ウタカタノ花~血戦編 (薬來ままど)
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オリジナルキャラクター一覧(追記・ネタバレあり)

作品のオリジナルキャラクターの紹介。ネタバレがありますので、前作を読むことを推奨します


名前:大海原汐

 

読み:わだのはら うしお

 

外見年齢:16歳

実年齢:21歳

 

身長:161cm

 

階級(無限城突入時点):乙

 

出身地:西日本の漁村

 

呼吸:海の呼吸

 

好物:イカの塩辛

 

備考

西日本のとある漁村出身の少女。故郷と父親を鬼に奪われ、仇を討つため鬼殺の道に入る。

その後は仲間と出会い、心を通わせていく。

 

炭治郎には恋心を抱いており、彼を守るためなら何を犠牲にしてもいとわない精神を持つ。

 

青い髪と特殊な歌声を持つ【ワダツミの子】

 

その正体は【ウタカタノ花】と呼ばれる寄生生物に寄生された、人でも鬼でもない存在。

見た目は普通の人間と変わらないが、治癒力が異常に高い、肉体が致命的な損傷を受けると、記憶と寿命と肉体の退化を代償に一度だけ蘇生できる【還り咲き】、死ぬと虹色の泡になって消滅する等、人とは大きく異なる特徴を持つ。

 

通常ワダツミの子に戦闘能力はないが、鬼の存在を危険視したウタカタノ花が長い年月をかけて完成させた特異点【戦闘能力のあるワダツミの子】である。

 

汐自身も一度返り咲きを起こしており、記憶と寿命、そして肉体の退化を代償として蘇生している。

その為、本来は21歳なのだが、肉体年齢は16歳である。

 

海の呼吸

壱ノ型:潮飛沫

弐ノ型:波の綾

参ノ型:磯鴫突き

肆ノ型:勇魚昇り

肆ノ型・改:勇魚下り

伍ノ型:水泡包

陸ノ型:狂瀾怒濤

漆ノ型:鮫牙

捌ノ型:漁火

 

ウタカタ

壱ノ旋律:活力歌

弐ノ旋律:睡眠歌

参ノ旋律:束縛歌(転調:繋縛歌)

肆ノ旋律:幻惑歌(転調:幻影歌)

伍ノ旋律:爆砕歌(転調:爆塵歌)

陸ノ旋律:重圧歌

漆ノ旋律:誘引歌

 

日輪刀の色は普段は紺青色だが、角度を変えるたびに色が変わる非常に珍しいものである。

 

イメージイラスト

 

【挿絵表示】

 

 

 

名前:大海原玄海

 

読み:わだのはら げんかい

 

年齢:不詳

 

呼吸:海の呼吸

 

好物:酒、このわた、きれいな姉ちゃん

 

備考

孤児だった汐を拾って育てた養父であり、彼女の育手でもある。鱗滝とは昔からの知り合い。

週6で遊郭に通っていたことがあるほど筋金入りの女好き。吉原では【海旦那】と呼ばれる伝説の客となっていた。

 

実は大海原家の最後の当主であり、初代ワダツミの子の子孫。ワダツミの子の監視、および暴走した際の抹殺の命を受け持っていた。

 

とある場所で出会ったワダツミの子に【汐】と名付け、本当の娘のように育てていた。

 

炭治郎の家族とも面識があり、特に炭十郎とは玄海の数少ない男の友人の一人である。

 

 

名前:尾上絹

 

読み:おのうえ きぬ

 

年齢:序章時12歳

 

備考

汐と同じ村に暮らす少女。村一番の美人と名高く、他の村から早くも求婚が来るほど。

汐とは姉妹のように仲が良く、無茶をする汐をいつも心配している。

村の襲撃で死亡したと思われていたが・・・



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零章
夜光虫の誓い


それは夏の気配が近づいたころ。

薄い月明かりの下で動くのは、大きな影と小さな影の二つ。

 

小さな影はあわただしく動き、大きな影はそれを見守りながら指示を出していた。

 

大きな影の主は、大海原玄海。小さな影の主は、彼の娘である大海原汐。

訳あって日光を浴びることができない玄海は、夜の間に汐の訓練に励んでいる。

 

やがて月に薄い雲がかかり始めたころ。

 

「今日の訓練は今日で終いだ」

 

へたり込む汐を見降ろしながら、玄海は口元に笑みを浮かべて言った。

 

「はぁ~、やっと帰って眠れるわ・・・」

 

その言葉を聞いた汐は、安心したような顔で見上げた。

 

「何間抜け面して勘違いしてやがる。眠るのはまだ先だぜ」

「はあ!?」

 

玄海の思わぬ言葉に、汐は表情を一変させながら叫んだ。

 

「たった今訓練は終わりって言ったじゃない!呆けるには早すぎるんじゃないの?」

「でけぇ声出すんじゃねえよ!それと俺は呆けてねえ!次んなこと言ったら、はっ倒すぞ。おら、さっさと立て」

 

玄海は呆れたように首を振ると、座り込んでいる汐に立つように促した。

 

「これから海で面白いもんが見られそうなんだ。うだうだしてねぇで来い」

 

玄海はそう言って、家とは反対方向へと歩きだした。

その後を、汐は怪訝な顔をして追う。

 

「ねぇおやっさん、どこいくの?」

「いいから黙ってついてこい」

 

玄海はそれだけを言うと、汐の方を振り返りもせずに歩き続けた。

 

やがて二人は、船着き場のある海岸へとたどり着いた。

 

「え?ここなの?こんな時間に船なんて来ないと思うんだけど・・・」

 

汐が疑問を投げかけるが、玄海は答えず海の方を見つめている。

 

月明かりがあまりないせいか、海は墨を流したような真っ黒な色をしていた。

 

玄海の意図がわからず、汐は眉根を寄せた。

 

「ねえ、ここに何があるっていうのよ。おや・・・」

 

だが、汐は言葉を紡ぐことができなかった。目の前の光景に、目を奪われたからだ。

 

真っ暗な海の中に、青白い光が見えたのだ。

 

それはまるで生き物のように動き、暗い海を染めて行く。

 

「なに・・・これ・・・」

 

汐の口から、絞り出すような言葉が漏れた。

 

「こいつは"夜光虫"って言って、大量の海ン中の小さな生き物が発光してんだ」

 

玄海は海を見ながら、汐にそう説明した。

 

「条件が揃わなきゃ見られないもんだが、その反面漁に影響が出るから、生業にしている連中からは嫌われてるがな」

 

玄海はそう言って薄く笑った。

 

汐は玄海の説明が殆ど耳に入らない程、夜光虫が織りなす海の出し物に魅入っていた。

そんな汐を見て玄海は一つため息を吐くと、空を見上げながら言葉を漏らした。

 

「本当は俺みてえな爺とじゃなく、惚れた野郎と見るもんなんじゃねえかな・・・」

 

玄海は目を閉じて、ある事を思い出していた。

 

それは、汐がまだ今より幼い頃。

 

隣の村で結婚式があり、参列した村人から話を聞いたことがあった。

何でも二人が結婚を決めたきっかけが、夜光虫の輝く海を見たからだということ。

 

それのせいかは定かではないが、夜光虫を見た二人は必ず結ばれるという噂が広まっていた。

 

最初は馬鹿馬鹿しいと思っていた玄海だが、もしも汐が成長し好きな相手を見つけたらと、考えた。

 

(もしも本当にそうなるなら、父親としてこれ以上嬉しいことはないんだろうな)

 

玄海は目を開け、未だに海から目を離せていない汐に顔を向けた。

 

「なあ、汐」

「ん?」

 

汐はようやく海から目を離し、玄海を見上げた。

 

「今度は俺とじゃなくて、別の奴と一緒に見ろよ」

「何それ?絹とってこと?」

 

きょとんとする汐に、玄海は吹き出すと大声で笑い出した。

 

「な、なに笑ってんのよ!」

 

汐が抗議をすると、玄海は笑いながら汐の頭を優しくなでた。

 

「いや。なんでもねえよ。お前がお前で安心したわ」

 

玄海の言葉の意味が分からず、汐は首を傾げた。

 

波の音と夜光虫の光だけが、二人を優しく見守っていた。

 

 




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現在は修正済みです。
申し訳ありません


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紡ぎ歌(胡蝶しのぶ編)

その時は、何の前触れもない平和な日に訪れた。

 

柱稽古の際に怪我をしてしまった汐は、傷薬を貰うために蝶屋敷を訪れていた。

怪我自体は大したことはなさそうだが、小さな傷でも悪化してしまえば命に関わるものになってしまう。

 

そして間の悪いことに、汐がいた屋敷では薬が切れてしまっていたため、やむを得ず蝶屋敷に戻ることになったのだ。

 

屋敷の前についた汐は、中が妙に静かであることに首を傾げた。

 

(あれ、随分静かだわ。誰もいないのかしら)

 

「おーい!誰かいないの―!?」

 

汐が呼びかけるが、返事はない。今は鬼は出ないから重傷の隊士はいないはずだ。

 

(みんな買い物にでも出かけているのかしら。でも、全員で屋敷を開けるなんて不用心にも程があるわ・・・)

 

汐は少し嫌な予感を感じながらも、屋敷の中へ足を進めた。

 

中は本当に静かで、聞こえるのは自分の足音だけ。

少しずつ沸き上がる不安に耐えながらも、しのぶがいるであろう診察室へと足を進めた。

 

「こんにちはー。しのぶさん、いる?実は怪我しちゃって・・・」

 

だが、汐の言葉は診察室を除いた瞬間に途切れた。

 

そこには、床に倒れ伏すしのぶの姿があった。

 

「しのぶさん!!」

 

汐はすぐさましのぶに駆け寄り、その体を起こした。

そしてその顔を見て、思わず息をのんだ。

 

しのぶの顔色は、真っ青を通り越して土気色に近い色になっていたのだ。

 

「あ、汐・・・さん・・・?」

 

しのぶはか細い声で汐を見上げるが、その目は明らかに焦点があっておらず、素人目で見ても尋常ではないことはわかった。

 

「ああ、すみません。少し眩暈を起こしてしまって。でも大丈夫ですよ。心配しないでください」

 

しのぶはそう言って笑うと、机に手をかけて何とか立ち上がろうとした。だが、その足ははっきりとわかる程震えており、自力で立てるとは思えない。

 

「ちょっと、全然大丈夫に見えないわよ。足が震えているじゃない!」

「大丈夫ですから、私に構わないでください」

 

しのぶはそう言って汐の手を振り払った。だが、やはり大丈夫には到底見えなかった

 

「しのぶさん、ごめん!」

 

汐はそういう否や、ふらつくしのぶの身体を抱き上げた。

 

「!?」

 

しのぶは驚いた顔で汐を見、慌てた様子で言った。

 

「な、何をするんですか!?大丈夫ですから、おろしてください!」

 

しかし汐はしのぶの言葉を無視すると、寝室の方へ向かおうとした。

 

「聞こえませんか!?下ろしてと言っているんです!!」

 

しのぶは先程よりも強い口調で言うが、汐は聞き入れない。

 

「下ろしなさい!!」

 

しのぶが強い命令口調で言うと、汐は足を止めてしのぶを睨みつけた。

 

「うるさい!!」

 

汐の大声に、しのぶは思わず肩を震わせた。

 

「こんな顔色の人間がいるか!!体調が悪いのに柱もなにも関係あるか!!」

 

汐はしのぶを怒鳴りつけると、そのまま寝室へと運び込んだ。

 

それから無理やりしのぶを布団に寝かせ、何かないかとあたりを見回した。

 

(もー!こんな時にアオイたちはどこに行っちゃったのよ・・・)

 

医療関係に疎い汐では大した看病ができないことに気づき、焦りが生まれる。

 

「アオイたちなら今は買い出しに行っていますよ。今は重傷患者もいませんからね」

 

しのぶは力なくそう言って起き上がろうとしたが、汐は慌ててそれを制止した。

 

「動いちゃダメだって。それくらい馬鹿なあたしでも分かるわよ」

 

汐はしのぶを寝かせた後、畳に座りなおしながら言った。

 

「あの、さっきは怒鳴ってごめんなさい。あたしも少し混乱していたみたいで・・・」

「いいんですよ。気にしないでください」

 

汐の謝罪に、しのぶは笑みを浮かべて首を振った。

 

「ここのところ色々あってあまり寝ていませんでしたから、寝不足がたたったみたいですね」

「そうなの?無理しないでよ。体調を重んじるしのぶさんが倒れてちゃ、世話ないわ」

 

汐は呆れたように溜息をついた後、思い出したように言った。

 

「それよりさっき、しのぶさんを運んだ時に気づいたんだけれど・・・。あんた軽すぎるわよ!人間の体重じゃないわよ!」

「言いたい放題言ってくれますね、あなたは」

 

しのぶは額にうっすらと青筋を立てながらも、笑顔で言い放った。

 

「まあでもともかく、あなたには余計な心配をかけてしまいましたね。本当にすみません」

 

しのぶが笑いながらそういうと、汐は少し顔をしかめながら見つめた。

 

「私の顔になにかついています?」

「ううん。あのさ・・・」

 

汐は目を伏せた後、意を決したように口を開いた。

 

「しのぶさんが何を背負って、どんな覚悟で今までやってきたかは、あたしには全部わかんないけどさ・・・。せめて、せめて体調悪い時くらいはやめたら?」

 

――その、気持ち悪い笑顔。

 

「・・・え?」

 

心臓を鷲掴みにされたような衝撃が、しのぶの身体を駆け抜けた。その顔にはいつもの笑顔はなく、心の底から驚いたような顔だった。

 

「本当はあんまりこんなこと言いたくなかったけれど、ずっと気になってた。初めて会った時から、しのぶさんの"目"と笑顔の違和感に」

 

汐はしのぶの顔を見据えながら、はっきりと言った。

 

「いつも無理して笑っている感じがして、不自然で気味が悪かった。"目"と表情が全然合ってなくて気持ち悪かった。でも、それがしのぶさんなんだって思って、言えなかった」

「あなたにはそんな風に見えていたんですね」

 

しのぶはそう言って力なく笑った。そして改めて、汐の洞察力の高さを失念していたことを悔いた。

 

「そこまで見抜かれているなら、もう隠す必要もありませんね」

 

しのぶは観念したように溜息をつくと、汐の目を見ながら言った。

 

「汐さんの言う通り、私はずっと無理をして笑顔を作ってきました。前に炭治郎君と話した時に、笑っているけれど怒っているんじゃないかと言われたことがあります」

「炭治郎と?」

「はい。あなたが前に彼を喧嘩をした前日の夜です」

 

しのぶの言葉に、汐は驚きのあまりのけ反った。

 

「炭治郎君の言う通り、私は怒っている。ずーっと怒っているんですよ。以前少しだけ話しましたね?私には姉がいて、鬼に殺されたということを」

 

汐が頷くと、しのぶは目を閉じて話し出した。

 

「私の姉は胡蝶カナエといい、柱の地位に就いていました。私なんかよりもずっと優しく、鬼と仲良くすることを夢見ていました」

「鬼と、仲良く?」

 

汐が問うと、しのぶは頷いた。

 

「ええ。自分が死ぬ間際ですら鬼の事を憐れんでいた。鬼は悲しい生き物だと、そう言っていた。まるで炭治郎君のように」

「そうだったの・・・」

 

しのぶの語る重い話を、汐は拳を握りながら聞いていた。

 

「でも私は無理だった。人の命を勝手に奪っておいて可哀想?そんな馬鹿な話がありますか。鬼は自分の事しか考えず、本能のままに人を喰らい殺す。勿論、今なら例外がいるということはわかりますが」

 

しのぶは小さく息をつくと、汐に顔を向けて言った。

 

「汐さん。私が今までずっと笑顔を作り続けてきたのは、姉カナエが私の笑顔が好きだからと言ってくれたからなんです」

「そうだったのね」

「ええ。それから私は、どんな感情を抱いても笑顔でいるようになった。姉が好きだった笑顔を絶やさないように」

 

しのぶはそう言って再び笑った。だが、汐はしのぶが泣いているように見えた。

 

「しのぶさんのお姉さん、カナエさんだっけ?いくらしのぶさんの笑顔が好きだって言っても、しのぶさんが無理をしていい理由にはならないんじゃない?」

「え・・・?」

「あたしがカナエさんなら、自分を傷つけてまで無理してるなら、笑って欲しくなんかない」

 

汐の容赦ない言葉がしのぶの心に突き刺さり、しのぶの布団の中の拳は微かに震えた。

 

「今のしのぶさんは、まるでカナエさんの言葉を免罪符にしているみたいで、見ててすごく嫌だ」

 

汐の子の言葉に、遂にしのぶの何かが切れた。

 

「あなたに私の何がわかるの!!」

 

しのぶは体を起こすと、汐を睨みつけた。

 

「勝手な事ばかり言わないで!!!」

 

しのぶは胸の中の怒りを全て汐にぶつけるように叫んだ。

 

汐はしのぶの変化に驚いたが、ふっと笑みを浮かべて言った。

 

「なんだ、ちゃんとできるじゃない。そういう顔も」

「えっ・・・」

 

しのぶは面食らい、汐の顔を呆然と見つめた。

 

「今のしのぶさん、すごく"らしい"顔をしてるわ。偽物の笑顔なんかじゃなく、胡蝶しのぶっていう人間の顔をしてる」

 

そういう汐の顔は、心の底から安心したような表情だった。

 

「あたし、正直しのぶさんが怖かった。色んな感情がごちゃ混ぜになった"目"を見て、人の心を忘れたんじゃないかって思った。でもそうじゃなかった。しのぶさんは、ちゃんと人間だった。よかった」

「汐さん・・・」

 

しのぶは汐の卓越した人間性に、驚きと尊敬、そして畏怖の感情抱いた。

自分よりも年下のはずなのに、まるで自分よりも永い時を生きてきたように。

 

(この子は・・・、いえ、この人は・・・いったい何者なの・・・?)

 

だが、考える間もなくしのぶは強烈な眠気に襲われ布団に身体を預けた。

 

「眠いの?」

「ええ。流石に疲れたようなので、少し休みます。あの、アオイたちが帰ってきたら・・・」

「大丈夫、うまくごまかしておくわ。だからしのぶさんはゆっくり休んでね」

 

汐がそういうと、しのぶは頷きにっこりと笑った。

それは作り物の笑顔ではなく、心からの笑顔だった。

 

「あと、しのぶさんが何を決意しているのかは知らないけれど、無理をしてカナヲやアオイたちを心配させる真似はしないでよ?」

「約束はできませんが、検討します」

「言うじゃない」

 

汐は憎まれ口をたたきつつも、笑顔を返しその場を後にした。

 

汐が去った後、しのぶは一人天井を見つめていた。

 

(大海原汐さん。私は、あなたが怖い)

 

しのぶは目を伏せ、口元を微かに歪ませた。

 

(あなたの言葉が、私の決意を揺らがせる。怖くなかったことが、怖くなってくる)

 

――でもあなたには、私のようになってほしくない。幸せになってもらいたい。

 

「ありがとう・・・」

 

しのぶはそう呟き、ゆっくりと目を閉じた。眠気がしのぶを夢の世界へと連れて行く。

 

その日、しのぶは久しぶりに十分な休息をとることができた。

 

運命の血戦の日まで、あと少し・・・。



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一章:無限城


鬼の本拠地、無限城。

 

内臓が押し上げられるような感覚に吐き気を覚えながらも、汐は周りを見回した。

 

そこは壁や天井が滅茶苦茶に繋ぎ合わされた異空間。まとわりつくような嫌な気配が、鬼の根城であることを否が応でも気づかせた。

 

(こんなところで足止めを食っている場合じゃない。珠世さんが奴を押さえつけていたみたいだけれど、奴があのまま大人しくしているはずがない)

 

汐はすぐさま床らしきものがせり出しているところに右手をかけ、腕一本でぶら下がった。だが、汐のすぐそばを落ちていた炭治郎は、体勢が悪いのかそのまま落下していく。

 

「炭治郎!!」

 

汐が叫んで手を伸ばすが、刀を持っているため炭治郎を掴むことは不可能だ。だが、炭治郎の身体は、柵らしき場所から身を乗り出した義勇によって掴まれていた。

 

「ぎっ・・・」

 

炭治郎が義勇の名を呼ぶ間もなく、義勇は遠心力を利用して炭治郎を下の隙間に放り込んだ。

炭治郎は受け身を取ると、すぐさま起き上がり上を見上げた。

 

「大丈夫か?」

「はい、ありがとうございます。助かりました」

 

覗き込む義勇に炭治郎は答え礼を言った。

 

「あのっ!反対側に汐が・・・」

 

炭治郎は反対側にいた汐を心配し顔を動かそうとした、その時だった。

 

炭治郎の鼻が鬼の匂いを感じ取った瞬間、背後に鬼が迫っていた。

 

――水の呼吸 壱ノ型

――水面斬り

 

炭治郎がすぐさま振り返り、鬼の頸を落とす。だが息をつく間もなく、目の前の襖が膨れ上がった。

 

「炭治郎!!」

 

義勇の声とほぼ同時に、襖を突き破って夥しい数の鬼が炭治郎に襲い掛かってきた。

 

「どいて!!」

 

空気を斬り裂くような声と共に汐が反対側から飛び出し、鬼の頭を蹴り潰した。

目玉が潰れる嫌な感触に顔をしかめながらも、汐は弦をはじくような音を響かせた。

 

――ウタカタ 参ノ旋律

――束縛歌

 

汐の歌が響き渡り、たくさんの鬼達を一斉に拘束した。

その隙を突き、炭治郎と義勇が動く。

 

――水の呼吸 陸ノ型

――水の呼吸 参ノ型

 

――ねじれ渦

――流流舞い

 

二人の水の呼吸の技が、寸分の狂いもなく動きを止めた鬼の頸を全て弾き飛ばした。

 

「・・・・」

 

塵と化し消えていく鬼の屍を背に、炭治郎は何とも言えない表情で口をつぐんだ。

 

(義勇さんが凄い・・・)

 

炭治郎は淡々と刀を納める義勇を見て、顔を青くしながら汗を流した。

 

(俺の僅かな動きを見て何の技出すか把握。その後に自分も技を出して、お互いが斬り合わないように動く)

 

それから、と。炭治郎は義勇の表情を見て、さらに顔を強張らせた。

 

(この人やばい。どういう気持ちの顔これ)

 

相も変わらず義勇の全く読めない表情に困惑するも、義勇は顔を崩すこともなく歩きだした。

 

「行くぞ」

「はい!」

 

歩きだす二人の背中を、汐は少し悲しげな表情で見つめていた。

 

しかし、鬼の本拠地の名は伊達ではなく、あちらこちらから鬼が汐達に襲い掛かってきた。

汐はウタカタと呼吸を。炭治郎と義勇は水の呼吸を駆使し、先へと進む。

 

「ねえ、義勇さん」

 

何匹めかの鬼を倒した後、汐は義勇にだけ聞こえる声で話しかけた。

 

「何だ?」

 

義勇は怪訝な顔をしながら、汐の方を振り返った。

 

「奴の根城にいるせいか、さっきから殺意が沸き上がって止まらないの。今は何とか理性で押さえつけているけれど、本当は今すぐ鬼を殺したくて殺したくてたまらない」

 

汐は右手で自分の胸のあたりを掴みながら言った。

 

「それだけウタカタノ花の浸食が進んでいるみたいなの。完全に人じゃなくなったら、あたしは何をするか分からない。もしもあたしがおかしくなって、皆の敵になった、その時は・・・」

 

――私を、殺してほしい

 

汐の言葉に、義勇は微かに眉根を動かした。

 

「何故それを俺に頼む?」

「あなただから頼むのよ。あなたなら、情に絆されずにやるべき事ができる人だから」

 

汐は顔を伏せながら呟くように言った。

 

「だから、その時は「断る」

 

汐の言葉を遮って、義勇は静かに答えた。

 

「え?」

 

ぽかんとする汐に、義勇は更にづつけた。

 

「今はここを抜け、鬼舞辻無惨を討伐することだけ考えろ。雑念は迷いを生む。そして――」

 

――これ以上、誰かを悲しませるような真似をするな

 

義勇は静かにそう告げると、そのまま奥へと足を進めようとした。

 

だが、鬼の気配を感じてすぐさま振り返る。

すると、汐の死角から鬼が大口を開けて迫ってきていた。

 

義勇はすぐさま刀を抜こうとしたが、それよりも速く群青色の閃光が煌めいた。

そして間髪入れずに、鬼の頸が落ち灰となって崩れ去った。

 

「そうね。ありがとう」

 

汐は鬼の血を静かに払うと、刀を納めて歩きだした。

通り過ぎる汐をの姿を見送りながら、義勇は微かに目を見開いた。

 

(先ほどの反応速度、明らかに俺よりも速かった)

 

義勇は初めて汐と出会った時の事を思い出していた。

粗削りだったが、刀を初めて持ったとは思えなかった動き。

あの時とは比較にならない程、汐は強くなっていた。

 

(今の大海原の実力は、柱と同等、いや、それ以上かもしれない。継子の名は伊達じゃない)

 

義勇は汐の成長を驚き喜びながらも、危うさを感じていた。

 

 

*   *   *   *   *

 

無限城別室では。

 

鬼の群れの中を、桃色と緑色の鮮やかな髪が舞う。

桃色の長い刀身が煌めき、鬼の群れを一瞬で細切れにした。

 

(きゃー!!鬼がいっぱいで気持ち悪い!!)

 

蜜璃は顔を思い切りしかめながら、群れの中を突き進む。

先程無惨に斬りかかる者の中に、大切な継子である汐の姿を見てから、蜜璃の心には焦りが生まれていた。

 

(しおちゃん、大丈夫かしら?私は、しおちゃんが一番辛いときに傍にいてあげることができなかった)

 

産屋敷邸で汐の秘密をワダツミの子から語られたときから、蜜璃はずっと悔やんでいた。

自分の存在の意味と正体に苦しむ汐に、かける言葉が見つからなかった自分を、心の底から恨んでいた。

 

(私が何を言っても、しおちゃんの真実は変わらないけれど、あの子が私の大切な継子な事は変わらないわ!)

 

蜜璃はキッと表情を引き締め、目の前の鬼を見据えた。伝えなくてはならない。師範としてだけではなく、甘露寺蜜璃としての自分の言葉で。

 

「だから私は、こんなところで負けるわけにはいかないの!!」

 

蜜璃は声高らかに叫んで、思い切り地面を斬ると周りの鬼を両断した。だが、突然天井の襖が開き、新たな鬼が落ちてきた。

 

その時だった。

 

――蛇の呼吸 伍ノ型

――蜿蜿長蛇

 

背後から伊黒が飛び出し、うねる蛇のような蛇行した動きで鬼の頸を次々に落とした。

 

その手には、波打った形状の日輪刀が握られている。

 

「甘露寺に近づくな、塵共」

 

その雄姿を見た瞬間、蜜璃の胸はこれ以上ない程高鳴った。

 

(キャ――ッ!!伊黒さん素敵!!)

 

鬼の消滅を確認すると、伊黒は刀を下ろして振り返った。

 

「怪我は?」

「ないです!」

 

蜜璃の返答に伊黒は安心したのか、目を伏せて背を向けた。

 

「行くぞ」

「はいっ!!」

 

蜜璃は高らかに返事をすると、伊黒の後を追った。

 

(しおちゃんならきっと大丈夫。だってあの子には、炭治郎君がいるんだもの!!)

 

蜜璃は新たな決意を抱き、そして目の前の凛々しい背中を見つめるのだった。

 

更に別の場所では。

 

鬼の屍が灰となって消える中を、二つの人影が進んでいく。

一人は悲鳴嶼で、もう一人は無一郎。二人が無惨に斬りかかった時に近くにいたため、共に行動していた。

 

「凄い量の鬼ですね」

 

悲鳴嶼の背中を追いながら、無一郎が呟く。

 

「下弦程度の力を()()()()()いるようだな。これで私達を消耗させるつもりなのだ・・・」

「・・・お館様は?」

 

無一郎が問いかけると、悲鳴嶼は淡々と答えた。

 

「一足先に逝かれた。堂々たる最期だった」

 

静かに紡がれた言葉は、無一郎の胸を締め付けた。

 

「あの方が鬼に見つかるような失敗をするとは思えない」

 

無一郎はずっと気になっていた疑問を口にした。

 

「・・・自ら囮に?」

 

その言葉に悲鳴嶼は、少し間を置いた後答えた。

 

「・・・、そうだ。余命幾許もなかったために」

「・・・・・」

 

無一郎の表情は引きつり、顔は青くなっていた。

 

(お館様・・・)

 

無一郎は思い出していた。記憶を取り戻し、失っていた過去を。

 

「お館様は、僕が鬼に襲われて生死の境をさ迷っていた時、ずっと励ましてくださった。今際の際の隊士たちには同じくそうしていた・・・。父のように」

 

無一郎の脳裏に浮かぶのは、瀕死の重傷を負った自分を見まいに来てくれていた時の事と、意識不明だった炭治郎と汐の元へ訪れていた輝哉の姿。

 

「ああ、知っている」

 

悲鳴嶼は振り返らないまま静かに答えた。

 

「無惨は兄だけでなく、僕たちの父まで奪った。あいつ・・・、無惨・・・!!嬲り殺しにしてやる。地獄を見せてやる」

 

無一郎は両目から涙をこぼしながら、怒りに震える声で言った。

 

「安心しろ・・・。皆同じ思いだ」

 

淡々と答える悲鳴嶼だが、その顔には修羅の如き怒りが宿っていた。

 

更に別の場所では。

 

四方を襖や障子、畳などで囲まれ哉部屋で、実弥は一人静かに鎮座していた。

 

(お館様・・・、守れなかった・・・)

 

その顔には表情はなく、ただ後悔と苦悩だけが実弥を支配していた。

しかしそんな彼に、鬼は容赦なく牙と爪を向けた。

 

そんな鬼を実弥は立ち上がることなく、右手一本で振るった刀で細切れにした。

 

だが、それを合図にしたのか四方八方から鬼が次々にわき出し、実弥を取り囲む。

 

「次から次に湧く。塵共・・・。かかって来いやァ・・・」

 

実弥はゆらりと立ち上がると、鬼の群れに向かって顔を上げた。

 

「皆殺しにしてやる」

 

その表情は涙を流しながらも笑う、鬼を屠る者のものだった。

 

更に別の場所では。

 

「猪突猛進!!」

 

凄まじい足音を立てながら、獣の如く場内を駆け抜ける者がいた。

 

猪の皮を頭からかぶった少年、伊之助だった。

彼もまた、この無限城に落とされていたのだった。

 

「なんか突然わけわからんところに来たが、バカスカ鬼が出てくるもんで、修行の成果を試すのに丁度いいぜぇぇ!!」

 

伊之助は状況がわかっていないのか、笑いながら鬼を蹴散らしていく。

しかしその動きは以前よりも遥かに精錬されており、下弦ほどの実力の鬼を軽々しく打倒していった。

 

この無限城に落とされているのは、汐達や柱達だけではない。

 

玄弥、カナヲ、善逸もまた、別の場所だが落とされており、そのほかに何十人科の隊士達も落とされていた。

 

(何なんだ、ここは・・・。鬼の根城か?)

 

玄弥は次々に襲ってくる鬼を何とか倒しながらも、あたりを見回し走り続けていた。

 

(汐や炭治郎、他のみんなは?)

 

混乱しながらも玄弥は、大切な人達の無事を祈りながら足を動かす。

 

(兄貴・・・、兄貴も無事でいてくれ・・・・)

 

一方善逸は、床が障子張りになっている場所を走り抜けていた。

 

薄い障子のため力を込めれば抜けて落下してしまうのだろうが、善逸は韋駄天の如く速さで足を動かしていた。

 

だが、いつもの善逸なら怖い怖いと泣き喚くが、泣き声は一切聞こえず、その顔には一滴の涙どころか怒りの表情が浮かんでいた。

 

(音が、聞こえた・・・。アイツが近くにいるかもしれない)

 

善逸はその"音"に引き寄せられるように、ただひたすら前を目指した。

 

その場所に近づくにつれ、その表情は次第に歪んでいく。

 

「許さない・・・、アイツを。絶対に許さない」

 

普段の善逸からは決して聞くことのない強い怒りと殺意の声が、誰もいない廊下に響いた。

 

そして。

 

(血の匂いがする)

 

他の柱達と分断されたしのぶは、一人廊下を歩いていた。

 

妙にひんやりした空気の中、左側には蓮の花が植えられた小さな水辺がある。

 

(ここは何処?)

 

しのぶは漂ってくる血の匂いに顔をしかめながら、分厚い扉に手をかけた。

匂いの元は、この奥の部屋だ。

 

しのぶは扉を少し開け、中の様子をうかがった。

むわっとした血の匂いが鼻をつき、そして中から聞こえてきたのは。

 

ぼりぼりと骨を砕くような不快な音。そして次に目に映ったのは。

 

部屋中が水で満たされ、あちこちには蓮の花が植えられ、木製の橋がかけられていた部屋だった。

 

だが、その橋の上には夥しい量の死体が転がり、その中心で下品な音を立てて死体をむさぼる一人の男がいた。

 

「ん?」

 

男はしのぶの気配に気づいたのか、顔をぐるりとこちらに向けた。

その口元には血がべっとりとこびりつき、両手には食べかけの人間の腕が握られていた。

 

「あれぇ、来たの?」

 

男は侵入者と対峙したにもかかわらず、笑みを浮かべながら嬉しそうに言った。

 

「わあ、女の子だね。若くて美味しそうだなあ。後で鳴女ちゃんにありがとうって言わなくちゃ」

 

そう言って笑う男の目は、目を奪われるような虹色に輝き、そこには上弦・弐と刻まれていた。

 

その顔を見た瞬間、しのぶの顔がはっきりと歪んだ。



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時間は少し遡り。

 

善逸は鬼の気配が満ちる空間の中を、ひたすら前に進んでいた。

いつもなら怖い怖いと泣き叫び震えているはずだが、そんなものは微塵も見せず、ただ険しい表情で足を早めている。

 

その理由は、善逸が悲鳴嶼の下で修行をしていた時に、鎹雀のチュン太郎が運んできた手紙だった。

そこには、善逸の師である桑島慈悟郎の訃報が書いてあった。

 

しかもただの死ではなく、自害だったとのことだった。

 

驚き狼狽する善逸は、手紙を読み進めて行く中で慈悟郎の自害の理由を知った。

 

それは、善逸の兄弟子である獪岳という男が鬼殺隊士でありながら鬼となり、その責任を取って慈悟郎は介錯もつけずに、自分で喉も心臓もつかずに長い間苦しみ抜いてこの世を去った。

 

それを知った善逸は、必ず獪岳との決着をつけなけばならないと決心した。

 

その"音"がこの無限城の中で聞こえたのだ。

 

「許さない・・・、アイツを・・・。絶対に許さない」

 

善逸の怒りに満ちた小さな声は、鬼の耳障りな呻き声に消えていく。

それでも、善逸は足を進める。けじめをつける為に・・・

 

 

*   *   *   *   *

 

汐達が無限城に落とされてから、だいぶ時間が経過していた。

 

鬼の匂いが鼻をつき、炭治郎は僅かに吐き気を覚えながらも襲い来る鬼を蹴散らしていた。

 

鬼は基本的に群れないため、このような大群と戦う機会はめったにない。

だからこそ、慣れない戦いに少しばかり焦っていた。

 

だが、義勇の寸分狂いのない戦い方と、汐の援護のお陰で戦えていた。

 

(鬼の匂いが満ちていて、無惨の匂いを辿れない。無惨は一体どこにいるんだ・・・?)

 

産屋敷邸で無惨の姿を見た時、傍には珠世がいた。遠目で見ただけだが、何らかの方法で無惨を押さえつけていたようにも見えた。

 

鬼の群れを蹴散らしている時、ふと、汐が何かに気づいたように顔を上げた。

 

「汐?」

 

怪訝そうな顔をする炭治郎だが、汐からの殺意の匂いを感じて身体が震えた。

 

今までにない程冷たく、深く、重い殺意。まるですべてを引きずり込む、渦潮のように。

 

「・・・あっちよ」

 

「あっちって、無惨の居場所がわかるのか?」

 

炭治郎が尋ねると、汐は深くうなずいた。

 

「あたしの中の、ウタカタノ花の殺意が教えてくれているみたいなの。"奴はこの先だ。早く殺せ"って」

 

そう言う汐の目は血走り、顔には血管が浮き出ていた。だが、怒りに満ちているはずのその口元には歪んだ笑みが浮かび、狂気もにじみ出ていた。

 

「いくわよ、あんたたち」

 

汐はそう言って走り出し、その隣を義勇が走り、炭治郎も後から続く。

 

しかしこの城の脅威は鬼だけではなかった。

 

汐達が進もうとすると、突然足元の障子が開き身体が大きく傾く。それをぎりぎりで躱すと、今度は壁や天井がせり出し、容赦なく押しつぶそうとしてきた。

 

「気を抜くな!!」

「はい!!」

「ええ!!」

 

義勇の声が飛び、汐達は声を上げた。

 

建物はまるで生き物のように動き、汐達を分断させ、場合によっては始末しようとしていた。

 

(できるだけ他の隊士達と合流して離れず、無惨の所へ向かわなければ)

 

炭治郎は焦る心を抑えつつ、炭治郎は前を走る汐と義勇の背中を見つめる。

 

(珠世さんがいつまで耐えられるか分からない。だけど無惨の居場所は・・・)

 

「汐、無惨の位置は遠いのか?早く・・・」

 

だが、炭治郎が次の言葉を紡ぐ前に、鴉の鋭い声が響き渡った。

 

「カアアアーッ、死亡!!胡蝶シノブ、死亡!!上弦ノ弐ト格闘ノ末死亡―――ッ!!!」

 

その報せが耳と心を容赦なく突き刺し、汐と炭治郎は勿論のこと、義勇ですら目を見開いた。

それと同時に、しのぶの笑顔が蘇り、炭治郎の両目から涙があふれた。

 

その時だった。

 

突然鈍い音が響き、炭治郎と義勇は足を止めた。見れば、汐が壁に拳を打ち付けていた。

 

「クソがっ・・・!!」

 

炭治郎には見えなかったが、汐は零れそうなほど涙を溜め、歯を食いしばって背中を震わせていた。

拳からは血の雫が零れ落ち、手首を伝って流れ落ちる。

 

汐は思い出していた。

 

かつてしのぶが過労で倒れた際、その場に居合わせた汐が臨時で看病をすることになったことを。

 

 

 

 

*   *   *   *   *

 

『汐さんに話しておきたいことがあります』

『え、何?あたしなんかした?』

 

唐突に投げかけられた言葉に、汐は思わす身体を強張らせた。

汐も伊之助程ではないとはいえ、粗相を全くしていないわけではないからだ。

 

『いいえ、そう言うわけではありませんよ。ただ、あなたには話しておきたいと思って』

 

しのぶは一つ深呼吸をすると、真剣な面持ちで口を開いた。

 

『実は私はすでに、姉を殺した鬼の目星がついているのです。そして、その鬼の殺し方も』

『え、そうなの!?』

 

しのぶから告げられたことに、汐は大きく目を見開いた。

 

『方法は諸事情で詳しくは話せませんが、少なくとも並大抵の鬼ではない。おそらく』

『上弦、もしくはそれに匹敵する鬼ってことね』

 

汐が答えると、しのぶは少し困ったように笑って頷いた。

 

『私はこの通り体格に恵まれなかったため、鬼の頸を斬って殺すことができません。藤の花の毒も、鬼によって調合を変えなければならないし、万が一情報が共有されていたら耐性をつけられてしまうかもしれない』

 

しのぶは視線を下に向け、ため息をついた。こんなに弱ったしのぶを見るのは、汐も初めてだった。

 

何か声を掛けなければ、と思い汐が口を開こうとしたときだった。

 

『ですが、私は諦めるつもりはありません』

 

しのぶの鋭い声が、汐の意識を向けさせた。

 

『例え私の力が及ばずとも、必ず誰かがやり遂げてくれる。私はそう信じています』

 

そう言ってしのぶは汐の目を見つめた。その"目"には、強固な決意が宿っていた。

きっとその決意は誰が何と言おうと覆すことはないだろうと、汐は悟った。

 

『そっか・・・。流石柱ね』

 

汐はそう言いながらも、しのぶの事が心配になった。その決意が、誰かを悲しませることになるのではないかと思った。

 

『ねえ、しのぶさん』

『なんですか?』

 

汐は口を開いたが、言葉が出てこなかった。それは言ってはいけないような気がしたからだ。

 

『ううん、何でもない。ただ、もしその鬼を殺せたら、最期に何か言ってやれって思ってさ。『一昨日きやがれ!』とかさ』

『ふふっ、実はもう考えてあるんですよ。もしその時が来たら、こう言ってやりますよ』

 

 

――とっととくたばれ、糞野郎って。

 

『・・・・・』

 

汐は唖然としてしのぶをみた。しのぶはにこにこと笑みを浮かべ、汐を見つめている。

 

『あ、そう。でもいいんじゃない!あたしだったらもっとボロクソ言ってやるけどね。この×××野郎!とか』

『流石にそこまでは・・・、というより女の子がそんなことを言ってはいけません。流石に下品すぎますよ』

 

汐は頭を掻き、困ったように笑った。そんな汐を見て、しのぶは心の中でつぶやいた。

 

(汐さん。あなたはきっとこの先の未来に必要な人だわ。だからこそ、カナヲにも言えなかった事を言えた)

 

しのぶは慌てふためく汐を見て微かにほほ笑んだ。

 

『汐さん。あなたに一つ頼みたいことがあります』

『何?』

 

汐が聞き返すと、しのぶはにっこりと心の底から笑みを浮かべて言った。

 

 

 

――これからもカナヲと、友達でいてあげてね・・・・

 

 

 

*   *   *   *   *

 

「立ち止まるな」

 

義勇の静かな声が汐と炭治郎の強張った心に響いた。

 

「今は自分たちのするべきことだけを考えろ」

 

そう淡々と言葉を紡ぐ義勇に、汐は何かを言いたげに振り向いた。

 

義勇の表情はいつもの通りだったが、汐は気づいていた。"目"に、微かだが怒りと喪失感が宿っていたことを。

 

それは後方にいた炭治郎も匂いで察していた。

 

だが、悲しんでいる余裕などない。

 

二人は涙を乱暴にぬぐうと、無惨の元へ向かうべく足を進めた。

 

それから暫く走り続けた後、炭治郎は妙な事に気づいた。

 

恐らく、決戦に備えて上弦の鬼は全てこの城に集められているはずだ。

 

だが、しのぶが遭遇したにもかかわらず、上弦に全く遭遇する気配がないのだ。

 

「汐!無惨の位置はまだ遠いのか!?」

「せかさないで!!位置はわかるけど、具体的な距離までは把握しきれないのよ!!」

 

汐も苛立っているのか、声に棘があった。炭治郎も匂いを辿るが、他の鬼の匂いがそれを阻む。

 

(他の皆はまだ無事か!?)

 

炭治郎は焦りながらも、散っていったしのぶを想い胸のあたりを強く握った。

 

(しのぶさん・・・!!きっと勝ちますから。きっとみんなが、俺達が・・・)

 

その死を決して無駄にはしない。それは汐も同じだった。

 

(あなたが何もなくあっさり死ぬなんてありえない。きっと何かとんでもない罠を仕掛けていたはず)

 

汐は悲しみながらも、しのぶのしたたかさと決意を信じていた。

 

(大丈夫よ、しのぶさん。あんたの怒りと殺意は、あたし達が全部持っていくわ・・・。後は任せて)

 

汐は再び殺意を目に宿しながら、足に力を込めた。

 

その時だった。

 

突然、轟音が響き部屋中が揺れ出した。あまりの激しさに、汐は思わず足を止め、隣を走っていた義勇も刀に手をかけた。

 

「何だ、この揺れは!!」

「義勇さん!!」

「落ち着いて炭治郎。周りを警戒して!」

 

汐は叫ぶように言うと、精神を研ぎ澄ませて鬼の気配を探った。

 

(まだだれか戦っているのか!?また誰か死んでしまうのか!!)

 

炭治郎の心に再び焦りが生まれるが、その衝撃は段々とこちらに近づいているようだった。

 

その時、炭治郎の鼻が強い鬼の匂いを捕らえた。

 

(この匂いは・・・!)

 

炭治郎は匂いに覚えがあった。忘れもしない、この匂いは・・・

 

「上だ!!大海原、下がれ!!」

 

義勇の声が響くのと、天上が突き破られるのはほぼ同時だった。

 

「!!」

 

汐は間一髪で落ちてきたものをよけ、自分の前に立つその鬼を見つめた。

 

「お、お前は・・・!!」

 

汐と炭治郎はその鬼に覚えがあった。

全身に藍色の線状の文様を浮かばれた、筋肉質の青年のような鬼。

 

忘れもしない、あの忌まわしい記憶。

 

「久しいなァ」

 

鬼の嬉しさを隠しきれない声が、轟音と混じって耳に届く。

 

「良く生きていたものだ。お前等のような弱者が。竈門炭治郎!!ワダツミの子!!」

 

その瞬間、二人の心に怒りと殺意が沸き上がる。

 

「猗窩座ァァァァアア!!」

「野郎ォォォオオオ!!!」

 

二人の咆哮が重なり、城中に響き渡った。



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時は遡り。

 

元兄弟子であり師の仇である獪岳と対峙した善逸は、雷の呼吸と血鬼術による猛攻に、全身がひび割れるほどの重傷を負っていた。

だが、その中で善逸自身が独自に編み出した、雷の呼吸漆ノ型 火雷神で獪岳を退けた。

 

その反動で善逸も死の淵に立たされたが、師の言葉と鬼殺隊士に扮した愈史郎の賢明な処置により一命をとりとめたのだった。

 

更に時は遡り。

 

産屋敷の別邸では、父輝哉に代わり当主の座に就いた産屋敷輝利哉が、愈史郎の血鬼術の札を貼りつけた鴉から送られてきている情報元に、無限城の見取り図の作成に励んでいた。

 

その傍らでは珠世が作った人間に戻る薬を投与された禰豆子がおり、その護衛に鱗滝、宇髄、槇寿郎がついていた。

 

鱗滝の心臓は早鐘のように打ち鳴らされていた。禰豆子が人間に戻れば、無惨の目論見は潰える。

だが、それは前例のないことであり、何が起きるか誰にも分からない。

 

鱗滝は思い出していた。鬼になった妹も戻す為に鬼殺の道を選んだ炭治郎。

そして、旧友の娘であり、生まれる前から鬼と戦う宿命を背負っていた汐。

 

彼等が現れたことにより、運命は一気に大きく動き始めたような気がした。

 

(負けるな、禰豆子。負けるな、炭治郎。負けるな、汐)

 

鱗滝は三人の無事を、強く、強く願った。

 

 

*   *   *   *   *

 

――ウタカタ 壱ノ旋律

――活力歌!!!

 

初めに仕掛けたのは汐。歌が響き渡り、炭治郎達の身体を強化する。

 

だが、間髪入れずに猗窩座が飛び出し、炭治郎に向かって拳を振り上げた。

 

――ヒノカミ神楽

――火車!!

 

炭治郎はその攻撃を紙一重で躱すと、その刀を猗窩座のもう一方の腕に向かって振り上げた。

 

(行け!!行け!!行け!!)

 

刀が猗窩座の鋼のような筋肉に深く深く食い込む。

 

(腕ぐらい斬れなきゃ、頸なんて斬れない)

 

一瞬硬直する猗窩座に向かって、義勇と汐は援護しようと躍り出た。

 

炭治郎は全身に力を込めて刀を振り上げると、その太い腕を見事に斬り落とした。

 

(斬れた!!攻撃も躱せた!!汐の力の力も合わさっているから、通用する、戦える!!)

 

しかし頸は狙えておらず、致命傷は程遠い。しかも、炭治郎の着地の瞬間を狙って、猗窩座のもう一本の腕が彼の眼前に迫った。

 

――海の呼吸 壱ノ型

――潮飛沫

 

汐がすぐさま飛び出し、猗窩座の頸に向かって刀を振るう。しかし、刃が届く前に猗窩座は汐を蹴り飛ばそうと、そのままの姿勢で足を振り上げた。

 

――ウタカタ 肆ノ旋律

――幻惑歌

 

 

汐の姿は煙のように消え、その代わりに炭治郎の刃が迫った。

だが猗窩座は全く慌てる様子もなく再び炭治郎に拳を振るう。

 

――ヒノカミ神楽

――幻日虹

 

拳は空を切り、目を見張った猗窩座の後方に炭治郎は降り立つと、すぐさま刀を構えて振り返った。

 

その瞬間、猗窩座の頭部から血の雫が舞い上がった。

 

(炭治郎・・・)

 

その雄姿に義勇は思わず言葉を失った。

 

(格段に技が練り上げられている。大海原の歌のせいもあるだろうが、それでもここまで動けるとは・・・)

 

先程の汐の反応速度と言い、炭治郎の動きと言い、義勇は自分の弟妹弟子の急成長に驚きを隠せないでいた。

 

初めて二人と出会ったあの日。禰豆子以外の家族を殺された炭治郎は雪の中で絶望し、頭を垂れて命乞いをするしかなかった。

だが今は、命を、尊厳を奪われない為に、自分の力で戦っている。

 

そして汐も、あの日最愛の父親を自分の手で討ち、憎しみと殺意に捕らわれていた。

だが今は、愛する者を守るため、自分の運命に決着をつける為に戦っている。

 

それは猗窩座も同じだったらしく、炭治郎と汐を交互に見やると表情を緩めた。

 

「"この二人は弱くない、侮辱するな"」

 

猗窩座が呟いた言葉に、二人は聞き覚えがあった。それは、かつて煉獄が対峙した時に放った言葉だった。

 

「杏寿郎の言葉は正しかったと認めよう。俺は本来、女と戦う趣味はないが、お前達は確かに弱くなかった。敬意を表する」

 

猗窩座は汐と炭治郎を交互に見据えると、畳が砕ける程強く足を踏み込んだ。

 

――術式展開

 

猗窩座の足元に、雪の結晶のような陣が展開され、鬼の気配が強まった。

 

「さあ、始めようか。宴の時間だ」

 

猗窩座は嬉しそうに口元を歪めると、すぐさま動き出した。

 

二人は身をひるがえし、その攻撃を躱すが衝撃で汐の身体は吹き飛び、壁に叩きつけられた。

 

「汐!」

 

炭治郎が叫ぶが、その隙を突き猗窩座が大きく飛び上がり、炭治郎の頭を踏みつけた。

しかしそこには何もなく、土煙がもうもうと上がっているだけだった。

 

――水の呼吸 参ノ型

――流流舞い

 

次に動いたのは義勇。無駄のない動きで猗窩座を翻弄し、同時に汐達が身をかわす隙を作った。

 

「水の柱か。これは良い!遭遇したのは五十年ぶりだ」

 

猗窩座は興奮したように声を上ずらせると、標的を義勇へ移した。

 

――破壊殺・乱式

 

猗窩座は目にも留まらぬ速さで、拳を連続で義勇に打ち込んだ。凄まじい衝撃が広がり、畳が砕け舞い上がる。

 

――水の呼吸 拾壱ノ型

――凪

 

しかし義勇の間合いに入った攻撃は全てそれ、周りへと散らばった。

それを見た猗窩座は、更に目を見開き、顔を高揚させた。

 

「見たことがない技だ。以前殺した水の柱は使わなかった」

 

猗窩座は雄たけびを上げながら義勇に躍りかかった、その時だった。

 

――ウタカタ 陸ノ旋律

――重圧歌

 

汐が歌を歌い、猗窩座の身体を地面に叩きつけ、その上から炭治郎が躍りかかった。

 

「何だこれは!身体が重くなるとは!!」

 

しかし猗窩座はすぐさま立ち上がると、炭治郎の一撃を躱し視線を汐に向けた。

 

――破壊殺・空式

 

猗窩座は汐に向かって拳を突き出し、空気の砲弾を放った。

 

――海の呼吸 陸ノ型

――狂瀾怒濤

 

汐も負けじと刀を振り、荒れ狂う波のような斬撃が砲弾を全て叩き落し、その一発を猗窩座に向けてはじき返した。

 

空気の弾が猗窩座の右肩を抉り、血柱を打ち上げる。

 

「さっきの一発、のし付けて返すわ」

 

技を撃ち返された猗窩座は、女の隊士がここまで食らいつくことに驚き、そしてさらに気分を高揚させた。

 

「汐と言ったな!お前が男に生まれてこなかったことが、至極残念で仕方がない」

「ほざいてろ、ボケ!そのよく回る舌を千切りにしてやるわ!!」

 

汐は大声で挑発しながらも、指文字で炭治郎に動きの指示を出した。それに気づいた炭治郎は、すぐさま義勇と目を合わせて合図をする。

 

猗窩座は瞬時に汐との距離を詰めると、手を伸ばし首を斬り落とそうと試みた。

 

――海の呼吸 伍ノ型

――水泡包み

 

汐は猗窩座の盲点に入り込み、その存在を一瞬だけ消し、猗窩座が怯んだ時を狙って義勇が動いた。

 

――水の呼吸 弐ノ型

――水車

 

――ヒノカミ神楽

――炎舞

 

義勇が猗窩座の右腕を斬り飛ばし、炭治郎が左腕を斬り飛ばし、そして

 

――海の呼吸 漆ノ型

――鮫牙

 

汐が死角から入り込み、猗窩座の頸に向かって刃を振るった。

 

「素晴らしい!!」

 

猗窩座の甲高い声が響き渡ったかと思うと、すぐに腕を再生させ、義勇と炭治郎を吹き飛ばした。

そして汐の斬撃を躱すと、その足を汐の頭に向かって振り上げた。

 

だが、その一撃は空を切った。汐は身体が真っ二つになりそうなほど大きく身体を逸らし、それを回避した。

そしてそのまま、両足を猗窩座の腕に絡ませると、思い切りへし折った。

 

「行け!!」

 

汐の鋭い声と共に、土煙の中から炭治郎と義勇が躍りかかった。

 

「汐、離れろ!!」

 

汐が離れると同時に、二本の刀が振り下ろされた。しかし、猗窩座は両腕を思い切り振り、斬り落とされながらも二人を再び吹き飛ばした。

 

炭治郎は衝撃のあまり鼻血が吹き出し、義勇の頬にも数かな傷がついていた。

 

「流麗!!練り上げられた剣技だ。素晴らしい!!」

 

猗窩座は義勇に目を向けると、容赦のない猛攻を叩き込み始めた。義勇も刀を振るい、その攻撃をいなしていく。

 

「名を名乗れ。お前の名は何だ!!覚えておきたい!!」

 

興奮しきっている猗窩座の問いに、義勇は表情を変えずに口を開いた。

 

「名乗るような名は持ち合わせていない。俺は喋るのが嫌いだから話しかけるな」

「そうか。お前は喋るのが嫌いなのか。俺は喋るのが好きだ。何度でも聞くぞ、お前の名を!!」

 

猗窩座は義勇の話を全く聞かず、大きく雄たけびを上げると力を貯めた。

 

(いけない!)

 

猗窩座の背後に倒れていた汐は起き上がり、すぐさま動き出す。

それと同時に、猗窩座は技を放った。

 

――破壊殺脚式

――龍閃群光

 

猗窩座の右足が目にも留まらぬ速さで動き、義勇に向かって行く。

 

――ウタカタ 伍ノ旋律・転調

――爆塵歌!!!

 

足が食い込む瞬間に汐が滑り込み、衝撃波を至近距離で放った。その衝撃で両者は吹き飛び、義勇と汐は壁を貫き、遠くまで飛んで行ってしまった。

 

「義勇さん!!汐!!」

 

炭治郎が思わず名を叫ぶと、その耳元で猗窩座の声が聞こえた。

 

「そうか。あいつは義勇という名前なのか」

 

炭治郎はすぐさま距離を取り、ヒノカミ神楽を放とう構えた。

 

――ヒノカミ神楽

 

だが、それと同時に猗窩座も拳を振り上げた。

 

――破壊殺

 

――鬼芯八重芯

――灼骨炎陽

 

二つの技がぶつかり合い、部屋中に衝撃波が広がりあちこちを砕き、破壊していった。

 

 

*   *   *   *   *

 

 

一方。

 

猗窩座に吹き飛ばされた汐と義勇は、美しい絵が描かれた襖に囲まれは部屋まで飛ばされていた。

 

「無事、義勇さん?」

「ああ。お前のお陰で助かった」

 

義勇はそう言うと、汐の手を引いて立ち上がらせ周りを見渡した。

 

「だいぶ飛ばされたようだな。すぐに炭治郎と合流するぞ」

「言われなくても」

 

汐が返事をし、足を踏み出そうとした瞬間。鬼の気配が汐の身体を突き刺した。

しかも普通の鬼ではない、上弦の鬼の気配だ。

 

「どうした、大海原」

 

義勇は気が付かないのか、怪訝そうな顔で汐を見た。

汐は一つため息を吐くと、顔を伏せて言った。

 

「義勇さん、先に炭治郎の所へ行って」

「何を言ってる?」

「上客が来てしまったみたいなの。多分、あたし宛にね」

 

義勇は怪訝な顔のままで汐の顔を見て、ハッと息をのんだ。

 

汐の目は鋭く、炭治郎がいるであろう場所とは別の場所を睨んでいる。

 

この表情に義勇は覚えがあった。

 

それは、初めて刀を握り、鬼となった玄海と対峙した時に見せた、覚悟を決めた表情だった。

 

「だからお願い、先に行って炭治郎を助けてあげて。あたしの、あたしの大切な人なの。死なせないで」

 

汐の気迫に義勇は渋々折れ、小さく「分かった」と返事をした。

 

「あ、ついでに炭治郎に伝えて。"あたしの分まで、あの野郎をぶちのめせ"って」

 

女らしさの欠片もないその言葉に、義勇は呆れたような表情を浮かべつつも頷いた。

 

「分かった。だが、俺からもお前に伝えることがある。いや、きっと炭治郎もこう言うだろう」

 

――絶対に死ぬな。生きて戻って来い、汐。

 

汐は義勇に初めて名前を呼ばれたことに驚きつつも、にっこりと満面の笑みを浮かべて言った。

 

「大丈夫。いい女はそう簡単に死にやしないのよ。だからさっさと行く!」

 

義勇は汐をしばらく見つめた後、踵を返し、炭治郎の元へと向かった。

 

一人残った汐は、迫りくる気配に鳥肌を立てつつも刀を握りなおした。

 

(来る・・・!)

 

汐は殺意を全身に纏い、気配に備えて大きく息を吸った。

 

すると襖が音もなく開き、そこから一つの影がぬうっと姿現した。

 

その影に汐は息をのみ、目を大きみ開いた。

 

「ア゛・・・・ア゛・・・」

 

そこにいたのは、全身がズタズタに斬り裂かれ、腐った水のような悪臭を漂わせる奇妙な生き物がいた。

 

「タス・・・ケテ・・・!タスケ・・・テ・・・!」

 

その生き物は懇願するように両腕を汐の方に伸ばし、目のあたりからは涙をこぼしていた。

 

「まさか・・・、まさかあんたは・・・!!」

 

汐は体中をぶるぶると震わせると、思わず口を動かした。

 

「絹・・・・?」

 

汐がその名前を呼んだ瞬間。

 

轟音が響き渡った。



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汐と義勇が吹き飛ばされた後、炭治郎は一人で猗窩座と対峙していた。

一向に衰えない猛攻に、炭治郎は必死で食らいついていた。

 

だが、炭治郎は戦いのさなかで煉獄を侮辱され、心に冷たい怒りを宿していた。

 

猗窩座は弱者を反吐が出る程嫌悪し、弱者は強者に淘汰される。これが自然の摂理だと語った。

しかし炭治郎はその考えを真っ向から否定した。

 

生まれた時は誰しもが弱く、小さな赤子であり、誰かの助けがなければ生きていくことができない。

それはかつて人間だったであろう、猗窩座も例外ではないはずだ。

 

「強い者は弱い者を助け守る。そして弱い者は強くなり、自分より弱い者を助け守る。これが自然の摂理だ」

 

炭治郎の脳裏に浮かぶのは、自分を守り、そして自分が守った者たちの姿。愛する者たちの顔だった。

 

そんな炭治郎に猗窩座は心の底から嫌悪感を覚え、不愉快だと言わんばかりに猛攻を仕掛けた。

 

まるで羅針盤のように確実に隙を刺してくる、正確すぎる技の数々に炭治郎は押され始め絶体絶命の危機に陥っていた。

 

その時だった。

 

間一髪で義勇が駆け付け、猗窩座を吹き飛ばすと炭治郎の窮地を救った。

 

「義勇さん!!」

 

義勇の無事な姿に、炭治郎は安堵の声を上げた。

 

「俺は頭に来てる。猛烈に背中が痛いからだ」

 

表情はあまり変わらず声にも抑揚がないが、炭治郎が感じた匂いが義勇が怒りを覚えていることを証明していた。

 

「よくも遠くまで飛ばしてくれたな、上弦の参」

 

義勇は痛みをこらえるように大きく息を吸い、水の呼吸特有の静かな音が響き渡った。

 

「義勇さん」

 

炭治郎は思わず息をのんだ。義勇の左頬全体に、雫のような痣が浮き出ていたからだ。

 

「無事か、炭治郎」

「は、はい!!」

 

義勇が静かに声を掛けると、炭治郎は慌てて返事をした。だが、そこに汐の姿がないこと気づき、焦った表情を浮かべた。

 

「義勇さん、汐は、汐はどうしたんですか!?」

「・・・」

 

義勇は言葉を切ると、猗窩座を見据えたまま静かに言った。

 

「汐は追っ手と戦うために一人残った。俺に、お前を助けるように頼んで」

「そんな、何で・・・」

 

炭治郎は何か言いたげに義勇を見るが、義勇は汐の決意に満ちた表情を思い出しながら言った。

 

「汐は強い。それはお前が一番よく知っているはずだ」

「・・・!」

「それと、伝言だ。『あたしの分まで、あの野郎をぶちのめせ』だそうだ」

 

汐らしい言葉に炭治郎は表情を微かに緩め、湧き上がってきていた考えを振り払った。

義勇の言う通り、汐の強さを誰よりも近くで見てきた炭治郎は、汐を信じると決めた。

 

ならばやるべきことは一つだ。必ず勝って生き残り、鬼舞辻無惨を討ち倒す!

 

炭治郎は決意を胸に抱きながら、猗窩座に向かって刀を構えるのだった。

 

 

 

*   *   *   *   *

 

 

 

――"かわいそう"に・・・。

――絹ちゃんのお母さん、まだ若いのに小さなあの子を置いて死んじゃったんだって?

 

家の前で、一人さめざめと涙をこぼす少女に、村人たちはそんな声を掛けて去って行く。

 

――お父さん、漁に出てから何日も帰らないんでしょ?

――一人で"かわいそう"・・・

 

村一番の美少女と謳われた少女は、かわいそうという言葉に囲まれ、いつもその中心にいた。

 

かわいそうな少女。それだけで皆は少女を憐み、そしてその健気さに心を打たれた。

少女にとってそれは当然であり、心の安定剤だった。

 

だが、その心の平穏は突如として破られることになった。

 

『なによ。みんなして寄ってたかってかわいそう、かわいそうって』

 

その言葉に少女は、今までにない程驚いた。

 

『勝手にかわいそうなんて決めつけるんじゃないわよ。絹はかわいそうな子なんかじゃないわ』

 

その言葉は少女を作っていた世界を粉々に破壊し、少女が今まで作り上げてきたものを零にしてしまった。

 

『自分だけが不幸だなんて思わないでよ。だってあんたは、一人じゃないじゃない』

 

その言葉を発した人は、そう言って笑った。目が覚めるような、真っ青な色の髪を揺らして・・・。

 

 

*   *   *   *   *

 

 

「絹・・・?」

 

汐が震える声で呼んだ瞬間、それはぶるぶると小刻みに震えたかと思うと、突然閃光と共に破裂した。

 

汐は間一髪で身をひるがえし、爆発を回避する。

 

すると爆発四散したそれの残骸が部屋中に飛び散ると、触れた場所がみるみる変色し魚介類が腐ったような悪臭が充満した。

 

「わあ、あれを躱せたのね。やっぱり汐ちゃんはすごいわ!」

 

この場に似つかわしくない、心からうれしそうな声が聞こえ汐は視線を鋭くさせた。

 

その視線の先には、海藻と白いサンゴがちりばめられた西洋風の衣服を纏った少女の鬼が静かにたたずんでいた。

 

「久しぶりね、汐ちゃん。相変わらず元気そうで何よりだわ」

 

鬼はそう言ってほほ笑むと、目をゆっくりと開けて汐を見つめた。その双眸には【上弦の伍】と刻まれていた。

 

「生きていたのね・・・、絹」

 

汐がそう言うと、絹はその反応が少し不満なのか困った顔をした。

 

「あれ?思ったよりも嬉しそうじゃないのね。こっちはせっかくあえて嬉しくて堪らないのに」

 

絹は両手を頬にあてると、顔を高揚させながら言った。

 

「だって、だって・・・。私の手で、汐ちゃんを殺せるなんて、こんなうれしいこと他にないわ!!」

 

血気術  冥々囹圉(めいめいれいぎょ)

 

絹が高らかに叫んだ時、絹の衣服から根のようなものが伸びだし、部屋中に張り巡らされていく。

畳や襖は瞬時に水分を含んで腐食し、フジツボや海藻が浮き出していく。

 

やがて絹を中心とした悍ましい結界が完成した。

 

「これは・・・、炭治郎がここに居なくてよかったかも」

 

汐は充満する悪臭に吐き気を覚えながらも、汐は絹がいたであろう方向を向いた。

だが、そこに絹の姿はなく、照明の光も遮られた真っ暗な空間が広がるばかりだ。

 

「ねえ、汐ちゃん、聞こえる?」

 

暗闇の中から絹の声が聞こえ、汐は刀を構えなおし、少し口を開けながら表情を硬くした。

 

その時だった。

 

突然汐の死角から何かが飛び出し、その背中を容赦なく穿った。

汐の身体は反動で浮き上がり、口からは血があふれ出す。

 

「私ね、汐ちゃんにずっと言いたいことがあったの」

 

汐の身体が天井すれすれまで上がったかと思うと、今度は天井から刃の様に鋭い海藻が飛び出し、汐の全身を薙ぎ左手を吹き飛ばした。

 

「私ね、ずっとずーっとまえから汐ちゃんの事・・・」

 

――大っ嫌いだったの

 

その言葉に汐は目を見開き、喉を締め付けられるような感覚に襲われた。

 

「私はね、自分の舞台を壊されるのが大嫌いなの。私が泣けば、皆が私をかわいそうっていって、私を見てくれるわ」

 

絹は姿を見せないまま、結界から様々なものを呼び出し汐に猛攻撃を仕掛けた。

 

汐は成す術のないまま、全ての攻撃をその身に受け続けた。

 

「私の舞台には私と、私を引き立ててくれる脇役と舞台装置があればいい」

 

真っ暗な空間に、絹の澄んだ声と汐の身体を穿つ鈍い音だけが響き渡る。

 

「身内が死ねば、私は"悲劇をその身に受けたかわいそうな子"になる。困った人に笑いかけて手を差し伸べれば"心の優しい健気な子"になる。そうすれば周りは私に優しくしてくれるし、欲しいものだってなんでもくれる。何もかも思い通りにすることだって!!」

 

絹は甲高い声をあげて笑い出すが、ふと、声を落として言った。

 

「でも、汐ちゃん。あなただけは違った。あなたは私の思い通りには決してならなかった」

 

絹は結界中から巨大な珊瑚を出現させると、汐が倒れたであろう場所を容赦なく突き刺した。

 

「ううん、思い通りにならないどころか、あなたがいると皆私を見てくれなくなった。皆あなたをみて、あなたに笑いかけて、あなたに何もかも与えた!!」

 

絹の声は怒りと憎しみに満ち、布を引き裂くような悲鳴を上げながら何度も何度も珊瑚を振り下ろした。

 

「いつの間にか私の周りには私の外見だけを見る連中が集まり、あなたの周りにだけ人が集まるようになった。大して美人でもない、どこにでもいる平凡なあなたの周りに!!」

 

絹は片手を上げ、血をまき散らすと更に珊瑚の数が増え、あたりに降り注いだ。

 

「あなたさえ、あなたさえいなければ!!私の舞台は壊れなかったの!!私が主役で私を引き立てる脇役がいる、私だけの舞台は続いていくはずだったの!!それなのに、それなのに!!それなのにいいいいいいい!!!!」

 

攻撃のあまりの激しさに、珊瑚にはひびが入り、あたりにはもうもうと砂煙が上がった。

 

やがて少し落ち着いた絹は、汐の死体を確認しようと一旦攻撃をやめた。

 

「ああ、少しやりすぎちゃったみたい。でも、汐ちゃんが全部悪いのよ。あなたが私の気持ちも知らずに、いつもへらへらと何も考えないで適当に生きているから・・・」

 

絹は恨みの篭った言葉を漏らすと、砂煙が上がる中汐がいるであろう場所に近づいた。

 

その時だった。

 

風を切るような鋭い音と共に、絹の両腕が切断され頸から鮮血が飛び出した。

 

「えっ・・・!?」

 

絹は慌てて一歩下がると、頸から滴る血を見て驚愕に目を見開いた。

 

「どうして・・・!?」

 

絹は表情を強張らせたまま石のように固まった。

 

やがて砂煙が収まり、その場の全容が見えてくる。

 

そこには。

 

床に突き刺さった無数の珊瑚の残骸の上で、真っ青な色の髪を静かに揺らす汐が佇んでいた。

 

「そん・・・な・・・なん・・・で?」

 

絹の口から、声にならない声が絞り出された。さっきの攻撃で、汐は腕を斬り落とされ、珊瑚の圧力で形がなくなる程潰したはずだった。

 

だが、目の前の汐は最初に出会った時と全く同じ姿。猗窩座と戦った時に出来た傷だけを受けた姿で立っていた。

 

絹は状況を整理しようと、必死で頭を回らせた。すると、汐の開いた口から、微かに歌が漏れている。

 

――ウタカタ 肆ノ旋律・転調

――幻影歌

 

汐の口から洩れる旋律は、絹の五感を全て狂わせ支配し、ありもしない幻を見せていたのだった。

 

「まさか、全部幻覚だったというの・・・!?あの時私がすべて見たものが・・・!!」

 

絹は怒りと悔しさに身体を震わせ、文字通り鬼の形相で汐を睨みつけた。

 

「残念よ、絹」

 

汐は歌をやめると、ゆっくりと振り返った。

 

「あたし、あんたが生きてくれてよかったって、本気で思ったのよ。例え鬼になっても、あんたが生きていてくれたことが本当に嬉しかった」

 

でも、と汐は言葉を切ると顔を上げて絹の顔をしっかりを見据えた。

 

「あたしの事はどう思っててもいい。でも、あんたを今まで育ててくれた庄吉おじさんや、村の連中を裏切ったあんたを、あたしは絶対に許さない」

 

汐は目に殺意を宿し、目の前の鬼を睨みつけた。その顔には。

 

右頬から目の周りを覆い尽くすようにして発現した、鱗のような痣があった。



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二章:二人の少女


――あるところに、二人の少女がおりました。

 

一人はとても美しく、気立てのよい少女でした。

もう一人はとても元気で、笑顔のよく似合う少女でした。

 

二人はとても仲が良く、まるで本当の姉妹の様で、周りの人々はそんな彼女たちを微笑ましく見守っておりました。

 

しかし、彼等は気づいていませんでした。

 

――二人の心の中には、怪物が潜んでいたことに

 

 

 

 

*   *   *   *   *

 

汐の顔に発現した痣を見て、絹の瞳が微かに揺れた。

 

主である無惨からの情報で、痣が発現した鬼狩りは身体能力が飛躍的に上がる事を把握していた。

しかも、汐は人ではなくワダツミの子と言う特殊な存在。ましてや戦闘能力のあるワダツミの子自体が特異点なため、情報がほぼないにも等しかった。

 

しかし絹の戸惑いは瞬時に消え、口元には歪んだ笑みが浮かんだ。

 

「裏切った、ですって?」

 

絹の静かな声に、汐はすっと目を閉じた。

 

「考えてみればおかしなことばかりだったのよ。元柱であり、大海原家の人間だったおやっさんが、何の対策もしていないはずが無い。それに、群れないはずの鬼が集団で襲ってくるのもおかしい。何か、人為的なものがない限りはね」

 

汐はそう言った後、ゆっくりと目を開き、殺意を孕んだ視線を絹に向けた。

 

「鬼を手引きしたのは、あんたね?」

 

汐の低い声に絹は僅かに怯んだものの、ゆっくりと笑みを浮かべた。

 

「だったらなんなの?」

 

その返答を聞いた汐は、少し悲しそうに目を伏せた。

 

「あたしにはわからない。あたしと違ってあんたと庄吉おじさんは、正真正銘血の繋がった親子だったはず。おじさんはいつも言ってたわ。絹に寂しい想いをさせてしまって申し訳ないって。本当にあんたの事を愛してたって、あたしでも分かるわ。それなのに・・・!」

 

汐はこみ上がってくる熱い物を吐き出すように、絹を怒鳴りつけた。だが、そんな汐を見て、絹は口を大きく開けて笑い出した。

 

「あはははは!!あなたは本当に何もわかっていないのね、汐ちゃん」

 

絹はひとしきり笑った後、ぞっとするような"目"を汐に向けた。

 

「あんな気持ち悪い男、父親だなんて呼びたくもない。いつもへらへらして誰かに媚びるだけの卑しい男。あいつと同じ血が流れていると思うと吐き気がしたわ。でも、今は違う。この体にはあの御方の素晴らしい血が流れているの」

 

絹は恍惚とした表情で、自分の身体を抱きしめながら悶えた。

 

「分かる?わからないわよね?私の事を何一つわかっていなかった、鈍臭い汐ちゃんなんかにはね」

「ええ、分かりたくもないわね。そんなクソみたいな事」

 

汐が吐き捨てるように言うと、絹は目をキラキラさせながら「こわーい」と言った。

 

「でも、そんな鈍くて頭の悪い汐ちゃんに、ひとつだけ面白いことを教えてあげる。どうせあなたはここで私に殺されるんだもの。冥途の土産ってことで教えてあげるわね」

 

絹はそう言って両手を広げ、結界を大きくし始めた。

 

「私を生んだあの女、まあ私の母親と言っていいわね。あいつが死んだの、ただの病気じゃないのよ」

「!?」

 

汐は顔を強張らせ、絹を睨みつけた。

 

「私が少しずつ、あの女の食事に毒を混ぜていたの。死なない程度の弱い毒だけどね。そしてそれを看病し、元気になってきたらまた弱らせる。それを繰り返せば、病弱の母親を必死で看護する、健気な娘の舞台の出来上がり」

 

絹は両手を広げ、素晴らしいでしょと言わんばかりの表情を浮かべた。

 

「でも、あの女は男と違って多少なりとも頭がよかった。だから私がしてきたことに気づいたの。でも、その時にはもう手遅れだった。声も出ないし身体も動かせない状態だったの。その数時間後、あいつは死んだ。そして、舞台は幼くして母親を亡くした薄幸の少女へと移り変わっていった」

 

絹の口から飛び出す話に、汐は微かに体を震わせながら聞いていた。鬼の襲撃に関わっていただけでなく、この鬼は自分の母親を殺したのだ。

それも、とても残酷な方法で。

 

「あの男も村の連中も、あなたも。みんな馬鹿で助かったわ。私のしたことに気づいていないんだもの。まあ、痕跡なんて残らないようにしたんだから、当然。って思っていたんだけれど、いたのよ。一人だけ。私の事に気づいた奴が」

「気づいていたって、まさか・・・」

「そうよ。あなたの父親、あの忌々しい、元鬼狩りの男、大海原玄海よ!!」

 

絹はその事を思い出したのか、文字通り鬼の形相を浮かべた。

 

「随分後になってからだけど、あの男は私がやっていたことを突き止めていたの。でも、大事にはしない。その代わりにあなたを裏切るような真似だけはするなって脅されたのよ。馬鹿な男よね!あの時私をどうにかしていれば、あんなことにはならなかったのに!!」

 

だが、絹が言い切ると同時に汐は斬りかかった。その目には涙と殺意が浮かんでいた。

 

「馬鹿ね」

 

絹がそう言った途端、二人の前に巨大な珊瑚の壁が出現した。その刹那、汐の足元から硬質化した海藻が飛び出した。

 

「今度は歌わせないわよ」

 

ウタカタを使う暇を与えないためか、壁や天井、床からあらゆる海藻の刃が凄まじい速さで飛び出してきた。

しかし汐は、そのすべてを紙一重で躱し、大きく息を吸った。

 

痣が発現しているせいか、最初の時とは速度が比べ物にならない。

 

「あたしを舐め腐ってもらっちゃ、困るのよ!」

 

――海の呼吸・玖ノ型――

 

――海神舞(わだつみまい)

 

汐は壁や天井を縦横無尽に駆けまわりながら、襲い来る海藻を切り刻んだ。その様子を見ていた絹は、微かに顔をしかめた。

 

だが、汐が息を吸っているのをみて、勝ち誇ったように笑った。

 

「呼吸を使ったわね、汐ちゃん!!残念だけど、あなたはもう終わりよ!!」

 

絹は姿を見せないまま、遠距離から汐へ攻撃をし続ける。汐は新しい技で全ての攻撃を叩き落すが、本体が見えないため決定打には至らない。

 

それどころか、微かに身体に異変を感じていた。

 

(喉が、苦しい。それに身体の動きが鈍ってきた気がする・・・)

 

そのせいか、先ほどまで躱せていたはずの刃が汐の二の腕を滑り、微かに傷をつけた。

 

「ようやく気付いたようだけど、もう遅いわ!あなたはもう終わりなの。だって、この結界を覆っているのは、猛毒の珊瑚なんだから!!」

 

絹の血気術で生み出された珊瑚は、猛毒の分泌液を出すもの。しかもそれは気化しやすく、僅かでも吸えば間違いなく命を落とす毒霧となりうるものだった。

 

「ねえ汐ちゃん。私がどうして鬼になったのか、最期に教えてあげる」

 

絹は壁の向こうにいるであろう、汐に向かって口を開いた。

 

「さっきも言ったけれど、私は自分の舞台の邪魔をされるのが本当に嫌いなの。でもそれ以上に、私の事をわかってくれる人が誰もいなかったことが辛かったわ」

 

絹は切なそうな表情で、続けた。

 

「そんなときにある方に出会ったの。虹色の瞳をした、とても美しい殿方だったわ。可哀想な私の心を理解し、あの御方の存在を教えてくれたの。本当に素晴らしかった。私の心を満たしてくれるだけじゃなく、私の全てを壊したあなたに復讐する機会を与えてくれたのだから」

 

絹はトドメだと言わんばかりに、毒の噴射を強めた。呼吸を使えば死に至り、逆に使わなければ周りの海藻に切り刻まれて死に至る。

 

もう汐には何の打つ手もない。汐を殺して絹の舞台はようやく終幕に向かう。

 

筈だった。

 

――ウタカタ 伍ノ旋律・転調

 

――爆塵歌!!!

 

突然絹の目の前の壁が吹き飛び、その反動で絹自身も吹き飛ばされ壁に叩きつけられた。肋骨が砕け肺に刺さり、口からは血があふれ出す。

 

もうもうと立ち込める粉塵の中、青い髪を揺らしながら汐が姿を現した。

 

「そんな・・・・!なんで・・・・!なんで生きてるの!!?なんで死なないの!!?」

 

絹は血をまき散らしながら立ち上がり、まくし立てた。

幻覚のはずはない。周りは毒霧で満たされ、あの攻撃の雨の中では歌う暇などないはずだった

 

「ううん、それどころかなんで動けるの!?あれは人間なら数秒で身体の自由が効かなくなり、数分で死に至る猛毒のはずなのに!」

「そう、人間ならそうなるのね」

 

汐は淡々と言葉を紡いだ後、絹を冷たい目で睨みつけた。

 

「でも生憎ね。今のあたしは人間じゃないのよ。鬼でも人間でもない、中途半端な存在。だから、同じく中途半端なあんたの毒なんて、これっぽっちも効かないのよ!!」

 

――海の呼吸・壱ノ型――

 

――潮飛沫

 

 

汐は瞬時に飛び掛かり、絹の頸に向かって刀を振り被った。絹は慌てて血気術で守りに入るが、汐は全ての攻撃を斬り捨て突き進む。

 

「なんで、なんで・・・」

 

絹は自分に向かってくる汐の姿が、ゆっくりとした動きに見えていた。汐の動作は勿論、髪の毛の動き、瞳の動き、筋肉や臓器の動き。

 

そのすべてが自分を討ち取らんと、殺意を向けていた。

 

「ナンデヨォオオオオオアアアアアアアア!!!」

 

刃が絹の頸に届きそうになった瞬間、絹の口からこの世のものとは思えない程の、悍ましい叫び声が飛び出した。

 

いや、それは声と言ううよりは、得体のしれない何かだった。

 

汐はすぐさま間合いを取り、震える身体を叱咤しながら刀を構えた。

 

絹の身体はボコボコと奇妙に動き、あちらこちらから骨や臓物が飛び出し、やがて周りの結界と融合し肥大化していく。

 

「アガアアアガアガギギゲエエアアア!!!」

 

もはや言葉すら失った絹は、醜悪な怪物となり部屋中を覆っていった。

 

村一番の美人と呼ばれた少女が、こんな姿になるなど皮肉にも程がある。

汐はそんなことを考えながら、絹だったものを見つめていた。

 

「絹。あたしもあんたに一つ言いたいことがあったの。あたし、あたしね。あんたがあたしをどう思っていたのか、知ってたのよ」

 

汐は目を閉じ、小さくため息をつきながら言った。

 

「あんたの"目"からは、微かだけどあたしに対する敵意があった。そこまですさまじいものを隠していたのは予想しなかったけど、それでも、あんたがあたしをよく思っていないことくらいは、気づいていたのよ」

 

でもね、と汐はつづけた。

 

「それでも、おやっさん以外であたしに話しかけてくれたのは、あんたが初めてだった。余所者だったあたしを、初めて受け入れてくれたのはあんただった。今思えば、それもあんたの点数稼ぎだったんでしょうけれど、それでも、本当にうれしかった」

 

汐は楽しかった出来事を思い出すように、笑みを浮かべた。そして、目を開き、怪物と化してしまった親友をじっと見据える。

 

「そんなあんたの心を見て見ぬふりをした、あたしには大きな罪がある。みんなを死なせてしまった事は、まごうことなきあたしの責任。だから――」

 

私は鬼殺隊士として、尾上絹の親友として、上弦の鬼であるお前を必ず殺す!!

 

汐は刀を構え、大きく息を吸った。毒霧が身体に入り込み、微かな眩暈を起こすが構わない。

 

「行くよ、絹。――海の呼吸・拾壱ノ型

 

汐のさざ波のような呼吸音が、あたりに響き渡った。



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その日は、穏やかな風が吹く日だった。

 

村の外れの海岸に、赤子が流れ着いていた。海の底のような真っ青な色の髪の女の子だった。

 

その赤子を、村はずれに住んでいた大海原玄海が引き取り、【汐】と名付け本当の娘のように育てていた。

 

だが、村人たちは青い髪の少女を気味悪がり、迫害こそはしなかったものの皆距離を置いていた。

 

玄海は奇病のせいで昼間は動けず、友達もいなかった汐はいつも独りぼっちだった。

 

そんな中、汐に近づいてきたのは、汐よりも年下の少女だった。

 

『ねえ、あなたが【噂】の汐ちゃん?』

 

その少女は黒檀のような髪の、可愛らしい少女だった。

 

『あんたは、確か・・・、絹だっけ?』

『覚えていてくれたのね。嬉しいわ』

 

絹はそう言うとにっこりと笑い、汐の隣に座った。

 

『玄海おじさんの事は村の人から聞いたわ。あなたも一人なのね』

『あなたもって?』

『私も、お父さんが漁の時はずっと帰ってこないから一人なの。お母さんが死んじゃってから、ずっと』

 

絹はそう言って少し寂しそうに目を伏せた。

 

『でもね、そんなときは、寂しくなったときは歌を歌うの。そうすると不思議と、寂しい気持ちが消えていくのよ』

 

絹は顔を上げると、微笑みながらそう言った。

 

『だから、汐ちゃんも一緒に歌おう?玄海おじさんが早く元気になるように・・・』

 

絹は汐の手を取ると、海の方に顔を向けて口を開いた。

 

―そらにとびかう しおしぶき

 

ゆらりゆれるは なみのあや

 

いそしぎないて よびかうは

 

よいのやみよに いさななく

 

ああうたえ ああふるえ

 

おもひつつむは みずのあわ ―

 

絹の可愛らしい歌声は、汐の耳を通り抜けていく。

 

『この歌ね、玄海おじさんから教わったのよ。もしも汐ちゃんが悲しんだり落ち込んだりしたら、一緒に歌ってあげてって。なんでも、ワダツミヒメ様を慰めるための歌が変化して、おじさんの家に昔から伝わっているものだって・・・』

 

そこから先の絹の話は、汐は覚えていなかった。覚えていたのは、自分の胸が嬉しさでいっぱいになっていた事。

 

そして――

 

絹の"目"の中に微かに宿る、得体のしれない何かの事だった。

 

 

 

*   *   *   *   *

 

 

「絹・・・」

 

汐は肥大化し、完全に異形の者となり果てた、絹だったものを見据えた。絹は全身から毒霧を吹き出しながら、じりじりと汐ににじり寄る。

 

そんな中、汐は息を吸った。さざ波のような呼吸音が辺りに響く。

 

汐が刀を構えた瞬間、絹だったものは奇声を上げ全身から珊瑚の槍を放った。

いや、全身からだけではない。壁や床、天井全てに飛び散った肉片から、凄まじい量の槍を出現させた。

 

瞬きをする暇も与えない程の刹那の時間で、部屋中は珊瑚の槍に覆われ、毛髪一本通る隙間すらない。

しかもそれは全て毒のある珊瑚で、絶え間なく猛毒の霧が吹き出しているのだ。

 

「オワリ、オワリ。ゼンブオワリ」

 

絹だったものからかすれた声が漏れ、結界の中に響く。これで本当に終わり。自分をずっと苦しめてきた異物は、これで排除された。

幻影歌を歌う暇も与えず、自分の耳は血鬼術で塞いでいるため聞こえるはずもない。

 

今度こそすべてが終わった。そう思った時だった。

 

絹だったものの耳に、さざ波のような音が聞こえた。そんなはずはなかった。

 

耳は塞ぎ、毒を撒き、この量の珊瑚で人間が存在するほどの隙間は存在しない。

 

それなのに、その音だけが聞こえる。

 

どこか懐かしさすら感じる、その音が。

 

「エ?」

 

その途端。絹だったものは信じられないものを見た。空間全てを覆い尽くしたはずの珊瑚が、自分に向かって道のように切り開かれていた。

 

そしてその中心を、汐が鉢巻きを揺らしながらこちらに向かって歩いてきていた。

 

(ナンデ、ナンデ?何で?)

 

絹は混乱しながらも、汐を殺そうと血鬼術を放とうとした。だが、何故か血鬼術が出ない。

否、血鬼術だけではなく身体が動かない。束縛歌を使った形跡もない。

 

それなのに、絹の身体は動かなかった。汐のさざ波のような呼吸音が、絹の戦意を削いでいるかのようだった。

 

(すぐそこにいるのに、すぐ殺せる位置にいるのに、どうして動けないの?)

 

絹は汐を睨みつけようとして、ハッと息をのんだ。自分に向かってくる汐は、口元に笑みを浮かべていた。

 

その表情を、絹は覚えていた。自分が殺した母親の葬儀の後に、かわいそうと言われていた絹に声を掛けてきた、あの時と同じ表情だった。

 

「うしお、ちゃん・・・」

 

絹が口を動かしたその瞬間。絹の視界がぐるりと動き、天上、壁、床を映していく。

そしてその視界が汐を映した時、汐の声が聞こえた。

 

「さようなら、私の親友、尾上絹」

 

――海の呼吸・拾壱ノ型

 

――【汐】

 

その声を聞いたとき、絹は理解した。汐はあの量の珊瑚を、自分に届く前に全て瞬時に斬り裂き、そして絹が汐を認識した瞬間には既にその頸は斬られていた事を。

 

(嗚呼。結局、私は誰からも見て貰えていなかったんだわ)

 

家族も、仲間も、心の隙間を埋めてくれたと思った無惨でさえ、絹の本質は理解していなかった。否、理解しようとすらしていなかった。

 

結局自分はただ一人、一番憎んでいた相手に殺されたという、みじめで醜い存在だったと。

 

それを否が応でも気づかされた絹は、涙を流しながら汐を睨みつけていた。

 

「あなたなんか、私の前に現れなければよかったのよ」

 

絹は身体を崩壊させながらも、汐の背中に向かって言葉を吐きだした。

 

「あなたがいなければ、私はこんな思いをしなくて済んだのに。全部、全部あなたのせいよ・・・」

 

絹の頸は地面に落ち、黒ずみながら崩れていく。

 

「あなたは私に苦しみを持ってきた。全部、全部いらないものだった。私の世界を壊した、あなたが本当に憎い。そして・・・」

 

――あなたと友達に慣れて嬉しいと思う私自身が、惨めで憎い・・・!

 

絹はそれだけを呟くと、灰になって静かに消えていった。それと同時に絹の生み出した空間も溶けるように消え去った。

 

「ごめんね、絹。あんたの事、もう少し早く気づいて止めていたら、こんな風にはならなかったわね。あんたの心を鬼にしたのは、あたし。それは確かね」

 

汐は刀を鞘にしまうと、顔を下に向けた。

 

「これでけじめをつけられたなんて、当然思ってない。でも、まだあたしにはまだやるべきことが残ってる。だから、全てが終わるまで――」

 

――地獄で待ってろ

 

汐は両目から涙を流しながら、歯を食いしばった。

 

戦いはまだ終わっていない。ここには無惨と上弦の鬼がまだ残っているはずだ。

 

「行かなきゃ。まずは炭治郎と義勇さんのところに戻らないと」

 

汐は顔を上げると、炭治郎達がいるであろう方向に顔を向けた、その時だった。

 

「ゴフッ・・・!!」

 

汐の口から、鮮血が霧状になって飛び出し畳を赤く染めた。

 

慌てて口を押えるが、血は止まらずみるみるうちに手を赤く染めて行く。

 

(さすがに鬼みたいに、毒の分解は出来ないか・・・)

 

汐はその場に崩れ落ち、血を吐き出しながら蹲った。

 

(参ったなあ・・・。あたしは、まだ死ねないのに。流石に二回目の還り咲きは、無理だよね・・・)

 

薄れゆく意識の中、視界の端に何かが動く気配がした。

 

仲間か、それとも鬼か。それを考える間もなく、汐の意識は闇の中に沈んでいった。

 

*   *   *   *   *

 

汐が絹と対峙していた、そのころ。

 

炭治郎と義勇は、猗窩座の底の見えない強さに苦戦を強いられていた。

 

義勇の刀が戦いの最中にへし折られ、その中でさらに強さを増す猗窩座の技を、凪で相殺することすら難しくなっていた。

 

しかしそんな中、炭治郎が【透き通る世界】という新たな力に目覚め、闘気を隠した炭治郎が遂に猗窩座の頸に刃を振るった。

 

これで終わったと二人が思った時、なんと猗窩座は頸を斬ったのに身体が崩れず、そのまま再生しようとしていたのだ。

 

このままでは無惨のように頸の弱点を克服してしまう。それだけは避けなければならない。

 

だが炭治郎は体力の限界をとうに超えていたため失神。義勇も立てていることが奇跡と言えるほどの傷を負っていた。

 

それでも、まだ戦いは終わっていない。何より、ここで炭治郎を死なせたら、汐との約束を破ることになる。

 

「炭治郎を殺したければ、まず俺を倒せ・・・!!」

 

義勇は折れた刀を構えそう叫んだ。

 

左耳は全く聞こえず、右手の感覚はない。それでも義勇は前を見た。託されたものを繋いでいくために。

 

猗窩座の頭が再生し、義勇に向かって行く中炭治郎は意識を取り戻した。

 

義勇を守るために刀を振り上げるが、既に握力は殆どなく刀がすっぽ抜けてしまった。

しかし炭治郎は、そのまま猗窩座の顔面に拳を振り下ろした。

 

それでも猗窩座は止まらない。その体制のまま義勇に向かって、煉獄を倒した滅式を放とうとしていた。

 

炭治郎はすぐさま動き、義勇の身体を抱えて飛びのいた。

 

その時だった。

 

猗窩座は炭治郎に視線を向けると、口元に笑みを浮かべ――

 

――自らの身体に、滅式を放った。

 

(自分で、自分を・・・?)

 

炭治郎は猗窩座の意図が分からなかった。ただ、ひとつだけわかったのは、技を放つ直前に猗窩座から感謝の匂いがしたことだ。

 

ボロボロになった猗窩座の身体は、再生しながらも、ふらふらとどこかに向かって歩きだそうとしていた。

 

まるで誰かを探しているかのように。

 

するとある一点で止まると、そのまま膝をつき、両手を前に伸ばした。それはまるで、誰かを抱きしめているかのように。

 

「あ・・・」

 

炭治郎は小さく声を上げた。再生していた猗窩座の身体が崩れ始め、そのまま灰になって消えていった。

 

炭治郎達に猗窩座の過去はわからない。だが、身体が崩れる直前に悲しい匂いがした。きっと彼も、どこかで何かを失ったのだろう。

 

「終わっ・・・た・・・」

 

炭治郎はそれだけを呟くと、床に吸い込まれるように倒れていった。

 

(早く、汐の所に・・・、そして、珠世さんのところに・・・)

 

しかし炭治郎の意志に関係なく、意識は闇に沈んでいく。

義勇も疲労困憊で動けず、折れた刀で身体を支えながら蹲った。

 

「カァー!!炭治郎、義勇、上弦ノ参撃破!!疲労困憊ニヨリ意識保テズ、失神!!」

 

鎹鴉の声が、二人の勝利を城中に知らせる中、もう一つの情報が飛び込んできた。

 

「カァー!!大海原汐、上弦ノ伍撃破!!疲労困憊ト毒霧ニヨリ意識不明!!」

 

その報せは幸か不幸か、炭治郎の耳に届くことはなかった。



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一方そのころ。

 

上弦の弐、童磨と対峙していたカナヲは、圧倒的な強さに苦戦を強いられていた。

しかし突如乱入してきた伊之助によって、絶体絶命の危機は脱したものの、そこで新たな事実が発覚した。

 

童磨は、伊之助の母親、琴葉の仇だった。

 

かつて琴葉と伊之助は彼に保護されていたが、人食い鬼だと知った琴葉は伊之助と共に逃げだすも、逃げきれないと悟った彼女は、伊之助を川に投げ落としその場から逃がしていた。

 

真実を知った伊之助は激昂し、カナヲと共に戦うも、一向に衰えない童磨の血鬼術に防戦一方だった。

 

だが、しのぶが体内に仕込んでいた猛毒が童磨に発動し、大幅に弱体化させることに成功。カナヲは伊之助と協力し、二人は見事家族の仇を討ったのだった。

 

そんなこととは露知らず。鬼の毒に蝕まれていた汐は、奇妙な夢を見ていた。

 

真っ暗な空間で、誰かの声が聞こえた。

 

初めて聞くはずなのに、どこか懐かしい声。

 

汐が目をゆっくりと開ければ、そこには真っ青な長い髪の女性が一人、こちらを見ていた。

 

汐はその女性に見覚えがあった。自分と同じ青い髪、ワダツミの子で間違いはないだろう。

心なしか、少しだけ自分と似ている気がした。

 

「あんたは・・・」

 

汐が問いかけようと口を開いたとき、女性の目から涙が零れ落ちた。

その姿を見て、流石の汐も焦りだす。

 

すると、女性は汐を真っ直ぐ見据えながら、ゆっくりと口を開いた。

 

『お願いします・・・。あの方を、止めてください・・・!』

「え?」

 

汐は言葉の意味が分からず、素っ頓狂な声を出した。

 

「あの方って?」

 

汐が聞き返すと、女性は両手を握りしめながら答えた。

 

『私の知る全ての事を、お話します。私の名は――』

 

それから女性が語りだした内容に、汐は呆然と耳を傾けていた。

 

全ての話を聞いた後、汐は決意を込めた目を彼女に向けた。

 

「分かった。あなたの願い、必ず叶えるわ」

 

汐の言葉に、女性は安心したように微笑むと虹色の泡となって飛び散る様に消えていった。

 

それを見届けた汐の意識も、ゆっくりと薄れていった。

 

 

*   *   *   *   *

 

何やら辺りが騒がしい。

 

誰かの声に頭を揺らさせながらも、汐はゆっくりと目を開けた。

ぼやけた視界が段々とはっきりしてくると、そこには見慣れない天井と、見覚えのある"目"。

 

「あれ・・・?」

 

汐が口を動かすと、"目"の主は少しだけ安堵したように息をついた。

 

「気が付いたか」

 

その声に、汐の意識は一気に覚醒し目を見開いた。

 

「あんたまさか、愈史郎さん・・・!?何でここに・・・、それに、その恰好」

「よく動く口だな。本当に鬼の毒を喰らっていたのか?」

 

愈史郎はそう言うと、持っていた注射器をそっと懐にしまった。

 

「あれ?あたしどうして・・・」

「どうして生きてるのか?と言いたいのか?」

 

愈史郎は小さくため息を吐くと、汐が気を失っている間の事を語った。

 

愈史郎は珠世の命で鬼殺隊員に扮し、隊員の救護及び援護を行っていた。

 

自身の血鬼術である"眼"の札をあちこちにばらまき、場内の探索を行っていた。

 

その中で重傷を負った善逸と汐を介抱していた。

 

善逸のことを聞いて汐は息をのんだが、彼の命に別状はなく、今は他の隊士に連れられて泣きながら城内を移動していると聞いて、安堵の息を漏らした。

 

「あいつも無事なのね、よかったわ。それで、状況はどうなっているの?」

 

汐の声がしっかりしていることに、愈史郎は内心驚きを隠せないでいた。

 

汐の状態は、彼が思うよりもずっと酷かった。

 

人間なら数秒で死ぬような毒を、あれほど大量に吸い続けていたのにもかかわらず、(珠世の開発したものとはいえ)解毒剤を数本打っただけでここまで状態が回復する汐の治癒力は、愈史郎の想像を遥かに超えていた。

 

「お前、自分の状況を分かっているのか?先ほどまでいつ死んでもおかしくない状態だったんだぞ?」

「お生憎様。あたしは普通の人間じゃないからね。それはあんたもよくご存じのはずだけれど?」

 

汐が皮肉を込めて言うと、愈史郎は少し悲しそうに瞳を揺らした。

 

「兎にも角にも、上弦の弐、参、伍、陸は討ち取られ、残っているのは無惨、上弦の壱、肆の三人だ」

「参・・・、ということは、炭治郎と義勇さんがやったのね」

 

二人が無事という話を聞いて、汐は心の底から安堵した。だが、無惨をはじめ全員を討ち取るまでは、本当の安寧は訪れない。

 

汐は改めて胸に決意と殺意を宿すと、ゆっくりと立ち上がった。

 

「おい、まだ薬を投与したばかりだ。無茶をするな」

「心配してくれてありがとう。でも大丈夫。だってあたしは、奴を殺す為に生まれた、最後のワダツミの子だもの」

 

汐の自虐的な言葉に、愈史郎の胸が小さく痛んだ。

 

「ところで、例のアレはちゃんとできているの?」

 

汐がそう言った瞬間、愈史郎は目を大きく見開いた。そして、しばらく言葉を切った後、小さく「ああ」と答えた。

 

「そう。ならよかった。手駒は一つでも多い方がいいからね」

「お前のせいで珠世様の貴重なお時間が減ることになったがな」

 

愈史郎はそう言って不機嫌そうに目を伏せた。

 

「それは本当にごめんなさい。でも、あたしの無茶なお願いを聞いてくれたあんた達には、本当に感謝しているわ。だから、後は任せて頂戴」

 

汐はそう言うと、落ちていた愈史郎の眼をこっそり拝借すると、そのままある一点を見つめた。

 

(この先にいるのね、"あいつ"が)

 

汐は自分の青い髪にそっと指を滑らせた。

夢の中に出て来た、自分と同じ運命を背負った"彼女"の事を思い出しながら。

 

「助けてくれてありがとう。今度は、皆を助けてあげてね」

 

汐はそう言い残すと、足に力を込めてその場から走り去った。

 

汐が去った後、愈史郎は汐の言葉を思い出していた。

 

『私の代わりに、皆さんを助けてあげて』

 

それは、ここに来る前に珠世から掛けられた言葉。

 

「まったく、どいつもこいつも・・・」

 

愈史郎は目を伏せた後、顔を上げて先を見据えた。珠世の願いをかなえるため、自分のやるべきことをするために。

 

「珠世様・・・」

 

愈史郎は自分の愛する人の名前を呟くと、足に力を込めるのだった。

 

*   *   *   *   *

 

一方そのころ。

 

汐の師、甘露寺蜜璃は伊黒と行動を共にしていた。

不規則に動く壁や床をかわし、襲い来る鬼を蹴散らしながら進んでいると、

 

「あーーーーっ!!」

 

何かを見つけた蜜璃は、思わず声を上げた。

 

「見つけた!伊黒さん、あっち!」

 

蜜璃は伊黒を呼びながら、ある一点を指さした。そこには、壁に髪の毛を這わせ、琵琶をかき鳴らしている女の鬼が鎮座していた。

 

その顔には、肆と刻まれた大きな目が一つあった。新たな上弦の肆、鳴女である。

 

「上弦の肆だわ!!」

 

蜜璃の言葉に、伊黒は忌々しそうに顔をしかめた。

 

(上弦の肆・・・!!時透達が倒したはず。もう補充されているのか)

(私より年下のしのぶちゃんが命を懸けて頑張ったのよ。それに、どこかでしおちゃんもきっと戦ってる・・・!だから・・・!)

 

「私も、頑張らなくちゃ!!」

 

蜜璃は決意を胸に抱くと、その場を飛び出し、鳴女に斬りかかった。

しかし鳴女が琵琶を鳴らすと、二人の間に扉が出現し、蜜璃は勢いあまって激突した。

 

その反動で蜜璃の身体は下に投げ出され、鼻血を出しながら、そのまま成す術もなく落ちて行く。

そんな彼女を、鳴女は塵を見るかのような、冷ややかな視線を向けていた。

 

(はっ・・・恥ずかしいわ、恥ずかしいわ!!ちょっと焦っちゃった、力みすぎちゃった。私何してるのかしら!!)

 

蜜璃は鼻を抑えながらも、何とかこの状況を打開しようと、あたりを見回した、その時だった。

 

伊黒が素早い動きで移動し、蜜璃を抱えてせり出した部分に飛び上がった。

 

「甘露寺」

 

伊黒は蜜璃の顔を見ないまま、口を開いた。

 

「相手の能力がよくわからないうちは、よく見てよく考えて冷静にいこう」

 

淡々と話す伊黒だが、その顔には気まずさなのか、汗が浮かんでいる。

 

「・・・はい」

 

そんな彼に、蜜璃は恥ずかしさのあまり顔から火が出そうになりながらも、短く返事をした。

 

それから二人は、何とか頸を斬ろうと斬りかかるものの、建物自体を手足のように動かせる鳴女の術に翻弄されていた。

 

足場の襖が急に開いたかと思えば、床が突然せり上がり、押しつぶそうとまでしてくる。

 

何とか回避して斬りかかるも、空間に開いた扉から放り出されたりと、非常に厄介なものだった。

 

(血鬼術の殺傷能力はそれほどでもないが、煩わしさと厄介さは随一だな!!)

 

長期戦は避けられないと悟った伊黒は、苦々し気に舌を鳴らすのだった。

 

 

そしてさらに、別の場所では。

 

無一郎、玄弥、実弥、悲鳴嶼の四人は、上弦の壱の鬼、黒死牟と対峙していた。

 

皆はすでに深手を負い、無一郎にいたっては片腕を斬り落とされ、右肩を刀で貫かれ柱にはりつけにされていた。

 

それを救おうとした玄弥も、黒死牟の手で切り刻まれてしまい、激痛に喘いでいた。

 

そんな絶体絶命な状況に、玄弥の実兄である実弥や、師である悲鳴嶼も駆け付けた。

 

しかし、彼等の力をもってしても、黒死牟の着物を裂くくらいしかできなかった。

 

実弥の血は特殊で、鬼を酩酊させる効果がある。だが、黒死牟に通用したのはほんの僅かで、その後はほとんど効かない。

 

しかもとんでもない長さの刀を片手で軽々しく振るうだけではなく、予備動作もなしに斬撃が繰り出される。

 

既に柱二人の身体は傷だらけで、攻撃を避けるだけで精いっぱいだった。

 

そんな状況に、無一郎と玄弥は悔し気に唇をかんだ。

 

せめて、せめて少しだけでもあの鬼の動きを鈍らせることができたら。

少しでも、あの二人の動きをよくすることができたら。

 

自分たちが何とか出来たら、と、思っていた。

 

戦いの最中、悲鳴嶼は考えていた。

 

攻撃が速すぎる。こちらの動きをすべて読まれている。

こちらが攻撃動作をする前に、すべて読まれている。そんな感覚を感じていた。

 

相手は鬼。人を超えた力を持っていても何ら不思議ではない。しかし、鬼は元々人間が変貌したもの。

 

鬼にできることは、人間にもできるのではないか。と、悲鳴嶼は考えた。

 

だが、そこまでたどり着くにはあまりにも時間が足りない。隣で戦っている実弥も、気力だけで必死に動いている状態だ。

 

(如何にかして、この状況を打開しなければ・・・!!)

 

悲鳴嶼がそう思った瞬間。とつぜん、頭上から爆発音が響いた。

 

皆が何事かと一瞬、視線を向けた時だった。

 

――ウタカタ 伍ノ旋律・改

――爆塵砲!!!

 

頭上から衝撃波の塊が雨の様に降り注ぎ、黒死牟を容赦なく穿った。

 

しかし彼はそれを容易く薙ぎ払うと、新たに現れた襲撃者に目を細めた。

 

粉塵が収まり、黒死牟は細めた目を見開く。

 

そこには、海の底のような真っ青な髪を揺らし、同じくらいの深い青を宿した瞳の少女が、真っ直ぐにこちらを見据えていた。

 

「お前は・・・」

 

黒死牟は、目の前の光景に目を疑った。

かつて無限列車で対峙した際、汐が向けていたのは怯えと、微かな矜持。

 

だが今、自分の前にいる少女から感じるのは、はっきりとした決意とゆるぎない信念。

 

あの時とは比べ物にならない程強くなっていることを、本能で感じた。

 

そんな彼に向かって、汐は静かに口を開いた。

 

「やっと見つけたよ。上弦の壱。いや、継国巌勝」

「!?」

 

汐の口から出た名前に、黒死牟は大きく目を見開いた。

 

それは、彼が人間だったころの名前であり、数百年前に鬼となった時に捨てた名前。

その名を、何故知っているのか。微かに、空気が揺らいだ。

 

「あなたを止めに来た」

 

汐の凛とした声が、黒死牟の耳に届いたとき。彼の脳裏に声が響いた。

 

「巌勝様!」

 

その声と同時に、青く長い髪を揺らす、一人の女性の顔が浮かぶ。

 

「ああ・・・・そうか・・・。やはり・・・()()に・・・居るのだな・・・」

 

 

――(みお)

 

 

黒死牟がその名を呟いたとき、冷たい風が二人の間を抜けて行った。



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