクマスターを信用して良いかは分からない。

彼は余りにも不安定な存在だからだ。

記憶も、立場も。

 

 

「フューリー……拠点に戻ったら……作戦を……」

 

 

そこまで言って、キャプテンが黙った。

目を閉じて、顔を地面へ向けた。

 

……気を失った、か。

 

その様子にスコットが慌てて騒ぎ出した。

 

 

「ちょ、ちょっとフューリー!?キャプテンが──

 

「大丈夫だ。いつもの事だからな」

 

 

彼は限界まで体を酷使し……そして限界すら超えて……唐突に糸が切れたように気を失う。

今回が初めてではない。

 

 

「なんだ、じゃあ大丈夫なのか?」

 

「いや、放って置いたら死ぬ」

 

「……『S.H.I.E.L.D.』ってブラックなの?」

 

 

スコットの戯言は無視して、私は外へ視線を向ける。

 

『S.H.I.E.L.D.』のエージェントがローラを担架に乗せて運んでいる。

医療部隊も、もう直ぐ到着するだろう。

 

戦いは終わった。

何も解決はしていないが、それでも……。

より良い方向へ進んでいると確信している。

 

空を見ても、薄暗い雲が太陽を覆っていたが……いつか晴れると、私は信じていた。

 

そして、その雲を払うのは──

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

『……タスクマスター、よく車を見つけられたな』

 

私は助手席に座り、タスクマスターは運転席に座っていた。

後部座席にはパワーブローカーが横倒しになっている。

 

なんて事はない。

 

取引先の工場から出た私達は、偶々、鍵のかかったままのワンボックスカーを見つけたのだ。

……そう偶々。

 

 

 

本当にそうか?

 

 

 

この治安が悪いマドリプールで、そんな偶然、鍵のかかった車なんて見つかるのか?

私はタスクマスターを訝しんだ。

 

彼は迷わず、この車を選んだ。

鍵が掛かっているのを知っているかのような動きだった。

 

それは何故だ?

 

彼が逃走用に車を用意していた……そう考えるのが妥当だ。

だが、彼はそれを語らない。

 

だから、私は訝しんでいた。

 

しかし、彼が裏切る事はないとは思っている。

タスクマスターは金に忠実だ。

雇い主であるパワーブローカーを裏切る事は──

 

 

「う、ぐ、ぐぞっ、こごは……?」

 

 

声が背後から聞こえた。

後部座席を覗き込むと、パワーブローカーが意識を取り戻したようだ。

 

……死んでいてくれれば良かった、という気持ちもあるが……死なれていれば任務の不達成となり、私の立場が危うくなる可能性がある。

 

なら、素直に喜ぶべきだろう。

……そう、喜ぶべきだ。

 

タスクマスターが車を止めた。

 

私は……不本意だが、パワーブローカーへ声を掛けた。

 

 

『大丈夫か?パワーブローカー?』

 

「だ、大丈夫な訳があるかっ……この、役立たず、どもめ……!」

 

 

大丈夫そうだ。

溜息を吐きそうになるが……我慢する。

 

タスクマスターがドアを開け、車から出た。

 

……何だ?

先程から、奴は何をしている?

今すぐ可能な限り、取引場所から離れるべきだ。

車から降りている暇なんてない筈……。

 

パワーブローカーの拠点まで、急いで戻って──

 

 

ガチャリ、と後部座席のドアが開いた。

そして、タスクマスターは……パワーブローカーへ手を伸ばした。

 

 

『何を──

 

 

 

そのまま足を掴み、大雑把に車から引き摺り降ろした。

 

 

 

「う、がっ……!?」

 

 

頭部を地面に強く打ったパワーブローカーが、驚いたような声を出した。

 

私は慌ててドアを開けて、タスクマスターへ近付く。

 

 

『お前、何をしている……!』

 

 

私の問いかけを無視して、タスクマスターが剣を引き抜いた。

そして、身体が本調子ではなく、床に転がったままのパワーブローカーへ向けた。

 

咄嗟に、私はタスクマスターへナイフを向ける。

即座に投げられるよう、身を捻りながら。

 

 

「何、か?私の仕事をしている」

 

『仕事だと……?任務は、パワーブローカーの護衛だろう?』

 

 

私はにじり寄ろうとして……少し動く度にタスクマスターが剣をパワーブローカーへと近付けた。

 

これは脅しだ。

これ以上、動けば殺すと言う脅しなのだ。

 

 

「そ、そうだ、タスク、マスター……貴様、私を、裏切──

 

「私は高い金を払う者に付く。恨むのならば、私に払う報酬を決めた、過去の自分を恨め」

 

 

その言葉に私は気付いた。

 

コイツ……タスクマスターは、金に忠実だ。

だから、雇い主であるパワーブローカーを裏切らないと思っていた。

 

だが、彼が払う以上の金額を報酬として提示されれば……タスクマスターは裏切る。

 

そして、今から報酬を釣り上げても遅い。

タスクマスターは一度裏切った相手に再び付く程、不用心ではない。

 

それはパワーブローカーも分かっているようだった。

 

 

「ぐ、ぐぞっ、レッドギャップ!今すぐ私を、助けろ!コイツを殺ぜ!」

 

「……だ、そうだ。どうする?」

 

 

二人の視線が私を貫く。

 

ここはタスクマスターを殺害し……パワーブローカーを助けるべきだ。

だが、タスクマスターは……いや、パワーブローカーは……くそ、何だ?

どうしたら良い?

 

私の中に「このまま、パワーブローカーには死んで欲しい」というドス黒い願いがあった。

 

私はマスクの下でタスクマスターを睨み付ける。

 

 

『到底、許される事ではない。この裏切りは、お前の立場を──

 

「私は物事を決める時、己の信念に従って決めている。一つ、筋の通った己の信念だ。外野はどうでも良い話だ」

 

 

タスクマスターの言葉に怯む。

私は、恐れていた。

 

目の前の男の覚悟に……脅しではなく、本気で裏切ろうとしている男の姿に。

ここで裏切れば、パワーブローカーだけではなく、彼に関わる全ての組織から追われる事になる。

 

それはきっと、安寧とはかけ離れた道だ。

 

それでも彼は裏切るのだと言う。

 

……どうして、そんな選択を選べるののだろうか?

私には無理だ。

 

 

「いかれ、てる……は、早く、助けっ──

 

「……私の講義を、遮るな」

 

 

剣をパワーブローカーへ押し当てた。

 

 

「ぐ、あが、あががあ」

 

 

溶けるような音がする。

橙色に発光している剣は熱エネルギーも発しているようだ。

 

 

『お前はっ──

 

 

私はタスクマスターへナイフを投げようとして──

 

 

「迷うな」

 

 

投げ、投げようと──

 

 

「どちらを選んでも良い。だが、迷うな」

 

 

ナイフを──

 

 

「選択を誤ってもいい。だが、分かれ道に立った時……そこで無為に立ち尽くすな」

 

 

……私、は。

 

 

「己の意志で選べ」

 

 

私は。

 

 

『こ、のっ!』

 

 

ナイフを、タスクマスターへ投げた。

 

私の選んだ道は、組織に忠誠を誓う道だ。

敵対するのであれば、例え……私を助けてくれた相手だろうと……!

 

 

ナイフは……呆気なく、タスクマスターの盾に弾かれた。

私のナイフが、宙を舞う。

無意味に。

 

 

「それで良い」

 

 

そして、タスクマスターの剣が──

 

 

 

『待っ──

 

 

 

パワーブローカーの、首を刎ねた。

 

 

「だが、時として選択の結果は思い通りにならないものだ」

 

 

ごとり、と紫色の頭が転がる。

血は……出ていない。

 

衝撃で脳が停止したが……切断された首、その断面図へ目を向ける。

 

 

 

 

それは……人体を模しているが、血管などない。

 

 

 

金属製の脊椎……そして、幾重にも絡まったコード。

 

 

『機、械……?』

 

 

機械仕掛け、だった。

 

私がパワーブローカーだと思っていたのは……生物ですら無かった。

 

 

「……そう言う事か」

 

 

タスクマスターが髪を掴み、頭部を持ち上げる。

 

私を……私達を苦しめていたのは……。

あの、子供達を殺したのは……。

 

機械、だと?

 

人間ですら無いと、そう言うのか?

私達は無機物に苦しめられて来たと?

そう、言うのか?

 

怒りと、虚しさ。

 

二つが胸に渦巻く。

 

 

『どう言う事だ……タスク、マスター?』

 

 

思わず、問いかける。

 

 

「お前は『そちら側』なのだろう?……ならば、もう教える事はない。道は分かれた」

 

 

何も分からない。

何も、信じられない。

 

大海を泳ぐ小さな魚が、海の広さも分からず……ただ迷い続けるように。

 

 

『……私は』

 

 

どうすればいい?

 

 

「その車は貴様にやる……何処にでも行くが良い。卒業証書の代わりだ」

 

 

ふざけた物言いをして、自分だけが分かったような顔をするタスクマスターに苛立つ。

だが、もう戦意は喪失していた。

 

護衛対象は殺され……いや、破壊された。

今更、こいつと戦った所で得られる物はない。

 

そう、判断した。

 

決して、勝てる見通しが無いから、ではない。

 

 

頭を握ったタスクマスターが、腕からワイヤーを射出した。

それは廃ビルの壁に突き刺さり、彼を宙へと持ち上げた。

 

私は彼を、ただ睨む事しか出来なかった。

 

 

「最後に一つだけ、言っておこう」

 

 

そんな私を見下ろしながら、口を開いた。

 

 

「選んだ道の先が、地獄だとしても……私達は選び続けなければ、ならない」

 

『何が、言いたい……』

 

「選んで後悔するのは良い。だが──

 

 

廃ビルの隙間……鉄骨の上に立ち、私を見る。

 

 

「選ばずに後悔する事は無いように……これは最後の助言だ」

 

『分かったような事をっ──

 

 

私の言葉も聞かず、タスクマスターがその場を離れた。

 

私はただ……一人で立ち尽くしていた。

 

何も。

 

何も分からない。

 

私は何を……しているのだろうか?

 

何が、したかったのだろうか?

 

息苦しい。

 

今すぐこの、血塗れのマスクを脱ぎたかった。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

私は机に座り、書類を纏める。

 

……あまり小綺麗ではない、マドリプールの拠点。

『S.H.I.E.L.D.』の本部とは大違い。

……もう、何年も戻ってないけれど。

 

LEDでもない蛍光灯の灯りに照らされて、身支度をしていた。

 

机の上には私のパスポート。

名前は……『メルセデス・マ──

 

 

「メルセデス」

 

 

ドアが開き、男が入って来た。

その手には……パワーブローカーの生首。

ギョッとして注視すると……切断面から機械である事が窺えた。

 

そして、入って来たのはタスクマスターだった。

 

そのまま、ずかずかと私へ近寄る。

生首は地面に投げ捨てられた。

 

 

「もうここから出る準備は出来てるわ。後は貴方の──

 

 

両手で、抱き締められた。

……驚いたけれど。

 

嫌、ではない。

 

私は懐かしさを感じていた。

 

だけど、この行動が何を思ってかは分からない。

私はタスクマスターへ声を掛ける。

 

 

「どうかした?」

 

「……いや、すまない。私にも、分からない」

 

 

手がスルリと離れ、私から離れた。

 

一抹の寂しさを感じつつ、私はパワーブローカーへ目を向ける。

 

 

「任務は達成ね」

 

「……あぁ」

 

 

私はフューリーから依頼されていた任務を、タスクマスターへと受け渡したのだ。

彼はフューリーからの依頼だと知らないが。

 

しかし……あの、パワーブローカーの頭部は……機械?

 

 

「あの頭は……」

 

「依頼主にでも渡しておけ」

 

「分かったわ」

 

 

パワーブローカーが機械だったのは誤算だ。

だが、その頭部……恐らく、メモリーか何かがある筈だ。

情報をフューリーが喉から手が出るほど欲しがっている。

だから、嬉しい誤算だ。

 

そして、私は鞄へ荷物を押し込む。

 

マドリプールにはパワーブローカーの部下がまだ居る筈だ。

死んだとは言え、影響力は大きい。

 

直ぐにでも、ここから離れる必要がある。

私も、タスクマスターも。

 

必要な書類、最低限の荷物、護身用の武器……料理のメモを詰め込み──

 

 

タスクマスターが、私のパスポートを手に取った。

 

 

「……何?急いでるのよ、私は」

 

「いや、すまない」

 

「謝るだけじゃ分からないわ。何か、気になる事でも?」

 

 

タスクマスターの目が、私の名前へ向いていた。

 

 

「……『メルセデス・マスターズ』」

 

「えぇ、そうよ?それが?」

 

 

私の名前を噛み締めるように言った。

……思い、出したのだろうか。

 

私の胸にほんの少しの期待と──

 

 

「いや、何処かで聞いた気がしただけだ」

 

 

大きな失望が生まれた。

 

分かっていた。

彼が……もう、思い出せない事も。

 

知っている。

 

だけど、私だけは……彼を忘れない。

 

『トニー・マスターズ』を覚えているのが、私だけだとしても。

 

 

私は内心を悟られないように気を付けつつ……口を開く。

 

 

「……また、新しい場所で仕事を見つけましょう?」

 

「そうだな」

 

「例え、何処に行ったとしても……仕事は見つかるわ」

 

「そうだな」

 

 

単調な返答をするタスクマスターから目を逸らし……私は鞄から顔を覗かせる料理のメモを見た。

 

チキン・スブラキ。

落ち着いたら、また作ろうと……そう、考えた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

レンチを磨く。

 

道具の汚れは心の乱れに繋がる。

 

僕は地下室で、整理をしていた。

 

……レッドキャップ、彼女に貸し出したバイクの応答がなくなって不安が……いや、あぁ、うん。

 

不安を紛らわせたくて、手を動かしていた。

 

 

……机の上の端末が、鳴った。

液晶には非通知の文字だ。

 

僕は手に取り……マスクを外して通話ボタンを押す。

 

 

「ハイ、こちら『フィックス・イット』です。ご予約の──

 

『ティンカラー……』

 

 

……男の声が聞こえた。

 

僕は手に持っていたレンチを置いて、会話に集中する。

 

会話相手は……蔑ろにしてはならない相手だ。

 

 

「何の用事ですか?」

 

『パワーブローカーが破壊された』

 

 

その言葉に目を細める。

 

 

「修理しますか?」

 

『違う。お前にそこまで任せるつもりはない……それに、『ここ』で試したい事は全て試した。もう不要だ』

 

「それは、それは……」

 

 

僕は男の言いたい事を予測する。

……しかし、分からない。

 

そして、パワーブローカーが破壊された……と言う事は……護衛していた彼女の無事は……僕は不安になっていた。

 

 

『君と話したいのはレッドキャップの話だ』

 

「それは……」

 

『アレの教育はどうなっている?あまり、従順だとは思えないが』

 

「いえいえ、彼女が裏切る事はありませんよ」

 

 

内心で舌打ちをしそうになる。

 

だが、こんな話をすると言う事は……彼女が無事だと言う裏付けだ。

内心の不安が、少し紛れた。

 

 

「それに彼女は──

 

『ティンカラー』

 

 

言葉を遮られる。

 

 

『私は……組織(アンシリーコート)を統べる者として、幹部である君に話している』

 

 

顔を、顰めた。

 

彼女にも言っていない……僕の、本当の仕事。

吐き気を催すような、仕事だ。

 

 

『アレを社会に溶け込ませようと、首輪を手放したのは君だ』

 

「そう、ですね」

 

『君の責任と言えないか?』

 

「えぇ、そうですね」

 

 

もし、彼女に何か責が及ぶぐらいなら……僕が受けるつもりだ。

覚悟はしていた。

 

 

『……ティンカラー、私は君を評価している。私の教えた『技術』を行使できる者は少ない』

 

 

僕は目を逸らし……部屋中にある、時代を先取りし過ぎている機械達を見た。

 

 

『だから、これは『警告』だ。アレを従順な道具になるよう『調整』しろ』

 

「……えぇ、分かりました」

 

『必要な『任務』の精査は、全ては君に任せる』

 

 

喉が、乾いた。

 

 

『くれぐれも、私の期待を裏切らないでくれ』

 

「えぇ、勿論……必ず」

 

『……私を煩わせないように』

 

 

少しして、通話が切れる。

 

単調な電子音が端末から聞こえ──

 

 

「く、そがっ!」

 

 

端末を地面に投げ捨てた。

 

 

「はぁ……はぁっ……!」

 

 

息を荒らげて、地面に転がった端末を見る。

少しも、傷は付いていない。

 

僕の作った、特別製だ。

この程度では傷も付かない。

 

だけど、傷一つ付かなかった端末が……僕の無力さを表しているみたいで、酷く、不快に感じた。

 

感情をコントロールしなければならない。

怒りを、抑えて。

笑うんだ。

 

頬を無理矢理、吊り上げて……僕は鏡を見た。

 

大丈夫、笑えている。

僕は、大丈夫だ。

 

そして、マスクを閉じた。

 

 

……僕は、落ちている端末を手に取る。

仕事用の回線に切り替えて……連絡先から『レッドキャップ』を選び、電話を掛ける。

 

数回のコールの後、彼女の荒い吐息が聞こえた。

 

 

「やぁ、もしかして困ってるかと思って……良ければ、迎えに行こうか?」

 

 

僕は『妖精(ティンカラー)』だ。

影からお姫様を支える、従順な妖精だ。

例え、何をしても……だけど。

 

醜悪な内面を隠した、祝福されざる妖精だ。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

ズゾゾゾ。

 

 

私、ローラ・キニーは飲み物を啜っていた。

喫茶店で、だ。

 

マドリプールでの乱闘から数日が経過した。

怪我は完治した……治癒因子(ヒーリングファクター)のお陰だ。

 

そして、目の前にいるのは──

 

 

「別に、怒ってないわ」

 

 

グウェン・ステイシーだ。

彼女から情報を抜き取って、マドリプールへ潜入した事……それはバレてしまった。

 

多分、フューリーの所為だ。

 

だから、謝りに来た訳だ。

最悪、絶縁されるかも知れないと思っていたが──

 

 

「本当に?」

 

「えぇ、私が同じ立場なら……そうしてたと思うし」

 

 

思ってた以上に、彼女は寛大だった。

 

 

「ごめん」

 

「ありがとう、で良いわ」

 

「じゃあ、ありがとう」

 

 

私が頭を下げると、彼女は微笑んだ。

……そして、私はまた飲み物を飲んだ。

 

他愛の無い話を幾つかする。

 

 

「え?じゃあ、ローラ……帰るの?」

 

「そう、『ジーン・グレイ学園』って言う……えーっと、ミュータントの学校にね」

 

 

……あ。

 

そう言えば校長が怒ってるって聞いたな。

あー、嫌な事を思い出した。

帰りたくない……けど、あそこは私の『家』だし。

帰る場所がある事は……幸せな事だから。

帰らなきゃならない。

 

 

「そこって、遠いの?」

 

「マサチューセッツ州よ」

 

 

グウェンが少し、寂しそうな顔をした。

 

 

「ふふ、今生の別れって訳じゃないし……メールでやり取りだって出来るでしょ?」

 

「それはそう、だけどね」

 

「じゃあ、そんなに落ち込まなくても良いでしょ」

 

 

私が言うと、グウェンが頷いた。

 

……ドライに見えてたけど、案外、情が深いのだろう。

そう言うところも、友達になって良かったと思える所だ。

 

……少し揶揄いたくなった。

 

 

「グウェン、それとも私以外に同性の友達居ないの?」

 

「い、いや……一人いるわ」

 

 

一人、一人かぁ……。

 

 

「どんな娘なの?」

 

「うーん……」

 

 

グウェンが腕を組んで悩む。

……そして、スマホを取り出して写真を私に見せた。

 

プラチナブロンドの、青い目をした女の子だった。

……凄く、美人だ。

 

 

「へぇ、この娘?」

 

「えぇ、ミシェルって言うのよ」

 

 

頷きながら、写真を見る。

……あれ?

 

口元に見覚えがあるような──

 

 

「彼女、こう見えて結構、可愛い所があって……」

 

 

私は、思考を中断する。

 

 

「可愛い?見た目の話じゃなくて?」

 

「ううん、少し天然なのよ」

 

 

グウェンは彼女の事を話した。

 

世間知らずで、甘いものが好きで、他人に優しく、勉強が出来る。

 

すごい、ベタ褒めだ。

 

グウェンは人を褒めるようなタイプだと思わなかったから、少し意外だ。

それだけ、彼女の事を気にいってるのだろう。

 

飲み物が空になった。

 

 

「よし、じゃあ、そろそろ行こうかな」

 

 

私が席を立つと、グウェンが口を開いた。

 

 

「……またね」

 

「えぇ、また。必ず、ここに帰って来るから」

 

 

私は机にお金を置く。

……彼女の分の金額も合わせて。

 

これは謝罪の気持ちで……彼女もそれを指摘するのは無粋だと感じたのか黙って受け取った。

 

アベンジャーズタワー近くの喫茶店から出て、私はバス停へと向かう。

 

別に駅まで歩いて行って良いのだけれど、少し疲れていたのだ。

 

そして、歩いていると──

 

 

「あっ」

 

 

見知った顔が、遠くで見えた。

 

ピーター・パーカー。

グウェンの友人だ。

 

声を掛けようと思って近付いて……すぐ側に誰かいる事に気付いた。

 

 

 

それは……先程、写真で見せて貰った娘だ。

ミシェル、だったかな。

 

 

写真に写っていた彼女は表情が乏しかったけど……彼の隣にいる彼女は微笑んでいた。

 

二人はとても、楽しそうに笑っていた。

とても仲が良いのだろうと、見ただけで分かった。

 

 

……邪魔しちゃ、悪いか。

私は踵を返して、その場を離れた。



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#83 マイラヴ・ユアラヴ part1

ハロウィン前日。

そしてここは、ミッドタウン高校。

 

時間は始業時間よりも、少し早め。

 

ミシェルは今日、用事があるからと早めに登校していた。

だから、まだ会えていない。

……僕も早めに行こうか?と聞いたけど、「悪いから」と断られてしまった。

 

少し寂しい。

 

ロッカーに荷物を閉まっていると、後ろから肩を叩かれた。

 

 

「うん?何か──

 

「よぉ、ピーター。お菓子か悪戯か(トリック・オア・トリート)だ」

 

 

そこには……黒いフードを被って、白い肌のマスクを被った……うん、声から察したけど、ネッドが居た。

 

 

「……ネッド、何してんの?」

 

「は?何って……今日はハロウィンだろ?」

 

 

スマホを開いて、日時を確認する。

うん、10月30日の金曜日だ。

 

 

「明日じゃないか」

 

「明日は休みだろ?だから、今日なんだよ。ほら」

 

 

ネッドの言葉に僕は苦笑した。

少し早めに来てしまった所為か、あまり人は居ないけど……確かに、変な衣装を着てる人が居た。

 

 

「な?今日はコスプレを合法的に出来る日なんだよ」

 

「別に普段から違法ではないと思うけど……」

 

「考えてみろよ。朝学校に来たら、同級生が銀河帝国の皇帝になって居た……どう思う?俺は縁を切るね」

 

「じゃあ僕も切ろうかな」

 

「いやいや、今日は特別なんだよ。だから暗黒面(ダーク・サイド)に堕ちても大丈夫」

 

 

思わず鼻で笑ってしまった。

ロッカーから教科書を取り出した僕は、脇に抱えて銀河皇帝(ネッド)の横を歩く。

 

 

「で?お菓子か悪戯か(トリック・オア・トリート)、まさか菓子持って無いのか?」

 

「ないよ……そもそも、僕、今日がハロウィン前夜祭だなんて知らなかったし」

 

「え?何で知らないんだよ……?クラスメイトは誰も言ってなかったのか?」

 

 

苦笑いしすぎて頬が攣りそうだ。

 

ネッドが察したようで……顔を逸らした。

表情はマスクで読み取れないけど。

 

 

「ま、まぁ、元気出せよ。お菓子やるから」

 

「同情は時として罵倒よりキツい……」

 

 

ネッドが、キャラメルとナッツの入ったチョコ菓子を僕の手に握らせた。

腹持ちの良い菓子だ。

 

 

「でも、お菓子は持っていた方が良いぞ?悪戯(トリック)されても知らないからな」

 

「分かったよ……でも僕に対して、そんな絡み方してくるような人って居るのかな?」

 

「…………」

 

 

ネッドが黙ってしまった。

言っておいて何だけど、反論して欲しかった。

 

 

「ところで、ピーターはコスプレしないのか?こんな事もあろうかと、ジェダイ・ナイトの衣装が──

 

「コスプレはちょっと……ハードルが高いと言うか……僕にはね」

 

「でも、ピーターはさ。普段からコスプレしてるような物じゃないか」

 

「アレはコスプレじゃないよ」

 

 

視線の端で、スパイダーマンのお面を被った男を見てしまった。

僕のグッズ……と言うか、スパイダーマンのフィギュアとか、お面とか、アイスクリームとか、変なグッズが時々売られている。

 

許可出した覚えは無いんだけどね。

僕はフリー素材なのか?

 

同じくスタークさん、アイアンマンのフィギュアとかも売られてるけど。

肖像権とかどうなってるんだろう?

本当に。

 

 

「あー、わりぃ。確かに、そうだな」

 

「いいよ、気にしてないから」

 

 

ネッドと別れて、僕は教室へ向かう。

 

ドアを開けると……うん、ネッドと話し込んでいたからか、クラスにも人が集まって来ていた。

それで……8割ぐらいの人が何かしらのコスプレをしている。

 

僕のような普段通りは……少数派(マイノリティ)だ。

 

椅子を引いて、いつもの席に座ると──

 

 

お菓子か悪戯か(トリック・オア・トリート)

 

 

と声を掛けられた。

 

顔を向けると……グウェンだ。

いつも頭に付けている黒いカチューシャに、今日はツノが生えていた。

口紅も黒いし、マニキュアも黒い。

 

一目でグウェンと分かる、過剰ではない、ちょっとしたコスプレ。

 

 

「……生憎なんだけど、今日はお菓子を持ってないよ」

 

「はぁ?何で?」

 

 

グウェンが心底、ガッカリと言う顔で僕を見た。

しょうがないだろ、知らなかったんだから。

 

 

「じゃあ悪戯(トリック)するわ。二度と表を歩けなくなるような辱めを──

 

「あ、コレあげる」

 

 

僕は先程、ネッドに渡されたチョコ菓子を渡した。

 

するとグウェンが渋い顔をした。

 

 

「これ歯にくっつくから好きじゃないんだよね」

 

「奪っておいて、我儘だなぁ……」

 

「悪魔だからね」

 

 

そう言うと、グウェンが自分のカチューシャを手で触った。

ツノを強調しながら、悪そうに笑った。

 

 

「まぁでも、貰っておくけど」

 

 

何だかんだ言いつつ、グウェンは菓子をカボチャ型のバッグに仕舞った。

 

……へぇ、バッグまで用意したんだ。

 

その様子に僕は少し驚いた。

そんな僕を見て、グウェンは訝しんだ。

 

 

「何?」

 

「グウェンって、こういうイベントに参加するイメージ無かったんだけど」

 

「うん?今年は特別なのよ」

 

 

机に頬杖をついて、グウェンが笑った。

 

 

「特別って?」

 

「だって、今年が最後の学生生活でしょ?出来る事は、一応経験しておこうかなって」

 

「あぁ……そっか」

 

 

グウェンは大学には行かない、らしい。

僕達には就職するって言ってたけど……多分、きっと『S.H.I.E.L.D.』関係だ。

 

彼女がシンビオートと共生している事を僕は知ってるけど……彼女はその事について知らない。

だから本当の事は話してくれない。

 

むず痒いけど……僕も彼女にスパイダーマンの事を話してないから、お互い様だ。

 

そして──

 

 

「ピーター、お菓子か悪戯か(トリック・オア・トリート)

 

 

背後から、聞き覚えのある声が聞こえた。

ミシェルだ。

 

僕は慌てて振り返って──

 

 

「うわぁっ……!?」

 

 

思わず声が出た。

 

それに対して、声の主も逆に困惑していた。

 

 

「ど、どうしたの……?」

 

 

そう、可愛らしい声を出していたのは……絶叫(スクリーム)する幽霊マスク(ゴースト・フェイス)を被ったミシェルだった。

 

マスクは返り血……血糊で塗装されていた。

正直、凄く不気味だ。

 

そんな様子を見て、グウェンは呆れたような顔をしていた。

 

 

「ミシェル……」

 

「え……?私、何かした……?」

 

 

鈴を転がしたような声で、連続殺人鬼が首を傾げた。

 

 

「全然、可愛くない……」

 

「可愛くない……?」

 

 

グウェンの声にミシェルは心底、分からないと言った声を出した。

そして、反論するために口を開いた。

 

 

「でも、グウェン。ハロウィンは怖い仮装をして、悪霊を追い払うのが目的の筈……」

 

「いや、真面目なの?」

 

「え……?」

 

 

ミシェルが首を傾げて、僕を見た。

顔が怖い。

いや、顔と言うかマスクが怖い。

 

正直、映画に出てくる殺人鬼のマスクは似合ってなかった。

 

僕もグウェンに同調する。

 

 

「ミシェル……正直、ハロウィンはもう形骸化していて……ただの仮装(コスプレ)祭りになってるんだよ」

 

「そ、そんな」

 

 

思わず項垂れたミシェルに苦笑する。

ハロウィンのコスプレとしては……きっと、ミシェルの方が正しい。

だから、ダメ出しするつもりは無いのだけれど……でも、やっぱりちょっと似合ってない。

 

しかし、いつまでも項垂れる訳ではなく、ミシェルが気を取り直して顔を上げた。

 

 

「と、とにかく……お菓子か悪戯か(トリック・オア・トリート)……!」

 

 

と、言われても。

 

 

「ごめん、ミシェル。今僕、お菓子を持ってないんだ……」

 

 

そう、先程グウェンに横流ししたから、本当に何も持っていない。

今日のお昼のサンドイッチぐらいだ。

 

 

「そっか……」

 

 

そんな僕にミシェルはショックを受けていた。

……そんなに、お菓子が欲しかったのだろうか?

 

ミシェルにグウェンが近付き、耳打ちをした。

 

 

「それなら、悪戯(トリック)すれば良いわ」

 

悪戯(トリック)?……何をすれば良い?」

 

 

隠すつもりが無いのか、僕まで丸聞こえだ。

耳打ちをする意味はあるのだろうか?

 

 

「それは、そうねぇ……」

 

 

ミシェルが僕へ視線を向けて、ミシェルもこっちを向いた。

 

そして、グウェンが意地悪そうな顔で笑った。

 

 

「ピーターはどんな悪戯をされたい?」

 

「い、いや……悪戯なんてされたくないけど」

 

 

思わず、そう言い返す。

 

誰が好き好んで悪戯なんて……悪戯?

ミシェルから?

 

……う、うん。

雑念は振り払おう。

 

 

「んー、じゃあ顔に落書きでもする?」

 

 

きゅぽん、と音がした。

グウェンが油性マーカーの蓋を抜いた音だ。

 

それに対してミシェルが抗議した。

 

 

「グ、グウェン……それはちょっと、かわいそう」

 

「良いの、良いのよ。ピーターだし?」

 

 

僕に対する人権が非常に甘く見られている中……学校のベルが鳴った。

授業が始まるから、と各々が椅子に着く。

 

……何とか助かった。

このまま有耶無耶になってくれたら良いけど……多分、グウェンは引き摺るだろうなぁ。

 

そして、幽霊マスク(ゴースト・フェイス)のままで授業を受けるのは拙いと思ったのか、ミシェルがマスクを脱いだ。

 

綺麗なプラチナブロンドの髪は、髪留めで留められていた。

マスクを被るのに邪魔だったのだろう。

 

……マスクが少し息苦しかったのか、秋だというのに少し汗をかいていた。

そんな彼女の、普段は見えない(うなじ)が、後ろの席にいる、僕の目に──

 

 

「……ピーター?どうかした?」

 

 

コバルトブルーの瞳が僕を見た。

 

 

「な、何でもないよ」

 

 

思わず目を逸らした。

そんな僕を不思議そうな顔で見つつ、教壇に立った教師へ視線を戻した。

 

……え?

 

今日はそのままなの?

 

僕は白板を見ようとする度に見えてしまうミシェルの(うなじ)に視線を吸われながら、何とか授業を受けるのだった。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

放課後。

結局、ミシェルの(うなじ)の所為で授業は妨害され、何も頭に入って来なかった。

あまりにも情けない。

 

……あと、悪戯の件は明日に持ち越しらしい。

思い付かなかったとか、何とか。

 

……今から売店でマシュマロ買ってくるから、許してくれないかなぁ。

 

 

そして、ミシェルは。

 

 

「……ふふ」

 

 

少し、上機嫌だった。

 

理由は明白だ。

手元の鞄に沢山入った、お菓子の所為だろう。

 

ミシェルは甘いものが好きだ。

だから、嬉しいのだろう。

 

幽霊マスク(ゴースト・フェイス)も黒いフードのような布も、鞄に仕舞われていた。

流石に学外ではコスプレしたくないみたいだ。

 

世間ではハロウィンは明日だし、仕方ない。

 

髪も残念なことに髪留めを外して……いや、残念じゃないけどね?

うん、大丈夫、僕の頭は正常だ。

狂ってなんかいない。

 

とにかく、いつもの髪型に戻っていた。

マスクの中で蒸れたのか、少し跳ねていたけれど……彼女は気にしていないようだった。

 

即座にグウェンに連れ去られ、トイレで髪型を整えられたけど。

 

そして、今に至る。

ミシェルが手元の菓子から目を離し、爛々とした目で僕を見た。

 

 

「ピーター、明日は何時に出る?」

 

 

……明日?

何かあったっけ?

一緒に出かけよう、なんて話も無かった筈だけど。

 

僕が首を傾げると、ミシェルも併せて首を傾げた。

 

 

「あれ?ピーター?」

 

「ごめん、ミシェル……な、なんの事かな?」

 

 

思わず訊いてしまった。

僕はミシェルとの約束は、絶対に忘れない自信がある。

 

だからこそ、分からない。

 

 

「……ハリーのハロウィンパーティ」

 

 

ミシェルが胸ポケットからスマホを取り出して、少し弄った。

そして、画面を見せて来た。

 

メールの画面だ。

 

 

「これ、来てないの?」

 

 

メールの主は……ハリー・オズボーン。

内容はハロウィンパーティのお誘い?

 

 

「え?」

 

 

来ていない、けど。

 

 

「グウェンも来たって言ってたのに?」

 

「う、うぐっ」

 

 

思わず、よろける。

そんな……僕と彼の友情はこの程度だったって事なのか?

 

それともハリー、女の子しか誘うつもりが無いのか?

……いや、彼はそんな人間じゃない。

 

じゃあ、何故?

忘れてる……とは思えないし。

 

念の為、スマホを開いてメールボックスを見ても……最後のメールはメイ叔母さんとのメールだ。

僕にメール送って来る人なんて居ないから。

 

……ミシェルとか、グウェンとか、ネッドとか……若者らしくショートメッセージでやり取りするし。

決して友達が少ないとかそう言う話では──

 

 

「……本当にメール、来てないの?」

 

「そ、そうみたいだね」

 

「…………」

 

 

ミシェルが僕の顔を見て訝しむ。

 

メールには同伴者が1名までOKと書いてあった。

つまり、誘おうと思えばミシェルは、僕を誘って一緒に行ける。

 

でも、ハリーが送って来ない理由が分からないし……敢えて送らないのだとしたら……。

 

ミシェルもそう考えているのだろう。

 

少し悩んで、また僕を見た。

 

 

「うん。ピーター、一緒に行こう?」

 

「え、でも──

 

 

良いのだろうか?

迷惑じゃないだろうか?

 

そんな僕の迷いを無視して、ミシェルが少し笑った。

 

 

「いい。ピーターが居ないと、少し……楽しくなくなるかも」

 

 

胸が少し、高鳴った。

確信的に言ってるのだとしたら、彼女は悪女だ。

 

……多分、天然なんだろうけど。

 

 

「分かったよ。ありがとう、ミシェル」

 

「うん」

 

 

ミシェルとの思い出が、また増える。

それは凄く嬉しい事だ。

 

だけど、僕はグウェンの言っていた言葉を思い出していた。

 

『今年が最後』……か。

 

この学校を卒業すれば……ミシェルと会う機会は減ってしまう。

僕は進学するけど、ミシェルは就職らしいし。

 

NYの中で就職するとは限らないし、距離が離れれば……それだけ会い難くなる。

 

そしたら、彼女は僕の事なんか忘れてしまう……かも知れない。

だって、ミシェルは可愛いし……きっと、何処に行っても友達が作れる筈だ。

 

会わない僕の事なんか忘れて、新しい友人と仲良くなって……。

 

誰かが、ミシェルの横に立って。

ミシェルは笑って。

僕と君は。

 

ミシェルが幸せなら祝福すべきだろう。

だけど、この妄想は……少し、胸の奥を痛めた。

 

卒業と言うタイムリミットは近付いている。

 

卒業しても彼女の『特別』で居たいなら……告白、するべきだ。

だけど、断られたら……きっと、今と同じ関係ではいられない。

 

それが怖くて。

 

僕は勇気を振り絞れずに居た。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

そして、翌日。

 

ミシェルは黒いドレスを着ていて、僕はコートを着ていた。

ハロウィンパーティだけど、仮装パーティでは無いらしい。

メールにも書いてあった。

 

それで、ミシェルのドレスだけど……夏に着ていたドレスと同じだ。

肌の露出は多いとは言わないけど、少し薄手だと思った。

 

だから、思わず──

 

 

「寒くないの?」

 

 

と不躾な事を言ってしまった。

そして、少し自己嫌悪した。

 

女の子のファッションに口出しするような男は、馬に蹴り殺されるべきだ!とグウェンが言っていた事を思い出した。

あの時のグウェンは本当に怖かった。

 

思わず笑顔を崩してしまった僕に、ミシェルが笑った。

 

 

「私、寒さには強いから」

 

 

虚勢ではなく、何気なく、そう言った。

 

……でも、今の返答ってつまり、寒いって事は認めるんだな、なんて思った。

 

お洒落は身を犠牲にするもの!

これもグウェンが言っていた。

 

 

一緒にタクシーに乗って、マンハッタンにあるハリーの家まで向かう。

 

そして──

 

 

「う、うわ……」

 

 

想像の数十倍デカかった。

 

そうだよ……ハリーは大企業オズコープ社の創業者の息子だ。

当然、家はデカくて当然だ。

 

ちなみにハリーは、ノーマンの跡を継いでオズコープの社長をやっている。

オズコープ社の社長、そして『S.H.I.E.L.D.』のエージェント候補生という訳で。

 

まるでスタークさんみたいだ。

社長とアイアンマン、みたいな感じで。

 

何人ものスーツやドレスを着た人が、門の中に入ってくる。

結構な人数だ。

 

……僕ら以外も呼んでいたのか。

思っていた以上に大規模なハロウィンパーティだ。

 

思わず一歩、後ずさって……ミシェルに背中を押された。

 

 

「ん、行こ……」

 

「う、うん」

 

 

エスコートしなきゃ、なんて思っていた僕のプライドは滅茶苦茶に壊れてしまった。

ミシェルの後を追うのだけは避けたくて、横に並んで歩く。

 

少し、腰は引けていたけど。

 

ミシェルがメールを係の人に見せて、そのまま入る。

 

 

大きな庭には沢山机が並んでいて、食べ物も置いてあった。

カボチャを模したランタンも飾られている。

 

若い人も何人かいるけれど、誰も彼もがキラキラしている。

 

もしかしたら、僕は場違いかもしれない。

ミシェルは気にせず、堂々と歩いている。

 

参加者の目を、盗みながら。

……そりゃあ、そうだ。

 

彼女は凄く美人だ。

可愛いし……ここに居る他の誰よりも煌びやかだ。

 

だから、その隣にいる僕に……不躾な目線が向けられている事も納得していた。

何で、あんな奴が……とか考えている人は多いのだろう。

 

僕に対して侮蔑したい訳ではなくて、単純に何故だろうって目だ。

何も食べていないのに胃が痛む。

 

……これが、ハリーが誘わなかった理由なのだろうか?

 

ミシェルと離れたら、この視線にポッキリ折れてしまいそうで……ミシェルの横に貼り付く。

そんな小判鮫みたいになってる僕を引き連れて、ミシェルは机に近付き……グラスを手に取った。

 

飲み物……ではなくて。

プリンだ……色は黄色くて……多分、カボチャのプリン。

 

スプーンですくって、一口。

 

 

「……美味しい」

 

 

そう微笑むミシェルを見て、僕は少し落ち着いた。

彼女はいつも通りだ。

だから、僕も大丈夫……いつも通り。

外の視線なんか気にしないで、彼女だけを見ていれば──

 

 

「美味しいから、ピーターも食べた方が良い」

 

「え?」

 

 

そう言って、ミシェルがスプーンですくったプリンを僕に近付けて──

 

 

「……ん」

 

 

食べさせようとした。

 

……間接キス、じゃないか、それは。

顔が熱くなる。

 

頭の中でグルグルと星が回る。

そんな幻視をした。

 

だけど、ミシェルは平然とした顔で、僕に、それを──

 

 

ぱくり。

 

 

と、食べたのはミシェル自身だ。

 

 

「えっ」

 

「ふふ、悪戯……するって言ってたから」

 

 

思わずため息を吐いた。

良かったような、少し悲しいような。

 

複雑な心境の僕を無視して、ミシェルはまた別の机……正確には机に乗せられた『甘いもの』に向かって移動していた。

 

慌てて、追いかけようとして──

 

 

「ピーター」

 

 

背後から、声を掛けられた。

 

聞き覚えのある声、それに振り向く。

 

 

「ハリー?」

 

「やっぱり、ピーターか。ちょっと良いか?」

 

 

ミシェルは僕達に気付いていない。

視線はケーキに向かっている。

 

……ハリーも彼女に声を掛けないと言う事は、僕にだけ話したい事があるのだろう。

 

決心して、ハリーに付いていく。

 

 

庭の中央から離れて、石造りの柱の裏に来た。

光を遮られて、少し薄暗い。

 

コソコソと話をするなら、持ってこいの場所だ。

 

ハリーは少し、悩んだような顔をしていた。

 

 

……このまま無言で居ても仕方がない。

僕は口を開いた。

 

 

「な、何で僕をパーティに誘わなかったの?」

 

 

第一声は……あまりにも情けなかった。

 

そんな僕にハリーが笑った。

 

 

「だって、ピーターのメールアドレス……知らないからなぁ」

 

「それは……電話で聞けば良いじゃないか」

 

「そうだけどね……少し、思う所があって」

 

「え」

 

 

思う所?

あれ?

やっぱり僕、意図的に呼ばれてなかったみたいだ。

喧嘩した覚えはないけど……何か嫌われるような事でもしたのだろうか。

 

 

「ミシェルに同行してくるかも……何て思ってたから」

 

「あーなるほど、そっか……いや、そうかな?」

 

「来るか来ないかで賭けをしてたんだ」

 

 

か、賭け?

僕は競走馬じゃないぞ!

 

 

「ハ、ハリー?」

 

「と言っても、誰かと金銭を賭けてた訳じゃなくて……僕の内心での話だよ」

 

「……僕が来てなかったら、何かするつもりだった?」

 

「そう言う事さ」

 

 

そんな事の為に呼ばなかったのか、なんて憤りそうになったけど……ハリーが凄く真面目な顔をしていたから、飲み込んだ。

 

湧いて来たのは怒りじゃなくて、疑問になった。

 

 

「何を、するつもりだったの?」

 

 

僕の言葉にハリーが……少し悩んだ様子を見せた。

長くはないけど、短くもない時間……黙って、僕を見ていた。

 

すると、突然、視線をズラして……ミシェルの方を見た。

お化けの形をしたケーキ食べている、微笑ましい姿だ。

 

そして、ようやく口を開いた。

 

 

 

「彼女に、告白しようと思ってたんだ」

 

 

 

…………え?

 

脳が混乱する。

 

こ、告白?

 

ハリーが……?

 

いや、でも、ハリーは確かにミシェルが好きだし……でも、そんな、告白なんて。

 

僕が絶句していると、ハリーが自嘲気味に笑った。

 

 

「でも、君が来たからやらない」

 

「えっと、そのゴメン?」

 

 

ミシェルに告白する為にパーティを開いたのだとしたら、そう、確かに僕は呼ばなくて正解だ。

そして、来た事を少し後悔していた。

彼の一世一代の覚悟を不意にしてしまったからだ。

 

だけど、ハリーは気にする素振りもなく、表情は変わらなかった。

 

 

「良いさ。何となく、そんな気はしていた」

 

「……どう言う事?」

 

 

僕が来なかったら告白するのに……そもそも、僕が来ると思っていたって?

 

本当は告白するつもりなんて、無いのだろうか?

 

 

「彼女にはピーター、君がいるんだってよく分かったよ。いや、思い知った……かな」

 

 

僕を無視して、まるで独り言のように語り出した。

 

 

「僕が敢えて送らなかった相手を連れて来る……それって、相当、君の事を大切に思ってるんだ。彼女は」

 

「そ、それは……」

 

「だから告白はしない。好きでもない男に向けられる恋愛感情なんて、迷惑なだけだろう?」

 

 

そう言ったハリーの目には諦めがあった。

 

 

「この気持ちは墓まで持っていく事にするよ」

 

「ハリー……でも──

 

「慰めないでくれよ?惨めになるだけだから」

 

 

柱の裏から離れて、光の中に立った。

その顔はいつもの自信に溢れる彼じゃなくて、僕のような……自信のない情けない顔だった。

 

 

「彼女と話して来るよ。僕にだって、二人っきりで話す時間ぐらいくれても……良いだろ?」

 

「良い、けど……」

 

「じゃあ、失礼するよ」

 

 

ハリーが僕から離れて、ミシェルに話し掛けに行った。

会話の内容は聞こえないけど、いつもの彼に戻っていた。

 

……ハリー、僕は。

 

 

どうしてだろうか?

 

彼が告白を諦めるのは嬉しい事だ。

だって、ハリーは僕よりもイケメンで、お金持ちで優しくて……。

どんな女の子だって僕よりハリーを選ぶ筈だ。

だから、ミシェルだって──

 

だけど、少しも喜べなかった。

胸にあるのはモヤモヤとした気持ちだ。

 

僕が彼を諦めさせた?

違う、僕はそんなに大層な人間じゃない。

ミシェルとだって……まだ友達だ。

 

彼が諦める理由にはならないんだ。

 

恋敵を応援するなんて、普通はあり得ない話だけど……僕は彼に諦めて欲しくなかったんだ。

 

……僕自身も告白を躊躇っているから、何様なんだって話かも知れないけど。

 

僕は意を決して、ハリーに近付こうとして──

 

 

「やぁ、君も一人かい?」

 

 

そう、話しかけられた。

 

 

「えっと、貴方は?」

 

 

僕は話しかけて来た男の姿を見た。

 

僕より少し年上っぽい。

多分、成人してる。

 

緑色のスーツを着ていて、顔は凄く整ってる。

薄い金髪をしていて、コバルトブルーの瞳をしている。

 

……何だか、ミシェルに似ている気がしたけれど……飄々とした態度から、やっぱり似てないと判断した。

 

 

「僕も一人ぼっちの男さ」

 

 

……聞いたのは名前のつもり、だったけど。

 

 

「は、はぁ……?」

 

 

僕が訝しんでいると、緑色のスーツを着た男が笑った。

 

 

「いやぁ、ハロウィンパーティだって聞いたのに誰も仮装をしてないからさ……少し浮いてて」

 

「仮装……ですか?」

 

 

確かに、緑色のスーツは普通の格好じゃないけれど、それなら何の仮装なんだろう。

 

 

「『レプラコーン』、アイルランドの『妖精』だよ。靴職人の妖精さ。まぁ、僕は靴なんて作らないけどね」

 

「へ、へぇ……そうなんですね」

 

 

思わず引いてしまう。

凄く、お喋りな人だと思った。

 

でも、悪い人ではなさそうだ。

……今はハリーとミシェルの話に参加したいけど、彼を蔑ろにするのも悪い。

 

諦めて、腰を据えて話す事にした。

 

 

「僕は街の時計屋をやっていてね……ハリーさんの父親、つまりノーマンさんはお得意様だった訳だ。僕の父親の代から仲良しだったんだ」

 

 

そう自己紹介をする男に思わず目を細めた。

名前も言ってないのに身の上を語るなんて、チグハグだと思った。

 

 

「あの……失礼ですけど、お名前は?」

 

 

だから、思わず訊いてしまった。

 

 

「僕かい?僕はね──

 

 

男は襟を正した。

 

 

「フィニアス・メイソン・ジュニアだ。気安く『フィニアス』と呼んでくれて構わないよ」

 

 

深海のように深い青色の瞳が、僕を覗き込んでいた。



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#84 マイラヴ・ユアラヴ part2

目の前にあるのはオバケを模したケーキだ。

白い布を被ったポピュラーで可愛らしいデザイン。

フォークを入れると……断面図が見える。

 

スポンジとクリームの層が美しい。

そして、そのスポンジ部分を覆っている白い布……これは卵を使っていない白いクレープ。

それにシュガーパウダーで色付けをして……目と口はチョコソースだ。

 

見た目は間違いなく100点。

ハロウィンというイベントに相応しく、更に奇を衒っていない王道なデザイン。

可愛さと、美しさがある。

 

では味は?

 

フォークで口に入れる。

……クリームは甘さ控えめで、逆にスポンジが甘く作られている。

そのままだと甘過ぎだと感じてしまうだろう……だが、このケーキの主役はもう一人いる。

そう、白いクレープ生地だ。

これは卵が入っていない事からも察せられる通り、薄味……甘さも控えめだ。

シュガーパウダーの仄かな甘みが優しい味わい……二つと併せて食べる事で程よい甘さとして完成する。

 

更に目と鼻を描いているチョコソース。

これは味のアクセントにもなる。

ミルククリームの味にビターなチョコ風味、これは下品にならない甘さだ。

 

凄い。

このケーキは本当に美味しい。

普段食べている市販のケーキよりも、遥かに。

これが……お金持ちが食べている最高級のスイーツなのか。

羨ましい。

 

私はフォークをもう一度入れて──

 

 

「ミシェル」

 

 

私は口に入れたまま、振り返った。

 

そこには主催のハリーがいた。

 

 

ハリー(ふぁひぃ)?」

 

「フフ、飲み込んでからで良いよ」

 

 

私はケーキを急いで飲み込……味わって、飲み込んだ。

 

そして、ピーターが居なくなっている事に気付いた。

 

 

「あれ?ピーターは?」

 

「……彼は、そうだね。今少し用事で離れてるよ」

 

「用事……?」

 

 

何の用事だろう?

 

……ハリーはピーターがスパイダーマンである事を知っている。

私から態々離れているのだから、それ関係だろうか?

 

 

「ところで、パーティは楽しんで……うん、楽しんでくれているみたいだね」

 

 

ハリーが私のケーキに目を移した。

 

 

「うん、ありがと。誘ってくれて、嬉しい」

 

 

そう微笑むと、ハリーが自分の口元に手を当てて目を逸らした。

 

 

「……どうしたの?」

 

 

訝しんでいるとハリーが微笑んで私を見た。

うん、いつもの爽やかな笑顔だ。

 

 

「ミシェルと会うのは久々だから、少し浮かれちゃったかな」

 

「……うん?」

 

 

そんな気障な事を言うハリーに苦笑いする。

きっと彼は誰にでも、こんな事を言っているのだろう。

 

ハリーが机から飲み物を取り、口にした。

 

そして私の事を一瞥する。

 

 

「……父さんが逮捕された時、またここまで立ち直れるとは思ってなかったよ」

 

 

その視線の先にはパーティを楽しんでる人達の姿があった。

 

……ノーマンが逮捕されてから、オズコープ社の経営は悪化した筈だ。

だけど、ハリーは……まだ若いのに頑張って信頼を取り戻したんだ。

 

一度はゴブリンになってしまったけど、立ち直って……今は、きちんと真っ当な人間になっている。

 

悪人(ヴィラン)の呪縛を振り解いて、正しい道へ進んでいるんだ……彼は。

 

少し、尊敬している。

 

 

「ハリーの、努力の成果……だから、凄いと思う」

 

 

心の底からそう思って、口にした。

それに対してハリーは眉を下げた。

 

 

「いいや……僕だけじゃ無理だった。ミシェル、君に諭してもらったからだ」

 

「私が……?」

 

 

空になった皿を机に置き、腕を組む。

ど、どの発言だろう?

分からない……もう、忘れてしまった事にしよう。

 

 

「ごめん、ハリー……覚えてない」

 

「フ、フフ……そうだろうね。君にとっては特別な事じゃなかったんだろうな」

 

 

怒った様子ではない。

呆れた様子でもない。

ただ嬉しそうにハリーは笑っていた。

 

 

「あぁ、そうだ……午後から仮装コンクールをやるんだ。良かったら出ないかい?」

 

「コンクール?」

 

「そう、屋敷の中に幾つかドレスや仮装を用意してるんだ……きっと、参加する人も沢山いる。ミシェルもどうかなって」

 

「私は……」

 

 

先日、グウェンにダメ出しされてしまった幽霊マスク(ゴースト・フェイス)を思い出した。

散々な評価だった……ピーターの引いた顔が脳裏に蘇り、思わず眉を顰めてしまう。

ちょっと苦手意識が付いてしまったのだ。

 

 

「私は……いいかな」

 

「そうか……でも、出たくなったら、いつでも言ってくれ。用意するから」

 

 

……何故、ハリーは私に仮装させたがるのだろう?

何か、私に着て欲しい仮装でもあるのだろうか?

 

……申し訳ないけど、あまり仮装はしたくない。

 

 

「ミー、シェー、ル?」

 

談笑していると、後ろから声を掛けられた。

でも、ピーターじゃない。

 

 

「グウェン?」

 

「良かったぁ。ちゃんと来てたんだ……わ、そのドレスめちゃくちゃ可愛い」

 

 

グウェンが手を口に当てつつ、私の周りを回る。

前後左右からドレスにチェックが入る。

 

このドレスはティンカラー製の防刃防弾ドレスだが、見た目は普通のドレスだ。

勘付かれる事はないだろう……だが、少しドキドキしていた。

 

そんな私を他所に、グウェンは興奮した様子で笑っている。

 

そして、スマホを取り出した。

 

 

「撮っても良い?」

 

「……良いけど」

 

 

笑顔で写真を……パシャリ。

 

だが、笑っているのはグウェンだ。

私は頬が引きつっている。

 

被写体よりも撮ってる人間の方が笑顔だなんて、チグハグだ。

 

そして、グウェンが目を逸らし、ハリーを見た。

 

 

「ハリーも入って?」

 

「ぼ、僕もかい?」

 

 

慌てた様子のハリーに、私は近付いた。

手の届く距離……寄り添って、グウェンの方を見た。

 

パシャリ、ともう一枚。

 

 

「ありがとー、ミシェル。後で送るからね」

 

「ん」

 

 

そして、グウェンはハリーを見た。

 

 

「ハリーにも送るから」

 

 

そして、ウィンク。

勢いに押されたのか、ハリーが困ったような顔で笑っていた。

 

そして、一つ違和感を感じた。

 

私はグウェンに問い掛ける。

 

 

「ネッドは?居ないの?」

 

 

そう、グウェンも一人連れてこれるなら……きっと、ネッドを誘って来ると思った。

 

なのに、彼女は一人で来た……どこかに来ているのだろうか?

 

 

「……あれ?そう言えば……どこだろう?」

 

 

グウェンが見渡し、「あ」と声を出した。

私も視線で追う……その先には、いつもよりお洒落をしたネッドと……紫色のスーツを着た爽やかそうな男と会話していた。

 

グウェンが手を振ると、気付いたのかネッドは会釈してコチラに駆け足でやって来た。

 

 

「ごめん、ごめん……少し話をしていて」

 

「話ぃ?」

 

 

ネッドの言葉に、グウェンが不思議そうに首を傾げた。

 

 

「話って……何を話してたの?」

 

「それは……あれ?何だっけ?」

 

 

惚けた返答に、グウェンが思わずため息を吐いた。

 

 

「何それ?じゃ、誰と話してたの?」

 

「えーっと……ごめん、分からないかも」

 

「それも?……ネッド、あんた寝不足なの?」

 

 

グウェンがまた、ため息を吐いた。

 

そんな何も分からないなんて……私は先程、ネッドが居た場所を見る。

……紫色のスーツを着た男は居なくなっていた。

 

アレは一体、誰だったのだろう?

 

訝しんでいると、ハリーがネッドに近付いた。

そして手を伸ばした。

 

 

「初めまして、ハリー・オズボーンです」

 

「えっと、初めまして。俺……じゃなくて、私はネッド・リィズです」

 

 

何だか、ぎこちない様子で挨拶してる二人を他所に、グウェンが私へ話しかけた。

 

 

「ミシェル、ピーターは?」

 

「今、用事だって」

 

「……ふーん?ミシェルを放って置いて、用事……ねぇ?」

 

 

グウェンが眉を顰めた。

 

何だか知らないが、ピーターに対して怒っているようだ。

口添えしておくか、可哀想だし。

 

 

「……その、あまり怒らないであげて欲しい」

 

「ん?ミシェル、別にピーターに怒るつもりはないわよ?」

 

「そうなの?」

 

 

何だ、勘違いか。

 

 

「『教育』するだけよ」

 

 

いや、やっぱり勘違いじゃないようだ。

 

苦笑いしつつ、私は辺りを見渡す。

ピーターは何処に……あぁ、居た。

 

オズボーン邸の側、石の柱の側に彼は居た。

 

思わず呼びかけそうになるけれど……すぐ側に、誰かいる事に気付いた。

 

それは私と似た金髪と、青い眼を持つ男だった。

年は私より上みたいで……緑色のスーツを着ている。

 

……誰だろう?

何故か、凄く、凄く気になっていた。

 

今すぐ確かめたい。

誰なのか知りたい。

 

彼は──

 

 

「ミシェル?」

 

 

声が聞こえて、私は振り返った。

 

それは、ハリーの声だった。

 

 

「どうかしたのかい?」

 

「……何でもない」

 

 

気になるのは確かだが、今すぐハリー達を無視してまで行くのは……失礼だと思った。

それに緑色のスーツを着た男が参加者だと言うのなら、話す機会ぐらいあるだろう。

 

私はピーターと話している、その男から目を逸らした。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

「では、フィニアスさんは何故、僕に話を?」

 

 

僕は目の前にいる緑色のスーツを着た歳上の男……フィニアスにそう訊いた。

 

 

「呼び捨てでも良いよ?敬語も不要だし」

 

 

僕の質問には答えず、そんな事を言う。

 

 

「……歳下なので、僕は」

 

「礼儀正しいんだね……謙虚さは美徳だ」

 

「……どうも?」

 

「さて、君に話しかけた理由だけどね……うーん」

 

 

フィニアスが目を逸らし……ミシェルへと目を向けた。

今はハリーや、グウェン、ネッドも居て談笑している。

……早く、あっちに混ざりたいな。

 

そう思ってる僕に、フィニアスが質問して来た。

 

 

「あの白金髪の彼女とは、どんな関係だい?」

 

「ど、どうって?」

 

「恋人なのかい?」

 

 

こ、恋人!?

 

 

「ち、違いますよ……友達です」

 

「そうか、友達かぁ……ふーん、そっか」

 

 

そう言って、フィニアスがニヤリと笑った。

 

 

「な、何ですか?」

 

「君は彼女の事が好きなのかい?」

 

 

す、好き!?

 

 

「それは、その……何で、初対面の人に言わなきゃならないんですか?」

 

 

冷静さを取り戻し、そう訊いた。

するとまた、フィニアスは意地悪そうに笑った。

 

 

「その反応は『好きだ』って言ってるような物だよ?もっとポーカーフェイスにならなきゃ」

 

「う……」

 

 

な、何なんだ、この人は。

僕の事を馬鹿にしてるのか?

 

 

「君、隠し事が下手そうだね……彼女も気付いてるかも知れないよ?」

 

「そんな事は……」

 

 

ない、と思いたい。

 

気付いているのだとしたら、ミシェルは……僕のアプローチを全て無視している事になる。

僕とこれ以上、仲を発展させるつもりはない……少なくとも、彼女の側から寄って来るつもりは無いという事だ。

 

だから、知らないと思いたい。

 

 

「フフフ、良い反応だ。実に面白いね」

 

「……揶揄ってるんですか?」

 

「そうだよ?」

 

 

悪びれる様子もなく、フィニアスが笑った。

……この人、顔は凄くカッコイイのに、性格が子供っぽいな。

 

そう思った直後に──

 

 

「じゃあ少し、込み入った話をしたいけど……良いかな」

 

 

凄く、真面目そうな顔をした。

 

 

「何を……?」

 

「そんなに身構えなくて良いよ。ちょっとした問題提起をしたいだけさ」

 

「も、問題?」

 

 

何を言ってるか分からなくて、聞き返す。

先程までみたいな悪戯好きそうな顔でフィニアスが口を開いた。

 

 

「トロッコ問題って知ってるかな?」

 

「……知ってますよ」

 

 

暴走したトロッコの進む先に『沢山の人』がいる。

そのまま進めると『沢山の人』は死んでしまう。

 

だけど、僕の手元にはレバーがあって、それを切り替えればトロッコは分岐する。

『沢山の人』は助かる。

 

だけど、その分岐先には『一人』いる。

その人は死んでしまうだろう。

 

『沢山の人』を見殺しにするか?

『一人』を自分の選択の結果、殺してしまうのか?

 

そう言う問題だ。

 

 

フィニアスは満足そうに頷いて、口を開いた。

 

 

「僕は『沢山の人』を救う為に、『一人』は犠牲になるべきだと思ってる……それが最も合理的だからだ。君は、どう思うかな?」

 

「……何で、こんな質問を──

 

「教えてくれないか?君なら、どうする?」

 

 

有無を言わせぬ眼光に思わず、怯んでしまう。

……この問題に正解なんてない。

あるのは、どちらかを死なせてしまう後悔だけだ。

 

……だから、僕は。

 

 

「僕はレバーを切り替えます」

 

「……じゃあ、その『一人』を犠牲に──

 

「そして、どうにか頑張って『一人』を助けます」

 

「うん……?」

 

「どちらかを諦めろなんて……僕には、出来ないので」

 

 

僕の返答は屁理屈だ。

正しいか正しくないかじゃない、問題の趣旨から外れた最低な解答だ。

 

 

「く、フフフ、フフ」

 

 

僕の返答に、フィニアスが笑った。

 

正直、馬鹿にされるとは思ってた。

だけど、その笑い方は嘲笑じゃなくて……愉快そうに笑っていた。

 

 

「フフ、フ……君、面白いね。うんうん、それでこそだ」

 

「……褒めてるんですか?」

 

「勿論さ。君なら、そうするだろうからね」

 

「はぁ……?」

 

 

フィニアスが壁にもたれ掛かり、頷いた。

 

そして。

 

 

「ではもし、その『一人』が──

 

 

この問題は終わっていないようだった。

 

 

「とんでもない『悪人』だったとしても、君は助けるかい?」

 

「助けますよ」

 

 

少しも、僕は悩まなかった。

答えは決まっていたからだ。

 

 

「もし、トロッコを止められず……君が巻き込まれてしまう可能性があってもかい?」

 

「はい」

 

 

フィニアスが手を顔に当てて、不思議そうな顔をした。

 

 

「それはどうしてだい?何を君が突き動かすんだ?」

 

「……死んで良い人なんて居ませんよ」

 

 

僕の答えに、フィニアスは訝しむような顔をした。

納得してない様子だ。

 

だから、僕は言葉を繋げた。

 

 

「死んだら……『そこまで』じゃないですか。罪を犯した人間は償うべきです」

 

「……へぇ」

 

「死んで終わりだなんて……ただ、悲しいだけだから。助けられるなら、僕は助けたい……そう、思うんです」

 

 

……僕の答えに、フィニアスが面白そうに笑った。

 

 

「君は独特な価値観を持っているようだね」

 

「そう、ですかね」

 

「誇って良いよ……君を育てた人は、凄い人だ」

 

 

脳裏にベン叔父さんの事が思い浮かんだ。

……僕が褒められるよりも、叔父さんを誉められる方が僕は嬉しい。

 

そして、フィニアスが石の柱から離れて……ズボンを払った。

 

 

「さて、楽しいお喋りを有難う。僕はこの辺でお暇させて貰うよ」

 

「あ、はい」

 

 

不思議な人だったけど……何だか、嫌いにはなれない人だった。

 

 

「では……楽しかったよ、ピーター。また会えたら、よろしくね」

 

 

そして、背を向けて歩くフィニアスに──

 

 

僕は、少し違和感を感じた。

 

 

「あれ?」

 

 

何で僕の名前を知っているんだ?

僕は彼に話した覚えはないのに……何故?

 

気になったけれど……きっと、僕とミシェルの会話を聞いていたのだと勝手に納得した。

 

そして、ミシェル達に合流しようと僕は踵を返して──

 

 

『私の名前はフラグスマッシャー!このパーティ会場は私が占拠させて貰う!』

 

 

スピーカーで増幅されたであろう、大きな声が耳に聞こえてきた。

 

 

あぁ、もう、全く。

 

スパイダーマンに休暇は無いのだろうか?

 

僕はオズボーン邸の裏に隠れて、腕時計型のスーツを起動して……あれ?

 

何故か、起動しない。

冷汗が……頬を伝う。

 

そ、そんな、嘘だろ!?

 

ボタンを押すけど、変わらない。

 

故障……?

いや、そんな筈はない。

毎日メンテナンスをしてるし……この腕時計型スーツは特殊金属製だ。

日常生活で壊れる事なんて無い筈なのに、何で!?

 

 

「そこのお前!何をしている!」

 

 

黒いマスクを被った男に、僕は銃を突きつけられてしまった。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

「君達には、人質になって貰う!政府との取引材料として、だ!」

 

 

複数人の黒いマスクを被った男を従えているのは……白と黒のタイツを着た黒いマスクに……外は黒、中は赤色のマントを着た男だ。

 

 

「私の名前はフラグスマッシャー!国境と言う下らぬ壁を破壊したいだけだ……協力するのであれば、君達に危害は加えない。約束しよう」

 

 

そう、笑顔で言った。

 

全く信用できないけどね……現に僕達は腕を縛られてるし。

ミシェルやネッド、グウェン、ハリーは離れた場所にいる。

 

……ミシェルとネッドの側にはグウェンが居る。

何かあっても、きっと大丈夫だ。

 

問題があるとしたら僕だ。

……スパイダーマンになれない今、どうすれば良いか分からない。

 

ここで不特定多数に正体がバレると……スパイダーマンを憎む悪党達が、素の僕(ピーター・パーカー)の大切な人達をつけ狙うようになる。

 

それはダメだ……もし、ネッドやミシェルが傷付けられたら。

取り返しが付かない。

謝ったって、どうにもならない……僕は必ず、後悔をする。

 

……あの時、ノーマンにビルからグウェンを投げ捨てられた時のように。

また助けられるとは限らないから……。

 

だから、正体を隠せない今、僕に出来る事は……。

 

 

「そこのお前、国境についてどう思う?」

 

「え?」

 

 

フラグスマッシャーが指差したのは、僕だった。

 

 

「どうって……」

 

国家主義(ナショナリズム)など下らないと思わないか?生まれた国によって貧富が決まる……居場所が決まる……それは唾棄すべき事だと思うだろう?」

 

「そんな……」

 

「反応が悪いな、国家主義者(ナショナリスト)か?」

 

 

そう言って──

 

 

「うがっ!?」

 

 

僕は殴られた。

口を切って、血が地面に散る。

 

周りから悲鳴が聞こえた。

 

ミシェルが視界に入った……口をグウェンに抑えられている。

……良かった……もし、目立ったら、殴られるかも知れないから。

 

 

「そこは『はい、そうですね』と答えるべき所だろうが!」

 

「うぐっ!?」

 

 

腹を蹴られた。

 

咽せて、咳き込む。

 

だけど、不幸だとは思わなかった。

寧ろ、殴られたのが僕で良かった。

大したダメージじゃないからだ。

 

僕達は人質だと言った。

だから、無闇に殺せないんだ、コイツらは。

 

 

「チッ!」

 

 

這いつくばっている僕に、フラグスマッシャーが舌打ちをした。

 

そのままフラグスマッシャーはハリーの前に立った。

 

 

「お前がこのパーティの主催者だな?」

 

「は、はい」

 

 

そして、ハリーを無理矢理に立たせた。

 

 

「俺達は喉が渇いている。何か飲み物を持ってきてくれないかな?」

 

「分かりました。でも、一人だと手が足りないので……もう一人、連れて行っても良いですか?」

 

「む……確かにそうだな……なら──

 

「その足元の彼でも良いですか?」

 

 

ハリーが指差したのは……僕だ。

 

 

「彼なら貴方達を傷つける程の力もありませんから、安全ですよ」

 

「ふむ、そうだな……立て!」

 

 

フラグスマッシャーに立たされて、僕はハリーの横についた。

 

 

「……大丈夫か?」

 

 

小声で耳打ちされる。

僕は無言で頷いた。

 

 

「変な事はしないように、一人付いていけ」

 

 

フラグスマッシャーが視線で合図をし、黒いマスクを被った男が僕達の後ろに付いた。

 

そして、ハリーと僕は人質を囲っている庭から離れて、オズボーン邸へと足を踏み入れた。

 

……今日は、とんだ災難な日だ。

 

高級な絨毯を敷き詰められた廊下を歩き……ハリーが突然、足を止めた。

 

 

「……この辺かな」

 

 

小さく、僕に聞こえる程度に呟いた。

 

 

「オイ、何を止まって──

 

 

ハリーが地面から片足を浮かし、即座に振り返った。

 

そのまま回し蹴りが、男の頭に命中した。

 

 

「あがっ」

 

 

大声を上げる暇もなく、男が倒れて花瓶の置いたチェストに──

 

慌てて僕は、男を受け止めた。

そのまま物音を立てないように引き摺り、部屋の中に置く。

 

腕のウェブシューターから(ウェブ)を放ち、簡易に拘束しておく事も忘れない。

 

……やっぱり、ウェブシューターは動く。

腕時計型のスーツだけ起動しない……何故だ?

 

しかし、今は原因を究明している場合じゃ無い。

 

 

「ハリー」

 

「ピーター、何でスパイダーマンにならない?」

 

 

僕より先に、ハリーが質問した。

僕は観念して事情を話す。

 

僕の話した内容に、ハリーは訝しんだ。

 

 

「……故障か?」

 

「分からない。もしかしたら、何かに妨害されてるのかも……」

 

「そんな……くそ、ピーターをフリーにして、スパイダーマンに助けて貰う作戦だったんだが」

 

「ご、ごめん」

 

 

情けなく感じて、思わず謝る。

 

そして、ハリーが手を頬に当てて……口を開いた。

 

 

「そうだ……ここから、5つ先の部屋に、仮装コンクール用の衣装がある」

 

「仮装……なるほど、分かった。それを使えば良いんだね」

 

 

仮装用の衣装なら、顔と姿を隠す事も簡単だろう。

 

 

「そう言う事だ……僕がなるべく時間を稼いでおく。だけど、なるべく早く来てくれよ?」

 

「任せて」

 

 

僕は部屋を出て、廊下を物音を立てぬように走る。

 

1、2、3、4……ここだ!

 

僕は部屋のドアを開けて、転がり込む。

 

 

そこは、僕の住んでいるアパートの一室よりも広かった。

……少し、複雑な気持ちになる。

 

 

並んでいる大きなハンガーラックには、沢山の衣装が吊り下げている。

狼男、半魚人、スーパーマン。

色も形も様々だ。

 

だけど、どれも量販店で売っているような安物ではなかった。

……ハリー、わざわざちゃんとした物を買ってきたのか。

 

いや、どれも新品じゃなさそうだし……元々、ハリーの家にあった物かな?

なら、この衣装はノーマン・オズボーンの趣味かも知れない。

彼はハロウィンが好きだったから。

 

ハンガーラックに手を乗せて、中の服を確認する。

これは……女性用の服を纏めたラックみたいだ。

黒いウェディングドレスみたいなのもある。

これを着ては戦えない……別のハンガーラックへと手を伸ばす。

 

カシャカシャと音を立てて、使えそうな服を探す。

だけど、どれもこれも装飾過多だ。

困ってしまう。

 

男性用……なるべく肌を隠せる奴で、動きの邪魔にならないような……あった!

 

僕は人型のタイツを引っ張り出した。

それは、黒と青の生地で出来たタイツだ。

 

そして……胸元に『4』と書かれていた。

 

 

「うわ、ファンタスティック・フォー……」

 

 

『ファンタスティック・フォー』は四人のヒーローチームだ。

 

手足が伸びる天才科学者、ミスター・ファンタスティック。

バリアも貼れる透明人間、インヴィジブル・ウーマン。

燃える男、ヒューマン・トーチ。

怪力岩人間、ザ・シング。

この四人だ。

 

そんな彼らは仲がいい……ミスター・ファンタスティックとインヴィジブル・ウーマンは夫と妻だし。

ヒューマン・トーチとインヴィジブル・ウーマンは姉弟だし。

 

だからか、知らないけどお揃いのスーツを着てるんだ。

この青と黒のタイツをね。

 

 

……そして、これは多分、そのレプリカだ。

 

思わず、顔を顰めた。

だって知り合いだし……ヒューマン・トーチはいけすかない奴だし。

でも選り好みしてる場合じゃない!

 

僕は着ている服を脱ぎ捨てて、全身タイツを着る。

……う、ちょっと大きいけど、まぁ大丈夫だ。

両手に黒いゴム製のグローブを嵌めて、よし、完成だ。

 

 

後は顔を隠す物は……ラックの下や、側を探す。

 

 

「な、ない……」

 

 

被り物は別の部屋なのか……?

 

でも探している暇なんて、今は一刻も争うんだ。

 

視界の隅に、ベージュ色の紙袋が見えた。

この仮装を持ち込むのに使用したであろう、無地の紙袋だ。

 

……これしかない。

 

僕は紙袋を手に取り……よし、見た目より結構丈夫だ。

 

壁に掛けられているバインダーのボールペンを手に取り、目の位置に穴を二つ開けた。

 

そして……穴の空いた紙袋を被り、僕は部屋を飛び出した。



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#85 マイラヴ・ユアラヴ part3

「ミシェル、大丈夫?」

 

 

グウェンが頭上から声を掛けてきた。

彼女は今、私に密着して……後ろにいる。

私の方が小さいので、必然的に顔の位置が上になってしまうのだ。

 

 

「ん……平気」

 

 

後ろ手をビニールのロープで結ばれて、地べたに座っている。

手に食い込んで少し赤くなってる。

 

 

しかし……折角、ハリーが誘ってくれたハロウィンパーティなのに。

変な奴らが乱入してきて台無しだ。

 

私達を囲む黒いマスクの男達……そのリーダーであるマントを付けた男。

彼は自身を『フラグスマッシャー』と名乗っていた。

 

彼の事は知っている……コミックでの知識だが。

国旗(フラグ)破壊(スマッシュ)する人と言うだけあって、反ナショナリズムのテロリストだ。

本名はカール・モーゲンソー、だったか?

 

……しかし、思い出しても……あまり強い悪役(ヴィラン)ではなかった気がする。

 

いつも負けて……時には殺されて代替わりしてるイメージが強い。

この世界の彼が何代目かは知らないが……手に銃火器を持っている事から、スーパーパワーは無さそうだ。

 

 

「…………」

 

 

グウェンが、無言でフラグスマッシャーを睨んでいる。

奴と私の間に挟まり、守ろうとしている。

 

シンビオートと結合したグウェン、つまりグウェノムならば全く問題なく対処出来るだろう。

だが、その場合……人質が殺されてしまう可能性もある。

 

結局、今の所はパワーを隠して大人しくするしかない。

 

 

頼みの綱は──

 

 

「ピーター……」

 

 

そう、ピーター・パーカーA.K.A(つまり)スパイダーマンだ。

 

先程、給仕を命令されたハリーが、彼を屋敷に連れて行った。

ハリーはピーターがスパイダーマンだと言う事を知っている……筈だ。

何かしら作戦があるのだろう。

 

なので、私が何かする必要はない。

寧ろ、フラグスマッシャー達の不興を買わないよう、静かに大人しくしているのが最善だ。

 

今の私は『ミシェル・ジェーン』だ。

『レッドキャップ』ではない。

暴力的な手段での解決は出来ない。

 

私は左右を見渡し……ネッドを見る。

 

顔を強張らせているが、落ち着いている。

ピーター関係で、何度か荒事に巻き込まれているから……慣れてしまったのだろうか?

それは幸か不幸か……まぁ、度胸がある事はいい事だ。

 

問題があるとすれば他の人達だ。

誰も彼もが怯えていて……子供は涙を流して、それを大人が声を出さないよう必死に落ち着かせようとしている。

 

……あぁ。

 

 

「そうか」

 

 

大した事のない話だと思っていたが、彼等にとっては命の危機であり……大事なのだ。

 

私の価値観は世間からズレてしまっているようだ。

それも、良くない方に。

 

そうして、怯える人達の中に……一人、落ち着いた様子の男がいる事に気付いた。

ピーターと喋っていた緑色のスーツを着た男……彼は腕を縛られていると言うのに、まるで休日の昼下がりかと思える程にリラックスしていた。

 

……彼も、私と同じく『価値観が世間からズレている』のだろうか?

 

話をしたい気持ちはある。

彼の事を知りたいと、心の奥底から衝動を感じる。

何故かは分からない、だけど……私の知らない、何かが……彼の事を知りたいと言っている。

 

それでも、今の状況では難しいだろう。

 

フラグスマッシャー達は「大人しくしていれば危害は加えない」と言っていた。

逆に言えば……目立つ行為をすれば、危害を加えるという事だ。

 

先程の、ピーターのように……。

 

 

「…………」

 

 

私は眉を顰める。

 

幾らピーターが人より頑丈だからと言って、殴るなんて──

 

あぁ、いや、私に責める権利はない。

私だって彼を何度も殴っている……それどころか、ナイフで刺した事もあるだろう?

 

自分を棚に上げて、人にはするなと言いたいのか?

 

だから、他人を罵る権利はない。

私は彼等と同じだ。

 

 

だから、落ち着こう。

ここで憤っても、グウェンに迷惑を掛けるだけだ。

 

 

……私はグウェンへと視線を戻す。

随分と凛々しい眼差しをしている。

私のように楽観視している訳でもなく、どうやってこの状況を打破するか……そして、私達に危害が及ばない方法を考えているようだ。

 

そんな私の視線を不安がっていると思ったのか、私を安心させようとグウェンが微笑んだ。

 

 

「大丈夫……私が何とかするから」

 

 

……カッコいい。

今生が女でなければ惚れていたかも知れない。

 

 

直後、オズボーン邸の入り口が音をたてて開いた。

 

 

「む……?」

 

 

そして、フラグスマッシャーはそちらを見た。

出てきたのはハリー……一人だ。

監視役の男も居ない。

 

 

「おい、貴様……何故一人なんだ?そもそも給仕はどうしたんだ?」

 

「はぁ……はぁ……」

 

 

息切れしながら、ハリーが門に手を突いた。

……アレは、演技だな。

 

以前、彼がエージェントとして活動していた時……オリンピック選手も顔負けな運動をし続けていたにも拘らず、息切れもしていなければ汗もかいていなかった。

それは強化薬によって身体能力が向上しているからだ。

 

その様子を知っている私からすれば、アレが何か意図を持った時間稼ぎである事は容易に見抜けた。

 

だが、フラグスマッシャーはハリーと初対面だ。

彼の能力など、知る訳がない。

想定通り、不思議がって彼はハリーに近付いて行く。

 

 

「オイ、どうした?」

 

「……大変な事が起きたんだ」

 

「何ぃ……何だ?言ってみろ」

 

 

要領を得ない様子のハリーを訝しみながら、フラグスマッシャーが近付き……ハリーが上を見た。

 

 

「お前、どこを見ている……?」

 

 

フラグスマッシャーが上を見る。

 

頭上にはアーチ状の屋根。

中庭に日影が出来るように作られた屋根だろう。

それは今日、ハロウィンの装飾で飾られていた。

 

だが、それだけだ。

誰かがいる訳ではない。

 

 

「何も居ないではないか……私を馬鹿にして──

 

 

直後、アーチの影から人影が飛び出した。

 

そいつが、フラグスマッシャーの頭を蹴り飛ばした。

 

 

「うぐあっ!?」

 

 

悲鳴を上げながら地面に顔を叩きつけられる。

ボキリと、鼻が折れる音がした。

 

 

あぁ、その人影は私達を助けに来たヒーローだ。

 

いつも通り、赤いコスチュームを……お?

 

あれ?

 

青と黒?

……ファンタスティック・フォーのコスチューム?

 

そして、頭には紙バッグだ。

 

 

正直に言うと不審者にしか見えない。

 

 

でも、あれ……?

 

 

 

え?

 

 

 

誰?

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

ハリーが気を逸らしてくれている間に、不意打ちする事が出来た。

 

リーダーが攻撃された事に驚いたマスク達が、呆気に取られている……その隙に。

 

僕はフラグスマッシャーの後頭部を蹴った反動で、宙に飛ぶ。

そのまま宙で錐揉みしつつ……目を閉じる。

 

右に二人、左に一人、後ろに三人、前に一人。

 

超感覚(スパイダーセンス)に身を任せ、脅威に向けて(ウェブ)を乱射する。

 

……そして、目を開ければ。

(ウェブ)によって銃火器が使えなくなったマスク男達がいた。

トリガー部分に硬化した(ウェブ)が張り付いて、引くも押すも出来ない。

 

マスク男達は慌てて銃火器から(ウェブ)を外そうとするが……外れない。

 

(ウェブ)の粘着力と強度はかなり強い。

橋から落ちそうな車を持ち上げた事だってある。

だから、彼らには外せないだろうという自信があった。

 

……今、僕がかぶっている紙袋も(ウェブ)で固定している。

外すのが少し困るかも。

 

……いや、本当にどうしよう。

髪の毛とかに(ウェブ)が付いてないと良いけど。

 

 

「うぐ、ぎざま……何者だ!」

 

 

おっと、鼻血を流してるフラグスマッシャーが起き上がったようだ。

顔から地面にぶつけたのにタフだなぁ。

 

そのまま、銃口が僕へ向いた。

 

 

「さぁね、誰だと思う?僕はファンタスティック・フォーだと思うけど」

 

 

……僕は少し横にズレて、背後に人が居なくなるように調整する。

 

 

「ふざけるな!我々は遊びでやっている訳ではない!貴様のような何も知らぬ子供が──

 

「知らない人をテロに巻き込んじゃダメだって、パパとママに習わなかったの?大人なのに?」

 

 

首の裏が、ピリピリと痛む。

 

 

「調子に乗るな!」

 

 

瞬間、フラグスマッシャーが引き金を引いた。

僕は身体を逸らして弾丸を避ける。

 

そのまま、前に突き出した腕から(ウェブ)を射出した。

 

 

「危ない玩具は没収だよ」

 

 

(ウェブ)は銃に取り付く。

そのまま強く引っ張れば、彼の手から引き剥がされ……僕の手元に収まった。

 

……結構、大きいな。

僕は銃身を握り、力付くで捻じ曲げた。

「L」の形に曲がった銃を地面に投げ捨てる。

 

……よし、これで拾われても発砲出来ないな。

 

 

「このっ、私を本気で怒らせたな!」

 

「さっきまで本気じゃなかったの?」

 

 

挑発すると、冷静さを失ったようで……人質も気にせず僕への怒りを募らせている。

そして、フラグスマッシャーが腰から棒を取り出した。

 

先端には……棘の付いた鉄球?

モーニング・スターって奴かな。

 

……あまりにも前時代的だ。

思わず、僕はため息を吐いた。

 

 

「それに、君よりも僕の方が怒ってると思うけどね」

 

 

ちら、とパーティの参加者を見る。

そうとも、パーティを邪魔されて……友人を危険な目に遭わされて、僕は怒ってる。

 

それに釣られてか、フラグスマッシャーが怒声を上げた。

 

おっと拙い。

 

 

「貴様ら何をしている!加勢しないか!」

 

 

慌ててマスク男が僕を囲む。

と言っても手元の銃は(ウェブ)で固められて使えない。

 

ナイフみたいな刃物も持っていない。

多分、銃が使えなくなる想定をして無かったんじゃないかな?

やっぱり素人だ。

 

 

……脅威にはならないかな。

 

直後、僕にマスク男が飛びかかった。

武術も何も修めてなさそうな、素人丸出しの攻撃だ。

 

……慌てず、僕はカウンター気味に顔を殴った。

 

 

「ぎゃっ」

 

 

男は2メートル程吹っ飛んで、地面に転がった。

ピクピクと痙攣してる。

 

……ちょっと強く殴り過ぎたかも。

でも、一般市民を怖がらせたんだから仕方ない。

当然の報いって奴だ。

 

その瞬間、背後から声が聞こえた。

 

 

「隙だらけだぞ!」

 

 

フラグスマッシャーだ。

 

モーニングスターを振り上げて、背後から僕へと襲い掛かろうとしている。

 

隙だらけ……と言われても、超感覚(スパイダーセンス)のお陰で気づいている。

と言うか声を出しながら不意打ちしたら、意味が無いと思うんだけど……?

 

だから、隙でも何でもない。

気付いてる上で、別に構えなくても大丈夫だと思っているのだ。

 

僕は背後を振り返りながら、手の甲と鉄球をかち合わせる。

 

すると──

 

 

「なにぃ!?」

 

 

鉄球は粉々に砕け散った。

 

 

「あらら……」

 

 

金属製だったけど、あまり重くならないように中心部は空洞だったようだ。

 

フラグスマッシャーは超人ではない。

あまり重くすると取り回しが悪くなるから、空洞にしたのだろう。

 

まぁ、その所為で強度が落ちて壊れちゃったら意味ないけど。

 

そして、フラグスマッシャーは鉄球部を失ったモーニングスター……いや、鉄の棒を地面に落とした。

 

……腕を抑えて蹲っている。

 

鉄球を破壊した際の衝撃を逃しきれず、腕にダメージが入ったのだろう。

 

 

「それじゃあ、パーティの二次会は刑務所でやってね」

 

 

その隙に僕は(ウェブ)を連射し、フラグスマッシャーを絡め取る。

腕、脚、胴、動かせる場所はもう無いだろう。

 

 

「くそっ、今すぐ解け!お前の──

 

「おっと、口がまだだったね」

 

 

再度、中指でウェブシューターを起動する。

 

 

「へぶっ!?」

 

 

顔に(ウェブ)が命中した。

鼻を塞がず、口だけ塞ぐのって結構難しいんだよね。

 

 

「んんん!!んん!」

 

「あー、ごめん。何言ってるか分かんないや」

 

「んん!」

 

 

くぐもった声鳴き怒声を無視して、僕は周りのマスク男達に顔を向けた。

 

……さっきぶっ飛ばされた奴の姿を見て、彼らはビビってしまっている。

及び腰で、誰も僕に向かってこない。

 

僕はため息を吐いて、彼らに警告する。

 

 

「大人しく投降すれば、骨を折らずに済むよ……僕も、君達もね」

 

 

僕は苦労しなくて済むし、彼等は物理的に骨折しなくて済むんだから……諦めて欲しいな。

 

にしても、凄く拍子抜けだ。

特殊部隊や軍人でもないし、秘密組織のエージェントでもない……ただのテロリスト。

訓練なんかもしてなさそうだし……。

兵士ってよりは思想家なんだろうな、凄く迷惑なタイプの。

 

 

「ひぃっ」

 

 

そう油断していると、その内の一人が僕に背を向けて逃げ出した。

 

逃げた先には……グウェンと、ミシェル、ネッドがいる。

 

瞬間、意識するよりも早く手が動き、(ウェブ)を射出した。

背中に張り付いた糸を引っ張り、引き寄せて投げ飛ばした。

 

そのまま、男は壁に激突した。

 

 

「……あっ」

 

 

これらの動作は無意識でやってしまった。

当然、宇宙人やら軍人やら、スーパーな悪人と戦ってるなら問題ない。

 

だが、マスク男は素人だ。

受け身なんかも取れなかったようで……動かなくなった。

 

慌てて駆け寄り、脈を測る。

生きてる……けど、結局、骨は折れてしまったようだ。

命には別状はないと思う。

 

ホッと息を吐き……そのまま、他のマスク男達を見る。

 

 

「まだやる?」

 

 

彼らは慌てて、戦う意思はないと首を振っていた。

……どうにか一件落着らしい。

 

ハリーの方を見ると、僕に向けて小さくサムズアップしていた。

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

パトカーが沢山来ている。

(ウェブ)で拘束されたマスク男達が、手錠をかけられて警察車両に詰め込まれている。

 

特にスーパーパワーを持っていない犯罪者だからか、『S.H.I.E.L.D.』は来ていない。

ただのニューヨーク市警だ。

 

その姿を、僕は普段着……より、ちょっとお洒落な服で見ていた。

あのファンタスティック・フォーの衣装ではない。

紙袋マスクも外した。

 

だけど、元々着ていた服はボロボロになっちゃったから、ハリーに仮装用の衣装を貰ったのだ。

いや、仮装と言っても僕では買えないような本格的なタキシードなんだけど。

……うぅ、貧富の差を感じてしまう。

 

あ、そうそう。

フラグスマッシャーを拘束した後、僕は急いでオズボーン邸の中に戻り服装を替えた。

そして、邸内で謎の紙袋マスクに助けられたんだと主張しておいた。

 

グウェンが滅茶苦茶、胡散臭そうな顔をしていたのは気になるけど。

……彼女は勘が鋭いからなぁ。

彼女にバレると言う事は『S.H.I.E.L.D.』にバレるという事だ、非常に面倒臭い。

 

ため息を吐くと、僕の横に誰かが座った。

プラチナブロンドの髪が、視界の隅で揺れた。

ミシェルだ。

 

 

僕の顔を見て、何かに気付いたようで小さな鞄を手元に置く。

ゴソゴソと中を漁り、ハンカチを取り出した。

 

 

「ピーター、これ」

 

 

そして、僕に突き出した。

 

 

「うん?どうしたの?」

 

「ここ、血が出てる」

 

 

ミシェルが僕の顔を指差した。

 

思わず、顔に手を当てる。

……確かに唇から血が出てる。

フラグスマッシャーに顔を殴られた時の、か。

 

そして、ミシェルがハンカチを僕の手に握らせた。

白いシルクの、肌触りの良いハンカチだ。

 

思わず苦笑した。

 

 

「ミシェル、これに血がついたら……汚れが取れなくなるよ?僕は大丈夫だから──

 

「良いから」

 

 

ミシェルにハンカチを返そうとするけど、受け取って貰えない。

 

……あんまり、善意を無碍にするのも良くないかな。

 

そう思い直して、ハンカチを口元に近づけて──

 

 

「あっ」

 

 

ハンカチに仄かなピンク色を見つけた。

そして、仄かに甘い匂いがした。

 

ギョッとして、ミシェルを見る。

 

 

「あの、ミシェル……?」

 

「どうしたの?」

 

 

ミシェルが首を傾げた。

 

少し悩んで……僕は彼女に質問する。

 

 

「このハンカチってさ……今日、既に使ってたりする?」

 

「…………あ」

 

 

そう、仄かなピンク色は……ミシェルが付けているリップの色だ。

恐らく、飲み物を飲んだ後、口を拭いたに違いない。

 

つまり、その、このまま僕が……このハンカチで口元を拭いたら間接的に──

 

 

「……その、ピーター?」

 

 

ミシェルが手を伸ばして来た。

僕の目から、顔を逸らして。

 

 

「分かってるよ」

 

 

……僕はその手に、ハンカチを乗せた。

 

残念だとか、惜しいとか、そんな思いはない。

彼女に嫌がられる事はしたくないからだ。

 

ミシェルが鞄にハンカチを戻し、申し訳なさそうな顔をした。

 

 

「……ごめん」

 

 

ミシェルは手で、唇を隠すように覆っていた。

その仕草に思わず、心臓がドキリと跳ねた。

 

 

「き、気にしてないよ?元々、善意で貸してくれようとしてんだし」

 

 

ミシェルが気に病まないように、努めて笑う。

……ちなみに、「気にしてない」は嘘だ。

滅茶苦茶、気にしてる。

心臓が凄い音を立ててバクバク言っている。

 

さっきフラグスマッシャーに銃を向けられた時よりも、落ち着かなくなっていた。

 

顔、赤くなってないかな。

大丈夫かな。

 

そんな事ばかりが、頭の中を占めていた。

 

気まずくなったのか、ミシェルの視線がまた顔を逸らした。

 

僕も彼女の唇から意識を逸らす為に、警察官達の会話を盗み聞く。

 

 

紙袋を被った男が話題になっていた。

何と呼ぶかで議論になっている。

……大袈裟な鞄男(ボンバスティック・バッグマン)

変なニックネームが付いてるけど……多分、彼はもう二度と出てこないから、名付け損だよ。

 

……と言うか、(ウェブ)を使ってたんだから、スパイダーマンだって気付かれるのも時間の問題かも知れないな。

それなら、何故あんな格好をしているのかって話になって……そこから僕に紐づけられたら凄く困るけど。

 

(ウェブ)は使わない方が良かったかも……いや、力を出し惜しんで、誰かが傷付く可能性が増える方が問題だ。

うん、後悔はしない。

 

……あぁ、家に帰ったら腕時計型スーツのメンテナンスをしないと。

故障してたら、スタークさんに相談しに行かないといけないし。

 

でも、何で動かなかったんだろう。

……今はちゃんと電子時計も動いてるけど、あの時は完全に動いてなかった。

 

思案していると、ミシェルが服の裾を引っ張った。

 

 

「……ピーター、少し話したい人がいるから探してくる」

 

「……うん?分かったよ。気を付けてね」

 

「ん」

 

 

短く返事して、ミシェルが警察が事情聴取をしている人混みの中に入って行った。

 

話したい人?

探す?

 

グウェンやネッド、ハリーなら名前を出す筈だ。

そして、探すと言っているからには……見つかっていないようだ。

 

名前も知らない相手を探している……のだろうか?

 

……付いて行った方が良かったかな、心配だし。

ほんの少し後悔したけど、ミシェルの姿は人混みに隠れて見えなくなっていた。

 

野次馬じゃないけど、テレビ局のリポーターだったり、新聞社も来ているようだ。

 

あ、現場の写真を撮っておけばデイリービューグルからお金が貰えるかな……って、カメラは持って来ていないんだった。

スマホのカメラじゃ、どうせ安く買い叩かれるし……。

 

……人混みを見ていると、一人、見知った顔が抜け出して来た。

 

 

「……ピーター」

 

 

げっそりとした声を出しているのは、ハリーだ。

パーティの主催だからか、聞かれる事も多かったのだろう。

 

……多分、警察からの事情聴取は終わったけれど、マスコミ相手が嫌になって抜け出して来たに違いない。

 

 

「ハリー、お疲れ様」

 

「あぁ、本当に……疲れたよ」

 

 

深く息を吐いて、僕の横で座り込んだ。

僕はそんな姿に苦笑しつつ、声を掛けた。

 

 

「この後、どうする予定なの?」

 

「パーティはお開き……現場の調査が終わったら解散さ。それ程、時間は掛からないと思うけど」

 

「そっか」

 

 

楽しいパーティの筈だったのに。

主催者であるハリーの心労は僕よりも遥かに大きいだろうから、口には出さないけれど。

 

 

「後は、そうだな……パーティに出す予定だったケーキやオードブルは、袋にでも包ませて持ち帰って貰おうか」

 

「あぁ、それは良いアイデアだね……ケーキとかは──

 

「ミシェルが喜びそう、か?」

 

「そうそう」

 

 

ハリーが笑った。

僕も笑った。

 

こうして、一緒に笑い合える仲になれて……本当に良かった。

心の底から、そう思っている。

 

 

「そうか、ケーキのお土産、か……」

 

 

ハリーが染み染み、と言った様子で自身の言葉を噛み締めた。

 

 

「どうかした?」

 

「あぁ、いや……彼女と初めて会った時も、ケーキを受け渡していたなって」

 

 

彼女……名前は出さなかったが、僕には分かる。

そして、彼自身の未練も感じ取った。

 

告白する予定だったけど、身を引く……とハリーは言った。

 

だけど……本当にこれで良いのか?

 

 

「いや……」

 

 

良くない。

 

 

「ピーター?」

 

 

ハリーが僕の様子を訝しんだ。

 

 

「やっぱり……告白したいんだよね、ハリーは」

 

「……何を言ってるんだ?僕はもう、諦めて──

 

「諦められてないよ」

 

 

僕の言葉に、ハリーが眉を顰めた。

 

 

「いいや、諦めたさ。僕は──

 

「だって、ハリー。彼女の話をする時……凄く、辛そうな顔をしてるから」

 

「何を……バカな……」

 

 

ハリーが自身の顔に手を置いて……悩み始めた。

そんな彼に声を掛ける。

 

 

「このまま言わなかったら、ずっと後悔すると思うよ」

 

「……ピーター、君も彼女の事が好きなのだろう?」

 

「そうだけど」

 

「恋敵を応援して……もし、僕がOKを貰ってしまったら君はどうなる?可能性は少しでも摘み取っておくべきじゃないのか?」

 

 

ハリーの目は、僕へ真っ直ぐに向けられていた。

そして、真剣な表情で口を開いた。

 

 

「ピーター。君にとって、彼女はそこまでの存在なのか?」

 

「大切だよ。だけど、ハリーも僕の友人だから」

 

「……何を」

 

 

僕の返答を理解できなかったのか、困ったような顔をした。

 

 

「本音を言うと告白しないのなら僕は嬉しいんだ……でも、友人の気持ちを大切にしたいのも、僕の本音なんだ。ずっと悩んだまま、生きていくのは辛いと思うし」

 

「……はぁ、そうか」

 

 

ハリーが呆れたようにため息を吐いた。

偉そうな事を言っても、僕だって告白してないからね。

 

 

「ピーター、君は本当に損な性格をしているな」

 

「……バカにされてる?」

 

「いいや?それでこそ『親愛なる隣人』だ。褒めてるのさ」

 

 

ハリーが僕の事を笑って、そして勢い良く立ち上がった。

 

 

「ありがとう、ピーター……僕はもう、諦めない」

 

「……そ、そっか」

 

 

返事をしながら、僕は少し危機感を持っていた。

もし、ミシェルが、ハリーの告白をOKしたら……もう、僕とは一緒に居てくれなくなるんだろうか?

 

そう考えると胸が苦しくなるけど……それでも、彼女が幸せになれるなら、僕は納得できると思う。

……いや、かなり引きずると思うけど。

それこそ、5年ぐらい後悔しそうだ。

 

そんな僕の内心を見透かしたように、ハリーが少し笑った。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

僕は懐中時計型のハッキング装置の電源を落とした。

柱の裏から、ピーター・パーカーの後姿を見る。

 

 

「見込みはあるかな……敵役は少し、物足りなかったけど」

 

 

緑色のスーツ、その懐に装置を仕舞い込む。

 

ピーター・パーカー。

スパイダーマン。

 

情報としては知っていたけど、人となりは改めて知る事が出来た。

お人好しだと聞いていたけど……うん、よく分かった。

 

人助けしたいと欲を出してる訳じゃないな。

ただ、人を助けるのは当然だと思っているタイプだ。

 

そして、夢見がち(ロマンチスト)

僕や彼女とは正反対。

 

そんな彼だからこそ、彼女は友人として選んだのか?

 

だが彼は……僕の考えている──

 

 

「王子様って柄じゃなさそうだ……白馬にも乗らないし」

 

 

正直、顔を合わせて会話さえ出来れば良いと思っていた。

だが、まさか……乱入者が来るとはね。

お陰で彼の戦闘パターンを少しは解析する事が出来たけど、無駄な時間を使わされてしまった。

 

そして、ピーターが腕に付けているナノテクノロジーを使ったスーツ。

その情報を得ようとハッキングしたら、まさか機能ごとシャットダウンするとは思わなかったけどね。

流石はトニー・スターク、抜け目がない。

 

だが、スーツが使えなくてピーターは困っていたようだけど……他人にスーツを操られて窒息死とかさせられたら身も蓋もないし、電源を切るのが正解だとは思うけど。

 

一通りの観察は終わった。

僕は柱から離れて、塀に飛び乗った。

高さ、3メートル弱だけど……服の下に精神感応アーマーを着ている。

大した問題にはならない。

 

僕は、人混みの中で誰かを探すように彷徨っている彼女を見つけた。

……彼女と顔を合わせるつもりはない。

 

塀の上から飛び降りて、隣接している道路へと着地する。

 

塀の裏に停めておいた橙色の車に乗り込み、キーを突き刺す。

捻ると、車の内部が青色に発光する。

 

ハンドルに両手を乗せて、思案する。

 

ピーター・パーカー、そして……ミシェル・ジェーンね。

彼等が共に居られる時間は、残りわずか。

自由は長く与えられる訳ではない。

 

別れを円滑に出来るのか、それとも……。

 

いいや、あまり期待しない方がいい。

期待しなければ、失望もしない。

……僕の好きな言葉だ。

 

 

現実は夢では覆せない。

ただ、そこに待っている結末を覆せるのは……より、強い力だ。

 

僕にはない。

彼女にもない。

彼にもない。

 

合わせた所で、僕達では組織(アンシリー・コート)を統べる者には勝てない。

 

 

エンジンを稼働させて、車を走らせる。

 

 

「でも、困ったな」

 

 

……どうすればいい?

僕には分からない。

 

僕はただの『妖精』だ。

灰を被った少女を着飾り、舞踏会に連れて行く事は出来る。

 

だけど、それは幻だ。

12時を過ぎれば夢は消えてしまう。

 

車を自動操縦させて、頭を整理する。

 

 

……あぁ、そう言えば。

 

 

「……パーティに何故、あの男が居たんだ?」

 

 

紫色のスーツを着た端正な男。

僕が見つけた時は若い女と話していたが……随分と下卑た笑みを浮かべていたな。

 

僕は眉を顰めた。

 

 

「不愉快だな。雇われたのか……私欲なのか、分からないけど」

 

 

奴は残忍で狡猾、非道で、最悪なクズ野郎だ。

関わった人間は誰もが不幸になるだろう。

 

 

「まぁ、僕には関係ないけどね」

 

 

彼女さえ巻き込まれなければ良い。

……念のため、スーツにも耐性を付与しておこうかな?

 

心配性な僕は、彼女の着る赤いスーツへ思いを馳せた。



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#86 マイラヴ・ユアラヴ part4

居ない。

 

私の探している緑色のスーツを着た男……彼は既に居なくなっていた。

 

 

「…………」

 

 

この人数、そして喧騒の中では探すのは厳しいか。

 

後でピーターから名前を聞いて……ハリーの帳簿から逆引きでもすれば良いか。

 

諦めた私は、庭に並べられていた白い机を見る。

今は無惨な姿で転がってる。

 

上に乗っていたケーキは土や砂埃が付いていて食べられたものではないだろう。

あぁ、なんて勿体無い。

 

ため息を吐いて、彼を探す事は諦める。

私は踵を返し、ピーターの元へ戻ろうとし──

 

 

一人の男が私を見ている事に気付いた。

 

 

紫色のスーツを着た男。

黒髪をオールバックに仕立て上げた、何者か。

ネッドと話していた男だ。

 

訝しみつつ……自身の容姿が目を惹くような物であることを自覚している私は、そういう類の物かと納得した。

 

そのまま歩みを進めて──

 

 

「失礼、君と少し話をしたい」

 

 

そう、紫色の男に話しかけられた。

 

 

私は断ろうと──

 

喜んで頷いて──

 

彼の為ならば何でも──

 

私は──

 

瞬間、脳がクリアになった。

まるで何かで上書きされたかのように、靄が晴れた。

 

何か、おかしな事が起きたのだと、理解するには充分だった。

しかし、何が起きたかは分からない。

何が原因で、何で気付いたのかも。

 

訝しみながらも、私は首を横に振った。

 

 

「ごめんなさい、人を待たせているから」

 

 

そう断ると、紫色のスーツを着た男は……非常に驚いた顔をしていた。

 

 

「そうか……ほんの少しでも良いんだ。君と話をしたい」

 

 

彼と目が合う。

……心の中を暴き、無遠慮に踏み込んでこようとする不快な目。

私は今すぐ此処から離れたかった。

 

 

「ごめんなさい」

 

 

目を逸らし、私は彼から顔を背けた。

 

 

「せめて名前だけでも──

 

 

後ろから掛けられた声すらも無視する。

何者かは分からない。

 

だけど、共にいると悪寒がする。

心の奥底から、彼の側から離れたいと感じていた。

 

だから私は歩く事を止めなかった。

 

 

 

少し、歩いて。

人混みから離れて。

オズボーン邸の陰まで来ていた。

 

喧騒は遠のいて、ほんの少し静寂を感じる事が出来た。

 

私は振り返った。

 

そこには誰もいない。

あの紫色の男も居ない。

 

安堵の息を深く吐いて、しゃがみ込んだ。

 

 

「あれは……誰?」

 

 

私は自分の頭に手を置いた。

……私の脳、記憶……あやふやに捻れている前世の記憶。

何かに封をされたように、鍵が無ければ中身を見れない箱に入った記憶。

 

あの時、目の前にいた紫色の男から、私は箱の外形を朧げに見た。

鍵が無ければ中身は分からない。

だが、彼の事を知っているような気がしていた。

 

紫色のスーツを着た男。

 

これだけのキーワードと容姿だけでは、正体は分からない。

しかし、感じているのは嫌悪感だ。

碌な人間ではないのは確か。

 

コミックの中にある存在と、現実に見た存在。

それらを紐付けるパスがなければ、判別は出来ない。

 

もう少し、話し込めば良かったのか?

情報を引き出し、その正体を探るのが賢明だったのだろうか。

 

 

「……チッ」

 

 

思わず悪態を吐く。

『ミシェル・ジェーン』らしくない態度だ。

だが、そんな事を考えていられるほど私は冷静では無かった。

 

後悔は先に立たない。

今すぐ戻って、探るべきだ。

 

彼が私の大切な誰かを……傷付けないとは限らない。

傷付けられた時、八つ裂きにするのは容易い。

だが、傷は治らない。

 

グウェンの時のように都合の良い事はそうそう起こらない。

この世界では、誰かが助けを求めたところでヒーローが必ず来てくれるとは限らない。

 

それは、私がよく知っている。

 

ゆっくりと立ち上がり、また広場へ戻ろうとする。

 

……超人血清によって強化された視界で、遠くに発見した。

だが、その男はタクシーへ乗ろうとしていた。

 

もう、間に合わないか?

少し焦って、私はそこへ向かおうとして──

 

 

「ミシェル?」

 

 

声を掛けられた。

 

 

私は『ミシェル・ジェーン』だ。

ニューヨークに住む、何も知らない普通の女の子。

即座に、表情を整える。

 

 

そのまま、声を掛けてきた方へ顔を向ける。

 

 

「どうしたの、ハリー?」

 

 

薄く笑って、ハリーへと言葉を返した。

 

 

「いや、ミシェルの方こそ……すまない、急いでいた?」

 

「……大丈夫。急いでない」

 

 

男を乗せたタクシーは、既に此処を後にしていた。

今から追いかけるのは無理だ。

 

諦めるしかない。

 

 

私は軽く息を吐いて、ハリーへ質問する。

 

 

「ハリー?それで、何か用事?」

 

「いや……用事はないんだ。ただ君と少し、話がしたくて」

 

「……そうなの?」

 

 

何となく、そう、何となくだが……ハリーが私に好意を抱いているのは感じていた。

それが友愛か、親愛か、恋愛なのかは分からないが。

 

 

「あぁ、その──

 

 

話す内容が思い付いてないのか、ハリーが目を逸らし……地面に落ちてしまっているケーキに気付いた。

 

 

「家の中にならケーキがまだ残ってるんだ。よかったら、どうかと思って」

 

「……ん、食べたいかも」

 

 

同意して、ハリーについて行く。

決してケーキに釣られたからではない。

私はそんな安い女ではない。

 

ただ、彼が私と話したいと言うのならば、それに付き合っても良いかな、と納得しただけだ。

ちなみに、ケーキはどれぐらい残っているのだろうか?

 

オズボーン邸の中に入り、高級そうな内装に目移りしつつ、大きなキッチンへとたどり着いた。

 

 

「あ……」

 

 

銀色の机の上には、プラスチックの蓋が被さったケーキが置いてあった。

それも、沢山。

ババロア、ガナッシュ、ザッハトルテ、ティラミス、フォレノワール、タルト。

煌びやかな景色に、私の気分は良くなった。

 

頬が緩んでしまう程に。

 

 

横を見ればオードブルもあった。

ポテトとかそんなの。

こっちはどうでもいい。

 

 

「外に出してなかったけど、沢山作ってたんだ」

 

「そっか……」

 

 

興奮してる事を知られたら恥ずかしいので……悟られないように頷いた。

だが、そんな私を見てハリーは微笑ましそうに笑っていた。

 

 

「……何?」

 

「いいや、何でもないさ」

 

 

そう言ってハリーがまた笑う。

よく分からない。

 

 

「あんな事があったしパーティはお開きになる。捨てるのは勿体無いから、箱にでも入れて参加者に配るつもり……なんだけど、どうかな?」

 

「……うん、凄くいいと思う」

 

 

顔を近付けて、フォンダンショコラを見る。

今すぐフォークを突き刺して、流れ出すチョコレートに包まれたい。

 

 

「ミシェルは本当にケーキが好きなんだね」

 

 

そう、ハリーが言った。

 

思わず振り返って、少し笑った。

 

 

「うん、ケーキじゃなくても、甘いものなら。ハリーは?」

 

「僕?僕は──

 

 

ハリーがシンクに手を置いて……息を吐いた。

金属製の壁が白く曇って、ハリーの顔を隠した。

 

 

「僕も、好きだな」

 

「それなら──

 

「君の事も、好きだ」

 

 

ポツリ、と呟かれた言葉に思わず息を呑んだ。

 

 

「私も、ハリーの事は好きかな」

 

 

聞かなかったフリは出来ない。

だけど、これは友愛なのだと誤認しているフリをする。

 

少し、声が震えている。

 

ハリーが私の方へと振り返った。

 

目が合う。

 

 

「僕は男として、君を女性として好きなんだ」

 

 

告げられた言葉に、私は──

 

 

「ごめん、なさい」

 

 

謝罪しか、出来なかった。

 

私は視線を下げる。

彼と合わせる顔がなかった。

 

貴方の思いに応えられなくて。

ごめんなさい。

 

本当は彼に好かれるような人間ではないのに。

ごめんなさい。

 

貴方を騙して。

ごめんなさい。

 

 

口の中が乾く。

 

数秒しか経っていないのに、何時間も過ぎたように感じる。

 

 

「そうか……僕こそ、こんな事を言って悪かった」

 

 

その沈黙を破ったのはハリーだった。

私は顔を上げて、彼の顔を見た。

 

……悲しそうに眉を下げていたけれど、スッキリとしたような顔だった。

 

 

「ううん、私の方が──

 

「いいや、ミシェルは悪くない」

 

「私が──

 

「僕が──

 

 

声が重なって、お互いに黙った。

 

少し気まずくなって……ハリーが笑った。

 

 

「こんな事を言って何だけど……まだ、友達では居てくれるかい?」

 

「それは……勿論」

 

 

頷くと、安堵したように深く息を吐いた。

 

 

「良かった……君に嫌われたら、どうしようかと思ってた」

 

 

その言葉に私は首を傾げた。

 

 

「人に好きと言われても……その人を嫌いになんてならない、と思うけど」

 

「……それは、君が優しいだけだよ」

 

 

ハリーが頷いて、頬を緩ませた。

そして、目をキッチンのドアへと向けた。

 

 

「庭園に戻ろうか、きっとピーターが待っているよ」

 

「……分かった」

 

 

そうだ、ピーター。

彼は、まだ外で私を待っている筈だ。

 

 

「あと、これを……好きにしてくれて、構わないから」

 

 

ハリーがカップに入ったケーキを私に手渡した。

思わず受け取る。

 

彼の手に触れて、少し、温かかった。

 

 

そして、私は入って来た入り口を潜り……ハリーへ振り返る。

彼はその場から動いていなかった。

 

 

「……ハリーは?」

 

「まだ少し、ここに居るよ。使用人にも話をしないといけないからね」

 

 

そう言ったハリーは爽やかに笑っていた。

 

あぁ、良かった。

好意を無碍にしてしまったから、傷付いてしまうのかと──

 

いや、違う。

彼は傷付いている。

 

顔には出していないけれど、シンクの縁を掴む手が震えているから。

 

だけど、励ます事なんて出来ない。

私にその資格はない。

 

 

「ハリー、先に行ってるから」

 

「あぁ、分かったよ」

 

「待ってるから」

 

「……分かったよ」

 

 

私はそのままキッチンから出て、廊下を歩いた。

広場へ戻るために……少し、早足で。

 

 

「はっ、はっ……」

 

 

息を荒らげているのは疲れているからじゃない。

自身に対する自己嫌悪と……居心地の悪さ、ハリーへの懺悔、後悔、様々な感情がストレスと感じているからだ。

 

だけど、悪いのはハリーじゃない。

彼は普通の事をした。

 

好きな異性に「好きだ」と言っただけだ。

問題があるのは私だ。

 

彼を騙して、好意を引き出し、傷付けた。

 

 

「う……」

 

 

息を深く吐いて、オズボーン邸の外で座り込む。

自己嫌悪で心が重くなる。

 

だけど、今すぐに普段の『ミシェル・ジェーン』に戻らなくては。

こんな顔は誰にも見せたくない。

 

だから。

 

 

特に──

 

 

「ミシェル?」

 

 

(ピーター)には。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

ミシェルが誰かを探しに行って……結構な時間が経った。

 

待ち惚けて居ても暇だけど、かといってこの場所から離れるのも億劫で。

 

僕はハリーが用意した机から、蓋が付いていて汚れて居ない飲み物を手に取る。

カップにストローを刺して口に入れれば……甘酸っぱい酸味が広がった。

 

疲れた脳に染み渡っていくような気がした。

 

 

そのまま飲み切って、机の上に戻して──

 

 

「ピーター、ミシェル知らね?」

 

「わっ」

 

 

ネッドが僕に話しかけた。

隣にはグウェンも居る。

 

急に話しかけられたから、ビックリして思わずカップを落としそうになった。

 

 

「何だよ」

 

「いや、急に話しかけてくるから……」

 

「……疲れてんのか?」

 

「まぁね」

 

 

ネッドに心配されつつ、首を縦に振る。

疲れてるかって?

そりゃあ疲れてるよ。

 

めちゃくちゃ運動したし、僕。

 

そんな僕達の会話に、グウェンが割り込んできた。

不機嫌そうに眉を顰めている。

 

 

「で?ミシェルは?一緒じゃなかったの?」

 

「ミシェルは今、誰かを探しに行ってるよ」

 

「誰か?誰よ」

 

「さぁ……僕も知らないけど」

 

 

バシン、と音がした。

グウェンの蹴りが僕の尻に当たった音だ。

 

 

「いっ」

 

「エスコートするのがアンタの役目でしょうが……何そこでボケーっと突っ立てんの」

 

「そ、それはそうだけど──

 

「何?言い訳するの?」

 

「い、いえ」

 

 

グウェンの隣でネッドが小さな声で「ひえー」って言っていた。

彼女は振り返り、ネッドを睨み付けた。

こわい。

 

 

「ちょ、ちょっとミシェルを探してくるよ」

 

 

とにかく、ミシェルが少し心配なのもあるし、怒れるグウェンから逃げたいのも相俟って、僕はミシェルを探す事にした。

 

その場を離れて、人混みを掻き分ける。

彼女のドレスを思い出して、辺りを見渡すけど……居ない。

 

小さかった心配が、少し大きくなる。

 

ほ、本当に何かあったのだろうか?

このパーティは警備してる人も沢山いるし、オズボーン家の関係者しかいない筈だから、参加者は善良な人しか居ない筈だ。

 

そう思っていたけれど……僕は危機感を覚えながら、辺りを歩き回り……ハリーも居ない事に気づいた。

 

……もしかして、オズボーン邸の中?

 

僕は出入り口に向かって歩き出し……そこで、しゃがみ込んで蹲っているミシェルを見つけた。

慌てて駆け寄って、僕は声を掛ける。

 

 

「ミシェル?」

 

 

そう、名前を呼ぶと……顔を上げて、僕を見た。

彼女は、泣いていた。

 

 

「……ピーター?」

 

 

声も震えていた。

 

 

「ど、どうしたの?何か嫌な事でも──

 

「私は、嫌な事なんてされてない」

 

 

彼女が口にしたのは否定の言葉だ。

 

 

「なら、どうして……」

 

「人を傷つけちゃったから……」

 

 

その言葉に僕は気付いた。

 

ハリー、か?

彼が告白をして……彼女が断ったのだろうか?

 

それでハリーが傷付いて……それを悟った彼女が傷付いている。

 

だけど、それは──

 

 

「君の所為じゃない……」

 

「……何?」

 

 

僕の呟きは、彼女には聞き取れなかったようだ。

告白を断って……された側が傷付くなんて、それは……彼女が優しすぎるからだ。

人を傷つけたくないと、心の底から思っているのだろう。

 

 

「その、傷付けたってのはハリーの事?」

 

「……知ってるの?」

 

「知らないけど、何となく」

 

「……そう」

 

 

また、ミシェルが塞ぎ込もうとして、慌てて僕は言葉を紡いだ。

 

 

「ミシェル、何があったの?」

 

 

そう訊くと、ミシェルが少し、悩んだ表情をして……喋り始めた。

 

 

「ハリーが、私のこと……好きだって」

 

「そう、なんだ」

 

 

やっぱり告白したみたいだ。

だけど、彼女の様子を見るに……望ましい返答は貰えなかったのだろう。

 

 

「私、断って……ハリー、凄く傷付いてた」

 

「……そっか」

 

「私の所為で……」

 

 

ミシェルの目が潤んでいた。

 

僕は彼女の横に座り込んだ。

少し驚いたようなミシェルと、目線が合う。

 

もう一度、口にする。

 

 

「それはミシェルの所為じゃないよ」

 

「違う……私が……踏み躙って」

 

 

思わず、ため息を吐いて……それから笑った。

 

 

「そんな事ないよ。ハリーだって、ミシェルに傷付けられたなんて思ってない。誰も君の事を恨んでないし……誰も悪いだなんて思ってない」

 

「……それが、嫌」

 

「え?」

 

 

帰ってきた言葉に思わず、声が漏れた。

 

 

「誰も私を責めない……私はそんな良い子じゃない……私は──

 

 

それは彼女がずっと抱えてきた劣等感、罪悪感だ。

初めて会った時から、彼女の自己評価は低かった。

 

それは単純に『低い』という言葉で片付けられない程に……それ程に、彼女は病的に自身を悪く言っていた。

 

だけど、これ以上……ミシェルに自分を悪く言って欲しくなくて──

 

 

「違うよ」

 

 

僕は……彼女を肯定する為に、彼女の言葉を否定した。

 

 

「違う?何が……?」

 

「ミシェルが自分の事を、どんなに悪く言ったとしても……僕達はミシェルを良い人だって思い続けるよ」

 

「何で……?」

 

「僕達がそう感じたからだよ……人の評価は自分だけでは決まらない。他の人が感じた気持ちが、その人の評価になるんだよ」

 

「でも」

 

「僕だってハリーだって、グウェンも、ネッドも……みんなが君の事を大切だと思ってる」

 

 

俯いていたミシェルが、僕と目を合わせた。

 

 

「だから、ミシェルが自分を悪く言っているのを見ると……悲しくなるんだ」

 

「……でも私は」

 

「自分を責めないで欲しいけど……それ以上に、僕達の大切だって気持ちは否定しないで欲しいんだ。君は良い人だ」

 

「……そう、なのかな」

 

「そうだよ」

 

 

そう言うと、ミシェルの目から大粒の涙が溢れた。

 

 

「……ありがとう、ピーター」

 

「どういたしまして?」

 

「……何で疑問型なの?」

 

「あんまり実感が湧かないから、かな?」

 

「……ふふ、変なの」

 

 

僕はミシェルに手を差し伸べて……彼女がその手を握った。

そのまま立ち上がらせると……手に持っているカップケーキに気付いた。

 

……きっと、ハリーが渡した物だろう。

 

僕は、彼女のその自己評価の低さ……それが何か知りたかった。

そして、出来る事なら解決したかった。

 

だから、僕は一歩踏み込んだ。

 

 

「ミシェル、何か困ってるなら……僕に言って欲しいんだ」

 

「ピーターに?」

 

「うん。必ず、僕が解決してみせるから……どんな問題だって、僕が何とかする。助けになりたいんだ」

 

「…………」

 

 

ミシェルが……眉を顰めて、下げて。

頬を緩めて、口を開いて……閉じて。

 

そうして、悩んだ後、また口を開いた。

 

 

「ううん、何も。困ってない。助けは必要ない」

 

 

それは、突き放すような言葉だった。

 

僕に何も伝えたくない、という気持ちだけが僕に伝わった。

 

少し、薄暗い気持ちになりそうだったけど、僕は取り繕った。

 

 

「そっか……でも、もし困ったら言って欲しい」

 

「うん、どうしても助けて欲しくなったら……その時は──

 

 

ミシェルが嬉しそうに、悲しそうに、苦しそうに、笑った。

 

 

「『助けて』って言うから」

 

 

そう言ったミシェルの顔は、冗談を言ったかのような……現実では、そんな時は来ないのだと……そう確信しているような表情をしていた。

僕はそれが悔しくて……それでも、今はただ頷く事しか出来なかった。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

「……あの女」

 

 

私はタクシーの中で、手を顎に当てる。

先ほど出会った見目麗しい……白金髪の青目の女を思い出す。

 

 

「……私の言葉に従わなかった」

 

 

車のバックミラーには虚な目をした運転手がいた。

 

彼は今日、ここで、初めて出会った男だ。

だが、今は私の従順な下僕だ。

 

何をしたか?

……何もしていない。

 

ただ一言、『従え』と言っただけだ。

 

私は生まれた時から『そう』だった。

頭の悪い母体が詐欺紛いの似非科学に引っかかり……妊娠した身で神経ガスを体内に打ち込んだ所から、私という人間は形作られた。

 

私は知っている。

ありとあらゆる人間は、私を愉しませるだけに存在する傀儡に過ぎない。

 

誰も彼もが私に従う。

どんな地位に就いていようが、どんな力を持っていようが。

 

金も、女も、暴力も。

全てが私の思うがままだ。

 

……幾つかの例外を除いて、だが。

 

 

その例外に彼女が混ざり込んで来た。

 

 

「…………フフ」

 

 

だが、不快ではない。

寧ろ、嬉しいんだ。

 

幼い頃から全てが思い通りだった。

だからこそ、思い通りにならない物が好ましい。

 

 

「せめて名前だけは知りたかったが……まぁ良い。機会は幾らでもある。それに──

 

 

私は紫色のネクタイを締め直した。

 

紫は好きだ。

暴力の赤と、静寂の青。

二つが交わり、混乱となる。

 

紫色のジャケット、その内側のポケットから携帯端末を取り出す。

 

電源ボタンを押せば、女の顔が写っていた。

 

 

「本命はこっちだ」

 

 

黒髪の黒いジャケットを羽織った女。

気の強そうな目をしている。

 

名は……ジェシカ。

ジェシカ・ジョーンズ。

 

彼女もこの、ニューヨークに居る。

 

私は心を躍らせて、頬を緩める。

そのままメールボックスを開き、幾つか確認する。

 

それは私に対する依頼のメール。

 

……私に仕事を依頼するなんて、身の程知らずだ。

だが、金払いは良い。

その気になれば金なんて幾らでも手に入る……だが、あまり目立つと『例外』が私を殺しに来る。

 

不要なリスクは控えなければならない。

だから、受けた。

 

 

「面倒だが、それでも……見返りはある」

 

 

タクシーが止まった。

どうやら、目的地に到着したらしい。

 

携帯端末をスリープモードにして懐に仕舞う。

 

私は椅子から立ち、タクシーのドアに手を掛ける。

 

おっと、そうだ。

 

 

「ご苦労。後は海にでも沈んで、頭を冷やしてくれ」

 

 

そう言ってドアから降りれば、タクシーは走り出した。

 

私の痕跡を知る者は、生かしてはおけない。

私は用心深い。

 

翌日か、更に翌日か……新聞にニューヨーク湾に沈んだタクシーの話が載るだろう。

 

車から降りた私は、家の前に立つ。

ホテルなんかじゃあない。

ただの民家だ。

だけど、今日から当分、ここが仮住まいだ。

 

私はインターホンに指を乗せた。

 

少しして、声が聞こえる。

 

 

『はい、どなたでしょうか……?』

 

 

警戒心の強そうな、若い女の声だ。

 

 

「ドアを開けてくれないか?」

 

『…………分かりました』

 

 

鍵が開いて、ドアが開く。

 

少しぐらいの浮気なら、君も許してくれるだろう?

 

なぁ、ジェシカ。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

「……ジャービス、そのコンバーターとマイクロチップを取ってくれ」

 

『畏まりました、スターク様』

 

 

執事ロボット、ジャービスが持ってきた機材を手に取り……スパイダーブレスレット(仮)に接続する。

 

先日、『一時的に動かなくなった』と言って送られてきた。

そうそう故障するような作りではない筈だが……一時的に故障するような事はあるのか?

 

ピーターがメンテナンスをしたレベルでは異常は無かったらしい。

 

つまり、機械的な故障ではない。

通電も問題なし、内部の基盤に故障はなし。

 

僕はケーブルを基盤の端子に突き刺し、内部情報を抜き出す。

ログを確認していると……確かに、二時間程、電源が停止している部分がある。

 

停止実行者は……このブレスレット自身。

 

 

「……む?」

 

 

停止コマンドは外部によるハッキングの結果だ。

スーツを構成する都合上、ブレスレットをハッキングされた場合……スーツ自体が肉体へ牙を剥く。

過剰な電力供給を発生させれば中の人間を丸焦げにする事だって出来る。

 

その為のセーフティだ。

それが起動していた。

 

ログを空中のモニターに投射し、指でなぞる。

 

 

「……ここだ」

 

 

複数行に書き込まれたアラート、エラー。

それらから、異常動作を検知している事を確認する。

 

 

「しかし、どうやって……」

 

 

ブレスレット自体はネットワークと接続している訳ではない。

スーツ展開後はナノマシンの制御に通信を飛ばしているが、起動前ならば確実にローカル環境の筈だ。

 

……異常データを抜き出して、精査する。

 

 

「ジャービス、異常動作を抜き出して表示しろ」

 

『了解しました』

 

 

数万行あったデータが百行ほどに減る。

 

腕を組み、それを眺める。

 

 

「……サイキック波によるハッキング?」

 

 

ミュータントが持つ特殊なサイキックパワーを波状にし、機械を誤認させていた。

 

それは電磁波シールドを貫通している。

想定していなかったからだ。

 

波状をグラフにして、別のモニターへ表示する。

波形は一定……?

 

ミュータントも人間だ。

完全な一定間隔で、こんな事は出来ない筈だ。

 

 

「……機械による、ミュータント・ハッカーの再現だって?」

 

 

そんな事、出来る筈がない。

 

いや、出来る筈がない……と言うのは早計だ。

だが少なくとも再現するのに1000年は掛かる。

 

そして、この技術は完成され過ぎている。

 

まるで、途中の発生する技術の発展を無視して、最善のみを知る者が作ったような……。

 

そう、未来から技術を手に入れたかのような。

 

 

「タイムトラベラーだと?馬鹿馬鹿しい……映画の見過ぎだ」

 

 

僕は手を額に当てて、椅子に深く座る。

 

……疲れているのかも知れない。

最近もよく分からないアンドロイドの解析をフューリーに依頼されたばかりだ。

 

技術で負けているとは思わないが……それでも、あまりにも特異なテクノロジーだ。

前提としている根底の技術に、我々人類は未だに立てていない。

 

 

「……ジャービス、何か飲み物を」

 

 

ジャービスに指示を出して、立ち上がる。

ブレスレットを手に乗せて、ピーターの顔を思い出す。

 

 

「君は誰と……いや、何と戦っているんだ?」

 

 

人の良い、優しい少年。

幾らスーパーパワーを持っていたとしても、これは彼の……『親愛なる隣人』の範疇を超えているだろう。

 

 

「……全く、手が掛かる」

 

 

ブレスレットを机に戻して、機材を取り出す。

 

新しい技術を作るのは難しい。

だが、一度見た技術を解析し……それを超えるのは僕にとって容易い事だ。

 

 

『スターク様、お持ちしました』

 

 

ジャービスが持ってきたコーラを一気に飲み干しす。

 

 

「ジャービス、後は音楽も頼む」

 

『畏まりました』

 

 

工房内でロックが流れる。

僕の好きな曲だ。

 

 

「良いね、そうこなくては」

 

 

僕は指を鳴らして、手をほぐす。

 

このブレスレットをハッキングして……調子に乗ってる奴がいる筈だ。

絶対に吠え面をかかせてやる。

 

僕は負けず嫌いだから、ね。



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#87 レイニー・デイズ part1

ある雨の日のこと。

 

ざぁざぁと雨が降る。

雨はニューヨークの街を濡らしていた。

 

そんな中、僕……ピーター・パーカーは途方に暮れていた。

 

ここはミッドタウン高校、その出入り口。

 

レインコートを着たり、傘をさしたり、ただ慌てて走る人がいたり。

そんな忙しない中で、僕は曇った空を見た。

 

雨の勢いは強い。

当分、晴れそうにない。

 

今、僕の背負っているリュックの中には、本が何冊か入っている。

 

ネッドが今日、学校で貸してくれたコミックだ。

リュックが防水とは言え、万が一濡れたら……。

 

 

「はぁ……」

 

 

ため息を一つ。

 

雨の日は嫌いだ。

僕の……父と母が居なくなった日を思い出すから。

 

ある雨の日に二人は車で出掛けて行って……二度と帰らぬ人となった。

幼心にその景色と雨音は焼き付いている。

忘れる事は出来ない。

 

雨の音が鳴り響いている。

ざぁざぁという雨音が、その景色を思い出させる。

だから、雨は嫌いだ。

 

 

売店にレインコートを買いに行くか……それとも、ビニール袋で鞄を覆い、家まで走るか。

 

どうしようかと悩んでいると、背中を突かれた。

 

 

「ピーター?」

 

 

振り返ると、ミシェルが居た。

 

 

「あぁ、ミシェル、どうしたの?」

 

「……どうって、帰るつもりだけど。ピーターこそ、どうしたの?」

 

 

僕と彼女は一緒に帰る事は少ない。

行きは一緒だけどね……僕にはバイトがあって、彼女にも予定があるから。

 

そんな彼女の手元には、黒い傘があった。

……これなら、彼女は濡れずに帰れるだろうな、なんて思った。

 

 

「僕はもう少し、雨の勢いが弱まってから帰るよ」

 

「……朝の天気予報では、雨は夕方から強くなるって言ってた」

 

「え、そうなの?」

 

 

思わず、頬が攣りそうになった。

じゃあ、今すぐ決断して……どうにか帰らなきゃならない。

 

やっぱり、売店でレインコートでも買ってこようかな?

……雨の日はよく売れるから、残っていれば良いんだけど。

 

 

「ピーター、良かったら……入る?」

 

 

そう悩んでいると、ミシェルが手元の傘を突き出した。

 

 

「でも、悪いよ」

 

 

傘は普通の大きさに見えた。

二人で入るには少し小さい。

 

だから、申し訳ないな、と思ったけれど。

 

 

「ううん、良いから。一緒に帰ろう?」

 

「……ごめん、ありがとう。助かるよ、ミシェル」

 

「別に良いのに……ピーターは大袈裟」

 

 

ミシェルが傘のボタンを外して、広げた。

……うん、でもやっぱり二人で入るには小さい。

 

 

「僕が持つよ」

 

「ん」

 

 

僕の方がミシェルより背が高い。

だから、僕が傘を持つ方が良い。

 

彼女から傘を手渡されて、僕らは雨の中に出る。

 

 

……出来るだけ、傘は彼女の方に寄せる。

 

少し、肩が冷たいけれど……リュックには雨が当たってないから、これで良い。

 

僕が満足げにしていると、ミシェルが僕のほうに寄ってきた。

 

 

「ピーター、肩が濡れてる」

 

「良いんだよ。元々、全身がびしょ濡れになる覚悟だったから」

 

「……それなら」

 

 

ぴと。

 

 

「……あの、ミシェル?」

 

 

ピッタリとミシェルに密着されてしまった。

 

 

「これで良い」

 

 

確かに、この距離なら雨は当たらない。

 

だけど、ミシェルの肩が僕にぶつかっている。

華奢な肩だ。

彼女の白い吐息が、僕の手にかかる。

 

頬が熱くなる。

僕の心臓の音が、彼女に聞こえないか心配だ。

 

 

「……大丈夫?」

 

「え?あ?うん、大丈夫」

 

「……変なの」

 

 

二人、ニューヨークの街を歩く。

 

デイリービューグルのビルも雨が強く降っているからか、大きな液晶は真っ暗だ。

見る人も少ないから、電気代の無駄だ!ってジェイムソンが言ってるんだろうな。

 

いつも、僕達がサンドイッチを買ってる……デルマーさんのサンドイッチ屋も灯を落としている。

あれは店主が雨に託けて休みにしてるのだと思う。

 

ざぁざぁと雨が降る。

物音は雨音に掻き消され、水の落ちる音だけが耳に響く。

僕の心音と、彼女の吐息も掻き消して。

 

 

「ピーター」

 

「え!?何、かな?」

 

 

だから、急にミシェルに話しかけられて、驚いた声を出してしまった。

僕の挙動が不審なのに気付いてしまったのだろうか。

 

 

「話しづらい事かも知れないけど……大学、決まった?」

 

「そ、それは……うん」

 

「……良かったね。どこ?」

 

「エンパイア・ステート大学だよ」

 

「第一志望だった所?」

 

「そうだよ」

 

「……うん、良かった」

 

 

他愛のない話をしながら、歩き続ける。

靴が水溜りを踏んで、小さく水が跳ねた。

 

ミシェルと話して、僕は笑って、彼女が微笑んで。

特別な事はない、ただの雨の日。

 

それでも……いいや、それが幸せだった。

ずっと、こんな日が続けば良いと願ってしまう程に。

 

だけど、時間は有限だ。

彼女は高校を卒業したら就職する。

どこか、遠い場所に行ってしまいそうな気がして……僕は不安になっていた。

 

この冬が終わって。

春が始まって。

夏が来る頃には……隣に彼女は居ない。

 

せめて、彼女が好きなのだと、僕は言いたい。

彼女が僕の事をどう思っているのか、知りたい。

 

だけど、言えない。

言ってしまったら、この日常が終わってしまうような気がして……僕は言えない。

 

情けない。

 

どんなスーパーパワーを持っていたとしても、僕はただのナードだ。

グウェンの言う通り、ね。

 

 

「……着いた」

 

 

気付けば僕達の住む、アパートに着いていた。

ミシェルが傘を軽く折り畳み、雨水を払った。

 

その様子を、僕は見ていた。

 

ミシェルが気付いて、僕へ顔を向けた。

 

 

「……先に行ってれば良いのに」

 

「僕が待ちたかったから」

 

 

彼女と一緒に、エレベーターに乗る。

経年劣化して音がうるさく、昇るのも遅い。

少し、時間がかかる。

 

やがて僕達の住んでいる部屋がある階まで昇ってきて……部屋の前に立った。

 

僕は鞄から鍵を出して──

 

 

「……あれ?」

 

 

ミシェルが驚いたような声を出した。

思わず、僕はミシェルの後ろに立つと……張り紙が貼ってあった。

 

僕はそれを読み上げる。

 

 

「排水管の故障?」

 

「え……」

 

 

このアパートは縦に排水管を配置している。

隣の僕の部屋は大丈夫だけど……恐らく、ミシェルの住んでいる部屋の上下階の人も、排水管が故障しているだろう。

 

そして、排水管が壊れれば……。

 

 

「水が、使えない」

 

 

ミシェルが呆然とした声を出した。

 

張り紙には明日の午後までに直ると書いてあるけれど……それでも、今日は水道が使えない事になる。

 

顔も洗えない。

シャワーも浴びれない。

トイレにも行けない。

 

それは年頃の少女であるミシェルには辛い事だと……僕には分かった。

 

不安そうな彼女が口を開いた。

 

 

「ど、どうし──

 

「ミシェル、明日の朝まで僕の部屋に来ない?」

 

 

思わず、声を掛けて……少し後悔した。

あまりにも無遠慮な言葉だったからだ。

 

友人とは言え、男の部屋に女の子を連れ込むのは……少し、拙い。

それも朝まで……多分、凄く気持ち悪い事を言ってる。

 

嫌われるかも。

なんて少し思ったけど……ミシェルは笑顔で僕の顔を見た。

 

 

「……良いの?」

 

「ミシェルさえ良ければ、だけど」

 

 

僕が自信なく言うと、ミシェルは笑った。

 

 

「ありがとう、ピーター……取り敢えず、シャワー借りても良い?」

 

 

そう、傘を差してたとは言え、ミシェルの服は少し濡れていた。

シャワーを浴びて、着替えたい気持ちがあるのだろう。

 

それは分かる。

分かるけど。

 

 

「わ、わかったよ。大丈夫、良いよ、うん」

 

「……?」

 

 

思わず挙動が不審になったのは、僕には刺激が強過ぎたからだ。

僕の部屋で彼女がシャワーを……?

 

自分の腕を、強くつねる。

痛い。

 

でもこれは戒めで……気付け薬だ。

これで少し、冷静になれる。

 

 

「部屋から着替え、取ってくる」

 

「分かったよ、いつでも来て良いよ」

 

 

そう言って、僕は自分の部屋のドアを開けて……。

 

 

「あー……ミシェル、やっぱり時間かけて来て欲しいかも」

 

「……どうして?」

 

「ちょっと、片付けたいから」

 

 

机の上にはスーツ保全用のナノマシンメーカーが鎮座していた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

「ふぅ、これでよし」

 

 

スタークさん製のナノマシンメーカーとか、古い手作りスーツとか、そういう人に見せられない物をダンボールに詰めて……ベッドの下、奥の方へ押し込んだ。

 

大丈夫、これでバレない……筈。

 

思わず引き出して、上をガムテープでぐるぐる巻きにしてしまった。

もう一度、ベッドの奥へ押し込んだ。

 

そんな事をしていると、部屋のチャイムが鳴った。

慌ててドアへ駆け寄って、開いた。

 

……タオルと、薄着の服を持ったミシェルが立っていた。

 

 

「もう大丈夫?」

 

「うん、良いよ。待たせてごめんね」

 

「私は、借りる側だから……文句はない」

 

 

ミシェルが部屋に入ってくる。

 

部屋に招き入れてたのは2回目だ。

最初は……スパイダーマンとして彼女を助けた日。

杏仁豆腐を持ってきた日だ。

 

彼女はキョロキョロと周りを見渡して……そのあと、僕を見た。

 

 

「ピーターはもうシャワー浴び──

 

 

そして、少し濡れている僕の服を見た。

 

 

「……浴びてないよね?」

 

「うん、僕はまだ」

 

 

部屋の片付けに勤しんでいたから、まだシャワーは浴びれていない。

 

靴の中は水浸しになっていたから、靴棚で乾かしている。

だから、履いているのは室内用のスリッパだ。

 

 

「シャワー、ピーターが先に浴びる?」

 

「いやいや、ミシェルが先で良いよ」

 

「……でも、家主なのに」

 

 

シャワールームのドアを開ける。

そんなに広くないけれど……それは隣の部屋、つまりミシェルの部屋でも一緒だ。

勝手も分かる筈だろう。

 

……ミシェルがシャワーの下にある、石鹸に目を落とした。

 

 

「あ、シャンプー……」

 

「使って良いよ」

 

「じゃなくて……持ってくるの、忘れた」

 

 

あぁ、そっか。

女の子はシャンプーだったり、石鹸だったり、そういうのに拘りがあるんだった。

 

さっきのは失言だった。

 

 

「……でも、ピーターが良いのなら借りる……良い?」

 

「うん、勿論」

 

「ありがと」

 

 

ミシェルがタオルを壁に掛けて、薄手の服を脱衣所に置いた。

そして……僕の方をチラリと見た。

 

あ。

 

 

「ご、ごめん。すぐに出るから」

 

「……ふふ」

 

 

ミシェルに笑われたけど、慌ててシャワールームを出た。

そのまま椅子に座って……口元を押さえた。

 

心臓が飛び出たかと思った。

でも大丈夫みたい。

 

 

少しして、シャワールームから音が聞こえた。

水の流れる音だ。

 

雨の音と似た、水が落ちる音。

 

……僕は目を閉じて──

 

 

「うわっ、これじゃ変態みたいじゃないか……」

 

 

慌てて椅子から立ち上がり、部屋の隅に置いていた自分のリュックを開ける。

今はただ気を紛らわせたかった。

 

数冊のコミックを取り出して……一旦、机の上に置く。

 

そして、一冊、やけに厚みがあるものがあった。

 

 

「……何だろう?」

 

 

それを手に持って……表紙は、綺麗な女性が水着で扇情的なポーズを取っていて──

 

 

思わず、上にコミックを乗せた。

 

 

そのまま、首を回して、シャワールームの入り口を見た。

水の音は続いている。

ミシェルはまだ、シャワーを浴びている。

 

 

「ふぅ……」

 

 

安堵の息を吐いて、改めて雑誌の表紙を見る。

ネッドの奴……何で、こんな……全く、もう。

 

所謂、要らぬお世話という奴だ。

 

……まずい。

ミシェルがシャワーから出てくるまでに隠さないと。

 

別に持っている事を咎められるようなポルノ雑誌ではない。

普通の書店にも売っているようなピンナップの雑誌だ。

 

ただ……まぁ、これを見られると──

 

 

『……最低』

 

 

と、幻滅した目で睨みつけてくるミシェルを幻視した。

二度と口を利いて貰えないかも知れない。

 

僕は壁の本棚に……ダメだ。

結構分厚い、背表紙で目立ってしまう。

 

壁に手を突き、そのまま登って……本棚の上に乗せた。

屋根が近くて、下から見上げるだけでは見えない。

 

何度目かのため息を吐いて、僕は地面に着地する。

 

しかし……。

 

 

「ネッドの奴、頼んでもないのに……」

 

 

僕もそういうのに興味がない……と言えば嘘になる。

だけど、その……本当に、時と場合を考えて欲しい。

サプライズは好きじゃない。

 

疲れて椅子にもたれ掛かっていると、シャワーの音が止まった。

 

僕は机の上に散らかったコミック雑誌を整えて、気にしてない素振りをする。

少しして、ドアの開く音が聞こえた。

 

 

「ピーター、シャワーありがと」

 

 

ミシェルの声が聞こえて、反射的に振り返ると──

 

タオルで髪を拭いている短いシャツ姿のミシェルがいた。

下は短パンで……蠱惑的な太ももが伸びている。

 

化粧も落とした筈なのに、全く魅力が落ちていない整った顔に視線が吸い寄せられる。

温まったのか仄かに頬が赤くなっていて……潤った唇が……。

 

そして、ミシェルが僕を見た。

 

パチパチと、長いまつ毛が上下した。

 

 

「……どうしたの?」

 

「い、いや……何でも」

 

 

見惚れていたなんて、言えない。

 

 

「……?」

 

 

首を傾げながら、そのままベッドの上に腰掛けた。

 

……普段、僕が寝ているベッドにミシェルが座っている。

凄く、不思議な気分だ。

 

そのまま、ミシェルはタオルを首元にかけた。

胸元のボタンは全て外れており、綺麗な白い肌が──

 

目を逸らす。

 

 

今なら。

火に突っ込んで焼け死ぬ、蛾の気持ち。

分かる気がする。

 

僕はそそくさと立ち上がり、冷蔵庫を開ける。

中にはペットボトルの飲み物が入っている。

 

 

「ミシェル、何か飲む?」

 

「ん……ありがと。何がある?」

 

 

ミシェルが僕の側に寄って、横から顔を覗き込ませ──

 

濡れた髪が、僕の肩にあたった。

僕と同じ石鹸を使った筈なのに、明らかに違う匂いが僕の鼻を通り過ぎた。

決して不快ではないけれど、どうしても気になってしまう……そんな匂い。

 

……腕を抓る。

このままだと腕が鶏に突かれたみたいに、赤い痕塗れになってしまう。

 

 

「……ミルク」

 

 

ミシェルがボトルに入った牛乳へ、視線を向けた。

 

 

「なら、コップを出すよ」

 

 

僕が棚からコップを出している間に、ミシェルがボトルを冷蔵庫から取り出した。

そのまま蓋を開けて、注ぎ込む。

 

そして、彼女が牛乳を口にした。

こくり、こくりと喉がなる。

 

コップが机に置かれて、小さく音が鳴った。

 

 

「ふぅ」

 

 

ミシェルが息を吐いて……口元が少し、白くなっていた。

そんな僕の視線に気づいたのか、彼女は指で自分の口元を撫でた。

 

彼女は指に少し、牛乳が付いていたのを見て……僕を見た。

頬は少し、赤かった。

 

 

「……何?」

 

 

それは、恥ずかしさからか。

それとも、身体があったまっているからか。

 

思わずおかしくなって、口角が上がってしまう。

 

 

「な、何でもないよ?」

 

 

口ではそう言うが、笑いを堪えてるのがバレてしまったようで、ミシェルが複雑そうな顔をしていた。

 

そして、ふと大切な事に気付いた。

 

 

「あぁ、そういえば。晩御飯ってどうする?良ければ僕が買ってこようか?」

 

 

彼女はもうシャワーを浴びていて、外は雨が降っている。

だから、僕はそう提案したんだけど──

 

 

「でも、ピーターに悪いし……」

 

「じゃあ、デリバリーでもする?」

 

 

結局、アプリで出前を取ることにした。

同じ店の料理を選び、配達の依頼をする。

 

調子に乗って少し多めに注文してしまった。

 

 

「じゃあ、今のうちに僕、シャワー浴びるから」

 

「うん、また後で」

 

 

そう言われて……少し、思案した。

彼女はスマホを持っているけれど、暇潰しに弄っている印象はなかった。

いつも、本を読んでるイメージがあった。

 

だから。

 

 

「机の上にあるコミック、読んでて良いよ。ネッドから借りた奴だから」

 

「わかった、ありがと」

 

 

ミシェルは机の上に立って……興味深そうな目で物色していた。

彼女もコミックが好きだからね……どうやら、この選択は当たりだったみたいだ。

 

楽しそうな彼女の横顔に満足して、僕はシャワールームのドアを開けた。

 

ミシェルは綺麗に使ってくれたみたいで、トイレ側に水滴は落ちていない。

 

上の服を脱いで、カゴに入れ……あれ?

そこには先に服が入っていた。

 

 

「……あ、ミシェルのかな?」

 

 

先程まで着ていた黒いシャツ、青いズボンだ。

僕は別のカゴを取り出して、そこに自分のシャツを入れた。

 

そして、ふと視線をカゴに向けると……薄い、紫色の何かが見えた。

 

あれ?

ミシェル……今日こんな色の服、着てたっけ?

なんて思ってしまって、僕はそれを注視して。

 

レースで飾られた、少し丸みを帯びた、その布切れが。

 

 

「うわぁ!?」

 

 

こ、これ、下着だ!

 

思わず声を出してしまって──

 

 

「だ、大丈夫!?ピ──

 

 

ドアが開いた。

 

 

「ピーター……?」

 

 

ミシェルが、中を覗き込んだ。

 

僕は上半身裸で、ミシェルの下着が入ったカゴのすぐ側に立っていた。

 

 

「「あっ……」」

 

 

声が重なる。

 

頭の中で幾つもの言い訳が浮かび、沈む。

とにかく嫌われたくなくて、幻滅されたくなくて。

僕は素直に現状を話そうと思い──

 

 

「ミシェル、これは──

 

「ご、ごめんなさい」

 

 

バタン、とドアを閉められた。

 

弁解したい。

でも、気まずい。

 

頭が混乱する。

 

顔が熱い。

冷やさないと。

 

頭が混乱している。

 

ズボンを脱いで、カゴに入れる。

 

ふらふらと浅い浴槽に立ち、蛇口を捻った。

 

シャワーはかなり、熱かった。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

ざぁざぁと雨が降る。

窓の外は……コンクリートの壁に遮られて景色は良くないけれど、水滴が滴り落ちている。

 

それとは別に、水が流れる音。

 

ピーターがシャワーを浴びている音だ。

 

私は身を縮こませて、部屋の隅……ベッドの上に座る。

 

 

見た。

 

見てしまった。

 

ピーターの、は、裸。

 

 

今、鏡を見たら顔が赤くなってるかも知れない。

 

男の裸を見るのは初めてじゃない。

殺した相手の服を剥いだ事もある。

それに、もう姿形は覚えてないが……前世は男だった筈だ。

 

恥じらう事はない。

何も、何も感じない筈だ。

 

ピーターと出会ってすぐ、手当てした時だって何も感じなかった。

夏休みに水着のピーターを見ても、こんな事にはならなかった。

 

なのに、何故?

何故こうも……私は。

 

違う、違う、違う。

否定する言葉が脳を埋め尽くす。

 

私は彼に、彼の。

男の裸に興奮して、膝を抱えて蹲っている。

自分でも信じがたい。

だが、事実だ。

 

目を閉じれば……先程の景色が瞼の裏に見える。

 

……凄く、筋肉質だった。

雨に濡れていたから、すこし、しっとりしていた。

 

腹筋だって、薄く割れて……。

 

 

「う、うぅ……これじゃ変態、みたい」

 

 

それに、ピーターが着替えているところに勝手に入って……変態だ。

 

彼も凄く驚いた顔をしていた。

謝ったけれど……恥ずかしくて顔を合わせられなかった。

 

怒ってるかな……ピーターは優しいから、許してくれるとは思う。

でも、不快に感じてしまったかも知れない。

 

 

「……うぅ」

 

 

小さく唸る。

手癖で布団に顔を埋めて……うっ。

 

慌てて、顔を退ける。

 

 

「や、やばかった」

 

 

鼻腔にピ、ピピ、ピー、ピーターの匂いが充満している。

若い男の子の、匂い。

 

ワックスとか汗とか、制汗剤の匂いとか……。

いつもピーターの隣で感じている匂い。

 

それを数十倍に圧縮した匂いが脳に直撃した。

少し、クラクラする。

 

そうやって意識すると……自分の匂いも、ピーターの部屋にある石鹸を使ったから同じ匂いがしている。

 

だ、だめだ。

 

考えないようにしなければ。

私はベッドから降りて、机の上のコミックを取る。

 

ネッドがピーターに貸したらしい、コミック。

 

 

「あ、これ……珍しい」

 

 

地獄の使者が悪人を惨殺するダークヒーローのコミックだ。

テーマは『殺し』や『暴力』……ではなく、『愛』。

 

そんなに大きな出版社じゃないけれど、私は好きな作品だ。

一昔前にはブームにもなってたし。

フィギュアも沢山発売されている。

 

私は手に取り、ベッドの上に戻る。

パラパラと読みながら、現実逃避をする。

 

……ピーターが戻って来たら、ちゃんと謝ろう。

勝手に着替え中に入ってしまった事を……。

 

 

すると、チャイムが鳴った。

 

 

……あ、宅配だ。

ピーターの携帯端末から注文したんだった。

 

代金は電子決済されている。

後は受け取るだけ……。

 

ちら、とシャワールームを見る。

ピーターはまだ浴びている。

チャイムも聞こえてないかも知れない。

 

私が受け取らないと。

急いでスリッパを履いて、ドアの前まで歩く。

 

 

チェーンを外して、ドアを開いた。

 

 

「どうも、配達で……え?」

 

 

配達員が私を見て、絶句した。

私も言葉を失った。

 

だって、配達員が知ってる顔だったから。

 

 

「フラッシュ……」

 

「あ、あぁ、ミシェル……?」

 

 

そう、フラッシュだ。

学校で会う事はあったが、プライベートで会うのは初めてだ。

別に会いたくは無いけど。

 

 

「バイト?お金持ってるのに」

 

 

フラッシュは昔、家が金持ちだって自慢していた。

ハリー程ではないけれど、アルバイトなんて必要ないぐらい。

 

 

「ん?あぁ、そうなんだよ。大学の学費を少しでも自分で稼ごうと思って」

 

 

殊勝な心がけだ。

昔とは大違い。

 

リザード……コナーズ先生から助け出してから、彼は心を入れ替えたのだ。

 

……嫌うような性格ではなくなった。

とは言え、隠すつもりのない好意とか……ぐいぐい来る感じは未だに苦手だ。

それに以前はピーターを虐めていた最低な奴だ。

 

 

「とりあえず、これ。配達だから、さ」

 

 

フラッシュからビニールを二つ、受け取る。

山盛りのポテトサラダとか、トマトスープとか、ホットドッグとか。

 

結構、重いけれど……まぁ、一般人ではない私にとっては苦でもない。

 

受け取るとフラッシュが首を捻った。

 

 

「……メチャクチャ食べるんだな?」

 

「私一人で食べないし」

 

「……ん?」

 

 

フラッシュがまた首を傾げて……シャワールームに気付いた。

……あ、シャワーの音が止まった。

 

ピーターが出て来たら、凄く気まずい事になりそうだ。

 

 

「……あぁ、お泊まりパーティって奴?」

 

「そんな所」

 

 

別に話していたい訳でもないので、少し塩対応をしてしまう。

仕事中じゃないのか、コイツ。

はやく帰れ。

 

 

「配達、ありがとう。じゃ」

 

「あ、あぁ、どうも?」

 

「じゃあね」

 

「また使ってくれよな」

 

 

二度と使わない。

 

私はドアを閉めようとして……フラッシュが一歩下がった。

直後、シャワールームのドアが開いた。

 

 

「ミシェル、さっきのは誤解で──

 

 

ピーターが慌てた様子で出てきて──

 

 

「は?え──

 

 

フラッシュが驚いたような声を出して──

 

 

バタン!!!

 

と、ドアを閉めた。

 

 

「え?ミシェル、来客?」

 

「ん、配達……」

 

 

急いで鍵を閉めて、チェーンを引っ掛ける。

ドアスコープから外を覗くと、フラッシュが呆然とした様子で項垂れていた。

 

早く帰って欲しい。

 

 

「思ったより早かったんだ……ごめん、受け取りさせちゃって」

 

 

ピーターが料理の入ったビニール袋を持ち、机まで運ぶ。

 

そして……私は顔を逸らした。

ピーターの顔を見るのが少し恥ずかしかったからだ。

 

そんな私の様子を見て、ピーターが口を開いた。

 

 

「えっと、ミシェル?さっきの件なんだけど──

 

「ごめん、なさい」

 

 

ピーターに責められる前に、私は謝った。

 

 

「えっ?」

 

 

そんな私にピーターは驚いたような声を出した。

……どうやら、謝罪の態度が良くなかったらしい。

 

私は弁明する。

 

 

「その、着替えてた途中なのに……ノックもせず入って、ごめんなさい。反省してる」

 

 

顔を伏せて、ピーターに謝る。

少し、無言の時間が続いた。

 

そ、そんなに怒ってるのだろうか?

 

恐る恐る、顔を上げて……ピーターの顔を見た。

……すごく、困惑していた。

 

 

「……あの、ミシェル?」

 

「……うん」

 

「その、謝るべきなのは僕の方だと思うんだけど」

 

「……うん?どうして?」

 

 

純粋に疑問だ。

何故、勝手に着替えを覗かれた側が謝らないといけないんだ?

 

 

「えっと……僕が驚いた声を出したから、心配して来たんだよね?」

 

「……そう、だけど」

 

「だから、全然……気にしてないよ。というか、僕の裸なんて見ても、何も面白くないでしょ」

 

「それは……」

 

 

面白いとは思わないが……その、私はさっき……いや、言わなくていい。

黙っておこう。

 

 

「寧ろ僕が……えっと、その……驚いた声を出したよね、僕」

 

「……結構、大きな声だった」

 

 

そう、ほんの少しの声じゃなくて……それこそ、命の危険かと思うほどの声だった。

だから、心配してシャワールームへ慌てて突入したのだ。

慌て過ぎてノックもせずに。

 

 

「あれって、その……シャワールームのカゴが」

 

「カゴ?」

 

「ミシェルの着替えが……」

 

「着替え?」

 

 

私は首を捻る。

 

着替え……カゴ……あ、ピーターに黙って置いてあったカゴに脱いだ服を入れたのだった。

そして、回収していない。

忘れている。

 

 

「ごめん、ピーター。片付けるから」

 

「あー、うん、そう、だね」

 

 

歯切れ悪く、ピーターが返事をする。

 

 

「……?」

 

 

そもそも、私の着替えとピーターの声に関連性はない筈だ。

 

シャワールームのドアを開けて、カゴに入っていた服を手に取る。

シャツとズボン。

 

あと、下着も。

グウェンに選んでもらったお洒落だけど、普段使いしやすい下着。

 

下着。

 

下着?

 

 

「あっ……」

 

 

下着だ。

 

そう、下着。

 

 

私はピーターの方を見る。

気まずそうに顔を逸らした。

 

 

「……み、見た?」

 

「…………ごめん」

 

 

その謝罪は、きっと肯定だ。

 

顔から火が出そうだ。

ヒューマン・トーチでも、ゴーストライダーでもないのに。

熱い。

 

下着をシャツとズボンで挟み、腕で抱く。

 

可哀想なほど、項垂れているピーターに対して口を開く。

 

 

「不可抗力だから……その、気にしてない。寧ろ、原因を作ったのは私だから」

 

 

声が震えていた。

それに対してピーターも顔を上げた。

 

どうやら、私の言いたい事の意図は伝わったらしい。

 

 

「でも僕も悪かったから……その、ごめん。ミシェルも気にしないで欲しい」

 

「うん、お互い様……お互い様……」

 

 

凄く、凄く気まずい。

服を部屋の隅、棚の上に置いた。

下着はシャツとズボンで挟んで隠れるようにしている。

 

この気まずい状況をどうにかしたいのか、ピーターが口を開いた。

 

 

「と、とにかく、もうこの話は終わりで!ご飯食べようよ、冷めちゃうから、ね?」

 

「……う、うん」

 

 

私は椅子を引いて……本棚に体をぶつけてしまった。

 

 

「あっ」

 

 

その瞬間、何かが落ちて来て──

 

 

「危ないっ」

 

 

ピーターがすんでの所で受け止めた。

……多分、超感覚(スパイダーセンス)のお陰なのかも。

 

鼓動が少し、早くなる。

 

 

「あ、ありがとう」

 

 

感謝の言葉を口にする。

やっぱり、ピーターは頼りになる。

 

 

「どうしたしまし……あっ」

 

「あ?」

 

 

ピーターが変な声を出した。

私に向かって落下していた物へ、目を向ける。

 

それは本だ。

少し分厚い……当たりどころが悪ければ、血が出てたかもしれない。

 

そんな本の表紙が、私の目に入った。

 

扇情的な格好をした……ビキニを着た女性の写真だった。

 

ざぁざぁと雨の降る音が、私達の間で響いていた。



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#88 レイニー・デイズ part2

僕の手から、グラビアの雑誌が落ちる。

床にバサリと音を立てて……ビキニを着た女性の写真が露わになる。

 

ミシェルの視線が、僕から……その雑誌に流れる。

 

冷や汗が流れる。

 

顔は見えない。

ただ、彼女は何も……言葉を発さなかった。

 

 

「ミ、ミシェル……?」

 

 

沈黙に耐えられなくなって、僕は声を振り絞る。

 

言い訳を……いや、真実を話そうとして……ネッドが……ダメだ。

ネッドは……僕に貸しただけなのに……良かれと思って。

 

だから。

 

 

……どうしよう?

 

 

「……ピーター?」

 

 

ミシェルが僕の顔を見ず、しゃがみ込んで……雑誌を手に取った。

 

そして、持ち上げて──

 

 

「その、こういうのが好き……なの?」

 

 

僕に表紙を見せた。

指された先には金髪の胸が大きい女性。

 

彼女は、ちょっと呆れたような。

恥ずかしそうにしている。

 

 

「そ、その……これは──

 

 

慌てて弁明しようとして……やっぱり、何も思い付かなくて。

 

 

「うん……そう、だよ」

 

 

項垂れるように頷いた。

 

 

「そ、そっか……そう、なんだ」

 

 

ミシェルの視線は派手なビキニを着たグラマラスな女性へと注がれる。

満面の笑みで、自信たっぷりって感じだ。

 

だけど、僕の好きなタイプは……いや、選り好み出来るような立場の人間じゃないのは分かってるんだけど、こう、派手な感じの女性は苦手だ。

グウェンとか……友人としては良いけれど、恋愛関係にはならないと思う。

 

そうやって勘違いされるのは嫌だ……特に好きな女の子に。

 

 

「ピーターも男の子……だから、うん。こういうの持ってても、普通……」

 

 

何か自分に言い聞かせるようにしながら、ミシェルが僕に雑誌を渡した。

 

 

「「…………」」

 

 

僕はそれを受け取り……裏返して本棚に入れた。

でも、互いに無言のままだった。

 

……僕は、ミシェルへ向き直る。

 

 

「その、ごめん。ミシェル」

 

「……どうして?」

 

 

もう癖のようになってしまった謝罪に、ミシェルが疑問を投げかけた。

 

 

「僕の部屋に泊まるってなったのに……トラブルばかりで……」

 

 

僕の言葉に、ミシェルが小さく笑った。

 

 

「ピーターは良くしてくれてる。頑張ってる……私なんかの為に」

 

「『なんか』って……僕は、ミシェルだから──

 

「私だから?」

 

 

失言した事に気付いて、僕は首を横に振った。

 

 

「……いや、ごめん。何でもないよ」

 

 

また、情けない謝罪を重ねて。

誤魔化さずに『君の為なら』と言い切る事出来たなら……いや、それは少し、恥ずかしい。

ミシェルも困りそうだし……なんて、意味のない言い訳を考える。

 

そして、気まずそうな僕を見て、ミシェルは苦笑し……話題を変えた。

 

 

「……ご飯、冷めちゃうから食べよ?」

 

「あ、うん」

 

 

椅子を引いて、二人で顔を突き合わせる。

僕は彼女の顔を見れなくて、目を逸らし──

 

 

「ピーター」

 

 

声を掛けられた。

 

 

「な、何かな」

 

「私、気にしてない」

 

 

逸らした目を、少し戻す。

 

ミシェルは少し、悲しそうな顔をしていた。

そしてまた、口を開いた。

 

 

「……えっと、やっぱり嘘、かも。少し気にしてると思う」

 

「……その、ごめ──

 

「でも、謝って欲しい訳じゃない」

 

 

ミシェルと目が合う。

その目は僕をしっかりと見ていて、少しもブレなかった。

 

 

「……色々、気まずい事はあるかも知れないけど……私は普段通りのピーターと一緒が良い」

 

「ミシェル……」

 

「だから、その……えっと、どうしよ?」

 

 

しどろもどろになって、ミシェルが困ったような顔をした。

僕は息を小さく吐いて、口を開く。

 

 

「ミシェル、ごめん」

 

「あ、また謝っ──

 

「謝るのは最後にするから……ちゃんと、向き合うよ。大丈夫……それと、ありがとう」

 

 

感謝の言葉を告げると、ミシェルが胸を撫で下ろした。

 

僕は情けない男だけど……ミシェルはそれでも、そんな僕と一緒にいたいと言ってくれた。

だから、出来るだけ普段通りで……うん、頑張ろう。

 

 

「よし。じゃあ、食べよっか」

 

「ん」

 

 

僕はビニール袋から夕食を取り出し──

 

 

「……ちょっと多くない?」

 

「……そうかも」

 

 

二人で宅配アプリを見てる時、楽しくなってきて沢山頼んでしまったのだ。

明らかに二人で食べる量を上回っている。

 

ミシェルが、焼いた豚肉の入ったプラスチックケースを手に取った。

 

 

「これは日持ちするから……明日にでも、ピーターが食べたら良いかも」

 

「でも悪いよ……ミシェルも半分払ったし」

 

 

そう、所謂……割り勘なのだ。

決済後にミシェルから現金を渡された。

 

だから、僕の夕食にするのは少し申し訳なく感じて──

 

 

「それなら、明日……また、ピーターの部屋で夕食会する?」

 

「……それ、良いアイデアだね」

 

 

思わず、内心でファンファーレを鳴らしてしまった。

今日だけじゃなく、明日もミシェルが来るのだという。

 

……彼女と一緒に居られる時間が増えるのは、嬉しい。

 

 

「じゃあ、同じ場所に追加で注文して──

 

「いや、別の場所が良い」

 

 

まだ食べてもないのに、ミシェルがそう言い切った。

僕は首を傾げながらも三分の一を冷蔵庫に入れて……それでも、少し多い。

 

僕は食器棚から取り皿を並べて、ミシェルがプラスチックのフォークで取り分ける。

僕はグラスを並べて、冷蔵庫から飲み水を取り出す。

 

すると、ミシェルがふと、笑った。

 

 

「こういうの、すごく楽しい」

 

「……うん、そうだね」

 

 

食事をとり分けるのが楽しい……らしい。

僕はそれを楽しいとは思わないだろうけど……でも、ミシェルと一緒に居て、こうやっているのは確かに楽しかった。

 

彼女もそう思ってくれているのなら……それは凄く嬉しい。

 

二人で顔を合わせて、椅子に座り……食事をする。

 

ざぁざぁと鳴り響く雨が雑音を掻き消す。

まるで、この世界には僕と彼女しか居ないように感じられて──

 

 

「ピーター、テレビつけても良い?」

 

「あ、うん。いいよ」

 

 

ミシェルがリモコンでテレビの電源を入れた。

ニュース番組が映る。

コメンテーターは……ジェイムソンだ。

 

まるでこの世界には僕と彼女とJJJだけ……って、それは凄く嫌だな。

頭から嫌な景色を振り払う。

 

ジェイムソンは……うわ、またスパイダーマンのバッシングしてるよ。

議題の内容は……あー、一昨日……僕が暴走する電車を止めた時の話だ。

思わず苦笑する。

 

 

『マスクをかぶっているのは、やましい事があるからだ!マスクを取れ!正体を表せ!』

 

 

ジェイムソンが吠える。

あーあ、アナウンサーさんもちょっと引いてるじゃないか。

 

そう思ってると、ミシェルは熱心に……テレビを食い入るように見つめていた。

理由は……あぁ、そっか。

 

 

「ミシェルは……スパイダーマンが好きなんだよね?」

 

「うん、好き。大好き」

 

「そ、そっか……」

 

 

思わず嬉しくなって……いや、違う。

彼女が好きなのはスパイダーマンだ。

ピーター・パーカー、つまり僕じゃない。

今の『大好き』だって僕に言った訳じゃない。

 

僕は苦笑しつつ、一つ疑問が湧いて……それをミシェルに訊く事にした。

 

 

「……ミシェルは、さ」

 

「ん?」

 

 

ミシェルが口に頬張ったミートボールを飲み込んだ。

そして、ウェットティッシュで口元を拭いた。

 

 

「スパイダーマンの……その、どういう所が好きなの?」

 

「人助けしてる所、かな」

 

 

僕の問いにミシェルは間髪を容れずに答えた。

そして、僕は首を捻った。

 

 

「でも、人助けなら……ほら、アイアンマンとか……キャプテンだって助けてるよ」

 

「……そういうのじゃなくて。もっと、身近な……小さい所で……見返りもなく……言葉にし難いけど、そういう所が好き」

 

「…………そっか」

 

 

確かに、僕は『親愛なる隣人』だ。

世界を救うよりも……もっと小さな、身近に困ってる人を助ける事が多い。

それはヒーローが必要ないような事でも……警察に話せば、時間が掛かっても解決するような事でさえ……お節介をする。

 

悪人を倒したい訳じゃない。

僕はただ……この身に余る程、大きな力で……人助けをしたいだけなんだ。

 

だから、それを評価して……好きだと言ってくれるのは……嬉しい。

 

そんな彼女の事が、僕は──

 

 

「好き、なんだろうな……」

 

 

思わず、小さな言葉が漏れて。

 

 

「ピーターも?」

 

 

慌てて弁明する前に、ミシェルがそう言った。

 

……彼女は自分の事を好きだと言われているなんて、少しも思っていなさそうだ。

スパイダーマンの事だと思ってる。

 

丁度いいから、それに乗っかる事にする。

 

 

「そうだよ、僕も好きだよ。スパイダーマン。スーツがカッコいいよね」

 

「……ふふっ」

 

 

ミシェルが僕の言葉に笑った。

 

……そんなに変な事を言ったかな?

それとも、スーツがダサいのだろうか?

 

い、いやいや。

そんな事はない筈だ……多分。

 

さっきまでの気まずい空気も忘れて、会話に花を咲かせる。

 

時折、テレビで流れている話を話題にして……この料理が美味しいねなんて笑って……凄く、穏やかに。

 

気付けばプラスチックの容器は空になって居て、僕は空の容器をビニール袋に入れてゴミ箱に捨てた。

 

ミシェルは食器を手に持って、小さな蛇口しかないようなキッチンに立っていた。

 

 

「ピーター、洗剤はどこ?」

 

「あ、良いよ良いよ。僕が洗うから」

 

「でも──

 

「ミシェルは座ってさ、テレビでも見ててよ」

 

「……ありがとう」

 

 

彼女は礼を言って、僕のベッドに腰掛けた。

 

彼女は礼を欠かさない。

ほんの小さな事でも『ありがとう』と言う。

それは凄く良い事だと思う。

 

当たり前だと思わず、相手に感謝する……まぁ、スパイダーマンとして活動してる時、助けられて当たり前!って感じの人とか、逆に文句を言ってくる人もいるし……いや、見返りが欲しくてやってる訳じゃないけどね。

相手が喜んでくれる方が僕も嬉しいし。

それを言葉で表してくれると、もっと嬉しいから。

 

人は言葉にしないと、分かり合えないから。

 

 

食器を洗い、水切りの上に置く。

と言っても取り皿が数枚と、コップが二つ。

数は多くない。

 

ミシェルがベッドに腰掛けていて、横に……いや、ちょっと離れたところに座った。

すると、ミシェルが少し、僕の方に擦り寄った。

 

気付かないフリをして、一緒にテレビを見る。

内容はどうでも良くて。

彼女と一緒の時間を過ごしている事が……ただ、少し、嬉しかったんだ。

 

ざぁざぁと雨が降る音が響く。

雨は、止まない。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

ここは『アベンジャーズタワー』。

『S.H.I.E.L.D.』の会議室……その、扉を開けた。

 

部屋の中には数人の見知った顔があった。

 

眼帯をした褐色の男が、私を見た。

 

 

「雨の日に悪いな、キャプテン」

 

「いや、構わないとも」

 

 

私は椅子を引き、座る。

すると、向かいの席にいた男が鼻で笑った。

 

口元に髭を生やした男。

彼の事は良く知っている。

 

 

「重役出勤か?3分と32秒の遅刻だ、キャプテン」

 

「……トニー、悪かったよ」

 

 

私が謝ると、トニーは軽く手を振った。

それほど気にしてはいないが、言わなければ気が済まなかったのだろう。

 

トニー・スタークはそういう男だ。

 

そして、視線をフューリーへと向ける。

横にはナターシャ・ロマノフ……ブラックウィドウが座っている。

 

 

「しかし、トニーが来るなんて珍しいな」

 

「オイオイ、なんだ?僕に対する当て付けか?そもそも、『アベンジャーズタワー』の所有者は誰だ?」

 

「……いや、すまない。トニー、別に文句を言ってる訳では──

 

「誰だ?言ってみろ」

 

「……君だ」

 

「ほらみろ。もう少し僕を敬え」

 

 

スタークが踏ん反り返り……気分が良さそうに笑った。

 

それを見たフューリーがため息を吐いた。

……まぁ、気持ちは分かる。

 

 

「キャプテン、彼を呼んだのは、今日召集した理由だからだ」

 

 

一瞬、また彼が何か『やってしまった』のかと思ったが……いや、今日の態度的にそれはないか。

彼は、自分が悪い時……少し申し訳なさそうな態度になる。

 

今の彼はいつもの傲慢な男だ。

 

 

「スターク、映像を頼めるか」

 

「もちろん」

 

 

トニーが指を弾くと、壁際にホログラムの映像が現れた。

だがそれは、立体映像ではなく……宙に平らな映像が描写されているだけだ。

 

 

「これは、少し前に君達が、僕に……無茶振りしてきた映像解析のデータだ」

 

 

表示されている映像にはノイズが走っており……人の顔も分からない。

音も聴き取りづらい。

 

 

「あの……何だっけ?『パプワ──

 

「パワーブローカーか?」

 

「そう、『パワーブローカー』だ。奴を作った人間は用心深かったらしい」

 

 

その言葉にナターシャが反応した。

 

 

「プロテクトでも掛かっていたの?」

 

「いや、それなら僕が解析できる。起動停止した瞬間に走るデータの削除だ。これでも頑張って復元したんだが──

 

 

モニターの、ノイズ塗れの映像を見てトニーがため息を吐いた。

 

 

「これが限界」

 

「いや、だが十分だ」

 

 

フューリーが頷き……私の方を見た。

 

 

「私は君に見せる前に、一度見させてもらっている……奴はレッドキャップの正体を知っているらしい」

 

「彼女の?」

 

 

私が驚いた声を出すと、トニーが首を傾げた。

 

 

「レッドキャップ?知らないな」

 

「あぁ、君には言ってなかったな」

 

 

その返事にナターシャが渋い顔をした。

何で言ってないんだって顔だな、あれは。

 

 

「……キャプテン、君は知ってるのか?」

 

「僕は何度か戦った事がある」

 

「何度か……?そんなに強いのか?」

 

 

トニーが少し、驚いたような顔をする。

本来、僕達は同じ敵と何度も戦う事は少ない。

大抵、一度の戦いで捕まえたり……再起不能にするからだ。

 

だからこそ、トニーは少し驚いたのだろう。

 

 

「あぁ、それに──

 

 

僕は知っている情報を共有する。

 

歳若い女の子である事を。

身体に爆弾を入れられている事を。

 

 

「……それは、何と言うか、そうだな」

 

 

トニーは口元を手で覆い、椅子に深く座った。

普段の軽薄な彼からは考えられない……だが、トニーが善良な人間で、人の痛みに真摯に向き合える男だと私は知っている。

だから、おかしな話ではない。

珍しいだけだ。

 

会議室の空気が少し、重くなる。

 

フューリーが口を開いた。

 

 

「話は終わったか?解析したデータから得られた情報を教えよう」

 

「あ、あぁ。頼む」

 

 

フューリーが手元のタブレットを弄り、宙に浮かぶ映像に、新たな情報を表示する。

 

 

「私が危惧しているのは『パワーブローカー』ではなく、彼と共同していた組織……そして、レッドキャップが所属している組織についてだ」

 

 

私は少し、眉間に皺が寄るのを自覚した。

 

 

「『アンシリー・コート』……第二次世界大戦中、君が戦った組織だ」

 

「私が?」

 

 

フューリーの言葉に首を捻る。

 

『アンシリー・コート』……タスクマスターからも聞いた名前だ。

だが、それ以外に聞き覚えはない。

 

 

「……何?知らないのか?」

 

 

フューリーが眉を顰めた。

 

 

「確かに解析されたデータでは『キャプテン・アメリカによって組織のリーダーは倒された』と言っていたが」

 

「……知らないな、組織のボスの名前は?」

 

「『オーベロン』と名乗っていたらしい……イギリスの特殊部隊出身らしい」

 

「それも知らない」

 

 

僕が首を振ると、トニーが訝しんだ。

 

 

「歳を取って物忘れが激しくなったとか?」

 

「トニー、私は記憶力には自信がある方なんだ。それに、戦った相手を忘れるような事もない」

 

 

私がそう言い切ると、フューリーが顎に手を置いた。

 

 

「……組織のボスはキャプテンに倒され……今は別のリーダーがいる。そいつが組織を隠して、暗躍し続けている」

 

 

その言葉に、一つ思い付いた。

 

 

「まさか、私の名前を使って──

 

「何者かが当時のリーダーを殺害し、入れ替わった……って事かしら」

 

 

ナターシャが言葉を繋げた。

私はため息を吐いて、口を手で覆う。

 

 

「どうやら、一筋縄ではいかないらしいな」

 

「いつもそうだろ、僕達が戦う相手は」

 

 

トニーが軽口を叩きつつ……それでも、彼も思案するような顔をしていた。

 

私はフューリーへ視線を向ける。

 

 

「フューリー、他に情報は?」

 

「組織については無い……だが、レッドキャップについてなら幾つか」

 

「構わない。そちらが本命だ」

 

 

私がそう言い切ると、新たな資料が表示された。

小さな、マイクロチップのようなもの。

 

 

「彼女に仕掛けられている爆弾だ……外部からの通信で爆発する」

 

「……つまり、そのトリガーを握っている人間が押せば……何処にいても、死ぬと言う事か?」

 

「そうなるな」

 

 

無意識のうちに唇を噛んでいた。

 

 

「摘出は出来ないのか?」

 

「かなり小さく……そして、巧妙に隠されている。バイオ素材で作られているせいで金属探知にも引っ掛からず、無音だ。胸を裂いて中から探し出す……手術が必要なレベルだ」

 

「……そうか。彼女の他に同様の施術を受けている者は?」

 

「それは不明だが……彼女だけではないだろうな」

 

 

私は凝り固まった眉間を揉んだ。

そんな私の様子を見て、トニーが口を開いた。

 

 

「随分と技術力があるんだな、その『アンシリー・コート』って奴は」

 

「あぁ。ボスが入れ替わる前までは、ただの戦闘部隊に過ぎなかったようだが……替わってからは随分とハイテクになっている」

 

「つまり、ボスは科学者なのか?」

 

「可能性は高い。『パワー・ブローカー』も元々あった組織……『パワー・ブローカー社』を乗っ取った形だ。手口が似ている……奴を作ったのも、組織(アンシリー・コート)である可能性がある」

 

「なるほど、あのレベルのアンドロイドが作られるのなら……そんな爆弾を作るのも容易い。厄介だな……フューリー、爆弾の実物はあるか?分解して解析(リバース・エンジニアリング)したい」

 

 

トニーがそう聞くと、フューリーが首を振った。

 

 

「ないな。だが、パワー・ブローカーの本拠地から押収した資料の中に、設計図があった」

 

「なら、それで良い。後で見せてくれ」

 

「見てどうするつもりだ、スターク?」

 

「通信プロトコルさえ分かれば、妨害(ジャミング)する事も出来る。妨害(ジャミング)装置を作れば……周囲にいるだけで爆弾の起動を阻害できる」

 

 

その言葉に、僕は驚いた。

 

 

「そんな事が出来るのか、トニー?」

 

「僕を誰だと思ってるんだ?」

 

 

やはり、頼りになる男だ。

この傲慢な態度は、実力に裏打ちされた自信の表れだ。

 

僕が頷くと……フューリーが手元のタブレットをトニーに渡した。

 

 

「それが設計図だ。データは後で転送しよう」

 

「あぁ、助かる。どれどれ、どんな……」

 

 

トニーがタブレットをスワイプさせていると……手が止まった。

 

 

「トニー?」

 

 

訝しんで声をかけると、厳しい顔をして僕を見た。

 

 

「あ、あぁ。どうした、キャプテン?」

 

「いや……何故、そんな顔をする?まさか、その、ジャミングとやらが出来ないと──

 

「違う違う……君は僕を見くびり過ぎだ」

 

 

トニーがタブレットを机に置いて、顎に手を置いた。

 

 

「なら、何故?どうして、そんな顔をする?」

 

「……少し前に見た通信プロトコルだった」

 

「……前に?珍しくないのか?」

 

「いいや、違う。逆だ。珍し過ぎる……この世界では広まっていない……いや、確立していない技術だ」

 

 

トニーが言い切ると、フューリーが首を傾げた。

 

 

「どういうことだ?」

 

「つまり、現代の技術力では不可能って事さ」

 

「そんな──

 

「僕じゃなければ、ね」

 

 

トニーが笑い、私はため息を吐いた。

 

 

「驚かさないでくれ……それなら、どうしてそう、思い悩む必要がある?」

 

「言っただろ、少し前に見たと……」

 

 

その言葉にナターシャが気付いた。

 

 

「……貴方、組織の構成員と会ったの?」

 

「いいや、僕じゃない。だけど、僕に近しい人間がハッキングされかけた……このオカルト染みた電波でね」

 

 

トニーが机に置かれたタブレットを指で叩いた。

フューリーが目を細めた。

 

 

「それは、スパイダーマンか?」

 

「まぁ、そうだな」

 

 

スタークが頷いた。

フューリーがまた顔を顰め、口を開いた。

 

 

「スターク、一つ言い忘れていた事がある……レッドキャップは彼を狙っているらしい」

 

「なんだって……?」

 

 

トニーが椅子から立ち上がった。

 

 

「確かな筋からの情報だ。命を狙っているかは分からないが……奴は彼の情報を探っていたらしい」

 

 

スタークが何か言おうとして……ため息を吐いて、椅子に座り直した。

驚いたような困ったような、心配するような表情だ。

 

珍しい様子に僕は驚いた。

……そうだな、そう言えばトニーは若い彼と親しかった筈だ。

 

親心のような物を持っているのだろう。

 

そんなトニーの様子を見て、僕は宙に浮いている映像を見る。

ノイズ塗れで、顔も分からない……赤いマスクを外した少女の姿。

 

そのまま目をずらし、ガラス張りの壁から外を見る。

 

雨が降っている。

 

 

……今、彼女はどうしているのだろうか?

顔も名前も声すら分からない、戦った事があるだけの相手を想う。

 

これから、どうなるかは分からない。

 

だが……ただ、彼女『達』が人並みの幸せが得られる結末を……私は望んでいた。

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

「へくちっ」

 

 

ミシェルがクシャミをした。

鼻を啜っているので、僕は枕元のティッシュを引き寄せて渡した。

 

 

「ん、ありがとう」

 

 

空のゴミ箱に、ミシェルが丸めたティッシュを入れる。

 

 

「そろそろ寝る?良い時間だし」

 

 

時計を見ると……短い針が10を指そうとしていた。

 

 

「うん、そうしよ」

 

 

ミシェルが立ち上がり、洗面台に向かおうとして……あっ、と声を出した。

 

 

「……歯ブラシ、取ってくる」

 

「あ、そっか。分かったよ」

 

 

スリッパを脱いで、靴を履く。

そのまま、部屋の外に出ようとするミシェル。

その後ろに僕は付いて歩く。

 

そんな僕の様子を訝しんで、ミシェルが振り返った。

 

 

「どうしたの?ピーター」

 

「いや、見送ろうかなって」

 

「……大袈裟」

 

 

時間はもう遅い。

幾ら隣の部屋だからといっても、心配なのは確かだ。

 

ミシェルも僕が心配しているのが分かっているのか、それ以上は何も言わずに部屋を出た。

 

まだ、雨は降っている。

勢いは昼よりも強まっていた。

 

隣の、つまりミシェルが自分の部屋に入った。

そのまま、その場で僕は待つ。

 

屋根を伝い雨の滴が水溜りを作っていた。

 

少しすると、ミシェルがコップに歯ブラシを入れて部屋を出てきた。

 

 

「待たせた」

 

「良いよ」

 

 

僕の部屋に二人で戻って、ミシェルはそのまま洗面台に向かった。

 

僕はクローゼットから夏用のタオルケットと、使ってない大きなクッションを取り出して床に置いた。

 

蛇口を捻る音と、水が流れる音がして、ミシェルが戻ってきた。

 

そして、僕の出したクッションとタオルケットを見て……その後に僕を見た。

 

 

「ピーター、これ」

 

「えーっと、ベッドが一つしかないから。僕はこれで寝ようと……」

 

 

そう言うと、ミシェルが表情を歪めた。

 

 

「ピーターは家主、私が床で寝る」

 

「それは良くないよ。僕は床で寝るよ」

 

「でも──

 

「だって──

 

 

話は平行線を辿る。

 

そして、僕とミシェル……二人で同時に苦笑いして、ため息を吐いた。

ミシェルが悩むような仕草をして、口を開いた。

 

 

「ピーター、それなら二人でベッ──

 

「ちょっ、ダメだよ!それは!」

 

 

何を言いたいか分かってしまった僕は、慌てて止めた。

 

それは拙い。

一線を越えている。

 

 

「でも……」

 

「ミシェル、僕だって男だから……そういうのはダメだって……!気をつけないと……もっと危機感を持たないと」

 

 

グウェンがよく言っている。

ミシェルは男の人に対して甘く見ていると。

危機感が足りないって。

 

確かに、それは同意だ。

僕もそれについては心配している。

 

 

「……ピーターなら、別に」

 

 

ミシェルが俯いた。

 

 

「僕?」

 

「私の嫌がる事はしない、そう思ってるから」

 

 

申し訳なさそうな顔で、顔を上げた。

 

その表情に、僕は……クラッとして、それでも意地で耐えた。

 

 

「それでもダメだよ」

 

「……それなら」

 

「僕が床で寝るから、それで良いよ」

 

「……うん」

 

 

ミシェルは納得してなさそうな顔をしているけど、僕が折れない事を察したのか渋々頷いた。

 

ミシェルがベッドに入り……少し、落ち着かない様子で横になった。

 

僕はテレビを消して、電灯を消す。

トイレ側の小さな電気だけ付けっぱなしにして……夜中に歩いても少しは見えるようにする。

 

カーテンを閉めれば、聞こえる雨音が少し小さくなった。

 

 

「おやすみ、ミシェル」

 

「……おやすみなさい、ピーター」

 

 

そうして彼女はベッドに、僕はその横で床にクッションを敷いて横になる。

 

冬だけど、言うほど寒くはない。

これを見越して寝巻きを少し着込んでいたから、タオルケットだけでも大丈夫だ。

 

だけど──

 

 

「「…………」」

 

 

眠れない。

 

ミシェルは環境が変わってて眠れないのかも知れない。

僕は……直ぐそばにミシェルが寝ているから、眠れなかった。

 

……勢いが強まる雨音を聴きながら、僕は目を瞑る。

 

少しして。

 

 

「……ピーター?起きてる?」

 

 

ミシェルの声が聞こえた。

 

 

「……起きてるよ」

 

「そう……」

 

 

また、沈黙。

 

薄暗い部屋の中で二人、お互いに眠れずにいた。

 

意識がほんの少し微睡んで……僕は口を開いた。

 

 

「プロム、って知ってる?」

 

「プロム?」

 

 

顔を合わせず、言葉を交わす。

視界に映っているのは電灯の消えた、暗い天井だ。

 

 

「ミッドタウン高校の卒業年次は……最後にダンスパーティがあるんだよ」

 

「……そう」

 

「あんまり興味がない?」

 

「……どうだろう?分からない、かも」

 

 

静かに、穏やかに。

僕と彼女の声が、部屋の中で響く。

静かに雨音が聞こえる。

 

 

「良かったらさ、僕と一緒に来て欲しい……良ければ、だけど」

 

 

心臓の音が聞こえた。

僕が緊張している音だ。

 

今日、言うつもりはなかったけど……こうして、微睡みの中なら……言える気がしたから。

 

 

「……いいよ、ピーター」

 

 

返ってきた答えは、肯定。

僕はホッと安堵の息を吐いた。

 

 

「ありがとう、ミシェル」

 

「……私も、ピーターには感謝してる」

 

 

彼女の言葉を、僕は不思議に思った。

 

 

「ミシェルも?」

 

「ん……だって、私を色んな所に連れて行って……知らなかった事を教えてくれるから……」

 

 

小さく、呟くように言葉を重ねていく。

 

 

「私、凄く……嬉しくて……一緒にいると……楽しくて……こんな、私でも……」

 

「僕も、一緒にいると凄く楽しいよ」

 

「……私……ピーターと……ずっと……ずっと……」

 

 

ミシェルの声が小さくなっていく。

そして……小さな吐息が、連続して聞こえた。

 

……寝た、のだろうか?

 

僕はもう話しかける事もなく、目を瞑った。

 

何か……忘れているような気がしているけど、それはきっと些細な事だと思った。

この穏やかな、幸せな微睡みに……僕は身を任せた。

 

 

 

 

 

 

 

真夜中、ミシェルがベッドから転げ落ちて、僕の鳩尾に肘が突き刺さった。

……そう言えば、ミシェルは寝相が悪いと……グウェンが言っていた事を思い出した。



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#89 AKA ミシェル・ジェーン part1

パチリ、パチリ。

ブロックをはめる。

 

 

「なぁ、ピーター」

 

「ん?」

 

 

ネッドに声を掛けられて、そちらを見る。

彼の手元にはグレー色のブロックの集合体。

組み立て途中のミレニアム・ファルコンだ。

 

 

「最近、どうなんだよ」

 

「どうって……何が?」

 

 

主語のない質問に首を傾げながらも、手は休めない。

コピー機で複製された白黒の組み立て図を見ながら、作業を進める。

 

ここはネッドの家……ついでに言うと、ネッドの部屋だ。

彼は祖母と二人暮らし……父と母はニューヨークに住んでいない。

 

 

「そりゃあ、ミシェルに決まってるだろ?……いや、ミシェル『と』か?」

 

「……まぁ、うん。まぁまぁだよ」

 

 

パチリ、とブロックをはめる。

噛み合わせが悪くて、少し力を込める。

 

 

「まぁまぁってな……お前、卒業式まで、あと三ヶ月しかないんだぞ?」

 

 

ネッドの言葉に顔を顰めつつ……僕はため息を吐いた。

 

 

「……分かってるよ」

 

「いいや、分かってないね」

 

 

僕の言葉をネッドが否定した。

ブロックを組み立てる手が止まる。

 

僕は口を開いた。

 

 

「じゃあさ、どうしろって言うんだよ」

 

「そりゃあ……はやく告白しろよ」

 

「う、ぐ……」

 

 

ネッドの言葉に、僕は手元を見た。

大きなため息が聞こえた。

 

 

「ミシェルも、お前に気があるって。絶対」

 

「……いや、そんな事はないと思うけど」

 

「あー?客観的に自分を見てみろよ」

 

 

そう言われて……ここ最近の事を思い出す。

先週は二人で買い物をした。

四日前は一緒に食事をした。

昨日は図書館で勉強した。

今日は昼を一緒に食べた……四人でだけど。

 

……まぁ、確かに……彼女とプライベートを共にしている時間なら、僕が一番多いかも知れない。

 

でも。

 

 

「……もし断られたら、生きていけないよ、僕」

 

 

そう、そうなのだ。

 

あのハリーも玉砕後、一ヶ月は落ち込んでいた。

グウェンですら励ましに行けない程に。

最近はマシになったらしいけど、空元気のようで痛々しいとか。

 

僕は?

何も進展なし。

踏み込む勇気を未だに出せずにいた。

 

 

「ハリーを嗾けておいて、お前は告白しねーの?」

 

「……それは、確かに卑怯だとは思うけど」

 

 

アレは元々、彼が告白するつもりでいたのに……何かと理由をつけていたから後押ししたに過ぎない。

僕はそもそも、告白しようってつもりじゃあ……なくて、そもそも、その立場にすら立っていない。

 

 

「お前さぁ……デカいトカゲとか、サイとか宇宙人とは戦えるのに……告白する勇気は出ないのか?」

 

「……うん、まぁね」

 

 

僕の情けない返事に、ネッドが顔を顰めた。

 

 

「プロム、来週あるよな?」

 

「うん?」

 

 

プロム……プロムナード。

高校の卒業年次に行われるダンスパーティだ。

 

 

「ミシェルを誘ったんだよな?」

 

「……うん」

 

 

プロムは……男が女の子を誘って……エスコートする。

恋人同士や、それ未満の人が好意を寄せて参加する。

そういう一面もある。

 

きっと、ミシェルは知らないだろうけど……だから、頷いてくれたのだと思う。

 

 

「その時に告白しろよ……うん、そうしろよ」

 

「あ、いや……でもさ、折角、楽しいパーティなのに……僕から告白されて彼女が嫌な気分になったら──

 

「それで、卒業まで結局、告白できず……ミシェルは知らない所で、知らない男と結婚してるって訳だな」

 

「…………」

 

 

ネッドが放った言葉に、思わず黙る。

 

 

「結婚式には呼んでくれるかもよ、友人代表として」

 

「……それは、嫌……かも」

 

「だったら、行動しろよ。ヒーロー活動をコッソリやってる癖に、女の子に対しては奥手過ぎるだろ。意味わかんねぇ」

 

 

ネッドがミレニアム・ファルコンをクッションの上に置いた。

 

僕は悩んで……ネッドの発言に納得して、頷いて……首を捻って……口を開いて、閉じて。

 

ため息を吐いた。

 

 

「分かったよ……告白、するよ。僕」

 

「よし、その意気だ」

 

「……絶対……多分……出来たら、きっと」

 

「何だか、少しずつ意気地がなくなってないか?」

 

 

ネッドが苦笑する。

 

でも、だって……僕だって怖いんだよ。

 

告白するのはコレが初めてじゃない、一度僕だって経験がある。

失敗と、後悔の経験だけど。

 

中学生の頃、家の隣に住んでる女の子……赤髪の、女の子に告白して……『キモい』って言われたんだから。

仲良く遊んでたのに、それから疎遠になって……今ではもう、名前すら思い出したくない。

 

そんな事があったから……ミシェルにもし、嫌われたら……いや、ミシェルはきっと嫌わないと思うけど、でも……。

 

ミシェルの僕への好意が『友情』なのだとしたら……それは、決して元の形には戻らない。

 

床に立てていたペットボトルを開けて、ミネラルウォーターを飲む。

 

 

「……ふぅ」

 

 

冷やしてない常温の水だけど、それでも頭が冷えた。

 

卒業後、ミシェルと一緒に居られないのも分かってる。

だからこそ、彼女の心を繋ぎ止めるために……僕は告白したい。

 

今から、プランを考えなきゃ。

 

そんな僕の様子を見て、ネッドが苦笑した。

 

 

「まぁ、ちゃんと告白するなら良いけどさぁ」

 

「……何でネッドがそんなに気にするんだよ」

 

 

ネッドが手元に……プラスチック製の玩具の弓矢を引き寄せた。

 

 

「恋のキューピットだからな」

 

「グウェンに何か言われた?」

 

「……分かるか?」

 

 

少しも誤魔化す素振りを見せず、ネッドが項垂れた。

 

 

「アイツが同性から急かした方が有意義だって、俺に言うんだよ」

 

「あー、そう」

 

「怖ぇし、断れねぇよ」

 

 

ネッドが頭を抱えて、ため息を吐いた。

……そう言えば。

 

 

「そのグウェンは?プロム、誰かと行くとか聞いてる?」

 

「あぁ……?一応、俺と行くけど」

 

「ネッドと!?」

 

 

いつの間にそんな関係になったんだ!?

ただの幼馴染だと思ってたのに!!

 

 

「あー、違ぇよ。勘違いすんな……アイツがプロム参加したいけど相手居ないから……俺にエスコートさせるとか何とか言ってきたんだよ」

 

「でも、それはグウェンの照れ隠しで実は──

 

 

脳内にグウェンの顔を思い浮かべる。

二人で苦笑した。

 

 

「ないな」

 

「うん、ないね」

 

 

本当に言葉通りの意味だと思う。

彼女は何に掛けても直球だから、回りくどい事なんてしないし。

 

これは悪口ではなくて、彼女に対する理解の話だ。

メチャクチャ、サバサバしてるから……彼女。

 

 

「……ミシェル」

 

 

名前を小さく呟き、完成したブロックの塊を床に置いた。

 

壁際にはデス・スター……僕とネッド、ミシェルの三人で数日かけて作った大作だ。

今日は偶々、彼女がアルバイトで居ないから……二人で作ってるけど。

 

僕達は新作の映画が出れば三人で観に行くし、コミックの貸し借りもするし……出会って一年も経ってないとは思えないほど仲良くなった。

 

……彼女は今、何をしているのだろう。

アルバイト……彼女は、掃除とか言ってたけど……。

 

 

「ピーター、パーツ出来たら渡してくれ。組み立てるから」

 

 

そう、ネッドの声が聞こえた。

 

 

「あ、ごめん。はいコレ……側面の」

 

 

慌てて床に置いていたパーツを渡し、設計図を見る。

 

彼女との関係……友達としての関係が終わろうとしている。

それがどんな形になるのか、僕には見当も付かない。

 

だけど……それでも、彼女が笑っていられるのなら、それで良いと……僕は思った。

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

ヘルズキッチン。

雑居ビルの中に『エイリアス探偵事務所』と書かれたドアプレートを掲げる部屋がある。

 

その部屋の中……私、ジェシカ・ジョーンズは居た。

 

机の上には並べられた資料。

ここ数ヶ月の自殺者のリスト。

 

 

「……増えてる」

 

 

これは私の癖だ。

 

あの時……私の尊厳を踏み躙られた、あの時から……欠かさずやっている確認。

 

ニューヨーク市内……そして、この付近での自殺者の数が、先月から倍近くになっている。

 

しかし、自殺事件は解決済み。

事件性のないものとして処理されている。

 

誰にも犯行する事は不可能。

指紋は自殺者の物だけ。

密室だったり、監視カメラにも一人でいる映像だけ。

 

だが、その家族は誰もが「まさか、彼が?」「そんな、彼女が?」なんて、思いもよらぬと発言する。

 

突発的な……まるで、悪魔に囁かれたかのような自殺。

 

 

「間違いない……奴が、この街に戻ってきた」

 

 

本当に吐き気を催すような悪党。

唾棄すべき屑。

 

男の名はゼベディア・キルグレイブ。

AKA(あるいは)パープルマン。

紫色の服を好むから……なんて、ふざけた理由で呼ばれている。

そんなに好きなら、肌も紫色に染めれば良い。

 

ミシリ、と音がして慌てて机から手を離す。

無意識のうちに力を込めていたらしい。

 

引き出しを開け、封筒に入った写真を取り出す。

 

そこにはキルグレイヴと……私が写っている。

私は笑っていて……いや、笑わされている。

 

本当にムカつく……破り捨てたいような感覚に陥る。

だけど、これは貴重な奴の写真。

10年近く前の写真だけど……奴を探すのに必要だ。

 

この頃、私は『ジュエル』という名前でヒーロー活動をしていた。

ある日、とあるレストランで異常な状況になっているという連絡を受けて……私は急行し、そこで奴と出会った。

キルグレイヴの能力を知らなかった私は洗脳され……そして──

 

軽い吐き気がする。

 

兎に角、恋人紛いの真似事をさせられ……彼の犯罪を邪魔するデアデビルと戦う羽目になった。

そうして……アベンジャーズとも戦い──

 

 

私はミュータントのジーン・グレイによって洗脳を解かれた。

キルグレイヴはそのまま逃走し……今も行方知れず。

 

やり場のない怒りを抱え……取り返しの付かない過ちを重ねていた私は……ヒーローを廃業した。

 

それでも、困っている誰かを助けられたらと、今は探偵をしている。

 

 

そして、ついに……やっと、奴を見つけた。

 

 

「この街に戻って来たのなら──

 

 

私は写真に写るキルグレイヴを睨む。

 

 

「絶対に逃がさない。ブン殴って捕まえてやる」

 

 

写真をファイルに戻して、封筒に入れた。

黒いジャケットを羽織り、赤色のスカーフを巻いた。

 

自殺者のリスト、その場所はマンハッタンが多かった。

奴はきっと、そこに居る。

 

情報はそこまで……どこに隠れているか、今は何をしているか、何故戻って来たか……それは分からない。

 

だが、私は『探偵』だ。

必要な情報は足で稼ぐ……それが仕事だ。

 

必ず、奴の居場所を暴く。

そして、これ以上、私と同じ目に遭う人間が現れないように……捕まえてみせる。

 

机の上で充電していた携帯を手に取り……一瞬、夫の顔と、仲間の弁護士、格闘家の顔が思い浮かんだ。

しかし、人が増えれば、それだけ気付かれる可能性が増える。

 

奴の狙いが何なのか、探ってからでも遅くはない。

 

私は事務所を出る。

ドアプレートをひっくり返し……『CLOSED』に替えた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

散弾銃が火花を放った。

 

直後、壁に小さな穴が空き……顔面が砕けた老婆が地面に倒れた。

 

私はその死体の上に散弾銃を置いた。

死体に手向ける花のように。

 

今日はピーターとネッドの三人で遊ぶ約束をしていたのに……仕事が入ってしまった。

マドリプールの作戦以降……私は組織への忠誠を疑われているらしい。

確実にこなせる任務を遂行し、少しずつ信頼を取り戻すしかない。

 

と、ティンカラーが言っていた。

……何故、彼は私も知らない組織(アンシリー・コート)の事情を知っているのか、分からない。

彼は組織(アンシリー・コート)の一員ではない筈なのに。

 

……それでも、彼は私を心配して助言してくれているのだから、素直に受け取っている。

私も野暮な質問はしない。

 

全く……秘密の多い関係だ。

私は彼の事は全く知らない……素顔も、名前も。

それなのに、何故……こうも、私を信頼しているのか。

 

……これ以上、考えるのはよそう。

私と彼は仕事仲間だ。

それで良い……筈だ。

 

ショットガンを抱いた老婆を転がす。

この老婆は麻薬シンジケートのボスだ。

キングピン……ウィルソン・フィスクに黙って合成麻薬を売り捌き……ついには逆鱗に触れた。

 

元々は共同経営だったらしいが、フィスクの愛人が麻薬を嫌い……フィスクは手を引いたそうだ。

そして、これ以上、合成麻薬を作らないように言ったが……聞き入れて貰えず、そして──

 

 

『こうなった、と』

 

 

散弾銃に顔面を砕かれて、人相は分からない。

一般的な人間よりも強かった……拳法家だったらしく、よく分からない武術を駆使していた。

 

『気』とか何とか、よく分からない物も使っていた……この世界の権力者は何故か、それなりに戦える事が多い。

コミックだから……なのか?

 

 

まぁ、それもどうでも良い。

私の敵ではなかった。

 

 

『馬鹿な奴だ……』

 

 

彼女の死因はフィスク、そして彼が差し向けてくる刺客(わたし)を甘く見ていた事だ。

 

普通の暗殺者程度ならば、彼女は負けなかっただろう。

 

私は通って来た道を振り返る。

何人もの黒服を着た男達が、死体となって並んでいる。

その手には散弾銃……私が先程使用した物と同じだ。

……私の持っていた散弾銃は、殺した奴から奪い取った物だ。

 

そう、彼女はチャイニーズ・マフィアのボスだった。

彼女本人も強く、組織も大きい……それが慢心に繋がったのだろう。

 

私は元来た道を引き返す。

 

死体。

 

死体、死体、死体、死体、死体。

 

灰色のコンクリートの壁は赤い血で彩られている。

同様に、私のスーツにも返り血が付いていた。

……地下の拠点に戻ったら、また洗わなければならない。

 

面倒だ。

 

一歩、一歩と足を進め……耳を澄ます。

何処かで誰かが……息を殺そうと小さな吐息を出している。

 

私は腰からナイフを取り出し、その場へ進む。

 

 

『まだ残っていたか』

 

 

この組織に与する者は皆殺し……それがフィスクからの依頼だ。

誰も生かして逃しはしない。

 

ゆっくりと、しかし迷いなく進んでいけば……鉄製のドアがあった。

大きな両開きのドアだ。

 

私はそれに手を掛け……ガタン、と音がした。

どうやら内側から錠をかけているらしい。

 

怯えたような悲鳴が、幾つか中から聞こえた。

女、子供の声だ。

 

……嫌になる。

だが、やめるつもりはない。

 

私はドアに手を引っ掛けて、無理矢理押し込む。

金属が軋む音がする。

 

それに合わせて、悲鳴や泣き声が大きくなる。

 

……そのまま、金属を引きちぎり、無理矢理こじ開ける。

ドアに立てかけられていたであろう家具が散乱し……女性と子供たちが部屋の隅に固まっていた。

 

甲高い声で……叫び声を上げている。

 

 

『……静かにしろ』

 

 

私がドアを殴り、大きな音を立てると……黙った。

彼らは猛獣に怯えるように、私の気を損ねないよう口を閉じたのだ。

 

 

『この中で麻薬の製造に関与していた者は前に出ろ』

 

 

私は全員を殺すつもりは無かった。

フィスクの依頼は『組織に与する者の皆殺し』つまり、麻薬の製造に関与していないものであれば殺さずに済む。

 

……そう思っていたが。

 

子供達は互いに顔を向け合う。

それは、自覚ある者の行動だった。

 

……そうか。

この組織は子供に合成麻薬を作らせていたのか。

孤児なのか……それとも売られたのか、知らないが。

明らかに……ここにいる大人の数よりも、子供が多い。

 

子供達を手で制し、大人達が前に出た。

その中の一人、中年の女性が一歩前に出てきた。

 

 

「私が、作ってました。子供達は関係ありません」

 

 

嘘だ。

間違いなく、嘘。

 

目の揺らぎから見えるのは、私に嘘がバレてしまう事への恐怖だ。

大人達は子供を庇っている。

 

何故だ?

この組織の単純な労働力ではないのか?

それとも……この、大人達もそうなのか?

 

分からない。

だが、分からない方が良い。

 

私はナイフを向ける。

 

 

『今からお前達の首を刎ねる』

 

「……はい。ですが、子供、達は……」

 

『死んだ後の事を気にするのか?』

 

「お願いします……子供達は……関係ないんです……」

 

 

思わず、ナイフを握る手が揺れる。

……私は組織に忠誠を示さなければならない。

情なんて物は捨てるべきだ。

 

……私が捨てたくない物の為に、コイツらには死んで貰う必要がある。

強制されていたとは言え、合成麻薬の製造に手を染めていたのだから……無罪とは言えない。

 

大丈夫だ、殺せる。

内心を誤魔化し、無理矢理、自分を納得させる。

 

 

『……分かった。子供は殺さないと誓う』

 

「本当、ですか?」

 

『だが、確実に貴様らは殺す。抵抗すれば子供も殺す』

 

 

……これは効率的に殺す為に必要な契約だ。

抵抗されれば面倒だから、子供を人質に取っているのだ。

そう、子供を見逃すのは効率を求めてだ。

情ではない。

だから、組織に対する裏切りではない。

そう、言い訳をしながら……先程まで話していた女の首にナイフを押し付ける。

 

皮膚の皮が薄く切れて、血が出る。

 

 

「ありがとう、ございます」

 

 

感謝、など。

今から死ぬ人間が、何故……殺そうとする相手に感謝を──

 

突然、何かが飛んできた。

私はそれを掴み……確認する。

 

それは木片だった。

人型が描かれた、玩具と呼ぶには見窄らしい木片。

 

それを投げて来たのは、庇われていた子供だ。

 

 

「母さんを離せっ……!」

 

 

母さん?

この女が、か?

 

 

「あ、あぁ!申し訳、ありません!」

 

 

慌てて女が額を地面に擦り合わせる。

勢いが強く、額から血が出ている。

 

 

「この子は何も分からないのです!お願いします、ご慈悲を……容赦を!」

 

 

……なるほど、ここにいる子供は、大人達の養子なのか。

身寄りのない子供を引き取り、子供として育て、合成麻薬の密造の労働力として扱う。

この組織は子供を食い物にする、最低な組織だ。

 

まるで……私の……。

 

 

『…………』

 

 

気分が悪い。

だが、怒りをぶつけるべき相手は既に死亡している。

 

ここにいるのは哀れな母親達と、血の繋がってない子供だけ。

 

手に持った木片を見る。

それには、剣を持った戦士が描かれていた。

 

名前はないのかも知れない、だが……あの子供達にとってはヒーローのような物なのだろう。

 

本当に、気分が悪い。

 

私は木片を強く握り……砕いた。

木屑が地面に散乱した。

 

さっさと、終わらせよう。

 

 

ナイフを握り、一歩前に出る。

 

 

『安心しろ、子供を殺しはしない』

 

「あ、ありがとうございます!ありがとうございます!」

 

 

母親が感謝しながら、血と涙でぐしゃぐしゃになりながら、声を振り絞る。

その声は枯れかけていた。

 

 

「母さん!」

 

 

子供の声は無視する。

他の大人が慌てて、子供の腕を掴んだ。

 

ナイフをまた首に当てて、力を、強く、込めて──

 

 

ガシャン!と窓ガラスが割れる音がした。

 

首に当てていたナイフを手元に戻し、音がした方を睨む。

この砕けた金属製のドアの外で……女が立っていた。

 

黒い髪、黒いジャケット、黒いズボン、赤いスカーフを巻いた女。

 

その女が口を開いた。

 

 

「アンタ……最低ね」

 

『ジェシカ・ジョーンズか』

 

 

女……ジェシカは心底、軽蔑したような目を私に向けていた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

目の前にいる赤いマスク……レッドキャップを睨み付ける。

 

コイツは今、無防備な女を子供の前で殺そうとしていた。

どんな経緯があったかは知らない……だけど、抵抗もしない人間を……それも、子供の前で殺そうだなんて許せる訳がない。

 

……この工場に来たのは偶然だった。

マンハッタンのチャイナタウンを散策中……超人的な聴力で発砲音を聞きつけて、文字通り飛んで来た。

 

中で何が起こっているのか、覗き込んで……死体が並んで居て驚いた。

侵入して確認してみると……白い粉。

マンハッタンで密かに流通している合成麻薬だと直ぐに分かった。

 

そして、ここがその製造工場だという事も。

 

私は隠れながら、移動し……そして、処刑人紛いの事をしている現場を見つけたのだ。

 

最初は外から見ているだけだった。

どんな状況か分からないまま、飛び出すのは危険だと思った……だが、その考えは一瞬にして忘れてしまった。

 

 

「あら、覚えていてくれたの?」

 

『……私は記憶力が良い方だ』

 

 

レッドキャップがナイフを構えたまま、一歩、私へと近付いてくる。

 

……以前、シニスター・シックス事件の時、私は彼女に負けている。

今の彼女は、その時と装備が異なっている……恐らく、より良い装備になっている筈だ。

勝算は……殆どない。

 

息を深く吸って……地面を強く蹴った。

飛行能力を重ねて、真っ直ぐと弾丸のように飛び出し……彼女の腕で挟み込んだ。

 

しかし、数メートル動かした所で止まってしまった。

ほんの少しも動かない。

 

私はレッドキャップを押さえつけたまま、後ろを見た。

 

 

「逃げなさい!」

 

 

強く、そう言うと……怯えていた大人と子供が走り去っていく。

その様子を脇見しつつ……レッドキャップを見る。

 

ナイフは、構えたまま……私に振り下ろさなかった。

 

何を──

 

突然、腹部に痛みがきた。

 

 

「うぐっ」

 

 

蹴られた。

彼女の膝だ。

 

金属で出来たアーマーに纏われた膝で、蹴り上げられたのだ。

 

思わず怯んだ所、腕を掴まれる。

そのまま引き剥がされ、コンクリート製の壁に叩きつけられた。

 

 

「が、はっ」

 

 

コンクリートが砕け、鉄筋が露出した。

呼吸が乱れて、息ができなくなる。

 

掠れた息を整えながら、数歩下がる。

明らかな隙……レッドキャップが見逃す訳が──

 

 

……来ない?

 

 

ナイフを突き立てる訳でもなく、殴り掛かる訳でもない。

逃げた人間を追う訳でもなく、私から逃げる訳でもない。

 

ただ、そこに立っているだけだった。

 

 

「……何のつもり?」

 

『元々、私はお前を殺すつもりはない。それは任務に含まれていないからだ』

 

「……なるほど、仕事熱心ね」

 

 

薄く笑い、痛みを誤魔化しつつ……息を整える。

逃げるにしても、戦うにしても……態勢を整えたい。

 

 

『どうだ、ジェシカ・ジョーンズ。あの女達……大人さえ殺させてくれれば、子供は好きにして良い。悪い話ではないだろう?』

 

「悪いわよ……それも、極悪。最悪よ」

 

『……あの女達は子供を食い物にする組織に加担していた。合成麻薬によって何人もの人生を破壊した……それでもか?』

 

「愚問ね……殺して良いとか、良くないとか……それは法律が決めるのよ。アンタ、思ってたよりバカね」

 

 

傷の痛みはなくなった。

息も整った。

 

そして、私とコイツは相容れない事も分かった。

 

 

『そうか……そうだな』

 

 

レッドキャップは否定する訳でもなく、静かに頷いた。

不気味だ……昔なら、もっと何か言ってきた筈だ。

 

……何か、おかしい。

以前会った時と、全然違う。

 

攻撃に殺意を感じられない……殺しに来ている筈なのに。

 

……こうして話している間にも、逃げ出した人達は距離を取れているだろう。

時間を稼ぐ……それが私に出来る最善だ。

 

そして、少し間が空いて、レッドキャップが機械音声で話しかけてくる。

 

 

『思想はどうでもいい……納得する必要もない……だが、あの女達は殺す』

 

「それは……何故?」

 

『私の為だ』

 

 

急に一歩、踏み込んで来た。

ナイフを持つ手を水平にし凪いだ。

 

何とか反応して回避するが……私が立っていた場所、その後ろのコンクリートの壁に大きな切り傷が付いた。

 

ぞっとする。

当たっていたら、間違いなく大怪我をしていた。

 

 

『頑張って避けてくれ』

 

 

そう、励ますような声がする。

馬鹿にしているのか?と思った瞬間──

 

 

ナイフの切っ先が、目の前に迫って来ていた。

 

 

「くっ」

 

 

顔をずらして、その刺突を避ける。

そのままハイキックをレッドキャップの頭に繰り出し──

 

 

命中。

 

 

『……無意味だ』

 

 

しかし、少しも怯んでいない。

以前よりもスーツの性能が良くなっているのか?

ほんの少し、私が思案してしまった時間……それは隙だ。

 

その隙は致命的だった。

ナイフを持った手が、私の肩に迫り──

 

 

「うぐっ!?」

 

 

突き刺さった。

 

激痛……だけど、動けない訳じゃない。

私は地面を蹴り、そのまま飛行して大きく距離を取る。

 

ナイフを抜き取ると……血が流れる。

即座に赤いスカーフで圧迫し、手当てする。

 

その様子を、レッドキャップは黙って見ていた。

 

 

『これ以上、傷を負いたくなければ……立ち去った方が良い』

 

「それは素敵な提案……思わず呑んでしまいそう」

 

 

肩が上がらない。

……ここにはアイアンフィスト(ダニー・ランド)は居ない。

治癒を行なってくれる人間は居ない……私に自己再生能力はない。

戦闘続行は不可能だ。

 

逃げた方が身の為……レッドキャップも追ってこないだろう。

 

でも。

 

 

「私はとっくに……ヒーローを辞めた身だけどね」

 

『……それが何だ』

 

「それでも、誰かを守る為なら、身を投げ出せるぐらいの覚悟はある……つもりよ」

 

『……そうか』

 

 

赤いマスクで表情は分からない。

だが、それでも……レッドキャップが羨ましそうにしていると、思った。

 

……本当に、どうしたんだろうか?

何か考えが変わるような出来事があったのだろうか?

 

だけど、問い掛けるほど親しい訳ではない。

 

私はレッドキャップを睨み付ける。

彼女達を追う姿勢を見せたら、飛び付くつもりだった。

 

しかし、レッドキャップは動かない。

黙って私を見上げるだけだ。

 

少しして。

 

 

『……やめだ』

 

「え?」

 

 

レッドキャップが踵を返して、私から離れる。

数歩下がって、逃げる人達とは逆の方に向かい、歩き始めた。

 

 

「何のつもり……?」

 

『リスクを考えただけだ』

 

 

そんな筈はない。

本気を出して私を殺し……直ぐに追えば、彼女達を殺せる筈だ。

 

だから、これは……。

 

 

「アンタ、本当は殺したくないの?」

 

『……そう、見えるか?』

 

「そう見えるわ」

 

 

レッドキャップが振り返った。

真っ赤な表情のない、マネキンのような顔が私を見た。

 

 

『なら、その目は腐っているな』

 

「目は良いのよ、探偵だから」

 

 

私の言葉を聞き……少しして、顔を逸らし離れていった。

 

私は息を深く吐いて、座り込む。

大きな疲労感を感じながら、私は携帯電話で警察へと通報した。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

逃げ出した人達は、工場の外にいた。

このまま逃げても危険だと思い……彼女達は護送車に乗ってもらう事になった。

 

麻薬の密造は罪に問われるが……死ぬよりはマシだ。

それに脅されてやっていたのなら、罪も軽くなるだろう。

 

 

「……本当に、ありがとうございました」

 

 

大人の女に声を掛けられて、私は頷いた。

 

 

「良いのよ、困った時はお互い様」

 

「ですが、私には返せるものなんて……」

 

 

困ったような顔をする女に、私は苦笑した。

 

 

「……出所したら、美味しい料理でも持って探偵事務所まで来て」

 

「探偵……?」

 

「そう、私……探偵なのよ」

 

 

涙を流しながら、私の手を握り……その後、連行されて行った。

子供達も同じ護送車に乗せられ、鍵を閉められた。

 

 

「ジェシカさん、いやぁお手柄ですね」

 

「えぇ、まぁ……どうも」

 

 

知人の警官から感謝されつつ、私は頷く。

感謝されるために活動している訳ではない……それに、私は探偵だ。

こんなヒーロー紛いの仕事は引退したい。

 

そう思っていても、トラブルが起きれば首を突っ込んでしまうのは……直した方がいい癖かも知れない。

 

ため息を吐きながら、後頭部をかく。

 

 

「あ、あと申し訳ないのですが……署長から連絡がありまして。少し、お話しして頂けると──

 

「あー……拒否権、ないのよね?」

 

「申し訳ないのですが……よろしいですか?」

 

「……はぁ」

 

 

ため息を吐きながら、警察車両の助手席に腰掛ける。

警官が手に持っていた携帯端末を私に手渡した。

 

 

「もう繋がってますので」

 

「え?ちょっと──

 

 

そのまま、警官は離れて護送車の方へ向かう。

会話を聞くつもりはない、という事だろうか?

 

 

「……何なのよ」

 

 

私は携帯端末を耳に当てる。

ノイズのような音が続いている。

何も喋る気配はない。

 

怪訝に思いながら、私は声を出す。

 

 

「もしもし……?聞こえてる?」

 

『……あぁ、ジェシカ』

 

 

ノイズが混じり過ぎて聴き取りづらいが、男の声が聞こえた。

 

 

「どうも、話があるって聞いたのだけれど」

 

『君と話がしたかったんだ、ジェシカ』

 

 

眉を顰める。

馴れ馴れしい態度に苛つく。

面識なんて無い筈だけれど。

 

 

「それはどうも。で、何の用なの?手短にお願いしたいのだけれど」

 

『用?用事はないな、ただ君と話がしたかっただけだ』

 

「……通話、切っても良いかしら?」

 

 

いつから、ニューヨークの警察署長はセクハラ野郎になったのだろうか。

そう、思っていると──

 

 

『つれないな……久しぶりの会話だと言うのに』

 

「……貴方とは面識がない筈だけど」

 

 

胸騒ぎがする。

心臓が跳ね回る。

 

 

『あぁ……なるほど、まだ気付いてないのか?いけない子だ』

 

「……アンタ、誰?」

 

 

私が問うと同時に──

 

 

 

発砲音が聞こえた。

 

即座に振り返る。

音がしたのは護送車の中だ。

 

携帯端末を握りながら、慌ててそちらに走る。

 

悲鳴と、発砲音が続く。

 

 

「何が……」

 

 

呼吸を乱しながら……護送車のドアを開けた。

 

……そこには、射殺された……先程の、女と子供達。

そして、警察車両に常備している自衛用の散弾銃を握っている、知人の警官。

その銃口から、煙が漏れている。

 

今、さっき、その場で……撃ち殺したという事……だろう、か?

信じられない事だが。

 

 

「何をやってんの!自分が何してるか分かって──

 

 

その顔を見る。

 

悪びれる様子もなく、薄く笑っている。

まるで、この現実が分かっていないかのような……ぐるりと顔を傾けて、私を見た。

 

 

「笑ってくれ、ジェシカ」

 

 

そして、散弾銃の銃口を、自身の顎に当て──

 

 

「やめっ──

 

 

引き金を引いた。

 

炸裂する音と共に、真っ赤な何か、灰色の何か、白い何かがぶち撒けられた。

護送車の中は、赤く染まった。

 

 

「あ……う、ぷっ」

 

 

思わず吐き気を催して、数歩下がり……目線を逸らす。

他の警官達は何が起こったのか理解も出来ず、慌てている。

 

 

『ジェシカ、あぁ、ジェシカ……』

 

 

携帯端末から声が聞こえて、耳に当てる。

……ノイズ混じりの声だが、相手は誰だか分かった。

 

 

「キルグレイヴ……!」

 

『やっと思い出してくれたのかい?少し遅かったね。君を見つけたら私に連絡するよう彼には『お願い』していてね。勿論、彼だけではないよ。他にも沢山いる。お陰で君を見つけることが出来たよ。何故、こんなに熱心なのかって?君を愛してるからだよ。君も私を愛しているだろう。お互いに探し合っていたなんてロマンチックじゃないか。私の下に戻ってこないか?これ以上、私のプレゼントを見たくないなら、一度、話をしたいな。どうかな?ジェシカ?ジェシカ・ジョーンズ?どうかな?』

 

 

思わず、端末を投げ捨てそうになった。

 

生理的悪寒がする。

こいつは罪のない人間を人質に、また私を手に入れようとしている。

 

普通の人間はそんな事しない。

目的のために人を殺す……許せない事だが、理解はできる。

だが、コイツは……他人を何とも思っていない。

全て、自身の為に生きている玩具だとしか思っていない。

 

10年前から何も変わっていない!

 

罵倒したくなる気持ちを抑えて……努めて冷静に会話する。

 

 

「えぇ、そうね。是非、会いたいわ……何処で会えるのかしら?」

 

『あぁ!そうか、ジェシカ!会ってくれるのかい?でも悪いね、今は仕事をしているんだ……そちらが片付いてからだね。君には悪いけどね』

 

 

仕事……?

傲慢の塊で、社会性も皆無であるコイツが……仕事?

 

……碌な事ではないのは確かだ。

コイツの能力は『他人を洗脳する』こと。

何処かで、誰かが……操られている。

知らず知らずのうちに、悪事に加担させられている。

 

 

「……必ず、アンタを見つけ出すわ」

 

『そんな熱烈なラブコールを君からだなんて、嬉しいよ。じゃあ、また会おう。必ず会おう。それまでにエスコートするための準備をしておこう。あぁ、そうだ。君の為に美味しいワインを──

 

 

携帯端末を地面に叩きつけた。

 

 

「はぁ、はぁ……クソ野郎が!」

 

 

掛けてきた電話番号も洗脳された人間から奪った物だろう……この電話から奴に繋がる情報はない。

その狡猾さ、そして臆病さ……それが奴を捕まえられていない理由だ。

 

だが、奴の目的は分かった。

 

奴の目的は『私』……そして、話していた『仕事』だ。

 

 

「何をしでかすつもりか知らないけど──

 

 

先程まで笑っていたのに……今は血を流して息絶えている女性を見た。

正義感に満ち溢れた、まだ若い知人の警官を見る。

庇われたのに……当たりどころが悪くて即死してしまった子供を見る。

 

 

「絶対に、私が止めてやる!」

 

 

私は、地面に落ちている携帯端末を踏みつけた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

「ふぁあ……」

 

 

ネッドが大きな欠伸をした。

時計を見れば、もう夜の8時。

良い時間だ。

 

 

「寝不足?ちゃんと寝てる?」

 

「んー?ピーター、俺は毎日10時間は寝てるぜ……でも何だかなあ、ここ最近、寝不足なんだよな」

 

「ふぅん……まぁ、暖かくなって来たからね。毛布を止めてタオルケットにしたら?」

 

「そうしようかなぁ」

 

 

僕の発言に、ネッドが苦笑しながら頷いた。



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#90 AKA ミシェル・ジェーン part2

朝起きて、顔を洗い、歯を磨く。

櫛で髪を整えて、薄く化粧をする。

 

鏡を見れば、いつも通りの……『ミシェル・ジェーン』が居た。

 

クローゼットからシャツを取り出し、ズボンを……いや、スカートを取り出す。

着替えながら、朝のニュースを流す。

 

そうして、鞄に最低限の支度を入れて、部屋を出た。

 

予定より5分早い。

少し、部屋の前で待つ。

 

木製のドアに背を乗せて、隣室が開くのを待つ。

この時間が、少しもどかしい。

 

少しして、ドアが開き……ピーターが出てきた。

 

私の方を見て、頬を緩める。

会えて嬉しいと、そう言ってるかのような表情だ。

毎朝会っているのに、いつもそんな顔をしてくれる。

 

その表情を見れば、私がここに居て良いのだと思えた。

 

 

「おはよう、ミシェル」

 

「ん、おはよう」

 

 

朝の挨拶に頷き、返事を返す。

 

クイーンズに来る前までは凝り固まっていた表情も……随分と動かせるようになった。

意図的に笑おうとすれば……ほら、私は笑えている。

 

私の今生は、何も楽しい事もなく……嬉しい事もなく……そんな人生だったけれど。

 

今は違う。

大好きな友人がいて、楽しい時間があって、こうやって日常の中で生きている。

 

それは、掛け替えのないもので……この時間を守る為なら、私は──

 

何だって出来ると、そう思っている。

 

外に出れば朝日が降り注いでる。

私は少し目を細めて、ピーターの横に並ぶ。

 

いつものサンドイッチ屋でサンドイッチを買って、デイリービューグルのビルの前を通り、学校へ向かう。

 

ピーターとお喋りをしていれば、気付けば学校に到着していた。

ロッカーに荷物を入れて、教科書を手に取る。

 

登校してきたグウェンにハグされて、他愛のない話をして……始業のベルに中断される。

 

卒業も間近になって、授業の内容も終わりが見えてきていた。

 

 

……卒業。

 

 

卒業すれば、私は……ここから離れる。

ミシェル・ジェーンという名前を捨てて、新しい名前を得て……違う場所へ、違う環境へ、違う人間になる。

 

共通しているのは、赤いマスク姿の私だけ。

ミシェル・ジェーンの存在は、期間限定だ。

 

私の根本はレッドキャップであり、ミシェル・ジェーンは仮初に過ぎない。

 

昼のベルがなって、授業が終わる。

グウェンが私の手を引き、その後ろをピーターが歩く。

 

屋上で集まり……サンドイッチを取り出す。

 

だけど……いつもと違って、一人、足りない。

 

 

「ネッドは?」

 

 

私がそう問うと、ピーターが口を開いた。

 

 

「ネッドは休みだよ。理由は分かんないけど」

 

「そう……風邪かな」

 

 

私が心配すると、グウェンが笑った。

 

 

「どーせ、夜更かしよ。大学の試験に合格したから、あとは出席日数さえ稼げば良いと思ってるのよ、きっと」

 

 

ピーターが苦笑し、私も笑う。

 

小さくなったサンドイッチを口に入れて、ペットボトルのミルクティーを飲む。

 

こうしていられる時間も有限だ。

そう思うと、無性に悲しくなって、胸が苦しくて……でも、表情は変えない。

 

残り僅かだとしても、最後まで楽しく……変わらず、笑顔のみんなと一緒にいたい。

 

 

 

午後の授業も受けて……隣の席に座っていたピーターが少し眠そうにしているのに気付いた。

私が脇をつついて起こすと……慌てた様子で取り繕った。

 

彼は昨日も『親愛なる隣人』としてパトロールをしていた。

だから、眠いのだろう。

 

私はデイリービューグルの新聞を毎日買っているから、知っている。

……批判的な意見だとしても、スパイダーマンについてのニュースはあの新聞が一番早い。

 

彼は昨日、銀行強盗から街の人を守ったらしい。

見出しは『自警団気取り、今日も暴力で解決!』だ。

……ジェイムソンらしい偏向報道だ。

まぁ、思想は盛り込まれているが嘘は吐いてない。

 

 

私はピーターの横顔を見る。

 

 

ピーター・パーカー。

AKA(あるいは)スパイダーマン。

 

 

大切な友人と、大好きなヒーロー。

 

どちらの彼も私の心で、大きく存在感を放っている。

……グウェンやネッドには悪いけど、少し、特別。

 

私の視線に気付いたのか、恥ずかしそうに笑う彼を見て……胸が少し苦しくなる。

 

これは何だろう?

きっと、罪悪感だ。

 

騙している事の、罪悪感。

頬が熱くなるのは、恥ずかしいからだ。

ずっと一緒にいたいと思うのは、友達だから。

 

そう、思う。

 

これは恋なんかじゃない。

 

友情だ。

絶対に。

 

私は目を逸らし、白板の……少し上に掛けられている時計を見る。

 

針が進んで行く。

一定の間隔で、確実に進んで行く。

 

止まりはしない。

戻りもしない。

 

 

時間は過ぎて行く。

 

 

ゆっくりと。

 

 

ゆっくり。

 

 

少しずつ。

 

 

 

 

 

 

 

 

放課後、ロッカーに教科書を入れる。

そのまま、周りに見えないよう携帯端末を確認する。

メールの着信……相手は……カモフラージュされているけど、組織からだ。

 

私は眉を顰める。

 

ミシェル・ジェーンから、レッドキャップへ。

無理矢理、引き摺り戻される。

 

ため息を吐いて、携帯端末を胸ポケットに入れる。

鞄を持って、私は振り返る。

スカートが翻る。

 

男子のロッカー……そこに居るピーターへ近付く。

荷物を片付けてる様子で……私の足音に気付いたのか、振り返った。

 

 

「あ、ミシェル……良かったらさ、これから──

 

「ごめん、ピーター。今日はバイト」

 

 

努めて、申し訳なさそうな顔をして、そう返す。

ピーターの眉が少し下がった。

 

 

「分かったよ……大変だね」

 

「ん、大変」

 

 

本当に……。

 

二人で並んで、出入り口まで歩く。

少しピーターが落ち着かない様子で、私に話しかける。

 

 

「あ、そうそう……明後日のプロム、なんだけどさ」

 

「ん……」

 

「待ち合わせ場所は……その、いつものアパートで良い……よね?」

 

 

何でも、プロムは男女で行くらしく、男が女をエスコートするらしい。

まず最初に学校まで行って出席簿に名前を書かなければならないらしい。

 

それから、ディナーを食べるための自由時間があって……また校内に戻る。

飾り付けられた大きな体育館でダンスパーティ……らしい。

 

どんなパーティなのか、詳しくは分からないけど……なんだか、デート、みたい……。

 

少し浮かれるような気持ちになり、楽しみになってくる。

頬が緩まる。

 

ピーターの目を見る。

その目は少し不安そうに揺れていた。

 

私は口を開いた。

 

 

「ん、それで良い」

 

「良かった……当日は頑張ってエスコート、するから。大船に乗ったつもりで──

 

「ふふ……」

 

 

意気込んでいるピーターが微笑ましくて、つい笑ってしまった。

そんな私を見て、少し頬を赤らめてピーターが視線を下げた。

 

私のために頑張ってくれている。

そう思うと、凄く嬉しくて……心の隙間が満たされるような気持ちになった。

 

校門を出て、私はピーターと別の方向へ行く。

 

 

「それじゃあ、ピーター……バイトだから」

 

「あ、うん。頑張ってね」

 

「ありがと」

 

 

別々の道へ、歩き出す。

ピーターが私の顔を見て、口を開いた。

 

 

「ミシェル……また明日」

 

「うん、また明日」

 

 

ピーターに背を向けて、離れて行く。

これからも変わらない日常が続くと、そう信じていた。

 

 

私も、彼も。

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

暗い地下通路を通り、拠点へ。

薄い緑色の電灯が照らす中、私は手元の携帯端末を見た。

 

それは組織からの任務。

だけど……違和感があった。

 

……普段とは、違う形式の暗号。

そして、依頼主は明記されていない。

 

組織の人事なんて知らないが、上司が変わったという話は聞いていない。

首を傾げながらも、疑問を飲み込んだ。

 

そんな事、考える意味はない。

組織の命令は絶対。

疑う事は……不信と見做される。

 

黒いアーマースーツを装着して……最後は真っ赤なマスクを被る。

 

鏡に映るのは醜悪な妖精。

赤いマスクが、私の顔と心を覆い隠す。

 

 

 

任務の内容を、脳内に反芻させる。

 

ターゲットの殺害、それが任務だ。

 

グリーンゴブリン……ノーマン・オズボーンの死後、その装備は警察に押収されていた。

だが、何者かが盗み出し、その装備を使って愉快犯的なテロ行為に励んでいるらしい。

 

今回の標的は、その盗人だ。

 

私はマスクの下で口元を緩めた。

こういう人間の屑相手ならば、歓迎だ。

 

心置きなく殺す事が出来る。

 

グリーンゴブリンの模倣犯……名を『ホブゴブリン』と自称しているらしい。

奴は犯行予告を行い、その後に爆破を行っている。

 

爆弾の設置は本人がしているようで……ノーマンの装備の上から、オレンジ色の外套を着ているらしい。

 

組織が持つ独自の情報網から、ホブゴブリンの犯行現場の予測は済んでいる。

先回りして……後は殺すだけ。

 

簡単な仕事だ。

 

私は地下拠点から出て、マンハッタンへと向かった。

手を強く握れば、金属の擦れる感触がした。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

ニューヨーク、マンハッタン。

チャイニーズタウン……大きな商業施設。

 

夜も遅く、人通りは殆どない。

 

私は暗闇の中で気配を殺し、佇んでいた。

暗視機能を使って、屋上から見下ろす。

いつもは毒々しい光を放っているネオンの看板は暗い。

 

日中は人の行き来が激しいこの場所も、時間が変われば別の姿を見せる。

 

 

 

誰かが近付いて来ている。

オレンジ色の外套を来た何者か。

多少は派手に見えるだろうが、不自然過ぎる訳ではない。

 

……しかし、強化された視力で注視すれば……その該当の下にアーマーを着ているのが分かる。

顔だって、緑色のゴブリンマスクだ。

 

ノーマンとは違い中身は普通の人間らしく、グライダーにも乗らず……肩から麻のバッグをかけて歩いていた。

 

鞄の中には幾つかのパンプキンボムが顔を見せていた。

恐ろしい超能力を持った悪人(ヴィラン)には見えない……まるで仮装した一般人だ。

ハロウィンはもう、とっくに終わったと言うのに……。

 

 

 

そんな彼は、私に気付く事なく商業施設の裏へ向かう。

辺りを警戒する態度からは、特殊な技術を習得しているように見えない。

 

……私は気配を消しながら、その後ろを尾行する。

 

殺すなら、目立たない場所が良い。

私は腰からハンドガンを抜き取り、距離を詰めていく。

 

……どうやら、お眼鏡に適う場所が見つかったようで、ホブゴブリンが足を止めた。

換気口のすぐ側で膝を突いて、鞄を床に置いた。

 

中からパンプキンボムを取り出し──

 

 

 

私は発砲した。

 

サイレンサー付きのハンドガンだ。

空気の抜けるような音がして……オレンジ色の外套が血で滲む。

 

 

 

右胸の上に背中から一発……ゴトリ、とパンプキンを地面に落とした。

起爆スイッチは起動されていない。

 

ホブゴブリンは地面にうつ伏せで倒れた。

地面に赤黒い血が流れる……想定通りのダメージがあったようだ。

 

うめくような声が聞こえる。

……若い男の声だ。

まだ、未成年か?

 

正直、拍子抜けだ。

素人だったのだろう……体捌きも、警戒する態度も……全てが中途半端だった。

 

 

しかし、素人ならば尚更……どうやって警察署から盗んだのか気になる話だ。

 

 

だから、即死させなかった。

組織に言われた訳ではないが、私が単純に気になったのだ。

 

拷問して情報を吐かせよう。

私はナイフを抜き取り、手元で遊ばせる。

 

そのまま、ホブゴブリンへと足を進める。

 

 

『さて、どんな顔か……拝むとしよう』

 

 

痛みに耐性がないのか、苦しんでいるようで……身を悶えさせていた。

近付く私に気付いていないようだ。

 

私はホブゴブリンを蹴り、仰向けにする。

そして、マスクに手をかけ、無理矢理、引き剥がし──

 

 

 

 

 

 

『……ネッド?』

 

 

 

 

そこには、ここに居ない筈の……居る筈のない、友人の姿があった。

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

「はぁ、はぁっ……」

 

 

夜中だけど、僕は走っていた。

 

病院に到着して、受付を通り抜け……手術室の前に来た。

 

 

今日の夜、さっき……病院から連絡があった。

 

 

ネッドが撃たれて重傷を負っていたと言う事、そしてマンハッタンの商業施設で『全裸で』倒れていたと言う事。

 

第一発見者は不明。

匿名での通報に救急隊が駆けつけて、慌てて病院まで輸送されたらしい。

 

意味が分からない。

訳が分からない。

 

だけど、何かの事件に巻き込まれたのは確実だ。

 

友人である僕にも連絡が入って……今に至る。

 

 

待合室にはネッドの両親らしき人と、祖母らしき人がいる。

グウェンは……まだ来ていないみたいだ。

 

視線を動かして、他に誰かいるか探してみれば……待合室の隅で蹲っている人影があった。

 

 

「ミシェル!」

 

「……ピーター?」

 

 

その目は真っ赤になっていた。

頬は濡れていて、泣いていた事が分かる。

 

……今は泣いていない。

泣き疲れてしまったのだと、僕には分かった。

 

まるで、今すぐにでも死んでしまいそうなほど、生気のない姿に……僕は息を呑んだ。

 

 

「ミシェル、その……大丈夫?」

 

「大丈夫じゃない……ネッドが……」

 

 

僕が聞いたのは彼女の事だったけど、思い違いをしているようだ。

だけど、訂正する必要はないと切り捨てる。

 

掠れたような声で、ミシェルが言葉を繋ぐ。

 

 

「……こんなの……私……酷い……なんで……」

 

 

口に出している言葉は支離滅裂だ。

異常な様子で怯えている。

 

パニック症状……彼女は錯乱している。

 

ネッドの事も心配だけど……僕に出来る事はない。

だけど、彼女を励ます事は出来る。

 

 

「大丈夫だよ、ネッドは死なないって……」

 

 

何も根拠もない希望的観測を言い切る。

 

 

「でも、私……」

 

 

僕は隣に座って……彼女と同じ、手術室のドアを見る。

 

そして、ミシェルの背中を摩る。

僕よりも小さな体は小さく震えていた。

 

 

「……何があったか分からないけど……大丈夫だから。落ち着いて」

 

「……ピーター、私……」

 

「大丈夫、大丈夫だから」

 

「……私」

 

 

掠れた声で、呟く。

 

 

「信じて待とうよ。きっと、ネッドは大丈夫だよ」

 

「……うん」

 

「だからさ、ネッドが起きた時に……そんな様子だと、心配させちゃうから……」

 

「……うん」

 

 

ミシェルから手を離して、僕は彼女を見つめる。

少し落ち着いたようで、震えは止まっていた。

 

安心して、僕はネッドの両親達と話そうとして……服の袖を掴まれた。

ミシェルの手が僕の服を掴んでいた。

 

僕は黙って、彼女の横に座り直した。

凭れ掛かる訳でもなく、小さく不安そうにしている彼女の側に寄り添っていた。

 

 

 

少しして、手術中のランプが消えた。

 

僕はミシェルの手を引いて、お医者さんの説明を受ける。

 

……どうやら、命に別状はないらしい。

数ヶ月の入院は必要らしいけど、大丈夫だとか。

 

後ほんの少しでも通報が遅ければ……死んでいたかも知れないって。

誰が通報したのか分からないけど、感謝しなくては。

 

安堵の息を吐いて、すぐ側にいるミシェルを見る。

……彼女は苦しそうな顔をしていた。

 

本当に大丈夫、だろうか?

 

 

「……ごめん、ピーター。少し、電話してくる」

 

 

僕の服の袖から手を離して、ミシェルは離れて行った。

薄暗い病院の中、一人で行かせるのは少し不安で……だけど、彼女は電話すると言って態々離れて行った。

 

だから、追わない方が良いと……そう思って、彼女を待つ事にした。

待合室の自販機に硬貨を入れる。

 

甘いココアを買う。

帰ってきたら、彼女に渡そう。

 

そう思って、椅子に座り……待つ事にした。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

椅子に座り、僕は天井を見ていた。

手に嵌めている黒い手袋が、光を反射する。

 

欠伸を一つして……手元の携帯端末が鳴って、椅子から落ちそうになった。

 

慌てて、携帯端末を手に取り……その宛先を見て、目を細めた。

 

マスクを被り、声を変換し……『ティンカラー』として電話に出る。

 

 

『はぁい、もしもし?どうかしたかい?』

 

『…………』

 

 

しかし、無言。

僕は首を傾げる。

 

 

『何かあったのかい?困った事なら相談してよ』

 

『今日……の、任務で──

 

 

ポツリ、ポツリと。

彼女が話し始めた。

 

任務の殺害対象を殺さなかった事を。

殺害対象が友人だった事を。

友人はそんな事する筈がない事を。

 

……僕は眉を顰めた。

 

 

『私、は、一体どうすれば……良いと思う?」

 

『ごめん、ちょっと考えるから待ってね』

 

 

彼女……レッドキャップへの依頼は僕が全て管理している。

組織の上からくる指示なんかも、全部だ。

 

だから、分かる。

 

今日の任務は僕が送った物ではない。

……じゃあ、誰だ?

ハッキングは不可能な筈……少なくとも、現代の人間には。

彼女に任務を送るためのシークレット回線を知っていて、彼女へ指示を出せる人間……。

 

組織(アンシリー・コート)のボス。

直接、送ったのか?

僕に相談もなく?

それは何故だ?

 

いや、そもそも……殺害対象の正体は何故、彼女の友人だった?

偶然ではないだろう……前もって準備していたに違いない。

 

……脳裏に紫色のスーツを着た男が浮かんだ。

以前、彼女も……恐らく友人も参加していたであろうパーティに奴が居た。

 

ゼベディア・キルグレイブ……奴の仕業か。

それならば、警察署からノーマン・オズボーンの装備を盗めた事も理解できる。

 

……一つの、仮説が組み立てられる。

 

 

『……抜き打ちテストのつもりか?』

 

 

レッドキャップの組織への忠誠心……ボスはそれを疑っていた。

だから、それを試すために……彼女の友人をターゲットに仕立て上げて、殺させようとした。

人から指示される事を嫌うキルグレイヴが、そんな回りくどい事をする事も……ボスが絡んでいるのなら納得できる。

 

……そして、これが答えなら拙い。

彼女はターゲットの殺害に失敗している。

それどころか、手当し、証拠を隠滅して病院に通報までしてしまったらしい。

この話がボスの耳に入れば──

 

 

『ティンカラー……?』

 

『うん?あー、いや、何でもないよ……こっちの話』

 

 

慌てて取り繕う。

顎に手を置いて、悩む。

 

今すぐ医療センターから手当されていた形跡や、通報の履歴を削除しなければ。

机にPCを用意し、電源を起動する。

 

 

『ネッドは、何で……』

 

 

あまりにも落ち込んだ様子だから……僕は失言してしまった。

 

 

『君の友人は悪くないよ。恐らく洗脳されていたんだ。君の所為でもないし、彼の所為でもない』

 

『洗脳?』

 

 

気付いた時には遅かった。

彼女に、情報を与えてはならない。

 

 

『洗脳……まさか、あの時の……紫色の……』

 

 

先程の発言を無かった事にしたいと、思ってしまった。

 

 

『……キルグレイヴか』

 

 

怒りを込めた声が、電話先から聞こえた。

それはもう、悲しんでいる少女の声ではなかった。

 

慌てて僕は口を開いた。

 

 

『君は何もしなくて良い。頼むから……何もせず、大人しくしてくれ』

 

『分かっている』

 

 

あぁ、ダメだ。

分かってはいるだろうけど、大人しくはしないつもりだ。

 

 

『良いか?よく聞いてくれ。君の立場は今すごく不安定なんだ。今回の件だけなら……上手くいけば誤魔化せるかも知れない』

 

『…………』

 

『だけど、それ以上は拙い。君の立場が苦しくなるだけだ』

 

 

僕の言葉に返事はない。

冷や汗が流れる。

 

 

『分かった。世話になった、ティンカラー』

 

 

……僕と彼女は協力関係だが、親しい訳ではない。

今の彼女に聞き入れては貰えないだろう。

 

彼女は友人をその手で殺めそうになり……その原因を作った自分と相手に憤ってる。

自分の事はどうなっても良いと、それでもケジメは付けさせると……そう思っている。

 

それに、キルグレイヴが組織と繋がっている可能性を考えていない。

彼女はただ、自身の友人を害した者を殺そうとしているだけだ。

 

 

ブツリ、と通話が切れた。

彼女が切ったのだろう。

慌てて掛け直すが……繋がる気配はない。

 

 

彼女は自暴自棄だ。

自身の手で起こしてしまった惨事を、自らの手で決算しようとしている。

 

……だけど、それは……あまりにも自分の身を蔑ろにしている。

彼女は自分を心配する人間がいる事を分かっていない。

 

キルグレイヴを殺すのは拙い。

確実にボスにバレる。

そうなれば彼女は……間違いなく、手元に戻される。

 

……どうにか、彼女が殺す前に……別の人間に殺させるしかない。

キルグレイヴ……パープルマン、彼と因縁深い相手は……誰だったか?

 

……ジェシカ・ジョーンズか。

 

僕は手元のコンピュータに指を乗せた。

 

 

『……背に腹は替えられない、か』

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

ネッドが倒れた翌日。

 

空席を見て、僕は少し気持ちを落ち込ませた。

ミシェルが欠席していた。

 

昨日の今日だからか……無理もない。

相当、ショックを受けていた。

 

今朝、ミシェルの部屋をノックしたが反応は無かった。

昼前に『今日は休む』とショートメッセージが来ていた。

 

……少し、心配になる。

 

授業にも集中できず、気付けば夕方になっていた。

 

 

「ピーター」

 

 

僕に声を掛けてきたのは、グウェンだ。

彼女もネッドが事件に巻き込まれた事に胸を痛めている。

 

少し、寝不足なように見えた。

 

 

「どうかした?グウェン」

 

 

明るく振る舞おうとして……掠れた声が出た。

そんな様子を見ても、グウェンは嘲笑しなかった。

 

 

「ネッド、起きたらしいよ」

 

 

その言葉に、僕はメールボックスを開く。

……ネッドの祖母が僕達の事を病院に話したようで、容態について病院が定期的に連絡を入れてくれている。

 

 

「よかった、じゃあ行こう」

 

 

僕は鞄を持って、ロッカーに早足で行こうとして──

 

 

「待って、ミシェルは?どうしたの?」

 

「ミシェルは──

 

 

思わず、言葉に詰まった。

 

 

「今日は休みだよ……ほら」

 

 

僕が彼女のショートメッセージを見せると、グウェンが眉を顰めた。

 

 

「……昨日、そんなに取り乱してたの?彼女」

 

「それは……うん、かなり」

 

 

具体的には言わないが、精神的にまいっていたと伝える。

 

 

「……取り敢えず、見舞いに行くってだけ連絡を入れておいて」

 

「分かったよ」

 

 

僕がメッセージを送ると……直ぐに既読がついた。

だけど、待っても返信は来ない。

 

懐にスマホをしまって、ロッカーに鞄を片付ける。

そのまま学校を出て……NYメトロポリタン病院へ向かう。

 

 

 

 

 

 

ニューヨークの市内にある大きな病院で……グウェンもここに入院していた。

受付で名前を名乗って、部屋まで案内して貰う。

 

花も果物も持ってきていないけど……到着して、ドアを開ける。

 

部屋の中にはベッドが一つ。

……ネッドがベッドで腰から上を立たせていた。

 

 

「ネッド!」

 

 

僕が声を掛けると、振り返って驚いたような顔をしていた。

 

 

「お、おぅ、ピーター……何で入院中の俺より元気が無さそうなんだよ」

 

「この……!心配してるからに決まってるだろ!」

 

 

ハグしようとして……あぁ、そういえば撃たれたのは右胸だったと思い留まる。

互いに手を広げて……直前で止まった。

 

かなり間抜けな様子に、僕もネッドも苦笑した。

そんな様子を見たグウェンが口を開いた。

 

 

「ふーん、思ったより元気そうね」

 

「げぇっ、グウェン!」

 

「げぇって何よ。げぇって」

 

 

コツコツと床を鳴らして、グウェンがベッドの横に座った。

 

 

「……うん、元気そうで良かったわ」

 

「俺もビックリしたわ」

 

 

その言葉に僕は首を傾げた。

 

 

「……何で怪我したか覚えてないの?」

 

「んー……いや、まぁな。覚えてない」

 

 

ネッドの言葉に、今度はグウェンが首を傾げた。

 

 

「……大丈夫なの?」

 

「あー……大丈夫じゃないな」

 

「……そう」

 

 

グウェンが眉を顰めた。

 

 

「悪いな、プロムは不参加だ」

 

「…………はぁ?」

 

 

グウェンが恐ろしく低い声を出した。

僕の背筋に凄く冷たいものが走った。

本人であるネッドはもっとだろう。

 

 

「い、いや。本当悪い……二週間は入院らしくてさ。明日の、その──

 

「プロムなんてどうでも良いわ。私が心配してるのはイベントじゃなくてアンタよ……あぁもう、心配して損した」

 

「え……あ、はい」

 

 

グウェンが深く、深く息を吐いた。

 

 

「……全く、心配させたんだから、怪我が治ったら何か奢りなさい」

 

「ハイ、スミマセン……」

 

 

グウェンが頭に手を置いた。

……少しして、面会時間の限界が迫っている事に気付き、僕とグウェンは病室から出て──

 

 

「あ、オイ……ピーター。ちょっと、話したい事がある」

 

 

グウェンが僕達から離れて、ロビーに向かっていた。

……僕だけ呼び止めたって事は、僕にしか聞かせたくないって事だろう。

 

病室に戻り、ネッドの前に座り直した。

 

 

「なに?」

 

「いや……お前はちゃんとプロムに出ろよ」

 

「え……?でも──

 

「出なかったら、罪悪感で俺がヤバい事になるんだよ」

 

「あ、そう……でも、ミシェル次第かな。元気、なかったし」

 

「ないからこそ、励ますんだろ。お前が」

 

 

そう言って、溜め息を吐いた。

楽しみにしていたパーティの前日に、こんな事が起こるなんて。

 

 

「あぁ、それと……ちょっと、耳貸せ」

 

「…………」

 

 

ネッドが手招きするから、僕は耳を近づけた。

 

 

「……俺が病院に来る前の最後の記憶、なんだけどさ」

 

「うん」

 

「俺を撃った奴、見たぞ」

 

 

その言葉に耳を疑った。

 

 

「本当?覚えてたの?」

 

「まぁ、な……でも、多分、信じてもらえなさそうだから黙ってたんだよ……これは蜘蛛男にだけ話したかった」

 

「そっか……それで、どんな奴だった?」

 

「黒い特殊部隊みたいなスーツ着ててよ……」

 

 

特殊部隊……?

やっぱり、ネッドは何かの事件に巻き込まれてしまったのだろうか。

 

 

「顔が……赤かったんだ。表情もついてないマネキンみたいな──

 

 

その言葉に息を呑んだ。

 

レッドキャップ。

何を考えてるか分からない奴だ。

僕の命を狙っているらしい、そんな殺し屋。

 

そして、ネッドが言葉を繋げた。

 

 

「それで、そいつさ……俺の名前を呼んでたんだ」

 

「……な、まえ?」

 

「そう、『ネッド』って言ってた」

 

 

思考が一瞬、停止した。

何故、アイツが……ネッドの名前を知っているんだ?

 

レッドキャップは……スパイダーマンの命を狙っている。

そして、レッドキャップはネッドの名前を知っている……偶々なんかじゃない、狙って襲撃されたんだ。

 

まさか──

 

 

「アイツ……僕の正体に気付いた……?」

 

 

そして、僕の周りに居る人間を、標的にしている……のだろう。

そうとしか、考えられない。

そうでなければ、ネッドを撃つ理由がない。

 

もし、僕の周りの人間を狙っているのだとしたら──

 

 

ミシェルの顔が頭に浮かんだ。

 

 

グウェンは……シンビオートの力があるから自衛できる。

ハリーもそうだ。

 

ネッドが狙われたのはスーパーパワーを持っていないから……だと思う。

 

だから、次に狙われる可能性が高いのは。

そして、狙われた際に身を守る術が無いのは。

 

 

「ミシェル……?」

 

 

僕の脳裏に……小さく微笑む、彼女の姿が映った。

焦燥感に駆られて、心臓が早鐘のように脈打つ。

 

手元の携帯端末を取り出し、ショートメッセージを送る。

 

 

『今、何処にいる?』

 

 

既読は返ってこない。

……そのまま電話を掛ける。

 

 

コール、コール、コール……。

 

 

出ない。

 

 

息が荒くなる。

最悪なイメージを妄想して、不安が胸を占める。

 

 

「ネッド、ごめん。帰らなきゃ」

 

「お、おう……」

 

 

ネッドのいる病室を出て、グウェンの横を通る。

 

 

「……ん?ピーター?どうかし──

 

「ごめん!先に帰るから……本当にごめん!」

 

「ちょっ、何!?説明しなさいよ!」

 

 

 

 

彼女の引き止める声を無視して、病院を出て……路地裏でスーツを装着する。

 

グウェンが追いつく前に(ウェブ)を射出して、宙を舞う。

スイングして、ニューヨークの街を駆ける。

 

 

もっと早く、もっと……。

 

 

アパートに到着した僕はスーツを解除して、ミシェルの住んでいる部屋をノックする。

 

 

「ミシェル!」

 

 

返事はない。

物音はなかった。

 

 

「居るなら、頼む……返事を……!」

 

 

苦しい程の静寂に、焦燥する。

 

 

……居るのなら、返事をする筈だ。

寝ていたとしても、この音に気付く。

 

居ない?

何でだ?

どうして?

何処に行ったんだ?

 

廊下の外、空は赤くなっている。

 

……誰かが彼女を攫ったのだとしたら、犯人は……赤い、マスクの──

 

 

「……僕が助けないと……守らないと」

 

 

自室に戻って、スーツを再起動する。

鏡に映るのは『親愛なる隣人』だ。

 

大切な隣人を助ける為に。

幸せな日常を守るために。

……僕は、ヤツと戦う決心をする。

 

ウェブシューターのカートリッジを差し替えて、手を強く握りしめる。

 

この手で守れる人は……誰も、傷付けさせないと誓ったんだ。

叔父さんが、死んでしまった時に。

だから、僕は。

 

僕は窓を開けて、外へと飛び出した。



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#91 AKA ミシェル・ジェーン part3

エイリアス探偵事務所。

そこで私はソファに寝転がっていた。

 

酒瓶を片手に、天井を見上げる。

蛍光灯が、音を立てて点滅する。

 

先日の……キルグレイヴにしてやられてから、私は奴を探していた。

 

だが、手掛かりは見つからない。

 

蓋の開いてない酒瓶を、机に置く。

飲まなきゃやってられないような気持ちと、飲んでる場合じゃないっていう焦燥感。

 

ため息を吐いて、ソファに座り直し……冷蔵庫から水の入ったペットボトルを取り出す。

蓋を開けて口にしながら……スマホのライトが光った。

 

 

「……何かしら」

 

 

夫なのか、それとも新しい依頼か、首を傾げつつ手に取る。

 

それは、メールだ。

中を開くと……キルグレイヴについての情報。

 

 

『ゼベディア・キルグレイヴはヘルズキッチンの警察署にいる』

 

 

そう、書かれていた。

 

 

「……誰から?」

 

 

宛先のメールアドレスに覚えはない。

……恐らく、踏み台として使用されている一時的なアドレス。

得られる情報はない。

 

 

「……罠、か」

 

 

添付された映像ファイルを開くと……警察署内の監視カメラの映像だった。

……どうやって手に入れた?

何故、流出した?

 

……メールを送って来た相手は、まともな相手ではないだろう。

 

 

「……全く、信用できないけど──

 

 

私は思わず力が入り、ペットボトルを潰してしまった。

水が事務所の床に溢れる。

 

 

「奴の罠だとしても──

 

 

革のジャケットを羽織り、部屋を出る。

 

 

「決着は私が付ける」

 

 

赤いスカーフを巻いて、部屋を出た。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

ニューヨーク市内、ヘルズキッチン。

その警察署。

 

 

「もう少し、下だ」

 

 

所長室で、私は足を置いた。

紫色の靴が『何か』に乗る。

 

 

「そう、そこだ。丁度いい」

 

 

柔らかい肉の感触を、足で確かめる。

 

 

「まぁまぁだが……君、足置きの才能があるよ」

 

 

目を虚にさせた女だ。

横たわり仰向けになった女に、私は足を置いていた。

 

 

「……ストレスの掛かる仕事だった。全く、何故私が面倒な事をしなければならない」

 

 

ほんの少しの怒りで、眉を顰める。

足元の女が呻き声をあげた。

少し、力を入れ過ぎたらしい。

 

指定された男の餓鬼を洗脳し、犯罪者に仕立て上げた。

それは、とある組織からの依頼だった。

 

……その組織の人間と面識はない。

だが、異常な程の科学力を持っていた。

私の能力を防ぐ装備、なんてのもあるかもしれない。

 

私は人に命令されるのを嫌うが、それでも断れない事は分かっている。

 

足を強く踏めば、靴の下から肋の骨の感触が感じられた。

もう少し深く踏めば折れる。

 

この女は十分に楽しんだ。

もう、替え時だろう。

 

そのまま強く体重を乗せて──

 

 

「署長!」

 

 

警官が所長室に入ってきた。

彼等は私を警察署の署長だと認識している。

前任者は……ハドソン川の下に居る。

 

 

「オイ、何だよ……クソ、ノックはしろと言っただろう?」

 

「で、ですが、緊急でして……」

 

 

私は女から足を退けて、立ち上がる。

紫色のスーツの襟を正して、男の前に立つ。

 

 

「何だ?早く話せ」

 

「その、信じがたい事でして──

 

「良いから全て話せ」

 

 

煮え切らない態度に苛立ち、能力を行使する。

特殊なフェロモンによって、コイツらは私に従うしかなくなる。

 

途端に顔を弛緩させて、口を開いた。

 

 

「謎の、スーパーパワーを持った女が、署内に、入ってきまし、た」

 

「スーパーパワー?」

 

 

私は男を押し退けて、隣の部屋に入る。

空席になっている席にあるコンピュータのモニターを見た。

 

黒い髪の女が、私の手下である警官を投げ飛ばしていた。

数メートル飛んで地面に転がされ、意識を失ったようでグッタリと倒れた。

 

……その女、いや、ジェシカ・ジョーンズが監視カメラに目を向けた。

鋭い、怒りの篭った目だ。

 

 

「フ……良いよ、最高だ」

 

 

私はマイクの電源を入れて、館内放送を起動する。

 

 

「ここに入ってきた黒髪の女を撃て!ただし、トドメは刺すな!殺さずに連れて来い!」

 

 

命令を聞いた人形達が、拳銃を抜き、署内を歩き出す。

ジェシカ……奴は拳銃程度では死なない。

だが、確実にダメージは入る。

 

そして、彼女は洗脳している警察官……彼等を殺さないように手加減しなければならない。

本来のパワーを発揮できない彼女は、数の暴力に勝てるのか?

見ものだ、素晴らしいエンターテイメントだ。

 

私がモニター越しに笑っていると、ジェシカが監視カメラを睨みつけた。

 

そして、中指を立てた。

 

 

「フフ、下品な態度だ。私の元へ戻ったら……また調教してやろう」

 

 

革製の椅子に座り込み、私は両手の指を合わせた。

今日は最高の夜になる。

 

そんな気配がしていた。

 

 

「……ん?何だ?」

 

 

署内の監視カメラ……その、幾つかが機能を停止していた。

砂嵐の映像が、流れていた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

警察署内を走る。

 

 

「居たぞ!」

 

 

警官の声が聞こえた。

即座にその方向に振り向き、近くにあった鉢植えを投げ飛ばした。

仕切りのガラスが割れて、警官に命中する。

 

血を流して、倒れた。

意識を失ったようだが、死んでは居ないだろう。

 

 

「面倒臭くて、陰湿な事をする!」

 

 

私は椅子を飛び越えて、別室に転がり込む。

 

先程の館内放送、アレはキルグレイヴの声だった。

送られてきた情報は正しかった。

 

だが、奴はこの署内の人間全てを洗脳していた。

全ての民間人が敵になっている……そして、私は彼等を殺す事は出来ない。

 

 

先程の呼び声を聞いたのか、応援するべく警官達の足音が聞こえる。

 

私は部屋にあった長椅子を引っ張り、ドアの外で待機する。

 

そして、角を曲がって現れた瞬間。

長椅子を蹴り飛ばして、滑らせた。

 

床と擦れて異音を出しながら、長椅子は複数の警官に衝突して転ばせた。

 

そのまま私は、転がった警官達に向かって走り……背中を蹴り、殴り、意識を奪っていく。

肺を強く強打し、息を出来なくすれば人は意識を失う。

 

……アイアンフィスト(ダニー・ランド)に意識を奪うコツを教えてもらっていて正解だった。

 

角の先にいた警官が、私に拳銃を向ける。

地面を蹴り、3メートル弱の高さしかない天井に手を突き……蛍光灯を引き剥がす。

 

 

「ひっ!?」

 

 

私の身体能力に驚きながらも、彼は銃口を上に上げようとして……蛍光灯を頭に叩きつけた。

ガラスの割れる音と共に、幾つかの傷口が警官の顔に出来た。

 

負傷させたのは悪いけど、これも仕方のない事だと思って欲しい。

アンタらの代わりに、悪党と戦ってるんだから。

 

飛行能力は狭い場所では使い辛い……屋内では発揮し辛いが跳躍の補強にはなる。

地面を蹴り、前に進む。

 

ヘルズキッチンの警察署に来たのは初めてではない。

何度か事件に巻き込まれた時、付き添いで来たことがある。

だが、内部は詳しくない。

 

署内に看板などもなく、手当たり次第、部屋の中を探っていく必要がある。

 

私は階段の踊り場に立ち、上を見上げた。

 

警官が複数人、私のいる踊り場に向けて拳銃を構えていた。

 

 

「……おっと──

 

 

直後、発砲音。

地面を蹴り階段の手摺りを掴み、へし折る。

 

射線の通らない位置に移動して、折れた手摺りを全力で上に投げた。

 

ガシャン!

と天窓が割れて音が鳴った。

 

 

警官達は、異音に驚き上を見上げた。

 

 

「隙だらけね」

 

 

その隙に私は足を曲げ、跳躍した。

飛行能力を使い、彼等に接近する。

 

通り側に警官を一人掴んで、横に投げ飛ばした。

壁にぶつかり、失神する。

 

残りは3人。

私に気付き銃を構えた警官……恐らく、ある程度の練度があるのだろう。

そいつに向かって突進する。

 

引き金が、引かれた。

 

発砲音と共に弾丸が私へ飛来し……肩に命中する。

 

 

「ぐっ!」

 

 

痛みがある。

だが、弾丸は皮膚の表面を傷付けて、少しの打撲をさせただけだ。

 

行動不能になる訳ではない。

 

私は拳を握り、顔面を殴る。

 

 

「へぶっ!?」

 

 

顔を殴られた警官はよろめいて、地面に倒れた。

 

そのまま腕を横に振り回し、肘を別の警官にぶつける。

たたらを踏んだ警官の背中を突き飛ばした瞬間、再度の発砲音。

 

 

「いっ!?」

 

 

背中に激痛。

着弾したのだろう。

 

そのまま振り返りつつ、足を上げ──

 

 

「痛いっての!」

 

 

ハイキックを繰り出した。

 

命中した警官は宙で半回転し、地面に墜落した。

……思わず、結構強めに蹴ってしまったが……死んではいない。

 

ホッと息を吐けば、撃たれた箇所が痛んだ。

 

 

『辛そうな、ジェシカ……かわいそうに』

 

 

館内放送から、キルグレイヴの声が聞こえる。

舌打ちをして、監視カメラを探す。

 

……あった。

あそこから私を見ているのだろう。

 

 

「今すぐ、アンタのいる場所にいってブチのめしてあげるから。楽しみに待ってなさい」

 

『強気だな……ヒーローのつもりか?』

 

 

ムカつく挑発を聞きつつ、カメラから目を背ける。

そのまま廊下に入り、歩み進める。

 

洗脳されている警官を失神させつつ、先へ先へと進んで行く。

時には撃たれてダメージを負うも、それでも進んで行く。

 

 

 

ドアを蹴破り、次のフロアへ進む。

……大量の警官が待ち受けていた。

 

警官を殴り、撃たれ、蹴り飛ばし、撃たれて、投げて、殴られる。

一発一発は致命傷にはならない。

 

だが、ダメージは蓄積する。

 

 

「ふぅっ、くっ……いっつ……」

 

 

キルグレイヴのムカつく顔を思い出して、怒りで痛覚を鈍らせる。

 

穴だらけになっている革のコートを投げ捨てて、ドアノブに手を掛けた。

鍵はかかっていない……ドアノブを捻り、中に入る。

 

 

……そして、その先に。

 

 

「やっと来たね、ジェシカ」

 

「……キルグレイヴ」

 

 

私は髪をかき上げて、奴を睨みつけた。

前に見た時と変わらない紫色のスーツを身に付けた男。

 

ずっと、ずっと、探し続けていた男。

私が、最も憎んでいる男だ。

 

 

「おっと、怖い顔だ……だけど、よく私の前に顔を出せたね」

 

「……あの時とは、違う」

 

「そうかな?私も以前とは違う……」

 

 

得体の知れない自信に顔を顰めつつ、私は後ろ手にドアを閉めた。

鍵もかける。

 

 

「……良いのかい?逃げられなくなるが?」

 

「逃げる?これは逃さなくする為に閉めたのよ」

 

 

私は一歩、トラウマを振り払うように足を進めた。

そして、その様子を見たキルグレイヴが笑った。

 

随分と余裕そうだ。

……何か、策でもあるのだろうか?

 

 

そう思った瞬間、キルグレイヴが息を吸い込み──

 

 

「動くな!」

 

 

強く、怒鳴るように命令した。

 

体が、硬直する。

 

 

「っ……!」

 

「君は賢い子だと思っていたけど、存外……愚かだったな」

 

 

ガッカリした、という態度に苛立ち、睨み付ける。

 

懐から空のガラス瓶を取り出して、私に見せつける。

小さな……錠剤が入っていた。

 

 

「これは私の能力を強化する薬だ……君は何か対策をして来たようだが……意味はなかったようだね」

 

 

嘲笑いながら瓶を懐に入れた。

 

 

「これは結構高かった……いや、金の話じゃあない。これの為に私は幾つかの仕事を熟さなければならなかった……だけど、それも君を私の物にする為だ。仕方ない」

 

 

ゆっくりと歩き……私へと近付く。

気色の悪い笑みを浮かべなら、私の腰を撫でた。

 

 

「…………」

 

「声も出ないかい?また家族に戻ろう……ほら、笑って?」

 

 

私は下手くそな笑みを浮かべた。

それを見て、キルグレイヴが心地良さそうに頷いた。

 

 

「良いね……最高だ」

 

 

そうして私の横を通り、正面に来た。

舌舐めずりをして……私に手を伸ばし──

 

 

 

 

 

 

「触るな、クソ野郎」

 

 

私はキルグレイヴの腕を掴んだ。

 

 

「は?」

 

 

そのまま振り回し、壁に叩きつけた。

コンクリートの壁が砕けて、キルグレイヴが地面に転がる。

 

骨の数本は折れただろう、息苦しそうに咳き込んでいる。

 

 

「げ、ごほっ……な、何……!?」

 

「残念だったわね。演技よ……今年の主演女優賞は私のもの──

 

 

足を振りかぶる。

 

 

「ねっ!」

 

 

キルグレイヴの鳩尾を蹴る。

 

 

「が、はっ!?」

 

「アンタが私の目の前に……絶対に逃げられない距離に来るまで待ってたの」

 

 

腹を抑えて転がるキルグレイヴに、近付く。

 

こいつは喋る事さえすれば、署内にいる警官を自殺させる事だって出来る。

彼等を人質に取られれば……犠牲は免れない。

 

だから、慢心して近付くのを待っていたのだ。

 

 

「何故、私の、能力が……効かない……!?」

 

「ここよ」

 

 

私は自分の頭を指差した。

 

 

「アンタに洗脳されて『アベンジャーズ』に殴り込みに行った時……友人が出来た。癪だけど、アンタのお陰で出来た親友よ」

 

「親友……?」

 

「あら?アンタには縁のない言葉だったから分からない?」

 

 

私は記憶を遡る。

 

入院中、私の所に通い詰めてくれた彼女。

赤髪の……今は亡き、私の親友。

 

 

「ジーン・グレイ……テレパスよ。彼女はアンタからの洗脳を解き……二度と洗脳されないよう防御壁(プロテクト)を掛けてくれた」

 

「そん、なっ、馬鹿な……!私の能力は、無敵の筈……!」

 

「随分と敵の多い『無敵』ね」

 

 

私は、もう一歩、キルグレイヴに近付く。

最初の攻撃によるダメージは大きかったらしく、尻餅をついた。

 

 

「覚悟は良い?」

 

 

拳を強く握る。

 

 

「今から、アンタが気を失うまで殴る」

 

「ひっ……」

 

「いや、失っても殴る」

 

「やめっ──

 

 

拳を下から振り抜き、キルグレイヴを殴り飛ばした。

 

一瞬、宙に浮き机の上の小物が地面に落ちた。

マグカップが割れて、破片が飛散する。

 

だが、奴は生まれながら身体能力が高い。

私程ではないが、多少は頑丈だ。

 

気絶もせず、顔を抑えて蹲っていた。

 

 

「ぐ、ぞんなっ、ごれば、何かの、間違いだ……」

 

「お得意の軽快な洗脳トークでもしたら?誰かに聞かせる前に、顔面をブン殴ってやるけど」

 

「私を、殺ず、づもりか!?」

 

 

その言葉に少し、考える。

 

……確かに、殺したいほど憎い。

この手で引き千切られれば、どれほど嬉しいだろうか。

 

だが──

 

 

「自惚れないで。アンタにそこまでの価値はない」

 

 

言い切る。

 

私には愛する夫が居て。

仲間がいて。

親友もいた。

 

こんな奴の為に罪を背負うつもりはない。

 

 

「う、ぐぉっ……クソが……クソ、クソっ!」

 

 

キルグレイヴが怒りと羞恥、そして妬み、僻みで顔を歪める。

奴のプライドはズタズタだ。

 

気持ちがスッとして、思わず深く息を吐いた。

 

 

そして……視界に、モニターが映った。

そのモニターは監視カメラの映像のようで……幾つかの監視カメラが砂嵐になっていた。

 

 

「……何?」

 

 

目を細めて、注視する。

 

このフロア……先程入ってきた廊下の映像が写っている枠がある。

 

それが……今、映らなくなった。

 

 

「……何か──

 

 

私はキルグレイヴを睨み付ける。

……奴は今、自分の事で手一杯の筈だ。

 

なら、誰がコレをしている?

……何者かが、ここに来ている。

 

 

 

すぐ、側まで。

 

 

カション。

 

 

「……まずい!?」

 

 

私は背後のドアから距離を取った。

金属が擦れる音がしたからだ。

 

それは、聞き覚えのある音だ。

レバーアクションの散弾銃がリロードされる音だ。

 

そして、私の判断は正しかった。

 

 

何故なら直後、炸裂音が響いたからだ。

 

木製のドアが砕けて、吹き飛ぶ。

木片を蹴り飛ばして……外から黒いアーマーを装着した足が見えた。

 

 

監視カメラを破壊して、ここに来ていたのは……彼女、だったのか。

 

 

真っ赤なマスクが、私を見ていた。

 

 

「レッドキャップ……」

 

 

先日も会ったばかりの彼女が、散弾銃を手に持ち部屋に入って来た。

木片を踏み砕き、軋むような音がした。

 

 

「何の用?私は今、忙しいんだけど」

 

 

レッドキャップは室内を見渡し……蹲っているキルグレイヴに視線を向けた。

 

 

『……用があるのは、その男だ』

 

 

 

……キルグレイヴ。

奴の持っていた能力を強化する錠剤。

幾ら特殊な能力を持ってるとは言え、個人である奴がそんな物を作れる訳がない。

 

何か大きな組織と関わりがあるとは思っていたけど……彼女の組織、なのか?

レッドキャップも近未来的なハイテクスーツに身を包んでいる……組織の科学力は相当だと考えて良いだろう。

 

なら、何故ここに来たのか?

……用があるのはキルグレイヴだと言っていた。

 

助けに来た……そう考えて良いだろう。

 

 

「悪いけど、コイツは渡さな──

 

「私を守れ!この女を、殺せ!」

 

 

キルグレイヴが声を振り絞った。

……彼女の目的が何であろうと、これで命令は上書きされた。

 

拙い。

 

 

『……フン』

 

 

レッドキャップが散弾銃を私に向けた。

 

引き金を引けば命中する。

私は咄嗟に横にそれて……レッドキャップの蹴りが命中した。

 

 

「うぐっ!?」

 

 

散弾銃を構えたのはブラフだ。

私を散弾銃の銃口に注視させて、蹴りを放ったのだ。

 

普段ならば回避は出来た。

だが、今既に……私の身体はボロボロだ。

 

腹に重い一撃が入り、内臓にダメージは入った。

 

そんな私を一瞥し、彼女はキルグレイヴの横に立った。

 

 

「い、良いぞ……く、くく……形勢は逆転したな……ジェシ──

 

『何を勘違いしている?』

 

 

散弾銃の銃口が、キルグレイヴの頭に向けられていた。

 

 

「あぇ……?」

 

『死ぬのは貴様だ。パープルマン』

 

 

引き金に指が掛けられ──

 

 

「待っ──

 

 

炸裂した。

 

赤い花が壁に咲いた。

 

液体が飛び散る音がした。

一瞬遅れて、ごとりと倒れた。

顔のない、死体となったキルグレイヴが壁にもたれ掛かる。

 

ずるり、と血を擦り付けながら、力なく横たわった。

 

……アイツも、血が赤かったのか、と一瞬……現実逃避する。

この赤色は目に毒だ。

 

 

「何で……」

 

 

思わず、そう聞くと赤いマスクが私を見た。

 

 

『私が何の対策もなく、奴の前に立つと思うか?』

 

 

彼女は洗脳されなかった理由を答えた。

だが、私が疑問に思ったのは違う事だ。

 

 

「何で、殺した……!?」

 

『……不思議な事を訊く。殺したいほどの相手が自らの手を汚さずに死んだ……喜ぶべきではないのか?ジェシカ・ジョーンズ』

 

「……罪は、償うべきよ」

 

 

私の言葉に、機械化された中性的な声で笑った。

 

 

『償える程の大きさではないだろう?』

 

「だからと言って……個人で、誰かを、勝手に殺すのは……許されない」

 

『素晴らしい倫理観だが……私は別に許して貰うつもりはない』

 

 

私は泣きそうな膝に鞭を打ち、無理矢理立ち上がる。

拳を握って、ファイティングポーズを取る。

 

その様子を見て、彼女は驚いたような仕草をした。

 

 

『……正気か?』

 

「私も自分の馬鹿さ加減には辟易してるわ……でも──

 

 

息を深く吐く。

力を込める。

 

 

「これが私なのよ」

 

『……別に戦うつもりはない。寧ろ、感謝している程だ』

 

「感謝……?」

 

 

私が眉を顰めると、レッドキャップが語った。

 

 

『私は奴の居場所を知らなかった……ここに来れたのは、お前のお陰だ』

 

「……尾行、されてた?」

 

 

探偵である私が尾行されるなんて……とんだお笑いだ。

 

 

『奴を殺す為に場所を探っていた……その時に、偶々、お前が走っているのを見掛けた。……私は運が良い』

 

「……くっ」

 

 

何者かから送られてきたメール、それに誘き出されてしまった……その所為でキルグレイヴが殺された。

死んで当然のような男だが……それは法の裁きによってが望ましかった。

 

これは、私のミスだ。

 

 

『お前に、私と戦う理由はないだろう?』

 

「……いいえ、この街にアンタみたいな人殺しがいるっての……耐えれないわ」

 

『……フン』

 

「罪は償わせる……私が、アンタを捕まえる」

 

 

私は一歩、踏み込んだ。

 

 

『悪いが、今日は少し気分が悪い』

 

「手加減して欲しいって事かしら?」

 

『……いいや、違う』

 

 

散弾銃を私の頭上に向けた。

 

 

『手加減が出来ないと、そう言っている』

 

 

炸裂した。

頭上の蛍光灯が砕けて、部屋が暗闇に包まれる。

 

窓の外から漏れてくる街灯だけが、この部屋を照らしている。

 

私に暗視能力はない。

暗闇の戦闘は得意ではない。

 

だが──

 

 

「ぐっ!?」

 

 

重い一撃が腕に走った。

 

回し蹴り、彼女の攻撃だ。

 

私は攻撃が来た方向へ蹴りを繰り出し……宙を蹴った。

 

 

『どこを蹴っているんだ?』

 

「……っ!?」

 

 

すぐ横から声が聞こえて、そちらを見た瞬間──

 

 

「あがっ!?」

 

 

顔面に拳が直撃した。

 

金属で覆われた拳だ。

生身よりも遥かに強烈で、鈍器で殴られたかのような一撃だ。

 

視界が一瞬白く染まり、気を失いそうになるが……歯を食いしばり、堪える。

 

物音が横から、後ろから……前からも聞こえる。

 

 

間違いない、相手は暗闇の中が見えている。

ここで戦うのは……不利。

 

 

私は地面を蹴って、窓ガラスのある方へ飛び──

 

 

『そう逃げると思っていた』

 

 

腕を掴まれた。

ガラスをそのまま突き破り……腕に絡まっているレッドキャップを見る。

 

私の関節に、肘を押し付けている。

 

私はこれから来る激痛を予測して──

 

 

『悪いが、戦闘不能になって貰う』

 

 

ボキリ、と関節に肘がめり込んだ。

 

 

「痛っ、ぐぁ」

 

 

骨が折れた。

折れた関節部が神経に干渉し、絶え間ない激痛に脳が焼かれる。

 

集中力を乱して、地面に墜落し……顔を地面に擦る。

 

 

「はっ、はぁっ……ぐ、づ……」

 

 

腕を圧迫し、呼吸を安定させつつ、膝を立てる。

墜落した瞬間、レッドキャップは私から離れて地面から転がっていた。

 

署長室の窓、そこからの高さは10メートルを越えている。

だが、奴は無傷だった。

 

ダメージを受けた気配もなく、私に向かって……ゆっくりと歩いて来ている。

 

街灯が私と、彼女を照らしている。

 

 

『そろそろ諦めたか?』

 

「んな、訳……ないに決まってるでしょ!」

 

 

唇を強く噛んで、別の痛みで腕の痛みを紛らわせる。

そのまま地面を蹴り、飛行能力を行使し……奴へと接近する。

 

レッドキャップが散弾銃を手に持ち……宙へ回転させながら投げた。

 

 

「……っ!?」

 

 

それは私の進行方向に向かって投げられており、回避行動を取らざるを得ない。

空中で錐揉みし、そのまま奴の頭上を通り過ぎ……足に何かが突き刺さった。

 

 

「いっ」

 

 

爪の付いたワイヤーだ。

それは彼女の腕に装着されたアーマーと繋がっていた。

 

 

そのまま強く引っ張られ、看板にぶつけられた。

釣られていた金具が外れて、私に覆い被さる。

 

 

「げほっ、ゴホッ……」

 

 

口から血を吐きつつ、のし掛かっている大きな看板を退けようとし……手を踏まれた。

 

 

「……痛っ」

 

『なぁ、ジェシカ・ジョーンズ。どうすれば諦めてくれる?』

 

 

足先を強く捻り、私の手を踏み躙る。

骨が砕けて痛みを感じる。

 

 

「……アン、タが自首したら、諦めてあげる……!」

 

『……ヒーローと言うのは強情だな』

 

「別に私は……ヒーローなんかじゃない……ただの探偵よ……!」

 

 

直後、顔面を蹴られた。

 

 

「へぶっ……!」

 

 

鼻血が地面に飛び散った。

 

 

『いいや、ヒーローだよ。お前は……眩しいほどに』

 

 

褒められているのか、貶されているのか……声の質感が分からない所為で判別出来ない。

 

今、ここで確実なのは……最高にピンチだって事だ。

 

 

『困ったな……どうにも諦める気はない……どこまでも追って来られると困る』

 

 

レッドキャップが脹脛のプロテクターを展開し、ナイフを抜いた。

 

 

「……へ、随分とお洒落ね……どこのホームセンターで売ってるの?」

 

『……指の数本ぐらい、切っても問題ないか』

 

 

随分と物騒な発言が聞こえて、ナイフを持ったレッドキャップが目の前でしゃがんだ。

そして、私の手にナイフを近づけて──

 

 

瞬間、レッドキャップは弾き飛ばされた。

 

 

宙を飛んで、数メートル吹き飛び……壁に激突した。

 

 

驚いて顔を上げる。

 

……小さな赤い、蜘蛛型のドローンが浮かんでいる。

だが、これが彼女を弾き飛ばした訳ではないだろう。

 

なら、誰が?

 

さらに上を見上げて……壁から突き出た看板に、着地した人影を見た。

 

 

「……スパイダーマン」

 

「借りを返しに来たよ……と言っても、僕もアイツに用事があるんだけどね」

 

 

私の目の前に着地して、そう言った。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

僕はジェシカに乗っている看板を退けて、彼女を引き摺り出す。

 

……何度も撃たれた傷痕。

内出血して青くなっている箇所。

血の出ている鼻、赤黒くなってる手。

 

傷だらけの姿は、思わず目を逸らしたくなる程だ。

 

ジェシカは立ちあがろうとして……力が入らないのか、尻餅をついた。

 

 

「ゴメン、ちょっと手助け出来ない、かも」

 

 

頷いて、彼女前を通り……蹴り飛ばしたレッドキャップを見た。

崩れた瓦礫を押し退けて、赤いマスクが姿を現した。

 

 

『……驚いたな。何の用だ?』

 

 

そして、何も知らないと、驚いたという様子に……僕は眉を顰めた。

 

 

「何で……ネッドを撃ったんだ?」

 

 

僕は疑問を口にする。

……目の前のレッドキャップは……ハリーを助けてくれた事だってある。

 

僕は心の奥底で……コイツが本当は良い奴だって思いたかったんだ。

 

だけど──

 

 

『あぁ、なるほど……あのガキから聞いたのか?』

 

「答えろ……」

 

 

僕は手を強く握った。

ナノマシン製のスーツが音を鳴らした。

 

 

『仕事だからに決まっているだろう?』

 

「……っ!」

 

 

僕は(ウェブ)を目の前の赤いマスクへ発射した。

それはナイフで切断され、バラバラになった。

 

 

「仕事だったら……誰でも殺すのか?お前は!」

 

『当然だ』

 

 

僕は(ウェブ)シューターの機能を切り替えて、氷結糸(アイスウェブ)を発射した。

奴は真横に回避する……僕はその逃げた先へ、(ウェブ)を放った。

 

避け切れなかったのか、腕に命中した。

 

 

「彼女を、何処にやったんだ……!?」

 

『……彼女?誰の事か分からないな』

 

「ミシェルだ!」

 

 

強く引っ張り、無理矢理に距離を詰める。

僕は蹴りを繰り出し、奴の顔面に攻撃する。

 

レッドキャップは上半身を反らし、逆に僕の足を掴んだ。

 

 

『……あぁ、なるほど』

 

 

何か納得したような仕草に苛立ち、僕はそのまま捕まってない方の足で地面を蹴る。

そのままレッドキャップの腕を蹴り飛ばし……距離を取った。

 

 

「どこに連れて行ったんだ……!彼女は僕の──

 

『安心しろ、無傷で返してやる』

 

 

その言葉に……僕は歯を食いしばった。

やっぱり、コイツが……ミシェルを連れ去ったんだ。

 

無傷で返す?

信じられる筈がない!

 

 

「このっ!」

 

 

僕は地面を蹴り、ビルの壁に(ウェブ)を繋ぐ。

そのまま遠心力を活かして、レッドキャップへ蹴りを放つ。

 

予備動作が大きいからか、奴はそのまま回避行動を取り……僕はもう片方の腕で更に(ウェブ)を放った。

狙いは奴の腕……そのままビルにつけていた(ウェブ)を切り離し、宙へ飛ぶ。

 

(ウェブ)に繋がれていたレッドキャップを投げ飛ばし、僕は地面に着地する。

 

奴は……地面で受け身を取りつつ、僕へと向き直った。

大したダメージは無いらしい。

 

 

『……私は戦うつもりは無いのだが』

 

「君にはなくても、僕にはあるんだ!彼女を返して貰う!」

 

 

苛立ちながら、僕は奴を追いかけようとして──

 

 

足元に何か、金属製の円柱が転がっている事に気付いた。

 

 

「これはっ──

 

 

直後、強烈な音に鼓膜を揺さぶられ、視界は白く染まった。

 

スタン、グレネードだ!

 

音が一瞬聞こえなくなって、目も見えない。

鼻には刺激臭が来ている。

 

五感にダメージが入った。

 

間違いない、奴は逃げようとしている。

 

 

「く、そっ!逃がさない!」

 

 

僕は超感覚を駆使して、逃げるレッドキャップへ(ウェブ)を飛ばした。

目は見えないが、耳は少し治ってきた。

 

何かが切断された音も聞こえた。

 

恐らく、(ウェブ)が切られた音だ。

 

……だが、(ウェブ)はブラフだ。

本命は……同時に発射した赤い小さな発信器……ナノマシンで形成した『スパイダー・トレーサー』だ。

 

少しして、視界が戻ってくる。

 

目を強く閉じて、開く……よし、大丈夫だ。

立ち上がって、辺りを見渡す。

 

……レッドキャップは居ない。

 

だけど、発信器(トレーサー)が奴の居場所を教えてくれている。

今すぐに追いかけるべきだ……だけど、先に。

 

 

僕は後ろを振り返り、ジェシカを見た。

血まみれになってるジェシカに駆け寄り声を掛ける。

 

 

「ジェシ──

 

「私の事は良いから……貴方は、貴方に出来ることをしなさい……アイツを追いかけるんでしょ」

 

 

強い、強い眼差しで僕を見ていた。

……どう見たって重傷なのに。

 

息を吐いて、頷いた。

 

 

「救急車だけ呼んでおくから!」

 

「……どうも」

 

 

彼女が後ろ手に手を振った。

僕はスーツの通信機能で救急車を呼びつつ、その場を離れた。

 

発信器(トレーサー)の移動履歴を追い……僕は路地裏に到着した。

目前には石の壁があった。

 

 

「……行き止まり?」

 

 

違う。

そんな筈はない。

 

発信器(トレーサー)の情報を確認すれば……座標は下に向かっている。

ここから、地下に移動しているんだ。

……マンホールの下……下水道か?

 

 

僕はマンホールを手で押し退けて、中に降りる。

勿論、(ウェブ)で締め直すのは忘れない。

 

そして、下に降りて驚愕した。

 

 

「ここは、下水道なんかじゃない……?」

 

 

薄暗い通路がずっと続いている。

壁に埋められた蛍光灯が発光しており……先は見えない。

 

かなり長い……大きな地下通路だ。

 

 

「……ニューヨークに、こんな場所が」

 

 

改めて発信器(トレーサー)の情報を見直す。

……レッドキャップは既に数百メートル離れている。

 

追いかけないと。

 

僕はコンクリート製の床を蹴り、走る。

 

 

……途中で何度も枝分かれしてる場所を見た。

発信器(トレーサー)のお陰で迷う事はなかったけど、まるで巨大な迷路だと思った。

 

空気が少し薄いのか、息苦しい。

だけど、足は止めない。

 

 

ミシェル……ミシェル・ジェーン。

奴は『無傷で返す』と言っていたけど……それでも、許せなかった。

 

彼女は今、きっと……怯えている筈だ。

絶対に助けなくちゃならない。

彼女を苦しめるものは僕が、全て──

 

僕は発信器(トレーサー)の後を追い……そして。

 

 

見つけた。

 

 

僕は前方に……壁に手をついて歩いているレッドキャップの姿を見つけた。

肉体的なダメージはそれほど大きくなかった筈なのに……何故か、不調そうに見えた。

 

僕の足音に気付いたのか、奴が振り返った。

 

 

『……スパイダーマン?』

 

 

驚いたような声をあげる。

 

狭い地下通路で……僕達は顔を合わせていた。



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#92 AKA ミシェル・ジェーン part4

……自己嫌悪と罪悪感、そして……ピーターが(ミシェル)を探しているという事実。

 

どういう作り話をすれば、日常に戻れる?

どうすればミシェル・ジェーンは今まで通り生きられる?

 

誰か……ティンカラー……いや、ダメだ。

……私はティンカラーの忠告を無視してしまった。

彼はきっと怒っている……私を助けてはくれないだろう。

 

どうすればいい、どうしたらいい……軽い頭痛と吐き気を感じながら、私は地下通路を歩いていた。

 

だから、気付かなかった。

 

背後から足音が聞こえてようやく……私は追われている事に気付いた。

 

 

『……スパイダーマン?』

 

 

踏みとどまり、背後を見た。

 

そこには……スパイダーマン、ピーター・パーカーが居た。

 

 

「追いついたぞ……!」

 

『どう、やって……?』

 

 

私は自身の体を見下ろし……腕に小さな赤い機械が付いている事に気付いた。

蜘蛛型の……発信器か!?

 

 

『……チッ!』

 

 

思わず舌打ちをする。

 

集中力が落ちていた。

日常に思いを馳せて、現実を見ていなかった。

私の落ち度だ。

 

発信器を指で摘み、破壊する。

バキリ、と音がして砕けた。

 

 

その隙に、彼は私への距離を詰めていた。

 

拳が、私へ迫る。

 

 

『ぐっ……!?』

 

 

腕を交差して防ぐが……ヴィブラニウム製のアーマーを貫通して、衝撃が走った。

思わず少し後退してしまう。

 

……今までとは違う。

スパイダーマンは手加減を緩めている。

 

私に……かなり、怒っている。

 

自分の友人を撃たれたからか……それは当然だ。

私も同じ立場なら相手を許せない。

だから、キルグレイヴを殺したのだ。

 

 

『随分と、お怒りのようだな』

 

 

軽口を叩きながら、この場を離れる方法を考える。

努めて余裕のある素振りを見せる。

……腕はまだ痺れている。

 

少しでも時間を稼ぐしかない。

 

 

「ミシェルを返して貰う……」

 

『……フン』

 

 

どうしてここまで、(ミシェル)を助けようとするのか……それは、ピーターにとって私は友人だからか。

マスクの下で喜びと……焦燥、そして罪悪感が混じる。

 

 

『大人しくしておけば、無事に返すと言っているだろう?』

 

「誰が……お前なんか、信じられる訳ない!」

 

 

スパイダーマンが両手で地面を突き、蹴りを繰り出してきた。

一歩引いて避けるが、そのまま彼は前転し……下方向から二度目の蹴りを繰り出した。

 

拙い。

考え事をしながら、勝てる相手ではない!

 

 

私は地を這うスパイダーマンより姿勢を低くし、腕を蹴り飛ばした。

支えがなくなり、そのまま彼は転がる。

 

私はナイフを抜き取り、そのまま突き出した。

 

 

「くぅっ!」

 

 

ナイフは手で掴まれた。

スーツにナイフは貫通していない……血も出ていない。

 

 

『……チッ!』

 

 

クソッ、ナイフは消耗品のカーボン製だ。

スパイダーマンのスーツが何製かは知らないが、これではダメージを与えられない。

 

 

「こ、のっ!」

 

 

スパイダーマンがナイフを掴んだ手を捻る。

凄い、力だ。

 

腕を捻る事を恐れて、私はナイフを手放した。

 

……どうせ有効打にはならない。

ヴィブラニウムとアダマンチウムで補強された徒手空拳で戦うしかない。

 

 

「……何で、ミシェルを攫ったんだ!」

 

『何故?それは──

 

 

私は腕を振りかぶり、肘を叩きつける。

 

 

『お前には関係のない話だ!』

 

 

スパイダーマンの顔面に命中する。

流石にダメージが入ったようで一歩、よろけた。

 

その隙に蹴りを繰り出し、腹を蹴り飛ばす。

 

 

「く、ぅっ!?」

 

『今すぐ家に帰るんだ……ここは、お前がいて良い場所ではない!』

 

 

一歩、私は更に踏み込み……顔面に(ウェブ)を食らった。

 

 

『ぬ、あっ!?』

 

 

マスクに付いた糸は強力な粘着力で張り付き、私の視界を遮った。

マジックミラーのような半透過素材で出来ているせいで、サブカメラもない。

 

前が見えない。

 

直後、私は壁に叩きつけられた。

 

 

『ぐぅっ!?』

 

「返、せ!」

 

 

衝撃で脳が揺れる。

ヴィブラニウム製のスーツと言えども、許容量を越えた衝撃は吸収できない。

スーツが無ければ……恐らく、私はもう戦闘不能になっているだろう。

 

顔面が壁に擦れたお陰で、糸は剥がれた。

私は拳の甲でスパイダーマンを殴る。

 

 

「うぐっ!」

 

 

彼は痛みに耐え、私を殴った。

 

 

『くぅっ……!』

 

 

殴る。

蹴られる。

投げる。

叩きつけられる。

 

数度、攻防があり……同じ回数、殴り合った。

 

 

『はぁっ……クソッ……』

 

 

ダメージが体に蓄積している。

治癒因子(ヒーリングファクター)によって外傷はなくなっているが……体力が消耗している。

 

このまま殴り合えば……私は気を失ってしまう。

 

だが、スパイダーマンも無傷とはいかない。

何度か打撃が入り……スーツの下で傷を作っている筈だ。

 

……一見、互角に見える。

だが、恐らく……先に音を上げるのは私の身体だ。

 

私は脹脛から小さな針を手に取る。

ダーツのようなサイズ感の針だ。

 

 

「……っ!」

 

 

彼は警戒したような素振りを見せたが……これではスーツを抜けない。

 

私の狙いは──

 

ガシャン!

とガラスの割れる音が響く。

 

壁に埋められた蛍光灯を破壊した。

これにより前後50メートル程は完全な暗闇に包まれた。

 

 

「くっ……!」

 

 

スパイダーマンに暗視能力はない。

だが、私のスーツにはある。

 

 

私はそのまま、後ろに逃げようとし──

 

 

腕を(ウェブ)で絡め取られた。

 

 

『しつこい奴め!』

 

「絶対に、逃がさない!」

 

 

互いの手を糸で繋ぎ合い……暗闇の中で睨み合った。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

僕は、(ウェブ)が繋がる感触を頼りに……相手の位置を把握した。

 

スーツの熱源探知機能を使い……視界にレッドキャップのシルエットが映った。

鮮明には見えないけれど、全く見えないよりはマシだ。

 

僕はレッドキャップの突き出された拳を避ける。

……今の一撃、超感覚(スパイダーセンス)の反応が鈍かった。

 

今のだけじゃない。

今日、奴の攻撃は全て……何故か、反応し辛い。

殺意や敵意には強く反応する筈なのに。

 

……きっと、僕が焦っているからだ。

ネッドを撃たれ、ミシェルを攫われて……僕は精彩を欠いている。

 

頭の中で……僕の所為で死んでしまったベン叔父さんの姿が、思い出された。

 

二度と、二度と……二度と、あんな思いはしたくない。

誰も殺させはしない。

僕が守らなきゃならないんだ。

 

その為にはコイツを──

 

 

「……っ!」

 

 

拳を握りしめて、レッドキャップを殴ろうとする。

避けられて……壁を叩きつける。

コンクリート製の壁に穴が空いた。

 

間違いない、奴は暗闇の中で見えている。

 

……あのスーツだ。

僕の攻撃を受けても壊れない、ハイテクスーツ。

きっとマスクに暗視機能があるんだ。

 

瞬間、僕は腕を引っ張られた。

 

 

「なっ──

 

 

(ウェブ)を繋いでいる方の腕だ。

 

引き寄せられた!

そう思った時には既に、レッドキャップの前まで来ていた。

 

引き寄せた勢いのまま、奴が僕の腹を殴った。

 

 

「……ぐ、ぅ!?」

 

 

鳩尾に一撃入り、胃から込み上げそうになる。

だけど耐える。

 

……今日はネッドの事が不安で、食欲が湧かなかった。

それが逆に良かった。

 

いつも通りなら、きっと吐いてるに違いない。

 

予想以上に僕の復帰が早かったのか、レッドキャップに隙が出来た。

僕は足を振り上げて、腹の横を蹴り飛ばした。

 

 

『ぐっ……!』

 

 

鈍い音と、苦悶の声が聞こえる。

機械に調声されていて分からないけど、動きからもダメージが入っている事を察した。

 

だけど……くそっ、これじゃあ有効打にならない。

黒いスーツ……アレは、キャプテンの盾のように僕の攻撃を吸収している。

 

力を溜め込み過ぎれば……初めて会った時のように、放射されて僕が倒されるだろう。

 

早期に中の人間にダメージを与えて、決着を付けなければならない。

 

でも、どうすればいい。

 

僕はレッドキャップの姿を思い出した。

黒いスーツには傷が一切無かった。

 

だけど、赤いマスク。

壁に叩きつけた時……確かに、小さな傷が入っていた。

 

なるほど。

視界を確保する為に、スーツ部分と素材が違うんだ。

顔への攻撃なら、ダメージを与えられる。

 

この考えに賭けるしかない。

 

僕は息を鋭く吐いて、蹴りを放った。

だけどマスクに向かってじゃない、足に向かってだ。

 

僕の狙い、それを悟られないように注意する。

確実にダメージを与えられる瞬間まで、奴を疲弊させる事に集中するんだ。

 

蹴りは防御されてダメージは入らなかった。

だけど、これは元々、全力の攻撃ではなかった。

姿勢は崩れない。

 

レッドキャップが拳で反撃してくる。

それを避ける。

 

そのまま腕を掴み……僕は。

 

 

「こ、のっ!」

 

 

頭突きを繰り出した。

 

僕の頭と、赤いマスクが衝突する。

 

一瞬、目の前が真っ白になった。

だけど、すぐに視界が戻る。

 

覚悟していた上で攻撃したんだ……僕は、怯まない。

 

だけど、レッドキャップには想定外の一撃だった。

奴は一歩、後ろに退いた。

 

息を深く吸い込み、腕を振りかぶる。

 

 

「うあああぁっ!」

 

 

声を出しながら、拳に力を込めて……レッドキャップの顔面を殴りつけた。

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

まずい、まずい、まずい!

避けなくては!

 

スパイダーマンが叫び声を上げながら、腕を振るった。

 

私は、避けっ──

 

 

顔面に、衝撃が走る。

視界にヒビが入り、脳が揺れる。

 

平衡感覚が崩れて、足が震える。

 

だが、そんな事を、している、場合ではない!

 

 

「このっ!」

 

 

二度目の衝撃が私の顔に走った。

 

今度は横から殴られて、完全に体勢を崩した。

怯み、よろけて、倒れそうになる。

 

だが、踏みとどまる。

ここで負けたら……私は、何もかもを失う!

 

 

「このぉっ!」

 

 

顎から振り抜かれて、上半身が反った。

意識を、失いかけた。

 

顎の骨が折れたのか、口の中に血の味が滲む。

 

 

「このっ!このっ!!」

 

 

殴られ、(ウェブ)に引っ張られ、また殴られる。

 

嫌だ、嫌だ嫌だ!

嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!

 

負けたくない!

 

私は足で地面を踏み締めて……滑らせてしまった。

転がるように倒れて……スパイダーマンを引き寄せた。

 

 

スパイダーマンは馬乗りのような姿勢になって……私の上に乗っていた。

 

 

普段ならば、この状況で……彼は攻撃しないだろう。

彼は優しくて……人を傷つける事を嫌う……誰よりも、優しい人だから。

 

だけど、今は……友人を傷付けられて、平常心を失っている。

暗闇の中で、相手がどんな状況なのかも分かっていない。

 

 

だから──

 

 

『うがっ!?』

 

 

馬乗りのまま、顔を殴られた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

僕が、僕が守らないと!

絶対に、これ以上、誰も傷付けさせたくないんだ!

 

彼女を、ミシェルを……守るんだ!

他の誰でもない僕が……絶対に!

 

拳を握りしめて、レッドキャップを殴る。

殴る、殴る、殴る。

 

 

『うっ!?がっ、あっ!?』

 

 

声が聞こえる。

ダメージは確実に入っている。

 

マスクを殴る感触が、少し、変わってきた。

砕けたような感触が手に残る。

 

 

『ぁ……ぅ……』

 

 

その時にはもう、声を上げなくなっていた。

 

そして……肉を殴るような感触が、僕の手に──

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

息が出来ない。

頭がクラクラする。

 

意識が朦朧とする。

 

 

痛い。

 

 

だけど、それ以上に胸が苦しい。

 

 

……あぁ、これは天罰なんだ。

 

彼を騙し続けていた罰なんだ。

人を食い物にしておいて、幸せに生きようとした罰なんだ。

 

だけど、でも、これは酷過ぎる。

 

誰だって幸せになりたいと思う筈なんだ。

私だけじゃない。

 

今まで出会ってきた、誰だって……幸せに──

 

あぁ、そうか。

 

私は彼等が幸せになるチャンスを、奪ってきたんだ。

命を奪われた者は、もう、幸せになる事は出来ない。

 

 

だから、これは……因果応報だ。

 

 

マスクが、砕ける。

 

破片が頬を傷付けて……治癒因子(ヒーリングファクター)によって、一瞬で治る。

 

私の素顔に、拳が叩き込まれた。

 

鼻の骨が折れて、血を吐いた。

喉に血が溜まって、上手く息が出来ない。

声も出ない。

 

拳が顔に叩き込まれる。

骨が砕ける。

治癒因子(ヒーリングファクター)が傷を治す……だけど、失った血は戻っては来ない。

顔中が血まみれになっていた。

 

拳が顔に叩き込まれる。

失明して、一瞬何も見えなくなった。

 

拳が顔に叩き込まれる。

血を吐いて、私は……私、は──

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

「はぁっ……はぁっ……!」

 

 

何度も、何度も……殴った。

マスクも砕いて、素顔を殴った。

 

……やり過ぎてしまったと、後悔する。

 

だけど、コイツは罪の無い人間を傷付けたんだ……これぐらいは当然だ!と自分を誤魔化す。

 

二度と私怨で人を殴らないと、誓ったのに。

罪悪感が胸を占める。

 

だけど、それはコイツに対してじゃない。

誓った叔父に、だ。

 

 

パチン、と何かが切り替わる音がして……真っ暗だった地下通路に光が灯った。

……非常灯に切り替わったんだ。

 

息を切らしながら、僕は熱源探知機能を解除する。

視界は非常灯の緑色に染まっていたけど……光が灯り、見えるようになっていた。

 

 

そして──

 

 

 

僕は、視線を──

 

 

 

 

下にずらして──

 

 

 

 

見てしまった。

 

 

 

 

 

「……ミ、シェル?」

 

 

血と涙でグチャグチャになった、虚な目で僕を見上げる……想い人の姿を。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

『ミシェル』

 

『ミシェル!』

 

『ミシェル?』

 

 

私を呼ぶ声が聞こえる。

 

グウェン、ネッド、ハリー……そして、ピーター。

 

みんな、大切な友人で。

この世界で初めて……失いたくないと思った絆だ。

 

ずっと……出会った時から、ずっと、嘘を吐いてきた。

 

私の本当を知ったら、きっと嫌われてしまう。

 

 

だから、せめて最後は……誰にも知られず、ひっそりと離れるつもりだった。

 

 

私を、嫌いになって欲しくなかったから。

この絆が嘘だったと思われたくなかったから。

 

 

……ピーター。

 

彼は私に好意を寄せてくれていた。

初めて……私は誰かと一緒に居て、愛おしいと思った。

 

これが恋なのかは分からない。

だけど、ずっと一緒に居たいと願う事が恋ならば……恋でいいと思った。

 

同じ物を食べて、同じ場所へ行って、同じ事をして、笑って、泣いて、感動して……。

 

その瞬間、私は紛れもなく『ミシェル・ジェーン』だった。

 

彼は特別だった。

世界にとっても、私にとっても。

 

憧れのヒーローで、ずっと一緒に居たい人で。

側にいると心が安らいで……少し、照れ臭くて。

 

彼にだけは嫌われたくなかった。

彼にだけは『ミシェル・ジェーン』は実在するのだと、そう思っていて欲しかった。

 

私の顔を見て、笑っていて欲しかった。

毎日の、朝のように。

 

 

「……ミ、シェル?」

 

 

だから、こんな……悲しむような、苦しむような、信じられないような……そんな、そんな声を出して欲しいわけじゃない。

 

血が巡る。

治癒因子(ヒーリングファクター)が血管を修復し、酸欠で微睡んでいた脳を覚醒させた。

 

頭が冷える。

現実が……理解しろと、脳に叩きつけられた。

 

呼吸は、出来る。

身体は、動く。

 

 

「ぐ、あああぁっ!!」

 

 

声を荒らげて、体の上に乗っていたスパイダーマンを叩き落とした。

 

私の素顔を見て、衝撃を受けていたのだろう。

抵抗する事もなく、呆然としたまま……地面に転がった。

 

 

そして、私は──

 

 

その場から逃げ出した。

 

走る、走る、走る。

 

出鱈目に走って、とにかく逃げたかった。

 

ピーターから。

スパイダーマンから。

現実から。

 

途方もなく長い時間走ったような気がして、それでも時間はそんなに過ぎて居なくて。

 

私は口に溜まっていた血を吐いて、壁に手をついたまま倒れ込んだ。

 

 

「う、あ、あぁ……」

 

 

見られた。

見られてしまった。

スパイダーマンに、ピーターに。

 

両手で抱いていた大切な物が、こぼれ落ちていく。

慌てて掴もうとしても、間に合わない。

手をすり抜けて、地面に落ちて……砕けた。

 

 

「嫌……嫌ぁ……嫌ぁあ……」

 

 

涙を流して、壁にもたれ掛かる。

口の中は血の味がしている。

涙に血が混じり、汚れた涙が頬を伝う。

 

 

「嫌だ……嫌だ……誰か……誰か……」

 

 

大切な友達。

緩やかな幸せ。

日常。

 

全てが砕けて、こぼれ落ちていく。

 

 

「誰か……助けて……嫌……」

 

 

脳裏に、殺してきた人間の姿が浮かぶ。

 

 

殺さないで、助けて、やめて。

 

 

命乞いを無視して殺して来た。

そんな私が助けて貰える訳がない。

 

だって、不平等だからだ。

 

 

「うあぁ……やだ……う、ぐ……」

 

 

嫌われた。

絶対に嫌われた。

 

私は立ち上がり、吐き気を催しながら……足を進める。

 

今、この状況で……私の、味方になってくれる人は……もう、居ない……。

 

歩み進めて、地下通路を進んで行く……いつもの道を無意識のうちに歩き……地下の拠点に転がり込む。

 

クローゼットに畳まれていた……グウェンが一緒に選んでくれた服を見る。

 

涙が、止まらなくなった。

もうダメだ。

 

私はもう壊れてしまったんだ。

 

声を殺して、泣いていると──

 

 

足音が聞こえた。

 

 

私はグチャグチャになった顔で、振り向いた。

 

 

「……ティン、カラー?」

 

 

そこには、いつもの黒いマスクを被った男が立っていた。

そして、ゆっくりと首を振った。

 

 

『……随分とボロボロじゃないか。全く、僕の言う事を聞かないから──

 

「お願い……ティンカラー……最後のお願いだから……私はもう、どうなっても良いから……」

 

 

振り絞るような声でそう言うと、ティンカラーが私を見た。

 

 

『……本当に、世話が焼ける。良いよ、僕が何とかしてあげる』

 

 

無機質な声だけど、今日は少し……優しげに聞こえた。

 

 

『だから、もう泣かないでくれ……君の涙は結構、堪えるんだ。僕には』

 

 

そう言って、頭を撫でられた。

……何故か、その感触に覚えがあった。

 

 

私は口を開き──

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

「はぁっ、はぁっ……!」

 

 

僕はスーツを解除して、地面に座り込んだ。

 

ここは僕の住んでいる部屋の前だ。

気付けば、ここに居た。

逃げてきた。

 

さっきの出来事は夢だ。

幻覚だ。

 

そうだ、現実なんかじゃない。

嘘だ。

 

だけど……手に残った感触が、僕を現実に引き戻す。

 

肉を殴った感触。

骨を砕いた感触。

 

 

「う、あぁっ……あぁぁ……」

 

 

声を漏らして、僕は蹲る。

 

全部、嘘だと信じたい。

だけど、アレは現実で。

 

『レッドキャップ』は『ミシェル』で。

アイツは僕の命を狙っていて……。

 

いいや、違う。

何かの間違いだ。

 

彼女が僕にずっと嘘を吐いてたなんて……それこそ嘘だ。

違う違う違う違う。

 

だって、『また明日』って言ったんだ。

だったら、これで終わりなんて、約束が違うじゃないか。

ミシェルは今まで一度も約束を破った事はなかった。

 

僕に嘘を吐いた事なんて──

 

 

『私が、悪い人間だから』

 

 

……違う、そんなの、違う。

 

 

僕は顔を上げる。

 

ミシェルの部屋……そのドアがある。

 

拳を握り、ノックする。

……物音はない。

反応もない。

 

 

少し悩んで……スーツのナノマシンを鍵穴に入れる。

そのまま無理矢理開けて……部屋に入る。

 

 

きっと、寝ているだけだ。

ここにいて、さっき見たのは他人の空似なんだって……そう、納得したかった。

 

 

ベッドを見れば……誰もいない。

小綺麗に畳まれた布団は、家主が不在である事を語っていた。

 

 

「……ミシェル」

 

 

僕は机の上にあった……薄い桃色の本を手に取った。

 

開くと……スパイダーマンの新聞記事や雑誌が切り抜かれていた。

 

……脳裏に、パニッシャーから見せられたスクラップブックを思い出した。

 

 

「……これが?」

 

 

良い事も、悪い事も。

スパイダーマンに関しての記事が並べられている。

 

ページを捲れば捲るほど……レッドキャップの正体が、ミシェルである事の裏付けをされている気がして顔を歪めた。

 

ミシェルはずっと、僕を騙して来たんだ。

グウェンも、ネッドも、ハリーも。

それで、ずっとスパイダーマンの命を狙ってたんだ。

 

そして……ネッドを。

 

 

息が荒くなる。

 

ページを捲る手が早くなる。

 

どんな、どんな心境だったんだ?

僕を馬鹿にしていたのか?

アレも全部、嘘だったのか?

 

僕が恋した相手は……嘘だった、のか?

 

思わず悔しくて、悲しくて、涙が流れた。

 

 

「……う、ぐぅ……そんな……」

 

 

ページを捲る。

捲る、捲る。

 

そして……見覚えのある写真があった。

 

僕が……誕生日の日に渡したスパイダーマン姿の写真。

 

目を、逸らす。

 

……机の上に、写真立てがあった。

僕と、グウェンと、ネッドと……ミシェル。

 

みんな笑っていて……楽しそうに……幸せそうに。

穏やかに。

 

こんな。

 

こんなのって。

 

 

「嘘だ……」

 

 

僕は信じられなかった。

ミシェルも、自分も、何もかも。



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#93 AKA ミシェル・ジェーン part5

彼女が僕に微笑んで、少し動悸がした。

彼女が涙を流して、僕は守りたいと思った。

彼女が喜んで、また笑って欲しいと僕は願った。

 

笑って、泣いて、喜んで、悲しんで。

 

 

沢山の感情が繰り返されて、最後は。

 

 

血を流して、泣きながら……僕を見上げていた。

 

 

……僕は、目を開いた。

見慣れた天井があった。

 

 

ここは……僕の部屋だ。

昨日から着替えもせず、ベッドで横になっていた。

窓の外を見れば……朝になっていた。

 

急いで学校に行く支度をしないと……。

ミシェルを待たせないように……。

 

 

違う。

 

 

息が少し、荒くなる。

 

 

違う。

 

 

昨日見た景色は脳に焼き付いて、離れない。

 

 

「違う……」

 

 

ゆっくりと立ち上がり、壁に手をついた。

そのまま洗面台へ向かい、水を流す。

手で掬い顔を洗う。

 

 

鏡を見る。

酷い顔をしている。

 

深く、深く息を吐いて。

蹲る。

 

 

ミシェルは……レッドキャップだった。

僕や皆をずっと騙していて……人を殺していた。

 

好きだった。

いや、今も……好きだ。

 

だから、信じられずにいた。

アレは嘘だったのだと……嘘であって欲しいと願っている。

 

……それでも、昨日、ミシェルの部屋に入り、僕は見た。

パニッシャーも言っていた……レッドキャップが作っていたスクラップブックと同じ物。

 

状況は彼女がレッドキャップだと、そう言っている。

パズルにピースが集まって絵を形作るように、真実が目に映される。

 

 

見たくも、ないのに。

 

 

洗面所から離れつつ、上の服を脱ぐ。

腹に残っている切り傷……もう、1年近く経つと言うのに小さく残っている。

これはレッドキャップと初めて会った時に付けられた傷。

 

……ミシェルが、手当てしてくれた傷だ。

彼女はとても優しいのだと知って、好きになるキッカケになった理由の一つ……だった。

 

だけど、傷を付けたのは彼女自身で……なんで、治療したんだ?

僕の気を惹く為か?

取り入る為に……?

どうして、あんな心配する顔が出来るんだ……?

分からない。

 

 

チャイムが鳴った。

 

 

……今は、一人になりたい気分だけど……出るしかない。

 

僕は新しくシャツを着て、ドアを開けて──

 

 

 

 

「ピーター、はやく学校に行こ」

 

 

 

 

ミシェルが、そこに立っていた。

 

思わず、心臓が破裂するかと思うほど、動悸がして……何故、ここにいるのか問い質したい気持ちに駆られた。

だけど、それを飲み込んで黙る。

口が乾く。

 

 

「ミシェル……?」

 

「今日はプロムなのに、寝坊?」

 

 

そうだ、今日はプロムだ。

この高校生活最後のイベントだ。

 

彼女は黒いカジュアルなドレスを着ていた。

何度か見た事のある、彼女がお洒落をする時に着るドレスだ。

 

これから、僕とプロムに行くために……お洒落して来たのだろうか?

 

 

「でも、なんで……」

 

「どうしたの?」

 

 

心底、分からないという顔で僕を見つめ返してくる。

その目は透き通ったコバルトブルー……いつもの、ミシェルだ。

 

幾つも話したい言葉が脳に浮かんで……最後に浮かんだのは疑念。

昨日見た景色が幻覚だったのかも知れないという疑念。

レッドキャップの正体が偶々、彼女と似ていたのかも知れないという疑念。

 

ただ、口にしてしまえば、彼女は居なくなってしまうような気がして……僕は首を振った。

 

 

「何でもないよ……すぐに、準備をするから」

 

「……ん、待ってる」

 

 

ドアを閉じて僕は部屋に戻る。

 

 

息を深く吐く。

分からない事は沢山ある。

分からない事の方が多い。

それでも、今は……この状況に身を任せる事にした。

 

 

服を脱ぎ捨てて、用意しておいたカジュアルなスーツを着る。

鏡の前で整髪料を手に塗り……無理矢理、髪を整える。

眉間を揉む……まだ、凝り固まってる。

 

ドアノブに手を乗せる。

 

 

「…………」

 

 

少し迷って。

 

 

……ドアを開けた。

ミシェルはそこで待っていた。

良かった、さっきのは現実だった。

僕の見た幻覚ではなかった。

 

 

僕を見て、ミシェルが薄く笑った。

 

 

「そんなに急がなくても良いのに」

 

 

胸の奥が痛い。

 

 

「いや、僕の都合で待たせてるから……申し訳なくて」

 

 

僕も無理して笑うと、ミシェルが頷いた。

そして……僕の手に、触れた。

 

緩く、解けてしまいそうな強さで……僕の手を握った。

 

 

「行こ、ピーター」

 

 

その手を僕は握り返した。

振り解けば、二度と会えなくなるような気がした。

 

今はもう何が真実で、何が嘘かは分からない。

だけど、この手から伝わる温かさだけは真実だと、信じたかった。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

僕とミシェル、二人で料理を食べる。

今日の予定……プランは、何度も何度も練り直してきたプランだ。

 

ただ、目の前の彼女に喜んで欲しくて。

グウェンと相談して、ネッドとも……。

 

……病衣を着ていたネッドを思い出した。

彼も、僕とミシェルのプロムを応援してくれていた。

なのに、ミシェルは……ネッドを。

 

ミシェルが仄かに微笑み、僕の顔を見た。

 

 

「ピーター?食べないの?」

 

「あぁ、いや……食べるよ、ありがとう」

 

 

本心から楽しめる筈だった。

こんな心の中心に棘が刺さったような……それも抜けない棘が……。

 

ミシェルがチキンライスをスプーンで掬う。

 

 

「……ねぇ、ミシェル?」

 

 

僕が声を掛けると、顔を向けた。

何も分かってなさそうな、純粋な青い瞳……それが僕の胸を締め付ける。

 

 

「どうしたの?」

 

 

少し、黙っているとミシェルが首を傾げた。

……これが、知らないフリだと言うのなら……本当に彼女は役者だ。

 

 

「何か、さ……僕に黙ってる事ってない?」

 

 

……聞いてしまった。

 

どんな反応をするのかと不安になる。

取り乱すのだろうか、それとも……。

 

 

「あるよ」

 

 

だけど、僕の不安とは裏腹に……何気ない様子で頷いた。

 

 

「それって──

 

「誰にでも秘密はあると思う……ピーターも。違う?」

 

 

そう言われて……僕は黙って頷いた。

僕だって友達にだって黙っている秘密はある。

僕がスパイダーマンだということ、それは──

 

 

待てよ?

ミシェルは……僕をスパイダーマンだと知らないのか?

だから、ここに来ているのか?

そうでなければ、昨日の今日で……僕に会うなんて事はしない筈だ。

 

……答えは誰も教えてはくれない。

考えても仕方ない。

 

 

「ごめん、変な話をして」

 

 

勇気が出なかった。

 

問い質してしまって、この時間が終わってしまう事を恐れてしまった。

自己嫌悪で頭の中が埋め尽くされる。

 

僕の様子を見て、ミシェルは口を拭いて……眉を下げた。

 

 

「本当に、変な話……」

 

 

そんな言葉を口にして、スプーンを皿の縁に置いた。

彼女は目を薄くして、微笑んだ。

 

そして、口を開いた。

 

 

「……悩み事?」

 

「あ、あぁ……少し、気になる事があって」

 

 

気になっているのは君の事だと、口には出せない。

 

 

「……ピーター、もし何か悩みがあっても──

 

 

ミシェルが僕の目を見た。

 

 

「今日……今だけは、忘れて欲しい」

 

 

その瞳は揺らいでいて。

不安そうな感情を隠していた。

 

……そうだよ、ミシェルが……そんな、悪意を持って……誰かを……僕を傷付けようとするなんて、そんな筈がないんだ。

 

今までずっと、そうだった。

だから、これからも。

 

僕は泣きそうな心を堪えて、頷いた。

 

 

「うん、悪かったよ……折角、楽しい時間だからね」

 

「……ん、本当に……大切な時間だから」

 

 

僕は手元にある料理に、スプーンを入れた。

 

スープの味は、少し塩が濃かった。

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

二人でタクシーに乗って、そのまま学校へ向かう。

 

……フラッシュとかなら、リムジンのレンタルとか出来るんだろうけど。

僕はコレで精一杯だ。

レストランだって……。

 

プロムの話をメイ叔母さんにしたら、お小遣いをくれたんだ。

僕と仲の良い女の子が居ると知って、叔母さんは喜んでいた。

 

……情けない話だ。

 

だけど、ミシェルは少しも気にしていないようだ。

走るタクシーの窓から、街の光景を眺めていた。

 

……いつもと変わらない景色なのに、大切そうに見ていた。

 

デルマーさんのサンドイッチ屋、一緒に行ったレストラン、よく新聞を買っている小売店、デートで行った科学館、デイリービューグルのビル。

 

幾つもの景色が通り過ぎて……後ろに流れていく。

 

 

やがて、タクシーが止まった。

料金は先払いしていたから、僕はドアを開けて……外から回って、ミシェルの方のドアに手を掛けた。

 

開いたのは同時だった。

外側から僕が、内側からミシェルが。

 

思わず少し後ろに押されて──

 

 

「……ふふ」

 

 

ミシェルが少し笑った。

 

 

「何も笑わなくたって良いじゃないか……」

 

 

そう抗議しても彼女の口角は上がったままだ。

……初めて会った時は表情に乏しい女性(ひと)だと思っていた。

 

だけど……今は、そんな事はない。

様々な表情を僕に見せてくれている。

それだけ心を許してくれたのだろうか?

 

僕が手を伸ばすと、ミシェルが手を乗せた。

 

 

「エスコート、してくれる?」

 

「うん……勿論だよ」

 

 

柔らかな指が、僕の手に絡まる。

力を込めれば折れてしまいそうな、華奢な指だ。

 

こんな手で人の命を……奪えるのだろうか?

やっぱり、昨日の記憶は間違いで──

僕の見た幻覚で──

 

 

「ピーター?」

 

 

逃避していた現実に、引き戻された。

 

 

「ごめん、その……綺麗で」

 

「……何が?」

 

「君の、指が……」

 

 

……口にして、後悔した。

これじゃあ、まるで変態みたいだ。

 

だけど、ミシェルの見せた表情は軽蔑じゃなくて、不思議そうな顔だった。

 

 

「毎日、見てるのに……」

 

 

そう言いつつも、僕の手を振り解かず、そのままタクシーから降りた。

運転手の人にお礼を言うと、走り去った。

 

その様子を見たミシェルが、微笑んだ。

僕は首を傾げる。

 

 

「えっと……何か、おかしかったかな?」

 

「ううん、何でもない」

 

 

僕は困惑しつつ、彼女の手を引く。

 

受付で参加者リストにチェックを入れる。

……受付の人は別学年の生徒会役員だ。

 

僕とミシェルに面識がないからか、ミシェルを見て驚いて……隣にいる僕を見て少し眉を顰めた。

 

きっと、「何でこんな奴が」なんて思われてるんだろうな。

 

受付から離れて、ミシェルと一緒に廊下を歩く。

いつもの校舎だけど、今日は凄く飾られていた。

 

ミシェルの方を見ると……少し、口を尖らせていた。

 

何か、僕は間違えたのだろうか?

 

 

「あの、ミシェル?どうかした?」

 

 

思わず、彼女に訊いてしまった。

 

ミシェルは僕の言葉を聞いて、慌てて手で口を隠した。

 

 

「さっきの人、ちょっと態度が悪かったから」

 

「……そうかな?」

 

 

あんな表情をされるのは、初めてじゃない。

仕方のない話だと思っていた。

 

 

「……うん」

 

「でも何と言うか……僕だから仕方ないって言うか、えっと──

 

「そんな事ない」

 

 

僕が言い訳染みた事を言っていると、ミシェルが首を振った。

 

ミシェルが口を開いた。

 

 

「ピーターが馬鹿にされたら、私は悲しい」

 

「……そう、なんだ」

 

「うん」

 

 

彼女が絡めていた手に、少し力が込められた。

僕は顔が上気する。

 

彼女は僕を肯定してくれる。

僕を心の底から、褒めてくれる。

 

……でも、だけど。

これが演技なのだとしたら?

彼女はただ、僕の好感度を稼ぐためだけに──

 

 

「また、考え事してる」

 

 

そう、彼女が口にした。

 

 

「あ、えっと──

 

「今日は何も考えないで……何も考えなくて良いから……」

 

「……うん」

 

「私の事だけを、見て」

 

 

それは初めて彼女が口にした我儘だった。

独占欲のようなものが滲み出ていて……だけど、忌避するような感情じゃない。

僕には少し心地良くて、嬉しかった。

 

 

「うん、ミシェル……分かったよ」

 

「……ありがとう」

 

 

そう言って微笑む姿は、どこか儚い。

手を繋いだまま、廊下を歩く。

 

いつも使っているロッカーの前を通る。

僕達が授業でよく使っている教室の前を通る。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

大きな体育館の床には絨毯が敷き詰められていて、小さな机が手前に並べられていた。

机の上には軽食があって……ミシェルがチョコチップの入ったクッキーに手を伸ばしていた。

 

奥の方では卒業年次の生徒が集まって、思い思いに踊っている。

僕はよく分からないけど、最近流行っているポップな歌が流れていた。

 

 

「……ミシェルも踊りたい?」

 

 

正直、僕は行きたくない。

何だか恥ずかしい気がしていたからだ。

 

 

「……私も良いかな。見てるだけで楽しいから」

 

 

二人で壁の隅で、立っていた。

軽食を紙の皿に乗せて、二人で踊っている生徒達を見ていた。

 

 

「……食べる?」

 

 

ミシェルがクッキーを手に持ち、僕へ向けた。

……お腹は減ってないけれど、確かに何か口に含みたい気分だった。

 

 

「あぁ、じゃあ貰うよ」

 

 

そう言って手を伸ばそうとして……ミシェルはクッキーをそのまま僕へ近づけた。

そして、僕の唇にクッキーが触れた。

 

 

「あ、あの、ミシェル?」

 

「口を開けないと、食べられない」

 

 

観念して口を開けると、クッキーを放り込まれた。

 

……彼女の指が、僕の唇に触れた。

 

 

「美味しい?」

 

 

そう聞かれても、味が分からない。

心拍数はきっと凄まじい事になっている。

 

だけど、平静を取り繕って頷いた。

 

 

「うん、美味しいよ」

 

「良かった」

 

 

ミシェルも頷いて、手元のクッキーに手を伸ばした。

そのまま掴んで、口に含んで……指についた砂糖を舐めた。

 

平常心を保つために、深く息を吐いた。

 

そんな様子の僕を見て、ミシェルはバツの悪そうな顔をした。

 

 

「……意地汚かったかも」

 

 

そう言って、ウェットティッシュで自分の手を拭った。

 

そんな事はない、とは流石に言えなくて……僕は苦笑いしつつ、話題を変える事にした。

 

 

「ミシェルは甘いもの、好きだよね」

 

「うん……中毒かも知れない」

 

 

いつもケーキや焼き菓子を食べている。

……だけど、腰回りを見ると凄く細い。

何故か彼女は太らない。

 

グウェンがぐちぐち言っていたのを思い出した。

この話題は女性にとって禁句(タブー)らしい。

 

 

口を噤む。

 

 

気の利いた話が出来なくて、少し恥ずかしくなる。

だけどミシェルは気にせず、時折、僕に話しかけてくれる。

 

……そうして二人で穏やかな時間を過ごしていると、誰かが僕らに近付いて来た。

 

 

フラッシュだ。

 

 

無言で僕に近付いて来て──

 

 

「え、えっと……何か用かな?」

 

 

思わず、ミシェルを庇うように立った。

……まぁ、フラッシュが彼女を傷付けるような事はしないと思うけど。

 

少しの間、フラッシュに睨まれて……突如、彼は涙を流した。

 

 

「「……え?」」

 

 

僕とミシェルは互いに顔を向け合って、首を傾げる。

 

手を、握られた。

ゴツゴツとした男らしい手だ。

 

うえっ。

 

 

「……絶対に幸せにしろよ……」

 

 

フラッシュが感極まった声で、震わせながらそう言った。

 

 

「い、言われなくても」

 

 

ミシェルの事を言っているのは分かっていた。

だから、頷く。

 

そんな僕の様子に強く頷き、フラッシュはまた離れていった。

離れた先には女の子がいて……アレは、リズっていう名前の同級生だ。

二人は寄り添いながら、喧騒の中に入っていった。

 

 

「ピーター、変なことされなかった?」

 

 

ミシェルがそう心配して、声を掛けてくれる。

 

 

「はは……変は変だけど……フラッシュは悪い人じゃないよ」

 

 

そう言うと、ミシェルが眉を顰めた。

 

 

「……許せるの?」

 

 

きっと彼女は……僕の事を虐めていた彼を許せないだろう。

 

だから、今……フラッシュが善人のような振る舞いをしているとしても、嫌いなのだろう。

 

 

「許せるよ」

 

「……どうして?」

 

 

分からなさそうな顔をするミシェルに、僕は頷いた。

 

 

「僕にとって……昔がどうだったとしても……今が一番、大切なんだ。フラッシュは改心した、だからもう嫌う理由なんてないんだ」

 

 

そう言うと……ミシェルの目が揺れた。

視線が横に逸れた。

 

 

「そっか……凄い」

 

「凄い?」

 

「……人の事を許せるのは、凄く優しいから。普通はそうじゃないから」

 

 

そう褒められて、僕は頬を掻きつつ……壁にもたれ掛かった。

ミシェルも僕のすぐ側にもたれ掛かって……二人で踊っている人達を見た。

 

別に凄い事じゃない……そう思ったけれど、彼女の価値観を否定したくはなかった。

 

 

騒がしい喧騒の外で、僕達は穏やかな時間を過ごしていた。

ゆっくりと日は沈み、夜へと足を進めていく。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

そうして、プロムは終了した。

体育館から追い出されて、生徒たちは校門へと向かう。

 

各々、車を呼んで……男は女の子を家までエスコートする。

免許を持っている生徒は、自分の車で送って行くのだろう。

 

 

「あ……」

 

 

僕はスマホで予約していたタクシーの時間を、大幅に遅れている事に気付いた。

時間が過ぎてキャンセルされてしまっている。

 

だから、タクシーは来ない。

僕の失態だ。

 

 

「……あの、ミシェル?」

 

 

眉を下げて、ミシェルを見る。

最後の最後でヘマをしてしまった。

……本当に情けない。

 

ミシェルは少し不思議そうな顔をして……何かに納得して、頷いた。

 

 

「……ピーター、歩いて帰ろう?」

 

「ごめん、ミシェル」

 

「ふふ、丁度……涼しい風に当たりたかったから」

 

 

ミシェルが僕の手を引いて、校門を出た。

 

夜のニューヨークは、いつも彼女と見ている景色と少し違う。

電飾が街を照らしているけど、人混みは少なくなって行く。

 

何度も何度も通った道を、歩く。

毎朝、僕と彼女……二人で歩いて来た道だ。

 

空を見れば、月が見えていた。

排気ガスで空が汚れているニューヨークでも、月は綺麗に見える。

 

 

メインストリートを離れれば、人の気配はなくなった。

 

 

「……ピーター」

 

 

ミシェルが、手を握ったまま……僕へ顔を向けた。

その顔は……少し、恥ずかしそうにしていた。

 

 

「今日はありがとう。楽しかった」

 

「……僕も楽しかったよ」

 

 

彼女の顔を月が照らしていた。

 

目を逸らす事なく、僕の目を見つめていた。

……気恥ずかしくても、僕も目を逸らさない。

 

 

「……私、ピーターに良くして貰ってばかり」

 

「そんな事ないよ……ミシェルだって」

 

 

僕がそう言うと、ミシェルが目を閉じた。

息を吐いて……目を開いた。

 

 

「ピーター、私、お返ししたい」

 

「お返し?」

 

 

何をしてくれるのかと、僕は頬を緩めて──

 

 

 

 

「ピーターのして欲しい事、何でもしてあげる」

 

 

 

 

そう、口にした。

 

思わず僕の口から息が漏れた。

何を言ってるのか分からなくて、僕は黙ってしまった。

 

そんな僕の様子を無視して、ミシェルは言葉を繋げる。

 

 

「何でも良い……ピーターが望むなら……私のこと、好きにして良い」

 

 

心臓が跳ねて、彼女の事を直視出来なくなる。

何でも?

何でもって……そんなの。

 

 

「よ、よくないよ。ミシェル……そんな事を言ったら!僕だって男だし──

 

「良い。ピーターなら、良いから」

 

 

細く、白い指が絡まる。

僕を見る目が、熱っぽくなる。

 

吐息を感じる。

 

 

「何でも、してあげる」

 

 

幾つも、彼女にしたい事が……違う。

僕は、僕は──

 

 

「僕に──

 

「うん」

 

「僕に、君を助けさせて欲しい」

 

 

手を強く、握り返した。

 

 

「ピーター?」

 

「僕は頼りないかも知れない……だけど、絶対に君を助けるから」

 

「……ピーター」

 

「君を取り巻く全てを、僕が……僕が取り除くから……!」

 

「…………」

 

「ミシェル、僕は……僕は君を、助けたいんだ……!」

 

 

ミシェルはレッドキャップだ。

僕達に嘘を吐いて、人殺しをしている。

 

だけど……ミシェル・ジェーンは嘘なんかじゃない。

ここに居る。

 

握った手の温かさは、ここにある。

 

彼女が何故、あんな事をしているかは分からない。

だけど、望んでやっている訳ではない事は分かる。

 

彼女を縛り付ける鎖が、彼女を苦しめているのだとしたら。

 

僕は。

 

僕は……!

 

 

「君を、助けさせて……お願い、だから……」

 

「…………」

 

 

ミシェルは顔を下に逸らした。

……どんな顔をしているのか、分からない。

 

月明かりも、街灯も、彼女の顔を見せてはくれない。

 

少しして、彼女が口を開いた。

 

 

「どうして、そこまでしてくれるの……?」

 

 

不安そうで、困惑した声だった。

 

 

「……僕が君を好きだからだよ」

 

「まだ、好きでいてくれるの?」

 

 

握った手が震えた。

 

 

「例え、どんな事があっても……僕は君の事が好きだ。大切なんだ……それは変わらない。絶対に」

 

「……そう」

 

 

顔が上がった。

 

……眉は顰めていた。

怒っているような表情だった。

だけど、泣いていた。

口角は上がっていた。

 

チグハグだった。

切り刻まれて、無理やりつなげられたかのような表情。

 

 

「……ミシェル──

 

「その気持ちは嬉しい。だけど──

 

 

ミシェルが首を振った。

涙が頬を伝った。

 

 

「その気持ちには応えられない」

 

 

足元が崩れるような、幻覚を見た。

 

 

「……あ、あぁ」

 

 

胸が締め付けられる。

どうすればいい?

どうすれば、彼女を救える?

 

僕は、どうしたらいい?

 

 

「ピーター……今日は、ありがとう」

 

「ミシェル、僕はっ──

 

「今日の思い出は、絶対に忘れないから」

 

 

手を離されて──

 

 

正面から、抱きしめられた。

 

 

「……あ」

 

「ピーター、ありがとう」

 

 

柔らかな感触。

甘い匂い。

 

綺麗な顔が、僕に近付いた。

コバルトブルーの瞳は、僕を映していた。

 

柔らかな感触が唇に重なった。

少しの間、重なったままで。

離れ際に吐息が、僕にかかった。

 

緊張と驚きで息が出来なくて……それで、そして。

 

 

「いっ……」

 

 

背中に、何かが刺さった。

痛みがあった。

 

 

「あ……え……?」

 

 

意識が朦朧とする。

……背中に刺さったのは針のような細い金属。

 

尻餅をつく。

僕はボヤける視界でミシェルを見上げた。

 

その手には何かが握られていた。

多分、きっと……注射器か何かだ。

 

毒……?

目が霞む。

苦しくはない……だけど、気を張っていなければ意識を失いそうだ。

 

そして僕を見下ろしたまま、口を開いた。

 

 

「さようなら、ピーター」

 

 

それは別れの言葉だった。

 

初めて聞く言葉だ。

 

だって、いつも「またね」とか、そう言って……明日も会えるから、と、彼女は。

なんで、なんでっ。

 

僕を……殺す、つもりなのだろうか?

彼女の事を大切だと思っていた。

 

だけど、彼女は僕の事を……好きでも何でも無かった……のだろうか?

 

薄れゆく意識の中で、ミシェルの顔を見る。

 

 

泣いていた。

悲しそうに、辛そうに。

 

 

……僕は力を振り絞って、息を吸う。

そして、口を開く。

 

 

「泣か、ない、で……」

 

 

ミシェルが泣いていると、僕も悲しくなる。

だから助けたいと思った。

彼女に降りかかる全ての災厄を跳ね除けたいと思った。

 

それが僕に与えられた力だと思った。

 

 

「ぁ……ぅ……」

 

 

ミシェルが何か話した。

だけど、聞き取れなかった。

 

僕は力なく、地面に倒れて……意識を失った。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

「ミシェルっ──

 

 

僕は布団を蹴飛ばした。

 

……天井。

いつも見ている天井と同じだ。

周りを見る。

 

僕の部屋だ。

 

窓の外を見る。

壁に遮られて景色は見えないけれど、太陽が登っているのは分かった。

 

息を荒らげながら立ち上がる。

机の上にある電子時計を見る。

 

日付は……プロムの翌日になっていた。

土曜日、今日は学校も休みだ。

 

自分の体を見下ろす。

……カジュアルなスーツ姿のままだ。

 

あれは、夢じゃなかった。

現実だった。

 

僕はスーツを脱ぎ捨てて、身軽な格好をする。

部屋の鍵を手に取り、急いで外に出る。

 

 

隣の部屋を叩く。

 

 

「……居ない」

 

 

やっぱり、居ない。

そもそも一昨日から帰ってきて居ないのだろう。

 

脳が沈静化されて、頭が回ってくる。

 

どうして、どうして僕は生きているんだろう?

ミシェルが僕に突き刺した毒は何だったんだ?

……体に不調はない。

 

睡眠薬、だったのだろうか。

手元のスマホを開き、時間を見る。

 

まだ、朝だ。

10時間近く眠らされていたようだ。

 

僕はそのまま階段を降りて、アパートから出る。

足は止まらない。

少し、早足のまま……僕は呼吸を乱していた。

 

周りの人から、変な目で見られている。

だけど、そんな事を気にしない。

 

僕は周りを見渡しながら進む。

 

いつも、いつも通ってきた道を進む。

 

探す、探す、探す……居ない。

どこにも、居ない。

 

僕は泣きそうになりながら走って……デルマーさんのサンドイッチ屋の前に付いていた。

 

僕はここで、初めて彼女と出会ったんだ。

 

僕の名前に興味を示して……あぁ、あの時から、彼女は僕の事を知っていたのだろう。

知っていて、取り入ろうとしたのだろうか?

 

いや、違う。

最初はどうだったとしても、彼女は僕の事を思い遣ってくれていた。

グウェンと、ネッドと、ハリーと……打算なく、友人でいた。

 

……そうだよ。

グウェンがゴブリンに攫われた時に助けたのは、レッドキャップだ。

ハリーが廃ビルから落ちた時に助けたのも、レッドキャップだ。

 

彼女は何故か、ああせざるを得ない状況にいて……それでも、彼等を助けた。

 

彼女の優しさは本物なんだ。

友情も、親愛も、恋心だって……全部、全部、本物だ。

どうして疑ってしまっていたんだ!

僕は、馬鹿だ。

 

僕は荒い呼吸を整えて、サンドイッチ屋のドアを見た。

 

張り紙……緊急、閉店?

視線をズラす……サンドイッチ屋のある建物と、別の建物の間に人集りが出来ていた。

 

僕はそちらに向かって、ふらふらと近付く。

暗い路地裏に、何故か人が集まっている。

 

 

「何か、あったんですか……?」

 

 

僕は周りにいた、一人の男性に声を掛けた。

 

 

「ん?何でも事件があったらしいぞ。死人が出たとか」

 

「あ……」

 

 

僕は野次馬を押し退けて、その間に入り込む。

超感覚(スパイダーセンス)がビリビリと頭を焼く。

 

見るな、見ない方が良い、見るな、見るな、見るな。

 

 

「ちょ、おい!君!」

 

 

警官を押し退けて、振り解き……奥へ進む。

声が聞こえる、僕を咎める警官の声。

 

だけど、その、光景を見た瞬間。

 

 

 

全てがどうでも良くなった。

 

 

 

顔が、腕が、足が、胴が、全て、バラバラになっていた。

砕けたパズルのピースのように……二度と、繋がる事はない。

 

ミシェルの顔が、僕を見ていた。

ガラスの玉のような目が、僕を、見て、いっ──

 

 

「お、ぐ、おぇ……うぇえ……」

 

 

吐いた。

地面に、溢れた。

 

僕の心が、彼女への愛が、友情が、全部、全部、溢れた。

 

警官に腕を掴まれて、引っ張られる。

 

僕は、信じたくない景色を見た。

 

 

バラバラになってしまったミシェルが、そこに散らばっていた。



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#94 レスト・イン・ピース part1

雨が降っていた。

 

傘もささず、ただ立ち尽くす。

真っ黒なスーツ……喪服が濡れる事すら、気にする余裕はない。

 

雨か涙か、混ざり合った水滴が頬を伝う。

 

曇天は僕の心と同じ。

薄暗く、先も見えない。

 

 

真っ黒なリムジンから、棺が運び出される。

あの中に……彼女はいる。

死体は凄惨な様子で……体の一部も紛失していたらしい。

 

あの後、彼女とは顔を合わせる事もなく……棺へと詰められて……。

 

 

「ぅ、う……」

 

 

僕はまた、悲しくなって……自身の不甲斐なさに苛立って、苦しくて……。

 

 

辺りにいる人だってそうだ。

グウェンも信じられないと言った顔で立ち尽くしている。

フラッシュは声を上げて泣いている。

ハリーも俯いていて……ネッドは……まだ入院しているけど、きっとここにいれば……同じく。

 

集まっているのは学内の友人と、教師。

……彼女の家族は居なかった。

そもそも、居ないのかも知れない……彼女は、家族の事を語った事は一度も無かったから。

 

 

運び出された棺が、プレートの前に掘られた穴へ降ろされる。

 

土を、かける。

埋められていく。

 

 

僕は……この葬式をやめて欲しいと思った。

 

 

埋葬してしまったら……本当に、彼女は死んでしまったのだと……自覚しなければならない。

信じたくない。

だけど……目を閉じたら、網膜に焼き付いていたのはバラバラになってしまった彼女の姿だ。

 

目を開いて、現実を見る。

こちらの方が幾分かマシだ。

 

プレートには、『ミシェル・ジェーン』という名前が刻まれていた。

もう、その名で呼べる人は居ない。

 

目を閉じれば……彼女の笑顔が浮かぶ。

拳を握れば……触れた感触を思い出した。

声も、笑顔も、温かさも……時が薄れさせていく。

 

話したい事があった。

知りたい事があった。

知って欲しかった事があった。

行きたい場所も、やりたい事も。

 

 

だけど、もう二度と叶わない。

 

 

損失感が、心を乱す。

……僕が、僕がもっと……。

 

ミシェルが秘密を持っていたのは、知っていた。

なのに、傷付けたくなくて……いや、違う。

僕は『嫌われる事を恐れて』……見なかったフリをしたんだ。

無理にでも聞き出すべきだった。

 

彼女が死んだのは……殺されたのは……きっと、僕が彼女の正体を暴いたからだ。

ミシェル……レッドキャップが、何かの組織に参加しているのは何となく分かっている。

そして、その組織のせいで望まぬ殺しをしているのだろうと、推測している。

 

そして、それはきっと正解だ。

 

彼女の罪悪感は本物だった。

涙も苦しみも……僕の知らない彼女の一面。

だけど、やらざるを得ない……それはきっと、逆らえば『何か』を失うからだろう。

 

……例えば、命、とか。

 

僕が彼女の正体を暴いた所為で、組織に殺されたのだとしたら。

 

 

 

それは──

 

 

 

僕の責任だ。

 

 

 

雨が降り続けている。

……雨は嫌いだ。

 

 

大いなる力には、大いなる責任が伴う。

 

力を持つ者は……責任を果たさなければならない。

僕なら、彼女を救えた筈だ。

 

なのに、間違えた。

遅かった。

逃げていたんだ。

彼女の事を知ったふりをして、知らずにいた。

 

ベン叔父さんが死んだ時に、僕は……もう、二度と……この手が届く中で誰も殺させないと、誓ったのに。

 

土を、かけられる。

 

土を、土を。

 

やがて、棺は見えなくなって……埋葬は完了した。

 

愛しい記憶と共に。

土の下へ、深く、眠る。

 

 

膝に力が入らなくなって、崩れ落ちる。

 

 

「く……ぅ、あぁ……」

 

 

土がスーツにつく……指で地面を抉る。

水を含んで泥になっている……爪の間を汚す。

 

 

「あ……あぁ……あぁあ……」

 

 

言葉にならない慟哭が、口から漏れる。

声は雨音にかき消され、涙は雨と共に流れ落ちる。

 

喉が苦しくなっても、声を振り絞る。

 

この心にある悲しみも、自分への怒りも、全て……全て、吐き出すように。

 

僕は無力だ。

好きな女の子、一人すら守れない。

 

親愛なる隣人?

スーパーヒーロー?

 

違う、僕はただの……惨めな、一人の……子供(ガキ)に過ぎない。

 

蹲る。

 

 

「……うぅ……ぐぅ、う……」

 

 

冷たい雨水が首元に染みる。

 

このまま、僕は……静かに、冷たくなって……動けなくなっても良いと、そう思った。

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

私は手元のスマホを開く。

彼女と共に撮った写真が、カメラロールに並んでいる。

 

目を閉じれば……私を呼ぶ声が聞こえるような気がした。

 

『グウェン、これ……美味しそう』

 

『ここ、また一緒に行きたい』

 

『この服は似合わない、かも……』

 

『グウェン……!』

 

『グウェン』

 

……目を開いて、スマホを閉じる。

今はまだ、この写真達を直視できない。

失った物は大きく、辛過ぎる。

 

私は雨に濡れた地面に、靴を擦った。

キュッと音が鳴った。

 

ここは教会……埋葬の後、こちらに戻って来た。

机の上に並べられたケータリングは誰も手を付けていなかった。

 

白い生クリームの乗ったスポンジケーキを見て……皿へ、無意識に乗せてしまった。

食べさせてあげる相手が居ない事を思い出して、虚しくなった。

 

食欲は湧かなかった。

だけど、戻すのも悪いと思って口に入れる。

ただただ甘かった。

 

あまり、好きな味ではない。

だけど、今……私の心の中は苦く、酸っぱい。

丁度良いと、感じた。

 

広い部屋には他にも何人か居て……ミシェルの事を想っている。

誰も彼も、受け止められていないように見えた。

 

 

そして。

 

特に。

 

彼は。

 

 

私は部屋の隅で壁に背を任せて、放心しているピーターを見た。

彼は、重症だ。

 

 

……ミシェルは通り魔に殺されたのだと、私は聞いている。

そして、この中で現場を見たのはピーターだけだ。

 

遺体がどんな様子だったかは知らない。

教えてくれなかったからだ。

 

だから、逆に……教えたくないと思えるほど……酷い様子だったのだろう。

 

私は同情していた。

 

 

横に擦り寄り、並ぶ。

 

声は掛けない。

ただ、横に並ぶだけだ。

 

何も言わない。

この辛さを分かち合い、理解し合う。

それだけだ。

 

 

ピーターが私の顔を一瞥し……涙を零した。

 

 

身近な人を失う悲しみに、きっと慣れる事はないだろう。

母が死んだ時も、父が殺された時も……そして、今も。

 

平然としている事は出来ない。

 

 

……殺されてしまった彼女を想う。

苦しかったのだろうか、辛かったのだろうか。

 

心の奥底が熱くなる。

拳を握りしめる。

 

 

失った物を数えて、残った物を感じて、私達は生きて行かなければならない。

 

それが生きている人間に任された、義務だから。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

僕は自分の住んでいるアパートへと戻っていた。

入口を抜けて、廊下を歩く。

 

濡れたスーツのまま、ただ歩いている。

 

ここ数日の記憶は曖昧だ。

彼女が死んでから、僕の心は色褪せている。

 

あんなにも彩られていた日常は、今、もう……モノクロにしか感じられない。

毎朝の営みも、彼女と歩んだ道も、会話も、全て。

 

これ以上、増える事はない。

いずれ忘れていき、色褪せていくだけだ。

 

 

「ちょっと、アンタ」

 

 

誰か……アパートの管理人だ。

僕が振り返ると、管理人は少しギョッとした顔をした。

……それだけ酷い顔をしているのだろうか。

 

 

「そこの部屋の片付けは、いつ終わるんだい?アンタ、そこの娘と仲が良かっただろう?」

 

「あ、えっと……」

 

「部屋が片付かないと、新しい住人を入れる事だって出来ないんだから」

 

 

彼女に家族は居ない。

葬式の費用だって……僕らで折半したぐらいだ。

 

だから、部屋を片付ける人だって居ない。

 

 

「……僕が、片付けますよ」

 

「あぁ、そうかい。鍵を渡しておくから……週末までには片付けてくれよ」

 

「……はい、ありがとうございます」

 

 

僕の手に、彼女の部屋の鍵が渡された。

僕は握りしめて、管理人へ頭を下げた。

 

降り続ける雨音を聞きながら、僕は部屋へ入った。

 

喪服を脱ぎ捨てて、シャワーを浴びる。

このまま全て、悲しみも流してしまいたい。

 

……コインランドリーに最後に行ったのは一週間以上前だ。

普段は使わないタオルで顔を拭き、普段は着ない服を着る。

 

更衣室から出て、喪服をビニール袋に入れた。

……明日にはクリーニングに出そう。

 

荷物を机に置いて──

 

机に置かれていた腕時計……スパイダーマンのスーツが転がり落ちた。

 

 

「あ──

 

 

ゴミ箱の中に入り、からからと音を立てた。

それは静かな部屋に響いて、酷く虚しく感じた。

 

……何故か今は。

手を伸ばして、腕時計型のスーツを手に取る事が出来なかった。

 

 

僕は自惚れていた。

この授けられた力さえあれば、誰だって助けられると思っていた。

 

だけど、それは誤りだ。

 

本当に僕は……人助けがしたくてスパイダーマンをしていたのか?

 

 

脳裏に焼き付いているのは、怒りに身を任せて……彼女を打ちのめした時の光景だ。

 

 

勝利の喜び、悪を打ちのめす快感。

誰かに認められたいという承認欲求。

 

それを求めていただけじゃないのか?

 

人助けをする事で、自分を慰めているのだろう?

 

 

責任を、履き違えていた。

僕は無責任な未熟者だ。

 

スーツを拾えない。

 

スーツを着る資格がない。

 

 

この力は呪いだ。

僕がどれだけ必死に戦おうとも、代償を払うのはいつだって……僕の周りにいる愛する人達だ。

 

 

……目を閉じる。

息を深く吐いて、踵を返す。

 

 

 

部屋を出て、隣室の鍵を開ける。

 

 

 

数日前に見た部屋と同じだ。

僕は自室から持ってきた段ボールを組み立てる。

 

本棚に並べられた本を見る。

よく見ると埃をかぶっている。

 

古臭い伝記や、お伽噺が書かれた本を段ボールに詰め込んでいく。

……一つ、埃のついていない本を見つけた。

 

 

「……ネッドから借りた本じゃないか」

 

 

少し前、ネッドがミシェルに貸したコミックだ。

僕は手を伸ばして、それを手に取る。

 

……これは、ネッドに返さないとな。

 

ベッドの上に本を置く。

丁寧にベッドメイキングされている。

 

二度と帰ってこない部屋の主を待っているかのようだ。

 

……考えていると、何でもネガティブに考えてしまう。

やめよう。

 

本棚の本を詰め終わり、机の上にあるスクラップブックを見た。

手に取り……捲る。

 

スーツを着た僕の写真だ。

スパイダーマンの写真。

 

……どうして、彼女はこんな物を作っていたのだろう?

僕を殺すつもりではないのだとしたら、どうして僕を調べていたんだ?

 

 

『だって、私……スパイダーマンのファン、だから』

 

 

……あぁ、そっか。

あれが本心だったんだ。

 

彼女は僕の……スパイダーマンの事が好きだったんだ。

 

 

『もっと、身近な……小さい所で……見返りもなく……言葉にし難いけど、そういう所が好き』

 

 

そんな、好かれるような……人間じゃないのに。

 

スクラップブックを捲る。

詳しく書かれていた情報も、貼り付けられた新聞の記事も……好意からだと分かれば。

 

暗殺者の作っていた物騒な資料なんかには、もう見えない。

思春期の少女が作った……好きの詰まった手製の本だ。

 

 

スクラップブックをベッドに置く。

捨てたくない、そう思った。

 

勝手に読んで、彼女には申し訳ないけど。

きっと、この事が知られたら赤面して……怒られると思うけど。

彼女は優しいから、何だかんだ怒っても許してくれると思うけど。

 

だけど。

 

 

もう、居ない。

 

 

僕は彼女の机に手を乗せる。

そして、引き出しを引き……その軽さに驚いた。

 

中に入っていたのは一枚の封筒だけだ。

他には何も入っていない。

 

僕はそれを手に取る。

表には何も書かれていない。

 

裏返すと──

 

 

『ピーター・パーカーへ』

 

 

綺麗な彼女の文字が見えた。

目を見開く。

 

僕は引き出しをしめて、椅子に座る。

 

意を決して、机の上のペーパーナイフで封筒を開ける。

 

中に入っていたのは折り畳まれた一枚の紙だ。

 

 

それを開けば……文字が書いてあった。

僕宛の手紙だ。

 

 

目を、向ける。

 

 

──────────

ピーターへ

 

貴方に沢山の迷惑を掛けました。

嘘も沢山吐きました。

 

どれだけ謝罪を重ねても、許される事だとは思っていません。

──────────

 

 

「……許すよ、僕は」

 

 

手紙からは、後めたさ……罪悪感が感じ取られた。

 

 

──────────

私は貴方が憎むべき悪人です。

好かれるような善人ではありません。

 

貴方の好意を踏み躙っていました。

──────────

 

 

思わず、息を深く吐いた。

 

違う。

 

君にどんな一面があったとしても、僕は彼女の事が好きだった。

今も変わらない。

 

 

──────────

優しい貴方なので、私の死に悲しんでくれていると思います。

落ち込んでいると思います。

 

ですが、どうか嘆かないで下さい。

──────────

 

 

思わず、唇を噛んだ。

痛みで、この悲しみを上書きしたかった。

 

 

──────────

私の存在は、貴方の人生における躓きでしかありません。

 

これからの人生における小さな障害です。

──────────

 

 

眉を顰めた。

 

ミシェルは……分かっているように見えて、何も分かっていない。

僕にとって彼女がどれだけ大きな存在であったかを。

 

 

──────────

どうか、忘れて下さい。

私の事を忘れて、良き人を見つけて下さい。

──────────

 

 

だから、こんな事が書けるんだ。

書けてしまえるんだ。

 

 

──────────

どうか、私を踏み越えて下さい。

私の事を踏み越えて、置き去りにして下さい。

──────────

 

 

……僕は、彼女に自分自身を好きになって欲しかった。

だけど、彼女は……。

 

 

──────────

どうか、輝き続けて下さい。

貴方は私にとって、希望の光です。

──────────

 

 

僕は泣いていた。

……彼女が自分の事を好きになれなかった事実に。

 

悲しくて、悲しくて、悲しくて。

 

自分の不甲斐なさが許せなくて。

 

 

──────────

本当に今まで、ありがとうございました。

 

そして、

私は貴方のことが、好きでした。

さようなら。

 

ミシェル・ジェーンより

──────────

 

 

息を殺して、泣いた。

手紙を握り締めて、僕は泣いた。

 

 

「……ミシェル、僕は」

 

 

涙が止まらない。

僕は彼女に、報いる事が出来なかった。

 

嗚咽が漏れる。

 

 

「僕は……ただ、君に……幸せになって欲しかった、だけなのに……」

 

 

もう、立ち上がれない。

心が折れた。

 

支えるべき足を失って、へたり込む。

 

 

僕は、僕と──

 

 

ただ、君と──

 

 

一緒に──

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

ブルックリン。

時計の修理屋……『フィックス・イット』。

 

そのドアには今日、『CLOSED』の看板がぶら下がっていた。

 

一見すると小さく古臭い時計屋でしかない。

だが、小さな部屋に見せかけたエレベーターがあり……地下には大きな工房がある。

 

近未来的な……いや、事実、近未来の技術で作られた工房。

 

そこで、僕は机に座っていた。

いつものマスクを被り……ティンカラーとして。

 

 

僕は肘を背もたれに乗せて、足で地面を蹴る。

くるりと椅子が回った。

視界の先には薄暗い部屋の隅。

 

 

『これで、本当に良かったのかい?』

 

 

僕はそう、問いかける。

何も返っては来ない。

 

 

『正直に言うとね、僕は今でも納得してないよ』

 

 

僕はそう言い切る。

 

 

『葬式に行ってきたよ。参加はしていない……だけどね、泣いていたよ』

 

 

手元にあるスパナを撫でる。

 

 

『特に……スパイダーマン、彼は辛そうにしていた』

 

「何が言いたい?」

 

 

返ってきた言葉に、僕は頬を緩める。

挑発紛いな事をしても、言葉を引き出したかった。

 

 

『あれは折れてしまった者の顔だった……彼の事は大切だったんだろう?あぁなってしまっては、再起不能だ』

 

 

網膜の下には嗚咽を漏らす……ティーンエイジャーのまだ子供の顔が思い出せた。

 

……あの顔は見た事がある。

そう、鏡に映った僕の顔だ。

立ち上がれない……下へ下へ、降っていくだけの顔だ。

 

暗闇へ、光から離れて、薄暗い地の底へと落ちていく顔だ。

折れた心はそう簡単に治りはしない。

歪に歪んだままだ。

 

 

「そんな事はない。彼は必ず立ち上がる」

 

 

だけど、返ってきた言葉は否定の言葉だ。

 

 

『……言い切るのかい?』

 

「あぁ」

 

『随分と信頼しているね……君の事を助けられなかったのに』

 

「……あぁ、そうだとしても」

 

 

薄暗い部屋の隅から、立ち上がり……僕の前へ近付いてくる。

 

 

「彼は私の憧れ(スパイダーマン)だ。どんな逆境からでも、どんなに苦しんでも……必ず立ち上がる」

 

『……そうかな?』

 

「そうだ。だから、私は憧れた。だから、私は彼を……」

 

 

顔を下げて、話すのをやめた。

僕は息を深く吐いた。

 

そんな様子の僕を見て、彼女が口を開いた。

 

 

「感謝はしている、ティンカラー」

 

『……もう二度と、あんな事はしたくないけどね』

 

 

彼女の……姿を模した有機体『LMD(ライフ・モデル・デコイ)』を切り刻んだのは僕だ。

LMDを死体として偽装しようと考えた時、右腕を彼女へと移植した事が障害(ネック)になった。

 

右腕のない死体……彼女の右腕は『S.H.I.E.L.D.』に回収されている。

真相に気付くには遅れるだろうが、勘繰られても面倒だ。

 

だから、切り刻んだ。

損失しているのが右腕だけではないなら、不可解に思えても結び付き難いだろう。

発想の転換だ。

 

しかし……そう、その工程は僕の精神に深くダメージを与えていた。

表には出さないけれど……作業中に嘔吐しそうになった程に。

 

彼女の腕を繋ぐ医療目的とは違う……ただ亡骸を辱めるだけの行いだ。

例え、その亡骸が本物ではなかったとしても……気分が悪い。

 

 

「……これから、私はどうなる?」

 

『そりゃあ、組織の本部に戻ってお説教だろうね』

 

「そうか」

 

 

お説教……なんて軽い言葉を使っているが、実際はもっと──

 

頭を振る。

脳裏に浮かんだ光景は振り払う。

 

 

『……どうにか回避する方法は探したかったけれど』

 

「いや、良いんだ。そこまでして貰う義理はない」

 

 

……あるんだ。

僕には君を助けなきゃならない、理由が。

 

 

「だから──

 

 

だから、僕に──

 

 

「ありがとう、ティンカラー」

 

 

感謝なんて、しないで欲しい。

君がやっと手に入れた幸福すら奪ってしまう僕なんかに。

 

 

『……ごめん、少し席を外すよ。何か食べたい物はあるかい?』

 

「いや、構わない」

 

 

あれから、彼女は生きるのに必要な栄養素しか取得していない。

栄養のあるゼリーや、水しか飲んでいない。

 

死ぬつもりはないらしいが、それでも食事を楽しめる気分ではないのだろう。

いや、『楽しんではならない』と自戒しているのか。

 

僕は撫でていたスパナを机に戻し、部屋を出る。

 

 

静かな廊下に足音が鳴る。

小部屋から離れて、息を吐く。

 

 

……僕は手元にある小さなメモを開く。

そこに書いてあるのは電話番号だ。

 

僕は背を壁に任せて、仕事用ではない携帯端末を手に取る。

マスクを脱ぎ、地面へと捨てる。

 

そして、電話を掛けた。

 

 

「もしもし?」

 

 

きっと、僕は後悔しない。

 

 

「……誰だ?」

 

「嫌だなぁ、貴方がこの電話番号を渡したんじゃないですか」

 

 

例え、この身がどうなっても。

 

 

「君は──

 

「ニック・フューリー、貴方に話があるんだ」

 

 

報いる為ならば。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

ひとしきり泣いて。

折れた心のまま、ゆっくりと立ち上がる。

 

電気も点けず、薄暗い部屋の中で僕は……立ち上がった。

 

ミシェル。

彼女のいた痕跡が残る、この部屋で。

 

片付けたくなんてない。

戻ってくる事はなくても、戻ってきても良いんだと、そう思っていたかった。

 

僕は壁に手をついて、咽せる。

……少し、休憩しよう。

 

部屋から出ようとして、段ボールを一瞥し──

 

 

何か、見過ごしている気がしていた。

ほんの少しの違和感、それが脳を過ぎる。

 

何か、忘れている気がする。

何かに、気付いていない気がする。

 

これは超感覚(スパイダーセンス)じゃない。

超能力(スパイダー)じゃなくて、人間(マン)としての部分が違和感を訴えている。

 

部屋を見渡す。

 

普段ならば見過ごしてしまうような、まぁ良いやと思えるような感覚。

ほんの少しのズレ、それを手繰り寄せる。

 

何だ?

何が『違う』?

 

部屋の中にある本棚。

ネッドから借りた本。

スクラップブック。

机に置かれたままの遺書。

 

……スクラップブック?

 

これは先日、彼女の正体を知った日に見た物と一緒だった。

 

じゃあ、何が気になる?

 

 

……机の上を見る。

 

 

無い。

 

 

あれが無い。

 

 

「僕達の、写真……」

 

 

誕生日会で撮った、僕と彼女、グウェンとネッドの写真。

それを飾る写真立てがない。

 

何故、ないんだ?

……誰が持っていったんだ?

 

持っていけたのは、僕が彼女の正体を知って、彼女が死ぬまでの間。

もしくは、葬式をしている間か。

 

 

誰が、何のために?

 

 

涙は引っ込んだ。

僕の脳裏にあるのは一筋の希望。

いや、願望だ。

 

 

「カーネイジとの戦いで、彼女は右腕を失っていた……だけど、数日後には治っていた」

 

 

理由は分からない。

ただ、分からなくても、こじ付けでも良い。

 

ミシェルが殺された凄惨な光景を思い出す。

その死体のカケラの中に、右腕はなかった。

 

 

「……アレが本物じゃないとしたら」

 

 

彼女の所属している組織は、大きく……凄い科学力を持っていた。

死体を偽装する事だって出来るのだとしたら。

 

 

「……生きてる」

 

 

そう、結論付けた。

 

 

「そう思いたいだけだとしても……」

 

 

その可能性があるのならば、僕は。

 

彼女の部屋から出て、自室へ戻る。

上着を脱ぎ捨てて、机の横のゴミ箱に手を伸ばす。

 

 

「……スタークさんには悪い事したな」

 

 

折角、僕のために作ってくれたのに。

 

腕時計型のスーツを手に取る。

そして、腕に巻く。

 

 

どんなに辛くても、悲しくても。

犠牲を払っても、大切な物を失ったとしても。

 

僕が何もしなかったせいで、誰かが傷付く事なんて……二度と、あってはならない。

 

 

大いなる力には、大いなる責任が伴う。

 

 

それはベン叔父さんから受け継いだ、僕の誓いだ。

 

立ち上がる。

迷いはあっても、何度挫けても。

 

僕は負けない。

最後に立ち上がって、必ず勝つんだ。

 

 

『貴方は私にとって、希望の光です』

 

 

だったら、助けなくちゃ。

 

終わってない。

僕の戦いも、彼女の苦しみも。

 

隣人が苦しんでいるのなら、この力を使って責任を全うする。

 

それが僕に課せられた運命。

例え、その力が僕を呪うとしても。

僕の人生をメチャクチャにするような物だったとしても。

 

 

僕は戦う。

戦わなければならない。

 

 

 

だから、それなら、なぜなら。

 

 

 

僕は──

 

 

 

親愛なる隣人、スパイダーマンだからだ。



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#95 レスト・イン・ピース part2

僕は腕時計型のスーツを握りしめながら、思案する。

 

『S.H.I.E.L.D.』はレッドキャップを探していた。

それはカーネイジと戦った時にウィンターソルジャー、バッキーの様子から分かっていた。

 

……スタークさんに連絡しよう。

僕はスマホを開き、スタークさんの連絡先を押した。

 

数回のコールの後、電話に出てくれた。

 

 

「スタークさ──

 

『こんばんは、ピーター。ジャービスです』

 

「えっ?」

 

 

しかし、電話に出たのは執事型AI、ジャービスだった。

 

 

「スタークさんは!?」

 

『現在、重要な会議に出席中です』

 

「割り込んで貰うことって──

 

『申し訳ありませんが、不可能です』

 

 

スタークさんは、僕なんかよりも凄いスーパーヒーローだ。

きっと、もっと大規模な世界の危機なんかと戦っているのだろう。

 

 

……だけど。

 

 

……。

 

 

だから、我儘は言えない。

 

 

「……分かったよ、ジャービス。伝言頼めるかな?」

 

『はい、構いません』

 

 

僕は話した。

大切な彼女の事を。

レッドキャップの事を。

 

彼女を、助けたいという想いを。

 

 

「だから、スタークさんの助けが欲しいんだ」

 

『了承しました。トニー様に連携します』

 

 

ジャービスの返答に、僕は頷いた。

 

 

「ありがとう、ジャービス……それじゃ、僕はやる事があるから」

 

『えぇ、ご武運を』

 

「うん、ありがとう……ジャービス」

 

 

通話を切って、息を深く吐く。

 

ミシェルを探さないと……だけど、一人では手が足りない。

……誰か、頼れる相手は?

 

僕は窓の外を見る。

雨はもう止んでいた。

茜色の空がニューヨークを照らしている。

 

……人探しなら、探偵だ。

ジェシカに頼ろう。

 

連絡先は持ってないけど、彼女の探偵事務所なら分かる。

 

スーツを着て事務所に行ける訳がない。

徒歩で行く必要がある。

 

……僕はドアに手を掛けて部屋を出て──

 

 

「ピーター?」

 

 

グウェンと、出会った。

喪服ではなく、動きやすそうな服装になっていた。

 

一度帰って来てから、こちらに来たのだろう。

だけど、何故、ここに居るかは分からない。

 

 

「……グウェン?何で、ここに?」

 

 

僕はドアを後ろ手で締めつつ、廊下で彼女と見合う。

 

 

「何でって……アンタが心配だからに決まってるでしょ」

 

「僕が?」

 

 

グウェンが僕の顔を見て、訝しんだ。

 

 

「……何かあったの?随分と元気そう……いや、ちょっと違うかも。落ち込んでられないって感じ?」

 

 

相変わらず、僕の表情を読むのが上手い。

 

 

「い、いや……何もないよ」

 

 

僕は彼女の横を通ろうとして……彼女はそちらの方に寄って進路を妨害してくる。

足を伸ばして、僕の足の間に踏み込んだ。

 

 

「嘘、絶対に何かあったでしょ」

 

「ごめん、グウェン、僕にはやらなきゃならない事が──

 

「それは、ピーターとして?それとも──

 

 

グウェンの目は、僕の目をまっすぐに見ていた。

 

 

「スパイダーマンとして?」

 

 

一瞬、呼吸を忘れてしまった。

 

どうしてバレているのかとか、どうやって誤魔化そうか……なんて、一瞬考えた。

 

だけど、僕は……首を縦に振った。

 

 

「どっちも……(ピーター)としても、(スパイダーマン)としても」

 

 

もう、嘘は沢山だ。

それにグウェンにはバレたとしても……彼女なら危機を跳ね除けられるだろう。

 

 

「……そう」

 

 

グウェンがため息を吐いて、足を引っ込めた。

僕は彼女を横切ろうとして──

 

 

頬をぶたれた。

 

 

()っ!?」

 

「ほんっと、バカ。ちょっと、こっち来なさい」

 

 

グウェンに耳を引っ張られて、そのまま非常階段の前まで連れて来られた。

 

 

「いっ、いいっ、痛いって!」

 

 

手を離される。

僕は耳を摩り……少し熱を持っているように感じた。

 

……ここは裏口だから、背後に大きなビルの壁があり盗み聞きされる心配もない。

何か聞かれたくない話があるのだろう。

 

 

「自業自得よ。それよりも、何でそんなに慌ててるのよ……もしかして、ミシェルを殺した犯人でも見つけたの?」

 

 

僕は……答えに窮した。

 

だって、グウェンはミシェルと親友だった。

彼女がしてきた事について……勝手に話すのは良くないと思って──

 

 

「良いから、話して。迷ってる時間もないんでしょ」

 

「でも」

 

「言わないなら、何処にも行かせない」

 

 

……時間が勿体ない。

僕は観念して、ミシェルの事を話した。

 

反応が怖くて、目を逸らしていた。

もし、グウェンがミシェルを嫌いになってしまったら……。

 

話し終えた後……グウェンが深く息を吐いた。

 

そして……自分自身の頬を強く叩いた。

ほんのり赤くなっていた。

 

 

「グ、グウェン?」

 

「あの娘が苦しんでいたのに……気付かなかった自分への罰」

 

「……そっか」

 

 

グウェンなら……ミシェルを許せるだろうとは思っていた。

ただ、ほんの少し……許せなかったら、どうしようかと……疑ってしまう僕がいたのは確かだ。

 

ほんの少し、申し訳なく思って……それと同時に嬉しくなった。

 

僕の内心に気付いた様子もなく、グウェンが口を開いた。

 

 

「それで、これからどうするつもりなの?」

 

「僕は知り合いの探偵に協力をお願いするつもりだけど……」

 

「私もついていくわ」

 

 

そう言うと思っていた。

諦めて、僕は頷く。

あまり彼女を危険な事に巻き込みたくなかったけど。

 

彼女が非常階段の縁に手を掛けて、僕へ振り返った。

 

二人で非常階段から駆け足で降りて、ヘルズキッチンへと向かう。

 

夕方で雨上がりだからか……人混みは少ない。

水溜りを踏むと、水が跳ねた。

 

 

「……そう言えばさ、グウェン。何で僕の……えっと、知ってたの?」

 

 

外にいるから、誰の目があるか分からない。

ボカして質問した。

 

どうして、僕がスパイダーマンだと知っていたのだろう。

ネッドが話したのだろうか。

 

そう思って訊いたのだけど……グウェンが口を開いた。

 

 

「女の勘よ」

 

「へ、へぇ……」

 

 

思わず、声が漏れた。

 

勘……って事は確証がなかったのだろう。

つまり、あの時、僕は引っ掛けられていたという事だ。

 

 

「と言うか隠し事が下手過ぎるのよ。アンタも、ネッドも」

 

「は、はは……」

 

 

だけど、まぁ……僕の秘密を知られても、別に構わないと思った。

寧ろ、少し心が軽くなった。

 

苦笑いする僕に、グウェンが深く息を吐いた。

 

 

「ピーター、絶対に助けるわよ」

 

「……それは、勿論」

 

 

彼女の残した手紙のことを思い出した。

 

彼女を助けたいと思っているのは、僕だけじゃない。

沢山いるんだ。

 

だから、ミシェル……そんなに自分を卑下しないで欲しい。

帰る場所は、ここにあるから。

 

僕達が作るから。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

ヘルズキッチン、エイリアス探偵事務所。

雑居ビルの中にある事務所の前まで来ていた。

 

だけど──

 

 

「……閉まってる」

 

 

『CLOSED』の看板が掛けられていた。

 

視線をズラして……事務所の看板に電話番号が書いてあった。

以前、来た時にも書いてあったのだろう。

その時は切羽詰まっていて見過ごしていたようだ。

 

グウェンが興味深そうにガラス張りのドアから中を覗いている。

僕はスマホから看板に書かれている電話番号に電話しようとして──

 

 

「オイ、どうした坊主」

 

 

振り返ると……スキンヘッドの大男が立っていた。

彼はジェシカの夫の──

 

 

「ルークさん!」

 

 

ルーク・ケイジだ。

身長が2メートル近くあるから、顔を見上げると少し首が痛い。

 

 

「ジェシカに何か用か?」

 

「えっと、はい」

 

 

僕が首を縦に振ると……グウェンが後ろから顔を出した。

それを見てルークが自分の顎を撫でた。

 

 

「ん?坊主の恋人(これ)か?」

 

「違うわよ」

 

 

グウェンが凄い顰めっ面をしていた。

その様子にルークが苦笑した。

 

 

「いや、悪い悪い……で、坊主。その娘は?」

 

「えっと……友人のグウェンです」

 

「ほぅ、友人……どっちのだ?」

 

 

ルークが声を潜めて、僕に聞いてくる。

スパイダーマンとしての友人か、プライベートとしての友人か分からないからだろう。

 

 

「どっちもです」

 

 

そう僕が答えたのを見て、グウェンが横から口を挟んだ。

 

 

「ピーター、この人誰?」

 

 

ピーター、という名前を聞いてルークが僕の顔を一瞥した。

……そうだ、ルークもジェシカも……他のディフェンダーズの人達だって僕の名前を知らないんだった。

 

僕はグウェンに顔を向ける。

 

 

「この人はルーク・ケイジさん……えっと、何て言うのかな……スーパーヒーロー?」

 

「雇われヒーローだ。今はフリーだがな」

 

「へぇ、ふぅん……よろしく」

 

 

グウェンが手を伸ばし、ルークと握手する。

……そう言えば、ルークは僕と握手した時、思いっきり握りしめてたけど……流石に女の子に対してはやらないみたいだ。

 

手を離したルークが僕を見た。

 

 

「それで、ジェシカだが……今、入院中だ」

 

「入院……?」

 

「デカい怪我をしただろ?数日前に……坊主も居たが」

 

「あ」

 

 

思い出した。

僕がレッドキャップの正体を知ってしまった日……ジェシカは彼女に傷を負わされていて──

 

……ジェシカはミシェルを助けてくれるんだろうか?

ルークだって、奥さんが傷を負わされて……恨んでないだろうか?

 

 

「ジェシカに『もし出会ったら礼を言ってくれ』って言われてたんだよ……俺からも礼を言っとくよ。ありがとよ」

 

「えっと……どういたしまして?」

 

 

あんまり礼を言われるような事をしてるつもりはないけど……でも、素直に受け取っておく。

そんな様子の僕にルークが少し笑った。

 

 

「取り敢えず、事務所に入るか?俺も用事がある」

 

 

ルークがズボンから鍵を取り出し、事務所のドアを開けた。

促されてグウェンが後ろから入り……立ち止まっていた僕へ振り返った。

 

 

「ピーター、悩むのは後にしたら?」

 

「……うん」

 

 

二人で事務所に入り、応接用のソファに座る。

ルークは机の引き出しから書類を取り出していた。

 

 

「入院中だってのに仕事熱心でな……何だかよく分からんが、依頼の書類を持ってきてくれって頼まれてんだよ」

 

「は、はぁ……」

 

 

僕は頷く。

そんな僕の腹をグウェンが肘で突いた。

 

……早く言えって事だろうか。

 

 

「あの、ルークさん?」

 

「ん?何だ?ジェシカへの用なら病院に行くから、そん時に伝えても──

 

「話したい事があるんです」

 

 

僕の様子に、只事ではないと悟ったのか……ルークは手に持っていた書類を机に置き、僕の対面に座った。

 

 

「何かピンチか?」

 

「……どうしても、助けたい人がいるんです」

 

 

僕はそう言って……どう、言葉を選ぶか迷っていた。

レッドキャップ……彼女に対して恨みを持っているかも知れない相手に、どうやって──

 

 

「良いぞ」

 

「……まだ、話してないんですけど」

 

「手を貸してくれって話だろ?構わん」

 

 

ルークが膝を手で叩き、立ち上がった。

その様子は……初めてジェシカと会った時に似ていた。

……夫婦だから似ている……いや、似てるから夫婦なんだろうか?

 

不可解そうにしている僕にニヤリと笑った。

 

 

「ヒーローは助け合いだ……それに、誰かを倒したいってのなら別だが、誰かを助けたいってなら断る理由がねぇな」

 

「ルークさん……」

 

「お前だってそうだろう?なぁ、スパイダーマン」

 

 

僕は少し、涙腺が緩むのを感じながら立ち上がった。

 

……そうだ。

僕だって、誰かを助けたいという思いを否定する事はない。

人助けなら……断らない。

 

僕もそうだ。

ルークだってそうなんだ。

 

きっと、ジェシカだって、ディフェンダーズの他の人達だって。

 

僕は首を縦に振って、ルークを見た。

 

 

「ありがとうございます、ルークさん」

 

「他の面子も呼ぶか?」

 

 

僕は少し、考える。

ミシェルを探すのに人の手は幾つあっても良い。

 

 

「是非、お願いします」

 

「おう……集まってから、内容は話せ。どうせ詳細を伝えなくても全員集まるからな」

 

 

ルークが事務所の据え置き電話を使って、誰かに電話を掛けている。

僕は少し安堵して、息を吐いた。

 

そんな僕をグウェンは見上げていた。

 

 

「……良い人達ね」

 

 

その言葉に同意する。

 

 

「うん、僕には勿体無いぐらい──

 

「バカね、アンタも良い人よ」

 

 

僕は驚いてグウェンを見た。

彼女に素直に褒められる事は少ない。

 

だけど、僕と顔は合わせてくれない。

恥ずかしかったのだろうか。

 

ルークが据え置きの電話を切って、僕達へ視線を向けた。

 

 

「取り敢えず、ここに集合になった。何か食うか?坊主」

 

「えっと──

 

 

食欲はあまり湧かない。

それどころじゃないって気持ちがあるから。

 

だけど、気分が少し落ち着いて来たからか、胃がキュッと縮小した感じがした。

 

 

「……ピーター、最後に食事をしたのはいつ?」

 

 

グウェンが僕の顔を覗き込んだ。

 

 

「え?あ……いつだっけ?」

 

 

少なくとも今日は何も食べていない。

水は飲んだけど……食欲が湧かなくて。

 

そんな僕の様子にルークが呆れたような様子で笑った。

 

 

「坊主、腹が減ったら力は出ないぞ。食っておけ……大事な時に力が出なかったら後悔する」

 

 

ルークが勝手知ったる様子で冷蔵庫からハムとか、パンとか取り出し始めた。

……厚意に甘える事にしよう。

 

僕はパンに手を伸ばした。

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

若干、空が少し暗くなって来て……デアデビル(マット・マードック)アイアンフィスト(ダニー・ランド)が現れた。

 

二人とも小さなスーツケースを持っていた。

 

全員が集まった段階で僕はレッドキャップについて……ミシェルについて話した。

グウェンは聞くのは二度目なのに……辛そうに自分の二の腕を握っていた。

 

 

「……そう、だったのか」

 

 

話し終えると、マットが重く頷いた。

サングラスの上、額に手を当てた。

 

 

「……なるほど、今まで集まっていた情報も……分かる。そう言う事か……何故、気付かなかったんだ」

 

 

マットが深く息を吐いて、壁に背を任せた。

……随分とショックを受けている様子だ。

 

ダニーも悩むような仕草をしている。

ルークは少し怒ったような顔をしていた。

 

 

「……みんなには、彼女を助けるための手伝いをして欲しいんだ。どんな手段でも良いから……」

 

 

そう言いつつ、マットを見た。

頷いて、壁から背を離した。

 

 

「分かった……元々、彼女と面識が一番古いのは僕だ。ヘルズキッチン内で思い当たる節を探してみるよ」

 

「……ありがとう」

 

 

そう、感謝するとマットが首を振った。

 

 

「いや、これは僕にも助ける義務がある」

 

 

手元のケースを地面に下ろすと、中には赤い悪魔のようなデザインのスーツがあった。

そこからマスクを手に取った。

 

 

「任せてくれ、スパイダーマン。『レッド……いや、違うな。『ミシェル・ジェーン』は必ず助けよう」

 

 

スーツとマスクを手に取り、マットが部屋を後にした。

……スーツに着替えるつもりだろう。

 

ダニーも僕を一瞥した。

 

 

「僕はミスティ、あ、えっと……警察に知り合いがいるから、そこから探ってみるよ。何か分かったら連絡をするから」

 

 

手を振って笑いながら、マットの後ろへついて行った。

 

 

残ったのは僕とグウェン、そしてルーク。

ルークは眉を顰めていた。

 

 

「……ルークさん」

 

「許せないな」

 

 

そう、深く低い声を出した。

……やっぱり、ルークさんは──

 

 

「坊主、俺は知人の情報屋から探る」

 

「……手伝ってくれるんですか?」

 

 

僕はルークさんに顔を向けた。

彼は少し驚いたような様子で、納得して頷いた。

 

 

「ハハハハ、何だ坊主?俺が怒ってるのは、その娘が巻き込まれてる状況に怒ってるんだ」

 

 

ルークが僕の背中を叩いた。

結構、痛かった。

 

 

「ジェシカさんが傷付けられたのに……」

 

「それでもだ。この場にアイツが居たら、喜んで手伝ってるさ……まぁ、アイツは怪我人だから欠席だがな」

 

 

ルークが笑いながら、僕の側を離れた。

そして、部屋を出ていったマットとダニーの方を見た。

 

 

「俺はアイツらと違って特別なスーツなんて物はない。先に出てるぞ」

 

 

連絡先を交換しつつ、ルークが部屋を出ていった。

 

入れ替わってマットとダニーが入ってくる。

 

赤黒いスーツを身に纏ったデアデビル。

深い緑色のコスチュームに黄色のマスクをかぶったアイアンフィスト。

 

グウェンが目を細めて、僕を見た。

 

 

「ヒーローってコスチューム着ないと活動しちゃダメな理由があるの?」

 

「いや……僕とか彼らみたいな政府公認じゃない自警団(ヴィジランテ)は顔を晒せないんだよ」

 

「にしても派手じゃない?」

 

 

グウェンがそう言うと、マットが自分のマスクを指で叩いた。

 

 

「ヒーローのネームバリューは相手を恐れさせる。犯罪者が恐れるように多少は知名度を上げた方が良いのさ」

 

「……ふーん、そういう物なの?」

 

 

グウェンが腕を組んで首を傾げた。

 

 

「ヒーローを恐れて犯罪率が減るのなら御の字さ……さて、僕は行かせて貰うよ。君達は?」

 

 

デアデビルが僕を見た。

 

 

「僕は……スーツのドローンを使って街を探すよ」

 

 

そう言いつつ、グウェンを見る。

 

 

「あー、私は……戦える時間も限られてるし、ここで留守番しつつ『S.H.I.E.L.D.』と連携を取ってみるわ」

 

「……ん?『S.H.I.E.L.D.』?」

 

 

アイアンフィスト、ダニーが首を傾げた。

……あぁ、そう言えば彼等はグウェンの事を知らなかったんだった。

 

 

「えっと、ダニー。彼女は一応、その──

 

「『S.H.I.E.L.D.』のエージェント候補生よ」

 

 

そう言うとデアデビルとアイアンフィストがお互いに顔を合わせていた。

そして、デアデビルの口元が少し歪んだ。

 

 

「……そうか、分かった。それなら頼む」

 

 

多分、初めて知った時の僕と、同じ事を考えている。

未成年の女の子をエージェントにしようだなんて、『S.H.I.E.L.D.』は悪い組織なんだなって。

 

……まぁ、僕だって今でもニック・フューリーには思う所があるけどね。

 

 

「グウェン、ありがとう。頼んだよ……あ、あとハリーにも連絡しておいて!」

 

「当たり前よ」

 

 

ルークが置いていった事務所の鍵をグウェンに預けて、僕は事務所の窓の前に進む。

 

 

スーツを着用しつつ、窓から飛び出し……屋上まで壁を蹴り登る。

ニューヨークは既に夜になっていた。

 

そのままビルの縁を蹴り、宙へ飛び出す。

(ウェブ)を発射して飛び上がり、止まっているクレーンに着地する。

 

三角形に組まれた金属の柱、その左右に(ウェブ)引っ付けて、背後に飛ぶ。

反動で僕は弾き飛ばされ、高く舞い上がった。

 

そのまま高層ビルに(ウェブ)を発射して、振り子の要領で更に飛び上がる。

 

上へ、上へ飛び上がる。

やがて僕は、この街で最も高いビルの上に着地した。

 

月と電飾が街を照らしている。

大通りなら車も人通りも多い。

 

僕は胸のマークを叩いて、スーツの機能を起動する。

 

宙にUIが表示されて……僕はそれを手で操作する。

すると胸のマークの一部が分離して、ドローンとなって宙に浮き上がった。

 

 

「『カレン』、写真に写ってる女の子を探して」

 

 

スキャンしておいた写真を使って、AIに人探しを頼む。

 

 

「あ、あとそれと……先日出会った赤いマスク姿の相手も」

 

 

マスクで録画しておいたレッドキャップの写真も捜索対象に入れる。

 

 

『了解しました』

 

 

女性のように調声された電子音が聞こえて、ドローンが飛び去る。

 

僕は街を見渡す。

 

……騒がしい街だ。

様々な人種、文化、色んな価値観が混ざり合う。

だけど、誰も拒絶しない懐の広さがある。

 

僕はビルの隅にある石像、ガーゴイルの上に座る。

雨に濡れて、少し黒くなっていた。

 

これは魔除けの為に恐ろしい見た目をしている雨樋だ。

獅子のような顔からは、さっきまで降っていた雨水が吐き出された後があった。

 

マスクの盗聴機能を使い、警察の無線を傍受する。

何かあれば直ぐに駆けつけられるように。

 

 

……マスクの下に先程、スーツでスキャンした写真を表示する。

 

みんなで撮った誕生日会の写真。

その中で仄かに笑っているミシェルの顔。

 

……絶対に助ける。

ここに連れ戻す……また、みんなで笑えるように。

 

僕は拳を強く握りしめた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

写真を撫でる。

 

ピーター、グウェン、ネッド……そして、私。

誕生日の時に撮った写真だ。

みんな、幸せそうに……穏やかな顔で笑っている。

 

ピーターは今、どうしてるだろう?

黙って去ってしまって……グウェンには悪い事したな。

ネッドには……最後まで謝る事も出来なかった。

写真には写っていないけど……ハリーも、急に訃報を知らされてどんな気分だったのだろう?

 

後悔はある。

罪悪感もある。

 

……未練がましく持って来て良い物ではないだろう。

だけど、この写真は捨てられなかった。

偽りだったとしても、この友情は捨てたくはなかった。

 

 

 

首から下げているチェーンを引っ張り、胸元のアクセサリーを手に取る。

ひび割れて白くなってしまった、青い薔薇を象った装飾品。

 

ピーターが夏期旅行の時にプレゼントしてくれたアクセサリーだ。

それを壊れないように、優しく握る。

彼の想いが込められた、今にも壊れそうな……薔薇のネックレス。

 

このアクセサリーも置いていく事など出来なかった。

偽りだったとしても、この愛情も捨てたくはなかった。

 

 

 

友情と、愛情。

私が手に入れて、捨てなくてはならなかった物。

 

私のような人間には身に余るほどの、大きくて深い感情。

二つを懐に仕舞う。

 

もう、一生分は泣いただろう。

乾いた涙腺を手で擦り……壁に手をついて立ち上がる。

 

 

命令無視。

正体を知られる失態。

 

組織は私を処分するつもりだ。

死なないにしても……それ相応の罰はあるだろう。

 

私はこれから何処にあるかも分からない本部へと向かう、らしい。

 

自分の事なのに、どうしても現実として見れない。

目を閉じて、開けば……日常に帰ることが出来る気がして……だけど、その日常を壊したのは私だ。

 

 

もう、帰る場所はない。

私に、帰る家は……ない。

 

 

机の上の携帯端末が光る。

前の端末は処分されてしまった。

 

だから、これは新しい端末。

ピーターやグウェンへの連絡先も無くなってしまった。

 

つまり、メールを送って来られるのは──

 

 

「……組織(アンシリーコート)

 

 

処遇が決まったのだろうか。

詳しく教えてくれるとは思わないが……手に取る。

 

送られてきたメールはかなり長い暗号文書だ。

 

読み解いていく。

超人血清によって強化された記憶力があれば、暗号を解析しながらも記憶する事だって容易い。

 

 

「…………?」

 

 

読み解いていく。

 

 

「…………」

 

 

読み解いていく。

 

 

「……どう、して」

 

 

読み解いて……私は端末を手放した。

目を閉じて、深く息を吐く。

 

理解はした。

だが、納得はしない。

 

……私は。

背後にある赤いマスクを見た。

私のもう一つの姿……いや、私の本性……本当の姿。

 

マスクの曲面には、歪んだ私の像が映っていた。

近付いて、プロテクターを指で叩く。

 

スライドして……ハンドガンを手に取る。

超人血清によって強化された人間が使う事を想定した、大口径のハンドガン。

 

そのグリップを、私は握る。

祈るように頭に銃口を当てれば……ひんやりと冷たかった。

 

 

目を閉じる。

外界の情報は遮断する。

 

 

今はただ冷静になりたかった。

……だけど、耐え難い現実は私に決断を迫らせる。

 

 

目を開き、拳銃を下げる。

息を深く吐いた。

 

 

足音が、聞こえる。

 

 

 

私は振り返り、銃口をドアへと向ける。

ガチャリ、とドアが開けられて──

 

 

『待たせたね、食べるかは分からないけどドーナツを──

 

 

ティンカラーへと、銃口を向けた。

 

 

『……どうかしたかい?』

 

「ティンカラー」

 

 

私はメールに記載されたいた情報を反芻する。

メールを送ってきたのは普段メールを送ってくる幹部とは異なる……組織の主領から、直接来たメール。

 

そのメールの内容は告発と、指令。

 

ティンカラーは……組織(アンシリーコート)のメンバーだった。

それも、私に指令を下していた幹部。

だから組織に詳しかったのだろう、納得した。

 

 

「どうして、裏切ったんだ……」

 

 

そして、彼は……『S.H.I.E.L.D.』に連絡をしていた。

私を受け渡すつもりだ。

 

それはきっと……私の事を考えてくれているのだろう。

彼は私の事を大切にしてくれていた。

 

だから、これまでの嘘も……私は気にしていない。

沢山の嘘を吐いてきた私だからこそ、彼の嘘も理解する事が出来た。

 

 

『……随分と耳が早い。盗聴でもされてたのかな、気を付けていたつもりだけど』

 

 

帰ってきた言葉は、暗に認めていた。

組織を裏切ったのは事実だ。

 

そして、組織は裏切り者を必ず殺す。

今まで組織を裏切った者を殺してきたのは誰か?

 

私だ。

レッドキャップだ。

 

組織は裏切り者(ティンカラー)の首を求めている。

抽象的にではない、物理的に『首』を求めている。

誤魔化す事は出来ない。

 

死体を偽装しても、組織の情報網を欺ける気がしない。

だから、殺さなければならない。

 

 

震える手を必死に抑えながら、ティンカラーへ向けた銃口を逸らす事はない。

 

 

『……はぁ』

 

 

ため息を吐きながら、ティンカラーが歩く。

ハンドガンの銃口で追う。

 

引き金は、引けずにいた。

 

彼は椅子へ座りこみ、私を見た。

手に持っていたドーナツの入っている箱を机に置いた。

 

視線が下がり……彼は私を見上げていた。

 

 

『いつかは殺されると思っていた』

 

「……何を──

 

『僕は人でなしだ。君の考えている以上に、遥かに屑だ。だから、いつか誰かに殺されて死ぬんだって思っていた』

 

 

その言葉を黙って聞く。

……私も、同じ事を思っていた。

 

自身は善性とかけ離れた悪人だから、穏やかな死は望めないのだと。

だから共感していたのだ。

 

 

『だけど、どうしてもね──

 

 

ティンカラーが机へと手を伸ばした。

……そこには試作品のハンドガンがあった。

 

止める事は出来なかった。

撃てなかった。

 

彼でなければ、引き金を引いていただろう。

 

ティンカラーはハンドガンを持ち上げた。

 

 

『君にだけは殺されたくない、かな』

 

 

そして、私へ銃口を向けた。

 

 

「……ティンカラー」

 

 

それでも、撃てずにいた。

 

撃てない。

 

撃てない……。

 

撃てる訳が、なかった。

 

 

『少し、話をしようか。ほら、そこに座りなよ』

 

 

このハンドガンでティンカラーのマスクを貫く事が出来るかは分からない。

対して、私は素顔だ。

ティンカラーが引き金を引けば、私は死ぬ。

 

だが、そんな事はどうでも良い。

どうせ私は引き金を引く事すら出来ないのだから。

 

私は促されるまま、仮眠用のベッドに座る。

クッションは薄く、硬かった。

 

 

『……良い子だ』

 

 

互いに銃口を向けたまま、顔を合わせる。

……敵対する意志を見せていれば、いつかティンカラーが引き金を引いてくれるかと思っていた。

 

だが、彼は撃たない。

互いに銃口を向けながらも、撃とうという意志がない。

奇妙な光景だ。

 

 

……私は口を開いた。

 

 

「……ティンカラー、一緒に逃げよう」

 

『不可能だ。君も分かって言ってるだろう?』

 

 

分かっている。

私の胸にある爆弾……それを起動されたら、私は死ぬ。

 

明確に組織の命令を無視して、標的(ターゲット)と共に逃げれば……もう、言い訳は出来ないだろう。

 

組織はティンカラーの裏切りを知っていた。

独自の情報網を持っている……どうやって知っているのか見当も付かないが。

 

だから、共に逃げれば必ず気付かれる。

そして……私は爆死する。

分かっている。

 

 

そうだとしても。

 

 

「それでも、お前が生きていられるなら」

 

 

それで良いと思った。

 

 

『……困ったね。君に少し、優しくし過ぎたみたいだ』

 

 

……ティンカラーが私の顔を見て、顔を逸らした。

私じゃない……何処か、遠い誰かを見ていた。

 

 

『昔話をしてもいいかい?』

 

「……そんなもの今は──

 

『黙っていても君はいつか、調べて探そうとするだろうからね』

 

 

私は眉を顰めた。

 

 

「何の話だ」

 

『僕は合理主義者だ。無駄な時間、無駄な徒労をするのも、している所を見るのも嫌いなんだ』

 

 

銃口は、私へ向けられている。

 

 

『だから、今……話すよ。妖精になれなかった屑の話と──

 

 

ティンカラーが、マスクを外した。

 

その下には……薄い、金髪と。

青い瞳があった。

 

似ている……鏡で見る、私に。

 

 

「君の起源(オリジン)を」

 

 

だけど、その目は……深く、深く……まるで深海のように。

 

 

暗く底が見えず。

 

 

濁っていた。



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#96 レスト・イン・ピース part3

僕はヨーロッパにあるラトベリア王国という場所で産まれた。

父と母、妹の四人家族で……そして、僕の妹は──

 

 

「兄ちゃん、これ見てくれよ!キャプテン・アメリカ!」

 

 

何というか……。

 

 

「オレ、将来ヒーローの手伝いする仕事に就くんだ!それでスパ……ぅん、ヒーローと握手して貰うんだ!」

 

 

その……酷く、男っぽい憧れを持っていた。

 

妹は幼い頃からヒーローに憧れていて、スケッチブックにクレヨンで絵を描いていた。

 

 

「それは?」

 

 

僕が真っ赤に塗られた人形に、黒と白で蜘蛛の巣のように描かれたヒーローを指差した。

 

 

「これは、スパイダーマン」

 

蜘蛛(スパイダー)?何だか人気が出なさそう」

 

「そんな事ないよ!壁を登ったり、どんな大きさの蜘蛛の巣だって作れるんだぞ!」

 

 

一番好きなのは自分で考えたヒーローらしい。

スパイダーマン……聞いた事はないし、調べても名前は出なかった。

あんまり突っ込んでやるのも可哀想だと思って、僕は妹の妄想に付き合ってあげる事にした。

 

母はもう少し、お淑やかにして欲しいと思っていたらしいけど。

 

 

「今日は祝日だから、晩御飯は豪華だぞ」

 

 

父の言葉に妹が複雑そうな顔をした。

 

妹は国王陛下の事があまり好きじゃないらしい。

だけど、嫌いって訳でもないらしい。

 

僕達はラトベリア王国の首都、ドゥームシュタットに住んでいたから、祝日には街全体が盛り上がっていた。

国旗を並べて、みんな口々に国王を讃えるんだ。

 

実際、僕から見ても国王陛下は凄い人だ。

強くて、凄く賢い。

 

窓の外を見てみれば、銀色のロボットが飛んでいた。

深い緑色のローブを着た国王陛下を模したデザインになっている。

 

国王陛下は凄い科学者だ。

その科学力でこの国のテクノロジーを発展させた。

 

軍隊の殆どが、あのロボットで構成されている。

だから周辺の国より軍事力が優れていて……ラトベリア王国は領地が小さくても裕福なんだ。

 

妹がヒーローに憧れるように、僕は憧れていたんだ。

 

 

 

だけど、ある日……それは、訪れた。

 

 

 

幸せを積み上げるのはゆっくりと。

だけど、壊れるのは一瞬だった。

 

 

内乱が起きた。

原因は知らない、子供の僕には政治は難しかった。

 

だけど、前からテレビでは確かに混乱を映していた。

他人事のように思えていて、だけど、それは僕の大切な思い出を焼き尽くした。

 

国王陛下が作ったロボット、それがハッキングされて暴れた。

首都、ドゥームシュタットは火の海になって。

 

 

両親は僕達と一緒に外国へ逃げようとしたけど。

 

 

気付けば──

 

 

僕は妹と、二人になっていた。

手を握って、燃え尽きてしまった街で二人……炎よりも赤い空を見上げていた。

 

内乱は国王陛下によって収められた。

よく分からないまま、よく知らないまま、誰を恨めば良いかも分からないまま。

 

 

「兄ちゃん」

 

 

妹の手を握って、僕は崩れた街を歩く。

 

父が本を買ってくれた書店も、母と一緒に買い物に行った食料品店も、妹のごっこ遊びに付き合った公園も。

 

全部、全部、全部。

 

燃えて、崩れて、ゴミになってしまった。

 

 

「兄ちゃん……」

 

 

悲しくて、虚しくて、ぽっかりと胸に穴が空いた。

 

僕に残ったのは、妹だけだった。

握ったこの手から伝わる温かさだけが、僕に残された……遺された最後の想い。

 

 

手を繋いだまま、僕達は二人、崩れ去った思い出の上に座った。

 

 

燃えるような空の下で、虚な目のまま、僕は──

 

あの子を、守ろうと──

 

して──

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

急速に作り直される街。

父や母と過ごした景色は塗り替えられた。

 

そして、僕達は孤児になった。

国王陛下が孤児院へ多額の寄付をしたから、食事には困らなかった。

だけど、僕は凄く虚しかった。

 

孤児院にある技術書を読んでいると、足元にボールが転がって来た。

 

 

「兄ちゃん、少しは息抜きしないと……」

 

「そんな事してる暇はないんだ」

 

 

より良い生活をするために、取り戻すために。

妹のために……止まっている事は出来なかった。

 

本を捲り、ペンを走らせる。

 

 

 

そんな日々が続く、続いて、続いて……気付けば一年は経っていた。

大きな出来事もなければ、山もなく……谷もなく。

緩やかな日々が過ぎ去るのは早い。

 

だってそうだろう?

特別でもない日の昼食を、いつまで覚えていられるって言うんだ。

 

 

 

 

また、ボールが足元へ転がる。

 

 

「兄ちゃん」

 

「いや、僕は──

 

「いいから、行こう」

 

「でも──

 

「いいから」

 

 

妹に手を引っ張られて、外に出た。

 

妹がボールを投げた。

それは僕の胸に優しく当たって、地面へ転がった。

 

僕は顔を上げて、妹の顔を見て──

 

 

「あ……」

 

 

心配そうな表情をしていた。

 

僕は妹を守っているつもりだった。

そう、『つもり』だ。

 

真実は違う。

僕は周りの見えていない子供で、妹から心配されていたんだ。

 

情けない話だけど。

 

 

……僕は、周りの見えていない子供だった。

内心で恥じながら、頬を緩める。

何もかもが無くなった訳じゃない。

僕にはまだ優しくしてくれる誰かがいる。

それは素晴らしい事で、それだけで生きていける。

 

 

 

そうして、僕はボールを持ち上げて、妹の方を向いて──

 

 

空が灰色になった。

 

 

 

「……え」

 

 

木々から落ちる葉は緩やかに……それこそ、動いているのだと信じていなければ、落ちている事すら気付かぬ程に遅く。

 

……いいや、これは僕が動いているのだと錯覚しているだけかも知れない。

それすらも判別出来ない。

 

周りの人間も、止まっているように見える。

 

 

「何が……」

 

 

ボールを手放すと、地面に落ちて……それも動かなくなった。

 

目の前の妹も、動かない。

 

 

まるで世界に一人だけで取り残されているかのような感覚。

 

僕は──

 

 

「貴方一人だけではありませんよ」

 

 

声を、聞いた。

 

 

振り返ると……男性のような……女性のような、若いような、老いたような……掴みどころのない人がいた。

 

 

「……誰、ですか?何ですか?何がっ──

 

「私は『エンシェント・ワン』、魔術師です」

 

 

魔術師だって?

……僕は首を横に振った。

 

 

「魔術師だなんて、そんなの、あり得ない……」

 

「あり得ない、そう思うのも無理はありません」

 

 

エンシェント・ワン、そう名乗る魔術師が『座った』。

 

……ここは孤児院の運動場だ。

椅子なんてなかったはずだ。

 

僕が眉を顰めると、エンシェント・ワンが口を開いた。

 

 

「ですが、貴方の見える世界だけが全てではありません。既知の物理法則を超えた先に、貴方に見えない未知が存在するのです」

 

「でも、そんなの……魔術、なんて」

 

「数世紀前の人間が見れば、私達が扱える科学も魔術に見えます。でしょう?」

 

 

エンシェント・ワンが指差した。

その先にはテレビがあった……庭、なのに。

 

指を鳴らされて、視線を戻す。

 

 

「それならば未知の先にある魔術も、世界に存在してもおかしくはない」

 

「……それは」

 

「あまり時間はありませんので、そう『在る』のだと感じて下さい」

 

 

エンシェント・ワンが椅子から立つと同時に、椅子は消滅した。

ゲームや映画のように派手に消える訳じゃない。

 

ただ、そこには元から存在しなかったかのように消えた。

 

……僕はもう、驚かなかった。

それが当然であるかのように振る舞う、目の前の人間に呑まれてしまったのだ。

 

 

「じゃあ、この時間が止まっているのも──

 

「止めてはいません。私と貴方が……異なる次元へとズレているだけです」

 

 

何を言っているかは分からない。

だけど、質問しても無駄な気がした。

 

 

「何で、こんな事を……」

 

「このまま黙って実行しても良かったのですが……不誠実だと思いました。なので──

 

 

僕は訝しんで……エンシェント・ワンは神妙な顔をした。

 

 

「結論から言いましょう」

 

 

指を立てて……僕の妹を指差した。

 

 

「彼を消さなくてはなりません」

 

 

僕は咄嗟に、妹とエンシェント・ワンの間に割り込んだ。

 

 

「いえ、『彼女』でしたか」

 

 

彼?彼女……?

昔から、僕の妹は女の子だ。

何を言ってるんだ?

 

 

「僕の妹を……消す?」

 

「はい」

 

 

何とも無さそうに、肯定の言葉が返ってきて……僕は足元を見た。

 

小さな石。

 

……僕が、守らないと、僕が。

 

 

「彼女は少し……いえ、かなり特殊です。異なる次元を含めても、そう多くは居ない程に」

 

 

足元の石を拾う。

 

 

「非常に危険な存在なのです」

 

 

投げた。

 

しかし、それはエンシェント・ワンの目の前で止まり……動かなくなった。

 

その石に目を向ける事もなく、何をする訳でもなく……ただ、空中で静止し……ゆっくりと地面へ落下した。

 

 

「貴方の想いは理解出来ます。ですが、天秤は傾けられません」

 

「な、なんで──

 

「彼女の言動を不思議に思った事はありませんか?」

 

 

エンシェント・ワンの言葉に僕は振り返り、妹を見た。

ヒーロー好きだって言っているのに、実在しないヒーローに憧れている。

 

だけど、それは幼ければ当然の事だ。

 

 

おかしい事なんて──

 

 

「おかしい事なんて、ない……」

 

「いいえ、異常なのです。薄々は気付いているでしょう?」

 

 

エンシェント・ワンが見透かすように口にした。

 

 

「彼女の肉体という器には不可思議な『何か』が混ざっています。それは大きくて黒々とした穴のように──

 

 

目前に地球を模した立体映像のような物が現れた。

 

 

「異なる宇宙と繋がっています」

 

 

そして、それは幾つにも分裂した。

中心にある地球から、一本の光の線が別の地球へと繋がっている。

 

 

「彼女の中には異なる宇宙……それも我々とは位相が異なる次元領域から、情報を引き出すための『何か』があります」

 

「異なる宇宙……次元?」

 

 

僕は自分の知っていた現実を全て、書き換えられるかのような錯覚に陥った。

 

 

「そう、別の宇宙……別の地球……その、星の記憶(アカシックレコード)。そこから、情報、記憶を引き出しています。彼女は幼少の頃、男性のように振る舞っては居ませんでしたか?」

 

「それは……」

 

 

事実だ。

母が言葉遣いを直すように叱っていた。

 

 

「それは引き出している記憶がそうさせています。その星で死に、魂となり、記録となった者……それと強く結び付き……無際限に記憶を引き寄せてしまった」

 

「は……?」

 

「それは幼心を変容させて、父や母の教育よりも早く……そして、根深く。心を作る柱になってしまった……最早、思考は同一と言っていい程に」

 

 

僕は絶句した。

 

別宇宙の男?

死人の記憶?

何を言ってるんだ?

 

分からない。

分かりたくない、知りたくない。

 

だけど、それでも──

 

 

「そんなの関係ない……僕にとって……何も──

 

「…………」

 

「変わらない……何を言われても……」

 

 

託されたんだ。

父から、母から。

守らなきゃならないんだ。

 

 

「……そう、貴方は素晴らしい信念を持っている」

 

 

エンシェント・ワンが指を鳴らすと……宙に浮いていた地球儀が一つ……砕けた。

 

 

「ですが……これから起こる『可能性』です」

 

 

砕けた地球は光となり、チリとなって消滅した。

 

 

「この宇宙の終わり……全ての生命、物質の崩壊」

 

「……そんな、何で」

 

「彼女の記憶が原因です」

 

 

エンシェント・ワンが目を向けた。

 

 

「そんなのって……」

 

「彼女の中にある『何か』が異なる宇宙の記憶を引き出している……その記憶に価値があるのは理解できますね?」

 

 

僕は首を振った。

意味がわからない。

 

そんな様子を見て、エンシェント・ワンは言葉を繋ぐ。

 

 

「別宇宙の知識、それは平行宇宙を征服しようとする『侵略者』にとって喉から手が出るほど欲しい物……彼女の記憶は、強大で邪悪な存在を呼び寄せます」

 

 

エンシェント・ワンが指を鳴らした。

砕けた地球が黒い塊に変容する。

 

 

「脅威は『この宇宙』の存在だけではありません。位相の異なる知識は、別宇宙の脅威も欲します。つまり、『異なる宇宙』からも来る可能性があります」

 

 

黒い塊は人の形になり、赤い目を光らせた。

僕は冷や汗をかく。

 

 

「無限とも呼べる平行宇宙(マルチバース)から、脅威が集結する。その『可能性』を……私は消し去らなければなりません」

 

「どうにか──

 

「その『どうにか』するために、彼女を消しに来たのです」

 

「……そんな」

 

 

エンシェント・ワンが深く息を吐いた。

 

 

「殺しはしません。まず、彼女の持つ『何か』を封印します」

 

 

手に金色に光る魔法陣が現れた。

 

 

「そして、彼女の中に存在する今までの記憶を全て消し去ります」

 

「今までの、記憶?」

 

「はい、現時点でも重要な記憶を複数所持している可能性があります……強大な兵器の記憶、超越者(コズミック・ビーイング)、万物を司る石の存在、破滅の未来(アポカリプス)、宇宙の外に存在する『全て』」

 

 

光が像を作り、砕け、また作られる。

 

 

「私ですら把握出来ない……いえ、理解してはならない『それら』の存在。それらは隠蔽しなければなりません」

 

 

理解はした。

 

だけど、父と母の記憶を?

僕と過ごした記憶も?

全て、消す?

 

 

「嫌だ、ダメだ……」

 

「この宇宙の……いえ、全ての宇宙のために、彼女の記憶は消さなければなりません」

 

 

エンシェント・ワンが消えた。

 

 

僕は妹の方へ振り返って、すぐ側にエンシェント・ワンがいる事に気付いた。

 

 

「やめっ──

 

 

身体が動かない。

まるで自分の身体じゃないみたいに動かなくて。

 

 

それはエンシェント・ワンによって動けなくされたのか。

それとも、納得してしまった僕が動かなかったのか。

 

……今でも、分からない。

 

 

 

 

 

 

 

妹は死んだ。

 

いや、生物学的には死んでいないのかも知れない。

 

だけど、確かに死んだ。

 

父や母、僕と生きてきた妹は居なくなった。

 

受け答えもしない、遊びもしない、憧れを語る事も……笑う事さえ。

妹は居なくなった。

 

毎日ずっと椅子に座って、黙って外を眺めている。

人に言われた通りに動いて、自我を持たない。

まるで魂の抜けた人形だ。

 

エンシェント・ワンに記憶を消されてから、数日間は妹『だった』人間に付き添った。

世話を焼いた。

 

だけど、どれだけ話しても思い出さない。

何も分からない。

 

 

……やがて、僕は養父に引き取られた。

妹は僕が孤児院を出て行く時すら、何の表情も浮かべなかった。

 

 

そうして、僕は妹は死んでしまったのだと、諦めた。

諦めてしまった。

 

 

 

引き取られて数ヶ月後、僕の居た……妹のいる孤児院が焼かれたらしい。

誰がやったのかも知れないし、分からなかった。

 

子供の半数が焼死体として発見されて……残りの半数は行方不明になった。

妹は後者、行方不明だ。

 

行方不明だけど、生きてるとは思えなくて……確かに僕は落ち込んだ。

でも、数日で立ち直った。

 

 

だって僕の妹は、既に死んでいたから。

 

……僕は、僕の心を守る為に、そう思う事にした。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

「酷い話だろう?勝手に見限って、諦めたんだ」

 

 

ティンカラーが自嘲した。

 

 

「…………」

 

 

銃口を向け合いながら、それでも私は……それどころでは無かった。

 

ティンカラーの妹……別宇宙からの知識?

まるで私のよう……いや、私、なのか?

……それならば、彼と私の顔が似ている事にも納得が行く。

 

 

だが、何が、何故……。

 

 

眉を顰める。

理解が出来ない。

 

 

「……話を続けよう」

 

 

そんな私の様子を無視して、ティンカラーは口を開いた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

僕は養父、フィニアス・メイソンの下で技術を学んだ。

 

養父は発明家だった。

それも、悪い発明家。

 

金さえ貰えれば、どんな悪人にも手を貸す……そんな発明家だ。

だけど、まぁ……それなりに僕の事を気にかけていた。

 

将来は自分の仕事を就かせるのだとフィニアス……いや、先代の『ティンカラー』は言っていた。

 

数年後、養父はガンマ線の影響で死亡した。

養父のファクトリーには大した設備は無かった……ガンマ線を防ぐ防壁が足りなかったんだ。

 

……あぁ、そうだ。

この部屋のように、今程じゃないんだ。

だから、実験や発明によって蓄積されて被曝したんだ。

 

……自業自得だ。

だけど、罵るつもりはない。

それなりに尊敬はしていたからだ。

 

僕は本名をフィニアス・メイソン・ジュニアへと改名し……『ティンカラー』と名乗り始めた。

 

父と同じように悪人に武器を売り、金を稼ぐ。

 

……目的?

生きる意味?

勿論、ある。

 

妹の仇を討ちたかった。

……いや、違うな。

 

僕は妹を殺したエンシェント・ワンを恨んでいた。

殺したかった……それは妹のためじゃなくて、無力だった過去の自身を克服したかったからだ。

 

だけど、足りない。

奴は至高の魔術師(ソーサラー・スプリーム)と呼ばれているらしい。

そんな魔術師を殺すには……足りない。

 

焦燥感。

それが僕の胸にいつもあった。

 

がむしゃらに研究して、悪人の手助けをして……気付けば数年経っていた。

 

だけど、殺す目処は立たない。

現代の技術、科学で魔法使いを殺せるのだろうか?

底が見えなかった。

 

 

悩んで、悩んで、悩んで……。

 

 

その日が来た。

 

ヴァルチャーと呼ばれる男のジェットパックを作っていた頃、電話が鳴ったんだ。

 

 

「はい、こちらフィックス・イット。どんな物でも直しますし、どんな物でも作ります」

 

 

僕がそう言うと、電話の相手は愉快そうに笑った。

 

 

『初めまして、ティンカラー』

 

 

電話の相手は僕をティンカラーと呼んだ。

感情の乗っていない男の声だ。

 

 

「どんな御用で──

 

『君に素晴らしい提案をしよう』

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

「彼は、とある秘密組織の首領(ボス)だった」

 

「……アンシリー・コート」

 

「そう、その通りさ」

 

 

ティンカラーが力なく笑った。

……マスクの下ではこんな表情をしていたのか、と私は思った。

 

酷く疲れた……諦めたような顔。

世界に疲れて、今にも死んでしまいそうな儚さを秘めていた。

 

 

「彼は自身を未来人(タイムトラベラー)と自称していた」

 

「……未来人(タイムトラベラー)?」

 

 

出てきた言葉に私は訝しんだ。

未来人……?

 

いや、だが……この世界では、あり得る話、なのか?

……思い出そうとして……クソッ、こんな時に限って何も出て来ない。

 

そんな様子の私を見て、ティンカラーは息を深く吐き……苦笑した。

 

 

「未来技術を僕に教える代わりに、組織に入るように促したんだ」

 

「…………」

 

「元々、僕は善人じゃなかったからね。悪い組織に入ることに忌避感は無かったよ。それよりも、未来から来た技術の方に関心があった」

 

 

ティンカラーの科学力……その理由が、それなのか。

 

 

「その力があれば仇を殺せそうだと思ったからね」

 

「……だが──

 

「さて、話を戻そう」

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

組織(アンシリー・コート)に幹部として迎え入れられた僕は、自由に過ごさせて貰ったさ。

武器や発明品を提供しつつ、未来の技術を研究する。

 

発明家として、こんな素晴らしい環境があるだろうか?

 

やがて武器を揃えた僕は、エンシェント・ワンの殺害を実行に移すべく情報を集め出した。

 

だけど、魔術師の情報なんて、そうそう簡単に集められなかった。

金に糸目を付けなくても、無理だ。

 

……だから僕は、組織の首領(ボス)に当てはないか聞いたんだ。

彼なら何でも知っていると思ったからだ。

 

そしたら、ピンポイントで欲しい情報を……まるで元から質問内容すら知っていたかのように答えた。

 

 

「……既に死んでいる、ですか?」

 

『そうだ。奴は自身の弟子によって殺害されている』

 

 

僕の手元のタブレットに資料が送られて来た。

……身体に複数の傷がある死体が映っている。

 

その顔は忘れる事が出来ない……そして、あの頃から少しも変わっていない。

エンシェント・ワンの姿だった。

 

 

「そんな、バカな……」

 

『数ヶ月前の話だ。少し、遅かったな』

 

 

首領(ボス)の言葉に眉を顰めた。

……彼は底が見えない。

 

僕の目的を知っているようだったし、エンシェント・ワンが死ぬ事も知っていたのだろうか?

未来人ならば、知っていてもおかしくはないだろう。

 

 

至高の魔術師(ソーサラー・スプリーム)は代替わりした……殺したいか?』

 

「……いえ」

 

『そうか』

 

 

僕が殺したかったのはエンシェント・ワンだ。

至高の魔術師(ソーサラー・スプリーム)という役職ではない。

 

そして、死んで欲しかった訳じゃない。

殺したかったのだ、僕の手で。

 

なのに。

 

 

「…………」

 

 

僕は呆然としていた。

 

生きる理由を失った。

それも、果たせぬまま、突然に。

 

 

だけど。

 

 

目的は失っても、僕は生き続けた。

自死を選ぶ理由もないから、ただ生きていた。

 

無意味に無気力に、流されるように。

……惰性で人の人生を踏み躙る手伝いをしながら、僕は生きてきた。

 

組織に従順な幹部として、罪を重ねていった。

 

 

 

 

 

……ある時、僕は組織(アンシリー・コート)の本部から送られて来た資料データを見ていた。

 

 

「レッドキャップ……ねぇ」

 

 

タブレットに映された情報に、僕はため息を吐いた。

 

組織(アンシリー・コート)の別部署が計画している『レッドキャップ・プログラム』。

初耳ではない、知っていた。

偽物の『超人血清』によって人工的な超人を作る計画だ。

 

その血清は外部からの提供……と、組織の科学者には教えられているが、提供元の『パワーブローカー』は首領(ボス)の作ったLMD(ライフ・モデル・デコイ)だ。

まぁ、つまり……これは首領(ボス)の個人的な実験という事か。

 

首領が未来人であり、科学に聡いという事は他の誰も知らない。

少なくとも、僕の周りでは。

 

彼は秘密主義者だ。

僕だって顔すら見た事ない。

 

……まぁ、『レッドキャップ・プログラム』は既に凍結している。

表向きは費用対効果が薄いから。

だけど、本質は首領(ボス)の目的が満たされたからだろう。

 

成功した被検体が一人完成して、満足したのか。

……それとも、元々一人で良かったのか。

 

首領(ボス)は組織を私物化している。

僕以外の幹部は国家転覆やら、世界征服なんかを必死に求めているけど……首領(ボス)の目的はどうやら違うらしい。

 

それが何かは分からないし、分かろうともしないが。

 

 

そんな成功した被検体……通り名(コードネーム)はレッドキャップ。

……そのレッドキャップのスーツを作成するように依頼されたのだ。

 

その為にレッドキャップの資料が送られて来たんだ。

 

 

身長や腕周り、身体の細部のデータはあった。

 

……女、か。

 

別段、珍しい事でもない。

組織の隠密(スパイ)の殆どが女だ。

 

僕は読み飛ばした。

 

 

そして、動画ファイルに指を這わせた。

……戦闘用のスーツだからね。

スーツを着る人間の戦闘パターンを見る必要があった。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

「白磁のような壁に覆われた部屋で、自身と同年代のエージェントと向かい合う少女の姿があった」

 

「…………」

 

「君の姿だ」

 

 

ティンカラーが首を捻った。

 

 

「僕は自分の目を疑ったよ……だって、妹と同じ顔をしていたからね」

 

「……私は、お前の──

 

「悪いけど質問は最後にして欲しいんだ……時間は無限にある訳じゃない」

 

 

私はティンカラーに向けている拳銃、その銃口を下ろしそうになっていた。

 

 

「あの時、僕は……緩やかに死んでいく僕は……生き返ったんだ。止めていた想いが生き返った……君の姿を見て」

 

 

ティンカラーの目が私を見た。

 

 

「妹を生き返らせようと、僕は思ったんだ」

 

 

私と同じように透き通っていた筈の瞳は……深く、濁っている。



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#97 レスト・イン・ピース part4

映像の中で君は……同僚である筈のエージェントを無慈悲に殺し、顔中に返り血を浴びていた。

 

……僕の妹と同じ顔した女が、だよ?

気が気がじゃなかったさ、直ぐ様に手を回して僕の部下として配属させた。

手元に置いておきたかったんだ。

 

首領(ボス)にも話は通したけど「そうか」としか言われなかった。

……この時から、僕は彼の事をあまり信用していなかった。

重要な事を幾つも黙っていたからね……信用する事なんて出来る筈がない。

 

 

僕は『レッドキャップ』を教育する係としての立場を得た。

 

そして、君にスーツを与えた。

レッドキャップという名前に相応しい赤いマスクと、最高品質のプロテクターを。

 

別の幹部から不審に思われないように仕事も振った。

……君が一般市民を殺す事が少なかったのは何故だと思う?

 

妹の体で、そんな事をして欲しくなかったんだ。

人殺しなんて……僕のように罪人になって欲しくなかった。

だけど、だからと言って『レッドキャップ』を組織のメンバーは無視する事はない……だから、悪人の処分を優先的に回してたのさ。

 

可能な限り、だけどね。

目撃者は殺さなくてはならない……敵対者も。

 

それは仕方のない事だと、僕は割り切っていた。

実際に手を下すのは君なのにね。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

「つまり、君は……僕の命令で人を殺していたんだ」

 

「……お前の」

 

 

今まで殺して来た人間の顔、名前、声が浮かぶ。

喉まで来た吐き気を飲み込む。

 

代わりに言葉を吐く。

 

 

「……ティンカラー、お前は私が憎いのか?」

 

「君こそ、僕が憎くないのかい?」

 

 

銃口を向け合いながらも、共に引き金は引かない。

私は引けない……ここで死んでも良いとすら思っているからだ。

 

ティンカラーが引かないのは……妹の身体を傷つけたくないからか?

……いや、それなら何故、『S.H.I.E.L.D.』に私の身柄を渡すんだ?

 

 

「……答えは、最後まで聞いてからでも良いんじゃないかな?」

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

君に仕事をさせ続けて……数年。

 

僕は独自の情報網から、あるヒーローの名前を知ったんだ。

 

スパイダーマン……僕の妹が憧れていたヒーローだ。

エンシェント・ワンの言った通り、妹の妄想は現実で……未来まで見通していた。

 

僕は気になって調査したけれど……大したヒーローじゃなかった。

街の人が困っていたら助ける程度の、規模の小さいお節介焼き。

少し僕が調べれば正体すら暴けてしまう程の存在。

 

組織の敵にもならないような、小さな蜘蛛だ。

 

だけど、妹が憧れていたってだけで……僕の脳裏にずっと引っかかって居たんだ。

 

 

 

そして、一年前。

 

パニッシャーによって君の仮拠点が破壊された時……好機だと思ったんだ。

 

 

エンシェント・ワンは君の記憶を『消した』と言っていた。

実際に君は覚えていなかった……だけど、何かをキッカケに思い出すかも知れないと……思ったんだ。

 

君の脳波は僕の作った赤いマスクを通して回収していた。

 

君は……そう、特殊な能力を持った人間……特にヒーローと会う時に脳波が乱れていた。

 

理屈は分からないけれど、脳を刺激すれば失った記憶も戻るかも……なんて考えてたんだ。

 

 

だから、君の拠点をスパイダーマンの居るクイーンズへと移させた。

それに、スパイダーマンの正体であるピーター・パーカーと同じ学校に……クラスまで合わせて送り込んだ。

彼の隣室に拠点を指定したのも僕さ。

 

 

そして、想定通り……いや、想定より少し早く接触して、干渉し始めた君達を見た僕は……実物を見たくなったんだ。

僕の妹と同じ顔をしている女の……。

 

スーツを新調するついでに、僕は君を呼び出した。

 

マスクまで付けて、正体をバレないように注意してね。

記憶を失っていたとしても、不安だったんだ。

……あぁ、違うな、合わせる顔がないって思ってたのかもね。

 

 

とにかく、呼び出した君に何かと屁理屈を言って、マスクを脱がせて──

 

 

「……満足か、ティンカラー」

 

 

思わず、思考が停止してしまったんだ。

妹と同じ顔……肉体だと知っている。

声だって。

 

だけど、映像や写真では見ていても……実物を見るのは……違う。

 

僕は罪を突きつけられた気がしたよ。

今までして来た事は……非道な事だった。

妹は許してくれないだろう、とも。

 

酷く気分が落ち込んでね、君に不審がられてしまった。

 

……だけど、僕はやるべき事をやるって決めていた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

「あの時、君に渡した電子メジャーだ」

 

 

ティンカラーが机に無造作に置かれていた、丸い輪の形をした機械を手に取った。

 

 

「これは体のサイズを測るだけじゃない……人体を透過して血管や骨、筋肉繊維、内臓……ありとあらゆる物の情報を得られる」

 

 

リングを机に戻した。

 

 

「それこそ、君の完全な複製品(レプリカ)が作れる程にね」

 

 

私の脳裏には、物言わぬ私の人形があった。

 

 

「……あのLMD(ライフ・モデル・デコイ)は」

 

「そう、あの時のデータで作ったんだ……この時はまだ、作る予定じゃなかったけどね」

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

僕は君の脳裏に存在している妹の人格を引き出し、上書こうとしていた。

それによって妹は蘇ると、そう思っていた。

 

家族で暮らしていた時代の記憶だけ残して、他は全て消す。

そうすれば以前の妹と同様の存在になるって……思っていた。

 

だけど、脳の情報を集めても手掛かりは掴めない。

 

 

……ジャージマフィアの時を覚えているかい?

スパイダーマンが何故間に合ったと思う?

警官達に情報を回し、それを彼に傍受させたからさ。

当の警官達は現場に到着する前に死んでいるけどね。

 

そうやって幾つかの刺激を与えて……君は……スパイダーマンを助けるために組織に隠れて、リザードと戦った。

 

 

あの時、僕は初めて知った。

君『も』スパイダーマンに憧れていた。

 

 

君が僕に詰め寄られて、困ったような顔をしていて……。

 

あの時、僕は君に処分を下すために呼んだのに……。

 

 

もう、君の事は殺せなくなってしまった。

妹だとは思えなかったけど、それでも……別人だとしても、大事に思えたんだよ。

 

君の姿を見て同情したんじゃない。

僕は妹の面影ある君の『人格』に、同情してしまった。

僕は……もう、手を出せなくなっていた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

「だから、君のLMD(ライフ・モデル・デコイ)を作ったんだ。有機物で……なるべく、人間と同様に」

 

 

ティンカラーが疲れたように笑う。

 

 

「……復旧した記憶をLMD(ライフ・モデル・デコイ)に入れる事で君と妹を両立しようとしたんだ」

 

 

ティンカラーが視線を下げた。

 

 

「スーツをフィッティングさせている間に、君の脳をスキャンした。未来の技術は凄いんだよ?一時間あれば記憶のバックアップだって取れるほどに」

 

 

私は妙に時間の掛かる……スーツのフィッティング作業を思い出した。

 

 

「だけど、どれだけ解析しても、妹はどこにも居なかった……」

 

 

ティンカラーが表情を歪めた。

 

 

「君に幾つもの任務を与えて、何度、記憶を刺激しても……蘇らない」

 

「…………」

 

「それはそうさ。僕が『思い出していた』と思っていた記憶は……眠っていた記憶を呼び覚ましていた訳じゃなかった。君が新たに『別の宇宙』から引き出した記憶だった」

 

 

……私は下唇を噛んだ。

彼は私を苦しめていたが……私も彼を苦しめていたのだ。

 

 

「僕の妹は……エンシェント・ワンの言った通り、削除されていたんだ」

 

 

ティンカラーの目は濁っている。

そこが見えない程に……どれだけ苦悩してきたのか、計り知れない程に。

 

 

「……失った物は、もう戻らない。簡単な話で、当然の事だった」

 

 

ティンカラーが深くため息を吐いた。

 

 

「……ティンカラー」

 

「どうだい?碌な人間じゃないだろう?」

 

「……あぁ」

 

 

悩んだ末に肯定した。

そんな私の返答に満足して、ティンカラーは笑った。

 

 

「僕は『死んだ方がいい人間』だと思わないかい?」

 

「あぁ」

 

 

その肯定に、ティンカラーが力なく笑った。

……私は目を少し瞑り、口を開いた。

 

 

「だが──

 

 

目を開いて、真っ直ぐにティンカラーを見た。

 

 

「私はお前に感謝している。ティンカラー」

 

「……そうかい?」

 

「お前が何を思っていたとしても、何を考えていたとしても……私を地獄から救ってくれたのはお前だ」

 

 

あの白い部屋で殺し合うだけの生活から、私にプライベートな時間を与えて……そして、友人を作る機会までくれた。

恨む理由はない。

 

私の言葉にティンカラーが眉を顰めた。

 

 

「……そういう返答が欲しくて、こんな話をした訳じゃないんだけど」

 

「それなら──

 

 

私は少し間を置いて、口を開いた。

 

 

「どうして、私にドレスをくれたんだ?」

 

 

私は黒いカジュアルなドレスを思い出した。

ピーターと別れた時にも着ていた、ドレス。

 

 

「……どうだって良いだろう?」

 

「私に休みを与えようとしたのは何故だ?」

 

 

夏期休暇中、仕事を割り振らないようにしていた。

お陰で、私はピーター達と夏期旅行に行く事が出来た。

 

 

「……それも、どうだって良いだろう?」

 

「ハーマンを何故、助けた?私を守ろうとしたのは何故だ?」

 

「…………」

 

「何故優しくする?何故気にかける?どうしてだ?」

 

 

幾つもの疑問を並べる。

だけど、何となく……私は答えを分かっていた。

 

 

「……何が言いたいんだい?」

 

「どうでも良くない……ティンカラー、お前は私を──

 

「違う」

 

 

ティンカラーは首を振った。

 

 

「君を妹と重ねていただけに過ぎない……君の思うような優しい人間じゃない」

 

 

私はティンカラーに構えていた銃口を下ろした。

元から撃つつもりは無かった……だから、この行為に意味はない。

 

ただ、もう銃口すら向けたくない。

 

 

「それなら今すぐに私を撃て、ティンカラー」

 

「…………」

 

「撃って逃げれば良い」

 

 

ティンカラーは険しい顔をするだけで、引き金は引かない。

私は、その様子を見て鼻で笑った。

 

 

「それが答えだろう?」

 

 

返答はない。

無言こそが、肯定だった。

 

 

「……まぁ、そうだね。認めるよ」

 

 

……私は逆に質問をする事にした。

 

 

「ティンカラー、私はどうなんだ?お前なんかよりも、余程『死んだ方がいい人間』だ」

 

 

私は自嘲しつつ、一歩引いた。

 

 

「私は脅威を呼ぶ存在なんだろう?」

 

「…………」

 

「記憶を持って生きているだけで、人に不幸を撒き散らす存在なのだろう?」

 

「……いいや、違う」

 

 

ティンカラーは首を振った。

濁った目は私を見ていた。

 

 

「僕は二度と自分の力不足で……大切な人を失わないために生きてきた……今なら、そう言える」

 

 

帰ってきた言葉に、私は小さく頷いた。

 

 

「ティンカラー」

 

「僕はね、君に……生きて欲しいんだ」

 

「……私に?」

 

「死んだ妹と同じ存在じゃなくても良い……世界に災厄を振り撒くとしても……僕は悪人だ、そんなの関係ないね」

 

 

ティンカラーが銃口を上に向けた。

そして、笑った。

 

 

「……君は死んだ僕の妹ではない」

 

「そうだな」

 

「だけど……君も妹だ」

 

「……そうか?」

 

 

私は首を傾げた。

 

 

「妹は二人いる。それでいいんだ……」

 

 

ティンカラーが苦笑した。

力なく、だけど救われたように。

 

 

「君は死んだ妹とは別人だ……だけど、君も妹だ」

 

「……だが」

 

「僕にとっての話だ。君は僕を兄だと思わなくても良いさ」

 

 

ティンカラーの言葉に眉を顰めて……それでも、私は否定しない。

否定してはならないと思った。

 

彼は満足そうに頷いて……口を開いた。

 

 

「僕の本名は『フランクリン・ワトソン』だ。父の名前は『フィリップ』、母は『デイジー』」

 

 

脈絡のない発言に、私は反応出来なかった。

何を言いたいのか分からなかった。

 

 

「妹の名前は……いや、いいや。君には君の人生がある……囚われる必要はない……だけど、そういう人間がいたって事は覚えていてほしいんだ」

 

 

そう言って、ティンカラーは笑った。

意味が分からなくて……私は口を開こうとして──

 

 

「僕の死体は好きにしていい……君が生きるためなら、どうしたっていい」

 

「……何を、言ってるんだ?」

 

 

その言葉に思考を止めた。

 

ティンカラーが手に持ったハンドガンを、自身の頭に向け──

 

 

「やめっ──

 

「君は幸せに生きるんだ……ミシェル・ジェーン」

 

 

発砲音。

 

 

ゆっくりと、目の前で、倒れていく。

 

 

血が、撒き散らされた。

脳漿を……。

 

 

壁に赤い花が咲いて、身体は地面に倒れた。

 

私が伸ばした手は間に合わず……宙を彷徨った。

 

 

急に、静かになった。

 

 

先程まで、戯けるように話していた男が、話さなくなった。

ジリジリと何か、機械が動いている音だけが耳に響く。

 

 

「え、あっ……」

 

 

動かない。

喋らない。

笑わない。

 

私にもう、皮肉を言う事もない。

優しくしてくれる事はない。

 

 

「は、はっ……そんなっ……え……」

 

 

視界に綺麗過ぎる赤色が散っていて……私は呼吸を乱した。

 

 

「なんで……ティンカラー、お前……何故……なんで」

 

 

意味が分からない。

何故、死ぬ必要があった?

 

いや、分かる。

分かりたくないだけだ。

 

彼の死体が、私に必要だからだ。

 

 

「私の為に……お前の、妹……私の、何故……」

 

 

ティンカラーは私を『新しい妹』と言った。

共に過ごした思い出がある訳じゃないのに。

私は世界に迷惑をかける存在なのに。

 

どうして、ティンカラーが死ぬ必要があるんだ?

 

私が、ただ生き延びる為だけに……私がお前を殺さなくて済むように……自らの手で?

 

 

「……そ、そんなのっ、そんな……」

 

 

幸せに生きろ?

そんな価値は私にはない。

 

だけど、それを否定する事は、ティンカラーの最後の想いを踏み躙る事じゃないのか?

 

……あぁ、いや、違う。

ティンカラーが何の考えもなく、こんな事をする訳がない。

そうだ、違う。

違う、違う、違う!

 

 

「こ、これは……LMD(ライフ・モデル・デコイ)なんだろう?聞こえているんだろ?ティンカラー……!」

 

 

周りを見渡す……物音はない。

残酷な程の静寂が、部屋を包んでいた。

 

 

「……ティンカラー?」

 

 

分かっている。

これは本物だ。

 

これが偽物なら……こんな私を悲しませる為だけに、こんな事をする必要はない。

 

ティンカラーは無駄な事を嫌う。

もし行うとしても……私に相談して、行う筈だ。

 

だから、分かってしまう。

これは……目の前にある、死体は──

 

 

「……ぁ、あぁ……」

 

 

本物だ。

 

 

「…………」

 

 

私は膝から崩れ落ちそうになる感覚を、抑えながら……ティンカラーに近付く。

 

……薄く、笑っていた。

手を使って、瞼を閉じさせる。

 

眠るように、死んでいる。

 

彼は、死んで当然の人間だったのだろう。

……でも、こんな理由で死んで良いのだろうか?

 

私なんかの為に、死ぬなんて。

 

そんなの。

 

 

「そんなの、って……」

 

 

ない。

 

あり得ない。

おかしい。

普通じゃない。

 

体液が涙腺から出る。

喉が痛む。

 

咳き込む。

 

 

「……生きろ、生きろ……なんて」

 

 

幸せに生きる?

 

 

「そんなの、耐えられない……」

 

 

罪の意識が私を苛む。

 

死にたい。

終わりにしたい。

 

何もかも。

 

だけど、死ねない。

死んだら、ティンカラーの命を無駄にした事になる。

 

ティンカラーだけじゃない。

今まで私が殺してきた、踏み台にしてきた命を、無駄にする。

 

 

だけど、私は死ぬべきだ。

 

だけど、死ねない。

 

だけど、だけど……。

 

 

「生き、なきゃ……」

 

 

……私はナイフを抜き取る。

 

組織は、ティンカラーの首を持ってくるように指示していた。

 

 

ナイフを……ティンカラーの、ティンカラーだった死体に押し当てる。

メンテナンスを怠って刃こぼれしたナイフは、皮膚と筋肉繊維を傷付けるだけで、綺麗に切断する事は出来なかった。

 

 

力を込めて、引く。

 

 

押す。

 

 

引く。

 

 

引いて、押して、引いて、押す。

 

 

 

ぶちぶちと千切れるような感触が手に残る。

 

 

……やがて、ティンカラーの頭と身体は分かれて、私は……それを抱き抱えた。

 

今まで死体を見ても、何も思わなかった。

それは真に大切な人ではなかっただけだ。

こんなにも苦しい。

こんなにも悲しい。

 

ティンカラーは……私が気付いていなかっただけで……私にとって、大切な存在だったんだ。

 

そんな相手を、私が殺したようなものだ。

死体を辱めた。

 

……手に残った感触に、私は──

 

 

「うっ──

 

 

吐いた。

 

 

「お、えっ……ぐ、はっ……」

 

 

ティンカラーの頭が、床を転がる。

床に付着した血で汚れる。

 

 

血と、涙と、吐瀉物が混ざる。

 

 

「はっ、はぁっ……う、ごほっ」

 

 

息を荒らげて、咳き込む。

 

死にたい……だけど、自死は出来ない。

ティンカラーに生きろと望まれてしまった。

 

それは呪いだ。

安易に死を選ばせてくれない、呪い。

 

 

「誰か……」

 

 

だから、私は他人に望む事しかできない。

 

 

「誰か……私を……」

 

 

終わらせてくれる事を。

 

 

「私を、殺してくれ……」

 

 

私の全てを終わらせて、解放してくれる相手を。

 

 

私は探していた。



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#98 レスト・イン・ピース part5

ビルからビルへ、谷間の暗闇を切り分け、赤い残像が夜のニューヨークを翔ける。

 

スパイダー・ドローンと僕自身、騒ぎが起きていないか探している……だけど。

 

 

「……今日に限って……静かだ……」

 

 

いつもは騒がしいニューヨークなのに……今日は静かだった。

それは雨が降っていたからか?

……その所為で人影が少ないのが理由だろう。

 

雨が降っているのに外に出ようなんて人は少ない。

 

薄らと濡れたビルの縁に張り付いて、ドローンの映像に目を向ける。

 

 

「カレン、何か怪しい人影は?」

 

 

スーツに搭載されている人工知能へと問い掛ける。

……異常があれば連絡するだろうけど、手掛かりを見つけられない僕は焦っていた。

 

 

『ありません』

 

 

顔を顰めて、深く息を吐く。

 

落ち着け……落ち着くんだ。

焦っても事態は良くならない。

探し人も見つからない……。

ミスも増えて、判断も鈍る。

 

だから、落ち着くんだ。

 

 

僕はビルを駆け上がり、夜風に晒される。

スーツ越しに冷たい風が頭を冷やしてくれる。

 

……街灯の半分が暗くなっている。

夜遅くまで空いている飲食店達も、閉まり始めている。

 

……成果はない。

ディフェンダーズの皆だって、グウェンだって……後から合流したハリーも、誰も手掛かりを掴めていない。

 

……ミシェル。

彼女は一体何処に居るのだろうか?

無事、だろうか……今は何を……。

 

思いを馳せて、僕は自分の顔を叩いた。

こんな事、今は考えている場合じゃない。

足を動かさなきゃ。

 

 

そう思って、ビルの縁へ足を掛けて、飛び降りようと──

 

 

着信音が鳴った。

 

 

スターク社製のスマホと共有している、スーツ内部からだ。

電話じゃなくて、メール……僕は宙に仮想パネルを表示させて、手で操作する。

 

通知欄を開いて……目を見開いた。

 

 

「ミシェル……?」

 

 

そこにはミシェルの名前があった。

連絡先に登録していたミシェルからの、メール。

 

慌てて僕はメールを開いて……膨大な文字列を見た。

それも一見、出鱈目に文字化けした文字列だ。

 

 

「……なんだ、これ?」

 

 

数種類の文字コードで変換しても、分からない。

……これは手紙じゃなくて、何かのデータファイルだ。

 

 

「カレン、解析を」

 

 

指示しつつ、ドローンをスーツへと収納する。

解析にキャパシティを割いて、僕は壁へもたれ掛かる。

 

 

『解析、完了』

 

「……ありがとう、内容は?」

 

 

僕はカレンへ訪ねた。

 

 

『搭載されている地図作成(マッピング)ソフトウェアとデータフォーマットが一致しました。表示しますか?』

 

 

僕は眉を顰めた。

 

 

「……OK、頼んだ」

 

 

……このスーツに搭載されているシステムは、スタークさんが作った独自システムだ。

それにデータの形状が一致した物を送ってくるなんて……メールの送り主は誰なんだ?

 

 

視界に地図が表示される。

 

まるで蜘蛛の巣のような構図だ。

張り巡らされた糸のように道は、ニューヨーク全土を覆っていた。

 

 

僕のすぐ側にも、指定されたラインが繋がっている。

 

その表示場所の高度から見るに……地下だ。

 

 

「……カレン。以前、僕が地下で戦った時の座標データと照らし合わせて」

 

『かしこまりました』

 

 

レッドキャップ……いや、ミシェルを追って地下に入った時の座標データ……それを割り当てると……一部が一致した。

 

僕が地下で追いかけてた時の通路と同じ。

つまりこれは、あの地下迷路の地図データなのだ。

 

 

「…………」

 

 

僕は地図データを見ながら、ビルから飛び降りる。

ビル壁の縁や窪みに手や足を引っ掛けて、速度を落とし……地面で受け身を取る。

 

裏通りに目を向けて、足を進める。

 

 

「……あった」

 

 

あったのは……一見すると何の変哲もないマンホール。

 

だけど、地図データでは……これが地下通路の入り口だという事を教えてくれている。

 

 

メールを送って来たのはミシェルではなさそう……だから。

 

罠なのだろうか?

誘き出そうとしているのかも知れない……。

 

何の理由で、誰が、何故、僕に?

 

 

……地図データには目的地の座標データまで入っていた。

僕の目にはAR表示で、赤い点が表示されている。

そこが何処なのか、何があるのかも分からない。

……正直に言えば、凄く怪しい。

 

マンホールに手を掛けて、ずらす。

先の見えない暗闇が、下へ下へと続いている。

 

喉を鳴らす。

奥底で大きな化け物が口を開いているような気がした。

 

 

「……いや」

 

 

額を揉む。

……多分、これは疲労による幻覚だ。

 

寝不足で気が弱くなっているに違いない。

 

 

「……怯えるな、ピーター・パーカー」

 

 

罠だとしても、手掛かりがない今は。

藁にでも縋る気持ちだとしても。

行くしかない。

 

……他のメンバーに地図の画像データを送りつつ、マンホールの中に飛び込んだ。

 

 

 

 

深く、深く、降りていく。

途中で梯子に手を掛けて、減速しつつ……コンクリート製の床へと着地した。

 

……周りを見渡す。

先日来た時と同じ……蛍光灯が均等に並んでいるトンネルのような景色が続いている。

 

 

僕は地図を頼りに……歩き出した。

周りを警戒しつつ、少し早めに足を進める。

 

 

5分か、10分……いや、15分は歩いた。

この地下迷宮は広い……本当に、よくも誰にも気付かれずに作ったものだ。

 

……いや、違う。

ニューヨークには地下鉄だって広がっている。

巨大な権力を持っている人間が作ったんだ。

 

 

敵は大きい……それでも、足を止めず進む。

 

 

そうして、金属の梯子に到着した。

 

 

……地図データでは、一度登るみたいだ。

僕は足を掛けて、上へと登る。

 

入った時と同じようにマンホールを開けて、到着したのは……。

 

 

「ここは……?」

 

 

ニューヨークの路地裏だ。

ただ、周りはビルに囲まれていて窓もなく……不自然に人の目が付かないようになっているビル達の隙間だ。

窓もドアも……一つの建物を除いて、ここを見る事は出来ない。

 

 

そう、その一つ……看板のない金属製のドア。

僕はそのドアノブに指を掛けた。

 

 

捻る。

 

 

……鍵は開いている。

ラッチ部分には鍵を掛けるための構造があった。

 

敢えて、開けられていた……そう考えるのが妥当だろう。

 

 

「…………」

 

 

部屋の中に頭を入れて、覗き込む。

かなり狭い部屋だ。

 

物置のようで、雑多に色々なものが並べてあった。

金属の杭みたいな道具、木材、歯車。

工作用の道具、素材置き場って感じだ。

 

足を入れて、ドアを閉じる。

ガチャリ、と閉まる音がした。

 

……スーツの胸の部分を二度叩いて、ドローンを分離する。

 

 

「カレン、地下への道を探して」

 

 

この小部屋が目的地として設定されてはいない。

ここの真下を真っ赤なピンが指し示している。

 

ドローンが部屋の中を探し回っている間に、僕も床を調べる。

軽く叩いても、空洞があるような音はしない。

 

僕は顔を上げて……壁に掛けられた妖精の絵を見た。

 

 

「……これって」

 

 

注目したのは額縁……擦れたように、左下部分の縁が削れている。

まるで、右上を支点として回したような──

 

指を引っ掛けて、絵を額縁ごとズラす。

 

右上は固定されているけど、それ以外は固定されていなかった。

絵が回転して、背面が露出する。

 

 

「……やっぱり」

 

 

露出した部分は壁紙が剥がれて、金属の壁が露出していた。

そして、その金属部には……エレベーターのように上と下のボタンがあった。

 

ドローンを再度収納し……恐る恐る下へのボタンを押す。

 

 

ガコン!

 

 

と金属の留め具が外れる音がして、部屋ごと落下していく。

……この小部屋、全体がエレベーターなんだ。

 

 

超感覚(スパイダーセンス)に集中しつつ、部屋の隅で身構える。

……反応は無く、やがて下降していく感覚は無くなった。

 

 

見渡す。

 

 

元々、この部屋には窓は無かった。

唯一、出られる出口は入って来た時と同じ金属製のドアだ。

 

ちらり、とそちらを見ると入って来た時と同じ形状のドアがあった。

 

……息を少し吐く。

全身に軽く力を込めて、緊張している体を解す。

 

そして、再度ドアノブを捻った。

押し退けると……軋む音がした。

 

 

……そして、異臭。

マスクの下ですら感じられる血の臭い。

 

 

顔から血の失せる感覚がした。

冬はもう終わったと言うのに、肌寒く感じる。

 

 

分かってる。

……この寒気は、僕の感じている恐怖だ。

 

 

息を吐いて、腹に力を込めて……足を進める。

 

部屋は薄暗い。

電飾は壁に埋め込まれているが、時折、点滅をしている。

 

壁の材質は……少なくとも石やコンクリートではない。

金属、それかプラスチック。

 

何も映していないモニターや、プロジェクター。

何かの工作に使えそうな機械。

 

小部屋とはまるで違う、まるでSFに出てくる秘密基地だ。

 

 

……僕は超感覚(スパイダーセンス)を研ぎ澄ませながら、奥へと歩く。

 

首を振り……壁に立て掛けられた装置を見た。

それは人が背負えるバックパック……ジェットエンジンのようなものと、金属製の羽根が生えている。

 

 

「……これは──

 

 

見覚えがあった。

ニューヨークの空を飛ぶ、緑色のスーツを着た老人。

背中には羽根の生えたバックパック……そう、目の前にある装備を着ていた。

 

 

「『バルチャー』のバックパック……?何故、ここに?」

 

 

僕は薄暗い部屋で目を凝らし、他の装備を見る。

 

緑色のアーマースーツだ。

下半身からは長い尾が生えていて、先端には槍先のような物が生えている。

 

 

「『スコーピオン』まで……」

 

 

狙った所に放電できる腕に装備できる装置……電気を通さない絶縁スーツ、巨大なバッテリー。

これも、僕の知ってる悪人の装備だ。

 

 

……間違いない。

ここは悪い科学者の秘密基地だ。

 

僕は壁に張り付き、警戒する。

物音は……しない。

超感覚(スパイダーセンス)にも反応はない。

 

息を殺しながら、先へ、先へと進む。

 

 

……僕を呼び出した奴は、ここにいるのだろうか?

物音はしない、誰もいないように感じるけど。

 

 

仕切られた部屋の奥へ……そこは暗闇だった。

壁に手を当てて滑らせると、何かの小さなレバー型のスイッチに触れた。

 

拙い、と思った時には遅かった。

触れた弾みでカチリ、と音がしてレバーが跳ね上がる。

 

その瞬間、明かりが灯された。

 

照明のスイッチだったみたいだ。

……変な機械のスイッチじゃなくて良かった。

 

 

安心しつつ、僕は視線を下げて──

 

 

「っ!?」

 

 

血の臭いの正体が分かった。

 

黒いアーマーのようなスーツ……そのスーツの首から上は存在していない。

首から上を切断されている死体があった。

 

 

「……ぅぐ」

 

 

思わず大きな声が出そうになって……無理矢理押し込む。

 

……指に何か、感触があった。

 

さっきまで手が触れていたスイッチには血が付着していた。

乾燥して少し固まっているけれど、まだ時間はあまり経っていないようで……ほんの少し、手に付いてしまっていた。

 

視線を逸らし、部屋の隅にある机を見る。

……机の上には黒いマスク。

フルフェイスのヘルメットだ。

 

足元の死体から連なる血は……机の前の椅子から続いている。

 

そして、途切れて……電灯のスイッチがある壁にも付着していて──

 

 

ドアが軋む音が聞こえた。

僕が先程入って来たドアだ。

 

 

「…………」

 

 

僕は息を殺しながら、部屋の隅に隠れる。

壁に手をくっ付けて、仕切りの裏へと移る。

入って来た時に気付かれないようにするためだ。

 

 

カチャリ、カチャリ、と金属が擦れる音がする。

何者か……武装した誰かが、ここに入って来たんだ。

 

僕は壁に張り付きながら、超感覚(スパイダーセンス)を研ぎ澄ませる。

 

ディフェンダーズの誰か……とは思えない。

マップのスクリーンショットは送ったけど、来るには時間が早過ぎる。

 

 

足音が近付く。

 

 

僕は(ウェブ)シューターを仕切りの間に向けて──

 

 

カチャリ、と誰かが入って来た。

 

 

僕はその正体を確認せず、(ウェブ)を放った。

 

(ウェブ)は直撃して、何者かの腕に付着した。

それは人よりも太い……アーマーで覆われた腕だ。

 

黄色と茶色のアーマー。

 

初めて見る姿だけど……そのカラーリング、雰囲気には覚えがあった。

 

 

「ハーマン……!?」

 

 

『ショッカー』と呼ばれる男だった。

 

ハーマンは腕に付着した(ウェブ)に驚いていたが、すぐ様に僕のいる位置に気付いたようだ。

 

 

「てめぇ!なんで、ここに……!」

 

 

マスクの下で苛立った声を上げながら、僕にその腕を向けた。

 

超感覚(スパイダーセンス)が危険を知らせている。

だけど、驚いてしまって一手遅れた。

 

幸い、(ウェブ)が腕に巻きついて……ダメだ、効果がない。

手を拘束しても、手甲(ガントレット)の起動を止められない。

 

咄嗟に避けようとして壁を蹴り、跳ね上がる……けど、ハーマンの腕先は僕を追っていた。

まずい、避けられない!

 

黄色い衝撃波(ショックウェーブ)が放たれた。

 

揺れる。

衝撃が身体を、骨を、内臓を貫いた。

 

今まで食らっていた時よりも、衝撃が強い。

明らかにパワーアップしていた。

 

脳が揺さぶられて、一瞬意識が飛びそうになりながら……壁に衝突した。

 

 

「う、げほっ……!」

 

 

大きな音がして、辺りの物も揺れる。

そして、近くにあった装置が倒れてくるのが見えた。

 

……ゆっくりと、こちらに落下してくる。

 

僕の方へと……あぁ、避けなきゃ!

 

意識が朦朧としていた。

僕は落ちて来た装置を、横に側転して避ける。

 

 

再度、衝撃波(ショックウェーブ)が僕へ迫る。

スタークさんの作ったナノマシンスーツを貫通するなんて、凄いパワーだ。

 

壁への損傷から衝撃が大きくなっている訳じゃない。

振幅が大きくなっている訳でもなさそうだ。

 

より人体にダメージが入るように振動を刻む周期が短くなってるんだ。

より細かく、回数を増やし……ダメージを増やしている。

 

 

あぁ、本当に厄介だ。

 

何度も当たってしまったら、本当に気絶してしまう。

 

僕は(ウェブ)を上に放ち、強く引っ張る。

反動で飛び上がり、天井を這うように作られている太い金属パイプを掴んだ。

 

衝撃波(ショックウェーブ)は僕の居た場所にぶつかり、倒れていた機材を弾き飛ばした。

 

 

「チッ!」

 

 

ハーマンの舌打ちが聞こえた。

 

僕は新体操のように逆上がりをして、別のパイプに足をつける。

そのまま付着させて、逆立ちをしながらハーマンを見た。

 

手甲(ガントレット)は僕に向けられている。

 

 

僕は声を振り絞る。

 

 

「ハーマン!何でここに──

 

「てめぇこそ、何でここにいやがる!」

 

 

ハーマンが怒鳴りながら、僕から目を逸らし……首のない黒いスーツを着た死体を見つけた。

 

 

「あ……!?」

 

 

驚いた様子だ。

 

あの死体はハーマンの所為ではないようだ。

ショックを受けている……もしかして、ハーマンの知り合いなのか?

 

 

「それは君の知り合いか……!?」

 

「あぁ!?お前がやっ──

 

 

言葉の途中で、ハーマンが僕へ視線を戻した。

 

 

「……いや、違ぇな。お前は、こういう事をする奴じゃねぇ」

 

 

そう言いつつも、手甲(ガントレット)は下げない。

……あっちも分かってないみたいだ。

 

 

「ハーマン……少し、話し合わないか……!」

 

「てめぇを気絶する寸前までブン殴ってから、考えてやるよ!」

 

 

超感覚(スパイダーセンス)に強い反応……攻撃の予兆だ。

 

僕は(ウェブ)を足元のパイプに付着させて、落下する。

そのまま腕を振り、振り子のように大きく動く。

 

 

「チッ!」

 

 

ハーマンはそのまま、僕へ手甲(ガントレット)を向け直し……発射した。

僕は(ウェブ)を切り離し、もう片方の腕で再度(ウェブ)を発射する。

 

それはハーマンの頭上にある金属パイプとくっ付いて、そのまま僕はぶら下がりながらハーマンへと迫る。

 

スイングをしながら、足を突き出し──

 

 

「うがっ!?」

 

 

飛び蹴りを繰り出した。

だけど、蹴った感触は鈍かった。

 

……あのスーツ。

レッドキャップのスーツ程じゃないけど、衝撃を吸収する力があるみたいだ。

 

僕はそのまま宙で回転し、着地する。

ハーマンは……よろめいて数歩、後退した。

 

その顔は僕へと向けられている。

 

 

「て、めぇ……!」

 

「ハーマン!僕は今、戦うつもりはないんだ!」

 

 

僕の言葉を聞きながらも、手甲(ガントレット)を向ける事はやめない。

 

僕は視線をずらして、首のない死体を見る。

ハーマンもつられて、その死体を見た。

 

 

「戦ってる場合じゃないと思うんだ……だから、ハーマン」

 

「……クソが」

 

 

ハーマンが落ち込んだような、苛立つような声を漏らしながら……手甲(ガントレット)を降ろした。

 

 

「……てめぇの知ってる事、全部話せ」

 

 

戦う意志はもう、無いみたいだ。

僕も安心して、ハーマンに向けていた腕を下ろす。

 

そのまま近付いて、ハーマンの前に立つ。

ハーマンは……睨み付けるように僕を見ている。

 

 

「僕が知ってる事は少ない。ここに来た時にはもう……僕だってさっき来たんだ」

 

「あぁ?じゃあ……何で、ここの位置を知ってるんだ?てめぇ、何を知ってんだよ」

 

 

ハーマンが僕へ近付く。

腕が肩にぶつかって、僕は一歩後退りをした。

 

 

「ここには、えっと……」

 

 

言うか、言わまいか、悩んで……僕は息を深く吐いた。

 

 

「ここへの地図がレッドキャップ……の持っていた端末から、メールで送られて来たんだ」

 

「……嘘を吐くなら、もっとマシな嘘を吐け」

 

 

ハーマンが僕の肩を小突こうとして、咄嗟に避けた。

 

 

「……チッ」

 

 

舌打ちをしながら、ハーマンは僕を睨んだ。

マスク越しでも分かる……ピリピリと、首の裏が痛む。

 

超感覚(スパイダーセンス)は、目の前の人間の敵意を感じ取っていた。

 

 

「嘘じゃない」

 

「じゃあ何でだよ。何で、お前がレッドキャップの連絡先を知ってるんだ?」

 

「それは……」

 

「言えよ、お前はアイツの何なんだ」

 

 

ハーマンの腕がピクリと動いた。

返答次第では攻撃するつもりに違いない。

 

……僕は、逆に質問を投げた。

 

 

「逆に君は……レッドキャップを、彼女の事を何処まで知ってるんだ?」

 

「あぁ?何で、それをお前に話す必要があるんだよ……ブッ殺されたいのか?蜘蛛野郎」

 

 

手甲(ガントレット)が黄色く光る。

……ハーマンはレッドキャップと仲が良かった様子だった。

僕が探りを入れる事で、警戒しているのだろう。

 

……あぁ、もう。

 

……こうやって、互いに疑って……戦っている暇はない。

 

 

僕は胸のマークを叩いて……マスク部分を解除する。

素顔を晒し、ハーマンと相対する。

 

 

「あぁ?」

 

 

ハーマンが不可解そうな声を出した。

 

 

「僕は彼女のクラスメイト……いや、友人なんだ」

 

「……てめぇ、あの時のクソガキか」

 

 

その言葉に……僕は気付いた。

彼女とデート、していた時……スーツを着ていない状態でハーマンと僕は出会っている。

 

その時、ハーマンはミシェルを見ていた。

……やっぱり、知っていたみたいだ。

ミシェルの顔を……レッドキャップのスーツの下を。

 

 

「……ミシェルのこと、知ってるんだ?」

 

「誰だ?あぁ、いや……そうか、そんな名前だったのか……?いや、偽名……」

 

 

ブツブツと呟きながらハーマンが腕を上げて……僕に向ける事はなく、自身の顎を触った。

 

そしてまた、僕を見た。

 

 

「お前、アイツをどうするつもりだ?」

 

「……助けたいんだ」

 

「助ける?どうやって、何から?」

 

「それは──

 

「そもそも、アイツに助けはいるのか?助けてくれって言われたのか?あぁ?」

 

 

矢継ぎ早に捲し立てられて、一瞬怯んでしまった。

だけど、僕は折れない。

 

彼女を助けると誓ったんだ。

僕自身に。

 

 

「分からない」

 

「分かんねぇ?そんな半端な気持ちで──

 

「まだ……僕は、彼女と話し合えていないんだ」

 

 

僕の言葉にハーマンが黙った。

 

 

「話し合えても居ないのに……勝手に別れて……サヨナラなんて……二度と会えないなんて……嫌なんだ」

 

「……自分勝手だな」

 

「分かってるよ……そんなの、僕だって──

 

 

視線を少し下げる。

 

 

「それでも……彼女と話し合って……僕は彼女の事を知って……何からかは分からない」

 

「…………」

 

「だけど、僕は……彼女を傷付けるモノから……助けたい」

 

 

纏まってない思考が、言葉になって……ハーマンが、ため息を吐いた。

 

……あまり、論理的な話ではなかった。

ハーマンは納得していない様子だった。

 

だけど──

 

 

「……チッ、今回だけだ」

 

 

ハーマンの声が聞こえた。

僕は顔を上げる。

 

 

「ハーマン……」

 

「『ショッカー』だ……あぁ、クソ。マジで焼きが回ったのか?ガキどもに当てられて……クソだ。クソ、クソ……」

 

 

苛立った様子で、僕の肩を軽く叩いた。

……避けれたけど、僕は避けなかった。

 

 

ハーマンに腕を引っ張られて……首のない死体の前に立った。

 

 

「……ハーマン、これって」

 

「『ティンカラー』だ」

 

 

知らない名前に僕は首を傾げた。

僕の様子に気付き、ハーマンが言葉を繋げる。

 

 

「レッドキャップのスーツを作ってる科学者だ……ティンカラーもアイツの事を気にしていた。一歩間違えればストーカーかよ、ってぐらいな」

 

 

……僕は視線を戻す。

ミシェルの事を気に掛けていた……なのに、死んでいる。

 

誰が殺したのかは分からないけど、彼女も危ないのだろうか。

 

 

「……なぁにが『彼女より先に死ぬな』だ。クソが……自分が守れてねぇじゃねぇか」

 

 

ハーマンがそう吐き捨てると、仕切りに掛かっていた遮光カーテンを引きちぎり、死体に乗せた。

 

 

「ハーマン……その『ティンカラー』は──

 

「アイツの事を気に掛けていた。損得じゃなく……多分、アイツ自身のことが大切だった」

 

「……そっか」

 

 

僕は頷いて、遮光カーテンに隠れた死体から目を逸らした。

 

机に備え付けられた椅子には血がべっとりと付いている。

近付いて、その位置から左右を見る。

 

そして、血の飛び散り方から、一つ気付いた。

 

 

「……ここで撃ち殺されたんだ」

 

 

小さく、そう呟いた。

 

 

「……あぁ?」

 

「机の上にマスクが置かれている……傷は無さそうだし、殺された後に脱いだとは思えない」

 

 

僕は視線をずらす。

 

 

「壁に血がついているのは、至近距離で撃たれたからに違いない」

 

「じゃあ、何だ?マスクを脱いだ後に頭を撃たれたって言うのか?」

 

「……多分」

 

 

ハーマンが僕を睨んだ。

 

 

「ティンカラーは常にフルフェイスのマスクを付けていた。脱ぐような親しい人間は知らねぇ……強いて言うなら、アイツぐらいだ」

 

 

ハーマンの言いたい事に気付く。

 

 

「アイツがマスクを脱いだティンカラーを撃つ?それはありえねぇ……いや、絶対にねぇよ。ある訳がない」

 

 

自分を信じるためか……強く否定する言葉を重ねる。

可能性があったとしても、納得したくない……そんな感情が見えた。

 

……実際に死体は頭を切断されている。

理由は分からないけど、殺した後に誰かが持ち去ったのなら……可能性が一番高いのはミシェルだろう。

 

だけど。

 

 

「……僕も、ミシェルが殺したとは思えない」

 

「じゃあ、何だよ」

 

 

僕は壁に飛び散った血、その方向を見る。

 

椅子があって……誰かと会話しているなら……この椅子が机とは逆の方を見ているとしたなら。

 

血は、正面から左に向けて飛び散っている。

……それは何故だ?

真正面から、話している相手に撃たれたのなら、血は後ろにある机へと飛び散る筈だ。

 

横に血が付くのなら……銃口を頭の横に当てて……もしかして──

 

 

「……自殺?」

 

「ティンカラーはそんな事しねぇ……筈だ」

 

 

状況を整理する。

 

ティンカラーはミシェルの仲間だった。

ここで椅子に座っており……頭に弾丸を撃った。

その後に、何者かに首を切られている。

マスクを脱ぐ事は殆どなく……あっても、ミシェルの前でぐらいか。

 

 

ミシェルの前でマスクを脱いで、自殺した?

そして、その首をミシェルが切断した?

 

……何の、為に?

 

 

「ハーマン、何で今、ここに来たんだ?」

 

「……それ、関係あるのか?」

 

「分からない」

 

 

僕の返事にハーマンが息を吐いた。

 

 

「……コイツ、ティンカラーに呼び出されてたんだよ。重要な話があるってな」

 

「重要な……?それは──

 

「知らねぇよ。それを聞きに来たんだからな」

 

 

二人して、腕を組み……悩む。

 

 

「……ハーマン、ティンカラーが自殺したとして……それをミシェルが切断して持ち去ったとして……何か、理由はありそうかな?」

 

「……理由か」

 

 

ハウダニット(どうしたか)が重要じゃない。

ホワイダニット(何故したか)が重要だ。

 

 

「……アイツはヤバい組織に身を置いていた」

 

「ヤバい?」

 

 

僕が聞き返すと、ハーマンが僕を見た。

 

 

「知らねぇのか……?」

 

 

驚いたような声色で僕に声を掛けた。

首を縦に振ると、ハーマンは語り始めた。

 

彼女の所属している組織……『アンシリー・コート』。

キングピンに雇われていて……裏切り者を殺す仕事をしていた事を。

殺し屋として、何人もの人を殺していたという事を。

 

 

「……仕事、か」

 

 

『仕事だから、好き好んで殺している訳ではない』

……初めて会った時に、そう言っていた。

 

……そう思えば、いつだって……そうか。

僕は額を揉んだ。

 

 

「……もし、ティンカラーが彼女の事を案じて、組織に敵対する行為をしたら」

 

 

僕の言葉にハーマンが気付いた素振りをした。

 

 

「間違いなく殺される……殺すのは……そうか、アイツか」

 

 

ミシェルはティンカラーを殺すように指示された。

そう考えるのが妥当だ。

 

ハーマンが苛立ったように椅子を蹴った。

 

 

「……だから自殺したってか?」

 

「彼女が殺せなかったのだとしたら……そうする事で、彼女を組織を裏切らせないようにしたとしたら」

 

 

僕は遮光カーテンの下にある死体を……目を逸らした。

確かに悪い奴だったかも知れないけど……信念のある人間だったのだろうか。

 

 

「ありえるな……つうか、それしか考えられねぇ……マジで最悪だ……気分が悪ぃ」

 

 

ハーマンが肩を鳴らして、忌々しげに呟いた。

僕は飛び散った血を見る。

 

まだ赤い……黒く、酸化していない。

それなら、まだ時間は経ち過ぎていない。

 

 

「……ミシェルを追う」

 

「あぁ、そうしてぇ……だが、何処にいるのか分かんのか?」

 

「今から調べる」

 

 

僕はティンカラー……そう呼ばれた男のマスクを持ち上げる。

……あった、端子が。

 

 

「……何してんだ?」

 

「このマスクに何か情報が残ってないか、探すんだ」

 

 

ナノマシンのスーツの機能を選択し、端子状のパーツを作り出す。

スーツの中央部からケーブルのように繋がっている端子を……マスクに接続する。

 

中には基本的な動作を行う為のモジュールや、基礎データ……ドメインを詐称するためのハッキングソフト、さっき送られてきたマッピングデータもあった。

……そうか、自殺する寸前に……ミシェルのアドレスを使って僕へメールを出したんだ。

 

スタークさんの作ったOSで内部のデータを解析して……動画ファイルを発見した。

 

 

「あ……」

 

 

視界を録画していたであろうデータファイル。

日付は……マッピングのメールが送られてきた数分後。

 

僕はその動画データを抜き取って、胸のパネルを操作する。

 

ドローンを宙に飛ばしながら、解析ソフトを起動する。

 

 

「……何か目ぼしいモンがあったか?」

 

「動画ファイルがあった……今から再生する」

 

 

ドローンがプロジェクター機能を使う。

 

宙に映像が投射される。

それは死体……ティンカラーの背中と、銃口を向けているミシェルの姿だ。

ミシェルは首から下に、いつものスーツを着ていた。

マスクは……あぁ、そうか、僕が壊してしまったんだ。

 

 

「……これ」

 

「ティンカラーと……アイツか?」

 

 

机の上に置かれていたマスク視点で、二人を映している。

 

ミシェルは……見た事ないほど、悲しそうな、辛そうな顔をしていて……思わず、僕も辛くなってしまった。

呼吸が乱れている事を自覚しながら、映像を見る。

 

音声は入っていない……本当に映像だけだ。

ミシェルが口を開いて……何かを喋って、焦った様子で近付いて……ティンカラーが倒れた。

 

手には拳銃が握られていて……自身の頭を撃ち抜いたんだ。

 

 

想定通りだけど……こんなに正解しても嬉しくないのは初めてだ。

そして、頭を撃ち抜いて血塗れになったティンカラーを抱きしめて……ミシェルが泣いている。

 

その手には……レッドキャップが使っていたナイフが握られている。

 

そのナイフを、首へ、押し当てて──

 

 

「うっ……」

 

「……最悪だ」

 

 

ティンカラーの首を切断して抱き抱えて……泣きながら、ミシェルが吐いた。

頭が転がって……酷く、取り乱した様子で……血溜まりに手をついて蹲っている。

 

……ふと、口が動いている事に気付いた。

僕はその口元を注視して……。

 

 

『だれか、わたしを、ころして』

 

 

そう、言っている事に気付いた。

 

ミシリ、と何かが軋んだ音がした。

僕の心もそうだ……だけど、物理的に、僕が手を置いていた机の音だ。

思わず力を込めてしまったんだ。

 

彼女はティンカラーの頭を抱き抱えて、立ち上がる。

ゆらゆらと覚束ない足取りのまま……黒いマスクを手に取った。

それはいつか……カーネイジと戦った時に着けていたマスクだ。

 

その黒いマスクは……血塗れのミシェルの手で持ち上げられ……血が付着して、赤くなっていた。

 

血で染まったマスクを頭にかぶり、ミシェルは揺れる。

生気を感じさせないまま、ティンカラーの頭を持ち去った。

 

 

……映像は、そこから何も映っていない景色を映し続けている。

 

……解析ソフトが動作を完了していた。

僕は……そこにあった、GPSの識別コードを自身の地図データに入れる。

識別コードの名前は……ミシェル・ジェーンと書いてあった。

 

ドローンの映像が切り替わり、ニューヨークの地図が映し出される。

ここから少しずつ離れていく、赤い点。

 

 

「オイ、コレは?」

 

「多分、ミシェルの位置だ……」

 

 

僕とハーマン、二人で宙に映された地図を見る。

手を強く握る。

 

 

「追わなきゃ……」

 

「……あぁ、そうだな」

 

 

僕は手に入れたGPSデータを仲間に送信しつつ、この研究所を後にしようと……ドアへと進む。

 

 

振り返る。

 

カーテンの下で眠る、彼女を想っていた人。

本名も分からない……だけど、命を捨ててまで助けようとした人。

 

……目を伏せて、口を紡ぐ。

 

 

「オイ、何してんだ……早く行くぞ」

 

 

ハーマンに声を掛けられる。

 

 

「あぁ、分かったよ……ごめん、行くよ」

 

 

ドアを開けたハーマンの後ろを、僕は追いかける。

 

名前も知らない、僕と同じ人を大切にしていた人。

ここに遺体を置き去りにするのは、心苦しいけど。

 

貴方の遺した願いは……必ず、僕が成し遂げるから。

それが死んでしまった貴方に対する、僕が出来る弔いだ。

 

僕は強く握った拳を開いて、スーツのマークを操作する。

マスクが再度、展開される。

 

ピーター・パーカーとして。

彼女の親愛なる隣人として。

彼女の憧れ(ヒーロー)として。

スパイダーマンとして。

 

必ず、僕が……いや、僕達が。

 

 

助けるから。

 

 

だから……どうか、安心して。

 

 

 

R.I.P(安らかに、眠ってくれ)

 

 

 

 



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#99 デス・オブ・レッドキャップ part1

ニューヨークの地下迷路を走る。

ティンカラーが遺してくれた情報を頼りに……ミシェルを追う。

 

 

「はぁっ……ぜぇ、はぁ……」

 

 

息を切らした声が聞こえる。

でも、僕の声じゃない。

 

息を切らして疲労困憊なのは──

 

 

「ハーマン!遅いよ!」

 

「う、はぁっ、ぜぇっぜっ……お、オレは『ショッカー』だっつ、う、ゲホッ!」

 

 

思わず咳き込んで、ハーマンが足を止めた。

膝に手を突いて、呼吸を荒くしてる。

 

 

「オレがひ弱なんじゃねぇ……ゲホッ、てめぇ、てめぇがおかしいんだよ……はっ、はぁっ……やべぇ吐きそう」

 

 

僕は首を傾げる。

 

 

「そんなに長い距離を走ってないと思うけど……」

 

「十分、走ってるだろうが……アーマー着込んでて重いし、通気性悪ぃから暑ぃんだよ、クソが……」

 

 

……失念していた。

僕はスーパーパワーがあるから疲れないけど、ハーマンは……その、普通の人間だ。

 

この速度で走るのは無理だ。

 

……でも、だけど、ゆっくり歩くなんてのは無理だ。

急がないと……。

 

 

「…………」

 

 

少し悩んで、僕はハーマンの前に立った。

 

 

「あぁ?……クソ、先に行ってろ。間に合わせてや──

 

 

最後まで言う前に僕は膝を突いて、ハーマンに背を向けた。

 

 

「……あ?」

 

「ほら、ハーマン、早く」

 

 

僕が手招きすると気付いたようで……唸るような声が聞こえた。

嫌そうな素振りを見せながら……僕の手に足をかけて、背中から手を回した。

 

そう、ハーマンを背負った。

おんぶって奴だ。

 

 

「……なんでオレが」

 

「僕だって……好き好んでオッサンを背負いたくないよ」

 

 

そう言いながら立ち上がり、僕は走りだす。

 

 

「オッサン、だと!?まだ24だっつーの!」

 

「え!?全然そんなふうに見えないんだけど……」

 

 

薄暗いトンネルを、GPSの情報だけを頼りに突き進む。

 

 

「マ、マジでブッ殺してやる……!」

 

「う、わ!?悪かったって!」

 

 

ハーマンが後ろで喚くけど、僕は足を止めない。

僕も彼もミシェルを救いたい気持ちは同じだ。

 

互いに分かってるから、時間を無駄にするつもりはない。

 

だけど──

 

 

「てめぇとは絶対に仲良くなれねぇ……!」

 

 

僕も別に、仲良くしたいとは思わないけど。

 

 

「僕だって……別に仲良くするつもりはないよ」

 

 

グウェンを人質にとった事も……まだ謝って貰ってないし。

 

まぁ、でも……今だけは仲間だ。

 

走って、走って……地図に映る位置情報、ミシェルを示す赤いポイントが急激に離れていく事に気付いた。

 

速い……車か、何かに乗ったみたいだ。

追いつけない事はないけど、時間が掛かる。

 

赤いポイントは……ブルックリンと外へと繋がる大きな橋へと向かっている。

……ニューヨークから出るつもりだ。

 

僕は急ブレーキをかけて、足を止める。

 

 

「オ、オイ、どうした?」

 

「地下を走ってるだけじゃ間に合わない」

 

「じゃあ、どうすんだよ?」

 

 

僕に出来る……一番速い移動方法は──

 

 

「……一旦、地上に出よう」

 

「あ?あぁ……?」

 

 

よく分かってなさそうなハーマンを無視して、近くにあった出口と繋がってる梯子の下に付く。

 

ハーマンが一旦、僕の背中から降りようとしたのを止めて……ウェブシューターのカートリッジを切り替える。

 

カートリッジ2、ゴム(ウェブ)だ。

 

僕は全力で地面を蹴って飛び上がり、左右に(ウェブ)を発射する。

そのまま(ウェブ)を引っ張りながら、地面に着地して──

 

 

「絶対に手を離さないでよ」

 

「あ?なんっ──

 

 

反動で飛び上がる。

それはスリングショットの要領で僕達を弾き飛ばし……一気に上昇する。

 

 

「づっ!?」

 

 

ハーマンが舌を噛んだようで変な声を出した。

 

無視してそのまま上昇し……地上の入り口を隠している蓋を破壊した。

 

それは……タイルだ。

薄緑色のタイルが砕ける音がした。

 

……ここは?

 

 

「て、めぇ……やるならやるって──

 

 

ハーマンも気付いたようで、押し黙った。

 

ここ……トイレだ。

大きなショッピングモールのトイレ。

 

時間が時間だから……非常灯だけが点いていて暗いけど……分かってしまった。

 

 

「……なぁんで、こんな所に繋がってんだ?」

 

「さぁ……?」

 

 

……何となく、気まずい。

 

僕はハーマンを降ろして、トイレの外……窓ガラスを開けた。

 

……外には大きなビルが立ち並んでいる。

それは、僕……スパイダーマンにとっては庭みたいなものだ。

 

窓ガラスの淵に足をかけて、外へと出る。

続いてハーマンも外に出る。

 

僕と一緒に、商業施設の駐車場を歩く。

 

 

「……オイ、何のつもりだ?」

 

「何って……走ってたら追いつくか分かんないから」

 

 

その言葉に、ハーマンの動きが一瞬止まった。

何かに気付いたようだ。

 

 

「……オレはそんな事できねぇぞ?」

 

「また僕の背中に乗ってれば良いよ」

 

「そういう問題じゃねぇよ……」

 

 

ハーマンは僕がやろうとしている事に気付いているようだ。

 

高層ビルが並ぶなら、僕の最も得意な移動方法が使える。

 

 

パシュン。

 

 

(ウェブ)を飛ばした。

隣のビル壁に付いて……僕はハーマンへ振り返った。

 

腕を組んで、唸っていた。

 

 

「……いつも命綱もなしで飛んでんのか」

 

「いや、ほら……(ウェブ)

 

 

僕が手元とビルを繋いでいる(ウェブ)を指差すと……ハーマンが呆れた様子で僕を見ている。

 

そして、恐る恐るといった様子で近付いてくる。

 

 

「……アイツを助けるためだ、クソ、クソクソクソ」

 

 

小声で悪態を吐きながら、僕の背中に乗った。

 

 

「絶対に手を離さないでよ」

 

「……離したら、どうなるんだ?」

 

「そりゃあ──

 

 

僕は高さ数十メートルから落下するハーマンを想像した。

ハーマンも同じく想像したようで……背中越しに身震いしたのを感じた。

 

 

「い、いや、いい……言わなくていい……」

 

「OK……じゃあ、行くよ」

 

「い、いつでも来いや!」

 

 

恐怖を振り払おうとしてるハーマンを少し面白く感じながら、足で地面を蹴り……(ウェブ)を強く引っ張った。

 

一気に加速して、数メートル飛び上がる。

 

 

「いくよっ!」

 

 

僕はもう片方の腕で前方のビルに(ウェブ)を付けて、引っ張る。

宙へ飛び上がりながら、振り子のように勢いをつけて加速する。

 

 

「う、うわっ高ぇ……!」

 

 

ハーマンが離れて行く地面を見て、何か言っている。

 

 

「もう、大袈裟だなぁ……」

 

 

(ウェブ)を再度放って、さらに飛び上がった。

後ろで固まっているハーマンに声を掛ける。

 

 

「いざという時は地面に衝撃波(ショックウェーブ)を出せば良いじゃないか……前にやってるところを見たし」

 

 

シニスター・シックス、だったかを結成している時……ビルから着地するのに使ってた事を思い出した。

 

 

「自分で飛ぶのと、他人に飛ばされんのは別なんだよ!地面に腕を向けてねぇと、そもそも出来ねぇ!背中から落ちたらマジで死ぐぶっ!?」

 

 

……また舌を噛んだみたいだ。

苦笑いしつつ、僕は(ウェブ)を放ち、さらに加速する。

 

壁を蹴り、(ウェブ)の弾性を使って更に加速する。

 

風を切って、すっかり暗くなってしまい灯りも少なくなったニューヨークを……僕は翔ける。

 

……時間が惜しい。

ショートカットをしつつ、滑るように飛ぶ。

 

 

 

……ハーマンが僕を掴む力が強まった。

あ、そんなに怖いんだ。

 

 

 

数分間、ニューヨークの空を舞って……僕は赤いポイントが進む先に先回りした。

橋に向かうなら……ここを絶対通る筈だ。

 

僕は少し小さめの雑居ビルの屋上に着地した。

そのままハーマンを降ろして──

 

 

「う、うぷ」

 

 

気持ち悪そうにしていた。

ウェブスイングはお気に召さなかったらしい。

 

 

「え?そんなに?」

 

「てめぇ、何でオレが悪いみたいな雰囲気にしてんだ……マジで乗り心地、最悪だったんだぞ」

 

 

苛立ったように僕へ文句を言う。

自覚がないので首を傾げる。

 

 

「うーん、夜風を切るのって気持ちいいと思うんだけど」

 

「……イカれてやがる」

 

 

ハーマンが引いたような様子を見せて、僕から一歩離れた。

……僕は屋上の縁から遠くを見る。

 

 

「チッ、クソが……それで、アイツはどこなんだ?」

 

「あの車だよ」

 

 

真っ黒な……大きな車だ。

何も広告すら書いていない無地のトラックが左右を固めている。

 

……アレも、きっと組織の車だ。

 

 

「……アレってどれだ?」

 

「アレだよ、ほら」

 

 

僕は指差す。

 

ハーマンは手を額に当てて、目を凝らすように乗り出した。

 

 

「……あの豆粒みたいな奴か?」

 

「何色の?」

 

「緑色だろ?」

 

「いや、それじゃなくて……その後ろだって。黒い車と……トラックの──

 

「見えねぇよ、バカが!」

 

 

ハーマンが声を荒らげて、僕を罵倒した。

肩を小突かれそうになったので、身を捩って避ける。

超感覚(スパイダーセンス)の無駄遣いだ。

 

 

「え?でも……」

 

「これでも視力は20/20あるんだよ……見える訳ねぇよ、普通の人間には!」

 

 

まぁ、確かに……言われてみれば、1000メートル先の車なんて分からないか。

暗いし、車は黒いし。

 

まぁ、良いや。

 

 

「車が来たら……僕は飛び降りるから」

 

「……お、おう?それでどうすんだ」

 

「どうって?」

 

 

僕が首を傾げると、ハーマンが苛立った様子で自分の二の腕を叩いた。

金属が擦れる音がした。

 

 

「だぁから、作戦だよ」

 

「ないよ……兎に角、会って、話をして……連れて帰る」

 

「……あー、クソ。オレはいつも、こんな出たとこ勝負みたいな奴に負けてんのか?」

 

 

ハーマンが悪態を吐いて……僕は近付いてくる車に視線を戻した。

 

 

「アレか」

 

 

ハーマンも気付いたようだ。

……僕はビルの縁に足を乗せて……待つ。

 

車が近づく。

 

 

そして、僕は……飛び降りた。

ハーマンはタイミングを掴み損ねたみたいで、僕について来ていない。

 

(ウェブ)を壁に付けて、スイングする。

車の前面、道路へと着地する。

 

車の窓ガラスは……マジックミラーになっているみたいで中は見えない。

だけど、座標はこの車にある。

 

……目の前に僕が飛び降りたってのに、全く減速する気がない。

撥ね飛ばすつもりだ。

 

僕は(ウェブ)を左右に貼って、繋げる。

大きな蜘蛛の巣みたいなものを作る。

 

車は僕へ向かってくる。

(ウェブ)にぶつかって勢いが落ちた車を……僕は正面から押しとどめる。

 

 

「ぐっ!?」

 

 

この車、絶対に普通の市販車両じゃない。

ぶつかったのに、全く減速しないし……凄い、馬力だ。

車体のボディも硬い……多分、特殊な合金。

見た目は普通の車に偽装してるけど……実際は小さな装甲車だ!

 

足を道路に突き刺すように踏み締めて、押さえつけた。

コンクリート製の道路が砕けて、小さな破片が散る。

 

少しずつ、少しずつ減速して──

 

 

超感覚(スパイダーセンス)に反応があった。

 

咄嗟に僕は地面を蹴り上げ、車のボンネットに乗る。

僕の背後に、火球が通った。

 

 

「今のっ……!?」

 

 

火球はそのままビルの壁に衝突し、窓ガラスを溶かした。

かなりの熱量だ。

 

 

車の左右に付いてきていたトラック。

それは僕が足止めしていた車を追い越して……前方で荷台の天井を開いていた。

 

そこから……積まれていた人型のロボットが上半身を出していた。

体長は2メートル以上……かなり大きい。

寝転がるように荷台に積んであって、上半身を起こしたんだ。

 

サイズ的に人が着れるほど小さくないし、人が乗れるほど大きくない……多分、無人だ。

 

体色は紫色。

鎧を纏った人型……だけど、頭は人間の頭部にそっくりだ。

 

一言で言えば、不気味なデザインのロボット。

 

そして、その左右の手のひらは赤く輝いていた。

炎を纏っている……物理現象を無視してるって一目で分かるレベルだ。

 

 

再度、超感覚(スパイダーセンス)に反応がある。

 

……ダメだ!

車の上を維持できない。

 

僕は道路に飛び降りて、再度発射された火球を避ける。

1発、2発と連射される。

 

くっ……エネルギーは無尽蔵なのか!?

明らかに科学っぽくない攻撃だ……原理が想像できないし。

そもそも炎が質量を持って飛んでくるなんて──

 

 

顔を上げた。

……ミシェルを乗せた車が離れて行く。

 

まずい、こんな奴と戦ってる場合じゃない!

追いかけないと……!

 

 

ロボットがトラックの荷台から飛び降りて、こちらへ向かってくる。

足はジェットエンジンを搭載しているみたいで空を飛んでいる。

 

その手のひらが、僕へ向けられている。

 

 

再度、火球が飛んでくる。

 

さっき、着弾したビルの窓ガラスが溶けていた。

ガラスの溶ける温度って事は……1000℃ぐらいはある筈だ。

 

ナノマシンスーツで防ぐには限度がある。

当たったら……死ぬ。

スーツを貫通した熱で、僕の身体は沸騰するだろう。

 

防御は出来ない……避けるしかない!

 

 

側転して、回避した瞬間……ロボットが腕を振り回した。

 

 

「ぐぁっ!?」

 

 

そのままビルにぶつかって、壁にヒビが入る。

スーツを衝撃が貫通した……骨は折れてないけど……くっ、結構ダメージがある。

 

……ロボットが、僕を見ている。

そいつは言葉を話す事なく目を光らせて──

 

 

ロボットが吹っ飛んだ。

 

自分からじゃない、まるで突き飛ばされたかのようにロボットはビルへとぶつかった。

ガラスが砕けて舞う。

 

……幸い、ここはビジネス街だ。

被害者は居ないと思う……夜だから人影はないし。

 

 

ビルに衝突したロボットから視線を逸らすと……ハーマンが居た。

 

 

「遅いよ!」

 

「てめぇが早過ぎるんだよ!」

 

 

直後、ロボットが火球を放った。

僕じゃない、ハーマンにだ。

 

慌てて助けようとして……彼の手甲(ガントレット)が輝いた。

 

衝撃波(ショックウェーブ)が放たれる。

火球自体に硬さは存在しないようで、衝撃波で散らされて消滅した。

 

 

「アイツは、あの黒い車に乗ってんだな!?」

 

 

ハーマンが僕へ、声を張り上げた。

マスク内部で表示されている地図の、赤いポイントが離れて行く。

 

慌てて、返答する。

 

 

「そうだよ!ミシェルは、アレに乗ってた!」

 

「なら、早く行け!」

 

 

ハーマンが衝撃波(ショックウェーブ)を放った。

立ち上がろうとしていたロボットにぶつかり、再度大きな音を立てて倒れた。

 

……早く行けって、でもっ──

 

 

「でも、ロボットが──

 

「コイツは俺がブッ壊すから先に行けって言ってんだよ!」

 

 

ロボットは倒れたまま、火球を放った。

ハーマンは衝撃波(ショックウェーブ)で相殺して……手甲(ガントレット)から小さな何かが弾き出された。

 

アレは……空の小型バッテリーだ。

衝撃波(ショックウェーブ)は無限に撃てる訳じゃない。

だけど、相手のロボットのエネルギーは未知数だ。

 

そして、見ていた限り……衝撃波(ショックウェーブ)でロボットは倒せない。

 

……ここで置いては行けない。

 

 

「でも──

 

「うるせぇ!お前は何しにここに来たんだ!目的を間違えるな!バカが!」

 

 

ハーマンが僕を怒鳴りつけた。

 

目的……それは、ミシェルを助ける事だ。

そのために僕は、ここに来ている。

 

それはハーマンも同じ筈だ。

だから、僕は──

 

 

「死んだら、ミシェルが悲しむから……死なないでよ!」

 

「あぁ、さっさと行きやがれ!スパイダーマン!」

 

「そっちこそ、本当に死なないでよ!ショッカー!」

 

 

僕は(ウェブ)を飛ばして、宙に飛んだ。

 

 

「既に死ぬなって約束はしてんだよ!お前に言われなくても、な!」

 

 

ハーマンがロボットへ衝撃波(ショックウェーブ)を撃ったのを見て、背を向ける。

……ほんの少し、後ろに引かれるような気持ちを振り払う。

 

 

 

 

正直に言うと僕はハーマンは嫌いだ。

 

乱暴だし……自惚れ屋だし、自分勝手だし。

だけど、彼にも良い一面がある。

 

それはミシェルも見ていて……彼を仲間としていた。

ハーマンだって、ミシェルを守るために戦っている。

 

だから、僕はハーマンが嫌いだけど……死んだら悲しい。

ミシェルだって悲しむ筈だ。

 

だから、死んで欲しくない。

今すぐに戻って一緒に戦うべきだ。

 

だけど、戻る事はハーマンの覚悟を踏み躙る行いだ。

それは、出来ない。

 

だから、今は信頼して……彼の目的を僕が果たすしかない!

 

 

 

 

(ウェブ)を前のビルに放ち、スイングする。

前へ、前へ。

壁を蹴り、走り、加速して飛ぶ。

 

……本当に、妙に人影がない。

いくら深夜のビジネス街だからって……こんなに人が居ないものだろうか?

 

巻き込む心配がなくなるから、僕にとっては好都合だ。

安心して戦える。

 

 

 

……見えた!

黒い車と一台のトラック!

 

僕は(ウェブ)を前方に放ち、勢いよく引っ張る。

反動で飛び出して、トラックの上に着地する。

 

 

……超感覚(スパイダーセンス)が反応する。

物音が足下からする。

 

……そりゃあ、同じ形のトラックなら……ロボットは一体で済む筈がない。

僕だって想定済みだ。

 

即座にトラックの側面へ飛び降りて、(ウェブ)をタイヤへ放つ。

タイヤが回転し、(ウェブ)を巻き取り……車軸に巻きつき絡まる。

 

トラックが左右に揺れて……僕は荷台の上を全力で蹴り飛ばした。

安定を失ったトラックはそのまま横転して、閉店中のコンビニにぶつかった。

 

……物を壊し過ぎてるかも。

弁償……出来る気がしないけど……あ、後で考えよう。

 

僕は地面を走り、(ウェブ)を逃げるように走っている車へとくっ付けた。

そのまま引っ張られながら、僕は車の上に飛び乗る。

 

……この中に、ミシェルがいる。

僕は屋根に足を貼り付けて、身を乗り出し……後部座席のドアに触れる。

 

鍵の掛かっているドアを無理矢理こじあげようと、引っ張り──

 

 

足下に穴が空いた。

咄嗟に飛び退いて、僕は車のボンネットに乗った。

 

空いたのは後部座席の屋根……そこから見覚えのある黒い腕が見えた。

 

 

息を呑む。

 

 

左右に屋根を引き裂いて、黒いアーマースーツが姿を現した。

古傷がジクリと痛んだ。

 

 

「……ミシェル」

 

『…………』

 

 

僕の呼びかけには答えなかった。

 

マスクは、いつもの赤いマスクじゃない。

僕が殴って……壊してしまったからだ。

 

だから、カーネイジと戦った時に装着していた黒いマスクを付けている。

 

だけど……マスクは赤く汚れていた。

血の色だ。

 

ティンカラーの血だ。

僕は映像で見ていた……だから、知っている。

 

血を浴びてマスクを赤く染めた、レッドキャップが……目前に姿を現した。

 

 

その手にはティンカラーの頭部はない。

視線を少し下げれば……後部座席に、あった。

 

思わずマスクの中で眉を顰めると──

 

 

『何しにここに来た、スパイダーマン』

 

「君を助けに」

 

 

僕がそう答えても……大きくリアクションはしなかった。

それどころか、顔を逸らして──

 

 

『……ハァ』

 

 

ため息を吐いた。

 

そして、僕へ視線を戻した。

 

 

『スパイダーマン……お前は何か勘違いをしている』

 

「そんな事ない」

 

『お前はミシェル・ジェーンを助けに来たんだろう?』

 

「……そうだよ。僕は、僕達は君を──

 

『そんな人間は存在しない』

 

 

僕は……彼女の顔を見た。

赤く血塗られたマスクの下で、どんな表情をしているかは分からない。

 

 

『ミシェル・ジェーンは組織が作り出した設定だ。私がお前を騙すために演技していたに過ぎない……そんな名前の人間は存在しない』

 

「……でもっ──

 

『話し方だって違う……性格も、何もかも……私の演技に過ぎない』

 

「……それなら、君は何者なんだ」

 

 

血は乾燥して、流れ落ちる事はない。

きっと、拭っても落ちないだろう。

 

 

『レッドキャップだ』

 

 

そんな、赤くなったマスクが僕を見た。

 

 

『昔から、ずっと……そう呼ばれている』

 

 

ミシェルが……レッドキャップが腰からナイフを抜いた。

……ティンカラーの首を切断するのに使った、ボロボロのナイフだ。

 

 

「僕は……僕は、君と戦うつもりはない」

 

 

もう二度と、君を傷付けたくない。

顔を殴ってしまった事だって、まだ謝れていない。

 

 

『なら、一方的に殴られてるんだな』

 

 

ナイフを振りかぶり、僕へと叩きつける。

 

 

「くっ──

 

 

それを握って受け止める。

受け止めた衝撃で、ボンネットが歪む。

 

こんなナイフでは、ナノマシン製のスーツを貫通しない。

それは前の戦いで分かってる筈だ。

 

だから……彼女の攻撃に殺意が篭っていないのが分かってしまう。

超感覚(スパイダーセンス)だって……微弱にしか、反応しない。

 

 

「僕は君を助けに来たんだ……!」

 

『誰を?ミシェル・ジェーンなど、存在しないと……言った筈だ』

 

 

ナイフの側面に手刀を振り下ろす。

鈍い音がして、折れた破片は地面へ落ちる。

 

互いに少し、距離を取る。

 

 

赤いマスクを見た。

 

言いたい事が沢山あった。

出会ったら、謝ろうって……あの遺書は酷いよ、なんて……会いたかったって……言いたい言葉が沢山ある。

 

 

だけど──

 

 

「僕が助けたいのは、君だ」

 

 

僕は、今、僕が……言いたい言葉を、心に浮かんで来た言葉を吐き出す。

 

 

「君が『ミシェル・ジェーン』じゃなかったとしても……口調が違うとしても……!」

 

 

言葉を吐き出す。

 

 

「どんな秘密を抱えていようと……僕が好きになったのは『ミシェル』って名前だけじゃない!」

 

 

マスク越しに視線が、交わる。

 

 

「君なんだ……!僕が好きになったのは……だから、助ける!」

 

『助けてくれと言った覚えは──

 

「君が何て言おうとも、もう悩むつもりはない!」

 

 

僕は……軋む体に鞭を打って、彼女の前に立ちはだかる。

 

 

『……随分と自分勝手だな』

 

「知らなかった?」

 

『あぁ……そう、だな』

 

「観念して助けられてくれないかな」

 

 

不意に、彼女が横を向いた。

僕から目を逸らすように……まるで見ていられないかのように。

 

 

『無理だ』

 

「ミシェル……僕は──

 

『違う。私は……私の──

 

 

自身の胸の辺りを指差した。

 

 

『私のここに……爆弾がある』

 

「……え?」

 

 

その言葉に、頭が一瞬、真っ白になった。

 

 

「爆弾……?」

 

『裏切れば炸裂し、死に至らしめる」

 

 

頭の中が絡まる。

 

 

「……そんなの──

 

『私は死ぬ。だから助ける事は出来ない』

 

 

爆弾……?

ミシェルが、死ぬ?

 

裏切ったら死ぬから……今まで、こんな事を?

そんなのって、そんなのって……酷い。

狡い、そんなの。

だって、それじゃあ……助けられないなんて。

僕はでも、それでも、助けたいのに。

なんで、そんな。

 

 

『だが、命を失うのは怖くない……私に、生きている価値はない。もっと、早く気付くべきだった』

 

「そんな事は……」

 

『私は人を不幸にする……存在しない方が良い』

 

 

首を、掴まれた。

 

 

「ぐっ……!?」

 

 

掴んだのは……彼女の手だ。

 

細くて、柔らかい……優しい手。

あの日、握って……思わず動悸してしまった手。

それは今、黒い装甲を身に纏って、僕の首を掴んでいる。

 

反応が遅れた。

首を絞められている現状ですら、僕は……その事を認識出来ずにいた。

 

 

『だが安心しろ……私はもうすぐ死ぬ』

 

 

言葉の意味を、理解出来ない。

なんで、死ぬんだ?

どうして……?

分からない、教えてほしい。

 

 

『この車は、私達の首領(ボス)の元へ向かっている……そこに、スパイダーマン……お前は必要ない』

 

 

投げ飛ばされて……車から投げ落とされた。

 

僕は地面に転がる。

 

車はかなりの速度で走っていた……ダメージは大きい。

 

 

「ぐっ、あっ……」

 

 

スーツの許容量を越えた衝撃が、身を貫く。

ナノマシンの一部が壊れて、スーツが剥げる。

 

 

「げほっ、ごほっ……」

 

 

穴の空いたマスクから口元が露出する。

 

 

「ミ、ミシェル……?」

 

 

視界の中で彼女が小さくなっていく。

離れていく。

 

倒れたまま手を伸ばす。

……でも、届かない。

 

 

倒れたまま、地面に拳を突き立てる。

頭の中を……さっき聞いた言葉を整理する。

 

 

……ミシェルは、車が組織の首領(ボス)へと向かっていると言っていた。

それを何故、言ったんだ……?

もうすぐ死ぬって、何でそんな事を……。

 

 

あ。

 

 

ミシェル、は……首領(ボス)と差し違えるつもり、なんだ。

自分の命を投げ捨てて、それで──

 

 

「……う、ぐ」

 

 

体はまだ動く。

 

スーツは多少、壊れてしまったけど。

骨が痛むけど……呼吸だって乱れているけど。

 

それでも、動く。

動けるんだ。

 

 

立ち上がる。

 

 

ミシェルは……何も分かっていない。

スパイダーマンのファンだって言ってるのに……僕のことを、分かっていない。

 

こんな程度で諦める事はない。

今までだって、何度も困難にぶつかって来た。

 

 

僕には普通の人の何倍ものパワーがある。

 

それは何のためだ?

大切な人を……誰かを助けるためだろ?

 

自分には力を持つ資格があるんだと、証明するんだ!

誰に……?

誰だって良い、僕自身に証明するんだ!

 

 

震える膝を叩いて、自分を奮い立たせる。

 

 

失敗は許されない。

今回だけは……いいや、今回も負けられない!

 

思い出せ、ピーター・パーカー。

 

 

楽な状況で勝利するのは容易い。

本当に重要なのは、どんなに苦しい状況でも……立ち上がり、打ち勝つ事なんだ!

 

 

歩き出す。

 

 

ウェブシューターを見る。

カートリッジの……液量はもう、少ない。

ウェブスイングも、控えなくちゃならない。

 

 

だから、自らの足で進まなきゃいけない。

 

 

四肢が痛む。

息も切れてる。

横っ腹が辛い。

 

それでも……歩いてちゃ、彼女に追いつけない。

 

 

走り出す。

 

 

腕を振って、激痛に耐えて。

 

痛い……痛いよ。

でも、骨折していないだけマシだ。

走れるんだから。

目的に向かって行動できるのだから。

 

 

走る。

 

 

休んでなんていられない!

 

 

僕は止まらない。

止まっちゃダメだ。

 

 

誰に言われたからじゃない。

僕が、僕自身の意思で……足を動かし続ける。

 

 

体は限界だ。

休めって脳が言ってる。

 

だけど、走るんだ。

コンクリートの地面を蹴って、僕の住む街を走るんだ。

 

 

彼女は泣いていた。

マスクの下で泣いていた筈だ。

見えなくっても、僕には分かる。

ずっと、ずっと泣いていたんだ。

今まで出会った時から、ずっと。

 

もう、二度と泣かせたくない。

 

だから、今は彼女に追いつく。

まずは僕にできる、最初の行動だ。

 

 

僕は、僕が……出来ることを怠って、誰かが悲しむのは……許せないから。

 

 

走る。

 

 

彼女の胸に爆弾が仕掛けられいる。

なら、どうする?

分からない……分からないけど……今はただ、足を止めない。

 

時に頭を使うよりも、行動しなきゃならない時がある。

 

 

マスクの下の地図を見る。

さっきより赤いシンボルの移動速度は落ちている。

 

さっきの車上での戦いで、車にダメージが入ったんだ。

屋根が壊れてバランスも取れなくなっている……と思って良いだろう。

 

 

まだ、間に合う。

 

 

どこに敵の首領(ボス)が居るのか分からないけど。

 

 

走る、走る。

 

 

直後、超感覚(スパイダーセンス)に反応があった。

 

 

すぐに、横へ避ける。

 

 

氷の塊が、僕の横を通り過ぎた。

 

振り返る。

……さっき、トラックごと転がしたロボットだ。

 

 

「炎の次は……氷……か」

 

 

ロボットの両手は小さな吹雪のように渦巻いていた。

まったく、どんな理屈かは知らないけど……本当に、嫌になってしまう。

 

戦ってる暇なんて、ないのに。

 

 

 

超感覚(スパイダーセンス)が強く、鳴り響く。

今まで感じた事がないほど、大きく。

 

ロボットが飛ばしてきた氷の塊を避けて、振り返る。

 

 

……目の前にいたロボットと同じ形状の……ロボットが、沢山、空を飛んでいた。

一つ、二つなんて数じゃない。

 

 

「は、はは……」

 

 

思わず笑ってしまった。

滑稽だったからだ……僕が。

 

そりゃあ、そうだよね。

二つ同じロボットがいるんだから……もっと、沢山いても……おかしくないよ。

 

 

……だけど、諦める理由にはならない。

 

 

瞬間、また飛んできた氷の塊を避けて……ロボットを蹴り飛ばす。

転がったロボットの首を掴んで……強く引っ張る。

 

 

「ふっ、くっ……!」

 

 

筋肉繊維が悲鳴を上げてる。

明日は、絶対、筋肉痛だ……!

 

千切れたロボットの頭部を投げ捨てて、飛んでいるロボット群を見る。

 

……本当に沢山いるな。

幻覚だったら良かったのに。

 

飛んでいるロボット達の中から一体、こちらへ急降下してくる。

 

 

……息を吸って、吐き出す。

覚悟は……ずっと前から出来ている。

 

叔父さんが死んで……強盗を捕まえた、あの時から。

 

 

誰にも、邪魔はさせない。

 

 

拳を強く握って……ウェブシューターを──

 

 

 

直後、光が目の前を横切り……ロボットが、吹き飛んだ。



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#100 デス・オブ・レッドキャップ part2

手甲(ガントレット)から衝撃波(ショックウェーブ)を放つ。

よく分かんねーロボットに直撃して吹っ飛ばす。

 

……これを、何度も繰り返してる。

 

 

「チッ……!」

 

 

手甲(ガントレット)に装填されていた小型のバッテリーが跳ね上がる。

 

空になった証拠だ。

オレはベルトに手を伸ばし……最後の一個を手に取る。

 

 

……クソ。

普通に撃ってるだけじゃ無理だ。

 

オレの衝撃波(ショックウェーブ)じゃ倒せねぇ。

奴のボディは衝撃を吸収でもしてんのか?

あんだけぶつけて傷一つねぇんだから……振動や衝撃に耐性があると考えても間違いねぇか。

もうちょい早めに気付くべきだった、が。

 

 

物音がする。

ロボットが立ち上がろうとしている音だ。

 

 

このロボット、オレとは相性が悪い。

クソみてぇな相性だ。

 

 

バッテリーを手甲(ガントレット)に装填しながら走る。

逃げるように逆方向に、だ。

 

一旦距離を取りたかった。

 

 

クッソ!

今日はマジで走ってばかりだ!

 

息がやべぇ!

喉も痛ぇし、肺も痛ぇ!

普段から運動してねぇのが悪いのか?

 

酒も、タバコも、マジで控えとくんだった!

 

 

あぁ、もう、マジで今更考えても仕方ねぇが。

 

 

ロボットが完全に立ち上がり、右手を突き出す。

赤く輝いて……火球が飛び出した。

 

……あぁ!?

距離を取ったって意味がねぇじゃねぇか!

疲労困憊で頭が回ってねぇのか、オレは!?

 

 

「ク、ソが!」

 

 

身体を振り向かせて、片方の手甲(ガントレット)を突き出す。

トリガーを押して、衝撃波(ショックウェーブ)を放つ。

 

炎を掻き消して、ロボットが倒れた。

 

 

どうせ、全くダメージはねぇ。

 

 

「……だが」

 

 

手甲(ガントレット)のバッテリーも残り少ねぇ。

オレは逆に、ロボットへ接近する。

 

両腕の手甲(ガントレット)を操作し、出力を上げる。

 

 

博打(ギャンブル)は……嫌いじゃねぇ」

 

 

一発撃てば……手甲(ガントレット)がブッ壊れちまうぐらいの出力だ。

 

……後の事を考えて、温存するつもりだったが。

オレがアイツを助けにいく必要は……無くなった。

 

女のガキを助けるのは悪人じゃねぇ……そりゃあ、ヒーロー様だろうが。

 

スパイダーマン、アイツのことは嫌いだが……信用はしている。

アイツは……マジで、ヒーローだからだ。

どうしようもない程にバカで、未熟だが……善性だけは信じられる。

 

だから、ここで出し惜しみはもう要らねぇ。

後は託せる。

 

 

ボタンを長押しして、手甲(ガントレット)を起動する。

 

振動して、光が漏れる。

エネルギーが飽和してる証拠だ。

 

 

オレはそのまま、走って……ロボットへ近付く。

 

距離が遠過ぎたら、倒し切れねぇかも知れねぇ。

近寄ってブッ放す。

それが唯一の勝利への方程式だ。

 

 

ロボットが腕を上げて、火球を飛ばして来た。

 

 

撃ちやがった!

 

だが、手甲(ガントレット)は……使えねぇ。

ここは素手で凌ぐ必要がある。

 

 

当たったら……即死だ。

沸騰してドロドロに溶けて死んじまうだろうな。

 

 

怖え。

だが、ビビってられねぇ。

 

オレは何度か死にかけて……アイツに助けてもらった。

だから、アイツの為なら命を懸けても良い。

 

まぁ、死ぬつもりはねぇけどな。

 

 

オレは右に向かって、飛び込んだ。

スパイダーマンみてぇに側転したり、カッコよく回避なんて出来ねぇ。

 

情けなく、泥臭く……転ぶように飛び込んだ。

 

 

火球はオレの頭上を通り抜けて……壁に着弾した。

熱気がスーツ越しにも感じられた。

 

 

「へっ、下手くそが!」

 

 

無理矢理、膝を立てて両腕をロボットへ構えた。

振り返り、オレの方を見たが……遅ぇ。

 

 

「ブッ壊れろ!」

 

 

ボタンから指を離せば……両腕の手甲(ガントレット)がスパークした。

飽和したエネルギーが衝突して、破裂音を響かせる。

 

瞬間、手甲(ガントレット)から衝撃波(ショックウェーブ)が放たれた。

左右の腕で発生した衝撃波(ショックウェーブ)は巻き込みあって、まるで竜巻のように螺旋回転を始める。

 

コンクリートを引っぺがして、周りのビルのガラスを砕き、突き進む。

 

ロボットは避ける事なく、その衝撃波(ショックウェーブ)を受けて……一瞬、宙に浮いた。

 

そして……体が真っ二つに裂けた。

肩から、腰にかけて……斜めに引き裂かれた。

 

 

「ざまぁみやがれ……」

 

 

手甲(ガントレット)の中で、中指を立てた。

 

ロボットはそのまま弾き飛ばされて、地面に墜落した。

コンクリートの床をメチャクチャにして……倒れた。

 

 

オレは息を切らして……へたり込む。

う、腕がヤベェ。

 

多分、骨折してる。

強くてデケェ砲弾を、ひ弱な砲身で撃てばどうなる?

 

そりゃあ、砲身はブッ壊れるだろ?

そういう事だ。

 

 

……あー、あとさっき無理に避けた時に、足を捻っちまってる。

痛ぇ。

 

 

地面に倒れそうになりながら……オレはロボットを見た。

 

 

 

 

その目は、まだ、光っていた。

 

 

「……いっ!?」

 

 

まだ機能停止してねぇのか!?

どんだけ頑丈なんだよ、クソが!

 

身体に辛うじて付いている腕が、オレの方へ向けられた。

 

 

やべぇ、やべぇ、避け──

 

 

足が、動かねぇ。

立てねぇ。

 

手甲(ガントレット)はエネルギー切れだ。

……いいや、そもそも、最大出力で撃っちまったせいでブッ壊れてやがる。

 

 

ロボットの腕が赤く、光り始めた。

 

 

ヤベェ、マジで死──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

直後、何かがロボットに落ちた。

一瞬、見えたが……オレンジ色の球体だった。

 

 

「あ?」

 

 

爆発した。

 

 

ロボットが溜め込んでいた熱気が撒き散らされて、スーツを叩いた。

 

 

ロボットの砕けていた腕が千切れて、吹っ飛ぶ。

目が光を止めて、地面に倒れた。

 

 

落ちて来たのは爆弾だった。

……誰が落とした?

 

 

視線を上に上げると……空飛ぶスケートボード擬きに乗った、緑色のプロテクターを装備したガキがいた。

 

 

「大丈夫か!?」

 

 

そう言って降りて来たのは……あぁ、クソ。

前にいっぺん、オレを刺しやがったクソガキ。

ハリー・オズボーンだ。

 

 

「これが大丈夫に見えるなら……目ぇ、腐ってるぜ……」

 

「……大丈夫そうだな」

 

 

ハリーが腕を組んで鼻を鳴らした。

……癪に触る態度だ。

 

そうして、オレは後ろを見て……ギョッとした。

 

シニスター・シックスの時に見た、ヒーローどもがこちらに向かって来ている。

 

アレだ。

オカルトパワーの拳法野郎。

肌が硬ぇマッチョマン。

デアデビル。

……空飛ぶ女探偵は休業か?

 

アレか?

ディフェンダーズって奴だったか?

 

 

「あんだよ……ゾロゾロと……」

 

「ピ、スパイダーマンが逐次、位置情報を送っていてくれたんだ……君のいる位置も、僕達に届いていたんだ」

 

「……あぁ、なるほどな」

 

 

オレはコンクリートの冷たさを確かめつつ、ため息を吐いた。

 

……クソ。

結局、あの蜘蛛野郎のお手柄って訳か。

ムカつくぜ。

 

 

「……で?お前らは蜘蛛野郎を追うのか?」

 

「いや……」

 

「あ?じゃあ、何のために来たんだよ?」

 

 

……耳に、ジェット音が聞こえる。

クソガキから目を逸らし、振り返る。

 

スパイダーマンが追ってた方向から、聞こえてる。

それも一つ、二つじゃねぇ。

幾重にも重なった音だ、

 

 

目を凝らせば……ロボットが大量に飛んで来ていた。

ジェット音はそいつらが飛んでる音だ。

 

 

「……は?」

 

 

思わず驚いて声を出したのも、仕方ねぇだろ。

 

こんだけ必死こいて……それでも一人じゃ勝てなかったロボットが、あんな、両手で数えらんねぇ数で来たんだから。

 

 

だが、そんなオレをよそに……横にいるハリー・オズボーンは驚いていても……それほど焦っては居なかった。

 

何でそんなに落ち着いてられるのか分からなくて、オレはクソガキを睨んだ。

 

 

「オイ、アレと戦うためってか?」

 

「そうだよ」

 

 

なるほど、たしかにヤベェ。

蜘蛛野郎を追いかけてられねぇぐらいヤベェ。

 

だが……正直に言うと──

 

 

「足りねぇだろ……ロボットどもを見ろよ。コレじゃ全然足りねぇ」

 

 

ディフェンダーズ……一人に対して……何体いるんだ?

囲まれてボコられて終わりだ……勝てる訳がねぇ。

 

 

「大丈夫さ。僕達だけじゃないからね」

 

「あ?他に仲間が──

 

 

その言葉に、オレは首を傾げた瞬間──

 

 

直後、丸い円盤が空を飛ぶロボットに命中した。

首の部分を切断されたロボットは地面へと墜落する。

そして、その円盤は跳ね返った。

 

 

「あ、ありゃあ……」

 

 

宙を飛ぶ、その円盤……いや、『(シールド)』を見た。

 

 

赤と青、白い星のマーク。

星条旗をそのまま盾にしたようなデザイン。

 

 

それにオレは……見覚えがあった。

嫌というほど、強烈な見覚えが。

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

僕に向かって来ていたロボットの胸に穴が空いた。

そのまま、地面へと落下して……大きな音を立てて砕けた。

 

 

振り返る。

心臓は早く、鐘のように鳴り続けている。

 

 

赤と金色の、アーマースーツ。

だけどそれは、前に見た時よりも洗練されていた。

それがブースターを起動させて、浮いていた。

 

 

「ス、スタークさん!」

 

 

アイアンマン……トニー・スタークだ。

背中のブースターを停止させ、リパルサーレイを下に向けながら僕を見た。

 

 

『すまん、会議が長引いた……でもヒーローは遅れてやってくるものだろ?』

 

 

そのまま地面に着地して……コンクリート製の床にヒビが入った。

 

 

『避難誘導だったり、通行規制の依頼とか……色々あってね。まぁ、君の友人達のお陰だ。早めに的確な位置を連携してくれたお陰で上手くいった』

 

「あ……だから……」

 

 

幾ら深夜と言っても、ニューヨークに人影が少なかったのは、そういう事だったんだ。

 

スタークさんが笑いながら僕へと近付き、肩に触った。

 

 

『む……随分とボロボロだな、血も出てる』

 

「はい……」

 

 

スタークさんが労わるように、僕へ言葉を掛ける。

 

何で……ここに来ているのか、分からないけど……それでも、今は凄く、頼りになると感じていた。

 

スタークさんが僕の肩に、手を置いた。

 

 

『後は任せて、ここで休んでいるか?』

 

「……いえ」

 

 

僕首を横に振った。

 

 

『休んでいても、誰も文句は言わないぞ?』

 

「それでも──

 

 

どれだけボロボロでも、ここで休んでなんていられない。

 

 

「僕、には……助けなきゃならない……人がいる、ので」

 

『そうか、分かった……ジャービス!』

 

 

スタークさんが人工知能(ジャービス)を呼んだ。

……何も、起こらない。

 

僕は首を傾げた。

 

 

「あの、スタークさん?」

 

『無駄にならなくて済んで良かったよ……卒業祝いのプレゼントがね』

 

「卒業……?」

 

『高校でも良いし、初心者マークのでも良い……兎に角、口実が欲しいだけだ。分かるか?』

 

「え?あ、はい……?」

 

『なら、よし』

 

 

直後、何かが落下してくる事に気づいた。

曇った空を突っ切って、真っ直ぐ落下してくる。

 

……それはスタークさんの持っている人工衛星から放たれた物か。

 

 

『僕が見てない間に、君は随分成長した。一人前だ。で、一人前には、一人前の装備ってのがある』

 

 

ジャービスに出した命令は、アレを射出する命令だったのかな……?

でも、アレって一体──

 

 

『それに、ヒーロー活動するなら……マスクで顔を隠さないと。そうだろ、君は』

 

 

その瞬間、落下して来た何かが僕に向かって進路を変えた。

それは赤と金色、アイアンマンと同じ色をした金属の塊だ。

 

 

「え、あの──

 

『安心していい、僕が危険な事をした事があるか?』

 

「えっ……?ありますけど」

 

 

それも、沢山。

 

スタークさんが頬を掻いた。

アーマーの上からだから、意味ないのに。

 

 

『記憶違いだ。してない』

 

 

僕が口を開こうとした瞬間。

その『何か』が僕に衝突した。

 

 

「うわっ!?」

 

 

衝撃は……無かった。

それは粘土のように形を変えて、僕へと纏わり付く。

 

そうして、形を変えて……壊れていたスーツを覆う。

スーツを覆った金属の粘土は破れていた部分を補強して、形を変えていく。

 

機能が回復して、マスクの中のOSが再起動する。

視界に青いラインが走る。

白いラインがインターフェイスを描く。

 

視界がクリアになる。

 

 

「う……」

 

 

さっきのはナノマシンだ。

今着ているスーツと同じ、ナノマシン。

……だけど、前とは違うみたいだ。

 

 

「これって……」

 

 

手のひらを、自分の体を見る。

いつものスーツに……金色のラインが入っていた。

蜘蛛のマークは……金色で縁取られていた。

 

赤と金色。

まるで、アイアンマンのアーマーみたいな色合い。

 

そこに青と黒が落とし込まれている。

スパイダーマンのスーツと、アイアンマンのスーツが統合されたようなスーツ。

 

 

『アップグレード、統合版(インテグレーテッド)スーツ。多機能、高性能、新システム……君が得てきた経験をデータ化して最適化したスーツだ』

 

 

視界の中で様々なアプリケーションの一覧が表示される。

 

 

『そして、妨害電波(ジャミング)機能付き……これがメインなんだけどね』

 

妨害電波(ジャミング)?」

 

 

スタークさんの顔が、僕へ向いた。

マスクの目が青白く光った。

 

 

『僕は大体の事情は知っている……君は、彼女の心臓に爆弾が付いてる事を知ってるか?』

 

 

思わず、息を呑んだ。

ミシェルの、事だ。

 

 

「はい……さっき、知りました」

 

『その爆弾の起動を妨害する、妨害電波(ジャミング)装置だ』

 

「……え?」

 

 

今、最も欲しかった物だった。

思わずスタークさんを見る。

 

僕の視線に少し、マスクが揺れた。

……アーマーの下で絶対、自慢げに笑ってる。

 

 

『マイクロパルスが発生し、ミュータントの発生させるサイキック波を相殺して無効──

 

 

スタークさんが僕の顔をチラリと見た。

 

 

『まぁ良い。要約すると『彼女の半径200メートル以内に入れば爆弾は無効化できる』って事だ』

 

「スタークさん……!」

 

 

思わず立ち上がる。

身体が、痛む。

 

 

「あ()っ!」

 

『……これが終わったら、ちゃんと病院で診て貰うんだぞ?』

 

 

スーツは新しくなったけど、身体は治ってないんだった。

 

 

「で、でも……あの、ロボット達は……?」

 

 

頭上を飛んでいくロボットの群れを見る。

一体一体が凄いパワーだ。

幾らスタークさんでも、大変な数だと思う。

 

 

『あぁ、アレか?』

 

 

スタークさんが笑う。

 

 

『ここに来てるのは僕だけじゃないさ。だから問題ない』

 

 

直後、轟音が聞こえた。

 

雷が落ちたような音……いや、雷そのものがロボットに直撃する。

 

 

「あ……」

 

 

雷を纏ったハンマーがロボットを貫いていた。

それは物理法則を無視して、空中を飛び回る。

 

 

『これでも僕はチームに所属してるんだ、最強のヒーローチームにね』

 

 

緑色の巨体が弾丸のように飛び、ロボットを掴んで地面に叩き落とした。

ダメ押しに、地面に倒れているロボットをブン殴った。

 

赤い服を着た魔女が、光線を放った。

ロボットは宙でバラバラになり、地面へ落ちる。

 

急にロボットの背中に巨人が現れて、地面へ叩き付けた。

さっきまで居なかった筈なのに……まるで、急に大きくなったように見えた。

 

黒いアイアンマンが、ロボットへガトリングガンを撃った。

ロボットは穴だらけになって吹っ飛んだ。

 

光を纏った女性が宙を飛び、ロボットを弾き飛ばす。

手から強烈な光線が放たれ、ロボットの表面を溶かした。

 

 

僕には見覚えがあった。

ヒーロー達の、勇姿に。

 

 

『さぁ、ピーター。ヒーローが集まったぞ……何か言う事は?』

 

 

僕は……マスクの下で目が潤んでいた。

 

 

「ありがとう、ございます……スタークさん」

 

 

絶望的な状況を打開してくれる人の存在意義……助けてくれる仲間に……嬉しくて、感動してしまったんだ。

 

僕は一人じゃない。

彼女を助けようとしてくれる人は……こんなにも沢山いる。

 

その事が嬉しかった。

 

 

『……ん?』

 

 

僕が漏らした感謝の言葉……それにスタークさんはしっくり来なかったみたいで、首を傾げた。

 

 

『あー、ピーター。違う、違う……そういう意味で言ったんじゃない』

 

「え……何ですか?」

 

『ヒーローが集まったら言うべき事があるだろ?今が言うチャンスだぞ?ほら、アレだよ、アレ』

 

「……アレ?」

 

『ほら『ア』から始まる奴だ、ア、アー……ほら、早くしないと──

 

 

スタークさんが話している途中に、ハーマンが居る方向が騒がしくなっていた。

 

 

そして、キャプテン・アメリカの声が聞こえた。

 

 

 

「アベンジャーズ!集結せよ(アッセンブル)!」

 

 

 

その言葉を合図に、ロボットへの攻撃は更に激化していく。

真夜中のニューヨークに光が走る。

 

 

世界の希望……最強のヒーロー・チーム。

『アベンジャーズ』が集まっていた。

 

 

僕が呆けていると、スタークさんが腕を組んでため息を吐いた。

 

 

『あぁ、ピーター……折角、君が言うチャンスだったんだぞ?不意にしたな』

 

「あ、えっと……そうですね?」

 

 

別に言いたかった訳じゃない。

と言うか、『アレ』を一番上手く言えるのはキャプテンだと思う……僕じゃ、烏滸がましいというか……ちょっと、腰がひけちゃうし。

 

マスクの下で苦笑いしていると、背中に軽い衝撃があった。

スタークさんが僕の背中を叩いたんだ。

 

 

『よし、緊張は解れたか?』

 

「……はい!」

 

 

今までの会話は……僕を元気付けるための物だったらしい。

 

……気力が湧いて来た。

希望が胸の中で満ちていく。

 

僕の様子を見て、スタークさんは満足げに頷いた。

 

そして、自分自身を指差した。

 

 

『よし、じゃあ僕達は今から悪党を倒して世界を救う』

 

 

次に僕を指差した。

 

 

『そして君は自分のガールフレンドを助ける』

 

「……はい」

 

 

手を開いて、僕を見た。

 

 

『適材適所だ。世界を救うのはヒーローだったら誰でも出来る……だけど、あの娘を救えるのは君だけだ』

 

「……分かってます」

 

 

肩に手が乗る。

 

 

『よぉし、じゃあ気合いを入れていけよ。根性論は好きじゃないが、今は別だ。君はもう一人前のヒーローだ……必ず成し遂げるんだ』

 

「はい!ありがとうございます……!」

 

 

僕はそのまま、ミシェル追って走り出そうと──

 

 

『さぁ、急げ!いつものようにウェブでスイングして、お姫様の元…………えっと、何してるんだ?』

 

 

ウェブスイングせずに走り出そうとした僕に、スタークさんが訝しんだ。

 

振り返る。

……イマイチ、締まらないな。

 

そう思ってると、スタークさんは察したようで……ため息を吐いて、僕を見た。

 

 

『……僕が連れて行ってあげよう。今度からは(ウェブ)の予備を用意しておくんだぞ?』

 

「……スミマセン」

 

 

そう言うとスタークさんは僕の脇に手を入れて、背中のジェットを吹かした。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

私は、空を見ていた。

……橋の上、戦いの余波で壊れた車の屋根に立ち……空を、見ていた。

 

薄暗く曇っていた夜空を、光が翔ける。

 

 

ソー、ハルク、アントマン、キャプテン・マーベル、ウォーマシン……。

 

私の大好きだったヒーロー達が、悪党を打ちのめしていく。

 

壊れたロボットが地面に墜落するのを見た。

 

 

……組織の作った兵器だ。

どこに隠していたのかも知れないが……追い詰められて、出撃させているのだろう。

 

 

だとしても、無意味だ。

 

 

『アベンジャーズ』の前では……無意味だ。

 

 

希望の光は、一つだけでも目を焼く程に輝いている。

そんな光が束ねられて……一筋の光となり、悪を貫く。

 

……そうだ。

この世界はコミックの世界だった。

 

悪は滅びる。

正義の手によって。

 

 

「…………あぁ」

 

 

息が溢れる。

 

私は……死にたい。

だけど、無意味にではなく……意味のある死が欲しかった。

 

今まで私が殺してきた命は無駄ではなかったと、そう思いたくて──

 

なのに……きっと、私が何もしなくても、悪は滅びる。

ヒーロー達の手によって。

 

私は今まで沢山の物を奪われて……沢山の物を奪ってきた。

 

そして、今は……死ぬための理由すらも奪われてしまった。

 

 

酷い話だ。

本当に酷い。

 

こんなの……酷い。

 

 

マスクの視界は血で汚れていて、鮮明とは言い難い。

なのに、ヒーロー達の輝きは目を焼く。

 

その光は……眩し過ぎる。

私には、耐えられない。

 

 

……私の乗っていた車は無人運転だった。

誰もいない……たった一人、橋の上で……星空を眺めるように、私は光を見ていた。

 

 

……何かが着地するような音がした。

 

赤と金色……アイアンマンが頭上を飛んで……私の方を一瞥した。

そして、私の向かおうとしていた先へ……首領(ボス)の居る場所へと飛んで行く。

 

 

車の屋根から降りて……振り返る。

 

 

『……本当にしつこいな、スパイダーマン』

 

「負けず嫌いなんだよ、僕は」

 

 

先程、見た時とスーツが変わっている。

アイアンマンの差金か……もう、立つ事すらやっとな筈なのに。

 

その新品のスーツの下では……擦り傷まみれで、打撲もある筈なのに。

 

それでも。

 

 

『……何故、死なせてくれない』

 

「ミシェル」

 

 

私は握っていたナイフを捨てた。

 

もう、彼とは戦えない。

戦う素振りすら出来ない。

 

折れてしまったのだ。

ナイフよりも先に、心が。

 

 

『私はただ、意味のある死が欲しいだけだ……』

 

 

奪ってきた命に、報いる為に。

少しでも、彼等の死が無駄ではなかった事を証明する為に。

 

 

『それすらも、奪うのか……?』

 

 

兄の命を……。

 

例え、幸せに生きてほしいと願われても。

それは出来ない。

 

 

『……教えてくれ、スパイダーマン』

 

 

私は耐えられない。

突き刺さるような罪悪感から、耐えられない。

 

 

『私は、どうしたら良い……?』

 

 

今すぐに、逃げ出したい。

この罪から、現実から、世界から……。

 

 

目の前にいるスパイダーマンは……ピーターは考える素振りをして……私の方を見た。

 

互いにマスクを被っているが……視線が交錯する。

 

 

「分からないよ」

 

 

返ってきた答えは……いいや、答えになっていなかった。

 

 

「君がどうするべきか、僕には分からない」

 

『……そうか』

 

 

私は視線を下に──

 

 

「でも」

 

 

顔を、上げた。

 

スパイダーマンが自身の胸を触った。

マスクが脱げて、素顔が見えた。

 

 

「僕は、君に死んで欲しくない……居なくなって欲しくない」

 

 

頬に擦り傷。

頭に小さな切り傷があるのか、少し血が流れている。

 

見るのも辛い。

 

傷を付けたのは私だからだ。

 

 

『……嫌だ。私は、罪人だ……何人も殺した』

 

 

何人も……身勝手に殺した。

だから、生きる価値はない。

 

 

「罪悪感があるなら……耐えられないなら……その罪も、僕が半分背負う」

 

 

ピーターの目は、少し濡れていた。

 

 

「君が死ぬほど辛いのなら……僕が慰める。一緒にいる……生きて良いんだって、肯定するよ。罪を償いたいって言うのなら……一緒に謝りに行っても良い」

 

『……スパイダーマン』

 

「君が殴られるのなら、僕も一緒に殴られる。壊れた物を直すのなら、僕も手伝う……」

 

 

手を強く、握りしめていた。

私も、彼も。

 

向かい合ったまま……握り合う事もなく。

ただ、己の不甲斐なさを……感じて。

 

 

「だから、逃げちゃダメだ……死んだって償いにはならないよ……生きて、償ってほしいんだ……僕も一緒に、頑張るから」

 

 

ピーターの目から涙がボロボロと流れ落ちている。

 

……私は。

 

 

『ピーター……だが、爆弾は──

 

「それはっ……スタークさんが、解決してくれたよ……僕の側に居れば、大丈夫だって」

 

『私が居れば、世界中から敵が来ると──

 

「そんなの、僕がやっつけるよ……君を傷付ける何からも、僕が守るから」

 

 

……ピーターはきっと、私の記憶について知らない。

 

この記憶がどれだけ危険なのかも……分かっていない。

 

それでも、きっと説明しても……彼の答えは変わらないだろう。

今まで過ごして来た、彼との時間が分からせてくれる。

 

世界の危機程度では……彼は、人を見捨てない。

 

 

『私の古い、記憶の話をしよう』

 

「……記憶?」

 

 

だから、彼にはもう、黙っていられない。

 

 

『昔、コミック好きな男が居たんだ』

 

 

語る。

掠れた記憶だ。

 

私がこの世界に産まれる前から持っている、記憶。

 

 

『その男はヒーローが好きだったんだ。特にお気に入りは……スパイダーマン』

 

「……僕が?」

 

『あぁ、そうだ……決して悪に屈しない、何度でも立ち上がる……コミックの中のヒーロー。男は憧れていた』

 

 

世界中から愛されている、私も愛しているヒーロー。

 

 

『そんな男は……ある日、死んでしまった。呆気なく』

 

「……それは」

 

『そうして、気付けば女になっていた』

 

 

ピーターが不思議そうな顔をしている。

……あぁ、まだ気付いていないのか。

 

 

『コミックと思っていた世界で、女になった……』

 

 

ピーターの目が私を見ている。

瞳には血塗られたマスクが映り込んでいた。

 

 

『それが私だ』

 

「…………え?」

 

 

瞳が揺れた。

 

 

『私はこの世界をコミックとして認識していた……そして、認識していたが故に、本来は知らない情報を知っていた』

 

「…………」

 

 

声も出ないらしい。

……嫌われる、だろうか?

 

 

『初めて会った時から、ピーターがスパイダーマンだと知っていた。悪人に堕ちていたのに……浅ましくも、貴方を側で見ていたいと願ってしまった』

 

 

マスクを脱ぐ。

……今、私はどんな顔をしているだろうか。

 

分からない。

 

 

「それなのに、気付けば……ピーターと一緒にいる事が幸せで……私は、そんな資格はないのに」

 

 

視界がボヤける。

思わず視線を下げる。

 

 

「色んな言い訳をして、勝手に許されたつもりになって……騙して……性別だって、女かどうかも分からないのに……ホントに──

 

 

声が揺れる。

ピーターの顔は見れなかった。

 

 

「私は、本当に最低で……最悪で……屑だから。ほら、ピーターだって幻滅し──

 

 

強く、抱きしめられた。

 

 

「幻滅してなんかいないよ」

 

 

強く、強く……スーツの上からでも分かるぐらい、抱きしめられていた。

 

 

「……ピーター」

 

「嫌いになんかならない……そんな事で、僕は」

 

 

傷だらけの顔が、私のすぐ横にあった。

 

 

「でも、私は……元々、男で……」

 

「そうだとしても……それだって、君を嫌いに……好きじゃなくなる理由にはならない」

 

「でも、だって……」

 

 

スーツは、ヴィブラニウムを含むアーマーだ。

体温なんて分からない。

 

なのに──

 

 

「だから、帰ろう……話したい事があるなら、僕が……ううん、グウェンだって、ネッドだって……ハリーにも聞かせてあげようよ」

 

 

温かった。

胸の奥から、熱を感じていた。

 

 

「ピーター……」

 

 

涙が溢れる。

 

 

「大丈夫だよ。これからの事は、一緒に考えれば良いから……」

 

 

息が乱れる。

 

死にたいと、あんなに思ってたのに……雁字搦めになった思考が解れていく。

死ぬための理由が、一つずつ、消えていく。

 

声が、漏れた。

 

 

「私、生きてて……一緒にいて……良いのかな……」

 

「人が生きるのに資格なんて、必要ないと思うよ。それともミシェルは、僕やグウェン、ネッド、ハリーとは仲良くしたくない?」

 

 

……昔言われた言葉と、同じ言葉だ。

ピーターを突き刺してしまった日の、翌日に言われた言葉だ。

 

 

「……うぅ、あ……あぁ……ぁ……」

 

 

必死に抑えようとしていた感情が、心の奥底から声になって溢れる。

 

涙が止まらない。

 

 

「うぅ……う……」

 

 

悲しくて泣いた事は沢山あったけど……こんなに、こんな……悲しくもないのに、何で泣いているのだろう?

 

 

「わ、たし……ピー、ター……わだし……うぅ」

 

「いいよ、僕は……僕も、一緒に……君が生きていても辛くならないように、頑張るから」

 

「う、ぅ……あぅ……」

 

「ずっと一緒にいるから……」

 

 

ピーターは私を抱きしめながら、背中を摩ってくれた。

スーツ越しだから意味ないのに……それでも、優しさが伝わってくる。

 

今までずっと、一緒に居て。

たった一年間の出来事だったけど。

 

今まで生きてきた人生で、最も幸せな一年間だった。

ティンカラー……私の、兄。

彼が始めた一年間で、私と友達が作り上げた一年間。

 

幸せで、手放した筈の一年間。

 

好きが詰まった、思い出。

それが私を、死から繋ぎ止めようとする。

 

 

私はまた涙が止まらなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どれほど、こうしていたのだろう?

 

 

周りが見えなくなっていて……気付けば空にいた筈のロボット達も、居なくなっていた。

きっとヒーロー達が倒してくれたんだと、思う。

 

涙も声も止まって……私とピーターは離れた。

 

 

「ミシェル……」

 

 

ピーターは何か言いたそうにしていて……言葉を選ぶのに苦戦しているようだ。

 

……あんなにカッコよかったのに、今はちょっと、頼りない。

だけどそれは、私を傷付けないように迷っている優しさだ。

 

そんな彼の事を、どうしようもなく愛おしく感じていた。

 

 

「……大丈夫。もう死のうなんて、思ってないから」

 

「……そっか、良かった」

 

 

ピーターが疲れたように、地面に座り込んだ。

ここ数日は……とても大変だっただろう。

私の所為で。

 

 

「……ごめんね、ピーター」

 

「良いよ……こんなの、ただの喧嘩だから」

 

 

本当に疲れているようだ。

私も……寝ていないから、立っているのが辛い。

 

ピーターは僅かに笑った。

久々に見た彼の笑顔に……胸が高鳴った。

 

 

「喧嘩……?」

 

「そうだよ……僕とミシェルは喧嘩した事なかったけど……ほら、喧嘩した後に仲直りすれば……前よりも仲良くなれるって言うよね?」

 

「……そうかな?」

 

 

橋の手摺りを背もたれにする。

……アーマーが重いから、本当にもたれると折れてしまいそうだ。

 

 

「そうだよ、だから……気にしなくて良いよ。僕が好きでやった事だし」

 

 

好きで……好き、か。

 

……好き。

 

私はピーターの事が好きだ。

それは疑いようのない事実で……。

 

キスは、しちゃったけど。

 

まだ、好きだとは……ハッキリと言っていない気がする。

 

 

「ピーター」

 

「どうしたの、ミシェル?」

 

 

……ピーターは私の事が好きだ。

あんなに熱心に好きだと言ってくれたのだから、私も好意を返したかった。

 

そう思って、ピーターを見て……口を開いた。

 

 

「……私、私も……ピーターの事、好

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

耳鳴りが、した。

 

 

「あ、ぇ?」

 

 

口から、熱い物が出てる。

 

手で抑える。

 

 

 

血だ。

 

 

溢れる。

私の命が溢れて、落ちていく。

 

 

血が……なんで?

 

 

胸元が、やけに熱い。

 

 

心臓が痛い。

 

 

何かが破裂したような感触。

ズタズタに引き裂かれた感触。

 

 

なんで?

爆弾は、ピーターが……アイアンマンが大丈夫だって。

 

 

ミシェル……?なんでっ……!?

 

 

目の前にいるピーターが何か、言ってる。

 

 

聞こえない。

 

 

手足が痺れる。

 

血が通っていないんだ。

 

 

こんなの、ひどい。

 

死にたいと思っている時は死ねないのに。

 

生きたいと思っている時に死ぬなんて。

 

ひどすぎる。

 

 

背中を支えていた、橋の手摺りが壊れた。

 

ふらりと、後ろにすべって、私は足場を失った。

 

 

「あ」

 

 

そのまま、落ちる。

 

橋の下へ。

 

川へと。

 

 

悪人に相応しい最後だ。

 

 

だけど……もう少し、生きたいと思ってしまった。

 

未練が、出来てしまった。

 

だから、これは……私への罰だ。

 

 

憧れに手を伸ばして、蝋の翼をもがれた……愚か者の末路だ。

 

 

ミシェル!

 

 

……何かに抱きしめられた。

 

 

ボヤけた視界には、彼の顔が見えていた。

 

 

ピーター。

 

 

私を好きになってくれた、憧れ。

 

私が好きになってしまった、憧れ。

 

ごめんなさい。

 

貴方に、酷い思いをさせてしまっている。

 

だから、ごめんなさい。

 

ピーター。

 

 

 

ごめんなさい。

 

 

 

落下していく。

 

そうして、二人で。

 

そのまま。

 

川へと落ちた。

 

 



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#101 デス・オブ・レッドキャップ part3

シールドを投擲し、ロボットの首を刎ねる。

バイクのアクセルを捻り、加速する。

 

手を上げて、反射されたシールドを回収しつつ、速度は落とさない。

 

頭上でミサイルが炸裂する。

爆発音が聞こえる。

 

 

……まるで戦場のようだ。

懐かしく思えるが、好ましい訳ではない。

 

 

平和は素晴らしい物だ。

争い事は……好きではない。

 

 

ただ、守るべき物を守るために、戦う必要がある。

それが兵士には必要だということ。

 

そして、そうやって戦い続けられる者を、人は英雄(ヒーロー)と呼ぶ。

 

 

私はヒーローと呼ばれている。

ならば、責務を果たさなければならない。

 

 

レッドキャップ。

そう呼ばれている少女を救うために、彼女の兄は組織(アンシリー・コート)を裏切った。

 

その彼は……もう、亡くなってしまったと、スパイダーマンの友人から連絡を受けた。

 

 

……この世を去ってしまった者の願いは、そこで終わるのか?

 

いいや、違う。

その願いを引き継いで、押し進める人がいる限り……止まりはしない。

 

彼の願いは、私達が引き継ぐ。

 

 

 

故郷に掛かる橋を走り……超人血清によって強化された動体視力で、二人の少年少女を見た。

 

二人は抱き合っていた。

少女は泣いていた。

 

黒いアーマースーツに身を包み……血塗られたマスクを持ちながらも……ただの、ティーンエイジャーのように泣いている。

それを赤いスーツ……スパイダーマンが抱き締めていた。

 

素顔のまま、安心させようと背を撫でながら……二人は抱き合っていた。

 

 

「……良かった」

 

 

思わず、声が漏れる。

 

バイクは減速させなかった。

だから、この声は聞こえなかっただろう。

 

 

だが、『良かった』のだ。

 

彼女を助けるために、彼は苦心していたと聞いた。

彼女のプライベートを共有する友人だったとも。

 

だから、救えて良かったと……心の底から、『良い』と思えた。

喜べたのだ。

 

 

しかし、足は止めない。

バイクは止まらない。

 

彼女を傷付けた……そして、他の人間も傷付ける者。

これからも誰かを傷付ける悪人。

 

それらを許せる訳がない。

これ以上、彼女のような人間を生み出させない為にも、悪を討つ。

 

彼女の背を摩るのは、彼の仕事だ。

私達の仕事は……大人の仕事は、よりよい社会を作ることだ。

 

奴らに、この国を生きる場所など無い。

 

 

跨っているバイクを見る。

……トニー・スタークが整備したバイクだ。

 

と言ってもハイテクノロジーという訳ではない。

寧ろ、ヴィンテージ物だ。

 

アベンジャーズタワーは昔、スターク社の本社だった。

地下に幾つか、彼の趣味の車やバイクがあった。

 

その中から一台、借りたのだ。

 

勿論、許可は得ている。

まぁ、『もし壊したら弁償させるからな』と指差されたが。

 

 

シールドを再度、投げる。

反射して、頭上にいるロボットの胸部を貫いた。

 

 

橋を抜けて、そのまま街を疾走する。

目に映ったのは煉瓦で組まれた廃墟のような倉庫。

 

そこが……組織(アンシリー・コート)の本部だとティンカラーは言っていた。

 

……こんな都会の中に、彼等の施設があったなんて、正気を疑う。

 

バイクを停めて、辺りを警戒する。

 

 

……トニーは既に中に居るのか?

それにしては物音が聞こえない。

 

視線を少し上げると……砕けた窓ガラスが見えた。

トニーはあそこから入ったか。

 

私は扉の前に立ち……シールドで錠前を切断した。

そして、ドアを押す。

 

ギシギシと、錆びて軋む音が聞こえた。

 

 

中を覗き……薄汚れて、剥き出しになったコンクリートの床や壁を見る。

 

誰もいない。

 

 

「……クリア」

 

 

盾を構えて警戒しつつ、先へ進む。

足元の汚れ……そこから、普段誰かが通っているであろう道が分かる。

 

 

「…………」

 

 

声も息も、足音も殺し……素早く進む。

 

そうして、ドアノブがひしゃげたドアが見えた。

半開きになっているドアを押して、中に入る。

 

中に入れば……床がまるで鋭利過ぎるカッターで斬られたように、四角く穴が空いていた。

 

 

「……トニーか」

 

 

警戒を少し解いて、ため息を吐く。

 

 

元々、敵の施設には少数で入ると決めていた。

 

ティンカラーがリークした情報の中には、『センチネル』と呼ばれている破壊兵器があった。

アベンジャーズの他メンバーは、奴らを止めるために呼んだのだ。

 

だから、想定内だ。

 

アイアンマンとキャプテン・アメリカ。

二人で施設に侵入すると決めていた。

 

 

私は四角く切り取られた穴から、下に降りる。

 

思ったよりも深く、数メートル落下し……シールドを地面に向けて着地した。

ヴィブラニウム製のシールドは衝撃を吸収し、私は落下による衝撃を受けなかった。

 

……見渡す。

 

 

「また地下か……」

 

 

このニューヨークの地下に、無数に地下通路があると知った時は驚いた。

 

悪人は地下を好むのだろうか。

……人目につかないという点であれば、確かに正解だ。

 

 

……耳を澄ます。

 

金属の擦れる音。

トニーのアーマースーツの音だ。

 

 

そちらに向かって走り出す。

 

途中、所々に破壊された機械類が見えた。

機関銃のようなもの……タレット型のドローンだ。

 

そのまま走り……青白い光が見えた。

 

 

「トニー!」

 

 

シールドを投擲する。

振り返ったトニーの横を素通りし、人型のロボットを破壊した。

 

地上にいるロボットよりも低性能なようだ。

 

 

『キャプテン……あまり、驚かさないでくれるか?』

 

「いや、しかし──

 

 

じゃあ、どうすれば良かったのかと思ったが……ここは口論している場合ではない。

素直に折れることにした。

 

 

「……善処しよう」

 

『そうしてくれ』

 

 

トニーが片手を上げて……光を放った。

私の背後から迫っていたロボットを吹き飛ばし、破壊した。

 

……音を殺していたようだが、気付いては居た。

しかし、スタークが対処するだろうからと黙っていた。

 

 

『これで貸し借りは無しだ』

 

 

トニー・スタークは他人に借りを作られる事を嫌う。

だから、これは円滑なコミュニケーションのために必要な『見過ごし』だ。

 

……まぁ、トニーも私の考えには気付いているだろうが……本心を言わないのも、大人同士のコミュニケーションなのだ。

 

 

「……先へ行こう」

 

『あぁ、言われなくても』

 

 

トニーがアーマーから光を放ち、飛行する。

その背後を私は走る。

 

時折、起動する罠を破壊しつつ先へ、先へ。

 

 

「トニー、首領(ボス)の居場所は分かるのか?」

 

『既に、この施設全体を解析(スキャン)してある。爆弾を起動できる電波装置がある大部屋がある……きっと、そこだ』

 

 

シールドを振りかぶり、ロボットへ叩きつけた。

トニーが光を放ち、追撃する。

 

 

「……コイツら、地上にいるロボットとは質が違うな」

 

『『センチネル』だったか?アレを作るのは大変なんじゃないか?』

 

 

トニーが蹴り飛ばしたロボットを、私はシールドで切り裂いた。

 

 

『センチネル』……ティンカラーから伝えられた情報に載っていたロボットだ。

曰く、一体で街を滅ぼせるほど凶悪な兵器。

 

それを何体も作っているのだから……やはり、組織(アンシリー・コート)は危険だ。

それに、未成年の少年少女に人体実験を施す、倫理観の無さ……それも危うい。

 

 

「もしくは、『材料』か?」

 

『なるほど、そういう観点は悪くない。あの意味の分からない超能力者(サイキッカー)染みた能力にも関係あるかもな』

 

 

そうして……幾つかのスクラップを作り、大部屋のドアの前に辿り着いた。

 

私は中の様子を伺おうと──

 

 

『下がってくれ、キャプテン』

 

「何を──

 

 

瞬間、アーマーの肩が開き、ミサイルが射出された。

超小型のマイクロミサイルだ。

 

それはドアに直撃し、吹き飛ばした。

私はシールドで爆風を防ぎ……トニーを睨んだ。

 

 

「やるならやると、言ってくれないか?」

 

『言っただろう?』

 

 

悪びれる様子のないトニーにため息を吐く。

恐らく、私が反応できると確信を持ってやっているのだろうが……心臓に悪い。

 

トニーが焼けて歪んだドアを蹴飛ばし、私も中へ入る。

 

 

中は──

 

 

『壮観だな』

 

「あぁ」

 

 

機械に疎い私にも分かる。

 

現代の科学力を遥かに逸している機械の数々が壁に埋め込まれていた。

一目見ても分からない数字の羅列に、謎のグラフ。

 

目線をズラして……この部屋の主に目を向ける。

 

 

ソイツは、椅子に座っていた。

入口とは対極に位置する場所に座っている。

 

紫色の宗教観を思わせるマントに、緑色の服を着ていた。

 

未来人と聞いていた割には、時代錯誤な古い服装に見えた。

 

しかし、それは頭を見るまでだ。

 

紫色の円柱のような物を被っている男だ。

金属製でメタリックな艶がある。

それは6つの目のようなものがあり、黄色く鈍く輝いている。

 

 

『それ』は私達を確認した瞬間、足を組み替えた。

 

 

「よく来たな、アイアンマン。そして、キャプテ──

 

 

光が、その男の顔面に直撃した。

 

 

「トニー!?」

 

 

私は、攻撃した仲間へ目を向ける。

スーツの下でどんな顔をしているかは分からないが……私の方へ顔を向けず、口を開いた。

 

 

『茶番はいい。それは、お前の本体ではない筈だ』

 

「本体……?」

 

 

再び、男の方へ目を向けた。

 

頭は、なくなっている。

だが、切断された首からは……血は流れていない。

 

 

「……LMD(ライフ・モデル・デコイ)か」

 

『そういう事だ、キャプテン……本当に、舐めた真似をしてくる奴だ』

 

 

トニーが一歩、前に進んだ。

 

直後、周りを囲んでいたモニターが紫色に染まった。

……簡易化された人の顔のような物が映っている。

 

 

『酷い奴だな、アイアンマン』

 

 

どこからか……いや、周り全体から声が聞こえた。

それは男の声だ……先程と、同じ声だ。

 

 

『そう思うなら、姿を現したらどうだ?』

 

 

スタークが苛立った声を上げた。

 

 

『見せただろう?その姿は私が生身だった頃のものなのに』

 

「……生身、だった?」

 

 

私は訝しんだ。

 

そんな私に、声は語りかけてくる。

 

 

『キャプテン・アメリカ……簡単な話だ。今、君達がいるこの場所が……私、そのものだ』

 

 

目を細める。

 

『アーニム・ゾラ』のようなものか。

己の精神を機械に移し、不老不死を得た科学者……前例として、私は知っていた。

 

トニーは……何やら周りの機械へ目を移している。

……少し、時間を稼ぐか。

 

 

「お前は、何者だ?」

 

『ふむ、何者か……その問いは些か哲学的だな』

 

 

悩むような声が四方から聞こえる。

 

 

『人は私を『神』、『統べる者』、『ラマ・タト』、『不死身(イモータル)』、『征服者(コンカラー)』……あぁ、今は『オーベロン』だったか?まぁ……様々な名前で呼ぶが──

 

 

私は眉を顰めた。

 

 

『そうだな、『ナサニエル・リチャーズ』とでも呼んでくれ』

 

「……それがお前の名前か?」

 

『遠い昔はそう呼ぶ者もいた』

 

 

話していて、頭が痛くなるような奴だ。

今すぐに、この施設にある機械を全て壊して回りたい。

 

 

『しかし……君達も容赦がない』

 

「悪人に容赦などしない」

 

『うん?私の事ではない……彼女達の事だ』

 

「彼女、達?」

 

 

彼女達……まさか、組織にいるレッドキャップ以外のエージェントの事か?

 

彼女達を傷つけてなど……いや、待て。

 

何故、そもそも出会わなかった?

組織に存在する筈の構成員は……何故、誰一人としても出会わなかった?

 

嫌な、予感がした。

 

 

『ふむ、気付いてなかったのか。君達が戦っていた『バイオ・センチネル』……アレは未来世界で量産されている対ミュータント兵器を改良したものだ』

 

 

……生命(バイオ)

機械に対しては、不釣り合いな言葉だ。

ただの『センチネル』ではないのか?

 

疑惑は、より深くなる。

 

 

「それが、一体──

 

『まぁ、焦るな。最後まで聞け』

 

 

嘲るような笑いが聞こえた。

 

 

『君達が『ここ』に来る事は早い段階で知っていた……私は、組織の構成員にとある薬を投与した』

 

 

目前のモニターに映像が映し出された。

……若い子供が、何かを投与されている。

 

 

「アレは……」

 

『君達が必死に助けようしている、彼女にも使った『超人血清』の改善版だ』

 

 

注射を撃たれた子供は白目を剥いて、泡を吹いた。

私は目を見開き、モニターを注視する。

 

 

『まぁ、気にするな、キャプテン・アメリカ。もう既に終わった出来事でしかない』

 

 

倒れた子供を大人が引きずり、別室へと運ぶ。

 

 

『アレは本来、人間の持つ潜在能力を引き出し、後天性の突然変異者(ミューテイツ)を生み出すための薬物だ』

 

 

……非道な人体実験の成果を、さも誇るように語る。

 

 

『彼女が治癒因子(ヒーリング・ファクター)を手に入れたのも、身体能力が活性化したのも……元々持っていた素養に過ぎない』

 

「……それが、なんだと言うんだ」

 

『改良した薬は凄いぞ?どんな人間でも『ミューテイツ』に作り替える……脳を破壊し、思考力を奪う代わりにな』

 

「……何?」

 

『感情や記憶(メモリー)を司る脳のキャパシティ全てを、その特殊な能力へと置き換える。素晴らしいと思わないか?』

 

「……このっ!」

 

 

私はシールドを、モニターへと投擲した。

砕けて、スパークする音が聞こえる。

 

 

『案外、理知的ではないんだな。キャプテン・アメリカ……まぁ、良い。話を戻すか』

 

 

直後、モニターに映ったのは……先程、投薬された子供が手術台に乗せられている映像だ。

 

先程の会話内容が……脳裏に過ぎる。

 

彼女達。

脳のキャパシティを、特殊な能力へ。

『バイオ』センチネル。

 

 

「……まさか」

 

『やっと気付いたか?ミューテイツの脳を媒体とした、特殊な能力を行使する戦闘兵器……それが『バイオ・センチネル』だ』

 

 

直後、映像内で……頭を切り裂かれる子供の映像が流れた。

思わず、目を逸らした。

 

 

『この組織にある『生物的な資源』は全て使用済みだ。残っているのは私ぐらいか?あぁ、いや、私は生物ではなかったか』

 

「お前はっ──

 

『科学に犠牲は付き物だ。そうだろう?アイアンマン』

 

 

会話を振られたトニーが……首を振った。

 

 

『いいや?その考え方は三流だ。一流は犠牲なんて生み出さなくても、最高の発明が出来る』

 

『ハハハハ……しかし、私の解析には時間が掛かっているようだが?』

 

 

その言葉にトニーは返事をしなかった。

 

トニーの企みはバレていた……だが、奴が追い詰められているのは事実の筈だ。

 

 

「何が目的でこんな事を──

 

『数多の並行宇宙(マルチバース)を束ねる為だ』

 

「……マルチ、バース?」

 

 

聞き覚えのない単語に、トニーを見る。

……トニーも首を振った。

 

マルチバース。

多元宇宙論か?

 

しかし、そんなのは……御伽噺のような物の筈だ。

 

 

『力が必要だった……だから、私はこの時代で実験を行なっていた。そして、目標は果たした』

 

「……目標?」

 

『後天的に突然変異者(ミューテイツ)を作る仕組みの設立……そして、他宇宙の記憶を盗み見る事』

 

 

……前半は分かる。

だが、後半は何を言っているのか分からなかった。

 

そんな私達を見て、モニターから嘲る声が聞こえた。

 

 

『知らずに助けようとしていたのか?お前達が助けようとしている女は……神にも等しい『目』を持っている。それは平行宇宙(マルチバース)を見渡す、強大なパワーを持つマテリアルだ』

 

 

陰謀論のような、信じられない言葉が幾つも飛び出してくる。

コイツは……何なんだ?

 

彼女は……何を背負わされている?

 

 

『私は彼女の脳を盗み見た……実に素晴らしく、実りある記憶だった。全ての生物がゾンビと化した宇宙があるのを知っているか?滑稽だったぞ?』

 

 

分からない。

だが、一つだけ分かるのは……コイツが、彼女の人生を狂わせているという事だけだ。

 

 

『しかし、もう用済みだ。……あの記憶は、お前達の手には余る代物。処分しなければ、ならない』

 

 

その言葉に、トニーが反応した。

 

 

『無駄だ。爆弾の起動は停止している……僕達の勝ちだ』

 

 

そう言い切ると……モニターが点滅を始めた。

 

 

『フ、ハハハハ、ハハ、案外、愚かなんだな?アイアンマン』

 

『何がおかしい?』

 

『フフ、あぁ、これならDr.ドゥームの方が幾分か頭が良いだろう』

 

 

苛立ったトニーが腕を上げた。

 

 

『答えろ。何がおかしい……何を間違ったと言ってるんだ』

 

『あぁ、良いだろう。答え合わせだ』

 

 

モニターの一つに、設計図が現れる。

それは彼女の心臓に埋め込まれていて……トニーが参考にした設計図だ。

 

 

『これは確かに、私がエージェントへ埋め込んでいた爆弾だ』

 

 

……その設計図を指し示すと言う事は、つまり。

 

トニーがこれを止める装置を作る事を想定していたという事だ。

 

 

『電波の受信機は私の手製だ。先程、話していた薬物のプロトタイプによって作られた、テレパスのミューテイツの脳を組み込んだ装置によって起動される』

 

『だが、その電波は既に遮断した筈だ』

 

『そうだな。アイアンマン。お前なら、そうすると思っていた』

 

 

モニターにもう一つ、設計図が映る。

それは先程の設計図に似ていて……少し、異なる。

 

 

『……これは』

 

『気付いたか?時限式だ……アナログな手段だが、堅実で強固だろう?』

 

 

その言葉に……私は、彼女の姿を思い出した。

同年代の少年と抱き合い……涙を流す、救われた筈の少女を。

 

瞬間、私はトニーへと口を開いた。

 

 

「トニー!今すぐ、救援を──

 

『もう既に送っている!』

 

 

焦るような声が聞こえて、頷いた。

そんな私達を他所に、周りから声が聞こえる。

 

 

『1時間前に既に起動しておいた……そして、爆弾のタイムリミットは1時間……さて?この意味が分かるか?』

 

「……このっ!」

 

 

私は怒りに身を任せて、シールドをモニターへと投げつけた。

だが、それは本体ではない……意味はない。

 

 

『ハハ、ハ……アイアンマン。お前はいずれ、私に感謝する事になるぞ?』

 

『何を言ってるんだ?お前のような奴に、僕が感謝する訳ないだろ』

 

『いいや、感謝する。あの時、殺しておいて良かったと……自身のミスで死なせて良かったと、お前は──

 

 

トニーが光を頭上に放った。

それは一見すると何でもないような部分に着弾した……だが。

 

辺りのモニターにノイズが走る。

 

 

『お前の本体は既に解析済みだ。ポンコツめ』

 

『イ、イイ。狙いダ……だが、もウ既に、情報は未来へト、送られテ、イル……異なル、時間軸の、私へト』

 

『あぁ、そうか。またこの時代に来い……その時も、また同じように打ちのめしてやる』

 

 

トニーの背中のジェットユニットが開いた。

それは、花弁のように変形し、正面へと向いた。

 

 

「待てっ、ト──

 

 

トニーの胸部。

両腕。

花弁のようなユニット。

 

それらが一つの砲台になるように合体した。

 

 

いつか、彼が自慢げに話していた……『プロトン・キャノン』だ。

全ての出力ユニットを結合する事によって生まれる、砲台。

それは大気を巻き込み、光を収束させ、竜巻のように全てを破壊する。

 

 

光が、解き放たれた。

 

 

光の奔流がモニターや、奴のLMD(ライフ・モデル・デコイ)を巻き込み……砕き、引きちぎり、焼き切る。

 

あまりの高エネルギーに金属は融解し、ガラスも黒く染まる。

 

私は地面に屈み、シールドで余波を防ぐ。

私に向けて撃たれている訳でもないのに、凄いエネルギーだ。

 

 

 

 

 

そして……。

 

 

 

 

 

上空、数十メートル。

 

 

「撃つ前に……少しは声を掛けられないのか?」

 

『それどころじゃないから、仕方ないだろ』

 

 

崩れる建物を、トニーに掴まれている私は見下ろした。

支柱が砕けたのか、決壊して崩れていく。

 

……後で、事後処理の調査が大変になるだけだ。

だが、トニーの気持ちは分かる……故に、怒れない。

 

 

『キャプテン、僕は今すぐピーターの所へ向かう』

 

 

ピーター?

……あぁ、あの少年、スパイダーマンの事か?

 

私は頭上のトニーに対して頷いた。

 

 

「分かった、すぐに降ろしてくれて構わない」

 

 

人を一人抱えていては、彼も最高速度を出せない。

いや、正確には最高速度を出せば生身の私にダメージが入ってしまう。

 

足手纏いになるつもりはない。

 

そう思って言ったのだが──

 

 

『すまないな、キャプテン。後でブリトーを奢る』

 

 

そう言い切った瞬間、私は手放された。

 

高度、数十メートルで、だ。

 

……急ぐ気持ちは分かる。

だから、文句は言わない。

 

彼女を助ける事を優先して欲しい。

だから、間違いではない。

 

 

しかし……やはり、言葉が足りない。

 

 

風に身を打たれながら、シールドを地面へ構える。

姿勢を整え、落下する。

 

 

そして、轟音を立てて、着地した。

いいや、墜落か。

 

 

「ぐ、うっ……!」

 

 

全身に軋むような感触があった。

 

流石に、この高さは、堪える、な……!

 

そう思いながら、ひび割れたコンクリートのクレーターから……這いずり出る。

 

……橋へ向けて、トニーが加速していく様子が見えた。

 

 

泣いていた少女の事を思い出す。

まだ、若い……未来ある少女の姿だった。

大人達の下らない考え、支配欲のために自由を奪われる事は……許されない。

 

私は、例え無意味だとしても止まっては居られなかった。

トニーを追って、走り始めていた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

「く、ぷ、はぁっ……はっ……!」

 

 

川から這い出て……ミシェルを、川沿いへと引き上げる。

 

 

「げほっ……ごほっ……」

 

 

彼女が咳き込むと……飲んでしまったであろう川の水と、血が混ざっていた。

 

明らかな重傷だ。

少しでも手当が遅れたら死んでしまうような、そんな儚さを感じた。

 

分かってしまう。

ヒーロー活動をしていて……助けられなくて死んでしまった人達を見たから……わかるんだ。

 

この傷では……長くは持たないって事が。

 

 

「ミ、シェル……い、今すぐ、誰か助けを呼んで来るからっ!」

 

 

だけど、認めたくなかった。

僕は彼女から離れようとして……腕を掴まれた。

 

軽く……か細い力で……無意識に振り払えてしまえそうな程の、弱さで。

 

僕はミシェルへと向き直る。

 

彼女の口が、動いた。

 

 

「行か……ない、で……」

 

 

虚な、光のない目で、僕を見ていた。

僕の腕を掴んでいた手を、握り返す。

 

……川から上がった瞬間に、救難信号は出しておいた。

だから、誰かが来てくれる。

 

きっと助けてくれる筈だ。

 

 

「大丈夫だよ、ミシェル……大丈夫だから……」

 

 

ミシェルの手を、両手で握る。

僕の声は無意識の間に、震えていた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

霞んだ視界で、よく聞き取れない耳で、動かない四肢で……ピーターを感じている。

 

もっと、見たいのに。

もっと、聴きたいのに。

もっと、触れたいのに。

 

なのに、得られる情報は全て、朧げだ。

 

……でも、きっと……悲しんでいる、かも。

ううん、悲しんでる。

 

彼は優しいから。

優しすぎるから。

 

 

……胸が痛い。

きっと、爆弾が爆発したんだ。

 

大丈夫だって言ってたけど……世の中、あんまり上手くいく事って少ないから。

私の人生、みたいに。

 

ゆっくりと、死に近付いてるのが分かった。

 

 

だから、言葉を話せる今のうちに……言いたい事があった。

 

言おうと思っていたのに、言えなかった。

私の気持ち。

 

 

「ピー、ター……」

 

 

一言、喋る度に傷口が痛む。

凄く辛い。

 

私の言葉に、ピーターが耳を傾けてくれた。

顔が見えるほどに、近くに来てくれた。

 

 

……私の好きという気持ちを伝えたい。

死ぬ前に……伝えたい。

 

 

私は──

 

 

ピーターの事が──

 

 

 

「ごめん、ね……」

 

 

言える訳がない。

 

好きだなんて、言えない。

 

今から死ぬ人間が、好きだなんて。

 

 

「ごめ、ん、ね……」

 

 

言ってしまったら、彼の重みになってしまう。

 

ピーターは優しいから、きっと気に病んでしまう。

 

 

「ご、めん……」

 

 

これから、彼が恋をした時に……障害になってしまう。

 

私の気持ちは、彼に遺せない。

ピーターを不幸にしたくない。

 

 

「……私の、こと……忘れ、て、いいから……」

 

 

この世界はピーターに対して、厳し過ぎる。

 

せめて、私ぐらいは彼を……彼の苦悩を理解してあげたかった。

 

彼を幸せにしたかった。

 

なのに。

 

 

「忘れ、て……お願、い……」

 

 

私は彼の不幸そのものだ。

これからの苦悩になってしまった。

 

死んで、尚……彼を不幸にしてしまう。

 

嫌だ。

 

嫌だよ……。

 

私、ピーターを不幸にしたくない。

 

 

ピーターの顔が近づいて、耳元で囁かれる。

 

 

 

「……絶対に忘れたりしない」

 

 

……その言葉は、私の望んでいる言葉じゃない。

なのに、嬉しく感じてしまうのは……私が浅ましいからだ。

 

本当に、私……最悪だ。

 

 

「ミシェル……僕は、君と出会えて良かったと思ってるから」

 

 

……そんな優しい言葉を掛けないで欲しい。

 

 

「だから、忘れない……それに、これからも一緒にいるんだから……ここで終わりだなんて言わないで欲しいよ」

 

 

……優しくしないで。

 

そんなの、だって。

 

 

生きたくなってしまうから。

これから死ぬのに……嫌だよ。

 

死にたくない。

 

死にたくないなぁ。

 

まだ、一緒に居たいよ。

 

私も。

 

まだ……一緒に。

 

この世界を見ていたい。

 

貴方となら、きっと楽しい。

 

だから。

 

死にたくない。

 

だけど。

 

もう。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

ミシェルの耳元から顔を離すと……目が、僕の方へ向いた。

 

 

「ピー、ター……」

 

 

名前を呼ばれる。

か細く……悲しげに。

 

 

「ど、こ……?」

 

「居るよ……僕は、ここに居るから……!」

 

 

抱き締めるだけでは……気付いてくれない。

もう四肢の感触がないのだろう。

 

辛うじて、話せるだけだ。

 

口を動かせて、息をするだけ……。

 

 

それなら。

 

 

僕は顔を近づけて、唇を重ねた。

 

一度目のキスは……彼女からだった。

背中に注射器を刺されて痛かった。

 

二度目のキスは……血の味がした。

彼女の命がこぼれ落ちていくのを感じてしまった。

 

僕達のキスは……なんで、こんなに悲しいのだろう。

 

 

……唇を離すと……ミシェルは頬を緩めた。

 

 

「……あり、がと……ピー、ター……」

 

 

謝罪ではなくて……感謝の言葉が聞こえた。

 

それは嬉しくて……でも、悲しくて。

 

 

「ミシェル……?」

 

 

彼女の瞼が、ゆっくりと閉じて。

 

 

「そんなっ……」

 

 

言葉を話さなくなって。

 

 

「待ってよ……」

 

 

吐息が、無くなって。

 

 

「まだ、話したい事が……沢山あるのに……」

 

 

動かなくなった。

 

まるで、死んでしまうみたいじゃないか。

 

死ぬ……ミシェルが?

 

死んでしまう?

 

 

「だ、誰か……!」

 

 

周りを見渡す。

誰もいない。

 

ニューヨークは避難命令が出てるらしいから。

本当に誰もいない。

 

 

「誰でもいいから……!」

 

 

涙が止まらない。

 

 

「助けてよ……ミシェルを……誰か……!」

 

 

冷たくなっていく彼女を抱きしめて……僕は……声を振り絞った。

 

静寂の中に、僕の声が……虚しく響いていた。

流れ出る血を止められない。

 

僕の中の大切な思い出が、血で汚れていく。

幸せだった思い出の最後に、彼女の死という耐え難い事実が付け加えられる。

 

そんなの嫌だ。

 

嫌だ。

 

僕は……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ピーター!』

 

 

名前を呼ばれて、そちらを見た。

 

駆け寄って来たのは……シンビオートを身に纏った、グウェンだった。



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#102 ワン・モア・タイム part1

「グウェン……?」

 

 

まるで捨てられた犬の顔のようなピーターと……抱き抱えられて血塗れになっているミシェル。

 

それらを見た瞬間、一気に血の気が引いた。

 

だけど、立ち尽くすだけじゃない。

私はもう……無力ではない。

 

数度、経験した様々な非日常……それが私の行動力を大きく引き上げ、判断を早めた。

 

 

『ピーター、退いて……!』

 

 

抱き抱えていたピーターを押し退けて、地べたに寝かせる。

そして、ミシェルの顔に手で触れてる。

 

冷たい。

閉じた目を指で開く……瞳孔が開いてる。

 

 

『……グウェノム、お願い』

 

 

私の身体を覆っているグウェノムの触手を伸ばし……ミシェルの口から体内に入れる。

感触や触感を共有し、体の状態を──

 

 

『な、なによ、これ……』

 

 

ズタズタだ。

アーマーの下で、内臓が破裂している。

焼け焦げたように固まって血液が正常に流れていない。

 

まだ息がある事の方が、おかしいって思えるぐらい……傷だらけ。

 

 

ふと、ピーターの方を向く。

顔を青くしてる。

 

……心臓の爆弾は大丈夫だって聞いていたのに。

予想外の事が……最悪なタイミングで起きたようだ。

 

 

どうする。

どうする、どうする?

 

瞬間、脳裏に過ったアイデア。

それに全てを懸けることにした。

 

事態は刻一刻を争う。

少しの遅れが……ミシェルを殺してしまう。

 

 

『グウェノム』

 

 

私と、この子は意識を共有している。

話さなくても分かる。

 

……グウェノムを分離し、ミシェルに寄生させる。

 

 

途端に、強烈な倦怠感。

足が動かなくなって、その場から崩れ落ち──

 

 

「グウェン!」

 

 

ピーターに抱き抱えられた。

 

そのまま身体を任せて……グウェノムがミシェルへ入り込むのを見た。

 

 

「……今、グウェノムが失った内臓の代わりに……血を体に巡らせてる」

 

「……う、うん」

 

「でも……出ちゃった血は……帰ってこないし……この状態だと、グウェノムも……弱ってくから……応急処置にしかならない」

 

「……分かった。僕はどうすればいい?」

 

 

……さっきまで顔を青くしてたのに。

幾分か顔色がマシになった。

 

じっとしてても、どうにもならないって、気付いたみたい。

 

 

「連絡は──

 

「したよ……スタークさんに」

 

「じゃあ──

 

 

頭上で、ジェット音が聞こえた。

 

聞き覚えのない音……顔を向けると、赤と金色のアーマーを着た男が飛んでいた。

 

ニュースや『S.H.I.E.L.D.』の資料で見た事がある……アイアンマンだ。

 

 

『ピーター!』

 

 

直ぐ様に着地して、こちらへ駆け寄ってくる。

 

……名前。

ピーター、アイアンマンには正体を教えていたんだ?

目の前の惨状から、思わず現実逃避をしてしまった。

 

 

「スタークさん、ミシェルが──

 

『あぁ、分かってる!クインジェットをもう呼んでる!直ぐに来る!』

 

 

アイアンマンがマスクを展開して素顔を露わにした。

 

 

「容態は……?」

 

「今、グウェンが……えっと、シンビオートで延命してくれてる……だよね?」

 

 

ちらと、ピーターが私を見た。

……急いでいて、何も説明していない事に気付いた。

それでも現状が把握出来てるのだから、ピーターはよく見ている……と感心した。

 

返事をする元気すらない私は、黙って頷いた。

 

そんな私にアイアンマン……トニー・スタークは神妙な顔をしている。

……テレビで見る時は飄々としているけど……違うのかな?

イメージよりも頼りになりそうな感じがする。

 

1分か、2分か……無限にも感じられるほど、だけど短い時間で、頭上にジェット機が現れた。

 

 

そのまま滑り込むように川へ着水して、私達の居る方へハッチを開けた。

 

反重力で浮いてる担架を引いた『S.H.I.E.L.D.』のエージェントが降りてきて、ミシェルを乗せた。

 

 

「ピーター、君は彼女と一緒に行ってくれ……!」

 

 

トニー・スタークの言葉にピーターが頷き……私を背負って担架に付いていく。

 

 

「スタークさんは!?」

 

「僕は医者を呼んでくる……それまでに絶対に死なせるな!」

 

 

トニー・スタークはそのままマスクを装着して、背中のジェットを起動した。

 

 

 

 

 

私はピーターに抱えられながら、それを見送り、飛行機……クインジェットに乗った。

 

……こんな状況じゃなかったら少し騒ぎたくなるぐらいハイテクな内装だけど、あまり広くはない。

 

必然的に、担架に乗せられているミシェルの直ぐそばに私とピーターは陣取っていた。

 

 

『S.H.I.E.L.D.』のエージェントが何やら注射器を取り出して、ミシェルに投与した。

点滴も繋いで……医術専門って訳でもないのに、手早い。

 

これが一人前のエージェントなのだろう。

 

担架を内装に固定した瞬間、一瞬、体に重みが掛かった。

 

 

「本機はこれより、待機中のヘリキャリアへ向かう」

 

 

私達の顔を見て、エージェントがそう言った。

……ヘリキャリアってのが何かは知らないけど、反論する事もなく、慌てて二人で頷いた。

 

ちら、と外を見れば……凄まじい速度で地上の景色が遠ざかって行くのに気付いた。

……内装のハイテクさは伊達じゃないらしい。

 

 

そして、ミシェルへと目を戻す。

 

黙ったまま……まるで、死んだみたいに眠る、私の友人。

 

 

「…………まだ、私、叱ってないのに」

 

 

勝手に罪悪感を感じて、勝手にどこかに行って……勝手に死ぬなんて許さない。

絶対に、叱ってやらないと……気が済まない。

 

だから……お願い。

死なないで欲しい。

 

一年前、私の前に現れて……日常の一部になったミシェル。

黙って勝手に居なくなるなんて……そんなの、絶対に許さないから。

 

 

 

……ピーターを見る。

その瞳は揺れていた。

 

 

きっと私よりも傷付いている。

 

私とミシェルは仲が良い。

親友と言っていい程に。

 

だけど、彼と彼女の関係は……悔しいけど、それ以上だ。

同性の友人とは違う……ちょっと特別な関係。

 

だから、今……私の感じている自身を責める気持ちよりも……もっと大きな感情を抱いているに違いない。

 

微かに動く手で、顔を青くしてるピーターの脇腹を摘んだ。

 

 

「……グウェン?」

 

「しゃんとしなさいよ……そんな陰気臭い顔しないでさ……」

 

 

ピーターは少し口を開いて……何とも言えない、不安げな顔をした。

 

……きっと私も同じような顔をしてる。

そう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ジェット機内で治療……いや、延命措置をしていると、空飛ぶ巨大な空母に着艦した。

 

……全然、下から見えなかったけど……こんなのをニューヨークの上空に飛ばしてたんだ。

見えてたら気付かない訳ないし、ステルス機能があるみたい。

 

別に侮ってた訳じゃないけど……もしかして。

『S.H.I.E.L.D.』って私が思ってるよりも、よっぽど凄い組織なのかも。

……ミシェルは助かるかも知れないと、期待する。

縋るように……希望的観測をする。

 

そうしないと押し潰されてしまいそうだ。

 

 

担架に乗せられたミシェルが運ばれて行く。

私は……ピーターの背中。

 

そのまま追いかけて……医務室みたいな所に運び込まれた。

 

ミシェルが診療台の上に乗せられる。

 

 

 

眉を顰める。

 

 

 

……手術室みたいに、色んな道具がある訳じゃない。

本当にこんな所で、こんなボロボロになったミシェルの処置が出来るのか──

 

 

そう思った瞬間……部屋の隅に橙色の光が現れた。

それは火花のような音を立てて円を描き……徐々に広がって行く。

 

咄嗟に構えようとして……グウェノムが居ないことに気付いて……そして、エージェントが身構えていない事に気付いて……大人しくする事にした。

 

 

橙色の光の輪、その先は……まるで景色を切り取ったかのような光景があった。

さっきまで居たニューヨーク市内の光景。

 

 

……不可思議な光景から、二人の人間が医務室に入ってきた。

 

片方は……アイアンマン。

 

もう片方は……紺色の服に、赤いマント、胸元には金色のネックレス。

医者とは程遠い姿をした……まるで魔法使いみたいな格好をした男だ。

 

 

「スタークさん!」

 

 

ピーターの声にスタークが反応しようとして……それを魔法使いの格好をした男が遮った。

 

 

「患者のバイタルチェックを行う、下がってくれ」

 

 

その言葉にエージェントが頭を下げて、医務室から出て行った。

 

 

「……何をしている?君達もだ」

 

 

魔法使いの格好をした……多分、医者が私達を見た。

その手には……医療器具じゃなくて金色の魔法陣が浮かんでいた。

 

 

「あ、えっと──

 

 

ピーターがシンビオートを寄生させている状態である事を説明しようとし──

 

 

「……何だコレは?」

 

 

魔法使いの男がミシェルを険しい顔を見て……その後、私達の顔を見た。

 

 

「この黒いヤツは、君達のペットか?」

 

 

ペットって……反論しそうになって、それでも今はそれどころじゃない事も分かってるから、頷きながら説明する。

 

 

「その子は私と繋がってるから……あまり離れられない……の」

 

「そうか。なら、その場で見学していろ。ただし、口を開くな。黙っていろ」

 

 

あんまりな物言いに思わず顔を顰めると──

 

 

「雑菌が入ると拙い」

 

 

……医者らしい発言に納得して頷いた。

 

どうにも不思議な人だ。

医者のように見えるし、魔法使いのようにも見える。

 

ピーターを見ると……私と同じように不思議そうな顔をしていた。

しかし、アイアンマンは医者を連れてくると言っていた……だから、医者、なのだろうか?

 

 

「しかし、男の君……スパイダーマンだな?君は出て行け」

 

「え、なんっ──

 

「うら若き乙女の素肌を覗くのか?」

 

 

その言葉と同時に、医者らしき男が魔法陣をミシェルの胸部に当てるとアーマーが分解されて行き──

 

ぐちゃぐちゃになった内臓が露出した。

 

 

「…………ぅ」

 

「……うそ」

 

 

……こ、これ、手術とか程度で、どうにかなる傷には見えない。

 

絶句している私とピーター。

……彼の肩を、アイアンマンが軽く叩いた。

 

 

「行こう、ピーター」

 

「……ぁ……は、い」

 

 

青褪めたピーターを連れて……いや、引っ張るようにして、アイアンマンは医務室から出て行った。

 

その様子を医者は一瞥し、ミシェルへと視線を戻した。

 

 

「さて……」

 

 

軽く息を吐き出して……両手で印を結び、腕を交差する。

 

 

「……あまり使いたくはないが、今回は例外だ」

 

 

その瞬間、どういう仕組みか……首から下げていた金色のネックレスが回転し、内部を露出させた。

 

 

「『アガモットの眼』よ」

 

 

中には緑色の宝石が入っていた。

それは光を反射して……いや、それ自身が光を生み出してた。

部屋の照明なんかよりもよっぽど明るく光っていて、室内を緑色に染めた。

 

そして、医者が腕を開くと……魔法陣が宙に浮かび上がった。

更に幾つもの魔法陣が生まれて……幾重にも重なり、曲がり、空中に球体を作り出した。

 

 

「…………っ」

 

 

私は思わず驚いて医者の顔を見た。

額に……三つめの眼があった。

 

 

……息を呑む。

 

 

超科学とか、凄い性質の生き物とか……そういうのには慣れたつもりだったけど……これは、何というか……そう。

 

これが魔法なのかと、自分でも驚くほど……すんなりと受け入れる事が出来た。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

僕は本当に治療が行われているのか、心配になる程に静かな医務室の外で……蹲っていた。

 

……あんなに、血が沢山……出ていて。

ミシェルは……。

 

最悪な結末を何度も想像し、何度も振り払う。

 

 

気付けばスタークさんは側に居なくて、グウェンは医務室に置き去り……僕は一人で廊下に蹲っている。

 

 

無力感。

 

そして、絶望。

 

 

薄暗い感情で心を埋めて……身体が震える。

 

もう春なのに。

この赤いスーツは、体温を自動で調整してくれる筈なのに。

 

それでも寒い。

……不安やストレスで血流が悪くなってるからだ。

 

眼球が乾いて、強く目を閉じる。

 

沢山泣いたのもあるし……今日はかなり動いたから……水分が足りてないんだ。

……だけど、そんなに頑張ったのに。

 

その結果が……コレ、なのかな。

 

 

「ぅ……ぅう……」

 

 

思わず、横隔膜が震えて……吐息が呻き声に変わってしまった。

 

努力が必ず報われるとは限らない。

だけど……今だけは……神様がいるのなら……僕の努力に報いて欲しかった。

 

口を噤んで……息を止めて……目を、瞑って。

 

 

ひんやりとした物が頬に当たった。

……水の入ったペットボトルだ。

 

 

ふと、顔を上げる。

アーマースーツを脱いで、インナー姿になったスタークさんの姿があった。

 

 

「……スタークさん」

 

「ピーター、少しは君も落ち着け」

 

 

そう言って、水の入ったペットボトルを蹲っている僕の側へ置いた。

 

そして、僕のすぐ横で壁にもたれ掛かった。

 

 

「でも、スタークさん……」

 

「でも?次は『だって』か?心配するのは良い……だけど、必要以上に思い込むのは君の良くない癖だ」

 

「……はい」

 

 

……その通りだ。

本当に良くない僕の──

 

 

「まいったな、別に説教をするつもりはないんだが……」

 

 

スタークさんは自身の顎に手を当てて、悩む様な仕草をした。

 

そして、口を開いた。

 

 

「そうだ、ピーター。僕が送って行った後の……君と彼女の話を聞かせてくれないか?」

 

「僕と、ミシェルの……ですか?」

 

「そうだ、僕は知りたい」

 

 

……そう言われて……僕は口を開いた。

 

 

「……ミシェルは──

 

 

彼女の語った話。

僕が話した言葉。

生きたいと言ってくれた事。

 

二人で話したこと……そして、結末。

 

全てをスタークさんへ話した。

スタークさんは……黙って聞いてくれた。

 

 

「それなのに、こんな──

 

 

彼女はやっと『生きたい』と言ってくれたんだ。

僕の手を掴んでくれたんだ。

 

なのに、僕は何も出来ずに──

 

 

「良かったじゃないか」

 

「……良かった?」

 

 

思わず、スタークさんの顔を見た。

何が良いのか、思わず口を開きそうになって──

 

 

「生きたいと願っているのなら……そう簡単に死にはしない」

 

「……それは」

 

「これは持論だ……科学的な根拠があるわけでもない。だけど、生死の狭間に居る時……その境を決めるのは生きる意志の強さだ」

 

 

スタークさんの視線が僕へ向いた。

 

 

「僕もそうだった。昔……まだ僕が『アイアンマン』と名乗る前の話だ。テロリストに拉致されてね……死にかけたよ」

 

「そう、なんですか?」

 

 

スタークさんが暗い話をしながらも、それを気にすることもなく笑った。

 

 

「だけど、僕は生き残った。それは『生きたい』という気持ちが、その結果を引き寄せたと思っている……あとは、生かそうとしてくれる『誰か』の存在かな」

 

 

そう言って、僕を見て笑った。

 

 

「だから、彼女は死なない。彼女に『生きたい』と思わせた……君のお陰でね」

 

「……そう、ですかね?」

 

「あぁ、きっと……そうだとも」

 

 

……そう思えたら、肩の荷も降りるのだろう。

だけど、僕はそこまで割り切れずに居た。

 

 

それでも。

 

 

ペットボトルの蓋を開けて、口に付ける。

体に染み渡らせるように……一気に飲む。

 

 

「……っ、はぁ」

 

 

呼吸を忘れるほど飲んで……口を離した。

 

……少し、気分は楽になった。

スタークさんの言葉に納得したから……ってよりも、こうやって励まされてる自分が情けなく思えたからだ。

 

 

蹲っていても、何の意味はない。

僕がここで傷心していても……それは彼女のためにならない。

 

 

立ち上がって、スタークさんと並ぶ。

……僕の方が小さい。

 

大人と子供の差……それは、この身長差だけじゃない。

心の持ち方も、きっとそうだ。

 

本当に辛い時……自分だけじゃなくて、他人の事も見れる人こそが……きっと、大人なんだ。

 

一人前と言われてスーツを貰ったけど……まだ、着ていると言うよりも、着られてるってのが正しいかも知れない。

相応しい人間にならなくちゃ……それが期待されている僕が出来る、唯一の事だ。

 

 

「少しは元気が出たか?ピーター」

 

「ありがとうございます、スタークさん」

 

「まぁ、僕の方こそ……爆弾の件、あれは敵の狡猾さを見抜けなかった僕のミスだ」

 

 

スタークさんが『僕のミス』と言ってるのは珍しいな……なんて思いながら顔を見た。

険しい顔をしていた。

 

 

「彼女が死んでいたら、悔やんでも悔やみ切れなかった。だから、君と……君の友達には感謝している」

 

 

そっか……。

 

結局のところ、僕だけじゃなくて、皆も自分を責めていて……折り合いを付けて立っているんだ。

そう考えると、一人でうじうじ悩んでる僕は……やっぱり情けないかも。

 

……それにしても。

 

 

「スタークさん」

 

「何だ?」

 

「さっきの……お医者さん?魔法使いみたいな……あの人って誰なんですか?」

 

 

スタークさんが連れてきた医者……医者なのかな?

不思議な格好をした人……あの人を連れて来てから、ミシェルが死ぬ可能性についてスタークさんはコレっぽっちも考えていないように見えた。

 

 

「うん?彼は……スティーヴンだ」

 

「スティーヴン?」

 

「スティーヴン・ストレンジ……医者で、魔術師だな」

 

「医者で……魔術師?」

 

 

魔法使いみたいな医者じゃなくて……魔法使いでもあるし、医者でもあるって事みたい。

……何だか、両立しなさそうな職業が並んでるから不思議な感じだ。

 

そんな僕の顔を見て、スタークさんが薄く笑った。

 

 

「分かるよ、ピーター。君は胡散臭いと思ってるな?」

 

「え、あ、いや……そんな事、思ってないですよ!」

 

 

スタークさんが信じてるし、凄い人なんだろうと確信しているけど。

……ほんのちょっぴり疑ってはいた。

 

慌てた僕を見て、スタークさんが笑った。

 

 

「僕もそう思っていた。しかも彼は至高の魔術師(ソーサラー・スプリーム)と名乗っていてね、初めて会った時なんて──

 

「随分と楽しそうな話をしているな?トニー・スターク」

 

 

突如、聞こえた当人の声にギョッとした。

それも声が聞こえて来たのは医務室のドアの方じゃなくて……別方向。

 

そこには壁を擦り抜けて移動しているスティーヴンさんが居た。

スタークさんは慌てる事なく……でも苦いものを食べてしまったような顔で口を開いた。

 

 

「……別に陰口を叩こうって訳じゃない」

 

「どうだかな」

 

 

スティーヴンさんが鼻で笑った。

 

……今、医務室の中ってどうなってるんだろう。

気になった僕はスティーヴンさんに声を掛ける。

 

 

「あの、スティーヴンさん!手術は──

 

「ドクターだ」

 

「え?」

 

 

遮ってまで返された言葉は『医者(ドクター)』という呼び方だ。

 

 

「ドクター・ストレンジ。そう呼べ」

 

「あ、えっと……はい。えっと……じゃあ、ドクター?」

 

「……なんだ?」

 

 

スティーヴンさん……改め、ドクターは腕を組んで僕を見た。

 

……何だか、この人、ちょっと怖いや。

思わず物怖じしてしまいそうだ。

 

 

「あの、ミシェルは……その、どうでしたか?」

 

「彼女の手術は成功した。傷はもうない」

 

「えっ──

 

 

何気なく返された報告に、思わず驚いた。

 

……だ、だって、あんなに重傷で……?

それが15分程度で……?

というか、傷はもうないって……。

 

僕が混乱していると、ドクターがスタークさんに声を掛けた。

 

 

「スターク。医務室で……彼の友人が寝ている。どこか休める所に連れて行ってくれないか?」

 

「僕がか?」

 

 

寝てるのは、グウェンの事だろう。

スタークさんが僕を一瞥する。

 

……確かに、それは僕の役目な気がするけど。

 

そう思っているとドクターが僕の事を見た。

 

 

「私は彼と話がある」

 

 

話……?

 

ミシェルは助かった筈だから……そんな、辛い話じゃないだろうけど。

苦手意識から思わず顔を強張らせた。

 

スタークさんが僕とドクターを見て……軽く息を吐いた。

 

 

「……仕方ないな」

 

 

……多分、僕の事を心配しているのだろう。

スタークさんを離して、敢えて僕と話すって事は……二人っきりで話したいって事だ。

 

そういう重要な話で蚊帳の外に出される事を、スタークさんは嫌うから。

 

 

スタークさんが医務室に入り……寝ている……というか気絶してるっぽいグウェンを連れて出て来た。

そのまま……ぐったりとした様子のグウェンを抱えて、どこかへ連れて行った。

 

……思わず、目で追う。

 

 

「彼女の事も心配か?」

 

 

ドクターが僕に話しかけて来た。

 

 

「……はい」

 

「ふむ。彼女は脊椎神経に黒い寄生生命体を飼っている」

 

 

……えっと、シンビオートの事かな?

頷く。

 

 

「人間の神経は繊細なんだ。そんな短時間で乱暴に何度も引き剥がせば……当然、神経は傷付く」

 

「……え?それって、大丈夫なんですか!?」

 

 

思わず聞き返す。

……彼女は迷わずシンビオートと分離していたけど……あれって結構、危なかったんだ……。

 

 

「……損傷した部位は寄生生命体が補強してくれる。だが、もし寄生生命体と離れれば……離れる度に傷付き……少しずつ、素の身体機能が低下していくだろう」

 

「…………」

 

 

思わず、絶句する。

 

身体を動かせるようになるために、シンビオートと結合した筈なのに。

それが……逆に、身体に負荷を与える可能性があるなんて……。

 

 

「……今は問題ない。気絶する程度だ……だが、度重なればリスクを生むだろう。二度とこんな事をしなくて済むように、気に掛けてやれ」

 

「……はい」

 

 

僕が頷くと……ドクターが医務室のドアを開けた。

 

 

「ついて来たまえ」

 

 

医務室に入ると……ライムグリーン色の布を胸元に掛けられたミシェルの姿があった。

身体の周囲には……橙色に光る魔法陣みたいなのが浮いていた。

 

意識はない。

顔色は……良くない。

 

……無事、とはあまり見えない状況。

 

 

「あの、これって──

 

「魔術を用いて、心臓を強制的に動かしている……肺や、呼吸器官もだ」

 

 

……その言葉に、思わず目を見開いた。

 

魔術で動かしている?

つまり……それって……今は、動いていないって事に──

 

 

「先に結論から言おう」

 

 

ドクターが僕の目を見た。

その目は真剣で……少し、憂いを帯びていた。

 

……さっき水を飲んだ筈なのに。

口の中が乾いていた。

 

 

ドクターが、口を開いた。

 

 

 

 

 

 

「彼女の事は諦めろ」

 

 

 

 

 

それは、聞きたくない言葉だった。

 

 

「……え?」

 

 

手術は成功したって、言ってたのに?

何で、そんなっ。

 

思わず、口を開いた。

 

 

「なんで、ですか?もう傷はないって──

 

「そうだ。身体に損傷はない……数時間前と同様の状態になっている」

 

「それなら……どうして、ですか?」

 

「…………」

 

 

ドクターが手で顎を触り……悩むような素振りをした。

それは原因が分からないから悩んでるってよりも……言うか、言わないか悩んでるって様子だ。

 

その様子に苛立って、僕は口を開いた。

 

 

「教えて下さい、ドクター……!」

 

「……そうだな、良いだろう」

 

 

ドクターが深く息を吐いて……僕の目を見た。

 

 

「彼女の肉体は健康だ。病気も怪我も一つもない。だが──

 

 

死んだように眠っているミシェルを指差した。

 

 

「ここにもう、魂は存在しない」

 

「魂……?」

 

 

医療的な話をしていた筈なのに……急に魔術的な話になって、思わず驚いてしまった。

 

 

「そうだ。人間は『肉体』と『魂』の二つが存在しなければ生きられない」

 

「……それじゃあ、ミシェルは──

 

「今、彼女の状態は無理矢理繋ぎ止められているに過ぎない。私が魔術を解除すれば……時間を待たずに肉体も死ぬだろう」

 

「…………」

 

 

呼吸を忘れて……言葉が出ない。

 

魂?

魂って、何?

 

何で死ぬんだ?

 

僕が混乱していると、ドクターが口を開いた。

 

 

「君、科学は得意か?」

 

「え、あ……はい、人並みには……ですけど」

 

「それなら尚更、受け入れ難いだろう。既知の法則とは異なる話だ」

 

 

ドクターが手で魔法陣を作った。

複雑な印が浮かび上がり、まるで芸術のような美しさがあった。

 

 

「……だが、そこに『在る』のは事実だ。だから、納得して諦めろ」

 

 

ドクターが視線を逸らして……僕も視線の先に目を向けた。

 

顔を青白くさせた、ミシェルの顔だ。

傷一つなく、綺麗で……さっきまで、僕と話していた彼女の顔だ。

 

生きたいと、言ってくれたのに。

 

……これで、終わり?

ミシェルと僕の……関係も、終わるの?

 

これ以上、先は無くて……彼女が言ってた通り、少しずつ忘れてしまうのか?

そんなのは嫌だ。

 

彼女との関係を……僕は『思い出』にしたくない。

これからも……どんな事があっても、一緒にいようと……罪の意識も分かち合おうと思ったんだ。

 

なのに。

 

こんな。

 

 

…………あれ?

 

 

僕は手で口を覆う。

 

ドクターは『彼女の事は諦めろ』と言っている。

 

諦める?

 

……助からないのなら、助からないとだけ言えばいい。

 

何を『諦める』んだ?

何から『諦める』んだ?

 

……ドクターは頭が良さそうだ。

さっきから話している感じで、聡明さを感じれていた。

 

だから、無駄に……『諦めろ』という言い回しは使わない筈だ。

 

 

つまり。

 

 

「……ドクター、助ける方法があるんですか?」

 

 

口から言葉が漏れた。

藁にも縋る思いで、言葉にした。

 

 

「……何を言っている?私は『諦めろ』と言った筈だが?」

 

「……諦めなければ……救う方法があるかも知れない……って事ですよね?」

 

「屁理屈だ」

 

「否定は、しない……それなら──

 

 

僕の言葉にドクターがため息を吐いた。

呆れた……と言ったような態度だ。

 

 

「良いか?私が言わないという事は、理由があるという事だ。分かるか?」

 

「良くないですし、分かるつもりもありませんよ……話してくれたって良いじゃないですか……!」

 

 

僕の言葉にドクターが顔を顰めた。

 

 

「誰も好き好んで見殺しにしようとしている訳ではない」

 

「見殺しって……!」

 

 

ベン叔父さんの顔が脳に浮かんだ。

僕が強盗を見逃したせいで死んでしまった、叔父さんの顔が。

 

 

「僕はもう……自分が何かをしなかったせいで、死ぬ人は見たくない……!」

 

「人間は死ぬ。誰しもそうだ……彼女に、その時が来たと思うんだ。辛いだろうが──

 

「死に方の問題だよ!こんなの……こんなの、良い死に方じゃないよ……!」

 

 

丁寧に話す事も忘れて……僕は感情をぶつける。

……少し、後悔をするけど、謝るつもりはない。

 

理屈は分からない、教えてくれないから。

だけど、ドクターにも事情があって……確固たる意志を持って、話そうとしないのだと……分かる。

 

分かるけど、納得はしない。

ドクターだって僕の言葉に納得しないだろう。

 

だから、僕は感情で……彼に訴えかけるしかない。

 

 

「頼むよ……ドクター」

 

「…………」

 

「せめて、話してくれないと……僕はずっと……死ぬまで後悔するから……」

 

 

ドクターが目を閉じて……開いた。

僕と目が合って……一瞬、眉を顰めた。

 

 

「もし、全てを失うとしても……それでも、君は彼女を助けるか?」

 

「……はい」

 

「それは自分の命を……命以上の物を失うとしても、か?」

 

 

僕は強く頷く。

それを見てドクターは、手を自身の顎に置いた。

 

 

「何故、そこまでする?何が君を突き動かす?」

 

「…………それは」

 

「彼女が君のガールフレンドだからか?」

 

 

そうだけど……違う。

 

僕は確かに、ミシェルを助けたい。

それは……ミシェルの事が特別だからってのもあるけど……きっと、ミシェルじゃなくても僕は助ける。

 

その為なら、どれだけ傷付こうとも。

僕は助けるだろう。

 

 

「それは、僕が──

 

 

目を瞑る。

 

どうして他人を助けたいのか?

自らの身を削ってまで、誰かを助けようとするのか?

 

理由は……ずっと昔から、分かってる。

 

 

「僕が力を持ってるから」

 

「……力を?」

 

 

自分の手を握りしめる。

……蜘蛛に噛まれた時から、僕は普通の人間じゃなくなった。

 

 

「大いなる力には、大いなる責任が伴う……死んだ叔父が言ってた」

 

 

この力は……僕を不自由にさせる。

 

だけど、疎んではいない。

人を助ける機会が与えられたんだ。

 

 

「誰かを助けられる力があるのなら……助けなくちゃならない」

 

「…………」

 

「古い考えかも知れないし……バカだと思われるかも知れない……」

 

「……そうだな」

 

「だけど、僕はそれを凄く……良い事だと思ったんだ」

 

 

目を瞑る。

 

 

「上手く言葉には出来ないけど……そうあれたら良いって、僕は思えたんだ」

 

 

僕はドクターの顔を見た。

 

 

「だから、見て見ぬフリなんて出来ない。見殺しになんかさせない……僕は諦めない」

 

 

怯える気持ちは、もう無い。

正面から、そう言い切った。

 

ドクターは悪い人じゃない。

それは分かってる。

 

 

だけど……納得したくない。

ここで諦めたら僕は、僕ではなくなる。

 

 

ドクターが僕の目を見た。

その目は……僕を通して、どこか遠い所を見ていた。

 

 

「……夢見がちな理想論だ」

 

 

……ドクターがそう、言い切った。

 

思わず俯きそうになって──

 

 

「だが、嫌いではない」

 

 

顔を上げた。

 

ドクターが腕を振るうと、手にあった魔法陣が解けた。

そして、手で赤いマントの襟を直し……僕へ顔を向けた。

 

 

「名前は?」

 

「名前……?」

 

「君の名前だ」

 

「えっと……スパイダーマ──

 

「違う。『君の』名前だ」

 

「……ピーター・パーカーです」

 

「そうか」

 

 

ドクターが仄かに笑った。

 

 

「謝罪しよう、ピーター。君は私が考えているよりも大人だった」

 

 

そして、頭を軽く……本当に注視していないと気付かない程に小さく下げた。

 

 

「すまなかった。彼女の事について、話そう」

 

「……ドクター」

 

「スティーヴンで良い」

 

 

ドクター……スティーヴンの言葉に頷くと、スティーヴンはミシェルの前に立った。

 

……呼吸音が聞こえる。

だけどこれは彼女の意思で呼吸している訳じゃなくて、スティーヴンが魔術で呼吸させているだけだ。

 

傷はなくとも、瀕死なんだ。

 

 

スティーヴンが僕の顔を見た。

 

 

「人は死にかけた際……魂と肉体の繋がりが脆くなる。何者かが、その時を狙い……彼女の魂を掠め取った」

 

「何者か……?」

 

「目処は付いている」

 

 

眉を顰めて、不愉快そうに顔を歪めた。

 

 

「『悪魔(デーモン)』だ」

 

「…………デーモン?」

 

 

耳を疑った。

 

悪魔……?

悪魔って実在するの……ああ、いや、魔法があるなら、おかしくはないか。

 

僕が遅れて頷くと、スティーヴンが説明を続ける。

 

 

「『悪魔(デーモン)』は彼女の魂を持ち去った……力を得る為だろう。奴らは人間の魂を喰らい、力を得る」

 

 

魂を、喰らう?

 

 

「そ、そんな……今すぐ助けないと……」

 

悪魔(デーモン)は何処に住んでいると思う?……答えは『地獄(ヘル)』だ」

 

 

……もう、何を言われても驚かない自信があった。

 

悪魔に、地獄?

デーモンを名乗ってる悪人とは戦った事があるけど……何だか、自分の常識がおかしくなりそうだ。

 

だけど、スティーヴンはきっと、本当の事を言ってるのだろう。

こんな時に嘘を吐くような人じゃないと、僕は思った。

 

 

「それなら、その『地獄(ヘル)』まで行って、悪魔を倒して──

 

「それこそ不可能だ。地獄(ヘル)は奴らのホームグラウンド……我々が出向いても打ち勝つ事は出来ない」

 

「……勝てない?」

 

地獄(ヘル)には肉体を持って向かう事は出来ない。脆弱な精神(アストラル)体だけで向かう事になる。だから、物理的に干渉する事は出来ない」

 

「……だから、諦めろって言うんですか?」

 

「いいや……本題は、ここからだ」

 

 

スティーヴンが首を横に振った。

 

 

悪魔(デーモン)と交渉すれば、魂は戻ってくるだろう……悪魔(デーモン)は契約や取引に忠実だからな」

 

「……それなら──

 

「しかし、魂を取引するという事は……魂と同等か、それ以上の物を差し出す羽目になる」

 

 

スティーヴンが僕の目を見た。

 

 

「それは、つまり……『全て』だ」

 

「…………」

 

「ピーター、彼女の魂と代償に君は……『全て』を失うだろう」

 

 

脅しなんかじゃない。

本気で恐れていて……心配してくれているんだ。

 

 

「全てを……失う……?」

 

「命や魂……或いは、それ以上の物を失う事になる。もう一度、聞こう」

 

「…………」

 

「ピーター・パーカー、それでも構わないのか?」

 

 

僕の脳裏には……今、彼女の笑顔だけがあった。

 

 

「……はい」

 

 

スティーヴンが眉を顰めた。

 

 

「未来永劫、炎に焼かれるとしても、か?」

 

 

僕の手に持っているもの全てを捧げれば、彼女を助けられるのなら……迷う事はない。

 

僕は……例え、何を失っても。

 

もう一度だけ……彼女には笑って欲しいから。

 

 

「僕は……それでも、構わない」

 

「……全く。だから、私は話したくなかったんだ」

 

 

例え、僕が……そこに居なかったとしても。

笑って欲しいから。

 

 

「スティーヴン、彼女を助ける方法を……教えて欲しい」

 

 

そのためならば、僕は──



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#103 ワン・モア・タイム part2

「私がまず君の魂を剥離させ、精神(アストラル)体にする」

 

 

スティーヴンの右手に魔法陣が生まれた。

そして、空いた左手で……眠っているミシェルを指差した。

 

 

「そして、彼女の精神世界へと送り込む」

 

「精神世界……?」

 

「記憶や魂の片鱗が生み出す、彼女の心に存在する夢のような世界だ」

 

 

……結局、その返答も抽象的で理解できなかった。

 

 

「彼女の肉体は生きている……肉体、脳が作り出す精神世界から魂との繋がりを遡り、君を彼女の魂の元へ送る」

 

「……何となく、分かりました」

 

 

僕の言葉にスティーヴンが薄く笑った。

 

 

「そうだ。何となくで良い。結局の所、理屈は君にとって重要ではない」

 

 

視線を落とす。

血で汚れたまま……眠る、ミシェルの姿があった。

 

 

「重要なのは呑まれない事だ。ピーター、君は彼女の記憶の濁流へと落ちるが……そこで心を折られてしまえば──

 

 

スティーヴンが指を立てた。

 

 

「彼女を助ける話どころではない。君の精神(アストラル)体は破壊されて、完全に死亡する」

 

 

思わず、喉を鳴らした。

緊張のせいだ……怯えてなんか、いない。

 

ただ僕がそんな理由で死ねば……彼女を助けられない。

それは確かに怖い、けど。

 

 

「……そして、彼女の魂への繋がりを辿り、地獄へ向かい……魂を盗んだ悪魔(デーモン)と交渉しろ」

 

「……はい」

 

 

悪魔(デーモン)……か。

彼女の魂を盗んだ相手に交渉するなんて……何だか、馬鹿げた話だ。

 

魂の持ち主は彼女自身なのに……まるで自分のモノのように扱ってるなんて。

 

 

そう思っていると、スティーヴンが僕の目を見た。

 

 

「ピーター。時間はあまり無い……本当に良いんだな?」

 

「……はい!僕は、いつでも」

 

 

覚悟はとっくに出来ている。

助ける覚悟も、危険を伴う覚悟も、失う覚悟だって。

 

 

「……何か、言っておきたい事はないか?」

 

 

しかし、スティーヴンは気を利かせて、そんな事を訊いてきた。

 

言っておきたい事?

……そんなの。

 

あぁ、一つだけある。

 

 

「……もし、ミシェルが僕のことを訊いても……何も教えないでくれるかな?」

 

「どうしてだ?」

 

「……きっと、自分を責めてしまうから」

 

 

スティーヴンが息を吐いて、目を瞑った。

 

ミシェルは……優しいから、僕が彼女のために危険を犯したのだと知ったら……自分を責める。

 

僕はそうなって欲しくない。

彼女には笑っていて欲しいから……何にも、傷付けられる事もなく。

自分自身にでさえ……だから、こんな事を知る必要はないんだ。

 

 

「……分かった。約束しよう」

 

「ありがとう、スティーヴン」

 

 

目を開いて、僕を見た。

 

 

「……今から、君の精神(アストラル)体を分離させ、彼女の中に押し込む」

 

 

スティーヴンの手をミシェルへと近付ける。

彼女の胸の辺りに、黒く、鮮やかな色が見える穴が出来た。

 

……これが、ミシェルを助けるための、道。

 

 

「……ありがとう、ございます。無理を言って──

 

「良い。私は君を責めはしないさ」

 

 

僕と目があった。

辛そうな顔をしていた。

 

 

「さようならだ、ピーター・パーカー。君の事は……せめて、覚えてはおこう」

 

 

スティーヴンの手が僕に、触れた。

 

瞬間、何もかもがスローになった。

身体が凄く、軽くなった。

 

まるで浮き上がるような……重さを感じず、何処が下かも分からなくなって……。

 

 

ぽっかりと空いた、黒い穴へと吸い込まれた。

 

 

 

 

 

 

声、姿。

景色、思い。

匂い、感触。

喜び、怒り、悲しみ、哀れみ、苦しみ、痛み、妬み、愛おしさ、退屈さ、希望、夢、絶望。

 

全てが混ざり合って、僕に打ち付けられる。

 

 

『……っ!』

 

 

声が出ない。

 

落下しているのか、登ってるのか、それすらも分からない。

 

ただ、奥へ、奥へと入っていくのは分かった。

 

 

少しずつ、奥へ、奥へ。

 

 

真っ暗な世界の中で、煌めく幾つかの色。

歪んだ光の流れ。

記憶の奔流。

 

目を瞑っても見える世界に、圧倒されながら……僕は……僕は……光の泡を見た。

 

虹色に輝く光の泡が浮かんでいる。

 

それらの間を通り抜けて……そして。

 

 

黒く、燻んだ泡へ、飲み込まれた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

それは、真っ白な部屋だった。

毒々しいほど白く、ベッドだけ置かれた部屋。

 

そこに私は座っていた。

 

私……?

いや、違う、僕だ。

 

何をしに来たか、思い出すんだ。

 

僕は──

 

 

『13番、外へ』

 

 

13番。

それが名前……なんだろうか?

 

頭で考えるのとは別に、身体が勝手に動く。

……視点の高さに違和感がある。

 

手足も細く、短い。

 

 

……あぁ、これはきっと、ミシェルの記憶だ。

 

 

僕は……いや、ミシェルは白い服を着ていた。

簡素な、まるで病衣のような服装。

 

彼女はスピーカーから聞こえた声に従って、部屋の外に出る。

 

外には……黒い近代的なフルフェイスのマスクを被った兵士達が数人いた。

その手に武器を持っている。

 

ミシェルは彼らの後ろを追って、黙ったまま付いていく。

 

やがて、別の部屋へと入れられた。

兵士達とはそこでお別れだ。

 

 

部屋は……さっきと同じ、外壁は白かった。

だけど……赤茶色の汚れが目立っていた。

 

背後のドアが閉まった。

……音がして、ドアの上にあるランプが緑色から赤色になった。

 

 

部屋の向かい側にも、ドアがあった。

そのドアが開き……怯えた様子の女の子が現れた。

 

 

「……ひっ」

 

 

女の子はミシェルの顔を見て、怯えた。

 

 

『13番、68番、殺し合え』

 

 

スピーカーから声が聞こえた。

 

……ミシェルは目の前の女の子に向かって歩き出す。

ペタペタと、何も履いてない足が音を立てた。

 

 

「ま、待って!」

 

 

女の子が制止するように声を掛けても、ミシェルは足を止めない。

 

少しずつ、近付いていく。

 

 

「やめよ、やめようよ……!」

 

 

少しずつ、少しずつ。

 

 

「ね、だって、痛いし……怖いし……!」

 

 

近付いて……そして。

 

 

ミシェルが手を動かすよりも早く、女の子の手が動いた。

 

ミシェルは一歩引いて……彼女から離れた。

目の前に鈍い銀色の輝きが見えた。

 

それは金属製のフォークだ。

 

隠し持っていた武器で、ミシェルを攻撃したのだ。

 

 

 

「な、なに……?こうやって、隠し持ってたら悪い……?」

 

 

ミシェルは一言も発しない。

 

 

「な、何よ……あんたが先に殺そうとしたのに……!何か言いなさいよ!」

 

 

何も言わない。

 

 

焦れて、焦って……女の子が手に持ったフォークをミシェルに突き出した。

ミシェルはそれを手で逸らして、手首を掴んだ。

 

小さな、破裂音。

 

関節が折れた音だ。

 

 

「いっ──

 

 

女の子が声を出すよりも速く、ミシェルは首に拳を叩き込んだ。

足を蹴り、姿勢を崩させて、顔を殴った。

 

血が飛び散る。

 

 

「や、やめっ──

 

 

赤黒く変色した手で持っているフォークを、ミシェルが奪った。

それを……少女の目に──

 

 

やめてくれ。

 

 

僕は思わず、そう言葉を漏らそうとして……それでも声は出ない。

 

誰にも聞こえない。

 

 

血が飛び散る。

 

悲鳴が聞こえる。

 

 

「や、やだっ、痛いっ」

 

 

ミシェルは手を止めない。

 

効率的に体を破壊して……やがて、少女は黙って……震えるだけになった。

 

 

『13番、殺せ』

 

 

そして、ミシェルは……女の子の首を絞めて……。

 

 

へし折った。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

次に見た記憶は、もっと後の事だと思う。

ミシェルの手足は伸びていたし……僕の知っているように、少し人間離れした力を持っていた。

 

 

そんなミシェルの。

 

 

爪が剥がれる。

 

 

体験している僕にも、激痛が走った。

声は出ない、出せない。

だけど叫びたくなるほどの痛みだった。

 

 

ミシェルは金属製の椅子に座らせれて、拘束されていた。

 

 

『13番、問題なし。痛覚耐性訓練を続行』

 

 

スピーカーから聞こえる声を耳に入れて、黒い服を着た男が……ペンチでミシェルの爪を摘んだ。

 

 

悶えるような、激痛。

脳が焼かれるような痛み。

 

少しでも気を抜けば、意識を失ってしまうような痛み。

 

……だけど、必死に耐える。

ミシェルも経験した出来事なんだ……だから、だから、だから、耐える。

 

痛い。

辛い。

気持ち悪い。

 

色々な負の感情が胸を占める。

 

ミシェルは声を上げない。

黙ったまま、表情すら変えず……ただ、その悪感情を受け止めていた。

 

 

これは、もう起こってしまった出来事だ。

だから、助けることはできない。

 

僕は苦痛を与えられるミシェルと、同じ苦痛を追体験していた。

 

 

耐える。

大丈夫だ。

僕は耐えられる。

 

 

どれだけ折れそうになっても……僕は、彼女を助けなきゃならないから。

だから、負けない。

 

彼女の感じた痛みだから……僕は、耐えられる。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

次に見た記憶は……真っ赤な光景だった。

 

どこかの研究員らしき人をナイフで引き裂いて、バラバラにした。

 

何人も殺した。

 

逃げる人も、立ち向かう人も、命乞いをする人も。

 

 

殺した。

 

 

かぶったマスク越しに、血の臭いがした。

 

ここはどこかの研究所で……地下にあった。

出入り口だと思わしき扉は、ミシェルがドアを押し曲げて出られなくなっている。

 

逃げ場のない中で、全員殺したんだ。

 

 

彷徨うように歩いて……発砲されて反撃されても、気にせず詰めて刺し殺す。

 

体の重要な部分は避けて、何度も傷を負いながらも……殺す。

 

傷付いた体は、数分経てば元に戻っていた。

彼女は……傷が治るのは早いんだ。

 

殺して、殺して、殺して。

 

 

両手で数えられる量よりも殺して……ミシェルはふと、机の上を見た。

 

そこには……新聞だ。

死んだ研究員が持って来ていたのであろう……半分はコーヒーが溢れて読めなかった。

 

だけど上半分のアベンジャーズの記事は無事だった。

ミシェルは動きを止めて、それを見ている。

 

今まで感情らしきものを見せなかったミシェルが……熱心に新聞を読んでいた。

 

 

「……キャプテン・アメリカ」

 

 

手に取って、写真を眺めている。

 

 

「アイアンマン、ソー、ハルク」

 

 

その顔は、彼女と体験を共有している僕には見えない。

 

 

「ブラック・ウィドウ、ホークアイ……」

 

 

だけど、少しだけ……頬が緩んでいる感触があった。

それは僕が初めて感じた、彼女が笑おうとした瞬間だった。

 

血と臓物が撒き散らされた部屋で、ミシェルは……希望を見つけたんだ。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

次に見たのは、年季の入ったアパートの一室だった。

 

白い部屋から離れて……彼女はようやく、自分の時間を手に入れたみたいだ。

 

毎朝、新聞を購入して……時々、人を殺して。

 

雑誌や新聞の表紙にヒーローが写っていたら、迷わず購入して持ち帰った。

それを本棚に並べて……やがて、直ぐに本棚はいっぱいになってしまった。

 

彼女は雑誌や新聞から、ヒーローの写っている記事だけを切り取って……紙に貼り付けた。

それをバインダーで閉じて、残りは捨てる。

 

……彼女はスクラップブックを作っていた。

それを愛おしそうに撫でて……本棚に仕舞う。

 

そのままクローゼットを開き……黒いスーツを着る。

赤いヘルメットのようなマスクを被って……また、人を殺す。

 

 

何日も、何日も、そんな日が続く。

外がクリスマスだろうと、イースターだろうと、雪が降っても、雨が降っても、どんな日でも。

 

ふらりと外に出て、人を殺す。

 

数え切れないほどの屍を作って……彼女は朝刊を手に取った。

 

 

味覚がおかしくなるかと疑う程に砂糖を入れたコーヒーを飲みながら……朝刊を読んでいた。

 

ふと、手が止まった。

 

 

「あ…………」

 

 

そこにあったのは……赤と青のタイツを履いた男の写真だ。

 

変装の達人、『カメレオン』を捕まえた時の記事だ。

……僕が初めて捕まえた、凄い能力を持った悪人。

 

新聞でも大々的に載って……それをミシェルは見たんだ。

 

 

「……スパイダーマン」

 

 

名前を呼んで……新聞が少し濡れた。

雨漏りじゃなかった……だから、これは、彼女の──

 

目元を拭って、ミシェルは新聞にハサミを入れた。

その手は少し、震えていた。

 

真っ白な紙に記事を貼って……新しいバインダーに入れた。

他のヒーローとは違うスクラップブックだ。

 

それをジッと眺める。

彼女と共有している視線の隅で、鏡に反射している彼女の顔を見た。

 

……笑ってた。

過去に一度も笑っていなかったのに……ただ、新聞の記事を見ただけなのに……スパイダーマンの存在を知っただけで、笑ってたんだ。

 

それは彼女の薄暗く濁っていた感情の中に、一筋の光のように入り込んだ。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

どれほど記憶を追体験したのかは分からない。

辛い記憶ばかりだけど……時折、ミシェルは喜びを見つけていた。

 

彼女の拠り所は……僕、だった。

スパイダーマンという憧れだったんだ。

 

……少し、恥ずかしい気がした。

だけど、同時に嬉しかった。

悲しかった。

 

落ちて、曲がって、飲み込まれて……早く、彼女を助けなきゃならないのに。

 

記憶の中で……何を頼りに、彼女の元へ向かえば良いのか分からなくて、僕は……。

 

 

 

ふと、呼ばれた気がした。

 

 

声だ。

 

 

だけど、ミシェルの声じゃない。

 

 

白い光が伸びていて……。

 

いや、あれは糸だ。

 

 

それは僕を引き寄せて……僕を、引き上げる。

 

 

『こっちだ!』

 

 

それは誰だ?

……僕の声だ。

 

何で、僕の声なんだ?

姿は……?

 

赤いマスクの男。

……スパイダーマンだ。

 

僕?

 

でも、今着ているナノマシンスーツとは違う。

僕が長年着ていた布製の、ハンドメイドのクラシックスーツだ。

 

赤と青、黒い蜘蛛の巣のスパイダーマン。

古い姿の僕が、僕を引き上げる。

 

誰?

いや、僕なんだけど。

 

なんで僕なんだ?

 

 

そのまま引き寄せて……何か、別に記憶に入り込んだ。

薄暗い……真っ赤な世界。

 

 

「君は……あれ?」

 

 

声が出る。

不思議に思って首を触ると、目の前の……スパイダーマンは居なくなっていた。

 

 

……アレはきっと、ミシェルの中にあるスパイダーマンへのイメージだ。

だって、僕より少し身長が高かったし。

僕が作ったハンドメイドスーツと違って、糸がほつれて無かったし。

 

声も……何だか少し、凛々しかったし。

多分、美化されたイメージだ。

 

……僕、あんなにカッコよくないよ、ミシェル。

 

 

 

そして、ここは……記憶の中じゃないみたい。

果てしなく広がってるのは暗闇。

酸っぱいような臭い。

 

足元は……柔らかい。

肉を踏んでるような感触だ。

 

……いや、違う。

肉だ。

 

それも人肉。

死体が山積みになって、地面を作ってる。

 

この死体は……見覚えがある。

さっき見た人だ。

 

ミシェルが殺した研究員の死体。

組織で訓練していた時の女の子の死体。

邪魔して来た警官の死体。

 

……アレは?

ミステリオだ。

 

紫色のスーツ姿の男もいる。

 

 

眉を顰める。

 

 

「……随分と悪趣味なインテリア」

 

 

柔らかい感触を足に感じながら……僕は足を進める。

何処に向かって?

 

分からない。

だけど、何となく……こっちだって、超感覚(スパイダーセンス)が呼んでいる。

 

強烈な悪意が、そこにある。

 

きっとそれが──

 

 

『よく来たな、ピーター・パーカー』

 

 

悪魔(デーモン)って奴なんだろう。

 

暗闇が晴れて……空が赤く染まる。

まるで血の色だ。

 

……それにしても、ピーター・パーカー……か。

 

 

「どうも、僕って有名人なのかな?」

 

 

油断はしない。

恐れていないと態度で示す……軽口を叩きつつ、状況を見定めるんだ。

 

 

『あぁ、有名人だとも……』

 

 

真っ赤な肌をした……赤いマントを羽織った男。

大きさは……3メートルはある。

2本の尖った耳、鋭い牙……充血した瞳のない目。

 

僕の中にある悪魔のイメージ、そのままだ。

 

 

「そっか、じゃあサインでも──

 

『そんな話をしに来た訳ではない。違うか?ピーター・パーカー』

 

 

軽口を咎められて……思わず黙ってしまった。

得体の知れなさが、目の前の悪魔から感じられた。

 

超感覚(スパイダーセンス)も鳴り続けている。

今直ぐここから逃げ出せと、本能はそう言ってる。

 

だけど……逃げ出さない。

 

 

「……お前が盗んだ魂を返して欲しい」

 

 

ミシェルを助けなきゃならない。

 

 

『……人の運命を決めるのは、ほんの些細な出来事だ。小さな躓きが命を落とす事にもなる。あの女もそうだった……遅かれ早かれ……ならば、後悔せず死ねる時に死ぬべきではないか?』

 

「……何を言ってるか分からないな」

 

『建前の話だ。私には未来が分かる……あの女は生きていれば不幸を振り撒き、己を傷付ける。それは不幸、喪失、苦痛、絶望、悲哀……私の好むものだがね』

 

「……何が言いたい」

 

 

僕の言葉に、目の前の赤い悪魔が笑った。

いいや、嘲笑った。

 

 

『分かろうとしない。いや、分かりたくない……か?』

 

「……御託はどうでも良いんだ。僕は彼女の魂を連れ返しに来たんだ」

 

『知っているとも。私は全知だ』

 

 

悪魔(デーモン)が握っていた手を開くと、ぼんやりと光る白い靄が見えた。

……あれが、ミシェルの魂、なのか。

 

 

『ミシェル・ジェーン……お前達がそう呼ぶ物の魂は、ここに』

 

「……僕の魂を代わりに──

 

『断る』

 

 

狂気的な笑みで僕を見下した。

 

 

『そんな取引は……もう、何百年も前に辞めた。誰かを救ったと誇る魂の味の、なんと下劣な事か』

 

 

いつの間にか現れた人骨で出来た玉座に、悪魔が座った。

 

 

『なにも、おもしろくない』

 

「……それなら、何を──

 

『私が欲しいのは、ちっぽけな魂なんかよりも遥かに大きいモノだ。個々の魂を奪っても得られない甘美なモノ……そのために、この女の魂を奪った』

 

 

僕は眉を顰めた。

……ミシェルの魂を盗んだのは……目的じゃなかった?

僕をここに誘き寄せて……より大きなものを取引させるために盗んだんだ。

 

 

『私が欲しいモノは、お前に喜びを与えるモノだ。お前が立ち上がる時に必要な心だ。記憶だ。存在だ。願いだ。愛だ』

 

 

真っ赤な指が、僕を指差した。

 

 

『私は、それを踏み躙りたい』

 

 

物静かな地獄では風も吹かない。

時間の流れも主観的なものに頼るしかない。

 

だから、長い間……黙っていた気がした。

だけど、覚悟を持って……僕は頷いた。

 

 

「いいよ」

 

『……ふむ?』

 

「条件を……欲しいものを言ってよ」

 

 

ニタリ、と悪魔が笑った。

 

 

『奪うのはお前の持つモノではない』

 

 

指を鳴らした。

稲妻のような音がした。

 

 

『世界から、お前の痕跡を消す。お前の積み上げてきた物を全て消す』

 

「……それって──

 

『誰もお前を知る者は居なくなる。お前の名や姿が刻まれた物から姿を消す』

 

「……そんな事したら、矛盾が──

 

『出来ない。シュトーレンのように真ん中を切られ……左右がくっ付くだけだ。矛盾なく、そうであったのだと誰もが認識する。世界すらも』

 

 

狂気的な笑みを浮かべて、悪魔が僕を見た。

 

 

『さぁ、どうする?ピーター・パーカー。お前の築き上げて来た愛も、名声も……全てを──

 

「分かった。具体的にどうすれば良い?」

 

 

僕は頷いて……悪魔が少し、驚いたような顔をした。

 

 

『……クク、ク、思ったより早い返答だ。事の重大さが分かっていないのか?』

 

「いいや、分かってるよ……」

 

 

僕は首を振った。

 

失う事は怖くない。

僕はずっと失ってばかりだった。

 

大切な人も……失った。

今度は僕が失う番なんだ。

 

命じゃないだけマシさ。

何も怖くなんかない。

 

グウェン、ネッド、ハリー、スタークさん、メイ叔母さん……ミシェル。

忘れられても、生きていてくれるなら……それで良い。

 

 

『素晴らしい自己犠牲精神だ。それを滅茶苦茶に出来るのが……最高の娯楽だ』

 

 

悪魔が両手を宙に掲げた。

握られていた白い魂が宙を漂い、姿を消した。

 

 

「ミシェル……!」

 

『そう不安になるな。彼女の魂は肉体に返してやった……じきに目を覚ますだろう』

 

 

安堵して、息を吐いた。

 

 

『悪魔は契約に忠実だ……私は特に、な』

 

 

両手から赤い稲妻が放たれた。

それは僕と悪魔を中心として回転し、音を響かせる。

 

 

『我が名は『メフィスト』。悪魔の王。その契約を以って、お前の愛し、守って来た世界を歪めよう』

 

 

光が幾重にも輪を作る。

 

スティーヴンの作っていた魔法陣よりも大きく、複雑な模様が刻まれる。

 

眺めていると……悪魔、メフィストが口を開いた。

 

 

『あぁそうだ。ピーター・パーカー?』

 

「……何?はやくしてくれないかな」

 

 

悪魔の囁きに耳を貸すなって……どこかで偉い人が言っていた。

だから、聞くべきじゃないのだろう。

 

 

『先程の契約に一つ、譲歩してやろう……このままでは、少々私が貰い過ぎている』

 

「何を言って──

 

『だから、一人だけ。そう、一人だけ……この現実改変から取り除いてやろう』

 

 

それは思わぬ提案だった。

息を呑んだ。

 

……一人だけ。

一人からは忘れられない。

 

 

『さぁ、どうする?』

 

 

脳の中で何人もの人の顔が巡る。

誰を?

 

誰かを……。

 

 

僕の悩んでいる姿を見て、メフィストが愉快そうに笑った。

……あぁ、人の苦悩が大好きだって言っていたな。

この提案も僕を揺さぶる為の思いつき、なのだろう。

 

本当に気分が悪い。

 

 

「決めたよ」

 

 

悩んだ末に、一人の顔を思い付いた。

 

 

『ふむ』

 

「────の記憶は消さないで欲しい」

 

 

一人の名前を答えた。

 

その答えを聞いて、メフィストは……頬を緩めて、笑った。

 

 

『フ、クク、なるほど……どこまでも、自己犠牲の男だな。ピーター・パーカー』

 

 

僕らを取り囲む光が弾けて、地獄を照らす。

 

 

『取引、完了だ』

 

 

少しずつ、光が失われて、視界が真っ黒になっていく。

何かに引っ張られる感覚と共に……目を開けているのか、閉じているのか分からないまま。

 

暗闇の中に……僕は沈んだ。

 



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#104 ワン・モア・タイム part3

私は目を開いた。

 

白い光に目を細めて……。

布団を手で払った。

 

胸に手を置いた。

……脈打っている。

 

心臓がある。

傷はない。

生きてる。

 

 

「なんで……?」

 

 

喉に痛みを感じつつ、周りを見る。

両腕にチューブが突き刺さっている。

 

何かが身体に送り込まれている。

……でもきっと、これは私を害する物ではない。

 

白いパネルで覆われた部屋は……病室、と呼ぶには些か近未来的過ぎた。

 

 

……脳が目覚めて行く。

 

そして……何が起こったのかは「分からない」事に気付いた。

 

 

「っ……!?」

 

 

私は心臓を爆破されて……それで、それで……どうして、こんな所にいる?

ここは何処だ?

 

……分からない。

そもそも、どうして爆発した?

爆発する寸前、私はどうしていた?

誰がいた?

 

 

……私の記憶能力は、血清によって強化されている。

記憶が抜け落ちるなんて事はない、筈だ。

 

 

分からないのに……どうして、私は不安にならない?

まるで、何もなかったかのような……一週間前の朝食のように、どうでもいいかのような気持ちでいる?

 

 

……兎に角、今は、この状況を把握する事が──

 

 

 

ドアが開いた。

スライド式の自動ドアだったようで……一人の男が入って来た。

 

厳つい顔をした、身長の高い……眼帯を付けた男。

 

知っている。

『S.H.I.E.L.D.』の長官──

 

 

「ニック・フューリー……?」

 

「目が覚めたな」

 

 

フューリーが護衛も付けず……部屋に入ってくる。

隅にあった椅子を手に取り、私の前に置いた。

 

何故、こんなにタイミング良く……?

視線を逸らし、天井辺りを見る。

強化された視力で注視すれば……黒いレンズが光を反射していた。

 

小型の隠しカメラか?

 

 

私がフューリーに視線を戻すと、彼は椅子に座り……私のすぐ側に居た。

 

 

「私は──

 

「三日も寝ていたぞ?」

 

 

眉を顰める。

質問する前に答えが来たからだ。

 

 

「ここは何処だ?」

 

「『S.H.I.E.L.D.』の基地だ。それ以上は詳しく言えない」

 

「……何故、私をここに?」

 

「随分と大怪我をしていたからだ。覚えていないのか?」

 

 

そう言われて……私は自身の胸元を病衣越しに触った。

傷一つない。

 

あの爆発は幻覚だったという方が、辻褄が合うぐらいだ。

 

だが、この男がそう言うのであれば……事実なのだろう。

 

 

「……いや、覚えている。だからこそ、不可解だ」

 

 

確実に死ぬほどの重傷だった。

治癒因子(ヒーリングファクター)では再生が間に合わないほどの、重傷だ。

 

死んだ筈だ。

 

 

「腕の良い医者が居る」

 

「…………」

 

 

どうやら、私に詳しい情報を与えるつもりはないらしい。

 

だが、重要なのは、もう一つある。

 

 

「どうして生かした?」

 

 

……私は布団を握りしめる。

 

フューリーは私の言葉に不可解そうな顔をした。

 

 

「死にたかったのか?」

 

 

私は……死にたかったのか?

あぁ、いや……違う。

 

私は……生きたかった筈だ。

 

 

「いいや──

 

 

フューリーの言葉に首を振る。

 

 

「違う──

 

 

私は生きたい。

死んだら……死んだら?

あれ?

 

 

「筈だ……」

 

 

生きて……生きて、何をしたかったんだ?

何故、生きようと思ったんだ?

 

 

私の様子を見て、フューリーが深く息を吐いた。

 

 

「……どうやら、少し混乱しているようだな」

 

 

私は自分の口元に手を置く。

……心臓に受けたダメージで、脳への酸素供給が足りず、ダメージを受けたのか?

 

いや、だが……それこそ、命に別状がない傷ぐらいなら、脳だろうが内臓だろうと、治癒因子(ヒーリングファクター)が完治させる筈だ。

 

 

少しの間、フューリーは黙っていた。

黙って、私の事を待っていた。

 

 

……心拍数も落ち着いてくる。

悩んでいても分からない事は……今は重要ではない。

 

 

「落ち着いたか?」

 

 

フューリーが声を掛けてきて、私は頷いた。

 

 

「そうか……」

 

 

しかし……らしくない。

ニック・フューリーは知略を張り巡らし、目的のためなら何でもする男だった筈だ。

 

それが……どうして、まるで私を気遣うような素振りを見せる?

 

いや、そもそも。

 

 

「私は……どうなる?」

 

「どう、とは?」

 

 

フューリーが惚けたような事を言って……私は俯いた。

 

 

刑務所(ラフト)に収容されるのか?それとも、死刑か?」

 

 

殺してきた人数を考えれば……刑務所への服役だけ済むかも怪しい。

 

私はカーネイジ……クレタス・キャサディよりも多くの人間を殺している。

死刑になっても、おかしくはない……寧ろ、そちらの方が可能性は高い。

 

私の発した言葉に……フューリーは返答しなかった。

不思議に思って顔を上げれば……フューリーは目を細めていた。

 

怒っている訳ではない。

……何だ?

 

哀れみ、か?

 

 

「いいや、罪には問わない」

 

「……何故だ?」

 

 

首を傾げる。

 

『S.H.I.E.L.D.』は公的な機関だ。

平和維持組織だ。

犯罪者の身柄を確保すれば……この国の法で裁くのがルールの筈だ。

 

不可解そうにする私に、フューリーが苦笑した。

 

 

「……もし、マインドコントロールされて殺人を犯した者がいたら、君は罪を問うか?」

 

 

突然、そんな事を聞かれた。

 

……ネッドの事か?

そんなもの……罪には問えない。

 

だが、今はその話をしている訳ではないだろう。

それなら……あぁ、何となく、理解した。

 

眉を顰める。

 

 

「私はマインドコントロールなど、されていない」

 

「マインドコントロールされている人間は、皆、そう回答する」

 

「違う。私は、私の意思で人を殺した」

 

「そうは見えないが?」

 

 

フューリーが薄く笑った。

馬鹿にされたと思い、苛立つ。

 

口を開こうとして……先にフューリーが言葉を発した。

 

 

「なら、聞こう。人殺しを楽しんでいたか?」

 

「それは……」

 

 

口を、噤む。

 

……楽しい訳がない。

自ら殺そうとした相手も……友人を傷付けられた怒りからだ。

だが、それは言い訳にならない。

 

返答しない私を見て、フューリーがため息を吐いた。

 

 

「露悪的に振る舞うのは辞めた方が良い」

 

「……違う、私は本当に悪人で──

 

「悪人は自らを悪人と言い張り、裁かれようとはしない」

 

 

……話していると、苛立つ相手だ。

 

ニック・フューリー。

コイツは本当に口は達者だ。

 

口論で勝てる気がしない。

……それとも、私の言動が支離滅裂なのか。

 

また、ため息が聞こえた。

 

 

「全く、重症だな……メンタルケアが必要だ」

 

「私を病人扱いするな……」

 

「凄んでるつもりだろうが、全く怖くないぞ?」

 

 

フューリーが笑った。

そして、黒いコートの下からタブレットを取り出した。

 

 

「一先ず、その話は後にしよう」

 

「……チッ」

 

 

舌打ちするが、フューリーに無視される。

 

 

「君の身分登録の事だが……」

 

「……身分登録?」

 

「死んだ扱いになっているだろう?」

 

 

そう言われて……あぁ、そうか。

私は自身のLMD(ライフ・モデル・デコイ)を分解し……偽装死亡したのだ。

 

だから……死亡届が出されているのか。

ミシェル・ジェーンは公的に死者として扱われている……という事だ。

 

 

「だから、過去に遡って新たな身分証を作る」

 

 

……『S.H.I.E.L.D.』なら身分証を偽装するぐらい容易いという事か?

いや、『S.H.I.E.L.D.』は国家に認証された組織だ……偽装ではなく、作れるのか。

 

 

「必要ない」

 

「いいや、この国で生きるのなら必要だ」

 

 

……フューリーは私をどうするつもりだ?

混乱していると、彼は無理矢理話を進めた。

 

 

「まず、名前だ。どうする?」

 

 

フューリーが手元のタブレットに顔を向けたまま、私に目を向けた。

 

 

名前。

 

私を指し示す固有の名前は……『レッドキャップ』だ。

だが……それ以外にも、幾つか名前があった。

潜伏場所を変える度に、偽名を変えてきたからだ。

 

だが、そうか。

一つだけ……一つだけ、特別な名前がある。

そう呼ばれたいと思う名前が。

 

私の──

 

 

「私の名前は……ミシェル──

 

「…………」

 

「『ミシェル・ジェーン』だ」

 

 

フューリーがタブレットに入力する。

それを見ながら……一つ、思い出した。

 

記憶の中から……私の兄の言葉を。

 

『僕の本名は『フランクリン・ワトソン』だ』

 

……そうだ。

私は、もう一つ名前がある。

 

 

「それと……『ワトソン』」

 

「……ふむ、そうか」

 

 

彼は顎に手を置いて、タブレットを私に見せた。

そこには……名前が書かれていた。

 

『ミシェル・ジェーン=ワトソン』

 

私の名前だ。

 

 

「……それでいい。いや、それがいい」

 

「分かった」

 

 

フューリーがそのまま、年齢や、性別の項目を入れる。

 

生年月日を問われて……思いつかなかった私は、『ミシェル・ジェーン』の誕生日を答えた。

兄が選んでくれた誕生日だ……それを残しておきたかった。

 

そうしてタブレット内に情報が埋まっていき……住所の欄で手を止めた。

 

そして、フューリーが私に視線を向けた。

 

 

「ミシェル・ジェーン……君には二つの選択肢がある」

 

「選択肢……?」

 

「そうだ」

 

 

フューリーは強面の顔を引き締めて、口を開いた。

 

 

「一つは……ニューヨークの市内に戻り、平凡な日々を過ごす事だ」

 

 

元、の?

帰れる、のか?

あの場所に?

 

一瞬、私は内心が穏やかになって……唇を噛んだ。

 

 

「無理だ……私は──

 

 

私はもう自覚している。

罪を……自身の醜悪さを。

 

それを隠して、生きていく事は出来ない。

 

 

「もう一つは……『S.H.I.E.L.D.』で働く事だ」

 

「……何を言ってる?」

 

「言葉通りの意味だが?」

 

 

不可解そうにフューリーが首を傾げて……余計に苛立つ。

 

 

「……私は、『S.H.I.E.L.D.』のエージェントを殺した事もあるんだぞ」

 

「よくある話だ」

 

 

思わず、フューリーの顔を見た。

 

 

「……私は、そんな──

 

「急ぎ過ぎたな……結論は今じゃなくてもいい」

 

 

フューリーが席を立ち……私は彼を見上げた。

 

 

「時間には余裕がある……ゆっくりと考えるといい」

 

 

椅子をそのままにして、フューリーはベッドから離れて行く。

 

 

「……フューリー」

 

 

……一つ、ずっと抱いていた疑問をフューリーの背中に問い掛ける。

 

 

「どうして私に……優しくしようとする?」

 

 

フューリーは足を止めて……振り返った。

黒いコートが揺れる。

 

 

「一番は、君が被害者だというのもあるが……もう一つは──

 

 

目を細めた。

悔やむような顔をしている。

 

 

「罪滅ぼしだ」

 

 

私に理解できない返答を返して……フューリーは自動ドアを開けた。

そして……ドアの外で横を見て口を開いた。

 

 

「もう入って良いぞ」

 

 

その言葉を聞いて……一つの人影がフューリーの横を通り……部屋に入ってきた。

 

 

金髪と、黒のカチューシャ。

 

 

……思わず、顔を強張らせた。

見たい顔だが……見たくない顔だ。

 

会いたかった気持ちと、会いたくなかった気持ちが胸の中でぐちゃぐちゃになって……私の脳を停止させた。

 

 

「ミシェル……」

 

 

グウェン・ステイシーだ。

その顔は……思わず、目を逸らす。

 

どんな顔をされているのか分からない。

 

足音が聞こえる。

近付いて来てるのは分かる。

 

だけど、それでも顔を合わせられる自信がなかった。

 

きっと、グウェンに嫌われてる。

グウェンは私を嫌いになっている。

それを自覚したくない。

 

 

呼吸が荒くなって……汗をかいている。

緊張のあまり、呼吸しているのに息苦しくなる。

 

そのまま、グウェンがわたしに近付いて──

 

 

頭を抱きしめられた。

 

 

「あ、え……?」

 

 

想定外の反応に……私は顔を、向けた。

 

グウェンは泣いていた。

ぼろぼろと涙を流していた。

 

……彼女が泣いているのは、久々に見た。

強気な彼女が泣くのは、珍しかった。

 

 

「ミシェル……」

 

 

正面から……強く背中を撫でられた。

そして耳元で声が聞こえた。

 

 

「私……ミシェルの目が覚めたら……めちゃくちゃ叱ろうと思ってた……」

 

 

愛おしそうに、撫でられる。

 

 

「何で黙って何処かに行こうとするのって……何でそんな事を……私を信じてくれなかったのって……」

 

「あ、ぅ……」

 

 

二つの腕が私を包む。

 

 

「でも……起きてる所を見たら……それどころじゃなくなっちゃった……」

 

 

私を抱きしめていた手を緩めて……正面で顔を突き合わせた。

 

 

「ミシェルが……死ななくて良かった……本当に……本当に」

 

 

泣いてる。

 

誰が?

 

グウェンだ。

……私も。

 

視界が歪む。

 

互いの背中に手を伸ばしている所為で……私は涙を拭えなくて溢れる。

ぽつり、ぽつりと、雨のように布団を濡らした。

 

 

「……ごめん、なさい……グウェン」

 

「良いよ……私の方こそ……辛かったのに、気付けなくてゴメンね」

 

 

抱きしめられる。

温かい。

 

ちょっと熱いぐらい。

 

それは人が生きている熱で……命の熱さだ。

彼女から感じる熱と……私の奥底から感じる熱。

 

 

それが堪らなく嬉しくて、涙が止まらない。

 

 

「ごめん、グウェン……ごめん、私……」

 

「いいよ……いいから……大丈夫」

 

 

お互いにもう、何を謝ってるのか……何を許してるのかも分からない。

 

 

「ごめんね……グウェン……もう……」

 

「うん、大丈夫だから……」

 

 

だけど感情が溢れて……二人で抱き合って。

心地よい熱に浮かされて。

 

涙が止まらなかった。

 

相手の息も、鼓動も感じて。

 

 

「おかえり、ミシェル」

 

 

……私は、泣いた。

子供のように……声を漏らして泣いた。

 

何も分からず、何も考えず……今はただ、感情に流されて……泣き続けた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

私は、ドアのすぐ側で背を向けて……壁にもたれ掛かっている男を見つけた。

 

 

「フューリー」

 

 

私が小さく、そう呼びかけると顔をこちらへ向けた。

 

 

「……キャプテン」

 

 

そのままフューリーへ近づき……部屋の中の様子が、マジックミラーの窓越しに見えた。

 

レッドキャップ……彼女が、友人と抱き合って泣いていた。

その表情は子供のようで……実際、歳もまだ若く、成人してもいない。

年相応の泣き顔だった。

 

強く抱きしめあってる姿を見て……目を逸らした。

盗み見るのは性格が良いとは言い難い。

 

 

私が部屋の前を通り過ぎると、フューリーが顎で指し示した。

 

 

二人で廊下を歩く。

フューリーが先に口を開いた。

 

 

「君も様子を見に来たのか?」

 

「あぁ……だが──

 

 

流石に、あの状況では入れないな。

 

言外にそう込めると、フューリーも苦笑した。

 

 

「キャプテン、彼女は精神面に大きくダメージを負っている」

 

「だろうな」

 

「メンタルケアが必要だ」

 

 

フューリーが私に顔を向けた。

……片方の眉が上がる。

 

 

「……私は精神科医じゃないぞ?」

 

「だが、PTSD(心的外傷ストレス障害)には詳しいだろう?」

 

「人より少し、というぐらいだ」

 

 

確かに……昔、私が戦場を駆けていた頃は、日常茶飯事だった。

命の奪い合いは……精神に異常を来たし易い。

 

そう言った人間の戦意を向上させて、勇気付けさせる……それは国のシンボルである私の仕事だった。

 

だが……医者ではない。

 

 

「それでも構わない。今は何をされるかよりも、誰がするかというレベルだ」

 

「……それほどまで、なのか?」

 

「彼女は組織で精神安定の技術を教え込まれている……それが逆に、今の状況から改善を遠ざけている」

 

「……潰れて尚、人に迷惑を掛ける組織(やつら)だ」

 

「白いシーツに染み付いた汚れと一緒だ。付着し易く、落ち難い」

 

 

フューリーがそう言いながら、頬を緩めた。

……私は思わず、口を開いた。

 

 

「彼女を今後、どうするつもりだ?」

 

「……さぁ、どうだろうな」

 

 

煮え切らない回答に、首を傾げた。

 

 

「らしくないな」

 

 

フューリーは何でも計算通り、事を運ばせようとする人間だ。

そんな彼が、無計画だとは思えなかった。

 

 

「彼女が道を選ぶ。私は選択肢がある事を教えるだけだ」

 

「……本当に、らしくないな」

 

「不快か?」

 

「いいや、そうは言ってない」

 

 

寧ろ、普段からそんな態度なら……もう少し、信用されそうなものなのに。

 

私は笑いながら口を開いた。

 

 

「だが……そうだな、『自由』か。彼女はもう、どこにだって飛んでいける」

 

 

そして、飛び方を教えるのは……大人の仕事だ。

 

 

「だから、フューリー。私も手伝おう」

 

「あぁ、頼りにしている。キャプテン」

 

 

世界を救うより小さく……しかし、大きな目標を成し遂げた私達は、未来への希望を感じていた。

 

人助けこそ、ヒーローの本懐だ。

暗闇に沈んでいた彼女を助ける事が出来た。

後は……彼女が光の下で歩けるように手伝うだけだ。

 

そこから先は……彼女の選ぶ道だ。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

……深く、深く抱き合って。

しばらくそうやって抱きしめ合って。

泣いて、謝って、許されて。

 

互いに離れた。

 

 

「……ふぅ……でも本当に良かった」

 

「……ん」

 

 

グウェンは部屋の隅にあるウォーターサーバーから水を取って、持って来た。

私の分もだ。

 

探す素振りもなく取って来た事から……この部屋に何度か来た事があるのだと察した。

……きっと、寝ている私の様子を見に来てくれていたのだろう。

 

口をつける。

 

 

「スッキリした?」

 

「……ありがとう」

 

 

数日間寝ていたから、こう、喉の粘液が少し乾いていて違和感があったのだ。

水が美味しく感じる。

 

……目の前のグウェンを見る。

仄かに笑っている。

 

それは……最後に会った時と、同じ笑顔だ。

 

 

「あ、そういえば──

 

 

グウェンが両手を合わせて、思いついたって顔をする。

私が首を傾げると──

 

 

「ミシェルの仕事仲間も昨日まで入院してたわ」

 

「仕事仲間……?」

 

 

首を傾げる。

誰の事だ?

 

 

「ほら、あの……柄の悪くて、黄色い──

 

「ハーマン?」

 

「あ、そうそう。その人」

 

 

……そっか。

ハーマンも、私を助けようと……戦ってくれたのか。

 

気付いてなかったけど……。

 

 

「今度会ったら、お礼……言おうかな」

 

 

会えるか……よく分からないけど。

今後、どうなるのか……分からない。

 

私自身も、どうしたいのか分からない。

ただ、犯した罪を償いたいという気持ちはある。

 

胸に残る罪悪感。

そして、『幸せに生きなければ──

 

 

首を傾げる。

起きてから時折り、爆破される前では考えなかったような考えが幾つも湧いてくる。

 

それは、何故だ?

 

 

「あ、あと、もう一つあった」

 

 

グウェンの言葉に気を取られて、疑問は霧散した。

 

グウェンはベッドの横に置かれている小さな棚、その一段目を引いた。

中に入っていた物を取り出して、私の前に見せる。

 

 

「ほらコレ、ミシェルの着ていたスーツの中に入ってたんだって」

 

 

あ……そういえば、私のスーツは何処に行ったのか?

押収されたのだろう……か?

少なくとも、私のような信用できない人間の周りに置いている筈がないか。

 

そう思いながら、見せられた物を確認する。

 

 

一つは……写真。

 

私の誕生日会に撮った写真だ。

私と、グウェン、ネッドの三人の写真だ。

……縁に血が付いてしまったのか、赤黒くなっていた。

 

 

「……ミシェル、随分大事にしてくれたんだね」

 

「…………ん」

 

 

照れ臭くなりながらも、頷いた。

 

そして、口を開いた。

 

 

「私、あの時……みんなとは二度と会えないと思ってたから……」

 

「ミシェル……」

 

「せめて、この写真だけは……って」

 

 

そう。

この写真は……私達が友達だった証だ。

これだけは捨てて行けなかった……。

 

……あ。

 

 

「この写真撮ったの……誰、だっけ?」

 

「うん?覚えてないけど……ま、誰でも良くない?」

 

 

そう言って、グウェンが事もなさげに頷いた。

……何か隠し事をしてるって雰囲気じゃない。

 

写真に写ってる私、グウェン、ネッド……その他に誰が?

カメラの自動シャッターだとしても……私達は、そんなカメラを持っていただろうか?

 

分からない。

知らない。

微かな矛盾が脳を刺激する。

 

 

だけど、グウェンは、まぁ分からなくても良いかなって諦めている。

 

私も……この話をやめて、もう一つスーツに入ってた物を確認する。

 

 

もう一つは……何だろう。

砕けた……ガラス片だ。

砕けてしまった青色と……白く濁ってしまった花弁が並んでいる。

 

 

「あぁ、それはちょっと……壊れちゃった?」

 

「……うん」

 

 

ネックレスとして首から下げていた。

スーツの中で……心臓の爆弾が爆発した時に、巻き込まれてしまったのだろう。

 

 

破片を並べて、元の形に戻していく。

青と白のバラの花。

ガラスで出来た綺麗な造花のアクセサリー。

 

 

「…………」

 

 

何で、これを大切なものだと思ったのだろう。

安物のアクセサリーだ……友達との写真に並べるほどに、私が大切にする理由は何だ?

 

私はこれを何処で購入した?

……旅行先で買ったんだ。

 

そんな記憶が……曖昧な記憶、いや思い込みのような物がある。

 

どうして買った?

私は、こんなものを買う人間ではない。

 

自分で買っただけのアクセサリーを、大切にする人間じゃない。

 

 

「青と白のバラね……」

 

 

グウェンが携帯端末を弄る。

何かを調べているようだ。

 

 

そして、私は……。

砕けたガラスのカケラを眺めている。

 

 

……何か、忘れている?

 

 

何を忘れてる?

何を失った?

 

 

……私は今、満たされている筈だ。

親友と一緒に並んで、これからの未来を考えている。

 

私のような人間が……欲しいものを全て、手に入れてしまった筈だ。

取りこぼした物はない筈だ。

 

 

なのに、何故?

 

この得体の知れない損失感は。

胸にポッカリと空いてしまった空白は。

 

 

何か……大切な物を、忘れている気がする。

 

 

「あ、ミシェル、ほらこれ」

 

 

グウェンが見せた端末の画面には、青と白のバラの写真。

色の混ざってしまったバラ……その、花言葉。

 

 

 

 

『あなたを忘れない』

 

 

 

 

そう願いが込められた、バラを模したアクセサリーは……砕け散っていた。



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#105 アメイジング・ファンタジー

僕は目を開いた。

 

パチパチと音を立てて、電球が光を放っている。

布団を手で払った。

 

欠伸を一つ。

 

壁にかけられた冬物の服だったり、絨毯だったり……拷問器具。

サッカーボールぐらいの大きさの目玉のホルマリン漬けとか……カチカチうるさいメトロノーム。

何かの動物の皮で出来た本、木の棒。

 

倉庫のようになっている部屋で僕は目を覚ました。

 

……匂いを嗅ぐ。

ちょっと臭いし、何かの薬草っぽい臭いもする。

 

埃っぽいソファから降りて、体を左右に振る。

バキバキと関節が鳴った。

 

歪んだメロディーを奏でる階段を登ると、広間に着いた。

 

 

「……もう、行くのか?ピーター」

 

 

階段の上に、薄手のコートを着たスティーヴンがいた。

手にはマグカップ……コーヒーだ。

 

 

……僕がメフィストとの契約で例外に選んだのは『スティーヴン・ストレンジ』だ。

 

グウェンやネッドを選ぶ事は出来なかった。

彼等を選べば、ミシェルに話が漏れてしまう可能性がある。

そうじゃなくても、嘘を吐く辛さを背負わせてしまう。

 

選ぶ『例外』とはつまり、僕と秘密を共有する共犯者を選ぶ事だった。

 

誰にするか……頭の中で色々な人の顔が思い浮かんだ。

 

……スティーヴンは『覚えておこう』と言っていた。

ミシェルには『話さない』と約束してくれた。

 

そして、彼とはそれほど……他の人よりは親しくない。

その日、出会ったばかりの人だからだ。

 

だからこそ、僕に必要以上に気負わないと思った。

 

……だから、スティーヴンを選んだ。

思い付いたきっかけは、彼が僕を『覚えておこう』と言った言葉だったけど。

 

結果的にこの選択は正しかった。

何故ならメフィストとの契約後、僕は地獄に精神を取り残されてしまったからだ。

 

奴はミシェルの魂は返したけれど、僕を現実世界へ帰らせるとは言ってなかった。

スティーヴンが覚えていて、僕を地獄から引き上げていなければ……どうなっていただろう?

 

少なくとも、今ここに立ってはいない。

 

 

「……でも、いつまでもここに居るのも……申し訳ないし」

 

 

階段の上を見上げる。

大きな円形の天窓は、魔法陣のようなマークが書いてある。

 

サンクタム・サンクトラム。

ニューヨークに存在するスティーヴンが住む拠点だ。

……拠点として以外にも、邪悪な存在を封じ込める結界の役割があるとか。

そういう意味でもスティーヴン以外の魔術師だってよく来る。

 

というか、スティーヴンは至高の魔術師(ソーサラー・スプリーム)という役職だから、カマー・タージ?って呼ばれてる遠い場所にある聖地の管理とかで忙しい。

 

僕がいつまでも、ここに居て良いとは思えない。

彼は多忙だ。

 

 

「別に迷惑ではない。そもそも、行く当てはあるのか?」

 

 

僕は視線を逸らした。

 

正直に言うと、無い。

そもそも、この世界に僕の居場所なんてないだろう。

 

前に住んでいたアパートの自室は、入居者募集中になっていた。

学校の在籍リストからも無くなっている。

……実家の、メイ叔母さんに挨拶しても「初めまして」と返されてしまった。

 

 

無くなってしまった。

家も、家族も……友人も。

何もかも、無くなった。

 

 

僕の顔を見て、スティーヴンはため息を吐いた。

 

 

「……君はまるで『幸福の王子』だな」

 

「何ですか?それ」

 

 

聞き覚えのない言葉に聞き返す。

 

 

「知らないのか?童話だ……昔、妹に読み聞かせた事がある」

 

 

スティーヴンは笑って、そう答えた。

 

 

「妹がいるんですか?」

 

「あぁ、妹がいたんだ……弟もだ」

 

 

しかし、その笑顔は少し薄暗い。

 

……いた、か。

今はもう、いないのだろう。

 

スティーヴンは僕の顔を見た。

 

 

「『幸福の王子』は金や宝石で出来た王子の像だ」

 

「……そんな大それた人間じゃないですよ、僕は」

 

 

僕の言葉を聞いて、スティーヴンが僕を鼻で笑った。

 

 

「王子の像は貧しい民のために、身体を構成する金や宝石を配り……見窄らしくなってしまう」

 

「…………」

 

「自らを顧みず、人の幸せを願う君に……似ていると思うが、どうかな」

 

 

目を、逸らした。

 

 

「……その王子の像はどうなるんですか?」

 

「助けていた筈の市民に、溶かされてしまう」

 

 

……酷い話だ。

そう思った。

 

 

「だが、最後は……あぁ、いや。それが本題ではない。内容のない雑談になってしまったな」

 

 

スティーヴンが指を鳴らした。

皮でできた財布が僕の手元に落ちてきた。

 

 

「当分はこれで生活すると良い」

 

「え?これ……」

 

「僅かばかりの金銭が入っている」

 

 

開けると……大量の紙幣が入っていた。

全然『僅か』じゃない。

はち切れそうな程入っていて……贅沢しなければ、半年は暮らせるお金だ。

 

 

「そんな、貰えないですよ!」

 

「安心しろ。それは魔法で作った物ではなく、私のポケットマネーだ」

 

「そういう訳じゃなくて……」

 

 

僕が受け取れないと言ってるのに、何故か呆れたようにため息を吐いた。

 

 

「なら貸しでいい。無利息で……私が死ぬまでに返してくれればいい」

 

 

だけど、それは実質──

 

もう、反論する事は諦めた。

数日間、スティーヴンと暮らして分かったけど彼は絶対に自分を曲げない。

スタークさん以上に頑固なんだ。

凄く、我が強い。

 

だからこそ、分からない事がある。

 

 

「……どうして、ここまでしてくれるんですか?」

 

 

スティーヴンと出会ったのは、数日前が初めてだ。

拠点に僕を泊まらせてくれて、勝手に出て行こうとする僕の生活費の工面までしてくれた。

 

それが何故か、分からない。

 

 

「君の『選択』を促したのは私だ。そして、その『選択』を共有したのも私だ」

 

「でも、それは僕が──

 

「選択には代償が伴う。そして、君の代償には私の責任が伴う。君なら分かるだろう?」

 

 

スティーヴンが仄かに笑った。

 

 

「君が他人を助ける事に躍起になるように、私も困っている人を見捨てられないだけだ」

 

「……スティーヴン」

 

「あまり自分を虐めてやるな、ピーター。君は良き行いをした……そして私は、助けたいと思った。単純な話だ」

 

 

……僕は、貰った財布を懐に入れた。

そもそも、今着ている服だってスティーヴンが用意してくれた服だ。

 

既に沢山の恩がある。

……きっと、一生返せないような大きな恩も。

 

 

「……ありがとうございます」

 

「いや、いい。気にするな」

 

 

スティーヴンが手元のコーヒーに口を付けた。

 

僕は踵を返して、玄関へと向かい……一つ、どうしても気掛かりがある事を思い出した。

 

ドアノブに手をのせて……スティーヴンへと振り返った。

 

 

「その……スティーヴン?」

 

「なんだ?」

 

 

気掛かりは……一人の、女の子の事だ。

 

 

「ミシェルは──

 

「彼女は昨日、目を覚ましたよ。健康体だ」

 

 

僕の守りたかった人。

全てを捨てても、助けたかった人。

 

……だから、目を覚ましたって聞いて。

心の底から安堵したんだ。

 

もう、大丈夫だ。

思い残す事はない。

 

 

「本当に感謝しても仕切れないや」

 

「……何か困った事があれば、いつでもサンクタムへ来い」

 

 

スティーヴンの言葉に頷いて、僕はドアを開いた。

 

ミシェルは生きている。

僕がいなくても……彼女にはグウェンやネッド、ハリーもいる。

 

道を違えても……例え、二度と交わらない道だとしても。

元気に、幸せに……その道を歩いてくれているのなら。

僕はそれだけで幸せなんだ。

 

 

そうだよ。

みんなに忘れられて……スパイダーマンという存在はなくなってしまった。

僕のヒーロー活動なんて誰も覚えてなんかいない。

 

なら、僕の今までは無駄なのか?

僕のやってきた事は意味がなかったのか?

 

いいや、違う。

助けた人が生きている。

守りたかったものは、ちゃんとそこにある。

僕の信念は……確かに、僕が助けられた全ての人が引き継いでくれる。

 

それだけで僕はまだ、立っていられる。

挫ける事はない。

 

僕は幸せ者だ。

 

 

後ろ手にドアを閉じる。

 

 

朝日と呼ぶには登りすぎていて、昼と呼ぶには太陽はまだ低い。

 

だとしても僕にとっては日の出だ。

新しい、僕の人生の日の出。

 

 

サンクタム・サンクトラムを後にして、僕は足を進める。

誰も僕の事を知らない、この街を……。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

「……行ったか」

 

 

私は手元にあるコーヒーを飲み切った。

ピーター・パーカー。

そして、スパイダーマン。

 

彼の存在を認知している者は……もう、私しかいない。

 

 

「……哀れだ」

 

 

視線は、彼が出ていったドアへ向いている。

 

 

「君は人を幸せにするが……自分を幸せにする方法を知らない」

 

 

手元にあったマグカップが光の粒子となって消えた。

 

 

瞳を瞑る。

思い返す。

 

 

胸元に存在する黄金の魔道具(アーティファクト)

それは『アガモットの眼』だ。

 

『アガモットの眼』は時間を司る、究極のアーティファクト。

至高の魔術師(ソーサラースプリーム)に代々受け継がれている証だ。

 

これは、彼女……ミシェル・ジェーンを助ける際にも使用した。

肉体の時を遡らせて、傷をなかった事にした。

 

その後……ピーターと会話している際に、幻覚でカバーしつつ、もう一度使用した。

 

その用途は……未来を予知する事。

数百、数千と分岐する未来を見て……その中で唯一、ピーターが生き延びる『選択』を見つけた。

 

あの忌まわしいメフィストによって現実改変が行われる際……ピーターは私を選ばなければならなかった。

 

だから、私は彼の精神に暗示を施した。

 

『君の事はせめて、覚えておこう』

 

それは彼の精神を無意識下に誘導した。

……そして、彼女の魂は戻り、彼は世界から忘れられてしまった。

 

 

「……柄ではないのだが」

 

 

確かに私は、ミシェル・ジェーンを見殺しにしようとした。

彼女を助ける道は一つしかなく、それによって起こる影響は計り知れない。

 

現実改変、時間の操作……それらは自然の法則を乱し、時空連続体に傷を付けてしまう。

無闇に使って良い物ではない。

 

だから、見捨てる事にしたのだ。

たった一人の人間と……この世界に住む全ての生命の安全を、秤に掛けた。

 

……だが、内心で私自身も納得していなかった。

感情に蓋をして、私は選択したのだ。

 

しかし、ピーターの言葉によって……私は、私も選ぶ事となった。

 

 

椅子に座り込む。

 

 

私は医者(ドクター)だ。

ドクター・ストレンジだ。

 

魔術師の長(マスター)である前に、医者(ドクター)なのだ。

 

 

医者になった時、私は全ての人を救う事が使命なのだと誓った。

だから……そう、彼の言葉に感化されて流された訳ではない。

 

納得し、私も『選択』した。

彼が私に負い目を感じるのは間違いだ。

 

 

息を深く吐いていると……背後で音がした。

振り返ると、黄金の火花が輪を作っていた。

スリング・リングの光だ。

 

空間を跳躍する魔術師の基礎技能……空間の裂け目から現れたのは見知った人物だった。

 

 

「ウォンか」

 

 

カマー・タージの司書であり……今はニューヨークを拠点としている私に代わって、管理をしてもらっている。

武術、魔術、双方に於いて熟達した頼れる男だ。

 

 

「ストレンジ、来てくれ」

 

「……良いぞ。行こう」

 

 

椅子から立ち上がり、着ていたコートに手を掛ける。

 

捻るように回せば……真っ赤なマントに姿を変えた。

それは浮遊マント……意思と浮遊能力を持つ魔道具(アーティファクト)だ。

 

ウォンが地下室のドアが開いていることに気付き、眉を顰めた。

 

 

「そういえば、あの少年は?」

 

 

少年……ピーターの事か。

 

 

「彼なら先程、出て行ったよ」

 

「そうか……礼儀正しい少年だった」

 

 

ウォンが神妙な顔で頷いた。

……きっと、カマー・タージに勧誘しようとしていたのだろう。

 

だが、それは叶わないと悟ったのだろう。

ウォンが首を捻って、口を開いた。

 

 

「しかし、あの少年は何者だったんだ?ストレンジ、お前とどんな接点が?」

 

 

そう、問われた。

 

……年齢は一回り以上違う。

ならば、ウォンが不思議に思うのも無理はない。

 

しかし、スパイダーマンという存在はもう、この世界に存在しない。

彼との出会いを説明する事も出来ない。

 

 

「彼は私の友人だ」

 

 

だから、そう答えた。

 

 

……しかし、ウォンは顔を強張らせた。

 

 

「お前に友人が居るとはな」

 

「どういう意味だ?」

 

「言葉通りの意味だ、驚いた」

 

「敬意が足りないんじゃないか?私は至高の魔術師(ソーサラー・スプリーム)だぞ」

 

 

私の言葉を無視して、ウォンが手招く。

 

私は至高の魔術師(ソーサラー・スプリーム)だが、ウォンの方が魔術師としては先輩だ。

……畏まられても困るが、少しは敬意を払うべきだ。

 

スリング・リングが作り出した時空の裂け目を渡り……遥か遠くに離れた巨大な寺院、カマー・タージに辿り着く。

 

 

「今回の騒動は?」

 

「バロン・モルドだ」

 

 

聞いた名前にため息を吐いた。

 

私の師、エンシェント・ワンの元・弟子だ。

兄弟子にあたる。

 

彼は力への願望に呑まれ、闇の魔術師となってしまった。

 

……奴が騒動を起こすのは今回だけではない。

幾度も戦ってきた……本当にしつこい奴だ。

 

 

「奴は邪神クトンの黒魔術を記した、禁じられた書物を盗み出した」

 

「カマー・タージからか?」

 

「そうだ」

 

「……警備会社でも雇うか?」

 

「馬鹿を言うな。カマー・タージは秘匿されなければならない……警備担当の魔術師にもっと鍛錬を積ませるべきなのだ」

 

「分かっている。今のは皮肉だ」

 

 

私はマントの襟を立てた。

 

この世界の秩序を守るために、私は戦わなければならない。

それを使命だと感じているからだ。

 

 

……だが、しかし。

少し気弱だが……途方もない責任感のある少年の顔を思い返した。

 

ピーター・パーカー。

私と同じく、人を救う事が使命だと感じている少年。

 

他人の幸せのために身を削る、少年。

 

だが、しかし……そうならば、誰が彼を幸せに出来るのか。

 

……願わくば、彼が幸せを見つけられる事を祈る。

 

私と似ている彼には、幸せを……大切な相手と共に居られる事を望んでいた。

 

彼を幸せにしてくれる誰かに……また、出会える事を祈って。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

「ここだ。家賃の支払いは1日だ、遅れるなよ」

 

「……ありがとうございます」

 

 

大家の男に礼をして、僕はドアを開けた。

錆びついた鍵を机に置いて……小さなレバー式のボタンを上げれば電球が光を照らした。

 

ドアを閉じる。

 

お世辞にも綺麗とは言えない。

汚れの目立つ白い壁。

 

前に住んでいたアパートよりも、ボロい。

 

 

……だけど、ここが今日から、僕の家だ。

 

木が剥き出しになって、クッションすらないベッド。

小さなランプ。

 

油で汚れたキッチン。

 

 

「……掃除が必要かな」

 

 

僕は段ボールに詰められた荷物を、ボロい机に置いた。

 

 

まず、数冊の本。

これはスティーヴンがくれた、お下がりの参考書。

 

 

 

僕の過去はメフィストに消されてしまった。

だから、学歴なんてものはない。

 

大学に行くには、高校を卒業した認定が必要だ。

幸い、この国には高卒認定資格試験がある。

 

合格すれば、僕だって大学に行ける。

行きたかった、エンパイア・ステート大学に。

 

学費は少し心配だけど……奨学金がある。

セプテンバー資金奨学金。

 

スタークさんが設立した奨学金制度で……一定以上の学力があれば、無課税で支給される。

それは今の僕には必要な物だった。

 

スタークさんは「税金対策だ」なんて言ってたけれど、きっと照れ隠しだ。

彼の善意は……見知らぬ人となった僕を、今でも助けてくれている。

 

 

思わず頬が緩んだ。

 

 

他には小さなランプ。

安物のノート。

型落ちしたスマートフォン。

 

スティーヴンから借りたお金で買ったんだ。

現代に生きるならスマートフォンは生活必需品だ。

 

そして僕は……裁縫道具を机に置いた。

防水製で伸縮性のある、青と赤の生地。

 

ランプを付けて、机に向かう。

生地を裁断して、針に糸を通す。

 

手慣れた調子で生地に針を通していく。

 

 

「もっと派手にするべきかな」

 

 

赤い生地に黒のペンでラインを引く。

蜘蛛の巣のようなデザインだ。

 

 

「いいや、今まで通りでいいや」

 

 

買って来た白いサングラスのレンズを分解して、貼り付ける。

 

縫い付けて……形を整えれば……ほら、人型のスーツになった。

 

あぁ、あと最後に忘れちゃいけない。

胸に大きく、黒い蜘蛛のマークだ。

 

 

「よし、完璧」

 

 

肩を鳴らして……窓の外を見ると暗くなっていた。

すっかり、夜だ。

 

ミシンもないから時間が掛かってしまったみたい。

 

 

僕は買っていたパンを食べながら、ゴミ捨て場で拾って来た機械を弄る。

まだ使えるのに勿体無い……無線の受信機だ。

 

こうやって……弄れば……。

 

 

『……43番地で火災が発生、救急隊が──

 

『レッカー車と消防車を求む──

 

 

ほらね。

これも完璧だ。

 

 

スタークさんが作ってくれたナノマシンスーツはもうない。

アレはスタークさんが『僕のために』作ったスーツだから……現実改変に巻き込まれて消滅してしまった。

 

だから、スーツを作り直したんだ。

ハンドメイドのクラシック(古臭い)スーツをね。

 

 

 

僕は手首にウェブシューターをつける。

 

だけど、ウェブシューターは存在したままだ。

これは僕が1から作った物だから?

身に付けていたから……?

 

答えは分からないけど、とにかくここにあるんだ。

それでいい。

 

 

カートリッジの材料は市販のものを幾つか使ってる……少し、値段はするけど作れないわけじゃない。

 

補充して、カチリとはめた。

 

 

そして、さっきまで針を通していたスーツを着る。

ちょっとキツイかな、だけど伸縮性のある素材だから大丈夫。

 

 

高性能なAIも、防弾防刃機能もない。

ただの布で出来たスーツ。

だけど、これで十分だ。

 

高性能なスーツがなければ、ヒーローになれない訳じゃない。

これが僕の原点で……少し前までは、この格好で活動していたから。

 

大切なのは折れない心だけだ。

それさえあれば、誰だってヒーローになれる。

世界を救えなくても、誰かにとってのヒーローになれるんだ。

 

 

 

 

僕は窓を開けて……外に飛び出た。

 

 

 

屋上へ飛び乗り、走る。

ウェブシューターから(ウェブ)を射出して、ビルからビルへ。

 

より高く、より速く。

 

振り幅を大きくして、スイングする。

 

高所から落下してスピードを上げる。

その勢いを殺さないようにしつつ、またスイングする。

 

宙を舞い、生まれ育ったニューヨークの街を駆ける。

 

誰も覚えてない、誰も知らない。

だけど、僕はここにいる。

 

 

こんな事、やめた方がいいと言われるかもしれない。

 

大切なものを失った。

何度も打ちのめされた。

 

反省はするさ。

 

だけど、後悔はない。

 

僕は前に進む。

 

それが大いなる力を手にした、僕の責任だ。

 

止まらない。

挫けない。

 

何度負けても、何度失っても、倒れても……また立ち上がればいい。

 

 

例え、大切な人に忘れられても。

僕との繋がりが、断ち切られてしまったとしても。

 

 

前に進む。

足を止めない。

 

 

ここ(人助け)が、僕の居場所だ。

 

 

当然だ。

 

 

 

だって僕は……親愛なる隣人──

 

 

 

『スパイダーマン』だから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

私は生クリームを口に含む。

砂糖と牛乳の甘味が口の中に広がる。

 

 

「美味しい?」

 

「ん……美味しい」

 

 

私は深く頷いた。

 

ここは、『S.H.I.E.L.D.』の基地……どこか分からないけど、病室。

 

机の上にはショートケーキ。

目の前のグウェンにはチョコケーキ。

 

 

そして……少し離れたところで、オレンジピールののったケーキを食べるハリーの姿があった。

 

 

「…………」

 

 

ケーキを持って来てくれたのはハリーだ。

見舞い品らしい。

 

でも、気を遣っているのか、何故か私から少し距離をとっている。

 

 

私の視線に気付いたグウェンが、ハリーの方を見た。

 

 

「ハリーもこっちに来なさいよ」

 

「……あぁ、でも邪魔したら悪い──

 

 

ハリーの言葉に、私は首を振った。

 

 

「別に、邪魔にならない」

 

「……そうか、すまないな」

 

 

そう言って、ハリーが皿を持って……グウェンの隣に座った。

 

 

少しぎこちない様子だ。

彼は……私がレッドキャップとして活動していた事を知っている。

 

だから、だろうか……私を嫌っているのだろうか?

……もし、そうならば、ケーキを買って来てくれないだろう。

 

内心では、どう思っているのだろう。

 

 

そう考えていると──

 

 

「ミシェル」

 

 

ハリーから声を掛けられた。

 

 

「……何?」

 

 

神妙な顔をして話す彼に、私はフォークを動かす手を止めた。

緊張が私達の間を通り抜けた。

 

そして、ハリーが口を開いた。

 

 

「……僕は君が過去に何をしていたとしても、君の味方だ」

 

 

……予想外の言葉に思わず驚いてしまった。

 

 

「で、でも……」

 

「崩れるビルから君が助けてくれた。その礼をまだ言ってなかった……ありがとう」

 

「え、えっと……」

 

 

私がグウェンに視線をズラすと、シンビオートにチョコケーキを食べさせていた。

 

 

「でも、私……」

 

 

言い淀んでいると、グウェンが口を開いた。

 

 

「ほら、ミシェル……ミシェルが思ってる以上に、みんな許してくれるって」

 

「……ごめんなさい」

 

「ごめんじゃなくて、ありがとうでいいよ」

 

 

私はハリーを見て……頭を下げた。

 

 

「ハリー、ありがとう」

 

「……僕こそ。君が生きていてくれて良かったよ」

 

 

そう言ってハリーが微笑んだ。

……ハリーはイケメンだから、凄く絵になる。

 

そして、グウェンがニコニコと笑いながら、口を開いた。

 

 

「ミシェル。今度、ネッドにも謝りに行こうね」

 

「……うん」

 

 

そうだ。

ネッドは死ななかったとは言え、私が直接撃ってしまったのだ。

 

思わず、落ち込みそうになる。

 

 

「大丈夫だって、ネッドは許してくれるって」

 

 

グウェンに肩を撫でられて……笑われた。

それを聞いてハリーが首を傾げた。

 

 

「でも、部外者に彼女が生きている事を伝えて良いのか?」

 

「良いのよ、もう言っちゃったし」

 

「……フューリーに許可は?」

 

「取ってないけど?」

 

 

思わずハリーが頭を抱えた。

グウェンは結構、破茶滅茶だ。

 

そんなグウェンと一緒にやっているハリーは……すごい。

 

 

そう、ハリーはすごい。

顔はカッコいいし、優しいし、お金持ちだし。

 

……そんな彼に、私は好意を向けられていた。

 

好きだと言われた。

だけど……私は首を横に振った。

 

私がレッドキャップである事を隠していた罪悪感があったからだ。

だけど、今は……そんなしがらみもない。

想いに応える事だって出来る。

 

だけど、どうしてだろう。

 

私は……彼の好意を受け取れないと思っていた。

心の奥底で、それを押し止めようとする心がある。

 

どうしても、彼に恋をする事は出来ない。

まるで一つしかない席に……誰かが座るのを待っているような……そんな感覚。

 

 

それを不思議に感じつつも、私は表情に出さないように努めた。

 

 

「ミシェル、テレビつけていい?」

 

「あ、うん……」

 

 

グウェンがテレビのリモコンを持って、ボタンを押した。

 

緊急ニュースの映像だ。

真っ赤に燃える建造物の姿があった。

 

 

『43番地で火事が発生中です!避難は殆ど完了していますが、逃げ遅れた子供が最上階に──

 

 

その映像に、グウェンが顔を顰めた。

今から向かったってどうしようもない。

 

私達に出来るのは消防隊員に祈るだけ──

 

そんな映像に……赤と青の『誰か』が飛び込んで来た。

 

 

『あ!何者かが、最上階に突入しました!』

 

 

それは一瞬しか見えなかったけど……何者か、分かってしまった。

 

 

「スパイダーマン……?」

 

 

脳に別世界の知識が流れ込んでくる。

 

スパイダーマン。

放射性の蜘蛛に噛まれた、スーパーヒーローだ。

 

スパイダーマンは……最上階から子供を救出して、救助隊に受け渡した。

 

 

スパイダーマン。

……スパイダーマン?

 

私は……私の、憧れだ。

最も好きなヒーロー?

そうだ、私の好きなヒーローだ。

 

あぁ、この世界にも居たんだ。

 

……あれ?

いや、何故?

 

一つ、重要なことを思い出した。

 

 

「え?何、ミシェル。あの全身タイツの人、知ってるの?」

 

 

グウェン・ステイシー。

ハリー・オズボーン。

ネッド・リーズ。

 

そして、ミッドタウン高校。

 

全て、スパイダーマンに関係する話だ。

なのに……何故、私達は知らなかった?

 

ハーマン……ショッカーも、スパイダーマンと関係のある悪役(ヴィラン)の筈だ。

 

なのに……どうして誰も、スパイダーマンの事を……ピーター・パーカーの事を知らないんだ?

 

 

「……会わなきゃ」

 

 

きっと、彼は何か知っている。

私の感じている違和感の正体を……この、心に感じている空虚さの正体を。

 

私が無くしてしまった物の正体を。

 

彼は知っている。

聞かなくてはならない。

 

 

「ミシェル?」

 

「……ううん、何でもない」

 

 

だけど、今ではない。

外出許可すら出ていない私には……彼に会う手段はない。

 

……今はまだ、だけど。

 

 

だけど、いつか彼に会って確かめなければならない。

 

私の心に空いてしまった、穴の正体について。



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#106 アメイジング・スパイダーマン part1

じゃあ、もう一度だけ説明しようか。

 

僕の名前はピーター・パーカー。

3年前、放射線を浴びた蜘蛛に噛まれた時から、この世にたった一人の「スパイダーマン」だ。

 

大切な人を失ったけど、もっと多くの人を救った。

 

街も救った。

 

何度も、何度も、何度も。

 

 

……まぁ、誰も覚えていないんだけどね。

 

大切な人を救うために、僕は世界から記憶と記録、両方を奪われてしまった。

 

 

だから、僕に取っては3年前からだけど──

 

 

 

他の人にとっては、一ヶ月前からだ。

 

 

 

世界から忘れられてから一ヶ月が経った。

 

今はクイーンズに住んでるんだ。

借りた新しい新居は……隙間風は通るし、掃除しても取れない汚れがある。

『イマイチ』かな、僕と大体一緒だ。

 

 

そうそう、アルバイトを始めたんだ。

カメラマンの仕事と、ピザの宅配だ。

 

デイリービューグルは、例え一度忘れていても……スパイダーマンが現れれば、バッシング記事を書き始めたんだ。

 

だから、スパイダーマンの写真は高く買ってくれる。

嬉しいような、悲しいような……?

 

 

 

 

それで、もう一つ、ピザの配達の仕事だけど……どうやら、クビになりそうなんだ。

 

 

何故かって?

 

 

それは──

 

 

「忌々しい蜘蛛男め!無事に帰れると思ったら大間違いだぞ!」

 

 

僕の目の前にいる緑色の生地に、火花のような黄色いマークを付けた……この変な男のせいかな。

 

バリバリと音を鳴らし、ピカピカと光ってる喧しい奴。

 

コイツの名前は──

 

 

「エレクトロ、今どきそんな大道芸は流行らないよ。大人しく電気工事の仕事に戻った方がいいんじゃないかな?」

 

 

そう、エレクトロだ。

雷を操る能力を持った元電気工事士だ。

確か……稲妻に打たれて目覚めたんだっけ?

 

何だか昔、聞いた事がある。

訊いてもないのに、勝手に話してたんだ。

 

エレクトロはもう覚えてない出来事だろうけど。

 

全く、本当に……。

みーんな僕のことを忘れていても、関係なし。

 

悪人(ヴィラン)達は、いつも通り暴れている。

 

 

「ほざけ!」

 

 

両手がバチバチと光る。

あれは雷の発射兆候だ。

 

……僕は(ウェブ)を彼の足に引っ付けた。

 

 

「よっ、と……!」

 

 

地面を蹴って跳躍し、雷を避ける。

そのまま宙で捻りながら引っ張る。

 

 

「ぬぁあ!?」

 

 

エレクトロがバランスを崩して、地面に倒れた。

顔面から行った。

痛そう。

 

滑って転んだ隙に、僕はエレクトロに接近し──

 

おっと、超感覚(スパイダーセンス)に反応あり。

 

流石に光の速度で飛んでくる雷は避けられないけど、撃とうとしてくる場所が分かれば……撃つ前に避けるだけだ。

 

 

「これ以上、お前に邪魔されてたまるか!」

 

 

急に立ち上がって、雷を発射してくる。

まぁ、もうそこには居ないんだけどね。

 

バチン!と音がして、僕のいた場所の地面が爆ぜた。

 

 

「なぁっ!?」

 

 

避けられた事に気付いて慌てるエレクトロ。

 

 

「不意打ちする時は黙ってやった方がいいよ」

 

 

そのまま近寄って、顔面に──

 

 

「ぶぐぁっ!?」

 

 

ストレート、そしてノックアウト。

 

エレクトロは気を失って、地面に倒れた。

 

鼻が折れて血が出てる。

手加減したつもりだったけど……まぁ、自業自得だよね。

 

 

「よし、一件落着かな」

 

 

昔に比べて、危なげのない戦いだ。

 

そう、ずっと前にエレクトロと戦った時とは一味違う。

沢山の死戦を超えて、僕は強くなっていた。

 

 

まぁ、だって、この一年間……殺しの技を磨いていた殺し屋と戦ったからね。

ナイフや近接戦闘のプロと戦ったんだ……多少は学べてると思いたい。

 

……その殺し屋の正体は、僕の好きな女の子だったけど。

 

 

うん。

……この話はよそう。

 

 

とにかく、気絶したエレクトロを(ウェブ)でグルグル巻きにする。

 

 

(ウェブ)の原液だって無料(タダ)じゃないんだからさ、請求したくなるね。君達みたいな奴らに」

 

 

軽口を叩きつつ、電灯に縛り上げる。

気絶してるし、聞いてないと思うけどね。

 

後は勝手に警察が捕まえてくれる。

今度は二度と脱走しないように、もっと厳重な刑務所に入れておいて欲しいね。

 

聞いた話によると、ライノもまた脱走したらしいし。

嫌になるよ。

 

 

内心で愚痴りつつ、(ウェブ)をビル壁に発射する。

思いっきり引っ張って、スイング。

 

そのまま、その場を後にする。

 

 

 

それで──

 

 

 

「お前はクビだ!」

 

 

 

冷めたピザを届けて、僕はクビになってしまった。

 

ごめんね、ピザを頼んだ人。

 

悪いのは店長でもなくて……僕とエレクトロだ。

でも責任の全部が10としたら、僕が3でエレクトロが7ぐらいだ。

 

本当に勘弁して欲しいよ。

 

数時間前、ピザの宅配中にバリバリ音を出してる銀行強盗を見つけて……流石に僕も眉間に皺が寄ってしまった。

 

僕からしたら大した事ないけど、一般人や普通の警察では太刀打ち出来ない。

万が一にも電撃が命中すれば、感電死する人も出るかも知れないし。

 

……僕がやらなきゃなって。

せめて、僕が休日の時にやって欲しい。

 

……いや、休日でもダメだよ。

何もせずに真っ当に仕事してくれ。

スーパーヴィランなんて引退してさ。

 

 

閑話休題(それはともかく)

 

 

僕は古着屋で買った服に袖を通して、クイーンズを歩く。

 

ついてない。

 

 

「また新しいバイト探さないとなぁ……」

 

 

良い事ばかりじゃない。

上手くいかないことの方が多い。

 

ちょっと、挫けそうだ。

 

一年前までも、こんな事ばかりだったのに。

上手くいかないのは、いつも通り。

マスクを脱げば冴えないピーター・パーカー。

昔からずっとそうだ。

 

だから、何も変わらない筈なのに。

 

 

「はぁ……」

 

 

だけど、どうしてこんなに気分が落ち込むのか。

 

きっと友達も、家族も居ないからだ。

僕を慰めてくれる人はいない。

 

 

目を閉じると……今でも、あの温かさと柔らかさを思い出せそうで……余計に辛い。

脳裏に映るのは……最後に見た、悲しそうに笑う彼女の顔だ。

 

 

……ふと、電光掲示板を見る。

 

 

『スパイダーメナスは正体を現せ!法を守らぬ自警団気取りに鉄槌を!』

 

 

白髪の生えた男性。

新聞社デイリービューグルの社長だ。

 

 

「……元気だなぁ、ジェイムソンは……羨ましいよ」

 

 

苦笑しつつ、街を歩く。

 

僕にとっては歩き慣れた道だ。

周りの人から見れば、僕は余所者って感じだけど。

 

 

まぁ、それはともかく。

生まれ育ったクイーンズ。

 

歩いていると──

 

 

「…………」

 

 

寂しさと、物悲しさを感じられた。

前と同じ景色だけど……いいや、同じ景色だから虚しいのかもね。

 

気分が少しでも落ち込むと、そのまま真っ逆さまに転がり落ちて行く……ドミノ倒しみたいに。

 

気を付けないと。

 

よーし、元気を出そう。

晩御飯は美味しいものでも食べようかな。

 

祝・バイトクビ記念って事で。

何も、めでたくないけど。

 

 

ふと、型落ちしたスマホが振動した。

……スティーヴンからの電話だ。

 

ちょっと前に連絡先を交換したんだ。

魔術の聖地にも電話回線やフリーWi-Fiが飛んでるらしい。

 

……Wi-Fiのパスワードも魔法の呪文みたいにオシャレなのかな?

僕は部外者だから聞けないけど……気になる。

 

 

おっと、電話に出ないと。

 

 

通話ボタンを押して、電話に出る。

 

 

「もしもし、スティーヴン?」

 

『……ピーター、サンクタムまで来てくれないか?』

 

「え?急ぎですか?」

 

 

用事はない。

というか無くなった。

 

宅配バイトはクビになっちゃったから。

だけど、新しくバイトを探さなきゃならない……今すぐって用事でもないけど。

 

 

『急ぎだ』

 

「あー、うん、すぐに向かいます」

 

 

僕は通話を切って、バックパックにスマホを仕舞う。

 

そのまま路地裏へ行って……シャツとズボンも脱ぐ。

 

中に着込んでいたスーツ……そして、頭にマスクを被れば……。

 

 

いつもの赤と青のコスチューム。

スパイダーマンだ。

 

(ウェブ)を飛ばして宙を飛ぶ。

電車やタクシーに乗れば良いって?

 

それもそうだけど、スティーヴンは急ぎだって言ってたからね。

こっちの方が早いんだ……最短距離で行けるから。

 

 

でも、1日に何度も着替えてる気がする。

 

スタークさんの作ったナノマシンスーツなら着替えも直ぐなんだけど……こうやって、ビルの裏に隠れてスリル満タンの早着替えもしなくて済むのに。

 

 

(ウェブ)を再び飛ばして、スイングする。

ガラスに反射された赤と青の残像が、跳ね上がる。

 

 

スパイダーマンもピーター・パーカーも大忙し。

 

 

これが僕の新しい生活。

 

だけど、忙しいのに……正直、この忙しさに助かってる。

落ち込んでる時間がないってのは、それはそれで良いんだ。

 

 

涙を流さないように。

 

悲しくならないように。

 

嘆かないように。

 

 

だから、僕は……今はただ、目を逸らしていた。

僕自身が感じている寂しさから。

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

私は木製のドアの横……チャイムを鳴らし、コートに手を突っ込む。

 

靴のつま先で床のタイルを軽く叩き、見渡す。

 

整えられた芝生、幹の太い木。

理想的な庭と……白い壁。

小さな傷は時代を感じさせる……年代物の一軒家だ。

 

 

ここはニューヨーク。

クイーンズ、フォレストヒルズ。

静かな住宅街だ。

 

 

そして、私の名前は……ミシェル・ジェーン=ワトソン。

ヒーロー達に助けられてから、そう名乗っている。

 

一ヶ月前まで、ミシェル・ジェーンという名前は偽名だった。

本当の名前は『レッドキャップ』だった。

 

しかし、私の所属していた組織は壊滅した。

私を『レッドキャップ』と呼ぶ人間はもう居ない。

 

そして、ニック・フューリーによって作られたIDには『ミシェル・ジェーン=ワトソン』と書かれている。

 

だから、これが私の本名だ。

もう……何処かに向かう度に名前を変える必要はない。

 

 

『S.H.I.E.L.D.』に保護されてから、一ヶ月経った。

当初は病室から出して貰えなかったが……二週間程で、別の場所に移された。

 

 

ニューヨーク、マンハッタンにある大きなマンションだ。

元はトニー・スタークの父、ハワード・スタークによって作られたマンションらしいが……トニー・スタークが受け継いだ後、『S.H.I.E.L.D.』へ寄贈したらしい。

 

そこには私のような訳アリの人間が沢山住んでいる。

狼女とか、元スパイとか、人語を話す犬とか。

 

ニック・フューリーは私が『選択』するまで、そこで自由に過ごして良いと言ってくれた。

 

 

『選択』とは、つまり……。

 

普通の人間として社会で生きていくか、『S.H.I.E.L.D.』に協力してエージェントとして生きていくか。

 

その二つに一つだ。

 

 

私は……普通の人間として生きていけるとは思っていない。

いや、生きてはならない。

誰かが許しても……私は、私を許せない。

 

なら、『S.H.I.E.L.D.』のエージェントとして生きるのか?

正義の味方として?

 

 

……出来る気がしない。

私は今まで、大した信念もなく流されて生きてきた。

 

そんな私が、ヒーローとしての責任を負う?

 

……自信がない。

私のような人間が、人のために生きられるのだろうか。

 

人を傷付けてしまわないだろうか。

大きなミスを犯し……誰かを不幸にしてしまわないだろうか。

 

 

そう思うと怖くて……踏み出せない。

 

人を殺す事よりも、何かを『選択』し『責任』を持つことの方が怖い。

 

 

……私の持つ、他人にはない紛い物の大いなる力。

それに対して……大いなる責任を持てないのだ。

 

 

ヒーローは誰でもなれる訳じゃない。

善性と……途方もない責任感が必要なのだ。

 

 

だから……私には無理だ。

答えは出ない。

 

 

返答を先延ばしにしても、彼等は許してくれた。

ニック・フューリーも、キャプテンも、トニー・スタークも……誰も、彼もが、私を被害者だと思っている。

 

そうではない。

そう言っても、誰も取り合ってくれない。

 

みんな、私が立ち直るのを待ってくれている。

 

違う。

私は……そんな、誰かに期待されるような人間ではない。

 

 

そう思いながら……私は未だ、『選択』も出来ず……今は、まだマンハッタンのマンションに住んでいる。

週に一度、アベンジャーズタワーへ赴き……メンタルケアなんかをしながら。

 

 

一人暮らしをしている。

何不自由なく。

……何も失わず。

 

 

兎に角、外出の許可を得た私は、一つ、どうしてもやりたい事があった。

いや、知りたい事か。

 

 

頭の奥底にある違和感を探る事だ。

私が私らしくない行動をしている記憶があり……それの原因を突き止める事だ。

 

 

クイーンズのフォレストヒルズに来たのも、それが目的だ。

 

チャイムの音にドアが開き……一人の熟年の女性が現れた。

この家の、家主だ。

 

 

「あら……貴女は?」

 

 

そう聞かれて、私は頭を下げた。

 

 

「初めまして……メイ・パーカーさん。私はミシェル・ジェーン、です」

 

 

メイ・パーカー。

私が探している相手……スパイダーマン。

その正体、ピーター・パーカーの叔母だ。

 

両親の居ない彼の、育ての親だ。

 

 

「あらあら……?何か、ご用なの?」

 

 

メイ・パーカーは私に警戒心を抱いていない。

彼女にある底抜けの善性がそうさせるのか……それとも、私の容姿が女の子供だからか……。

 

どちらも、だろう。

 

ほんの少し、目を瞑り……彼女に質問する。

 

 

「ピーター・パーカーという名前を……ご存知、ですか?」

 

 

この世界にスパイダーマンがいるのなら……ピーター・パーカーがいるのなら。

 

彼女の甥で──

 

 

「いいえ?知らないわ……でも、名字(ラストネーム)は一緒ね?」

 

 

その返答に、私は驚き……目を瞬いた。

 

知らない?

そんなバカな……。

 

 

「…………」

 

「えっと、その……どうかしたの?」

 

 

ハッとして、再びメイ・パーカーの顔を見る。

 

思わず放心してしまっていたようだ。

 

違和感の手掛かりを掴んだ筈が……余計に大きな違和感を掴まされてしまったからだ。

 

 

「いえ……その、ピーター・パーカーという名前の人を探しているので……」

 

 

嘘を吐く理由もなく、そう述べる。

 

 

「あら……お力になれなくて、ごめんなさいね」

 

 

しかし、メイ・パーカーは謝罪の言葉を述べた。

何も悪くないのに……その顔を見れば、本当に申し訳なさそうにしていた。

 

 

「……こちらこそ、急に押しかけて、ごめんなさい」

 

 

そう謝って……その場を後にした。

 

 

 

この世界に……ピーター・パーカーが存在しない?

そんな筈はない。

 

テレビで見たスパイダーマンの姿は、私がよく知るものだった。

赤と青の……黒い、蜘蛛のマークが入ったスパイダーマンだ。

 

だから……居る筈だ。

女でもなく、豚でもない、ゾンビでもない……ピーター・パーカーが。

 

それなのに、メイ・パーカーは知らないと答えた。

 

関わってすらいないと……そう言っているのだ。

 

 

分からない。

脳がぐるぐると回る。

 

この胸にある違和感……喪失感。

それは一体何なんだ?

 

クイーンズ、フォレストヒルズの住所が書かれたメモ用紙を握り潰した。

そのまま、道沿いにあったゴミ箱に投げ入れれば……からからと音を立てた。

 

アレは住んでいるマンションの一階にあるコンピューターで調べた情報だ。

無駄足に終わったが。

 

……目的を失った私は、そのままフォレストヒルズを後にし……別の場所へ向かった。

 

 

今日は行く予定なんて無かったが……想像よりも早く終わってしまった。

 

ならば、ついでにと……NY科学館へ来た。

そこもクイーンズにある施設で……態々、マンハッタンから足を運んだのだから行く事にしたのだ。

 

……大きな白いドームのような施設。

記憶通りだ。

 

私は以前、ここに『一人』で来た。

そう、一人でだ。

 

私が?

科学館に?

一人で?

 

ありえないだろう。

 

 

……誰かに誘われたのだと思う。

だが、その誰かは何処にも居ない。

少なくとも、記憶の中には。

 

 

安い入場料を払って、中に入る。

 

 

前に見た時と展示物が異なっている。

 

以前来た時は……何もかもが目新しく見えて……そして……嬉しかったのだ。

 

何が、嬉しかったのか。

それは分からない。

 

 

……疑惑は、確信へと変わっていく。

 

私はきっと『誰か』と共に、ここへ来たのだ。

親しい『誰か』と……この記憶を共有した。

 

私はきっと、その誰かの好きを知れた事が嬉しかったのだ。

 

 

一歩、一歩、奥へ進む。

 

 

そして……大きな、機械の展示物があった。

 

 

「……これは」

 

 

知っている。

これは放射線照射装置だ。

昔、公開実験にも使っていたらしい。

 

展示された資料を見て……眉を顰めた。

 

公開実験についての情報は……存在しない。

それなら、誰が私に言ったのか?

 

『誰か』だろう。

 

 

大きな機械を見上げる。

3メートルほどの……放射線照射装置。

 

そして、公開実験。

 

 

……放射線。

 

 

放射性の血。

 

 

そして、クモ。

 

 

 

無意識のうちに、目を見開いていた。

視線を……少しずつ下げる。

 

 

ピーター・パーカーは放射線を浴びたクモに噛まれて、スパイダーマンになった。

作品によって、設定は多少ズレたとしても……それは変わらない。

 

その放射線……そして、この目の前にある機械は、放射線照射装置。

 

記載されていないのに、何故か知っている公開実験の話。

 

私と共に来ていた筈の『誰か』。

 

一ヶ月前、急に現れたスパイダーマンの存在。

 

メイ・パーカーも知らない『ピーター・パーカー』という名前。

 

 

パズルのピースが埋まって行く。

 

 

……スパイダーマン、ピーター・パーカー。

彼は昔から存在していて……私の友人であり……それを、みんなが忘れている?

 

 

推測でしかない……それも思い込みの混じった結論。

だが、一度そう考えてしまえば……それが正しい答えだと思い込んでしまっていた。

 

 

「……ピーター・パーカー」

 

 

コミックには……現実を意のままに操る『現実改変能力』を持つ者が存在する。

 

スカーレットウィッチ、モレキュールマン、ジェイミー・ブラドック、メフィスト……他にも。

 

能力の範囲や性能は異なるが……しかし、世界中から彼の記憶や存在を消す事だって……可能な者もいる。

ドクター・ストレンジだって出来るだろう。

 

 

何かが原因で、彼の記憶と記録がこの世界から抹消されたとしたら?

 

……もし、そうならば……辻褄が合う。

私の違和感の正体も分かる。

 

しかし、誰かが操った結果なのだとしたら……何故、操ったのか。

 

そして、どうしてスパイダーマンは誰にも話さないのか。

 

 

……何より。

 

 

ピーター・パーカーが私や、グウェン、ネッドの友人なのだとしたら。

 

世界中の誰からも……友人からも忘れられているのだとしたら。

 

 

それは、とても……。

 

 

「悲しい……」

 

 

誰からも忘れさられて、それでも生きていかなければならないとしたら……それは悲し過ぎる。

 

 

胸元のアクセサリーを弄る。

 

ツギハギになった青と白のバラのアクセサリー。

病室で……接着剤を使って、修復した見窄らしい砕けたバラ。

 

……それを手で包む。

アクセサリーを贈られるほど、私は親しかったのだろうか。

 

 

なのに……どうして?

 

 

どうして、スパイダーマンは……ピーター・パーカーは私やグウェンに話をしに来ない?

記憶を失った理由を教えてくれない?

……どうして、孤独でいる事に納得している?

 

 

探さなきゃ。

 

 

会わなきゃ。

 

 

会いたい。

 

 

確かめたい。

 

 

胸にある空いてしまった穴。

今はもう、それを埋める事に躍起になっていない。

 

それよりも、私の考察が正しいのであれば……今、ピーター・パーカーは苦しんでいる筈だ。

 

……その苦しみの理由を、私は知りたい。

 

 

私は、未だ会った事もない人に……想いを馳せていた。

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

サンクタム・サンクトラム。

見た目は少し古臭い……いや、風情のある煉瓦作りの施設だ。

外からも天窓が……魔法陣みたいな形になっているのが見える。

 

 

ドアの前まで来て、チャイムを押そうとして……ドアが勝手に開いた。

 

 

「うわ、自動ドアだ」

 

 

サンクタムの中に入りながら振り返ると、ドアが閉まった。

少なくとも電気式ではなさそう。

魔術式自動ドア?

 

 

というか……あれ?

何だか寒いな。

 

春も過ぎて、夏に向かっているのに。

 

 

 

室内を見る。

 

 

雪だ。

雪が積もってる。

 

 

「……え?」

 

 

ぐるりと見渡すと……サンクタムの中は雪まみれだ。

まるで部屋の中で吹雪が発生したかのような……。

 

 

「よく来たな、ピーター」

 

 

広間の階段を降りてきたのは……コートを着たスティーヴン・ストレンジだ。

 

 

「あの、スティーヴン?何……?これ」

 

「あぁ、雪か?」

 

 

スティーヴンが指を鳴らすと、足元の雪が波打ち、僕らの足元から離れて行く。

 

 

「サンクタムには様々な場所に繋がっている次元の扉があってね。山脈の頂上に繋がっている物もある。メンテナンスを怠った結果──

 

 

手で、雪まみれの辺りを指し示した。

 

 

「ご覧の有様だ」

 

「……手伝います?」

 

 

なるほど。

スティーヴンが呼び出したのは、この雪を──

 

 

「いや、手伝わなくていい」

 

 

どうやら違うみたい。

 

 

「じゃあ、何をすれば──

 

「特に何も?」

 

 

スティーヴンが笑いながら答えた。

 

……え?

急ぎじゃなかったっけ?

首を傾げる。

 

 

「何か用事があって呼んだんじゃないんですか?」

 

「いいや?特に用事などない」

 

 

スティーヴンが指を鳴らすと、足元の雪が薄緑色に変化した。

 

それらは蝶となって宙を舞い、やがて空中で粒子となって消えた。

 

 

「片付けに手を借りる必要はない」

 

「え?じゃあ何のために……」

 

「あぁ、君をここに呼び出すのが目的だった。そういう意味では既に目的は達成しているな」

 

 

あまりにも不可解な事を言うから、困ってしまう。

スティーヴンはいつもそうだ。

 

会話してるとIQトレーニングをしているような気持ちがする。

 

 

「……ふむ」

 

 

スティーヴンが自分の腕を見た。

高級そうな腕時計が巻いてある。

 

 

「……少し雑談でもするか。最近、調子はどうだ?ピーター」

 

「調子?うん、バッチリ。絶好調」

 

 

嘘だ。

バイトをクビになったばかりだ。

 

 

それを見抜いたのかスティーヴンは顔を顰めた。

 

 

「ピーター、辛い時は辛いと言っていいんだぞ?」

 

「大丈夫ですよ、僕は」

 

 

確かに……失った事は辛い。

家族も友達も……尊敬する人も。

 

最初から持っていなかったのなら、納得は出来た。

だけど、持っていた物を落としてしまった時……それが一番、辛いんだ。

 

だけど、これは僕が選んだ選択だ。

この辛さから逃れるために、全てを台無しにするつもりはない。

 

 

スティーヴンがため息を吐いた。

そして、顎に手を当てた。

 

 

「……君は幸せになる事が怖いのか?」

 

 

その質問に、思わず首を傾げた。

 

 

「そんなつもりは、ないですけど……」

 

「だろうな。無意識か」

 

 

彼が額に指を当てて、揉んだ。

 

 

「ピーター、君は自分を許すべきだ」

 

「……許す?」

 

「己が感じている罪悪感に押し潰されてはならない」

 

 

スティーヴンは僕より一回り……二回り、歳上だ。

年の功、と言うべきか。

 

僕を導こうとしてくれている。

 

 

「そんな、罪悪感なんて……」

 

「君はもう十分に苦しんでいる。救われてもいい筈だ」

 

 

僕の言葉を無視して、彼は言い切った。

 

無意識のうちに感じている罪悪感?

 

 

そんなの……僕だって、分かってる。

 

 

……今でも時々、夢に見るんだ。

 

叔父さんが死んだ日。

僕が強盗を見逃した日。

 

リアルな夢だ。

どれだけ体を動かそうとしても……動かない。

 

僕は悪人を見逃して……背負うべき責任を放棄した。

 

 

そして──

 

 

「ピーター」

 

 

スティーヴンが声を掛けてきた。

 

 

「もっと自分勝手になれ」

 

 

肩に手を置かれた。

 

 

「君が感じている責任は……君だけの物ではない。誰かも感じている物だ。一人だけで背負おうとするな」

 

「…………わかりました」

 

 

僕が頷くと、スティーヴンがまた、ため息を吐いた。

 

 

「分かってないな……だが、今日は別に説教をしたい訳ではない」

 

「十分、説教みたいだったんですけど……」

 

 

そう反論すると、スティーヴンが眉を顰めた。

そして、腕時計を見た。

 

 

「……まぁ、いい。もう帰ると良い……人と会う約束があるんだ」

 

「人と?誰かが来るんですか?」

 

「いや、会うのは私ではない」

 

 

……また、難解な事を言う。

魔術師ってみんな、こうなのかな?

でも、ウォンって人はそうでもなかったし……。

 

兎に角、時計を見てるって事は時間が来たって事なんだろう。

 

 

「……それじゃ、僕もう帰りますね」

 

「あぁ、偶には近況の連絡をして来ると良い」

 

 

スティーヴンに手を振って、肌寒いサンクタムを出ようとした。

 

……一つ、思い出して振り返る。

 

 

「僕の借金なんですけど、まだちょっと返せなくて──

 

「良い。寧ろ、君はもっと私に迷惑を掛けるべきだ」

 

 

よく分からない言葉に、僕は首を傾げる。

 

 

「……すみません?」

 

「……さっさと、帰れ」

 

 

思わず謝ってしまうと、スティーヴンは手をひらひらと振り返してきた。

 

頭を下げながら扉を閉じて……僕はサンクタムを後にした。

 

 

外に出れば……空はもう、赤くなっていた。

 

ここから自宅のあるクイーンズに帰る頃には夜になってるかも。

 

今からスパイダーマンのスーツに着替えて──

 

袖をまくり、(ウェブ)のカートリッジを見る。

原液はもう少ないみたい。

 

帰りにもし、スパイダーマンの出番が来れば……と考えると使えないな。

 

ちょっと、遠いけど歩いて帰ろう。

 

 

あぁ、それと……今日の晩御飯を何処かで食べないと。

これだけ遅くなったら、ご飯屋を探すのだって面倒に感じちゃうな。

 

この辺、詳しくないし高そうだし……クイーンズに帰ってから食べようかな。

 

あの辺なら、僕も詳しいし。

 

僕は晩御飯の事を考えながら、生まれ育った街へ歩き出した。

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

NY科学館から出た後、私はクイーンズを歩いていた。

 

空は赤く染まっている。

時計の短針は真下を指していた。

 

 

……あまり、クイーンズを出歩くのは良くないかも知れない。

 

私の偽装した死体を見た人間がいるかも知れない。

 

と言っても、私が死んだ事を知っているのは学校の同級生ぐらいか?

 

ニューヨークの人口は多い。

ばったりと出会わなければ、人混みの中で私に気付く事もないだろう。

 

きっと杞憂だ。

 

 

だが……そろそろ、マンハッタンに戻るべきか。

 

……腹を撫でる。

私は空腹を感じていた。

 

どこかで食事をしてから帰ろう。

 

私の住んでいるマンションは寮ではない。

食事は各々で用意しなければならない。

 

だから、ここで食べて帰るべきなのだ。

 

 

幸い、お金は持っている。

トニー・スタークから押し付けられた、お小遣いだ。

 

要らないと言ったのに……。

断ったら更に大きな額を押し付けられた。

 

お陰で黙る事しか出来なくなった。

また断ったら余計に大きな額を押し付けられそうだからだ。

 

ヒーローはお節介焼きだ。

それは好ましいが……お節介を焼く相手は選んだ方が良いと思う。

 

 

何処で食べるか。

 

クイーンズの食事処には、そこそこ詳しい。

ここに住んでいた時には、毎日外食していたからだ。

 

……私は、足を止めた。

 

 

あぁ、そうだ。

あそこにしよう。

 

私は踵を返して、よく行っていた場所へと足を進めた。

 

 

少し歩いて……空も少し暗くなって来た。

 

 

ニューヨークの治安は悪い。

あまり、夜遅くまで出歩くのは良くない。

 

……まぁ、暴漢に絡まれても負けはしないが。

それでも無意味なトラブルは避けるべきだ。

 

 

私の目に『サンドイッチ』の絵が描かれた看板が映った。

今日はここにするつもりだった。

 

私はドアに手を掛けて、中に入る。

ドアには鈴が付いており、耳心地の良い音がした。

 

年季の感じる店内には、欠伸をしている店主のデルマーがいる。

カウンターはそこそこ広く、五つほど椅子が並べてある。

 

 

「ん、あぁ……嬢ちゃん、久しぶりだな」

 

 

そう声を掛けてきてくれるぐらいには、私は常連だった。

 

しかし……何というか、いつも以上に店内は静かだった。

本当に潰れていないのが不思議に思えるほどに。

 

 

「何か、変わった事はあった?」

 

 

そう世間話をする。

 

 

「あ、あぁ……えっとな……結構前になるんだけど、近所で事件があってな」

 

「近所?」

 

 

耳を傾ける。

 

 

「そこの裏で、何かヤバい死体が見つかったらしいんだよ」

 

 

……あれ?

 

 

「……へ、へぇ」

 

 

思い出してしまった。

兄……ティンカラーが私のLMD(ライフ・モデル・デコイ)の死体をばら撒いたのは……この辺だった。

 

別に場所を指定しては居なかったのだが……当時、住んでいた場所の周辺に捨てたと言っていた。

 

……もしかして、私の死体なのか?

 

 

「だから、商売上がったりでよ……嬢ちゃんもそういう話で、ここに来なくなったんじゃなかったのか?」

 

「あ、いや……私は遠くに引っ越してたから……」

 

 

目を逸らしながらそう言って、カウンターに座った。

 

 

「そうか……で、注文は?」

 

「いつもの」

 

「ショートケーキね、あいよ」

 

 

メニューも見ずに答えて、店主のデルマーは頷いた。

 

少しすると、目の前にクリームとイチゴの入ったサンドイッチが出された。

 

皿の上に乗っているそれを手に取り、齧る。

 

 

美味しい。

生クリームの甘みが身に染みる。

ライ麦の控えめな甘さと、イチゴの酸味がクリームを引き立てている。

 

前に食べた時と変わらない……いつも通りの、美味しさだ。

 

 

なのに……何か、物足りなく感じていた。

 

 

もう一度、口に入れる。

変わらない味だ。

 

味覚と嗅覚は、全く変わっていないと答えている。

 

 

……何が、足りないのだろう。

 

いや、本当は分かっている。

 

きっと、私はここにも『誰か』……きっと『ピーター・パーカー』と来ていたのだ。

 

 

私にとって彼は……それだけ重要な存在だったのだろう……か。

 

 

チリン、と鈴が鳴った。

 

慌てて手についたクリームを舐め取り、紙ナプキンで拭き取った。

 

 

そして、視線を横にずらすと……私と同年代の少年……いや、青年が居た。

 

彼は私を見て……少し、驚いたような表情をした。

そして、私に見られている事に気付いたのか、慌てて目を逸らした。

 

髪は茶髪で……少し、疲れたような覇気のない顔をしている。

目鼻は整ってるけど、少し幼く見える。

 

そんな青年だ。

 

 

「注文は?」

 

 

店主のデルマーに声を掛けられて、青年はデルマーの顔を見た。

 

 

「5番のBLTを……あ、出来ればピクルスも入れて、ペッチャンコに潰して欲しいかな」

 

「……あいよ」

 

 

不思議な注文をするんだなって、そう思った。

 

彼もこの店の常連なのだろうか?

一度も見た事はないけれど。

 

私はショートケーキのサンドイッチに視線を戻す。

そして、また口にする。

 

 

視線を感じる。

……さっきの、青年からだ。

 

 

「……どうかした?」

 

 

顔をそちらに向ける。

すると彼は……少し驚いたような顔をして、目線を泳がせた。

 

 

「な、何でもないよ」

 

「……そう?」

 

 

彼は頬を掻いて、苦笑した。

よくわからない奴だ。

 

黙々とショートケーキのサンドイッチを食べる。

 

彼はそわそわと……私に視線を向けないように、天井を見たりしている。

少し、気まずかった。

 

だけど、不思議と不快には感じなかった。

寧ろ……どこか、心地良さを感じていた。

 

 

少しして、デルマーさんが戻って来た。

手には押し潰されて薄くなったサンドイッチがあった。

 

 

「ほいよ、坊主。4ドルだ」

 

「あ、どうも……ありがとう、おじさん」

 

 

彼は店主へ、お金を渡して……また、私の方を見た。

 

 

「あの……ちょっと、良いかな」

 

 

私はサンドイッチを食べ終えて……手を紙で拭いた。

 

 

「……何?」

 

「その……えっと……」

 

 

彼は必死に言葉を選んでいるように見えた。

私は、そんな彼の姿を見つめている。

 

 

「さっき食べてたサンドイッチって美味しかった?」

 

「……うん。美味しい。オススメ」

 

「そっか……」

 

 

何が聞きたいのか……どんな意図があるのか、分からなくて、私は首を傾げた。

 

彼はそのまま両手を組んで……悩むような素振りをして、また口を開いた。

 

 

「えっと……今、その……幸せ?」

 

 

本当に変な質問だった。

 

その質問の意図は分からないけど……幸せ、か。

 

 

大切な友人に囲まれて。

人を殺さずに生きていられて。

穏やかな毎日を過ごしている。

 

それは凄く……私にとって──

 

 

「うん、今は幸せ、だと思う」

 

 

私はそう答えた。

 

 

「そっか……良かった」

 

 

彼は、その返答を噛み締める様にして……踵を返した。

 

 

「それじゃあ、その……さよなら」

 

 

ドアに手を掛けて……開けた。

 

 

「……うん、さよなら」

 

 

心地よい鈴が鳴って、ドアが閉じる。

彼はサンドイッチ屋から出て行った。

 

 

さよなら……さよなら、か。

その言葉は、私は嫌いだった。

 

どうしてかは私にも分からないけど……さよならは、嫌だった。

またね、とかそういう言葉の方が好きだ。

 

 

キッチンに入っていたデルマーがカウンターに戻って来た。

私は財布を取り出して、お金を払う。

 

 

そして──

 

 

「さっきの男の人……彼も、常連?」

 

 

そう聞いた。

 

サンドイッチを潰す、ピクルスを入れる……何だか、詳しく知っているイメージがあったからだ。

 

 

だが、帰ってきた答えは違った。

 

 

「いいや?だが、BLTを潰すってのは悪くない発想だな」

 

 

その否定の言葉に……私は、眉を顰めた。

そして……一つの、予想が脳裏に浮かんだ。

 

彼は常連……だったのに、忘れられているんじゃないか?

 

そして、それはきっと──

 

 

私は慌てて、サンドイッチ屋から出た。

外はもう暗くなっていた。

 

左右を見渡しても……彼はもう、居ない。

後ろでデルマーの困惑するような声が聞こえた。

 

……だけど、立ち止まっては居られなかった。

 

 

私は……彼を探して、走り出していた。

 

きっと彼は……恐らく……私がよく知っていた人だ。

私が感じている喪失感の正体だ。

 

私と一緒にいてくれた『誰か』だ。

 

だから……だから、見つけなければ。

 

 

だって、彼はきっと……。

 

 

彼の名前は……。

 

 

「ピーター……?」

 

 

少し走って……暗くなったニューヨークの街灯の下で、彼を見つけた。

 

私が呼んだ事に気付いて……驚いた様子で振り返った。



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#107 アメイジング・スパイダーマン part2

「ピーター……?」

 

 

僕は名前を呼ばれて……振り返った。

 

 

「あっ──

 

 

思わず、彼女の名前が喉まで出かかる。

だけど、無理矢理に飲み込んだ。

 

僕は彼女の名前を知らない筈だ。

知っている筈のない相手なんだ。

知らない相手の名前を呼ぶ事は出来ない。

 

お互いに……。

 

そう、互いに名前は知らない筈だ。

呼び合う事は出来ない。

今までのように。

 

 

それなのに──

 

 

「どうして……僕の、名前を?」

 

 

何故、僕の名前を呼べたのか?

 

一瞬、彼女が僕のことを覚えてるのかと、そう思った。

だけど、違う。

違う筈なんだ。

 

消された記憶は戻らない。

スティーヴンだって言っていた。

 

失ったものは取り戻せない。

不可逆なんだ。

僕だって、それは身に染みるほど知っている。

ずっと……この力を手にした時から。

 

だから、違う。

 

違う、筈なのに……ほんの少し、喜んでしまった。

 

彼女は覚えていない方が幸せなのに……それでも、僕を覚えていてくれたらと……そう考えてしまう自分の浅ましさが、憎い。

 

 

僕が視線を向けると、ミシェルは目を細めていた。

 

 

「やっぱり……貴方は、ピーター・パーカー?」

 

 

……どうやら、確信はなかったみたいだ。

僕の様子を見て、彼女は確信を得たらしい。

 

 

「そう、だけど……?」

 

 

でも、大丈夫。

何も分からないフリをして……気付かないフリをするんだ。

 

最も隠さなきゃならない事には、まだ気付いていない。

僕が口に出さなければ気付かれる事もない。

 

……ミシェルの視線が、僕に突き刺さる。

夜のニューヨーク、クイーンズで……街灯に照らされる。

薄い雲が空を覆って、月の光を遮っていた。

 

コバルトブルーの瞳が揺らめく。

意を決したのか、彼女がゆっくりと口を開いた。

 

 

「……貴方にこれから……変な事を訊く、と思う」

 

「変な……こと?」

 

 

思わず、後ずさった。

後ろめたいからだ。

 

僕は……ミシェルから目が離せなかった。

 

 

「貴方は……私と、友達だった?」

 

 

……心臓が跳ねた。

不安そうな表情だけど……僕のことを見ていた。

目を逸らさずに。

 

その言葉は……否定しなければならない言葉だ。

 

僕はメフィストと契約し、全てを失った……その理由がミシェルの為だったと知られたくない。

知られてはならない。

 

優しい彼女の事だから、絶対に気に病んでしまう。

彼女は『今が幸せだ』と言っていた。

 

だったら、良いんだ。

僕が居なくても、みんな幸せに生きていられるなら。

その幸せに……ほんの少しの陰りも要らない。

 

 

 

だから、否定した。

僕は首を振った。

 

 

「ううん……初対面だよ。知らない人同士だ」

 

 

……これで良い。

 

彼女の人生に、僕は必要ない。

これからも、この世界で生きていく彼女には──

 

 

「違う……」

 

 

ミシェルが僕へ、一歩近付いた。

 

 

「えっと……?」

 

「私、貴方のことを何も覚えてない……けど」

 

 

胸が痛んだ。

 

二人で遊んだことも、食事をしたことも、映画を見たことも、色んな場所に出掛けた事も、色んなことを共有した事も……傷付けた事も、傷つけられた事も、好きだと言った事も。

 

 

全部。

 

 

良い思い出も、悪い思い出も……何も覚えてない。

 

 

「それでも……」

 

 

僕は彼女の目を見た。

彼女は僕の目を見た。

 

視線が混じり合う。

 

ミシェルの瞳はもう、揺らいでいなかった。

揺らいでいるのは……僕の心だ。

 

 

「だけど、それでも……覚えてなくても……私は……知ってる」

 

 

ミシェルの言葉が小さくなっていく。

 

 

……そうか。

ミシェルはこの世界のことをコミックとして知っているんだ。

だから……スパイダーマンや、僕についての知識があるんだ。

 

消えたのは彼女達の記憶。

そして、この世界の痕跡。

 

だから例え、彼女の記憶から僕を消されても……別世界の記憶をもう一度読み直せばいいだけだ。

 

彼女は……疑惑だけで、僕まで辿り着いてしまったんだ。

 

俯いていたミシェルが、僕へ視線を戻した。

 

 

「教えて……ピーター。どうして、私は……私達は貴方のことを忘れているの?」

 

「……何の話かな?僕にはサッパリ分からないよ」

 

 

真っ直ぐなコバルトブルーの瞳から逃げたくて、僕は目線を逸らした。

 

 

「どうして否定するの?」

 

「否定、なんて……何の話か分からないだけだよ」

 

 

顔を合わせるのが怖くて……視線は逸らしたままだ。

彼女は決して責めるつもりはないだろう……それでも僕は、責められているような気がしてしまうんだ。

 

そして……ほんの少しの時間が空いて、彼女は口を開いた。

 

 

「……もし、私が悪いのなら謝るから──

 

「そんなこと、ない……」

 

 

思わず口から漏れた。

 

ミシェルが悪い訳じゃない。

 

グウェン、ネッド、ハリー、スタークさん、メイ叔母さんも。

 

誰も悪くない。

みんなには、幸せになって欲しいんだ。

 

 

「ピーター……」

 

 

だけど……その否定は失言だ。

彼女の言葉を暗に認めてしまっている。

 

……そんな失言に、ミシェルが口を開いた。

 

 

「……なら、どうして?」

 

 

答えられない。

黙ったまま……彼女から離れようとする。

 

もう、どうしたら良いか分からなくて。

僕の内心はメチャクチャになっていて。

 

逃げだしたかった。

このまま話していれば、決意が揺らいでしまう。

諦めていた物を、拾ってしまう。

 

それで誰かを傷付けるのなら……僕は、要らないのに。

 

顔を逸らして、足を後ろに引いて──

 

 

「待って」

 

 

踵を返した時、彼女に手を掴まれた。

指が絡まる。

 

思わず彼女のことを見た。

 

 

「そんな勝手に……どこかに、行かないで……」

 

 

 

彼女は……泣いていた。

涙が頬を伝っている。

 

 

 

「…………」

 

 

息を呑んだ。

 

 

彼女を泣かせたくないから、黙っているのに。

その所為で……また、泣かせてしまった。

 

胸が痛い。

苦しい。

 

なのに心臓の音が、耳にまで届く。

 

 

僕は彼女に問いかける。

 

 

「君は……何で、泣いてるの……?」

 

 

「……ピーターも、泣いてる」

 

 

理由は教えてくれなかった。

代わりに……僕自身も気付いていなかった事を指摘された。

 

 

じくり、じくりと。

 

 

まるでナイフに刺されたかのような胸の痛みに、僕は……無意識のうちに泣いていたみたいだ。

 

……手で拭う。

 

 

「……はは、カッコ悪いな」

 

 

格好付けたくて、彼女に嘘を吐いている訳じゃない。

見栄を張りたい訳じゃない。

 

ただ、彼女を守りたいだけだ。

それなのに……僕は、僕の感情に折り合いを付けられず……泣いて……。

 

僕は、未熟だ。

 

 

「お願い、ピーター……私に教えて……?」

 

 

そう、言った。

 

だけど……僕は──

 

 

「言えないよ」

 

「どうして?」

 

「それも、言えない」

 

 

僕は首を振って……彼女はまた、悲しそうな顔をした。

 

ミシェルの手が僕の手を握った。

手の甲に、彼女の手のひらが触れる。

 

 

「私は……この温かさ、貴方の熱を……知らない」

 

「……そっか」

 

「だけど、ピーターは……私の手の感触を、知ってる?」

 

 

柔らかな感触。

細くて、滑らかな指。

 

熱。

命の……生きている温かさ。

優しさ。

 

 

「だとしても──

 

 

僕は、手を握りながらも……その未練を振り払った。

 

 

「僕の事なんか、気にしないで……いいから」

 

「ピーター……」

 

 

擦れた声が耳に響く。

 

 

「君にとって僕は……初対面の筈、だよね。だから、僕なんか──

 

「ううん、覚えてなくても……」

 

 

ミシェルの手に力が込められた。

 

彼女の顔が近い。

吐息を感じる。

 

 

「それでも、私は知っている。この一年間で……私は沢山、変わる事が出来た」

 

「…………」

 

「人を殺す事に忌避感を覚えて……傷付ける事にも。出来ない事が増えて、私はきっと弱くなった……」

 

 

彼女が俯いて、涙がぼろぼろと溢れた。

 

 

「だけど、それは良い事だった……弱くなっても……私は、人として大事な事を知った……命の大切さを知った……変わらなきゃって思えたから」

 

 

手を握る力は強く……離さないようにと。

 

 

「それに……誰かを好きになる事も出来るようになった……」

 

 

握られた手が、震える。

 

 

「誰を好きになったのかはもう、覚えてないけど……きっと、貴方が変えてくれた……私を」

 

 

ミシェルが顔を上げた。

 

普段の表情に乏しい顔じゃない。

彼女は……泣いていた。

 

彼女の正体を知ってから沢山見た……見てしまった、彼女の泣き顔。

 

……違う。

僕は、そんな顔がして欲しくて……助けた訳じゃない。

僕はただ、君に笑って欲しかっただけなんだ。

 

 

「何も分からないし……何も覚えてなくても。私を変えてくれた……私を暗闇から助けてくれた貴方が……苦しんでるのなら……」

 

 

その瞳には、僕が映っていた。

 

 

「私に貴方を……助けさせて欲しい……」

 

 

あぁ。

 

その言葉は……もう、彼女は忘れてしまっているだろうけど……僕が、君に言った言葉だ。

 

例え、全ての思い出が失われても。

握った手の温かさは変わらない。

 

心のあり方も。

その、優しさも。

 

 

「……ミシェル」

 

「…………お願い、だから」

 

 

震えていた心が……ゆっくりと、戻ってくる。

 

そう……そうだった。

君の感じている不安や、罪悪感も分かち合うって言ったから。

勝手に居なくなったら……ダメだ。

約束は守らないと。

 

彼女が今、泣いているのなら……もう、知らないフリなんて僕には出来ない。

 

 

だから──

 

 

「分かったよ」

 

「……ピーター?」

 

 

手を握り返す。

しっかりと正面から向き合って……口を開く。

 

 

「きっと……知らない方が、ミシェルは気楽に生きられると思う」

 

「……それでも。教えて欲しい」

 

 

視線が、ぶつかり合った。

 

 

「うん……話すよ」

 

 

 

公園のベンチに座って──

 

暗くなったクイーンズで──

 

真夜中、二人で──

 

 

僕は話した。

溢れ出しそうな内心を抑えつつ、少しずつ……彼女に話した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼女を助けようとした事を。

 

 

 

 

 

心臓の爆弾が爆発した事を。

 

 

 

 

 

助けられなかった事を。

 

 

 

 

 

メフィストとの契約を。

 

 

 

 

 

 

 

 

全て、嘘偽りなく……話した。

 

彼女は黙って聞いていた。

驚いた様子はない。

 

どこか……予感していたのだと思う。

だから、これは答え合わせなんだ。

 

 

話し終えて……僕は、息を深く吐いた。

 

 

「これが事の顛末……だから、知られたくなかったんだ」

 

 

ふと、ミシェルの顔を見た。

辛そうな顔をしている。

 

 

「……ばか」

 

「……まぁ、確かに。もっと上手い方法とか、あったかも──

 

 

ぽすっ。

 

と音がした。

 

僕の胸からだ。

彼女の拳が、僕に優しく当たった音だ。

 

 

「ホントに……ばか」

 

 

もう一度、優しく叩かれた。

これは彼女なりの抗議なのだろう。

 

 

「は、はは……そんなにかな」

 

「うん……ばか。確かに……私、絶対に気にしちゃうけど……貴方が不幸になるぐらいなら……ちゃんと、受け止めるから」

 

 

……彼女は、僕が想像していたよりも、ずっと強かった。

 

僕が勝手に選んだ選択肢は……きっと、間違いだったのかも知れない。

 

 

「……でも、ありがとう」

 

 

だけど、遠回りだったけど……やっと、僕はミシェルに心の内を曝け出す事が出来た。

酷い話だけど……清々しい気持ちだった。

 

この一ヶ月で一番……晴れやかな気持ちだ。

 

 

「私を助けてくれて、ありがとう」

 

 

……違うよ。

感謝したいのは……僕の方なんだ。

 

忘れても……僕の事を探してくれた、君にこそ。

諦めていた僕を助けに来てくれた、君にこそ。

僕は感謝しているんだ。

 

 

「でも、ピーター……どうして、そこまでしてくれるの?」

 

 

……その言葉も、前に一度、言われたな。

 

 

「それは……その、僕が君を好きだからだよ」

 

 

だから、今度もそう返した。

全く同じ内容で、同じ気持ちで……返事をした。

 

 

僕の言葉にミシェルは……驚いたように口を小さく開き。

噛み締めるようにして、頷いた。

 

 

「そっか……そうなんだ……」

 

 

頬は少し、赤くなっていた。

彼女も、僕も。

 

 

静かなクイーンズの公園で、二人でベンチに座って……顔も合わせず、ただ絡まった指の感触と熱を感じていた。

 

彼女にとって僕は、初対面の筈なのに。

どうしてここまで……僕に気を許してくれるのだろう。

 

……僕は口を開いた。

 

 

「……ミシェルもさ、どうして気を許してくれてるの?だって、僕のことは何も覚えてないのに」

 

 

そう、訊いた。

 

彼女が目を瞬いた。

僕は言葉を繋いだ。

 

 

「僕が、スパイダーマンが……君の好きなコミックのキャラクターだから?」

 

 

そうだ。

ミシェルは……別世界でコミックのヒーローとしてのスパイダーマンが好きだと言っていた。

それなら、それが理由で──

 

 

「違う」

 

 

だけど、返ってきたのは否定の言葉だった。

ミシェルは首を振っていた。

 

 

「……違う?」

 

「うん……それも、少しはあるかも知れないけど……一番は……えっと、なんて言ったら……」

 

 

ミシェルの視線が揺らいだ。

 

 

「……初めて会った時から……ずっと、さっきまで話してたら……その、私も……ええっと……」

 

 

言葉を濁して。

 

 

「私も……そう、貴方のことを……信じられると思ったから……」

 

 

その言葉に、耳まで熱くなった。

 

 

「私がこの一年で得た感情の理由が……貴方だと分かったから……」

 

 

抽象的な言葉だった。

 

 

「きっと私が好きだったのは……貴方だったって……思ったから」

 

 

僕の記憶を全て失っても……僕が彼女の心に与えた影響は変わらない。

それらが、僕に紐付いて……。

 

 

「……それは、嬉しいな」

 

 

辛うじて、そう言えた。

 

照れ臭くて、心臓が大きな音を立てて鳴っている。

ミシェルもきっと、そうだ。

 

 

でも、だけど……そっか。

 

記憶を失う前も、ミシェルの好意は感じていた。

彼女は決して『好き』と直接言ってくれなかったけど……今、ようやく言えたんだ。

 

それはきっと、彼女の事を縛っていた後ろめたさが……少しは減ったって事だろう。

 

それが堪らなく、嬉しい。

 

 

きっと、彼女も自分の事が……少しは、許せたのだろう。

 

 

夜風が頬を撫でた。

雲は晴れて、月が出ていた。

 

 

「……ピーター」

 

 

「うん」

 

 

「一つだけ、お願いしても良い?」

 

 

「うん、いいよ……一つだけじゃなくても」

 

 

「ピーターと私の思い出を教えて欲しい」

 

 

「……少し、長くなるよ?」

 

 

「いい。だって、時間は沢山あるから」

 

 

「……うーん、どこから話そうかな」

 

 

「最初から、が良いな」

 

 

「じゃあ、最初から……もう一度だけ、話そっか。僕は──

 

 

 

 

生まれ育った街で。

 

 

僕が守ってきた街で。

 

 

月明かりと街灯が照らす夜の下で。

 

 

何かに怯える事もなく。

 

 

穏やかに。

 

 

言葉を交わす。

 

 

無くなった思い出は、戻ってこない。

だけど、新しく作る事は出来る。

 

一つずつ、積み上げていくんだ。

 

今日の出来事も、きっと……数年後には「そんな事があったね」って懐かしんで、笑い合えるようになるよ。

 

 

君が自分を好きになれるまで、僕が君を好きでいよう。

 

君が好きになってくれた僕も……僕自身が好きになれるように、努力するから。

 

 

君が笑って。

僕が照れて。

 

君が疑って。

僕が慌てて。

 

怒って、笑って、泣いて、微笑んで。

 

 

そうやって……少しずつ、また積み上げていこう。

 

 

これから、僕達はどうなって行くのか。

それはまだ、分からない。

 

 

きっと、晴れた日ばかりではないと思う。

雨の日だって沢山あるだろう。

 

 

それでも良い。

良い事も、悪い事も積み上げて……君と作っていきたいんだ。

 

 

思い出を。

 

 

僕と君で……そして、みんなと。

 

 

 

 

だから、今日の決断を後悔する事はない。

あの日、初めて会って……君と話そうとした決断も。

 

例え、どんな事があったとしても……後悔だけはしない。

 

 

きっと、乗り越えていける筈だと……今は、そう思えたんだ。

 

 

 

無くなってしまった思い出。

死んでしまった人。

帰れなくなった居場所。

 

それらは無駄にならない。

影響されて……与えられた心が、想いを推し進める限り……きっと。

 

 

続いていく。

 

 

ずっと……ずっと……。

 

 

寄り添いながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

アベンジャーズタワー。

そこで私は少女と相対していた。

 

窓の外を見れば、日光が照り付けていた。

 

 

目前にいるのは薄い金髪に青い眼を持った……ミシェル・ジェーン=ワトソンという少女。

 

彼女が口を開いた。

 

 

「ナターシャ・ロマノフ、さん。来てくれてありがとう……ござい、ます」

 

 

今日の彼女は大人しかった。

まるで別人のように。

 

普段、私と会話する時はもっと刺々しい物だった。

 

言うならば『レッドキャップ』らしい、威圧的な話し方だ。

しかし、今は違う。

 

それでも、彼女の口調に違和感はあれども驚きはしない。

 

元々、グウェン・ステイシーと彼女が会話している時の様子を知っている。

 

そう、ニック・フューリーから貰った情報と照らし合わせる。

この少女は何かしらの原因で、別次元の人間の記憶を持っている。

 

 

その所為で元来の少女らしい思考回路と、攻撃性の強い思考回路が両立している。

二重人格とかではなく、ただ思考回路を切り替えられるだけだ。

 

彼女もセラピストに話していた。

仕事中……つまり、戦闘中や警戒中は気分が高揚し、口調も変わると。

 

記憶は共有しているし、根本的には同一の人格。

どちらも彼女自身だ。

 

 

そして、今の彼女は……仕事中ではない方という事か。

 

……以前まで、私は警戒されており、攻撃性の強い状態で会話していたのだろう。

 

少しは信頼してくれている、という事だろう。

 

 

「用があると聞いたわ、その要件は?」

 

 

私は『S.H.I.E.L.D.』のエージェントとして……『ブラック・ウィドウ』として、ここに来ている。

 

彼女の友人であるグウェン・ステイシーは私の後輩だ。

まだ彼女は訓練生であるため、私が指導する事もある。

 

 

「以前、ニック・フューリーに話された『選択』についての回答を」

 

 

私は……彼女には真摯に、向き合わなければならない。

 

彼女と戦った者として、グウェン・ステイシーの先輩として、『S.H.I.E.L.D.』のエージェントとして。

 

そして、何より……似た者同士として。

 

 

「そう。それで……一般人に戻るの?それとも……」

 

 

私は『レッドルーム』という諜報機関で、彼女のように虐待染みた訓練を受けていた。

幼い頃からスパイとして活動していた。

 

……彼女の辛さは、人よりも理解出来る。

でも、私と違って彼女は若い。

 

まだ、新たな人生を歩む事が出来る。

普通の女の子として、『ミシェル・ジェーン』として。

 

 

しかし──

 

 

「……私は、誰かを助けられるようになりたい」

 

 

彼女の回答は、異なっていた。

 

人並みに生きる事を捨てて、『S.H.I.E.L.D.』のエージェントとして生きる事を選んだのだ。

 

私は目を軽く、閉じた。

 

 

「貴女が罪悪感を感じて、その選択をしているのなら……気にしなくて良いわ。法的にも罪に問われないし」

 

「…………」

 

 

彼女は罪悪感を感じている。

彼女は悪意を振り払えるほど強くはなかったが、人並みの善性を持っていた。

 

それに苦しめられている。

 

だから、そのような選択をしたのかと疑った。

 

 

「……それでも、かしら?」

 

 

だが、その目には怯えは見えなかった。

 

……確かに罪悪感もあるだろう。

だが、別の何かもあるように見えた。

 

 

「……私は、今まで沢山の人を殺してきた」

 

 

知っている。

崩壊した組織(アンシリー・コート)の基地から、幾つものデータをサルベージしたからだ。

 

 

「欲しくもなかった力で、悪事を働いていた」

 

 

彼女は被害者だ。

イカれた未来人の人体実験によって、超人的な力を得た。

心と身体を擦り減らし、一流の戦闘員となった。

 

彼女自身は、それを望んではいなかっただろうに。

 

 

「そして、ずっと現実から目を逸らして……逃げていた」

 

 

超人的な力があっても、彼女の性根は普通の人間だ。

だから、組織に反抗する事もできず、逃げる事も出来なかった。

 

……それを責めるつもりはない。

 

 

「でも、望まない力であっても……責任からもう逃げたくない」

 

「……責任?」

 

 

彼女の言葉に口を挟んだ。

 

 

「力を持つ者は、その力を正しい事に使う責任がある……」

 

 

それは一般的な価値観だが……綺麗事だと吐き捨てられるような理屈だ。

 

恵まれた者は、恵まれない者を助けなければならない。

それは確かに理想だ。

 

だが、自身がその『恵まれた者』になった時……誰かを助けられるか?

 

 

……それが出来る人間は、少ない。

 

 

そんな理想主義を彼女が口にした事に驚いた。

現実主義者(リアリスト)のように見えていたからだ。

 

 

「……誰かの受け売り?」

 

 

だから、彼女が思い付いた訳ではないだろう。

誰かの言葉で、誰かの価値観だ。

 

 

「……私の憧れの人が、そう言っていた」

 

 

憧れ、か。

彼女はこの世界をコミックと認識しており、ヒーローに憧れていたと聞いていた。

 

 

「私も変わらなきゃならない。『憧れ』ているだけじゃなくて……この力に相応しい人間になりたい」

 

 

そして、そう言った。

 

表情は険しいが……己を責め続け、逃げていた表情は鳴りを潜めていた。

 

 

だが、今ならば──

 

 

 

「……良いわ、フューリーには言っておく」

 

 

何か、良い変化があったのだろう。

彼女を変える、変えようとしてくれる『何か』。

もしくは『誰か』か。

 

どちらでも良い。

 

ふと、頬が緩んだ。

 

 

「ありがとう……ござい、ます」

 

「でもまだ今は、しっかりと休んで」

 

「私はもう、大丈夫で──

 

「一ヶ月前に死にかけたのよ?心も身体も、もう少し休んで……誰も貴女を責めないから」

 

 

私は笑って、席をたった。

 

不服そうにしている彼女の事を見て、少し笑った。

 

グウェン・ステイシーは……彼女は、優しくて可愛らしい年相応な少女だと言っていた。

そう言われても、思えなかったが……今なら分かる。

 

 

 

そのまま扉を開けて、会議室を出れば──

 

 

「盗み聞き?感心しないわね」

 

「君を待っていただけだ」

 

 

眼帯を付けた強面の男……ニック・フューリーが居た。

私が歩き出すと共に、フューリーは私の横に付いて歩いた。

 

何か話があるのだろう。

 

そう思って、フューリーの顔を軽く見ると……彼が口を開いた。

 

 

「彼女はどちらを『選択』した?」

 

「エージェントになるって言ってるわ」

 

「そうか」

 

 

フューリーが薄く笑いながら、頷いた。

随分と嬉しそうだ。

 

 

「正直、私は反対よ。彼女をこれ以上、戦わせるのは」

 

「しかし、選んだのは本人だ。それに……彼女に償いは必要だ」

 

 

思わず、眉を顰めた。

 

 

「償う必要があるかしら?彼女は──

 

「償いは被害者の為だけにある訳ではない。彼女自身の心を救うために必要だ」

 

 

そう言われて……私は頷いた。

 

ミシェル・ジェーン=ワトソン。

彼女の精神面は、人を殺し悪事を働いたとは言え、一般人に過ぎない。

 

自分の罪を無視できるほど悪人ではない。

そして、罪悪感を感じられる善性も持っている。

 

そんな彼女は……少々、病んでいると言って良い。

随分とマシになったが、ここに運び込まれて来た時は随分と荒れていた。

 

暴れている訳ではなく、ただ自分を蔑んでいた。

 

だから……そんな罪悪感を和らげるために、善行を積ませようという考えには納得した。

 

 

「……それにしても、フューリー。これも貴方の想定通り?」

 

「まさかな。私は未来予知できる訳ではない。ただ、そうなれば良いと考えていただけに過ぎない」

 

 

フューリーがタブレットを操作して、何かのリストを開いた。

それには人名が書き込まれている。

グウェン・ステイシーや、ハリー・オズボーンの名前もあった。

 

そして、そこに彼女の名前を追加した。

 

 

「……それは?」

 

「リストだな」

 

「何の、かしら?」

 

 

要領を得ない回答に、眉を顰める。

 

するとフューリーは笑いながら、タブレットをこちらに向けた。

 

 

「新たなる“希望”だ」

 

 

彼がリストを閉じれば、ファイルの名前が表示される。

 

 

 

 

そこには──

 

 

 

 

 

『ヤング・アベンジャーズ』と表示されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

サンクタム・サンクトラムの天窓から見える空は暗い。

月の明かりが魔法陣を模した窓を貫き、足元を照らす。

 

書庫で浮遊マントを壁に掛けて、真っ赤なソファに座る。

 

腕時計を見る。

時計の短針は9つを指し示している。

 

 

 

……ピーターを送り出した翌日。

ミシェル・ジェーン=ワトソンが『S.H.I.E.L.D.』に入ったと聞き、私は安堵のため息を吐いた。

 

 

 

風もない部屋で浮遊マントがはためく。

 

 

自己を愛せない少女。

己を顧みない少年。

 

二人の事を想い、馳せる。

 

 

 

『アガモットの眼』を使用して、私は未来を見た。

タイムストーンは近しい未来ならば予知すら可能だ。

 

ただ、自然の法則を乱し過ぎれば……予想外の反動が起きる。

良き事を引き寄せれば、それと同様の悪しき事をも引き寄せる。

 

だから、あまり使用してはならない。

運命を歪める事はそれだけ危険なのだ。

 

 

だが、そうだとしても……今回だけは。

 

 

机の引き出しを開ける。

文字盤ごと砕けた腕時計があった。

 

私は過去に、外科医だった。

神の手などと呼ばれていた。

富も名声も、恋人も……何でも持っていた。

 

 

だが、ある日……私は交通事故によって全てを失った。

 

辛く、苦しい日々だった。

 

だが……何もかも無くしても、そこから這い上がった。

 

魔術を手にした私は、今も信念を貫き続けられている。

『人を救う』、ただそれだけの信念を。

 

 

だから、全てを失った彼が……私と同様に失った彼が、諦めている事を許せなかった。

納得出来なかった。

出来るはずがなかった。

 

だから、引き合わせた。

 

 

確かに、私は彼と『彼女には真相を話さない』と約束した。

 

だが──

 

 

「約束は守っただろう?」

 

 

きっと、真相を話したのは彼自身だ。

私は話していない。

 

浮遊マントが震えた。

 

 

私は引き出しを閉じた。

 

そのまま……振り返り……ふと、書庫の奥で何かが淡く輝いていることに気付いた。

 

 

「……なんだ?」

 

 

私は至高の魔術師(ソーサラー・スプリーム)だ。

このサンクタムの書庫にある全てを知っている。

 

筈だ。

 

だから、知らない物体がある筈がない。

 

 

しかし──

 

 

「……随分と派手なセキュリティだ」

 

 

宙に浮かぶ、鎖で雁字搦めになった本を見て苦笑した。

 

どこからか来たのか?

いいや、サンクタムに許可なく入る事は不可能だ。

 

元からあったのか?

そんな訳がないだろう。

 

では……どうして今更、見つけたのか。

 

 

鍵の形状を見て……察した。

 

 

私は両手を交差して、魔法陣を作り出す。

それはアガモットの眼を開くための魔法陣……だが、対象はアガモットの眼ではない。

 

目の前にある本の鍵だ。

複雑に絡み合う円を分解すれば……本を縛っていた鎖が地面に落ちた。

 

 

「……やはり、師か」

 

 

アガモットの眼の開錠構造、それを知っている者は少ない。

そして、このアーティファクトは至高の魔術師(ソーサラースプリーム)が代々受け継ぐ物。

 

 

つまり、鍵を用意したのは先代の至高の魔術師(ソーサラースプリーム)……エンシェント・ワンだ。

 

恐らく、本自身に魔術を掛けて……時空を跳躍させたのだ。

今、この瞬間にここに来るように、未来を予知して。

 

目を少し、下げる。

 

アガモットの眼、そこの内部にある石……それは時間を操る『タイム・ストーン』と呼ばれる物だ。

 

 

「時間の操作……それほどまでに、この書物を私に見せる必要があるのか」

 

 

時空連続体へのダメージを顧みても、無闇に時間への干渉はするべきではない。

それはエンシェント・ワンだって知っている筈だ。

 

彼女は迫り来る巨大な脅威を、未然に防ぐ事に身を捧げていた。

だから、これは……この書物は、それだけ重要だと言う事だ。

 

 

果たして、何の予言書か。

または、封印せざるを得なかった強大な魔術か。

 

 

私は宙に浮かぶ本を手に取り、開く。

 

 

「………なに?」

 

 

しかし、そこに書かれていたのは……たった一人の少女についての話だ。

エンシェント・ワンが体験した記憶、それが転写されている。

 

少女の名は書かれていない。

だが、読み取れるエンシェント・ワンの残留思念……それらは、彼女の事を指し示していた。

 

 

ミシェル・ジェーン=ワトソン。

私が助けた少女の名前だ。

 

 

過去にエンシェント・ワンは彼女の記憶を抹消した事がある……らしい。

 

それは、彼女の持つ記憶……そして、その記憶の源を危惧してのこと。

 

 

「…………」

 

 

ページを捲る。

 

エンシェント・ワンは時空の歪みを探知し、原因がラトベリアの戦争孤児の記憶だと知った。

だから、彼女の記憶を消し、原因を取り払おうとした。

 

だが、しかし……エンシェント・ワンも、その原因について詳しくは知らなかった。

別世界の記憶を覗き見れる何かが……何なのかを。

 

エンシェント・ワンは彼女の中にある『何か』を見た時……その存在を知れば、この世界は波乱で溢れかえると悟った。

 

しかし、罪のない少女の命を奪う事に……彼女は躊躇してしまった。

 

だから、封印処理を掛けた。

思い出せないようにと……だが、それでも、エンシェント・ワンですらも完全には封印出来ていなかった 。

 

彼女が記憶を別世界から読み取る為に使っている『何か』。

 

 

その『何か』とは。

 

 

それは──

 

 

「ウアトゥの眼……」

 

 

観測者(ウォッチャー)、ウアトゥ。

彼は月に住む、生きる超常現象だ。

 

全ての時空を見渡し、全ての世界を観測する宇宙的存在……人智を越える上位種族、それが観測者(ウォッチャー)という種族だ。

 

ウアトゥはその、観測者(ウォッチャー)の一人である。

 

 

その、彼の瞳。

 

 

 

 

つまり──

 

 

 

「…………」

 

 

私は立ち上がり、本棚へ向かう。

特定の順序で本を引き抜けば……ポータルが開き、手元に通信機が落ちてきた。

 

魔術の聖地に相応しくない、近代的な通信機器だ。

 

 

 

 

彼女の持つ『眼』、それは危険だ。

それに、この世界の観測者(ウォッチャー)、ウアトゥの眼がここにあるという事は……彼が既に死んでいるという事だ。

観測者(ウォッチャー)を殺した何者かが存在するという事なのだ。

 

そして、ウアトゥの眼を封印する事は師にも出来なかった……彼女より経験の浅い私には、尚更だ。

 

 

幾つもの不安要素。

魔術師との知識。

合理的な判断。

 

 

それらが私に『彼女は、この世界から消した方が良い』という結論を導こうとする。

 

 

 

通信機の電源を入れる。

 

 

これは、トニー・スタークが作った機械で……極秘回線に繋がっている。

『S.H.I.E.L.D.』も『アベンジャーズ』すらも知れない秘密の集まりに。

 

 

ディスプレイに連絡先が表示された。

 

 

 

最強のヒーローチーム、『アベンジャーズ』の中核を担う天才発明家。

トニー・スターク。

 

天才科学者にして、最高と名高いヒーローチーム『ファンタスティック・フォー』のリーダー。

リード・リチャーズ。

 

月に存在する『アティラン』という国家、そこに住む超人種族『インヒューマンズ』の王。

ブラック・ボルト。

 

ミュータントを統率する最強のテレパス能力者にして、『Xメン』を統率する者。

プロフェッサーX。

 

海底都市、『アトランティス』の王子。

この世界で初めて人類の前に現れた『最初のミュータント』。

ネイモア。

 

そして、至高の魔術師(ソーサラー・スプリーム)である私。

スティーヴン・ストレンジ。

 

 

6人のチーム。

国にも、アベンジャーズにも知られていない秘密結社。

 

 

『イルミナティ』

 

 

それは、この世界の脅威を事前に排除してきた者達の名だ。

 

アベンジャーズや『S.H.I.E.L.D.』では対処の難しい物を……秘密裏に、非合法に、時には道徳も捻じ曲げて対処してきたのだ。

 

 

脅威が迫った時、我々は結集してきた。

 

だから、今が……その時だろう。

 

 

 

 

しかし、私は──

 

 

 

 

「私は……貴女のように、無慈悲で寛容にはなれない」

 

 

端末の電源を切り、師の顔を思い出す。

 

エンシェント・ワン。

永く……途轍もない時間を生きて、彼女は世界から脅威を取り除いていた。

 

手段は選んでいられない。

時には命を奪う事もあっただろう。

 

 

だが、私には……無理だ。

 

 

魔術師(ソーサラー)である前に、医者(ドクター)である私には。

 

 

「……もう、良いだろう?幾つもの苦しみを乗り越えたんだ……彼女と、彼は」

 

 

椅子に深く座り込み、本は机の上へ。

 

 

 

「だから、ハッピーエンドで良い……」

 

 

 

自分に言い聞かせるように、そう呟いた。




応援ありがとうございました。
今後については、活動報告を投稿しているので見て頂けると嬉しいです。


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#EX ドリーム・ビフォア・スリープ

閑話です。
今年もよろしくお願いします。


時間は少し遡る。

 

私がブラック・ウィドウに、決意を話す前。

選択をする日……その前。

 

前日の夜。

 

クイーンズの公園、そこのベンチで二人語り合っている時。

 

そこまで遡る。

 

 

「まぁ、そんな感じで……えっと──

 

 

ピーターが言葉を紡ぐ。

 

私が知らない、私の話。

ピーターだけが知っている、私の思い出。

 

確かに、その場面に遭遇すれば私はそうするだろうと思える思い出。

疑う訳ではないが、ピーターの語る話は事実なのだと納得した。

 

そして、それは……凄く──

 

そう、私にとっては、凄く──

 

 

「……羨ましい」

 

 

羨ましく聞こえた。

 

 

「ミシェル?」

 

 

私が小声で呟いた言葉に反応して、ピーターが首を傾げた。

 

 

「……何でもない」

 

 

取り繕うように下手くそな笑みを浮かべて、首を振る。

 

誰を羨ましく感じるのか?

ピーターに対して、ではない。

 

私自身だ。

正確には、私の知らないピーターの記憶にいる私に対してだ。

 

私はピーターの顔を見る。

頬を掻いて、ピーターは不思議そうな顔をしている。

 

凛々しさと優しさの中に……ほんの少しの臆病。

 

陽気かと言えばそうではなく、大人しい性格。

 

彼の思い出話を聞けば対人関係に対しては臆病……だけど、誰かを助ける時は勇敢。

 

頼りないけど、本当は頼りになる。

矛盾した二つを兼ね備えた、そんな人だ。

 

 

「……ど、どうしたのかな?僕、変な事言った?」

 

 

そう言って慌てる様子を見ると、少し愉快な気持ちになる。

虐めて楽しいって訳ではない……だけど、その、愛おしく思えた。

 

こうやって彼の知らない表情を見ること、それが堪らなく嬉しい。

 

 

「ううん、大丈夫。もっと、話を聞かせて欲しい」

 

 

私は笑いながら、そう言った。

 

元々、スパイダーマン……いや、ピーター・パーカーに対して私は、好意を持っていた。

コミックのヒーローに対する好意だ。

 

だけど、こうして出会って……彼の献身を知り、私は彼が好き『だった』のだと確信した。

今も……記憶を失った今でさえ。

 

思い出話で……今の私自身も惹かれている。

 

前の私と、今の私。

記憶を失っても根本は変わらない。

 

どちらの私も彼が好き、なのだろう。

 

 

 

だからこそ、羨ましい。

私の知らない彼との出会い、出来事、全て。

 

自身の唇を、指でなぞる。

 

キスの感触も……私は覚えていない。

それが羨ましい。

 

 

そんな私の無意識の行動を見ていたのか、ピーターが顔を赤らめた。

……私も少し恥ずかしくなった。

 

 

しかし、記憶を失う前の私を羨ましいと思いつつも、一つだけ褒めるべき所がある。

 

それは──

 

 

 

 

彼の『恋人(ガールフレンド)』という立ち位置を手に入れている事だ。

 

ピーターの口から恋人だとか、そういう話は出てこなかったけれど……二度もキスしているのだ。

 

二度も。

 

間違いなく、付き合っていた。

何度もデートをしているし。

 

そうでなければ、お互いに奥手過ぎる。

流石に……ありえないだろう?

 

だから、私とピーターは付き合ってる。

間違いない。

 

 

「……うん」

 

 

私が一人、そう頷いていると……ピーターが何かに気付いたようにスマホをポケットから出した。

 

最新機種の二世代ぐらい前の型落ちしたスマホだ。

 

それのボタンを押すと、画面に時刻が表示された。

 

 

もう、日が変わる寸前だった。

 

 

「ミシェルってさ、今は何処に住んでるの?」

 

「……マンハッタン、だけど?」

 

 

そう、返す。

 

 

「この時間は……うん、送っていくよ。もう夜も遅いし、帰った方がいいよ」

 

 

そう言って、ピーターがベンチから立った。

確かに夜も遅い。

 

マンハッタンとクイーンズは隣と言えども、距離はそこそこある。

夜のニューヨークの治安を考えれば、送っていくのが正解だろう。

 

普通の女性に対してならば。

 

 

「私は一人で大丈夫、だけど?」

 

 

だが、私は超人だ。

夜間に婦女暴行を仕掛けてくる卑怯者程度には負けない。

 

それよりも、決して近くない距離を往復する事になってしまうピーターを労わりたい。

 

 

私の考えに気付いたようで、ピーターが苦笑した。

 

 

「いやいや、遠慮しなくても良いよ」

 

「……でも、ピーターの帰りが遅くなる」

 

「気にしないよ」

 

 

気にしない。

そう、ピーターが言っても……私は気にしてしまう。

 

 

だから、立ち上がったピーターの服……その裾を掴んだ。

 

 

「なら……ピーター」

 

「ミシェル……?」

 

「もう少しだけ、話したい」

 

「でも、もう遅いし……」

 

 

私は仄かに笑った。

 

 

「ピーターはクイーンズに住んでる。違う?」

 

「いや、そう……違わないけど……?」

 

 

想定通りだ。

だから、私は考えていた言葉を、口に出した。

 

 

「泊めてほしい」

 

「泊め……え?」

 

「今日、ピーターの家に……泊めてほしい」

 

 

普通の男性に対してなら、遠慮する。

変な事されないか心配だし。

相手も困ってしまうだろう。

 

だけど、ピーターは違う。

だって私達は『恋人』なのだ。

 

だから、一緒の部屋で寝るのも普通だ。

 

 

「あ、え、でも……」

 

 

しかし、ピーターが言い淀んだ。

私は目を細めた。

 

……急に誰かが泊まりにくるのは、流石に迷惑……なのかも知れない。

 

 

「……ごめん、無理言ったかも」

 

 

距離を測り損ねてしまった……だって、仕方ないだろう?

何も覚えていないのだから。

 

……ほんの少しの自己嫌悪。

心の中で自身を罵倒する言葉が反射する。

 

そう、反省していると──

 

 

「む、無理じゃないよ。うん、大丈夫……」

 

 

ピーターが私に対して、努めて笑った。

そして、言葉を繋いだ。

 

 

「泊まりに来て良いよ。僕は全く、迷惑じゃないからさ」

 

「……ん、ありがとう。嬉しい」

 

 

私は安堵の吐息を吐いた。

一瞬、ピーターを不快にさせてしまったかと思ったからだ。

 

だけど、彼は笑顔で許してくれた。

 

 

立ち上がっていたピーターの手が、私に触れた。

驚いて私は、反射的に引っ込めてしまった。

 

 

「あ……」

 

 

声を出したのは私か、彼か。

いいや、両方だ。

 

少し。

ほんの少し。

気まずく感じながら私は立ち上がり、ピーターに視線を合わせる。

 

ピーターは少し……視線を逸らした。

彼の手が私に触れた理由、それはきっと──

 

 

「ピーター」

 

 

私は彼の手を握った。

 

こういう事、なのだろう。

私達は普段から手を繋いでいた、のかも知れない。

恋人(ガールフレンド)』ならおかしくはない。

 

だから、私が手を引っ込めた事に、ピーターは少し傷付いたのだろう。

 

 

「……行こ?」

 

 

別に、ピーターと手を繋ぐ事は嫌じゃない。

寧ろ……いや、嬉しい……の、かも?

 

私自身の手とは違う、少し骨張った手。

ゴツゴツとしていて、それでも細い。

それが、優しく触れ合った。

 

 

「……うん、行こっか。ミシェル」

 

 

まるで壊れ物を扱うように、私の手を握り返した。

 

手が触れ合うだけで、これだけ幸福な気持ちになれるのだから……幸せとは本当に些細な物から感じられるらしい。

私の幸せは安上がりだ。

 

だけど、それで良い。

 

胸にできていた空白が埋まっていく。

そんな気がした。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

ニューヨーク。

クイーンズ。

ピーターの部屋。

 

ピーターが壁についている小さなレバー型のスイッチを跳ね上げた。

パチン、と音がして電気がついた。

 

壁は……少し黒い汚れが目立つ。

家具を擦った後だろうか?

 

所々、床を踏む場所によっては軋んだ音がなる。

 

頭上にある灯りは……LEDでもない、白熱電球だ。

 

 

「えっと……取り敢えず、ベッドにでも座っていいよ」

 

「う、ん……」

 

 

私は少し、思っていたよりも……その、見窄らしい部屋に驚いていた。

前に私が住んでいたアパートよりも……だ。

 

ピーターは隣室に住んでいたと言っていた。

つまり、住居の質は私と同じだった。

……だから、この様子なら間違いなく下がっている。

 

 

それは……私の所為だ。

胸元を抑える。

 

 

「……ミシェル?」

 

 

ピーターが心配そうに、私へ視線を向けた。

 

私が今、住んでいるのはスターク家が作ったマンションだ。

豪華……とは言えないが、かなり良い暮らしをさせて貰っている。

金銭も貰っている……仕事もしていないのに。

食事にも困って居ない……多少、無駄遣いしても問題ないほどに貰っている。

 

なのに。

 

ピーターは、この様子なら……あまり、良い暮らしではないだろう。

 

 

助けられた私が、何の苦労もなく生活して。

助けてくれた彼が、こんな暮らしをしている。

 

 

「…………」

 

 

心が軋む。

この部屋の床のように、音を立てて。

不協和音を奏でている。

 

こんなの、私は──

 

 

「ミシェル」

 

 

ピーターが肩に手を置いた。

正面から、私の顔を見ている。

 

 

「その、大丈夫?」

 

 

大丈夫か訊きたいのは私だ。

 

 

「ピーターこそ……その、辛くない?」

 

 

私の言葉にピーターは首を傾げた。

 

 

「えっと、何が……かな?」

 

「その……」

 

 

私が部屋を見渡すと、察したようでピーターが苦笑した。

 

 

「確かに、ちょっとボロいね」

 

「……ピーター、私は──

 

「でも、全然辛くないよ」

 

 

ピーターは否定した。

そんな筈、ないのに。

 

彼の頬が緩んだ。

 

思わず──

 

 

「……ピーター、ありがとう」

 

 

私は、感謝の言葉を告げた。

彼はきっと、私が罪悪感を抱く事を良しとしない。

だって、私のためを思って……この一ヶ月間、記憶のことを黙っていたのだから。

 

だから、私に出来るのは自身を責める事じゃない。

彼を思いやって、彼に幸福感を与えること……それだけだ。

 

 

そのためなら──

 

 

何でも。

 

 

私のあげられる物なら──

 

 

「ピーター、洗面台、借りても良い?」

 

「勿論」

 

 

私はベッドから腰を上げて、洗面台へ向かう。

ポーチを手に取って……化粧を落とす。

鏡の向こうの私は、少し……不安そうな顔をしている。

 

 

 

息を深く吐いて……洗面台に置かれたコップを見る。

白い、無地のコップ。

 

それには歯ブラシが一本、入っていた。

 

 

洗面台から離れて、ピーターに向かって顔を出す。

 

 

「ピーター……その、予備の歯ブラシ、とかある?」

 

「え?あー、うん。あるよ」

 

 

ベッドメイキングをしていたピーターが、洗面所まで来る。

 

ピーターが棚の上に手を伸ばして、開く。

すぐ側で背を伸ばす、彼。

 

私はピーターの顔を見上げていた。

……そう、見上げていた。

 

私よりも……10センチは高い。

ピーターは別に、身長が高い方ではない。

 

だけど、男女の違いというか……差を感じて。

私は少し圧倒されていた。

 

 

「はい、これ」

 

 

梱包された歯ブラシを開けて、私に手渡した。

 

 

「……ありがとう。お金は──

 

「いいよ。安物だから」

 

 

そう言って笑いながら、私から離れる。

私が恥ずかしく感じないように、洗面所から出ていったのだ。

 

歯ブラシを、手に取る。

背後のドアを見る。

 

 

コップに入っていた歯磨き粉を使って、歯を磨く。

コップを手に取り、縁に目を向ける。

 

ピーターの口元が脳裏に浮かんで……また、洗面台に戻す。

 

手で水を掬って口に含み、吐き出す。

 

 

手に持った歯ブラシを……少し迷って、コップの中に入れる。

 

色の異なる二つの歯ブラシが、寄り添うようにコップの中で収まった。

 

その姿に少し、頬を緩めて……背後のドアから出る。

 

 

「ありがとう、ピーター」

 

 

ベッドを整えていたピーターに、感謝の言葉を伝える。

 

 

「ん……?どういたしまして?」

 

 

当たり前だと思ってた事に感謝されたのが不思議なのか、ピーターは首を傾げながら頷いた。

 

その様子に、私は胸が温かくなった。

 

彼は優しい。

どうしようもない程に、優しい。

 

感謝の言葉を欲しがらない。

見返りを必要としない。

無償の優しさだ。

 

だけど……それでも、私は感謝の気持ちを返したい。

言葉として、態度として……返せる物なら、何でも。

 

 

私の行動で、心で……体でも。

 

 

鼓動が高鳴る。

 

 

ピーターがベッドから離れて、私の方を見た。

 

 

「今日はここで寝てもらって……その、ごめんね?少し……いや、かなりボロいけど」

 

「ううん、ありがとう」

 

 

私は上着を脱いで……ピーターがそれを自然に受け取った。

そのままハンガーに掛けて、タオルを持ってきた。

 

私がベッドに腰掛けると、ピーターは机の前にある、椅子に座った。

 

 

……私は首を傾げる。

 

 

「ピーターは、どこで寝るの?」

 

「え?ここ……だけど」

 

 

私は思わず、呆けてしまった。

 

 

「ベッドでは寝ないの?」

 

「だって一つしかないし……」

 

 

その言葉に、私はまた呆けた。

ベッドに誘導された時に、少し勘違いをしていたのだ。

 

 

「ピーターも、一緒に……寝ないの?」

 

 

ベッドの布団を、軽く手で叩く。

 

そう。

私は……その、ピーターと添い寝するつもりだったのだ。

だって、それは『恋人(ガールフレンド)』なら普通の事、だと思う。

前に恋愛映画で観たから、間違いない。

 

添い寝だけじゃなくても、もし求められるなら──

 

 

「……え?」

 

 

だから、ピーターが戸惑っている様子に、私は違和感を覚えた。

 

 

「ピーター?」

 

「そ、そんなの、良くないと思う、な」

 

 

ピーターが視線を宙に彷徨わせながら、そう言うから……私は首を傾げた。

 

 

「どうして?」

 

「どうしてって、そんなの……」

 

 

目を瞬く。

私は疑問を口にする。

 

 

「『恋人』なら普通の事、だと思う……けど?」

 

 

そう、言った。

 

 

ピーターの表情が固まった。

驚いたような表情で、固まった。

 

唇が震えて、かろうじてと言った様子で、言葉を紡ぎ始めた。

 

 

「あの、ミシェル?」

 

「……どうしたの?」

 

「誰と誰が……その『恋人』なの?」

 

「それは──

 

 

私は自信満々に答えた。

 

 

「ピーターと、私」

 

 

ピーターが咽せた。

そして、この距離からも見えるレベルで震えた。

 

顔を上げれば、困っているような表情をしていた。

 

 

「あ、あの、ミシェル?」

 

「なに?」

 

 

私はピーターが何を困っているのか分からなくて、首を傾げた。

 

 

「その……僕と、ミシェルは、その──

 

「私と、ピーターが……なに?」

 

 

少し迷ったような表情をピーターがして、息を深く吐いた。

 

そして──

 

 

「別に……『恋人』って訳じゃないんだ」

 

 

そう言った。

 

 

「え?」

 

 

脳の中に大量の疑問符が浮かぶ。

 

 

「だから、えっと……僕とミシェルは付き合ってないって事で……」

 

 

何?

 

え?何?

 

どういうこと?

 

心がぐちゃぐちゃになる。

思考回路が停止。

 

混乱している。

 

 

「で、でも、私とピーター、キ、キスしたって……」

 

「それでも……その、うん。違うんだよ」

 

 

徐々に頭が整理されてきて……同時に顔が熱くなっていく。

 

わ、わわ、私、別に付き合ってもない男の子にキスをした、の?

そんな、そん、そんな尻軽、だったの?

 

そう思いつつ、現状を客観的に見てみる。

 

 

 

彼氏でもない男の子の部屋に押しかけて。

ベッドに誘っている。

 

 

 

「ぅ、ぁ……」

 

 

とんでもない女だ。

 

恥ずかしい。

頬が熱くなる。

 

 

私が彼に抱いていた好意。

それが一方的なものだと思い知って……この場から逃げ出したくなる。

 

 

「ピ、ピーター。ごめん、ね。い、今から帰る、から」

 

 

フラフラと立ち上がろうとして──

 

 

「ちょ、ちょっとミシェル」

 

 

ピーター私の肩を掴んで、止めた。

心臓がバクバクと鳴っている。

 

恥と、愛おしさ。

入り混じって、顔を赤に染める。

 

 

「ピ、ピーター……」

 

 

自分でも驚くほど、情けない声が出た。

 

震えていて、か細くて、裏返っていた。

 

 

「ミシェル……」

 

「わ、私……凄く、恥ずかしい勘違いしてた……ごめん、ごめんね。その、迷惑になると思うし、私──

 

「迷惑じゃないよ」

 

 

視線を上げて、ピーターを見る。

さっきまでの困っていた表情では、なくなっていた。

 

少し、凛々しい表情だ。

 

自分の鼓動の音が、聞こえた気がした。

 

 

「ピーター……」

 

「僕は君の事を迷惑だなんて思った事、一度もないから」

 

 

私の記憶になくても。

 

彼の身体を傷つけたのに?

彼の心を引き裂いたのに?

彼の居場所を奪ったのに?

 

それでも──

 

 

「大丈夫だから、そんなに自分を責めないで」

 

 

ピーターの手が、私の手を握った。

……この感触、覚えてないけど……凄く、心地良かった。

安心できた。

 

 

「ほら、深呼吸して」

 

 

息を吸って……吐く。

震えていた喉が、緩んでいた涙腺が、少しずつ治まっていく。

 

 

「……ピーター」

 

 

もう、声は震えていない。

 

 

「私、ピーターのこと……す、す……好き、だから」

 

「……うん、僕もミシェルの事が好きだよ」

 

 

お互いの好意を確かめ合う。

 

 

「う、あ、えっと……私、ピーターと……えっと……その……」

 

 

次に口にする言葉は、言葉は、言葉……喉の奥から、出てこない。

 

そんな私の様子にピーターが薄く笑った。

 

 

「ミシェル?」

 

「は……はぃ」

 

 

変な返事をしてしまった。

だけど、ピーターは馬鹿にしなかった。

 

真剣な目で私を見ていた。

 

 

「僕はミシェルの事が好きだから……」

 

「う、うん」

 

「『恋人』扱いされた事だって……嬉しかったとしても、迷惑だなんて思わないんだ」

 

「……ぅ、うん」

 

 

視線が混じり合う。

ピーターの表情は穏やかだけど、少し緊張している様子だった。

 

 

「だから、言うよ。ミシェルに……お願いがあるんだ」

 

 

ピーターの瞳の中にいる私は、顔を赤くしてしる。

 

 

「僕を、君の……『恋人』にして欲しい」

 

 

それは、先程までの勘違いを真実にする言葉だった。

 

返事、返事を、返事をしないと。

 

 

「……ぅん」

 

 

小さく、本当に小さく、俯きながら返事をした。

聞こえなかったかもしれないと、そう後悔しながらもピーターを見ると……彼は安堵の表情をしていた。

 

そして、そのまま──

 

 

 

 

抱きしめられた。

 

 

優しく、だけど力強く。

 

ピーターの熱や、匂いが、固さが、鼓動が感じられた。

 

 

「ありがとう、ミシェル」

 

「……ピ、ピーター?」

 

 

どうして感謝されるのか分からなくて。

 

 

「ありがとう」

 

 

それでも、ピーターは感謝の言葉を繋げた。

 

 

私は……。

 

 

私も。

 

 

彼を抱き返す。

手を後ろに回して、密着する。

 

うん。

もっと、熱を感じられる。

もっと、鼓動を感じられる。

 

ここにいるって。

分かる。

 

 

 

少しして。

 

いつまでそうして居たかも分からないほど、抱き合って居て。

 

それでも、時間が過ぎて。

 

 

ピーターは手を解いて。

 

離れていく感触に、私は少し、未練を感じて。

 

 

ピーターはくしゃり、と笑った。

 

 

「……本当はもっと、雰囲気がある場所で告白したかったんだけどね」

 

 

その言葉に、私は眉尻を下げた。

 

 

「ご、ごめんね……」

 

「ううん、僕の我儘だから……良いんだよ。それに、どこで告白しても……きっと、この嬉しさは変わらないと思うから」

 

 

そう言って、笑った。

 

もう、帰るつもりはなかった。

ピーターに誘導されて、元々いたベッドに座らされた。

 

 

「……ピーターも」

 

「あ、えっと……うん」

 

 

ピーターが横に座った。

 

 

緊張感で、心臓が高鳴る。

今まで、命の危機を感じた時だって動悸はしていた。

 

だけど、この動悸は不快じゃない。

 

 

ドキドキと、脈打つ。

 

あぁ、恋愛漫画なんかで『ドキドキ』という擬音を見て大袈裟だと思っていた。

だけど、あれは本当だったんだ。

 

確かに、私の心臓は大きな音を立てて脈打っている。

 

 

 

ピーターの置いた手に、手を重ねる。

 

 

 

恋に浮かれて、思考が微睡む。

正常な判断はもう出来ない。

だけど、それで良い。

それが良い。

 

 

きっと素面なら、私はこんな事を出来ないから。

 

 

「ぼ、僕さ、寝巻きに着替えてくるから……」

 

 

居た堪れなくなったのか、ピーターが私から離れようとする。

 

 

「ピーター、私も……パジャマなんて、持ってきていないけど……大きめのシャツとかある?」

 

 

そう聞きながら、立ち上がる。

 

 

「あ、あるけど」

 

「借りてもいい?」

 

「……いいよ」

 

 

ピーターがクローゼットから出したシャツを手に取る。

それを私に手渡して、私はそれを見た。

 

 

三角、四角の図形が並んでいる。

 

ピタゴラスの定理。

それが図解されている白いシャツ。

……めちゃくちゃ、ダサい。

 

でも、確かに大きい。

ピーターがクローゼットを漁っている間に、それを着る事にする。

 

私は着ていた服のファスナーを下ろして、椅子に掛ける。

そんな布が擦れる音に、クローゼットを漁っているピーターの動きが固まった。

 

 

……あ。

私が着替えているのに気付き、振り返らないように気を付けているのだろう。

 

……別に見られたって、良いのに。

もう本当に……『恋人』なのだから。

 

 

シャツに頭を通すと……なるほど、大きい。

身丈だけで、まるでミニスカートになるほど。

 

……うん。

これなら、スカートも要らないだろう。

履いたまま寝て、折り目を崩したくないし。

 

私は履いていたスカートのボタンを外して、それも椅子に掛ける。

 

 

「ピーター、もう大丈夫」

 

 

私がそう声を掛けると、ピーターは安堵の息を吐いて振り返り──

 

 

私を見て、固まった。

 

 

「ミ、ミシェル、下、下は?」

 

 

下?

 

……あ、スカートの事か。

 

 

「大丈夫、下着は履いてる」

 

「そ、そうじゃなくてさ……え?僕がおかしいの?」

 

 

ピーターが困惑しながら、私から視線をずらした。

手を口元に当てて、視線を戻そうとしない。

 

 

「『恋人』なら、下着ぐらい見られても困らない……から」

 

 

何よりスカートに変な折り目が付く方が嫌だ。

これはグウェンに選んでもらった服なのだ。

 

 

「そ、そうなのかな……」

 

「うん」

 

「そっか……いや、そうかな?」

 

 

ぶつぶつと言ってるピーターを見て、私は微笑む。

 

 

結局、ピーターは観念して、それ以上何かを言う事はなかった。

だけど、私と話す時に視線を下げないように気を付けているようだった。

 

二人、パジャマに着替えて……ベッドに戻る。

灯りを消して、背を向け合って……布団に入った。

 

 

ピーターの部屋のベッドは、特別大きくはない。

一人で寝る事を想定しているベッドだ。

 

だから、二人で入ろうとすれば自然と密着する形になる。

 

示し合わせた訳ではないけれど、背中合わせになる。

互いに密着した状態で、寝顔を見るのが恥ずかしいからだ。

 

ベッドの中で、記憶を失う前の話を聞こうと思っていたけど……それどころではなかった。

ピーターも同じ考えらしい。

 

ただ、黙って……背中を付けて、横になっていた。

 

素足が触れ合って、ピーターがぴくり、と動いた。

 

小さな掛け布団を分かち合う。

引っ張らないように気を付けて……はみ出さないように、密着する。

 

ピーターの呼吸が聞こえる。

だから、私の呼吸音もきっとピーターに聞こえる。

 

 

 

 

……このまま、ずっとこうしていてもいい。

 

だけど、私は口を開いた。

 

 

「ピーター……もう少しだけ、お話ししても良い?」

 

 

そう、訊いた。

 

 

「……良いよ、ミシェルが話したいなら」

 

 

そう、返された。

 

 

私は安堵して……小さな声で話しかける。

 

 

「……私、ピーターには感謝してる」

 

「……そっか」

 

「助けてくれたから……命の恩人だから……」

 

「気にしなくて良いのに……」

 

 

本当に、なんて事ないと言った態度に私は苦笑した。

 

 

「……でも、私は……ピーターに恩を返したい」

 

「…………十分、返してもらってるよ」

 

「ピーターがそう思っていても、私は……もっと、返したい」

 

 

部屋に月灯りが入り込む。

薄く、白い、黄ばんだレースのカーテンでは光を防ぎきれない。

 

私は口を開く。

 

 

「ネッドやハリー、グウェンにも……貴方の事を紹介したい」

 

「……それは」

 

「過去の話を信じて貰えないと思うなら……私の友達だ、って紹介するから。新しく、また友達になればいい……」

 

「……ありがとう」

 

 

私の提案、ピーターはそれを呑んだ。

安堵して、深く息を吐いた。

 

そんな私に、ピーターが言葉を投げかける。

 

 

「ミシェルは……いつも、僕を助けてくれるね」

 

「……覚えてない、けど」

 

「それでも。きっと君の本質は変わらないから……」

 

「そうかな……」

 

「そうだよ……」

 

 

私の存在が助けになっているのであれば……それは、嬉しい事だ。

人に迷惑を掛けるだけの存在である私が──

 

 

「ピーター」

 

「うん」

 

「私、ずっと貴方に憧れていた……」

 

「……うん」

 

 

コミックのヒーローへの憧れ。

身を犠牲にしても誰かを助けられるヒーローへの憧れ。

強く、優しいヒーローへの憧れ。

 

私も、そうなれたら良いと……漠然と思っていた。

それはサッカー選手や野球選手、アイドルに対する憧れのような……どこか、他人行儀な憧れ方だった。

 

だけど──

 

 

「私、貴方の隣に立っても……相応しい人間になりたい」

 

「……相応しいよ、今でも」

 

「納得、できない。私が……だから──

 

 

ポツリ、と言葉を漏らした。

 

 

「私も、ヒーローに……心は難しくても、行動ぐらいには……責任を持って、人助けしたい」

 

「……そっか」

 

 

少し、静かになる。

否定されないか怖くて……目を、閉じる。

 

そして、ピーターが口を開いた。

 

 

「……応援、するよ」

 

「……ピーター」

 

「本当はもう、戦って欲しくないけど……君がやりたい事なら、僕は応援する」

 

 

そう、優しく言ってくれた。

涙腺が緩んで、目が潤む。

 

 

「……ピーター」

 

「……うん」

 

「……私、ね」

 

「うん」

 

 

涙で布団を濡らさないように、腕で拭う。

 

 

「この世界に生まれて来て……良かった」

 

 

やっと……そう、思えた。

 

辛い出来事が沢山あったけれど、今は本当に幸せだから。

 

 

「……僕も、ミシェルがいてくれて、嬉しいよ」

 

 

私は寝返りをうって、ピーターの背中に……手を伸ばした。

 

私よりも大きな背中を抱きしめる。

 

意識は微睡みの中に落ちていく。

穏やかな闇の中へ、沈んでいく。

 

今、ここで見ている事、触れている事。

眠ってしまっても無くならないように、抱きしめながら。

 

私は……この、幸せに身を任せて……意識を手放した。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

朝。

マンハッタン。

 

私の住んでいるマンション。

 

その、入り口。

 

 

共通で配られている鍵を使って、玄関の鍵を開ける。

 

吹通しの良い廊下で、風を感じながら……奥へと進む。

 

息を深く吸って、深く吐く。

 

スマホを開くと……連絡先には『ピーター・パーカー』の文字。

思わず、頬が緩む。

 

ポストが空の事を確認して、共有のキッチンの前を通る。

 

……少し、戻る。

 

誰かが居た。

 

小さな人影……いや、人ではないけど。

 

 

「コスモ?」

 

 

それは犬だ。

宇宙服を着た犬。

犬種は……レトリバー。

 

 

コスモ、という名前の犬が私へ振り返った。

 

 

『あ、ミシェル。丁度いい所に帰って来たね』

 

 

脳に直接、声変わり前のような声が聞こえた。

 

 

「どうかした?」

 

 

私はキッチンに入り込み、コスモの側に立つ。

 

 

コスモは……超能力を持った犬だ。

昔、人類が宇宙開発に躍起になっていた頃、宇宙に飛ばされて行方不明になってしまった犬。

宇宙のエネルギーを浴びせられたコスモは、超能力を身につけた。

 

そして、その力を使い……巨大な宇宙基地『ノーウェア』の警備主任となった。

結構偉い犬なのだ。

 

なのだが……今は、事情を知らないけれど、何故かここに住んでいる。

私と同じアパートに住む、住人……住犬なのだ。

 

 

『上の棚にあるシリアルを取って欲しいんだ』

 

「いいよ。でもテレキネシスで取れば良いのに」

 

 

棚を開き、シリアルの箱を手に取る。

 

コスモは人語を喋っている訳じゃない。

テレパシー能力で、直接脳に思考を飛ばして来ているのだ。

 

 

『だーって、面倒なんだもん』

 

「……別に、私は良いけど」

 

 

箱を開けて、ボウルを取り出し中に入れる。

 

 

「牛乳は?」

 

『お、気が利くね。勿論、いるよ』

 

 

牛乳を注ぎ、それを床に置く。

スプーンは入れない……だって、そのまま食べるから。

 

 

『やった、ありがとう』

 

「どういたしまして」

 

 

ガツガツと食べるコスモを見ながら、私もコップを取り出して牛乳を入れる。

 

それを口に含んで……飲み込む。

 

ちら、とコスモが私を見た。

 

 

『ミシェルは何処に行ってたの?』

 

「ん?えーっと……」

 

 

何と言えば良いのか分からなくて、返答に迷う。

すると、コスモは私に鼻を近付けて臭いを嗅いだ。

 

 

『……む、男の臭いだ』

 

「あ、うん。まぁ……彼氏の所、かな」

 

 

そう言うと、コスモは意外そうな顔をした。

 

 

『え?あんたって、(つがい)が居たんだ……へー』

 

 

そう脳内に直接飛んできて、私は苦笑した。

 

 

「……片付けは自分でしてね」

 

『うん、それぐらいは。自室に戻るの?』

 

「今日、予定があるから」

 

『予定?』

 

 

コスモが首を傾げた。

……思わず撫で回したくなる可愛さだ。

 

 

「『S.H.I.E.L.D.』と話があるから」

 

『……ミシェル、ここから出ていくの?』

 

 

くぅんと、鼻が鳴った。

 

 

「ううん。きっと、ここにはまだ、お世話になるから」

 

『なら良いや。僕の召使が減ると困るからね』

 

 

そう、冗談を言う。

私は笑いながら、キッチンを出た。

 

取り敢えず服を着替えて……それとシャワーも浴びないと。

 

 

私は自室に戻ろうと、足を進めた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

ニューヨーク、マンハッタン。

マンションの合鍵を使って、中へ入る。

 

 

『あ、ハリー』

 

 

そう呼び止められて、僕は視線を下に下げた。

犬……いや、コスモだ。

 

 

「やぁ、コスモ」

 

『ミシェルに用事?』

 

 

そう聞いてくる。

 

 

「そうだよ、今日は彼女を『アベンジャーズ・タワー』までエスコートするんだ」

 

『ふーん?でも、今丁度、彼女は帰って来たばかりだよ』

 

 

その言葉に、僕は首を傾げた。

 

 

「帰って来た?朝に?」

 

『うん。彼氏の家に泊まってたらしいよ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え?」

 

 

僕は脳が破壊されるほどの衝撃を受けた。



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RED-CAP BORN-AGAIN
#1 アトーンメント・フォア・シン part1


後日談です。


青白い光が照らす無機質な部屋で、ペンの走る音がする。

 

目前にいる少女が奏でている。

無表情で一心不乱にノートに文字を書いていた。

 

そこには人名……死因、死んだ日、時間。

亡くなった人間……いや、殺してしまった人の名前が書き示されていく。

 

 

 

俺は、その様子を見ていた。

 

少女はそのまま書き続けて……やがて、ノートを閉じた。

 

 

「……バッキー、ノートが無くなった。続きが欲しい」

 

 

そして、俺に話しかけてきた。

少し前までは「ウィンター・ソルジャー」と呼ばれていたが、今はもう「バッキー」と呼ばれている。

通り名よりも名前で呼んで欲しいと、そう伝えたからだ。

 

目の前の少女の瞳に、俺の顔が映る。

俺は腕時計を確認し、目を軽く閉じた。

 

 

「……いや、今日はここまでだ」

 

 

俺は彼女からノートを預かり、席を立つよう促す。

 

ここは、アベンジャーズタワー。

地下四階……特に用途の定まっていない空き部屋だ。

 

 

「……まだ、私は──

 

「これ以上は認めない。今日はもう、休め」

 

 

時計の針を見れば、ここに来てから3時間は経過していた。

その間、彼女は黙々とノートを書いていた。

 

いや、ノートに書き写していた。

自身の脳にある罪の記憶を……過ちを、懺悔を。

 

 

ノートを手に取る。

表紙に書かれた番号は……58。

次で59冊目だ。

 

目前の少女の顔を見る。

表情は乏しい……だが、後悔の色が見える。

 

ミシェル・ジェーン=ワトソン。

以前は『レッドキャップ』と呼ばれていた少女だ。

 

彼女の所属していた組織は壊滅し、今は『S.H.I.E.L.D.』のエージェント候補生となっている。

だが、訓練や任務等にはまだ参加していない。

 

そんな事よりも、真っ先に必要だった事があったからだ。

 

それが『メンタルケア』だ。

彼女は幼い頃から殺し、殺されての環境に身を置いていた。

彼女に選択肢はなく、自身の命を守るために任務に従事していた。

 

殺して、殺して……心は捻じ曲がってしまった。

罪悪感で壊れないように、己の心を守るために。

 

しかし今、(しがらみ)から解き放たれて、年相応の少女となっている。

 

それは喜ばしい事だ。

だが、今まで歩んできた道のりが、彼女の心に牙を剥いた。

 

後悔は過去から現れて、心を傷付ける。

 

俺は、彼女を責めはしない。

『S.H.I.E.L.D.』にいる誰もが……きっと、そうだ。

彼女は加害者だが、それ以上に被害者だった。

 

周りはそう思っている。

だとしても、彼女は自らを許す事が出来ない。

 

……俺も、よく分かる。

同じだからだ。

 

マインドコントロールによって『ウィンターソルジャー』となり、秘密結社(ヒドラ)のエージェントとして活動していた時期がある。

数え切れない程の善人を、罪のない人々を殺してしまった。

それは今でも、俺の心に後悔という影を落としている。

 

それでも、だ。

自らを責めても、何も変わりはしない。

 

ただ開き直る訳ではない。

己の罪と向き合い、贖罪をする。

 

殺してしまった人の数より、多くの人を助ける。

そのために、俺はまだ生きている。

 

彼女は……まだ、そうは思えないらしい。

ただ、頭では理解しているようだ。

彼女の学友からは『頭は良い方だ』と評価されていた。

 

それでも、どこかで自らを責めている。

不必要なほどに、不器用に、過剰に。

 

ノートを閉じる。

 

 

「これはいつも通り、フューリーに預ける。続きは来週だ」

 

 

椅子を押し退けて立ち上がる。

すると、目前の少女も席を立った。

 

 

「……ありがとう、バッキー」

 

 

感謝など──

 

いや、素直に受け取っておこう。

 

ノートに書き記した情報から『S.H.I.E.L.D.』は金銭による賠償を行っている。

それは将来、彼女の功労から支払われる予定だ。

 

彼女は遺族に直接謝りたいそうだが……しかし、彼女の存在は機密だ。

レッドキャップとミシェル・ジェーン=ワトソンを紐付けることは許されない。

 

それは彼女のためでもあり、『S.H.I.E.L.D.』のためでもある。

公然と元犯罪者を構成員にしているとは言えない。

『S.H.I.E.L.D.』は国際治安維持組織だからだ。

 

ドアを開けて、二人で出る。

真横を通り抜けた彼女は……小さかった。

『レッドキャップ』の装備をしている時は感じていなかった小ささ……それは、装備の脚部が分厚く作られていた事からも、隠したかった要素なのだと悟る。

 

着ると着ないとでは、10センチ以上の差がある程だ。

 

 

「……次のカウンセリングは水曜日だ」

 

「分かった」

 

 

ミシェルは数歩足を進めて、振り返った。

プラチナブロンドの髪が揺れた。

 

何故振り返ったのか不思議に思っていると、彼女は口を開いた。

 

 

「本当に、ありがとう」

 

「……あぁ」

 

 

頭を下げて、離れて行く。

 

……これでも、少しは明るくなった方だ。

カウンセリングを始める前は、もっと……口調も強張っていた。

眉は常に顰めていたし、表情は暗かった。

 

ただ、彼女の中で何かが変わった。

それは、彼女が『S.H.I.E.L.D.』のエージェント候補生になる事を志願した時からだ。

……いいや、志願する直前か。

 

彼女は過去だけではなく、未来を視る理由を見つけた。

結果、エージェント候補生に志願したのだろう。

 

 

「……はぁ、本当に──

 

 

軽く息を吐いて……頬に手を当てる。

サイバネティック・アームの冷たさが身に染みる。

 

 

「嫌になる程、似ている」

 

 

レッドキャップ……ウィンターソルジャー。

アンシリーコート、ヒドラ。

マインドコントロール。

 

俺も……昔は。

 

だが、今は。

 

俺はドン底に居た時に、友人が助けてくれた。

彼女も……遅くはなったが、助けられた。

 

だから、彼女の考えている事は分かる。

 

彼女は己の罪と向き合う事が出来る。

出来てしまう。

 

凡そ、一人では抱え切れない罪悪の数々。

それらを一身に背負おうとすれば……やがて、崩れて、足が折れて、立てなくなる。

 

 

「……そんなのは、ゴメンだ」

 

 

ある意味、俺は彼女のお陰で『過去の自分』を客観的に見返す事ができた。

 

助けられたからには……無意味に生きる事は出来ない。

罪は償うものだ。

己を傷付けて逃げる事は赦しにならない。

 

だから、俺も──

 

 

「……スティーブ、こんな所で何をしてる?」

 

 

人影が見えた。

 

そう、キャプテン・アメリカ(スティーブ・ロジャース)……俺を助けた友人がいた。

 

 

「いや、バッキー……君を待っていた」

 

「どうした?」

 

 

終了時間は伝えていない。

それどころか日によりけりだ。

きっと長時間、ここで待っていたであろうスティーブに苦笑しつつ、足は止めない。

やがて、廊下を歩く俺に、彼は追従して歩き出した。

 

 

「彼女の事なんだが……」

 

「ミシェル・ジェーンの話か?」

 

「あぁ、彼女の様子はどうだ?」

 

「良好だよ、少しずつ良くなっている」

 

「……そうか」

 

 

安堵したように、スティーブが深く息を吐いた。

俺はその様子を見て笑った。

 

 

「スティーブ。気になるなら、本人に会いに行けば良いだろう?」

 

「いや、だが、それは……しかし、だな」

 

 

スティーブは何故か、彼女と会いたがらないように見えていた。

実際に、こうして訊いてみれば……やはり、と言うべきか、彼は困ったような顔を浮かべていた。

 

 

「苦手なのか?彼女が」

 

「そういう訳じゃないんだ……ただ──

 

 

スティーブが眉尻を下げて、頬を掻いた。

 

 

「僕と彼女は殺し合った仲だ……それに、大きな怪我をさせた事だってある」

 

「……そうだな」

 

「どの面を下げて会えば良いのか……」

 

「…………」

 

 

俺は目頭を揉んだ。

 

 

「きっと、彼女も僕の事は苦手だろう。会わない方が彼女の──

 

「スティーブ」

 

 

そして、スティーブの肩を叩いた。

左手で叩いたからか、少しよろけた。

 

 

「彼女はお前を嫌ってなどいない」

 

「……そうだろうか?」

 

「あぁ。案外、握手かサインでもしたら喜ぶんじゃないか?」

 

「……面白い冗談だ」

 

 

スティーブは俺が冗談を言ったと思って、笑った。

……だが、いや、真面目な話だ。

 

ミシェル・ジェーン=ワトソン、彼女はヒーローが好きらしい。

メンタルカウンセリングを通して会話をしていく中で、そう打ち明けられたのだ。

 

だからこそ、スティーブならば……きっと、彼女は喜ぶだろう。

 

 

俺が無言になった事に気づいて、スティーブが眉をひそめた。

 

 

「いや、バッキー……冗談、なんだろ?」

 

「本気だ。早いうちに彼女に会いにいけ」

 

「……いや、しかし……そうだな。分かったよ、バッキー。今度、会いに行くとしよう」

 

 

スティーブが観念したように、笑いながら頷いた。

 

キャプテン・アメリカとしては何にも悩まず、正義と自由のためならば即決できる男だ。

だが……こうやってプライベートの中では、人並みに悩む事も多々ある。

 

その姿を知っているのは、俺を含めても多くは居ない。

 

……彼女にも、そんな相手はいる。

同じエージェント候補生でも、仲良くしている相手がいる。

 

一度だけ、見た事がある。

友人にだけ見せる、屈託のない笑顔。

 

俺はそれを守りたい。

子供を守るのは……ヒーローの仕事──

 

 

「いいや、大人の仕事だからな」

 

 

小さく、そう溢した。

 

 

「……何か言ったか?」

 

「何でもない」

 

「そうか」

 

「そうさ」

 

 

俺が笑うと、スティーブも笑った。

こうして笑い合える事は当たり前ではなく、勝ち取った結果なのだと知っている。

 

 

「バッキー、昼食の予定はあるか?」

 

「いや、ないが?」

 

「なら、丁度いい。トニーに昼食を奢らせる約束をしてるんだ。君も来ないか?」

 

「……フッ、それも良いな。何を奢らせるんだ?」

 

「ブリトーだよ、約束したからな」

 

 

だから、俺は前に進んで行ける。

彼女も、きっと──

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

バッキーと別れた私は、廊下を歩く。

 

アベンジャーズ・タワー。

こうして歩いていると、自分の立ち位置が分からなくなる。

 

本当に、私のような人間がこんな場所を歩いていて良いのかと──

 

いや、考えるな。

また、自己嫌悪をしてしまった。

 

やめるように言われているのに。

また……。

 

 

「……はぁ」

 

 

深く息を吐いて、精神を落ち着かせる。

 

医者にメンタルケアの一環として薬を処方されたが……困った事に、私の薬物に対する耐性が強かった。

訓練時代に毒物の耐性を得るために、様々な毒を飲み続けていたからか……。

 

 

こればかりは、自力で何とかするしかない。

 

手を軽く握って、開く。

少し、汗をかいていた。

 

人助けをしなければ……贖罪をしなければ、奉仕しなければと……そう、焦っている。

 

焦っている自覚はある。

 

だけど、それでも……この胸を締めつける罪悪感を拭いたかった。

 

 

「……私は」

 

 

責任から逃げるつもりはない。

死のうとも思わない。

 

私に生きて欲しいと言ってくれた人達のためにも、私は……生きて、幸せなのだと示さなければならない。

 

脳裏に浮かぶ、友人達の顔。

 

グウェンは、ほぼ毎日会っている。

私の過去を知っても、今までと同じように接してくれている。

いや、今まで以上に過保護になっている気がする程だ。

 

ネッドは、グウェンよりは頻度が低いけど……それでも、何度か会っている。

私が撃った所為で入院していたが……今は完治している。

入院中に頭を下げに行ったが……一言も責めずに、それどころか私が生きている事に号泣してしまったぐらいだ。

 

ピーターとは、週に二回会っている。

そう、週に二回までと決めている。

制限しなければ毎日通ってしまいそうだからと……二人で約束事とした。

失った記憶は取り戻せないが、それでも少しずつ新しく積み上げている。

 

 

みんな、良い友達だ。

……もう一人の、友人も含めて。

 

廊下に立っている人影が見えた。

 

 

 

「……ハリー?」

 

 

私が声を掛けると、彼は顔を上げて私を見た。

心なしか、元気のない表情をしていた。

 

 

「あ、あぁ、奇遇だね。ミシェル」

 

 

奇遇?

奇遇な訳がない。

 

こんな所で、私のカウンセリングが終わるのを待っていてくれたのだ。

 

 

「どうかしたの?」

 

「……いや、少し、話がしたくてね」

 

 

ハリーが頬を掻いた。

視線は……合わせてくれない。

彼は最近どこか、よそよそしくなってしまっている。

理由は分からない。

 

 

私が歩き出せば、ハリーは私の歩幅に合わせて足を進めてくれる。

彼のその優しさは、嫌いではなかった。

 

 

「ん、いいよ。何が、訊きたい?」

 

「ありがとう、ミシェル」

 

「ハリーは友達だから」

 

 

そう言うと、ハリーは表情を少し歪めた。

よく見ていなければ気付かない程、小さな歪みだった。

 

 

「……ハリー?どうかした?」

 

「あぁ、いや……違う、何でもないよ」

 

「……そっか」

 

 

ハリーは……私に何かを隠している。

だが、見当はつかない。

 

私が困っていると、ハリーが口を開いた。

 

 

「……ミシェルは──

 

「うん?」

 

「最近、どう、かな?」

 

 

あまりに抽象的な質問に、首を傾げる。

何が言いたいのか分からなかった。

 

 

「最近……?」

 

「あぁ、その……最近、よく笑っているから」

 

 

私は思わず、自分の頬を触った。

笑っている?

 

笑わなさ過ぎて表情筋が死亡寸前の私が……無意識の内に?

 

 

「ハリー、私、笑ってる自覚なかった……かも」

 

「そうか……」

 

 

会話が途切れる。

少し気まずく思いながらも、ハリーに視線を向ける。

すると、視線が合って……また視線を逸らされた。

 

 

ここまで来ると、鈍い私でも分かる。

 

ハリーはまだ、私の事が好きなのか。

……一度、断ったというのに、彼は一途だ。

いい加減に私なんかに見切りを付けて、もっと可愛い女の子に目を向けるべきだと思うが。

彼のように優しく、思いやりのある人間なら恋人なんて簡単に作られるだろう。

 

こんな、私なんかに──

 

……また、自己嫌悪を始めてしまう所だった。

思わず額に手を当てて、眉間を揉む。

 

 

「……ミシェル?」

 

「ん、いや……気にしないで」

 

 

しかし、彼の気持ちに応える事は出来ない。

友愛は限りなく複数の人間に振り分けられるが……恋や愛の席は一つしかない。

 

そしてそれは……もう、埋まっている。

 

 

「ミシェルは今日、午後からの予定はあるかい?」

 

「……うん、人と会う予定がある」

 

「へ、へぇ……?」

 

 

ハリーが苦笑する。

そして、彼は口を開いた。

 

 

「それは……その、えっと……僕が知っている人かな?」

 

 

……ハリーの口調から何となく察してしまった。

彼は何故か、私がピーターと付き合っている事を知っているらしい。

 

どこから漏れたのだろうか?

……消去法的にコスモか。

脳裏に舌を出した犬の顔が浮かび上がる。

 

あぁ、でも……そっか。

何も知らない彼からすれば……私は誰かも知らない人間と付き合ってる事になるのか。

それは不安になるし、私のことを好きな彼からすれば……苦しい話だろう。

 

 

「ん、ハリーも知ってると思う」

 

 

しかし、今日会うのはピーターではない。

遊びに行く訳ではない……やらなければならない事を、やりに行くだけだ。

 

 

「そ、そうか……」

 

 

ハリーが何やら勘違いしてショックを受けている。

……私が嘘を吐いたように見えたのか?

 

隠れてコソコソ逢引きしてるみたいじゃないか。

……あ、いや、してるけど……今日は違うし?

 

思わず申し訳ないと思うけれど……しかし、どうして、ここまで私を好きなのだろうか?

これといって、私は魅力的な女という訳ではないが……いや、寧ろ、女性として中途半端だと思うぐらいだ。

 

 

「それじゃあ、また」

 

「あ、あぁ」

 

 

強引に話を切り上げて、私は彼に手を振る。

ハリーは心ここに在らず、と言った様子だ。

 

こんな状況が無駄に続いて良いはずがない。

……私は振り返り、声を掛ける。

 

 

「ハリー、今度、紹介したい人がいるから」

 

 

ピーターの人となりを知って貰えれば、ハリーが心配する必要はなくなる。

きっと、仲良くしてくれて……友人になってくれるに違いない。

 

ハリー以外にも、グウェンやネッドにも紹介しないと。

ピーターの失われた交友関係を取り持ってあげたいと、私は思っていた。

 

そう思って、口にした。

良かれと思って、だ。

 

 

しかし──

 

 

「……ハリー?」

 

「…………」

 

 

ハリーは見た事もないような顔で、私を見ていた。

 

 

 

 

 

◇◆ ◇

 

 

 

 

 

オレの名前はハーマン・シュルツ。

『ショッカー』って呼ばれている。

ダチ……っつうか、ガキを救う為に自分の身の丈に合ってねぇ悪党と戦ってボロボロにされたんだが……数ヶ月の入院のあと、後遺症もなく退院できた。

 

悪人だってのは知られてる筈だったが、クソヒーロー様達は嬉しい事に助けてくれた訳だ。

 

 

で、今の状況の話なんだが──

 

 

「で、あるからして……善悪というのは己の主義主張でかわるものだが──

 

 

クソだ。

 

 

「罪の意識があるのなら、それは己の弱さの表れであり──

 

 

クソだ。

クソだ、クソだ。

 

 

「自身の至らなさを見直す事が出来るのは自分自身だけで──

 

 

この、クソみたいな話はいつになったら終わるんだ?

 

クソみたいにボロっちい教会もどきに連れて来て、何にも面白くねぇセミナーを受けている。

 

何でだって?

オレも受けたくて受けてる訳じゃねぇよ。

 

退院後、オレは『S.H.I.E.L.D.』に拘束されて刑務所にぶち込まれるか、更生プログラムを受けるかの二択を迫られた。

 

刑務所で臭い飯は食いたくない。

オレは後者を選んだ。

 

で、結果がこれだ。

 

 

「悪い事をすれば、自身に災いとして降りかかる。人は助け合いだ、その……役割から外れれば保証は誰もしてくれない」

 

 

初老の男が椅子に座って、偉そうに講義を垂れている。

玉座にでも座ってるのかってぐらい偉そうだ。

実際はパイプ椅子だがな。

 

で、オレの横を見れば……他の参加者の姿だ。

つまり、更生中のクズどもだ。

 

何か吸血鬼っぽいやつ、牛っぽいやつ、カバっぽいやつ、ハリネズミみてぇにトゲトゲしてる奴。

 

何だ、コイツら?

朝の子供向けコメディ番組のキャラクターか?

 

 

「じゃあ、みんな、集まって」

 

 

初老の男が手招きすれば、隣に座ってた奴が立ち上がって近寄っていく。

他の奴らもだ。

 

 

「そこの君もだ」

 

「…………」

 

 

メチャクチャ嫌だ。

だが、更生プログラムを拒否すればオレは刑務所行きだ。

 

クソだ。

なんでこう、オレの人生はこんなにクソなのか。

 

立ち上がって近寄ると、輪になって全員でハグをした。

あ、いや、全員じゃない。

ハリネズミみたいなスーツ着てる奴は話の外にいた。

抱きついたら刺さるからだろうな。

 

 

「次回は来週だ。また、ここで会える事を楽しみにしてるよ」

 

 

……オレも次回からはハリネズミみたいな服着て来ようか。

ドアが開かれたのを見て、苛立ちながら外に出ようとする。

 

 

「あぁ、そうだ。ハーマン、少し話をして良いか?」

 

 

呼び止められて、オレは振り返る。

眉間にメチャクチャ皺を寄せながらだ。

 

 

「オレの名前は『ショッカー』だ」

 

「あぁ、そうか。なら私はエミル・ブロンスキーだ」

 

 

初老の男、エミルはオレの怒った表情を見ても取り乱さなかった。

オレは舌打ちしながらエミルの前にパイプ椅子を持って来て、座った。

 

 

「で?何だよ?他の奴は帰ったが、オレは補習か?」

 

「あぁ、まぁそれも良いが……いや、君について少し話がしたい」

 

 

エミルは自分の鼻を触った。

コイツは痩せた老人って感じだが……なんつーか、こう、油断ならない感じがした。

 

 

「まずだな、他のメンバーは更生しようという気持ちを感じる」

 

「オレもそうだろ」

 

「いいや、君は違う」

 

 

あ、コイツ今、鼻で笑いやがった!

 

 

「んだよ、文句あんのか?」

 

「あるに決まっている。私はここの講師を任されているんだぞ」

 

「そりゃ悪かったな」

 

「全く悪いと思ってない態度だ……過去一番で最低な態度だな、君は」

 

 

エミルがため息を吐いた。

 

 

「話を戻そう。君が更生する気はないのは分かった……だが、ここにいる理由は……君が、人助けをした結果だからと聞いたが?」

 

「……まぁ、そうだが」

 

「つまり、君の善性が認められて、恩赦が出たという事だ。君が善人になれると信じている人がいるという事だな」

 

「……バカ言うなよ」

 

 

オレは手を組む。

 

今更、善人ってか?

無理に決まってるだろ。

 

脳裏に、少女の顔が思い出された。

 

オレはアイツとは違う。

自ら進んで、この道に入った。

だから、違う。

 

変われねぇよ。

変わるつもりもねぇけど。

 

 

「……全く、どうも手強い」

 

「そりゃどうも」

 

 

オレは椅子から立ち上がり、後ろ手を振る。

 

 

「次回までに考えを改めておくように」

 

「やなこった」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

プレハブ小屋よりちょっとマシな教会もどきから出て、オレは夜道を歩く。

夏ももう近いって言うのに、肌寒い。

 

オレのような奴が、真っ当な流れに身を任せる事は許されない。

 

許す?許さない?

誰が決めるかって?

 

そりゃあ、『元・同僚』どもだろうが。

 

悪党から寝返ったクズは、他のクズの情報を警察にチクる。

ヒーローにもチクる。

 

だから、裏切り者を許さない。

確実に殺しにくる。

 

見せしめとしてな。

 

裏切りは、危険ってこった。

 

で、だ。

それは、デカい組織に入ってる奴ほど危険が強まる。

当然だ。

 

持ってる情報も、関わってる人間の数も、殺しに来る奴のヤバさも段違いだからだ。

 

裏切り者には死を。

無法者どもが唯一守ってる法律(ルール)だ。

 

 

自室のドアを開けて、転がり込む。

 

 

クソだ。

クソだ、クソだ、クソだ。

 

オレはフィスクの下で働いてた。

天下のキングピンだぞ?

超一流の悪党だ。

 

ついでに奴は知能犯だ。

表は善良な政治家面して、裏ではクソでけぇマフィアのボス。

『S.H.I.E.L.D.』とかは奴の正体を知ってるだろうが、証拠がねぇから捕まえられねぇ。

 

どんだけ探しても証拠を見つけさせない用意の周到さが、奴にはある。

 

そんな奴を裏切るとどうなる?

 

 

あー、クソだ。

マジでクソだ。

 

 

ため息を吐いて、ソファに座る。

歪んだ音が響く。

 

入院してからフィスクから連絡は一回も来てねぇ。

だが、もし、次来たらどうする?

 

断ったらブチ殺されるだろうな。

 

 

「クソだ」

 

 

オレは善人になんか、なれやしねぇよ。

命が大事だからな……。

 

善人に戻れるような場所なんて、とっくに通り過ぎちまった。

オレがいるのは暗い袋小路の行き止まり……の、一歩手前だ。

 

 

まぁ、こうやって悩んでんのも──

 

 

「…………チッ」

 

 

後悔はしてねぇ。

アイツを助けに行った事に、少しも後悔はない。

 

アイツはオレとは違う。

オレとアイツは違う。

 

だから、仕方ねぇ。

陽の当たる場所で、元気に過ごしてくれれば……ティンカラーも喜んでくれるだろ。

 

あー、クソ、クソ、クソクソクソ。

 

お先、真っ暗だ。

マジで今後、オレはどうしたら良いんだ?

 

 

 

チャイムが鳴った。

 

 

 

「あ?」

 

 

オレはソファから立ち上がり、肩を鳴らす。

 

バキバキと音が鳴った。

 

……気付いたら随分長い間、座って考え事をしてたらしい。

 

 

「チッ……誰だよ、ったく」

 

 

オレの家に来るような奴に碌な奴はいねぇ。

が、こんな時間に来るとしたら……。

 

 

「……モリスか?」

 

 

モリス・ベンチ。

つまり、ハイドロマンだ。

 

元々アルコール依存症で、酒を飲む金を盗むために強盗とか窃盗とかしてたが……去年の夏についに逮捕されちまった。

まぁ、今は療養と更生を同時に行っている。

 

で、度々、オレの家に来る。

まぁ……ダチだ。

 

レンタルショップで借りて来たDVDを持って来て、オレの家で観やがる。

家にDVDを再生できる機器がねーんだと……自分で買えよ、クソが。

 

しかも、ラブコメディは止めろつってんのに、まぁまぁな頻度で持って来る。

男二人でラブコメディ観て何が面白いんだ?

バカか?

 

まぁ、そんな奴だ。

クソ野郎だが、比較的マシなクソ野郎だ。

 

 

また、チャイムが鳴った。

こうして悩んでる時に、甲高い音を聞くとマジで苛立つ。

 

オレはムカつきながら、鍵を開けて、ドアノブを引いた。

 

 

「うるせぇ!何度も押してんじゃねぇよ!」

 

 

怒鳴りながら外を見ると──

 

 

「あ?」

 

 

そこに居たのは、モリスではなかった。

 

 

少し、視線を下げる。

 

 

目線を合わせる為だ。

 

 

モリスの顔に合わせた視線の高さだと、髪の毛しか見えなかった。

プラチナブロンドの綺麗な髪の毛しか。

 

 

「……えっと、久しぶり。ハーマン」

 

 

そこに居たのは……オレが、こんな目に遭っている原因の少女だった。

レッド……いや、今は確か……。

 

 

「ミシェル……ジェーン、だったか?」

 

 

見覚えがない少女らしい服装を着て、前までとは別人のような口調で……ぎこちない笑みを浮かべていた。



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#2 アトーンメント・フォア・シン part2

……目の前で、ソファにちょこんと座っている少女を見る。

視線を宙に漂わせ、部屋の内装をチェックしているようで……なんつーか、家主としては居心地が悪い。

 

プラチナブロンドの髪が、揺れた。

 

思わず、オレは口を開いた。

 

 

「……何しに来たんだ?」

 

 

さっぱり分からない。

少女……今は、ミシェルと呼ばれてる女がオレを見た。

 

 

「まだ、礼を言ってなかった」

 

「……あぁ?」

 

「ハーマン、入院した後、挨拶もせずに勝手に出て行ったから……」

 

 

その言葉に、オレは手を顔面に当てた。

別に借りが欲しかった訳じゃねぇ。

見返りなんて必要ねぇ。

感謝が欲しかった訳じゃねぇ。

 

ただ、約束したから、助けただけだ。

 

助けられた事があるから、助けただけだ。

 

助けなかったら後悔するって思ったから、助けただけだ。

 

だから──

 

 

「礼なんて、別に要らねぇよ」

 

 

そう、ぶっきらぼうに応えた。

 

視線を少女から逸らした。

どうにも、何とも、居心地が悪い。

 

 

「……ハーマン」

 

 

オレを呼ぶ声が聞こえる。

 

綺麗な……何も悪い事は知らなさそうな、優しい声だ。

良い家に産まれて、良い環境で育って、人並みに優しい性格をした可愛らしい普通の少女のようだ。

 

だが、実際は違う。

ロクでもねぇ所でガキの時代を過ごして、好きでもねぇ殺しをさせられてた……オレと、仲間だった奴の声だ。

 

 

ようやく優しい中で生きられてるんだ。

その目や声、性根に相応しい光の中で生きている……。

 

だけど、オレなんかと関わっちまったら──

 

 

「どうして目を合わせてくれない?」

 

 

そう、溢れた言葉に……オレは視線を戻した。

 

縋るような視線が、オレの視線とぶつかった。

 

 

あぁ、クソだ。

何がクソかって?

 

オレがクソだ。

オレの目はこんなに綺麗じゃねぇ。

 

少女の目は、透き通る海のような色だった。

オレの目は、腐ったドブ川みてぇな色だ。

 

違う。

 

決定的に。

心の奥底で、違う。

 

 

「……なぁ」

 

「なに?」

 

「何でオレなんかに関わろうとするんだ?」

 

 

お前は……オレみたいな、悪人(クソ)じゃないだろう?

未来のある少女と、人生の袋小路に立たされたクソ。

 

オレに関わったって、何も良い事は──

 

 

「ハーマンは私にとって……仲間だから」

 

 

……仲間、か。

友人でもねぇ、家族でもねぇ。

ただの、仲間だ。

 

仕事を一緒に熟しただけの、仲間だ。

 

オレの思考を他所に、少女はオレを見ている。

曇りなき瞳で、オレを。

 

 

「私を助けてくれたように、私も……貴方が困っているなら、助けたい」

 

 

その言葉は、オレが困っている事を見通してる発言だった。

 

……癪に触る。

だけど、少し胸が温かくなった。

 

そんな心地良さを感じてるオレへ、余計に苛立つ。

 

 

「別に、困ってねぇよ」

 

「嘘」

 

「嘘じゃねぇよ」

 

「分かってる」

 

 

短い言葉のやり取りで、オレの苛立ちはピークに達した。

 

 

「何も分かってねぇよ!何が分かるんだよ!」

 

 

声を荒らげて。

粗暴に振る舞って。

 

オレなんかに構う価値はないのだと。

そう思って欲しくて。

 

それで彼女は明日から、オレの事なんか忘れて……明るい日常に生きていけたらと。

 

 

「分かっているんだ、ハーマン」

 

 

しかし、返ってきた言葉は、オレの欲しい言葉じゃなかった。

 

 

「……何が──

 

 

少女が前髪を払った。

心なしか、目付きは鋭くなっていた。

 

 

「今まで、裏切り者を殺して来たのは私だ。ハーマン」

 

 

その言葉に……オレは絶句した。

考えないようにしていたが、確かにオレは知っていた。

 

キングピン、ウィルソン・フィスクが裏切り者を殺す時に重宝していた殺し屋は誰だ?

 

知っている。

オレは、知っていた。

 

赤い、マスクの──

 

 

「私はウィルソン・フィスクを裏切った者を何人も殺した。彼を裏切った者は元々が屑だったからと……そう、言い聞かせて罪悪感も感じず、ただ命じられるがままに殺してきた」

 

 

冷たい視線がオレを貫く。

 

先程までの優しげな目じゃねぇ。

オレと同じように濁った瞳だ。

 

先程までの優しい口調じゃねぇ。

オレと同じように威圧するような口調だ。

 

少女は……まだ、忘れていない。

オレと同じ、クズだった頃の振る舞いを。

 

 

「ハーマン、今のお前のような人間を殺してきたのは私だ。だから、分かる」

 

「…………」

 

「分かってしまうんだ」

 

 

そう、断定された。

 

オレは下唇を噛んだ。

ちげぇよ。

オレは……この少女に、こんな振る舞いをして欲しくて、助けた訳じゃねぇ。

 

過去の(しがらみ)なんか全部捨てちまって、年相応のガキとして生きていて欲しかっただけだ。

 

オレも。

コイツの、兄も。

 

 

「……だとしても、関係ねぇだろ」

 

「ある。私は、お前の仲間だ」

 

「仲間なんかじゃねぇよ」

 

 

否定する。

 

違う。

違うんだ。

 

 

「オレと、お前は違う」

 

 

好き好んで悪人になったオレと、悪人にならざるを得なかったお前。

 

違うんだ。

 

だから──

 

 

「違うとしても。お前が何と言おうと、私は今でも……仲間だと、思っている」

 

 

……どれだけ否定しても、目の前の少女は折れない。

 

 

「私の過去は変わらない。無くなりはしない。犯してきた罪も……お前との、繋がりも」

 

 

あぁでも、そうだな。

その芯の強さをオレはよく知っていた。

容姿は変わっても、あの頃と……そこは変わらない。

 

 

「だから、ハーマン……」

 

 

縋るような目でオレを見る。

思わず下唇を噛んで……ため息を吐いた。

 

 

「……なんつー頑固さだ」

 

「褒めているのか?」

 

「ちげぇよ、呆れてんだよ」

 

 

もう一度、ため息を吐いた。

 

どうやら、目の前の少女は……オレの望むようには生きてくれねぇらしい。

そして、少女自身も望んでねぇらしい。

 

……あぁ、そうだ。

オレの価値観を押し付けてるだけだった。

 

優しい世界で生きてくれと、もう二度と戦わなくて済むようにと、そんな願いを押し付けていた。

 

彼女の意思を無視していた。

 

 

「……はぁ、クソだ」

 

 

オレは気付かない内にカウンセリングの講師と同じ事をしていた。

 

視線を少女へ、ミシェルへと戻す。

 

 

「それで?何か案はあるのか?」

 

「……これを──

 

 

ミシェルが懐から何かを取り出そうとして──

 

 

チャイムが鳴った。

 

 

なんつーか……間が悪い。

 

 

「……ハーマン」

 

 

彼女は顎で、ドアを指し示した。

取り出そうとしていた何かは、懐に戻していた。

 

 

「チッ、マジで誰だよ」

 

 

今度こそ、ハイドロマン……モリスだろうか?

オレはソファから立ち上がりつつ、ミシェルへ視線を向ける。

 

 

「そこで大人しくしてろよ」

 

「……私は子供ではない」

 

「もうちっと身長伸ばしてから言え」

 

 

抗議の言葉を聞き流しつつ、玄関へ向かう。

そして、ドアノブに手をかけて、捻った。

 

そこにいたのは──

 

 

「よぉ、ショッカー!」

 

 

ドアを閉じた。

 

 

「ちょ、ちょっと待て!閉めるな!バカ!」

 

「バカはお前だろうが!何しに来たんだクソ野郎!」

 

 

茶髪、短髪の無精髭の中年……と言うには少し若いか。

名前はフレッド。

 

フレッド・マイヤーズだ。

 

友人(ダチ)

いや、友人(ダチ)ではない。

 

オレの仕事仲間だ……元な。

そう、元、仕事仲間だ。

 

通称は……『ブーメラン』。

まんまだろ?

 

今はスーツを着てないが、スーツもまんまだ。

ブーメランっぽい見た目をしてる。

 

しょーもない悪人だ。

 

 

「待て待て待て!儲け話を持ってきた!」

 

「オレは経過観察中なんだよ!次、何かしたらムショに逆戻りだ!」

 

「黙ってればバレないから!」

 

「そういう問題じゃねぇ!」

 

「え!?いつからそんなに臆病になっちまったんだ!俺は悲しいぜ……」

 

「勝手に悲しんでろ!クソが!」

 

 

玄関のドアノブを持って引っ張り合う。

 

『ブーメラン』、コイツはクソだ。

とびきりのクソだ。

 

アホだ。

間抜けだ。

虚言癖の裏切り魔だ。

 

だが、それなりの特技を持っている。

 

ブーメランを投げるのがメチャクチャ上手い。

以上。

 

いやいや、案外バカには出来ない。

狙った所に百発百中。

そして絶対、手元に帰ってくる。

 

そこだけは評価していい。

だが、それ以外はクソだ。

 

性格も、生き方も……オレみたいなクソ野郎だ。

 

 

フレッド……いや、ブーメランがドアノブを引っ張り、ドアの間から覗き込んできた。

 

 

「仲間も揃ってる!また、俺達でデカい山を当てよう!」

 

「また?どこに成功した事例があるんだよ!?」

 

「は!?それは……どうでもいいだろ!これから頑張るんだよ!」

 

「クソ野郎!」

 

 

ドア前で、デカい声を上げながら攻防を繰り広げる。

 

 

「チーム名も決まってる!新生シニスター・シックスだ!」

 

「は!?何言ってんだ?つーか、誰が居るんだよ!?」

 

「俺とお前、ビートル、スピードデーモン、オーバードライブだ!」

 

 

聞き覚えのある名前。

全員、面識があった。

 

……が、しかし。

 

 

「……あ?てめぇ、全員で5人じゃねぇか!何が『シックス』だ!足し算出来ねぇのか!?」

 

「メンバーは募集中なんだよ!取り敢えず、お前が来れば5人に──

 

「ハーマン?」

 

 

突如、後ろから少女の声が聞こえた。

……あぁ、クソ、ソファに座ってろって言っただろうが!

いや、言ってなかったか?

 

だとしても、こっちに来れば──

 

 

「ショッカー、誰だ!?女の声が聞こえたぞ!」

 

「う、るせぇ!帰れ!」

 

 

ほら見ろ、ややこしい事になっちまった。

 

ミシェルに気を取られてる隙に、ブーメランがドアを開けようとしやがる。

オレが慌てて閉めようと……したが、間に合わなかった。

 

ドアの間から、ブーメランが入り込んで来やがった。

不法侵入だ。

 

 

「お邪魔する……ぞっ、とな」

 

 

黙れ。

 

 

入ってくるなり、視線を目の前の少女に向けた。

ミシェルに、だ。

 

 

「……なぁ、ショッカー。これ、お前のコレか?」

 

 

小指を立てて訊いてくる。

殴りてぇ。

 

 

「違ぇよ」

 

「ハーマン、彼は誰だ?」

 

 

ミシェルが声に出した。

 

マジでややこしくなるから黙っててくれ。

頼む、マジで頼む。

 

 

「初めまして、お嬢さん。俺の名前はフレッド・マイヤーズだ。よろしく」

 

「はぁ……?」

 

 

やめろやめろ、握手なんかするな。

見ろ!

ブーメランがキショい笑い方してるだろうが!

触んな!

 

 

「しかし、ショッカー。お前……犯罪だぞ」

 

「何がだよ」

 

「年齢的にまずいだろ」

 

 

死ね!

 

あまりにもキショい勘違いに出そうになった暴言を、無理やり喉で押さえ込んだ。

セーフだ。

 

 

「死ね!クソ野郎!」

 

 

ダメだった。

我慢出来ずに声に出ちまった。

 

 

「照れるなよ」

 

 

ニヤついた顔で笑いやがって。

苛立っていると、ミシェルがオレに顔を寄せて来た。

 

そして、小声で話しかけてくる。

 

 

「コイツ、殴ってもいいか?」

 

 

ダメに決まってるだろ。

そうやって、すぐに暴力で解決しようとするな。

 

オレとミシェルがこそこそと話していると、ブーメランが顔を突っ込んできやがった。

 

 

「何の話をしてんだ?俺も混ぜ──

 

「ふんっ」

 

 

ドスン!

 

と、鈍い音がした。

 

 

ミシェルの拳が、ブーメランの腹に突き刺さっていた。

 

……ブーメランが白目剥いて、泡吹いて倒れた。

どこを殴って、どこの内臓にダメージが入ったらこんな失神の仕方するんだ?

芸術的な暴力だ、無駄がねぇ。

すげぇ。

 

……って、感心してる場合じゃねぇよ。

 

 

「おまっ、何で殴ったんだよ!?」

 

「コイツ、今、私の尻を触った」

 

 

……目を細めて、足元で泡吹いているバカを見下す。

 

 

「あー……そっか」

 

「そうだ」

 

「……なら仕方ねぇな」

 

「あぁ、仕方ない」

 

 

二人で頷いて、オレはブーメランを踏み付けた。

結局、コイツの言ってたデカい山ってのは何だったんだ?

いや、別に参加するつもりはねぇけど、気になるは気になるし。

 

 

「あぁ、そうだ。ハーマン、邪魔が入ったが……」

 

 

足元で倒れてるバカは無視して、ミシェルが懐から封筒を取り出した。

それをオレに手渡した。

 

 

「……何だコレ?」

 

「私のコネで手に入れた招待状だ」

 

「コネ?」

 

「……私のメンタルケアをしてるセラピストに頭を下げたら、用意してくれた招待状だ」

 

「……セラピスト?」

 

「ウィンター・ソルジャーだ」

 

「……お、おう?」

 

 

封筒は糊付けもされていなかった。

バカを跨いで、ソファの前に立ち……中から紙を取り出す。

 

 

そして、目を通した。

 

 

眉間を揉む。

 

 

「……なぁ?」

 

「何だ」

 

「これマジで言ってんのか?」

 

 

手紙に視線を向ける。

 

 

「私は本気だ」

 

「つか、招待状じゃなくて……招集状だろ」

 

「似たような物だろう?」

 

「ちげぇよ……催し事って感じの穏やかさがねぇんだよ」

 

 

また、視線を落とす。

 

『サンダーボルツ』。

政府直属の……元犯罪者が集まったヒーローチームだ。

つっても、メインのチームじゃなくて、その派生チームみてぇだが。

 

それの招集状。

宛先は勿論、ハーマン・シュルツ。

オレの名前だ。

 

 

「オレにヒーローやれって言うのか?」

 

「大きなヒーローチームに所属していれば、おいそれと手は出せないだろう?」

 

 

心底、嫌だ。

マジで嫌だ。

 

だが……しかし。

 

 

オレはため息を吐いた。

 

 

「……まぁ、あんがとよ」

 

 

オレは感謝を述べた。

 

他の誰かに誘われたら、他の誰かに来いって言われたら……こんな招集状、破って捨ててただろうな。

 

だが……目の前の、少女を見る。

 

オレの事を本気で心配して、必死に考えて、頭を下げて来たんだろう。

それが分かっちまう。

 

分かってしまうから……無碍には出来ねぇ。

そもそも、合理的に考えりゃ悪い話じゃねぇ。

 

ヒーローチームに入りたくねぇ、ヒーロー業なんかしたくねぇってのは……オレの意地の話だ。

それで、オレの意地なんかよりも……よほど、少女の献身の方が……比べるまでもなく、オレの中では重要だった。

 

 

オレが紙を受け取ったのを見て、少女は顰めていた眉を緩めて、年相応の少女らしい表情に戻った。

 

 

そして──

 

 

「良かった」

 

 

と、呟いた。

 

 

何で助けられてる側よりも、助ける側の人間の方が嬉しそうなんだよ。

 

そう思いながらも……結局、オレとコイツの貸し借りは続いていくようだな、と思った。

 

ずっとそうだった。

 

助けて、助けられて、助けて、助けられて。

その繰り返しだ。

 

前回はオレが助けたから、今回は助けられたって事だ。

 

 

「……わりぃな」

 

 

あぁ、そうだな。

そうだったな。

 

コイツは守られてるだけのガキじゃない。

オレと対等で、お互いに助け合う……仲間、だったな。

 

立場が変わろうが、変わらねぇ物もある。

オレ達の関係性もそうだったって事だ。

 

だがまぁ……ティンカラーは気に食わなさそうな顔してんだろうな。

アイツは、ミシェルに普通の女の子になって欲しかったみてぇだから。

オレも、その気持ちは分かるが。

 

今度、墓参りにでも行くか。

何が好物だったかも知らねぇけど、花ぐらいは添えてやるよ。

 

 

昔、オレが貰った花と、同じ花を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハーマン、コイツ、どうすればいい?」

 

 

ミシェルがしゃがんで、足元で泡を吹いてるバカを指差した。

 

 

「廊下に捨てとけ」

 

 

オレはそう、答えた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

私、グウェン・ステイシーは目の前で項垂れている男を見た。

 

で、視線を逸らして手元のコーヒーを飲む。

皿に盛られたチョコクッキーを手に取って、膝の間に落とす。

 

地面には落ちず、食べカスが溢れた。

グウェノムが食べたからだ。

 

 

また、視線を目の前の男に戻す。

 

 

「ハリー、何かあったの?」

 

 

ここ数日、彼の様子がおかしい。

普段は自信満々で、イケイケな感じなのに、今はなんというか……負け犬?って感じだ。

 

私の声にハリーが乾いた笑みを浮かべた。

 

 

「何か……いや、何も」

 

「嘘ね、絶対に何かあった」

 

 

私が追求すると、視線を下げた。

 

本当に……どうかしている。

いつものハリーはもっと……こう……まぁ、世間一般的にはカッコいい、筈なのだが。

 

 

「……グウェン、ミシェルの事についてなんだ」

 

「あー、そう」

 

 

ハリーはミシェルが好きだ。

自身を男性として、ミシェルを女性として。

 

しかし、以前、一度振られている。

 

彼女が『レッドキャップ』だと発覚する前の話だ。

だから、振ったと言っても、彼女自身の問題が原因だと思っていた。

 

まぁ、普通に考えて。

容姿が良くて、性格が良くて、お金持ちの若いイケメンに告白されて、靡かない女は少数派だと思う。

 

だから、仕方のない理由が原因で振っただけで、今なら……と、思っていた。

 

なのに、ハリーはこんな……情けない顔をしている。

告白が成功したって顔ではない。

 

 

「……振られたの?」

 

「いや、違うけど……」

 

 

ハリーが首を振った。

 

 

「え?じゃあ成功したの?」

 

「いや、それも違う……」

 

 

ハリーがまた、首を振った。

私は腕を組んで、苛立ちながら追求する。

 

 

「じゃあ何?何が原因で落ち込んでんのよ」

 

「それは……」

 

 

歯切れ悪そうに、ハリーが唸った。

そして、迷った様子のまま口を開いた。

 

 

「……ミシェルに、恋人がいたらどう思う?」

 

 

出て来た言葉は、理解不能な言葉だった。

 

 

「はぁ?あんたとネッドの他に親しい男なんていないでしょ、ミシェルに」

 

「仮定だよ……居たとしたら?僕らが知らない男が彼氏だとしたら?」

 

 

私は鼻で笑った。

 

 

「ありえないでしょ。そんなの」

 

「そう、だよね……そう……」

 

 

私はそこで、ハリーの様子がおかしい事に気付いた。

……まさか、今の話は……本当の話?

 

 

「……いるの?」

 

「いや……いる、みたいなんだ。コスモが言っていた」

 

 

私は腕を組んで、考え込む。

 

確かに。

 

確かにミシェルは最近……どこか、明るくなった。

必要以上に謙遜しなくなったし、笑う事も多くなったように見える。

 

表すとしたら「浮かれてる」って言葉が正しい。

別に悪いことではないが。

 

 

「……じゃあ、誰なの?」

 

「知らないよ」

 

 

二人で顔を突き合わせて、唸る。

ミシェルが……ミシェルに……恋人?

 

だめだ。

全くイメージが湧かない。

 

私の中で彼女は小動物的な可愛さがある。

そんな彼女に……男が?

 

 

「訊いても答えてくれなさそうね」

 

 

もし、彼氏が出来たのなら私に言いに来る筈だ。

それぐらいは仲が良い自覚はある。

 

なのに言わないのは……何故か?

 

私は眉を顰めた。

 

 

「……ハリー、私達で暴くわよ」

 

「あばっ……いや、良くない。彼女のプライベートを勝手に──

 

 

情けない事をいうハリーを睨む。

 

 

「私は以前、そうやってミシェルの話したがらない事を見過ごして……結果、彼女が苦しんでいる事を見過ごしたわ」

 

「……グウェン」

 

「もう、あんな思いはしたくないの」

 

 

私は自分の手を強く握る。

 

ハリーがそんな様子の私を見て、息を呑んで……頷いた。

 

 

「分かった。僕も何とかする」

 

「そう来なくちゃ……それじゃあ……そうね……私はそれとなく色々、訊いてみるわ」

 

「訊く?」

 

「遠回しにね、ボロを出すかもしれないし」

 

「……なるほど」

 

 

二人で計画を練る。

私が提案して、ハリーが指摘して、考案する。

 

 

「もし、デートか何かする日が分かったら……追跡するわよ」

 

「追跡……それって、ストーカーじゃあ──

 

「あんたはミシェルが何処の誰かも知らない奴の毒牙にかかって良い訳?」

 

「毒、毒牙……い、いや、よくない。良い訳ない……けど」

 

「なら、やるしかないわ。私達で……誰か知らないけど、ミシェルに手を出そうとしてる奴を……ブチのめしてやるわ」

 

 

私が手を開いて、関節を鳴らすと……ハリー少し引いたような顔をしていた。

 

 

「ま、まだ悪人と決まった訳じゃないけど……」

 

 

その言葉は、私の耳に入って来なかった。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

──って事がありました』

 

『へぇ、ハーマンが……少し意外だね』

 

『彼も思う所があるのだと思います。私は嬉しいです』

 

 

暗闇の中で、携帯端末の画面が光っている。

 

 

『僕の方は……特に面白い事はなかったよ』

 

『それでも、聞かせて欲しいです』

 

『うん、いいよ。今日、僕はまず──

 

 

メッセージが飛び交う。

 

私はそれを見ながら、頬を緩める。

 

眠る前に、私はピーターとメッセージのやり取りをしている。

何があったか、互いに話して……会えない時間も、共有していく。

 

そうしていると、胸が温かくなってくる。

彼は私の事を愛してくれているのだと、安心できる。

 

ピーターは……特に何もなかったと言いながら、今日行った人助けの話をしてくれる。

 

高所でペンキ塗りをしている人の手助けをしてタコスを奢って貰ったとか、年老いた女性が道路を渡るのを手助けしたとか、そんな話だ。

 

誰にでも出来る人助けだ。

だけど、『出来る』のと実際に『行う』のでは全く違う。

 

彼は誰よりも優しく、行動力があるのだ。

 

そんな彼の事が誇らしくなって、私は嬉しくなる。

胸の奥から温かくなる。

 

……でも、だからこそ。

 

少し、怖くなる。

 

 

「…………」

 

 

携帯端末を手に持って掲げる。

ベッドの上で、私は仰向けになって……画面から顔を離す。

 

ピーターは良い人だ。

カッコいいし、優しいし、頼りになるし。

最高の彼氏だ。

 

だけど……だからこそ。

 

本当に……私が彼女で良いのかと、悩む時がある。

私は嫌ではない。

ピーターとずっと一緒にいたい……そう思っている。

 

でも、もし、ピーターが私より好きな女性が出来たら……どうする?

ピーターはきっと、優しくて義理堅いから……私の事を優先してくれると思う。

 

だけど──

 

 

『明日が楽しみだね、ミシェル』

 

 

端末に、そう表示される。

 

明日は……週に二回の、ピーターとデートする日だ。

一緒にご飯を食べて……明日は映画も観に行く。

 

それを楽しみだと、ピーターは言ってくれている。

 

心の奥底でドロドロと濁っていた不安が解けて、私は笑えていた。

 

 

『私も楽しみです』

 

 

そう返して……もう一度、端末に指を振れる。

 

 

『夜も遅くなって来たので先に寝ます』

 

『うん。おやすみ、ミシェル』

 

 

そして……ハートをあしらった、スタンプが飛んで来た。

 

ピーターは私に『好き』とあまり言わない。

私もピーターに『好き』とあまり言わない。

 

お互い奥手……いや、臆病なのだ。

だからこうやって……ピーターは照れ隠しでスタンプを送って来たりする。

 

これは彼の精一杯の『好き』というアピールなのだ。

 

私は端末を抱きしめて、布団に転がる。

 

 

「……やっぱり、好き」

 

 

当たり前のことを自覚して、私は携帯端末を抱きしめる。

そこにピーターは居ないけれど、とても大切な気がして……抱きしめる。

 

心の底から安心して、明日からも生きていける。

 

 

「ピーター……」

 

 

特に意味もなく、ただ名前を呼んで……私は布団を抱きしめる。

 

そのまま意識は微睡んでいく。

 

少しずつ、眠りの世界へ。

 

 

 

落ちていく。

 

 

 

 

 

私は、夢を見ない。

 

穏やかな中に生きていたとしても、夢は見ない。

 

良い夢も、悪い夢も見ない。

見えるのは過去の記憶だけ。

 

私は夢を見れない。

見る事が出来ない。

 

あり得たはずの未来なんてない。

この世界だけが、私の唯一の世界なのだろう。

 

愛する人と、共に居られる世界だ。

幸せな現実なのだ。

 

私はそれを噛み締めて、眠る。

 

 

暗闇の中に、意識が落ちていく。

 

 

夢なんか、見られなくても良いから、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕はスマートフォンを閉じて、ベッドに転がる。

軋んだ音が耳に響いた。

隙間風が、部屋に染み込んで寒い。

 

目を閉じれば……脳裏に浮かぶのはミシェルの笑顔だ。

彼女は最近、穏やかに笑えるようになって来た。

 

記憶を失う前と変わらず、彼女は彼女だった。

少しずつ、失った記憶を取り戻すように、新しい記憶を作り上げていく。

少しずつ、恋人らしい事も出来ている気がする。

 

ほつれたタオルケットを握る。

 

 

最近、夢を見る。

 

そこにはグウェンやネッド、ハリーの側に僕が居て……記憶を失う前の生活が続いている。

だけど、ミシェルは居ない。

 

良い夢なんかじゃない、悪夢だ。

 

彼女の居ない世界で、僕は笑っている。

……羨ましいなんて、少しも思わない。

今の方が遥かに幸せなんだ。

 

なのに、何故、こんな夢を見てしまうのか。

 

心の奥底で、僕は薄情なのだろうか?

違うと……信じたい。

 

 

何度も、夢を見る。

 

 

僕が社長になってる夢。

僕がゲームプログラマーになってる夢。

僕が知らない女性と家庭を築いてる夢。

僕が死んでしまう夢。

 

きっと、可能性の世界だ。

僕に存在する、可能性の夢だ。

 

だけど、どこにもミシェルは居ない。

そんなの嫌だ。

 

 

僕は……他に何を失ったとしても、もう二度と、彼女を失いたくなかった。

 

 

僕は夢を見ている。

彼女の居ない、あり得た筈の世界の夢を。

 

 

そんなの、僕は……要らない。

 

 

僕が欲しいものは……もう、持ってる。

 

 

だから、それが失われないように。

 

 

僕が。

 

 

 

…………。

 

 

 

不安を押し殺して、僕は見たくもない夢の中へ、落ちていく。



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#3 ライブ・ウィズアウト・フィアー

祝・111話


厳かな雰囲気を醸し出す裁判所。

そこで、一人の男が立っていた。

 

カツン、カツンと音が鳴る。

 

 

「本件に関しては、どうか俯瞰して、物事を広く見て欲しい」

 

 

カツン、カツンと、一定の規則性を持って音がなる。

 

何の音か?

『白杖』の音だ。

 

 

「依頼人が人を殺傷したのは事実です。ですが、それは断れない立場の上で命じられたから……つまり、意思はなく凶器と同じ立場だったのです」

 

 

『白杖』は盲目の視覚障害者が使用する杖だ。

足元に障害物がないか、段差がないか探るために使用する。

 

……もっとも。

彼には必要のないものだが。

 

 

「貴方達はナイフを握った加害者を責めるでしょう。ですが、ナイフ自体を責めるでしょうか?いいえ、誰も責めません」

 

 

白杖が地面を叩く音が止まる。

サングラスを掛けた男が……私の座る席と、反対の方を見た。

 

 

「大切なのは倫理観です。何故なら、倫理観こそが人を人たらしめるからです。ですが、その倫理観は時として、大きな力によって捻じ曲げられる儚いものでもあります」

 

 

男は弁護士だ。

 

名前は……『マシュー・マット・マードック』。

別名、『デアデビル』だ。

 

今の姿は、表の弁護士事務所『ネルソン&マードック』の『マット・マードック』の姿だが。

 

 

「命を脅かすこと、それは許されざる事です。ですが、共に彼女も脅かされて来ました……精神的にも肉体的にも苦痛を強いる環境、幼い彼女に抗う事は出来たのでしょうか?」

 

 

彼は弁護人として今、被告の弁護を行なっている。

 

 

「依頼人は殺人を強要されていた被害者であり、既に反省もしています。必要なのは拘束でなく、贖罪の機会です」

 

 

罪に問われている誰かを、救うために……彼は聴衆に語りかけているのだ。

 

では……コレは、誰の裁判なのか?

 

 

それは──

 

 

「以上で、ミシェル・ジェーン=ワトソンの最終弁論を締め括らせて頂きます」

 

 

私の、裁判だ。

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

時間は遡って、三日前。

 

日課のメンタルケアを受けた後、ニック・フューリーに呼び出された。

 

 

「面倒な事になった」

 

 

会って早々、強面の顔を顰めてフューリーはそう言った。

 

 

「……何があった?」

 

 

私も眉を顰めて、そう訊き返す。

……仕事向けの口調で、だ。

 

ブラックウィドウであるナターシャや、ウィンターソルジャーであるバッキーに対しては、『ミシェル』として話せるようになった。

心を許せるからだ。

 

だが、どうしても……フューリーに対しては、少し、私も強張ってしまう。

彼も私を助けるために尽力してくれた恩人なのだが……どうしても、どこか、心を許せない。

一線を引いてしまう。

 

嫌いな訳ではない。

ただ、気安い関係になれる気はしなかった。

 

 

「この国の国務長官殿が、君が自由に出歩いている事に難色を示している」

 

「…………そうか」

 

 

確かに……私は罪人だ。

本来であれば、友人と会う事も許されない。

ましてや、外を出歩いて恋人と──

 

 

「言っておくが、これは不当だ。君は否定していい。君を投獄し、拘束する謂れはない」

 

「……だが──

 

「サディアス・ロスはただ、君を手駒にしたいだけだ」

 

 

私は顎に手を当てる。

 

サディアス・ロス国務長官。

この国を第一に考える、ヒーロー嫌いの冷血漢。

ヒーローやヴィランを純粋な『兵器』として管理しようとしている老人。

ただ、純粋に悪人という訳ではなく無辜の人々を守るため、国の利権のために尽力できる人だ。

良い意味でも悪い意味でも善悪に対する価値観が真っ当なのだ。

 

そして彼は、元悪人を集めたヒーローチーム……『サンダーボルツ』を結成させた経歴がある。

 

……つまり。

 

 

「私を起訴し、犯罪者として『サンダーボルツ』に組み込むつもりか?」

 

「そうだ」

 

 

『サンダーボルツ』には、ハーマンもいる。

別に……嫌な訳ではない。

 

元々、私も幾度も罪を犯してきた人間だ。

納得する。

何も、おかしな事はない。

 

 

「もし、君が敗訴すれば超能力者(スーパーパワー持ち)用の刑務所である『ラフト』に収容され、何らかの軍事作戦の場合のみ外に出されるようになる」

 

「それは……仕方のない事ではないか?」

 

 

そうだ。

私は納得していた。

贖罪は……どこに所属していても出来る。

『S.H.I.E.L.D.』でなくても『サンダーボルツ』でも。

 

……しかし、一つ心残りがあるとすれば。

 

 

「そうなれば、君は友人とは会えなくなる。一年か、三年か……いいや、十年は堅いな」

 

「…………そうだな」

 

 

面会として会う事は出来るだろうが……茶会なんて出来ないだろう。

 

それに、グウェンやハリーは関係者としてまだしも……一般人であるネッドとピーターは?

会う事も儘ならない。

 

彼等は優しいから、きっと傷付いてしまう。

 

私はいい。

だけど、友人達が傷付くのは……嫌だ。

 

服の裾を掴む。

 

そんな私の様子を見て、フューリーが深く息を吐いた。

そして、口を開いた。

 

 

「罪や罰は誰が決めると思う?」

 

 

視線を、フューリーに戻す。

 

 

「フューリー、それは……被害者だ」

 

 

私が殺してしまった人達、傷付けた人々。

それらの苦しみに対して、私は──

 

 

「いいや、違う。それを決めるのは──

 

 

しかし、フューリーが首を振った。

 

 

「法だ。君の行ってきた悪行は消えないが、それらを罪とするのも、罰を定めるのも法だ」

 

「……だが──

 

「この国は司法国家だ。不特定多数のあやふやな感情だけでは、罰は決まらない。法があり、判断を下す人間がいる。そこに委ねる」

 

「法に?」

 

「つまり、法廷で白黒付けようという話だ」

 

 

フューリーは席を立ち、不敵に笑った。

 

 

「裁判は三日後に、非公開で行われる。だが、安心してくれて良い……良い弁護士を知っている」

 

「フューリー……」

 

「良い機会だ、ミシェル・ジェーン。客観的に自分の罪を見つめ直すといい」

 

 

そういって、フューリーは部屋から出ていった。

 

 

 

それが、三日前の出来事だ。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

私は超能力(スーパーパワー)を持っている悪人(ヴィラン)だ。

私が暴れても取り押さえられるよう、法廷も厳重な警戒体制の中……裁判は進んで行った。

 

罪状が読み上げられ、尋問が行われて……。

 

そして、先ほどの弁論が行われた。

 

結果として、陪審員からの評決は──

 

 

「全員一致の『無罪』となります」

 

 

心神喪失による責任無能力による無罪。

 

 

……胸を撫で下ろした。

そして、撫で下ろしてしまった自分を恥じる。

 

法の下で裁かれたいと思いながらも、私は心のどこかで……友人達と別れる事を恐れていたのだろう。

 

思わず、唇を噛んで視線を下げる。

なんと、浅はかな人間だろうか。

 

そんな私の様子に、弁護人であるマット・マードックは視線を向けていた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

「良かったですね、ミシェル・ジェーン=ワトソンさん」

 

 

白塗りの部屋で、私とマット・マードックは机を隔てて対角線上に座っていた。

 

 

「…………」

 

「貴方の『無罪』は証明されました。これまでの件に関しては、刑事罰には問われず、再審の可能性もないでしょう」

 

 

目前で、サングラスを掛けた男が話す。

 

ここは『S.H.I.E.L.D.』の管理する施設の中だ。

裁判後、彼から説明を受けている。

 

私は視線を泳がして……マット・マードックは少し、険しい顔をした。

 

 

「何か、ご不満があるのでしょうか?」

 

「……不満?」

 

 

裁判に対して、不満はない。

これは必要な行程だったと理解している。

 

サディアス・ロスが私を危険視するのも理解できるし、ニック・フューリーが私を勝たせたいのも理解できる。

 

そして、私は……法的に『無罪』とされてしまった。

されて、しまったのだ。

 

 

「……マット・マードック」

 

「はい、何でしょう」

 

 

穏やかな口調で話す彼に、私は少し疑問を抱いていた。

 

 

「貴方は私が……憎くない、の?」

 

 

その言葉に、彼は口を噤んだ。

 

マット、彼は……『デアデビル』だ。

夜のニューヨーク、ヘルズキッチンを守るクライム・ファイターだ。

ウィルソン・フィスクと敵対している彼とは、何度も対峙している。

 

そして、何度も戦い……彼の目の前で組織の裏切り者を殺してきた。

 

だから、憎い筈だ。

それなのに……どうして?

 

彼が、遠慮気味に口を開いた。

 

 

「……君は僕の正体を分かっている、という事かな?」

 

「…………」

 

 

私は、無言で頷いた。

 

 

「……まいったな。今日はただの弁護士として、会うつもりだったのだけれど──

 

 

マットが苦笑して、手を顎に当てた。

 

 

「先程の問い、君が憎いか……それに関してはいいえ(ノー)だ。憎くなんかないさ」

 

「……何で?」

 

 

口調が気安くなる。

私に対する弁護士としての立場から、幾度も殺し合った相手……よく知った仲に対する態度になった。

 

 

「僕はね、不当な立場に押し込められた弱者を助けたくて弁護士になったんだ」

 

「…………」

 

「少し、昔話をしよう」

 

 

白杖を机に立てかけて、マットは両肘を机についた。

 

 

「僕の父はボクサーだった。と言っても、それほど有名じゃなかったけどね」

 

 

私は黙って、耳を傾ける。

 

 

「父はギャングに脅されてね、八百長試合を持ちかけられていた。もちろん、悪い事だ」

 

 

マットの目は見えていなくとも、過去を眺めているように見えた。

 

 

「命が惜しかった父は何度も八百長試合を行い、金銭を得ていた……誰にも相談できなかった」

 

 

眉を、顰めた。

 

 

「……法を犯さなければ生きていけなかった者は、一度でも法を犯せば……二度と、誰からも助けを求めてはならないのか?」

 

 

マットは首を振った。

 

 

「それは違う。いつだって更生する機会は与えられるべきだ。しかし、父にはその機会は与えられなかった。誰も味方が居なかったからだ」

 

 

両手を組んで、寂しそうに笑った。

 

 

「父は暗い泥沼のような世界から抜け出そうと、一度、本気で試合をした。結果……試合には勝ったが、翌日には死体となって見つかった」

 

 

話を締めくくり、マットは私へ顔を向けた。

 

 

「僕は君のような人間の助けになりたくて、弁護士になったんだ。だから、助けたいと思っても……憎いと思う訳がないだろう?」

 

 

私は、口を開いて反論しようとして……口を閉じた。

ここで否定して仕舞えば、彼の信念を踏み躙ってしまうと私が思ったからだ。

 

そんな私の様子を見て、マットは頬を緩めた。

 

 

「君は優しいな」

 

「……そんな事はない」

 

 

思わず首を振った。

 

 

「僕は君の罪悪感も、罰を求める心も否定するつもりはない。だけど、他人が君に罰を与える事は許さない」

 

「……どうして?」

 

「僕が弁護士だからだ。君は『無罪』と判決された……法廷で隠した罪も存在しない」

 

「…………」

 

「全てを曝け出して、その上で『無罪』なんだ。だから、第三者がそれを覆そうとするのは法に対する侮辱だ」

 

 

マットはそう語り、私は……頷いた。

 

 

「ありがとう、マット・マードック」

 

「『マット』で構わない。これからも関わって……いいや、弁護士が必要になる事はない方が良いかな」

 

 

笑いながら、マットは机の上に置かれた書類をファイルにまとめた。

 

 

「……それと、ごめんなさい」

 

「ん?何に対してかな?」

 

「えっと、沢山、殴ったから……」

 

 

彼の骨を折ったのは一回や二回ではない。

比喩表現じゃなくて、本当に骨を折ってるのだ。

 

申し訳ないと思うのも、当然だ。

 

しかし、マットは少し複雑そうな顔をした。

 

 

「いいや、僕の方こそ。君と出会って何度も戦った……なのに、君の声すら知らなかった」

 

「……マット」

 

「知っているかもしれないけど、僕は耳が良い。なのに、君の心の亀裂を聞くことすら出来なかった」

 

 

私が罪悪感を感じているように、マットも罪悪感を感じているようだった。

 

……あぁ、全く。

 

私の周りにいる人間は、人が良過ぎる。

 

 

「だけど、こうして今。素顔で話せている事を嬉しく思えるよ」

 

「……私も。貴方とは一度、こうして話をしてみたかった」

 

「そうかい?それは嬉しいな」

 

 

マットが笑って、私もつられて頬を緩めた。

そして……私は少し、眉尻を下げた。

 

 

「私、貴方のこと……好きだから」

 

 

デアデビル……この脳裏にある記憶から、彼の事は尊敬していた。

泥臭くも、誰かを守るために尽力できるクライムファイターの姿に、私は胸を躍らせていた。

 

……しばし、彼は無言になった。

 

不可解に思って、マットの顔を見ると……彼は困った顔をしていた。

 

 

「いや、困ったな。申し訳ないけど、君の好意は受け取れない」

 

 

……そこで、何か大きな勘違いをしている事に気付いた。

私は眉を顰める。

 

 

「……そういう意味じゃない」

 

「……あぁ、そうか。すまない。いや、恥ずかしい勘違いをしてしまったな、全く」

 

 

マットが慌てて弁解する。

心なしか顔は赤い。

 

私の言葉足らずが原因だが……好きでもない人間にフラれるのは中々に堪える。

 

 

「……私、恋人いるし」

 

 

心の奥底が痛んで、私は恥を隠そうと強がりを小さく口にした。

……口にしてから、あまりの情けなさに言葉を撤回したくなったが。

 

しかし──

 

 

「……そうか、それは良かった」

 

 

それを聞いたマットは……嬉しそうに頬を緩めた。

思っていた反応と違って、私は首を傾げる。

 

……私は彼と違って、心音から感情を読み取る事は出来ない。

疑問に思いながらも、話題を変える事にした。

 

 

「……一つ、頼みたい事があるのだけれど、良い?」

 

「勿論だとも。何でも頼ってくれて構わないさ」

 

 

机の上から裁判の書類は消え、一つの分厚いファイルが出来ていた。

 

 

「それは──

 

 

私の言葉に、マットは少し驚いて……納得したように、頷いた。

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

ニューヨーク、ヘルズキッチン。

『エイリアス探偵事務所』。

 

そこで私……ジェシカ・ジョーンズは眉を顰めていた。

 

机に置かれた大量の依頼書類を眺める。

 

『レッドキャップ』によってへし折られた骨や、傷口は完治した。

もう探偵業をしても何の問題もないレベルだ。

 

だがしかし、入院中に受けられなかった依頼が溜まっていたのだ。

それを机の上に並べている。

 

 

「…………」

 

 

正直に言えば、私が対処する必要のないものが多い。

それでも、私を頼ってきてくれた相手を無碍にする事は出来ない。

 

 

「まず、浮気調査からか……」

 

 

そう言いながら、書類を捲り──

 

チャイムが鳴った。

視線を事務所の入り口に向ける。

 

 

「今、既存の依頼だけで手一杯だってのに」

 

 

私は書類を引き出しに入れる。

守秘義務から他人に見せてはならないからだ。

 

 

「新しい依頼なら断ろうかしら」

 

 

そう言いながらも、相手の話を聞く気はあった。

何故なら、やはり……自分を頼るような人間はもう後が残されてないような依頼人ばかりだからだ。

 

私は入り口へ向かい、ドアを開けた。

 

……そして、チャイムを鳴らしていた男を見て眉を顰めた。

 

 

「あのさ、『CLOSED』って書いてると思うのだけど?」

 

「残念だけど、僕には見えなかったな」

 

 

そう言うのは盲目の弁護士、マット・マードックだ。

 

 

「指で分かるように凹凸のある看板を立ててるわ」

 

「おっと、それは申し訳ないね」

 

 

憎まれ口を叩きながら、私は事務所のドアを全開にし……マットの後ろに、人影がある事に気付いた。

 

 

「……ちょっと、後ろの彼女は?誰?」

 

 

色素の薄いプラチナブロンドに、整った目鼻立ち。

あまりにも、マットの側にいるには珍しいタイプの女性……いや、女の子か。

 

 

「うん?僕の依頼主だ」

 

「……何の?」

 

「弁護と、道案内かな」

 

 

弁護……という事は、彼女、何か訳アリなのかしら?

 

二人を事務所の中に招くと、マットが勝手に椅子に座った。

その様子を見て、彼女は私を一瞥し……隣に座った。

 

 

「で?私に用なの?」

 

「そうなるね」

 

「ふーん……」

 

 

私は冷蔵庫を開ける。

 

右から酒、酒、酒、酒、酒……。

二段目も酒、酒、酒、酒……。

三段目にあった水割り用のミネラルウォーターを取り出す。

 

 

「紅茶、切らしてるから……水しかないけど良い?」

 

「おかまいなく」

 

「アンタに訊いてないわよ、後ろの女の子よ」

 

 

マットから視線を逸らして、背後の少女を見る。

……どこか、不安そうで、緊張している表情。

 

彼女のように、若い女性が私を頼る事は少なくない。

警察も頼れないような物事には探偵が一番だ。

 

そして、同性であれば、それだけで心を許し易い。

 

自分で言うのも何だが、女の探偵は需要があるのだ。

 

 

「……えっと──

 

 

返事を待たず、グラスに水を入れて彼女の前に置いた。

私とグラスに視線を往復し……口を開いた。

 

 

「ありがとう、ございます」

 

「どういたしまして」

 

 

そのままグラスに口を付けて、ちびちびと飲み始めた。

……何だか、借りてきた猫……いや、小動物のようだ。

 

何も悪い事なんて出来なさそうな……大人しい様子に私は頬を緩めた。

 

ここにくる依頼者は切羽詰まって、怒鳴ったり、暴れたりするような奴も多いからだ。

 

 

「それで?困り事って?ストーカー被害にでもあった?」

 

 

そう訊きながら……ふと、疑問が脳裏に過ぎった。

 

マットは彼女の弁護をしている、と言った。

それは彼女が被害者ではなく、加害者である事を示しているのだ。

 

……しかし、目の前の少女がそんな……何か、悪い事など。

冤罪とか?

 

何やら面倒ごとのような気がしてくる。

私は眉を顰めて……その様子を見たマットが口を開いた。

 

 

「ジェシカ、彼女は君に謝りたいそうだ」

 

「私に?」

 

 

腕を組んで、机にもたれ掛かる。

首を傾げながら、記憶を反芻する。

 

初対面の少女だ。

謝れるような覚えなどない。

 

そう思っていると、少女が口を開いた。

 

 

「ごめんなさい」

 

 

そう、ポツリと謝った。

 

私は彼女に害された記憶がない。

それでも、彼女のその仕草には……心の底からの後悔と、反省を感じられた。

 

だから思わず、問い掛けた。

 

 

「何を謝ってるの?」

 

 

その謝罪に対して、私も真摯に向き合わなければならないと感じたからだ。

 

 

「……殴ったり、蹴ったりしたから」

 

「誰を?」

 

「貴女を」

 

 

また、首を傾げる。

 

私を殴った?

蹴った?

 

私が困惑しているのを他所に、彼女は言葉を繋げる。

 

 

「私は貴女に暴力を振るい……大怪我を負わせて、入院までさせて……」

 

 

目を、瞬かせる。

 

入院、大怪我……少女。

 

 

「……ちょ、ちょっと待って」

 

 

脳の中にあるフォルダをひっくり返し、一枚の人物情報を引き出す。

 

状況から、確実に誰かは判別できた。

しかし、納得するかは別だ。

 

目の前の小さな、細身の、儚げな少女が──

 

 

「……貴女、もしかして『レッドキャップ』、なの?」

 

 

そう、私と殴り合ったあの、赤いマスクの悪人だなんて。

 

否定して欲しい。

何かの冗談であって欲しい。

 

そう思っていても、彼女は頷いた。

肯定されてしまった。

 

ちら、とマットの方を見れば……彼も頷いた。

 

 

「……そう」

 

 

私は手で、目頭を揉んだ。

目を閉じて、開く。

 

 

「…………」

 

 

目の前の少女……『レッドキャップ』と呼ばれていた少女が俯いた表情で、怯えていた。

 

確かに、私は大怪我をした。

何度も殴られたし、蹴られたし、撃たれもした。

 

でも──

 

 

「ま、いいわ」

 

「……いい、って?」

 

「許してあげるって事よ」

 

 

深く息を吐いて、しゃがみ込む。

目線を椅子に座っている少女より下げる。

 

 

「ジェシカ……」

 

「大なり小なり、人は脛に傷を負って生きてくものよ。私だってね」

 

 

彼女は自身の服の裾を掴んだ。

私はその手を、両手で覆う。

 

 

「潔白である事は素晴らしい事だけど、潔白でなければならない訳じゃないの」

 

「…………」

 

「重要なのは今の行い。過去の過ちを認めて、前に進んで行けるなら……私に恨む道理はないわ」

 

「……ありがとう」

 

 

眼を潤ませながら、彼女は感謝の言葉を述べた。

私は頬を緩めて、立ち上がり……頭を撫でた。

 

 

「子供の悪さを許すのが大人よ。胸を借りるつもりで生きれば良いわ」

 

 

……髪、凄いサラサラね。

(シルク)で出来てんの……ってぐらい。

 

年相応の幼さと、少女らしい可愛げのある風貌。

 

そんな彼女が……あんな、裏稼業をさせられていたなんて。

 

 

「それに、生傷を負うのも慣れてるし。私、貴女が思っている数倍は丈夫なの。気にしなくて良いわ」

 

 

手を引いて、立ち上がらせる。

 

 

「それと……」

 

 

戸惑う彼女に手を伸ばして……抱き締める。

 

 

「あ、ジェ、ジェシカ……?」

 

「無事で良かったわ。それと、助けに行けなくて、ごめんなさいね」

 

 

彼女が窮地に陥り、ディフェンダーズが総出で助けに向かった時……私は入院したままだった。

 

だから、負い目を感じていた。

 

少しの間、抱きしめていると……背中に、彼女の手が当たった。

遠慮がちに抱きしめ返されたのに気付き、私は心が軽くなった。

 

 

 

……少しして、手を解き……彼女から、離れた。

マットは私達の様子を見て、嬉しそうに頬を緩めていた。

 

……恥ずかしくなって、少し苛立った。

 

 

「見せ物じゃないけど?」

 

「いや、すまない。つい目で追ってしまった」

 

 

馬鹿にするような素振りではない。

ただ、心の底から「良かった」と思っているのだろう。

 

……まぁ、私も逆の立場なら、嬉しくなるだろう。

あまり強くは言えなかった。

 

ふと、一つ疑問が湧いた。

 

 

「貴女、名前は?」

 

 

そうだ。

 

彼女はもう『レッドキャップ』ではない。

だから、別の名前がある筈だと……そう訊いた。

 

そして──

 

 

「私は、ミシェル。ミシェル・ジェーン=ワトソン」

 

 

そう名乗った。

 

名前の響きを咀嚼し、私は飲み込む。

 

 

「良い名前ね」

 

 

そう褒めると……彼女、ミシェルは心底、嬉しそうに頬を緩めた。

 

 

「ありがとう。嬉しい。兄が……付けてくれた名前だから」

 

 

そう言った彼女の瞳は、少しの寂しさを含んでいた。

詳細は知らない。

 

 

「そうなのね……」

 

 

だけど、悲しいだけの記憶ではない事は察せられた。

彼女の兄はもう、この世には居ないのだろう。

 

しかし、兄と過ごした記憶を「悲しい」という感情だけで捉えずに、「掛け替えのないもの」として感じているようだった。

 

 

……私は、口を開いた。

 

 

「で?私に対する用事ってのは、謝罪だけなの?」

 

「う、ぇ、あ、えっと、はい。ごめんなさい」

 

「ふふ、責めてる訳じゃないわ」

 

 

確かに、今、私は忙しい。

忙しい原因を作ったのは彼女の暴力だ。

 

それでも責めるつもりはないけれど。

 

 

「私だけじゃなくて……彼女、他の人にも謝っていくつもりなの?」

 

 

マットに顔を向けた。

彼は手を組んで頷いた。

 

 

「あぁ、そうだ」

 

「ルークとダニーにも会いに行くの?」

 

 

ミシェルの方へ眼を向ける。

こくり、と頷かれた。

 

一瞬、不安に思ったけれど……ルークとダニーなら、厳しく責めたりはしないだろう。

 

私は頬を緩めて、また彼女の頭を撫でた。

 

 

「え、あの、撫でないで」

 

 

そう抗議するけど、撫で心地が良いのだから止めるつもりはない。

 

 

「撫でやすい位置に頭があるのが悪いのよ」

 

「……べ、別に、小さくないし」

 

 

いや、客観的に見れば小さいだろう。

そう思っても、気にしているようなら口に出さない方が良いだろう。

 

数ヶ月前までは、彼女とこんな関係になれるとは思っていなかった。

顔も合わせた事はなかったし、殺し合った仲だけど……それでも、そんな事が些細な事に感じられた。

 

今ここにある少女の笑みに比べれば……。

 

 

「それにしても、随分と話し方が違うのね?」

 

「あぁ、それは確かに僕も気になるね」

 

 

私の言葉にマットが同意を示した。

ミシェルを一瞥すると、慌てたような仕草をした。

 

 

「う、えっと……その、仕事中はこう、スイッチが入っちゃって」

 

 

そうして、私の知らなかった彼女の話を訊いていく。

マットも知らなかったのか、興味深そうに耳を傾ける。

 

……いつか。

 

彼女が償いを終えた時、安心して昔話が出来る時が来る事を……私は願っていた。

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

夜、マンハッタンにあるマンションの……自室。

 

携帯電話に指を走らせて、メッセージのやり取りを行う。

 

ピーターと、情報を交換していく。

 

 

私は……自身には勿体無い程の優しさを貰って生きている。

 

今日出会ったマットも、ジェシカも。

誰も私を責めなかった。

何度も殺し合ったというのに、それでも。

 

ピーターとのやり取りを終えて、携帯電話を机の上の充電器に置く。

 

消灯して暗い部屋で、私は息を深く吐いた。

 

私は罪人だ。

しかし、法は私を罰してくれない。

被害者も私を罰してくれない。

 

この身に背負う十字架は、安易な刑罰で軽くさせてはくれない。

 

罪悪感を抱えて、私は生きている。

それもまた、私に対する罰なのだろうか。

 

人助けをしたいと、そう決意したのに。

私は誰かに助けられて生きている。

 

……いつか、この手に貰った優しさを、他の誰かに分け与えられるように……私はなりたい。

 

 

「……ありがとう」

 

 

私は感謝の言葉を溢した。

無意識のうちに、小さく。

 

……私は、ベッドの端にいる大きな熊のぬいぐるみを引き寄せる。

これは、私の寝相が悪過ぎる事を心配したグウェンからプレゼントされた抱き枕だ。

 

それを引っ張って抱きしめる。

 

大きくて、抱きしめているのに抱きしめられているかのような感触だ。

 

強く、だけど壊れないように抱きしめる。

 

 

「……ピーター」

 

 

思わず、名前を溢した。

 

ピーターは忙しい。

ヒーロー業も、高卒認定を取るための勉強も、生活費を得るためのアルバイトも。

 

だから、毎日のように会ってはならない。

互いのためにならない。

 

だから、我慢によって生まれる心のモヤモヤを、ぬいぐるみを抱きしめる事で発散していた。

 

 

「…………」

 

 

ピーターに抱きしめられた時のことを思い出し、頬が熱くなる。

 

私は意識を微睡ませて、眠りにつく。

 

明日は何をしようか。

何をするべきか。

 

そんな事……少し前までは考えられなかったのに。

 

ただ、ゆっくりと意識を手放して……私は眠る。

明日も目覚めるために。

 

 

夢は見ない。

 

 

未だに、夢だけは見れなかった。



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#4 アメイジング・フレンズ Part1

私は、鼻歌混じりに鏡を見る。

顔を洗い、プラチナブロンドの髪を整える。

軽く化粧をして……もう一度、鏡を見る。

 

 

「……うん、よし」

 

 

満足げに頷いて、自室の洗面所から出る。

鞄に化粧ポーチを入れて、ドアを開ける。

 

ワンピースの裾を翻し、マンションの廊下を歩く。

 

着ているワンピースは茶色のチェック柄……落ち着いた色合いだ。

今日のお洒落は自分のためではなく、これから会う人の為のものだ。

……あぁ、いや、相手に好かれたいと思っているのだから、自分のためでもあるのだろうか?

 

とにかく、目的の場所へ向かおうと歩いていると……廊下で、犬とすれ違った。

通り過ぎる瞬間、犬がこちらに視線を向けた。

 

 

『ミシェル、今からお出かけ?』

 

 

脳に直接テレパシーが飛んでくる。

 

……そう、彼はコスモ。

ゴールデンレトリバーの超能力犬だ。

同じマンション内の住民だ。

 

 

「ん、ちょっとね」

 

『ふぅん?いつもと格好が少し違うね、逢引き?』

 

「……逢引きって、人聞きが悪い」

 

 

私が眉を顰めると、コスモが笑った。

……笑ったような気がした。

犬だから表情が読み取りにくい。

 

 

「ただのデートだから」

 

 

そう、デートだ。

今日は週に二回のピーターとのデート日だ。

 

 

『ふーん?今度、会わせてよ。気になるから』

 

 

私は視線を泳がせた。

ピーターとコスモを?

……どうなるか想像も付かないな。

コスモって結構、洞察力あるし……ピーターがスパイダーマンだって事を見抜いてしまうかも知れない。

 

それはちょっと拙いけれど──

 

 

「……気が向いたら、で」

 

 

小さく手を振って、コスモから離れる。

 

しかし、ピーターは今、まともに交流関係がある友人は私ぐらいだ。

世界から記憶が抹消されてしまった為、一人ぼっちに近い。

 

……私以外にも、親しい人間を作るべきだ。

そして、私には手伝う義務がある。

 

……いつか。

まだ、説明が難しくて出来ていないけれど。

ネッドやグウェン、ハリー達とまた友達になれるように……。

 

 

私は、ピーターに幸せになって欲しいから。

私に出来る事は全てしてあげたい。

 

 

……出来る、事なら……全て。

 

 

自分の考えに少し頬を赤らめつつ、少し早足でマンションを後にした。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

数字を模った奇抜なモニュメントが、公園内に鎮座している。

市内で有名な待ち合わせスポットだ。

 

その辺りをぐるりと回って、私は目当ての人を見つけた。

 

まだ私に気付いていないようで、ピーターは自分の前髪を触っていた。

……からかいたくなる気持ちを抑えて、ゆっくりと近付き──

 

 

「ピーター」

 

「あ、おはよう。ミシェル」

 

「ん、おはよう」

 

 

まだ午前中だ。

朝の挨拶をして、ピーターの側に立つ。

 

身長はピーターの方が少しだけ高い。

私は視線を上に上げつつ、ピーターの顔を見る。

 

 

「ピーター、まだ集合時間30分前だけど──

 

 

そう、私は楽しみ過ぎて集合時間より、かなり早く来てしまった。

それなのに、ピーターは既に来ていた。

 

 

「いつから待ってたの?」

 

「あー……いや、僕もさっき来た所だよ」

 

 

これはピーターの見栄という奴だ。

待ち合わせをする時は、女性を待たせないように早めに来ているのだ。

 

にしても。

 

 

「……ふふ、お互い早くに来すぎ」

 

「ははは……」

 

 

ピーターが苦笑しつつ、頬を掻いた。

 

 

「じゃあ、今から映画館、なんだけど……まだ、全然上映時間じゃないよね?」

 

 

ピーターが公園内の時計を見て、私もつられて時間を確認する。

 

 

「うん、お目当ての映画まで2時間もある」

 

 

ピーターに続いて、私も苦笑する。

 

そもそも映画を観る為のスケジュールも、余裕を持って組んでいる。

ただでさえ、早め早めに予定しているのに、集合時間まで早くなってしまっては──

 

結果、大きな暇が出来てしまった。

 

 

「うーん、喫茶店でも行こっか?」

 

「賛成。映画館の近くにあるし」

 

 

私とピーターは、同時に歩き出す。

 

 

「あー、あのパスタが美味しい店?」

 

「うん、ピーターも行った事あるの?」

 

「えっと……一度、一緒に」

 

 

その言葉に、私は目を細めた。

誰と『一緒に』か、それは記憶が消える前の私とだ。

 

思わず、胸が締め付けられるような気持ちになった。

一緒に行った筈なのに、記憶にないのは悲しい。

 

だけど──

 

 

「それってデートだった?」

 

「……えーっと、うん。少なくとも僕はデートだと思っていたかな」

 

 

今は、それほど悲しくなかった。

私は失ったピーターとの記憶を、新しく積み上げている最中だから。

 

出会って一年間の記憶は無くなってしかったけれど、これからもピーターとはずっと一緒にいる。

だから、もっと多くの記憶を積み重ねていける筈だ。

 

私は失った記憶に、それほど執着していない。

……ちょっと前までは、少し、記憶を失う前の自分を羨ましいと思っていたけれど。

 

ピーターの話を聞きながら、頬を緩める。

好きな人と一緒に思い出を作れるのは……凄く、幸せだ。

 

こんなに幸せなのは……本当に良いのだろうかと心配になる程に。

 

……少し、胸が苦しくなる。

楽しいデートなのに。

 

ふと、私の手に、ピーターの手が触れた。

 

 

「あっ……」

 

 

そのまま優しく握られる。

 

 

「…………」

 

 

ふと、ピーターの顔を見上げると……少し赤くなっていた。

初めてでもないのに、彼はまだ恥ずかしがっている。

 

いい加減に慣れて欲しいような気もするけど、こうやって照れているピーターも愛おしいと思っている自分がいる。

 

壊れ物を扱うように優しく握られていて……私は、その手を握り返した。

 

きっと、私が少し落ち込みそうになっていたから、元気付けようとしてくれたんだ。

 

ありがとうと言いたいけれど、感謝の言葉は野暮だろう。

 

 

「……ピーター」

 

 

だから、代わりに微笑みかけた。

そしてまた、ピーターがぎこちない笑みを浮かべた。

 

仄かな温かさが手から伝わる。

握った手は自分のものと違って、少しゴツゴツしているけれど……頼れる手だと思った。

 

楽しいデートは始まったばかりだ。

私は気分が高揚して──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

足を止めて、振り返った。

 

 

「ミシェル?どうかした?」

 

 

不思議そうな顔をするピーターに視線を戻し、私は笑った。

 

 

「……えっと、何でもない」

 

 

一抹の不安を感じながら、そう言い切って──

 

 

「嘘だよ、何か気にしてる」

 

 

誤魔化しきれなかった。

ピーターが少し心配そうな顔をしながら、私へ身体を向けた。

 

……私は観念して、口を開いた。

 

 

「誰かに尾行されている気がした」

 

「……え?尾行?」

 

 

ピーターが周りをキョロキョロと見る。

そして、不思議そうな顔をした。

 

 

「……僕のアレには反応がないけど──

 

 

アレ。

それは超感覚(スパイダーセンス)の事だ。

公の場では誰が聞いてるかも分からない。

ピーターは正体をバレないように気を付けているのだ。

 

 

「僕に対する悪意がなければ、気付けないからね……う、うーん?」

 

 

真剣な顔で悩むピーターに、私は眉尻を下げる。

 

 

「ピーター、忘れて。尾行されてそうな気がしたのも……多分、勘違いだから」

 

「そ、そうかな……?」

 

 

どうして、気になっていた私よりもピーターの方が不安そうな顔をするのだろう。

 

そんな疑問を抱いている私に、ピーターが笑った。

 

 

「でも、ミシェル。話してくれて、ありがとう。嬉しいよ」

 

「……不安にさせただけなのに」

 

「いいんだよ。心配事を相談してくれると、頼られてる気がして嬉しいからね」

 

 

……あぁ、失念していた。

心配事を相談しないというのはつまり、頼れないと思っている事に繋がるのか。

確かにそうだと納得して、私は小さく頭を下げた。

 

 

「ごめん、ピーター」

 

「ううん、僕の我儘だから……謝らなくていいよ」

 

「それじゃ……ありがと、ピーター」

 

「どういたしまして」

 

 

ピーターが笑った。

 

……彼は頼りにされたいと思っている。

それは、私が過去に彼を頼らず黙って去ろうとしていたのが原因……なのだろう。

 

繋いだ手の温もりを感じながら、私はピーターと共に公園を後にした。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

人混みに隠れて、金髪が揺れている。

公園に置かれたオブジェクトから顔をそっと出している……そんな後ろ姿を、僕は見ていた。

 

 

「……グウェン、もうやめないか?さっきもバレそうになっていたじゃないか」

 

 

そう小声で話しかけると、勢いよく振り返った。

眉は顰められている。

 

 

「ハリー、ミシェルが知らない男と手ぇ繋いでるのよ……!?許せるの……!?」

 

「あ、いやぁ……それを決めるのは僕達じゃないだろ?」

 

 

そう言い返すと、キッと睨まれた。

グウェンは切れ長の目をした美人だ。

美人が睨むと怖いと言うが……なるほど、確かにそうだと思った。

 

さて、何故、僕達がミシェルのデートに気付けたのか?

それはグウェンがエスパー犬、コスモを買収したからである。

 

彼女は以前に、ミシェルがデートしそうな仕草を見せたら報告するようにコスモに賄賂を贈っていた。

高級ジャーキーだ。

 

買収されていたコスモは今朝、ミシェルがデートに行こうとしているのを発見し、読心術(サイコメトリー)を発動した。

それにより、今日のデートの待ち合わせ場所を取得……グウェンに報告という流れだ。

 

僕?

僕はグウェンから電話が掛かってきて、急に呼び出されてここに居る。

あまり乗り気ではないんだ。

 

しかし……。

 

 

「…………はぁ」

 

 

先程の、見知らぬ男と笑顔で会話して、手を結んでいるミシェルを思い出した。

……こう、胃の下が重くずっしり来るような感覚があった。

 

だけど、彼女は楽しそうだった。

幸せそうだった。

 

だから、誰であろうと……納得はしていなくても、僕は許せると思った。

僕はミシェルに幸せになって欲しいからだ。

 

その時、僕は……隣に居なくても……。

 

……。

 

 

「……ハリー?」

 

「うん?何だい?」

 

「ぼーっとしないでくれる?もっと、ほら、やる気出して……あ、移動するわよ」

 

「はいはい」

 

 

ダメだな。

未練はまだ断ち切れない。

呆けてしまっていたようだ。

 

……しかし、グウェンを一人で行かせる訳にはいかない。

彼女が暴走しかねない。

 

デートを台無しにする……とは思わないが、万が一の事もある。

ミシェルを尾行するのは気が引けるが、グウェンの制御という意味でも……彼女には許して欲しい。

 

僕とグウェンはコソコソと、ミシェル達の後ろを隠れながら追いかけていく。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

「それじゃあ……この、『ハチミツとクッキークランチのキャラメルフラペチーノ』?を一つ」

 

「あ、僕も同じ物を一つ」

 

「かしこまりました、メニューは下げさせて頂きますね」

 

 

ウェイトレスが私の目の前にあったメニューを持って行った。

 

映画館のすぐ側にある喫茶店。

……確か、グウェンのお気に入り?

だったっけ?

 

少し待っていると、目の前に飲み物が届いた。

 

……なるほど、結構大きめなグラスにキャラメルフラペチーノ、生クリーム、そして上から砕かれたクッキーが乗っている。

 

思わず気分を高揚させながら、スプーンの付いたストローを突っ込んで口に含む。

 

甘い。

人によっては嫌になるレベルで甘い。

だけど、私はこの甘さが好きだった。

頬が緩む。

 

……ふと、視線を上げるとピーターと目があった。

偶々……ではなくて、ピーターが私を見ていて、顔を上げた私と目があったって感じだ。

 

 

「……どうしたの、ピーター?」

 

「いや、美味しそうに飲むね……って。ごめん、ジロジロと見ちゃって」

 

「別に、気にしてないから大丈夫」

 

 

……む。

唇にクリームが付いてしまった、指で取って、口に含む──

 

あ、今の行儀が悪かったな。

 

ちら、とピーターを見る。

責めるよう視線ではなかったけれど、頬を赤らめて顔を背けた。

 

……何だか、恥ずかしい。

 

 

「ピ、ピーターもはやく飲んで?映画まで時間あるって言っても……遅れちゃうかも知れないし」

 

 

照れ隠しで言っている。

まだ1時間半はあるのだから、万が一にも遅刻する事はないだろう。

 

ピーターもキャラメルフラペチーノを口に含んで、頬を緩めた。

 

 

「……ピーター、美味しい?」

 

「うん、美味しいよ」

 

 

心の中が穏やかになる。

 

甘いものは好きだ。

苦く渋いような感情から遠ざけてくれる。

純粋な幸せを舌に感じさせてくれる。

だから、甘いものを食べたら私は幸せだ。

 

そして、何よりも──

 

 

「……ふふ」

 

「え?ミシェル、何かおかしい?」

 

「クリーム、口に付いてるから」

 

 

好きな人と一緒に、この気持ちを共有できているのが幸せだ。

幸せは一人でよりも、誰かと共有する方が大きくなる。

だって、二人分の幸せだから。

 

 

「え?」

 

「取ってあげようか?」

 

「い、いや、大丈夫……」

 

 

ピーターが慌てて紙ナプキンで口を拭いた。

照れ臭そうにしているピーターに微笑みかける。

 

一年前までは笑うのが下手だった私が、こうやって笑えるようになったのは……ピーターや、友人達のお陰だ。

感謝しても仕切れない。

 

 

……だからこそ、どうにかしてピーターには……。

 

一緒に、幸せになって欲しい。

私だけではなく、彼にも幸せになって欲しい。

どうにかして私の友人達と、再び友人に出来ないかと……そう悩んでいる。

 

最近の近況を話しながら、キャラメルフラペチーノを口に含む。

 

と言っても、公共の場だ。

ピーターはスパイダーマン関連の話は出来ないし、私もアベンジャーズタワーでの話も出来ない。

 

必然的にピーターのアルバイト失敗談が積もっていく。

 

 

「それで、冷めたピザを届けてクビになったんだ。このままだと全ピザ店から出禁になるよ、僕……」

 

 

割とショックを受けてそうな顔で、ピーターが項垂れる。

 

 

「ピーター……他の人に説明する訳にもいかないし、ね?」

 

「そうなんだよ……まぁ、それでも、やめる訳にはいかないんだけど」

 

 

事件が起きる度に、ピーターは人助けに向かってしまう。

それは褒められるべき事なのだが、世間には認められていない。

 

そもそも、スパイダーマンという裏の顔を人に知られる訳にはいかない。

後ろ盾のない個人のヒーロー活動は、危険を伴う。

犯罪者からの恨みも買いやすい……それこそ、シニスターシックスなんてものが出来るぐらいには。

 

だからこそ、ピーターは苦悩している。

側から見れば、急に仕事サボる奴に見えるし。

 

 

「……ピーターは偉いよ」

 

「え?そうかな?」

 

「うん」

 

 

誰からも褒められない。

そんなヒーロー活動に私生活を犠牲にしている。

誰にも褒められないなら……せめて、私が褒めてあげたい。

 

 

気付けばフラペチーノは半分程になっていて……時間も丁度、良い感じに過ぎていて──

 

 

ピーターの視線が、私から逸れて……喫茶店の天井から吊られているテレビに移った。

 

 

『緊急速報です!ニューヨーク、ハーレム内の銀行で立て籠もりが──

 

 

テレビには、銀行を取り囲む警察官達の姿があった。

拳銃を構えた警官達が、銀行の入り口に向けて銃口を構えている。

 

……ニューヨークでは、あまり珍しくない事件だ。

言わば、他人事のような話。

 

だけど──

 

 

「…………」

 

 

ピーターは一瞬、目を細めて……私へと視線を戻した。

先程までの優しげな笑みを少し、ほんの少し強張らせていた。

 

 

「ミシェル、そろそろ、ここから出て映画館に──

 

「いいよ、ピーター。行ってきても」

 

 

ピーターの言葉を遮って、私はそう口にした。

彼の瞳が揺れる。

笑みは崩れて、眉尻を下げた。

 

 

「ミシェル……」

 

「良いの。私は大丈夫」

 

「……う、だけど──

 

 

ピーターは迷っている。

きっとピーターが向かわなくても事件は解決する。

銀行強盗ぐらい、このニューヨークではよくある話だ。

 

だけど、それでも──

 

 

「私は、ピーターのそういう所が好きだから。誇らしいと思ってるから……だから、ピーターのやりたい事をして?」

 

 

私はピーターの重荷になりたくない。

彼の思いを汚したくない。

 

大いなる力、大いなる責任。

 

その責任を、少しでも私に分かち合って欲しい。

それは恋人である私にしか出来ない責任の背負い方だ。

 

 

「……ありがとう、ミシェル。君は最高の恋人(ガールフレンド)だよ」

 

「……そうかな?」

 

 

それはこの世界のピーターにとって、初めての恋人だからじゃないか?

って無粋な事は訊かないけれど……。

 

 

「うん、間違いなくね」

 

 

ピーターが机の上にお金を置いて、立ち上がった。

……几帳面だ。

 

こんなの、私が奢ってあげても良いぐらいなのに。

 

 

「終わったら連絡するから!」

 

 

そう言いながら、ピーターは席から立って……喫茶店から飛び出した。

 

親愛なる隣人(スパイダーマン)の出動だ。

私は……何も出来ないけど。

 

ニック・フューリーに力を使う事は禁止されている。

未だに、訓練生という肩書すら持てず、私の立場は宙ぶらりんだ。

メンタルケア中の、アベンジャーズタワーにいるよくわからない奴……そう、職員に陰口を叩かれてるかも知れない。

 

口に、フラペチーノを流し込む。

甘い。

 

だけど、先ほどより甘さが控えめに感じた。

普通に考えれば、氷が溶けて薄まったのだと考えられるけど……きっと、心持ちの問題だ。

 

寂しい。

そして、自分の無力さが疎ましい。

 

……なるほど、コミックに出てくる歴代ピーターの恋人は、こんな苦悩を持っていたのだろう。

確かに堪える。

 

だけど、私はピーターがスパイダーマンだと知っているから、まだマシだけど。

知らない恋人だっていたし、知っていても辛いだろうけど。

 

 

また、フラペチーノを口に含む。

底まで減っていて、静かなボックス席の中で音が鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 

……鈴が鳴った。

 

 

喫茶店のドアに付けられた鈴だ。

 

気にせず、私は鞄から携帯端末を出そうとする。

映画には間に合わなさそうだし、何か丁度良いスケジュールになるように別の用事を考えないと──

 

 

足音が、私の近くで止まった。

 

 

「ミシェル」

 

 

呼ばれて、私は顔を上げた。

声で気付いていたから驚かなかったけれど……それでも、何故ここにいるのか分からなくて首を傾げた。

 

……というか、グウェンの二の腕を掴んで、ハリーが首を横に振っている。

あ、止めようとしたのに、私に声を掛けてしまったのか。

 

 

「……グウェン?なんでここに──

 

「座るわよ」

 

 

グウェンが勝手に、ボックス席の向かい側に座った。

 

 

「……すまない」

 

 

ハリーも観念したように、グウェンの隣に座った。

手を額に当てて、申し訳なさそうな顔をしている。

 

……何となく察した。

私とピーターを尾行していたのは、この二人だ。

グウェンが主体で、ハリーは巻き込まれた形だろう。

 

私は苦笑いした。

 

 

「ねぇ、ミシェル。さっきの……貴女の恋人?」

 

「え、まぁ、うん。そう」

 

 

頷くと……グウェンの眉が顰められた。

 

 

「何で出てったの?デートの途中なんでしょ?」

 

「え、あ……」

 

 

その質問は、当然の質問だと思った。

上手い言い訳を考えなければ、彼女のピーターに対する認識が厳しくなってしまう。

しかし、本当の事を言う訳にはいかない。

 

考える。

ピーターが嫌われない言い訳を──

 

 

「ちょ、ちょっと……えっと、その、人助けに?」

 

「へー、そう」

 

 

よし、上手く誤魔化せたみたいだ。

 

 

「ミシェル、騙されてるわよ」

 

 

ダメだ。

全然、誤魔化せてない。

 

めちゃくちゃ顔を顰めているグウェンから目を逸らし、ハリーを見る。

……凄く険しい顔をしている。

 

そして、ハリーが口を開いた。

 

 

「僕が言うべき事ではないかも知れないが……恋人を置いて、どこかに行くような男はあまり褒められた者じゃないな」

 

 

うう、ごめんなさい、ピーター。

印象が凄く悪くなってる。

 

 

「ち、違う。私が行って良いって言ったから……」

 

 

私が慌てて否定すると、グウェンが更に眉を顰めた。

 

 

「ミシェル、そんな男を庇う必要はないわ。とんでもないカス野郎よ……!」

 

 

あ、ああ、あっ、まずい!

グウェンが怒ってる!

 

しかも、いつも止める役割をしているハリーすら、許容しているような節がある!

 

ここに居ないのに、ピーターが四面楚歌になっている!

 

 

「そ、そんな人じゃない、ピーターは──

 

「へー、ピーターって言うんだ」

 

 

背筋がぞぞっと冷たくなる。

いつから私、超感覚(スパイダーセンス)に目覚めたのだろうか?

いや、違う。

これは目の前のグウェンが怖くて悪寒がしているだけだ。

 

 

「で、でも──

 

「ミシェル」

 

 

ハリーが口を開いた。

 

 

「その、ピーターとやらは学生なのか?それとも社会人なのか?」

 

「え?」

 

 

私は少し、頭の中を一巡して──

 

 

「む、無職……あ、いや、アルバイトはしてるけど」

 

「……そうか」

 

「で、でも、大学に入学する為に勉強してる最中だって──

 

「ミシェル、それはきっと嘘だ」

 

 

私は内心で悲鳴をあげた。

いや、確かに、確かに?

ピーターの断片的な情報だけを集めたら、とんでもないDV彼氏みたいなイメージ図が出来上がるかも知れない。

 

 

「で、でも……ピーターは優しいし……」

 

 

私がか細く、そう反論すると……グウェンが口を開いた。

 

 

「ミシェル、脅されてない?何かハラスメントとか受けてない?」

 

「ハ、ハラスメント?」

 

「例えば……殴られたりとか、蹴られたりとか」

 

 

脳裏に、ピーターの話したエピソードが思い出された。

正体を隠してピーターと戦って、ボコボコに殴られてしまった話を。

 

 

「そ、そんな事されてない……!」

 

 

頭から振り払い、否定する。

……否定が少し、遅れた。

 

 

「「…………」」

 

 

その様子に、ハリーとグウェンが顔を合わせた。

……私は祈る事しか出来ない。

 

そして、グウェンが……今まで見た事がないぐらい怖い顔で、私の肩を叩いた。

 

 

「……ミシェル」

 

「う、うん……?」

 

「別れた方が良いわ、そんな奴」

 

 

祈りは神に届かなかったらしい。

 

激怒している二人に囲まれて、私は居心地が悪くなる。

 

だけど、ピーター。

なるべく遅く帰ってきて欲しい。

今から……今から、可能な限り挽回するから。

 

これがスパイダーマンの恋人に課せられた『大いなる責任』なのか。

 

あまりにも厳しく、困難だ。

水中の特別官房に潜入した時よりも、遥かに困難……。

 

思わず、涙が溢れそうになった。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

「よっ……っと!」

 

 

僕は柱を蹴って、宙で錐揉む。

そのまま、(ウェブ)を放って、覆面を被った銀行強盗の持っている銃口を塞ぐ。

 

 

「ちょっと借りるよ?」

 

 

別の銀行強盗に飛び掛かり、手に持っている突撃銃を奪う。

そのまま腕力で捻じ曲げて、使い物にならなくする。

 

 

「はい、どうぞ。貸してくれて、ありがとう」

 

 

そのまま、呆然としている銀行強盗にスクラップを渡した。

 

 

「それで、これは利子だよ」

 

 

直後、顎を思いっきり殴って脳を揺らし、気絶させる。

 

 

銀行強盗達は残り……まだ3人もいるのか?

といっても、バラけて僕を囲っている。

 

撃てば仲間を誤射してしまうかも知れないから、撃てないのだろう。

仲がよろしい事だ。

 

誤射を気にせず撃ってくる悪党よりは好感が持てる。

 

でも──

 

 

「これだけ人数が集まってるならさ、もっと楽しい事しない……!?」

 

 

(ウェブ)を足に引っ掛けて転ばす。

ついでに手を地面に貼り付けて、無力化する。

 

 

「ツイスターゲームとかさ!」

 

 

別の銀行強盗に組み付いて、投げ飛ばす。

……ちょっと勢いよく投げ過ぎたな。

 

(ウェブ)を発射して、貼り付ける。

勢いを殺して、柱に縫い付ける。

 

これでよし。

 

 

「それとも──

 

 

残りは一人だ。

 

 

西部劇(ウェスタン)ごっこが良いかな?」

 

 

突撃銃を僕に構えてる。

トリガーに指を掛けて──

 

 

僕が、(ウェブ)を発射した。

銃身に命中して、跳ね上がる。

 

驚いた銀行強盗に接近して、足払いをした。

 

慌てて体勢を立て直そうとする銀行強盗を……上から無理矢理押さえつけて、(ウェブ)で地面に縫い付ける。

 

 

「はい、僕の勝ち。今度はこんな危ない実銃じゃなくて、玩具の銃で遊んでよ」

 

 

息を深く吐いて……立ち上がる。

 

銀行強盗達は無力化した。

一般客達はもう逃げてたみたいだし、さっさとコイツらを警察に突き出して──

 

 

……うん?

 

 

何かが接近して来ている。

といっても、超感覚(スパイダーセンス)に反応するようなものじゃない。

僕に敵対する意志はないけど、何か──

 

窓ガラスを突き破って、その何かが落下してくる。

 

それは……火球だ。

いや、人の形をした炎だ。

 

それが落下して来て……着地した。

 

 

「……あれ?もう解決したのか?」

 

 

人の形をした炎は周りを見渡して……その後、僕を見た。

 

 

「君がやったのか?」

 

「え、あ……はい」

 

 

受け答えしつつ、僕は頬をヒクつかせた。

僕の事を覚えていないようだけど……僕は相手を知っていた。

 

親しかったかって?

いや、まぁ、親しかったんじゃないかな。

でも、その友情と同じぐらい僕は苦手意識を持っていた。

 

彼は見た目通りの陽キャだ。

太陽のように燃える陽キャ。

ありえないぐらい物怖じしないし、オタクに対する当たりがキツすぎる男だ。

 

一緒に何度も戦ったし、何なら何度か殴り合った事がある。

そんな、ヒーロー仲間……。

 

 

さて。

 

この国で『最強のヒーローチーム』と言えば?

アベンジャーズだろう。

 

では、『最高のヒーローチーム』は?

……ファンタスティック・フォーだと僕は思う。

 

素顔を晒してヒーロー活動をしている、4人組の家族ヒーローチーム。

 

その……一人。

 

 

「凄いな。駆けつける速度も早いが、ちゃんと無傷で捕まえている!君、名前は?」

 

 

燃える男、ヒューマン・トーチが……僕の側に立っていた。

 

スーツの下で汗をかいているのは、彼が熱いから……って、だけではないだろう。

多分、冷や汗だ。




次回は一週間以内に投稿します。


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#5 アメイジング・フレンズ part2

「聞こえてなかったのか?君の、名前は?」

 

 

目の前に、燃え上がるような……いや、本当に燃え上がっている人間松明(ヒューマントーチ)がいる。

 

僕が少し、後退りすると……何かに気付いたように、トーチは指を鳴らした。

 

 

「そうか、熱かったか?それは悪い事をしたな」

 

 

炎が霧散し、金髪の容姿端麗な青年が姿を現した。

その髪をかき上げれば……少し、猛々しい印象を感じる。

 

その服装はよく知っているヒーローコスチューム。

青と黒の耐熱性のタイツに……胸に「4」の文字だ。

 

 

「先に自己紹介を……いや、俺の事を知らない訳はないだろうが……『ヒューマントーチ』、ジョニー・ストームだ」

 

 

知ってるとも、ジョニー・ストーム。

記憶を失う前は、よく僕を揶揄っていた奴だ。

憎いほどね。

 

まぁ、友人だったよ。

少なくとも僕にとっては……恐らく、君にとっても。

 

それでも今は他人だ。

 

ある日、見知らぬ男から「僕達は昔友人だったんだ!世界中の人間が忘れているだけで!」なんて言われて信じるか?

イカれてるのか?って思うよね。

僕もきっとそう思う。

 

だから、僕も昔の事を言うつもりはない。

信じてくれる人なんて誰も……あ、いや、一人だけ信じてくれたけど──

 

それは例外でしかない。

 

 

「どうした?お口にジッパーでも付いていて喋れないのか?いや、そんな事ないだろ?さっき喋ってた筈だ、ん?」

 

 

おっと、思考逃避をやめて、ジョニーと向き合わないと。

 

 

「僕の名前は『スパイダーマン』だよ」

 

「なるほど。蜘蛛(スパイダー)か。お世辞にもカッコいいとは言えないな……もう少し洒落た名前にするべきだな」

 

 

思わず、眉を顰めた。

いや、まぁコイツはこういう奴なんだけど。

 

 

「蜘蛛に噛まれて超能力(スーパーパワー)に目覚めたし……それ以外は考えられないよ」

 

「そうか。その理屈なら俺は宇宙(コズミック)マンになるが……まぁ、そこはどうでもいいか──

 

 

そして、ジョニーが獰猛に笑った。

 

 

「で?本名は?」

 

「言えない」

 

「何でだ?」

 

「言ったら困る人が出てくるからだよ」

 

「そうか?俺にはよくわからないな」

 

 

心底、納得していないという顔で、手を顎に当てた。

 

ファンタスティックフォーのメンバーは全員、名前と素顔を晒してヒーロー活動をしている。

だから、顔を隠してヒーロー活動をする覆面男(マスクマン)の気持ちは分からないらしい。

 

 

「まぁいい。少し、話したい事もあるし、ウチに来いよ」

 

「ウチ……?」

 

 

ウチってあの……デッカく「4」って書かれてるビルの事だろうか?

 

 

「あぁ、そうだ。パーティをしてるんだ」

 

「パーティ?」

 

「そう。可愛い女の子がいっぱい居るぜ?蜘蛛のヒーローなんて……いや、モテるか分からないけどな」

 

「あー……」

 

 

ジョニーはパーティ好きだ。

あと可愛い女の子が好きだ。

ハチャメチャに陽キャだ。

 

パーティが気になるかって言われたら、まぁ、ちょっとは気になる。

ジョニーともまた交友を深めて……新たに友人という立場になれれば嬉しいとは思う。

 

だけど──

 

 

「悪いね。人を待たせてるから、行けないかな」

 

 

ミシェルを待たせている。

それだけで断る理由としては十分だった。

 

デートをすっぽかして、女の子のいるパーティなんかに行ける訳がないし。

 

しかし、僕の回答が不服だったのかジョニーは僕の肩を掴んだ。

 

 

「まぁまぁ、そう言わずに」

 

「行かないよ」

 

「どうしても?」

 

「どうしてもだよ」

 

 

少し、しつこい。

 

だけど……その「しつこさ」に僕は不自然だと感じた。

ピリリと、首の裏が痺れる。

 

……敵意だ。

ジョニーが発している、僕への敵意を感じ取っていた。

 

思わず、僕は口を開いた。

 

 

「あのさ、僕……何か、君の気に障るような事をしたかな?」

 

「いいや?ただ──

 

 

ジョニーの視線が鋭くなった。

 

 

「俺は『お前』の事を知らない。名前も、素性もな」

 

「……初対面だからね」

 

「現在の状況から、俺達と同じヒーローだと判別しているが……お前は政府に非公認の自警団員(ヴィジランテ)だろ?」

 

 

それは図星だ。

今の僕に、後ろ盾は一つもない。

 

 

「……そう、だけど?」

 

「だとしたら、俺がお前をここで見逃して、誰かが被害を被るかもしれない……それは、良くない事だ。ダサいしな」

 

 

ジョニーが、指を立てた。

 

 

「だから、お前の人となりを知りたい。俺について来い」

 

 

彼の言い分は分かった。

だけど、それは随分と身勝手だとも思った。

 

 

「嫌だね」

 

「嫌か?」

 

「女の子を待たせてるんだ」

 

「冗談は良くないぜ」

 

「…………」

 

「…………」

 

 

首の裏の刺激が、強まる。

超感覚(スパイダーセンス)が、張り詰めた空気の中から敵意を敏感に感じ取っていた。

 

トーチが眉間に皺を寄せて、額に血管を浮き上がらせた。

 

 

「火傷しても、文句言うなよ」

 

「そっちこそ、怪我しても知らないよ」

 

「言ったな?」

 

「それがどうかしたのかい?」

 

 

売り言葉に買い言葉。

 

僕が数歩、下がった瞬間──

 

 

燃え上がれ(フレイム・オン)!」

 

 

彼を中心に、炎が巻き上がった。

全身を炎で纏い、ジョニーが……いや、ヒューマントーチが飛翔する。

全身から炎を吐き出して、それを推進力にかえて飛行しているんだ。

 

炎の渦が彼を中心に巻き起こり、人型の炎へと姿を変えた。

 

 

「痛い目をみたくなかったら、さっさと降参する事をオススメするぜ!今ならライムソーダも付けてやる!」

 

「悪いけど、飲み物はさっき飲んだばかりなんだ!」

 

「そうか!それなら干からびさせてやる!」

 

 

トーチが宙を飛び、炎を纏った拳を突き出すと──

 

超感覚(スパイダーセンス)に反応が来た。

 

 

「っ……!」

 

 

瞬間、地面を蹴って(ウェブ)を屋根へ放ち飛び上がる。

直後、僕のいた場所に火球が直撃していた。

 

 

「危ないじゃないか!当たったら、死ぬよ!」

 

「死にはしないさ!手加減してるからな!」

 

 

炎が渦巻き、竜巻のように弾き出される。

 

宙に張り巡らせていた(ウェブ)が、熱で溶ける。

 

……うーん、これ。

ちょっと、マズいかもしれない。

 

僕は(ウェブ)カートリッジを切り替えながら、燃え盛る元友人を見つめていた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

「ピ、ピ、ピピ、ピーターは悪い人じゃない……!」

 

 

しどろもどろ。

慌てて、吃りながら私は弁解する。

 

しかし、目の前のグウェンもハリーも険しい顔のままだ。

 

そんな険しい顔をしているグウェンが口を開いた。

 

 

「そもそも、そのピーターってのとは何処で出会ったの?」

 

 

なるほど、至極当然の質問だった。

少し、悩む。

 

私としては、初めて会ったのは数ヶ月前……記憶を失って直ぐだ。

しかし、私は覚えていないが、実際に出会ったのは一年前、クイーンズに引っ越してきてからだ。

 

……私は──

 

 

「クイーンズに引っ越して来た時、ピーターは隣の部屋に住んでいた」

 

 

ピーターからのまた聞き情報で話す事にした。

だって、数ヶ月前に出会ったばかり!一目惚れ!みたいな話をしたら、さらに険しくなりそうだったから。

 

私の返答にグウェンが眉を顰めた。

 

 

「……私、全然聞いた事ないんだけど?」

 

「い、言ってなかった?」

 

「言ってないわ」

 

 

不服そうに、疑うような視線で、グウェンが私を見ている。

だけど、嘘ではない。

ただ覚えていないだけだ。

 

 

「隣の部屋に住んでたから、一緒によく、ご飯を食べに行ったり……して、仲良くなった」

 

「…………ふぅん?」

 

 

グウェンが口を「へ」の字に曲げて、見るからに納得してません、って顔をしている。

ハリーは……何だか、こう、怒っている表情でもなく……何か、抜け落ちたような顔をしている。

 

そんなハリーが恐る恐る、と言った様子で口を開いた。

 

 

「……彼の、ピーターの何処を好きになったんだ?」

 

 

その質問に、私は迷いなく答えられた。

 

 

「……誰にでも、優しいところ」

 

 

詰まることなく、答えた。

 

そうだ。

私がピーターを……スパイダーマンを好きになった理由は何か?

彼に憧れた理由は何か?

 

善性だ。

自己犠牲を厭わぬ精神力だ。

 

悪人をブチのめす力があればヒーローではない。

人を助けてこそのヒーローだ。

私にとって、スパイダーマンこそが『私の憧れ(ヒーロー)』なのだ。

 

……もっとも、今は……少し、違う意味でも好きだけれど。

 

私の返答に、ハリーは……眉を顰めた。

 

 

「優しいだけなら……それは……いや、忘れてくれ」

 

 

彼は自身の頭に手を当てて、何か恥じているような表情をしていた。

何を言おうとしていたのかは分からない。

だけど、訊き直すべきではないと思った。

 

しかし、グウェンは眉を顰めたまま、口を開いた。

 

 

「ミシェル、絶対、騙されてる」

 

「……そんなことない」

 

 

それはグウェンからすれば、当然の結論だ。

そして、彼女は私を大切に思ってくれている……だからこそ、引き離したいと思っているのだ。

 

 

「でも、だって、それなら……何で、暴力を……振るわれた事があるんでしょ?」

 

「……そ、それは違う」

 

「嘘よ。私、この距離でも貴女の心臓の音が聴こえるから……嘘を吐いてるのは分かるから」

 

 

……シンビオート、グウェノムか。

強化された聴覚で、私の心音を聴いて動揺しているのを知られてしまっている。

 

それでも、私は首を振る。

 

 

「それでも、それは私が悪かったから──

 

「例えミシェルがどうであろうと、女の子に暴力を振るう男なんて最低よ!」

 

 

ダン、と机を叩いた。

……思ったよりも大きな音が鳴ったからか、グウェンが静かに椅子に座り直した。

 

 

グウェンはピーターを敵視している。

その事実に、私は──

 

 

「ミシェル、そのピーターって奴は屑野郎よ。分からなくなってるかも知れないけど、全然優しくなんかないわ。それDVよ、DV」

 

「……グウェン」

 

 

私は、凄く──

 

 

「ミシェルを支配して良いようにしようってだけで、愛してなんかないわ。それはパートナーに対する愛じゃなくて、トロフィーに対する愛のようなモノで、そんな奴は最低最悪の──

 

「グウェン、それ以上……言わないで」

 

 

凄く、悲しい気持ちになっていた。

 

元は仲の良い友人だった筈だ。

ピーターも、グウェンも、ハリーも。

 

それなのに……私のせいで、ピーターの存在をみんなが忘れてしまった。

そして、元々友人だった人達に、私のせいで恨まれてる。

 

全て、私のせいだ。

 

私のせいで、ピーターは──

 

 

ハリーが、口を開いた。

 

 

「グウェン……少し、落ち着いてくれ」

 

「でも、だって……」

 

「結論を急く必要はないんだ。僕も……落ち着くから」

 

「…………」

 

 

グウェンは納得していないようだが、渋々と言った様子で頷いた。

 

私は……手で、目を擦った。

少し、濡れていた。

 

ダメだな、私。

最近……妙に、涙腺が緩い。

 

ハリーはきっと、泣いている私を見て、落ち着くように言ってくれたのだろう。

……だけど、どうやって説明すれば良いのだろうか。

 

彼がスパイダーマンという事を明かすのは……当人ではない、私が言うべき事ではない。

記憶の話なんて、もっての外だ。

数ヶ月前にネッドが洗脳されたばっかりで、そういう話をすれば「私が洗脳されている」と彼等は思ってしまうだろう。

 

八方塞がりだ。

 

思わず、息を深く吐いて……ふと、喫茶店内の天井から吊られたテレビを見た。

 

 

……銀行の前で、ヒューマントーチがピーターを追いかけ回していた。

 

 

「………え?」

 

 

……なんで?

 

思わず呆気に取られている私を、ハリーは少し訝しむような顔で見ていた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

火球が、僕の背後を通りすぎた。

 

 

「この!ちょこまかと!」

 

 

ヒューマントーチが怒声をあげて、小さな人差し指大の炎を連射した。

 

僕は(ウェブ)をビルに引っ掛けて、宙を飛ぶ。

 

彼の攻撃は超感覚(スパイダーセンス)が反応出来る。

 

しかし、彼を引き剥がさない限り、ずっと追いかけ続けられてしまう。

いつまでたっても逃げられない。

 

 

「ねぇ、やめにしない!?別に僕、喧嘩したい訳じゃないんだけど!」

 

「俺だって別に望んでないさ!大人しく従うなら喧嘩せずに済む!」

 

 

うーん、まずいな。

トーチは今、怒っている。

自分の誘いを断って逃げ出した僕を、逃がしてやろうなんて気はないだろう。

 

彼は負けず嫌いだからだ。

 

 

「……仕方ないな」

 

 

……やるしかない。

幸い、トーチは怒っているけれど、殺意を向けて来ている訳じゃない。

つまり、本気じゃない。

 

そこに隙がある。

 

僕はカートリッジを操作して──

 

 

 

 

直後、爆発音が遠くから聞こえた。

 

 

 

「……何だ?」

 

 

(ウェブ)を引いて、ガラス張りのビルに張り付く。

トーチも想定外だったようで、宙に飛びながら音がした方向を見ている。

 

 

……ビルから、煙が上がってる。

ガラスが割れて、落下していた。

 

 

瞬間、僕は壁を走って、(ウェブ)を飛ばした。

テロだか何だか知らないけれど、追いかけっこ(こんなこと)してる場合じゃない。

 

トーチも同じ発想に至ったようで、両手で炎を射出して、そちらに向かっている。

 

そして、彼が口を開いた。

 

 

「何が起こった!?」

 

「僕も知らないよ!」

 

「……チッ、先に向かってるぞ!」

 

 

直後、トーチが光り輝き、まるで一筋の光のように飛び出した。

……速い。

 

慌てて、追いかけるけれど……追いつくのに1分ほどかかった。

 

騒動があった場所を近くで見上げると……ビジネスビルの高層階で、何かが爆発したような痕跡があった。

 

ビルの周りで、頭をタオルで押さえている人を見つけて……僕は声を掛ける。

 

 

「何があったの!?」

 

「わ、分からない……急に大きな音がして──

 

 

高層階の煙が、黒く変色する。

……有機化合物が燃える炎の色だ。

さっきの音、衝撃……。

 

まさか、爆弾じゃ──

 

 

ドン!

 

と大きな音がして、空気が揺れた。

またガラスが割れて地上に落下しててくる。

 

……下には沢山の避難者と、野次馬がいる!

 

 

「まずっ──

 

「任せろ!」

 

 

トーチが宙へ飛び出して、落下してくるガラスに炎をぶつけた。

超高温の炎はガラスを融解させて、塵に変えた。

 

 

「あ、ありがとう!トーチ!」

 

 

思わず、礼を言うと──

 

 

「お前に感謝される筋合いも、ニックネームで呼ばれる謂れもない!兎に角、この状況を何とかしないと──

 

 

トーチが話している途中に、また炸裂音がした。

ビルが大きく揺れて……まずい!

このままだと倒壊するかも!

 

目の前にいる避難者の男の人に話しかける。

 

 

「おじさん!残ってる人っている!?」

 

「わ、わからないが……恐らく、居る、と思う」

 

「OK!分かった!」

 

 

急いで、僕は(ウェブ)を上に向けて放つ。

 

 

「トーチは落下してくる瓦礫の対処を頼む!僕が取り残された人を救出する!」

 

「おまっ、俺に指図を……チッ、出来るのか!?」

 

「勿論!」

 

「なら、頼んだ!」

 

 

トーチにサムズアップして、助走を付ける。

そして、ついでに、おじさんへ視線を向けた。

 

 

「おじさん、怪我してる所悪いんだけど、周りの人に避難するように言ってくれない!?」

 

「あ、あぁ……分かったよ!」

 

「ありがとう!」

 

 

そのまま走って……円を描くように、振り子のように、僕は飛び上がった。

崩れ落ち始めたガラスの壁を足場に、僕は壁を垂直に登り始める。

 

幸い、このビルは高くても……10階ちょっとだ。

ニューヨークの中では小さい方なぐらい。

 

 

すぐに、上層階まで──

 

 

僕はガラスを蹴り砕いて、宙へ飛んだ。

直後、足場にしていた階層が爆発した。

 

 

超感覚(スパイダーセンス)に反応があったから、対処できた。

 

砕けて吹き飛んだガラス片は、トーチが撃ち落としてくれている。

下の人達に落下する事を防いでくれてる……その点、彼なら安心だ。

きっと、やり遂げてくれるからだ。

 

……強化された聴覚で確認しているけれど、この階層の人はちゃんと避難できていたみたいだ。

安堵の息を吐く。

 

そして、少し苛立ってきた。

 

 

「今日は楽しいデートの筈だったのに……」

 

 

ミシェルと観る予定だった映画は、爆発を多用する事で有名な映画監督の作品だった。

全くもって嬉しくない偶然の一致だ。

 

宙で体勢を立て直して、(ウェブ)を放つ。

引っ張って、壁を蹴って、瓦礫を避けて駆け上がる。

 

 

ガラスを蹴破って、ビルの中に入る。

 

 

今日は日曜日、ここはオフィス街。

幸い、ビルの中の人は少なかったようだ。

 

取り零しがないよう、念入りに、だけど素早く確認しながら上層階へと向かう。

……最初に爆発したのが、ここの上の階だったから、みんな逃げられたんだ。

 

だけど、それはつまり──

 

 

「きゃあっ」

 

「助けてくれ……!」

 

 

ここより上の階では取り残されてる人も沢山、いるって事だ。

 

ここに居るのは二人だけど、上の階にも居るだろう。

……一人、二人って話じゃないな。

最悪、何十人も居る可能性がある。

 

だけど、何度も下へ降ろしていたら時間がかかる。

一酸化炭素中毒になる危険性もあるし、また爆発してビルが崩壊するかもしれない。

 

素早く、全員を助ける方法は──

 

 

目を見開いて、僕はビルの外を見た。

……目の前、少し離れた所に大きなビルが二つ。

 

その隙間は……10メートルぐらいかな。

カートリッジを四つ取り出して、ボタンを押す。

 

 

「よしっ、大盤振る舞いだ」

 

 

ビルから幅跳びのように飛び出して、ビル隙間にカートリッジを投げ込み……左右に二つずつ、(ウェブ)で固定させた。

 

直後、カートリッジが破裂して、ビルの隙間に白い蜘蛛の巣が出来上がる。

即席の超巨大ハンモックだ。

 

結果に満足した僕は、宙で後転して(ウェブ)を放ち……元の場所に戻る。

 

避難者は二人──

 

 

「二人とも!舌を噛まないように気を付けて!」

 

「えっ」

 

「あっ」

 

 

納得させてる暇はない。

僕は二人を抱えて、強化された腕力で……ビルの外へ投げ飛ばした。

 

悲鳴が聞こえて……(ウェブ)で作ったハンモックに落下した。

衝撃を殺して、大きな怪我はないようだ。

 

それでも……高さにすれば数十メートルはある。

少し怖いかもしれないけれど──

 

 

「後でちゃんと助けに戻るから!今は我慢してね!」

 

 

そう大声で言って、返事を待たずにビルを駆け上がる。

 

1、2、3……7人。

 

ガラス張りの壁を蹴破り、取り残されている人達を窓から投げ捨てる。

説明不足の所為でみんな怖がっていたけど……申し訳ないけど、時間が足りない。

 

また、爆発音がした。

 

焦りながらも、人を投げ捨てて……合計で20人近く投げ落とした。

 

……ふぅ、(ウェブ)のカートリッジをケチらなくて良かったよ。

分厚いハンモックだから数十人乗せても大丈夫だ。

 

駆け上がって。

人を助けて。

また、駆け上がって。

 

 

そして僕は──

 

 

屋上まで辿り着いた。

 

 

「漏れはない筈だけど……」

 

 

隣のビルに作ったハンモックを見る。

誰も彼もが、この倒壊しそうなビルを見上げていて──

 

直後、ビルが揺れた。

 

 

「ま、ずいかもっ!」

 

 

崩れる。

 

恐らく、ビルを支えていた柱が折れたんだ。

このまま……崩壊する。

 

だけど、運が良かったのか……足場の感じから、左右に倒れることはなさそうだ。

 

このまま、ビルは……真っ直ぐ、真下に崩れ落ちる。

 

 

僕は揺れる地面を蹴って、宙に飛び出した。

 

 

「トーチ!!」

 

 

大きく声を出して……僕は隣のビルの壁に張り付いた。

 

 

「分かっている!」

 

 

ビル下の人達は……殆どが逃げられていたけど、ここは天下のニューヨークだ。

交通規制も間に合わなかったのか、車が立ち往生してる。

 

どこかで事故も起きているかも知れない。

 

 

だから、トーチには──

 

 

「はぁっ!」

 

 

落ちてくる瓦礫を全部、焼き尽くして貰う必要がある。

 

トーチがメラメラと……いや、ギラギラと輝く。

炎と呼べるのか分からない程の、高熱を放っている。

 

あれじゃあ、まるで小さな太陽だ。

 

ビルが……崩れた。

中心に落ちるように砕けていくけれど、それでも砕けた外壁が飛び散っていく。

 

それらがもしも人にぶつかれば──

人にぶつからなくても車にぶつかれば──

 

二次被害は免れない。

 

 

だけど、その心配は要らなさそうだ。

 

 

「燃え尽きろ!」

 

 

さっきまで僕に放っていた火球が、ジャグリング用のボールかと勘違いできるほど……手加減のない大きな火球が宙へ放たれた。

 

それらは中心に吸い込むように渦巻いて、宙へ飛んでいた瓦礫を巻き込み燃焼させる。

 

大まかな瓦礫を迎撃した彼は、そのまま手から熱線を放った。

 

それらは、小さな瓦礫に命中して粉砕していく。

 

 

ものの数分。

ビルが完全に倒壊するまでの短い出来事だったが──

 

 

トーチは全ての瓦礫の迎撃を熟して見せた。

 

 

「……はぁっ、はっ、どうだ!?」

 

 

自信満々に、だけど疲労困憊で僕へ振り返った。

 

 

「流石、ヒューマントーチ!」

 

「……は、はは、だろう?そうだろう?」

 

 

いや、本当に凄い集中力と……コントロール力だ。

 

そのまま彼は……流石に、集中し過ぎて疲れたようで小さな建物の屋根へと落下していく。

僕も合わせて、屋根へと着地した。

 

 

「…………」

 

 

身体を纏っていた炎を掻き消せば、汗まみれの金髪の男が姿を現した。

 

 

「ありがとう、トーチ。助かったよ」

 

 

僕がそう言うと、ヒューマントーチ……ジョニー・ストームは汗まみれの前髪を掻き上げた。

 

 

「……それは、俺のセリフでもあるな。まぁ、お前が居なくても全員助けられただろうが」

 

 

これは見栄だろうけど。

それでも、ヒューマントーチは紛れもなく英雄(ヒーロー)だった。

判断も早く、課せられた激務に耐えて見せた。

 

ジョニーはその疲労を見せる顔で、笑って見せた。

 

 

「だがまぁ、お前の人となりは分かった」

 

「え?」

 

「お人好しだ」

 

 

彼は深く息を吐き出して、肩を鳴らした。

 

 

「僕が、お人好し?」

 

「当然だ。あの時、ビルが爆発した時……俺から逃げる絶好のチャンスだっただろう?それでも逃げず、俺と協力して見せた」

 

「あ、あぁ……そっか、そんな事、考えてもなかったよ」

 

 

目の前で窮地になっている人がいるかもしれないのに、逃げ出すなんて……見て見ぬフリなんて出来ない。

だって僕は『親愛なる隣人(スパイダーマン)』だからだ。

 

自分に出来る事があるのに、しなかったら……それで誰かが不幸になるのだとしたら、僕は僕を許せなくなる。

 

 

「……フッ、考えてもなかったか?それなら『お人好し』じゃなくて『バカ』かも知れないな」

 

「バ、バカって──

 

「好感が持てる『バカ』って事だ」

 

「あーでも、言い方が……ちょっと、悪くない?」

 

「事実、お前は抜けてそうな所がある。肝心な所でミスをしそうな危うさがある。どうだ?」

 

「そ、そんな事はない筈だけど──

 

 

ちょっとだけ、思い当たる節があった。

だって、僕のヒーロー活動は失敗の連続だからだ。

 

……思い出すのはよそう。

ネガティブになってしまうからだ。

 

ジョニーはそのまま、座り込む。

 

 

「……お前、女を待たせてるんだろ?」

 

 

そして、僕の方へ視線を向けた。

 

 

「あぁ……うん、そうだけど」

 

「いつまでここに居るんだ?早く行けよ」

 

「え?でも──

 

 

さっきまで、散々、僕を無理矢理パーティに連行しようとしてたじゃないか。

 

 

「目的は、お前に危険性がない事を知る為だぜ?それならもう、答えは出てる……だから、不要だ」

 

「……あー、でも──

 

 

チラリ、と大きな白いハンモックを見る。

あそこには沢山の人が取り残されている。

降ろしてあげるのも僕の仕事だと──

 

 

「待たせ過ぎると、愛想を尽かされるぞ」

 

「うっ」

 

「俺はパーティから抜け出した程度だから良いが……お前は多分、デートだろ?」

 

「……う、うん」

 

「マジか。最低だな、お前……後始末は俺がするから、早く行って謝ってこい」

 

 

ジョニーが立ち上がり、そのコスチュームを叩いて……砂埃を払った。

その顔に険しさはない。

 

……互いに、記憶は失ってしまったけれど……また、友人と呼べる日は来るのだろうか?

少し、期待しても良いかもしれない。

 

 

「ありがとう、トーチ」

 

「……どういたしまして、だ。スパイダーマン」

 

 

まだ『スパイディ』とは呼んでくれないけれど……まぁ、それも良いか。

 

このニューヨークで人助け(ヒーロー)をやっていたら、また出会う日も来るだろう。

その時は……他のファンタスティックフォーのメンバーとも会いたいな、なんて。

 

そんな事を考えながら、僕はその場を後にした。



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#6 アメイジング・フレンズ part3

僕がデートから抜け出して2時間ほど。

流石に喫茶店から移動していると思っていたけれど、携帯電話に連絡はなかった。

 

という事は、居座っているのだろうか?

時間は昼前、喫茶店もまだ混んでないのだろう。

 

喫茶店の近くに到着し、路地裏でスーツを脱いで着替えた僕は……喫茶店に飛び込んだ。

 

 

……ボックス席に、ミシェルの姿があった。

しょんぼりとした顔で、追加注文したであろうバニラアイスを食べている。

 

その姿に心臓が締め付けられるような気持ちになった僕は、慌てて近付き──

 

 

「ごめん、ミシェル!待たせちゃって──

 

 

……あれ?

誰かと相席してる。

 

いや、見覚えがあるけれど……居るはずのない二人だ。

 

 

「……あ」

 

 

グウェンとハリーだ。

 

今、気付いた。

ミシェルは僕が居なくなって寂しくて落ち込んでいた訳じゃない。

理由は分からないけど、この気まずい空気に辟易としていたのだ。

 

グウェンが……僕へ視線を向けた。

睨んでいる。

心の底からの敵意に……僕は、少し後ずさった。

 

そして、グウェンが口を開いた。

 

 

「……ミシェル、コイツがピーターよね?」

 

 

そうだ。

彼女は……ハリーも、僕の事を忘れているんだ。

初対面の筈なんだ。

 

ミシェルが申し訳なさそうな顔で僕を見た。

……これって今、どういう状況なのだろう?

 

ミシェルの代わりに、僕が返事をする。

 

 

「えっと、うん。僕がピーター・パーカー……です」

 

 

少し、丁寧な口調で話す。

今の彼女は友人じゃなくて他人だ……。

 

……うん、他人だ。

何でこんなに敵意を向けられているんだろう?

 

 

「……ふぅん?」

 

 

グウェンが訝しむような目で僕を……舐めるように見た。

品定め、のような……何というか、落ち着かない。

 

そして、グウェンが深く息を吐いた。

 

 

「……なんか、やっぱりパッとしないわね」

 

 

パッとしない。

思わず視線を逸らして、苦笑する。

 

というより「やっぱり」?

……あぁ、僕達のデートを尾行していたのは、この二人か。

 

ハリーは別として、グウェンは明らかに僕へ敵意を持ってるけど……彼女はシンビオートの宿主だ。

僕の超感覚(スパイダーセンス)が反応しないのも納得できる。

 

……敵意。

親しかった筈の友人から向けられる、敵意だ。

 

 

「取り敢えず、立ってないで座れば?」

 

 

そう促されて……ミシェルの隣に座る。

僕が座ろうとすると、彼女は申し訳なさそうな顔で僕を見上げた。

 

 

「ピーター、ごめん」

 

 

小声でボソりと呟いた。

何に対する謝罪かは分からないけれど、きっとこの状況に関してだろう。

 

 

「大丈夫だよ、ミシェル」

 

 

そう僕も小さく呟いて、彼女を安心させようとする。

肩を小さく叩いて、僕は隣に座った。

 

……そんな様子を見ていたグウェンは……何というか、不可思議な顔をしていた。

理解が出来ないっていうか、意味が分からないっていう顔だ。

 

 

「……私、よく分からないんだけどさ──

 

 

そして、グウェンが口を開いた。

 

 

「アンタ、ミシェルを殴ったのって本当?」

 

 

…………うん?

 

 

「え?」

 

 

よく分からなくて素っ頓狂な声を出してしまった。

それを誤魔化したのだと判断したのか、グウェンの目が鋭くなる。

 

 

「惚けたって無駄よ。ミシェルがアンタに暴力を振るわれたって──

 

 

グウェンがミシェルを一瞥した。

僕もミシェルに視線を向ける。

 

金属製のスプーンを咥えながら、ミシェルが僕に申し訳なさそうな顔をしていた。

 

……殴る?

暴力?

 

僕がミシェルにそんな事、する訳が──

 

 

「あっ」

 

 

思い当たる節があった。

 

そう、ミシェルがまだレッドキャップと呼ばれていた頃に……僕は彼女と殴り合った。

その時の事を、グウェンが変に察してしまって、話がややこしい事になってるんだ。

 

 

「ほら、やっぱり……ミシェル、こんなDV男とは別れた方がいいわよ」

 

 

我が意を得たり、と言わんばかりのグウェンがミシェルへ提案した。

 

……は、反論しないと。

 

 

「グ、グウェン、違うんだ!それは──

 

「は?何で私の名前を知ってるの?」

 

 

あ、ダメだ。

話がまたややこしくなる。

 

ミシェルが小さく手を上げて、口を開いた。

 

 

「それは私がピーターに話したから……」

 

「そ、そうだよ。ミシェルから聞いたんだ……!」

 

「……ふーん?」

 

 

グウェンが腕を組んで、ハリーを一瞥した。

……けど、ハリーはさっきから話していない。

自身の手で口を覆って、何か、考え事をしているように見えた。

 

……グウェンがため息を吐いて、僕を見た。

 

 

「それで?殴った理由は?理由を訊いても、私は許さないけど」

 

 

……殴った理由?

それは、スパイダーマン関連の話になる。

 

……話す、べきだろうか?

でも、だけど……。

 

別に、消えた記憶の話をする必要はない。

僕が昔からヒーロー活動をしていて、彼女と戦う機会があったのだと言うだけで良い。

 

でも、それでも。

 

……スパイダーマンに敵は多い。

正確には、多かった、だけど。

 

だけど、これから増えていくだろう。

前と同じように、数多の悪人(ヴィラン)に恨まれる存在になるだろう。

 

後ろ盾のないヒーロー活動は、それ相応の対価を支払う事になる。

だからと言って、政府に所属すれば自由なヒーロー活動なんて出来なくなる。

街中で困ってる人を助けられるような、『親愛なる隣人』としての活動は難しくなる。

 

……分かってる。

 

これは僕の我儘だ。

僕がスパイダーマンであるという事を知られたくないのは……日常とヒーロー活動を切り分けたいと考えてしまっている僕の傲慢だ。

 

僕は……。

 

僕は。

 

 

「僕は、人助けをしてるんだ」

 

 

そんな我儘は捨てよう。

それに、彼女には過去、一度知られているのだから。

 

 

「……人助け?何の話?」

 

 

グウェンが訝しむような声で訊いてくる。

 

 

「人助けは人助けだよ。それで彼女と、戦う機会があったから……」

 

 

僕はそう言って、ミシェルを一瞥した。

 

グウェンは僕の分かり難い言動に眉を顰めて、少し悩んで、納得したような表情をして……それでも、眉を顰めたままだった。

 

 

「よく分からないのだけど──

 

 

グウェンが自身の頭を掻きながら、周りに意識を向けた。

……周りは会話に夢中で、誰も聞いていないだろう。

 

グウェンは声を抑えて、僕に質問を投げた。

 

 

「あなたって、所謂……ヒーローって奴なの?」

 

「……まぁ、そうかも。そんなに有名じゃないし、凄い事はできないけど」

 

 

そう謙遜すると、ミシェルが僕の顔を見た。

視線はじっとりしている。

 

そんな事はない、って言いたがってるように見えた。

……う、うーん?

ミシェルはスパイダーマンのファン、らしいからね。

贔屓目で見てるのだろうけど、僕のやってるヒーロー活動なんて大した事じゃないよ。

 

 

「僕は──

 

「スパイダーマン、だろう?」

 

 

ふと、ハリーが僕のヒーロー名を呼んだ。

思わず驚いて、ハリーを凝視する。

 

グウェンは小声で「誰?」って言ってたけど……そんな事を気にしてる場合じゃない。

 

 

「……どうして、知って──

 

 

記憶はない筈なのに。

誰も覚えていない筈なのに。

 

そう心の中を渦巻かせていると……ハリーが口を開いた。

 

 

「さっき、ニュースでテロの話があっただろう」

 

 

テロ……あっ、ビルの爆発ってテロリストの仕業だったんだ。

事件の後始末をトーチに任せたから知らなかった。

 

グウェンがハリーに視線を向けた。

 

 

「それがどうしたの?」

 

「二人のヒーローが救助活動をしていた。ヒューマントーチと……スパイダーマンだ」

 

 

ハリーが僕に向かって手を伸ばし……シャツの襟を捲った。

……あ、煤が付いてる。

 

 

「この煤は先程の火災の中で付いた煤だろう?ヒューマントーチは名前も顔も公表している……それなら、もう片方が君だ」

 

 

……思わず、ミシェルを見た。

彼女も驚いたような顔をしていた。

 

いや、でも、まぁ……当然の帰結、なのだろう。

僕が自分をヒーローだと認めたから……いや、違う。

 

ハリーはきっと、僕がその話をする前から気付いてたんだ。

そして、それが確信出来たから話したのだろう。

 

そんなハリーの視線が僕に向ける視線は……分からない。

彼は今、何を考えているのだろう。

 

僕は手汗が滲む手を握った。

 

 

「……そうだよ」

 

 

そして、肯定する。

 

ハリーは僕から視線を逸らさない。

視線が合ったまま……僕を見ていて──

 

机の下で、手が握られた。

小さく、細い指だ。

 

……ミシェル。

 

僕を安心させようと、勇気づけようとしてくれる。

 

 

僕がまた、口を開く。

 

 

「僕が……スパイダーマンだ」

 

 

そう言い切ると……ハリーの顔が少し、歪んだ気がした。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

スパイダーマン、か。

 

僕は目の前にいる男……ピーター・パーカーを見つめる。

その本性を、性質を見定めようとする。

 

スパイダーマンについては、僕も知っている。

数ヶ月前から現れた政府非公認のヒーロー……いや、自警団員(ヴィジランテ)だ。

彼の登場するニュースが流れると、ミシェルは興味深そうに見ていたから……僕も、知っていた。

 

そうか。

彼氏の活躍だったから、気になっていたのか。

 

そう考えると、やはり納得がいく。

 

……だけど。

 

 

「君に……訊きたい事がある」

 

 

口にするべき言葉ではないのかも知れない。

それでも、どうしても……口にする。

 

 

「君は彼女の過去を知っているんだな?」

 

 

過去。

それは……レッドキャップだった頃の話だ。

 

僕の言葉にピーターは頷いた。

 

 

「知っているよ」

 

「どう思っている?」

 

 

それは端的で、複雑な問いだ。

彼女は悪人(ヴィラン)だった。

それに関して、僕は納得している。

知った上で、それでも彼女と友人のままでいようとしている。

 

それに対して、ピーターは──

 

 

「罪を償うべきだと思っている」

 

「……っ」

 

 

僕は息を呑んだ。

彼女を否定する言葉を口にするのかと──

 

 

「だからこそ僕は、彼女と一緒に……その罪が償えるように、努力していこうと思ってる」

 

「…………何?」

 

 

だから、想定外の言葉に戸惑った。

 

 

「犯した罪は消えないし、無視して生きる事は……ミシェルには出来ない」

 

 

思わず、ミシェルを一瞥した。

彼女は首を縦に振った。

 

……僕は反論する。

 

 

「待て。彼女の罪は立証されていない。この国の法では彼女は無罪の筈だ」

 

「それでも、ミシェルは罪を感じているし……裁かれないからと言って、平気じゃない性格なのは知ってるよね?」

 

「……いや、そうだとしても」

 

 

戸惑う。

 

確かにそうだ。

ミシェルは自身の感じている罪から、逃れようとする人間じゃない。

例え、周りから何を言われても……抱え込んでしまう少女だ。

 

……この、ピーターという男は──

 

 

「だから、一緒に償いたいんだ。僕に出来る事は、人助けだけ、だけど……それでも、少しでも──

 

 

理解している。

 

 

「彼女が幸せに生きられるように、僕も頑張るよ」

 

 

僕以上に、彼女を。

 

 

「……そうか」

 

 

理解しているんだ。

 

……人の器に勝ち負けがあるかは分からない。

だけど、それでも、きっと僕は……。

 

 

目の前にいる男の顔を見る。

 

尾行してた時も、ここに来た時も、頼りない男だと思っていた。

だけど今は……違う。

 

間違いない。

彼はヒーローだ。

ミシェルが好意を持つに相応しい人間だったんだ。

 

目を伏せて……息を深く吐く。

 

 

「……ハリー?」

 

 

ピーターから、声を掛けられる。

どうして僕の名前を知っているのか……と一瞬思ったけれど、きっとミシェルが話したのだろう。

 

その事に少し嬉しく思うけれど、それ以上の喪失感が胸を締めた。

 

大きく空いた心の穴。

 

好きな少女が、僕よりも逞しい人と恋仲だという。

……あぁ、祝福するべきだろう。

 

なのに、それでも……僕は、悔しいと思えてしまった。

 

閉じた口の中で、歯を食いしばって……顔を上げた。

 

 

……ミシェルは僕を、心配するような表情をしていた。

 

違う。

僕は好きな女の子に、そんな表情をさせたい訳じゃない。

 

僕はこの、ちっぽけなプライドを振り絞って、言葉を口にした。

 

 

「認めるよ、ピーター」

 

「……え?何を?」

 

「君は彼女に相応しい人間だ。僕が口を出すような話じゃなかった」

 

 

そう言って、また、視線を逸らした。

 

情けない言葉は吐きたくなかった。

カッコ付けたかった。

 

だって、愛した女性の前なのだから。

揺らぐ感情に蓋をして、僕は平然を取り繕う。

 

そんな僕を、グウェンが見て……少し、戸惑うような表情をした後、席を立った。

 

そして、グウェンはピーターとミシェルに視線を向けた。

 

 

「……私も業腹だけど、ちょっとは認めてあげる」

 

 

凄く、上から目線な言葉でピーターを批評して──

 

 

「デートの邪魔をして、悪かったわね。ほら、ハリー……行くわよ」

 

 

グウェンが僕の腕を引っ張って、立たせた。

 

ピーターは戸惑うような表情をした後……少し、表情を険しくして口を開いた。

 

 

「グウェン、安心して欲しい。彼女は僕が守るから」

 

「当然よ。彼女を守るのは彼氏の役目でしょ?傷付けたら……絶対、許さないから」

 

 

そう言って、グウェンが僕の腕を引っ張った。

席を立たされて、少しずつ彼等から離れて行く。

 

 

「グ、グウェン」

 

「ほら、行きましょ。私達、邪魔みたいだし」

 

 

口にしながら、グウェンは眉を顰めた。

喫茶店を出て、ニューヨークの街中を歩く。

 

 

「頭に来るわ」

 

「……グウェン」

 

「あんなに想い合ってたら……割り込む隙なんてないじゃない」

 

 

そして、弱音を吐いた。

 

彼女にしては珍しい弱音に……僕は戸惑って──

 

 

「悪かったわね、ハリー」

 

「……いや、何も迷惑なんか感じてないさ。それに──

 

 

首を振った。

そして、言葉を繋げる。

 

 

「少し、安心した。彼はきっと、僕よりも……彼女を、幸せ、に……出来、る」

 

 

息が、乱れる。

目頭が熱くなる。

 

 

「……ハリー」

 

 

手を握られた。

女性特有の手の硬さに、僕は戸惑った。

 

グウェンとの距離は近い。

彼女が、口を開いた。

 

 

「別に、辛いなら泣いても良いのよ」

 

「……いや、僕は──

 

「私の前で見栄なんて張らなくて良いから」

 

「……だけど──

 

「……ああもう、じれったい!」

 

 

グウェンが僕の頬を摘んだ。

万力のような握力で、引っ張られる。

 

 

「い、痛い、痛いって……」

 

 

頬が痛いからなのか、心が痛いからなのか……涙が溢れた。

 

……きっと、後者だろう。

僕の、失恋の痛みだ。

 

僕が涙を溢したのを見て、グウェンが笑った。

 

 

「辛い時は泣くものでしょ?」

 

「……だ、だからと言って、頬を引っ張る必要はあったか?」

 

「あるわよ。だって、ちゃんと泣けたし」

 

「……そう、かも知れないけど」

 

 

頬を摩っていると、彼女が一歩前に出て……伸びをした。

そして、僕へ振り返った。

 

 

「さ、失恋しちゃった感想はどう?」

 

「……それは、最悪の気分だな」

 

「でしょうね。まぁでも……立ち直らないと」

 

 

グウェンが手招きをして、僕は彼女の後ろを歩く。

彼女がニッと笑って、口を開いた。

 

 

「まだ午前中だし、これから『ハリーの失恋を慰める会』でも開く?」

 

「……何なんだ、それは」

 

「文字通りよ。美味しいものでも食べて、少しは元気を出しましょ?私も……なんというか、結構ショック感じてるし」

 

 

グウェンがふと、苦笑した。

 

……そうか。

僕は失恋だけど、彼女にとっても……親友が男に取られてしまったような気持ちなのだろう。

 

僕ばかりが辛い訳じゃない。

そう考えると……こうやって、落ち込んでいるのも違うような気がしてくる。

 

 

「……そうだな。グウェン、どこに行きたい?」

 

「前に行ったイタリアンが良いかも。あ、勿論、ハリーの奢りね」

 

「僕の失恋を慰めるんじゃなかったのか?」

 

「それとこれは別よ」

 

「……まぁ、良いけど」

 

「やった」

 

 

グウェンが満面の笑みを浮かべて、僕の側を歩く。

その笑みを見て……少し、複雑な気持ちになった。

 

彼女は僕の父の被害者だ。

僕は生涯を掛けて、彼女に償っていくつもりだ。

 

だから……こんな、気持ちを抱くのは良くない事じゃないかと思ってしまう。

 

それに、失恋して、直ぐに──

 

 

違う。

 

 

まるで、目移りをしてしまう軟派な男みたいじゃないか。

彼女がダメだったからと、別の女性に惹かれるなんて……僕は、恥知らずだ。

 

僕は自己嫌悪しながらも、彼女の後ろを追う。

 

この感情に、いつか名前が付く時まで……彼女の側で支えて行こう。

 

 

そう、思えた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

「行ったね」

 

「……うん」

 

 

僕とミシェルは喫茶店から、嵐のように飛び出して行った二人を見ていた。

 

グウェンと、ハリー。

少しは二人に認められた……と、思いたい。

 

 

「……よかったね、ピーター」

 

「うん」

 

 

少しは関係も前進したと思いたい。

知らない他人から、親友の彼氏程度だけど。

 

それでも……ミシェルは自分の事のように嬉しそうに笑った。

 

 

「今回は偶然だったけど、今度、ネッドにも会ってみる?」

 

 

正直に言うと、僕は怯えていたんだ。

知っている筈の相手に、友人だった筈の相手に……嫌われたり、疑われたりする事を。

 

それでも──

 

 

「うん、お願いしても良いかな」

 

 

動き出さなきゃ、関係を近付ける事は出来ない。

当然の事だろう。

 

失った関係に怯え続けず、新しい関係を築いていくべきだ。

その勇気を、ミシェルが……ハリーが、グウェンが教えてくれた。

 

感謝しかない。

 

 

 

僕達は会計を済ませて、喫茶店を出る。

 

グウェンもハリーも、もう居なかった。

二人は何処に行ったのだろうか……なんて、考えても仕方ない。

 

ミシェルと手を繋げながら、ニューヨークの街を歩く。

 

 

「午前の映画は終わっちゃった」

 

 

ミシェルがそう言う。

 

 

「あ、あー……ごめんね?」

 

「気にしてないから大丈夫。午後の映画を──

 

 

ミシェルが手元の携帯端末を弄って、眉を顰めた。

 

 

「今日はあの映画、上映もう無いって」

 

「えぇ?それは、残念だな……」

 

「ん……また次のデートで観よ?」

 

 

ミシェルの眉尻が下がって、表情は萎れている。

 

 

「他に何か映画を観るかい?」

 

「他……昼過ぎの映画は──

 

 

携帯端末の液晶に、彼女の指が滑った。

 

 

「あ」

 

 

少し、驚いたような声をあげて……ミシェルが僕に携帯端末を見せた。

 

そこには──

 

 

「ミシェル……これって、前に見た映画の続編、だよね?」

 

 

一年近く前に彼女と見た、恋愛映画の続編だった。

 

あの……メチャクチャつまらない恋愛映画の。

山も谷もない、ただ男と女が恋愛するだけの……恋愛映画だ。

 

 

「ピーター、観る?」

 

「……うーん?」

 

 

手を顎に当てて、悩む。

 

前回の映画の記憶は……内容に関しては、つまらなかったという記憶しかない。

だけど、映画館で……ミシェルが泣いていた事を思い出した。

 

何故泣いていたのか、あの時は分からなかった。

だけど、今なら分かる。

 

……彼女は、自身が手に入れられない幸福を、羨ましいと思えてしまったのだろう。

ファンタジーな要素がない、リアリティのある恋愛映画だったからこそ……その気持ちは、尚更。

 

……だけど、きっと今は大丈夫だ。

 

 

「ミシェルは観たいの?」

 

「……少し」

 

「じゃあ、行こっか」

 

「……ん」

 

 

少なくとも、彼女は今……幸せ、だろう。

手を繋いで、朗らかな気持ちで歩く。

 

……僕は、素晴らしい友人に恵まれている。

恋人にも。

 

失った過去を惜しむ気持ちはあっても、後悔はしていない。

 

僕だって、今が幸せだからだ。

 

この幸せを手放すつもりはない。

手放したくない。

 

……繋いだ手の、指が絡まる。

離さないように、離れないように……。

 

互いに、掴み合って──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ミシェルが、後ろへ振り返った。

 

 

「ミシェル?」

 

「……また、誰かに見られた気がした」

 

「それって、グウェンとハリーじゃなかったの?」

 

「……気のせいかも」

 

 

ミシェルが首を傾げて、その仕草が可愛らしいと思いながら……僕も、ミシェルの視線の先を見る。

 

怪しい人間はいない。

 

ただ、ニューヨークらしく……雑踏が入り乱れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

『やけに勘が鋭いなぁ』

 

 

私は一人、そう呟きながら……一人の少女を見下ろしていた。

 

 

『……やはり、『眼』の力かな?使い熟しているような形跡は見えなかったが』

 

 

窓ガラスに、自身の姿が反射している。

深い、深い黒緑色の鳥……カササギが映っていた。

 

 

『何にしても、これ以上の追跡は危ういか。男の方は気付いていないようだったが、直接的な争いになれば拙い』

 

 

私は羽を羽ばたかせて、屋根から飛び立つ。

 

 

『かと言っても、戦ったとして負けるとは思わないが。私に土を付けられるとすれば……兄上ぐらいだ』

 

 

黒い羽を散らして、少女から離れて行く。

 

 

『『観測者(ウォッチャー)の瞳』……是非とも、欲しい。それさえあれば……この私を──

 

 

宙を自在に飛ぶ。

まるで『奇術師(トリックスター)』のように。

 

 

『縛られた運命から、解き放つ事が出来るだろう』

 

 

嘲笑のような笑い声が、乾いた空に響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

「それじゃあ、ミシェル……おやすみ」

 

「……ん、おやすみ」

 

 

一つのベッドで、二人、並んでいた。

デートの日の夜は……よく、彼女は僕の家に泊まりに来る。

 

だから、少し大きめのベッドに新調したぐらいだ。

 

 

……ミシェルが、僕の背中から手を伸ばして、抱きしめてくる。

心臓がバクバクと音を鳴らしている。

 

最近、彼女のアピールが激しい。

 

だけど、僕は何もしない。

例え、望まれているとしても……だ。

 

あくまで、健全な付き合いだ。

 

……というか、僕って今、無職だし。

ミシェルも……複雑な立場だし。

 

だから、『そういうこと』はしない。

 

 

モヤモヤとした感情のまま、目を閉じる。

 

 

……好きな女の子に抱きしめられながら、寝るんだ。

こんなに幸せな事はないだろう。

 

……でも、今はちょっと……抑えて欲しいかも。

頼む、僕の理性。

もう少し、強く、強く保ってくれ。

 

だって、僕だって若い男だ。

こ、こんなの、耐えるのは……うぅ。

 

それでも、彼女を傷付けないために耐えるしかない。

 

引きちぎられそうな理性で必死に耐えながら……僕は眠ろうとする。

 

 

「……好きだよ、ピーター」

 

 

……あぁ、全く、もう。

 

 

「僕もだよ、ミシェル」

 

 

意図的に何も考えないように気を付けて、意識を手放そうとする。

 

 

まぁでも、眠れる訳がなくて。

 

 

……ミシェルが泊まりに来た日の翌日は、少し寝不足になる。

いつまで経っても慣れはしない。

 

この事は、彼女には秘密だけどね。



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#7 ファインド・マイ・フェアアバウツ

真っ白な部屋。

電灯のみが輝いていて、足元も壁も、特殊プラスチックのパネルに覆われている。

 

……少し、過去を思い出して眉を顰めて……振り払い、一人の女性と対峙する。

 

今の私の格好は普段着ではない。

ラバーのような特殊素材で出来たスーツを着ている。

少々、自由が利かないが……代わりに、衝撃をある程度吸収してくれるそうだ。

 

視線を上げる。

 

目の前にいるのは……赤髪の女性だ。

彼女も黒いライダースーツを着ているが……ベルトには赤い砂時計のマーク。

 

クロゴケグモ(ブラック・ウィドウ)のシンボルマークだ。

 

言葉を発さず、私は姿勢を低くして……曲げた足で地面を蹴った。

 

低空で這うように飛び込み、ウィドウに接近する。

手を突き上げて、彼女の足首を掴もうとして……するりと、避けられた。

 

 

「……チッ」

 

 

私は突き出した手で床のパネルの縁を掴み、足を振るう。

しかし、それも身を捩り、紙一重で避けられた。

 

ギリギリ、ではない。

明らかに見切られている。

 

……私はどこか遠慮していたのかも知れない。

相手は最強のスパイ、ブラック・ウィドウだ。

手加減なんて烏滸がましい事はするべきじゃない。

 

私はそのまま逆立ちして、足を開き……回転する。

 

彼女も想定外だったのか、咄嗟に腕で防御されるが──

 

 

取った。

 

 

私は、足を絡めて地面へと引き摺り倒す。

全身の体重を足に乗せて、そのまま捻ろうとして──

 

ウィドウが、私の脹脛に肘を挟んだ。

 

 

「……っ」

 

 

拘束を無理矢理こじ開けられ……そのまま、抜けられて、逆に首を絞められる。

両腕と、肘を巧みに使い引き剥がせないように組み上げて──

 

 

解かれた。

 

そしてウィドウ……ナターシャ・ロマノフが頬を緩めた。

 

 

「はい。これで終わりね」

 

 

私は呼吸を整えながら、頷く。

 

 

「……ありがとう、ございました」

 

 

礼をしながら、立ち上がる。

 

……肩と、膝、腰の関節が外れている。

私が寝技を掛けた瞬間に、彼女は身体を捩じ込んで力を出ないようにしたのか。

だから……完全に極まったと思っていたのに、抜けられたのだろう。

 

 

「治療班を呼んでくるから少し待って──

 

 

私は無理矢理関節を戻す。

 

ぱきり、ぱきょり、と嫌な音がして……少々痛むが問題はない。

 

 

「……そういうのは医者に診てもらうべきじゃないかしら?」

 

「私には必要ない、です」

 

 

確かに、こんなに無理矢理繋いだら靭帯に悪影響があるだろう。

だが、私には治癒因子(ヒーリングファクター)がある。

多少の怪我は数分で治る。

 

 

「……まぁ良いわ。さっきの訓練で、明確に悪かったところが一つあるけど、分かる?」

 

 

訓練。

 

ついに、『S.H.I.E.L.D.』の正式なエージェント候補生となった私は、彼女に指導を受けている。

 

ブラック・ウィドウ、ナターシャ・ロマノフ。

身体能力に優れ、判断に優れ、技術に優れ、隠密に優れる……この国、いや世界で最高のスパイだ。

 

身体能力だけならば私の方が上だが、純粋な技能ならば……流石に、彼女の方が上だ。

ヴィブラニウムのスーツがあれば私の方が優勢だろうが、生身ならば私には勝てない相手だ。

 

そんな彼女に、私は教えを受けているのだ。

エージェントとしての心構えや、必要な技能などを。

 

 

「明確に悪かった所……」

 

「そう。貴方の戦い方には致命的な欠点があるわ」

 

 

私は自分の顎に手を当てて──

 

ナターシャが指を立てた。

 

 

「『殺意』がこもり過ぎている」

 

「……『殺意』?」

 

「そう。『S.H.I.E.L.D.』の仕事では、相手を殺さず無力化する事も必要になるわ。無闇矢鱈に人体を破壊したらいけないのよ」

 

 

私は頷く。

当然の話だ。

 

 

「……ごめんなさい」

 

「責めている訳じゃないの。今までの経歴上、仕方のない話でもあるから……それでも、人を殺さず無力化する技量は必要よ」

 

 

同意して、頷く。

もう、好き勝手に相手を殺すような仕事はしないだろう。

 

『S.H.I.E.L.D.』のエージェントとして、正しい事を行うならば……なるべく、人は殺さない方が良い。

 

ナターシャが息を軽く吐いた。

 

 

「さっきのだって、普通の人間にあんな技を行使すれば、人体に障害が残るわよ」

 

「……はい」

 

「手加減って実は難しいのよ。手を抜くだけではダメ……全力で、手を抜かずに……的確に無力化するの」

 

 

頷くと、彼女が私の側に近寄った。

 

私は今まで『人を殺すための技術』を学習して、行使してきた。

……人を傷つけず無力化する事は苦手だった。

 

今までは必要のなかった技術。

だけど、これからは最も必要な技術だ。

 

 

「肩のここを強く押し込んで、捻る」

 

「……ん」

 

「後は肘や膝とか硬い部位を、ここに押し込めば関節が綺麗に外れるから──

 

 

ウィドウに文字通り、手取り足取り教えて貰いながら……私は学んでいく。

 

殺すための技術ではない。

誰かを守るための技術を……。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

ざぁざぁと、シャワーを浴びながら……私は息を深く吐いた。

 

熱のこもっていた身体が冷えていく。

蛇口を捻って、水を止める。

 

白い肌に水滴が流れて、ぽたぽたと滴り落ちる。

水で濡れたプラチナブロンドの前髪を払って、背後の……胸元より少し高い位置にある仕切り、そこにかけていたタオルで髪を拭く。

 

ここはアベンジャーズ・タワーの訓練室……に備え付けられている女子シャワールームだ。

幸い、私以外の人はいない。

……いや、別にコミュ障ではないのだが、こんな場所で誰かと会うのも気まずい。

 

身体をタオルで拭いて……シャワールームを出る。

共有の洗濯籠にタオルを入れて、服を入れておいたロッカーを開ける。

 

折り畳んでいた下着を身につけて、シャツと、短パンを履く。

少し長めの靴下を履いて、スリッパから靴に履き替える。

 

備え付けのドライヤーで髪を乾かしながら、鏡の中の自分を見る。

……化粧ポーチを取り出す。

 

 

こうやって、すっぴんを晒しているのに不安を感じるようになってしまったと……一年前の自分に言っても信じてもらえないだろうな。

 

あの頃はまだ、自分の性別を中途半端に認識していたし。

 

今は……まぁ……どうだろう?

きっと、女だ。

多分。

 

 

……更衣室から出て、廊下を歩く。

 

 

少し、喉が乾いたな。

水分補給はしたけれども、足りなかったようだ。

糖分も欲しい。

 

アベンジャーズ・タワー内の食堂で、何か貰おう。

少し、昼食には早いけれど……今日はもう、訓練もセラピーも無いし。

 

 

廊下を歩いていると、『S.H.I.E.L.D.』の制服を着た人とすれ違う。

会釈をすると、会釈を返される。

 

……彼等は、私が過去に『S.H.I.E.L.D.』のエージェントを何人も殺してきた悪人(ヴィラン)だという事は知らない。

ニック・フューリーによる緘口令の所為だ。

 

言わない方が、互いに上手く馴染めるだろうと……その考えは理解出来る。

 

しかし、騙しているような気分がして……いや、実際騙しているのだろう。

罪悪感を感じてしまうのは確かだ。

 

すれ違って、私は食堂へと向かう。

 

 

トレーニング施設のある階層から離れると、人混みは増えて……雑多になって行く。

 

ガラス張りの部屋を横切って──

 

 

「ねぇ、ちょっと良い?」

 

 

誰かに、呼び止められた。

私は振り返り……心臓が止まるかと言うほど、驚いた。

 

 

「ニック・フューリーに会いたいんだけど……何処にいるか知らない?」

 

 

そう言ってきた相手は……黒いタンクトップに、ジーパンというラフな格好をした黒髪の女性だった。

X-23、ローラ・キニーがそこに居た。

 

私は極度の緊張を感じつつも、首を振る。

 

 

「……今日は出張。当分は帰って来ない」

 

「あー……そっか」

 

 

両手を水平にあげて、彼女はやれやれ、といった顔をした。

 

ローラ・キニー。

一度、いや……三度、殺し合った仲の少女だ。

ウルヴァリンと呼ばれるミュータントのクローン体であり、私を遥かに凌ぐ治癒因子(ヒーリング・ファクター)とアダマンチウム製の爪を持っている。

 

そして、何より──

 

 

「ところで、貴女、何者?なんで私服姿なの?」

 

 

私は、彼女の母親を殺した。

彼女の母親の仇なのだ、私は。

 

口の中が、乾く。

 

 

「私は──

 

 

少し、悩む。

ここで……打ち明けるべきか。

……少し、目を閉じて、開いた。

 

 

「ミシェル・ジェーン=ワトソン。エージェント候補生」

 

 

少し、怯えてしまった。

面と向かって罵倒されるべきだと言うのに。

 

そんな私を訝しむ事もなく、彼女が口を開いた。

 

 

「私はローラ・キニー。ローラって呼んでくれて良いわ」

 

 

伸ばされた手は、宙を彷徨っていた私の手を握った。

 

 

「……私の事も、ミシェルでいい」

 

「よろしくね、ミシェル」

 

「よろしく、ローラ」

 

 

こんな自己紹介をしている場合じゃない。

ここで言わなければ……騙しているような物だ。

 

 

「……ん?ミシェル?どこかで聞いたような……」

 

 

言うんだ。

言うべきだ。

言わなければ。

 

 

「ローラ。私は──

 

 

口を、開いて──

 

 

「あー、二人とも!」

 

 

別方向から声が掛かった。

そちらの方に視線をずらすと、金髪の上に黒いカチューシャを乗せた女性が走り寄って来ていた。

 

 

「「グウェン……」」

 

 

思わず、彼女を呼ぶ声が被ってしまって……ローラと視線が合った。

……彼女は私の顔に、見覚えを感じたのか……注意深く、視線を向けて──

 

 

「奇遇ね、ローラ。ミシェルと知り合いだったの?」

 

 

グウェンの溌剌とした態度に、私は言おうとしていた言葉を飲み込んだ。

 

 

「いや?今、初めて会ったばかりね」

 

「そうなの?」

 

「えぇ。というか、貴女の知り合いだとも知らなかったわ」

 

「え?前に説明したじゃない」

 

 

何の話か分からず、私は耳を傾ける。

 

 

「あー、貴女の親友ってこの子?」

 

「そうよ、前に写真見せてあげたでしょ?」

 

「……そうだっけ?」

 

 

どうやら私の知らない所で、勝手に紹介されていたらしい。

いや、別に嫌な訳じゃ無いけれど……。

 

ローラが興味深そうに私の顔を覗き込んだ。

……後退り、しそうになった。

 

そんな様子の私を見て、ローラが愉快そうに笑った。

 

 

「小動物みたい」

 

 

え?小動物?

いや、私は今はもう立派な女性だ。

 

 

「そんな事ない」

 

 

小さな動物に例えられるような謂れはない。

そう抗議すると……グウェンが頬を緩めた。

 

 

「分かってるわね、ローラ」

 

「確かに。この感じはこう……幼い感じ?」

 

 

グウェンとローラが好き勝手な事を言う。

 

 

「私は別に幼くない」

 

 

そう否定すると……ローラが苦笑した。

何故、苦笑するのだろうか。

 

グウェンが私を微笑ましそうに見て……ローラを一瞥した。

 

 

「そういえば、今日は何の予定なの?」

 

「予定?あー、それはね──

 

 

ローラが頬を吊り上げて、露骨に笑った。

 

 

「レッドキャップをブン殴りに来たのよ」

 

 

……あぁ、どうやら、彼女は私を殴りに来たたらしい。

少し、冷や汗をかいた。

 

グウェンもちょっと、困惑した顔で……私をチラチラと見ていた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

アベンジャーズ・タワーの食堂は、エージェント候補生を含む『S.H.I.E.L.D.』構成員なら無料で利用出来る。

 

更に、美味しい。

 

福利厚生という奴だ。

 

 

ビュッフェ形式なので好き勝手に取ってきたが──

 

 

「ミシェル、野菜も食べないと」

 

「…………」

 

 

私の机の上には緑黄色野菜のサラダが置かれていた。

グウェンが勝手に取ってきて、追加で置いた物だ。

 

思わず、顔を窄める。

 

余計なお世話……とは言わない。

彼女なりの心配から来る行動なのだからと……フォークを突き刺して、ピーマンを齧る。

 

うぐっ。

 

 

そんな私の様子を見て、ローラが笑った。

 

 

「ふふ、好き嫌いしてると身長伸びないわよ?」

 

「そういうローラこそ、肉ばっかり」

 

「私は良いのよ」

 

 

横暴だ。

確かにローラは……大きい。

身長は私より大きいし、スタイルも良い。

 

眉を顰めながら、ブロッコリーを頬張る。

 

ローラは『S.H.I.E.L.D.』の構成員ではないが、申請してゲストカードを発行して貰ったらしい。

つまり、歴とした客人扱いであり、食堂の利用も可能だったらしい。

 

食堂の隅っこ、白くて丸いテーブルを三人で囲む。

私、グウェン、ローラの三人だ。

 

少し、胃が痛む。

これは野菜が原因ではなく、緊張が原因だ。

 

グウェンが私を一瞥し……ローラに視線を戻した。

 

 

「ローラ、さっきの話だけど……」

 

「さっき?」

 

「あの……ミ、レッドキャップを殴るって話」

 

「あー、それ?」

 

 

ローラがステーキに勢いよく、フォークを突き刺した。

 

 

「私の父親が一時期アベンジャーズに入ってたのって、知ってる?」

 

「初耳だけど?」

 

 

グウェンが首を傾げる。

父親……というより、ローラの遺伝子元……ウルヴァリンの事か。

今はミュータントチーム、X-MENのメンバーだった筈……まだフューリーと交流があったのか。

 

 

「まぁ、それ経由で『S.H.I.E.L.D.』とも連絡が取れてね、レッドキャップが投降したってのを聞いて…………あ、グウェン、この話は機密情報だから秘密ね?」

 

「…………はは」

 

 

グウェンが苦笑しながら、また私を一瞥した。

……私は今、全力でポーカーフェイスを遂行していた。

 

 

「というか、グウェンはそもそも『レッドキャップ』って知ってるの?」

 

「……えぇ、まぁ。会った事もあるわ」

 

 

嘘は言ってない。

現在進行形で会っている最中だが。

 

 

「へぇ。素顔は見たの?」

 

「……えぇ」

 

「どんなのだった?」

 

 

グウェンがまた、私を一瞥した。

責めるような視線ではなく、ただただ、どうしたら良いか分からない困惑したような顔だった。

 

彼女が私の正体を曝け出すのは……無理だろう。

私が言うしかない。

 

だが、タイミングを逃していて……逃し続けていて、私も困っている。

 

 

グウェンは黙っている私に引き攣った笑みを浮かべながら、口を開いた。

 

 

「えっと……まぁ、普通だったわ」

 

「普通?」

 

「えぇ……どこにでもいる、普通の女の子って感じ」

 

「……ふーん?」

 

 

あんまり納得していないような顔で、ローラが頷いた。

そして、私を一瞥した。

 

 

「ミシェルは?」

 

「え?」

 

「レッドキャップって知ってるの?」

 

 

…………知っているとも。

他の誰よりも、詳しい。

 

 

「……うん」

 

 

私は小さく頷いた。

グウェンが視界の隅で落ち着きもなく慌てていた。

 

 

「知り合い?」

 

「……まぁ、そんな所」

 

 

今、言うべきだ。

自分が『レッドキャップ』なのだと。

お前の母親を殺したのは私だと、言うべきなのだ。

 

 

「ローラ……」

 

「何?」

 

 

ローラは気楽な表情で、コップに入った水を飲み始めた。

 

 

「私がその、『レッドキャップ』……だから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えっ、げほっ、ごほっ、は!?」

 

 

ローラが咽せて、咳き込む。

私とグウェンが慌てて、彼女の背中を摩る。

 

結構、大きな声を出したが……周りに人はいない。

態々、食堂の奥の方に座っているからだ。

時間も昼過ぎで、ピークは過ぎ去っている故に人も少なかった。

 

息を深く吐いて……ローラが困惑した顔で私を見た。

 

その表情は怒りではなく、困惑だった。

 

 

「あ、あー、え?あれ?タチの悪い冗談?」

 

 

ローラが助けを求めるようにグウェンに視線を向ける。

しかし、彼女は本当だと首を横に振った。

 

 

「……ローラ、話すのが遅くなって、申し訳ない」

 

「……あ、これってマジなやつ?」

 

 

私が謝罪するも、彼女は飲み込めていないようで……両腕を組んで頭を捻った。

ブツブツと何かを呟いて……私に視線を戻した。

 

 

「……えーっと、久しぶりになる、のかしら?」

 

「……マドリプール以来」

 

「そ、そうね?……って──

 

 

ローラが首を横に振った。

 

 

「私の知っている奴と全然違うんだけど……!?」

 

 

……あぁ、そうだ。

あのマスクを被っている時の私は仕事モードだ。

口調や雰囲気も、仕事がし易いように切り替えている。

 

結び付かなくて当然だ。

 

 

「仕事中はちょっと、威圧的になってる……かも」

 

「ちょっとじゃなくない?」

 

 

ローラがグウェンを一瞥した。

彼女も肯定の意味を込めて頷いていた。

 

 

「それでも、私が『レッドキャップ』。貴女の──

 

 

震える唇で、言葉を口にする。

 

 

「母親を、キニー博士を殺したのは……私」

 

 

キッチンテーブルを囲んで、沈黙が場を支配した。

グウェンは私とローラの関係を知らなかったようで、驚いた顔でローラを見て……心配するような顔で私を見た。

 

ローラは……少し、眉を顰めて、頷いた。

 

 

「そう、アンタが」

 

「……うん」

 

 

服の裾を掴む。

 

私は自身の『罪』から逃げないと誓った。

黙っていれば、なんて出来ない。

 

 

「……ちょっと、立って」

 

 

ローラに促されて、私は立ち上がった。

続けて、ローラも立ち上がって向き合う。

 

 

「ちょっ、と、ローラ」

 

「ごめん、グウェン。これだけはちょっと譲れないから」

 

 

グウェンが私を心配そうに見る。

それに対して、大丈夫だと頷く。

 

 

「今からブン殴るわ」

 

「……気が済むまでで良い」

 

 

そのやり取りにグウェンが制止しようと口を開いて──

 

ローラが手を振り上げて──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぺちり。

 

 

と私の頬を軽く叩いた。

 

 

…………あれ?

 

 

「はい、終わり。これでチャラにしてあげるわ」

 

「え、えっと、ローラ?殴るって──

 

「殴ったでしょ?顔を」

 

「い、いや……」

 

 

そうじゃないだろう。

私は彼女の母親を殺したのに、こんな……。

 

ローラが椅子を引いて、座りながら口を開いた。

 

 

「元々、アンタの事はそんなに恨んでなかったの」

 

「……どうして」

 

「マドリプールで話したでしょ?アンタも……レッドキャップも被害者だったってのはよく分かったから」

 

「……だが」

 

「ランチが冷めちゃうから、取り敢えず座らない?」

 

 

そう言われて……私は渋々、椅子に座った。

 

 

「アンタがもっと、ふてぶてしかったら全力で殴ったけど……そんな顔をされちゃあね」

 

「……顔?」

 

 

私は自分の顔を手で撫でる。

よく分からなかった。

 

 

「自分を責めてる人間を、そんな申し訳なさそうにしている女の子を殴れるほど、私は暴力的じゃないのよ」

 

「……そう、ごめん」

 

「いいの。元々、こうやって『レッドキャップ』だった人と話したくて……ここに来たから」

 

 

その言葉に、私は目を伏せた。

 

ローラ・キニーは……復讐よりも、自身の善性に従う事を選んだのだ。

その決意は生半可な自制心では出来ないだろう。

 

彼女は争う時、『クズリ(ウルヴァリン)』のような凶暴さを見せていたが……それ以上に、強靭な精神力も兼ね備えていたのだ。

 

敵わないな。

そう、思った。

 

 

直後、黙っていたグウェンが口を開いた。

 

 

「ちょっと、二人とも……驚かせないでよ」

 

「ん……ごめん」

 

「えー?良いじゃん、丸く収まったし」

 

 

ローラのぞんざいな返事に、グウェンがキレた。

 

 

「そういう訳じゃなくて!さっき、メチャクチャ怖かったんだから、そういうのやめてよね!」

 

 

グウェンは終始、ハラハラしていたのだろう。

胸を撫で下ろして安心した拍子に、色々と言いたい抗議が溢れてきたのだ。

 

ギャイギャイと騒ぐグウェン。

それを微風のように受け流すローラ。

 

私は、そんな二人を見て……頬が緩んだ。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

少しして。

食事も終了して、食後のコーヒーを飲みながら談話をしていると──

 

 

「おい、ローラ。そろそろ帰るぞ」

 

 

ふと、そんな声が聞こえた。

私の背後……振り返ると──

 

 

「あ」

 

 

決して大きくはないが、大きく見える男が立っていた。

 

身長は大きくない。

私より少し大きい程度だ。

 

だが、全身の筋肉は発達しており……それが身体を何倍もの威圧感を生み出していた。

 

強面で、髭も濃い。

黒く、無造作に伸ばされた髭はもみあげと繋がっていて……毛深い。

 

ファーの付いた茶色のコートをきた男性だ。

 

 

「あー、ごめん。二人とも。じゃあ私帰るから」

 

 

ローラがコーヒーを一気に飲んで、立ち上がった。

 

私の背後に立っていた男は片眉を上げて、私とグウェンを一瞥した。

 

 

「二人はローラの友人か?」

 

 

グウェンが頷いて……私も、一応、頷いた。

友人、というには烏滸がましいかも知れないけれど。

 

そんな私達の様子に、男は頬を緩ませた。

 

 

「そうか。ローラが世話になったな。コイツは友人が少なくて俺も心配を──

 

「もう、もう!良いから!」

 

 

ローラが男の背を押して……無理矢理、机から引き剥がそうとする。

 

 

「な、ちょっとぐらい話しても良いだろう?」

 

「恥ずかしいから辞めてって!」

 

 

女子大学生ぐらいの、歳頃のローラはこうやって世話を焼かれるのが嫌らしい。

……いや、私は世話を焼いてくれる保護者なんて居ないから、気持ちは分からないけれど。

 

……しかし、目の前の男。

何となく、誰なのか……分かっているが、確証は持てない。

 

気付いていないフリをしよう。

そうしよう。

 

 

「それじゃあ、二人とも。またね」

 

「えぇ、またね」

 

「うん、また……」

 

 

私が手を振ると……ローラは手を振り返してくれた。

少なくとも、彼女は私のことを嫌っていないだろう。

……なんとも、ありがたくて、申し訳ない話だけど。

 

『さよなら』じゃなくて『またね』か。

確かに、また会えたら……きっと、嬉しいだろう。

 

 

「ね、ミシェル。さっきのってローラのお父さんかな?」

 

 

そんな中、グウェンが私に質問を投げてきた。

 

 

「多分そうだと思う」

 

 

冷めて砂糖が分離してしまったコーヒーに、マドラーを突っ込み掻き回した。

ぐるぐると渦巻くコーヒーを、私は視線を落とした。

 

 

 

私は後悔していた。

 

 

 

追加でミルクや、砂糖を貰えば良かったと。



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#8 アイ・ウィッシュ…… part1

いつも誤字報告ありがとうございます。
……いや、ホント、すみません。


そわそわ。

 

そわそわ、と。

 

 

私、キャプテン・アメリカ(スティーブ・ロジャース)は今、落ち着かない少女を前にしていた。

 

アベンジャーズ・タワー、地下7階。

面談室で……装飾品のないシンプルな机を挟み、ミシェル・ジェーン=ワトソンと向き合っている。

 

彼女はしきりに視線を動かして、私と目が合えば……露骨に逸らした。

 

……落ち着かない理由は分かる。

 

 

「すまないが、バッキーは今日、別件で忙しいんだ。本日から数日間、私が面談を担当するが……構わないか?」

 

「は、はい……」

 

 

恐れるように、緊張した様子で彼女は頷いた。

 

……私に苦手意識があるのだろう。

それは仕方のない話だ。

 

私と彼女は、幾度か戦った相手だ。

私は彼女の腕を切り落とした事もある。

そんな相手に親しくしようなどと、普通は考えない。

 

 

「……すまないな。無理はしなくていい、バッキーが帰還するまで延期という形でも──

 

「い、いえ……私は大丈夫、です」

 

 

努めて笑う彼女に、心の奥底から申し訳なさを感じてしまった。

 

 

『S.H.I.E.L.D.』の、いやニック・フューリーが考案した『レッドキャップ更生計画』。

彼女のメンタルケアと、社会的な常識の教育、壊れてしまっていた倫理観と情操の補強。

そうして、彼女を社会復帰させる……それが目的だ。

 

その点、最近の彼女は随分と顔色が良くなった。

メンタルケアの結果か、それ以外が要因か……もしくは、その両方か。

 

 

元々、メンタルケアは私が行う予定だった。

しかし、彼女の精神面の影響や、私と彼女の過去の諍いを考慮し……今はバッキーが担当している。

 

しかし、今日だけは……特別だ。

 

 

「バッキーとは普段、どんな事をしているんだい?」

 

 

そもそも、私自身としては彼女と話がしたかった。

彼女は今、どんな精神状況なのか……心配だったからだ。

 

 

「私と、バ、バッキーは普段……雑談、とか……してる、ます」

 

 

ごにょごにょと吃りながら、それでも彼女は言い切った。

 

その様子に、私はよく話してくれたと……内心では褒めるが、実際に褒めれば『馬鹿にされている』と感じてしまうだろう。

この感情は心の奥底に封じておこう。

 

代わりに、私は頬を緩めた。

 

 

「そうか……!どんな話題で話してるんだ?」

 

「昔、殺してしまった人の話」

 

 

思わず、私は頬を引き攣らせた、

 

バッキーと彼女はよく似ている。

生い立ちも、技能も……その精神性さえも。

よく似ている。

 

だからこそ、彼は彼女に共感できるし、説得力のある解答も出来るのだろう。

……正直、私には難しい話だ。

 

バッキーは人の弱さをよく知っていて、自身の弱さを許容し、過去と向き合いながら生きて行く術を知っている。

 

彼も彼女も、自身の犯した罪を背負い歩いている同類なのだ。

 

 

「すまないが……少し、別の話にしないか?」

 

「……はい」

 

 

しかし……赤いマスクを被っていた頃と、様子が随分と違う。

同一人物なのだと、言われても信じられないだろう。

 

彼女は人並みの善性を持ちながら、人殺しを強要されていた。

自身の心を守るために、別人のように振る舞っていた……そう考えられる。

 

……彼女の持っている、別世界の記憶。

それを基礎に、あのような言動を作り上げたのだ。

 

多重人格、ではない。

彼女は一つの人格に二つの側面を兼ね備えている。

歳頃の少女らしい一面と、暴力的な成人男性のような一面……その二つを併せ持つ。

 

最近はその、暴力的な一面を表してはいないのだろう。

随分と穏やかになったものだ。

 

 

「最近あった良い出来事などを、私に話してくれないか?」

 

「良い……出来事?」

 

 

罪悪感を和らげる事は、私には難しい。

ならば、彼女のナイーブな面を少しでも緩和できればと……言葉を口にした。

 

 

「そうだ。食事が美味しかった話でもいい、綺麗なものを見たという話でもいい。何かあるだろうか?」

 

「…………」

 

 

ミシェルは少し目を泳がせて、何かに気付いたように……口を開いた。

 

 

「私の友人が──

 

「あぁ」

 

「別の……私の友人を認めてくれた事……です」

 

 

少し、脳裏で考える。

彼女の友人……グウェン・ステイシーか、ハリー・オズボーン……後は学友が居ると言っていたか。

彼等と別の友人……か。

 

どんな人間かは知らない。

だが──

 

 

「それは良い事だ。私も友人同士が仲良くしていると、嬉しくなる」

 

 

肯定する。

自分本位な良かった事ではなく、他人の交友関係の改善を良かった事と言うのが……なんとも、彼女らしいと思った。

 

 

「……キャプテンも?」

 

「勿論だ。ヒーローという立場なら……いいや、大人になれば人間関係は複雑化する一方だ」

 

 

私は脳裏に数人の友人、仲間の顔を思い浮かべながら、言葉を繋げる。

 

 

「誰しも立場という物があり、守らなければならない物がある。互いに尊重できれば良いが、時として譲れない事もある」

 

 

私の言葉に、ミシェルは頷いた。

 

 

「そういった(しがらみ)を越えて、友情を結び……尊重し合う。尊敬し合う。それらはとても難しい事だが……素晴らしい事だ。そう思わないか?」

 

「……はい。凄く、良い事だと思い、ます」

 

「ありがとう」

 

 

僕が礼を言うと、彼女は少し不思議そうな顔をした。

礼を言われた理由が分からないのだろう。

 

単純な話だ。

私の言葉を、思いを肯定してくれた……それに対しての感謝なのだ。

 

互いの意見を尊重すること。

それが信頼への第一歩だからだ。

 

 

「少し説教臭い話になってしまったが、君が『良い事』だと感じた事は……私達にも難しい事だという事だ」

 

「……そんな事は」

 

「あるさ。信頼を築く事は何よりも難しい。互いに尊重する心を持って、語り合わなければならない。君は、良い友人を持った」

 

「……はい」

 

 

私が褒めると……彼女は照れ臭そうに頷いた。

 

何となく、彼女の本質が見えた気がした。

自身を褒められるよりも、友人を褒められる方が嬉しく感じるのだろう。

 

それは善性の表れでもあるが……自己肯定感の低さも起因している。

 

 

「……君の友人は──

 

 

だから、その方向性で話を進める事にした。

 

 

「過去を知っても、友人として君と一緒にいてくれているだろう?」

 

「……はい。凄く嬉しい、です」

 

「それは君の友人達が、君を信頼して……尊敬(リスペクト)しているからじゃないか?」

 

「……それは、そう……です、か?」

 

「そうだとも」

 

 

彼女の訝しむような表情に、私は頷いた。

 

 

「素晴らしい友人が君にはいる。その友人からすれば君も素晴らしい友人だろう」

 

「……そう、かな」

 

「あぁ、そうだとも」

 

 

再び肯定すると、彼女の頬が少し緩んだ。

年相応の少女らしさに、微笑ましく思えた。

 

……彼女を助けた甲斐があったという物だ。

 

ふと、視線を上げると……壁掛け時計の短い針が、真上を指しかけていた。

 

 

「まだ、少し時間がある。何か話したい事はないか?」

 

「話したい事……」

 

「して欲しい事でもいい。可能な限り善処しよう」

 

 

私がそう言うと……彼女は少し、悩むような素振りを見せて──

 

 

「それなら、して欲しい事が──

 

「あぁ。何でも言ってくれ」

 

「私……その──

 

 

彼女は緊張した面持ちで、口を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「サインが欲しい、です」

 

「サイン?」

 

 

私は少し、悩んで……なるほどと、頷いた。

 

 

「何か、署名しなければならない書類があるのか?それなら確認しよう。ペンは確か──

 

「え、あ、違う……違います」

 

 

彼女は首を横に振った。

 

 

「えっと……その、サインは、えっと……」

 

 

言いあぐねて、そして……少し、俯いて。

 

 

「やっぱり、いいです……」

 

 

落ち込んだ様子で、彼女は口を閉ざした。

 

……言い辛い事なのだろうか?

だがしかし、ここで退かせる事はしたくなかった。

 

 

「ミシェル」

 

 

名前を呼べば、恐る恐るといった様子で顔を上げた。

 

 

「私は君の事を嫌わないし、幻滅もしない。言い辛い事だとしたら申し訳ないのだが……それでも、訊かせてくれないか?」

 

「キャプテン……」

 

 

私がそう言うと……彼女は頬を緩めた。

 

 

「私は君を尊重する。それは『S.H.I.E.L.D.』の仲間として……誰かを守ろうとする意思を持つ者として。だから、君と話したいんだ」

 

 

僕の言葉に、彼女は眉尻を下がった。

 

 

「……やっぱり、キャプテンは凄い」

 

 

ボソリと彼女が小さく呟いた言葉は、私の超人血清によって強化された聴力に届いていた。

だが、その事を口にするのは野暮だろう。

 

黙って、彼女が言葉を口にするのを待っていた。

 

 

「キャプテンのサインが欲しいのは……えっと、私が──

 

「君が?」

 

「私がキャプテンの……ファ、ファン、だから、です」

 

 

凄く気恥ずかしそうに、顔を赤らめて……彼女は視線を下げた。

 

 

ファン?

……言葉は理解できた。

サインの意味も。

 

数年前、『S.H.I.E.L.D.』のエージェントであるコールソンにもサインを強請られたなと、記憶が蘇る。

 

そうだ。

……私はヒーローとしての活動経歴が非常に長い。

 

それこそ、数年前コールドスリープから目覚める前……世界大戦の頃から活動していたのだから。

 

それ相応にファンが多いのは自覚している。

チャリティーなどで、サインをする事も多々ある。

 

だがしかし、彼女が?

私と戦っている時、そんな素振りを見せはしなかった彼女が……?

 

意外を通り越して……思考の死角から鈍器で強く殴られたかのような衝撃だ。

かなり、驚いていた。

 

 

「……すみません、やっぱり、ダメ……です、か?」

 

 

私の無言を否定と受け取ってしまったのか、彼女は申し訳なさそうに言葉を口にした。

私は慌てて弁明する。

 

 

「い、いや違うとも。少し驚いてしまっただけだ。サインはしよう」

 

 

そう言うと……彼女は嬉しそうに、安堵したのか息を深く吐いた。

 

その姿からは……確かに、私に憧れている子供と同じような心持ちを感じた。

 

……そうか、彼女は。

 

ヒーローに憧れていたのだろう。

それなのに、あんな事をさせられていたのだとしたら……やるせない気持ちになる。

 

しかし、それはもう過去の話になる。

 

今なら……彼女も、なれる。

ヒーローになれる。

 

誰だって、人を助けようとする意思さえあれば。

行動出来れば……誰だって、誰かのヒーローだ。

 

 

私は卓上にあるペンを手に取って、彼女に話しかける。

 

 

「何に書けばいい?」

 

「……あ、えっと」

 

 

彼女は慌てて、自身の鞄を開いた。

そして、そこから……バインダーのような物を取り出した。

それを開けば……白紙のページが現れた。

 

 

「……ここに」

 

「あぁ、構わないとも」

 

 

ペンで──

 

 

──────────

キャプテン・アメリカから

──────────

 

 

私の名前と──

 

 

──────────

ミシェル・ジェーン=ワトソンへ

──────────

 

 

彼女の名前と──

 

 

──────────

Anyone can be a hero(誰だって、ヒーローになれる)

──────────

 

 

君へのメッセージを。

 

僕が子供に向けて、よく書いている願いだ。

彼女に贈るのに相応しいと感じた。

 

願いを込めて、文字を記した。

いつか、同じ理想を抱き、共に誰かの為に戦える事を祈って。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

鼻歌混じりになりながら、私はアベンジャーズタワーの廊下を歩いていた。

 

 

「……サイン、貰っちゃった」

 

 

キャプテン・アメリカ。

ずっと憧れていたヒーローだ。

 

頬を緩ませて、バインダーを撫でる。

私は、趣味のスクラップブック作りを再開していた。

 

少し、今までとのスクラップブックとは違うけれど。

 

出会った人と一緒に撮った写真や……思い出を残すための『私の』スクラップブックだ。

そこにキャップのサインが貰えた。

 

ヒーローオタク冥利に尽きるだろう。

 

……あ。

そうだ、ピーターのも作ろう。

『また』スパイダーマンのスクラップブックを……あれ?

作った事ってあったっけ?

……ピーターに一度、確認しようかな?

 

とにかく、私は上機嫌だった。

 

 

たった一つの物事を除けば、だが。

 

 

今日の用事は午前中までで、午後から自由だ。

ピーターに会いに……は、行けない。

残念な事に、ピーターは今日、どうしても外せないバイトがあるらしい。

仕方のない話だ。

 

私は理解のある彼女(MJ)だ。

不機嫌にもならないし、笑って頷いた。

 

それでも、寂しい。

 

なるべく顔に出さないようにしたつもりだが、ピーターから慰められた。

……昔は表情を作るのも苦手だと言っていた程だったのに。

 

あまりに幸せだから、表情筋が復活したのだろうか。

 

 

そんな事を考えながら廊下を歩いていると……知人を見つけた。

 

 

「あっ、グウェン……」

 

「ミシェル、奇遇ね」

 

 

グウェンと廊下で合流して、歩く。

彼女は黒いタイトな服……というか、『S.H.I.E.L.D.』のエージェント服を着ていた。

 

 

「グウェンは……これから訓練?」

 

「まぁね。ミシェルは午後休なの?」

 

「ん」

 

 

頷くとグウェンに頭を撫でられた。

……彼女は撫で癖がある。

 

最近は特に顕著だ。

それだけ、互いの距離が近付いたのだろう。

心も、物理的にも。

 

私からすれば、彼女に隠し事をしなくて良くなったと、後ろめたい気持ちがなくなったからだ。

 

 

「えっと、じゃあ彼氏の所行くの?」

 

 

グウェンが……ちょっと、ほんのちょっぴり嫌そうな顔をして訊いてきた。

 

彼女はもう、ピーターが悪人だとはもう思っていない。

だけど、それでも……私が彼氏とどうこう、というのは嫌なのだと言う。

何だか、頼りないように見えるらしい。

 

 

「ううん、今日はバイトらしいから。ちょっと、食料品でも買い溜めしようかと思って」

 

「あぁ、お菓子ね」

 

 

わざわざ、食料品と言ったのに……読み替えられた。

 

いや、確かにそうなのだが。

 

私は料理なんて殆どしないし、買う食品と言えば菓子類ばかりだ。

 

 

「それじゃ、またね」

 

「ん、また」

 

 

グウェンと別れて……エレベーターに乗る。

最新式のエレベーターはガラス張りだが……ここは地下、景色は真っ暗だ。

 

ドアが閉じる直前……誰かが、駆け込んできた。

 

『開』ボタンを押すと……一人の男性が入って来た。

 

 

「おっと……左から失礼」

 

 

お辞儀をして来たのは……見覚えのある顔だった。

と言っても、一方的なものだ。

 

ドキドキと、心臓を高鳴らせながら……私は口を噤んだ。

 

サム・ウィルソン。

ファルコンと呼ばれる男がそこに居た。

 

少し、気まずく感じながら……エレベーターが登っていく。

 

チラ、と視線をサムに向ける。

マドリプールで殺し合った時以来か……いや、彼からすれば私を殺すつもりは無かったのか。

 

ニック・フューリーによる閉口令により、私の顔写真は『S.H.I.E.L.D.』内に出回ってはいない。

私が組織から救出された事は知っているだろうが、今何をしているかは知らないだろう。

 

にしても……。

 

視線がぶつかり、私は慌てて視線を逸らした。

 

 

「なぁ、お嬢ちゃん」

 

「……は、はい」

 

「何処かで会った事があるか?」

 

 

口をキュッと噤む。

どうしてこうも勘が鋭いのか。

 

……いや、私が挙動不審なのが悪いのか。

 

ファルコンは目が良い。

飛行能力を持つ故に、目は良くなければならない。

正しく、鷹の目……ならぬ、隼の目だろう。

それは視力が良いというだけではなく、物事を観察する目も優れているという事だ。

 

 

「……まぁ、以前。少し」

 

 

私は観念して……どんな反応をされるか怯えながら、返答した。

 

 

「そうか?何処で会ったか……覚えてないんだが──

 

「マドリプールで、一度だけ」

 

 

エレベーターが、一階に止まった。

ランプはまだ、上を指し示している。

 

サムは上層に用事があるのだろう。

私はエレベーターから降りて……振り返る。

 

彼は少し訝しみ、何かに気付いたように目を開いた。

 

 

「それじゃあ、また……」

 

 

私は手を振って、逃げるように後にした。

エレベーターのドアが閉じて、サムは上層に──

 

 

「ちょ、ちょっと、待ってくれないか?」

 

 

彼はエレベーターから降りて、私を追いかけてきた。

 

 

「……げっ」

 

「げって何だ、げっとは……君の名前はレッ──

 

「ミシェル・ジェーン=ワトソン」

 

 

最後まで言わせまいと遮る。

アベンジャーズタワーの一階は受付もある。

事情を知らない一般人も居るかも知れない。

 

その名前(レッドキャップ)と私を紐付けるのは危うい。

何処で誰が聞いているか分からないのだから。

 

私の意図に気付いたのか、サムが目を細めて頷いた。

 

 

「あー、すまない。じゃあ、ジェーン?」

 

「ミシェルでいい、です」

 

「それじゃあ、ミシェル」

 

 

サムはポケットに片手を突っ込んで、もう片方の手で頬を掻いた。

何かを、言おうとして……迷っている。

 

先に、私が口を開く事にした。

 

 

「ごめんなさい」

 

「……あぇ?」

 

 

サムが、私の謝罪に首を傾げた。

 

 

「マドリプールのこと。殴ったり蹴ったりしたし」

 

「あーいや、それは全く気にしてないぞ。そういう事はしょっちゅうある」

 

「殴られたりする事が?」

 

「違う。敵だと思ってた奴が仲間になる事が、だ」

 

 

サムが苦笑した。

 

 

「あぁ、いや……だが、君のような少女と殴り合うこともあったな」

 

 

……誰の、事だろうか?

私の記憶にもない……見当も付かない。

 

 

「それって、一体、誰の──

 

「もう既にこの世に居ない。救えない事もある」

 

 

彼の目が伏せられて、私は……視線を下げた。

 

 

「だが──

 

 

サムが口を開いた。

 

 

「君は生きている。それは喜ぶべき事だ」

 

「…………」

 

「だから、会えて良かった。それだけだ。それだけ、言いたかった」

 

 

……あぁ、どうしてこうも。

 

彼ら(ヒーロー)は……私を。

 

 

「……ファルコン」

 

「サムで良い。同僚なんだろう?聞いたぞ、自分から『S.H.I.E.L.D.』のエージェントに立候補したらしいな」

 

「……え、っと、それは、まぁ──

 

「凄いな。俺がそれぐらいの年齢の時はまだ、近所で悪さをするような悪ガキだった。人のために何かをしようだなんてそんな事は思いも付かなかった」

 

「え、あ、は、はひ──

 

 

まるで私を親戚の娘……姪のように褒めてくる彼にぐいぐいと押されて──

 

 

「サム、何をしてるんだ」

 

 

救いの主が現れた。

キャプテン・アメリカ(スティーブ・ロジャース)だ。

 

 

「スティーブ、いや、これは──

 

「場所を選べ、あと相手の年齢もだ」

 

「いいや、違う。そういう目的じゃない。お前も分かって言ってるだろ」

 

「どうだかな」

 

「おい」

 

 

スティーブが揶揄うように笑って、サムが頬を引き攣らせた。

私はホッと息を吐いた。

 

グウェンと話して、サムと会話して……思ったより時間を食ってしまったか。

スティーブは私との面談結果を、ニック・フューリーへ報告し終えたようだ。

 

サムがバツの悪そうな顔で、私に対して口を開いた。

 

 

「あー、ミシェル。引き止めて悪かった」

 

 

頬を掻いて申し訳なそうにする彼に、思わず頬が緩み……首を振った。

 

 

「ううん。私は貴方と話せて良かった、です」

 

「俺もだ」

 

「それじゃあ……『また』」

 

「……えぇ、また」

 

 

小さく握手をして、そのまま手を振った。

 

ガラス張りの壁から光が零れ落ちている。

それは私を照らしている。

 

この眩しいほどの光の下にいる限り……いずれ、また会えるだろう。

その時は……今日、話せなかった事も話そう。

 

謝罪だけでなく、憧れと、尊敬も。

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

ビニール袋にチョコレート菓子と、砂糖菓子……マシュマロを入れて持ち歩く。

大きく膨らんだ袋には、胸焼けするほどの甘味。

 

今日は沢山、良い出来事があった。

 

憧れてた人に会えて。

尊敬できる人にも会えて。

親しい友人にも会えた。

 

後は、愛しい恋人と出会えれば完璧なのだけれど。

 

贅沢は言ってられない。

 

袋に入った菓子を持ち歩きながら、ショーウィンドウを流し見る。

 

 

……ふと、足を止めた。

 

 

白い、純白のドレス。

ウェディングドレスだ。

隣にはタキシードも。

 

飾られたそれに、視線が吸い寄せられる。

 

ウェディングドレスを着たマネキンは、真っ赤なハートのクッションを持っていた。

 

脳裏に、少しだけ過ぎる。

 

 

……ピーターとの、将来を。

 

今は恋人だ。

将来を誓い合った……という、訳ではないけれど。

 

いつか、こうして……こんな、ドレスを着る日が来るのだろうか。

私に。

 

 

「ピーター……」

 

 

彼は私の事を好きだと言ってくれている。

だけど、いつまで経っても手を出してくれない。

 

それは何故なのか……分からない。

もう少し、一緒にいれば、いずれ。

 

……いずれって、いつなのだろう。

 

ピーターを疑っている訳じゃない。

だけど、私と彼の関係性は……少し、複雑だ。

ほつれないように、私は必死に結んでいる。

 

……ピーターは、本当に私『なんか』を。

 

 

「……大丈夫」

 

 

ピーターは私を愛してくれている。

それは間違いない。

大丈夫だ、きっと大丈夫。

 

私はピーターを信じているのだから──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ショーウィンドウに反射する景色に、視線を奪われた。

ピーターが誰かと、一緒に歩いていた。

 

 

「…………ピーター?」

 

 

小さく、口にしながら振り返る。

 

ピーターは、赤毛の綺麗な少女と手を結び……歩いていた。

 

アレは誰だろうか?

 

どうして、手を結んでいるのだろうか?

 

何故、アルバイトだって言っていたのに。

出会うのに、私に言えない相手なのだろうか?

 

無意識のうちに呼吸が荒くなる。

手元からビニール袋が落ちて、ガサリ、と音が鳴った。

 

少し、目が痛んで……手で拭う。

袖は濡れていた。

 

 

「…………っ」

 

 

視線を上げると……ピーターと、誰かは人混みに消えていた。

 

見間違い……なんかじゃない。

 

アレは確かにピーターだった。

どうして?

 

あんな綺麗な女性と手を結んで、まるで恋人のように──

 

 

「あ」

 

 

恋人?

 

……でも、それは私じゃないか?

 

でも、だって。

 

 

 

「……そん、な」

 

 

 

私は、ピーターの罪悪感を盾にして無理矢理、恋人になったような人間だ。

 

彼は優しいから。

私を放って置けなかったのだとしたら。

……本当は別に好きな人がいるのだとしたら。

それが、私に手を出さない本当の理由なのだとしたら。

 

 

「…………そっか」

 

 

ピーターは優しく、頼りになる人だ。

きっと、モテる。

 

それに比べて私は……どうなのだろう。

容姿だけしか取り柄のない、女だ。

 

本当は気付いていた。

私は彼に相応しくないのだと。

 

 

視界がボヤける。

 

 

私はピーターを幸せにしたかった。

だけど、彼は……彼が、私の事を重荷だと思っているとしたら?

 

彼はきっと、優しいから私から離れる事はない。

苦しみながらも、私のために……私を愛そうと努力してくれる筈だ。

 

だけど──

 

 

「それは……私が、やりたい事じゃない」

 

 

私の所為で、ピーターが不幸になるのだとしたら。

 

 

「……私、何のために……」

 

 

私から……言うべきなのだ。

ピーターと別れるのならば、私という重荷から言わなければならない。

彼は優しいから、黙っていれば……きっと私を幸せにしてくれる。

 

だけど、私はそれを望んでいない。

私が望むのは彼の幸せだ。

……その時、隣にいるのが私ではなかったとしても──

 

なかったとしても──

 

しても──

 

 

「……嫌、だな」

 

 

嗚咽を漏らしそうになる喉を抑えて、涙が溢れそうになるのを耐えて。

 

私は、黒く渦巻く悲しみの感情に耐えて……帰路に就いた。

 

朗らかな気持ちは霧散し、私は……まるで、頭が壊れそうになるほどの悲しみを感じていた。

 

涙を溢さないよう、空を見上げれば……曇天の、灰色の雲が視界に入った。

 

途方もない損失感に、まるで胸に穴が空いてしまったのかと……そう、思えた。



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#9 アイ・ウィッシュ…… part2

夜、暗闇の中。

携帯電話の明かりだけが私の目に入る。

マンションの自室で、ベッドに横たわり……メッセージアプリを開いていた。

 

宛先は……ピーター・パーカー。

恋人の名前だ。

 

……そう思っているのは、自分だけだったのだろうか?

 

いいや、ピーターはそんな人じゃない。

不貞を働くような人じゃない。

 

 

だけど、私は──

 

 

私は、自分の事を信じられない。

彼に愛してもらえる資格はあるのか、信じる事は出来ない。

 

 

……震える指で、文字を打ち込む。

 

 

『ピーター、今日のバイトはどうでしたか?』

 

 

真っ直ぐには、訊けない。

浮気しているのか、なんて。

他に好きな人がいるのか、なんて。

 

もし、本当に『そう』だったとしたら私は──

 

小さく電子音が鳴って、返信が来る。

 

 

『凄く大変だったよ』

 

 

……大変?

誰か知らない女の子と手を繋いで……それが?

 

胸の中でモヤモヤと立ち込めるのは嫉妬か、それとも悲しみか。

 

……後者だ。

嫉妬できるほど、私は自惚れていない。

 

 

『何のバイトでしたか?』

 

『デイリー・ビューグルだよ。事務所の模様替えだか何だかで……ジェイムソンが業者を呼ぶのを渋ったんだ』

 

 

……片付けの模様替え?

 

 

『今日はずっとデイリー・ビューグルに居ましたか?』

 

『そうだよ。凄く埃まみれになっちゃって、参ったよ』

 

 

指が止まる。

口が乾く。

 

デイリー・ビューグルがある場所と、私がピーターを見かけた場所は……少し距離がある。

 

嘘?

 

どうして?

 

……震える手で、携帯電話を握る。

 

訊けばいい。

訊くだけでいい。

 

他の女性といたか、誰かと手を握っていたかと、そう訊けばいい。

 

酷く、動悸をしながら……文字を打った。

 

 

『ピーターは最近、誰か女性と親しくなった?』

 

 

あ、あ、ダメだ。

取り消そう。

 

こんなの、疑っているような物だと──

 

 

『いいや?僕ってモテないからね。ミシェルだけだよ、親しいって呼べるのは』

 

 

手が、止まる。

瞬きも忘れて、息も止めた。

 

ほんの少し、だけど永く感じられる苦痛の時間に……深く、息を吐いた。

 

 

「……ピーター」

 

 

溢れた名前。

 

滴る涙。

 

渦巻く悲しみ。

 

 

「私……」

 

 

携帯電話を枕元に置いて、布団の中で蹲る。

 

 

「そんなに、ダメだったかな……」

 

 

枕を濡らす。

枕元に置いてあるクマのぬいぐるみを、強く抱きしめた。

 

 

「面倒な恋人だったかな……」

 

 

ピーターは私以外に好きな人がいるのだろう。

そして、その密会を邪魔されたくないから……私に、嘘を?

 

 

「重かったのかな……」

 

 

違う。

ピーターはそんな事しない。

そんな、不義理な事はしない筈だ。

 

だけど、どうして。

 

自分が見た景色を疑う事は出来ない。

アレは紛れもなく現実だった。

 

 

「……う、うぅ」

 

 

ぬいぐるみを抱きしめる。

だけど、抱き返してはこない。

 

ピーターは……私を、抱きしめてくれたのに。

 

 

「……ピーター」

 

 

未練がましく、そう呟きながら……まるで擦り傷を負ったかのようにズキズキと痛む心を、押さえつける。

 

体の傷は『治癒因子(ヒーリング・ファクター)』が治してくれる。

だけど、心の傷は……決して、癒えはしない。

 

 

「…………ひ、ぐっ」

 

 

涙でぐちゃぐちゃに潰れながら、私は布団の中で小さく、縮こまった。

私は無力で、小さな生き物だった。

 

……携帯電話でコール音が聞こえたけれど、無視をした。

 

今はただ、彼と向き合う事が怖かった。

これ以上、進むことも、下がることも怖かった。

このまま、恋人という立場に甘えて……ずっと、このままで。

 

関係を変えずに、少しでも長く。

彼の側に居たかった。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

「……どうしたのだろう」

 

 

僕は携帯電話に表示される『応答なし』の表示を眺める。

心配になってかけたけれど、もう寝てしまったのか……出てくれなかった。

 

 

「……ミシェル」

 

 

先程の会話の内容、僕の浮気を疑うような言葉。

 

……浮気?

する訳がない。

 

そもそも、ミシェル以外に親しい女性なんていない。

居たとしても、浮気なんてしないけれど。

 

僕は彼女が好きだ。

他の誰よりも、僕の中で優先するべき女性だ。

自分に中に全てを投げ打っても、彼女を助けたいと思える程に。

 

それなのに。

 

 

「……なんで」

 

 

今日は話した通り、デイリー・ビューグルでバイトしていた。

重い荷物の持ち運びは僕にとっては簡単な事だけれど、ジェイムソンが1ミリ単位で拘って何度も移動させられた時は参ってしまった。

 

そうして夕方までバイトして……スーツを着て、ちょっと人助けして、今に至る。

誰か別の女性と親しくするような時間はない。

そもそも、する気はないけど。

 

 

「…………大丈夫かな」

 

 

疑われた事はちょっとショックだった。

だけど、それ以上にミシェルが心配だった。

 

彼女は……自己肯定感が低い。

僕に捨てられるかも、なんて考えてるのかも知れない。

……いいや、それなら僕が捨てられるかもって疑うべきなのに。

 

だけど、僕はそんなネガティブな考えは持たない。

ミシェルが僕に、僕の事が好きなのだとアピールしてくれてるから──

 

 

「……でも」

 

 

僕は?

 

ミシェルには好きだって、口にしてる。

だけど、それでも……彼女を少し、遠くに置いているんじゃないだろうか。

それを、寂しいと思ってるのだとしたら。

 

……僕は。

 

 

「……ちゃんと、会話しよう。何か誤解があったんだって、言わないと」

 

 

僕は彼女が好きだ。

だけど、この気持ちが伝わっていないなら……僕は、どうしたら良いのだろう。

 

どう、好意を伝えたら良いのだろう。

 

……僕は布団の中で、ミシェルの顔を思い出していた。

 

僕に、出来る事は。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

「……ミシェル?」

 

「え……ぁ、はい」

 

 

机の向こう側で、キャプテンが眉を顰めた。

今日も、昨日に引き続いて面談だ。

そして、この後はナターシャとの訓練。

 

なのに、こんな……呆けていたら相手に失礼だ。

 

 

「ごめんなさい、キャプテン」

 

 

私が謝ると、キャプテンは少し……悩むような仕草をした。

 

 

「何か、嫌な事があったのか?」

 

「……う、えっと、まぁ……はい」

 

 

頷きながらも、こんな事をキャプテンに話せる訳がないと……そう思った。

朝、ピーターから着信がまたあった。

 

だけど、怖くて……私はそれに出られなかった。

メッセージで『大丈夫?』と来たけれど、それも無視してしまった。

 

私は最低だ。

心の中だけでもなく、行動も最悪だ。

 

自己嫌悪しながらも、それでも彼と向き合えなかった。

 

 

俯く私の様子に……キャプテンが口を開いた。

 

 

「今日の面談はここまでにしよう」

 

「……え」

 

 

キャプテンが立ち上がりながら、手元の端末に何かを打ち込んだ。

 

 

「そんな状態では訓練も出来ないだろうから……午後の訓練も中止だな」

 

「ま、待って……下さい。その、私は──

 

 

あまりにも身勝手な理由で、私は人に迷惑をかけている。

その事実に怯えて、遮ろうと立ち上がった。

 

けれど。

 

 

「大丈夫だ。面談も訓練も、君のためにやっている……だから、君が本調子ではないなら優先度は下がるんだ」

 

「……でも」

 

「残念だが、私には話せない事なのだろう?別の講師を呼んでいるから……その人と話すと良い」

 

 

キャプテンは努めて笑って、私の肩を軽く叩いた。

申し訳なさ、情けなさに……私は頭を下げた。

 

 

「……ごめんなさい」

 

「謝らなくて良いさ。私の方こそ、力になれなくてすまない」

 

 

逆に謝られて、下唇を噛んだ。

……キャプテンが席を立って、ドアを開けた。

 

 

「少しだけ、待っていてくれないか?直ぐに別の人が来る」

 

「……はい」

 

 

ドアが閉まり、私は椅子に腰掛けた。

 

誰が来るのだろう。

疑問符で頭を埋めながらも、自身の二の腕を握った。

 

爪が食い込むほど、強く握る。

 

私は人に迷惑をかけてばかりだ。

人助けに全身全霊を捧げる彼とは、やはり……。

 

一人になると自身を責める幻聴が聞こえる。

私は、私は……私なんて。

 

自分を詰りながら、その言葉に傷付いて、心を苦しめて。

 

人は落ち込む時、一気に落ち込むものだ。

悪感情に思い出が引き摺られ、後悔が生まれていく。

あの時、あぁしていれば良かったのに。

あの時、こうしていれば良かったのかな。

 

なんて──

 

……誰かの足音が聞こえる。

歩いている……いや、小走りで誰かが来ている。

 

強化された聴覚が、その『誰か』の正体を教えてくれる。

 

 

ドアが勢いよく開いた。

 

 

「ミシェル……!」

 

「……グウェン」

 

 

さっきまで訓練していたであろう、汗をかいたグウェンがそこに居た。

キャプテンは彼女を呼んだのか……訓練を中断してまで……呼んだんだ。

 

また、人に迷惑をかけてしまった。

 

彼女は私の顔を見て、ギョッとした。

 

 

「何があったの?」

 

 

冷静ではないのだろう。

だけど、冷静を装って……私の前に座った。

 

彼女の顔には『心配』という言葉が出ていた。

 

 

「……た、大した事じゃないから」

 

「そんな訳ないじゃない……!」

 

 

そう遮られて……グウェンは張り詰めた表情で、机を乗り出した。

 

 

「もう、そういうのは無しなんじゃないの……!?」

 

「そういうの……」

 

 

……グウェンは、私の隠し事を極端に嫌っている。

私が彼女に黙って悪人(ヴィラン)として活動していたから……二度と、そんな気持ちになりたくないからだろう。

 

……私は、観念して口を開いた。

 

 

 

 

 

 

恋人(ピーター)が浮気しているかも知れない事を。

 

知らない女性と手を繋いでいた事を。

 

そして、それを隠していた事を。

 

 

 

 

 

 

グウェンは険しい顔をしながら、黙って聞いていた。

……そして、怒りで眉を顰めて口を開いた。

 

 

「……バカね」

 

 

私は……机の下で指を組んだ。

こんな事を話してしまったら、グウェンはピーターを──

 

 

「ミシェル、貴女はバカよ」

 

「……え?」

 

 

違う。

彼女が怒っていたのは、私に対してだった。

 

 

「そりゃあ私も、あのピーターってのは気に入らないけど……でも──

 

 

グウェンは怒った表情で、腕を組んだ。

 

 

「アイツが口にした言葉は信用しているの。ミシェルが幸せになれるように、頑張るって言ってたでしょ?」

 

「……うん」

 

「それはきっと本当よ」

 

 

諭すように、私に言葉を投げかける。

 

 

「確かに頼りないし、ちょっとどうかと思うけど……でも、そんな事をするような奴じゃないわ」

 

「……グウェン」

 

 

想像よりも、ピーターに対する評価の高かったグウェンに、私は驚いた。

 

そして、彼女は私の頭を……優しく叩いた。

 

 

「うっ」

 

「貴女が信じなくてどうするのよ。どうしてそう、浮気されるかもって思ってしまうの?」

 

「だって、私は……私なんて──

 

 

俯いて、目を伏せる。

 

ネガティブな言葉が幾つも浮かんで、それを口にしようとして──

 

 

「もう!」

 

 

また頭を叩かれた。

今度は少し、強めだ。

 

 

「グウェン……?」

 

「ほんっと、に……もう……根っこの部分は治ってないのね」

 

 

ボソリと、グウェンは呟いて……また、私に視線を向けた。

 

 

「ピーターとは話したの?」

 

「え、えと……」

 

 

私は携帯電話に、ピーターからの着信があった事を思い出した。

そして、その着信を無視した事も。

 

 

「……して、ない」

 

「一度、会って話しなさい」

 

「……でも、私──

 

「怖くても、ちゃんと勇気を持って向き合わないとダメよ。自分の本音で、話し合うの」

 

 

グウェンがまた、腕を組んで頷いた。

そして、口を開いた。

 

 

「ピーターはそんな事するような奴なの?」

 

「……ううん」

 

「もう分かってるんでしょ?」

 

「……うん」

 

 

そうだ。

そうだった。

 

私が「どうであろうと」、ピーターは浮気なんかするような人じゃない。

 

どうしてこんな事も分からなかったのだろう。

 

 

「……グウェン、私……ピーターと会ってくる」

 

「そうね」

 

「会って、ちゃんと話してくる」

 

「えぇ、そうしなさい。それがベストよ」

 

 

私は席を立って、部屋から駆け出ようとして……グウェンの方へ振り返った。

 

 

「……ごめんなさい、グウェン。迷惑かけ──

 

「気にしてないわよ。友達なんだから、迷惑なんて思ってないわ」

 

 

彼女が親指を立てて、私は頬を緩めた。

 

 

「ありがと、グウェン」

 

 

感謝の言葉を吐いて、面談室から出た。

エレベーターに乗って、一階に。

 

受付の前を通って、アベンジャーズタワーの外へ。

 

 

快晴だ。

青空の下で、私は深く息を吸って……吐いた。

 

 

 

ピーターは今日、休みだった筈だ。

家にいる、のだろうか。

 

あぁ、そうだ。

電話だ。

 

電話にちゃんと、折り返さないと。

 

懐から携帯電話を出す。

着信履歴が……朝から一件増えている。

 

……心配、かけてる。

 

 

「……うっ」

 

 

ごめんなさい、ピーター。

私は携帯電話の発信ボタンを押して、電話を──

 

 

 

ピロピロピロ。

 

 

 

着信音が聞こえた。

私の携帯電話からじゃない。

 

だって今、発信したところだから。

 

 

ふと、音の聴こえた方を見ると……アベンジャーズ・タワーの前で──

 

 

「あっ」

 

 

ベンチに腰掛けているピーターの姿があった。

 

まだ、私に気付いてはいないみたいだけれど……慌てて、携帯電話を取り出しているのが見えた。

 

 

『も、もしもし!ミシェル!?えっと──

 

「……ピーター、そこで何してるの?」

 

 

そう言うと……ピーターは辺りを見渡して……出口の側にいる、私に気付いたようだ。

携帯電話の通話を切って、私の側に駆け寄ってきた。

 

 

「いや、ちょっと、ごめん。心配で……その、来ちゃったって奴、なんだけど……」

 

 

少し、汗をかいていた。

疲れていたからじゃないだろう。

焦っていたからだ。

 

 

「ごめん、ピーター。電話に……出なくて」

 

「い、いいよ。それは気にしてないから、それよりも、その──

 

 

ピーターは少し、言葉を選んで──

 

 

「大丈夫?」

 

 

出てきたのは心配の言葉で、私を責める言葉ではなかった。

そして、何があったのかと問い正すような質問でもなかった。

 

ただ、単純に……彼は、私を心配していたのだ。

 

そう思うと……昨日と、今朝の自分を責めたくなった。

 

 

「ピーター……その、話したい事があって」

 

「うん、いいよ。何でも言ってよ、何でも聞くから」

 

 

食い気味に頷くピーターに……少し、頬を緩める。

それと同時に、やはり罪悪感が湧いてしまった。

 

 

「今から、その……ピーターの部屋に行ってもいい?」

 

「うん、ここで話せない事なら……話しやすい場所で良いからさ」

 

 

ピーターに手を握られて、先導される。

……私はその手を、恐る恐る握り返した。

 

強く繋ぎ合う。

 

……どうして、疑ってしまったのだろう。

酷く後悔しながら、それでも。

 

彼の優しさに、私は……ボロボロになっていた心が癒やされていくのを感じてしまった。

 

どうかこの浅はかな羞恥心に、気付かれないように。

そう願いながら、私は手を引かれて……歩き出した。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

記憶を失った後、何度も通った一室。

ピーターの部屋で……私はベッドに腰掛けていた。

 

手元にはマグカップ。

彼の部屋に置いてある私用のマグカップは、湯気を出していた。

 

ホットミルクだ。

ピーターが落ち着けるようにと、入れて温めてくれた。

 

それを口に含む。

 

優しい甘さと、温かさに……少し、落ち着く。

 

息を吐くと……自分のしでかしてしまった事に、向き合わなければならないと、そう実感した。

 

 

「ピーター……」

 

「うん」

 

 

隣にピーターが座った。

両手を、膝の上で組んで……私の側で、私の顔を見てくれる。

 

今はただ、全身で私と向き合ってくれていた。

 

 

「その、私ね──

 

 

ぽつり、ぽつりと。

不安を、恐怖を、考えてしまった事を口にする。

 

ピーターが知らない女性と居た所を見てしまった事を。

捨てられるかもしれないと考えてしまった事を。

 

それをピーターは時々、相槌を打ちながら……聞いてくれた。

 

そして──

 

 

「ミシェル」

 

「……は、い」

 

 

ピーターの呼びかけに、身を縮こめた。

私の感じた不安は、ピーターに対する不信感だった。

それはピーターからすれば面白くない話だろう。

 

 

「まずはその、ごめん」

 

「……え?」

 

 

何の謝罪なのか、心臓が早鐘のように脈打つ。

 

 

「ミシェルを不安にさせてしまって」

 

「……う、あ、えっ、ううん。私、が悪い……から」

 

 

安心して……安心してしまった自分の浅はかさに嫌になった。

マグカップに中で真っ白なホットミルクが……渦巻いた。

 

 

「……その、昨日?知らない女性と一緒にいる所を見たって話だけど──

 

「……うん」

 

「それは多分、僕じゃないと思う」

 

 

ピーターの言葉に、私は首を傾げそうになる。

違う?

でもあれは確かに、ピーターだった筈だ。

見間違い、なんかじゃ──

 

 

「君がいるのに、他の女性と手を繋いだりなんかしないよ。そこはその……僕を、信じて欲しい」

 

 

真摯な瞳が、私を見つめている。

やましい所はない、そう言っている目だ。

……信じて欲しい、か。

 

 

「……うん、分かった」

 

 

信じていなかったのは……私が、私が悪い。

本当にどうかしている。

 

いくら私であろうとも、ピーターは捨てたりしない。

それは分かっていた筈なのに。

 

震える唇を、私は開く。

 

 

「ごめんね、ピーター」

 

「……いいや、僕の方こそ」

 

「ううん。私、最低だった……勝手に、こんな……事……迷惑、かけて。その、私……」

 

 

震える。

マグカップの中のミルクが揺れる。

 

怯える。

恥ずかしい。

怖い。

情けない。

 

目を強く瞑れば、小さく涙が──

 

 

「ミシェル」

 

 

ピーターが私の名前を呼んで……マグカップを持つ私の手を、上から覆った。

それは少し力強くて、優しくて……心地よかった。

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

ミシェルは……今回の件はもう、納得してくれている。

不幸な勘違いが原因だったのだと、何か見間違いが原因だったのだろうと……納得している。

僕の事も信用してくれている。

 

解決?

 

……いいや、違う。

根本的には何も解決していない。

 

 

「ミシェル」

 

 

彼女の手をマグカップの上から覆う。

触れた瞬間、少し震えて……少しずつ治っていく。

振り払う事もなく、僕の手を受け入れた。

 

 

「ピーター、わ、私……私は──

 

 

自己を責めるような言葉を口にしようとして──

 

 

「ミシェル、僕はね」

 

 

遮った。

 

 

「僕はミシェルに、自分を好きになって欲しいんだ」

 

 

僕の……願いを口にする。

 

今回、こうも拗れてしまったのは……きっと、今までの僕の態度も原因かも知れないけれど、一番の要因は……彼女の自己肯定感の低さが原因だ。

 

僕に対する信頼よりも、自分自身に対する不信感が勝ってしまった。

 

 

「でも、私、なんか……」

 

 

彼女は自分を好きになれない。

信じられない。

 

それは、ずっと行っていた凶行の為か。

人を殺して生き延びてしまった故の、罪悪感からだ。

 

……驕らないのも、謙遜するのも美点だ。

だけど、限度がある。

 

彼女のそれは精神に対する自傷行為だ。

己を罵倒して傷付ける事で、罪の意識を和らげている。

 

分かっている。

 

だから、口にしなければならない。

 

 

「ミシェルは……自分の事を、信じられない……よね?」

 

「……うん」

 

「それなら──

 

 

自分を信じられないなら。

 

 

「そんなミシェルを好きになった僕を、信じて欲しいんだ」

 

 

僕を信じて欲しい。

 

 

「……ピーターを?」

 

「僕じゃなくても良い。グウェンや、ハリー、ネッド……他の人達だってそうだ。みんな、ミシェルの事が好きなんだ。幸せになって欲しいと思ってる」

 

 

僕の言葉に……ミシェルは否定しなかった。

彼女は他人の善意に気付いている。

 

その善意の源は──

 

 

「人が良くしてくれているのは、君が良い人だからだよ」

 

「私が……」

 

「そう。ミシェルを助けたいと、幸せになって欲しいって……そう思うのは、君が良い人だからだ」

 

 

言葉を選びながら、彼女の怯える瞳を見つめる。

僕は目を逸らさない。

彼女も目を逸らさなかった。

 

 

「自分を卑下しないで欲しいんだ。僕達が好きになった君を……少しは、信用して、好きになって欲しいんだ」

 

「……ピーター」

 

 

僕がそう言うと……ミシェルは少し眉を顰めて、口を小さく開いて閉じて、目を逸らして……戻した。

 

 

「……ごめんなさい」

 

「ミシェル……」

 

 

ダメ、だったのだろうか──

 

 

「あと、ありがとう」

 

 

いいや、少しは期待して良いのだろうか。

 

 

「……ミシェル」

 

「分かってる……もう、大丈夫」

 

 

ミシェルは空になったマグカップを机の上に置いた。

揺れていた瞳は元に戻って、震えていた唇には色が戻っていた。

 

いつもの彼女、ミシェル・ジェーン=ワトソンに戻っていた。

 

 

「ありがとう、ピーター。私、努力するから」

 

「……そっか」

 

 

何の努力を、とは訊かない。

分かっている。

 

自分を好きになるための努力なのだろう。

 

 

「私、みんなの好意を後ろめたいと思ってた」

 

「……うん」

 

「だけどもう、そう、思わない……ようにする」

 

 

彼女の自己肯定感の低さは、筋金入りだ。

それでも、それを直そうとする意思は……確かに、彼女に芽生えていた。

 

今は『そう』じゃなかったとしても、『そう』なれるように努力していくこと。

それは、努力していない時とは……天と地の差がある。

 

彼女は今、一歩を踏み出したんだ。

 

 

「私、向けられる好意を……少しは誇らしいと思えるように……なりたい」

 

「うん、それは良いね」

 

 

肯定して頷く。

ミシェルが小さく、本当に小さく笑った。

 

 

「ピーター、ありがとう。いつも」

 

「良いよ。僕だって、ミシェルに助けられてるから」

 

 

僕だって、時々、夜……暗闇の中で独り寝ていると……どうしようもなく、自分の事が情けなく思える時がある。

僕も、僕に対する自信はない。

 

そこは僕だって同じだ。

似たもの同士と言ってもいい。

 

それでも、僕が孤独を感じないのは……ミシェルがいるからだ。

僕の事を好きだと、そう言ってくれる彼女の存在が……僕の自尊心を奮い立たせてくれる。

 

……だけど、そんな事を知らないミシェルは首を傾げた。

 

 

「でも、私……ピーターの手助けなんて──

 

「一緒にいるだけで僕は救われてるよ。こうして、側にいてくれるだけで……僕は凄く、幸せだから」

 

 

そう言うと、ミシェルは目を細めた。

眉尻を下げて、頬を緩めて……笑った。

 

 

「私も、ピーターと一緒にいられて幸せ」

 

「うん……そうか、そうだね。ありがとう」

 

「私の方こそ……ずっと、感謝してる」

 

 

笑い合って……少し、視線を下げた。

 

少しの間そうして。

黙って二人で側にいて。

 

 

小さなボロいアパートの一室だけど。

それでも、凄く幸せな空間だった。

とても、幸せだった。

 

 

時間が経って、どれほどそうしていたのか……分からなかったけれど。

 

 

ミシェルが僕を見た。

その表情は意を決していて、張り詰めた表情だった。

 

僕は少し待って。

彼女が口を開いた。

 

 

「ピ、ピーターは──

 

 

声は、震えていた。

 

 

「その、どうして私の、えっと──

 

 

怯えている、というよりは恥ずかしそうにしていた。

 

 

「私と、しないの?」

 

 

しない?

 

する。

しない。

 

つまりえっと、『そういう』事だろう。

 

心臓の音が大きくなる。

彼女の唇が、艶やかに見える。

 

彼女の直接的なアピールに、僕は目が離せなくなった。

頬の赤みにドキリとして、それでも──

 

 

「だって今は……その、忙しいよね?お互いに」

 

「……ピーター」

 

「僕ってまだ、学生ですらないし……責任を持てないから──

 

 

幾つも理由を探して。

しない理由を見つけて。

 

 

 

 

 

 

 

 

ふと、ミシェルの顔を見た。

 

 

悲しそうに、していた。

酷く、悲しそうに。

 

 

「あっ」

 

 

そうか、そうだ。

 

ミシェルがこうも僕の好意を疑ってしまったのは……彼女のアピールを僕が無碍にしてしまっていたからだ。

自身の魅力を疑って、僕の好意を疑うには十分な理由だった。

 

僕は彼女を傷付けていたんだ。

 

僕は、口を閉じた。

自分を恥じた。

 

 

「……ピーター?」

 

 

そうだ。

彼女だって、大きな決意を持って、僕に……その、アピールをしていたのだろう。

 

恥ずかしかった筈だ。

勇気が必要だった筈だ。

僕を喜ばせようと、色々……してくれていたのに。

 

なのに、僕は逃げていたんだ。

 

彼女の好意から。

理由も告げずに、一方的に。

 

 

最低だ。

 

 

「……ごめん、ミシェル」

 

 

小さく、そう呟いて。

 

 

「その……もう逃げないから」

 

「……ピーター」

 

 

心臓は高鳴る。

将来の心配だとか、そういったものは……今はただ、横に置いておこう。

 

今、僕にできる事は──

 

 

「……ミシェル」

 

 

愛しているのだと、強く……そう教える事だった。

 

彼女の肩に手を乗せて……もう、何度もしてきた口付けを……した。

だけど、いつものとは違う。

何倍も、何十倍もドキドキした。

 

それはきっと、ミシェルも同じだ。

 

 

唾液が、混じる。

絡まる。

 

 

いつもと同じ、だけど少しだけ違うキスをして……唇を離した。

互いの唇が糸を引いた。

 

 

「ぅ……ピ、ピーター?」

 

 

彼女は頬を赤らめて、そして……この行為の意味に気付いた。

そして、これからの行為を……予感したのだろう。

 

少し驚いたような表情をして、顔を強張らせた。

 

僕は……口を開いた。

 

 

「い、いいかな?」

 

 

緊張でカチコチに固まってしまっている僕は、辛うじて……そう訊いた。

 

 

「……う、うん。お願い、ピーター」

 

 

ミシェルは同意して──

 

 

 

そして──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日、僕は彼女を抱いた。

 

 

 

 

 

 

 



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#10 アイ・ウィッシュ…… part3

まだ微妙に明るい窓の外。

ベッドの上。

 

タオルケットを一糸纏わぬ体に被せて……ふと、横を見ればピーターの寝顔。

机の上には避妊具の空き箱。

 

汗の臭いが鼻腔に抜ける。

それと、少し独特な臭い。

 

 

 

凄かった。

 

 

 

普段のピーターからは考えられない、こう、男らしさがあった。

力強く、だけど優しく……。

 

……思い返すと、顔が熱くなる。

 

ピーターも私も初めてだったけれど、私は痛みに耐性があるし……互いに疲れ知らずの肉体強度だ。

 

 

 

それはもう、凄かった。

 

 

 

目の前には汗をかいたまま、寝ているピーターの姿がある。

 

 

「……ピーター?」

 

 

小さく、そう呟く。

 

……返事はない。

ぐっすり、おやすみ中だ。

 

手で、彼の背中を撫でる。

服を着ていないから、素肌が触れ合う。

 

硬く、ゴツゴツとしていて……幾つか、古い傷もある。

これはきっと、人助けをするために受けた大きな傷だ。

ピーターは超人と言えども、治癒能力は……私達、治癒因子(ヒーリングファクター)持ちに劣る。

 

だから──

 

ふと、脇腹に大きな傷跡がある事に気付いた。

……覚えてはいない。

だけど、知っている。

 

私がピーターに付けた傷だ。

 

 

「……ピーター」

 

 

起きて欲しくて、でも起こしたくなくて。

相反する気持ちが小さな声になって溢れる。

 

ピーターを背中から抱きしめる。

私の素肌と、ピーターの素肌が密着する。

肩も、腹も、胸も……全て。

 

彼を感じる。

 

少し、熱い。

 

息を吸って、吐く。

 

もう、私は私を無価値だと思わない。

ずっと前から、皆もそう言ってくれていたのに……今更、気付いた。

 

これ程までに愛してくれる。

これ程までに好いてくれる。

 

私の好きな人が、友人が、尊敬する人も。

私に、居てもいいのだと言ってくれる。

 

それなら、私は……もう、大丈夫だ。

 

 

「……ありがとう」

 

 

愛した、愛している男の背を抱く。

 

私は幸せだ。

こんなにも愛して、好かれているのだから。

 

 

「……ほんとに、ありがとう」

 

 

何度も礼を言って……背中に頬を這わせる。

小さくとも大きな背中に身を任せて、私も眠りに就いた。

 

 

 

 

この日も、夢は見なかった。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

ふと、僕は目が覚めた。

外を見ると……明るくなっていた。

 

 

「……ぅえ?あれ?」

 

 

凄く、幸せな夢を見ていた気がする。

というか、随分と……こう、性欲に直結した夢だった。

 

欲求不満なのかな、僕。

 

自分に呆れて息を吐いて、腕を上げようとすると──

 

 

柔らかな感触がした。

 

 

「…………」

 

 

目をそちらに向けると、ベッドの中に裸のミシェルがいた。

 

夢じゃなかった。

現実だった。

 

仄かに桃色を帯びた白い肌に、ドキリとしつつ……昨日、もっと凄い事をしただろ、という冷静な指摘を自分にする。

 

記憶を遡ろうとすると……ベッドから立てなくなってしまいそうで、中断する。

 

そして、僕が動いたのに気付いたのか──

 

 

「……ん、く……あ、ぁ」

 

 

可愛らしい欠伸をしながら、ミシェルが目を擦った。

被せていたタオルケットがずり落ちて──

 

視線をズラした。

別に、悪い事をしている訳じゃないのに。

 

そうして、ミシェルが口を開いた。

 

 

「……おはよ、ピーター」

 

 

優しく、甘く、僕の名前を呟いた。

背筋に電流が走ったかのような、そんな気分になった。

 

 

「う、うん。おはよう、ミシェル」

 

 

辛うじて、挨拶を返すと……ミシェルが頬を緩めて笑った。

その笑顔にドキリとした。

 

ずっと見ていた笑顔だ。

見慣れてる笑顔だ。

 

それなのに、この……いつもと、同じベッドの上なのに。

 

それでも違う状況に、僕は顔を熱くした。

 

綺麗だ。

 

惚れ直した。

 

元から彼女の事は大切だったけれど、もっと大切になった。

……いや、前から好きだったけれど。

 

なんと言えば良いのか……もっと好きになった。

 

……そう思えるのは、やっぱり僕が単純なのか。

それとも男の『さが』なのか。

 

 

脳裏でそんな事を考えていると、ミシェルがスリッパを履いて……ベッドから立ち上がった。

 

 

「ピーター、シャワー先に借りていい?」

 

「んっ、うん、勿論。どうぞ?」

 

「……ふふ、ありがと」

 

 

ミシェルが部屋の隅、椅子にかけていた自分の服を取って……シャワールームへと向かった。

彼女は恥ずかしさなど感じていないのか……それとも、僕に見せつけているのか、素肌を晒したまま……洗面所のドアを開けた。

 

彼女がシャワールームに入った瞬間、僕は脱力して深く息を吐いた。

 

 

「…………昨日、本当にしたんだ。僕」

 

 

手を顎に当てる。

念の為……ほんっとうに念の為に買っていた、埃をかぶっていた避妊具が役に立つ日が来るとは思わなかった。

 

……上手く、出来たのだろうか?

分からない。

 

ただ、ミシェルは嬉しそうだったし……。

 

 

「あっ」

 

 

タオルケットを捲る。

ベッドのシーツはメチャクチャに汚れていた。

汗とか、血とか、色々で。

 

それにちょっと、臭う。

 

 

「……良い機会だし、新しく買い直そうかな」

 

 

今度は丸洗いしやすくて、汚れが目立たない色にしよう。

次する時の事を考えて。

 

 

次?

 

 

「…………次、も、あるのかな」

 

 

昨日のは対症療法みたいな物だ。

ミシェルの自尊心の低さを安らげるために、僕が彼女を愛している事を伝える必要があった。

言葉だけではなく、行動でもだ。

 

だから……いや、でも。

彼女を抱きたかったか?と聞かれれば僕はYesと答えるだろう。

 

手に職もなく甲斐性もないのに、彼女を抱くのは……なんて、考えていたのだけれど。

 

 

頭を掻く。

 

 

「…………」

 

 

何を取り繕うとも、僕は幸せを感じた。

それは事実で……僕は彼女の虜になっていた。

 

彼女の為なんて言いながら、実際、僕は愉しんでいた。

 

 

「……うん」

 

 

抱きたかったから、抱いた。

そういう事にしよう。

理由を彼女に押し付けるのは、無責任だ。

 

 

シャワーの音が止まった。

 

 

僕はベッドから立ち上がり、タオルケットとシーツをベッドから剥ぎ取る。

枕も。

 

……全裸でいるのに何だか恥ずかしくなってきて、パンツを履いた。

 

 

それと同時にシャワールームのドアが開く。

髪を少し湿らせたミシェルが、いつも通りの服装で出てきた。

 

 

「シャワーお先に。ありがとう」

 

「は、はは……ど、どうも?」

 

 

メチャクチャにぎこちなく返事をすると、ミシェルが小さく笑った。

僕は恥ずかしくなって、少し視線をずらした。

 

彼女は、そっと僕に近づいて──

 

 

唇を落とした。

 

 

昨日のキスとは違う。

いつもの優しいキスだ。

 

 

「ピーター、ありがと」

 

「……っ、え?」

 

 

何に感謝されたのか分からなくて、素っ頓狂な声を出してしまった。

 

 

「私を受け入れてくれて」

 

「……えっと、受け入れてくれたのはミシェルじゃ──

 

 

そう言いながら、ちょっと下品な発言だったかと自分で顔を顰めた。

それを見たミシェルが苦笑した。

 

そして──

 

 

「私、もう少し自分を好きになってみる」

 

 

彼女は微笑んだ。

 

その笑顔を見て僕は……心の底から、良かったと思えた。

 

 

「……だから、ありがと。ピーター」

 

 

本当に良かった。

僕の想いは伝わったらしい。

何か、彼女の足しになったのであれば……それがとても嬉しかったんだ。

 

思わず、僕も頬を緩めた。

 

 

「僕の方こそ、感謝しかないよ」

 

 

彼女と一緒に居られると、凄くドキドキして、凄く愛おしくて、凄く幸せで──

 

 

「……気持ち良かったから?」

 

「げほっ、ごほっ!?」

 

 

僕は咽せた。

ちょっと目から涙を流しながら、弁明する。

 

 

「い、いや。そうじゃなくて、えっと──

 

「気持ち良くなかった?」

 

「え、いや……気持ち、良かったけど……」

 

「……ん、なら良かった」

 

 

ミシェルが笑って、僕は苦笑した。

何だかちょっと僕は一方的に気まずく思っていたけれど、彼女はそんな空気にしたくなかったようだ。

だから、こんな冗談を口にしたのだろう。

 

僕が照れていると、ミシェルが口を開いた。

 

 

「ピーター」

 

「う、うん?」

 

「大丈夫、分かってるから」

 

「……そうかな?」

 

「うん」

 

「えーっと……そっか」

 

 

窓から差し込む光がミシェルの顔を照らした。

朗らかに、優しく、幸せそうに笑っていた。

昨日の思い詰めているような、無理をするような笑顔じゃない。

 

自身の幸せを尊ぶ、朗らかな笑顔だ。

そんな笑顔を見た僕も、嬉しくなって頬を緩めた。

 

 

「ミシェル、今日はどうするの?休みだった筈だけど──

 

「休みだけど……昨日、迷惑かけた人がいるから謝ってくる」

 

「迷惑?」

 

「キャプテンとか、ナターシャとか」

 

 

その返答に、僕は納得した。

そう言えば、昨日、彼女は丸一日アベンジャーズタワーでの予定があった筈だ。

誰かが……主に二人が融通を利かせてくれたのだろう。

 

 

「着替えるから、一度自宅に帰るけど……」

 

「そっか……送って行くよ」

 

 

僕は立ちあがろうとして──

 

 

「ううん。ピーター、今からシャワー浴びるでしょ?」

 

「……うん、まぁね」

 

 

汗とか色々でベタつくから、シャワーは浴びたいかな。

 

 

「その間に帰るから。でも、ありがとう」

 

「……本当に送らなくて良いの?」

 

 

外は日中……朝早くだ。

危険なんてないだろう。

そもそも、ミシェルに乱暴を出来るような暴漢なんて居ないだろうけど。

それでも、心配は心配だ。

 

少しでも長く一緒にいたいってのもある。

いや、こっちが本音か。

 

 

「大丈夫」

 

 

だけど、ミシェルは笑顔で頷いた。

……無理に着いていくは悪いかな、なんて僕は思って──

 

 

「……うん、なら分かったよ」

 

 

引き下がった。

 

でも、流石に見送りぐらいはしようと思って……彼女の後ろを付いて歩いた。

玄関のドアを開けた瞬間、自分が半裸な事に気づいて、恥ずかしくなって一歩引いた。

 

 

「それじゃ、ピーター。またね」

 

「うん、また……今日の夜にでも電話するよ」

 

「うん」

 

 

ミシェルが笑いながら手を振って、部屋を後にした。

……ドアを閉めて、自室を見る。

 

 

「……先に掃除しないと」

 

 

後片付けが必要だ。

汚れたシーツや、地面に放って置かれた僕の服を見て苦笑した。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

私は満たされた気持ちのまま、クイーンズを歩いていた。

本当に良い気分だ。

 

幸福な気持ちだ。

 

今まで感じた事がない程に。

……いいや、ピーターと恋人になった日と同じぐらいか。

 

端的に言うと、私は浮かれていた。

自覚していた。

 

それでも、この熱に浮かされて居たかった。

 

 

「……一旦、帰らないと」

 

 

充電が3割になってしまった携帯端末を見る。

まだ朝早く……登校中の学生や、出勤中の社会人達が歩いていた。

ただ少し、まばらだ。

もう少ししたら、もっと人の数が増えるだろう。

 

電車も混んでしまう。

可能ならば、混む前に帰りたい。

 

一度帰って、着替えて……もう一度シャワーを浴びよう。

アベンジャーズタワーへの到着は昼前になるだろうか。

 

先に電話で連絡ぐらいはしておこうか──

 

 

 

ふと、視線に見覚えのある姿が見えた。

 

 

 

ピーターが、見知らぬ赤髪の女性と歩いている。

愛おしそうに指を絡めていた。

 

 

「…………」

 

 

私は目を細めた。

ピーターはまだ、自室にいるだろう。

 

それに、あんな事はしないと……そう信じている。

 

だから、私の脳裏にあるのは悲しみではなく、不可解な物を見た疑問だ。

 

アレは誰だ?

アレは何だ?

 

前に見た光景と同じだ。

 

 

「…………っ」

 

 

私は足先の向きを変えて、彼等の後を追う事にした。

ただの瓜二つなら良い。

 

だが、恐らくは無関係ではない。

ピーターが被害を被るかも知れない。

 

そう思って私は──

 

 

不用心に──

 

 

後ろから追いかけてしまった。

 

 

彼等は気付く事もなく、足を進める。

私は歩幅を合わせて、不自然にならないように尾行する。

 

……しかし、彼等はまるで自分の中の世界にいるかのように、他人を全く見ようとせず……足を進める。

 

 

私は夢中で尾行した。

 

 

進んで、進んで──

 

道を曲がる。

 

 

私は急いで角を曲がった時……彼等はもう、居なかった。

 

 

「……?」

 

 

忽然と姿を消した。

 

 

そして──

 

 

気付けば大通りから外れて、私は人気のない路地裏に来ていた。

 

 

「…………」

 

 

勢いよく、振り返る。

何かに見られているような気がした。

 

肌に、冷たい手が触れたような……悪寒。

粘着質で振り払えない視線。

 

しかし、そこには誰も居ない。

……数日前にピーターとデートをしている時にも感じていた、誰か……。

 

 

ようやく、私は誘き出された事に気付いた。

 

 

早く、大通りに戻ろう。

そう思って、踵を返そうとした瞬間──

 

 

「はじめまして、お嬢さん」

 

 

見もせずに、私は拳を振り抜いた。

 

油断していた。

浮かれていた。

危機感が足りなかった。

 

血清によって強化された五感を擦り抜けて、私の背後に回り込んでくるような相手だ。

 

間違いなく、私に対する脅威になり得る。

 

先手を取らなければと──

 

 

……手応えはなかった。

 

拳は空振り、視線の先には……誰もいない。

 

 

「随分と暴力的だな。先程までとは大違いだ」

 

 

また、耳元で囁くような声がした。

 

背後にいる。

そう確信して、肘を突き出しながら振り返り……また、空振った。

 

 

「君は口より先に手が動くタイプか?私とは真逆だな」

 

 

また、声が聞こえる。

 

 

「……誰?」

 

 

随分とお喋りな奴だと……そう思いながら、心の内を切り替える。

間違いなく、私を害する意思のある敵だ。

 

ナイフもない。

銃火器もない。

スーツもない。

 

しかし、私は──

 

 

「待て待て待て、待て。私は君を痛め付けるつもりはない。話に来ただけだ」

 

 

『争うつもり』ではなく『痛めつけるつもり』。

言外に、自分を相手より上だと込めている。

 

そして、それは……正しいかも知れない。

私は警戒心を強める。

 

 

「……顔も見せない相手と、話す事はない」

 

「ふむ。それは確かにそうだ。君が正しい」

 

 

黒い靄が現れて、空間に裂け目が走る。

そこから人の足が伸びて、胴が見えて……人が現れた。

 

深い緑色のコート、金の鱗のような鎖帷子、真っ黒なズボン。

濡れたカラスのような黒髪で、エメラルドのような瞳……整った目鼻。

 

美青年だ。

 

……しかし、特筆すべきは……。

 

額に付けた、金色の額当て。

そこから、2本の金色の角が生えていた。

 

そして、その美しい口を開かれた。

 

 

「私はアスガルドの──

 

「ロキ」

 

 

悪名高き悪人(ヴィラン)、ロキ。

 

アベンジャーズのBIG3……雷神、ソーの腹違いの弟。

嘘偽り、虚実の具現化。

奇術師(トリックスター)

 

邪悪で狡猾な邪神、それがロキだ。

 

 

「そう、ロキだ。よく知っているじゃないか?褒めてやろう」

 

 

そう言って、ロキは笑った。

愉快そうに……私からすれば、胡散臭く、だが。

 

目を細める。

正直、勝てるかは分からない。

 

超人的な身体能力、魔法、そして策略。

彼には武器が沢山ある。

 

 

「……貴方のような人が、何の用?」

 

 

だから、少し『(おだ)てる』。

戦いを避けられるのであれば……避けたい。

 

 

「だから言っただろう?話をしに来たと」

 

 

ロキが戯けて、私の横を回りながら通り過ぎた。

 

 

「話だけ?……幻覚まで使って、私を誘導したのに?」

 

 

もう分かっていた。

私が以前、そして先ほど見たピーターはロキが作り出した幻覚だ。

 

私と彼を仲違いさせて、孤立させようと考えていたに違いない。

 

彼は策略を得意とする。

目的である私を孤立させるために、ピーターと不仲にしようとしたのだ。

 

 

「おっと、それは謝ろう。申し訳ない。だが、君の恋人との仲は進展したのだから良かっただろう。寧ろ、感謝して欲しい程だ」

 

 

……嫌悪感が湧いた。

煽てようと思っていた気持ちが霧散した。

 

 

「……覗き魔?」

 

「いやいや、安心してくれて良い。人の情事を盗み見るほど、私は落ちぶれては居ないとも」

 

 

彼はそう否定するが……逆に言えば、情事に及んだ事は知っているのだから、そこまでは見ていたのだろう。

不快だった。

 

しかし、その感情は飲み込み……ロキへ身体を向ける。

彼は悪びれる様子もなく、薄ら笑いを浮かべて口を開いた。

 

 

「さて、話を戻そう。私は君に話があると言った」

 

「……私には話す事なんてないけど」

 

「しかし、これは君にとても利のある話になるぞ」

 

 

私の肩に手が触れた。

一歩引いて、振り解く。

 

 

「ふむ、つれないな」

 

 

ショックを受けた様子もなく、自身の人差し指で親指を撫でた。

 

 

 

パチン。

 

と音がして──

 

 

 

気付けば私は椅子に座っていた。

どこかの一室で、丸い木の机で向かい合わせになり……ロキが足を組んでいた。

 

 

……何が起きた?

 

心の揺れを悟られないように周りを見渡そうとして……ロキが私を微笑った。

 

 

「淑女と茶会をするのに、準備を怠る紳士は存在しない」

 

「……紳士?」

 

 

誰がだ。

目を細めると、ロキは自慢げに……いつの間にか持っていた杖を掲げた。

 

 

「これは何だと思う?」

 

 

初めて見た。

だが、私は知っている。

 

……アレは『セプター』と呼ばれる杖だ。

 

先端に付いているのは──

 

 

「……知らない。初めてみた」

 

「いいや、君は知っている筈だ。見た事はなくともね」

 

 

ロキは杖の先端を撫でた。

青い光は金色に変わり、中心に小さな親指大の宝石が見えた。

 

綺麗だった。

だけど、その本質を知っている私は……顔を強張らせた。

 

……私の認識の範疇を遥かに越える、大いなる力を感じる。

 

ロキはそんな私の様子を見て、嬉しそうに口を開いた。

 

 

「『マインド・ストーン』、精神を司る特殊な石だ。知っているだろう?」

 

 

……知っているとも。

全て集めた物に全知全能の力を与える6つの石……『インフィニティ・ストーン』、その一つだ。

 

 

「…………」

 

「沈黙は肯定として受け取ろう」

 

 

何故、ロキが持っている?

他のインフィニティ・ストーンは何処にある?

 

分からない。

だが、『勝てるか分からない』から『確実に勝てない』へと認識を変えた。

 

 

「君がここまで来たのは自らの足でだ。そして……さっき、この石による洗脳を解いた」

 

 

『マインド・ストーン』には人の心を操る力がある。

一つで、世界の在り方を歪める事ができる程、強力な力を秘めている。

 

私には、荷が重い。

 

 

「分かるか?私は別に洗脳を解かず、無理矢理従わせても良かった」

 

「…………」

 

「だが、それは協力者に対して不義理だろう?故に、こうして『お願い』をする」

 

 

マインド・ストーンを青い結晶が覆い、再びセプターの中へと収まった。

ロキは足を組み、手を己の顎に当てた。

 

 

「私に協力してくれないか?」

 

 

そう問われ──

 

 

「断る」

 

 

即答した。

 

 

私の返答に、ロキは悩ましい表情をした。

 

 

「ふむ。それは何故かな?」

 

「……貴方のような人間……いや、神に、協力するつもりはない」

 

 

ロキは狡猾な悪人(ヴィラン)だ。

会話をするだけで、罠に引き寄せられている可能性がある。

 

……しかし、八方塞がりだ。

ここが何処かも分からず、殴り合いでも勝てるか怪しい。

挙げ句の果てには、マインド・ストーン。

 

身体能力では勝てず、精神面でも勝てない。

 

 

「そうか。では少し、世間話をさせて貰おう」

 

 

ロキが世間話でもするように、語り始める。

私は、どうにか隙を付いてマインド・ストーン……セプターを奪えないか画策していた。

 

 

「私が何故、君に協力を仰いでいるか分かるか?」

 

「…………」

 

 

それは、私が持っている記憶が──

 

 

「君の眼だ」

 

「……眼?」

 

 

想定外の言葉に、思わず訊き直してしまった。

 

 

「そう、君の中にある眼を借りたい」

 

「……何の、話?」

 

 

私の眼?

確かに超人血清で視力は強化されているが、特殊な能力はない。

 

ロキの欲しがるようなモノではない筈だ。

 

 

「知らされていないのか?酷い奴らだな、英雄気取り共は」

 

 

話はよく分からない。

だけど、私の尊敬する人達に対する侮蔑だという事は分かった。

 

眉を顰める。

 

そんな私を見て、ロキは鼻で笑った。

 

 

「ふっ、最も重要な事すら教えてくれない奴等を、未だに信じているのか?」

 

「……何が言いたい?何を知っている?」

 

 

思わず、そう訊いてしまった。

会話をすれば罠に引き寄せられると回避しようとしていたのに。

 

それでも、どうしても訊いてしまった。

 

また、ロキが笑った。

 

 

「ふふふ、良いだろう。良いとも。奴らが教えてくれない君の秘密について教えてやろう」

 

「…………私の、秘密」

 

「そう、君も知らない君の秘密だ」

 

 

口の中が乾く。

瞬きも忘れて、ロキの顔を見た。

 

嘲笑う訳でもなく、わざとらしい訳でもなく。

ただ、普通に……彼は笑った。

 

 

「ウォッチャー」

 

「……ウォッチャー?」

 

「そう、この地球(ほし)観測者(ウォッチャー)、ウアトゥ」

 

「…………」

 

 

ウアトゥ……全世界、全宇宙を観測する高位種族、ウォッチャーの一人だ。

彼はこの地球を観測している存在で、干渉などはしない存在……の筈だ。

 

 

「彼は20年近く前に殺害された」

 

「…………え?」

 

 

困惑する。

 

ウォッチャーは高位種族だ。

人類よりも肉体も、知性も遥かに勝る。

いつ、いかなる時も……この地球を観測し、大いなる変動が訪れた時……それを記録する役目を担っている。

 

そんなウォッチャーの一人……ウアトゥが、死んで、いや、殺された?

 

 

「………あ、りえない」

 

「それが、あり得ている。この地球(ほし)は既に観測者(ウォッチャー)達の観測から離れてしまっている」

 

 

絶句した。

どういう事だ?

 

あまりにも衝撃的な事実、そして──

 

 

「それが、何故……私に関係している?」

 

 

ロキは足の前で手を組んで、笑った。

 

 

「焦る必要はない。まぁ、最後まで聞くといい」

 

「…………」

 

 

眉を顰めて、ロキを睨む。

彼は私の視線を気にせず、口を開いた。

 

 

「ウアトゥの亡骸からは、眼がくり抜かれていた」

 

 

ロキは自身の目頭を指で叩いた。

 

 

「……眼が?」

 

 

困惑する。

そんな事をして、何の意味が──

 

いや。

 

観測者(ウォッチャー)の、眼?

 

世界の隅々から、異なる次元までも見れてしまう観測者(ウォッチャー)の眼が盗まれた?

ロキは、私と関係があると言った。

 

まさか──

 

 

「……君の中に、その片割れが眠っている」

 

 

鈍器で頭を殴られたかのような衝撃が、私の心に走った。

 

ティンカラーが、兄が話していた言葉を思い出す。

過去に、エンシェント・ワンが危険視していた記憶を呼ぶ『何か』の正体。

 

……それは、『観測者(ウォッチャー)の眼』なのか。

 

困惑して、思考を乱している私を他所にロキが口を開いた。

 

 

「さながら君は、別宇宙を観測できる望遠鏡のような存在だ」

 

「…………」

 

 

思考が乱れ、言葉を口にする事が出来ない。

 

気付かなかった。

いや、気付かないようにしていた情報が脳裏に巡る。

 

兄の語った私の過去。

エンシェント・ワンの言葉。

私の存在により、訪れる脅威の存在。

 

 

「……っ、だが、エンシェント・ワンが……封印を施した筈──

 

「だが、その封印すらも『観測者(ウォッチャー)の眼』には無意味だった。君も気付いているだろう?」

 

 

そうだ。

あの後も、私は幾度も別世界の記憶を引き出せていた。

 

この……目の前のロキの情報を引き出した所じゃないか。

 

封印、なんて……とっくに──

 

 

「既に封印は破られた。君は脅威を呼び寄せている」

 

「…………そん、な」

 

 

私が、この世界を危機に晒している?

 

……知っていた。

分かっていた。

 

なのに、気付かないフリをしていた。

 

心の奥底で、信じようとしなかった。

 

だが、今……その現実が目の前に突きつけられている。

 

 

「その力を求めて、多くの脅威がこの地球(ほし)へと誘われる」

 

「……そ、んな事は──

 

「有り得ないと思うか?いいや、有り得ない方こそ、有り得ない」

 

 

ロキが笑顔を歪め、眉尻を下げた。

 

やめろ、そんな目で……私を、見ないでくれ。

 

 

「……ミシェル・ジェーン=ワトソン。君は──

 

 

ロキは……憐れむような顔で、私を見ていた。

 

 

「生きているだけで、この世界に危機を齎す……危険な爆弾なのだ」

 

 

私は。

 

自身の胸元を。

 

爆弾のあった箇所を。

 

無意識のうちに、手で触れていた。



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#11 アイ・ウィッシュ…… part4

私はこの世界が好きだった。

だけど、嫌いだった。

 

死にたかった。

生きていたかった。

 

逃げたかった。

そこに居たかった。

 

愛している。

憎んでいる。

 

愛憎を抱いていた。

 

 

「……嘘だ」

 

 

だが、過去がどうであれ……滅んで欲しいと願った事はない。

愛している人が、好きな人達が生きている世界を……守りたいと願っていた。

 

 

「私は信じない……」

 

 

ロキの言葉を否定する。

 

彼は嘘吐きだ。

これは策略だ。

 

……だとしても、心の奥底で納得はしていた。

エンシェント・ワンが危険視する理由、なのに未だに流れ込んでくる別世界の記憶。

それが導き出す、答えに……気付いていた。

 

ロキは苦笑しつつ、足を組んだ。

 

 

「信じようと、信じまいと──

 

 

自身の顎を指で触った。

 

 

「私には君の、その力が必要なんだ」

 

「……っ!」

 

 

私は席を立った。

恐れから、後退る。

 

もし、先ほどの言葉が真実だとして……ロキは、私の記憶を使って何をするつもりだ?

いや、記憶が目的ではなく……この『観測者(ウォッチャー)の眼』が目的なのだとしたら──

 

 

「ロキ、お前の目的は──

 

「そう恐れなくていい」

 

 

ロキが指を鳴らした。

 

パチン、と音がして──

 

また椅子に座っていた。

 

 

「…………うぷっ」

 

 

目眩がした。

吐き気もだ。

 

脳が痛む……これは、マインド・ストーンによる洗脳で……脳に負荷がかかっているのか?

 

 

「私の話を聞いてからでも遅くはない。安心していい、誰も不幸にならない……Win-Win(ウィンウィン)な話さ」

 

「…………」

 

 

今の状況は万全とは言い難い。

少しでも身を、脳を休めなければならない。

 

 

「さて、君が先程訊いた質問。私の目的についてだが──

 

 

ロキは真剣な表情で、私を見た。

 

 

「運命に打ち勝つ為だ」

 

「…………?」

 

 

訝しむ。

随分と抽象的な言葉だったからだ。

 

そんな私を無視し、ロキは語る。

 

 

「私は生まれながら負け続ける事を定められている。兄上や、この世界に」

 

「……そう」

 

 

相槌を打ちながら、耳を傾ける。

傾けてしまった。

 

 

「私は敗者になるべく定められている。まるで道化のようだ。私の敗北を誰もが笑う」

 

「…………」

 

 

何が言いたいのか、何が目的なのか。

 

 

「私は悪人(ヴィラン)である事に疲れた。物語の敵役のように、負け続ける未来を打ち破りたい。善人になりたいんだ、私は」

 

「……え?」

 

 

……思わず目を瞬く。

 

 

「君と同じさ。私は過去を精算し、素晴らしき未来のために乗り越えたい。だが、世界はそれを許さない」

 

「……ロキ」

 

 

同情なんかしない。

したら、それは奴の術中だ。

 

 

「世界は私に悪人として負け続ける事を定めている。運命として」

 

「…………」

 

「私は善人になれはしない。なろうとすれば、邪魔が入る」

 

「……それは──

 

 

ロキの話している言葉の意味が分かった。

 

彼は悪人(ヴィラン)だ。

そうあれ、と願われて生まれた『キャラクター』なのだ。

だから、その在り方を替えるのは……容易な事ではない。

 

 

「私が善人になれる世界を見たい。そして、それを模倣する……私を笑うか?」

 

「……いや」

 

「だろうな。君は私を笑う事は出来ない」

 

 

何故なら、同じだからだ。

過去を清算し、善人になろうとする……私と同じなのだ。

だから、馬鹿にする事なんて出来ない。

 

だけど──

 

 

「それがもし本当なら、だけど」

 

「本当だとも」

 

 

嘘だ。

きっと、嘘だ。

 

ロキは策略、策謀、虚実、嘘の神だ。

信じてはならない。

 

 

「話が二転三転してる。私を騙そうと……している」

 

 

私は彼を睨み……彼はため息で返した。

そして、椅子から立ち上がった。

 

 

「本当なのだが……まぁいい。それなら、感情ではなく実利の話をしよう」

 

 

彼が私へと足を進める。

私もまた、椅子から立ち上がった。

 

 

「実利……?」

 

「そう、何も無料(タダ)で手伝わせる訳じゃない」

 

 

ロキが一歩足を進めて、私は一歩引いた。

背中に壁がぶつかった。

 

 

「私は何も要らない……今のままで、充分」

 

「現状維持にも対価が必要だろう?誰でも知っている法則だ」

 

 

一歩、一歩と私に近づく。

 

 

「だとしても、何も──

 

「君の中にある『観測者(ウォッチャー)の眼』、それを取り除きたくないか?」

 

 

私の頭の横で、彼は壁に手をついた。

顔が近付く。

 

 

「…………っ」

 

 

そうだ。

確かに、それさえなければ……私は安心して生きている。

両手を振って、生きてもいいと己を肯定できる。

 

ロキは笑いながら口を開いた。

 

 

「動揺しているな?」

 

「……で、もっ、お前に……眼を渡す訳には──

 

「私も欲しくなんてない。今は必要だが、いずれは不要になる」

 

「……何?」

 

 

私は眉を顰める。

ロキは頬を釣り上げた。

 

 

「私はこの世界を滅ぼしたい訳じゃない。故郷(アスガルド)地球(ミッドガルド)も」

 

「……信じられない」

 

「そうか、そうだとしても……君には魅力的な提案ではないかな?」

 

 

私の真横で壁についていた手を引き戻し、数歩離れた。

 

 

「君と私は素晴らしい友人になれる。だから、君の願いを言うんだ」

 

「……ロキ」

 

「生きていたいのだろう?誰にも迷惑をかけたくないのだろう?それなら、答えは分かっている筈だ」

 

「……でも──

 

「君に秘密を教えなかった人間達なんて気にしなくていい。彼らは君を信用しなかった。秘密にしたかったんだ」

 

「そん、な事は──

 

「ある。あるとも。世界を守るためならば、彼らは何でもする。だから、いずれ君を殺すつもりなのだ」

 

 

ロキは私の手を握った。

振り払えなかった。

 

 

「……ち、違う」

 

 

私より強い握力だからか。

それとも、私の心が弱いからか。

 

 

「君には分かる筈だ。君はもし、世界を危機に晒す人間がいればどうする?取り除こうとするだろう?」

 

「……い、いや」

 

「分かるだろう?理解しているだろう?正しいと感じただろう?」

 

「や、め……」

 

「私に協力すれば全てが解決する。悩みもなく、好きな恋人と共にいれる。さぁ、だから──

 

 

ロキの緑色の目が、輝く。

マインド・ストーンが視界に入った。

 

 

「私に、見せてくれ」

 

 

意識が曖昧になり……心の隙間に、滑り込まれた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

「……容易いものだ」

 

 

そう、呟く。

この言葉は彼女に聞こえてはいない。

 

彼女の身体能力は凄まじい。

その身に宿している『眼』の力も恐ろしい物だ。

 

だが、その精神はただの人間でしかない。

ティーンエイジャーの小娘に過ぎない。

 

 

「……さて──

 

 

私は手に持ったセプターを……マインド・ストーンを使い、私と彼女の精神を直結する。

 

彼女は内心で、私が正しいと感じた。

感じてしまった。

 

警戒する人間の魂に入り込むのは難しいが、一度でも心を開いて仕舞えば……為すがままだ。

 

だから、会話が必要だった。

無理矢理、マインド・ストーンで繋げば……彼女の精神は私を弾き出していただろう。

 

 

だが、今なら──

 

 

赤と青と緑色が、視界に映り込む。

光が闇が、反射する。

 

私は地上に存在している身体を脱ぎ捨てて、精神を入り込ませる。

 

 

 

彼女の中に。

 

 

 

暗い世界の中で、泡のように浮き立つ景色。

それは彼女の記憶だ。

 

そんな物は私には不要だ。

 

 

必要なのは──

 

 

……あった。

 

 

 

観測者(ウォッチャー)の眼』は既に物質としての姿を放棄しており、彼女の精神に溶け込んでいた。

 

 

「……これは取り除けないな」

 

 

彼女の中から持ち去る事は出来ないだろう。

無理に引き剥がせば……眼は崩れ去る。

彼女の精神も崩壊するだろう。

 

……まぁ、どうでもいい。

好き好んで無駄死にをさせる趣味はない。

 

約束を守るつもりはない。

これは彼女の問題だ。

 

兎にも角にも、私はその『眼』にかけられた封印を解く。

 

黄金色の鎖が砕ける。

既に綻んでいて、砕けるのも時間の問題だったのだろう。

 

少し早まっただけだ。

 

 

「では、借りさせてもらおう」

 

 

眼に触れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

私はカウボーイだった。

 

 

 

私は大統領だった。

 

 

 

私は悪徳業者だった。

 

 

 

私は賞金首狩りだった。

 

 

 

私は宇宙人だった。

 

 

 

私は邪悪なる神だった。

 

 

 

私は子供だった。

 

 

 

私は罪人だった。

 

 

 

私は巨大なワニだった。

 

 

 

私は──

 

 

それでも、どの世界でも兄上に打ち負けていた。

驕り昂り、負けて恥をかく。

歯を食いしばり、嘲笑を身に受ける。

 

それが私だ。

ロキだ。

 

負ける事によって、誰かを満たす悪人だ。

 

違う。

 

 

 

違う、違う違う違う違う!

そうではない世界が何処かにある筈だ!

 

 

 

彷徨う。

さすらう。

 

精神世界では時間の概念などない。

無限に等しい探索は、僅か数秒の出来事でしかない。

 

無限に並べられた物語を読む。

 

 

「……く、そっ……何だ、これは?」

 

 

途方もない量の記憶を、物語を読んだ

だけど、それでも私は悪人だった。

打ち負かされる敗者だった。

 

何事も上手くいかない。

上手く行ったと思えば、破綻する。

 

それが道化である(おまえ)の定めだ。

 

 

「違う、どこかに私が、私が──

 

 

彷徨う。

幾つもの世界を見て──

 

 

見つけた。

 

 

「あ、あるじゃないか……」

 

 

私が子供の姿で、若きヒーローと共に戦う世界が。

真に仲間と呼べる物達と共に戦い、兄上に……認め、られ。

 

 

なのに──

 

 

過去の私が、子供の私を殺した。

善人になろうとする私が、善人である子供の私を殺し……精神を乗っ取った。

 

 

「違う……そうじゃない!」

 

 

過去の私は、小さな私を殺した罪悪感に苦しんでいる。

その罪悪感の正体を、兄上に知られ……罵倒され、打ちのめされた。

 

かつて仲間だった若きヒーロー達から、二度と埋まらない溝のような隔たりを作られた。

 

 

「そうじゃない……何故だ……何故……」

 

 

何もかも、上手くいかない。

私は『ロキ』である以上、敗北する事から逃れられない。

 

 

 

「私、は──

 

 

思わず、後ずさった。

精神を後退させた。

 

 

させてしまった。

 

 

観測者(ウォッチャー)の眼』の管理を、怠った。

私にも認識できない速度で、幾千、幾万もの記憶が濁流のように飽和した。

 

 

「しまっ──

 

 

見える。

聞こえる。

だが、分からない。

 

情報が数珠結びのように、繋がっていく。

無限に続く物語が、脳に叩き込まれる。

 

何千、何万という『(ロキ)』の記憶が、私へ──

 

 

「ぐ、うっ──

 

 

 

バチン!

 

と、強い音がして、私は彼女の精神世界から吐き出された。

 

 

「はっ、はぁっ……!」

 

 

息を切らして、汗を滝のように流しながら……彼女に視線を戻した。

 

彼女は放心していた。

口を半開きにして、僅かに呼吸だけをしていた。

 

だがしかし、異常な姿だった。

目だ、目がおかしい。

 

青白く輝いていた。

目が光っていたのだ。

 

いや、あの光景は見た事がある。

過去にウアトゥを見た時に……眼を輝かせていた。

文字通り、本当に光っていたのだ。

 

それは世界を見渡す力を発揮した時に、見せた姿だ。

 

だが、確実にコントロール出来ていない。

彼女はただの人間だ。

観測者(ウォッチャー)と違い、その力を十全にコントロールする事が出来ない。

 

 

「……これは、少し拙い事になったか?」

 

 

彼女の周りが歪む。

膨大な情報量が彼女の周りの空間を歪めた。

 

記憶は『重み』だ。

膨大な量の記憶は、本来存在しない質量を与えている。

 

それを無際限に……並行世界(マルチバース)が存在する限り、それらを引き寄せる。

 

……つまり、無限という事だ。

 

無限に『重み』が与えられ続ければ……引力が生まれる。

引力は異なる世界を引き寄せて──

 

 

世界同士の衝突(インカージョン)が……起きてしまう……」

 

 

異なる世界同士が衝突し、全てが崩壊する。

 

……それは少しだけ、愉快に思えた。

何も上手く行かないのであれば滅んでしまえば良いと、そう思った。

 

 

しかし、そう思ったのは一瞬だ。

 

 

私はセプターを構えた。

 

 

「……すまないな。こうするしかない」

 

 

その先端を槍の穂先とする。

これで彼女の……心臓を貫く。

 

暴走してしまった『観測者(ウォッチャー)の眼』を塞ぐ事は私に出来ない。

この記憶の本流を今すぐに止めなければと、そう思った。

 

彼女を殺す。

それしか道はない。

 

 

「……殺すつもりはなかった。だから、謝罪はしよう」

 

 

いや、言葉にしながらも……恨まれるだろうと分かっていた。

私だって、こんな事はしたくない。

 

だが、私は変われない。

この姿から、何も変わらない。

私はまだ悪人のままだった。

 

 

セプターを引き、彼女に、突き刺そうと──

 

 

火花のような音が聞こえた。

そちらに視線を向けると、

 

光の、輪が……宙に浮かんでいた。

 

 

「……何だ?」

 

 

それはまるで、別の空間に繋がっているようで──

 

 

 

瞬間、顔面に何かが……見覚えのある『ハンマー』が直撃した。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

あらゆる物が見えた。

あらゆる世界が見えた。

あらゆる物語が見えた。

 

それらは私の脳のキャパシティを超えて、莫大な情報量が脳を焼く。

 

やめて。

もう見たくない。

 

なのに、無理矢理に眼を開かされて、見させられる。

 

私がコップだとしたら、水はとうに溢れていた。

なのに、そこに水が注ぎ込まれ続けている。

 

溢れる。

溢れる。

 

元あった水を必死に溢れないように、耐えて。

耐えて、耐えて、耐えて。

 

もう限界だと、何度も思って。

 

それでも、耐えて。

 

 

そして──

 

 

 

 

 

「戻ってこい。君の居場所は此処だろう?」

 

 

 

 

金色の光が、私の視線を遮る。

あまりにも眩しくて、目が眩み……そして、物語は見えなくなった。

 

眩んだ目が、次に見せたのは……現実だった。

赤いマントを着た、魔術師。

 

 

「ドク、ター……ストレンジ?」

 

 

ドクター・ストレンジだ。

先程までの状況が何だったかは分からない。

私はまだ混乱していて、酷く頭が痛む。

 

 

「そうだ。見えるか?指は何本だ?」

 

 

ストレンジが私の目の前で、手を開いた。

 

 

「……3本?」

 

「よし、見えているな」

 

 

ストレンジのもう片方の手を見る。

そこには、金色の石……マインド・ストーンが握られていた。

 

少しずつ、現状を理解し始める。

私がどうなっていたのか、何が起こったのか。

 

 

「……っ、ロキ、は!?」

 

 

周りを見渡すと、ロキは顔面を抑えて蹲っていた。

そして、それと相対しているのは──

 

 

「流石に度が過ぎているぞ。ロキ」

 

 

赤いマントに、銀色の鎧。

筋肉質な身体の美丈夫。

 

その手にはハンマー……『ムジョルニア』。

 

 

「……ソー?」

 

 

ロキの兄、雷神、ソーだ。

アスガルドの王子にして、キャプテン・アメリカ、アイアンマンと並ぶアベンジャーズのBIG3。

 

そんな彼が、ここに居た。

 

 

「ぐ、ぅ、兄上……随分な登場だな」

 

 

ロキは鼻を抑えて……ボキリ、と鳴らした。

そして、口から血を吐く。

 

痛みに悶えながらも、不可解そうな顔でソーを見た。

 

 

「兄上、どうしてここが分かった?」

 

「それは私が説明してやろう、ロキ」

 

 

ドクターが私の側から立ち上がる。

その顔は……酷く、不機嫌そうだった。

 

ロキはそんなドクターを不愉快そうに見た。

 

 

「何だ、魔術師(メイガス)か?」

 

「違う、医者(ドクター)だ」

 

 

視線がぶつかる。

 

 

「このニューヨークは聖域(サンクタム)によって結界が貼られている。お前が彼女の封印を破り、別次元への干渉を始めた瞬間に……気付いていたとも」

 

「……厄介な」

 

 

ロキの手に、杖は握られていない。

よく見ると……足元に折れた杖、セプターがあった。

 

ソーのムジョルニアによってへし折られたのか……その先端にあったマインド・ストーンはストレンジが持っている。

 

私は自身の胸元を撫でる。

先程の情報の奔流は『観測者(ウォッチャー)の眼』が原因か?

だとすれば、今は……ストレンジが再度、封印したのだろうか?

彼の師匠であるエンシェント・ワンが可能だったのだから、彼に出来ても不思議ではない。

 

 

ソーが手に持ったハンマー、『ムジョルニア』を構えた。

 

 

「呆れて何も言えん。世界を滅ぼそうと画策するなど──

 

「違う。兄上……それは誤解だ」

 

 

ロキが動揺しながら、後退る。

その目は揺れていた。

 

……見た事のある目だ。

どこで見たか……。

 

 

「嘘は不要だ」

 

「私はっ、そんな事をするために……こんな」

 

 

あぁ、分かった。

鏡だ。

 

過去に鏡で見た。

誰かに失望される事を恐れる目だ。

 

ロキは自身の兄であるソーに失望される事を恐れているのだ。

 

しかし、それにソーは気付いていない。

 

 

「……もう、何も言うまい。アスガルドの牢獄で、永遠に反省するがいい」

 

「兄上……!」

 

 

ロキの手に、いつの間にか短剣(ダガー)が握られていた。

それを振りかぶり……短い動作で、投擲した。

 

それをソーは──

 

 

「ふん!」

 

 

ムジョルニアを回転させ、弾いた。

凄まじい風が発生して、思わず私は目を瞑った。

 

そして、開いた瞬間には──

 

 

ソーはロキに肉薄していた。

そのまま、筋肉の付いた太い腕で……ロキの頭を掴み、床へ叩き付けた。

 

 

「があっ!?」

 

「今回は流石に頭に来たぞ」

 

 

メキメキと、木の板で出来た床が砕ける。

ロキは苦しそうに呻き、声を掠れさせた。

その様子を見て、ソーは更に眉を顰めた。

 

 

「先日、俺に対して話した言葉も嘘だったという訳だ」

 

「……ち、違っ──

 

「善人になると、相応しき者になると語ったではなないか」

 

 

ムジョルニアをロキの身体に置いた。

それだけで、ロキは悶絶するような顔をした。

 

ムジョルニアは高潔な魂を持つ者にしか持てない武器だ。

ロキからすれば、決して退ける事の出来ない重りを乗せられているような物だ。

 

 

「ロキ、それがどうした?地上で少女を誑かし、世界を滅ぼそうなど──

 

「違う、兄上……わ、私は本当に──

 

「お前の嘘はもう聞き飽きた!弟と言えど、許せん事はある!」

 

 

ロキは歯を食いしばり、苦悶の声をあげた。

 

嘘吐きな悪人にふさわしい、無様な姿だと……道化のようだと、嘲笑うべきなのか。

 

 

違う。

笑えない。

 

笑ってはならない。

笑わせたくなかった。

 

 

「違う……」

 

 

声が漏れて……ストレンジが私を見た。

ソーが私を一瞥した。

ロキが信じられないような者を見る目で、私を見た。

 

 

「……ソー・オーディンソン」

 

「何だ?」

 

 

ソーは眉を顰めて、私を見た。

兄弟間に入ってくるな、と言いたいのだろうか。

 

だが、それでも──

 

 

「ロキの、話している事はきっと……本当の事、だから……」

 

 

私は庇わなければならなかった。

ロキが悪人だとしても、その『善人になろうとする意志』を否定して欲しくなかった。

 

 

「何故分かる?ロキは大嘘吐きだ。俺は過去に何度も騙されている」

 

「そうだとしても……身から出た錆だとしても……信じて、あげて欲しい」

 

 

ロキが縋るような目から……私を訝しむような顔をした。

何故、私が自分を庇うのか分からないのだろう。

 

 

「……もう一度、騙されろと言うのか?」

 

「ううん、もう一度、信じて欲しいだけ」

 

 

私がそう言うと、ソーは腕を組み……悩むような仕草をした。

私はまた、口を開く。

 

 

「私はさっき、ロキと……精神で繋がったから、分かる。彼の願いは本物で……こう、なってしまったのは、偶然」

 

「偶然?」

 

「悪気は……ないとは言えないけれど、ほんの少しだけ」

 

 

私の心に僅かに残っている、ロキの残留思念。

褒められたい、崇められたいという自己顕示欲。

そして、何よりも自身の兄に……認められたいと、願うその心。

 

その気持ちは分かる。

高潔でないとしても、邪悪ではない。

人並みの願いだ。

 

 

「だから──

 

 

私が声を振り絞り……瞬間、酷い頭痛がした。

 

 

「く、うっ」

 

 

吐き気、疲弊、昏倒しそうだ。

マインド・ストーンによる脳の負荷と、観測者(ウォッチャー)の眼による脳の疲労。

二つが合わさり、私のバイタルは最低値になっている。

 

 

「……君は──

 

 

ロキが困惑したまま、私に声を掛ける。

 

 

「何故だ?何故、私を信じようとする……殺そうとしたんだぞ?」

 

 

彼の言葉に、ソーもストレンジも顔を顰めた。

 

そうか……彼は私を殺そうとしたのか。

 

きっと、『観測者(ウォッチャー)の眼』を暴走させた私を止めるためだ。

それは……理解できる。

私も、その瞬間が目の前で起きれば殺していただろう。

 

そういう意味でも──

 

 

「似てると、思ったから……」

 

 

私の言葉に、ソーが眉を顰めた。

 

 

「……似ているだと?君と、弟が?」

 

 

私は首を縦に振る。

 

 

「私には他人事とは思えないから……うぷっ」

 

 

頭がくらくらとして、疲弊が限界になった私はバランスを崩して倒れた。

慌てて、ストレンジが私を抱き止めた。

 

 

「ごめんなさ、い……ストレンジ……」

 

「無理はするな……」

 

「でも……」

 

 

私が渋ると、ソーが深く息を吐いた。

そして、ロキに乗せていたムジョルニアを持ち上げた。

 

 

「良いだろう。彼女に免じて、もう一度だけ信じてやる」

 

「兄上……」

 

「だが、これで最後だ」

 

 

ソーがロキの肩を掴んで、無理矢理立ち上がらせた。

数歩よろけて、戦闘の余波で壊れた机に背中をぶつけた。

 

 

「そして、幾つか訊きたい事もある。あの杖の事もだ。だから、アスガルドには帰って来てもらうぞ」

 

「……う、ぐ……仕方、あるまい」

 

 

ロキは苦悶の表情を浮かべながらも、どこか嬉しそうに頬を緩めた。

項垂れて椅子に座ったロキから、ソーは視線を外し……私に目を向けた。

 

そして、歩み寄り──

 

 

「感謝しよう」

 

 

礼を言った。

ストレンジの腕の中で横たわりながら、私は疑問を口にする。

 

 

「……感謝?」

 

「アレでも俺の弟だ。君の言葉がなければ信じる事など出来なかった」

 

「そんな、事は……」

 

「感謝は素直に受け取っておくべきだ。俺も……もう少し、アイツを信じてみよう」

 

 

大きな手で、私の頭を乱暴に撫でた。

髪の毛がぐちゃぐちゃになった。

 

ソーはそのまま、ロキの肩を掴み……ムジョルニアを天に向けた。

 

その姿を見たストレンジが口を開いた。

 

 

「帰るのか?」

 

「そうだ。お前にも礼を言っておこう、魔術師(メイガス)よ」

 

「……ドクター・ストレンジだ」

 

「そうか。では、その杖の管理は任せる。さらばだ、医者(ドクター)

 

 

ソーが再度、ムジョルニアを天に向けると──

 

 

大きな音がして、ソーとロキの身体を……頭上から虹が貫いた。

そのまま光は轟音を伴い……消失した時、その場にソーとロキは居なかった。

……彼らはアスガルドへ帰ったのだろう。

 

にしても──

 

 

「全く、迷惑な神様どもだ」

 

 

ストレンジが吐き捨てた。

 

 

虹の架け橋は頭上から落ちて来た。

つまり、私達が居た建物の天井をぶち壊してしまった。

 

焼け焦げた木屑が砕けた床に降り注ぎ、焦げた匂いが鼻に染みた。

 

 

「……ストレンジ」

 

「何だ?」

 

「私が生きていれば、この世界を滅ぼすかも知れないって……本当?」

 

 

ロキの言葉を思い出し、ストレンジに訊く。

 

私はロキの言葉を疑ってはいない。

もう、既に確信している。

 

私という存在の危険性を。

 

 

ストレンジは少し目を閉じてから、私を見た。

 

 

「本当だ。君の中にある『観測者(ウォッチャー)の眼』は、この世界に脅威を引き寄せる」

 

「……そ、っか」

 

 

私は目を閉じる。

 

私は、この世界が好きだ。

好きになった。

 

物語としてだけじゃない。

この世界に生きる人間として、友人と、恋人と、尊敬する人達と出会えた。

 

……だから、私が生きている事で、もし──

 

 

「だが、それがどうした?」

 

「……え?」

 

 

ストレンジは深刻そうな顔もせず、私の言葉を笑った。

思わず、訊き返す。

 

 

「だって、私が生きていると世界に危機が──

 

「それは君が居ても、居なくても大して変わりはない」

 

 

抱き抱えられたまま、会話を続ける。

ストレンジは……危険性(リスク)を避けたがる人間の筈だ。

なのに、何故──

 

 

「ミシェル・ジェーン……あぁ、あとワトソンだったな。君の懸念は分かる」

 

「だったら、何で……」

 

「何もなくとも、この地球(ほし)はいつも危機に晒されている」

 

 

ストレンジがマントを……浮遊マントで私を包んだ。

ハンモックのような寝心地だ。

 

そして、指を立てた。

 

 

「宇宙人、異界からの侵略者、邪悪な魔術師、悪戯の神、悪い天才科学者、巨人、ドラゴン……それらの脅威は君と関係なく訪れた」

 

「…………」

 

「だが、この世界は滅んだか?」

 

 

ストレンジは地面を指差した。

 

 

「滅んでなどいない。危機を退ける者達が居たからだ」

 

 

彼が指を弾くと、金色の光が人形を作り出した。

私が敬愛するヒーロー達の姿だ。

 

 

「世界の危機なんて、そうそう騒ぐ事ではない。その為に私達がいる」

 

「……ストレンジ」

 

 

私の存在を肯定する言葉に、思わず涙が溢れた。

生きていいのだと、そう肯定してくれる。

 

 

「君は自分の存在によって訪れる危機を危険視している。それは正しい。だが、君の死を誰が望む?」

 

 

ストレンジが首を振った。

 

 

「だから、君に必要なのは死の覚悟じゃない。生きて明日を迎える為に戦う覚悟だ」

 

 

ストレンジが笑った。

 

 

「……ありがとう」

 

「患者のメンタルケアも医者の仕事だ」

 

 

捻くれた返答に私は苦笑して……浮遊マントに身を任せた。

ゆらり、ゆらりと揺れている。

 

まるで揺籠のようだと……私は、意識を手放した。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

すやすやと寝息を立てる少女をマントに乗せて、私はスリングリングで門を作り出した。

行き先は、アベンジャーズタワーの医務室だ。

 

 

「次から次へと厄介事がやってくるな」

 

 

一人、そう悪態を吐きながら彼女をベッドに転がした。

後でニック・フューリーに連絡しておかなければならないな。

 

私は手に握っているマインド・ストーンを光に翳す。

物質そのものが光を放ち、瞬く。

 

 

ミシェル・ジェーン=ワトソン。

彼女の中に存在する『観測者(ウォッチャー)の眼』……その再封印は完了した。

私一人では困難だったが、運の良い事にマインド・ストーンがあった。

 

私の魔術師としての技能と、マインド・ストーンの力。

それらが合わさる事で、封印出来たのだ。

 

たった一人で封印を施した師の技量には驚くばかりだが。

 

まぁ、いい。

 

 

「しかし、世界の脅威か」

 

 

私は自分の力だけで、如何なる脅威も跳ね除ける事ができるとは思っていない。

そこまで自惚れてはいない。

 

観測者(ウォッチャー)の眼』について知っているのは私と……ニック・フューリーぐらいだ。

いや、キャプテンとトニー・スタークも何とは知らなくとも、彼女の危険性ぐらいは知っているか。

 

 

私はベッドに横たわり、寝息をたてる少女を見た。

 

観測者(ウォッチャー)の眼』の封印は、不完全だ。

正確には、完全な封印など不可能という話なのだが。

 

アレは内からも、外からも異界に干渉する。

私が封印を外からかけたとして、いずれ干渉されて強引に紐解かれる。

 

 

「……それに──

 

 

今回のように、誰かの手によって封印が解かれる危険性もある。

 

彼女の言った通り、我が師の言葉の通り、彼女を生かしておく事は危険なのだ。

 

 

「だが、それでも……」

 

 

彼女は、生きたいと願った。

やっとだ。

やっと生きたいと願えるようになった。

 

人並みの願いだ。

私が助けてきた患者も抱いていた、普遍的で原始的な願い。

 

だが、だからこそ。

 

彼女がやっと、それを口に出来た事を私は喜んでいた。

 

 

「彼もよくやっている」

 

 

脳裏に浮かぶのはピーター・パーカーの顔だ。

彼女の恋人として、随分、彼女の在り方に干渉している。

より良い方にだ。

 

私はスリングリングの光から、小さな箱を取り出す。

その箱を開けて、手元にあるマインド・ストーンを入れた。

 

瞬間、独りでに箱が動き、カシャカシャと音を立てて表面の模様を動かした。

魔術的な施錠だ。

破る事は困難、手当たり次第では絶対に解けない。

 

それをまた、光の中に収納する。

収納先はサンクタムの中だ。

 

 

「さて、と……」

 

 

見下ろす。

幸せそうな顔で眠る少女の姿を。

 

せめて、夢の中ぐらい心配もなく、安心して寝ていて欲しい。

私はそう、願わずにはいられなかった。

 

 

 

……しかし。

 

 

「何故、ロキがマインド・ストーンを持っていたんだ?」

 

 

顎に手を当てて、医務室の椅子に座る。

 

 

「何故、彼女の持つ『観測者(ウォッチャー)の眼』の存在を知っていたんだ?」

 

 

……分からない。

だが、彼女の呼び寄せた脅威が……迫って来ている事に、私は気付いた。

 

だが、後悔はない。

彼女を生かした事を、反省などしない。

 

少女を生贄に捧げなければ世界が滅ぶのなら、それは少女ではなく世界が悪い。

 

 

「……フューリーに相談するか」

 

 

力がいる。

仲間がいる。

 

強大な敵に打ち勝つ、暗闇を照らす希望の光が。




次回、『ノー・ノーマル』
普通では、いられない。


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#12 ノー・ノーマル part1

「デカいな」

 

「あぁ、デカい」

 

 

ソーが呆れた声を出して、キャプテンが頷いた。

 

目の前には巨大な怪物。

荒廃した大地を前に、ワニとヘビとカニとイカを足して割らなかったようなバケモノが迫っていた。

 

ソーが手を宙に翳すと、ハンマーが空を切って飛来した。

そして、それを握りしめる。

 

キャプテンも盾を構えて──

 

後方からジェット音。

アイアンマンの登場だ。

 

アベンジャーズが集合した(アッセンブル)

 

 

「何か作戦はあるか?」

 

 

キャプテンが訊いた。

 

 

「いいや、君の方こそ」

 

 

アイアンマンがそう言った。

 

 

「真っ直ぐ行ってブン殴れば良い」

 

 

ソーがそう言った。

 

 

「そう、その通りよ」

 

 

……あれ?

三人じゃなかった?

 

ううん、もう一人、凄い奴を忘れているわ。

 

 

「まずは私に任せて」

 

 

自由自在に宙を飛ぶ、スーパーパワーを持った金髪の美女!

赤と紺色のスーツに星のマーク。

そう、『キャプテン・マーベル』だ。

 

彼女はそのまま、巨大な怪物に向かってエネルギーブラストを放つ。

 

 

「これでも喰らいなさい!」

 

 

エネルギーは光の弾丸になって、怪物を貫いて──

 

 

 

 

 

「カマラ、ご飯できたわよ」

 

 

 

そのまま光は壁に直撃して、廃墟となったビルを──

 

 

 

「カマラ?」

 

「ま、待って!待ってよ、母さん(アミ)!」

 

 

話は中断。

パソコンから目を離して……ほら、横を見る。

 

壁中に貼られたヒーローのポスター。

アイアンマン、キャプテン・アメリカ、ソー、ハルク……そして、キャプテン・マーベル。

 

私の大好きなヒーロー達だ。

 

それで更に視線を横に……ドアの前で神経質そうな顔をしている母さん(アミ)が居た。

 

 

「何か用事なの?」

 

「私の投稿した二次創作(ファン・フィクション)の読者が1000人を突破する所なの!」

 

「……良く分からないけど、それって家族揃っての食事より大切な事なの?」

 

 

母さん(アミ)の言葉に眉尻を下げる。

 

 

「……ううん、別に?」

 

 

そして、私は首を横に振った。

 

 

「そう。なら、良かったわ。早く降りて来なさいよ?」

 

「……はーい、母さん(アミ)

 

 

私は勉強椅子から降りて、パソコンのモニターを切った。

 

 

私の名前は、カマラ。

カマラ・カーン。

ニュージャージー州生まれ、在住の……パキスタン系の移民二世だ。

 

机の上の料理を囲んで、父さん(アブー)が私を一瞥した。

 

 

「随分と遅かったな」

 

「色々あって」

 

「色々か」

 

「そう、色々ね」

 

 

私が椅子に座ると、母さん(アミ)も椅子に座った。

食前の祈りを捧げて、夕食を口にする。

 

……言うなら、今かな。

父さん(アブー)に視線を向けた。

 

 

「ねぇ、父さん(アブー)

 

「ん?」

 

「来週、遠出しても良い?」

 

 

父さん(アブー)が私を見た。

 

 

「何の話だ?」

 

「来週、アベンジャーズ・コンがあるの。ニューヨークで」

 

「ふーん、良いじゃないか。誰と行くんだ?」

 

「ブルーノ」

 

「そうか。18時までには帰って来るんだぞ」

 

 

うっ、やっぱり。

 

 

「でも、アベンジャーズコンは……えっと、17時からで……だから」

 

「それは良くないな」

 

 

父さん(アブー)が眉を顰めた。

私も負けじと眉を顰める。

 

そこに、母さん(アミ)が口出ししてくる。

 

 

「そんなのダメよ。恐ろしい」

 

母さん(アミ)、私もう16歳なんだよ?大人だし、バカな事はしないから」

 

「だからこそだ」

 

 

父さん(アブー)がそう言った。

……全く、嫌になる。

 

ウチは厳しすぎる。

 

 

「今回は諦めなさい」

 

 

今回は?

今回も、でしょ。

 

母さん(アミ)が思い付いたように、そう言った。

 

 

「そうだ、ブルーノを家に呼んで一緒に宿題でもすれば良いんじゃない?」

 

「退屈で死にそう」

 

「そう簡単に人は死なないわよ」

 

「どうだか」

 

 

悪態を吐いて、食事を口に挟んだ。

全くもって、本当に……。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

「って事で、ダメだってさ」

 

「マジかよ。まぁ仕方ないよな」

 

 

目の前で親友のブルーノ・カレッリが腕を組んで頷いた。

ここは近所、彼の部屋だ。

 

時間は勿論、真昼間。

ウチは門限が厳しいからね。

 

 

「最近、本当に良いことがないなぁ」

 

 

私はブルーノのベッドに寝転がる。

 

 

「病院沙汰もあったしな」

 

「アレ私、悪くないのにさ。余計に母さん(アミ)が過保護になっちゃった」

 

 

記憶を反芻する。

先週、家に近所で歩いてたら変な霧を吸って……気絶しちゃった。

科学ガスをばら撒くテロだとか何とか、怖い話だ。

 

それから、私の体の調子が変になった。

悪い意味じゃなくて、良い意味で。

 

私は手を伸ばして、本棚にあるコミックを手に取った。

 

 

「……なぁ、やっぱり言った方が良いんじゃないか?」

 

「何を?」

 

 

私はコミックを開きながら、首を傾げた。

 

 

「パワーの事だよ。カマラの母さんや父さんに相談するべきだろ」

 

 

本棚と私の距離は2メートル程離れていた。

にも関わらず、その場から動かずコミックを手に取った。

 

それは何故か?

どうして?

 

 

「……だって、心配させたくないし」

 

 

腕が伸びたからだ。

粘土かスライムみたいに、私の腕が伸びたのだ。

 

 

「まぁ、これが知られると、多分相当ショック受けるだろうけどさ」

 

 

ブルーノが頬を掻いた。

 

あの変な霧を吸ってから、私は身体の形を自由自在に変えられるようになった。

訳が分からない。

 

足を伸ばせば100メートルを10秒で走れるし、手を大きくすれば大きなタイヤだって軽々持てた。

 

スーパーパワーだ。

大した事だ。

 

でも、てんでダメ。

だって私だもん。

 

銃を持った悪人は怖いし、目立つのだって嫌だ。

 

ヒーローになりたいかって?

そりゃあ、なりたいよ。

 

でも、そんな勇気は私にはない。

どうせ恥をかくだけ。

 

私が黙ってパワーを隠していれば、それで毎日がいつも通り。

愛しい母さん(アミ)父さん(アブー)、無職の兄、幸せな家族だ。

ちょっと厳しすぎると思うけど、これも心配してくれてるって証だし。

 

 

「自分以外の何者かにはなりたいけど、今の生活を手放したい訳じゃないし」

 

「何だそれ、新しいヒップホップの歌詞?」

 

「そう思えるなら、私は作詞の才能があるかもね」

 

 

私はベッドからはみ出した足を揺らした。

 

 

「そう。そんな事より、アベンジャーズコンだよ!」

 

「うわっ、まだ諦めてなかったのか?」

 

「諦められる訳ないじゃん!良いなぁ、行きたいなぁ。コスプレだってしたいし」

 

 

私はベッドで腕をバタバタとさせる。

こっそり、大好きなヒーロー、キャプテン・マーベルのコスチュームも作ったのに!

参加すら出来ないなんて、本当にあんまりだ。

 

 

「でも無理なんだろ?カマラの父さんや母さんが許可しない。黙って行ったら大目玉だぞ」

 

「……それだ!ブルーノ、そうだよ」

 

 

私は名案だと、手を叩いた。

 

 

「え?何が?何が名案だ?」

 

「黙って行ったら良いじゃん!このパワー使ったら、部屋がある2階からだって抜け出せる!」

 

「……うぇ」

 

 

ブルーノが物凄く顔を顰めた。

でも、私は気にしない。

 

 

「で?抜け出してどうするんだよ」

 

「バスに乗ってニューヨークまで!コスプレ用のコスチュームはブルーノが持ってきてよ」

 

「え?俺が?というか手伝う事が確定してんの?」

 

 

ブルーノがそれはもう、本当に嫌そうな顔をした。

 

 

「え?良いじゃん、手伝ってよ。一緒に行こうよ、アベンジャーズコン」

 

「……あー、いやでも、カマラの父さんと母さんに悪いし」

 

「お願いだから、ね?」

 

「嫌だ」

 

「お願い!」

 

「…………」

 

 

私が手を組んで頼み込むと……一瞬、ブルーノは変な顔をして目を伏せた。

 

 

「あーもう、分かったよ。俺も手伝う」

 

「やった!ありがとう、ブルーノ!大好き!」

 

「……はぁ、俺も俺のことが大好きだよ」

 

 

ブルーノがため息を吐いた。

 

昔っからブルーノは押しに弱い。

私が強く頼み込むと、何でもやってくれる。

これも友情がなせる技だ。

 

……いや、まぁ、貰いっぱなしは良くないし、適度に恩は返してるつもりなんだけどね。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

で、アベンジャーズコン当日。

 

今日は早寝するねって嘘を吐いて、自室に直行。

パジャマじゃなくて、外行きの服を着て……こっそり、部屋の窓から飛び降りた。

 

二階からだ。

普通なら怪我をするけれど、私は足を伸ばして……手早く着地した。

スーパーパワーを親の目を盗んで外出するのに使うって……私が始めてじゃないだろうか?

 

 

「カマラ、調子はどう?」

 

「そこそこかな」

 

 

標識の前で待ち合わせていたブルーノと合流する。

で、バスに乗る。

 

今の所、作戦通り。

イッツ・パーフェクト。

 

バスに揺られながら、隣に座ってるブルーノに話しかける。

 

 

「で、コスチュームは持ってきてくれた?」

 

「もちろん。リュックの中だ」

 

 

さよなら、ニュージャージー。

初めまして、ニューヨーク。

 

バスから降りた私達は……光り輝く、特設会場に着いた。

 

 

「すっご……」

 

「確かに。思ってたより大きな規模なんだな、アベンジャーズコン」

 

 

まるで移動式の遊園地だ。

各パビリオンには、著名なヒーローを題材にしたアトラクションが設置されてる。

デカいハルクの像が視界に映った。

多分きっと、等身大だ。

 

 

「ほ、ほら!早く行こ、ブルーノ」

 

「待て待て待て、何か大事な事を忘れてないか?」

 

 

ブルーノが芝居がかった話し方をする。

何だ、ブルーノも結構、テンション上がってるじゃん。

 

 

「あ、コスチューム!」

 

「早く着替えて来なよ、待ってるからさ」

 

「うん、ありがとう!ブルーノ!」

 

 

ブルーノから荷物を受け取って、浮かれた気分で更衣室に入る。

着ていた服を脱いで、ロッカーに入れる。

 

そして……私は赤と紺色の合成皮革で出来たコスチュームを着た。

そう、キャプテン・マーベルのコスチュームだ。

 

ついでにマスクもある。

ブルーノがモヒカンにLEDを入れてくれたから、光るギミック付きだ。

 

 

鏡を前に色んな角度を取ってみる。

うん、ばっちり!

完璧なコスチュームだ──

 

 

 

 

ひそひそと、更衣室内で声が聞こえた。

 

私を指差して、同じキャプテン・マーベルに似せたコスチュームを着た……金髪の女性だ。

もう一人は彼女の友人だろうか。

そして、小さな笑い声。

 

嫌な感じ。

無視しようと思ったけど、耳に聞こえた。

 

 

「コスチュームは良いけど、ね」

 

「肌の色も違うし」

 

 

思わず、足を止めそうになった。

だけど、それでも足を止めず……更衣室を出た。

 

少し、歩いて……ブルーノと合流せず、壁にもたれ掛かって……しゃがみ込んだ。

マスクを外して、素顔を晒す。

 

酷い気分だ。

 

悲しくないし、気にしてないのに、目が潤む。

こんな顔、ブルーノには見せられない。

 

落ち着け、落ち着くんだ、私。

 

 

……似てない?

そんなの知ってる。

 

私とキャプテン・マーベルは似てない。

肌の色も、髪の色も、目の色も違う。

だけど、容姿だけじゃない。

勇気がある訳じゃないし、打たれ弱いし。

 

最近、ちょっとしたスーパーパワーを手に入れたけど……何も変わってない。

 

私は普通の……ううん、ちょっと空想癖の強い女の子だ。

 

膝を抱える。

折角、楽しい所に来たんだ。

楽しまないと。

 

そう思えば思うほど、身体は逆に強張って──

 

私は──

 

 

 

 

 

 

「大丈夫?」

 

 

声を掛けられた。

顔を上げる。

 

私とは正反対の容姿をして……色白のプラチナブロンドの女の子が立っていた。

 

短パンに、ニーハイソックス。

上のシャツは……アイアンマンの顔が大きく印刷された安物のシャツを着ていた。

すっごい、チグハグな見た目だ。

 

私はそれに驚いて涙が引っ込んだ。

凄い美人な女の子が、私に手を伸ばした。

 

 

「……立てる?」

 

「う、うん」

 

 

そのまま引っ張られて立ち上がると……私より身長が少し小さかった。

……年齢は私と同じぐらい、16歳ぐらいだろうか?

 

どこかのパビリオンのモデルさんかな?

って一瞬、思ったけど……私を引っ張った手の逆の方に紙袋が握られていた。

注視してみると……キャプテン・アメリカや、アイアンマンの新品のフィギュアが入っていた。

 

察する。

この人も、アベンジャーズのファンだ。

私と同じ、客なのだと。

 

 

「何かあったの?」

 

「え?いや、そういう訳じゃないけど……」

 

 

ショックを受けていた理由なんて、恥ずかしくて言えそうにない。

 

……でも、すっごくタイミングが悪い事に、あの二人組が私達の前を通った。

小馬鹿にするように私を見て笑って……思わず、拳を握りしめた。

 

そして、そんな私の様子を見て、彼女は分かってしまったらしい。

 

 

「大丈夫、そのスーツは似合ってる」

 

「……慰めようとしてくれてる?」

 

「それもあるけど、これは本音」

 

 

彼女は仄かに笑った。

……思わす見惚れてしまった。

 

だけど、私は首を横に振る。

 

 

「でも、キャプテン・マーベルには似てないって」

 

「……確かに、キャロ……キャプテン・マーベルには似てないかも」

 

 

ほら、やっぱり。

適当に慰めてくれてるだけで──

 

 

「それでも、貴女自身には似合ってる」

 

「……私、自身に?」

 

 

思わず、首を傾げた。

 

 

「うん、凄くヒーローらしくて」

 

「……私はヒーローになれないよ」

 

 

初対面の人間が慰めてくれているのに、私は否定してしまった。

すごく、情けない気分だ。

 

……それに、失礼な事を言っちゃった。

さっきの言葉を取り消そうと口を開いて──

 

 

「私の尊敬する人が言ってた事がある」

 

「…………え?」

 

「誰だってヒーローになれるって」

 

 

コバルトブルーの瞳と、私の視線が衝突する。

赤や青にカラフルに輝く照明に負けず、綺麗な青色をしていた。

 

彼女がまた、口を開いた。

 

 

「肌の色も髪の色も……人種も性別も、年齢だって関係ない。誰かを救えたら、それだけで、その人にとってのヒーローだから」

 

 

その言葉はひび割れた心に深く染み渡った。

思わず、頬を緩めた。

 

 

「……それ、誰が言ってたの?」

 

「キャップ……キャプテン・アメリカ」

 

「うわっ、確かに。すっごく言いそう」

 

 

思わず笑うと、目の前の少女も頬を緩めた。

良い人だ。

それに、趣味も合いそう。

 

 

「うん、もう大丈夫?」

 

「大丈夫、ありがとう」

 

「どういたしまして。それじゃあ──

 

 

彼女が一歩、後ろに引いて……私から離れようとした。

 

本当に通り過がりで、ちょっとした小さな出会いだ。

だけど、私は思わず──

 

 

「ま、待って!」

 

 

呼び止めてしまった。

迷惑になるかも知れないのに。

 

少女は足を止めて、私へ振り返った。

 

 

「えっと、何?」

 

「い、一緒に──

 

 

私の中の小さな勇気を、振り絞る。

コスチュームの裾を手で握る。

 

 

「一緒に、周らない?……よ、良かったらだけど」

 

 

か細く、本当に小さな声で言った。

少女は少し驚いたような顔をして、目を瞬いて……頬を緩めて、頷いた。

 

 

「うん、いいよ。私、今日は一人だから」

 

「あ、えっと、ありがとう」

 

「別に、感謝される事じゃない」

 

「あ、えっと、じゃあ──

 

 

ふと、私は気付いた。

まだ名前を聞いてない。

 

 

「えーっと、名前!名前教えて?」

 

 

私が訊くと、プラチナブロンドの少女が口を開いた。

 

 

「ミシェル・ジェーン=ワトソン……ミシェルって呼んで欲しい」

 

「あ、えっと、よろしく!ミシェル!」

 

 

私が手を伸ばすと、握り返してくれた。

柔らかくて滑らかな肌だ。

 

強く握ったら折れちゃうんじゃないかと、思えるほど繊細。

 

彼女の手から視線を外して、顔を見ると……訝しむような顔をしていた。

 

慌てて手を離す。

うわ、私の悪い癖だ。

集中すると周りが見えなくなる。

 

自己嫌悪してると、ミシェルが口を開いた。

 

 

「それで、貴女の名前は?」

 

「私?私は……カマラ。カマラ・カーンだよ」

 

 

そう、私の名前を告げると……ミシェルが固まった。

顔を強張らせた。

 

 

「……え?カマラ?」

 

「う、うん。カマラだけど?」

 

「……へ、へぇ。そう」

 

 

ミシェルが自分の顔に手を当てた。

……何だか、ショックを受けてる様子だ。

 

私の名前が気に食わなかったのだろうか?

いや、まだちょっとしか話してないけど、そんな人じゃないと思うけど。

 

そして、ミシェルが目を細めた。

 

 

「さっきは偉そうな事を言って、ごめん」

 

「え?えっ?気にしてないけど……寧ろ、嬉しかったぐらいだから!」

 

 

急にそんな事を言うのだから、私は首を振った。

ちょっと変な……というか、こう、抜けてる所がある人みたい。

そう思えると、やっぱりちょっと私に似てるかも、なんて考えて親近感が湧いて来た。

 

しかし、何かを忘れているような気が──

 

 

「あ、ブルーノ!」

 

「ブルーノ?」

 

「友達!待たせてるんだった!」

 

 

慌てる私に、ミシェルが付いてくる。

そうして会場内を早歩きで移動して──

 

 

 

ブルーノの居る場所に戻って来た。

彼はちょっと疲れたような顔で、携帯電話を弄ってた。

 

 

「ごめん!ブルーノ、お待たせ!」

 

「マジで待たせられたけど、どこで道草食って──

 

 

ブルーノの目が、ミシェルの方へ向いた。

パチパチと、数度、瞬きをした。

 

 

「え?誰?」

 

「私はミシェル。よろしく、ブルーノ」

 

「え?うん?よろしく?」

 

 

何も理解出来ず、ブルーノがミシェルと握手した。

めちゃくちゃ困惑している。

 

 

「ちょっと、カマラ、何があったんだ?彼女は誰なんだ?」

 

 

そして、私に説明を求めるように視線を向けて来た。

 

 

「あ、えーっと、それは──

 

 

ふと、先程まで気分が最悪だった事を思い出した。

そして、正直にそれを言うのも……ブルーノの気分を悪くするだけだなって。

 

吃っていると、ミシェルが代わりに口を開いた。

 

 

「カマラは私の落とし物を拾ってくれた。話したら、気が合ったから一緒に周ろうって誘われた」

 

「そう!そうなんだよ、ブルーノ!」

 

 

意図を察してくれたような言葉に、私は頷いて同調した。

 

 

「……カマラにそんなコミュ力があったとは」

 

 

ブルーノが訝しむような事を言うから、私は慌てて口を開いた。

 

 

「オタク仲間だから、友達になるのは簡単なの!ね?」

 

「ん、友達」

 

 

勢い余って友達と言ったけれど、ミシェルは嫌がる素振りを見せずに頷いてくれた。

それが、私を受け入れてくれてるみたいで凄く嬉しかった。

 

 

「……まぁ、いいや。良かったな、カマラ」

 

 

ブルーノは納得がいってないようだったけど、それでも「まぁ良いか」と考えてくれた。

……いや、友達の少ない私に友達が増えたから喜んでくれてるのかな?

なんかちょっとモヤっとしたけど、まぁ、よしとしよう。

 

 

そう。

 

で、ミシェルと話してみたんだけど、彼女も相当にアベンジャーズオタクっぽい。

 

一番好きなヒーローは?って聞いたら──

 

 

「スパ……え、っと、バッキー……ウィンターソルジャー?」

 

 

って答えてた。

理由は何でも「お世話になった事があるから」らしい。

 

それって、昔、助けて貰ったって事でしょ?

会った事もあるんだろうなぁ、羨ましい。

 

 

「私はキャプテン・マーベルが好きだなぁ」

 

「……うん。知ってる」

 

「え?何で?」

 

「あー、えっと、ほら。コスプレが……キャプテン・マーベルだし」

 

 

なんて話しながらも、アベンジャーズコンを回る。

展示品を見たり、等身大の像と写真を撮ったり。

 

 

「え?ミシェルって18歳なの?歳上なんだ……」

 

「うん」

 

「全然そうは見えないけど……」

 

「え?」

 

「おい、カマラ。それは失礼だろ」

 

 

ミシェルと交流を深めつつ、パビリオンを回る。

途中、購買コーナーでなけなしのお小遣いでポスターとタペストリーを買った。

勿論、キャプテン・マーベルのだ。

 

ここのアベンジャーズコンもそうだけど、グッズとかはアイアンマンが……つまり、スタークインダストリーズで販売管理されてるらしい。

広報と資金集めを兼ねてるから、私がこうやってグッズを買う事で、ちょっとはヒーロー活動の手助けになってるのなら嬉しい。

 

まぁ、これは建前で、兎に角、好きなヒーローの公式グッズが売られてるのだから、ありがたく購入させて貰ってる訳だ。

 

私は手提げのバッグに、ポスターとタペストリーを入れた。

 

 

 

「あ、コスプレコンテストやるんだって。観に行こうよ」

 

 

私がそう言うと、ミシェルが首を傾げた。

 

 

「カマラは出ないの?」

 

「……いいよ、私は」

 

 

正直に言うと、ここに来る前は出る気だった。

だけど……ちょっと、自信がなくなってしまった。

元から吹けば吹き飛ぶような自信だったけど。

 

 

「……そっか」

 

 

それに対してミシェルは疑う訳でもなく、理由を訊く訳でもなく、そのまま頷いた。

気遣いって奴だ。

 

対して、ブルーノは……何だか言いたそうにしてた。

 

 

「何?ブルーノ?」

 

「……いや?折角だから出れば良いのにって」

 

「私よりクオリティが高い人いるし。いやだよ」

 

「……人と比べても仕方ないだろ、カマラ」

 

「コンテストってのはそういうのじゃないの?」

 

「……そういう話じゃないんだけどなぁ」

 

「じゃあ、どういう話なの?何言ってんの、ブルーノ」

 

 

ブルーノは時々、訳わかんない事を言う。

まぁ、気にしなくても良い。

 

……何故か、ミシェルがブルーノの肩を軽く叩いてた。

励ましてる感じ?

何でだろう。

 

結局、参加申請もしないまま私はコンテストコーナーの前まで行った。

 

わぁ、凄い。

どれもこれも、お金と手間が掛かったコスプレだ。

私の着ているコスチュームは……ちょっと、手作り感が強いから、見劣りする。

 

ヒーローのコスプレイヤー達がお立ち台の上に代わる代わる乗っていく。

 

そして、その中に──

 

 

私の事をバカにした、ブロンドの女性がいた。

彼女はキャプテン・マーベルのコスプレをしていた。

思わず、顔が強張りそうになって──

 

 

「カマラ?」

 

 

ブルーノに声を掛けられた。

 

 

「な、何?ブルーノ?」

 

「どうかしたか?気分が悪いなら、その、ここから移動するか?」

 

「……えーっと、いいよ。最後まで観たいし」

 

 

私は首を横に振った。

 

悔しいけど、ブロンドの女性は確かに似合ってた。

キャプテン・マーベルにそっくりだった。

……何だか、凄くモヤモヤした気分。

 

そう考えてると、横からミシェルが顔を出した。

そして、遠くにある売店を指差した。

 

 

「カマラ、ちょっと飲み物買ってくる。何か欲しい?」

 

「え?あ、じゃあ……アイアンマンのチェリーソーダで」

 

 

ミシェルは頷いて、そのままブルーノへ視線を向けた。

 

 

「ブルーノは?」

 

「……あー、俺もついて行くよ。3つ持つと重いだろ?」

 

「大丈夫。私、こう見えても結構力持ち」

 

 

ブルーノは気遣いを見せたけど、彼女は首を横に振った。

結局、キャプテン・アメリカのブルー・ソーダにしてた。

 

……これは、彼女なりの気遣いだろう。

落ち込んでいるのが分かったから、何か飲んで食べて気を紛らわそうって考えだ。

うん、そう考えると、歳上っぽくないと思ってたけど……確かに『大人』だなぁと納得した。

 

……あっ、お金渡し忘れてた。

後で払わないと。

 

そう反省していると、ブルーノが笑った。

 

 

「良い人だな」

 

「うん、そう思う。アベンジャーズ・コンに来て良かった」

 

「パビリオンの展示よりも、新しい友達の方が嬉しいんだろ?」

 

「……よく分かったね?」

 

「まぁ、幼馴染だからな」

 

 

ここまで一緒にアベンジャーズコンを周って、凄く楽しかった。

……この出会いを、交流を、ここで終わらせたくないと思えた。

 

 

「後で、連絡先交換して貰おっと……大丈夫かな?自惚れてるとか思われないかな?」

 

「大丈夫だろ。俺から見ても仲良さそうだったし」

 

「そ、そっか。そうだよね?」

 

 

早く戻って来ないかな、なんて思いながら……コンテストの方へ目を向けた。

 

……何か、変な音がする。

キリキリって音。

 

 

「ねぇ、ブルーノ。変な音しない?」

 

「え?何が?」

 

 

ブルーノは気付いてない。

……ふと、上を見た。

 

ソーのハンマー、『ムジョルニア』を模した大きなバルーンが浮いている。

そこから、聞こえるような気が──

 

ブツン!

 

と今度こそ誰にでも聞こえるぐらい大きな音がした。

直後、『ムジョルニア』のバルーンが大きく動いた。

 

柄の部分を支えていた紐が切れたんだ。

 

そう気付いた時には……振り子のように大きく動いたバルーンが、コンテストのお立ち台にぶつかった。

 

 

悲鳴が聞こえた。

 

 

私の事をバカにしてたきブロンドの女性だった。

彼女は『ムジョルニア』のバルーンに弾き飛ばされて……天井近くまで吹っ飛んだ。

 

バルーン自体は硬くない。

怪我は多分ない。

 

だけど、その高さから落下したら……間違いなく、怪我をする。

下手をすれば死ぬかもしれない。

 

 

私は──

 

 

私なら、助けられるかも知れない。

 

 

だけど、この『能力』が知られれば厄介な事になる。

家族と離れ離れになるかも知れない。

 

それに嫌な奴だった。

私の事、バカにしてたし。

 

 

私が助ける理由なんて──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『誰だってヒーローになれる』

『誰かを救えたら、それだけで、その人にとってのヒーローだから』

 

さっき、そう言われた。

 

 

『正しい人が善行を行う訳じゃない』

『善行を行う者が正しい人になるだけだ』

『行動が先だ。人助けをする者は祝福を受ける』

 

昔、父さん(アブー)に言われた。

 

 

 

大丈夫だ。

もう迷わない。

 

普通(フツー)だったら、助けられない。

でも、私はもう普通(フツー)じゃない。

 

 

片手を塞いでいた荷物を落として。

脇に挟んでいたマスクをかぶって。

 

手を伸ばす。

大きく広げて。

 

 

「きゃあっ!?」

 

 

数メートルに伸びた腕の先で、大きくなった手の平で……落下する女性をキャッチした。

大丈夫、衝撃は吸収したから怪我はない。

 

 

 

悲鳴が、怒声が、一瞬止んだ。

周りの目が私に集まる。

 

 

「お、おい何だよアレ」

 

「すげぇ……」

 

 

注目の的だ。

驚愕と、恐怖が半々……みたいだけど。

 

 

真横にいるブルーノを見る。

驚いたような顔で、固まっていた。

 

 

後悔なんてしないよ。

でも、ちょっと……面倒な事になっちゃったな、とは思う。

 

 

直後、私は──

 

 

大きく伸ばした腕でブルーノを持って、大きく伸ばした足で駆け出して……会場から逃げだした。



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#13 ノー・ノーマル part2

排気ガスで星も見えない空の下。

知らない街。

右も左も分からぬまま私は走っていた。

 

どうしよう!どうしよう!どうしよう!

顔バレちゃったかな!?

動画撮られてたらどうしよう!?

 

 

──マラ、──ラ!」

 

 

やっぱり助けなかった方がいいかな?

いいや、見捨てたらきっと私、母さん(アミ)父さん(アブー)に顔向け出来なくなってた!

だから、後悔はしない!

しちゃダメだ!

 

 

「カマラ!」

 

 

私を呼ぶ声に気づいて、視線を下げた。

ブルーノの顔は青くなっていた。

 

 

「え、わっ、ブルーノ?何!?」

 

「とっ、ずっ、取り敢えず、止ま、れ!」

 

 

4メートルほどの棒人間のような巨人になってドタバタと走ってた私は、足を止めた。

そして、ブルーノに視線を向ける。

 

 

「それで何!?何か大変なことが──

 

「め、メチャクチャ揺れてて、やばい。死ぬ……」

 

「え?わ、わっ、ごめん!ブルーノ!」

 

 

慌てて、ブルーノを地面に下ろして……私も元のサイズに戻る。

彼は吐き気を堪えながら、深呼吸をしている。

 

振り向く。

後ろから追いかけてくる人とかは、居ないみたい。

そりゃあ私、車よりも速く走ってたし……追い付けないか。

 

ぐったりしてるブルーノが、コンクリートの壁に手をついた。

コンクリートの壁にはスプレーで落書きがされていた。

 

彼は息を深く吐いて、私に視線を向けた。

 

 

「おぇっ……さっきは……すごく、目立ってたな」

 

「え、あ、うん……ごめん、余計な事しちゃった」

 

 

私の言葉に、ブルーノは苦笑した。

 

 

「いや……余計な事じゃないだろ。必要な事だった、カマラもそう思うだろ?」

 

「えーっと……うん、反省はしてないけど」

 

「……ふぅ。それでいいよ、カマラらしくて」

 

 

微かにブルーノが笑って、しゃがみ込んだ。

私も疲れたから、壁にもたれ掛かる。

 

……何か、手元が寂しい気がする。

何でだろう。

 

手を閉じて開いて、閉じて開いて……気付いた。

 

 

「あ……あーっ!」

 

 

私は声をあげた。

ブルーノが肩を跳ねさせた。

 

 

「な、何?どうした?」

 

「荷物、全部会場に置いて来ちゃった!」

 

 

携帯電話も、着替えも、買ったグッズも。

全部が入ったバッグを、アベンジャーズ・コンの会場に置いて来てしまったのだ。

 

 

「え?そりゃあ……ヤバくないか?」

 

「ヤバいよ!母さん(アミ)に怒られる!」

 

 

思わず顔を窄めて悩む。

今から会場に戻る?

ダメだ、顔がバレてる。

揉みくちゃにされる……だけならいい。

全国に顔がバラ撒かれたら……私は家に帰れなくなっちゃう。

 

 

「そ、それに──

 

 

新しく出来た友人、ミシェル。

彼女も置いてけぼりにしてしまった。

それに連絡先も教えて貰ってない。

二度と会えない……かも。

 

ううん、そんな事より、私が大きくなった所を見られたかもしれない。

そしたら、怖がられたり、気味悪がられると思う。

 

……折角、仲良くなったのに。

 

これからの事を考えると胃が痛む。

蹲って、小さくなりたかった。

物理的にも、精神的にも。

 

 

カツーン。

カツーン。

 

 

と……静かな夜道で何かが跳ねる音が聞こえる。

 

 

「……ブルーノ?」

 

「いや、今度は俺も聞こえてるよ」

 

 

それは少しずつ、大きくなっている。

……近付いて来てるのが分かった。

 

私達を追って来た何者が迫って来ている!

 

 

「ど、どうしよう……誰?何!?」

 

「待て。落ち着け、カマラ」

 

 

ネガティブなイメージが脳裏に映る。

 

 

「ヤバいって……きっと私のパワーを見た闇の組織だって!私、マッドサイエンティストに解剖されちゃうんだ!それで私の遺伝子を使ってスーパーパワーを持ったクローンが量産されてっ──

 

「おまっ、少し静かにしろって!そんなに声を出したら──

 

 

すぐ側の倉庫の天井から、音が聞こえた。

そして、音が建物の天井を走る音だという事に気付いた。

 

 

「あ、あぁっ──

 

 

怯えて変な声を出した瞬間……何者かが飛び降りて来た。

数メートルからの高さだ。

普通の人間なら大怪我をするような高さだけど……飛び降りて来た何者かは、よろめく素振りも見せない。

 

ヤバい。

絶対にヤバい組織のスパイだ。

スーパーパワーを持った殺し屋で、私の事を殺しに来たんだ!

 

そう思った瞬間、飛び降りて来た何者かが、私の方へ近づいて来て……街灯に照らされた。

 

 

「「え?」」

 

 

私とブルーノは、揃って素っ頓狂な声を出した。

その、暗闇の中、私を追って来てたのは──

 

 

「ミ、ミシェル?」

 

 

ミシェルだった。

 

 

「ふぅ……やっと追い付いた」

 

 

そう言いながら、ミシェルは首を捻った。

 

……汗一つかいてない、息も乱れてない。

疲労の様子は見当たらない。

 

私、さっき凄い速さで走ってたつもりなんだけど……?

結構な距離を屋根伝いで飛んで跳ねて来たんでしょ?

何で?

 

いや、そもそも建物と建物の間は結構離れてるし、何メートル飛んでるの?

 

 

「あ、えっと……」

 

 

私の心を占めるのは困惑。

それと、ほんのちょっとの疑惑。

 

少しずつ彼女は私に近付いてくる。

 

身が固まる。

彼女が何者なのか分からなくて、私は怯えて──

 

 

「カマラ、これ。忘れ物」

 

 

ミシェルがそう言って、私に何かを渡した。

……あ、私のバッグだ。

取りに帰ろうか迷っていた荷物が詰まっている。

 

 

「え?あ、ありがとう」

 

「頼まれてた飲み物は持ってこれなかったけど」

 

「……そ、そんなの全然いいよ……?」

 

 

私の言葉に、ミシェルが僅かに頬を緩めた。

対して私は苦笑した。

……怯えてる私が馬鹿みたいだから。

 

こんな優しくて可愛い女の子が、悪の秘密結社の殺し屋な訳ない。

 

 

「……んん、ごほん!」

 

 

ブルーノがわざとらしく咳き込む。

私とミシェルは彼を一瞥した。

 

 

「ブルーノ?」

 

 

微妙な空気の中、ブルーノが口を開いた。

 

 

「あー……ミシェルも、何かスーパーパワーを持っていたのか?」

 

「……まぁ、ちょっとだけ」

 

 

ちょっと?

暗闇で迷わず私を追いかけてこれるのに?

謙遜し過ぎだ。

 

……ふと、一つ気付いた。

 

 

「もしかして、私に声を掛けてくれたのって……私が、スーパーパワーを持ってるから──

 

「それは違う」

 

 

最後まで言う前に、ミシェルが首を振った。

 

 

「じゃあ、何の目的で……?」

 

「え?別に理由はないけど……」

 

「……偶然?」

 

「ん、偶然」

 

 

その返答に、私は『良かった』と思えた。

だって、彼女は私の力じゃなくて、私自身を見てくれていたって事でしょ?

私が一方的に感じていた感情じゃなかったんだ。

 

自分の後ろ髪を撫でる。

嬉しかったからだ。

 

分厚い排気ガスの雲を貫通して、月の光が見えた。

夜風が涼しくて、心地よい。

 

そして、ブルーノが首を傾げた。

 

 

「それじゃあ、結局ミシェルは何者なんだ?」

 

「……何者って?普通に休日だからアベンジャーズ・コン来ただけ、だけど?」

 

「……そうか」

 

 

ブルーノが顔を手で覆った。

気持ちは分かる。

 

警戒してる自分がバカらしく思えて来たのだろう。

 

ま、私はもうとっくに警戒を解いてるけど。

気楽に話しかけられるし。

 

 

「ミシェルって普段、何してるの?もしかして、非合法のヒーロー活動してるクライムファイターみたいな?」

 

「いや……ん、えっと……あ。IDを見せる」

 

 

ミシェルが自分のカバンをゴソゴソと漁って、パスケースを出した。

それを私に提示した。

 

 

「安心していい。公共機関の人間だから、悪い事はしてない」

 

 

そこには──

 

 

『S.H.I.E.L.D.』

『AGENT』

『MICHELL JONES-WATSON』

 

 

と最低限の情報と、鷹のマークが入ったカードが入っていた。

これって……『S.H.I.E.L.D.』のIDカード?

 

 

「……ミシェル」

 

「何?」

 

「身分証の偽装は犯罪だよ。知らなかったかも知れないけど……」

 

「え?」

 

 

私はため息を吐いた。

彼女がアベンジャーズオタクなのは知っていた。

好きが高じて、こんな物を作ってしまったのだろう。

 

けれど、公共機関の身分証の偽装は犯罪だ。

ここはちょっと厳しめに言っておかなければ──

 

 

「にしても、よく出来てるね?本物みたい」

 

「え、いや……本物……だけど……」

 

 

ミシェルが先程までとは違って、少し困ったような表情で首を傾げた。

 

 

「カマラ、それは本物だ」

 

 

ブルーノが手元のスマートフォンを触りながら、そう言って来た。

 

 

「え?そんな訳が──

 

「ここにシリアルコードがあるだろ。今さっき、公共の『S.H.I.E.L.D.』サイトで見てたけど……ほら、シリアルコードと、キー番号、マークが一致してる」

 

 

『S.H.I.E.L.D.』は基本、特例的に警察官達より事件現場での立場が強い。

だから、偽装できないように幾つかのキーを紐づけると、IDが本物か確認できるようになってるらしい。

 

 

「……え?つまり、どういうこと?」

 

「彼女は本当に『S.H.I.E.L.D.』のエージェントだって事だ」

 

「本当に?」

 

「……ん」

 

 

ミシェルが腕を組んで頷いた。

私は驚いて、口を開いた。

 

 

「『S.H.I.E.L.D.』に所属してるのに、アベンジャーズ・コン来てたの!?……何で?」

 

 

夜風が私とミシェルの間を通り抜けた。

 

 

「「…………」」

 

 

無言で静まり返り、風の音が耳に響く。

 

彼女の眉尻がみるみる内に下がっていった。

何というか、こう、情けない表情になる。

 

そして、彼女は震える口を開いた。

 

 

「……趣味と仕事が同じなだけ」

 

 

その表情が無性に面白くて、私はちょっと吹き出しそうになった。

ブルーノに脇を肘で突かれて、何とか耐えたけど。

 

ミシェルが自身の手元に口を当てて、少し咳き込んだ。

話を無理矢理戻すつもりだ。

 

 

「とにかく、私は『S.H.I.E.L.D.』に所属してるから……カマラの事を上司に報告しないとダメ」

 

 

そう言われて──

 

 

「え!?いやっ、こま、困る……」

 

 

慌てて首を振った。

スーパーパワーには責任が付き纏う。

それは分かる。

 

だけど、それ以上に母さん(アミ)父さん(アブー)に心配をかけたくない。

厄介ごとに巻き込みたくなかった。

 

そんな私の反応を見て、ミシェルは安心させるように私の肩を叩いた。

 

 

「大丈夫、悪いようにはならないようにする」

 

「ミシェル」

 

「……出来るだけ」

 

「ミシェル……」

 

 

思わず眉尻を下げた。

何とも頼りなかったからだ。

 

 

「ん、そう。だから、連絡先を私と交換すべき」

 

「……いいの?」

 

「え?勿論だけど」

 

 

こうして私はミシェルと連絡先を交換した。

ついでにブルーノもミシェルと交換した。

……私の少ない連絡先リストに彼女の名前が刻まれ、少し嬉しくなった。

 

 

「じゃ、私……ちょっと報告とかしないといけなくなったから、今日は帰る。困った事があったら連絡して」

 

「え、うん……その、ありがとう!ミシェル」

 

 

私は手を握って、礼を言う。

 

ミシェルはちょっと眩しそうに目を細めた。

夜道なのに。

 

 

「カマラも、後で面倒になるかも知れないのに……人助けしたの、カッコよかった」

 

「それは──

 

 

私はあの時、確かに迷った。

助けるべきか、動かないべきか。

 

だけど、背を押したのは家族と──

 

 

「ミシェルのお陰だよ」

 

「……え?私?」

 

 

ミシェルが心底、困惑したような顔で私を見た。

長いまつ毛がパチパチと瞬いている。

 

 

「うん、だから……凄く、感謝してる」

 

「……えっと……うん、そっか。どういたしまして」

 

 

ミシェルが少し悩んで、頷いた。

私の感謝の気持ちを無理解で済ませず、飲み込んだんだ。

……そんな仕草に、彼女の優しさを感じた。

 

握っている手を、少し強める。

 

 

「……その、ミシェル」

 

「何?分からない事があるなら、私が教える」

 

 

ミシェルはそう言った。

私は胸に秘めていた想いを、言葉にする。

 

 

「わ、私達って……友達、だよね?」

 

 

否定される事はないと思っていて……それでも、少し怖かった。

私には空想癖がある。

何でも知ったような気になって想像して、空回りしてしまう事がある。

だから、こうやって確認しないと……怖くて──

 

 

「うん、友達。私はそう思ってる」

 

 

だから、こうやって肯定してくれるのが凄く嬉しかった。

 

目が潤む。

悲しいからじゃない、嬉しいからだ。

 

 

「……また、アベンジャーズの話してもいい?」

 

「勿論」

 

「どこかに、お出かけ誘ってもいい?」

 

「いいよ、メールしてくれたら」

 

 

軽くハグをして、離れる。

ミシェルは思っていたよりも細くて、ビックリした。

……こんな体のどこに、スーパーパワーがあるのだろうか。

 

それは私も同じか。

彼女よりは、そう、贅肉が付いてるけど。

 

違う。

私は平均だ。

彼女が細すぎる。

 

ふと、ミシェルがブルーノを一瞥した。

 

 

「あ、大丈夫。ブルーノも友達」

 

「……そりゃ、どうも」

 

 

ブルーノが頭を軽く下げた。

冷めた態度だけど、少し頬が緩んでいるのを私は見逃さなかった。

 

 

「それじゃ、二人とも。またね」

 

 

そう言ってミシェルは元来た道を戻って行った。

……今、壁を直接駆け上がってなかった?

凄い距離を飛んでるし……アレって飛行してる訳じゃなくて、単純に凄いジャンプをしてるだけだよね?

 

キックとかされたら、お腹に穴が空きそうだ。

……喧嘩はしないようにしよう。

そもそも喧嘩になるような事はないと思うけど。

 

 

「……カマラ、良かったな」

 

 

ブルーノが感慨深そうに頷いた。

私は目を細める。

 

 

「ブルーノも嬉しそうだね」

 

「まぁな」

 

「可愛い女の子と友達になれたもんね」

 

 

私がそう言うと、ブルーノは苦い物を食べたような顔をした。

 

 

「……そういうのじゃない」

 

「違うの?」

 

「それより、早く帰るぞ。カマラの母さんが寝室に入ってこない保証はないし」

 

 

ブルーノがスマホの画面を私に見せた。

地図アプリでは、最寄りのバス停まで徒歩10分と書いてあった。

 

 

こうして、私の人生を一変させるような出来事は終わりを迎えた。

良い事だらけのハッピーな起源(オリジン)でしょ?

行きたかったアベンジャーズ・コンに行けたし。

人助けも出来たし、友達も出来た。

 

夢のような一夜だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だけど、自室に入ろうとした瞬間、父さん(アブー)に見つかっちゃった。

無断外出と門限破り……何より、母さん(アミ)に嘘を吐いた事を、それはもう怒られた。

 

そして、一ヶ月の外出禁止の罰を受けた。

 

門限を破って怒られるヒーローなんている?

多分、居ないと思う。

 

だから、私はまだヒーローじゃない。

ただの、カマラ・カーンだ。

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

アベンジャーズ・タワー内部。

『S.H.I.E.L.D.』長官室に私、ニック・フューリーは居た。

 

椅子に座り、ミシェル・ジェーン=ワトソンから送られてきた報告書を確認する。

 

未だ、エージェント候補生という立場である彼女ではあるが、最近はこういう事務作業や、危険ではない仕事を少しずつ任されている。

OJT(見習い)のような物だ。

 

 

報告書に書かれているのは、先日の事故……そして、その場に居合わせた特殊な能力を持つ少女、カマラ・カーンについてだ。

私としては即座に彼女自身と会話したい案件だが、ミシェル曰く今は隠匿中だそうだ。

ティーンエイジャーの少女らしく、家族に面倒ごとがバレるのは避けたいと……そう考えているらしい。

 

別に急いでいる訳じゃない。

タイミングを見計らい接触すれば良いだろう。

 

報告の内容から、彼女は善性と自制心を持っている事は分かっている。

放って置いても、誰かを傷付ける事はない……と、思いたい。

 

その辺りは、ミシェルに任せておけば良い。

彼女は既に、カマラと友好関係を結んでいるようだからだ。

何かあれば彼女を経由して私に報告されるだろう。

 

 

しかし、問題は……彼女自身ではない。

彼女の能力……その、原因。

 

後日、ミシェルが確認した、カマラ・カーンが能力に目覚めた『きっかけ』。

 

謎の『霧』。

それに、私は覚えがあった。

 

 

「……テリジェン・ミストか」

 

 

それは地球外に存在する特殊な能力を持った人間、インヒューマンズ……彼等の能力を発現させるための特殊な物質だ。

 

インヒューマンズ。

それは遥か昔に、宇宙人であるクリー人に改造された原始人の子孫だ。

一般的な地球人よりも優れた力を持ち、特殊な能力を持つ……超人類だ。

今も、その血を受け継ぐ者が地球人に紛れている。

己がそうだと知らずに。

 

つまり、カマラ・カーンはインヒューマンズの血を引く者であり、テリジェン・ミストによって能力に目覚めたのだ。

 

 

「だが──

 

 

テリジェン・ミスト。

その管理は月に存在するインヒューマン達が住む首都アッティラン……その王であるブラック・ボルトが管理していた。

 

……そう、つい最近までは。

 

首都アッティランは何者かの侵略によって崩壊し、消滅した。

結果、テリジェン・ミストは地球に飛来し……様々な問題が起きた。

 

今は解決したが……カマラ・カーンはそれに巻き込まれた、という訳か。

 

 

「……厄介な事だな」

 

 

インヒューマンズの血を引く者は……何人いる?

能力を隠し生きている人間が何人いる?

そこから、この国を脅かす者は産まれるのか?

 

分からない。

だからこそ、厄介だ。

 

深く、息を吐いて……椅子に深く座り込む。

 

 

「……新人類(ニュー・ヒューマン)か」

 

 

新たなる力に目覚めた、新世代のインヒューマンズ。

善悪関係なく力を手に入れてしまった者達が……多数、現れるだろう。

 

この国に波乱が起こる。

そんな懸念に、私は眉を顰めた。

 

特殊な力を持った超人に、無辜の人々は立ち向かえない。

無駄死にするだけだ。

 

だからこそ、力が必要だ。

未熟でも良い……誰かを助けようと行動できる、若き灯火が。

 

手元のタブレットを操作して、リストを開く。

 

そこに『カマラ・カーン』の名前を刻み込んだ。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

「…………」

 

 

翌日の朝、私はピーターの部屋でシリアルを食べていた。

牛乳に浸したシリアルを貪る。

 

ピーターはベッドのシーツを剥いで、洗濯にかけていた。

私がやると言ったのだが、ピーターは自分が家主だからと譲らなかった。

 

結果、一人で黙々と朝食を食べる私が誕生したのだ。

 

 

型落ちした液晶テレビに、ニュースが映る。

先日のアベンジャーズ・コンのニュースだった。

思わず、注視する。

 

 

そこには、天井近くから落下する女性を助ける……コスプレに身を隠したカマラの姿があった。

 

 

『先日、ニューヨーク市内で発生した事故について、救出されたコスプレイヤーの──

 

 

そして、彼女の事を馬鹿にしていたブロンドの女性が画面に映し出された。

 

 

『彼女は命の恩人です。私、彼女にとても酷い事を言ったのに……それでも、助けてくれたんです。彼女こそ、本当のヒーローです』

 

 

少し、涙ぐみながら……そう言った。

そこに嘘や、人に良い格好をしようという素振りはなかった。

 

……それを見て少し、嬉しくなった。

彼女にとって、カマラは本当のヒーローになった。

そして、ヒーローの輝きは人を変える。

……彼女も、良い方向に変わる事が出来たのだろう。

 

それはカマラのお陰だ。

 

テレビにまた、キャプテン・マーベルのコスチュームの後ろ姿が映る。

……顔の分かる映像は『S.H.I.E.L.D.』が圧力をかけて削除させたのだろう。

ニック・フューリーに感謝しなければならない。

 

 

『このスーパー・パワーを持ったヒーローは何者でしょうか……?今日は専門家の方に来てもらいました』

 

『何者かは分かりません。ですが見て下さい。彼女のコスチュームは……キャプテン・マーベルを模しています』

 

『……そうですね』

 

『昔、キャプテン・マーベルは『ミズ・マーベル』と名乗っていました。歴代、様々な人が『ミズ・マーベル』を名乗って居ましたが……今は居ません』

 

 

私はスプーンを動かす手を止めて、テレビを見ている。

 

 

『空席の名前と、そのヒーローの姿を模した超人……これはきっと、偶然ではありません』

 

『そう言いますと?』

 

『彼女は……四代目『ミズ・マーベル』。私はそう呼ぼうと思います』

 

 

私は頬を緩めて、息を深く吐いた。

そうか……この世界でも、彼女はそう呼ばれるのか……と。

 

 

「ミシェル、そろそろ食べ終わった?」

 

 

片付けを終えたピーターが、私の後ろから声を掛けてきた。

 

 

「ん……ちょっと食器、洗ってくる」

 

「僕が──

 

「いい。何でもやって貰ってたら、私、牛になってしまう」

 

 

私は笑いながら、洗面台に立った。

水は冷たい。

ピーターの部屋に、温水器のような気が利いた物はない。

 

ピーターに向かって、振り返る。

 

 

「これが終わったら、行く?」

 

「うん、僕は準備OKだよ」

 

 

洗った食器をカゴに入れて、振り返る。

アベンジャーズ・コンのグッズが入った紙袋を持って、ピーターと部屋を出る。

 

ピーターから貰った合鍵でドアを閉め、彼と手を繋ぐ。

 

 

「僕、ちょっと緊張してきたよ」

 

「大丈夫。また仲良くなれる」

 

 

これから行くのは、ネッドの場所だ。

私が持っているのは手土産だ。

 

ピーターとネッドの初会合だ。

彼は少し心配そうにしてるけど、きっと大丈夫。

二人はまた仲良くなって、親友になれる筈だ。

 

私が微笑むと、ピーターも眉間に寄った心配そうな皺を緩めた。

 

 

先日、ピーターは高卒認定試験を合格した。

グウェンとハリーとも、細々と友好関係を結んでいる。

これからネッドとも……。

 

少しずつ、少しずつだけど……失った物を取り戻しつつある。

 

元には戻らないだけど、新しい形として……生まれ変わっていく。

 

それを喜ばしく思う。

彼の人生に、私が少しでも良い影響を与えられているのならば……それだけで、私は自分の価値を信じられる。

 

二人、手を結んで……日光の降り注ぐ道を歩み出した。




次回、ボーン・アゲイン。


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#14 ボーン・アゲイン part1

私は夢を見ない。

見えるのは過去の記憶だけだ。

 

夢とは可能性。

あり得た未来、存在する分岐……荒唐無稽に見えたとしても、それは小さな分岐を繰り返した果ての果てだ。

 

異なる次元、異なる宇宙。

無限に連鎖し、分岐していく世界。

 

その何処にも、私は存在しない。

私は、ここにのみ存在する。

だから、私の選んだ選択に……もしも(What if)は存在しない。

 

私は夢を見る事はない。

 

 

それでも──

 

 

聞こえる。

声が聞こえる。

 

 

奥、底から……深淵から。

 

 

 

『貴女は幸せ?』

 

 

あぁ、幸せだ。

 

 

『本当に?』

 

 

愛する恋人と、優しい隣人に囲まれた私が幸せではない訳がない。

 

 

『それが例え……罪を、過去に擦り付けた結果だとしても?』

 

 

……何が言いたい?

 

 

『貴女は過去の己は悪人だったけれど……今は違うと思っている』

 

 

……そうだ。

私は変わったのだから。

 

 

『違う』

 

 

違わない。

 

 

『過去から貴女は変わっていない。環境が変わっただけだ』

 

 

そんな事ない。

私は──

 

 

『過去を捨てる事は出来ない。あの赤いマスクは……貴女の一部だから』

 

 

…………。

 

 

『罪を押し付けて、知らないフリなんて出来はしない』

 

 

なら、私は、どうすれば──

 

 

『それは貴女(わたし)が考えるべきでしょう?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目が覚めた。

 

沢山の汗をかいている。

強く目を閉じれば、目が少し痛んだ。

 

きっと、寝ながら泣いていたのだろう。

 

さっき見たのは夢じゃない。

私の中にある深層心理が見せる……私を咎める声だ。

 

見ないように、聞こえないように……そう思っている。

罪に向き合う事は難しい。

 

心を穏やかに……。

私の隣人達が望むように、明るい私でいる為に……強く、強く蓋を閉めた。

 

 

自室のベッドから降りて、洗面台へ向かう。

大量に水を流して、頭を突っ込む。

 

はしたない真似だ。

だけど、今はこの冷たさが体にこもった熱を冷ましてくれる。

 

蛇口を捻って、水を止める。

 

びしょ濡れになった髪がパジャマを濡らす。

脱ぎ捨てて、バスタオルで髪を拭く。

 

 

「……っ、はぁ……」

 

 

息を深く吐いて、深く深く吐いて……身体の中にある空気を全て吐き出すように。

 

酷い気分だ。

 

何度も……眠る度に、私が私を責める声が聞こえてくる。

毎日、毎日毎日毎日毎日毎日毎日。

 

例外があるとすれば……誰かが、側で寝ている時だけだ。

 

 

……私は、全裸のままシャワールームに入った。

流れ出る水が、私の身体を伝って落ちていく。

 

咽せる。

 

身体にこびり付いた目に見えない汚れが……全て、流れてしまえば良いのに。

そう考えてしまうのはきっと、私が……罪を犯した己を憎んでいるからだ。

 

私は善人ではない。

だが、善人になろうとしている。

悪を憎もうとしている。

だから、過去の自分を憎んでいる。

 

至極、真っ当で……私が、私でいる以上、避けられない現実だ。

 

 

レッドキャップ、という存在。

それは私自身だ。

 

忘れる事は出来ない。

私の背後に存在する影のように、切り捨てる事は出来ない。

 

生きている限り、ずっと付き纏い続ける。

いいや、死んだ後も、ずっと……。

 

 

「……はぁ、はぁっ」

 

 

呼吸を荒らげる。

蛇口を強く撚れば、水の勢いは増していく。

力強い水滴が、私の身体を打つ。

 

……己を傷付ける事を誰も望んでいない。

だとしても、私は心の奥底でそれを願っている。

 

罪深い己を消し去ってしまえるような、強い痛みを……罰を、私は探していた。

 

 

今までも、これからも。

 

 

 

ずっと。

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

あの後、アベンジャーズ・タワーまで来た私は……ドアをノックして、IDカードをリーダーに読み込ませた。

 

ドアが開けば、一人の人間が座っていた。

 

 

「呼びました、か?ニック・フューリー長官」

 

 

眼帯を付けた強面の男……そして、今の私の上司であるニック・フューリーだ。

 

 

「よく来たな」

 

「……いえ」

 

 

昔は警戒し、強張っていた私も……少しはマシになっただろう。

己の上司に対する振る舞いを努めている。

 

 

「まぁ、座れ。そこの椅子にな」

 

 

フューリーの指差した椅子に座り、向かい合う。

……視線だけで人を殺せるのではないかと思えるほど、威圧的な目だ。

 

私なんかよりも、余程沢山の修羅場を越えてきたのだろう。

 

 

「今日、呼び出したのは……君のスーツについてだ」

 

「……スーツ、ですか?」

 

「あぁ。君がまだ組織の人間として活動した時の……壊れたスーツだ」

 

 

フューリーがタブレットを弄ると、プロジェクターが壁に画像を貼り出した。

 

胸元が大きく裂けて、マスクが砕けた……ヴィブラニウム製のスーツだ。

所々、血がこびりついて赤くなっているが……頭部は黒い。

 

赤いマスクはピーターに壊されてしまったからだ。

最後にあのスーツを着た時、私は兄が作ったスペアのマスクを被っていた。

 

 

「……あのスーツが、何か?」

 

「スーツの素材であるヴィブラニウム……それが、どこから来ているか君は知っているか?」

 

 

私は手を顎に当てて、考える。

……兄が、ティンカラーが何か、言っていた気がする。

 

 

『ヴィブラニウムって凄い貴重な金属なんだ。ユリシーズ・クロウって言う闇の商人から購入した──

 

 

顔を上げて、フューリーを見る。

 

 

「ユリシーズ・クロウという人間から……購入したと、兄は言っていました」

 

「そうだ。更に元を辿れば……ワカンダからの盗品だ」

 

 

頷く。

 

ワカンダ、それはアフリカに存在するハイテクノロジー国家だ。

民族と風習、近未来と秘術を組み合わせた国家であり……ヴィブラニウムは、ワカンダにある鉱山からしか産出されない。

そして、ワカンダの国王はヴィブラニウムが世界に流出すれば混乱を齎すと……取引を強く規制している。

 

だが……ユリシーズ・クロウは、そのヴィブラニウムを盗んだ。

それをティンカラーが購入し、私のスーツが出来上がったという訳だ。

 

 

「……何か、まずい事に?」

 

「国際問題に発展する危険性(リスク)がある。ワカンダは国外に流出した非正規のヴィブラニウムを回収しようと必死だ」

 

 

それはワカンダの理念からすれば仕方のない話だ。

……キャプテンのシールドもヴィブラニウム製だが、アレは正規に許可を得て譲り受けた物だ。

 

ワカンダは単純にヴィブラニウムの流出を避けたい訳ではない。

本質は、世界に混乱をもたらす事や、超兵器の開発に利用される事を恐れているのだ。

 

つまり、ヴィブラニウムを私利私欲の為に扱うような、悪人の手に渡る事を恐れている。

 

 

「……では、あの壊れたスーツは──

 

「ワカンダに返納する。君には悪いが」

 

 

悪い?

何が悪いと言うのだろう。

 

アレは私の罪の象徴だ。

それを捨て去る事の何処が……。

 

フューリーが私に顔を見て、少し目を細めた。

 

 

「受け渡しは三日後だ。君にも立ち会ってもらおう」

 

「……了解、しました」

 

「要件は以上だ」

 

 

私は頭を下げて、長官室を後にした。

 

 

……私がレッドキャップと呼ばれなくなってから、1年以上の月日が流れた。

様々な出来事や、沢山の人と触れ合い……私はきっと、変わる事が出来た。

 

だからもう、あのスーツは要らない。

例え、あのスーツを着れば私は強くなれるとしても……もう、誰も殺したくないから。

 

 

 

 

……本当に、そうか?

スーツを捨てたがっているのは、私が過去の罪を意識したくないからではないか?

 

……違う、と思いたい。

 

暴力的な口調も、態度も……人を殺すための技能も。

 

もう必要ない。

戻る事はない。

 

私はミシェル・ジェーン=ワトソンだ。

レッドキャップでは……ないのだから。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

それから、三日間。

私はグウェンと過ごし、ピーターと過ごし、ネッドやハリーとも……。

 

……あ、あとカマラとは時々、ショートメッセージでやり取りをしている。

周りでトラブルが起きると、こっそり自作スーツを着て人助けをしているらしい。

……フューリーに報告するか、ちょっと悩むレベルの小さな人助けだが。

今は静観しておこう。

 

 

そんなこんなで三日経ち……スーツの返納日となった。

 

 

アベンジャーズ・タワーに入り……倉庫へ。

B-42と書かれた小部屋に入る。

白色のパネルが敷かれた部屋の中央に、透明な箱があった。

 

クリアなケースに収納されたボロボロのスーツを見て……私は息を吐いた。

 

……ただ受け渡すだけなのに、私の立ち合いは必要なのだろうか。

だが、フューリーは私が立ち会う事を望んでいた……きっと、無意味ではない。

 

私には気付けない何か、大きな理由が──

背後のドアが開いた。

 

 

「良いじゃん!良い機会なんだし、ニューヨークを観光しても!」

 

 

サングラスを掛けた、私より少し若そうな……ワカンダ人の少女が入って来た。

ウィンドブレーカーを着ている今時の若者って感じだ。

 

 

「無駄足を踏んでる時間はないわ。クロウはまだ、この国にいるかもしれない。それに何が見たいの?ワカンダで全て事足りる」

 

 

対して、もう一人……スキンヘッドで長身の、ワカンダ人の女性が入って来た。

彼女は肩幅が広い、真っ黒なビジネススーツを着ている。

下にはワインレッドのカッターシャツ……まるでマフィアみたいだ。

 

……彼女達が、受け渡し先のワカンダからの遣い……だろうか?

それにしては、随分と気楽そうな少女と、剣呑な女性だ。

 

 

「スニーカーでしょ?コートでしょ?ブランド品とかも……って、ちょっと待って。貴女、誰?」

 

 

少女が私に気付いて、訝しむように目を向けて来た。

 

 

「下がりなさい」

 

 

女性が一歩進み、少女の前に立った。

……久方ぶりに、殺気を当てられた。

 

だが、彼女達は恐らく敵ではない。

私はゆっくりを手を上げて、敵意がない事を示した。

 

 

「……こ、このスーツの……元の、持ち主」

 

「これの?」

 

 

少女が、壊れたスーツを手に取って……手元で回して眺めた。

興味深そうに見ている。

 

 

「そう……ニック・フューリーから受け渡しに立ち会うように言われた、から」

 

「そうなの?オコエ」

 

 

少女がオコエと呼ばれた、スキンヘッドの女性に目を向けた。

……彼女は首を横に振った。

 

 

「私は聞いてない」

 

「私も」

 

「……え?」

 

 

私は思わず視線を泳がした。

ニック・フューリー……彼は秘密主義者だ。

それは分かる。

 

分かるが……せめて、相手先と情報の共有ぐらいはして欲しかった。

 

心の中で悪態を吐いていると、少女が揶揄うように笑った。

 

 

「ふーん、まぁ悪い人じゃないよね?」

 

「……シュリ」

 

「だって、ここのセキュリティって結構厳しかったじゃん?入って来れるって事は、少なくとも関係者だよ」

 

「……はぁ、もう何も言わないわ」

 

 

シュリ……と彼女は呼ばれていた。

……シュリ?

 

何処かで聞いた覚えがある。

前世でも、今世でも……今世では、つい最近知った名前の筈だ。

 

それはワカンダにスーツを返すと決まった際に、ワカンダについて調べている時に知った名前だ。

 

ワカンダの国王はティ・チャラ。

その妹の名前が……確か──

 

 

「シュリ、王女殿下……?」

 

「うん、そうだけど?」

 

 

意識が一瞬、遠のき掛けた。

何故、盗品の返納程度の話で王女が来るのか。意味が分からない。

 

というか、その服装は何だ?

ワカンダの伝統的な服でもなく、高貴な服でもない。

ニューヨーカーの高校生や中学生辺りが着そうな、安物のウィンドブレーカーだ。

一国の王女が着る服じゃないだろう。

 

ただ、そんな感情は表情に出さない。

何が無礼に繋がるかは分からないからだ。

 

……そのまま、シュリは手元のアーマー・スーツを見ている。

 

 

「革新的じゃないけど、堅実な作り。加工技術はワカンダでも通用するレベル……特殊な機構はなし。衝撃吸収能力と……放出能力もある?」

 

 

ブツブツと小声で、スーツについて呟く。

 

……正直、シュリ王女の情報は殆ど記憶にない。

ドクター・ストレンジによる記憶の再封印は完璧で、別世界の記憶との接続はし辛くなっている。

 

過去に接続して得た記憶が消えた訳ではないが、新しい情報は引き出せなくなっていた。

 

だから、シュリが……その仕草から、何かしらの技術に精通している事は分かるが、詳細は分からなかった。

 

瞬間、シュリが私に視線を向けた。

 

 

「ねぇ、これって貴女が作ったの?」

 

「……いえ、兄が……作りました」

 

 

私は首を横に振る。

何故、私が作ったと思ったのだろう。

 

 

「そうなの?それじゃあ、貴女の兄さんは?ここに来てないの?」

 

 

シュリの言葉に、一瞬詰まって……再度、私は首を振った。

 

 

「兄は亡くなり、ました」

 

「……あ、ごめんね?」

 

「いえ……」

 

 

気にしてはいない。

兄の死は悲しい出来事だったが、いつまでも引き摺ってはいられない。

……兄もきっと、それを望んでいる。

 

少なくとも、誰かに負い目を感じられたいとは思ってないだろう。

 

 

「でも、何で貴女がスーツの保持者なの?」

 

「……何故?」

 

「元々着てた人は何処に行ったの?」

 

 

その言葉に……私は彼女の疑問を察した。

 

 

「元々は私が、着ていました」

 

 

スーツを私が着ているというイメージが無かったのだろう。

故に、私が持ち主であるという事から『スーツを作った人』だと思ったのだ。

そして、私がスーツを作った人間ではないと知って困惑していたのだ。

 

 

「……え?これを?」

 

 

シュリが壊れたスーツの一部を持ち上げた。

割れた頭部のマスクだ。

洗浄もしていなかったのか、血が固まって張り付いていた。

 

私は頷く。

 

 

「そう、です」

 

「…………」

 

 

シュリは一瞬、訝しい者を見るような目で見て……少し、憐れむような目をした。

そんな目を向けられるほど、善良である自信はないが……不快ではなかった。

 

シュリが私の側に近寄りながら、口を開いた。

 

 

「このスーツって、私……敵対してた暗殺者が装着してたって聞いてたんだけど」

 

「そう。だから、それが私、です」

 

「……ふーん?」

 

 

シュリが手元のマスクを撫でた。

ヒビ割れていて、ガタガタな縁を指でなぞる。

……結構、断面は鋭い。

 

指を切りかねない……そう思って内心、不安になった。

彼女はワカンダの王女だからだ。

 

 

「貴女の名前は?」

 

「……私は、ミシェル・ジェーン=ワトソン」

 

「そう、よろしくね」

 

 

シュリが私に手を伸ばした。

……理解出来なくて、一瞬、もう一人のワカンダ人……オコエを一瞥した。

止めるような素振りもせず、少しだけシュリに呆れているようだった。

 

……観念し、私はシュリの手を掴んだ。

 

 

「少し、昔話をお願いしても良い?」

 

「昔、話を……?」

 

「うん。貴女の兄さんについて。このスーツを作った人が、どんな人か知りたいの」

 

 

どうして聞きたいのか。

ただの興味なのか……何なのか。

しかし、答えないという選択肢は選べない。

不敬なのもあるが……ここで答えなければ、信頼されないと思ったからだ。

 

 

「兄は──

 

 

ティンカラーと呼ばれた……私の兄について、語り出す。

時折り、私自身の話も交えて……彼女は真剣に聞いてくれた。

 

思い出さないようにしていた。

だけど、嫌な思い出ではない。

兄の記憶を語れば……また、会えたような気がして、心地良かった。

 

結局、十分、いや二十分は兄について語った。

 

その間、シュリは頷くだけで話に割り込んで来なかった。

当初は興味も無さそうにしていたオコエも、少しずつ聞いてくれて……最後の方はシュリと並んで聞いてくれた。

 

 

「以上、です」

 

 

話は終えたけれど、兄の死について細かくは話さなかった。

……私が自殺した兄を解体した話なんて、誰も聞きたくはないだろう。

私も話したくはない。

 

 

シュリは最後まで話を聞いて……傷だらけのまま、光を反射するマスクへと視線を下ろした。

 

 

「……貴女の兄さんは、貴女の事が大切だったんだろうね。このスーツを見たら分かるよ」

 

「スーツ……から?」

 

 

私はクリアケースの中に入っているスーツへ、視線を落とした。

 

 

「凄く堅実な作り。変に特殊な機構を付け加えない……信頼性のある作り。可動域やスーツ形状、外殻、ショックアブソーバー……全ての機能が中の人間を考慮して作られてる」

 

「……私を──

 

「うん。貴女に傷付いて欲しくなかったんだろうね」

 

 

黒いスーツに私の顔が反射する。

 

このスーツは……レッドキャップという私の殻は、私を守ってきてくれた。

兄が作ったスーツと、私が作り上げた人格……それが『レッドキャップ』だ。

名付けたのは組織だとしても……その本質は、私と兄が作ったのだ。

 

そう考えれば、考えるほど……どうしてだろうか?

手放したいと思っていた筈のスーツを、惜しむような気持ちを自覚した。

 

……この感情を自覚させたいが為に、ニック・フューリーは私に引き渡しをさせたのだろうか。

 

だけど、しかし──

 

 

 

私はクリアケースの蓋を閉めた。

 

 

「……本当に良いの?」

 

 

シュリが私に視線を向けた。

それに私は頷いた。

 

 

「このスーツは……いえ、ヴィブラニウムは……本来あるべき場所に返すべき、ですから」

 

 

私の言葉にシュリは……少し目を瞑って、頷いた。

 

 

「分かった。元々、持って帰る予定だったし……だけど、ちゃんと有効活用する事は豹の神様(バースト)に誓う」

 

「……ありがとう、ございます」

 

 

ニッとシュリが笑いながら、サングラスを下げた。

そして、背後のオコエに顔を向けた。

 

 

「ね、オコエ。用事は終わったし、観光しても良いでしょ?」

 

「……はぁ、分かったわ。でも、あまり長くはダメよ」

 

「やった」

 

 

シュリが小さくガッツポーズをして、私に視線を戻した。

 

 

「ミシェルはニューヨークに住んでるの?」

 

「……えぇ、はい」

 

 

質問の意図が分からないが、頷く。

 

 

「それじゃあさ、ちょっと頼み事してもいい?」

 

 

シュリが指の間を小さく開いて、私に上目遣いをした。

……相手は王女殿下だ。

断れる訳がない。

 

 

「はい、勿論」

 

「よしっ──

 

 

シュリが腕を開いて、ドアの近くに立った。

……無性に、嫌な予感がした。

 

 

「ニューヨークの観光案内してよ!」

 

 

こうして私は、王女殿下の観光案内をする事になったのだ。

不敬なことをすると、国際問題に発展しないか……胃が、キリキリと痛んだ。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

結論から言えば、取り越し苦労だった。

シュリは歳頃の少女らしく、溌剌としていた。

 

私は彼女に振り回されながら、道案内などをした。

 

ちなみに、ここに私のスーツはない。

まだ倉庫の中で……午後、ジェット機でシュリとオコエがワカンダへ帰る際に、一緒に持って帰るらしい。

 

結果、手ぶらの三人組となった。

 

シャカシャカ音が鳴る安物のウィンドブレーカーを着たシュリ王女殿下と、真っ黒なスーツを来た護衛のオコエ、そして私だ。

 

服装も年齢もバラバラで、側から見たら不審者に見えないか心配だ。

特にオコエ。

 

彼女はこのニューヨーク市内では異質すぎる。

あまりにも戦士らしい鋭さが滲み出ている。

周りの人間が、彼女に近付かないように気を付けているのが手に取るように分かった。

 

まぁ、端的にいうと怖いのだ。

 

 

「……うーん」

 

 

蓋の空いたショーケースの中にあるアクセサリーを、シュリが物色している。

 

ここはニューヨーク、アッパー・イーストサイド内にある雑貨店だ。

民芸品や、若者向けの小物も売っている。

アクセサリーやネックレス、イヤリングなんかもだ。

 

 

「これって似合う?」

 

 

シュリが安物のネックレスを首元に当てて、オコエに見せた。

……彼女は顔を顰めて、首を振った。

 

 

「え?じゃあ、逆にどれが良いと思うの?オコエは」

 

 

オコエは少し悩ましい表情をして……指差した。

黒い水晶の爪型の首飾りだ。

少し値段が張る。

 

 

「これじゃあワカンダの物と一緒じゃん!」

 

「一緒じゃないわ。ワカンダの方が品質が良い」

 

「尚更、ダメじゃん」

 

 

オコエの言葉にシュリは顔を顰めて、私に視線を向けた。

 

 

「じゃあ、ミシェルは?どれが良いと思う?」

 

 

私?

なぜ私なんだ。

 

自信はないが……アクセサリーの中から一つ選んだ。

 

それは──

 

 

(パンサー)?」

 

 

豹の柄をあしらった頭部シルエットが、シルバーで作られていた。

そして、要所要所には金色の装飾も付いている。

 

 

「どう?似合う?」

 

 

首元に抑えて、オコエに見せた。

彼女は少し迷った後、頷いた。

 

 

「じゃあ、これにしようかな」

 

 

シュリがレジへ向かい、その後ろをオコエが付いて行く。

 

私も後ろから追従しながらも、店内を眺める。

ここはそれ程、値段がしない若者向けの雑貨店だ。

だからか、ちょっと……こう、微妙に怪しい物も売っている。

 

壁に、お面が置いてある。

私もハロウィンの時に付けていたホラー映画のマスクや、パワーレンジャーのマスク。

……それと、実在するヒーローのマスクまである。

 

アイアンマン、キャプテン・アメリカ、ソー、ハルク……どれもこれも手作り感溢れるクオリティだ。

しかし……他にもちょっとマイナーなヒーローのマスクまである。

 

 

「…………」

 

 

ワゴンに乱雑に並べられたシリコン製のお面を漁る。

色がちょっと剥げてる物まである……あまり、売る気がない……いや、売れる気がしないのだろうか?

 

そうして漁っている内に、一つ……見覚えのあるマスクを見つけて、手を止めた。

 

 

「……ふふ」

 

 

それをワゴンから取り出して、手元に持つ。

赤いマスクに、蜘蛛の巣のような黒いライン……スパイダーマンだ。

 

こんな場所でも見かけるという事は、それだけ知名度が上がってきたという事だろう。

彼は日頃から、クイーンズで人助けをしている。

『親愛なる隣人』として、街の人にも愛されているに違いない。

……いや、JJJ(ジェイ・ジョナ・ジェイムソン)はダメか。

 

閑話休題(それはともかく)

 

予想外の場所で出会ったスパイダーマンに、私は少しテンションを上げた。

……でも、今はシュリ王女の付き添いだ。

付き添い中に趣味のマスクを買うのは、如何な物だろうか。

 

私は手に持った仮面を、ワゴンに戻そうとして──

 

強化された聴覚が、異音を拾った。

遠くで、凄いスピードで走る車の音が聞こえた。

スリップするタイヤの音、唸るようなエンジン音……何か、急いているのか。

 

それとも。

 

しかし、他人事ではない。

なぜなら、少しずつ音が大きくなっているからだ。

 

シュリに視線を向ける。

彼女は気付いていない……だが、オコエは訝しむような顔で外を見ていた。

 

……気の所為じゃない。

 

私はマスクを持ったまま、急いでシュリの側に近寄る。

オコエも彼女の側に近付き……手元に、銀色の棒を出した。

何処に持っていたのか、それはバトンのような長さで……左右の手に一本ずつ持っていた。

 

私達の動きに気付いたのか、シュリが振り返った。

 

 

「え、何?」

 

 

オコエがシュリに視線も向けず、口を開いた。

 

 

「敵襲、少し隠れていなさい」

 

 

そして、銀色のバトンを握り直し、繋げた。

それは一本の長い棒になり……先端が変形し、穂になった。

銀色の槍……ヴィブラニウム製の槍だ。

 

そして、彼女の着ている黒いビジネススーツが……ボロボロになって崩れていく。

その下に着ていたのは……真っ赤な布地に、金の装飾が施されたワカンダの民族衣装──

 

いや、戦闘装束か。

 

そこに居たのは、ただの護衛ではない。

ワカンダの特殊部隊、王直属の近衛部隊『ドーラ・ミラージュ』……その隊長、オコエだ。

 

……音が近づいてくる。

 

オコエは、シュリの側にいる私に視線を向けた。

 

 

「信頼しても良いかしら」

 

 

それは、善悪の意味での信頼ではないだろう。

彼女を守れるのか、という意味での信頼だ。

私は首を縦に振った。

 

それにオコエは何かを言おうと口を開き──

 

 

瞬間、店内の入り口が砕けた。

私はシュリを掴んで、店内の大きな机の下に引き摺り込む。

 

木片や砕けたガラス、アクセサリーなどが飛散し、壁や床を傷つける。

 

私達の他に客は居なかった。

……店員はオコエが投げ飛ばして、店外にいる。

 

この襲撃の犯人の狙いは恐らく──

 

 

「な、何これ?」

 

 

腕の中にいる王女殿下だ。

無関係な人間を追ってまで殺すような事はないだろう。

 

机の端から顔を出して、外を見る。

 

店内の入り口には巨大な装甲車が突っ込んでおり……明らかに、事故ではない事が伺える。

 

しかし、どうして入り口までで済んだのか。

店内の奥まで突っ込めば、ターゲットも殺せていただろう。

 

……その原因は、装甲車の前面がひしゃげている事で分かった。

装甲車は何かに遮られて、動きを止めたのだ。

 

それは……床に刺さった銀色の槍。

 

装甲車が突っ込んできた瞬間、オコエは槍を地面に突き刺しストッパーにしたのだ。

これも衝撃を吸収できるヴィブラニウムの性質故に出来た事だろう。

 

 

「どこの誰かしら。随分と原始的な玩具ね」

 

 

オコエが挑発すると共に、地面に刺さった槍を引き抜いた。

 

直後、装甲車のドアが開いた。

 

中に居たのは……赤い服の上に、装甲を装備した兵士……いや、傭兵だ。

それが何人も。

 

無言のまま彼等は武器を構えた。

突撃銃……ではない。

 

彼等が持っているのもまた、槍だった。

ただし、オコエの持つ伝統的な槍ではなく、先端が二つに裂けた近未来的な槍だ。

 

金属製の柄に……先端だけ、何か別の金属で出来ている。

 

服の上に着た装甲と、同じ金属。

つまり……ヴィブラニウムだ。

 

 

「……クロウの手下か」

 

 

オコエは険しい顔で、槍を構えた。

 

クロウ……ユリシーズ・クロウか。

彼はヴィブラニウムを大量に盗んでいる。

自らの私兵を武装できる程に。

 

 

「……オコエ」

 

 

シュリが私の腕の中で、小さく呟いた。

……彼女は私が、守らなければならない。

 

 

直後、クロウの私兵が槍を振るった。

先端はヴィブラニウム製、当たれば致命傷は避けられない。

 

オコエは……それを紙一重で避けて、そのまま体を回転させた。

勢いのまま、小さく槍を振るい……私兵の腕を斬った。

 

 

「ぎゃあっ」

 

 

結構深めに斬れたようで、血が吹き出した。

腱が切れたのか、槍を持っていられないようで手放した。

オコエは腹を柄で殴り、そのまま地面に転がした。

 

そして、私兵が持っていた槍を踏み付けて、私の方に向けて滑らせた。

 

 

「それを使いなさい!」

 

 

私は頷きながら、槍を手に持つ。

 

しかし、オコエはその隙を突かれて、別の私兵に槍を振るわれ──

 

 

「はぁっ!」

 

 

ヴィブラニウム製の柄で防いだ。

そのまま、弧を描くように回して……相手の槍を引き寄せた。

 

勢いのまま、私兵の顔面に肘を喰らわせ、足を払い、更に回転する。

遠心力で私兵が宙に浮いて、投げ飛ばされ……壁に激突した。

 

 

「幾ら武装が優れていても、腕前がお粗末ね」

 

 

まるで何もかもを巻き込むような、竜巻のようだと私は思った。

 

凄まじい槍使捌きだ。

流石は『ドーラ・ミラージュ』の隊長(リーダー)という訳か。

 

直後、拍手の音が聞こえた。

 

 

「凄いな、今のどうやったんだ?教えてくれよ」

 

 

そこにいたのは……髭面の屈強な男だった。

他の私兵と違い、装甲なんて付けていない。

袖を捲った白いカッターシャツに、深い紫色のベスト、緩く絞められたネクタイ。

随分と気楽な格好だ。

 

だが、それ故に……その自信が、只者ではないと悟らせた。

 

 

「ユリシーズ・クロウ……!」

 

 

私の腕の中に居たシュリが、顔を出して……怒りを込めた表情で睨んだ。

 

……奴が、ユリシーズ・クロウ?

私の知っている容姿とは少し違うが……だが、彼女が言うのならば間違いないだろう。

 

 

「よう、嬢ちゃん。久しぶりだな」

 

「……ふざけないで!」

 

 

シュリは怒っている。

……ヴィブラニウムを盗まれただけでは、なさそうだ。

何か、彼女と彼の間には因縁があるように見えた。

 

 

「おいおい、何だ?まだ怒ってんのか?仲良くしようぜ」

 

「父さんを殺した奴と、仲良くする訳ないじゃない!」

 

「そりゃそうだな、今のは皮肉(ジョーク)だ」

 

 

……シュリの顔を見る。

シュリの父親は……ティ・チャカ王は先代の国だ。

そして、ワカンダの国王とはつまり……ブラックパンサーだ。

 

ヴィブラニウムのスーツを着て、ハーブによって得た身体能力、ワカンダの武術を使って戦う……超人、戦士。

それが代々、国王が受け継いでいる黒き豹……ブラックパンサーだ。

 

そんなブラックパンサーを殺したのだと言う……目の前にいる、ユリシーズ・クロウに対する危機感を強めた。

 

ふと、クロウが私へ視線を向けた。

 

 

「お、知らねぇ嬢ちゃんもいるな。気になってるようだし、少し昔話をして──

 

「だぁっ!」

 

 

オコエが槍を振るった。

それはクロウへ直撃し──

 

すり抜けた。

 

 

「やろうか?アレは二十年近く前の話だ」

 

 

クロウは気にもせず、話を進める。

槍の先端は店の壁に切り傷を与えた。

 

……何だ、今のは?

目の前にいるクロウは実体ではないのだろうか?

 

 

「親父はヴィブラニウムの存在を知り、ワカンダまで遥々やって来た。まだガキだった俺を連れてな」

 

 

……いや、違う。

ホログラムではない。

 

足を動かせば床の木が軋む。

手で机を撫でれば、埃が取り除かれる。

 

私の強化された五感は、奴がそこにいるのだと認識させている。

 

 

「親父は科学者だった。音波装置の研究で、どうしてもヴィブラニウムが欲しくなった。初めは先代の王も優しく案内してくれたさ。生娘をエスコートするようにな」

 

 

クロウが歩く度に、その一挙一動にオコエは警戒する。

 

 

「だが、そこにいる先代の王はヴィブラニウムの受け渡しを拒否した。親父は懇切丁寧に懇願したがダメだった」

 

 

その言葉に、シュリが身を乗り出した。

 

 

「嘘よ!あんたの父親は、私の父さんを脅した!武器を使って!」

 

「あー?そうだっけか?まぁ、良いじゃねぇか。肝心なのは、この続きだ」

 

 

クロウが壁にかけられていた、豹の形をしたアクセサリーを手に取った。

先ほどシュリが購入しようとしていた物と同じだ。

 

 

「親父はな、先代の王に殺された。首を掻っ切られて……置き去りにされた。まだ子供だった俺は見逃されたが……」

 

 

そして、手元のアクセサリーを右手で握った。

 

 

「俺は忘れちゃいなかった。報いは受けさせたぜ?同じように首を掻っ切ってやった」

 

 

ギチ、ギチと嫌な音がした。

ユリシーズ・クロウの右手が、変形する。

 

人工皮膚が剥がれ、金属が露出する。

アレは……ヴィブラニウム製の義手だ。

 

 

「そん時は、お前の兄貴に負けちまったが……それでも、大量のヴィブラニウムは頂いた。戦いでは負けたが、勝負には勝った……俺はパンサーに勝ったんだ」

 

 

クロウが手を開くと……ぐちゃぐちゃになった、豹のアクセサリーが現れた。

 

 

「親父を殺したパンサーはもう居ない。次に報いを受けるのは、お前の兄貴だ。シュリ殿下」

 

 

殺気を感じる。

私はシュリを背後に寄せて、クロウから隠す。

 

 

「俺の腕をちょん切った恨みは返すぜ?最愛の妹をブッ殺したら、そりゃあアイツも悲しむだろうよ!」

 

 

クロウの義手が変形し、銃口のような形になった。

それを見たオコエが、槍を構え、突進し──

 

義手が、赤く光った。



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#15 ボーン・アゲイン part2

まず最初に、オコエが吹き飛んだ。

次に、店内のガラス製品が砕け散った。

そして、耳鳴り……。

 

ユリシーズ・クロウの右腕、ヴィブラニウム製の武器は……音波だ。

空気を振動させて衝撃波を発生させている。

 

奴の右腕はソニック・ブラスターだ。

それも、ヴィブラニウム製の特注品……衝撃を吸収するということは振動を吸収して、音波に指向性を持たせる事に活用できるという事。

装着者本人に反射なく、最大出力で放てるという事だ。

 

 

咄嗟に、私はシュリを庇い──

 

 

弾き飛ばされた。

 

 

 

少し遅れて……耳に、砕ける音が聞こえた。

私の骨だ。

シュリを庇った事で、受け身も取れず壁に衝突したからだ。

 

 

「げ、ごほっ……」

 

 

血反吐を吐いて、地面に転がる。

シュリは──

 

 

「ちょ、ちょっと、ミシェル!?」

 

 

無事、のようだ。

 

体の中を自己検診する。

複数の内臓にダメージ。

背骨が軽傷、肋骨にヒビが入っている。

 

……治癒因子(ヒーリング・ファクター)に意識を割いて、治癒を進める。

完治までに必要時間は……5分程だ。

 

短いと考えるべきか、それとも……今、この瞬間では長すぎると考えるべきか。

恐らく、後者だ。

 

視線を上げる。

店内はメチャクチャに壊れていた。

アクセサリーは散乱し、ガラス類は原型を留めていない程に粉々になっていた。

 

そして、砕けた破片が舞う中で……オコエは立っていた。

 

私よりも至近距離でソニック・ブラスターの衝撃を受けた筈なのに……それでも立っていた。

しかし、身体中に傷があり、分かり辛いけれど……赤い戦闘服に血を滲ませていた。

 

堪らず、シュリが身を乗り出した。

 

 

「オコエ!」

 

「問題ない!ドーラ・ミラージュはこんな男に負けはしない!」

 

 

血塗れのオコエは再度、槍を構えた。

目の前には、ユリシーズ・クロウ。

 

彼は半笑いを浮かべていた。

 

 

「おうおう、随分と活きがいい。内臓はもうグチャグチャなんだろ?」

 

「それが……なんだと言うのだ!我らが誇りの、前には!」

 

 

オコエが槍を振るった。

しかし、また……それはクロウの身体をすり抜けた。

 

槍が触れた瞬間が見えた。

奴の身体は赤いノイズのようになっていた。

 

 

まさか──

 

 

「……音波、人間」

 

「んん?何だ、嬢ちゃん物知りか?」

 

 

ユリシーズ・クロウ。

その正体は……彼自身が肯定した事によって、疑惑は確信へと変わった。

 

クロウがシュリの方へ視線を向けた。

 

 

「パンサーとの殺し合いの時、腕を無くした俺は逃げるために音波変換装置(ソニック・コンバーター)の中に飛び込んだ。音波を物質にする変換装置だ。それが逆転した結果──

 

 

手を上げると、赤いノイズのような物になった。

まるで宙を浮かぶホログラフィックだ。

 

 

「俺は生きながら音波となった」

 

「……そんなの、科学的にあり得ない」

 

 

シュリが驚愕と畏怖を込めた視線を向けた。

その視線に、クロウは頬を掻いた。

 

 

「あり得なかろうと、俺はこうして実在している。重要なのは結果だ。俺は、生きる音波生命体になった……こうして、好き勝手に実体を消せるようになった。これが結果だ」

 

 

言い切った瞬間、クロウは全身を赤いノイズに変えて……消えた。

 

そして、ノイズは……オコエの背後に現れた。

 

 

「オコエ、後ろ!」

 

 

直後、オコエの背後にクロウが実体として現れた。

さっきまでの人間らしい姿ではない。

真っ赤な肌をした、辛うじて人の形をしたバケモノだった。

 

オコエが声に気付き、背後に槍を振り回した。

 

 

『学ばないが──

 

 

槍はすり抜けて、壁を裂いた。

 

 

「っ!」

 

 

オコエは一歩引いて、攻撃を避けようとし──

クロウが右腕のソニックブラスターを向けた。

 

 

『バカは死ねば治るか?』

 

 

瞬間、また光が──

 

クロウの、右腕が跳ね上がった。

 

 

『あ?』

 

 

オコエが槍を掲げ、足で跳ね上げたのだ。

 

ガオン!と大きな音がした。

 

音波攻撃は天井にぶつかり、砕けた木片が散乱した。

オコエの頭上が砕けて、瓦礫が彼女に降り注ぐ。

 

 

「オコエ!」

 

 

……既に満身創痍である彼女は避ける事が出来ず、そのまま瓦礫の中に埋もれてしまった。

シュリは呆然とした顔で、瓦礫を見つめている。

 

 

『……ちょいと驚いたが、まぁ無駄な努力だったな』

 

 

しかし、感傷に浸る余裕はない。

クロウは私達の隠れている机へ、視線を向けた。

 

私は──

 

 

「シュリ、お願い。隠れてて」

 

「……え?」

 

 

彼女を机の後ろに隠して、立ち上がった。

口調を丁寧にしている余裕すら無い。

 

私は敵から奪った槍を持って、机から離れていく。

 

クロウの持つソニック・ブラスターの射線上から逸らす為だ。

 

 

『ん?次は嬢ちゃんがやるのか?』

 

 

ソニック・ブラスターが私に向けられる。

私は無言のまま、槍を手に構える。

 

……勝算がない訳ではない。

先程、オコエはクロウに一瞬、触れていた。

ソニック・ブラストを放つ一瞬……奴は、物理的に干渉しなければならない時、音波に変化する事が出来ないのだ。

 

オコエが満身創痍で私に教えてくれた事だ。

……彼女も後で助けなければならない。

ワカンダ人、ドーラ・ミラージュの隊長が、あの程度で死ぬ訳がない。

 

今は瓦礫の下で気絶しているだろうが……コイツに打ち勝って、助け出せば良いだけの話だ。

 

 

『勇気と無謀を履き違えたな。そういう奴は、決まって早死にする』

 

「……それは貴方の方」

 

『はは、言うねぇ。随分とムカつくクソガキだ……死んでから詫びても遅いぞ?』

 

 

ソニック・ブラスターが構えられ──

 

私は地面を蹴り、接近した。

身を低く、這うように……滑る。

 

放たれたソニック・ブラストを近距離で避け、肉薄する。

 

 

『は?』

 

 

クロウはオコエを知っていた。

彼女がドーラ・ミラージュの隊長である事も知っていた。

だから、彼女と戦う時は警戒していた。

 

だが、私には警戒が薄かった。

どこの誰とも知らなければ、私の容姿は屈強な戦士には見えはしない。

 

 

その隙を突く。

 

 

勝負は一瞬、この一度に賭けた。

そして、私は賭けに勝った。

 

甘えた射線、想定外の事態への動揺。

クロウは一手、遅れた。

 

私は肉薄し……槍を薙ぎ払った。

 

 

『ぐ、おぉっ!?』

 

 

手応えはあった。

 

しかし、浅い。

 

クロウは数歩引いて、再度、ノイズに変わり……距離を取られた。

 

 

『くっそっ、何だ、てめぇ……ただのガキじゃねぇな!?』

 

 

しくじった。

しくじった、しくじった、しくじった!

 

クロウの警戒は引き上げられてしまった。

これでは、迂闊な攻撃はされない。

反撃出来ない。

 

……無意識のうちに、攻撃の手が緩んでしまった。

平和ボケだ。

人を傷付ける事を恐れてしまった。

 

戦いの場において、その優しさ……いや、甘さは命取りになる。

 

強い人間が、弱い人間と戦う時に手加減をするのは分かる。

だが、私のような弱い人間が……自身より強い相手に手加減をしてどうする?

 

本当に守りたい物を守るためには、相手を傷付ける覚悟が必要だった。

(ミシェル)にはそれが……なかった。

 

槍を強く握り、再度、構える。

 

 

『おっと!俺はもう、お前には近付かない』

 

 

クロウが右腕のソニック・ブラスターを構えた。

 

 

『良い方法を思い付いたぜ?お前を確実にブチ殺せる名案だ』

 

 

その先には……シュリが隠れている机があった。

 

 

「……シュリ!」

 

『精々守りな』

 

 

咄嗟に、私は射線を遮るように飛び出し……衝撃が、身を貫いた。

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

『どうして戦っているの?』

 

 

それは……彼女を守らなければならないから。

 

 

『別に親しい友人って訳でもないのに、命を懸けてまで?』

 

 

それでも、助けないと。

 

 

『何で?』

 

 

だって私、そうでもしないと……自分を許せなくなるから。

私が私を生きてて良いと、心の底から思うために……みんなの好意に相応しい人間にならないと。

 

 

『……貴女(わたし)は過去を捨てられていないの?』

 

 

捨てられない。

もう、分かっている。

己の不始末と、己のしてきた事も。

犯した罪と、与えられない罰を。

 

 

……だけど。

 

 

過去は、悪い事ばかりじゃない。

 

 

『どうして?ずっと捨てたがっていたのに……己の過去(レッドキャップ)を』

 

 

今までは、そうだった。

 

だけど、やっと気付いた。

 

アレは私だ。

過ぎ去った過去は無くなりはしない。

捨てる事は出来ない。

 

それなら、私は包括する。

 

人殺しの私(レッドキャップ)を……戦う技術を、心構えを、強さを……必要とする私(ミシェル)がいるのなら。

 

……それを使う。

捨てられない過去も己自身だから。

 

私は、私の『ありのまま』を捨てはしない。

それが生きるために必要ならば……私はもう目を背けたりしない。

 

今も、過去も、未来も私だ。

逃げたりはしない。

 

受け入れて……戦うしかない。

 

過去と今を繋ぎ、未来のために戦う。

 

それが……私が、私の、私に、出来る事だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

混沌とした暗闇から、目を覚ました。

 

 

「げほっ、ごぼっ……!」

 

 

血を吐く。

内臓と骨が痛む。

 

 

「ぐ、ぅう……」

 

 

……ボヤけた視界の中で、装甲車にシュリが担ぎ込まれているのが見えた。

 

立て、立て、立て!

 

車が走り去っていく。

足はまだ……動かない。

 

全力で治癒因子(ヒーリング・ファクター)を稼働させる。

 

 

「は、はぁっ」

 

 

手を伸ばすと……何かに触れた。

……それは、シリコン製のお面だ。

 

スパイダーマンの、仮面(マスク)

 

……それを手に取り、顔に付ける。

地面に転がったまま、仰向けになる。

 

 

「はっ、はぁ、はぁ……っ!」

 

 

視界は狭くなる。

呼吸もし辛くなる。

 

だけど……私は、この方が身に合っている。

『私』の起動手順(ルーティン)、戦う為の装束。

 

 

「ぐ、ぅ……!」

 

 

呼び覚ます。

 

研ぎ澄ませる。

 

心の中にあるスイッチを跳ね上げる。

 

 

目を、閉じた。

 

 

レッドキャップは、あの時……胸の爆弾が炸裂した時に死んだ。

 

だが、生き返った。

生まれ変わらせた。

 

随分とブランクが開いたが、腕は錆び付いてなどいない。

心もだ。

 

前は、組織の命令に従うだけの戦闘兵士だった。

だが今、その命令を下すのは私自身だ。

 

 

(ミシェル)が考え、(レッドキャップ)が戦う。

それでいい。

 

 

目を見開き、勢いよく立ち上がった。

 

 

まだ内臓の損傷は酷い。

骨も完全に繋がってはいない。

 

激痛が身を蝕む。

 

だから、どうした。

 

昔から、そうだっただろう。

どれだけ身体を損傷しても、私は戦ってきた。

 

そうだ。

今はその、覚悟と耐久性が必要だ。

 

 

足元の槍を手に持つ。

柄が折れて、穂に少ししか残っていない。

 

だが、好都合だ。

 

まるでナイフのように短くなった槍を手に持つ。

こっちの方が使い慣れている。

 

 

瓦礫を蹴って、オコエを掘り出す。

身体の中で、治癒因子(ヒーリング・ファクター)を全力で稼働させたままで。

 

 

「げほっ、ごほっ」

 

 

オコエが咳き込みながら、顔を出した。

腕を引っ張って、無理矢理引き摺り出す。

 

 

「ミ、シェル……?シュ、シュリは……」

 

「ユリシーズ・クロウによって、連れ去られた」

 

 

端的にそう答えると、オコエは見る見る内に顔を顰めた。

 

 

「助け、なければ……」

 

 

だが、その身は限界だ。

骨は折れ、内臓も重度の損傷がある。

 

私は肩を叩き、離れる。

 

 

「大丈夫だ。私が助けに向かう」

 

「……貴女、何を──

 

 

マスクを被っている私を、彼女が訝しんだ。

 

 

「怪我人は寝ているといい。足手纏いになる」

 

 

少し強めに言って、私は背を向けた。

こうでも言わなければ、彼女は無理をしてしまうだろう……治癒因子(ヒーリング・ファクター)のない彼女ならば、致命傷になりうる。

それをシュリは望まないだろう。

 

彼女の困惑を身に感じながら、それでも私は……回復した四肢を動かして、半壊した店を飛び出した。

 

ここはニューヨーク市内の大きな坂道だ。

下り坂に向かって、装甲車は走っている。

 

……即座に、店の前に停まっている壊れた車のドアを切り飛ばした。

そして、切り飛ばしたドアに片足を乗せて……地面を蹴った。

 

火花を散らしながら、道路を滑る。

さながらコンクリートの海を滑る、サーファーだ。

 

下り坂を勢いよく下れば、車よりも速く着くだろう。

 

身を低くし、空気抵抗を減らし、小さくなった槍……いや、ナイフで地面を蹴った。

 

 

更に加速して……装甲車に接近する。

 

 

装甲車の天板が開き、クロウの私兵が顔を出した。

その手には突撃銃……そんなもの、ニューヨークの市内で撃つつもりか。

 

撃たせはしない。

 

足場にしていた車のドアを蹴って、装甲車に飛び乗る。

装甲の段差に指をかけて、全身を捻り車上に登る。

 

……身体が軽い。

そうだ、そうだった。

 

私は、こうやって身体を動かしていたな。

随分と久しぶりな気がする。

 

 

「なんっ──

 

 

声を出そうとした私兵の首を、手で掴んだ。

喉を抑えて、呼吸できなくして……車内から力付くで引っ張る。

 

そのまま投げ飛ばせば、走行中の装甲車から転げ落ち、道路に落ちた。

……死んではいないだろう。

 

ヴィブラニウム製の装甲をつけているのだ、衝撃は吸収される。

私は装甲車の天窓に身体を突っ込もうとし──

 

槍が、中から飛び出してきた。

 

だが、好都合だ。

それを手で掴み、強く引っ張る。

 

私の身体能力は常人の何倍もある。

 

捻り、引き抜いて……槍を奪った。

 

そして、装甲車の前部に立ち……前方の地面に向かって、その槍を全力で投擲した。

 

 

コンクリートを穿ち、前方に刺さった槍は杭となる。

そこに、装甲車が激突した。

 

 

大きな衝突音が、ニューヨークに響いた。

 

 

随分と揺れたが……装甲車が止まった。

ヴィブラニウム製の槍に衝撃が吸収されたが、前に進めなくなったのだ。

 

視線を下げれば……装甲車の前面に槍がめり込んでおり押す事も、引く事も出来ないだろう。

 

 

私は首を鳴らして、装甲車の背部に立つ。

後ろの貨物入れの扉を……手に短く持った槍で引き裂く。

 

素早く、数回切り裂けば……ドアがバラバラになって崩れ落ちた。

 

しかし、それは私兵どもにも想定通りだったようで、装甲車の中から銃を構えていた。

 

引き金が、引かれた。

 

身を捩り、地面を掴み、回避する。

 

私は弾丸より早くは動けない。

だが、弾丸の射線を見切り避けるのは得意だ。

 

装甲車の内部に滑り込み、狭い車内で私兵共と向き合う。

 

 

……三人か。

 

 

接近してきた私兵の腕を捻り、壁に叩きつける。

装甲車の壁が押し込まれて凹んだ。

 

 

「一人」

 

 

別の私兵は槍を短く持って、突き出してくる。

それを避けて、足を払う。

腹を全力で蹴って、肋の数本を破壊する。

苦悶の声が車内に鳴り響いた。

 

 

「二人」

 

 

突撃銃を構えた私兵が私に銃口を向ける。

引き金を引く前に、銃口を手で掴み……引っ張った。

寄ってきた私兵の顔面を殴り、顎の骨を砕いた。

 

 

「これで最後」

 

 

無力化した私兵を踏んで、奥へ向かおうとし──

 

 

振り返った。

 

 

『随分とやってくれたなぁ……さっきは手加減してくれてたのか?』

 

 

道路の坂道の上の方で、ユリシーズ・クロウがシュリを抱え込んでいた。

……シュリは腕を縛られていて、抵抗出来ないようだ。

 

音波変換によって、装甲車の前部から脱出したか。

思わず舌打ちが出そうになる。

 

今ここで奴に逃げられれば、追いつけるかは怪しいだろう。

ここで確実に、シュリを奪還しなければならない。

 

私は装甲車から降りて、クロウへと足を進める。

 

 

「王女は返して貰うぞ、ユリシーズ・クロウ」

 

『あぁ?嫌なこった……しかし、何だその珍妙な姿は。ふざけてんのか?』

 

 

……私は今、出来の悪いスパイダーマンのマスクを被っている。

確かに、『珍妙な姿』だろう。

故に否定する事はない。

 

短くなった槍を逆手に持つ。

 

……今、シュリは人質のような状態だ。

奴は現国王のティ・チャラに精神的ダメージを与えるために、今はまだシュリを生かしているのだろう。

だが、ピンチになれば奴はシュリを殺しかねない。

 

 

明らかに不利な状況だろう。

 

 

……奴が音波として変換できる範囲は何処までか。

恐らく、シュリを音波化するのは不可能だ。

それが可能ならば、奴は既に逃走している。

 

 

音波化すると物理的に何かに干渉する事は出来ない。

そう考えて良いだろう。

 

 

つまり、シュリを抱えている間、奴は攻撃を避ける手段がないという事だ。

 

 

一歩、クロウに向かって踏み込んだ。

 

瞬間、右腕のソニック・ブラスターを構えられた。

 

 

ここには遮蔽物がない。

ならば、リーチの長い武器を持っている方が有利だ。

 

私が持っているのは柄の折れた槍。

クロウが持っているのはソニック・ブラスター。

 

一見すると、私に勝ち筋はないように見える。

 

だが──

 

 

『死にやが──

 

 

身体を全力で捻り、バネのように弾く。

逆手に持った短い槍を、クロウに向かって……投擲した。

 

ナイフの投擲技術には自信がある。

100メートル以上離れた人間の心臓部を狙って当てられるほどの技能が、(レッドキャップ)にはある。

 

人質になっているシュリを避けて、クロウにのみ直撃させることが私にはできる。

そこに一点の躊躇も存在しない。

 

強化された視覚と筋力、鍛え上げた技術を組み合わせる事で……この技術を可能とした。

 

 

槍はクロウに接近し……すり抜けた。

 

 

『は、はぁっ……!は、ははっ、危ねぇ!だが!』

 

 

確かに、小槍は命中しなかった。

だが、一瞬でも回避のために、自らの体を音波に変換した。

 

それは明確な隙だ。

 

道路にシュリが転がった。

奴の右腕のソニック・ブラスターは攻撃をキャンセルした。

 

コンクリートがひび割れる程の強さで地面を蹴り、接近……いや、飛び込む。

 

 

『チッ!』

 

 

再び、クロウは身体を変換させて回避しようとする。

 

だが、私の狙いは奴ではない。

シュリだ。

 

抱きつきながら、距離を取り、転がる。

足元のシュリが攫われた事に、クロウは気付いたようだが……遅い。

 

距離を取ったわたしは、シュリを拘束していた腕輪を腕力だけで破壊する。

呼吸と会話を制限している首輪も砕く。

 

すると、シュリが咳き込んだ。

 

 

「げほっ、ごほっ……う、あ、ありがとう」

 

「礼をしている暇はない」

 

 

手元に武器はない。

服の裾に付けていたヘアピンを開き……構える。

無いよりはマシ、程度だが。

 

 

『……随分と舐めた真似をしてくれるな。そんな玩具で何しようってんだ!』

 

 

クロウが怒鳴りながら、ソニック・ブラスターを構えて──

 

瞬間、奴は押し倒された。

首元を絞められ、驚愕の顔を浮かべた。

 

 

『て、めぇっ……』

 

「オコエ!」

 

 

それはオコエだ。

骨が砕け、内臓も傷まみれだというのに……それでも、私を追って来たのだ。

シュリを守るために。

 

 

『無駄だって、言ってるだろうが!分からねぇ奴らが!』

 

 

再び音波に変換され、オコエが地面に転がった。

傷だらけで……受け身を取る事も出来ていない。

 

ソニック・ブラスターが、構えられ──

 

私は地面を蹴って、クロウへ走り出す。

 

 

『邪魔するな!これは俺とワカンダの戦いなんだ!』

 

 

ヘアピンを小さなナイフのように振るい……クロウをオコエから引き剥がす。

 

 

『チィッ……もう、いい。もういい!』

 

 

クロウが、ソニック・ブラスターをシュリに向けた。

 

 

『もう知ったこっちゃねぇ!ここで姫様をブッ殺してやる!』

 

 

また、私が肉壁になるしかない。

そう思い、彼女の前に立ち──

 

 

ジェット機の噴射音が聞こえた。

 

 

『あ?』

 

 

クロウも、私も頭上を見上げた。

真っ黒なジェット機が、私達の頭上に飛んでいたのだ。

 

既存の物理法則を無視し、頭上で静止した。

 

 

「……あ、あははは。どうやら、間に合ったみたい」

 

 

足元で、シュリが呟いた。

アレは……シュリが呼んだのか。

 

 

『な、んだ、ありゃあ……』

 

「アンタ達に襲われた時、既に呼んでいたの……コレでね」

 

 

クロウがジェット機から視線を外し、シュリを見た。

シュリの右腕……そこに巻かれた伝統品のようなブレスレットが紫色に輝いている。

 

……アレは、ワカンダの万能機器だ。

名前は確か……『キモヨ・ビーズ』。

医療機器として、通信機器として活用できる。

 

使用したのは、恐らく……救難信号の発信。

 

 

『誰だ……誰を呼んだ?』

 

「そんなの、決まってるじゃない。ワカンダに仇なしたアンタは──

 

 

ジェット機の下部が開いた。

 

 

豹の神(バースト)の裁きを受けるのよ」

 

 

開いた下部から、『誰か』が飛び降りた。

黒いシルエットは、腕を交差し組んだまま……真っ直ぐにこちらへ落ちてくる。

 

高度、数百メートル。

パラシュートもなしに、落ちてくる。

 

 

『く、そっ!お前だけでも──

 

 

クロウが視線を逸らし、シュリへソニック・ブラスターを構えた。

その瞬間、私は跳ね上がり、再度接近する。

 

ソニック・ブラスターを腕に持つクロウへ飛び掛かり──

 

 

『チッ!邪魔、だ!』

 

 

ヴィブラニウム製の腕で殴られた。

 

 

「ん、ぐっ……!」

 

私の顔面の骨が折れて、鼻血が出る。

地面に転がり、何とか受け身を取る。

 

口から血と、抜けた歯を吐き出した。

 

 

だけど、時間は稼げた。

 

 

黒いシルエットが落下し、シュリとクロウの間に降り立った。

 

 

高度数百メートルからの落下……だというのに、物音は殆ど無い。

……ヴィブラニウムによる衝撃吸収機能、それが猫科の着地能力を彷彿とさせた。

 

 

『……チッ、現れやがったな』

 

 

交差した腕を解き、黒いシルエットは『爪』を構えた。

 

ワカンダの象徴……黒い、豹だ。

 

 

「兄さん!」

 

「シュリ、下がっていろ。私が相手をする」

 

 

現ワカンダの国王にして、最強の戦士。

ティ・チャラ……いや、『ブラックパンサー』がそこに居た。

 

黒豹を模したマスクに、ヴィブラニウムで出来たタイツのようにしなやかなスーツ。

……全てを引き裂く鋭いヴィブラニウム製の爪。

 

野生、そしてアフリカの夜そのものが実体化したような戦士が、そこに立っていた。

 

 

ブラックパンサーが指を立てる。

そして、クロウへと向けた。

 

 

「予告しておこう、ユリシーズ・クロウ」

 

『……あぁ?』

 

 

訝しむように、クロウが眉を顰めた。

互いに距離を取れない、近寄る事もない。

 

その気になれば、いつでも互いを殺せるのだと……そして、距離など関係ないのだと……私には分かった。

 

 

「貴様は血を見る事になる」

 

 

ブラックパンサーの指の爪が伸びる。

人の手に、獣の爪が生えたのだ。

 

 

『へぇ……そりゃあ、返り血の事か?あぁ?』

 

 

クロウが鼻を鳴らし、ソニック・ブラスターを構えた。

 

 

「……貴様はワカンダの法を犯した。よって、ワカンダの法によって裁く」

 

『ここはニューヨークだぜ、陛下』

 

「知った事か」

 

 

ブラックパンサーが地を蹴り、壁を蹴り、黒豹のような……いや、黒豹と同様の俊敏さでクロウへ襲い掛かった。



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#16 ボーン・アゲイン part3

ユリシーズ・クロウがソニック・ブラストを放った。

ブラックパンサーが背後に飛び、壁を蹴り……宙へ高く飛ぶ。

 

コンクリートの壁が粉砕されて、破片が舞う。

 

そのままパンサーが、瓦礫をクロウへと蹴り飛ばした。

 

 

『チッ……!』

 

 

クロウが赤いノイズに変換され、コンクリートの破片が通り抜けた。

 

 

「……厄介だな」

 

 

そう口にして、パンサーは地面に着地した……と、同時に曲げた足で地面を蹴り、クロウへと接近した。

 

手を振るい、爪で薙いだ。

 

 

『バカめ!』

 

 

またノイズになって、クロウは回避する。

パンサーの背後へ瞬時に移動し、腕を──

 

瞬間、パンサーは視線すら向けず……飛び蹴りを放った。

 

 

『あがっ!?』

 

 

想定外の一撃。

先程の爪の一撃はわざと隙を晒すための布石であり、こちらが本命だったのだ。

 

地面を転がるクロウへ、パンサーが強襲する。

音波に変換して逃げられる前に追撃するつもりなのだろう。

 

飛び出し、地面を爪で抉り、腕の力で身体を跳ね上げ……足を振り下ろした。

 

 

『ぐ、ぅ!?』

 

 

クロウはそれを腕で防ぎ……また、音波に変換して、その場から離れた。

パンサーとクロウが向き合う。

 

……ダメージはそれなりにあったらしく、クロウの腕が僅かに震えていた。

 

 

「幾ら便利な力を持っていようが、それだけでは『ブラックパンサー』に勝つ事は出来ない」

 

『ほざくなよ……お前だって、俺を殺す事が出来ない。同じだろうが』

 

「それはどうだろうな」

 

 

ブラックパンサーが腕を交差し、広げた。

爪を構えて……再度、肉薄する。

 

 

『分からない野郎だな……!』

 

 

クロウは音波化を繰り返し攻撃をいなし続ける。

しかし、それではクロウ側も攻撃が出来ない。

 

……まるで千日手だ。

このままでは何も起こらない。

決着は付かない。

 

……ブラックパンサー、ティ・チャラ陛下は何か考えがあるのだろうか。

私は砕けた顎を再生し、血と痰が付着した折れた歯を吐き出して……辺りを見る。

 

シュリが車の影に隠れて、キモヨビーズから宙に投影された仮想コンソールを操作していた。

 

……何か、手があるのだ。

クロウが気付かないよう、無闇に視線を送るのをやめて……足元のヴィブラニウム製の槍を握った。

 

 

パンサーがクロウへ腕を振り下ろした。

背後にある壁に、まるで猛獣が暴れたかのような爪痕が残る。

当たれば行動不能になる程の、深い一撃。

 

全てが致命傷になりうる攻撃。

それを、黒き豹のごとく繰り出し続ける。

 

クロウも先程の失態を忘れていないのか、無闇に反撃せず、音波変換によって回避し続けている。

 

 

『無駄だ、無駄!』

 

「意味があるかどうかは、私が決める」

 

『屁理屈ばっか言いやがって!』

 

 

ブラックパンサーが地面に深く、足を踏んだ。

足元のタイルが砕けて、跳ね上がった。

 

……私には、シュリが何をしようとしているかは分からない。

だが、パンサーが時間稼ぎをしている事が分かった。

 

敢えて、挑発し……この場から逃げないように留めている。

 

クロウは、その気になれば音波変換で安全に逃げる事が出来る。

もし逃げてしまえば、次の襲撃はいつか……それまで、ワカンダは怯えなくてはならない。

 

だが、それをティ・チャラ陛下は許容していない。

ここで確実に遺恨を断つつもりなのだ。

 

 

私は手を開き、閉じる。

……よし、身体の8割は治った。

動ける。

 

……しかし、パンサーとクロウの戦いには割り込まない。

足手纏い、とは言わないが……彼らの目論見が分からない以上、邪魔をする訳にはいかない。

 

私に出来る事は……万が一、クロウがシュリの行動に気づいた時、守るぐらいだ。

 

 

争いには参加せず、視線をシュリに向けず……それでもクロウの一挙一動から目を逸らさない。

緊迫した時間が過ぎていく。

 

 

戦況が動く。

 

 

パンサーから十分に距離を取れたクロウが、ソニック・ブラスターを構えた。

そしてパンサーの背後には……シュリが隠れている車がある。

 

私は咄嗟に飛び出して、シュリを脇に挟んだ。

 

 

「わ、わわっ」

 

 

シュリが驚いたような声を上げた直後……ソニック・ブラストが放たれた。

パンサーは一瞬、私に……というか、シュリを抱き抱えている私に視線を向け……地面を蹴ってブラストを回避した。

 

私もシュリを引き連れて、別の場所に飛び移る。

 

ビル壁が砕けて、窓ガラスが散る。

屋根のある場所まで避難して、シュリにガラス片がぶつからないようにする。

私は良いが、彼女が怪我をすると……傷跡が残るかもしれない。

それは拙い。

歳頃の少女が顔や身体に傷を負うのは、避けるべきだ。

 

しかし、そんな私の行動を……クロウが視線で追っていた。

仮想コンソールを起動しているシュリ……そのキモヨビーズを見て、眉を顰めた。

 

 

『あ?何しようってん──

 

 

言葉は最後まで紡げなかった。

ブラックパンサーが飛び掛かったのだ。

 

 

「かぁっ!」

 

 

獣の咆哮のような声を上げて、クロウを掴んだ。

そう、掴んだのだ。

 

一瞬、シュリに気を取られた所為で、反応が遅れたのだ。

 

それは一呼吸の出来事だった。

パンサーはクロウの右腕……ソニック・ブラスターを捻り、引きちぎった。

 

 

『ぎ、あっ!?』

 

 

痛みに悲鳴を上げた頃には、奴の腕が宙に舞った。

音波変換をする暇もなかったのだろう。

 

実体化した義腕が、地面に転がった。

 

 

「どうした?反応が遅れているぞ、クロウ」

 

『貴様、二度も俺の腕を──

 

 

クロウが立ち上がり、後ずさり──

 

 

「兄さん!準備出来た!」

 

 

シュリが声を上げた。

クロウがその声を訝しみ、視線を向け──

 

 

「やれ、シュリ!」

 

 

ティ・チャラ(ブラックパンサー)の声に頷き、シュリが仮想コンソールを操作した。

 

瞬間、私の強化された聴覚に……独特な音が聞こえた。

一定の周波数で何か、人工的な電子音を耳が捉えた。

 

……音の発生源は、頭上。

ブラックパンサーが飛び降りて来た、ワカンダのジェット機から聴こえている。

 

 

『あ?何だ?何をしようって言うんだ?』

 

 

しかし、この音はクロウには聞こえていないようだ。

これが二人のやりたかった事なのか?

何の意味があるのか……私には分からない。

 

だが、恐らく──

 

 

「ユリシーズ・クロウ。お前はもう、逃げる事は出来ない」

 

『……あ?』

 

 

パンサーの言葉に、クロウが訝しみ……そして、何かに気付いたようだ。

手を握り閉めて、何度か感触を確かめるように開いている。

 

その様子に、シュリが満足げに口を開いた。

 

 

「ソニック・コンバーター・ジャミング……その感触はどう?アンタの音波を解析して……それを打ち消す、正反対の音波を発生させているの」

 

『……な、に?どうやって……俺の能力を開示したのも、お前らが知ったのも、ついさっきの──

 

「今、作ったの。私が」

 

 

その言葉に、私はギョッとしてシュリへ視線を向けた。

クロウに襲撃されながら、奴の音波を解析し……更に、それを無効化するシステムを咄嗟に構築した?

それを……ワカンダのジェット機にあるシステムを応用して……実現させた?

 

……彼女が賢い事は知っていたが、私の想像以上のようだ。

 

 

『そん、な、ふざけんな!』

 

 

理解は出来ているのだろうが、それでも納得は出来ないようだ。

クロウは怒りながら、シュリを睨んで──

 

 

「覚悟は良いか?」

 

 

パンサーが一歩、また一歩とクロウへと近付いた。

黒いスーツに紫色のラインが光った。

 

……私にも、見覚えのある光だ。

 

 

『俺は……お前らに復讐する為だけに、何年も費やしたんだ!こんな事で──

 

「ワカンダを舐めるな。『たかが数年』でお前が傷付けられる国ではない」

 

 

あの光は……そうだ。

私の持っていたスーツも放つ、光。

 

ヴィブラニウムが衝撃を吸収し、それを飽和させる光だ。

 

一歩、一歩と近づいていく。

 

その様子に、漸く……クロウは、己が蛇に睨まれた……いや、黒豹に睨まれた蛙なのだと自覚した様だ。

 

クロウが後退った。

 

 

『や、やめろ!来るんじゃない!』

 

 

そして、頭上にあるジェットから放たれる、ジャミングを振り解こうと……背を向けて、走り出した。

瞬間、パンサーが地面を蹴り飛び上がり──

 

 

ユリシーズ・クロウの正面に、ブラックパンサーが着地した。

それと同時に、凄まじい衝撃波が放たれた。

 

離れている私も、身体の芯で感じる程の振動が身を貫いた。

 

 

その衝撃の、爆心地にいたクロウは……まるで大型トラックに跳ね飛ばされたかのように吹っ飛んで、数メートルの高さの壁に激突した。

 

 

『ぐ、ぁっ……』

 

 

掠れる様な声と共に……目から光を失い、地面へと落下した。

大きな音がして、コンクリートにヒビが入った。

 

大の字になって、人間離れをした男が……地面に倒れた。

 

……微動だにしない。

 

恐らく、死ん──

 

 

「殺してはいない」

 

 

いつの間にか、私の側にいたパンサーがそう口にした。

マスクを構成するナノマシン状のヴィブラニウムを解除したのか……マスクが彼の首飾りに収納されていく。

 

そこには遠い目をして、クロウを見るティ・チャラ陛下の姿があった。

 

……そうか。

クロウは彼の父親の仇だ。

 

それでも……今はまだ、怒りに身を任せず、殺しはしなかったのだ。

先程言った通り……ワカンダの法で裁く為に、一度、連れ帰るつもりなのだろう。

例え、その結果が死刑だとしても……無理に殺す必要はないと、彼は思ったのだ。

 

それは気高さだった。

一国の王に相応しい、信念の強さだ。

 

 

「兄さん」

 

 

私の側にいたシュリが、兄であるティ・チャラに近付き……抱き着いた。

……その背中を彼は軽く叩き、頭を撫でた。

 

 

「随分と頑張ったな」

 

「うん……兄さんも、ありがとう」

 

 

そこには一国の王と王女、それと関係がない……兄妹の愛を感じた。

少し、眩しく感じて目を細めた。

……凄く、尊いものに見えたからだ。

 

 

「シュリ、オコエの治療を頼む」

 

「あっ……うん!了解!」

 

 

シュリはそのまま、倒れているオコエの側へ向かった。

キモヨビーズの治療機能を使って、彼女の治療をしているようだ。

……もう、危機は去ったと考えて良いだろう。

 

私は深く息を吐いて、マスクを脱いだ。

表面は切り傷まみれ、下半分は砕けてる。

ボロボロになったスパイダーマンのマスクが……今は少し、誇らしかった。

 

そんな私に、ティ・チャラが視線を向けた。

 

 

「君にも感謝しよう」

 

「……いえ、当然のことをしたまで、です」

 

 

謙遜すると、彼は首を横に振った。

 

 

「シュリを守ってくれただろう。誰にでも出来る事じゃない」

 

「……そう、ですか?」

 

「己を誇って良い。ワカンダを代表し、君に礼を言わせて貰おう」

 

 

彼は頬を緩めて……頭を下げた。

一国の王である男が、私に向かって頭を下げた。

下げてしまった。

 

慌てて手を振る。

 

 

「い、いえ、そんな……」

 

「……む、すまないな。君を困らせるつもりは無かった」

 

 

私が慌てている理由を察したのか、彼は頭を上げた。

そして、横に倒れているクロウへ視線を向けた。

 

 

「奴は私がワカンダへ連行する。もう二度と、君の前には現れないだろう。そこは安心して貰って良い」

 

「……ありがとう、ございます」

 

「礼を言いたいのは、こちらなんだが……いや、よそう」

 

 

シュリが私達に向けて、手を振っている。

どうやら、治療も終わったようだ。

 

 

戦いが終わったのだと……ボロボロになったニューヨークの一角で、私は安心した。

 

瞬間。

 

糸が切れたように、私は力を失って、膝から崩れた。

咄嗟に、ティ・チャラに支えられたが……身体に力が入らない。

 

 

「大丈夫か?」

 

 

心配するような声が聞こえて……辛うじて頷く。

……あ、シュリがこっちに向かって、小走りで来ている。

 

 

「ミシェル、だ、大丈夫!?」

 

「う、うぐっ」

 

 

肯定しているつもりなのだが、変な声が出た。

 

血を失い過ぎた。

治癒因子(ヒーリング・ファクター)があろうとも、無から再生している訳ではない。

肉体の欠損に伴う疲労や……エネルギーの消費は抑え切れない。

 

今の私は過労死寸前だ。

脳みその血管に血が通ってるか心配だ。

今すぐに寝たいが……流石に、この場で寝るのは拙い。

 

シュリがキモヨビーズを私に押し当てる。

治療機能を使っているのだろうが……違う、そういう訳ではない。

ただただ、私は疲れているだけなのだ。

 

 

「……え?あれ?ミシェル、怪我してなかったっけ?」

 

 

……すごい、今更な話だ。

顎とか骨とか色々ボキボキ折れてたのを、見ていた筈だが。

……極限状態で、思考がそこまで回っていなかったのだろうか?

 

 

「だ、大丈夫、だから……凄く、疲れてる、だけ」

 

 

全力を振り絞って声を出すと、シュリは安心したように胸を撫で下ろした。

……代わりに、ティ・チャラが口を開いた。

 

 

「……シュリ、そもそも彼女との関係は?誰なんだ?」

 

 

……ティ・チャラからすれば、妹が救難信号を送ってきたと思えば……その相手は長年追っていたユリシーズ・クロウで……知らない人間が一人、妹を護衛していたのだ。

聞きたくもなるだろう。

 

 

「えっと……」

 

 

シュリが頬を掻いて、私を一瞥して──

 

 

「……友達、みたいな?」

 

 

……いつの間にか、私は友達になっていたらしい。

年齢も近いし、ニューヨークの観光案内で結構会話もした。

……まぁ、嫌ではないが。

 

それに私は彼女の同僚でもないし、部下でもない。

立場的には何も関係のない二人なのだ。

 

だから、うん。

 

友達、か。

 

 

それも悪くないな。

そう思いながら、私は……目を瞑った。

 

もう限界だ。

 

シュリの声が、遠くに聞こえる。

……心配、させてしまっている事に……申し訳なさを感じながら、意識を手放した。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

病室……というか、アベンジャーズタワーの医務室。

一年ぶりに来た気がする。

 

そこでベッドに寝かされ……私は点滴を受けていた。

なんでも丸二日間は寝ていたらしい。

 

目を覚ましたら、グウェンがすっ飛んで来てメチャクチャ心配された。

ハリーも心配してくれた。

スマホのメールボックスを開くと、ネッドからもメールが来ていた。

 

ピーターは……私が入院した事も知らず、メチャクチャ着信履歴があった。

結局、アベンジャーズタワーの前でウロウロしていたのをグウェンに見つかり、彼女が事情は話してくれたそうだ。

……元気になったら、会いに行って謝らないと。

 

なんて考えている。

 

 

シュリ達は予定の都合上、ワカンダに帰らなければならなかったそうで、私の壊れたヴィブラニウム・アーマーと一緒にワカンダへ帰ったそうだ。

オコエからは短い感謝の文を、シュリからは長過ぎる感謝と謝罪の文章が伝言として残されていた。

 

ティ・チャラ陛下は、気絶したユリシーズ・クロウをワカンダに連行したそうで……今はどうなったのか知らない。

 

大破したニューヨークの一角だけれど、ワカンダが経済支援を行うそうだ。

死人も出なかったそうで、最悪の事態は避けられただろう。

 

 

兎に角、事件は終わったという事だ。

 

 

事件の事を引き摺ってるのは私の身体ぐらいだ。

 

枕元にある果物ナイフと、ハリーがお見舞いで置いていったリンゴを手に取る。

意識して……一振り。

 

止める事なく滑らかに数度振れば……皿の上にカットされたリンゴが並んだ。

それをフォークで突き刺し、口に入れる。

 

 

レッドキャップ。

私の過去……その記憶と経験が、私を支えている。

身体の感覚、心の持ち方、ナイフの使い方。

 

ミシェルとして使えなくはないけれど、それだけでは全力とは言えなかった。

 

心にあるスイッチを、私は無意識で切り替えないようにしていたのだ。

……また、人殺しに戻ってしまわないかと、怯えていたのだ。

 

 

だけど、これから人助けをしていく中で戦う事も多々あるだろう。

その時に、力不足で助けられなかった、なんて言いたくはない。

だから、使える物は使う。

 

……それに、もう忘れたくなかった。

辛く悲しい思い出ばかりだけれど、兄の優しさも確かにあった。

だから、赤いマスクの存在を心に住まわせる。

 

もう、捨てようだなんて思ってはいない。

 

 

リンゴを食べていると、病室のドアが開いた。

ドアの裏側に手が伸びて、ノックをされる。

 

……普通は順序、逆じゃないか?

なんて考えつつ、ため息を吐く。

 

中に入ってきたのは、眼帯の強面男。

私の上司、ニック・フューリーだ。

 

 

……口にリンゴを含む。

 

 

フューリーが私の様子に苦笑しつつ、椅子を手に取り……私の側に置いた。

……この光景、一年前にも見たな、なんて思った。

 

 

「身体は大丈夫か?」

 

 

そう言われて、私は頷く。

 

 

「そうか」

 

 

満足げに頷くフューリーを見て、一つ、疑問を口にする。

 

 

「何の用、ですか?」

 

「そう慌てるな、君の身体の状況について話をしようと思ってな」

 

 

フューリーがタブレットを手に取り、私に見せた。

……私のバイタル情報が表示されている。

 

私は医者ではない。

見ても、殆ど分からないが……幾らかは分かる。

 

 

「後遺症もなく、怪我もない。明日にはベッド生活を終える事ができるだろう」

 

「……はい」

 

 

……そんな事を言う為に、ここに来た訳じゃないだろう。

首を小さく捻ると──

 

 

「もう一件、ワカンダから荷物が来ていた」

 

 

フューリーが席を立ち、ドアの外から……大きなトランクを持ってきた。

 

 

「これは君に、シュリ王女からだ」

 

「……何、ですか?」

 

 

困惑する。

何か、受け渡して貰う物なんてあっただろうか?

 

 

「私が話すよりも、実際に見てみると良い」

 

 

訝しんでいると、フューリーはトランクの指で叩いた。

 

恐る恐る、といった気持ちで、私はトランクを受け取った。

そして留め具を外して──

 

外して──

 

外っ、外れない。

これ鍵穴とか、ないのに。

 

 

「……IDカードのロックだ」

 

「え、あ、はい」

 

 

私は机の上に置いていた『S.H.I.E.L.D.』のIDカードを、トランクの留め具に押し当てると……ピピッと音がして鍵が開いた。

手元に引き寄せて、開く。

 

そこにあったのは──

 

 

「……私の、スーツ?」

 

 

黒い……ヴィブラニウム製のスーツだ。

所々、赤いアダマンチウムの部品で補われた……一年前の、壊れる前のスーツ。

それがトランクの中で分割され、格納されていた。

 

思わず、フューリーへ視線を向ける。

取り繕う事もできず、驚きは顔に出ていただろう。

 

 

「ワカンダに回収された君のスーツを……シュリ王女が修復してくれた」

 

「……何で、私に──

 

「助けてくれた礼、だそうだ。受け取っておくといい」

 

 

トランクの中にあるスーツへ、視線を落とす。

……マスクは黒かった。

そうだ、壊れた赤いマスクは破棄した。

最後は……この黒いマスクを付けていた。

 

だから……シュリは本来、マスクが赤い事を知らなかったのだろう。

 

だけど、これで良かった。

黒いマスクで良かったのだ。

 

 

この黒いマスクは……ティンカラーが……兄が、組織とは関係なく、私に渡してくれたマスクだ。

だから、これは決別なのだ。

 

レッドキャップでありながら、組織の赤いマスクとは違う……黒いマスク。

兄が呪縛から解き放ってくれた、想いが籠った黒いマスクだ。

 

……私は、そんな大切な物を手放そうとしていた。

少しも、悲しいとも思っていなかった。

 

だけど、今は……手元に戻ってきて、漸く大切だったのだと気付けた。

 

 

マスクを取り出して、手に取る。

 

よく磨かれて傷一つのないマスクは、鏡のように光を反射する。

 

私の顔が映っている。

表情を歪めて、今にも泣きそうな……私の顔を。

 

 

「……ありがとう、ございます」

 

 

礼を言うと、フューリーは私から視線を逸らした。

 

 

「それは君に与えられた報酬だ。私はただ、シュリ王女から引き継いだだけに過ぎない」

 

「それでも……」

 

 

目から涙が落ちた。

 

兄の事を思い出す。

悲しい思い出ばかりじゃない。

飄々としていた様子も、空回りな元気も、私に対する献身も……全て、私の糧になっている。

 

もっと礼を言っておけば良かった、と。

今でも後悔している。

 

だけど、きっと兄はそれを望んでいない。

マスクをトランクに戻して、涙を拭った。

 

捨てようとしていた過去は、私の手元に戻ってきていた。

それが嬉しくて、涙が溢れた。

 

 

そして……。

 

 

一つだけ、フューリーに対して疑問を口にした。

 

 

「……貴方はどこまで、知っていた……んですか?」

 

「何の話だ?」

 

 

惚ける様子ではなく、本当に知らなさそうに首を捻った。

……私の考えすぎだろうか。

 

 

「……いえ」

 

 

いや、きっと……確証は持てなくても、少しは想定していたのだろう。

この結果を。

秘密主義な彼に少しうんざりしながらも、それでも憎くは思えなかった。

 

 

トランクに並べられたスーツへ、視線を落とした。

そして、フューリーが口を開いた。

 

 

「そのスーツは君が決意し、君が行動した事によって手に戻った。だから、他ならぬ君の行動の結果だ」

 

 

逸らしていた視線が、私に戻る。

 

 

「それは『S.H.I.E.L.D.』の物ではない。君の物だ。好きにすると良い」

 

「……はい」

 

 

私が頷くと、フューリーは少し頬を緩めた。

ほんの少しだけだ。

 

普段ならば気付けない程の、小さな変化だ。

それに気付けたのは……それだけ、私がフューリーに心を開いているからだろうか。

 

それでも良いと思えた。

警戒するように固まっていた心は、既に溶け切っていた。

 

フューリーがまた、タブレットを取り出して……視線を落とした。

 

 

「……今回の件を無理矢理、実習研修への最終査定に振り分けた。君はもう、エージェント候補生ではない。正式な……『S.H.I.E.L.D.』のエージェントだ」

 

 

そう言い切って、私に視線だけ向けた。

 

 

「エージェントとしてのコードネーム……それを決める必要がある」

 

 

フューリーが、タブレットを指で叩いた。

 

 

「私が決めても良いが……君に決めて欲しい。どうする?」

 

 

彼の言いたい事は分かった。

 

ミシェル・ジェーン=ワトソンとしての私か。

レッドキャップとしての私か。

選べ、と言うのだろう。

 

……答えは、決まっていた。

 

 

「私は、レッ──

 

 

黒い、マスクが視界に入った。

このマスクを初めて手渡された時の事を思い出す。

 

ティンカラーの言葉を。

 

 

『あぁ、それなら──

 

 

兄の、言葉を。

 

 

『『ナイトキャップ』ってのはどうだい?』

 

 

……マスクから視線を逸らし、フューリーへと目を向けた。

 

 

「『ナイトキャップ』……」

 

「……ふむ」

 

「兄がこのマスクに……そう、名付けてくれました、から」

 

 

彼は頷き、タブレットに何かを入力した。

 

私は過去(レッドキャップ)を捨てはしない。

だけど、そのままではいけない。

兄が望んでいた……平和な世界で生きられる私の姿。

……そうなりたいと、私は思えた。

 

他の誰かのためではなく、自分自身のために……選択した。

 

 

 

 

黒いマスクに反射する、私の表情は……もう、泣いてなどいなかった。

曇りなく、未来へ進める……そんな表情をしていた。

 

 

 

 

 

……そう、これを私の好きなコミックだとするなら。

今までは『レッドキャップ』の物語だった。

 

だけど、これからは……きっと、違う。

 

今までの人生(物語)は、悲劇の話ではなかった。

私が、私になるための……『誕生までの話(オリジン)』だったのだろう。

 

罪も、罰も、後悔も……全て、背負いながらも……自身を疎かにはしない。

生きるために、償うために……私は、ようやく道を歩き出した。

 

 

友人達と、恋人と、尊敬できる人々の支えによって……。

 

 

 

一人では立ち上がれなかっただろう。

それでも私は……立ち上がれた。

 

 

 

まだまだ、人生は続いていく。

これで終わる訳じゃない。

長い、長い……私の物語が、刻まれていく。

 

 

ミシェル・ジェーン=ワトソンとして。

そして……『ナイトキャップ(新たなるヒーロー)』として。

 

 

罪を償い、誰かを助けるための……誰かのヒーローになるための、人生が続く。

誰だってヒーローになれるのだと、キャプテンも言っていた。

 

だから、私も……きっと。

 

 

 

私を好きでいてくれる、人達に感謝しつつ……私はトランクを閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  TO BE CONTINUED…  

 

 

 

 

 

 




今後について、活動報告を書いてます。
https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=296958&uid=267675


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TEAM-UP ! SPIDER-MAN and NIGHT-CAP
#1 クリーピング・シャドウ part1


全5話ぐらいの短編シリーズです。


やぁ、みんな。

 

僕はピーター・パーカー。

年齢は19歳。

エンパイア・ステート大学の一年生だ。

 

 

5年前、放射性のクモに噛まれて、僕はスーパーパワーを手に入れた。

降って湧いたラッキー、それを使って僕はお金儲けをしようとした。

 

僕を育ててくれたベン叔父さんとメイ叔母さんに、孝行がしたかったんだ。

 

でも、僕は調子に乗って……間違えてしまった。

 

結果、僕の育ての親であるベン叔父さんは死んでしまった。

 

僕の所為だ。

僕が目の前の悪事を見過ごして、見逃してしまったから……死んでしまった。

 

だけど、叔父さんが残した言葉は僕の中で生き続けている。

 

 

『大いなる力には、大いなる責任が伴う』

 

 

ベン叔父さんが言っていた言葉を、死後……理解したんだ。

 

 

僕は……このスーパーパワー(大いなる力)を人助けに使う事にした。

もう二度と、後悔しないように。

 

 

だから、今の僕は──

 

 

アメイジング・スパイダーマンだ。

 

 

……うーん、アメイジング(素晴らしい)は格好付けすぎかな?

スペクタキュラー(壮大な)とか?

これもダメ?

 

みんなの意見は?

 

 

……OK。

 

 

じゃあ形容詞はナシで。

 

 

僕はスパイダーマン。

 

ニューヨークの親愛なる隣人として、小さな事から大きな事まで人助けをしている。

 

 

今もね。

 

 

 

「う、ぐ、う、うう、う……!」

 

 

 

現在進行形で人助け中だ。

 

 

 

「あのっ……早く、ちょっ……と、もう限界だから……!」

 

 

僕は今、交差点で横転してしまったタンクローリーを持ち上げていた。

普通車が下敷きになって、屋根ごとひしゃげている。

 

その中には、まだ人がいた。

母親と子供だ。

身体が潰れた車両に挟まれて、身動きが取れないようだ。

 

ミシミシと音が鳴る。

僕の骨の音か、それともタンクローリーの車体フレームか。

 

口じゃない所から悲鳴を上げていると、レスキュー隊が電動ノコギリを持って来た。

 

 

「スパイディ、もう少し頼む!」

 

「う、うん……全然平気!でも、なるべく早く、ね!」

 

 

車両に触れた電動ノコギリの刃が、火花を散らす。

 

腰が砕けてしまいそうだ。

だけど、耳に響く子供の泣き声が……僕を奮い立たせる。

 

絶対に挫けない、地面に膝を付けはしない。

 

 

そうして、ようやく車が解体された。

 

 

「はやく中の母子を連れ出すんだ!」

 

 

中にいた母親と子供が連れ出され──

 

 

「もういいぞ!スパイディ!」

 

「お、OK!下ろすよ!」

 

 

レスキュー隊員の言葉に、僕は持ち上げていたタンクローリーを下ろした。

 

 

「……っ、ふぅ」

 

 

……呼吸を整える。

流石にちょっと重かったな、結構堪えたよ。

 

辺りの人から歓声が上がった。

 

 

危機が去って……少し、冷静になってくる。

 

救出中の写真撮っていれば、デイリービューグルに高く売れたかな?

まぁ、撮ってる暇なんて無かっただろうけど……。

 

事故の現場を見た瞬間、飛び出しちゃったし……うん、仕方ない。

 

息を切らしている僕に、レスキュー隊員の一人が近寄って来た。

 

 

「助かったよ、スパイディ」

 

「いやいいよ。丁度、僕、筋トレに凝ってたんだ」

 

 

ジョークを言いつつ、(ウェブ)を頭上に飛ばした。

 

頭を下げるレスキュー隊員に手を振り、その場を後にした。

 

 

スパイダーマンの仕事は人助け、街に住む人を守る事だ。

悪人を殴るのがヒーローの仕事じゃない。

誰かを助けられる人だけがヒーローになれる。

 

それはベン叔父さんが言っていた言葉だ。

 

……まぁ、時には誰かを守るために悪人と戦う必要もあるけどね。

 

 

「あれ……?」

 

 

例えばほら、今、そこ……街角のATMコーナーで煙が上がってる。

 

僕は慌てて、現場に向かう。

 

(ウェブ)をビルに飛ばして、大きくスイング。

全身をバネのようにしならせて、宙を飛び──

 

 

ヒーロー着地。

右手は地面に置いて……いや、これ結構、腕が痺れるかも。

スタークさんにコツを教えて貰いたいよ。

 

ATMコーナーには……うん、一般人らしき人は居ないね。

 

代わりに珍妙な仮面をかぶった男が、1、2……3人居る。

 

 

「んんっ、ごほん」

 

 

喉を鳴らして、肩を鳴らして……ATMコーナーの中に入る。

 

……まだ気付いてないみたいだ。

 

 

『おい、早くしろ』

 

『お前も手伝え』

 

 

……アレってボイスチェンジャー?

仮面は白黒の民族的な感じ……ちょっと怖いデザイン。

牙とか角とか生えてるし。

 

でも、首から下はビジネススーツ。

 

ちぐはぐだ。

 

というか手に持ってる剣は何?

今時、剣?

ソーズマンにでも憧れたのかな?

 

だけど、笑い事ではない。

何かこう……良くない感じのモヤモヤが出てる。

超感覚(スパイダーセンス)もピリピリと警告してる。

 

 

ATMが破壊されて、中の金庫部分が露出してる。

どう見ても、強盗だ。

 

 

僕は割れてるガラスを跨いで、彼らの背後に忍び寄る。

 

そして──

 

 

「どうも?君達、ここで何してるの?」

 

『…………』

 

『…………』

 

「お金が下ろせなくて困ってるのかな?手伝おうか?」

 

 

仮面集団が僕を見た。

……剣だけじゃなくて、銃を持っている奴もいる。

しかも、突撃銃(アサルトライフル)

 

あれ?これって結構ヤバい感じ?

 

引き金に、指が──

 

 

「おっと!」

 

 

瞬間、(ウェブ)を放ち腕に巻き付けた。

 

 

「ダメだよ、街中で発砲しようとしちゃ」

 

 

そのまま銃ごと巻き込んで、引っ張り……肘を顔面にぶつけた。

 

一瞬の出来事だ。

 

ほんの少し間が空いて──

 

 

『殺せ!』

 

 

黒っぽいモヤがかかった剣を、マスク男が振り回した。

ギリギリの所で回避を──

 

 

「危なっ!?」

 

 

大袈裟なほど、僕は大きく回避した。

 

直後、剣がATMをバターのように引き裂いて……メチャクチャに破壊した。

 

超感覚(スパイダーセンス)が痛いほど反応していた。

かする程度でも、アレは危険だ。

 

 

「……っ、それって何処で売ってるの?それとも、サンタさんから貰ったのかな?」

 

 

身に感じた焦りと恐怖を、軽口で上書きする。

 

 

ウェブシューターのカートリッジに触れる。

……一瞬、悩む。

 

うーん、あんまりこの方法で使いたくないけど、仕方ないか。

 

 

「僕からもプレゼント、あげるよ」

 

 

腕に装備していた小さな金属パーツを宙に投げると……(ウェブ)が炸裂した。

(ウェブ)が花のように咲いて、周りに巻き付く。

 

 

『ぬぉっ!?』

 

 

そして、僕は中心となっている金属片に……(ウェブ)を放った。

 

カートリッジを切り替えて……小型のバッテリーと接続。

 

 

「チクッとするかも、我慢してね」

 

 

バチン!と大きな音がする。

 

強烈な電撃が、拡散した(ウェブ)を伝って……周りに撒き散らされた。

 

 

『ぎゃあっ』

 

『がっ』

 

 

強力なスタンガン一発分と同程度、全員に直撃……マスク男達は全員気絶した。

 

……この使い捨てバッテリー、高いんだよね。

全く、弁償してくれないかな。

貧乏学生には痛い出費だ。

 

気絶したマスク男達を(ウェブ)で拘束しつつ……仮面を手に取る。

顔の下は普通の男の顔だ。

 

……何なんだ?

コイツら。

 

ポケットから小型の携帯端末を取り出して、写真を撮る。

後で、こういうのに詳しい人に訊こう。

 

 

……あ、パトカーのサイレンが聞こえる。

 

 

そろそろ離れないと……事情聴取とかになると、困るし。

 

急いでATMコーナーから離れて、(ウェブ)を飛ばした。

そのまま宙へ飛び、その場を後にした。

 

……黒いモヤモヤ。

 

首筋をピリピリと刺激される感覚が、僕を少し不安にさせた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

「どうかな、分かる?」

 

 

僕は撮ってきた写真を印刷して、目の前の女性に渡した。

彼女は白くて細い指で捲り……眉を顰めた。

 

ここは僕の部屋。

今はスパイダーマンの格好すらしてない。

 

だから、必然的に……彼女は僕の正体を知る人物となる。

 

 

「……ん、見覚えある」

 

 

机の向かい側にプラチナブロンドの女性が座っている。

彼女は写真から目を離して、コバルトブルーの眼で僕を見た。

 

彼女は僕のガールフレンドのミシェル。

ミシェル・ジェーン=ワトソンだ。

 

 

「え?それ本当?」

 

「といっても、ドクターに記憶は封印されてるから……」

 

 

彼女は特殊な記憶を持っていた過去があって、別世界の出来事を見る事ができる不思議な眼を持っていた。

危険だからって今は封印中だけどね。

 

 

「あー……じゃ、覚えてない?」

 

「ううん、『S.H.I.E.L.D.』のエージェントとしても見覚えがある」

 

 

そう。

彼女は国際平和維持組織『S.H.I.E.L.D.』のエージェントだ。

 

そんな彼女が神妙そうな顔で、指で顎を抑えた。

 

 

「チャイニーズタウンを中心に活動しているマフィア……『デーモン』。その構成員が付けているマスクと同じ」

 

「……『デーモン』か」

 

 

マフィア……確かに、彼等は突撃銃なんか持ち歩いていた。

突撃銃は個人で用意できると思えない。

だから、そういう意味でも大規模な犯罪組織である事に納得がいった。

 

僕は写真に目を落とす。

黒いモヤがかかった剣が写っている。

 

 

「この剣は?」

 

「『デーモン』は最近、強力な力を手に入れたって噂になってる」

 

「それじゃ、この剣が?」

 

「そう。その剣……に付与された力。闇のエネルギー」

 

「付与された……?」

 

 

突如現れたオカルトに、困惑しながら声を掛ける。

付与……って事は剣じゃなくて、剣にモヤモヤを付ける奴が居るって事だろう。

 

ミシェルは頷いた。

 

 

「恐らく、特殊な能力に目覚めた後天性の突然変異者(ミューテイツ)が裏に存在すると思う」

 

「……なるほど」

 

 

腕を組んで頷く。

ミシェルも腕を組んで頷いた。

 

 

「……こうして行動を起こしたのは何かの予兆かも?上に話をしておく。ピーターは?」

 

「僕も独自に調べるよ、足を使ってね」

 

 

そう言うと、ミシェルが少し渋い顔をした。

そして、僕に向かって口を開いた。

 

 

「ピーター、危険だと思ったら迷わず……退いて欲しい」

 

 

柔らかな手が触れる。

心の底から心配してくれているのだろう。

 

だけど、それでも──

 

 

「ごめん、約束出来ないかな」

 

 

力があるからこそ、誰かのために身を粉にして人助けしなければならない。

 

そして、後悔だけはしないために、今出来る事を全力で行う。

それが『大いなる責任』だ。

 

ミシェルは僕の顔を見て……ちょっと笑って、ため息を吐いた。

 

 

「ん、分かった。もう止めはしないけど……ちゃんと、無事に帰ってきて」

 

「勿論」

 

「私も出来るだけ手伝うから」

 

「……ありがとう」

 

 

触れた手が離れて……ミシェルが席を立った。

 

 

「あれ?もう帰るの?」

 

「ん、『S.H.I.E.L.D.』に報告したいから。善は急ぐべき」

 

「あー……そっか」

 

 

 

確かに、いつ『デーモン』がまた活動するかは分からない。

明日かも、いや今日かも……今かも。

 

だとしたら、なるべく早く報告して対処するべきだ。

無辜の人達に被害が及ぶ前に。

 

分かってるし、賛同するけど……ほんの少しだけ、寂しく感じてしまった。

寂しいと思うのは我儘だから、口にはしないけど。

 

 

「……ピーター」

 

 

そんな僕の内面に気付いたのか、ミシェルが一歩近寄って──

 

 

軽く、頬にキスされた。

 

 

驚いて視線を向けると、彼女は頬を緩めた。

 

 

「元気、でた?」

 

「うん……ありがとう、ミシェル」

 

 

自分の情けなさに恥ずかしくなって──

彼女の仕草の可愛さに悶えた。

 

 

「ん、じゃあ……また、三日後」

 

「あ、そっか……三日後ね、三日後」

 

 

ミシェルと僕の休みが合致するのは、三日後だ。

今日は無理して来てもらったぐらいだし……寂しくは感じても、引き止めちゃいけない。

 

でも──

 

 

「送るよ。夜も遅いし」

 

「ううん、アベンジャーズ・タワーに寄るから……」

 

「あー……うん、分かったよ」

 

 

フラれちゃったな。

……手を振る彼女を見送る。

 

そして、そのまま僕はベッドに寝転がった。

木材が剥き出しの屋根を見て、眉を顰めた。

 

 

「……『悪魔(デーモン)』か」

 

 

悪魔には嫌な思い出がある。

真っ赤な悪魔の所為で、僕の人生はメチャクチャになってしまった。

これからずっと孤独かも……なんて、暗い感情に落とされた時があった。

 

それでも、今は……うん、凄く幸せだけど。

ミシェルのお陰だ。

 

 

彼女には感謝しないとね。

可愛くて優しい、僕には勿体ないぐらい素敵な彼女に……。

 

 

「…………」

 

 

うつら、うつらと、してくる。

今日は朝から大学の講義を受けたし、人助けもしたし……疲れてるんだ。

 

 

「……はぁ、もう眠いや」

 

 

心も体もクタクタになっていた僕は……シャワーを浴びる事も忘れて、眠りについた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

そして、翌日。

 

 

「ピーター、ピーター?」

 

「……うぇっ?あ?はい!?」

 

 

僕は今、在籍中のエンパイア・ステート大学に来ていた。

 

ここは科学実験室。

目の前にいるのは白衣を着た教授だ。

 

 

「寝ぼけているのか?ピーター」

 

「う、すみません……」

 

 

眼鏡をかけた小太りの教授が、笑った。

授業とは関係なく、僕は教授の手伝いをしていた。

 

具体的には重い物を運んだり、とか。

 

 

「悩み事だな」

 

「えーっと……まぁ」

 

 

『デーモン』の事が、凄く気になってる。

特に黒いモヤモヤ……アレは危険だ。

僕の超感覚(スパイダーセンス)もビリビリしてる。

 

こうやって……日常生活を送ってて良いのかと、疑ってしまうぐらい……。

 

 

「また恋人の事で悩んでいるのか?」

 

「……あ、ソウデスネ」

 

 

軽く嘘を吐く。

 

『デーモン』に関してはミシェルが、多分何とかしてくれる。

『S.H.I.E.L.D.』が調査するなら、悪い事にはならない筈だ。

 

だから、こうやって無理に気にする必要がないのも分かる。

分かってるけど……。

 

 

「ピーター、恋愛ごとに精を出すのは良いが、程々にしなければ身を滅ぼす事になる」

 

「……それって教授の体験談ですか?」

 

「何?言ったな?」

 

 

教授と笑い合いながら、ダンボールに入った電子回路を運ぶ。

……あと、機械のパーツも。

 

教授の後ろを歩いていると……ふと視線に機械が目に入った。

 

 

「……あれ?これってロボットアームですか?」

 

 

科学実験室に、一昨日までは無かった機械のアームが置かれていた。

 

 

「あぁ、それは今研究中の万能アームだよ」

 

「万能……汎用じゃなくて、ですか?」

 

「何でも出来る、それを目指しているからな」

 

 

機械弄りは好きだ。

(ウェブ)シューターを自作するぐらいにはね。

 

機械で出来た腕……いや、パイプが何本も繋がれたような……触手?

その先端には三つの爪が生えている。

 

 

「チタン鋼製。硬くて壊れにくい」

 

 

教授がリモコンを動かすと、うねるように動いた。

変幻自在……上下左右どこにでも。

 

なるほど、人の腕の形よりも便利だ。

 

 

「……凄いですね。これ、教授が作ったんですか?」

 

「そうだ。将来的には、手足を失った人の新たな手足になれる……そんな事を目指しているんだ」

 

 

……僕はちょっと感動していた。

元々、尊敬できる人だったけれど……更に上乗せされた感じ。

 

 

「……応援してますよ、教授」

 

「ありがとう、ピーター。感謝しているよ。君には、いつも手伝ってもらっているからね」

 

 

教授が笑みを浮かべた。

 

笑いながら……僕はアームの側に置いてある紙を手に取った。

それは解説書だった。

 

……神経インターフェース?

 

あぁ、なるほど……手足を失った患者がどうやってアームを動かすのか……脳波を受け取って、自由自在に動かせるようにするのか。

 

これが実現できたら、沢山の人が助かるだろう。

世のため、人のためになる研究だ。

 

 

「よし、ピーター。お喋りはこれぐらいにして、荷物運びを手伝ってくれ」

 

「あ、はい!分かりました!」

 

 

僕は教授の後ろをついて歩いた。

 

『デーモン』の事は気になるけど、今は僕の人生に集中しなくちゃ。

僕は『スパイダーマン』だけど『ピーター・パーカー』でもあるから。

 

尊敬できる人のためにも、頑張らないとね。

 

心の中で自分の頬を手で打って、僕は教授……オットー・オクタビアス教授の背中を追いかけた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

さて、夜も更けてきた。

ニューヨークは朝昼とは違う姿を見せる。

鮮やかな見た目から、ちょっと治安が悪い感じにね。

 

僕はいつもの赤と青のスーツを着て、ビルの上に座っていた。

手元には小型の携帯端末。

 

 

『24番ストリートにて、事件発生。謎の面をした男達が──

 

 

それを使って、僕は警察の回線を傍受していた。

 

 

「……よし、僕の出番だ」

 

 

僕は携帯端末をしまって、屋根の上を走る。

 

縁を蹴って(ウェブ)を発射。

大きくスイングして……宙を飛ぶ。

 

高度が上がったタイミングで(ウェブ)を切断し、もう一度(ウェブ)を発射する。

連続でスイングして、摩天楼を駆ける。

 

様々なカラーの街灯が照らす、夜のニューヨークの空を飛ぶ。

 

 

傍受した会話から、相手は『デーモン』だって事は分かった。

あの黒いモヤモヤ武器、警官には荷が重そうだ。

 

怪我人が出る前に、早く行かないと──

 

焦る気持ちを抑えつつ、ビルの壁を蹴って加速する。

そして……現場の景色が目に入った。

 

 

「……あれ?」

 

 

パトカーが沢山停まっていた。

でも、交戦中って感じじゃない。

 

手錠を掛けられた仮面をかぶった男達が……車両に乗せられてる最中だ。

 

僕は地面に着地して、首を傾げた。

 

 

「お呼びじゃなかったかな……ちょっと訊いてみよ」

 

 

僕は現場に近づいて……あ、知り合いの警官がいた。

彼のお婆ちゃんをひったくりから助けた事があるんだ。

 

だから、彼はちょっとだけ僕に優しい。

 

 

「こんばんは、お巡りさん。これって何があったの?」

 

「野次馬は勘弁してくれよ……って、スパイディか」

 

 

僕の方を見て、警官はため息を吐いた。

人の顔……いや、マスクを見てため息を吐くなんて失礼だな。

 

 

「ヤバい仮面の奴らが、ここを占拠してたんだ。もう捕まえたがな」

 

「へぇ……ソイツら黒いモヤモヤ武器は持ってた?」

 

「モヤモヤ……?あぁ、押収品の中にそれっぽい物があったな」

 

「怪我人は出なかった?アレ、結構危ないと思うんだけど」

 

「いや?まぁ、顔面をブン殴られて鼻が折れた奴が一番重傷だな」

 

「うわぁ……警察も大変だね」

 

「鼻が折れたのは犯人側だ」

 

「あ、そっちなんだ」

 

 

赤い灯がくるくる回る中で、僕は苦笑した。

……しかし、どうやって『デーモン』達を倒したんだろう?

気になる。

 

ちょっと、現場を見てみたいな。

そう思っていると、警官がテープを跨いだ。

 

……黙って僕もついて歩く。

『入って良い』とは言えないからね、立場上は。

 

後ろを歩いていると、警官が少し神妙な顔をした。

 

 

「どうかした?」

 

「……今日はちょっとお偉いさんが来てるんだ。見つかったら、俺は怒られるかも知れない」

 

「お偉いさん?」

 

「『S.H.I.E.L.D.』からのお客さんだ」

 

 

あ、なるほど。

ミシェルが報告した結果、デーモン関係で『S.H.I.E.L.D.』も動いてるんだ。

良かった。

 

 

「という事は『デーモン』達を倒したのも──

 

「『S.H.I.E.L.D.』のエージェントだな」

 

「なるほどね」

 

 

腕を組んで頷く。

 

そのまま現場の中に入り──

 

 

『セクターは44、証拠品は後で『S.H.I.E.L.D.』に送ってくれ。科学班で解析を行う。押収した剣の剣身には触らないよう厳令しろ』

 

 

男か女か分からないような、電子音の声が聞こえてきた。

『S.H.I.E.L.D.』のエージェントの声、だろう。

 

でも……あれ?

聞き覚えのある声だ。

 

 

声のする方に向かうと──

 

 

真っ黒なアーマー姿で警官達に指示を飛ばしているエージェントがいた。

……知り合いだ。

 

 

「あれ?……え?」

 

 

僕の困惑した声に、黒いマスクが振り返った。

 

 

『来ると思ったぞ』

 

 

黒塗りのマスクが光を反射し、僕のマスクを映した。

 

 

『この姿で会うのは初めて……いや、久しぶりか?スパイダーマン』

 

「ミシェ──

 

 

僕は思わず、彼女の名前を言いそうになって──

 

 

『今の私は、ナイトキャップだ』

 

 

遮られた。

 

 

『お前がその姿の時、『スパイダーマン』と呼ばれるように。私にも『ナイトキャップ』という名前がある』

 

「そ、そっか。ごめん」

 

『フン……』

 

 

彼女は鼻を鳴らした。

いつもと違う姿、口調、態度にビビりながら僕は話を進める。

 

ミシェルの仕事姿、凄く久し振りに見たけど……何度かボコボコに殴られた事あるし、少し腰が引ける。

 

ナイトキャップ……ミシェルが周りの警官達を散らせて、一人で現場の奥へ移動し始めた。

慌てて、僕もついて歩く。

 

 

「えーっと、その……何があったの?何でここに居るの?」

 

『……何が、と言えば別に何もない。『S.H.I.E.L.D.』へ『デーモン』の報告をした結果、事件解決に向けて派遣されたのが私だったというだけだ』

 

「へ、へぇ……」

 

 

ミシェルが足を止めた。

 

 

『不満か?』

 

「え、いや……そういう訳じゃないけど……」

 

『いや、不満だろう。お前は私が事件に直接関わるのを避けたがっていた』

 

「そんな事はっ…………ある、けど」

 

 

……図星だ。

今回の事件、『デーモン』達の裏にいる奴に彼女を近づけたくない。

この黒いモヤは、危険だ。

 

……僕を傷付けられるという事は、彼女が傷付けられるかも知れないという事で……心配なんだ。

 

 

『……お前は優しい。だが──

 

 

好きな人には、危険な目に遭って欲しくないと思うのは当然の事だと思う。

だけど、それを彼女は快く思っていないようだ。

 

 

『スパイダーマン……良いか?よく聞け』

 

「う、うん」

 

『私は私の意思で此処にいる。人を助けるために、身を危険に晒し戦っている』

 

 

彼女が僕の肩を叩いた。

結構強く叩かれた。

 

 

『それを否定しないでくれ。私にも人助けが出来るのだと……認めてくれ。頼む』

 

「…………」

 

 

僕はマスクの中で目を見開いた。

 

そうだ。

危険な目に遭って欲しくないと思うのは、僕の身勝手だ。

 

彼女は僕と一緒だ。

 

人助けをしたいと、誰かが傷付くのは嫌だと思っている。

己が後悔しないために『大いなる責任』を果たそうとしているんだ。

 

……うん。

一緒だよ、僕と。

 

僕は彼女に言われても辞めなかった。

だから、僕も彼女に『辞めろ』とは言わないようにしよう。

 

 

「分かったよ。ミシェ──

 

『ナイトキャップだ』

 

「……ごめん、間違えないように気を付けるよ」

 

『そうしてくれ』

 

 

名前には意味が込められている。

彼女が『ナイトキャップ』と名乗るのであれば、僕は尊重する。

何か譲れない意味があるのだろう。

 

……けど、ちょっと呼び慣れてないから……いや、言い訳だ。

気を付けないと、うん。

 

僕は彼女の側に立って──

 

 

「それで……一緒に戦ってくれる、のかな?」

 

『当然だ。『出来るだけ手伝う』と昨日言っただろう?』

 

 

彼女に手を握られた。

 

普段とは格好も口調も、名前すら違う。

だけど……うん、握った手の感覚は硬かったけれど、間違いなく彼女の物だ。

 

プライベートでは互いにサポートし合う仲だけど……こうして、二人でヒーロー活動をするのは初めてになる。

 

 

「改めて、よろしく……ナイトキャップ」

 

『あぁ……よろしく、だな。スパイダーマン』

 

 

マスクの下で僕は笑った。

彼女は……どうだろうね。

笑ってくれているのなら、僕は嬉しいな。

 

 

『今だけは、私を守るべき相手だと思わないでくれ』

 

「……それなら『仲間』だね。頼りにさせて貰おうかな」

 

『……あぁ、頼りにしてくれ』

 

 

互いにマスクで顔を隠して、素手でも触れ合っていない。

それでも、心は……今、繋がっているような気がした。

 

 

事件現場の中を歩く。

砕けた木材や、ガラス片がたくさんある。

 

彼女が口を開いた。

 

 

『さっきは、すまなかったな』

 

「え?何で?」

 

 

突然の謝罪に、僕は首を傾げた。

 

 

『言い方がキツくなってしまった……愛想がないだろう?可愛げも……だから、その、幻滅しないで貰えると助かる』

 

 

……まぁ、それは確かに。

普段の女性らしさは鳴りを潜めている。

言動も、格好も。

 

 

「うん。確かに、いつもの方が『可愛い』とは思うけど」

 

『……そうか』

 

 

いつものミシェルの方が『可愛い』だろう。

だけど──

 

 

「可愛さだけが君を好きになった理由じゃないから……僕は今の君も『好き』だよ」

 

 

そうやって誰かのために頑張ろうとする優しさも、強さも。

僕が好きな彼女の一面だ。

 

いつものミシェルが好きなんじゃない。

いつものミシェル『も』好きだから。

 

それだけは、彼女に伝えたかった。

 

 

『…………そうか』

 

 

僕の言葉を聞いたミシェルは……ふい、とマスクを背けた。

 

少し気障(きざ)だったかな。

呆れてしまったのかも知れない。

 

それでも彼女と歩幅を合わせて、歩き始めた。

 




次回更新は一週間後です


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#2 クリーピング・シャドウ part2

『奴らの仮面について調べた』

 

 

現場に置かれた簡易の即席机に『デーモン』達が付けていた仮面があった。

白と黒の民族的な仮面だ。

 

それをミシェル……いや、ナイトキャップがひっくり返した。

 

 

『東アジア産。歴史的文化財のレプリカだ。裏には悪魔の紋様がある』

 

「へぇ、これを魔術的な何かに使ってるのかな」

 

『いや、この仮面に特殊な能力はない。ボイスチェンジャーも付いていない。ただ顔を隠すためだけのマスクだ』

 

「……え?でも、付けてる奴らの声、変だったけど……」

 

 

確かにくぐもった、ブレるような声だった。

血の底から聞こえるような……恐ろしい声だ。

 

 

『私は最初、『デーモン』は武器に対してのみ力を付与できると思っていた。しかし、違った』

 

「……もしかして──

 

『そうだ。人間にも力を付与できる。付与された人間は力が強まる。それと同時に声も容姿も変容するようだ』

 

「そうなの?」

 

『……気付いていないようだが、奴ら素手でドアノブを捩じ切れる程の力を持っていたぞ』

 

「え……それは、怖いな」

 

 

思わず、眉を顰めた。

しかし、そんな僕を見て彼女は腕を組んで……呆れたように首を捻った。

 

 

『タンクローリーを持ち上げられるような奴が言っても、説得力はないぞ』

 

「あれ?知ってたの?」

 

『デイリー・ビューグルで読んだ』

 

「……その、まだ定期購読してたんだ?デイリー・ビューグル」

 

 

ミシェルがマスクの下でため息を吐いた。

 

 

『話を戻そう。『デーモン』の持っていた通信機器から、拠点を逆探知した』

 

「……凄いね。それで?どこだったの?」

 

『郊外。チャイニーズ・マフィアのボスであるマダム・ガオが使っていた麻薬工場跡だ』

 

 

ま、麻薬工場!?

 

 

「麻薬って……そのマダム・ガオって人は──

 

『死んだ』

 

「そ……そっか」

 

 

いけない事だと分かりながらも、胸を撫で下ろす。

このニューヨークに麻薬をばら撒かれていたら……なんて考えてしまったのだ。

 

だからこそ──

 

 

『私が殺した』

 

 

僕は言葉を失った。

 

 

「……なん、で?」

 

『昔の話だ。キングピンからの依頼で、ガオを含むそこに居た全員を殺した』

 

「…………」

 

 

レッドキャップだった頃の話だ。

思わず、息を飲んだ。

 

 

『『デーモン』はそのチャイニーズ・マフィアの残党だった。新たに指導者を手に入れ、復活した……だから、この事件を引き起こしたのは──

 

「君の所為じゃないよ」

 

 

思わず、遮ってしまった。

彼女が僕に視線を向けた。

 

 

「悪い奴らのいざこざが原因だ」

 

『……直接、手を下したのは私だ』

 

 

……きっと何を言っても無駄だ。

彼女は自分が殺した人間から目を背ける事はない。

 

……昔は、彼女自身、その事実に苦しんでいた。

だけど今は……それを償うためにどうするか、それを重要視している。

 

 

『……少し、話が脱線したな』

 

 

首を振って、彼女がまた歩き出した。

 

 

『兎に角、拠点は分かった。付いてきてくれ』

 

「あー……座標情報くれる?君を連れて(ウェブ)スイングするよ」

 

 

名案だと思った。

ミシェルを抱きしめながら、(ウェブ)スイング……僕の移動手段の中で一番速い。

 

 

『……魅力的だが、今回はNOだ』

 

「あ、そっか……じゃあ先に行って──

 

『それもNOだ。無駄撃ちするな、大事な時に(ウェブ)が足りなくなるぞ』

 

「そ、そんな事ないよ」

 

『最近、またバイトをクビになっただろう。(ウェブ)の原液を最後に補充したのは?余裕はないだろう?』

 

「あー、はは…………まぁね」

 

 

誤魔化しても無駄だ。

彼女は僕のお財布事情がお見通しなんだ。

 

だって、ミシェル、僕の部屋に結構な頻度で来るし。

僕自身の次に、僕に詳しいだけある。

 

 

「でもそれじゃあ、どうやって?何で移動するの?」

 

『……これだ』

 

 

彼女がシャッターを無理矢理開けて、外に出た。

 

この建物の裏に……真っ黒な車が停めてあった。

スポーツカーみたい、詳しくないけど。

 

ミシェルが腕に装備されているコンソールを操作すると、車のドアが自動で開いた。

……随分とハイテクだ。

彼女のスーツと機能が連結してるって事は、『S.H.I.E.L.D.』製なのかな。

 

なんて思っていると、ミシェルが親指で車を指した。

 

 

『乗れ、スパイダーマン』

 

「……え、あれ?車、運転出来るの?」

 

『当然だ。去年、免許も取った』

 

「僕、聞いてない……」

 

『……言った方が良かったか?』

 

「ま、まぁ良いけど……聞いたからって、何か変わる訳じゃないし」

 

『……そう拗ねるな』

 

「す、拗ねてないよ」

 

 

若干の寂しい気持ちを感じながら、助手席に座り……シートベルトを閉めた。

遅れて、ミシェルが運転席に座った。

 

エンジンが起動して……ミシェルがアクセルを踏んだ。

 

 

「……夜のドライブデートだね」

 

『そんなロマンチックな物ではないさ』

 

 

……あれ?

何だか速くなっていってない?

 

車のメーターを覗き込む。

時速70キロ、80キロ、90キロ……え?

まだ速くなるの?

 

 

「え、ちょっ──

 

 

前に進む車を回避しながら、針が糸を縫うように隙間を抜けていく。

 

超感覚(スパイダーセンス)がビリビリしてる。

危険運転だ!

 

 

「あ、あぶなっ──

 

『問題ない。私は10代前半から車に乗っていた』

 

「そ、それって無免許じゃない!?」

 

 

カーブした瞬間、頭が持っていかれそうになった。

 

 

『安心しろ。今は免許があると言っただろう』

 

「ち、ちなみに事故を起こした事は?」

 

『…………』

 

「え?なんで黙ったの……?」

 

『いや、兄の作ったバイクを爆散させた事を思い出してな』

 

「……何で今そんな事言うの?今すぐ降りて良いかな!?」

 

『ダメだ』

 

 

くつくつと笑いながら、バカみたいなスピードで車を走らせている。

 

右へ左へ振り回されて──

 

 

『到着だ』

 

 

路地裏に停められた。

若干の吐き気を感じながら車を降りると、ミシェルが隣に立った。

 

 

『廃工場までは、ここから少しだ。あまり近付き過ぎてバレても拙い。ここからは車を降りて行くぞ』

 

「そ、そうだね。歩いて行こっか……うっぷ」

 

 

僕がそう言うと……ミシェルは僕の方を向いて、両手を広げた。

 

 

『…………』

 

 

そのまま、硬直。

……あれ?何してるんだろう?

 

 

「……どうしたの?」

 

 

僕が首を傾げると、ミシェルが腕を下ろした。

 

 

『スイングで連れて行ってくれるんじゃなかったのか?』

 

「……あ、そういう事ね。ごめんね?」

 

 

アーマースーツ姿のミシェルを抱える。

いわゆる、お姫様抱っこって奴だ。

 

……うーん、思ったより軽い。

ヴィブラニウム製だからかな?

 

(ウェブ)を飛ばして、宙へ飛ぶ。

 

 

『……見えるか?あそこの建物だ』

 

「OK、スパイダータクシーにお任せってね」

 

 

(ウェブ)でスイングしつつ、ミシェルを一瞥する。

……いや、マスク姿だから何考えてるか分からないな。

 

何度か飛んで、飛んで、壁を蹴って……廃工場前の小さなビルへ飛び移った。

 

よし、目的地に到着。

 

屋上でミシェルを降ろす。

 

 

「どうだった?乗り心地は?」

 

『…………』

 

 

彼女は腕を組んで、顔を背けた。

 

 

「……あー、もしかして、あんまりだった?」

 

 

そういえば、昔、ハーマンを連れて(ウェブ)スイングした時は非難轟々だったな。

なんて思ってると、ミシェルが勢いよく振り返った。

 

 

『違う。少し、感動したぐらいだ』

 

「え?」

 

『憧れていた事を思い出した。お前に抱き抱えられながら、(ウェブ)スイングされるのを』

 

「……そ、そうなんだ」

 

 

知らなかった。

 

ミシェルは僕、スパイダーマンのファンらしいから……アレかな?

お姫様抱っこみたいなものなのかな?

 

そう思うとちょっと、顔が熱くなってくる。

 

 

「う、うん?良かったらまた今度するよ?」

 

『…………』

 

 

……やっぱり表情は読めない。

そもそもボイスチェンジャーを使って、声を平坦にしてる所為で、感情が読み取れないんだ。

仕方ない。

 

でも多分、言葉通り嬉しいんだろうな……多分ね。

 

 

『……行くぞ』

 

「あ、ちょっと待ってよ」

 

 

ビルから工場に静かに飛び移り……僕達は天窓から中を覗き込む。

 

 

……ビンゴ。

仮面姿の奴らが、武器を構えてウロウロしてる。

 

 

『……警戒されているな』

 

「……そうだね」

 

 

顔を近づけて、小声で会話する。

 

 

『……警官達の中に、スパイでも忍び込ませていたのか。それとも、私が叩きのめした『デーモン』が警戒するよう最後に報告したのか』

 

「……うーん、分かんないけど、忍び込むのは骨が折れるなぁ……」

 

『……無理ではないんだな?』

 

「……まぁ、ね。見つかったら文字通り骨が折れそうだけど」

 

 

コソコソ侵入するのは蜘蛛の得意技だ。

屋根を張って、物の影に隠れる……静かにね。

 

マフィアのアジトに侵入した事も沢山ある。

今回が初めてって訳じゃない。

 

 

『……先に侵入して、何が目的か突き止めてくれないか?』

 

「ミっ……ナイトキャップは?」

 

 

危ない。

今、本名で呼びそうになった。

 

 

『私はここで待機しよう。隠密は得意だが、お前程じゃない。見通しの良い上から、状況の把握と伝達を──

 

 

瞬間、ミシェルが言葉を切った。

そして、後ろを向いた。

僕も振り返り、彼女の視界の先に集中する。

 

何かが近寄って来ている。

 

しなる黒い影が──

 

 

「あら、スパイダー。奇遇ね」

 

 

僕らのいる場所に着地した。

 

それは女性だった。

身体のラインが出るような、黒いセクシーな服装をした女性。

胸元は空いていて、谷間が見えている。

流れるような銀髪、目元は黒いマスク……口元は紅が塗られていて、妖艶さを滲み出していた。

 

そんな女性が、僕の名前を呼んだ。

 

知り合いかって?

あぁ、知ってるよ。

 

一年前、酷い目に遭わされたからね。

 

 

「フェリシア……?辞めたんじゃなかった?」

 

 

フェリシア・ハーディ。

通り名は……『ブラックキャット』。

職業は泥棒……だったんだけど、改心して辞めた筈じゃなかったっけ?

 

少なくとも僕に『足を洗って、普通の女の子に戻るわ』なんて言ってた筈なんだけど。

 

 

「あら、つれないのね。あんなに激しい夜を過ごしたのに」

 

「なっ──

 

 

咽せる。

激しいって、弾丸や爆薬が飛び交うマフィア抗争に巻き込まれた時の話だよね?

 

言っておくけど、恋仲になんてなった事はない。

無理矢理、キスされかけた事があるけど、何とか死守した。

僕には恋人がいるし。

 

 

で、その恋人様は──

 

 

『…………』

 

 

腕を組んで、フェリシアに顔を向けていた。

無言で。

 

な、何か言ってよ。

流石に怖いって。

 

 

「あ、あの、フェリシア?そういう冗談はやめて欲しいかなーって」

 

「つれないのね」

 

 

近寄って、僕の身体にボディタッチした。

艶かしい感触に、ぞぞっと身体が反応してしまう。

 

 

「そ、そういうのもダメだって……」

 

 

フェリシアは、過去に……初めて出来た恋人から乱暴された所為で、人を信頼する事が出来なくなっていた。

 

でも、一年前。

泥棒をしていた彼女と争って、マフィアの抗争に巻き込まれて、なんだかんだ共闘して……僕を信頼できる男として認識してくれたらしい。

 

その結果、そんな僕を好意的に見てる……のかな?

確信は出来ないけど、表面上はそうだと思う。

 

凄く積極的だから、ぐいぐい来てる。

彼女は猫じゃなくて、きっと女豹だ。

 

 

しかし──

 

 

ちら、とミシェルの方を見る。

 

無言で腕を組んでいる。

黙って、何も言わず……僕とフェリシアを見ていた。

 

……ぜ、絶対、怒ってる。

ま、まずい。

 

 

「フェリシア、その辺にして──

 

「それで?彼は?」

 

 

フェリシアがミシェルを一瞥した。

 

彼?

……あ、彼女のこと男だと思ってるんだ。

いや、まぁだって、黒いアーマースーツ着込んでるから性別は分からないだろうけど。

 

訂正しないと──

 

 

「えっと、そこに居るのは──

 

『ナイトキャップ、『S.H.I.E.L.D.』のエージェントだ』

 

 

平坦な声で、ミシェルが喋った。

 

というか、さっきから僕の言葉、遮られ過ぎじゃない?

みんな、焦ってるのかな?

それとも怒ってるの?

 

ほ、ほら、落ち着こうよ。

ね?

 

だらだらと、スーツの下で汗が流れる。

 

 

「あら?スパイダー、『S.H.I.E.L.D.』と慣れ合ってるの?」

 

「いや、それは──

 

 

フェリシアが手を這わせて……僕の腰を撫でた。

その仕草に、ミシェルがピリピリした空気を発している。

 

 

『貴様には関係のない話だ。ブラックキャット』

 

「……ふーん、私のこと知ってるのね?」

 

 

吐き捨てるようなミシェルの言葉に、フェリシアが視線を鋭くした。

互いに敵対視してる……しかし、ふとフェリシアが笑った。

 

 

「貴方、もしかして……『レッドキャップ』かしら?」

 

 

……空気が凍ったような気がした。

 

彼女は……『ブラックキャット』は怪盗だ。

だけど、特殊な力はない。

身体能力が非常に優れているだけだ。

 

だからこそ、彼女は情報収集を怠らない。

……ミシェルの過去の名前を知っていてもおかしくはない。

 

 

『……そう呼ばれていた事もある。それがどうした?』

 

「やっぱり?裏で話を聞かなくなったと思ったら……へー『S.H.I.E.L.D.』に鞍替えしてたんだ」

 

 

首筋がピリピリとしだす。

超感覚(スパイダーセンス)の所為か、それとも単純に気まずいだけか。

 

 

「私、そういう尻の軽い男は好きじゃないの。信頼できないし」

 

 

フェリシアがミシェルを指差した。

 

 

『…………』

 

「そもそも、よく『S.H.I.E.L.D.』が許したわね?貴方、大量殺人犯でしょ?」

 

『……そうだな』

 

「何考えてるのかしら、正義の味方気取り?本当は裏で誰かを──

 

 

……フェリシアの手を握った。

 

 

「それ以上、言わないでくれるかな。フェリシア」

 

 

僕は──

 

 

「ど、どうしたの?……スパイダー?」

 

 

怒っていた。

 

 

「何も知らないのに、そうやって……決め付けるような言い方は良くないよ」

 

「…………」

 

『…………』

 

 

そう言うと、フェリシアも、ミシェルも黙った。

 

気まずい空気の中……舌打ちが聞こえた。

フェリシアのものだ。

 

 

「そう、そっちの肩を持つのね」

 

「……そういう訳じゃないよ。どっちの味方だとか、そんなのじゃない。ただ言い過ぎだって思っただけ」

 

 

手を離すと、フェリシアは無言でミシェルを睨み付けながら僕の側から離れた。

……僕が庇ったのは逆効果だったかも知れない。

溝が深まっただけに見える。

 

直後、ミシェルがため息を吐いた。

 

 

『こんな話をするために、態々姿を現した訳ではないだろう?何の用だ』

 

 

ミシェルの言葉に、僕は慌てて頷いた。

話題を変えたかったからだ。

 

 

「そ、そうだよ。フェリシアは何でここに?そもそも辞めたんじゃなかったっけ、盗みは」

 

「……色々あって、お金が必要なのよ。だから、悪い奴らから盗むことにしたの」

 

「……悪い奴らから盗んでも、犯罪だからね」

 

 

自分の事は棚に上げて、そう言った。

僕も同じ穴の狢だ。

ヒーロー活動は非合法だから。

 

 

「逆に貴方は?」

 

「僕らは『デーモン』達の目的を探るため」

 

「それなら知ってるわよ」

 

「え?ホント?」

 

 

僕はフェリシア近付くけど、ミシェルは一歩引いた。

物理的にも心理的にも離れているのだろう。

 

 

「『マギア』との抗争。その為の資金集めって所ね」

 

「『マギア』との?」

 

 

僕は顎を手に乗せる。

 

『マギア』は複数のマフィアが結託している巨大な犯罪シンジケートだ。

この国以外にも力を持っている、強大な組織だ。

 

 

「『デーモン』のボスが『マギア』を恨んでいる。それに、元々チャイニーズ・マフィア共も『マギア』とは抗争関係にあったわ。利害の一致って奴よ」

 

「なるほど……そのボスの名前は?」

 

「ボスは──

 

 

足元でガチャリと音がした。

 

天窓から見下ろせば……ドアが開いたようだ。

誰かが入ってくる。

 

 

「彼よ」

 

 

光を反射しない真っ黒な肌、真っ白なビジネススーツと髪。

まるで黒と白を反転させたような見た目。

 

写真をネガポジ反転させたかのような、異様な容姿。

 

 

「『ミスター・ネガティブ』……そう呼ばれているわ」

 

 

……明らかに、普通の人間じゃない。

僕は気持ちを引き締めて、天窓から覗き込む。

 

何か話しているけど……くそっ、聞こえない。

逆に言えば、ここで僕達が話しても聞こえないって事だろうけど……。

 

 

『……立て続けに作戦が失敗した……『S.H.I.E.L.D.』や他の自警団(ヴィジランテ)に警戒され集まられても困るから、資金集めは断念する、ようだ』

 

「え?聞こえるの?」

 

『口の動きを読んでいるだけだ』

 

 

……ミシェルの持っている技能のようだ。

こういう所で、やっぱり彼女は頼りになるなぁ……一人前のエージェントって感じだ。

 

 

『警戒が強まる前に、本命を決行したいらしい。日時は明後日……『マギア』に仕掛けるようだ。使用する物は──』

 

 

ミシェルが天窓から離れた。

 

 

「『デビルズブレス』だと?」

 

「……それ、本気?」

 

 

ミシェルの言葉に、我関せずとしていたフェリシアも思わず反応した。

対して僕は腕を組みながら、首を傾げた。

 

 

「何それ?」

 

 

僕の言葉に彼女達は僕を一瞥した。

フェリシアは呆れてるみたい。

ミシェルはどう説明すればいいか悩んでるようだ。

 

 

『……過去にオズコープ社、いや……ノーマン・オズボーン主導で開発していた特殊なガスだ。霧状に散布したガスと皮膚接触すれば、それだけで遺伝子の疾患が改善される……夢のような薬だ』

 

「ノーマン……?まぁでも、それって良いガスって事でしょ?」

 

『……遺伝子の疾患を治すという事は、皮膚接触で遺伝子情報を操作できると言うことだ」

 

 

そこまで言われて、僕は気付いた。

 

 

「まさか……人の遺伝子をメチャクチャに破壊できるって事?」

 

『そうだ。口や鼻から吸引する必要もない。ほんの少しの接触で、遺伝子を欠損させ身体中の細胞を癌細胞にする事が出来る』

 

 

僕は息を呑んだ。

 

 

「ノーマンは、なんでそんな物を……」

 

『元々は薬として作られる予定だったが、遺伝子情報を『正常にする』というのは難しかった。壊すのは簡単だがな……結局は失敗品だ』

 

「そんな……」

 

『言っただろう?夢のようだ、と。夢は夢でしかないという事だ』

 

 

フェリシアも難しい顔をしている。

僕は視線を、ミシェルへと向けた。

 

 

「でも……何故、ミスター・ネガティブが『デビルズブレス』を持ってるんだろう」

 

『ノーマンの死亡後、『S.H.I.E.L.D.』がオズコープ社から押収した薬や危険物が……一週間前に盗まれた。一部、闇オークションで販売されていたのは確認していたが……奴も、そこから購入したのだろう』

 

 

泥棒、か。

思わずフェリシアを見る。

彼女は首を振った。

 

……まぁ、彼女がそんな事する訳ないか。

 

フェリシアは少し苛立ったようで、ミシェルを睨みつけた。

 

 

「『S.H.I.E.L.D.』の倉庫に盗みなんて入れるのかしら。随分と杜撰になったものね」

 

『倉庫は超金属製の壁で覆われていた。しかし、ミサイルでも傷付けられないような壁に……抉るような穴があった。恐らく特殊な能力持ちの──

 

 

ミシェルが途中で言葉を区切り、首を横に振る。

 

 

『いや、今はそんな話など、どうでもいい』

 

 

彼女は自身のマスクを指で叩いた。

 

 

『兎に角、使用されるのは拙い。『マギア』を殺すために使うようだが、一般にも被害者が出るかも知れない』

 

 

その言い方は……マフィアである『マギア』なら死んでも良い、という感情が含まれているように感じた。

 

僕のそんな考えに気付いたのか、ミシェルは僕を一瞥した。

 

 

『……今のは少し言い方が悪かったな。勿論、死人は誰一人として出すつもりはない』

 

「……大丈夫だよ。君がそんな事、言うと思ってないから」

 

 

彼女の言葉を受け入れる。

……そんな僕達の様子を見て、フェリシアは怪訝そうな顔をした。

 

 

「ふぅん、随分と仲が良いのね……」

 

「あ、いやぁ……」

 

 

フェリシアはミシェルに対して、あまり良い感情を抱いていないように見える。

彼女は後転し、そのまま立ち上がった。

 

 

「まぁ、良いわ。私は私の好きなようにやらせて貰うから」

 

「……協力してくれないの?」

 

「私を正義の味方か何かだと勘違いしてる?猫は気紛れなのよ」

 

 

……彼女は僕を見つけて話しかけに近付いて来た。

だから、元々は協力するつもりだったのだろう。

 

だけど、ミシェルと話して……僕がミシェルを庇ったのを見て、協力したくなくなったのだろう。

 

……本当に気紛れな黒猫だ。

 

 

「邪魔はしないでね」

 

「……そっちこそ」

 

 

彼女は僕達から離れて……排気口に手を掛け──

 

 

「それと……また会いましょ?次会う時は……二人っきりで、ね」

 

 

中に滑り込んだ。

音もなく、素早く……手慣れた様子で。

 

猫のような身体能力だ。

 

 

……そして僕は、恐る恐るミシェルを見た。

彼女は腕を組んで、微動だにしていない。

 

 

「あ、あの、ミ……ナイトキャップ?」

 

 

僕が正面に移動して手を振る。

それを無視して、彼女は天窓から下を見下ろした。

 

 

『奴とは別方向から侵入してくれ。目標は『デビルズブレス』の奪取……もしくは起動キーの奪取だ。ただし、カプセルは破壊禁止だ』

 

「そ、そう、だね……」

 

 

冷や汗を掻きながら、彼女の横に座る。

……き、気まずい。

 

やっぱり怒ってるかな。

彼女の知らない所で、女性と会ってた事を。

 

ど、どうにかして謝らないと──

 

 

『はぁ……』

 

 

彼女が僕を見て、ため息を吐いた。

 

 

『……スパイダーマン』

 

「は、はいっ……」

 

 

思わず身体が跳ねてしまう程、驚いた。

 

僕が彼女に視線を向けた時、彼女のマスクの……前面が展開した。

 

冷たい目の、素顔が露出された。

 

 

「ミ、ミシェル……」

 

 

本名で呼んでしまったけれど、それでも彼女は気にしていなかった。

 

 

「……私は、お前が何処の女と会ってようと怒りはしない」

 

「……そ、そっか」

 

 

場違いな話をしている自覚はある。

僕たちのすぐ下には悪党達が居るのだから。

こんな話をしてる場合じゃないって、わかってる。

 

だけど、ヒーロー活動には危険が伴う。

数時間後、生きてる保証もない。

 

……だから、ここで話したい。

互いにそう思っていたのだろう。

 

彼女の目は冷たいまま、だけど頬は少し緩んだ。

 

 

「……私の事を愛しているのだろう?」

 

「……うん、そうだよ」

 

「なら、私が心配する必要はないだろう。不貞ではないのだから、怒る意味もない」

 

「……そうかな。でもそれって、僕に都合が良すぎない?」

 

「誰にでも優しいのは、お前の美点だ。それに、恋人がモテていると私も気分が良い」

 

「そ、そうかな?」

 

「そうだ」

 

 

彼女は立ち上がり、僕に数歩、近付いた。

そして、僕に手を伸ばして──

 

顎の下、マスクの切れ目に指をかけて……引き上げた。

 

 

「ちょっ、ミシェル……?」

 

 

そのまま鼻の所まで上げられて──

 

 

口付け、された。

 

 

僕は拒む事なく、その艶やかな唇が……離れていくのを眺めていた。

 

 

「……互いに愛してる。それで十分だろう?」

 

「……そうだね。そうだよ。うん、十分だ」

 

 

そう、十分だ。

最低限じゃなく、最高で満ち溢れている。

それさえあれば、他が些事に見えるぐらい……十分に満ちている。

 

 

ミシェルが自身の耳元に触れた。

インカムのような物を操作しているのが見えた。

 

 

「さぁ──

 

 

彼女の顔にマスクが装着される。

 

 

『人助けを始めよう』

 

 

腕を組んで、天窓の下を見ろした。

 

 

「……そうだね、僕達の出番だ」

 

 

僕達はチームだ。

ヒーローとしても、パートナーとしても。

 

これからも、二人で乗り越えるんだから……こんな所で、躓いてなんていられない。

 

兎に角、今は……この街を守るために、悪い奴らの計画を止めよう。




次回は6/10(土)の17:00です。


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#3 クリーピング・シャドウ part3

ビジネススーツに仮面を付けた男、『デーモン』の構成員が歩いている。

右手には……黒いモヤがかった剣。

 

倉庫代わりにしている大部屋の入り口に立っていた彼は……奥の方から聞こえた物音に気付いたようだ。

 

警戒心を強めて、奥へと進む。

剣を握る手が、少し強くなっていた。

 

そうして、物音がした場所に辿り着き……崩れた段ボールを見つけた。

 

 

『……まったく、適当に載せやがって』

 

 

周りにも乱雑に積み上げられた段ボールがある。

几帳面さのカケラもないそれを見て、何かの拍子に崩れたのだと思ったのだろう。

 

警戒を緩めた──

 

 

 

その瞬間、僕は奴の頭上から……両肩に(ウェブ)を貼った。

 

 

『な──

 

 

両手を捻り、(ウェブ)で首を縛りながら持ち上げる。

天井スレスレに引っ張られ、マスクを剥がれた彼は……何が起こったのか理解していないようで、目を白黒とさせている。

 

 

『スパ──

 

 

窒息させないように注意しつつ、マスクを剥いで顔面に(ウェブ)をお見舞いする。

口と目元を防がれた彼を、そのまま天井に貼り付けにする。

 

 

「これで五人目……」

 

 

辺りを見渡すと……天井には彼のように貼り付けになった奴らが沢山居た。

……これ以上は流石にバレるかな、場所を移動しよう。

 

天井に張り付いたまま、耳に入れているインカムを操作する。

咳払いして、声を少し低めにする。

 

 

「もしもし、こちらスパイディスパイ、応答せよ」

 

『……私はごっこ遊びに付き合うつもりはないからな』

 

「ごめん」

 

 

スパイダーマンとして活動してると、つい軽口が出てしまう。

それは恐怖であったり緊張であったり、そういったものを解す為に必要なんだ。

 

僕の根っこの部分は臆病だから。

 

 

『そこから出て、左の方向に二人。正面50メートル先に一人……だが、正面の方は遮蔽物に遮られている。立ち上がらなければ問題はないだろう』

 

「よし、じゃあ左の方から何とかするよ」

 

 

小声で返答した。

 

ミシェルはスーツに搭載している暗視、赤外線機能を通して敵の位置を特定している。

それを僕に伝えてサポートしてくれているんだ。

 

 

 

天井を這い、倉庫の外へ……なるほど、左に二名様。

 

視認しづらい細い(ウェブ)を垂らす。

狙いは後ろを歩いている方だ。

 

 

「天井までご案内、っと」

 

 

(ウェブ)が付着し──

 

 

『ん?何だ、こ──

 

 

天井に叩きつけた。

素早くエレクトリック・ウェブで意識を奪い、床に着地する。

 

瞬間、僕の気配を察したのか……もう一人が振り返り──

 

 

『貴様はっ──

 

「どうも」

 

 

地面に両手をついて、逆立ちのように跳ね上がる。

そのまま顔面を蹴り飛ばし……意識を奪う。

 

気を失った彼を(ウェブ)でぐるぐる巻きにして……両手で掴んで上に投げる。

そのまま天井に固定して……OK、完璧。

 

区画内の『デーモン』を片付けた僕は……室内にあるコンテナを漁る。

突撃銃、青銅製の剣、槍っぽいの……狙いの物はここには無いみたいだ。

 

また、インカムを起動する。

 

 

「『臭い息(デビルズブレス)』はここじゃないみたい。そっちは何か手掛かり見つけた?」

 

『『デビルズブレス』は全長1メートル程の大きなカプセルに入っている。それが入るような場所はそこ以外には一箇所しかない』

 

「……それって?」

 

『ミスター・ネガティヴ周辺だ』

 

 

僕は天井に胡座をかき、首の裏を撫でる。

ミスター・ネガティヴか。

何だか不気味な奴だし……あんまり近付きたくないけど。

 

 

「よし、ちょっと行ってくるよ」

 

『……危険を感じたら離脱しろ』

 

「はいはい、了解」

 

 

恋人からの心配は身に沁みるね。

彼女以外に、僕の心配してくれる人なんて居ないからね。

 

よし、(ウェブ)カートリッジを確認。

残量は……7%!

 

ちょとヤバいかも。

 

こんな事ならケチらずに、今朝、(ウェブ)を補充しておくんだった。

貧乏学生にはキツい仕事だよ、ヒーロー活動は。

 

まぁ、辞めないけどね。

 

さて、天井を這って……よし、ミスター・ネガティヴに気付かれずに来たぞ。

しかし、本当に不気味な姿だ。

 

白黒のネガポジ反転された写真みたいな男が……大きな木箱を開けた。

 

……白い、大きなカプセル。

中心にあるガラス窓から、中に入っているのが赤い液体である事を確認した。

 

見つけた。

アレが『デビルズブレス』だ。

何で分かるって?

超感覚(スパイダーセンス)にビリビリと感じてるからね。

 

天井の入り組んだダクトに身を隠す。

下ではミスター・ネガティヴが部下に話をしてる。

 

 

『借りを返す時が来た。『マギア』に私達の怒りを思い知らせる時だ』

 

 

へぇ、演説とかやるタイプなんだ。

……でも『デビルズブレス』の前でやる事ないのに。

 

こっそり引っ張って持ち上げたら……うーん、流石にバレそう。

 

 

『これは罰だ。虐げられし者の正しき怒りにより──

 

 

瞬間、部屋の電灯が赤くなった。

と、同時にブザーが鳴り響く。

 

 

『……侵入者か』

 

 

な、何これ?

困惑していると、ミシェルの声が聞こえた。

 

 

『スパイダーマン、何者かが工場跡内の緊急通知ボタンを押した。今すぐ撤収しろ』

 

「ひ、退けって言われても……」

 

 

ここには天窓もない。

脱出するには入り口から抜け出さなきゃならない。

 

……もしくは、『デーモン』達が並んでる窓の──

 

 

「……あっ」

 

 

窓の外で、黒い影が走っていった。

……フェリシアだ。

 

彼女、何か目的のものを盗んで……『デーモン』にでも見つかったのだろうか。

いや、彼女がそんなミスをするとは思えない。

というか通報されるような状況から逃げ出したにしては、追手が居ないし……。

 

……緊急通知ボタンを押したのって、もしかしてフェリシア?

 

 

察した。

 

 

僕達に『デーモン』を押し付けて、安全に逃げるつもりだ!

去年も同じ方法でハメられたじゃないか、僕は……何も学んでない。

 

僕が顔を覆っていると……下でミスター・ネガティヴが首を捻った。

 

 

『招かれざる客……いや──

 

 

手首を摩りながら……視線を上げた、

 

 

『蜘蛛か?』

 

 

目があった。

……あ、これもう逃げられない感じだよね?

 

下で臨戦態勢になった『デーモン』達に手を振る。

 

 

「こんにちは……じゃなくて、こんばんは。配管工の工事をしてたんだ、気にせず続けて?」

 

 

各々が武器を取り出した。

剣、槍、ムチ……どれもこれも、黒いモヤモヤを纏ってる。

 

……当たったら痛い、じゃ済まないだろうね。

 

 

『奴を始末しろ、屍精鬼よ』

 

 

ムチが弾ける音がして……僕の方へ飛んできた。

 

 

「おぉっと……!」

 

 

咄嗟に、天井を蹴り、回避する。

天井のダクトが真っ二つ……思わず息を呑む。

 

床に着地した僕は、デーモン達に視線を向ける。

その内、二人の『デーモン』が『デビルズブレス』の入ったカプセルを持った。

 

 

『戦えば勝つが、危険を冒すつもりはない。さらばだ、スパイダーマン』

 

 

ミスター・ネガティヴが指示した。

カプセルを持った二人の『デーモン』を連れて離脱するつもりだ。

 

 

「ちょ、ちょっと待ってよ!初めましてのお茶でもしな──

 

 

剣が振るわれた。

後ろに跳ねて回避し……壁に足を付ける。

 

 

「いっ!?まだ話してる途中なんだけど!」

 

 

槍を避けて、ムチも避ける。

余裕そうに避けているけど、実際はギリギリだ。

 

一発当たれば死に繋がる危険な一撃だからね。

超感覚(スパイダーセンス)に従って、避け続けているけれど……拙いな、ミスター・ネガティヴに逃げられる!

 

ビービーと警告音が鳴り響く中、真っ赤に染まった視界の中で戦う。

 

 

『シャアアッ!』

 

 

雄叫びを上げなら『デーモン』が剣を振り下ろした。

半歩引いて回避しつつ、カウンターでパンチをお見舞い──

 

おっと、槍が飛んできたぞ。

これも数歩引いて回避。

 

……気付けば、敵対してる奴から距離が離れていた。

ミスター・ネガティヴの姿も見当たらない。

 

ちょっと、まずいかも。

 

 

「怪我したくなかったら通してくれない?」

 

 

脅してみたけれど、通してくれる素振りは──

 

 

『消え失せろ!』

 

『死ね!蜘蛛野郎!』

 

『薄汚いM$%#$F%#$rめ!』

 

 

ないね。

 

 

「みんな口悪くない!?」

 

 

叫び声を上げながら、『デーモン』達が突っ込んでくる。

 

反撃に移りたいけれど、避けても避けても攻撃が止まない。

 

『デーモン』達の猛攻は続く。

……あ、ヌンチャク持ってる奴までいる!

あと曲刀や、チャクラムまで!

 

 

「ここって武器の展覧会?『デーモン雑技団』に名前変えるのをオススメするよ!」

 

『減らず口を!』

 

 

剣が迫る。

槍が迫る。

同時に幾つもの武器が迫る。

 

超感覚(スパイダーセンス)は四方八方からの危機に反応してる。

 

このままじゃジリ貧だ。

多少ダメージを受けても、無理矢理ノックアウトしていかないと──

 

 

 

ガシャン!

 

 

 

と窓ガラスが割れた。

 

入ってきたのは黒いアーマーコスチューム……。

 

 

「ミ、ナイトキャップ!」

 

 

ミシェルだ。

僕のピンチを察知して、救援に来てくれたんだ。

 

 

『新手かっ!』

 

 

側に居た『デーモン』が即座に反応し、斧を振り上げ──

 

その手首を、ミシェルが掴んだ。

振り上げられた斧も、腕も……びくともしないようだ。

 

 

『邪魔だ』

 

 

ミシェルがそう言いながら、足払いをした。

普通の足払いじゃない。

 

超人血清で強化された身体能力によるローキック。

それはトラック一台の衝突に近しい力だ。

 

勿論、そんな威力の足払いを、まともに受けたら人はどうなるか。

 

 

『ぎゃ、あぁ!』

 

 

悶絶するような悲鳴を上げながら……掴まれた手を中心に、宙で三回転した。

両手足が地面に付かないレベルで浮いて……そのまま、壁に衝突した。

 

……昔、軽自動車に撥ねられた超人を見たことがある。

そんなレベルで吹き飛ばされたのだ。

 

 

『「『…………』」』

 

 

一瞬、周りが静かになった。

 

 

目の前の『デーモン』共も、先程の景色に息を呑んだようだ。

少し、間が空いて──

 

 

『ブチ殺す!』

 

 

正気に戻った『デーモン』がミシェルに剣を振るった。

 

咄嗟に、僕は背後から(ウェブ)を足に放つ。

強く引っ張ると前のめりに転けて……落ちる顔面にミシェルは膝を合わせた。

顔に膝が命中し、気絶した『デーモン』が地面に転がる。

 

僕はミシェルの側に移動して、並んで立つ。

 

 

「ナイスチームワーク」

 

『……援護は不要だったぞ』

 

「知ってるよ、でも咄嗟に出たんだから仕方ないよね」

 

 

僕一人を倒すのに『デーモン』達は手こずっていた。

それが二人になったんだ。

 

均衡は崩れ、一人、また一人と打ちのめして行く。

 

 

「ミスター・ネガティヴは!?」

 

 

僕はチャクラムを持った『デーモン』を殴り飛ばした。

 

 

『逃走中だ。既にここから離れている』

 

 

ミシェルが『デーモン』の腕を掴み、壁に叩きつけた。

 

 

「じゃあ、さっさと倒して……追いかけないと、ね!」

 

 

僕は『デーモン』を蹴った。

よろめいた所に──

 

 

『……いいや、ここまでだ』

 

 

ミシェルが『デーモン』の顔面に手の甲を叩き込んだ。

 

 

「え?」

 

 

僕が素っ頓狂な声を上げた時……既に『デーモン』達は全員地面に転がされていた。

全員、気絶している。

 

僕は足元の砂埃を払って、ミシェルに視線を向けた。

 

 

『今から追っても、闇雲に探すだけだ。この暗闇の中、奴等を見つけるのは至難だろう……無意味だ』

 

「で、でもっ──

 

 

何もせず待つなんて出来ない。

頑張って探せば追いつくかも知れないし……それに──

 

 

「もし『デビルズブレス』を使われたらっ──

 

『二日後、『マギア』幹部の誕生祭がある。奴等はファミリーの絆を重要視している……故に構成員も多く集まる』

 

 

ミシェルが指を立てた。

 

 

『『デビルズブレス』はカプセルの構成上、一度しか使用出来ない。奴等はバカではない……使い所は考える。猶予はある』

 

「だからって……何もしないだなんて、僕には出来ない……!」

 

 

僕はミシェルから離れて、外に出ようとする。

彼女が追いかけないのであれば、僕が追いかけるだけだ。

勝手にやらせて貰おう。

 

 

『待て』

 

「っ……!」

 

 

出ようとした瞬間……彼女に、腕を掴まれた。

 

 

「は、離してくれるかな……?」

 

『疲労困憊で、(ウェブ)の残量も少ない……負けるとは思わないが、今、奴等を追えばタダでは済まない』

 

 

彼女の言っている事は正しかった。

奴等は明後日まで、計画を実行しないだろう。

僕は今、身体に疲れが溜まっていて……(ウェブ)の原液もきっと足りなくなる。

 

一度、装備の補充や、休息する方が良いかも知れない。

 

それでも──

 

 

「僕が傷を負ったとしても、誰かが傷つく可能性が少しでもあるのなら……僕は、止めなきゃならないんだ。だからっ──

 

『…………』

 

 

腕を引っ張られて、地面に転がされた。

 

 

『その自己犠牲精神は美徳だ。だが、悪癖でもある。少し頭を冷やせ』

 

 

随分と言うようになった。

昔は僕なんかよりも自分を顧みなかったのに……。

それは良い傾向だから喜ぶべきなんだろうけど、今は見逃して欲しかった。

 

僕は地面に手をついて、見下ろしてきているミシェルに顔を向ける。

 

 

「……退いてよ」

 

『断る』

 

 

僕は腕を構えて──

 

 

拳を──

 

 

殴れる、訳がない。

分かってる。

 

彼女の言葉は合理的で、僕を心配しているって事も。

そんな人を傷付ける事なんて、僕には出来ない。

 

ミシェルが息を深く、吐いた。

 

 

『それに無闇に追えば、追い詰められたネズミのように……『デビルズブレス』を使用するかも知れない。避難誘導も出来てない街中で、だ。多数の死者がでるぞ』

 

「……そ、っか」

 

 

もっともらしい理由に、僕は腕を下ろした。

どうしようもなく正しかったからだ。

 

 

「じゃあ、どうすれば……」

 

『……一度、帰って寝ろ。頭を冷やせ』

 

「……君は?」

 

『私は『S.H.I.E.L.D.』の引き継ぎがある。まだ現場に残る必要がある』

 

「……そっか、分かったよ。僕も──

 

『先に帰れ。お前が居ても、面倒な事にしかならない』

 

 

……そっか。

『S.H.I.E.L.D.』からしたら、僕は正体不明の超人になるから……警戒対象になるんだ。

 

僕は役立たずだ。

居るだけで邪魔なんだ。

 

気分を落としながら……窓枠に足を乗せる。

 

 

「……じゃあ、その……先に帰るね?」

 

『あぁ。そうしろ』

 

 

こちらに顔も向けず、腕を組んだままのミシェルから……顔を逸らした。

酷く、気まずかった。

 

僕は彼女の言葉を理解したし、正しい答えだと思えた。

それでも心の奥底で、僕は何か反論しようとしてる……の、かも知れない。

自分にも分からない。

 

彼女も……そんな僕の気持ちが分かっているのか、踏み込んでは来ない。

 

 

互いに譲れない物があるからこそ、折り合いを付けなければならない。

なのに、僕は自分の意見を曲げられなかった。

 

 

それが正しい事なのか、正しくない事なのか……分からない。

ただ、今分かる事として……彼女を不快にさせてしまった事だけが分かった。

 

 

彼女に背を向けて、僕は(ウェブ)を頭上に飛ばした。

壁を登って……屋上で、座り込む。

 

周りに人が居ない事を確認して、頭を抱え込む。

 

 

「……はぁ。ミシェル、怒ってたな……」

 

 

夜風に当たってると、自己嫌悪の気持ちが湧いてくる。

 

 

「やっちゃったなぁ……」

 

 

焦る気持ちは、既に霧散して……残ったのは後悔。

聞き分けのない子供を叱るような、ミシェルの言葉だ。

 

……僕は立ち上がり、(ウェブ)を飛ばした。

後ろ髪を引かれるような想いをしながら、麻薬工場跡に背を向けた。

 

数回スイングして、小さなアパートの天井に着地する。

足を投げ出して、屋上の縁に腰を下ろした。

 

夜風に当たって、少し落ち着きたかったんだ。

 

 

「…………」

 

 

無言で手を組む。

 

僕は昔から、身を削るように人助けを行なって来た。

身体も心もボロボロになりながら、無我夢中で人助けをしていた。

 

それが良い事なのだと、信じていたからだ。

 

だけど……ミシェルには……いや、ミシェルだけじゃない。

ドクターストレンジ(スティーヴン)からも、言われていた。

 

僕は僕が幸せになる方法を知らないと。

自罰的な感情で、身を砕いて人助けをする歪さがあると。

 

 

図星だ。

 

 

自分を大切にする事と、他人を守る事。

その両立は──

 

 

「……難しいな」

 

 

息を深く吐いた。

 

 

「何が、かしら?」

 

 

背後から、声が聞こえた。

僕は力なく、そちらに顔を向けた。

 

 

「……フェリシア」

 

 

黒いライダースーツに身を包んだ、ブラックキャット……フェリシア・ハーディが立っていた。

 

僕は少し眉を顰めて、首を傾げた。

先程の騒動……緊急通知が鳴り響く光景を思い出したからだ。

 

 

「君が……施設の警報を押したんだよね」

 

「あら、ごめんなさいね?逃げるのに必要だったの」

 

 

少し、カチンとくる。

だけど冷静に……熱のこもった息を吐いた。

 

彼女が警報を起動させなかったとしても、『デビルズブレス』を回収できたか……と言えば怪しい。

あの場には沢山の『デーモン』が居たからだ。

 

思考を振り払って、彼女に話しかける。

 

 

「それで?何の用なの?てっきり、もう逃げちゃったと思ってたんだけど」

 

「……少しぐらい、お話に付き合っても良いじゃない?」

 

 

彼女は自身の胸元に手を突っ込んだ。

思わぬ行動に僕は目を逸らして……視線を戻すと、彼女は手に小さな水色の液体が入ったアンプルを持っていた。

 

僕は、目を細める。

 

 

「……それは?」

 

「強力な毒薬を使う時は、必ず解毒薬を用意するものよ?自身の身に危険が及ばないように、ね」

 

 

それは、つまり──

 

 

「『デビルズブレス』の解毒剤……?」

 

 

僕の目はアンプルに引き寄せられる。

 

 

「正確には『デビルズブレス』と真逆の効能を持つ薬だけど。これ一つで汚染された患者を300人は助けられる……らしいわ」

 

「す、凄い……お手柄だよ、フェリシア!」

 

 

僕は思わず彼女に駆け寄ろうとして……一歩、引かれた。

 

 

「……フェリシア?」

 

「これは貴方には渡さない。今は、まだ」

 

 

……目を見開く。

 

 

「何で──

 

「私の目的は『お金』だって言ったでしょ?これは『マギア』に売るの」

 

「……待って。それじゃ、巻き込まれる人達の分は……!」

 

「そんなに薄情に見える?全部を『マギア』に売る訳じゃないわ。残った物は貴方にあげる」

 

 

僕はマスクの下で眉を顰めた。

 

 

「何で今、渡してくれないんだ……」

 

「だって今、貴方に渡したら『S.H.I.E.L.D.』に投げちゃうでしょ?そしたら、勝手に複製なり何なりして……価値が下がっちゃうじゃない」

 

 

図星だった。

誰かが危険に晒されるリスクを減らすために、僕ならそうする。

 

マフィアに売ろうだなんて、考えない。

 

 

「フェリシア……悪い事は言わないから、それを渡してくれ」

 

「スパイダー、悪い事は言わないわ。私が売るまで我慢しなさい」

 

 

互いに、視線が交差する点を中心に……ゆっくりと、回転するように歩く。

フェリシアは小さく笑った。

 

 

「失敗だったかしら。安心させようと善意で話してあげたのだけれど」

 

「……仇で返すような真似をして悪いとは思ってるよ。でも僕がこうするって事は、君には分かってた筈だ」

 

「……ふふ、それもそうね。でも──

 

 

フェリシアが、僕に何かを投げた。

それを手で受け取る。

 

……円盤状の小さなディスクだ。

 

これは──

 

 

「私、逃げ足には自信があるの」

 

 

バチン!

 

と身体に電撃が走った。

一瞬、視界が真っ白になって、立ってられなくて……膝をつく。

 

 

「それじゃあ、また会いましょ?スパイダー」

 

「ま、待、て……フェリシア……!」

 

「いやよ。猫は気まぐれなの」

 

 

白く点滅する視界の中で、フェリシアが走り出した。

そのまま飛び降りて……く、そっ!

 

僕は手に張り付いていたディスク型のスタンガンを引き剥がして、投げ捨てる。

 

 

「く、ぅっ……!」

 

 

まだ、身体は痺れてる。

 

でも、追わなきゃ!

 

僕も彼女に続いて走り出して……屋上から飛び降りる。

 

そして、(ウェブ)を──

 

 

カシュッ。

 

 

(ウェブ)を──

 

 

カシュッ。

 

 

…………あれ?

 

 

視線をウェブシューターに向ける。

(ウェブ)の残量が……0%を示していた。

 

つまり、弾切れだ。

 

 

「あっ」

 

 

ミシェルが腕を組んで、怒ってる姿を幻視した。

ちゃんと(ウェブ)の原液を補充しろ、ケチるなって叱る声が聞こえた。

 

 

そのまま僕は自由落下して──

 

 

「うわぁっ!?」

 

 

アパートに備え付けられているコンテナ型のゴミ箱に、ダイブした。

 

 

まるで大きな雷が降り注いだかのような音を立てて、ゴミに沈む。

ゴミ袋が破れて、散らばった。

 

 

()っ、つ……」

 

 

嫌な感触がした。

それなりの高さからの落下……ゴミがクッションになって怪我はないけれど……全身に鈍い痛みがあった。

 

……悪臭が、鼻につく。

頭の上に張り付いていた、バナナの皮を投げ捨てた。

 

上半身を立てて、コンテナから這い出る。

地面に転がって……僕はフェリシアが逃げて行った方向を見る。

 

……まいったな。

もう何処まで逃げたのか見当も付かない。

 

追いかけても、見つける事は困難だろう。

 

 

「……はぁ」

 

 

生ゴミの臭いに顔を顰めながら、立ち上がる。

ふらついて、壁にもたれ掛かった。

 

 

「こんなのだったら、真っ直ぐ帰っておけば良かったな……」

 

 

本当に、碌でもない。

悪人には逃げられるし、ミシェルとは気まずくなるし、フェリシアにも逃げられた。

 

今日の運勢はきっと最悪。

 

もしくは、全部、僕がミスをしたか。

 

……ミスター・ネガティヴはもっと僕が強ければ、逃さなかっただろう。

ミシェルとは、僕が彼女の意図に早く気付いて、折り合いを付けていれば怒らせなかっただろう。

フェリシアも、頭ごなしに否定せず、話を聞いてから説得すれば良かったんだ。

 

 

「……ヒーロー活動は絶好調だなぁ」

 

 

本日、何回目か数えきれないけどため息を吐いて……立ち上がった。

う、臭い。

 

スーツも洗わないと……。

 

とぼとぼと、行きとは違い……僕は自宅に向けて歩き出した。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

パルクールの要領で屋根から屋根へ飛び移り……自宅であるアパートの屋根に到着した。

 

ビルの隙間、壁に張り付いて自室の窓へと向かう。

 

 

頭の中は濃い霧がかかったようにモヤモヤしている。

ミスター・ネガティヴの事も悩ましいけれど……スパイダーマンとしての悩みじゃない。

ピーター・パーカーとしての悩みが頭を占めている。

 

恋人、ミシェル・ジェーンの事だ。

彼女は優しく、寛容だから……きっと、今日の僕のことだって許してくれる。

許してくれるだろうけど……不快な思いをさせたのは間違いない。

 

こうやって細かいすれ違いから、男女関係は破綻するのだと……過去にグウェンが言っていた。

彼女が気にしていようと、気にしていまいと、マイナスな感情にさせてしまったのは事実で、プラスの出来事で覆わなければならない。

 

つまり、埋め合わせだ。

 

しかし、何をするか。

壁に張り付きながら、考える。

 

ミシェルは甘いものが好きだ。

何かスイーツを買ってきて懐柔……う、うーん、いつもやってる事と変わらない。

デートする?それも、いつもやってる。

 

何かアクセサリーをプレゼントする?

行きたい場所に連れていく?

 

それとも──

 

 

……ダメだ。

考えがまとまらない。

 

 

自室の窓を外から開けて、中に入り込む。

 

 

マスクを脱いで……深く息を吐く。

……う、臭っ。

 

スーツも洗わないと……。

(ウェブ)の原液の材料も買ってこないと。

 

思わず、自室の中で座り込んで──

 

 

「はぁ……」

 

 

ため息を吐いた。

 

……ため息を吐くと、幸せが逃げるらしい。

でも、僕に幸運なんて今は無くて──

 

 

……人の気配。

 

 

リビングの方からだ。

 

 

僕は内心怯えつつ、ゆっくりと足を進めて……リビングに顔を出した。

 

真ん中に置いた安物だけど大きな机。

そこに一人の女性が座っていた。

 

僕に気付いて……振り返った。

 

 

「……遅い。寄り道してた?ピーター」

 

 

目下、悩みの対象になっている……僕の恋人(ガールフレンド)、ミシェルが座っていた。

……僕がフェリシアと会話していたり、歩いてニューヨークを横断している間に、彼女は先に到着していたのだろう。

 

しかし──

 

 

「……ミシェル?どうして、ここに?」

 

 

彼女がどうやって僕の部屋に入ったか……それは単純な話だ。

合鍵を持っているからだ。

 

だから、この『どうして』は理由が分からないからだ。

 

 

僕の言葉に、ミシェルが目を細めた。

 

 

「……夜食、食べる?」

 

 

僕の疑問に答えず、ミシェルは机に置いてあった箱を手に取った。

チーズ・マカロニ……温めて食べられる即席の食事だ。

 

 

「え?あ……うん、貰おうかな?」

 

「ん」

 

 

短く返事をすると、ミシェルは席から立ち上がり……皿にチーズ・マカロニを入れて──

 

 

「ピーター……その、さっきはゴメン」

 

 

謝罪された。

 

……何の謝罪だろうか、一瞬分からなかった。

だけど、先程の言い争いの事を言ってるのだろうと理解して、僕は首を振った。

 

 

「な、なんで謝るの?」

 

「……どっちが間違ってる、とかではなかったし。言い方、ちょっと厳しかったし」

 

 

ミシェルがチーズ・マカロニの入った皿を、電子レンジに入れる。

そして、僕の方へ振り返った。

 

 

「……その、ピーター?嫌いにならないで、欲しい……から、謝りたくて」

 

 

目線を逸らすように、申し訳なさそうにしている彼女に……思わず駆け寄った。

 

 

「僕が嫌いになる訳ないよ!さっきだって……僕の方が悪かったし……そのっ──

 

 

弁明していて、気付いた。

 

あぁ、きっと僕と同じ悩みを彼女も感じていたのだろうと。

自己評価が低いのも、自分を顧みない所も……まぁ、似たもの同士なのだ。

 

そう思うと、本当にくだらない悩みだったんだなぁって……苦笑した。

 

 

「ピーター?」

 

「ううん、僕も同じ事考えてたから」

 

「……私、ピーターを嫌いになんかならない」

 

 

彼女もそう言って……先程の僕の言葉の焼き増しだと気付いたのか、苦笑した。

 

僕の中にあった霧のようなモヤモヤは晴れて、今は清々しい気持ちだ。

彼女も、さっきまでの暗い表情を潜めて……いつも通りの笑みを浮かべていた。

 

 

「……僕、さっきゴミ箱に入ってたから、先にシャワー浴びてくるよ」

 

「……ゴミ箱に?何で?」

 

「後で話すよ。大丈夫、隠し事はしないから」

 

 

だって、彼女は……パートナーだから。

スパイダーマンとしても。

ピーター・パーカーとしても。

 

さっきまでの僕を殴りたいね。

ちゃんと、僕は幸せだから……幸運なのだから。

 

ため息はもう、吐かない。




次回は来週土曜日。


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#4 グレート・レスポンシビリティ part1

ごめんなさい、遅れました。


深夜、僕の部屋。

生ゴミ臭のするスーツを洗濯機に投げ入れ、シャワーを浴びて来た後だ。

 

席に着いた僕に、ミシェルが白い皿を置いた。

チーズ・マカロニの良い匂いがした。

 

フォークでついて、口に運ぶと……う、メチャクチャ熱かった。

火傷するかと思った。

 

そんな僕の挙動にミシェルは小さく笑みを浮かべて……椅子に体重を任せた。

 

 

「ピーター、食べながらで良いから……作戦会議、しよ?」

 

「うん、僕も話したい事あったし」

 

 

熱々のチーズ・マカロニをフォークでつつきながら、ミシェルに視線を向けた。

 

 

「まず、現状から……というか、私と別れた後、何があったの?」

 

「実は──

 

 

ブラックキャット、フェリシアの事は話す。

彼女がミスター・ネガティヴの拠点から『デビルズブレス』の解毒薬を盗んだ事も、『マギア』に売ろうとしている事も。

 

ミシェルは少し難しい顔をして、手を顎に当てた。

 

 

「なるほど……フェリシアは結構、ピーターに気を許してる、ってこと?」

 

「え?まぁ……そうかな?」

 

 

どうしてそんな結論に至ったのか?

思わぬ感想に戸惑っていると、彼女は口を尖らせた。

 

 

「態々、ピーターに解毒剤の話をしたのも彼女からすれば利点はないし……本当に、ピーターを安心させたいからって理由だけだと思う」

 

 

チーズ・マカロニを口に含みながら考える。

……そう、僕に黙って解毒剤を『マギア』に売ればよかったんだ。

 

 

「まぁ、彼女は……うん、本当は悪い人じゃないって僕も知ってるから」

 

 

僕に話す事で印象が悪くなろうとも、それでも……そう考えると、フェリシアはやはり悪い女性では──

 

……目の前のミシェルは少し不機嫌そうだった。

 

 

「ミシェル?」

 

「……なに?」

 

「怒ってる?」

 

「怒ってはいない」

 

 

……怒って「は」いない、か。

女心が全然分からないと評される僕だけれども、今の彼女が……うん、嫉妬しているってのは分かった。

 

その事実に気付くと同時に、ミシェルが口を開いた。

 

 

「とにかく、話を戻す。フェリシア・ハーディの居場所は不明?」

 

「うん、見当も付かない」

 

「……なら、解毒剤はあまり期待出来ない。解毒剤を頼りにするのは、万が一の時だけ」

 

 

僕も頷く。

フェリシアの解毒剤がいつ貰えるかも分からず、その効能が保障されているかは知らない。

最終手段として取っておくのが正解だろう。

 

 

「ミシェル、それなら『デビルズブレス』の散布を阻止する事が最優先でいいかな?」

 

「うん、当初と同じく。幸い、無差別テロのような事はしない……と思うから」

 

 

ミスター・ネガティヴは『マギア』に恨みがある。

そして毒ガスという兵器の都合上、『デビルズブレス』は一度しか使用出来ない。

使用するタイミングは限られる。

 

そして、ミシェルが口を開いた。

 

 

「それと『デーモン』を尋問して、ミスターネガティヴの情報を幾つか手に入れた」

 

「尋問?」

 

 

僕が聞き返す。

何だか物騒なことをしていると思ったからだ。

 

僕の言葉に、ミシェルは腕を組み頷いた。

 

 

「……ビリビリさせたら、吐いた」

 

「そ、そうなんだ」

 

 

まぁ、でも彼らは犯罪者だ。

それも無辜の人々を巻き込むような殺人テロを起こそうとしている奴等だ。

 

『S.H.I.E.L.D.』がそういう事をしてもおかしくはない。

というか、長官であるニック・フューリーに至っては尋問という言葉が『似合ってる』という域にまで達しているけれど。

 

横道に逸れた思考に、ミシェルが咳払いした。

 

 

「ミスター・ネガティヴは元々、アジア系ギャングの構成員の一人だったらしい。外国の人間を、この国に密入国させる生業をしていた」

 

「……うん」

 

「そこを縄張りを荒らされたと感じた巨大なマフィアグループ『マギア』に捕まり……非合法な薬物の実験台にされた」

 

 

ミシェルは机の上で指を組んだ。

……特殊な薬物による後天的な突然変異者(ミューテイツ)、それはつまり彼女と同様の存在だという事だ。

 

 

「仲間や家族を失ったけれど、彼のみが生き残り……特殊な力を手に入れた。以降『マギア』の手から逃れた彼は、壊滅したアジア系の麻薬カルテルの残党を集めて復讐しようとしてる」

 

 

ミシェルは目を細めた。

……麻薬カルテルは彼女が壊滅させたと聞いている。

 

その残党が今も犯罪行為をしているというのだから、内心穏やかではないのだろう。

 

 

「ミスター・ネガティヴの本名は誰も知らないらしい。ただ、拠点の中にあった資料や、別拠点の存在──

 

 

ミシェルが机にタブレットを置いた。

そこには、このニューヨークの地図が表示されていた。

 

 

「点と点を線で繋いで……ここ」

 

 

ミシェルがタブレット上の地図を指差した。

あまり大きくない建物が表示されている。

 

 

「ミスター・ネガティヴが常用している車や……尋問から得られた情報、消費されているガソリンの消費量……そこから推測するに、よく来ているらしい」

 

「……行きつけのバー、とか?」

 

 

僕の言葉にミシェルが首を振った。

 

 

「悪人達が集まるバーなら、私も納得した。だけど……ここは違う」

 

「……何の建物なの?」

 

Food(食料), Emergency |Aid(緊急援助), Shelter and |Training(避難所兼訓練所)

 

 

ミシェルの言葉に僕は口に入れたチーズ・マカロニを……飲み込めずにいた。

あまりにも……悪人が入り浸る場所にしては、無関係な言葉が並んでいたからだ。

 

 

「通称『F.E.A.S.T.』。ホームレスや難民、恵まれない人へ支援するボランティア施設」

 

「……なんでそんな所にミスター・ネガティヴが?」

 

 

思わず狼狽えてしまう。

 

 

「施設の人を脅してるのかな……?それとも、ボランティア施設ってのは仮の姿で──

 

「それは分からない」

 

 

結論を急ぐ僕を、ミシェルが嗜めた。

そして、続けて言葉を口にする。

 

 

「だから、調査する」

 

「……調査?」

 

「『F.E.A.S.T.』の状況を探り、ミスター・ネガティヴの正体を探る」

 

「……うん」

 

 

僕は頷いた。

 

 

「明日、『F.E.A.S.T.』へ行く。ピーターも来る?」

 

「……うん。僕、隠密は得意だから──

 

「ううん、隠れて調査はしない。明日はピーター・パーカーとして、調査すべき」

 

 

目を瞬く。

 

 

「……え?」

 

「学生ボランティアとして、潜入する。万が一にでも、スパイダーマンが探っているとバレないように」

 

「あ、そっか……なるほど」

 

 

彼女の言葉に頷く。

多分、僕一人ではそこまで辿り着けていない。

内心で彼女を褒め称える。

 

 

「『デビルズブレス』の現在位置を知れたら、それを当日までに盗む。分からなかった場合は、当日のテロを阻止する……異論はない?」

 

「うん、それで良いと思う」

 

 

僕が頷くと、ミシェルも頷いた。

 

 

「……以上。ピーター、作戦会議は終わり。何か質問はある?」

 

「……ううん、僕は何も思い付いてないから……はは」

 

 

僕は頬を掻きながら、苦笑いを浮かべる。

それを見たミシェルは──

 

 

「もう」

 

 

僕の頬を、指で突いた。

 

 

(ふぁ)(ふぁ)に?」

 

「必要以上に自分を貶めなくていい」

 

 

少し、眉を顰めてそう言われた。

 

 

「でも──

 

「ピーターはよくやってる。頑張ってるし、私に出来ない事をしてくれてる」

 

「……そうかな?」

 

「ん」

 

 

ミシェルが少し頬を緩めて……僕の皿からチーズ・マカロニを一つ食べた。

そして、何かに気付いたように僕へ視線を戻した。

 

 

「……明日は昼から『F.E.A.S.T.』へ行くから……ちゃんと早めに寝てね?」

 

「うん、分かったよ。ありがとう」

 

 

僕が頷くと……ミシェルは席を立ち、洗面所へ向かった。

 

 

僕は一人、チーズ・マカロニを口に含み思考に集中する。

 

ミスター・ネガティヴが何故、ボランティア施設になんか通ってるのか?

案外、良い人……いや、違う。

大量殺戮を実行しようとしてる時点で良い人な訳がない。

 

少し冷めて食べやすくなったチーズ・マカロニを咀嚼していると……ミシェルが洗面所から出てきた。

 

ゆったりとした薄い赤色の寝間着を身にまとい、欠伸を一つした。

その手には白いフワフワの玉が先に付いた就寝帽子を持っていた。

 

それを頭に乗せて──

 

 

「おやすみ、ピーター」

 

 

そのままベッドに潜り込んだ。

……あ、今日、泊まるんだ?

いや、訊かれてないし。

いや、許可が必要って訳じゃないけど。

まぁ……うん、文句はないんだ。

 

 

「……うん、おやすみ。ミシェル」

 

「ん」

 

 

そのまま少しすれば、すーすーと寝息を立てて寝始めた。

彼女は付き合い始めてから、少し遠慮がなくなってきた感じがする。

まぁ、それだけ僕の側で安心して、着飾らずに居られるのだから……嬉しくは思えど、不快には思わない。

 

僕は音が鳴らないように細心の注意を払いながら、シンクに食器を置いた。

 

 

 

ちなみに、僕は彼女の横で寝たのだけれど……彼女の寝相が悪くて、鳩尾を蹴られてしまった。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

翌日。

ニューヨーク、クイーンズにて。

 

僕とミシェルは『F.E.A.S.T.』の前まで来ていた。

勿論、私服で……だ。

 

ミシェルが僕に耳打ちする。

 

 

「昨日の間に、学生ボランティアとしての手続きは済ませてある。私もエンパイア・ステート大学の学生として来てる……事にしてる」

 

「分かったよ、口裏は合わせるよ」

 

「ん、理解が早くて助かる」

 

 

ミシェルに促され、僕は『F.E.A.S.T.』の入り口……の横にあるチャイムを鳴らした。

チャイム音に、心なしか背筋が伸びる。

 

ここに……ミスター・ネガティヴの手がかりが──

 

若干の緊張……僕の脇に手が触れた。

視線を下すと、ミシェルがいつも通り……少し表情に乏しい顔を向けていた。

 

……少し息を深く吸う。

自然体、自然体だ。

 

 

ドアが開いた。

 

 

「あら、今日予定していた学生ボランティアの二人かしら?」

 

 

年老いた女性の声が聞こえた。

 

 

「えぇ、僕が──

 

 

僕は、視線を顔に向けて──

 

 

僕は、呼吸を止めた。

 

 

「あ……」

 

 

声が掠れる。

 

 

「あら、大丈夫?どうかしたの?」

 

 

目の前の老いた女性の言葉に、僕は意識を現実に引き戻された。

言葉、言葉を用意しないと、不自然にならないように。

 

 

「い、いえ……ちょっと、その、僕の知っている人に似ていたので」

 

「あら、そうなの?」

 

「すみません、失礼な態度で……」

 

 

僕は謝罪しながら……視線を逸らす。

 

知り合いに似ている?

いいや、違う。

同一人物だ。

 

僕が数年前に失った繋がり……家族だ。

 

メイ・パーカー。

僕を育ててくれた叔母が、そこに立っていた。

 

視界の隅で、ミシェルが心配そうな目を僕に向けていた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

そのまま、僕はボランティア活動を行った。

……メイ叔母さんとの遭遇によって、僕は少し心を乱している。

結果、ミシェルに「調査は任せて、彼女の手伝いをしていて」と言われてしまった。

 

僕は役に立たない、という事だろう。

いや、きっと彼女はそんな事を思ってないし……僕を心配してくれているのだろうけど。

 

 

「ピーター、この荷物を運んでくれるかしら」

 

「は、はい!」

 

 

僕は抗生物質等が入ったダンボールを運ぶ。

重いけれど、僕は普段から車やトラックを持ち上げてるんだ。

これぐらい屁でもない。

 

 

「若い人が来てくれて助かるわ。重い荷物は私じゃあ運べないから」

 

「いえいえ、お安いご用、です」

 

 

僕はメイ叔母さんに視線を向ける。

 

僕は、失った筈の家族と出会ったからショックを受けた訳じゃない。

彼女の容姿を見て、ショックを受けたのだ。

 

彼女は細かった。

最後に会った二年前よりも……老いていた。

 

歳を取れば老いるのは当然だ。

だけど、それ以上にメイ叔母さんは老いていた。

 

力なく、枯れ木のように……折れてしまいそうに老いていた。

 

 

「えーっと、あの、メイさんは『F.E.A.S.T.』に入って長いんですか?」

 

 

世間話という名の情報収集をしながら、荷物運びを続ける。

出来れば、僕は……メイ『叔母』さんと呼びたいけれど、今の僕にそんな権利はない。

 

言い慣れない呼称に戸惑いながらも、僕は『メイさん』と呼ぶ以外の選択肢がない。

叔母さんと呼べる権利は……もう手放してしまったから。

 

 

「え?えぇ、二年前からね。人助けだって何歳からでも出来るものね」

 

 

叔母さんの言葉に頷きながら、僕は戸惑う。

 

メイ叔母さんが誰よりも、人の為になる事を願ってるような人だって知っている。

だからこそ、こういったボランティアグループに所属していても不思議ではない。

 

しかし、二年前……『F.E.A.S.T.』に入ったのも、老いが急激に進行したのも、二年。

何か関係があると考えて当然だろう。

 

……ミスター・ネガティヴが原因、だろうか。

 

思考を奥底に沈めながら、僕は表向きの会話を続ける。

 

 

「……凄いですね」

 

「出来る事をやるだけなの。私は私に出来る事をね」

 

 

メイ叔母さんがダンボールを開封して、棚に物をしまっていく。

そして、僕の方へ振り返り……口を開いた。

 

 

「私はこうして、ボランティア出来るぐらいには恵まれているから。力ある人は、力なき人を助けなければならないの」

 

「……分かりますよ」

 

「えぇ。私の夫がよく言っていたわ。大いなる力には──

 

「大いなる責任が伴う……」

 

 

思わず、言葉が漏れた。

 

メイ叔母さんの作業をする手が止まった。

そして、僕の方を見た。

 

 

「あら?なんで知っているのかしら?」

 

「あ、いえ……その、昔……僕も言われた事があるんですよ」

 

 

僕が誤魔化すと、彼女は少し首を傾げた。

 

 

「……それは誰から?」

 

「それは……昔、僕が道に迷っていた時に、助けてくれた人が言ってました」

 

 

物理的に迷っていた訳じゃない。

心が迷っていた時のことだ。

 

メイ叔母さんは恐らく前者と思ったのか、納得したように頷いた。

 

 

「……えぇ、あの人らしい」

 

 

ベン叔父さんなら、道に迷ってる見知らぬ人すら助けようとするだろう。

 

小さく、呟いた言葉に同意しそうになって……止まる。

……僕が失った繋がり、失わせた記憶……代償は大きい。

 

 

「その──

 

 

僕は振り払うように、無理矢理会話を変える。

 

 

「最近、体調が悪かったりしますか?」

 

 

少し、失礼な質問かもしれない。

それでも、今の彼女の現状を見れば訊きたくなってしまった。

 

 

「……そう見えるかしら?」

 

「あっ、いえ、その……はい」

 

 

僕が頷くと、彼女はため息を吐いた。

 

 

「そうね、二年ほど前から……あまり体調は良くないわ」

 

 

やっぱり。

 

だったら、ミスター・ネガティヴが関係していて──

 

 

「この『F.E.A.S.T.』に来てから、随分とマシになったけれど」

 

 

……え?

 

 

「何でかしらね、人生に急に張り合いがなくなって……無気力になってしまっていたの。それが身体にも響いたのかしら」

 

 

それは……その、無くなってしまった人生の張り合いとは──

 

 

「そう、ですか……良かったですね、『F.E.A.S.T.』に来れて」

 

「えぇ、そうね」

 

 

甥である僕の事ではないだろうか?

 

二年前、急に……一人になってしまったから、ではないだろうか。

 

それはつまり、僕が……僕の、記憶を消したから。

 

その老いは特殊なスーパーパワーの被害じゃない。

ただ、人として……孤独を感じてしまった故の、老いなのだ。

 

 

「さて、作業を続けましょう?」

 

「……はい」

 

 

冷たい汗をかきながら、僕は頷いた。

 

叔母さんと一緒に『F.E.A.S.T.』の廊下を歩く。

車椅子に座った老人や、身なりの悪い人もいる。

そんな人達を助ける為に、叔母さんは頑張っているのだ。

 

……彼女自身も万全な体調ではないだろうに。

それでも。

 

……僕の行動は正しかったのだろうか。

僕の記憶を失った人達の事を、知らないフリして捨てていたんじゃないだろうか。

 

僕は叔母さんの後ろを歩き、倉庫代わりの部屋に入る。

 

 

「今度はこれを運んでくれるかしら」

 

「はい、勿論──

 

 

僕が頷いた瞬間──

 

 

「メイ」

 

 

声が聞こえた。

男の声に、僕と叔母さんは振り返った。

 

 

「あら、リーさん」

 

 

リー、と呼ばれたのは……『F.E.A.S.T.』の利用者とは思えないビジネススーツ姿のアジア系の男だ。

 

 

「どうも、私も手伝った方が良いかな?」

 

「いえいえ、今日はボランティアの若者が来ているのよ?」

 

「あぁ、そこの彼だね?」

 

 

メイ叔母さんと仲が良さそうだ。

人好きのする笑顔を浮かべて、僕に身体を向けた。

 

 

「はじめまして、私の名前はマーティン・リー。しがない輸送業者だよ」

 

「えっと、僕はピーター・パーカーです。学生です」

 

 

僕の名前を聞いたリーは目を瞬いて、メイ叔母さんへ視線を向けた。

 

 

「驚いた。メイと同じ苗字だ。親戚だったりするのかね?」

 

「あら、そんな事はないわ。もしかしたら、遠い親戚かも知れないけれど」

 

 

談笑しつつ、メイ叔母さんが僕へ視線を向けた。

 

 

「私から補足するわ。リーさんは、この『F.E.A.S.T.』プロジェクトを立ち上げた人よ」

 

「ここを?」

 

 

僕が視線を向けると、少し困ったような表情でリーは笑った。

 

 

「それは否定しないが……少し気恥ずかしいな」

 

 

謙遜するような口調からは、本当に気恥ずかしそうな感情が読み取れる。

 

……なるほど、メイ叔母さんが説明したがる訳だ。

 

 

しかし、マーティン・リー……か。

どこかで見たことのあるような顔をしていた。

 

何かが引っかかっていた。

こんなにも善い人なのに。

 

僕の見る目が節穴でなければ、彼は本当に善性に溢れている。

気を使うような素振りも、佇まいも、言葉遣いも。

 

だからこそ、どこで出会ったのか。

こんな人、忘れる事なんてない筈なのに。

 

僕の疑念を他所に、リーは僕に視線を向けた。

 

 

「君は幾つだ?」

 

「19です」

 

「そうか、まだそんなに若いのに手伝ってくれるなんて……素晴らしい事だ」

 

 

感心したような笑みを浮かべて、リーが僕の肩を叩いた。

 

 

「私が君ぐらいの歳の頃は、自分のことで精一杯だった」

 

「……そうなんですか?」

 

「あぁ、そうだとも。歳を重ねて、運が良い事に私は運輸業界で顔が利くようになった」

 

 

どうやら、リーは僕が想定していたよりも社会的地位の高い人間らしい。

しかし、それを驕っている訳ではないようだ。

 

 

「私は力を手にしたんだ。だから私にしか出来ない事をしている」

 

 

まるで叔父さんのような事を言っている。

……そう思った。

 

 

「それが私が『F.E.A.S.T.』を作ったキッカケだ。力ある者は、虐げられる人々を助ける必要があるからだ」

 

「……その意見には凄く賛成出来ます」

 

「そうか、君もそう思うか?」

 

 

リーは嬉しそうな顔をした。

そしてまた、僕の肩を叩いた。

 

 

「君さえ良ければ、また『F.E.A.S.T.』の学生ボランティアに申し込んでくれると助かるよ」

 

 

目があって……リーは視線を逸らし、メイを見た。

 

 

「さて、メイ。邪魔をしたね。帰らせてもらうよ」

 

 

思わず、僕は声を漏らした。

 

 

「来たばかりなのに、ですか?」

 

「あぁ、こう見えて少し忙しい立場なんだ。今日は隙間を見て来たに過ぎないよ」

 

「そうなんですか……」

 

 

僕が頷くと、彼はメイ叔母さんの方へ視線を向けた。

 

 

「では、メイ。また今度来るよ」

 

 

そして、スーツの袖を撫で……彼は頭を下げて部屋を出ていった。

メイ叔母さんは……笑顔で見送った。

 

 

「……立派な人ですね」

 

「えぇ、とても」

 

 

……僕は叔母さんの顔も向けず、口を開いた。

 

 

「メイさん」

 

「えぇ、何かしら?」

 

「えっと、その──

 

 

言葉を探す。

何を言おうとしたのか。

自分でも分からなくなって……喉まで出かかった言葉を飲み込む。

 

 

「……このダンボールは何処に運べば良いですか?」

 

「あら、ごめんなさいね。こっちよ、ついて来て」

 

 

メイ叔母さんの後ろを歩きながら、僕は小さく息を吐いた。

 

僕は逃げているのだろうか。

失わせてしまった記憶から、消えてしまった繋がりから。

 

……本当の事を言って、もし信じて貰えなかったら……なんて、逃げてしまっているのだろうか。

 

記憶の消失は、僕がスパイダーマンである事と強く結びついている。

僕の正体を彼女に教えるという事は、巻き込んでしまうという事だ。

 

だから、なんて……理由を見つけて、話せずにいる。

 

答えの出ない悩みに、僕は気持ちを落とした。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

そして時間が経ち、空はオレンジ色に染まっていた。

 

 

「二人とも今日はどうもありがとうね。とても助かったわ」

 

「えっと、僕も貴重な経験が出来て……良かったです」

 

 

 

ミシェルと並び、メイ叔母さんに挨拶をする。

駄賃だと叔母さんが焼いたラズベリーのパイを手荷物にして──

 

 

「メイさん」

 

「えぇ、何かしら?」

 

「また、来ても良いですか?」

 

 

これは未練だ。

家族との絆に対する未練。

失ったモノに対する執着が、言葉になってしまった。

 

しかし、叔母さんはそんな僕の内心に気付かず、嬉しそうに笑った。

 

 

「えぇ、勿論よ。あなたのガールフレンドも、遊びに来てくれたって構わないのよ」

 

 

ガールフレンド、という言葉にミシェルは口を……ほんの少し窄めた。

ずっと一緒にいる僕ぐらいにしか分からない小さな変化だ。

 

でも……あれ、どういう感情なのだろう。

 

あぁ、そっか。

彼氏の母親にガールフレンドと公認されたから、照れているのだ。

 

とりあえず、叔母さんへ視線を戻す。

 

 

「えーっと、ではまた、来させて貰います」

 

「えぇ、今日は本当にありがとうね、ピーター」

 

 

名前を呼ばれ、心臓が少し跳ねた。

……思い出して、少し悲しくなった。

 

泣き出さないように堪えて、この感情に気付かれないよう……手を振って、別れた。

 

ミシェルと二人、並んでクイーンズの街を歩く。

 

 

「……ピーター、大丈夫?」

 

「え、あ……うん。大丈夫だよ」

 

 

僕が笑うと、彼女は少し眉尻を下げた。

……僕は話題を変える事にした。

 

 

「それよりもゴメン。勝手な約束したりして」

 

「ううん。ボランティアしたいなら、私も手伝う。大丈夫」

 

 

そう言いつつも、ミシェルは僕が何故、ボランティアをしたがっているのか……いいや、『F.E.A.S.T.』に行きたがっているのか分かっているのだろう。

 

そして、彼女は気付いていながらも口にしなかった。

それはきっと、思いやりだ。

 

 

 

そうして、それ程遠くない僕の部屋まで帰って来た。

ミシェルが手慣れた様子で、メイ叔母さんが焼いてくれたパイを切ってくれた。

彼女は刃物の扱いが上手い。

 

 

パイを皿に乗せて、机でミシェルと向かい合う。

 

 

僕は一切れ手に取って──

 

 

口にすれば──

 

 

…………。

 

 

「……ピーター?」

 

 

涙が溢れてしまった。

 

だってこれは。

 

僕が誕生日に食べた味だ。

小学校の入学祝いで食べた味だ。

何でもない日に食べた味だ。

ベン叔父さんとメイ叔母さんと食べた味だ。

家族の味だ。

 

それがもう、戻れないという事を思い出して……無かった事になってしまったのだと気付いて……堪えられなくて──

 

 

ふと、柔らかい感触が僕を包んだ。

 

 

「……ミシェル」

 

 

 

抱きしめられているのだと、気付いた。

 

優しく、ただ優しく。

……涙を堪えて、僕は彼女と向き合う。

 

ミシェルは小さく、穏やかに笑った。

 

 

「安心した?」

 

「……ごめん、ありがとう」

 

「ん、どういたしまして」

 

 

また向かい側の席に座り、彼女もパイを食べ始めた。

僕は苦笑しながら、息を吐いた。

 

 

「僕……最近、涙脆くなった気がするよ」

 

「涙が出るのはピーターが優しい証拠」

 

「……そうかな?」

 

「もしくは歳を取ったから」

 

「……はは、優しいって事にしておいて」

 

 

にこやかに会話しながらパイを口にする。

全部食べ終えると……ミシェルは少し、真面目そうな顔で口を開いた。

 

 

「今日の調査結果、共有しようと思う」

 

「うん……と言っても、僕側は……その──

 

「いい。仕方ないから」

 

「……ごめん」

 

 

 

ボランティアは口実で調査する予定だったのに、本当にボランティアしかしていなかった。

 

 

「……私、ホントに気にしてないから、大丈夫」

 

 

そう言いながら、ミシェルはポケットから携帯端末を取り出して僕に見せた。

画面には写真が……何やらオフィスのようなものが写っていた。

 

 

「これは?」

 

「『F.E.A.S.T.』内のオフィス」

 

「……何でそんな写真撮れたの?」

 

「ボランティア中にコッソリ……抜け出して」

 

 

ミシェルが画面をスワイプすると、壁の絵画が大きくずれて……金属製のドアが姿を現していた。

 

 

「え?」

 

「隠し扉。開けると──

 

 

また、写真が切り替わる。

 

コンクリートで囲われた一室だ。

簡素な部屋にデスクや紙が散らばっている。

 

 

「地下に隠し部屋があった」

 

 

壁に貼られた大きなニューヨークの地図。

そこには赤いペンで何か記されている。

 

ペンの入れられた位置には覚えがある。

『デーモン』が襲撃した施設だ。

 

壁には伝統的な悪魔のマスクが飾られている。

 

 

「……これって」

 

「そう。ミスター・ネガティヴの隠し部屋」

 

 

彼女がまた画面を弄る。

 

床が映し出される。

そこには何か重い物を引き摺った跡がある。

 

 

「この地下室は外の駐車場と繋がってる。ここにあったのは──

 

「『デビルズブレス』だよね」

 

「そう。私がここを発見したのは16時頃。動かした痕跡は真新しい……今日中に付いた傷」

 

「……今日?」

 

「ん。昨日の逃走後、一時的に置いていただけだと思う……そしてそれを、持ち出した」

 

 

目を細めて、僕は顎に手を当てる。

 

それならミスター・ネガティヴの正体は……今日、『F.E.A.S.T.』に来た誰かになるだろう。

……昨日の、ミスター・ネガティヴの……白と黒が反転した姿を思い出す。

 

白い、ビジネススーツ。

黒いビジネススーツを反転させた色。

 

 

「……ミシェル。そのオフィスは誰の部屋なの?」

 

 

嫌な予感がした。

的中して欲しくない予感だ。

 

 

「……このオフィスは──

 

 

全く似ていない。

正反対と言って良い。

 

だけど、ミスター・ネガティヴは白と黒を反対にしたような姿をしている。

その性質も、姿の通りだとしたら。

 

悪性(ネガティヴ)善性(ポジティヴ)の表裏……真逆の性質。

 

だからこそ──

 

 

「『F.E.A.S.T.』の出資者、名前は……マーティン・リーの部屋」

 

「……そ、っか」

 

 

予感は的中した。

 

彼は……騙しているのだろうか?

『F.E.A.S.T.』の人達を、メイ叔母さんを。

 

……僕の目が腐っているのでなければ、彼は真摯に向き合っていた。

それに、私財でボランティア施設に出資する意味もない。

 

……ミスター・ネガティヴの過去を思い出す。

ミシェルが話してくれた事を。

 

傷付けられた過去、そして復讐心。

 

本質は善性なのだとしたら、どうして……他人を巻き添えに出来るのだろうか。

 

分からない。

今日出会ったマーティン・リーの姿と、ミスター・ネガティヴの姿が重ならない。

 

……違う。

重なる訳がないんだ。

彼は真逆なんだ。

 

光と闇、善性と悪性の……反対。

真逆の存在が重なる訳がない。

 

 

「ピーター?」

 

「……マーティン・リーとは今日、会ったよ。『F.E.A.S.T.』の中で」

 

 

状況からして、あの時……『F.E.A.S.T.』に隠していた『デビルズブレス』を回収したのだろう。

 

僕はもう、彼がミスター・ネガティヴなのだと確信していた。

だからこそ、内心に不安があった。

 

彼は『F.E.A.S.T.』の出資者だ。

彼がいなくなれば……『F.E.A.S.T.』はどうなる?

 

それは分かっている。

 

だけど──

 

 

「……止めないと」

 

 

これ以上、マーティン・リーに罪を犯させてはならない。

彼の善性を信じるのであれば、信じるからこそ……これ以上、悪事を働いて欲しくはない。

 

助けなければならない。

 

巻き込まれる人々も。

邪悪なマフィア集団も。

事件を引き起こす復讐者も。

 

全員、助けなければならない。

……誰も見捨てるつもりはない。

 

 

「……ピーター、私も居るから」

 

「え?」

 

 

ふと、彼女から言葉を投げ掛けられた。

 

 

「何もかも一人で抱え込まなくていい。私も一緒に戦うから」

 

 

……そっか。

 

そうだ。

 

 

「……ありがとう」

 

 

僕は一人じゃない。

それなら、重荷は分かち合える。

 

ミシェルは頬を緩めて……ふと、顔を引き締めた。

 

 

「ん、ごほん」

 

 

そして、可愛らしい咳払いを一つ。

 

 

「結局、『デビルズ・ブレス』の現在位置は行方不明」

 

「……なら、予定通り明日の決行直前に奪取するってことでOK?」

 

「ん。『S.H.I.E.L.D.』のエージェント達が街中を探してるけど……深追いし過ぎて街中で起動されたら目も当てられないし」

 

 

彼女が頷いた。

しかし、僕の内心は不安でいっぱいだ。

 

 

「……やっぱり、フェリシアの持ってる解毒剤が欲しくなるね」

 

 

僕がポツリと溢すと、ミシェルが目を瞬いた。

 

 

「連絡したら?」

 

「……連絡先知らないし」

 

 

ミシェルは困惑の表情を浮かべ、眉を顰めた。

 

 

「……どうやって、取引するつもりだったの?ピーター」

 

「え?いや……フェリシアって何故か、いつもタイミングよく合流してくれるし──

 

 

ガタン、と音がした。

ミシェルが椅子から立ち上がった音だ。

 

 

「ミ、ミシェル?」

 

「…………ピーターはお人好し過ぎる」

 

 

苦言を呈しながら、ずんずんと部屋の中を歩き……部屋干し中の僕のスーツを手に取った。

洗濯後の若干しっとりしているスーツだ。

 

 

「え、あの、何してるの?」

 

「…………」

 

 

ごそごそとスーツを撫でるように触っている。

目を閉じて……手を引き抜いた。

 

 

「……やっぱり」

 

 

ミシェルが無言で手のひらを見ている。

僕もそれを覗き込み……何か、小さな破片が乗っていた。

 

 

「……不用心」

 

「え?」

 

「これ、位置情報の発信機。裏で流通してるメジャーなタイプ」

 

 

思わず目を見開く。

誰かが僕を追跡していたのだ。

 

一体誰が──

 

 

……あ、そっか。

 

 

「フェリシア……?」

 

「そう、彼女に気を許し過ぎ」

 

 

ミシェルが凄く眉を顰めている。

怒ってる。

 

 

「ご、ごめん、気をつけるよ……」

 

「……女の子にべたべた抱き付かれても、気を許したらダメだから」

 

「うっ……ハイ……」

 

 

何も反論出来ない。

フェリシアがもし悪意を持って行動していたら、今頃僕は……いや、僕の周りにいる人にも危害が及んでいた筈だ。

 

で、でも、綺麗な女性に抱きつかれたから気を許した訳ではない。

ただ、彼女が悪意を持っていないから……なんて口が裂けても言えない。

 

何だか浮気の言い訳みたいになっているからだ。

 

 

「ごめん、ミシェル……」

 

「…………」

 

 

気持ちを落ち込ませていると……ミシェルに手を引かれた。

軽く、ハグされる。

 

 

「ピーターは……独占欲の強い恋人は嫌い?」

 

 

耳元でそう囁かれる。

背筋を撫でられるような感触。

 

僕は首を小さく横に振る。

 

 

「ううん、僕は……好き、だと思う」

 

「……ん、ありがと」

 

 

そのまま解放されて、僕は胸を押さえた。

心臓が爆発しそうな程、ドキドキしていたからだ。

 

 

「許してあげる」

 

 

ぽつり、とミシェルが呟いた。

 

彼女が嫉妬してくれるという事は、それだけ僕を好きでいてくれるという事で……その気持ちには応えなければならない。

 

気を引き締めないと──

 

 

「でも、気をつけてね」

 

 

気を、引き締めないと……。

 

 

「ピーター、ハニートラップとか引っ掛かりやすそうだから」

 

 

気を引き締め……うん、そんなに?

 

僕が悪いとはいえ……気持ちが落ち込む。

 

 

「……僕って信頼ない?浮気とかしそう?」

 

「ううん、逆」

 

 

……逆?

ミシェルが小さく頬を膨らませた。

 

 

「誰にでも優しいから……」

 

「……そうかな?」

 

「自分の魅力に自覚がないし」

 

「……え?どういうこと?」

 

 

ミシェルが目を細めて、ジトっとした視線を向けてくる。

 

 

「……危機感もないし。私が頑張らないと」

 

「……え、その……何か勘違いしてない?」

 

「してない」

 

 

ミシェルは僕の事を過剰評価する傾向がある。

そんな女性にモテるなんて事ないし……ありえないし。

 

……うん、気のせいだ。

 

頭を悩ませていると、ミシェルに脇腹を突かれた。

 

 

「兎に角、この発信機を使ってフェリシア・ハーディを逆探知する」

 

「……そんな事できるの?」

 

 

ミシェルが手元の携帯電話を出した。

 

 

「トニー・スターク製の便利アプリがいっぱい入ってる。この発信機の電波元を逆探知する事も簡単」

 

「へ、へぇ……」

 

 

ミシェルが弄っている携帯電話を覗き込む。

 

……あ、ホーム画面、僕と自分のツーショットにしてるんだ。

 

僕がそれを知って顔を赤らめても、ミシェルは気にせず画面を見ていた。

 

そして──

 

 

「ふふ」

 

 

笑っていた。

 

頬を吊り上げて。

 

 

「これで泥棒猫(ブラックキャット)を捕まえる……」

 

 

……どこかで聞いた話だけど、笑顔というのは本来攻撃的なものらしい。

獣が牙を剥く、とか……そういう。

 

何で今、そんな事を思い出したのか。

……まぁ、それは置いておこう。

 

僕に出来る事は、大きなトラブルにならない事を祈るだけだ。




来週、土曜日更新予定です。


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#5 グレート・レスポンシビリティ part2

壁を蹴り、ワイヤーで宙を舞い、猫のようにしなやかに屋上へ誰かが着地した。

 

銀髪の黒いライダースーツの女……ブラックキャット、フェリシア・ハーディだ。

 

フェリシアは髪を掻き上げて……僕へ視線を向けた。

 

 

「良い夜ね、スパイダー」

 

「……そうかな?」

 

 

空を見上げると、月は雲で隠れている。

ニューヨークは真っ暗だ。

摩天楼の光だけが僕達を照らしている。

 

僕の疑問をフェリシアが笑った、

 

 

「私のような人間には良い夜、なのよ」

 

 

……泥棒だからか。

暗闇は彼女の味方をしてくれるのだろう。

 

僕はマスクの下で苦笑しながら、口を開いた。

 

 

「僕がどうやって先回りしてたか、とかは訊かないんだ?」

 

「えぇ、良い女は慌てないものよ?」

 

 

頭の中で一瞬、シリアルをぶち撒けてしまい慌てているミシェルを思い出した。

 

首を振る。

今はそんな事、考えてる場合じゃない。

 

 

ここはマフィア『マギア』の拠点の一つ……その屋上だ。

スタークさんの逆探知アプリで彼女の目的地を推測した結果、先回りする事が出来た。

 

彼女はここで『マギア』と取引する予定だったのだろう。

 

僕は意を決して口を開く。

 

 

「フェリシア、君の持ってる解毒剤をくれないかな」

 

「『マギア』との取引後、余ってたらね」

 

「それじゃダメなんだ」

 

 

顔を突き合わせる。

 

彼女の言葉は、一見すると誰も不幸にならない回答に見える。

だがしかし、『マギア』の規模を考えれば……『デビルズブレス』の解毒剤は、あの量では足りない。

 

充分な量が残るとは考えられない。

 

確かに、彼女の案が上手くいけば誰も傷付く事はない。

だけど、上手くいけばの話だ。

 

万全を期すのであれば、今すぐに解毒剤を受け取り……『S.H.I.E.L.D.』の研究施設に預けるべきなんだ。

 

僕の手を見て……フェリシアが少し、意地悪そうな笑みを浮かべた。

 

 

「貴方が買ってくれるのなら、それでも構わないわ」

 

「……えっと、幾らかな?」

 

 

お金で解決できるのなら、僕はそれで良かった。

自分の全財産、大学の奨学金の事なんかを考えながら──

 

 

「1万ドル、でどうかしら?」

 

 

思考が停止した。

 

1万ドル?

途方もない金額に、頭が混乱する。

 

 

「……え?本気?」

 

「本気よ、払えないの?」

 

「あ、いや……えっと……」

 

 

僕は貧乏学生だ。

大学の学費は無返済の奨学金、セプテンバー資金奨学金で払っている。

食費と生活費をアルバイト代から捻出しているけれど、カツカツな生活だ。

 

ミシェルが事あるごとに僕へ奢ろうとする程だ。

 

少なくとも、そんな額の現金は持っていない。

 

 

「……ふぅん?」

 

 

僕の慌てた様子を見て、フェリシアが黒いルージュが塗られた唇を綻ばせた。

 

 

「払えないのなら別のものでも良いわ」

 

「別……?」

 

「そう、私は優しいから別案も出してあげる」

 

 

フェリシアが僕へ近付き、僕の胸板を撫でた。

 

 

「スパイダー、貴方が──

 

 

そして、妖艶な笑みを浮かべる。

 

 

「私の物になってくれるのなら、考えてあげても良いわよ」

 

 

胸元を強調して、体を押し付けるように寄り添ってくる。

ほんの少し、弱さを見せるような表情に……僕は胸が痛んだ。

 

強烈な色香、誘うような香水の匂い。

男なら誰でも陥落してしまいそうな、そんな仕草。

 

だけど──

 

 

「ごめん……それは無理、かな」

 

 

僕は首を横に振った。

 

 

「……どうしてかしら」

 

「僕、恋人がいるんだ」

 

「そう、それがどうかしたの?」

 

 

あれ?

……思わず、目を瞬く。

普通、諦めてくれるんじゃ……ないのかな?

 

 

「え?その、恋人がいるんだけど……」

 

「そんなの、その女を捨てて私に乗り換えれば良いじゃない。退屈はさせないわ」

 

 

思わず、頬を引き攣らせる。

……そう、彼女は泥棒だ。

 

自分の欲しい物が、他人の物だからって諦めるような人間ではないのだ。

 

で、そんな事よりも。

 

 

「い、いやいや……それは良くないよ」

 

「そうかしら?ただ、順番が違っただけじゃない……私が偶々、遅かっただけ」

 

 

首の裏がピリピリする。

超感覚(スパイダーセンス)に反応がある。

 

目の前のフェリシアからじゃない。

じゃあ、マギア?

それも違う。

 

冷や汗を流しながら、フェリシアを引き剥がした。

 

 

「だ、ダメなものはダメだって!」

 

「……つまらないわね」

 

 

僕は咳払いをする。

 

 

「とにかく……死人を出さないためにも、君の持つ解毒剤が必要なんだ」

 

「そう。私には関係のない話ね」

 

 

悪びれる様子もなく、彼女は口にした。

その仕草に、思わず眉を顰める。

 

 

「君は、誰かが傷付くことを見逃すような人とは……思えないけど」

 

「随分と買い被ってるのね。確かにイタズラに人を傷付ける事は好きではないわ」

 

 

フェリシアが……ほんの少しだけ眉を顰めて、諦めるように苦笑した。

 

 

「だけど、貴方のような……お人好しって訳でもないの」

 

 

……その返答に、僕は訝しむ。

 

 

「どうして……そんなに、お金が必要なのかな?僕に手伝える事なら──

 

「無理よ。貴方には無理。自分の事ですら手一杯じゃない」

 

「それは……そうかも知れないけどさ──

 

「貴方に出来る事は『私を見逃す』ただそれだけよ」

 

 

僕は自身の手を握る。

力を込めると……キリキリと音がした。

軋むような音は、僕の心を表しているように感じた。

 

 

「君には凄い才能がある。それを誰かのために役立てて欲しいんだ……それに、君のせいで誰かに傷付いて欲しくない。僕はっ──

 

「愛してるわ、スパイダー。それじゃあ、またね──

 

 

彼女が僕の横を通り過ぎた。

過ぎようとした。

 

脳裏に、記憶がフラッシュバックした。

 

強盗が横を通り過ぎ、それを見逃してしまった時の事を。

その強盗がベン叔父さんを殺してしまった時の事を。

 

 

何も行動しなければ、僕はいずれ後悔する。

 

 

気付けば──

 

 

「……しつこいのね」

 

 

彼女の腕を掴んでいた。

 

 

「フェリシア……僕は君にっ──

 

 

瞬間、僕の視点が上下回転した。

腕を強く引かれて、そのまま投げ飛ばされたのだと……地面に転がってから気付いた。

それ程までに鮮やかだった。

 

 

「しつこい男は嫌われるわよ」

 

「そ、それでも──

 

 

地面に手を突いて、立ち上がろうとして──

 

 

『交渉は決裂だな』

 

 

足音が響いた。

フェリシアが眉を顰めて、音に視線を向けた。

 

 

「……貴方って彼のストーカーなのかしら」

 

『いいや、違う』

 

 

ナイトキャップ、ミシェルが立っていた。

 

……元々、彼女はブラックキャットの持っている解毒剤を無理矢理奪おうと考えていた。

 

しかし、僕は反対だった。

彼女を説得したかった。

分かり合えると思っていた。

 

……僕は説得できなかった。

だから姿を現したのだろう。

 

 

『それに、ストーカーはお前だろう。彼に発信機まで付けて』

 

「……ふぅん。この茶番は貴方が仕組んだのね」

 

『茶番ではない。彼は君に愚行を犯させまいとしてるだけだ』

 

「余計なお世話。正しいとか、愚かだとか、そんな物差しで私を測って欲しくはないの」

 

 

空気が重くなる。

ミシェルが一歩、フェリシアのいる方へ踏み込んだ。

 

 

『フェリシア・ハーディ。その解毒剤を渡して貰おう』

 

「……いやよ」

 

『勘違いしているようだが、拒否権はない』

 

 

ミシェルの圧に押されたのか、フェリシアが一歩後退した。

 

 

『お前が痛みのない交渉を無碍にした。だから、多少の痛みは覚悟して貰う』

 

「すぐ暴力に頼るのね」

 

『生憎、私はそれが取り柄だからな』

 

「悲しい奴」

 

『自覚はしている』

 

 

空気が重い。

フェリシアは目に見えるぐらい眉を顰めているし、ミシェルも挑発するような言葉を掛け続けている。

 

ミシェルは無意味に人を煽ったりしない。

これはきっと、彼女を逃げさせないためだろう。

 

あまり、僕にとって好ましくない話だけれど……彼女は僕に出来ない事をしてくれている。

 

だから──

 

 

瞬間、ミシェルがフェリシアに接近した。

急に変わった歩幅の所為で、フェリシアの反応が遅れた。

 

 

「……っ!?」

 

 

そのままフェリシアの腕を掴み、腕と膝で挟み──

 

 

地面に引き摺り倒した。

フェリシアとミシェルの身体が絡まり、転がる。

 

 

「痛、っいわね!」

 

『痛むようにしているからな』

 

「……っ、ホント腹立つ奴」

 

 

フェリシアが地面に手を突き、足を曲げ……ミシェルの腕を足で挟んだ。

そのまま、身体を捻り腕を締め始めた。

 

 

『随分と身体が柔らかいな』

 

「……チッ!」

 

 

ミシェルに有効な攻撃ではないと気付いたようだ。

ヴィブラニウム製のスーツで身を固めているのだ。

普通の人間の力はスーツを貫通する事すら出来ない。

 

 

『解毒剤を渡せ。これ以上、痛め付けずに済む』

 

「……これは私のモノよ」

 

 

フェリシアが離れようとした。

まるで猫の柔らかい身体のように、ミシェルの手から抜けようとした。

 

しかし、ミシェルの腕力に締め付けられ……それは無意味に終わった。

 

 

『このまま、腕の一本でも貰うとするか』

 

「……っ」

 

 

ミシミシと骨が軋む音がした。

 

フリじゃない。

本気で折る気だ。

 

……彼女らしくない。

 

そう思った瞬間、僕は──

 

 

「ま、待って!」

 

 

ミシェルを制止していた。

 

フェリシアは純粋な悪人ではない。

ただ己の目的のために優先順位を付けているだけだ。

なのに、こうして怪我までさせようとしている。

 

まるで何かに焦っているかのような態度だ。

 

……それが何かは、僕には分からないけれど。

 

 

『……彼女の心が折れないのであれば、身体を折るべきだと思っただけだ』

 

「だとしても、それはダメだ。ダメなんだ……!」

 

 

ミシェルが僕に視線を向けた。

 

 

『………』

 

「僕達は分かり合える筈だ。互いに傷つけ合って、罵り合って……そんなの、絶対に嫌なんだ」

 

「……スパイダー」

 

 

フェリシアに視線を落とす。

 

 

「彼女は悪人じゃない。それは君だって分かる筈だ。思い通りに行かないからって、自分の意見を通すためだけに人を傷付けるのは……ダメだよ」

 

 

ミシェルは視線を逸らさず……小さく息を吐いた。

 

 

『……すまなかった』

 

 

小さく、謝り……フェリシアの拘束を解いた。

 

 

「…………」

 

 

フェリシアは信じられないかのように、僕とミシェルを見比べて……座った。

 

 

「……大丈夫?フェリシア」

 

「え、えぇ……少し、痛むけれど」

 

 

僕は彼女が自身の肩を抑えているのに気付いた。

……僕はミシェルに視線を向けた。

 

 

『…………』

 

 

ミシェルは腕を組み、僕から視線を逸らした。

その仕草に、思わず……彼女の手を引っ張った。

 

 

「ごめん、ちょっとキツく言ったかも」

 

『……いや、良い。私が悪かった……焦っていた』

 

 

焦っていた?

何に……焦っているのだろう。

 

僕の疑問は他所にミシェルはゆっくりと、フェリシア向けて視線を落とした。

 

 

『……すまなかった』

 

 

そして、頭を下げた。

先程との様子の差に、フェリシアは首を小さく傾げた。

 

 

「貴方、何なの?彼に辞めろって言われたら辞めるって……言いなりのね。奴隷?それとも犬なの?」

 

 

ぽつりと溢したフェリシアの小声での悪態。

それを訊いても、ミシェルは姿勢を崩さなかった。

 

 

『……パートナーだ。彼とは』

 

「パートナー?」

 

 

濁すようなミシェルの言葉に、フェリシアは顔を顰めた。

 

パートナーという言葉では幅が広過ぎる。

具体性のない回答……はぐらかすように聞こえたのだろう。

 

フェリシアはそのまま僕へと視線を向けた。

 

 

「……スパイダー、貴方にとって彼は何なの?何故、そうも信頼しているの?」

 

 

肩が痛むのか、摩りながら……僕へと近付く。

 

……あぁ、そっか。

フェリシアが何故、ミシェルの事を邪険にしているのか分かった気がする。

 

それはきっと……。

 

フェリシアは、僕を信頼している。

いいや、信頼しようとしている。

 

なのに僕は彼女よりも……彼女の知らない何者かを信頼している。

 

……自分よりも信頼している誰かがいる。

その事が彼女の心に影を落としているのだろう。

 

 

「フェリシア」

 

 

彼女は異性に対しての警戒心が強い。

それは彼女の過去から来るものだ。

 

自身が信頼出来ない、裏組織からの裏切り者であるナイトキャップという『男』。

それを僕が無条件に信頼しているのが、気に触るのだろう。

 

 

「彼女は……僕の恋人なんだ」

 

 

だけど、それは勘違いだ。

彼じゃない、彼女なんだ。

 

……フェリシアが肩をピクリ、と動かした。

 

 

「……誤魔化そうとしてるのかしら?」

 

「いいや、本当だよ。彼女は僕の恋人だ」

 

 

フェリシアは目を細めて、ミシェルを一瞥した。

ミシェルは腕を組んだまま……僕達から視線を逸らした。

 

 

「そう。貴方がこういう所で嘘を吐かないのは私、知ってるつもり」

 

「……ありがとう」

 

「別に、感謝されるためにお世辞を言った訳じゃないわ」

 

 

呆れたように息を吐き、フェリシアは僕の横を通り過ぎ……排気口の上に座った。

……他所を向いていたミシェルがフェリシアに視線を向けた。

 

 

『フェリシア・ハーディ。金銭が必要なのであれば、私が──

 

「嫌よ。貴方は癪に触るから」

 

『そうか』

 

 

フェリシアが自身の胸元に手を突っ込み……解毒剤の入ったアンプルを取り出した。

それをどうするつもりか……僕は身体を強張らせた。

 

 

「スパイダー」

 

「……な、何かな?」

 

「本当に私のモノになるつもりはないの?」

 

 

ちら、と僕はミシェルを一瞥した。

彼女はレンガの壁に背を任せて、腕を組み……視線を落とした。

 

……先程、僕が彼女を叱った……ような件で、少なからずショックを受けているみたいだ。

 

彼女から視線を逸らし、フェリシアに向ける。

 

 

「……ごめん、フェリシア。僕は今の恋人と別れるつもりはないよ」

 

「どうして?貴方と彼女は……価値観にズレが見えるけれど」

 

 

ミシェルが肩がピクリと跳ねた。

僕は首を横に振る。

 

 

「価値観の違いは、相手を愛せない理由にはならない」

 

「そうかしら?」

 

「そうだよ。僕と彼女は別人だ。価値観が全く同じ人間なんて、存在しない」

 

「……それも、そうなのかしら?」

 

「違うからこそ、寄り添える。互いに出来ないことを補い合える。そんな形でも……そんな形が良いんだって、僕は思ってる」

 

 

僕は自身の手を強く握りしめて、数歩下がる。

視界の中にミシェルとフェリシアが収まる。

 

これはフェリシアに向けて「だけ」の言葉じゃない。

ミシェルにも聞いて欲しかった。

 

 

「一人で出来ない事でも、二人なら出来る……それがパートナーなんだ。だから、僕は……彼女が例え僕の価値観と違う事をしても、嫌いになんかならない」

 

「…………」

 

 

フェリシアは自身の腕を、指で叩き……感情の読めない笑みを浮かべて、ミシェルに視線を向けた。

そして、ゆっくりと口を開いた。

 

 

「スパイダー、彼女は何か隠している。貴方に嘘を吐いているわ」

 

『…………』

 

 

ミシェルは否定しなかった。

それは沈黙による肯定だった。

 

確かに、彼女の行動からは何処か焦りが見える。

普段とは違う。

 

でも──

 

 

「それは分かってる」

 

「……彼女は信頼を裏切っているのに、どうして貴方は彼女を信頼出来るの?」

 

 

ミシェルは……僕を一瞥した。

後ろめたい感情があるのだろうか、ハッキリとは顔を合わせられないようだ。

 

 

「彼女は僕を傷付けようとはしない。例え何が合っても、それだけは変わらないって知っているから」

 

 

僕の言葉にフェリシアがまた、苦い顔をした。

 

 

「……随分と盲信的ね」

 

「違う、事実なんだ」

 

 

……僕の返答に、フェリシアは顔を顰めて……ため息を吐いた。

 

 

「知らなかったわ。貴方の恋愛観って随分と子供(ガキ)っぽいのね」

 

「……そ、そうかな」

 

「えぇ、世の中、綺麗事ばかりじゃないわ。それは貴方も知っている筈なのに」

 

 

そう言いながら、フェリシアが……解毒剤の入ったアンプルを僕に向けて投げた。

 

それを手に取る。

……体温のせいか少し温かい。

 

 

「フェリシア……」

 

「これは、埋め合わせ。彼女を止めてくれたお礼……だから、絆された訳じゃない」

 

「それでも、ありがとう」

 

「……やっぱり、貴方は頑固でお人よしな蜘蛛ね」

 

 

彼女は鼻を鳴らして、排気口から降りた。

そして、フェリシアはミシェルに指を向けた。

 

 

「もし彼女と喧嘩したら、私の元に来なさい。慰めてあげるから」

 

「あー、いや、それは……無い、かな。ごめん」

 

「……そう、残念」

 

 

彼女は数歩下がり……建物の縁に足をかけた。

 

 

「さようなら、スパイダー」

 

「あっ──

 

 

そのまま僕の返事を待たずに、宙を舞うように飛び降りた。

 

僕は視線をミシェルへ向ける。

 

彼女は腕を組んだまま、立っていた。

何かを話す訳でもなく、何かする素振りもなく。

ただただ、立っていた。

 

 

「……ミシェル」

 

 

敢えて、僕は名前で呼んだ。

黒いマスクが僕へ向いた。

 

反射して、僕の赤いマスクが映っている。

 

 

「…………」

 

『…………』

 

 

彼女は何か、隠している。

僕に言っていない事がある。

 

そして、その「何か」に焦っている。

 

彼女はそれに後ろめたさを感じているのだろう。

 

沈黙が二人の間を流れる。

 

この空気感を打ち破りたくて……僕は口を開いた。

 

 

「……帰ろう、ミシェル」

 

『……だが』

 

「良いんだ。帰って、話をしよう」

 

『……そうだな』

 

 

僕は手を伸ばして、彼女の手を握った。

ヴィブラニウム製の装甲を纏った手だ。

この鎧の下に、華奢に見える手が存在していることを……僕は知っている。

 

強さの下に、繊細さを隠している。

それは物理的にだけではない。

心もそうだ。

 

『S.H.I.E.L.D.』のエージェントという強さの下には、年相応の少女らしい弱さを隠している。

 

 

手を握りしめて……僕は彼女を引き寄せる。

抱きしめて……(ウェブ)を宙に飛ばした。

 

 

「大丈夫だよ、ミシェル」

 

『……すまない』

 

「いいよ、君が……僕に出来ない事をしてくれるって分かってるから」

 

 

そのまま引っ張って、ニューヨークの摩天楼を駆ける。

ビルの谷間を通り抜けて、宙を飛んだ。

 

夜風が僕の身体に残っていた熱を覚ましてくれた。

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

自室に戻ると……ミシェルはスーツのアーマーの接合部を解除して、脱ぎ捨てた。

アーマーの下に着ている、防刃防弾の黒いタイツ姿を僕に晒している。

 

その顔は……酷く、苦しそうだった。

後悔しているように見えた。

 

僕もマスクを脱いで……彼女と向かい合う。

 

 

「ミシェル……何か僕に隠し事を──

 

「さっきは、ごめん」

 

 

言葉を遮って、謝罪された。

誤魔化されているような気がしながら、それでも僕は頷いた。

 

 

「……僕の方こそ、ごめんね。君はただ、目的のために頑張っているだけなのに……僕は何もしてない。なのに、説教なんかして」

 

「……いい。ピーターが止めてくれて良かった……あの時、私は少し錯乱してた」

 

「ミシェル……」

 

 

彼女は眉尻を下げて、僕に顔を向けた。

 

 

「ピーター……もし、私を邪魔に思ったら……いつでも、捨てて、良いから」

 

 

ぽつり、ぽつりと、言葉に自己嫌悪を込めて口にしている。

僕は首を振った。

 

 

「違う。君を邪魔になんて思った事はないよ」

 

「今までは……だけどっ──

 

「これからも、邪魔に思わない。僕はずっと君と一緒にいたいから……そんな悲しい事は言わないで欲しいな」

 

「ピーター……」

 

 

ミシェルが僕に数歩近付き、手を伸ばし……引っ込めた。

もう片方の手で、手を覆い……僕から視線を逸らした。

 

 

「私、ピーターに言ってない事がある」

 

「……うん、そうだね」

 

 

彼女の手を握る。

 

ミシェルは少し、目を見開いて……僕を見た。

涙で潤んでいる。

 

 

「ミシェル……」

 

 

僕は自分が情けなく感じた。

 

いつからだろう。

いつから、彼女は僕に隠し事をしていたのだろう。

どうして、気付けなかったのだろう。

 

 

僕は彼女の手を引いて……ベッドの上に座らせた。

横に並ぶように、座る。

 

 

「…………」

 

「…………」

 

 

……彼女が、ゆっくりと僕に寄りかかってきた。

優しく、軽く……僕へ体重を任せてきた。

 

幾分か、そうして寄り添い合っていた。

黙って、ただ静かに。

 

心地よい時間が過ぎていく。

手を繋ぎ合ったまま……熱を感じ合いながら。

 

 

……そして、長くもなく、短くもない時間が経ち……ようやく、彼女が口を開いた。

 

 

「ピーター、私ね」

 

「うん」

 

 

彼女の言葉に相槌を打つ。

話しやすいように、心地よいように。

 

 

「夢を見た、の」

 

「夢?」

 

「ん……今まで、夢なんて見た事、なかったのに」

 

 

そういえば……言っていた。

彼女は夢を見ないと、話していた。

 

なのに、夢を見た、と。

 

 

「酷い夢だった。私の大切なものが壊れてしまう夢」

 

「それは……それで、焦ってたの?」

 

「ううん……そうだけど、そうじゃない」

 

 

ミシェルが震えている。

その感触は、触れ合っている手を通して伝わってくる。

 

 

「ピーターは夢を見た事、ある?」

 

「え?……うん、あるよ」

 

「夢は、可能性の世界。貴方が見た夢は、どこか遠くの並行世界(マルチバース)の記憶……そう、言われてる」

 

「……うん」

 

 

ドクターストレンジ、スティーヴンに言われた事があった。

夢とは並行世界(マルチバース)に存在する僕の記憶だと。

 

だから、すんなりと受け入れられた。

 

 

「私には夢が見えない。きっと……私が生きている世界はここだけ、だから」

 

「……え?」

 

「身体の中にある『ウォッチャーの眼』、それがイレギュラーとして私を生かしてくれた。そう……思ってる」

 

 

彼女は自分の胸元に手を当てた。

 

 

「私が見た『夢』は、並行世界の私の記憶じゃない。『ウォッチャーの眼』を通して、他人の記憶を読み取ってしまった……」

 

 

ミシェルの目が潤む。

呼吸が荒くなる。

 

 

「私が見たのは、ここと似通った世界。限りなく、ここと近い世界……」

 

「ミシェル……」

 

「私は知っていた。知っていたのに……!目を逸らして、逃げていた……!」

 

「ミシェル……!」

 

 

気付けば、彼女の手を強く握っていた。

背中を摩り、呼吸を整えさせる。

 

 

「何を、見たんだい?」

 

 

優しく、そう問いかける。

彼女を安心させたくて、僕は──

 

 

「人が、死ぬところ」

 

 

ミシェルが唇を噛み締めた。

 

 

「私の大切な人が、死ぬところ」

 

「それは……辛いと思うけど──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ピーターが、死ぬところ」

 

 

 

「え?」

 

 

握りしめていた手が緩む。

ミシェルが僕に顔を向けた。

 

 

「スパイダーマンは無敵じゃない。死の危険が伴う……知っていた。知っているのに、貴方は絶対に死なないのだと、私は勘違いをしていた」

 

 

震えるような声で、彼女は言葉を紡ぐ。

 

 

「私は怖い。ピーターが死ぬのが怖い……!」

 

「ミシェル……」

 

「だから、だから……危険に飛び込んで欲しくない。私が、私が全部何とかするから……」

 

 

震える声は、涙と共に慟哭になった。

苦痛を吐き出すように、不安を吐き出すように、恐怖を吐き出すように。

 

……こんな、こんなに苦しんでいたんだ。

なのに、僕は気付いていなかった。

 

だけど、それでも──

 

 

「僕は、親愛なる隣人なんだ」

 

「……知ってる」

 

「だから、近くで誰かが傷付きそうなら、助けなきゃならない」

 

「……それも、知ってる」

 

 

ミシェルは理解しているのだろう。

僕に何を言っても、スパイダーマンを辞めないのだと。

 

だからこそ、黙って……僕を危険から遠ざけようとしていた。

リスクを取り除こうとしていた。

焦っていたんだ。

 

 

「ミシェル……」

 

「……幻滅してくれていい」

 

 

ミシェルが吐き捨てるように口にした。

 

 

「結局私は、誰かを助けるために……全員を助けようと出来ない。自分の中で優先順位を付けて、切り捨てようとしてしまう」

 

 

懺悔するように言葉を口にしている。

 

 

「そんな私が、ヒーローであろうとしようだなんて、烏滸がましい……浅ましい」

 

 

彼女の流した涙が頬を伝い、ベッドのシーツを濡らした。

 

 

「だから、私は──

 

「君は僕のパートナーだよ」

 

 

これ以上、自分を卑下して欲しくなかった。

だから僕は、彼女の言葉を遮った。

 

 

「ピーター……」

 

「ヒーローの定義なんて、僕にとってはどうでも良いんだ。ただ、人助けを出来るなら、それでいい」

 

 

想いを彼女に告げる。

 

 

「ミシェルの行動で救われている人がいる。それで充分だと思わないかい?」

 

「…………」

 

 

ミシェルは小さく、本当に小さく頷いた。

納得はしていないけれど、僕の理屈には同意したのだろう。

 

 

「それと、僕はスパイダーマンである事を辞めない」

 

「……ピーター」

 

「だから、君に支えて欲しいんだ」

 

「……う、え?」

 

 

予想外の回答だったのか、ミシェルは目を瞬いた。

 

 

「僕が死にそうになったら、僕を助けて欲しい。そしたら、きっと……何とかなるよ」

 

「……そ、そんなの」

 

「だって、僕が死んだ世界にはミシェルが居なかったんだよね?」

 

 

僕の言いたい事に気付いたのか、ミシェルは目を見開いた。

 

 

「だから、大丈夫だよ。僕には頼りになるパートナーがいるから……死なない」

 

「……ピーター」

 

 

僕は指で、恋人(パートナー)の涙を拭う。

 

 

「ピーター……ごめん、なさい」

 

「いいよ、気にしてないから」

 

 

ミシェルが僕に手を伸ばして……抱きついて来た。

 

 

「……少し、このままで、居させて」

 

「いいよ。少しじゃなくて……いつまででも」

 

 

震える彼女を抱きしめて、ベッドの上で転がる。

 

彼女の不安や恐怖を、僕へ……全て吐き出して欲しかった。

 

僕は彼女が好きだから。

愛しているから。

 

だから……全部、全部、受け止めたかった。

 

 

握りしめた肩は、小さかった。




次回も来週土曜日


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#6 グレート・レスポンシビリティ part3

あの後、ミシェルは『デビルズ・ブレス』の解毒剤を『S.H.I.E.L.D.』本部に届けに行った。

当日の作戦会議も行うらしく……合わせて、僕も(ウェブ)の補充や、装備の確認等を行った。

 

マーティン・リー……ミスター・ネガティヴの居場所も、『デビルズ・ブレス』の所在も分かっていない。

このまま、逃げ切られれば何時爆発するか分からない爆弾をニューヨークに残している事になる。

 

『デーモン』達の目的地が分かっている現状、これを利用して叩くしかない。

 

『デビルズ・ブレス』は設置後、即座に起動できる訳ではない。

彼等も巻き添えになってしまうからだ。

設置後、退避し……その後に起動するしかない。

 

勝負はその隙間、設置してから起動されるまでの間だ。

 

 

太陽が昇った。

 

 

僕は顔を洗って、タオルで拭く。

(ウェブ)シューターを装備する。

スーツを着る。

マスクをかぶる。

 

鏡には親愛なる隣人(スパイダーマン)が映っていた。

 

……深呼吸して、僕は窓から飛び出した。

 

 

(ウェブ)をビルに放ち、スイングする。

引っ張って、上に飛び上がる。

そして、落下の勢いを活かして加速する。

 

生まれ育った街の空を駆けて、目的の場所に着地する。

 

『マギア』の居るビル……ではない。

そこから500メートルほど離れた小さなビルだ。

 

空いている窓から中に滑り込む。

 

 

顔を上げる。

 

何人も、防弾チョッキ等の装備を着込んだ人達がいる。

彼等の持つ盾には『S.H.I.E.L.D.』の記載があった。

『S.H.I.E.L.D.』のエージェント達だ。

 

彼等は入って来た僕に視線を向け──

 

 

『少し早いが、時間通りだな』

 

 

ヴィブラニウム製のスーツを身に纏ったミシェル、ナイトキャップに声を掛けられた。

 

 

「まぁ、今日みたいな日に寝坊なんて出来ないからね」

 

 

緊迫した空気の中、軽口を叩きながら彼女の側に寄る。

 

……予め、僕が来るって伝えてたみたいで『S.H.I.E.L.D.』のエージェント達から質問は来ない。

しかし、興味というか警戒心というか、そういった物を少なからず感じられた。

 

 

「それで、現状は?」

 

『『マギア』が少しずつビルに集合している。場所はセンタービルの12階の広間だ』

 

 

ミシェルが部屋の中央に置かれた液晶が貼られた机を叩くと、宙にホログラフィックが表示された。

ハイテクだ。

多分、スターク社製。

 

 

『現在の参加者数は想定値の47%、そして『デーモン』達の影も見え始めている』

 

 

ミシェルがタブレットを僕に見せた。

幾つか、写真が写っている。

 

真っ黒な大型車両、そこから引き出されている大きなコンテナだ。

……『デーモン』達のアジトで見たものと一緒のデザインだ。

 

 

「……これのどれかが『デビルズ・ブレス』?」

 

『恐らく。殆どはダミーで確証は持てない……全てがダミーの可能性もある。確証が持てるまでは行動には移せないだろう』

 

 

ここで逃げられては全てが無意味になってしまう。

ミシェルが腕を組んだ。

 

 

『ビル内にいる従業員達は既に退避済みだ。現在、中に居るのは『マギア』の構成員と……『S.H.I.E.L.D.』の用意した従業員の影武者だ』

 

 

僕は頷く。

最悪、無関係な人が巻き込まれないようにする配慮だろう。

 

……いや、『S.H.I.E.L.D.』のメンバーだからって死んで良い訳ではない。

 

 

『ビル内の監視カメラがまだ生きているが、デーモン達によって破壊される事も視野に入れている。兎に角、『デビルズ・ブレス』が搬入された事が確認でき次第、突入し──

 

 

電子音が鳴った。

部屋の隅にある通信機器からだ。

 

ミシェルと僕が一瞥すると、エージェントの一人が通信機器のインカムを手に取った。

 

 

「……何かあったのかな?」

 

『……良いニュースでは、ないようだな』

 

 

インカムを手に取ったエージェントの顔が強張っていた。

ミシェルも遅れて、通信機器のある部屋の隅へ移動し始めた。

 

 

『何かあったのか?』

 

 

彼女がエージェントの肩を叩くと、少し跳ねた。

そして振り返り、頷いた。

 

 

「『マギア』が襲撃を……』

 

『『マギア』?『デーモン』ではなく?』

 

 

僕も首を傾げた。

『デーモン』が撹乱のために別の場所を攻撃するなら分かる。

でも、何故『マギア』が?

 

 

「『マギア』は『デーモン』の攻撃を察知したようで、『デーモン』の拠点に先制攻撃を仕掛けようとしているそうです」

 

『……何故、このタイミングなんだ?』

 

「『マギア』内にいる諜報員からは……先程、何者かの密告があったそうで」

 

『『デーモン』による自作自演か?本命を通すために、別拠点への攻撃を誘導した……のか?』

 

 

答えは分からない。

ただ、現在進行形で『マギア』が『デーモン』達の拠点を攻撃しようとしている……という事だけが分かった。

 

つまり、今現在、『デーモン』が『マギア』を攻撃しようとしている最中なのだとは知らず……それでも攻撃する意思があると教えられ、阻止するつもりで攻撃したのか。

 

『マギア』に密告した奴は、間違いなく『デーモン』側の奴だろう。

そうじゃなければ間抜けだ。

 

ミシェルは腕を組み、エージェントに目を向けた。

 

 

『場所は?』

 

「ここから南西、12キロメートル。襲撃予定場所の建造物は……『F.E.A.S.T.』ビルです」

 

 

 

 

え?

 

 

一瞬、脳が理解を拒否した。

 

何で、『F.E.A.S.T.』を?

何で、『F.E.A.S.T.』が?

 

あそこはボランティアと老人やホームレス達しかいない場所だ。

……確かに、ミスター・ネガティヴの正体であるマーティン・リーが運営しているけれど、関係はない筈だ。

 

……あそこには、メイ叔母さんが居る。

視界がぐにゃりと歪んで──

 

僕の肩に、手が乗った。

 

 

「あっ……」

 

『落ち着いて、ピーター』

 

 

ミシェルが僕に顔を近づけた。

『S.H.I.E.L.D.』の他メンバーには聞こえないように小さな声で、いつもの口調で囁いてくる。

 

 

『叔母さんが心配なのは分かる。ここは私達に任せて、ピーターは『F.E.A.S.T.』に行って』

 

「ミシェル……」

 

『もし叔母さんが死んでしまったら……後悔するから。貴方も、私も』

 

 

ミシェルが顔を退けて、数歩下がった。

そして、インカムを持ったエージェントに顔を向けた。

 

 

『『マギア』の進行状態は?攻撃までの猶予は?』

 

「2……いえ、15分程です」

 

 

マスクの下で目を瞬く。

 

短すぎる。

また、メイ叔母さんの顔が脳裏に過ぎった。

 

ミシェルが僕を一瞥し、エージェント達に指示を飛ばす。

 

 

『特務班B、医療班Cは『F.E.A.S.T.』ビルへ迎え。そして──

 

 

ミシェルがまた、僕を見た。

僕は震える膝を叩いて、頷いた。

 

 

『頼む』

 

「うん……ありがとう。そっちも無事で!」

 

『任せておけ』

 

 

僕は走り出し、ビルの窓から飛び降りた。

猶予は15分。

 

徒歩では不可能、車でも間に合わない。

(ウェブ)スイングで最短距離を走るんだ。

 

『S.H.I.E.L.D.』のエージェント達より早く向かって、『マギア』達を止めないと!

 

(ウェブ)を飛ばして、引っ張る。

速く。

 

ビルの壁を蹴って、加速する。

速く!

 

空を駆けて、先日見たばかりの『F.E.A.S.T.』ビルの前に着地する。

まだ攻撃された様子はない。

胸を撫で下ろしながら、ドアを開ける。

 

利用者とボランティアの視線が僕に集中する。

 

 

「あら?」

 

「え?誰かしら?」

 

「俺知ってるぜ、スパイダー坊やって奴だろ」

 

 

内心で『坊や』じゃなくて『マン』だって、悪態を吐きながら……駆け寄ってくるメイ叔母さんを見つけた。

 

 

「あの、どうかしたのかしら?何で──

 

「今すぐ、ここから逃げて下さい……!」

 

「……え?」

 

 

僕の大きな声は、静かな『F.E.A.S.T.』ビル内に通った。

 

視界に、困惑する表情を浮かべる人が見えた。

デイリービューグルの新聞を広げる老人の姿が見えた。

 

 

「あっ……」

 

 

……しまった。

僕は政府から公認されているヒーローじゃない。

信用なんてあったもんじゃない。

 

拙い。

今は一刻も争う状況なのに、僕の言葉に疑念を抱かれたら──

 

 

「分かったわ」

 

「え?」

 

 

僕の心配を他所に、メイ叔母さんが頷いた。

 

 

「聞いてたでしょう?全員、地下のシェルターに避難して!」

 

「……お、おう」

 

「メイさんがそう言うのなら……」

 

 

あまりにも、あっさりと上手くいく物だから僕は困惑していた。

そんな僕に、メイ叔母さんは目を向けた。

 

 

「あら、どうかしたの?」

 

「……いえ、すぐに信用して貰えるとは思ってなかったので」

 

 

周りではボランティアが先導して、利用者を地下シェルターへと連れて移動している。

 

だけど、メイ叔母さんは僕へ向き合って……小さく笑った。

 

 

「だって貴方、良い人なんでしょう?」

 

「……良い人?」

 

「えぇ、もうシェルターに行ったけれど、ヘンリーやブラウン、マーシーは貴方に助けられた事があるって自慢していたわ」

 

 

そう言って、メイ叔母さんもシェルターに向かおうと僕に背を向けた。

 

 

「それなら、貴方はヒーローよ。誰かのために無償で空を飛び、助けて、戦って……他人のためにそれだけ頑張れる人を、どうして疑う事が出来るのかしら?私には無理ね、疑えない」

 

「……メイ叔──

 

 

思わず、口から漏れてしまった名前に噤む。

そして、メイ叔母さんが振り返った。

 

 

「あら、どうして私の名前を?」

 

「あ、あぁ、いえ、えっと──

 

 

困っていると、メイ叔母さんはくすりと笑った。

 

 

「まぁ、言いたくないなら言わなくても良いわ……それよりも、これから何が──

 

 

ガシャン、天井に近い窓ガラスが割れた。

 

 

「っ、危ない!」

 

 

(ウェブ)を壁に飛ばして、強く引っ張り移動する。

メイ叔母さんを途中で抱き抱えて、地面を滑った。

 

……先程まで居た場所に砕けたガラス片が突き刺さった。

 

 

「ほら、早く逃げて!」

 

「え、えぇ……ごめんなさいね?」

 

「良いから!」

 

 

助けられて申し訳なさを感じているメイ叔母さんを遠ざけて、僕は割れた窓の縁に(ウェブ)を飛ばした。

ガラスのなくなった窓の縁に着地して、『F.E.A.S.T.』ビルから顔を出した。

 

真っ黒な大型車両が2、3……4台。

揃いも揃って真っ黒だ。

 

何で悪人達は真っ黒な車に乗りたがるんだろう。

これって黒い車のオーナーへの風評被害にならない?

 

真昼間のニューヨークで、アサルトライフルなんか持ち出して……黒いスーツまで着ちゃって。

『マギア』は時代錯誤なギャング組織だよ、全く。

 

その中の一人、巨漢が前に出てくる。

 

病的なほど青白い肌、角刈りの白髪、尖ったサメのような歯……困ったな、僕の知り合いだ。

 

 

「何故、貴様がここに居る?スパイダーマン」

 

「ボランティアで来てるんだよ。居たらダメかな?ロニー」

 

 

とびっきり凶悪な奴。

名前は……ロニー・トンプソン・リンカーン。

 

AKA(またの名を)──

 

 

「いいや、俺様は『トゥームストーン』、拳で語る男だ!邪魔するなら叩き潰してやる!」

 

 

そう言って、僕に向かって走り出した。

武器も持たずに。

……まぁ分かるよ。

コイツは下手に武器を持つより、素手の方が恐ろしい。

 

でも──

 

……このまま、『F.E.A.S.T.』に入られるのは拙いな。

窓から飛び出して、黒い車のボンネットに着地する。

 

ベコッと大きな音がした。

おっと……でも、修理代を払う気はない。

マフィアってちゃんと車の保険に入ってる?

 

周りの『マギア』の構成員達が僕へ武器を向ける。

アサルトライフルだ。

 

周りには野次馬。

離れてるつもりかも知れないけど、それじゃあアサルトライフルの流れ弾を喰らって死んじゃうよ。

はやく逃げてくれないかな。

 

と、言ってる暇もない。

僕はボンネットを蹴って、宙へ飛ぶ。

 

アサルトライフルの銃口も上へ向く。

……当たったら痛いじゃ済まないね。

 

 

(ウェブ)を飛ばして、幾つか銃口を抑える。

そのまま、(ウェブ)を街頭に飛ばして、宙を移動する。

 

銃口が僕を追ってきて……発砲!

 

 

「おっと!」

 

 

気が早い奴らだ、ちゃんと狙って撃ってくれ。

じゃないと、巻き添えが出ちゃうかも知れないだろ。

 

 

「立派なのは見た目だけ?ちゃんと当てないと意味ないよ!」

 

 

僕が挑発すると同時に、トゥームストーンが叱責する。

 

 

「馬鹿どもめ!落ち着いて狙え!」

 

 

(ウェブ)を構成員の一人にぶつけて、引っ張る。

反動で接近して、顔面に蹴りを一発。

 

加減は少なめだ。

今この状況で、相手の怪我を考えられるほど僕はお人好しじゃない。

 

着地した瞬間、また宙を飛んで……今度はエレクトリック(ウェブ)を放つ。

 

 

「ぎっ」

 

「ぐあぁっ」

 

 

一人、また一人と気絶させて──

 

超感覚(スパイダーセンス)に反応あり。

僕は地面を蹴って、宙へ飛んだ。

 

 

直後、僕のいた場所にトゥームストーンが拳を叩きつけた。

コンクリートで出来た地面がひび割れて、捲れ上がる。

 

 

「うわ、凄いパワーだね」

 

「だろう?今すぐ、コイツをお前にブチ込んでやる!」

 

「それは遠慮したい、かなっ!」

 

 

中指でトリガーを押し、(ウェブ)を発射する。

 

 

「ぬ!?うぉぉっ!?」

 

 

トゥームストーンの顔に命中して、よろめいた。

チャンスだ。

 

僕は地面を蹴り、滑って……足払いをする。

バランスを崩したトゥームストーンがよろめいて、尻餅をついた。

 

……その瞬間、また超感覚(スパイダーセンス)が反応した。

振り返り、(ウェブ)を飛ばす。

 

 

僕に向けていたアサルトライフルの銃口が跳ね上がり、壁に付着した。

 

放たれた弾丸は、街灯を打ち抜き……大きな音を立てた。

 

 

「ぬぅっ!」

 

 

そして、背後から大きな声が聞こえて──

 

 

「え?うわぁっ!?」

 

 

振り返ると、トゥームストーンが突進して来た。

僕の身体にタックルが命中した。

 

 

()っ……!」

 

 

……コイツ、顔の半分が(ウェブ)で覆われているのに……お構いなしだ。

吹っ飛ばされた僕は地面に転がる。

 

くそっ、トラックに轢かれたような衝撃だ。

身体中の骨が軋んで、鈍い痛みが身体を走る。

 

脳も揺れたのか、少し視界が点滅している。

 

 

「墓石の下に沈めてやる」

 

「……それって、決め台詞かな?考えたのは……マーケティング担当?」

 

「俺様に決まっているだろう!」

 

 

追撃が来る!

 

僕は無理やり立ち上がって、トゥームストーンを蹴り飛ばし──

 

 

「ふん、蚊でも止まったか?」

 

 

鉄の塊を蹴ったかのような感覚。

 

トゥームストーンは化学物質を摂取した結果、突然変異を引き起こした超人だ。

皮膚は硬く、筋力は強く、反射神経は鋭い。

つまり、スーパー荒くれ者って事。

 

僕は足を掴まれて、引っ張られる。

 

 

「あぁっ!?」

 

 

そのまま投げ飛ばそうと、トゥームストーンが手を離した瞬間、僕は(ウェブ)をトゥームストーンへ貼り付けた。

 

吹っ飛ばされた勢いを活かして、街灯へ巻きつけてながら回転する。

 

 

「危ないなぁ……!」

 

「小賢しい真似を!」

 

 

(ウェブ)を交差させて、トゥームストーンの身体に巻きつけて行く。

 

 

「褒め言葉として受け取っておくよ!」

 

 

地面を蹴って、トゥームストーンに接近する。

 

 

「ふんっ!」

 

「おっと!」

 

 

超感覚(スパイダーセンス)で右フックを回避しつつ、(ウェブ)を身体に貼り付ける。

 

再び地面を蹴って、接近する。

 

 

「ちょこまかと!」

 

 

弾丸のような左ストレートを回避して、通り過ぎながら(ウェブ)を接着。

 

街灯や壁に(ウェブ)を貼り付けながら、トゥームストーンに繋いでいく。

(ウェブ)を巻き取りながら、蜘蛛の巣のように張り巡らせて行く。

 

 

「鬱陶しい真似をする、な!」

 

「ごめんね、君と真正面から殴り合うつもりはないんだ」

 

「このぉっ!」

 

 

彼を車に接着しても意味はない。

だって凄い怪力で車ごと突っ込んで来るから。

 

ビルに貼り付けても、外壁を剥がして突っ込んで来るだろうね。

 

なら、どうすればいいか。

ありとあらゆる物に貼り付ければ良い。

 

身体を少しも動かせなくなるぐらい、固定するんだ。

 

蜘蛛の巣のように周りに張り巡らせて、前にも後ろにも、右にも左にも、何処も動かせないようにする。

 

 

「後ろから失礼!」

 

 

背後から急接近して、トゥームストーンの膝裏を蹴る。

 

 

「ぐぅっ!?」

 

「大人しくしててね」

 

 

膝から崩れたトゥームストーンを、地面へと(ウェブ)で貼り付ける。

随分と沢山、(ウェブ)を使ったけれど……まぁ、必要経費だろうね。

 

街灯に(ウェブ)を巻きつけて……ひっくり返ったまま、トゥームストーンの前に顔を出す。

 

 

「これにて一見落着だね」

 

「貴様ぁ……!」

 

「凄んでも全然怖くないよ……嘘、水族館でサメを見てるぐらいには怖さがあるかも──

 

「やれ!アンソニー!」

 

 

トゥームストーンが叫んだ。

 

瞬間、僕は振り返った。

 

マギアの一人が立っていた。

(ウェブ)で拘束した筈……いや、焼き切られていた。

 

身体に火傷が残るだろうに……それでも、身体ごと火で炙って脱出したんだ。

 

拙かった。

奴等のことを甘く見ていた。

想像以上のバカだ。

 

持っている武器は……ロケットランチャー!?

こんなの、街中で撃たせる訳にはいかない!

 

 

「待っ──

 

 

狙いは僕じゃない。

『F.E.A.S.T.』だ!

 

直接的な攻撃じゃないから、超感覚(スパイダーセンス)の反応が遅れた。

もう、トリガーに指が掛かっている。

 

脳裏に、メイ叔母さんの顔が浮かんだ。

『F.E.A.S.T.』の人達の顔が浮かんだ。

 

ダメだ。

ダメだ、ダメだ、ダメだ!

 

幾らシェルターがあると言っても、あんなのが直撃したら──

 

 

瞬間、ワイヤーのようなものがロケットランチャーを巻き取った。

発射口が跳ね上がった。

 

 

「え?」

 

「何……!?」

 

 

弾頭は『F.E.A.S.T.』の中心部に直撃せず……屋上付近を破壊した。

周りのビルの窓ガラスが割れて……大きな音に驚いた、野次馬達が慌てて逃げ出した。

 

『F.E.A.S.T.』ビルが崩れて、半壊した。

……地下シェルターに避難している限り、瓦礫の落下程度では……怪我人も出ないだろう。

 

我に帰った僕はロケットランチャーを撃った構成員をウェブで拘束し……地面に降りる。

 

 

「何が──

 

「こんにちは、スパイダー」

 

 

目の前に黒い、しなやかな猫……いや、黒いライダースーツを着た女性が着地した。

 

 

「……フェリシ──

 

「くそっ!何だ!何者だ貴様!俺様の邪魔をするとは良い度胸だな!」

 

 

……トゥームストーンがうるさいな。

思わずマスクの下で眉を顰める。

フェリシアも眉を顰めていた。

 

 

「お口にチャック、お静かに」

 

 

(ウェブ)を射出して、トゥームストーンの口を塞ぐ。

 

 

「んんんんっ!んぐぅっ!」

 

 

……まだうるさいけど、これで少しはマシかな。

 

僕は立ち上がって……足元の砂埃を払い、瓦礫の山になってしまった『F.E.A.S.T.』へと向かう。

フェリシアも僕に続いて、横を歩く。

 

 

「スパイダー。何か言うことはあるかしら?」

 

「……ありがとう。凄く助かったよ」

 

「そう、どういたしまして」

 

 

僕は瓦礫を避けて、フェリシアと会話する。

彼女は少し上機嫌だ。

 

……地下シェルターの入り口、恐らく瓦礫で埋まっている筈だ。

少なくともメイ叔母さん達の安否を知れないと、安心できる気がしない。

 

 

「でも、フェリシア。どうしてここに?」

 

「私、タダ働きは嫌なの」

 

「え?うん……そうだね?」

 

 

僕は頷きながら、大きなコンクリート片を投げ捨てた。

結構、重かったな。

 

 

「ねぇ、見て?これ、何だと思う?」

 

 

そう言ってフェリシアが手を見せた。

赤、緑、青……色々な宝石の付いた指輪をはめていた。

 

 

「……随分とお洒落してるね」

 

「分かってないわね。こんなのお洒落じゃないわ」

 

 

……その言葉に、僕は目を細めた。

お洒落じゃないとしたら……戦利品を自慢しているのだろう。

眉を顰める。

 

 

「もしかして盗んだの?」

 

「そう、『マギア』からね。出張っていたから赤子の手を捻るようなものだったわ」

 

「……あー、そうなんだ」

 

 

僕はため息を吐いた。

悪い奴らだからって盗みを働いて良い訳ではない。

僕は頭を抱えたくなりながら、瓦礫を退けて行く。

 

 

「で、『マギア』に盗みに入ったら……トランシーバーから拠点に攻撃するって聞こえたの」

 

「……だから来てくれたの?」

 

「いいえ?貴方が襲撃場所に居ると知ったからよ?」

 

 

つまり、フェリシアは『F.E.A.S.T.』を助けに来た訳ではなく、僕を助けに来たという事か。

……ん?あれ?

 

 

「……何で僕がここに居るって気付いたの?」

 

「企業秘密よ」

 

 

ちょっと、頭痛がした。

発信機はミシェルが取り除いた筈なのに……あ、もしかして。

 

 

「……昨日、僕と会った時に発信機付け直した?」

 

「……さぁ?」

 

 

凄く、頭痛がした。

そんな僕をニヤニヤと見ながら、フェリシアが瓦礫に腰掛けた。

 

一応、僕の瓦礫撤去の邪魔にならないように、場所は選んで座っている。

 

 

「それより、貴方の恋人は?今どうしてるの?」

 

「え?……あぁ、別件。というか、『デーモン』関係だよ」

 

 

……今頃、ミシェルは『デーモン』と戦っているだろうか。

瓦礫を退け終えたら、手助けしに行かないと。

 

 

「ふーん、そう……」

 

 

大きな瓦礫を退ける。

……ひしゃげた金属の板が見えた。

これ、地下シェルターのドアかな。

 

……瓦礫があるから大きくは動かせないけど、少しは開けそうだ。

ひしゃげたドアをズラすと──

 

 

「……良かった。みんな、無事かな?」

 

 

やっぱり、地下シェルターだったみたいだ。

ドアを開けた僕に気付いたようで、メイ叔母さんが駆け寄って来た。

 

 

「え、えぇ……さっき、凄い音がしたけれど、何だったの?」

 

 

少し怯えた様子で、メイ叔母さんが訊いてきた。

 

 

「……ロケットランチャーが撃ち込まれて──

 

「えぇ!?何故そんな……」

 

 

この『F.E.A.S.T.』の出資者であるマーティン・リーがマフィアに喧嘩を撃ったからだよ、とは口が裂けても言えないな。

 

 

「待ってて、今すぐ、ここから出られるように瓦礫を退けるから!」

 

 

僕はドアの稼働に干渉している、大きな瓦礫に手を触れる。

……これ、屋根と直結してる柱だ。

瓦礫というには大き過ぎるほど……大きい。

 

だからと言って、戸惑ってばかりでは居られない。

指を隙間に入れて、力を込める。

 

 

「……ふっ!」

 

 

重い。

重過ぎる。

 

でも少しずつ、少しずつ動いてる。

だけど、くそっ、腰にダメージが入りそう。

 

 

「ぐ、ぎぎぎっ……!」

 

 

僕がそうやって力を込めているのを……ドア越しで、メイ叔母さんが見ていた。

……そして、口を開いた。

 

 

「ねぇ、少し話しても良いかしら」

 

「え?今、今じゃなきゃ、ダメ!?」

 

 

全力で瓦礫を押したり、持ち上げたりしながら叔母さんの方を見る。

 

 

「さっき、あの人と話しているのが聞こえたのだけれど……」

 

 

メイ叔母さんが指差した方を見る。

フェリシアが僕へ手を振っていた。

 

 

「貴方の恋人……別の所で戦っているのかしら?」

 

「え!?え……っと……うーん、まぁ、そうだよ!」

 

 

誤魔化そうと思ったけれど、ここまで来れば素直に認めるべきだと思った。

そして、僕が頷くと……メイ叔母さんの顔が少し険しくなった。

 

 

「だったら、そっちを助けに行かないと……でしょ?」

 

「うん、分かってるよ!ここの瓦礫を退けたら、すぐにでも──

 

 

瓦礫を押す。

……これなら、後10分ぐらいあれば退けられるかも──

 

 

「良いの。ここは後回しで」

 

「……そんな事ないよ」

 

 

ここで僕が瓦礫を退けないと、何時間もシェルター内に拘束される事になる。

レッカーとか工事用の車が来ない限り、この瓦礫を退ける事は出来ないだろうから。

 

シェルター内には老人もいる。

病人もいる。

 

長時間、生き埋めになんかされたら──

 

 

「見くびらないでくれる?」

 

「……え?」

 

 

目の前には眉を顰めたメイ叔母さんが居た。

何かに憤っているように見えた。

 

 

「ほんの少し、ここに居るだけよ。それだけ。何か大変な事が起きて、ヒーローが必要になっているのなら……私達の所為で、後悔はしないで欲しいの」

 

「……でも──

 

「私達を重荷にしないで。貴方はヒーローなのでしょう?誰だって……貴方の助けを求めている。私達は私達にできる戦いをするから、貴方にしか出来ない戦いをしなさい」

 

 

真剣な目で、僕を見ている。

そしてまた、叔母さんが口を開いた。

 

 

「良い?忘れないで……貴方のその大いなる力には、大いなる責任が伴うの。今するべき事を成しなさい」

 

 

叔母さんはそう言って……咳き込んだ。

瓦礫の砂埃を吸ってしまったのだろう。

 

……地下シェルターの中はあまり良い環境ではない。

他の利用者達に対する責任もある。

 

それでも、僕に行けと言った。

彼女の元にいる人達は大丈夫だからと、今すべき事をしろと言った。

 

僕はマスクの下で、目を細めて……頷いた。

ほんの少し、視界がボヤけた。

 

 

「うん……分かったよ、ありがとう」

 

「えぇ……いいえ、お礼を言うのは私の方ね。それと、偉そうに説教してごめんなさい」

 

「ううん、凄く……嬉しかった」

 

 

僕は胸の中の想いを振り切るように、首を振った。

 

……はは、やっぱり、叔母さんの説教は身に染みるよ。

二度と説教されるような事はないと思っていたから……うん、僕はまだメイ叔母さんの子供だ。

 

 

「……それじゃあ、助けが来るまで頑張ってくれるかな?」

 

「えぇ……行ってらっしゃい。スパイダー……ボーイ?」

 

 

思わず笑ってしまった。

ボーイ?

もうすぐ僕、成人なんだけどな……。

 

振り返り、後ろ手を振る。

 

 

「僕は……親愛なる隣人、スパイダーマンだよ」

 

 

もう振り返りはしない。

引き摺られるような想いを置いて、僕は今、すべき事をする。

 

『S.H.I.E.L.D.』のエージェント達も遅れて『F.E.A.S.T.』に到着するだろう。

そうなれば叔母さん達を助けてくれるに違いない。

 

だから今すぐ、ミシェルの元へ向かわないと。

 

フェリシアが僕の隣を歩き出した。

 

 

「ちょっと、スパイダー。どこに行く気?」

 

「きっとまだ、僕の恋人が戦ってるから。戻らないと」

 

「……そんなに彼女が大切なの?」

 

「大切だよ」

 

 

即答し、(ウェブ)を上に放つ。

高層ビルに着弾した。

 

 

「……はぁ、随分とお熱ね」

 

「悪いかな?」

 

「いいえ、別に悪くはないわ。一途な男も嫌いじゃないから」

 

「……そっか。うん……さっきはありがとう、フェリシア」

 

 

僕は(ウェブ)を引っ張る。

 

 

「……さようなら、スパイダー」

 

「……うん、さよなら。フェリシア……次に会うとしても、そのコスチューム姿の君とは会いたくないね」

 

 

フェリシアは……苦笑した。

彼女はいつか、ブラックキャットを辞められるのだろうか。

僕には分からない。

 

……僕はその場を後にした。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

随分と時間を食ってしまった。

(ウェブ)を左右に飛ばし、スリングショットの要領で加速する。

 

屋根の上を走り、(ウェブ)を飛ばす。

振り子のように飛びながら、思考する。

 

直接、『マギア』達のいるビルへ向かおう。

既に『デーモン』達が襲撃を予定しているのなら、集合場所に向かうのは二度手間になってしまう。

 

屋根を滑り、僕は飛んで……目的のビルが目に入った。

 

しかし──

 

 

「……何だ、あれ」

 

 

高層ビルの上層の外壁が崩れて……黒いモヤが出ていた。

一瞬、『デビルズ・ブレス』かと思ったけれど……違う。

あのモヤは、『デーモン』達の持っていた剣にも付与されてたエネルギーだ。

 

ミスターネガティヴの、特殊な力だ。

それが上層階を覆い尽くし、外に漏れていた。

 

間違いない。

『デーモン』との戦いは既に始まっている。

 

僕は(ウェブ)スイングして、目的のビルに張り付いた。

そのまま、外壁を垂直に走り、上層階へと向かう。

 

 

……随分と酷い状況だ。

 

 

崩壊したビル壁に飛び込み、黒いモヤが渦巻く部屋に突入する。

室内に滑り込むと──

 

 

「……うわ」

 

 

所々、天井も床も崩れている。

何故か床が浮き上がっていたり、物理法則を無視して動いている壁まである。

空間は黒く歪み、まるで……異空間のようだ。

 

息も苦しい……少し気分が悪い。

超感覚(スパイダーセンス)もここが危険だって教えてくれている。

あまり長居は出来ない。

 

 

「これがネガティヴ……マーティン・リーの力?」

 

 

僕は踏み外さないよう気を付けつつ、浮いた床を足場に登っていく。

……まるでアクションゲームみたいだ。

 

なんて場違いの事を考えていたら──

 

何かが、僕の側に落下してきた。

金属音が耳に届く。

 

黒いモヤを纏ったそれは、人型だった。

黒いアーマーと……『赤いマスク』をかぶった誰か。

 

……僕は知っている。

よく知っているとも。

忘れられる訳がない。

 

 

「……ミシェル?」

 

 

それは、二年前のミシェルだ。

『レッドキャップ』と名乗っていた頃の姿。

今の黒いマスクじゃない、赤いマスクが僕を見ている。

 

そして、黒いアーマースーツは……血で汚れていた。

僕の呼びかけに反応も示さず、ゆっくりと僕の方へ迫ってくる。

 

首の裏がピリピリと痛む。

超感覚(スパイダーセンス)が痛いほど危険を知らせてくれていた。

 




次回、『インナー・デーモン』
来週の土曜日予定。


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#7 インナー・デーモン part1

投稿、遅れてごめんなさい。


目の前に、赤いマスクをかぶったミシェルが居る。

そのマスクは……二年前に壊れて、もう存在しない筈なのに。

 

 

「……ミシェル、何で──

 

 

声を掛けようとした瞬間、赤いマスクが僕に迫った。

ヴィラブラニウム製の装甲を纏った拳が、僕へ──

 

 

「っ!」

 

 

それを避けて、少し距離を取る。

ミシェルは追撃する事もなく、僕へ視線を向けている。

 

……いや、本当にミシェルなのか?

レッドキャップの姿形をしているだけで、別人の可能性が高い。

あの赤いマスクはもう存在しない筈だし。

 

……が、戦闘技能は彼女にそっくりだ。

 

黒いモヤ。

ミスター・ネガティヴが発生させた物質が、この階層を覆い尽くしている。

 

景色は歪み、非現実的な様相を見せている。

 

砕けたコンクリート片は宙に浮いている。

天井に窓がある。

壁に床がある。

デスクが壁から生えている。

エレベーターは上下逆さまだ。

 

視界に映る情報は非現実的だ。

だけど、確かに足元を踏む感触はある。

 

超感覚(スパイダーセンス)は周りの危険を探知し過ぎていて、判別できない。

 

……これは現実?

それとも幻覚?

頭の中がぐるぐる回る。

 

天と地も回り、足元が揺れる。

瞬間、レッドキャップが床を蹴った。

 

 

「ちょっと待ってくれないかな……!」

 

 

返事はない。

考える時間もないみたいだ。

 

……戦うしかない。

だけど、僕は──

 

 

「うぐっ」

 

 

飛び蹴りが僕に迫る。

それを手で受け止めて……やっぱり、重い感触がある。

骨が軋み、音が鳴る。

 

ミステリオのような視界を騙す「だけ」の幻覚じゃない。

確かにここにあるように感じてしまう……。

 

レッドキャップは数歩下がり、地面を蹴った。

宙を飛んで、壁を蹴り……再び、僕に接近してくる。

 

そして、彼女の腕が僕の胴を掴んだ。

 

 

「うあっ!?」

 

 

床に引き摺り倒される。

そしてそのまま、僕へ馬乗りになって……彼女は拳を振り上げて──

 

 

「こ、の……っ!」

 

 

僕は身を捩り、転がった。

上下が入れ替わり、僕が彼女の上に乗る。

 

そして、僕は拳を振り上げて──

 

拳を振り上げて──

 

振り、上げて──

 

 

「…………っ!」

 

 

振り下ろせない。

 

 

脳裏に、あの時のことを思い出した。

僕が彼女の正体を知ってしまった夜。

好きな女の子の顔を殴ってしまった夜。

 

割れた赤いマスクの下、血塗れになっていたミシェルの泣き顔が……脳裏に蘇る。

 

 

全てに絶望して、涙を流して……血と涙を混ざらせて、僕を見上げる彼女の顔を思い出した。

 

この手で、傷付けてしまった。

もう二度と、彼女を傷付けはしないと……彼女を傷付けさせはしないと誓った。

 

 

だから──

 

 

この赤いマスクが彼女ではないとしても──

 

 

 

僕に、振り下ろせる訳がない。

 

 

現実じゃなかったとしても、傷付ける事が出来ない。

 

これがミシェルじゃないという確信はない。

これが現実じゃないという確信もない。

99%でミシェルじゃないとしても、1%を恐れてしまう。

 

視界が、歪む。

 

 

「は、はぁっ……あっ……」

 

 

息が漏れる。

荒く、乱れる。

 

呼吸しているのに、息苦しい。

肺と喉が痛い。

 

僕はレッドキャップから飛び退いて、着地する。

よろめいて、足はたたらを踏んだ。

身体に力が入らない……今にも崩れそうになる。

 

顔を上げれば……レッドキャップは立ち上がり、ゆっくりと僕へ近づいて来ている。

 

 

これは僕の心的外傷(トラウマ)だ。

忘れる事ができない、心の傷だ。

 

その古傷にナイフを突き立てられたように、僕は強烈な痛みを感じていた。

身体の横っ腹を撫でる。

 

昔、彼女にナイフを突き刺された箇所だ。

今はもう、傷跡も薄れたのに……それでも痛む。

 

 

そんな僕を無視して、レッドキャップが接近してくる。

 

来ないでくれ。

来ないでくれ……来ないでくれよ。

 

 

僕は君と……戦いたくない。

 

 

「……はぁ、はぁ」

 

 

逃げ出したい気持ちを抑え込む。

震える足を叩き、レッドキャップと向き合う。

 

これがミスター・ネガティヴの引き起こした幻覚ならば、なんて酷い……性格の悪い攻撃なんだと思った。

 

……だけど、矛盾に気付いた。

ミスター・ネガティヴは僕の過去を知っている筈がない。

 

目の前の景色は、僕とスティーヴン・ストレンジ……それとミシェルしか知らない筈だ。

知っていたとしても、他人はメフィストによって記憶を消されている。

 

だから、尚更……この幻覚を作り出している『元』が何なのか、分からない。

 

この景色を作り出しているのはミスター・ネガティヴではなく、僕自身……なのか。

 

僕を傷つけようとしているのは、僕自身なのか。

 

 

レッドキャップが接近してくる。

その手には黒いナイフ。

 

当たれば致命傷だ。

 

……僕は、ここで負ける訳にはいかない。

誰かに負けても、僕の過去に負ける訳にはいかない。

 

 

「……そうだ、僕はこんな所で……止まってる場合じゃないんだ」

 

 

ミスター・ネガティヴ、マーティン・リーを止めなくちゃならない。

誰も死なせないために、『デビルズブレス』を止めなきゃならない。

ミシェルの手助けをしなければならない。

 

だから、負ける訳にはいかない。

立ち止まってなど、いられない。

 

突き出して来たナイフを弾き──

 

 

「この!」

 

 

拳がレッドキャップの顔面に命中した。

……いや、してしまった。

 

赤いマスクが割れて……その下の、僕の愛する人の顔が見えた。

血と涙でぐちゃぐちゃになったミシェルの顔が……僕の目に映る。

 

……これは現実じゃない。

現実じゃない、現実じゃない、現実なんかじゃない!

 

そう自分に言い聞かせても、目に見える景色が僕を苦しめる。

身体が急激に冷えて、口の中が酸っぱくなる。

 

最悪の気分だ。

 

 

「ミシェル……!」

 

 

崩れ落ちるレッドキャップ……ミシェルに手を伸ばす。

これが現実じゃなかったとしても、それでも……手を伸ばしてしまう。

 

そして、その腕を掴んだ。

だけど……腐敗したように崩れていく。

 

 

「あっ、え……何で……!?」

 

 

そのままヘドロのように溶けて、地面に溢れる。

彼女の原型を仄かに残したまま……人の形を失っていく。

 

これはミシェルじゃない。

幻覚なんだ。

 

分かってる。

分かっているけれど。

 

 

「ぅ、うぷっ……」

 

 

吐き気がした。

 

 

「……っ、ふ……大丈夫、これは現実じゃ……ない……!違う……!」

 

 

無理やり抑え込んで、耐える。

歪む視界を整えるため、目を強く閉じて……開く。

 

直後、僕は背後から蹴り飛ばされた。

 

 

「痛っ……!?」

 

 

超感覚(スパイダーセンス)が麻痺している。

反応が遅れてしまった。

 

即座に地面を強く蹴り、振り返る。

 

そこには……緑色の、ゴブリンマスク。

 

 

「……今度は、ノーマン?」

 

 

ノーマン・オズボーン、グリーンゴブリンがそこに居た。

死んだ筈の……ミシェルが殺してしまった、ハリーの父親だ。

 

彼が走って僕へ接近してくる。

 

 

『スパイディ、スパイディスパイディ!』

 

 

僕の首を掴んで、引き摺ってくる。

抵抗しようにも、上手く力が入らない。

 

 

「耳元で、くっ、叫ばないでよ……!」

 

 

脳裏に直接響くようなノーマンの声が、僕の心を揺さぶってくる。

 

 

『俺が死んだのは、お前の所為だ!お前が奴を止められなかった!お前がハリーを孤独にした!』

 

「うぐっ……」

 

 

足が鳩尾にめり込む。

首を締め付けてくる力が強まる。

 

 

『奴に罪を犯させたのは、お前が止められなかったからだ!お前が奴に罪を与えた!』

 

「……こ、のっ!」

 

 

好き勝手言ってくるゴブリンを、蹴り飛ばす。

深く呼吸をしながら、壁に手をつく。

 

目眩がする。

それは呼吸が荒くなってしまったからか、それとも……僕の精神面が惑っているからか。

 

 

『お前は役立たずだ!お前は無意味だ!何も出来やしない!誰も助けられやしない!』

 

「……う、るさい!」

 

 

罵倒してくるゴブリンを殴り飛ばす。

仮面が割れて……その下は真っ暗闇の空洞だった。

 

 

『そうやって自分と異なる奴を暴力で捩じ伏せてきた!何も変わらない。変わりはしない!あの頃から!』

 

 

視界が(ネガティヴ)(ポジティヴ)に点滅する。

目に映る景色が歪み、僕の過去を映し出す。

 

 

「う、ぐっ……」

 

『そうさ、ピーター・パーカー!お前は自分勝手な人間だ!ずっと……昔から!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目に映るのは……興行施設の廊下。

僕は貰ったお金を数えて、家に何か美味しいものでも買って帰ろうかな……なんて、親孝行を考えていた。

 

遠くから声が聞こえた。

 

 

『そいつは泥棒だ!捕まえてくれ!』

 

 

男が目の前を横切る。

それを追っている警備員……だけど、僕が見逃した泥棒はエレベーターに乗って逃げた。

このビルにエレベーターは一つしかない。

ここから追いかけたって追い付かないだろう。

 

 

『何故、止めなかった!君が少し足を引っ掛けるでもすれば、止められた筈だ!』

 

 

僕を責める声。

 

 

『悪いけど、それは僕の仕事じゃないよ。そんな責任、僕にはないからね』

 

 

面倒ごとを避けようと、そんな事を言ってしまった僕。

力を手に入れて、増長し……叔父さんと叔母さんを裏切ってしまった、僕。

 

 

 

景色が切り替わる。

 

 

 

そこは、クイーンズにあるメイ叔母さんの家。

外には無数のパトカー。

叔母さんの嘆き悲しむ声。

 

僕は手に持っていたケーキを落として……走って、家の中に入った。

 

リビングの絨毯を血で赤く染めた……ベン叔父さんの死体。

 

 

『叔父さん、叔父さん!』

 

『君、離れて、離れなさい!』

 

 

警官に引っ張られて、僕は叔父さんから引き剥がされた。

 

物言わぬ骸になってしまった、僕の家族。

怒りが僕を支配した。

 

 

『絶対に許さない……思い知らせてやる!』

 

 

警察の無線を盗み聞きした僕は、彼らよりも早く……ベン叔父さんを殺した犯人に追い付いた。

黒い目出し帽のマスクをかぶった犯人を、僕は押し倒した。

 

 

『なんで、お前のような奴に、叔父さんが殺されなきゃならないんだ!』

 

 

怒りに任せて、何度も殴った。

初めて人を殴った。

 

その嫌な感触を感じながらも、怒りが理性を振り切った。

 

 

『叔父さんはもう帰ってこない!叔母さんは悲しんでる!お前の、お前の所為で!』

 

 

何度も、何度も殴って……血を流させた。

そして、気絶した犯人のマスクを剥いで──

 

 

『僕が見逃した……泥棒……?』

 

 

興行施設で僕が見逃した泥棒だった。

 

結局は僕が悪かったんだ。

力に溺れて、責任を果たさなかった僕が。

 

だけどもう、今は違う。

違うんだ。

 

大いなる力には大いなる責任が伴う。

 

それを理解したから。

あの頃の僕とは違う。

 

違う筈なのに──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『いいや、違わない!何も変わらない!』

 

 

地面が崩れる。

僕は落下していく。

 

 

『貴様は自分を善人と断定して、悪人を捩じ伏せる独善的な男だ!』

 

 

球体のマスクをかぶった『ミステリオ』に吹き飛ばされた。

地面を転がり、壁に衝突した。

 

息が肺から溢れでた。

 

 

『偽善者め!』

 

 

飛行用のアーマースーツを着た『ヴァルチャー』が僕を蹴り飛ばした。

瓦礫から足を踏み外し、地面に落下する。

全身の骨が軋む。

 

 

『他人の為だと?嘘を吐くんじゃあない!』

 

 

雷を纏った『エレクトロ』の電撃が直撃し、地面を転がる。

身体の感覚が痺れて、視界が点滅する。

 

 

『誰かに良い顔をしたいだけだ!褒められたいだけだ!』

 

 

サイ型のアーマーを着た『ライノ』に殴られる。

蹴り飛ばされる。

身体が痺れて、思うように動かない。

 

 

『罪の意識から逃れたいだけだ!自分が生きてて良い存在なのだと、納得したいだけだ!』

 

 

緑色の蠍のような尾が僕を突き刺す。

『スコーピオン』の毒が僕を蝕む。

 

 

「ち、違う!僕は──

 

 

真っ赤な触手が僕を持ち上げた。

 

 

『何が親愛なる隣人だ!本当は逃げ出したい臆病者の癖に!』

 

 

それは『カーネイジ』の触手だ。

僕を床に叩きつけると……割れたコンクリート片が僕を傷つける。

 

 

『そう、貴方には誰も……助けられない』

 

 

真っ黒なアーマースーツに首を絞められる。

赤いマスクが……レッドキャップが僕に迫る。

 

 

『臆病者の、偽善者の、無価値な……ピーター・パーカーには──

 

 

意識が朦朧としてくる。

全身が痛む。

 

 

『独善的で……他人を助ける事でしか、自分を認められない……貴方には──

 

 

目がまわる。

吐き気がする。

 

 

『誰も救えない』

 

 

どこが上で、どこが下かも分からない。

情けなく呻いて、もがく事しか出来ない。

 

 

笑い声が聞こえる。

嘲る声が聞こえる。

僕を罵る声が聞こえる。

 

耳を塞いでも聞こえる。

 

 

僕は、僕は──

 

 

もう──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『スパイダーマン』

 

 

声が聞こえる。

 

 

『……ピーター』

 

 

声が聞こえる。

 

 

『ピーター、目を覚まして』

 

 

声が聞こえる。

 

 

『自分を信じて』

 

 

優しい声が。

 

 

『貴方は無価値なんかじゃない』

 

 

僕を暗闇から連れ出そうと。

 

 

『私は貴方を信じている。だから──

 

 

意識が浮上していく。

黒いモヤに覆われた意識が急激に覚醒していく。

 

 

『起きて、『親愛なる隣人(スパイダーマン)』。私を『助けて』』

 

 

目を、開く。

 

 

僕は(ウェブ)を射出した。

そうだ、僕は『親愛なる隣人(スパイダーマン)』だ。

 

例え、認められなくても。

蔑まれても。

 

僕は誰かを助ける。

その為の大いなる力だ。

 

 

『ヴァルチャー』を引き寄せて、拳を叩きつける。

黒い結晶のように砕けて、霧散する。

 

 

自分自身が何だろうと、どれだけ弱い存在だろうと……それでも、他人を助ける。

誰かのために戦う。

 

 

『カーネイジ』を蹴り飛ばし、『ライノ』を殴り付ける。

 

 

自身を顧みず他人を助けること、それが偽善だとしても……それは『善』だ。

ベン叔父さんのように、メイ叔母さんのように……誰かのために頑張れる事は素晴らしい事だ。

 

 

『スコーピオン』の尾を掴んで、投げ飛ばす。

投げた先にいた『ミステリオ』が巻き込まれて、吹っ飛んだ。

 

 

大いなる力には大いなる責任が伴う。

それは、力ある者の責務だ。

 

その責任から逃げはしない。

迷い、惑い、分からなくなっても、悲しくても辛くても──

 

僕は戦うんだ。

だってそれが、僕だからだ。

 

人助けこそ、僕の居場所なんだ。

 

 

『スパイディ!』

 

「良い加減、その悪趣味なマスクにはウンザリしてるんだ!」

 

 

『グリーンゴブリン』を殴りつけて、粉々に砕いた。

 

そして、残りは──

 

 

 

『…………』

 

「ミシェル」

 

 

赤いマスクが僕を見つめている。

少しして……無言のまま、彼女の虚像がひび割れていく。

 

そして、そのまま……崩れて──

 

 

 

 

 

 

 

 

「ピーター」

 

 

そこには……赤いマスクじゃない。

黒いマスクを……展開して、僕に素顔を見せているミシェルの姿があった。

 

 

「……ミ、シェル?」

 

 

僕を抱いて、膝枕をしていた。

 

だけど、いつもと少し違う。

黒いモヤに覆われた中で、彼女の目が僅かに輝いていた。

 

 

「……起きた?」

 

 

僕に優しい視線を向けていた。

 

辺りを見渡す。

……入ってきた時と、同じ景色だ。

 

黒いモヤが部屋を覆い尽くしている。

僕の身体に傷はない。

……僕は、一歩も動いてなかったのだろうか。

 

 

「ミシェル、僕は……?」

 

「眠らされていた」

 

 

ミシェルが僕を立ち上がらせた。

少しよろめいたけれど……うん、もう大丈夫だ。

 

 

「ミスター・ネガティヴの力……あのエネルギーは他人の内なる悪魔を引き摺り出す」

 

「内なる悪魔?」

 

「……人の心的外傷(トラウマ)を刺激して、悪人に作り変える力がある」

 

「……そ、っか」

 

 

僕はまんまと引っ掛かっていたって事だ。

思わず眉尻を下げると、ミシェルが僕を抱き締めた。

 

 

「私には、この『目』がある。だから大丈夫……全ての並行世界を見れるって事は、物事が客観的に見られるって事だから……」

 

 

僕も抱き締め返す。

……早鐘のように鳴り響いていた心臓が、少しずつ落ち着いてくる。

 

少しずつ、冷静さを取り戻していく。

そして、僕は口を開いた。

 

 

「ミシェル、『デビルズブレス』は?」

 

「起動スイッチが押された……あと1時間以内に解毒剤のアンプルを差し込まないと、取り返しの付かない事態になる」

 

 

思わず、眉を顰める。

 

 

「他の『S.H.I.E.L.D.』のメンバーは?」

 

「脱出済み。この状況に入ってきても……助ける手間が増えるだけだから。逃げるように言った」

 

「……それも、そうだね」

 

 

足手纏い、という意味なら僕もそうだろうけど。

実際、さっきまで眠らされていた訳だし。

 

そんな僕の内心を知らずか、ミシェルが口を開く。

 

 

「だけど、マギアの構成員は逃がせていない。逃せられる状況じゃなかったから」

 

「……それじゃあ、助けないとね」

 

「……ん」

 

 

ミシェルが腰に付いたポーチから、小さな容器を取り出した。

 

 

「これ。ブラックキャットから貰ったアンプルから複製して……高濃度にしたアンプル。『デビルズブレス』に直接流し込めば、一発で無効化出来る」

 

「……それは、凄いね」

 

「『デビルズブレス』は遺伝子を操作する劇物だから……『S.H.I.E.L.D.』には遺伝子に詳しい科学者がいる」

 

 

僕は頷く。

すると彼女は少し迷うような表情で、口を開いた。

 

 

「どちらかがアンプルを『デビルズブレス』に注入して、もう片方がミスター・ネガティヴと戦う必要がある。だから、ネガティヴは──

 

「僕が戦うよ」

 

 

ミシェルが僕に視線を合わせた。

……少し、迷うような表情をしている。

 

 

「大丈夫だよ……って、さっき幻覚で寝てたから説得力は無いかもしれないけどね」

 

 

そうだ。

さっきまで、ミスター・ネガティヴの幻覚攻撃に打ちのめされていた。

 

だから、彼女は心配なのだろう。

次、彼の目の前で負けたら……どうなってしまうか、分からないだろうから。

 

だけど、ミシェルは首を振った。

 

 

「ううん……ピーターは、自力で抜け出せた。だから、そこは心配してない」

 

「自力、じゃないかな……ミシェルの声が聞こえたから。『起きて』って」

 

 

そう言うと、ミシェルは少し眉を顰めた。

 

 

「……聞こえてた?」

 

「うん、お陰で戻って来れた」

 

 

彼女は少し照れ臭そうに苦笑して……頷いた。

 

 

「それじゃあ、ピーター……お願い。ミスター・ネガティヴを……マーティン・リーを止めて」

 

「うん、彼は僕が止める」

 

 

自分の頬を叩いて、目を覚させる。

ミシェルが僕へ近付き、優しくハグをして来た。

 

そして、彼女が黒いマスクを閉じて僕へ視線を向けた。

 

 

『頼んだぞ、スパイダーマン』

 

「勿論、任せてよ。ナイトキャップ」

 

 

彼女の拳を胸に受けて……僕と彼女は別々に行動を始めた。

 

(ウェブ)を上向に飛ばし、吹き抜けになっているビルを登る。

……途中で何人も倒れている人を発見した。

 

『マギア』の構成員だ。

ミスター・ネガティヴ……マーティン・リーの復讐はもうすぐで遂行される。

 

『マギア』は善良な一般人じゃない。

アイツらはマフィアだ。

僕の叔母を襲おうともした。

 

だけど、止めなきゃならない。

 

彼等を助ける……それだけじゃない。

僕はもう一人、助けなきゃならない人がいる。

 

壁を走り、(ウェブ)を引っ張り……最上階に到着した。

 

……ここに『デビルズ・ブレス』はない。

だけど、目的の人物はそこに居た。

 

 

『……私の邪魔をするか、スパイダーマン』

 

 

椅子に腰掛け、手を組み……項垂れるミスター・ネガティヴが居た。

 

 

「邪魔するよ。君のやろうとしてる事は許せないから」

 

『……何故だ?』

 

 

ミスター・ネガティヴが立ち上がり、僕に身体を向けた。

黒いモヤが彼を覆っている。

 

……なるほど、気付かなかったけれど……マーティン・リーをネガポジ反転させたような見た目をしていた。

 

顔は怒りに支配されているのか、歪んでいるけれど。

 

 

『奴等は悪人だ。死んで当然な人間だ!』

 

 

部屋の中が真っ黒に染まる。

黒いモヤが彼自身の心的外傷(トラウマ)を具現化する。

 

手術台に繋がれた若いマーティン・リー……そして、恐らくその両親。

 

『マギア』の科学者が、彼等に何かを打ち込んだ。

 

 

『私だけが生き残った!私だけが!』

 

 

両親は身を捩り……そして、息絶えた。

マーティン・リーは拘束具を破壊して……周りの科学者を殺して回った。

 

まだ力を制御出来ていなかったのだろう。

手術台に置かれたメスで突き刺し、椅子で殴打し……彼等の反撃の銃弾を受けても、止まらずに──

 

 

『これは私に託された『責任』だ!成し遂げなければならない!』

 

 

マーティン・リーの復讐……それは自分だけの為じゃない。

殺された家族のためでもあるのだろう。

 

だけど──

 

 

「それでも、そんな事したらダメだ……!」

 

『そうだ、そうか!お前は奴らを助けるつもりか!助ける価値などないと、まだ気付いていない!』

 

「僕はっ……!」

 

 

確かに『マギア』の奴等は嫌いだ。

積極的に助けたいとは思えない。

 

それでも、助けるべきか、助けないべきか……それは僕が決める事じゃない。

彼等は生きて、法に裁かれるべきなんだ。

 

僕は他人を裁けるほど偉くなったつもりはない。

 

そして、何よりも──

 

 

「僕が助けたいのは貴方だ!マーティン・リー!」

 

『……私、だと?』

 

 

本名を呼ばれた彼は困惑するように目線を逸らした。

 

 

「さっき……『F.E.A.S.T.』のビルを『マギア』が襲撃した」

 

『……何だと?』

 

 

彼の反応は驚いたような……心配するような顔だった。

……やっぱり、知らなかったんだ。

 

あの襲撃はマーティン・リーの意思じゃない。

別の誰かの策略だ。

 

彼は……純粋な悪人じゃない。

 

 

「大丈夫、僕が助けに行った。怪我人はいない!」

 

『……それがどうした!私には関係のない話だ!』

 

 

彼は表情を引き締めて、僕を睨んだ。

 

 

「関係なくはない!あの場所は、貴方が作った場所だ!」

 

『私を……惑わせる気か!』

 

 

ミスター・ネガティヴが剣を取り出した。

鞭のようにしなり、刃は黒く染まっている。

 

 

「あそこは優しい場所だ!あんな場所を作れる貴方が……こんな事しちゃ、いけない!」

 

『黙れ!『マギア』はこの、私が浄化する!』

 

 

彼が剣を振るう。

地面を引き裂き、白と黒のスパークが走る。

 

……当たればタダじゃ済まない。

(ウェブ)を飛ばして、壁に逃れる。

 

 

「自分の悪意に負けたらダメだ!」

 

『私は復讐しなければならない!』

 

「そうだとしても、殺すのは間違ってる!」

 

 

僕の居た場所に剣が伸びる。

壁ごと砕き、引き裂き……破片が宙を舞う。

 

 

『復讐で私の両親が戻らない事は知っている!だが、それでも為さねばならない!』

 

「僕はただ、貴方に……これ以上、人を殺して欲しくないだけだ!」

 

『余計な世話をするな!』

 

 

黒いモヤがミスター・ネガティヴを中心に渦巻いていく。

何かするつもり、みたいだ。

 

……くそっ、もう話し合いで解決できるステップは通り過ぎてるのかな。

 

さっき話した感じだと……ミスター・ネガティヴはマーティン・リーの一面も持っている。

だから、その優しさも本物の筈だ。

 

彼もまた、ベン叔父さんやメイ叔母さんのように、誰かのために頑張れる人の筈なんだ。

だからこれ以上、罪を重ねさせてはならない。

 

心の奥底に巣くう悪魔から、助け出さなければならない。

 

 

……黒いモヤが大きな身体を作り出す。

床から上半身だけが生えているような……悪魔を作り出した。

『デーモン』達が身に付けていたマスクによく似た顔だ。

 

 

『私を邪魔するのなら、貴様も死ね!スパイダーマン!』

 

 

ミスター・ネガティヴが指示を出したと同時に、巨大な悪魔が僕へ手を伸ばしてくる。

 

 

「僕は死ねない!貴方に人殺しをさせたくないし……無事に帰るって約束したんだ!」

 

 

唸り声を上げながら、マーティン・リーの内なる悪魔(インナー・デーモン)が迫り来る。

僕は拳を強く握った。




次回で『チームアップ』編は終了です。


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#8 インナー・デーモン part2

黒く、巨大な腕が振りかぶる。

 

 

「くっ……!」

 

 

ビル内部の壁を破壊して、瓦礫片が僕へ迫る。

 

避けきれない!

 

僕は(ウェブ)シューターから(ウェブ)を放ち、瓦礫の勢いを相殺する。

勢いの落ちた瓦礫を足で蹴り飛ばし、着地する。

 

目の前には巨大な悪魔(デーモン)

真っ黒な肌に、真っ白な悪魔のマスク……後頭部からは何本ものツノが生えている。

そんな悪魔の頭上に、ミスター・ネガティヴ……マーティン・リーは乗っていた。

 

 

『私の邪魔をする者は、報いを受けるのだ!』

 

 

巨大な拳が地面を叩いた。

白と黒のスパークが発生し……落雷となって降り注ぐ。

 

 

「このっ……!」

 

 

超感覚(スパイダーセンス)を頼りに、回避しながら接近する。

そのまま、悪魔の顔面にパンチを喰らわせた。

 

手応えはあった。

 

悪魔の顎が砕けて、塵となって霧散する。

随分と呆気ない。

 

正直拍子抜け──

 

 

『無駄だ!』

 

 

悪魔の身体に黒いモヤが集まり……修復された。

 

 

「ちょ、っと……!こんなのアリ!?」

 

 

復活した悪魔が頭突きを繰り出し、僕は弾き飛ばされた。

そのまま、奈落の底へ……咄嗟に(ウェブ)を床へ放ち、堪える。

 

黒いモヤが渦巻く。

床が砕けて、下には虚空が広がっている。

 

……また現実離れしている。

だけど、これは現実だ。

 

あの時とは違い、超感覚(スパイダーセンス)が機能している。

研ぎ澄まされた感覚が、この光景を現実だと認識させてくれる。

 

僕は床を蹴って、悪魔へと接近する。

 

 

『鬱陶しい蜘蛛め!駆除してやる!』

 

 

ミスター・ネガティヴの怒声に合わせて、悪魔が拳を振るう。

アレは彼が従えてる本物の悪魔……って訳じゃないな。

彼の手足のように動いている。

恐らく……彼自身の悪意を、その力で具現化させたものか。

 

僕は本物の悪魔(メフィスト)と会った事があるし……違いぐらいは分かる。

 

そして、アレがマーティン・リーの悪意が具現化したものなら……不死身なのも納得できる。

彼が持つ悪意の源を断たなければ……。

それか、彼自身を倒さなければ……戦いは終わらない。

 

黒いモヤが悪魔に渦巻く……はち切れそうな程、膨張している。

悪魔の形も崩れて、輪郭がボヤけている。

それはつまり、彼の悪意が荒れ狂い……力のコントロール出来ていないという事だ。

 

 

「マーティン・リー!悪意に飲まれたらダメだ!元の優しい貴方に戻ってくれ!」

 

『元の?違う!これが私の真の姿だ!』

 

 

悪魔の腕が伸びて、鞭のようにしなる。

空気が破裂する音がして、僕へ迫る。

 

その度に回避をして……床が何度も砕ける。

僕は冷や汗を流した。

当たれば痛いじゃ済まないな。

 

 

『見ろ!これが私の力だ!誰にも止める事は出来ない!たとえ誰であろうと、もう私から奪える者はいない!』

 

「そんなの……ダメだ!奪われる痛みを知っているのに、誰かから奪おうだなんて……そんなの間違ってる!」

 

 

悪魔の腕が破裂し、何本もの触手になった。

それが同時に……僕へと迫る。

 

 

「悪意に負けたらダメだ!自分の内なる悪魔に打ち勝つんだ!マーティン・リー!」

 

『悪魔に打ち勝つだと?違うな!私が……悪魔そのものだ!』

 

 

大量の触手が僕へと迫る。

まずい、避けきれない!

 

手で触手を幾つか弾いたけれど……隙間を通り抜け、僕の身体を弾き飛ばした。

 

 

「ぐ、ぅっ……!」

 

『私に善性を求めるな!私は復讐をするための悪魔なのだ!貴様には分かるまい!』

 

 

悪魔は身体を炎のように燃やしている。

最早、肉体が存在するかも分からない。

そして、その手には……巨大な剣。

 

咽せながら、手を地面につく。

 

 

「……分から、ない?」

 

『そうだ!両親を奪われ、力を手に入れた私が……ならば!復讐をしなければ!それが道理だ!貴様には分かるまい!』

 

「……いいや、分かるよ」

 

 

分からない訳がない。

 

マーティン・リーの気持ちは僕にも理解できる。

だって彼と……僕には共通点があるから。

 

 

「僕も……育ての親を悪人に殺された。望まぬ力も手にした。復讐しようと考えた事だってある」

 

『……ならば、何故、私を止める!?』

 

 

剣が迫る。

……足が……痺れて、避けられない。

 

溜まっていたダメージが、今更、足に来たんだ。

今日はずっと戦っていたから……ね。

 

 

「……手にしてしまった大いなる力は……正しい事に使うべきなんだ。誰かを傷付ける為じゃなく、誰かを助ける為に使わなきゃならない……それが僕や貴方の責任だ……!」

 

 

僕の背丈より何倍も大きな剣を、両手で挟む。

骨が軋む。

床が砕ける。

 

 

『そんな責任など……ない!』

 

「貴方は……!貴方にも、分かっている筈だ!誰かの為に努力出来る貴方は!よく、知っている筈なんだ……!」

 

『何を……!』

 

「目を覚ますんだ!こんな殺風景な場所から抜け出して、悪魔とは縁を切るんだ!」

 

 

剣に込める力が強くなっていく。

今にも、押しつぶされてしまいそうだ。

 

悪魔が僕を嘲笑っている。

 

 

「『F.E.A.S.T.』には貴方の帰りを待っている人がいる!みんな、貴方に感謝してる!尊敬だって……!その気持ちを裏切ったら……ダメだ!」

 

『……だがっ、だが!もう、戻る事はできない!立ち止まる事は出来ない!』

 

 

みしり、みしりと音が響く。

悪魔の身体が激しく燃え盛る。

 

 

『私は進むしかない!真の悪を討ち滅ぼし、浄化する!』

 

「この……分からず屋!」

 

 

僕を押さえつけていた剣の上に……影が現れる。

デーモンがもう片方の手を振り上げている。

 

……それを、上から剣に叩きつけられたら!

僕は間違いなく、押しつぶされてしまう。

 

逃げないと……だけど、ダメだ!

地面に縫い付けられたかのように、足が床を踏み砕き……めり込んでいる。

瓦礫に埋もれて、動かす事も出来ない。

 

 

『私を惑わすな!蜘蛛め、潰れて死ね!』

 

 

そのまま、拳が振り下ろされて──

 

 

 

ガラスが、割れたような音がした。

だけど、衝撃は来なかった。

 

黒いモヤに覆われた、暗闇が砕けて……空から誰かが落下してくる。

黒いヴィブラニウム製のアーマースーツが逆光を浴びている。

 

それは──

 

 

「ミシェル!」

 

 

僕の頼れる味方だ。

 

 

『すまない、少し遅れた』

 

 

そのままデーモンの腕を蹴り飛ばし、僕を救出した。

咄嗟にミシェルと呼んでしまったけれど、ナイトキャップ……に、肩を貸されてる。

 

 

『貴様……!』

 

『ミスター・ネガティヴ。貴様の用意した『デビルズ・ブレス』は既に無効化した。護衛の『デーモン』どもも無力化している……もう終わりだ』

 

 

……仕事が早いな。

感心しながらも、床を踏み締める。

 

呼吸を整える。

 

骨は軋む。

どこか折れてるかも知れない。

だけど、折れていない骨の方が遥かに多い。

それならまだ、戦える。

 

息を深く……吐いた。

 

随分と楽になった。

これならまだ、戦える。

 

 

『だが、まだ……!邪魔を、するならば……!』

 

 

悪魔が燃え盛る。

剣が両手に現れた。

 

黒いモヤが飽和し、渦巻く暗雲のようにスパークを発生させている。

 

 

『……ここで待っていろ。後は私が──

 

「僕も戦うよ」

 

 

黒いマスクが僕を一瞥した。

 

 

「彼を……助けないと」

 

『……そうか。そうだな。それでこそ……親愛なる隣人(スパイダーマン)だ』

 

 

貸されていた肩から離れて、二人……並び立つ。

 

片方は黒いハイテクなアーマースーツを装着した、ナイトキャップ。

もう片方は赤と青の手作りスーツを身に纏った、スパイダーマン。

 

全く似ていない二人だけれど……間違いなく、信頼できる相棒(サイドキック)だ。

 

ミスター・ネガティヴが僕達を睨みつける。

 

 

『一人増えた所で、何も変わりはしない!私を止められはしない!屍の数が増えるだけだ!』

 

 

ミスター・ネガティヴが吠え……悪魔が、剣を振り下ろした。

 

僕とミシェルは別方向に転がり……剣を回避する。

 

 

「行くよ!」

 

『あぁ」

 

 

再び、剣がミシェルへ迫る。

僕は(ウェブ)を飛ばして、剣を引っ張る。

軌道を変えた剣先は彼女から逸れて、すぐ側へ叩きつけられた。

 

 

『ふっ』

 

 

ミシェルは剣を足場にして、飛び上がった。

そのまま身体を錐揉みさせ、悪魔の顔面に蹴りが命中させた。

 

 

『無駄だ!そんなもの!』

 

 

悪魔がモヤを身に纏い、再生を始める。

 

僕は(ウェブ)を使って、ミシェルを引き戻す。

僕のすぐ側に着地した。

 

 

『厄介だな』

 

「でも、再生時に少し隙が出来る」

 

『……それなら』

 

「うん、やろう」

 

 

本当に最低限の会話をして、僕と彼女は頷いた。

 

ミシェルが僕の前を走りだす。

再生を終えた悪魔が、迎撃しようとミシェルへ手を伸ばす。

 

僕も遅れて走り出し……地面を蹴り、ミシェルの肩を踏んだ。

 

 

『いくぞ!』

 

 

彼女は身体のバネを活かして、僕を上へと弾き飛ばした。

 

 

「こっちだ、マーティン・リー!」

 

『何!?』

 

 

上へ飛び上がった僕へと、ミスター・ネガティヴの視線が誘導される。

瞬間、足元が留守になった悪魔へ……ミシェルが滑り込む。

 

 

『違う、下だ』

 

 

そのまま肘で、デーモンの腹を削いだ。

それに気付いたミスター・ネガティヴは苛立ちも隠さず、ミシェルを睨み付けた。

 

 

『小賢しい真似をする!だが、無意味だと知れ!我が悪魔は不死身──

 

「そうかもね……だけど、貴方はどうかな!」

 

 

僕は宙で身を捩り、(ウェブ)を両手から発射した。

悪魔は再生中、身動きが取れない。

だから、その一瞬がチャンスだった。

僕は悪魔の両肩に(ウェブ)を貼り付けた。

 

強く引っ張りながら、後方へ飛ぶ。

 

 

『何を──

 

「行くよ──

 

 

(ウェブ)を引っ張り、反動で身体を弾いた。

足を突き出して……まるで矢のように。

 

 

「これで目を、覚ましてくれ!」

 

 

悪魔を……マーティン・リーの悪意を、貫いた。

そして、その勢いのまま、彼の顔面を蹴り飛ばした。

 

 

『ぐぅあっ!?』

 

 

強烈な一撃に彼は数メートル弾き飛ばされる。

そして、地面を跳ねた。

 

僕も反動で吹っ飛んで……ミシェルに抱き抱えられ、着地した。

 

 

『う、ぐ……ぅ……』

 

 

悪魔が霧散する。

マーティン・リーを引き剥がされ、形を保てなくなったのか……崩れていく。

 

彼自身もミスター・ネガティヴとしての姿を維持出来なくなり……黒いモヤが消えていく。

 

非現実的な空間は……巨大な吹き抜けの会場へと姿を変えた。

窓の外にはニューヨークの街並みも見える。

 

 

「ぐ、くそ……あと、ほんの少し、だったのに……!」

 

 

マーティン・リーが床を叩き……歯を食いしばっている。

それを見たミシェルが声を掛けた。

 

 

『マーティン・リー』

 

「……最早、私には何も──

 

『この下の階層にいる『マギア』は『S.H.I.E.L.D.』が拘束する』

 

「……それが、どうした。奴等は法の抜け穴を知っている!この国の法では裁くことなど──

 

『『S.H.I.E.L.D.』を甘く見るな……そんなもの、幾らでも捻じ曲げられる』

 

 

マーティン・リーが驚いたような顔をした。

 

 

『だから、お前の復讐はここで終わりだ。奴等には罪を償わせるさ。折角、ニューヨーク市内のマギアを一網打尽出来たのだから』

 

「…………」

 

 

……複雑な感情に、顔を歪めている。

少なくとも納得はしていないだろう。

 

そんな彼に、僕も口を開いた。

 

 

「これで良かったんだ、マーティン・リー」

 

「……良かっただと?何も、良くはない……!」

 

 

マーティン・リーが吠えた。

口に含んでいた血を吐き出して、僕を睨みつける。

 

 

「後少しだ!後少しで……お前達が邪魔さえしなければ、奴等を殺す事が出来た──

 

「だから良かったんだよ。貴方が……罪を重ねずに済んだのだから」

 

「私は罪を犯す事を恐れてなど……いない……!」

 

「恐れていなくても、貴方のこれからの人生には……不要な罪の重さだよ」

 

 

僕の言葉に、マーティン・リーが不可解そうな顔をした。

 

 

「……どうして、そこまで!私を助けようとするんだ……」

 

 

……僕はマスクの下で頬を緩めた。

例え、僕の素顔が見えなかったとしても……。

 

 

「貴方も、沢山の人を助けてきた。見返りも求めずに」

 

「それが……どうした……」

 

「だからだよ……僕も貴方と同じ事がしたいだけ」

 

 

それは無償の愛だ。

自分と関わりのない筈の他人すら守ろうとする意思……より良い世界にしたいという願い。

 

それは彼だって、僕だって持っている。

 

『F.E.A.S.T.』の運営は楽じゃなかった筈だ。

かなりに負担になっていただろう。

それでも、彼は挫けなかった。

 

傷付いた人々を助ける為に、手を差し伸べ続けた。

 

それは例え彼が悪人の一面を持っていたとしても、尊敬できる事だ。

 

 

「貴方は良い人なんだよ、マーティン・リー」

 

「……だが、私は……」

 

「二面性があったとしても、誰かを助けた貴方が嘘になる訳じゃない」

 

「……私は悪人だ」

 

「でも、善人でもある筈だ」

 

 

僕は軋む身体を動かして、マーティン・リーの側に寄り添う。

肩に手を置いて……頷く。

 

 

「だから帰るんだ。罪を償って……『F.E.A.S.T.』へ」

 

「……私は、私は……」

 

 

マーティン・リーは蹲り……涙を流し始めた。

 

 

「私は……何故……」

 

 

無言で、まるで幼い子供のように……静かに、自分自身の体を抱いて、泣いた。

ふと、振り返ると……ミシェルは腕を組んで、その様子を見ていた。

 

 

「今まで、何を……」

 

 

サイレンの音が聞こえる中、啜り泣く声が僕の耳に響き続けた。

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

大量の護送車両が集まって、拘束した『マギア』の構成員と、『デーモン』の構成員を運んでいく。

 

ミスター・ネガティヴ……マーティン・リーも含めて、今回の逮捕者の名前は公表されないらしい。

一歩間違えば一般市民にも被害が及ぶような……マフィアを囮にして誘い出すような作戦だ。

『S.H.I.E.L.D.』も公にしたくないらしい。

 

だからこそ……マーティン・リー、彼が罪を償えば……きっと、『F.E.A.S.T.』に戻る事が出来るだろう。

それは平等なのか、正しい事なのか……分からないけれど、僕は嬉しく感じた。

 

 

そういえば、『F.E.A.S.T.』のシェルターから叔母さん達の救出も完了したらしい。

僕と入れ違いで『S.H.I.E.L.D.』のエージェント達が救出してくれたらしく……僕は胸を撫で下ろした。

倒壊した『F.E.A.S.T.』ビルは、この国の復興組織である『ダメージ・コントロール』が修復するらしい。

出資者は一人減ったけれど……きっと、まだ活動は続けられるだろう。

 

 

さて。

 

 

僕とミシェルは……ビルの上から、逮捕された人達を見下ろしていた。

夕焼けがニューヨークを赤く染めている。

 

少し涼しくなった風が僕達を冷やしてくれている。

 

ミシェルはマスクの下部を触った。

瞬間、表の面が展開して……彼女の素顔が顕になった。

 

少し汗で濡れていたけれど……いつもと変わらず、整った顔立ちで息を深く吐いた。

 

そして、その素顔を僕へと向けて。

夕焼けに照らされた彼女の頬が、緩む。

 

 

「お疲れ様、ピーター」

 

「ミシェルこそ……お疲れ様。僕より働いてたんじゃないかな?」

 

 

僕もマスクを脱いで、素顔を見せる。

汗で濡れてるし、髪の毛も整っていない。

 

まぁ、言うなら……ボロボロの見窄らしいピーター・パーカーだ。

 

だけど、ミシェルは僕の素顔を見て少し嬉しそうにした。

 

 

「適材適所。私には私の出来る事があって……ピーターには、ピーターの出来る事があるから」

 

「……そうかな」

 

「ん。例えば……私もマーティン・リーを止める事は出来たと思う」

 

 

ミシェルが目を閉じる。

夕焼けに照らされた彼女は、いつもより綺麗に見えた。

 

 

「でも、改心はさせられない。彼を……助ける事も出来なかった。そう思う」

 

「……そっか」

 

「そう。だから、ピーターは凄い。私には出来ない事が出来るから……」

 

 

ミシェルが手を組んで、自分の指を弄っている。

少しの間、静かにニューヨークの喧騒を耳にしていた。

 

何も話さず、それでも側にいる。

それだけで僕は幸せだった。

 

そして少し時間が流れて、ミシェルが口を開いた。

 

 

「ヒーローの本質は悪人を殴る事ではない、人を助けること……」

 

「そうだね、って……昔、僕が言った言葉だっけ?」

 

「ん……だから、悪人すらも助けようと出来るピーターが……やっぱり、私にとっては最高のヒーロー、かな」

 

「……え、あ……うん……ありがとう」

 

 

照れくさくなって頬を掻く。

きっと、顔が赤くなっている。

だけど、夕焼けが誤魔化してくれるだろう。

 

ミシェルが口を開く。

 

 

「……いつも、ありがとう。ピーター」

 

 

そう感謝の言葉を述べて、身体を傾けた。

そして、僕の肩に……体重を預けてきた。

 

その重さを心地よく感じながら、僕も口を開く。

 

 

「……僕も、ずっと感謝しているよ。君と会えて、僕は……幸せだから」

 

 

夕暮れ、少しずつ空は暗くなっていく。

だけど、この中途半端な時間が……掛け替えのない時間に感じられて、僕は嬉しかった。

 

きっと彼女の側に居れば、何でもない日の、どうでも良い時間だって……特別な時間になると思えた。

 

彼女の体重を感じながら、寄り添う。

僕は頬を緩めて、口を開く。

 

 

「……こうやって、二人で一緒にヒーロー活動するのも悪くないね」

 

「ん……」

 

 

互いに互いの存在を認め合って……頷く。

 

だけど……ミシェルは政府公認のヒーロー……『S.H.I.E.L.D.』のエージェントだ。

比べて、僕は組織に所属していない……ただの自警団員(ヴィジランテ)だ。

 

立場の違いは、共に戦う事を……気後れさせる。

 

普段からミシェルと共に活動していれば、僕もいずれ『S.H.I.E.L.D.』のエージェントに勧誘されるだろう。

ニック・フューリーは目敏いし、超能力(スーパーパワー)を持った人材は……いつも人手不足だ。

 

……だけど、『S.H.I.E.L.D.』のエージェントになるということは、自由な……悪く言えば『自分勝手な』ヒーロー活動が出来なくなるという事だ。

 

街を飛んで、誰かを助けて、小さな悩みを解決するような……親愛なる隣人としての活動は出来なくなる。

 

当然だ。

『S.H.I.E.L.D.』の活動は公費で賄われている。

命の危機でもない、街の人々の手助けなんて……勝手に力を振りかざす事は許されない。

 

それは確かに、正しい。

大いなる力を政府が管理する事は……確かに、『正しい事』なのだろう。

小さな悪事や困り事は警官達がどうにかすればいい。

 

だけど……それは『良い事』なのだろうか?

胸を張って、親愛なる隣人と言えるだろうか?

 

 

「……ピーター」

 

「うん?」

 

 

名前を呼ばれる。

ミシェルは僕を見ずに、クイーンズに沈んで行く夕陽を見ていた。

 

 

「……立場が違うからこそ、きっと出来る事があるから。気にしないで。それも貴方の良いところ、だから」

 

「……ありがとう」

 

 

ミシェルが僕の手を握った。

ヴィブラニウム製の硬いアーマーに覆われているのに、柔らかく、暖かく感じた。

 

 

「本当に困ったら、互いにまた……助け合えれば良い」

 

「……そうだね。何があっても……一緒なら乗り越えられるから」

 

「ん」

 

 

握った手の感触は、僕の心を優しく撫でるように……。

 

 

「あ」

 

 

ミシェルが小さく声を出した。

 

 

「ピーター、今日、休みの予定潰れちゃったから……明日にデート、振替出来る?」

 

「明日?」

 

 

頭の中のカレンダーを捲る。

そして、口を窄める。

 

 

「ごめん、明日は……大学があるから」

 

「……そっか」

 

 

ミシェルが萎れていく。

目に見えてガッカリしているのが分かる。

 

そんな姿を見ると……凄く、罪悪感を感じる。

だからどうにか元気付けたくて、何かないかと考える。

 

 

「えーっと……それなら、その……この後、僕の家に来る?」

 

「行く」

 

「……即答だね」

 

「ん」

 

 

ミシェルがふん、と鼻を鳴らした。

随分と可愛らしい仕草だ。

さっきまでの彼女の……ナイトキャップとしての姿と重ならない。

 

ミシェルは微笑み……そして、ふと少し顔を曇らせた。

 

 

「……まぁ、今回の報告書、書かなきゃだけど」

 

「え?大丈夫?それって……」

 

「ピーターの部屋で書くから、大丈夫……うん、大丈夫……多分」

 

 

そして、ミシェルは膝を抱えていた手で、地面を突き……立ち上がった。

真っ赤な夕焼けの中で、彼女の青い瞳が輝いた。

 

……彼女の『眼』。

それは『ウォッチャーの眼』だ。

 

あらゆる次元を鑑賞できる、とんでもない力を持っている。

 

故に……彼女の言っていた言葉を思い出した。

 

 

僕が死んでしまう姿を見た、と。

平行宇宙(マルチバース)に時間の概念はない……過去も、未来も存在する。

 

時間軸がズレれば、それは別宇宙で……遥か未来にも、遥か過去にも繋がっている。

 

だからこそ、僕の死は……いつか、訪れる可能性がある未来、なのだろう。

 

不安がないと言えば嘘になる。

僕だって死にたくない。

 

だけど、スパイダーマンを辞めるつもりはない。

 

 

「帰りは……(ウェブ)スイングでもしよっか?」

 

「賛成。私、空中散歩デートしたい」

 

 

彼女を抱き抱える。

 

この重さ。

彼女の重さ。

 

命。

 

それを守れたのは、僕がヒーローとして活動していたからだ。

 

彼女だけじゃない。

僕は沢山の人を助けてきた。

親愛なる隣人、スパイダーマンとして。

 

だからこそ、辞めない。

辞められない。

 

僕が戦う事で誰かを助けられるのならば……怖くても、不安でも……戦える。

戦い続ける事が出来る。

 

 

「それじゃあ……帰ろうか?」

 

「うん」

 

 

決して後悔しないためにも、僕はこれからも親愛なる隣人であり続ける。

 

僕が僕であるために。

決して失ってはいけない、責任を抱えて……。

 

それに人生は、命は……いつまでも続く訳じゃない。

永遠じゃない。

 

だからこそ、後悔のないように。

もう二度と、後悔のないように。

これからも、後悔のないように。

 

僕は戦い続ける。

親愛なる隣人、スパイダーマンとして。

 

その責任と、覚悟が僕にはある。

……まぁ、それに一人じゃないからね。

 

 

「……ピーター?」

 

「ん?あ、ごめん……ちょっと、マスクだけかぶらせて」

 

 

一人で戦い続ければ、いつか自重で潰れてしまうかも知れない。

だけど、彼女となら……どこまでも飛んで行ける気がした。

 

互いに助け合える、僕と彼女は……チームだ。

人としても、ヒーローとしても……僕達はチームなんだ。

 

 

だから今は……それで良い。

未来が不安でも、死ぬ事が怖くても……それでも、今は幸せなのだから。

 

 

僕は彼女を抱き抱えたまま、(ウェブ)を放った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

瓦礫を蹴る。

荒廃した『F.E.A.S.T.』の跡地、そこから……一つ、ひび割れた木材のオブジェを手に取る。

 

 

「…………」

 

 

それを私は手に取り……砕いた。

中にあったのはUSBメモリ。

 

 

「……これがそうですか」

 

 

これにはミスター・ネガティヴ……彼が裏で行っていた稼業の情報が入っている。

 

それをコートの下に入れる。

これは重要なファクターだ。

 

これを手に入れるために……『マギア』へ嘘の情報を流した程に。

 

 

このUSBメモリ、そして情報……私が使っても大した結果は得られないだろう。

だが、この街を牛耳るギャングからすれば……喉から手が出るほど欲しいのだ。

 

取引相手を脅す事も出来るだろう。

同様の事業を持ちかける事も出来るだろう。

気に入らない相手に罪をなすり付ける事も出来るだろう。

 

 

そう、彼なら──

 

 

ウィルソン・フィスク……キングピンならば。

 

 

『マギア』と『デーモン』の衝突を激化させたのは、彼の仕業だ。

奴等は邪魔だったのだ。

 

ニューヨークの裏を支配する者は一人だけでいい……キングピンはそう考えていた。

 

だから、同時に……二つの組織にダメージを与えるために手を打った。

『デーモン』に『マギア』の情報を流し、『マギア』に『デーモン』の情報を流した。

 

戦力差のある組織が拮抗し、互いにダメージを受けるように。

 

結果、『デーモン』も『マギア』も半壊した。

 

だが、『マギア』は……ニューヨークだけが彼らの拠点ではない。

しかし、致命的なダメージを受けた。

一旦はニューヨークから離れるだろう。

 

残されたのは、彼らが持っていた資産(パイ)だ。

そして、そのパイを切るのは一人……キングピンのみ。

 

 

私は彼に依頼されて、『マギア』と『デーモン』の諜報活動を行っていた。

『S.H.I.E.L.D.』の奴等も組織を探っていたが……変装と潜入は私の方が遥かに上だ。

 

特に……変装においては、私以上の者は居ない。

 

コートに手を突っ込んで、廃墟から立ち上がる。

 

 

「ご苦労さまです」

 

 

私は現場に来ていた『ダメージ・コントロール』へフレンドリーに声をかけて、その場を離れる。

疑われる事もない。

 

路地裏へ、進む。

 

 

金属製の扉が私の顔を反射した。

髭の生えた強面の男が映っている。

 

 

窓ガラスが私の顔を反射した。

歳若い好青年が映っている。

 

 

水溜まりに私の顔が反射した。

年老いた男の姿が映っている、

 

 

これらの顔の持ち主は……全て、既に他界している。

私が殺した。

 

 

そして、ガラス片に私の顔が映った。

そこには……真っ白な肌のマネキンのような顔が映っていた。

毛もなく、鼻もなく、唇もない。

ただ、目と口は存在していた。

 

 

そう、これが私の真の姿だ。

 

 

人は私を畏怖し、『カメレオン』と呼ぶ。

 

 

路地裏を抜けて、隠し扉から拠点に入った。

私は手を顎に当てて、手元のタブレットを開く。

 

そして、少し考え事をする。

 

 

「しかし、『マギア』は死傷者なし……『デーモン』も、ですか」

 

 

タブレットにはスパイダーマンと呼ばれている、赤いマスクの写真が写っていた。

 

 

「想定外でしたが……まぁ、クライアントの最低条件は満たせましたね」

 

 

私はタブレットを閉じて、服の内側にしまう。

 

 

「しかし……邪魔をされたのは事実。鬱陶しい蜘蛛は『駆除』しなければ──

 

 

そして、私用のスマートフォンを手に取った。

宛先の一覧を開き『兄』の電話番号を開く。

 

 

「いえ『狩猟』しなければ、ね」

 

 

私は兄、『セルゲイ・クラヴィノフ』へ──

 

 

いや、『クレイヴン』へと電話をかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  TO BE CONTINUED…  

 

 

 

 

 



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#EX オリジン・オブ・スパイダーマン

浮遊感の中、微睡む意識の中、目覚めていく。

いや……違う、逆だ。

 

ゆっくりと深みへ沈んでいく。

 

夢の中へ……没頭していく。

まるで、そこに自分がいるような感覚。

 

 

気付けば、暗闇を抜けて、景色が目に映し出される。

 

 

 

……今見える景色が現実か、夢か。

僕には分かる。

 

これは夢だ。

俯瞰するような視点で、自分を見ているのだから。

 

そして……今見ている景色に、見覚えがあった。

ここは、ニューヨーク科学館だ。

 

そして、メガネをかけてる……まだ若い僕が居る。

これはミッドタウン高校に入学して、直ぐ……5年前の僕の姿だ。

 

まだ、『ただの』ピーター・パーカーだった頃の僕だ。

 

 

僕は放射線の照射装置を見て、心をときめかせている。

その日、稼働実験が行われたんだ。

 

実験が始まった時、その放射線照射装置に……一匹の蜘蛛が細い糸を垂らし、挟まっていた。

 

科学館のスタッフは気付かずに照射装置を起動して……蜘蛛は、放射線を浴びたんだ。

 

それは運命のイタズラだ。

決して必然ではなく、偶然の産物だった。

 

その蜘蛛は熱と光を発しながら……命が途切れる直前、最も近くにいた生物に噛み付いた。

それが──

 

 

「痛っ……」

 

 

僕、ピーター・パーカーだった。

強烈な頭痛と共に、僕は視界を回して……倒れた。

 

その時は気付いていなかったけど、放射線を浴びた蜘蛛が作り出した血清が……僕の血へ入り込んでいたんだ。

血を作り変え、身体を作り変え……僕の身体に未知のエネルギーが宿った。

 

そう、この時の出来事は運命だった。

偶然だったし、必然でもない。

 

だけど、定められた出来事(カノンイベント)だったんだ。

 

 

 

気を失った僕は、主催であるオズコープ社の職員に介抱されていた。

不始末かと不安がる社長のノーマン・オズボーンへ、大丈夫だと言い……その場を後にした。

 

本当は身体が弾け飛びそうなぐらい、未知のエネルギーが暴れていたんだけれど。

 

 

身体の変化に気を取られていた僕は、道路を走る車の接近に気付かなかった。

クラクションが鳴った瞬間、僕は全力で飛び退いた。

 

ドライバーは気付かなかったけれど、それは驚異的な跳躍力だった。

僕自身も驚いてしまう程に。

 

数メートルの距離を飛び退き、僕の片手は壁に張り付いていたんだ。

 

そう、まるで蜘蛛のように。

 

 

「え……何で……?」

 

 

ミシリ、と軋む音がした。

無意識のうちに力が込められてしまって、手に貼りついていた煉瓦の壁を壊してしまったんだ。

 

 

「うわっ!?」

 

 

そのまま地面に落下した。

数メートルの落下に、僕は骨を折って──

 

 

なんて事もなく、僕は無傷で地面に転がっていた。

 

 

僕は路地裏で、空を見上げながら……思ったんだ。

 

 

これは奇跡だ。

この力は僕に与えられた祝福なんだ。

何に使うか、どう使うべきか……僕が選んで良いんだ。

 

 

その日から僕は『ただの』ピーター・パーカーを辞める事にした。

 

 

自宅に帰ってきた僕を待っていたのは、心配するメイ叔母さんとベン叔父さんだった。

 

 

「ピーター、随分と服が汚れているが何かあったのか?」

 

「ううん、ちょっと転んだだけだよ。叔父さん。怪我だってないから大丈夫」

 

「それなら……まぁ、良いが」

 

 

僕には勿体ないぐらい良い人達だ。

実の息子じゃないのに……本当の子供のように心配してくれている。

 

ふと思った。

叔父さんと叔母さんに親孝行がしたいと。

 

何をすれば良いか……僕は、お金を稼ごうと思ったんだ。

叔父さんと叔母さんには、もっと良い暮らしをして欲しいと思った。

 

 

 

だから──

 

 

 

 

最初は純粋な気持ちだったんだ。

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

僕は賞金付きの地下プロレスに、覆面選手として参加した。

真っ赤なマスクに、蜘蛛をペイントしただけのフード付きのスウェット。

下は真っ青なジーパン。

 

リングネームは『スパイダーマン』。

蜘蛛の力を持つんだ、何の捻りもない名前だ。

 

勿論、誰も僕に敵いはしない。

プロ崩れのボクサーだって、筋肉質な半グレにだって負けなかった。

 

そこで大金を稼いで……叔父さんと叔母さんにプレゼントを送ったんだ。

 

メイ叔母さんは喜んでくれた。

ベン叔父さんも喜んでくれた。

 

だけど、ベン叔父さんは……ふと、何かに気付いたように、僕と二人っきりで買い物に出掛けて……帰りの途中、車の中で話しかけてきたんだ。

 

 

「話があるんだ」

 

「話?今じゃなきゃダメ?」

 

「あぁ、今だ。だってピーター、お前は……最近、家に居る事の方が少ないだろう?」

 

「……そう、かもね」

 

「あぁ、だからメイも不安がっていた。俺もだ」

 

「…………」

 

「かと思えば、急にプレゼントなんて用意してきた。アレは結構、値が張るだろうに」

 

 

思わず、僕は口を噤んだ。

そんな様子の僕に、ベン叔父さんは視線を向けてきた。

 

 

「なぁ……ピーター、何か隠している事はないか?」

 

「……何の事?さっぱり分からないよ」

 

 

僕はこの力の事を、二人に話すつもりは無かった。

巻き込みたくなかった、怖がられたくなかった……不気味だと思われたくなかった。

 

理由を取り繕ったって、本当は……ただ、僕は怖かったんだ。

今の生活を壊したくなかったから。

 

 

「……そうか」

 

 

僕の隠し事、それが何かを知ってはいないだろうけど……ベン叔父さんは悲しそうにしていた。

僕が隠し事をしている事実が、ただ悲しかったのだろう。

 

 

「叔父さん?」

 

「……いいか、ピーター」

 

 

ベン叔父さんが真っ直ぐ、僕に視線を向ける。

その目には強い意志を感じた。

 

 

「そうやって隠し事をするのは、悪い事ではない。俺にだってそんな時期があった。お前と同じような経験もした」

 

「……同じ、じゃないよ」

 

 

思わず溢れた言葉に、ベン叔父さんは……怒る訳ではなく、眉尻を下げた。

 

こんな力を手にしてしまった僕の気持ちを……真に理解は出来ないだろうと、そう思ってしまったんだ。

 

だけど、叔父さんは……それでも、僕に話しかけて来る。

 

 

「ピーター、将来を決めるのは、今の自分自身だ。何をするか、どう変わるかで……これから、どんな人間として生きるか決まる」

 

 

ベン叔父さんが僕の胸を指差した。

 

 

「どうやって金を稼いでいるかは聞かない。だが……何か、大きな力を得たのだろう。それは知恵か、アイデアか、人脈か……何か」

 

「…………」

 

 

もう、とっくに家に着いていた。

それなのに、僕も叔父さんも車から出ようとしない。

 

 

「だが、その力をどう使うかは、慎重に考えなければならない。俺やメイに言わないのは……何か、後ろめたいからだろう」

 

「それは……」

 

 

違う、とは言えない。

人を殴って金儲けしているなんて、叔父さんや叔母さんはきっと……良い顔をしない。

 

 

「良いか、忘れるな。大いなる力には大いなる責任が伴う。自分が相手より立場や、力が強いからと言って……殴って良い理由にはならないんだ」

 

「……叔父さんは──

 

 

僕は助手席に座りながら、下で手を組んだ。

 

 

「叔父さんが僕が犯罪者にでもなると思ってるの?」

 

「……違う、そうじゃない」

 

「それなら説教は辞めてよ。僕を信じてくれたって良いじゃないか……」

 

 

酷く、薄暗く、心は混沌としていた。

隠し事をしているのは僕なのに、叔父さんに疑われている事に耐えられなかったんだ。

 

 

「説教をするつもりじゃない。ただ、お前は俺の息子じゃないが、俺は──

 

「父親じゃないって言うのなら、父親面しないでよ……!」

 

 

……失言だった。

こんな事を言うつもりはなかった。

 

だけど、口にしてしまった言葉は取り戻せなくて……慌てて否定しようとして。

 

叔父さんの顔を見れば、酷く悲しそうな顔をしていた。

 

 

「……ごめんなさい、叔父さん」

 

「いや、いい……そうだな。そうだ、俺の方こそ悪かったな」

 

「違っ……」

 

 

腕時計が視界に入る。

 

……まずい、時間だ。

地下プロレスで有名になった僕は、今日、テレビ局に招待されていたんだ。

 

行かないと……でも、だけど……。

 

 

「……叔父さん、用事があるから」

 

「……あぁ、遅くなるのか?」

 

「……うん、晩御飯はいらないから」

 

 

そう言って、僕は車から降りた。

いや、逃げたんだ。

 

耐えられなくて、恥ずかしくて……逃げてしまった。

 

急いで家に入って、自室のリュックを手に取り……外へ出た。

 

叔父さんはまだ、車の中にいた。

……何か、考え事がしたくて、一人で居たかったのだろう。

 

視線を逸らして、見ないようにして……僕はその場を後にした。

 

 

 

 

 

それが、僕が見たベン叔父さんが……生きていた、最後の姿だった。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

テレビでの収録は、上手く行った。

みんなが僕を褒めてくれた。

僕の事を凄い奴だって。

 

だけど、心の奥底では……薄暗い感情が渦巻いていた。

不安や後悔……。

 

 

「……帰ったら、ベン叔父さんに謝ろう」

 

 

そうだ、貰ったお金で……叔父さんと叔母さんにケーキでも買って帰ろう。

そう考えれば、待ってられない。

 

もう夕方を過ぎたけれど、少し急げばケーキ屋も開いている筈だ。

急げば間に合う。

 

 

そう思っていると……少し離れた場所から、声が聞こえた。

 

 

「そいつは泥棒だ!捕まえてくれ!」

 

 

……僕はその男を見逃した。

だって、僕も忙しいし……関係なかったから。

 

 

 

 

 

 

そうして僕は……一生、後悔する選択をした。

身勝手なピーター・パーカーは、ベン叔父さんから言われていたのに……『大いなる責任』を果たさなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

叔父さんが死んだ。

 

 

僕が見逃した強盗に殺されてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

今でも、何度も夢に見る。

 

目の前を通り過ぎる強盗を。

知らぬ顔で見逃す僕を。

 

何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も何度も!

 

 

 

 

どれだけ人を助けても、どれだけ人に感謝されても、それでも消えない後悔。

 

僕の罪だ。

 

 

ベン叔父さんは死んでしまった。

謝る事は出来ない。

 

 

叔父さんは言っていた。

 

 

『将来を決めるのは今の自分自身だ。何をするか、どう変わるかで……これから、どんな人間として生きるか決まる』

 

 

あぁ、そうだよ。

 

あの時、僕は変われなかった。

変わらなかった。

 

だから、必死に……変えようと、変わろうと生きてきた。

 

 

沢山の人を助けた。

沢山の人を守った。

 

戦って、助けて、戦って。

 

身体をボロボロにしながら『大いなる責任』を果たし続けた。

 

ずっと。

 

 

ずっと。

 

 

 

 

ずっと。

 

 

 

 

 

 

 

ずっと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ずっと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ピート!」

 

 

降り頻る雨の中、ボヤける視界で……僕はあの時のように、空を見上げていた。

 

視界に……褐色の少年の顔が映り込む。

 

 

「ぐ、げほっ……ゴホッ……」

 

 

僕は血を吐いて、悶える。

肋が折れている。

身体が焼けるように熱い。

 

なのに、手足の先は酷く冷たく……動かない。

 

……明確に感じる『死』の気配。

もう限界が近いのだろうと、僕は察した。

 

 

「ピート、今すぐ救急車を呼ぶから……っ!」

 

「も、う……いい……もう、いいんだ……」

 

 

助からない。

もう分かっていた。

 

僕はこれから死ぬ。

死んでしまう。

 

……だから、死ぬ前に、幾つか……彼と話さなければならない事がある。

 

 

「彼女は……無事?」

 

「あ、あぁ……無事だよ、ピートのお陰で」

 

「そう、か……良かった……」

 

 

心残りが一つ、なくなる。

首を横に倒すと、燃え上がっている……幼い頃から過ごしてきた家が見える。

 

……少し悲しくなるけれど、叔母さんと彼女が無事なら……それでいい。

生きていれば、それでいい。

 

 

僕は……ボロボロになったマスクを脱いだ。

 

 

「……マイルス」

 

 

目の前の少年の名前を呼ぶ。

 

マイルス・モラレス。

 

僕の血を盗んだ研究者が作った、突然変異した蜘蛛に噛まれて……僕と同じ力を得た少年だ。

 

彼はスーパー・パワーを望んではいない。

普通の人間であろうとしている。

 

……僕は、その力をコントロールする術を教えていた。

だから、彼がスーパーヒーローになんかなりたくないと思ってるのは知っている。

 

だけど……目の前の、後悔するような目。

 

 

僕はそれをよく知っている。

叔父さんを助けられなかった、僕の目と同じだ。

 

 

彼は優しい。

だからこそ「自分なら助けられた筈だ」と考えている。

 

僕には分かる。

分かってしまった。

 

 

だから──

 

 

 

「……君の所為じゃない」

 

「でもっ……」

 

 

 

気にするな……なんて言っても、彼は気にするだろう。

……それなら、だとしたら、彼に必要なのは。

 

慰めではなく、責任なのだろう。

 

罪の意識を安らげるための、贖罪の方法なのだろう。

 

 

僕は……手に持っているマスクを、マイルスに押し付ける。

 

 

「ピート……?」

 

 

迷う。

 

……だけど。

 

 

「君が……僕の、代わりに……」

 

 

これは呪いだ。

祝福なんかじゃない。

 

彼を縛る呪いだ。

分かっている。

 

だけど、彼がこれから自らを許すためには必要な……呪いだ。

 

 

「君が『スパイダーマン』に、なるんだ」

 

「僕が……?」

 

 

僕は口の中に溜まっていた血を飲み込む。

……そして、頷く。

 

 

「君の今、感じている後悔……その後悔を、二度と、しないようにするために……」

 

 

マイルスが、僕の持っていたマスクを手に取った。

彼の目から涙がこぼれ落ちる。

 

 

「……マイルス、これだけは、覚えておくんだ。『大いなる力には、大いなる責任が伴う』って……」

 

「……うん」

 

 

彼が目元を拭う。

 

 

「……僕が、僕がピートの代わりに……この街を、守るよ」

 

 

その目は、もう怯えるような目じゃなかった。

自らの『大いなる力』、『大いなる責任』に向き合うヒーローの目だ。

 

僕は、微かに笑う。

あぁ、安心したんだ。

 

 

「……マスクをかぶれば、誰だってヒーローになれる。心に、強い意志さえあれば」

 

 

手に力が込められなくて、地面に落ちる。

息も苦しい。

 

もう、限界だ。

 

 

「あ、あぁ……」

 

 

取りこぼしてしまったような顔をして、マイルスが慌てる。

 

僕は苦笑しつつ、目を細める。

視界に薄暗いモヤがかかっていた。

 

少しずつ見えなくなっていく。

 

 

「……最後に、伝言、良いかな……」

 

「あ、あぁ!絶対、伝えるから……」

 

「僕の、恋人に……」

 

 

脳裏に、恋人の姿を思い出す。

 

 

「MJに……」

 

 

僕をいつも支えてくれていた、女性を。

 

 

「メリー・ジェーンへ……」

 

 

『赤毛』の愛しい、彼女のことを。

 

 

「……君は、僕にとって、『最高の宝物(ジャックポット)』だった……って……伝え……て……」

 

 

ざぁざぁと、雨が降る音が……鼓膜を叩く。

マイルスが何度も頷く姿が見える。

 

……良かった。

それだけで、僕は満足して……逝ける。

 

 

目を、閉じる。

 

 

声が遠くなっていく。

 

 

雨音も、遠く。

 

 

 

手放しに喜べる良い人生ではなかった。

だけど、悪い人生でもなかった。

 

沢山の人を助ける事が出来た。

助けられない事もあった。

 

だけど、折れずに……ずっと、人助けを続けられたのだから。

 

きっと、ベン叔父さんも……喜んでくれるだろう。

 

あぁ、そうだ。

僕もそっちに行ったら、あの時の事を謝ろう。

 

 

……あぁ、上手く行った。

何もかも、上手く行ったんだ。

 

愛すべき人を助けて死ねるのなら、それはきっと本望なんだ。

 

 

 

だけど……ごめん、MJ。

君を遺して逝く僕を、どうか……許さないで欲しい。

 

僕の身勝手を怒ってくれ。

それで……どうか、僕以外の誰かを愛して欲しい。

 

 

……しまったな。

これを遺言にすれば、きっと君は怒って愛想を……尽かしてくれたかな。

 

それは少し、心残りかな。

 

 

……死ぬ事は怖いよ。

だけど、後悔はないから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

少し、退屈な話になるかも知れないけど、MJ……聞いて欲しいんだ。

 

何度も同じ夢を見てるんだ。

 

ベン叔父さんが死んだ日の夢さ。

泥棒を見逃してしまった時のことを。

 

すごく、鮮明に……リアルに見るんだ。

まるで、その場にいるような夢だよ。

 

僕は、泥棒を止めようとして……それでも、身体が動かないんだ。

そして、いつも同じ結末になる。

 

だけど……心配しないで。

 

 

もう、違うんだ。

 

 

 

きっと、次は……。

 

 

 

僕は、きっと……。

 

 

 

 

良い、夢になるから……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

僕は布団を蹴って、上半身を立てた。

 

 

「……はぁっ……はぁ……!?」

 

 

息を荒げて、視線を落とす。

僕の素肌に汗が伝っている。

 

……夢を見ていた。

あまりにも、現実味を帯びた……僕が死んでしまう夢を見た。

 

最初は僕の過去と全く同じだった。

だけど、途中からズレていって……最後は──

 

 

「うっ……」

 

 

手で口を押さえる。

全身に感じていた痛みを思い出す。

死の間際の冷たさを思い出す。

 

……酷い気分だ。

何で、あんな……あんな夢を……!

 

 

「……んぅ……ピーター……?」

 

 

もぞもぞと、すぐ側で寝ていたミシェルが……僕の側に寄りかかった。

 

 

「……ミシェル」

 

 

彼女は寝ぼけた目を擦りながら、僕へ……口を開いた。

 

 

「……どうか、した?」

 

 

心配するような声色。

……僕は首を横に振った。

 

 

「……ううん、大丈夫だよ。ちょっと、怖い夢を見ただけ」

 

 

本当は大丈夫じゃない。

手は震えているし、心臓はまだ早鐘のように鳴り響いている。

 

 

「……ピーター」

 

 

ミシェルが僕に抱きつく。

柔らかな素肌が、僕に触れた。

 

彼女の熱を、鼓動を感じる。

 

 

「……大丈夫……ピーターは……私が……守るから……」

 

「ミシェル……」

 

 

……僕は恥じた。

彼女にそんな事を言わせてしまった僕の情けなさに。

 

……彼女が僕を守ると言うなら、僕も彼女を守るんだ。

僕と彼女は対等な、パートナーだから。

 

彼女を抱きしめ返す。

 

 

「……ミシェル、僕は──

 

「……ぐぅ、すぅ……」

 

「……ミシェル?」

 

「…………」

 

「……え?」

 

 

……寝ていた。

 

思わずちょっと笑って、僕は彼女をベッドに横たわらせた。

 

昨日は凄く忙しかったから……疲労で限界なのだろう。

仕方ない。

 

寧ろ、夜中に起こしてしまって申し訳ない。

 

 

……彼女の寝顔を見ていると、心の中にあった恐怖は無くなっていた。

髪を撫でて、僕も彼女の側で横たわる。

 

 

……さっき見た夢。

現実かと思えるほどに鮮明な夢だ。

 

ミシェルが話していた事を、スティーヴンが言っていた言葉を思い出す。

 

夢は、可能性の世界。

僅かな選択の差が生み出す無限の並行世界(マルチバース)だと。

 

それなら、先ほど見た夢は……僕の未来の一つだ。

 

……しかし、何故?

あんなにも鮮明な、並行世界(マルチバース)を夢に……?

 

視線をずらす。

恋人、ミシェルのあどけない寝顔が見えた。

 

彼女の目。

それは並行世界(マルチバース)すら見渡せる目だという。

 

 

 

 

 

それが僕の夢に影響を及ぼしたのだとしたら……?

 

 

 

 

 

 

だとしたら、何なんだ。

 

彼女を遠ざける事はしない。

こんな事で、彼女を怖がったりなんかしない。

 

……だけど、その力が……他人にも影響を及ぼしているのは危険だ。

彼女の目の封印が……薄れている証拠なのだから。

 

……スティーヴン、ドクター・ストレンジに相談するべきだろう。

彼は定期的に、彼女の『観測者(ウォッチャー)の目』に封印をかけ直している。

 

なのに、今……こんな、状況なら。

 

……封印が少しずつ、意味を成さない物になっているとしたら。

彼女の『目』が少しずつ力を強めているのだとしたら。

 

彼女の『目』が、この世界に危険を引き寄せるのだとしたら。

 

 

 

……何があっても、僕は彼女の味方だ。

 

 

 

例え、世界に危機を引き寄せる存在になってしまったとしても、僕がその危機を退ければ良い。

 

どんな事があっても、誰になんと言われたとしても……僕だけは彼女の味方であり続ける。

 

彼女の『親愛なる隣人』として、それだけは譲れない。

そう、僕は覚悟している。

 

 

 

例え、何があったとしても……僕は……彼女を守る。

 

 

 

華奢な彼女を抱きしめながら、僕は眠りについた。

 

 




次回は一ヶ月後ぐらいです。
たぶん。


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NIGHT-CAP:ANTHOLOGY
サイド・オブ・ショッカー


息抜きに投稿


オレの名前はハーマン・シュルツ。

元銀行強盗だ。

両手に衝撃波を発生させる手甲、『バイブロ・ショック・ガントレット』を装備している。

スーツも耐衝撃性……信用出来るダチの兄貴が作ったアーマースーツ製だ。

 

んで、歳は26……アラサーと呼ばれ始め……まぁ、それはどうでもいい。

 

人はオレを『ショッカー』と呼ぶ。

 

 

「ハーマン!早く瓦礫を退けてくれ!」

 

 

……まぁ、呼ばない奴もいる。

 

 

「うるせぇ、お前がやれ。お前が」

 

「俺は力仕事に不向きなんだ!」

 

「そのゴテゴテしたアーマーは飾りか?」

 

「俺はアイアンマンじゃない」

 

「……何だ?その言い訳は?意味わかんねぇ」

 

 

オレはガントレットのトリガーを起動し、ショックウェーブを放った。

瓦礫が吹っ飛び……羽根の生えたアーマー男が着陸した。

 

コイツは、『マッハ……『マッハ……えっと……『マッハ──

 

 

「なぁ」

 

「何?」

 

「お前、今のアーマーのバージョンは幾つだ?」

 

「7だよ。嬉しいな。興味を持ってくれるなんて」

 

「そうか、でも興味はねぇよ」

 

 

そうそう、コイツの名前は『マッハ(セヴン)』。

オレと同じく元ヴィランのクソ野郎だ。

 

元々は『ビートル』って名前で昆虫っぽい見た目をしてたらしいが、今はゴテゴテアーマークソ野郎だ。

 

コイツのことは、よーく知ってる。

昔、『ブーメラン』とつるんでた頃に一緒に仕事した事がある。

まぁ、そこはどうでもいい。

 

重要なのはコイツ、ヒーロー側に寝返って直ぐオレ達の情報を警察に話した事だ。

訊かれてもねぇのにペラペラ喋りやがって!

 

喋られた奴らから、復讐されねぇのかって?

出来ねぇんだよ。

 

だってコイツ、『サンダーボルツ』の所属のメンバーだぞ。

悪人から寝返ったクソ野郎集団『サンダーボルツ』……んな所に手を出したら面倒な事になるに決まってる。

 

……まぁ、オレも今、コイツと同じ『サンダーボルツ』のメンバーだが。

『マッハ7』の悪口を言えばオレに返ってくる。

オレは『ブーメラン』じゃねぇんだが。

 

 

……あー、で、だ。

今のオレの仕事ってのは──

 

 

「人命救助は完了。怪我人は……オイ、何人だ?」

 

 

手元のトランシーバーに連絡を入れる。

 

 

「3だ。いずれも軽傷だね」

 

「3人が軽傷。瓦礫も撤去した」

 

『了解した。帰投して構わない』

 

「……あいよ」

 

 

クソッタレの監督役に連絡を入れて、オレはため息を吐く。

誰かの下に付くのは好きじゃない。

自由じゃないからだ。

 

だが、オレもオレの命を守るために、こんな事をするしかない。

 

二年前、キングピンを裏切っちまった時、オレは裏社会のお尋ね者になりかけた。

……で、歳下のダチがオレを助けるために周りに頭を下げて、オレは晴れて『サンダーボルツ』の仲間入りだ。

 

情けねぇ話だ。

オレは自力で自分すら守れねぇ。

 

 

「よし、終わったな。帰ろう!」

 

「……てめぇは先に帰ってろ。俺はバイク停めてる所まで戻らなきゃなんねぇんだよ」

 

「む?そうか、すまないな。では、失礼!ハーマン!」

 

 

コイツ、少しは申し訳なさそうな顔をしろよ。

『マッハ7』が羽を広げて空を飛んでいった。

マッハって名前付いてるけど、マジでマッハで飛べるのか?

絶対誇張してるだろ。

 

しょーもない事を考えて、また、ため息を吐く。

 

名前と中身が合ってねぇのは、オレも同じか。

オレとアイツに大差はねぇ。

どっちかというと……オレが下なぐらいだ。

 

 

「オレは……ハーマンじゃなくて、ショッカーって言ってるだろうが」

 

 

瓦礫を蹴飛ばし、小さく声に出す。

公務員で人命救助を生業とし、自分の身を守るために長い物に巻かれてる。

 

それじゃあ『ショッカー』なんて名乗れるのだろうか。

 

……あー、ダメだな。

考えれば考えるほど、ネガティヴになっちまう。

 

ヒーロー活動、やっぱオレの性に合わねぇんだな。

オレは根っからの『クソ野郎』だ。

 

身に染みるドブのような臭いは、二年経っても消えはしなかった。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

他のクソ野郎共と別れて、自宅に帰宅した。

この仕事の給料は良い。

 

下手に銀行強盗するよりも安定してる。

 

あんまり好きな仕事じゃねぇが、そういう所は心地よく感じている。

だが、その心地良さを毛嫌いしてる自分も居る。

 

そんなこんなで結局、二年も仕事を続けている。

現状を変えられる勇気もなく、現状を受け入れられる素直さもない。

 

男の癖にナヨナヨしてる自覚はある。

需要がねぇのも分かってる。

 

だが、自己嫌悪は止められない。

 

 

「……こういう時はアルコールだ」

 

 

冷蔵庫からビール瓶を取り出す。

……つまみも欲しいな。

 

もう一度、冷蔵庫を漁る。

……何もねぇ。

 

机に置かれたキンキンに冷えたビール瓶を見る。

玄関のドアを見る。

時計を見る。

短針が6を指している。

 

 

「……チッ」

 

 

舌打ちを一つ。

ビール瓶を冷蔵庫に戻し、玄関へと向かう。

 

ちょいとダルいが買ってこよう。

折角のビールだ。

美味くなくても、つまみぐらいは欲しい。

 

帰ってきたばかりだってのに、オレはアパートを出た。

 

 

ニューヨークの街並みはオレンジ色に染まっていた。

コートのポケットに手を突っ込み、オレは足を進める。

 

近所の小さいマーケットで、何かを買おう。

そう思ったオレは……出鼻を挫かれた。

 

マーケットの入り口には臨時休業の文字。

店主の親戚が交通事故に巻き込まれたんだと……あー、つか、さっきオレと『マッハ7』が助けに行った現場か?

 

思わぬ所の繋がりに、オレは……笑えず、仏頂面で歯軋りをした。

 

この世はクソだ。

別のマーケットに行くにも、徒歩15分ぐらいかかる。

クソクソクソのクソ、クソクソだ。

 

 

「……ハァ、だりぃ……」

 

 

思わず、そう呟いて──

 

 

「ハーマン?」

 

 

声が聞こえた。

女の声だ。

 

……オレはそっちへ視線を向ける。

プラチナブロンドの髪に、コバルトブルーの眼を持つ少女……いや、もう少女って呼べるような年齢じゃないか。

 

 

「おう……奇遇だな」

 

「ん、奇遇」

 

 

ミシェル・ジェーン=ワトソン。

『レッドキャップ』……いや、今は『ナイトキャップ』か。

まぁ、オレのダチ……元悪人仲間で、今はヒーロー仲間だ。

 

昔は幼さを感じさせる見た目をしていたが、今は美人って感じ。

言っても、まだ19歳だったか?

オレからすれば、まだまだガキなんだが……。

 

 

「何か用事?」

 

「あ?まぁ……買い物に来たんだが──

 

 

オレが親指で店を指差すと……察したように頷いた。

 

 

「なるほど、何を買いに来たの?」

 

「あー、そりゃ……色々だよ」

 

 

酒飲みのために、つまみだけ買いに来た……なんて言葉は言えなかった。

なんかダサい感じがしたからだ。

 

彼女は少し気にするような素振りを見せたが……まぁ、頷いた。

相手の隠し事を暴こうとしないのが、悪人達の必須技能だ。

 

薮をつつけば死ぬ事だってある。

 

 

「んで?お前は何の用だ?」

 

「私は、晩御飯の材料を買いに」

 

 

その言葉に、オレは眉をピクリと動かした。

 

 

「『材料』ぉ?自分で作るのか?」

 

「む。最近は自炊もしてる」

 

 

なんつーか意外に感じる。

こう、コイツが料理をしているイメージがない。

 

目の前の女を見る。

 

人形みたいに整った顔立ちで、不思議そうに首を捻った。

……こう見ると、前に比べて表情が豊かになったな。

つか挙動がマジでガキっぽい。

 

 

「……何か失礼なこと、考えてる?」

 

「考えてねぇよ」

 

 

勘が鋭い。

オレはため息を吐く。

 

……ミシェルはそんなオレの仕草を見て、口を開いた。

 

 

「ここから歩いて15分ぐらいの場所に、『ウェンズデー』があるけど」

 

「あー……そうだな」

 

 

ウェンズデーは少し大きめのスーパーマーケットだ。

つまみを買う為だけに行くにしては……仰々しいが。

 

 

「私、今から行くから……付いてくる?」

 

「…………あー」

 

 

一緒に行くメリットはない。

オレはもっと小さい店に行けばいいし。

 

正直に言えば、各々別々の店に行けば良い。

 

だが、まぁ──

 

 

「いいぜ」

 

「……うん、じゃあ行こう」

 

 

踵を返したミシェルの側へ、移動する。

容姿端麗で綺麗な女と……反社会的な男。

落差があるもんだから、道行く人から視線が集まる。

 

好奇の視線が鬱陶しい。

気分は良くない。

 

だが、コイツは態々、オレを誘った。

だからまぁ、付いてっても良いか……なんて思った。

この選択にオレは後悔なんてしない。

 

 

 

 

 

 

 

そっから、別段深い会話をすることも無く……『ウェンズデー』で買い物をした。

 

 

 

 

 

 

 

ミシェルはトマト缶やひき肉、パスタを買っていた。

ミートソースのパスタでも作るつもりか?

 

……あぁ、そういや……昔、オレも作ってた事があったな。

両親が居なくなった後、妹のために作った事があったか……懐かしい思い出だ。

 

二度と、戻りはしない……思い出。

 

 

「ハーマン?」

 

「何だ?」

 

「何かあった?」

 

「……何もねぇよ」

 

 

センチになっていた。

なんて、口には決して出せない。

ダサいし、情けない。

 

ミシェルは少し不服そうにしながらも、頷いた。

 

オレはミシェルの持っていた荷物を奪い取り、先を歩く。

 

 

「で?今住んでるのはどこだ?」

 

 

女に付き添ってんだ。

荷物運びぐらいはしてやろうと思った。

目の前の女の方が力持ちだろうが……それはそれ、これはこれだ。

 

自分の手荷物はしょーもないジャーキーと、ナッツ類、炭酸水しかない。

荷物が多少増えても問題はねぇ。

 

 

「今は……マンハッタンの共同マンションに住んでる」

 

「……おう」

 

 

マンハッタンの……って言ったら、あそこか。

あの旧アベンジャーズ・マンションの……歳若い奴等が住んでる場所だ。

 

『S.H.I.E.L.D.』の所有物だな。

オレは入れないが……まぁ、入り口近くまでは持って行くか。

 

 

「でも、寄りたい場所がある」

 

 

寄り道?

それなら、マーケットで手荷物を増やす前に行くべきだったんじゃないか?

なんて思いつつも、悪態は口にしない。

 

代わりに質問を投げた。

 

 

「何処行く気だ?」

 

「ん、それよりも……ハーマンは夕食の予定ある?」

 

 

それよりも、って何だよ。

話の腰を折らないでくれ。

 

オレはため息を吐いて、首を横に振った。

 

 

「ねぇよ、予定なんて」

 

「……それだけで足りるの?」

 

 

ミシェルが、オレの買ったつまみの入ったビニール袋を指差した。

 

 

「まぁな」

 

「嘘。ハーマン、最近ちゃんとご飯食べてる?」

 

「腹が減ったらな」

 

「ちゃんと食べた方がいい」

 

 

コイツ、小せぇ癖に母親面か?

オレの方が歳上なんだが。

 

 

「分かった分かった……まぁ、何かテイクアウトして食えば良いんだろ?」

 

「…………」

 

「……何だよ?」

 

 

適当にあしらったオレを、コイツは訝しむような目で見た。

そして、頬を緩める。

 

 

「うん、だったら……私がご飯、作ってあげようか?」

 

 

……は?

オレは首を傾げる。

 

 

「何言ってんだ?」

 

「付き添ってくれたお礼も兼ねて、作ってあげる」

 

「何言ってんだ?」

 

 

全く同じ問い掛けを2回投げた。

言ってる意味が分からない訳じゃない。

どうして、そんな結論に達したのか理解不能だからだ。

 

 

「遠慮は良いから……それとも、私の手料理が食べたくない?」

 

「あーいや、そういう訳じゃねぇんだけど──

 

「じゃあ、決まり?」

 

 

……いや、決まりじゃねぇよ。

何かしら、来ない方が良い理由を探す。

 

 

「……お前、歳頃の女が、夜に男の家に来るのは不用心だろうが」

 

「大丈夫、私の方がハーマンより強いから」

 

「それは……まぁ、そう、だが」

 

 

確かに、見た目は虫も殺せなさそうな無害そうな女に見える。

だが、その実、近接格闘技能を修めてる。

単純な腕力もコイツの方が上だ。

 

ガントレットがあろうが、無かろうが……まぁ、襲いかかっても一瞬で捩じ伏せられそうだ。

肋の二、三本ぐらいなら容易く折られそうだな。

 

いや。

……襲うつもりはないが。

 

 

「……はぁ」

 

 

なんつーか意識してるのも馬鹿らしくなってきた。

無理に否定しても、諦めなさそうだし。

 

 

「……分かったよ。キッチンを貸してやる」

 

「ありがと……じゃあ、早く行こ?」

 

 

コイツはオレの家の場所を知ってる。

嬉しそうにオレの前を歩き始めた。

 

……また、オレはため息を吐いた。

 

 

「何でお前が感謝するんだ……礼はオレが言うべきだろうが」

 

 

小さく、言葉を漏らした。

 

言うならば、要らぬお節介だ。

オレが悩んでいるのだと見抜いて、そして少しでも助けになればと……そう思っているに違いない。

 

良い奴だからだ。

オレと違って。

 

だからオレの望まぬ行動だろうが、好意が根底にあるのなら……嬉しくない訳がないだろう。

……思わず自分の顎を撫でた。

 

オレも丸くなったな。

 

なんて……歳下の女を追いかけながら、そう思った。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

鼻歌交じりに、ミシェルがミートパスタを作っている。

フライパンに買ってきたトマトペーストや挽肉、玉ねぎなんかを突っ込んで炒めている。

 

良く言えば、手慣れた様子。

悪く言えば、雑だな。

 

炒める順も適当だし、調味料の分量も適当だ。

味見もしていないが、それだけ自信があるって事か?

ちょいと見てねぇ内に、料理に慣れてんだなって……ちょっと感慨深くなる。

 

……しかし、二人前の材料がよく揃って──

いや、元からオレに手料理を振る舞うつもりだったのか。

 

それとも──

 

 

「普段から二人前作ってんのか?」

 

「まぁ、ね」

 

 

……偶々、オレが食うハメになったのか。

つーか……じゃあ相手は誰だ?

誰に食わせるつもりだったんだ?

 

顎に手を当てて、少し悩む。

訊くべきか、訊かないべきか──

 

 

「彼氏に作ってる。でも今日は急用が出来ちゃったらしいから」

 

 

と、オレの悩みを他所に爆弾を投下しやがった。

 

 

「……あ?彼氏ぃ?」

 

 

思わず聞き直してしまった。

 

彼氏?

コイツに彼氏?

世間一般の常識もなさそうなコイツに?

 

……ツラだけは良いから騙されてんのか?

それとも──

 

 

「大丈夫、ハーマン」

 

 

そう言いながら、ミシェルがフライパンの中身を混ぜた。

 

 

「何がだよ」

 

「心配するような事はないから……ちゃんと、優しい人」

 

 

そう言われて、オレは……自分がコイツを心配しているんだと、気付かされた。

目を細めて、腕を組み……ソファに深く座り込む。

 

 

「……お前がどんな恋人を作ろうが、乳繰り合おうがオレには関係ないだろ」

 

「ち、乳繰り合う……」

 

 

しまった、失言だ。

つか、セクハラだ。

 

汗を流しながら、無理矢理、言葉を重ねる。

 

 

「ま、まぁ……でもよ、彼氏がいるなら尚更、オレの家に来てよかったのか?」

 

「……ん?何が?」

 

「他の男の部屋に恋人が行ってるなんて、浮気疑われるしダメだろ」

 

 

そう言うと、ミシェルが苦笑した。

 

 

「そういうつもりはないけど……」

 

「彼氏クンから見たら、そう見えるだろって話だ。色恋絡んだ人間の嫉妬は舐めねぇ方が良い」

 

 

実際、色恋沙汰で人間関係が崩壊する悪人チームは多い。

元々、碌でもない奴らの集まりだから……ってのもあるだろうが。

 

 

「大丈夫。私の彼氏は優しいから」

 

「……まぁ、お前とその彼氏が良いなら、良いけど……変な事にオレを巻き込みさえしなければ」

 

 

オレはため息を吐く。

 

しかし、コイツに恋人か。

……死んだ兄貴はどう思うだろうか。

 

ブチギレんのかな。

それとも、応援するのか。

 

……この笑顔の多さが、自然さが、その彼氏の影響なのだとしたら……実際、良い奴なんだろう。

オレみたいなクソ野郎とは違う、正真正銘の善人なのだろう。

 

なら『ティンカラー』も喜んでくれるだろう。

アイツは、ミシェルの幸せを望んでいた。

自身の意思とは関係なく、幸せならば……それだけで、両手を振って喜ぶような奴だ。

多分、最初はキレるだろうが。

 

……まぁ、ちょっと世間からズレてる女だ。

いや、かなり世間からズレてるか。

 

そんな変な女と一緒に居られるのなら、相当……好きなんだろうな。

 

オレが口出しするべきじゃない、その関係性には。

 

 

「ん、出来た」

 

 

湯掻いたパスタを二つの皿に分けて、作ったミートソースをかけた。

そして、オレの前と……向かいの席に置いた。

 

 

「熱いうちに食べて」

 

「そうだな」

 

 

フォークでミートソースを絡めて、口に含む。

 

ちょっと、塩っぽかった。

胡椒が効いてなかった。

玉ねぎがちょっと生っぽい。

 

……まぁ、言うなら、そんなに美味くはなかった。

 

 

いや、料理が『上手くない』ってのが本音か。

だが、まぁ──

 

 

「美味しい?」

 

「そこそこだな」

 

 

食えない訳じゃない。

寧ろ、懐かしい気持ちにさせてくれた。

 

ずっと、ずっと昔の……ボロいアパートの一室の、妹と食ったパスタを思い出した。

オレも料理が下手だったな。

 

こんな、ケチを付けようと思えばいくらでも付けられる、そんなパスタを作った。

オレの妹はそれを食って……それでも嬉しそうに笑ってたんだ。

 

 

「……あー、そうか」

 

 

アレは別に、妹が何でも美味く食えるようなバカ舌だった訳じゃない。

誰かが自分の為を思って作ってくれた飯は……上手くなくても、美味く感じるのだ。

 

そういう事だったのか。

今更、気付いた。

 

 

「……ハーマン?」

 

 

フォークを持つ手を止めたオレを、ミシェルが訝しむ。

 

 

「いや、何でもねぇよ」

 

 

味付けも、火の通しも三流だ。

目の前の、作った張本人も気付いているだろう。

だが、オレは文句を言わず口に運んだ。

 

胸の奥が熱くなる。

それは料理が熱いからか、それとも……想いからか。

 

きっと後者だ。

この料理からは……無償の献身を感じられる。

それは最高のスパイスだろう。

 

思わず、感謝の言葉が漏れる。

 

 

「……ありがとよ」

 

「……あれ?悩みの相談は、その……食後にするつもりに……」

 

 

ミシェルがオレを見て、不思議そうな顔をする。

……自分でも気付かぬ内に、悩みが消えたのだろう。

それが顔に出ていたのか。

 

 

「あ?悩みなんてねぇよ」

 

「でも……さっきまで、ずっと眉間に皺が寄ってた」

 

「気の所為だ」

 

 

オレはクソ野郎だ。

誰かを、何かを踏み躙って生きてきた。

だが、誰かのために物事を為すのも……まぁ、悪くはないか。

 

気付いていた。

他人のために努力する事は馬鹿らしいと……そう考えてたのは、オレの中にある虚勢だったのだと。

 

そうしなければ、誰にも助けられず、死んでいった奴らが……報われない気がしたからだ。

だが、まぁ……オレが救う側ってのも悪くはない。

 

このままで良いのか、なんて悩んでいるのが急激にアホらしく思えてきた。

このままで良いかって?

良いに決まってるだろ。

 

分かっていたのに、悩んでるつもりでいた。

誰かに否定されたかったのか、肯定されたかったのか。

 

 

……他人に責任を委ねたかった。

だが、それは逃げだ。

 

 

パスタを巻き取る。

オレの根元がクソ野郎であること、それは認めよう。

だからといって、そのクソ野郎であることをアイデンティティーにしなくて良い。

 

 

オレはオレだ。

 

 

元々、何でオレは『ショッカー』だったのか。

何を『壊したかった』のか。

 

オレは、クソったれな世界を壊したかった。

それは助けを必要としていた家族が、世間から見捨てられたからだ。

 

こんな世界は間違っていると、全部ぶっ壊したくなった。

 

そこにはあったのは単純な悪意か?

いいや、元を正せば……助けられなかった奴らを助けたかったという未練だ。

大金が欲しかったのも……あの時、あればという未練か。

 

だから、元を辿れば……オレの本質に合致している。

意地を張って、小さなプライドで反骨精神を育てる必要はない。

 

 

それなら、オレは『ショッカー』のまま、誰かを助ける仕事だって……続けていられるだろう。

 

 

目の前で、ミートソースに口元を汚す女を見ながら……そう思った。

人は変わったとしても、本質を違えないのだと教えてくれる。

 

……いや、口元汚し過ぎだろ。

 

オレはため息を吐いて、ウェットティッシュを顔に押し付ける。

 

 

「ん、うぐ……じ、自分で拭ける……!」

 

 

そう言って、オレの持つウェットティッシュを引ったくり、口元を拭き始めた。

……やっぱりコイツ、オレの妹には似てねぇな。

なんて、考えながら。

 



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ホリデー・スペシャル

雪が降る中、私はコートを着て少し小走りで歩いていた。

足音は微かにリズムを奏でて、乾いた冷たい空気の中で響く。

ガサガサと手持ちのビニール袋が揺れる。

 

ここはニューヨーク、クイーンズ。

時は早朝、冬。

 

目的地は……そう、このボロアパートだ。

一階の小さなポストが並ぶ中、『ピーター・パーカー』の名前が書かれたポストを覗く。

 

手慣れた手つきで番号鍵を開けて、手紙を回収する。

脇に抱えて、階段を登る。

 

少し古びた廊下を歩く。

 

……ここも空き部屋が増えたな。

目的地の部屋、その両隣は空き部屋になっていた。

 

深呼吸、一つ。

息と喉を整えて、チャイムを鳴らす。

 

少し、ほんの少し待てば……ガチャリ、とドアが開いた。

 

 

「おはよう、ミシェル」

 

「ん、おはよう」

 

 

そこには私の恋人であるピーターの姿があった。

そのまま寒いからと部屋に入り、コートを脱ぐ。

 

 

「預かるよ」

 

「ありがと……これ冷蔵庫に入れてもいい?」

 

「勿論」

 

 

ピーターにコートを預けて、ビニール袋を持ったまま冷蔵庫の側に寄る。

そして、ビニール袋を開く。

 

人参、ジャガイモ、玉ねぎ……他にも色々。

それらを掻き分けて、飲み物等を冷蔵庫に入れる。

 

 

「じゃあ、キッチン借りるから」

 

「うん。僕に何か手伝う事、何かあるかな?」

 

 

私は野菜をキッチンの下に置いて、エプロンを付ける。

……今から行うのは夕食の準備だ。

私が全て行おうと思っていたが、確かに……ピーターなら、手伝いたいと思うだろう。

 

彼は誰かの役に立ちたがり……お人好しなのだ。

 

私は人参と皮剥き器をピーターに渡した。

 

 

「ん……なら、皮剥き。お願いしていい?」

 

「勿論、任せてよ」

 

 

ピーターに皮剥きを任せている間に、ジャガイモを皮を剥きながら寸断する。

包丁……というか、刃物の扱いは得意だ。

曲芸じみた動作でジャガイモを処理し、玉ねぎも処理する。

 

予め解凍しておいた肉を断ち切り──

 

 

「ミシェル、終わったよ……って」

 

「ありがと。そこに置いておいて」

 

「あ、うん……他全部終わっちゃった?」

 

「終わったけど?」

 

 

ピーターが少し目を丸くしていた。

彼が人参の皮を剥いている間にアレコレ終わらせていたからだろう。

 

まぁ、手際良く処理しているが……私は別に料理が得意な訳ではない。

得意なのは刃物の扱いだけだ。

人生の大半を刃物を弄り回して生きていたのだから、まぁ当然。

 

鍋に油を薄くひいて、切った野菜を入れる。

 

その様子をピーターが覗き込んだ。

そして、直後に私と目が合った。

 

 

「……ごめん、邪魔しちゃってるかな?」

 

「大丈夫。共同作業って楽しいから」

 

 

二人並んで、時折ピーターに作業を指示しながら進める。

 

鍋に水を入れて、灰汁を取って。

牛肉を入れて、更に煮込んで。

市販のトマト缶を入れて。

 

煮込みながら、別の料理の準備をする。

鶏肉を捌いて、塩、胡椒、コンソメで味付けする。

ピーターにも色々と用意をして貰いつつ……後は焼くだけ、という状態にした。

 

 

その頃には鍋もよく煮詰まってきた。

少し味見をして、水を少し足して、鍋に蓋をする。

 

 

「……よし。一旦はこれぐらいで良いかな」

 

 

下味を付けた鶏肉を冷蔵庫に戻して、エプロンを脱ぐ。

冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターを飲みながら、椅子に腰を下ろす。

 

 

「ミシェル、少し休憩しよっか」

 

「ん……そうする」

 

 

私はソファに移って、姿勢を崩す。

テレビを付ければ……ジングルの音。

 

今日は少し特別な日(ホリデー)

12月24日、クリスマスイヴだ。

だから、夕食は特別。

準備をしてから、外出する事になっていたのだ。

 

ちなみに夕食会をしようと言ったのは私だ。

今年一年、私は料理の腕を磨いていた。

その成果をピーターに見せたかったのだ。

……あと、夕食の時、他の人の目を気にせずこう、恋人らしい一時を過ごしたかったからだ。

 

クリスマスの特番を見つつ、ピーターに寄りかかる。

鬱陶しいだろうに、文句の一つも出ない。

その様子に私は気分をよくする。

 

チャンネルを弄ると……デイリービューグルはいつも通りだ。

あ、いや、JJJ(ジェイムソン)がサンタらしき格好をしている。

でも、ニュース内容はいつも通り。

マスク姿のヒーローに怒声を飛ばしまくっている。

 

……まぁ、ピーターは見たくないだろう。

気にしないフリをしてチャンネルを変えた。

 

少しして、私は時計を見た。

短針は11を指し示している。

 

視線をズラして、ピーターを見る。

私の頭はピーターの肩に乗っていたから、自然と見上げるような形になった。

 

 

「……そろそろ出る?」

 

「うん?そうだね、出ようか」

 

 

鍋を冷蔵庫に入れて、コートを羽織る。

ピーターも防寒着を身に付けて、一緒に部屋を出た。

 

 

 

……私はコートにマフラー、手袋もしている。

別に、超人である私は防寒具なんか着なくても死にはしない。

死にはしないが……寒いのは寒い。

 

私とピーターは廊下を歩きながら、外の景色を見る。

 

粉のように小さな雪が、ゆっくりと空から落ちてくる。

 

 

「あ、雪降ってたんだ。どうりで寒いと……ミシェル、今朝は大丈夫だった?」

 

「ん、全然?あまり降ってなかったし」

 

「そっか、なら良かった」

 

 

頬を赤らめてピーターが笑った。

照れからくるものか、寒さからか。

どちらもか。

 

その仕草に少し胸を高鳴らせて、私は手袋を片方外した。

外した手袋はポケットに……しかし、これほど寒いのに、片方だけ取る必要はあるのだろうか?

それも片方だけ。

 

答えは、ある。

 

まぁ、気付いてくれるかは分からないけれど──

 

ピーターが私の手を握った。

手袋を付けていない方の、素手を握ったのだ。

暖かくて少し硬い、私より一回り大きな手に包み込まれる。

 

彼に視線を向けると、少し逸らした。

 

 

「……ピーター」

 

「な、何かな?」

 

「女心が分かるようになったね」

 

「え、そうかな?」

 

 

ちゃんと本心から褒めている。

昔はグウェンが怒っていたが、今のピーターのエスコート能力は相当なものとなっていた。

私が鍛えたからだ。

……ふふ、鼻が高い。

 

 

「ふふん」

 

「……どうしたの、ミシェル?」

 

 

おっと、自慢げな鼻音が聞こえていたようだ。

 

 

「なんでもない」

 

「……そ、そっか」

 

「そうだから」

 

 

二人、手を繋ぎながら馬鹿をしつつ……階段を降りた。

 

そして、ニューヨークの街を歩く。

小さな雪は、地面に触れた瞬間に溶けて積もっていない。

 

それでも、街はどこか白色になっていた。

ホワイトクリスマス、という奴だ。

 

……心なしか、外を出歩いている人がいつもより多い。

ホリデーだからか。

 

ピーターは私と世間話を重ねる。

 

 

「他の皆は今日、どうしてるんだろう……ミシェルは何か知ってる?」

 

「ハリーはオズコープ社のクリスマスパーティ。でも、グウェンの面倒を見なきゃいけないからって……逆にグウェンが押し掛けて二人で参加してる」

 

「へー……でも、えっと……あの二人って付き合ってるのかな……?」

 

「……ん、微妙な距離感。早く付き合えば良いのに」

 

「……そ、ソウダネ?」

 

「ん?どうしてピーターがそんな顔するの?」

 

「い、いやぁ……何だか人ごとじゃない気がしてね」

 

「変なの。ピーターはちゃんと私と付き合ってるのに」

 

「……覚えてないかも知れないけど、紆余曲折あったんだよ」

 

 

私は首を傾げた。

まだ、世間話は続く。

 

ピーターが苦笑しながら、話題を逸らす。

 

 

「じゃあ、ネッドは?」

 

「ん。本人は何も言ってなかった。でも、グウェンが邪推してた」

 

「邪推?」

 

「ネッドに恋人が出来たんだ〜って」

 

「え?それ本当?グウェンがまた適当な事を言ってる可能性は?」

 

「……ん。だから私も、その情報は半信半疑」

 

「だよね……というか、ネッドってさ、今女性と出会える場面もないだろうし──

 

「マッチングアプリ?」

 

「いや、それこそないよ」

 

「でも、私の知り合いの弁護士も、マッチングアプリで恋人作ろうとしてた」

 

「……そんな弁護士、いるんだ……」

 

 

話題を二転三転させながら、喫茶店に入る。

よくデートで来ている喫茶店だけど、今日はプラスチック製のクリスマスツリーが飾られていた。

 

昼食を二人で食べて、喫茶店を出る。

ドリンクで頼んだホットココアがすごく美味しかった。

 

ちなみにピーターが支払った。

私が支払おうと思っていたけれど、今日の晩御飯の用意や支払いをしている事を指摘された。

ので、払ってもらった。

 

ピーターは大学生で、私は『S.H.I.E.L.D.』のエージェント……つまり社会人だ。

社会人である私が、学生であるピーターに奢らせるのは情けない。

何だか申し訳ない気がするのだ。

 

 

「……くっ」

 

 

小さく拳を握って、喫茶店を出る。

 

 

「……どうしたの、ミシェル?」

 

「何でもない」

 

 

昼食タイムは終了した。

これからは、お散歩タイムの始まりだ。

 

 

「あ、雪が肩に乗って白くなってるよ」

 

「え?……確かに。ホワイトクリスマスって、響きはいいけど……雪、鬱陶しいかも」

 

 

私が肩の雪を払うと、ピーターが苦笑した。

 

 

「確かにそうかも……でも僕は雪、好きかな」

 

「どうして?」

 

「どうしてって……何となく?特別な感じがしない?」

 

 

お散歩タイムではなく、雑談タイムかも知れない。

 

 

「じゃあ、ピーター。雨は?」

 

「雨は……嫌いかな。あんまり良い思い出がないし」

 

「そっか」

 

 

内容がない会話だ。

だが、私からすれば楽しい会話だ。

 

サンタの格好をした大道芸人を横見しつつ、メインストリートを通り過ぎる。

 

 

 

バス停で少し待ち、ニューヨーク市内を走っているバスに乗る。

ホリデー仕様の特別線だ。

 

窓際に座らせて貰った私はクリスマスに浮かれる街の様子を見る。

 

信号が赤くなり、止まる。

 

目線を下げると歩道では、子供連れの夫妻が歩いていた。

子供の手にはヒーローの人形……アイアンマンの硬いぬいぐるみ。

 

そんな子供と視線が合う。

……私がバスの中から小さく手を振ると、それに合わせて子供も手を振った。

 

クイーンズから離れて、マンハッタンへ。

 

バスから降りれば、喧騒が響く。

 

同じニューヨーク市内だが、マンハッタンは少し毛色が違う。

劇場から流れてくるミュージカルが耳に入る。

 

ピーターが背伸びしながら、息を深く吐いた。

その息は寒さで白くなっている。

 

 

「……うーん、久々に来たかも。マンハッタンに」

 

「そう?」

 

「うん、最後に来たのは……あ、3日前に来てた。ごめん、忘れてた」

 

「……ちなみに、どうして?」

 

 

訊くとピーターが少し周りを伺い、小声になった。

 

 

「ほら、3日前、ビルの地下が急に爆発したよね?ニュースでもやってた話だし……それで、ちょっとね」

 

「ん、そっか。そういう事?」

 

「うん、そういう事。だからね……ほら、ピーター・パーカーとして、じゃないから」

 

 

つまり、そういう事(スパイダーマン)として、だ。

彼はニューヨーク全域で人助けをしている。

クイーンズの中では収まりきっていない。

マンハッタンにだって来る事もあるだろう。

 

 

「……でもビルの地下が爆発、『S.H.I.E.L.D.』には救援要請来てなかった筈だけど、何か大事だった?」

 

「うーん、大事ではないかな。金持ちの闇オークション会場があってね、そこが爆発しただけだから。怪我人は出ていたけど、重傷者は居なかったみたいだし」

 

「……ふーん?」

 

 

何が爆発したのだろうか。

闇オークション、という事は銃火器の可能性か。

何らかの発火が原因で爆弾が点火したのか?

だとしたら、ニューヨーク市内に武装したギャング、もしくはテロリストが──

 

 

「む、いけない」

 

 

自分の頬を抓って、思考を中断する。

 

 

「え?どうしたの、ミシェル?」

 

「せっかくの休みなのに、仕事の話を考えそうになったから」

 

「あー……そっか、ごめん。変な話を振っちゃって」

 

「いい。ピーターの人助けに熱心な所、私は好きだから」

 

 

好意を口にすると、ピーターは照れたようで視線が泳いだ。

 

 

「す……好き、か。僕もミシェルの事が好き、だよ?」

 

「ん、知ってる。ありがと」

 

 

握ってる手を強めに握り、少し持ち上げる。

繋いでいる手に意識が向いたのか、またピーターが照れた。

 

マンハッタンを歩き、巨大な公園に入る。

ここはセントラルパークだ。

 

クリスマス用の装飾、巨大なツリーが並ぶ。

まだ陽は落ちていないのに、電飾が煌めいている。

 

私は感心して、息を吐いた。

 

 

「綺麗」

 

「そうだね。来た甲斐があったかな」

 

「うん」

 

 

手を繋ぎながら歩く。

微かに雪が乗ったクリスマスツリーは、白と緑、電飾のコントラストで美術品のようになっていた。

 

一つ、一つ、木々を見ていく。

赤、緑、金色の電飾が並ぶ。

 

 

「ふふ……」

 

「……どうかした?」

 

「ピーター、これって凄く恋人らしいデートじゃない?」

 

「あ、うん。確かに……凄く恋人っぽいよね」

 

「ね、普段よりも」

 

 

なんてバカな話をする。

恋人らしいとか、ぽい、とか……私とピーターは恋人なのだが。

 

まぁ。

ピーターも私も根っこがナードなのだ。

普段のデートは実用品の買い物や、博物館や美術館デート……みたいな。

こういう世間一般的なデートスポットにはあまり行かない。

 

だが、今日は特別だ。

だって特別な日(ホリデー)なのだから。

私は……いや、私達は浮かれている。

 

 

「でも、ミシェルがちゃんと楽しんでくれてるみたいで僕も嬉しいな」

 

「ん、まぁね……ピーターが突然、『クリスマスは一緒にセントラルパークに行こう!』なんて言い出した時はビックリしたけど」

 

「うっ……やっぱり、らしくなかったかな?」

 

「らしくはなかった。でも、悪くはない。だから──

 

 

マフラーを下げて、口元をピーターに見せる。

ここ数年で得意になった笑顔を浮かべる。

 

 

「ありがとう、ピーター」

 

 

精一杯の感謝を伝える。

目を細めて、口角を上げて。

 

 

「ピーターとこうして、色々な知らないモノを見られるのは凄く嬉しい」

 

 

マフラーから指を離して、戻す。

ピーターは嬉しそうな恥ずかしそうな顔をして、小さく笑った。

 

 

「うん……僕もミシェルと色々な場所に行くのは楽しいから。僕の方こそ、ありがとう」

 

「いや、私の方が感謝してる」

 

「いやいや、僕の方が──

 

「いや。絶対、私の方が感謝してる」

 

 

まるで楽しい思い出の無かった白黒の日々に、鮮やかな色を付けてくれたのは彼だ。

精一杯の感謝を伝えたくて──

 

 

「……ミシェル、もうやめよっか。何だか凄くバカップルっぽいから」

 

 

目を瞬く。

……う、確かにベンチに座ってる老人カップルの、私達を見る目が生暖かい。

 

 

「……くっ、場の空気に流された。恐るべし、セントラルパーク……」

 

「あー、いや……普段から、ミシェルはそんな言動な気がするけど……」

 

「何か言った?」

 

「……な、何も言ってないよ?」

 

 

ピーターと肩を寄せ合いながらセントラルパーク内を歩く。

煌びやかな電飾を目にしながら、大道芸人を見たり……浮かれる人々を見て。

 

そうして二時間が経過した。

 

巡る景色、光のアーチ、繰り返される明滅に──

 

 

「ん……飽きた」

 

 

ついに私は、身も蓋もない言葉を発した。

 

 

「は、はは……まぁ、確かに。イルミネーションを見てるだけだと、どうしてもね……」

 

 

ピーターもどうやら飽きていたみたいだ。

しかし、私が楽しんでいると思っていたからか、言い出せなかったようで。

言って、結果オーライか。

 

しかして、私は人溜まりを指差した。

 

 

「ピーター、あそこ行こう」

 

「……スケートリンク?」

 

 

そう、私が指差した先にあったのはスケートリンクだ。

セントラルパークには二つの大きなスケートリンクがあり、アイススケートをしている人も多い。

 

 

「どうせなら滑ってみたい。映画にもよく出てくるし」

 

「……う、うん。僕、滑った事ないけど」

 

「……怖い?」

 

「ちょっとね」

 

「高層ビルのガラスに張り付いてる癖に」

 

「は、はは……それとこれは別だよ、もう」

 

 

腰のひけてるピーターを引っ張って、受付でお金を支払う。

スケート靴も借りたから少し高く付いたが……まぁ、私が全額払うし良いだろう。

 

お金はこういう時に使うべきなのだ。

経験は何事にも代え難い。

 

スケートリンクの縁を掴んで、生まれたての子鹿のように震えるピーターを見ながら、そう思った。

 

 

「ミ、ミミ、ミシェル……こ、これ……」

 

「大丈夫、大丈夫。ほら、簡単だから」

 

 

私はピーターの前で、左右に揺れたり、回転したりする。

エッジが少しだけ積もっている雪を巻き上げて、まるで演出のように私の姿を輝かせる。

 

……ちょっと調子に乗りすぎたか。

隣のカップルの男性側が口笛を吹いて、女性にヘッドロックをされていた。

 

ピーターに視線を戻すと頬を染めて……でもやっぱり、生まれたての子鹿だった。

 

 

「ミシェルって、アイススケート経験者だったりする……?」

 

「え?ううん、特にやった事ないけど」

 

「え、えぇ……?」

 

 

私のバランス感覚が優れているだけだ。

近接格闘で狭い場所で戦ったり、ロープの上で立ったり……不安定な所で飛んだり跳ねたりしてるし。

氷の上で、エッジがついた靴を履いて踊るだけ……ならば何とでもなる。

 

そういう意味ではピーターもバランス感覚は良い筈だ。

慣れれば簡単に滑る事が出来るだろう。

 

 

「ほら、ピーター。転けそうになったら助けてあげるから」

 

「う、うん……」

 

 

よろよろとスケートリンクの縁から離れて、彷徨うに──

 

 

「あっ」

 

 

このままだと転ける。

私は即座にピーターの正面まで滑り、ピーターを抱きしめて支える。

 

ぐにっ。

 

……ピーターの腕の感触がした。

私の胸に肘が触れている。

 

 

「ご、ごめん!わざとじゃないから……!」

 

 

ピーターは慌てるも、足場が不安定で動けない。

身体は密着したままだ。

 

その様子が面白くて少し笑える。

 

 

「知ってる。大丈夫……別にわざとでも怒らないし」

 

 

そのままピーターの腕を引っ張って、滑らせる。

前に、横へ……スケートリンクの上で引っ張る。

 

 

「わ、ちょっ──

 

 

まるでダンスを踊るように、ピーターを振り回す。

 

 

「ま、待っ──

 

 

ピーターの片足を軸にさせて、踊るように雪を払った。

 

 

 

「待って、ミシェル!」

 

「ん、いいよ」

 

 

そして手を離せば……ピーターはスケートリンクの上で自立していた。

 

 

「……あ、あれ?」

 

「ふふ」

 

 

ピーターには素養があった。

普段から小さな場所、短い幅に立っているのだからバランス感覚はある。

だから、それを無理矢理に自覚させたのだ。

 

 

「……それじゃあ、ピーター。ゆっくり、一緒に滑ろっか」

 

「う、うん……?」

 

 

 

困ったような顔をしたピーターの手を取り、優しく引っ張った。

 

 

 

そうして、こうして。

 

 

 

陽が落ちてくるまでスケートリンクの上で一緒に滑った。

最後の方はピーターも慣れてきていて、最初のように震えるような事もなかった。

 

気ままにゆっくりと滑った。

 

私達はレンタルのスケート靴を返し、荷物を回収する。

 

 

「楽しかったね、ピーター」

 

「うん……最初はどうなるかと思ってたけど。急に引っ張るから……」

 

「む、心配性?」

 

「いや、現実的な意見だと思うよ」

 

「ふふ、私の尊敬する人が言ってた。『時には歩く前に走る事が必要だ』って」

 

「……それって誰の言葉?」

 

アイアンマン(トニー・スターク)

 

「……だろうね。凄く言いそう」

 

 

少し暗くなりつつあるセントラルパークを出る。

夜のイルミネーションはより一層、輝いて見える。

 

いや、まぁ……今日で一年分ぐらいのイルミネーションを見た気がするが。

ありがたさが半減している。

 

両手を天に突き上げて、大きく息を吸う。

 

 

「んっ……でも、今日は事件が起きなくてよかった」

 

「……ま、まぁね」

 

「あ、ごめん。ピーター、今のは嫌味じゃないから……」

 

「いや、分かってるよ……ほら、僕って運が悪いし?トラブルによく巻き込まれて──

 

 

瞬間、背後で爆発が起こった。

それも結構、大きめ。

 

 

「「…………」」

 

 

互いに無言で顔を合わせる。

彼も私も苦虫を噛み潰したような顔をしていた。

 

 

「……事件かな?」

 

「……事件だろうね」

 

 

一つ、ため息。

それで意識を切り替える。

 

二人、爆発があったビルへ向かう。

 

 

「ピーター、スーツは?」

 

「ごめん、中に着てる」

 

「……何で謝るの?」

 

「折角のデートだったのに、だから──

 

「良い。ヒーローは年中無休、知ってるから」

 

「……ごめん」

 

 

ピーターがバックパックからウェブシューターと手袋、マスクの入ったビニール袋を取り出した。

 

 

「荷物、預かっておく」

 

「ありがとう……ミシェルは?どうする?」

 

「私はスーツ持って来てないから、避難誘導でもしておく」

 

 

ピーターが腕にウェブシューターを装着した。

流石にマスクは公共の場で付けられないから……人目に付かないところで着るしかない。

 

 

「……ミシェル、本当にごめんよ」

 

「もう、謝らなくて良いのに」

 

 

少しずつ現場に近付いていく。

……あの爆発は科学薬品による爆発だ。

ガス系統とは煙の色が違う。

 

間違いなく人為的な爆発。

これは警察やレスキューの領域を超えている。

(ヒーロー)が必要だ。

 

ピーターを連れて、路地裏に入る。

 

 

「…………」

 

 

横で申し訳なさそうな顔を浮かべながら準備しているピーターに視線を向けて……口を開く。

 

 

「上手く、言えないけれど……」

 

「え?」

 

「私は……今、ピーターが……こうして困ってる人がいたら見逃せない所が、えっと……そこを好きになったから」

 

「……ミシェル」

 

「優しい所も、こうして自分を大切に出来ない所も、全部含めて私の好きな人だから……謝るのは禁止」

 

「……そ、っか。ありがとう、ミシェル」

 

 

折角のクリスマス、デートの途中。

危険の中に飛び込もうとする彼を見て、寂しくならない訳がない。

 

それでも、私は精一杯笑った。

ピーターが罪悪感を抱かないように。

 

赤いマスクを被った彼の胸元に、手を置く。

 

 

「行ってらっしゃい、ピーター」

 

「……うん、行ってくるよ」

 

 

ピーターが頷き、(ウェブ)を頭上に放った。

スイングしてみるみる内に離れていく彼を視線で追い……小さく、吐息を吐いた。

 

先ほど口にした言葉の数々、あれは本音だ。

それでも……どうしようもない見栄でもある。

理解のある恋人でいたいという見栄だ。

 

私はどうしようもなく欲張りらしい。

ほんの少し、自己嫌悪する。

 

原作のMJ(恋人)もピーターのスパイダーマン活動で色々とすっぽかされて、喧嘩する事も多かった。

私はMJ、即ちメリー・ジェーンではなくミシェル・ジェーンだが……それでも、彼の不運に巻き込まれる運命なのだろう。

 

私ならば、もっと上手く恋人になれる……と言えるほど、自惚れては居ない。

だが、それでも心の奥底の、何処かで──

 

 

「……今はそれどころじゃない」

 

 

自身の頬を、軽く手で叩く。

先程までピーターに握られていた手は微かに熱を帯びている。

 

ここに私のマスクはないが、それでも私は私に出来る事をすべきだ……大いなる力と、その責任を持つ者として。

 

私は煙をあげるビルへ、避難誘導をするべく足を向けた。

 



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ホリデー・ナイト

……本当に酷い目に遭った。

 

ミシェルと別れた後、僕はビル内に居た地球を支配しようとする宇宙人と戦い……SFチックなビーム銃で撃たれて、落ちたり、転がったり……。

色々とあって、別の宇宙人が地球を支配しようとする宇宙人を捕まえた。

 

正義?の宇宙人グループらしい。

銀河を守ってるらしい。

なんか触覚生えてる女性と、岩みたいな色した肌の大男の二人組。

その二人が宇宙人をボコボコにして自分の船に乗せていった。

 

うん、事件は解決。

 

でも、時間は?

ウェブシューターに組み込んでおいた、小型のスマートウォッチを操作する。

 

小さな画面に時刻が表示された。

……午後10時。

 

マンハッタンが暗いのは雲の所為?

いいや、単純に夜遅いからだね。

 

はははは。

 

はぁ……。

 

最悪だ。

 

 

地球外から来た正義?の宇宙人にクリスマスパーティに誘われるし……断ったけど。

恋人が家で待っていると言えば諦めてくれた。

 

 

岩肌みたいな宇宙人さん曰く──

 

 

『俺にも分かるぞ、家族は大切にするべきだってな。それこそ、グリズリーキルよりもな』

 

 

何を言ってるか、よく分からなかった。

宇宙人特有の価値観かな?って思ったけど──

 

 

『アンタ何言ってんの?』

 

 

頭から触覚の生えた女の宇宙人も困惑していたので、多分、彼が変なだけだ。

 

 

兎にも角にも人助けが終わった僕は、慌てて帰路についている。

 

ちなみに徒歩ではない。

ウェブスイングでもない。

 

地下鉄だ。

 

僕はスーツを着たまま地下鉄に乗っていた。

 

 

「…………」

 

 

クリスマスパーティの帰りらしき、ティーンエイジャー達の視線が痛い。

 

仕方ない。

だって、(ウェブ)の原液を殆ど使い切ってしまったのだから。

少なくともマンハッタンからクイーンズまでスイングできる気はしなかった。

 

だから、地下鉄。

服はミシェルに預けてしまったから、コスチュームのままで。

 

地獄のような時間を越えて、クイーンズに到着した僕は自宅のアパートまでスイングした。

予想通り、(ウェブ)は空っぽになってしまったけれど……ギリギリ家に着いたのだから良いだろう。

 

屋上に着地する。

雪を踏み締めて、軋むような音が響いた。

 

 

「…………」

 

 

凍える風が体を通り抜けて、背筋が伸びる。

冷たい雪が少し積もった屋根から降り、壁をつたって自室まで向かう。

 

時計を見れば……午後11時。

流石にミシェルも寝ているかな。

 

罪悪感を感じながら、窓を開け自室に入れば──

 

 

「おかえり、ピーター」

 

「うわっ!?」

 

 

ミシェルがベッドに寝転がったまま、僕へ声を掛けてきた。

 

 

「うわって何?何で驚いてるの?」

 

「あ、いや……もう寝てるかも、って思ってたから」

 

「晩御飯、一緒に食べるって約束したから」

 

「……そう、だったね。遅れてごめん」

 

 

反省しつつ、マスクを脱ぐ。

ミシェルの表情は少しムッとした顔から、穏やかな表情に変わった。

 

 

「ん、まぁ許してあげる。ご飯は温めておくから、先にシャワー浴びてきたら?」

 

「……うん、分かったよ。ありがとう」

 

「……あ、怪我は?してない?」

 

「それは大丈夫。撃たれたけど平気」

 

 

僕が力瘤を作るようなポーズを見せると、ミシェルは苦いものを食べたような顔をした。

……僕の『大丈夫』や『平気』は、どうやら信頼がないらしい。

 

 

「でも、撃たれたのに……?本当に大丈夫?」

 

 

ミシェルに脇を撫でられる。

傷がないか確認しているつもりだろうけど、こそばゆい。

 

 

「ほ、本当に大丈夫だから……」

 

 

身を捩り、逃げる。

 

 

「……むっ」

 

 

訝しむミシェルから、そそくさと逃げてシャワールームに入る。

またボロボロになってしまったスーツをカゴに投げ入れて、シャワーを浴びる。

 

 

ざぁざぁと水が身体を打つ。

 

 

水と共に身体に籠った熱が流される。

少し張り詰めていた気持ちも、穏やかになった。

 

 

「……ふぅ」

 

 

吐息を一つ吐いてから、蛇口を閉める。

タオルで体を拭きながら、鼻を鳴らす。

 

同時に、良い匂いがしてくる。

微かな期待をしながら、僕はシャワールームを出た。

 

ぐつぐつと鍋が音を鳴らしていた。

僕が帰ってくる前から、少しは温めていたようで……今、湯気が立っていた。

 

 

「良い匂いだね」

 

 

僕がそう呟くと、ミシェルが振り返った。

 

 

「……少し味見する?」

 

「いいの?」

 

「ん、いいよ」

 

 

小さなマグカップに赤黒いスープが注がれる。

野菜が溶けて少し粘性があるそれを、僕は口に含む。

 

トマトの酸味と甘味が、疲れた身体に染み渡る。

 

 

「……うん、美味しいよ」

 

「なら良かった。もうすぐ準備が出来るから、少し待てる?」

 

「うん、何か手伝える事はある?」

 

「じゃあ、グラスと……チキンを乗せるための皿を用意してくれる?」

 

 

彼女が冷蔵庫からパイ生地を出しながら、そう言った。

 

……ミシェルも料理が上手くなったな。

なんて、一人そう思う。

最初の頃は塩気のないパスタや、焦げたスクランブルエッグとか作っていたけれど。

それも良い思い出だ。

 

 

 

 

 

食卓に並べられた料理を見る。

 

大きなマグカップの上にパイ生地がのっている。

切り分けられていない大きなチキンが、机の中央に鎮座していた。

 

 

「ピーター。準備できたから、食べよっか」

 

「うん、食べさせてもらうよ」

 

 

二人で向かい合って、席に座る。

フォークを手に取り、パイ生地を割けば……中には先ほど口にしたスープが入っていた。

 

割ったパイ生地をスープに浸して、口に運ぶ。

トマトベースのスープが、少し油っぽいパイ生地と組み合わさって──

 

 

「……凄く美味しいよ」

 

「ん、よかった」

 

 

ぱりぱりと軽快な音を立てて食べるミシェルが、少し嬉しそうに笑った。

彼女もお腹が空いていたのだろうか、食べる速度はいつもより少し早い。

 

 

「帰りが遅くなって、ごめんね。もう少し早く帰りたかったんだけど……色々あって」

 

「いい、気にしてない……訳じゃないけど、怒ってはいないから」

 

 

……やっぱり少し気落ちしていたらしい。

罪悪感が胸を占める。

 

 

「……よく、ご飯待てたよね。こんな遅くになったのに」

 

「ん、でも……私は何を食べるかよりも、誰と食べるかを優先したいから。待つのは苦にならない」

 

「……そ、そっか」

 

「そう。だから、ピーターは気にしなくていい」

 

 

そう言いきってミシェルはスープを口に含んだ。

……これ以上、謝るのは良くないかな。

 

ミシェルは僕の謝罪を望んでいない。

なら、謝るのは自己満足のためになってしまう。

彼女の事を思うなら、謝罪はしない方がいい。

 

僕もスープを口に含む。

 

 

「ピーター、チキン取り分けるけど……どれぐらい食べる?」

 

「お腹空いてるから、たくさん食べるよ」

 

 

ミシェルがキッチンからナイフを取り出して、チキンに刃を入れた。

骨を避けて、的確に切り分けている。

 

取り分けてもらったチキンを食べる。

スパイスが効いていて……うん、これも美味しい。

 

ミシェルも頬を緩めている。

 

 

「ん……中々、良い出来」

 

「うん、かなり美味しいよ」

 

 

ホリデーの夜。

大切な人と二人、美味しいものを食べて団欒する。

 

理想のクリスマスだ。

身体の芯から温かく感じる。

 

暖かいスープを飲んでいるから?

スパイスの効いたチキンを食べたから?

それとも、好きな女性(ひと)の笑顔を目にしたから?

 

どれも、だろう。

小さく息を吐く。

 

 

「今年も、もう後数日で終わるなぁ……」

 

「ん、今年も色々あった」

 

 

ミシェルが頷く。

本当に色んな事があった。

 

スパイダーマンとナイトキャップとしても。

ピーター・パーカーとミシェル・ジェーンとしても。

 

少し思い返していると、ミシェルが頬を緩めた。

 

 

「私は……こうして、普通のカップルらしい事が出来るのは、凄く嬉しい」

 

「……そうだね」

 

「何でもない日々も大切だけど、こうして……特別な日をピーターと一緒に過ごせるのは幸せ」

 

 

その言葉に、僕は少し気恥ずかしく感じながら……頷いた。

 

 

「それは僕にとってもかな。ミシェルと一緒にいられるのは……僕も幸せだから。これからも──

 

 

そう、この『普通』は代え難い幸福だ。

僕と彼女……他にも沢山の人の努力によって勝ち取った『普通』。

少しも退屈じゃない、日常。

 

それを失う辛さと怖さを知っているからこそ、僕はこの日常が幸せなのだと知っていた。

 

 

食事を終えて直ぐ、ミシェルが冷蔵庫からケーキを取り出した。

二人だけだから、ホールじゃなくて切り分けられたケーキだけど。

 

それを、三切れ。

 

……あれ?

 

 

「ミシェル、何で三切れもあるの?」

 

 

ここには僕とミシェルしか居ない。

二人だ。

なのにケーキは三切れ。

一切れ余って──

 

 

「私が二切れ食べるから」

 

「え?あ、うん……うん?」

 

 

一瞬、耳がおかしくなったのかと思った。

だけど、これが現実だ。

 

 

「……何?」

 

「あ、いや、何でもないよ?」

 

 

有無を言わぬミシェルの視線に、僕は頷く事しか出来なかった。

僕は、弱い。

 

 

「ピーターはどれ食べたい?」

 

「え?僕は……この、普通のケーキで」

 

「イチゴのショートケーキで良い?ん、分かった」

 

 

ミシェルが二切れ食べるけれど、選ぶのは僕を優先させてくれた。

……何だか、よく分からない気遣いを感じながら僕はケーキを食べた。

 

ミシェルはチョコレートの……えっと、ガトーショコラ?というケーキと、ブルーベリータルトを食べていた。

 

 

「……ミシェルって本当に甘いモノ好きだよね」

 

「まぁ、ね。砂糖は遥か昔から存在する合法の麻薬(ドラッグ)だし」

 

「そ、そこまでかな?」

 

 

ミシェルが口元に付いたチョコレートクリームを舐めた。

行儀が悪いけど、ここは家の中だし……まぁ、僕はとやかく言うつもりはないから、良いか。

 

 

 

ケーキを食べ終えて、僕は食器を洗う。

食事の用意はミシェルがしてくれたのだから、これぐらいはしないとね。

 

ミシェルに背を向けて食器を洗っていると……何やら、ごそごそと音がする。

超感覚(スパイダーセンス)に反応がないという事は、僕を傷付けるようなモノではないということ。

 

気にせず食器を水切り用のカゴにのせて、振り返ると──

 

ミシェルが何やら大きな箱を手にしていた。

そして、僕の視線に気付き自身の足元に置いた。

 

 

「ミシェル、それは?」

 

「ピーターが帰って来ない間に、取りに戻ってた」

 

「あ、いや、そういう訳じゃなくて──

 

 

僕は首を捻る。

何が入っているのか、何が目的なのか確認したいのに……どうやって持って来たかを回答された。

 

しかし、今日が何の日か思いだした。

そう、今日は……日が変わってクリスマス。

 

 

「クリスマスプレゼント?」

 

「そう」

 

「……なるほど」

 

 

忘れていた訳ではない。

 

クリスマスと言えばプレゼント交換だって……うん。

ちゃんと用意をしてきた。

 

机の引き出しを開けて、小さな箱を取り出す。

ミシェルの持っている大きな箱に比べたら小さいけれど……。

気持ちの大きさはプレゼントの大きさに比例しないって分かってるけど、それでも並べるとちょっと気が引けてしまうな。

 

 

「……ん、ピーター。開けてみて」

 

「う、うん」

 

 

そんな事を考えているってミシェルに知られると恥ずかしい。

思考を振り払って、僕は大きな箱のラッピングを剥がした。

 

それは──

 

 

「ミシン?」

 

「そう、最新型の多機能ミシン。コンピュータ搭載してるタイプ」

 

「へぇ……」

 

「スーツの補修とか、作ったりとか……そういうのに役立つと思ったから」

 

 

箱を手に持って、パッケージを見る。

何だか色々凄い機能付きみたいだ。

……というか、これ。

 

結構、高い奴じゃないか?

 

……なんて、ミシェルの前で口にはしないけど。

 

ちら、とミシェルを一瞥する。

自信満々な表情を浮かべているが、ほんの少し……笑みがぎこちない。

その微かな感情の発露に気付いた僕は、頷いた。

 

 

「うん、凄く嬉しいよ。ありがとう、ミシェル」

 

 

そう言葉を口にすると、ミシェルは微かに安堵の笑みを浮かべた。

……僕が喜んでくれるか心配だったんだろうな。

 

僕としては、ミシェルが僕のために悩んで用意してくれた物なら、何でも嬉しいけれど……。

 

僕は少し、笑った。

 

 

「じゃあ、僕のも……」

 

「ん、楽しみにしてる」

 

「……あ、あんまりハードル上げないでね?」

 

 

小さな、手のひらに乗るような箱をミシェルに手渡した。

ミシンに比べたら軽いし、小さい。

 

 

「開けていい?」

 

「もちろん」

 

 

ミシェルが梱包を優しく、壊れ物を扱うように剥いた。

そして、中に入っていた艶消しの黒い箱を開けた。

 

 

「……指輪?」

 

 

そう、僕が用意したのは指輪だ。

螺旋のような掘り方がされたシルバーの指輪。

 

グウェンと相談して用意したプレゼントだ。

……恋人へのプレゼントの相談を他の女性にするのはあんまり、褒められた事ではないけれど。

 

脳裏に過ぎる。

 

 

『ミシェルにクリスマスプレゼントを渡そうと思うんだけど──

 

『は?そんなの指輪で良いでしょ。良い加減に腹括りなさい』

 

『う、うん?』

 

 

腹を括る、ってのはよく分からないけど。

兎に角、オススメされた通りに指輪を用意したのだ。

 

喜んでくれたのだろうか、と思ってミシェルに視線を戻すと─

 

 

顔を真っ赤にして、固まっていた。

 

 

「え?ミシェル?どうしたの?」

 

「ピーター……こ、これって、その──

 

 

ミシェは目を瞬いて、少し涙目で僕を見上げた。

熱のこもった視線が僕を貫いて──

 

 

「こ、婚約指輪、ってこと?」

 

 

僕は咽せた。

すごい音がした。

 

グウェンが指輪をオススメしてきたので、つまり『そういう事』か!

今更、気付いた僕が鈍くて悪いんだけど、そういう想定じゃなかった。

 

でも確かにそうだ。

これじゃあ『結婚しよう』なんてプロポーズしているようにしか見えない。

婚約指輪(エンゲージリング)にしか見えないだろう。

 

慌てて弁明する。

 

 

「ち、違っ──

 

 

何とか言葉を振り絞ると……ミシェルの顔が少しずつ曇っていくのが見えた。

 

違う。

そういう意味で渡した指輪じゃない。

 

だけど、違う。

そんな顔をさせたかった訳ではない。

 

だから──

 

 

「その……」

 

「……ピーター?」

 

「指輪は……ええと……」

 

「…………」

 

 

ミシェルは指輪の入った箱を持ったまま、僕をみている。

不安そうな目で、心配そうな表情で。

 

……息を吐く。

何も迷う事ではない。

 

いつか、いつかしようと思っていた事だから。

今でもいい。

 

 

「こ、婚約指輪にしても、良いかな?……その、ミシェルが良ければ、だけど……」

 

 

言った。

言ってしまった。

 

あまりにも遠回りで、情けない告白。

どうしようもなく、情けない言葉。

 

ミシェルと目を合わせられない。

これは逃げだ。

だけど、それでも気恥ずかしさと、ほんの少しの怯えが──

 

 

「……いいよ、ピーター」

 

 

顔を上げれば、嬉しそうに頬を緩める彼女の姿があった。

本当に、本当に……僕から見ても幸せなんだって分かるぐらい、幸せそうな笑みを浮かべていた。

 

昔は表情の乏しかった彼女が、ここまで感情を発露できるようになったのだと……それが僕も嬉しくて、思わず頬を緩めてしまう程に。

 

 

「…………」

 

「…………」

 

 

お互いに目線は合っているのに、ほんの少しだけ視線を逸らし合う。

照れ臭くて、何処か甘い匂いがするように気がした。

 

沈黙が僕と彼女の間に挟まって──

 

 

「ピーター、付けてもいい?」

 

 

その静寂を破ったのはミシェルだった。

 

 

「う、うん。いいよ」

 

 

僕が頷くと、彼女は指輪を持って……僕に視線を向けて笑った。

 

 

「……やっぱり、ピーターが付けてくれる?」

 

「僕が?」

 

「ん、ピーターに付けて欲しい」

 

 

そう言って、僕の手に渡して来た。

僕は少し意図がわからなくて目を瞬いて、それでも彼女の指に指輪を収めようと目を向けた。

 

ミシェルの白くて細い、綺麗な指が──

 

 

「……あ」

 

 

差し出されていたのは左手、そして……薬指。

息を飲んで、僕は彼女の指に指輪を──

 

 

「…………」

 

 

心臓が跳ねる。

愛おしい恋人の薬指に指輪が収まった。

 

その事実は僕と彼女の関係が一歩進んだ事を知らしめるようで、身体が熱くなる。

 

 

「……ありがとう、ピーター。大切にするから」

 

「う、うん……」

 

 

ミシェルが手を天井に向けてかざした。

目を細めているのは、天井の照明が眩しいからか……それとも──

 

ぎゅぅ。

 

と、抱きしめられた。

 

 

「……ミシェル?」

 

「凄く、嬉しいから。夢じゃないんだって──

 

 

抱きしめる力は、強い。

 

 

「……本当にこれが現実なんだって、確かめたくて」

 

 

離れないように、抱きしめられる。

……手を、彼女の背に回す。

 

 

「……夢じゃないよ」

 

「知ってる。それでも……」

 

 

静かに、抱きしめ合う。

互いに存在を確かめ合うように……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

少しして。

 

 

ベッドの上にミシェルが座っていた。

薬指の指輪をしきりに眺めている。

その仕草を見るたびに、僕は少し恥ずかしかった。

 

渡したのは婚約指輪だ。

結婚指輪とは違う……けれど。

 

結婚を約束する指輪だ。

確かに、将来的に僕はミシェルと……うん、そういう関係になりたいと思ってたし、夫婦になるんじゃないかな、なんて思っていたけれど。

 

それが現実味を帯びてくる。

 

でも──

 

 

『結婚するのは、大学を卒業して就職してから』

 

 

となった。

 

今の僕は学生で、奨学金で何とか生活している。

こんな状況では甲斐性もない。

 

せめて、一人で暮らせるまでは待つ。

という話で決着がついた。

 

ミシェルも納得してくれた。

……ミシェルを見る。

 

 

「……んふふ」

 

 

にまにまと左手の薬指を見ている。

 

あんなに喜んでくれるなら、うん。

色々と悩む事もあるし、これからの心配もあるけど、彼女が幸せなのならそれで良いか。

 

窓の外では雪が、ゆっくりと落ちていく。

小さな雪は窓に触れて……ゆっくりと溶けていった。




来年もよろしく!


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NYポリス・ストーリー part1

ニューヨーク州、ニューヨーク市。

そこはこの国でも最大規模の都市。

経済や芸能、ファッション、ありとあらゆる物が集う場所。

 

それがニューヨーク。

 

だが、光があれば影は生まれる。

目を焼くような輝きに魅せられて、影の住民も集う。

 

マフィア、半グレ、強盗団……様々な悪人が集う。

そう、ニューヨークは途方もなく治安が悪い。

 

そんなニューヨークの治安を守る市警は……非常に危険な仕事だ。

時にはマフィアと戦い、時には超能力(スーパーパワー)をもった悪党(ヴィラン)とも戦う。

 

途方もない正義感と、強靭な精神が求められている。

 

 

そんなNYPD(ニューヨーク市警察)の警察署前に、私は立っていた。

煉瓦積みの趣のある建物には見慣れた旗が建てられていた。

 

ついに来たのだと思えば、無意識に鼻息が荒くなり──

 

 

「君がケイティ巡査か?」

 

 

声をかけられ、慌てて敬礼をする。

 

 

「はっ!本日付けで配属になりましたケイティです!」

 

「……随分と張り切っているね」

 

「はっ!恐縮です」

 

 

目前にいるのは初老の警官……その胸にあるバッジから、彼が警部である事を悟った。

 

 

「マリガン警部から話は聞いている。何でも従軍によって配属時期が同期とズレたんだって?」

 

「えっと……はい、仰る通りです」

 

 

警部の後ろを歩き、警察署に入る。

何度か見た事はある……だが関係者以外立ち入り禁止の場所に入った所で、ようやく自分が『関係者』になれたのだと胸を震わせた。

 

 

「おっと、自己紹介がまだだったね。私の名前はジョズだ。ジョズ警部……いや、単にジョズで構わない」

 

「分かりました、ジョズ警部」

 

「……君は少し固い人間のようだね」

 

 

そう言われても……と少し視線を逸らす。

確かに私は子供の頃から融通が効かないと言われていた。

しかし、礼儀は守られるべきだと私は思っていた。

故にこの個性を変えるつもりはない。

 

 

「こっちだ」

 

 

ジョズ警部に連れられて辿り着いたのは、古い紙の匂いがする一室だった。

そこには段ボールに詰められたファイルが大量に置かれていた。

 

 

「はっ……ここは?」

 

「君が優先的に派遣されるであろう、クイーンズの書類保管庫だ。有名どころの悪党共の特徴なんかが残っている」

 

「はぁ……」

 

「目を通しておくといい」

 

 

私はファイルを手に取り、捲る。

電撃を操る『エレクトロ』、巨大な金属製アーマーを来た『ライノ』、空を飛ぶ強盗『ヴァルチャー』……まるでサーカスのように一芸に秀でた悪人たちの情報が並んでいた。

 

 

「ジョズ警部……」

 

「む?何だい、ケイティ巡査」

 

「何故、彼らは逮捕後に再犯しているのでしょうか?一度、逮捕されているにも関わらず……むざむざと自由を得ているのでしょう」

 

「それは人によりけりだね。保釈金が支払われていたり、刑務所が襲撃されたり……裏で色々とあってね」

 

「……そうですか」

 

 

ジョズ警部はタバコに火をつけた。

……今は分煙が提唱されている時代だ。

こんな書物庫で吸うのはやめていただきたいが、本日配属の新人にとやかく言える訳がない。

 

 

「ケイティ巡査、私達の仕事は治安を守る事だ。捕まえた後の犯人に関しては管轄外だ」

 

「……それは、そうかも知れませんが」

 

「割り切った方がいい。それが賢明な選択だから」

 

 

少し不服に感じながらも、飲み込んだ。

そしてまた書類に視線を落とし──

 

ジョズ警部の胸元から音が鳴った。

携帯電話ではなく、警察独自の無線回線だ。

 

 

「はい、こちらジョズ警部だよ。どうぞ……ふうん、そうか……了解した。直ちに向かうよ」

 

 

言葉の流れから、彼が呼ばれているのだと分かった。

何か事件があったのかと思案していれば、ジョズ警部が私へ目を向けた。

 

 

「行くよ、ケイティ巡査」

 

「はっ……ですが、どこへ?」

 

「決まっているだろう、クイーンズだよ。喜べ、初仕事だね」

 

 

悪戯好きそうな笑みを浮かべるジョズ警部に、私は思わず苦笑した。

私、ケイティ巡査の初出動という事だ。

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

ニューヨーク市、クイーンズ。

ジョズ警部の警察車両に同席していた私は、シートベルトを外して外に出た。

 

ビル街の一角、侵入禁止のテープが貼られた一角へ足を運ぶ。

半壊した建物の前にNYPD(ニューヨーク市警察)と書かれた仮設テントが建っていた。

 

ジョズ警部が迷いなく、その仮設テントに足を運んだ。

 

 

「で?現状、どうなっているのか誰か答えられるかい?」

 

 

ジョズ警部は無線で状況を理解しているようだったが……恐らく、私への情報共有も兼ねているのだろう。

 

仮設テント内の警官が一人、ジョズ警部の前で敬礼した。

 

 

「はっ、では自分が説明させていただきます──

 

 

被害にあったのはATMのみ配置されている簡易銀行。

ATMが破壊されて中の金庫ごと盗まれたらしい。

……そして、破壊した痕跡は残っているが、何で破壊されたかは不明らしい。

 

機械の前面と後方が真っ二つになるよう、捩じ切られている事から、とんでもない力で引っ張られたらしいが……理解はできても納得はできない。

クレーン車で引っ張れば再現できるらしいが、流石にそんな大掛かりな方法でATM強盗なんて行わないだろう。

 

 

「……なるほど、困ったね」

 

 

ジョズ警部が頷き、椅子に座った。

顎を手に置き、私を一瞥する。

 

 

「うーん、これは私達の管轄外だね」

 

「え、はっ……?」

 

 

思わず驚く。

明らかな強盗事件だ。

なのに、これが管轄外と言えば……何のために警察が存在しているのか分からなくなる。

 

声を出した私をジョズ警部がジェスチャーで嗜めた。

不服に感じながらも口を閉じれば、彼が頷いた。

 

 

「君、要請は出しているかい?」

 

「はい!明らかに異常がありましたので、既に」

 

「よろしい。なら少し待とうか」

 

 

ジョズ警部が足を組んだのを見て、説明係の警官が敬礼をして去った。

……私は、ジョズ警部に耳打ちする。

 

 

「要請とは何でしょうか?」

 

「……あぁ、知らなかったね?単純な話だよ」

 

 

ジョズ警部が机に何か、カードのような物を置いた。

そこには猛禽類のシルエットが描かれていた。

 

 

「戦略国土調停補強配備局、って知ってるかい?」

 

「ええと……はい。『S.H.I.E.L.D.』の事ですね?」

 

「そう、『S.H.I.E.L.D.』だね」

 

 

戦略国土調停補強配備局、通称『S.H.I.E.L.D.』は世界各地で超常現象を対処して回っている、国際平和維持組織だ。

私からすれば雲の上にあるような存在だ。

 

 

「その、その『S.H.I.E.L.D.』がいったいどう──

 

「我々、警官が相手できるのは一般的な犯罪者のみだ。超能力(スーパーパワー)を持つ犯罪者を相手取るには、それなりの人間が必要だという事だね」

 

「……あっ、なるほど。つまり、今回の事件は──

 

「『S.H.I.E.L.D.』案件だね」

 

 

ジョズ警部がタバコに火を付けようとして……車のエンジン音が聞こえた。

私達の乗る警察車両とは違う音だ。

 

するとジョズ警部は片眉を上げて、タバコをしまった。

 

 

「警部?」

 

「いや何、彼女はタバコが嫌いなんだよ」

 

「……その、彼女とは?」

 

「外でお出迎えしよう」

 

 

ジョズ警部に連れられて仮設テントを出ると──

 

 

「これは……?」

 

 

真っ黒なスポーツカーらしき物が停まっていた。

一般的に流通している車両とは明らかにデザインが違う。

 

ジョズ警部を一瞥すると、私を見て鼻で笑った。

……こうして驚く様を見て楽しんでいるようだ。

何とも意地の悪い上司ではないか。

 

少しして、車両のドアが上に開いた。

中に乗っていたのは──

 

 

『待たせたか?』

 

 

中性的な機械音声で話す、黒いアーマースーツを着た男だった。

 

 

「いいや、私も今、来た所だよ」

 

『そうか。なら良かった』

 

 

正直、不気味だ。

これが『S.H.I.E.L.D.』のエージェントだって?

警部が親しげに話していなければ、不審者だと思ってしまうだろう。

 

そんな疑わしい、真っ黒で艶やかなマスクが私を一瞥した。

 

 

『ジョズ警部、彼女は誰だ?』

 

「新人だよ。よろしくしてやってくれ」

 

 

言葉を促された私は、慌てて敬礼した。

 

 

「はっ!ケイティ巡査であります!」

 

『……固いな』

 

「フフ、だろう?」

 

 

腕を組んで私を評価するジョズ警部と、黒マスクの男に苛立ちながらも言葉を飲み込む。

 

 

「失礼ですが、お名前をお聞きしてよろしいでしょうか?」

 

『ん?あぁ……そうだな』

 

 

黒マスクの男が腕のアーマーを開いた。

瞬間、空中にIDと『S.H.I.E.L.D.』のマークが投射された。

 

 

『『S.H.I.E.L.D.』のエージェント、ナイトキャップだ』

 

「……ナ、ナイトキャップ……ですか?」

 

 

明らかなコードネームだ。

私程度に名前を語る意義はないとでも言いたいのだろうか。

 

彼に少し不信感を抱いていると、ジョズ警部が私の肩を叩いた。

 

 

「ケイティ巡査、彼女は本名を明かさないんだ。勿論、私にもだよ」

 

「はっ……そうなのですか?」

 

 

私は頷い……待て、彼女?

そういえば、仮設テント内でもジョズ警部は『彼女』と呼んでいた。

 

まさか……。

 

 

「じ、女性なのですか?」

 

『……そうだが?何か問題があるか?』

 

「い、いえ……」

 

 

思わず訊いてしまったが失態だろう。

私も女性の身であり警官をしている。

大なり小なり、侮られる経験はあった。

故に、この質問の不躾さは私も理解している。

 

頭を下げて謝ろうとして──

 

 

「立ち話もそこまでにして、現場に向かわないかね」

 

『そうだな。案内は出来るか?』

 

 

ジョズ警部がナイトキャップを連れて、現場に向かって歩き出した。

 

 

「あっ、その……」

 

 

私は謝ろうとしたが──

 

 

『なんだ?』

 

「い、いえ……何でもありません」

 

 

その黒いマスクに反射する、情けない自分の姿を見て押し黙った。

……こんな筈ではなかったのだけれど。

 

ナイトキャップの表情は黒いマスクで見えないが、ほんの少しの不信感を滲ませながら視線を戻した。

私はジョズ警部と彼女の後ろを追いかけた。

 

まぁ、仕方ない。

悩んでいても良い事はない。

ポジティブにならなければ……。

 

大丈夫だ。

私は警官学校を次席で卒業した女だ。

失点はどこかで取り返せばいい。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

ATMが並べられた街角。

しかし、そのATMは今……無惨な姿をしていた。

まるで引きちぎられたかのような姿に、私は思わず息を呑んだ。

腰も抜かしてしまいそうだ。

 

しかし、ジョズ警部とナイトキャップは何事もないように、そのまま現場へ入って行った。

 

 

「これまた派手だね」

 

『……ふむ、あまり精細な方法ではないな』

 

「強盗が何かしたってより、ハルクがブッ壊したって言われた方が納得出来るね」

 

『私も同意見だ』

 

 

現場を見渡す。

砕けたガラス片、引きちぎられたケーブル、擦れた後……確かに、巨大な人間が暴れたような後だ。

 

 

「えっと……犯人の映像は監視カメラに残っていないのでしょうか?」

 

「ケイティ巡査、その意見は正しい。だが、もう既に確認済みだ」

 

「あ、すみません……」

 

 

私が謝っていると、ナイトキャップが私を見た。

うっ、やっぱりちょっと見た目が怖い。

 

 

『監視カメラは犯行直前に破壊されていた。このタイヤ痕から、大型車両で入口に突っ込んできたのだろう……その際に巻き込まれ、壊れたようだな』

 

 

彼女が地面を指差す。

……確かに擦れた跡が二つずつ均等にあった。

 

また、ナイトキャップが視線をATMに戻した。

中にある筈の金庫は抜かれてしまったようで空洞になっている。

 

 

『……この壊され方は、よほど強く引っ張られたようだな』

 

「確かに、そうだね」

 

 

二人何かに気付いた様子に、思わず私は声を掛けた。

 

 

「……ジョズ警部、何か不審点でもあるんですか?」

 

「不審点しかないよ、ATMの表面に掴んで引っ張れるような部分があるかい?」

 

「いえ、それは……?」

 

「そう、表面上の突起程度を引っ張って真っ二つにするなんて出来ないだろう?突起が先に壊れるからね」

 

「……あぁ、そういえばそうですね」

 

 

私が頷くと、ジョズ警部も頷いた。

確かに……こうして中心から引きちぎられたようにはならないだろう。

なら、どうして──

 

 

反重力(アンチグラビティ)だ』

 

「へっ、は?」

 

 

思わず声を上げた。

何だそのSFみたいな単語は?

 

 

『10年近く前、ニューヨークに宇宙人が襲来した際の落とし物だ』

 

「へぇ。なるほど、チタウリかい?」

 

『そうだ。『S.H.I.E.L.D.』も全てを押収できた訳ではないからな……』

 

 

ジョズ警部は分かっているようだが、私は分かっていない。

確かに10年前、ニューヨークに宇宙人の軍団が襲来した事があった。

だが、それが何故、今更?

 

一人、悶々としているとナイトキャップが私に視線を向けた。

 

 

『……警部。彼女は昨今の事情を知っているか?』

 

「……いいや、すまないね。新人だから知らないよ」

 

『そうか。なら少し話そう』

 

 

彼女は私をよく見ていたようで、表情から理解していない事を悟ったようだ。

 

 

『最近、宇宙人(チタウリ)の遺した武器を、地球人が使い易いように改造したモノが裏社会で出回っている』

 

「えっ……?そ、そうなんですか?」

 

『あぁ。チタウリの遺産を所持していた人間が数年前に死ん……亡くなってな。その所在が分からなくなっていたのだが、どうやらマフィアか何かが見つけたらしい』

 

 

ナイトキャップが態々、言い換えたという事は……何か、そのチタウリの武器を持っていた人間に思う所があるのだろうか?

しかし、私は義憤に駆られる。

 

 

「……迷惑な話ですね。その人がチタウリの遺産を『S.H.I.E.L.D.』や国に渡しておけば、こんな事にはならなかったのに」

 

『……それもそうだ。だが、彼にも色々と理由があったんだ』

 

 

庇うような言動に、私は目を瞬いた。

 

 

「……ナイトキャップさんの知人なんですか?」

 

『少し、な』

 

 

そこでようやく、私は失言を重ねていたのだと悟った。

慌てて頭を下げる。

 

 

「す、すみません……知り合いだったとは……」

 

『いや、いい。彼は悪人だったからな……そう言われても仕方ない』

 

 

ジョズ警部に脇を肘で突かれた。

最初の失言を取り返そうと意気込んでいたのに、また失言してしまった。

 

小さいため息が電子音で響き……ナイトキャップが視線をATMへ戻した。

 

 

『とにかく、犯行に使われた道具はチタウリの遺産だろう。反重力(アンチグラビティ)発生装置を使用して、ATMを中心から前後に引き裂いた……という事だろうな』

 

「なるほどね……それで犯人の行方に見当は?」

 

『今はない』

 

「……今は?」

 

 

ナイトキャップが頷いた。

そして、腕に装備されているコンソールを操作した。

 

 

反重力(アンチグラビティ)現象を引き起こすと、独特の重力波形が現れる。重力場が歪むという事だ』

 

 

何を言ってるかサッパリ分からない。

ジョズ警部を一瞥すると、彼も不思議そうな顔をしていた。

 

 

『ニューヨーク中に設置された『S.H.I.E.L.D.』の観測機器が、その重力波系を捉えて……よし、残っているな』

 

 

空中に映像が投射される。

何かしらの折れ線グラフが宙に浮く。

赤と青の線が模様を描いている。

 

多少の揺れはあっても水平を保っている赤い波形に比べて、青い波形は急激に上下している箇所があった。

 

 

『犯行時刻と照らし合わせれば、確かに一致した。赤が正常な重力場で、青がここの重力場だ』

 

「ほう。という事はその、ア、アン……ええと──

 

反重力(アンチグラビティ)発生装置』

 

「そうそう、『それ』が犯行に使われたって事で、間違いないよね?」

 

『ここまで証拠が残っていればな』

 

 

私とジョズ警部が頷く。

 

このナイトキャップって人……ある程度、こういう事象にも精通しているみたいだ。

こんなの、特捜班の専門が調べてようやく分かるものだと思っていたけれど……。

 

一つ、気付いた。

 

 

「つまり、その『S.H.I.E.L.D.』の観測機器で重力場の乱れを察知して、現場に向かえば──

 

『そう、犯人を現行犯で捕まえられるだろう』

 

 

ようやく、まともに理解できたと安堵の息を吐いた。

少しは……いや、ほんの少しは失言を取り戻せたんじゃないだろうか?

 

安堵の息を吐く。

 

しかし、ジョズ警部は少し難しそうな顔をしていた。

 

 

「だが、犯人は再び現れるかな?これで打ち止めにするかも知れないだろう?」

 

 

……確かにそうだ。

今回の強盗が成功したのに満足して、再犯をしない可能性もある。

だとしたら、待っているだけでは犯人を捕まえられないんじゃ──

 

 

『いいや、犯人は再び事件を起こす』

 

 

しかし、ナイトキャップは断言した。

 

 

「……それは何故だい?」

 

『勘だ』

 

 

その言葉に思わず私は目を瞬いた。

 

 

「か、勘って──

 

『私の経験則でもある』

 

 

ナイトキャップが壊れたATMに視線を向けた。

 

 

『力を手に入れた者は、その力を振り回さずにはいられない。手放す事は出来ないだろう』

 

 

そして、その切断面に黒い指で触れた。

抉れたような断面は鋭く、素手で触れれば切断してしまいそうだ。

 

 

『それが他人から金で手に入れた力ならば尚更だ。間違いなく、再度行われる。それも期間を空けずにな』

 

 

その有無を言わせない言葉に、私とジョズ警部は頷かずにいられなかった。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

翌日。

私は、警察署に来ていた。

 

そう、そこの一室で……私は体を強張らせていた。

目の前で真っ黒なアーマースーツを着た女が座っているからだ。

 

彼女……ナイトキャップは手元で何やら端末を弄っている。

どうも私物には見えないが……こ、ここは休憩室なのに。

 

次の犯行が行われるまで日中は待機という事になり、私は彼女と休憩室で待機しているのだが……少しも気が休まらない。

 

だって、怖い。

警察と『S.H.I.E.L.D.』で組織が異なる故に明確な立場の差はないが、それでも私からすれば彼女の方が立場は上だ。

 

何もせず座っていると──

 

 

『ケイティ巡査』

 

「は、はいっ……!?」

 

 

突然声をかけられて、上擦った声が出た。

 

 

『もう少し、気を楽にしていい』

 

「いえ、はい!リ、リラックスしていましゅ!」

 

『…………』

 

 

噛んだ。

沈黙が部屋を支配する。

 

冷や汗が滝のように流れる。

き、っき、き、気まずい!

 

 

『はぁ……そう畏まられるほど、私は偉い人間ではないのだが』

 

「うっ。で、でもですね……私は一介の警官でして……『S.H.I.E.L.D.』のエージェントの方に比べれば、とてもではないですが、そのぉ……」

 

 

私がそう言うと、黒いマスクの奥からため息が聞こえた。

 

 

『私と君との間に、大きな差はない』

 

「はぁ……そうでしょうか?」

 

『君は、この街が守りたくて警官になったのだろう?』

 

 

私は頷く。

すると、目前のナイトキャップが少し姿勢を崩した。

 

 

『私もそうだ。自分にできる範囲で、出来る事をしなければならないと思ったからだ。私は人より少し強い……だから、人を守らなければならないんだ』

 

「……それなら、そう……ですね。私と同じです」

 

『フフ、そうだろう?』

 

 

姿形は黒いスーツに隠されて分からないが、性別も同じという事もあり少し打ち解けられた気がした。

心なしか昨日より態度も柔らかくなっていた。

 

 

『ケイティ巡査も楽にすれば良い。計器に異常が出ない限りは休息していれば良い』

 

「はっ……ですが、その……それはその、貴女もでは?」

 

『私か?私は見ての通り休んでいるが?』

 

 

……え?

黒いアーマースーツに身を包み、手元の端末を弄っているのに?

 

私の視線がその端末へ向いているのに気付いたようで、ナイトキャップが端末を持ち上げた。

 

 

『いや、これは別に『S.H.I.E.L.D.』の仕事をしている訳ではなくてだな……』

 

「そうなのですか?では何を?」

 

 

問い掛けると、彼女は固まった。

少し挙動が不審になり、首を斜めにした。

 

何かダメな事を訊いてしまったかと、私は冷や汗を──

 

 

『こ、恋人に連絡を取っているだけだ』

 

「え?は?」

 

 

思わず耳を疑う。

 

 

『……仕方ないだろう。今日は元々、非番の予定だったのだから。いつ頃、帰れるかと連絡をしていたんだ。いや、そこから少し話が発展してつい連絡を取りすぎてしまっているが』

 

 

急に早口になったナイトキャップを見ても、私は少し脳内が混乱していた。

黒いアーマー姿のナイトキャップ……その隣には白いアーマー姿の異性が──

 

 

『……ケイティ巡査、何か失礼な事を考えていないか?』

 

「い、いえ……」

 

 

この人も、やっぱり一人の人間なのだと感じて少し嬉しくなった。

見た目は真っ黒なアーマー姿だが、中身は生身の女性なのだと。

 

安堵の息を吐いていると……背後のドアが開いた。

 

 

「ケイティ巡査……と、ナイトキャップ。差し入れだよ」

 

 

ジョズ警部だ。

手元には紙箱があった。

 

 

『いつもすまないな』

 

「いいよ。警官のパスポートがあれば、無料だからね」

 

 

箱が私と彼女の前、机の中心に置かれた。

 

 

「あ、ありがとうございます」

 

「いんや、仲良く分けて食べてね」

 

 

どうやらコレは食べ物らしい。

しかし、仲良く分けて、か。

 

 

「……ジョズ警部は食べないのですか?」

 

「あ、うん。私はこの事件以外も担当しているからね」

 

「はっ、すみません。ご苦労様です」

 

 

私の敬礼を見て、ジョズ警部が部屋を出た。

そして、私はテーブル上の紙箱に視線を戻した。

 

 

「……それで、これは何でしょうか?」

 

『食べた事がないのか?』

 

「いえ、その……すみません」

 

『あぁ、いや……謝る程の事ではない』

 

 

ナイトキャップが器用に箱を開けると……ドーナツが5つ入っていた。

 

 

「これは……?」

 

NYPD(ニューヨーク市警察)と連携しているドーナツ店の商品だ。警官は無償で貰えるのさ』

 

 

彼女は休憩室の棚から勝手知ったる様子で紙皿を二つ取ってきた。

そして、ドーナツを一つ手元に置いた。

 

 

『……そうか、食べた事がないと言っていたな?』

 

「あ、いえ、ドーナツは食べた事ありますよ。こんな所で見るとは思わなかっただけです」

 

『ドラマ等は見ないのか?警察官といえばドーナツという印象があるが』

 

「いえ、ドラマや映画とか……フィクションはあまり好きにはなれなくて、ですね」

 

『……まぁ、趣味嗜好は人それぞれか』

 

 

私もドーナツを一つ手に取る。

……スーパーで購入する物より上等そうだ。

 

しかし、今、私は目の前のドーナツよりも気になる事がある。

視線を少し上げて盗み見る。

 

黒いマスク姿を。

いったいどうやって食べるのか?

そのマスクを脱ぐのか?

素顔は?

 

等と考えていると、ナイトキャップが腕のコンソールを弄った。

 

 

瞬間──

 

 

マスクの下半分だけが展開し、口元が見えた。

 

 

いや、確かに衝撃的だが……うん、てっきり脱ぐ物だと思っていたから、拍子抜けだった。

そのまま、彼女は口元にドーナツを運び……私の視線に気付いた。

 

 

「……どうした?食べないのか?」

 

 

そして発せられた声は、マスク越しの機械音声とは異なり綺麗な女性の声だった。

私とは違う……まるでテレビのアナウンサーかと思えるような美声。

若い女性の声だった。

 

 

「あ、いえ……た、食べます」

 

 

心臓を跳ねさせながら、私はドーナツを口に含んだ。

……なるほど、美味しい。

 

だが、それ以上に彼女が気になっていた。

明らかに声が若かった。

私と同年代、だろうか?

それほど若いのに『S.H.I.E.L.D.』のエージェントをしているのだろうか?

 

そもそも、何故、マスクを──

 

悶々としながらドーナツを一つ食べ終えて、二つ目に手を出す。

ちら、と視線を上げるとナイトキャップは美味しそうにドーナツを食べていた。

 

表情は見えないが……口元の笑みを見れば分かる。

 

……しかし、整った口元だ。

マスクの下にはトンデモない美人顔が隠されているんじゃないか、と妄想が広がる。

 

そして二つ目も食べ終えて──

 

 

「…………」

 

「…………」

 

 

ドーナツは五つあった。

二人で食べれば、必然一つ余る。

 

そのドーナツをどうすべきかと、私は悩んでいた。

彼女は美味しそうに食べていた……先んじて、口を開く。

 

 

「ナイトキャップさんが食べて頂いて良いですよ」

 

「む、いや……だが、君に譲ろう」

 

「いえいえ、構いませんよ。どうぞどうぞ」

 

「本来は警官である君達の物だ。遠慮しなくて良いが──

 

 

譲り合い、話は平行線になる。

……こんな事をしていても馬鹿らしいな、なら──

 

 

「そうだな、それほど要らないと言うのなら私が──

 

「分かりました。食べまっ……す?」

 

 

言葉が被る。

 

 

「…………」

 

「…………」

 

 

再び沈黙。

 

 

「……う、ではっ、こうしましょう……!

 

 

……瞬間、私はドーナツを手に取り、ナイトキャップさんの皿の上に置いた。

悩んでいる時間が無駄だと思ったからだ。

 

彼女は少し驚いたような表情をして、その後、少し微笑んだ。

 

 

「すまないな」

 

「いえいえ、構いません。私は警官ですからね、これからも食べる機会は沢山ありますから」

 

 

そう適当な言い訳をする。

なるべく、彼女が罪悪感を抱かなくて済むようにだ。

 

きっと、彼女には見透かされているだろうが。

それでもドーナツを手に取り、食べてくれた。

 

 

「……ナイトキャップさんは、ドーナツが好きなんですね?」

 

「まぁな……」

 

 

彼女は口元を拭いて、マスクを閉じた。

……もう少し、彼女の生の声と会話をしていたかったが仕方ない。

 

会話を広げようと、話題を探す。

 

 

「えっと……何か、ドーナツを好きになった理由はあるんですか?」

 

『そうだな……私は甘い物、全般が好きだが……これが少し特別だ』

 

 

彼女は少し、ほんの少し顔を下げた。

 

 

『兄が一度、私にドーナツを買って来てくれたんだ』

 

「あぁ、分かりました。その時のドーナツが美味しくて、ですか?」

 

『あぁ……きっと美味かったんだろうな』

 

 

彼女は少しだけ、視線を上げた。

マスクの下の表情がどうなっているかは分からない。

 

 

『だからかな。あの時から、ドーナツを見ると兄の事を思い出す。それが心地いい』

 

「……そうなんですね」

 

 

その口調から、彼女の兄は既に……この世には居ないのだろうと感じた。

 

 

『すまない、少し暗い話になったな』

 

「いえ、すみません。私の方こそ、その変な話題を振ってしまって」

 

『君は悪くないさ』

 

 

少し迷って、私は息を深く吐いた。

何か別の話題を、と探していれば──

 

ナイトキャップの手元のコンソールが鳴り……彼女が勢いよく立ち上がった。

 

 

「え?」

 

『観測機器に異常が出た。反重力(アンチグラビティ)装置を使用したようだな』

 

「な、それなら──

 

『あぁ、出動しよう』

 

 

私も慌てて立ち上がり、彼女の後ろを追う。

するとナイトキャップが、外で何やら別の警官と会話していたジョズ警部の肩を軽く小突いた。

 

 

『警部、観測値に異常が出た。犯行現場に急ぐぞ』

 

「えぇ?白昼堂々の犯行かい?」

 

『余程、自信があったのだろう』

 

 

二人の会話を聞きつつ、警察車両の鍵を棚から取り、拳銃を腰のホルダーに入れる。

呼吸が少し荒くなるのが分かる。

私は今、緊張と共に使命感で胸がいっぱいになっていた。

 

だから──

 

 

「あ、ケイティ巡査。大捕物だが、君は無理をしなくて良いからね」

 

「なっ……!?」

 

 

ジョズ警部の言葉に、思わず反抗的な目を向けてしまった。

 

 

『ケイティ巡査、それは私からも頼む、無理はしてくれるな』

 

「……っ、私が未熟な新米(ルーキー)だからですか?」

 

『そうだ』

 

 

全く淀みのない返答に面食らった。

はっきりと言われると思わなかったからだ。

 

 

『いつかは命を賭けるべき時が来るだろうが、今ではない。私が何とかする』

 

「で、ですが……」

 

 

脳内には引きちぎられたATMの姿があった。

鉄の塊を容易く、あんな無惨にできる道具を犯人は持っている。

そんな相手を彼女に任せるなどと──

 

 

『安心してくれていい』

 

「あ、安心ですか?」

 

 

あやすように……機会音声だから、抑揚もないけれど、それでも優しく私に声を掛けてくれる。

 

 

『あぁ、こう見えて私は強いんだ』

 

 

こう見えて、か。

 

……黒いアーマースーツを着ている。

特殊部隊のような姿。

明らかに警官が持っているものとはグレードの違う装備。

 

……こう見えて?

 

 

「……あ、はい。分かりました」

 

 

私は自分の考えを改めて、素直に頷いた。

彼女の姿があまりにも、そう、強そうだったからだ。



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NYポリス・ストーリー part2

再犯が発生した場所は前回と同様のクイーンズ……ではなく、マンハッタンだった。

警察署との距離が近かった為、比較的早めに到着したのだが──

 

 

既に現場は警官によって包囲されていた。

 

日中での犯行、通報によって付近の警官が集まったのだろう。

だがしかし、彼等は手を出せずにいるようだ。

 

現場であるATMのみ配置された銀行を中心に、何台もの警察車両が並んでいた。

……が、その内、の数台はひっくり返っていたり、半壊している。

 

ジョズ警部が少し表情を険しくさせて、現場から少し離れた警官……この場の状況を把握しているであろう警官の肩を叩いた。

 

 

「応援だよ。状況はどうだい?」

 

「……犯人の人数は6人。ですが、変な武器を持っていまして……手を出せない状況です」

 

「だろうね」

 

 

ジョズ警部はジャンク品になった鉄塊を見て苦笑した。

直後、その背後からナイトキャップが顔を……というか黒いマスクを出した。

 

 

『周囲の民間人は?避難は完了したか?』

 

「えっ……え、えぇ、はい。人質も居ません」

 

 

突然現れた黒塗りの人間に驚くような素振りを見せたが、すぐに納得したように頷いていた。

彼女の事を又聞きか何かで知っていたのだろう。

 

私は警官から目線を外し、ナイトキャップへ向ける。

 

 

「その、どうしますか?ナイトキャップさん」

 

『ケイティ巡査はジョズ警部と共に待機だ。この場から犯人が逃走しようとした場合は確保か、足止めを……無理のない範囲で行ってくれ』

 

「……逃走、ですか?彼等は立て籠っているようですが……」

 

『今は周りの警官を警戒して出てこないが……より大きな暴力に晒された場合、奴らは逃げ出す事になる』

 

 

私は目を瞬く。

 

 

「暴力……ですか?」

 

『これだ』

 

 

ナイトキャップが自身の乗っていた車から、黒く平たい拳銃のような物を取り出した。

警官が装備している拳銃とは違う……オーダーメイド製らしき見覚えのない武器だ。

 

 

「しゃっ、射殺……するんですか?」

 

『いいや、この武器は非殺傷だ。だが──

 

 

そして、犯行現場へ顔を向けた。

 

 

『死ぬほど痛い』

 

 

そして、そのまま……前方の警察車両、その陰に隠れた。

素早く、淀みのない動きだった。

彼女自身は心の準備を出来ているのだろうが、外から見ている私が出来ていない。

心配になって、彼女の姿を目で追っていると──

 

 

「ケイティ巡査、そう心配するものじゃあないよ」

 

「で、ですが……」

 

「考えてみなよ。彼女は何故、一人だけで……他のエージェントの同伴もなく、事件にあたっていると思う?」

 

 

それは確かに疑問だ。

彼女は何故、一人で事件現場に来たのか。

他の『S.H.I.E.L.D.』エージェントが同伴しないのか。

 

『S.H.I.E.L.D.』のエージェントと言えども、超常現象絡みの事件を一人で解決するのは無謀な筈だ。

 

なのに、彼女は一人で行動している。

その理由は──

 

 

「……一人で解決できるから、って事ですか?」

 

「そういう事だと、僕は認識しているよ」

 

 

瞬間、ナイトキャップが警察車両の陰から飛び出した。

近かった事もあり、私はその光景が見えていた。

 

犯人達は青白い光を放つ、スポットライトのような物を持っていた。

アレがチタウリの遺産を使って作られた反重力(アンチグラビティ)発生装置だろう。

しかし、ナイトキャップが接近しているというのに彼等はその武器を向けられていなかった。

 

どんなに優れた武器を持っていようと、犯人は無人のATMを襲う事を選択している素人だ。

訓練している警官でさえ、人に武器を向けるのを躊躇うというのに……素人が咄嗟に向ける事が出来るはずがない。

 

刹那、ナイトキャップが拳銃のような武器のトリガーを引いた。

発射されたのは弾丸、ではなく光だった。

そしてそれは、犯人の一人、その身体を貫いた。

 

バチン!と強烈な音がした。

 

 

「ぎ、やぁ、ぁ、あ!!!」

 

 

声の震えから、電撃を与えられたのだと理解した。

電撃で犯人を鎮圧させる武器……テーザー銃だろうか?

いや、テーザー銃は針を飛ばして本体から電流を流す武器だ。

 

しかし、あの武器からは針も糸も出ているように見えなかった。

『S.H.I.E.L.D.』が作った、何かしらハイテクな武器だろう。

そう勝手に結論付ける。

 

 

怒声と怯えた声。

犯人達は声を上げて、反重力(アンチグラビティ)発生装置をナイトキャップへ向けた。

 

だが、その動作は遅い。

彼女ならば避けられる筈だが──

 

 

「えっ……!?」

 

 

避けずに正面で構えた。

 

何故、避けない?

先程の身の動きから避ける事は出来る筈なのに。

 

瞬間、反重力(アンチグラビティ)発生装置が光った。

地面のタイルや、天井が抉れ、ガラスが割れる。

強烈な重力の歪みが彼女を襲う。

 

 

……理解した。

あのまま回避すれば、後方にいる我々に被害が及ぶかも知れないからだ。

その身を盾にする事で守ってくれた……のか。

 

 

思わず声をあげてしまいそうで……だが、私は悲鳴を飲み込んだ。

彼女が無傷で立っていたからだ。

 

黒いスーツは健在で……何やら薄紫色の光を発していた。

 

 

そして──

 

 

その紫色の光は、衝撃波となり犯人達を吹き飛ばした。

それは強烈な衝撃だったようで、反重力(アンチグラビティ)発生装置は捻じ曲がり、割れて、破壊された。

あれは見た目通り、精密機器で耐久性が無かったのだろう。

 

 

「うっ……!?」

 

 

砂埃が舞い上がり、思わず目を細める。

 

細めた視界の中で犯人達は転がり、その半数が気絶していた。

そして、気絶しなかった残りはナイトキャップから逃げるように──

 

 

「あっ……!確保!確保します!」

 

 

私が声を上げると同時に、周りの警官達が前に出た。

瞬間、発砲音が響いた。

 

 

「全員、両手を地面に付けろ!」

 

 

ジョズ警部が怒鳴りながら上に向けて威嚇射撃したのだ。

彼らは反抗する意志を失ったのか、その手を地面に付けた。

 

 

私はその様子から目を逸らし、ナイトキャップを見た。

崩壊した銀行で、気絶した犯人達を確認していた。

 

……本当に一人で解決してしまった。

私には到底考えられない凄い力で。

 

息を呑む。

 

そんな私にジョズ警部が声を掛けてきた。

 

 

「……彼女が怖いかい?」

 

 

怖い、か。

明らかに一人の人間が持っていい力ではないように見えた。

私達の持つ警官としての力を遥かに越えた、大いなる力……と言うべきか。

そして、その大いなる力には、大いなる恐れが伴う。

 

人を噛まない猛獣が居たとして、噛まないからと怯えずにいられるのか……それは否だ。

それが普通なのだ。

生き物として当然の考え方だ。

 

だから、彼女の力を見て、私が怖がっているんじゃないかと……ジョズ警部は思った訳だ。

 

しかし、私は小さく吐息を吐いた。

 

 

「いいえ、怖くなんてないですよ」

 

「……そうかい?」

 

「私は、彼女が一人の優しい人間である事を知っていますから」

 

「……ふ、ふふ、そうだね。いやぁ、君を見くびってたよ。悪かったね」

 

「全くです」

 

 

警察車両に引き摺られていく犯人達を横目にすると、ジョズ警部は柔らかく笑った。

今まで見た皮肉げな笑みと違う、心の底からの笑みだった。

 

 

「……うん、君になら任せられそうだね」

 

「……はい?何をですか?」

 

「ニューヨーク市警の、『S.H.I.E.L.D.』窓口役にだよ」

 

「……はっ?」

 

「私もね、もう歳で。管理職になれば、現場にも行きづらいんだ。だからね、後任者が欲しくて──

 

「そ、それは……えっと、分かりますが」

 

「何だい、嫌なのかい?」

 

「……そ、そんな事はありませんよ?」

 

「なら良かった」

 

 

ジョズ警部が煙草を取り出し、苦笑した。

彼女は煙草が嫌いだから、会う際は吸わないようにしている筈なのに。

……つまり、彼女の側に行かないという意思の表れだろう。

 

紫炎を燻らせて、ジョズ警部が私を見た。

 

 

「君以外の後任者候補……あー、つまり、君の先輩や同期はね。皆、彼女に怯えちゃってね」

 

「……辞職でもしたんですか?」

 

「うーん、自分からは言ってこなかったけどね。でも、分かるんだよ。確かに彼女を避けていた……それは彼女も分かってた筈だよ」

 

「……それは、何とも失礼な人達ですね」

 

「だろう?おかげで、いつまで経っても私は現場を離れられなかった。ま、それも今日までかな」

 

 

私とジョズ警部の間で、煙草の煙が立ち上がる。

少し煙たく感じて、目を逸らす。

 

 

「ケイティ巡査、君を彼女との窓口に任命するよ。正式な役職ではないから、役職手当は出ないけどね」

 

「……はい。承りました」

 

「うん、それじゃあ……今、やるべき事があるよね?」

 

 

ジョズ警部が、銀行内に居るナイトキャップへ視線を向けた。

……私は頷く。

 

 

「そうですね……では……行ってまいります!」

 

「うん、元気でよろしい。彼女によろしくね」

 

 

私はジョズ警部に敬礼をし、その場を離れた。

そうして早足で銀行内に足を踏み入れた。

 

割れたガラスを踏めば音が鳴り、黒いマスクが私へ振り向いた。

 

 

『ケイティ巡査か』

 

「お疲れ様でした、ナイトキャップさん」

 

 

労いの言葉を投げ掛ければ、彼女は少し固まって……そして頷いた。

 

 

『いや、私は大した事はしていない』

 

「いえいえ、先程の仕事が『大した事』ではないなら、私達はどうなるんですか?」

 

『……そうだな、すまない。要らぬ謙遜だった』

 

 

私が苦笑すれば、彼女も……恐らく、マスクの下で笑っていた。

顔は見えないけれど、きっと。

 

 

『警部はどうした?』

 

「ジョズ警部は他に仕事があるそうで……」

 

『そうか』

 

 

ナイトキャップが半歩開いた。

瓦礫の軋む音がした。

 

……違和感。

 

 

「……あの」

 

『どうした?』

 

「……その、先程の話、もしかして聴こえていましたか?」

 

 

彼女の素振りに、違和感があった。

そしてその原因は、一つしか思い当たる節がない。

 

 

『いや、聞こえていない』

 

 

その回答は私の言った『先程の話』が何なのか分かっている返答だろう。

その上で聞かなかった事にしてくれているのだろう。

 

 

「……私は──

 

 

だから、言わなければならない。

 

 

「私は、貴女から逃げませんからね」

 

『……そうか』

 

「はい。例え何があっても」

 

 

ナイトキャップは半壊した銀行の中、辛うじて無事だったベンチに腰を下ろした。

私の視線は下がるが、彼女の視線は私を見上げたりしなかった。

 

視線は交差せず、すれ違う。

 

 

『……私はな──

 

 

ポツリと、彼女が口を開いた。

 

 

『自惚れではないが、他の人間よりも強い』

 

「……そうですね」

 

『武器を持った人間も素手で殺せる。君が抵抗しようが、その上から捻り潰せるぐらいには強い』

 

「……それも事実ですね」

 

『それでも、私を怖がらずにいられるか?昨日会ったばかりの私を──

 

「勿論です」

 

 

即答した。

私は少しも返答を迷わなかった。

 

 

「だって貴女は、人を守るために頑張ってるじゃないですか。それも私達を含めて……なのに怖がられるなんて、おかしいじゃないですか」

 

『おかしいか?私は……普通の反応だと思うが』

 

「そんな事ありませんよ。変です。私、そういう理屈として、間違ってる事は許せないんですよ」

 

 

私の言葉に、彼女が顔を上げた。

 

 

「自分が信じる正しさは、絶対に曲げたくありません」

 

『……君は凄いな』

 

 

だから、この意思の固さを理解してくれたのだろう。

だが、私は少し視線を逸らした。

 

 

「あ、いえ……が、頑固なだけです。融通が効かないとも言われてます……けど」

 

『……フ、確かに。そうだな、君は少し融通が効かない人間だったな』

 

「……それってバカにしてません?』

 

『良いや、褒めているさ』

 

 

目前のナイトキャップが立ち上がった。

私より少し目線が高い。

だけどそれは、そのアーマースーツの靴底の差……もあるだろう。

本来は私と同程度か、それとも──

 

 

『さて、そろそろ他の警官達と合流しよう。いつまでも事件現場で語り合っている訳にもいかない』

 

「え?あ……そうですね」

 

 

私は割れたガラス窓の外で、犯人達を護送しようとしている同僚達を見た。

 

 

「……随分と話し込んでしまいましたね……これじゃあサボりって言われても否定できません」

 

『……私も共犯だ。もしジョズ警部に叱られそうになったら教えてくれ。私も共に叱られよう』

 

 

随分と気安く話しかけてくれる。

それはきっと私と親しくしたいから……ではないかと、思っている。

 

それが私には嬉しかった。

 

 

「ありがとうございます、ナイトキャップさ──

 

『ミシェルだ』

 

「え?」

 

 

遮られた言葉に、私は目を瞬いた。

それは名前だ。

誰かの、名前……。

 

 

『私の名前だ』

 

「え?あっ、でも、隠してるんじゃないんですか!?」

 

『いいや、別に隠してはいない。公にするつもりもないが』

 

「じゃ、じゃあ……なんで、私に?」

 

 

思わず訊くと、彼女は私へ振り返った。

真っ黒なマスクの下の表情は見えない。

 

 

『これから長い付き合いになる……いや、なれば良いという願掛けだな』

 

 

だが、微笑んでいるのが分かった。

どうしてかは分からないけれど。

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

クイーンズ市内の事件を解決して、数時間後。

『S.H.I.E.L.D.』によって犯行に使用されたチタウリの遺産は回収された。

 

真っ黒な大型車両に、反重力(アンチグラビティ)発生装置を載せる。

 

 

『後は頼んだぞ』

 

「任せて下さい」

 

 

運転手である『S.H.I.E.L.D.』のエージェントに任せて、私は壁にもたれかかる。

崩壊した事件現場を修復すべく、ダメージ・コントロールの職員が検証をしている。

 

それを横目にして、息を深く吐く。

 

ケイティ巡査は既に警察署に戻った。

ジョズ警部も。

 

だから今、一人、こうして現場に留まっている。

 

 

『…………』

 

 

この事件……チタウリの遺産。

それが民間に流通してしまっている原因。

 

他人事ではない。

私は当事者だ。

 

 

『……はぁ』

 

 

ケイティ巡査の、私に憧れるような目。

そんな視線を受けられるほど、私は出来た人間ではない。

ただただ善意だけで事件の収束に奔走している訳ではない。

 

善意は確かにある。

誰かを守らなければならないという善意。

 

だが、罪悪感の方が大きい。

この事件によって死人が出れば……私は後悔するだろう。

 

マスクの下で目を細める。

 

約10年前にニューヨークを襲った、宇宙人チタウリ。

彼等はアベンジャーズによって壊滅させられ、敗走した。

戦場となったニューヨークにはチタウリが残した武器が大量に放棄されていた。

 

それらは『S.H.I.E.L.D.』、ダメージ・コントロールによって回収された。

 

だが、全てではない。

幾つか、現場から盗まれていた。

 

……そして、その盗まれたチタウリの遺産を、回収したのが──

 

 

 

アンシリーコート。

つまり、私の所属していた組織だ。

 

だが、組織はアベンジャーズによって崩壊させられた。

遺産の行方は分からなくなり……忘れられた頃に、悪人たちの手に渡ったのだ。

 

これだけならば、私は自身を責めなかっただろう。

 

だが、回収されたチタウリの遺産は、組織の幹部が保持していた。

その保持していた人間こそが──

 

 

『…………』

 

 

私は背もたれにしていた壁から離れる。

そして、現場検証に参加している『S.H.I.E.L.D.』のエージェントに声を掛ける。

 

 

『すまない、先に失礼する』

 

「あ、はい!了解しました!」

 

 

敬礼するエージェントに苦笑する。

私の方が彼よりも経歴は浅いというのに。

 

ただ、ほんの少しだけ私の方が強いだけなのに……それでも私を特別扱いするエージェントは多い。

……彼等は私が『レッドキャップ』だったという事は知らない。

 

知れば幻滅するだろうか?

だが、あの名前を公表する事は上司であるニック・フューリーから禁じられている。

 

彼等から離れて、自身の車に乗る。

そしてステアリングに両腕をのせた。

 

 

『……やはり、私は尊敬されるほど偉い人間ではないさ。ケイティ』

 

 

出会ったばかりの私を信頼してくれた警官に言葉を溢す。

今、この場に居ないというのに。

言い訳のように。

 

 

『私は利己で事件を解決しているだけだ。私の罪悪感を拭うために、そして──

 

 

窓ガラスに、黒いマスク姿が反射する。

 

 

『私の兄の、遺した物を片付ける為に』

 

 

アンシリーコートが回収したチタウリの遺産、それを保管していたのは私の兄……ティンカラーだ。

その技術の流用で幾つも、人を殺すための道具を作ったのだろう。

……例え、チタウリの遺産そのものが使用されていなくとも、血で染まっている。

 

兄は善人ではなかった。

悪人だった。

 

その上で、それでも……私は彼を慕っている。

自殺する前から、自殺した後はもっと。

 

何度も罪を犯してしまっていたとしても。

それでも。

 

 

私は……彼を兄だと思っている。

 

 

だが、もう居ない。

ティンカラーは死んだ。

私を生かすために、自らの頭を撃ち抜いた。

 

これ以上、罪を犯す事はない。

 

 

『…………』

 

 

なのに、彼が遺した物が罪を犯している。

 

死後の彼に罪を重ねさせようとする。

だからこそ、許せなかった。

 

 

『……チタウリの遺産も、アンシリーコートが遺した悪意も……』

 

 

車の窓ガラスを遮光モードに変えて、マスクを脱ぐ。

 

 

「私が全て、解決しないと……」

 

 

拳を握る。

視線を落とせば……左手の薬指に付けた指輪は鈍く輝いた。

 

 

「……いけない。あんまり気負うなって、バッキーに怒られたのに」

 

 

……ほんの少しだけ、気持ちが楽になる。

息を深く吐いて、胸の奥にある重い感情と共に吐き出した。

 

 

「……『S.H.I.E.L.D.』に報告を出したら、ピーターの家に行こ」

 

 

仕事用の顔から、私生活用の顔に代える。

闘争心で火照った身体が急速に冷めていくのを感じた。

 

車に置いていた私用の端末を開けば、ピーターからのショートメッセージが届いていた。

少し気を楽にしてから、車のエンジンを始動させた。

 

 




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