Avengers of AGITΩ (紅乃 晴@小説アカ)
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序章
01.遭遇


 

 

ミア・ロンドベルは自分の不幸さを呪った。

 

彼女の人生はケチがついてばかりだった。ハイスクール時代はリケジョとクラスメイトからいじめられて、やっとの思いで大学へ進学するも入ったゼミの教授が最悪でハラスメントの嵐。最終的に研究資金を横領したとして刑事事件まで発展してしまい、大学で専攻していた物理学の研究も手につかないまま卒業の時期を迎えてしまった。

 

やりきれない思いから、ミアは藁にも縋る思いで大学院の研究部へ片っ端からキャリアシートを送り付けたが、クズ教授の元にいてロクな研究成果も出せなかった彼女の論文に目を向ける者は少なく、大学卒業をしても苦学生のような生活を続けていた。

 

そんな彼女の人生が上向いたのは、大学院を諦めて一般企業、行政関係なく自分の専攻したい物理学の研究をしている施設へキャリアシートを送り始めた時だ。

 

ある日、一通の手紙がポストに届いていた。また不採用の通知だろうと雑に開けた封筒の中に入っていたのは、フィラデルフィアにある研究機関からの合格通知だった。

 

飛び跳ねて喜んだ上に、何も考えずに受けますと答えたミアが向かった先が、戦略国土調停補強配備局……のちにS.H.I.E.L.D.と呼ばれる国家組織だったなど知る由もなかった。

 

住居も慣れ親しんだボストンからフィラデルフィアへと移し、新生活と研究室の雑用として忙しい日々を過ごす彼女は、ようやく自分の運も上に向かってきたと喜んでいた。

 

だが、彼女の不運はまだ終わってなかった。フィラデルフィアで起こる謎の怪奇現象と行方不明者が続出する異変に、ミアは気づいていなかった。

 

それどころか、不用心にも彼女は深夜に終わった研究帰りを徒歩で行っていたのだ。しかもひと目のない路地を通るルートで。

 

「おい、女ぁ……怪我したくなかったらそのバッグを渡しな」

 

不幸だ。ミアは怖面でナイフをひけらかす男を見て思わずそう呟いてしまった。後ろには二人の男がいて、完全に退路は断たれている。

 

アメリカでの鉄則は抵抗しない、とりあえず鞄を出せという要求を飲むであるのだが、ミアの鞄には集めたデータのソースファイルが保存されている。金目のもの……具体的に言えば財布の中身程度で済むなら良いが、おそらく鞄ごとやられるだろう。幸いにも容姿はリケジョといじめられていた時から変わっていない丸メガネでボサボサの髪の毛だから、性被害は考えにくいが、ミアにとっては性被害よりも鞄の安否の方が死活問題であった。

 

「さっさとよこせ!」

 

「い、いや!離して!」

 

堪え性の無い男が無造作に鞄を奪おうとしたので反射的に抵抗してしまう。すると後ろから二人の男たちも駆け寄ってきてミアの体を取り押さえてしまった。

 

「Wow!結構良い体してんじゃねぇか……」

 

ゾッとするような男の視線に思わず顔が歪む。男たちにとって顔よりも女であれば誰でも良いのか。

 

「もう頭にきたぜぇ!お前を殺して鞄を頂く!!」

 

そんな思考が頭を過りながらもしっかりと鞄をホールドするミアに、男はついにナイフを振り翳した。あぁ、だめだ。仕事もうまく行き始めて、やっと同僚にも褒められるようになったのに。やっぱり私って運がない。ナイフを呆然と見つめながら自分の人生の終わりを予感するミアだが、それは突如として裏切られた。

 

バシュ、という吐瀉物が降りかかる音共にナイフを振り翳していた男が音を立てて倒れた。男は断末魔の悲鳴をあげることもなく、糸が切れた人形のように倒れ伏せて、そして身体中の皮膚がブクブクと泡立ち、消えてゆく。その姿はまるで泡になって消えた人魚姫のようだった。

 

何が起こったのか全く理解できない。理解できる範疇を超えていた。目の前で今まさに自分にナイフを突き立てようとしていた男が泡になって消え失せたのだ。事実を受け入れられずにいると、後ろにいた二人の男が一目散に逃げ出した。犯罪者の防衛本能というか、危機意識だろうか。だが、その選択は彼らの命を終わらせるものだった。

 

「ゲェゲェゲェッ」

 

酷い声だ。ヒキガエルの鳴き声を何倍にも酷くした声が路地に響き、人型の何かがミアの頭上を飛び越えた。今まさにフェンスをよじ登って逃げようとする男に、人型のそれは口から何かを吐き出して命中させた。

 

すると、フェンスをよじ登っていた男はそのまま張り付くように脱力して、先ほどの男と同じような皮膚が泡立ち、そして消えた。

 

「ひ、ひぃいい〜〜!?」

 

仲間が泡になって死ぬのを二回も見た残りの男は、ズボンのベルトに突っ込んでいたピストルを取り出した。銃口を向けられて少し動きが鈍ったことにより、人型の〝何か〟が鮮明に見えた。

 

濃い茶色の硬い外骨格に覆われ、頭部の形は人間のものではない。手には鋭い爪、強力に発達した足。明らかに自然界の生き物ではない。一言で言い表すなら……怪物であった。

 

「く、くるなぁ!!うわぁあああ!?」

 

銃声が何発も響く。六発装填可能なリボルバー式の回転拳銃から全ての弾薬が吐き出された。だが、その怪物はピストルで撃たれても怯みもしない。

 

薄笑いのような独特な声をあげて怪物は男を掴み上げ、その首筋から針を突き刺し体液を吸い上げてゆく。

 

「う、うげぇ……ぁあ……」

 

持ち上げられている男の両足がビクビクと痙攣し、そして体液を吸い尽くされ、骨と皮になった男も泡となって消え去った。

 

「ゲェゲェェ……」

 

ゆるりと怪物がミアの方へと振り向く。〝次はお前だ〟と言葉がなくてもミアには理解できた。暴漢に襲われるのも不幸だし、データが入った鞄を奪われそうになったのも不幸だし……こんな化け物がこんな場所にいるなんて、想像もしていなかった。

 

ジャリジャリと音を立てて近づいてくる化け物に、ミアは今になって恐怖と震えがやってきていた。怖い、怖い怖い怖い怖い!!無様に後ずさることしかできなかったミアを、ゲェゲェと笑い声のような声を上げて追い詰める怪物。

 

 

 

その時だった。

 

 

 

ガシャン、と鎖で施錠されていたはずの金網の扉をこじ開けたような音が響いた。

 

怪物が振り向く。ミアも音が響いた場所を反射的に見た。そこには扉を開け放って立つ、一人の影があった。

 

暗い路地と言っても街明かりが路地の外には溢れている。にも関わらず、入ってきた人影の顔ははっきりと見えなかった。

 

その理由は単純。眩しすぎる光が人影の腰部から爛々と輝いていたからだ。

 

その逆光で男の顔が影になり真正面にいるミアは見ることができなかった。

 

言語化できない声で人型の化け物が光を放っている人影へと迫ると、その影は軽やかに怪物からの攻撃を避けて脇腹に痛烈な一撃を叩きつけた。

 

もんどり打って倒れた怪人を前に、人影は静の動きから腕を前にかざし、鋭い呼吸を放って調息する。腕が完全に前に出た瞬間、呼吸を止め、こう叫んだ。

 

 

「……変身っ!」

 

 

両サイドのバックルへ手を叩きつける。

 

何かのスイッチが入るような音と同時に、聞いたこともないような音と閃光が放たれた。思わず顔を手で覆う。

 

眩い光と音が静かになって手を下ろすと、そこには真っ赤な複眼と黄金の角、漆黒の四肢。腕と足には黄金の防具。光を放っていた腰部は黄金と黒と赤を基調にしたベルトに変わっていた。

 

明らかに人と一線を画す姿だった。真っ赤な複眼がやけに鮮やかに見えて、その存在は緩やかに腕を交差させると起き上がろうとしている怪人に身を構えた。

 

覆いかぶさるように襲いくる相手を上半身を最低限動かすことで躱し、腹部に二発、顔に一発、そして怯んだ相手の側頭部に上段回し蹴り。一回の攻防で計四発に及ぶ打撃を叩きつけて容赦なく怪物を吹き飛ばす。

 

「すっご……!?」

 

軽く3メートルほど路地の間を吹き飛んだ怪物を見てミアが驚愕の声を上げる隙に、黒と金の戦士は両足の幅を広くし、深く腰を落とす。独特な構えと静かな調息の中、額に備わる金のクロスホーンが展開され、アスファルトの地面に黄金の紋章が浮かび上がった。

 

構えを取ると同時に紋章が渦巻き、足にパワーを集中してゆく。

 

「ハッ!!」

 

掛け声と共に戦士は高々と前方に飛び上がり、起きあがろうとしていた怪人めがけて飛び蹴りを繰り出す。

 

「ハァァーーッ!!」

 

「ゲェハッ!?」

 

力強い声と共に降り注ぐような飛び蹴りを怪物に喰らわせた戦士は音も無く着地する。蹴りを受けて再び飛んだ怪物はヨロヨロと起きあがろうとするが、それが最後の瞬間だった。

 

苦しみ始めた怪物の頭上に白い輪が形成され、もがき苦しんだ後で怪物は爆発。跡形もなく姿を消し去ったのだ。

 

「え……なに……なになになに!?何が起こったの!?」

 

もうパニックだった。暴漢に襲われ、怪物に襲われ、それを倒す戦士……?のような存在に遭遇して。ミアのキャパシティは限界をとうの昔に超えていた。

 

取り乱すミアの傍で、ベルトの両サイドを再び叩くと変身時と同じ音を奏でて、黒と金の戦士は普通の人へと戻った。その姿は……見るからに浮浪者だった。服はボロボロで履いてある靴も両方バラバラ。髪の毛はボサボサで身なりも汚らしい。男は変身を解いたと同時にミアを見て。

 

そして倒れた。

 

「え、えぇえええぇええ!?」

 

ミアの絶叫が響き渡る。足元に倒れた浮浪者は虚ろな目のままこう呟いた。

 

「お腹……減った」

 

そして彼……ショウイチ・ツガミは、度重なる戦いの中で空腹の限界を迎え、そのまま意識を手放すのだった。

 

 

 

 

 

 



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02.名前

 

 

 

 

「あなたは人間を愛しているはずだ」

 

誰かがそんなことを言っていた気がする。たしかに〝オーヴァーロード〟は、人間を愛していた。いくら蛮行に堕ちようとも、愚かであろうと、死にゆく命に慈悲を与えたからこそ、彼は人を愛していた。

 

「ええ、だからこそ、私は一度、彼を助けたことがあります。しかし、同時に私は、人の、人でない部分を、憎んでもいる」

 

人はただ人でいればいい。それこそが、オーヴァーロードが人間に下した裁定だった。人という種が、定められた限界値を超えて突き進むことはオーヴァーロードの意思に反することだ。故に彼は人が人たらしめるという意味を頑なに変えずにいる。限りない可能性というものは、創造主たるものたちにとっては予測不能で制御できない存在。

 

神は、制御できるものしか愛せないのだから。

 

故にオーヴァーロードは裏切られた。人間という、種そのものに裏切られた。だからこそ、もう一度、最初からやり直そうと決めた。

 

「どういう意味だ、待て!最初からやり直すだと…。まさか、人類を!」

 

「人間よ。私の子供達よ。滅びなさい。私はもう、あなた達を愛する事ができない。滅びなさい。滅びなさい。アギトのチカラ。その自らの手で」

 

やめろ!!そんな絶叫のような声が轟き、意識は遠ざかってゆく。ドボン、と何かに落ちた。深く、深く沈んでゆく水底。呼吸をする必要もない。ただ深く沈み、意識が遠ざかる。それこそが、オーヴァーロードが望んだ結末。

 

それこそが、〝神のみわざ〟……なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ペンシルバニア州、フィラデルフィアで起こる猟奇殺人事件。その殺人はアメリカ全土を震撼させるに相応しい事件ではあったものの、近年続発する超人事件や、鉄の外装を纏った大企業の社長の影響力、ハーレムを緑と赤の巨人がズタズタに事件で持ちきりで、アメリカで初めての世界遺産都市フィラデルフィアなど眼中になかったと思う。

 

しかしながら、ボストンから引っ越してきたミアには大変刺激の強い街であった。

 

歴史に革新と文化が融合するアメリカ北東部の回廊地帯。ニューヨーク市とワシントン D.C. の中間という便利なロケーション。交通の便がよく、歩きやすい町でもあったりする。まぁ治安はそこそこなので、夜に一人で出歩くと今夜のように暴漢に襲われるような危険があるのがたまに傷だ。

 

そんなフィラデルフィアの市街地から少し離れた位置にミア・ロンドベルが働く研究施設がある。

 

先も言った通り、フィラデルフィアはワシントンD.C.とニューヨーク市のちょうど中心点に位置している。ここが戦略国土調停補強配備局(S.H.I.E.L.D.)の拠点であることを知ったのは、ミアが意気揚々と自分のデスクにプライベートで買った置物を設置したあたりであった。先輩の研究員いわく、ここはS.H.I.E.L.D.にとって割と重要な拠点であり、大都市間の中継地点のような役目を負っていると同時に、近年発生している地場の捩れや、物理現象の調査員なども在籍しているのだ。

 

調査書などを運ぶ際に機密を漏らすなウンタラカンタラと誓約書を束になる勢いで書いたのも、ここにあるものが大体国家機密に相当するものばかりということもあり、その事実を知ったミアは「私はただ物理の研究がしたかっただけなのに」と肩を落としたという。

 

そんな不幸体質なミアだが、今は研究所内に常設されている医務エリアの長椅子でぐったりと項垂れていた。

 

「はぁ、なんでこんなことになったんだろ……」

 

今日はもう帰ったはずなのに職場にトンボ帰りしてくることになるとは。守衛の白髪のサングラスがよく似合いそうなお爺さんに担いでいる相手を見られて「酒は飲んでも飲まれるなよ」と注意されたのが余計に効いていたりする。

 

そんなことを「ハハハ」と乾いた笑みと共に思い出していると、医務室の扉が開いた。

 

「貧血と栄養失調だけど……すごいな、身体機能は全く衰えていないよ」

 

中から出てきたのは二人で、黒人の大きな男性はミアの同僚であるスイート・エディタだ。彼は元々、ネイティブ・アメリカンの医術を持つ医師で、医学の学位を獲得しようと医療支援している際にS.H.I.E.L.D.の軍医としてスカウトされた異色の経歴の持ち主だ。原住民の伝わる漢方、マッサージ医学と西洋医学を融合させた技術は素晴らしいのだが、彼の気さくな言葉はミアの慰めにはならなかった。

 

「はぁ、そうですか」

 

「それで、この人と君の関係は?名前はわかるかい?」

 

「いえ、この人とは本当に……」

 

そこまで言ってミアは冷静に今医務室のベッドに横たわっている相手との出会いを思い出した。暴漢に襲われる→怪物に襲われる→その怪物を爆発四散させて助けてくれたのが戦士であり連れてきた青年→イマココ。

 

「さっき路地で出会ったばかりです」

 

そういう事にしかミアには出来なかった。もしありのままレット・イット・ゴーな事を言えば、「大丈夫?注射打つ?ぶっといの」とスイートに診断されかねない。

 

ごまかす私を見て、スイートがどこか腑に落ちない様子であったが、隣にいたブロンド髪の女性が心配そうに私の頬を撫でた。

 

「ミアは本当にいい子なんだから……私は変な人に捕まらないか心配」

 

「あははは、すいません……」

 

妖艶で大人っぽい色気を出すのはメリッサ・ヘルガー。彼女は応用物理学の博士号を持っていて、バイオテクノロジーの研究をおこなっている。

 

スイートと一緒になぜいたかと言うと、単純に二人は付き合っているからである。私が男を担ぎ込んだのだが、二人のプライベートな時間を邪魔してしまったわけである。全くもって申し訳ないリア充爆発しろと、年齢=彼氏いない歴のミアが思念を送っていると、通路の奥から足早に誰かがやってきた。

 

「ミア・ロンドベルかな?フィル・コールソン捜査官だ。戦略国土調停補強配備局の……失礼、S.H.I.E.L.D.で伝わるね?」

 

にこやかに挨拶をしてくる人当たりの良さそうな人が握手を求めてきてそう言ってきた。思わずミアは固まる。ここはたしかにS.H.I.E.L.D.の施設であるが、捜査官がやってくることなんてまぁ無い。というか、自分個人に捜査官の肩書きを持つ人が挨拶に来るなんて異常事態だ。

 

「え゛っ、捜査官が一体何用で……」

 

「君が見たものについて幾つか教えてほしくてね」

 

思わず変な声が出そうになった。と、同時に医務室のベッドからとんでもない声が聞こえた。

 

「うわぁっ!?」

 

「うおお!?びっくりしたぁ!?」

 

思わず絶叫にメリッサと見えないとこでいちゃつき始めようとしていたスイートが素っ頓狂な声を上げた。コールソン捜査官はしばらく、なんとも言えない顔になった後、視線で医務室のドアに目を向けて言葉を続けた。

 

「……そこにいる彼にも」

 

 

 

 

 

 

結果から言えば、コールソン捜査官はすぐに話を聞くことはできなかった。スイートに点滴を打ってもらい顔色が良くなった男性……というよりも青年は、次いで鳴ったお腹の音共に、施設内にある常備食を片っ端から食べていった。ミアが買ってきたミネラルウォーターを煽って一息つき、青年はミアやスイートに頭を下げた。

 

「ほんと、すいません。助かりました。まさに地獄に仏ってやつですね」

 

食べ終えたレトルト食品の山をコールソン捜査官は一瞥して、すぐに咳払いをしてから話を切り出す。

 

「まぁ君の身なりを見れば相応に地獄だったのだろうね?君の名前を聞かせてもらえないか?」

 

そう問うと、青年はどこか気まずそうな顔をしてからミアにかけてあるコートをとって欲しいとお願いした。ハンガーにかけられたコートは、一言で言うとボロボロ。裾は途中で破けていて、まるで戦場を歩いてきたかのような酷い状態だった。

 

青年はコートを受け取ると、唯一穴の空いていない内ポケットに入れていたくしゃくしゃの封筒を取り出して、コールソンに渡した。

 

「封筒?日本語……それも漢字だ」

 

「あ、俺漢字の勉強していたから読めますよ」

 

そう言ってスイートがコールソンから封筒を受け取る。茶封筒の真ん中には漢字で「津上翔一」とボールペンの文字で書かれているのがわかった。

 

「津……ツガミ……トビイチ?」

 

「ショウイチよ、バカ!」

 

隣にいたメリッサにスキンヘッドを引っ叩かれる。コールソンとミアはそのやりとりに目を向いて、スイートから返された封筒を手に取った。

 

「この封筒に何の意味が?」

 

「たぶん、それが俺の名前なんです」

 

「……たぶん?」

 

思わず聞き返すと、青年は言いづらそうな表情で話し始める。

 

「俺……記憶がないんです。気がついたらこの街にいて……当てもなく彷徨ってたら……お腹も減って……力も出なくなって」

 

そしてミアに助けられたとショウイチと名乗る青年は言葉を続けた。全員の視線を受けるミアはぎこちない笑顔で応じる。本音は「彼が言ってることは間違ってて間違ってない!」なのだが、全部を言えば彼と一緒に自分も捜査官によって連行されるような気がした。

 

コールソンはショウイチの目を見てしばらく考えるような素振りをしている。彼の表情からは嘘が見えない。それは当事者であるミアも同じだった。

 

「記憶喪失か……」

 

「然るべき場所に保護をしてもらうか?」

 

とりあえず案を出すスイートだが、その手は使えないとメリッサが遮った。

 

「取り合ってくれないわよ。今は警察も謎の行方不明事件で手一杯だし」

 

今のフィラデルフィアでは連日の猟奇殺人事件と行方不明事件が相次いでいる。誰だ、歩きやすい街だとか言って不用心に夜の路地を闊歩していたのは。あ、私かとミアは頭を抱えたくなる発作をなんとか押しとどめていた。

 

すると、コールソンは一層真剣な声でベッドに腰掛けるショウイチに問いかける。

 

「ミスター・ツガミ。君は行方不明事件について何か知っているのかな?」

 

その目は嘘を見抜こうと真実を探しているものだった。コールソンがわざわぞフィラデルフィアにきたのは、連日の猟奇殺人の裏にいる〝モンスター〟のことだった。人の身を溶かしたり、食べたり、分解したり。S.H.I.E.L.D.の調査員も何名か犠牲になっているのだ。そこにきて、ミア・ロンドベルが見つけ、保護した浮浪者。何事も疑ってかかるを心情にする捜査官からすれば見過ごすことのできない相手だった。

 

そんな一流捜査官でいるコールソンの問いかけに、ショウイチは一切表情を変えずに言葉を返した。

 

「……いえ、わかりません」

 

ミアはそこで察した。この青年はあの戦士のことを隠している。あるいはあの戦士の時は記憶がなくなっている……彼が記憶喪失なのはその後遺症なのだろうか?あるいは、そう言う演技なのかもしれない。少なくとも、彼はコールソン捜査官に真実を伝えるつもりはないように思えた。

 

と言っても、ミアは一部始終を見ているのだからミアがコールソンにチクれば一発なのだが、彼女も彼女で面倒ごとや自身のリスクを回避する習性があるため、ショウイチが黙っているから自分も、行き倒れていた彼を助けた善良な市民でいることを貫こうと決めたのだ。

 

だが、その選択をしたミアは後で盛大に後悔をする。

 

「わかった。今夜は遅い。ここに泊まってゆくがいい。ミア・ロンドベル」

 

「は、はい!」

 

「彼の世話を任せるよ」

 

「はい!……はい?」

 

そうにこやかに肩を叩いて医務室を去るコールソン捜査官。

 

ミアは何を言われたのか理解できずに、しばらくしてから壮絶に面倒なことを押し付けられたと自覚して、「ちょっ、まっ……コールソンさん!?」と変な声を上げながら廊下を走って追うことになるのだった。

 

 

 

 

 

 

 



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03.起承

 

 

 

S.H.I.E.L.D.の捜査官であるフィル・コールソンを見失ったミアは、なし崩し的、全くもって不本意だが、記憶喪失の浮浪者であり、謎の変身パワーを宿す男、ショウイチ・ツガミを保護することになりました。

 

ただでさえ不幸でいる自分に神は一体どんな試練を与えるというのでしょうか。大学のゼミのクソ教授に出会ってからめっきり信じなくなった神への祈りはそんな辛辣なものだった。トボトボと医務室に戻ってきたミアは、同僚であるスイートとメリッサに手伝って貰い、ショウイチをラボの一般棟へと案内した。

 

記憶喪失であるが、幸いにもショウイチは読み書きや簡単な計算、道具などの使い方や言語による意思疎通は問題なく、彼自身の出生や人間関係、彼自身がこれまで歩んできた〝人生〟だけをポッカリと忘れているだけだったので、一般棟にある空き部屋に案内するまで苦労はなかった。

 

研究棟はS.H.I.E.L.D.のいろいろな研究(ミアも全容は知らない)ものがあり、基本的に一般人の出入りは固く禁止されている。なのでショウイチも研究エリアがある棟には入れず、ラボの一角にある一般棟に隔離される形となった。

 

ミア自身、さっさと手を離したい案件であったが捜査官のいうことは絶対という謎の風習がS.H.I.E.L.D.にあるため、コールソンのことを恨みながらもショウイチのことは全面的にミアに一任される事となった。

 

「いい?私からのお願いは単純。この棟から出て、変な真似はしないで。以上」

 

「内容は……わかりました」

 

「よろしい。ベッドはそこ。簡易のシャワールームはそこだから、浴びたらこれに着替えて今日は寝てね」

 

ショウイチが案内されたのは一般棟の中程にあるゲストルームである。出張にきた研究員などが寝泊まりに使う場所で、寝具やシャワーなども完備されている。とりあえず最低限の生活はなんとかなると言った具合だ。スイートが見繕ってきた着替えを渡して、浮浪者そのままな服はさっさと廃却する。

 

「ミアさん……ありがとう。見ず知らずの俺を助けてくれて」

 

部屋を後にしようとしたミアに、ショウイチは人懐っこい笑みをむけて感謝の言葉を言った。あぁ、こういう顔苦手だ。ミアは反射的にそう思ってしまった。彼女としては訳の分からない化け物に襲われて、その化け物を吹っ飛ばした未知の存在であるのが彼だ。ショウイチの感謝の言葉には、コールソンやスイートたちに彼の正体をバラさなかったことも含まれているのだろう。それが余計にミアのめんどくささを刺激していた。

 

「別に……厄介ごとにこれ以上巻き込まれるのが嫌だっただけよ。じゃ、おやすみ」

 

素気なくそう返して扉を閉めるミア。振り返りはしなかったが、扉が閉まるまでショウイチはずっとミアが苦手だと思った笑顔を浮かべていたのだった。

 

それから、ミアもスイートやメリッサと別れ、今度は〝タクシー〟で家路についた。帰宅すれば既に時計は4時00分を示していて、寝れても三時間程度。絶望感と疲労感に苛まれながらも休息を求める体をベッドを横たわらせて、ミアは短い睡眠時間を摂った。

 

 

 

 

 

 

「あ、おはようございます。ミアさん」

 

「おはようございまーす。………んっ?」

 

ごく自然に挨拶されたので、ミアの眠気を訴える思考は今の状況を理解するのに数秒を要した。ホウキを片手に玄関周りの落ち葉を掃除する人物の顔に、ミアはものすごい既視感を覚えた。

 

大股で入口に戻る。そこには昨日渡した予備の服ではなく作業着を着たショウイチ・ツガミがせっせと掃除している光景が広がっていた。

 

「な、なにやってるの!?ショウイチ!?」

 

「なにって、掃除とかですけど」

 

さも当然のように返された言葉に、ミアは言葉を失った。絶句するミアを不思議そうに見ているショウイチ。その後ろから研究所の一般職を牛耳るチーフが大手を振ってこちらに声をかけてきた。

 

あぁ、それはそうだ。昨日の夜に突如とした研究所に居候まがいなことをし始めた情緒不定、職業不明な記憶喪失の男性が勝手に出歩いて掃除をしていたのだ。そのことを咎めにきたのだろうと勝手に解釈していたミアだが、やってきたチーフの言葉に耳を疑った。

 

「ショウイチ〜!キッチンの手伝いしてくれ〜!」

 

「はい!今いきます!」

 

思わずズッコケそうになった。ごめん!ミアさん、これ守衛のおじさんに渡しておいて!とホウキをミアに渡して、ショウイチは呼びにきたチーフと一緒に研究員の食堂がある方へと向かっていってしまった。

 

「なにがどうなってるの!?」

 

ポツンと残されたミアは思わず叫んだ。そしてミアは守衛のおじさんの世間話に付き合わされて、久々に早起きできたのでラボの朝礼に遅刻したのだった。

 

「彼がここに住まわせてもらうなら手伝わせてくれって言ってきてな」

 

研究チームの室長からお怒りを受けたミアは、デスクにいるスイートからそんな話を聞いた。なんでもシャワーを浴びて小綺麗になったショウイチは、お楽しみ中だったスイートとメリッサがいる医務室にやってきてそんなことを言い始めたのだ。

 

最初は冗談かと思い、スイートが使ってない部屋の片付けを頼んだ。ショウイチが居を構えるゲストルームは他にも沢山ある。そのほとんどが手入れされず、埃が被っている酷い状態だ。掃除を始めたらきっと嫌になって途中で投げ出すとメリッサと言っていたら、ショウイチは見事な手際でゲストルームの掃除を終えたのだ。

 

埃ひとつない部屋に唖然とするスイートに、ほかにすることは?と聞くショウイチ。そこからはノンストップだったと後に彼は語る。

 

「ショウイチ〜!次は花壇の整備を〜」

 

「はーい!」

 

「ショウイチ〜!この封筒を会計の人に渡してきてくれ〜」

 

「おまかせあれ!」

 

「ショウイチ〜!野良犬が敷地内に〜!」

 

「はい!お手!骨とってこーい!!」

 

そんなこんなで早くも一週間。

 

ショウイチは困っている人、助けを求める人のところに出向いては手伝い、手伝い、手伝い。その手腕を一般職のチーフに気に入られて更に拍車が掛かった。中でも料理の腕前がピカイチで、万年人手不足な研究員の食堂に救世主が現れたとちょっとした騒ぎになっていたりする。

 

「なんだか最近、ショウイチの名前を聞かない日がない気がする」

 

「ハッハッハッ!彼は人気者だからな!」

 

ショウイチの保護責任者に任命されていたはずのミアはすっかり影が薄くなっていた。指示をする前に保護する相手が独断で動き始めて、それが助かるもんだからみんな彼を頼った結果、収拾がつかない状況に陥っていた。

 

そんな激動の日々の中、ショウイチは毎日毎日、本当に楽しそうにこの施設の中を駆け回って手伝いをしていた。夕方にカウンセリング兼、内心するスイートはショウイチのカルテを見ながら笑っていた。

 

「毎日記憶喪失になりたい、か。彼らしいな」

 

この施設の中でショウイチとの接点が多いのは実はスイートである。問診とカウンセリングをする次に接点が多いのはミア。その次が一般職のチーフである。

 

ミアは毎日の帰宅時に今日は何をしたという話をショウイチから聞き、日誌的なものコールソンに送る役目を言い付けられているので、毎晩ショウイチの話(業務連絡)を聞いては書き起こしている。明日の8時から花壇の水やりから始まり、夜の守衛の手伝いまでのワークスケジュールをコールソンに送ったら「彼は業者なのかね?」と真面目な返事が来てミアは少し頭を抱えたりした。

 

カルテを横から見ていたメリッサが不思議そうな顔でスイートに質問をした。

 

「手先が器用なのが意外ね、記憶喪失なのに」

 

「そう言った作業というのは記憶とは別のところに格納されているともいうのさ」

 

スイート曰く、ショウイチのような記憶喪失の症例は珍しくなく、ある特定のポイントをピンポイントで失うと言った事例もある。とは言っても、ショウイチのように自分と自分に関わった全ての人との記憶が無くなっているというのは珍しいことだ。

 

「それに……そう言った症例は、脳に莫大なストレスがかかって起こることが多い。彼は一体、何があってあんなにも記憶を失ったのだろうな」

 

そう呟きながらスイートは満点の笑みを浮かべるショウイチのカルテの写真を見ながら、物悲しい表情をしたのだった。

 

 

 

 

 

 

研究員たちが利用するキッチン。そこに並べられた魚たちを真剣な眼差しで眺めるショウイチは、その口に指を突っ込んでゆく。

 

「この魚、生はまずいですね。焼いてしまいましょう」

 

4匹目あたりでそう言うと、キッチンスタッフが「じゃあこれはソテー行きだな」とショウイチが調べ終えた魚をマリネにするか、焼くかと言う選別をしていく。彼は魚の口に指を突っ込むだけで、その魚の具合や鮮度、傷みを瞬時に見抜くことができるのだ。

 

「さすがはショウイチくんだなぁ」

 

厨房の掃除、皿洗いから始まり料理の下拵えからソース作り、調理、飾り付けまでを十全にこなすショウイチに、キッチンスタッフたちは称賛の声を上げた。彼が来てからスタッフたちの激務は大きく改善された。手際がよく、欲しい時に欲しいものを用意してくれるショウイチの存在はとても有難いものであった。たまに独創的すぎる創作料理のプレゼンを始めるのがたまに傷ではあるが、それでもショウイチのセンスは目を見張るものがあった。

 

さて、明日の調理の下準備も終わったところだったが、ふとショウイチは違和感を覚えた。神経を逆撫でするような嫌な感覚。途端、彼はキッチンエプロンを脱いで食堂を後にした。

 

「すいません、料理長さん!少し席を外します!あ、仕込みは終わってるので!」

 

すれ違った料理長にそう告げて、ショウイチは施設の裏口から出てフィラデルフィアの市街地へと走り出した。しばらく走った後、薄暗い路地に差し掛かった。違和感の正体はこの奥から来ている。特に何の変哲もない路地であったが、ショウイチには直感的な理解できた。

 

そして、彼が踏み出そうとした時。

 

「どこに行くつもりなの?」

 

ふと、路地に踏み入れた足が止まった。静かに振り返ると、そこには家路についていたはずのミアが立っていた。悪いけど尾行させてもらったわ、とミアはスマートフォンを取り出してショウイチに見せる。それは彼の服に仕込んだ小型の追跡装置だった。ミア自身、捜査官の真似事をするつもりはなかったが、コールソンから「目を離すな」と言明されていたので、仕方なくショウイチの後を追っていたのだ。

 

「ミアさん……」

 

「貴方、一体何者なの?なんでそんな真似をしているの?」

 

奇しくも、その路地はミアが暴漢と化け物に襲われた場所に近かった。明らかに人が進んで通るような道ではない。薄暗い路地は、市街地の街灯やネオンも届かない闇に包まれている。

 

その闇を見据えながらショウイチは、ミアの問いに答えた。

 

「自分でも……良くわからないんだ。ただ、戦わなくちゃいけないって……」

 

「……貴方は何と戦っているの?何のために戦うの?」

 

「ご飯を美味しく食べるため、かな」

 

「は?」

 

真剣な話をしていたはずなのに、思わずミアから変な声が出た。ご飯?使命とか、運命とか、そう言ったものじゃなくて?混乱しているミアに、ショウイチは振り返っていつもの人懐っこい笑顔を見せる。

 

「生きるってことは、おいしいってことじゃないですか。だから、死を背負っていたりすると不味くなります」

 

それだけ言ってら彼は真剣な表情に変わり、踵を返した。

 

「単純なことだけど……自分勝手なことかもしれないけど、俺は、自分のいるべき場所があるっていい、そのくだらない理由のために戦います」

 

ジャリ。薄暗い路地の奥から何かを踏みつける足音が聞こえる。それは人のそれではない。明らかな違和感と恐怖心がミアとショウイチの前に体現している。

 

間違いない。あの時と同じような化け物が、すぐそこにいる。すると、ショウイチの腰にあの日と同じ金と黒と赤が配色されたベルトが甲高い音が唸りを上げると共に現れた。

 

「ミアさんには、ご迷惑をかけてる自覚はあります。それでも、俺は戦い続けます。……それが、この力を手にした理由だと、思うから」

 

彼は鋭い呼気を発し、手を前にかざす。神々しい光を溢れさせるベルトの前に手を出すと、ショウイチは高らかに声を上げた。

 

「スゥ……ハァーー……変身っ!!」

 

両サイドのバックルを手で叩くと同時。エンジンが唸るような音共にショウイチの体が眩い光に包まれ、その姿を人間のものから遠ざけた。

 

「貴方は、何者?」

 

黒の四肢。真っ赤な複眼と黄金の角。その特徴を備えた戦士は、肩越しにミアを見据えてこう答えた。

 

「アギト。……この力の名はアギト」

 

その夜。再び語られることない死闘が、ミアの前で繰り広げられる。化け物とアギトの戦い。その光景を見つめるミアは気づかなかった。

 

ビルの屋上から、アギトの戦いを見つめる……至高の魔術師の存在を。

 

 

 

 

 



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04.魔術

 

 

 

アギトの力。

 

その力を有した起源を、ショウイチは全く知らなかった。気がつけば体の一部になっていて、そしてその力を何使うべきかを心得ていた。彼は争いごとを好まない性格ではあったが、一度アギトの姿に〝変身〟すれば、それまでの天然な雰囲気から一転して、その気迫と闘気を滲ませながらフィラデルフィアの街に現れる正体不明の化け物との戦いを繰り広げていた。

 

研究施設一般棟の便利屋さん。家に一人欲しい家政婦。料理はレストランが開けるレベルという認識がS.H.I.E.L.D.の職員あたりにまで浸透し始めた頃、ミアはコールソンに提出する報告書を前に頭を抱えていた。

 

彼の普段の生活なら何ら問題ない。基本的にショウイチは何をするにしてもミアに一報を入れてくるので、彼女のスマートフォンの連絡アプリには彼の日頃や勤務状況が更新されてゆく。あとはその時間と勤務内容をまとめてコールソンに提出するだけなのだが……時折、施設の外に出て何をしているのかと言うのが頭を抱える原因だった。

 

ショウイチには文字通り追跡機器が取り付けられていて、彼が路上でアギトとなって戦っている様子もバッチリモニターされている。だが、正直にコールソン捜査官へこの事実を報告したらどうなるのか?

 

おそらくショウイチはS.H.I.E.L.D.の生体研究施設へと運ばれ、そこでありとあらゆる検査や実験を行われるに違いない。ショウイチのことを一切知らないミアだったら、その事実を躊躇することなくコールソンへ報告するだろうが、彼女は化け物の魔の手から救われていて、アギトは命の恩人。そんな相手を明らかにやばいことをする相手に引き渡せるほど、ミアは冷徹にも合理的にもなれなかった。

 

スイートの話では、ショウイチの記憶喪失の症状はかなりの負担とストレスが原因ということもあり、普段の人の良さからミアはすっかりショウイチに情を持ってしまっていた。そしてそれはミア個人に限った話ではなく、この研究施設にいるほとんどの職員が感じていることだ。

 

今日も元気に一般棟の掃き掃除から始まって、昼間は食堂での調理。そして今は、報告書に頭を悩ませているミアをリラックスさせようとキッチンで甘味を作っている最中だ。

 

「できたよ、ミアさん。プリンアラモード・ショウイチスペシャル!」

 

トレーの上に果物とクリームがたっぷりのプリンを乗せてにこやかにテーブルにやってきたショウイチを見て、ミアは気楽そうでいいなと内心呟きながら、デザートカップに入っているカロリーの暴力たるプリンアラモードを受け取る。

 

ここ最近、怒涛の日々すぎて落ち着くタイミングなどほとんどない。そんな疲労困憊なミアにショウイチはキッチンの余りの食材を融通してもらってデザートを作るようになったのはここ数日の話だ。たまにスイートやメリッサもあやかりに来るが、ショウイチは拒むことなく料理を振る舞ってくれる。

 

「いつも悪いわね、ショウイチ」

 

「俺のために頑張ってくれてるんだから、少しは恩返ししないと」

 

そう笑うショウイチに、ミアはどこか申し訳なさを感じた。彼は本当に実直で素直で、真面目な人だ。打算で生きている自分とは全く違う。そんな彼の生殺与奪をミアは握ってしまっている。その事実が彼女に罪悪感のようなものを覚えさせた。

 

彼が何のために戦うのか。なぜアギトの力を手にしたのかはまったくわからない。けど、望んでそうなるような人にも思えなかった。じゃあ、どうして?その真実にミアはすごく興味がある。それと同時にショウイチの過去や真実を知れば……もう後に引き返せなくなる。そんな確信めいた感覚があった。

 

ふと、目の前にいるショウイチが周囲に視線を向けた。ミアも釣られて辺りを見渡す。時間は午後3時過ぎ。この時間の食堂は一種のカフェテリアのような扱いで、休憩など研究員たちが少なからずいるはずなのに。

 

「ねぇ、ショウイチ?」

 

「何?」

 

「この食堂……わたしたちだけだったかな?」

 

誰一人として食堂にいない。それどころか人の気配すら消えていた。正面にあるガラス張りから見える外の景色にも歩いている人やベンチに座っている人影もない。誰一人としていない空間。その不気味さに、ミアは小さく息を呑む。

 

パキリ。

 

ミアの真後ろでガラスにヒビが入るような音が響く。咄嗟に振り返ると、そこには歪な鏡面があった。ただ、何もない空間のはず。まるで自分の目の前が巨大な鏡になかったかのように、突如とした現れたそれはひび割れるように形を変えながらミアとショウイチを映し出していた。

 

「突然の来訪を許してください。Ms.ロンドベル」

 

反響音のような声が、屈曲したガラスに反射したかのように歪んだ食堂の中に響く。コツコツと硬いブーツの足音を響かせ、黄色を基調としたローブとフードを見に纏った一人の人物が現れた。その後ろからは黒人の偉丈夫もついてきており、黄色のフードを被った人物が指を振るうと食堂に並べられていた机や椅子が折り畳まれるように端へと寄せられてゆく。

 

「えーっと、どう見てもラボ見学の来賓者じゃないよね?」

 

見学を示すネームプレートを首から下げていないのは確かだった。戸惑うミアたちの前にたどり着いた人物は、フードを脱ぎ、剃り上げた頭部と整った顔立ちをあらわにした。

 

「失礼、私は至高の魔術師(ソーサラー・スプリーム)のエンシェント・ワンと申します」

 

そう言って彼女……エンシェント・ワンは二人へと挨拶を交わす。

 

「はぁ、これはご丁寧に……ってちょっと待って?ソーサラー・スプリーム?エンシェント・ワン?」

 

「科学技術を信奉するそちらとは別の視点を持つ者……とでも思っていてください。ところでMr.ツガミ。私は貴方に用があってきました」

 

ニコリと微笑みながら穏やかな口調で言うエンシェント・ワンであるが、この謎の鏡面世界や、現れ方から見てどう見ても穏やかな内容じゃなさそうだ。ミアは警戒心を高めつつ、横目でスマートフォンを見るが見事に電波は圏外となっていた。

 

「私としては蜂蜜入りのお茶でも飲みながらお話をしたいところですが……悠長なことを言ってる場合もないので」

 

「ちょっと待って!ここはダメだ!せめて外に……」

 

「安心なさい。ここはミラーディメンションです。多元宇宙(マルチバース)のひとつで、現実世界をもとに生成された仮想空間次元です」

 

「マルチバース?」

 

思わずミアが聞き返した。ミラーディメンション?などと言った摩訶不思議な単語はまだいいが、マルチバースはもはや眉唾物だ。物理学を専攻してきたミアにとって、その内容は信じ難く、かと言って軽んじることのできる内容ではなかった。

 

そんな物理学を主とするミアの言葉に、エンシェント・ワンはさも当然のような口調で答えた。

 

「この世界がひとつと貴方たちは思っているでしょうが、それは鍵穴から世界を見て全てを知っている者の言い分に過ぎません。ここは鍵穴の中。我々の生きる世界は無限に広がるマルチバースの一つに過ぎないのです」

 

このミラーディメンションもその一つです。アストラルディメンションも体験させましょうか?とくいくいと彼女が手をこまねくがミアからしたらそれどころじゃなかった。

 

この食堂が異界化していると言われて「はいそうですか」と納得できる方がどうかしているわけだが、ミアは前例を知っていたからまだ混乱はマシだった。物理法則を無視した生物変換をする男がすぐ横にいるのが少しの慰めでもある。

 

「あぁ、ダメだ。理解する前に頭が現実について行ってない……」

 

「理解することはありません。ただ委ねるだけです」

 

微笑んで言うエンシェント・ワンの前に躍り出たショウイチは警戒心を緩めずに穏やかな気配を出す彼女と向き合う。

 

「委ねると言って、なぜ貴方は俺たちにこんな真似をする!」

 

「それは貴方が特異点(シンギュラリティ)だからですよ。ショウイチ・ツガミ。具体的に言えば、貴方の力がですが」

 

たとえば……アギトの力。そう彼女が呟いた瞬間、ショウイチの雰囲気がガラリと変わる。無言のまま手を構えると、音共に彼の腰にベルトが出現した。

 

「ワイズマン・リング。別名オルタリング……本当に実在したとは。では、彼が?」

 

「えぇ、彼こそが……」

 

それを見てモルドは目を見開き、エンシェント・ワンは表情を変えないままショウイチとミアを眺めている。

 

「スゥーー………変身っ!!」

 

「ΑGITΩの力を宿す者。どうやら伝説は本当だったようですね、モルド」

 

ショウイチの声と共に発せられる凄まじい光の奔流。目を開けてられない光の中をエンシェント・ワンはみじろぎせずに立っていた。光が止むと、そこにはショウイチの姿はなく、黒と黄金の配色となったアギトが佇んでいた。

 

さて、そのままエンシェント・ワンが相手になるかと思いきや、彼女の後ろに控えていた黒人の偉丈夫……弟子、モルドが背負っていた杖(スタッフ)を取り出してアギトの前へ向かう。

 

「失礼、私はモルド。君の相手をさせてもらう。ちなみにレリックは知っているかな?これはリング・トリビューナルの杖だ」

 

モルドがそう言ってスタッフを軽く振るう。途端、杖が多節棍のように可変し、現れた関節部には輝くオレンジ色のエルドリッチ・ライトが迸った。バチリと凄まじい火花とスパーク音を轟かせるそれを見ても、アギトは動ずることなくじっと赤い複眼でモルドを見据えていた。

 

「レリックは人間の手には余る魔術を封じた魔法具だ。こうやって魔力を使えば武器にもなる」

 

反応のないアギトにも律儀に説明するモルド。彼の身につけるブーツもレリックであり、魔法陣の力場を作って足場にすることが可能だ。その説明を聞いたミアが力なく近くにあるテーブルに腰を下ろした。

 

「もう物理学の研究やめようかしら」

 

「その学びも重要ですよ、Ms.ロンドベル。ちなみにネパールの茶葉は?」

 

「え、あ、はい。いただきます」

 

何食わぬ顔で持ってきたポットからお湯を注ぐエンシェント・ワン。渡されたお茶は蜂蜜の風味が効いていてどこか心が安らぐものだった。

 

エンシェント・ワンから振られる何気ない話に応じるミア。その二人の前ではスタッフを振るうモルドと、洗練された肉弾戦を仕掛けるアギトの戦いが繰り広げられていたのだった。

 

 

 

 

 



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05.賢者

 

 

「どうした!もっと本気にならないと死ぬぞ!」

 

ミラーディメンションとは便利なものだな、というのがリング・トリビューナルの杖を振りかざすモルドと戦っているアギトの感覚だった。ミラーディメンションは現実世界とは隔絶された別次元、とエンシェント・ワンが言っていたことが事実ならば、これがあれば夜な夜な現れる化け物を相手取っても、無関係な人たちに被害が及ぶことを考慮しなくても済む。

 

軽やかな動きで回転を生かした攻撃を繰り出すモルドに対し、アギトは最小限の動きや、上半身のみのスウェーバッグによる回避術でモルドの繰り出す変則的な攻撃を避けてゆく。だが、多節棍を扱うモルドの方が間合いや武器の打撃性能で一歩先にゆくのが実情だ。肉弾戦のみに限定した場合、時間かければ不利になりかねない。

 

だったらこれだ。そう決断してから行動は迅速であった。アギトはオルタリングの左スイッチを押すことで、ベルトに埋め込まれた青色のドラゴンズアイが発光。すると、オルタリングの中央部が黄金色から青色へ変化。発光と共にアギトの左半身の外骨格が黒と黄金から、青い鎧へと変貌した。

 

「ほう……」

 

その様子を興味深く見るエンシェント・ワン。隣ではミアが今まで見たことないアギトの姿に驚いている様子だった。

 

「左腕が青くなった……?」

 

次の瞬間、ミアは言葉を無くした。オルタリングの中央部から武器が発現、アギトがそれを掴むと1メートル弱ほどの長さの武器が何もない場所から召喚されたのだ。

 

アギト・ストームフォーム。風の力を左腕に宿した超越精神の青。

 

金属の擦り合う音と共に刃先が展開された薙刀、ストームハルバードを見てモルドは呆れたような、困ったような顔をしてスタッフを構える。

 

「性質を変化させたのか。ますます厄介だな」

 

言葉を終えると同時にモルドがスタッフを振り上げて迎撃をするが、それよりもストームフォームのアギトの方が早かった。強化された身体能力はミラーディメンションで形成された食堂の床を踏み抜き、後方へ瓦礫を散弾のように打ち放ちながらアギトの体を前へと押し出した。

 

「ハァッ!!」

 

スタッフの横なぎをストームハルバードで受けながし、そのままサイドフリップの要領で飛んだアギトは呆気に取られたモルドを縦に打ち倒した。

 

斬られた。そう確信していたモルドだが、その身にストームハルバードの刃が刻まれることはなく、展開状態から刃を折りたたんだ状態のハルバードが、倒れたモルドのぎりぎりのところで止められていた。

 

「……なぜ、トドメを刺さない」

 

確実に殺せるはずなのに。あえてモルドが問うと、アギトはストームハルバードをゆっくりと上げて、倒れているモルドから距離を取ってから答えた。

 

「アンタは悪者じゃない。それがわかる」

 

どちらかといえば、こちらを試しているかのような素振りも見えた。モルドが律儀にレリックのことや、リング・トリビューナルの杖の説明をしてくれたからアギトは戦う戦略を立てられたし、そもそも彼らが自分の命を狙うと言うなら、夜な夜な戦っている時の隙を狙うなど……もっと確実な方法があったはずだ。

 

にも関わらず、こうやって正攻法できたと言うことは、エンシェント・ワンや目の前のモルド自身にこちら仕留め切る意思はないと直感的に判断をしていたのだ。

 

モルドが立ち上がると、一部始終を見ていたエンシェント・ワンがパチパチと拍手をしながら椅子から立ち上がる。二人の戦いで傷ついた場所や、アギトが踏み抜いた鏡面世界の傷もエンシェント・ワンが手をかざすとたちまち修復されていった。

 

「アギトの力を制御しているようですね、Mr.ツガミ」

 

戦う意志も意味もないと判断したアギトはその変身を解き、人間体へと姿を戻す。

 

「エンシェント・ワンさん……貴女は何を望んでいるのですか」

 

「……いいでしょう。私の目的は近くやってくる破滅的な未来への懸念を確かめるためです」

 

そう言うと彼女は虚空に手を広げて魔法陣を展開した。幾何学模様の魔法陣は輝くオレンジ色の光を発しながら複雑化してゆき、魔法陣を生成してゆく。両手をぐるりと反転させたエンシェント・ワンが、パンッと手を叩いた瞬間、形成されていた魔法陣がミラーディメンションへと広がり、さっきまで食堂だった空間は鮮やかな星々が照らす宇宙空間へと変貌した。

 

「……魔法ってすごい!」

 

「ふふ、ミアさん。貴女は素質がありますね」

 

ぶっちゃけ考えることを放棄しただけのミアにエンシェント・ワンが微笑む。彼女が手をかざすと宇宙空間は目まぐるしく景色を変え、やがて一つのイコン画へとたどり着いた。空を天使のような羽を生やした者たちが支配し、地上では大勢の何かが戦っているその画は、引き寄せるような魔力を持ちながらも、どこか不気味さもあるものだった。

 

エンシェント・ワンは、このイコン画は無限にあるマルチバースの中で唯一の場所にしか無かったと前置きをした。

 

「オルタリング……我々魔術師はワイズマン・リングと呼ぶ物。伝説上、光を有する神が人に与える奇跡と伝承に残されています。この地球の神なのか、それとも宇宙の神なのか、はたまたこのマルチバースの神か……。定かではありませんが、しかしそれは実在する」

 

アギト=ショウイチ・ツガミが存在する以上、それはもはや伝説上で語られる空想の産物ではない。エンシェント・ワンは印を構え、腕を交差させると彼女が胸からぶら下げていたレリック、アガモットの目が開き、そこから緑光を発する〝ストーン〟が姿を見せた。

 

「これはソーサラー・スプリームが守護するタイムストーンです。貴方が未来で深く関わる〝インフィニティ・ストーン〟の一つ。その一つに匹敵するものが貴方の中にある」

 

「我々はそれをワイズマン・ストーン、賢者の石と呼んでいる」

 

補足するようにモルドはショウイチを指差しながらそう言った。オルタリングには彼らが言うように〝賢者の石〟が内包され、左右にドラゴンアイが備わるベルトだ。彼らの目的はその賢者の石、あるいはワイズマン・リングの捕獲、あるいは封印、破壊が目的であったと語った。

 

だが、その必要はもうないと身構えるショウイチやミアにエンシェント・ワンがそう告げる。

 

「貴方の本質が悪であれば、我々魔術師が総力を持ってシンギュラリティである貴方を倒す……つもりですが、その必要はないようですね」

 

そもそもの話、完全なるアギトの力は純粋な魂と意志にしか宿らないという伝承もある。ショウイチがアギトとなり、過去の記憶の全てを失ったのも、その力の代償の一つなのかもしれませんと彼女は言った。

 

「教えてください!彼が戦う化け物は何ですか!?アギトの力を狙っているんですか!?」

 

ミアは思わずそう問いかけた。S.H.I.E.L.D.でもない頂上的な力を用いる彼女たちなら、あの化け物の正体を知っているのではないか?そこからショウイチが戦う運命も何かわかるのかもしれない。そんな希望めいた予感は、おおよそ的中していた。

 

だが、あの化け物はアギトに導かれたものではない。

 

「あれはアギトの力には関係のない存在……言うなれば、このマルチバースが生み出した危機感による防衛本能の実体とでも言うべきでしょうか」

 

簡単に言えば風邪をひいた体を治そうとする抗体みたいなものですよ、とエンシェント・ワンは答えた。伝説ならアギトの力は魔術のそれとも隔絶した代物。その対局に位置するものが現れれば、今フィラデルフィアに現れている化け物など雑兵に過ぎなくなる。

 

そして、その対局に位置する者たちもまた現れるだろうと彼女は言った。アギトが現れた以上、それは避けられない運命なのだから。

 

「Mr.ツガミ。貴方がどうであれ……ストーンを待つ者である以上、この世界と未来に無関係ではいられません。貴方と言う存在が現れた。それがこの世界にとっての福音になることを私は祈ってます」

 

それだけ言うと、彼女は開いていた魔法陣を消し去る。ミラーディメンションも縮小を始め、黄色のフードを被り直したエンシェント・ワンはスリング・リングを身につける手をかざし、エルドリッチライトで形成されたゲートウェイを開いた。

 

「ま、待ってください!破滅的な未来って……なんですか?」

 

ゲートをくぐり研究施設を後にしようとするエンシェント・ワンにそう呼び止めたショウイチ。彼女は振り向くことなく答えた。

 

「それもまた、委ねればわかることです。さようなら、Mr.ツガミ……いえ、アギト」

 

また、未来で会いましょう。その言葉を最後にエンシェント・ワンとモルドは痕跡に一つ残さずにこの場から消えて、ミラーディメンションから帰還した二人は喧騒に包まれる食堂に戻ってきていたのだった。

 

 

 

 

 



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