サラサラヘアーのユグノア復興計画 (まむかい)
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サラサラのプロローグ
サラサラの1:願われた始まり


「イレブン、だいじょうぶ!? いたくない!?」

 

 動転したような少女の声で目を覚ます。

 目の前には金髪の可愛らしい女の子が、心配そうに俺を見下ろしていた。

 

 どうやら俺は倒れていたようで、背中と後頭部の激痛に青々とした木の下という状況から、おそらく木登りの途中で滑落したようだった。

 

「大丈夫だ、問題ない」

 

「? へんな言いかただね?……でも、ぶじでよかったぁ!」

 

 女の子が涙を目に溜めて俺に抱きついてきた。

 

 え、何この状況は。そして、なんか俺の視線、倒れ込んだままの姿勢から起き上がってもまだ低くない?

 

 なんだか、目の前の五、六歳の女の子と同じくらいにしか……。

 

 不思議に思いつつ辺りを見回すと、牧歌的な村の風景が目に入る。

 

 視界に入った俺の体もなんか小さいし、首の振りに遅れてやってきた髪の毛は……なんともサラサラだ。

 

 そして、紅葉みたいなちいちゃいおててにはハンカチだかランチョンマットだか知らないオレンジの布切れがいつの間にか握られていた。

 

 あと、俺が登って落ちたと思われるこの木……それ以外にもこの状況、なんか見覚えがあるような……?

 

 そこまで考えたところで、俺の脳内に透き通るような美しい女性の声が響いた。

 

『起きましたか、外なる神よ。あなたには、勇者となって貰いたいのです』

 

「いったい誰だ?」

 

「え? エマだよ、あなたのおともだち」

 

 しまった。声に出したせいで女の子……エマに言ったみたいになってしまった。

 

 なんでもないと取り繕い、表面上はエマの応対をしながら脳内の声に疑問を呈する。

 

『あの、一体誰なんだ? 言い方から見るに、俺が外なる神ってことでいいのか? で、あんたは上位の神様って感じ?』

 

『疑問はもっともです。包み隠さずお答えしましょう……』

 

 まるでお告げのように直接頭に響くその声。

 

 精霊ルビスと言うらしいその声の主は、状況があまり飲み込めていない俺の疑問をひとつひとつ解消していった。

 

 ……んで、精霊ルビスを筆頭に、ロトゼタシア、邪悪の神ニズゼルファ、それを打ち滅ぼす勇者などなど……俺にとって聞き馴染みのある単語が次々と飛び出てきたのだ。

 

 それらの点と点を繋げる単語がひとつだけあるとするならば……

 

『ドラゴンクエストⅪ……の勇者に俺がなったってことなのか?』

 

『外なる神の見た11番目の物語の勇者、その理解で問題ありません。……あなたに、この世界を救っていただきたいのです』

 

『はぁ、なるほど……』

 

 にわかに信じがたいルビスの言葉に生返事を返しつつ、手に持っていた布切れ(バンダナだった)はエマに渡し、彼女との手遊びを器用にマルチタスクでこなしながらルビスの話を掘り下げていった。

 

 ルビスの語った話の要点を掻い摘んでいくと、どうやらルビス……このロトゼタシアを見守っている彼女が、この世界を闇に包もうと暗躍する邪神ニズゼルファの力が封印中にも関わらず予想を超えて高まっていることに強い危機感を覚えてしまったことが俺をここに呼び寄せてしまった発端らしい。

 

 精霊というのは意思を覚醒させている場合、何かを少し願っただけで奇蹟を起こしてしまうことがよくあるそうだ。

 難儀な種族だな。

 

 その件の願いとは、勇者を手助けするために外から見守る神(俺、というよりプレイヤー的な意味らしい)のうちロトゼタシアをよく知る神の助力を求めたことらしく。

 

 結果、ドラクエ11のクリアプレイヤーであり、ちょうど事故で死んだばかりでもあった俺がこの世界に引き寄せられ、この世界の勇者の魂と入れ替わってしまったのだそうだ。

 

 が……、ん? 魂が入れ替わった?

 ちょっと聞き捨てならなそうな単語に疑問を返していく。

 

『じゃあ本来の勇者……この子の意識はどうなってるんだ?』

 

『いえ、最初からあなたの意識のまま、この子、イレブンは育っています。心配する必要はありませんよ』

 

 ……心配大ありじゃい!

 

 俺が輪廻転生せずにドラクエ世界に転生したのは百歩譲っていいのだが、生まれて愛を受けるはずだった子どもが誰とも知らない男に人生を取って代わられるのは一般的に最悪と言って差し支えないだろう。

 

『その辺りも心配はありません。彼の本来の魂は保護してありますので、いずれはあなたの子孫……ロトの勇者を継ぐものとして生を受けるはずですから』

 

 ……子孫ねぇ、それはそれで問題は大いにあると思うんだが? 俺は訝しんだ。

 

 まぁ、これ以上は俺に手立てがある訳でもないし、最低限保護はされてる以上とやかく言っても仕方がないことなのかもしれない。

 

 ルビスなりに手を尽くしたようではあるし。

 

 勇者として世界を救うってだけでも前世で一般人の俺では荷が重いのに、本来の勇者の人生のために子孫を残すことも使命に加わった。

 

 前世では童貞のまま死んだ俺にはある意味世界を救うより荷が重いかもしれん。

 

 帰り道にあるエマの家で彼女と別れ、家路でひっそりため息を吐いたのだった。

 

 その様子を見た村人からは『エマちゃんと離れるのが寂しくてため息なんて……イレブンくんてばゾッコンね!』と盛大に勘違いされているのだが、その時の俺は当然知る由もなかった。

 

『精霊として大きく干渉はできませんが、あなたの旅路を補助できるように、あなたの中に眠る外なる知識を活かせる物を用意させて頂きました。これを役立てて、どうか邪悪の神を退け、当代の勇者となってください……』

 

『あっ消え入りそうな声で脳内から遠ざかんな! まだ言いたいことが山ほど……!』

 

 頭の中に響く声は消え、そこには一人の少年勇者イレブンだけが取り残された。

 

「言いたいことだけ言って消えやがった……」

 

 頭の中の声が聞こえなくなった後、俺はもう一度盛大なため息を吐いてから家路についた。

 

 自宅に到着すると、育ての母親であるペルラの歓迎に「はぁ」と短い挨拶をして寝室に入る。

 

 怪訝な顔をするペルラには悪いが、あえてそれを無視してベッドに寝転んだ俺は、そのまま静かに寝入った。

 

 そして、夕方になった頃ペルラに起こされたとき、俺はある程度この世界で過ごす心の準備を整えていた。

 

 そう、俺は飲み込めないような大きな出来事があった時も、寝て起きたら大体なんとかやっていける性格だった。

 

 実際、本当ならくだらない事故で死んでしまっていたはずのこの命。

 拾った代わりに使命を押し付けられたのならくよくよしても仕方がない。

 

 どのみち世界を救うなら、その使命ごと楽しんで達成する方がいいに決まってる!

 まぁ、そう思わないとやってられないってのもあるが……。

 

 ともかく俺は、せっかく転生したこの世界をサクッと救うことだってまぁ吝かじゃない程度には受け入れ態勢を整えてベッドから起き上がってペルラの用意してくれたスープを飲み、その熱さに舌を軽めにやけどさせるのだった。

 



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サラサラの2:さらにふしぎな鍛冶セット

 夕食後。

 腹を満たして寝室に戻った俺は自分用のベッドの下がキラキラしていることに気が付き、ドラクエ主人公特有のアイテムコレクター脳に従ってそれを取り出した。

 

 意外とかさばって取り出しにくかったそれをまじまじと見ると……かなりファンタジーめいた装飾を施された、金床とハンマーだった。

 

「これって……ふしぎな鍛治セットか?」

 

 ふしぎな鍛冶セット。

 他シリーズでいう錬金釜のようなアイテムにあたる、本作のゲームシステム上における重要アイテムだ。

 

 材料とレシピさえあれば武器・防具・アクセサリーなどの装備品をハンマーで打つだけで製作するトンデモアーティファクトなのだが……どうしてここにあるのかはこの際いい。

 おそらく、これがルビスの言う贈り物なのだろう。

 

 それはそれとして、俺の目は本来のそれとは少し仕様が違うらしい不思議な鍛冶セットの外観に向けられていた。

 

「釜と、変な玉がついてる……?」

 

 俺の頭の中*1にある本来のふしぎな鍛冶セットの外観とは違い、その鍛冶セットには釜と透明なガラス玉のような球体が上部にひっついていた。

 

 脳内でシリーズ横断検索を掛け、ヒットしたのは錬金釜だった。

 鍛冶セットに違和感丸出しでくっついている釜の方はどうやら、先程解説した錬金釜に近いと直感した。

 

 玉については色と形からシリーズ内での重要アイテム、シルバーオーブなどが連想されるが……触ってみても何か反応するわけじゃないし、引っ張っても取れるわけじゃないので現状は保留にしておくことにする。

 

 俺は鍛冶セットをベッド下に戻して、ペルラに「さっき木の上から落ちて頭と背中が痛いから、やくそうが欲しい」とねだる。

 

 もちろんペルラは心配するが、「自分で治してみたい」と子供の成長チャンスをちらつかせて親のツボをあくどく刺激していると、ちょうどいいタイミングで川岸の釣りから帰ってきたペルラの父であるテオじいさんの鶴の一声によって、テオがやくそうの扱いを教えながら行うという前提でやくそうをいくつか使用する許可を貰ったのだった。

 

「それで……あまり痛そうなケガには見えんが、何に使うんじゃ?」

 

 やくそうを取り出しにテオと納屋まで来たところで投げかけられた一言に、俺の心臓がドキンと跳ねる。

 

 世界を巡って旅をしていた彼の洞察力は、見た目よりも精神年齢が高いといえど、まだまだ若造である俺の怪しい行動を即座に見破ることは訳ないようだった。

 

「ええっと……」

 

 答えに窮した俺は、二人だけの秘密にしてくれと念を押し、テオが泣きたくなるくらいに優しい顔で頷いたところで、やくそうでやりたいことについての真相を話した。

 

「ふしぎな鍛冶セット……冒険家だった頃に聞いた名じゃのぉ。一時期は勇んで探したもんじゃが、まさかわしの家のベッドの下にあったとは!」

 

 見つからん訳じゃ、と呵々大笑したテオは俺にやくそうを二つ渡し、悪いようにはせんとウインクをしてくれた。このお爺ちゃん……カッコよ過ぎる!

 

 肉体年齢相応にカッコいい大人への憧れに目をキラキラとさせる俺は、小躍りしながら寝室に向かった。

 

 後でわかったことだが、俺の精神的な感性は主に肉体に大きく引っ張られているようで、前世の自分としての感性と共に、年相応の感性もある状態になっているようだ。

 

 エマとのかけっこやかくれんぼも大人が子どもに付き合う感じではなく、子ども同士の楽しさを感じるというか、そういった状態であるみたいだった。この精神的乖離がなくなるのは多分、物語の始まる十六歳くらいからだろうか。

 ……いまから考えても詮がないが。

 

 閑話休題。

 

 テオとともにベッドの下のふしぎな鍛冶セットを取り出し、取り付けられた釜を開いてやくそうを二つ入れる。覚えているレシピが有効ならば……。

 

 しばらくグツグツ煮込まれたのち、ボフン! という破裂音と共に何かが飛び出てくる。それは入れておいた二つのやくそうではなく……質の良いやくそうである、上やくそうだった。

 

「ほほー。こりゃたまげたのぉ」

 

「本当だ……」

 

 テオが目を見開いて、俺も顎が外れんばかりに驚いた。こうなるであろうと予測していても、やはり目の前で本物のファンタジーな出来事が発生すると人は驚くものなのだ。

 

 テオの興味はふしぎな鍛冶セットそのものにも向いたようで、冒険家の血が騒いだのか大急ぎで屋根裏の蔵書から本を取り出し、納屋からさらにいくつかの材料を持ってきて俺に見せてくれる。

 

「これは、ふしぎな鍛冶に使えるレシピのひとつじゃ。現物がなければ無用の長物だと思っておったが、人生やはり何が起こるかわからんのう」

 

 テオは感慨深げに俺を見る。

 俺はその本を見せてもらったもののまだ文字が読めず、挿し絵から脳内検索をしたことで「騎士団の服」のレシピであろうことがわかるだけだった。

 

「早速作ってみよう。わしが後ろから支えるから、ハンマーを持ってみなさい」

 

 俺は頷き、装飾過多のハンマーを持つ。それは子供の力でも問題なく扱えるほど軽かった。

 テオが持たせてくれた材料を金床に放り込むと、虹色に輝く液体金属のようになる。

 

 はじめてのふしぎな鍛冶は、トンテンカン、トンテンカンという小気味いい音とともに進んでいく。

 

 大人の集中力を無礼(なめ)るなよとばかりに鍛冶作業に注力した俺は、魔法少女のステッキ並みの装飾をされたハンマーを振るいに振るい、「とてもいいできのよさ」の騎士団の服を作り上げることに成功し、脳裏にあの大成功ファンファーレも鳴っているのだった。

 

「し、信じられん……」

 

「同じ気持ちだよ、爺さん……」

 

 明らかな布製であるにも関わらず鍛冶台でハンマーを振って出来上がった、鎧よりも防御力の高い服。

 二人して驚愕に目を見開き、俺たちは目を見合わせて頷いた。

 

「これは、あまり公にしないほうがいいかもしれんのぅ……」

 

 凄まじい道具は人心を容易く乱す。そして、テオは俺、イレブンが故ユグノア王国の王子であり、当代の勇者であることを知っている。立派に育つまでは近隣のデルカダールにすら知られていないこのイシの村で育てると決めた以上、必要以上に目立つことを避けたいということだろう。

 

 俺としても下手に幼少期から目立って城に召喚→悪魔の子扱いからの投獄ルートを早めることは避けたい。

 俺とテオは、現状このアイテムの存在を知られないよう上から分厚い布を掛けて、納屋にしまい込むことにする。

 

「じゃが、これほどの宝を持ち腐れさせるわけにはいかん」

 

 納屋にてテオは俺に振り向き、

 

「あれはお前のものじゃ、使いたいときはわしに一言声を掛けるのじゃぞ」

 

 そう言って、慈しむような顔で俺の頭に大きな手をポンと乗せるのだった。

 

*1
ドラクエ知識の他にはひよこのオスとメスの見分け方くらいしか入っていない。



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サラサラの3:現状と打開の一手

 

 前世の意識の覚醒から一ヶ月。

 すっかりイシの村での生活にも慣れ、エマと遊ぶ傍らでふしぎな鍛冶セットと錬金釜を使いながら、テオ経由で信頼できる商人のルートに細々と上やくそうや青銅の剣などを作って売ることでちょっとした小金を稼いでは納屋にへそくりを隠す毎日を送っていた俺は、そういえば世界を救う勇者になる必要があることを思い出した。

 

 いや、忘れてたのは肉体に精神が引っ張られているせいだし。

 

 そう誰に言うでもなく心の中で弁解した俺は、一般人ソウルin勇者ボディである現状の何たるかについて考えを掘り下げていく。

 

 原作と俺の差異・アドバンテージ。それはもちろん原作……このロトゼタシアを舞台にしたゲーム、ドラゴンクエストⅪの委細をよく知っているという点だろう。

 

 なにしろ俺の死んだ事故現場であるコンビニ前の道路に繰り出すまではドラクエⅪの二周目をプレイしていたのだ。

 この世界について詳しくないほうがおかしい。

 

 それに、歴代ドラクエシリーズや外伝もそれなりにプレイしているため、錬金術のレシピやふしぎな鍛冶のレシピについても大まかに覚えている。

 

 ルビスの加護のようなモノもあるのか、ドラクエ知識については記憶が消えないようしっかり固着している印象だった。

 

 そして、俺が勇者としてこの先を生きる際にデメリットとなり得るのは……もちろん、一般人として当然の非勇者性、つまりは勇気が本来の勇者に比べると月とスッポンであるということだろう。

 

 よく考えてみてほしいのだが、普通は魔物どころか動物に剣で斬りかかるような真似はできない。

 

 メラで手から火が出るのも火傷しないかヒヤヒヤするし、ライデインなんか間近で起こる雷だ、何なら音だけで足が竦んでしまうことだろう。

 

 自分の攻撃力に怯える勇者など使いものにならないだろうことは、火を見るよりも明らかだった。

 

 ……だからと言って世界を救わないわけにはいかない。

 

 俺は子孫を残して本来の勇者の魂を地上に戻してやる必要があるし、そもそも「今からあんたが何もしなければこの世界は滅びます」と言われて、はいそうですかとほっぽり出せるような人間性をしてはいない。

 

 はじまりはほとんど強制だったとはいえ、どうせなら原作よりもハッピーなエンドを迎えたいところではある。

 それだけは確固たる、俺だけの願いだった。

 

 だから、俺には強さが必要だと結論づける。

 ドラクエ世界は、鳥山テイストのほんわかした見た目からは想像しづらいが、その実は現代日本とは比較にならないほど過酷で救いのない堀井シナリオが随所で幅を利かせてくるお辛い世界なのだ。

 

 それに少しでも抵抗してハッピーエンドたらんとするには、原作開始よりも早い段階で強くならなければ、無理を通すこともままならない。

 

 さて、その強さを得るべく幼いサラサラヘアーのショタである自分の有り余る時間を有効活用すべくここまで思索を巡らせてきたわけなのだが。

 

 そうこう考えているうちに、幼さゆえの行動範囲の狭さがすべてのネックになっているのだろうと結論が出てしまう。

 

 木剣でのチャンバラ遊びをするのならともかく、年端もいかない少年が本格的な金属剣を振っていれば狭いイシの村では何事かと怯えられてしまうだろう。

 

(そもそも、村から出ないことには何も始まらないなぁ)

 

 現状を打破する策はそうそう思いつかない。

 

 そう結論付けて、ふしぎな鍛治のために常に入り浸るようになった家の納屋からイシの村を見渡し、村を横断する川を眺めたところで、俺は天啓を得る。

 

 そういえば、俺がユグノアの王子であることをこの世界で正式に知るのは、イシの滝の三角岩に埋められたテオからのタイムカプセルを開けることがトリガーだったことを思い出したのだ。

 

 それは命の大樹の根から記憶を読み取ることができるという勇者の能力を無意識に使った未来勇者がその幼少期に向かってタイムスリップのような現象を起こし、テオにデルカダールで悪魔の子として捕らえられかけた厳しい現状を打ち明ける。

 

 テオは寄る辺を失った勇者の道標としてタイムカプセル────ほこらの封印を開ける魔法の石と勇者の実の母たるユグノア王妃の手紙、そしてテオ自身が未来の勇者に宛てた手紙を入れた箱をイシの三角岩に埋める、という顛末だったはず。

 

 このイベントが発生する指標となるのは、幼少期の俺がエマのバンダナを取ってあげようと木に登るタイミングと重なっている。

 

 ……つまるところ、俺が前世の意識を覚醒させた日と重なっていると思われるのだ。

 

 もちろん、細かい差異があるため確実とは言えない。

 厳密に言えば未来勇者のタイムスリップ後は過去勇者がはしごをテオに貸してもらおうとしている時に未来勇者が颯爽とバンダナを回収しているために意識覚醒時に俺の手がバンダナを握っていたことと矛盾するし、もっと言えばこの世界の未来勇者とは本来の勇者イレブンではなく勇者イレブン(in一般人ソウル)であるため、テオと同じ会話をして、同じくタイムカプセルを埋める結果を辿っているとは限らない。

 

 その辺りの反証についても考えたのち……俺は結局、こっそりイシの滝の三角岩のそばにやってきていた。

 

「お、重いっ!」

 

 原作では青年である勇者とカミュが二人がかりで移動させた三角岩。

 老人であるテオがタイムカプセルを埋めてしまえるとはいえ、子どもが岩を移動させることはかなり難しい挑戦であるのは間違いなかった。

 

 だが、そこは大人の知識を持つ転生者の腕の見せどころだ。

 

 その辺のちょっと固そうな木の枝をうまく使い、てこの原理でもって、小さく小さく岩を動かす。

 滝壺近くに住む魔物が不思議そうに見ているが、魔王がデルカダール王に乗り移って暗躍しているおかげか、凶暴にいきなりこちらを襲うことはないのが幸いだ。

 

 魔物は本来純粋という、ドラクエ世界の基本設定さまさまである*1

 

 そうして岩を動かしているうちに、つい最近埋め立てられたように少しふんわりとした土が見えてきたところで、俺の推測は確信に変わる。木の枝で土を掘り起こすと、事前の予想通りの代物が出てくる。

 

 分のいい賭けは順当にビンゴ。俺は見事、タイムカプセルの発掘に成功したのだった。

 

 箱を開けて中を改めれば、二通の手紙と魔法の石。一通はユグノア王妃である母の手紙で、もう一通はテオの手紙。

 どうやら書いてあることも原作通りであり、俺が正式にユグノアの王子であることを矛盾なく正式に知れるよいきっかけとなった。

 

 ……と、テオに見せるためにタイムカプセルから手紙を失敬しようとすると、タイムカプセルからもう一つ手紙が落ちてきた。

 

 差出人は、『ニマ』とだけ書かれていた。

 

 ニマ。

 ニマといえば、ニマ大師だ。

 

 ドゥルダ郷を取り仕切る師範であり、ユグノア王────勇者の祖父と孫の勇者を鍛え、ユグノア王にして原作パーティメンバーのひとりであるロウに奥義グランドクロスを、勇者には奥義覇王斬を伝授した人物だ。

 

 そんな人物がなぜこのタイムカプセルに手紙を? と疑問を感じつつ、手紙の内容を改める。

 

 その中に書かれていたのは、明らかに現在の────過去の勇者である俺に向けて書かれていた言葉だった。

 

『イレブンへ

 

 時節の挨拶から始めるようなまどろっこしい手紙は好かないから、簡単に書くよ。

 

 お前の今やりたいことについて、未来のお前が手助けをしたってことを覚えておきな。

 

 テオを頼ってドゥルダ郷へ来るといい。その時は、お前を容赦なく鍛えてあげるからね。』

 

 

 ドゥルダ郷。

 それはデルカダール北西の険しいドゥーランダ山を越えた先にある、修験者の集まる修練場の名前だった。

 

 なるほど未来の俺は良いところに目をつけてくれたものだ。

 この世界で強くなるのに、さらには身を隠しておくのにもあの場所ほど適した場所はない。

 

 俺は手紙をポケットに入れ、イシの村への帰り道を駆け抜けた。

 

 

*1
実際は非常に危険。子供の体力で森を渡るせいでイシの滝に来るのが遅く、到着するまでに魚で事前に腹を満たしていた魔物がたまたま興味を示さなかっただけ。



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サラサラの4:小さな贈り物

 ドゥルダ郷に行って、勇者としてさらに強くなりたい。

 

 そうテオに直談判し、ペルラに叱られ、エマに離れるのは寂しいと泣かれ、村の人々に幼い子の旅は危険だと諭されて都合十日ほどが経った頃。

 

 頑として意見を変えることのなかった俺についにペルラとテオが折れ、俺のドゥルダ行きは叶うことになったのだった。

 

 準備を終えた日の朝、村の出口では村人たちが総出で俺を送り出そうと集まってくれていた。

 

 そこにはエマの姿はない。

 どうやら、エマの生家である村長宅の中にいるようだった。

 

「みんなー! 行ってくる!」

 

 重々しい雰囲気は俺の年単位でいなくなるとは思えないような軽い挨拶でガクッと崩れ、頑張ってこいと気負いすぎない激励をもらう。

 

 ペルラは俺を抱きしめ、「私はあんたのことを愛してる。いつでも帰っておいで」と涙を流した。

 まだ子どもとはいえ、ペルラには世話になりっぱなしだった。

 今は止まっていられないが、いつか世界を平和にしたら恩を返そうと決意した。

 

 テオに手を引かれ(地上最大のギャグ)村を出る前に、寄りたいところがあるとテオに言う。

 指した方向から用件を察したテオは頷き、俺は目的の場所へと駆けていった。

 

 場所は村長宅……というより、俺にとってはエマの家と言った方が馴染み深い。

 

 村から離れないでと泣きながら抱きついてきた彼女に意見を曲げなかった俺は彼女と喧嘩別れのようになってしまっていた。

 

 最後に挨拶だけはしようと、エマの家のドアをノックする。

 

 ほどなくしてトコトコと小さな足音が聞こえ、ガチャリと家のドアが開いた。

 エマは俺の顔を見るやいなや嬉しそうに顔を明るくし、しかし、それを取り繕うように顔をしかめた。

 

「……イレブン」

 

「エマ、ゴメンな。それでも行かないと」

 

 そういうと、幼いなりに精一杯不機嫌ですと顔に書いたままこちらに目を向けていたエマは、俯いて玄関先から去った後、手に不格好な小袋を持って戻ってきた。

 

「……あげる、ね」

 

「これって?」

 

「おまもり! イレブンがあぶないめにあわないように!」

 

 半ば怒鳴るようにしてエマは俺にお守りを手渡し、ドアを乱暴に閉めた。

 

 だが、その勢いとは裏腹に、去っていくような足音はしなかった。

 

「大事にするよ。エマと同じくらい」

 

 俺はドアの前でそう言い残す。

 

 がたん、とドアの向こうで音がした。

 それにはたぶん気付かないほうが良いのだろうと微笑ましさに顔を綻ばせ、エマの家から踵を返す。

 

 エマのおまもりをテオから貰ったふくろに入れ、俺はテオと一緒にイシの村からドゥルダ郷へと出発したのだった。

 



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サラサラの5:ドゥルダ郷入門

「で、あたいの所に来れたってわけだ。……はぁ~、頼まれたもんはしょうがないからね。途中でへばるんじゃないよ?」

 

 険しい野を越え山を越え、道中でキャンプの極意をテオに教わりながら進むこと十数日間。

 

 俺が子どもであること、そして緊張状態にあるデルカダールの刺激を避けるような険しいクライミングを伴うルートを取ることも考慮してかなり余裕を持った日程を組んでくれたテオのおかげもあり、無事にドゥルダ郷へやってくることができた。

 

 道中で見たテオの実力はかなりのものだった。

 若い頃に冒険家としてブイブイ言わせていたという彼の言は孫くらいの子どもに対して大きく盛ったほら話でもなく、しっかり世界を巡れるだけのレベルにして28~35くらいの実力を備えており、ドゥルダ郷までの道のりでは、気分はパパスについていくDQ5主人公のようだった。

 

 だが俺も何もしなかったわけじゃない。

 ふくろ*1に入れて持ってきていたふしぎな鍛冶セット(with錬金釜と変な玉)を使い、子供用にリサイズした剣や鎧を山で取れる素材から作って、テオの目の届く範囲で下位の魔物と戦っていたりもする。

 

 イシの村の周辺と違って、外の魔物はすぐに襲ってくる者ばかりだったのは驚きだが*2、それならそれでしっかり意識を切り替えていくことにした。

 

 ゲームのようにレベルアップしてスキルを割り振ってという訳ではないものの、着実に実戦経験が着いたという意味でのレベルアップは果たしているように思う。

 魔物と戦うという非日常にも、元一般人である自分にしては慣れてきたように思っていた。

 

 それに、テオに教えられて特技としてはかえんぎり、呪文としてはメラ、ギラ、ホイミが使えるようになった。

 

 呪文については「そろそろ教えてもいいじゃろう。……んぬぅぉ〜〜〜〜、そりゃ、ほりゃ、とりゃあっ!」という掛け声でメラの呪文等を伝授してもらったのだが、原作パーティメンバーのベロニカが同じようにルーラを勇者に教えたことから公式設定とはいえ、それでいいのか魔法使い。

 

 ……で、話を現在に戻そう。

 

 俺はお目通りが叶ったニマ大師に、誠意を示す基本姿勢である土下座を用いて、弟子にしてくださいと頼み込んでいた。

 きれいなジャンピング土下座はサマディー王子ファーリスも使う由緒正しい王族の懇願方法*3なのである。

 

「お願いします! 俺は強くなりたいんです!」

 

「強くなって何をするつもりだい?」

 

「子孫を残したいんです!」

 

「このバカモノーっ!」

 

「いだーっ!!?」

 

 バチーン、と小気味いい快音。

 土下座ゆえ無防備なプリティーショタのお尻に、ドゥルダ伝統のお尻叩き棒で闘魂が注入された音だ。

 

「つつ、くぅ~……い、いえ、そっちも大事なんですが……俺は世界を救いたいんです!」

 

「世界を?」

 

「はい、勇者として! そんで子孫を……」

 

「このバカモノーっ!」

 

「いだーっ!!?」

 

 再びバチーン、と小気味いい快音。

 土下座ゆえ無防備なプリティーショタのお尻に、ドゥルダ伝統のお尻叩き棒で闘魂が注入された音であることはまさに疑いようがなかった。

 

「感心させる大望が飛び出したかと思えば、ぬけぬけと……まぁいいよ、助平なところはアイツと瓜二つさね」

 

「アイツというと?」

 

「ロウ。あんたの祖父にあたる男さ」

 

 ついてきな、とニマ大師は結った銀髪を揺らしてツカツカと歩いてゆく。

 

 テオは俺と別行動で、知己の相手だという僧正たちにあいさつをして回っていた。

 やはり元冒険家だけあって顔が広い、ドゥルダ郷にまで知り合いがいるとは。

 

 しばらく歩いて、大修練場を通り過ぎ、僧正たちの居住区、その空いた一室までやってくる。そこは人が長らく住んだ形跡がなく、なんとなく埃っぽい一室だった。

 

 ニマ大師はその髪からほうきにちりとり、雑巾、はたきなどを取り出して、こちらに渡してくる。

 

「お前の最初の修行は掃除さ。今から住み込むこの部屋を綺麗にするんだよ。それじゃ、しっかりおやり」

 

 ニマ大師はそう言って、俺が言葉を返す暇もなく、居住区からさっさと帰っていってしまった。

 

 まぁ、要はなんとかここでの修行を認められたようだ。

 なら、ファンタジーな修行で強くなり、おまけに師匠もトンデモ美人。

 これは張り切る要素しかない。

 

 ナイス、未来の勇者イレブン!

 

 そうして張り切りながら掃除を始めるこのときの俺は、ドゥルダの修験者たちが自らに課す荒行につぐ荒行とあまりに詰め込みまくる座学につぐ座学のキツさを知らず。

 

 そしてニマ大師は別に俺につきっきりで修行を付けるわけがないという当然の事実の見落としに気づくことなく、坊主頭の修験者たちが行う容赦なんて微塵もない地獄の荒行荒行アンド荒行が免許皆伝まで続くだなんて露ほども思っていなかった。

 

 ファッキン、未来の勇者イレブン。

 

 肉体がミンチかペースト状になるかと錯覚するような水量の滝に打たれつつ写経をしながら、俺の心は揺らがず未来に向かって一点を見つめていた。

 

 

*1
サイズも個数も関係なく何でも収納できるゲーム的なやべー袋。この小説内では収納量を拡張する魔法のかかったマジックアイテムとして扱う。

*2
勘違い。イシの滝で襲われなかったのは、魔物がたまたま直前に食事を終えて落ち着いていたため。

*3
土下座完了までに1カメ、2カメ、3カメを使うのがサマディー王室の作法。



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サラサラの6:一日千秋の再会

 ドゥルダ郷での修行開始から一年と半年以上が経ち、お尻叩き棒で文字通り叩き直された一般人メンタルは、勇者として恥ずかしいレベルから「むらゆうしゃ」くらいには改善されていた。

 

「子孫を残さねばならない」と、性を超越した大師とはいえ女性の前でのたまったこともあったが、そういったデリカシーのなさもやや改善されたと思われる。

 

 上記の発言には語弊があり、入れ替わった勇者の魂をしっかり正道に戻してあげたいという思いが主なのでどうにか訂正したいのだが、かなりややこしいその辺の事情を打ち明けるわけにもいかないので誤解はぜんぜん解けていない。

 

 まぁ、スケベなのはユグノアの血筋のせいなのである意味誤解ではないのかもしれんね。(偏見)(責任転嫁)

 

 閑話休題。

 

 今日はニマ大師からお呼びがかかり、なにやら今日は会わせたい人物がいるらしい。

 

 大修練場の一角でドゥルダ式の修行をしながら待っていると、俺よりも10つほど年上であろう動きやすそうな格好の少女と、恰幅の良い旅装の老人の二人組がニマ大師に連れられて俺を尋ねてきた。

 

「こんにちは、イレブン。……キミからしたら初めましてかな。会ったのはあなたが赤ん坊の頃だったから」

 

 長い髪をホーステールにまとめた彼女は、マルティナと名乗る。

 その瞳には、薄っすらと涙がにじんでいた。

 

「おお……大きくなったのう。……すまんな、イレブン。お前には何がなんだかわからんだろうが……少しだけ、抱きしめさせてくれ」

 

 赤い帽子の似合う、少し頭髪の淋しい老人はロウと名乗る。

 ロウは慈しむように目を細めて、しわのある顔をくしゃくしゃにしていた。

 

 俺は彼らのことを知っている。

 行方不明になった俺を探して世界を旅していたことを知っている。

 

 だが、俺は彼らが俺を探したであろう長い年月のことは知らない。

 勇者が16歳となった時から始まるゲーム内において、この時期の彼らのことが詳細に描かれることは無かったからだ。

 

 だけど、そんな負い目を感じるより先に、俺はロウの抱擁を受け入れた。

 

 そのお腹はふくよかで柔らかく、加齢臭がツンと鼻を突く。だが、それでも嫌な感じはしない。

 その汗も涙も俺を探すために費やしてくれていたからあるものなのだと思うと、俺は頭の下がる思いだった。

 

 そして、ロウの抱擁が終わると、身長の違いから片膝をついていたマルティナが俺を抱擁した。

 

 ……マルティナも同じく、俺を探す旅の終着点にいた俺のことを、穏やかにその身で包んでいた。

 

 ロウのそれとは違うけど、確かな……確かな……。

 

「む、むぐ、ぅ……」

 

「────っ、い、いかんマルティナ! 手を離しなさい!」

 

「え、ど、どうしてそんなことを言うのよ、ロウ様? せっかくイレブンと会えたのに!」

 

 確かな……愛……まんじゅうみたいな……。

 

「おぬしのぱふぱふでイレブンが窒息しておるんじゃよっ!」

 

「えっ!? あ、ほ、本当だわ! こんな形でお別れなんてイヤよ、息をしてイレブン!」

 

 むぎゅぎゅううぅぅう。

 

 もちろんこれは服の上から形が変わる大きな胸の圧力の擬音だ。

 格闘少女マルティナの抱擁力は強く、意識は既に朦朧としていた。

 

「むぐぅっ!? っ……! ……!」

 

「ぎゃーっ!? だからその手を離さんか、マルティナぁっ!」

 

「あ、そそ、そうだったわ!」

 

 慌てて俺から手を離すマルティナ。

 俺は久方ぶりに呼吸が確保され、ぜーはーと息切れしたように酸素を取り込む。

 

「……大丈夫だったかしら?」

 

「いえ、ごほうびなので」

 

 ────スパァン!

 

「いだーっ!?」

 

「まぁだ修行をし足りないようだねえ、イレブン?」

 

 先程まで水入らずの再会を邪魔しないよう静かに佇んでいたニマ大師のお尻叩き棒が俺に炸裂する。

 

 マルティナは突然の体罰におろおろと所在なさげにし、ロウは過去に受けたお尻叩き棒の威力を思い出したのか苦虫を噛み潰したような顔をしていた。

 

 そんなこんなで、俺は原作よりも八年ほど早く、ロウ・マルティナとの再会を果たしたのだった。




●マルティナとの年齢差について

 主人公(以下、サラサラ)の年齢はドラクエ勇者の系譜の慣例に従って+エマの「生まれた日が同じ」発言(本当に一緒かどうかの信憑性は低いが出生は概ね一年も外れていないと思われる)から16歳となっていますが、マルティナの年齢は公式設定や初期構想を描いた設定画でも明かされていません。
 ですが判断材料はままありますので、今作品ではこういう推理のもと決定している、というのを明示していきます。

・サラサラ誕生(ユグノア滅亡)時点で小学生程度の見た目をしている。
・グレイグが王にペンダントを貰ったタイミングにマルティナ誕生。
・ペンダント贈与時のグレイグの見た目は小学生高学年~中学生程度なので、10~14歳程度と見積もる。

これらを踏まえて、

グレイグ10歳でマルティナ誕生

マルティナ10歳でサラサラ誕生

ゲーム開始時点でサラサラ16歳、マルティナ26歳、グレイグ36歳

が最も綺麗に対比が並ぶなぁと思ったので、今作品では三人共が10歳差といった前提で進めていきます。(ちなみに現時点でサラサラは8歳、したがってマルティナは18歳となります。)
どうぞご理解とご了承をお願い致します。


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サラサラの7:ハッピーエンドのプロローグ

 

 ロウ・マルティナの二人と再会した俺は、自分がユグノアの王子であること、当代の勇者であることを二人から改めて知らされる。

 

 ロウからはマルティナとともにユグノアの友好国であったデルカダールに来るよう勧められもしたのだが、来たるべき日のために修行を優先したいと言って丁重に断った。

 

……その理由は二割ほど本当だが、実際のところは『現在のデルカダール王は魔王ウルノーガに操られ意識を取って代わられており、どこかに潜む勇者を自身の目的のため幽閉・抹殺しようとしている』ということを原作での動向から知っているためだというのが八割だった。

 

 まだ幼く、なんなら投獄された先に居合わせる仲間(カミュ)もいないこのタイミングでデルカダールに行くことだけは本当に避けたいところなのだ。

 

 デルカダール王の動向に娘として違和感を持つマルティナからも賛成が得られデルカダール行きは保留となったが、ロウからはいずれ故郷であるユグノアには顔を出してほしいとお願いされ、そちらは言われるまでもないと了承するのだった。

 

 それからの生活はイシの村に行ってエマと遊んだり(前世では幼馴染派なので)、マルティナと修行の成果を試しあったり(前世ではおねショタ派だったので)、ロウとテオのお腹を同時にぽよぽよしたり(ふかふかで気持ちいいので)、ドゥルダに帰ってからは俺の腑抜けた様子に怒髪天のニマ大師やお尻叩き棒を振るう鬼畜眼鏡ショタ(実際は天才利発少年)として頭角を表している後輩サンポくんから直々にしごかれる壮絶な修行を乗り越えながら、怒涛の年月が過ぎていった。

 

 その間、ふしぎな鍛冶セットについてもテオやロウ・マルティナが世界中から集めていた素材を使わせてもらって練度を上げていき、ふしぎな鍛冶の奥義『熱風おろし』の体得にまで至ることができた。

 

 そろそろ貴重な素材を使ったレシピを試してみたいものだが、いかんせん取りに行けるだけの強さはついてきたものの、良質な素材の目利きだけはままならない。

 

 この辺はロウやテオなどの年長組を含めてもどうにもなるものではないので、どこかで目利きのできる人物の雇用も視野に入れた、商会並みの資金作りを始めるきっかけとなった。

 

 資金作りの手始めにドゥルダ経由で医療用品や服などを卸す事業を開始したのだが、魔物と立ち向かうことになる兵役で傷つくことも多い兵士たちはどこの国も良質なやくそうを求めており、これは飛ぶように売れた。

 

 そして、いちおう現代人でもある俺は自身の布の服や旅人の服一辺倒からの脱却も鑑みて似たレシピからTシャツやスーツを製作し、レディースはマルティナや帰省した際のエマにも意見を聴きつつアパレルブランドを発足してみたのだが……これが意外にも隣接したデルカダールを中心に大いに受けた。

 

 現代のセンスが受け入れられるかも不透明であり「たまに売れればいいかな」程度で発売したのもあり、予想以上どころの騒ぎではない反響は考えもしていなかったが、衣料品の需要が高いのは結果論的に考えれば必然だったとロウが分析してくれた。

 

 デルカダール市民は都会派でおしゃれに敏感であり、デザイン性が高く守備力まであるふしぎな鍛治製よそいきウェアは魔物の蔓延るこの世界で特に心を掴んだようだ。

 

 それに最終的には、

 

「これを普段着とすれば市民が生き延びる確率が上がるので宣伝を」

 

「軍学校の卒業論文に必要なんです!」

 

「グロッタの英雄像がモチーフロゴになった英雄デザインTシャツを着たところが見たいんですの、よろしいかしら?」

 

「おいグレイグ、これを着ろ」

 

 とさまざまな理由で非番の度に着せ替え宣伝大使と化したグレイグ将軍の姿が強力な広報となったようで、ふしぎな鍛治による衣料品ブランド「D.R.D」は一定の地位を確立するに至ったのだった。

 

 その影響で、俺たちの資金はデルカダールの外貨をカービィよろしくの勢いで吸収してかなり潤沢な支度ができるまでになり、僅かなお布施での細々とした経営が続いていたドゥルダ郷にも最新鋭のトレーニング施設が作られることとなって、より効率的な修行が行えるように変わっていった。

 

 ……重力トレーニング施設とか、一体どこの技術なんだ?実は変装した神の民が技術協力していたりしないだろうかと俺は訝しんだ。

 

 そして、現在。

 

 10歳になった俺はニマ大師から、

 

「及第点、今のトシでもう教えられることはないよ。続きは体が出来上がってからだが、これからも修行は怠らないように」

 

 との評価とともに師範代としての免許皆伝を伝えられていた。

 

 これは俺の後輩であり、たった半年でその才覚をニマ大師に次ぐNo.2候補にまで仕上げたサンポ大僧正に次ぐ、歴代二位の快挙だった。

 

 ……俺よりも年下なのにそのドゥルダの申し子っぷりで俺より数段早く免許皆伝したサンポくんが同世代にいるおかげで、俺が「3年でドゥルダの免許皆伝とかチート主人公かよ草、なろうじゃんw」と外なる神に謗られることは無さそうで何よりだが、件のサンポくんにも「尊敬します!」と屈託なく祝われ、

 

「あ、うん……快挙なんだよね、もちろん……」

 

 と、ドゥルダの長い歴史の中でも今後抜かれることがないであろう最短皆伝が出たすぐ後の出来事であるからして、俺はなんとも釈然としない顔をしてしまうのだった。(フォローするとサンポくん自身はとても聡明で快活な子で、増長もせず気も優しい完璧超人である。もちろんなかよし。)

 

 ロウとマルティナに皆伝とドゥルダ郷を降りることを伝え、イシの村への帰路へ着き、慣れた抜け道から二日ほどの道程で、イシの村に辿り着いた。

 

 帰省に気付いた村人が村中の人間を呼んだことでロウ・マルティナともども大いに歓迎を受け、駆け寄ってきたエマをいつも通りに受け止める。

 

「イレブン、帰ってきてたのね! また半年も帰ってこないんだから……待ってたんだよ?」

 

「俺を待っててくれたの? ありがとう、俺もやっとエマに会えると思って急いで良かったよ」

 

「!ま、まぁ……分かってくれてるなら、いいかな」

 

 抱きついた姿勢のまま、俺の胸に顔を寄せたエマがふにゃりと顔を綻ばせ、こちらを見上げる。

 その仕草は干したての毛布にくるまる子猫のようだった。

 

 ふふふ、童貞ではあるがそこはドゥルダの皆伝修験者、成熟した大人の対応でエマの好意を素直に受け止めることが……できてる?

 

 ロウじいさんや、これ大丈夫なヤツ?エマに引かれたりして……ない?

 

 OKサインだ、やったぜ。貧弱コミュニケーション能力がデフォルトの童貞なりによい対応ができてるらしかった。

 

 それにしても、実際ここまでストレートに好かれていると嬉しいものだ。

 

 マルティナも微笑ましい物を見るような温かい目でこちらを見ており、ロウも「恋は心を豊かにしてくれるぞ、イレブンよ」と、いつも通りに恋はいいぞbotと化していた。

 

 村を挙げた歓迎会&免許皆伝おめでとう会の最中、妊娠中だった奥さんが突然産気づき、翌日に赤ん坊を見せてくれることもあった。

 

 目を瞑っていてもわかる垂れ目が印象的な男の子で、名前を聞くとどうやら「マノロ」というらしかった。

 

 そして、歓迎会から翌日は久しぶりの実家でペルラと話し込むロウとマルティナの声をBGMに眠ってゆっくりと骨を休め、次の日。

 

 修行の途中で他界したテオの墓標に、修行を終えて、強くなってここイシの村に帰ってこれたことを、手を組みながら祈るように伝えた。

 

 テオは最後まで元気に過ごしていて、ある日突然、釣りをしている最中に眠るように息を引き取ったそうだ。

 

 ペルラいわく、穏やかな死に顔で、最後まで俺が強い勇者に成長していくのを楽しみにしていたという。

 

 期待に応えられているかはわからないが、期待に応えるようこれからも行動し続けたいと思っていることだけは、嘘じゃないと言い切れる。

 

 強くなったよと墓標に告げて、俺はロウ・マルティナとその場を後にした。

 

 それから俺たちはイシの村に数日滞在したあと、三人で旅に出ることを決定した。

 

 表向きは見聞を広めるため、本当の目的は原作パーティメンバーの一人の悲劇的なフラグを早めに折っておくためだった。

 

 その仲間の名前はカミュ。

 バイキングの下働きから世間を騒がせる盗賊になった彼は、この時期に失う妹がいる。

 

 妹の名前はマヤ。

 

 触れたものを黄金に変える首飾りによって人生を狂わされ、最終的に魔王軍の配下である六軍王のひとり、鉄鬼軍王キラゴルドとして主人公たちに立ちはだかる少女だ。

 

 原作よりもハッピーな世界を。

 

 俺がそう目論んでいるのはいつも口を酸っぱくして言っている通りなのだが、そんな俺がやるべきタスクとして最も大きなものはもちろん『過ぎ去りし時を求める前に命の大樹消失を防いで大樹の葉とリンクしているロトゼタシア生命の大量死を回避しながら魔王ウルノーガと邪神ニズゼルファを討伐すること』なのは皆さんご存知*1なのだが、そういった世界全体に関わる一大事とは別に『ストーリー中に描写されていた悲劇を覆す』というささやかな願いが俺にはあったりする。

 

『せっかく勇者なんだから流れる涙の数減らしてこーぜ』

 

という緩めのスローガンを掲げ、世界を巡るという名目のおかげですっかり快適な馬車旅行世界名所ツアーの予定を組んでいたロウとマルティナに、海路から北国クレイモラン→バイキングのアジトというかなり際どい道程を取るようお願いしたのだった。

 

 

*1
たった今はじめて詳しく描写がなされた。




ドラクエ二次ならトルネコ(動詞。お金を稼ぐこと)は基本、ルビスの贈り物を活用した医療品と衣料品のHANBAI回です。
こんくらいしないと討伐→ゴールド回収だけではユグノア復興タイミングが完結レベルまで遠のいてタイトル詐欺になっちゃうのでね……。
販売品に関しては、マジのトルネコみたいに武器商人になるとデルカダールの戦力が露骨に上がってしまうのでこの辺りが落とし所かなと思っています。
そして、物語はイシの村→ドゥルダの往復修行編となったプロローグを終え、外海を渡るサラサラの船旅編に続きます。
どうぞお楽しみに。


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サラサラの船旅編
サラサラの8:願いの萌芽


 

 イシの村の命の大樹の根と感応することで勇者の使命を聞いた。その使命に関わる少年がバイキングのアジトにいるとわかった。

 

 原作知識をこねくり回して考えたもっともらしい言説により、俺とロウとマルティナはダーハールーネであらくれの船員が率いる船を一隻雇い、クレイモランに向かった。

 

 外海に向ける際、水門を開いてもらう際に領主のジエーゴに目通りをすることになったのだが、死んだはずの王族三人とかいう怪しすぎる本当の身の上の隠れ蓑になったのが、内海で勢力を伸ばすドゥルダの商品を外海に売りに行く旅商人という立場だった。

 

 嘘は言っておらず、船を改めてもらっても置いてあるのは物騒でもないふしぎな鍛治製の薬品と衣料品だけで、特に目立ったものは出て来ない。

 

 せいぜいが確認したソルティコ兵たちに警備を増員したほうが良いんじゃないのかと忠言された程度だった。

 

 まぁ実を言えば俺を含めた三人はたった一人だけであってもどんな護衛もほとんど必要としない程度に腕に覚えがあるのだが、その辺りはややこしくなるので黙っておく。

 沈黙は金とはよく言ったもんだね。

 

 ちなみにこの世界に直接つよさ、いわゆるステータスを確認できる術は少ないが、実は教会でお祈りすればゲームよろしくお告げを直接聞くことができる。

 

 本当ならお告げは次のレベルまでに必要な経験を聞くことができるだけなのだが、俺についてはこの世界の住人のように神に祈っているわけではなく、今も俺の行く末を見守っているらしいルビスに直接聞いているため、そのタイミングで俺たちを俯瞰したようなゲーム内における「つよさ」「戦歴」に対応した情報をくれるというわけなのだ。

 

 あと、行く先で凶暴化している魔物の情報もくれたりする。

 俺がこの世界に呼ばれた理由でもある、予想を超えた影響力で蠢動するニズゼルファのお陰でちらほらと邪モンスター*1が現れているらしく、それらの討伐も俺の仕事の一つとなっている。

 

 それらを神父に進捗として話し、イシの村で拵えた冒険の書にしたためていく。

 何を聞いても神に誓って秘密を漏らさない神父達の存在は、身分を隠す俺たちにもありがたいものだった。

 

 ちなみに俺たち三人のレベルはすでに35~37程度。

 旅をしていた二人とのレベル差は必要経験値の差から修行で緩やかに埋まり、収束した形だった。

 

 教会での用事を終えて水門を開ける手続きをロウがしている最中、出かけていいと言われたのでソルティコのカジノに直行しようとした俺をマルティナが止める。

 

 ドラクエフリークとしてリアル化したゲーム内ミニゲームを体験したいだけなのだが、子どものうちは行ってはダメだと叱られた。

 そんなー。

 

 仕方がないので旅の途中に音楽でもと、余裕を持って渡されている路銀からフルートを一つ購入。

 そして船旅には付き物かつテオに教えてもらったものを活かそうということで、釣り竿と釣具も買うことにした。

 

 世にはこのフルートと釣り竿の機能を合体させた勇者の笛である天空のフルートなんてものがあるが、俺がその力を引き出す時にかっこ悪い音色を出したり釣り竿の扱いをしくじったりしたら、呪いのモチーフ*2が辺りに響き、その日からはずかしい呪い*3にかかってしまうこと請け合いだ。

 今から練習しておくに越したことはないというのが、購入の決め手だった。

 

 その後は軽く食事を摂るため、マルティナと一緒にレストランへ行く。

 海のよく見える二階テラス席に案内され、軽食としてハンバーガーとフライドポテトを食べることになった。

 

 こんなジャンクフードがこの世界にあるんだと驚きはあるが、シリーズナンバリングのドラクエ10では職人システムによって同じようなものを作れるので、スキルなどもドラクエ10の色を継承したものが多いこの11時空なら不思議でもないかと得心し、いまや懐かしきファストフードたちにパクついた。

 

 レタスやトマトの爽やかな水気、牛肉を使ったパティの味、ごまを散らし焼いたバンズの香ばしさ。

 間には爽やかな味のソーダを挟んで、ペーパーを敷いた編みカゴに盛られたアツアツのフライドポテトの一本を手に取り、サクリサクリと味わった。

 

 多少行儀は悪く見えるかもしれないが、ファストフードの前ではむしろこれが礼儀、これこそがマナーなのだ。

 10年ぶりのジャンクな食事だし、どうか大目に見て欲しい。

 

 地球で言えばマルタ共和国のような地中海性の美しい景観を背景に食事をするのはとても気分がいい。

 前世では海外旅行なんてろくにしたことがなかったから、新鮮で飽きない旅は確実に人生の糧になっていると感じる。

 

 本来はインドア派だった俺もゲームが存在しない世界で幼少期からテオとキャンプをしていれば、アウトドアの楽しみに理解を得るのは必然だった。

 

「イレブン、口元にソースが付いてるわ」

 

「? ん……ありがとう、マルティナ」

 

「うふふ。やっぱりイレブンも普通の子どもみたいな所があったのね」

 

 俺の口元についたソースをナプキンで拭いたあと、ナイフとフォークを器用に使って上品にハンバーガーを食べるマルティナ。

 

 両手で抱えたハンバーガーを頬張り、景観に思いを馳せる俺の方を見ながら、彼女は柔和な笑みを見せていた。

 

 普通の子供みたいな……と言うと俺の普段の様子がおかしいようにも聞こえるが、大人の精神を子供の精神と併せ持つ様子はじゅうぶん奇異に見える自覚はあるし、なにより微笑むマルティナは綺麗で、その姿を心のフォトモードで撮影しておくのに忙しいので反論はしなかった。

 

 食事の傍ら、これまでの旅の所見についての話に花を咲かせていると、兵士団を率いて警らをしている強面で口ひげをたくわえた男がレストラン一階入口付近からこちらを、より正確に言えばマルティナを見て、ひげ先をさすりながら首を傾げていた。

 

 マルティナはその男を確認すると、近くにいる俺以外は不自然さを覚えないくらいに座っていたテーブルのパラソル軸を対角線上に置き、視線から顔を外した。

 

なんとなくやりたい事を察した俺も話を切ることなく自然に繋げる。

 

 少しの間視線を送っていたその兵士はむやみに怪しむ必要もないと判断したのか、そのまま兵士団と警ら作業に戻っていった。

 

「ふう、少しヒヤヒヤしたわ」

 

「あの人は?」

 

「その昔、ユグノア王家の近衛を務めていた方よ。父がロウ様と謁見した際についてきた私も良くしてもらっていたから、うっすらと思い出しそうになっていたみたい。……あまり顔は変わっていないけどおヒゲは無かったはずだから、あれから生やすようになったのかしら」

 

 マルティナは懐かしそうにそう言い、遠く目を細めて笑った。

 

 先ほどの兵士は原作に登場した人物ではないが、ユグノアの滅亡後、生き残ってたくましく生活を続けている人物のひとりを見れたことに俺も少し感動する。

 

 つまるところ、現実化したこの世界の裏側にはこういった人物も多くいるのだろうと世界の解像度が高まったような、閉じていた目が開いたような感覚がして。

 

 この時俺は初めて、ユグノアの復興について深く考えるきっかけを得た。

 

 先程の兵士は新たな生活を手にしていたが、きっと、例えばロウのように故郷を偲び、その復権を願っている者も多くいるのだろう。

 

 在りし日のユグノアを知らない俺には故郷を完全再現してやれるわけじゃないが……、俺はなんとか彼らに故郷をもう一度用意してあげられないかという思いの萌芽がめばえ、他のやるべきこと(世界を救う)の準備に並行して、ゆっくりとユグノア復興についての模索を始めようと考え始めるに至るのだった。

 

*1
ゲームクリア後の世界でニズゼルファが復活すると現れる強化モンスター。たまに耐性やAIごと強化されていたりして以前の経験と合わず面食らうこともある。

*2
呪われたり不慮の事故で冒険の書のセーブデータが消えたりする時に掛かる効果音。

*3
しばりプレイ機能のひとつ。主人公がはずかしがり屋になり、冒険中にはずかしいハプニングが起きるようになる。



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サラサラの9:クレイモランの賢王

「……おっ、あれは────お~い、おぼっちゃんがた! そろそろ見えてきたでがすよ!」

 

 雇ったガレオン船のメインマストから望遠鏡を片手に監視していたあらくれ船員の大声に船室から出る。

 冷たい寒風が肌を突き刺し、澄んだ空気が取り込まれていくのを感じた。

 

 甲板に上がればまさに雪国、豪雪のベールに包まれた神聖なシケスビア雪原とゼーランダ山を擁する極北のクレイモラン地方、その玄関口。

 白雪が照り返す陽光で輝く荘厳なステンドグラス張りの城壁門が、厳かに来客を出迎えていた。

 

「さて、王は元気かのう?」

 

 自身の腰を後ろ手にさすりながら、ロウが俺の隣にやってくる。

 ほどなくして、支度の済んだ様子のマルティナも合流し、その精緻で芸術的な城門の作りに息を呑んでいた。

 

 こうして俺たちは数日に渡る長い船旅の、ひとまずの終着点……クレイモランに無事到着したのだった。

 

 

 寄港のための諸所の手続きを終え、クレイモランへの入国を許可される。

 

 内海から持ち込まれた服飾品を売ることについての是非についても概ね好意的なようで、女兵士さんからの耳寄りな情報として、「厚手のものよりも、実はおしゃれな薄着の方が売れると思います」とのことだった。

 

 どうやら厚手で暖かい製品というのは土地柄の都合上大量に作られているためにいまさら参入する意味は薄く、それに対して寒さの対処に慣れた国民たちの特に若い世代の間では、軽いおでかけ用の薄手で着太りしない製品の需要が高まっているのだとか。

 

 これは良いことを聞いたので、さっそくロウやマルティナにも共有しておく。

 

「クレイモランのピチピチギャルの間で薄着のあぶない服装が流行っているとな……!?」

 

 その時ロウに電流走る。そうは言ってねーのよお爺ちゃん。

 たぶん放置しても問題ないので、あえてツッコまないでおいた。

 

 その後、俺たちのほかに寄港していた船の検問も終わったことで国内の冷気対策も兼ねて閉じていた城門がズズズ、と開く。

 

 入り口は観光客や商人がぞろぞろと入ることでにわかに騒がしくなり、あらくれたちに船の警備を任せた俺たちも、人の波に合わせてクレイモランに入国するのだった。

 

「……なんて綺麗」

 

 普段の武闘着から着替え、麗人といった風情のロングドレスの上からストールを掛けた服装のマルティナが白い吐息とともに感嘆を漏らす。

 

 質実剛健で都会的なデルカダールとも、にぎやかな港町ダーハルーネとも、騎士と芸術の街ソルティコとも違う。

 

 美しく編まれたおとぎ話のタペストリーをそのまま地上に描き上げたように幻想的なその姿は、しばらく見惚れるのも無理はなかった。

 

 だが、見惚れて立ち止まってばかりではいられない。サクッと()すべきことを()していこう。

 

 この国でやるべきToDoリストの最上段にあるもの、それはクレイモラン王への謁見だ。

 ちなみに、今回の謁見はロウとマルティナに加え、俺も加わる事となった。

 

 隠れ里でもあるイシの村で育ったために現存する三大国の預かり知らない未登録児であった俺は、ユグノア先代王アーウィンの息子であることを公にすれば魔王ウルノーガが王に取り憑き率いているデルカダールが声高に喧伝する『悪魔の子』論によってどの国や町であっても投獄の可能性があった。

 

 だが、ドゥルダ郷の師範代として一応の公的な身分を得た俺は、王に会う際には王族としての身分を明かさずとも、どこの馬の骨とは言われない亡国の王の護衛を担う少年僧兵として紹介できるようになったというわけだ。

 

 まぁ、左手の勇者の証を掲げてひけらかしたり、上空にどデカい紋章が浮かび上がる上位デイン系呪文さえ撃たなければだが。

 

 どちらもそりゃあシラフじゃやらないけど、人前で手袋を脱いでしまわないようにだけは注意しておかなければと気を引き締める。

 

 だが……それでも露見のリスクは減らすに越したことはないはずだと一般人として一般論を胸に持つ俺にはそう思える。

 

 だが、王族として生まれ、王族と旅人というまったく違う二つの身分から様々な貴人や市民に接し根気よく耳を傾けたことで酸いも甘いも噛み分けたロウには、とある一つの澄ました狙いがあった。

 

 それが、ロウが信頼する王の一人にして『悪魔の子』論の懐疑者でもあるクレイモラン王にだけ伝わる、勇者にまつわる公然の秘密としてクレイモラン王の目の前に俺が姿を現すことだった。

 

 この行動は一種の賭けであり、クレイモラン王を味方につけられるか三人とも追われる身となるかの危険な類の賭けではあったのだが……ロウいわく、通る公算は非常に高いと推測できた。

 

 なにしろクレイモラン王はかつての五大国の中で最も聡明とされた人物であること。さらに地理条件の関係上、デルカダール王の草の根分けてもといわんばかりの鬼気迫った振る舞いを北海を隔てたクレイモランから冷静に俯瞰していたこと。

 

 ユグノア王妃エレノアが人質に取ったとされるマルティナ、そのエレノアの父にしてすでに死亡したと思われたロウの生存。

 

 そして、ロウが自身の孫たる勇者と人質の筈のマルティナを伴っていま現れた理由。

 

「かの王なら必ずや辿り着くじゃろう。……断片をかき集めてなお血眼を注ぐ、わしすらも到達できなかった真相に」

 

 入国から翌日には荘厳なクレイモラン城での謁見は叶い。

 それらを総合的に見たクレイモラン王は、ふ、と歪に嵌め込まれたピースを取り替えることができたような知性ある笑みを見せ、謁見に来た行商人として身分と名前を明かした俺たち三人と一言を交わすまでもなく、

 

「────10年前のあの日、謀ったのはデルカダールじゃな」

 

 魔王ウルノーガの掻き散らした無数の点を線に束ね、たった一手のみでビタリと真相を言い当てたのだった。

 

「王っ!」

 

 自らの国王の爆弾発言に、近衛兵が思わず口を挟む。

 

「今から起こるすべて、誰にも知らせるでないぞ。もちろんお前もすぐに忘れよ」

 

「……はっ!」

 

 近衛兵は取り乱した様子を王命により一瞬で整え、元の立ち姿に戻った。

 

「と、なれば────ご老人、内密に話がしたい。そう……お前のなんとか、という事業についてな」

 

「はっ、D.R.Dでございます。感謝いたしますぞ、王よ」

 

 クレイモラン王とロウが目配せし、お茶目なウインクを交わす。

 そして、ことが一段落するまで静かに跪いていた俺とマルティナにも声が掛かった。

 

「お前たちには、そうじゃのう……わしの一人娘の相手をしてやってくれるかの。お互いに歳も近い者同士、話せることもあるじゃろうからな」

 

「「────はっ」」

 

 顔を上げて見ることのできたクレイモラン王の表情は、明るかった。

 

 こうして、俺たちはクレイモランの王への謁見を済ませ、彼を『悪魔の子』の真相を理解する人物として味方につける大博打を見事乗りこなしたのだった。



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サラサラの10:七回目の来客

「王女殿下、ご来客です」

 

「はい。すぐにお通しして頂けますか?」

 

「ただちに」

 

 近衛兵たちに案内されてクレイモランの王女の居室に到着した俺とマルティナは、扉越しの少女の声を聞く。

 

 近衛兵には粗相の無いようにとだけ軽く声掛けされ、その内の一人に扉を開けてもらう。

 彼はそのまま部屋のそばで待機をするようだった。

 

 王女の部屋に入室して最初に目に入ったのは、面を喰らうほどの本、本、本の山だった。

 

 冒険物語を描いた本が散見されるが、ざっと見る限りはほとんどが算術、礼儀作法、呪文学、帝王学、エトセトラ……王族としての教養を培うであろう実用書が山と並んだその光景は、ドゥルダでの勉強漬けの日々に寝泊まりしていた自室を思い出すほどの量だ。

 

 その勉強量とはつまり、脳の荒行と称して勉強に打ち込む修験者レベルと言って憚らない。

 

 そして、積まれた本で足の踏み場のないようなその部屋の奥にある天蓋付きベッドの横に備え付けられた、主張しすぎない上品な装飾が施された勉強机の前にちょこんと座るようにしてその少女はいた。

 

 クレイモラン王女、シャール。

 

 肩に流れるよく手入れされた金髪を揺らしてこちらに振り向く彼女の利発さを備えた青い目は、彼女のお気に入りの丸眼鏡越しにこちらを見つめていた。

 

「はじめまして……お初にお目にかかります。クレイモランの王女に就かせて頂いております、シャールと申します」

 

 完璧な作法で礼をして微笑むシャール。

 歳は俺と二、三も違わないだろうに、聡明なクレイモラン王の娘としてふさわしい人物としてすでに成熟しつつあり、素直に尊敬できる女性だと思った。

 

「はじめまして、シャール殿下」

 

 俺とマルティナも彼女にならって挨拶を返す。

 王族の作法はロウたちに出会ってから本格的に習った付け焼き刃&魂は一般人の養殖王子ではあったが、ハッピーエンドのために行動する以上はこういった登城の機会が必ずやってくるだろうと努力を重ねたこともあり、結果としてはギリギリ王族の子どもとして及第点程度には収まっていると思われる。

 

「まぁ、これはご丁寧に」

 

 そう言って、シャールは少し微笑ましげに俺とマルティナを見た。

 

 話し相手となってほしいという王命でやって来たことを告げた俺たちは、このままいけばロウとクレイモラン王の密談が終わるまで彼女の話し相手となるわけだったのだが……その予定は、シャールの突飛でストレートな一言によって、この席の意味合いは一気に変容する。

 

「イレブンさん」

 

「はい、シャール殿下」

 

「ふふ、普段からお使いになる言葉遣いで構いませんよ。私のこともシャールとお呼びください」

 

「なら、自分のことを俺とだけ呼ばせていただきます。……それで、俺に何か?」

 

「ええ、その事についてなのですが……」

 

 シャールは前置きしてからこほんと小さく咳払いをし、

 

「実はわたし、貴方が勇者であることを知っているのです。それに、ここに来ることも」

 

 ぴしり、と一瞬にして空気が張り詰める。

 何がどうとは一瞬でまとまらないが、まずい、という思考だけが先立った。

 

 知られてはならない情報であることもそうだが、より重要で緊急性が高いのはいったい誰から漏れたか、という所だった。何か知らないかとダメ元でマルティナを見るが、彼女は心当たりがないと首を振る。

 

 もちろん、俺が関わった上でとっさに浮かぶ人物の中にも、シャールにつながる人物はいそうにない。

 

 張り詰めた空気にどうやらまずいことを言ったと察して目を見開いたシャールは、慌てて補足を続ける。

 

「実は、あなたを夢に見たことがあるんです。私はその日から……あなたが私の元にやって来るのを、一日千秋の思いで待っておりました」

 

 

 

 

 

 

 

「??????」

 

「し、シャール殿下……?」

 

 

 

 

 

 そ、そういう新手の告白……? 

 

 

 

 

 

 そうではないだろうと心中の冷静な自分が諫言するも、思わず頬がカッと熱くなってしまう。

 

 宇宙猫もかくやと言った疑問符を浮かべる俺と状況が飲み込めず顔が引きつるマルティナの様子にシャールは自分の言葉がどう受け取られたのかを察し、ボンっと音を立てて茹で上がった。

 

「……あの、しっかり説明はさせて頂きますので、今のはなしでお願いします……」

 

 気品と王気がしおしおと萎んでいくシャールは王族然とした落ち着いた態度から一転、予想外の出来事には未だ弱い年相応の姿がその顔に覗いていたのだった。

 

 

「預言者ですか……」

 

「はい」

 

 シャールの発言の真意を聞いたマルティナが、シャールの説明の中に現れた人物の名前を繰り返す。

 

 預言者。

 夢の中に現れる伝説上の人物であり、その正体は魔王ウルノーガが闇に堕ちる際に不要だと訣別した魔法使いウラノスとしての善性の残滓だ。

 

 定まった姿を持たず夢の中になら誰の意識の中にも入り込める彼は、原作においても物語上重要な場面に現れては様々な謎めいた助言を残して去っていく。

 

 そんな彼の今回の出現先は、シャールの夢の中であるらしかった。

 

「それで、彼はどんな預言を?」

 

 俺は素朴な疑問を聞く。預言者に出会った人間に話を聞くのなら、まずは預言の概要について聞かなければ始まらないと言っていい。

 

 預言者については本来都市伝説のようなものであり、夢の中にしか現れない特性のせいで実在を疑われていたりもするのだが、俺は原作を通して実在を知っているため彼がシャールの元に現れたことに疑いを持つ流れは飛ばし、核心だけを突いていく。

 

 シャールは疑問に応えるべく、夢の中での出来事でありながら明瞭に覚えていたのか理路整然と順序立てた説明が数分間に渡ってなされた。

 

 彼女の語った内容を要約すると、

 

『ミルレアンの森に住む君の国の守り神である聖獣ムンババが邪悪に脅かされ、本来の邪悪に還ろうとしている。これを阻止せねば、じきにクレイモランに災厄として降りかかるだろう』

 

『解決のカギとなるのは君がこれから応対する七回目の来客に現れる、勇者たる少年の放つ浄化のいかずちだ。』

 

 ということで、なんと預言者はこちらが必死に隠す勇者の正体に関するネタバレをあっさりシャールに開示していることが発覚した。

 

 なんてことをしてくれてんだと思わなくもないが、彼もまた魔王と邪神の悪行を止めるために暗躍しているため、俺に対して不利益になり得ないと思い開示したのだろう。

 

 ……ほんとにそうだよね? 預言者たる彼が深い考えのもと動いていることを俺は祈った。

 

 それに、聖獣ムンババ。

 千年前の先代勇者ローシュの放った雷によって邪悪の神の配下としての姿が鳴りを潜めて穏やかになり、その後はクレイモランの守り神として崇められていた魔物だ。

 

 そのムンババがいま、蠢動する邪神ニズゼルファの影響を受けて凶暴化しているというのが預言者の懸念することのようだった。

 

 そして、預言者がシャールに託した預言にはもう少し続きがあった。

 

『カギはもう一つ、君自身の尽力が必要になる。……本来の力を振るうムンババは手強く、そのままでは誰も彼を止められない。そこで……このような装丁の本に封印された魔女の封印を解くといい』

 

『彼女はなんというか……たいへん気難しいのだが、彼女の助力を得られる可能性があるのはおそらく、君がその場に立ち会い、君が彼女に助力を願った時だけだろう』

 

 と、そこまで語ったところでシャールは言葉を切り、俺たちにどう思うか問い、答えを待った。

 

 預言者についての話をすべて聞き終えた所で、俺は魔女の正体に当たりを付けていた。

 

 シケスビア雪原を抜けた豪雪地帯の中にそびえ立つ、神話の時代より前から存在する古代図書館。

 そこに封印されている魔女といえば、この世に一人しかいないだろう。

 

 それは、氷の魔女リーズレットに違いない。

 

 その美貌にほだされた九十九人の男を次々と氷漬けにしたとされる神話の時代の魔女であり、原作では千年に渡る封印をデルカダールのホメロス将軍に解かれたのちにクレイモランを氷に閉じ込めたものの、主人公たちに打ち破られて力の大半を失ってからはその生来の面倒見のよさから先代王を亡くしたばかりのシャール女王のよき相談役となる女性だった。

 

「預言者の言葉をすべて信じたわけではありませんが……」

 

「信じるに足る証拠が……少なくとも、俺たちが来ることで揃い始めたということですね」

 

 ほかにはマルティナとシャールだけの閉め切られた部屋で、俺は左の手袋を外す。

 

 手の甲にアザとして浮かんだ勇者の紋章をシャールに見せると、「ローシュ戦記の伝承通りの……」と彼女は呟いて静かに頷き、瞳に決意を秘め、俺に言葉を掛ける。

 

「イレブンさま、マルティナさま、どうかわたしを古代図書館に連れて行ってくださいませんか。寒さを乗り越え勤勉に日々を生き抜く国民を、この国の宝を守るためのカギがもし、わたしにもあるのなら……わたしはこの国の王女として少しでも力になりたいのです」

 

 国を守る。

 

 口に出すことは容易いが、幼くして聡明なクレイモラン王家の片鱗を見せる彼女がその重みを知らず使った訳ではないことは俺たちの目にも明らかで、密談の合間の話し相手となる筈がとんだ一大事に発展したなと思いを馳せる。

 

「返事は殿下の父上である王のご判断を待ってからお答えします。ですが……」

 

 俺とマルティナはシャールを見据え、彼女の覚悟を伴った言葉に、同じく覚悟を以て言葉を返した。

 

「もしその時が来れば、俺たちが命を賭けてお護り致します」

 

 ソルティコでルビスから啓示された、邪モンスター化した魔物のお告げも同様にシケスビア雪原の奥に存在するミルレアンの森を示しており、それに預言者の導きが重なった。

 

 この符合は、今回の件が単なる魔物騒ぎとは比較にならないほど逼迫した事態であることを暗に示していた。

 

 原作にはない悲劇がこれから起きようとしているのに、これを止めないという選択肢は俺には無い。

 悲劇を食い止めるためにシャールが必要なら、彼女を全力で守り抜く。そのために俺はここまで力を身に着けてきたのだから。

 

 自然と拳を握り込むと、勇者の紋章が呼応するように淡く、淡く輝いていた。

 

 ……まるで紋章そのものが、俺の勇者たらんとする選択を喜んだように。

 

 俺はできる限りの手を尽くすべく、シャールの部屋内にスペースを借りてふしぎな鍛冶セットとふくろを取り出し、ロウとクレイモラン王の許可を得るまでの時間を使い、いざという時のための準備を始めるのだった。

 



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サラサラの11:古代図書館へ

 シャールとの合意からほどなくして、密談を終えたロウとクレイモラン王もシャールの部屋に訪れる。

 

 そこで俺は改めてユグノアの王子として、マルティナはデルカダールの王女として、クレイモラン王とシャール親子に自己紹介をすることになった。

 

 だが、当のクレイモラン王と、父王と違いロウという知己の存在のヒントすらなかったシャールも俺たちと出会った時からただの商人一家ではない事には気付いていたようで。

 

 特にシャールは勇者の紋章を俺が見せたタイミングで、十年前に滅んだユグノア王国の王子がいまだに悪魔の子と呼ばれて捜索を続けられていることと、俺が素行に問題を抱えているわけでもないのに身分を偽っていることとその年齢を紐付けて、おそらく俺こそが渦中の王子なのだろうと当たりをつけていたのだと話してくれた。

 

「生きていれば王子とはいずれご縁があったかも知れませんから。貴方がもしクレイモランで見つかれば保護をしようという話もあったんですよ? あの日、自国を危惧して守護に就くためとはいえユグノアに義理を欠いて撤退してしまったことを、王として間違ったとは言わずとも、個人としての父はとても悔やんでおいででしたから」

 

 そう言って、十年前のあの日の裏話を俺にだけこっそり耳打ちで教えてくれるシャール。

 

 お話はとても興味深いのだが、少年的に女の子に免疫がない部分がある俺は整ったシャールの顔が隣に近づくだけで簡単に惚れてしまいそうになるが、なんとか精神力は赤ゲージで踏みとどまった。

 厳しい修行の成果ですな。

 

 不確定な情報は真とせず確定した断片的な情報を選りすぐって勘案し、その上で未だ不確定な状態からでも高い情報処理能力と虫の知らせと言うほかないカンを合わせてどんな距離からでもたった一目で真相を見抜く。

 

 俺はそういったホームズじみた彼女のアブダクション推理の精度について驚くばかりなのだが、デルカダールの異変に安楽椅子探偵よろしく玉座に座ったまま正答を導き出した先ほどの王を思い出す限り、クレイモラン王家はこれがデフォルトなのだろうか。

 

 その辺りの情報戦や地頭については原作知識の保有というアドバンテージで下駄を履いているだけのポンコツワトソンたる俺は、はえ〜すっごいとただ舌を巻くのみなのだった。

 

 クレイモラン王とロウにも預言者の話を共有し、ロウは依頼という形で俺たち旅商人組の三人で片を着けることを提案したが、クレイモラン王は熟考した後、

 

「わしとシャールもついて行こう」

 

 と豪快に決断するに至った。

 

「なりませんぞ、クレイモラン王」

 

 ロウの即答を皮切りに俺たちは反対するが、クレイモラン王は頑として譲らない。

 

 クレイモラン王家は王の他は娘のシャール一人のみで、妻は既に他界して久しい。つまるところ、残された跡継ぎであるシャールがついていくことすら本当はかなり危険であり、ならば自分が助力することで生存率を上げようという主張だった。

 

 近衛兵を連れて行ってはどうかという反論もしたのだが、物々しい列を成しても吹雪に阻まれるうえに図書館到達前にムンババと会敵すれば壊滅は必至のため、最低限の人数で構成した少数精鋭が正解とした王の論説には納得できる部分もあった。

 

 加えて、自分の身は自分で守れると王はその場で手にスナップを効かせ、軽い魔法の爆発を起こしてみせた。

 

「それにロウよ、こちらのお家断絶を懸念するのなら、お前さんの方こそどうなんじゃ?」

 

「ぐ、そこを突かれると痛いのう……!」

 

 クレイモラン王は唯一生き残ったユグノア王家である俺とロウの二人が一般的にかなり危険な旅を行っていることを指摘し、確かにそこを突かれると当人であるロウと俺は閉口するほかない。

 

 だが、クレイモランに万が一を起こさせない最後の砦であるマルティナがまだ……。

 

「犠牲になっても血筋が残るのは私だけ。あの日守れなかったぶん、私がみんなを護らなきゃ……!」

 

 マルティナはもう既に彼女の中のスイッチが入っているようで、今は十年前の非力な自分ではないと気合充分だった。

 マルティナさんや、あんた普段そんな感じじゃないでしょうが。

 

 そんなー。

 

 こうして結論はほぼ決まったようなものではあったが、俺たちはクレイモラン王の同行についての決を取る。

 

 賛成票が2、反対票が2、守護らねば……票が1。

 その内訳はクレイモラン王家、ユグノア王家、デルカダール王家で綺麗に分かれていた。どうやらお家柄として受け継いだ考え方も大いに関係していそうだった。

 

 結果的に反対票を投じていた俺とロウが押し負ける形になり、せめて俺の用意した武具やローブなどを着用して完全武装をしてもらう約束してもらいつつ、シャールに加えてクレイモラン王にも同行をしてもらう運びとなったのだった。

 

 

 

 

 トンテンカン、トンテンカンと王宮の客間でろうそくの明かりを頼りに夜な夜な武具を拵えること二日ほど。

 

 謁見から三日目の朝、俺たちは城をお忍びで留守にしてムンババへの対策を講じるべく古代図書館へと向かい、現在はシケスビア雪原南のキャンプ地にいた。

 

 王家のお忍び外出に気付いた国民にむやみな不安を与えぬようシケスビア雪原までの道中は近衛兵を伴い普段どおりに出ていき、キャンプ地に着いてからテントを張りつつ、じっくりと対ムンババ用の装備を整えていた。

 

「わぁ、かわいい……!」

 

「かなり着心地がいいわ」

 

「ほほう、よい杖じゃ。これが終わった後は国宝にしてもよいかな?」

 

「勘弁して下さい、陛下」

 

「ほほほ、半分冗談じゃよ」

 

 五割は本当なの?

 俺は訝しんだ。

 

 王宮の外に出たクレイモラン王にも玉座にいた厳格な王というイメージより和気あいあいとした談笑を好む好々爺らしい一面が垣間見える人柄であることが判明するあたり、人間、間近で接すると新たな一面が垣間見えるものだと俺はしみじみと感じていた。

 

 そんなクレイモラン王は魔法使いであることと今回の仮想敵であるムンババの耐性を鑑みて、武器はいかずちの杖を持ってもらっている。

 

 防具は属性ダメージを軽減する魔法の法衣を高い身長に合わせたものを着用しており、王というよりはどこぞの魔法魔術学校の校長のような雰囲気になっていた。

 

 トム・リドルの日記を巡る秘密の部屋事件のように、魔導書に封じられた魔法使いの封印を解きに行くのだからある意味お似合いかもしれないが。

 

 シャールは父王と同じく攻撃・補助魔法に適性があり、いざという時にMPを使用せずとも逃げられるようにピオラの杖を持ってもらい、毛皮のフードとみかわしの服を合わせて着用してもらって氷耐性と回避力を重視。

 

 普段は身体に合わせたロングドレスで過ごす彼女にひらひらとした服はどうかと思ったが、嬉しそうにスカートの裾をつまんでみたりフードの紐を調節している姿を見るに、おおむね好評のようだった。

 

 マルティナはドゥルダ郷で取得していた竜のどうぎを着てもらい、武器はいなずまのやりを使ってもらう。

 道着は男女兼用だが、打ち直しと調整の手間も考えると特筆すべき理由がなければ今後も彼女が使っていくことになるだろう。

 ちなみに女性陣の採寸は女性同士で行ってもらっていたりする。

 

 ロウは毛皮のポンチョを着込み、今回は前衛の不足から杖をツメに持ち替えて、クレイモラン謹製のこおりのツメを使ってもらうことになった。

 

 ツメは一品ものが多くレシピから作れるものは少なく既製品の流用となったが、そこは打ち直しによる強度の底上げとロウの地力でカバーする形だった。

 

 そして俺、イレブンは自身の重装備適性を活かしてドラゴンシールドにドラゴンメイルのセットで固め、はじゃのつるぎを用意。

 

 子供用のリサイズを行ったために少々性能は落ちているが、ふしぎな鍛治によりとても良い出来で製作できたため、総合的には通常の性能に対してトントンに収まっている。

 

 重装備で強力な氷耐性と守備力を担保しつつ、もしほかの魔物がちょっかいを掛けた場合もはじゃのつるぎの使用効果である程度の露払いを行えるように想定したこの装備で、最前線を押し上げ維持して魔法使いが自由に動ける状況を作るのが今回の俺の役割だ。

 

 いずれもアクセサリーは共通で、雪原の吹雪と投げつけられる雪玉対策に氷のイヤリングを身に付けてもらい、結構な頻度で挟まれるわりには半数以上に効けば壊滅必至の全体睡眠魔法であるラリホーマ対策としてめざましリングも嵌めてもらっている。

 

 どうぐも錬金釜をフル稼働させて、緊急時でも可能な限り個々人の判断でその場で打開できるよう潤沢に用意し、みんなに配っておいた。

 

 ここまでやればとりあえず、当面の危機は乗り越えられるだろうと言えるだけの手は打ったと言える。

 

 いわゆる人事を尽くしたというヤツなのだが……おそらく、これだけ対策を行っても邪モンスター化したムンババであるムンババ・邪にはおそらく歯が立たないだろうと俺は考えていた。

 

 原作知識という脳内あんちょこを見ながら整えた準備と一対多の優位性から戦いの体を為すだけで、回復手段を前衛である俺とロウに頼るこのパーティは時間を掛けるほどに攻撃と回復のメリハリが崩れ、どんどんジリ貧になっていくだろう。

 

 だからといって、ジリ貧を嫌って速攻を掛けようにも戦闘経験に乏しいシャールと最高齢のクレイモラン王を抱えたまま捨て身の攻勢を仕掛けることは現実的じゃない。

 

 やはりもう一人ほど俺、ロウ、マルティナ並み……つまるところ原作パーティメンバー並みの人材が必要だと痛感する。

 

 それはつまり現状のカギであると預言者にも示唆された人物が、原作ではこのクレイモラン王国で対峙するボスも務めたほどの実力者である魔女リーズレットの加入が急務であることを示していると言えるのだった。

 

 俺たちは装備を整えて女神像に祈り、足並みをそろえていざ古代図書館に向かい、最後の一手をどうにか詰めるために歩を進めていく────はずだった。

 

 女神像からルビスの声が発され、俺の脳内にこだまする。

 

『勇者よ、今すぐにその場から離れるのですっ!!』

 

「! みんな、今すぐその場から飛び退けっ!」

 

 ルビスの鬼気迫るその言葉を聞くが早いか、俺は殺傷力をできる限り低めたイオを足元に打ち込み、その場の全員を吹き飛ばした。

 

「イレブン、何を……!」

 

 直後、"ムッフォ、ムッフォ"という独特の鳴き声が響いた後、キャンプ地めがけて大岩のごとき影が飛来する。先ほどまで火の点いていた焚き火に着弾したそれは、雪原の地肌すら見える隕石のようなクレーターを伴ってキャンプ地、そしルビスが経由して忠告を叫んだ女神像までもを容易く粉砕せしめていた。

 

 イオの爆発の余波から起き上がった皆に向けて、俺は先ほどの攻撃……いてつく雪玉を投げつけた下手人の名を叫ぶ。

 

「ミルレアンの森にいるはずなんだが、事実いるもんは認めなきゃだ……みんな、あれがムンババだっ!」

 

「ムブォ……ムッフォ、ムブォォッ!」

 

 ドゴン、ドゴンと地震のようなナックル・ウォーキングの足音が響く。悠々とその姿を現したのは、大人の背丈よりも大きな口を持った怪物だった。

 

 正気を失ったその目は緑色に怪しく輝いており、本来の水色から少し暗い青となった肌の体表は内から溢れ出るエネルギーをまとって輝いている。

 つまり、既にいわゆるゾーン状態*1に入っていることが伺えた。

 

 不意打ちとゾーン状態。

 俺たちにとって、考えうる限りで最悪の邂逅だった。

 

「変わった鳴き声だけど、あれで威嚇しているみたいね」

 

「……ふむ、ここからどう切り抜けるね、勇者どの」

 

 動揺から態勢を立て直した俺たちはムンババに相対し、マルティナは前線で槍を構え、クレイモラン王が俺に向けて声を掛ける。

 

「決まってます」

 

 身に被った雪埃を払ってから俺の隣に着いたシャールはムンババの威容にぶるりと震え、両手で杖を強く握った。

 

「ど、どうやって戦うんですか?」

 

「逃げます」

 

「えぇぇっ!? た、戦わないんですかっ!?」

 

 シャールはどうやら腹をくくって戦う覚悟を決めていたようだが、その勇気はまだまだ先まで取っておいてもらいたい。

 

 何しろ勝算が元からないに等しいのに、いきなり襲いかかってきたゾーン状態の格上に勝つのはいくらなんでも難しい。

 

 しかも、預言者の言うカギである魔女リーズレットに至っては、未だ出会ってすらいないのだ。

 

「古代図書館へ急ぐぞ、走れい!」

 

 ロウが指した方角は北東。目的の巨塔、古代図書館の姿は高い崖の上にあるせいで見えないが、地図の通りなら道なりに進めば歩いて登れる緩やかな坂道まで辿り着くはずだ。

 

 だが、ムンババもただ黙って俺たちに道を譲る気はないようで、意思統一を終えた俺たちの雰囲気が切り替わるのを見計らったようにムンババはドラミングのようにして胸を叩き、巨体を誇示して威嚇する。

 

「……行くぞ、ムンババ!」

 

 こうして俺たちは立ち塞がるムンババの横をすり抜けてリーズレットの封印された魔導書を所蔵する古代図書館に急ぐため、シケスビア雪原撤退戦に身を投じていくのだった。

*1
超集中状態で様々な能力をアップさせる敵・味方ともに効果のあるゲーム内システム。同じ陣営にゾーン状態のキャラクターが複数いる場合、強力な連携攻撃を行えることがある。



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サラサラの12:シケスビア雪原撤退戦

RPG原作のくせに初戦闘まで12話もかかる小説があるらしい。
では、初めての戦闘シーンとなる本編をどうぞお楽しみ下さい。


 

「ムブォォォンッ!」

 

 咆哮とともにムンババの拳がシャールに迫る。だが、シャールは目を瞑ることも怯えることもなく、じっとムンババを見据えてピオラの杖を振りかぶった。

 

「イレブンさん!」

 

「シャールっ!」

 

 投げ捨てるような放物線を描いてこちらに飛んできたピオラの杖をキャッチし、即座に使用する。

 

 杖の効果により素早さが段違いに上昇した俺はムンババとシャールの僅かな隙間に割って入り、手にした盾で彼女をかばった。

 

 ピオラ……素早さ、つまり行動速度が上がるというその呪文は俺自身の反応速度や動体視力が上がるわけではなく、思考と反射のバランスが崩れて制御が難しく感じる。

 

 だが、今回の俺の役割はムンババに狙われたみんなの前で盾を構え続けること。重装備のまま縦横無尽に動いて役目をこなすにはうってつけの魔法だった。

 

 盾に阻まれた一撃が不服だったのか、もう一度俺を攻撃しようとムンババがもう一方の拳を振りかぶる。

 

 だが、ムンババの横合いには既に二人の人影がある。マルティナとロウ、十年来の師弟である彼らが息の合った爪と槍のコンボで横合いから殴りつけて怯ませ、ムンババに浅い切り傷を刻んだ。

 

 しかし、 ムンババは怯みを気にせず俺に拳を打ちつけてその場に釘付けにしたかと思いきや、体重を載せた脚で即座にロウの側へ向かってカウンター気味の蹴飛ばしを見舞いながらバックステップで距離を取り、跳んだ瞬間のすれ違いざまにマルティナへ人の背丈ほどの雪玉を投げつけた。

 

 俺への拳は一度目のものよりも明らかに軽く受け止めることができ、マルティナへの雪玉は精度が低く途中で少し崩壊して着弾したところをマルティナの槍で防ぐことができた。

 

 必然的に脚で行ったロウへの攻撃が本命だとわかるが、後ろにシャールがいた以上俺にガードしない選択肢はなく、そうなってしまえば俺はロウをかばうことは出来なかった。

 

「ぐぬぉっ!!」

 

 ロウはムンババの一撃に対して爪を十字に合わせたガードこそ間に合ったが、威力を殺しきれずボール玉のように雪原をゴロゴロと転がり、雪まみれの身体を払って起き上がるまでには数秒の時間を要した。

 

 くそ、二回も三回も行動しやがってずるいぞ。ボスだからか?

 やることがいちいちえげつないな。

 

 危険な最前線に変化した俺のそばから杖を受け取り離れたシャールはクレイモラン王と共に後衛として呪文の詠唱を始める。クレイモランの誇る二人の王家は、きっとこの状況を的確に打開する呪文を選んでくれていることだろう。

 

 俺の最優先事項はまだ実戦レベルの詠唱速度を持たない彼らの呪文が発動できるまで前衛を維持し続け、ムンババを背後に通さないことに切り替わる。

 

 土俵際へ押し出し続ける俺たち旅商人組とムンババの、無差別級おすもうバトルの開幕だ。

 

 俺は上やくそうを口に放り込んで飲み込む。

 メカニズムは知らないが、やくそう類は潰して塗るか食べることで効果を発揮する。顔をしかめたくなるような濃い苦味と青臭さの後に盾受けの際に貰った腕のしびれと全身の打撲が薄れてゆき、余韻に浸る暇はないとばかりに魔力を練り上げ詠唱を早口で済ませ、ロウに向かってべホイムを唱えた。

 

「助かったぞ、イレブン」

 

 雪を払ったロウのケガは完全に回復しており、彼は一言だけ礼を言うと即座にムンババに向けて構えながら陣形をジリジリと変えていく。

 

 先ほどの攻防で三角形に散らばった状態であった俺たちは、シャールとクレイモラン王を護れる位置で再び固まった。

 

「ムブォブォォーンッ!」

 

 ムンババは咆哮と共にこちらへ屈伸からの跳躍を行い一足飛びに距離を詰め、空中で体勢を整えたムンババはマルティナに向かって体重を生かした斜角ぎみのライダーキックを見舞ってくる。

 

 マルティナは槍でいなしつつ身をかわして、すれ違いざまに巧みに頭部へ向かって槍の一撃を入れる。

 

 その流麗な動きは堂に入っていたように見えたが、着弾点で雪上を弾けさせたムンババの毛並みは未だ微塵も崩れた様子はなかった。

 

「こうも効かないと自信をなくすわね……」

 

 槍をクルクルと回転させて構え直したマルティナがぼやく。女だてらに大振りの槍を振り回す力自慢である彼女は、その手応えに対する実際のダメージとのギャップに少し辟易しているようだった。

 

 だが、それで距離を詰める大ジャンプからの跳び蹴りという大技を使ったことでわずかに硬直したムンババの隙を見逃すほどマルティナは馬鹿じゃない。

 

 ムンババの攻撃から間髪入れずにマルティナは動いた。俺とロウも同じく行動を始め、槍の重さを感じさせない軽さで華麗に跳躍するマルティナがムンババの上を取り、それを迎え討とうと顔を上げようとするムンババの大きな下顎を俺の盾が打ち据え、地上へ強制的に注意を引き戻した。

 

「お前の相手はこの俺だ!」

 

 なんてな、言ってみたかったんだこのセリフ。

 

 しかし、そんな安い達成感に浸れるほど甘いはずもなく、当然だが俺はこれ以上の行動を許されず、上から咎めるように放たれるムンババの両拳がひとつの鉄塊のように組まれたスレッジハンマーが一直線に振り下ろされることで俺は身体ごと雪の中に埋め込まれる。

 

 鎧越しの背中に積雪を吹き飛ばした挙句の硬い地面の感触と、少し遅れて全身を挽き肉にされたと錯覚するほどの衝撃が伝わってくるのを感じた。

 

 盾と鎧越しでもこの痛み。

 やはり今の俺たちが真正面から戦える相手じゃない。

 

 だが、俺はその威力を受けたからこそ、ある確信を得ることができた。

 

 ムンババが本気で俺を殺すために俺を攻撃したこと。

 そして……攻撃する一瞬の間だけは、俺以外への注意を完全に外したことを確信する。

 

 ムンババが俺に攻撃を加え、その戦闘不能を確認しようとした一瞬の隙。

 

 制空権を得たマルティナが槍に魔力を纏わせ、狙い澄ました一撃をムンババの脳天に向けて思い切り放つ。

 

「────はぁぁぁぁぁっ!!!!」

 

 一閃突き。

 

 一か八かの全身全霊はここ一番で実を結び、自由落下により重力すら味方に付けた会心の一撃は、ムンババを確かに怯ませるのだった。

 

「ムブッ……ブォォォッ!!!」

 

「ほい、おまけじゃ!」

 

 ロウの詠唱していた呪文が、マルティナの槍撃にもがくムンババに発揮された。

 

 マヌーサ。

 

 対象を幻惑して敵を見失わせるその呪文は動揺していたムンババには十全以上に効果があったようで、マルティナへ反撃しようとしていたムンババは誰もいない場所に見当違いの一撃を放ち、勝ち誇るような咆哮を上げていた。

 

「立てるか、イレブン」

 

「助かるよ、ロウじいさん」

 

 ロウの手を取って立ち上がった俺は、ロウの手持ちの特やくそうを二つ分ほど口に入れてもらい、噛み潰してキズを癒す。分量の多さにちょっとしたリスくらい草を頬張ることになるが、恩恵に比べればその程度は必要経費みたいなものだ。

 

 そして、ムンババがマヌーサから立ち直るまでの時間を利用して後衛も含めた俺たちはジリジリと陣形をずらしていき、俺たちとムンババの立ち位置を入れ替えることに成功する。

 

 勝利条件その一、古代図書館への経路確保の達成だ。

 

 位置を入れ替え再度陣形を整えた俺たちだったが、マヌーサの解けたムンババがそれに気づき、ムフォムフォと呪文を詠唱する。

 

 彼が詠唱する呪文は二つ。

 どちらも危惧すべき凶悪な呪文なのだが……今回は、より戦線崩壊の脅威度の高い呪文であるラリホーマを詠唱したらしいことを、身体の芯から来る強烈な眠気が教えてくれた。

 

 戦闘中にも関わらず今すぐ横になりたくなる脱力感に対し、指に嵌めためざましリングが功を奏して俺は気を持ち直す。ゲーム内での効果は現実化したこの世界でも遺憾なく発揮されているらしく、50%の壁をみんな突破して、今回のそれは大事に至ることはなかったのだった。

 

 そして、こちらのマヌーサの成功と相手のラリホーマの不発によって時間ができたことは俺たちにとって有利に働き、それらは後衛への攻撃が止む時間が長く、長く取れるという結果を引き寄せた。

 

 時間があればあるだけ魔物との実戦経験……いわゆるレベルに乏しい後衛のクレイモラン王とシャールが、戦いの流れに揉まれず本来の能力を発揮することができるのだ。

 

「合わせい、シャール!」

 

「はい、父上!」

 

「「ピオリム!」」

 

 独特な詠唱音とともに俺たち全員へ向けて一つの呪文が重ね掛けされる。

 

 ピオリム。

 

 俺に掛けたピオラを全体化した呪文であり、古代図書館への退路を確保した現在の俺たちにとっては何より必要な補助魔法だった。

 

 素早さが上がるという感覚には慣れないもので、シャールとクレイモラン王が感覚のずれに転びそうになるのを助けて、あまりに迅速に二人の肩を支えることに成功した俺に、二人はキョトンとした顔をする。

 

 冷静沈着な二人には珍しい表情だが、今はそれをからかう暇など存在しない。

 

「……とにかく逃げましょう!」

 

 最も素早いマルティナの足に後衛の足を合わせるため、俺は二人の肩から腕を回し、二人の片手ずつを引いて走る。

 全力以上の速度で引っ張られるのは多少痛いだろうが、緊急時なので勘弁してほしい。

 

 ムンババは俺たちを追いかけ木の上や反り立つ崖に飛びつきながら襲いかかってくるが、幸い俺たちの素早さに対応できておらず、被害はゼロに抑えられていた。

 

 道中の魔物たちは俺が危惧していたように邪魔をする者はまったくおらず、俺たちとムンババが過ぎ去るのを雪道の脇で身体を縮めて待っていた。

 

 いかに魔物であろうと生き物であり、ムンババという明らかな格上の獲物を横取りするような者は当然いない。

 

 そのことに今は少し後ろの追跡者をありがたく、いや、やっぱりそんな強者に追われてる状況なのは最悪だと思い直しつつ古代図書館までの道のりを激走していく。

 

 途中で緩やかな坂になり、切り立った谷の上にある狭い一本道まで登り詰め、俺たちの前に古代図書館がついに姿を表した。息も絶え絶えなシャールとクレイモラン王だが、あと少しで目的地まで到着するのだ、それまでは心を鬼にして彼らを引っ張っていく。

 

 マルティナが最も早く到着し、急いでいるため悠長に重い大扉を開けるわけにもいかず、飛び蹴りでこれを開け放つ。魔法使いじみたとんがり帽子をかぶった子豚の魔物が数体ほどマルティナを見て不思議そうに首を傾げ、すぐに興味を失くしたのかトコトコと去っていった。

 

「みんな、こっちよ!」

 

 マルティナの声は吹雪の中でもよく通る。ロウが続いて到着し、最後に俺とシャールとクレイモラン王の三人が古代図書館に飛び込んだ。

 

 勝利条件その二、古代図書館への到達の達成だ。

 

 しかし、息つく暇もなくムンババの撃退にフェーズは移る。

 古代図書館に入ったからとて、ムンババが都合よく帰ってくれるわけではないからだ。

 

 まず俺たちは大扉を閉め、古代遺跡特有の扉の硬さに任せたアドバンテージを得ることを優先することにした。

 

 扉を閉める前にムンババの様子を盗み見る。

 

 ピオリムで突き放したぶんが功を奏してムンババはかなり遠くにいたが、ムンババはある程度の距離で立ち止まると、なにやら地面を大きな腕で掘り始めた。

 

「────まずいぞ、皆の者!」

 

 クレイモラン王がいち早くムンババの奇行を察し、俺はそれに続いてムンババの行動の意味を理解し、大扉の左側に手を掛けて注意喚起の声を張り上げた。

 

「アイツ、こっちに雪玉を撃ち込む気でいるっ!」

 

「なんじゃとっ!」

 

 ロウは驚きつつ、より近かった右側の大扉をマルティナと全力で押す。俺のいた左側にはシャールとクレイモラン王が加勢してくれるが、息も絶え絶えな二人の助力は正直に言って雀の涙ほどだった。

 

 だが、力を合わせてくれるその気持ちが俺に力をくれる後押しとなる。

 

 ここで決めなければ何が勇者か、何がドゥルダの師範代か!

 俺の中に眠る勇者パワーでも冥府パワーでもなんでも動員して、大扉を一気に閉めやがれ!

 

 そう決意して大扉に力を加えた瞬間。

 

 左手の紋章が輝き、ムンババへ向けた雷光が俺の手から一閃。

 

 大砲の弾もかくやという風情の巨大に固められた雪玉を持っていたムンババの、太い右腕に強烈な雷撃が着弾した。

 

「ムブォブォォォォンッ……!」

 

 弱点である強烈な雷撃を突然浴びせられたムンババは雪玉を取り落とし、拳を地面に落として頭を地に近づけたまま、こちらの様子を伺った。

 

 それはどこかこちらに敬意を払ったような知性を覗かせる仕草であったが、しかし、ムンババと出会ったこと自体がアクシデントである俺たちには、これ以上彼に構ってはいる余裕はない。

 

 こちらを油断なく見据えて立ち止まるムンババを尻目に、俺たちは古代図書館の大扉を閉じていった。

 

 

「わたしたち、助かったのでしょうか……?」

 

「先ほど確認したところ、ムンババの姿はもう見えませんが……この吹雪が吹き荒んでいる現状で外に出れば、いつどこでもう一度襲われるかは分かりません」

 

「つまり……ここで見つけるしか無いんですよね、魔女の封印された禁書を」

 

「その通りです」

 

 俺の言葉にシャールは一度頷くと、手渡したタオルで吹雪に濡れた顔と身体を拭った。

 

 俺たちはいま、魔物の闊歩する中央部から少し離れた地点でのんびり本を読んでいた穏やかな気性のスライムの近くで各自休憩を取っている。

 

 ふくろに詰め込んでいたキャンプ用品を活用して、吹雪を避けてもまだ肌寒い古代図書館の中で体温を奪われないようタオルで体を拭いたり、火の気が移らないように気を付けながら松明で暖を確保したりすること小一時間。

 

 その間、古代図書館に棲みついている魔物が襲ってくることはなかった。

 

 穏やかなスライムが言うには、人間を襲うよりも本を読む方が好きな変わり者ばかり住んでいるから、ということらしい。魔物にも変わり者はいるのだと知り、ならイシの村の近くに住む魔物もそうだったのかなと俺は妙に納得していた*1

 

「さて、そろそろ行くとするかの」

 

 ロウがよっこらせと立ち上がったことを皮切りに、つかの間の休息を切り上げる。

 

 格上との遭遇・撤退戦という極限状態から抜け出しある程度安全な場所で暖を取ったこともあって俺たちは気力を取り戻し、中央塔に蔵されている魔女の禁書を手に入れるために、スイッチによって構造ごと変化していく難解な古代図書館の仕掛けへと挑戦を始めるのだった。

 

*1
勘違い。魔物が腹を満たしていたのでたまたま食べられなかっただけ。



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サラサラの13:手のひらサイズの覇道

 

 神話の時代の後、長く人の手が入らなくなってしまったうちに魔物が住み着いた危険な遺跡。

 

 古代図書館にまつわるそういった謳い文句に反して、実際のところはそこまで恐れるような危険な場所ではないというのが俺の見解だ。

 

 もちろん、俺たちの実力に対して比較的……という枕詞が付いてはいるのだが。

 

 魔物たちは刺激しない限り基本的に穏やかで、彼らの読書や講論を邪魔せず、授業中に教室を少し覗いて通り過ぎる教頭先生のように*1大人しくしていればまず襲われることはない。

 

 "図書館ではお静かに"とは前世の地球と現在のロトゼタシアに共通する重要な教えの一つだろう。

 

 数ある遺跡の中でも難解であるとされる古代図書館の仕掛けも、正直に言えば恐るるに足らずと言える。

 

 それというのも、現実となったぶん細かな差異があるとはいえ原作内で一度は解いた謎解きに対していまさら頭を悩ませる理由はないのは当然のことで、各所のボタンを順番に押していくシンプルな仕掛けは場所さえ把握していれば何のことはないものだ。

 

 そんなわけで魔女の禁書を求めてこの場所に来た俺たちは埃と年季に満ちた古書の香りを堪能しながら、魔物を刺激しないようにするりと避けつつサクサクと進んでいくに至るのだった。

 

 だが、まるで知っているように(実際そうなのだが)スイスイとスムーズに仕掛けを解いていく俺に対して、当然ながら皆には疑問を呈されていた。

 

 ロウのみは「さすがは神童ロウちゃんと呼ばれたわしの孫じゃ」と上機嫌だが、それはそれとして十歳の少年がなぜ来たこともない場所の仕掛けを知っているかのように解いて進むことができるのかという点が気になることは祖父馬鹿をいかんなく発揮するさしものロウも皆と同じ意見だった。

 

 俺はそれに対する方便として左手に刻まれた竜の紋章*2を見せ、"命の大樹が導いてくれた"と説明をする。

 

 ムンババからの撤退戦においてもいきなり輝いたかと思えば勇者のみが習得できる雷撃呪文であるデインをいきなり放ったこの紋章だが、これは世界中に張り巡らされた命の大樹の根を通して過去に誰かが見聞きした記憶を断片的ながら得られるという特性がある。

 

 この特性を証明とすることで、今回だけでなく今後の原作知識が前提となる行動への追求をやり過ごそうという魂胆だ。

 

 限定的なラプラスの悪魔*3とも言える特異な勇者の過去視能力については、大樹の根に手をかざした勇者とその場に立ち会う以外で発動した瞬間を見られるわけでもないので、当初はみな半信半疑ではあったが、俺が勇者であり過去視能力を持つこと自体は間違いではないし、なにより今はムンババの退治という喫緊の課題があることがそれぞれの判断を急がせた。

 

 ミルレアンの森を出たムンババはシケスビア雪原というクレイモラン王国の目と鼻の先にある土地に今も居座っているわけで、彼がいつクレイモランを発見・襲撃してしまうか分かったものではないのだ。

 

 そんな事情もあってか、ある程度の矛盾と詭さを持つ俺の説明も各人の中でいったん飲み込んでもらえたようで、それ以上は過剰に追求されることもなく、俺は仕掛けをノータイムで解いてガンガン進むRTA系パワープレイな先導を今後も続ける許可を得ることに成功する。

 

 ともすれば騙しているようにも見えるが、ここから悪いようにするわけでもなく、やることはシャールを素早く安全に導くことだ。

 

 信頼して疑念を飲み下してくれた皆の思いに応えるために、これからも人事を尽くしていこうと心中で決意を固めるのだった。

 

 そうして古代図書館の仕掛けを踏破して中央塔の蔵書室に入った俺たちは、本棚から魔女の禁書を探す。

 

 サクサクと解いた仕掛けの果てに現れるひんやりとした空気と懐かしさを感じるような古ぼけた書物の香りが漂う一室にて、シャールが夢の中で見たものを書き起こした装丁のスケッチと預言者から聞いた本の所在の覚え書きが役に立ち、禁書はすぐに見つけることができた。

 

 シャールの夢の通りのカバーが付いた魔導書を見つけた俺がシャールに手渡そうと本棚からそれを取り出した時、妖艶な女性の声が本から響く。

 

『一体どうしたの、サラサラの綺麗な髪をしたぼうや。ここはアナタみたいな子どもが来ていい場所じゃないわよ?』

 

「……ん? 今、どこかでおなごの声がした気がするんじゃが……」

 

 不審な声に気付き、注意深く辺りを見回すロウ。

 

 はたから見れば女性の言葉に耳ざとく反応するスケベじじいの図になってしまった彼の言う通り、この場にいない女性の声が聞こえてきたのは正しい見解で、どこか嘲りとからかいを含んだ調子のその声はまさに氷の魔女リーズレットに違いなかった。

 

 老いても元気なロウに呆れるマルティナやひとりだけ聞こえなかったことに老いを感じるクレイモラン王らに向けて、俺は声の出どころである魔女の禁書を両手で掲げる。

 

『あら、おじいさんが二人に……かわいい女の子までいるじゃない。ここへはハイキングに来たのかしら? 私が寝ている間に世界はずいぶんと平和になったのね』

 

 喋る本の登場にクレイモラン王は長いあごひげをさすり、マルティナとロウは目を見開いて驚いていた。

 

 事前に聞いていたとしてもただの本から声が聞こえることは強い驚愕を皆に与えたのだが、原作知識から既にタネを知っていた俺という例外を除いてその衝撃からいち早く立ち直ったのはやはりと言うべきか、預言によってここまでやって来た王女であるシャールだった。

 

「ここからは、わたしにお任せください!」

 

 預言によれば氷の魔女の説得を試みることができるのはシャールのみであり、そのために危険を冒して着いてきたシャールの覚悟は固い。

 

 愛する国を守るため、彼女は千年以上生きた魔女であるリーズレットの封印越しにすら感じる威容にも飲み込まれることなく毅然と立ち向かい、交渉を始めていくのだった。

 

 さて、ここから彼女の話が終わるまでの間、俺たちが彼女にしてやれることはほとんどない。

 

 よしんば貢献できたとしても、彼女が集中できるよう室内の暖炉をメラで灯したり、備え付けてあった古代の掃除用具を手に取って室内の埃をあらかた取ったりといった迂遠な手回しがせいぜいだ。

 

 ドゥルダで鍛えられた雑用係の適性が発揮しながらその場で行えるあらゆるサポートが終わった後も、マルティナなどは年下の少女が魔女に立ち向かう間に何もしてあげられないことに対して特に歯がゆい思いをしているようだった。

 

 そのため、シャールを気遣うばかりでなく自らのためにこの場を役立てなさいというクレイモラン王の鶴の一声を境に俺はマルティナを連れ出して、シャールの警護に残ったロウとクレイモラン王を残して広範な知識を所蔵している古代図書館の再探索に向かう。

 

 他者のためにできることを探して回ることができる彼女の美点を活かすなら、いまは足を動かして知識を得るのが最善だというのが俺たちの判断だった。

 

 それからは、本棚という本棚を漁る探索の開始だ。例えばそれは先代勇者ローシュの仲間にして故バンデルフォン王国の建国者である英雄王ネルセンのしたためたありがたい秘伝書の一つを回収しておくことだったり。

 

 同じくローシュの仲間にしてその魔力は世界に比類がないとされた魔法使いウラノスの残した魔力増幅の呪文の書かれた断片を回収し、

 

「"我が知恵を 封じし書よ 主の名のもとに その戒めを解かん"」

 

 と唱えることでその封印を解いたり。

 

 封を解かれた後も難解な文字*4で書かれて読めないウラノスの古文書の中身を中央図書室に帰ってロウに教えることで解読してもらい、

 

「────な、なんという力じゃ……信じられんほどの凄まじい力がわしに……これがウラノス様の残した魔力増幅の呪文の効果なのか……! 勝てるぞ、今なら相手がどんなヤツじゃろうと……わしは今、究極の力を手にしたのじゃーっ!!」

 

 その本の中に刻まれた呪文を唱えて魔力増幅の恩恵を大いに受けたことでピッコロよろしくの鳥山明違いな高笑いを決めるロウを見ることになったり。

 

「先代の勇者さまといえば、イレブンはあの奥義をもう使えるようになったの?」

 

「あ、忘れてた」

 

「忘れてたって、あなたねぇ……ニマ大師にお尻を叩かれても知らないわよ?」

 

「あはは、師匠もそこまで気が短くないでしょ。……短くないよね?」

 

 呆れ気味のマルティナに相槌を打ちつつ頬を掻き、両手に二刀流お尻叩き棒を構えたニマ大師を幻視して冷や汗を流しつつ、俺はドゥルダ郷にて最後に伝授された、成長して体が出来上がってから行うという次の修行までに完成させろと厳命されていた奥義を練習がてら発動する……ための準備に入る。

 

「まずは、集中────」

 

 中央蔵書室の一角で瞑想し、ふしぎな鍛冶を行うときのように穏やかに、心の深い部分へ意識を染み込ませていく。いつしか自然と昂るような気持ちが芽生え、穏やかさと同居し、身体は青いオーラを纏っていく。

 

これが、俺なりのゾーン必中*5の発動過程だ。

 

 本当はドゥルダ直伝の演舞*6を交えた方がゾーンに入りやすいのだが、緊急を要さないタイミングであるため練習の意味も込めて瞑想だけで入っていった。

 

 超集中状態を能動的に作るこのゾーン必中は俺自身の奥義とも言えるが、実際のところはこれすらただの前座に過ぎない。

 

 むしろ、現在の成長度ではこうまでお膳立てしなければ発動すらろくにおぼつかない奥義こそが俺が目指すべきであり、完成させるべき業なのだ。

 

 満を持したこの心身の状態から更に深く瞑想して薄く目を開け、虚空に手を伸ばす。

 

 この手に、剣を。

 

 イメージを実体化させるべく俺の目の前に魔力を集めると、そこには魔力で編み込まれた小さな光の剣が空中に生成されていた。

 

 覇王斬。

 

 魔力を剣の形に固めて操り眼前にいるすべての敵を切り払う、先代勇者ローシュが編み出した秘伝の奥義だ。

 

 当代で俺が唯一の適性を見せるまでは誰も体得することのなかったその業は、己の揺るがぬ心の軸にある想いを剣とすることで作り上げることができるとされている。

 

「……小さい、なぁ」

 

 そういう意味では俺の剣はあまりに心もとなく、ローシュや原作内で見せていた城を両断するような本来の大きさには及ぶべくもないショートソード未満の短剣だ。

 

 それは単に技術的な練度の問題ばかりではなく、おそらく一般人として過ごした前世を持つ俺の勇者たりえる精神性の欠如が原因であろうことは明白だった。

 

 ……ま、滔々(とうとう)と述べてもそこは変えようがない。比較対象は本物の勇者とガワだけ勇者に寄せた一般人、本当ならば勇者としての奥義を出せるだけでも御の字なのだ。こんなんで腐っていてもしゃーないわね。

 

 足りないのなら精進あるのみとは師匠であるニマ様からの教えだった。

 

 だけど、先代勇者とも本来の当代勇者とも違う、俺だけのものがそこにあるとするならば────そんな思いも胸に、前世と今世、二つの世界を跨いだ俺のイメージに沿って現れた小さな二つの覇王斬(・・・・・・)をナイフジャグラーのごとくお手玉してみる。

 

「たまにさ、実は分身だってできるんじゃないかって考えてみたりするんだ」

 

「どうかしら、勇者の逸話にも分身については書かれていないけど……いつかは、できるようになると良いわね」

 

 マルティナが微笑ましいものを見るような暖かい眼差しをこちらに向ける。

 

 こうして探索を終えた俺とマルティナはその後も淡々と修行をこなしながら、段々と交渉から世間話に花を咲かせだしているように見えるシャールとリーズレットの話が一段落するまでを静かに待つのだった。

 

*1
かなり偏った意見。

*2
勇者の紋章の正式名称。由来は命の大樹=聖竜との繋がりを示す紋章であることから。しかし作中では勇者の紋章とばかり呼ばれてやや出番の少ない呼称。

*3
過去にあったすべての原子の運動を完全に認識できる存在がいるという仮定に基づいた数学・物理学の空論上に現れる悪魔。過去を全て知っているその悪魔なら、未来であっても完璧に予測できるとされている。

*4
ドラゴンクエストに頻出する独自の言語体系。開発部内ではドラクエ文字と呼ばれており、ドラクエ10内では世界の名前から取ったアストルティア文字と呼ばれている。

*5
能力が大きく向上するゾーン状態に自分から入る『ゆうしゃ』スキルの特技。

*6
非常にゆっくりと流れるように行う独特の型で魔力をじっくりと練り上げる演舞。ドゥルダの修行僧以外にはふしぎなおどりの仲間だと思われている。




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サラサラの14:こちらを見ている

 話はいつも簡潔で、面倒事は迅速に終えるに越したことはない。

 

 この考えは多くの人間にとって普遍的なものであるのかは知らないが……まぁ、大きく外れた主張ではないだろう。

 

 実際には現実というものはもっと複雑で、Aボタンを押すばかりで万事解決とはいかないのが常なのだが、とはいえどうも、今回ばかりはそうでもないようで。

 

 なぜ冒頭からむず痒い講釈を垂れ流しているのかといえば、そう。

 

 ここからの出来事はトントン拍子に進んでいった、ということを伝えたかったのだ。

 

「私の力が必要なんでしょう? いいわよ、手を貸してあげるわ」

 

 書物の封印が解かれたことを示すむせ返るような冷気とともに現れたのは、千年間の戒めから脱した喜びをあらわにする氷の魔女リーズレットだった。

 

 長い時を経た現代に蘇った彼女は、おそらく当時から変わらない傾城傾国の美貌をこちらに向け、あえて軽薄で移り気な笑顔をたたえていた。

 

 リーズレットは対ムンババにおいて戦力の不足する俺達にとって彼女の協力が必要不可欠であり、その点において交渉するにあたり有利な条件を確保できる立場を過不足無く理解している様子であったが、しかしてこの場の大半の予想に反し――あるいは俺とシャールにとってはある程度予想していた通りに――かなり色のよい返事で俺たちの戦列に加わる意を表明する。

 

 つまり、シャールの説得は成功したのだ。

 

 さらに驚くべきことに、シャールとリーズレットの二人はこの短い時間のあいだに互いを友人と認めるまでに至っていた。

 

 今回の参戦もひとえにクレイモランに訪れた危機の話を聞いたリーズレットが自身の封印の際に魔力を吸収されたという因縁もあるムンババの退治について、友人であるシャールの願いを聞く形で応じてくれた……という顛末となったのだった。

 

「氷の魔女……いえ、リーズレットはわたしの相談にも親身に乗ってくれて。それに、意外と気さくといいますか……話がすごく合うんです」

 

「シャールよ。それは小娘ひとりを口車に乗せるために、ただ合わせているだけだとは考えられんかのう?」

 

「あら、ひどい言い草じゃない。オンナの友情に口を挟むなんて、とっても野暮なおじいさんね?」

 

 クレイモラン王は眉をひそめてリーズレットを見据える。

 

 しかし、シャールの警護に着いていたために最も間近で彼女とリーズレットの交渉……というか、途中からはガールズトークであったそれを聞いていた彼は、王が凄もうがどこ吹く風といったリーズレットと、娘であるシャールと彼女の打ち解けた様子を再度睥睨して、眉間に込めていた力をふっと抜き、好々爺然としたふうに頬を緩めた。

 

「ほほ、ちょっとした冗談じゃて。……やれやれ、まさか預言が娘と魔女の縁結びを啓示しているとは、かの預言者とやらも大した深謀遠慮じゃと思うてな」

 

「ともあれ魔女殿、どうぞよろしく頼みますわい」

 

 クレイモラン王はそう言って小さく頷いた。

 

 かくして氷の魔女リーズレットの参戦により対ムンババの戦力は整った。

 

 中央蔵書室から出て古代図書館を降り、決戦の時は来たれりと言ったところだろうか。気合十分、準備もしっかりと整えた俺たちだった、のだが。

 

 古代図書館を出る際に通った仕掛け階段の終端に差し掛かった時、俺たちを匿ってくれた読書家のスライムが階段の裏に隠れるようにして、怯えもあらわにぷるぷると震えていた。

 

「そ、ソイツ、すごい魔力……」

 

「あら、かわいい子ね。一緒に来たら可愛がってあげるわよ?」

 

  "ピキィーーッ!!"と悲鳴を上げてスライムは逃げ出し、どこかへと去っていく。それは猛獣に襲われた兎もかくやという速度であり、その遠因……というか、そのまま原因であるらしい氷の魔女さまは眉をハの字にして目を細めている。

 

「私って、昔から生き物には嫌われるタチなのよねぇ、なんでなのかしら……」

 

 心なしか気落ちするリーズレットをシャールが慰め、ロウ・マルティナ・クレイモラン王の三人はまぁそうだろうなと納得したように頷いた。

 

 彼らが言うには、リーズレットはかなり強力で冷え切った魔力の奔流で周囲を無意識かつ強烈に、常に威圧しているらしいのだ。

 

 物理法則がしっかり幅を利かせて魔法なんてお呼びでなかった前世の世界を第一の故郷とし、そういう世界の例に漏れず超常現象とは無縁だった俺にとっては、わずかなプレッシャーや気配としてしか感じ取れない魔力というものだが、この世界の人間は往々にして魔力に対し敏感だ。

 

 本来なら恐れて当然の彼女を俺とシャールがまったく警戒していないのが不思議なくらいだ、というのが彼らの言でもあったのだ。

 

 シャールは原作内では国内を文字通り凍結され、しかも本の中に封印された後ですらリーズレットと和解したほど、器の広さと細かいことは気にしない性格を持つ。

 

 そのため威圧を物ともしないこともさもありなんとは言えるのだが、正直な話、俺にはいまいち魔力というものが未だにピンとこなかった。

 

 テオもその辺りはよく知る機会がなかったようで、おそらく長年の勘を頼りに我流のホイミを使っていたのを覚えている。いずれはロウにしっかり教えを請うのもいいかもしれないと、心中の冒険の書に書き留めた。

 

 そして、さきほどのスライムの脱兎の勢いの正しさと賢明さは、満を持して古代図書館から出てきた俺たちを待ち構えていた魔物の群れを一瞬で氷像に変えたリーズレットの姿によってすぐに示されることとなる。

 

 杖に息を吹きかけるだけで吹き荒れた冷気は雪原にあってなお冷たく、身じろぎもさせぬままのモンスター討伐劇に俺たちは目を丸くした。

 

「あら、身を縮こまらせてどうしたの? 手を貸すんだから、あなた達には当ててないわよ」

 

 吹雪の去った後、カチコチに固まったメタルハンター。メラ程度じゃあビクともしない堅牢さの氷像を通行の邪魔だからと雪だるまに変えてしまうことについてさえ、大したことじゃないと謙遜するリーズレット。

 

 彼女にとって、実際に大したことではないのだろう。その後に現れた大柄のトロルの群れですら息をするように連なった氷山に変え、杖を振るだけで一斉に雪だるまに変えて続くヒャダルコ一発ですべて破壊するその様子を見た俺は、真っ先に逃げ去っていったスライムの心境が凍えるほどに伺い知れていた。

 

「ひえぇ、おっかないのう……彼女が敵でなくてよかったわい」

 

 ロウが冷や汗を掻いて一言をこぼした。本当は敵として戦うことがあったのだが、それは言わぬが花だろう。

 

 彼女が敵となる以前に封印を解くことに加え味方にとして肩を並べる段階までこぎ着けた現在の僥倖を再認識しつつ、俺たちは安堵の白息を吐いたのだった。

 

 

 新戦力を整えついに反撃の狼煙を上げる用意のできた俺たちは、勇者の紋章とリーズレットの魔力による探知を頼りに、シケスビア雪原におけるムンババの痕跡を辿っていく。

 

 幸いにもクレイモラン王国には向かっていないようで、むしろ、痕跡を求めるごとにムンババ本来のすみかである、ミルレアンの森へと近づいていく。

 

「どう見るね、勇者殿」

 

「俺たちと戦った後、そのまま帰っていったように見えます。この森の奥、ムンババのすみかに……その理由については、もう一度出くわさない限りは」

 

「ふぅむ……なかなか気がかりじゃのう」

 

 クレイモラン王は口を引き絞って瞑目し、静かな同意とそれによって新たに湧く疑念への思案を示していた。手負いの魔物が巣に帰って休むことが異変とまでは言わないが、邪モンスター化によって凶暴性の増していたように思えるあのムンババにしてはその痕跡が……どうやら暴れることもなく、大人しく帰っただけにしか見えないことだけはかなり不可解だった。

 

 道中、目立った刺激を受けた様子もなく落ち着いている動物や魔物たちに首を傾げながら、川伝いにできた氷板の橋から足を滑らせないように気をつけつつ進んでいく。

 

 ほどなくしてムンババの棲家と思われる場所の付近へとたどり着いたとき、吹雪の奥からうっすらと大きな影が見えていた。

 

 吹雪の奥に見えるその影はまさしくムンババの特徴的なシルエットであり、次第に近づいてくるそれに対して、立ち止まって様子を伺う俺たちにも僅かな緊張が走り、俺とマルティナがじりじりと僅かに前に出ながら全体の態勢を整えていく。

 

 ゆっくりとした歩調で近づくムンババに対して、こちらの準備は相応に万全。

 

 今度こそ完全な撃退を……と、そう思っていたところで、俺たちは驚くべき光景を目の当たりにする。

 

「ムフォフォーン……!」

 

 吹雪をかき分けてやってきたムンババは、俺たちの前に立ちはだかると……どういうわけか、その場で鼻を鳴らしてにおいを嗅ぎ、その場をゆっくりと回り始めたのだ。

 

「……?」

 

 くんくん、くんくん。

 

 しきりに俺たちのまわりをゆっくりと周回し始めるムンババに、リーズレットが攻撃を加えようと杖先に魔力を集中し始める。

 

「待ってくれ、リーズレット」

 

「止めるの、ぼうや?」

 

「ああ、できれば止めさせてほしい。なにか……様子が以前と違うんだ」

 

「……ふぅん。いいわよ、従ってあげる」

 

 リーズレットは唇を一瞬だけ尖らせたが、魔力の集中をやめてシャールの隣に付く。

 それからしばらくの間、俺たちは警戒を緩めないようにしたままジッとムンババの出方を待つ時間を過ごした。

 

 ときおり予兆無くグルリと向けられるムンババの大きな顔にシャールが「ひっ」と小さな悲鳴を漏らすが、なおもムンババは襲ってくる様子はない。

 

 彼はずっと、何かを探すようにしてぐるぐると俺たちのまわりで歩き続けていた。

 

「ムフォ、ムフォフォ、ムフォン、ムフォムフォフォ……」

 

 ムンババの鳴き声と歩行の地響きが吹雪を掻き分けて耳に入ってくる。

 

 極寒の地、それも吹雪の吹き荒れる中で長く留まり続けていることは、俺たち人間にとって本来非日常的である。

 

 それはつまり、俺たちはただこうしているだけでいずれ限界が来るようになっており、手を出さないということはそれだけ後々の戦闘に支障をきたすわけで。

 

 とりわけ落ち着いたムンババの様子から、戦わなくて済むのではないかといった希望をこの場の全員が少なからず持っていたものの、その希望に対して割いてやれる時間は少ない。

 

 事実、俺以外の皆は俺に委ねた開戦の号令を今か今かと待っていた。

 

 戦うか、待つか。

 

 戦うならいつ仕掛けるか、待つとしたらいつまで待つか。

 

 確かな判断力を問われる場面であり、膠着した状況に活路を見出す俺自身の資質までも皆に問われているかのような、そんな時間が吹雪のように過ぎていった。

 

 そして、ついに状況は動く。

 

 ムンババは目をぱちぱちと瞬かせると、俺たちに……より正確に言えば俺に向かってズイ、と顔を近づけた。

 

「イレブン!」

 

 マルティナが割って入ることで庇おうとしてくれたものの、俺はそれを手で制する。

 

 俺に用があるとすれば……それは多分、勇者としての用事しか無いだろうと思ったからだ。

 

 俺は左の手袋を外し、素肌を冷気に晒した。凍えるような冷気に晒された手は雪に濡れて赤くかじかむが、それはある程度許容すべきだろう。

 

 そうして、盾を持っていた上に吹雪に紛れていたせいで隠れて見えなかった勇者の紋章は淡い輝きを放っていることに俺とムンババは気付いた。

 

「……ムフォ」

 

 ムンババは目を閉じ、以前、図書館の扉を閉じる前にやっていたようにその場へ平伏する。

 

 俺はそんなムンババの様子に、今からすべきことが何故か理解できたような気がして、その手を前に掲げる。

 

 特に確かな根拠がある行動でもない。だが、不思議とやるべきことははっきりと見えていた。

 

『……ヤメロ』

 

 突如、頭の中に声が響く。

 

 男とも女とも付かない、曖昧で無機質で暗い声色だ。

 

 だがその声に乗せられた感情は、焦りを多分に含んでいるように感じられた。

 

『……ヨセッ、止マレッ!』

 

 その声はムンババではない。

 

 それよりもっと理解の外にあって、それよりもっと世界の外にあるような、最上位の闇の具現。

 

『……聖竜ノ……使イ……勇者ヨッ!』

 

 例えるならば、それは間違いなく────『邪神』だった。

 

「────ライデイン!」

 

「ムフォフォーンッ!?」

 

『グ────ガァァァァァッ!』

 

 俺はムンババに向けてライデインを放った。

 

 勇者の紋章から放たれた強力な雷撃がムンババを、より正確に言えばそれを操る邪神を光で焼いていく。

 

 勇者の星に肉体を封じ込められたせいで全盛期の力とは程遠く、それでもなお配下のただ一匹によって一国を滅ぼそうと画策した強大な闇。

 

 ムンババに染み込んだその黒いしずくの一滴が光の渦に飲み込まれていくのを、俺はただ力を込めて見送っていった。

 

『ガァ、ァ……ユウ、シャ……オノ、レ……』

 

 ライデインにより導かれた光の奔流が収まった時には邪神ニズゼルファの声は聞こえなくなっており、その場には木々の間で立ち尽くす俺たちと、俺の目の前で倒れ伏したムンババだけが残っていた。

 

「……ええっと、倒したのでしょうか?」

 

 シャールがおずおずとこちらに尋ねると同時、ムンババがむくりと起き上がった。

 

「ひゃぁっ!?」

 

「まだやる気なの!?」

 

「お二人とも、わしらから離れるでないぞっ!」

 

 近づいてみようとしていたシャールが跳び上がって後ずさると、マルティナとロウがいち早く前線に駆け出して臨戦態勢を取った。

 

 だが、クレイモラン王とリーズレットは流し目を見合わせて頷き、こちらへ悠然とした声をかけてきた。

 

「どうやら、わしの目には解決したように見えるがのう」

 

「ええ。そうよね、ぼうや?」

 

「まぁ……おそらく」

 

 俺は静かに頷いてムンババへ近づく。

 

 ムンババはライデインの直撃で傷ついた身体を厭うことなく、何かを訴えるように、熱を持ったような視線を俺へと注いでいた。

 

「……もしかして」

 

 シャールが誰ともなくポツリとこぼす。

 

「仲間になりたそうにこちらを見ている*1……ということ、でしょうか?」

 

 ムンババはピクリと耳を動かし、ブンブンと縦振りに勢いよく頷いた。

 

「え、本当に?」

 

 マルティナの困惑したようなつぶやきにも、ムンババはムフォ、と肯定するように鳴き声を漏らした。

 落ち着いた今は知能も取り戻しているのか、人間の言葉も理解しているようだった。

 

 そういうことなら、話は早いに越したことはない。

 

 俺は両手でムンババの大きな横面を包むように触れて、野生の生き物に特有の体温を感じながら告げた。

 

「一緒に行こう、ムンババ」

 

「ムフォフォーンッ!」

 

 ガバリと立ち上がり、ドラミングと奇妙なダンス*2を始めるムンババ。

 

 ドスドスという地響きと鳴き声がミルレアンの森を超え、クレイモランまで響き渡る。

 

 彼がこちらの言葉を理解するように、彼の言葉を正確に汲み取ってやれるわけではないが……どうやら喜んでいることだけは、この様子を見れば明らかだった。

 

「あ……そう言えば。この場合、私の魔力はどうなるのかしら」

 

 ムンババを仲間に引き入れ、これで解決といった雰囲気になりかけた時、リーズレットが呟いた。

 

 ムンババの中にはリーズレットが封印された際に分けられた魔力が封じ込められており、リーズレットが協力をすんなり申し出たもう一つの理由は、ムンババの討伐を経て自分の魔力を取り戻すことではあったのだが……。

 

「まぁまぁ。それなら、また力を取り戻せるように修行すればいいんですから」

 

「気が進まないわねぇ。だいたい千年の封印から出たと思えば、リハビリじみた修行なんて」

 

「そんなことを言わずに。わたしと一緒に頑張りましょう?」

 

「……そうなればリハビリどころか、あなたを鍛えるところから始めないといけないでしょ。……まぁ、でも。それも面白いかもしれないわね」

 

 シャールとリーズレット、不思議と波長の合う二人はくすくすと小さく笑いあう。

 

 ミルレアンの森にムフォムフォダンスの調べと小さな笑い声を吹雪が覆った後、事件の解決を知らせるべく俺たちはムンババを伴って帰路に着いた。

 

 かくして、クレイモラン王国を脅かさんと蠢動した邪神ニズゼルファの暗躍はクレイモラン王家と氷の魔女を伴った俺たちの手によって、未然に防がれることとなったのだった。

 

*1
ドラゴンクエストシリーズ伝統の仲間モンスター加入前の合図。ここで「はい」を選択するとそのモンスターは晴れて仲間となる。「いいえ」を選択すると悲しそうに去っていくのでちょっぴりかわいそう。

*2
ムフォムフォダンスという直球のネーミングらしい(原作戦闘中のテキストメッセージより)。本来は踊ることで攻撃力が二段階上がり守備力が一段階下がるのだが、今回は内からあふれる嬉しさのエネルギーを表現するために用いている。





 邪神ちゃんライデイン回です。ニズゼルファによる邪モンスター化の影響はここだけじゃないので、また登場することもあるかと思われます。
 今回でクレイモラン王国の騒動は一応の収束を見せましたが、クレイモラン編はもうちっとだけ続くんじゃ。(亀仙人)

 次回、その後のクレイモラン王国です。
 ムンババが王国にやってきたり、あの青かったり金色だったりする兄妹も登場するとかしないとか……?
 どうぞお楽しみに!


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サラサラの15:嘆きの勇者の夢

 入れるべき描写を増やしていたらそれなりの文量に達したので、前話のあとがきに記した展開とは別のお話、夜のキャンプ地での出来事になります。
 トレジャーズ続報発表の波に乗って例の兄妹を出せず残念ですが、僕も早く彼らを出したいので読者の皆様とおあいこですね(?)



 

 ふと、奇妙な夢を見た。

 

 満身創痍、仲間はおらず、灰色の空には暗夜の城。

 

 俺は今よりずっと大きな手で幾何学の塔を這い上り、豪奢で名ばかりの空虚な剣を震えながら持ち、膨大な力を蓄えた時の柱に振りかざす。

 

 それが最後の希望なのだと確信しているかのように。

 

『足りなかったんだ、何もかも』

 

『力がいる、全てを凌駕するような、圧倒的な力が』

 

『俺に力さえあったら────無様に這いつくばった醜い姿を晒すこともなくて』

 

『ひとりひとり助けを求めて手を伸ばしてくれた仲間たちを』

 

『見殺しにしない道があったはずなのに』

 

 振り下ろした剣を握るその手はどうしようもなく、欠けていて────

 

「──ッ!」

 

 パッと目が覚めると、変わらぬテント越しの雪景色。少し息が荒かったが、幸い、寝袋を重ねた仲間たちに気づかれることはなかったようだ。

 

 テント横で護ってくれていたのだろうムンババの寝息があることくらいが相違点の、新しい日常がそこにある。

 

 終りきった灰色の世界、決まりきった絶望の未来とは違う、俺の日常へと夢から覚めた。

 あれは俺の世界じゃない。前世の現実とも、今の現実とも違うと理解できる。

 でも────分かっているはずなのに、震えが止まらないのは何故なのだろう。

 

 これは単なる夢とは違う。

 

 もっと深く、奈落に落ちるように救いのない……どうにもならなかった俺の結末を、垣間見た気がした。

 

「──熱っ」

 

 手に小さく熱を感じるほど勇者の紋章が一際大きく輝くと、しばらくして落ち着きを見せる。

 

「……起きてるの、イレブン?」

 

 マルティナが寝袋からもぞもぞと出てくる。

 紋章の光に反応して起こしてしまったようで、彼女にしては珍しい結び目を下ろしたロングヘアーのままだ。

 

「おはよう、マルティナ」

 

「……大丈夫? 震えているようだけれど」

 

「ちょっと寒くて。ついでに温まるスープでも仕込んでおこうかなって」

 

 料理の腕は旅を続けるうちにテオに仕込まれ、ドゥルダの雑用係としての経験から上達の一途を辿っている。

 

 王族の舌を唸らせる雪原のできあいスープという難題だってもなんのそのだ。

 

 ムンババの好みは分からないが……そろそろ帰還できるし、余りそうな食材たちを使って数種類作ればいいだろう。

 

「私も手伝うわ」

 

「寝てていいよ。簡単に出来るものばかりだから」

 

「そうじゃなくて……心配なの。あなた、今から死んじゃうんじゃないかと思うほど震えているのだもの」

 

「えっ?」

 

 心配そうに眼差しが向けられた先には、もちろん俺がいる。自身の感覚に集中すると、確かにガクガクと単なる冷えでは説明がつかないほどに震えていた。

 

 なるほど、これでは心配するなという方が無理な相談だ。

 

 いつものことだが、俺は勇者ではない。

 ただルビスに選ばれただけの、勇者っぽい性質を使いこなせるだけの一般人だ。

 

 仮に俺が本物の勇者であったなら、ここでマルティナに心配をかけるほど単なる夢に怯えてしまうことだってなかっただろう。

 

 そして、夢の教訓からすると……俺は不甲斐ない自分をただ責めるより、目の前のマルティナを頼ることにした。

 

「少し怖い夢を見たんだ。未来の俺が過去の、今の俺に何かを託す夢」

 

「……そうなのね」

 

 マルティナは逡巡したあと、震える俺の身体を包み込むように抱きしめた。

 

「託されるのは、誰しも怖いものだわ。あなたが負った責務はきっと、その小さな身体よりずっと重くて大きい」

 

 互いの息の暖かさが分かるほどの密着に普段なら役得なんて言っておどけるようなそれも、マルティナの慈しむような抱擁に霧散する。

 

「だから、あなたは私が護ってあげる。どこの誰であろうと、あなたの道を阻ませたりしない。……だから、安心して自分の思う道を突き進んでね、イレブン」

 

 ぎゅ、と抱擁が強くなる。

 

 それはきっと、マルティナの懺悔に近い想いも含まれているのだろうか。

 慮るのも野暮なくらいの無償の愛がそこにはあった。

 

「勇者だからじゃなく、あなたがたった一人の私の弟だから。あなたがイレブンだから、私はあなたを応援するの。……なぜかって顔してるわね? それは、本当は勇者に向いてないかもしれないのに、それでも頑張るあなたを見てきたからじゃ、おかしいかしら」

 

 ギクリと心臓が飛び跳ねる。

 

 俺が転生者であることや本当の勇者とは似ても似つかないことなどは誰にも知りようがないことだが……マルティナには少なくとも、俺の勇者としての適性の低さについてはある程度バレていたようだ。

 

「いつからそう思ってたの、マルティナ?」

 

「女のカンね。あなたって、"さすが勇者だ"って褒められる時にあまり嬉しそうにしないでしょう? それに……かわいい幼馴染を口説いたり、カジノを見るなり直行したりしようとする所もかしら?」

 

「あれはユグノアの血のせいなので」

 

「あはは! 確かにロウ様もあなたもカジノと女の子が大好きね」

 

 抱き合った体勢から離れ、湿っぽい決意表明の時間から温かな談笑の空気に流れが変わっていき、寝っ転がっていびきをかく王族たちの口に合う料理を二人で拵える作業に戻る。

 

 思うに、今の俺は過ぎ去りし時を求めた後なのかもしれない。

 

 記憶も力も受け継いでやり直すその秘術にしてはなんにも引き継がれちゃいないのは、それだけギリギリで不完全な発動だったからだろう。

 

 あるいは、俺が本来の勇者でなかったからかもしれない。

 

 夢の俺を仮に一周目として、ある日突然勇者になり、着の身着のままで放り出されただけの俺はおそらく、失敗と後悔の連続の中で次の……今の俺へと託したのだろう。

 

 だからこそ、運命が味方するような今の幸運は彼の齎してくれたものなのかも知れない。

 

 俺が辿れる彼の足跡はドゥルダのニマ大師に彼が口利きを行ってくれていたことくらいだが、おそらく彼の求めるべき力、ひいては俺が求めるべき力にはまだまだ遠いのだと、ムンババとの激闘で終始押され気味となってしまった自分を省みる。

 

 料理を仕込み終わった俺たちは、早くに起きたついでにいつもより早く修行を再開し、いつ来るともしれない絶望的な夢の未来を振り払うように、本日にできる最初の一歩目を踏み出すのだった。



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サラサラの16:クレイモランの聖獣祭

 

 俺、マルティナ、ロウ、シャール、クレイモラン王、リーズレット、そしてムンババ。

 このキャンプ地で揃い踏みした、今後こうやって並ぶこともなくなりそうな旅の仲間たちと見慣れたキャンプ地で最後の朝食を囲む。

 

「あ! これ、とってもおいしいですね!」

 

「あれ、それはロウ爺さんのお酒のつまみに作っておいたものなんだけど」

 

「えっ? でもおいしいなぁ……お酒が飲めるようになったらまた作ってもらっちゃおうかな」

 

 一本釣りしただいおういかの灼熱スルメをかじるシャールの意外な趣味を垣間見つつ、海にほど近い雪原ならではの海鮮グルメに舌鼓を打つ。

 この食事の用意のためにマルティナと挑んだトリコさながらのグルメ大冒険があったことはないしょだ。

 

 クレイモラン王とリーズレットは薄味派のようで、軽く済ませたい朝につるりと飲めるすまし汁を好んでいた。

 

 マルティナとロウはいつも通りで、ロウは今日の料理を俺とマルティナとの合作であることまで見抜く鋭い舌を持っていた。

 

 姫と孫の相乗効果で20倍旨いとは彼の弁で、ロウは今日も平常運転だった。

 

 ムンババは特に気に入ったと呼べるほど好んで食べるものはなかったようだが、バクバクと大きな顎を動かして用意したご飯を平らげてムフォとひと鳴きしてからは、その場におすわりの体勢でリラックスしていた。

 

 背中をなでてやると、たてがみが意外にもサラサラで気持ちがいい。

 それを仲間に喧伝すると、俺とムンババの毛髪品評会が始まった。そういう意味で呼んだんじゃないのよ。

「ふむ、この手触り……」とか言ってる場合か。

 

 さて、食事が終わればこのキャンプ地ともおさらばだ。

 火を消し、壊れてしまった女神像をできるだけ手直してから皆で祈りを捧げ、その場を後にする。

 

 シャールが女神像の破壊によってムンババに罰が当たらないかを心配していたが、それは杞憂だろう。

 

 ルビスは案外大らかな性格で、特に邪神に操られていた者が改心するエピソードに弱いのでムンババについてはサクッと許してくれるはずだ。

 

 まぁルビスの性格を多少なりとも知っているのは直接話をできる俺しかいないので、それを証明するのはちょっと難しいのだけれど。

 

 かくしてクレイモラン地方全域を脅かさんとした邪神ニズゼルファの暗躍を未然に防ぎ、さらにはすっかり改心してしまった様子のムンババを仲間に加えて一件落着とあいなった俺たちはムンババの広い背中に全員で乗せてもらい、彼女──リーズレットによると、実はメスらしい──の素早いナックル・ランニング法によってその日のうちにクレイモランにたどり着く。

 

 ドスドス、ムフォムフォと吹雪の彼方からやってきたムンババにすわ魔物の襲撃かと総動員された見張り番兵たちも、今の時間ならば謁見を終えて趣味の読書にふけっているだろう自らの仕えるべき王と王女が巨大な魔物の頭部や背部にてオレンジ色のソフトモヒカンに包まれている光景にはあんぐりと口を開けていた。

 

 理解の範疇を大きく越えた疑問は当然ながら部外者の俺たち行商人組にぶつけられるが、あいにく目の前には事実しか転がっていないのだ、残念ながら。

 

 彼ら王族は俺たちが無理やり連れてきたわけじゃなくて、王女シャールの護衛を建前にノリノリでお忍び冒険に出かけたファンキーなお爺さんこそが他ならぬあんたたちの王なのだ。

 

 愉快な国民性でいいよね。国防的にはかなり良くないけれど。

 

 ともかく、結果的に誰もが無傷でことを終えたのは俺たちとクレイモランの双方にとって喜ばしいことだった。

 

 美しい門構えに大興奮して喜びのダンスをしたそうにうずうずと待機するムンババがこれ以上に状況をややこしくする前に正門を開けてもらい、俺たちはひとまずの凱旋を迎える。

 

 城下町に現れた巨大な魔物に当初はたいそう国民に驚かれたものの、その上に国王陛下と王女殿下がいるとなれば「なんだ、王さまのペットか」と安心した様子で俺たちを迎えてくれていた。

 

 さらには見知らぬ旅商人である俺たちもなにやら国賓か何かだと思われているらしく、疑問の声よりも歓迎の声の方が多くこちらの耳に届いている始末だった。

 

 この国は本当に大丈夫か?と心配になる受け入れの早さだったが、国ごとリーズレットに凍らされてなお解凍されれば「なんか時間経ってんな……?」で済ませる原作での大らかさを見るに、これがクレイモランのお国柄ということなのかもしれんね。

 

 俺はお忍びで城を抜けた上に魔物とドンパチやっても素知らぬ顔で国民に手を振れる理外の図太さを持っていた王とシャールを見比べながら、「まぁこの二人がトップだものな」と内心で納得するのだった。

 

 

 

 

 吹雪のように手早く短い旅を終えた俺たちはクレイモラン王国へ滞在することになり、それから二週間と少しの時間が経過した。

 

 その間にはドゥルダ謹製ブランド"D.R.D"に関する交易の手配や、先のお忍びムンババ救出大作戦の事情聴取に対する

『王家の者がある日突然国を飛び出したとは言えないクレイモラン』

VS

『追手を放ちかねないデルカダールに"悪魔の子(勇者)"らしき者の名声を届かせるわけにはいかない俺たち』

のせめぎあいという名の口裏合わせなどを済ませていき、なんとか今回の冒険に関わるおおよその調整を終えた頃にはその間に準備が進められていた国を挙げての大祭、聖獣祭(せいじゅうさい)が開催される運びとなっていたのだった。

 

 なんでも聖獣祭というのは本来クレイモランにあったものの時が経つにつれ廃れた聖獣信仰で行われていた儀式を、くだんの聖獣そのものであるムンババのクレイモラン帰属に際して現代風に復刻することとなったものらしい。

 

 一際大きく設けられた壇上(今でいうライブステージ)に立ったムンババのダンスに合わせた音楽が楽しげに鳴り響く中で、クレイモラン名産のアイスクリームの出店や、俺たちの持ち込んだドゥルダ謹製の衣服の運輸ルート開通記念セール、さらには雪玉投げによる射的のような屋台まで並んだ実に賑やかな出し物たちが催される形の、地球で言うところの夏祭りのような催し物であるらしかった。

 

 この二週間ですっかり見慣れたと思っていた雪景色も楽しげな喧騒で一味違うように見えるのは祭りの魔力か。

 気分も思わず祭りを楽しむ方に引き寄せられるというものだろう。

 

「イレブンや、楽しんでおるかね?」

 

「もちろん!」

 

「ほっほ、祭りというのはいくつであろうと楽しいもんじゃからのぉ」

 

 ムンババとの激しい戦いの余波でひどい腰痛が発生したものの、休養期間を設けたことでひとまずの落ち着きをみせたロウは好々爺然とした表情で微笑む。

 

「孫と祭りに行かずして、なんのために歳を取ったと思っておるんじゃ〜!」と教会の神父たちの制止を振り切ったロウの姿は、心底嬉しそうな現在の彼の様子に免じて見なかったことにしてあげよう。

 

 マルティナはシャールとすっかり仲良くなったようで、現在は二人で服飾店をお忍びで見に行っているようだった。

 

 俺はすでに完食したスライムわたあめ(ソーダ味)の棒を所在なさげに片手に持ちつつ、もう片方の手でロウと手を繋いで人混みの中を歩く。

 

 こうして普通の子どものようにロウと連れ立っていくのはもしかして初めてなんじゃないだろうかと思い至り、なんとなくロウを見上げてみる。

 

 身長差から見えにくくはあるが、雪の反射した光にすら楽しげに目を細めるロウの顔は、微笑みつつもどこか遠くを見ていた。

 

 様子から察するに、おそらく今は亡きユグノア王国をこの祭りの風景を通して見ているのだろうか。

 

 過去を振り返るなとは言わないが、今を生きる俺とロウ爺さんとの距離が離れていくようで、少しだけ胸の中がもやもやとする。

 

 否応なく訪れるその感情は、俺の肉体的な年齢に相応な幼い精神がもたらしたものだろうか。

 

 大好きなおじいちゃんが自分以外を見ているのがなんとなく気に入らないのだと、子供としての小さなやきもちがロウと繋いでいた手を少しだけ横合いに揺らした。

 

 その行動に白昼夢のような意識を現実に呼び戻したロウは俺を見て一瞬だけ目を見開き、また優しく細める。

 

「イレブンよ……お主が楽しんで、それでいて、生きていてくれる……それだけでわしは嬉しいんじゃよ」

 

 いきなりこんなことを言うても分からぬかのう、とロウは俺の頭を撫でる。

 

 その手つきは泣きたくなる程に優しく、未成熟で幼い心を制御できなかった気恥ずかしさはありつつも、俺はロウを静かに受け入れた。

 

「俺は誰かの、大切な人に生きていてほしいって気持ちも護れたのかな」

 

「……そうじゃのう……」

 

 口をついて出た言葉にロウは頷いた。

 

「誰知らずとも己の手で護れた民を静かに案じ、愛することができる。それはまさしく勇者に、ひいては王にあるべき資質じゃとわしは思う。なればこそ……おぬしはすでに、わしの誇りじゃよ」

 

「──っ!」

 

 俺はとっさに目を伏せる。

 

 母から受け継いだサラサラの髪が、しわの刻まれた温かい手のひらの動きとクレイモランの冷たく優しい風に合わせてたなびいていた。

 

 

 

 

「……ど、どうでしょうか?」

 

「最高ッ! いまこの世界の中で一番その服を着こなせているッ!」

 

 バン!と『最高』の文字が書かれた扇型覇王斬*1を開いてシャールに率直な感想を伝えると、その場にいた猫が"にゃぁ~"と合いの手を加えてくれた。

 

 ん?さっきまで「とっさに目を伏せ──」とかやってなかったかって?

 

 あれは俺が突然発露してしまった子供っぽさの残る行動をきっかけにロウの包容力がいきなり最大限引き出されてしまったいわば事故のようなもの。

 

 そのおじいちゃん力たるや、前世を合わせれば成人をとっくに越えたアンバランスボーイすらもロウにかかればただの孫ってワケですな。

 

 だけど、そんなナイーブで感傷的な時間は終わりだ。

 『男たるもの女の服はどストレートに褒めちぎるべし』と在りし日のプレイボーイたるロウからの薫陶を受けた俺に怖いものはない。

 

 シャールを正面から褒め倒し、少し攻めた挑戦だったのだろう短めのスカートを中心とした冬のデートスタイルに普段とのギャップのあるカジュアルなアウターをあえて合わせた彼女の勇気に、勇者として自身を持たせるべく太鼓判を押すのが今の俺の使命なのだ!

 

「かわいいし、似合ってる! ……それに自惚れじゃなかったらだけど……俺に見せるために選んでくれてたりする?」

 

「っ! そ、それはそのぉ……」

 

「こら、あまりいじめないの。シャールが赤くなってしまっているでしょう」

 

「マルティナも似合って」

 

「はい、そこまでよ」

 

 むぎゅ、と頬を両手でプレスされることで俺の口車は急停車する。そんなー。

 

 その場には自分で選んだ服というものを褒められ慣れてないのか、りんごのように顔を赤く染めたシャールが残るばかりであった。

 

 水はやらねば植物は育たず、ジューシーフルーツは実らない。シャールのおしゃれはもっと褒める必要があるのだ、マルティナさんや。

 

「今は注目されてしまっているから、続きはまたの機会にね?」

 

 たしなめるマルティナの言葉には一理あった。

 

 周りを見てみれば、今どきのおしゃれな格好に身を包んだこの国の王女らしき人物を褒めちぎる誰とも知れぬ少年の図は、にわかに衆目を集めているようだった。

 

 むむむ、こうなると弱いな……。

 

「あの、わたしはそろそろ父上とお祭りの視察があるので、またのちほどっ!」

 

 羞恥に耐えかねたと思われるシャールが拙いごまかしをしながら脱兎の勢いで立ち去っていくのを見送りつつ、微笑ましくもやりすぎたかと扇を畳んで自省する。

 

 褒める時にも慎みを。

 ロウの教えに加えて自身でも学びを得た瞬間だった。

 

 ……この後の視察とやらもあのカジュアルでおしゃれな服でするのかなぁ、などと益体もないことを考えたところでかぶりを振ってマルティナに向き直る。

 

「マルティナもその服、とても似合ってる」

 

「……ふふ、ありがとね。イレブン」

 

 俺はマルティナの笑顔を心のスクリーンショットに収めながら、ドゥルダ宴会芸のひとつである扇型覇王斬の軸に使っていたわたあめの棒に感謝をひとつ添え、設置されていた臨時くずカゴへ丁寧に投げ入れるのだった。

 

*1
転生勇者スキル(※嘘)である"宴会芸"のひとつ(※嘘)。剣型の覇王斬を扇子の形に変える器用な小技。発動には"センス"が大事らしい。




ギャルファッションのシャール、略してギャールなんてどうでしょう。新概念です。


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サラサラの17:ツンツンヘアーの転換点

 今回は初の試み、主人公以外の他者視点です。
 登場を匂わされ続けていたあの兄妹も満を持して登場だそうです。
 それでは本編どうぞ。
 


 

「友達になろう」とアイツは言った。

 

 兄妹二人だけで身を寄せ合って生きてきたオレたちにはなんて似合わない言葉だろう。

 

 だからこそ、オレはアイツの手を取ることにしたんだ。

 

 

 

 

「おい、荷運びが遅れてんぞカミュ、マヤ!」

 

「はい! 今すぐ持っていきます!」

 

「これ重いんだって! ……わわ、っとと!」

 

「足もとに気をつけろよ、マヤ」

 

「兄貴に言われなくてもわかってるし!」

 

「きょうは祭りがあるんだとよ! そんな日に帰ってこれたおれたちには、運よくかき入れ時がやってきたってわけだ! 野郎ども、気合い入れろォ~!」

 

『ヤイサホー!』

 

 もはや聞き慣れた海の男たちの合図を聞きつつ、潮の香りが漂う港で酒や魚介などの食料品や各地で集めた宝飾品を運び込んでいく。

 

 海風に晒されることで湿って重くなったタルを抱えて、このオレ、カミュは必死にクレイモランへの交易品を運んでいた。

 

 バイキング。酒と冒険を愛する海の探検家。

 それに付け加えるとするならば、物心付く前に親に見捨てられ死を待つだけだったオレと妹を助けてくれた恩人たちだ。

 

 その後のこき使われようから恩義については既に霧散していても、やっぱり妹を含めた命を助けられた借りってのはデカい。

 ほかに行くあてがあるわけでもなく、今はただ彼らの冒険に見習いとしてついていく毎日だった。

 

『世界中のお宝を見つけて、世界一の大金持ちになる。そんで、世界の王様になるんだ!』

 

『そしたらさ、兄貴はおれの"みぎうで"にしてやるよ!』

 

 いししと笑って夢を語った妹のために、バイキングたちから貰える少ない分け前を蓄えながら独立するための資金を貯めていたときのことだった。

 

「────わっ」

 

「マヤッ!」

 

 マヤが荷運びの途中にたまたま足を滑らせて、タルと一緒に港へ落ちた。

 タルを離せばよかったのに、分け前が減ると思ったんだろうマヤは後生大事に抱きかかえたまま沈んでいく。

 

 周りのバイキングたちも遅まきながらも気付いたが、いち早く気付いたオレだけがその場でマヤを助けに飛び込んだ。

 

 クレイモランの冷たい海は大人でも辛い。なら、マヤは今どれだけ苦しい思いをしているか。

 

『……!』

 

 マヤはこちらを見て、助けを求めるように手を伸ばす。

 積荷をたっぷり詰め込んだ重いタルの分、マヤのほうがよっぽど早く沈んでいった。

 

『ゴボ……マヤ……ッ!』

 

 オレの身体は限界を越えて泳いだが、あと少しが届かない。浅い領域を越えた暗い海には魔物もちらほらと見受けられていた。

 

『ねぇ、カミュ……きみは、妹を助けたい?』

 

『な……んだ……いったい……?』

 

 息継ぎも出来ない深海で、誰かの鮮明な声がする。

 

 ああ……助けたいに決まってる。

 

『そうなんだね、カミュ。なら、少しだけ、手を貸してあげる』

 

 オレのそばにはいつの間にか、しびれくらげがふよふよと浮いていた。

 

 

 

 

「────そろそろ起きたらどうじゃ、カミュよ」

 

「────マヤッ!」

 

「開口一番に妹の心配か。よい兄であるようで感心、感心。助けた甲斐もあるというものよ」

 

 見知らぬ老人の声を聞いて反射的に身体を起こす。

 辺りをキョロキョロと見回すと、地平線が見えるほどの草原に囲まれた牧歌的な家の中で、ベッドに寝かされていることがわかった。

 そして、ベッドの側にはありふれた服を着た印象に残らない老人がひとり、こちらをただ観察するように見ていた。

 

「……あんた、一体誰だ? それに、ここは?」

 

「説明してもいいが……わしの成り立ちからじっくりコースか、もしくは簡単な状況説明コースがあるが、どちらにするかの?」

 

「その前に、質問にだけ答えてくれ。マヤは……助かったのか?」

 

 目の前の老人は頷いた。

 

「お主ともども助かったぞ。わしの力でちょちょいと人を呼んでな」

 

「それは……あんた一体なにもんだ?」

 

「じっくりコースをご所望じゃな? なら、教えてしんぜよう……お主の前にわしが現れるに至った経緯についてもな」

 

 老人は、ここでの時間は現実と違い極端にゆっくりと流れている事を前置きしてからじっくりと話をはじめ、オレは自分と妹を助けたらしい奇妙で力のある老人に興味が湧いていたために、それを余さず聞いていった。

 

 自らを預言者と名乗るその老人は、数百年以上の長い時を生きながら人の助けとなる預言を授けている存在なのだとか。

 なんの目的があってそんなことをと尋ねても、のらりくらりとはぐらかされるような胡散臭さもあったが。

 

 想定していたよりもかなりじっくりとした長話を老人が済ませたのち、オレはそのような預言者が何のためにオレと妹を助けたのか聞くことができた。

 

「これからひとりの少年を探しなさい。サラサラの髪に左手には竜の紋章。それに加えて、くじけぬ心を持つ少年じゃ」

 

「そいつがどうしたっていうんだ?」

 

「彼こそ、お主たちの人生の目標を叶える一助となる。彼は勇者、世界を救うさだめを持つ聖竜の末裔なのじゃ……」

 

「ふぅん、勇者か……」

 

 正直、聞きなじみのない単語ばかりであまり頭に入ってはこず、おとぎ話を大真面目に聞かされているみたいで現実味のない話だと感じた。

 

 だが、不思議と気分は前を向いていて。

 

 この老人に助けてもらった恩のぶんくらいは、ソイツを探してみようと思ったんだ。

 

 

 

 

「……き……あにき……っ、お兄ちゃん!」

 

「マヤッ!」

 

 マヤの声を聞いて反射的に身体を起こす。

 そこは教会の休憩室で、オレはベッドに寝かされているようだった。

 

「お兄ちゃあんっ!」

 

 オレが起きるなり飛びついてきたマヤを抱きとめる。

 

「よかったっ、お兄ちゃんが死んじゃうかもって、おれのせいでっ、ひぐ……」

 

「あぁ、大丈夫だぜマヤ。それより、お前が生きててくれてよかった」

 

「おれなんかより、お兄ちゃんがぁ……っ!」

 

 ああ、これはどうにも泣き止んでくれるまで時間がかかるかもなとマヤの頭を撫でて宥めてやる。

 数分後、泣きじゃくるマヤも少しずついつもの調子を取り戻していった頃、コンコンという控えめなノックが響いた。

 

「目を覚ましたかね、カミュくん」

 

「神父さん! ベッドを貸していただいてありがとうございます」

 

「いやいや、礼には及ばないよ。神に仕えるものとして当然のことをしたまでだ。それに、数分ほど前から急に苦しみ出したものだから、マヤくんと同じく気が気でなかったよ」

 

 ノックの返事をした後に、教会の神父が顔を出す。

 

 彼はクレイモランの教会をまとめる人物で、みなし子のオレたちに対しても態度を変えずに良くしいるような人格者でもあり、今もその手には大きな薬箱と気を落ち着かせる香りがするお香を持っていた。

 

「意識を失った君たちが教会に押しかけてきた時はどうなることかと思ったよ」

 

「バイキングのやつら、おれたちよりタルを引き上げる方に必死だったんだぜ!? 大事な商品がー!ってさ!」

 

「そうか、オレを背負ってきてくれたのか、マヤ?」

 

「ん? おれは違うぜ?」

 

 マヤの発言と神父の証言に、明確な穴があることにオレは気付いた。

 

 二人の言い分の間には、オレとマヤを助け、気絶していたのだろうオレを担いで神父に引き渡した人物がいるはずだった。

 

「ああ、そうしたのは私たちじゃなくて彼だよ。彼は先程まであなたたちの看病に加わってくれていたのだが、壇上に立つ機会が回ってきてしまったとかなんとかで、今はここを出ているよ」

 

「いやはや、あの少年のタフさには驚かされたよ。君たちと同じ所まで潜ったと聞くのに、なんとも凄まじい生命力だ」

 

 神父が柔和な表情で窓から見える教会の外を指した。

 

 暗い夜に明るく照らされていた祭りの壇上にはオレでも知っているクレイモランの王様と姫様が二人と冷たい印象の魔術師らしき女、そしてサラサラの髪が特徴的な少年が立っていた。

 

「っ!? おい、まさかオレたちを助けたやつってのは」

 

「そう、そこに立っている少年だよ」

 

 まどろみの中で聞いた預言。

 

 遠くにいる上に手袋をしているせいで竜の紋章とやら見えないが、オレはほとんど、あいつが預言者の言っていた少年なのだと確信していた。

 

「勇者、か」

 

「ん? なんか言った、兄貴?」

 

「いや、別に。それよりさ、祭りに出かけないか? もう遅くなっちまってわりぃけどな」

 

 オレの誘いに、抱きついたままのマヤがさらに力を強めた。

 

「……本当にもう大丈夫なの?」

 

「ああ。妹に心配されるほど、兄貴って生き物は弱くねえんだ」

 

 妹の頭を優しく撫でると、面白いように頬が膨らんでいく。

 

「また子ども扱いして、せっかく心配してやって損したじゃん! ……でも、兄貴もおれも今日はぜったいあんせー!」

 

 マヤはオレをベッドに寝かせて、自分は横合いの椅子に座り直した。

 

「祭りは明後日まで続いてるから、明日にでも行けばいいよ。そのかわり、今日楽しめなかったぶんは二日で二百倍にして取り返す! もちろん兄貴にもついてってもらうからな!」

 

「……もうそんなに元気なのか。いつもながら調子がいいもんだな、マヤは」

 

 いつもの調子で軽口を叩きつつ、妹なりに未だ気分が優れないことを隠せないオレを気遣っての発言なのだと納得する。

 

 神父はオレたちを微笑ましそうに見ていたのが若干気恥ずかしい限りだったが、マヤが夜の祭りの風景を見ながら明日のルートを吟味して楽しそうにしている姿を見れば、彼女が無事でほんとうに良かったと胸を撫で下ろすばかりだった。

 

 夕暮れを越えた壇上はいま、大きな盛り上がりを見せている。

 

 衆目に片手を挙げて心なしか気まずそうに応えるアイツも、オレたちの見舞いがてらもう一度教会に来るだろう。

 

 その時には、改めて感謝を伝えないとな。

 




 このお話を書く前にSwitch版11Sのボイスドラマを聴いてカミュやマヤの口調などを確認し直したのですが、ロトゼタシア短歌大会がどこまで執筆の助けになってくれたのかはちょっぴり不明かもしれません。


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サラサラの18:覆す為の覇道

 今回のお話は、前回のカミュ視点の裏で行われていた主人公の奮闘に関するお話です。
 この辺りからはタグに記載していた独自設定が本格的に火を噴きはじめます。
 それでは本編どうぞ。


 

 時にはしっとり時にはしゃいで祭りを楽しみ、ついには日も傾いた頃。

 

 祭りは宴もたけなわというところで、音楽もより陽気で楽しげなリズムに変わっていく。

 

 それまでには色々なことがあった。

 

 あれからもう一度やってきたシャールを今度は控えめに丁寧に褒めちぎったり。

 

 垢抜けたセンスの洋服で着飾った妖艶なリーズレットらと合流して学者たちの出店していた古書展を見て回ったり。

 

 王家の正装に着替えたシャールと王の二人が参列する式典では国民の前でムンババがお披露目されたり。

 

 既に国民的マスコットとして定着するに至っていたムンババへ鳴り響く聖獣コールに彼女は得意のダンスで存在をアピールしていたりと、祭りは収束を迎えるにつれてさらに大きな盛り上がりを見せていく。

 

 そんな祭りの席の中。

 

 俺は左手の紋章が熱を持つのを感じて、とっさに手袋から光が漏れないように右手を被せていた。

 

「……どうしたんじゃ、イレブン?」

 

「紋章が光ってる。示している方向は────港?」

 

 以前に教会で祈った時にはもう邪神に関わるルビスのお告げはなかったが、クレイモランになにか明確な危険が迫っていることが、紋章の様子から見て取れた。

 

 俺は行動を共にしていたマルティナとロウにその旨を伝え、紋章が啓示するままにクレイモランの港へと急行した。

 

 たどり着いた港は今も陽気に続いている祭りの様子とは一変して騒然としており、船から積荷を出していた男たちはみな一様にどよめいていた。

 

「お、おい……どうすんだ」

 

「どうもこうもねえだろ。早く助けてやらなきゃあ、」

 

 死んじまう。

 

 強面のあらくれがこぼしたその一言に、身体がカッと熱くなる。

 

 俺だけが感じる紋章の啓示に基づいた第六感は、冷たく暗いクレイモランの海底を指し示していた。

 

『このままだと、誰かが死ぬ』

 

 一度死んだことのある俺は、あの時の耐え難い苦痛を思い出すだけで身の毛がよだつ思いがする。

 

 死神に刈り取られた首が、大きな車体に轢き潰された全身がぞわぞわと粟立って仕方がないのだ。

 

 だからこそ、俺の目の前で誰かが死ぬのを、指を咥えて見るわけにはいかない。

 

 あの苦痛から救う手立てが俺にあるなら、それは尚更のことだった。

 

 俺は着込んでいた服を一息に脱ぐと、その場にあった船の停泊用に使うであろう太いロープを片手にクレイモランの冷たい海の中へと飛び込んでいった。

 

「イレブンっ!」

 

「ロープを見ていて、合図を送るから! ……信じてる!」

 

 マルティナとロウが頷いてくれたことを確認したのを最後に、俺の視界は深い青色に染まる。

 

 船の行き交うわりには意外にも見通しのよい海に、潮の染みる目を気合で開けて辺りを見回しながら潜っていった。

 

 目に沁みる潮がなんだ、この程度ならドゥルダの修行のほうが何倍もキツかった。

 

 その修業を活かす機会だって、今を置いてほかにないだろうと、俺は俺自身に発破をかけながら抵抗の激しい海をかき分けて潜り続ける。

 

 手袋の中の紋章が暗い海の中でいっそう光り輝き、最低限の視界を補助してくれていた。

 

 この輝きは要救助者を示すものではなく、邪神、もしくは魔王の影響を受けた危険な魔物が近い証拠であることは気がかりだ。

 

 残念ながら、光が強ければ強いほどに、誰かに危険が迫っているという証拠にもなる。

 

 ただ、生きていてほしい。

 

 そう強く願いながら、光の強くなる方向へと潜水を続けていった。

 

 身軽さを考慮して現在は素手だが背に腹は代えられない。

 

 ここでは覇王斬のみで戦うことになるだろうが、先代であるローシュの編み出した、誰かを護るための奥義が使えるならばこれほど心強いことはないだろう。

 

 そうして水棲の魔物たちがちらほらと見え始めた頃のこと。

 

 ひときわ強く輝く紋章と同時に、赤い目をしたしびれくらげがふよふよとこちらにやってきた。

 

 赤い目は強モンスター*1の証だ。

 

 だが、ここまでの俺たちの隠密行動の効果によってデルカダールで未だ勇者の存在を悟ることなくのうのうと過ごしているはずのウルノーガが差し向けたにしては、あまりに時期が早すぎると思案した。

 

『……』

 

 さらに奇妙なことに、そのしびれくらげは俺を攻撃する様子はなく、複数ある触手のうちいくつかを使って海底を懸命に指しているようだった。

 

『もしかして……案内してくれるのか?』

 

 水中ゆえ声に出せないその言葉にも、しびれくらげは頷いた。

 

 なるほど、少なくとも、彼はただの魔物じゃないらしい。

 

 あてもなく探すよりもと彼についていくと、程なくして海底へとやってきた。

 

 そこには破壊され中身のぶちまけられた魚のタルと、それに群がる水棲の魔物たち。

 

 なによりその中心にいるのは、気を失った青い髪の少年と少女……ありていに言えばカミュとマヤの兄妹であることが容易に判別できた。

 

 こんなところで目的としていた人物に会えたのには驚いたが、そんなことは今どうだっていい。

 

 今にも消えそうな命がふたり。

 

 目の前のそれが誰であっても、俺は彼らを救うことに変わりはないのだから。

 

 俺の横合いについて来ていたしびれくらげは、ふたつの触手でファイティングポーズを取る。

 

 ふたりの兄妹と俺の間には、無数の魔物が群がっていた。

 

 救いたいなら戦え、ということか。

 

『……!』

 

 俺は片手に持っていたロープを身体に結び、その場で集中することでゾーン状態へと移行した。

 

 そして、超集中状態でのみ維持できる、今の俺に扱える中でも極限の域にある奥義を発動する。

 

『覇王斬』

 

 俺の手には、魔力を礎としたエネルギー体で構成された二振りの剣が握られていた。

 

 水棲の魔物たちは俺を確認するなり、邪魔者であると判断したのか一斉にこちらへ襲いかかってくる。

 

 水場は相手の魔物たちの独壇場で、呪文を唱えられないためにろくな補助もかかっておらず、仲間の援護も得られない。

 

 さらには、いつ死を迎えるとも知れない少年と少女を救うためにできるだけ手早く戦闘を切り上げる必要があった。

 

 率直に言って非常に悪い条件が重なりに重なっている、今まででも指折りの極限状況だ。

 

 いくら鍛えたとはいえど、どう考えたって分が悪い。

 

 そう分析する冷静な自分の心の内が、いまは彼らを見捨てたほうが自分の命を拾えると嘯いた。

 

 だが、俺は────、

 

『絶対に諦めない』

 

 そう、俺は────、

 

『こんな絶望的な状況を覆すために、備えて、鍛えて、ここまで来たんだ』

 

 心を熱く奮い立たせ、劣勢がなんだと竦む心に問いかけた。

 

 今こそ、俺が勇者であることの、その真価を発揮すべき時だろうが!

 

 覚悟を決めた俺の心に呼応するように勇者の紋章はかつてない輝きを見せ、海底を明るく照らす。

 

 この時、この瞬間に振り絞ったひとかけらの勇気。

 

 それが俺を勇者として次の段階に引き上げたのだと、後になって思う。

 

 今の俺なら、何でもできる。

 

 イメージするものは常に最強の自分だ。

 

 いままでで最高の状態に仕上がった領域(ゾーン)をほとばしらせながら、俺は魔物たちと対峙する。

 

 かくして戦端の火蓋は輝く海底にて切られた。

 

 まずは身を反り返し、勢いを付けたふたつの覇王斬を魚群に放つ。

 

 ブーメランのような軌道を描いたそれは、十数匹の胴体を撃ち貫いて、半数に上る個体を海の藻屑に変えた。

 

 戻ってきた覇王斬を一つにまとめて直剣型の覇王斬を形作ると、近くに群がる魔物の一体一体を撫で斬っていく。

 

 海の戦いは素早さがイヤになるほどに落ちるが、なんてことはない。

 ゾーンに入った今の俺ならば、誰がどこで何をしているのかが、手に取るように分かっていた。

 

 海中でさえうるさいほどに聴こえるのだ、獰猛で攻撃的な魂の音が。

 岩陰に隠れたって目障りなくらいに視えるのだ、俺を狙う魂のゆらめきが。

 

 それはすべての生ある者の魂を司る命の大樹と繋がる勇者の紋章の覚醒がもたらした奇跡だろうか。

 

 それは偶然にも、カミュとマヤの生存確認にも役立っていた。多量に水を飲んではいるかもしれないが……確かに、生きている!

 

 その事実だけで胸は暖かい鼓動を刻み、まだまだ俺が戦えると確信できる。

 

 ……しかし、そうして群がり続ける魔物を撫で切っていると、次第に呼吸が苦しくなってくる。

 

 陸の生物である人間が海中の水生生物と互角以上に戦える時間は短く、いくら精神力が保とうと限界はどんどんと近づいてくる。

 

 ゾーンが解ければ俺はこの紋章の覚醒状態もろくに維持できなくなるだろうし、さらには大量の脳への酸素と魔力供給を必要とする最集中によるゾーン再突入も、呼吸のままならない今は望みも薄い。

 

 視えているカミュたちの魂の生命力の低下もあり、できるだけ短時間で済ませる必要があった。

 

 いっそ冷徹なほどに彼我の戦力差を分析し、もう限界が近いのだと弱気になった自分を、俺はさらに奮い立たせ、肉体を騙し、鼓舞し続ける。

 

 捻じ切れるまで頭を使え。

 あらゆる手段で状況を好転させろ。

 

 絶対に諦めるな。

 お前の努力はこの為にあったんだ。

 

 だから────この逆境を────この帰結を────覆せ!

 

 大きく強い魚型の個体はいまだこちらに反撃するも、突進のタイミングに合わせて覇王斬を盾に変える。

 

 攻撃を完璧に受け止めた盾は勢いをそのままに二刀の三叉槍(トライデント)に変わり、大きく肩から開いた腕を振るい、魔物のエラを両側面からフォークよろしく刺し貫いて確実に息の根を止めた。

 

 ゾーン状態のおかげだろうか、状況を打破するための覇王斬の使い方が頭の中から無限に湧き出てくるように感じる。

 

 誰かを救うことだけに集中した時……勇者とはこんなにも力が湧いてくるものなのかと実感した。

 

 それは言ってしまえば数十秒にも満たない瞬殺劇。

 

 俺はついに最後の個体となった、他の魔物と俺との戦闘中にいきなり苦しみだした後に緑色の瞳の邪モンスターとなった、奇妙なマーマンと対峙した。

 

 彼さえ斬り伏せれることができば、あとの下っ端たちは無視して救出を優先できるだろう。

 

『発想力ノ柔軟性、奇ッ怪ナ魔力ノ理解ガ生ム安定性……ソシテナニヨリ、危機デコソ輝ク、ソノ圧倒的ナ光ノ力……育テバ……アノ、ローシュヨリモ、キケン……ダ』

 

『ナゼ、ルビスガ、コイツヲ呼ビ寄セタノカ……イマ、ココデ理解シタ……!』

 

『仕留メルナラ……"今"ダッ!』

 

 邪神の声が聞こえ、目の前のマーマンは凶暴性をさらに増した。

 

 マーマンは腕をかき乱し、乱しに乱した大水流を集めて散逸した刃に変えて牽制をしながら、水の抵抗などないかのように海中を泳いで、邪神に由来する闇の魔力を付与された鋭い両の凶爪を合わせてくる。

 

 救出を待つ彼らがいる限り、強力な邪モンスターの攻撃は一撃たりともまともに受けていられない。

 

 鎧を脱いだ現在の状態で喰らえば、それだけで救出しながらの浮上が困難なほどの致命傷になりうるからだ。

 

 さらには激しい運動によって危険域になってきた酸素量で、脳にも多大な負荷がかかってくる。

 

 一瞬だ。

 たった一瞬の判断が、俺の明暗を分けると悟っていた。

 

 そうしてぶつかり合ったマーマンとの最後の一合。

 

 俺が選んだ行動は、覇王斬の盾を二つ展開してマーマンの水刃と爪を確実に受け止め。

 

 返す刀で振るった二つの"大剣型の覇王斬"で、マーマンの首を胴を同時に刎ね斬ることだった。

 

『グ────マタ、シテモ、カ────グ、ガアァァアァッッッ!!!』

 

 勇者と邪神の宿命の戦いは、今回も俺が勝利を挙げた。

 

 ……だが、勝利そのものに価値はない。

 誰かを絶望から救いたい俺と、光を破壊したくてたまらない邪神とのぶつかり合いで、今回も俺が勝っただけのことだった。

 

 俺と邪神はぶつかり合い、いつでも俺が勝ち続ける。そうでなければ、俺の目的は果たせないようにできている。

 邪神も同じく、いつかは俺を殺さなければ闇の時代は始まらない。

 

 不倶戴天の宿命(ともにてんをいただかず)とは得てしてこういうものなのだと、今ここで改めて理解する。

 

 今後も起こる無数の戦いのうちのたった一つであるこの勝利にもし価値が生まれるとするならば、それはカミュたちを救えた時だけなのだ。

 

 切れかけのゾーンによる探知を頼りにカミュとマヤの反応を再度探し当て、噴き出したマーマンの血と邪神の断末魔なども意に介さず、俺は一直線に海底へ潜った。

 

 気を失って砂に半身を埋めかけていた二人を両脇に抱え、未だ長さには余裕のあるロープを必死でグイグイと引っ張る。

 

 正直なところ、激しい戦いの余波でここから人間二人を抱えて浮き上がるだけの息は残っていない。

 

 どうか、海面の彼らに気付いてもらえるまでアピールを続けながら、少しずつ悪あがきのように浮上を試みることしかできることはない。

 

 しかし、幸いなことにその数秒後、安心するような浮遊感とともに俺は海面へと緩やかに引き上げられていくのだった。

 

 

 

 

「おい、血が浮かんできてやがるぜ」

 

「あの子はどうなった?」

 

 どよめきが収まらない港で、マルティナとロウはただ祈っていた。

 

 ロウはクレイモランの冷たい海に老体が耐えられない。

 マルティナはロウを残せばイレブンの勝利の後にロープを手繰り寄せることが難しい。

 

 一瞬だけあった、海面にすら届く竜の紋章型の光の柱だけが唯一の無事の便りだった。

 

 託されてしまったがゆえに、太くたくましくも頼りないただの縄を持って信じるだけの自分たちのなんと無力なことか。

 

 二人はそのまま数分にも数時間にも、数日にすら感じた祈りを捧げ。

 

 しばらく後に、ロープがぴんと突っ張るような反応を見せた。

 

「イレブンじゃあっ!」

 

「引き上げるわっ!」

 

 ロウに続いてマルティナが叫び、すがる思いでロープを引っ張る。

 

 バイキングや寄港していた商人たちも助太刀を所望し、港にいたすべての人物が、幼い人命を手繰り寄せるべく力を合わせた。

 

 程なくして、海底まで垂れ下がっていたそのロープは港にその全貌を見せる。

 

 海産物の残骸と血にまみれたひとりの少年が、ぐったりとした二人の少年少女を両脇に抱きかかえている。

 

 魔物の住む海底に落ちたにも関わらず幸いに彼らは無傷で港へ引き上げられたのち、息を吹き返した。

 

「あ……みんな、まだこの子達を看てあげなきゃ」

 

「イレブン、それはあなたもでしょう! こんなに酷く冷たいのに……」

 

 意識を保っていたその少年は残る二人の介抱を買って出て、保護者であるという老人と年若い女性とともに、少年たちは教会に運び込まれた。

 

 無傷でピンピンしていると強硬に主張する少年は日の落ちてからしばらくまで彼らの介抱を続けた。

 

 未だ意識の戻らない青い髪の少年の前に、その妹であったらしい少女が起き、彼女は周囲の状況を把握したのち、自らを救った少年へと感謝を述べる。

 

『生きていてくれて本当に良かった』

 

 意識を取り戻した少女にそう言って微笑む少年の様子は、教会の神父をして慈愛に満ちていると言わしめるほどの、温かな一幕であったそうだ。

 

*1
魔王ウルノーガの影響を受けた魔物の総称。原種の魔物に比べてステータスが跳ね上がっている傾向にある。




 海底王国ムウレアの女王いわく、『最後までけっして諦めないこと』こそがこの世界における勇者の条件です。

 そして実際に絶望的な状況においての死闘で条件を満たしたイレブンは、ただの一般人から勇者として着実に覚醒しつつあります。

 しかし、その影響で大々的に海面から空中にかけて勇者を表す巨大な竜の紋章の光柱も現れてしまいました。
 これは果たして吉と出るか、それとも凶と出るでしょうか。

 それでは次回もお楽しみに。



 余談・本作の独自設定について(読み飛ばしていただいてもOKです)

 覇王斬→本来の覇王斬はこんな感じじゃありませんが、今後もこういうエネルギー兵器的な扱いです。変形次第で武器として装備でき、飛び道具にもなります。これは原作にてグランドネビュラなどの連携技を利用することで今作主人公の覇王斬よりどデカい剣をポンポン出せる本物勇者との差別化要素でもあったりします。

 勇者の紋章→絶望的な危機に陥った時でも勇者としてその場で奮い立つことさえできれば紋章と命の大樹との繋がりが強まり、強力な恩恵を得られます。ある種ご都合主義的ではありますが、原作内でもプロローグの段階でギガデイン相当の雷を放っていたこと、その他エトセトラの紋章の万能な覚醒描写を鑑みつつ独自に解釈させてもらっています。現在の明確なデメリットとしては、覚醒するとめちゃくちゃ目立つ巨大な紋章の光柱が空に浮かぶので、デルカダール=魔王ウルノーガに見つかりやすくなることが挙げられます。

 まだ覚醒してもデルカダール軍+魔王+デルカダール地下にいる魔王配下の魔物たちとの戦いは順当に敗北してしまいますので、今後はそういった点にも気を配ることになるでしょう。


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サラサラの19:激闘の顛末

 

 海底での死闘から少し経った頃のこと。

 

 カミュとマヤを助けたのち、俺はクレイモラン教会にてロウやマルティナに眼鏡を掛けた神父さん、そして幾人かこの場に残ったバイキングらとともに二人の看病を続けていた。

 

 当時は驚いている場合ではないこともあったが、救けた彼らが俺のクレイモランにやってくる目的でもあり、この祭りの中でもそれとなく行方を探していたカミュとマヤであったことについてはいったいどういう巡り合わせだと内心驚愕しきりだった。

 

 同時に、今回の出来事に俺が気付かずのほほんと祭りを楽しんでいたら、彼らは俺の知らない時分でひっそりと死亡していたかもしれないという事実にも同じくらいに肝を冷やしたものだ。

 

 だが、それはそれとして看病を続ける。

 むかし高熱を出した俺に前世の両親やペルラ母さんがしてくれたように、甲斐甲斐しく、壊れ物に触れるように丁寧に。

 

 時間にしてはそれほど大したものではなかったが、俺の意志で救おうとした人物が無事に意識を取り戻してくれるかどうか、看病している間もずっと気が気でない思いだった。

 

 俺にロープを託されたロウとマルティナも、海から俺が帰ってくるまではこんな気持ちにさせてしまっていたのだろうか。

 もしもそうならば、なんとも頭の下がる思いだった。

 こんな身のすくむような想いに耐えてくれていたことには改めて感謝しなければ。

 

「俺を信じてくれてありがとう」

 

 気付けば漏れていた二人への感謝に、ロウとマルティナは「帰ってくると信じていた」と鷹揚に返してくれた。

 つくづく彼らは器が大きく、大きなその背中に触れる度に尊敬が深まっていくばかりに思う。

 

 俺もぜひ見習って、どっしり構えられるようになりたいものだ。

 

 そして、ロープを手繰り寄せるための助力を行ってくれたバイキングたちにもひとしきり感謝の意を示したのだが、俺からの謝礼の証として、彼らは俺に酒の提供を要求した。

 

 彼らの間では、迷惑をかけたヤツは一杯奢るのがケジメの流儀だそうなのだ。

 

 それならお安い御用だ。

 

 D.R.Dの服飾と医薬品事業で貰える少なくない割合の分け前によって無数に転がり込んでくるポケットマネーの一部から、俺はバイキングに次の日の祭りで好きなだけ飲んでもらうことにしたのだった。

 

「おーおー小僧、言ったな? 子どもだからって俺たちに遠慮って言葉はねえんだぜ?」

 

 バイキングたちの目がキラリと光る。

 

「明日のタダ酒のためだ、カミュとマヤのヤツらを死んでもこの世に呼び戻してやろうぜ、お前たち〜っ!」

 

『ヤイサホー!』

 

 祭りの喧騒から離れていたはずの教会にたった数人とは思えない大きな掛け声が響き渡った。

 

 だが、神父がカチャリと眼鏡を掛け直した途端にバイキングたちがピタリと口を閉じる。

 

「治療中ですからお静かになさい。いつもあなた達に言っていることでしょう」

 

『ハイ、すんません神父さん……』

 

 いかに屈強な海の男たちといえど、深手も毒もベホマにキアリーとすんなり解決してくれる命綱である神父さんにだけは頭が上がらないらしい。

 

 今の一瞬で推し量られた彼らの間のギャップのある力関係に、俺は思わず笑みをこぼすのだった。

 

 それからほどなくして、まずはマヤの方から意識を取り戻した。

 

「お兄ちゃんっ! ……ぁ」

 

 マヤは起き抜けの開口一番に、兄であるカミュを案じて叫ぶ。

 辺りを見回してベッドに寝かされているカミュを見て安堵した表情を見せたものの、同じ部屋で看病をしていた俺やマルティナたちに気付くと彼女はみるみる顔を赤くした。

 

 マヤは普段はカミュのことを『兄貴』と呼んでいるが、咄嗟に出たのは『お兄ちゃん』。

 よほどそれが恥ずかしかったのか、たまたま距離も年頃も近かった俺を威嚇するように睨んでみせる。

 

「あんた、いったい誰なんだ?」

 

「俺はイレブン。そういう君は?」

 

 話を進めることで先程のお兄ちゃん発言を聞かなかったことにしたいのを察し、俺は自己紹介に応じる。

 

 マヤは布団で顎の辺りまでを隠しながら、質問に返答した。

 

「ん、マヤだ……よろしくな、イレブン」

 

 

 

 

 それから、耳まで真っ赤にしていたのを落ち着けたマヤと、様々な話をした。

 

 ロウやマルティナの自己紹介、救出にはバイキングの助力もあったこと、そして、話の流れは俺がカミュとマヤを助けに海へ潜った話へと移っていく。

 

「おれたちを助けたって1ゴールドの足しにもなんねーのに、なんで助けたんだ?」

 

 マヤは心底不思議そうに俺へと質問を投げかける。

 

 酒と冒険のロマンが絡んでいなければ徹底した損得勘定で動く過酷な北海のバイキング社会で生きてきたマヤには、俺がカミュと彼女のふたりを一も二もなく助けに向かった動機が理解できないらしかった。

 

「兄貴が助けに来てくれたのは覚えてる。でもさ……イレブン、おまえがおれを助ける理由なんてなかっただろ?」

 

 俺は、マヤの本当に不思議そうにするその仕草を、素直に悲しいと思った。

 

 この世には損得を無視した感情など存在していない、してはいけないのだと疑っていないようにも見えるその顔は、俺の身勝手な目にはあまりに不憫に映っていた。

 

 だから、そんなマヤに俺の想いを伝えるため、見据えて思ったままの言葉を口にする。

 

「困っている奴がいれば、助けるのは当たり前だからだ」

 

 前世のいつかで聞いた言葉の受け売りだ。

 だが、それが俺の信条を表すひとつのファクターであることは間違いないとはっきり言える。

 

 そこに損得など関係ない……それは想定外の返事だったらしいマヤはしばらく首を傾げて思案し、言葉を続けた。

 

「────それってさ、あんたがタダのものすごいお人好しだった……ってわけなの?」

 

「ああ、ものすごいお人好しだよ。自分で言うのもなんだけどさ」

 

 言い切った俺にマヤはきょとんとした表情で数秒固まった後、ぷっとマヤの口から息が漏れ出した。

 

「いしし……! なんだよそれ、ホントにさ!」

 

 マヤはツボに入ったようで、少しばかりの涙も流して笑っていた。

 

 実際、俺もここでその信条を宣言することで何かが吹っ切れたような気分だった。

 

 最近はルビスとの対話もあり、これから勇者としてどうすべきか密かに悩んでいたりもしたのだが……俺の本質はあくまで、おせっかいでお人好しであることなのかもしれない。

 

 自慢じゃないが、俺は人に迷惑をかけつつ生きてきた自負がある。

 

 前世で言えば親には苦労をかけたまま死んでしまった不孝者だし、今世でだって幼少のうちから修行に鍛治にと、養母のペルラの元にいた時間は一般的な子供にしては少なすぎるくらいだ。

 

 だから、俺は人を助ける。

 

 俺が助けた人たちが、大切な人と過ごせる時間を増やすため。

 

 俺は本当の勇者にはまだ遠いけど、マヤの言うように度を越えたお人好しとして、これを貫くと決めたのだ。

 

「ひー、笑った笑った……うん、これでスッキリした!」

 

 笑い涙を指で拭いながら、マヤは俺に向き直り、にまにまとした笑みでこちらを見る。

 

「それじゃ、おれが生きてて嬉しいんだ? イレブンは?」

 

 からかうような調子でこちらに問いかけるマヤ。

 俺は、まっすぐに彼女の目を見て言った。

 

「ああ、そうだぞ、マヤ。俺は君が生きていてくれて、本当に良かった」

 

「──っ!」

 

 マヤは手慰みに持っていた布団をいきなり顔に被せた。

 布一枚越しの防御態勢から、威勢のいい悪態が飛んでくる。

 

「~~~っ! もうさ、よくそんな恥ずかしいこと言えるよな、おまえ!」

 

 布団の盾の後ろから、マヤが声を荒げて罵倒する。

 恥ずかしいとは心外だ、実際これは本心なのに。

 

 マヤのそうした防御態勢は数秒続いた後、彼女ははおずおずと布団を下ろして、カミュをお兄ちゃんと呼んだ時のように赤くなった顔を出してくれた。

 

「おれからカネとかはやんないけどさ、兄貴だって助けてくれたし……おれだってそれが分かんないほどのばかじゃないし」

 

 マヤはそう言い捨ててそっぽを向く。

 

「とりあえず……ありがとな、イレブン」

 

 背けた表情はもう見えないが、編み込んだ青いポニーテールから覗く彼女の耳はほんのりと赤く染まっていた。

 



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サラサラの20:願って始めた物語(ハッピーエンド)

 

 マヤの起床後もいまだうわ言を繰り返しながら眠るカミュを看病していたとき、今回のムンババのクレイモラン帰属に関わる功労者として壇上に立つように近衛兵が案内に来る。

 

 彼らはこの祭りの間は諸々の警備対応や王の演説の準備にかかりきりであった。

 そのため、教会に来たとたんに満身創痍の俺の姿を見てしまい、たいそう顔を青くしていた。

 

 登壇を打診されて承諾した手前はあるものの、出番があるまではこの祭りを楽しんでもらうべく彼らは俺たちにノータッチを貫いてくれていたわけなのだが。

 

 それが災いして曲がりなりにも来賓である俺たちを不祥事に巻き込んだかと戦々恐々しているようだった。

 

 しきりに頭を下げようとする彼らを安心させるため、俺は満身創痍の風体は見かけ上の話であること。

 加えて、結果としてはなんてことのない無被害の勝利であったことを報告する。

 

 大丈夫。こんな怪我はホイミで治るくらいのものなのだ。

 

 だが、近衛兵たちは納得しつつも複雑な感情を顔に載せ、「あなたの偉業は称えられるべきですが……あまり無茶をしないでください」と訴えられ、逆に俺が彼らに平謝りする形となった。

 

 こればっかりは無茶をした自覚があるので申し訳ない。

 同時にロウにも「これ以上寿命を縮めさせんでおくれ。次からはせめて側で共に戦わせて欲しいのう」と釘を刺されてしまう。

 

 その意見を全面的に肯定して頷くマルティナも併せて、俺は二人にも同じく平謝りする形となったのだった。

 

 壇上に連れられる際にもカミュの意識はいまだ戻らなかったが、彼が海水を吐ききってからの容態と呼吸は、夢を見ているかのように静かに安定していた。

 

 時折「マヤ……」といったうわ言が飛び出るたびに当のマヤはキョロキョロと周囲を目だけで見て顔をほんのり赤くしていたが。

 

「夢の中でも妹の心配とは、いい"お兄ちゃん"だな、マヤ?」

 

「うっさい、わざわざ口に出すなっ! 兄貴とイレブンのば〜か!」

 

 打てば響くマヤをからかうと、さらに赤くなったその顔をずいと寄せてガンを飛ばされる反撃にあう。そんなことしても可愛いだけだぞ。

 

 自分と俺とが同い年だとわかってからのマヤは、最初はあった俺に対しての遠慮もほとんどなくなっていた。

 

「わかった、降参するよ」

 

「いしし、思い知ったか!」

 

 俺の降参を承諾したマヤは一転、快活で愛らしい笑顔に戻る。わはは、素直で()いやつめ。

 

 まぁ、かわいらしいマヤの反応を見るためならバカと呼ばれようとやぶさかじゃないと実は内心思っていたが。

 こういった場合の沈黙はいつも金であることを俺はよく知っていたので、マヤにはそれを黙っておいた。

 

 こうして彼女の微笑ましい怒りを一身に受ける至福をひとしきり堪能した俺は、続いての看病を一旦神父さんに任せて教会を去る。

 

「マヤが起きたし、カミュも神父さんにかかりゃ助かるに違いねえ。これでひとまず安心ってわけだ! それじゃ、明日のオゴリを楽しみにしておくからな」

 

 残っていたバイキングたちも俺たちと同時に教会を去り、停滞していた船仕事に戻っていった。

 

 余談だが、バイキングたちは去り際にロウと固い握手を交わしており、いつのまにかロウと仲良くなっていたようだ。

 

 いつ彼らは仲良くなったのか、そもそもそんな時間はあったっけ。

 

 そう思わせるほどの打ち解けぶりこそ王の立場を隠しながらも各地に強力なコネを築いてきたコミュ力お化けの為せる業か。

 

 前世を含めても未だ貧弱なコミュニケーション能力しか有さない俺はロウの辣腕に感心するばかりだった。

 

 

 

 

 壇上に呼ばれたのは俺とロウとマルティナ、お馴染みとなったいつもの三人組だ。

 

 城内にある来客用の一室に入って個々人に今回限りで付いて下さった侍女の方にある程度の身だしなみを整えてもらい、城の外目に設けられた壇上に登る時がやってきた。

 

 今回の紹介はムンババとリーズレットのクレイモラン帰属の経緯に関するカバーストーリーの一環であり、俺はいわゆる「ムンババと心を通わせ、魔女リーズレットを改心させた天才少年」的な立ち位置となった。

 おい、どんな設定だ。

 

 ムンババについてはまぁいいとして、さらっとリーズレットの件まで盛られてしまった。

 しかし、王家であるシャールや王が危険な古代図書館にお忍びで出向いたとは言えないためその辺りは仕方がないと言える。

 

 とはいえこう言った名誉を得る機会はのちのユグノア復興に役立つし、デルカダールに届かない限りいくら有名になっても困ることはないだろうとも思う。

 

 クレイモラン王はその辺りに関して抜かることもないだろうという信頼も含めて、今回の登壇は成り立っていた。

 

 壇上でやや過剰ぎみな演説のもと紹介された俺は、わくわくと撫でられ待ちのおすわりをするムンババの大きな顎をひと撫でする。

 

 気持ちよさそうに撫でられる感触を楽しむムンババの姿に、国民たちはワッと大きな歓声を上げた。

 

 うう、こうして一挙一動を見られる機会なんてニマ大師とサンポくんにつけてもらう修行以外でなかったから、とてもむずがゆい。

 

 特に、もっと撫でてほしいと寄りかかってきたムンババとの距離が想定以上に近づいたことにより壇上でたたらを踏む粗相があっても「かわいい〜!」のひと声で済むところとか。

 

 ニマ大師なら「想定が甘いよ!」とお尻叩き棒が飛んでくるところだ。これでは調子が狂ってしまう。

 

 むしろ、一挙一動にお尻叩き棒という名の愛の鞭が飛び交うドゥルダの修行によって調子が狂った可能性も考える必要があるかもしれないが、それは鶏が先か卵が先かというヤツに違いない。*1

 

 ロウに関しては慣れたもので、この祭りの仕掛け人としてD.R.D商会の宣伝も嫌味なく盛り込んだスピーチを披露する。

 

 マルティナについても10歳の頃までのデルカダール王女としての英才教育の賜物か、改心する前の魔女と渡り合った気品ある武闘家として完璧に国民の期待に応えていた。

 

 こういうところで元王族であるという経歴は有利に働くのだなぁとしみじみ思う。

 国民と人心の何たるかを熟知してい期待に応えるその様子は、俺の目にもキラキラして格好良く映った。

 

 そうして二十分程度で俺たちの出番は終わった。

 後は更衣室に戻って着替え、カミュの様子を見に教会に戻るのみだ。

 

 しかし、元を正せば俺も肉体的には王族だが、中の魂はいいとこ中流階級の小市民だった。

 ユグノア復興に向けてこういう場にも慣れていかなければと頭ではわかっているのだけれど、やはり未だに慣れはしない。

 

 壇上のパフォーマンスが終わった段階になった途端、俺はなんだか海底での死闘よりも疲れた気がしていたのだった。

 

 

 

 

 壇上を降りて城に戻り衣装を返却してから教会に戻った時、カミュは既に意識を取り戻しているようだった。

 

「お前がイレブンか。マヤがずいぶん入れ込んでるからどんなツラしてるのかと思ったが……だいたい聞いてた通りの雰囲気だな」

 

「ちょ、兄貴! こいつなんかに入れ込んでねーよ! ヘンなこと言うなって!」

 

「ま、そういうことにしとくか。……ところで、オレはカミュだ。今回の件、マヤと俺を助けてくれてありがとな」

 

 妹をからかう兄の顔から一転し軽薄そうでいて実は生真面目な彼本来の表情に戻ったカミュ。

 彼はベッドから身体を起こした体勢からではあるが、できる限りの誠意で俺に頭を下げてくれた。

 

「頭を上げてくれ、カミュ。俺の方こそ君が生きていてくれて本当によかった」

 

 俺の言葉を受けて、頭を上げてくれたカミュは俺とマヤを交互に見てから、こちらに向かって小さく頷いた。

 

「オレは、お前に妹と自分の命を救ってもらったデカい借りがある。だから、オレに出来ることがあるなら何でも言ってくれ」

 

「ん? それって本当になんでもするってことなのか?」

 

「ああ、何でもやってやる」

 

 カミュとマヤは俺の言葉を静かに待つ。

 一度は冗談めかして返したものの、彼らは真剣そのものだ。

 何でもする、という言葉を軽く捉えている様子はなかった。

 

 ……彼らは命を助けられた借りには命より重い代償があると考えているらしい。

 それも過酷なバイキングの船で幼少期から下働きしてきた影響だろうか。

 

 いま、二人の想像の中での俺はどんな鬼畜となっているのだろう。

 彼らはまるで地獄の沙汰を下す閻魔を前にしたように縮こまってしまっていた。

 

 これから命の代金として1億Gの借金を負わされてたった0.1Gぶんの価値しかない紙切れが通貨となる地下労働施設にて不可逆の転落人生を送る、とか。

 

 そう思っていてもおかしくないような表情で、ときおり目を伏せながらこちらの様子を固唾を飲んで見守っていた。

 

「何でも、ね」

 

 まぁ、もちろん俺はそんな上述したような帝愛グループめいたことを彼らに対して望んでいるわけもない。

 

 過去にどういう経験をしたらこうなるのか、原作における彼らを知る俺でも描写されていた以上のことは知りようもない。

 

 だが、これから知ることはできる。

 

 無意識に苦虫を潰したような表情をしてしまっていた彼らとは対照的に、俺は努めて明るくあっけらかんと言葉を返した。

 

「ならさ、俺と友達になろう」

 

「「……は?」」

 

 カミュとマヤの素っ頓狂な声が重なる。

 それはもう、俺の返事が心の底から理解の外であったかのように。

 

「俺さ、同年代の友達がホントに少ないんだ。幼馴染はいたけど、小さな村だから家族みたいなもんだったし。だからさ……まずは明日、俺とカミュとマヤの三人で一緒に祭りに行かないか?」

 

「……お前、マジで言ってるのか? 命を助けた借りの精算が、お前と友達になるだけでいいってのかよ?」

 

「ああ」

 

 良いに決まっている。

 俺の即答に、カミュは目を見開いてい驚きを強めていた。

 

 お礼で友達になるというのも妙な話だが、実はこれを彼らに願ったことは、俺としても意外だった。

 

 ただの勧誘としてなら「仲間になろう」でも「お前たちをスカウトしたい」でも良かっただろうに、するりと口をついて出たのは「友達になろう」という言葉だったのだ。

 

 俺が助けてあげられた人と笑いあえる機会があるならそれ以上のことはないと思っているし、実際にとても魅力的なことだ。

 

 綺麗事で始めた行動には、同じ綺麗事のハッピーエンドこそがふさわしいという俺の個人的なポリシーもそこには関わっている。

 

 しかし、なによりもこの言葉がつい口からこぼれ出てしまったのは。

 この世界に転生してからというもの、俺はどうにも寂しがりになっていたからだろうと自認する。

 

 理不尽な死は前世を奪った。

 親も友達も否応なくまるごとおさらばし、前世の彼らを覚えているのはこの世界でたった一人。

 

 人に忘れられることが真の死だというのはメキシコに伝わる死生観だ。

 

 それをもし今の俺に適用するならば、前世の地球まるごとの生死を一手に担ってしまったかのように当時の俺は感じていた。

 

 この世界に馴染んだ今も、それなりに幸せでそこそこに満たされた地球の生活がときおり恋しくなることだってある。

 

 ユグノアを復興したいと思った動機も、故郷を失ったのが他ならぬ自分自身でもあるからこそで。

 彼らの悲劇を他人事に思えず、せめて人々の記憶が故郷の風景を忘れないうちに復興を果たそうと思ったからであるほどだ。

 

 本当なら自分が死を迎えたことで前世のことなんて覚えていられるはずもなかったけれど、奇しくも転生したことで俺は形を変えて生きている。

 

 転生したての頃、俺の精神はもっと幼い肉体に引っ張られていた。

 そんな時期に前世とはいえ"繋がりを全て失った"経験が重なれば、元来よりも寂しがりな性格に育つのは当然の帰結というわけなのだった。

 

 ……冷静に自己分析しておいてなんだが、マジで恥ずかしくなってきた。こういうのは顔に出てないといいのだけれど。

 

「マジか、お前……」

 

「ばかだとは思ってたけど、ホントにばかなんだな……?」

 

 そうした俺の心情や由来も当然ながら出会ったばかりの彼ら兄妹は知る由もない。

 自身の背負った借りに対して等価とは思えない条件だと思っているのだろう二人はあんぐりと口を開けたまま固まっていた。

 

 後ろでそれを聞いていたロウとマルティナは、鍛冶作業をしている時でさえ常に誰かと同じ空間にいることを選ぶ俺のクセを知っている。

 実に俺らしいお願いだと、彼らは二人して苦笑していた。

 

「うーん……やっぱり変かな? 助けたお礼に友達になって貰おうってのも……」

 

「いや、そっちじゃねぇよ! だいたい友達ってのはきっかけよりその後の方が肝心だからな、って危ねぇ! もう乗せられかけてんな、お前のペースに……」

 

 カミュは驚きの表情を戻してビシッとこちらにツッコみ、すぐさま再度思案にふけっていった。

 恐ろしく素早い切り替えだ。さすが未来の大盗賊といったところだろうか。*2

 

「カミュ、マヤ。二人がいいって言ってくれるなら……俺と、友達になってくれないか?」

 

 俺は勇気を振り絞り、二人に改めて問いかける。

 

 そして、二人はそれなりの逡巡があるのだろうか、数秒だけ沈黙する。

 その後に兄妹揃って顔を見合わせ……ドッと二人から笑いが漏れた。

 

「っははは! ……お前はお人よしなんだろうとは思ってたが、ここまでのもんならもう降参だ! いいぜ、なってやろうじゃねえか! 友達ってやつに!」

 

 カミュは片腕をグッと体の前で握り込んで、気合の入った返事をくれる。

 

「いしし……! おまえ、そんなんじゃいつか大損するぜ! でも、そうか……いいよ。おれも兄貴も、イレブン、お前の友達になってやろーじゃん!」

 

 マヤはベッドの上で足を崩して座ったまま、こちらをからかうようでもある快活な笑みで承諾の意を示してくれた。

 

「笑ってくれて嬉しいよ。じゃあ、明日の祭りは……」

 

「「もちろん!」」

 

 二人の声が揃い、同時にニッと屈託のない笑顔を見せてくれる。

 

 こうして、海底の死闘を終えた俺には、二人の"友達"ができたのだった。

 

 

 

 

 それからしばらくはロウとマルティナも交えて俺たちは日が落ちるまで談笑して過ごした。

 

 神父さんのご厚意で隣合わせのベッドを三つ貸し出してくれたため、俺は二人と同じく教会で寝泊まりすることになり、宿に戻るロウとマルティナと別れ、三人で様々な話をして過ごす。

 

 明日の祭りについて、お互いの好きなもの、好きなこと。そして、これまでの自分たちについて。

 

 同世代の気安い友人。

 幼馴染のエマや同門の士のサンポくん、王女のシャールともまた違った関係性がそこには生まれていた。

 

 カミュとマヤは本来の俺と同じ、由来も知れない雑草の生まれだ。

 俺たちはすぐに打ち解け、途中から教会のベッドで横になりながら、年相応のくだらない話も沢山した。

 

 勇者で王族な悪魔の子、そして本当は転生者。

 他人との近しい共通点なんて実はほとんどないのが今の俺だ。

 

 そして、それはもちろんカミュやマヤたちにも未だ隠しているのは紛れもない事実だ。

 

 しかし、そんな俺の負い目があることに薄々勘づいているであろう彼らは、それを気にすることはしなかった。

 勇者で王族で悪魔の子で、寂しがり屋の10歳の少年。

 わりとしょうもないことを日々考えていたりするタダのイレブンとして接する彼らとの交流は、俺にとっては何かが救われるような心地だった。

 

 そうやってついつい長く話し込んでいるうちにいつしか目蓋も重くなってゆき、誰ともなく深い眠りについていく。

 

 夜が明け、窓から差し込む太陽の光で目が覚めて祭りへ向かう支度を整える頃。

 俺たちは互いに何の憂いもてらいもなく、素直に"友達"と呼び合えるほどに仲を深めることができたのだった。

 

*1
おそらくそういう話ではない。

*2
おそらくそういう話ではない。




 死闘のその後・マヤ編に続いて兄のカミュ編でした。
 そして二人の加入回と並行しつつ、実はけっこう寂しがり屋な本作の主人公イレブンの勇者として以外に持ち得ている本質的な心情部分について着目した回でもありました。



・余談(読み飛ばしてもらって構いません)

 三つ子の魂百までと言いますが、なんと二度に渡って子ども時代を過ごした転生者という特殊な立場で、故郷を離れて修行漬けの"離れ離れ"な生活を送っていた彼の選択は、彼自身が思っている以上に幼少の肉体に紐づく本当なら幼い状態から成長していくはずの精神に少なくない影響を与えていたりするのです。(カミュ・マヤ救出回の『人の死に対する忌避』の描写についてもその一環です。)

 だからといって彼自身は子供であると同時に大人でもあるため大それたトラウマとしては表出しませんし、ドゥルダでの滝行や自分を見つめるための瞑想などでそういった乖離についても俯瞰して理解し、ある程度の折り合いをつけて過ごしていますが、そんな彼の自制心が休眠している時間である、無意識に近い寝ぼけた状態で起床した時、二度寝を敢行する際にロウやマルティナの寝袋に誤って入ってしまったりするなどの恥ずかしい癖が残っており、イレブンはそのことを"もういい大人なのに!"と本当に恥ずかしがっていたりするようです。


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サラサラの21:聖地ラムダの衝撃/マヤの意外な才能

 

 前回から時を少し遡り、ある日の夕暮れ時のこと。

 

 ゼーランダ山の中に成立した神語りの里、聖地ラムダ。

 勇者の伝承を語り継ぎ命の大樹を護ってきた()の地にはいま、大きな転機が訪れていた。

 

「あ、ああ……あああアレは────!!!」

 

 聖地ラムダの長老ファナードは彼の人生において最大の衝撃を受けていた。

 普段の彼はたっぷりヒゲを蓄え高位を表す紫縁の僧衣を着込んだ柔和な老人といった風体で、大きな愛で里を包みながら微笑みを絶やさず暮らしていた。

 

 いまはそんな普段の彼の姿とはほど遠く、里の誰もが見たことのないほどの動揺を隠さないまま、ファナードはしきりに空を見上げていた。

 

「長老どの、今日もお散歩ですか? 先ほどまで少し雲もあったのに、いきなり吹き飛ん……で……」

 

 聖地ラムダに暮らす穏やかな夫妻が、驚きに目を見開くファナードを見つけ、気さくな挨拶を飛ばす。

 しかし、彼の様子はいつものような落ち着きが一切見られないようで、夫妻は訝しむ。

 

 試しに視線にファナードの見つめていた空を見てみることにした夫妻が上を同じく見上げ……ファナードと同様にその場へ縛り付けられてしまうのだった。

 

「あ、あなた……あれって、もしかすると……!」

 

「そんな、まさかっ!」

 

 夕暮れも近いこの時。

 彼らはまだ10を数えたばかりの双子の娘達を迎えに遊び場である静寂の森へと向かっている最中であったが、一時はそれも頭から抜け落ちるほどの衝撃が空に描かれた紋章によって走ったのだった。

 

「う────うーん……」

 

「あっ! ちょ、長老どのっ!」

 

 ファナードは空を見たまま気を失い、くらりと後ろ向きに卒倒する。

 

 空を見てはいたものの、出会った時から既に様子がおかしい長老を注視していたためにいち早く気付けた夫妻は、何とかファナードの老体を抱きとめ、彼を石造りの敷床に打ち付けてしまうのを避けることに成功する。

 

 抱きとめられたファナードは、どうやらそのまま気絶するように眠ってしまったようだった。

 

「長老どのはわたしが運ぼう。おまえはベロニカとセーニャを迎えに行ってあげなさい」

 

「ええ、あなた。……ついに、この時がやってきたのですね」

 

 ファナードをおぶって彼の住居に運ぶ準備をする夫に返事をしながら、妻は無意識に唇を引き締めて空を見上げる。

 

「勇者の象徴たる竜の紋章が空に現れたことの意味────それは、彼女たちにもよく分かっていることでしょうから」

 

 聖地ラムダの双賢の姉妹は、やがて現れる勇者を護り導くために生まれてきた。

 大いなる運命を持って生まれた我が子、幼くも利発で才気あふれる彼女たちの、あまりにも早い旅立ちを予感していた。

 

 

 

 

 ──同刻、ラムダの外れにある静寂の森にて。

 

「も~い~い? うまく隠れたかしら、セーニャ~?」

 

「も~い~ですわよ~、ベロニカお姉さま~」

 

 素朴で楽しげなかくれんぼの掛け声が、のどかな森の空き地に響く。

 木の幹に顔を寄せる姉のベロニカは、妹であるセーニャがかくれんぼに最適なスポットをマイペースに探しているのを、いつものように待っていた。

 

 せっかちなベロニカも妹を待つことにかけては慣れたもの。

 ここまで待たせていたのだからきっといい場所を見つけているでしょう、今回もえらくのんびり隠れた妹探しに意気込んで振り向いた。

 

「すぐに見つけて見せるわよ、セーニャ!」

 

 そんなベロニカの声を聞きながら、セーニャは声が漏れてしまわないように口元を抑え、いつ姉が自分を見つけてくれるのかと想いを馳せてはにかむ。

 険しい山間という地理上の理由からか、自然と道具のいらない遊びを好んでいたこの姉妹は、夕暮れ時となった本日最後のかくれんぼ対決を心から楽しもうとしていた。

 

(うふふ、今回はいい場所を見つくろったんです。いかにお姉さまと言えどいつものようには──)

 

 そう声を殺して暗中に息をひそめるセーニャだったが、

 

 ──ぐぅ、きゅるるるる。

 

 これはいまが夕暮れ時で、おやつを食べたのも数時間前になるからだろうか。

 

 本来ならばほんとうに見つけ難い場所であった、ベロニカが軽く見回してもなお死角にある草むらの陰で、不運にも大きな腹の虫が鳴く。

 ベロニカは小さな肩を竦め、やれやれと仕方なさそうに、少しだけ慈しむように嘆息した。

 

「すぐに見つけてあげるから、その後は夕食を食べに帰りましょ、セーニャ?」

 

「はぃ……」

 

 声を頼りに優しく草むらをかき分け、「今回こそは」の自信を打ち砕かれたせいでうなだれていたセーニャを、ベロニカは髪に付いた草葉を取り除きつつ励ました。

 気を持ち直したセーニャは、ベロニカの差し伸べた手を掴んでおしとやかに立ち上がった。

 

「それにしても、今日はお父さまとお母さまが遅いですね」

 

「そうかしら? ……ま、いいじゃない。今日は先に自分たちで帰って、ふたりを驚かせちゃいましょ!」

 

 ベロニカとセーニャ、双賢の姉妹は顔を見合わせて笑い合った。

 

 その時。

 姉妹を見下ろすように空へと巨大な紋章が表れていたことを────物心つく頃には受け入れていたその運命がついに自身らのもとにやって来たことを、彼女たちは後になって知ることになる。

 

 

 

 

 海底の死闘から一夜明け、聖獣祭も半ばに入った二日目の朝。

 

 ロウ、マルティナの献身的な看病や神父さんの祈りに適切な回復呪文、さらにはたっぷりと睡眠を取ったことによって海底に沈んだり潜ったりといった影響をすっかり快復させた俺とカミュとマヤの三人は、引率としてマルティナに連れ立ってもらいながら、全力で二日目の聖獣祭を楽しんでいた。

 

「遅れんなよ兄貴、イレブン!」

 

「お前は勝手に先へ行きすぎだっての……」

 

 後頭部をポリポリと掻きながら呆れたように駆けていくカミュ。

 今日の二人には資金の問題は考えずに楽しんでほしいと、俺から少し大きめの金貨袋を渡していた。

 カミュの方は遠慮がちだったが、マヤはこういう時に遠慮するタイプではないようで、袋に詰められた金貨以上に目を輝かせながら、カミュや俺を引っ張っては片っ端から屋台を攻略していった。

 

 昼時も近くなってきたものの屋台メシで常に小腹が満たされている現在。

 今回の祭りを楽しみにしていた筆頭たるマヤはというと、ムンババのお面を頭に装備し、バイキングのサーベルのような形の柄つき風船を片手に、もう一方の手に持つ俺がおすすめしたソーダ味のスライムわたあめを美味しそうに頬張りながら、次は射的で遊ぶつもりであるらしかった。

 

 ここまでしっかり遊んでくれると、軍資金を出したこちらとしても気分がいいことこの上ない。

 

 前世の俺は昔、親戚たちはなぜ俺にお年玉をくれるのか疑問に思ったことがある。

 祖父や祖母ならいざしらず、盆と正月くらいでしか出会わないはずのいとこ方の親戚までお金をくれる謎の行事。

 

 それは一体なぜなのかと首を傾げていたものだが、その疑問にいま終止符が打たれた心持ちだ。

 なるほど全てはこういうことだったのか、と。

 

「兄貴、これ持ってて!」

 

「おい、待て……って、おま、これ食べかけじゃねぇか!」

 

「あとで食べるから横取りすんなよー!」

 

「だれが食うか!」

 

 射的に挑戦するマヤに荷物をすべて持たされ、見た目はお祭りを一番楽しんでいる男に早変わりしたカミュ。

 

 妹の傍若無人ぶりに半ば呆れつつも、あらくれから弓を貰って真剣に引き絞るマヤの姿には慈しみを含んだ優しい笑みを浮かべていた。

 

 かくいう俺も、自分の救った子どもが元気に遊ぶ光景なんてなかなか見れるものじゃない。

 どうしても気分は後方で腕を組み、孫を見守る好々爺のものとなっていた。

 

「いやぁ子どもは元気だねー、マルティナさんや」

 

「なんでいきなり老けこんだ物言いをしているの、イレブン?」

 

 子どもが子どもらしく楽しんでいるのを見れるのが嬉しいからですよ、マルティナさんや。

 そうこうしているうちにマヤの残弾が切れたようで、カミュにせがんでもう一回のチャレンジをねだっていた。

 

「ふふ、イレブンだって子どもでしょう? 私は後ろで見てるから、あなたも一緒に楽しんできてね」

 

 ニヨニヨとカミュマヤ兄妹の戯れを観察していると、マルティナがぽんと俺の背中を押す。

 不意の軽い衝撃に前によろめくと、カミュがこちらに気付き、こっちへ来いよとハンドサインを送ってくれる。

 

 そういえば俺はまだ子ども、この場の真の後方腕組み勢はどうやらマルティナであったらしい。

 ならば、子どもなりに出来ることを、今、楽しんでおかねばなるまい。

 

「行ってくるよ」

 

「ええ、いってらっしゃい」

 

 俺はマルティナの優しい笑顔を心のスクリーンショットに収めつつ、ふたりの兄妹のもとへ駆け出した。

 

 

 

 

 聖獣祭も折り返しを越えて久しい時分。

 俺たちはレストラン側が祭りのために一時的に増設していたテラス席の一角で、午前中の最後に向かった射的の戦利品を数えつつの昼食を摂っていた。

 

「ひい、ふう、みい……本当にすごいな、俺の取った分はもう弾切れだよ」

 

「こっちもだぜ、イレブン。まぁ分かってたことだが、オレたち三人の射的対決の優勝は──」

 

「いしし──このおれ、マヤさまだっ!」

 

 マヤは机いっぱいに射的の景品を広げ、歯を見せてにかっと笑った。

 

 弓による射的縁日で行った射的対決。

 一回五発でワンセット、それをローテーションしつつ三回に分けて景品数で勝負する形式で、合計の弾数は十五発だ。

 

 俺の景品獲得数は合計6個。

 景品の内訳は主に菓子類で、高級菓子や甘すぎないお茶菓子もラインナップに含まれていた。シャールやロウへのお土産にと優先的に狙っていたので、危なげなく取れて少し嬉しい。

 

 菓子箱そのものがやや重いため景品数こそ伸ばせなかったが、3発に一個以上は取れている計算だ。

 ドゥルダでの厳しい修行や邪神に憑かれた邪モンスター狩りで鍛えた分のアドバンテージか、狙いも精度もまぁ悪くはない方ではないだろうか。

 

 ……だけれど、そんな自画自賛は慰めにもならないほどに、のちの大盗賊カミュの器用さの前には俺の結果は一枚も二枚も格落ちであった。

 

 そんなカミュの景品獲得数は10個。

 景品の内訳に統一感はなく、とりあえず落ちそうでそれなりに的がデカいものを手堅く狙うスタイルだ。

 

 はじめは二発ほど景品そのものに当たらず矢が素通りしていくミスもあったが、その後は何かコツを掴んだのか全て的に当てていた。

 

 そもそも扱いの難しいブーメランを両手で威力の遜色なく扱うことのできるような神業をのちに成し得る器用さの片鱗が垣間見えた瞬間だった。

 

 そして、今回のMVPとなったマヤ。

 

 その景品獲得数はなんと────21個だった。

 

 ……ん、弾は十五発だっただろうって?

 

 もちろんそうだし、景品も21個だった。何を言っているのかわからねーと思うが、俺もマヤが何をしていたのか全く分からなかった。

 

 "おれ、あの列はいっぺんにイケる気がする!"

 

 それまでも景気よく狙っては一発一個単位のハイペースで記録を重ねていたマヤはいきなりそう言うと、目を閉じてふうと息を吐き、大きく鼻から空気を吸い込んで肺を満たしてからギンと目を見開いた。

 

 その瞬間、彼女の宝石のような瞳に青い閃光が伴う。

 マヤから発せられる獲物を逃さぬ威圧感は、ゾーンに片足を突っ込んだような驚異的な集中力を発揮していた。

 

 そして、集中したその状態から引き絞って放たれた矢は、おもちゃの弓で撃ったとは思えない精度と速度でひとつ目の景品である左端にあったスライムサブレの菓子箱に命中した後、固い缶だったからなのか先を潰した射的用の矢がびょいんと弾かれて真横に軌道を曲げてしまい、その後は景品の上を跳ね回るようにして次々と一列6個に並べられていた景品たちを宣言したとおりにすべて落としてしまったのだ。

 

 "いしし、やった! すごいだろ兄貴、イレブン!"

 

 "うん、凄いぞマヤ!……うん、だけれど……凄すぎないか? 正直、俺の気持ちは感心を飛び越えてるよ"

 

 "いや、オレもたまげたぜ。確かに石切り遊びなんかはオレもマヤも得意だったが、まさかの才能の発見ってヤツだな"

 

 "へへん、そうだろそうだろー! もっと褒めてくれていいんだぜ!"

 

 屈託なく笑ってこちらを見るマヤに、俺とカミュは驚愕を禁じ得ないまま顔を見合わせていた。

 

 その後も百発百中で景品を落とし、途中でまた二個の景品を同時に落とし、最後には誰も当てられないに違いないとタカをくくって置いていたのだろうちいさなメダルすらしっかり命中させたのを見た瞬間に、屋台の前には店主のあらくれが「もってけドロボー!」とあらくれマスク越しにも分かるほどに男泣きしている光景だけが残っていた。

 

 ────と、ここまでが軽い回想シーンというヤツだったのだが……つまるところ、マヤにはなんと弓の才能があったらしい。

 

 原作内の旅の仲間たちに弓使いはいない。

 

 もちろん過去のドラゴンクエストシリーズにはちらほらと使い手はいるものの、このロトゼタシアを中心としたⅪにはいなかったはずなのだが……まさかこんなところに弓の才を持つ人物がいたとは盲点だった。

 

 確かに両利きのブーメラン使いや二刀流剣士になり得るカミュの妹であるためにその器用さについては納得する部分も多々あった。

 

 ……だが、才能の片鱗を見せた張本人はその事については至極どうでもいいらしく。

 

 当のマヤは払った金額以上の景品を大量獲得したことに気を良くしながら、ほくほく顔でその瞳を輝かせていたのだった。

 

 





 聖獣祭二日目、しっかり楽しむ子ども組、さらに双賢の姉妹の匂わせ風味の回でした。



余談:マヤの弓に関する描写について(読み飛ばしていただいて構いません)

 カミュの妹であることや、鉄鬼軍王キラゴルド時代の『くるい裂き』『ゴールドフィンガー』などのツメ特技の数々からマヤの適性は短剣・ツメ(+二刀流)だろとお思いの方、ご安心ください。
 私もそう思います。

 ですが、武器スキルは物理主体キャラ(例:カミュ・マルティナ)であれば三つまで存在する=彼女のスキルとしてイメージしやすいいツメや短剣に加えてもう一つ枠が空いていること。

 さらに前述の鉄鬼軍王時代に『ゾーン必中』が行えるという点を加味して、原作内に登場しなかった弓スキルを最後のスキル枠に入れれば面白く活かせるのではないかと思った次第です。

 なので彼女のスキルパネルは、

・短剣
・ツメ
・弓
・おたから(ドラクエ9,10などに登場の盗賊スキル)

 といった感じの、カミュに近くもありつつ、他と被りにくい構成を想定して描写していこうと思っています。

 要約すると、マヤとその変異であるキラゴルドに関する考証の結果、この小説内の彼女は短剣・ツメ・弓が得意+カミュに対比してより盗賊系に寄せた独自のスキル構成になっています、とだけお伝えさせて頂きます。

 追記:外伝作品であるドラゴンクエストトレジャーズにて、カミュ・マヤ姉妹に幼少期から短剣・スリングショット(パチンコ)を扱えている描写が増えました。カミュについてはブーメランにて言わずもがな、マヤについてもパチンコ→弓、そしておたからスキルと自然な流れでの採用が行えそうです。
 作者的にはでっけ~矛盾がなくて良かった~と思っていますが、トレジャーズ要素を積極的に取り入れることはありません。
 今後も原作であるドラゴンクエスト11本編内の情報さえあれば(もしくは無くても、ひとつまみのドラクエ知識さえあれば)楽しめる内容で描写していくつもりですので、ご理解の程よろしくお願い致します。

 それでは次回もお楽しみに~。


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サラサラの22:新たなる旅への船出

 

 聖獣祭、最終日。演劇が千秋楽を迎えるのと同じように、この日の夜には盛大なパレードが行われる。

 いちおう国賓であり、クレイモランを取り巻いた一件の立役者である俺も初日に続いてもう一度その時に壇上に立たねばならない立場なのだが……。

 

「本当に行ってしまわれるのですか?」

 

「……ああ」

 

 その記念すべき聖獣祭の早朝。

 俺たちは正門を避けた裏口でシャールに、短いながらも濃い経験となった旅の仲間に別れを告げていた。

 

 事の発端は昨日の深夜、デルカダールの使者が祭りの開催を聞きつけてやってきたというものだった。

 なんでも彼らはこの周辺に一度だけ発生した謎の光柱についての調査に駆り出されたようで、クレイモラン地方の要衝としてまずは王国に話を通しに来たらしい。

 

 謎の光柱と聞いて俺が思い当たるものは、あの海底の一戦におけるゾーンのうちどこかで紋章が光ったのだろうということ。居合わせていたロウとマルティナに確認を取ると、やはり勇者の紋章は天を貫いて大きな光を放っていたそうだった。

 

 ……我ながら考えすぎではないかとは、思うのだけれど。

 

 デルカダールの調査団たる彼らも、同国の王に憑依した魔王ウルノーガが念のために送ったに過ぎない寡兵であることは明らかだ。

 しかし彼らの調査の果てに俺の、正確には勇者の所在に気付かれた瞬間、クレイモランを巻き込んだ戦争をウルノーガ率いるデルカダール王国は仕掛けかねない。

 

 彼は過去の勇者ローシュを背後から刺した男であり、その裏切りの果てに分離した元魔法使いウラノスの悪の側面だ。

 どれだけ犠牲を払おうと、どうせ後々滅ぼす種族。あらゆる人々を巻き込みながらも、彼から見れば過去の亡霊にして禍根たる俺をそのままにしておく道理はない。

 

 これは勇者という運命と魔王という覇道に関わる交わらない平行線の話であり、その続きを無関係の国の中で、さらに無辜の国民を巻き込んでおっぱじめるわけにはいかないのだ。

 

「俺たちは、まだやるべきことがあるから」

 

 だから、今は逃げる。

 

 魔王ウルノーガは俺の生存を確信しておらず、ユグノアを滅ぼしたことで絶やしたはずの勇者の血の痕跡を、念のために追っているに過ぎないのだから。

 

 俺がこの場にいなければ決定的な証拠にはならない。短絡的ではないウルノーガの慎重さに合わせて遁走するならば、今が絶好にして最後のタイミングなのだ。

 

「……あの、ロウ様はまだ二日酔いが残っているようですが……」

 

 ────そこは突っ込まないであげてくれシャール。いまシリアスなモノローグを流してるとこだから。

 

「うう、バイキングの奴ら、老体に飲ませすぎじゃわい……」

 

「いしし、ロウのじいさんも無理してんなよな」

 

 ロウに野次を飛ばしつつ後ろから俺の背中を軽く叩く小さな手、その下手人は目をわずかに細めて笑うマヤだった。

 続いて、話を静かに聞いていたカミュとマルティナが俺の後ろからアドバイスをくれる。

 

「辛気くさく話を進めたって仕方ねぇ。勝てないから逃げる、巻き込みたくないから逃げる。いいじゃねぇか、別にそれでよ」

 

「今はまだ、私たちは弱いわ。一緒に鍛えて、魔王に挑めるくらいに強くなりましょう?」

 

「え、おれたち魔王と戦うのかよ!?」

 

「マヤ、お前はまずちゃんと話を聞くところからだな……」

 

 額に手を当ててため息を吐くカミュの様子に、くすりと笑みがこぼれる。

 

 ────確かに、少し気負いすぎていたのかもしれない。

 

 確かに俺は勇者ではある。だけど、俺に手を貸してくれる心強い旅の仲間が、これほどついてきてくれているのだ。

 臥薪嘗胆を抱えてひとり歩くわけじゃなく、和衷協同の思いを共にする仲間と共に歩んでいけることがどれほど心強いことか。

 

 俺の胸の奥はいつの間にやら、明朝のクレイモランの雪を溶かせるであろうほどに暖かい気持ちで満たされていた。

 

 ……。

 

「お、またイレブンが感動してる」

 

「ホントに見てて飽きないな、こいつ」

 

 ……。

 

「あのー、イレブンさんってこういう方でしたっけ?」

 

「ふだんは結構涙もろい普通の男の子なのよ、シャール。いまは多分……うふふ、それを言うのは野暮かしら」

 

 ……よし。

 

「おお、戻ってきたか。それでは腹は決めたかのう? イレブンや」

 

 ロウの声が掛かり、皆の顔を見て俺は頷いた。

 最初から決まっていた意見が、彼らの言葉で更に決意が固まったという方が正しいが……旅の仲間の指揮を、俺はあえて任されている。

 

 だから……俺がここで宣言することで、新たな旅は始まりを告げる。

 

「俺たちは、ユグノア地方に向かう」

 

 俺の本当の故郷にして、いまは滅んだ王国跡と地下都市ゆえに被害をまぬがれたグロッタの町を残すのみのあの地方に。

 強くなるためのヒントを探すより先に、やっておかなければならないことがある。

 

 勇者の紋章が淡く輝いた。

 

「10年前に滅びたあの王国跡に……アーウィン王の魂が取り残されているはずだ」

 

「────な、」

 

「む、ムコどのがっ!?」

 

 とくに縁深いロウを筆頭に、シャールも含めた王族たちに衝撃が走る。

 カミュとマルティナも、亡国の王の所在を知る俺にそれなりの衝撃を受けているようだった。

 

 だが事実念じれば、紋章を通じて、世界に張り巡らされた根を通して命の大樹が教えてくれるのだ。

 

 国を護りきれなかったあの日の絶望を未だ魔物に貪り食われ続ける、あまりに救いのない父の姿を。

 

 

 

 

「そいじゃあ、出港でがす!」

 

「ヤイサホー!」

 

 操舵手のあらくれさんの威勢のいい声に、元気のいいマヤのかけ声が重なる。

 彼女とカミュの移籍に関するバイキングとの交渉はすでに済んでおり、ロウが酒の席のついでに彼らが俺たちの船に乗るためのお膳立てをしてくれていたらしい。これにはロウ曰く小説にしてざっと15巻分の冒険譚が付属しているらしいのだが……二日酔いでグロッキーなロウの寝台上でのうわ言なので、本当のあらましは神のみぞ知るところだろう。

 

 とにかく、カミュとマヤは正式に、俺たちの旅についてきてくれる事となったのだった。

 

 それから暫く船を転がすこと数時間ほど。

 マルティナはカミュの練度を知るための手合わせがてら甲板に出ており、俺は甲板の一角に掛けたハンモックに揺られながら二人の試合を観戦しつつ、一振りのナイフを白い布で磨いていた。

 

"これを、持っていてくださいませんか"

 

 旅立ちの際にシャールから貰ったのは、クレイモランに伝わる『王家のナイフ』だった。

 

"これが、私の気持ちです"

 

 潤んだ瞳で渡されたこの華美な装飾の施されたナイフの意味は、なんとなくどういうものなのかは理解できている。

 正しく外からやって来た同世代の、同じ身分の少年だ。王女といえど、熱に浮かされたって誰も文句はないだろう。

 

 しかし、彼女の気持ちに応えられるような器になりえていない今、俺なんかがこれを貰ってよかったのかと自問する。

 

「浮かない顔じゃねぇか、イレブン(色男)?」

 

 マルティナとの手合わせを散々な敗北に終えたカミュだが、へこたれず起き上がったその足で俺に話しかけてくる。

 

「いやぁ、シャールは俺のどこに魅力を感じたのかと思ってね。わりとしょうもない人間だぞ、俺は」

 

「……あのなぁ……」

 

 カミュは呆れたように後頭部をポリポリと掻いた。

 

「助けてって言葉に二つ返事で応えて。そのまま自分の治める国を救ったってのに、こっちから言わなきゃ見返りも求めないようなお人好しだ。そりゃあ捕まえとかなきゃソンだろうよ」

 

 軽口を叩いて屈託なく笑うカミュに、そういうものかとナイフをもう一度きれいに拭いてから、腰のポーチに新しくこしらえたピッタリの鞘にナイフを収めた。

 

 エマから貰った手作りのお守り、シャールから貰った王家のナイフ。

 

 なんだか、自分の今後における何かが決定し始めている気がしなくもない二点の思い出の品に思いを馳せた。

 

「それに、マヤもな」

 

「なんか言ったか、兄貴ー?」

 

「なんでもねぇよ。そのまま海の方を見張ってな」

 

「兄貴に言われなくてもやってるし!」

 

 いー、と年相応に反抗期気味なマヤの様子にカミュは嘆息し、俺は二人を微笑ましく見つめた。

 本当なら『黄金の首飾り』のせいでなくなっていたはずの仲睦まじい二人の姿を見るだけでも、クレイモランに来てよかったと思えるのだ。

 

「ユグノア地方に抜けるには北海からバンデルフォンへ渡るのが最も簡単じゃが……」

 

 ロウもやっとバイキングと飲み比べた昨日の二日酔いが抜けたようで、甲板に出てくる。

 船酔いの方には慣れたものらしく、二日酔いとの最悪なコンボだけは避けられたようだった。その調子で酒が進みすぎる癖を直せば完璧なのだが、それを直せない所もまたロウらしさなのだろう。

 

「イレブン、件のムコどの……おぬしの父、アーウィン王がユグノアに囚われているというのは本当なのか?」

 

 ロウは、至極真面目な表情で、俺に再度問いかける。

 

「……うん、本当だよ」

 

 勇者の紋章は遠い海から彼の地に近付く度に、ときおり淡く光っている。次の邪神の最も大きな反応は、間違いなくユグノア地方にある。

 

 新たな仲間を加えた旅は、同じく新たな局面を迎えようとしていた。

 

 

 

 

 ────同刻、イレブンたちが旅立ってから数時間後のクレイモラン王国にて。

 

「……は? ユーシャ? 左手に紋章がある少年だって?」

 

「そうよ、絶対にこの辺りにいたはずだわ!」

 

 物怖じしない勝ち気な瞳をしたひとりの少女が、妹らしき色違いの服を来た少女を連れて、通りすがりの衛兵に大胆な聞き込みを敢行していた。

 

「ユーシャ、ああ、勇者ねぇ……聖獣祭の立役者のあの子なら、勇者なんて呼ばれてたって腑に落ちちまうけどな」

 

「! お姉さま、おそらく……」

 

 後ろに控えていた少女が胸の前でぽんと手を合わせる。

 

「ええ、ソイツが勇者様かもしれないわね。聞き込みを続けてみましょう……ありがとう、おじさま!」

 

「お、おじさまって……」

 

「首を洗って待ってなさいよ、勇者様!」

 

「その調子ですわ、お姉さま!」

 

 ……オレ、まだ若いと思うんだけどな~……。

 

 肩をがっくり落とした衛兵は、エイエイオーと二人で片手を上げて颯爽と去ってゆく不思議な雰囲気をまとった二人の少女を眺めた。

 赤と緑のお揃いの服に、赤の少女はその体に不釣り合いなほど大きい杖。妹らしき緑の少女はあの歳ですでに弾けるのか、白い竪琴を携えていた。

 

「勇者と言えば聞こえはいいけど……それって、悪魔の子だろ? ……あの子が、本当に?」

 

 衛兵は首を傾げつつも、最終日となって混雑を極める聖獣祭の警備業務へと戻っていくのだった。

 





 羽休めの時間は終わり、次なる目的地に漕ぎ出すイレブン一行。
 そして、あまりに早い出発のおかげでニアピンとなった謎の双賢の姉妹(バレバレ)。

 新たにカミュとマヤを仲間に加えて、物語は出港する船とともに新たなフェーズへと移ります。
 あらすじに書いた大きな改変がそろそろ入る頃かと思われますが、妖魔軍王ブギーファンとアラクラトロファンの方々はどうぞご注意くださいね。

 次回、新章開幕です。
 お楽しみに〜。


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サラサラの追憶編
サラサラの23:願わくば幸多からんことを


 

 ブン、ブン……ブン。

 

 カ……タタン。ザ────ズン。

 

 カモメの鳴き声が水平線まで響いて染み渡るような静けさの、潮の香る早朝の船上にて。

 

「いつもながら精が出るのぉ」

 

 夜明けもそこそこの時分にぱちりと目の覚めたロウは、自身の娘エレノアの忘れ形見であるイレブンが毎日のように行っているドゥルダ郷仕込みの演舞稽古の様子を静かに見守っていた。

 

 その独特の演舞は本来徒手空拳で行われるが、師範代としてドゥルダの教えうる全てを修めたイレブンはいわば守破離*1における破の行程であり、いまはあえて自身のみの特異な秘奥である二刀の覇王斬を常時展開し、それらを剣に盾に三叉槍にと自在に形を変えながら、型に大幅なアレンジを加えていた。

 

 その動きは演舞ゆえ緩慢ながら、想定した敵の造形すらもロウへ如実に伝わるほどに真に迫っていた。

 

 このようにイレブンはいつでも誰より早く起き、支度を終えれば稽古を始める。

 もちろん、誰に言われるまでもなく。

 

 今でこそ日常となったその非日常にロウは亡きユグノアをふと想い、今はドゥルダの型に発揮されている天性の身のこなしで衛士の目を掻い潜っては城下に繰り出し、同世代の幼子と混じって遊ぶようなユグノアの王子たる彼の姿を少しだけ夢想した。

 

 本当ならば益体もない悪戯や遊びをしてばかりであってもよい年頃のはずが、既に求道者としての姿が板についてしまっている自身の孫。

 勇者たる使命にその身を賭さんとするイレブンのことを、ロウはひそかに案じていた。

 

 それというのも数年前、ドゥルダ郷でイレブンと再会したばかりの頃。ロウがニマ大師から賜った『あいつを見守ってやっておくれ』との言葉がすべての始まりだった。

 

 ロウは最初からイレブン────孫を見守るつもりであったために一も二もなく返答したものの、その芯を捉えていなさそうなロウの様子を見たニマ大師は盛大に嘆息し、滔々(とうとう)と忠言を追加した。

 

『見守るってのはそっくりそのままの意味じゃない。あの子は言うなれば、強くて脆い金剛石(ダイヤモンド)だ。愛でられ、頼られ、のしかかられて、最初はなんて事なくこなせていても、いつかは壊れっちまうのさ』

 

『そうならないよう、できうる限りの時間をそばで見ていてやることさね』

 

 ニマ大師は実年齢に見合わぬ瑞々しさを持つ仙女の美貌を緩め、試すように目を細める。

 その時の大師はまるで、イレブンについて何かを予見しているような素振りで語っていたのをロウは覚えていた。

 

 時は現在に戻り、ロウは先日にイレブンからプレゼントされたクレイモランの伝統的な紅茶をズズとすすりながら、敬愛する大師の忠言の意味について考える。

 

 ロウから見たイレブンは、品行方正な手のかからぬ孫だ。

 

 修行漬けの日々が負担となるわけでもなく、黙々と歩みを進め、工夫を凝らすことも忘れない。

 

 人間関係にもさしたる問題はなく、むしろ好意を射止めた相手が多く女泣かせの男になりそうな──この辺り、良くも悪くもわしに似た──少年だと端的に評していた。

 

 なればこそ、ニマ大師の忠言が何を指すのかを未だに掴みきれていない部分がロウにはあった。

 

 そんなロウが見出しているイレブンに対しての唯一の懸念は、彼が憂慮と猜疑を内に宿すような性質を持つこと、その一点に絞られるだろうか。

 より簡単に表すならば、悩み事をひとりで抱え込みやすい性分だということだった。

 

 悪魔の子として狙われる勇者。

 世界を救う大義を持ち、持って生まれた勇者の権能にあぐらをかかず努力を重ね、実際に国を救い人を救う働きを見せながら、最後には捕らわれぬよう名誉なく遁走を繰り返さねばならない現状のなんともどかしいことか。

 

 できることならば、ロウは声高に叫びたい。

 わしの孫は世界で最も高潔な男として羽化を始めているのだと、船旅の半ばで立ち寄る港のことごとくにおいて大手を振って喧伝して回りたいほどだった。

 

 だが、その現状について皮肉なほどに理解を示している自身の孫の真なる思いとはどのようなものなのだろうか。

 その泣きたくなるほど小さな背にのしかかる運命を、きみはどのように受け止めているのだろうか。

 

 どうか、それをわしに吐露してくれまいか。

 

 思わず舌に載せかけた問いかけが口をついて出る前に、ロウはもう一度口に含んだ紅茶に言の葉を混ぜて飲み下した。

 

「終わったよ、じいさん」

 

 無地の布で汗を拭きながらロウのそばにもう一つ椅子を引いてちょこんと座ったイレブンに、ロウはエレノア譲りのサラサラの髪をした丸い頭を二、三度撫でて、よく頑張ったのうと褒めてやる。

 

「あはは、やだなぁじいさん。俺はもう小さな子どもじゃないんだから」

 

「何を、わしに言わせればまだまだ可愛い子どもじゃよ」

 

「むむむ……そうかな、そうかも……なら、しばらくこうしてもらっててもいいかな?」

 

 後頭をこちらに委ねてリラックスしながら、空を見上げて思案を重ねている様子のイレブンを見下ろし、さらに紅茶を一口すする。

 

 純粋な子どもとしての表情の内に、諸国を漫遊したロウをして見たことのない利発さを垣間見せる自身の孫。彼は今日も、のんびりとしながら生き急いでいるようだった。

 

 ────しばし、二人だけの時が流れる。

 

 さざなみの音とカモメの鳴き声だけが、その場のすべてを支配していた。

 

「"覇王斬"」

 

「おわっ」

 

「あ、いきなり過ぎたか。ごめんね」

 

 軽い謝罪とともにイレブンは席を立ち、改めて具現化させたのは二刀の光剣。今回はそれらを混ぜ合わせ、弓のように成形する。

 

 先ほどの思案顔はこれのことかとロウは合点に手を打った。

 どうやら彼はロウのそばにいる間も、先代勇者ローシュの奥義たる覇王斬の新しい使い道を考察していたようだった。

 

「普通の矢でも良いんだけど、エネルギーを分けて矢にすれば……」

 

 ヒュン────。

 

 弓から放たれたのは、どうにもさすがに矢とは言えない、細身の光の剣だった。

 

 だが、その光の剣は通常の矢と違って風の影響すら受けないままに飛んでいき、遠く上り始めた太陽を射抜くようにして水平線の半ばで消えた。

 

「うーん……まだ構想段階だけど、いちおう成功かな。これなら手元に何もなくてもいきなり弓が撃てる。どうにか矢の形に加工できれば……」

 

「それは魔力の練り方次第じゃろうて。ほれ、このように……センスや経験次第で案外イケるかもの」

 

 ロウは先ほどのイレブンの見よう見まねで、自身の得意とする氷と闇の魔術を駆使して二本の魔力矢を作ってみせる。

 覇王斬は使えずとも魔力の扱いについてロウには一日の長があり、特に魔力の変形については同門のドゥルダで学んだロウにとって、少しばかり胸を張れるものであったのだ。

 

 ロウの作った魔力の矢を見たイレブンは目を輝かせ、もう一度やってみせてくれとせがんでくる。

 

「すごいよ、じいさん!」

 

「ほっほ、それほどでもないわい。どれ、教えてしんぜよう。おぬしならばすぐに覚えられるじゃろう」

 

「よし、習得できたらマヤにも教えてあげよう!」

 

「あのじゃじゃウマ娘が修行をまともに受けるかどうかは……まぁ、おぬしからの教えなら受けるか」

 

 ロウは青い髪の兄妹たちを思い起こし、妹分たるマヤのイレブンに向いた淡い恋の矢印を想ってすぐに意見を是正した。

 

 ────このように、ロウがイレブンと過ごす時間は修行や研鑽に向かう形が自然と多くなる。

 

 ただの祖父と孫としては少々いびつな営みではあるが……それでも彼のそばにいてやること、これそのものが肝要なのだろうとロウは思っていた。

 

 老い先短いこの命、使うは若い未来のためにと決めてある。

 国を亡くした老王であってもせめて若き才能の萌芽を支える肥沃土のごとくいられれば、と。

 

 いまだ完全な悟りにはほど遠い賢者の翁は、今日も先達として智慧の芽株を愛する孫に分け与えるのだった。

 

 

 

 

 船旅が続いた数日間。

 北海を南下しソルティコの水門を抜けて内海へと舞い戻り、補給を行いながらの大移動。

 

 こうも船に乗る時間が長ければ、れっきとした陸生生物たる俺たちもいい加減に慣れたもので、目立った不調は誰も訴えていなかった。強いて言えば、北国の出身者であるカミュとマヤが気候の違いに驚いていたくらいだろうか。

 

 そんなわけで、いまは掃除や鍛錬などの日課を終えて暇をしていたカミュ、マヤ、マルティナの三人に、俺が密かに練習を重ねているフルートの演奏を聞いてもらっていた。

 

「……どうだった?」

 

 我ながらミスは少しばかり多かった気もするけれど。

 まぁ、それなりにできたんじゃないだろうか。

 

「あんましこういうのは言いたかねぇが……」

 

 うぐ。

 

「すっげ〜ヘタクソじゃん?」

 

 ぐげ。

 

「あ、あはは……まだまだここから、ってところかしら……」

 

 うう、ぐぉおっ……!

 

 閑話休題(メンタルの復帰まで数十秒)

 

 上述のように、どうやら自分で思うより結果は散々なようだった。

 

 ちなみに上からカミュ、マヤ、マルティナ、途中のうめき声は俺である。

 

 ……そりゃあ分かっていたとも。

 ヒトは一ヶ月も経たないうちに楽器が上手くなることはないことくらい。

 

 だが……修行の片手間、ヘタの横好き。

 予防線を張りに張ったその演奏ですら、こうも酷評されれば居たたまれない。

 

 特にいつも優しいマルティナがしてくれた愛想笑いと控えめな拍手は、かえって俺への痛恨の一撃とあいなっていた。

 どうやら俺はオカリナを初めて吹いたときから上手だった別世界の勇者(リンク)のようにはいかないらしい。

 

「来世はミジンコから出直してきます……」

 

「わわ、いきなり船から乗り出さないの!」

 

 羞恥に茹だった頭を冷やすべく海に身を投げようとした俺の脇をむんずとマルティナが掴み、俺は伸び切った猫のような姿勢のまま甲板に戻される。

 

「簡単にそういうことをしちゃいけないわ、イレブン」

 

「以後気をつけます」

 

「ならよろしい。続ければいずれ上手くなるわ」

 

 マルティナから軽くたしなめられた後、反省の意を示すと彼女はにこりと笑った。

 

 海水で冷やそうとした当初の予定とは違うものの、俺の頭はしっかりと冷える。

 確かにここで身投げをしている場合じゃないな。

 魔王とか邪神とかもまだ倒してないし、子孫も全然残せてないし。

 俺の存在が許される現状はルビスによると俺の子孫になるらしい真イレブンくんあってのもの。

 その点、お家の断絶阻止だけは切り離せない話題だった。

 

 まぁ今は目下10歳という年齢を盾に具体的なアレコレや甲斐性的な問題については考えないようにしてるのだけれど*2

 

「お〜い、D.R.D商会の皆さんがた〜!」

 

 そんな脳内ひとり相撲を思案していると、あらくれの操舵手がこちらに声をかけてくれる。

 

「見えてきたでがすよ! 目的のユグノア地方に続く、バンデルフォン地方が!」

 

 上り調子の景気のよい声に俺たちは一斉にあらくれの差した方を向く。

 その晴れ晴れとした空模様が映える水平線の向こうに、ぼんやりと大きく切り立った陸地が見えていた。

 

「あれが……!」

 

「バンデルフォン地方ってヤツか!」

 

「たくさんお宝もありそうじゃん! はやく着かね〜かな~!」

 

 俺、カミュ、マヤは新天地に胸を躍らせ、マルティナと甲板に顔を出してきたロウの二人は静かに何かを思い出しているようだった。

 

「ここに来るのも久しぶりね……」

 

「ネルセンの宿屋は空いているかのぉ。波で揺れないふかふかのベッドが、今から恋しくなってくるわい」

 

 芳醇な潮風の香りからだんだんと陸の草木の香りが漂ってくると、俺の心は懐かしさを抱く。

 魂の故郷の地球でこそないが、この世界での故郷たるユグノアに近いということが俺を無条件に高揚させてくれる。

 

 来たるユグノアへの往路にして、いまは無限とも思える穀倉の実る黄金世界、音に聞こえたバンデルフォン王国跡。

 

 桟橋の先からやってきた一枚の黄色い花弁が船に乗り込むその様子は、新たな冒険と出会いを美しく彩るかのように、漠然とした希望と期待を俺たちに予感させるのだった。

 

*1
守(先人の教えを守る)破(己を模索し、殻を破る)離(己を完璧に知り、自在に分派を始める)からなる、剣道や茶道などの考え方のこと。

*2
童貞特有の先送り。




 というわけで新章、サラサラの追憶編の開始です。
 花が咲く咲くバンデルフォン音頭でおなじみ、バンデルフォン地方の桟橋から物語は始まります。

 これは余談となりますが、当初はユグノア地方に向かうという目的に縁深いロウの閑話を単体で投稿するつもりだったのですが本作の各話の命名法則からロウの場合は『ツルツルの1』となることに気付き、あまりにもあんまりなタイトルだったので今回の後半部分と統合した経緯があったりします。


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サラサラの24:ネルセンの宿屋

 バンデルフォン地方。

 美と芸術の王国にして精強な騎士を輩出していた頑健なるバンデルフォン王国は20余年前、突如として現れた魔物の大軍勢の襲撃に敗北し、一夜にして滅びた。

 そして、この敗戦はのちのユグノア滅亡にも通ずる五大国制度崩壊への序曲となったことは言うまでもないことだろう。

 

 しかし、在位していたバンデルフォンの獅子王アーサーの奮戦と献身によって生き残ったわずかな住民たちは、国を去っては散り散りになりながらも、今も生きている。

 かつての様相は毒沼に沈み、未だ浮かばれぬ怨念を放つこの王国跡と親しい者達を悼んで、彼らはときおり慰霊の花を添えにやってくるのだという。

 

 さて、外海のクレイモランからの船旅を経て到着した場所こそ、前述のバンデルフォン地方である。

 花咲く芸術の王国、そしてユグノア・デルカダール・クレイモラン・サマディーと同列の五大国として世界を見守ってきた戦士の王国にして、この地方の由来となったバンデルフォン王国があった場所なのだった。

 

 桟橋に停留した船を降りれば潮風が同時にびゅうと吹いて、大地へと続いていく海の名残が俺たちを陸に送り出す。

 

 切り立った崖に挟まれた峠道を抜けて俺たちが辿り着いたのは、見上げるほどの大きさの風車が軽やかに回る、牧歌的な穀倉地帯だった。

 黄金色の小麦の香りが鼻腔をくすぐり、心なしか穏やかな時間の流れるこの場所は、故国バンデルフォン王国の有志によって、現在も当時のまま保たれているそうだ。

 

 この光景、俺も素直に綺麗だと思う。俺たちはたくましき努力の賜物である小麦と花で彩られた金世界の中を、思い思いに進んでいった。

 

 ほどなくして、俺たちはここから北にあるユグノア地方に向けたひとまずの宿として『ネルセンの宿屋』に到着する。

 

 代々ここを守ってきた夫婦の営むアットホームな民宿といった雰囲気の強い宿ではあるものの、その名は先代勇者ローシュ戦記に名を連ねる英雄、そしてバンデルフォン王国の建国者としても知られる戦士にして英雄王たるネルセンにあやかって名付けられた、由緒あるありがたい宿なのだ。

 

「名前のわりには意外とこぢんまりしててフツーだな」

「いーじゃん兄貴、洞窟とか船より寝心地いいに決まってんだしさ!」

 

 カミュが頭の後ろで手を組みながら宿を眺めて率直な意見を漏らすが、マヤは久しぶりにまともなベッドで眠ることができることに船を降りてから今に至るまで終始ご満悦の様子だった。

 

「ひとまず、ここで休むんだっけ?」

「左様じゃ。明日こそ本番じゃからの、今日はゆっくり過ごすとしようぞ」

「宿の取り方、まだ教えてなかったわよね? これも経験、いざとなったら私とロウ様がサポートするから、イレブンが宿を取ってみましょうか」

 

 マルティナに手招きされ、俺たちはネルセンの宿屋へと入っていく。自然の明かりが適度に取り入れられた落ち着く店内は今がお昼ということもあって、よく焼けたパンと肉のいい香りがふわりと漂っていた。

 

「変わったこと……いやあ、いつも通りの光景だねぇ。旅の人に宿を貸したり、献花をしたい方へ作法を教えるくらいかな」

 

 ネルセンの宿屋でチェックインを進める俺たちは、その手続きの途中で宿の亭主に変わったことがないか聞いた。

 大半の情報は想像の通りの牧歌的な日常のちょっとした出来事であったり、武闘家や旅芸人たちの宿泊が多くなっていることから北のグロッタの町の名物である『仮面武闘会』の到来が近いことを予感していたりとそこそこ興味のそそられるトピックも多かったが、最後に彼が話してくれた話題こそが、俺たちにとっては大当たりのものだった。

 

「最近は……ああ、そうだね、深夜に飛び起きたお客様のひとりが『うめき声を上げてこちらを見る、騎士のような幽霊の夢を見た』って言ってたねぇ」

「……その話、詳しく聞かせて貰えますか?」

 

 率先して顔を覗かせた俺に少し驚いた様子の亭主に一礼し、ドゥルダの僧兵として浮かばれない幽霊の鎮魂も兼ねてここに来たと事情を話し、さらに話題を掘り下げさせてもらう。

 まぁ、嘘は言っていない。なにしろ俺たちでその幽霊を鎮めることこそが、今回このバンデルフォン地方を抜けてユグノア地方へ向かうための大きな理由なのだから。

 

 ほかにも一部の者が見たという、甲冑を着た亡霊の夢。

 マヤは怖くないと強がるも、俺が詳しい事情をロウたちと聞いている間じゅう、カミュの背後にサッと隠れていたのが妙に可愛らしかった。

 

「というわけで、私どもとしても少々困っておりまして。幽霊騒ぎが大きくなって、ここがいわくつきの宿なんてことになる前に解決して頂けるなら、それはありがたい限りですな」

「こちらこそ、貴重なお話をありがとうございました。では改めて、ここと、この部屋を……」

「分かりました、すぐにお休みになられますか?」

「いえ、荷物だけ先に降ろさせてもらいますね。それまでに昼食を人数分用意して頂いても?」

「もちろんですとも。どうかごゆっくりおくつろぎ下さいな、旅の方」

 

 俺は宿の亭主に一礼し、女将の案内を受けて二階へとついていく途中、ちらりとマルティナの方を見る。

 返されたのは小さなウインク、どうやら前世も含めて初の宿へのチェックインも、バッチリ対応できていたようだった。

 生まれてこの方イシの村の実家以外ではキャンプ生活であったお陰で野宿やサバイバルスキルばかりが上手くなっていた気がする俺だが、こうしてコミュニケーション能力も着実に身につけていたというわけだ。

 これは大きく前進だぞ、わはは。

 

「うむ、一歩前進じゃのう」

 

 ……え、今ので百歩くらい前進した気がしてたんだけど?

 

 何気なく放たれたロウの言葉とカミュたちの鷹揚な頷きに、俺は生まれながらのコミュ強たちとの歴然たる差を見せつけられたように思えたのだった。

 

 

 その後は男女に分かれた二つの部屋で荷降ろしを終えたのち、他の客は既に食事を終え出払っているらしい貸し切り状態のテーブルを囲んで昼食を摂ることとなった。

 

「イレブン、先ほどの亭主の話じゃが……」

 

 ロウの確認めいた目配せに、俺は厳粛に頷いた。

 

「うん、それが今回の目的……俺の父さん、アーウィン王で間違いないと思う」

「「────はぁッ!?」」

 

 カミュとマヤがガタンと立ち上がる。

 藪から棒に、何をそんなに驚いて……あ、そうだった。

 

「アーウィン王って、ユグノアの王様だろ!? イレブンって王子だったのかよ!?」

「そういえば二人にはまだ説明してなかったな。まぁ王子とは言っても、産まれてすぐに王国が襲撃されて滅んだから俺自身そんなに意識してないよ」

「いや重いなその話も! そんでちょっとは意識しとけよな! それじゃあ、ロウのおっさんとマルティナも……」

「ユグノア王アーウィンの妃、エレノアの父じゃ。ムコどの……アーウィン王は婿入りで、エレノアの方がユグノア王族直系じゃから……つまりはわしがユグノアの先王ということじゃよ」

「わたしはユグノアの王族ではないのだけれど、デルカダール現王のモーゼフ・デルカダール三世*1の娘に当たるわね」

 

 流れるように行われた三人の唐突なカミングアウトにカミュは目を見開き、マヤは口笛を吹いて肩を竦めた。

 

「……前々からタダもんじゃねぇとは思ってたが……予想以上なもんで、ちょっと腰のすわりが悪い気すらしてくるな」

「あはは、人間生まれがすべてじゃないよカミュ」

「割り切りはえーな、おい。あー、なんだ、船の上でバリバリ魔物をぶん殴ってた三人組が世界有数のやんごとなき方々サマとはなぁ。オレの中で王族ってヤツらの見方がすっかり変わっちまった気がするぜ」

 

 カミュはため息をひとつ吐いて、後頭部をポリポリと掻いた。

 

「王子、イレブンが王子ねぇ……しかも、イレブンは勇者だったりもするんだろ? おれも何かトクベツな称号ってヤツが欲しかったな~」

「そうかな? 俺にとってはマヤも特別な人だよ」

「──っ! ちょ、はぁ!? いきなり恥ずかしいこと言ってんじゃねー! ……それに、どーせマルティナとかシャールにも同じこと言ってんだろ!?」

「いやいや、その二人とはまた別の……」

「はい、そこまでな。人の妹を目の前でおおっぴらに口説くんじゃねえ」

 

 呆れた様子のカミュの制止を、了解と快く受け止める。

 マヤはぷんすかと効果音がつくような表情で机に肘を付き、俺と目が合うとすぐにそっぽを向いた。

 いかにもへそを曲げています、という態度はむしろ子どもっぽくて可愛らしいだけだった。

 

 打てば響き、歯の浮くような口説き文句のたびに顔を真っ赤にするマヤが可愛くて、普段の俺なら言わないような言葉でさえ口に出してついからかってしまうのだ。

 つまりこれもぜんぶユグノアの血ってやつのせいなんだ。血筋というのはやはり侮れないね。(責任転嫁)

 

 ……しかし、実を言えば前世が小市民である俺も王族としては気後れしているうちの一人なのだが……まぁ、経験則から言えばこればっかりは慣れてもらうしかないだろうと結論が出る。

 

 今の俺は勇者で亡国の王子だけど、それだけと言えばそれだけだ。それぞれの責務と使命は意識するべきだが、その立場を鼻にかけるつもりは微塵もない。

 

 人は生まれとその使命によらないのだという知見こそむしろマヤやカミュたちに教えてもらったようなものなので、どうか同じように接してほしい。たぶん、彼らに限って心配の必要もないだろうけれど。

 

「────さて、話を戻すけど……件の幽霊はたぶん、俺の父さんだと思う」

 

 弛緩した雰囲気をピリリと引き締めながら、俺は世界に根を張る命の大樹と世界を見守る精霊ルビスからのお告げとして、原作知識を交えた今回の幽霊騒ぎの全貌を皆に語る。

 

 ユグノアを滅ぼされた際、国と共に死んだはずのアーウィン王が今も口惜しいと嘆く妄執の亡霊となった理由。

 それはユグノア城下に潜む邪神の眷属の一体────燃え落ちる自身の国を想って深い悲痛と後悔を宿したアーウィンにあえて当時の情景を見せ続け、その絶望を貪る者。

 夢を操るバクーモスという一匹の魔物の存在にすべては繋がっていく。

 

*1
デルカダール王の本名(出典:ゲーム内まめちしき)。



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サラサラの25:嘆きの戦士と嘆きの勇者

 

 ふと、奇妙な夢を見た。

 

 豪奢な鎧姿の戦士が暗闇の中で俯いている。

 青い炎に照らされてなお表情は見えない。だが、その様子に違わぬ暗い声で、嘆いているようだった。

 

『口惜しい……』

 

 私は、その戦士の声に覚えがあった。

 

『後悔という名の鎖が、この身を縛り付ける。私は、何もできなかった無力な存在────』

 

 ここより西、山地を越えた場所にあった亡国ユグノアの王たるアーウィンそのひとに違いない。

 彼の最期は私自身が知っている中でも特に凄惨で、残酷な一生の幕引きだった。

 

『もしあの日に戻れるのなら……地獄の業火に焼かれても、厭わない』

 

 魔物の軍勢に国を嬲られ、操られ、我が王に剣を向け、そして……我が王の手によって、さらなる辱めを受けぬように逝った。

 

『ああ……口惜しい、口惜しい────』

 

 あの日のことは、私も昨日のことのように思い出せる。

 この戦士……ユグノアの王と同じく、後悔にまみれた苦痛の日だ。

 

 姫を失い寄る辺を断たれた我が王はその日から、いっそう眉根が険しくなられた。

 デルカダールは変わり、親友であったはずのホメロスとは、いつから任務を共にしていないのだろうか……もう、私には分からなかった。

 がむしゃらに進み、先陣を切り、国に殉じ、いつしか私は英雄と呼ばれた。

 双頭の鷲の片翼、黒き鎧の将として。

 だが……この胸のつかえが下りる時は、きっとない。

 

 明日から数日は非番だった。

 バンデルフォンへの献花も済ませ、次はちょうどユグノアへと献花に向かうところだったから、こんな夢を見たのだろうか。まどろみの中で、私はふわりと思いを馳せていた。

 

『誰か……私の願いを受け止めて』

 

 暗中からの声に、目の覚めるような思いをする。

 夢の中で、そういった表現は正しいのかどうか……とにかく、私は驚いていた。

 

『あの人を暗い絶望の闇から、解き放って』

 

 この声にも私には覚えがあった。

 アーウィン王の奥方、エレノア王妃。

 たおやかなる貴人、美しい髪の印象的だったその女性の……彼女に似つかわしくない、悲痛な声音だった。

 

『私の声よ、どうか誰かに届いて。お願い────』

 

 無念を呪う声ではない。

 ただ、人が人を想う……救いを求める声だった。

 

 ────意識が、浮上する。

 

 ガバリと布団を捲り上げながら上体を起こし、開け放たれた窓から取り込まれた月明かりだけが入る宿の一室で私は目覚めた。

 

「……なんだったんだ、あの夢は」

 

 私は先程の夢を思い起こし、かぶりを振って枕元の水差しからカップに水を注ぎ、一杯飲んだ。

 知らず乾いていた喉を潤すことはできたものの、胸に燻るようなもやもやとした気分は晴れない。

 

 それもその筈、私は聞いてしまったのだから。

 

「英雄……か」

 

 そのような二つ名に胸を張れる自分ではないが……せめて、デルカダールの双翼たるべく生きたい。

 それは我が王に誇れる騎士であるように、肩を並べるもう一つの翼……ホメロスに並び立てる男で在るために、己に課した誓いの一つ。

 

 救いを求める声には、応える。

 

 それが例え、不確かな亡霊の嘆きであれど。

 

「明日から非番で、助かったな」

 

 夢を信じてユグノアに向かうなど知れたら、それこそ我が王に面目が立たない。

 だからこそ、あした私はデルカダールの英雄ではなく、ただの『グレイグ』としてそこに行ける。

 

 タオルで寝汗を拭き取り、私はもう一度床に就く。

 

 数日後────そこで、運命とでも言うべき出会いを果たすことを知らぬままに。

 

 

 

 

 トン、テン、カン。

 トン、テン、カン。

 

 快晴の朝に、軽快な音が宿屋に響く。

 

「丁度良くなったら光ってくれるから、はたから見るよりも簡単だよ」

「そんなもんか……? しっかし、なんでハンマーで打ったってのにご立派な服が出来上がってんだか」

「そこはまぁ、アレだよ。不思議な力が働いてるんだ、たぶん」

「意外と適当だな、お前って……」

 

 椅子に腰掛けてパンを齧るカミュの気のない相槌をBGMに、俺は鍛冶作業を進めていく。

 錬金釜もグツグツと煮立ち、もうすぐ完了とばかりに鳴る頃だろうか。

 

「──おい兄貴、イレブン、ロウのおっさん!」

 

 チーンと錬金釜が完成を知らせる鐘を鳴らして特薬草が飛び出したと同時、バンと埃を舞い上がらせる勢いで扉を開け放ったのは、俺たちの宿泊する部屋の隣室に泊まっていたマヤだった。

 まだいつものように三つ編みのポニーテールへと髪を結い上げておらず、寝癖のついた青い髪が彼女の背中を覆っていた。

 

 よく見れば、寝間着のままでもある。そういう格好で宿を出歩くのはお兄さん感心しないぞ。

 

「おはよう、マヤ」

「あっ……おはよ、イレブン────じゃねぇよ! 大変なんだって!」

「何ごとじゃ、マヤ。もしや……怖い夢でも見たのかの?」

 

 ほっほと冗談交じりに訊いたのは、既に旅支度を終えてティータイムと洒落込んでいたロウだった。

 マヤはロウからの子ども扱いに一瞬だけ眉をひそめ、直後にロウの見透かしたような笑顔からおおよその察しがついたのか、毒気を抜かれたように後頭を掻いた。

 その様子はカミュとまるで重なって見え、俺は密かに兄妹の似た癖の発見に微笑んだ。

 

「……あー、まぁ、見たっていうか……怖いって言うより、悲しい感じの夢?」

「鎧の戦士が出てくるような、だろ?」

「そう、それだよ兄貴! マルティナも見たって言ってたんだ!」

「ほう、それでは皆が同じ夢を……興味深いのう」

 

 カミュの言葉にマヤは一も二もなく同意し、ロウは唇を尖らせ顎に手を当てていた。

 一瞬の静寂に、ジューと気の抜けた冷却音が室内に響いた。よし、完成だ。

 

「たびびとのふくをバリエーション豊かに染め上げ加工、それらをしめて二十着。よし、我ながらとてもいい出来だ!」

「聞けよっ!」

 

 マヤはこちらの髪がふわりと浮くような勢いあるツッコミを俺の頭部にお見舞いしてくる。

 それはもう、旅芸人でも食っていけそうなほどのキレだった。

 

 ……それから数分後。

 身支度を整えたマヤとマルティナを迎えると、話題は自然と昨晩のことになった。

 

 暗闇の中で青い人魂に囲まれ、口惜しいと嘆いている戦士。

 俺たちは件の戦士が誰だか、既に検討が着いていた。

 

「あれはムコどの……アーウィン王で間違いないじゃろう」

「それに、最後に聞こえた声。あの優しい声はエレノア様に違いないわ」

 

 直接の面識のある二人が太鼓判を押すことで、彼らの正体は確定する。

 

「んじゃ、行くか。号令をかけてくれよ、勇者サマ」

 

 カミュが宿屋の出口で俺に問い、それに対して首肯で返す。

 

「行くぞ──俺とじいさんの故郷、ユグノアに!」

 

 俺の号令に、皆が頷いた。

 さぁ、アーウィン王の待つユグノアに出発だ!

 

 

 

 

 

 ────といった旅の再開の一幕の、少し前のこと。

 

 実は、俺は皆に一つだけ隠し事をしていた。

 

『ああ、口惜しい……なんて、取り繕うこともないか』

 

 俺は奇妙な夢を見た。

 皆とは決定的に違うだろう、胡蝶の如き一幕を。

 

 

 

 

 鎧姿の戦士は暗中にもたれ掛かるような座り方を止め、すく、とおもむろに立ち上がる。

 

 嘆きの戦士が兜を脱ぐと同時、青い炎が彼の身を燃やし、その姿を変えたのだ。

 

『ずっと、お前を待っていた……バクーモスに俺を気付かせ、最高のご馳走としてキープさせた甲斐はあったな』

 

 それは紫地の旅装に色味のない剣を携えた、原作における勇者イレブンに似た姿だった。

 いや、原作での彼というよりも、むしろ────

 

『マヤがいるのか? 凄いな……俺は救えなかった。それに……そうだな、ハリマはまだか? 覚えてるだろ、やたの鏡を使うことは。……そうか、ベロニカに会っていないからケトスが呼べず、てことはネルセンの試練も……』

「よく喋るな、本当に……ドラゴンクエストの主人公なら、『はい』と『いいえ』しか喋らないんじゃないか?」

 

 俺の言葉に彼は我が意を得たりと首肯し、後ろで一つに束ねられたサラサラの長髪が揺れる。

 色も落ちきった白髪の彼は、勇者というよりもどこか魔王(ピサロ)のようだった。

 

『ここで干渉できる時間は限られているから、用件だけを単刀直入に言うぞ。……ユグノア城跡に来い。そこでお前を待っている』

 

 夢うつつのまどろみの中、彼の正体は大体の検討がついていた。

 

『不完全な勇者の剣で過ぎ去りし時を求めた結果、俺とお前は分かれてしまった。で、今の俺はただの残響に過ぎない。ピッコロ大魔王や魔人ブウみたいなもんだな』

 

 冗談めかした彼の物言いは、本当に俺が気づいていない時のためにヒントを散りばめられていた。

 過ぎ去りし時というこのロトゼタシアを巡る物語に付けられた副題。

 

 それに────ピッコロ大魔王や魔人ブウ(前世にしかない漫画の知識)など、この世界で"俺"以外の誰が知るものか。

 

『いいか、ユグノア城跡だ。行けば想像を絶する苦痛と困難がお前を待っているだろうが、そこは自分で何とかしろ。ニマ大師にしごかれて、いくつか死線も超えたか? レベルも四十を上回っているみたいだしな』

 

 言うが早いか、白髪の『俺』の姿がアーウィンの鎧姿へと戻っていく。

 

『ん、もう時間か。まぁ、アレだ……覚醒イベントだよ、明け透けに言うとな──』

 

 ────そうして『俺』は、俺の夢から去っていった。

 

『ああ、口惜しい……』

 

 夢が、元に戻っていく。

 何事もなかったかのように続いているその夢の中で、俺は無性に意識がハッキリとしていた。

 

 以前にも見た、過ぎ去りし時を求めた俺だろうか。

 むかし俺を呼び寄せたルビスのように、言いたいことだけ言い尽くして消えていった彼の言葉を反芻する。

 

 分かれたはずの残響がここに来て俺の前に姿を見せたのは、覚醒イベントとやらのためらしい。

 本来ならメタ発言も良いところだが……同時に、その言動から俺そのものであることが確信できた。

 

「……できれば、お前も迎えに行くよ。あくまで父さんと母さんたちの解放のついでに、だけれど……」

 

 ────意識が、浮上する。

 

 ガバリと布団をはだけながら上体を起こすと、月明かりとは違う光が俺の近くから漏れ出ていた。

 視線を落とすと、勇者の紋章が淡く光り輝いている。

 

 次第に収束し一本の線となった光は、西のユグノア城跡を指していた。

 




 独自設定・メタ要素ともに強めな回です。
 主人公を越えるメタ視点である読者から見てオリ主とオリ主の対話という構図が大半を占めてしまわないように、後半はあえてあっさりめに描写しています。


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サラサラの26:追憶の始まり

 

 望外の僥倖というべきか、不測の事態とでも言うべきか。覚醒イベントとやらも控えたユグノアへの道すがら起きた出来事は、時系列を少しだけ整理しながら、順を追って話を進めたほうがいいかもしれない。

 たぶん原作を知っているならば、そして何より俺自身の予想を超えた邂逅が同時多発的に起こっているような、信じがたいような出来事の連続だったから。

 

 これはユグノアにおける目的のすべてを終えた俺が命の大樹を通して視る"追憶"であり、あの時を振り返るように懐かしむ俺の、まどろみの中に零れた間隙の中の観劇談だ。

 

 その物語をはじめから紐解いていくためにも────まずは、グロッタの道中で起きた比較的小さな一件について語ろうか。

 

 

 

 

「大変だッチ! 勇者サマがいきなり現れたッチよ!」

「たぶん、草むらから飛び出したのはきみの方だと思うけど」

 

「おいイレブン、しゃがみ込んでなにをブツブツ話してんだ?」

 

 小鳥ほどの身長に対して引きずるようにひょろ長く伸びる手を必死に動かして半透明のそれは驚きを告げるが、カミュは俺に怪訝な顔を向けるだけであった。

 どうやらこのユニークな生物が、皆には見えていないようだった。

 

 長い手に半透明の身体、そして俺、正確には勇者以外に見えたり触れたりされることは決してない。これらの特徴を持つそんな彼らは「ヨッチ族」という。

 時を司るありがたい種族であり、それでいてそんなありがたみもあまり感じさせないような、なんとも言えないゆるさを持つ種族でもあった。

 

「俺の頭がおかしくなっていない前提で聞いて欲しいんだけど、ここに小さくて半透明の生き物がいるんだ」

「はぁ? 何いってんだ?」

「だろうね。俺もマヤの立場ならそう返す。だけどね、これは事実なんだよ」

「……今更だけど、おれってこんな不思議ちゃんに助けられたっての……?」

 

 怪訝な顔でこちらを見るマヤを含め、皆の反応はおおかた予想通りだった。ヨッチ族の実在を証明するのは、それこそ彼らの村に連れて行ってもらうくらいしかないのだから。

 そして、それが叶うのはおそらく英雄たち、いわゆるドラゴンクエストシリーズ歴代の主人公たちが記録された冒険の書が何者かによってめちゃくちゃに書き換えられる大事件(実際は、ヨッチの族長が起こした勇者への力試し)が起こるまでおあずけになることだろう。もうわかりきっている未来なら、そんなことするなと族長に言い含めておきたいが。

 

 さて、彼らヨッチ族がなぜここまで動揺しているのかは分からないが、とりあえず話を聞いてみる。

 仲間からの怪訝な目など慣れたものだ。ショックなんて受けてないんだからね。

 

「落ち着いて聞いてくれ。俺が勇者だとして、なんでそんなにも動揺する?」

「勇者サマは死んだはずだッチ! 現に、ここから先のユグノア城で魂が魔物に囚われちゃってるんだッチよ!」

 

 ……ん? 少し話が噛み合わない。齟齬があるというよりも、まるで俺以外にもう一人勇者が存在したような口ぶりだ。ヨッチ族は命の大樹に親しい種族であり、勇者を見間違えることはない。これは原作でもサマディー王国への道中という、まだ勇者の力の一端のみを使え始めたようなタイミング(体験版)でも勇者を見抜いた実績からわかることだ。

 そして、先のヨッチ族の発言に俺は心当たりがあるし、動転している彼の要領を得ない説明と思い違いを一つひとつ解きほぐすと、こういうことだ。

 

 ひとつ、彼の指している死んだはずの勇者サマとはおそらく過去の、過ぎ去りし残響たる以前の俺のことだ。時に近しい種族であるが故に時間感覚に大変ルーズな彼らはおそらく、以前の俺の残響を俺自身だと思っている。このあたり、詳しくやれば話が入り組みすぎる割りには端的に言って「特殊な人違い」の一言で済むので次へ。

 ふたつ、その勇者はユグノア城に囚われているらしいこと。これは俺の見た夢とも一致する、ユグノアに関する俺個人のモチベーションの一つだ。原作通りの墓参りとは違い、俺はたぶん、アーウィンやエレノアを自身の父母だと思うことは原作よりもいっそう難しいだろう。

 ルビスによる召喚によって勇者となった俺自身は哲学的に言えば五歳ほどから発生し、その時点で既に生前の俺の記憶すべてを保持していたからだ。このあたり、実際に会えば感想が変わるかもしれないが、それも今は主題じゃない。

 そんなわけで、俺個人としては「以前の俺に会う」ことをモチベーションとして動いているところがあった。過ぎ去りし時を求めたということは、俺たちの求めたハッピーエンドはおそらく迎えられなかったのだろう。だから、その無念を継ぐために俺はユグノアへ足を動かしている。覚醒イベントとやらはまあ、期待はしすぎない程度にだが。

 

「その勇者は以前の俺だ。説明すると長くなるけれど……」

「! ────そういうことッチね!」

 

 ポン、と長い腕を器用に先端で合わせて勝手に納得するヨッチ族。どの辺りで納得してくれたのかは分からないが、どうやら丸く収まったらしい。こういう時は相槌を打っておくのが一番だと、俺の経験が言っている。ドラクエ主人公の特権だろうか、うなずくだけで大体の情報はあちらから話してくれるのだ。なぜか。

 

「お願いだッチ、勇者サマ! 魔物のとっておきのデザートになった勇者サマの魂を救ってあげて欲しいッチ! あれじゃあ勇者サマがあまりにかわいそうだッチよ!」

 

 魔物、というのは夢を操り絶望を主食とする悪趣味な魔物、バクーモスのことだろう。元よりそのつもりである俺は、間を置かずに頷いた。

 

「!! さっすが勇者サマ! チカラ強いお返事だッチ!」

「あのー、イレブン? そろそろ行かないと、日も高くなってきているわ」

「わかった。そろそろ行こうか」

 

 それじゃあ、と指でつまむようにして彼の手を握り、半透明で冷たい彼らに確かな意思を伝えて立ち上がる。

 仲間の目がどんどんと「長旅で疲れが……」「勇者として、王子として思うことも多いじゃろう」とお労しいものを見る目になっていたことは断じて、断じて関係がないが、そろそろ本道に戻るべきなのは間違いない。

 

 ヨッチ族のお願いは、俺の目的にも合致している。理由は分からないが、これらもすべて「行ってみれば分かる」ことだ。

 直感だとかそういうものではなく、俺が俺自身ならそう取り計らうという確信の上でそう思う。

 

 もし俺がハッピーエンドを迎えられなかった時、過ぎ去りし時を求めるまでに無策で挑むことはおそらくない。そんな不用意な性格ならドゥルダで修業なんかしていないし、お気楽勇者として幼少期から16歳の旅立ちに至るまで、エマとガッツリイチャイチャ方面へ舵を切っているだろう。*1

 

 さて、長い手を振るヨッチ族に見守られながら長いユグノア地方の旅、グロッタまでの道中へ戻るわけだ。のちの道すがらでは他に変わったことが起きなかったことを鑑みて整理するならば……後からそうだと知った時系列の通りにお話を進めていくのがやはり望ましい。

 

 それならば、我らが旅芸人にして凄腕の剣士シルビアと、なんの因果か彼に見つかってしまったがゆえに俺たちとも原作より数段早く邂逅することになった、双翼の片割れたる白き彼のお話をするべきだろう。

 彼らと俺たちは、のちに道を同じくすることになったのだから。

 

 

 

 

 靴を隔てて痒きを掻くとはこの事かと嘆息が口をついて出る。

 ああ、鬱陶しいことこの上ない。

 

 頼んでもいないのに隣へ勝手にまとわりついてくる奇抜な服装の旅芸人であるシルビアに、私──ホメロスは現在、非常に辟易していた。

 

「またため息? 早く迎えに行ってあげなきゃ、幸せが逃げていっちゃうわよ?」

「チッ……誰のせいだと思っているんだ」

「あら、まさかアタシなの? それなら、お詫びにとっておきの」

 

 シルビアがなにかを取り出そうとする仕草を全力で止める。

 

「やめろ、私の真横でとっておきを披露しようとするんじゃない! 次は何が出てくるか知らんが、すでにどんどん人が集まってきているだろうが!」

「いいことじゃない、活気があって!」

「私にとっては、まったく、良くないんだっ! クソ、こいつといると隠密行動も何もあったものじゃないな……」

 

 この女──世間にそこそこ、いや、かなり名を知られる旅芸人であるコイツ────シルビアの存在が、今の私にとってはすこぶる腹立たしく、もどかしい目の上のたんこぶのようなものだった。

 人目を憚るどころか見せびらかすその軽率な振る舞いに、ここグロッタの民は惹き付けられているというのも度し難い。これでは、私の任務は遂行などできたものじゃない。 

 

 ……いや、そもそもこいつと出会ったプチャラオ村の時点から、歯車は既に狂ってしまっていたのだろう。ある種のカリスマとも呼べる、人を惹きつける魅力を持つ彼女は、得意の軽業や軽妙な語り口で意図せずして常に周りに人を呼び込み、その度に私の任務のことごとくを邪魔しているのだった。

 

「さあ、みなさんのリクエストにお答えして、次はとっておきの……」

 

「だからやめろと言うにっ!」

 

 ────嗚呼、早く私に興味を失ってもらえないだろうか。秋の濡れ落ち葉のように引っ付いては離れないこいつがいる限り、私の思うように事は進まない。

 キャラバンにでも所属していれば帰るように促せるが、こいつはまさかの一人旅ときた。

 

 なんなんだこいつは、本当に。 

 

 制止を聞かず"とっておき"を披露し、大通りを埋め尽くすほどの町民たちが大量に集まってしまったのを見て、こめかみを貫く頭痛から逃避するように、私はここまでの道中を思い返していた。

 

『"イリアス"ねぇ……名前は聞いたこともないけど、騎士が一人旅なんて珍しいわね。丁度いいわ、一緒に近くの村まで行きましょう! 旅はナントカ世はナニカ、って言うじゃない?』

『「旅は道連れ世は情け」だ。ほとんど何も覚えていないじゃないか。……そして、この言葉は私が最も信用ならないと考えている言葉のひとつだ。準備もなしに一人旅など、まともな感性を持った奴のやることじゃない』

『ま! このアタシの前でいい仏頂面をしてくれるじゃない。……そんな顔されるとアタシ……アナタの笑顔ってやつを、がぜん見たくなってきちゃったわ!』

 

『……勝手にしろ』

 

 シルビアの反りの合わない態度に呆れ返り、勝手にしろと早歩きで振り切ろうとしたのが運の尽き。

 

『それじゃ、勝手についていっちゃおうかしら?』

 

 仮にもデルカダール筆頭の騎士である私に(最後には本気で走ってもなお)容易く着いてきたこのシルビアという女は、その後も事あるごとに騒ぎを起こし、トラブルを起こし、そのトラブルも無駄に洗練された身のこなしとやけに高い処理能力で華麗に解決し、こいついわく人々に笑顔を振りまくための旅をこなしていた。

 

「悪さをしてた壁画ちゃんとの戦いで、アタシたちも息が合ってきたんじゃないかしら」

「誰が貴様といいコンビだ。こちらが合わせただけに過ぎん」

「へえ、ひとりのアナタにも昔はいいコンビがいたの?」

「詮索は無用だ、旅芸人風情が私に立ち入るな」

「ま、怖い顔。アナタは笑顔のほうが素敵よ、イリアス」

 

「……貴様に何がわかるというのだ」

「なんでもお見通しよ、アタシには。アナタがいま、笑っていられる余裕もないようなつまらない人生に足を引っ張られちゃっている……なんてことも、ね?」

 

 私の過去など知りもしないまま、私の笑顔など見たこともないだろうに、素敵な笑顔を見せてほしいとシルビアはそう言って朗らかに笑う。

 こいつの存在そのものが私への当てこすりなのではないかと被害妄想にも陥りかねない、もはや芸術的な神経の逆撫でっぷりだった。

 

 そして、案の定集まってきた野次馬たちの人だかり。私は秘密裏に動く必要があるのに、これではまるで任務にならん。もはや半ば諦め調子ではあるが、ウルノーガ様の厳命であるからして放棄するわけにもいかず、単独調査の期間はズルズルと伸びて、既に数週間が経っていた。

 

 だが……『ユグノア地方を探れ』とは、ウルノーガ様も何を考えておられるのか。勇者の兆しであろう光の柱については私の手の者がクレイモラン近辺の港が出どころである、と突き止めたにも関わらず、このような廃墟も同然の打ち捨てられた土地にいまさら赴いて、一体なにがあるというのだろうか?

 少なくとも、そこにウルノーガ様が恐れるものなどあろうはずがないのだから。

 

 ユグノアにあった勇者の血は既に絶え、脅威など見つかるはずもないし、あるとすれば……故郷を偲ぶ心惜しき民の献花と、いまはこの辺りで少ない非番をその献花に明け暮れているであろう、我がデルカダールの双翼たる将軍のしょぼくれた顔くらいのものだろうに。

 

「そういえば、だけど……それにしても許せないわよね、魔王ちゃんったら! みんなを目で楽しませてくれる絵画の世界を利用して誰彼かまわず笑顔を奪っちゃうなんて……アタシ、そういうヒトは許せないわ!」

 

 魔法の鍵と小型の魔法の扉を使ったマジックショーを終えて、おひねりを大量に頂戴したシルビアはぷんすかと珍しく怒りをみせた。

 

「……」

 

 その話に対して素直に頷くことは、ウルノーガ様に……いや、過去、陛下に化けたウルノーガに屈して配下となった俺にはできそうもない。

 

 ────ふと、昔を思い出す。

 ただグレイグと研鑽を続け、モーゼフ陛下が正気であられたあの頃ならば、いま発されたこいつの言葉に一も二もなく同調できたのではないか……と。

 

 要らぬ感傷だと切り捨てようとし、それでも霞みがかった頭には確かな澱みが残る。

 

「チ……そんなもの、興味がないな」

「ふうん。……そのわりには苦しそうな顔をするのね、イリアス」

 

 シルビアの見透かすようなその目は、私を更にかき乱す。

 

 結局、イリアス───デルカダールの白き片翼であるホメロスたる私は、結びの緩んだ後頭の紐を乱雑に結び直してその感傷に蓋をした。

 

 

*1
幼少期、無策でイシの三角岩にタイムカプセルを取りに行ったことは都合よく忘れているらしい。




 お待たせしました。いえ、お待たせしすぎたのかもしれません。
 サラサラの追憶編にかかわるすべての事柄についてある程度考えがまとまったので、ここから更新速度が上がったり上がらなかったりしていきます。
 劇中ではすべてを体験したイレブンと語られている時点のイレブンの意識が混在する形で進んでいきますが、これはあえての仕様です。
 基本は読者の皆様と同じ立ち位置にいるイレブンの語り口で進み、ときおり紙芝居をめくるように物語を進めていく未来のイレブンが追憶を辿るように進行していくのが、今回の「追憶編」の由来とその根幹に関わる要素であるからです。
 イメージとしてはFFXにおけるティーダの追想や、スパイダーマン冒頭によくある「ぼくのことを知らないって? わかった、それじゃあ最初から始めよう!」などの描写の派生形と考えてくだされば分かりやすいかと思います。

 今回はその手始めとして、ヨッチ族の登場回とシルビア・ホメロスコンビのお披露目回をお送りしました。特にホメロスとシルビアの、方向性は違いつつもともに騎士道から外れた二人の化学反応にもご期待ください。
 作中でシルビアは"女"として描かれていますが、これはシルビアの性自認を尊重し、かつダーハルーネでのカミュの発言などなどを基にした描写であり、性転換ではありません。
 シルビアはソルティコの騎士ジエーゴの息子ゴリアテですし(大ネタバレ)、騎士道を理解しながらも自分の信念を貫くことを両立したステキなおねえさまでもある原作通りの人物像です。
 今後も"女""彼女"と描写はしますが、その点については誤解なきようお願い致します。

 ちなみに二人はチラッと描写した通りプチャラオ村近辺で出会っており、この際に原作ボスであるメルトアは画面外で二人に倒されています。(メルトアの持つまほうのカギも現在はシルビアたちが所有しています)
 たったひとりであろうと絵画に誘うために迷子を装うメルを放っておかないであろうシルビアはここでメルトアに引っかかり、ホメロスはその巻き添えを食らってはからずもウルノーガの手駒をひとり失わせる大失態を起こす形になっていたりします。(残念ですね)
 パーティ二人縛りでメルトア戦とはなんとも苦行じみていますが、ホメロスとシルビアなら攻撃回復バフデバフと実は一通りの手段が揃っているので、そんな苦行を乗り越えてなんとか倒せたことでしょう。たぶん。

 余談ですが、考えていた副題のもうひとつは「オーレ!シルビア! 双翼の白騎士と旅芸人」でした。そっちでもよかったかもしれませんが、シリアスめの導入にしたので今回のサブタイトルと相成った経緯があったりします。


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サラサラの27:グロッタの杞憂

 

「……あれ? ……邪モンスター反応が、消えた?」

 

 ここはグロッタ。閉め切られた屋内だからこそ為せる、むせ返るような昼夜なき歓楽の町だ。

 ユグノア地方最東端であるここでは、ユグノア滅亡以前から腕に覚えのある闘士たちが思い思いの仮面を被って集まり覇を競う大興行『仮面武闘会』が行われている。

 

 そして現在はこの大舞台のエントリー期間ということで、腕っぷしのよさそうな男たちや美麗ながら修練を積んだ肉体を惜しげもなく見せつける女闘士たちで溢れかえり、そのファンや観客たちもどうと押し寄せ、グロッタの町は年に一度あるかないかという程の熱狂の坩堝となっていた。

 

 俺たちは本来ならばここに寄るはずではなかったのだが、(まことに勝手な話ながら)俺の魂を媒体に精霊ルビスと命の大樹たる聖竜の力がリンクしているらしいおかげで、世界各地の邪神の蠢動を自動的に感知する邪神レーダー機能を搭載している俺の左手の甲に刻まれたこれ(勇者の紋章)が今回、このグロッタの町の修道院地下を指し示していた事がこのグロッタに寄ることになった直接の要因だった。

 

 修道院といえば、そう、全長にして大人の身の丈を五倍以上もゆうに越して余るほどの巨大な体躯を持つ蜘蛛型の魔物『アラクラトロ』が真っ先に挙げられるだろう。

 孤児院を併設する修道院の一部崩落によって発見された洞窟から現れた先代勇者ローシュ時代の怪物であり、邪神の配下の中でも人心を利用した狡猾な手段で生者から搾り取るように自身を強化するためのエキスを集めるといった悪事を原作で働いていた、非常に悪趣味な魔物である。

 

 邪神の配下に悪趣味でない魔物はおそらくいないが、そこはまぁ置いといて。

 重要なのは原作から十数年前。おそらく現在の時系列で言えば十年経つかどうかといったところだろうか。

 

 その時期に当時デルカダールのいち近衛騎士であったグレイグが単独で討伐を為し、彼が"英雄"と称されるようになった発端を作った魔物であるという部分のほうが、アラクラトロに関しては物語としてのウェイトが大きい。

 

 その影響力は計りしれず、今も入口からすぐ目につくよう建設された仮面武闘会用のコロシアムには大剣を掲げた英雄グレイグの目測で4mは越えているのではないかという石像彫刻が、ガレオン船の船首像(フィギュアヘッド)のごとく、コロシアムを飛び出す形でデカデカと飾られているほどだ。

 

 原作においてはアラクラトロや町民の一部が言及するのみでほぼ全貌の語られないこの事件だが……いやはや一体どれだけの吉報が、町じゅうのどれだけの人口に膾炙したらこうなるのやらといった風情の石像彫刻である。

 デルカダールのもう片翼かつ自己顕示欲の強いホメロスがこの像を見たら、あまりにも目に見え過ぎる水の空けられ方にその場で憤死しそうに思えてならないなぁ。

 

 さて、話は冒頭の俺の素っ頓狂かつ現在置かれた俺たちの状況をつぶさに的の中心へ据えた説明的な台詞についてのお話に戻るのだが────実は先ほど、グロッタの町に入る直前に大きな揺れがあり、その後、急いで町に入ったところで紋章の光が消えた。

 

 当の俺は左の手袋から漏れ出るそれを隠しながらやや不自然な体勢で歩く必要がなくなったというわけで少しありがたい気持ちもあるのだが、実のところ、ドゥルダでの免許皆伝を受け勇者として冒険を始めてから幾星霜。

 

 この現象、邪モンスターの反応が消える事態についてはどうにも初めての経験だった。

 

 邪神はどうやら勇者たる俺のそばをある程度以上離れられないらしく、先代勇者ローシュの恋人であった賢者セニカの大魔術による封印"勇者の星"により本体を閉じ込められている今、表裏一体の闇の端末として、勇者の光に紛れてヨッチ族に似た性質を持つ邪神の端末をこの地上に送り出している。

 

 その端末は俺の周りで邪モンスターの素養がある魔物に乗り移っては騒動を数限りなく起こし、その度に俺が鎮めにいくという流れを裏でロケット団のムサシ・コジロウのごとく繰り返しているわけなのだが……その割愛していた大量の邪モンスター襲撃事件においても、このようなことは一度もなかった。

 

 邪モンスターは一般に強く、十把一絡げの雑魚モンスターでさえ、まさに俺たちの一行のように修業と実戦を積んだ手練れが数人掛かりでやっと倒せるようなものなのだ。

 

 それを、しかも原作においても毒と混乱に行動不能に至るほどの多量の糸吐き、そして、そもそもの攻撃力の高さによって多くのプレイヤーを苦しめたボスモンスターであるアラクラトロの反応が、消えた。

 邪神の憑依を受けた魔物は今のところ自然消滅した例はなく、となれば必然、俺たち以外の誰かがその強敵を倒してしまったということになる。

 

 ……俺はこの時、むしろ警戒態勢に入っていた。

 このような芸当ができるものは、世界広しと言えど十本の指で足りる。ニマ大師や聖竜そのものなどの隔絶した強者か、それこそたかが邪神の配下一匹に対して王の執務をほっぽりだし、なぜか相当アグレッシヴに潰しに来た魔王ウルノーガ本人くらいだろう。そのくらい、突拍子もない出来事なのだ。

 

 もしくは、あまり考えたくはないが……"英雄"グレイグの再来という可能性もある。

 ただのグレイグの再来と謳われるレベルの一般戦士ならいいが、それがまかり間違って本人ならまずいことになる。

 

 デルカダール王に化けた魔王ウルノーガの奸計によって『勇者=悪魔の子』論に傾いているであろう彼と出会うのは、非常によくない。

 いま戦ったとて一応それなり以上の手練れである俺たちで囲んで叩けばその場でグレイグには勝てるかもしれないが、その後の展開がまずいのだ。

 

 この世界は剣と魔法のドラクエ世界であり、それらを組み合わせて戦う少年魔法戦士など珍しくもない……とは流石に言えないくらいには相応に目を引くが、俺の場合はそのようなサンポくんのごとき利発な少年のたぐいとも更に話が違う。

 

 俺の戦いは勇者の力を否応なく想起させるような、勇者のみが扱えるはずの雷を使った独特のデイン系呪文と、先代勇者ローシュの伝承に明るければ即座にバレる、勇気を原動力としてエネルギー体の剣に変える、覇王斬の応用剣技が中心だ。

 そしてグレイグは幼少期においてその手の英雄譚の愛読者であり、現在進行系で理想の騎士たらんとする正真正銘の傑物だ。

 

 彼がいくらウルノーガに乗っ取られた主君に16年間も気づかなかったハイパー鈍感な朴念仁男*1であろうと、ここまで証拠が揃えば確実にバレる。

 勇者の戦いを間近で見てきたこともあり、一緒に修業を重ねた過去すらある魔王ウルノーガ本人であればなおさらだった。

 

 もっとも、その戦闘技法を抑えてドゥルダの拳法*2だけで勝てる相手じゃないのは原作での描写とアラクラトロ単独撃破の実績から分かりきっており、それでなお運良く事が運んで勝てたとしても、次にやってくるのはデルカダールに潜む魔王とその配下を含めたデルカダールの全軍だ。

 

 ここまでくれば、犠牲になるのは俺だけじゃない。このシナリオだけは一貫して避けていたのに、ここで可能性が少しでも生まれるとはなんとも度し難い。

 

 ああ、どうか邪モンスターを倒したのがグレイグやウルノーガじゃありませんように。

 デルカダールとユグノアは海を隔ててなお相当に離れているため、魔王のくせにちゃんと日々の執務はこなすウルノーガの可能性は限りなく低いが、グレイグに関しては10年前のユグノアの悲劇に立ち会っていることや、グロッタの町の英雄であることなど、やけに運命が噛み合いそうな相似点が掠っているのが俺の頭をさらに痛くする。

 

 ご存知のとおりではあるものの、この世界は俺にとって現実だが、元はゲームの世界である。

 ご都合主義の合縁奇縁は当たり前で、イヤな予感はほとんど当たり、俺が動くたびに、与り(あずかり)知らぬような世界の外側でも大きな思惑が蠢いている。

 

 そんな、おおかた現実よりもドラマチックに展開するような運命が主人公である勇者には紐づけられているのだ。(自分で主人公というと非常にむず痒いが、このあたりは他に言葉も見つからないので勘弁してほしい)

 その辺りの好例としてはシャールとの出会いもしかり、カミュやマヤを助けた一件もしかりだろうか。

 

 だが、同時に俺は邪神との縁を切れない。この世界において、光と闇は常に表裏一体であるとされているからである。もはや身も蓋もないくらいに、"そういうもの"なのだ。

 

 ────そう、俺の懸念とはこの自身の飛び込んでいるその奇妙な運命そのものであり、転生した原作知識ありの勇者の物語としてもっとも"おいしい"のは、主人公がこのあたりで若きグレイグに出会うこと、となるだろう。

 

 覚えておいてほしいことは一つ、この世界ではイヤな予感は大抵当たるということだ。

 どうか、どうか今回ばかりは大外れってことになっちゃあくれねーかなぁ。

 皆とグロッタを軽く観光する間も、思考の渦はどうにもこうにも断ち切れなかった。

 

 そうして考えはまとまらないまま、グロッタの宿を二部屋ばかり確保する。

 当初は空いていないという話だったが、ロウが受付に耳打ちをすると、やけに笑顔かつ分かりやすいほどの手もみをした町長が直々に現れ、最高級の宿を手配してくれた。……ユグノアにおいてロウの影響力はいまだ大きいようだ。

 コネやツテはしたたかに使う辺り、やはり抜け目ない我が祖父だった。

 

 男女に分かれ、ロウは町長のもとへなにやらお話に。すべてが屋内に収まるここでは分かりづらいが、今はもう夕方を越え、夜に差し掛かっている頃合いだった。

 上質な手触りのシーツを敷いたラベンダーの香水が漂う天蓋ベッドにシャワーで清めた頭を置いた俺は、隣で豪華過ぎて背の高い椅子の適切な位置取りに悪戦苦闘するカミュを見やる。

 数秒すると持ち前の器用さでざっくばらんに足を組み、地上三階となるスイートルームの窓際から、外の喧騒を見下ろしていた。

 

 柔らかなベッドの魔力に憑かれ、落ちるまぶたに逆らいながら、つぶやくようにカミュへと話を振る。

 

「邪モンスターがいないなんて、はじめてだ」

「ああ、たしかにな。でも、そこまで深刻に考える必要もないんじゃないか? マルティナとロウのおっさんによれば、町は無事で犠牲者もなし。どこの誰かは知らねえが、最上の結果を出してくれたんだ。しかも、こんな夜更けにな」

 

 ふぁ、とカミュの口からあくびが漏れた。

 カミュは年上の矜持なのか、俺より先に寝たがらない。精神年齢を考えてしまえばどエラい年上の俺からしたら、三歳ほどしか変わらないカミュのことは息子も同然であるからして、健やかに、早めに寝ていてほしいものなのだが……肉体年齢的には10を越えたばかりの子どもである俺もカミュが我慢できる程度の時間には眠くなっているので、カミュには存分に兄貴分として甘えておこう。

 

 この魂と肉体が一致していないことによる、肉体年齢に精神年齢が引っ張られていくこの乖離はイレブンとして意識の覚醒した五歳当時の俺にとっては難儀したものだが、今となっては慣れたものだ。

 普段は童心に従い、ここぞという時に意識をはっきりさせる。天蓋ベッドを土俵にした精神的な綱引きは、今日も子どもの自分の勝利のようだ。睡魔が俺にもやってくる。

 

 緊迫した状況ではあるが、ここまでの旅で肉体は想像以上に疲れている。

 無理をしてはこの後に控えるユグノア城跡でのバクーモスとの戦いに差し支える。つらつら理由を並べ立てながら、無常にもまぶたは閉じていく。

 

「よく寝ておけよ、イレブン。……おやすみ」

 

 埋没する意識の中で、羽のように軽い布団を掛けられた感覚がする。

 妹の扱いをよく知るカミュは、弟分である俺のことも同様に優しく扱うことが多い。

 

 今日一日の道中にもあった、もはや日常と化した邪モンスターとの十番勝負どころではない連戦に次ぐ連戦は、一般人の心を捨てきれない俺にはいまだ負担が大きく、次第に心がヒリつき、強張っていく。

 それをカミュは……いや、頼れる旅の仲間たちはそれを理解して、元々グロッタの町でモラトリアムを設けてくれてくれるつもりだったのだろう。

 

 大樹を通して追憶を辿る今から振り返れば、そうであったと確信できる。

 

「さて、マヤの様子も見てくるか。あいつ、明日のことで眠れなくなってなけりゃいいが……」

 

 ……眠りについた俺を見たカミュの口からポロッとついて出たこの一言が、その確信をより一層深めていたことも、その一端ではあるだろうか。

 

 それは明日の早朝、部屋に運ばれたおそろしく豪勢な食事を男三人で平らげた後、すぐに分かることだった。

 

「ところでイレブンよ、恋はいいぞ。なにせ、心を豊かにし」

「バッ──わー! わー! ……おい、いきなり何言ってんだロウのおっさん!

 

 ────恋はいいぞbotと化したロウの言葉を必死に遮りつつ小声で叱るという器用な真似をするカミュに首を傾げる当時の俺は、現在の追憶する俺から見ても、よくこれで勘付かないものだと呆れ半分、お笑い半分だった。

 

 賑やかな町での小休止、前日の寝心地ですっかり疲れの取れた少年がひとり。

 気がかりは多いが、グロッタの滞在はあと一日ある。ここはひとつ、ふしぎな鍛冶で装備でも整えて……。

 

 そう考えながら何故か妙にそわそわとするロウとカミュの二人を横目に部屋を降りた俺が皆の思惑に気付いたのは、精一杯のおめかしをしたマヤが、直近で一番のいい笑顔のマルティナによって、俺の方へ向かうように小さく背中を押されている瞬間のことであった。

 

「よ、よぉ……イレブン。その……おはよ」

 

「う、うん。おはよう……マヤ」

 

 マルティナの手で俺の前にぴょんと飛び出し、慣れない小洒落た可愛らしい靴にたたらを踏んでピタリと俺の真正面に留まったマヤは、真っ赤に染まった頬の温度を手で確かめるように添えてから、数秒の沈黙を経て、彼女と俺はいつもよりぎこちない挨拶を交わした。

 

 ……俺のいるこの世界は現実ではあるが元々はゲーム、往々にしてドラマチックになるよう物語は進むと言ったが……。

 今回の方向性はどうやら、メロウで甘い物語の方に片寄っていたらしい。

 

*1
言い過ぎ。

*2
この世界のドゥルダ郷の技術は重力トレーニング施設の開発やイレブンによる魔力気弾の発明などもあり、ほぼドラクエの世界観相応にスケールをチューニングしたドラゴンボールと化していたりする。




 というわけで、次はイレブンとマヤのデート回です。
 読者の皆様にも難しいことは一旦忘れて、この作品に恋愛タグが付いていることを思い出してもらうでがすよ。
 以降はシリアスな展開が続いてゆく(かもしれない)追憶編における箸休めにちょうど良いお話になるはずです。
 それではどうぞお楽しみに〜。


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サラサラの28:モラトリアム

 

 グロッタの朝に、青い令嬢が舞い降りた。こういった歯の浮くような表現がサラッとよぎってしまう辺り、そろそろ俺の頭ユグノア*1も極まってきたと見える。

 

 そういえば最近、こういうドレスを仕立てて欲しいとカミュを介して匿名依頼が入っていたのを思い出したが、いやはやまさか、依頼主がこんなにも近くに居たとはと仰天しきりだ。

 

 白を基調としたワンピース型のドレス。青い薔薇の刺繍が要所要所にあしらわれ、お出かけ用にと動きを阻害しないスカートの丈は七分ほど。

 

 年中暑いグロッタにはちょうどよいノースリーブの袖口はマヤの白い肌を際立たせ、俺の目にはいささか背徳的に映っていた。

 

「……イレブン、その……」

 

「うん。似合ってるよ、マヤ」

 

「!? っ────このバカ! ばかイレブン!」

 

 なぜだ、正直に感想を言ったのにシンプルな罵倒をされたんだが。でも罵倒のバリエーションが少なくて可愛いね(頭ユグノア)。

 しかし、マヤの桜色に染まりつつある頬とロウたちの後方腕組み頷きっぷりから見て、それほど正解から遠くもなさそうだ。

 

 さて、幼馴染のエマやシャール王女、それに長いこと旅を共にしたマルティナとの逢瀬の経験から思考停止(童貞フリーズ)を辛くも免れたいま、一から状況を整理していこう。

 

 ひとまず現在地はグロッタ、ユグノア地方もしくは世界きっての歓楽街における最高級宿のエントランスホール。

 時間は朝、与えられたのは夕方までという一日に等しい猶予時間(モラトリアム)

 ロウと町長が旧交を温める茶会の、その時間つぶしという名目だ。

 

 そして、目の前にはおしゃれを重ねたマヤの姿。

 

 よくよく見るとウチのD.R.D商会の新作であるスライムゼリーといやし草を原料としたオーガニックなリップグロスが彼女の唇を彩っている。

 

 ふだんは飾り気のある服やおしゃれなアイテムよりも高価な黄金や珍しいお宝に目がないマヤにとって、むしろ今日は相当に気合を入れているものと推測するのは簡単だった。

 

 そこから導き出される答えは明快だ。

 いくらなんでも、ここまでされて自分の置かれた状況が分からないほど鈍感でもない。

 

 ──サプライズデートの時間だな、これ?

 

 それはワトソン医師でもアドバイスなしに初見で分かるような、ホームズ要らずのアブダクション推理であった。

 

 ……しかし、サプライズはされるばかりじゃお返しもままならない。

 俺は無言で胸に手を当てて自身に向かい魔力を流すと、勇者ゆえに変質した魔力は周囲に軽い放電を促した。

 

「ふん!」

 

「は? おいイレブン、何してんだっ!?」

 

 カミュが驚いてツッコミを入れる姿に、期待通りの反応をもらえて顔が綻ぶのを取り繕う。

 もちろんこの行為はマヤの可愛さに心停止したことから斬新なAED治療を行ったわけではなく。こんな事もあろうかと、作ってよかった新機能のお披露目のための行為なのだ。

 

 魔力は俺の愛用する紫地の旅装を駆け巡り、一時的に再構成されてゆく。

 もちろん雷光で全身は包まれる。それが自分であろうが、野郎の要らないお色気シーンはカットに限る。

 

 ────魔力の雷光が霧散したその場には、青地に金の装飾をあしらった、いかにも王子様然とした装いの少年がひとり。

 

 旅の途中で思いついた「おしゃれ装備」のひとつ「王子の服」を着た俺こと、イレブンが佇んでいた。

 

「本当はかなりフォーマルな場で着る想定のものだから少し大仰かもしれないけど、ね」

 

 予防線を張りつつも、どうせならポーズでも決めようとタイを締め直すふりをする俺をよそに、皆は一様にぽかんと口を開けていた。

 

「そろそろ正装も必要でしょ? 皆に内緒で作っておいたんだ。こうしてすぐに着れる機能付き!」

 

 いい加減、ドゥルダの僧兵兼ロウたちの従者では通らない場面も多くなるだろうと密かに用意していたものが役に立つとは、鍛冶師、もしくは裁縫師にして錬金術師?

 まぁそんな感じのごった煮な勇者の俺としては、お披露目の機会がごく自然に訪れて嬉しい限りなのだが……

 

「ご感想は、お姫様?」

 

 ──マヤ、俺は君に答えを聞きたい。

 

 試作品ゆえ魔力を帯びた結果、作った当時の俺の思念が少しだけ前のめりな勇気をくれた。

 

 マヤの手を取り、ニコリと微笑む。

 この服を着たことで今の俺は歯の浮くようなセリフもバンバンなのだ、わはは。

 

「────」

 

 ……ん? ぜんぜん感想が返ってこない。どころか、みるみるうちにマヤの顔は茹で上がっていくようで。

 

「まぁ、その……イレブン? お前、マヤにどう思われてるか知らないんだったな、そう言えば」

 

 カミュの言葉に俺は首を傾げてしまう。いや、そこまで俺は鈍感じゃない。じゃないと思うのだが……。

 え、この流れっておめかしデートみたいなヤツじゃないの!?

 

「そうじゃなくてさ、もっとその……手心みたいなやつを加えてやれ。お前と違って初めてなんだ、マヤは」

 

 カミュの言葉を怪訝に思いながらもう一度手を取ったマヤを見ると、赤い顔で汗をかき、目がぐるぐると焦点の合わない、ふだんと全く様子の違う彼女がいた。

 

「い、いいいイレブン、その、に、似合って……」

 

「一旦落ち着いてからでいいよ、マヤ」

 

「っ、落ち着いていられるかっ! なんだその服、似合ってね……ぇとは言わねえけど、いきなり着替えてくんじゃねー!」

 

 またも理不尽めな理由で怒鳴られ、取った手を乱暴に払われ、ぷんすかと背中を向けられる。

 え、俺ってば何か間違えた?

 マヤとのフラグが立ってるんじゃないのか? 状況証拠的に。

 

 助けを求める視線を送るも、肩をすくめるマルティナにロウ。

 なんだよー、そのおばかに付ける薬はないみたいな反応は。

 

「マヤの、あー、そういうのには気づいてるんだろうが……それだけじゃ正解じゃないんだ。イレブン」

 

 後頭を掻いて迂遠にヒントをくれるカミュだったが、マヤをもう一度振り向かせるのに必死な俺の現状を前に彼は大きなため息を吐いた後、

 

「とにかく行ってこい。こいつの機嫌は外で取ってやりな!」

 

「て、わぁ!」

 

「ちょ、ちょっと兄貴、いいイレブンの手が……!」

 

 俺とマヤの手を乱雑に繋がせたカミュは、俺たちをグロッタの宿屋からぽーんと蹴り出した。

 

 扉が閉じる前に見えたのは良い笑顔のカミュ、マルティナ、ロウの三人。

 そして、隣には赤く頬を染めたマヤ。

 

「あっ……」

 

 マヤはキョトンとした後、みるみるうちに顔をさらに赤く染め、繋いだ手と俺の服や顔に目が忙しなく移る。

 ……なるほど。思考の海へ落ちるのは俺の悪癖だが、カミュの機転によってゴチャゴチャと考える必要はないことに俺は気付けた。

 

「……まずはエスコートを任せてもらえるかな、マヤ」

 

 正装を着たならそれらしく、フォーマルな誘いとともにマヤの手を引く。

 俺とマヤは見つめ合い、三秒間ほど。

 

「……よろしく、イレブン」

 

 控えめに目が逸らされるも、その手は繋がれたままだ。

 互いに嵌めたシルクの薄手袋越しに伝わる体温や、絡めた手指の軽く細い感触が、彼女をより近くに感じさせてくれた。

 

 マヤが、いつもより可愛く、綺麗に見える。

 俺はエスコートを始める傍ら、この時間が一日よりも長く続けば良いのにな、とこの時ばかりは考えてしまう。

 

 君もそう想ってくれていたら嬉しいなと、淡い雪が降り積もるような気持ちを笑顔に変えながら。

 

*1
恋愛面にて様子がおかしい時、イレブンはこれを血筋のせいという事にしている。




 おしゃれ装備のお披露目回&ちょっとしおらしいマヤを見よう、がテーマのサプライズ・デート開始回です。

 余談:おしゃれ装備について
 いまは持続的に自分のMPを微量消費しながら維持する逆しあわせのぼうしとでも言うような独自の機構により装備を事前に登録したセットへ半永久的に変える(性能は変更後準拠になる)ものですが、性質上MPがなくなると変身の解けるカラータイマー方式のため、イレブンのようにレベルによってMPの多く増えた人間のみしか長期維持はできません。
 いずれそういった制約なく永続的に見た目のみを変換するスイッチ・トグル式のおしゃれ装備を普及させる展望をイレブンは掲げているようです。

 その機構におおよその見通しは付いていますが、今回は前述のプロトタイプでの試験運用となりました。ハプニングがなければちゃんと一日は保つ計算です。

 では、次回もお楽しみに~。


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サラサラの29:蒼銀と灼金の首飾り

 

 腕を組んで歩く、それだけで幸福を感じるというのは男女の全般に言えることなのか。それとも、他ならぬマヤがそうしてくれるからなのか。

 

 ある程度一杯一杯のまま平静を装いエスコートする俺に、直球上等の火の玉ストレートを投げながらこちらを見上げるのは隣で密着するように腕を組んでいたマヤだった。

 

「なあイレブン。なんかさ……ドキドキするよな、こういうの」

 

 マヤの鼓動が聞こえているように錯覚し、それは自分自身の動悸であることを自覚する。

 隠すことでもないのでマヤの言葉を肯定すると、彼女は同じ気持ちを共有していることが嬉しいのか、目を細めていじらしい笑顔を見せた。

 

 ……そのコンボは勘違いする男が500人くらい出るだろうから、急にトドメの一撃を放って来るのはやめようね?童貞との約束だぞ*1

 

 話を変えるが、彼女の身長は年齢に比して平均的、つまり同年代の俺よりも本来は高いと言える。

 

 であるからして、マヤの上目遣いも本来は拝めない珍しいものではあるのだが、現在は『王子の服』のデザインの一部として取り入れていた黒地のブーツに仕込んだ厚底で幅の広いヒールが俺の身長をマヤよりも少しだけ高くさせることで、無意識にもはや物理的に破壊力すらあるそれをマヤは頻発していた。

 

 実際はこの靴全体が鋼から精製した安全靴であり、武器を持てない公の場でもある程度攻撃力を担保できるように設計しただけ*2の物なのだが、望外にもニクい仕事をしてくれる。

 あとで設計者を褒めてやろう。まぁ、設計も製作も俺自身なので自作自演のマッチポンプなのだが。

 

 ともあれ、フォーマルな場に相応しくあれと作ったコレは存外マヤとのデートにぴったりの服だったということなのだ。……ん? 話が変わってないな。それも上機嫌なマヤに比べれば些細なことか*3

 

 宿を出た(出されたとも言うが)俺たちは大橋を歩き、下層へと向かう。その間も、マヤは俺の左腕にぴったりとくっついていた。

 いつになく積極的なマヤに、前世を含めても恋愛経験に乏しい俺はそれだけでドギマギと動揺していた。

 

 

「イレブン、あの店に行ってみようぜ! お宝の匂いがする!」

 

 ぐいぐいと組んでいた腕を引っ張られ、連れられてきたのは防具屋だった。

 防具屋らしい武骨な店構えの上部には、派手で繊細なネオンの看板が光っている。

 

「いらっしゃい……お! お熱い嬢ちゃんにボウズが来たみてぇだな!」

 

「! おっさんにも、そう見える!?」

 

「おうとも、小さなカップルさんよ! ウチにゃアクセサリーも置いてあるから、ボウズの小遣いをあるだけ使っていってやりな!」

 

 冗談混じりの威勢のいいあらくれが出迎える店の中は清潔で、陳列された金属鎧や盾に埃は吸着していない。

 つまり、こまめな手入れを欠かさず行う良い店だと確信できる。

 

「彼女に似合うものをいくつか見繕ってあげてください。私は、ここの防具や素材を見ていますので」

 

「イレブンっ!」

 

 職人魂に火がつきそうになった時、マヤから強く腕を抱き寄せられる。

 

「まったく、すぐ鎧に目移りすんなよな! ……今日くらい分かるだろ、わざわざ言わせんな!」

 

「ガハハ、聞いたかボウズ! ささ、嬢ちゃんが拗ねないうちに何か買ってやりな?」

 

 ……ああなるほど、これは失策もいいところだ。

 デートにおいて女の子を蔑ろにしていい道理はない。

 

 つまり……マヤは、俺にアクセサリーを選んで欲しいのだろう。マヤの方が目利きに優れるとか、彼女の好みを俺がよく知るわけではないとか、そういった御託を超越して。

 

 それならば、もちろん期待に応えるとしよう。

 

「……うん、俺はこれが似合うと思う」

 

 またひとつ女心について学んだ俺は、商品棚でひときわ出来の良く見える、星のようなネックレスを選ぶ。

 少し頬に赤みの差したマヤは、コクンと小さく頷いた。

 

「……親父さん、これはいくらで?」

 

「んー、2000Gってとこだな」

 

「じゃあ、少し待って……よし、コレで足りている筈です」

 

「おお、見た目通り気前がいいじゃねえか、小さな王子さんよ! はいよ、お買い上げどうも!」

 

 王子という言葉にギクッ!と一瞬だけ硬直したが、今の俺の服装に対してただ店主が冗談めかしたのだと思い直し、俺は店主にちょうどぴったりの金額を払い、ネックレスを受け取った。

 

 マヤの眼鏡に適ったのか確認するように、彼女へと改めて目を向けた。

 今日のコーディネートに唯一空いたデコルテにも、この青銀のネックレスが映えるはずだ。

 

「これで良かった?」

 

 ズルい質問だ。マヤを見ていた俺は、彼女がこのネックレスに目を輝かせていたのを横目に見ていた。

 

「……まぁ、イレブンにしては良いんじゃねえの?」

 

 マヤは目を逸らしつつ、かなり遠回しに褒めてくる。それが照れ隠しなのは流石の俺にも丸わかりだが、あえて指摘をすることはない。

 

「それじゃ、改めて。これが今日の記念になりますように」

 

 『王子の服』の効果は健在、キザなセリフとともに組んだ腕を一旦離してもらう。

 マヤは一瞬名残惜しそうにするが、自由になった両手でネックレスの留め具を外した俺を見て、マヤはすぐに意図を察したようだった。

 

「そういうセリフあんまり似合ってないぜ、ばーか。……でも、ありがとな」

 

 差し出されたマヤの首筋にネックレスの紐を通す。彼女は自らの三つ編みを左手で退けて、静かに目を閉じていた。

 

 パチンと留め具の音が鳴り、つつがなくプレゼントが終了する。マヤがもう一度目を開けた時、俺はマヤによく見えるよう、手鏡をふくろから取り出して彼女に渡した。

 

「……ま、きゅーだいてんってのならやっても良いぜ?」

 

 マヤはいししと悪戯っぽく笑いつつ手鏡を俺に返すと、そそくさと防具屋の掘り出し物の物色を始める。

 たまに首に提げたネックレスを愛おしそうに手に取ったりしては微笑むその機嫌のよさから見るに、マヤの及第点とはおそらく満点に近いらしかった。

 

 ────そして、この一瞬でもう一つ、俺は静かに巧妙に、手鏡をふくろにしまう自然な動作でマヤから視線を切りながら、店主へとあるアクセサリーについて小声で交渉する。

 

「店主さん、これを買いたいんだけど……」

 

「お、嬢ちゃんに秘密のプレゼントかい? いいぜ、ナイショにしてやるさ。って……そいつは色々といわくつきだが、大丈夫か? それにしたって、宝石だけで1万Gはするぜ」

 

「即金で買った」

 

「おわっ、マジかよ!」

 

「? どうした、イレブン?」

 

「何でもない! 気になる素材があったんでね!……店主さん、静かに」

 

「おう、すまねえボウズ。お前、もしかしてマジの坊ちゃんか……?」

 

「気になる素材? まぁ素材そのものには興味ねーからいいけどさ、お宝の匂いが消えてないんだよな。イレブンも掘り出し物があったら、おれにほーこくしろよ!」

 

 マヤはルンルンと掘り出し物の物色に戻り、いつもと違う服装により開いた背中も気にせず、当初とは打って変わって自然体だ。

 

 日課のお宝探しにより、いい意味で緊張が取れたのだろう。俺としてはもう少しドキドキしてもらいたかったが……あれ? こんな気持ち、今までの俺にあったか?

 

 ……ともかく、人差し指を口に当てて店主に静かにしてもらうようジェスチャーをし、即金で一万Gと口止め料込みの金貨袋をどさりと置く。

 これだけの金をさらっと渡して曰く付きの品を買う奇妙な少年……そんな怪しい俺への驚愕を、店主にはこれ以上追及しないでもらうことにしよう。

 

「……代金は間違いねえようだが……これを持ったヤツは富の代わりに不幸を呼ぶってウワサがあるぜ?」

 

「だから買うんだ。あいにくね」

 

 小声のやりとりはマヤに聞こえず、俺はつつがなく目的のブツを購入し、高価な物だからとサービスで貰った上質の木箱にそのアクセサリーを詰めて緒を結び、さっさとふくろに入れて収納し、ひと心地つく。

 

 ふう、肩の荷が降りるとはこういうことか。

 そう思いつつ俺はふくろの中の木箱を見やった。

 

 ────この中に入っているアクセサリーは、しばらくの間、もう一度取り出すことはないだろう。

 

 赤い宝石が円を描く、球形の連なる黄金のネックレス。

 

 その名を『海賊王の首飾り』という、原作においてマヤとその兄カミュの運命をどうしようもなく引き裂くことになる一件に深く関わる、触れたものを黄金に変える力を持つ呪いのネックレスだった。

 

 その解呪には少なくとも生命の大樹に奉納されている勇者の剣の力が「最低条件」であるほどの、強力な呪いなのだ。

 

 まさに運命が引き寄せるかのように、マヤの近くで見つけてしまうとは。この世界は、マヤにどうしても一度は闇に堕ちて欲しいらしい。

 

 まぁ、俺がそうさせないように、こうしてこの首飾りを来たるべき時まで実質的に封印しおおせた訳なのだが。

 呪いを解いた後のこれがもたらす幸運は無視できないものではあるが、今はただ厄介ごとの種なのだ。誰の手に渡る前にこれを手にできたのは僥倖に他ならないだろう。

 

 呪いのかかったこれを誰かが手に入れる未来を徹底的に避ける。

 

 特にマヤを救ったのなら必ずぶち当たる難題であり、義務であり、俺自身がやりたかったワガママのひとつ。

 鉄鬼軍王キラゴルドは生まれず、マヤがハッピーエンドを迎えるための会心の一手となるだろう。

 

「ん? ……お宝の匂いがしなくなってんな。うーん……イレブンの買った素材がそうだっただけってことか?」

 

「そうかもね。店主さんによると時価で一万ゴールドもする鉱石らしい。マヤが言うならガセじゃないのかも?」

 

「ホントかよ! やったじゃんかイレブン、ソイツはおれのカンによれば一攫千金のお宝だからな!」

 

 いつもの調子に戻ったマヤは、バシバシと俺の背中を叩いて屈託なく、いししと笑う。

 つられて俺も笑顔になり、同時にマヤのお宝に対する正確な審美眼と嗅覚へ密かに戦々恐々としつつ、俺たちは防具屋を後にした。

 

 未だに原理の解明されないこの異次元のふくろに入った以上、俺以外の誰もこの首飾りの所在は知らず、数々の人々に幸福と絶望を同時に与えた伝説の宝の物語はじき忘れられ、終幕を迎えるだろう。

 

 その終幕を見届けるまで、俺はマヤに方便と称した嘘でこの首飾りを近づけない。マヤを守るためならこの程度の汚れ役など構うものかと内心で啖呵を切っていた。

 

 それがマヤへの親愛ゆえか、救った者の責任とうそぶく単なるエゴか、今の俺には分からない。

 しかし、これが俺の勇者たりえない部分だというなら、俺はそれでいいとも思っていた。

 

 閑話休題。

 繰り返しとなるが、ともかくこれで俺のマヤにまつわる最大の懸念である、彼女が魔王ウルノーガの手に落ち鉄鬼軍王キラゴルドとなる可能性は潰えた。

 

 そして、これで自らの手によって、過酷な運命とやらへの叛逆という行為も同時に達成したと確信する。

 悲劇を覆してのハッピーエンドを掲げているならば、相応の結果があってこそ俺の理想は重みを持つ。

 

 そのためならば歴史の修正力とやらであろうとも、それが悲劇を生み出すのなら笑顔で中指を立てて覆してやるのが俺のスタイルなのだ。

 

 マヤは魔王配下六軍王がひとり鉄鬼軍王キラゴルドではなく、ちょっぴり生意気で素直になれないカミュの妹マヤとして、今後も幸せに暮らしてもらうぞ。

 

 俺の旅の最終目的は、悲劇を覆して零れる涙を減らすため。

 デートの自然体を崩さぬまま、それを再認識していたのだった。

 

 もう一度腕を組んで街を歩く俺とマヤだが、その決意はどうも顔に出るのが俺の締まらない所のようで、気付けばマヤは俺を心配そうに見上げていた。

 

「イレブン、険しい顔してどうかしたか?」

 

「マヤ、君は俺が守るから」

 

「はぁ!?」

 

「……いやぁ、ちょっと格好つけたくなっただけ。こんな服も着てるし、ね?」

 

 組んだ腕から伝わるマヤの体温に、ここにマヤがいることを再確認する。もうキラゴルドは生まれない。

 

 それに、誤魔化すにしろちょっとさっきのセリフはキザ過ぎるし、踏み込み過ぎた。

 俺は頬に熱が集まるのを感じつつ、次はどこに行こうかと誤魔化すようにマヤへ話を振っていた。

 

「……守られるだけじゃ釣り合わねーよ」

 

 商店の並ぶ喧騒の中、マヤは静かにそう呟くも、それは喧騒に紛れて聞こえない。

 

 ────何はともあれ、デートは続く。

 

 俺たちはネオンの輝くグロッタの町を、二人並んで歩いてゆくのだった。

 

*1
往年のアーケードゲーム『ドラゴンクエスト モンスターバトルロード』におけるモリーの締めの一言「モリーとの約束だぞ」の改変。イレブンによって最悪の風評被害を受けている。

*2
常在戦場。戦闘民族とも言う。

*3
頭ユグノア。




マヤとのデート開始かつ、マヤの悲劇フラグをサクッと折る回でした。どんなルートでグロッタに海賊王の首飾りが流れてきたのかはあえて設定していません。
だって、呪いのアイテムってそういうものでしょう?という考えのもと、マヤの目の前に現れようとしていたと仮定しています。だから呪いだなんだと言われているんですね。おそらく。

そして、デート編はもうちっとだけ続くんじゃ。(亀仙人)
引き続きグロッタの町を練り歩く二人が中心となりますので、お楽しみに!


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サラサラの30:"普通"だった女の子

 

 さて、こうして俺とマヤのデートは始まったわけだが、さきほどまでに垣間見たマヤの反応について"マヤにしてはしおらしい"、"なまいき成分が足りない"などと読者諸兄はお思いかも知れないが、これには海のように深い理由がある。

 

 まあ当時の俺以外にはしっかり自明のものではあったのだが、「前世が童貞」の十字架と、さらに今世をプラスして十年の月日は相応に重い。

 

 そういった対象に見られることの少なかった経験から無意識に理解を遠ざけていたという、悲しい習性がそこにはあったのだ。

 

 また、転生の影響か自身の価値を軽く見積もる悪癖、死という諸行無常を知る者の視点、本来の器を取り替えてしまった憑依の負い目などなど要因は様々に絡み合い……しかし、そんな内的事情はすべて、俺の中で完結すること。

 

 つまり、マヤにとってなんの関係もないことだということを見落としていたのが今回の俺のそこそこな醜態の直接的な原因であり、その割にまぁまぁ反応のよいマヤについて紐解く鍵となるわけだ。

 

 それをもったいぶらずに結論から一言でまとめるならば。

 

 つまるところ────マヤにとって、俺ことイレブンとは間違いなく『白馬の王子様』であったのだ。

 

 もちろん実際に亡国の王子であるなどの身分に依った話ではなく、おとぎ話の中にしか登場しない、理想の中の王子様。

 そういった、比喩で扱う意味合いの。

 

 あいにく白馬には乗っておらず、海底の魔物との戦いで服もボロボロであった貧相な王子だが……。

 

 ともかくこのお話について重要なのはそこではなく。

 マヤが救いを求めてもがく最中において、本気で彼女の手を取った初めての人物こそが、他ならぬ俺であったらしいということだった。

 

 

 マヤは、勝ち気ながら普通の、冬の国クレイモランをたくましく生きる少女だった。

 兄妹で身を寄せ合い暮らし、過酷な状況にめげなかった。

 

 しかし、マヤは生まれてこの方、とくに幸運に恵まれたわけではない。出自は物心つく前に捨てられたために分からず、家族は兄のみ。

 自分たちを拾ったバイキングからも外様の扱いであり、安全に住める洞穴を見つけるまでは彼らの視界に入らないようにしつつ、子どもでもできる限界ギリギリの労働で食い繋いでいる有様だった。

 

 他にも多々逆境はあるが、ともあれその日もまた、そんな日々の中のお話であり。

 ただのうっかり、ひとつのボタンの掛け違いだけでマヤという少女の人生はそこで終わる……はずだった。

 

 彼が────海底に現れた王子様が、その運命を覆す瞬間を見るまでは。

 

 

 ──過酷なバイキングの下働きの最中、うっかり滑り落ちた冷たい北海。

 助けに来てくれた兄も魔物の体当たりを受け、同じく海底の砂に沈んだ。

 

 あーあ、と。

 マヤは俯瞰的に冷たくなっていく自身について捉えていた。唯一、こんな自分を助けようとした兄カミュを死なせるのだけが悔いであったが……それでも、少し、残酷なほどに嬉しかった。

 

 自分は愛されていたのだなぁと、他人事のように思うだけだ。

 だって、この後は、死ぬだけだから。

 

 誰が見ても絶望的、しかも兄妹揃って心中とは笑えない。

 世界のお宝を探し尽くし、いずれ世界の王になるとうそぶくさしもの夢想家マヤであれど、今の状況については諦観を避けられない事態だった。

 

 兄に愛されていた記憶だけがあればいい。

 思い出す走馬灯はロクなものではなかったが、その中で、自分たちを気にかけてくれていたとある神父が聞かせてくれた神に、都合のいい夢想を祈ってみる。

 あまり信心深くないマヤにとって、自発的に祈ったのは、初めてのことだった。

 

 どうか神よ、これを聞き届けるならば。

 おれを助けるためにここに来て、一緒に死んでしまいそうなバカ兄貴くらいは助けてくれよ。

 

 ────助けて、誰か。

 

 藁をも掴むような思いとは裏腹に、塩辛い海水は肺に溜まり、飛び出す酸素はマヤの意識を急速に奪っていく。

 

 そんな朦朧とした心持ちの中。

 マヤは、祈りが結実する瞬間を見た。

 

 現れたのは、海棲の魔物たちを相手に一歩も引かず自分たちを護る、ひとりの少年。

 彼の体格にしては大きな紫のコートを翻して海に足場でもあるかのように跳ね回り、彼は一刀のもとに十にも迫ろうかという魔物たちを光の剣で薙ぎ払う。

 

 極限の集中にあることを示すように青い光を纏い、雷光で魔物たちを蹴散らしつつ、手にした光の剣の形を変幻自在に変えながら、勇気を胸に抱いて戦う少年の鬼気迫る横顔をマヤは見る。

 

『……がんばれ』

 

 なんて情けなく女々しい台詞だろう。助けられることが前提の、無力に満ちた台詞だった。平時の彼女ならば、絶対に言わないであろうニュアンスで、無責任にも彼を応援した。

 

 ────それが、彼と彼女の始まりだった。

 

 そして、意識が完全に落ちる前。

 

 こちらに手を伸ばす影を見て、これまた無責任にも、なかば縋るように手を伸ばしたのだ。

 彼ならば、自分たちを助けてくれると子どものように信じて。

 

 命に代わる担保などない自分たちを助ける理由などないと頭では分かっていながら、その手を伸ばす。

 

『もう大丈夫だ』

 

 魔物との戦いで死に体の彼が、そう言って微笑んだ気がした。

 

 

 ────目を覚ました次の瞬間には、傷を癒やしてはいるものの、着の身着のままで看病を請け負っていた彼がそばにいた。

 

『生きていてくれて、本当に良かった』

 

 都合のいい幻だと思っていた存在が、いまマヤの目の前で、マヤの生存そのものを喜び、微笑んでいた。

 

 向けられたことのない無償の愛。

 もがく手に差し伸べられた優しい光。

 ────雪の白と海の青だけの味気ない人生に、突如として赤い熱が灯る。

 

 海底の雷光、紫色の王子様。

 

 彼の瞳に宿っていた炎の如き決意が、マヤの諦観という氷を溶かしてゆく感覚を。

 一時でも死を受け入れてしまった、泣きたくなるような恐怖を、和らげてくれるその瞳を。

 

 クレイモランの片隅、教会における小さな一室、担ぎ込まれたベッドの上。

 例えそれが他のどこであったとしても、マヤはその日の彼の微笑みを生涯忘れることはないだろう。

 

 

『王子、イレブンが王子ねぇ……しかも、イレブンは勇者だったりもするんだろ? おれも何かトクベツな称号ってヤツが欲しかったな~』

 

『そうかな? 俺にとってはマヤも特別な人だよ』

 

 ネルセンの宿屋で行われた、何気ない日常のひと欠片。

 そこで聞いた彼の言葉。

 クレイモランのお姫様すら落としてみせた人たらしの、何の気なしの一言だ。

 

 だけど、それが嘘だって構わない。

 ……否、彼は自分と違って正直者でひねくれておらず、だからこそ本心からだと疑えない。

 

 ────"特別"。

 

 マヤが欲しくてたまらなかった幸福の器を満たしたのは、ほかならぬイレブンだった。

 

 マヤはその日も、生涯忘れることはないだろう。

 

 一国の姫であるシャールにマルティナ、故郷にいるという幼馴染エマ。

 ただ旅の途中で出会っただけの"普通"の自分じゃ敵わないと、胸の内にしまおうとしていたその(ほのお)が、再び灯る瞬間を。

 

 自身に宿る恋の炎、それを自覚してしまったあの瞬間のことを、マヤは忘れることはない。

 

 

「ま、とにかくコイツはお前に任せた。オレたちはテキトーに闘技場の見物でもしておくからよ」

 

 そのような言葉とともに、ニヤニヤと薄く笑う兄貴にマヤとイレブンは宿からぐいぐいと押し出され、半ば強引にデートの場へと押し出された。

 

 いきなり何だよとマヤのショートしかけていた思考が引き戻され、その後、すぐに繋がれたままの手に意識が向いた。

 

 結果、マヤはもう一度思考を整理する時間を要してしまう。

 

 手汗は……手袋だからある程度はセーフ。

 顔は……要点を抑えたマルティナの助言通りに頑張った化粧は崩れてなさそうだ。

 髪型もいつも通り、今日の気合いに応えてくれている。

 

 体温……これは上昇中。

 心臓がドキドキとうるさくて、この音がイレブンに伝わらないか少しだけ怖くかんじ、でも、それが伝わってほしいようにも感じた。

 

「まずはエスコートを任せてもらえるかな、マヤ?」

 

 目の前のイレブンは、こっちの心の準備なんてお構いなしに、手を取ったまま無垢な微笑みをを向けてくる────ああ、まただ────お前のその顔を見るだけで、簡単に心が掻き乱される。

 

 放心、そして回帰。

 

「……よろしく、イレブン」

 

 乾いた口からやっと出せたのは、自分らしくない腑抜けた言葉。

 せめて何かしらの面目を守るように、マヤはとっさにイレブンへまくし立てる。

 

「──まぁ、兄貴やマルティナやロウのおっさんからお前が今日ぐらい休むように、ってお目付け役を頼まれただけだし? ……それと、手!」

 

「ああ、ごめん。イヤならすぐに」

 

「じゃなくて……今日は、これだ!」

 

 主導権を握られてばかりでは自分じゃない。

 遠慮がちに離そうとした彼の手をむしろガッチリと掴んだマヤは、そのままグイっとイレブンを引き寄せ、腕を組む。

 

 子ども同士でも、恋人のように見られるための精一杯の背伸びのために。

 マヤは驚くイレブンを見て、鼻を明かせたと悪戯っぽく微笑んだ。

 

「わっ、どうしたの、マヤ?」

 

「いしし、驚いただろ?」

 

「そりゃもう……ちょっと心臓に悪いくらい」

 

 それはお互い様だろう。

 積極的すぎたかもしれないと、早鐘を打つ心臓に裏付けられるように、これはマヤにとっても踏み込んだ一歩だったのだから。

 

 マヤはイレブンの着る青地の服の分厚い感触と、その下にある年齢に比して異様に頑強かつしなやかな筋肉を感じる。

 

 自分を救ってくれたこの腕に身を寄せる感覚は、マヤにとって悪くないと思えた────否、この瞬間だけは彼との時間は自分だけのものだと主張するように腕をより強く絡ませ、より強くイレブンを感じるのに集中していた。

 

 お宝に目がない彼女の心は、この宝石のような時間を楽しむ事にこそ向けられていた故に。

 

 ────かくして心の準備は整い、覚悟は決めた。

 ならば、あとはその勢いに従うだけだ。

 

「とにかく、そのままどっか行くぞ~!」

 

「わわ、っとと……うん、そうしようか。マヤが楽しそうなら、俺も嬉しいな」

 

 勢いのままに引っ張ることで少しだけ崩れた体勢を戻しつつイレブンはマヤと肩を並べるまで小走りに駆け、その後はマヤの歩調に合わせてゆっくりと歩きだす。

 

「これ、デートって言うんだぜ? ロウのジイさんから聞いたんだ!」

 

「……ああ、それなら承知してるよ。楽しんでくれると嬉し、」

 

「じゃなくてさ!」

 

「え?」

 

「イレブンも、おれと一緒に楽しむってこと!」

 

「────うん、それがデートだったね。それじゃあ、どこに行こうか?」

 

「決まってんだろ? お宝さがしだ!」

 

 ビシっと狙いを定めるかのように、組んでいない方の腕で大橋から見えるグロッタの町並みを漠然と指す。

 

 ────この一日が少しでも長く続けば良いと、そう思う。

 

 そして、それは彼も同じように考えてくれていたら嬉しいな、と。

 

 そんな、いつもの自分らしくない乙女のような考えをふと想い、マヤは昨日より熱い気のするグロッタの町へ意気揚々と繰り出した。

 

 自分を救い出した、自分にとっての王子様。

 産まれて初めて恋をした、"特別"をくれた彼と共に。




サブタイトル-2:"特別"をくれたあなたへ

『雷光の輝きでひとを救う、自分を"特別"だと言ってくれた海の底で出会った王子様』
 文字に起こすととんでもない字面ですが、マヤのイレブンに対する所見はこのように固まっております。
 なんて好感度だ……スカウターの故障か?

 閑話休題。
 デートの開始時、シーン切り替わった瞬間になんで腕を組んでたの?という疑問に対するアンサー回でした。ストーリーそのものは進まなくてゴメンネ。

 素直じゃない少女といつもよりちょっと押せ押せモードの少年、互いに遠慮しない二人の初デートの行方は次回にもちろん続きます。

 その上で、マヤ側の想いに関する描写は絶対に外せないものなので、ここで描写しておく必要がありました。こうして、好きに"厚み"が生まれてくるのです。

 次回はサラサラのデート編、その中盤。
 教会に行きます。(鋼鉄の決意)
 それではお楽しみに〜。


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サラサラの31:猶予期間(モラトリアム)の終わり

 さて、時系列に沿って思い出すためとはいえ出歯亀よろしく当時のマヤの恋心を覗き見たわけだが、このような行為は追憶の権能を行使する形であれど、やはり罪悪感があるものだ。

 原作において、カミュの過去を見た時とはまた違う居た堪れなさがある。奇しくも今回は妹のほうである訳だが。

 

 ……ともあれ、そろそろ時間を少しだけ進めよう。

 それはマヤとのデートも佳境を越えて、観光や食事も済ませた頃合いのことだった。

 

 平和な猶予期間(モラトリアム)の終わりはもうすぐそこにある。

 ここからも、順を追って進めていこう。

 

 

 グロッタの町、その夕刻に差し掛かる程度の逢魔が時。

 俺は今日のことを忘れぬよう冒険の書にしたためるべく、教会へと足を運んでいた。

 

 サラサラと羽ペンで綴られることでまたひとつ記録を重ねた冒険の書を閉じ、こちらを見据えるのは切り揃えた短髪にバンダナを巻いた筋骨隆々の偉丈夫。

 彼はその糸目をさらに細め、俺に向かい微笑みを浮かべて冒険の書を丁重に返却してくれた。

 

「面白い話が聞けたよ。まさか、ここらユグノア一帯が滅んだあの大事件の中心にいた王子様、そのご本人が今ここにいるとは。世界ってのは案外狭いもんだ……っと、もちろん他言はしないさ」

 

「ええ、よろしくお願いしますね」

 

 俺は唇に人差し指を当てて冗談めかした箝口令を敷き、それに鷹揚に頷いた彼の名はハンフリー。

 ここグロッタで闘士を生業とする現在は中堅どころの武闘家であり、武闘会のない普段は教会で孤児院を営む神父である男だった。

 

 ちなみにあだ名は『切れ目のタフガイ』。アラクラトロの手先となる前から、どうやら原作通りの称号を持っていたらしい。

 

「それに、援助の話もありがたい。正直に言って、いまのウチの経営は設備の補修もままならん状況だったからな」

 

「それも当然のことです。未来ある彼らのためなら、いくらでも」

 

「はは、そうか! でも俺からしてみればあんたも"未来ある彼ら"のひとりなんだぜ、イレブン。……こういうのが失礼に当たるのかは無学の俺には分からんが、勇者の使命とやらで俺のような奴にも手伝えることがあるなら、そのときは遠慮なく頼ってくれ」

 

 眩しい好人物そのものといったハンフリーの言葉に、心配されるほどのことはありませんよと微笑みながら目を逸らす。

 少し寂れた雰囲気の教会をマヤと見学させてもらったところ、紋章が反応する様子はなかったし、本当に手伝ってもらうこともないかもしれない。

 それに、ハンフリーには俺の勇者としての使命よりも個人的な野望に付き合わせるであろうから、それについて手伝ってもらうつもりだ。

 

 念のため最近変わったことがなかったか聞くと、地下に続く道が現れて混乱しているところを件の英雄が調査に向かったのち、しばらくして轟音とともに魔物の断末魔の悲鳴が聞こえたらしい。

 英雄とは一体何者か、そもそも教会地下の遺構の存在はいつ知られたのかなど本当はもう少し詳しく聞きたかったが、この件に入れ込み過ぎると不自然なため無難に躱す。

 話の中に語られた魔物の特徴などからどうやらここで復讐のため息を潜めていた原作でのボスモンスター、アラクラトロが倒されていることだけは事実のようだった。

 

 教会の聖なる気に当てられたのか、ふと紋章が微かに光を帯びる。

 魔法理論をロウに師事してから、最近はそれなりに魔力というものを掴むことができるようになってきた。それにMPと一括りにはしているものの、魔法使いの扱う魔力と戦士や武闘家が扱う魔力は質が違い、おそらくダイの大冒険における魔法力と闘気に近い関係性にあると分かってきた。闘気のほうは特に、ドラゴンボールにおける気とも読み換えて良いだろう。

 

 そして魔力、闘気の大区分に加えて俺には独特の……言うにはばかられるようなこっ恥ずかしさがあるが、おそらく『勇気』とも呼べる力のリソースもあるようだ。

 

 この勇気は実際にエネルギーとして使え、勇者として覇王斬の生成やゾーンへの移行、そしておそらくもっと根源的な力……勇者として命の大樹に接続しているような感覚すらある不思議な力で、修行と数多の実戦を経た今でも、いまだ全容は掴めていない。要研究だ。

 

 ……まぁ、だからといってこの世界におけるMPを分けて考える存在はいない*1のだが、せっかくこちとら転生勇者で異世界人なのだ。

 世界の常識をより細分化して捉えることができるという事実をアドバンテージとし、どこかで役に立たせてみせるとしよう。

 目指せかめはめ波、目指せ天地魔闘のかまえ。いつかできると良いのだけれどね。

 

 閑話休題。

 ほのかに光る勇者の紋章を見せぬようにこれでもかと厚く仕立てた手袋のずれを直し、小さく(かぶり)を振った俺は、腕を組んで微笑むハンフリーと同じ方向へ視線を向ける。

 

 そこに見える光景は、教会を広く使った鬼ごっこなどの遊びを展開する孤児たちと、その渦の中心で早くもガキ大将の才覚を花開かせているマヤの姿だった。

 

「マヤ、か。君の連れという話だが、あのクレイモランにも孤児がいたのか。このご時世じゃ当たり前かもしれないが……少し悲しい話だな」

 

 眉をひそめて悲しげな調子のハンフリー。

 聞けばこの孤児院にいる孤児たちはグロッタ出身ばかりという訳でもないらしく、10年前の悲劇の際にユグノア王都から大量に流出しそうになった孤児たちの受け入れを行ってくれていたのだとか。孤児の中でも年長の者の多くは、そういった者たちであるらしい。

 

 ハンフリーが言うにはその以前にも他国からの孤児の受け入れをこの教会は積極的に行っていたようで、五大国として初めに滅んだバンデルフォン出身の者が一斉に自立して巣立つことになる十数年前までは、人数も今より随分と多かったそうだ。

 

 ………ふーむ、聞けば聞くほど俺の立場、つまるところのユグノア王子として大恩のある場所だ。

 

 原作ではさらりと流されていたが、この場所ほど未来にとって重要な場所はない。前世的には基礎教育の重要性も考えて、メダル女学園以外の大々的な学府の設立も視野に入れたいところだが……視座をごく直近に絞って見れば、ここの経営難の解消が急務と俺は判断していた。

 

 天涯孤独の仲間を連れる身としても孤児院の財政逼迫(ひっぱく)については見過ごすわけにいかないだろう。

 俺の思い描くユグノア復興計画の第一歩は、こういった場所にこそ光明があるはずだ。たぶん。

 前世では幸運にも国の復興レベルの事業に携わったことはないため、どうしても手探りな面はあるのだけれど……。

 

 ────そうして、ハンフリーに対して持ち掛けた援助の話について詳細を少し煮詰めようかと口をわずかに開けた矢先。

 

 ヒュン、と風を切る音がした。

 

 数瞬後にはストンと何かが射抜かれた音。その音の主はマヤの放った弓矢だった。

 

 吸着するスライムゼリーの矢尻で作られたおもちゃの矢を持ったマヤが、孤児のひとりが投げたバンダナを正確に壁へ縫い留めていたのだ。

 

 ハンフリーも「あいつら、俺の秘蔵のコレクションをどこから……!?」と目を見開いている。糸目キャラの開眼タイミングとしてはかなり微妙に思えるシチュエーションだったが、話をする前だったので口を半開きにしたまま堂に入った構えを解くマヤに魅入ってしまった俺も大概微妙な表情だったことだろう。

 

「さぁ、次はどれだ?」

 

「すごいぜ、マヤねぇちゃん!」

 

「"マヤねぇちゃん"? ……そっか! いしし、悪くねえ響きかも……な!」

 

 だが、ショーをわくわくしながら待つような子どもたちの憧れの視線を一身に受けたマヤは、さらなるパフォーマンスを発揮する。

 

 少し陰を持ち寂れながらも神聖な雰囲気を纏う教会をカラフルに染めるように、色とりどりの布たちが子どもたちによって一斉に宙へ投げ出された。

 

「さぁ見とけよ、マヤさまの"かみわざ"をっ!」

 

 マヤの常人離れした移動しながらの曲芸のような連射によって、矢は壁を刺し貫くことなく壁を彩るタペストリーに早変わりしていく。

 それは俺たちと旅を始めてから多くの魔物との実戦経験を経て、荒削りながらも達人の域に手を掛けたマヤの身につけた神業だった。

 

「よぅし、ど~だっ!」

 

『すっげ~!』

 

 わーわーと称賛に沸く孤児たちへ満足気に胸を反らしたマヤの首元でプレゼントの首飾りが揺れる。

 

 早速着けていてくれて嬉しい限りだと思わず笑みがこぼれると、マヤは視線に気づいたのか、首飾りの金属紐をチャリチャリと持ち上げて、こちらへ向けて得意気にはにかんでいた。

 

「……ハンフリーさん、せめてお洗濯は付き合わせてもらっても?」

 

「はは、気を遣われるようなことじゃないぜ。誰もケガをしていないし、なにより素敵なショーを見せてもらったことで子供たちが無邪気に楽しんでいるしな。オレはそれだけで充分さ」

 

 ……バンダナコレクションを孤児たちに持ち出されていた当人であるハンフリーは、孤児の纏め役として後で叱ってやらねばなと言いつつも、闘士としての彼はマヤの神業に対して驚愕の色を見せていた。

 

「にしても、マヤは凄い弓の腕を持っているな。あれなら、この前教会に来た二人にも引けを取らないかもしれんぞ」

 

「ああ、地下の大蜘蛛を倒した英雄だとか。……ん? 二人組だったんですか?」

 

「どうした、イレブン。妙に食いつきがいいな」

 

「いえ、少し心当たりがあったのですが、どうも……その二人の話、俺に聞かせてもらっても構いませんか?」

 

「いいぜ。あの旅芸人と騎士……少々おかしな組み合わせの英雄たちだったが、その詳しいエピソードをオレだけが独占するのもなんだか勿体ないと思っていたところだ。いいぜ、英雄譚は子供のうちに沢山聞いておくといい」

 

 英雄。実際に英雄グレイグの像がそびえるグロッタの町においてその称号はかなり重い。

 そのような称号を楽々と背負える者、それに旅芸人と騎士といえば、少しどころではない心当たりが俺にはある。

 

 まさか、あの二人じゃないだろうなと睨んでいるのは、シルビアに──

 

「そう、あれはつい一昨日の夜遅くのことだった。おかしな格好をしたシルビアと名乗る旅芸人と、白くカッチリとした礼服のようなスーツ姿のイリアスという騎士がこの教会に──」

 

 ──ん、待てよ。イリアス?

 

 誰だ、それは。

 てっきりそうだと誤解していたが、同行者はグレイグじゃないのか?

 俺の頭が急速に回転し、ドラクエに関する知識の棚を片っ端から開けていく。

 

 原作にはいない人物か? 

 もしくは特典のボイスドラマや小説版、漫画版などにいた人物なのか?

 俺は本編こそやりこんでいたもののメディアミックスには疎く、そういった知識外の人物を覚えているわけではない。そして、それはすなわち非常にまずい状況と言える。

 

 シルビアの連れと言うからには極端に悪い人物である可能性は少ないが、"未知"が俺の存在を掴むのはどうあれ避けなくてはならない。

 なぜなら相手は勇者の存在を知っているのか、勇者は悪魔の子であると思っているのか、そもそも勇者の見分け方を知る者なのか。全てが曖昧な存在だからだ。

 

 これでも逃避行の旅を続けている身だ、シュレーディンガーの猫のように、可能性の重なった相手に会うのは得策ではない。

 クレイモランでも危惧したように、最悪このグロッタで事を構え、俺たちの存在そのものが市民を巻き添えにする危険性を孕むのだから。

 

 原作においてパーティメンバーであり、それを差し引いても好人物であるシルビアとの出会いをみすみす逃すのは惜しいが、それでもせめてユグノアに向かうまでは逃亡も視野に────

 

 と。

 ここまで俯き考え込んだところで、突如として外から轟音が響いて顔を上げる。

 

 大砲の着弾、この世界に合わせて言えばイオナズンの発動にも匹敵する地響きが辺りに伝播し、教会を、否、グロッタの町全体を揺らしていた。

 

「うぉっ、い、いったい何が起こった!?」

 

「ハンフリーさん、子どもを!」

 

「──たしかに今はそれが優先だ。助かったぜ、イレブン……みんな、ガレキから頭を守りながらこっちに走って集まるんだ!」

 

 ハンフリーは混乱しながらも、それ以上に慌てふためく孤児たちを纏めて集合させる。

 彼の大人として的確な対応を見て、俺は一層決意がみなぎる。それから間を置かずして厚手の手袋から光が漏れ、勇者の紋章が熱いほどに輝き始める。

 薄々分かっていたことだが、どうやら先程の地響きは俺、ひいては勇者の使命について関わる事象らしい。

 

 そして、教会という場所柄かルビスと聖竜の意志がはっきり届く。

 強力な魔物がグロッタの町に現れたことを啓示され、手袋を貫いて届く紋章の光は一本の線に集約され、魔物へ続く光の道を指し示した。

 

「マヤ!」

「イレブン!」

 

「デート、楽しかった! 今日がいい日だったと言い切れるのはマヤのおかげだ!」

「おれもだぜ、イレブン!」

 

「……それじゃ、最高の日を最後の最後に邪魔したヤツへ、一発キツいお仕置きに行くぞ!」

「おう! このマヤさまの出撃だ……おれに、どーんと任せとけ!」

 

 マヤとの会話はそれだけで充分だった。マヤはおもちゃの弓矢を子どもに渡し、俺がふくろから取り出し渡した木製の弓を装備する。

 本来弓使いのパーティメンバーがいないはずのこの世界においては弓のレシピが見つからなかったため、それは店に陳列されていた弓を不思議な鍛冶で打ち直しただけのショートボウだが、マヤの本質は武器に左右されるものではない。

 彼女の飛び抜けた集中力と、これまでの旅でさらに鍛えられた射撃能力がここでも助けになってくれるだろう。

 

 マヤが弓の装備を終えて、今度は戦闘用の金属製の(やじり)を持った矢を番えてこちらに駆け寄るのを見届け、俺たちは孤児たちをハンフリーに任せて一足飛びに教会の外へと躍り出た。

 

 外で鼻を利かせるが、轟音に反して爆発の匂いはなし。紋章の光は斜め上。地下にある教会に対して上空にあたるグロッタ大橋から、土埃が散発的に落ちてくるような状況だった。

 

 最も可能性が高いのは巨大な魔物の着地だろうか。

 

 町の中で紋章が反応するのはクレイモランに続いて二度目だ。

 今回も市民が阿鼻叫喚に至っていないことに安堵しながら周囲の様子を見ると、彼らは一様に同じ方向を見上げていた。

 

『なに……あのモンスター?』

 

 市民のひとりが指し示した先、グロッタの象徴とも言える英雄グレイグ像が睨みを効かせるグロッタ大橋で泰然自若に立っているのは、でっぷりとふくよかな腹をした、カエルのような緑肌の巨大な魔物だった。

 

「さぁさぁ、ニンゲンたちぃ! このグロッタに滞在してる子ども……と、きゃわゆいオンナノコを全員、ボクちんに差し出すんだじょ~!」

 

 見合わぬ王冠に意味の分からない要求、気の抜ける語尾や一人称とは裏腹に、強力無比な闇の波動が町の中心から吹き荒れる。

 遠間にその姿を見た俺ですら感じる左手の紋章とは表裏一体の闇の力。強い絶望が、辺り包み込む予感がした。

 

 魔王ウルノーガ配下、そして原作においてここグロッタを支配するボスとなるはずの魔物、妖魔軍王ブギー。

 

 伝統の武闘会場をカジノに変える斬新な発想を持つユニークな魔物……否、物語後半に立ちふさがる強力なボスであるはずの彼は、いまだ未熟な勇者()の前に、六年ほど前倒しの早すぎる登場を果たしたのだった。

 

*1
どのチカラにせよ使い切っても寝れば充分に回復し、まほうのせいすい等で一緒くたに回復できるため。




 というわけで、妖魔軍王ブギー登場によりデートは終了、ここからはドラクエらしく戦闘パートと相成ります。
 グロッタの町を舞台とした大混戦の予感です……!

 余談ですが、原作開始6年前のこの時点では妖魔軍王と呼ばれていないことにしています。(独自解釈タグ、そろそろ動きます)
 彼らの称号はおそらく原作内でオーブの力を分け与えられた後(六軍王任命時)に名付けられたものであると解釈しておりますので、地の文で〇〇軍王と呼ばれている場合、主人公のメタ的観点からの発言であることはご了承頂けると嬉しいです。

 この作品内では魔王軍へのスカウトを受けた後、原作よりも足取りを残している勇者捜索に加わっており、道中で大きな音がしたグロッタで子ども狩りをすることで勇者をサクッとあぶり出そうと画策した、という感じになっています。
 ついでに女の子も差し出させようとしているのは恋多き魔物と公式設定のあるブギーの趣味です。彼は十年単位の交換日記を経るピュアなお付き合いを目指しています(これも公式設定だったりします)。


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サラサラの32:妖魔祓い氷炎戦①

 

「さぁさぁ、ニンゲンたちぃ! このグロッタに滞在してる子ども……と、きゃわゆいオンナノコを全員、ボクちんに差し出すんだじょ〜!」

 

 太鼓腹をふくよかに打って町じゅうに宣言するのは、緑肌の肥満体に赤紫の大角を持ち、黒い球体を操りながら現れた三つ目の魔物、妖魔軍王ブギーだった。

 彼はその単純な力の強大さを知らしめるためにあえて腕のみでこじ開けたグロッタ大橋の扉の前に陣取り、この地下都市から誰も逃さぬように配下の魔物を後方に集め、舌なめずりをしている。

 ここはユグノア地方、16年前の悲劇を間近で体験した生き残りも少なくない。この状況にも思い出すものがあったのだろう。グロッタの市民たちはみな一様に立ち尽くすか、これからやってくる支配や暴威の恐怖に(おのの)いていた。

 

 平和な猶予期間(モラトリアム)は終わり、グロッタの町を闇の軍勢が席巻する────まさに、その時だった。

 

 一本の矢がブギーの頭部へと一直線に飛んでゆき、半自動的に動く黒い球体に阻まれ甲高い音を上げ弾かれた。

 ブギーはたまらずコミカルに身を縮こまらせ、その三つ目を見開いた。

 

「ゲッ!? ボクちん、もしかしていま危なかった?」

 

「その通りだぜ、ふとっちょヤロー!」

 

 少女の高く、よく通る声がどこからか聞こえる。

 ブギーがキョロキョロと矢の発射地点と声の発生源を照らし合わせると、宿の屋根より弓を肩に担いで矢尻をブギーに向け不敵に笑う青い髪と瞳の少女、マヤを見つける。

 その余裕たっぷりの笑みをブギーは──事実そうなのだが──挑発であると受け取り、彼は大きな牙を軋ませながら、青筋の立った顔を怒りの表情に歪ませた。

 

「ぬ、ぬわんだとこのガキんちょめ、! よりによって、ボクちんがふ、ふ、ふとっちょだとぅ!? ぐぬぬ……ボクちんは痩せるとモテすぎちゃうから、あえて痩せないようにして配下に自由レンアイのチャンスを与えてるんだじょ! この気遣いが分からないなんて、まだまだ」

 

「いしし、(おこ)ってる怒ってる。よぅし、今だぜイレブン!」

 

「あのねぇマヤ、いまは呼びかけられると困るかな……っと!」

 

 マヤが不敵な表情で虚空に向かって声を掛けると、ブギーの真後ろから唐突に呆れたような声が響く。それは高くも少女とは違う、少年のものであった。その声にブギーが咄嗟に振り向くが、しかし。彼の機敏な反応すら凌駕しながら、少年の目にも止まらぬ二条の剣閃(はやぶさ斬り)は放たれ、無防備な背中を晒していたブギーの背後から容赦なく降り掛かっていた。

 

「ぐ、ぎょえ~っ!?」

 

「……完璧に入ったのに二回とも防がれた……思った以上にやり手だねぇ。でも、"まだこちらに気付いていない"状態から見て、そこそこのアドバンテージは取れたかな」

 

 ブギーが振り向いた時、少年は既に視界に居ない。

 代わりに、冷静沈着な戦況分析とともに、ブギーを取り巻く球体のうち二つがほとんど同時に破壊されていた。

 

 ブギーは自身の攻撃の要たる黒球をいとも簡単に破壊されたことで盛大に目を飛び出させて驚くが、配下の魔物がブギーの後方に震えながら指を差したことで、ブギーはもう一度グロッタの町方面へと振り向く。魔物の指の延長線上にはサラサラの髪を靡かせる少年がひとり、この修羅場にて佇んでいた。

 

「なぁ、あんたが魔物の頭領だろ。一応聞くけど、その扉から出て外で戦わない?」

 

 現れたのは良く手入れされた上質な鋼鉄の剣(はがねのつるぎ)を持つ少年。全身を青く光らせた姿はゾーンに入っているのが見て取れ、その手袋からは生命力に溢れた黄金の光が漏れ出ていた。

 

「──殺せ、こいつを殺すんだじょ、オマエたちぃ! ボクちんの大事なタマを二個もオシャカにしちゃうなんて、何回地獄に落としても足りないからねぇ!」

 

「うーん、やっぱりダメか……それならこっちも出るとこ出ちゃうぞ……ベギラマ!」

 

 少年の目に一切の油断はなく、魔物たちがブギーの命令により殺到しようとした瞬間、彼の空いた左手が黄金に輝くと、通常よりも長く背の高いベギラマが魔物とその周囲に向かって放たれる。

 グロッタ闘技場前の大橋を囲む炎柱、その光景はまるで大橋に臨時のコロシアムが形作られるかのようで。

 形成された炎の檻は少年と魔物たちを市民から隔て包み込む壁となり、敵対者たる魔物の逃げ場を無くすための会心の一手となっていた。

 

 魔物の軍勢は炎の壁を突破しようとするも、不思議なことに燃焼を続けるそれは耐性のない者を次第に焼き尽くしていく。ガーゴイルをはじめとした飛行能力によって迂回しようと目論む魔物たちは、弓をつがえたマヤの早撃ちによって全て撃ち落とされ、炎の中に消えていた。

 

 自分たちに優位なはずの戦場は、またたく間に炎の渦巻く死地へと変じる。

 だが、魔物の軍勢の頭領たるブギーはこの土壇場においてなお、"しめた"とその三つ目をらんらんと輝かせていた。

 

 いまだ姿を見せぬ魔王の命令に従うままここへ来たは良いものの、特に実りのなさそうな任務に辟易していたブギーであったが、この場に『紋章付き』の少年が現れたのなら話は違う。

 それもその筈、少年が左手に抱える忌々しいあの光、あの手袋越しでもわかる清浄な魔力を帯びたそれ。

 目を凝らしてみれば、数百年もの昔に勇者ローシュの手にあった、あらゆる魔物たちを震撼させたというあの『竜の紋章』であることがすぐさま見て取れたのだから。

 

 今代の勇者を排除したとされるユグノア崩壊から10年、主君たる魔王ウルノーガ様は常に勇者の足跡を追っていた。

 魔物であるブギーに人間の年齢は大まかな見てくれ以上の見分けが付かないが、当時からそう時間は経っていない事と目の前の少年の幼さはブギーの都合のよい頭脳の中でそれらの推理がピッタリと符合していく。

 

 その論理憶測の数々が後押しし、ブギーはここにいる目の前の少年こそが現在すべての魔物たちが血眼になって捜索中である魔物界最大の賞金首、『勇者』その人であることを確信したのだった。

 

「ふっふっふ、ここで会ったが百年目! のこのこボクちんの目の前にたったひとりで現れるとはおバカさんもいいとこだじょ!」

 

 配下の魔物たちに闇の魔力でさらなる力を与えてブギーは体勢と士気を立て直し、イレブンに向かって優越と戦利品を勘定するような、既に勝ちを拾ったかのような視線を向けてぐふぐふと笑う。

 

 だが、当のイレブンは数百に上るとも知れぬ無数の魔物が殺到する張り詰めた空気の中、極限の集中を要するゾーン状態を当然のように維持し、あろうことかリラックスしたように肩へ剣を置いていた。

 

「……それは観念したと見て良いんだじょ?」

 

「……いやぁ、マヤと合わせて時間稼ぎは上々ってことだよ、"ブギー"」

 

「あれ? ボクちん名前を教えたっけ──」

 

 瞬間。

 ブギーの後方に陣取っていた魔物の集団が突如として頭上に現れた氷塊の群れに蹂躙され、その半数ほどが一声も発することもできないままに魔力へと還っていったのだ。

 

「げぇっ!? ボクちん自慢の軍団がこんなに簡単にぃっ!?」

 

「──いやはや、これでは町長に淹れて頂いたお茶が冷めてしまうのぉ」

 

「でも、町に現れた魔物もイレブンも、どちらも放ってはおけないわ。でしょう、ロウ様?」

 

「違いないわい。ほっほっほ」

 

 コツコツと大橋に靴音が二人分。阿鼻叫喚の魔物たちの前で少年────イレブンの隣に並び立つように現れたのは老人と若い娘、ロウとマルティナであった。

 ロウはともかくマルティナはあと数年もすればブギーのタイプど真ん中であろう超抜級の美少女であったが、今はそのようなことを考える暇すらも彼、ブギーには与えられることはなかった。

 

 彼らの姿を見咎めた時、すでにロウはもう一度魔物たちに杖を向け、氷塊──マヒャドを放っており、ベギラマで形作られた熱いコロシアムを丁度よい温度に冷やしながらより安全な厚い氷壁を炎の壁の外側に張りつつ魔物たちを蹂躙せしめ、マルティナは自身の持つ槍を投げてブギーに反射的に防がせると、彼を飛び越えて槍を回収するという離れ業を披露しつつ、魔物の軍勢へと飛び込んでいくのだった。

 

 そして、この即席の闘技場に出場(エントリー)するのは彼らだけでは終わらない。

 炎と氷の宴を切り裂いて大橋の中央に現れたのは、共に青い髪と瞳を持つ、小さな二人の兄妹だった。

 

「マヤ、デートは楽しめたか?」

 

「聞いてくれよ、ひでーんだぜアニキ! イレブンてば、おれをオトリに使ったんだ!」

 

「それだけ頼られてるってことじゃねぇか。それに、口で言うほど悪い気はしてねぇんだろ?」

 

「そりゃ……それはそうだけどさ……?」

 

 弓を構えたままモジモジとする妹を見て、こりゃ重症だとカミュは頭を掻いた。

 

 命を拾い上げてくれた兄弟分たる、イレブンの役に立つなら悪い気はしない。

 ……その気持ちは正直、分かってしまう。カミュもまた、マヤと同じく彼に命を救われた大恩があるからだ。

 

(お前は友達になってくれるだけでいいって話だが……これはオレたちが勝手に感じた恩だ、お前自身にも文句は言わせねえ。こういう時くらい、体を張らせてもらわねぇとな!)

 

 眼前で魔物の親玉と相対する彼の意を汲み取り、阿吽の呼吸でマヤをこの場に抱えて連れてきた自分もマヤとは同じ穴の(むじな)であり、抗いがたい程に兄妹であるとカミュは自嘲しながら、愛用の短剣を構えるのだった。

 

 ──邪モンスターとの連日連夜の戦闘により、彼らは歴戦の徒となっており、彼らを率いるリーダーとして振る舞っていたイレブンもその勇者としての才覚を花開かせつつあり、今はゾーンによる集中状態がもたらす一種のカリスマによって、彼に与する一行の士気を一気に高揚させていた。

 

 イレブンの射抜くような瞳の先には、ブギーとその配下たちが油断なく収められている。

 戦場という異常をあくまで自然に捉え、氷と炎の中で剣を担いだイレブンは、紋章の輝く左手の先をゆったりとした動きでブギーへと向ける。

 ほかならぬ彼の号令のみによって、一行は気炎を上げるのだ。

 

「ありがとう、みんな……さぁ、そろそろ打って出ようか。作戦はいつも通り『バッチリがんばれ』。丸投げで悪いけど────いつも通りに信じてる」

 

『応っ!』

 

 後世に『妖魔祓い氷炎戦』と謳われる戦いの幕は、ここに切って落とされた。

 



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サラサラの33:妖魔祓い氷炎戦②

 

 迅速に整えられた慮外の状況、大軍の不意を打ってのけた電撃戦。

 その開幕にブギーの動揺は拭われぬまま、精鋭を揃えたはずの魔物の軍勢はたった数名ばかりの人間たちに押されてゆく。

 

 カミュの魔力を帯びたブーメランによる吶喊(とっかん)とジバリアの移動阻害を活かした戦列の撹乱によって揃っていた足並みに切り込みが入り、

 ロウの杖の一振りから生まれる呪文は小手調べにすら耐えきれぬ弱卒の足切りを担い、

 なおも向かってくる精強な魔物たちにはマルティナが槍と格闘を織り交ぜて一撃につき一匹ずつ仕留められ、

 奮戦する方々へ間断なく撃ち込まれるマヤの正確無比な弓の援護のもと、彼らは確実に魔物を仕留めていく。

 

 少数精鋭でありながらいずれ劣らぬ勇者の一行は魔物たちに形勢有利に盤上を進めており、その最前線であるグロッタ大橋の中心地では総大将(リーダー)どうしの一騎打ちの構図にて、イレブンとブギーが一対一でしのぎを削り合う形と相成っていた。

 

 初撃の不意打ちで数の少し減った黒い球体を自在に操り、ときおり赤い三つ目から怪光線を放ち応戦するブギー。

 その技のことごとくを的確かつ徐々にブギー側が劣勢になるようにいなして躱し、終始有利に立ち回るイレブン。

 

 体格の不利や耐久力の差をいまや得意技であるゾーンの維持により凌駕して拮抗する二人は、危うい薄氷の上の均衡ではあるものの、まるで演舞のようにその戦いぶりは噛み合っていた。

 

 だが、イレブンはその実、優位に進められているはずの戦況にわずかな違和感を覚えていた。

 

(確実なダメージが入らない……それに、なにか違和感がある。意図的に調子を外されているのか?)

 

 イレブンは戦いの中、先程から頭痛を訴える肉体に不和を覚える。

 ゾーンにより集中力の増大したイレブンは、劣勢のはずのブギーが表情にてわずかに発した、勝利を確信した魔族の色気づいた笑みを敏感に汲み取っていた。

 

「ボス同士の戦いだじょ……も〜っとドハデにするべきだよねぇ?」

 

「ブギー……俺に何かしてるな?」

 

「ゲッ、バレてるぅ!? でもでもそんなの負け惜しみだよん。だってオマエはもう、ボクちんのステージの上のダンサーちゃんだもんね〜!」

 

 卑俗な笑い声と共にスーパースターもかくやといったハイテンションなポージングを決めたブギーの身体が青く輝く。それは超集中状態、ゾーンの証であった。

 

 ブギーはゾーンに入るや否や、その攻勢はより強力で悪辣になり──それをほぼ無意識のうちに捌くイレブンの違和感も次第に強くなり、ついにイレブンは強い頭痛に片手でその頭を抑えるに至る。

 

(……ん? 片手で頭を抑えたって? ……戦闘中の、こんな隙だらけのタイミングで?)

 

 イレブンがそう考えた瞬間、ブギーの仕掛けたそれは効果を発揮し始める。思考は急速に鈍化し、その変化の中で翻弄されていることに気付くのは致命的な場面の後になる。

 

 ブギーの操る黒球が一つに集まり、一目で分かる絶大な破壊力を持った状態にある中、突如として

 "華麗な演舞のように何もない場所へ向かって剣を振り始めた"

 イレブンに対して、ブギーはその黒球の塊を振り下ろす。

 

 さそうおどり

 掌の上で文字通りに踊らされていたイレブンのゾーンは、既に途切れていた。

 

「そぅれ、いまだじょっ!」

 

「!」

 

 意識が戻った時に見えた視界を埋め尽くす黒が迫る短い一瞬でイレブンにできたのは、自身に一つの呪文をかけ、正中線を守るようにして構えた剣を黒球と自分の間に挟んで、防御の姿勢(ブレードガード)を取ることだけだった。

 

「イレブンッ!」

 

 一行においてイレブンに次いで実力が突出しており、幼い頃の後悔から彼の守護を第一に戦況を観察していたマルティナのみが、皮肉にも唯一その瞬間を見届けながら悲痛な叫びを上げていた。

 

 無惨に叩き込まれる痛恨の一撃は、イレブンの抵抗むなしく彼を黒球に押し潰す。

 

 一手遅れれば次など無いことは、イレブンたちには分かっていた。

 市民に被害を出す前に軍勢を殲滅するには一行の多くの人材を割かねばならず、最も被害を大きくさせるであろう要因である大将格のブギーの相手が単騎で務まるのは攻守においてイレブンのみであった。

 

 そして、彼らは一手遅れた。

 一騎打ちに援護は届かず、勇者への加勢は叶わなかった──また、あの子をひとりで死地へ送った。

 

 その事実がマルティナの、ひいては大橋を揺るがす轟音によってイレブンの顛末に気付いた一行すべての顔を悲痛と苦悶に歪ませていた。

 

 魔物の一撃は重い。

 通常、人間の強者と魔物の強者に能力の差はほぼないと言っていいにも関わらずそう囁かれる理由として人間と魔物を分かつもの。それは耐久力(HP)の圧倒的な差である。

 

 ただ打ち合い身を躱し続けるだけで疲労し体力消耗する人間と、その生まれ持った能力だけで攻撃を受けながらカウンターを放てる魔物の差。

 その差が順当に響き、生来の優位を削り切るまでに相手の作戦が通ってしまった。ただそれだけの、ありきたりな結末であった。

 

 ブギーは勝利を確信し、もう一度黒球を叩き込むべく、黒球に魔力を送り込んで黒球を再度浮上させる。

 マルティナは矢も盾もたまらずに駆け出して、またしても護ることのできなかった彼に涙を浮かべ──

 

 ──光を放つ紋章を軸にピクリと動き、マルティナの背後を左手によって指したイレブンの様子に足を止めた。

 

「隙ありぃっ! ついに観念したかよ、女ァッ!」

 

「魔物! く、こんな時に……!」

 

 背後に迫っていたライオネックとアンクルホーンのコンビネーションを捌いて次の瞬間には薙ぎ払いによりカタを付け、振り向きざまにイレブンへと駆け出す。

 しかし、そうして振り向いた瞬間には、既にイレブンはブギーの黒球に再び押し潰されているのだった。

 

「っ……私は、また……!」

 

 最早黒球の下にも見つからないほど原形すら留めない、自身を慕ってくれた弟のような彼の喪失に耐えかね、マルティナの心はついに折れ、膝から──

 

「──いいや。君が無事でよかったとも、マルティナ」

 

「っ!? ……イレブンッ!」

 

 幻覚にあらざるハッキリとした声が、崩れ落ちそうになっていたマルティナを支えた。

 金緑の極光が辺りを包み、魔物たちは顔を顰める。

 イレブンへと収束するその光に、一行はその顔を綻ばせた。

 

 それは彼らを幾度となく救ってきた勇者の奇跡の具現であり。

 そしてイレブン自身が選択した、負けることを念頭に入れて唱えた呪文による、細い糸を手繰り寄せるかのような貧者の真眼が見せた必然であった。

 

「ここに来て運頼みって、生きた心地がしないんだけど……ま、いいか。死んだのはこれが初めてじゃないし……今回もまた生きてるし、ね?」

 

 ザオラル

 死者の魂を現世に呼び戻す呪文を、イレブンは死の直前に唱えていた。

 一度は確実に死んで冥府に落ち、命の大樹の円環に身を委ねるための温かい揺籠の中でなお、自身の目的を見失うことなく、悲痛に嘆く仲間たちの声を頼りに、確かに現世へと舞い戻ったのだった。

 

「おうおぅ……この出血で生きてるのもなんだか不思議な感覚。呪文ってやっぱり未だに信じられない効果があるねぇ」

 

 ガードの上から強引に砕かれ、血糊のべっとりとした剣の刀身が地面に落ちて甲高い音を響かせる。

 イレブンの身につけていたデート用の青い一張羅は見る影もないほど赤く染まっており、しかし、当のイレブンは今度こそ身を守れるようにと、ふくろから新たな剣と盾を取り出していた。

 

 ────その一部始終を呆然と見ていたブギーは、ハッと我に返って幽霊でも見たようにイレブンを指で差して声を荒げた。

 

「ざざざ、ザオラルだってぇ!? あ、あの時お前は詠唱する暇なんてなかったはずだじょ!」

 

「……あいにく、生き残るのは得意なんだ。しぶとく生き返る悪運についてだけは、俺はこの世界の誰にも負けるつもりはないよ」

 

 "なにせ、一度死んで転生したことがあるからね。"

 

 そんな狂言じみた冗談までは口に出さず、イレブンは事態に気付いた一行のうちロウからのベホイムを受け取り、その間に深く集中することでゾーンの青い輝きを取り戻し、駆け出していたマルティナの、血糊がつくことを厭わない抱擁を受けていた。

 

「イレブン……無事だったのね!」

 

「マルティナ、俺は大丈夫。だから、ここからは『ガンガンいこうぜ』。魔物をいち早く一掃して、大将を全員で叩くんだ」

 

「──ええ、任せて!」

 

 イレブンの言葉が契機となったのか、マルティナもゾーンに入り、後方の魔物の軍勢に一足飛びで吶喊していく。

 

「……な、大丈夫だったろ?」

 

「いしし、おれは心配なんてしてなかったけどな!」

 

「っ! あ……あなた達、いまのを見てたの!?」

 

「橋のど真ん中でおっぱじめといてよく言うぜ、まったく」

 

 戦線に戻ったマルティナに対し、カミュは落ち着き払った調子でからかい、マヤは仲間を見つけたように小さく笑う。

 

「やっぱアイツのこと大好きじゃん? いつもは"ただのお姉ちゃんです"みたいな顔してんのになー?」

 

 マヤの言葉に顔を赤らめたマルティナは、魔物と対峙するや否や一撃の元に屠りつつ、熱くなる頬を戦火のせいと押し付けた。

 

「イレブンから作戦の変更を受けたわ。ここからはあの子の加勢に行くためにも、『ガンガンいくわよ』!」

 

 

「それにしても、さそうおどりって凄いな……思っていたより勝手に体が動く。次は気を付けよう」

 

「ザオラルごときで対抗しようなんて、そんなバクチが何回も通ると思うんじゃないじょっ!」

 

 油断なく構えつつも搦手に乗らず、ゾーンの過集中による視野狭窄を最小限に抑えるイレブン。対照的に怒りによるゾーンの効果増大を見せるブギー。

 かたや町の命運を、かたや自らの軍勢を背に、両者は相容れぬ姿勢で対峙する。

 

 魔物との耐久力の差は、何度も生き返れば問題ない。

 一度受けた技は対策し、次に活かす。イレブンは自身の死よりも他人の死を恐れるが、それは死の感覚と恐怖を知ればこそ。

 それゆえ一行は未だイレブンの死亡を体験することはなかったために気付いていなかったが……彼のザオラルに対する成功率は、どんな致命傷でも、どのようなタイミングであれど100%である。

 

 それはイレブンと大樹の恩恵が織りなす、まことの勇者ならざる転生者たる彼のみが生み出せる奇跡であった。

 

 しかし、奇跡は二度続かない。

 

 それを十二分に知るイレブンは、怒りに三つ目を赤く染めるブギーを前に、自身の持てる手札を余さず切っていく心算であった。

 

「ぐぬぬ……なら、次はどうやっても生き返れないようにハラワタをぶちまけて、そのまま食ってやるからねぇ!」

 

 一度は決した雌雄を戻し、イレブンとブギーの影は再び交差する。

 グロッタ大橋を舞台とした妖魔払い氷炎戦は、その佳境を迎えようとしていた。




⚫︎余談:現在の戦況
・イレブン:ブギーと戦闘中。今回は0キル1デスの最も魔物討伐数の少ない総大将。ガバって誘う踊りと痛恨の一撃のコンボを喰らったけど転生者特有のリカバリ力(ぢから)で戦線復帰。頑張るぞ!
・マルティナ:10年前くらいのトラウマを抉られてメンタルブレイク寸前になるも、イレブン復活でメンタルリセット。最前線のカミュマヤと合流。
・ロウ:戦術に一切の駆け引きがないためほぼ画面外ながら、実は今回の魔物討伐数1位の広域殲滅系おじいちゃん。遠距離で戦場を俯瞰しつつまほうのせいすいをガブ飲みしながらマヒャドを連発し、前線が傷付けばいやしの雨とベホマラーを降らせるという対戦ゲームなら弱体化待ったなしの強烈な魔法戦術を妖魔軍団に押し付けている。
・カミュ&マヤ:ツーマンセルで戦場を駆け回りつつ、ロウとマルティナの援護を担当。経験の差から戦力としては一枚落ちるが、二人でサポートに回るならこれ以上ないコンビとなる。
・ブギー:敵側のボス。イレブンを見事に倒してみせるも、ウルトラCで蘇ってきてご立腹。
・妖魔軍団:ブギー率いる魔物の軍団。その質はまちまちで、作者的には推奨レベルは20〜35くらいの振れ幅を想定している魔物の群れ。

激戦はさらなる激戦へ。
もうちっとだけ続くんじゃ。


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サラサラの34:妖魔祓い氷炎戦③

 ザオラルによる復活劇から更に数十秒ほど経過した戦場にて。ブギーと至近距離で切り結ぶイレブンは、尚も劣勢に立たされていた。

 

 それは戦局における大勢が、というわけではない。

 戦略および戦術レベルでは優勢であり、現状の戦力において不足する部分は見当たらない。ただ一人……イレブンを除けばの話である。

 

 つまるところ彼はこの戦場でただ一人、敗走の可能性を高く測られていたのだ。

 

 イレブンは黒球をドゥルダ師範代として研鑽を積んだ天地の構えでいなし、カウンターの掌底を見舞うと共にバックステップで離れる事で予断を許さない至近距離から辛くも逃れる。

 

「はぁ、は……ぐ、ぅ」

 

 技量は比べるまでもなく勝るが、生来の体力差はどうしても埋まり切らない。

 勇者であれど発展途上である人間の子供と、町ひとつ落とせると確信できるまでに配下を集められるような成熟した魔物の差は大きい。

 

 スタミナの欠如による息切れや動悸、めまいを必死に抑えるイレブンに対して、邪悪な魔物に対して特に有効な勇気に由来する光の魔力を込めていないとはいえ、型の通りに完璧に決まった全力の掌底をたたらを踏んで冷や汗ひとつで済ませるブギーを見据えながら、イレブンは自身の置かれた状況を振り返る。

 

 幼少期よりドゥルダ郷で鍛えた膂力はそこらの魔物より強く、専科百般の特技と魔法の知識を修め、そして勇気は……それなりに。

 その全てを使ってなお一度は死を体験し、剣は折れ、肉体ごと潰れたせいか盾も鎧もなく、かろうじて襤褸きれのような服を纏い、無手を晒して構える子供。それが、偽らざる今のイレブンの現状である。

 

 思考は翻って敵方、妖魔軍について考える。

 敵勢は仲間が抑えてくれているおかげで、人的被害なく均衡を保てている。氷炎の壁は大橋をぐるりと囲み、唯一開けた空中に逃れる魔物たちは、すべてカミュとマヤの二人によって撃ち落とされている。

 弱兵はロウの広域魔法の前に形無しであり、マルティナの八面六臂と言える頭ひとつ以上抜けた個人戦力の前に、ブギー以外の強敵はない。

 つまるところ、優勢である。文字通り無尽蔵に魔物が現れていることで、こちらへの加勢はしばらく望めないだろうが。

 

 最後に、この戦いの勝利条件を再確認する。

 勝利とは敵を撃退することではなく、勇者と魔王を巡る諍いへ巻き込まれた人々に被害を出さないこと。

 撃退はただの手段であり、勝利を収めるにあたっての前提ですらあった。

 

 しかし、現在はどうだ。

 イレブンは前述の通り、傷こそ塞がったものの全ての装備を失くした満身創痍であり、ふしぎな鍛治によりストックしていた装備たちはふくろと共に戦火の中で紛失し、どこにあるやら分からない。少なくとも、この戦いの中で悠長に探している暇はないだろう。

 

 眼前に在るのはダメージこそ蓄積している(もしくは、そう思いたい)ものの、未だ動きを鈍らせない異次元の体力を有した妖魔軍王ブギー。

 相対する自分は一度は死に至り、ザオラルで生き返ったばかりの無手の小僧。

 

 なるほど確かに絶望的だ。

 客観視するように。あるいは他人事のように結論を下し────

 

「まだ、だ……!」

 

 ────イレブンは獰猛に目を見開いた。

 

 まだ敗北していない。

 まだ勝利していない。

 まだ誰も────ハッピーエンドを迎えていない。

 

「俺は……おれは、まだ……っ!」

 

 まだ、その先の言葉を紡ぐには、未だ彼は至らない。

 

 イレブンはその大器を持て余している。

 転生した紛い物であり、器に入った魂はそこいらに掃いて捨てるほど居る凡愚に過ぎず、その勇気の質は本物の勇者たちに遠く及ばない。

 

 しかし。

 勇者で在ろうと研鑽し、これまでを生きてきた彼の流した汗の雫の一滴ずつが、今の彼を形作った。世界に至った経緯はどうであれ、彼は"勇者"を投げ出さなかった。

 

 それか名も知らぬ隣人のためであっても、悪人であっても変わらない。それ以上の理不尽は、魔王は、邪神はいずれやってくる。

 

「だから……こんなところで……負けて、られるかぁっ!」

 

 救世の偉業(ハッピーエンド)を目指すため。

 言い換えればこの世の理不尽のすべてに叛逆すべく、勇者たろうと奮い立つ。

 

 それこそが勇気であることを自覚しないままに、ただ仲間と人々のために無我と滅私の仁王立ちを崩さなかった彼は────その手の甲に携えた竜の紋章をこれまでにおいて最も輝かせていた。

 

「あぁぁぁァああっ!!!!」

 

 イレブンの視界は明るく、夏空のように青く輝いてゆく。

 

 その瞬間、黒球をもう一度連続で放つブギーの姿がゆっくりと見える。イレブンはドゥルダの教えによる天地の構えを取り、その両手に身の丈を越える二振りの大剣を喚び出した。

 

「"覇王斬"」

 

 その奥義の名を口にした時、世界は目まぐるしく動き出す。

 イレブンはゾーンに入り、覇王斬は勇気を胸に彼の名の下に象られ、まばゆく輝く黄金色の光剣は重さを無視し、常軌を逸する剣技の冴えに支えられ、ブギーの黒球は十重二十重を越えた二刀の極意によりすべて弾かれていた。

 

 黒球の金属音とブギーの見開いた三つ目こそは、イレブンの現状確認の終了の合図。

 つまりは互いに逃走を許されないプライドの一戦、総大将同士での戦闘再開の合図であった。

 

 

 殻を破ったような、一枚の羽根のように軽い身体。

 また一段階深まったゾーンに、『俺』の思考は澄み渡る。

 

 前進しながらはやぶさ斬り、かえん斬り、黒球は落ち着いて大剣でガード。

 もちろん吹き飛ばされるが、途中でデインを唱えてブギーに放ち、雷の衝撃と光で怯ませて対処する。

 

 のち、大剣を二振りとも投げて覇王斬を再形成しながら前進、途中の黒球は魔力を込めた拳で打ち払う。

 

 覇王斬の数は二つ、形はいつぞやの三叉槍(トライデント)

 ポセイドンやトリトンではないが、俺にはこの形が最も合っているように感じていた。

 

 ゾーンにより精度の増した魔力操作により、無手の拳と鋼を仕込んでいる分いくらかマシな足に集中し、7対3で魔力配分を開始する。

 

 手近な瓦礫を掴んで放り投げつつ放物線の速度に合わせてブギーに向かって走り、同時に帯同させていた覇王斬を射出。

 

「こんな子供騙しの目くらましに引っかかる奴なんていないじょ、勇者ぁっ!」

 

 ブギーが瓦礫を黒球で粉砕すると、粉塵が舞って一瞬だけ俺とブギーの両者とも視界が阻まれる。

 ブギーはその一瞬だけ俺を見失う。第三の目も含めて視界に頼った索敵をするのか、彼のマヌーサ系への耐性は並だ。

 反面、俺はこのゾーンの間は相手の魔力や魂をその質まで見抜いて捉えることができると、カミュとマヤを救けたあの時に知っていた。

 

 見える。

 俺の敵が。

 

 その力によってブギーを捕捉し、彼へ向かって跳躍。

 三叉槍の一つを戻し、空いていた自分の両手に持ち替える。

 

 跳躍の際に足に残しておいた残存魔力を、あえて呪文レベルまで練り込まない指向性を持たせただけの魔力放出に変え、ジェット機のような推進力で空中から弾丸のように降下。これにより手持ちと射出、二つの覇王斬でもって隙を晒したブギーへと強襲する。

 

 ブギーを自動的に守る黒球を射出しておいた覇王斬が相殺して突き進み、同時に俺は紋章からデインを引き出し、ほぼノータイムでブギーの目に照射して視界を塞ぐ。

 

 手にした三叉槍を肩を巻き込んで引き絞り、魔力をさらに練り上げながらブギーに到達し、顔面に放つキックと同時に足の残存配分魔力を放出、ブギーの顔にクリーンヒットさせた。

 

「いっ……でぇぇぇえっ!!! な、何がどうなってるんだじょ!?」

 

「お前専用の対策と初見殺しのオンパレードだよ、ブギー!」

 

 動揺するブギーに向かって俺は三叉槍の柄頭に魔力の紐を形作り、ピンとブギーへ向かって伸ばした腕を滑走路としながら、引き絞りきった覇王斬を銛突きの如く発射した。

 

 三叉槍の解放と同時に紋章から放たれる巨大な光柱が俺の周囲を包み、グロッタの暗い天井へ竜の紋章が投影されていた。

 極光の雷が、光の魔力が象る三叉槍へと落ちる。

 

「ライ……デインッ!」

 

「舐めるんじゃないじょ、ニンゲン、っ!?」

 

 やっとこちらを捕捉したブギーが放つ悪あがきの黒球も、三叉槍に力負けして弾かれる。

 黒球、ブギーが形成する闇の魔力の塊は、より強い光の魔力の前に屈して道を空ける。すなわち、ブギー本体へと三叉槍は吸い込まれてゆく。

 

「ま、待つじょ、こんなの聞いてな、」

 

「じゃあ、その隠している黒球はなんだ?」

 

「!……っ、どこまでもカンにさわるガキだじょ、お前ぇっ!」

 

 焦るふりで誤魔化しを図り、最後の黒球を自身の背後から放ったブギーの一撃に対して盾型の覇王斬を形成することでタイミングを合わせてガード。

 すべての黒球をいなした事で、ありったけの勇気の魔力を込めた三叉槍はついにブギーの目と鼻の先に迫っていた。

 

「油断はしないさ。俺が倒れたら、皆を悲しませちゃうんでね!」

 

 魔力(MP)を過剰に込めたライデインによるオーバーロードを果たした三叉槍の組紐からダメ押しとばかりに光の魔力を流し込み、紋章の力の相乗効果により指数関数的に威力を増したその覇王斬は今度こそブギーにするりと吸い込まれていき……直後、町を揺るがすほどの雷鳴とブギーの断末魔と見紛う渾身の叫び声が轟いた。

 

「────ッ、ギャァァアアアア!!!」

 

 覇王斬によるギガスロー。

 切り札と呼べる手段をありったけ込めたそれはまさに、形勢を変えうる会心の一撃。

 焼け焦げてバチバチと帯電するブギーはこの日においてついに、初めて膝を着いていた。

 

 

 剥き出しの光と闇の力がぶつかり合う、何れも立ち入ること能わぬ戦渦。

 一対一の大将戦の行方は、尚も熱を帯びてゆく。

 




イレブン覚醒回です。
ここまでやらなければ勝てませんし、実際に平行世界説的な視点では普通に負けてるイレブンの方が多かったりします。(比率で言えば勝利3:敗北7くらい。被害を出さないSSランクハッピーエンドならば更に勝率は絞られる)
しかし!長い期間が空いたので再確認ですが、この章の名前は追憶編。
お見せするのはこの激戦に勝ったイレブンの追憶なので、こういった展開になるわけですね。

なので、あるいは必然の開花と呼べるかもしれません。
本物の勇者とはまた違った形で、ドゥルダでの修業期間に死と隣り合わせの極限状況が合わさった末の長い時を経た遅咲きとなりますが。


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サラサラの35:妖魔祓い氷炎戦④

 イレブンとブギー、双肩に陣営の勝利を賭けた両者の戦いは佳境に入り、その勝負の趨勢は覚醒を果たしたイレブンへと大きく傾いていた。

 

 イレブンの剣技はブギーとの体格差、なにより全身どこからでも行える魔力放出により素早く捉えにくい三次元的な足運びはブギーを容易に翻弄する。

 

 地球であれば高機動の戦闘機、SFにおいてはスラスター付きの人型機体、鳥山明の世界になぞらえるなら舞空術。

 翼を介さずジェットの絶妙な噴射によって通常ありえない制御を行うその戦法はいずれにせよブギーにとってまったく未知のものであった。

 

 極めつけはときおり宙空に現れる光の魔力で出来た三叉槍(トライデント)の覇王斬。

 これは闇の力を糧とする魔物にとって致死毒そのものであり、その致死毒が死神の鎌が魂を狩るが如く会心の時を狙って飛んでくるのはブギーにとって最悪の事態と言っても過言ではない。

 

 その一切遊びのない攻勢と瀕死であった癖にいまだ余力のあるように見えるイレブンの不敵な表情に、いままで苦戦という苦戦をしてこなかった最強の魔物の一角としての自負を持つブギーの苛立ちはこのとき最高潮に達していた。

 

 生まれながらに強い自分がなぜ、こうまで追い詰められなければならないのか。

 

 天賦の力を持っていた彼には、戦闘らしい戦闘の経験がない。

 配下たちは自分が現れるだけで頭を垂れ、反骨心のあるヤツもすべて一撃でノックアウト。それでも折れなければ監獄へと吸い込んで"お仕置き"を繰り返せばあら不思議、どんな者であれ従順な配下へと作り変えることができていた。

 唯一敗北したと言える魔王との邂逅もウルノーガの圧倒的な力の前にひれ伏しただけであり、それは単なる例外であると信じて疑っていなかった。

 

「クソォ、聞いてた話と違うっ! こんなに強いヤツがいるなんて聞いてないじょ!」

 

「そりゃあ残念だったね、こんなに強いヤツが目の前に居てなぁ!」

 

 怒りに任せて振りかぶった拳へ覇王斬の大剣がカウンター気味に合わされ、ブギーはオリハルコン並みの硬さを誇ると自負している岩をも砕く自慢の拳がイレブンとの剣戟によって少しずつ傷を負っていることにわずかな焦りを覚えていた。

 

 目の前の少年ひとりにいいようにされる自分に心がざわめき、ささくれ立ち、配下の魔物たちも完全に押されていることが彼の焦燥に拍車を掛ける。

 

 確実に息の根を止めたはずなのに。

 まともに戦える状態ではないのに。

 

 なにより、人間風情が妖魔軍を束ねるカリスマの自分とここまで戦えることが、ブギーにとって最も腹立たしいことだった。

 

「……ん? いや、違うじょ?」

 

 だからこそ、ここで彼は怒りを通り越して冷静に俯瞰をできてしまい……イレブンに追い詰められる焦りを振り払って、自分の強みを思い出していた。

 

 澄み渡る思考、すでに切れていたゾーンに再び入りそうな感覚がブギーに活力を与え、次の瞬間には三叉槍を闇の拳で一度だけ軌道を逸らし、ブギーの頭部を(したた)かに蹴り込もうとしていたイレブンの脚を掴んで力任せにぶん投げていた。

 

「ぐっ!?」

 

 明らかに精彩を欠いていたブギーの動きが戻ったことで、イレブンによるかりそめの優勢はわずかに揺らぐ。

 

 投げられた状態から地面に叩きつけられるまでの一秒にも満たないコンマの世界でイレブンは魔力放出により体勢を空中で立て直すも、ブギーはその間でニタリと乱杭歯を見せて笑っていた。

 

「そう、ボクちんは妖魔軍の王さま! なぁんでそれを忘れてたのかね!」

 

 妖魔軍を束ねるカリスマ。

 現在の妖魔軍の指揮の全権は自分にあることをブギーは思い出していた。

 

 つまり。

 温存していた戦力の指揮権すら自分にある、ということを。

 

"メガモリーヌ"! キミの力を見せるときだじょぉっ!」

 

 ブギーはイレブンが離れた一瞬の隙をついて虚空へと愛する彼女の名を叫ぶ。

 その行動はブギーが今回のこの戦場において的確に"正解"、つまりは自身が明確に優位を形成できる会心の手札を選び取った瞬間であり。

 

 同時にイレブンの陣営において『頭目を抑えた一対一で時間を稼ぎ、他の魔物の集団を民間の被害なく蹴散らしたのちに連携を開始する』という暗黙の了解、その梯子を自然と外された痛恨の一手でもあった。

 

 膠着状態は覆され、駆け引きの機微は撹拌され、戦場の支配権はいま一度ブギーに渡る。

 

 一対一の大将戦、その前提はいとも簡単に崩壊する。

 他ならぬブギーの切り札によって。

 

「はぁ~い♡ やっと呼んでくれたのね、ブギーさまぁ♡」

 

 イレブンの眼前、あるいはブギーの隣に濃紺の異空間が開き、それをこじ開けるようにして巨躯の一つ目が現れる。

 それはギガンテス並みに鍛え上げられた肉体を持ち、体色と同じピンク色の系統で纏められた兜と手甲を着けた、四つ腕を持つ巨人であった。

 

 その筋肉(マッスル)とは裏腹にかわいらしい声でブギーの名を呼んだ彼女は、異空間から出た勢いのままブギーへと近づいていたイレブンを力任せのドロップキックでガードの上から吹き飛ばし、強制的な仕切り直しに繋がる大きな距離を取らせていた。

 

「ブギー様とお近づきになろうったって、このメガモリーヌさまが許さないんだから! アンタみたいなムカつくガキには普通の地獄じゃ生ぬるいわ……お仲間も纏めて、メガトン級の地獄を見せてあげる!」

 

 自身の気分を高揚させるポージングを決めたメガモリーヌは生意気な人間たちに向けて宣戦布告し、ブギーの隣に立って構える。

 

「あは、はは、メガモリーヌか……そりゃそうか、カップルだもんな」

 

 イレブンはたった一人の魔物の登場により一気に傾いた形勢に苦々しく顔を歪めながら、小さく乾いた笑いをこぼした。

 

 吹き飛ばされた体勢から距離が完全に離されることを魔力放出により防いだ上で少し離れた位置にて体勢を立て直すが、その顔色は優れなかった。

 

「こりゃ、誰がどう見ても……形勢逆転かなぁ」

 

 最初に懐へと潜る至難を不意打ちで補い、いかんともしがたい体格、体力の差をブギーに対し自分が凌駕する長所たる器用さと素早さ、圧倒的に勝る魔物との豊富な戦闘経験、それを昇華させ一段階上へと至ったゾーンを以て翻弄することでやっと互角以上に見せていた危うい戦況。

 

 それをたった一手、ただ『自分の相手がひとり増えた』という安易な解答だけでその均衡は見事にひっくり返された。

 

 グロッタの市民を守るべく魔物を外に出さないという条件を満たしたまま強敵を相手にできる人材は、同じ役割をある程度こなせると見込めるマルティナが魔物の軍団にちらほらといる氷炎の壁を壊しかねない強兵に対処している現在において、イレブンのみしかいなかったのだ。

 

 その前提の上で、眼前の大将は二人に増えた。

 

 しかも少年ゆえいまだ体格に恵まれないイレブンに対し、増えた強敵は生まれながらに大きく強い巨人種で、一合を交わしただけでも相当の手練れであることは明らかだった。

 

 いままでにあったどの戦いとも違う、助けも逃げ道もない完全な逆境。

 現状ではこの二体の強大な魔物へとまともにぶつかってもジリ貧の末に磨り潰されるのは目に見えている。

 巨人の出現に驚き戸惑う仲間たちも、イレブンに助太刀するには足止めをすべき魔物たちの数が多すぎた。

 

 妖魔軍の王とは伊達ではない。

 単なるコメディリリーフに収まらず、倒されるべきやられ役でもない面目躍如。

 

 ブギーはイレブンの反応に気を良くし、メガモリーヌと両手を繋いで嬉し恥ずかし踊り狂い、同時に嘲るようにイレブンへと勝利宣言を突きつける。

 もうお前には逆転の芽はないのだと。

 

「その通り! さぁ観念するじょ、ニンゲン!」

 

「あんたに勝ち目はないわ!大人しくアタシたちのラブの前にひれ伏しなさい!」

 

 

 

「────へぇ、誰が観念する(ひれ伏す)って?」

 

 

 

「じょっ?」

 

 しかし、この絶望的な劣勢にあってなお、イレブンの瞳は未だ迫りくる絶望に染まってはいなかった。

 

 この先に待つかもしれない無惨な死が怖くないと言えば嘘になる。

 だが、その『死』の恐怖が自分のせいで周囲へ伝播し、無為な虐殺として他人に降りかかる事こそが、彼の最も恐れることであった。

 

 すべて虚しい抵抗になろうと、それを止める理由にはならない。

 

 だからこそ、このグロッタの町を襲った魔物の軍勢を相手にしても、尚。

 眼前の二体の強敵を相手に、尚。

 

 これ以上の後退を、イレブンは己に許さない。

 

 ────勇気を胸に、いかずちを手に。

 

 気炎立ち昇る深い呼吸と不退転の決意による集中が、ゾーンへの再突入を促していく。

 

「かかって来い。ブギー、メガモリーヌ!」

 

 青空のごとく輝くイレブンはその逆境をも勇気に換えて、目を見開いて脅威を見据える。

 その手には、先程よりも大きな、海王のごとき一振りの三叉槍が握られていた。

 

 

 戦局は刻一刻と変わっていき、誰の優勢であれど完璧はない。

 しかし、それはいつの時も、戦場に携わるすべての陣営に対して適用される文言でもあった。

 

 ────グロッタの町、混乱に瀕した戦場の外。

 

「ぐぎゃァっ!?」

「ぐべっ!?」

 

「ウフフ……オイタをする子はこのアタシが許さないわ!」

 

 鼻歌でも奏でるように、大橋にかかる氷炎の壁から抜け出した妖魔軍の隠密部隊をいとも簡単に切り払う人影があった。

 

 その剣術は流麗にして鮮烈。

 

 いまにも市井に襲いかからんとしていた脅威の魔物たちは、誰にも知られることなく無垢の魔力となって宙に溶けていく。

 

「あ、ありがとう、英雄さま!」

 

「はぁ~い、呼ばれて飛び出て英雄ちゃんよん。 ねぇお嬢ちゃん、お父様とお母様はあちらの方にいるお二人かしら?」

 

「うん! 街を守ってくれてありがとう、英雄さま"たち"!」

 

 とててて、と両親の元へ笑顔で駆け出す子供を腰元で小さく手を振りながら見送る英雄と呼ばれた人物は、"もう一人の英雄"が、その白銀鎧にあしらわれた双頭の大鷲をマントと共に翻して降り立ったのを流し目で確認していた。

 

「イリアス。アナタもけっこうお人好しよね? あの子のご両親をアナタが助けたの、アタシは見てたわよ?」

 

「うるさいぞシルビア……私は、私の仕事をまっとうしているだけだ」

 

「あらそう? ウフフッ、正直に自分の心に従って体が動いたって言えば、少しは格好が付くのにねぇ?」

 

「いちいち癇に障るヤツだ……これ以上踏み込めば命はないぞっ!」

 

 英雄の片割れ、シルビアの言葉に騎士イリアスの双剣が煌めく。

 

 ガキンという金属音の後、鍔迫り合いを始める二人。

 互いに一歩も動じない互角のそれは彼らにとってもはやコミュニケーションの一環だった。

 

 少なくとも、癇癪を受け止める慈母のような心境で悠々とレイピアを構えていなすシルビアの側にとっては。

 

「まったく、騎士ってのはどいつもこいつも頭が固いんだから、ね?」

 

 笑顔でイリアス……おそらく自分と同じく本名ではないであろう彼の剣に込められた迷いが晴れないか見定めていたシルビアの耳に、氷炎の壁を超えた爆音が届く。

 

 イリアスにもそれは聞こえていたようで、不毛な鍔迫り合いを止めつつグロッタ大橋に目を向けると、そこには先程まで全く影も形もなかったピンク色の巨人がいきなり現れていた。

 

 シルビアがさりげなく目をかけていたサラサラの髪の少年は、すでに満身創痍のようだが、その目と立ち姿はまだ死んでいないように見えた。

 

「でも、ウフフ……どうやら苦戦しているみたいね」

 

 戦況を俯瞰していた二人のうち、やはりシルビアの方から言葉を発する。

 カチャリとシルビアは格闘大会のために特別にあつらえていた仮面を着け、不敵に笑った。

 

「……まさかとは思うが……あそこに加勢する、などと言うんじゃないだろうな」

 

 イリアスは難色を示したものの、隣に立つ人物の性格を(遺憾ながらも)把握しているが故に、もはや諦めの境地でシルビアに向けて眉をひそめていた。

 

「分かってきたじゃない、そのまさかよイリアス!」

 

「ええい、やはりそうだったっ! おのれ、ウルノーガ様になんと報告すれば……!」

 

 グロッタ下層から華麗なジャンプを決めながら闘技場の上へと向かう自由奔放な旅芸人に頭痛を覚えながら、騎士は渋々急造の仮面を着け、シルビアに追随して跳躍する。

 

「だが見つけたぞ、悪魔の子よ……! この戦場に紛れてヤツを殺せば、ここまでのすべてを補って余りある戦果だ。雑兵どもでの錆落としもちょうど飽き飽きしていたところだ……!」

 

 彼の目的は勇者の存在の調査。

 どちらにせよ、左手に光る紋章を持つ少年そのものが戦場にいる以上、自身が打って出ることは決定していたのだから。

 

 シルビアはイリアスの言葉を跳躍しながら耳ざとく聞き、小さなため息をつく。

 

「要はやーっと隠密部隊をぜんぶ討伐できたみたいだから、心置きなく助けに入れるってことなんだけど……ま、人生たまには言い訳も必要よね?」

 

 

 同刻。

 グロッタに続く戦士の銅像を瞬く間に越えながら、黒き鎧の戦馬がひたすらに町へ向かって前進していた。

 

 戦馬がその背に載せているのは同じく上質な黒金鎧を着た精悍な薄紫髪の偉丈夫と────その男が引く手綱に小さな両手を必死に掴まらせながらも風に煽られ吹き飛ばされかけている、赤と緑の揃いの服を着た双子の少女たちだった。

 

「ね、ねぇグレイグ、もうちょっと安全に走れないわけ!?」

 

「止まることはできん、町から火の手が上がっているのだ!」

 

止まれない理由の方は聞いてないんですけど!? あぁもう、この猪突猛進男!」

 

「まぁまぁベロニカお姉さま、どうかその辺りで。事実、グレイグさまのおかげで私たちも素早く加勢が出来そうなのですから」

 

「……そうね。さっきの強い闇の魔力を打ち消した光の魔力……セーニャも感じたでしょ?」

 

 赤の少女ベロニカの言葉に、緑の少女セーニャも頷いた。

 手綱に必死に掴まりながらも、セーニャはそれを重く受け止めていた。

 

「はい、あれはまさに私たちの里に語られていた伝説の勇者、その魔力に間違いないでしょう」

 

「なに、悪魔の子がグロッタにいるだと?」

 

「あんたは話がややこしくなるから黙って馬を走らせてなさい、グレイグ!」

 

 途轍もない剣幕のベロニカにぴしゃりと一喝され、グレイグと呼ばれた黒鎧の騎士は手綱をしっかりと握りなおす。

 

「それに、悪魔の子が何よ? あんたは今から町のみんなを助けに行くんだから、いちいち構ってる暇なんてないでしょうが!」

 

「あ、ああ……その通りだ!」

 

 剣幕は変わらずともグレイグの騎士としての立場に寄り添いながら芯を通したベロニカの言葉に、グレイグはハッと目を見開いたのち眉根を寄せて、次の瞬間には眼前の町に巻き起こる戦火をよりいっそう真面に見据えることができるようになっていた。

 

 百戦百勝の猛将と呼ばれるようになった今も、決意は過去から揺るがない。

 それをいま一度確認するべく、グレイグはひときわ大きな声で激を挙げる。

 

「このグレイグ、我が身命を賭してでも、二度と眼前に広がる悲劇を見逃しはせん! リタリフォン、グロッタに向かって全力で進めっ!」

 

『ヒヒィィン!』

 

 いななきと蹄の音がグロッタへ続く崖間に響く。

 目の前の、火の手の上がる要塞都市に向かって、奇妙な取り合わせの三人組は一陣の風となる。

 

「ちょっ、ちょっと……! やる気が出たのはいいけれど、もうちょっとレディを優しく扱いなさいよぉっ! あたし、もう握力が……!」

 

「うふふ、あと一息ですわ、ベロニカお姉さま♪」

 

「あんたが吹っ飛ばないように抑えてるのはあたしだって分かって言ってる!? あぁもう、二人とも手間がかかるんだからっ!」

 

 自分一人のツッコミでは追いつかないほどの天然ボケ二人に辟易しつつも、ベロニカはグロッタで待つ勇者へ祈る。

 

(光は強くなったかと思えば突然弱くなって、今はか弱く明滅している。……お願いだからあたしたちが来るまで無事でいて、勇者様!)

 

 

 "新たな英雄"シルビアとイリアス。

 "英雄"にして"猛将"グレイグと聖地ラムダの双賢の姉妹。

 

 グロッタの町を舞台に行われる大混戦は彼ら二陣営の参戦によって、ついに逆転の好機を迎えることとなる。

 



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サラサラの36:妖魔祓い氷炎戦⑤

「かかって来い。ブギー、メガモリーヌ!」

 

『その戦い、ちょーっと待ったぁ!』

 

「!?」

 

 張り詰める緊張感の中、戦場に高らかな声が轟いた。

 人間も魔物も問わず、この場の誰もが声の方向に振り向いてしまうようなその声の主は、グロッタ闘技場に飛び出すように建造された英雄グレイグ像の頭頂部へと立っていた。

 

 声の主は道化師のように派手な仮面をしていたが、体つきは線の細さを意識しつつも戦士のものであり、その体格に見合ったレイピアを腰に帯びていた。

 隣には金刺繍の施された白い礼服を着る目元を隠した仮面の男も立っており、こちらは頭痛がしているかのように頭を抑えていた。彼もまた戦士のようで、二刀流を得意とするのか、片手剣を二本腰に帯びていた。

 

「とうっ!」

 

「クッ……!」

 

 華麗なフリップを決めながらジャンプする声の主と、それにつられてグレイグ像から降りてくる仮面の男。

 彼らはともに青く輝くイレブンの側に立つと、魔物に向かって相対する形で剣を抜き放つのだった。

 

「アタシの名はシルビ……いえ、アタシは『レディ・マッシブ』! 笑顔を守る愛の戦士として、わる~い魔物ちゃんにはオシオキよ! ……そして!」

 

 レディ・マッシブと名乗る彼女の目配せで、隣の同じく仮面を被った青年も歯噛みしながら宣言する。

 

「クッ……私の名はイリアス! 民の安寧を奪う魔物どもには……っ、ええい、御託はいらん! 覚悟しろ……この姿を見られたからには生きて返さんぞ、魔物ども!」

 

「そう言うワリには顔は仮面で隠してるじょ! と、というかあなた様は次期魔軍司令の……」

 

「ええい、うるさい! 私は愛の戦士イリアスだ!」

 

「は、はひっ!?」

 

「ク、この呼び名が本来の私とかけ離れているおかげで、存外役に立つのが恨めしい……!」

 

「いいじゃない、名前なんて適当に決めておけばいいの。どんな気持ちで呼ばれるかが大事でしょう?」

 

 愉快そうに剣を取るシルビアの隣でイリアスと名乗った仮面の青年は両手に二刀の剣を抜いて構え、闇の魔力を解放して剣からドルマを撃ち放つ。

 突然の登場から展開を無視した魔法の発動に面食らったブギーはドルマを避けきれず着弾しかけるも、隣接していたメガモリーヌが四つ腕を全てクロスさせる鉄壁の防御でかばい事なきを得る。

 イレブンは突然の増援に困惑するが、相対していたブギーもそれは同じであった。

 

「なによ、意外と姑息なマネしてくれるじゃない! いいわ。ボコボコにされたいなら、まとめて面倒見てあげる!」

 

『ちょぉーっと、待ったぁ!』

 

「こ、今度はなんだじょ!?」

 

『行くわよセーニャ……メラミッ!』

 

『はいっ、お姉様!……バギマッ!』

 

 二人の連携により炎を巻き込んだ風の渦が、グロッタの門を大きく揺らす。

 

『ゆけ、リタリフォン!』

 

『ブルルッ……ヒヒィン!』

 

 レディ・マッシブたちとは逆方向、グロッタ大橋の魔物の軍勢を蹴散らしながら、黒い旋風がやってくる。

 収束により貫通力を増した火球により氷をひび割れさせながら食い破り、荒ぶる風は炎の壁と進路の魔物たちを一気に巻き込み、最後に馬の剛脚と大剣の一撃で魔物の軍勢を力ずくで蹴破ることで現れたのは、黒鎧の偉丈夫と赤と緑の平服を着た少女たちの奇妙な三人組であった。

 

 二人は双子であろう幼い少女。赤い服の少女は魔法使い、緑の服の少女はすれ違いざまにカミュら傷ついた勇者陣営にホイミをかけて回る姿から、どうやら僧侶のようであった。

 

 そして、黒鎧を着た偉丈夫は双頭の鷲をかたどるデルカダールの紋章を輝かせながら鎧馬を駆り、双子と共にブギーら魔物の頭目へと一直線に迫っていた。

 

「はぁぁぁぁっ!」

 

「っ、ブギー様に寄ってたかって次々と! そんなこと、このアタシがさせないわよ!」

 

 四つ腕でがっぷりと押しとどめるメガモリーヌは黒馬による突進(チャージ)と拮抗する。

 

「なんの……これしきっ!」

 

「? え、えぇええっ! このアタシのメガトン級の腕力が押されっ……!」

 

「フンッ!」

 

「きゃあっ!?」

 

「め、メガモリーヌちゅわんが力負けしたぁっ!?」

 

 単純な膂力勝負で負けたことのないメガモリーヌは驚きに一つ目を大きく見開き、ブギー含む魔物たちに一瞬の隙が生まれていた。

 

『マヌーサ!』

 

『バイキルト!』

 

 その瞬間、赤と緑の双子がブギーらに呪文を唱えながら風に乗って跳躍する。

 メガモリーヌはバイキルトによる後押しにより強化された偉丈夫の膂力でついにその体勢を崩し、ブギーは三つ目でまともにマヌーサを喰らったために、訳のわからない幻覚に包まれた。

 押し倒したメガモリーヌを踏み台に偉丈夫は馬を駆けてブギーらに相対し、双子はイレブンの両隣にそれぞれ降り立った。

 

「やっと見つけたわよ、勇者様!」

 

「お会いできて光栄ですわ、勇者様」

 

「キミたちは……」

 

「あらあら、アタシたちが颯爽と助太刀を決めたと思ったら、急にかわいらしい双子ちゃんにいいオトコも助太刀に来てくれたわね?」

 

「グレイグ! 貴様、なぜここに……!」

 

「あらやだイリアス、あのいいオトコと知り合い? 実はアタシもなんだけど、その話までやってると収拾がつかなそうね」

 

 顎に指を当てて考えたレディ・マッシブは剣を抜き放ちブギーへ向け、スポットライトを浴びるかのように自然と周囲の注目を集める。

 視線を注がれた先にいる彼は、笑顔でこう宣言した。

 

「そう、簡単に言えばアタシたちはこのグロッタ防衛を引き受けてくれている彼らを助けにきた"魔物ちゃんお仕置き隊"! 町のみんなの笑顔を奪う悪い魔物ちゃんたちは、アタシたちがみーんなやっつけてあげちゃおうってワケ!」

 

 レディ・マッシブの宣言に、一同は度肝を抜かれながらも納得した。

 思惑は違えど、彼らの敵は定まっているのは確かであったからだ。

 

 そして、唐突に援軍がやってきて困惑を未だ隠せずにいるイレブンへとくるりと向き直ったレディ・マッシブは、彼の乱れたサラサラの髪を手櫛で直すと小さく微笑んだ。

 

「イレブンちゃん……だっけ? あなたがここのリーダーよね? 今からアタシたちはアナタの麾下(きか)*1に入るわ。存分に命令しちゃってちょうだい!」

 

 グロッタ大橋、燃える氷壁のコロシアム内に現れた望外の援軍、『魔物ちゃんお仕置き隊』。

 イレブンは驚きにゾーンを思わず解除してしまったが、目の前のシルビア……もとい、レディ・マッシブや続々と現れた心強い人物たちが協力してくれるという状況を何とか飲み込み、もう一度集中してゾーンに入り直し、覇王斬による光の剣を手に取った。

 

「了解。……作戦は『バッチリがんばれ』! みんな、お互いに攻撃を当てないことだけに気をつけつつ、自由に動いて!」

 

「初対面じゃあ連携も何もないものね、オッケーよ!」

 

「勇者様、後でわたし達のお話を聞いてくださいますか?」

 

「セーニャ、それは後! まずは全部終わらせてから!」

 

 黒馬リタリフォンから飛び降りた双子はイレブンの隣で魔法を唱える。赤の少女はピオリム、緑の少女はスクルトであり、対象はここに集まっていた全員だ。

 

「ホメロス……お前、ここで何をして」

 

「グレイグ、腑抜けたか貴様! 戦場を前にしてどこを見ている!」

 

「……ああ、そうだったな!」

 

 リタリフォンをどうどうと宥めつつ、既知の仮面騎士に当惑するグレイグに一喝するのは当事者たるイリアスだ。

 グレイグは山ほどある聞きたいことをすべて飲み込み、気炎を身体に漲らせる。

 その問いはこの戦いが終わってからでも構わない。ならば、最速で終わらせる。常勝の将軍による全力の解放は、弱い魔物ならば気絶するほどの威圧感を放っていた。

 

 相対する魔物の軍勢の頭目たちはそろそろ状況に慣れたのか、いつもの調子に戻ってゾーンを発動する。

 青い輝きに包まれたメガモリーヌが"魔物ちゃんお仕置き隊"なる胡乱な寄せ集めに啖呵を切る。

 

「ふん、ちょっと数が増えたからってイイ気にならないでよね! ブギー様とあたしの恋の連携は最強なんだから!」

 

「! ……メガモリーヌの言う通りだじょ、ニンゲンたち! ────そう、ボクちんたちの戦いはこれからだっ!」

 

 

 ────と、望外の増援からほどなくして。

 

 俺、イレブンとその一行は増援として来てくれた"魔物ちゃんお仕置き隊"の協力を経て、驚くほどあっさりと妖魔軍の制圧を終えていた。

 

「あの登場の仕方でここまで強いなんて……!」

 

「その点については俺も同意見だよ、メガモリーヌ。正直、君とブギーの連携は俺じゃ確実に止められなかった」

 

「当たり前よ。アタシたちのメガトン級の愛が、たったひとりのニンゲンに止められるわけないわ。……だから、アタシは愛を証明したまま逝ける」

 

 メガモリーヌの後ろには、すでに膝をつき消滅を待つだけのブギーがいた。メガモリーヌは風前の灯であるその生命を守るように、二本の足で立っていた。

 

「この人のためなら死んでもいい……アンタには、そういうニンゲンがいるかしら?」

 

 メガモリーヌの問いに、俺は言葉に詰まっていた。

 だが、俺はゆっくりと頷いて返す。

 

「あいにく、愛する人は生きて幸せにするのが俺の信念だよ、メガモリーヌ。でも……君の愛も、否定はしない」

 

「フン、メガトン級の甘ちゃんね。まぁ良いわ……愛する人を死ぬまで守りながら満足して逝くアタシと、愛する人を生きて幸せにしていくと言ったアナタ。その最期は幸せに逝けるのか……いつかアタシに聞かせてみなさい?」

 

 四つ腕は既にダラリと本来の機能を失い、自慢の兜は剥がれ落ち、それでも気力のみで立っていたメガモリーヌは、背中越しのブギーへ声をかける。

 

「ブギー様……アタシは」

 

 ブギーは既にそこには居ない。漂う魔力として霧散した妖魔軍王は、メガモリーヌの独白を聴くことはなく。

 

 そして、愛を伝えたメガモリーヌの声は小さく、しかし静寂を取り戻した戦場にてやけに響いた。

 その想いの丈の詰まった言葉をつぶさにここで語るのは、たとえ相手が魔物であろうと、俺にはどうにも憚られるものがあった。

 

 長く続いた妖魔祓い氷炎戦。

 その終幕に訪れたのは他者に災禍を撒き散らしてなお純粋な、切なく潰えるひとつの愛の結末だった。

*1
戦闘を指揮する人物の統制、あるいは指揮下につくこと




 これで5話と本作の戦闘シーンを最長記録を樹立した妖魔祓い氷炎戦は無事終息です。
 最後はちょっとだけ駆け足でしたが、理由としては素直に全部書くと文量が増え過ぎるのと、勢力図が逆転しすぎていて戦力差でゴリ押すだけの塩試合になっちゃうので泣く泣くカットしている関係上そうなっております。
 そりゃあ無傷シルビアホメロスグレイグベロニカセーニャ参戦のイレブン陣営VS負傷ブギー+メガモリーヌ&画面外でやられてる妖魔軍なんて戦力比になっちゃったからには、もう……ネ……?

 個人的にはブギー&メガモリーヌのコンビネーションVS新戦力組をもっと書きたかったりしたのですが、展開のだらけを気にするとこの辺りが落とし所だと思ってます。
 一応、参戦後の戦場ではこの場の全員が比較的のびのび戦える環境にあったので、読者の皆様が各々で想像した通りの活躍をキャラクターたちはしていると思ってください。これぞ行間を読むというヤツです。(丸投げともいいますね)

 ともあれ無事イレブンは原作にてブギーを討伐することで入手できる称号"妖魔ばらい"を獲得し、ここグロッタを守り切ることができたというわけですが、タイトルの元ネタとしていた前述の称号について気付いていらした方は生粋のDQ11マニアかもしれません。もしそうならばニヤリとして頂ければ幸いです。特にそうでない場合は意外とこだわってんだねぇ、と適当に流して頂ければ幸いです。

 それでは次回もお楽しみに〜。


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