ルーデウスの双子の姉 - 弟に勝てなさすぎるので本気出す - (抹茶れもん)
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第1章 幼年期
第一話 「姉と弟」


 私、ノア・グレイラットが物心ついたのは、2歳になって少し後ぐらい。

 その頃から、双子の弟であるルーデウスは、既に非凡な才能の片鱗を見せていた。

 言葉を流暢に喋り、本に書いてある文字を理解し、あまつさえ初級の魔術までも使ってみせた。

 

 当時のまだ無邪気でピュアピュアしていた私は、ルーデウス……ルディがどれだけ異常なことをしているのかはわからず、そうやって次々と新しいことを見せてくれる弟に、目をキラキラさせながらついていっていた。

 

 では、そんな私はどんな子だったかというと、ルディに比べてとてもとても出来が悪く、手の掛かる子供だった。

 

 まず、なにかあるとすぐ泣いた。

 おなかが空いたら泣き、排泄をしては泣き、眠くなったら泣き、唐突に目が覚めたと思ったら泣き、そして特になんともなくても泣いていた。

 ルディは全然泣かなかったから、私はお父さん、お母さんやメイドのリーリャにそれはもう苦労をかけたことだろう。

 

 次に物覚えが悪かった。

 言葉もルディが話し出した数ヶ月後くらいからであり、文字というものを理解したのは、さらにずっと後のことだ。

 ルディが毎日2階でやってた魔術の特訓も、「すごいすごーい!」とか「おみずきれーい」とかいう貧弱極まる語彙で合いの手を入れながら、ぽけーっと見つめているだけだった。

 

 そして最後は私の体質。

 私は髪も肌も真っ白で、瞳は血のように真っ赤である。

 長時間日光に当たると肌が火傷してしまうようで、一度玄関で日向ぼっこしていたらえらい目に遭った。

 そのためお母さんたちは家の中でも外でも常にフードのついたローブのような服を着せ、外に迂闊に出ないよう細心の注意を払うようになった。

 

 つまり何が言いたいのかというと、弟は非常に優秀で、対して私はとてもおバカさんで手間がかかる厄介者だったということだ。

 私はその時からずっとルディの後追いしかできておらず、一度もあの優秀な弟に何かで上回ったことがないのである。

 

 とはいえ、それによって姉弟仲やら家族仲やらが険悪になるなんてことはなく、私は色んなことの見本を見せてくれるルディを気に入っていたし、ルディもまた純粋に慕ってくる私のことを邪険に思ってはいなかったはずだ。

 お母さんたちもルディに比べて迷惑をかけまくっている私にもルディ同様に惜しみなく愛情を注いでくれていた。

 

 そんななか、私とルディはお父さんとお母さん、リーリャの目をこそこそと逃れながら、毎日のように魔術の練習をしていた。

 私は見ているだけだったけどね。

 

 ルディは水を飛ばしたり、氷を作ったり、さまざまな魔術を試していて、私はそれを見ているのが何よりも大好きだった。

 今思えば、あの頃が一番ルディと気兼ねなく接することのできた日々だっただろう。

 

 それが少しばかり趣きを変え始めたのは、3歳になって少し後。

 ルディが中級の水魔術をぶっ放し、秘密の特訓が家族全員に盛大にバレた時からだったと思う。

 

「きゃー! 見て、あなた! やっぱりうちの子天才だったんだわ!」

 

 大量の水によって澄み切った青い空がよく見えるほどの大穴が開けられた2階の部屋で、お母さんはそう言って飛び跳ねた。

 その後、早速家庭教師を雇おうとウキウキで語るお母さんと、男の子なら剣術を教える約束だろうと言って反対したお父さんとであわや喧嘩になりかけたが、リーリャの午前中に魔術、午後に剣術をやればいいという提案によって事なきを得た。

 

 その間、ルディは仕方ないなぁといった表情で苦笑しながらも、少し嬉しそうにしていたと思う。

 しかし、私はそうではなかった。

 本当なら弟がお母さんたちに褒められて誇らしく、そして嬉しく思うだろうに。

 私はなぜか、自分が蚊帳の外にいるような気がして、なんだかモヤモヤとした面持ちでその様子を眺めていた。

 

---

 

 それからしばらくして、我が家に一人の家庭教師がやってきた。

 名前はロキシー。

 青色のきれいな髪と、眠そうな目がとてもかわいくて、当時の私の感覚としてはまさにお姉さんのような人だと思った。

 その時はお姉さんという概念は知らなかったけれど。

 

 ロキシーは教えるのが3歳のまだ小さい子供ということで怪訝な顔をしていたが、とりあえず「やれることはやってみます」と投げやりな態度で庭に向かった。

 

「あ、えと……庭でやるんですか?」

「当たり前じゃないですか。早く行きますよ」

「う、はい……」

 

 けれどルディはなかなかロキシーに着いて行かなかった。

 私はルディがとても好奇心旺盛で、家の中をあちこち歩き回っていたのをよく知っているので、どうしたんだろうとお母さんの腕の中からルディの顔を覗いてみる。

 

 すると、いつも自信に溢れた弟の顔は見たこともないほど引き攣っていた。

 まるで怯えているかのようなその表情は私が初めて見るもので、私はなぜか心がザワザワした。

 

 どうしてそんな気持ちが沸いたのか、そもそもそれはどんな感情なのかは私にもうまく言葉にできない。

 強いて言うなら心配か、それとも苛立ちだったか。

 とにかく私はルディに怯えた顔をしてほしくなかったんだと思う。

 

「ルディ。わたしもついてってあげる! ほら、いこ!」

「え、姉さま!? ダメですよ、姉さまは日に弱いんだから……」

「そうだぞ、ノア。

 お前に外は危なすぎる。家の中で待っていなさい」

「これきてればだいじょぶだよ! それよりほら、はやくいこ、ルディ!」

「わ、わぁ!」

 

 私はお母さんの腕から強引に乗り出し、同じくお父さんに抱っこされていたルディに抱きついて言った。

 

「だいじょうぶ! おねーちゃんがいればこわくないよ!」

「……! は、はい! 頑張ります!」

 

 今までで一番近くで見たルディの表情は、ちょっと泣きそうで、けど何かを決心したような、凛々しい顔をしていた。

 私はそれを見て、なんだかとても誇らしいような気持ちになった。

 

---

 

「……あなたも魔術を習うんですか?」

「? わたしはみてる!」

「見学、ということですかね。まぁそれくらいならいいでしょう。

 では、ルディ。まずはあなたがどれくらい魔術を使えるのかを見ます。

 わたしが初級の水魔術を使いますので、その後にあなたも同じ魔術を使ってください」

「はいっ!」

 

 ルディからはもうさっきの怯えは消えていた。

 今はリラックスしていて、でも十分に張り切っているようだった。

 

「まずはお手本です。

〝汝の求める所に大いなる水の加護あらん、清涼なるせせらぎの流れを今ここに〟

『ウォーターボール』」

 

 ロキシーの魔術を使う様は堂に入ったものだった。

 滑らかに紡がれる詠唱、凛とした立ち姿、流れるように生成される透き通った水球は、いつも見ているルディの魔術とはまた違った、芸術的な美しさがあった。

 ルディはこんなもんかと冷静に観察していたが、私は目をキラキラさせて夢中になっていた。

 

「どうですか?」

「きれーだった!」

「ふふ、そうですか。ありがとうございます。

 ルディは?」

「はい。あの木は母さまが大事に育ててきたものですので怒ると思います」

「ほうほう……え゛。

 そ、そうだったんですか!? それはまずいですね……!」

 

 私が褒めたことで鼻高々になったところをルディによって突き離されたロキシーは、慌てたように瀕死の木に駆け寄っていった。

 

「うぐぐ……。

〝神なる力は芳醇なる糧、力失いしかの者に再び立ち上がる力を与えん〟

『ヒーリング』」

「「おぉ〜」」

 

 ロキシーが詠唱を唱えた瞬間、淡い緑の輝きを発しながらじわじわと元の姿を取り戻していく木の幹を見て、今度は二人揃って歓声を上げる。

 治癒魔術は私もルディも初めて見るので、ワクワクと食い入るように見つめていた。

 

「先生は治癒魔術も使えるんですね!」

「え? ええ。中級までは問題なく使えます」

「すごい! すごいです!」

「すごーい!」

「い、いえ。これぐらいきちんと訓練すれば誰でも使えるようになりますよ」

「そうなんだ〜」

 

 ロキシーはあまり褒められ慣れていないのか、すぐにそっぽを向いていたが、その声音は妙に弾んでいて嬉しさが隠しきれていなかった。

 私とルディはそんなロキシーの姿を見て、互いにこっそりと笑い合った。

 

「では、ルディ。やってみてください」

「はい。

〝汝の求めるところに…………〟

『ウォーターボール』」

 

 途中までは張り切っていたルディだったが、詠唱中に不安気な様子が見えはじめ、途中でもういいやと言わんばかりに詠唱をぶっちぎってそのまま『ウォーターボール』を木に向かって発射した。

 

「?」

「……詠唱を端折りましたね」

「は、はい」

 

 神妙な顔をするロキシーと、段々とおどおどし出すルディ。

 そして首を傾げる私。

 今のはいつも見ているルディの魔術とは違った。

 いつものやつはもうちょっとスピーディーだった気がする。

 何が違うのか……あっ、そうだ。

 

「ね、ルディ。なんでえーしょーしてたの? いつもやってないよね」

「え゛」

「い、いつもは無し!? そう、いつもは無し……ふふ、これは鍛えがいがありそうですね……」

 

 こっちを向いて「この裏切り者ォー!」と言わんばかりの驚愕顔で見つめてくるルディと、ふふふ……と乾いた笑いをこぼすロキシー。

 そして首を傾げる私。

 私、なんかやっちゃいました?

 

 そんなことを考えていると、家の窓からお母さんが身を乗り出して再び瀕死になっていた庭の木を発見した後、私たち……正確にはロキシーに雷が落とされた。

 

「ああぁー! ロキシーさん! あなたね!

 うちの木を実験台にしないで頂戴!」

「えっ!? しかしこれはルディがやったもので……」

「ルディがやったのだとしても、やらせたのはあなたでしょう!

 こういうことは二度としないで頂戴ね!」

「はい、申し訳ありません、奥様……」

 

 どうやら、なんかやっちゃったのはルディで、なんかやっちゃった責任を取らされるのはロキシーらしい。

 なんだかこの世の理を学んだ気がする。

 

「さっそく失敗してしまいました……。

 ハハッ、明日には解雇ですかね……」

「先生……」

 

 怒涛の流れで何故か貧乏くじを引いてしまったロキシーは、なんだか落ち込んだ様子で庭の土をいじりだした。

 私とルディは顔を見合わせ、「慰めてあげよっか」という意志を共有した。

 まず先陣を切ったのはルディだ。

 

「先生は今、失敗したんじゃありません。

 そう、経験を積んだんです」

「ル、ルディ……?」

 

 ルディはロキシーの肩をぽんぽんして、ふひひっと変な笑みを浮かべてそう言った。

 ロキシーは困惑しているようだ。

 今度は2番手、私の出番。

 難しいことはわからないので、今思っていることを簡潔に伝えることにした。

 

「ルディ。そのかおなんかきもちわるいよ」

「ファッ!?」

 

 ルディは背後から唐突に言葉のボディブローを食らった。

 

「ロキシー! さっきのまじゅつ、すごかった! わたしもっといろんなのがみたい! ルディといっしょにみたい!

 だからおちこまないで! もっとわらおうよ、ね!」

「お嬢様……」

「? わたしノアだよ! ノアってよんで!」

「ふふ、そうですか。

 ノアと呼べばいいんですね。良いお名前だと思います」

「えへへー!」

「ルディ、ノア。二人ともありがとうございます。

 わたしを慰めようとしてくれたんですよね。もう大丈夫ですよ、安心してください」

 

 ロキシーはそう言って私の頭を撫で、そして心に致命傷を負ったルディの頭もまた優しく撫でた。

 ちなみにその時ルディは女神を見るような目でロキシーを見ていた。

 後のロキシー教誕生の瞬間はこの時だったのかもしれない。

 

「ロキシーさん」

「わっ、奥様!」

「ふふ、ゼニスでいいわよ。それより、中に入りましょ。

 まずは私たちの紹介もさせて。ね?」

「おーい! 早く来ーい!

 ロキシーちゃんの歓迎会、始めるぞー!」

 

 いつのまにか庭に出てきていたお母さんと、玄関から私たちを呼ぶお父さんの言葉にロキシーは首を傾げる。

 

「あの、いいんですか?

 ありがたいですが、返せるものがありませんので……」

「なに言ってるの! さぁ、早くいらっしゃい。

 ルディもノアも、早くおいで」

「「はーい!」」

 

 そうして押せ押せムードでロキシーの歓迎会が始まった。

 テーブルには見たこともないほど豪華な料理が所狭しと並んでおり、私はそれに目を輝かせて大はしゃぎし、今回の主役はロキシーなんだぞー、と注意されるほどだった。

 

 パーティーは貴族のものとは比べ物にならないくらい質素なものだったろう。

 だけど私はこれ以上ないってぐらいに、それはもう楽しんだ。

 私だけでなく、家のみんなが同じくらい楽しんだ。

 お父さんはお酒を一気飲みして、お母さんは配膳や料理をしつつ笑顔を絶やさず、あんまり笑わないリーリャも静かに微笑み、ロキシーは手作りの甘いお菓子に舌鼓を打っていた。

 

「姉さま」

「ん? なあに、ルディ」

 

 たくさん食べたからなのか、ルディは珍しくうつらうつらとしながら私に話しかけてきた。

 

「今日はありがとうございました」

「? なんのこと?」

「一緒に庭にいてくれて。とても心強かったですよ」

「えへへ、そっか!」

 

 私もなぜああいった行動に出たのかはわからないので、あまり実感はなかった。

 でも、ルディにそうやって心強いと言われると、嬉しくて、ドキドキして、自分がとても誇らしかった。

 初めて「お姉ちゃん」になれた気がしたのだ。

 

「……僕にも、できるかもしれません。

 人並みに生きて、人並みに努力して、躓いても立ち上がって前を向いて。

 本気で、生きていくことが」

「……」

 

 正直なところ、ルディの言っていることはよくわからなかった。

 でも、そんなルディの顔は今まで見てきたもので一番澄んでいて、自信と希望に満ちていた。

 私はあの晴れやかな表情を、生涯で忘れることはないだろう。

 だってそれは、私が見てきた中で最も美しく、それでいてかっこいい顔だったから。

 

「これからもよろしくお願いします、姉さま」

「うん!」

 

 私は隣に座るルディをぎゅっと抱きしめる。

 優しくて、かっこよくて、強くて、何よりすごい私の自慢の弟。

 その温もりを感じながら、私も眠くなってきた瞼を閉じる。

 

「これからも、こんな毎日がずっと続いていくといいですね、姉さま……」

「うん……だいすきだよ、ルディ」



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第二話 「ワガママ娘のノア」

高評価ありがとうございます!
感想・批評等もドシドシ送っていただけると私のモチベーションも鰻登りし、いずれは登竜門をくぐり抜けて投稿ペースが早まることでしょう。
これからもどうぞ、よろしくお願い致します!


 ロキシーが我が家の家庭教師になって、そろそろ4ヶ月が経つ。

 彼女の弟子であるルディはすでに中級までの魔術は全て使えるようになっていた。

 

 私は以前と変わらず、ルディが魔術を使うところをただ見ていた。

 中級の魔術はうちの2階をふっ飛ばしたという経歴からわかる通り、初級とは段違いに派手なものだった。

 その迫力は私にとって初めての体験で、私の魔術に対する印象をまた一つ大きく塗り替えた。

 

 ロキシーが来てから、ルディは前よりもよく笑うようになった気がする。

 ロキシーから魔術を学び、さらにお父さんからは剣術を学ぶ。

 ルディの毎日は充実しているのだろう。

 

 私にとってもそれは嬉しいことだ。

 弟の笑顔を見て嬉しくならない姉なんていないからね。

 だがしかし、そんな充実した日々が続く中、私は密かに不満が溜まっていた。

 

「ね、ルディ! いっしょに本よもうよ! ペルギウスのやつ!」

「あー、すみません姉さま。

 今からロキシーと魔術の授業がありますので……」

「そっかー。じゃー午後からね!」

「えっと、午後は父さまから剣術を教わる予定でして」

「じゃあ、それがおわってから!」

「その……魔術の座学が入ってまして……」

「……」

 

 そう、不満とは他でもない。

 ルディが構ってくれないのだ。

 もちろん、ルディの特訓を見ているというのも好きだ。

 けど、最近はもっと一緒に何かに取り組みたいと思うようになってきた。

 だからこそ、あまりルディに相手にされない現状にはそこはかとなく不満が募っている。

 

「そ、そっか。あのね、えっと……がんばってね、ルディ」

「はい、もちろんです。

 ……その、埋め合わせはいつか必ずしますので、あんまり落ち込まないでください、姉さま」

 

 どうやら慰められてしまったようだ。

 そんなに悲しそうな顔してたんだろうか。

 きっとしてたんだろうなぁ。

 グレイラット家では私の泣き虫には定評があった。

 

「うめあわせって、なあに?」

「今度また遊びましょう、ってことです」

「ほんと!? じゃあ明日ね! 明日!」

「なら、明日の午後、剣術の訓練が終わったら一緒に本を読みましょう」

「わーい、やったぁ! やくそくだからね!」

「はい、約束です!」

 

 実際はそれほど邪険にされていたわけではない。

 せいぜい1日か2日遊んでもらえなかった程度だっただろう。

 だが、子供にとっての1日とは長いもので、ルディからしてみれば私はワガママなかまってちゃんに見えただろう。

 それでも私はルディが約束をすれば絶対守ってくれることを知っていたので、その日はウキウキ気分でルディの授業について回った。

 

 そして事件は約束をした次の日に起こった。

 午前のロキシー講座を傍聴した後、私はルディの剣術の練習が終わるまでお母さんの手伝いをしていて、それからしばらくして訓練が終わったらしいお父さんがやってきた。

 

「おっ、母さんの手伝いしてるのか〜! 偉いぞノア〜!」

「でしょー! それより、ルディのとっくんおわったの?」

「おう、今日は早めにな。

 自分の部屋で休んでると思うぞ」

「わかった!」

「あっ、おいノア!?」

 

 訓練が終わった。

 そのことを聞いた私は一も二もなく走り出し、ルディの部屋への突撃を敢行。

 昨日から待ちに待っていたのだ。

 体当たりするかのようにバーンッと扉を押し開けて部屋に躍り出た。

 

「ルディー! やくそくだよ! 本よもー!」

「……」

「ルディー?」

「すぴー……」

「寝てる……」

 

 お父さんの言っていた通り、ルディは部屋にいた。

 しかし、立派な鼻提灯をこさえながら爆睡していたのだ。

 

 冷静に振り返ってみればここ数日のルディはかなり疲れが溜まっていた気がする。

 1日の大半は自分を高めるための訓練をしていたし、その上さらに自主的に魔力を使い切るような特訓も毎日行っていた。

 土魔術で精巧な人形を作ったり、火魔術を精密にコントロールしたり、複合魔術とやらの練習だったりである。

 

 その一環で魔力をうっかり使いすぎ、珍しく魔力切れを起こしていても不思議ではなかった。

 ルディの魔力総量は、最近では特に自身でも把握しきれないほど増えており、調整をミスってしまったのだろう。

 実にささやかな失敗であり、それも翌日の訓練に支障が出るレベルではなかった。

 ただちょっと疲れが溜まって眠ってしまっただけなのだ。

 

 だが、道理もわからぬ子供であった私は、ルディが自分との約束をすっぽかしてお昼寝をしてしまったと勘違いした。

 さて、泣き虫で、ちょっとだけ独占欲が強くなってきた3歳の幼女が、この状況になってどうするか。

 答えは一つ。

 

「びええええん!! ルディがやくそくやぶったぁー!!!」

「にょわぁ!?」

「ふええええん!!!」

 

 大泣きである。

 睡眠中のルディを叩き起こすレベルで大泣きである。

 あぁ、思い返せばあれが私にとっての1番の黒歴史かもしれない。

 

 その後は慌てた両親が仲人となって私をあやしにあやして泣き止ませ、ルディも私に平謝りして本を読み聞かせてくれたことで、なんとか私の機嫌も治まり、とにかくその場は一時事なきを得た。

 

 しかし、それは私の幼心に決して小さくはない蟠りを残してしまった。

 自分はもしかして、ルディにとっては二の次で、軽くみられているのではないか。

 そこまで堅苦しい考えではなかったが、そういった方向性の不満が表出してきたのは間違いなくその日が境だったと思う。

 

---

 

「では、本日からは上級の魔術を指導していきます」

「はい!」

「……」

「上級になると以前教えた混合魔術が本格的に運用されていきます。

 ルディは自主練で既に一定のレベルで達しているようですが、これからはそれらを実践レベルで使えるように——」

 

 そんな家庭においての些細な出来事があったところで、当然1日は着々と進んでいき、魔術の授業も新しくステップアップする。

 ルディはワクワクしているようだが、私は少し憮然とした様子だったろう。

 それはなぜか。

 

「では、おさらいです。

 ルディ。『濃霧(ディープミスト)』を発生させるにはどうすれば良いでしょうか」

「『水滝(ウォーターフォール)』『地熱(ヒートアイランド)』『氷結領域』(アイシクルフィールド)を順番に使います」

「……」

「よろしい。では、その霧を晴らすには?」

「もう一度『地熱(ヒートアイランド)』を使って地面を温めます!」

「……」

「その通りです。よく勉強していますね」

「……」

「……あの、どうかしましたか? 姉さま」

 

 ルディとロキシーの話についていけなくなりつつあったからだ。

 今までは「わー、きれーい」とぽやぽや見ているだけだったが、私もルディに比べれば出来損ないとはいえ成長する。

 

 となれば、より深く魔術に関して知りたくなるというもの。

 しかし、私が理解できるような初歩の初歩はとっくのとうに過ぎ去っており、わからない言葉の応酬にモヤモヤが積もっていくのは必定である。

 

 それに加えて以前の私の大泣き事件を境に、ルディの目をこれまでよりも引こうという気持ちが強くなっていた。

 だからこそ、ルディが私の知らない事でロキシーと盛り上がっているのを見ると不安やら何やらで不機嫌になる。

 

「……わたしも、まじゅつやりたい!」

「えっ?」

「ルディだけずるいもん! わたしもやるんだからー!」

「わ、お、落ち着いてくださいノア!」

 

 ぎゃいぎゃいと観覧席である椅子の上で暴れ出した私。

 そうだ、ルディが授業で構ってくれないなら、私も同じ授業を受けて一緒にいればいいじゃない。

 そんな風に考えたのだろう。

 子供らしいワガママである。

 

 無論、ロキシーとてタダで魔術を教えているわけではない。

 家庭教師なのだから、当然お給金をもらい、仕事として教練を施しているのだ。

 つまり、少なくないお金がかかっている以上、両親からの許可が必要となる。

 

「お父さん! お母さん! わたしもまじゅつやりたい!」

「あらまぁ、聞いてあなた! やっぱりノアも魔術に興味があるんだわ!」

「うーん、しかしなぁ……」

 

 反応はまちまちであった。

 お母さんはけっこう乗り気。

 反対に、お父さんは微妙な表情で悩んでいる様子だ。

 

 それもそうだろう。

 まだ呂律も回っておらず、ワガママ放題の未だ3歳である娘。

 ルディはしっかりしているし、長男であるからこそあっさり許可が出た。

 言わば特例なのだ。

 

 それに比べて私ときたら、呂律もうまく回っておらず、ワガママも多い。

 魔術の訓練は外で行うので、万が一日差しを遮るために私に着せているフード付き子供用ローブが風や衝撃で吹き飛ばされたら大変である。

 それに父親とは娘に甘く、過保護な生き物。

 故に、どうしても抵抗感の方が勝ってしまうというわけだ。

 

 しかし、上目遣いでおねだりしてくる娘のワガママは聞けるだけ聞きたいとも思うのが男親の性。

 そのため、お父さんは授業を受けるのを許可する代わりに、ある条件を提示した。

 

「魔術を習うのはいい。

 だが、ノアはまだ文字の読み書きができていない。

 このまますぐに練習したとして、初級の魔術もできないのがオチだろう。

 だから、まずは文字を勉強するんだ。

 それができて、なおかつ途中で投げ出さないと約束できるならば許可しよう。

 できるか?」

「うん! できる!」

「そうか。なら、父さんも応援しよう。頑張りなさい!」

「はーい!」

 

 こうして、私は魔術を習うための第一歩を踏み出したわけだ。



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第三話 「ロキシー先生のパーフェクト魔術講座」

評価バーに色が付きました。
その上感想までもいただけてしまい、私としては天にも昇るような心地でいます。
これからも感想・評価等をいただければ、私は第一宇宙速度を超えて地球外まで昇っていく心地になることでしょう。
というわけで、今回もよろしくお願い致します!


 私が文字を覚えるのにかかった時間は、およそ半年だった。

 

 最初の方はかなり難儀したものだが、ロキシーがルディの指導が終わって手が空いた時に教えてくれたので助かった。

 やっぱり魔術師は長い詠唱を覚える都合上、文法やら何やらには理解が深いのだろうか。

 要点を絞り、阿呆な私にもわかるように噛み砕いて、何度も熱心に教えてくれた。

 特に詠唱で使うような単語などを直々に教えて貰えたのもかなりお得だったと思う。

 おかげであの人には頭が上がらなくなってしまったよ。

 ルディが慕い、懐くのも大いに頷けるというものだ。

 

 そうして、私たちが4歳になった時くらいから私に対する魔術の授業が開始された。

 ちなみにルディは既に上級魔術のほとんどを会得しているらしい。

 出だしにはだいぶ遅れてしまったが、それでも私はやっとルディと同じ土俵に立てたような気分になり、お父さんからの認可が降りた時は舞い上がるような心地であった。

 

「さて、本日からはノアも一緒に魔術を学んでいきましょう」

「おめでとうございます、姉さま!」

「えへへー! がんばるよ!」

 

 ルディとロキシーの2人に褒められると、どうにも気恥ずかしくなってしまう。

 でも悪い気は全然しないので、私は少し頬を染めてはにかんだ。

 

「ルディとノアでは少々進度が違いますが、ノアはとてもやる気があるようですから、すぐに上達できるでしょう」

「ほんと!?」

「はい。ですがそれは真面目に頑張ったら、の話です。

 これからは厳しくいくときもありますし、どこかで行き詰まってしまう所も出てくるでしょう。

 そんな時は遠慮せずにわたしに質問したり、あるいはルディの真似をするなどして、自分なりに一歩ずつ進んでいってくださいね」

「わかった……いや、わかりました! ロキシー先生!」

「よろしい。では早速授業の方に移りましょうか」

 

 そうして、私は人生で初めて自分で魔術を使う特訓を始めた。

 といっても、私はまだ初級魔術の1つも使えないペーペーの魔術師見習いの、さらに見習いみたいなものである。

 そのことはロキシーも承知しているので、最初は手取り足取り教えることにしているそうだ。

 

 最もルディは最初から初級を使えたから、その才能の差みたいなものを感じてしまって、ちょっと気後れすること所はあったけれど。

 しかし、それ以上にルディと同じことができるようになるんだ、というワクワク感の方が圧倒的に勝っており、そんなことはすぐに水に流した。

 

「では、まず最初は『水弾(ウォーターボール)』からです。

 ノア。この魔術は一体どのようなものだと思いますか?」

「ルディがやってたやつ!

 じゃなくて、えーと、手の平からお水を出して、木にバーンって撃つやつ!」

「まぁ、撃つ対象は木だけじゃないんですけどね……。

 とはいえ、概ね正解と言っていいでしょう」

「やったぁ! ふふん、魔術教本に書いてあったからね! 知ってたんだ!」

 

 この半年間、私の読み書きの教材はもっぱら魔術教本だったのだ。

 特に最初の方に記されている初級魔術の項目はよく頭に入っていた。

 まぁ、若干うろ覚えだったんだけどね。

 

「では、詠唱の方は覚えていますか?」

「うぅーん……、覚えてないっ!」

「ははは……そうですよねー……。

 あぁ、そういえば、最初はルディも覚えていませんでしたね」

 

 私たちとは少し離れたところで土と水の魔術を組み合わせて、泥玉を量産していたルディが、バツの悪そうな顔で苦笑した。

 

「うっ、まぁそれは、僕はいつも無詠唱でやっていましたから……」

「ふふ、では今はどうですか?

 ルディ。わたしの代わりに、ぜひノアに教えてあげてください」

「えっ!? は、はい、わかりました……」

 

 ルディは少し焦った様子で唸り、「確かこれだったはず」という曖昧な表情で私に向き直る。

 きっと、私と同じくうろ覚えだったのだろう。

 ルディは基本ずっと無詠唱で魔術を行使するため、詠唱を覚える作業はことごとくすっ飛ばしていたのだから。

 私といえば、ルディなら完璧に回答してくれるだろうと、根拠のない信頼で瞳をキラキラさせていたのだけど。

 

「えーっと、確か……。

〝汝の求める所に大いなる水の加護あらん、清涼なるせせらぎの流れを今ここに〟

 でしたっけ?」

「正解です。覚えていたんですね」

「いやー、ハハハ」

「ルディすごいねー!」

 

 ルディは後頭部をポリポリと掻きながら笑っている。

 その表情から、「危ねぇー! 間違ってなくてよかったー!」という内心がありありと伺える。

 私といえば、ルディはやっぱりすごいなー、と馬鹿みたいに褒め称えていたのだけど。

 

「無詠唱で魔術が使えるといっても、詠唱を覚えておくのは損にはなりませんよ。

 普通の魔術師ならば基本は詠唱をするものです。

 ですので、相手の詠唱からどんな魔術が繰り出されるのかは、自ずと詠唱から導かなければならなくなります。

 その際、詠唱を覚えているかいないかは、大きなアドバンテージを生むでしょう。

 詠唱を覚える必要性はわかりましたか?」

「「はい!」」

「よろしい。では、今度はノアに詠唱をしてもらいます。

 実際に魔術を発動してみましょうか」

「はいっ!」

 

 私はロキシーに弾むような返事を返しながら手を前方に突き出す。

 物事を効率よく習得するには、先達の真似をするのが1番手っ取り早い。

 私の場合はルディだった。

 見よう見まねで目を瞑りながら、先ほど聞いた『水弾(ウォーターボール)』の詠唱を思い浮かべ、復唱する。

 

「〝汝の求める所に大いなる水の加護あらん!

  清涼なるせせらぎの流れを今ここに!〟

 『水弾(ウォーターボール)』!!」

 

 そう唱えた瞬間、つま先からなんとも言えないゾクゾクとする感覚がした。

 それは私の身体の芯に熱湯を注いだような熱さをもたらし、足先から太ももへ登っていく

 次に太ももから胴体へ。

 胴体から脳天へ。

 そして最後に、脳から一直線に腕を通過し、手掌の一点に収束する。

 

 熱量はそのまま体外に飛び出し、丸みを帯び、カタチを持ち、透き通った拳大の水球を生み出した。

 

 透明な雫から除く世界は、私にとって未知のもので。

 初めての魔術、初めての感覚、初めての景色に、息を呑んで見惚れていた。

 そして、雫はしばらくその場でふよふよと浮いた後、ぱしゃんと弾けて庭の地面に染み込んだ。

 

「あっ」

「ふむ、失敗ですね。

 ですが生成はかなりスムーズでしたよ」

「う〜〜!」

 

 自分としてはかなり上手くいった手応えがあったので、失敗したということにやや憮然とした気持ちになる。

 しかし、結果は明瞭。

 ダダをこねているだけでは何も始まらないと、この半年間の勉強生活で学習したのだ。

 私はやればできる子なのである。

 

「どうすれば上手くできるようになるの?」

「そうですね……。

 先ほどのノアはおそらく魔力の操作をしていませんでした。

 詠唱によって発動した術式に、ただ魔力が流れ込んでいるだけだったのでしょう。

 だから生成した段階で術が霧散してしまったんです」

「詠唱するだけじゃダメなの?」

「はい。魔術を射出するには、自分の魔力を掌握し、自らの意思で魔力に意味を持たせるように操作できなければなりません」

 

 ただ言葉を唱えるだけでは魔術は完璧には発動しない。

 本当にそれだけでできるのなら、今頃世の中は魔術師で溢れかえっていることだろう。

 

「ノア。さっき魔術を使ってみて、身体に何か熱いものが流れる感覚はありませんでしたか?」

「あったよ! なんか、ブワーってなった!」

「それが魔力です。

 この魔力をしっかりと知覚できることが魔術師にとっての最低条件。

 つまり、ちゃんと魔力を感じ取れていたノアには、魔術師としての才能がある程度備わっていることが保証されました」

「やった! じゃあ、私もルディみたいになれるんだね!」

「うーん……、ルディレベルになるのは難しいと思いますが……。

 弛まず努力をし続けるなら、もしかすれば追いつけるかもしれませんね」

「ほんと!?」

 

 ロキシーは、きっとできないと思っていたのだろう。

 それも当然だ。

 私とルディの間には、決して埋めることができない程の才能の差がある。

 だから、これは彼女なりに私がやる気を無くさないように言葉を選んだ結果の方便だ。

 それでも、私にとってはその言葉が何よりも頼れるもので、希望を指し示す指針に思えた。

 

「それよりも、次の目標は魔力を操作できるようになることです。

 そのために、まずは魔力を自分の身体の一部のように感じるよう慣らしていきます。

 とりあえず、『水弾』をできる限り使って、魔力とはどんなものかということを骨身に刻む訓練をしていきます」

「わかりました! がんばります!」

 

 その日の午前にあった授業では、結局『水弾』を飛ばすことはできなかった。

 けれど、私にとっては忘れることのできない輝かしい記憶として脳裏に焼き付いているのだった。



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第四話 「初めての敗北」

この度、拙作がめでたく日間ランキングに名を連ねることができました。
これも皆さまのおかげでございます。
ホンマありがとうやで!
私のやる気ゲージもブーストされました。
感想・評価等をいただければ、さらに私のやる気ゲージは溜まっていき、赤色になると兜割りが使えるようになることでしょう。

それでは、今話もよろしくお願いします!


「魔術っていうのは、発動するまでに四段階の工程が必要なんです」

 

 初日の授業が終了した日の夜。

 私たちは自室で本日の反省会を開いていた。

 

 といっても、その内実は私が今日できなかったり、上手くいかなかったりしたことをルディにひたすら聞いていくだけなのだけど。

 弟に教えを請うばかりというのは姉として複雑な気分ではあるが、もっと魔術の腕を上達させたいという欲求が、子どもらしいちゃちなプライドを凌駕していた。

 

 本日の議題はズバリ、「どうやったら『水弾』飛ばせるの?」である。

 結局あの後、なんとか魔力を掴む感覚は得たものの、発射するまでには至らなかった。

 そこで、私の知る中で最も魔術が上手なルディに座学のようなものをお願いしているのだ。

 ルディも「良い復習になる」ということで快く頷いてくれた。

 

「生成、大きさ調整、射出速度調節、発動の順番に四つです。

 詠唱を唱えただけだと、生成し、発動するだけだから水弾が飛ばずに落ちちゃったんだと思いますよ」

「うーん、じゃあルディはどうやって大きさとか、速さとかを変えてるの?」

「生成した後に、2段階に分けて魔力を追加で操作してるんですよ。

 生成から発動には少しの待ち時間があって、その間に魔力を使って大きさを整え、さらにその後もう一度魔力を追加して、どんな速さで飛ぶかや、どのくらいの距離で発動するのかを決めるわけです。

 ロキシーが言っていた「魔力を操作して意味を持たせる」というのは、こういうことです」

「ほぇ〜。なんか、難しいんだね」

 

 私は魔術というものを舐めていたのだろう。

 ルディは息をするように、ぽんぽんと水弾を連射していたから、ちょっとがんばれば私にもすぐできると思い込んでいた。

 

 実際には、魔術師たちは高度な魔力操作技術でもって神秘を行使していたのだ。

 これは一朝一夕で身につけるのは難しい。

 世の中で魔術師が貴重である理由の一つでもあった。

 

 だからこそ、不器用で飽きっぽく、忍耐強くない子どもには魔術は敷居が高い。

 それでも、私はすぐに魔術が大好きになった。

 すごいし、綺麗だし、楽しかったし、何よりルディと一緒にいられる時間が増えたことが嬉しかったのだ。

 

「でも、がんばるよ! ルディにもすぐに追いつくんだからね!」

「おっと、これはうかうかしていられませんね。

 追い抜かれないよう、僕も一生懸命努力しましょう」

「えへへ、がんばろうね! ルディ!」

 

 だから魔術が想像していたより難しくても、私はずっとウキウキとしていた。

 全然まだまだ、ルディに比べれば赤子と大人ほどの差があろうと、そんな風に高鳴り続ける胸の鼓動は確かに心地がよかった。

 

 やっぱり初めて自分で魔術を使ったこの日こそ、私が魔術を一生捨てないと、無意識のうちにでも誓った時なんだろう。

 ルディに勝つことだけを目標とするなら別の道もあったと、後になってそう思う。

 しかし私は、結局これ以外の道を真剣に考えることはなかった。

 

 たとえ魔術というものが、私にとってどれだけ修羅の道であったとしても、私はきっとこれを選んだだろう。

 普通に魔術が好きだという気持ちもあるけれど、本質はきっと、それが最も強くルディと繋がれる絆になるという確信があったから。

 私は生涯、魔術に連なるものだけを探求するようになる。

 

---

 

「〝汝の求める所に大いなる水の加護あらん、清涼なるせせらぎの流れを今ここに——〟」

 

 詠唱を唱えた瞬間、身体に沸き立つ熱がある。

 これが魔力。

 以前はこの熱の流れを、ただ肉体から送り出しているだけだった。

 しかし、それだけではいけない。

 私は手のひらから溢れ出す熱の流れを、見えない手でぐっ、と掴むような意識で掌握する。

 

 大きさの調整。

 基準となるのは、近所の男の子たちがいつも遊んでいるくらいの大きさのボール。

 手のひらから中空に伸ばした、未だ何の形も意味も持たない魔力を、そのまま見えない手の平で包み込むように保持し、それと同時にさらに身体から絞り出した魔術を加え、どんどん膨らませていく。

 そうして、理想通りの水球は生み出せた。

 

 それができたら次は射出速度の設定。

 まずは思い浮かべやすい速さで、という指導であるため、これもまたボール遊びで球を投げる時くらいのスピードを意識する。

 魔力を推進する力に変えるように、見えない腕で力一杯投げ飛ばすように、ぐぐぐっと力を込めて——

 

「『水弾(ウォーターボール)』っ!!」

 

 一気に解き放つ。

 中空に一瞬浮遊した水球がうねり、引き絞られて放たれた矢のようにまっすぐと前進。

 そして私の水弾は、ロキシーお手製土魔術で作った的のど真ん中に突き刺さった。

 

「わ ——や、やった! ね、ねぇロキシー! これって成功だよね!?」

「ええ、そうですよ。成功です!」

「やったぁー! うわぁーーーい!!!」

「おめでとうございます、姉さま!」

「いぇーい! ルディもロキシーも、みんなありがとー!!」

 

 たかだか初級魔術の『水弾』一発。

 魔術師を志すならできて当然、むしろできなきゃお前は何だレベルの、成功して当たり前の成功。

 それでもこれは私が臨み、私が成した初めての成功。

 私は「今日が人生最高の日です!」と言わんばかりに狂喜乱舞していただろう。

 成長した後に思い出すとちょっと気恥ずかしい所もあるが、あの誇らしさはずっと胸に宿っている。

 

「やはりノアには魔術の才能がありますね。

 昨日は失敗続きでしたが、先ほどの『水弾』は手直しの必要がないくらい見事でした。

 この成長速度なら予定よりも早く授業が進められそうですよ」

「えへへー! すごいでしょ!」

「ふふ、では今の感覚を忘れないうちにもう一度やってみましょう。

 次はもっとスムーズに、素早く仕上げることを意識してみてくださいね」

「はーい!」

 

 その日は『水弾』30発くらいを境に限界がきたため、それでお開きになった。

 昨日は20回前後で限度だったが、成長しているということだろう。

 ロキシーも魔力操作の腕が上がれば消費する魔力も節約できる、みたいなことを言っていたし。

 

「うーん、僕はそれとはちょっと違う意見ですけどね。

 もちろんロキシーの見解もあるとは思いますが」

「そうなの?」

 

 だがしかし、我が家の天才児ルディはそうではないようだ。

 今日も今日とて反省会をしている最中に出た話題である。

 これはまだ検証途中で詳しい証拠とじゃなくて経験からなんですけど、と前置きしてルディは語る。

 

「実は僕も最初は水弾2発とか、その辺が限界だったんですよ。

 ところが次の日は5発、次の日は11発、次は21発……という感じで、だんだんと増えていったんです」

「? それはルディが上手くなったからじゃないの?」

「いえ、さすがにこれほど加速度的に増えるのはあり得ないと思うんです。

 そもそも魔力っていうのは世間一般では生まれた時から不変だというのが常識らしいですしね」

「ほほう」

「ですから、僕の仮説はこうです。

 魔力は歳を取ると増えなくなりますが、逆に幼い時であるなら魔力は使えば使うほど増えていく、と。

 子ども時代に魔術が使える人は稀ですし、この法則が発見されていないのも実は理にかなっているんです」

「へぇー! ルディは物知りだね!」

「いやぁ、それほどでもあるかと」

 

 今までその自説を話す機会がなく、ルディも持て余していたのだろう。

 珍しく子どもっぽい自信が露わになったニヤつきを浮かべている。

 こういう一面も魔術を習っているからこそ見れたのだろう。

 私は嬉しくなって、その後も夜がふけるまでルディとのお話しを楽しんだ。

 

—-

 

「『水弾』!」

 

 的に向かって水球を放つこと50回。

 最初はかなり集中を要していた工程も、今や息を吸うような気軽さで為せるようになった。

 やはり経験と慣れは何事にも勝るのだ。

 コツコツと積み上げた努力が身に染みて実感できるから、私はこの反復練習というものが嫌いではなかった。

 

「良い感じです。

 この2ヶ月で初級魔術も四属性使えるようになりましたし、明日からは中級に取り掛かるとしましょうか」

「ほんと!? やったぁ!! 楽しみだな〜!!」

 

 初級は魔術師として見習いの領域。

 次なる中級魔術からが魔道の本領と言える。

 戦闘などのスピーディーな状況において、最も使い勝手がよく、術者の力量が顕著に出る分野であるからだ。

 この中級魔術の腕が術者の強さを表すと言っても過言ではない。

 

 要するに、一人前と認められたということだ。

 

 私はロキシーのことをとても尊敬している。

 私に魔術の道を授けてくれた彼女には感謝してもしたりないぐらいである。

 だから彼女に認められたことは、私にとって1段階上に辿り着いたんだと、確かな実感を与えてくれた。

 

 それに伴い、前々から密かに考えていた提案を遂に口に出すことにする。

 庭の端っこで等身大お父さん人形を作っているルディを引っ張ってきて、私はロキシーにお願いした。

 

「ねぇ、ロキシー! これから私とルディで勝負するの!

 だから審判お願いしていい?」

「えっ? 勝負……ですか?」

「へっ!? そんなこと僕聞いてませんよ、姉さま!」

 

 今言ったからね。

 そして私は豆鉄砲を喰らった鳩のように驚くルディとロキシーを、事前に用意していたセリフで説得する。

 

「ほら、ルディも最近ちょっと暇そうじゃん?

 だからね、ここらで魔術勝負したいんだよ。

 これから戦うこともあるかもだし、今のうちに慣らしとこうよ!」

「でも……危険じゃないですか?」

「ルールは先に相手に『水弾』を当てた方が勝ち! もちろん威力は最小限に抑えてね。

 これなら危なくないでしょ?

 それにもし本当に危なそうだったらロキシーに止めて貰えばいいしね! 治癒魔術も使えるし!」

「……うぅーん」

 

 ルディはまだ悩んでる感じだ。

 でも私はどうしてもやりたかった。

 目標のルディに自分がどれだけ近づいたのか、そしてどれだけ遠いのか。

 それを自分の手で知りたかったから。

 そんな私の内心を汲み取ってくれたのか、ロキシーが言う。

 

「わたしは良いと思います。

 いざ実践となると、どうしても普段通りにはできなくなります。

 実際の空気とは程遠いでしょうが、実のある訓練になりそうだと思います。

 実際、ラノアの魔法大学でも似たような授業はありましたから」

「そうなんですか?

 ……わかりました! 僕もやってみましょう!」

「いぇーい! ありがとロキシー! 大好きだよ!」

「はいはい。わかりましたから早く位置についてくださいな」

「「はーい!」」

 

 やはり我らが師匠は女神だった。

 いつもルディが彼女のパンツを崇めているだけはある。

 私もお祈りしておこう。

 聖ミリスの御加護があらんことを……だったっけ。

 

 それはともかくとして、私はウキウキで走り出す。

 高揚と緊張でバクバクと鼓動が鳴っていた。

 けれど気分は上々、やる気は十分。

 この日のために何度も頭の中で練習してきたし、日々の訓練もそのつもりでやってきた。

 

 互いに距離を取る。

 長さにして私5人分くらいのところに印を付け、その上に立って右手を構える。

 合図はロキシー。

 

 ルディは真剣な表情をしており、いつもの温和な雰囲気とはまた違っていて、けれどそんな顔もすぐに気に入った。

 だってこの顔を真正面から最初に見たのは、世界で私が初めてだから、特別になれた気がしたのだ。

 

 そしてロキシーが私とルディの双方が見える位置に着き、手を振り上げる。

 

「では、いきます——。

 初めッ!」

 

 ロキシーの腕が振り下ろされた瞬間、私は自分にできる最高速で詠唱を行った。

 集中は最高潮。

 そうして紡がれた私の『水弾』は、今までの中で最も早い詠唱だろうと確信できるほどの出来だった。

 

「〝汝のもとめ——」

「『水弾』」

 

 もっとも、それは私の脳裏に浮かんだだけで、形を為す前に勝負はついてしまったけれど。

 

 ルディの『水弾』は私の何十倍も早く形作られ、狙い違わず私の顔面にぶち当たり、頭っからびしょ濡れにしてしまった。

 無詠唱魔術だから当然だ。

 ルディの方が絶対早い。

 頭の中で何度相手にしても、一度も勝てなかったから、これは当然のことなのだ。

 

 私はその勢いのまま、仰向けに倒れこむ。

 日差しがフードの中に差し込み、ピリピリと肌が痛むけど、そんなの全然気にならなかった。

 

「あはは——やっぱ、すごいなぁ……」

 

 「大丈夫ですか!? 勢いつきすぎましたか!?」とめちゃくちゃ心配した様子で駆け寄ってくるルディ。

 天才で、優秀で、強くて、優しくて、私が大好きな——大事な弟。

 私はガバッと起き上がってルディに抱きつく。

 

「ねー、ルディ」

「な、なんでしょう」

 

 今はまだ全然追いつけないし、これからも追いつけるかわからない。

 私はルディの足元にも及ばない。

 こんな不甲斐ない姉では、ルディも胸を張って弟を名乗れないだろう。

 ルディが良くても、私が嫌だ。

 

「次は、絶対勝つからね! また明日も勝負しよう!」

 

 だからいつか、あなたに勝てるまで。

 私はこの世界を、本気で生きていきたいと思うんだ。



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第五話 「勝利は遠いよどこまでも」

感想いっぱい貰えてホクホクしてます。
感想・評価等をさらに追加していただけたなら、蒸気機関をブン回すための良いエネルギー源になることでしょう。
「おっ!」となるお言葉も多くあり、感想読みは非常に楽しいですよね。
それでは、今回もよろしくお願い致します!


「〝汝の求める所に大いなる——」

「『水弾』」

 

 一直線に飛来した水球が、バシャアと音を立てて私をずぶ濡れにする。

 あれから私たちは、訓練の終わりに水魔術の一本勝負をすることになった。

 私の強い要望である。

 ロキシーもその方が上達が早いと思ったのか、割と簡単に許可が出た。

 最近では彼女もノリノリで審判をしている。

 

 まぁ、もっとも判定負けに持っていくことすらできない有様なのだけど。

 私もこの1ヶ月間でかなり上達したと自負しているが、この水合戦勝負では未だ一度もまともに魔術を発動させることすらできていない。

 今の私は中級の水と風の魔術を習得しているレベルで、既に魔術師としては結構な手前だとロキシーには太鼓判を貰っているのに、だ。

 

 使っている魔術は同じ。

 威力に制限があるので、魔術自体のスピードもほぼ同程度。

 しかし、私とルディでは勝負にならない。

 歯痒いことだ。

 

 そのルディの圧倒的な勝率10割を支えているのは、やはりなんと言っても無詠唱魔術だろう。

 長ったらしい詠唱を全部さっ引いて魔術を使うんだから、そりゃあ速度で勝てないわけだ。

 そして私が詠唱魔術しかできない限り、ルディに勝つことは不可能となる。

 

 ならば仕方がない。

 わからないならルディに頭を下げてやり方を聞こう。

 姉の威信は地に落ちるだろうが、これ以上足踏みしているわけにもいかないのだから。

 

「だからルディ! 私を立派な無詠唱魔術師にしてちょうだい!」

「まぁ、いつかそうくるだろうなとは思ってましたよ」

 

 ルディは苦笑しながらそう言った。

 双子なだけあって、ルディはやっぱり私の性格をよくわかっていた。

 

「ですが、僕も感覚でやっていることなので上手く説明はできないかもしれません」

「大丈夫! ちゃんと自分で理解するよ!」

「わかりました。他ならぬ姉さまの頼みですからね。

 ではまず、姉さまが普段どんな感覚で魔術を使っているかを教えてください」

「了解!」

 

 私はルディの言う通り、普段『水弾』を使う時の意識の仕方を話した。

 詠唱を発動し、魔力の脈動を感じたら、それを見えない手でこねくり回すように操作するあの感覚を。

 身振り手振りと時には擬音を駆使して、精一杯伝わりやすいように仔細を説明した。

 

 ルディはそれを聞いて、んー、としばらく考えてから再び口を開いた。

 

「姉さまはもうほとんどできてると思いますよ、無詠唱」

「えっ!? そうなの!?」

「はい。そもそも無詠唱っていうのは詠唱が自動的にやってくれる作業を手動でやるだけです。

 さっき聞く限りでは、姉さまはサイズ・射出速度調節の際に既に手動でやっているみたいですし」

 

 どうやら私は既に無詠唱魔術の極意とやらを掴んでいたらしい。

 きっと誰よりもそれに詳しいのはルディだろうし、間違いはないだろう。

 

「じゃあ、私も今すぐ無詠唱が使える……ってこと!?」

「いや、それだけじゃ多分ダメなんですよ。

 姉さまは詠唱を使うことによって魔力を知覚し、そこから操作しているから詠唱が必要になっているんだと思います。

 だから、まずは何の詠唱もしていない素の状態で魔力を認識できるようにしてみてください。

 それさえできれば、すぐに使えるようになると思いますよ」

 

 身体の中の魔力を、何にもない状態で掌握するということだろうか。

 それなら明日の訓練の時間に、もっと詠唱の瞬間を事細かに探れば、感覚が掴めるようになるかもしれない。

 さすがルディだ。

 私が今必要としていることと、それを叶えるために最適な方法を教えてくれる。

 やっぱりうちの弟は天才なんだと、改めて実感した。

 

—-

 

 さらに半月が経過した後、私は身体に流れる魔力をしっかりと嗅ぎ取れるようになっていた。

 

 ここまでくるには、なかなか大変なものがあった。

 まず、ひたすら『水弾』を発動し続け、それに伴う魔力の流れを読み取る。

 これを反復することで、自然と魔力を認識し、操れるように骨身に刻みつけるのだ。

 

 魔術を使って、使って、使いまくり、身体の中を巡る熱の軌跡を染み付ける。

 熱の源泉はどこか。

 どう絞り出すのか。

 経路はどうなっているのか、どこに流れていくのか。

 それらを地道に何度も、繰り返し繰り返し練り上げ、精度と素早さを上げていく。

 

 そしてついに、無詠唱魔術の扱いに成功した。

 

「うぉっしゃあああぁーーー!!!」

 

 私は狂喜乱舞し、あまりの興奮と感動で雄叫びを上げた。

 字面の通り、女の子らしさなどこれっぽっちも感じられない声を張り上げた。

 

「まさか本当に習得してしまうとは……ルディといい、やはり天才とはいるものなんですね……」

「やった! やりましたね、姉さま! すごいですよ!」

「ふぅーーっ……」

 

 成功したのはまだ一発だけ。

 それでも私の額には汗がだくだくと流れ落ちていた。

 高鳴る鼓動と、新たな道が開けた解放感。

 そして、「やってやったぞ!」という達成感が私の感情を席巻していて、しばしの間そのえもいわれぬ感覚を無言で噛み締めた。

 

「えへへっ! いいなぁ、これ。すごくいい!」

 

 一度やり方を覚えてしまえば、それはとても自然であるように思えた。

 手のひらから魔力を絞り出し、見えない手をそっと添えるようにして形作る。

 魔力が水となり、そこに加えた魔力の支えで中空で螺旋を描くようにほとばしらせる。

 陽光を発散させ、キラキラと虹色の光を透過させる私の魔術。

 こんなに自由な魔術があったんだ。

 

「ね、ルディ! さっそく勝負しようよ! 今なら勝てる気がするわ!」

「もちろん! ただ、僕にもプライドというものがありますからね! 簡単に負けるつもりはありませんよ〜!」

 

 そして私たちはいつものように位置に着き、いつものように腕を構える。

 最初にこうした時は、そもそも勝てると思っていなかった。

 ただ当然のように負け、それで自分の位置を再確認することが目的だったからだ。

 

 けれど、今回は違う。

 全力で勝ちに行く。

 今は私もルディも互角なんだ。

 使う魔術も、威力も、速さも、精度も、技術も全て同じ。

 ならきっと——

 

「「『水弾』!!」」

 

 私たちの手で放たれた水弾は互いを掠めてすれ違い、目標に到達し、バッシャア!と飛沫をあげて崩れ去る。

 

 勝敗はきっと、誰の目から見ても明らかだった。

 

「そこまで! 勝者ルーデウス!」

 

 ふぅ、といつぞやのように仰向けになりながら留めていた息を吐く。

 少なくとも、勝負にはなっていた。

 今までのようにただ蹂躙されるだけの塩試合ではなかったとは断言できる。

 それでも明らかにルディの魔術の方が速かった。

 

 うーん、なんでだろう?

 おかしいなぁ。

 勝てると思ったんだけどなぁ……。

 

「……なんで負けたんだろ」

「姉さま、えっと」

 

 おっと、私としたことが柄にもなく辛気臭い顔をしていたか。

 ルディがなんだか申し訳なさそうな顔をして駆け寄ってくる。

 ルディは実力で勝ちをもぎ取ったんだし、もっと自信満々でいて欲しかったんだけどなー。

 けれど、いつまでも寝っ転がったままではいけないだろう。

 

「大丈夫ですか……?」

「ん、もう大丈夫! ありがとね、ルディ。心配してくれて」

「いえ、いいんです。こちらこそ、すいませんでした」

「もーっ! そんな顔しないでよ! 

 ルディは勝ったんだから、もうちょっと自慢気にしてて! ね?」

「……はい、これからは気をつけましょう」

 

 ルディは気遣うような微笑みを浮かべて、その場はそれでお開きとなった。

 思えばこの頃から、私はちょっとずつズレていったのかもしれない。

 けれどまだ決定的ではなく、いつもとさして違わない授業風景だった。

 

 

 その日の夜は反省会をしなかった。

 なんとなく、先ほどの敗因は自分一人で考えたかったからだ。

 手慰みに魔術教本をパラパラと意味もなく捲りながら思考を回す。

 なぜ勝てなかったのか。

 落ち着いて考えてみればすぐにわかることだった。

 

 それは経験だ。

 

 無詠唱魔術は魔術における全ての発動工程を、自らの魔力操作技術で賄う。

 ルディに聞いたところ、その強みは魔力を自由に整形・変質させられる応用力、詠唱を省き、サイズと速度の調節で魔力を追加する際の術式の待ち時間を短縮できることにあるそうだ。

 つまりどういうことかというと、無詠唱魔術を互いに撃ち合う場合は、それに慣れ親しんで経験を積んだ者の方が圧倒的に有利となるわけである。

 

 ルディは2歳くらいから既に無詠唱魔術を習得し、自在に使いこなしていた。

 対して私が無詠唱を行ったのは今日が初めて。

 そりゃあ、勝てる道理などこれっぽっちもありはしない。

 それなのに舞い上がっちゃってまぁ……恥ずかしい限りだ。

 

「じゃあ、どうやって勝てばいいんだろ……」

 

 ひとしきり考えた後、そうポツリと呟いた。

 だって、それが正しいならどう考えたって勝ち目がない。

 経験の分だけ強いなら、先に始めたルディに一生経っても追いつけないからである。

 まぁ、私も子供だったこともあり、どれだけ才能に恵まれていても頭打ちはあるのだと知らなかったため、ルディが際限なく強くなってしまうと思ったのだ。

 

「……何か、別のことをやらないと」

 

 しかし、だからこそ私はルディの後追いをしているだけではダメなのだと、早々に悟ることができた。

 でも、どうしたらいいのか。

 どうすればルディのあの早業を超えられるのか。

 それがどうしても思いつかなかった。

 

 私が無意識に魔術教本を手に取っていたのは、そこになんらかのヒントがあればいいな、という淡い期待がそうさせたのかもしれない。

 もっとも、無詠唱魔術師の倒し方なんてものが載っているはずもない。

 思考が袋小路に追い込まれ、今日はもう寝ようと思ってページを捲る手を止めた。

 

 しかし、本は閉じられることはなかった。

 ちょうど広げられたその頁に書かれていた記述から、目が離せなかったからだ。

 そこには《詠唱短縮》についての記載があった。

 そしてさらに、ルディの言葉が甦る。

 

《魔術は生成、大きさの調整、射出速度の調節、発動の順番で——》

 

「……あ」

 

 雷の如く、天啓が舞い降りた。

 これならいけるかもしれない、と。

 私はその翌日から、ひたすら初級魔術の詠唱と向き合う日々が始まった——。



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第六話 「グレイラットの天災児」

皆さまからの感想が私を強くしてくれます。
マジで感想読むの楽しくて一日中ニヨニヨしてます。
感想さらにいただけたならきっと1ヶ月はニヨニヨが止まらないと思います。
本当ありがとうございます!
では、今話もどうぞよろしくお願い致します!


 魔術の発動手順。

 まず最初に生成。

 次にサイズを決め、その設定が終わったら速度を調節。

 そうして、やっと完成形の魔術として発動ができる。

 

 これらの手順は詠唱によって受け皿があらかじめできており、それに自身の魔力を当てはめることで、半自動的に術式を発動させる。

 対してルディや私が使う無詠唱魔術は、この工程を全て手作業で賄うことで詠唱を完全に省略する。

 

 しかし、魔術の発動方法は他にもいくつか存在しており、そのうちの一つが「詠唱短縮」だ。

 これは熟練の魔術師が術を行使する際、本来の詠唱を省略して発動させる高等技術である。

 

 無詠唱を身につけた私には、その短縮の理屈がなんとなく理解できた。

 熟練し、術への理解が深まるにつれ、その魔術における魔力の動きを感覚的に理解していったのだろう。

 そして生成、サイズ、速度、発動の四段階のうちどれかの工程を無詠唱でできるようになったから短縮できたのだ。

 

 このことから、私の中には一つの仮説が浮かび上がった。

 もっとも、仮定に仮定を重ねたような、子供らしく稚拙で理論的にも大きく穴があるものだったけれど。

 

 その仮説とは、「詠唱の文字列は生成・サイズ・速度・発動に相当する記述でできているのではないか」ということ。

 さらに使い手が無詠唱魔術を使えるなら、任意で詠唱する部分としない部分を選べるのではないかと考えた。

 

 そして「速度」にあたる記述のみを口で詠唱すると同時に、手動である無詠唱で生成・サイズ設定を行えば、相手より一手早く魔術を発動まで持っていけるのではないか。

 こういった理論が頭の中に思い浮かんだのだ。

 

 わかりやすくするならば、本来は「生成→サイズ設定→速度設定→発動」の運びとなる所を、「生成&速度設定の詠唱→サイズ設定&速度設定入力完了→発動」にすることで、無詠唱よりもさらに早く術を完成させることができるということ。

 タイミングがかなりシビアなことになるが、もし習得することができたなら、確実にルディの速さを超えられる。

 これをモノにすれば、勝てる。

 

---

 

 そう思い至ったならば話は早い。

 元より私は、こうと決めたら一直線に突き進んでいくタイプだ。

 4歳ちょいという幼さでありながら、その時の私はもしかすると人生で最も研究と修練に没頭していたかもしれない。

 

 まず私が取り掛かったのは、とにかく『水弾』の詠唱を解析すること。

 どの部分が生成・サイズ・速度・発動に相当するのかを把握できなければお話しにならないからだ。

 詠唱の記述を一節省いたり、一言抜いたり入れ替えたり。

 もしかしたら発音が関係しているかもしれないと考えて、暇があればアーアーウーウーと呟いたり。

 時にはロキシーに話を聞いたりと、できそうなことは愚直に全て潰していった。

 

 家族が全員寝静まってからも、小さなランプの灯りを頼りに延々とぶつ切りの詠唱と魔力操作を続けること、実に2ヶ月。

 その結果、ついに理論が実践レベルで形を成した。

 速度調節にあたる文脈を探し出し、それを針に糸を通すようなタイミングで無詠唱のサイズ設定直後に入力する。

 

 いける。

 勝てる。

 そう思った。

 

「〝流れをい——」

「『水弾』」

「おぶふぉっ!」

 

 ダメでした。

 短縮しても詠唱は詠唱。

 ルディを相手にするなら悠長に過ぎる行いだった。

 私の4ヶ月が文字通り水泡に帰した瞬間であった。

 

「くぅおぁおー! 今度ごぞ勝゛てるど思っだのに゛いぃ!!」

「姉さま!? ちょ、ちょっと落ち着いてください! さすがに根を詰めすぎですって!」

「ええい、これが落ち着いていられるかぃ! こうなったらとことんやってやるわよーー!!」

 

 思い返しても情緒不安定すぎる。

 あの頃の私は悪霊(レイス)かなんかでも取り憑いてたんだろうか。

 普通なら「やっぱダメだったか」と泣き寝入りする所を、私の子どもっぽいプライドが「いやこれ絶対間違ってないもん!」と強突張りに主張していた。

 

 そうして三日三晩考えた挙げ句、思い至ったのは今の詠唱じゃどうやってもムリという事実。

 またもや袋小路に陥った私は、ついに禁断の領域に手をかけることになる。

 それは多分無駄すぎて今まで誰も考案してこなかったことだろう。

 

「はぁ……。

 いっそ魔術の速度設定する詠唱作ろっかな……」

 

 ()()()()()()()()()()()

 それも全ての魔術に組み込まれているであろう速度調節機能、その専用にしか使えず、それ単体ではなんの効果も影響も与えられない術式の開発だ。

 しかも、できるだけ一言かつ一瞬で終わるような簡潔な詠唱文が望ましい。

 

 そこからはまたもや試行錯誤の毎日だ。

 魔術を使いまくり、速度調節の感覚をさらに鋭敏にし、魔術に「速さ」を与える魔術を作り出す。

 ありとあらゆる魔術の詠唱に基本搭載されているものであるため、私は『水弾』の他にも初級、中級の様々な魔術の解析にも乗り出した。

 

 来る日も来る日も詠唱を考えて、そのためにロキシーに難しい単語を習ったり、独自の言語でやればいいんじゃないかと迷走して結局ボツになったり、行き詰まった息抜きに上級魔術の練習をしたりした。

 そんな日々が半年ほど続いた頃。

 

「できた……!」

 

 ついに望んでいたものが完成した。

 詠唱にかかる時間は早口で言えば1秒かからない。

 前よりも格段に無詠唱操作と組み合わせて使いやすいような詠唱だ。

 ここまでやれば絶対に越えられると思える出来だった。

 

「ありがとロキシー! ロキシーが手伝ってくれなきゃ絶対できなかったよ!」

「いえ、いいんです。私にとっても貴重な体験でしたので。

 しかし、この歳でまさか独自の魔術を開発してしまうなんて……。

 はは……ちょっと才能の差に凹んでしまいそうです」

「えー、でもロキシーはまだ私が使えないやついっぱい使えるじゃん。

 そんな落ち込むことないって! ロキシーもすごいんだから、ちゃんと自信持ってよね!」

「ふふ、ありがとうございます。

 せっかくノアの研究が成功したのですから、暗い顔をしている場合ではありませんでしたね。

 まずは、おめでとうございます、と言うべきでした」

「ふふーん、どんなもんですかい!」

 

 この期間で、私とロキシーの間には以前よりも深い絆ができていた。

 詠唱の研究にあたり、最も私の助けになってくれたのは彼女だったからというのもある。

 けど、一番大きいのはこの研究のことをルディには秘密にしていたことだ。

 

 元々ルディ対策に立ち上げた一大プロジェクトであったため、ルディに詳細を知られるわけにはいかなかった。

 知られてしまえば簡単に対処されるだろうことは明白だったし、何より成長した私の姿を見せてびっくりさせたかったから。

 あの落ち着いたルディの顔がギョッとする瞬間を想像するだけで無限のモチベーションが湧いてくるというものだ。

 ぶっちゃけ多分バレバレだったろうけどね。

 こういうのは気の持ちようが大事である。

 

 そんなこんなで女二人の秘密の研究生活を送るにつれ、私たちの距離は前よりぐっ、と近くなった。

 隠し事の共有っていうのは、やっぱり子供心にテンションが上がるのもあったしね。

 私もロキシーも即断即決で突っ込んでいく性質なので妙に話が合うこともあり、研究に疲れたら駄弁ったりしてお互いの内心がよくわかったのも大きいか。

 

 まぁ、それはそれとして。

 ついにお披露目の時間がやってきた。

 

—-

 

「それでは両者、位置について」

 

 無言で腕を伸ばして構えを取る。

 私もルディも集中していて言葉を発することはなかった。

 私は自信ありげに笑みを浮かべ、ルディはそれを見て何かを察したのか、警戒してこちらに更なる集中でもって迎え撃った。

 

「初めッ!」

 

 号令と同時に二人の魔力が練り上げられる。

 ほぼ互角の速度の魔力操作。

 しかし、ルディの方が瞬き数瞬くらい速かった。

 だが、私は魔力を練ると同じくして、用意していた詠唱を一瞬で口にする。

 

「『射撃(ファイエル)』!」

「!」

 

 私の口からほとばしった聞き覚えのない詠唱に、ルディの目が見開かれる。

 両者共にサイズ調節まで行っていた魔術は、私の方が瞬時に速度設定を完了した。

 わずか一秒にも満たない差。

 それでもその差は大きかった。

 

「『水弾(ウォーターボール)』!!」

 

 その日、私は初めてルディより速く魔術を発動させることに成功した。

 そして自身の勝利を確信した。

 『水弾』は狙い違わず、真っ直ぐ、真っ直ぐに、()()()()()()()()()ルディの顔面向けて飛翔していき——

 

 ルディの顔にあたるその直前。

 

 ()()()()()()()()し、庭の横手にあった木に直撃した。

 

「————は?」

 

 あまりのダイナミック軌道変更に私の意識は完全に奪われてしまった。

 

「なんッ、ウボァ!」

 

 そして遅れて飛来したルディの『水弾』によって水浸しになりながら、毎度いつものごとく仰向けに倒れ伏す。

 いつもなら「悔しい!でもやっぱすごいなルディは!」となる所だったが、今回ばかりは話が違かった。

 

「……え、なん、でぇ?」

 

 意味がわからなかった。

 わからなすぎて、頭がどうにかなりそうだった。

 

 私の魔術は完璧に動作していたのに。

 ほころびなんて一つもなく、絶対に当たるはずだった。

 なのに、突然、誰の手も借りていないのに、誰かの手で捻じ曲げられたかのように、『水弾』はルディを避けて飛んでいった。

 当たらないということが、まるで()()()()()()()()()()のように、当然に。

 

 私は起き上がって再戦を申し込んだ。

 絶対おかしい。

 今のはさすがに勝っていたと、駄々っ子のようにみっともなくごねた。

 ルディもロキシーもそれを了承した。

 わけがわからなかったのは、彼らも同様だったのだ。

 

 その後、日が暮れて、私の魔力が空っぽになるまで勝負を続けた。

 放った『水弾』は100を超えていただろう。

 その全てが、自分の意志であるかのようにルディを避けてあらぬ方向に飛んでいった。

 

 泣いて泣いて、泣きながら魔術を行使し、気づいたら魔力欠乏で倒れたのか、ベッドの上で寝転んでいた。

 

 ——その日の1週間後、お父さんが王都から大金を払って連れてきた鑑定士によって、私の「呪い」が発覚した。

 

—-

 

 そうして全てが終わった夜。

 私は不貞寝して、夢を見ていた。

 明晰夢、というやつだろうか。

 やけに五感がしっかりしていたから、そう思った。

 

 そこは全てが白で構成された、無の空間だった。

 

「……君、どこの誰だい?」

 

 目の前には全身がもやもやとしていて、詳細を判別できない、しかしてはっきりと存在しているとわかる、ヒトの姿があった。

 

 それが、私とヒトガミのファーストコンタクトである。



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第七話 「呪子」

前話でロキシーは時系列的に短縮詠唱使えないよ、って指摘をいただいたので軽~く修正しておきました。
今後も私のガバガバゆるるん原作知識が炸裂するかもしれません。
そん時はぜひとも感想などで教えていただければ、作者は滂沱の涙を流して喜びます。
ぜひ、今後とも拙作と付き合っていただければ幸いです。
それでは、今回もどうぞよろしくお願い致します!


 時は一週間前に遡る。

 私が魔力を使い果たし、泣き疲れて眠ってしまった日の翌日のことである。

 

「ノアは呪子なのかもしれません」

 

 

 昨日の尋常ではない出来事を共有するため、我がグレイラット家では緊急家族会議が開催されていた。

 神妙な顔で音頭をとっているのはロキシーだ。

 彼女はこういったことに理解があるようで、自ら進行役を買って出てくれた。

 

「わたしはラノア魔法大学という所で魔術を学んでいましたが、その中には呪いにかかっているという人も多くいました」

「じゃあ、ノアにかかってるっていう呪いが何かってのもわかるのか!?」

 

 お父さんは身を乗り出し、鬼気迫る様子でロキシーに問うた。

 何を隠そう、このことに関して最も気を揉んでいたのはお父さんだったろうから。

 溺愛している娘の異常は何としてでも対処しておきたかったはずだしね。

 だが、その前に私はロキシーに聞いておきたいことがあった。

 

「ねえ、ロキシー。そもそも呪いって何なの?」

「ああ、そうでした。

 ノアやルディには説明していませんでしたね。

 呪いというのは、その人が持って生まれた……特別な障害のようなものです。

 一説には特別な魔力が関係しているとも言われていますが、詳しいことはまだ何もわかっていません。

 故に、呪いと呼ばれています」

「……」

 

 そんなものが自分にかかっているなど、にわかには信じ難かった。

 だって今までそんな兆候なんぞなかったのだから。

 それでも、ロキシーが本当に正しいのだろうことは、なんとなく理解できた。

 彼女自身の言葉に実感のようなものがこもっていたからかもしれない。

 とにかく、私はその時、「ああ、自分は呪われているんだな」とストンと腑に落ちたのだ。

 納得したわけじゃないし、なんで私なんだよって思ったけど、それならまぁ仕方ないかという諦念にも似た不思議な落ち着きがあった。

 

 でもそうじゃない人だってもちろんいる。

 その筆頭がお父さんだ。

 

「なぁ、ロキシー……そのノアの呪いってやつは、解けるのか?」

「……わかりません。

 わたしも呪いについてそれほど詳しいわけではありませんし、そもそもわたしの勘違いである可能性もあります。

 ただ……今までに、呪いを打ち消すことができたという研究成果は、わたしは聞いたことがありません」

「ッ! それじゃあ意味がないだろうが!!」

「あなた! ロキシーちゃんに当たっても仕方ないでしょう! 少し落ち着いて!」

「ぐ……! しかしだな……いや、わかった。俺が悪かったよ。

 確かに少し取り乱してた……」

 

 お父さんは、ロキシーからの解呪手段はないという言葉に怒気を露わにしたが、お母さんの一喝で冷静さを取り戻した。

 やはりいざという時頼れるものは母なのか。

 将来はこういった頼もしくも美しいレディーになりたいものだ。

 お母さんは治癒や解毒の魔術も得意らしいし、そのうち教えてもらおう。

 

「とにかく、ノアの呪いはなんとかしよう……今は無理かもしれないが、できる限りのことはやってみないとな。

 父さんも、こう見えてけっこう顔が利くからな!

 とりあえず知り合いに片っ端からあたって、何とか解決方法を探してみよう」

「! うん! ありがとう、お父さん!」

 

 そして、なんだかんだ言ってお父さんも頼りになるのだ。

 適当で見栄っ張りで後先考えないところはあるけれど、私はそんなところも好きだった。

 

「僕も姉さまには何度もお世話になっていますからね、僕にやれることなら何でも言ってください!」

「えへへ、ありがとね、ルディ!」

「わたしも微力ながら手伝わせていただきます。

 ノアは大事な生徒ですからね」

「ロキシーもありがとう!」

 

 そうして、結局良い案はでなかったけれど、家族会議はみんなが私のために全力で呪いについて手を打ってくれるということでお開きとなった。

 まぁ、けっこうわかりきっていたことだけど、改めて口に出して確約してもらえると、私が感じていた不安も軽くなるというものだ。

 私もただうじうじするだけじゃなくて、自分でもこの呪いについてできることを探ろうと思った。

 家族や弟、先生にばかり無理させてちゃあ、グレイラット家長女の名折れだからね!

 

---

 

 というわけで、お父さんたちがあくせくと方々に掛け合った結果、アスラ王国首都に鑑定をしてくれる人がいるそうなので、その人をうちに呼ぶことになった。

 なんでも、そういう魔道具があって、国のお偉いさんが管理しているらしく、お父さんがどうやってか少しの間借りることができたらしい。

 その道具、ずっと後になって調べてみたらわりとエグかったんだけどね。

 とはいえ、お父さんもかなり無理して大枚はたいてその人を連れてきてくれたようで、感謝してもしきれないぐらいだ。

 

 もっとも、その結果は私にとって最悪もいいところだったんだけど。

 

「えー、鑑定の結果、あなたの呪いは《あらゆる人間との勝負に勝てなくなる呪い》……だそうです」

 

 なんだそれは。

 ふざけているのか。

 そんなバカみたいな話あってたまるか。

 

 瞬時にそんな風な罵詈雑言が浮かんでは消えてを繰り返し、私はその場で彫像のように固まることしかできなかった。

 その時の私は、はた目から見ればさぞ面白いものだっただろう。

 まさに「真っ白に燃え尽きた」状態であったはずだから。

 一瞬でスンッと表情がかき消える私。

 もともと大した才能を持ってたわけでもないのだから、思い返せば笑い話で済むことだが、幼くて世界の広さを知らなかった当時の私にとっては、それはそれはショックを受けたものなのだ。

 鑑定士の人がそそくさとご帰宅なさった後も、私は魂が抜けたように天井を見つめていた。

 

「あ、あの……姉さま……」

「……ん。あー、ちょっと、寝てくるね」

「あ……えっと」

「……ごめんなさい」

「えっ?」

 

 それは私が第一としているルディすらも邪険に扱うほどであった。

 あんまり辛いことがあっても引きずらない性格の、私らしくない態度だった。

 つまるところ、それだけ落ち込んでたっていうことだ。

 もしかしたら、人生で一番落ち込んだのが、あの瞬間だったであろう。

 

「……はぁ……どうしよっかなぁ……」

 

 ベッドで大の字のように仰向けになりながら、独り言ちる。

 正直、何をすればいいのかわからなかった。

 なんだか、私が積み上げてきたものを無遠慮に、グチャグチャに踏みにじられたみたいで、何にもやる気が出なかった。

 全部、どうでもよくなった。

 がんばってルディにふさわしい姉になろうって、ずっと頑張ってきたのに、それは全部無駄なんだって突き放された気分だった。

 

 ……本当に、まるで泥沼に沈んだように、どん底の気分で、人生で初めて泥のように眠りこけた。

 

---

 

 で、気づいたらこの真っ白けっけの不思議世界にポツンと座り込んでいたというわけだ。

 目の前には男とも女とも、老人とも若者ともとれるような、曖昧模糊とした人型が腕を組んで突っ立っている。

 その立ち姿は、心なしかとてもイライラしているように見えた。

 

「ねぇ、さっさと答えてくれないかな。

 君はどこの誰で、どうしてこの世界に勝手に入ってくれちゃってんのかな」

 

 訂正。

 めちゃくちゃイライラしていた。

 私も混乱していたのか、流されるままに質問に答えた。

 

「えーっと、初めまして? ノア・グレイラットです。

 もうすぐ5歳になります!」

「……あっそ、で? なんでここにいるんだよ、お前」

 

 とうとう君呼びすらも取っ払ってお前呼びになった。

 目の前の存在がどんどん剣呑な気配を帯びていくのがはっきりとわかる。

 

「え、えっと、私もよくわからない。

 寝てて、気づいたらここにいたからさ……」

「はぁー? じゃあ何? マジで何でもないただのガキがこの神の結界が貼ってある無の世界に、偶然入り込んだってこと? 僕の未来視すらも搔い潜って? それこそあり得ないだろ。

 なんなんだよお前!」

「……」

 

 ぶっちゃけ、このモザイク野郎が何を言っているのかはさっぱりわからなかった。

 ただ、私が相対しているこの人型が、今まで自分が丁寧に積み上げてきた物を横合いからぶち壊しにされたかのような、殺気に満ちた苛立ちを私に向けているのはひしひしと伝わってくる。

 それを受けて、ついさっきまで似たような感情に支配され、落ち込みに落ち込んでいた私は、なんか、めちゃくちゃ腹が立った。

 要は虫の居所が悪かったのだ。

 

 端的に言えば、私はキレた。

 

「んもぉ~! だーかーらぁ! 私もわかんないって言ってんじゃん!

 だいたいさぁ! 私が自己紹介したんだから、あなたも自分の名前ぐらい言うのが筋ってもんでしょーが!」

「はぁ!? 馬ッ鹿じゃないか!? お前どうせオルステッドあたりの差し金だろ! なら僕の名前ぐらい知っていて当然だ!」

「オルステッドて誰!? ここにきて新しい情報追加してくんのやめてくれる!? 私今日はもうお腹いっぱいなんですけど!!」

 

 全身モザイクマネキンと白髪赤目の幼女がぎゃいぎゃいと騒ぐ様は、傍から見れば異常の一言に尽きただろう。

 しばらくの間、自己紹介しろ、するかよ死ね!という応酬があった後、真っ白マネキンが余裕で神級はあるだろう魔術をぶっぱし、その魔術がきれいに私だけを避けて炸裂したところで、場は一応の落ち着きを取り戻した。

 

「クソッ、なんなんだよこのイレギュラー……。

 殺す気で撃った魔法でなんで無傷なんだよ……」

「自己紹介はァ!?」

「うるさいなぁ! ヒトガミだよ! これで満足かい!?」

「ん! ヒトガミね!」

 

 よし、言いたいことが言えてスッキリした。

 ヒトガミはまだクールダウンしていないようだったが、一旦無視する。

 

 私にも少し余裕ができてきたため、今一度この摩訶不思議な空間を見回してみる。

 上も、下も、右も、左も、前も、後ろも、全てが白。

 どこまでも落ちていくようで、どこまでも浮いて行ってしまうような、そんな現実離れした浮遊感がそこにはあった。

 長々とした感想が思い浮かんだが、要はひたすら殺風景ということだ。

 「無の世界」とはよく言ったものである。

 ヒトガミはよくこんな所に居て飽きないな。

 

「ねー、ヒトガミ」

「なんだよ。用が済んだならさっさと帰ってくれない? 僕これから君の対策練るから。邪魔なんだよ、お願いだから早く消えてくれ」

「こんなところ居て、寂しくないの?」

「……はぁ?」

 

 ヒトガミは何言ってんだこいつみたいな雰囲気でこちらに振り向いた。

 

「だって、ここ何にも無くてつまらないじゃん。

 せめてお花とか飾ったら?」

「馬鹿だねぇ、君。

 この無の世界では何にも存在できないんだよ? 全てが魔力に変換されるからね」

「ふぅん、じゃあこの世界にはあなた以外は何にもないし、誰もいないんだ」

「さっきからそう言ってるだろ、脳足りん」

 

 いちいち憎まれ口しか叩けないのだろうか、こいつは。

 まるで駄々をこねる子供のようだ。

 む、そう考えると、なんだか納得するものがある。

 そっか、こいつはお子ちゃまなのか。

 

「むふふ」

「え、何。気持ち悪いんだけど」

「なんでもなーい!」

 

 ヒトガミは苦虫を嚙み潰したような顔をした。

 表情はわからなかったけど、そういう雰囲気がした。

 

 ま、今回はこのくらいでいいや。

 

「私はもう起きるよ。やっぱり、まだやることがあったから」

「そうかい。じゃ、さっさといなくなっておくれよ」

「ん。じゃあね! また来るよ!」

「二度と来るな」

 

 すうっ、と意識が薄れていき、すぐにあの徐々に世界と離れていくような微睡みの感覚に引き戻されていく。

 夢から目が覚めるのだ。

 

 こうして、私とヒトガミのファーストコンタクトは終わりを告げた。

 

---

 

 パチリ、と瞼が開く。

 起き抜けは、今までにないくらいスッキリとしていた。

 なかなかに良い目覚めである。

 それに、私の人生で初めて友達ができた。

 うん、そう考えると、今回の騒動も完全なマイナスじゃなかった気がしてくる。

 

「よし! また考えよっか!」

 

 そも、呪いがあったからなんだというのか。

 諸共ねじ伏せられるくらい私が魔術の腕を上げればいいだけだし、なんなら解呪方法だってその内見つかるかもしれない。

 

 なら、私がやるべきことは変わらない。

 

 本気で生きていくだけのことだ。



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第八話 「試行錯誤」

沢山の感想ありがとうございます!
皆さま鋭過ぎて主人公の呪い詳細説明してないのに、ほぼほぼ割り出しちゃってて笑いました。
さすがやで……。
今後も感想の刃で私を突き刺して昇天させてあげてください。
マゾなので泣いて喜びます。
それでは、今回もよろしくお願い致します!


 私の呪いが発覚し、ヒトガミと会った次の日。

 私はいつもと同じように、元気よく起床し、部屋を飛び出しておはようの挨拶を家族に告げていく。

 お父さんたちはそんな私を見て、昨日はあれほど落ち込んでいたのに、一体どういう風の吹き回しだろうかと不思議に思ったはずだ。

 それでも、元気を取り戻してくれて良かったと、誰もが口を揃えてそう安堵した。

 

「おはよー! ルディ!」

「えっ!? あぁ、おはようございます。

 あの、昨日の件ですが……」

「あー、呪いの話? いいよもう吹っ切れたから。

 今後はそれ込みでまた新しい戦術考えればいいだけだしね!」

 

 1番唖然としていたのは珍しくルディだった。

 そういう表情はあまり見ることはないが、それでも優秀な弟の年相応な顔を私は好いていた。

 束の間のお姉ちゃん気分を存分に味わえるからね。

 

「だから、これからもよろしくね! ルディ!」

「……姉さまは強いですね。

 わかりました、僕にできることは何でも言ってください!」

「おっ、今何でもって言ったね?」

「何でもとは言ってないです」

 

 軽口をたたき合いながら、くすくすと笑う。

 うん、呪いがどうしたもんだってのだ。

 私が呪子だからといって、今までの関係が崩れ去るわけではない。

 みんな私の大切な家族だ。

 この家の暖かさは、何物にも変えることのできないだろう。

 私はニマニマと、この空気感を噛み締めた。

 

---

 

 とりあえず、私はこの「人間に勝てなくなる呪い」とやらの検証が最優先だと判断した。

 まぁ100発撃って1発も当たらなかった上に、鑑定でも結果が出たんだから検証なんて十分だろうけれど、世の中にはもしもということがあるものだ。

 もしかしたら呪いの出力を超えるような魔術とかならいけるかもしれない。

 まぁそれは今の私じゃ無理だし、他の方法を考えるけど。

 

 まずは魔術の改良からだ。

 より速く、より確実に当たる魔術にすれば、実はすんなり当たるということも、あり得ると言えばあり得る。

 というわけで、私はまたもやロキシーを巻き込んで研究に取り組むことになった。

 

 私が今回目をつけたのは、魔道具と魔力付与品(マジックアイテム)だった。

 きっかけとしては呪いの鑑定に来た人が持ってきた魔道具が気になり、ロキシーに聞いたこと。

 曰く、魔道具と魔力付与品は全くの別物であるとか。

 魔道具は道具内に魔法陣が組み込まれたもので、使用者がそれに魔力を込めるだけで何度でも使える。

 一方、魔力付与品は迷宮などで物品に魔力が注がれてできたもので、回数制限はあるが魔力を込めずに使うことができるそうだ。

 余談だが、鑑定に使われた魔道具は、ずっと後に図書迷宮で製法が記されたものを見たが、どうやら第一次人魔大戦時に識別眼という魔眼を持った魔族の目をくり抜いて加工したものらしい。

 とんでもねぇ代物だったよ。

 

 ともかく、私はその魔力を事前に込めておくという理論を魔術に応用できる気がすると思ったのだ。

 魔術を腕にでも事前に装填しておき、『射撃(ファイエル)』の詠唱を無詠唱で発動することで、さらに発動までの時間を短縮する。

 腕を魔道具や魔力付与品における物品に見立てるのだ。

 そのための詠唱と、理論を組み立てなければならない。

 しかし、まだすぐにはその理論とやらのとっかかりを掴めないので、これは他の手を探りながら並行して詰めていくとしよう。

 

 次に新しい魔術の修得。

 それもロキシーからだけではない。

 お母さんからも習おうと思うのだ。

 お母さんは村の診療所で働いていて、治癒や解毒に関してはロキシー以上の腕がある。

 また、ミリス神聖国が独占しているという魔術も、ほんの触りくらいなら知っているようなので、それを教えてもらおうと思っている。

 何らかのヒントになる予感がするのだ。

 

 そして、最後に実践訓練。

 しかも今までのような純粋な魔術の撃ち合いではなく、もっと工夫した戦い方を身につけるのだ。

 もしかしたらその中で、呪いを掻い潜るような戦い方が見つかる可能性があるからね。

 

 これらの方法を試すのは、呪いに対してある仮説を立てたからだ。

 それは即ち、「勝つ以外の運命がなければ、負けることはないのでは?」というもの。

 負ける可能性の未来を一つずつ潰していき、勝つ以外の道筋を無くす。

 そうすれば勝てるんじゃないか?と思うのだ。

 もっとも、これもほぼ不可能みたいなものだと思う。

 少なくとも、今は無理だ。

 しかし、地道に強さを突き詰めていけばチャンスはある。

 もっと良い方法はあるだろうが、今の私にはこのくらいしか思いつかない。

 だから、一歩ずつでも、やれることをやっていこう。

 

---

 

「それでは、双方位置について」

 

 いつものごとく実践訓練。

 ルディも私も腕を構え、魔術を行使する。

 が、今回の私は一味違うのだ!

 

「ふっ、ルディ! 果たして君はこの防御を突破できるかな!?」

「え? それはどういう」

「初めっ!」

 

 ルディは私の言葉で少し戸惑ったようだが、号令の瞬間には寸分の狂いもなく魔術を練り始める。

 狙いを定め、私を撃ち抜こうとし……。

 

「これでどうだぁ!」

「な!? そ、それは……!」

 

 私は一瞬で構えを解き、長い袖のローブからあるものを取り出し、目の前に掲げる。

 その、あるものとは!

 

「ま、魔術教本じゃないですか!」

「ふははは! これで攻撃できまいー!」

 

 そう! 私が盾に構えたのはご存知魔術教本である。

 私たちがここまで魔術を使えるようになったのも、魔術教本さんのおかげじゃないか!ということに気づき、ルディもこれなら攻撃できまいと思ったのだ。

 なんせ本は貴重品。

 濡れたりしたら取り返しがつかない。

 本好きのルディならなおさらだ。

 だからこそ絶対的な隙ができ、私はその無防備な姿に全力全速の『水弾』を叩き込むのだ!

 

「もらったぁ!!」

「ひ、卑怯ものー!」

「勝てばよかろうなのだぁー! 『射撃』!!」

 

 咄嗟に『水弾』を取りやめたルディに、私の放った『水弾』が迫り、そして当然のようにあらぬ方向へと逸れていく。

 だがそんなことは折り込み済だ。

 非常に業腹ではあるが折り込み済みなのだ。

 この魔術教本を盾に構えている間はルディは攻撃できず、私が一方的に攻撃できる。

 この状況を作り出し、至近距離でどう曲がろうと外れることがないように魔術を放つ。

 これはそのための作戦なのだ。

 

「まだまだー!」

「くっ!」

 

 私は魔術をルディの足元や移動先を狙って撃つ。

 ルディに当てたら勝ちなのだから、ルディを狙わなければ狙い通りに飛んでいくはずである。

 その予測通り『水弾』はルディの移動先を潰し、牽制の役割を見事に果たす。

 よし! いい感じだ、このまま……!

 

「ていっ」

「んあッ!?」

 

 と、思ってのこのこと近づいた私を、ルディはきれいに腕を掴んで足を払い、宙で一回転させて背負い投げる。

 そうだ、忘れてた。

 ルディは剣術の訓練も受けているんだった。

 そりゃあ、ド素人の貧弱幼女1人ブン投げるなんて朝飯前だ。

 

「くぅ〜! いいとこまでいった気がするんだけどぉ……!」

「……ねぇ、姉さま」

「……ん? ひぅっ!?」

「何か、言うこと、ありま、せんかねぇ?」

 

 背中を押さえてうずくまる私に、怪しく目を光らせるルディが、それはもうにっこりと笑いかけてくる。

 見るからにお怒りであった。

 

「ご、ごめんなさい……」

 

 私は渾身の土下座で平伏した。

 

---

 

「〝母なる慈愛の女神よ、彼の者の傷を塞ぎ、健やかなる体を取り戻さん〟『エクスヒーリング』」

 

 治癒魔術特有の緑の輝きが診療所内を明るく照らす。

 今、私はお母さんの指導の下、治癒魔術を習っている。

 形になってきたということで、ちょうど骨折して駆け込んできた村の木こりのお兄さんの足を治療していたところだ。

 実際に治癒魔術を赤の他人に使うというのは、なかなかにプレッシャーのかかる作業で、それが終わった今は安堵と達成感が感じられた。

 

「うん、いい感じね。

 すごいわ、ノア! もう中級治癒魔術を覚えちゃうなんて!」

「えへへー、大袈裟だよお母さん。

 私なんてまだまだなんだから」

「そんなことないわよー、ノアは天才だわ!」

「んー」

 

 本当に天才ならここまで手こずってないんだよなぁ。

 実際、ルディには何やっても敵わないわけなんだし。

 でも褒められるのは普通に嬉しいので、ここは得意な気持ちになっておこう。

 えへん!

 

「ね、お母さん! 今度は上級の治癒を教えてよ!

 あと、神撃も使えるんでしょ? それも教えて!」

「うーん、神撃は初級までなら教えてあげられるわ。

 でも治癒の上級は無理ね」

 

 お母さんはそう言って、申し訳なさそうに微笑みながら、私の前髪をかき上げた。

 

「えっ、なんで!?」

「上級以上は私、覚えてないの……だから教えてあげられないわ。

 ごめんなさいね、ノア。お母さん頼りなくって」

「そんなことないよ! 十分だって!」

 

 良い子に育ったわね、と言いながらお母さんは頭を優しく、くしゃりと撫でた。

 

「あーあ、こんなことならもっと実家で魔術の勉強をしておくんだったわ」

「お母さんの実家? あっ、前言ってた……確かミリシオンってとこだっけ」

「そうよ。あそこなら結界魔術とか、珍しい魔術がいっぱい習えたのに、今思うと本当に惜しいことをしたわね」

「結界魔術!」

「あら、結界に興味があるの?」

「うん! どんなことができるの!?」

 

 お母さんは、自分の知る範囲内で結界魔術について教えてくれた。

 特に私が興味を引かれたのは、対物理結界と対魔術結界である。

 「物理障壁(フィジカルシールド)」と「魔術障壁(マジックシールド)」……この二つを上手く組み合わせれば、接近させず、魔術を無効化しながら一方的に攻撃できるのではないかという考えだ。

 うん、結構良さげだ。

 正直今すぐ試したいところだが、習えないのならそりゃ仕方がない。

 今はまだ我慢の時だ。

 

「ねぇお母さん、ミリスってどんな所なの?」

「そうねぇ、綺麗な所よ。でも、それと同じくらい息苦しい所。

 私には、ちょっと合わなかったかしら。

 あんまり良い思い出はないし、結局家出みたいになっちゃったしね」

「そうなんだ」

「でも、今思えばもっと家族と話しておくんだったわ。

 きっとお互い意固地になってたのね。

 いつか機会があったら、謝って、できるなら仲直りしたいかな。

 きっとあの人たちも、悪い人じゃなかったもの」

「……そっか」

 

 お母さんの目には哀愁と、後悔が漂っているように見えた。

 昔を思い出しているのだろう。

 私は何も言えなかった。

 

「ノア、ミリスに行きたいんでしょ」

「えっ!? い、いやー。あはは……。

 なんで、わかったの?」

「んー、お母さんだからかな」

 

 いきなり心の内を言い当てられて驚いた。

 ルディに勝つには1秒だって無駄にしたくない私は、この村でやることが全部終わったら、そこに行きたいと思っていたのだ。

 

「その時はラトレイア家って所を頼りなさい。

 そこが私の実家だから。きっと良くしてくれるわ」

「でもお母さん、そこの人たちと喧嘩して出てきたんでしょ? 大丈夫なの?」

「きっと大丈夫よ。お母さんを信じなさい!」

「そっか……うん、わかった!」

 

 そうやって日々は過ぎていく。

 毎日が何の成果も得られないけど、それでも自分の中に積み上がっていくものを感じていた。

 そして私とルディは、5歳の誕生日を迎えるのだった。



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第九話 「伸び悩み」

皆さま毎度感想ありがとうございます。
感想を見ていると新しく良いアイデアが浮かんできたりして楽しいです。
これからも皆さんの感想が私と拙作の力になっていくので、どうぞ元気玉のごとく力をちょっとだけ貸してやってください!
それでは、今回もよろしくお願い致します!


 私とルディは5歳になった。

 5歳とは節目の年だ。

 生まれてから5年ごとに大きなお祝いをするのが、しきたりとなっているらしい。

 美味しそうな沢山の料理、飾り付けられたダイニング。

 暖炉とロウソクのほのかな灯りが、今日は特別な日だと言っているようだった。

 

「ルディ、ノア! 誕生日おめでとう!!」

「ありがとうございます! 父さま、母さま、ロキシー、リーリャ!」

「えへへー! ありがとう!!」

 

 家のみんなが揃ってお祝いを口にして、私とルディはそれに笑顔で感謝を伝える。

 それを音頭として、ささやかな宴が始まった。

 特に張り切っていたのはお父さんで、剣を呑み込んだりとかいうすごい芸を披露したりして、皆を楽しませていた。

 

 そして一通り食事が終わった後、私たちはお父さん、お母さん、それとロキシーから、誕生日のプレゼントを貰った。

 先陣を切ったのはお父さんで、ルディには剣を贈ったようだ。

 男は心に一本の剣を持ち、自分に大切な人ができた時はそれを思い出して、全力で守らなければならない、というスピーチと共に、ルディにはまだ少々大きすぎるような剣を渡した。

 スピーチの後半は剣術がどれだけ良いものかという説教に移行していったので、お母さんが「話が長い」と切り上げたが、私にはお父さんの言葉がよく心に響いた。

 私は剣とか全然使えないけれど、この心構えは大事にしていこうと思う。

 

「ノア、誕生日おめでとう。

 お前にはこれをあげよう」

「わぁ! 新しいローブだ! ありがとう、お父さん!」

「最近、お前のローブも汚れてきてしまったからなぁ。

 大事にするんだぞ」

「うん、わかった!」

 

 私が貰ったのは真っ白で、それでいて真新しいフードの付いた全身が隠れるほどに大きいローブ。

 最近は水魔術を浴びたり、土や泥で汚れたりして、若干茶色にくすんできていたので、新品の衣類が貰えるのは素直に嬉しい。

 手触りもしっかりとしていて、丈夫で良い生地だとわかる。

 それなりに値が張るものなのだろう。

 

「はい、それじゃあ次は私ね。

 誕生日おめでとう、ノア」

「ありがとう、お母さん!」

 

 お母さんがくれたのは、綺麗な意匠が施されたロケットペンダントだった。

 ボタンを押すとカチカチと音を立てて蓋が開く。

 ちょっと楽しい。

 

「ノア、それはあなたに大切なものができた時、そこにしまって、肌身離さず持っておくものなのよ」

「そうなんだ」

「ええ、それを見てあなたが将来見つける大切なものと、そのロケットをあげた私たち家族のことを、一緒に思い出してほしいの」

「うん! 大事にするね、お母さん!」

「うふふ、良い子ね〜! ノア大好き!」

「えへへー!」

 

 そして最後に、ロキシーからは片手に収まるくらいの大きさの杖を貰った。

 先端に小さな赤い結晶の付いた簡素なものだったが、不思議と手にしっくりときて、私はとても気に入った。

 

「綺麗だね!」

「それは魔石です。

 魔力を増幅してくれる効果がありますので、きっと役に立つと思います。

 本来は初級魔術が使えるようになった生徒に杖を送るのが通例なのですが、つい失念していました。

 申し訳ありません」

「いえ、ありがとうございます! 師匠!」

「ありがとう!」

 

 赤い結晶が暖炉の炎の明かりを透き通し、キラキラとした光を落とす。

 ロキシーは無邪気に喜ぶ私たちを見て嬉しそうにしつつ、どこか寂しそうに笑っていた。

 

---

 

「初めっ!」

「「ッ!」」

 

 互いに無言で魔術を放つ。

 そう、互いに無言。

 つまり、ついに私は腕に魔力を事前に貯めておき、そのおかげで『射撃(ファイエル)』の詠唱すらも省略することに成功したのだ。

 これが私だけの「無詠唱戦闘魔術理論」と言えよう。

 これにより私とルディの魔術を発動する速度は、速度だけなら私がかなり差をつけることになった。

 

 もっとも、どれだけ速度が早くても呪いのせいで命中させることはどうしてもできないようで、昨日の初お披露目の際はその隙をつかれて負けてしまった。

 今回もそれは同じようで、私の『水弾』はルディを華麗にスルーして塀の向こうに消えていく。

 

 だがしかし、これくらいは想定の内である。

 私は『射撃』と同時にもう一つ魔術を使っていた。

 風初級魔術『衝撃波(エアバースト)』である。

 それを自分に使って放ち、その場から一瞬で離脱してルディの『水弾』を間一髪で回避する。

 

「では、さらばッ!」

「ええ!? 逃げた!」

 

 ルディが流石に予想外、といったような驚きの声を上げる。

 ふっふっふ、別にこの勝負はスタート位置が決まっているだけで、逃げてはいけないというルールはないし、逃げても負けというルールなどというものもありはしないのだ!

 

 とはいえ、私の体力はルディに遠く及ばない。

 追いかけられてはすぐに追いつかれてしまうので、玄関に『泥沼(マッドドロップ)』を張っておき、足止めする。

 ルディから私の姿が見えないくらいまで遠くに逃げたら、見つからないように気をつけながらこそこそと我が家の裏口まで引き返す。

 もっとも、ルディは家の外まで追いかけては来なかったけど。

 

「リーリャ、私だよ。開けてー」

「はい、かしこまりました。ノアお嬢様」

「ありがとね」

 

 そうしたら今度は家で家事をしているリーリャの手引きで、こっそり家に入れてもらってから見つからない物陰に隠れる。

 そう、私は協力者を買収したのだ!

 お母さんに土下座し、お父さんにほっぺにキスをし、リーリャには誠心誠意頼み込んで1日限りの仲間に引き込んだのである。

 ルディには心配させたことを後でこってりしぼられた上で謝罪するという条件付きでね。

 

 ルディには、しばらく近所の猟師でお父さんと懇意にしているロールズさんのお宅に隠れているという旨をお父さん経由で知らせ、夜にとりあえず眠っている間に忍び寄ってゼロ距離『水弾』ぶっぱする作戦だ。

 正直、これで失敗したらもう私は打つ手なしだと判断するレベル。

 だから、この一戦に全てがかかっているのだ。

 

 私はリーリャからの合図に従い、ルディの寝室に忍び込む。

 むふふ、よーしぐっすり眠っておるな、我が弟よ。

 今こそ『水弾』をぶっかけて叩き起こして差し上げよう。

 眠っているルディの顔に、起きないよう細心の注意を払って手を当てて……。

 

「むにゃむにゃ……『水弾』」

「ふぁっ!?」

 

 私が魔術を発動させる前に、ルディはなんと寝ながら魔術を発動させた。

 何を言っているかわからないだろうが、私も何が起きたのかわからなかった。

 

 きっと運命さんがルディに私と訓練している夢を見せて、それで寝言と日々使ってきて体に染み付いた魔術の体感を通して、現実で私に向かって『水弾』が放たれたのだろう。

 ふざけるのもいい加減にしろと言いたい。

 

「ん……、あれ!? 姉さま!? 帰ってらして……てなんでそんなにずぶ濡れなんですか!?」

「あー、その……はぁー……。

 これでも、ダメだったかぁ……」

「あの、姉さまちょっと、説明してくださいー!?」

 

 こうして、私のできる限りの試行錯誤はあえなく全滅となったのでした。

 トホホ……。

 

---

 

「それでさー、困っちゃうんだよねぇ、この呪い。

 もう私にどうしろって感じなんだよ。

 ヒトガミはどう思う?」

「それは僕の方こそ聞きたい」

 

 ヒトガミは呆れ顔で肩をすくめた。

 どことなく疲れているようだが気にしない。

 こいつがそんな感じなのは毎度のことなので慣れたのだ。

 

「というかお前はなんで事あるごとに僕の所に来るんだよ。

 ここは子どもの相談所じゃないんだぞ」

「友達の家に遊びに来てるんだよ」

「誰と誰が友達だって? 笑わせないでくれ」

 

 しっしっ、と手を振って邪険に扱うヒトガミ。

 こいつとは初対面のあの日からたびたび夢でお邪魔して、その日あった事を私が勝手におしゃべりしては帰っていくということを続けていた。

 

 最初の方はヒトガミも私が来る度に実力行使で魔術を使ったり素手で襲ってきたりしていたのだが、最近は無駄だと悟ったのか諦めムードなのだ。

 一度「僕は君の家族を一方的に殺せるんだよ」と言ってきたことがあったのだが、私はなぜか大丈夫だろうという確信があったので、そっかという一言で済ませるしかなかった。

 次に来た時は初対面の時並みにイラついていたので、おそらく失敗したのだろう。

 私の勘って信用できるんだな、と思った瞬間である。

 

 まぁそんなこんなで今の私たちの関係としては、私がヒトガミの所に勝手に愚痴りに来て、ヒトガミがそれに対して中指を立てるような形になっていた。

 双方初対面の印象が最悪だったので遠慮というものがなく、気づいたら割と気の置けない間柄になっていた。

 そう思っているのは私だけで、ヒトガミは違うと思うけど。

 今更細かいことは気にしないのだ。

 

 以前の私は結構溜め込んでたのか、ここで鬱憤をぶち撒けることによって最近はかなり気が楽だ。

 相手に気を遣うということが一切ないので、最近のマイブームがここでのストレス解消になりつつある。

 

「新しい魔術とかってどこで習えると思う?」

「それは君に必要なことかい?」

「そりゃあそうだよ」

「じゃあ絶対に教えないことにするよ。

 せいぜい苦しんで足掻いてくれ、ハハハハ!」

「ま、最初から期待してないからいいや」

「……死にたいのかい?」

「やってみれば?」

「チッ……」

 

 こういう軽妙かつブラックな話は家族とは口が裂けてもできないので、なんとなく楽しんでいる。

 なんかこいつと話しているとルディとは違って、出来の悪い弟と何の気なしに話しているような気分になって、ついつい会話が弾んでしまうのだ。

 

「今んとこ考えてるのは、ロキシーが薦めてたラノア魔法大学か、お母さんの地元のミリシオンってとこかな。

 どっちも身になりそうだけど、私としてはミリシオンの方が惹かれるものがあるんだよね」

「知らないよ、そんなこと」

「だってほら、ルディならきっとすぐに全属性で帝級まで行っちゃうと思うし、そうなるとやっぱ希少価値が高い魔術の方が良いかなって思うんだ」

「勝手にすればいいだろ、僕に人生相談なんてつまらないことさせないでくれ」

「ん、じゃあ、そろそろ私帰るね。また今度」

「旅先で盗賊にでも遭って死んでしまえ」

 

 まぁ結局、第一印象が最悪だっただけで、なんだかんだヒトガミと駄弁るのは楽しかったりする。

 こういう一期一会の縁で繋がる奇妙な人間関係が、友達というものなんだろう。

 

---

 

 で、ここまで来るとさすがの私も気がつくわけだ。

 最近伸び悩んでいるなぁ、と。

 このままではルディとの差は広がっていくばかりなので、そろそろ新しいとっかかりが欲しい所だ。

 

 そんな折、とうとうロキシーから重大な発表がもたらされる。

 それは、翌日に私とルディの卒業試験を行う、というお知らせだった。



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第十話 「卒業試験」

感想いつも拝読させて頂いてます。
ヒトガミはなんだかんだ言ってやはり人気ですね。
彼に関しては超存在過ぎて扱いが難しいのですが、できる限り理論立てて、矛盾が起きないようにしていきたいと思ってます。
今後も感想にてご意見等をお待ちしております!
それでは、今回もよろしくお願い致します!


「明日、卒業試験を行います」

 

 ロキシーは自分に教えられることはもうないからと、卒業試験の実施を発表した。

 ロキシーの使える最高レベルの魔術、水聖級魔術を使えるようになることが卒業の条件だそうだ。

 

 私は最近もうあんまりやることなくなってきたなぁ、と感じていたので、この聖級魔術という今まで未知だった領域の、新しいステージの魔術を学べるというのは素直に喜ばしく思った。

 もしかしたら、打倒ルディという人生の目標に新たなヒントをくれるかもしれない。

 

 ウキウキしている私だったが、一方のルディは浮かない顔をしていた。

 ルディはロキシーに特別なついていたことだし、ロキシーは即断即決がモットーなので、やることが終わったらすぐにここを出て行ってしまうだろう。

 なんだかんだ言って甘えん坊な所もあるルディのことだから、そのことを気にかけているのかもしれない。

 

 それに、あれでいてルディは結構臆病なのだ。

 ロキシーが初めて家に来て、魔術の練習のために庭に出てくれと言われた時も怯えていたし、私の逃亡襲撃大作戦の時も外に出てこなかった。

 やっぱり、ルディは知らない環境というものが怖いのだろう。

 ここは姉としてフォローをしてあげるべきだ。

 苦しい時はお互い様なのである。

 

 そして、その日はあっという間に訪れた。

 快晴であり、青い空と白い雲、冴えわたる日差しが眩しい実に魔術日和な1日になることだろう。

 試験は村はずれの小高い丘で行うらしく、そこまではお父さんの愛馬であるカラヴァッジョで赴くそうだ。

 

 私はそこまで遠出したことはなかったので、どんな景色かなーとかをぽやぽや考えていたが、ルディのちょっと尋常ではなさそうな雰囲気を見て、これはいかんと思い直した。

 ルディは呼吸も浅く、足も小刻みに震えていたからだ。

 

 お父さんたちは、魔獣が怖いんだろうとか、馬が怖いんだろうとか言ってたが、お母さんのお腹の中からずっと見守ってきた私に言わせれば、十中八九家の外に出るのが怖いんだろうとわかった。

 

 最初の授業の時、あの日初めて庭に出た時はどうしてたんだっけと考えて、ただ一緒にいただけだったと思い至る。

 うん、こういう時に1番身近にいてあげられるのが姉弟(きょうだい)の特権だ。

 辛い時、怖い時、苦しい時、寂しい時。

 そんな時は、信頼できる人が一緒にいてくれると心強い。

 ルディもきっとそのはずだ。

 

「ルディ!」

「ね、姉さま……その」

「大丈夫! お姉ちゃんがいれば怖くないよ!」

「わっ」

 

 私はぎゅっとルディを抱きしめた。

 お母さんがこうしてくれると私はすごく落ち着くから、ルディもこれでリラックスできるだろう。

 人肌ってやっぱり偉大だよね。

 触れているだけで暖かいから。

 

 その後は、ロキシーがひょいっとルディを馬に乗せ、私もお父さんに抱っこで支えてもらってよじ登った。

 

「わぁ! 見て見て、ルディ! めっちゃ高い!」

「ひぅぅ……」

 

 私はちびすけなので普段は視点が低いのだが、馬に乗れば話は別だ。

 動物の上背から見る景色は、今までよりも遥かに開けた視界で私を魅了した。

 ルディはちょっと怖がってたけどね。

 

 ロキシーはそのままカラヴァッジョをゆったりと駆り、家の外に出た。

 長閑な風景は見慣れたものだったけど、ルディやロキシーと一緒に、馬の背に乗って見るそれは普段とまた違った趣を見せていた。

 

 ルディも最初は目を瞑ってじっとしていたが、いつしかロキシーに背を預けて村のことについて、あれこれと話を聞いていた。

 私も嬉しくなって、ついつい会話に割り込んだりした。

 

 思い返せば、こうして私とルディ、ロキシーの3人で穏やかに会話するだけで時間を過ごすのは初めてかもしれない。

 いつも魔術に関することばかりで議論しているのが大半なので、最後の授業というのも相まり、この何でもない時間がとても貴重なもののように思えた。

 

---

 

 それから1時間ほどが経ち、畑が見えなくなってからのこと。

 私たちはポツンと一本木が生えている以外は、見渡す限り何もない広大な草原に到着した。

 

「これから私は水聖級攻撃魔術『豪雷積層雲(キュムロニンバス)』を使います。

 これは広範囲に雷を伴う豪雨を降らせる術です。

 一度しか使いませんので、よく見て、よく聞いて真似してください」

「「はい!」」

 

 ロキシーは神妙に頷き、それから空に向かって自分の身の丈以上の長さの杖を掲げる。

 目を閉じて集中するロキシー。

 魔力の高まりが、私たちにもなんとなく雰囲気として感じ取れるほどに膨れ上がっていく。

 

「〝雄大なる水の精霊にして、天に上がりし雷帝の王子よ!

 我が願いを叶え、凶暴なる恵みをもたらし、矮小なる存在に力を見せつけよ!

 神なる金槌を金床に打ち付けて畏怖を示し、大地を水で埋め尽くせ!

 ああ、雨よ! 全てを押し流し、あらゆるものを駆逐せよ!〟

 『豪雷積層雲(キュムロニンバス)』!」

 

 ロキシーが詠唱するにつれて、青空を黒い雨雲が覆い尽くしていく。

 バケツをひっくり返したように降りそそぐ雨粒が、暴風によって横向きに私たちを打ちつける。

 そして一際黒雲が集積した空がビカリ、と閃いた瞬間——

 

「「「あ」」」

 

 木の下にくくってあったカラヴァッジョに雷が落ちた。

 ロキシーは慌てて駆け寄って治癒魔術をかける。

 相変わらずのうっかりで、なんとも締まらない手本になってしまった。

 そういう所もロキシーらしいと思うけどね。

 

「で、では! やってみてください。

 さっきは見本のために一分程度で切り上げましたが、合格条件は1時間、さっきの嵐を制御することです。

 どちらからやりますか?」

「はい! 私が先にやりたい!」

「それでは、ノアからですね。がんばってください」

「うん!」

 

 私はルディに先んじて手を挙げた。

 お姉ちゃんだからね。

 授業を始めたのはルディが先だとしても、卒業の順番は姉に譲りたまえ!

 

 詠唱は覚えている。

 というか以前に詠唱については質問して聞いていたのでバッチリである。

 規模が大きすぎるから実践はこれが初めてだけど。

 記憶した通りに詠唱を紡ぐ。

 これだけで一分は時間がかかる。

 一対一の戦闘じゃ使えないか……やっぱり事前に術式を構築しておかないと使えないかな。

 無詠唱でも発動はできるだろうけど、それでも発動まで遅すぎる。

 でもそうなると身体への負担が大きそうというか、腕に込めたらヤバそうなんだよなぁ……。

 応用はできそうだけど、まだ技術が足りてないんだろうか。

 うーむ、これはやはり、村を出てもっと魔術に対する学びを得られる環境に行くべきなのかな……。

 

 などと分析しつつ、自身の今後に思いを馳せながら黒雲を形成する。

 しっかり制御しなければ、上空の風ですぐに霧散してしまうので、空に自分の魔力を充満させ、さらさらとこぼれる砂の山を押さえるように留め、あるいは魔力を注ぎ足し雲の量を一定に保つ。

 規模は大きいけれど、操作の基本はこれまでにロキシーから学んだ術理と同じこと。

 何千、何万回と繰り返してきたその動作は澱みなく、もはや何も考えずとも自然と身に染み付いているほどだった。

 

 しかし、1時間もこうしているのは疲れるというより飽きがくる。

 何か新しい実験でもしようと思った私は、雲の総面積を維持したまま一部の雲を収束させ、雷を狙ったところに落とせないかなー、といった風に操作を始めた。

 嵐を起こすだけではちょっと物足りないし、さっきのロキシーのような失敗をしないためにも有効だと思ったからだ。

 それに、狙った場所を雷で攻撃できたら絶対強い、カッコいい!

 操作は意外に繊細で、比較的多くの魔力を使ったが、終了10分前くらいにはなんとなくのコツは掴めたし、終了間際には結構使いこなすことができるようになっていた。

 

「はい、そこまで」

「ふ、う〜。疲れたなぁ。

 でもちょっと楽しかった! 新しいことも知れたし、うん、だいぶ良かった!」

「そうですか、それは良かった。

 ノア。よく頑張りました、合格です。

 おめでとうございます、これであなたも水聖級魔術師ですね」

「えへへ、ロキシーのおかげだからね! こちらこそ、ありがとうございました!」

 

 ロキシーはちょっと寂しげに微笑んで、今度はルディがやってみてください、と指示を出す。

 ルディもまた鷹揚に頷き、ロキシーから貰った私とお揃いの杖を天に突き立てる。

 

 高らかに『豪雷積層雲』の詠唱を唄うルディ。

 やはり経験値が違うのか、生成するスピードはルディの方が私よりも幾分か早い。

 雨に打たれながら杖を振るルディは、なんというか、自由に見えた。

 

「ん? これって……」

 

 ルディが心底から楽しそうに魔術を使っているのを見ながら、ふと上に視線を上げると、竜巻のような風が雲を押し上げ、そこから際限なく雲が沸き出しているのが見て取れた。

 

「混合魔術……!」

 

 あの大規模な魔術に加え、さらに同等規模の魔術を組み合わせるとは、我が弟ながら流石の魔力量だ。

 しかも、多分それだけじゃない。

 ルディは私なんかよりもっと緻密に操作している。

 温度を上げたり下げたりして、風を生み出しているのだ。

 

「……さすがだなぁ」

 

 私よりもよっぽどこの魔術について理解している。

 あの魔術は私のものよりさらに長持ちするだろう。

 しかも一度発動させればその後はほとんど手を加えなくて良さそうで、その分のリソースを他の魔術に避けるようになるといった、実に効率的なやり方だ。

 私なんて愚直に手ずから操作してるだけだったのに。

 ここでもまた、勝てなかったのか。

 自信を失くしてしまいそうだ。

 

 ロキシーも私と同じことを思ったのか、ルディは数分で試験を終えて、無事合格を貰えた。

 

 そしてこの日、新たに2人の水聖級魔術師が誕生したのだ。

 もっとも、その差は大きく開いていたのだけどね。

 

---

 

 その試験の帰り道、カラヴァッジョに3人でまたがって家路に着く。

 今日もまたルディとの差を突きつけられてしまった。

 悔しさと、そうこなくちゃという誇らしさに近い感情が同居していて、私はぼーっと夕暮れを感慨深げに見つめていた。

 

「ねぇ、ロキシー」

「なんでしょう」

「ロキシーは、これからどうするの?」

 

 気になっていたことを聞いてみた。

 私の今後にも大きく影響があるだろうから、今のうちに彼女の予定は知っておきたい。

 

「明日にはここを発ちます。

 今回の一件で、私は自分の思い上がりを正されました。

 今後はしばらく冒険者をやって、己の魔術を見つめ直そうと思います」

「ふーん、まずはどこに行くの?」

「そうですね、まずは冒険者ギルドの本部があるミリス神聖国でしょうか。

 あそこでは昔、冒険者として活動していたことがありましたので、そこを拠点にして久しぶりに迷宮でも潜ってみようかと」

「そっか、ミリスかぁ……」

 

 それなら、ちょうどいい。

 渡りに船というやつだ。

 

「じゃあ私も、ロキシーについて行くね。ミリシオンに」

 

 唐突な私の爆弾発言に、ルディとロキシーは言葉を失って呆然としてしまった。



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第十一話 「姉と弟 ②」

皆さま高評価・感想どうもありがとうございます!
今回は結構気を遣って書く必要があったため時間がかかったのですが、皆さまの評価・感想等があったからこそ乗り越えることができました。
これからもどうか拙作を暖かく見守っていただけると幸いです!
それでは、今回もどうぞよろしくお願い致します!


 ミリシオンに行く。

 これは元より決めていたことだった。

 この村でできることがなくなって、なおかつその時点でルディに勝てていなかったら、新しい勝ち筋を求めて何処か別のところに行こうってね。

 

 本当はもっと後でもいいかな、と思っていたけど、ルディの『豪雷積層雲(キュムロニンバス)』を見て考えが変わった。

 きっとルディ並の天才なら、今できることだけをやっていても、類い稀な知識と才能、発想力でどんどん成長していくだろう。

 

 それに対して、私はどうか。

 ちょっと戦闘魔術の応用ができるようになったくらいで「もうできることはなさそう」と考えて、魔術の特訓にどこか見切りをつけていた。

 このままでは、差が開く一方だってわかったのだ。

 そうしたら、もう2度と追いつくことすらできないという確信があった。

 だから私は私のやり方で強くなろうと思ったわけで、そのためのミリシオン行きというわけである。

 

「だからお願い! お父さん、お母さん!」

「……」

 

 そうした理由をお父さんとお母さんに話した。

 長いことこの村を離れることになると思うので、両親への挨拶はちゃんとしてから——

 

「ダメだ」

「えっ?」

 

 お父さんの毅然とした声が響く。

 お母さんも難しい表情で沈黙していた。

 

 私はルディよりもかなり手がかかり、その上ワガママであったが、それでもルディのお姉ちゃんとして恥ずかしくないように、できる限り良い子であろうとしてきた。

 それをよくわかっていたのか、お父さんは私のワガママを全部笑顔で聞いてくれたし、お母さんも私の意思を尊重してくれていた。

 だから、今回のワガママもきっと通るだろうと楽観視していたのかもしれない。

 

「理由はいくつかある。

 まずは安全面の問題だ。産まれてからずっとこの村で暮らしてきたお前にはわからんかもしれんが、外は危険でいっぱいだ。

 とてもじゃないが、旅の経験がない娘をここからミリスまで行かせるわけにはいかない。

 それと、年齢の問題だ。お前はまだ5歳じゃないか。水聖級の魔術が使えるようになったからといって、子供は子供だ。

 まだ知らない事が多すぎる。

 親としての責任を放棄して娘を放り出すわけにはいかない」

「……うっ」

 

 ぐうの音も出ないほどの正論に、私は口をつぐむしかなかった。

 確かに、甘く考え過ぎていたところはある。

 

「ま、そんなに生き急ぐことはないさ! 人生なんて意外に長いもんだぞ? お前は今まで沢山がんばっていたんだし、ちょっとぐらい休んでもバチは当たらんさ」

「……うん」

「私もノアに旅はまだ早いと思うわ。

 前にミリシオン行きを薦めた私がいうのもなんだけど、もうちょっと考えてからでも遅くはないもの」

「……うん」

「わたしが口を出すことではないかもしれませんが、旅には危険が付き物です。

 旅立つというのなら、それ相応の覚悟というものが必要になります。

 まずはそれを明確化してみるのが良いと思いますよ」

「……うん、わかったよ」

 

 お父さん、お母さん、ロキシーが順に、やんわりと諦めるように忠告する。

 それらは決して自分の考えを押し付けるとかではなく、ちゃんと私の考えを聞いて、私の気持ちを考えた上での反対なのだということは、よくわかる。

 

「ごめん、ちょっと頭冷やしてくるね」

「あ、ああ……その、まあ、なんだ。

 あんまり考えすぎるなよ。

 ノアはちょっと頑張り屋なだけなんだからな」

「うん。ありがと、お父さん」

 

 生返事で返しながら一人で部屋に戻り、ベッドに倒れ込む。

 もっとも、そんな簡単に上手くいくとは思ってなかったし、反対されるのも視野に入れていた。

 しかし、割と甘やかされて育った私には、家族の反対というのは意外と心にくるものがあった。

 

 追い詰められていたのだろう。

 普段なら冷静に判断して諦められるのに、なぜか今は、この機を逃してはならないという焦燥があった。

 ロキシーが明日ここを去り、今の心持ちの私だけが残ったら、絶対にルディに追いつけないぐらいに引き離されてしまうという恐怖があった。

 

「……よし」

 

 だからだろうか、私はこれまでで1番突拍子もない行動に出てしまった。

 

---

 

★ side:ルーデウス ★

 

 俺、ルーデウス・グレイラットは転生者だ。

 前世は童貞・無職・ニートと三拍子揃ったエリート穀潰しであったが、今世ではその反省を活かし、本気で生きていこうと決意した。

 

 そんな俺にはノアという名前の双子の姉がいる。

 アルビノ系元気発剌天才呪子ロリお姉ちゃんとかいう属性過積載ぶりだが、これでも今世の生活では、俺が最も信頼できる人間の一人だ。

 

 なにせ彼女とはゼニスの胎の中からの付き合いである。

 さらには彼女は物心ついた頃からずっと俺にべったりだった。

 単純接触時間で言えば最長なのだから、お互いが強い信頼を抱いているのは自然なことだろう。

 

 まぁ、と言っても彼女の俺に対する信頼はちょっと過大評価に感じることもあるが。

 そりゃあ、魔術勝負で負けたことは一度もないが、彼女の呪いがなければ俺は瞬殺されていただろう。

 むしろ際限なく強くなっている彼女に追いつこう、追いつかれまいという思いから俺も魔術の訓練にいっそう身が入り、毎日本気で生きることができていたと思う。

 

 さて、そんな彼女だが、現在は少しばかり落ち込んでいるようだ。

 なんでも、今日の俺の水聖級魔術を見て自分の力不足を感じ、それを補うための新しい魔術を求めてミリス神聖国首都ミリシオンに行きたいとの旨をパウロ達に伝えたところ、反対されて拗ねているらしい。

 

 一度決めたら一直線な彼女らしい行動だが、俺もノアはパウロが言うように生き急ぎすぎな気がする。

 とはいえ気持ちはわからんでもない。

 ここは、きょうだいである俺が年長者としてフォローをしてあげるべきだろう。

 彼女には今日、外に出るという俺にとっての最大の関門を突破する手助けをしてもらった。

 そのお返しはしておきたい。

 俺は恩を忘れない男なのだ。

 

 そんな風なことを考えながら彼女がふて寝しているであろう自室をノックする。

 が、返事がなかった。

 訝しんでちょいと部屋を覗いてみると、そこはすっからかんで、もちろんノアはいなかった。

 しかし、そのかわりノアの机の上には見覚えのない紙切れが。

 嫌な予感がしつつ、恐る恐るそれを手に取って読んだ。

 

『ミリシオンに行くので旅に出ます。着いたら手紙を出します』

 

 それは、簡潔に伝えることだけが書かれた書き置きだった。

 要するに、家出の書き置きだ。

 

 俺はその後大慌てでパウロたちに知らせ、そのまま薄暗くなった夜道に飛び出した。

 

 ノアがいつ家出したのかはわからないが、まだそれほど遠くまでは行っていないだろう。

 ノアは猪突猛進だが馬鹿ではない。

 夜の街道を一人で出歩くことはしないはず。

 だから、この村のどこか、或いは近場の森のどこか、この二つが怪しいだろう。

 そして、村の中なら簡単に見つかる可能性が高い。

 なら——

 

「……森か!」

 

 居場所に当たりがついた瞬間、俺はまっすぐ森に向かって走り出した。

 薄暗い森の中は当然見通しは最悪で、僅かな月明かりのみが手がかりだった。

 名前を大声で叫んで探したいところだが、家族の捜索から逃げているノアには逆効果だろう。

 地道に、手探りで探すしかないが、今日まで外になんぞ出たことがなかった俺に土地勘なんて皆無に決まっているため、完全に自分の直感頼りとなる。

 

 それでも、不思議と足は前に進んだ。

 

「……なんで、わかったの?」

 

 なんとなく、という理由で足を進め、藪をくぐり、木の葉をかき分け、ちょうど広場のように開けている場所に出た。

 月明かりが、いつもはフードを目深に被っていて中々見えないノアの白髪をキラキラと照らし、まるで月の妖精であるかのように映し出していた。

 

「なんで、って。決まってるじゃないですか」

「?」

「僕らが姉と弟だから、ですよ」

 

 強いて言うなら、「姉の気配を感じた」としか言いようがない。

 

「——はは、そっか。うん、そうだよね。

 姉弟(きょうだい)だもんね、私たち」

 

 ノアは雲一つない夜空を見上げて、パタンと(しば)の上に仰向けに転がった。

 それは、ノアが自分の負けを認めた時にいつもやる癖だ。

 つまり、少なくとも今日一日は彼女は逃げ出さない。

 

 だが、同時にノアは相当な意地っ張りで負けず嫌いでもある。

 今日限りの逃避行を阻止したところで、成功するまで何百回、何千回と挑戦して、最後には出し抜いてここを出て行ってしまうことだろう。

 だから、ここでノアの心に根本的に巣食う問題を解決しなければならない。

 

 そのためには、やはり彼女の胸の内を知らなければ。

 会話をしよう。

 前世の俺は臆病で、そのくせ変にちっぽけなプライドがあったせいで、親や兄貴達と隔たりを持っていた。

 それは前世の俺と俺の家族が、最後まで分かり合えなかったことの理由の一つではあるだろう。

 同じ過ちは繰り返さない。

 ノアは素直な性格だから、寄り添って話をすればきっと心を開いてくれる。

 俺は彼女の横に、同じように仰向けに寝転んで、ただ星を見つめた。

 

「……なんで、姉さまは僕に勝つことにそこまでしてこだわるんですか?」

「んー、お姉ちゃんだからかな。

 やっぱ弟に負けてばっかりは悔しいし、みっともないでしょ。

 それに、ルディも自分より格下の姉だと嫌じゃない?」

「そんなこと思いませんよ。

 第一、姉さまのことを格下だなんて思ったことはありません。

 むしろ手本にしているくらいです」

「うそだぁ、私一度もルディに勝てたことないよ」

「魔術の腕の話じゃないですよ。

 というか、呪いがなければ絶対姉さまの方が僕より上です」

「呪いも含めて私だもん。

 だからそれはちょっと違うよ」

「仮にそうだとしても、姉さまは僕がこの世で一番尊敬している人なんです。

 僕が困っている時はいつもそばに居てくれますし、何回負けても立ち上がって諦めない心の強さもある。

 姉さまは僕にとって世界で一番優しくて、才能があって優秀で、どれだけ辛くても前を向いて進み続けられる強い人。

 姉さまは、僕の理想の姉さまなんですよ」

「……」

 

 ノアは空に浮かぶ月を見たまましばらく沈黙した。

 しかしそれは一瞬で、すぐにまた口を開いた。

 

「それでも、私はミリスに行く。

 ルディが私のことを……ちゃんとお姉ちゃんだって思ってくれてるのは、嬉しいけど。

 でも、私が納得できないもん。

 せめて一度ぐらい勝ってから、胸を張って名乗りたいかな」

「納得、ですか……」

 

 彼女にも意地があるのだろう。

 今まで必死に頑張ってきたことに対して、ノアなりにケジメをつけたいということかもしれない。

 こうまで固く決意した彼女を止めるのは至難の業だ。

 俺は早々に説得を諦め、プランBに変更する。

 

「じゃあ僕も手伝いましょう」

「えっ?」

「姉さまがミリスに行くための、父さま達への説得を僕も手伝います」

「いいの!?」

「どうせこうなった姉さまはもう止められませんからね。

 なら少しでも安全に行けるように計らうべきでしょう」

 

 姉の安全な旅路をサポートするのも弟の務めだ。

 それに、このまま一人で飛び出させるよりは100倍マシだろう。

 

 ノアには何度も助けられてきた。

 初めて庭に出た時。

 初めて外に出た時。

 どちらも俺にとっては間違いなくトラウマだったそれに、ただ寄り添って、力をくれた。

 それがなければ、俺はもしかするとまだ家の中で燻っていたかもしれない。

 ノアにとって大したことではなかったかもしれないが、彼女は確かに俺を救ってくれたのだ。

 

 なら、今度は俺が支えなければならない。

 この強く、優しく、真っ直ぐな姉の力になれるなら、俺はなんだってできる気がするから。

 

「さあ。戻りましょう、姉さま。

 全て、僕に任せておいてください!!」

 

 ノアは、眩しそうなものを見つめるようにして、ゆっくりと頷いた。



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第十二話 「旅立ち」

皆さまいつも拙作を読んでいただきありがとうございます。
今回で第1章は完結です。
次話からは第2章が始まります。
ここまで来れたのも皆さまの応援のおかげです!
これからも自分にできる精一杯の努力てこの物語を紡いでいこうと思うので、また感想・評価等を送ってもらえると嬉しいです!
それでは、今回もどうぞよろしくお願い致します!


 「僕に全て任せてください」と、ルディは言った。

 ルディは考えなしに無責任なことを言う性格ではないから、この言葉もまた、それなりの勝算があってのことなんだろう。

 

 私はその提案に頷いた。

 断る理由がなかったからだ。

 弟に勝つための強さを手に入れるために、まずはその弟に頼らなければならないということには、ちょっと抵抗があったけど、それで現状に足踏みのままでいるのもまた耐えられるものではないと思った。

 この情けなさは、ルディの姉として立派に成長することで返上するとしよう。

 

 まぁ、少し複雑な思いは抱いていたけれど、それでもルディが真っ先に私の所に来てくれたことがこの上なく嬉しくて頷いた部分があったから、私は大人しくルディに家まで連れられていった。

 

 ルディは私が逃げないようにするためか、私の手をしっかり握って先導してくれている。

 その手は私と違って剣を振っているせいか、5歳にしてたくましいものになっていて、がっちりと私をつかんで離さない。

 「そんなにしなくても逃げたりなんかしないのに、心配性だなぁ」と思いながら、そんな弟を愛おしく感じると同時に、私の情けなさを痛感する。

 やっぱりルディにとって、私は庇護する対象なんだろう。

 まぁ家出なんかした私に全面的に非があるんだけど、こういう所が私のダメな所なんだ。

 

 よし、お父さん達を説得する時も、できる限り自分の力でやろう。

 ルディは私が辛くなったらそれとなく助けてくれるだろうし、こういうのは私自身ががんばることに意味があるはずだ。

 ルディに頼ってばかりじゃいられない。

 強さだけじゃなくて、それ以外の部分でも姉としてしっかりしている所を見せなければ。

 

 そんなことを思いつつ月夜の下を歩いていき、いつの間にか私たちは森を抜け、村までたどり着いていた。

 

「ルディ! ノア! 良かった、無事だったんだな……!」

「あ……お父さん」

 

 村の入り口には、いつもの仕事着を着て、剣を装備したお父さんがいた。

 とても険しい顔をしていたが、私たちを見つけた途端パッと眉間の皺が解けて、安心したように駆け寄ってくる。

 それだけで、私がどれだけお父さん達を心配させたのか、どれだけ迷惑をかけたのか、どれだけ愚かで短慮な行動をとったのかが理解できた。

 それと同時に、ひどく申し訳ない気持ちで胸がいっぱいになってしまった。

 

「心配したんだぞ! どこに行っていたんだ!?」

「えっと……森のほうで、隠れてた」

「そうか……。

 ノア、お前は自分が何をしたのか、わかってるか?」

「……うん」

 

 お父さんはホッと息をついた後、私の目線に合わせるように屈んで肩を掴みがら、真剣な表情で語りかけた。

 安堵、心配、怒り、悲しみ、その他様々な内心が入り混じっているような顔を至近距離から見て、私は咄嗟に目を逸らしてしまいそうになった。

 

「目を逸らすな。

 ノア、お前は今日大きな間違いをした。

 それが何か、本当にわかっているのか?」

「……うん。

 お父さん達を心配させて、迷惑かけたこと……だよね」

「そうだ。

 それに俺達だけじゃなく、村の人たちにも迷惑をかけた。

 ロキシーも自分のせいなんじゃないかと気に病んでいた」

「……そう、なんだ」

「お前は優秀かもしれないが、まだ考えの及ばない子供だ。

 今回のことは、また家に帰ってから皆んなで説教する。

 そしてその前に、何か言っておくことがあるんじゃないか?」

 

 お父さんは、怒っていた。

 今までも何度かお父さんやお母さんに注意を受けたことはあったが、もしかすると叱られたのはこれが初めてかもしれない。

 今回のことは一から十まで全部私のせいなのもあって、言うべきことはするりと口から出てきた。

 

「ごめんなさい……」

「よし、それが素直に言えるならいい。

 自分が間違えたと思ったなら、すぐに反省して謝るのが大切だ。

 以後、こんなことはするんじゃないぞ」

「……はい」

 

 その言葉に満足したのか、お父さんは頷いて立ち上がり、私の頭にポンと手を置いて不器用に撫でた。

 これから家に帰って、お母さんにも色々言われるだろう。

 そしてその後にまたミリシオン行きの交渉をしなければいけない。

 先が思いやられるが、自らが蒔いた種なんだし、うじうじはしていられない。

 

「家に帰ろう、ノア。

 母さん達も心配しているからな」

「うん」

 

 正念場はここからだ。

 気合を入れなおしていこう。

 怒られたことは情けなく思うけれど、それでも不思議と私の気持ちは晴れていた。

 

---

 

 その後、家に戻った私は怒髪天を衝く勢いで怒るお母さんにみっちりと絞られ、危うく燃えカスになる寸前であった。

 あんなにお怒りのお母さんは初めてだ。

 つまり、それだけ心配してくれていたということだろう。

 改めて本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

 お父さん達にはもう頭が上がらなくなってしまったのだが、これからその頭を無理にでも上げてお願いしなければいけないとは。

 うーん、胃が痛くなってくる。

 

「……お父さん、お母さん。

 あのね、実はまだ話があるの」

「ん? まさか、まだ諦めてなかったのか?」

「うん、どうしても諦められないから」

 

 お父さんは、またもや難しい顔をして悩んでいる。

 ここでダメだと否定するのは簡単だが、そうしたらまた私が無茶な行動を起こすかもしれないと思っているのだろう。

 まったくその通りだ。

 まあ、さすがの私も今回のことで懲りたので、もうこんな無茶なことはしない。

 けど諦めきれないのもまた事実なら、いつか思いが決壊するかもしれないし、そしたらどうなるかはわからない。

 お父さん達は私のことをよくわかっている故に、それを警戒しているのだろう。

 そこをうまく使えれば、あるい私の要求を通すことが——

 

「いや、ダメだ。せめて12歳になるまでは家にいなさい」

 

 できるわけないよね、知ってた。

 うーん、じゃあどうすれば許可をとれるのか……。

 今思ったけど私交渉とか苦手かもしれない。

 誠心誠意お願いすることは得意だけど。

 でも、いつまでもそれで甘えてるだけではいけない。

 私自身の成長を見せて、ちゃんとお父さん達を認めさせないといけないんだ。

 

「……じゃ、じゃあ、冒険者を雇うとか!」

「んん? 冒険者? それとこれとどういう関係があるんだ」

「だって、私はミリスで魔法を勉強するのが目的で、別に冒険とか、旅とか、迷宮に潜るとかは考えてないもん。

 だったらミリスに行くまでの間、護衛になってくれる人がいれば、大丈夫でしょ?」

「……それでもダメだ。

 冒険者を雇うのには金がかかる。

 それにだな、ここからミリスへの長期間ずっと護衛を続けてくれるようなヤツなんてそうそういないだろう」

「お金は大人になったら自分で働いて返すから! 護衛の人は、護衛の人は……」

 

 そこまで言って、言葉が続かなくなった。

 とっさの思い付きだから仕方ないとはいえ、ここで納得させられないと結局ダメだ。

 もう一押しする理由はどこにあるだろうか。

 

 そう必死に私が頭を回していると、今まで沈黙を保っていたルディがここで初めて声を上げた。

 

「父さまと母さまは、昔冒険者をしていたと聞きました。

 なら、その時に組んでいたパーティの人たちに連絡を取ってみてはいかかがでしょうか?」

「!? ルディお前まさか、ノアの好きにやらせる気なのか!?」

「そうですよ。

 こうなった姉さまは誰にも止められませんからね。

 それならば、最初から腕が保証されていて、信頼できる人に護衛をしてもらうのが一番良いと思いませんか?」

「ぐっ! いや、しかしだな? ルディよ。

 あいつらとはひどい喧嘩別れの末の解散だから、そもそも取り合ってくれるかすら怪しくて……」

「それは父さまとの問題であって、姉さまとは関係がありません。

 あくまで依頼主と雇われ冒険者という体でいればいいんです

 第一、これは父さまにとってもその人たちと仲直りする良い機会になると思うんですよ」

「う、むうぅ……」

 

 あっという間にルディはお父さんを言いくるめてしまった。

 圧倒的ではないか、我が弟は。

 私はとても助かるけれど、お父さんがかわいそうなことになってくるので手心を加えてほしいと思うのは傲慢だろうか。

 しかし本当にナイス援護射撃だ。

 これは、もしかするかもしれない。

 お父さんが最後の抵抗とばかりに口を開く。

 

「だがな、ノアはまだ5歳で、大人の目が必要だ。

 子供だけで幼少を過ごすのはロクなことにならんぞ。

 それはノアのためにもならない」

「姉さまはミリシオンにある母さまのご実家に身を寄せるつもりなんですよね?

 だったらちゃんと大人の目もありますし、問題はないでしょう」

「いいや、ノアは俺達の子だ。

 ラトレイアの奴らに任せきりでは、親としての面目が立たない」

 

 むぅ、と今度はルディが唸る。

 そう言われるとなかなか反論しづらいのだろう。

 なにせこれは親としての意地の問題である。

 解決するにはお父さん達が私に付きっ切りである必要があるが、もちろん仕事があるからそんなことはできっこない。

 つまり、最後の最後で手詰まりだ。

 

「そうだろ、ゼニス。

 そもそも俺達はラトレイア家とは折り合いが悪い。

 受け入れてくれるわけがないだろう。

 この話はこれで終いだ」

「うーん……」

「ゼニス?」

 

 私たちから反論がこないとみて、お父さんは強引に話を打ち切ろうとお母さんに話しかける。

 しかし、意外にもお母さんからはお父さんを肯定する言葉は出ず、代わりにどこか悩ましく思うような声が出た。

 そして訝しむお父さんを横目に、よし、と何かを決断するように頷いて言った。

 

「私も行くわ」

「はっ?」

「私がノアについて行くわ。

 診療所はまぁ……私がいなくても多分大丈夫だろうし、黒狼のメンバーにも私から連絡を取った方が上手く事が運ぶと思うから。

 もちろん、あっちでノアがちゃんとやれてるようだったらすぐに帰るし、ダメそうだったら引っ張ってでも連れ戻すつもりだけど」

「なっ!?」

 

 突然の風の吹き回しに、お父さんだけでなく私たちも目を丸くした。

 

「ちょっと待て、どういうことだ!?」

「私ね、前にノアにラトレイア家のことを少し話したのよ。

 さっきそのことを思い出しちゃってね。

 もう二度と会わないんだろうなって思ってたけど、もしかしたらこれが最後の機会なんじゃないかって気がするのよ」

「だが……!」

「いやねぇ、ちょっとした里帰りみたいなものよ。

 それにあなただって、自分の家族がもし生きていたなら、会いたいって思うはずよ」

「それは……」

 

 思い当たる節があったのだろうか。

 お父さんは言葉に詰まってしまった。

 そういえば、お父さんの家族のことは聞いたことがなかった。

 もしかしたらお母さんと同じように、喧嘩して家出したっきり会わずに亡くなってしまったのかもしれない。

 もしそんなことがあったなら、確かに気に病んでしまうだろう。

 

「それにね、きっとノアにはこの村は狭すぎるのよ。

 この子には、もっと広い世界を見せてあげる必要がある。

 もちろんあなたの心配もわかるけれど、この子も5歳。

 親元を離れて学校に行ってもいい頃合いじゃないかしら」

「……しかしだなぁ」

「大丈夫よ!

 だって私とあなたの子なんだもの。

 きっと上手くやるわ」

 

 お母さんの言葉に、お父さんはしばらく目を瞑って考えた後、諦めたように息を吐いて言った。

 

「はぁ……わかった、わかったよ!

 ミリシオン行きを許可しよう。

 ただし! 途中で投げ出すことは許さん。

 しっかり、学んでこい!」

「……ほ、本当に? や、やったーーー!! ありがとう、お父さん、お母さん、ルディ!」

 

 このように紆余曲折はありながらも、私のミリシオン行きが決定した。

 

---

 

 それから4ヶ月後、ようやっと旅の準備は整った。

 ロキシーは元々すぐに出ていく予定だったらしいけど、私たちの出立に合わせて遅らせてくれた。

 やっぱりロキシーは神さまだね、私もお祈りしておこう。

 

 その間私はというと、お母さんから礼儀作法とやらを教わっていた。

 お母さんのお母さん……つまり私のお婆ちゃんにあたる人はそういうことにとても厳しい人らしく、円滑に話が進むようにとのはからいだ。

 もちろんミリス行きは私が言い出したことなので否やも何もない。

 そうして、私は最低限の貴族マナーというものを修得した。

 ちなみにルディもそれに参加し、お母さんはルディにものを教えるということができてテンションがやたらと高かった。

 

 旅の護衛としてやってきてくれたのは、お父さんたちが以前組んでいたというパーティの人たちだった。

 

 全部で3名。

 長耳族でスレンダーな金髪美人のエリナリーゼさん。

 炭鉱族でガッチリと鍛え上げられた肉体を持つタルハンドさん。

 お猿さんみたいな顔で軽薄そうなだが、その実世話焼きそうな雰囲気を持っている魔族のギースさん。

 

 彼らは全員がS級の冒険者らしく、お父さんとお母さんの頼みに応えてくださったそうだ。

 彼らとお父さんたちには並々ならぬ因縁があるそうだけど、娘のために力を貸してほしいという誠心誠意の頼みあって、渋々頷いてくれたらしい。

 なら、私が先立ってご挨拶しなければならない。

 なんせ私のワガママだ。

 私自身が誠意を見せなければ、彼らだって納得してくれないだろう。

 

 私は朝からずっとソワソワしながら玄関前に陣取って、今か今かとそれらしき人影が見えてくるのを待っていた。

 そして、昼頃に彼らがやってきたのを見て、勢いよく頭を下げた。

 

「こんにちわ!

 ノア・グレイラットです!

 パウロ・グレイラットと、ゼニス・グレイラットの娘です!

 本日は私の我儘にお応えくださり、本当にありがとうございます!!」

 

 よし、台本通り言えた……!

 ふふふ、見て見たまえ、彼らも私の完璧な挨拶に感心しているようだ。

 練習しといて本当によかった。

 

「あら、パウロの娘にしては礼儀正しいんですのね」

「そうじゃのう……てっきり奴に似たワガママ放題の娘かと思っとったわい」

「よう、よろしくなー、ノア! 俺はギースだ。

 パウロのヤツにはまぁ、色々と思うところはあるが、とりあえず馳せ参じてやったぜ」

 

 お父さんは何をやらかしたんだろうか。

 私的に、お父さんは情けないところもあるけれど頼れる大人というイメージなので、彼らの知っているお父さんと私の知っているお父さんは結構違うのだろう。

 そう思っていると、件のお父さんとお母さんが顔を出す。

 

「……その、久しぶりだな、エリナリーゼ、ギース、タルハンド」

「……」

 

 瞬間、一気に沈黙が場を包み、この辺りだけ冬になったんじゃないかと思うほどだった。

 本当に我が父は一体何をやったんだ……。

 

「……あの時は、悪かった!」

「私にも謝らせて。

 ……迷惑をかけて、ごめんなさい」

 

 そしてお父さん達はガバッと勢いよく頭を下げて謝った。

 3人はそれぞれが思い思いの顔を浮かべている。

 エリナリーゼさんだけはそっぽを向いていて、あんまり表情とかわからなかったけれど。

 

「……あの時のことは、私にも非がありますわ」

「……そうか」

「それに、ちょうどこの村で一目見ておきたい人もいたことですし、ついでですわよ」

「ありがとう、エリナリーゼ」

「私からも、ありがとう」

「どういたしまして、パウロ、ゼニス」

「ふむぅ、儂もお主らには言っておきたいことはあったが……今はいい」

「ま、こういう再会の仕方もあらぁな。

 ちなみに俺はギャンブルで有り金全部スッちまったから、適当な稼ぎを探してただけだ。

 だから、んな気にすんじゃねぇぞ」

「ああ、ありがとうギース、タルハンド」

 

 彼らのやりとりは私にとってはまだ難しかった。

 何というか、一言では言い表せない重みというものがあったのだ。

 彼らは私なんかとは比べ物にならないほど重厚な経験をしてきて、それがあっての和解だったのだから。

 言わば、大人の会話というやつだった。

 

「にしても、こんな礼儀正しくて素直なお嬢ちゃんがお前の種から生まれるとは驚きだぜ」

「だろ? 俺には勿体無いぐらいできた子だ」

「ゼニスの教育が良かったのでしょうね」

「まぁ、エリナリーゼったら嬉しいこと言ってくれるじゃない! これから長いこと、よろしく頼むわね」

「任されましたわ」

「心配せんでも依頼料分の働きはするぞ」

「そうそう、たんまり前金もらってっからな。

 こりゃあ後から楽しみだぜ」

「どうせお主は全部スるじゃろう」

「んだとぅ!?」

 

 おお、すごい。

 なんか冒険者って感じの会話だ。

 それに混ざらないのはちょっと寂しいけど。

 私も成長したらああいう風なカッコいい会話ができるようになるんだろうか。

 

「……それじゃあ、ノア。

 これからは離れて暮らすようになる」

「うん」

「ちゃんと食べて、勉強して、立派になって帰って来るんだぞ」

「うん!」

「ゼニスも、ノアのことをよろしく頼む」

「ええ、あなたこそ、くれぐれも浮気とかしないで頂戴ね?」

「わ、わかってるさ……」

 

 お父さんは私の肩を抱きらぎゅっと抱きしめた。

 私もお父さんを抱きしめ返す。

 がっしりとしていて、とても頼りになる立派なお父さんだ。

 それに恥じないような人間になれるよう、精一杯努力しよう。

 

「ルディ」

「はい、姉さま」

 

 そして私は、玄関奥で所在なげに佇んでいる最愛の弟に声をかける。

 ルディは私が呼ぶとすぐに駆け寄ってきてくれた。

 

「ね、ルディ。

 お姉ちゃんって呼んで」

「えっ!? なんでいきなり!?」

「んー、なんとなく。

 あと敬語もいらないから、元気いっぱいで送り出してよ。

 そしたら私、あと10年はなんでもできる気がするから」

「……せめて姉さんにしてください。

 とても尊敬してるんですから」

「仕方ないなぁ、わかったよ。

 でも敬語は抜きだよ! なんかルディのそれって距離感じちゃうんだもん」

 

 ルディは一瞬、えっマジで?って顔をしていたが、すぐに気を取り直し、若干顔を赤らめながら、それでも私の目を真っ直ぐ見て言ってくれた。

 

「いってらしゃい、姉さん。

 帰ってくるの、ずっと待ってるよ」

 

 その言葉は何より私の心に響き、その音を何度も心の内で反芻する。

 ああ、今、最高にお姉ちゃんな気分だ。

 帰ってきたら、この子にもっと頼れるお姉ちゃんなところを見せてあげよう。

 そのためにも、これから頑張らないとね!

 

「うん! 行ってくるね、ルディ!!」

 

 こうして、私は生まれ育った故郷、ブエナ村を旅立った。



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第2章 少女期 貴族令嬢編
第十三話 「旅の道中」


第二章開幕です!
いやー、自分がこの章でどれくらいやれるかで今後が変わってきそうなので、そこはかとなくプレッシャーがありますね。
ですが精一杯やらせていただきますので、皆さまもどうか感想・評価・お気に入り等で応援していただければ嬉しいです。
それでは、今回もどうぞよろしくお願い致します!


 ブエナ村からミリシオンまでは約1年ほどの時間がかかる。

 赤龍山脈や森林、紛争地帯を迂回する必要があるので長期間に渡る旅を要求されるのだ。

 必然、長い旅をするのだから魔獣や野盗に遭遇する機会も増える。

 だからこそ、腕利きの護衛が必要不可欠となるわけだ。

 

「前方二時にターミネートボア!

 迎撃します、注意してください!」

「わたくしが引きつけますわ」

 

 索敵をしていたロキシーが私たちに注意を促し、壁役のエリナリーゼさんがすぐさま飛び出して牽制。

 その隙を突いてロキシーとタルハンドさんがそれぞれ魔術を使って仕留める。

 これが今回の護衛パーティの主要な連携であった。

 構成メンバーがほぼ全員S級クラスの実力者。

 危なげなくスムーズな連携と柔軟な対応は、彼らが相応の修羅場を潜ってきた猛者だということを、素人目にも容易に理解させられた。

 

「すごいね!」

「ったりめぇよ! お前さん、俺らが何年冒険者やってると思ってんだ?」

「えー、ギースは何もしてないじゃん」

「人には向き不向きがあるんだよ。

 俺が前線に出てみろ、真っ先に吹っ飛ばされちまうよ」

「あはは、ごめんごめん。

 でもギースは何でもできるから、私としてはギースの方が学ぶことが多いかな」

「おっ、嬉しいこと言ってくれるじゃねぇかお嬢!」

「すっかり仲良くなったわね、あなたたち」

 

 私はこの旅で、彼ら『黒狼の牙』のメンバーとそれなりに仲良くなった。

 皆んなクセは強いけど気さくな良い人たちだったので、元々あまり物怖じしない性格の私は妙に噛み合った。

 

 とりわけ仲が良くなったのは、猿顔の魔人族ことギースだ。

 彼のことも最初はさん付けで呼んでいたのだが、明るい性格で世話焼きな性質と本人からの敬語はこそばゆいからやめてくれ、という申し出もあり、今ではお互いあけすけにものを言えるぐらいには打ち解けていた。

 戦闘の際は2人揃って馬車の中でお留守番、という役回りも仲良くなった理由の一つである。

 

「ギースには色々と旅のこと教えてもらってるからね。

 私があっちで上手く生活できるのがわかったら、お母さんはすぐに帰っちゃうんでしょ?」

「そうね、さすがに何年も家を留守にするわけにはいかないし。

 長くてもミリシオンにいるのは半年ってところかしら」

「だからね、今の内にできることはやっておくんだ。

 一人でだって生きて、旅をしていけるようにならなきゃ、一人前だって言えないもんね」

 

 そう、いつまでも面倒を見てもらうような子供でいるわけにはいかない。

 私は頼れる大人、頼れるお姉ちゃんになりに行くのだ。

 なら、大抵のことは一人でできるようにならなきゃ意味がない。

 その模範として、冒険者としてできることは何でもできるというギースは、私にとっては第二の師匠のようにも思えている。

 寝床の確保、野営の準備、乗り合い馬車や行商人の捕まえ方、値切り交渉、情報収集、その他諸々……。

 彼は実に多くのことを私に教えてくれるのだ。

 

 それは彼の人生の積み重ねであり、旅の間の1年足らずでは全て吸収し切れるものではないだろう。

 それでも精一杯、自分を高めるための時間は無駄にしたくないのだ。

 こういうところが生き急いでいると事あるごとに言われて心配される原因であるのだが、当の本人である私は全然気がついていなかったとさ。

 

---

 

 それからも旅を続けるにつれ、私が何度も訪れる魔獣の襲撃にちょっと慣れ始めた頃のこと。

 馬車の中でロキシーが私に話しかけてきた。

 彼女とは何年も顔を突き合わせてきたので、目を見れば大体何を考えているかわかる。

 これは授業をする時の目だね。

 

「ノア、実戦の練習をしてみる気はありませんか?」

「実戦?」

 

 実戦練習。

 つまり、魔術を用いた戦いのこと。

 

「はい、ノアがアスラ王国に帰る時は一人で旅をすることになるかもしれません。

 その際、今回のように何度も魔獣が襲ってくることもあるでしょう。

 今までのルディとの試合形式と、自然においての魔獣との戦闘は全く違うものです。

 ノアは実力としては申し分ありませんし、ここで一つ新たな経験を積んでみるというのはいかがですか?

 もちろん、危険はないように私たちが見守らせていただく中での話です」

「やります!」

 

 私は二つ返事で引き受けた。

 いつか自分で申し出ようと思っていたことでもあるので、渡りに船というやつだ。

 彼女たちの華麗な戦闘ぶりが私を魅了しているのは確かなことで、私もあんな風にカッコよく戦えたらルディに自慢できるだろうな、と常々思っていたこともある。

 よって、次に魔獣が出てきたら私がメインの火力として出張ることになった。

 

「! 来ましたよ、ノア! 準備してください!」

「はいっ!」

「では、前衛はいつも通りわたくしが」

「わしも今回は前に出ておこう」

 

 打ち合わせから数時間経ち、馬車がちょっとした林に差し掛かった頃、ついに魔獣の襲撃がきた。

 相手はアサルトドッグ。

 数は3匹。

 大丈夫だ、そんなに強い魔物じゃない。

 落ち着いて、冷静に対処するんだ。

 ロキシーに習ったこと、自分が突き詰めてきたこと。

 全部思い出して、最適解を。

 

「すぅー……」

 

 一度深呼吸し、心を落ち着かせる。

 本当はこんなことしてる場合じゃないけど、今は大勢のベテランがいる。

 洗練するのは後でいい。

 まずは状況をちゃんと見るんだ。

 

 アサルトドッグは前衛2人が引きつけている。

 周りには木々が多い。

 火魔術は使えない。

 使うならやっぱり、慣れに慣れ親しんだ水魔術。

 目標は激しく動き回っているけど、問題はない。

 速さを追求してきた私の魔術は、その程度では翻弄されることはない。

 魔力を練り上げ、人差し指をアサルトドッグに向けて構える。

 

「シッ!」

 

 無詠唱で一気に3連発の『水弾』を撃ち放つ。

 魔術は寸分違わずアサルトドッグたちの脳天を貫き、絶命させた。

 戦闘は私が想像していたよりもあっさりと終わりを告げたのだ。

 しかし、私の胸中には人生初の実戦が成功したこととはまた別の感情が飛来していた。

 

「……当たった」

 

 それは人生で初めて私が生物への攻撃を達成した、えもいわれぬ達成感にも似た感覚。

 元々、『人間には勝てない』という呪いなら『人間以外には勝てる』だろうと踏んでいたが、実際に試してみるのはこれが初めて。

 私は手にうっすらと残る不思議な感触を、ぎゅっぎゅっと握ったり離したりすることで何度も確認した。

 

「……」

「お疲れ様です。

 最初は少し鈍かったですが、相変わらず見事な射撃で……どうかしましたか?」

「あ、ううん」

 

 そうやって暫くぼーっとしていた私に声をかけてきたのはロキシー。

 私はそれで我に返って、もう一度深呼吸して気持ちをリセットする。

 

「……もしかして、きつかったですか? 世の中にはどうしても生き物を殺すことに嫌悪感を感じる人もいます。

 その、大丈夫でしたか?」

「それは全然大丈夫だよ。

 むしろ……」

「むしろ?」

 

 私はもう一度手の平を見て、そしてロキシーを見返した。

 

「私、こういうの結構得意かも」

 

---

 

 その後も私は定期的に襲いかかってくる魔物たちをバッタバッタと射撃の的にしつつ旅を楽しんだ。

 現在は暗くなってきたので進むのはもうやめて、ギースがせっせとご飯を作るのを待ちながら談笑している。

 

「それにしても意外でした。

 ノアは確かにアグレッシブが極まっていますが、あまりこういうことが好きだとは聞いてませんでしたので」

「私も今日初めて知ったよ。

 冒険って楽しいんだね!」

 

 端的に言えば、私は今日一日を通して魔物狩りという行為にハマっていた。

 新しい趣味と言ってもいいかもしれない。

 多分だけど、これまでずっとルディ相手に全戦全敗だったから、呪いとかの気兼ね無しに気持ちよく勝てる相手である魔物討伐に、強く自尊心を満たされたからだと思う。

 ちょっと物騒な嗜好かもしれないけど、まぁ竦んで動けなくなるよりは断然マシだと思っておこう。

 

「それよりさ、皆んなは迷宮とか潜ったことあるんでしょ? どんな感じだったの?」

「あら、迷宮に興味がおありですの?」

「うん!」

「母親としてはあまり物騒なものに興味は持ってほしくないんだけどね……」

「まぁまぁ、話すだけならいいじゃねぇの。

 この年じゃあ色んなことに興味を持つってのは大事なことだぜ?」

「それはそうだけど、親としてはやっぱり心配なのよ」

 

 まぁ私も将来は冒険者っていうのも悪くないかなって思っただけで、別にそうと決まったわけじゃない。

 当面の目標は打倒ルディだし、自分から旅に出たり迷宮攻略に挑戦するとかは、よっぽどのことがない限りそれが終わった後だろう。

 

「迷宮はいいですよ。

 確かに油断しているとすぐに命が失われる危険極まりない場所ですが、攻略の見返りは大きいです。

 ロマンというものがあって、高ランクの冒険者を志すのなら避けては通れないものですしね。

 それに出会いもありますし」

「出会い?」

「そうです。

 迷宮に潜れば、きっと男らしくて、キリッとしていて、背がスラッと高くて、でもまだ子供っぽい表情をする人族の青年に迷宮の奥底で助けられるんです。そのまま力を合わせて脱出していくうちに互いに恋が芽生えて、迷宮を脱出したところで仲間の死を知った青年をわたしが慰めて——」

「あはは! いくらなんでもそんなことあるわけないじゃん! アスラ王国が一瞬で丸ごと吹っ飛ぶくらいありえないって!」

「おいお嬢、お嬢、それぐらいにしてやってくれ」

 

 ギースの言葉に従い、早口で妄想を語っていたロキシーに目を向けると、何やら遠い目をしていた。

 まさか本気だったんだろうか……いや、でもロキシーだしなぁ……。

 ちょっと申し訳ないことをしたかもしれない。

 謝っておこう。

 

「ごめんなさい」

「いえ……いいんですよ……ハハハ……」

 

 いかん、真っ白に燃え尽きている。

 そんなに効いちゃったのかしら。

 焦る私と、虚空を見つめるロキシー、そして生暖かい目でそれを見る元黒狼の牙メンバー。

 和やかな談笑の場が一気に変な空気になってしまった。

 

「ま、まぁなんだ! 夢は誰でも持っていいもんだ!

 それより、メシができたぞ! ほら、お嬢、ロキシー! あったかいスープだぜ! とりあえずこれ飲んで元気出せよ!」

「ありがとうございます……あったかいですね……」

「ありがと、ギース」

 

 ここでギースのナイスフォロー炸裂。

 木で作った椀の中にはあったかそうな良い匂いのするスープが並々と注がれていた。

 うん、やっぱり美味いご飯は空気も良くするのだ。

 ありがたく頂戴しよう、というより便乗しよう。

 そう思ってお椀を受け取ろうとした時だった。

 

「わっ!」

「おおっと!?」

 

 空から急にコウモリがスープに向かって一直線にダイナミックエントリーぶちかましてきた。

 その衝撃でスープは溢れ、お椀は地面に落ちてしまった。

 なんだってんだい、さっきから。

 

「はぁ〜あ。

 なんか今日ついてないかもね」

「…………」

「ギース?」

「……いや、お嬢はやっぱりツイてるぜ」

「はい?」

「こっちの話だ、あんま気にすんな」

 

 なんだかギースの様子が変だった。

 さっきまでは普通だったのに、今はなんとなく違和感というか、変な感じがする。

 とりあえず、地面に落ちたものは洗わなければと、水魔術でじょぼぼーと椀を洗っていると、ギースからまた変な目で見られた。

 

 ……うーん、これはもしかするとアレがまた何かやったのかもしれないね。

 ただの勘だけど、これは当たっているだろうという妙な確証があった。

 

---

 

「……君さぁ、マジでどうやったら死ぬの?」

 

 いつものごとく白い空間、何もない無の世界にて。

 ヒトガミもまた、いつもと同じようにイライラとした様子を隠すそぶりもなくそう言った。

 

「相変わらず減らず口しか叩けないんだね」

「どうでもいいんだよ、そんなことは。

 今の僕は過去5番目ぐらいに気が立ってるんだ。

 特に今日! 君には! 絶対に、顔を合わせたくはなかったね!」

「過去5番目って微妙な数字だね」

「うるさい黙れよ!」

 

 盛大なため息をついてヒトガミは座りこむ。

 このモザイクくんとも長い付き合いだ。

 仕草や雰囲気で大体の心情の察しはつく。

 この体勢は、自分の立てた計画が予期せぬイレギュラーで狂った時に不貞腐れる時のものだ。

 私はヒトガミソムリエを名乗れるかもしれないなぁ。

 

「……その何でもお見通しです、みたいな目を今すぐやめろ」

「ねぇ、あのスープに毒入ってたでしょ」

「……さてね」

「あと、ギースってあなたの友達なの?」

「知らないよ、そんな奴は」

 

 なるほど、ヒトガミにとっては単なる知り合いか、あるいは駒ぐらいにしか思ってないということだろうか。

 それは何というか、ギースがかわいそうになってくるなぁ。

 

「ちゃんとギースを労ってあげなよ、じゃないと愛想尽かされちゃうよ」

「余計なお世話だ」

「あっ、やっぱりギースのこと知ってるんだ」

「あァッ! クソが! お前本当に早く死ねよ!」

 

 言質取ってやったぜ。

 うん、これでなんかスッキリした。

 そろそろ帰るかな。

 

「じゃ、また近いうちに来るよ」

「ふざけんな」

「じゃあねー」

「頼むから死んでくれ」

 

 そんなこんなで中々濃密だった約一年に及ぶ旅は終わり、季節は春。

 私たちは青空の下、水の都にして世界で2番目に大きな都市。

 ミリシオンへと辿り着いた。



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第十四話 「ラトレイア家」

皆さま沢山の感想・評価誠にありがとうございます!
今回は結構苦戦していたんですが、皆さんの応援あってこそ、原作と執筆フォームの反復横跳びを乗り切ることができました。
やっぱり、こうやって書いてると原作をより深く理解できたような気がしていいですね。錯覚かもしれないですけど。
それでは、今回もよろしくお願い致します!


 ミリス神聖国。

 その首都ミリシオン。

 

 青く澄んだ河と湖、緑豊かな草原地帯に囲まれたそこは、「尊厳と調和」その2つをあわせ持つ世界で最も美しい都市。

 遠目からでも見える白亜の宮殿、黄金の大聖堂、銀に輝く冒険者ギルド本部。

 私はその人間が作り出した絶景に目を奪われた。

 これほど大きく煌びやかな建物は産まれて初めてだったのだ。

 帰ってからルディに自慢してあげよう。

 

 ロキシーたちとは冒険者区の出口あたりで別れた。

 なんでも、ミリス神聖国で信仰されているというミリス教は他種族……特に魔族に対する当たりが強いことで有名らしい。

 特にお母さんの実家のラトレイア家という所は魔族嫌いの筆頭だそうで、余計なトラブルを避けるためにも一旦解散となった。

 元々ここまで送ってもらうのが護衛の仕事だったしね。

 彼らもしばらくはこっちにいるらしいから、また会うこともあるだろう。

 私たちは笑顔で手を振ってお別れをした。

 

 そして私たちはそのまま馬車に乗って、居住区の貴族街に向かう。

 冒険者区は雑多な感じもあったが、ここまで来ると清廉という文字がぴったり合うようになってきた。

 単純に言うと、豪邸ばっかりなのだ。

 ブエナ村とは全くの別世界に来たような光景に圧倒されてしまう。

 

「……懐かしいわね、全然変わっていないわ」

 

 お母さんは懐かしむように目を細めてそう言った。

 冒険者になって飛び出してから一度も帰ったことがない故郷。

 感慨深いものがあるのだろう。

 

「そろそろ着くわ……あぁ、ここよ」

「うわぁ、でっか……」

 

 大きく聳え立つ門、その両脇に佇む獅子の像、門から入り口へと整然と続く石畳の道、豪奢な噴水。

 そして奥に鎮座する白く綺麗な貴族のお屋敷。

 これがラトレイア家。

 お母さんの実家なんだ。

 

「さ、行きましょうノア。

 一応手紙を送って帰る旨は知らせてあるわ。

 お行儀良くしてるのよ、あなたのお婆ちゃんはそういうことにうるさいから」

「うん、わかった!」

 

 お母さんは私の返事を聞いて微笑みながら、私の頭に手を置いて優しく撫でてくれた。

 出会う人のほとんどに図太いと言われる私でも、さすがにこんなお城みたいな豪邸にお邪魔するとなると緊張する。

 お母さんはそれを感じ取ったのかもしれない。

 

 お母さんは勝手知ったると言わんばかりにずんずんと進んでいき、門番をしている衛兵さんに取り次ぎを依頼した。

 すると慌てたように彼らは屋敷の内に入っていった。

 こうして堂々としたお母さんの姿を見ると、まるで別人かのように頼もしく感じる。

 もちろん、普段から頼りになるお母さんだけどね。

 なんというか、いつもは着ないような貴族っぽい服を着ているのも相まって、今はすごくロイヤルな雰囲気が出ていた。

 

 ちなみに私も今日はおしゃれをしている。

 ドレスとまではいかないが、赤紫を基調とした見るからにお高いフリフリのお洋服だ。

 あまりこういう服は着慣れていないから、どちらかと言うと着られていると言った方がいいのかもしれないが。

 まぁ、結局日光に当たらないようにローブで全身を隠しているので傍目からはただの白いモコモコなんだけど。

 

 でも服を選ぶのは楽しかったな。

 ああでもないこうでもないとお母さんたちと和気藹々と話し合うのは私にとって実に新鮮な経験だった。

 お貴族様が毎日おしゃれをしたくなる気持ちもわかろうというものだ。

 

 そうこうしているうちに、屋敷の方から急ぎ足で使用人のような格好をした人たちが出てきて、道の端に2列に並んだ。

 そして仰々しく門が開くと、その人たちが一斉に頭を下げ執事さんと思わしき人が(うやうや)しく礼をする。

 

「ゼニス様、ようこそお帰りくださいました。

 我ら一同、心よりお待ち申し上げておりました」

「ありがとう。

 それと突然の連絡にも対応していただいたこと、感謝します」

 

 お母さんは泰然としていたが、私はその異様すぎる光景に内心ビビっており、一瞬カチンコチンの無表情になった。

 

「大旦那様は現在遠征中であり、留守にしております。

 代わりに大奥様がお待ちです。こちらへどうぞ」

「重ね重ねありがとう。では、お言葉に甘えさせていただきます。

 さ、ノアもついてきて」

「は、はいっ!」

 

 私はきょろきょろと辺りを見回しながらお母さんの背についていった。

 フカフカのカーペット、綺麗な木目の扉、大理石の壁、そしてそこかしこに飾られている絵や壺などの調度品。

 屋敷の中は外観以上に、私にとっては異世界だった。

 

「それでは、こちらでお待ちください」

「ええ。ノアも座って」

 

 言われた通りに応接室らしき部屋のソファにぽすんと座る。

 果たしてどんな人が来るのか。

 お婆ちゃんのことは厳しい人ってことぐらいしかあんまり聞いてないから、いまいち想像しづらい。

 やっぱりお母さんに似ているんだろうか。

 お母さんは厳しいって印象ないからそれだと尚更イメージしにくいなぁ。

 

「大奥様、こちらでございます」

 

 などと益体(やくたい)もなく考えていると、スッとドアが開き、そこから先ほどの執事さんと、少し白髪が混じった金髪の女性が姿を現した。

 なるほど、この人が私のお婆ちゃんか。

 目尻も眉もキリッと吊り上がっており、これは確かに一目見ただけで厳しそうだという感想が浮かぶほど。

 

「お久しぶりです、お母様」

「……」

 

 お母さんが立ち上がって挨拶をした。

 私なんかとは比べ物にならないくらい流麗な礼だ。

 けれど、お婆ちゃんはじっと見つめるだけで何も言わなかった。

 見る人が見れば、それは数年ぶりの親子の再会としては実に冷ややかなものに映っただろう。

 でも、私にはそれが久しぶりに会う娘に何と言ったらいいのかを逡巡しているように見えた。

 

「そこのあなたは?」

「あっ、はい! ノア・グレイラットです!

 パウロ・グレイラットとゼニス・グレイラットの娘です!

 本日からこのお屋敷にお邪魔させて——」

「……声が大きく、はしたない。

 淑女であるならば、より貞淑になさい。

 どこの田舎娘ですか」

 

 うわぁお。

 いきなりの罵倒に面食らってしまった。

 いや、私に対する罵倒っていうより、つい口から出た……みたいな?

 こんな悪し様に言われたことは初めての経験だが、不思議とムカムカはしなかった。

 田舎娘は否定できないからなぁ。

 

「貴族令嬢としての自覚が薄いようですね、全く……。

 それよりもゼニス、あなたのことです」

「はい、お母様」

「……今更のこのこと現れて、何をしにいらしたのかしら?」

「それは、手紙に書いた通りのことです」

「このラトレイアという家の責任と期待を全て投げ捨てて出奔したあなたはもう、この家の住人ではありません。

 そのような者が、こちらの返事も待たずに図々しくも押しかけるとは、ずいぶんと偉くなったものですね」

「……」

 

 お母さんの顔が曇る。

 言い返そうとして、しかしチラリと私の方を一瞬見て、再度お婆ちゃんに向き直る。

 

「差し出がましいのは重々承知しています。

 ですが、今回は娘たっての願いです。

 親として、子の行く末を考えればこそ、今一度この家に戻って頭を下げに参りました。

 ——どうかお願いします、この子を、ノアをラトレイア家で一時預かっていただけませんか」

「わ、私からも、どうかお願いします!」

「……」

 

 お母さんが頭を直角まで深く下げると同時に、私も同じように頭を下げてお願いする。

 おかげでお婆ちゃんの顔は見えないから、何を考えているかはわからない。

 沈黙が数秒続き、そしてお婆ちゃんがようやく口を開く。

 

「……良いでしょう。

 その申し出を受け入れます」

「! 本当ですか!? ありが——」

「ただし、条件が一つ」

 

 私たちの声を遮るように凛とした声が響く。

 有無を言わさぬ厳しさを孕んだその言葉に緊張が走る。

 

「あなた達2人、共にグレイラットの姓を捨て、ラトレイアの姓を名乗りなさい。

 そうすればこの家に逗留することを認めます」

「なっ!?」

 

 お婆ちゃんが出したその条件に、お母さんが絶句する。

 グレイラット姓を捨てる。

 それは要するに離婚すれば私を家に泊めてやる、ということだ。

 それはあまりにも吊り合っているとは思えない条件である。

 特に私にとっては大問題だ。

 私はルディのお姉ちゃんとして成長するためにここに来たというのに、ルディと形式上でも家族でなくなってしまうということなのだから。

 

「それは、いくらなんでもおかしいわ!」

「何がおかしいというのですか。

 この家の敷居を跨ぐというのなら、それはラトレイア家の一員という証。

 ならば、貴族の淑女として家の名前を背負うのは当然のことです」

「私たちはもうグレイラットの家の者よ!

 軽々しくそんなことができるわけないじゃない!」

「ならばこの家の敷居を跨ぐことは許しません。

 大体烏滸がましいのですよ、勝手に屋敷を飛び出した挙げ句、今度は家に戻ってきたと思えば身勝手な要求ばかり……はぁ、あなたを産んだことが私の人生最大の汚点でしょうね」

「ッ!! ……わかったわ、お母様。

 そこまで言うのなら、お望み通り出ていかせてもらいます。

 少しでも期待した私が馬鹿だった!」

「ええ、そう。あなたは大馬鹿者です。

 二度と顔を見せることのないように、すぐに出ていきなさい!」

 

 お母さんとお婆ちゃんの口論は次第にヒートアップしていく。

 さながら極限まで熱したトウモロコシみたいにどんどんと弾けていき、ついにはお互いが睨み、怒鳴り合い、当初の予定などまるでどっかに飛んでいってしまったかのように取り返しのつかないところまで行ってしまう。

 

「何をしているのです、さっさと出ていきなさい!」

「言われなくとも、そうさせていただきます! さぁ、行くわよノア!」

 

 そして最後にはお互い立ち上がって罵り合い、耐えかねたお母さんは私の手をぐい、と引っ張って応接室を出て行こうとする。

 

 私は、非力ながら踏ん張って、ソファに座ったまま動かなかった。

 

「ノア……?」

「お母さん、大丈夫だよ。落ち着いて」

 

 お母さんはそんな私に毒気が抜かれたようで、少し深呼吸をしてから、改めて座り直した。

 それから、私はお婆ちゃんの方を真っ直ぐと見据える。

 お婆ちゃんは相変わらずの仏頂面だ。

 しかし私には、それがちょっとした困惑を表しているのだと、なんとなくわかった気がした。

 

「お婆ちゃ……お婆さま! まずは名前を教えてくれませんか?

 私、お婆さまのことは何度かお母さんから聞いているけれど、お名前はまだ聞いていないの」

「……ラトレイア家の者でない人間に、おいそれと名乗る名はありません」

「そんなこと言わずに! ね、どんな名前なの?」

「……クレアです。クレア・ラトレイア」

「良いお名前ね!」

 

 ふーっ、とわざとらしく溜め息を吐きつつ答えるお婆さま。

 うん、やっぱり思った通りだね。

 私、この人あんまり嫌いじゃない。

 嫌いになる要素しかないけど、嫌いになれない。

 

「私、お婆さまの考えてること、なんとなくわかるよ」

「……何を」

「お母さんと会えて、嬉しいんだよね!」

「そんなわけがありません。

 今のやりとりを見てどうしてそう判断する要素があるのです」

「勘かな!」

 

 そう、言うなれば直感。

 直感的に、この人と私は、どこか似ている所があると思ったのだ。

 さっきのお母さんとの喧嘩で、それが何となく理解できた。

 きっとこの人は、不器用な人なんだ。

 そしてその不器用さが、少し私と似ているんだと。

 

「なんというか、嬉しいけど、すごく怒ってる。

 だから、どういう顔すればいいかわからないんでしょ」

「……」

 

 図星っぽい。

 私はさらに言葉を続けた。

 

「お婆さま。

 私、グレイラットの家に産まれてとっても幸せなんだよ。

 お父さんもお母さんも、私をたくさん愛してくれてる。

 弟のルディもすごく可愛くて、強くて、カッコよくて、私の自慢なんだ。

 だからさ、なんていうか……あんまり心配しなくていいんだよ。

 私もお母さんも、ちゃんと幸せだからさ!」

 

 お婆さまは虚を突かれたように黙っている。

 彼女はきっと、意地っ張りでかつ見栄っ張りなのだ。

 自分の弱い所を見せたくない。

 自分のすごい所を見てほしい。

 それは、ルディに対する私のスタンスにとても近いものであるように感じた。

 もっとも、私はお婆さまほど不器用なつもりは……いや、私も家出未遂してたな。

 人のこと言えないやつだコレ。

 

 とにかく、お婆さまはお婆さまなりにお母さんのことを心配してたから、帰ってきてくれたのが嬉しい。

 それと同時に、それくらい気にかけるような娘が自分たちに何も言わずに出ていったことを、とてもとても怒っている。

 そして、今度こそ自分の手でちゃんと育てたいと思っている……んだと、私は感じた。

 だから私は言ったのだ。

 私たちは元気です、幸せです、って。

 ちゃんと自立して、家族を作ってる。

 それなら認めてくれるはずだって、そう思った。

 

 根拠とかそういうのは何もないけど、直感でわかった。

 彼女はお母さんが言ってた通り、見た目ほど悪い人じゃないんだって。

 なら、こうやってお互いにいがみあって、せっかくまた会えたのに喧嘩別れなんて、悲しいじゃないか。

 それに、お母さんとミリスの話をした時に、私はちゃんと聞いているのだ。

 

「お母さんは、お婆さまと仲直りしたいって言ってたし」

「ゼニスが……?」

「うん。

 お互い意固地になってたけど、いつか機会があったら、謝りたいって。ね! お母さん!」

「ええ、そうね……そんなことも話したわね」

 

 お母さんはそう言って、私の頭を撫でてくれた。

 いつも通りの優しい手つきで。

 

「お母様……ううん、お母さん。

 あの時は、勝手に出て行ってごめんなさい。

 どうしても、お母さんに決められたままの人生に不安があったの。

 このままじゃ、本当に私が求める幸せを手に入れることができなくなるんじゃないかって胸騒ぎがあったから、この屋敷を出て行った」

「……」

「今思えば、もっといいやり方はあったはずよね。

 もちろん冒険者になって、尾を引くことが一度もなかったわけじゃないわ。

 でも、後悔だけはしてない。

 だって……家族がいる今が、こんなに幸せなんだもの」

 

 お母さんはそうして、ふわりと花が開くように微笑んだ。

 お婆さまはそれを見て、眩しそうに目を細めてから、ふい、と目線を斜め下にそらした。

 一見、相手を軽んじるように見えるそれは、私たちの目にはしっとりと感慨に浸る様子に見えた。

 

「……はぁ、わかりました。

 そこまで言われたなら、私からはもう何も言うことはありません。

 あなた達の好きになさい」

「ってことは……」

「いちいち言わなければわかりませんか?

 ……このラトレイア家は、あなた達の逗留を認めると言っているのです」

 

 お婆ちゃんはこめかみを押さえながら、やや疲れたように、それでも尚、内心納得しているような深い溜め息と共にそう言った。

 交渉!成立だ!

 

「おおぉー! やったーーー! さっすがお婆さま、懐が深い!」

「ふふ、よかったわね、ノア!」

「ですがこの家に寝泊まりする以上、最低限の礼儀は身につけてもらいます。 

 真面目に取り組まないようでしたのなら、即刻叩き出しますのでそのおつもりで」

「わかったわ! じゃなくて、わかりました! お婆さま!」

「全く……」

 

 こうして私たちのラトレイア家訪問は、つつがなくとは決して言えないものの、なんとか収まるべき場所に収まったのであった。



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第一五話 「聖国貴族学院」

沢山の感想・評価ありがとうございます!
モチベーションがガンガン上がりますねぇ!
今回からオリジナル色強すぎてちょっと戦々恐々としてますが、頑張りたいと思います!
これからも感想・評価等で応援してくれるとありがたいです!
それでは、今回もよろしくお願い致します!


 ラトレイア家に居候することが決まった私たち。

 一時はどうなるかと思ったが、なんとかなって何よりだ。

 あの後、私たちはグレイラット家での日常生活がどんなものかということを中心にお婆さまと談笑した。

 お婆さまは相変わらず無愛想な顔をしていたが、それでも真剣に話を聞いてくれているのはわかった。

 

 日が暮れ始めるまでお話しをした私たちは、食堂に移動してご飯を食べた。

 それがとてつもない美味しさで、ほっぺたが落ちそうなほどだった。

 もちろんお母さんの料理が私の舌には一番合うのだが、これはまた違う魅力があったのだ。

 まず見た目からして違う。

 豪勢であり、なおかつ美術品のように技巧を凝らした美しさは、料理の期待値を一層引き立てる。

 使っている食材もアスラでは滅多に手に入らず、またミリスにおいても高級なものらしく、料理人さんの腕も相まって正に桁違いの美味であった。

 私は今日をもって「美食」という概念を知ったのだ。

 

 その後は長旅の疲れを癒すように、ということで寝室に赴いたのだが、これまた庶民の私には常識の外にあるものであった。

 めちゃくちゃ広い。

 1人部屋でありながら、うちのダイニングぐらいの広さはある。

 そして中央に鎮座するのは天蓋付きのベッドだ。

 ぽすぽすと恐る恐る布地の部分を触ってみたのだが、心地のいい手触りと柔らかく、されど確かな反発があった。

 いざ寝ついてみようと横になれば、あまりの心地よさに数秒で眠りについてしまった。

 一晩寝てみた結果、やはりなぜ天蓋が付いているのかだけはわからなかった。

 

 なんにせよ、一日屋敷を堪能したことでわかったのは、ここがやっぱり私にとって異世界のようなものだってことだ。

 構成している何もかもが私の手なぞ一生届かないレベルの高級品。

 それらに囲まれていると自分の場違い感のようなものが感じられて、興奮とともに落ち着かない心持ちでもあった。

 

 そして翌日、私は大事な話があるからということで、現在応接室のソファにちょこんと座っている。

 対面に掛けているのはお母さんとお婆さまだ。

 この2人も昨日と比べればだいぶ距離が近くなったと思う。

 私が眠った後、2人きりでお話ししたりとかしたんだろうか。

 うんうん、仲良きことは良きことだよね。

 

「ノアさん。まずは改めて、あなたに礼を。

 あなたの言葉があればこそ、我々の仲はそれほど拗れはしなかった。

 もっとも、全てを清算しきれたとは到底言えませんが……。

 それでも、貴族としてあなたに感謝を伝えておきます」

「え〜、そんなのいいよ、お婆さま! 私が言いたいこと言って、やりたいことやっただけだから!」

「……そうですか。

 あなたがそう言うのなら、私もとやかくは言いません」

 

 お婆さまはそう言って、ほんの小さく会釈をした。

 このプライドの塊みたいな人がそこまでしてくれるのだ。

 私も彼女に認められたということなんだろう。

 

「さて、前置きはこのぐらいにして、本題といきましょう。

 ノアさん、あなたにはこれからミリス神聖国立貴族学院に通っていただくこととなります」

「ミリ……きぞ……なんて?」

「ミリス神聖国立貴族学院です。

 まぁ、おおよそは略して聖国貴族学院と呼ばれておりますが」

「貴族学院!」

 

 つまり学校!

 学校というものは酔っ払ったお父さんから聞いたことがある。

 剣術、魔術、語学、算学、礼儀作法、乗馬などの様々な分野の学問を子どもたちに学ばせる場所。

 ミリスの学校では治癒や解毒がほぼ必修となっており、私もそのようなミリス神聖国が独占しているという魔術体系を学びに来た。

 ようやく、私にとっての本番が始まるというわけだ。

 ワクワクしてきた!

 

「あなたにはノア・グレイラットとして学院に入学してもらいます。

 先日、あなた方は自分達はグレイラット家であると主張したのです。

 ならば、家名には誇りを持ちなさい。

 決してラトレイアの家の名を使うことのないように」

「はい、わかりました!」

「……まぁ、楽観はしないようにとだけは言っておきます。

 なにせ貴族達の子息令嬢が集まる舞台。

 生半可な覚悟と能力では、早々に潰されることでしょう」

「大丈夫だよ! 何があっても折れないって約束したから!」

 

 お婆さまは私の返事を聞いて、隠すこともなく溜め息を吐く。

 あらまぁ、私ったら信用がないね!

 そして入れ替わるように、今度はお母さんが私に顔を向ける。

 

「ノア。

 私はやることをやったら帰るつもりだけど、その時にあなたがどうしてもダメそうだったら連れ帰る、と言ったわね」

「うん」

「だから今、その条件を伝えておくわ。

 いい? 貴族学院で、何らかの()()を残しなさい。

 そうすれば、ノアがもう一人前の人間としてやっていけると判断するから、自分の好きなようにするといいわ」

「成果……って、どんな?」

 

 首を傾げてお母さんに問いかける。

 成果とは何か。

 魔術のことだろうか。

 私のここでの目標は結界魔術や魔法陣のノウハウを極めることだけど、でもお母さんが言いたいことは、それではないように感じた。

 わからないことは聞けばいい。

 お母さんは私が問い掛ければなんだって答えてくれる。

 

「それは自分で考えるのよ」

「えっ?」

 

 だが、今回はそれとは違った。

 お母さんは真剣にこっちを見つめるだけだ。

 

「いつまでも誰かに聞けば答えてくれるものではないわ。

 あなたは大人になるんだから、自分で考えて、自分で判断して、自分で結果を残しなさい。

 私はそれを見て、あなたはその結果で私を満足させて頂戴。

 それが合格の条件よ」

「……」

 

 知らず、唾を飲み込む。

 今のお母さんは、お婆さまそっくりに厳しかった。

 自分だけの力で全てのことを行い、結果を出す。

 思えば、私は今まで散々周りの大人たちに頼って、甘えてここまで来た。

 それは子どものやる事、子どものやり方だ。

 大人になって、カッコいいお姉ちゃんとしてルディに誇れる自分になるには、そのままではダメなのだ。

 

 大人にならなくちゃいけないんだ。

 

「わかりました! 必ず結果を出して、お母さんを満足させます!

 だから期待して待っててね、お母さん!」

「ええ。期待して待ってるわ、ノア。

 大丈夫、あなたならきっとできるわ。

 だって、私とあの人の自慢の娘なんだから」

「うん!」

 

 そしてそれから2日が経ち、諸々の手続きを済ませた後、私はお貴族らしい格好をして、ミリス神聖国立貴族学院——通称、聖国貴族学院に通うこととなった。

 

---

 

「うわぁー……ここもでっか……」

 

 貴族学院に到着した私は、ここに来てから何度目かという感嘆の声を上げた。

 荘厳と構える門と、その向こうに見える雪のように白いお城みたいな校舎。

 門をくぐり抜ければ、そこは青々とした芝生が広がっており、この敷地の豊かさを象徴している。

 私もせめて見窄(みすぼ)らしくならないようにとお婆さまに着付けてもらったのだが、日差しを遮るいつものフードローブのせいで白い毛玉のままであるため、どうにもソワソワして緊張してしまう。

 

「よし、行こう!」

 

 萎縮してばかりでは始まらないのだ。

 同年代の子たちが大勢いる場所に行く経験は今までになく、少し不安を感じてはいたが、自分で行きたいと言ったことだ。

 ウジウジしてはいられない。

 私は気合いを入れ直し、入学式の会場へと赴いた。

 

 入学式の会場は外の広場であった。

 色とりどりの花に囲まれたそこには今年この貴族学院に入学する貴族の子女たちがひしめいており、田舎者の私にとっては目がぐるぐると回るような落ち着かなさを感じさせる。

 

「諸君、入学おめでとう。

 我が伝統ある聖国貴族学院には——」

 

 キョロキョロと見回している間に、いつな間にか校長先生からの答辞が始まっていた。

 学院の歴史から、学院における心構え、何を学ぶか、将来何を目指すのか……。

 そう言ったことを訥々(とつとつ)と語っている。

 私はミリスにおける常識とか、文化とか、考え方に疎いからとても興味深い話だったけど、周りの人たちはあまり真剣ではなく、聞き流していた。

 この国で暮らしている以上、わざわざ聞く価値もないということなのだろう。

 こりゃあ早めに順応したほうがいいぞ、私!

 

「では、良き学校生活を送ってくれたまえ」

 

 校長先生のお話が終わって、拍手が広場に響き渡る。

 もっとも、全力で拍手していたのは私だけで、他の人ら全体的にまばらもまばらな拍手であったけれど。

 なんだこいつとかいう目で見られながら、私は晴れてこの学院の生徒となったのであった。

 

 そしてその後は教室に連れられて行った。

 そこもまた、たいそうお金がかかっていそうな部屋で、落ち着いた雰囲気がありながら高級さも感じるという、勉強にはうってつけな場所だった。

 

「おぉ〜! すごいなぁ……」

「おい、貴様。

 そこの白いやつだ、聞こえているか?」

「へっ? ああ、ごめん。何かな?」

「チッ……口の利き方がなっていないようだ。

 どこの田舎貴族だ、名を名乗れ」

 

 ひとしきり感嘆していると、後ろから声がかかった。

 振り向いてみると、そこには幾人もの取り巻きを侍らせたいかにも貴族然とした金髪の男子が、これまたいかにも不機嫌でございという態度を隠しもせずに私を見下ろしていた。

 

「えっと、ノアです。

 ノア・グレイラット」

「……聞かない名だ。よもや庶民ではあるまいな?」

「んー、多分庶民になるん……じゃないかな?

 ここにはお婆さまの伝手で入ったけど、うちはそんなに裕福とかじゃないし」

 

 いや、普通の村人の生活と比べるとうちの暮らしも結構贅沢じゃないか?

 確かお父さんは騎士らしいし、私たちの旅費も出してくれた。

 充分以上に恵まれていると言えるだろう。

 そう思ったのだが、目の前の男の子は私の言葉を聞いて露骨に嫌そうな顔をしてみせた。

 

「なんと……下級貴族ですらないとは!

 全く、この学院も落ちたものだ。

 こんな平民を迎え入れるとは、由緒ある名に傷がつく。

 貴様、二度と私の視界に入るなよ。このゴミめ」

 

 流れるような罵倒!

 そして取り巻きの皆さんは私を押し退け、話しかけてきたお坊ちゃんは悠々と教室に入っていった。

 うん、お婆さまの言っていたことがよくわかった。

 

「こいつは確かに、とんでもないなぁ……」

 

 先が思いやられるとは、正にこのことである。

 気疲れしそうなことこの上ない、と私は切実に思うのだった。

 

 そして当然ここは学校であるので、日にいくつかの授業を受けていくことになる。

 初手は礼儀作法だった。

 同級生たちは皆、洗練された流麗な礼を披露していたが、私のものは付け焼き刃だ。

 クスクスという失笑をいただいたが、まぁ仕方のないことだ。

 そもそも最初からできるのなら学ぶ必要なんてない。

 これから練習して、できるようになっていけばいい。

 試しに講師の先生にコツや、どれくらいで習熟できたかを尋ねてみたが、舌打ちをされて次の授業が忙しいと言われて袖にされてしまった。

 

 それからも色んな授業を受けた。

 茶会のマナー、ダンス、計算、読み書き。

 貴族マナー関連はボロクソだったが、その他は問題なかった。

 ロキシーの教えの賜物である。

 というか、こうなるならもっと礼儀作法をちゃんとマスターしてくるべきだっただろうか。

 さっきから視線が痛いのだけど。

 

 そうして本日最後の授業、待ちに待った魔術の講習が始まった。

 初回の授業は治癒魔術。

 初級のヒーリングだ。

 内容は枝の折れた小さな木を治すこと。

 私は中級まで使えるので問題はないが、復習にもなる。

 真面目にやろう。

 

「ほいっ」

「なっ!?」

 

 パァッと緑の輝きが瞬き、小枝の切断面がくっついていく。

 ロキシーもぽっきりと真ん中からへし折れた家の庭木を初級で治していたし、これくらい朝飯前と言ったところだ。

 しかし、一瞬で終わっちゃったな。

 まだ時間はあるし、先生に上級の治癒でも教えてもらおうか。

 

 と、思っていた時だ。

 私が無詠唱で治癒魔術を使ったことに驚きの声を上げた、先程嫌味をぶつけてきた金髪の男子生徒が声を荒げて詰め寄ってきた。

 

「貴様……薄汚い庶民の分際で、この中級貴族である私を愚弄する気かッ!」

「えっ? いや、私は普通に真面目にやっただけなんだけど……」

「フン、これだから道理を知らぬ田舎者は。

 この場でもっとも地位が高い私に先んじるなど、無礼にも程がある!

 貴様の家には相応の報いを与えてやる!」

「えぇ……」

 

 そんなことあるー?

 別にどっちが先とか関係ないじゃない。

 初級程度いつ習得したとしても大したことではないだろうに。

 私だってその程度で、できない人を見下すようなことはしない。

 私自身が出来損ないだったからね。

 彼の悔しがる気持ちもわからんでもないのだ。

 ただ人間には向き不向き、得意不得意がある。

 私とルディみたいにさ。

 それに、彼には魔術以外にも色々やることがあるだろうし、それなら魔術がほどほどだったとしてもいいじゃないか。

 

 それだけの話である故に、彼の言いがかりは私にとって今日一で理解し難いことであった。

 わざわざこんな強引に詰め寄る必要性を感じなかったから。

 まぁ、ちょっと熱くなっただけだろう。

 よくあることだ。私にもそういう時は結構あるし。

 ここは彼の近しい人に落ち着くように宥めてもらおう。

 そう思って周りを見回した。

 

「……え?」

 

 そこには私を非難するような目だけがあった。

 生徒だけじゃない。

 魔術の先生さえもあからさまに、その目で私を糾弾していた。

 まるで、間違っているのは私だけであるかのように。

 

 その後のことはよく覚えていない。

 自分でもショックだったのだろう。

 魔術の腕は私の誇りでもあった。

 それを家柄だけを理由に否定し、非難されるのは納得できないものがあった。

 

「ただいま〜」

「あら。おかえりなさい、ノア。

 学校はどうだった?」

「うーんとね……」

 

 とぼとぼと帰宅し、ラトレイア邸の玄関をくぐり抜ければ、そこにはお母さんの姿があった。

 それにしても、学校か……。

 正直な感想でいいだろうか。

 

「思ってたのと違ったぁ!!」

「あらまぁ……でも、お母さんも気持ちわかるわ」

「なんだかな、面倒くさいね!」

「そうなのよ、あそこ窮屈でしょ?」

「うん、針の(むしろ)にいた気分!」

 

 目を合わせれば嫌味、合わせなくても嫌味。

 質問は聞いても無視され、皮肉か罵倒が投げつけられる。

 ぶっちゃけ気疲れがものすごい。

 ここにお母さんがいてくれて良かった。

 でなきゃ溜め込んだ鬱憤は全てヒトガミめがけてぶつけられることになっただろう。

 

「じゃあどうする? 諦める?」

「……」

 

 私は言葉に詰まった。

 今までこれほど過酷な環境に身を置いたことはなかった。

 まだここに来る道中の野営の方が遥かにマシである。

 だが、たった一日で諦められるものか。

 カッコいいお姉ちゃんになるために、これは越えなければならない試練なのだ。

 お母さんが言っていたのはこういうことだったのだろう。

 

「私、頑張るよ! 絶対私のことを認めさせるから!」

「……そう。頑張りなさい、ノア」

「うん!」

 

 自分に不利な環境でも、成果を残す。

 もしルディだったならできるはずだ。

 なら、私もやらなきゃ姉として不甲斐ない。

 まだ、どうすればいいかはわからないけれど、今はとにかく明日に備えてゆっくり休もう。

 考えるのはそれからでもいいはずだ。

 そうして、その日の晩は眠りについた。

 

---

 

 その後日のことだ。

 

「……何、これ」

 

 息巻いて学院に着いた私は目にすることになった。

 水浸しになった自分の席と、その上に無造作にばら撒かれている、昨日置いて帰った私の教科書。

 そして意地悪く嘲笑う生徒たちの声。

 そんなもの視界に入りませんよ、と言わんばかりの担任教師。

 

 俗に言う、「いじめ」というものが始まった。

 私はここで初めて、明確な人の邪悪に触れたのだった。



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第十六話 「未熟者」

皆さまいつも素敵な感想、及び評価ありがとうございます。
読んでいて楽しいですし、何よりやる気の源になります!
さて、今回の展開は正直悩みました。
賛否はあるかと思いますが、必要だと思って書きましたので、後悔はない!
忌憚なく感想、評価等をしていただけると作者としても嬉しいです。
そしてお気に入り登録の方もよろしければ是非!
それでは、今回もどうぞよろしくお願い致します!


 私は自分で言うのもなんだが、割と寛容な方だと思うのだ。

 私にも、ルディに勝てない日々が一切ストレスにならなかったと言えば嘘になる程度には、相手に嫉妬したり、不満に思ったり、叫び出したくなることはあるのだから。

 

 ロキシーやお父さん、お母さんたちは私のことも才能があると褒めてくれたし、贔屓目はあっただろうが、自分でも世間一般的には優秀な部類だろうとは薄々思っている。

 それはつまり、自分ほど上手く魔術が使えない人もいるということを、私なりに理解していたってことだ。

 だから、他の人が私にそのことで文句を言ったり、嫉妬したりしてきても、自分だってその気持ちはわかるのだから、相応に我慢しようと自戒をしていた。

 

 だがしかし。

 こりゃあ、あんまりなのではないだろうか。

 

 確かに私の配慮が足りなかった部分はあるだろうし、ここの文化をよく知らずに来た私が悪いのかもしれない。

 でも、私だってここに学びを得るためにきたのだ。

 だから自分なりに真面目に授業に取り組もうとした。

 

 それをなんだい!

 ちょーっと私が早めに魔術を成功させたくらいで、こんな陰湿な嫌がらせをしてくるなんて!

 私なんて同じことを学んでるルディに全戦全敗なんだぞ!

 勝率0%なんだぞぅ!

 他人の足を引っ張る元気があるくらいなら、その手間を魔術の練習にでも充てなさいよ!

 

 そう、私はこの仕打ちに対して、見事にあったまってしまった。

 繰り返すが、私は結構寛容だと思っている。

 しかし、それにも限度というものがあるのだ。

 ヒトガミとの初対面の時も、私は何にもしてないのにあーだこーだと罵られ、結果的に耐えきれなくなり罵り合いへと移行した。

 

 つまるところ、私もまだまだ子供であったということだ。

 ある程度までは許せるが、自分が悪いことをしたという自覚がないのであれば、普通にプッツンしてしまう幼稚さがあった。

 ルディであれば違っただろう。

 あのできた弟ならいくら自分が馬鹿にされようと、事を荒立たずに場を収めたはずだ。

 

 まぁ、なんというか。

 今回のこれはさすがに私のキャパシティをオーバーさせたわけで。

 一度目の嫌味やら無視はまだスルーできた。

 二度目の言いがかりも私の思慮が足りなかったと無理矢理に納得はできる。

 だが、三度目のこの嫌がらせはもう無理だ。

 だって三回目なんだから。

 堪忍袋の緒が切れるのも道理というもの。

 

 ……端的に言って、私はキレた。

 

「ねぇ、これあなたの仕業でしょ!」

「……相も変わらず口の利き方を知らんようだ。

 クク、それになんのことだ? 身に覚えのない言いがかりをつけるとは、これだから庶民は野蛮でかなわん」

「んんん!」

 

 あー、腹立つわ!

 言いがかりというのなら、最初にかましてきたのは一体どこのどいつだってんだい!

 

「あなたお父さんとお母さんに教えてもらわなかったの!?

 人の嫌がることはしちゃいけませんって!」

「……ほう、平民ごときがまだこの中級貴族である私に難癖をつけるか。

 見上げた土民根性だが、果たして自分の愚かさに気づいているのか?

 お前は身分差も考えず、貴族に喧嘩を売っているのだ」

「はぁ!? 先に仕掛けてきたのはそっちじゃん!

 今から謝れば許してあげるから、ちゃんと『ごめんなさい』ぐらい言ったらどうですかっ!!」

 

 男子の顔に青筋が浮かぶのが伺える。

 ちょっと言いすぎたかもしれないとは思ったが、その時は私としても引っ込みがつかなくなっていた。

 自分は悪くない、悪いのは先に攻撃してきた向こうの方であると、薄っぺらな意地に視野が狭くなっていたのだ。

 売り言葉に買い言葉。

 であれば次にくるのは自ずと理解できようというもの。

 

「吠えたな、平民風情がッ!

 そこまで文句を言いたいのなら、決闘でどちらが正しいのかを明確にしてやろうではないか!」

「そんなこと、やるまでもないでしょ!

 あなたが悪い! あなたが謝る! 私はそれを許す!

 それで万事解決よ!」

「ほう……どうやら口先だけだったようだな。

 フン、所詮は平民。一端に文句をつけるだけで、自らでは何をしようとすることもなく、日々をのうのうと生きる人畜であったか。

 親の顔が見てみたいものだ。さぞや愚かしい馬鹿面を晒しているだろうな!」

「なぁーんですってぇえ……!?」

 

 それはなんとも安い挑発であっただろう。

 だが、完全に頭に血が昇っていた私には冷静な判断ができなかった。

 その罵倒が私だけに向くのなら、まだ耐えられたかもしれない。

 しかし、何も悪くない私の自慢の家族さえも馬鹿にされるなら話は別だ。

 なんとしても目の前のいけ好かないやつに、目に物見せたくて仕方がなかった。

 少し考えれば、私にはそんなことできっこないってわかったのに。

 

「わかった! その決闘受けるから! 絶対私が勝つんだから!」

 

 相対する貴族のお坊ちゃんは、いっそうニタニタとした下衆な笑顔を深めていた。

 

---

 

 あれよあれよという間に決闘の準備は進み、私と主犯格と思わしき少年は校外の広場にて向かい合っていた。

 その私と彼を取り囲むように同級生たちが野次を飛ばしている。

 今日は忌々しくも晴天だ。

 いつもは晴れの方が好きだが、今日に限っては曇りとかの方が個人的に嬉しかったよ。

 

 さて、正直に言うと、私は早まった真似をしたことに今頃焦りが湧いてきていた。

 なんせ私はこういったことで勝った試しがない。

 そういう呪いだからだ。

 『人間には勝てない』というこの呪いは、おそらく今回も当然のように適用されるだろう。

 

 それに加え、私が正式な決闘のルールというものに疎かったのも災いした。

 なんでも、こういうものは剣によって決着をつけるというのだ。

 私は剣なんてこれまでの人生で一度も振ったことはなく、今もその慣れない重みに若干ふらついている。

 こんな様で勝つなんてお笑いもいいところである。

 だが、それでも切り抜ける術が残されていないわけではない。

 

「愚民よ。この決闘、()()()()()()()()()()()()()()だ」

「へぇ、そりゃよかったよ」

 

 これだ。

 この勝負条件に唯一の抜け道がある。

 それは、()()()()()()()()()()()ということ以外に明確なルールがないこと。

 つまり相手に剣を当てるまで何をしてもいいってことだ。

 例えば、魔術を使ったりとかね。

 

 作戦は一応立ててある。

 まず、魔術師は基本近づかれれば負けだ。

 この勝負でもそれは同じ。

 だから、近づかせない。

 『泥沼(マッドドロップ)』で足を止め、その間に『土枷(アースカフス)』と『土網(アースネット)』で拘束する。

 そしてその後は悠々と近づいて首筋に剣を突きつければゲームセットだ。

 

 この決闘は()()()()()()()()

 私は人には勝てないから、きっと目の前の男子に対して手に持つ木刀はどれだけ振るおうと空を切るだろう。

 

 なら、最初から当てる気ゼロでいればいい。

 作戦通りに事が進めば、剣を当てていないので私は勝てない。

 だが、周囲の人や当事者の少年はどう思うだろうか。

 手足と身動きを封じられ、剣を突きつけられたらどう思うか。

 実際には負けていなくとも、()()()とは感じるだろう。

 勝負を決さずにこの場を乗り切るなら、これ以外の手はないと私は思った。

 

 もちろん、これは希望的観測が大いに盛り込まれた作戦だ。

 もしかしたら普通にいつも通り負けるかもしれない。

 いや、むしろその可能性の方が遥かに高いだろう。

 じゃあ、負けたらどうなる?

 あんなことを平然とやれる人にこんな場で負けたら、今後どうなってしまうのか。

 緊張と恐怖で手に持つ木刀が湿り、取り落としそうになる。

 

 それでも、強気でいかないと。

 私はここに大人になりにきたんだ。

 目の前の障害だけに神経を注ぐ。

 怖気付いていられるものか——そう思った。

 

 そもそもこんなことになっていること自体、私の未熟であることは、その時はすっぽりと頭から抜けていた。

 

「初め!」

「ッ!」

「何ぃ!?」

 

 号令がかかった瞬間には、すでに私の魔術は発動していた。

 『泥沼』は少年の足を粘着質の泥で絡めとり、先手を取ろうとして踏み出した彼はバランスを崩して膝から地面に倒れ込む。

 

 私はそれを見て、歓喜した。

 外れなかったからだ。

 仮説は合っていた。

 もし間違っていたなら、作戦の起点となるこの魔術は外れていたはずだから。

 私はこれならいけると内心安堵を感じながら、腕と神経は冷静に次なる魔術『土枷』を発動しようとし——

 

「ぐっ!? ア゛ッつ!?」

 

 背中に、燃えるような熱を感じた。

 否。

 実際に、私の背中には火がついていた。

 

「ア、うあぁぁ!!」

 

 あまりに唐突な出来事で、一瞬でパニックに陥ってしまう。

 勝手に服が燃えるとか有り得ない。

 なんで。

 もしかして、周りの取り巻き達が火魔術を?

 熱い。

 早く消さないと。

 痛い。

 お父さんからもらったのに。

 大切にするって言ったのに。

 

「『水滝(ウォーターフォール)』ッ!!!」

 

 頭からバケツをひっくり返したような大量の水を被り、ローブに着火した炎を消し去る。

 特有の焦げ臭い匂いが、私の心臓を早鐘のように打った。

 落下した水の勢いでフードが外れ、陽光が肌をビリビリと刺激するが、そんなものは全くもって気にならなかった。

 慌ててローブを確認する。

 お父さんがくれたローブは丈夫なのか、多少焦げついてはいたが、修繕不可ってほどじゃない。

 よかった、約束を破らずに済んで……。

 

 安堵の溜め息が自然と漏れる。

 それは、決定的な隙だった。

 私が背後に気配を感じた時には、すでに頭を蹴り飛ばされていた。

 

「うぐぁっ!!」

「貴様、高貴なる私の膝に泥を付けるなど……もはや許してはおけん!

 その不遜な態度を叩き直してやろう!」

 

 地面に這いつくばる私に、瞳に怒りとそれ以上の嗜虐心を湛えた少年は足を振り下ろした。

 顔と、腹と、背中と、腕と、足を踏みつけにされる中、私は縮こまってそれに耐える。

 いつしかその暴力行為には、彼の取り巻き達も参加していた。

 

 この決闘は()()()()()()()()()()()()()()

 剣を当てるまでなら何をしてもルールに縛られないのは、別に私の専売特許ではないのだ。

 おそらく、彼らは私を挑発して決闘の舞台まで誘き寄せ、後ろから火魔術で攻撃して隙を作る。

 後は全員でリンチにするのだ。

 そういう計画だったのだ。

 

 私が即席で考えた策より、もっと時間をかけ、根回しをし、権力と人脈という武器をフル活用した。

 それは紛うことなく卑怯な所業だが、その卑怯さこそが彼らの強さだった。

 それに対して、私はなんだ?

 よく考えもせず、安易に挑発に乗って、相手の強さをみくびって、自分の強さに慢心して、挙げ句の果てにこのザマだ。

 今の私は見る耐えない未熟者で、大馬鹿者で、たいそう惨めなやつだった。

 

「ほう、平民にしては中々良いペンダントをしているな」

「! 触るなッ!」

「こんな土まみれの薄汚いものに触れるものか。

 だが、そうまで大切にしているのなら、踏みつけにしてやるのもやぶさかではない」

「あっ……!」

 

 お母さんから5歳の誕生日にもらったペンダント。

 それは何度も何度も踏みつけ、蹴られ、いとも容易く壊された。

 お父さんからもらったローブも焦げ付き、蹴られたせいであちこちがほつれ、土と泥で汚れていく。

 家族を悪し様に言われたことに怒ったのに、その家族からもらった大切な物は、私の短慮のせいで失われてしまった。

 

 いや、本当に私は家族のために怒ったのか?

 自分が罵られたことを、家族が罵られたことに転嫁して、鬱憤を晴らそうとしただけではないのか?

 そうだとしたら、愚か過ぎて笑えてくる。

 こんななりで、大人になるなど笑い話にも程があるというものだ。

 

 私はせめてこれ以上失わないために、ペンダントの残骸を手に収め、必死に蹴撃に耐え忍んだ。

 

 それからしばらく経ち、少年たちは嬲るのにも飽きたのか、はたまた授業の予鈴でも鳴ったのか、いつの間にか姿を消していた。

 ボロボロになり、大の字に寝そべって見上げた空は、決闘前はあんなに晴れ渡っていたにも関わらず、今はどんよりとした厚い雲に覆われている。

 

 今は授業に参加する気は起きなかった。

 ぼーっとしながらも、自然と治癒魔術で傷を癒やしていく。

 上の空のまま、私はあの時どうすべきだったのかを考えた。

 

 冷静になれば、答えは簡単に出てくるものだ。

 ただ下手に出ればよかっただけ。

 どんな嫌がらせを受けても、どんな悪口を言われても、じっと耐え、ヘラヘラ笑ってやり過ごせばよかったんだ。

 そうすれば彼らも自然と私のことを視界から外していただろうに。

 それが、大人の選択というものだったはずだろう。

 

 だが、同時にこうも思うのだ。

 私は本当に間違っていたのかと。

 何をされても言われても言い返さず、奴隷のように傅くことが正解だったのか?

 もしそうだとして、その後はどうなっただろうか。

 味を占めた彼らにいいように使われるだけの、それこそ奴隷のような私がいたんじゃないのか。

 

 ぐるぐると思考が回っては止まることを繰り返す。

 正解とは、果たして何だったのか。

 いや、そもそも正解なんて初めからなかったんだ。

 今までの子供らしい単純な世界には答えが明確にあって、正解と間違いがちゃんと用意されていた。

 でも、大人になればそれは違うんだろう。

 今みたいに、正解なんてない袋小路みたいな問題に何度もぶつかることになるんだ。

 

 そう思ったら、途端に怖くなった。

 私のような無能な未熟者が、そんな厳しい世界で生きていけるのか、不安が胸中を支配する。

 何かをしなきゃいけないのに、何かをするのが怖かった。

 そして、そうやって何も出来ずに泣きじゃくって、殻の内に引きこもってしまう自分を幻視して、惨めで情けなくて怖かった。

 

 そこまで考えて、使い果たした体力と気力に抗えず、私はそっと目を閉じた。

 

---

 

 ぱちりと、目を開けるとそこはいつもの真っ白空間だった。

 覚醒した私の前には、口に手を当てて笑いを堪えるヒトガミの姿があった。

 

「随分としけた面をしているじゃあないか」

「……やっほ、ヒトガミ」

「ククク、君のそんな顔を見るのは初めてだ。

 いやぁ、胸がすく思いとはこのことだねぇ!」

「あーあー、そうですかい……」

 

 私はヒラヒラと手を振って、不貞腐れたような態度をとる。

 それがふと、いつものヒトガミの仕草と同じだと気づき、顔を(しか)めた。

 なるほど、ヒトガミはいつもこんな気持ちだったわけだ。

 そりゃあ、暴言を吐き散らかすのも当然かもね。

 

「まー、ちょっとあっちで色々あってさー。

 自分の無力さ……みたいなのを痛感してるわけ」

「そうかいそうかい! そりゃよかった!

 君にはいつも煮え湯を飲まされてきたからねぇ。

 実に清々するってもん——」

「……ふぅ、悪かったよ。

 今まで失礼な態度とっててごめんね、ヒトガミ」

「……えっ、何? キモ……」

 

 ヒトガミはガチ困惑顔をしてそう言った。

 こいつ、下手に出れば調子乗りおってからに。

 

「まぁ、何かさ。

 久しぶりに、でっかい壁にぶち当たった気分でさ。

 きっと私はあの時選択を間違ったと思うんだけど、それでも本当にそれが間違いだったのか、どうにもわかんなくなっちゃってね。

 こういう時、どうしたらいいのかな」

「……ふぅーん。

 で、具体的に何があったわけ?」

「んー、話せばちょっと長くなるんだけど……」

 

 そして私は事の顛末をヒトガミに話した。

 ヒトガミは興味深そうに話を聞いており、私が話し終えるとニヤリと笑って語りかける。

 

「フフ、なるほどねぇ。

 いやぁ、ミリス貴族ってのは本当にロクな奴がいないもんだ。

 正に、人間のクズってやつだね」

「別にそこまでは言ってないけど」

「そうなのかい? 本当に?

 君はそんなことをされて、全く気にしていないのかい?

 君は一切、彼らに怒りを抱いていないのかな?」

「……そりゃ、当然怒ってはいるけどさ」

 

 ヒトガミは今まで私が見てきたのとは、全く違う雰囲気を放っていた。

 まるで迷える子羊を導く神さまのように、聞く人を優しく諭して落ち着かせるような声で会話を進めていく。

 私は、それがなんだか気持ち悪かった。

 

「だろう? それに考えてもみなよ。

 君は今日、彼らに負けたんだ。

 負けたら今後はどうなると思う? 自分より下だと知らしめた彼らは、一体どういう行動に出ると思うんだい?」

「……いいように扱き使ってくるだろうね」

「その通り。

 君はミリスに魔術の勉強をしにきたんだろう? そんな状態でまともな学習ができると思うかい?」

「……何が言いたいのさ、さっきから」

 

 ヒトガミはいっそうニヤけて笑う。

 その問いかけを待ってましたと言わんばかりだ。

 

「君に助言を与えよう」

「は? どうゆうこと?」

 

 ヒトガミは独壇場に立ったように、流暢に語り出した。

 

「僕はね。

 世界の全てと、そこに住む人間の未来を見ることができるのさ。

 その力を使って、君に彼らを倒す術を教えてあげよう」

「……よくわからないけど、あなた、私のことは見えないって前に言ってたよね?

 それでそんなことができるの?」

「もちろんさ!

 確かに僕は現実での君の姿も、君の未来も見ることができない。

 ただし、君以外は別さ。

 君に危害を加えた連中……彼らが破滅するような未来なら、はっきりくっきり見えるとも。

 君が頷いてくれるなら、僕は快くこの力を貸してあげよう。

 どうだい? 悪い話じゃないだろう?」

「……」

 

 確かにヒトガミの言う通り、このままでは彼らの奴隷コース一直線だろう。

 それでは、私の目的は達成できない。

 彼らは執念深いから、徹底的にやらないとダメなのも理解できる。

 今の状況を打開するのには、ヒトガミの助言に従うのが最も手っ取り早い近道なのだろう。

 私はそこまで考えて、ヒトガミに向き直った。

 

「いや、あなたの助言はいらないよ。

 私一人でやる」

「……僕のことが信用できない気持ちもわかるさ。

 だけどね、君一人で一体何ができるんだい?

 現に今、君は一人で立ち向かってボロ雑巾のようになっているじゃないか。

 大人しく僕の助言を受けるのが、賢い選択というものだよ」

「そんなの、一回負けたぐらいで何ってもんよ!

 私、ルディには余裕で100回は負けてるわ!

 なら、ルディの足下にも及ばないあいつらなんかに、いつまでも負けてばっかりじゃいられない!

 何度負けても最後に一回勝てれば、今はオールオッケーよ!」

 

 ヒトガミは苦虫を噛み潰したような顔をする。

 いつもの見慣れた光景に、私も調子を取り戻す。

 

「だいたいさ、私あいつらは心底憎たらしいけど、別に破滅してほしいとまでは思ってないよ。

 だって、もしそんなことを私がやってたら、気持ち悪いから!」

 

 いじめの主犯格の少年が、無様に地面に這いつくばるのを想像する。

 それは、確かに胸がすく思いがするだろう。

 でも、それで泣き叫ぶ彼のような人を見て、私は平気でいられるだろうか?

 もしそれで平気そうな顔をしている私を、私が見たらどう思うだろうか?

 きっと貴族の彼らと同じくらいの、侮蔑の視線を浴びせるだろう。

 

「私は、ミリスに魔術を習いにきたんじゃない。

 ルディに誇れる、立派なお姉ちゃんになりにきたの!

 だから、これは私の問題。

 私が自分でなんとかしなきゃならないの!

 あなたの力なんてお呼びじゃないわ!」

「チッ! あぁそうかい! せっかく親切にしてやったってのに、無碍にしやがって。

 どうなっても知らないよ? 今度は殴られるだけじゃ済まないかもしれない。

 君の家族に危害が及ぶかもしれないし、今よりもっと酷いことをされるだろうね?

 君は女で、彼らは男だ。

 ()()()()()()()もあるだろうからねぇ?」

「そういうやり方がどういうやり方かはわからないけど、覚悟はしてる! 今決めた!

 確かに、どう足掻いても失敗するしかないんじゃないかって壁にぶつかるのは、すごく怖いよ!

 だけどっ、でも! それで何にもできなくなっちゃうのは、もっと怖い!」

 

 ヒトガミもまた、いつも通りの横柄な態度に戻っていく。

 そうだ、こっちの方がヒトガミらしくて好感が持てる。

 彼の剥き出しの感情は、私にとって心地よかった。

 もし私が素直に助言に従っていたのなら、もう二度とこの彼の素の表情を見ることはできなかっただろう。

 

「だから、私は戦うわ!

 絶対もう、挫けたりなんかしないからっ!

 今度は勝つわよ、絶対にね!」

「フン、そうかい! じゃあさっさと行ってこいよ、ここから出て行け! 君の顔を見るだけで虫唾が走るんだよ!」

「うん! わかった! 行ってくる!」

 

 そうして、私は立ち上がって歩いて行こうとして、「そうだ、言ってなかった」と思い至り、再びヒトガミに向き直る。

 対するヒトガミはイライラとした表情を隠すことなく、腕を組んで威嚇していた。

 

「ありがとね、ヒトガミ。

 あなたのおかげで覚悟が決まったよ」

「……はぁ? 何を言うかと思えば、君は僕を煽っているのかい?」

「煽ってないよ。ちゃんと感謝の言葉を伝えたつもり」

「君は愚かな選択をした。

 わざわざ遠回りをして、そしてその回り道は必ず良い結果になるわけじゃない。

 未熟者で能無しの君に、僕の助言なしで一体何ができるって言うんだ。

 今からでも頷くと言うのなら構わない。

 チャンスは一回だけだ、どうする?」

「変わらないよ。

 あなたの助言は必要ない」

 

 ヒトガミは歯軋りをして私を睨む。

 自分の思い通りに事が進むと思ったら、急に横道に逸れていって計画が狂った……そう言わんばかりの苛立ちが感じられた。

 きっとヒトガミは、助言によって私に恩を売り、そうしていいように使う駒にしたかったのだろう。

 今まではその機会がなかったが、偶然絶好の機会が巡ってきた。

 これもまた直感でしかないけれど、そういうことだと思う。

 

「私はあなたの駒になることはないよ」

「そうかい。

 なら、君は僕の敵ってことで——」

「私は、あなたの友達でいたいから」

「……は?」

 

 そう、私に助言を与えようとするヒトガミは、私を見てはいなかった。

 いつもの憎まれ口は私を見て言っていたのに。

 それが、ただの都合のいい駒を見るような目になっていたのが、気に障った。

 

「あなたの助言を受ければ、私はきっと楽だったと思う。

 でも、そしたら今の関係は崩れてた。

 あなたが差し手で、私が駒であるだけの、乾いた関係になってた気がするの」

「僕にとってはそれが非常に好都合だ。

 君との時間は不快でしかない」

「うん。多分だけど、私はあなたにそう思っててほしいんだ。

 あなたの、その素の部分が、私は好きだから」

「……」

 

 ヒトガミは、それを聞いて呆然としていた。

 とんでもない馬鹿を見つめる瞳だった。

 

「ん! 言いたいことは言ったから、私は帰るよ!

 やらなきゃいけないことが山積みだもの!」

「……二度と来るな。顔も見たくない」

「嫌だ。また来るよ」

 

 私は踵を返して、歯噛みするヒトガミに手を振りながら無の世界を出て行く。

 あっちでやることは多いのだ。

 ここは心地が良いけれど、いつまでもいられるわけじゃない。

 

 今でも正解のない問題に直面するのは怖ろしい。

 けれど、きっと大人はみんなそうなのだ。

 正解がない問いかけに対して、自分なりに考えて、答えを見つけて、それで得た結果を受け入れなければいけない。

 それが、私がこの貴族学院で学ばなければならないこと。

 

 大人になるっていうことなのだ。



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第十七話 「己の価値」

皆さま沢山の感想・評価、そしてお気に入り登録したありがとうございます!
ちなみに今回はちょっと独自設定が入っている(今更)のであしからず!
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それでは、今回もどうぞよろしくお願い致します!


 ヒトガミと話した後、目を覚ました私はそのままラトレイア邸に帰宅した。

 目を覚ました時にはもう夕方で、授業もほぼ終わりかけだったからだ。

 

「ノア、どうしたの!? こんなに泥だらけになって……学校で何かあった!?」

「なんでもないよ。ちょっと喧嘩しただけ」

「いや、でも……」

 

 出迎えてくれたお母さんは、ぎょっとして何があったのかを聞いてきた。

 まぁ、「ちょっと」っていうのは無理があったかもしれない。

 なんせ傷は全部治したけれど、汚れた服はそのままだし、いつも首から下げていたロケットペンダントをつけていないのだ。

 私のことをよく見ていてくれているお母さんなら、何か相当なことがあったんだろうと考えるのは自然なことだろう。

 

「大丈夫だから! 明日もちゃんと学校に行くわ! やらなきゃいけないことがいっぱいあるもん!」

「そ、そう……でも、あまり無理はしちゃダメよ」

「わかってるって! 次はもっと上手くやるから!」

 

 お母さんはまだまだ心配そうにしていたが、一応納得して引き下がってくれた。

 私がいつも通りにしていたから、少しホッとしたのもあるだろう。

 お母さんは私がちゃんと一人でできなかったら連れ帰る、と言っていた。

 私はミリシオンに来てからまだ何もできていない。

 だから、ここでお母さんからバツをもらうわけにはいかないのだ。

 

 それからご飯を食べて英気を養い、尋常じゃない疲れを癒すためにぐっすりと眠った。

 明日からは忙しくなるし、ストレスも過去一番にかかるだろう。

 そのためにも、しっかりとした休息をとっておかなければ。

 

 翌日は使用人さん達と同じくらいの時間に起き、手早く支度を済ませて学校に赴いた。

 まだ薄暗く、ちょろっと朝日が出ているくらいの早朝に起きたのは、誰よりも早く学校に到着するためだ。

 遅い時間からじゃあ、絶対難癖つけて絡まれるのが目に見えている。

 そしたら私は動きづらくてかなわない。

 放課後という手もあるけど、貴族達は授業が終わった後も割とお茶会などで残って時間を潰すらしく、動きづらさは日中と変わらない。

 逆に公の場には遅れてくるのが貴族としてのステータスでもあるらしく、朝はギリギリまでやってこないはず。

 だからこそ、誰にも邪魔されることがないと思われる早朝にやれることは全部やっておくのだ。

 

 では、私にやれることとは何か。

 それを考える前に、私はまず達成するべき目標を決めておかなければならなかった。

 それは最終的に私はどうなりたいのか、ということ。

 それはもちろん、ここでしか学べない魔術を身につけることだ。

 

 しかし今のこの状況が続くようであるなら、それは難しいと言わざるを得ない。

 私は形はどうあれ決闘で負けたのだし、彼らに奴隷の如き扱いを受けるだろう。

 それじゃあ、おちおち勉強している暇もないし、お母さんから言われた「成果」も出すことはできない。

 

 故に、今の私に必要なものは()だ。

 それも魔術の技量や剣術の腕前などではなく、この「貴族学院」という特有の場で最も強い効力を持つ力。

 それすなわち、「権力」である。

 私にはそれが圧倒的に足りない……というか、元からそんなもの持ってない。

 その分野のヒエラルキーで言えば、私は正真正銘最下層の隅っこに追いやられている状態だ。

 

 私が決闘で負けたのも、そもそも決闘騒ぎまで発展したのも、私にそういった権力が足りなかったからだと思う。

 だから、この学院で生き抜くためには、彼らが手を出すことを躊躇うような権力を持たなければ話にならないわけだ。

 要するに、これから私がやらなきゃいけないことっていうのは、私自身の権力をつけるっていうことになる。

 

 それじゃあ、権力をつけるっていうのはどうすればいいのか。

 私が目をつけられているのは、中級貴族。

 つまり、少なくともその中級貴族以上の権力を手に入れなきゃいけない。

 彼が逆らえないような地位を持つ存在にならなきゃいけないってことだ。

 そして色々と考えた結果、私がそんな存在になるのは無理ってことに落ち着いた。

 彼らは親が貴族だから貴族なのであって、貴族という地位は子供が努力して得られるとかいう簡単なものではないからだ。

 第一、私も貴族になりたいなんて思わないし。

 

 その代わりに思いついたのが、彼らよりも権力が強い人に守ってもらうこと。

 要は、中級貴族の彼の後ろについていた取り巻き達のような存在になるってことだ。

 それはそれでなんだか癪に障るが、背に腹は変えられない。

 無論、私をイジメてきた奴じゃダメ。

 根本的な解決になってないし。

 

 だから、私が目をつけたのは先生だ。

 教師と生徒。

 この2つには師弟関係という超えられない圧倒的な権力差がある。

 私やルディがロキシーには頭が上がらないみたいにね。

 教師に鍵を刺されれば、彼らだって動きにくくなるに決まってる。

 まぁ、最大の問題はその教師にも私が邪険にされてるってことなんだけど。

 それでも、ただの貴族の生徒よりも、まだ味方に引き入れられる可能性は高いはずだ。

 その一縷の望みに賭けて、私は朝っぱらから職員室に向かって全力ダッシュしているわけである。

 

「——と、いうわけで! ぜひ、お力を貸してください! 彼らにそれとなく釘を刺すレベルでいいんです!

 私は、ここに精一杯学びに来たんです……どうか、協力してください!」

「……」

 

 職員室の扉をお淑やかにノックして入り、担任教員の下にツカツカと歩いて行き、ハキハキとした大声で頭を下げた。

 積極的に無視をしていたこの人に言ったところで望み薄かもしれないが、もしかしたらということも……。

 

「ダメだ」

「……何故ですか」

「そんなもの、単純だ。面倒事にいちいち構っている暇はこちらには無い。

 だいたい、身分差とは絶対なものなのだ。

 本来、平民たる貴様のような者がこの地に踏み入ることすら許されん。

 ラトレイア伯爵夫人のご好意によって君の在学が許可されていることが、いかに異例であるかをよく理解しろ」

「……」

 

 まぁ、案の定袖にされるよね。

 彼からしてみれば、わざわざ他家の諍いに首を突っ込んで、とばっちりを受けるなどまっぴらごめんだという思いなのだろう。

 それに、私だって特別扱いされていることぐらいわかっている。

 だから、一昨日(おととい)は何をされても耐えていたのだ。

 でも、それがいつまでも続き、私一人では改善の余地が見込めないなら話は別だ。

 なんとしてでも頷いてもらわなければならない。

 

「なら、私の価値を証明して見せます!」

「価値だと? ハッ、笑わせるな。

 ラトレイア夫人からは貴様のことは平民として扱って構わないと伝えられている。

 貴様の出自についての情報も提示された……。

 確かにラトレイアの血筋と、アスラ王国の貴族グレイラット家の血を継いでいるようだが、父母共に勘当されている。

 そんな貴様に、由緒あるミリス神聖国の中級貴族、その子息以上の価値があるとでも——」

「私は! 無詠唱で聖級の魔術が使えます!」

「……何だと?」

 

 話は終わりだ、とばかりに捲し立てて追い払おうとする担任教師の言葉を遮って、大声で宣言する。

 私だって、失態から学ぶ。

 ミリスに行きたいと駄々をこねた時、私は要求するばかりで、何も提示しようとしなかった。

 あの時は家族だから結果的に通じたが、今度の相手は赤の他人。

 こっちからも、相手に価値があると思わせなければ、交渉なんて夢のまた夢だって、あの一件で学んだのだ。

 

 だから、私は私が持つ最大の価値を提示する。

 それはもちろん、今までに磨き上げてきた魔術の腕だ。

 これはルディには及ばずとも、一角(ひとかど)のものだという自負はある。

 アピールができるチャンスは一回。

 ここぞとばかりに、全力で私自身の価値を説く!

 そうして認めさせるのだ。

 私のことを、この学院に置いておく価値のある人間なのだと!

 

「私は聖級までの水魔術、そしてその他基本3属性の魔術を上級まで、さらに中級までの治癒と解毒の魔術、その全てを無詠唱で扱えます!

 さらに、私自身が開発した新しい戦闘魔術の技法だってあります!

 私はこの学院に、ここでしか学び得ない魔術を学びに来ました!

 私の魔術はこの学院と、そしてミリスに大きく貢献できます!

 ただの中級貴族では決して成し得ない影響を、この神聖国に与えることができます!

 これでもまだ私には何の価値も無いと、そうおっしゃるおつもりですか!?」

 

 執務机にバン、と手を突きながら、脅すように身を乗り出して、今度は私の番だと言わんばかりの剣幕でそう捲し立てた。

 私の気迫と、その口から発される到底信じられない言葉の羅列に担任は困惑しながらも、平民如きが、という感情のこもった目つきで睨みつける。

 

「そんな戯言、到底信じられぬわ! 平民風情が愚弄するな!」

「信じられないとおっしゃるんでしたら、今すぐにでもそこの校庭で『豪雷積層雲(キュムロニンバス)』ぶちかましてやりますよ!」

「たわけが! 貴様如きに付き合っている時間などないわ!

 口先だけの薄汚い愚民めが、さっさとこの部屋から出て行くがいい!」

「いいえ、絶対に譲りません! 嫌でも認めてもらいます!

 私だって人生かかってるんですよ!

 我が師、水聖級魔術師()()()()()()()()()()()()()()()()()、渾身の水聖級魔術をご覧になるまで、私は梃子(テコ)でも動きませんからー!」

「このっ、愚民が……!」

 

 私の襟首を引っ掴んで強引に職員室から叩き出そうとする担任と、そうはいくまいとぎゃあすか暴れ回る私。

 互いに鍔迫り合いを続ける乱闘騒ぎに、何事かと教師陣達が集まってくる。

 

「落ち着きたまえ、君達。

 そう騒ぎ立てることでもないだろう」

 

 ええい、この際もうここでぶっ放すか——とそう思った時、今しがた外野からやってきた一人の教員らしき初老の男性がよく通る声で待ったを掛けた。

 乱痴気騒ぎに終止符を打つ鶴の一声に、たちまちその場は静まり返った。

 

「君、名前は?」

「……ノア・グレイラットです」

「そうか、良い名だな。

 服装を整えて外に出たまえ。

 この場に居る皆も同じくだ」

「なっ! 貴様、ランジード! 正気か、この者の好きにさせるなど!」

 

 私の襟首を掴んだままの担任が、ランジードというらしい教師に対して怒鳴りつける。

 ランジード先生の右目は眼帯で覆われていて見えなかったが、残る左目には極めて冷静な光を宿している。

 

「彼女の言うことが真実であるなら、一笑に付すことはできませんでしょう」

「冒険者上がりの、魔術しか取り柄のないお前が指図をするな!」

「貴方達が貴族であるなら、尚のこと彼女の言は無視すべきではありますまい。

 貴族とは国家を正しく運営し、更なる発展に努めるもの……国の益になることでしたら、無為にするのはそれこそ神聖国への、ひいては開祖ミリス様への裏切りだとは思いませんか」

「ッ! くそ……!」

 

 ランジード先生はかなりヒートアップしていた担任をいとも容易く論破し、冷静な口調であっという間に宥めすかしてしまった。

 鮮やかなその手腕は惚れ惚れする程のものである。

 彼の作った流れに、渋々といった様子で教師達が外に出て行く。

 

「さあ、君も早く外に出なさい。

 君の言葉が正しいのかどうか……私も魔術に携わる人間の一人として、大いに興味があるのだよ」

「は、はい! あの、ありがとうございます!」

「……ふっ、気にすることはないさ」

 

 ランジード先生は、慌てて頭を下げる私をどこか懐かしむような、穏やかな目で見つめていた。

 

 

 職員室から外に出ると、すでに薄暮時は過ぎ去っており、空は澄み切った青空が広がっていた。

 

「うんうん、絶好の『豪雷積層雲(キュムロニンバス)』日和だね!」

 

 晴天が一息で豪雨となれば、デモンストレーションとしてこれ以上の好機はないだろう。

 辺りを見渡すと、ちらほらと登校してきた生徒達の姿も見受けられる。

 その中には、主犯の少年貴族も混じっていた。

 先生方の大集合に、何事かと野次馬根性を発揮した者達が広場にどんどんと集結していく。

 

 思えば、これほど大勢の前で聖級規模の大魔術を使った経験はない。

 そもそも『豪雨積層雲』自体、おいそれと使うものではないので、私自身の経験値も言うほど多いわけではなかった。

 集中する視線の痛さに、ゴクリと生唾を飲み込む。

 緊張で、ロキシーからもらった杖を握る手も汗ばんでいた。

 

「では、始めてくれ」

「……はいっ!!」

 

 だがしかし、ここが正念場。

 私の学校生活の分水嶺だ。

 踊るように杖を振り、イメージを確固たるものにする。

 ありったけの魔力を絞り出し、空へと送り込み、充満させていく。

 瞬く間に黒雲が青空と登ってきたばかりの太陽を覆い隠し、暴風吹き荒れる嵐を再現する。

 緊張なんて感じてる場合じゃない——全力で、自分にできる最大最高の魔術を、今ここに!

 

「『豪雷積層雲(キュムロニンバス)』ッ!!」

 

 ()めに高らかと魔術名を名乗り上げ、それと同時に収束した雨雲から轟音と稲光を伴う豪雷を地面に叩きつける。

 

「まさかッ、こんな小娘が……!」

 

 いけ好かない担任教師が驚愕に口を戦慄(わなな)かせる。

 中級貴族子息くんもまた、同じような表情だ。

 なんというか、鼻を明かせたみたいで胸がすく思いだね!

 

「よいしょっ、『竜巻(トルネイド)』!」

 

 ひとしきり彼らの度肝を抜かれた顔を堪能して溜まった鬱憤を晴らした後、これくらいでいいだろうと風魔術で雲を散らし、お開きとする。

 まだ少し残っている雨雲から差す陽光は、実に神秘的で美しかった。

 

 私の肌が弱くなかったらフードを取っ払って走り回りたくなるほどに清々しかったが、ぐっと堪えてランジード先生に向き直り、代わりに満面の笑みでピースサインをしてみせる。

 彼もまた驚いているようだったが、そんな私を見てふっ、と苦笑し、パチパチと手を叩いて褒め称えてくれた。

 周りで見ている人達の中にも、それに合わせて拍手をしてくれる人が数少ないがいてくれて、私は初めてこの貴族学院という場所で認められた気がした。

 やばいね、ちょっと、涙が出そう。

 

「素晴らしい、見事な魔術だった! 君ほどの才媛はこの学院始まって以来いないだろう。

 誇りなさい。君は確かに、自分の価値を証明した」

「っ……! はい! ありがとうございます、ランジード先生!」

 

 ガバっと頭を下げて感謝の意を伝える。

 この機会を得られたのは、(ひとえ)にランジード先生のおかげだ。

 彼がいなければ、私はまた彼らに手酷く扱われることが確定していたであろう。

 彼は正しく恩人と言える人だ。

 

「構わんよ、君はよく頑張った。

 さて! この場に集まった諸君もまた、彼女の荘厳にして威風堂々たる水聖級魔術をご覧にいただけただろう!

 これを見てまだ彼女がこの学院に相応しくないと思う者がいるならば名乗りを上げたまえ!

 彼女がこのミリス神聖国を更なる発展へと導くことが、断じて有り得ないと思う者のみ手を挙げよ!」

 

 ランジード先生はよく通る大声で、聴衆にそう言った。

 苦々しい顔をする者は一定数見受けられたが、この空気の中で名乗り出る勇気がある人間はいなかった。

 

「文句がある者はいないようだな! ならば今後、彼女を無碍に扱うことのないように!

 ……おっと、そろそろ予鈴が鳴るな。

 皆、授業に遅れるわけにもいくまい。

 この度はこれで解散とする! 全員、次の授業の準備をしなさい!」

 

 彼の言葉に、弾かれたようにいそいそと校舎内に戻っていく生徒達。

 一部、舌打ちをしたり、敵意ありげに睨んできたり、先生に向かって黄色い歓声をあげる女生徒など、様々な人がいたけど。

 ……ランジード先生はどうやらとても女性におモテになるらしい。

 確かにイケオジだもんね。

 私はもっと童顔の方が好みだけど。

 

「あの、ランジード先生」

「ガダルフだ。ガダルフ・ランジードという。

 この貴族学院で魔術の講師を務めている、しがない召喚魔術師だ。

 気軽にガダルフと呼んでくれて構わない」

「あ、はい。じゃあ、ガダルフ先生で!」

「ああ、そちらの方が耳馴染みがあっていい」

 

 ガダルフ先生はそう言ってにこやかな笑みを浮かべた。

 この落ち着いた雰囲気が人気の理由なんだろう。

 彼に熱を上げる女生徒がいるのもわかろうというものだ。

 

「ガダルフ先生はどうして私を助けてくれたんですか?

 こう言うのもアレですけど、私って結構な問題児だと思うんですよ。

 職員室でも騒いじゃったし……」

「確かに、あれはあまりよくなかったな。

 これからは気をつけるように」

「はい! わかりました!」

「素直だな。良いことだ」

 

 私ここに来て初めて褒められたかもしれない。

 うん、やっぱり自分を認めてもらえるというのは嬉しいことだ。

 

「それで、私が君の手助けをした理由だったか」

「あ、はい。なんでですか?」

「君、ロキシー・ミグルディアの名を出しただろう?」

「はい……あっ! もしかしてロキシー師匠のお知り合い何ですか!?」

「そんなところだ。

 私はもう歳で引退したが、元は冒険者でな。

 彼女とは15年ほど前、一時期共にパーティを組んでいたことがあった。

 言うなれば、その時の縁だ」

「おお〜!」

 

 ロキシーの知り合い!

 なるほどなぁ、謎が解けた。

 どうして私という面倒事の塊を助けてくれたのか、ずっと疑問だったのだ。

 というか、またロキシーに助けられたってことになるのか私。

 今度祈りを捧げておこう。

 

「短い間だったが、私と彼女は命を預けあった友だ。

 友の弟子を名乗る子供を無碍にはしない。

 それに、私も冒険者上がりということでこの学院に馴染むには苦労したからな。

 君は一目で真面目で素直な良い子だとわかったし、才能も感じられた。

 見捨てるには惜しいという思いもあったのだ。

 納得してくれたか?」

「はい!」

 

 貴族学院には性格の悪い人しかいないんじゃないかと思っていたけれど、存外良い人もいるじゃない!

 生徒も全員が全員、私を目の敵にしているわけでもなさそうだし、やっぱり早めに行動しておいて良かった。

 私とガダルフ先生はロキシーの話題を肴にしながら教室に向かった。

 何と一時限目は彼の授業なのだとか。

 我ながらツイてるなぁ。

 やっぱ人生悪いことも有れば、良いこともちゃんとあるもんだね。

 

「ガダルフ先生は召喚魔術を使うんですよね?」

「ああ。使うのは主に精霊召喚だが、基礎として他の分野の魔術もいくつか習得している。

 この学院では、基本的に付与魔術を教えているが」

「付与魔術! 魔法陣とかに使うやつですよね!」

「その通りだ。よく勉強しているな」

「えへへー!」

 

 あ〜、久しぶりに魔術トークができる!

 ガダルフ先生は私のよく知らない魔術についても詳しいようだった。

 

 召喚魔術。

 これに関してはロキシーからもお母さんからも習っていない。

 攻撃魔術や治癒魔術とも別にカテゴライズされており、使い手も少ない。

 それ故、未知の部分も多いそうだ。

 

 私は常々、この召喚魔術が私の呪いを克服するキーになるんじゃないかと思ってきた。

 「呪いが私にかかっているのなら、召喚魔獣に攻撃させればいいじゃない」戦法を使えるかもしれないのだ。

 必ず成功する可能性があるわけではないが、やれることはやっておきたい。

 それに、ミリスで召喚魔術が学べる機会があるとは思ってもみなかった。

 これは千載一遇の大チャンスだ!

 

「ガダルフ先生! ぜひ、私に召喚魔術について教えてください!」

「いいとも。私にできることなら、何でも教えよう。

 ロキシーにも召喚魔術を教えたことはあるのだが、私が至らないばかりに、あまり上手く教授はできなかったがね。

 とはいえ、そうすると君は私の孫弟子にあたるのだし、否やはない」

「ありがとうございます!!」

 

 よし、一歩前進!

 彼は他の魔術の講師にも渡りをつけてくれるそうなので、治癒系統などのミリスで盛んに研究されている魔術もこれから学べるはずだ。

 ようやく上手いこと回ってきた感じがする。

 

「初回の授業は付与魔術についての簡単な説明だ。

 君も席に着きなさい」

「はいっ!」

 

 教室に到着した私は、彼の指示に従い一日ぶりの自分の席に向かう。

 その途中、件の中級貴族くんに憎々しげに睨まれた。

 どうやら彼らはまだ諦めてはいないらしい。

 もしかしたら、また何かしら仕掛けてくる可能性もある。

 先生に釘を刺されたとはいえ、教師が預かり知らないところで何かやってこないとも言い切れないしね。

 

 この通り、問題は全部解決したわけじゃないのだ。

 ただ、明らかに良い方向には進み始めていると思う。

 これが正解なのかはわからないけれど、ひとまず私はこの結果に満足できている。

 

 けれどまぁ、とりあえず。

 私は相も変わらず侮蔑の視線を向けてくる彼らに、あっかんべーをしておいた。



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第十八話 「召喚魔術講座」


とりあえず一言。
遅れて申し訳ございませんでしたッッッ!!!
難産でしたッッッ!!!
だからもういっそ開き直って書けてる分だけ投稿しましたッッッ!!!
それでは、今回もどうぞよろしくお願い致します!



 

「召喚魔術は大きく分けて2種類あることは前回の授業で教えたな?」

「はいっ! 付与と召喚の2つですよね!」

「その通りだ。

 付与の方は通常の授業で教えるゆえ、こちらの個人授業では召喚について詳しく教えていくつもりだ。

 元々、私はそちらの分野の方が得意だからな」

「よろしくお願いします!」

 

 水聖級魔術を公衆の面前でぶちかまし、校内での私の扱いが地を這う虫けらレベルから触ったら怪我するような危険生物レベルにランクアップした私は、現在この学院唯一の良心とも言える元冒険者のガダルフ先生から召喚魔術をご教授していただいている。

 

「召喚と一口に纏められているが、実はその中でも大まかに2つに分類される。

 精霊召喚と魔獣召喚、これらが主に召喚とされている魔術と言えよう」

「どう違うんですか?」

「精霊召喚は召喚者の魔力を用いて我々の住む世界とは別の次元の世界に存在するという精霊を呼び出し使役する魔術だな。

 精霊は使役こそ魔獣より容易だが、術式に組み込まれている単一の命令しか受け付けない」

「ふむふむ」

「対して魔獣召喚は別の場所に存在している生物を呼び出す魔術だ。

 およそ『人』と名の付く生物以外であるのなら、ありとあらゆる生き物がこの魔術の対象となる。

 精霊よりも複雑な命令を介することも理論上可能だが、上手く手懐けることが何より難しい」

「どちらも一長一短ってことですね!」

 

 いきなり私の知ってる魔術の知識とかけ離れたなぁ。

 地水火風のオーソドックスな4属性魔術は術式に魔力を込めれば正直に呼応して術式通りの結果をもたらしてくれる。

 精霊召喚はそれに近いようで比較的扱いやすそうだが、魔獣召喚はかなりクセが強そうに思える。

 その分セオリーから外れた意表を突く動きが可能っぽいので、これは術者の腕の見せ所ということだろう。

 

「先生、いくつか質問よろしいでしょうか!」

「構わない。なんでも聞くといい」

「はい! じゃあまず魔獣召喚についての質問で。

 なぜ召喚魔術で人を呼び出すことができないんですか? 可能なら色々と応用できそうですけど」

「すまない、それは依然としてわかっていないことなんだ。

 召喚魔術の魔法陣には未だに解明されていない点が多い。

 使い手の母数が少ないというのもあるだろう、他の魔術に比べて研究が進んでいないのだ」

「なるほどなるほど……それは良いですね!」

 

 そう言ってニヤリと笑みを浮かべる私に、ガダルフ先生は怪訝な顔を見せる。

 

「良い、とは?」

「え? だってまだ誰にもわかってないことがあるってことは、その分だけ新しくアレンジする余地があるってことじゃないですか!

 私だけが知っている魔道の極意……めちゃくちゃでっかいアドバンテージですよ!」

「……なるほど。

 君の類い稀な才気は、その飽くなき探究心からくるものなのだな。」

「そうですか?」

 

 先生は私の言葉に苦笑したようだった。

 うーむ、呆れられる程のことじゃないと思うんだけどなー。

 ルディなんて私よりも全然早い段階で既存の魔術をアレコレ弄くり回していたし、ロキシーだって最近は詠唱短縮の技術なども身につけてますます自身の魔術に磨きをかけている。

 私にとって物心つく頃から続けてきた魔道の探究というものは、半ば本能のようなものに近かった。

 

「あ、それとですね。

 魔獣召喚をするとしたら、どんな使い魔が良いと思いますか?」

「そうだな、いくつかセオリーはある。

 盾となり攻撃を引きつけ、その隙を術者が狙い撃つ。

 逆に主な攻撃を使い魔に任せ、術者はその援護に徹する。

 または索敵などの魔獣が持つ特殊技能をメインに運用するなど、スタイルは使い手によって実に様々だ。

 まずは自分の戦術を把握し、その中で足りない部分を補うような魔獣を選ぶと良いだろう」

「ふむふむ……勉強になります!」

 

 自分の戦術かぁ。

 私が得意としているのは速度・連射重視の魔術。

 つまり遠距離から初級魔術を防ぎようのない速度と手数で圧殺、または狙撃する戦法だ。

 もっとも、初級とはいえ本気を出せばかなりの威力と精度を保ったまま繰り出すことが可能だと自負しているけど。

 

 それに見合った召喚獣か……なら前衛として敵の注意を引きつけてくれるような頑丈な魔獣が良いだろうか。

 旅の間に何度かこなした戦闘でもエリナリーゼさん達が前衛で魔物を食い止めている隙間を縫って仕留めるといった連携をとっていたため、私自身がそのスタイルに慣れているというのが大きい。

 けど、これだと魔物相手にしか有効打にならなそうなんだよね……。

 人間相手じゃ私は基本役立たずだろうし。

 

 ならば攻撃を任せて私が援護に徹する形が無難だろうか。

 仮説の段階だけど、私以外の生物が攻撃する分にはこの色々と面倒くさい呪いの効果適用外である可能性が高いし。

 でもそうなると制御とか大変そうなんだよな……魔獣の使役とかやったことないし、細かい指示とかできる気がしない。

 魔獣が言葉を理解してくれるといいんだけど、それで言うことを素直に聞いてくれるような生物なら魔獣なんて物騒な名前で呼ばれていない。

 

 どっかに強くて硬くて言葉を理解する魔獣落ちてないかな。

 そんな都合の良いこととかないだろうけど。

 しかしそうなると精霊召喚と魔獣召喚、どちらを取るか悩みどころだ。

 まずは精霊召喚で使役の感覚を掴むところから始めるべきか……?

 

「難しいんですね、召喚魔術って」

「……まぁ、平易な魔術ではないだろう。だからこそ使い手が少ないのだ。

 それで、どうするかね。君はこの魔術を使いこなしたいというのなら、こちらはそれを伝授する支度はできているが」

「もちろん、お願いします!

 こんな面白そうな魔術久しぶり! 絶対モノにして見せますから!」

「その意気だ。微力ながら、力になるとしよう」

 

 それから、ガダルフ先生が専門としているという精霊召喚を見せてもらった。

 スライムっぽいのがふよふよと飛び跳ねたり、土で形作られた竜が地面から迫り出したり、火炎が武器に纏うように追随して攻撃の威力や属性を付与したりなど、様々な種類の召喚魔術を実演してもらい、私は未知の魔術に目をキラキラさせて興奮しっぱなしだった。

 

 その日は久しぶりに有意義な時間を過ごすことができ、私はホクホク顔で新たな戦術に思いを馳せるのであった。

 

---

 

 ガダルフ先生に召喚魔術を習い始めてしばらく経った。

 ちなみに私はまだ精霊召喚の初歩の初歩で足踏みをしている。

 召喚には魔法陣が必要なのだが、それを描く技術が私にはなかったからだ。

 それでも先生は丁寧に教えてくれるので、最初の頃と比べると様にはなってきている。

 最近は魔法陣の魔術式を無詠唱魔術の手作業に落とし込むことにハマっており、授業の間の暇な時とかよく無色の魔力をこねくり回している。

 

 召喚魔術を習うにあたって特に私のためになったと思うことが、魔法陣について理解が深まったことだ。

 今まで私が使ってきた無詠唱魔術は感覚によって成している部分が大きかった。

 それを非常に理論的に定義されている魔法陣の組み方を学ぶことで、別の視点を得ることもできた。

 

 私の魔術はより一層伸び代がある。

 それが確信できただけでもミリスにまで足を運んだ甲斐はあっただろう。

 

 ただ、悩みが全て解消されたわけではなかった。

 それは何か。

 

 ズバリ、友達がいないことッ!!

 

 未だに私はクラス内で浮いたままであるのだ。

 今なら友達でも作れるんじゃないかと思って、まずは手近な女子達に話しかけてみたのだが、すげなくお断りされてしまった。

 

 会話拒否だ。

 ひどくない? さすがの私もちょっと傷つくよ。

 

 でも気持ちはわかるから私も強く出れないんだよね。

 このクラスで1番地位が高いという中級貴族くんが未だに私のこと根に持ってんだもん。

 派手に手を出されることはなくなったとはいえ、彼らとは目が合うとお互いに「チッ」と舌打ちしてガンを飛ばし合う仲である。

 最近はそれもちょっと楽しくなってきた私がいるが、まぁ客観的に見れば関わり合いになりたくない人種なのは間違いないよね。

 

 実際、遠巻きに見ている人達の判断は正しいものだと思うので、私の方から話しかけることは自然となくなった。

 私にはないけど、家同士の関わりというものも当然あるだろうしね。

 貴族主義の厄介さというものは身をもって学んだので私も仕方ないと諦めており、今のところ私の学院における友達は0人である。

 

 まぁ、ぼっちは今に始まったことじゃないし別にいいもんね。

 今までも体質の影響もあり、ほぼ家に引きこもって魔術の研究ばっかりしていたため、ブエナ村では友達と言える同年代の子はいなかった。

 せいぜい挨拶する程度だ。

 

 それは当時の私にとって別に寂しいことではなかった。

 私なりに充実した時間だったのは確かだし、何より同年代の話し相手というのならルディと魔術トークしてれば満足だったので問題なかったのだ。

 

 しかし、それは以前までの話。

 今、私は学院生徒として過ごす時間が大半だ。

 そして学院で私と話をする人は1人もいない。

 

 端的に言って、さすがにちょっと寂しいわけだ。

 特にクラスの女の子達がきゃいきゃいと喋っているのをぼーっと横目で見ていた時、偶然目があったので笑顔で手を振ってみたのだが、スッ……と目を逸らされたのはよく覚えている。

 あれは正直キツかった。

 なんというか、言い知れない疎外感と寂寥感、そして敗北感を感じたのだ。

 

 仲睦まじく談笑する彼女達は傍目から見ても1人でいる時より何倍も楽しそうに見えた。

 それを見ていると、私がここにたった1人であることを再認識させられる。

 以前までの私にはいつも隣にルディがいて支えてくれていたのに、今では1人きりの小娘に過ぎないのだと。

 

 ここはブエナ村から遠く離れたミリシオン。

 当然ルディに頼ることなど出来はしない。

 だから最近、私は自分の中の物足りなさにも似た何かを持て余し気味なのだ。

 かと言って、無理矢理友達を作ろうとすれば迷惑がかかる。

 それは私も本意じゃないし、強引に行くのは(はばか)られた。

 

 そんなこんなで充実しつつも悶々としたものを抱えて過ごしていたある日のこと。

 その日最後の授業である解毒魔術の講義が終わった放課後のことだった。

 

「ノア・グレイラット! ノア・グレイラットは何処にいる!!」

 

 大声を上げながら小さい影が教室の扉をスパァン!と開けて飛び込んできた。

 それは私と同じくらいか、もしくは年下に見える小さな黒髪の少年だった。

 しかしそんな小柄な体躯には似つかわしくないほどに、瞳には強烈な闘争心が渦巻いている。

 その少年には言いようもないカリスマのようなものがあったのだ。

 

「あの、私ですけど……」

「! お前か……!」

 

 私がおずおずと手を挙げるたところ、少年はキッと上目遣いで睨みつけながらズンズンと近づいてくる。

 ちょっと微笑ましい。

 いやいや、そうではなく。

 一体この子は誰で、そして私に何の用があって教室にカチコんできたのだろうか。

 

「二年のクリフ・グリモルだ! そう言えばわかるだろう?」

 

 あ、先輩だったんだ。

 ちっちゃいから別クラスの同級生かと思った。

 

「えーっと、わかるだろうって言われても……」

「なに? まさか本当に僕のことを知らないのか? この貴族学院において最も高貴で優秀な天才魔術師、『賢者の卵』たるこの僕を!」

「はい! ご存じないです!」

「おい、そんな自身満々に言うんじゃない! ちょっとは悪びれろ!」

「すいませんでした」

 

 なんかよくわからないけど、とりあえず謝っておいた。

 目の前の少年……いや、先輩らしいお人は自己申告によれば有名人らしい。

 私はあいにくこのだだっ広い校舎につい最近まで翻弄されていたから、生徒の中で誰々が有名で〜、という噂を聞く余裕がなかったのだ。

 私、友達いないしね!

 

「くっ……! お前、やっぱり僕のことを舐めているだろ!」

「舐めてはないよ? ちっちゃいとは思うけど」

「身長を(あげつら)うな、不敬だぞ不敬っ!」

「あ、ごめんなさい、つい。そうだよね、見た目でどうこう言うのは失礼ってロキシーも言ってたし!」

「お前もうわざとやってるだろ」

 

 グリモル先輩は眉間にどんどんと青筋を浮き上がらせていく。

 お、怒ってる……。

 いや、これでも私なりに誠実に応対したつもりなんだよ? ただちょっと心の声が漏れ出ちゃっただけで。

 

「いいだろう! この際どちらがこの学院一の魔術師か、実力で僕達の上下をはっきりさせようじゃないか!」

「……と言いますと?」

「決闘だ!!」

「貴族ってもしかして、私が思ってた数倍野蛮……?」

 

 舐められたと思ったらとりあえず肉体言語でボコしてわからせるのが上流階級の嗜みである。

 ちなみに私はそれを今後とも嫌というほど味わうのだが、この時は知る由もなかったのであった。

 

「決闘かぁ……」

「なんだ、怖気付くのか!? 威勢が良いのは口だけか!!」

 

 まぁそんな未来のことはつゆ知らず。

 この時の私はひたすらに渋い顔をするのみである。

 

「いやぁ、なんというか。

 お貴族様との決闘は面倒くさいことになるから嫌なんですよね……」

「面倒なこと、だと? 僕が面倒くさい奴だって言うのか!」

「いや、そうじゃなくて。

 前にそこの中級貴族のお坊ちゃんと決闘になった時、取り巻きに背中から撃たれて集団で殴られちゃって……ちょっとトラウマなんだよね。

 それに結構な大事に発展しちゃったし、もう同じことは繰り返したくないなぁ、って」

「背後から撃たれて……? それも集団でだと……?」

 

 グリモル先輩は私がチラリと向けた視線の先にいる貴族くんにバッと勢いよく振り返り、これまたズンズンと詰め寄っていく。

 私が困り果てているのを嘲笑っていた彼は、いきなりの飛び火に狼狽したご様子。

 だがその彼の狼狽(うろた)える様子が見られて私の溜飲がちょっと下がったのでナイスだと言っておこう。

 

「ち、違うんですグリモル様! これには深い訳が……!」

「黙れ! お前達、そんな卑怯な真似をよりにもよって決闘でしたのか!

 恥を知れ! ミリス貴族の風上にも置けないぞ!!」

「うぐっ……」

 

 うわ、すごいなぁ。

 私も結構彼らとはバチバチにやり合うっちゃやり合うけど、あれほど強気には出られない。

 貴族くんが敬語使ってるから、やっぱりグリモル先輩がかなり家格が上なんだろう。

 それでも自分の中の正しいと思うことをあそこまで堂々と口にできるというのは一種の才能なのではないだろうか。

 

 ここまで彼の言動を見てた私には、朧げながらグリモル先輩の為人が見えてきた気がした。

 彼はどうやら嫌がらせをしてくるあの厄介貴族共とはちょっと趣きが違うらしい。

 なんというか、彼の姿勢からは揺るぎない一本の芯のようなものが窺えるのだ。

 だからだろうか。

 彼の言う「正論」には確かな説得力があった。

 目の前の少年は私がこの学院に来る前に想像していたような、立派な貴族の子息だったのだ。

 

 そうなると、私の中ではムクムクと別の感情が湧き上がってくる。

 最近の私は飢えていた。

 信頼できる相手との術比べ。

 腕の立つ魔術師との戦いを通しての魔道の洗練。

 

 私は久しぶりの対戦相手に内心で舌舐めずりをする。

 彼ならばあの貴族達とは違って卑怯な手段は取らないだろう。

 それに自分で天才魔術師と言うぐらいだ。

 ミリシオン育ちの魔術の真髄、実戦で学べるまたとない絶好の機会!

 正直、ウズウズして仕方がない!

 

「グリモル先輩、グリモル先輩! ふふふ、いいでしょう! あなたの決闘の申し入れ、このノア・グレイラットが受領します!」

「えっ? そ、そうか。でも大丈夫なのか? 君、こいつらに酷い目に遭わされたんだろう?」

「いえ、そういうのもうどうでもいいんで。

 それよりほら、早く戦いに行きましょ! さぁさぁさぁいざ校庭へれっごー!!」

「いやちょ、待っ、襟を掴むな引っ張るなぅわわわぁ〜〜!!!」

「グ、グリモル様ぁ〜!!」

 

 そうしてグリモル先輩は私に引きずられて校庭へと猛スピードで連行されて行くのだった。

 



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第十九話 「賢者の卵」


頑張ってペース戻していきたいィ!
でもなんか今週忙しいィ!
あと感想マジでありがたいィ!
それでは、今回もどうぞよろしくお願い致します!



 

★ side:クリフ ★

 

 僕、クリフ・グリモルは物心ついた頃には孤児院で暮らしていた。

 もっとも、その時の僕は当然孤児であるので、誇りあるグリモルの姓はなかったのだが。

 

 孤児院で何不自由なく5歳まで育てられた後、僕は祖父であるハリー・グリモルに引き取られ、彼の元で優秀な魔術師達による英才教育を受けた。

 僕は彼らの教える魔術の知識をまるで乾いたスポンジのように吸収し、ミリスでは特に重要視される治療・解毒・神撃の3種の魔術を中級まで習得した。

 さらに火魔術に至ってはつい最近、上級の域にまで足を踏み入れた。

 

 ここまで成果を挙げれば馬鹿でもわかる。

 たったの2年でこれほど多種の魔術を、しかも幼年期に習得した者はミリス広しと言えども類を見ない。

 間違いなく僕は天才と呼ばれるに足る人間だ。

 正に歴史に名を残すことは必定である『賢者の卵』と言えるだろう。

 僕はすぐに教師すらも追い抜き、やがてはミリス教皇の後釜としてこのミリス神聖国を背負(しょ)って立つ人間になるのだと信じて疑わなかった。

 

 ただ、そんな僕の膨れ上がった自尊心は、とある年下の女の子によって粉々に打ち砕かれることとなる。

 

 通例であれば上流階級出身の者しか足を踏み入れることは許されない聖国貴族学院において、平民でありながらも入学してきた異端の女子生徒。

 透き通る白銀の髪に、鮮やかな血の滲んだような宝石の瞳。

 6歳でありながら水聖級魔術師の肩書を持つという怪物。

 

 彼女の名は、ノア・グレイラットというらしい。

 

 僕はとある日の明朝、彼女が校庭にて水聖級魔術『豪雷積層雲(キュムロニンバス)』を余裕の表情で披露しているところを目撃した。

 それは初めて見る聖級規模の大魔術。

 天候すら意のままに操る彼女を前に、僕は生まれて初めて自分以外の魔術師に対して瞠目した。

 

 一目見て思ってしまったのだ。

 こいつには天地がひっくり返っても勝てないと。

 

 そして僕は、心底から恐怖した。

 

 祖父に引き取られて以来、自分の才能一つで周囲の人間を黙らせてきていた僕にとって、そのアイデンティティの源である魔術で遥か上に立つ人間が出てきてしまったら、もう誰も自分のことを認めてくれる者がいなくなるのではないかと思ったのだ。

 見限られてしまうかもしれないという恐怖は、これまでの地位が高ければ高いほど著しく感じられた。

 

 それからのこと、僕は必死で魔術の腕を磨いた。

 家庭教師にも珍しく頭を下げて、より高度な魔術の勉強に着手し、寝る間も惜しんで訓練に精を出した。

 普段であればそこまでの熱量はないが、身に迫る危機感によって集中力は何倍にも高まった。

 おかげで火魔術の上級は既に実戦レベルとのお墨付きを貰えたぐらいだ。

 

 全てはあの唐突に現れて僕の築いてきた自信を地に落としたノア・グレイラットを超えるため!

 

 あの水聖級魔術は、そんじょそこらの才能がほんのちょっとある程度の魔術師では力の差に打ちひしがれ、挫折して杖を捨ててしまうほどのショックを与えるものだろう。

 

 だがしかし!

 この僕、未来のミリス教皇クリフ・グリモルは平易な魔術師とは一線を画す!

 打ちのめされてもなお、腐ることなく己を磨き上げ、必ずや目にモノ見せてやるのだ!

 負けっぱなしで終わるなど、僕のプライドが許さない!

 

 そして数週間に及ぶ猛特訓と綿密なシミュレーションにより必勝の方程式を見出した僕はついにノア・グレイラットのもとに赴き、いざ尋常にして正々堂々たる決闘を申し込み——

 

 

「|おばべぜんぱびびたびずるたいどっでぼのがだな゛《お前先輩に対する態度ってものがだな》……ッ!」

「あ、あははは……ご、ごめんなさい、つい興奮しちゃってぇ……」

 

 

 無様に地面に這いつくばっていた。

 いや、決闘に負けたわけではない。

 むしろまだ始まってすらないのに僕の体はボドボドだ。

 それもこれもノア・グレイラットが校庭まで僕を引き摺り回したせいである。

 おかげで何度顔面から地面に接吻をかましたことかわかりゃしない。

 

「お、おのれノア・グレイラットぉ……! まさか決闘の前に僕を消耗させて不戦勝のつもりとはッ……! なんという卑劣な手口っ……僕は、僕は決して(くじ)けないぞぉ……!!」

「い、いやぁ……そんなつもりでは。

 と、とりあえず『ヒーリング』かけといたからね?」

 

 顔を真っ赤にしてアワアワと申し訳なさそうにする白い塊。

 本当に悪気がないようで、流石の僕も毒気を抜かれてしまう。

 まぁ僕もいずれ教皇となり多くの懺悔(ざんげ)を聞くことになるだろう身だ。

 今回は大目に見てやろう。

 

「だが! 決闘は真面目にやれよ!? 僕はこの勝負のために腕を磨いてきたんだからな!」

「え、本当!? うわぁ、すっごい楽しみ! じゃあ早速始めましょうか!」

「ふん! 臨むところだ!」

 

 覚悟しておけよ、絶対にぎゃふんと言わせてやるからな!

 そしてどちらがより優秀な魔術師であるかを今一度この学院全体に知らしめてやるのだ!

 

「ルールはお互いの魔法が当たったら負けってことでいいですか?」

「構わない。さっさと始めるぞ!」

「ふふふ、わっかりました! 手合わせよろしくお願いします!」

 

 彼女はそう言うと距離を取り、慣れた風にビシッと杖を構える。

 堂々としたその姿には以前の僕のような自分の魔術に対する絶対の自信が(うかが)い知れ、知らずとも僕は固唾(かたず)を飲む。

 だがしかし、恐れることはない。

 僕にはこの日のために携えてきた必勝の策があるのだから!

 

 ノア・グレイラットは水聖級魔術師というではないか。

 なら初手で使ってくるのは練度の高い水魔術のはず。

 僕はそれに火魔術で応戦し、最初の一撃を相殺する。

 するとどうなるか。

 大量の水が高熱の火によって熱され、蒸発して霧ができる。

 上級以上の魔術では必須の知識となる混合魔術の内の一つ、『濃霧(ディープミスト)』の発動理論と近しいものだ。

 

 これによって発生した蒸気の目眩しによって詠唱の隙を確保し、仕上げに広範囲をまとめて攻撃する火上級魔術『獄炎火弾(エグゾダスフレイム)』によって仕留める!

 ふっ、我ながら完璧な作戦だ……この勝負、僕の勝利だ!!

 

 

「〝汝の求めるところに大いなる炎の——」

「〝『雫の精霊(ドリップ・スピリット)』〟」

 

 

 内心で勝ち誇って不敵な笑みを浮かべながら火魔術の詠唱を始める僕だったが、それを嘲笑うかのようにすぐ横を何かが翔け抜けていった。

 

「へ?」

 

 困惑した。

 速すぎる。

 詠唱すらしていないじゃないか。

 

 何より。

 何より、あの魔術は僕の顔面めがけて一直線に放たれた。

 直撃コースまっしぐらだったはずなのに、突如見えない壁にでも当たったかのようにギリギリのところを掠めてあらぬ方向にカッ飛んでいった。

 それは使い手が意図していないとできない制御。

 

 つまり、僕は舐め腐って手加減されたのだ。

 

「お前——!」

 

 怒りで頭が沸騰し、奥歯を噛み締めて吠えようとする。

 なんでこんなことをしたのか、尋常な勝負を台無しにされた、相手にすら思われていなかった。

 そう思い掴みかかろうと——

 

 

「うばああぁぁぁ〜〜〜!!?! なんっでこれでも当たんないのぉ!? 理論的にはセーフでしょ今のはさぁーー!!!?」

 

 

 掴みかかろうとした相手は僕以上に憤怒の形相で地面を転げ回っていた。

 

「は、へ……?」

「いや本当になんでさ精霊は微弱とはいえ意志があるつまり私自信が攻撃してるわけじゃないんだから当たって当然のはずまさか指示出ししたのが私だからって理由で呪いの有効範囲内だったのかうっそだそれじゃあもしかして魔獣召喚でも同じ結果になるんじゃこれは要検討しておかないとブツブツブツブツ——」

「おいっ、自分の世界に入るなぁ! ちゃんと説明しろぉ!!」

 

 人間不思議なモノで、自分が激しく動揺していてもそれ以上に動揺している人間が目の前に居れば落ち着きを取り戻せると言う。

 今の僕は正にそれを実感していた。

 

「あ、そういえばグリモル先輩には言ってなかった……。

 えっとですね。実は私、とある呪いにかかってるんですよ」

「呪い……だって?」

「はい。なんか『人間との勝負に絶対勝てなくなる』っていうふざけた呪いらしいですよ」

「な、なんだそれは……」

 

 ノア・グレイラットはぶすっとした顔で不機嫌そうに言った。

 彼女の力量は聖級クラス。

 その実力を満足に振るうことができないとなれば、きっとそれは想像を絶する歯痒さであるのだろう。

 

「じゃあなんでお前は——」

「よっし、うじうじするのはここまで! さ、もっかい戦ろ!」

「は?」

 

 お前はなぜそんなに勝負に対して楽しげでいられるのか。

 負けることがわかりきっている戦いに笑顔で身を投じることができるのか。

 負けるのが悔しくないのか。

 

 そんなことをつい口走りそうになった僕を遮って、ノア・グレイラットは立ち上がってまた魔術を練り始めた。

 

「なっ、まだやるのか!?」

「あったりまえでしょ! 久しぶりの術比べだもん! 一回で終わるなんてつまらないじゃん? 出せるモノ全部出し切っちゃおうぜ!」

 

 それから1時間以上に渡る決闘というにはあまりにも長い勝負が始まった。

 その間、ノア・グレイラットは僕の知らない様々な魔術と奇抜な戦法を繰り出し続けた。

 時に魔術で雨を降らせ、時に突風を吹かせ、時にそこら辺を飛んでいる小鳥を魔術で従えて嗾けてきた。

 その度に彼女の魔術は全てなんらかの突発的な不具合によって不発となり、当然僕の攻撃は力量差の隔絶している彼女には一切通じなかった。

 

 千日手に陥ったその状況に僕は早々に根を上げそうになったが、しかし当のノア・グレイラットは全然そんなことはなかった。

 

 悔しがりながらも笑顔で口の端を吊り上げながら、なぜそうなるのか、どうやって呪いを掻い潜れるのかを実に楽しそうに考えているようだった。

 そう、楽しそうだったのだ。

 何にも縛られず、彼女はただ自由に己の魔術と向き合っていた。

 

 その姿を見て、僕はここ最近の自分の愚かさを恥じた。

 僕は目先の立場やちゃちなプライドに拘って、魔術のことをただ権威を示すステータスとしか扱っていなかったのではないかと。

 

 最初の頃はそうではなかった。

 魔術を習い始めた当初は一つ一つの魔術に感動し、上達すること自体が楽しかったはずなのだ。

 それがいつしか人に比べられ、自分でも人と比べてしまう不純さを孕んでしまっていた。

 

 ああ、そうだ。

 僕はそんな、魔術を一際楽しそうに使っている彼女を見て。

 羨ましいと思ったんだ。

---

 

「くああ〜、まんぞくっ! 久しぶりに思っきり魔術使えて気持ちよかった〜!!」

「まったく、酷い目に遭ったぞ……」

 

 グリモル先輩に持ちかけられた決闘で久々にハッスルしてしまった。

 私は試したいことが大体試せてツヤツヤしているのだが、仕掛け人である先輩はゲッソリとやつれていた。

 彼も最後まで魔術を使って応戦してくれていたのだが、もう魔力が限界なのかぐったりと倒れ込んでしまった。

 

 しかし、結局今日も呪いを突破することはできなかったなぁ。

 『大雨(スコール)』や『突風(ブラスト)』などの躱しきれない密度の雨粒や視認も難しい広範囲の風によって「当たった判定」を狙う戦法も使おうとする度に術式になんらかの「詰まり」が起こって不発になったし、魔獣召喚の応用で小鳥を突撃させてみたものの、なんか途中でトンビに掻っ攫われったし。

 うーむ、どうしたものか。

 これからまたしばらく検証タイムに突入せざるを得まいかな……。

 

「なぁ、一ついいか?」

「? なんですか、グリモル先輩?」

「……クリフだ。クリフと呼んでくれて構わない」

「じゃあクリフ先輩で」

 

 私が今後の特訓予定について頭を唸らせていると、寝っ転がったグリモル先輩改めクリフ先輩が問いを投げかけてきた。

 私もちょっと疲れたので彼の傍らに腰掛ける。

 

「君はどうしてそんなに楽しそうにいられるんだ。

 普通に考えて腐るだろ、あんなデタラメな呪い……なぜ君は無駄な努力を続けるんだ」

「えー、無駄な魔術なんてないよ? あらゆる魔術が私の糧になって強くなれるんだから!」

 

 まー、側から見たらそうも映るかな。

 私もたまーに不安にならないわけではないし。

 その度にヒトガミに愚痴ってストレス発散してるからあんまり溜まってはいないんだけどね。

 

「でもそうだなぁ。強いて言うなら、やっぱり単純に魔術が好きだからってことになると思うよ」

「好きだから……か」

「うん。それにね? 魔術がルディ……弟や、色んな人達と私を繋いでくれた。

 感謝してるんだよ。

 だから私にとって魔術は何より大事で、大好きなんだ」

「魔術が繋いでくれた、か……。

 そうだな。僕も、きっとそうなんだろうな」

 

 クリフ先輩は最初と比べて、どこかつき物が落ちたように苦笑してそう返した。

 

「ありがとう、ノア・グレイラット。

 君のおかげで、僕はこれからも自分の魔術に自信を持っていけそうだ」

「えへへー、なんかわかんないけどどういたしまして! あと、私もノアでいいよ!」

「ああ。じゃあ、これからはノアと呼ぶよ」

 

 これは、もしかしてクリフ先輩と友達になったということではッ!?

 おお……なんか初めての実感に震えているぞ……!

 

「そうだ。今後暇があったらうちに来ないか? この学校ではせいぜい上級程度の魔術講師しかいないが、僕のお抱えの教師陣には聖級の魔術師も多いんだ」

「聖級!? そっ、それは是非ともご教授願いたいです!

 いやっほう! ついに私にもツキが巡ってきたのでは……!?

 ありがとうございますクリフ先輩! さすがです!」

「ふん! これでも順当にいけば次期ミリス教皇だ! これぐらい当然さ!」

 

 クリフ先輩は天まで高々と鼻を伸ばしながらそう言った。

 ミリスの聖級魔術師……聖級の結界や治癒、解毒が学べる機会なんてそうそうないことだ!

 くぅ〜! テンション上がるなぁ!!

 あと、さりげにめっちゃ良いとこの出なのにちょっと驚きました。

 

「まぁ今日のところは日も傾いてきたし、ここでお開きにするか」

「そうですねー! あ、勝敗ってどうします?」

「引き分けでいいだろう。納得できないものはあるが、今はこれでいい」

「ですね。そうしましょう」

 

 すっかり夕焼けに染まった空を背景に、そうして私達は各々の帰路についた。

 お互いにとって初めての同年代の友達。

 ここでの縁はきっと生涯忘れることはないだろうと、私は思った。

 



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第二十話 「伯爵家の皆さま」


ちょっと長引いたので分割しました。
続きはまた近日中に上がる予定です。
それでは、今回もどうぞよろしくお願い致します!



 

 時は半年以上前に(さかのぼ)る。

 私とお母さんがブエナを村を旅立って割とすぐの頃のことだ。

 

「ゼニス、あなた妊娠していますわね」

「へぇ、おめでたじゃねぇか!」

「そうねぇ。ギリギリ、ミリスに着くまでには間に合うかしら」

「このペースで進めるなら出産までには間に合う余裕があるじゃろうな」

 

 旅の途中、ちょうど赤龍の下顎に差し掛かるあたりで、お母さんの妊娠が発覚したのだ。

 

「ロキシー、妊娠ってなに?」

「あなたの新しい弟か妹がゼニス様のお腹の中にいるということですよ」

「!!??!!!!?!!!?!!?」

「だいぶ混乱しているようですね……」

 

 そりゃ混乱もしますわよ。

 その時初めて妊娠の概念を知った私は一瞬世界が丸ごとひっくり返ったかと思ったもんね。

 だって新しい弟妹が産まれてくるとかきう未知の概念に遭遇したんだもの。

 私にとって弟というものは産まれた時から隣にいる自分の半身といった存在であったため、その衝撃はひとしおだった。

 

「男の子かしら、それとも女の子かしら。

 楽しみだわ! ね、ノア?」

「おっおとととうといももももうと」

「ゼニス、お嬢はまだそっとしといてやれ」

「ふふ、そうねギース。

 本当はパウロに見守ってもらいながら産みたかったのだけど、こうなったら仕方ないわ。

 お母様も身重の女なら悪いようにはしないでしょうし、ある意味丁度良いタイミングだったのかもしれないし」

 

 そういうわけで、私に新しい家族ができるようです。

 

---

 

 お母さんのお腹は随分と大きくなった。

 私達がミリスに来て数ヶ月経ったし、環境も落ち着いているため出産には最適だと言えるだろう。

 

 私の最近のマイブームはぽっこりと膨らんだお母さんのお腹を優しく(さす)ってあげること。

 なんというか暖かなものを感じられて、それがとても心地良いのだ。

 これが命の温度というものなのだろうか。

 

「ねぇ、ノア。

 最近、学校はどうかしら? 上手くやっているの?」

「うーん、ぼちぼちってとこかな〜」

「あら、そうなの……」

 

 そう、ぼちぼちだ。

 けれど、一時期と比べてかなり明るいものになったとは自負している。

 お母さんを心配させないためにも、そのことはちゃんと伝えておかなきゃ。

 

「うん。あ、でもね! 良くしてくれる人もちゃんといたよ!

 えっとね、ガダルフ先生はこう……大人!って感じの人で、私に魔術をちゃんと教えてくれるんだ。

 あっ、あとね、あとね、新しく友達ができたの! クリフ先輩って言ってね、すごく魔術の得意な子なんだよ!」

「! そう! それは良かったわね!」

 

 クリフ先輩との一件の後、私と彼はちょくちょく互いに魔術に関しての議論をするようになった。

 彼の知っているミリス神聖国が独占している魔術についての知識は私になく、逆に私は彼の知らない上級の基本属性魔術をほぼほぼ網羅している。

 互いの知識の穴を補い高め合う経験は初めてのことで、私はたいへん満足だ。

 

 今度彼の家に遊びに行って本格的な治癒魔術を扱うという講師と渡りをつけてくれるという。

 いやぁ、実に楽しみで仕方がない!

 ミリスに滞在している間に治癒・解毒・結界・召喚を聖級以上のランクまで習得するのが目標である。

 腕が鳴るよね!

 

 ただまぁクリフ先輩とは学年が違うので、彼と遊ぶのは大抵は放課後か昼休みぐらいしか時間がない。

 それ以外の空き時間や授業などは前と変わらず某貴族くんとバチバチしている。

 

 というわけで、魔術についてはクリフ先輩やガダルフ先生の協力もあって絶好調、しかし人間関係はイマイチ。

 よって私の学校での総評としては「ぼちぼち」なのである。

 

「お母さん安心したわ。

 あなた、あまり学校に上手く馴染めていないようだったから」

「あはは……めんぼくない……。

 というか正直、今もあんまり馴染めてるわけじゃないけどね」

 

 ここ数ヶ月、学校に通ってみてわかったことだ。

 私にはあの貴族学院の堅っ苦しい空気は居心地が悪い。

 やれ格式だの、やれ身分だのと事あるごとにのしかかってくる邪魔なものが鬱陶しくて仕方がないのである。

 

 だが、近頃は入学初期と比べてクラス内での立ち位置も変わりつつあったりする。

 

「でも実は最近、私に話しかけてくれる人も増えてきたんだよね」

 

 ちょうどクリフ先輩との一件で私と彼が懇意にしているということが学校でも知られてきたぐらいから、ちょくちょく会話を続けてくれる人が増えてきた。

 おそらくクリフ先輩の家柄のご威光あってのことで、私と仲を深めた方が中級貴族に目をつけられるよりも得であるとの考えだろう。

 

 私は打算的なものを感じつつも、それを良しと考えている。

 学校とは社会の縮図だ。

 なら、自分の居心地が良いところばかりではないだろう。

 その中で自分なりに落とし所を見つけて、ちょっとずつできる範囲でより良くしていったほうがいい。

 この数ヶ月、学院という荒波に揉まれながら私の出した結論がそれだった。

 

 そういったことをかいつまんで、お母さんにお話しした。

 そしてお母さんは懐かしむように微笑んで言う。

 

「そうね。お母さんもこの国のそういうところが嫌で家出しちゃったもの」

「そうなんだ」

「ええ。でも、ノアは違うのね。

 ちゃんと自分の意思を持ったまま、折り合いをつけられてる。

 誰にでもできることではないわ。

 偉いわね、ノア!」

「えへへー! まぁ、頼りになる人が居てくれたおかげかな!」

 

 私一人ではもっと状況は悪かっただろう。

 もしかしたら未だに(みじ)めな学校生活を送っていたかもしれない。

 そうならなかったのは、ひとえにガダルフ先生やクリフ先輩のような人達がいたからだ。

 これも人の縁、というやつなのかな。

 一期一会の縁というのは得難いものだ。

 こういうのはこれから先も大事にしていきたいよね。

 

「というかお母さん、だいぶお腹おっきくなってきたね」

「そうねぇ。体調も最近は安定してきたから、そろそろかしら」

「そろそろ?」

 

 ということは、もうすぐ会えるんだ。

 新しい家族に。

 どんな子かな。

 でもきっとルディに似てかわいくて、利発で良い子が生まれてくるんだろうな。

 

 楽しみだけど、ちょっと不安だ。

 まだ立派なお姉ちゃんになれたわけではないというのに。

 だってお母さんの言う「成果」とやらも、まだ形すら掴めていないというのに。

 果たして新しく生まれてくるこの子に尊敬されるような人間でいられるだろうか。

 

「大丈夫よ」

「お母さん……?」

「大丈夫。あなたは立派なお姉ちゃんになれるわ。

 だって、私とパウロの自慢の娘なんだもの」

「! うん! 私、がんばるわ! それでがんばって、この子も私のこと自慢に思ってくれるお姉ちゃんになる!」

 

 お母さんはなんでもお見通しだね。

 いつも私のことを支えて、発破をかけてくれる。

 よし! これからも精進あるのみ!

 次の課題は「成果」を残す! そのために今できることを精一杯やろう!

 

 そんな風に私が決意を新たにしたところで、屋敷の使用人さん達が何やらバタバタと慌ただしく支度をし始めた。

 私は気になって、近くを通りがかったお婆さま付きの執事さんに拙いお嬢様口調で話を聞く。

 

「ねぇねぇ、どうしかしたのかしら? 誰かお屋敷にいらっしゃるの?」

「これはお嬢様、ご機嫌麗しゅう。

 ええ。これより我ら一同、遠征よりご帰還なされる御主人様とテレーズ様の御迎えにあがるところにございます。」

「あら、お父様とテレーズが! それは楽しみ。会えるのを心待ちにしていたもの」

 

 お母さんは嬉しそうに目を輝かせた。

 お話を聞くかぎり、この屋敷のご主人様、つまりカーライルお祖父様とお母さんの妹さんのテレーズさんが来るのだという。

 私は話に聞いていただけで会ったことはないが、お母さんがこんなに楽しそうなのだ。

 きっと良い人達なんだろう。

 私も会うのが楽しみになった。

 

「御主人様、並びにテレーズ様! ご帰還です!」

「あら、帰ってきたみたい!」

「ほんと!? 私見てくるね、お母さん!」

 

 たたたっ、と駆け足で玄関まで行こうとする。

 だがしかし! その瞬間、背後に悪寒(はし)る!

 

「ノアさん?

 廊 下 を そ の よ う に 走 っ て は い け ま せ ん よ」

「ヒェッ……お、お婆さま……」

 

 おおっと、ノア選手、これは迂闊(ウカツ)

 テンションの迸るままに駆け出した私を言葉のみで完全に静止させてみせたのは屋敷を切り盛りする支配者、クレアお祖母さまである。

 この人のお説教は圧が世界一なので私は完全に(しつけ)られた子犬のようになってしまっている。

 基本的に正論だから素直に反省する私です。ハイ。

 

「全く……そんなご様子では先が思いやられます。

 あなたはラトレイアを継ぐ者ではありませんが、それでもこの屋敷に滞在する以上、最低限の作法というものを良い加減身につけて貰わなければ困ります。

 罰として今後、礼儀作法の稽古の時間を二倍に延長します」

「なん、だと……」

 

 私は死刑宣告を受けた異教徒のように愕然とした。

 2倍はいくらなんでも罪に対する罰が重すぎやしないかね、お婆さまや……。

 と、私が絶望に打ちひしがれている間に、2人の大人が執事さん達のお迎えを受けて帰還した。

 

「クレア、今帰った。変わりはないか」

「お帰りなさいませ、カーライル。

 ええ。私は見ての通り壮健です」

「それはよかった」

 

 1人はきっちりとした礼服に身を包んだ白いお髭の真面目そうな初老の男性。

 お祖母さまはカーライルと呼んでいたし、きっとこの人がお屋敷のご主人様なのだろう。

 ということは、もう1人の女の人がお母さんの妹のテレーズさんかな。

 確かに、顔立ちがよくお母さんに似ているようだ。

 

「テレーズもよく無事で戻りました」

「……はい。お出迎えありがとうございます、ただいま戻りました母様」

「……ええ」

 

 おおう。

 お祖母さま、なんかお祖父さまの時と比べて空気が剣呑じゃない? 折り合いが悪いのだろうか。

 それにしてはお互いいがみ合っているわけでもなさそう。

 複雑な関係というやつなのかな。

 

「……それで、君が話に聞いていたゼニスの娘かね」

「! はい! ご主人様、ご機嫌うるわしゅう。

 ノア・グレイラットと申します」

「うむ。礼儀がなっているな、良い事だ。

 ゆっくりと滞在していくといい」

「ありがとうございます!」

 

 お祖父さまは仏頂面で眼光が鋭かったので、お堅い人なのかと最初は思ったが、どうやら案外気さくな人かもしれない。

 

「やあ。初めまして、ノアちゃん。

 テレーズだ。君のお母さんの妹で、君にとっては叔母に当たるかな」

「テレーズ叔母さま! ご機嫌うるわしゅう!」

「ははは、素直な良い子だね。

 だが叔母さまはいらないよ」

 

 テレーズ叔母さま……いや、テレーズさまはそう言って私の頭をくしゃくしゃと撫でた。

 そしておもむろにしゃがんで私をぎゅっと抱きしめながらさすさすと身体をまさぐり大きくスーッと息を吸い込んで——

 

「——これはいいな」

 

 と恍惚とした表情に似合わぬ凛々しい声でそう言った。

 あの、どういう状況ですかコレ……。

 

「テレーズ、おやめなさい。

 なんとはしたない顔をしているのですか。

 武の道に進んだとはいえ、貴女も立派な貴族の出なのですよ」

「……ハッ!? 私としたことが……すまない、ノアちゃん。

 姉様が手紙で娘と息子があんまりにも可愛いと熱弁するものでな、つい気になってしまって……。

 いやしかし、確かにこれはすごい可愛いな……」

「はぁ」

 

 お祖母さまに諭されたテレーズさまは我に返ったように離れたが、未だに目が爛々としている。

 悪い人ではなさそうだけど、ちょっと怖いなこの人。

 近寄らんとこ。

 

「クレア、それでゼニスはどこに?」

「奥の寝室で横になっているはずですよ。

 近々臨月を迎えるでしょうから、安静にさせています」

「そうか。ご苦労様」

 

 お祖父様は声音こそ落ち着いていたが、私は彼が秘かに驚いていることをなんとはなしに悟った。

 

「しかし、君のことだ。

 ゼニスと喧嘩でもしているんじゃないかと思っていたが、仲良くやれているのだね」

「ええ……ですが、それもノアさんのおかげです」

「?」

 

 お祖母さまは私の頭にポンと手を置いて言う。

 

「彼女が私とゼニスの本音を引き出してくれなければ、貴方の予想通りになっていたでしょう、カーライル」

「そうなのか。君はゼニスの優しいところが似ているのだな。

 私からも礼を言おう、ノア。

 クレアとゼニスの仲を取り持ってくれて、ありがとう」

「えへへ、どういたしまして!」

 

 そこでお祖父さまは初めて薄く微笑を浮かべ、屋敷の奥へと歩いていった。

 きっと、お母さんと積もる話があるのだろう。

 家出して数年が経ち、結婚して子供まで産んでいる娘と男親の、水入らずの会話というやつだ。

 ふっ、ここは気を利かせるべき場面だぜ、ノアちゃんよ。

 

「ねぇ、テレーズさま」

「ん? なんだい、ノアちゃん」

「お庭で一緒に手合わせしよ(遊ぼ)ー」

「! ああ、良いとも。

 ゼニスはしばらく動けなくなるだろうからな、私で良ければ羽を伸ばす相手に相応しい活躍ができるだろう!」

 

 というわけで、私はラトレイア家の住人全員とやっと顔を合わせることができた後。

 てっきり追いかけっこぐらいの軽い運動だと思っていたテレーズさまに全力の『水弾(ウォーターボール)』をぶっぱなしまくったのでした。



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第二十一話 「新しい家族」

一週間空いてすまんやで。
テスト期間だったんすわ。
これからは時間に余裕できるだろうしペース上げていきたいなぁ。
それでは、今回もどうぞよろしくお願い致します!


 

 お母さんの出産に立ち会うために急いで遠征から帰還したというカーライルお祖父さまとテレーズさま。

 2人がお屋敷に戻って今日で数週間が経った。

 その間、私も彼らの為人などが理解できてきたところだ。

 

 お祖父さまはお母さんと話していることが多い。

 男親とは娘が特別可愛く思えるものなんだとお父さんも言っていたし、彼もきっとそうなのだろう。

 お祖父さまは落ち着いた雰囲気を持つ人で、あまり賑やかな方ではない。

 私はそんなお祖父さまの静謐さが好きになった。

 

 テレーズさまとは沢山お話ししたり、遊んでもらったりした。

 彼女はミリス教団の神殿騎士という役職に就いているそうだ。

 神殿騎士の職務内容は、まぁ、わりとヤバめな感じっぽいけど。

 

 テレーズさまはお祖父さまと比べると明るくて気さくなお姉さんだった。

 色々と世話を焼いてくれたり、構ってくれたり、お菓子をくれたりする。

 私のことをいたく気に入ったみたいだ。

 

 彼女は「神子さま」というミリス教団の要人の護衛を務めているそうで、近いうちにその人との面会も取り持ってくれるらしい。

 「神子」というのは普通の人にはない不思議な力で国の役に立ってくれる人のことで、テレーズさまが護衛しているという人もミリス教団に有益な能力を持っているそうだ。

 私は「呪子」なので、その人とはまるで対極に位置しているような感じなのかもしれない。

 

 ただ、「神子」も「呪子」も尋常の人間ではあり得ない力に支配されているという点では共通しているのかも。

 もしかしたらその点から突破口が見出せるのではないかと思い、私から面会をおねだりした。

 テレーズさまは神子さまの交友関係の狭さを心配しているらしく、同年代の女子との何の衒いもない触れ合いは良い経験になるだろうとのことで、熟慮の末に頷いてくれた。

 

 そんなこんなで順調に月日は進んでいき、今日この日、ついにお母さんが を訴えた。

 

 陣痛が始まったのだ。

 

 お祖母さまはすぐにかかりつけの医師と産婆を呼び出し、テレーズさまはお母さんを優しく介抱し、お祖父さまはお母さんの側でじっと見守っていた。

 そして私は。

 

「ど、どどどどどうしたのお母さん!? お腹痛い!? お水持ってくる!? あれお腹痛いときってお水飲んじゃダメなんだっけ!!?」

「あ、あはは……ノア、ちょっと落ち着きなさい。

 お母さん大丈夫だから。2回目だもの、慣れたものだわ」

「だ、だってぇ……」

 

 だってお母さん、今までで一番苦しそうなんだもん!

 心配なんだもん!

 出産て毎回こんな感じなの!?

 お母さんってスゲー!!!

 

「全く、そんなに慌てているようでは良家の品格が疑われます。

 こういう時こそ、余裕を持って泰然としているのが淑女の嗜みというものなのですよ」

 

 お祖母さまはいつも通りのすまし顔をしながら、医者を呼んで手持ち無沙汰になったのか部屋のあちらこちらをカツカツと行ったり来たりしている。

 あの、思ったんだけどさ。

 

「お祖母さま、もしかして私と同じくらい落ち着きないん——」

「お黙りなさい」

「いやでも」

「お黙りなさい」

「アッ、ハイ」

 

 これ以上は藪蛇だそうだ。

 私はちょっと落ち着きを取り戻し、お母さんの手を粛々と握りしめることに努めた。

 

 その後、産婆さんが駆けつけてくれてすぐにお母さんが産気づいた。

 みんな間に合って良かったとそう思った。

 しかし誰もが気を緩めたその時、産婆さんがあることに気づく。

 

 生まれてくる子は逆子だったのだ。

 

 そこからはもうてんやわんやであった。

 逆子の出産は母子共に危険だ。

 ミリスは治癒魔術の元締めであるとはいえ、慎重な対処が求められる。

 私はお母さんが死ぬかもしれないと聞き、急速に頭が冷えていった。

 パニックになりすぎて、一周回って冷静になるというアレだ。

 私は助産婦の人の指示に従い治癒魔術を使ってお母さんの体調を整えたりあくせくと働いた。

 家族の命の危機に私の集中はピークに達し、いつもの数倍は精密で迅速な治癒の行使ができていたと思う。

 

 その場にいるみんなの尽力によって、お母さんも生まれてくる子も無事だった。

 生まれたのは女の子。

 私の妹になる子。

 彼女が元気に産声を上げた瞬間、私はぷつりと緊張がほぐれてその場にへたり込んでしまった。

 

 お母さんの腕の中で精一杯に泣き声を上げているその子を見上げる。

 とても神秘的だった。

 命というものを直に感じるあの空気感は、出産に立ち会った時の特有のものだと思う。

 

「ノア、抱いてみる?」

「いいの……?」

「もちろん。あなたの妹なんだから」

 

 私は恐る恐る赤ちゃんに手を伸ばし、あっかなびっくり抱きかかえる。

 ああ……なんて。

 なんという愛おしさだろうか。

 ルディに感じる信頼とはまた別の、私がこの子を守れるようにならなければならないという心地の良い責任感。

 

「うっ、ぐすっ」

 

 感動で涙が次から次へと溢れ出てくる。

 妹はノルンと名付けられた。

 私はこの子に尊敬されるような、優しくて格好いいお姉ちゃんになれるだろうか。

 いや、なろう。

 精一杯、至らないところはあるけど、まずは一人前になって——

 

「ノア、あなたはもう一人前よ」

「え……?」

「あなたはこの数ヶ月で、お母さんが満足するだけの成果を残したわ。

 だから、心配しなくても大丈夫。

 あなたは立派に成長してみせたもの」

 

 お母さんは優しく微笑んでそう言った。

 成果は出した。

 だから後はこのミリスで好きに魔術を学んでも良い、っていうこと……?

 

「でも、私はまだその……成果? ていうのが何なのか、まだわかってないよ?」

「ふふ、そうなの? じゃあ教えてあげる。

 〝友達を作りなさい〟それだけのことだったのよ」

「……え? そんだけ!?」

 

 こう言ってはなんだが、拍子抜けだ。

 もっと難しいものかと思っていた。

 例えばドラゴンを召喚するとか、迷宮踏破とか。

 いや、よく考えればそれ子供にやらせることじゃないな。

 学校でできることでもないし。

 

「それだけのことができない大人も大勢いるわ。

 あなたは初めての環境で、慣れない人達、慣れない文化の中でそれができた。

 いい? 人は1人じゃ何もできないわ。

 色んな人に頼って、寄りかかっていかなければ生きていけないの。

 その為には何が必要?」

「……友達?」

「そうね。信頼できる人達と言い換えてもいいわ。

 人生は苦難と逆境の連続よ。

 自分以外の人と支え合って、それを乗り越えていくの。

 あなたはそれができるようになった。

 だから、あなたはもう一人前なのよ、ノア」

 

 一人前。

 自分ではとてもそうは思えない。

 私はいまだに学校でも孤立しているし、慣れない環境に適応できているとは言い難い。

 そんな私の気持ちをお母さんは察しているようで、優しく頭を撫でてくれた。

 

「全てのことを上手くできる人が一人前なんじゃないわ。

 自分で自分の人生を選んで歩けるような人を一人前というの。

 少なくとも、私はノアがそうやって生きていけると認めたわ。

 お母さんの目を信じなさい? これでもあなたのこと、世界で一番わかってる自信があるのよ?」

 

 お母さんはそう言って微笑んだ。

 まだ、私は自分の実力に納得できてはいない。

 けれどもお母さんは私を認めてくれた。

 私の努力を認めてくれた。

 なら、自信を持って私も胸を張ろう。

 

「うん、ありがとうお母さん!

 私、これからもがんばるわ!!」

 

 そうして新たに愛すべき私の家族が増えました。

 この子に恥じることのないような人生にしたい。

 私は、そう強く思ったのだった。

 

---

 

 ノルンが生まれて数ヶ月が経過した。

 彼女は順調にすくすくと育っている。

 事ある毎に泣いているが、私は甲斐甲斐しく世話を焼いた。

 もしかしたらノルンに一番構っていたのは私かもしれない。

 私にできないことはお母さんや乳母さんが面倒を見てくれていたし、ノルンはとても恵まれているね。

 

 ノルンはすでにハイハイができるようになり、拙いながらも言葉を話すようになっている。

 私のことは「のーねぇ」と呼んでくれるのだ。

 ルディ相手では得られなかった庇護欲というものが満たされていくのを感じる。

 そんな風に私はでへでへとノルンにつきっきりで過ごしている。

 

 お母さんは一旦ブエナ村の我が家に帰るそうである。

 ノルンも連れ帰りたいそうだが、さすがに生まれたばかりの子に一年近くの長旅は酷だろうとのことだ。

 ノルンが旅に耐えられるぐらいの年齢になったら迎えに来るという。

 それまで私がこの子の姉として、そして母代わりとしてがんばろう!

 まぁ、一緒に遊ぶぐらいしかできることあんまないけどね。

 

 そうして今日はお母さんとのお別れの日。

 〝黒狼の牙〟の皆さん、そしてロキシーと冒険者区の門前で待ち合わせをしている。

 久しぶりに彼らと会えて近況を報告し、お母さんは楽しそうだ。

 体調も回復したようだし、本当に良かった。

 

 そして、私はと言うと。

 

「それで、ノア? 何か私に言うことはありませんか?」

「タイヘン、モウシワケゴザイマセンデシタ」

「わかっているのならよろしいです」

 

 ロキシーにお説教されていました。

 彼女からは魔術を習った際「無闇に天候を変える魔術を使ってはいけません」と言い含められた。

 そのことを失念して割と思いっきり『豪雷積層雲(キュムロニンバス)』をぶっ放した私のミスである。

 甘んじて受けます……いや、テンション上がっちゃってさ……すみません……。

 

「聖級の魔術師となれば一国の戦争をも左右する存在です。

 大規模な魔術を行使するに当たっては相応の責任が発生するということをよく胸に刻んでおきなさい」

「はい!」

「それでは、私達はゼニス様をお送りしていきます。

 護衛としての任務は完璧にこなしましょう、心配には及びません。

 あなたはよく自分の魔術と向き合い、(たゆ)まず精進を続けてください」

「了解です、師匠!」

「師匠はやめてくださいと何度も言っているでしょうに……」

 

 やれやれと肩をすくめてロキシーは言った。

 彼女はこういう時に自分を卑下することがよくあるが、もっと胸を張ってほしいものだ。

 ロキシーは私の尊敬する数少ない魔術師の一人なんだからね!

 

「ゼニスの娘……ノルンでしたか? 貴女やその子がブエナ村に戻る際はギルドに申し入れてくだされば、私達が駆けつけますわ」

「これも縁というものじゃからのう。

 面倒はしっかり見てやらねばこちらとしても寝覚が悪いもんだ」

「そういうこったな。

 んじゃ、お嬢もがんばれよ! 影ながら応援しといてやるぜ〜」

 

 エリナリーゼさん、タルハンドさん、ギースもそう言ってくれた。

 頼もしい限りだ。

 流石はS級冒険者、踏んできた場数が違うのだろう。

 

「ノア。寂しくなるけどしばらくお別れよ。

 ノルンのことをよろしく頼むわね?」

「任せて! 私もう一人前よ!」

「そうだったわね。落ち着いたらすぐに戻ってくるわ。

 パウロにもノルンの顔を早く見せてあげたいもの」

 

 私とお母さんは最後に抱き合って別れを告げた。

 あと数年は会えないだろうから、今のうちにお母さんを堪能しておかねばならない。

 

 それから、ちょっと個人的に話したい人もいる。

 

「ね、ちょっといい? ギース」

「ん? なんだよ、お嬢。そんな改まって」

 

 私は件の人物、ギースに小声で耳打ちした。

 彼は怪訝な顔をして耳を傾ける。

 

「ヒトガミのことなんだけどさ。

 なんであいつの言うこと聞いてんの?」

「あー……」

 

 ずっと気になっていたことだ。

 ヒトガミは言っちゃなんだがあまり良いヤツではない。

 私はあいつの底意地の腐った性格が嫌いではないが、ギースは普通に良い人だ。

 正直、彼らが連んでいるのが不思議でしょうがない。

 ヒトガミはギースのこと駒みたいに使ってるっぽいし、彼らの関係については前々から首を傾げていた。

 

「世話になったんだよ、昔な。

 あのヤロウは確かにクソみてーな神さんだが、俺にとっちゃ大恩人だ。

 なんつーか、無碍にはできねぇんだよなぁ」

「ふーん、お人好しだねぇ」

「へへっ、言ってろ」

 

 ギースは満更でもなさそうに鼻の下を擦った。

 彼も難儀な性格をしているものだ。

 ちょっと親近感が湧くよ。

 

「……まー、でもよ。

 俺が言うのもなんだが、あいつとは関わんねぇことを勧めるぜ。

 お嬢みたいな良い奴なら尚更な」

「ま、そうなんだろうけどね。

 でも私、あいつには何度か助けられてるし、嫌いじゃないんだよね。

 私にとっては、初めてできた友達だしさ」

「あんたも物好きなもんだ……。

 ま、忠告はしといたからな。後で泣きついてきても知んねーぞー」

 

 彼はそう言って後ろ手に手を振って離れていく。

 ヒトガミ、良い縁を持ってるじゃない。

 なんであいつはそれをわざわざ棒に振ろうというのかね。

 勿体無いことをしているもんだよ、全く。

 

「それじゃ、行ってくるわね、ノア! 元気にしてるのよー!!」

「うん! お母さんも! お父さんとルディによろしくねー!!」

 

 そうして私達は一旦お別れした。

 寂しくはない。

 また近いうちに会えるだろうという確信があるからだ。

 

 だから笑顔で別れよう。

 精一杯手をを振って、私はお母さん達を送り出すのだった。



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第二十二話 「ミリス教団」

ミリス教団が無職転生の組織でいっちゃん怖い説、あると思います。
それでは、今回もどうぞ宜しくお願い致します!



 

 お母さんは私を一人前だと認めてくれた。

 よって私はこれから自分が満足するまでこのミリスで魔術を学ぶことができるわけだ。

 認めてもらったからにはその期待に応えられるよう、よりいっそうの努力をしよう。

 え? テーブルマナー? ハハ、なんのことだかわかんないな〜?

 

 そんなわけで私はノルンのお世話の傍らで今日も魔術の勉強中だ。

 最近は治癒魔術に大きな興味を惹かれている。

 お母さんの出産の際に全力で行使したからなのか、私は以前よりもこの魔術に対する適正が上がったように感じるのだ。

 あの時はめちゃくちゃ集中してたし、無意識にコツを身体に叩き込めたのかもしれない。

 おかげで今は前までの半分くらいの魔力で同じような効果を出せるようになっていた。

 難産だったお母さんの手前でなんだが、これが怪我の功名というやつなのだろうか。

 

 決闘で役に立つような魔術ではないけれど、治癒魔術は覚えておいて損はない。

 むしろこれさえ有ればぶっちゃけ食うに困らないぐらいには引く手数多の有能魔術だ。

 あと単純に無詠唱でやる時は精密な魔力操作によって効果が大きく上昇したりもするので良い練習になるし、やりがいもあるのが個人的に学んでいて楽しい理由だ。

 現在の私は上級の治癒魔術を使えるようにもなり、今度から聖級に着手する予定になっている。

 

 最近は他にもミリス神聖国で盛んに研究されている解毒・結界・神撃魔術にも新たな発見があってホクホクしている。

 解毒魔術は中級以上からは毒を治すだけではなく毒に侵すことも可能だ。

 例えば舌を痺れさせるような毒を『濃霧(ディープミスト)』と併用することができれば魔術師との対面で圧倒的なアドバンテージを獲得できるだろう。

 まぁルディは無詠唱なのでこの戦法意味ないんだけど。

 

 結界魔術は初級で『魔力障壁(マジックシールド)』、中級で『物理障壁(フィジカルシールド)』を習得できる。

 どちらも相手を倒すことには使えない魔術だが、自分が負けないようになるには非常に有用だと言える。

 普通の魔術師ならば詠唱の必要性から攻防を両立させることはとてもシビアなものになるだろうが、無詠唱である程度の自由性を持って魔術の行使ができる私にはこれまたうってつけだ。

 聖級以上からは『魔力障壁(マジックシールド)』と『物理障壁(フィジカルシールド)』の両方の性質を併せ持った結界も使えるそうなので、ひとまずはそれの習得が結界魔術における目標だ。

 

 神撃魔術には当初あまりそそられなかったのだが、ラトレイア家に所蔵されている『神撃魔術の発祥』という本に記されていた「死霊魔術」の節を読んで考えを改めた。

 神撃魔術とは人魔大戦時に魔族の操る死者を蘇らせて使役する死霊魔術に対抗して人類側が生み出した魔術。

 つまり神撃魔術と死霊魔術は互いに相克の関係にあるとわかる。

 そして死霊魔術とは言い換えれば生物の魂に干渉する禁術。

 私はここから忌々しい自身の〝呪い〟に対する対抗策が編み出せるかもしれないと睨んでいるのだ。

 

 私はぶっちゃけもう自身の呪いを根本から治すことは半ば諦めている。

 肉体的には白子症であれどそれ以外は他人と変わらず、技術的にもこの呪いの解呪という観点では極めて絶望的だ。

 だが精神や霊……目に見えない要素ならどうだろうか。

 研究してみる価値は大いにある。

 とはいえ死霊魔術はその性質から禁術指定を受けているから、やるなら秘密裏に地道に進めていくことにしよう。

 

 そんな感じで私の魔術ライフ現在極めて順調だ。

 今日も今日とてクリフ先輩のご実家であるミリス教団本部に足を運ぶ。

 

「おはよーございます! クリフ先輩!」

「ああ、おはようノア。今日も元気だな君は」

「だって今日から聖級治癒魔術ですよ! 水魔術に続く聖級! 腕がなるってもんですよ!」

 

 治癒魔術は王級から身体の欠損すら治すことができるという。

 それはつまり肉体を魔術で作るという「治癒」の一言では片付けられない神秘である。

 そんな大怪我することなんてそうそうないとは思うけど、大いに興味をそそられる。

 是非ともミリスにいる間に王級まで習得したいところ……!

 

「あ、そうだ。

 ノア、ちょっと君に顔を出して欲しいところがあるんだ」

「えー……講義の前にですか?」

「そんなあからさまに面倒くさそうにするな」

 

 いそいそと意気込んでいた私は水を差された気分になる。

 ふっ、だが今日の私は機嫌が良いのだ。

 クリフ先輩の頼みとあらば聞いてあげるのもやぶさかではない。

 

「それでご用とはなんでしょう!」

「急に乗り気になるな……。

 まぁいい。実は僕のお祖父様が君に会いたいと言うんだ。

 良ければ顔を出してやってほしい」

「ほう、クリフ先輩のお祖父さま……」

 

 え? それって現ミリス教皇ってこと?

 めっちゃお偉いさんじゃないですか……。

 私、今日あんまりお洒落とかしてないんだけど大丈夫!?

 無礼者ーッ!みたいな感じで処されたりしない?

 

「まぁ、あんまり緊張しなくていいと思うぞ。

 お祖父様も君をどうこうしたりとは考えていないはずだ。

 ただ、少し話があると」

「それ絶対なんかあるやつじゃないですかー」

 

 なんかあったらクリフ先輩を囮にして逃げようと画策しながら、私は彼の案内に従って教団本部に何度目かの足を踏み入れる。

 何回か彼の案内でこの建物を歩き回っているが未だにどの廊下がどこに繋がってどの扉がどの部屋の入り口なのかさっぱりわからない。

 白塗りばっかりじゃなくてもっとカラフルにわかりやすくしてちょうだいな。

 

 そんな迷宮のように入り組んでいる廊下をクリフ先輩はずんずんと進んでいき、あっという間に教皇さまのお部屋に到着してみせた。

 さすが先輩、住めば都というやつだろうか。

 

「お祖父様! ノア・グレイラットを連れて参りました!」

「はい、ご苦労様です」

 

 その部屋は途中で透明な結界に遮られており、その奥に白く長い髭を蓄えた豪奢な司教服を身に纏う老人がにこやかな顔で座っている。

 彼がクリフ先輩のお祖父さまなのだろう。

 何はともあれ、まずは挨拶から始めよう。

 健全な関係とは友好的な挨拶から始まるのだ。

 昨日貴族マナー講習で言ってた。

 

「初めまして! ノア・グレイラットと申します! クリフ先輩にはいつもお世話になっております!」

「はい。元気な挨拶たいへん結構。

 こちらこそ初めまして、私はミリス教団の教皇を務めさせていただいているハリー・グリモルという者です。

 あなたの話はクリフからよく聞いていますよ。

 その齢で水聖級の魔術を行使する天才にして、アスラ王国でも力を持つグレイラット家傍流の長女にして才媛であると」

 

 教皇さまはそう言って好々爺然として微笑んだ。

 

「あの、それでお話ってなんでしょう?」

「はい。ノアさん、貴女は治癒魔術の腕も相当なものであると聞きます。

 今日は聖級の魔術を習いにお越しくださったとも」

「そ、そうですけど……」

 

 えっ、何? ダメなの?

 

「いえ、ダメというわけではありません」

 

 心読まないでちょうだいよ。

 

「ですが聖級ともなればミリス教団が独自に管理し、その権利を保持している謂わば我々の重要な資源なのです。

 ですので、おいそれと人前で聖級以上の治癒魔術等の行使はお控えいただきたい」

「あっ、はい。肝に銘じておきます」

 

 ……もしかしてイジメっ子どもを黙らせるために『豪雷積層雲(キュムロニンバス)』使ったことですかね……?

 は、反省したから許してつかぁさい……。

 

「それともう一つ」

「あ、まだあるんですね」

「はい。まだあります」

 

 教皇はにっこり笑って言う。

 すでに私はちょっとこの人苦手だ。

 なんというか、こう……胡散くさいんだよね!?

 猫撫で声してるヒトガミより信用ならない匂いがする!

 そしてじんわりと漂う嫌な予感に私は生唾を飲み込んで聞き入ろうとする。

 

「ノアさん、クリフと結婚してみる気はありますか?」

「「は?」」

「クリフと結婚してみる気はありませんか?」

 

 いや聞き取れなかったから「は?」って言ったんじゃないよ!

 大事なことだから2回言いました……ってこと!?

 というかクリフ先輩も豆鉄砲喰らった鳩みたいな顔してるんですけどちゃんと順を追って説明お願いします!

 

「お祖父様!? 聞いてませんよそんなこと!?」

「言ってないですからね。

 それと今すぐということでも決定事項ということでもないのでご安心なさい。

 謂わば、許嫁の提案というだけの話です」

 

 だいぶ大した話じゃないかな、それ。

 てか、どうしてそうなった!?

 

「突然言われても困惑するでしょうから説明をしましょう。

 まず先程私が申し上げた通り、聖級治癒魔術師ともなればいかにミリス教団が治癒魔術の総本山とはいえ、そう人数が多いわけではありません。

 端的に言えば、手放したくない人材であるというわけです」

 

 うーむ。

 つまり私をミリス神聖国に留めておくために首輪付けとこうってことなのかな、これ?

 

「それともう一つ。

 ラトレイア伯爵は魔族排斥派の重鎮にして神殿騎士団『剣グループ』の大隊長を務めるお方です。

 ラトレイア家からグリモル家に嫁いでいただけるのなら、無用な争いをせずに済みますからね。

 早いうちに手を打っておいた方が良いと判断したのです」

 

 なるほどね。

 ミリス教団内のパワーバランスなんぞはよく知らないけど、ラトレイア家が有力な貴族だってことぐらいは私にもわかる。

 私とクリフ先輩を結婚させることで関係を強化したいというわけか。

 なるほどなるほど。

 

 私は即答した。

 

「嫌ですっ!」

「ほう、潔いですね」

「そこまで潔いと逆に僕が傷つくぞ」

 

 いや、クリフ先輩に不満があるとかいうわけではないんだけどね。

 結婚とかまだよくわからないし。

 夫婦になるってことでしょ? つまりお母さんとお父さんのようになるってことだ。

 クリフ先輩がお父さんで私がお母さん……うん、やっぱ想像できないや!

 だからナシ!

 

「貴女にとっては良い話でもありますよ?

 クリフはいずれミリス教皇になる可能性が高いと私は見ています。

 そうなれば貴女の将来も安泰ですし、自由にこの国で魔術を学ぶこともできます」

「まぁ将来のことはともかく魔術に関しては悪くないですね。

 でも遠慮しときます。やりたいことがあるので」

 

 けど私はここに骨を埋めるつもりはないし。

 アスラに帰ってルディと決着をつけるのが当面の最終目的だ。

 それまでは自由の身でいたいものなんです。

 

 あと個人的になんか語り口が気に入らないんだよなぁ!?

 こう、こっちに都合の良さげな条件ぶら下げて操ろうとしてる感というか、まだなんか隠してそう感をひしひし感じるところがさぁ!

 怖いんだよね!

 だから教皇には悪いがこの話はナシってことで!

 

 その後、教皇は「無理強いも良くありませんからね。気が向いたらいつでも私に申しつけてください」と言って私達を退出させた。

 なんかどっと疲れた気がする……。

 かわいげのないヒトガミを相手してた気分だ。

 あいつほど性根の腐った感じはもちろんしなかったが、それが逆に私を気後れさせた。

 

 そして問題はもう一つ。

 

「あの、クリフ先輩。

 さっきからむすっとしっぱなしですけど、どうかしたんですか?」

「別になんでもない! 気にするな!」

 

 ずっとクリフ先輩が不機嫌なんだよねぇ。

 まぁ、先程の私の言い振りだとクリフ先輩に魅力がないみたいに受け取られることもあるのかな。

 クリフ先輩のことは好きだけど、それは先輩や魔術に取り組む同士としてだ。

 男女の関係とかは、まだよくわからないね。

 というか7才だし! そういうのやっぱり早いよ!

 

 それから聖級治癒魔術の講義を受け、私は見事に成功させて認可をいただいた。

 次は王級だ。

 思い入れのある水魔術より先に王級取っちゃいそうな勢いだけど、取れるものは早めに取っておくに越したことはない。

 

 別れ際にクリフ先輩から「いつか君に一目置かれるような魔術師になる。それまで待っていてくれ」と言われたが、あれもなんだったんだろ。

 私はとっくにクリフ先輩のことをすごい人だと思っているのだが。

 彼は自己評価が高いのか低いのかよくわからないことがある。

 

 私は聖級の称号を手に入れた余韻に浸りながら、入り口近くの中庭を通り抜ける。

 ここに咲いている花はとても綺麗で、なんとも言えない儚さが気に入っているのだ。

 名前は確か……

 

「見て、サラークの樹が満開だわ!」

 

 そうそう、サラークの樹。

 そしてその花弁が舞い散る下でくるくると楽しげに踊る、私より年下だと思われる幼い女の子。

 それに加え、彼女を優しく見守るテレーズさまの姿。

 優雅に舞う少女は私に気づいたようで話しかけてくる。

 

「あら? あなた、最近偶に見るお方ですね。

 実際にお会いしたのは初めてですが、今日はどうかしたのですか?」

 

 それが私と『記憶の神子』の初対面となった。

 



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第二十三話 「ロストメモリー」


遅れてすみません!
ちょっと身内の事情でバタバタしてました。
それでは、今回もどうぞ宜しくお願い致します!



 

 ミリス教団本部の中庭で出会った少女はサラークの舞い散る花弁がよく似合う女の子だった。

 淡い薄紅色のドレスを着ているのも相まって、華奢な体躯の花の妖精という印象を私に与えた。

 

「やあ、ノアちゃん。こんなところで会うとは奇遇だね」

「テレーズさま! ご機嫌よう!」

 

 少女には青い胸甲を着用しているテレーズさまが侍っている。

 ということは、テレーズさまは護衛の仕事中?

 じゃあ、その護衛対象っぽいこの女の子は……。

 

「もしかして、あなたが噂の『神子』さま?」

「ええ、そうです! ご存知だったのですか?」

「テレーズさまからお話は伺っておりましたから」

 

 私は慣れないお嬢様言葉でそう返答した。

 年下っぽい女の子に敬語使うのってなんか変な感じするね。

 

「ふふ、そうですか?

 やりにくいのであれば、私に対して敬語は使わなくても構いませんよ」

 

 神子さまはそう言って微笑んだ。

 というか私の心、ナチュラルに読まれてない?

 ミリスのお偉いさんには読心技術が標準装備されているのだろうか。

 

「教皇様は特別ですよ。あの方はとても洞察力に優れておいでですから。

 私の場合は『神子』としての能力ありきです」

「あー! そっか、そういえばそのことを聞きたかったんだった!」

 

 私は彼女の言葉に納得しながら、当初の目的を思い出した。

 ミリス教団お抱えの『記憶の神子』。

 神子と呪子の共通点である何らかの特殊技能に関連性があるかどうかを確かめたいと思っていたのだ。

 

 元々はテレーズ様に歓談の機会を設けてもらうつもりだったのだが、ここでばったり会えたのなら話は早い。

 ほとんどアポなしだが、今からでもお話しできないだろうか。

 

「私は構いませんよ。

 あなたのお噂はテレーズや他の教団の者からよく伺いますもの。

 今や教団のちょっとした有名人なんですよ、あなた」

「えっ、そうなの? ちょっと知らなかったよそれは……」

「あなたはとても目立ちますからね。

 私は比較的耳聡い方なこともあり、前々からあなたとはお話ししてみたかったの」

 

 神子さまはテレーズさまに振り返ってアイコンタクトを取る。

 そこには「アポ無しだけど丁度いいよね?」という意味が込められていると私はみた。

 テレーズさまは仕方ない、と肩をすくめて返答した。

 

 そうして、サラークの樹の下でささやかな女子会が催されることとなったのだ。

 

---

 

「まず聞きたいんだけど、なんで神子ちゃんって能力があるの?」

 

 私が疑問に思っているのはそれ。

 呪子でも神子でも、例外なく特殊な能力または体質を持っているものだと言う。

 じゃあ、その能力がどこから来たのか。

 類い稀なる力の源泉は何なのか。

 この辺りが気になってくるのは自然なことだろう。

 原因がわかれば対処の仕方だって見つかるはずだ。

 だからそこんとこ、日頃から能力を沢山使っていて感覚が身体に染み付いているだろう神子ちゃんに詳しく聞きたいのだ。

 

「ごめんなさい、それは私にもわかりません。

 生まれつきなものでして」

「ですよね〜」

 

 ちょっと肩透かしではある。

 けど予想の範囲内だ。

 私にかかっている呪いも先天的っぽいし、能力とは生まれつき持ち合わせている才能みたいなものなんだろうね。

 

「それじゃあ次、神子ちゃんは能力のオンオフってできるの?」

「できますよ」

「なるほどなるほど、やっぱりオンオフは可の……んんー!?」

 

 当たりを引いた……だと!?

 仮に能力の習熟度で呪いの出力を切り替えられるならもう解決したも同然じゃん!?

 

「ど、どんな風に制御してるの!?」

「こう……目頭あたりにぎゅーっと意識を集中したり、ずわーっと人の目をガン見するとなんとなくいけます」

「くっ……毛ほども参考にならない……!」

 

 要約するとあれか、意識しないとそもそも能力が発動しない感じか?

 私の場合は完全に常時呪いが漏れ漏れ垂れ流し状態なんだけど。

 

 ということはやっぱり私と神子ちゃんの能力ってもしかして完全に別口だったりするのだろうか。

 むしろそっちの方が可能性的に大なんだよなぁ。

 やばい、そっちの方があり得そうな気がしてきたぞぅ。

 

 うーん、よし。

 この際、一回自分自身で試させていただこう。

 神子ちゃんに見てもらえるなら、自分では気づかないようなことも明るみに出るかもしれないしね。

 

「神子ちゃん! 私にその能力使ってみて! それで体感してみてからもう一回理論詰め直すから!」

「あら? いいのかしら。

 見られたくない記憶とか、お有りでないの?」

「私、誰に恥じるまでもない人生を歩ませていただいているので!」

 

 まぁヒトガミのこととか内緒にしてることもあるけど、別にバレても私は困らないし。

 困るのヒトガミだし。

 あっ、でもこれはあんま口外しない方がいいよ。

 あいつ容赦はしないから。

 

「重々承知しました。

 それでは……失礼しますね」

 

 チカリ、と私と神子ちゃんの目線が光を放った気がした。

 あれ、気がしただけじゃない? なんか……めっちゃ光ってる!

 すげー!

 

「ほうほう、中々に波瀾万丈な人生をして……あら?」

 

 じーっと私達が熱い視線を交わし合っていると、神子ちゃんが不思議そうに声を上げた。

 

「どうしたの?」

「いえ、私の能力は目を見続ければどこまでも記憶を遡っていけるのですが……あなたの記憶は、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ……どゆこと?

 

---

 

★ side:記憶の神子 ★

 

 彼女、ノア・グレイラットの記憶を除いたのはほんの興味本位だった。

 

 ミリス史上でも類を見ない魔術の天才。

 枢機卿派にとっても教皇派にとっても、今後の勢力争いの鍵となり得るとして注目されている少女。

 枢機卿派であるラトレイア家にありながら、教皇の孫とも深い交友関係を持っている彼女に対して、現在両陣営の一部から水面下で引き入れようとする者も少ないながら出始めているようだ。

 

 神子としての能力でその辺りの腹芸には目聡い私が彼女に興味を持つのも必然ではあった。

 

 私は枢機卿派の絶対的な切り札。

 何があっても失ってはいけない最強のカードだ。

 当然ながら厳重な警備と監視の中で人生の大半を過ごしてきた。

 

 そんな私が、故郷を自らの意思で飛び出して自身のやりたいことに全力を注いでいる同年代の少女がいると聞き、密かな憧れを抱いたのもまた無理からぬことだろう。

 

 今の教団に保護されている生活に不満があるわけではない。

 平民と比べれば良い生活を送らせてもらっているし、普通は得られない厳戒体制で命の保障も行われている。

 

 しかし、できることならば。

 噂に聞くノア・グレイラットのような、自由な人生を送ってみたい。

 せめて、彼女がどのように感じ、どのような気持ちで生きてきたのか。

 その人生を知ってみたい。

 

 そのように思って、運良く通りがかった彼女に声をかけたのだ。

 彼女の方から記憶を見てほしいと請われたこともあり、私は嬉々としていつものように目を合わせた。

 

 その記憶は決して楽しげなものだけでできていたわけではない。

 いくつもの苦難があり、彼女なりの苦悩があった。

 しかしそれを自らの意思一つで乗り越えていく様は痛快なもので、まるで等身大の英雄譚を見ているように私は感じた。

 

 だがその最中、かつてない違和感を覚えた。

 

 普通の人間ならば記憶はある一定の時期で途切れるものだ。

 それは言うまでもなく幼少の時分、まだ己の自意識がしっかりと持てていない頃の記憶である。

 私の能力は本人視点の記憶を遡るものだから、通常ならばその時点で記憶の『道筋』は途絶えてしまうはずなのに。

 

 彼女の……ノア・グレイラットの記憶の『道筋』は、彼女の自意識が完成する遥か以前まで続いていたのだ。

 

 こんなことは今まで数多の人間の記憶を追体験してきた自分でも初めてのことだ。

 この違和感が、彼女が知りたいという〝呪い〟に関係しているのだろうか。

 

 『道筋』を遡り、ついに意味のありそうな記憶に行き当たる。

 その記憶は靄のようなものにまとわりつかれており、本人からは全く見えそうにない、彼女からしてみれば『失われた記憶』というものだと感じられた。

 

 能力に従い、私はその靄の中に足を踏み入れる。

 それに包まれた記憶は濃霧の中に紛れているように見えづらく、またところどころが大きく削り取られたように破損していた。

 

 しかしここに彼女が求める何かがあるのなら、良い記憶を見せてもらったお礼も兼ねて、何か彼女の力になれるのならば幸いだと思って、私は辛抱強くその靄の中にある壊れかけの記憶を一つ一つ丁寧に探っていった。

 

 

『これで601基目か……フン、果たして成功するかどうか』

 

 

 初めに見たのは、ゴポゴポと泡立つ液体の中。

 目の前には白髪のしわがれた、しかし風格を感じさせる老人が立っていた。

 

 

『俺はお前をただ一つの目的のためだけに創り上げた。

 だが残念だな。

 失敗作の中では比較的マシで、小指の先程には〝至る〟可能性があるとはいえ、お前は間違いなく使えない失敗作だ』

 

 

 次に見たのは、暗い実験室のような場所。

 鷹のように鋭い目つきの、左右で色の違う瞳を持つ老人は、失望を露わにして吐き捨てた。

 

 

『フン……世話焼きだけは一流になりやがって。

 お前はそのために作ったわけではないと、何度言ったらわかるのか』

 

 

 一転して、朝日がわずかに差し込む木組みの小屋のような場所。

 朝食を頬張る老人は相変わらず偏屈さに満ちていた。

 

 

『まともな役に立ちそうもないお前に朗報だ。

 せめてこの実験でくらいは、俺の役に立ってくれよ』

 

 

 そこで見たのは、満天の星空。

 月明かりの下で、彼女は老人の言葉に勢いよく頷いた。

 

 

『結局〝至る〟ことのなかった失敗作とはいえ、お前にはそれなりに使い道がある。

 ……いいか、必ずや使命を果たせ。

 お前の存在意義は、ただそのためにあるということを忘れるな』

 

 

 視点は再び、泡立つ液体の中に戻る。

 老人は彼女が浸かっている液体を覆う透明なガラスに手を当てながら、顔を伏せてそう言った。

 

 そして老人は次の瞬間、顔を上げ——

 

 

『いいな……いつか必ず、ヒトガミを殺せ』

 

 

 苦悩と執念に満ちた眼光で、記憶が途切れるまで、いつまでも彼女を見つめていた。

 

---

 

 神子ちゃんは私の記憶を読んだ後、テレーズさまを人払いに当たらせた。

 なんでも、2人きりの話にしておいた方がいいとのことらしい。

 

 そこで彼女から聞かされたのは突拍子もない話。

 

 私には生まれるよりもさらに前に人生があり、そこでは正体不明の謎の老人と2人で暮らしていた。

 私はその老人の娘?っぽい何かだったらしく、老人にはある者を殺すために育てられたのだという。

 

 そしてそのある者とは、私の腐れ縁ことヒトガミなんだとか。

 

 マジか……私の前世?はヒトガミをぶっ殺すために産まれたのか。

 なんかあいつのために生きてあいつのために死ぬとか嫌だな。

 今度文句でも言いに行くか。

 

 いや、でもあいつがいなかったら前世の私が産まれてこなかったってこと?

 じゃあ文句じゃなくてお礼にでも言いに行くか。

 

「……あの、あんまり驚いてらっしゃらないのですね」

「いや、驚いてはいるよ? ただねぇ、実感が得られないって感じ」

 

 だってその『失われた記憶』とやら、私には知る術がないんだもの。

 私は私の人生で、その記憶がなくても後悔なくやってこれた。

 だから私の印象としては、知らない他人の記憶と大差ないのだ。

 

「でも、これでまた一歩前進ね!」

「え?」

「だってこれで私の〝呪い〟がその……私の前世?由来のものっぽい可能性出てきたじゃん?

 まだ私が〝人間に勝てない〟っていう部分とどう関わってるのかはわからないけど、なんかとっかかり掴めそうな重要情報だったし……!

 ありがとう、神子ちゃん! あなたのおかげで私、これからも頑張れそう!」

 

 神子ちゃんは驚いたように目を見開き、そして眩しいものを見るように目を細めた。

 

「……そうでしたね。

 あなたは今までもそうやって乗り越えてきたのでした。

 きっとあなたなら大丈夫。

 記憶にも何にも縛られることなく、自由に人生を生きていくのでしょうね。

 こちらこそ、良い経験をさせていただきました。

 ありがとうございます!」

 

 その後、私達はまたお茶会でもしようと約束して別れた。

 初めてできた同年代の女の子の友達だ。

 今日は本当に得られたものが多い。

 

 とりあえず、このミリスでできることが終わってからやることは決まった。

 記憶の中にいたという老人、またはその人が生きていた痕跡を探すこと。

 まるで突破口が見えない研究に目処が立ってきた。

 私は期待に胸を膨らませて、ラトレイアのお屋敷に帰るのだった。

 



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第二十四話 「手紙」


今回でミリス編は終了です。
次回のプロットは一応作ってあるのですが、細部の設定を詰めるべく原作を読み直すのでちょっと次の投稿は時間が開くかもしれません。
さすがに半年待たせることはないので、気長にお待ちいただけると幸いです。
それでは、今回も宜しくお願い致します!



 

 私がミリス神聖国に来ておよそ三年近くの月日が経とうとしていた。

 

 魔術の習得はいよいよ大詰めに入ってきている。

 あとは王級治癒魔術の資格を取れば一旦故郷に顔を出そうと思う。

 私ももう9歳になるし、10歳の誕生日は家族水入らずで祝い合いたいものだ。

 ただ、今のペースだとギリギリ間に合わなさそうというのがもどかしいところだけど。

 

 治癒魔術以外の魔術も順当に力を付けている。

 解毒と神撃は上級の認定を貰ったし、結界に至っては聖級だ。

 取り敢えずの及第点は果たしたといったところだろう。

 3年目はほとんど結界魔術の鍛錬と研究に注ぎ込んでたし、そこそこ自慢の出来に仕上げたつもりだ。

 

 ガダルフ先生にご教授してもらった召喚魔術も上級まで習得し、もう教えることはないと皆伝を頂いた。

 精霊召喚も基本的には大体扱えるようになったし、魔獣召喚の方も使役する魔獣はこれから見繕っていくつもりだが、基本的にはマスターしたと言って良いだろう。

 目ぼしい魔獣は見つかってないんだけど、何がいいかな。

 ドラゴンとか憧れるよね、飛べるし頭良いらしいし。

 食費エグそうだけど。

 

 付与を始めとした魔法陣関連の技能も結界魔術と組み合わせて面白いことができそうだったので、かなり研究に労力を費やした部類ではある。

 今はまだ実験途中だが、成功すればまた一歩先のステージに進むことができるだろう。

 

 でもこの中で1番苦戦を強いられたのは解毒魔術なんだよね。

 だってこの魔術だけ異常に詠唱長い上に莫大な数の術式があるんだもの。

 まぁ、これも数々の症例に対応しようとした結果であり、先人達の苦労の積み重ねと思えばそれなりに愛着を覚えるものだ。

 でも流石に一節一節がバカ長いからちょっと短縮詠唱にさせてもらいました! 許してネ!

 

 お母さんにお世話を頼まれたノルンも順調にすくすくと成長している。

 最近では私が論文を執筆している隣でお絵描きしたり、絵本を読んだりしている姿が実に微笑ましい。

 将来は作家になるのかな? 気は早いが、今から大人になったノルンが楽しみだ。

 

 そんなノルンからはよく本の読み聞かせを強請られたりするのだが、微妙に好みに食い違いがあったらしく、最初の頃はそのすり合わせに苦労した。

 私はブエナ村の我が家にあった『ペルギウスの冒険』が物語として大好きで、ちょうどラトレイア家にも蔵書されていたので引っ張り出してきたのだが、ノルンには合わなかったらしい。

 

 その後色々と読み聞かせた結果、ノルンの好みは冒険活劇よりも人情モノの物語だったようだ。

 そういえばルディも『ペルギウスの伝説』とか『三剣士と迷宮』とかよりも図鑑派だったからなぁ。

 その辺りの好みとか、血のつながりを感じてほっこりする。

 でもペルギウスも面白くない? 面白いよね……? 

 

 そんなこんなでミリスでの勉強も生活も充実してきたある日、故郷ブエナ村から一通の手紙がラトレイアの屋敷に届いた。

 差出し人の名義は父さまであり、そこに書いてあったのは驚くべき衝撃の報告だった。

 

『親愛なる娘、ノアへ。

 元気にしているか? してるんだろうな、お前はいつも元気いっぱいだった。

 ちなみに父さんは死にかけているんだがな、色んな意味で。

 

 端的に言うとな。

 ゼニスがいない間、リーリャに手を出しちまった。

 

 それで、やることやったらそりゃできるわなってことで……できちまったんだな、お前の妹が。

 当然、帰ってきたゼニスは怒髪天を衝く勢いだった。

 ルディが取りなしてくれなかったから俺は今頃リングス海の沖に沈められて水龍の腹の中だったろう。

 

 それでな、帰ってきた時に知らない妹が我が家に居たら流石のお前も混乱するだろうし、こうやって手紙で伝えさせてもらった。

 言いたいことは色々あると思う。

 そっちはノルンの世話とかもあるだろうし気軽に帰って来いとは言えないんだが、できれば詳しい弁明は俺の口からさせてほしい。

 

 咎める人間がいない間に間違いを犯してしまい、すまない。

 本当にすまない。

 この通りだ。

 

 最後になったが、お前の勉強と安全を心より祈っている。

 元気にな。

 

 煩悩溢れる女の敵 パウロ・グレイラットより』

 

「…………………スーーーーッ」

 

 あまりの情報量に思考を一時停止させ、大きく息を吸って深呼吸した後。

 

 

「何やってんだッ、あのバカ親父ィーーー!!!!」

 

 

 おそらく家族に対して一生出てこないと思っていた口汚い罵倒が、ラトレイア邸にこだました。

 

---

 

 我らが過激派お婆ちゃんは報告を聞き、顔を上げていの一番にこう言った。

 

「絶縁ですね。

 ありったけの神殿騎士を向わせます。

 聖戦ですよコレは」

「「「どうどうどうどう」」」

 

 走り出したら決して歩みを止めることなく進み続ける進撃のクレアをなんとか引き留めるべくラトレイア家の全戦力で羽交い締めにする必要があったのはここだけの話だ。

 

 でもまぁ気持ちはめちゃくちゃわかるというか、目の前に激昂する老婆がいるおかげでまだ平静が保てているだけで、私も割と結構憤慨している。

 

 だってそうでしょ?

 お母さんはあんなにお父さんのこと〝信じてる〟って言ってたのに!

 これじゃあさすがにお母さんが不憫に過ぎる。

 

「……ノアさん。

 魔術の進捗は?」

「いい感じです。

 完璧とはいかずとも、あとは自力で賄える範囲内かと」

「宜しい。

 では貴女に頼みます。

 必ずや彼の淫魔のなり損ないに天誅を与えて参りなさい」

「実の父ですのでそのように悪し様に言われることには異議を申し立てたい所ではありますが、わかりました。

 その要請、承ります。

 取り敢えず、ありったけ強化した平手でぶってきますね」

「頼みましたよ。

 ノルンさんのことはこちらにお任せなさい。

 貴女の不在の分まで、立派なミリス淑女に育ててみせましょう」

「それはそれでなんかちょっと心配なんですけど……。

 お任せ致します、どうか健やかにノルンを育ててください」

 

 私達は3年間で1番息の合った怒濤の協議の末、ノルンをラトレイア家に預けての私のブエナ村帰還が決定された。

 

---

 

「というわけで、急遽実家に戻ることになりました」

「相変わらず嵐のような奴だな、君は」

 

 クリフ先輩は呆れたように嘆息した。

 彼にはこの3年間、本当にお世話になった。

 質の良い魔術の講義を受けることができたのも彼の計らいに依る所が大きい。

 

 貴族学院での生活においても彼は何かと手を貸してくれた。

 学院は全て貴族の子息令嬢で構成されているが、もちろんそれは一枚岩ではない。

 貴族の中でも身分の違いというものがある。

 

 私はその中でも最底辺という立ち位置に居ながら、学院の上位層に噛み付けるという何とも奇妙な状態だ。

 当然、私は無闇に誰彼構わず噛み付くような狂犬ではないのだが、噛み付く力があるというのは事実。

 ということで気づいた時には学院の下位層の人達にいつの間にか御輿にされてました。

 

 まぁ派閥が増えれば手出しもされにくくなると甘んじて受け入れて、たまーに突っかかってくる上流の方々にメンチ切ってたら段々と大所帯になってね。

 その取りまとめをしてくれたのがクリフ先輩だ。

 マジで頭上がらないんだよなぁ、この人には。

 

「正直言って今君に国を去られるのは色々な意味で困るんだが、安心しろ。

 学院の派閥の面倒は僕に一任しておけ。

 上の方にも話を通しておいてやる」

「いやマジで本当にありがとうございます……」

「気にするな、僕も打算ありきだ。

 将来のための基盤作りと考えれば安いもんだ」

 

 頼もしすぎる……!

 流石は教皇の孫といったところだろうか。

 既に風格を纏いつつあるぞ……。

 

「とはいえ在学中にはついぞ魔術で君には追いつけなかったな」

「まぁ、私はそれしかやってこなかったし……」

「プライドの問題だ。

 いずれ国を治める者として、後輩においていかれてばかりじゃ寝覚めが悪い」

 

 クリフ先輩はニッと笑って言う。

 

「首を洗って待っていろ。

 いずれ君も驚くような立派な男になってみせるさ。

 だから君も、必ず夢を叶えろよ」

「うん! ありがとうクリフ先輩! 私、あなたに会えて本当に幸運だった!」

 

 私達はがっちりと握手して、そのまま別れた。

 互いに目指すべき目標がある。

 その道が交わるかどうか今はわからないけれど、次に会った時お互い恥じる所のない人間でいようという、決意を胸に。

 

 出発は明日だ。

 思えばこの国では苦しいことが多かった。

 しかしそれ以上に多くの物を得られ、私の成長の糧になった。

 

 ミリス神聖国。

 美麗と醜悪、光と闇の両方を孕みながらも、色褪せることなく輝きを放つ大聖堂を横目に、私はラトレイア邸へと戻るのだった。

 

---

 

「ねぇ、ヒトガミは不倫ってどう思う?」

「1番俗世に関係のない僕にする質問じゃないよね、それ」

「でも私が知ってる限り一、二を争う俗っぽさだよ」

「表出ろ」

 

 俗神ヒトガミはそう言って中指を立てた。

 1番表に出てこない奴に言われても……って感じなんだよなぁ。

 

「まぁ愚痴った相手が悪かったか、これは」

「そりゃ良かったよ。

 これに懲りたら2度と不法侵入して来ないでくれ」

「考えてみれば恋愛経験ない奴に話振ってもしゃあないよね」

「特大のブーメランなんじゃないのかい」

 

 引き篭もりに比べれば出会いの機会は多いと思うよ。

 それにまだ色恋にはあんまし興味無いのでノーダメでーす!

 

「それで、明日から父親をぶん殴りに帰省すると」

「そそ。一年以内には帰りたいとこだよね」

「任せてくれ。

 頑張って道中を盗賊で埋め尽くしておくよ」

「余計なことせんでいい!」

 

 憎まれ口しか叩けないんだからもー。

 でもこういうところがほっとけないんだよね。

 根本から人を信用してないというか、人を下に見てるというか。

 いずれそこら辺で足を掬われるんだろう。

 

「んじゃ、明日は早いからこの辺で帰らせてもらうけどさ」

「そもそも来んなよ」

「なんか困ったことがあったら素直に頼みなよ。

 できる限りは力になってあげるから」

「あっそ、そんな未来が来たら僕はもう終わりだろうさ」

 

 私はしっしっと手を振って追い返すヒトガミに苦笑しながら、無の世界を出て行った。

 

 

「帰省ねぇ……君の姿は僕から見えないから盲点だったよ。

 この時期、ミリスからアスラに帰るとして……道中ではアレがあるな」

 

 ヒトガミは性悪に笑った。

 

「僕が関わった事件じゃ君は殺せない。

 けど……偶発的な災害に遭うことを、黙っているのはセーフだろう?」

 

 全てを見通す視界には、火の海に沈む王竜王国首都(ワイバーン)が映っている。

 

「何はともあれ……半月後の〝王竜祭〟が楽しみだ」

 

 悪神はそう言って、災厄の未来に思いを馳せた。



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