「止まってくれ」
軽鎧に身を包んだ男が声を上げる。
男の背後には巨大な、崖や山と形容した方が近いような
「あいよ」
声をかけられたのもまた、男だった。
しかし、守衛の男に比べると随分と小さい。守衛が180
しかしその出立ちは、そんなナヨっとした表現とはかけ離れた風貌をしていた。
白い羽織の頭巾にほぼ隠されているものの、その赤銅色の髪は火を通した鉄のような、超高熱を思わせる。
琥珀色の瞳はひと目見ただけで、その内に宿す尋常ではない意志の強さを物語っている。
羽織の隙間から、ちらと覗く肉体は鋼のように鍛え上げられており、その
「悪いな兄ちゃん……いや、爺さん? んん? まあとにかく、荷物を確認させてもらうぜ」
「爺ィってのは否定しねえがよ。
この奇妙なやり取りに、彼らは特に気にした様子もなかった。
外見と中身が一致しないなど……否、それよりもっと次元の違う
「よっこいせ、と」
つい口をついて出たのだろう、大して疲れてもいないのに爺臭く吐き出されたため息と共に、男は荷車——男の故郷では大八車と言われる——を引く手を止める。
「鉱石に、砂鉄に、あとは食料か。随分多いな。あんた商人か、それとも鍛冶師かい?」
「お、わかるか」
守衛の言葉に、男は意外そうに眉を動かした。
「わかるさ。知り合いが【へファイストス・ファミリア】で鍛冶師やってんだよ、すげぇだろ? やっぱりあそこの鍛冶師は世界一だぜ」
「へえ、なら今度そいつの鉄打ちでも見に行ってやるかな」
「おお、同業なら参考になると思うぜ? つっても、職人が技術を素直に見せてくれるかってのはわかんねえけどな!」
「違えねぇな」
がはは、と朗らかに笑う二人。そこには先ほど知り合ったばかりとは思えない親しみがあった。
「さて、確認は終わりだ。待たせたな。…………ようこそ、『オラリオ』へ」
きり、と仕事の顔に戻った守衛が、やや芝居がかった口調で腕を広げる。この大都市へ、他ならぬ自分が入場を許可する瞬間が、退屈な仕事の楽しみの一つなのかもしれない。
開いた門の奥から、
「ただいまっと」
そう言って男、
オラリオ——未知と混沌、欲望と冒険うずまく白亜の迷宮都市へと。
「……」
そわそわと、一柱の女神が忙しなく歩き回っていた。
普段の彼女を知る者ならば想像もできない事だろう。剛毅、泰然、冷静といった言葉を体現した様な彼女は、それ故に自身の眷属だけでなく、他の
「…………」
世界に名だたる一大鍛冶ブランド、【へファイストス・ファミリア】の主神にして永久現役社長、へファイストス。
燃える炎を思わせる緋色の髪を揺らしながら、彼女はとある人間を待っていた。
「………………」
右眼を覆う眼帯へと手を這わせ、そわそわ。
シャツの襟を直し、パンツの裾を伸ばし、そわそわ。
かと思えば、他の女神さえ羨む紅緋の癖毛へ手櫛を梳かして、またそわそわと。
長らくオラリオを離れていた彼から、「もうすぐ戻る」と手紙を受け取った時から、へファイストスは程度の差はあれこんな様子である。今日は特に酷い。
そして、鉄と鎚の奏でる声を聞き分ける彼女の女神イヤーは、ひとつの足音を聞き取った。
「っ…………!」
きりり、と打って変わって女神の威厳をその身に宿したへファイストスは、第一級冒険者もかくや、といった素早さでデスク奥のソファに腰掛け、『彼』がドアを開け放つのを待った。
これで彼女はどこからどう見ても、世の中の皆がよく知る神威と美貌を兼ね備え、凛と燃える炎の永久現役社長である。にこにこと大きく弛んだ口元さえ無視すれば。
「よお。戻ったぜ、
「——お帰りなさい、村正」
【へファイストス・ファミリア】の本拠地、その中でも最も豪華な主神の部屋へと、ノックをしてから入ってきた
「なんだ、ずっと待ってたのか?」
「一番弟子が帰ってくるんだもの。貴方は盛大な歓迎は嫌がるだろうから、せめて私くらいは出迎えないとね」
この世で最も尊敬する主神の言葉に、老鍛冶師は一瞬目を丸くして、次いでからからと嬉しそうに笑った。
「弟子冥利に尽きらぁ。ありがとうよ、お師さん」
「『外』で良い砂を仕入れてくる」と言ってふらりとオラリオを離れて早数年。気まぐれに放浪するのは鍛冶師の悪癖だったが、これが初めてのことではないのか、炎の女神は咎めなかった。
大切なのは心が繋がり、魂が息づいていること。愛弟子が確かにこの世界に生きていて、いつか彼女の元へと帰ってきてくれるのなら、悠久の時でさえ彼女は待つことが出来る。
「……コホン。それにしても、ちょうど良い時に帰ってきてくれたわね」
わずかに灯った熱い感情を咳払いとともに排熱し、へファイストスは老鍛冶師を見据えた。
「積もる話は沢山あるけれど、また今度にしましょう。早速で悪いけど、頼まれて欲しい仕事があるの」
「おう、久々の主神からのご指名だ。任せてくんな」
打てば響く、まるで鉄と鎚のような問答。
鍛冶師を見つめる緋色の隻眼には、確かな信頼が込められている。そしてそれを受け止める琥珀の瞳もまた、己の主神を微塵も疑っていなかった。
「うちの団長を手伝ってあげて欲しいの。————頼まれてくれるわね、
「ラウル、どしたのその刀? すっごい良いの使ってるじゃん!」
「あ、ティオナさん。どもっす」
肩越しに覗き込む様に現れた褐色のアマゾネスの少女、ティオナ・ヒリュテの声に、青年、ラウル・ノールドは、得物を整備する手を止めて振り返った。
「これ、この前買ったやつなんですけど、すごい良い買い物だったんで最近はずっとこれを使ってるっす」
ラウルの手入れしていた刀は、同じ【ロキ・ファミリア】に所属する第一級冒険者であるティオナをして感嘆するほどの業物であるように見えた。
「……うん、すごい」
もう一度まじまじと見て、やはり同じ、いやさっき以上の感嘆をもらすティオナ。
無骨で、無駄な装飾などは一切施されていない、なめらかな鈍色に光る刃。
それでいて見る者が見れば雅さすら感じさせるほど美しいのは、武器に求められる機能をそのままカタチにしたほどの完成度をその刀が持っているからに違いない。
「どこのファミリアの作品? へファイストス? ゴブニュ?」
「それが、わからないんすよ。ファミリアどころか、銘も、作者の名前すら刻まれてないんです、この刀には」
「え──ッ!」
「そもそもこれ、冒険者通りでバラ売りに出されてた物を買い取った、掘り出し物ってやつっす」
「え──ーッ!?」
まさかこれほどの業物に自身の名前すら記さないとは。
ティオナの目には、その刀は都市最大の鍛冶派閥である【へファイストス・ファミリア】の
名前さえ判れば、一気にこのオラリオで上り詰められそうなのに。
「ちょっとうっさいわよ、どうしたの」
「……?」
二人の騒ぎを聞きつけたティオナの姉のティオネ・ヒリュテと、【剣姫】の異名を取るオラリオ最強の女剣士、アイズ・ヴァレンシュタインが、どうした事かと加わった。
「……へえ、確かに良い剣ね」
「うん、使いやすい」
二人の話を聞いたティオネとアイズは、無銘の刀を暫し眺め、何度か振った後、同じ評価を口にした。確かに業物だ、と。
「でもそういう事なら本職に聞いた方がいいんじゃない? せっかく今回ついて来てくれてるんだし」
「あっ、そうか!」
ある一方を指差したティオネに、忘れていた! とばかりにティオナが手を叩いた。
視線の先には一つの天幕。
【へファイストス・ファミリア】の刻印が記された、鍛冶師達の
ここはダンジョンの50階層。
【ロキ・ファミリア】の冒険者達と【へファイストス・ファミリア】の鍛冶師達が同盟として戦う一大
迷宮都市の最前線。
「……ふむ」
「どう? 椿」
『わくわく』という雰囲気を隠そうともせず、ティオナが左目を眼帯で隠した褐色の美女へと尋ねた。
【へファイストス・ファミリア】団長。
天幕の内は、同盟の幹部同士で積もる話もあったのか、椿の他にも、フィン・ディムナ、リヴェリア・リヨス・アールヴ、ガレス・ランドロックの三英傑が揃い踏んでいる。
大分ぎゅうぎゅう詰めになった天幕の中で、椿は【ロキ・ファミリア】の面々を見渡して告げた。
「うむ、間違いない。こいつは手前の師匠が打った刀だな」
「師匠……」
想像以上のビッグネームが出てきた、と少女達は思った。都市最高峰の鍛冶師である彼女の師匠として思いつくのは、それこそ鉄と炎を司るあの……
「へファイストス様のことっすか?」
「いや、違う。神ではない」
「えっ!?」
思わぬ返答に、青年と少女達は驚きの声を上げる。へファイストスやゴブニュ以外の、それも一人の人間として、目の前の鍛冶師を超える存在を知らなかったからだ。
「驚くのもわからんではないがな。わが主神も目指すべき目標の一人ではあるが、手前に直接、
「それはどんな……」
想像もつかなかった。『凶狼』ベート・ローガの『フロスヴィルト』をはじめ、数々の傑作を鍛えあげてきた
「フィン達は知っておるぞ、な?」
「まあね」
椿が「自分の師匠だ」と言った時点で納得した表情をしていた幹部三人のうち、フィンが椿の言葉に応える。そのまま続きを促す椿に対し、「僕が説明していいのかい? というか僕に説明させる気かい?」と言った視線を向けるも、椿は豪快に笑うのみだ。
苦笑しながらフィンは続ける。
「ラウル、君の刀の製作者の名前は
「むらっ……!?」
予想だにしなかった名前に、ラウル達は驚愕した。
そうだ。一人だけいる。
椿・コルブランドの師として名前が挙がってもしっくりくる人間が。
ラウル達がその名前に思い至らなかったのは、ひとえにその鍛冶師の名があまりに伝説的すぎて、彼が活躍した年代も相まって、彼女達にとっては御伽噺の様な扱いになっているからだ。
千子村正。この名前をオラリオで知らない冒険者、そして鍛冶師は一人としていない。
いわく————
「【へファイストス・ファミリア】の元団長であり、彼の女神の最初の眷属にして一番弟子。
【ゼウス】、【ヘラ】、【フレイヤ】。オラリオ四大ファミリアの内【ロキ】を除くファミリアの英傑達の
……ンー、他に逸話はあったかな。まあ、挙げ続ければキリがないか。
とにかく重要なのは、彼がかつてオラリオで『頂天』と言われた
「…………」
「君の言う通り、良い買い物をしたね」
ラウルは、空いた口が塞がらないといった様子で呆然としていた。さぞ名のある鍛冶師だろうと思っていたら、想像を遥かに超えるレベルの名前が出てきたのだから。
「じゃあラウルのコレは、椿が造ったガレスの『グランドアックス』より……」
「近い性能はしているだろうが、超えてはいないだろうな。手前が自惚れているのではなく、
「はあ!?」
思わず椅子を蹴倒し、ティオナが驚愕する。ティオネやアイズ、所有者であるラウルも同様だった。
あり得ない。あの刀を振った時、使い心地は慣れ親しんだ武器に劣るものの、握る柄から伝わる尋常ではない性能は、長年連れ添った彼女たちの相棒に勝るとも劣らないものだった。
失敗作で
ラウル達の脳裏に浮かんだその疑問はまるで、とある酒神の
「ついでに言うと、師匠は今は刀を店に並べなくなった。腕を磨くために売らない刀を打ちまくり、金が尽きたら、必要な額まで早く売れるように適当に安値で売りに出す。……まあつまり、その刀は失敗作であり、師匠の
「はあ──ッ!?」
今日何度目かのティオナの叫び声が、天幕の中で木霊した。
「椿、お前遊んでいるだろう……」
「ハハ! そう言うな、リヴェリア!」
微妙な顔で刀を見つめるラウルと、話は終わったとばかりにフィンに擦り寄るティオネ。そしてそんなラウルを励ますティオナとアイズ、そしてガレス。
そんな面々を眺めながら、オラリオ最高の魔法使い、【
「いんやあ、いーぃ気分だったぞ! 師匠がどれだけ偉大な鍛冶師であるかを伝えることが出来て!」
むっふん、と満足げに頷く椿は、ともすれば武器を仕上げた時以上に嬉しそうなのではないかと感じるほどだった。
「あいつはいつ戻ってくるのだろうな」
ぽつりと、リヴェリアは久しぶりに聞いた懐かしい名に眼を細めた。
「さあなぁ、いなくなる時は本当に急に姿を眩ませるお人だからな……。あぁでも、ちょっと前にオラリオがごちゃごちゃしていた時は数日ほど戻って来たのだろう? なら6、7年ほどか。ううむ、微妙な期間だな」
「……アレを『ごちゃごちゃ』で済ます奴を初めて見たよ、私は」
「そう褒めるな! 照れる!」
額に手を当ててため息をつくリヴェリアに、椿は更に呵呵として笑った。
思い出すのは50階層での一幕。しかし、今の椿に声を上げて笑うほどの体力は最早残されていなかった。
(終わりか…………存外、呆気ないものだな)
地に這いつくばりながら、自らの右腕を見る。
超弩級広範囲殲滅魔法『ファイアーストーム』によって焼け爛れるのを飛び越して黒い炭と化した右腕は、もう使い物にならない。
リヴェリアの持つ最高の——つまり世界最硬の防御魔法、『ヴィア・シルヘイム』を貫通して
もし彼女の守りが無ければ、余熱だけで椿達を七回は焼き消すことが出来るだろう。
そしてもう、次はない。
「リヴェリア……ガレス……」
アイズが震える声で名を呼んだ二人は、火傷に覆われた全身を地面に横たえてぴくりとも動かなかった。
二人だけではない。
【ロキ・ファミリア】の誇るオラリオ最高峰の遠征部隊は死屍累々の様相を呈し壊滅していた。
『剣姫』も『凶狼』も『大切断』も『怒蛇』も『超凡夫』も『単眼の巨匠』も『勇者』も、彼らを守って直撃を受けたリヴェリアやガレス程ではなくとも、炎の濁流に飲まれ倒れ伏している。
『【地ヨ唸レ】』
「嘘、だろ……」
誰かが絶望の声を漏らした。
倒れ伏す彼らの遥か頭上、巨大な植物型モンスターの上部だけが女の形をした『穢れた精霊』が、間髪を容れず詠唱を開始する。
『【来タレ来タレ来タレ大地ノ殻ヨ黒金ノ宝閃ヨ星ノ鉄鎚ヨ開闢ノ契約ヲモッテ反転セヨ空ヲ焼ケ地ヲ砕ケ橋ヲ架ケ天地ト為レ降リソソグ天空ノ斧破壊ノ厄災——】』
リヴェリアすら上回る詠唱速度による、インターバル無しの
『【代行者ノ名ニオイテ命ジル与エラレシ我ガ名ハ地精霊大地ノ化身大地ノ女王──】』
収束する桁違いの魔力。
淀み、澱り重なり、固まったそれらが形を成すのは、黒曜の流星群。
『【メテオ・スウォーム】』
「く、ッそ!!」
サポーターを抱き抱える様にして庇うヒリュテ姉妹の前に立ち、叩きつけられる星の暴風の前に背中を晒した。
(————師匠)
最期に思い浮かぶのは、やはりと言うか、師の事だった。
未熟な自分を育ててくれた大恩人。いつも背中を追ってばかりで、それでもいつか超えるべきと定めた標の片割れ。
ああ、もう一度会って、造った武器を
わたしはどれだけ、あなたにちかづけたのでしょうか————
「随分派手にやられたモンだな、馬鹿弟子」
こえが、きこえた。
そこにいたのは、少年、若しくは青年だった。
形容が定まらないのは、その子の纏う雰囲気が、あまりにも老練であったから。
白い羽織を肩に掛け、上半身に纏うのは灼熱を思わせる深紅の射籠手のみ。
「ぇ、ぁ————?」
視線を上げると、灰色の世界によく映える赤銅色の髪が目に入った。
それはまるで、燃え滓の中で息づく小さな火種のようで。
「————」
私達の前に出て、『精霊』に背中を晒すように身を張ってくれていた椿が、背後の少年の声に隻眼を見開いて絶句した。
そのまま、弾かれたように振向こうとして。
「危ないッ!!」
隣のティオネが声を張り上げた。
止まっていた時間が動き出す。
少年の背後に迫る、肌が粟立つほどの魔力が込められた漆黒の箒星。
それは尾を引きながら私たちを——
「は?」
呆けた声を上げたのは、多分ベートだった。
斬れている。
絶望の砲撃が。死を告げる流れ星が。
真ッ二つに、一つ残らず。
如何なる奇跡を用いたのか。中心から綺麗に分かたれた星々は、私達を器用に避けながら、『ドガガガガガッッ!!』と私たちの周囲の地面を根こそぎ削り取っていった。
少年の手にはいつの間にか、鍔も無く柄も拵えられていない、陽炎を纏う赤熱する剥き身の刀が握られていた。
「ほれ」
「わぷっ」
ぽかんと口を開けた私達へ、その子は
火傷の痕が消えていき、少しづつ痛みも引いていく。
(…………助け、られた?)
目まぐるしい現実と混濁する思考に、ようやく理解が追いついた。
彼はてきぱきと、そして乱雑に、倒れ伏す面々に
そして、最も酷い状態のガレスとリヴェリアの側に膝をついて、懐からエリクサーを取り出して躊躇なく撒いた。
「坊主、お嬢。生きてるか」
「お主、は……くく」
先に目覚めたのはガレスだった。覗き込む少年の顔を認識して、少しだけ笑う。
「お嬢。おい、お嬢」
ぺちぺちと頬を叩く少年の声に、火傷の引いた白磁のかんばせを震わせて、弱々しくリヴェリアが口を開いた。
「私の、方が……年上……だ」
「一つ違いだろうが、箱入り娘め。そんだけ軽口叩けりゃ上等だ。おら、これ飲んどけ」
「むぐ」
リヴェリアの生存を確認した少年が彼女の口に
その周囲で、ようやく立ち上がれるまでに回復した私たちが態勢を立て直そうとした時。
「ししょっ……」
『ラアアアァァァ——————————!!』
縋るような椿の叫びをかき消して、悍ましい子供の歌声が響いた。
いつの間にかリヴェリアの結界魔法の残滓が消え去っていて、逆に『精霊』にはむしろ先ほどよりも魔力の奔流が迸っている。
それが意味するのは、先の超弩級広範囲殲滅魔法がまた来るということ。
こちらは一人を除いて軒並み満身創痍。
その増援の少年だって、どれだけ強くたって『
さらに、絶望は終わらない。
『ラアアアァァァ——————————!!』
「マジっすか……」
歌声に引き寄せられるように現れる無数の芋虫型と食人花のモンスター達。
『ラアアアァァァ——————————!!』
歌う。唄う。
幼く、艶かしく、残酷に奏でられる旋律が無数のオーディエンスを呼び寄せて。
「うるッせぇな!!」
たった一振りで、その半数以上が
「うっそ……」
深紅の左腕に提げているのは先ほどの刀ではなく、いつの間にか2
「あ……」
遠目ですら解るほどのその業物が、寿命を終えたようにぱきん、と音を立てて砕け散る。
飛び散った鋼のカケラは、地面に届く前に、空気に溶けて消えていく。
「ちっ……」
腹立たしげに頭をがしがしと掻いた少年は、大分回復したとはいえ、未だにボロボロの私達を——椿を見て、『精霊』へ振り返った。
「おい」
たった一言に込められた、燃える様なその激情。
——カン、カン、と。鉄を叩く音がする。
それは、少年の身体から聞こえてきた。
「弟子を可愛がってくれてありがとよ。お礼に
「————鍛造の粋、ご覧じろ」
とりあえず短編で、5話以上書いたら連載に切り替えます。
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特注品
男の手に燐光が弾ける。
集まった魔力を払う様にそのまま手を横薙ぎに振るうと、伸びる様に光が広がり、それは一振りの刀として男の手に収まっていた。
「待ってくれ、師匠……!」
————師匠。
椿・コルブランドがそう呼ぶ人間は一人しかいないと、50階層での天幕で集まった面々はつい先日知っている。
「あれが……」
千子村正。
人界最高の鍛冶師。
数多の英雄を送り出した者。
オラリオの生き証人。
【ロキ・ファミリア】の前に現れた『伝説』は、不機嫌そうに口を開いた。
「うるせェ、
村正は椿の声を一顧だにせず、剥き身の刀を肩に担いで歩みを進める。
そして、リヴェリア、ガレス、フィンの横を通り過ぎた所でもう一度口を開いた。
「お前らもだ、三馬鹿」
あまりにも不遜な物言い。
オラリオに、いや世界に勇名轟く『三英傑』に対して、神以外でここまで言える人間が一体この世の中に何人いる事だろう。
「何モンだ、アイツ……」
50階層の【へファイストス・ファミリア】の天幕での一場面を知らないベートが困惑した声を上げた。この場にいるサポーターやレフィーヤも同じ反応である。
英雄?
冒険者?
射籠手の男がもたらした、先の圧倒的破壊を思い出した彼らは、同じような推測を立てる。
「テメェら全員————折れちまったンなら、そこで休んでな」
そんな思考は、村正の言葉によって全て吹き飛んだ。
舐めるな。
代わりに燃え上がるのは、自分達冒険者の持つ誇りへの侮辱に対する、何よりも無様に地を這い、諦め掛けていた自分達に対する憤怒だった。
「言わせて、おけば……ッ!」
「口を、慎め……ヒューマン、風情が」
「鍛冶師に言われちゃ、おしまいだね」
『三英傑』が立ち上がる。悪態をつきながらも、その口角は確かに上がっていた。
「まだ、いける」
「あったま来た……!」
「誰が、折れたってんだよ……ッ!」
「ふざ、けんな、っす!」
アイズが、ティオナが、ティオネが、ラウルが立ち上がる。椿から射籠手の男の素性を聞いている彼女達だが、その瞳は『凄いやつだか何だか知らないが、馬鹿にするのは許さない』と、雄弁に語っていた。
「ホザいてんじゃ、ねぇ……!」
「私、だって、足手まといになんか……っ!」
ベートが、レフィーヤが、サポーター達が立ち上がる。素性も知らない正体不明の乱入者に助けられた挙句、
ベートは言うに及ばず、レフィーヤやサポーターの女性団員達でさえ情けをかけられた屈辱に歯を食いしばった。
「応とも……! 手前だけ呑気に寝ていられるか……!」
そして、男の弟子も立ち上がった。
鍛冶師と冒険者は二人三脚。こうして戦場に着いてきた以上、自分だけ楽をする積もりは無いと、一端の鍛冶師の顔をして、椿・コルブランドは啖呵を切った。
「はっ」
その光景を肩越しに振り返り、男は笑う。
男は鍛冶師だった。
戦士でも冒険者でもないが故に、指揮のたぐいに心得があるわけではない。
——ただ、冒険者という刀への、
「焼きは入れても、鍛ち直す必要はねえってか。ったく、可愛げのねえヤロウどもだ」
呆れた様に言う村正だったが、その顔には確かに笑みが浮かんでいた。
それはまるで、やんちゃで聞かん坊な、手のかかる子供を見守る老人のような、穏やかな笑みだった。
「さて……おい、ティオナ・ヒリュテってのァどいつだ!」
「うぇッ、あ、あたし!?」
突如として叫ばれた自身の名前に、アマゾネスの少女がびくりと肩を震わせた。
「【ゴブニュ・ファミリア】の連中から匙を投げられた注文の品だ! 受け取れ、鍛冶師泣かせめ!」
深紅の射籠手に白光とともに収められた巨大な影が、回転しながらティオナの眼前に突き刺さる。
「あっ!?」
見覚えのあるその威容に、ティオナは思わずその手に握る椿謹製の
「
それは自身の相棒の名。
かつて、ティオナ達を取り囲む芋虫型のモンスターによって溶解させられた極大の双刃刀だった。
しかし、以前の
反対方向に伸びる楕円形の二枚の刀身は、一部刃を潰され、
刀身そのものの色は日輪を思わせる黄金から、月光の如き白銀へと変わり、表面に浮かぶ、星屑を散りばめたように淡く輝く乱れ波紋が静謐な美を醸し出している。
柄に巻かれた
極東の
それが、千子村正が手がけた二代目
「わぁっ…………!」
ティオナはその瞬間、満身創痍の身体も、圧倒的不利の戦況も忘れて、ただ頬を染めて興奮に飛び上がった。まるで誕生日のサプライズプレゼントに、ずっと欲しかった服を買ってもらった少女の様に。
ラウルの刀を見た時と同じだ。
目利きに関してはからっきしという自覚があるティオナでさえ否応なく理解できるとんでもない業物。
「注文は『どデカい双刃刀』だけだったんでな、細部の意匠はこっちで勝手に拵えちまった。気に食わねえんなら
「ううんッ、文句なんて無い! すごい、すごいよ! ありがとう!」
「礼は【ゴブニュ】の連中に言いな」
感嘆とともに捲し立てるティオナの方を振り返り、村正はにやりと笑った。
「『階層記録更新』ってんで、『代わりの
いくら頼む相手が村正とは言え。
いくら自分達の力不足で武器が壊れたと知っているとは言え。いや、そうだからこそ。
鍛冶師にとって、自分が手がけた作品の鍛ち直しを、他者に依頼するのはこれ以上ない屈辱だ。
それでも尚、かつて
短期間、高品質で
「お前さん、鍛冶師泣かせとは聞いちゃいるが、好かれる
「〜〜〜〜ッ、うん! 絶対、あの人達にもお礼するっ!」
「……みんなお前さんみたいに素直に喜んでくれりゃ、
きらきらと無邪気に目を輝かせながら飛び跳ねるティオナに、村正は思わず苦笑した。
「さて、
無駄話は終わりだとばかりに視線を『精霊』へと戻した老鍛冶師は、地面に蜘蛛の巣状の罅を残すほどの踏み込みをもって掻き消えた。
「アイズで決める! 陣形を整えろ!!」
『
鍛冶師の熱に浮かされて。
身体という鉄に、精神という鋼に、熱が灯る。
(よし…………っ!!)
中でもティオナの闘志の昂りようは推して知るべし。
彼女が【ロキ・ファミリア】屈指の戦闘狂として知られる『
「うおおおおおおおおおおおッッ!!」
『ヘル・フィネガス』。
その身に宿った魔法によって狂戦士と化したフィンの咆哮と共に、ティオナは
(——————あ、やばい、コレ)
直感。
千子村正の刀は、見ただけでその性能の高さを解らせた。
そして今、彼の作品は、握っただけでティオナの性能を
ドバァッッッッ!! と、ティオナの踏み込んだ地面が爆砕し、『
「うわぁぁぁぁッッ!?」
「!?」
「何してんだ馬鹿ゾネス!?」
陣形の先頭を驀進するフィンを、【ロキ・ファミリア】最速を誇るベートさえ追い越して、ティオナは滑るように地面すれすれを飛翔した。
ティオナ自身でさえ驚愕に叫びを上げたその神速は、瞬く間に彼女と『精霊』との距離を奪っていく。
しかし、その間を埋め尽くす無数の芋虫型。
「邪ァ、魔ッッ!!」
ぎちぎちぎちぎちっ、と生理的嫌悪感を抱かせるモンスターの大合唱をかき消すように、ティオナが
負ける気がしなかった。
全身を覆う火傷も、手足に鉛を括り付けられたような倦怠感も、今だけはティオナの脳裏には存在しなかった。
そして、刀身が芋虫型に触れる刹那。
(あれ、そういえば
ふと思い出すのは、芋虫型を斬り捨て、代償としてどろどろに溶けたかつての相棒。
「あぁ、
「ちょっとおおおぉぉ────ッ!?」
僅かに右前方。
刀を使い捨てながら、いつの間にか引っ付いてきた弟子とともに芋虫型と食人花を斬りまくる村正が、思い出したようにそう言った。
(やばい、止まれないっ!)
ああ、せっかくあんな凄い人にこんな良い
こんな十把一絡げのキモいイモムシと引き換えだなんて割に合わなすぎる。
何より金がヤバい。財布がヤバい。お願いだから経費で落ちますように。
既に今後しばらく財政難が確定している【ロキ・ファミリア】の元凶の一人は、間違いなくこのティオナ・ヒリュテであった。
ひぃん、とティオナが泣きそうになりながら芋虫型に吸い込まれていく刃を見送り、
とぱぱぱんっ、と。
水の詰まった皮袋を叩いたような音を残して、白銀の刃が芋虫型を
「————は?」
思わぬ光景に固まるティオナをよそに、芋虫型達の体表に、ぴっ、と一筋の線が刻まれた。
一拍遅れてじわりと毒々しい色の水の珠が浮き出し、
ばっしゃああああっ、と、血の代わりに溶解液が噴き出した。
「やっばぁ……」
『通り抜け』だ。斬られた事に芋虫型達が
途轍もない切れ味。優しく光る白銀の刀身には、溶解液の一滴すら付いていない。
「良い出来だ。悪かねえ」
自身だけではなく、【ゴブニュ・ファミリア】の鍛冶師達の誇りをも背負って鍛えた一振り。
その晴れ姿を目にした老鍛冶師は満足気に微笑んだ。
「う゛お゛おおおおぉぉッッ!!」
極熱の魔法を、フィンの金槍の砲撃が収束する魔力ごと『精霊』の喉を刺し穿ち、止める。
リヴェリアが、ガレスが、ベートが、ティオネが、ラウルが、レフィーヤが。
この場にいる全員が獅子奮迅の働きを見せ、いつの間にかアイズに並走しているティオナとの二人組を援護していた。
いける、と全員の意思が一つとなりかけた時、『精霊』の口から、人ならざる歌が奏でられた。
「【突キ進メ雷鳴ノ槍代行者タル我ガ名ハ雷精霊雷ノ化身雷ノ女王──】」
「短文詠唱!?」
苦し紛れの攻撃ではない。
(間に合うか————!?)
先の一撃と同じようにフィンが銀槍を構えた時には既に、『精霊』の眼前には
視界の端でレフィーヤが防御魔法を展開しようと構えるのが目に入った時。
先頭を走るアイズとティオナの更に先。
「村ま————」
「【サンダー・レイ】」
誰かの悲鳴。
塗りつぶす極光。
豪雷を束ねる神威の槍。
階層の天井をも雷光で染め上げながら発射された極大の光線を、
「『雷切』」
男は刀の一振りで、
荒れ狂う光の奔流が二又に分かれ、アイズとティオナを避けて地面を舐め尽くしていく。
「ちっ……!」
中空で村正がわずかな苦悶の声を漏らす。
「格好つかねえな、どうも……!」
刀剣による魔法破壊。
奇跡の如き所業の代償に、刀は砕け散り、村正の右腕は雷撃によって黒ずんでいる。
しかし激痛をおくびにも出さず、村正が叫んだ。
「行けッ!」
片手に掴んだ羽織をはためかせながら落下する村正の声を追い越し、白と黒の少女が駆けた。
リヴェリアの【レア・ラーヴァテイン】による花弁の装甲の滅却。
ガレス、フィン、ベートの触手の緑壁の突破。
たった数秒というあまりにも長い滞空時間を経て再び村正が着地するまで、戦況は目まぐるしく変わっていった。
「届いてっ!!」
そして、レフィーヤ渾身の【アルクス・レイ】が、気取られないよう詠唱していた極小のものとはいえ、『精霊』の【アイシクル・エッジ】を貫き、その身体を仰け反らせた。
『精霊』を守るものは、最早ない。
「「ッッ!」」
飛びかかるアイズとティオナの斬撃。
『ィイアアアアアアァァァッッッ!!!!!』
それでも、『精霊』はしぶとかった。
花弁の装甲程ではないものの、芋虫型や食人花とは比べ物にならない強度を持つ双腕を、二振りの刀身を迎撃せんと振り上げる。
ガードが一瞬でも間に合えば、規格外の魔力・詠唱速度による反則級の魔法攻撃が再開され、瞬く間にこの場にいる全員を殲滅する事だろう。
『精霊』の持つ無尽蔵の魔力は、いまだ翳りを見せていない。
深緑の双腕と白銀の双刃が激突する、その直前。
「行ッッくぞおおおおおおォォッッ!!」
『
女が握るは極大の斬馬刀。
ハーフドワーフの剛力を以て振るわれる極大の鉄塊。その峰に、彼女の師が、足をかける。
「飛べえええええッッ!!」
撃ち出される深紅。
一つの砲弾となって飛翔した村正は、静かに、鞘ごと
「大盤振る舞いだ————『明神切』」
閃く白刃。
神と人とが余りに近いこの世界で、不吉この上ない銘を刻んだ一振り。
即ち、【神性特攻】の『
神を殺す刃が、細首へと吸い込まれてゆく。
『ッッッ!?』
しかし、穢れたとはいえ『精霊』は『精霊』。
鞘を滑らせ、霞むような速度で繰り出される渾身の居合抜きを、およそ魔導士に似つかわしくない敏捷性を以て首を反らせて躱す。
しかしその代償に、深緑の双腕は半ばから斬り飛ばされていた。
「ああ畜生! やっちまえ、小娘ども!!」
「
中空を舞う双腕に足をかけ、
「【
「ブッた————」
共に、握る白銀を叩きつける。
「リル・ラファーガ」
「————斬るッッ!!」
予想外の反響があって嬉しい悲鳴を上げています。クロスオーバーあるある「両作品を読み直して答え合わせしつつ書く」をやってるので結構大変ですけども。
設定間違い、誤字脱字、感想などあれば嬉しいです。
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石を穿つ
「よう、お疲れさん」
アイズさんの『リル・ラファーガ』、そしてティオナさんの異名通りの『大切断』による『精霊』の撃破に階層中が湧くなか、渦中の人物である
「村正っ、お前そもそもどうしてここに……!」
「この間帰ってきてな。丁度お前らが遠征するってんで、お師さんに手伝ってくれって頼まれたのさ」
昔からの知り合いらしいリヴェリアさんが、その顔を見て真っ先に駆け寄った。
随分と久しぶりに会ったらしく、積もる話はいくらでもありそうだった。
「だからといって一人で来るなど……」
「直前まで
「結果論ではないかっ。道中含めて、一歩間違えればお前も危なかったんだぞ!」
「一番危なかったのはお前と
「む、ぅ」
「——『お嬢』」
「私の方が年上だっ!」
村正さんを心配するように叱っていたリヴェリアさんは彼の言葉で一転、返答に詰まったと思った瞬間にまた、ニヤリとした彼の言葉で顔を赤くして怒り始めた。
凄い、リヴェリアさんが百面相してる。
怒っている様子は時々見るけど、ここまで手玉に取られたように表情をころころと変える様子は見たことがない。
リヴェリアさんがこんなに感情的になるなんて、やはり気心の知れた仲ということだろう。
「はっはは! やっぱりお嬢を揶揄うのは面白ェや!」
「き、貴様っ!」
村正さんも、戦闘中に見せた燃え盛る炎を思わせる闘気は鳴りを潜め、少年のような顔でからからと笑っていた。
顔を真っ赤にしながら村正さんを追いかけるリヴェリアさんだったが、二人の間に流れる雰囲気はどこか柔らかだ。
(あれが本物の村正さんっすか……!)
そして自分も遅まきながら、戦闘が終わって冷静になった事で現実感が湧いてきた。
【へファイストス・ファミリア】の元団長で、椿さんの師匠。
オラリオにおいては本物の「刀」とは「村正」であり、彼の名が刀身に刻まれた一振りは、それだけで歴史的価値があるという。
「村正」は市場に出回る事自体が希少であり、仮に出回ったとしても結局贋作だった、なんて事もザラだ。
オラリオ内外を問わず、「村正」とは、所持している事それ自体が一種のステータスなのだ。
(でも……)
手元を見る。
前線の援護として詠唱するレフィーヤとリヴェリアさんを守るために芋虫型を斬りまくった刀は、その溶解液によってどろどろに溶け、今はもはや辛うじて原形を留めるのみになってしまっていた。
これではいくら研磨しようが、元の性能は見る影もないだろう。
(うう……っ)
むしろ、ティオナさんの先代
「全く、昔からお前はどうしてそう、やる事なす事めちゃくちゃなんだ! 助力には無論っ! 無論感謝するが、しかしだな……!」
「わーった、わーったから。 今話したいのはお前じゃねえんだ」
リヴェリアさんの説教を面倒くさそうにあしらった村正さんは、ひらひらと手を振って話を切り上げた。
ちなみにあしらわれたリヴェリアさんは「おいっ!」と怒った様子で声を上げている。
そして、なぜか村正さんはこちらを見た。
「おい、若いの」
「じ、自分っすか!?」
村正さんの言葉に驚愕する。
勘違いじゃないのか? そう思って後ろを振り返っても、深紅の射籠手は間違いなく真っ直ぐ自分を指していた。
正確には、自分の手に持つ刀を。
「そうそう。お前さんが持ってる
やはり辛うじて原形を留めている程度であっても、鍛冶師として自らが鍛えた作品を見間違えるハズもないらしい。
「あっ、はい! ……そうらしい、っす」
ごまかす事に意味はないと知りつつも、つい言葉尻が窄んでいってしまう。
村正さんは自分が丹精込めて作った刀がこんな無残な姿になっていると知って、どんな言葉を口にするのだろうか。
「どれ……間違いねえな。にしても……あーあー、こりゃあひでえな」
「うぅっ……」
ティオナさんやアイズさんが、遠征や作戦のたびに武器をボロボロにしたり、血肉や脂まみれにして【ゴブニュ・ファミリア】の鍛冶師達からこってりと絞られてきたのを知っている身として、如何なる叱責も受けるつもりだった。
まして相手は人界最高と称される鍛冶師だ。
例えば、同じ数を斬ったとしてこの刀を握ったのがアイズさんなら、この刀はまだ切れ味を保っているだろう。
「す、すいませんでしたっ!」
自分は思わず頭を下げた。
裁定を待つ罪人のような気分だった。
【へファイストス・ファミリア】、そして千子村正の持つブランド、そして彼の鍛えた刀の価値を思うと、自分が失ったものの大きさは途轍もないもののように思えたからだ。
「あぁ?」
しかし村正さんは、怪訝な顔をして自分を見た後、
「何謝ってんだ。これは
そう、不機嫌そうに吐き捨てた。
溶解液を浴びて歪んだ刀身を写す琥珀色の瞳には、確かな熱が灯っている。
「だから気にすんな。その代わりと言っちゃなんだが、
「えっ」
「こっちはお願いする立場だ。勿論お代は取らねえよ」
「えっ!?」
村正さんの提案は驚きを禁じ得ないものだった。
冒険者の自分が刀をダメにしてしまったのに、その刀を鍛えた本人が「謝罪も代金も要らないから刀を作り直させてくれ」だなんて、交換条件にすらなっていない。
自分の反応を見て、村正さんも自分の言いたいことを察したのか、言葉を繋げた。
「いや、団長をやってた時……言っちまえば真っ当に
それは、そうだろう。
安易な技術の安売りは、逆に自分の価値を貶める事に繋がる。
それは職人にとって、自らが正当に評価される機会を奪い、そしてそれは主神の評判すら落とす事だってある。
「でも今は【
良い時代になったもんだ、と年長者らしい台詞を吐きながら、昔を懐かしむように目を細めていた村正さんは、だからよ、と前置きして自分の持つ刀を指差した。
「今回のは、半分隠居してる爺ィの趣味の刀造りって事にしといてくれ。 気に入ったヤツを贔屓したって、何も罰当たりってこたぁねえだろ?」
琥珀色の瞳が此方を見る。
その内に宿る意志の強さは、まるで燃え盛る焔、あるいは赤熱する鉄塊を思わせた。
「気に入った、って」
村正さんの言葉を反芻する。
気に入った? 彼が、自分を?
【鍛人】と讃えられ、『鍛冶師とはその人である』とさえ謳われる彼が、【
未だ混乱している自分の状況を察してくれたのか、村正さんはゆっくりと説明し始めた。
「お前さんの刀は元々、
訥々と零される言葉は、まるで鋳型に流し込まれる鉄のように、自分の頭にするすると入ってくる。
「一夜の刀ってんで、そういう物には今まで銘なんざ付けずにいたんだが、今日初めて
村正さんが、自分の目を見た。
その目は、優しげに細められている。
そして彼は、少し照れくさそうに視線を逸らすと、頬をぽりぽりと掻いた。
「まあ、なんだ。 そういう刀でも、大切に使ってくれるヤツがいるってのは、嬉しいもんだって思ったんだよ。 大抵、飾るか競るかされちまうからな」
「————」
それが嫌って訳じゃねえけどな、と村正さんは複雑そうな表情で続けた。
そんな、そんなの。
貴方みたいな人にそんな事を言われたら、どんな冒険者だって——
「手前が師匠の刀だと教えたからじゃないか?」
「ちょっ、椿サン!?!?」
横からとんでもなく余計なコトが吹き込まれた。
「ちょ、違いますからね!? 村正さんの作った刀だから特別扱いしてたとかじゃ、いえ、特別じゃないって言いたい訳じゃないっすけど……!」
「わーってるから焦んな。 舌噛むぞ」
「ははっ! 冗談だ!」
途中から自分が何を言ってるかすらわからなくなりながら必死に言い訳を続けたが、幸いにも村正さんは理解ある人だった。椿さんのちょっかいに取り合わず、自分の心配までしてくれる。
優しい。椿さんは反省してほしい。
「腰据えて鍛ち直してえからな、しばらく預かるぜ」
「で、でも、自分が未熟なせいで刀をこんな風にしてしまって……」
溶けた刀をそのまま紐帯に差す村正さんに、思わず弱音が溢れてしまった。
自分の言葉を聞いた村正さんは、ゆっくりと此方を見る。
自惚れでないのなら、その目は優しげに細められているように思えた。
「相手が相手だ、仕方ねえだろ。 それにお前さん、一人で必死にお嬢達を護ってたじゃねえか」
「えっ……!」
村正さんの言葉は正しかった。
確かに自分はリヴェリアさんやレフィーヤの詠唱を成功させるため、芋虫型達から彼女達を守る必要があった。
何度も死ぬかと思ったが、他ならない村正さんの刀が自分に戦う力をくれた。仲間を守る力をくれたのだ。
「そこまで、見えて……」
戦慄に声が震えた。
村正さん達が刀を振るっていた最前線と、自分達後衛が陣取っていた後方とはかなりの距離があったハズだ。
あの目を閉じれば一秒で死ねる空間で大立ち回りを演じながら、後方の自分達の状況を確認していたなんて。
この人、本当に鍛冶師か? 目の前の男が作ってきた数々の
「そういう身体でな、
村正さんは謙遜するでもなく、過度に威張り散らすでもなく。
片眼を閉じながら、茶目っ気たっぷりにニヤリとしたワルい笑顔でそう言った。
「お前さん、名前は?」
「ラウル・ノールドっす…………」
そんな村正さんを見て、自分は。
(かっけー…………)
ただただ、頭の中でそう呟いていた。
椿さんが慕うのも納得である。
「「「ああ──────ッッ!?」」」
50階層。
遠征の仮拠点として設営されたエリアの中に、少女達の声が響き渡った。
「うるせェな。何だってンだ、そんなに大声出して」
歯に衣着せぬ村正の物言いに、黒髪の
「何だじゃないわよ何だじゃ!? 貴方いきなり一人で
「あ、アキ、落ち着いて……!」
うがーーっ! と普段の落ち着いた雰囲気を忘れ去ったかのように村正に詰め寄るアナキティを、エルフのアリシアが羽交い締めにしてなんとか制止する。
村正を視界に収めた当初こそ眉を吊り上げていたアリシアだったが、隣の友人が自分より遥かに怒っていたせいで逆に落ち着いたようだ。
「村正、お前何も説明せずに素通りしたのか……」
「仕方ねえだろ、急いでたんだから。 俺があと十秒ここで無駄話してたらお前ら死んでたぞ」
「事実だから何も言えないね……っと、まだ礼を言っていなかったね。 ありがとう、村正」
「気にすんな水臭ェ」
呆れたように呟くリヴェリアに対し、村正は反省した様子もなく答えた。
彼の態度はともかく、言っている内容は何も間違っていないためフィンも苦笑いを返すのが精一杯だった。
豪快に笑いながら「お礼に秘蔵の火酒を奢ってやるわい!」と肩を組んでくるガレスを鬱陶しそうに「酒は
「無駄話ですってッ! …………村正?」
フシャーーーー! と、売り言葉(村正にそんなつもりはなかったが)に買い言葉でアナキティが尻尾の毛を逆立てて眦を吊り上げるも、幹部二人に呼ばれた男の名を聞いてピタリと固まった。
「あ? あー……」
アナキティの反応を見て村正は彼女に向き直った。
見れば、相変わらず彼女に慣れない羽交い締めをしているアリシアや、剣呑な雰囲気にオロオロしているリーネも「何処かで聞いた名前だぞ」といった様子で村正を見つめていた。
「……自己紹介とかした方が良いのか?」
「じゃろうなあ」
「当たり前だ」
「そうしてくれると助かるよ」
五分後。
「いや、なんか、すみませんでした…………」
集められた遠征組全員の前で、団長たるフィン直々に紹介されて名乗った村正の前で、反省しているような納得いっていないような、複雑な表情をしたアナキティが謝罪していた。
「応、気にすんな。 時間がなかったとはいえ説明しなかった
(自覚はあったんだ……)
村正がひらひらと手を振って笑って返した。
伝説の鍛冶師の登場に驚いた後、間違っていないと信じているとは言え自分達のした事に冷や汗を流した少女達だったが、村正の竹を割ったような人柄に少しの親しみやすさを感じるのだった。
叩く。
叩く。
叩く。
頬を汗が伝い、じゅうっと音を立てて土へ染み込んだ。
「外」で仕入れてきたしなやかで柔らかい鉄を心鉄として、溶けた無銘の刀身を皮鉄へと徹底的に鍛え叩き直す。
神の恩恵によって遥か高みへと上り詰める鍛冶師の鎚は、一振りごとに赤熱する鉄塊の形を整えていく。
腕を振るうたびに周囲の温度は際限なく上昇し、熱が陽炎を生み出し、鍛冶師の姿を屈折させた。
吹き散る火の粉とゆらめく陽炎の奥でただ一心に己の対峙する
「…………っ」
ごくり、と唾を飲み込む音を発したのは誰だったか。
鍛鉄の隙間の僅かな異音すら、不純物としてあの鎚で叩き潰されるのではないかという程の緊張感を鍛冶師を見つめる面々は感じていた。
『見られちゃ気が散るなんて三流臭えこたぁ言わねえけどよ、別に鍛冶師以外が見ても面白えモンじゃねえぞ?』
そう言って苦笑する村正を押し切り、【ロキ・ファミリア】の面々は千子村正の作刀風景に魅入っていた。
「…………すごい」
ティオナがぽつりと漏らした。
自身の相棒もああして生まれたのだと、目を輝かせて見つめている。
面白いものじゃない? 何を言うのか。
少なくとも此処に集まった冒険者達は皆、時間を忘れて燃える鉄と鍛冶師を見つめていた。
LV2であるサポーターのリーネでさえ固唾を飲んで見守る始末だ。他の面々は言うまでもなかった。
——千子村正の鍛えた刀は
神々が賜与した文明の種を、人の子が大きく飛躍させたと。
彼の手によって
そういった意味では、今彼らの目に映っている光景は、冒険者どころか多くの文化人が興味を惹かれてやまないものでもあると言える。
彼は自身と自身の作品への評価を実戦的な面では認知していても、そういった方面では気にしていないのかもしれない。
そう幾人かは考えるほどに、彼の技術への高い誇りと世間の武器としての評価、そして芸術作品としての評価の認識の三つはずれていた。
「—————ふっ!」
そんな周囲の思考を吹き飛ばすように、村正が一際大きく鎚を振るう。
常人ならば触れただけで皮膚が溶け落ちる程の高温にまで熱せられた、明るい朱色に煌々と輝く刀身の
だというのに、彼の顔には苦痛の色は一欠片もなく、その視線は刀身にのみ注がれている。
「……
一言、そう呟き、傍に置いた水を張った桶に刀を一気に突き入れた。
ぼじゅううううっ、と水蒸気を上げて桶に沈み込む刀は、その高熱で一瞬で刀身の周りの水をボコボコと沸騰させる。
「…………」
暫くして揺れる水面が平静を取り戻した時、老鍛冶師はゆっくりとその手を持ち上げた。
まだ研磨されていないにも関わらず、その刀身は既に月輪を思わせる煌めきを放っていた。
緩やかな弧を描く刀身はその角度によって表情を変え、魔石灯の光を受けた鋼がなめらかな光沢を放つ。
鎬に沿って真っ直ぐに走る波紋は、造り手の性格がそのまま表れたようでもあった。
「うん、いいな」
ようやく周囲の緊張も解けたのか、ちらほら小さく息を吐く音が聞こえる中、老鍛冶師は満足そうに笑った。
刃を砥ぎ、さらに鋭い輝きを宿した刀身の根元に、
彫り込まれていくその模様は、まるで筆が走ったかのように柔らかな文字を描き出した。
「出来たぜ」
【へファイストス・ファミリア】の天幕に用意された高品質の刀装具を取り付け、それはついに、一本の刀として完成した。
「号は
それがこの刀の
「軒先から落ちる小さな滴でも、時間をかけりゃあ岩でも穿つってモンさ」
刻まれた二文字に込められた意味と願いを口にしながら、鍛冶師は一度、刀を振った。
そして、煌めく刀身をコトンと鞘に収めた村正は、柄尻を
「
その時のラウルの激情は如何程だろうか。
「一念天に通ず、ってな。 馬鹿にされようが見下されようが、続けた奴が一番偉ェのさ」
都市最高の、人界最高の鍛冶師が自らを認めてくれただけでなく、こうして
「——————期待してるぜ。励めよ、若造」
平凡で取り柄もなくて、なんとなく
初めて心の底から認める事ができた気がして、ラウル・ノールドは人目を憚らず涙を零した。
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皆伝
/ _ノ \
| ( ●)(●)
. | (__人__) 2022
| ` ⌒´ノ
. | }
/ ̄ ̄\
/ _ノ \
| ( __)(__) ……
. | (__人__)
| ` ⌒´ノ
. | }
/ ̄ ̄\
/ _ノ \
| ( ●)(●)
. | (__人__) 2023
| ` ⌒´ノ
. | }
「……こんなもんだろ」
ほう、と大きく一息吐いて、老鍛冶師は額の汗を手の甲で拭った。
【ゴブニュ・ファミリア】からの
そんな彼を、芯の通った美しい声が呼び止めた。
「お美事。腕は鈍っていないようね」
鍛冶場の壁に背を預け、最初から最後まで老鍛冶師の鍛刀を見守っていたへファイストスは彼を労った。
「当たり前ェよ。
「あらお上手」
軽口を叩き合う一人と一柱の間に流れる雰囲気は柔らかかった。
オラリオ中の誰に聞いても、深層への単独突入を敢行する直前の会話だと予想できる者はいないだろう。
「それじゃ、行ってくるぜ」
「ええ、行ってらっしゃい」
鍛冶師の言葉に、主神はひらひらと手を振って応える。
死地へ向かうにはあまりに軽いやり取り。
それでも、へファイストスは村正を心配していなかった。
彼女の弟子は伊達にオラリオの生ける伝説と呼ばれている訳ではない。
かつては【ゼウス】や【ヘラ】を始めとする歴史に名を連ねる猛者達の迷宮探索に同道し、彼らの武器の作製や調整を任され、【ロキ・ファミリア】の三英傑が駆け出しの頃には、何かにつけて喧嘩ばかりする三人をゲンコツで鎮めていたという。
へファイストスは戦う者としての村正の顔を詳しく知っているわけではない。
彼女が教えたのは鉄と火に関することだけだ。
愛弟子についてよく知らない一面があるという事実に多少思うところはあるものの、それさえも悠久の時を生きる女神にとっては甘美な未知なのである。
「お土産期待しているわ」
「あいよ」
村正の視線が、へファイストスのそれとちらりと交わる。
そのまま振り返った村正は、へファイストスに背を向けて出立の準備を始めた。
何気ない一瞥。
わずか一瞬交差した琥珀の瞳の奥に、へファイストスは燃え盛る熱を見た。
「…………」
噛み締める様に、隻眼の瞼を閉じる。
一番弟子の琥珀の瞳に宿る熱い炎を感じる度に、へファイストスの胸はまるでその熱が伝播するかのように温かな気持ちで満たされていく。
——へファイストスは、千子村正を信じている。
どんな死地へ飛び込もうと、どんな怪物と相対しようと。
必ず最後は彼女の元へと帰ってくると、そう信じている。
他ならぬ彼自身がそう誓ったから。
「いつかあんたを超えてやる」と言われたあの日からずっと、彼の瞳は彼女を見据え、彼の足は彼女を追いかけている。
それが彼女には分かるのだ。
ゆっくりと、しかし確実に後ろから一人の鍛冶師が彼女を追いかけている事を。
(一体、いつになるのかしら)
片眼を覆う眼帯を微笑みと共にそっと撫でて、へファイストスは心の中で呟いた。
彼女は待てる。
待ってみせる。
いつも、いつまでも。
己の総てを叩き込んだ初めての
◆
「ねーねー! もう武器の手入れ終わってるかなあ!? 椿達のとこ行こうよ!」
「まだ
「ティオナは、元気だね」
死線を超えてセーフハウスへ戻り、一息ついたと思えば未だに興奮冷めやらぬといった様子のティオナに催促されて、ティオネは呆れた。
ティオナより高位冒険者であるはずのアイズですら流石にヘトヘトで苦笑しているレベルだ。
二代目
一体どこにそんな元気が残っていたんだと言わんばかりに楽しそうに白刃をブン廻し、五十層までのモンスターの尽くを斬撃の暴風でバラバラにしてきたのだ。
「でも二人も気になるでしょ? 一緒に行こうよー!」
「それは……」
「まあ……」
目を輝かせるティオナの言葉に、二人は顔を見合わせた。
先刻目撃した技術の頂点。
最早芸術の域に到達していたあの鍛鉄は、鍛冶師であろうがなかろうが、人の目を惹いてやまないものだった。
「ほら気になるんじゃん! 行こ行こ!」
「ちょあんた、ぐぇ」
「ティオナ待って、わぷ」
ふんふんと鼻息荒く張り切る少女は、いつも以上の快活さで二人の首根っこを引っ掴んだ。
既に抵抗の気力も湧かない程疲れ切っていたアイズとティオネはティオナの腕を避けきれず、なす術もなく引きずられていくのだった。
◆
——物心ついた時から、灼熱の中で鎚を振るう師の背中が目に焼き付いている。
それは、懐かしい旅の途中のある日のことだった。
「おじいちゃん」
鍛鉄の朱が、降りた夜の帳をほのかに照らす中、少女は尋ねた。
「ん? どうした、椿」
鍛つ手は止めず、顔も向けず、ややぶっきらぼうに。
しかし老人が優しい事を知っているので、少女は怯えなかった。
「おじいちゃんはどうして、刀を造るの?」
「そりゃ決まってらぁ。仕事だからさ」
「あ、違くて、んと……」
簡潔な老人の返答に少女が言葉を探っていると、横合いから鈴を転がすような美しい声が聞こえた。
「目標や理想といった話ではないのか」
旅を供にするエルフの女は、王族だというのにその華美な衣装が煤で汚れるのも構わず村正の鍛鉄を興味深そうに眺めている。
「門外漢の私でも分かるほどに村正殿は
「あァ、そういう事か」
「貴方は何を目指して刀を鍛つ?」
「はン、
エルフの言葉に得心がいったと頷いた老人は、ややあって口を開いた。
「……命を斬る道具で、命を救いたかった」
そこに込められた万感は如何程のものか。
背後から鍛刀を覗き込む二人には、老人の顔は伺えない。
ただ、風に乗る火の粉の勢いが、少し強くなった気がした。
「
「え……」
「戦か事故か、それすらわからず終いだ」
村正の言葉に、振るわれる鎚と鉄塊から飛び散る火花を凝視していた椿が、弾かれた様に顔を上げる。
隣のエルフも、自らの故郷が燃えた過去を知っているがために一瞬、痛ましい顔をした。
「そこで、一人で野垂れ死にそうになってた所を、降りてきたばかりで
「…………」
「お前と似たようなもんだ、椿」
訥々と零される言葉を聞きながら、故郷と家族を失くした少女は、己を拾ってくれた男の背中をじっと見つめる。
「お師さんは最初は、
「その女神さまっておじいちゃんより年上なんだ」
「そりゃアそうさ、なんたって女神様だぞ」
微笑みながら女神の事を語る老人の横で、幼い少女は躊躇なく口を開く。
「じゃあ、おじいちゃんよりもずっとおばあちゃんなんだね」
「テ、テメエそれ絶対本人の前で言うなよ……」
文字通り神をも恐れぬ少女の所業に戦々恐々としながら、村正は椿に釘を刺した。怖いもの知らず過ぎる。
村正自身、自分で度胸はある方だと思っていたが、子供の前ではそれも霞むという事を思い知るのだった。
ともかく、と村正は話を続ける。
「殺しの道具だってのはわかってんだ。だが、お師さんが教えてくれた刀は、
かん、かん、と男は鎚を振り続ける。吹き散る火花が断続的に鍛冶師の顔を朱色に照らしていく。
「なら
「いつかあの
そう宣言する男の瞳には、凄絶な覚悟の炎が燃えていた。
まるで鍛鉄の音が響くたび、見据える背中へ一歩づつ足を踏み締めるように。
その瞳に灯る意志の炎を見て、まるで巨大な霊峰へ登ろうとする修験者を見るように、不可能へと挑む者へエルフが尋ねた。
「では貴方は、その神へファイストスのために刀を鍛つと? 女神という理想を追いかけて、神域へ挑もうというのか」
かん、という音を最後に鍛鉄の音が途切れる。
「半分正解で、半分間違いだな」
理解できないというようなエルフの声に、鍛冶師は鉄を鍛つ手を止めた。
刀を挟むヤットコから手を離し、鋼の温度が移ってやや赤熱した槌をひらひらと示しながら言った。
「理想云々の前に、
面白えからな、と汗を拭いながら少年のように笑う村正を見て、エルフはどこか安心したように息を吐いた。
使命感や強迫観念に駆られて
目の前の友人が、ただ一個の血の通った人間であると確信できたのだ。
「結局
「理想に生きるってのァ聞こえは良いが、度が過ぎれば唯の奴隷さ。
そんな彼女の懸念を知ってか知らずか、老人は言葉を続けていく。
「そうさなあ…………もし、
再び槌を降り下ろし、かんかんと小気味の良い音を響かせながら、男は「そんなことあり得ねえけどな!」と、がははと笑った。
「どうだ椿、満足か?」
「うーん、話が長くてよく分かんなかった」
「………………ガキにゃあ、ちと難しすぎたか」
にべもない反応を返す少女の言葉に、老人は少々ショックを受けたように肩を落とした。
◆
(ああ、今ならわかるよ、師匠)
ふと、懐かしい記憶が頭をよぎる。
まだ、彼に拾われて間もない頃の出来事だった。
「……それで、椿」
「……」
「何だ、こりゃあ」
そんま記憶の中の優しい師は今、冷えきった鋼の様相で椿を見据えている。
「テメェの事だ、
五十層。
遠征用に与えられた【へファイストス・ファミリア】用の天幕の中で、ずらりと並んだ【シリーズ・ローラン】の武器達を前にした千子村正の瞳には、嘘偽りを決して許さない切れ味が宿っている。
そして、罪人の首に刀を落とす様に、村正はその言葉を口にした。
「
底冷えするような声色。
まるで切っ先を喉元に向けられているようだ、と椿は思った。
「————」
その師の言葉に、椿は隻眼をただゆっくりと深く閉じた。
それは師の言葉を噛み締めるようでもあったし、何を言おうか思案している顔のようでもあった。
「っと、その前に——」
弟子の反応をしばらく待っていた村正は、思い出した様に軽く腕を振るう。
いつの間にか握られていた小振りの刀を椿が認識すると同時、天幕の入り口の布がはらりと落ちた。
「「「あっ!?」」」
「お前達……」
そこには、顔を寄せ合い聞き耳を立てていたアイズ・ヴァレンシュタインとヒリュテ姉妹が驚きの表情で佇んでいた。
「壁に耳あり……内緒話は女の好物ってなよく言ったモンだが、盗み聞きとはちと行儀が悪いんじゃねえのか、嬢ちゃん達よ」
「す、すいません……」
「ごめん……じゃなくて! 弟子とは認めないってどういうこと!?」
「ちょっとティオナ、やめなさい」
詰め寄る妹をティオネが制する。
そもそもこれは他ファミリア内での話だ。それを盗み聞きしたのは他ならぬティオナ達自身であり、最初からこの件に口を挟む余地などない。
ここで更に部外者の彼女達が喚くのは、無礼以外の何物でもなかった。
「あたし達が口を出す事じゃない」
「でもっ!」
それでも、ティオナの脳裏に浮かぶ光景があった。
「でも、椿はあんなに……」
師の事を語る時の椿の本当に嬉しそうな顔。
己の師はこんなに凄いんだぞ、こんなに偉大な鍛冶師なのだぞと誇らしげに語る椿の顔には、「千子村正の弟子で本当に幸せだ」と張り付いていた。
「それに、椿の武器が無かったら私達は絶対59階層で死んでたよ!」
何より、
折れず、曲がらず、美しい。
眩しいほどに輝くその剣は、冒険者には勝利を、鍛冶師には栄光を約束する。
しかしそんな誉れある武器を見る村正の視線は冷ややかなものだった。
「そうさな、それは喜ばしい結果にゃ違いねぇ。 褒めてやる」
「じゃあ何で」
「でもな、
ティオナの言葉を村正が遮る。
「
コンコン、と村正が白銀の刃を叩いた。
「こいつはただ一つの鉄の掟を破ったのさ。わかっててやったんだ」
ちらりと村正が椿を見る。
彼の弟子は依然、腕を組み隻眼を閉ざしていた。
「ひとつ聞くが、お前さん達は例えば『振るえば訳もわからず敵が死ぬ魔剣』があったとして、自分より強え相手をその一振りで倒した時、「自分が倒した」、「自分が勝った」って言えんのか?」
「————」
「それは…………」
「
ティオナ達は一瞬言葉に詰まった。そしてその時点で、彼女達の答えは決まっていた。
無理だ。
そんなの絶対に認められない。
冒険者としての、戦う者としての誇りが、そんな無様な真似を許容できるハズも無かった。
都市最大派閥の一角【ロキ・ファミリア】として数多の強敵と戦い、倒し、多くの戦士達がボロボロになって勝ち取ってきた
尚更、迷宮都市の最前線をひた走る彼女達にとって、成程それは認められないと納得してしまう話だった。
「『安心して下さい。あなたの鍛った剣は折れません、曲がりません。
それは自らの
「『折れず曲がらず』ってのは
己の道理を説く村正の顔には、言葉とは裏腹に嫌悪の色は無かった。
ただひたすら、鍛冶師として認められないという意思が表れているのみだった。
「他の連中が
「だが
誰も口を開かない。
彼の言葉を心底認めてしまったが故の沈黙が、彼らの集った天幕に、冷たく帳の様に降りていた。
村正の言葉が、既に少女達の反論する気力を削ぎ落とした時、顔を俯かせて静観していた椿が、ぽつりと呟いた。
「……貴方の教えを忘れた事は、一度たりとも無い」
椿が顔を上げて村正を見た。師を見据える彼女の単眼には、強い覚悟の色が浮かんでいる。
「貴方が鍛冶師として、その誇りを何よりも大切にしているのは骨身に染みて解っている。私だってそうだ。鍛冶師であること、その誇りは、私にとって私自身の命よりずっと重く、大切なものだ」
視線を逸らさず、語気は軒昂。
「でも私は、この世の中に星の数ほど聳え立つ剣の丘の中から、私の……この椿・コルブランドの鍛えた剣を選び手に取ってくれた者を、所詮他人でしかない私の誇りと天秤にかけて殺したくはない」
師の教えを破る事に対する後ろめたさはあれど、自身の行動への後悔は微塵も無かった。
「……死ぬのが私ならばいいんだ。私が鍛った剣を私が握り、戦い。その果てに剣が折れて私が死ぬのならば。でも私の剣を握る他の者たちは、
師弟の言葉を聞いていた【ロキ・ファミリア】の三人の少女たちは、その表情を三様に変えながらも、その胸に共通に湧いた思いがあった。
——同じなのだ。
鍛冶師の技量、誇り。その価値を
鍛冶師の勝負にそもそも冒険者は関係ないのだとする椿。
どちらにも理と誇りがあり、そもそも正誤や善悪で論ずることすらできない以上、もはや二人の会話に割り込める者はいなかった。
「それが、私が
自らの思いの丈を吐露した椿は、そこで力なく破顔して言った。
その微笑みは、隠しきれない悲哀と諦観を湛えていた。
「武具屋も商売だ、お客が死ねば稼ぎが減るしな」
「ハ! 違いねぇ」
冗談めかして言う椿の言葉に村正は笑って返した。
「だから」
精一杯の軽口に応える師の姿を見ることなく、椿は深く、深く頭を下げた。
「……だから、お世話になりました、師匠」
「もう師匠じゃねえっつったろ」
断言する村正の口調に迷いは無い。
いくら家族より深い絆を結んだ愛弟子とはいえ、鉄の掟を破ってお咎め無しでは示しがつかない。
故にこそ、姉弟の関係を断ち切る事にも容赦はしなかった。
「はい。だから、これが最後です。…………あなたの下で鎚を振るえて、本当に幸せでした」
噛み締めるように、深く頭を下げたまま、椿は精一杯の感謝を口にした。
「破門された身ですが、一時とはいえ貴方様に御教え頂いたすべて……すべて、この椿・コルブランド、生涯忘れません」
上手く言えているだろうか。震えそうになる喉をなんとか気力で抑え込み、万感の想いを込めて椿は言う。
ふと過ぎ去った日の思い出が脳裏を掠めたとき、眼帯に隠された眼から堪えきれない涙が滲んだ。
「……ああ」
椿の言葉に、村正は静かに目を閉じた。
考え込むように沈黙した村正を置いてそれっきり、二人の間に言葉が交わされなくなる。
「…………失礼します」
たっぷり数十秒が過ぎ、椿が深く頭を下げて、静かに翻った。
「待てよ」
◆
出立の準備を終えた村正は、ふと鍛冶場の隅に転がっている細身の剣を視界に捉えた。
「こいつは……」
美しい。いや、美しすぎる。
過剰なまでに白銀に輝くその刀身には汚れ一つない。
市場に出せば1億ヴァリスは下らないであろうその一振りの剣の全てを、村正は一眼見ただけで看破した。
「鍛ち損じか」
たとえ
そしてそれ故の評価。
「あいつならもっと
製作者は椿・コルブランド。
——
「……そうか」
村正は鍛ち手を理解した瞬間、静かに目を閉じ、白銀の一振りを元の場所に置いた。
これで、椿を弟子と呼ぶのも終わりという事だ。
「…………」
その姿を、【鍛人】の師——火と鍛冶を司る女神は、紅の隻眼でじっと見つめていた。
ややあって、彼女はため息とともに口を開いた。
「……あなたがオラリオを離れている間に、面白い子が入ったの」
「あ?」
突然の師の世間話に村正は困惑したものの、それを遮ることなく続きを促す。
「ヴェルフ・クロッゾ————魔剣の鍛冶師よ」
続く女神の口から告げられた一族の名に、村正はぴくりと眉を動かした。
「…………へえ、音に聞こえしクロッゾの末裔たぁ、また凄え奴が来たモンだ。……それで?」
わざとらしく更に続きを促してくる弟子に、思わずへファイストスは苦笑する。
神々や子供達の間では、迷宮都市の生き証人のような扱いを受けて尊敬を集める彼だが、こういったムキになる子供っぽい所を見せるのはへファイストスや近しい一部の者だけだ。
その事実に少しの優越感を覚えつつも、頑固な部分は玉に瑕ね、とへファイストスは心中で独りごちる。
「その子、絶対に魔剣を鍛とうとしないの。……貴方にそっくり」
「……」
「貴方はヴェルフとは違って『妖刀』の事は割り切っていたけれど、
白銀の刀身を指で撫でつつ、鉄火場の女神は鍛冶師へその隻眼をきろり、と向ける。
「貴方のそれは誇り? それとも意地?」
常人が見れば、鍛冶師の喉元に突きつけられた切っ先を幻視するであろうほど、女神の言葉は鍛冶師に鋭く突き刺さった。
「
へファイストスは、つまらなそうに吐き捨てた。
「でも貴方達は違う。磨き、研ぎ澄まし、形を変えて、良くも悪くも唯一無二へと成ってゆく」
いつしか村正は、目を閉じて女神の言葉に聞き入っていた。
耳で捉え、脳裏で咀嚼するように。
「もしかしたら今の
言葉を続ける女神と鍛冶師の間には確かに誇りや意地では説明できない視座の違いが隔たっていた。
「師匠の背中を追いかけているのが自分だけだと思った?」
いつのまにか歩み寄っていたへファイストスは、村正の胸板を指でつん、とつつく。
「うかうかしてると弟子に追いつかれるのは私も貴方も同じよ、村正」
へファイストスは、僅かに微笑んでそう言った。
◆
「待てよ」
事の成り行きを見守るしかなくなっていた少女達の横を通り過ぎる直前、村正の声が椿の背を呼び止めた。
「……儂は最初ッから破門なんて言ってねえぞ」
「…………え?」
村正の言葉に、椿は呆けたような声を返すことしか出来なかった。
それは周りの少女達も同じだった。みな村正の言葉を聞き間違えたかのように、老いた鍛冶師を振り返った。
「ったく、少し見ねえうちにこうも腕を上げるたぁな」
「で、でも、もう師匠は師匠じゃないって」
「そうさ、
「えっ…………」
今度こそ、椿はたっぷり十秒かけて絶句した。
(((あの流れでそれは無理がある——!!)))
側で固唾を飲んでことの成り行きを見守っていたティオナ達は、心の中で思わず叫んだ。
無理がある。が、村正もそれは自覚しているようで、目を逸らしながら頬をぽりぽりと掻いて言葉を続けた。
「当然、
村正は『ブレード・ローラン』をそっと撫で、その刀身に優しく指を這わせた。
優しい目をしていた。
「この仕上がりで破門にしちまったら、「いよいよ村正も耄碌したか」って言われるだろうぜ」
刀身に一切の歪みなく。
鏡面を思わせるその白銀は、触れる腕の射籠手の意匠すら繊細に映し出す。
刀身に映る射籠手の真紅は、ダンジョン突入前に会話を交わした女神を思わせる色だった。
(畜生、もうとっくに追いつかれそうだぜ、お師さん)
頭の中で一言呟いて、村正は腰の紐帯から何かを引き抜いた。
くるりと一つ手中で弄び、ひょいと椿へ投げ渡す。
「ほれ」
「っ!」
思わず手を出して受け取った椿の手に、ずっしりとした心地良い重さが伝わった。
知っている。
椿はこの重さを知っている。
「——————…………これ、は」
それは一振りの鎚だった。
今は懐かしいあの旅の日も。
つい先ほどの五十層でも。
いつもいつも、ずっと側で見ていた養父の背中。
その手には常に、今椿の手中にある鎚が握られていた。
「暖簾の代わりに持っていきやがれ」
「え……?」
顔を上げて見返した椿に、老鍛冶師はなんてことのないように言った。
「皆伝だ」
あっけなく告げられる言葉。
混乱のあまり発音と意味が結びつかず、椿は固まるしかなかった。
「今から
村正はにやりと笑って椿の肩をぽんと叩いた。
そこでようやく、椿は自分が何を言われたのかを理解した。
「————————————…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………ぅぅ゛」
手中の鎚を大切そうに胸に抱き、わずかに呻きながら椿が背を丸める。震える声が、ティオナ達が見守る天幕に弱々しく広がった。
「お得意様を根こそぎ
揶揄うように村正が声をかける。
返事がわりに、ぽたぽたと地面に落ち始めた雫が音を立てたとき、椿は爆発したように村正へと飛びついた。
「う゛わ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ん゛!!!!」
「今泣いてどうすんだバカ!! おい引っ付くな!!」
頭を擦り付けて大声でしゃくりあげる椿を、村正は驚いて引き剥がそうとする。
予想外の展開に目を白黒させていたティオナ、ティオネ、アイズの三人は、そんな椿と村正を見て、思わず顔を見合わせて微笑んだ。
「師゛匠゛う゛う゛う゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛!!!!」
「もう師匠じゃねぇっつってンだろ!!」
その姿が、まるでどこにでもいる親子のようだったから。
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