彼女と息子 (Victor_oscar)
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病室と終戦

本作は彼女お借りしますのショートストーリーです。殆どかのかりしてません。
2045年が世界設定です。ちづるの息子はどうなっているかというSF作品です。
和也は全くでてきません。


2045年2月末。バレンタインだの故郷は騒いでいる。日本から飛び立った兵士の俺には馴染みない。すっかり異国の文化に染まり切ってしまった。

 

帰還後の足取りは何をするにも悪い。シャワーでこびりついた血と汚れは洗い流したし。腕や足は新調した。取りたいと思っていた機構についた泥と匂いも取り払った。だが、俺の心は重いままだ。ずっと心の底に溜まった膿のようなものは消えない。

 

まだ、緊急治療室の上で寝込んでいた三日前。中尉の昇格が確定したと聞かされた。隊の全滅という結果を差し引いて得られる者は少ない。

企業が得た利権の肥やしにしかならない。突き詰めて言えば、今までそうだったと突きつけられた。

 

ベットから起き上がり、横にある机に置かれた写真立てを手に取る。

そこには仲間がいた。ちらほらと人間の顔とは思えないほどの顔をしている。

人口皮に、前頭葉部をLEDオプティクスをそのまま備え付けている。加えて頭にヘッドセット。首筋には脳を繋げる神経接続端子がある。

デザリングと呼ばれる身体改造技術は企業戦争により大幅に引き上げられ、どんな劣悪な環境でも戦い抜くことが可能となった。

俺もその恩恵に与った一人と言える。

 

「俺は何をやってたんだろうな。」

真上の蛍光灯が無情にも眩しい。

 

湧き出る感情は抑えらず嗚咽を漏らす。ベットのシーツを濡らし、枕を汚していく。同時に眩暈と頭痛が交互に来る。

 

その時、扉をノックする音が聞こえた。

「少し待ってくれ!」

泣き顔を見られるのが嫌で、急いで目をこすり、数度深呼吸を繰り返す。ギリギリのところで踏みとどまり返事を返した。

「ふぅ...どうぞ。」

ゆっくりと開いたドアの向こうから、看護師がずかずかと入ってきた。手にはカルテを持っており忙しくペンを動かしていた。待たされてなのか少し不機嫌そうな表情を浮かべる。

「木ノ下さん。診察のお時間です。準備して下さい。」

固まった体をベッドから起き上がせ、スリッパをはく。ふらふらとした手つきで点滴スタンドを押しながら、案内されるまま病院内を進んでいく。世界が傾きながら動いている。

この前来た時と全く変わらない風景。病室と廊下の境目にあるガラス窓。壁の色。消毒液の匂い。すれ違う患者や看護婦。どれも見慣れたものばかり。

医務室に通されると、白衣を着た医師が座っていた。カルテを手に取り俺の名前を確認してくる。椅子を回転させこちらを向いた。

 

「えー木ノ下和人さん。体調と気分はどうですか?」

「最近、眠りが浅くて。前からもそうだったのですが。今回は特に酷くて。どうにも体が動かないんです。今も眩暈がしていて。」

 

眠ったとしても悪夢を見るだけ。原因不明の吐き気と倦怠感が常に襲ってくる。身体が思うように動かない。彼はこちらを一瞥もせずパソコンに何かを打ち込んでいる。カタカタと小気味良い音を立てていた。キーを押すとやっと顔を上げ質問してきた。

「食欲は?睡眠時間はどれくらい取れていますか?」

「あまり食べていません。睡眠は取れてないです。悪夢を必ず見るんです。」

医者は手元のマウスをクリックしながらキーボードを叩く。モニターを見ながら、手元のカルテにボールペンで書き込んでいた。

「それはどんなものでしょうか?」

 

「任務での出来事です。民間人が拷問にかけられて首を吹き飛ばされたところや。ブリーチングを掛けたときに響き渡った絶叫。そのあとに聞こえてきた断末魔のような叫び声。それらの夢を見ます。」

医者は淡々と機械的に質問を繰り返す。ぶっきらぼうでも冷たくも寄り添う形でもない。ただ感情を排して己の仕事を全うしている。

「それはいつ頃?」

言葉に詰まる。言え。言うんだ。湿る手と額の油汗が抑えられていない。

「....1週間ほど前です。それからずっとこんな感じで。」

「なるほど。わかりました。精神検査を受けましょうか。チェックシートご記入をお願い致します。」

彼はカバンからタブレット端末を取り出し画面をタッチしていく。俺はそれを受け取り操作しようとした。覗き込むと真っ暗な画面から突如として、幾度と見た人間を爆破する光景が浮かんできた。

息が荒くなり視界が回る。胃液が込み上げてくる。

気付くと俺はゴミ箱に頭を突っ込み嘔吐していた。震えながらギリギリ言葉を絞り出す。俺の手にあったはずのタブレットが消え、目の前には医者がいた。何が起こったのか理解できなかった。

「だ、だいじょう。げヴぇ。」

タブレットは吐しゃ物まみれになって床に転げ落ちていた。

医者は汚物を気にせず端末を拾い上げる。それを机の上に置き、画面に目を落とした。その顔は能面でどこか悲痛なものを感じさせるものだ。

「惜しいものです。まだ22歳でしょ?あまりにも若すぎる。ですが、これは仕方ない事です。貴方の精神状態は非常に不安定だ。これでは仕事が務まらない。」

彼は椅子に座り直し、俺の返事も待たずここ一週間の監査結果を話し始めた。聞き流しながら思考を巡らせた。

「では、そうですね。はい。まずは、簡単な質問から。あなたは日本省陸軍第二空挺師団特殊作戦群に所属していますね?現階級は三等軍曹。失礼。曹長でよろしいですか?」

記憶を探り、答えた。

「はい。間違いありません。」

「あなたの所属している部隊はどこですか?」

「桜沢基地です。」

「はい、結構。次は家族構成についてお聞きします。お母さんとと妹さん、それにおばあ様がいらっしゃいますよね?遺伝子欠陥は見られず、ご自身の身体を義体にした際にも以上は出なかった。

ではなぜこの様な症状が出たのでしょうか?思い当たるふしはありますか?」

「はい。家族構成はその通りです。症状については分かりません。」

医者はその答えに納得したのかどうなのかわからないが、眼鏡をあげて手元の資料を見て口を開いた。

「木ノ下さん。貴方はアラサカ社が開発したDNIシステムを脳に埋め込みました。私はこの分野に関しては専門外ですが、ただ一つ言えることがあります。貴方の脳波を解析したところ、DNIの統合監視システムにより貴方は感情を抑制され続けていました。通常なら、戦闘活動に従事する兵士は緊張感、罪悪感、恐怖心などを長年にかけて克服します。木ノ下さんの戦闘履歴を確認しました。休暇はなく4ヶ月以上任務を継続して行っていました。長期間にわたり、ストレスが蓄積された状態で、かつ、強いプレッシャーの中で仕事を行っていたわけです。その結果、極度の疲労と不安、焦燥感が募ったと考えられます。それはシステムが誤動作を起こすぐらいに。」

言葉が途切れると同時に、電子音が鳴った。医務室の扉が開き、看護師が入ってきた。

「先生。次の会議ですが。」

医師は腕時計を見ながら言った。

「あー。はぁ....。遅れると言ってください。今はこの人をなんとかしないとならない。」

「分かりました。」

看護師は扉の方に向かっていき出ていく。医者は様子を確認すると、俺に振り向き言葉を連ねた。

「すいません、話を戻しますね。貴方の症状は身体の機械化部分も影響しています。DNIとリンクしたサイバーウェアを突然切り離すと、機能不全を引き起こしてしまい最悪死に至ります。貴方と同様の症状を起こした患者は何人もいます。まだ、新しい技術なのでデータが少なく、当面では症状を薬による処方で抑え込むしかありません。その、なんと言いましょうか。申し訳ない。」

俺は驚きを隠せなかった。これはずっと続くってことか?

「えっ?」

医者は目を瞑りながら答えてくれた。

「治せないんです。私にはどうしようもない。」

彼は拳を強く握りしめていた。悔しいのは当人よりも医者のようだ。立場がそれをさせるのか、彼なりの責任なのか。俺には分からない。

「そうですか...分かりました。」

ただ、俺は了承する以外ほかにない。文句なんて言えやしない。

「お大事に。」

 

 

俺は診察室を後にした。宛がわれた部屋に戻るよう言われ、その通りにした。処方された薬を何十錠も飲む。赤に緑、青、黄色、色彩豊かなカプセルたちが俺の中に消えていく。しばらくすると睡魔に襲われ眠りについた。

 

翌朝、起きたは良いがやることもなくただ漫然と時間を潰した。薬が効いたのか、体調は良くなった気がするが、気分は全く良くならなかった。告げられた事実は良くはない。現状、金を稼ぐことも使命を果たすこともできそうにない。ただ不安になるので考えるのは止めようとした。その矢先、部屋の扉が開き、誰かが入ってきた。

「木ノ下さん。おはようございます!」

「おはよう。」

「シーツの取り替えに来ました。移動願えないでしょうか。」

「ああ。はい。」

彼女は看護師だった。10代後半くらいだろう。とても若々しく昨日の医者とは違い希望に満ちた顔つきだ。

言われるがまま退くと、看護師がシーツを剥ぎ取り、手慣れた様子で交換していく。あっという間に作業は終わり、看護師は笑顔で俺に話しかける。

「おめでとうございます!とうとう終わったんですよ!」

やけにテンションが高い。めでたいことなんてあったか?

「え?なにがですか?」

「まだ見てないんですね。失礼します。テレビつけますね。」

「あ、はい。お願いします。」

ベッドに横になったままテレビを見つめる。そこには衝撃的な光景が広がっていた。

『政府は、先ほど戦争終結に向けた講和条約に締結いたしました。CDP及びアジア武装勢力との全面的な和解に向けてNUSA新合衆国アメリカが仲介役となり、終戦協定を結ぶこととなりました。現在、サンフランシスコにて中継いたします。』

画面には、大勢の記者が詰め寄り、フラッシュを焚きながらマイクを向けていた。

呆気に取られていると、また別の映像が流れ始める。ただ俺は呆然と何も言えなかった。終わってしまった。15年続いた戦いも。俺の存在意義も。

「やっと終わったんですねえ。今日は本当に素晴らしい日です。これで平和になりますよ。」

看護師が言った。彼女の言葉は耳に入らない。もう何もかもどうでも良かった。

「ええ、そうですね。」

「はい。これからは、私達のような戦争孤児にも支援してくれるって言う話も出ていますし、きっといい時代になるはずですよ。」

「そうでしょうね。」

「はい。今までお勤めご苦労様でした。」

「はい。こちらこそおめでとうございます。」

「ありがとうございます。それでは私はこの辺で。お大事になさってください。」

 

彼女は丁寧に頭を下げて病室を出ていった。頭を抱え込みうずくまる。それ以外できない。現実は俺を許さなかった。

 

 



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道と友人

昼にかけて日が沈む方向へただ当てもなく道を歩く。春に入りかけた青緑の雑木林が生い茂り車道を挟む。人の出入りはない閑散とした場所。烏と別種の鳥の声だけが聞こえる。

気付けば基地から随分と遠くまで歩いたものだ。

 

負傷して軍病院で終戦の報告を目の当たりにした。

時間は残酷なもので半ば放心状態の中、退院を迎える形となった。

眼鏡がギザったい彼から言われた内容を要約するとこうだった。

DNIは脳機能補助作用が働いているが、記憶転位が発生し、精神分裂によりじわじわと自分を認識できなくなるんだと。司令塔の役割を持つチップは内部機械の合併症を防いでるが、人間性コストを使い果たし自我の崩壊を起こす。

また、サイバーサイコへ着実に進んでいるとも。

 

冷たい最初の印象とは随分違ったようで、医師としての職業倫理は強く、患者を見放さない気らしい。なんでも、ここは企業の息の根が掛かりすぎてるせいで、正確な診断ができない。全て利権によって左右されるのだとか。

代わりに信頼できる上野のドクターを紹介すると言われ、紹介状を持たされ放逐される形となった。

 

 

胸ポケットから煙草を一本取り出して口にくわえる。ライターの火を点けて指先に灯す。風で煙がゆらめく度に火が揺れる。

塗装があまりされていない道を抜けると線路が見えてきた。俺は吸いながら道なりに進んでいく。

 

すると、エンジン音が聞こえてきた。バイクで走り去っていくのを確認する。死角があり見えなかったが高架線の柱には男達が何人かいたようだ。

 

巨木の影を作る薄寒い高架下の真上には電車が通っている。線路沿いを歩き続けると時たま、ガラガラとレールを軋ませ刻みの良い音を上げて風が吹き抜ける。

下を支える柱には、前衛的なアートが描かれていた。さっきの奴らが描いていったのかもしれない。

虎が大きく口をあけて"虎釣衆参上!"と文字を噛んでいる落書きだ。スペレーペイントで描かれるそれはギャングの縄張りを示す。

 

シンガポールと深圳を実質支配していたギャングも同じことをしていた。

最も。戦った相手はギャングというよりも、完全に統制の取れた軍隊で一つの国のいった方が正しい認識だった。

ふと、視界の端に何かが映る。

「ん?TYGER CLAWS?」

こいつらはタイガークロウズというらしい。虎。

組織構成は日本人なのか中国人の移民がメンバーなのか。ギャングってのはどいつもこいつも奇抜な格好をして変な名前を付けたがる。

犯罪組織が存続してる理由は、企業が暴力装置として雇い入れているからで。結局他人がやりたくないことを請け負ってるに過ぎない。

とは言っても、こいつらに目撃されて絡まれても損にしかならない。早々に俺は立ち去ることにした。

 

線路上を1時間ほど歩き駅が見えてきた。遠目からデカデカと企業の電光広告版が主張し爛々と辺りを照らし出す。

広告は隙間を許さず敷き巡らされている。人の営みと利益を求める心は常に揺るぎがない。

 

泊まる宿ぐらい探そう。

 

駅のホームへ続く階段を登る途中、ふと、見覚えのある顔が視界に入る。

「お前...どうしてここに?」

俺は声をかける。そこには中学からの友人がいた。高校を俺が中退した後、どうなってるのか分からなかった。彼も俺同様にJDFとワッペンが貼られたジャケットを着ている。

彼は俺を見るなり訝しげ目を細めたが誰なのか思い出したらしく、笑顔を見せてこちらに手を振る。

「久しぶりじゃねえか、えーっと」

「木ノ下だよ相川。下の方は和人。なんでここにいるんだ?こんな辺鄙な場所に。」

「思い出した。和人でいいよな。まあ色々あって今はこの辺に住んでるんだよ。うちの会社アラサカとの取引も多くてさ、結構給料いいんだぜ」

そう言いながら友人は自慢げに胸を張る。どうやら彼は兵士ではないようだ。基地に入るための作業着といったところか。

「へぇ。すごいな。何の会社なんだ?」

「軍の下請け会社。一応開発部にいるんだけど、俺の専門はロボット工学なんだ。それで仕事柄ここに来ることが多いってわけ」

「すげえな。」

「だろぉ?」

素直にそう思う。調子が良い奴なのは昔からあまり変わってない。だが、目の前の友人は開発者になれる頭脳と知識を備えているというのは紛れもない事実。

 

「そうか。なら、ちょうど良かった。今迷子になって困っていて。道案内してくれないか?泊まる場所を探してるんだ。」

「別に構わないけど。お前こそ何してたんだ?」

「ああ俺は。兵士さ。ここに来たのは気晴らしかな?」

その言葉を聞いて彼は少し驚いた顔をする。俺の顔を見て何かを悟ったのか、納得したような表情を浮かべた。

 

「あーでも。最初見た時ほんと誰だって思ったわ。髪も白いわ、肌も青白いわでまるで幽霊みたいだったぞ。」

言いづらそうな顔をして風貌について追及してくる。

「それに....なんだその?腕が作りものじみてるというか……」

「これか?義手だよ。仕事上しかたなかったってやつだな。」

「そっか。悪いこと聞いた。」

申し訳なさそうに彼は頭を下げる。

「いや気にしないでくれ。それより、案内してくれないか?」

「あ、あぁ!勿論!」

 

彼は快く引き受けてくれた。

改札を通り、電車に乗り込む。車内には乗客は少なく座席に座ることができた。電車に揺られ目的地に着くまでしばらく時間がかかる。

その間、お互いの近況を話し合ったり昔の話に花を咲かせた。

「そうだ。聞きたいことがあるんだ。」

「和人様が質問とは珍しいな。」

「様なんてつけなくて良いだろ。」

「それもそうだな。で、聞きたい事とは?」

「新宿はどうなったのか聞きたくてさ。酷い暴動があったって聞いたから。」

暴動ではない公安部隊との殺し合いだった。俺達は民間人の被害を構わずに戦闘を続けた。

 

「あれな。凄かったらしいな。確か軍と暴徒が衝突したとか言ってたっけな。」

「家族が心配でさ。なんか知らねえか?」

「うーん。ごめん。俺は知らない。他の奴にも聞いてみるよ。多分、みんな同じだと思う。」

「ありがとな。」

電車が泊まり住宅街が見えてくる。街には光が灯り、昼間とは違った風景を映し出していた。

「てか、知らないって。お前どこ行ってたんだ?」

「台湾とかベトナムかな。駐屯地みたいなところ。」

「へぇ。なんでそんなとこ行ったんだよ。歯切れ悪いな。」

「色々あってさ。」

適当に誤魔化す。あまり深入りされても不幸になるだけ。特殊作戦をやったなどと言えるはずもない。

「まあいいか。それにしても、お前が高校中退するとは梅雨ほどにも思って無かったよ。親父さんが死んだってのは聞いたけど本当にショックだったな。」

「悪いことしたな。」

「いや、和人がくだした決断だしな。気にするなって。お袋さんの方は大丈夫なのか?」

「それをお前に聞いたんだろ?」

こいつ昔から変わってないな。見事に人の話を左から右に流してる。こういうところがあるから呆れることもしばしばあった。

「あー、そうだったな。わりぃ。」

「お前は変わらないよな。」

俺の言葉を聞いて友人は苦笑いを浮かべる。

「よく言われる。和人は随分と変わったみたいだな。昔はもっとこう....なんていうの? 」

「語彙力なさすぎだぞ。」

そうだった。相川とはこんなやり取りをしょっちゅうやっていた。懐かしさと悲しさが入り交じる複雑な感情が湧き上がってくる。

「とにかくお前は変わっちまった。昔の和人とは全然違う。何かあったのか?」

「別に。ただ、ちょっと疲れちまってさ。今はゆっくり休んでるところだよ。」

「そっか。何か奢るから元気出せよ。」

こいつはいいやつだ。だから、今の状態で会いたくはなかった。友人は俺に気を遣ってくれている。

「ちなみにどこに泊まるつもりなんだ?」

「練馬の近く。家族の安否を確認したい。」

「家族は無事だと思うぜ。」

「だと良いんだが。」

電車が揺れる。窓の外を見れば代わる代わる景色が流れていく。

 



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彼と街並み

人工音声の無機質なアナウンスが流れる。

『まもなく大宮、大宮。お忘れのないようご注意ください。』

景色を見るとそこは一変していた。住宅街がジャングル樹林のように無造作に乱立し、メガビルが光を放ちながら聳え立っている。青白い光が夜の闇を照らしている。オフィスは未だに稼働しているようだ。企業の電子広告がビルの壁を覆い尽くし、塔が幾重にも重なり合って空へと伸びている。空を飛ぶタクシーがビルの谷を縫うように飛んでいる。様々な建物から室外機が煙を上げネオンサインの広告が煌々と輝く。それらの隙間から見えるのは巨大な食肉工場プラント。

柵と荒野しかない基地周辺と違いこれらの光景はまるで別世界に来たかのようで、俺はその風景に見惚れてしまった。

「どうした?和人?」

相川は絶句している俺を不思議そうな顔をして言った。別角度から見たこけた頬は骸骨男を思わせた。寝不足によるクマとストレス疲れがありありと分かる。

「すげぇ...。これが普通なのか?」

「まぁそうかもな?ここは住宅都市だからビルはそこまでないし。まあまあ自然も多いけどな。」

「こんなに変わっていたのか。全然気づかなかった。」

「仕方ない。お前はずっと外国で戦っていたから。」

「ああまぁ。そうだが」

彼は街をただつまらないものを見るような目で見ていた。先ほどまでのテンションは既に消え去っていた。

「この街はすごいな。それに住みやすそうだ。」

友人がどんな生活をしているのか気になり街のことをほめた。俺の言葉は分かっていないといった形で言い返される。

「いや、そうでもねえよ。戦争が終わろうが関係なく金がない奴には厳しい。特にスラムはひどい。生活してるだけで命の危険がある。」

「どういうことだ?」

「貧富の差が激しいんだよ。金持ちなら関係ねえんだろうけどさ。ギャングとかマフィアが幅きかせてる。そら生きるためには仕方ないところあるんだけどさ。」

「...そうか。」

「ああ。ま、お前が襲われることはねえだろうし気にすんなって。」

不安にさせたくないのか手のひらをこちらに向けて心配ないとアピールしてきた。苦笑いはどことなく寂しさを感じさせる。

「相川。お前自身はどうなんだ?無理してないか?なんか困ってることがあるなら。助けになれることがあれば手伝う。」

俺は少しだけ踏み込んでみる。

「いや。大丈夫。今のところは。」

どこか悲しげに笑った。痩せこけた姿は俺のしってる彼ではなく過酷な企業働きをする男の顔つきだ。

「仕事忙しいんだろ。あんまり無茶はするな。」

「おう。ありがとな。どこも残業は80時間をゆうに超えてるさ。ほんとブラックな世の中だぜ。はっはっは。」

明るく努める彼の姿はとても痛々しかった。俺の親父は過労が祟って死んじまった。親父は最期の最期まで、家族のために働いて問題を自分で抱え込んだすえあの世に行っちまった。

相川も馬鹿で見栄っ張りで夢見がちな男だ。きっと誰かのために働いてるんだろう。じゃなきゃこんな無理はしない。

「.......辛かったら言えよ。力になる。」

「サンキュー!頼りにしてるわ!」

相川は気持ちのいい笑顔で答えた。心の底から親父を見ているように感じる。なんで今親父を思い出すんだ。

ガタゴトと電車が走る音が小刻みに響く。俺は少しだけ口を噛み締めて目を閉じた。苛立ちがなるべく早く過ぎ去ってくれと。

 

『次は赤羽。赤羽。お出口は左側です。』

アナウンスが流れてドアが開く。ごわつく手を握りしめていると彼から降りると声をかけられた。

「あー。ここで俺は降りるわ。和人はどうする?」

「いや。まだ乗ってるよ。」

残念そうに笑顔を崩さず相川は、そっか。残念。と言って降りていった。ドアが閉まり再び動き出す。

外を見ると相川の姿が見えた。相川はこちらを見て微笑み手を挙げる。俺も手を上げて応えると、次の瞬間にはもう見えなくなっていた。

今一度、一人となった。孤独に押しつぶされながら俺はまた目を閉じた。

 

赤羽から上野まで寝ていたようだ。のどの渇きとヤニを吸いたい欲求に逆うことが出来ず降りることにした。

標識を見ると改札口から少し出た先にあるらしい。自販機から水を購入しさっそく喫煙所に向かおうとした。

だが、道中人々からの奇異の視線に耐え切れずトイレに駆け込んだ。フェイスマスクを装着し顔や髪もすべて塗り替えることにした。

記憶から引っ張て来たものしか使えないが仕方がない。

個室から出て鏡を見る。そこには設定した通りの顔があった。20代後半といったところか。これで大丈夫なはずだ。

晴れ晴れした気持ちで人々が行き交う改札を抜けると、突然後ろから声をかけられ腕を引っ張られた。

「和也君だよね?」

振り返り確認するとパールのネックレスを首から下げた妙齢の女性がいた。

和也は俺の親父の名前だ。どう答えたものだろうか。俺はその息子の和人。漢字は一文字違い。

目の前の女は俺のことを和也と呼んだ。これはまずいことになった。



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兵士と人見知りな彼女

なんとも言えない雰囲気だ。彼女は親父の知人であるのは間違いない。名前も分からない妙齢の女性に対処する術を持ち合わせていない。

ここは人違いと伝え逃げる選択肢が最良だ。

「すみませんが。違います。」

親父の声で言葉が出力される。データを基にマスクのインカムが自動的に声を変換してしまったのだ。女がこちらを凝視してくるが、俺は気にせず歩き出した。

「待って!だ...誰?」

女は追いすがり俺の小指を強く握ってくる。あまりに強く握るものだから振り返えってしまった。後ろを見やると女の瞳が潤みだし涙がこぼれ落ちた。

泣かれてしまえばこちらに勝ち目はない。無視すればいいのに、無意識に立ち止まって茶髪のもみあげを触っていた。立ち去ろうにも留まろうにも困ったものだ。

彼女を落ち着かせようにも経験人数1人の俺が取れる打開策はほぼない。こんな時、親友が生きていればな。仕方がない。

「その。お腹すいてません?良かったらランチ行きませんか?」

俺は一体何を言っているんだろう。焦って出た言葉がランチ?マスク越しに汗が噴き出している。

彼女はコクりと小さく首肯すると腕を握りしめてきた。おいおい、勘弁してくれ。まじかよ。

「ご注文は何にいたしますか?」

テンポの良い入店音と共に店員の声がかかる。対する俺は別に腹も減ってるわけでもないし喉が渇いている訳でもない。そして、隣の女はなぜか常に黙ったまま。赤く染まった長い髪でどんな表情をしているのかさえ分からない。

間が空きながらもなんとか言葉を踏み絞って注文を返す。メニューの右上にある無機豆アイスコーヒー100%にしとくか。

「あー。すいません、これで。彼女にも同じものを。」

注文を貰うと、かしこまりましたとマニュアル通りの返事をして去って行った。改めて彼女の方に向き直る。顔を伏せてスカートの上に握り拳を作っている。話しかけた側が恥ずかしがってるのが見て取れる。なんなんだこのおばさん。親父の知り合いにこんな美人がいたとはな。しばらくして、テーブルに飲み物が届く。

ストローをさして口に運ぶ。味がしない。味も無機とは恐れ入る。

目の前の女はまだ俯いたままだ。沈黙が辛い。意を決して、口を開く。

俺が失うものなんてないのだ。勢いに任せて言ってしまおう。

「あの。俺は和也じゃないんです。ちょっとマスク外すんでちょっと待ってもらえないですか?」

彼女は顔を上げてこちらを見る。頬を赤らめながら未だ目の瞳が潤んでいる。変な罪悪感が襲う。そんな彼女を横目にマスクを外し素顔を晒す。

「.....わっ!。」

彼女は目を丸く見開き口を手で押さえている。無理もない。親父の顔を偽った男の中身は、緑色の義眼に頬から鼻にかけてサイバーウェアを移植した手術線がある。マスクを外したことでみるみる髪の毛は茶色から白へと変色していく。ジロジロ見続けられても困るな。彼女が恐る恐る聞いてくる。

 

「うぅ...。あの.....。」

 

彼女は視点をこちらに合わせず透き通った声で話す。俺は彼女の方へ向き直り答える。

「あっ。はい。なんでしょう。」

「うぅ...。その...。えっと...。」

 

何かしらを言いたげなのだがもじもじしてばかりで全く会話が進まない。しばらくすると、意を決したのか、深呼吸を数度繰り返してから口を開く。

俺よりかは明らかに歳を取ってるはずなのに小動物に似た雰囲気がある。なぜだろう。薔薇のワンピースが良く似合うからなのか。ボツポツと出る音は凝らして聞かねば流れてしまう。

「あの...。私。和也さんのお友達で。その。な、名前は。」

相手の眼光をとらえようにも視線があちらこちらに行ってしまう。なんなんだ。

「はい..。名前は?」

「わ、私。桜沢墨って言います..ッ!」

 

彼女.....。桜沢さんは、名前をやっと名乗りぺこりと綺麗に頭を下げる。お..おぅ。

 

「あぅ...そ..その...。」

「はい。」

「ああっ...うう...。か...かず..うぅ....。」

 

緊張が勝ってるせいで何が言いたいのか分からない。そのまま顔をメニュー表で隠してしまった。

俺は再度頭をかきながら思考を巡らせる。

何してんだ?と戦友達から聞かれたら、答えは一つだ。俺も知りたい。

とりあえずだ。落ち着いて現状を確認してみよう。俺も彼女に倣って咳払いをし自己紹介を始める。

 

「ごほん。えー。木ノ下和也は私の父でして。私の名前は。」

言い終わる前に対岸から声が上がる。

「あっ!か..か!和人君だよね?千鶴ちゃんの...。」

「えっ?あっはい。」

 

彼女は、目を丸くする。俺の名前が当てられたこともそうだが。母の名前も出てくるとは思わなかった。

俺は動揺を隠せずにいた。彼女は、口の頬をあげて笑顔をみせる。

 

「あ、う。ちょっと失礼。」

 

桜沢さんは、バックの中から急いで携帯端末を取り出し操作し始めた。電話か?凄まじい速さで文字を打ち画面を俺に見せつける。なんなんだ。

《急に話しかけてごめんなさい。びっくりしたよね。人前で話すこと苦手で。会えて凄くうれしかった。私のこと覚えてないよね。もうずっと前のことだもんね。お父さんとお母さんと一緒にキャンプした日が懐かしいな。和人君は元気にしてた?》

会話が苦手らしく文字による意思疎通ならできるらしい。強烈な人だ。そうか。俺が保存していないものだったか。

文字にするとめちゃくちゃ饒舌になるな。なんていうか、コミュニケーション能力に問題があるとしか思えない。いや、そんな考えは失礼だ。

 

頭に仕込んでるダイレクトニュートラルインターフェースは記憶を逐次保存する特性をもつのだが優先されるのは戦闘だ。任務や人格に影響を及ぼす記憶以外は消去されてしまっている。この人のことを思い出せないのは少しだけ残念だった。まぁ、仕方がない。

「ごめんなさい。覚えていません。その節はありがとうございます。」

彼女に対して頭を下げる。すると、彼女は手を大げさに振り、またメッセージを打ちこちらに見せる。

 

《いいよ!いいよ!謝らないで!全然っ!こっちこそいきなり本当にごめんね。声で伝えるのが本当に苦手で。こんな人おかしいし迷惑だよね...orz。でも、本当に良かった。》

 

彼女は首を横に振った後に微笑んだ。その表情は悪意もない綺麗な笑顔であった。

 

「いえ。」

 

複雑な気持ちからか短く端的に答える。迷惑を与えてしまったのは俺の方だ。彼女の顔はとても整っている。美人というよりは可愛い系の顔立ちで、髪は肩まで伸びており、おさげを一本縛ってある。目はうるんでいて、唇はぷっくりはりがあり小顔を象徴付ける。背丈は150cmくらいだろうか。

桜沢さんは明らかに俺よりかは年上なのに年下に見えてしまう。なんとも不思議な感覚だ。

 

《それにしてもびっくりしちゃった。和也君の顔から全く違う人が出てきちゃうなんて。忙しそうなのにごめんね。昔の和人くんは、背も小さくて少し弱気な性格で、でも、優しくて、お兄ちゃんな感じでかっこよかったな。もちろんいまもかっこいいけどね。》

 

相手は始終笑顔だが。俺の方はというと表情筋が微動だにせず、無愛想に見えるだろう。彼女が言うように、昔は、身体が小さくて、臆病だったと思うことにする。バックアップを取ってないので本当に分からないのだ。

 

「今は。」

どうしたものか。言葉が詰まる。

「今は。その。」

「?」

 

彼女は首を傾げる。

《言いづらいのかな?大丈夫だよ。私今は外国で仕事してて、みんなが何してるのかなって思ってたんだ。それで声をかけちゃって....。あ!でも、ちょっと驚いちゃったけどすぐに和人君って気付いたよ!お父さん譲りの大人の余裕ってやつかな笑》

 

俺は、彼女の目をじっと見つめる。彼女は、すぐさま視線を外し下を向く。正直、親父のことを知りたいんだろう。だから、声をかけたに違いない。

 

「あの。親父について知りたいんですよね?」

「えっと。」

「木ノ下和也は6年前に亡くなってますよ。2038年12月です。」

 

桜沢さんのおっとりとしていて澄んだ声がやけに腕をこわばる。彼女は困惑している様子だった。間髪を入れずに俺は口を開く。彼女が何か言おうとする前に俺は言葉を続ける。死人を侮辱するのは意味がないのは分かっている。これぐらいは許してくれ。俺も思うことがある。

 

「ある日ぽっくりと死にましたね。過労が祟ってほんとあっけないもんでしたよ。子供の俺が呆れるぐらいにね。親父が死んでからすぐに家を飛び出しちまったんで俺自身もこれぐらいしか分からないんです。すいません。これが聞きたかったんですよね?」

「そう、なんだ。たた....大変、だったよね。ご、ごめんなさい。わわ...わたし変なこと言っちゃったよね。ほ、本当に...その、ご、ごめん。」

 

彼女はひどく狼狽しており肩を震わせていた。桜沢さんは根が良い人なんだろう。瞳から涙が静かにヒタヒタと流れている。俺の心は複雑な気持ちで膨らむ。人の優しさに触れて胸の奥が少々痛むが彼女のように涙は出ない。

....こうなるであろう予想の一つに収まった。桜沢さんだって企業で働いている。企業で働くってのは大変だ。人生の数少ない休みをこんな訳分からん男に使う時間は勿体ない。早く切り上げて綺麗さっぱりしてしまおう。

 

「大変...か。とっくのとうに過ぎたことです。なんとかやり繰りしてるんで大丈夫ですよ。他に俺が知ってるのなんだったかな。」

 

なるべく穏やかな笑顔を作り思ってもない言葉を吐き出す。問題を妹に全部投げて、金だけ毎月送ってはい終わりで済ませてる。親父の葬式すら出てない。家族には通すべき道理を未だに果たしてない。

桜沢さんの表情は変わらない。ただひたすら涙を流している。歳を取っても可愛らしい桜沢さんはとても絵になるが、今は見ていて辛い。

俺は黙ったままコーヒーを飲んだ。先ほどとは違いしっかりとした苦味が伝わってくる。

 

「あ.....君。」

グラスに浮かぶ気泡をストローで潰してると、囁く音がテーブルの上から聞こえた。彼女は俯きながら両手を膝の上で握りしめている。

「か、和人君。」

俺の名前が呼ばれカップから視線を外す。桜沢さんに向き直ると目に力がこもっていた。その目は親友に似ていた。

「はい。」

心細いが確かな意思があり桜沢さんは口を開いた。言葉は短くおっとりしていてクリアに聞こえ震えていた。

「和人君はそれでいいの?後悔...してない?」

真っ直ぐで真剣でどこか悲しげだった。俺は残っていたコーヒーを一気に飲み干す。言いかけた言葉を出しても意味はない。

「えぇ。ありませんよ。」

そう言うしかない。すると、桜沢さんは椅子を引いて立ち上がった。突如俺の手が握られ甘い桜の香水と柔らかい手が触れた。心臓の音と金属ではない生の温もりが身体に伝わる。

「ご...ごめんね。でも....でも千鶴ちゃんも和人君のこと心配してる。だから....」

涙声になりながらも言葉を紡いでいく。

「せめて帰ってあげて。千鶴ちゃんあなたが帰ってくること...ずっと!ずっと待ってる!」

身体を離すと、目には大粒の雫が溜まっていた。そうか。桜沢さんは知ってたのか。とんだ独り相撲だ。多分俺が今何してるのかすらも分かってるんだろう。情報産業がどれだけ発達しても女子のネットワークは侮れない。

「ご...ごめんっ!」

黙り続けると桜沢さんは身を翻し俺から距離を取る。優しい人だな。少しだけ煙草の苦味が欲しかった。

「その。いや。」

上手く返そうにも短く女々しい低いうなり声が優先されてしまう。とにかく言葉に迷った。命令されて戦うことしか出来ないのだ。桜沢さんは俺が兵士をやってることも分かってるんだろう。そして、お袋は散々人を殺しまくった奴の帰りを待っている。問題だらけだ。

「あ...う...。ち、千鶴ちゃんねっ。最近特にすごく辛そうで。う...会ってあげたらすごく喜ぶよ。」

桜沢さんの口は聞き取りづらかった。だが、笑顔をなんとか作り言葉をたどたどしく紡いでくれる。口で伝えられないのは問題だが、頑張る姿勢は否定できない。俺は今どんな顔をしているだろうか。

「事情があるんです。」

俺の返答で桜沢さんは凍り付いた。

「そ..そうだよね。うん...。」

「........。」

気まずさだけが残る。桜沢さんはたった一言で元気のないしおれた花となってしまった。元々俺が期待通りの返答を出来ていなかったな。 何を言うべきなんだ。

沈黙を破ったのは桜沢さんの方であった。可愛くも儚い綺麗な声だ。

「じじょ..事情良かったら教えてほしいな。わた...わたし何も出来ないけど。話せば、楽になるかも。だから。」

緊張からメニュー表で顔を隠していた姿はどこにいったのか。桜沢さんの目と眉は強い意志を持っていて、真っ直ぐとこちらを見つめている。

「迷惑がー」

またしても言い終える前に遮られてしまった。彼女はテーブルの上に両手をついて身を乗り出す。そんな桜沢さんに圧倒されてしまった。思わず見惚れてしまう。

「和人君きっと千鶴ちゃんにも言えないことある!めい..迷惑に思わない。少しだけでも吐き出してみて。和人君の気持ち知りたい!」

彼女の目は本気だった。俺はその目を見て観念してしまった。

「分かりました。守秘義務を侵さない範囲でなら。」

桜沢さんは首をコクコクとうなずき聞く体制を整えている。

「えーまずは。親父が死んですぐに軍隊に入った時からの話を。」

どこにいたのか、誰と戦ったのかは言えるわけはなく。当然この身体についてはあまり言及できない。けれども、桜沢さんの表情は真剣そのもので俺の話を聞いてくれた。

「親父が死んだ翌日俺は陸軍に入隊しました。俺は何度も警察にしょっ引かれてるような奴ですからね。そんな奴が働けて、飯まで貰える仕事がほかになかったんですよ。」

 

桜沢さんは、黙ったまま聞いてくれていた。人工でない水晶玉に光る目が真っ直ぐと俺を捉える。

 

「気付いたらなんやかんやで6年間。いつの間にか小隊を率いるようになって。色んな理由が重なってこうするしかなかった。仲間もいました。」

 

言葉が詰まる。仕事をしてきた。ただそれだけを伝えればいいのに。

「やったことは人様に大声で言えるようなことじゃありません。」

 

自分の身体に張られたバーコードをなるべく見えないようにする。アクリル樹脂が添加された義腕は生身と変わらない動きができる。桜沢さんは口を開けている。よくわかっていない顔だ。見た目だけなら普通の腕だ。俺はただうわ言をつぶやき。喫茶店の天井扇がくるくると中心から回転しているさまを見続けた。余計なことを長々と語ってしまっている。

 

「ま、振られてくる任務は完遂してたんで、兵士のキャリアは他に比べれば良かった。額面さえ見れば、若くして金を得て成功した部類にはなっているのかも。」

「......。」

「辛かった....か。本当に分からないもんなんです。命令を受けて現地に赴いて仕事をする。戦う状況になると恐怖心は湧かないもんなんですよ。その日々が案外と心地よくて。」

 

桜沢さんは静かに聞いていた。その表情からは何を考えているのか読み取れない。

多分今俺が話したことは、桜沢さんが想像していたものとは大きく違っているんだろう。戦闘は悲惨で無残なものだけでは片付けられない。死ぬまで他の奴らもそうだった。

 

「ただ。結果を見れば、いた部隊は全滅か戦死、妹からは恨まれた。そういう意味では失敗か。あとは。いや...これは良いか。」

「........。」

「ま、言える範囲であればこんなもんですかね。」

「....そう...なんだ。でも。」

「どうだろな。」

 

桜沢さんは花柄のスカートを握りしめ、真っ直ぐと見据えてたどたどしく俺に質問してくる。ほんの少し太い眉に圧がある。

 

「かず...和人君...それでいいの?...き、気持ちは辛くない?」

声はとても優しく可愛いと思ってしまう。気遣う気持ちがありありと伝わってくる。真っ向から応えることはできない。白髪を手でかきあげて窓際を眺めながら呆気からんと返した。

「気持ちね。仲間と仲良くお陀仏できると思ったんですけどね。ただ、分からない。それだけです。」

啜り泣く声に気付き目の前の女性を失礼のないよう顔をちらりと伺った。桜沢さんは大粒の涙をボロボロと静かに流して衣服を濡らしている。慌てて俺は拭けるものがないかとポケットをまさぐったのだが、出てきたものは、煙草とライターだけだった。どこまでいっても戦友がいなければ締まらないな俺は。

代わりに紙ナプキンを桜沢さんの手に握らせると彼女はそれを使って涙をぬぐう。テーブルには並々とした海が出来上がってる。割と引く。

「えっと....。」

声をかけづらい。桜沢さんは俺の声に反応してくれたのか鼻水をすすりながら答えてくれる。

「ご、ごめんなさい。わた...わたしなんにも出来なくて。そ、その。」

「別に大丈夫です。慣れてますし。」

 

全くの嘘をついた。相手を宥めて元気付けられるほどできた人間じゃない。

「まぁ。」

 

一言切り出す。そもそも誰かに話すような内容ではなかった。後悔先に立たずだ。

 

「そうですね。暴力でしか物事の解決が分からない奴に出来ることなんて限られてます。会ったところでロクな結果になりません。」

桜沢さんは泣き止み一歩引いた顔つきで俺を見る。

口をくっとしめて、何か決意を固めているような雰囲気を漂わせる。

「そうかな....。」

桜沢さんは、何か言いかけてるが聞かないようにする。経験上、めんどくさくなるのが分かりきってるからだ。

椅子にかけたジャッケットを羽織り店を出る準備をする。長居しすぎた。いい加減タバコを吸いたい。

 

「さてと、そろそろ行きませんか。親父の真似事してすいませんでした。桜沢さんと話してるの楽しかったです。」

 

お開きの合図を伝えると、相手はアイスコーヒーを一気飲みし手を合わせた。この人変なところで律儀だ。

飲み終わり感謝の意をアイスコーヒー如きに伝えた桜沢さんは勢い良く席を立ちあがる。

突飛な行動に驚きペースを崩されるも合わせて俺も立ち上がった。だが、俺の予想に反し桜沢さんは俺の真横まで移動してきたのだ。

「えっ?」

俺も何を思ったのか訝し気に思い静止を決め込んでしまった。棒立ちしてると桜沢さんは俺の手を強く掴み引っ張って先導していく。あれよあれよと店の出入り口へと無抵抗に連れ出されてしまった。

店内の店員は俺たちを見て驚いていた。そりゃそうだ。美女が男を連れまわす事実もだが無銭飲食を自然にしてる。そして、当の本人はそんなこと全く意に介さずといった感じで歩き出してる。

「さっ桜沢さん!?ど、どこに?お会計っ!お会計だけさせて!」

なんとか会計窓口に踏みとどまり会計を支払おうとする。だが、俺は不都合な現実に直面することになった。



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