俺「以外」の全員が「2周目」は流石に鬼畜仕様過ぎる。 (夢泉)
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Prologue: “New Game+”
最高難易度の異世界ファンタジーを始めよう。


 初めに言っておく。俺は転生者だ。

 人は転生者と聞いてどんな存在を思い浮かべるだろうか?

 異世界ファンタジーの物語において「転生者」が用いられる理由は幾つもあるだろう。

 そもそも、書き手にとって転生者は書きやすい存在だ。異世界という何もかもが異なる世界を書くにあたって、読者と同じ世界の知識・常識を持っている存在であれば、描写が楽になる。

 異世界特有のモノも、「~のような」と地球のモノに例えれば理解しやすいだろう?

 他にも、読者は(地球でスパイ活動をしている宇宙人でもない限りは)地球人だ。故に、地球からの転生者は共感という点で読者を引き込みやすい。

 時には、「転生前の世界」と「転生後の世界」の繋がりを描く物語の伏線という役割を果たすこともある。

 そんなわけで大量生産されてきた転生者は、数々の物語を生み出してきた。

 その中でも、とりわけ多いのは「転生チート」を活かした物語であろう。

 逆を行く「チート無し」系もあるが、やっぱり転生チートが主流じゃないかな。

 神とかの上位存在から特別な力を与えられることもあれば、前世での知識・経験を活かした「知識チート」も見受けられる。どれも面白くて、前世の俺が大好きだった物語だ。

 

 さて、そんな異世界転生物語を好んでいた俺が、何の巡りあわせか異世界転生の当事者となっている。ちなみに、前世の記憶は6歳の時に超酸っぱい木の実を食べて思い出した。

 それから今まで4年。めくるめく俺の転生チート物語が始まる!……ということは遂に無かった。

 

 まず、大前提として、だ。

 この世界で転生者は珍しくもなんともない存在である。40人いたら1人は転生者だな、うん。学校の1クラスに1人はいる……と言えば、何となくイメージしやすいのではないだろうか。

 記憶が戻った瞬間、「あ、俺って転生者だったんだー」くらいにしか思わなかったし、両親も「へーそうなのかー」で終わった。その程度の存在だ。

 

 しかも、である。転生者はこの世界の文化・文明を支える「魔法」への適性が低いというデメリットまである。

 ちなみに。魔法は1人1人固有の特異的な力で、覚醒して使いこなせれば唯一無二の存在になれる。

 転生者は、この魔法が基本的にショボいのだ。ずっと覚醒しない人もいる。

 最新の研究では、「この世界に異界の魂が馴染み切っていないからだ」という説が一番有力だとされているが、まだまだ謎の多い分野らしい。

 そんなわけで、転生者は記憶を取り戻し次第、勉学に励んで「魔術」を極める道を選ぶのが王道である。

 この魔術というのは、魔法を誰でも発動可能なようにしたものだ。「術式」「詠唱」「儀式」などを用いることで、様々な魔法を再現する学問分野である。

 本家の魔法には及ばないことが普通だが、多種多様な魔術を習得すればその限りではない。臨機応変に様々な魔術を扱えれば、アホ火力の魔法1つより余程役に立つ。

 そんなわけで。転生者は前世の記憶・経験を活かし、早いうちから魔術勉強に励み、たくさんの魔術を習得することが求められる。6歳からずっと勉強漬けだ。泣きたい。

 

「エイジ兄ちゃん、遊ぼー」

「ごめんなー、ウア。兄ちゃんは転生者だから、頑張って魔術をたくさん覚えなきゃいけないんだよ」

「やだー!遊ぶのー!お母さんもお父さんも遊んでくれないー!」

 

 この銀髪と白い肌と赤い瞳が特徴的な女の子はウア・ククローク。俺、エイジ・ククロークの2歳下、最愛の妹である。

 父は黒髪黒目で、母は栗色の髪と瞳だ。アルビノというわけでもないため、どっから遺伝してきたのか……という感じである。とはいえ、このファンタジー世界では珍しい事ではない。肉体が有する魔力が容姿に影響するからだ。

 ちなみに、俺は父親譲りの黒髪黒目……なのだが、右目が赤い瞳のオッドアイだ。ちょっと主人公っぽくて格好良いだろう?

 ウアは転生者ではないらしく、魔法への適正もしっかり持っている。なので、将来のためと両親に言われて勉強漬けの毎日を送る俺とは異なり、外で遊ぶことも許されているのだが。

 仕事の関係なのか殆ど家にいない父と母に代わり、俺が面倒を見ていたせいだろうか。少し兄への依存が強すぎるかもしれない。他の同年代の子と遊ぶことは一切せず、俺とばかり遊ぼうとする。

 まぁ、でも可愛いので全てオッケー。勉強の邪魔をされても嫌な気持ちなど微塵も湧かない。そもそも俺、勉強嫌いだし。6歳からずっと机に向かい合って術式を書き続ける日々だぜ?現代日本なら虐待認定待ったなしである。

 

「じゃあ、ちょっとだけだぞ。今日は何して遊ぶんだ?」

「トランプー!今日こそ兄ちゃんに勝つー!」

「はっはっはー!俺に勝とうなんて100年早いぞ、妹よ!」

「1000年修行したから勝てるもん!」

「意味分からんけど、可愛いからオッケー!」

 

 こんな風に平和な日常は続いていた。

 これからも続いていくと何の疑問もなく思っていた。

 ある日、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

◇◇◇

 

 

 逃げた。逃げた。ひたすらに逃げた。

 妹の手を引いて走った。

 どこへ?知らない。分からない。

 いつも帰る場所だった家?そこが今は一番危険な場所だ。何もかも分からないけれど、それだけは分かる。

 母が放った言葉が耳を離れない。

 

「お前なんて産まなければよかった」

 

 父が紡いだ言葉が頭に鳴り響く。

 

「お前を殺して俺も死ぬ。親として、罪は償わなければならない」

 

 近所の優しいおばさんも、学校の友達も、誰もが俺を見て悲鳴を上げた。罵倒してくる人も、殴りかかってくる人もいた。昨日までは絶対にそんな事なかったのに。

 態度を変えなかったのは妹だけだった。妹を巻き込むべきではないと思ったが、妹は俺に着いていくと言って聞かなかったし、そもそも――。

 

「お前なんて知らない!私は娘なんて産んでいない!消えろ、悪魔め!」

 

 ――なんて言い放ち、俺と一緒に殺そうとした母の元に残しておくなど出来るわけがない。

 全てが全て、本当に本当に意味が分からなかった。質の悪い夢だと思いたかった。

 けれども。荒い呼吸の度に肺を冷やす冬の冷たい空気が、これが夢ではないと叩き込んでくる。

 走れ。走れ。今は走れ。

 幸い、妹は魔法・魔術の才能が数十年に1人ってレベルのチートらしく、身体機能も「魔力」によって高くなっている。だから、文句1つ言わずについてきてくれている。

 なら、今は走れ。俺が生き残るためにも、ウアを護るためにも。

 理由が分からないからと戸惑うのは馬鹿だ。そのまま殺されるのはもっと馬鹿だ。

 分からないなら、まずは逃げろ。時間を稼いで原因を探れ。

 話し合いやら仲直りがしたければ後でやればいい。命が無くなれば何も出来ない。

 だから、今は走れ。

 目的地なんて無くとも。

 走るしかない。逃げるしかない。

 随分と走った。日はもうとっくに沈んだ。景色は知らない景色になっている。

 そして――。

 

「あー、そこの少年少女、止まってくれ。1つおじさんの質問に答えて欲しいんだけれど、いいかい?」

 

 行く手を阻むように。男が1人、立ち塞がる。

 その右手に握られた鋭利な剣が、闇夜の中で怪しく輝いていた。

 

 

◇◇◇

 

 

「少年、君の名前は「エイジ・ククローク」であってるかい」

 

 奇妙な仮面で目元を隠した橙色髪の男。

 20代後半くらいに見える男は、優しそうな笑みを口元に浮かべて問いかける。

 手に持っている凶器との不釣り合い感が気持ち悪い。

 

「……違います。誰ですか、それ」

 

 選択をミスれば死ぬのは明らかだった。

 両親ですら殺そうとしてきたのだ。この目の前の明らかな危険人物なんて言わずもがなである。

 

「そっかそっかー。人違いって事かー」

 

 騙せた……のか?

 

「ごめんねー、少年。俺の魔法は嘘を見抜くんだわ。酷いな、()()()()()()()?」

 

 瞬間。俺は失敗したことを認識し、即座に逃げ出そうとして――

 

「はい、残念」

「ぅあっ!」

「兄ちゃん!お前、エイジ兄ちゃんを離せ!」

 

 片腕を掴まれて地面に押さえつけられ、完全に抵抗を封じられた。

 まるで、動きが読まれているようですらあった。

 

「少年の判断力と逃げ足には()()()()()()()()からねー。()()()()()()好き勝手させないよ?」

 

 くそっ、ウアだけでも逃げて欲しい……!

 それを言葉にしようとしても、男の体重で胸部が圧迫され、顔面が地面に押さえつけられている状況では呼吸すらままならない。

 

「……んん?いくら子供だとしても簡単すぎない?……まさか、何も覚えちゃいないのか?」

 

 そんな男の呟きと共に、少しだけ拘束が緩む。

 どうやら質問に答えろという事らしい。

 ……詳しいことは分からないが、生き延びる道に繋がっていると直感的に思う。

 呼吸を整えることもせず、間髪を入れずに答える。

 

「し、ら、ない。なに、も」

「……あー。これは参ったね。ホントに参った。……行きなよ、少年。見逃してやる」

 

 理由は分からないが、助かったらしい。

 立ち上がって逃げようとするが、ここまでの疲れもあって身体が思うように動かない。

 ウアが支えてくれて、やっと立ち上がれた。

 

「背中から斬ったりしないから安心してよ。そんな面倒な事しなくても、斬ろうと思えば今すぐ斬れるしさ」

 

 コイツが希望を見せておいて後ろから斬る外道だったとしても、関係ない。その場合に取れる手段などコチラには無い。なら、考えるだけ無駄だ。

 1つの可能性に賭けて、今はさっさと逃げるだけ。

 それしか無いなら、悩む時間なんていらない。

 

「即断即決。思い切りの良さと逃げの一手。本質は変わらず、か。……少年!()は惚れ惚れする良い一太刀だった!()()死合おうや!!」

 

 「前」ね……。

 少しずつ事態が掴めてきたような気もするが、だからといって何が出来るわけでも無い。

 今は考えるより足を動かさないと。

 再び、ウアと2人で走り出す。目的地は未だ無い。

 

 

◇◇◇

 

 

「へっ。あの「魔王」も子供なら可愛いもんだ。これを殺せば大金が手に入るんだから楽な仕事だぜ」

「しかも世界が救えるってオマケ付きだ。俺たちは英雄だぜ!」

「違えねぇや!」

 

 ギャハハと汚い笑い声をあげる、見るからに荒くれ者といった容貌の大男が2人。

 仮面の男から逃げて後、何度か休憩を挟みつつ進み続けた。

 そうして行く当てもなく逃げ続けていると、広大な森を発見する。木々が黒くて霧が立ち込めている、なんとなく不気味な森だ。逃げているという状況でも無ければ決して近寄らない感じの。

 森は危険な魔獣も住んでいるけれど、食料は豊富だし、身も隠せる。ずっと何も食べていないし、その森に逃げ込むことを決めた。

 そういう経緯で森を目指して歩き始め、もう少しで森に着く、という所でコイツらに遭遇したのだ。

 俺のオッドアイやらウアの容姿が身バレの原因かと推測し、泥とかで粗末な変装はしていたのだが……

 容姿以外の追跡・判別手段があるのだろうか?

 

「じゃ、さっさと死んでもらうぜ、魔王サマ」

「もう1人はどうするよ?」

「女だし、娼館にでも売れば多少の金になんだろ」

「こんなガキは流石に売れねぇって!」

「それもそうか!じゃあ殺しちまった方が楽だわな!」

 

 そうして、絶体絶命の刃が俺たちに迫り――

 

「な、なんだ、テメェは!」

「久しいな、弟子よ。まず、この意味不明な状況を説明して欲しいのだが?」

 

 突如として現れた女性が、手に持った双剣で男たちの剣を弾き返した。

 紫紺の髪を闇夜にたなびかせる彼女の背中は、華奢な容姿に反してとても頼もしく映った。

 けれど、それは決して暴力的な荒々しさではなくて。

 凛として美しいモノだと思った。

 

「貴女は誰、ですか……?」

「む?……そういうことか?……これは失礼したな、少年。あまりに知人に似ていたものだから、勘違いをしてしまったよ」

 

 気を遣ってくれた、のだろう。

 ここまでの状況を総合して考えるに、多分彼女も俺の「前」を知っていた筈だ。

 

「ところで少年。助けは必要かな?」

 

 こうして、俺と妹は彼女……「シムナス」に救われ、俺は彼女の弟子となる。

 後で知ることだが、俺は「前」も彼女の弟子となっていた。

 この時点で俺はそんなことは微塵も知らないわけだけれど、それでも

 どれだけ条件が変わろうとも、世界がオカシクなろうとも。

 俺は必ず彼女と巡り合うのだろう、と。

 その根拠の無い不思議な直感は、決して間違っていないように思えた。

 

 このオカシクなった世界で、俺の物語が始まる。

 知らない物語の続きを読んでいるかのような、そんな奇妙な物語が。

 






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この小説は「カクヨム」様と「小説家になろう」様にも掲載中です。
もし宜しければ、そちらの方でも評価いただけると励みになります……!

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――なろう版リンク――
※なろう版は最近(7月2日)投稿したばかりで評価が全然ないです(笑)

今後とも当作品をお楽しみいただければ幸いです。


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Chapter 1: Difficulty Level "Impossible"
1話 拠点。


 ゴロツキ2人組は女性の魔術で暗示をかけられて、無意識のままフラフラと歩いて去っていった。

 そして、彼女に連れられて辿り着いたのは、黒い森の奥にポツンと佇む小さな家。

 彼女は、自らを「シムナス」と名乗った後に。

 

「ふむ。「花葬(かそう)の魔女」とも呼ばれているが……。そちらの方が分かりやすかったか?」

 

 と告げた。

 花葬の魔女シムナス。シムナスという名を知らずとも、「花葬の魔女」の2つ名は知っていた。

 この世界で知らない者はいないとさえ言えるほどの、超大物。

 「魔女」は世界に10数名しかいない正真正銘の怪物たちの総称なのだから。

 

 妹ウアの容姿が魔力によって銀髪赤目という神秘的なモノへと変質しているように。魔力は生物の身体に多大な影響を及ぼす。

 「魔女」は有する魔力が大きくなり過ぎた結果、肉体が完全に人の範疇を超えてしまった存在。何百年という時を老いることなく生き、たった1人で軍勢を滅ぼす。正真正銘の怪物である。

 大昔は「魔人」という呼称だったらしいが、いつしか魔女と呼ばれるようになった。女性の方が大きな魔力を有しやすく、魔人に至った存在は全て女性だったからだろう。

 

「随分と落ち着いているな、少年?魔女の恐ろしさを知らぬわけではあるまいに」

 

 魔女は怪物だ。この世界の子どもたちは魔女の恐ろしさを聞かされて育つ。童話やら歌やら引っ張りだこで登場している、超人気の題材だ。全て悪役として、だけれど。

 対照的に正しい存在として描かれるのは「聖女」である。膨大な魔力によって魔女になってしまいながらも、「人」としての矜持を忘れず、人間の枠に収まり続けた者たちのことを指す。

 例えば。ある聖女は、自らの肉体に死の魔術を刻んだ。徐々に己の身体を蝕んでいく死の呪い。数百年も生きながらえる怪物になる前に、人として死ぬことが出来るように。

 彼女たち聖女は、「背教者」である魔女とならないように様々な手を尽くし、歴史に名を残してきた。

 とにもかくにも。魔女の恐ろしさは誰もが知っている常識だ。

 親は子に、魔女に遭遇してしまった時に取るべき手段として「一目散に逃げる」か「全力の命乞い」かのどちらかを言い含める。もっとも、恐怖に固まって何もできないことが殆どだろうけど。

 教会なんかは、「醜悪な実験の材料にされ人類の敵となりたくなければ、速やかに自死を選ぶべし」などと教えているくらいだ。俺の両親は敬虔な信徒だったので、これを選ぶように教えられた。

 まぁ、もっとも。

 

「魔女の恐ろしさは幼い時から聞かされてきました。けれど、それは1つの判断材料でしかありません。ここに至るまでの全てを踏まえ、貴女とはこうして話すべきだと判断しました」

 

 俺からすれば、全てアホらしいとしか言えない。

 恐怖に固まるのは論外として。

 一目散に逃げる?

 全力の命乞い?

 自死?

 馬鹿馬鹿しい。本物の魔女に会ったことも無く、その性格も知らない状態で決めた手にどれだけの価値がある?

 魔女が人間を超えた存在であることは間違いないのだろう。それでも、元が人間だったことに変わりはない。それぞれに個性もあるし、好き嫌いだってあるはずだ。

 逃げることを不快に思う魔女もいるかもしれないし、逆もいるかもしれない。これは命乞いにも自死にも同じことが言える。或いは、恐怖で硬直した姿をこそ好む魔女もいるかもしれない。

 だからこそ、事前に情報を集めて手を考えることが大切なのだ。それが不可能な突発的遭遇の場合でも、少しでも情報を集めて最善の手を模索しなければならない。先入観やら思い込み、凝り固まった選択肢など不要なだけだ。

 助けられてから今に至るまで。彼女の一挙手一投足を観察し、このヒトには誠実に正直に、嘘偽りなく接するべきだと判断した。それが望みの(ルート)へと至る最善の選択だ。

 

「ふっ、ふははは!()()()、そうか!()()()同じことを言うのか!」

 

 俺の答えに哄笑をあげるシムナス。どうやら、正解の選択を選べたようである。

 

「好い。好いぞ。エイジよ。貴様に我の弟子2号となる資格を与えようではないか!」

 

 これは流石に想定外だったけれど。それでも、決して悪くない提案……それどころか最善を超えた最高の提案だった。

 この世界の頂点の1つの庇護下に入れる。その教えを受けられる。オカシクなった世界でこれほど頼もしいことは無い。

 俺は即断即決で頭を下げ、彼女の弟子にしてくれと頼み込んだ。

 その姿を見て、シムナスは再び楽しそうに笑った。

 ちなみに、これは後で知った事だが。弟子1号は「()の俺」、弟子2号は「今の俺」を指しているらしい。

 

 

◇◇◇

 

 

 俺は晴れて魔女の弟子となった。妹は幼すぎるので、判断保留らしい。

 さて、「()」のことなど諸々確認したいことは山積みだけれど、何を置いても真っ先に確認すべきことがある。

 両親を含め街の人みんな、そして仮面の男やら荒くれ者やらに追われたのだ。それに、荒くれ者2人は森の直前で遭遇している。

 ここに追手が来ないのかどうか。ゆっくりと会話をしている余裕はあるのかどうか。それを確かめなければならない。

 そのことについてシムナスに尋ねると。

 

「成程、追手のことか。何故お前が追われているのか、は後で確認するとして。ここは安全だ。安心してくれていい」

 

 何か侵入者を阻む結界でもあるのだろうか?

 

「この()()()()()()()()()なのだ。確かな自我と高い知性を有し、()()で身を隠している。森が認めた存在以外は見ることも触れることも叶わん」

「この広大な森が魔獣……?」

「しかも、我が創り出した。凄いだろ?」

「えぇ!?」

 

 魔女が規格外なのは分かり切ったことだけれど、流石に想定外過ぎる。

 魔法・魔術の常識を引っ繰り返すとんでもない事だ。

 だって、生命を創り出すなんて魔術では絶対に不可能。どんな凄い魔法だって紛い物が精々と考えられているのだから。

 アンデッドやゴーレム、使い魔みたいな存在を創造する魔法はある。けれど、そうして()()()()()()()()()()()()()()なんて聞いたことも無い。

 魔法は魂の力。異界の魂が上手く魔法を扱えないことから分かるように、魔法は魂と密接な繋がりがある。魔法を使用できる生命を創造したという事は、魂を創造したことと同義なのだ。

 そんなのは教会の教義で語られる創造神の御業に両足をズッポリ突っ込んでいる。

 明らかとなったら一発で異端認定。教会総力を挙げての花葬の魔女討伐……魔女狩りが始まるだろう。

 

「……その、1つ聞いても良いですか?」

 

 ひとしきり褒めちぎった後に、問いを投げかける。

 ちなみに。褒めている間、シムナスは凄く嬉しそうだった。威厳ある表情を維持しようとしていたけれど、口元が緩んでいたのは明らかで。意外とチョロいのかもしれないと思ったのは秘密である。

 

「この森が魔獣だというのなら、()()()()()()()()()?「森」や「魔獣」だと呼びにくいし、教えて頂けると……」

 

 この森に明確な自我があるというのなら、今の俺と妹が匿ってもらえているのは森の温情だ。逆に言えば、森の機嫌を損ねれば直ぐに追い出されてしまう危険性もある。

 故に、この問いかけは大きな意味を持つ。

 恐らくは会話を聞いているだろう森型魔獣に、「君の自我を認めているよ」という姿勢を示せる。そして、「森」「魔獣」などという冷たい呼びかけではなく、親しみの籠った名称で呼ぶことは、親密な関係性を築いていく第一歩だ。

 すると、問いかけた瞬間。

 

「くっくく。実に懐かしいものよ。見よ、木々が嬉しそうにざわめいておるわ」

 

 シムナスは遠い日々を愛しむような目で心底愉快そうに笑い、「森」の木々が一斉に揺れ出した。

 風が吹いたわけでも、地震が起きたわけでも無い。シムナスの言う通り、「森」が意思を示しているのだろう。

 どうやら、正解の選択を選べたらしい。

 

「名はあるぞ。少し前、()()()()が「バルバル」と名付けた。「シュヴァルツヴァルト」……なる言葉から取ったと言っていたな」

 

 シュヴァルツヴァルト……確か()()()()で「黒き森」。()()()()()()()()()()()

 

「バルバル自身も大層この名前を気に入っていてな。よければ、その名で呼んでやってくれ」

「そうなんですね」

 

 ということは、多分。そういうこと、なんだろうな。

 バルバルと名付けた「ある少年」というのは恐らく――。

 

「バルバル。俺はエイジ。エイジ・ククローク。これからよろしくね」

「私はウア!よろしく、ばるばる!」

 

 応じるように、一層激しく木々が揺れた。

 まだ感情をよく理解できるわけじゃないけど、嬉しそうに見える。

 

「さて、と。安全の確認も済み、各々の自己紹介も終わった。であれば、そろそろ本題に入るべきだろうな」

 

 そうだ。そろそろ明らかにすべきだろう。ここまでのやり取りを振り返るに、シムナスもバルバルも「()」について知っていると見て間違いない。

 そこに魔女の深い知識が加われば、きっと今よりも情報が集められるだろう。

 

「弟子2号よ。ここに至るまでの全てを話せ。この世界に起きている奇怪な事態を把握せねばなるまいよ」

 

 オカシクなった世界についての情報を集めなければならない。

 




連載開始します。

前話への感想、評価、お気に入り登録ありがとうございました!
凄く凄く嬉しかったです!

今後も応援よろしくお願いします。


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2話 状況把握…失敗

「ふむ。つまり2号の推測では、多くの人間の記憶が過去に戻る大規模な「やり直し」が起きた、と。そういうことだな?」

 

 ここに至るまでの経緯を話した後、シムナスは……師匠は、俺なりの仮説を述べることを求めた。

 なんだか先生と生徒、師匠と弟子って感じがして良いなと思いつつ、俺なりの推測を披露する。

 両親や近所の人から始まり、師匠やバルバルまで。遭遇した全ての人たちの反応・言動を踏まえれば、これが一番納得のいく説に思えた。

 まるでゲーム本編をクリアして、もう一度「ニューゲーム」を最初から始めるように。

 その際、集めたアイテムやら鍛えた能力値なんかを引き継いで無双プレイすることを、「強くてニューゲーム」、海外では「New Game+」というのだったか。

 この現象を、大多数の人間が……もしかしたら世界規模で経験しているのではないか、というのが俺の仮説。人々が記憶を保持したまま世界の時間が巻き戻っているのなら、ここまでの色々な事に説明がつく。

 俺が未来で何かトンデモナイ事をしでかして「魔王」なんて痛い名前で呼ばれるようになり、みんなが先に殺しておくべきと判断した……というように。

 けれど。

 

「弟子2号よ、自分が如何に常識外れのことを言っているかの自覚はあるだろうな?」

「はい。分かっています。()()()()()()鹿()()()()()()()()()()()

 

 師匠の言いたいことは分かる。

 そもそも、「時間の巻き戻し」「逆行」「世界のやり直し」……のような過去を変える行為が現実的じゃない。

 どんな魔法でもそんな事は出来ない。師匠を始めとした魔女たちだって無理だ。

 それは「パラレルワールド修正力学」及び「タイムパラドックス否定説」、そして「絶対世界法則論」という小難しい理論やら学説が全面的に裏付けてしまっている。

 全部やたらと長くて難解なのだが、一言でまとめれば「過去改編は不可能」という事を言っているだけだ。もう少しだけ詳しくすると、「記憶を保持したままのタイムスリップは行えないため、やり直しても全く同じ結果になる。故に過去改編は出来ない」となる。

 伊達に4年も勉強漬けの日々を送ってはいない。全てちゃんと知っている。

 

「しかし、それしか現状を説明できないとも思います」

「それはそうかもしれぬが、なぁ……」

 

 恐らく、師匠は俺よりも多くの知識を有しているからこそ、俺以上に懐疑的になっているのだろう。

 4年間勉強漬けと言っても、数百年ずっと魔導に親しみ続けた魔女とは比べるのも烏滸がましいしな。

 とはいえ、現状の俺に絞り出せる仮説はこれが限界だ。

 

「師匠の話を聞かせてください。仮に「やり直し」と表現しますが、「やり直し」の瞬間を師匠はどのように感じましたか?」

 

 あとは師匠側の話……即ち、やり直している側の話を聞く必要がある。

 いつ、どのタイミングで「やり直し」が起きたのか?その際に魔術・魔法的な兆候は無かったのか?直前にどこにいて何をしていたか?「前回の記憶」はどんなものか?

 聞かなければならないことが山程ある。

 

「む……。いや、その件なんだがな……?正直、良く分からん」

「……へ?」

 

 ん?俺の聞き間違いか?

 魔女ほどの人がこんな異常事態に巻き込まれて何も気づかなかったと?

 まさか、そんなわけないよね?

 ないよね?

 

「そもそもの話な。我は弟子2号の姿を見て、この世界に異常が起きていることを知ったのだ。それまでは何も気付かんかった」

 

 聞き間違いじゃなかったみたい。

 魔女への畏怖みたいのが急速に薄れていく。

 いや、でも待てよ?この証言はこの証言で奇妙さ満載。検証の価値がある。

 俺の姿を見たら異変に気付いた、とはどういうことだ?

 説明を求めれば、師匠はどこから話すべきか迷うように、ゆっくりと話し始めた。

 

「我は故あって数百年ほど前から、この森……バルバルから外に出ておらん。外界との接触を完全に絶ち、森の中で素材を集めては魔法や魔術の研究だけをしてきた」

 

 そういえば、「花葬の魔女」は既に死んでいるのではないか、というのは結構有名な説だ。

 というのも、数百年前に大暴れした事は記録に残っているが、それ以降一切の目撃例が無かった。

 加えて、「花葬の魔女」を信奉する集団が出たり、名前を騙る者が現れたりはしたみたいだが、それらに魔女本人が関わっていないことは明らかになっている。

 故に、既に死んでしまっていると考えられていたのだ。

 数百年ずっと森に引きこもって誰一人とも関わらない生活をしているとは誰も考えなかったのだろう。

 然もありなん。まさか悪名高き魔女が「引きニート」になっているとは思うまい。

 

「どこぞの弟子1号は、そんな我を「引きニート魔女」などと失礼な表現をした故な、教育的指導をしてやったものだ。最後には泣き叫んで許しを乞うていたのが懐かしい。……まさかとは思うが、お前はそんなことは考えてないよな?」

「はい!全く考えておりません!なんて失礼な奴でしょうね!弟弟子として恥ずかしい限り!兄弟子に代わり謝罪致します!」

「そうかそうか!好い、好いぞ。此度の弟子は礼儀を知っていて好いな!」

 

 やっべー。口に出してたら地獄の説教コースだった。

 完全に「前の俺」と思考が一致している。同一人物だったのは間違いないようだ。

 言動には細心の注意をしよう。

 

「話を戻すぞ。数百年変わらぬ日々を過ごしていた所に、数十年程度の記憶が巻き戻ったとしても大して異常は感じぬ。精々が昔の記憶が蘇ったかと思う程度よ」

 

 まぁ、それはそうかもしれない。森の素材を採取して、研究して……という全く同じ毎日を延々と繰り返していたのなら、その日々が頭に浮かんできても異常は感じない、か。

 待てよ。ずっとバルバルに引きこもっていたなら、「前の俺」はどのようにして師匠と出会ったのだろうか?

 バルバルが認めた者しか入れない以上、偶然迷い込むというのも考えにくい。

 

「あの、師匠。バルバルから出なかった師匠は、弟子1号とはどのように?」

「我が森から出た日が1日だけあった。ある日、森の最も外側で素材採集をしていた時だ。血塗れで死に体の少年が()()()森の外を歩いているのを見かけた」

 

 恐らく、それが「前の俺」、弟子1号だろう。

 しかし、血塗れ?死に体?しかも、1人?

 どういうことだ?

 

「最初は人体実験にでも使おうと思っておった。森生活では人体など入手できんからな」

 

 うっわ、魔女こわ!過激だと思ってたけど、教会の教え間違ってなかったじゃん!

 

「ただ、この魔獣は融通が利かなくてな。他者を決して内に入れようとはせん。諦めて捨て置こうかと思っておったら……」

 

 師匠はそこで言葉を区切り、優し気に微笑んだ。

 例えるならば、弟を見守る姉、子を想う母。

 どこか呆れつつも認めている慈しみの笑みだった。

 

「少年は魔獣の名前を聞き、無いと知るや名前を付けたのだ」

 

 その溢れんばかりの愛しさに満ちた顔に、数瞬思考が停止する。

 魔女と呼ばれる程の人が。正真正銘の怪物が。こんな顔を浮かべることが出来る。

 

「森に入っても人体実験に使われるだけと少年には既に伝えてあった。然れども、外にいるより僅かでも生存の芽があると考えたのだろうな」

 

 その光景を前に、頭の中を埋め尽くしていた数多の疑問が霧散し、常に最善を模索して張りつめていた意識が解けていく感覚を覚える。

 

「我はそれを興味深いと感じたのよ。瀕死の状態でありながら、幼い少年は必死に道を模索しておった。外よりは森の中の方が安全、森に気に入られるには何が必要か、とな」

 

 待て。落ち着け、エイジ。エイジ・ククローク。

 まだ何も明らかになっちゃいない。このオカシクなった世界で他者を信じ過ぎるのは駄目だ。

 両親が殺そうとしてきたことを思い出せ。血の繋がりさえ、この異常事態の前には意味をなさなかった。

 思考を手放すな。全てを疑え。情報を集めろ。

 俺の命は俺だけのものでは無い。妹を護らなければならないのだから。俺が死ねば妹を護る存在がいなくなる。それは駄目だ。

 ……そう、妹。妹だ。さっき、師匠は「前の俺」は1()()()()()と言った。

 その事について聞かなければならない。

 

「すみません、師匠。話を聞く限り、その時の俺は1人だったのですか?ウアはいなかったんですか?」

 

 夜も遅く、逃避行の疲労もあったのだろう。

 うつらうつらと舟を漕いでいたウアは、自分の名前が出たことにハッと意識を取り戻す。

 そして、自分は眠ってなんかいません、とでも言い張るように背筋を伸ばして目を見開いた。可愛い。

 

「あぁ。弟子1号は1人であった。妹など連れてはおらんかったな」

「それは一体……」

「2号妹よ。お前に「前」とやらの記憶はあるのか?」

「ううん。無い、と思う。でも、良く分からない」

 

 そう言えば、妹への確認はしていなかった。

 ただでさえ親やら知人からの逃避行というストレスの強い状況。幼い妹に必要以上の不安を感じさせたくなかったから、というのが大きな理由ではあったのだけれど。

 一応の安息の場所を手に入れた以上、ズルズルと引き伸ばし続けるわけにもいかない。妹自身の安全のためにも、話を聞いておくべきだろう。

 

「けど、おかしいの。今一緒にいるのに、兄ちゃんと離れ離れになっちゃった気がするの。それで、その後すぐに真っ暗になってね、それで、気付いたらお母さんが怒ってて、兄ちゃんが手を引いてくれて……」

 

 ウアの話は要領を得ず、支離滅裂になってしまっている。

 もしや、時系列が滅茶苦茶になっているのか?

 「やり直し」、つまりは「記憶の逆行」という事態に巻き込まれた結果、「前回」と「今回」が混在して区別がつかなくなっている?

 今一緒にいる、は「今回」。

 俺と離れ離れ、は「前回」か?

 真っ暗になった、も「前回」だろうか。

 母が怒っていた、は「今回」。

 俺が手を引いて逃げた、も「今回」。

 こんな感じだろうか。

 

「師匠、これはどういうことなんでしょうか?」

「推測できることは幾つかあるが……」

 

 整理した内容を語りつつ師匠に問えば、少し逡巡した後に答えてくれた。

 

「先ず、2号母の「娘など産んでいない」という言葉。これが言葉の意味通りであるならば、2つの仮説が成り立つ」

 

 確かに、母はそんなことを言っていた。

 あれが正しい言葉だとする、つまり母がウアを本当は産んでいなかったとすると?

 

「1つ、「ウア・ククローク」という存在は「1周目」には産まれなかった。2つ、「ウア・ククローク」は後天的に2号の妹の枠に収まった存在である」

 

 1つ目は流産とか、そもそも妊娠しなかったとかそういうことかな。

 そして2つ目は魔術か魔法で記憶を改ざんして居座った、という仮説か。

 2つ目については強く否定したいけど、否定できる根拠を持っていないのも事実。

 一応、ゼロではない。

 他者の記憶……この場合だと、俺や両親だけでなく町中の人の記憶を改ざんしなければ不可能な話で、そんな大規模な力は魔女クラスでもなければ出来ない。妹は確かに天才だが、魔女の足元にも及ばないわけで。魔術・魔法理論の常識的に考えてウアに出来る次元の話ではない。

 このことを根拠に、ウアは俺の妹だと主張することは出来る。

 けれど、そもそも「やり直し」なんて常識を引っ繰り返す事態が起きているのに、現在の常識を根拠とすることは出来ない。

 だから、主張できる根拠はない。

 それでも。それでも、ウアは俺の妹だ。

 根拠なんて無くとも。俺はそう断言する。

 そのことを主張しようと口を開き――。

 

「……落ち着け、弟子2号。話は終わっとらん。実はな、我から見て1号と2号に大きな差があるようには見えんのだ。1号は深く暗い憎悪を心の内に抱えておったが……違いと言えばそれくらいか」

 

 幼子に言い聞かせるように、優しく止められてしまう。

 確かに、彼女は何百年も生きている魔女で、俺は前世合わせても足元にも及ばないかもしれないが。

 それでも、子ども扱いされているようで納得がいかない。

 

「妹の有無というのは、人間の人格形成には大きな要因となろう?であれば、1周目にも妹に該当する存在がいた、と考えるのが道理」

 

 子ども扱い云々の件は今考えることではないので、思考の片隅に押しやり、師匠の言葉を吟味する。

 確かに、師匠の言う通りだ。

 ウアは今の俺の構成要素の6割強を占めていると言っても過言ではない。そんな存在がいなければ全く異なる人格になっていただろう。

 なら、考えられることは……。

 ……その思考に至った途端、背筋がゾっと冷えた。 

 

「1周目。弟子1号の妹は既に死んでいた、と考えるのが現状で最も納得のいく仮説だろうよ。2号妹の証言を踏まえれば、何者かの手で……と考えるべきであろうな」

 

 師匠はウア本人が聞いているから言葉を濁してくれたらしい。

 けれど、俺には充分に伝わった。「前」のウアは何者かに殺されたのだ。

 仮に「やり直し」が起きた時刻をT時とする。「前回のT時」から1分しか生きていなかった場合、「やり直し」で入手できる記憶は1分の僅かな記憶だけだ。

 故に、ウアはやり直しているけれど、「前回」の記憶が殆どない状態なのだろう。

 俺とウアは何かに巻き込まれ、俺は血塗れになってウアと離れ離れになった。その後、ウアは「真っ暗になった」……即ち、殺されてしまい、俺はバルバルへと辿り着いた、と。

 ……そうか。「前の俺」はウアを護ることが出来なかったのか。

 さぞ悔しかっただろう。辛かっただろう。無事にウアと一緒にいる俺でさえ、怒りと悲しみで感情が狂いそうなのだ。実際に護れなかった「前の俺」は一体どれほどの絶望を感じた事だろうか。

 ……なるほどな。それで、弟子1号は憎悪を抱えていたわけか。

 今後再びウアが狙われてしまう事も容易に想定される。対策を練っておくためにも情報を集めておかなければならない。

 そんなわけで、弟子1号が憎悪を抱いていた対象について師匠に尋ねたのだが。

 

「我は1号のことは殆ど知らん。あえて踏み込もうともせんかったからな。修行をつけてやった後、アイツは森を出て行った。その後は手紙の1つも寄越すことは無く、顔を見せることも無い。薄情な弟子であったよ」

 

 推測でしかないけれど、「前の俺」は復讐を果たそうとしたのだろうか?

 相変わらず全く記憶に無いけれど、一応謝っておくべきだろう。

 

「その、すみません。お世話になっただろうに……」

「ふん。これは2号ではなく、1号の話。貴様が謝ることではないわ」

 

 師匠の声は怒っているようであったけれど、少し違う。

 これは、きっと。

 

「それに、な。理由は分かるのだ。1号は我を巻き込みたくなかったのであろう。「魔王」などと大層な名前で呼ばれるようになったのなら尚更な。手紙を出して我が存命だと、魔王の関係者だと知られることが無いように……」

 

 これは、やるせなさと後悔だ。

 その怒りは(2号)ではなく、そして「(1号)」ですらなくて。何もできなかった自分に向いている。

 

「ほんに、馬鹿な弟子よな。弟子が師匠の心配など思い上がりも甚だしい。……大馬鹿者め」

 

 今の師匠にこんな表情をさせている「前の俺」を責めたいような感情が湧く一方で。

 こんな風に誰かを想える女性を巻き込みたくないと思った「前の俺」の気持ちも良く分かってしまった。

 色々な条件が変わってしまった世界で。「今の俺」は最後にどんな決断をするのだろうか。

 そんなことを、考えた。

 

 

◇◇◇

 

 

「色々と議論したが、まとめると簡潔だな」

「えぇ、そうですね。師匠」

 

 俺は「前回」の記憶が皆無。

 妹は早死にで役立つ記憶無し。

 師匠は引きこもりで何も知らない。

 バルバルは喋れない。

 つまり。

 

()()()()()()()!」

 

 結論。何も分からない。

 まじかー。

 




【お知らせ】
当小説を「カクヨム」様で開催中の「第4回ドラゴンノベルス小説コンテスト」に応募してみました。

URL:https://kakuyomu.jp/works/16817139555369815665
現在、1章完結済みです。

初めてのコンテスト応募になります。駄目もとで戦ってみます。
よろしければ、応援よろしくお願いします。

※ハーメルンでの投稿を止めることはありません。
※ただし、「カクヨム」版よりも更新が数日遅れることがあります。コンテストは締切までに10万文字に到達しなければならない為です。ご理解いただけますと幸いです。


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3話 Difficulty Level "Impossible"

「2号よ。我は貴様を1号と同じように……いや、前回で勝手は分かっておるからな。前回よりも効率的に鍛えてやる。それで力をつけたら森を出て事情を探れ」

 

 最終的に、こういうことになった。

 もしかしたら「やり直し」でバルバルのことや、バルバルへの侵入方法を知っている人がいる可能性もある。

 森の前で遭遇した2人組は、俺があの周辺に縁があると知っていて待ち伏せをしていた可能性が高い。

 また、「前回の俺」のことや、妹を殺めた存在のこと、両親のことなど知らなければならない事は山積みだ。

 故に、俺は修行の後に世界を調べる。俺自身がそうするべきだと判断した。

 ただし……。

 

「ただし、必ず戻ってくることだ。ここを拠点として活動せよ。1号のような薄情な真似は許さん」

 

 ……とのことで。

 俺は帰ってくる場所を得たのである。

 

 

◇◇◇

 

 

 師匠に弟子入りしてから5年が経った。

 あの時10歳だった俺は、15歳のナイスガイになっている。ごめん嘘、まだまだガキっぽさは抜けていない。背は伸びたし筋肉もついたけど、まだまだ成長の余地はある。

 この5年、本当に色々な事があった。

 師匠は魔導や武技以外のことは駄目駄目な人である。なので、掃除やら洗濯やら料理やらは弟子たる俺がやらされることになった。

 旅の途中で必要な技能を身に着けるためだと言っていたが、絶対自分が楽をするためだ。間違いない。

 朝は誰よりも早く起きて朝食をつくり、夜は剣の素振りをして誰よりも遅く寝る。そういう生活。家事についてはウアが手伝ってくれていたので助かったが、1号は全部一人でやっていたのだろうか。我ながら同情を禁じ得ない。

 まさか、前回の俺がバルバルを出た後で帰ってこなかったのは……。いや、流石に違うだろう。違うと信じたい。

 ただ、そういった苦労も修行の対価と考えると安すぎるくらいだっただろう。

 魔女の名は伊達ではない。師匠の知識は果てしなく膨大で、剣技を始めとした戦闘技能は尋常ならざる領域にある。何百年もの研鑽が、決して常人には届かぬ地平を切り拓いていた。

 俺はそれを必死に学び、吸収し、そして――

 

「見事だ、弟子2号よ。よくぞ我から一本を奪ってみせた」

 

 ――ここまで来た。

 木製の模擬刀。双剣の片割れが、確かに師匠の首元に突き付けられている。

 もっとも、師匠は本気では無かっただろうし、こっちは卑怯な手を講じまくった。それでも、一本は一本。勝ちは勝ちだ。

 

「誇れ。1号よりも1年早い」

 

 師匠が前回の経験で勝手を知っていた、というのが大きいだろうけど。

 どうやら俺は前の「俺」よりも早く修行を終えられたようだ。

 

「明朝、出立せよ。今日は休んで英気を養っておけ」

「……はい!ありがとうございました、師匠!」

 

 そう。俺は明日、旅立つ。

 

 

◇◇◇

 

 

「2号よ。これを」

「師匠、これは師匠の剣じゃ無いですか!頂くわけには……!」

 

 それは師匠愛用の双剣。

 名は確か、「桜魔(おうま)」「人月(じんげつ)」。

 数百年連れ添った相棒を、師匠は俺に授けようと言うのか。

 

「我が構わぬと言っている。つべこべ言わずに受け取れ」

 

 この世に2つとない正真正銘の名剣。

 俺の戦闘スタイルは師匠直伝の双剣スタイルだし、有難いことは間違いない。

 ここは素直に厚意に甘えよう。

 

「はい。ありがとうございます、師匠」

「この我が教えを授けたのだ。どこぞで野垂れ死になどしてみろ。死後の魂を捕らえ、恐るべき苦痛を与えてやる」

「ははは、それは勘弁したいです。ので、絶対に戻ってきます」

「それで良い」

 

 冗談っぽく言っているが、断言しよう。師匠ならやる。絶対にやる。この魔女はそういう人だ。

 流石に死後も永劫の苦しみに囚われる……的な地獄ルートは避けたいものである。

 

「兄ちゃん……」

「ウア」

 

 師匠との別れを済まし、次はウアだ。

 13歳になったウアは兄の贔屓目抜きにも美少女になった。これからますます美しくなっていくことだろう。

 やがては彼氏なんかも出来て……は?彼氏?結婚?兄ちゃんは許しません。どうしてもウアと結ばれたいのなら俺を倒してみろ。そうしたら認めてやる。

 

「兄ちゃん。女は基本的に敵。男も必要以上に言い寄ってくる奴は敵だよ」

 

 しかし、どうしてこうなったんだ?

 元々傾向はあったけど、この5年でウアは完全完璧なブラコンヤンデレ妹に仕上がった。

 ま、可愛いからオッケーだな。うん。

 ちなみに、ウアは師匠と共に留守番である。護るべき存在が近くにいることは必ずしも強さには繋がらない。情報収集と言う隠密行動を主目的とするなら特に。

 英雄アキレスも弱点を射抜かれて死んだのだ。

 兄として、妹には安全地帯にいて欲しかった。これは絶対に譲れないことである。

 

「「前回」のことなんて兄ちゃんには関係ない事なんだから、全部無視だよ。「愛してる」とか「お慕いしていた」とかは全部地雷ワード。聞いたら即逃げて。私が認めるのはシムナスさんまでだよ」

「あ、あぁ。分かった」

「何故そこで我の名前が出る……?」

「兄ちゃん、いつもの3回復唱。「記憶にございません」……ほら早く」

「記憶にございません、記憶にございません、記憶にございません」

「よろしい」

 

 謎の恒例儀式を済ませれば、妹との別れも済んだ。

 故に。

 

「行ってきます、ウア、師匠!」

「行ってらっしゃい、兄ちゃん!」

「弟子2号よ、息災でな」

 

 俺はついに旅立った。

 オカシクなった世界を探るために。

 

 

◆◆◆

 

 

 これは、エイジが去った後のことだ。

 

「弟子2号は行ったな」

「そうですね、シムナスさん」

 

 風も無いのに、木々が揺れる。

 何かを警戒するように。黒き森が、バルバルが揺れる。

 

「いい加減、猫かぶりを止めよ。貴様は何者だ?何が目的だ?」

 

 シムナスは弟子に渡したのとは別の剣を片手に持ち、それをウアに突き付けた。

 溢れんばかりの膨大な魔力を……魔女さえ超えるソレを隠そうともしなくなった怪物に。

 

「流石に魔女クラスは騙しきれませんよね。見て見ぬふりをするなら、貴女は見逃してあげようとも思っていたんですけど……」

「ハッ。初めから隠すつもりも無かった癖に。良くも抜け抜けと言えるものだな」

「戦うのは構いませんけど……死んじゃいますよ?」

「随分な自信だな、ウア・ククローク」

 

 両者の間に、昨日まであった和やかな空気は見る影もなくなった。

 そこにあるのは、死闘の前の冷たい重圧のみである。

 

「私に勝てるとでも思っているんですか?」

「勝てぬだろうな。伊達に長生きはしとらん。実力差くらいは分かるさ」

「それでも挑むのですか。そんなに兄のことが大事なんですね」

「弟子は我の悠久の諦念を打ち破った。停止し続けた時間に確かな(さざなみ)を立てて見せた。それを大事に想うのは当然であろう?」

「そうですか。そういうことなら、譲れませんよね。よく分かりますよ」

 

 直後、両者の間に沈黙が降り、そして――

 

 その後、その場所で何が起きたのかは定かではない。

 だが、1つだけ確かなことがある。

 エイジ・ククロークが戻ってきた時、そこに()()()()()()()()

 彼が安全な拠点と認識した場所は、跡形もなく消えていたのだ。

 

 今一度、書き記すべきだろう。

 これは、最高難易度の異世界物語である。

 



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幕間 修行の日々①「洗濯物事件」

「弟子2号よ、たまった衣服の洗濯をしておけ」

 

 地べたに這いつくばる俺に師匠は容赦なく言った。

 戦闘訓練という名のただの蹂躙劇で俺の肉体は限界だ。もう1歩も動けない。

 それなのに洗濯をしろと?

 

「あぁ。洗濯機はないぞ。全てを己の魔術のみで行え。洗うところから、しわ伸ばしまで全てをな。これも修行だ」

 

 俺の目の前に一冊の本が置かれた。

 雑に置かれたので、栞が挟まれたページが開かれる。そこに書かれているのは洗濯洗剤の作り方。

 洗剤の調合も自分でしろ、ということか。

 加えて、水洗いも、乾かすのも、アイロンがけも。全部を魔術でやれと、そう言っているようだ。

 この世界では「地球」からの転生者たちの知識を元に、「地球」の家電製品に似た「魔道具」が普及している。必要な魔力を流し込むか、魔力が結晶化した「魔石」を嵌め込むことで起動する便利な道具だ。

 それを使わないで全部魔術でやれって?

 鬼か?あ、魔女か。

 そりゃ、良い修行にはなると思うよ?

 旅には大きな洗濯機を持って行けないし、旅の途中の洗濯の練習になる。

 また、洗う際の「水の魔術」、乾かす際の「熱の魔術」「風の魔術」、アイロンがけに至っては「重力の魔術」「熱の魔術」「水の魔術」が必要だ。

 けど、だからってなぁ……。

 まぁ、やるしかないんだけどさぁ……。

 

 

◇◇◇

 

 

「よし、これで洗剤の調合は終わりだな」

 

 洗剤、というよりは洗濯用石鹸と言うべきだろうけど。

 地球のソレとは原料も製法もまるで異なるから、厳密には「石鹸」でも無いのか。製作工程に魔術使ってるし。

 ともかく、完成だ。

 

「次に衣服を色分けして……」

 

 いくら魔術で洗うといっても色分けは大事だ。様々な色の衣服をいっぺんに洗えば大変なことになる。

 一枚一枚衣服を手に取って色分けしていく。

 俺とウアの衣服なんて着の身着のままの一着だけだったし、今の俺は素っ裸で洗濯中である。バルバルが気を使って大きな葉っぱを届けてくれたので、それを外套のように纏っているけど、それだけだ。

 ちなみに、ウアは師匠の服を貸してもらって着ている。師匠は小柄だし、ちょっとブカブカだけど着れたようだ。流石に女性の服を着るわけにはいかないので俺は断った。

 後ほど、俺とウアの分の服を師匠が作ってくれるとのこと。有難い話だ。

 最初の一着だけで、あとは自分で作れとのことらしいけどね。そこまで甘えちゃ駄目だよな。

 

「……あれ?」

 

 色々と取り留めの無いことを考えながら着実に衣服を分けていくと、ある衣服を手に取ることになった。

 淡い紫色のソレは……

 

「師匠の下着……」

 

 現在の俺は10歳の健全なボーイである。子どもをつくれるようになるアレも既に開通済み。思春期も丁度スタートダッシュを決めたくらいだ。

 前世はかなりの早死にだったし、そもそも記憶があるだけで意識は連続してない。

 思い出そうとすれば思い出せるけど、「前世(地球)の俺」と「今の俺」は完全な別物という認識だ。

 故に、俺のそういう感情は全盛期というわけで。

 何が言いたいのかと言うと、健全な思春期男子には凄まじく刺激が強いものだということだ。

 

「待て待て待て待て。落ち着け。女性の下着を無断でどうこうなど駄目に決まってる。他の服と同じく無心で洗濯をするだけだ」

 

 だが、次回もこうなるかは分からない。

 師匠が下着を異性に洗わせているという事態に気付いて、ウアに任せてしまうことは十分に考えられる。

 魔女の下着が手元にあるのは今だけかもしれないのだ。

 

「…………いや、やっぱ駄目だろ」

 

 流石に駄目だな。うん。

 理性を総動員して、寸前で踏みとどまる。

 恐るべしは思春期男子の欲求。油断も隙も無い。

 さて、この下着の色を考えると色分けは……

 

「あーーーー!!兄ちゃん何やってんの!」

 

 やべー。最悪のタイミングで妹登場である。

 

「待て、ウア。俺は踏みとどまったんだ。思春期男子の欲求と言う恐ろしい敵に勝利してみせた。褒められこそすれ、非難される謂われは……」

「良く分かんないけど、ジッと見つめてたよね?」

「……はい」

「兄ちゃんの変態!えっち!すけべ!」

 

 何もしてないけど、思考の片隅に浮かんでしまった事は事実である。

 言い訳など見苦しいことはしない。妹の言葉を真摯に受け止めよう。

 どんな言葉でも黙って受け止める所存――

 

「兄ちゃんは私の下着を見つめてれば良いの!」

「いや、その理屈はおかしい」

 

 ともかく、その一件以来、女物の服の洗濯はウアの担当になった。

 ちなみに、当の師匠の反応はというと。

 

「下着など唯の布だろう。何に使おうとも我は一向に構わんが」

 

 流石にそれは女を捨て過ぎだと思いますよ、師匠……。

 



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Chapter 2: “Load Game”
1話 紅


 バルバルを出た俺は、1人の女性と向かい合っていた。

 鮮やかな深紅の長髪と紅の瞳が美しい女性だ。

 その赤く艶やかな唇から愛を囁かれたのなら、一瞬で理性が崩され色香に惑ってしまうのではないか。そんなことを考えてしまう色気を繕っている。

 ただ、その小さな唇が紡いだのは――。

 

「ショタの魔王様を()()()()あんなことやこんなことを……。きゃっ、(わらわ)ったらはしたない。でも、イケナイ事だからこそ燃え上がるもの……」

 

 魔王は逃げ出した!

 しかし回り込まれてしまった!

 変態からは逃げられない!

 

「何処に行かれるのです、魔王様?」

 

 どうしてこうなった?

 

 

◇◇◇

 

 

 実のところ、バルバルはかなり広い。

 だが、バルバルが有する魔法の本質は「自身を異界に隠す」というもの。見えず、触れず、聞こえず、というどっかのお猿さんみたいな状態なので誰も気づかないだけだ。

 外周の一部は人間の住む街とも重なっているが、街の人々は当然気付かないし、バルバルの中にいる者からも外の様子は認識できない。そういう魔法である。

 故に。遠く離れた人気の無い場所から出れば、いつぞやのゴロツキ2人組のような出待ちファンがいても問題ない。いやー、人気者は辛いね。……冗談。本当に迷惑だから止めて欲しい。

 そして、俺の今の容姿は本来のモノとかなり変わっている。

 永続的に変装や幻覚の魔術を全身規模で発動する……というのは現実的ではないため、もっと地味な方法だ。髪を特殊な染料で紫色に染め、瞳は黒目を魔術で赤く染めている。

 片目にだけ発動し続けるならば魔力消費は微々たるもの。時間で回復する分が消費を大幅に上回る。

 髪が紫なのは師匠リスペクト。目が赤なのはウアに近付けた。俺、師匠と妹のこと好きすぎるな?

 特殊な魔術が施された、師匠特製のマフラーで顔の下半分は隠れているし、万が一にも正体が発覚することは無いだろう。追跡や看破の魔術に対する対抗魔術も常時発動中である。

 マフラーから師匠の香りがする気がして落ち着く……というのは少々HENTAI感が強いか?

 とりあえず、生まれた街……両親と妹と共に暮らしていた街を目指すべきだろう。

 あえて町の方向とは反対側からバルバルを出たので、かなりの遠回りになるけれど。ゆっくりでも着実に進んで行こう。

 そう考えて歩み始めた直後のことだった。

 

「5年間……正確には5年と36日13時間37分52秒、再開の時を待ち望んでおりましたわ。魔王様」

 

 俺が真なるHENTAIと遭遇したのは。

 今後、否が応でも関わることになる女性。

 

「クリスティアーネ・マラクス・ガーネット。御身の前に推参致しましたわ」

 

 「前回」において「四天王」の1人だったらしい、「吸血鬼」との出会いであった。

 

 

◇◇◇

 

 

 言動に少々の不安はあるが、即座に戦闘行為へと発展する様子ではない。

 むしろ友好的な存在と捉えて良いだろう。

 ならば、協力関係を構築……まで出来ずとも、情報を集めるくらいは最低でもしなければならない。

 どう考えても、彼女は「魔王」としての「俺」を知っているみたいだしな。

 ウアは「女は基本的に敵」などと言っていたが、そうとは限らないだろう。こうして友好的な女性だって……

 

「ショタの!魔王様!(たれ)そ、絵師は()らぬのか!」

「人違いです」

 

 あ、コイツはヤベー奴だ。関わっちゃ駄目な奴だ。

 

「たとえ姿形を偽ろうと、()()()()()()……全てが貴方様だと雄弁に語っています。有象無象は騙せようとも、妾が魔王様を見間違える訳が御座いませんわ」

 

 は?香り?骨格?仕草?

 え、そんなことも判断材料なの?そういうのも誤魔化さないとなの?

 ……5年前に遭遇した仮面の男が俺の匂いを辿っている光景を想像する。生理的に無理だ。

 まぁ、この女性だけの判断基準なんだろうけど。そう思いたい。

 

「魔王様の一大事に駆け付けられず、何とお詫びを申し上げれば。如何なる処罰でもお申し付け下さりませ」

「あ、あぁ、それは構わないけd……構わぬが」

「あぁ、なんと寛大なお言葉でしょう……!罰して頂けぬ事は少々残念でもありますが……」

 

 先程までの様子と打って変わり、膝をついて真剣な雰囲気で言葉を紡ぐ彼女「クリスティアーネ」の様子を観察する。

 どうやら、一先ず敵ではないと考えて良いだろう。

 警戒を緩めることは無いが、「前回」の事に関して情報源になることは間違いない。情報が嘘まみれでも、集められるモノはある。

 たとえば、先程の口調に彼女が何も言わなかったことから、「魔王エイジ」の口調が少しは推測可能だ。

 よし、さっそく幾つか質問をしてみよう。

 そう思って口を開こうとしたが、その前に女性が言葉を紡いだ。

 

「長い長い時間でした。一日千秋の想いとは正にこの事。あの日、魔王様の危機に間に合わなかった日から、この場所に(あば)()を築き、ずっとずっとお待ちしておりました」

 

 ん?やっぱり何かオカシイよな、この女性。

 

「既に「ニュクリテス」に愛の巣は確保済み。ショタの魔王様を監禁してあんなことやこんなことを……。きゃっ、妾ったらはしたない。でも、イケナイ事だからこそ燃え上がるもの……」

 

 へ、HENTAIだ―――!

 やばいやばいやばい。

 ブツブツ呟いてる内容が犯罪でしかない。

 え?何コイツ。普通に関わったら駄目なタイプのヤベェ奴じゃん。

 ここは逃げの一手が最善!

 師匠との修行で鍛え上げた逃走技能をフルに活用して……!

 

「何処に行かれるのです、魔王様?」

 

 くっ!速い……!

 回り込まれた!逃走行動を選択するのが少し遅かったか!

 しかし、この程度で思考を止める俺ではない!

 あえて女性の方に大きく一歩を踏み出す。

 

「え、ま、魔王様……?」

「クリス。1つ聞け。俺には記憶が無い。故に期待には応えられん。すまんな」

 

 クリスティアーネが驚いて一歩下がった所を更に前進し、木に追いやって「壁ドン」のような構図になる。

 その上で「顎クイ」と呼ばれる動作で、女性の顎を指で軽く持ち上げ、互いの目線を合わせた。

 そこに「名前呼び」と「記憶無しカミングアウト」。

 ここまでの観察で、この中の最低でも2つは彼女にとって衝撃的な情報になると判断。

 自身の処理能力を超えた情報に晒されれば……

 

「え、え、え……?」

 

 よしっ、動揺しているな。

 出来れば、ここで「記憶無し」という個別情報だけへの反応も確かめておきたかった。

 仮面の男は俺の記憶が無い事を既に知っているため、その情報が共有されているかの確認だ。それが確認できればクリスティアーネと仮面男が共通の陣営である可能性が高まるからな。

 だが、欲張り過ぎは良くない。「魔王エイジ」の口調が分かっただけでも良しとしよう。

 あとは、相手が動揺している隙に乗じて逃げの一手!

 

「魔王様!?」

 

 ……よし、振り切った!

 疑ってごめん、ウア。お前の言っていたことは正しかったよ。

 

 

◆◆◆

 

 

 一方、エイジに置き去りにされた女は。

 

「魔王様の記憶が無い……?それでは……」

 

 女は衝撃を受けたように、顔を伏せ――

 

「何も知らないショタ魔王様を妾専用に調教できる……?」

 

 ――恍惚とした笑みで平然と宣った。

 

 その女は変態だった。

 世界の仕組みさえも超越してみせた、正真正銘の変態だった。




いつも誤字報告ありがとうございます。非常に助かっています。
この場を借りて感謝申し上げます。


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2話 靴磨きの魔王

 なんかヤバイ奴との遭遇があったような気がするが、気のせいだ。

 さっさと忘れて旅路を急ぐ。

 ちなみに、それ以降何者かとの遭遇は無かった。変装や隠匿魔術は正しく機能しているようである。アレが異質過ぎただけだろう。

 

 そして、旅路を急ぐこと数日。

 俺は遂に故郷の街、「オーロングラーデ」に辿り着いた。

 

 

◇◇◇

 

 

 何だ、コレは……?

 俺の目の前には巨大な壁が聳え立っている。

 他者の存在を決して通さないという絶対の意思を感じる城壁。

 こんな物、5年前には無かった。

 「魔王」を逃したから報復を恐れて、か……?

 飛び越える……のは現実的ではなさそうだな。

 どうも、この壁には魔術的防衛機構が張り巡らされている。正規の手段……即ち、先ほど見かけた正門から入らなければならないのだろう。

 しかし、当然のように身元のチェックが行われている。身分証の提示が必要になるのだろう。

 「魔王」の俺なんて一発アウト。となれば、今の俺には使える身分がないわけで。

 ならば、先ずは――。

 

 

◇◇◇

 

 

「そこの商人さん!どうだい靴磨き!本日最初のお客様って事で無料にしますぜ!」

「靴磨きだって?」

 

 みすぼらしい身なりの年若い少年が、40代後半程の男を呼び止める。

 その男は少年の言う通り商人であるらしく、魔術で動く車、魔導車の後ろにたくさんの商品を積んでいる。

 今は車から降りて正門でのチェックが行われる順番待ちをしていたようだ。

 そして、声をかけた靴磨きの少年とは、何を隠そう俺である。

 

「何でこんな所でやってんだ?街の中でやれば良いんじゃねえか?」

「馬鹿言っちゃいけないよ!商人でも何でも、見た目は第一!街の中へ入った瞬間に勝負はもう始まってるのさ!中で靴磨きをしている商人より、ピカピカの靴で入ってくる商人の方が見栄えが良いに決まってるじゃないか!」

「へぇ。一理あるな、それは」

「それに、正門で待機させられる人たちにこそ需要があるんだよ!金集めの知恵だね!」

「そっちが本音だろう、小僧。気に入ったぜ。ちゃんと金も払うさ。さっきのお前さんの話を考えれば、ここでケチる商人だって見られちゃ堪らねぇ」

「へへ!毎度あり!賢い選択っすよ!」

 

 掴みは上々。

 ごしごしと靴を磨きながら、当たり障りのない事で会話していく。

 そして、さり気無く聞きたいことを混ぜて、と。

 

「そういや、ボクはこの街に随分と久しぶりに来たんですがね?前に来た時、あんな壁は無かった。もしかしなくても、アレですかい?」

 

 「アレ」なんて何も知らないが、こう話せば必ず。

 

「あぁ。お察しの通りさ。魔王の出生地だからな、ここは。()()()に……」

 

 あの日?重要ワードだ。ここを逃してはいけない。

 

「失礼、あの日ってのは?」

「察しの悪いヤツだな。「()()()()」の日に決まってるだろう」

「あ、へへ。そうっすよね。すいやせん」

「……ったく。んで、記憶事変の日に魔王を殺しちまおうとしたらしいんだが、失敗したらしくてよ。それで報復を恐れて壁を築いたって話さ」

 

 なるほど。「やり直し」現象は「記憶事変」と名付けられたわけか。

 「事変」という事は、相当な広範囲に影響があったとみて間違いない。ならば。

 

「なるほどねぇ。記憶事変の時には、商人の方は苦労したでしょう?」

「あったりめぇよ!先物やら何やら大損しちまった。上手く立ち回った奴もたくさんいたが、俺はついていけなかったよ」

「そいつは大変でしたねえ。僕も色々と巻き込まれまして。まったく何処の誰の仕業なのかって話ですよ」

「まったくだ。まだ()()()()()()()()()()()……」

 

 ふぅん。原因は不明、ね。把握したよ。

 ……っと。これ以上は時間がかかり過ぎる。これくらいにしておこうか。

 

「はいよ、お客さん!どうよ、新品同然でしょう?」

「おぉ、こりゃあ良いぜ!これなら、この街の商売で良いスタートが切れそうだ!有難うな、小僧。ほら、料金だ。4ゼスだったな」

「へい。毎度あり!」

「この仕上がりじゃ、もっと取って良いんじゃねえか?」

 

 1ゼスというのは地球で言えば、100円程度の感覚だな。要するに、4ゼスで400円。

 俺は魔術も使って磨いていたのだが、魔術も使って仕上げるとなると、それなりの修業(勉強)が必要である。そのため、この仕上がりで400円は超格安と言えるだろう。

 

「ま、この地では、今日が初日なもんで。格安にして、まずは有名にならないと、ってね!」

「へぇ。中々考えてるじゃねぇか。お前さん、名前なんて言うんだ?」

()()()と言います。へへっ、今後も御贔屓に」

「ちゃっかりしてるなぁ。俺はトレイド。トレイド・ザルフェダールだ。次も機会があれば頼むわ」

「トレイドさんっすね。ありがとうございましたー!」

 

 

◇◇◇

 

 

「演劇ってのも見栄えが大事ですもんねぇ」

「頼むぜ。修行が終わって、今日が俺のデビューなんだ」

「そいつは良い!最高のショーになるように、全力で磨かせてもらいますよ!」

 

……

 

「初めてで、あの「()()()()」の役なんて凄いじゃないっすか!」

「はは、不人気の軍師「オルトヌス」役だけどな」

「いやいや、その役あってこその演劇「()()()()()()()」!欠けて良い役なんか1つも無いって!」

「へへ、だよな!なんかやる気出てきたぜ!」

「役者さんは、その役で気をつけてる事とかってあるんですかい?」

「そうだなぁ。オルトヌスは北の出身ってのは知ってるよな?」

「えぇ、勿論っすよ」

「この街の後で、()()()()()()()()()()()()()()。そこで大敗北をしたオルトヌスは魔王へのリベンジを誓ったわけだ。その思いが強すぎて失敗を重ねちまった訳だが、根底にあったのは正義感だったと思うのさ」

「なるほど、それを意識して演じる訳っすね」

「その通り!分かってるね!」

 

 

◇◇◇

 

 

「まぁ、じゃあ両親に捨てられてしまって?」

「そうなんすよ。それで、何かで稼ごうと靴磨きを始めてみたら、これが結構な評判でしてね。北の方じゃそこそこ有名になったんですよ」

「そうでしょうねぇ。貴方、凄く仕事が丁寧だし、話が面白いわ。でも、北の方じゃ「()」は大変だったのでしょう?」

「あ、聞いてますか?」

「えぇ、勿論。有名だったもの。「純白の街の血の惨劇」は」

「あぁ、そっちも酷かった!ボクはちょっとズレていたんすよね。もうちょっと東の方っすよ」

「……となると、「ボレアスノルズ」の「大崩落」かしら?」

「そうそう正解!それで酷い目にあいましたよ!」

「アレも惨かったわよねぇ」

 

 

◇◇◇

 

 

「まったく、俺は南の国の出身なんだが、あそこは()()()()()()()()()?備えなんか出来るわけねぇしよ……参っちまったぜ」

「南の国?北の国ではない、ということは……」

「あぁ、俺は()()()……()()()()()の方だからな」

「なるほど、道理で」

「その反応ってことは、お前さんは()()()?それとも()()()か?」

「僕はエイクっすね」

「なるほど。そっちだと北が真っ先に攻められたんだものな」

「ええ、そうっすよ。こっちも参っちまいました」

「そっちも大変だったんだよなぁ……本当に魔王エイジはクソ野郎だぜ」

「全くですねぇ」

 

 

◇◇◇

 

 

「そもそも、なんであんな事をしたんですかねぇ……」

「知らないわ、そんなこと。どんな理由があっても許せるわけがないのだし」

「ま、ですよね!」

「でも、やっぱり「()()」関連じゃないのかしら」

「あ、それは結構言われてますよ!」

「やっぱり、そうなのね。そんな気がしてたのよ」

 

 

◇◇◇

 

 

「魔王が聖女メレリアに執着?ないない!それは詳しく知ろうとしない奴らが適当に言ってるだけさ」

「そうなんですかい?」

「あぁ。エイク、ビクト、カルツ、それ以外でも結局、聖女メレリアは最後まで生き残っている。あの魔王がそこまで重要視してなかった証拠さ」

「っとなると、どういうわけなんですかね?」

「まぁ、「教会」そのものに何かがあったんだろうな、とは思うよ。魔王にとって認められない何かが。ここにはそれを調べに来たんだ」

「流石、学者さんは凄いですねぇ」

「まだまだ卵だけどね。僕の調べたことが魔王を殺す一助になれば嬉しいな」

「応援してますよ!」

 

 

◇◇◇

 

 

 午前中ずっと靴磨きをして情報を集めた。

 そして、まだまだ不十分だが、色々なことが把握できた。

 まず、「魔王」は最終的には「勇者」たちに殺されたらしいとのこと。

 この世界に「魔王」を好ましく思っている人間なんて()()()()()()(とされている)こと。

 否、人間だけではなく。()()()()()()()()()「魔王」は憎むべき悪魔だということ。

 この()()()()()()()()()「魔王」を憎み、殺したいと願っていること。

 ……それでは、先ほど遭遇した変態や師匠にバルバル、ウアは一体どういうことだ?

 

 いや、今はその事よりも重要なことがある。

 エイク、ビクト、カルツ……のように表現されている()()()()()について。

 そう。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()、という重大な内容を考えなければならない。

 



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3話 世界法

 複数の「未来」が存在している。

 人々の話を総合すると、この事は間違いないようだ。

 その総数は諸説あるようだが、「エイク」「ビクト」「カルツ」……古代語で「1」「2」「3」を意味する言葉で表現される3つの「未来」が主流らしい。

 今まで、「やり直し」前の「1周目」は1つだと考えていた。その前提が大きく覆ったわけである。

 この事から考えられるのは?

 まず、世界が何度もループしている可能性は高そうだな。或いは並行世界か。

 どちらにしても、それら複数の「未来」からバラバラに「逆行」しているのは何故だ?

 偶然?それとも、何らかの意図があって?

 「エイク」「ビクト」「カルツ」など、それぞれの「未来の記憶」を有する人々で共通点が見いだせれば何か分かるかもしれない。

 そうであるならば、午後も情報収集を続行しよう。

 靴磨き少年レイジの評判も上々。客も集まりやすくなったし、もっとたくさんの情報が集まるはず。

 そう考えた直後の事だった。

 

「やぁ、少年。おじさんの靴、磨いてくれる?」

 

 そこに立っていたのは、()()()()()

 万人受けするような爽やかな笑みを――()()()()()()()()()()()()()()浮かべている。

 

「まぁ、そう警戒するなよ、少年。今日は戦いに来たんじゃ無い。ケーキのイチゴは最後に食べる。まだ、その時じゃないさ」

 

 違いは、かつて身に着けていた奇妙な仮面を付けていない事。

 あれから5年経っている筈だが、肉体に衰えは一切見受けられず。その実力は研ぎ澄まされているように見受けられる。

 

「欲しいんだろ、情報。この世界に起きた異常事態についての、さ」

 

 そこに立っていたのは、5年前に相対した仮面の男だった。

 

 

◇◇◇

 

 

「幼い少年に付き纏う変質者として訴えることが可能ですかね?」

「おいおい、今回は完全な偶然だよ?街に入ろうとしたら、()()()()()の靴磨きなんて見つけちゃったからさぁ」

 

 コイツの魔法は嘘を見抜く。

 今回の言葉を踏まえると、どうやら他者の感情を色として捉える魔法、と言った所だろう。ベラベラと自分の情報を全て喋る訳も無く、嘘以外にも色々と見抜ける可能性が高い。

 はっきり言って天敵。一番苦手な敵かもしれない。

 

「それに。たとえ訴えても、捕まって殺されるのは少年の方さ。()()()()()()()()()

「裁判も開かれずに?」

「興味が出てきた?じゃあ、ちょっと「向こう側」で靴を磨いてもらおうかな。向こうには俺の旅仲間がたくさんいてね。彼らの靴を全部磨いてもらいたいんだ。どうだい?報酬は弾むよ?」

「……良いでしょう」

 

 男は、目配せをしながら語りかけてくる。

 話が長くなるし、怪しまれないように向こう側で話そう、ということか。

 「たくさんの旅仲間」というのは周囲の人間への誤魔化し。

 のこのこ行ったら囲まれて、というのは考えにくい。

 そもそも既に周囲は、潜在的な敵しかいないのだ。ここで「俺がエイジであり魔王」と言いふらされれば、それだけで周囲全てが敵になる。

 ここは男の言う通りにするしかないだろう。

 

「お久しぶりですね、仮面はどうしたんですか?」

「あー、あのダサいアレ?おじさん、あの後で()()()()()()からねー、仕方ないよ」

「クビ?」

「その辺りのことも説明してあげるから、慌てない慌てない」

 

 当たり障りのない事を会話しながら、男と共に、街から少し外れた川岸に到着した。

 

「まずは少年、これを見なよ」

 

 そう言って、男は一枚の紙を差し出す。

 上質な紙に、最上級の証明魔術……魔術的な偽造防止処置……が施されている。発行元は聖教会教皇。この世界で最高位の権威を誇る命令書である。

 そして、その内容は。

 

『――『世界法』――

 教皇ロンドレイ・ロウ・ララドゥは、「記憶事変」により明らかとなった世界の脅威、通称「魔王」に関して以下の事を定める。

 一。「エイジ・ククローク」は「魔王」であり、世界の敵である。

 二。当該の者には如何なる権利も存在せず、其は永劫不変である。

 三。二により、「魔王」殺害は如何なる国・地域の如何なる罪にも問われることはない。

 四。何人も、「魔王」を「魔王」と知りながら、その者に対して如何なる協力行為もしてはならない。

 五。四に違反した者は「魔王関連特別法廷」にて裁判を行い、有罪であれば即刻処刑を行う。例外は認めない。

 上記内容は全ての国の承認を受け、「世界法」として定めるものである。

 是は全種族、全生命の総意である。』

 

 余りの内容に言葉も出ない。

 如何なる権利も存在しないということは、裁判を受ける権利も存在しないということ。

 

「加えて、教会や各国が莫大な報奨金を用意してるね。魔王討伐の報奨金を。そんなことをすれば、どんな事になるか少年なら分かるでしょ?」

 

 当たり前だ。如何なる権利も無いから殺しても罪に問われない存在。しかも、それを殺したら金銭が転がり込んでくる。

 誰もが「魔王」を、俺を殺そうとするだろう。

 殺しという手段を忌避する人でも、自分が死にたくないから協力は絶対にしてくれない。

 

「体裁として直接的に「殺せ」とは書いてないけど、これは実質「魔王殺害許可」であり「魔王殺害指令」だよねぇ。少年は全世界で指名手配中ってわけだ」

 

 協力するだけでも死刑。これはバルバルに帰る時は細心の注意をしなければ。

 いくら異界に隠れられると言っても、魔法が打ち破られないとは限らないのだから。

 師匠やウアに危害が及ぶことは絶対に避けたい。

 そういえば、男が先ほど言っていたのは。

 

「もしかして、「クビ」というのは?」

「正解、鋭いね。あの夜、意図的に逃がしたんじゃないかって疑われて裁判。一応、証拠不十分で無罪になったよ。ただ、執行官はクビになった」

「執行官ということは……」

「そうそう。教会の暗部、異端審問官。元、執行官序列3位「真実のヴァルハイト」。気軽にヴァルトとでも呼んでくれよ」

 

 「嘘を見抜く」という魔法の性質上、何かしらの調査機関や治安維持部隊の関係者である可能性は十分に考えていた。

 だが、よりにもよって異端審問官、しかも序列3位だって?

 表向きには、教会が常時有する戦力は「教会騎士」と「聖女」のみとされている。しかし、その裏側にもう1つの戦力、教会に歯向かう者を秘密裏に処理する異端審問官がいる、というのは有名な話だ。

 その実力は「教会騎士」最強の8人「ゼリオス」と並び立つとも言われている。この話が本当であれば、この世界全てを見渡しても圧倒的な強者。しかも、元とは言え序列3位ということは尋常ならざる実力者だろう。

 それこそ、彼もまた「怪物」と称される領域の存在だ。

 

「俺は謝りませんよ、ヴァルハイトさん」

「それで良いさ。アレはおじさんが勝手にやったことだし。それに、クビというのも大袈裟に言ってるだけ。教会は絶対に俺の魔法を手放したくは無いからね。首輪をつけて飼いならし状態、が正しいかな」

 

 彼が「クビ」になったのは、5年前に俺を見逃したからで間違いない。

 恐らく、「記憶事変」の際に即座に出撃可能で、かつ「魔王」と戦えると判断されたのが彼だったのだろう。しかし、何故か彼は俺を取り逃がした。

 故意に逃がしたことまではバレなかったみたいだけどな。

 それでも彼は俺の敵だ。

 今だって、彼はニコニコした笑顔を浮かべながら、研ぎ澄まされた殺意を垂れ流している。

 

「ヴァルハイトさんは、どうして俺を見逃したんです?」

 

 もっとも、その「殺意」は「怒り」や「憎しみ」、ましてや「使命感」などではなく。もっと純粋な――

 

「……おじさんは人殺しさ。どれだけ大義名分を掲げようと、人を殺す最低最悪の生業で生きてる人間だ。でも、だからこそ譲れない一線ってモノがある」

「譲れない一線……」

「何の記憶も持たない子供。そんなのは無罪と変わらないでしょ。それを殺しちゃうのは俺のルール的にアウトだったの」

 

 大層な正義感のように聞こえる言葉ではある。実際、彼の言葉に嘘偽りは無いのだろう。

 だが、彼自身はそれを善なる感情とは捉えていないし、こちらも真実なのだ。

 何故ならば、その根幹にあるのは。

 

「だって、()()()()()()()()()()。殺しなんて暗いこと、折角なら楽しまなきゃでしょ?」

 

 殆ど快楽殺人鬼に近い思考だ。間違いなく狂ってる。しかも、後天的な狂気ではなく、生来の異常者なのだろう。

 

「ヴァルハイトさんは、魔王を憎んではいないんですか?」

「憎む感情?一切ないね。考えてみてよ、人殺しの俺が魔王の所業にどうこう言うとか滑稽過ぎるだろ?」

 

 それでも、そんな異常者だからこそ。「魔王」だった俺にも気さくに話しかけることが出来る。

 

「だが、それは多分、おじさんみたいな異常者だけだと思うぜ」

「普通は違う、ということですか」

「俺は少年に殺された記憶を持ってる。殺されたのに恨まないのは、俺が異常者だから。思うことと言ったら、楽しい死闘だった、見事な一太刀だった、くらいか」

 

 5年前にも「また死合おう」と彼は言っていた。

 「前回の俺」と「前回の彼」は、互いの命をチップに戦ったのだろう。

 そして、「俺」が勝って「彼」は死んだ。「俺」に殺された。

 それでも彼は俺を憎まず。むしろ賞賛しているのだ。

 

「だが、他の奴は違う。さっきまでニコニコ話してた奴らも、少年が魔王だと知れば鬼の形相で殺しにかかってくるだろうさ」

 

 あぁ。それはそうだろうさ。殺されても恨まないなんて常軌を逸した思考だ。

 普通の人は、そんな風に割り切れない。自らを殺した人間を賞賛なんか出来ない。

 

「おじさんの推測だけど。この「記憶事変」は、少年を確実に、徹底的に殺すために行われた事だと思うね」

「俺を殺すために「記憶事変」が?」

「それぞれのヒトは「()()()()()()()()()()()()()()()」を有しているんだと思うよ。人間種だけじゃなく、亜人やらの異種族も。或いは犬猫までそうかもね」

 

 ははは。何だ、ソレ。

 最悪だ。あらゆる想定を突き抜けて最低最悪だ。

 

「分かるかい、少年?世界の全てが少年の敵なんだよ」

「……そうみたいですね」

 

 「エイク」「ビクト」「カルツ」なんて複数の「未来」があるのは、全ては個人個人に俺を徹底的に憎ませるため。

 本人が殺された、大切な人が害された。そういう、憎む理由が最も大きい「未来の記憶」を生物全てが有している。

 

「そして勿論、俺も敵だよ」

 

 たった一人の例外もなく、俺に殺意を覚えるように。

 

「おじさん言ったよね。何の記憶も無い少年は無罪と同じ。だから殺さないって」

「そういうことですか。だから、ヴァルハイトさんは俺に情報を渡したんですね」

「正解。少年が世界の秘密を暴いて、無知ではなくなったら?「前回」の自分の罪を全て知ったとしたら?」

 

 俺が「俺」の罪を全て知ったとしたら。

 彼にとって俺は、殺しても楽しくない存在ではなくなる。

 

「そしたら、俺は少年を心置きなく殺せるよね?」

 

 今、分かった。

 この最低最悪でどうしようもない世界。先の事なんて一切分からない事ばかりだけど。

 1つだけ。

 1つの未来だけハッキリ分かる。

 

「覚えておいてよ、少年。最後の最後に君を殺しに行くのは俺さ。無知な少年が罪深き魔王に戻った時、俺が殺しに行く。研鑽を怠らないでよ。最高の死闘にしようじゃないか」

 

 旅路の果て、俺は彼と剣を交えるのだろう。

 

 

◇◇◇

 

 

 ヴァルハイトと別れた俺は、故郷の街「オーロングラーデ」を離れた。

 来た道を迷いなく引き返していく。

 入る手段が無い街にこだわる必要は無くなった。今はもっと重要なことがある。

 全ての存在が俺を憎む世界だというのなら。

 魔王を憎まない者は一体どういうことなのか。

 

 ウアは如何なる未来(ルート)でも直ぐに死んでしまっていたのなら説明がつく。

 師匠とバルバルは、ずっと外界と関係を断ち続けていた。だから、俺を憎む未来が生まれなかったと理解が出来る。

 5年も共に暮らしていた。ウアに至ってはもっと長く。なら、師匠たちが敵という可能性は考えない。万が一、億が一、彼女たちが自らの意思で俺を殺そうとするなら諦めるさ。

 だが、あの女は?

 憎しみも怒りも。「魔王」に一切の負の感情を向けて来なかった女性。

 バルバルを出て直ぐに遭遇した、クリスティアーネ・マラクス・ガーネット。

 彼女の話を聞かなければならない。

 



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4話 「仲間」

 クリスティアーネと遭遇したのは、バルバルから出て少しだけ歩いた地点。

 まだ彼女がそこにいるかは分からない。けれど、確かめてみる価値はあるだろう。

 故に、その場所目指して旅路を急いでいた。

 だというのに。

 

「いや、さっき結構いい感じの別れ方したじゃん。後世に語り継がれる感じだったじゃん。何で居るの?」

「最後に殺しに行くとは言ったけど、それまで着いて行かないとは一言も言ってないよ」

「やっぱり変質者じゃん!ストーカーじゃん!」

「忘れたの?君に人権は無いんだよ」

「もうやだ!この世界!」

 

 今、俺は橙色髪の男と遭遇している。

 

 

◇◇◇

 

 

「まぁ、そんなわけでね。急いで教会に突撃して、「首輪」壊して戻ってきたのさ」

 

 ヴァルハイトの話をまとめると。

 彼の「嘘を見抜く」という魔法の有用性は非常に高く、俺を取り逃がしてしまったとはいえ、教会も手放すことは出来なかった。

 そのため、裏切ったら恐るべき苦痛を……場合によっては即座に殺せる術式を埋め込まれていたという。

 しかし、彼は教会に対しても自らの真の実力を隠し続けていたらしく。本当はいつでも術式を破ることは可能だったらしい。

 昨日、俺と会話をしたヴァルハイトは、俺に同行した方が楽しそうだと判断。

 彼を縛るべく用意された魔術の儀式場を崩壊させて、舞い戻ってきたのだという。

 嘘を見抜く彼が最も嘘まみれとは、何という皮肉だろうか。

 

「それを俺に信用しろと言うんですか?貴方が教会の手先ではないと?教会の支配を本当に抜け出したと?」

「まぁ、それを言われるとね。おじさんには証明する手段なんて無いわけよ」

 

 こんな男、普通に考えて信用なんかできない。

 ただ、戦力になることは間違いないし。今の俺は猫の手でも借りたい状況ではある。

 また、コイツなら守る必要がない。いざという時には囮にして逃げることも可能だろう。

 「前」の情報や、異端審問官だからこそ知っている教会の裏事情もあるはず。

 駄目だ。考えれば考えるほど、デメリットよりも圧倒的にメリットが多い。

 そして、何よりも――

 

「でもさ、これが一番楽しそうじゃない?」

 

 コイツの壊れた価値観であれば、この選択に一切の違和感が無い。

 

「少年の旅は波乱万丈で面白そうだし?力を合わせて苦難を乗り越えた仲間と、涙ながらに殺し合わなきゃいけない……ってラストは倒錯的で実にそそるだろ?」

 

 この破綻者であれば、確かにそう考えるだろう。

 どんなルートを辿っても、彼に対して情が湧くようなことは無いだろうけども。

 

「分かりましたよ、ヴァルハイト。短い間ですが、よろしくお願いします」

「そうこなくちゃね、少年。おじさんも短くなることを祈ってるよ」

「教会に喧嘩売ってきた人が誰に祈るというのです?」

「あー、それは正論だね。なら、「魔王様」に祈ろうかな」

 

 俺と彼は、親愛の情など欠片も無い握手を交わす。

 彼は俺を、楽しみながら殺す獲物として。

 俺は彼を、生き残るための道具として。

 ここに、あまりにも歪な「仲間」が成立した。

 




暫く盛り上がりには欠けます。すみません。8話まで待って。


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5話 契約魔術

 ヴァルハイトが俺に情報を渡すのは、早く俺を殺害対象にしたいから。

 ならば何故、あの時にもっと様々な情報……具体的には「前回」の事について話さなかったのか少し疑問には思っていたのだ。

 まさか、それが後で合流して話すつもりだから、とまでは想像できなかったけれど。

 

「ま、お互い本名で呼び合うのは不味いし。俺は少年を「レイジ」と呼ぶから、少年は俺を……」

「ストーカーって呼びますね」

「流石にそれは遠慮したいなぁ。「ヴァルト」はそのまま過ぎるし、何かない?」

「……ホースなんてどうですかね?」

「因みに由来は?」

「馬です」

「嘘は無いね。移動手段……人間の道具って側面を意識したのかな。因みに、人間の友という側面は含まれてる?」

「皆無ですね」

「いっそ清々しいほどに正直な色だね。おじさん悲しい」

 

 0時(レイジ)の対極は12時。正午、午の刻。馬だからホース。そんな意味も込めているが、それは異世界転生組でもなければ伝わらないので言う意味も無い。

 彼は俺にとっては道具で、彼にとって俺は獲物。その関係性が崩れることは無いだろうから。

 

「それで、まずは何処に向かうんだい?勇者を殺しにでも行く?」

「過激すぎません?魔王ルート一直線じゃないですか」

「それが俺の望みだからねぇ」

 

 実は、クリスティアーネを探すついでに、バルバルに寄って行こうと思っていたのだ。

 だが、ヴァルハイトが同行しているせいで不可能になった。バルバルや師匠の事を多くの人に知られるのは不味いからな。

 帰省はまた今度にするしかない。あんまり遅くなりすぎると師匠に怒られそうだから早く顔を出しておきたかったのだけど。

 とはいえ、帰省は後でも構わないが、彼が居るからこそ出来ることもある。今は彼と共に行動し、情報集めに専念するべきだろう。

 そして、そのためにも。

 

「ホース。俺と契約を結びません?」

 

 

◇◇◇

 

 

「へぇ。原初の魔術、「契約魔術」か。随分とマイナーで高度な魔術を使えるんだね。適性がある者だって少ないのに」

 

 俺の眼前、何もない空間に書かれていく光の文字を見て、ヴァルハイト……改めホースは感嘆の声を上げる。

 

「ゼクエス教徒としては思うところがあったりします?」

「神敵魔王が、神々由来の魔術に高い適性を有する。最高に皮肉に満ちてて良いじゃないか。第一、俺が教会に属していたのは合法的に殺せるから。敬虔な信徒ってわけじゃないよ」

「やっぱ頭おかしいよ、アンタ」

 

 彼の言う通り、契約魔術は神々由来の魔術である……少なくとも、教会の教えではそうなっている。

 全ての始まりである「創造神」は「無」から「有」を生み出す「創造魔法」を使用した。

 ただし、その「有」は「無ではないナニカ」でしかなかったとされる。

 その後に、創造神は自らの似姿として8柱の「神」を創造する。

 8柱の神々は「有」を法則や物質、命といったモノへと変えた。その際、8の神々が用いたのは創造魔法の下位互換「交換魔法」。何かを代償として捧げることで当価値のモノを生み出す魔法であった。

 神々は「有」を代償に多種多様なモノを生み出したのである。

 一方、被造物の一種「ヒト」は神々の奇跡を真似ようと力を尽くす。しかし、人間には神々の奇跡を再現することは不可能だった。

 ある時、ゼクエス教開祖「ヒルアーゼ」が、神々と「契約」することで交換魔法を再現する「契約魔法」を実現するまでは、だが。

 ヒルアーゼは契約魔法によって瓦礫の山を金塊に変え、大津波を薬草の山に変えた。

 こんな経緯で人間の文明は大いなる発展を遂げ、今に至る。

 長くなったが、要するにヒルアーゼ固有の契約魔法を超スケールダウンさせたのが「契約魔術」だ。

 簡単に説明すれば、当事者たちの間で約束事を設け、それに違反する行為を行えなくする術式。

 適性を持っている者が少ないことで知られ、使える者は「契約術師」として重大な取引や国家間の条約締結などで活躍している。

 

「それで?どんな契約を結ぶ?」

「ここはオーソドックスに、「互いが互いの命を奪わない」でどうでしょう?」

「それだと俺が少年を殺せないよね?」

「ですから、契約破棄は各々の任意で。ただし、破棄したと同時に相手の契約も切れます」

「なるほど。殺そうと思えば相手に伝わるわけね。良いよ、それで結ぼう」

「契約成立ですね」

 

 俺とホースの間が白い光の糸で結ばれる。

 それが一際輝いた後、二人の右手首に白いミサンガが現れ、直ぐに見えなくなった。

 これでホースが契約破棄した時には俺に伝わるし、逆もまた然り。

 どちらかが死んでも契約は破棄されるが、この男に関しては考慮する必要がない。殺しても死ななそうな感じがする。

 

 冷たい契約で結ばれた2人。

 彼らは別々の方向を向いたまま、今だけは同じ道をゆく。

 




面白い伏線の為には面白くない説明会が必要になるジレンマ…誰か助けて。


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6話 魔王エイジ“A√”

 旅の途中の休憩、そこで俺はホースに彼の知る「前」の事を尋ねた。

 すると。

 

「最初に言っておくね。おじさんが持ってる記憶はエイクだと思うよ、多分」

「多分?」

 

 という、妙な答えが返ってきた。

 ちなみに、口調は怪しまれないよう、敬語を止めて砕けた口調にした。

 共に旅をしていて会話が固いのも変だからな。

 

「何て言えば良いのかな。……大筋がエイクに似てるからエイクと判断するしかない、みたいな?恐らくだけど、同じエイクでも皆少しずつ違うんだと思うんだよね」

「1つとして同じ「未来の記憶」はないかもしれない、ってことか?」

「そうそう。長いヒトでは何十年もの記憶が巻き戻ってる。当然、全部を明確に覚えておくことは無理だよね。だから、細部の違いは記憶違いとか勘違いで片付けられたりもしてるんだよ」

 

 そう述べた後、彼は「全部推測だけどね」と締めくくった。

 そして、話は本題に入る。

 

「ま、ともかくだ。おじさんの知ってる魔王エイジの物語を語って聞かせるよ。そうだな、まずは――」

 

 

◇◇◇

 

 

 エイジ・ククローク。

 その男の名が最初に轟くのは人歴1431年。神聖ヒルア帝国の大都市「オーロングラーデ」を襲撃したことから始まる。より正確には、都市の中心にあった「聖女の離宮」を襲撃した。

 この離宮について語るには、まずオーロングラーデという都市について語らねばなるまい。

 オーロングラーデはヒルア帝国において5本の指に入る巨大な都市で、周囲の豊かな自然と、それに調和する街並みが有名な都市。資源に恵まれ、様々な輸出品で潤っていた。

 ヒルア帝国及び帝国を牛耳る教会にとって、オーロングラーデは重要な要所。故に、歴史的に「聖女」が1人配置される慣習となっていた。離宮とは、その聖女の住まいであり、また大規模な都市防衛魔術の要となる施設である。

 しかし、当時の大陸情勢はまさに一触即発。従来の大国家同士のパワーゲームに加え、領土問題や資源問題に歴史問題など課題は山積。そこに加え、「ヒト」と「亜人」の根深い確執が存在した。

 転生者の中には種族の壁をなくそうと尽力した者も多くいた。だが、その転生者自体が長らく「魔法の使えない者」として差別される側。その差別が無くなったのも最近の事である。

 そう、この世界は発展しているように見えて、まだまだ過渡期。

 魔法・魔術という便利な力を用い、異世界「地球」の進んだ文明を取り込むことで急速な発展を遂げた世界。しかし、その速すぎる発展に人々の心や考え方、社会制度は全く追いついていなかったのである。

 そのため、大陸中央に位置し周囲を他国に囲まれているヒルア帝国は、人歴1425年、最大戦力たる4人の聖女を各国との国境付近に配置することに決めた。これにより、国土の内側に存在していたオーロングラーデから聖女が去ったのだ。

 その状態が6年続いた人歴1431年、エイジ・ククロークはこの聖女不在の隙を突いて離宮を襲撃したとされる。

 都市周辺の森を燃やし、悪辣な発想で大自然を武器とし、当時わずか16歳だった少年は、たった一人で離宮に侵入した。

 しかし、まさにその時。神の加護とでも言うべきタイミングで新たな少女「メレリア」が聖女として覚醒し、エイジが引き起こした周囲の騒乱を瞬く間に鎮める。

 これにより、都市に駐在していた教会騎士たちがエイジを捕らえんと迫ることに。たった1人の少年に何が出来るわけもなく、捕らえられる――ことはなかった。

 普通であれば、どれほどの実力者でも1人で離宮を襲撃して、全ての教会騎士から逃げることなど不可能。しかし、エイジ・ククロークは、後に「魔王」と呼ばれる少年は普通では無かった。

 彼は、教会騎士100余名及び都市防衛戦力1,000余名の追跡を見事に振り切って見せたのである。

 後に「魔王エイジ」と戦った者は口を揃えて言う。その強さは、魔法でも魔術でも腕力でも無い。彼の強さとは、類まれな判断力と冷徹極まる決断力、そして逃走の巧みさにこそあった、と。

 その後、北の地へと向かったエイジ・ククロークは北の国で差別されていた種族を自らの手勢とし、北の国の大都市「レウコンスノウ」を急襲、占領した。

 そこから「ヒト」と「亜人」という2つの勢力を中心として、大陸は戦火に包まれていく――

 

 

◇◇◇

 

 

「――んで、ここから遂におじさんが登場するんだけど……」

「待ってくれ。アンタは「前回」の時にオーロングラーデにはいなかったのか?」

 

 俺は5年前も、そして今も。オーロングラーデ周辺でホースと遭遇している。

 だというのに、「魔王エイジ」がオーロングラーデを襲撃した時、彼自身の話は出てこなかった。

 

「おじさんは聖女不在の穴を埋めるために派遣されてきたんだけどね、「魔王エイジ」が離宮を襲撃する1年前に離れていたんだ。暗部も国境に回さなきゃいけない程に、国際情勢がヤバかったらしいね」

 

 なるほど。だから、「前の俺」と「前の彼」はその時点では会わなかったのか。

 

「もう1つ聞かせてくれ。なぜ「魔王」は聖女の離宮を?」

「さぁ?何でだろうね?」

「……どういうことだ?」

 

 コイツは異端審問官……教会の裏側に所属する男。しかも、その序列3位だ。

 その男が、全ての始まりである「魔王」の離宮襲撃の理由を知らないだって?

 

「聖女関連の情報は全て教皇と「ゼシドラル」が管理してる。たとえ異端審問官の序列3位とはいえ、現場の人間ごときに知らされる内容では無いからさ」

 

 成程な。

 確かに、No.3はあくまでも強さや便利さの順位。彼らは徹頭徹尾、実働部隊の「駒」でしかないということか。

 「ゼシドラル」……通称「大魔聖堂(だいませいどう)」または「魔聖堂」。教皇直属の人員が構成する教会の最高権力機関だ。

 どうやら、全ての秘密を握るのは教皇とその周辺とみて間違いなさそうだな。 

 

「……そうか。話を遮って悪かった。続けてくれ」

「いいよー。といっても、ここから先はありふれた話なんだけどね」

 

 

◇◇◇

 

 

 撤退戦の上手い軍は強い。当たり前の事だ。

 魔王エイジは、見極めの絶妙さと撤退の巧妙さで自軍の何倍もの軍を常に翻弄し続ける。

 彼の用いた虚実綯交ぜの情報戦と軍略が、混沌極まる戦況を描き出す。

 教会の神託によって「勇者」とその仲間たちが選び出され、「ヒト」の中心的存在となった後も、戦況は混沌としたままだった。

 そこで、俺が抜擢される。俺は自らの感情を色として見抜く力を活用して魔王エイジの作戦を看破する役割になった。

 もっとも、この魔法は射程距離が長くはない。故に、俺は常に最前線に行かされるわけで。当然、魔王エイジと剣を交えることも多かった。

 

 

◇◇◇

 

 

「戦い、追い詰め、逃げられを繰り返す内、俺は直ぐに魔王エイジの虜になったよ」

「うげ、気持ち悪……」

「今でもぞっこんさ。「魔王」以外の標的を殺すことに価値を感じないくらいには」

「うわぁ……」

 

 

◇◇◇

 

 

 しかし、全ての物事には終わりがある。

 長かった戦いにも、やがて終わりが見え始めていく。

 元々、長期戦になれば、広大な国土と盤石な国家体制を有する「ヒト」が優勢になるのは明らかだった。

 そして、勇者一行が遂に魔王の元へ辿り着き――

 

 

◇◇◇

 

 

「――悪逆非道の魔王は勇者の剣によって討伐されました。めでたしめでたし」

「なぁ、「前回」でアンタは俺に殺されたはずでは?」

 

 「前の俺」と「前の彼」が戦い、「彼」が死んだ。その、彼なら絶対に外さないだろう内容が今の話には含まれていなかった。

 

「お、気付いたんだ。良いね、おじさんの言葉を覚えてくれてて嬉しいよ」

「悪ふざけはいらない。質問にだけ答えてくれ」

「つれないなぁ……ま、その一番の盛り上がりはここからさ。俺はね、勇者に斬られて業火に飲まれていく魔王に「嘘の色」を見た」

「嘘の色、ってことは……」

「そう。実は、魔王エイジは勇者に討伐なんてされてなかったんだよね。これは、世界で魔王と俺だけが知っていることさ」

 



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7話 “Save Date” 『vs仮面の男』

◆◆◆

 

 

 燃え盛る城の中、2人の男が向かい合う。

 

「やぁ、少年。良い夜だね」

「良い夜と評するには些か物騒過ぎるがな」

 

 「執行官」ヴァルハイト。

 「魔王」エイジ・ククローク。

 

「それに少年と呼ばれる年齢でもない」

「あはは、違いない。けど、おじさんから見ると少年は少年さ」

 

 言葉を交わす様子は、道で会った友人と世間話をするかのよう。

 しかし、仮面の男は片刃の剣を、黒髪の男は双剣を構えている。

 

「1つ聞いておきたいんだ。少年は一体何がしたかったんだい?魔王としての言葉は殆ど嘘だらけだったよね?」

「それを聞いて何とする?」

「単純な興味かな。ほら、意識しなければ普通に食べちゃうけど、高級な料理って知ってると美味しく感じるみたいな」

「それは貴様の舌が馬鹿なだけだ」

 

 実のところ、2人の間に大層な因縁は無いのだ。

 大切な人が殺された復讐などという、ドラマチックな背景があるわけでは無い。

 唯々、単純明快な「敵」であるだけ。

 物語のように、敵同士の友情が芽生えることは決して無く。

 最後の最後まで剣を交えるだけの関係性だ。

 

「話す価値を見出せない……と言いたい所だが」

「流石、分かってるね。おじさんは勇者に黙って少年を追ってきた。呼ばれて困るのは少年の方だろう?」

「貴様のそういう所は本当に厄介だ」

「誉め言葉として受け取っておくよ」

 

 しかし、だからこそ。

 「勇者」と「魔王」のような関係性では無いが故に。

 今この瞬間の会話は成立している。

 

「そも、俺は魔王などと持て囃されるべき存在ではない」

「ビックリするくらい正直な色だ。随分と魔王を肯定的に語るんだね」

「魔王と(いえど)も王は王。民が仰いで初めて王は王足りえる。ならば、「魔王」とは十分な誉め言葉だろうよ」

「なるほど?少年は王ではない、ということかな?」

「王の器ではない、が正確だ。……そうだな、「悪魔」とでも表現すべきか?」

「悪魔、ね……」

 

 嘘に塗れた魔王が真実を語る場。恐らくは、この「ルート」では唯一の。

 

「俺は徹頭徹尾、たった1人を救いたかっただけ。それだけの為に大陸を混乱させ、幾多の血を流させた。こんな存在は「悪魔」と評するべきだろう?」

「少年がたった一人の誰かを救いたかった、というのが初耳なわけだけど……それって凄く人間らしい事なんじゃない?」

「そうであれば、「人間」が「悪魔」なのだろうよ」

「あーそれは認める。これは一本取られたかも」

 

 言葉を紡ぎながら、両者はゆっくりと歩を進める。

 瓦礫だらけの通路にて、決闘に十分な場所を探しているのだ。

 そんなことは、あえて口にせずとも双方が理解していた。

 

「駄目もとで聞くけど、護りたかった誰かって教えてもらえたりしない?」

「断る」

「……おじさんが少年に勝った場合、その誰かを少年に代わって護ると言っても?」

「くどい。第一、俺は負けぬ。未だエピローグには早すぎる故な」

「エピローグ?」

 

 2人の足が止まり、互いに向かい合う。

 

「十分に対価は支払った。無駄話は終わりだ」

「そっかぁ。疑問もあるけど、それはそれでスパイスになりそうだし。うん、それで十分。最高の殺しになりそうだ」

「ふっ。この破綻者が。……思えば、貴様には勇者より余程手を焼かされた」

「ま、あんな綺麗ごとしか知らないお花畑ちゃんには負けないよ」

「くくっ、違いない」

 

 既に距離も十分。

 決闘の準備は整っていた。

 

「決闘なら口上が必要だよね。作法に則れば」

「面倒だな」

「ま、どっちかは死ぬんだから。最後くらい格好つけようよ」

 

 後は各々が信ずる口上を述べれば、古の決闘は成立する。

 遥かな古代、神々に捧げた由緒ある決闘が。

 

「――真実は小説よりも味気無い。ま、斬れば面白くなるでしょ」

「――錆びついた神話に終焉を。今再びの始まりを此処に」

 

 

◇◇◇

 

 

「それで見事に敗北したってわけ。どう?おじさん格好良くなかった?」

 

 この世界でホースしか知らないという、「勇者の魔王討伐」の続きの物語。

 俺が完全に魔王様口調になってて恥ずかしい気持ちもあるが、それよりも気になることが幾つかあった。

 

「「魔王」は「神話に終焉を」と、そう言ったんだな?」

「完全スルーは傷つくなー。うん、確かにそう言ったよ。一言一句鮮明に思い出せる」

「そして、特定の個人を護りたかった……」

「ん?どうしたの、何か分かったの?」

「なぁ、魔王エイジに妹は居たか?」

「妹?……そういえば5年前に女の子と一緒だったね。少年を「兄ちゃん」と呼んでいたっけ」

「質問にだけ答えろ」

「おぉ、怖い。彼女は少年の地雷なわけね、把握したよ。記憶にある限り、魔王エイジに妹は居なかったはずだけど?」

「………そうか。ありがとう」

 

 今の俺がそんなことを言うとしたらウアか師匠だろう。

 バルバルは「一人」と数えるのは無理があるしな。

 しかし、どうやら「エイク」のウアは死んでしまっていた。

 ならば、師匠?……少し違う気がする。あの人を護りたいのは事実だが、それは庇護対象としてじゃない。俺は彼女の隣を歩みたいのだ。

 少なくとも、今の俺はそう考えているし、きっと「前の俺」だって同じ感情を抱いていたはず。

 ならば、魔王エイジは誰を護ろうとしたのだろうか。

 彼が世界と天秤に掛けてでも護りたかった者とは誰だったのだろう。

 ホースにも思い当たる人物はいないらしく、この疑問への答えは先送りにするしかなかった。



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8話 魔王軍

魔王を書くなら必須ですよね。やっと書けた。


「それで、他のビクトやらカルツやらについては?」

「伝聞だし大まかなことしか知らないけど、それでも良い?」

「構わない」

 

 彼が教会所属である以上、情報は集まってくる。

 たとえ彼が実際に経験したルートではなくとも、聞いておく意味は大きい。

 

「確か、ビクトの少年は隻腕だったらしいね。それで、初めに北ではなく南に向かった。そして、エイクと同じように異種族を従えて都市を制圧したらしいよ。そこからはエイクと同じように戦乱の時代になるんだけど……」

 

 どうやらビクトルートの俺も戦争を引き起こしたようだ。

 何がそこまで駆り立てたのだろうか。

 

「どうも、ビクトでは自らが率いた軍を裏切ったらしいんだよね」

「……もしかして、人間以外の種族にも恨まれてるのって?」

「そうだね。最終的には世界まるごと滅ぼそうとしてたとかって聞くよ。本当かどうかは知らないけど」

 

 エイクの話を聞く限りでは「世界法」に「全種族、全生命の総意」なんて書かれるのは奇妙だと思っていたけれど。

 本当に何をやってるんだ、ビクトの俺は……。

 

「カルツの少年はもっと驚きだよ。人間を率いてたんだって」

「人間を?」

「オーロングラーデを襲撃した後、北方に向かったらしくてね。で、そこで異種族ではなく人間を手駒としたらしい。内乱やら戦争やらを引き起こして、最終的には北を完全制圧。そのまま大陸全土に宣戦布告したとかって」

 

 何が何でも戦争がしたいのか、俺は?

 どのルートの俺も滅茶苦茶だ。最終的には魔王様になっちゃってる。

 

「ねぇねぇ、そろそろ教えてくれない?さっきから何を探してるの?こんな場所で」

「変態」

「んん?変態?」

 

 変態は変態だ。真っ赤な変態を探している。

 けれど、どうやら既にここから離れたらしい。

 だけど、手掛かりは他にもある。

 

「なぁ、ニュクリテスって知ってるか?」

「ニュクリテス?……ここから少し北にそんな名前の場所があった気がするな。大昔に呼ばれていたとか聞いたことがあるよ。確か、吸血鬼の文明が栄えた地だったかな?」

 

 あの変態はニュクリテスに愛の巣を確保しただの何だのと言っていた。

 俺の知識にその地名は無かったのだけれど。どうやら、ホースは知っているらしい。

 ほとんど魔術の勉強ばかりで、大昔の地理までは流石に手が回っていないのだ。

 しかし、吸血鬼か……。

 

「吸血鬼って既に死に絶えたんだよな?」

「300年くらい前、だったかな。教会に異端認定されて滅ぼされたはずだよ。まぁ、所業が所業だったし自業自得って気はするけどね」

 

 かつて吸血鬼は人間に対し宣戦布告し、無差別な殺戮を繰り返したという。

 他の生物の血を吸う彼らにとって、人間は徹頭徹尾「食料」でしかなかった。そんな下等存在が自分たちより栄えているのが許せなかったと伝わっている。

 それで、人間に対し口にするのも憚られる所業を繰り返し、最後には滅ぼされたとか。

 転生者がそこそこ居ても種族の壁が無くなっていないのは、こういう事情も関係している。差別される側に忌避するのも致し方ない要因があったりするのだ。

 ちなみに、「転生者」は人間にしか生まれないとか。

 

「そういえば、魔王の配下に吸血鬼の末裔を名乗る奴がいたっけ。名前は何だったかな……」

「何か言ったか?」

「ん?いや、何でもない。独り言だよ」

「ホースはニュクリテスへの案内って可能だったりするか?」

「出来るよ。結構前だけど、任務で近くまで行ったことがあるし。けれど、今のあの場所には何も無いはずだけどなぁ……」

 

 一瞬、バルバルのある方向を見る。

 少し離れているし、他の森と紛れて目視することは出来なかったけれど。

 ホースがいる今は帰れないし、他に調べなければならないこともある。

 再び帰ってくることを心に誓い、次なる目的地へと急ごう。

 目指すは古の都。

 吸血鬼の夢の跡、ニュクリテス。

 

 

◆◆◆

 

 

「えぇ、あの方は間違いなくニュクリテスに向かうでしょう。今の魔王様が頼れる存在など、あの血吸い蝙蝠だけでしょうから」

 

 金髪碧眼の青年は秀麗な顔を忌々し気に歪めながら、自らの配下の問いかけに答えた。

 彼の耳は細く長い。エルフと呼ばれる種族の特徴である。

 

「蝙蝠!随分と言うじゃねェか、フィデルニクス!そんなに魔王サマの味方する奴が憎いかよォ?」

「ウルヴァナですか。相変わらず汚い言葉を使いますね、貴女は。性根が表れているのでしょう」

「あァ!?」

 

 金髪の青年……フィデルニクスに言葉を投げかけたのは、青い肌に灰色の髪の女。

 露出の高い服を身に纏うウルヴァナと呼ばれた女は、漆黒の眼の中に金の瞳を怪しく光らせている。

 

『立場を明確にしているだけ蝙蝠よりはマシだろう。もっとも、裏切り者という点は完全に一致しているが』

「貴殿も準備は出来たようですね、アドラゼール」

『無論だ』

 

 何度目かも分からない言い合いをする2人の元に巨大な影がかかった。

 天を衝くという形容が相応しい程の巨体。蛇の如く細く長い体躯は「龍」そのもの。

 

「しっかしよォ、あの忠犬がこうなるとはなァ。考えもしなかったぜェ」

『同意するぞ、ウルヴァナ。変われば変わるものだな』

「一度は主と仰いだ御方。せめて苦痛なく終わらせます。その後に自ら腹を切り、冥府への旅路を共にする……それが私の最後の忠節ですから」

「おォ、怖ェ怖ェ。愛しさ余って憎さ千倍ッてか?病んでる奴は怖いねェ」

「無駄話はここまでです。さぁ、向かいましょう。魔王様を殺して差し上げに」

 

 その場に集いし異形の軍勢が、天地を揺るがさんばかりの咆哮をあげた。

 



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9話 紅との再会

「ここがニュクリテスなのか?」

「間違いないよ。正確には、かつてそう呼ばれていた地だけどね」

「なるほど……本当に何もないんだな」

 

 目の前に広がるのは荒野。荒れ果てた大地。

 生の営みや命の息吹を感じることは出来ない。

 

「吸血鬼の所業はあまりにも残虐だった。この地が忌み嫌われ、避けられるのも理解できるよ。面倒な「呪い」も残ってるみたいだしね」

「呪い?」

「草木1つない、生命を拒む不毛の大地。その原因は、滅びゆく吸血鬼がこの地に残した大規模な魔術と言われてるよ」

「だから呪い、か」

 

 ここで生き物が生活できるとは思えない。空振りだったか?

 

「そろそろ教えてくれないかな。ここまで何を……誰を探しに来たんだい?」

「実はな……」

 

 ホースとクリスティアーネが「前」で根深い因縁を抱えている可能性を考慮し、ここまで誰を探しているのか明言はしていなかった。

 が、こうなれば致し方ない。彼にも話して、彼が知っている情報を聞き出すしかないだろう。

 そう思って口を開きかけた。

 瞬間。

 

「……っ!」

「これは……!」

 

 俺とホースは、突如として足元に開いた、()()()()()()()()()()()

 

 

◇◇◇

 

 

 一瞬で周囲が一変していた。

 昼間だった景色は、暗黒に染まり。

 荒野の中心には、漆黒の城が天高く聳えている。

 秀吉もビックリの瞬間築城……ではないだろう。

 これは、バルバルの魔法と似ている。俺は創り出された異界へと引き込まれたのだ。

 思考の間もなく、瞬時に双剣を構える。

 

「ホース!どこだ、ホース!」

 

 これが敵襲である可能性は高い。

 全く何の準備もしていない状況での奇襲、ハッキリ言って最悪だ。

 しかも、同時に飲み込まれたはずのホースの姿は周囲に見当たらない。

 どうやら、既に分断されたようである。本当に不味い。

 

「……っ!」

 

 背後に気配。

 右手に構えた剣「人月」を突き出そうとし――

 

「魔王様に足を運ばせてしまうとは。臣下として、そして()としてあるまじき失態。その剣にて貫かれよと申されるならば、喜んでお受けいたしますわ」

 

 そこで三つ指をついて頭を下げている人物の姿を視界に収めた。

 燃えるような真っ赤な髪が目に飛び込んでくる。

 

「ようこそ、魔王様。妾と魔王様だけの愛の巣、ニュクリテスへ」

 

 何を隠そう、夫を出迎える時代劇の妻のような振る舞いをしていたのは、探していたクリスティアーネ・マラクス・ガーネットその人だった。

 展開が急すぎて付いていけないけど……。

 え?妻ってマジで?

 

 

◇◇◇

 

 

「妻?奥さん?ホントに?」

「はい。真実ですわ。妾と魔王様は情熱的な愛の契りを……」

「ばっちり嘘の色でーす。ありがとうございましたー」

「黙れ、教会の(いぬ)!妾と魔王様の逢瀬を邪魔するでない!」

 

 嘘っぱちだったようである。よかった、15歳にして奥さん持ちとかにならなくて良かった。

 ちなみに、ホースは真っ赤な鎖で雁字搦めにされている。

 この異界に引きずり込まれる際に拘束されたらしい。いくらホースといえども、予期していない転移と不意打ちでは成すすべも無かったか。

 ……いや、あれは楽しんでるだけだな。

 

「魔王様。記憶の無い魔王様はご存じないかもしれませんが、この者は教会の手先です。早々に消しておくのが最善かと愚考いたします」

 

 クリスティアーネが俺の判断を仰ぐまで手荒な真似はしないと見抜いたうえで、成り行きに身を任せているのだ。

 恐らく、抜け出そうとすれば直ぐに抜け出せるのだろう。

 

「一応、そんなのでも今は大事な戦力なんだ。彼が異端審問官ということも理解した上で行動を共にしてる。解放してくれると助かる」

「……!そうでありましたか!ならば直ぐに解放いたしますわ」

「だから最初からそう言ってるじゃんかー」

「黙れ狗!」

 

 ちなみに、クリスティアーネは俺が記憶無しということを知っているし、口調は普通のままで進めることにしたのだけど。

 クリスティアーネの反応を見る限り問題は無かったようである。

 むしろ。

 

「そんな口調の魔王様も新鮮で素敵ですわ。共に学び舎に通っていれば斯様なやり取りをしていたのかもしれません。妄想が捗りますわ」

 

 と、満足していただけたらしい。

 というか、もう何でも良いんじゃないかな、この変態。

 

 

◇◇◇

 

 

「あのー、あからさま過ぎる待遇の違いにおじさんは戸惑いを隠せないよ?」

「黙れ、教会の狗。貴様はそれで十分だ」

「いや、これ拷問器具だよね?」

「嫌ならば床に座っているが良い」

 

 クリスティアーネに案内されて、漆黒の城の一部屋へとやって来た。

 彼女は直ぐに俺へフカフカのソファみたいな物を渡してくれたのだが。

 ホースには座る部分にトゲトゲが乱立している椅子が手渡された。

 

「一応、現時点では仲間だから、ある程度の待遇にしてあげてもらえると……」

「はい!承知致しましたわ!」

「うわぁ、全然反応違うね。ま、仕方ないかもしれないけども……」

 

 後に知ることとなるのだが、クリスティアーネは吸血鬼の末裔。唯一にして最後の吸血鬼とのことで。

 そのため、かつて吸血鬼を滅ぼした教会には悪感情しかないようだ。

 とにもかくにも、何とか無事に話し合うことが出来る状況に落ち着いた。

 

 

◇◇◇

 

 

「――というわけなんだけど。まず教えて欲しい。クリスティアーネは……」

「クリス」

「クリスティアーネはどんな過去の記憶を……」

「クリス」

「……クリスはどんな過去の記憶を持っているんだ?どうして「魔王」に憎悪を向けない?」

「事情は分かりましたわ。先ず、後者の質問からお答え致しますね」

 

 ニコニコした笑顔で愛称呼びを強要された。

 まぁ、呼んで減るものでも無いし構わないけれど……。

 

「前提として、妾にも魔王様を憎悪する記憶は発現しました」

 

 どういうことだ?

 彼女にも俺を最も憎む未来の記憶が流れ込んだ?

 だというのに、こんな風に友好的に会話をしているのか?

 

「ですけど、不思議な事ではありませんわ。だって、「憎悪」も「愛」の一部で御座いましょう?」

「……え?」

 

 ……え?




感想ありがとうございます。
立て込んでいて返せていませんが、全て見ています。
とてもとても嬉しいです。モチベが上がりまくりです。
必ず、全ての感想に返信します。少々お待ちくださいませ。


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10話 クリスティアーネ・マラクス・ガーネット

◆◆◆

 

 

 妾は最後にして唯一の「吸血鬼」。

 吸血鬼の怨念と希望が綯交ぜになって生まれたナニカ。

 

 

◆◆◆

 

 

 吸血鬼とは他の生物の血を栄養源とする種族。

 草食動物が草を()むように、肉食動物が肉を喰らうように、吸血鬼は血を飲む。

 人間が美食を求めて育成方法を改良するように、安全のため衛生管理を徹底するように、吸血鬼は血を選ぶ。

 そして、人間の血は吸血鬼にとって最適だった。食に(こだわ)る人間の血は美味で、清潔に気を配る人間の血は安全だったから。だから、吸血鬼にとって人間は徹頭徹尾「食料」でしかない。

 吸血鬼とは、そういう生き物だった。

 

 ――故に、滅ぼされた。

 吸血鬼に傲慢があったことは確か。人間を食料として食い殺していたのは事実。

 それでも、人間だって動物を食い殺している。吸血鬼という種族にとっては人間がソレだっただけの話。疑問を抱くような事では無かったのだ。それが吸血鬼の当たり前だった。

 その当たり前を、人間は決して認めなかったが。

 ある時、人間は吸血鬼を罠に嵌めた。幼い吸血鬼の少女を用いた悪辣な罠だった。

 吸血鬼たちは罠だと知りながら、愚弄した人間たちに宣戦を布告。

 結果、戦争に負けた。

 聖女たちの圧倒的な力と、人間の膨大な物量。それらに圧し潰された。

 

 負けを悟った吸血鬼の王は、非戦闘員を中心とした同胞を「裏世界」に逃がすことを決断する。

 これは吸血鬼の始祖たちが造り出した異界のことで、ただ1度だけ発動できる奥の手であった。

 

 ――然れども、人間は徹底的であった。

 人間たちは吸血鬼たちが異界に逃げ出したと看破すると、「裏世界」そのものを外側から封印したのである。そして、ニュクリテス一帯に草木1つ生えなくなる魔術を行使した。

 「裏世界」は土地を利用した大魔術。ニュクリテスある限り永遠に続く鉄壁の城。裏を返せば、ニュクリテスが枯れれば「裏世界」も枯れる。

 加えて、吸血鬼は血液からしか栄養を摂取出来ない種族。

 故に。鉄壁の城は、吸血鬼を捉えて離さない永劫の飢餓地獄へと変わったのである。

 

 

◆◆◆

 

 

 一人また一人と死に絶えていく中で、吸血鬼たちは復讐を誓う。

 そして、大禁呪に手を出した。

 

 

◆◆◆

 

 

 異界を封印する結界は、()()()()に特化した物。吸血鬼では絶対に抜け出せない。()()()()()()()()()()()()()

 故に、彼らは新たな吸血鬼を造り出そうとした。封印を破ることが可能で、人間を滅ぼせる圧倒的な力を持った「吸血鬼」を。

 しかし、魂の創造は神々の領域。吸血鬼たちに魂は生み出せない。

 そこで、彼らは自分たちの魂を用いることにしたのである。

 死んで輪廻へと還り行く魂。それを「裏世界」に閉じ込めて循環させ、新たな肉体へと宿すという計画だった。この一連の大魔術は「マラクス」と名付けられ、吸血鬼たちの最後の希望となったのだ。

 まず始めに肉体が造られる。女性は魔力が男性よりも高い傾向にあるため、肉体は女性体として設計された。

 その肉体は戦争で殺された王女の名前「クリスティアーネ」と名付けられ、吸血鬼再興を願って王族の姓「ガーネット」を与えられた。

 食料も娯楽も無い異界にて。吸血鬼たちは「クリスティアーネ」が完成した後、睡眠をとる事もせず、人間たちへの呪詛を唱え続けながら死んでいった。自ら死を選んだ者も少なくは無かった。

 

 そして。

 ゆっくりと、しかし着実に。

 約300年という膨大な時を経て、数多の魂は1つの肉体へと定着していく。

 

 こうして妾は。最後の「吸血鬼」クリスティアーネ・マラクス・ガーネットは誕生した。

 

 妾が目覚めたのは、周囲に吸血鬼たちの骨が転がるばかりの世界。

 食料も娯楽も何もない世界で妾は産声を上げた。

 それでも問題は無かった。

 人間に兵糧攻めで滅ぼされた吸血鬼たちは、「吸血鬼」を食事不要で生きられるように設計したから。

 妾の頭の中には、材料となった吸血鬼の怨嗟の声が響き続けた。

 それでも問題は無かった。

 一刻も早く人間たちへの復讐が出来るように、睡眠不要に設計されていたから。

 「マラクス」は無謀な魔術で、妾の魂はグチャグチャに混ざった代物になっていた。

 ちゃんと動いているから、問題は無かった。

 グチャグチャの魂は、妾の身体を燃やすように苛んだ。

 痛覚を苦痛と思う感情は搭載されていなかったから、問題は無かった。

 親はいなかった。

 ある程度の常識は備わっていたから、問題は無かった。

 友もいなかった。

 孤独を感じる機能は備わっていなかったから、問題は無かった。

 食欲も、睡眠欲も廃されて。

 唯一、吸血鬼再興のために生殖能力と性欲が残されているくらいだったけど。

 それでも問題は無かった。

 

 

◆◆◆

 

 

 「人間を滅ぼせ」という願いと、「人間を利用して子孫をつくれ」という願い。

 これは単純な話で。「吸血鬼」を異種族と交配可能にする過程において、即座に用意できる遺伝子情報が人間の物しか無かった。食料だった人間の遺伝子だけは用意するのが容易かっただけのこと。

 2つの願いは矛盾していたけれど、それでも問題は無かった。

 「憎しみ」と「愛」は矛盾している。

 けれど、その矛盾をオカシイと感じる心を無くしてしまえば。

 それらの差異を認識する感性を廃してしまえば。

 問題は無かったのだ。

 

 

◆◆◆ 

 

 

 吸血鬼の始祖たちが残した大魔術は「裏世界」の他にもう1つ、「千里眼」と呼ばれるものがあった。

 城そのものが巨大な魔術装置で、発動すれば遥かな遠方の景色を見ることが可能となる。

 目覚めた後、妾は「千里眼」で人間社会を観察した。

 製造者たちの「人間に復讐せよ」という命令を実行するために。

 

 最初に、戦争が起きている地を観察した。戦争は世界の流れを掴むうえで重要な出来事だと植え付けられた知識にあったから。

 そして、戦争の中心となっている一人の人間の少年を見つけた。

 戦争では幾多の血が流れる。人間の血が流れる。

 故にこそ。そこに行ってみよう、彼に会ってみようと思うのは自然の流れだった。

 

 そして、彼に……後に魔王と呼ばれる少年「エイジ・ククローク」に出逢って。

 妾は一目惚れをした。

 

 その少年は妾とは違った。そもそもの肉体のスペックが遥かに劣る、弱き存在だった。

 しかし、「生きていた」。常に自分の手札から何をすべきか模索し続けていた。

 心の中で冷徹な判断に涙しながら、限られた手段で足掻いていた。

 妾の心が、その精神に恋をした。

 

 妾の肉体には子孫を残して吸血鬼を再興するという目的があった。

 だから、遺伝子的に相応しい存在へ執着するよう、設計されていたのだろう。

 エイジの肉体を構成する全てが妾にとって運命だった。

 妾の肉体が、遺伝子レベルで恋をした。

 

 精神が先か肉体が先か。本当のところは分からない。

 もしかしたら、最初に興味を持った異性に執着するよう設計されていただけかもしれない。

 どうでもいい。

 必要な事実は1つだけ。

 妾は妾自身の全てをもってエイジ・ククロークに一目惚れをした。

 

 故に、記憶事変の日。記憶が流れ込んだ瞬間――

 ――妾は再び、同じ人に一目惚れをした。

 

 

◆◆◆

 

 

「不思議な事ではありませんわ。だって、憎悪も愛の一部で御座いましょう?」

「……え?」

 

 妾自身の過去を思い出しながら、愛しの人と会話を続けていく。

 呆気にとられた顔も愛おしい。その顔をもっと見ていたいと思う一方で、他の顔も見て見たいとも思う。

 嗜虐的な笑みで妾を攻める顔が見たい。

 妾に攻められて泣き叫ぶ顔が見たい。

 蔑む顔を。笑う顔を。怒り狂う顔を。悲しむ顔を。

 貴方の全てを妾は見たい。

 

「流れ込んだ記憶の結末は確かに悲劇ではありました。魔王様に不要な駒として手酷く切り捨てられた記憶でしたわ。けれど……」

 

 滅茶苦茶な魂を有する妾は、感情がそもそも狂っている。

 そんな妾にとって、憎愛など所詮はコインの裏表。表裏は一体で区別もつかない。

 「前回」の記憶を得て、それに気付いた。

 だって、「前の妾」は()()()()()()()()()()()()()()()

 

「惚れた殿方に与えられるモノなら、憎しみでも悲劇でも愛おしいと思いましたの」

 

 同時に。妾もまた魔王様にあらゆるモノを与えたい。

 喜びを。悲しみを。悦楽を。苦痛を。希望を。絶望を。

 まず手始めに、この城に監禁してしまおう。

 こうして会話している間にも着々と結界の準備は進んでいる。

 

「愛が憎しみへと至る事があるのなら、憎しみは愛の一部。なれば、傷つけ合いながら慰め合う事こそ愛の営みの本質。そうで御座いましょう?」

「なる、ほど……?」

「ちなみに、彼女の発言に嘘は一切ないよ。本気でそう思ってるみたい。おじさんとは別方向に狂ってるね、コレ」

「後者の問いへの回答は今の通りです。次は前者の――」

 

 その時。

 「裏世界」ニュクリテスの索敵に反応。

 隠すつもりもない進軍。全方位からの攻め。

 気付かれても無問題。決して逃がさないという絶対の意思。絶対の自信。

 

「魔王様、どうやら招かれざる客が来たようですわ」

 

 魔王様との逢瀬を邪魔するゴミ共が、来る。

 





この子、どうでしたか?


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11話 “Load Game” 前編

◆◆◆

 

 

「魔王様、どうやら招かれざる客が来たようですわ」

「所属は」

「元魔王軍」

 

 あぁ、なんて懐かしいやり取りだろう。

 魔王様も妾も。発するのは必要最低限の言葉。

 

「四天王の名前と特徴を」

 

 彼はいつもそうだった。

 最短の時間で必要な情報だけを集めていく。

 

「フィデルニクス。エルフの男。知将。慎重で忠義に厚い」

 

 記憶が無くとも魔王様は決して変わらない。

 

「ウルヴァナ。青い肌に灰色髪の女。正体も目的も不明。快楽的で刹那的」

 

 妾の惚れた殿方は、常に限られた手で最善を選び抜く。

 

「アドラゼール。龍種。魔王軍最強」

 

 ……どうやら、間に合ったようだ。

 妾は魔王様の期待に応えられたらしい。

 

「クリス。俺が合図したら――」

 

 魔王様からの指示は1つだけ。

 直後に()()()()()()()()()()

 

 

◆◆◆

 

 

「たとえ古の大魔術とはいえ、仕組みと場所が正確に分かっていれば大した脅威にはなりません」

 

 金髪のエルフ。フィデルニクスが呟く。

 険しい目線の先には、草木1つ生えない荒野ニュクリテス。

 

「特にアドラゼール、貴殿がいれば」

 

 彼は目線を横に移し、その存在へと合図を送った。

 禍々しき黒に染まった、山と見紛う巨体を煙の如く燻らせて。

 ()の存在こそは、アドラゼール。

 あらゆる生命の頂点に立つ正真正銘の龍種にして、魔王軍最強。

 誰が呼んだか、「滅龍」アドラゼール。

 その口に黒き極光が集積し――

 

『いざいざ喰らえぃ、滅びの龍光』

 

 ――()()()()()()()

 

 

◇◇◇

 

 

 一瞬だった。一瞬でニュクリテスという土地が消えた。

 小規模とはいえ1つの国が栄えた地。それを丸ごと。跡形も無く。

 そこには、巨大なクレーターが残るのみ。

 

 四天王に龍種がいると聞いた時点で、こうなることは予測済みだ。

 あれ程の異界を形成する魔術。バルバルの魔法以外では、何かの触媒や大規模な儀式場が無ければ不可能。そして、この荒野に儀式場は無い。

 故に、土地そのものを「儀式場」兼「魔力供給源」としていたことは容易に想像がつく。土地が無くなれば異界が消え去ることも。

 そんな条件の場所を攻める際、龍なんてアホ火力の砲台があるなら絶対に使う。土地を消し飛ばして引きずり出す。

 俺ならそうするし、相手に「知将」がいるなら当然。

 

 先程までいた異界は消し飛び、俺、クリス、ホースはクレーターの中心に降り立つ。

 周囲は異形の軍勢……ざっと400程に包囲されている。

 この状況で、出せたのはクリスへの指示1つだけ。

 これが有する手札と時間の限界。

 それでも、今の俺が選べる最善の選択。

 

「いきなり妾の故郷を吹き飛ばすなんて、流石に常識が無いのではなくて?フィデルニクス」

「クリスティアーネ。なかなか見事でしたよ。「裏世界」が未だ機能していることを決して明かさなかった。そもそも、私たちではヒルアに入れませんしね」

 

 そう。ここは神聖ヒルア帝国の領土内。吸血鬼を滅ぼしたゼクエス教会が支配している地だ。

 国土の最も北西に位置し、三方を険しい山々に囲まれているという立地。そのため、国境線に位置しつつも隣接する他国の無い辺境の地。

 だが、それでもヒルア帝国領であることに変わりはない。異種族を排斥し続けてきた教会の国、神聖ヒルア帝国の領土だ。

 そんな所に魔王軍が入ることを許容するわけが無い。

 

「ならば何故……!」

「政治的な取引ですよ。ある契約を結んだのです。その内容まで教えるつもりはありませんが」

 

 しかし、それは魔術・魔法が無ければの話。

 契約魔術さえあれば、こんな意味不明な状況も起きる。

 恐らく、軍勢が少ないのは契約に起因しているとみて良いだろう。

 

 ……そろそろクリスではなく、俺が話すべきか。

 エルフの男、フィデルニクスも俺へ目線を向けている。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……魔王様」

 

 クリスとの初遭遇時と、ホースの「前回」の話で魔王エイジの口調は把握した。

 また、クリスは愛称呼びに最初の時は戸惑い、先程は強く求めてきた。

 それが意味するのは、魔王エイジは四天王であろうとも愛称では呼んでいなかったこと。一定の距離間、一枚の壁が存在していたこと。

 これらの情報から、魔王エイジの口調で、魔王エイジが用いた呼称で話しかけることは可能になる。

 「魔王エイジ」の記録を、痕跡を読み込むように。

 ロールプレイの始まりだ。

 

「フィデルニクスよ、これは一体どういうことだ?」

「その反応、もしや魔王様が有する記憶はエイクでしょうか?ならば、ご説明致しましょう。これは――」

「戯けた事を抜かすな。エイクも、ビクトも、カルツも。()()()()()()()()()()()()()()()()。お前くらいは気付くと考えていたのだが、俺の見込み違いだったか」

「何を、仰っているのです?何に私は気付いていないと……?」

「決まっている。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、そして()()()()()()()()、だ」

「……何ですって?」

 

 

◆◆◆

 

 

 記憶事変が魔王様主導のもの?

 何かの壮大な計画の布石?私たちを裏切ったのも計画に必要だったから?

 

「戯言だぜェ、恐らくなァ」

『儂もウルヴァナに同意だな』

 

 そうかもしれない。だが、そうではない可能性もある。

 そして、魔王様にとって今の盤面は完全に詰み。話を聞いて検討する余裕は十分にある。

 ならば。

 

「……しかし、仮に真実だった場合は最悪の事態になります。せめて、話を聞かなければなりません」

「相変わらず慎重だねェ、軍師サマは」

『今の軍の長はフィデルニクス、お前だ。儂は従おう。ただし、エイジの回答によっては……』

「えぇ、それで構いません」

 

 ならば、ここは慎重を期すべき。

 

「申し訳ございません。私には魔王様の深謀遠慮を見通すことは叶わず。非才の我が身をお許しくださいませ。そして可能であれば、そのお考えをお聞かせ願えないでしょうか?」

 

 かつての我が主、魔王様。

 貴方様のお話を聞かせて頂きましょう。

 

 

◇◇◇

 

 

 あぁ、そう来ると思ったよ。

 慎重な性格であれば、この言葉は無視できない。

 そして、魔王不在の今、軍の総指揮を担うのはフィデルニクス。四天王という立場を有しつつ知将とも呼ばれる者であれば、彼が指揮を執るのが当然。

 さらに。

 

「お前は世界法の最後の2文を覚えているか?」

「え、えぇ、勿論です。あれを定める会議には私もエルフ代表兼異種族代表として出席しました故に」

「ならば、(そら)んじて見よ」

「……はい。『上記内容は全ての国の承認を受け、「世界法」として定めるものである。是は全種族、全生命の総意である。』……まさか!?」

「そのまさかだ。世界に燻る火種を治めるには、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。皆を裏切る形となったのは謝罪しよう。しかし、それが最善の選択であったのだ」

 

 ホースが言っていた。()()()()()()()()()()()()()()()()と。異端審問官も国境に回さなければならない程だったと。

 異種族は人間たちからの差別に不満を抱え、各地で蜂起したりもしていた。あらゆる種族や国がいがみ合っていた。

 それが、『全ての国の承認を受け』て、『全種族、全生命の総意』としての「世界法」を定めるに至った。全ての国の承認という事は、国際会議のようなものが開かれたことは簡単に推測できる。

 これを「魔王エイジ」が狙っていたのかは知らない。全く記憶に無いし、恐らく違うだろう。

 だが、事実はどうでも良い。

 そうかもしれないと疑念さえ植え付けられれば。

 

「……成程。未だ格差や差別、迫害を解決する道は見えず。領土問題や資源問題、歴史問題も根強い。しかしながら、全種族が対話のきっかけを掴んだ。その見方が出来ないとは断言できません。種族の垣根を超えた国際会議など初めてでした」

 

 少なくとも。慎重なフィデルニクスにとって、この主張は絶対に無視できないものとなる。

 このまま軍そのものを丸め込めれば一番良かったが……

 

『……ふむ。成程、一理ある。だが、すまぬな。それが事実だとして、儂はお前を赦さぬ。龍にとって約定は絶対。如何なる理由があろうとも、裏切りには死あるのみ』

 

 流石にそう上手くいくわけが無い。

 龍が裏切りを認めない存在だというのは有名な話。どんな理由があったって無駄だ。

 故に。

 

「クリス!今だ!」

「はい!」

 

 ここまでの全ては時間稼ぎ。

 思い出すのは、最初にクリスと遭遇した時のこと。

 彼女はこう言っていた。

 

『ショタの魔王様を()()()()あんなことやこんなことを……。きゃっ、妾ったらはしたない。でも、イケナイ事だからこそ燃え上がるもの……』

 

 彼女は初めから、俺を監禁するつもりだった。

 ならば、ずっと監禁のための結界魔術を準備していたはず。

 クリスは俺を必ず捕えるべく、膨大な魔力を貯め込んでいただろう。

 ()()()()()()()()

 ここまでの会話は、結界魔術用の魔力を爆発へと変換するための時間稼ぎでしかない。

 

『む。何を企む……!』

 

 瞬間。周囲は尋常ならざる衝撃と光に飲み込まれた。

 自分たちもダメージを受けてしまうので威力は抑えてある。だが、圧倒的な光と音は一瞬の隙を作り出した。

 そして、その隙を突いてクリスの手を引いて駆けだす。ホースは放っておいても付いてくるだろう。

 

 ここまでは完全に想定通り。

 唯一、問題があるとすれば……。

 

「ざァんねェん!最初ッから疑ってたんだなァ!」

 

 四天王にはもう一人いるということ。

 魔王軍が敵かもしれないと判明した時点で、ホースから「前」の魔王軍の情報はある程度聞き出していた。

 クリスに聞いたのは、エイク以外のルートも四天王が同じだったかどうか、「今」も顔ぶれが同じかどうか、ホースの情報に嘘や記憶違いが無いかの確認の意味合いが大きい。

 だが、ホースもクリスも。このウルヴァナについては詳しく知らなかった。

 何の種族か、力量がどの程度なのか、何を目的に魔王軍に居たのか。その全てが謎。

 完全な不確定要素。計算の外にいる存在。

 

 恐らく、「魔王エイジ」はそれを狙っていたのだ。

 知略担当のフィデルニクス。最大火力・最終兵器のアドラゼール。

 龍のアホ火力は加減が出来ないため、知と武のバランスが取れていて従順。使い勝手の良いクリスティアーネ。

 そして、不確定要素のウルヴァナ。

 正体不明の存在は敵への圧になるだけでなく、盤面を引っ繰り返す可能性となる。

 俺なら四天王をそうやって組む。「魔王エイジ」もそう考えたはず。

 

 ――魔王の策が、今の俺に牙を()く。

 

 正直、予想が外れていて欲しかった。ここで現れないで欲しかった。

 こうなってしまっては、取れる手段は2つ。

 1つはウルヴァナと戦闘して即座に無力化。逃げ切るという手段。

 だが、これにはウルヴァナの戦闘能力・戦闘方法が未知数過ぎるという重大な欠陥がある。

 対して、ウルヴァナは俺の実力や戦闘方法を知っているだろう。余りにも分が悪い。

 

 そして、もう1つは――

 

「魔王様。()()使()()()()()()()()()。身命を賭して、貴方様の道を切り拓いてみせましょう」

 

 ――仲間を切り捨てる選択。それ即ち、魔王の選択だ。

 

 



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12話 “Load Game” 後編

 その選択を前に、俺は自らに問いかける。

 俺は再び魔王になるのか、と。

 「前の俺」が魔王と呼ばれていた。だから、俺もなるのか?

 

 こんな風に。まるで誰かの思惑に乗せられるようにして?

 流されるままに魔王になるのか?

 

 「前の俺」のことを想う。

 きっと、「俺」には魔王と呼ばれてでも成し遂げたかった事があったのだろう。

 出逢いがあったのかもしれない。イベントがあったのかもしれない。

 やり方が外道でも。その姿勢は一定の尊敬は出来るだろう。

 

 けれど。全く記憶に無い。覚えていない。

 

 俺は常に選択をしてきた。これからもするだろう。

 しかし、忘れてはならない。

 それは俺が行うものだ。俺が俺の意思で選ぶものだ。

 

 これからも俺は「前」の事を調べるだろう。情報を集めるだろう。

 まるでゲームのセーブデータを読み込むように。記録を集めていくだろう。

 けれど。その記憶に染まらない。記録そのものにはならない。

 

 だって、俺は――

 

 

◇◇◇

 

 

「クリス!2人でウルヴァナを突破する!」

「…………え?は、はい!」

「おやァ?いつの間に愛称呼びなんて始めたんだァ?遂にそういう関係になったのかァ?」

 

 双剣を構え、正面のウルヴァナへと向かっていく。

 既に魔術の装填も始めている。

 クリスが出遅れていたが、判断が追いついたようだ。魔力の充填を始めた。

 他の四天王や魔王軍兵士が追いついてくる前に全てを終わらせる。

 許されるのは数秒。打てる手は精々5手が限度。

 その5手でウルヴァナを無力化しなければならない。

 戦い方も実力も未知数の四天王。攻略本も攻略サイトも無い。そのくせターン制限だけは鬼畜仕様。難易度は最高レベルだ。

 無謀かもしれない。それでも!

 

「ふーん。少年はそういう選択をするんだ。面白いじゃん」

 

 直後、俺は。

 俺とクリスは背後からの魔術によって吹き飛ばされた。

 殺傷力は皆無の一撃。ただ遠方へと飛ばすためだけの魔術。

 それを撃ったのは――

 

「ホース!?」

 

 否、彼は。

 

「古今東西、少年少女の青春を応援するのっておじさんの特権だよね」

 

 いつの間にか懐かしの仮面を装着していた男の名はヴァルハイト。

 執行官、真実のヴァルハイト。

 

「約束を忘れないようにね、少年」

 

 仮面の男は気だるげに右手をブラブラと振りながら呟いた。

 その意味くらい分かる。

 さっきのクリスの言葉とは違う。彼は死ぬつもりなんか微塵もない。

 そして、彼は仮面を付けた。既に「仲間」ではなく、「敵」なのだと示している。

 逡巡は一瞬。

 

「最後に戦おう!ヴァルハイト!」

 

 俺は走りながら右手を掲げた。

 契約魔術の結ばれた右手を。

 

 

◆◆◆

 

 

「よいしょっと」

 

 仮面の男は、魔術で自らの背後に蒼い炎の壁を顕現させた。

 それは教会騎士最強の8人「ゼリオス」が得意とする神聖魔術。ゼリオス以外には発動不可能とされている強力な結界魔術。

 自らが倒れぬ限り対象を通さない不退転の城壁。

 

「どういうつもりだァ?執行官?」

「いやー、あのままだと少年が生きて切り抜けられるか分からなかったからねー」

 

 仮面の男はヘラヘラと笑う。自分が完全な死地に残ったという認識が無いようにヘラヘラと。

 そこに爆発の影響から脱したフィデルニクスが追いついた。

 

「そもそも、貴方が魔王様と共にいるのが全く理解不能なのですが。「世界法」の第5条、教会所属の貴方が知らないわけでは無いでしょう?」

「魔王に協力したら処刑でしょ?知ってるよ。でもさ、大事に取っておいたイチゴを横から掻っ攫われちゃ堪んないでしょ。まだスポンジ部分だって食べきってないのに」

「はい?」

「何て言うのかな。魔王の罪を全て知りながら、それでも少年のままの少年。それが一番美味しそうだと思ったんだよねぇ」

「相変わらず、会話するだけ無駄なようです。貴方を早々に無力化し、魔王様を追わせていただきます」

 

 魔王軍およそ400。異形の精鋭たちが戦闘態勢に移る。

 

「ま、あとは単純にさ。最後の戦いまで、おじさんの奥の手を知られるわけにはいかなかったんだよね」

 

 仮面の男はその全てを前に、心底楽しそうに笑ってみせた。

 

「さぁてと。おじさんの「真実」の力。その全力。ちょっと凄いよ?」

 

 

◇◇◇

 

 

 走る、走る、走る。

 後ろを振り返ることなく、ただ走る。

 ちゃんとクリスも付いてきているようだ。ならば問題は無い。

 とりあえずバルバルを目指す。あそこに入れば捕まることは無いから。

 クリス一人くらいならバルバルに頼めば入れてくれるだろう。ウアが何を言うかは分からないが、仕方ない。緊急事態だ。

 森に入る瞬間を目撃されないように追手との距離を離すことは重要だが、どうやら既にかなり離れたらしい。

 それだけ、ヴァルハイトが上手く立ち回ったのだろうか。

 

 こうしていると、5年前の夜を思い出す。

 あの日も仮面の男を背後にして逃げていた。

 アイツに救われたのも同じ。目指す先がバルバルなのも同じ。

 

 右手首の白いミサンガが切れて消えた。

 これはヴァルハイトと結んだ契約魔術。互いが互いを傷つけないと契約したもの。

 切れる条件は2つ。俺か彼が自分の意思で切るか、どちらかが死ぬか。

 あの男に限って後者は無いだろう。

 そう信じるしか、今は出来ない。

 

 変な男だ。狂った男だ。だけど、彼に何度も救われたことは事実。

 いずれ奴自身の望みを叶えるため。俺は研鑽を積み続けよう。

 最後の決着の日まで。

 

 そんなことを考えながら、逃げ続ける。

 そして、数日かけてバルバルのある場所へと辿り着いた。

 ……あった()()()場所へと辿り着いた。

 

 その場所をいくら探しても、黒き森は見当たらなかった。

 

 

◇◇◇

 

 

「は、ははは……おい冗談よせよ、バルバル!お前の好きな花を踏んじゃった事は謝っただろ!?姿を見せてくれよ!」

 

 何だ、これは!?何なんだ、これは!?

 バルバルがあった場所には、大きなクレーターが無数に穿たれているだけ。

 まるで巨大な力同士が何度もぶつかったように幾つも幾つも。

 

「師匠!ウア!」

 

 ウアがいない。師匠がいない。バルバルがいない。

 ふざけるな!何なんだよ!

 この世界の全てが敵で!親すら敵で!

 数少ない味方になってくれたヒトは次々といなくなって!

 俺が何をしたっていうんだよ!

 俺に何をしろっていうんだよ!

 俺をそんなに魔王にしたいのか、この世界は!?

 そんなに望みならなってやろうか!?最低最悪の魔王様によ!

 

「魔王様……」

「クリスか!そうだ、クリスはずっと異界の中にいたんだよな!この辺りにさ、異界に隠れてる存在とか感じないか?」

「魔王様……」

「……クリス?」

 

 クリスの様子がおかしい。思えば、逃げている間ずっと無口だった。

 不思議には思っていたが、何を聞いても曖昧な返事しかしなかったので、バルバルに到着して落ち着いたら対応しようと思っていた。

 或いは、故郷を消し飛ばされてショックでも受けているのかと考えていたけれど。

 それは全く見当外れだったらしい。

 

 だって、彼女は今、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……ははは。どうしたんだ、突然?」

「魔王様は何故あの時、妾を駒として切り捨てなかったのですか?」

「……は?」

「妾の愛した魔王様なら!あの時、妾を切り捨てました!容赦なく、顔色一つ変えず、けれど心中で涙を流して!」

 

 くそったれ!そういうことか!

 狂人の思考を読み切れなかった!読み違えた!

 彼女にとっては、負の感情を向けることも愛情表現。

 傷つけることも傷つけられることも愛に他ならない。

 逆に言えば、それらが為されないという事は、真の意味で見捨てられたのと同義なのだ。

 誰かが言っていた。好きの反対は嫌いではなく無関心だと。

 彼女はそれの極点だ。愛してしまえば「好き」も「嫌い」もない。無関心以外の全てが彼女にとっての愛情表現なのだ。

 

「こうすれば魔王様は妾を殺してくださいますか!?見捨ててくださいますか!?蔑んでくださいますか!?痛めつけてくださいますか!?」

 

 ふざけんな!流石にムカついた!

 こっちだって限界なんだよ!いっぱいいっぱいなんだよ!

 足をかけ、クリスを地面に押し倒す。彼女の細い両手首を俺の両手で拘束し、彼女の腰の上に跨るように乗り上げる。

 そして。

 

「知らねぇよ!そんなの全て記憶にねぇって言ってんだろうが!」

 

 彼女に馬乗りになった状態で。

 俺はありったけの想いを込めて叫んだ。

 

 

◇◇◇

 

 

「お前は誰の事を言ってんだ!」

 

 「未来(過去)」に魔王と呼ばれた男がいたという。それは俺じゃない。

 

「俺は魔王じゃねぇ!別人だ!」

 

 「1周目」で悪逆非道の限りを尽くした男がいたという。それは俺じゃない。

 思い出すのは、師匠が名付けた「弟子2号」という名前。

 「弟子1号」とは別人ということで「弟子2号」だと師匠は言ってくれた。

 そうだ、俺は――

 

「――()()()()!」

 

 当たり前のことだ。

 だけど、それを見失いかけていた。

 オカシクなった世界で、俺は「俺」に屈しようとしていた。

 そうじゃない。そうじゃないだろう。

 

「誰とも知らねぇ「魔王様」が良いのなら他を当たれ!」

 

 時が経ち霞のように薄れた、前世で読んだ異世界転生作品の事を想う。

 内容は覚えていない。でも、主人公たちは全員格好良かった。

 勇者もいた。魔王もいた。人間もいた。人外もいた。男もいた。女もいた。子どももいた。老人もいた。正義もいた。悪もいた。

 まさしく、千差万別。十人十色。物語の数だけ主人公の姿があった。

 けれど。共通していることもある。

 主人公は、人を惹きつける魅力に溢れていた。自分だけの芯を持っていた。

 彼らを、彼女たちを目指そう。

 そして。

 

「俺は俺のままで魔王を超えてやる」

 

 エイクもビクトもカルツも。

 どの「俺」も……否。どの「彼」も、俺以外が全員2周目なんて鬼畜な仕様じゃなかった。

 なら、やってやるさ。この最高難易度状態で。

 

「お前が「魔王様」が良いってんなら去れ。今直ぐ去れ。ただ、1つだけ断言しておくぞ。俺は――」

 

 「前回」なんて知らない。そんなものは関係が無い。

 俺が生きるのは「今回」だ。

 師匠もウアもバルバルも生きている。そう信じる。

 それしかないなら、そうする。いつも俺がそうしてきたことだ。

 その先に、俺は。

 

「俺は魔王よりも主人公になる。絶対にな」

 

 エイクの「彼」がやろうとしたことも。

 ビクトの「彼」がやろうとしたことも。

 カルツの「彼」がやろうとしたことも。

 それ以外の「彼」がやろうとしたことも。

 全て全て俺が暴く。明らかにしてやる。

 その上で、俺は「お前ら」を超える。

 師匠もウアもバルバルも。大切な存在は全部全部拾ってやる。

 それが、俺の1周目。たった1回の人生。

 1度きりの異世界ファンタジーだ。

 

 

◆◆◆

 

 

 そんな少年の姿を見つめる者がいた。

 

「凄い凄い!兄ちゃん凄い!そういう風に考えるんだね、この条件だと!」

 

 銀髪赤眼の少女は笑う。

 

「うん!格好良かったから、変な虫を連れてたことは目を瞑ってあげる!」

 

 黒い森の中で少女は笑う。

 

「でもね。どうせ最後には絶望するんだよ、兄ちゃん。早いか遅いかの違いでしかないんだよ」

 

 少女は笑っていた。

 けれど。その紅の瞳は深い悲しみに満ちていた。

 





これにて2章終了です。
楽しんでいただけたでしょうか。

3章は直ぐに開始します。少々お待ちくださいませ。


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幕間 修行の日々②「宿命の対決」

本編があんな感じなので、息抜きタイムです。
ずっと最高難易度の鬼畜仕様を味わいたいという方は読み飛ばしても構わないかもです。


 ツウと汗が伝う。同時に、ゴクリと喉が鳴った。

 緊張している。肉体が、精神が、この上なく緊張している。

 それもそのはず。

 これから俺が戦うのは、俺の人生最大の強敵にして宿敵。

 永遠のライバルとでも呼ぶべき存在なのだから。

 身体が震える。

 恐怖ではない。これは武者震いだ。

 今日という日のため、万全という言葉では生ぬるい程の準備をしてきた。

 眼前には師匠。

 だが、戦うのは師匠ではない。

 俺はその背後に、もっと強大な敵を見据えている。

 絶対に負けられない戦い。

 師匠の弟子として、そして一人の男として。この戦いに負けるわけにはいかない。

 師匠が右手に持った得物を徐に動かす。

 金属製の小さなソレを、一度下へと動かし、再び上へと持ち上げる。

 そして、ゆっくりと()()()()()

 

「……ふむ。やはり弟子1号の料理の方が美味かったな」

「うがぁぁぁぁぁ!!!!おのれ魔王ぅぅぅぅぅ!!!!」

 

 俺は今日も「魔王()」に負けた。

 

 

◇◇◇

 

 

 バルバルに来て1年ほど。師匠は修行という名目のもと、家事の全てを俺に丸投げし続けている。当然、朝昼晩の食事3食を作るのも俺の仕事だ。

 ウアは様々な家事を手伝ってくれているが、料理の手伝いだけは俺が断った。

 というのも、俺は料理にはそこそこの自信があったからだ。

 ほとんど家に居ない両親に代わり、俺とウアの分の食事はずっと俺が作っていた。何と言うか、台所は俺の縄張りのような認識なのである。

 いずれはウアにも料理スキルを磨いてもらう日が来るだろう。一人で生きていくためにも、また誰かと結婚する時にも……は?一人暮らし?結婚?……やはりウアに料理を教える必要は無いな。これは未来永劫、俺の仕事だ。

 そもそも、女が料理を作るという価値観が時代遅れ・世界遅れ。女性の方が高い魔力を持つ傾向にあるし、この世界における男女の格差というのは驚くほど少ない。

 ま、ともかくだ。俺は料理にちょっとばかしの自信と誇りがあった。俺自身、料理をするのは好きだしな。

 だが、しかし。

 ある日、俺の存在を脅かす最強最悪の敵が現れたのだ。いや、そいつはずっと傍にいた。俺が気付かなかっただけで。

 

「なぁ、弟子2号よ。もう止めにせぬか?お前はまだ此処に来て1年。翻って、我が比較対象にしているのは6年の歳月を此処で過ごした1号だ。調理技術が劣っているのは致し方ないことではないか?」

「そういうことじゃないんですよ!これは男として負けられない戦いなんです!」

 

 3日前の事だ。ふと気になって、俺は師匠に弟子1号の……「前の俺」の料理について尋ねた。尋ねてしまった。

 別に師匠は俺と「前の俺」を比べて何かを言おうとはしなかった。しかし、僅かな違和感……ほんの少し言い淀んだり、懐かしそうな目をしたり、気を使おうとしていたり……そういう違和感を俺は見逃さなかった。見逃せなかった。

 師匠を問い詰め土下座までして、ついに「弟子1号の料理の方が美味しかった」という本音を聞き出すことに成功したのである。

 

 その時の俺の感情が分かるだろうか?

 めっっっちゃ悔しかった。

 

 俺は師匠に特別な感情を抱いている。

 これが恋愛感情かどうかは良く分からない。

 だが、その強さと知識に憧れを抱き、その人柄を敬愛している。

 少なくとも、世界で一番尊敬している女性であることは疑いようがない。

 そんな女性の口に毎日運ばれる料理。

 この世界の1年は、地球よりも少しだけ少ない360日。なので、360日×3食=1080食。

 約1100回も俺は弟子1号に……「前の()」に負け続けていたのだ!

 師匠が大して気にしていなくとも関係が無い。これは俺のプライドの問題である。

 

「絶対に勝利してみせるぞ、魔王……!」

「どうでもいいが、本来の修業の方を疎かにせぬようにな」

 

 

◇◇◇

 

 

「くそっ……!どうしても勝てるビジョンが見えない……!何て手強いんだ、魔王……!」

「ねぇ、兄ちゃん。私も手伝うよ?」

「駄目だ、ウア!これは俺の戦い……!」

 

 修行の空き時間に料理を作っては試食を繰り返していたが、どうにも煮詰まっていた。

 「前の俺」は十中八九、俺と同一存在。俺がどれだけ頑張っても、結局は「前」の二番煎じにしかならない。

 だが、ここで料理を妹に手伝わせてしまえば、俺は経験でも不足してしまう。毎日1食ウアが担当するだけで、3分の1の経験が削られる。

 そういうことを噛み砕いて説明してみたが、ウアは引き下がらなかった。

 

「料理は兄ちゃん1人でやるにしても、味見をする人がいた方が良いでしょ?」

 

 ……確かに、それはそうかもしれない。俺一人ではどうしても独善的で凝り固まった発想と味付けになってしまう。それでは絶対に「魔王」には勝てない。

 しかし……

 

「1人で考えるよりも2人。私も含めて兄ちゃんの力なんだよ。私たちはずっと一緒の兄妹でしょ?」

 

 そうか。そういうことか。

 確かに、その通りだ。俺の今までの人生はウアと共にあった。

 ウアあってこそ、俺は今の俺になる。ウアは俺の一部なのだ。

 

「……そうか。そうだったな。大切なことを忘れてた。ありがとう、ウア」

「気にしないで。私は兄ちゃんの幸せだけを考えてるんだよ。兄ちゃんが幸せになってくれれば、それだけで私は良いの」

「ウア……!なんて可愛い妹なんだ!マイスイートシスター!愛してる!」

「えへへ。兄ちゃんはずーっとずーっと一緒に居てくれたから。その恩返しがしたいだけだよ」

「本当に可愛いな、お前は……!兄ちゃんは幸せだ……!」

 

 こうして。ウアが味見役兼アイディア担当として力を貸してくれるようになった。

 そして。

 「第三者(ウア)の意見」と「超えるべき目標(魔王)」を得た俺の料理技術は超進化を果たしていくことになったのだが……。

 それが紆余曲折を経て、あのような事態に繋がるとは、この時の俺はまだ知る由も無かったのである。

 




ちなみにですが。

2章終了時点で重要な伏線は7割くらい仕込み終わりました。
伏線は早くに仕込んでおくものだと個人的には思っていますので。

上手く隠したつもりですが、既に色々と気付かれてたりするんでしょうか(笑)


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Chapter 3: “Continue”
1話 “Game Over”


◆◆◆

 

 

 キミの終わりはボクのモノだ。

 ボクの終わりはキミのモノだ。

 それだけは、誰にも譲らない。

 譲ってはならない。

 

 

◆◆◆

 

 

 ボクはエスリム。エスリム・テグリス。

 かつて(前回)勇者と呼ばれた者。今も勇者と呼ばれている者。

 

 最初は復讐心だった。

 「前回」、ボクの家族は戦争に巻き込まれて死んだ。魔王が原因で始まった戦争に巻き込まれて。

 魔王の所業を憎み、その存在を滅したいとだけ望み、ボクは聖剣「グラヴィテス」を抜いた。

 

 でも、魔王を追う旅路の中で、魔王軍と戦う日々の中で。

 ボクはたくさんのモノに巡り逢った。

 優しさに触れた。悲劇を知った。怒りを抱いた。勝利を得た。敗北を刻んだ。

 出逢いに恵まれた。別れを強いられた。

 折れて止まった。立ち上がって進んだ。

 そういえば、ちょっとだけ恋……みたいなものもあったっけ。

 あの時、キミとボクはどちらも正体を隠していた。姿や声を偽っていた。

 ボクたちは互いの素性を知らぬままに、一緒に共通の問題を解決しようとしたんだよね。

 限られた手札の中で最善の道を迷いなく選び抜く姿。その姿にちょっと憧れたりしたんだよ。……その淡い初恋は最悪の終わり方を迎えたわけだけど。

 

 ボクの旅は到底言葉では語りつくせない程の、たくさんの思い出に彩られていた。

 そして思ったんだ。ボクはこの世界を護りたいんだって。

 それがボクの理由になった。戦う理由になった。

 

 そしてね。

 その護りたい「世界」にはキミも含まれてたんだよ。エイジ。

 

 多くの人間と縁を紡いだ。同じくらい多くの異種族の人々とも関わった。

 そして知った。差罰を、壁を、格差を、歴史を、積み重なって解けなくなった幾多の憎悪を。

 この世界の歪みを、ボクは知った。

 だから、みんなを救える道を模索しようと思ったんだ。

 みんながみんなハッピーエンドになれる道を探そうと思った。

 人間とか異種族とか関係なく。みんなが笑い合える未来を掴みたいと思った。

 キミが魔王となってまで抱え続けた何かがあるのなら、それに協力するのも良いと思った。それで皆がハッピーエンドに至れるのなら、それで良いと本気で思った。

 勿論、復讐心はずっとずっと残っていたよ。胸を焦がし続けていた。けれど、それ以上に誰かを救いたい想いが大きくなっていたのも嘘偽りない事実だったんだ。

 

 そんなボクの考えを、キミはお花畑だって笑ったっけ。

 

 ボクとキミは結局、ずっと平行線のままだった。手を取り合うことは叶わず、その道が重なることは無かった。

 ……殺し合うしか、無かった。

 最期はボクの剣がキミを貫いて決着。

 勇者が魔王を討伐してゲームクリア。めでたしめでたし。そんなありきたりの結末。

 それで終わったはずだった。

 なのに。

 魔王討伐から1か月ほど経って。

 世界の全てが巻き戻った。

 

 原因は未だ不明らしいけど。

 ボクには分かるよ。キミが関わってるんだろ?

 いつだって事象の中心はキミだった。世界の中心はキミだった。

 当然のことだよね。

 だって、魔王が生まれて勇者が生まれる。これが逆になることは無いんだから。

 前世に読んだ物語に、勇者が魔王になってしまう……みたいな話も合ったけれど。

 けれど、全ての始まりを遡っていけば、きっと原点は悪役(魔王)に行きつくんだ。

 物語の主人公が勇者でも、物語の土台は魔王だから。

 だからさ、この「記憶事変」も中心にいるのはキミなんでしょ?

 

 勇者であるボクの元に集まってくる話を聞くと、どんな「ルート」でもボクがキミを討伐して終わってるらしいけれど。「記憶事変」はキミの死後に起こっているらしいけれど。

 でも、不思議な確信があるんだ。中心にはキミがいるって。

 「ボク」が「キミ」を殺せなかった「未来」があったのかもしれない。ボクが仕留め損なっていたのかもしれない。

 キミが何かに巻き込まれたのかもしれない。キミに何かの思惑があったのかもしれない。

 細かいところは分からないけれど。

 

 でもね、エイジ。

 もう終わりにしよう。

 

 この「記憶事変」にどんな意味があるのか、ボクには分からないけどさ。

 これは決して誰かを救ったりしないよ。誰も幸せになんかならないよ。

 

 たとえば、あるヒトは自らの死の記憶に心を病んでしまった。

 たとえば、あるヒトは大切な人の死の記憶に泣き叫んだ。

 たとえば、あるヒトは産んだはずなのに居なくなってしまった我が子を想って絶叫した。

 たとえば、あるヒトは「未来」で結ばれたはずのヒトが、別のヒトと結ばれている光景を前に絶望した。

 たとえば、あるヒトは「今」と「前」、2つの記憶の混濁に惑った。

 たとえば、あるヒトは「未来」の出来事を理由に誰かを憎んだ。

 たとえば、あるヒトは覚えのない理由で憎まれて困惑した。

 たとえば、たとえば、たとえば……

 

 ある場所では「未来」の出来事を理由に争いが起きている。

 世界では「未来」を理由に誰もがキミを憎んでいる。

 それまで温厚で優しかったヒトが、キミへの憎しみの記憶で豹変してしまった……なんてことも珍しくない。

 

 こんなこと、もう終わりにしよう。

 「魔王」であるキミと。

 「勇者」であるボク。

 キミとボクが中心となって、こんな悲劇が起こるのなら。

 ボクたちは、もうこの世界に居ちゃいけないんだ。

 ボクたちの物語は既に終わった。エピローグは終わった。

 この世界に「勇者」と「魔王」なんていらない。そんなモノが無くたって皆はちゃんと歩いて行ける。

 だからさ。

 一緒に消えよう、エイジ。

 

 今の世界、みんながキミを殺そうと躍起になっているけど。

 「世界法」で罪にならない殺しなんてモノが出来てしまったけど。

 でもね、罪にならない殺しがあっても、罰の伴わない殺しは無いと思うんだ。

 仕事としてヒトを殺す死刑の執行官だって、誰かを殺した記憶に苛まれてしまうもの。自分の心が自分を罰してしまうんだ。

 ボクもキミを殺してから、ずっと苦しかったんだよ。

 

 だから、キミを殺してしまう罪を、他の誰かに背負わせたりしない。

 全部、ボクが背負う。キミの終わりはボクが背負う。

 

 だから――

 

 

◆◆◆

 

 

「――さよなら、エイジ」

 

 かつての光景をなぞるように。

 蒼い髪の少女は、聖剣を少年に突き刺した。

 それは、誰の目にも明らかな致命傷であった。



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2話 北の国レウワルツ

 カルツの魔王エイジは他の「未来」の魔王と区別して、「人魔王」などと呼ばれることがある。というのも、彼が主戦力としたのは「人間」だったからだ。

 そもそも、北方の地には主に「レウワルツ」「リオートオルム」「ディスタブラ」の3国が存在する。

 最大面積を誇り、大陸中央の神聖ヒルア帝国と国境を接するレウワルツ。

 このレウワルツは人間の国家だ。しかし、ヒルア帝国と関係が良好というわけでは無い。というのも、レウワルツとヒルアでは、同じゼクエス教でも宗派が異なるからだ。

 ヒルア側が単に「教会」と呼ばれるのに対し、レウワルツ側は「()教会」と呼ばれる。ヒルアは開祖ヒルアーゼが契約を結んだ「8柱の神々」を信仰しているが、レウワルツは8柱の神々を生み出した「創造神」を信仰しているのだ。

 次にリオートオルム。こちらは「獣人」の国。人間とは決して友好な関係ではない。しかし、国土が天然の要塞と化していることに加え、獣人たちは軒並み高い戦闘力を有している。それらの要因により、小国でありながらレウワルツに滅ぼされることなく残り続けてきた。

 最後が大陸最北の国ディスタブラ。豪雪と起伏に富んだ険しい大地。あらゆる資源に乏しい過酷な地。追いやられ続けた種族が集う、最果ての国である。エイクルートの魔王エイジが最初に手勢にしたのは彼らだったらしい。

 それでは、カルツルートの魔王エイジはどうしたのか。

 「彼」は初めにレウワルツで内乱を起こしたのだという。広大なレウワルツでは人間同士の対立も多く、それを利用した形だ。

 さて、自分たちと姿形が異なり、国も文化も異なり、元々敵として認識していた「異種族」との戦いと。同じ姿、国、文化の「人間」との戦い。どちらの記憶の方が悲劇だろうか。

 間違いなく後者の方が辛く苦しい記憶になるだろう。

 故に――

 

 

◇◇◇

 

 

「――というわけで、やっぱりレウワルツではカルツの記憶を持っている人が多いみたいだな」

 

 魔王を憎む記憶とは、即ち魔王によって最も過酷な目にあわされた記憶だ。

 このレウワルツにおいては、殆どが人間同士で争ったカルツの記憶を有している。

 そう。今の俺は「エイク」と「カルツ」の魔王の記録を辿るように、北の国レウワルツに潜入・情報収集をしている。

 否。正確には、「俺たち」か。

 

「妾の方でも同じでしたわ。誰もがカルツの記憶を有しておりました」

 

 俺の言葉に答えたのは、黒髪黒目の少女。名前は「アン」。何を隠そう、魔術で瞳と髪を黒く染めたクリスである。

 あの日、クリスが俺に炎の剣を突き付けた日。俺は自らの考えを彼女にぶちまけた。

 「魔王の方が良いのなら去れ」とまで言って。

 正直、冷静じゃなかった。師匠とウアとバルバルに何かがあったかもしれない状況で精神が乱れていたから。だから、作戦なんて何も考えていなかった。

 クリスは重要な戦力なのに引き留めようとか考える余裕が無くて。本当に去られてしまう可能性があった。

 しかし、その心配は杞憂に終わる。彼女は俺に着いてきてくれたのだ。

 アンの名前の由来はアンドゥトロワのアン……即ち「1」。「0時」の隣だから、という安直な理由である。俺にネーミングセンスを期待するな。

 ともかく、彼女は着いてきてくれた。これからも力を貸してくれるらしい。らしいのだが……

 

「明日はレイジ様が妾の上に乗るんですよ」

「……言葉に尋常ならざる語弊があるような気がする」

 

 ……どうしてこうなった?

 俺は今、安宿の床に両手と両膝を着く四つん這いの姿勢になっている。そして、クリス改めアンが俺の背中の上に乗ってお互いが集めてきた情報を交換しているのだ。

 そして、明日はアンが椅子になって俺が座るのだという。

 一応、理由はある。

 アンにとっては苦痛を与えることも愛情表現。彼女本人が痛覚を苦痛と感じない事に加え、「負の感情」と「正の感情」の区別が全くつけられない。放っておけば暴走して何をしでかすか分からないのだ。朝起きたら俺の手足が切断されている……みたいな可能性も高い。

 自らの安全のためには最適な選択であることは事実だが、このままだとアブノーマルな方向に進んでしまう気がする。

 早く師匠に再会して矯正してもらわなければ。

 

「とりあえず。引き続き、この街で情報を集めよう。そして、「オルトヌス」を探すんだ」

「了解しましたわ」

 

 軍師オルトヌス。「前回」で勇者一行の一員だった男。

 俺が生きている以上、教会は再び勇者一行を集めるだろう。当然、オルトヌスは勇者と接点を持つはず。

 「記憶事変」なんて馬鹿げた現象。魔王に覚えが無いのなら、勇者が何かを知っている可能性は高い。もしかしたら、ウアや師匠やバルバルのことも。

 これが今の俺に出来ること。歯痒くとも、それしか切れる手札が無いのだった。

 



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3話 靴磨きの魔王 第2形態

魔王は形態変化を搭載しているものですよね。


◇◇◇

 

 

「へぇ。じゃあ、お客サンは魔王軍に居たわけですかい」

「おいおい、声を抑えてくれよ。元魔王軍は肩身が狭いんだ」

「これは失礼。しかし、アンタだって魔王エイジの被害者なんでしょ?」

「そうとも、その通りだ。分かってるじゃねぇか。俺たちはアイツの口車に乗せられたんだ」

「口車に?」

「あぁ。奴は言ったのさ。独裁を敷く皇帝に一泡吹かせられる方法があるってな。それで、一部の転生者が言う「民主主義」が手に入るってよ」

「それで、結果は?」

「支配者が皇帝から魔王に代わっただけさ。色んな国と繰り返し戦争をさせられた分、魔王の方がよっぽど悪辣で暴君だったよ」

「本当に魔王エイジってのはロクでもないっすね。……っと。出来上がり。今回は過酷な目にあったお客サンのため、幸運の花を使った特殊な磨き方にしときましたぜ」

「おお!そりゃあ、良いな!けど、料金が変わったりは……」

「勿論、しませんって。これは俺からのサービスっす。「今回」は貴方に幸多からんことをってね」

「へへ、サンキュな。ほらよ、4ゼスだ。また頼むわ」

「お待ちしておりますぜ!」

 

 

◇◇◇

 

 

「魔王の目的?さて、何だったんだろうね」

「やっぱり不明なわけですかい」

「うん。……ただ」

「ただ?」

「僕から見て、アイツは戦争を好んでいたように見えた」

「戦争を好む?」

「別に直接話をしたわけじゃない。けどさ、次から次へと戦争を繰り返したんだよ?魔王が血を求め続けてるって僕は思ったね」

「ひぇえ。そいつは恐ろしい。魔王という名前に偽りなしですねい」

 

 

◇◇◇

 

 

「魔王の剣技、ですかい?」

「うむ。私は魔王の剣の技量があまり話題になっていないのが不思議でならない」

「剣士サマから見て、それだけ凄まじいものだったんですかね?」

「あぁ。あれは剣だけに生きてきたと言われても納得のいく領域にあった。少なくとも、人魔王はな」

「少なくとも?」

「エイクやビクトなどの人と会話しても同意が得られんのだ」

「逃げるのが上手かったって話ですかい?」

「いや、人魔王も撤退戦こそが最大の強みではあった。しかし、それとは別に剣技も凄まじかったという話なのだ」

「そこまで言う程なら、確かに。エイクやビクトで話題にならないのは変ですね」

「カルツ以外では、剣よりも魔術の器用さが話題になるらしい」

「不思議な話ですねぇ」

 

 

◇◇◇

 

 

「オルトヌス?あぁ、アイツかぁ」

「おや?あんまり良い印象じゃない感じですね?同郷の英雄じゃないんですかい?」

「英雄?オルトヌスが?馬鹿言うな」

「しかし、魔王討伐に一役買ったわけでしょ?」

「それは全部、勇者の功績だよ。オルトヌスは最初に魔王に敗北してから、ずっと魔王軍に負けっぱなしさ」

「なるほど、それじゃあ英雄とは呼べませんねぇ」

「全くだぜ」

「今はどうしてるんです?」

「知らねぇなぁ。軍で居場所がなくなって、どっかに雲隠れしちまったとは聞いたが」

 

 

◇◇◇

 

 

「あぁ、オルトヌスね。負け続けた軍師ってことで信用は地に落ちたからなぁ。アイツは自分から軍を去ったんだ。今頃、どうしてんのかねぇ」

「軍人さんも知らないんですかい?」

「全くさ。知らねぇ仲じゃなかったし、心配はしてるんだ。もしも、お前さんが何か聞いたら教えてくれや」

 

 

◇◇◇

 

 

「……また来たんですかい?シスさん」

 

 靴磨き少年レイジとして情報を収集。ウアや師匠やバルバルの事も、「銀髪赤目の少女」とか「紫髪の女性」などとさり気無く聞いているが、収穫は一切ない。

 そのうち日が暗くなって来たので、店仕舞いの頃合いかと考え始めた時分のこと。

 また、彼女が店に来た。

 

「へへ、来ちゃった」

「靴磨きってのは、そうそう毎日来るものじゃ無いんですがね」

 

 栗色の髪と瞳の少女、シス。彼女は既に3日間連続で、同じ時間に靴磨きに来ている。

 毎回、違う靴を履いて、それに合わせたような衣服を身に纏って。

 

「でも、今日も閉店でしょ?ちょっとくらい話し相手になってよ」

「常連さんだからって値引いたりしませんよ?」

「ケチ」

「商売ですからねぃ。嫌なら帰ってくださいよ」

「むぅ。……そうだ、今日のボクの恰好、どうかな?」

「似合ってるんじゃないですかね?」

「相変わらず適当だね」

 

 こんな時刻に少女が1人。最初は警戒していたが、敵意が一切感じられないので客として受け入れることにした。

 まぁ、魔術に長けてれば少女でも十分に強くなれる。ここは地球ではない。少女が夜に一人で出歩くことだってあるだろう。

 何かしらの事情を抱えているような節はあるが、個人的なソレにまで首を突っ込む必要は無い。

 少女には俺の情報収集に役立ってもらうとしよう。

 

「オルトヌス?会いたいの?」

「えぇ、まぁ。評判は悪いみたいですが、俺からしたら魔王討伐の英雄サマですよ。せっかくレウワルツに来たのなら、話を聞いてみたいと思っても不思議じゃないでしょう?」

「ふーん。確かにそうかも。ボク、実はちょっとだけ心当たりがあるよ。オルトヌスの居場所に」

「へぇ、そいつは凄いですね。お聞かせしてもらっても?」

「うーん。ちょっと自信が無いから、明日一度確かめてくるね。それで間違いなかったら教えてあげる」

「別に自分で確かめますよ?」

「ううん。これはボクの気持ちの問題。人に嘘を教えるのは嫌だからさ」

「なるほど。……ということは、明日も来るんですかい?」

「うん。同じ時間に来るよ。その時には、今日よりマシな誉め方が出来るようにしておいてよね」

「前向きに検討しておきますよ」

「うわー絶対にしないヤツだ」

 

 思うように成果が出ない中で、やっと手がかりらしきものを掴むことが出来た。

 こうして、今日も1日が終わる。

 



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4話 薄氷の円舞曲

 

 翌日、シスは昨日の言葉通りに靴磨きへとやって来た。

 そして。

 

「うん。ボクが聞いた噂に間違いは無かったよ。オルトヌスの居場所は分かった」

「じゃあ、案内してもらえるんですかい?」

「でもなー、タダってのもなー」

「……何が望みです?」

「うーん。そうだなー……」

 

 シスはそこで一度腕を組み、首を傾げる。

 そして。名案を思い付いたというように、或いは意を決したかのように。

 

「デートしてよ。今日これから、夜ご飯を一緒に食べるだけでも良いからさ。そしたら明日、案内してあげる」

 

 と言った。

 

 

◇◇◇

 

 

 「前回」にて魔王に執着し続け、戦い続けた男オルトヌス。

 彼の知る情報は間違いなく俺の助けとなるはず。そんな彼に会える可能性がある。

 その条件で、シスの申し出を断る理由も無い。

 ここ数日で蓄えた資金もあった。僅かだけど、無一文ではない。

 そして、仮にも「デート」であるならば、男として手を抜くわけにはいかないだろう。師匠に叱られてしまう。

 店を早めに畳み、安くとも見栄えのいい服を買って繕い、エスコートをしていく。

 買い物をして、食事をして。限られた時間と資金の中では、それなりの代物になったのではないだろうか。

 そろそろ夜が深まってきた。これ以上は流石に問題があり過ぎる。

 終わりに向けて、最後に幾つか言葉を交わすとしよう。

 

「シスさんはどうして俺に関わろうとするんですかい?」

「……初恋の人に似てるからかなー」

「……へぇ。……そうですかい」

 

 初恋の人ねぇ……。

 

「あ!キミをその人の代わりにしてるわけじゃないよ!あくまでも切っ掛けってだけ!」

「いえいえ、構わないですよ。良い思い出じゃないですか。その方はどんな人だったんです?」

 

 そう尋ねれば、シスは一瞬の躊躇いの後、余人には預かり知れぬ万感の想いを込めて呟いた。

 

「……酷い人だったよ」

「酷い?」

「意地悪で、嘘つきで、容赦なくて、頑固で、横暴で、冷酷。そんな人だった」

「……予想以上に酷いヤツですね。言っちゃあなんですが、そんなのに惚れたんですかい?」

「はは、そうだね。……でもね、優しい人だったんだ」

「優しい?」

「優しいから冷酷に振舞った。優し過ぎたから嘘をつき続けた。そういう悲しい人だったんだと思う」

「……今でもその人の事が?」

「それはないかなー。ボクたちの間には色々あり過ぎたからさ。一緒に居れば辛い記憶が湧き出してきちゃう。楽しい気持ちになんかなれない。それがハッキリ分かっちゃった」

「……なるほど」

 

 チラチラと雪が降って来る。

 北の地では珍しくもない自然現象。

 明日には深く積もっているだろう。

 

「ここまでで大丈夫。……レイジ、今日は楽しかったよ。ありがとう」

「ご満足頂けたのなら幸いですねい。それでは、明日はよろしくお願いしますよ」

「うん、わかった。明日の朝、いつもの場所で。オルトヌスの居場所に案内するよ」

 

 ここは北国レウワルツの都市「レウコンスノウ」。

 人呼んで、「純白の街」。

 魔王が「血の惨劇」を引き起こした地。

 

「さよなら、レイジ」

「明日も会うのに、「さよなら」なんですかい?」

「……そうだね、またね、かもね」

「えぇ、それでは、また明日」

 

 この日、そこで舞われた円舞曲は、薄氷の上に成り立った夢。

 陽が昇れば溶ける定めの、儚い雪の一片。

 



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5話 ボードゲーム

 

 翌日。俺はシスと待ち合わせをし、彼女の案内で「レウコンスノウ」の外れまで来ていた。市街地からは随分と外れてしまっている。

 昨日降り出した雪は見事に積もり、一面は銀世界。「純白の街」の二つ名に相応しい光景。

 ただ、周囲に人影が一切無いのは、積雪だけが理由ではないだろう。

 視線の先に見えるのは大きな裂け目。クレバスなのか崖なのかは判然としないけれど。それが長く長く、巨大な半円を描くように広がっている。

 要するに、そもそも人が寄りつくような場所ではないのだ。此処は。

 だが、その崖の上から少しだけ突出してせり出した独特な地形があって、そこには一軒の家が建っていた。手作りに見える木製の小さな家だ。

 そして、その中に居た人物こそ。

 

「ほう。人魔王について知りたいと。成程、それならば私以上の適任はいないだろう」

 

 病的な程に白い肌に鈍色の髪と瞳を有する、30代前半程度の男。

 軍師オルトヌス。エイク及びカルツにて魔王エイジに人類で初の敗北を喫し、それからも負け続けた男である。

 彼はやつれた顔と痩せ細った体をしていたが、その目だけはギラギラと輝いていた。

 それは英雄が生来持つ輝きか、それとも……。

 

「熱意ある若者は好ましい。さぁ、入ってくれ。生憎と大層な物はないが、精一杯のもてなしをさせてもらうとも」

 

 俺は彼の言葉に甘えて家の中へと入る。

 シスは予定があるそうなので、ここで帰るとのこと。

 故に、俺はオルトヌスと一対一で向き合うこととなった。

 彼が木製の椅子を出してきたので座る。

 暖炉の火がパチパチと燃えていた。

 

「グエラエの嗜みは?」

「多少は。もっとも、妹と遊んだくらいですが」

「ふむ。ならば、井の中の蛙か、眠れる獅子か。楽しみだね」

 

 彼は自分も椅子に座る前に、棚から黒と白で構成された正方形のボード、それと同じく白と黒で構成された駒を持ってくる。

 これらは「グエラエ」というボードゲームを行うためのセット。地球のチェスに似ているが、かなり異なっている部分も大きい。難しく、一筋縄では行かない奥深いゲームである。

 軍師や指導者など多くの人間を動かす者はマスターすることが必須とさえ言われているゲーム。「グエラエ強き者、真の戦も強し」とは有名な言葉である。

 俺はよくウアと遊んでいた。ちなみに、ウアが勝利したことは1度も無い。いつも俺の圧勝だった。

 

「わざわざ私を訪ねて来るくらいだ。世間一般的に言われている人魔王の所業は既に知っているのだろう?」

「はい」

 

 先攻はオルトヌス。彼が白の駒を動かしながら言葉を紡ぎ、俺が返答しながら黒の駒を動かす。

 ……ふむ。堅実な手だな。最初は王道で始めるタイプか?

 

「正直、見事だったよ」

「見事とは?」

「彼の戦さ。1つ1つの戦争もそうだが、戦争全体の進め方も見事だった。普通、この国一つとった程度じゃ世界相手に戦い続けるなんて不可能だからね」

「オルトヌスさんでも出来ないと?」

「私は特に駄目だ。リスクを考えてしまって一歩を踏み出せずに終わる。万が一、上からの指令で戦うことになっても迷いが生じてロクに戦えないよ」

「魔王エイジはそれが出来た?」

「……そうだね。彼はまるで失うモノが何も無いかのようですらあったよ。そうでなければ、あんな思い切った事は出来ないんじゃないかな」

「今更ですが、オルトヌスさんの「前回の記憶」は?」

「カルツだね。この国の者ならば、同じ人間と争った記憶の方が根深いさ。ちなみに、勇者一行では私だけらしいよ、カルツの「記憶」持ち」

「そうなんですかい?」

「うん。みんな大体エイクかな。勇者だけはエイクでもビクトでもカルツでも無いって聞いたけどね」

 

 会話を続けながら駒を動かしていく。やはり堅実な手を打つ男だ。けど、常に何かを狙うようでもある。

 次に指す駒の動きを思考しながら、彼の言葉を吟味することも忘れない。

 「失うモノが無い」というオルトヌスの抱いた感想が事実であれば、カルツの「エイジ」も「ウア」を護れなかったと推測できる。

 

「……っと、いけない。話が逸れてしまったね」

「いえ、十分に有意義な話でしたよ」

「折角、私の所に来てくれたんだ。私しか知らない人魔王の情報がなければいけないだろ?」

「……オルトヌスさんしか知らない情報?」

 

 それは非常に興味深い。戦い続けた彼だからこそ気付けた何かがあったのかもしれない。

 

「負け続けの軍師の言葉で根拠も曖昧、加えて余りにも常識外れの内容だから誰も信じてくれないけどね――」

 

 彼はそこで一度言葉を区切り、白の駒を右手でクルリと一回転させる。

 そして、カンッと冷たい音が響くほどに、力を込めて駒を盤上に降ろしながら。

 なお一層、その鈍色の瞳をギラつかせて。

 静かながらも力強さに満ちた声音で言った。

 

「――人魔王は魔術を使えなかったと、私は確信している」

 

 



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6話 軍師と魔王

 は?

 あまりにも想定外の内容に黒の駒を持つ手が止まってしまう。

 今、彼は何を言った?

 魔術が使えない?

 人魔王……「カルツ」の「魔王エイジ・ククローク」は魔術が使えなかった?

 

「そんなことが――」

「まぁ、ありえないだろうね。なにせ、魔力とは生きとし生ける存在全てが有する力。だからこそ、生きている限り魔術は使えるんだから」

 

 その通りだ。

 魔法が魂の力であるならば、魔術とは肉体……物質の力とも言える。

 地球に魔力なんてモノは無かったが、この世界では存在して当然の世界の理。

 進化の果てに水から陸へと進出したとか、葉緑体を獲得したとか、そういう次元の話ではない。生物が進化の過程で魔力を獲得したのでは無いのだ。

 この世界の全ては、「創造神」と「神々」が「創造魔法」と「交換魔法」で産み出したモノ。即ち、魔力から産まれた存在が俺たちである。

 故に、魔力を持っていることが絶対の法則。

 生物は生きている限り魔力を生み出し、魔力があるから生きることが出来る。魔力を持っていなければ、生きていくどころか誕生すら出来ない。

 そして、魔力があるならば魔術は使える。術式を習得して魔力を流し込めば発動するのが魔術。出力に個人差はあれども、大抵の魔術は使えるようになる。

 その「魔術」を人魔王が使えなかっただって?

 

「人魔王が剣技に優れていた、という話を聞いたことは?」

 

 落ち着け。

 荒唐無稽すぎる話だが、「記憶事変」なんて事態がそもそも馬鹿げている。ならば、否定するには早計。

 思考を整理しながら、黒の駒を動かす。動揺しようとも、指し手を誤ったりはしない。

 

「あります。まるで剣だけに生きてきたかのようだった、とも聞きました」

 

 そもそも、大きな疑問ではあったのだ。エイクやビクト等の「魔王エイジ」は魔術の器用さが話題になるのに、カルツの人魔王だけは剣技が達人クラスだったなんて。

 俺だって師匠の下で必死に修行したが、魔術修行も並行して行っていた。手を抜いたわけでは無いが、「剣だけに生きてきた」なんて称される領域には至れない。

 しかし、それが仮に……

 

「私はそれに関して少し異なる見解を示している。彼は「剣しか無かった」から剣を極めただけではないのか、とね」

 

 ……魔術が使えないから、剣だけの修業をしていたとしたら?

 何百年と研鑽を積んできた師匠から、剣だけを教わり続けたとしたら?

 間違いなく、今の俺よりも剣技では上の領域へと至っていただろう。

 

「そもそも、あらゆるものを利用して活路を見出す。それがエイジ・ククロークの基本戦術だ。ならば、使える魔術を鍛えずに剣だけを極めるなんて奇妙だろう?」

 

 その通りだ。俺ならば使える手は何だって使ったはず。魔術も剣も十分に活用できる領域まで鍛え上げたはずだ。

 逆に言えば、魔術が使えないのであれば、残された剣技の方を徹底的に鍛えようとするだろう。

 

「確かに、そう考えることも可能かもしれません。しかし、その一点だけで魔術が使えなかったと判断するのは早計では?……それとも、他にも根拠が?」

 

 攻勢に打って出たオルトヌスの手に対しカウンターの手を打ちながら、考えを整理していく。

 例えば、人魔王が魔術を最後の奥の手として隠し続けた可能性はあるだろう。

 或いは、保有する魔力量が人より少なく、出力が弱くなってしまうので使わなかった……ということも考えられるかもしれない。

 

「無論、こんな馬鹿げた説を唱えるのに、根拠がこれだけなんて事はないさ」

 

 彼の苛烈な攻めが続く。ここが攻め時と見切ったのだ。

 堅実な守りを基本としていたが、打って変わって攻めに転じる。まるで人が変わったかのようでさえある。

 元々そういう二面的な戦い方を得意とする人物……というわけではないだろう。

 

「「前回」の私は人魔王の戦いを分析し続けていた。人魔王が勇者によって討たれた後も、「やり直し」が起きる直前まで。私はいっそ狂気的なまでに魔王エイジを研究していたんだ」

 

 この戦略は後天的なモノだ。

 魔王に敗北し続けた「記憶」を元に自らを変革した結果。敗北を糧に編み出された戦術。

 

「そして、それは今も変わらない。「記憶事変」以降も私は毎日のように彼を分析し続けてきた。他の「未来」における魔王の情報も取り入れながら、彼と戦った全ての戦いを思い出し、脳内で戦いを繰り返し続けたんだ」

 

 実際に兵や民の命を預かっている時には、臆して選べなかった選択肢。

 かつて人魔王に対して取れなかった手段を、彼は盤上で再現している。

 ……まるで。かつてのリベンジを果たそうとするかのように。

 

「あらゆる条件を検証したよ。1つ1つの戦いの地形・気象条件・兵力差なんてものは勿論、考えられる限り全ての要素を検討した。思考した。そして、その果てに至った結論こそが――」

 

 白の一手が盤面に突き刺さる。

 「前回」と「今回」。「軍師オルトヌス」が2つの「人生」を経て辿り着いた至高の一指し。

 「人魔王」を倒すことだけを考え続けた果ての一手。

 

「人魔王は魔術を使えなかったという結論だったわけですか」

「肯定しよう。私の知る限り、彼が魔術を使えたなら絶対に使ったはずの場面が12回あった」

 

 そうであるならば、受けて立つ。

 俺は俺として、彼の研鑽に立ち向かう。

 ここで味方を犠牲に王を逃がすのが「魔王エイジ」の手であったならば。

 俺は「彼」を超えなければならない。

 黒の王の駒を前に。

 選ぶは、王による攻めの一手。

 大切なモノを全て拾いきると決めた俺の選択。

 

「……む。そう来るか。……それでね。人魔王が魔術を使えなかったと仮定すれば、それ以外の検証も驚くほど上手くいったんだ。……もっとも、目に見える証拠があるわけでは無い。敗北軍師の妄想と言われてしまえばそれまで。根拠としては弱すぎる。それでも――」

「それでも、貴方は確信しているのですね。かつての宿敵として。因縁の相手として」

「その通りだとも」

 

 会話しながらも互いに駒を動かしていく。

 一手、二手、三手。

 そして四手目。これを指したことにより――

 

「……っと。これは詰みだね。私の敗北のようだ。……あの一手を返された時点で勝敗は確定していたわけか」

 

 ――決着はついた。

 この盤面でオルトヌスに打てる手は無い。

 

「ははは。完敗だ。最後の最後まで、ただの一度も。実戦であろうと盤上であろうと。私は()()()に戦で勝つことは出来なかった。けれど――」

「……っ!」

 

 瞬間。俺の周囲が青く透明な壁で囲まれる。

 これは……!

 

「――戦に負けても、勝負には勝てたようだ」

 

 彼の言葉が終わった時。俺の身体は結界魔術によって拘束されていた。

 

 



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7話 魔王の策略

◇◇◇

 

 

 時間は少し遡って。

 これは、俺がシスと初めて会った日の事だ。

 

「――では、そのシスという少女は?」

「間違いなく、()()()()()()()()()()

「消しますか?」

 

 やめい。

 この吸血鬼、本気で言ってやがるから困る。

 そんなことをすれば一発で魔王ルート確定だ。俺を殺すことは罪ではないが、それ以外の殺人は普通に罪である。

 そんなわけで、殺人という手段は避けたい。それは俺が「前回」と同じになってしまう事を意味しているしな。

 とはいえ、殺さなきゃ俺や俺の大切な人がヤバイという時には、躊躇しないだろう。真っ先に選ばないというだけで、選択肢には常に存在している。

 殺人という手段を思い浮かべても心が痛まないのは、俺がやっぱり魔王思考の持ち主だからだろうか。

 

「今回の絵図を描いたのはオルトヌスだと考えられる」

「その人物は4年前から行方不明だそうですが?」

「それも芝居だろうな。直接的に今回の計画のため、というわけでは無かっただろうけども」

 

 第一に、俺がこの街に居ることが発覚したのは、そのための「魔術」があったからだと考えるべきだ。俺個人を識別して反応するような特殊な魔術。

 そんな術は聞いたことも無いが、「記憶事変」によって巻き戻った5年分の「未来の魔術研究の知識」を利用し、「魔王討伐」という名目のもとで開発された……と考えれば納得は容易だ。

 誰もがクリスのような異常な識別方法を行っていると考えるより、よっぽど現実的である。

 第二に、オルトヌスが失踪したのは彼および勇者一行、そしてバックに控える教会勢力の作戦の一環だろう。

 そもそも、勇者一行は魔王キラーとでも呼ぶべき最終兵器。魔王によって闇討ちでもされたら最悪だ。

 また、「魔王エイジ」が正体不明のウルヴァナを四天王に加えていたように、「未知」は強力な武器になる。

 故にこそ、勇者一行を失踪させておくのは有効な策だ。全員が失踪はあからさま過ぎて意味無いが、1人くらいなら違和感も少ない。しかも、お誂え向きに「負け続けの軍師」なんて失踪しても納得がいく存在が居る。使わない手は無いだろう。

 表向きは軍に居場所が無くなったという体を装い、オルトヌスに姿を隠させた。そして、限られた存在の間では情報共有を密にし、いざという時に迅速な行動を起こせるようにしていたのだと考えられる。

 問題は、オルトヌスが隠れている街に真っ先に俺が現れ、魔術に引っ掛かってしまった事か。

 

「そもそも、だ。「勇者」やら「勇者一行」なんて呼ばれる者たちが、多くの人が住んでいる市街地で戦闘行動を起こすと思うか?」

「……するのでは無いですか?」

「非戦闘員が巻き込まれて負傷するかもしれないのに?」

「傷つけることは良いことでしょう?」

「そうだった……お前はそういう奴だった……」

 

 もうやだ。価値観に致命的なズレがあって話が噛み合わない。

 「魔王エイジ」はコレをよく制御出来たな……。いや、「前回」ではもう少しマシだったのか。生来の歪みが、「記憶事変」で致命的に大きくなったのだろう。

 

「ともかく、だ。奴らは正義に縛られ、選択肢が絞られている。俺を市街地から遠ざけなければ戦うことも出来ない。そう認識してくれ」

「分かりましたわ」

「加えて、「魔王」が自暴自棄になって市街地へと逃げ込まないよう、拘束することから始める必要があるだろうな」

 

 彼らは「勇者」であるが故に行動が制限される。

 そして。

 

「この世界において、対象を拘束する際に最も有効かつ確実な方法は?」

「結界魔術ですわ」

「正解」

 

 結界魔術は対象を拘束することに特化した術式。

 これは基本的に設置型の罠のように発動させるのが基本だ。事前準備無しに瞬間展開して完全拘束……というのは原則的に不可能である。

 教会騎士最強の「ゼリオス」は瞬時に蒼い炎の結界「ゼリオスヘイズ」を展開できると聞くが、恐らくタネは簡単だ。国宝級の触媒に特殊な術式を書き込み、日頃から魔力を込めているだけ。入手さえ出来れば誰でも発動できるが、神聖さを演出するために「ゼリオス固有の神聖魔術」などと喧伝しているのだろう。あくまでも推測だが、大筋は間違っていないはずだ。

 ともかく。結界魔術は事前に入念な準備が必要で、国宝級の特殊触媒を用いなければ持ち運びも出来ない代物だということ。

 しかし、見方を変えれば。事前に幾らでも触媒を用意できて、儀式場や術式は際限なく複雑化可能で、時間をかけて魔力を込め放題の魔術……と考えることもできるのだ。

 

「結界魔術が待ち構えている場所に向かうのは危険ではないでしょうか?」

「普通は、な」

「どういうことでしょう?」

 

 対象を指定のポイントに誘導さえ出来れば、結界魔術は凄まじい力を発揮する。

 発動して拘束に成功してしまえば、基本的には逃げられない。捕まる側は捕まえる側の準備に見合う触媒・術式・儀式場・魔力を用意しておけないから当然だ。

 故に、使い古された手でありながら誰もが使う。

 オルトヌスも、()()()()

 

「どこかの吸血鬼が俺を監禁しようとしているのを知りながら、俺がのこのこ向かったのは何故だと思う?」

「妾の監禁を受け入れてくれたからですわ」

「ちゃうわ。抜け出す手段を事前に用意していたからだよ」

「むぅ……」

 

 そして、それは魔王軍襲来で使う必要が無くなった。

 今の俺には、クリスが5年も準備し続けた結界魔術でさえ破る手段がある。向こうの初手は完全に無駄に終わらせられるだろう。

 問題は二手目。俺のやり口を熟知しているオルトヌスならば、間違いなく破られた時の手段も用意しているはず。

 そちらに関しては――

 

「――その後の二手目の対策として、例の作戦が重要になってくる。アンには引き続き、そっちの準備に取り掛かってもらいたい」

「了解しましたわ」

 

 アン……クリスティアーネが俺に協力していることは、恐らく魔王軍とヴァルハイトしか知らない。

 ヴァルハイトは俺に「世界の全てが敵だ」と告げた。加えて、俺がクリスを探していることに最後まで思い至らなかった。この時点でクリスの裏切りは魔王軍内で周知の事実だったはずなのに、だ。

 つまり、この時点で教会勢力と魔王軍の間で十分な情報の共有が行われていないことが分かる。そして、それは今も同様だろう。

 魔王軍内・異種族内から魔王への協力者が出ているという事実は、広く公開するには少々ダメージが大き過ぎる。しかも、魔王軍は……特にフィデルニクスあたりは誰よりも何処よりも先に俺を殺したいと考えているはず。俺に関する情報は出来る限り独占しておこうとするだろう。

 これを踏まえて、俺とクリスは別行動で「レウコンスノウ」に侵入。侵入後も決して2人一緒に行動せず、俺が1人で行動しているように偽装し続けた。宿に入る時には常に最新鋭の注意を払い、魔術でクリスの姿を隠したりもしていたのだ。

 現状、クリスは完全な盤外の一手。計算上のイレギュラー。敵の策を打ち破る突破口になるだろう。

 

「……ですが。ここまでの準備をして、わざわざ出向く必要があるのですか?無視して街を脱出してしまった方が安全なのでは?」

「それがそうでもないんだ」

「何故です?」

「確かに、勇者パーティの一員が用意した罠に嵌りに行くのはリスクが高い。一方で、現在の勇者たちの情報を入手出来るという大きなメリットも存在している。そして……」

 

 「前回」とメンバーに違いはあるのか、現在はどんな関係にあるのか……といった勇者たちの情報は勿論の事。俺が知らない「魔王エイジ」や「記憶事変」の情報、そしてウアたちの行方。リスクを補って余りあるメリットがあるのだ。

 加えて。

 

「そもそも相手の策を完膚なきまでに打ち破れるのなら、リスクは限りなく少なくなるってわけさ」

「成程ですわ。……しかし、軍師オルトヌスが実際に出てくるとは限らないのでは?」

「はは、それこそ分かり切った事だよ」

 

 オルトヌスは少なくとも4年もの間、世俗との関係を断ち続けた。

 軍師としての安定した立場を捨て、家を捨て、知り合いとの関係を断ち切り、「失踪」を演じ続けたのだ。

 全ては「魔王」を倒すため。今度こそ勝利を掴むため。

 

「ここまで魔王に執着する男が、俺を抹殺できる瞬間に居合わせないと思うか?」

 

 彼は必ず俺の前に姿を現す。結界魔術の場所まで誘導するべく会話だってする。

 その会話を通して、情報を集めさせてもらう。

 軍師オルトヌス。お前の執着、利用させてもらうぞ。

 

 



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8話 ホウセンカ

 

 

 服の下に隠していたペンダントを出して右手で握る。

 撃鉄代わりに僅かな魔力を込めれば。

 

「ははははは!流石は人魔王!そうでなくては!」

 

 青い結界はガラスが割れるように、或いはジグソーパズルが崩れるように。

 バラバラと破片となって消えていく。

 

「君ならば!必ず突破すると考えていた!だが!次はどうか!?」

 

 魔術による結界が無駄に終わった。

 であれば。

 次に試すのは当然。

 

「やっぱ壊れねぇか!」

「この家が貴様を捕らえる牢獄なのだよ!エイジ・ククローク!」

 

 物理的な拘束手段。

 魔術を放つが、大きな音がするだけで小屋の壁には傷一つつかない。

 この小屋は、恐らく木製の粗末な造りに見せているだけ。

 素材から何から特別な代物が使われ、壁や柱の中にも天井にも床下にも家具の1つ1つに至るまで複雑な術式が書き込まれ、堅牢で難攻不落な要塞となっている。

 入り口を閉めてしまえば、俺を逃さない牢獄の完成だ。

 ならば!

 

「次はどんな手を打ってくる!?魔王ッ!!!」

 

 先程の魔術弾は通常よりも音と光を増しておいた。

 いくら衝撃を無効化できても、音は外に漏れる。

 そして、光は窓や僅かな隙間から溢れ出した。

 それを合図として――

 

 

◆◆◆

 

 

「――ふふ。畏まりましたわ、魔王様……いえ、エイジ様」

 

 小屋から離れた地点にて。

 遠見の魔術で様子を伺っていた女は、小さく呟いた。

 女の周囲には赤い光の文字で無数の文字が書き込まれている。

 

(ほのお)は命を助け壊す。()は愛の具現。燃えよ。燃えよ。()の胸の内。思慕を獄炎に。顕現せよ――」

 

 女は……クリスティアーネは詠唱を紡ぐ。

 彼女の言葉に合わせて光の文字が紅く明滅。次第に強く強く輝いていく。

 人類を滅ぼすというコンセプトの元、幾多の魂を捧げて完成した「吸血鬼」。

 その力は今、ただ一人の為に。

 

「――蓬戦燬(ほうせんか)

 

 

◆◆◆

 

 

 ()()()()()()()()()()()

 そう表現するしかない程に、巨大な焔の球が上空に顕現する。

 

「あんな大魔術、いつの間に用意してたんだ……!」

「勇者様!あれは街にまで……!」

 

 元となった術の名は「鳳仙花」。

 広範囲に火の玉を雨の如く降らせる戦略魔術。

 通常では、百余名が力を合わせて発動する大魔術。

 

「ボクは街への影響を最小限に抑える!」

 

 その大魔術を「吸血鬼」が独自に強化改編したモノこそが、この火球。

 火球は地表へと墜落しながら、全方位へと火の雨を放ち続ける。

 

 かつて魔王と呼ばれた男と、彼を支えた四天王。

 世界は再び、その脅威を思い出す。

 

 

◇◇◇

 

 

 墜落した太陽は地表への到達と同時に爆発。

 要塞と化していた小屋は跡形もなく消し飛んだ。

 直前に障壁を展開していたものの、間に小屋を挟んでいなければ俺自身もどうなっていたか。

 流石は四天王。出鱈目な強さだ。

 

「まさか、協力者が居たとはね。はは、そういえば君は「王」だった。初歩的な事を見逃してしまったなぁ」

「言葉の割には嬉しそうに見えますね?」

 

 炎の海の中で、オルトヌスは笑う。

 彼もまた障壁を展開したようだが、僅かに遅れたらしく傷を負っている。

 少なくとも、このまま俺と戦うことは出来ないだろう。

 

「そりゃそうさ。私は軍師。戦で魔王に勝ちたいんだから」

「貴方も大分狂ってますね」

「はは、「記憶事変」で狂わなかった人なんて元々狂ってた人くらいさ」

 

 何十年もの自分が知らない記憶……しかも、大事な人や自分自身が死んでしまうような悲劇の記憶だ。

 そんなものが一瞬で流れ込んだら、確かに正気など保てないかもしれない。

 彼は一度言葉を区切ると、右の人差し指でゆっくりと1つの方向……俺の背後を指し示す。

 そして、告げた。

 

「ただ、気を付けなよ。ここまでは私の策だ。だが、ここから先は――」

「また会ったね、レイジ」

 

 振り返れば、そこには1人の少女。

 

「シス……いや、お前は……」

 

 栗色の髪と瞳は蒼に。

 お洒落な服は武骨な鎧姿に。

 手には真白に輝く剣を携えて。

 

「ボクは勇者。勇者エスリム・テグリス。……魔王エイジ・ククローク、キミを終わらせる者だ」

 

 燃え盛る炎の海の中で。

 「勇者」と「魔王」は再び相対する。

 





(よもぎ)の花言葉には「夫婦愛」というものがあるとか無いとか。


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9話 “Game Over”

 

 シスが勇者エスリム。

 想定していた範囲内ではある。しかし、考えられる限り最悪のパターンだ。

 彼女の背後には教会騎士が数十名。勇者が「シス」として時間稼ぎをしている間に周辺から集めたのだろう。

 そして、勇者以外にも血生臭い場には似合わない少女が1人。車椅子に座り、目には目隠しをした黒髪の少女。その隣には長い髭の、貫禄の凄まじい白髪老人が1人立っている。

 その素性は、手持ちの情報と比較検討すれば自ずと答えは出る。

 どちらも「前回」において6名の勇者一行に選ばれ、「魔王」を討伐した者。

 黒髪の少女が「メレリア」。最新の「聖女」。

 白髪の老人が「クレイビアッド」。大陸に名高い「賢者」。

 賢者は世にも珍しい「転移魔法」の使い手。膨大な魔力を使用するために乱発は出来ないらしいが、自分と数名を一瞬でテレポートさせる超チート魔法。

 今回は勇者からの知らせを受けた賢者が、オーロングラーデに転移して聖女と合流。もう1度転移を行って、ここに来たのだろう。

 普通に戦えば勝ち目なんてゼロだ。ならば。

 

「勇者さま、ね。なぁ、少し話をしないか?俺は……」

「問答は無用だよ。キミの言葉に惑わされるつもりはない」

 

 まずい!

 魔王軍に使ったハッタリによる困惑か、記憶喪失だと明かして同情を誘うか。どちらかを使おうと思っていた。

 だが、何の躊躇いも無く攻撃してくるだと!?

 事前に収集していた情報と乖離している!勇者は博愛精神に溢れた優しい心のお花畑ちゃんだったはず!

 「記憶事変」が彼女の人格を一変させたのか!?

 これが「勇者」のやる事かよ!

 

「……っ!」

 

 本当はもっと会話をして情報を集めたかったが……!

 致し方ない!

 右手に持った種を潰す。

 これは植物関連の魔法・魔術に精通した師匠特製の大魔術。その触媒。

 貴重過ぎて1つしかないのに加え、1人にしか効果を発揮しないという代物である。

 基本となっているのは、外敵に幻惑を見せて身を守る植物の種。

 これを使えば、使用者そっくりの幻を出現させつつ、使用者の姿・匂い・魔力といった全てを認識不能にする。たった数秒間だけだが、その効果は絶大。

 ヴァルハイトが語っていた、勇者の剣に刺された魔王が生きていた……というのも、これを使ったのだろう。

 背後は巨大な裂け目。落ちたら即死確定だが、唯一の逃げ場でもある。

 無論、敵は崖下に逃げられた場合も考えているだろう。

 しかし、対象が既に死亡したと認識したのなら話は別。わざわざ手間をかけることも無い。

 魔王が死んだとなれば、追跡や捜索も止めることが出来る。今後は今よりも活動しやすくなるはずだ。

 勇者一行と教会騎士数十名。その言葉を疑う者なんて居ないだろう。ウアたちを探すのも随分と楽になる。

 

 幻影を発動させつつ一歩下がり……

 

「もう騙されないよ」

 

 ……馬鹿な!?

 幻影を突き刺した勇者は、そのまま直進。

 姿が見えないはずの俺に向かって聖剣を突き刺そうとしている。

 不味い不味い不味い不味い……!

 何か打開策を……!

 くそっ駄目だ!切れる手札が存在しない!

 

「さよなら、エイジ」

「ぐぁあああああああああああああ!!!!!!!!!」

 

 激痛。

 幻影は霧散。鮮血が噴き出す。

 視界には胸に深々と突き刺さった聖剣。

 そのまま、俺と勇者は崖下へと転落していく。

 

「ウア……師匠……バルバル……」

 

 意識…が……途切れ…る………着地が……………

 

 



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10話 “Continue”

◆◇◆

 

 

「おかえりなさい、――」

「……そうか、俺はまた失敗したのか。ただいま、――」

 

「魔術無しでも失敗、か」

「でも、驚いたよ。まさか人間の王様になっちゃうなんて」

「はは、確かにな。俺だって今すごく驚いてる。王というよりは扇動者って感じだったけど」

 

「追加されたヒトはいる?」

「……そうだな。だけど、今回は2人くらいだ」

「1人でも増えちゃ困るんだけどなー。ちなみに、どのヒト?」

「トレイドって商人と、あのクソガキかな」

「ふーん」

「興味ない感じだなー」

 

「先に言っておくよ。間違いなく、――は裏切る。敵になる。それも多分、最強最悪のラスボスに」

「はは、そっか。それはキツイな」

「それでも続けるの?」

「あぁ。続ける。最初の目的を果たすために」

「…………そっか」

 

 

◆◇◆

 

 

 それは決して引き継がれることのない記憶。

 跡形もなく消え去った「過去」にして「未来」。

 故に、少年がそれを思い出すことは絶対に無い。

 

 

◇◇◇

 

 

 何かの夢を見ていたような見ていなかったような。

 そんな不思議な感覚と共に意識が覚醒する。

 

「――あ、起きたんだね」

 

 目を開けば、視界には逆さまになった勇者エスリムの顔。

 ……いや、これは覗き込んでいる?

 加えて。俺が雪の上に横たわり、後頭部には柔らかく温かい感触。雪とは明らかに異なる。

 ……成程?これは膝枕というやつか?

 俺はいつの間にそういうフラグを立てた?

 

「下手に動かない方が良いよ。動けばキミの首を切り落とす」

 

 ですよね。そんな単純なラブコメ展開になるわけないですよね。エイジ知ってた。

 聖剣ちゃんが俺の喉元にピタリと当てられている。誰も持っていないのに空中に固定された状態で。聖剣「グラヴィテス」は重力を操る能力を有するらしいので、その応用だろう。

 それはそれとして。全く状況が理解できない。何が起こっている?

 確か、俺は勇者に聖剣で突き刺されて。それで?

 現状、痛みなんて一切ない。目線を動かして確認する限り、傷も無い。

 服の真ん中に大きな穴が開いているし、赤とか黒とか血だらけなので刺されたのは間違いなさそうなのだが。

 

「……俺の胸は貴様の聖剣で貫かれたはずだが?」

「ボクが治療したからだよ」

「治療魔術か?……しかし、あれだけの傷を癒すとなれば相当な触媒が必要となるはずだ。それこそ国宝級の触媒が」

「そうだよ。一応は勇者だからね。冒険に役立つ凄いアイテムとかも貰ってるんだ。……そういえば、「前回」ではキミから受けた致命傷を直すのに役立ったなぁ。痛かったなぁ、あの時」

 

 さらっと毒を吐くじゃないか、この勇者。

 全く記憶に無いし、仮に「前のエイジ」が「前のエスリム」を傷つけていたとしても、さっきの攻撃でチャラだろう。

 とはいえ、傷を治してもらった分は残ったままだ。普通に考えれば、何かの交換条件があると見て間違いない。

 

「何が目的だ。何を対価として求める」

「うーん。ここでキミがボクに嘘をつかない事……でどうかな?」

 

 ふむ。彼女も知りたいことがあるということか。

 悪くない取引だ。俺も彼女との会話で情報が集められる。

 それに、勇者はヴァルハイトのような魔法を有しているわけでは無い。不都合なことは嘘を吐いたってバレないだろう。

 

「……そんな事で良いのであれば」

「ねぇ。ボクには嘘を見抜く魔法なんて無いんだから大丈夫だろう、とか考えてないよね?」

 

 絵に描いたようなジト目をするじゃないか。

 やめろ、なんか極小の良心が痛む。

 

「……そんなわけがあるまい」

「ま、いいけどね。あまりボクを舐めない方が良いよ」

 

 ハッタリだな。

 勇者に嘘を見抜く魔法があるのなら、そもそもヴァルハイトに白羽の矢が立つ訳がない。隠し続けた暗部を表に出す必要なんかなかった。

 

「最初に。キミが持っている「記憶」はどれ?」

「……エイクだ」

「じゃあ、エイクのキミが為した事を時系列で全て語ってよ」

「は?」

「どうせ嘘なんだろ?勇者のボクの元に5年間集まり続けた情報と、頼るヒトが極端に少ないキミが靴磨きをしながら集めた情報。矛盾が1つでもあれば、キミの嘘は露呈する」

 

 これは不味いな。

 予想以上に、勇者は魔王の事を良く理解しているようだ。

 宿敵故の相互理解みたいなものだろうか?

 

「だから言ったでしょ、舐めるなって。ボクはキミやオルトヌスみたいに頭が良い訳じゃない。けど、キミの事だけなら色々わかるんだよ」

 

 これは手強い……というか降参かもな。

 クリスを相手にしている時と同じ感覚を覚える。

 ……ここは俺の情報を明かしてでも、新たな情報を集める方向に転換すべきか。

 口調も戻そう。魔王の記憶が無いのなら、あんな口調にする必要は無い。

 

「……あぁ、嘘を吐いた。すまない。俺に「前回」の記憶なんて無いんだよ」

「そっかぁ、キミは「記憶」が無いのか。正直に答えてくれたし、さっきの嘘は特別に見逃してあげる。次は本当に刺すよ」

 

 おい、こいつ本当に勇者か?言動が魔王軍側では?

 

「……随分と簡単に信じるんだな。今回も嘘だとは思わなかったのか?」

「何となく、そうかもしれないな、とは思ってたんだ」

「どういうことだ?」

「ボクは「記憶事変」の中心に居るのはキミだと考えているからだよ」

 

 そこで彼女はいったん言葉を区切り、「むむむ」という擬音が聞こえてくるように顔をしかめながら続けた。

 

「ほら、何とか理論。えっと、何だっけ。記憶を持って過去には戻れないから過去改編は出来ないよって理論」

「『パラレルワールド修正力学』と『タイムパラドックス否定説』と『絶対世界法則論』だ」

「そうそれ。ボクは、何度も何度もやり直していたのはキミだったと思ってる。なら、キミに記憶が無いのは納得がいくでしょ?」

 

 おい。常識とまでは言わないが、それなりに有名なモノだぞ。

 ……だが。知識はともかく、着眼点は驚嘆すべき所がある。

 

「……つまり、お前の仮説では。世界中の人間に「未来」の記憶があるのは」

「そう。キミの何かに巻き込まれたからじゃないかなって考えてるよ。それがキミ自身の意思だったかどうかは分からないけどさ」

 

 少なくとも、現時点での俺の仮説もそれに近しい。俺も、「記憶事変」と、その土台にある「複数の未来」には「魔王エイジ」が何らかの形で関与していると考えている。

 この勇者、直感で答えに辿り着く天才タイプらしい。

 

「なぁ、記憶の無い俺を見逃してくれはしないか?」

「無理だね」

「即答だな」

「うーん。その話ってさ。犯罪をしてしまった人が、その後で記憶を無くせば……って話に近いと思うんだ」

 

 ……成程。

 彼女の言いたいことは分かった。

 

「それは事件の状況とかで色々と変わってくるかもしれない。そもそも、法律は国や時代が変われば大きく変わるものだよ。けどさ……」

 

 そうだ。それで無罪判決が出たとしても。

 

「……それで被害を受けたヒトたちは納得すると思う?『記憶が無いなら仕方がない』って納得できると思う?」

 

 ましてや、「魔王」は多くの命を殺している。それが直接・間接だったかは問題ではない。

 「俺」が発端となって戦争が起き、多くの者が悲劇を味わった。それら全てのヒトに納得してもらうというのは現実的ではない。

 分かっていたことではあるが、他者に指摘されると堪えるものだ。

 

「だからボクは。ボクがキミを終わらせるって決めたんだ。全ての憎しみを断つために。キミを殺してしまう「罪」を誰かに背負わせないために」

 

 ……あぁ。そういうことか。

 彼女は「勇者」だ。その言葉の意味を改めて認識する。

 眩し過ぎるくらいに、その在り方は尊い。

 

「でも。終わらせるだけなら、別にキミを殺さなくても良いんだ」

 

 ……ん?

 どういうことだ?

 

「単刀直入に言うね。ボクと一緒に暮らさない?」

「はぁ?」

 

 

◇◇◇

 

 

「どこか、ずっと遠くでさ。勇者も魔王も関係のない所で。ボクとキミで暮らすんだ」

 

 急にバグったのかと思ったが、話を聞いてみれば一応の納得は行く内容だった。

 要するに、彼女は「勇者」と「魔王」を世界から消し去ろうというのだ。

 深い崖に堕ちた勇者と魔王。2人は相打ちとなり、雪の中に消えて見つからなかった。

 それで全てはお終い。彼女が監視し続ける以上、俺が新たな「やり直し」をしでかす事も無い。

 しかし、これはまるで……

 

「まるでプロポーズみたいだな」

「そう取ってもらっても構わないよ」

「正気か?」

「ボクがキミのお嫁さんになる事で世界が救われるなら、喜んでこの身を差し出すよ」

「やめい。俺にそんな趣味は無い。悪代官じゃないんだぞ」

 

 「魔王」になった「未来」はあるみたいだけども。しかも無数に。

 

「あ、でも。今のキミには協力者もいるんだよね。それって何人くらいかな?」

「100人くr……」

「嘘だね」

 

 ちっ。

 クリスの魔術を100人規模の大魔術にしたのは、協力者の人数を誤魔化す意味も大きかったのだ。それが全くの無意味に終わった。

 というか、コイツ本当に刺しやがったぞ。喉のあたりにチクリとした痛みが走った。少し出血もしているらしく、温かいものが垂れる感覚がする。

 

「……どうして嘘だと?」

「今のキミに多くの協力者が居るとは考えにくいのが1つ。もう1つは、ボクが知ってる「エイジ・ククローク」なら、ここで絶対に嘘を吐くから」

 

 そろそろ信用が高まり、嘘を吐いても大丈夫かと思ったのだが。

 それほど甘くはないらしい。

 

「……正解だ。1人だけだよ」

「そのヒトは男性?女性?」

「……女性だが?」

「そっか。なら、そのヒトも一緒で良いよ。その女のヒトとボクとキミ。男の子の転生者の多くが憧れる異世界ハーレムだよ」

 

 おい。冗談よせ。

 1人は俺に恋愛感情なんか微塵も無くて、もう1人は変態だ。

 ついでに、どっちも一歩間違えれば俺に剣を突き刺そうとして来る。片方は既に刺した実績持ち。こんな殺伐としたハーレムが憧れであって堪るか。

 

「悪いが、お断りだ」

「即答かー。とっくに終わった恋でも、かなり傷つくものだね。美女や美少女ってわけじゃないかもだけど、そこそこ可愛いと思うんだけどなー」

「そういう問題じゃない。俺にはやらなければならない事がある」

 

 俺はウアや師匠やバルバルの行方を探さなければならない。

 隠居生活なんて絶対に無理だ。

 

「今度は逆に俺から問わせてくれ。今の俺の目的は、俺の大切なヒトたちを探し出して救うことだ。そのヒトたちは、「魔王」の所業とは何の関係もない」

 

 「魔女」である師匠は、語り継がれる所業を考えると善良とは言い切れないかもしれない。多分何かの理由はあったんだと思うけど。世界の大多数のヒトから見れば危険な存在であることは間違いない。

 けれど。「魔王」の所業は全て「前回の俺」の決断の結果。そこに妹やら師匠やら魔獣やらは何の関係も無いのだ。

 

「そのヒト達を救うため、勇者の力を貸してはくれないか?」

 

 彼女の力は十分に分かった。全ての「未来」で生き残り、「魔王」を追い詰めた実力は本物だ。その精神性も思考も十分に信用に足る。

 彼女が協力してくれるのなら、これほど心強いことも無い。

 

「……1つだけ聞かせて。そのヒトたちを救うために再び「魔王」にならなければいけないとしたら。多くのヒトを悲しませなければならないとしたら。キミはどうする?」

 

 ……まぁ、そう来るよな。

 不思議と落胆は無い。彼女ならば、こう返すだろうと謎の確信があった。

 そして、それに対する俺の返答も決まっている。

 

「あらゆる手段を模索して模索して。道を探して探して。それでも、それしか手が無いのなら。俺は躊躇いなく選択する。魔王にだってなるだろうな」

「……そっか。じゃあ、ごめん。一緒には行けない」

 

 俺と彼女は、どこまでいっても「魔王」と「勇者」。

 裏と表。陰と陽。影と光。永遠の平行線。

 そういう関係性。決して交わることのない間柄。

 記憶事変が無くとも。どんな条件でも。

 俺と彼女は近いようでいて、果てしなく遠い位置に存在する。

 

「でも、ボクの方でも探しておく。勿論、キミを恨む人が危害を加えないようにボクだけで探すよ」

「良いのか?」

「信用できないのなら契約魔術を結ぼう。ボクとキミだけの秘密だよ」

 

 彼女の人間性を考慮すれば。ここで契約魔術を結ぶ必要性は薄いかもしれない。

 しかし、これにはウアたちの安全が関わる。手は抜けない。

 

「分かった。契約しよう」

「あ、その前に。コレも渡しておくね」

 

 そう言って彼女が取り出したのは「連絡石」、別名を「夜想石(やそうせき)」。青い鉱石で、真ん中で割ると2つの破片同士で連絡が取れる。

 3つ以上に割っても効果を発揮しない事に加え、形がハート形に似ている。こうした理由から、恋人たちの秘密の連絡手段として広く知られている……一方で、軍事作戦などでも重宝される代物だ。

 

 蒼い髪の少女が、連絡石を2つに割る。

 パキリと乾いた音が、純白の世界に吸い込まれて消えていく。

 そうして、渡される片割れを俺は受け取った。

 ……どうでもいいけど、割れたハートが恋人たちのアイテムって不吉なのでは?俺は訝しんだ。

 

 

◇◇◇

 

 

 その後。

 エスリムが契約魔術を発動。俺と彼女の首に青い光の輪が出現して、消えた。

 契約の内容は、「エスリム・テグリス」が「ウア・ククローク」「シムナス」「バルバル」に対し危害を加えない事、及び「エイジ・ククローク」の関係者だと明かさない事。それだけ。

 契約魔術の仕組みは非常に複雑で、一言で表現するのは難しい。しかし、契約者双方の認識が作用するため、同姓同名の人物に効果を発揮してしまうことは無い。

 また、契約魔術に頼らない互いの口約束として、連絡石による連絡はウアたち捜索に関する内容だけと取り決めた。

 これは、連絡石自体が何度も使っていると効果を無くしてしまうから。そして——

 

「ボクが今回キミを見逃したのは情報を集めるためじゃない。不意打ちは勇者じゃなくて魔王のすることだからだよ」

 

 ――お互いの関係性が「敵」であると明確にするためだ。

 

「ここで宣言するからこそ、次は容赦しない。絶対にキミを殺す」

「分かったよ、勇者様。……なぁ。ちなみにだけど。この街に俺が居るって何故バレたんだ?」

 

 何らかの魔術のせいだとは推測できているが、その正体までは分からない。

 駄目もとで聞いてみれば、彼女は意外にも素直に答えてくれた。

 

「新しく開発された探知魔術だね。確か、個人の遺伝子情報を判別する魔術って話だよ」

 

 ……両親が遺伝子情報を渡したのか。そうすれば俺の探知なんて容易だ。

 まさか、それでウアも?

 いや、バルバルが用いるのは異界に隠れる魔法。如何なる魔術だろうと探知など出来ない。この世界に居ない存在を探すことなど不可能だ。

 

「大規模な魔術で触媒も貴重らしくて、今は幾つかの大都市にしか導入されていないけれど。これからもっと増やしていく予定だって聞いたよ」

「……そうか。ありがとう」

 

 分からない事は未だ多いが、どうやら俺の旅路は更に難易度を上げたようだ。

 そのうち、全ての街や村に入れなくなるかもしれない。

 

「そろそろ俺は行くよ。このままだと暴走しかねないヤツがいるし」

 

 クリスの存在は隠せるなら隠しておきたい。故に、俺に何があっても駆けつけたりせず、待機するように伝えてあった。

 そうでなければ、俺の幻影が刺された時点で教会騎士や聖女たちに襲い掛かる可能性があったから。

 

「うん、分かった。あ、あと1つだけ。もしもだけど――――」

 

 そう前置きをして。

 真剣な顔をしたエスリムが告げた言葉は。

 

「……は、はは、はははは!!」

「むぅ、なにさ。笑うこと無いでしょ?」

「いや、すまない。お前らしいと思っただけだ。馬鹿にしたわけじゃない」

 

 彼女が紡いだ内容に、思わず笑いが零れてしまう。

 あぁ、まったく。

 余りにも「勇者」らしく、そして何より「彼女」らしい言葉じゃないか。

 覚えておくさ、その言葉。いつか果たせるようにな。

 

「……じゃあな、エスリム」

「うん。さよなら、エイジ」

 

 勇者と別れ、俺の冒険は続いて行く。

 どこまでいっても鬼畜な仕様の、ふざけた物語が。

 

 





これにて3章終了です。
感想などお待ちしております。

重要な伏線の8割は設置完了。
そして、爆弾も仕掛けたつもり。

今後とも当作品をお楽しみいただければ幸いです。


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幕間 修行の日々③「修行ボイコット事件」

恒例の息抜きです。最後にアンケートあります(※締め切りました)。


 

「弟子2号よ」

「はい、師匠」

「我は貴様への修業をボイコットする」

「はい?」

 

 

◇◇◇

 

 

 おかしいな?普通に今日も剣術の修業が始まると思ったんだけど?

 急に師匠が真面目な顔で変な事を言いだし始めたぞ?

 

「師匠、俺に何か至らない点があったのであれば謝罪し、直します。指摘して頂ければ……」

「逆だ。貴様が素晴らし過ぎた故、我は修行をしないことに決めたのだ」

「そんな事はありません!魔術も剣術も罠の作成から何まで、俺は師匠の足元にも及んでいません!もっともっと教わりたいことが山程あります……!」

 

 俺が素晴らし過ぎるなど冗談も甚だしい。

 師匠の弟子となって修行に励む事、既に3年。しかし、まだまだ師匠の領域は雲の上、遥か高み。

 師匠から一本を取れる兆しなんて、これっぽっちも見えない。

 

「弟子2号よ。よく聞け」

 

 なのに、何が「素晴らし過ぎる」と言うのか。いくら師匠の言葉でも認めるわけにはいかない。

 どんな言葉が飛び出しても絶対に言い返してやろうと身構えていると……

 

「お前の料理は美味すぎる」

「はい?」

 

 ……意味不明な発言に思考が停止した。

 

「正直、ずっとバルバルで過ごして3食を作ってもらいたいと本気で思っておる」

「あの、師匠?」

「なぁ、もう世界とか謎とかどうでも良くないか?」

「師匠!?」

 

 師匠が壊れた!ヤバイ!

 知識を求め続ける魔導の徒として有るまじき発言だ。最初の頃に叩き込まれた信念に完全に反している。

 一体何が原因だ……

 

「弟子2号がバルバルを出ていけば、食べれなくなるのは道理であろう?」

 

 ……いや、明らかでしたね。

 まぁ、確かに。超えるべき目標たる魔王を得て、ウアというアドバイザーを得た俺の料理技術はここ2年程で超進化を果たした。

 既に魔王を超え、まだまだ発展を続けている。しかし、それがこんな事態を引き起こすとは……!

 

「俺が出て行ってもウアが居ます」

「数日前、魔術実験の後遺症で動けない2号に代わり、2号妹が食事を作ったな。どんな料理だったか述べてみよ」

「……バルバル産フルーツの盛り合わせです」

「我が言いたいことは分かるな?」

 

 確かに、俺は自分が料理をすることに固執しすぎたかもしれない。ウアを調理から遠ざけ続けた結果、彼女が数日前に「料理」として出してきたのは、剥いただけの果実だった。

 

「ならば、師匠が自ら……いや、愚問でしたね。すみません。忘れてください」

「おい、待て。そこで何故、発言を撤回する。我だって料理くらい人並みに……」

「得意料理は何ですか?」

「バルバル産山菜のサラダ」

「さっきと何が違うんですかね?」

「食材を切っている」

「本気で言ってます?」

 

 駄目だ。この引きニートズボラ魔女、早く何とかしないと。

 「弟子1号」が放置し、俺も今まで見過ごし続けてしまった結果だ。

 

「分かりました。俺が師匠に最低限の料理スキルを叩き込みます」

「いや、そういう話ではなく。2号が……」

「つべこべ言わないでください。女が料理を出来るべきなんて価値観は持ってませんが、一人の大人として最低限のスキルは持っておくべきだと思いますので」

「ふん。我は絶対にやらぬぞ。貴様程度の実力で我を動かせる訳があるまい」

 

 なるほど。それは正論だ。

 師匠が逃走や守備に専念すれば、俺に出来ることなんて殆ど無い。

 しかし、それは俺が1人だけだった場合に限る!

 

「バルバル!」

「何っ!?貴様、バルバル!造物主に逆らうか……!」

 

 俺がバルバルを呼べば、森中からツタが伸びて来て師匠を拘束した。

 

「バルバルとは日頃から話していたんです。師匠のズボラさを改善する必要があると」

 

 バルバルは話せないけど、木を揺らしたりして相槌を打ったりしてくれる。他にも、植物の色やら動きで結構複雑なコミュニケーションが取れるのだ。 

 そして。掃除のゴミ捨てなどでバルバルの力を借りるし、その度に会話をしていた。

 師匠の生活スキル向上はバルバルも大いに賛同してくれた内容だったのである。

 

「さぁ、師匠。お覚悟を……!」

「くっ、謀ったな2号……!」

 

 と。こんな流れを経て、師匠はそこそこの料理スキルを習得。ウアにもついでに教え込んでおいた。

 この日以来、時々だが師匠やウアが料理を作るようになったのである。

 

 






やってみたかったアンケートを設置しています。
よろしければ回答してみてください。
特に意味はなく、純粋な作者の興味です。
また、テスト的な仮アンケートです。いつか、全キャラをしっかり深堀してから正式なのやります。

※6/27 12:00 投票受付終了致しました。ご協力ありがとうございました。


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Chapter 4: “Glitch”
1話 迷える男


 

 訓練の後にちゃんとシャワーは浴びたし、消臭魔術もしたけれど。

 念のために、再び消臭魔術をかけて。あと、あの方が好きな花「シアン」の香水を少しだけ。

 絶対に多くては駄目。強すぎる香を纏った女を、きっとあの方は好まないから。さり気無く香るくらいで良い。

 戦闘への高い適性を有しつつ、お洒落心も忘れない服を整えて。ママ譲りの若草色の髪を整えて。

 手鏡を確認。うん、完璧。

 扉の前で深呼吸を一つ。バクバクとする心臓を落ち着けて。

 ……よし!

 ノックを2回。

 

「誰ですか?」

 

 静かで染み渡る思慮深い声が、私の長い耳を震わせる。

 

「フィデルニクス様。イラソルです。今、お時間はございますか?」

「えぇ、構いませんよ。入ってください」

「失礼致します」

 

 

◆◆◆

 

 

「報告ありがとうございます。成程、勇者はそのように動きましたか」

 

 「レウコンスノウ」周辺にて起きた一連の顛末……勇者一行と教会勢力、そしてエイジ・ククロークの衝突の顛末を報告し終える。

 フィデルニクス様は報告から得られた情報を、壁に貼り付けられた巨大な大陸図に書き込んでいく。

 

「……()()()間違いないですね。魔王様に「前回」の記憶はありません。大々的に発表しないのは教会の策略でしょう」

 

 しかし、その全てはフィデルニクス様の推測の内。予測された展開の1つでしかなかった。

 流石はフィデルニクス様。

 けれど。

 

「……フィデルニクス様は何を考えておいでですか」

「何を、とは?」

 

 ずっと貴方は思い悩んでいる。

 「記憶事変」の日からずっと。あの日、エイジ・ククロークを取り逃がした日からは更に強く。

 でも、貴方はそれを隠し続けている。目を逸らし続けている。

 偽りの表情。偽りの仕草。偽りの言葉。自らを偽り続けている。

 貴方自身ですら、その事に気付いていない。気付いている者は誰も居ない。

 

「貴方はエイジ・ククロークの下に集いたいと考えていませんか。今一度、あの男の臣下となりたいのではありませんか」

 

 この私以外は、誰も。

 貴方が気付けていない心の内であろうとも。

 私には分かる。だって、貴方をずっと見続けてきたのだから。

 

「……それはありませんよ。そんな事をすれば、エルフという種族そのものが裏切者になってしまいます。世界の敵になってしまうのです。先代より任された一族を、私は守らなければなりませんからね」

 

 それは同胞が、私たちという足枷が無ければエイジ・ククロークの下へ向かうという事では無いのか。

 しかし、それを言う事はしない。

 この先を口にしてしまえば、貴方の覚悟が定まってしまうかもしれないから。

 ここで止めておけば、貴方は「同胞を導く」という「使命」を強く意識するだけで終わる。それは貴方の思考に蓋をして、行動を縛る。

 それでも。

 

「ただ、考えてしまうのです――」

 

 貴方の悩みを消し去ることはできない。

 だって、貴方は忠義に生きるヒト。集団の頂点としてではなく、誰かの下に居てこそ生き甲斐を見つけられるヒト。そういう魂のヒトだって、私は良く知っている。

 貴方には復讐心なんて微塵も無い。私怨なんて低俗で凡庸な感情で動かされるヒトじゃない。

 

「――忠義とは何か」

 

 結局のところ。

 貴方は「使命」と、「忠義」の間で揺れ動いているだけ。

 その間で思考が袋小路に迷い込み、「仮初の忠義」という逃げ道を用意した。恐らくは無意識的に。

 魔王をエルフが討伐する。……これは同胞を守り導くという「使命」。

 「異種族も被害者だった」という点を強調することに繋がり、「前回」の戦争による恨みを逸らすことが可能。

 けれど、それは「忠義」に反する。一度忠誠を誓った存在を裏切ることになる。

 だから、貴方は魔王を殺して自分も死ぬと決めた。

 これならば、どちらも果たせるから。同胞を守る「使命」を果たしつつ、主の罪と共に死ぬ「忠義」も果たせる。

 

「――そして、罪とは何か、と」

 

 きっとそれは。「前回」の記憶に振り回され、「使命」と「忠義」の間で揺れ動いた貴方の心が、必死に見つけ出した逃げ道。

 それでも私はそれを否定する。

 

「少なくとも、罪は明らかでしょう。罪とは魔王の所業そのものです。私たちを裏切り、世界を滅ぼそうとした。正真正銘の悪です」

 

 私は貴方に生きていて欲しい。貴方の生きていない世界に価値など見出せない。

 だから、魔王を殺して貴方が生き残る道を私は模索する。

 魔王は悪そのものだったと何度でも言い聞かせる。あんな男と心中する必要など微塵も無いのだと刷り込ませる。

 

「それが何者かに植え込まれた記憶の可能性は捨てきれません」

「しかし、それは……!」

「えぇ。勿論です。そもそも記憶の操作自体が現実的ではない。ヒトの記憶を弄るとは、神の創り出した法則に歯向かうことを意味しています」

 

 創造神が創造した8柱の神々。神々は「交換魔法」を用い、「有」を法則や物質、命といったモノへと変えた。

 その法則の中の1つに、『魂の魔力防壁』がある。それを生み出した女神は、生命の個別の意思……即ち、何物にも左右されない独自の選択をこそ愛したとされる。

 この法則により、魂は常時、世界に満ちる魔力を用いて魔力の防壁を展開。精神操作や記憶操作など、個人の尊厳を貶める魔術・魔法には、それを押さえつける力が働く。

 そのため、記憶を改竄する魔術・魔法は魔力消費が尋常ではなく膨大となる。最強クラスの魔女が、己の有する力全てを注ぎ込んでも街1つが限度。世界全体に記憶操作を永続的にかけ続けるなど、論ずるにも値しない暴論なのだ。

 

「……それでも、「やり直し」自体が『パラレルワールド修正力学』、『タイムパラドックス否定説』、『絶対世界法則論』といった幾つもの法則を無視しています。この状況で既存の定説を主張し続けるのは愚かかもしれません」

「それは、そうかもしれませんが!しかし……!」

「記憶が無く、事実も消えた。なれば、それは罪なのか否か」

 

 ……あぁ。

 また、だ。

 

「恐らく、魔王様は次に此方(こちら)側を……異種族の支配領域を目指すでしょう。人間の領域では新型の「探知魔術」が配備され始め、身動きが取れませんからね」

 

 ()()

 ()()

 このヒトの心は!あの男に惹かれている!囚われている!

 

「……報告内容を検討する限り、勇者は自分なりの答えを出したようですね。ならば、私も私の答えを出さなければ」

 

 嫌だ。

 嫌だ嫌だ嫌だ。

 嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌。

 

「……っと。時間ですね。すみません。アドラゼール側と今後の事を話し合わなければならないので、続きは後程としましょう」

 

 

◆◆◆

 

 

「魔王エイジ・ククローク……」

 

 「前回」も「今回」も。ずっとずっと、あの方の心に居座り続ける害悪。

 だから。

 だから。

 

「――で、オレの力を借りようってかァ?いいねェ。そういう欲望って好きだぜェ、オレは」

 

 たとえ、フィデルニクス様と険悪な関係の女であろうと。

 この不真面目で気に食わない女の手だろうと。

 それが正体不明の力だろうとも。

 何を使っても。どんな手を使っても。

 必ず。

 必ず、あの男を消してみせる。

 

 

◆◆◆

 

 

「……さァて。オレは今回、どうやって動こうかねェ」

 

 若草色の髪をしたエルフの女。イラソルとの会話を終えて。

 

「1ミクロンくらいは申し訳なく思う心もあるんだぜェ、魔王サマ。十中八九、テメェがクソ神話に首を突ッ込んだ一因だからなァ、オレは」

 

 青い肌に灰色の髪の女は独りで言葉を紡ぐ。

 

「ケケ。でもよォ、テメェは言ったよなァ。今回も言うんだよなァ。……「これは俺の意思だ。俺自身が選んだ道だ」ってよォ」

 

 彼女こそは魔王軍四天王の一角、ウルヴァナ。

 

「そんなテメェだから、「前のオレ」も裏技を教えたんだしなァ」

 

 種族も目的も真の実力も。或いは名前ですら。

 その全てが不明の存在。

 

「ま、どうでも良いかァ。オレはオレのやりたいようにやるさァ」

 

 彼女は、その漆黒の眼の中に金の瞳を怪しく光らせて、呟いた。

 

「どうせ神様なんて何処にも居ねェんだ。オモシロオカシク生きなきゃ損だよなァ」

 

 

 





アンケートのご協力ありがとうございました。大変参考になりました。
作者一人だと視点が凝り固まってしまうので、助かります。

さて。新章です。色々明らかとなっていく……かも?

もしかして、もう真相に気付いた人とかも居るのだろうか……

今後とも当作品をお楽しみいただければ幸いです。


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2話 一時の安息

◇◇◇

 

 

「おい、ネズミ(にぃ)。これ、ババアがアンタにってさ。饅頭だ」

「サンキューな、ノイン。頂きます…………かっらっっっ!!!!」

「わはは! やっと引っ掛かったな! ざまぁみろ!」

 

 くそっ、やられた……!

 「ババア」などと呼びながらも祖母を大事に思っている彼が、その祖母を悪戯の理由にはしないはずと考えてしまった。甘かった……!

 

「このクソガキが……!」

「へへーんだ! 悔しかったら捕まえてみやがれ! ネズミ兄!」

「上等だ、コラ。5年の研鑽を舐めるんじゃねぇぞ……!」

 

 言葉と同時に駆け出し、10歳の茶髪クソガキ「ノイン」を追う。

 ちなみに。激辛饅頭はアン……クリスにあげた。食べ物を粗末にするのは駄目だからね。

 食事不要の彼女の味覚はほぼゼロに近しいが、辛味だけは痛覚で感じる故に味わうことが出来る。本人も痛みを喜ぶ性質(たち)なので、彼女の食事は激辛一択なのだ。

 

 ここは北の国「レウワルツ」の東端。辺境の寒村。

 海峡を越えた先に広がる、異種族たちの支配領域を目指す旅の途中にて。

 「ラット」と偽名を変更した俺と、「アン」と名乗るクリスは、この小さな村で一時の休息を得ていた。

 ……以前の「レイジ」は勇者陣営にバレたし、「0時」=「子の刻」=「ネズミ」=「ラット」という安直な偽名に変更した。

 容姿も髪を紫から白に、瞳を赤から紫に変更した。師匠とウアのカラーリングを逆にしただけである。2Pカラーかな?

 「アン」は誰にも接触していないし、名前も容姿も継続で問題ないだろう。

 

 

◇◇◇

 

 

「俺は「転生者」だからさ、魔法が使えねぇんだ。ついでに、こんな辺境の村じゃあ高度な魔術の勉強なんて出来ねぇしよ」

「……ちなみに、国や時代は分かるか?」

 

 クソガキを捕まえ、報復やら説教やらの一悶着が終わり。

 ノインの祖母が作った本物の饅頭を食べながら、ノインと語り合っている。

 

「ほとんど覚えてる事は無ぇけど。ただ、王様の墓つくるってんで、でっけぇ石を切り出してたぜ」

「なるほど、ピラミッドか」

 

 具体的な時代は分からないが、ノインは元々古代エジプトに居たようだ。そこで死んで、この世界に転生した。

 転生者は別に2000年以降の日本からだけじゃない。地球の様々な時代、様々な国や地域から転生してくる。確か、もっとも未来で2000年代、最古だと紀元前3000年くらい出身者も居るという話だ。

 共通点は前世の記憶が曖昧なモノになっているくらい。あと、地球の歴史に名を刻むような偉大な人間が転生して来たという話は存在しないようだ。理由は良く分かっておらず、これを専門に研究している者も少なくないと聞く。

 

「けどよ、せっかく魔術なんてものが誰でも使える世界に来たんだぜ? だったら凄ぇ魔術を使ってみたいって思うじゃん?」

「だから村を出たかったわけか」

「そうそう。ここを出て魔術の勉強をしてさー、それで凄ぇ英雄になってさー……なんて考えてたりもしたんだよ」

「過去形……ということは、諦めたのか?」

 

 そう尋ねれば、彼は「そもそもな」と前置きしたうえで話し始めた。

 

「俺が持ってる記憶はビクトなんだよ。だからさ、魔王エイジって見境の無い怖い奴だな、って印象が強いんだ。この村にだって戦火は広がってきたし、魔王は敵って思ってんだよね」

 

 俺を最も憎む記憶が選ばれている。そのヴァルハイトの予想が正しいのであれば、最終的に世界を滅ぼそうとしたという「魔王エイジ」の……ビクトの記憶を持っていることは何も不思議な事では無い。

 その記憶を理由に魔王エイジを敵視するのも、恐れるのも普通の事だ。

 ただし。

 

「けどさー。カルツの奴らが言うにはさ、俺って人魔王の腹心?腰巾着?弟子?……良く分かんねぇけど、そういう立場に居たらしくてさー」

 

 それが全ての「未来」で同じだったとは限らない。

 

「それでさ、レウワルツってカルツの記憶持ちが殆どだろ? だから、肩身が狭ぇのなんのって」

 

 魔王エイジを敵視していても、別の「ルート」では魔王の側近になっている可能性もある。

 それは「記憶事変」が有する恐ろしさの1つ。

 

「そんなわけで。ずっと村を出て広い世界を見たいと思ってたけど、流石に止めたんだ」

「ま、妥当な判断ではあるな。……なぁ、1つ聞かせてくれ。その判断を、お前は後悔しているか?」

 

 見ず知らずの者達から覚えのない罪を糾弾される。その辛さは良く分かるつもりだ。

 彼が「人魔王に近しい人物」と認識されているのなら、成程この村から出ないのは合理的な判断ではある。

 ただ、それによって彼自身の長年の夢。広い世界を見たいという願いが潰されてしまったのだとしたら。

 それは酷く悲しい事では無いのか。

 そう思い、尋ねたのだが。

 

「……どうだろうな。けど、これで良かったのかなーとも思っているんだ」

「良かった?」

 

 彼の回答は少し違っていた。

 

「「記憶事変」とか「やり直し」とか難しい事は分からねぇけどさ」

 

 茶髪のクソガキ、ノインはそう前置きをしたうえで言った。

 

「そりゃあ、外の広い世界で名を上げるってのも面白いかもしれねぇ。けどよ、ババアの面倒を見ながら過ごしてる日々ってのを悪いとは思えねぇんだ。……「前回」の記憶を知って、そう考えるようになった」

「……成程な」

「だからさ、「やり直し」をさせてくれた誰かさんには正直ちょっと感謝してるんだぜ」

 

 彼は饅頭の最後の一口を口に放り込むと、タタッと駆け出し。

 ここ数日の悪天候が嘘のように晴れ渡った空の下、ニシシと悪戯っぽく笑いながら言った。

 

「何処の誰だが知らねぇけどな!」

 

 

◇◇◇

 

 

「……あんな考えをする奴も居るんだな」

 

 「魔王エイジ」が「やり直し」と「記憶事変」に深く関与している。そう考えるようになってから、正直かなり鬱鬱とした感情を抱えていた。

 「記憶事変」そのものが起こした悲劇もあまりにも多すぎたから。

 「前の俺」と「今の俺」は別人。そう割り切ったつもりでも、心へのダメージをゼロにすることは出来ない。

 だからこそ、あのクソガキの言葉には少し救われた気がする。

 

「ラット。天候も晴れましたし。そろそろ、この村を発つべきかと」

「そうだな、アン。そろそろ行かねぇとな」

 

 目指しているのは東、「人間」以外の「ヒト」……即ち、異種族の支配領域。

 北の国「レウワルツ」から渡るには海峡を越えねばならず、ここ数日は天候が荒れていたために様子見をしていただけに過ぎない。

 

「ここまで来る途中で、そこそこの魔術触媒も用意できた。打てる手も前よりは増えている」

 

 フィデルニクスあたりは俺の行動を予測しているだろう。

 それでも、妹たちの情報を集めなければならないし、遅かれ早かれ行く必要はある場所だった。

 加えて。集めた情報を分析する限り、フィデルニクスは私怨で動くような男じゃない。

 ニュクリテスで対峙した時も会話する余地がありそうだった。

 ならば、奴に接触してみる価値は十分にある。

 他にはアドラゼールの意思を変える糸口が見つかれば最高だが、流石にそれは高望みし過ぎだろう。

 

「さて、と。お婆さんとクソガキに世話になった礼を言って、そしたら出発するぞ」

「承知いたしましたわ」

「……何度も言うけど、あんまり仰々しい言葉を人前で使うなよ。怪しまれるからな」

「申し訳……すみませんわ」

「大丈夫かなぁ……」

 

 目指すは、エルフの森「ルボワ・リエス」。別名、「大魔森林」。

 そこに待ち受けるモノは、果たして。

 

 



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3話 矛盾

◇◇◇

 

 

「それは創世神話、ですか?」

「あぁ。ノインの村で買ってきた本だ。レウワルツは始教会。8柱の神々について詳しい事が書かれているかも、と思ってな」

 

 俺が生まれ育ったオーロングラーデは神聖ヒルア帝国。8柱の神々ではなく、それらを生み出した創造神を信仰している。

 故に。俺の知識には8柱の神々に関する情報が致命的に不足していた。

 レウワルツで流通している本ならば新たな知識が得られるかも、と考えたのだ。

 

「何か気になる事でも?」

「……いや、今更ながらに疑問に思ったんだ」

 

 というのも。

 

「創造神は「創造魔法」を使えた。しかし、それは「無」ではない「有」を生み出すことしか出来なかった。これは良いな?」

「えぇ。常識ですわ」

「故に。自らの似姿として8柱の神々を生み出し、神々は「交換魔法」によって「有」を法則や物質、命といったモノへと変えた。これは?」

「そちらも当然」

 

 そうだ。どちらも常識だ。

 しかし――

 

「これってオカシクないか?」

「……オカシイですか?」

 

 ――この話は、致命的な矛盾を抱えている。

 

「何故、「有」しか生み出せなかった創造神から「8柱の神々」なんてモノが生まれる?コイツ等は何だ……?」

 

 姿形があって、「交換魔法」という具体的な力が使えて。個々の「名前」だけは何処にも伝わっていない存在。

 そんな存在を生み出せるのならば、初めから創造神は自分の力で何かを生み出せたのではないのか。

 

「確かに……言われてみればその通りですわ。しかし、神話とは得てして、そういうモノではありませんか?」

「まぁ、それはそうかもしれないけどな……」

 

 クリスの言う通りではある。

 神話なんて大抵は矛盾やら破綻の塊。時代と共に、捏造・別解釈・修正・統合などなど、あらゆる変化に晒されていく代物だ。

 そこに整合性を求める方がオカシイかもしれない。

 だが、何かが引っ掛かる。少なくとも、思考を放棄して捨て去って良い疑問ではない気がする。

 

「8柱の神々と言えば……それらは既に世界から去ったのでしたよね?」

「あぁ。後の事を「ヒト」の選択に委ね、神々は姿を消したらしい。そこに関しては「教会」も「始教会」も同じことを伝えている」

 

 確か、記述は。

 『交換の奇跡にて創世は終わる。

  8神、聖女との対話を経て。

  後の世を人間の選択に委ね賜う。』

 ……だったかな。

 恐らくは異種族も含めた「ヒトの選択に委ねる」だったのを、人間たちが都合よく変えてしまったのだと思うが。

 ちなみに。ここで言う「聖女」とは、最初の聖女にしてゼクエス教開祖「ヒルアーゼ」のことである。

 

「既に消え去った存在に信仰を捧げ続けるなんて……理解できませんわ」

「そう言うな。信仰があればこそ救われる心もある」

「妾は見知らぬ「神」より、貴方を信仰致します」

「普通の奴は、信仰対象に剣を向けたりしないけどな。……っと時間だな。俺は一度寝る。また交代の時間になったら起こしてくれ」

「妾は眠らないのですから、夜の見張りは全部任せて下さっても構いませんのに……」

「何度も言ってるが、夜の見張り自体が訓練でもある。闇に眼を慣らし、あらゆる感覚を研ぎ澄ませるためのな」

 

 当初は、睡眠不要のクリスが見張りを全て引き受けると言い張ったが、それは却下した。

 既定の時間になったら、俺は起きてクリスと共に見張りをする。

 訓練というのも本当だが、流石に女性に毎日の見張りを押し付けて眠り続けるのは鬼畜過ぎると思うのだ。

 

 

◇◇◇

 

 

 ――こうして。今日も夜が明けていく。

 数時間前に西の空に沈んだ太陽が、東の空から昇ってくる。

 本来であれば。

 それは絶対的な当たり前。逆になる事などあり得ない法則。

 繰り返される自然の営みにより。

 今日も1日は始まっていく。

 

 



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4話 正体不明

 

「よォ、魔王サマ。ニュクリテス以来だなァ」

「……どうして、どいつもこいつも俺の位置と変装を簡単に見破るんだ。まだコッチには「探知魔法」とやらは導入されていないはずだが」

 

 異種族の支配領域を突き進むこと暫し。

 街に寄ろうとも思ったが、「人間」というだけでも、この地域では怪しい存在。見た目を誤魔化しても、それこそ匂いやら立ち振る舞いで気付かれる可能性が高い。

 ならば、多くの情報を有しているであろう、フィデルニクスを一直線に目指すのが最善。

 そう思い、人気の無い道を進んでいたのだが。

 

「ケケ、そりゃァ、オレが魔王サマを愛しているから……おッと、失礼。そう牙を剥き出しにするなよ、クリスティアーネ」

「ウルヴァナ、貴女だけは絶対に認めないわ。エイジ様に近づくな、快楽主義の痴女」

「参ったなァ! 反論が一切思い浮かばねェ! オレの服の露出は高ェし? 快楽以外の感情とか正直1ミクロンも要らなェし?」

 

 この青い肌に灰色髪の女はウルヴァナ。

 魔王軍四天王にして、「正体不明」の2つ名で呼ばれる女。

 

「ま、安心しろォ。オレは女が好きだからなァ。正直、男にソノ辺の興味は微塵も無いんだ。悪いな、魔王サマ。オレのナイスバディは抱かせられねェや」

「1ミリも告白してないのに唐突に振られた件」

「おォ、なんだか神スレの予感だァ。ケケケ」

 

 ソイツは、ニュクリテスで俺を殺しにかかってきた時と、全く変わらぬ様子で其処に居た。

 「殺し」も「日常会話」も少しも変わらない「娯楽」なのだと、その仕草や言葉が雄弁に語っていた。

 

 

◇◇◇

 

 

「おォ、こりゃァ、うめェ! 「前」より腕が上がってんじゃねェか?」

「ふっ、魔王如きと一緒にしないでくれ。俺の料理は魔王を超えた……そうだな、魔神級だ」

「ケケケケケ! やっぱオマエ、面白れェわ! よりにもよって「神」と来たか! ケケケ!」

 

 ウルヴァナも俺に記憶が無い事を看破していた。

 というか、コイツはニュクリテスの時点で看破していながら、普通に殺しにかかって来たらしい。

 曰く、「楽しい」から。

 ……どっかの仮面ストーカーと気が合いそうである。

 

「ケケケ。美味いモンも食わせて貰ったしィ? 対価として、多少の情報はくれてやるぜェ。等価交換。それが世界の唯一絶対の理だからなァ」

 

 正直、コイツは実力が不明過ぎて戦うという選択を選べない。

 ついでに、彼女は重要な情報を持っている可能性の高い存在。「理解不能の事態(記憶事変)」と「正体不明の存在(ウルヴァナ)」に何の繋がりも無いと考えるのは流石に無理がある

 ならば、ここは友好的に振舞うのがベスト。

 そう考えていた所に、「久しぶりに魔王サマのメシが食ってみてェ」と向こうから提案してくれたため、そのパスを受け取ることにしたのだ。

 ……クリスには味覚が無いし、最近は料理の腕を振るう機会が少なくて退屈していた、という理由も大きかったが。

 

「まァ、オレがアンタの位置やら知れたのはなァ……オレはオマエの秘密を1つ知ってるから、だなァ」

「その秘密というのは?」

「オイオイ、ソコまで教えると思うかァ? オレだって魔王サマを憎んでいる一人なんだぜェ?」

「……それは、そうだな。すまない」

 

 そもそも腰を据えて会話に応じてくれるというだけで、非常に貴重で得難い存在だ。

 彼女も、俺を心の底から憎む程の「記憶」を有しているのであれば、今も憎しみを抑えて会話してくれているのかもしれない。

 ……なんだか、コイツは違う気がするけど。

 

「……っと冗談だぜェ。オレは恨みなんか持っちゃいねェ。オマエにだけじゃない、全ての存在に恨みやら何やらを抱かねェ。ソレがオレの信条。ネガティブな感情はストレスになるって話だしなァ」

 

 やっぱりか。何となく、そんな気はしていた。

 ならば、もっと情報を聞き出そうと口を開こうとして……

 

「タダなァ、それを言っちまうとメンドクセェ奴に目を付けられちまいそうだからなァ。悪いが、お口にチャックだ。オレはまだまだ死にたくねェ」

 

 先手を打たれ、その言葉を遮られた。

 「メンドクセェ奴」とは一体?

 魔王軍四天王ほどの実力者が恐れる存在。龍種?魔女?……それとも、「神」か?

 しかし、ソレに関する情報を彼女は一切話すつもりは無さそうだ。

 諦めるべきか、と思い始めたところで。

 

「だが。そうだなァ、決めたぜェ。……()()()だァ。2日間、オマエが生きていられたら、オレはトッテオキの情報をプレゼントフォーユーしてやるよォ」

 

 彼女は方針を一転する。

 駄目だ。全く思考が読めない。正体不明で事前情報が少ない、というのも理由の1つだが、何より彼女の思考が独特なのだ。

 クリスやヴァルハイトのような「狂人」では無い。しかし、思考が掴めない。空気を掴むような気分になる。

 恐らくだが、コイツはマトモだ。今まで会った存在の中でも、上位に入る程にマトモな思考回路が根底にある。

 だが、それを上回る「狂った信条」がある故に、読むことが出来ない。

 あえて言葉にするならば……「自分の認識する世界から、楽しさ以外の全てを拒絶する」、そんな「信条」だ。

 ……どんな経験をどれだけ積めば、そんな信条が形成されるのか。サンプルが何処にも存在しないのだから、理解など不可能である。

 

「何なら契約魔術を結んでやるぜェ」

 

 しかし。

 理解のできない存在であろうと、この申し出を断る理由にはならない。

 「2日間」と限定しているのは気になるが、今は選り好みを出来る状況では無いのだ。

 

「あぁ。結んでくれると助かる。宜しく頼むよ」

「ウルヴァナ。貴女、契約魔術なんてモノ使えたのね。知らなかったわ」

「ケケケ! そりゃァ、オカシナ話だァ! むしろ、オレが使えなきゃ誰が使えるんだって話だよォ!」

「……それは、どういう意味だ?」

「おっと、ヤベェヤベェ。コレは流石に言い過ぎたァ」

 

 何やら気になる言葉が飛び出したので問うてみたが、どうやらNGの領域らしい。

 どうにも線引きが不明だな……。

 

「よっと、コレで契約魔術は完成だなァ」

 

 そうこうしている内にウルヴァナが契約魔術を構築し終わったらしい。

 真っ白な光が俺とウルヴァナの右手の小指に結ばれる。

 内容は、「今から丁度48時間後。“エイジ・ククローク”が生存していた場合、“ウルヴァナ”は“エイジ・ククロークの居場所を知ることが出来た理由”を明かす」というもの。

 話せばウルヴァナ自身が死んでしまうかもしれない程の秘密。それをチップに賭けに出るのは、単純に「面白いから」だろう。

 しかし、一方で。「絶対に負けない自信があるから」だとも考えられる。

 即ち。

 彼女から見て、俺はあと48時間で絶対に死ぬという事だ。

 

 

◆◆◆

 

 

「ぶえっくしょん……おォ。早速、飛び始めたねェ。マツ花粉だったか? ウメ花粉? タケ花粉? 大昔過ぎて、よく覚えてねェけれど。花粉の時期は大変だったんだよなァ、ケケケ」

 

 エイジとクリスと別れて後。ウルヴァナはブラブラと歩きながら、エイジたちが向かった方向とは逆方向に進んで行く。

 その道中、誰かに聞かせるように独り言を呟きながら。

 

「知ってるか? 名前の無いナニカさんよォ。花粉アレルギーっての。この世界じゃァ、実装されなかったけどなァ」

「……知るわけないでしょ、私が。それと、今の私にはウアって名前があるの。大事な人に貰った大事な名前が」

 

 そして。その言葉に応えるように。

 銀髪赤目の少女が、何も無い空間から現れた。

 

「ケケ、そうかいそうかい。でェ? なんでウアちゃんは大事な人の危機を見逃してるんですかねェ? ……ハッキリ言うぜェ。アイツは間違いなく、ココで死ぬなァ」

「それだけは絶対に無いよ」

「アイツお得意の口八丁手八丁でどうにかなるモンじゃねェよ、アレは。まさかアンナ化け物が生まれるとは思わなかったぜェ。……それでも、かァ?」

「――それでも。絶対に。何十回も何百回も何千回も何万回も何億回も何十億回も。どんな条件だって彼は絶対、私に辿り着くから。たとえ、最高難易度の鬼畜仕様でも、絶対に」

「……そりゃァ。凄ェな。純粋に驚きだァ。そんなに繰り返した結果か、コレは」

「えへへ、凄いでしょ。私の兄ちゃんは」

「こんなのが「妹」たァ、流石は魔王サマだねェ。同情すりゃ良いのか、感心すりゃ良いのか……分からねェから、とりあえず爆笑するぜェ! ケケケ!」

「貴女はキューピッドみたいなものだから、多少は見逃してあげるけど。やり過ぎれば容赦なく潰すからね」

「おォ、怖ェ怖ェ。さっさと退散するぜェ、オレは。くわばらくわばら、バイナラバイナラ」

「えぇ、じゃあね。始まりの聖女さん」

「オイオイ、それは言わないオヤクソクだぜェ? 黒歴史みたいなモンだからよォ」

 

 少女と別れ、ウルヴァナは再び歩み出す。

 ブラブラ、ブラブラと。

 取り留めも無い事を呟きながら。

 

「……要するに、中途半端にバケモノをヒトにしちまった結果かァ、全ては。いや、そもそも逆立ちしてもヒトの心を得られねェ存在がバケモノって事かァ?……現実は小説みたいにはならねェのかねェ。ケケケケケケケケ」

 

 女は壊れたような笑い声をあげながら進む。

 漆黒と金の目にだけは、理性的な光を宿して。

 千年を超える時を、ずっとずっと。

 今までも、これからも。

 

 



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5話 知将との再会

 

 ウルヴァナと別れて1日と少し。

 俺たちは目的地へと辿り着いた。

 

「……あれが、エルフの誇る大森林、そして「世界樹」か」

 

 大森林。それは、200メルク……地球の単位で200メートルクラスの巨木が集まった広大な森。果てが見渡せない程に広い、緑の世界。

 その中央には世界樹と呼ばれる巨木が屹立している。

 200メートルの木も十分にオカシイが、世界樹はその比ではない。大森林の中心に屹立している世界樹は、およそ400メートル。ウルヴァナと会話するよりも前から……それこそ神話の本を読んだくらいから既に観測は出来ていた。

 浸透圧と蒸散は何処に行ってしまったのかという話だが、それがファンタジーパワーの為せる技。魔力があれば、木だって限界を超える。

 

「……こうして木を切りつけて、と」

 

 巨木の側面に切れ込みを入れると水が溢れ出す。この種類の木は地下の水を吸い上げるのだが、木の中を通る過程で水がろ過されるので、綺麗な水を入手できる。旅の途中での水確保手段である。

 魔力を持ったファンタジーな木は再生能力も凄まじいので、これで枯れることは無い。これらは、師匠から学んだ大切な知識の1つだ。

 さて、と。水分補給も終わったので、目の前のコレを考えるとしよう。

 

「――さて。考えなきゃいけないのは、このフィデルニクスからの招待状……或いは、果たし状か」

 

 大森林の周囲を覆うように展開された魔術結界。閉じ込めたり防いだりよりは、侵入者の存在を感知する類の術のようだ。

 そして、その中に暗号が刻まれている。

 術式を構成する文字列の中に、何の効果も発揮していない文字が紛れ込んでいるのだ。

 ……成程。「エイジ」の文字列を加えれば、結界とは別の魔術が発動するようになっている。小規模な異界に移動するような、そんな術の式だ。

 

「如何されますか?」

「受けよう。あからさまな誘いだけど、フィデルニクスに会うメリットを見逃すことは出来ない」

 

 淡い緑色の結界に文字を書き込み――

 

 

◇◇◇

 

 

「ニュクリテス以来ですね。お久しぶりでございます、魔王様。……それとも、エイジ様とお呼びすべきでしょうか?」

「……やっぱり気付いていたか。後者で頼む。出来れば、敬語や「様」付けも止めてくれ」

「承知致しました、エイジ君。ただ、敬語は私の標準装備ですので、ご容赦を」

 

 造り出された異界にて再びの邂逅を果たした男の名は、フィデルニクス。

 「前回」にて魔王軍四天王となったエルフであり、知略を担った軍の頭脳。

 

「さて、エイジ君。とりあえず、グエラエでも指しながら話すのは如何でしょう?」

「お前ら軍師キャラって、それ好きだよな。キャラ被りしてるぞ」

「その言葉ということは、オルトヌスと戦いましたか。ちなみに、勝敗は?」

「俺が勝った」

「それは僥倖です。察するに、「前回」の反省を活かしたつもりで、「前回」に囚われた作戦でも立てたのでしょう。結果、己が慣れ親しんだ戦い方を捨てることとなり、不慣れな戦い方で敗北した……概ね、こんな所でしょうか」

「凄いな。正にそんな感じだったよ」

 

 擁護するのであれば。

 オルトヌスも強かった。「軍師」の名は伊達では無い。

 ただし、彼は「前回」を意識し過ぎたのだ。「前」の記憶を基に立てた作戦では、「今の俺」には適さなかっただけ。

 

「はは、そうでしょうとも。それくらいは分かります。……「軍師」オルトヌスに知略で勝利可能な王。その王が居るにも拘らず、「知将」「頭脳」「参謀」などと呼ばれ続けたのですからね、私は」

 



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6話 知将と魔王

「成程、エイジ君の状況及び仮説、そして今の信念は良く分かりました。あ、ちなみに。コレで詰みですね」

 

 いや、強すぎだろコイツ。

 途中からフィデルニクスの技量が怪物クラスなことは明らかだったので、戦いを長引かせて隙を探す作戦に転換したのだが。

 隙なんか一切見せないし、全ての策を潰されて終わった。2時間に及ぶ戦いの末、俺の完敗である。

 2時間も放置されたクリスには申し訳ないが、彼女は観戦を楽しんでいたようなので問題はないだろう。多分。

 

「魔王が居なくても、エルフだけで大陸制覇とか出来たのでは?」

「ははは、流石にそれは無いでしょう。どこまで行ってもコレは盤上の遊戯。実際の戦争とは違います」

 

 多くの情報を交換できたが、残念ながらウアたちに関する情報はフィデルニクスも持っていなかった。

 しかし、それは決してマイナスではない。逆だ。

 

「オルトヌスは復讐に全てを捧げる執念の男。それは時として弱さになり得ます。しかし、その執念が実際の戦では勝利に繋がることも少なくありません」

 

 彼はレウワルツにて起きた勇者との顛末さえ情報を得ていた。それが意味するのは、彼には教会勢力の情報すら集める手段があるという事。

 そして、そんな彼ですら一切の情報を持っていないとすれば。

 逆に見えてくる事実がある。

 

「一方で、私が重視するのは使命。個人の執念に欠ける分、常に冷静で居ることが可能ですからね。こうした盤上の遊戯で負けることは無いでしょう」

 

 ウアたちの行方について、何かを知っている者が居るとすれば。

 教会における完全なブラックボックス。この世界において最も謎の多い、教皇と大魔聖堂が怪しい。

 それも外れの場合、人智を超えた存在が関わっているとしか考えられなくなる。

 

「さて、と。今のエイジ君が先に進むため、必要なのは主に2つですね。1つは「探知魔術」を欺く手段。もう1つは、アドラゼールを説得する方法……と言った所でしょうか」

 

 彼の言う通りだ。

 教皇周辺を探るにせよ、今の俺は人間の支配領域に足を踏み入れる事すら不可能。

 「探知魔術」を何とかしないことには、一歩も進めない。

 また、事態を解決してもアドラゼールがいる。俺を明確に敵認定している龍種。完全な怪物。これを解決しなければ、いずれゲームオーバーになるだろう。

 

「まず、後者から。裏切りを許さない龍種を如何にして宥め、その怒りを鎮めるか」

「何か方法があるのか?」

「えぇ。実のところ、これは存外に難しい話ではありません。今のエイジ君が、「前回の魔王」と全く異なる存在だと認めさせれば良いだけですからね。即ち――」

 

 裏切った「魔王」と、今の俺。それが異なる存在だとアドラゼール自身に分からせる。

 理屈は分かる。しかし、それが出来れば苦労はない。

 たとえば、勇者。彼女は、俺に記憶が無い事を踏まえた上で、それでも「魔王」として消すことを決めた。

 多くの一般人も同様。記憶が無いから、と俺を許すような人は少数派だろう。

 そのような状況で。アドラゼールに納得させる方法があるのだろうか?

 

「かつての「エイジ」と「アドラゼール」が為せなかったこと……「龍殺し」を為せばよろしいかと」

「……龍殺し?」

 

 

◇◇◇

 

 

「……成程な。魔王はそういう条件でアドラゼールの力を借りていたわけか」

「えぇ。私の知る「未来」では、という注釈は付きますが」

 

 非常に有用な情報を得られた。

 ニュクリテスの後、アドラゼールとフィデルニクスは連絡を繋ぐだけで、基本的には別行動。現在、アドラゼールは大陸の東の果てに居るという情報も入手した。

 つまり。

 ウアたちを見つけた後になるだろうけれど。

 間違いなく。いずれ俺は、「龍殺し」を為さねばならない。

 

「そして、探知魔術を欺く手段。此方にも心当たりがあります。というか、用意しました。……この魔導具です」

 

 そういってフィデルニクスは懐から一つの指輪を取り出す。

 俺のために用意した、のではない。

 特定の人物が何処に居ても見つけ出す。そんな、人間側の新型魔術に対し、異種族を率いる者として対抗手段を用意していただけだろう。

 もっとも、それを予想して俺はここに来たわけだが。

 

「……駄目もとで聞くけど。譲ってもらう事は?」

「構わないですよ。ただし――」

 

 問いかければ、予想外の答えが返ってくる。

 しかし。

 この鬼畜仕様の物語に、そこまで都合の良い話がある筈も無く。

 彼は静かに。その碧眼を一度閉じて開く。

 そして、強い覚悟を秘めた瞳で告げた。

 

「――決闘を。1対1の、互いの命を賭けた真剣勝負。……欲しければ私を殺して奪うという、単純な話。どうか、受け入れては頂けませんか?」

 



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7話 迷い人の答え

 

 互いの命を賭けて、真剣勝負の殺し合い。

 どれだけ綺麗事を並べようと、「決闘」なんて形にしようとも。結局は殺し合いであり、殺人行為。命を殺める行為だ。

 

「フィデルニクスの使命って同族を守る事なんだよな」

「えぇ」

 

 当然、それは許されざる事である。

 故に。止めるべきは明白で。

 なのに。

 

「決闘で死んだら果たせなくないか?」

「それは問題ありません。イラソルという優秀な部下が居まして。今も彼女に任せて来ています。「世界の敵」である「魔王」をエルフが討伐した……その実績があれば、人間側とも強い繋がりを構築してくれる。そのように確信しております故」

 

 何を言っても、一切の動揺を見せない碧眼。

 それを、俺は不思議と抵抗感なく、受け入れることが出来た。

 仮面おじさん筆頭に、オカシイ価値観の奴に毒され過ぎてしまったのか。それとも、俺自身が、殺しという手段に忌避感を覚えないイカレタ人間性なのか。

 

「……そうか。アンタは死に場所を探しているのか」

「……そうかもしれませんね。貴方との邂逅以来、ずっと考え続けてきました。そして、先程のグエラエの折、貴方との会話を経て答えを見出したのです」

 

 彼は。

 「前回」にて、忠義を捧げた「魔王」に裏切られ。

 「今回」にて、全く異なる道を進む「俺」と出会い。

 その明晰な頭脳と冷静な思考で悩み続け、迷い続けて。

 1つの答えに辿り着いた。

 辿り着いてしまった。

 

「「前回」などという曖昧模糊としたモノが本当に存在していたかは分かりません。それでも――」

 

 彼は、そこで一度言葉を区切る。そして、昔日の日々に想いを馳せるように目を閉じて。

 碧眼に充足感。言の葉に万感の感情を込めて。

 彼の答えを紡いだ。

 

「――私は、仰ぐべき主君を得て、忠義に生きた。その記憶が確かにあるのです。たとえ結末が望んだものでは無かったとしても、それが私の一生でした」

 

 畢竟。

 彼の中で、彼の「一生」は既に終わってしまったのだ。

 俺ではない「俺」。「魔王エイジ・ククローク」と駆け抜けた日々で、彼は満足を得てしまった。

 

「最後に1つ聞いても良いか」

「どうぞ」

「魔王と同一人物である俺を仲間として認識し、力を貸す。その道は存在しないか?」

「無理ですね。……「魔王」を超える。それは、貴方自身が言った言葉でしょう。ならば、貴方は「我が主」の敵です」

 

 これが、彼の答え。

 「使命」と「忠義」。その道中にて散々に迷った男は、最後に「忠義」を取った。

 「魔王エイジ・ククローク」を唯一の主と定め、冥府への道を追うと決めた。

 彼は、「魔王」以外を主と仰ぐことは無く。

 俺は、「魔王」とは別の道を往くと決めた。

 故に。その道が交差する事は決して無い。

 

「……そういう事なら分かった。クリス、立会人を任せても良いか」

「はい。必ずや、妾が全てを見届けます。……フィデルニクス。かつて同じ四天王として肩を並べた妾から一言だけ。その忠義、天晴であると」

「感謝致します、エイジ君、クリスティアーネ」

 

 距離を開けて、武器を構える。

 フィデルニクスは魔術にて風の剣を。

 俺は、師匠より譲り受けた双剣を。

 一通りの作法を済ませれば。

 最後に一言。己が信念を決闘に捧げる。

 

「俺はエイジ・ククローク。全ての魔王を超える者だ」

「私はフィデルニクス。魔王様への忠義に生き、忠義の道にて死にましょう」

 

 ――瞬間。

 剣を振るおうとした腕も、一歩を踏み出そうとした足も。

 どちらもピクリと動くことも無かった。

 

「……は?」

 

 鮮血が噴き出す。

 凄まじい激痛であるはずなのに、驚愕の感情が大きく勝った。

 何故ならば。俺の視界に映っているのは。

 俺とフィデルニクスの()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そんな意味不明な光景だったのだから。

 

 

◆◆◆

 

 

「そろそろ始まるかねェ、地獄の時間がさァ」

 

 少し離れた場所で、蒼い肌の女が呟く。

 

「一人の女の嫉妬が行き着いた果て。デカ過ぎる感情の価値は破格ってわけだなァ」

 

 彼女は、呑気に料理なんて作りながら。

 壊れたような笑い声をあげて、言った。

 

「ケケケ。どうするよォ、後輩。精々足掻いて、オレを楽しませてくれやァ」

 

 






【後書き】

某SNSを徘徊していて、この小説が鬼畜仕様過ぎて、胃がキリキリしてキツイと言う感想を見た。
そうだろうな、と思った。

最終的に愉悦部の人しか見てくれなくなる気がしている今日この頃。


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8話 思慕の成れ果て

 

「恋と言やァ聞こえはイイが。好きな人に振り向いて欲しい。自分が好きな人に、同じくらい自分を好いて欲しい。……独善的で傲慢でヤベェ感情だよなァ。冷静に考えてさァ」

 

 黒と金の目の女、ウルヴァナは独り続けていく。

 

「それを「人生2回分」貯め込んだ女がいましたァ。2回とも、女の好きな奴は別の方向を向いています」

 

 「1回目」ならマトモでいられたかもしれない。

 でも、「2回目」になるだけで。それは容易く破綻した。

 失敗した「前回」が脳裏に焼き付き、次は頑張ろうと思る者も居るだろう。

 しかし、誰もがそうではない。

 誰もが、そこまで強くなれるわけではない。

 自分が今までやって来たことは無意味だと知って。

 自らの先行きには、ハッピーエンドが無いと知って。

 心が壊れる者だって居る。

 

「トドメに。快楽主義の女の手で、理性が壊され力を得ましたァ。さァて、どォなるでしょーかァ?」

 

 

◆◆◆

 

 

 ――フィデルニクス様。フィデルニクス様。

 ――私は貴方の全てを愛しています。

 

 でも。彼が振り向いてくれることは無い。

 そんなの、「前回」で良く分かった。分かってしまった。

 使命に生きる彼は、多分ずっと。己の魂の声に耳を傾けようとはしなかった。

 本当は何がしたいのか。ココロが求める真のモノは何なのか。

 そういうモノ、全部全部に蓋をして。貴方は使命に生きる。

 例えば、婚姻も。同胞にとって最も良い選択となる相手を選ぶのだ。恋愛感情よりも政略的意味を重視して。

 ……けど、そんな彼を唯一変えられたのが「エイジ・ククローク」。

 使命とは異なる覇道を示し、忠義に生きる道を彼に与えた。

 どれだけ足掻いても。私にそんなことは出来ないことは明らか。

 それは「魔王」にしか示せない道で。

 それでも。

 受け入れるしかない。―――嫌だ。

 彼が選んだ道だから。―――そんなの認めたくない。

 彼が幸せならば。―――他の誰でもなく、私が彼を笑顔にしたい。

 忠義心と恋愛感情は別物。―――関係ない。私は彼の一番でありたい。

 

 執着、恋慕、生きる意味、喜怒哀楽、欲望……貴方の全ての一番になりたくて。

 

 ……あぁ。

 世界も、貴方の心も。

 全てが、自分の思い通りになってくれたら良いのに。

 

 

◆◆◆

 

 

 例えば。

 実る可能性が極端に少ない恋があったとする。

 所謂、「悲恋」と称するべき代物だ。

 

 時に。ヒトはその感情を諦めと共に抱き続ける。

 或いは。「どうせ無理だから」と、自虐や自嘲によって蓋をするのかもしれない。

 或いは。「これが最善だから」と、綺麗事で隠し続けるのかもしれない。

 けれど。往々にして、ヒトはそれを直ぐに捨て去りはしない。

 未練がましく、ズルズルと引きずっている。

 

 それは。

 もしかしたら実る。もしかしたら振り向いてくれる。

 ……そういう「もしも」を脳が想い描くからかもしれない。淡い期待が、心の何処かに巣食うからかもしれない。

 とはいえ。

 それがあるから、ヒトは上手く生きていくことが出来る。

 

 けれども。

 「前回の記憶」なんてモノを得て、その「希望」が粉々に打ち壊されたとしたら。

 自分の恋に実現可能性が無いと知ってしまったら。

 自虐や綺麗事で覆い隠せない程の「絶望」となってしまったら。

 

 

◆◆◆

 

 

 ――故に。此処に怪物が誕生する。

 

 

◆◆◆

 

 

「これだから、私は「愛」が嫌いなんだよ。兄ちゃん」

 

 その全てを、銀髪赤目の少女は見続けていた。

 

「アナタの全てを愛しています……それが私の一番嫌いな言葉」

 

 

 





【宣伝】
この小説は「カクヨム」様と「小説家になろう」様にも掲載中です。
もし宜しければ、そちらの方でも評価いただけると励みになります……!

――カクヨム版リンク――

――なろう版リンク――
※なろう版は最近投稿したばかりで評価が全然ないです(笑)

今後とも当作品をお楽しみいただければ幸いです。


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9話 “Raid Boss”

 

◇◇◇

 

 

 激痛が走る。思考が乱れる。

 クリスが何事かを叫んでいるが、その言葉を判断する余裕もない。

 心配とか、そういう言葉だとは思うけれど。

 

「……っ」

 

 吐血。身体の中が滅茶苦茶にされている。

 相変わらず、首から下はピクリとも動かない。

 それでも。濁流の如く押し寄せる激痛に抗いながら、必死に思考を纏めていく。

 ――ある程度の状況の整理は出来た。

 恐らく、()()()()()()()()()()()()のだ。突き破って出てきたのが「樹木」であることを考えれば、「種子」のようなものだろう。

 ……誰か知らないが、やってくれる。

 しかし、疑問なのは。何故、フィデルニクスまで?

 「魔王」ではなく、「魔王軍」自体を憎む者による攻撃?――いや、それならクリスも攻撃対象にならなければ変だ。

 フィデルニクスによる道連れ覚悟の攻撃……と考えるには、樹が生えた瞬間のフィデルニクスの表情は真に迫り過ぎていた。あれは、予想外の事が起きた驚愕のそれだった。

 なんにせよ、「俺」と「フィデルニクス」という組み合わせにこそ意味があると考えるべきだろう。

 これ以上は情報が足りなすぎて無理だ。

 

 直後。景色が移り変わってゆく。

 小部屋のような空間が陽炎のように消え、広大な大森林へと戻る。

 この異界はフィデルニクスが用意したもの。術者が甚大なダメージを受ければ、当然ながら消滅する。そういうことだろう。

 そして。

 空間から弾き出され、外に出てみれば――

 

 

◇◇◇

 

 

『――――――――――――ッ!!!!!』

 

 その咆哮が世界を震わせる。

 あらゆる音を凌駕し、塗りつぶす。

 

「はは、……流石に鬼畜過ぎるだろ」

 

 言葉を発する余裕なんて更々無いが、それでも口にせずにはいられなかった。

 400メートルの世界樹。それがあった場所に()()が立っている。

 腕を生やし、足を生やし、樹木で肉体が構成された化け物。

 間違いなく、アレが元凶。突如として体から生えた樹木と、樹木の化け物に関係が無いと考えるのは無理がある。

 

 今は眼前の怪物への攻撃を優先しろ。目線で、クリスに伝える。

 術者・触媒・儀式場。それらに巨人の身体そのものが使用されているのは、ほぼ間違いない。

 ならば、あの巨人を倒す事さえ出来れば状況の打開に繋がる。

 ……そう考えたのだが。

 

「っ!妾の炎が、 効いていない……!?」

 

 クリスの炎でも全くダメージを与えられていない。

 水を多量に含んでいる樹木は、むしろ燃えにくくなるのは自明の理。

 そして、あれ程の高さは膨大な魔力を保有していればこそ。間違いなく、再生力にも優れているのだろう。

 まさしく、生ける災害。その言葉が相応しい怪物だ。

 個人がどうこうして勝てる存在じゃない。国単位で対応に当たるべき化物である。

 

 ……その状況で、こちらの戦力は俺とクリスの2人だけ。

 フィデルニクスは実質的に敵性存在。断じて味方ではない。

 しかも、俺は行動不能デバフを抱え、瀕死レベルの極大ダメージを負わされた。

 

 ウルヴァナが「48時間後には死んでいる」と言ったのはこういう事か。

 あの時点で俺の身体の中には種子が植え込まれていた。空気中に、花粉やタンポポの綿毛の如く浮遊していたのだろう。

 世界樹の高さならば、あの程度の距離は射程圏内。

 ウルヴァナと会話した時には既に。どう足掻いても、48時間以内には発芽してしまう状況だった訳だ。

 

「はは、ははは……」

 

 小さく笑うだけで筆舌に尽くしがたい激痛が走る。口から血が溢れる。

 それでも。こんな状況、笑うしかないじゃないか。

 だって――

 

「……この程度で終わると思ったのか。なら、俺を甘く見過ぎだぜ、ウルヴァナ」

 

 ――俺は「魔王」を。全ての「魔王」を超える男なのだから。

 

 全ては、想定の範囲内。準備は既に終わっている。

 この程度が、ウルヴァナの考える「魔王の限界」であるならば。

 俺はそれを超えるだけだ。

 





【あとがき】※読まなくて問題ないです。

前回の【宣伝】を読んで、別サイトでも評価などしてくださった方、ありがとうございます……! 凄く凄く励みになります……!

必ずや完結まで走り抜けて見せます。
今後とも当作品をお楽しみいただければ幸いです。


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10話 “Glitch” 前編

 

◇◇◇

 

 

 そもそもの話。

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 例えば、勇者。この世界で最高峰の個人戦力が、対話放棄の覚悟ガンギマリで向かってくると俺には為す術なんてない。

 例えば、アドラゼール。圧倒的なパワーと巨体は、俺にどうこう出来る存在じゃない。

 転生チートなんて1つも持っていないし、「魔王」のせいで仲間を得ることだって無理。あるのは、凡人が必死に鍛え上げた剣技と術理のみ。これで対応可能な領域を超えてしまえばゲームオーバーというわけだ。

 そして、もう1つ。俺個人と言うよりは、生物全ての共通の天敵。即ち、「極小の敵」である。

 高度に発展した文明を流行り病が滅ぼす。巨大な鋼鉄の兵器が行き交う戦場で、細菌兵器が猛威を振るう。……そういう類の「敵」。個人が抗える存在ではない。

 思い出すのは、ウルヴァナが告げた「絶対に死ぬ」という言葉。そんな風に断言できるとしたら、上記3つのどれかに該当する可能性が高い。

 そして。勇者を超える個人戦力なんて、魔女が該当するくらい。――もっとも。勇者の聖剣は重力を操り、魔法すら無効化すると聞く。魔女にだって勝てるだろう。馬鹿げてる。

 ただし、異種族の領域に勇者が居る可能性は限りなく低い。また、魔法や魔術を基本とする魔女が相手なら、ある程度の抵抗は出来る。逃げる事くらい可能だ。魔女シムナスの弟子の名は伊達ではない。

 ……となれば。ウルヴァナの予言した「俺の死」に関して、警戒すべきは「巨大な敵」と「極小の敵」。そのどちらか、或いは両方が牙を剥いてくると考えるのが自然。

 

 古今東西、「巨大な敵」を「小さき者」が倒すジャイアントキリングの方法なんて限られている。

 弱点を潰すか慢心を突くか。或いは、体内を壊すか、()()()()()()()。足を壊したり、転ばせたり、穴に落としたりすれば、巨体は却って弱点になりうる。

 そして、次に。「極小の敵」だが。これが科学100%の細菌兵器ならお手上げだ。諦めるしかない。しかし、この世界なら魔術・魔法的なモノである事は間違いなく、そうであるならば打開策はある。術者・術式・儀式場……大規模な術であればあるほど、こうした存在が重要になっていく。そして、それらを崩す事さえ出来れば、打開は可能なのだ。

 故に。「巨大な敵」であろうと、「極小の敵」であろうと。或いは、その両方であっても。

 周辺一帯を丸ごと崩せば、勝機に繋がる。

 

 

◇◇◇

 

 

「……この程度で終わると思ったのか。なら、俺を甘く見過ぎだぜ、ウルヴァナ」

 

 思い出すのは、オーロングラーデでの靴磨き。あの時に聞いた「ボレアスノルズの大崩落」だ。

 魔王エイジが、街1つを「大崩落」させた。「今回」において語り継がれる「魔王」の所業の1つ。

 魔王が初めて行った北の地。当然、手勢だって殆ど居ない状況。ましてや、人魔王の基本戦力は普通の人間。だというのに、エイクとカルツの魔王は実現してみせた。

 それは何故か。

 カラクリは1つしか考えられない。

 「千里眼」という魔術を用い、争乱の中心に居た「エイジ」に会いに行ったというクリスティアーネだ。

 この彼女の証言から分かるのは。どのルートであっても、初期の段階でクリスは仲間になっていたということ。

 人類を滅ぼすというコンセプトで産み出された、魔女クラスの化け物。唯一、彼女という例外が魔王エイジの手札には存在していた。

 そして。ボレアスノルズは北の地。当然、レウワルツと同様の雪や氷が多い土地だ。

 馬鹿げた威力の炎を操る吸血鬼と、雪や氷の地。そして「大崩落」という結果。

 これらから導き出されることは1つだけ。

 

 ――それを此処に再現する。

 

 この地にあるのは大森林。200メートルクラスのファンタジー巨木が無数に集まった緑の領域。

 その地下には、張り巡らされた根が起点となった天然のダムが存在する。

 恐らくは地球のソレよりも更に大規模なダム。もはや地底湖とでも呼ぶべきレベルの水が蓄えられている。

 わざわざ木を切って水を飲んでいたのは、この木々が水を根元付近に独占して地上へ出そうとしないから。それだけ強欲に水を貯えなければ、これ程の大森林を維持する事は不可能。

 

 ――仮に。仮に、その大量の水が一瞬で蒸発したら?

 ――同時に、何らかの爆発で地下に空洞が出来たとしたら?

 

「クリス、やってくれ」

「畏まりましたわ。……遠隔起動。蓬戦燬(ほうせんか)

 

 ウルヴァナと別れてから1日。……1日もあった。その時間、俺とクリスは術式を地面に刻み込んでいた。どのような状況であっても即座に発動できるように……クリスが念じるだけで発動できるようにしておいた。

 アドラゼールのように空を飛べる存在だったとしても。空を飛ぶ以上は大きさに限界がある。それは、ファンタジーパワーを使っていても同じ。巨木の倒壊に巻き込まれれば大ダメージは免れない。

 魔王級の環境破壊をしている事は……知らん。俺は俺自身の命の方が大事だ。全てが解決したら植樹でも何でもしてやる。

 

 ――瞬間。大規模な地揺れと共に、()()()()()()()()

 

 

◇◇◇

 

 

「怪我の具合は?」

「問題ない……と言うのは無理があるかもしれない。でも、治療魔術は既に発動してる。時間さえかければ何とかなるよ。旅の途中で触媒を貯め込んでいて良かった」

 

 身体から生えていた樹木……魔力によって構成されたソレが消えていく。

 当然だ。

 巨人は転倒し、その膨大な質量故に尋常ならざる衝撃を受けた。そこに、倒れた200メートル規模の木々が雪崩れ込むように殺到するのだ。如何なる化け物とて、タダでは済まない。魔術を制御する余裕など無いだろう。

 

「フィデルニクス、アンタは無事か?」

「敵からの心配など無用です。私も既に治療魔術を発動しています。今直ぐに倒れるという事は無いでしょう」

 

 口が裂けても無事とは言えない有り様だが、それでも流暢に言葉を紡ぐフィデルニクス。或いは、「敵」を前にしての見栄でもあるのだろう。

 

「悪いな。森を壊しちまった」

「いえ。あの巨人が暴れれば、どのみち森は崩壊していました。結果は変わらなかったでしょう。むしろ、迅速な討伐に対し、エルフの長として感謝致します」

「エルフたちは?」

「はは、それこそ愚問ですよ。私たちは魔王様の鬼畜な作戦で鍛えられています。この程度の崩落に巻き込まれる軟弱者など、我が軍には居ませんよ」

 

 えぇ、魔王マジか……。

 

 

◇◇◇

 

 

「これは……イラソル? 何故、彼女が……?」

 

 一時休戦ということにして、俺たちは事態の原因究明に乗り出した。

 すると、倒れた巨人の中央付近。空洞となっている場所にエルフの女性が1人いたのだ。下半身が木に取り込まれて一体化してしまっている。……気を失っているのだろうか? 両の目を閉じて、死んだように動かない。

 イラソル……確か、フィデルニクスが後を任せられると語っていた優秀な部下だったか。

 

「ともかく、彼女が事態に関わっていることは明白。――拘束を」

 

 フィデルニクスの指示により、エルフの兵士数名が結界魔術でイラソルを拘束する。

 これで一先ずは安心だろう。

 すると。

 

「おいおい、色男ォ。「何故」ってのは、流石に酷いんじゃねェかァ?」

「……ウルヴァナですか」

 

 この事態に深く関わっているだろう存在。魔王軍四天王ウルヴァナが、食べかけのパンを片手に現れた。

 

「よッ、魔王サマ。一日半ぶりくらいかァ? どっかで逃げの手を打って、種が発芽してゲームオーバー……だと思ってたんだがねェ。自分を囮にする作戦とは思わなかったァ。「前」とは結構違ってるみたいだなァ」

 

 その見方は正しい。ニュクリテスでアドラゼールと相対した時のように逃げの手を打っていれば、逃げている最中で発芽してゲームオーバーになっていた。

 離れてしまえば、術者をどうにかするという手段も取れない。出血で死んでいくのを待つしか無かっただろう。

 今回は俺自らが敵地中央へと乗り込むことで、敵との位置を調整。崩落に絶対に巻き込むことを狙っていた。

 仮想敵が俺個人を執拗に狙ってくる。そんな前提あればこそ成立する作戦だ。

 

「細かい事はどうでも良い。契約通り、情報を教えてもらえるんだろうな?」

「まァ、待て。契約は48時間後。それまで、一先ずは後始末が先だろォ? ついでに、こんな事態になっちまった経緯も教えてやるさァ」

 

 







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11話 “Glitch” 後編

 

「――つまり、彼女は私に懸想していたと?」

「そういうことだァ。テメェが魔王サマにばっかり夢中で、無自覚に死への道を突き進んでるモンだから、一途で可愛いイラソルちゃんは思い詰めちまったのさァ。ケケケ」

「貴女は! ……そもそも、貴女が彼女に力を与え、唆したのでしょう?」

「いやァ? 確かにオレは力を与えたが、ソレはイラソルが望んだからだァ。オレは念を押して確認したんだぜェ? けどなァ、アイツの意思は変わらなかったァ。自分がどうなっても構わねェ、魔王が死んでテメェが生き残る道を切り拓けるなら……ってなァ」

「…………」

「依り代が木だったのはさァ……植物がイラソルにとって強く意識するモノだったんだろうなァ。……そういや、アイツからは花の香りがしていたなァ。テメェの好む花の香水でも使ってたんじゃねェか?」

「……確かに、彼女はいつもシアンの香水を使っていました。政務の妨害にならない程度に仄かに。好ましい香りで、私の集中力を高めてくれていました」

「ケケケ、そういうのは気付いたら一言褒めるのがイイ男ってやつだぜェ」

 

 一通りの事後処理が終わり。

 今はウルヴァナがフィデルニクスに、今回の経緯を……イラソルが何故このような暴挙に出たのかを語って聞かせている。

 ちなみに。軽症者は数名いたようだが、エルフに死者は居なかった。

 予め、フィデルニクスから全権を任されていたイラソルが、森から離れているように指示していたそうだ。

 ……狂気に陥ろうとも。同族への想いも本物だった。そういうことかもしれない。

 

「最終的にはァ? 自らが木となり、想い人すら木にしてしまう……そんな化け物に成り果てたって訳だなァ。木になっちまえば、自死なんて出来やしねぇし、使命も忠義も有りはしねェ。ずっと一緒に居られるってなァ」

 

 ……そうか。だから。だから樹が生えた時、俺もフィデルニクスも行動不能になったのか。

 恐らくは「樹木は自分の意思で動かない」という概念を魔術に落とし込んだ代物だったのだろう。

 アレは、彼女は。思慕の怪物。そういう存在だったのだ。

 

「ケケケ。ま、自分の命は自分のモノだけじゃねェって事だァ。これに懲りたら、もう少し周囲に目を向けてェ、命を大切にすることだなァ」

「それは……」

「アイツがどれくらいで目を覚ますかは知らねェ。分不相応な力を使ったからなァ。目覚めても、後遺症……足が動かねェとか、そういうのが残るかもなァ。テメェが面倒見てやれよォ、色男ォ」

「…………貴女に言われずとも」

 

 甚大な被害はあった。

 それでも。フィデルニクスが己の命を捨て去る事は、きっと、もう無い。

 「忠義」も「使命」も、変わらず彼を縛り続けるだろう。けれど、そこに新たに加わった「思慕」の鎖が、彼が死ぬことさえ許さないから。

 花の香りの女性は、自らの願いを果たして見せた。想い人が生き残るという、望む未来を手繰り寄せて見せたのだ。

 

 ポツリポツリと雨が降って来た。

 悪天候で海峡前にて足止めされた事から明らかなように、今は雨期。

 雨降って地固まる……では無いけれど。

 干からびた大地も、やがては潤う。魔力豊富な木々の再生力があれば、そう遠くない内に森は蘇る……とは、フィデルニクスの言だ。

 ここを一時的に離れることになろうとも、直ぐに戻ってくるらしい。

 ならば、近い将来。この場所には再びエルフが集う。そして、そこには知将と花の女性も欠けずに居る事だろう。

 

 

◇◇◇

 

 

「さて、とォ。契約の内容はァ、魔王サマの居場所を知ることが出来た理由を明かす……だったなァ」

 

 俺とウルヴァナの右手の小指に、白い光の輪が現れて強く強く発光する。

 契約の条件。48時間が経ち、魔術の強制力が働いている証左だ。

 この状況において、契約内容に抗う行動をすることは出来ない。彼女は契約の履行を強制される。

 

「まァ、簡潔に結論を言っちまえば。「魔王エイジ・ククローク」が「やり直し」の元凶であり、「過去改編」を行っていたから、だなァ」

「それが俺の居場所を突き止められる事とどう繋がるんだ?」

「おやァ? 自分が元凶って言われても驚かねェんだなァ。推測の範囲内だった感じかァ?」

「まぁな。「魔王」が事態の中心に居るのは間違いないと考えていた。……それで? 何故それが?」

 

 その程度の事はとっくの昔に考えついている。

 直感的ではあったが、勇者も同じ結論に至っていた。

 

「ケケケ、まァそう慌てるなァ。普通、「過去改編」ってモンは出来ることじゃねェ。……裏技でも使わなきゃなァ」

「裏技?」

 

 その通りだ。複数の理論によって、如何なる魔法・魔術でも「記憶を保持したままのタイムスリップが行えない」、即ち「繰り返しても同じ結果になる」、故に「過去改編は不可能」と明らかになっている。

 しかし。

 

「そうさァ、裏技。世界のバグ技だなァ。んで、それを使っちまうと、魂が特殊な……妙な場所に深く繋がっちまうのよォ。オレはその辺りに少し縁があるモンで、魔王サマの居場所が分かったってェ寸法だァ」

「……その裏技というのは?」

 

 彼女が「裏技」と表現するナニカ。それがあれば、「過去改編」を実現させる可能性があるのだという。

 それは一体何なのか。問いかければ、彼女は――

 

「ケケ、ヒントは誰でも見聞きしてる程度の話なんだがなァ。……「交換魔法」、または「契約魔法」だぜェ」

 

 ――と、答えた。

 

 

◇◇◇

 

 

「基礎的な事の確認だァ。契約魔術において、「事物の誤認」が起きないのは何故だァ?」

 

 何故ここで契約魔術の話が……いや。8柱の神々の「交換魔法」を、神々との契約によって人の身で再現したモノが、最初の聖女ヒルアーゼの「契約魔法」。それを大幅にスケールダウンさせた結果が「契約魔術」。

 ならば、この話には明確な繋がりがあるということか。

 

「契約者双方の認識が、限定的に共有されるからだ。それがあるから、同姓同名のヒトであろうとも、契約魔術の対象になってしまう事はない……だろ?」

 

 問いかけに教科書的な模範解答を返す。

 例えば、「俺」と「勇者」は「シムナス」を傷つけないという契約魔術を結んでいる。

 この時、「勇者」は「シムナス」という名前の人物全員に危害を加えられない……わけではない。「勇者」は「俺」が「師匠として認識しているシムナス」に危害を加えられなくなるだけだ。

 これは、契約魔術によって、契約条件の判別に関する事に限り、契約者の「認識」が共有されるから。

 「師匠」ではない人物が、自らを「シムナス」と「勇者」に名乗ったとする。しかし、「俺が師匠シムナスとして認識する人物」でない以上、「勇者」はその人物に危害を加えることが可能なのだ。

 

「正解だァ。模範解答だなァ。……契約魔術ってのはァ、要するに。「特定行動の禁止」と「契約者の認識共有」という2段階の要素から成り立つ複雑な術式だァ」

 

 その通りだ。故にこそ、契約魔術は非常に高度な魔術として知られている。

 個人固有の魔法を誰にでも使えるようにしたモノが魔術であるが、契約魔法には適性の有無が存在するというのも、ココに起因する。

 「契約者の認識共有」の段階が、先天的に出来る者・出来ない者で分かれてしまうのだ。

 

「けどよォ。そもそも何故、そんな事が可能なのかァ? ハイ、エイジ君」

「それは、契約者の魂にリンクが結ばれるから、だよな」

 

 ふざけて学校の先生のように振舞うウルヴァナ。どこからともなくメガネなんて取り出して身に着け始めた。

 その女教師コスプレには触れず、問いかけにだけ答える。そも、そんな露出の高い女教師が居て堪るか。

 すると、彼女はあからさまに不満そうな演技をした後、さっさとメガネを外した。

 そして、何事も無かったかのように続ける。

 

「そもそも「認識」ってェのは「記憶」だァ。んじゃァ、記憶ってのは何処にあるモンだァ?」

「普通は、脳だよな」

 

 当たり前のことだが、「認識したモノ」が蓄積して「記憶」になる。

 それが保存されるのは肉体の器官たる脳だ。

 

「そうだァ。だが、「転生者」ってのは、脳味噌が違ェくせに記憶を持ち越してやがる。これはオカシイだろォ? その記憶は何処から来たってんだァ?」

「それは魂の記憶、だろ?」

 

 これも当たり前の話で。

 転生したら、「前世」と脳が異なっている。ならば、普通は記憶が持ち越される訳がないのだ。記録された記憶は、脳と共に消え去っているはずだから。

 しかし。「魂」にも「記憶」が存在しており、これこそが「転生者」の「前世の記憶」の正体である。ファンタジーが普通の世界で、かつ「転生者」という存在が居たからこそ明らかに出来た事実だ。

 

「そうだァ。生命は「脳味噌に蓄えられる記憶」と「魂が記録する記憶」の2つを並行的に保有しているわけだなァ」

 

 生物が死ぬと、その一生の記憶が魂に転写される。魂はコレを繰り返し続け、数多の一生の記憶を蓄積し続けるのだ。

 前の一生の上に次の一生が積み重なる。或いは、地層や、玉ねぎの断面図のように。

 「転生者」が「前世の記憶」を朧気ながらも思い出せるのは、この「記憶の地層」の最も表層部分が表出した結果。魂が世界に定着しきっていない故に起こる現象と考えられている。

 要するに。「脳の記憶」と「魂」にはパイプが結ばれている。

 そして、「脳の記憶」=「認識する事象の堆積」であるため、「生物の認識」と「魂」も間接的に繋がっているのだ。

 これを利用して。契約魔術は契約者同士の魂にリンクを結び、その繋がりを介して「認識の参照」を行う。故に、契約魔術において「事物の誤認」は起きない。

 

「それでなァ、契約魔術の元となった契約魔法も魂にリンクを繋げるんだよなァ。ただし、術者同士の魂を繋げるんじゃねェ。術者の魂を、ある存在に繋げるのさ」

 

 ……そういうことか。何となく話が見えてきた。

 

「つまり、()()()()()()()()()()()()()()()()()()? ウルヴァナはそれに縁があって辿ることが出来た、と」

「大・正・解ッ! 流石は魔王サマだぜェ!」

 

 大袈裟な動作で、わざとらしく褒めるウルヴァナ。快楽主義者って面倒くせぇ……。

 動作は無視して、さっさと会話を進める。

 俺に「契約魔法」の特殊な繋がりがあると彼女は言う。加えて、「契約魔法」はヒルアーゼが()()()()()()()()()()()()()()()()()と伝わる魔法。

 ならば。俺の魂が繋がる先。「過去改編」を可能とさせた存在は……

 

「……その存在ってのは、「神」か?」

「ブッブ~! ()()()! ウルヴァナポイントはゼロになりましたァ~! また頑張って貯めてくれよなァ!」

 

 うぜぇ……!

 外れたという事実よりも、彼女の言動が気になってしまう!

 てか、ウルヴァナポイントって何……? いつの間に貯まってたの? 貯まってたとしたら、たった1回の不正解でゼロになるって厳し過ぎない?

 別にいらないけども! なんか気になる!

 

 

◇◇◇

 

 

「そもそもよォ。「神」なんて何処にも居ねェ。「創造神」も「8柱の神々」も、なァ」

「何だって?」

 

 神が居ない? それはどういう事だ? それなら何故、「神」と契約を結ぶ「契約魔法」なんてモノがある?

 

「残念だがァ。それは話せねェ。ちょっと大昔の約束があるからなァ。……それよりも聞かなきゃいけねェ事があんだろォ?」

 

 どうやら、ここから先はNGのようだ。

 ……ウルヴァナは「信条」に生きる者。話さないと決めたのなら、絶対に話さないだろう。

 それを無理やり聞き出そうとするより、今は優先して聞くべき内容がある。彼女の言う通りだった。

 その内容とは、即ち――

 

「交換魔法……或いは、契約魔法で「過去改編」が可能になるってのは、どういう事だ?」

 

 ――最初の話。そもそもの出発点だ。

 

「8柱の神々は交換魔法を使って何をしたって伝えられてるよォ?」

「そりゃあ、「有」を物質や命、法則に変え……」

 

 創造神は「創造魔法」を使えた。しかし、それは「無」ではない「有」を生み出すことしか出来なかった。

 故に。創造神は自らの似姿として8柱の神々を生み出し、神々は「交換魔法」によって「有」を物質や命、()()といったモノへと変えた。

 ……まさか!?

 

「……ははは、そういう事かよ。初歩的過ぎだろ。「バグ技」って表現も納得だよ。ユーザー舐めてるタイプのヤツだ」

「だろォ?」

「『パラレルワールド修正力学』、『タイムパラドックス否定説』、『絶対世界法則論』……何であれ、法則を造り出した「交換魔法」なら変えられるとでも? ルールなんて無いじゃねぇか」

「ケケケ、それは言い過ぎだァ。交換魔法や契約魔法はそんなに万能じゃねェよ。あれは徹頭徹尾、「等価交換」しか出来ねェ。単純に、既存の法則を僅かにスリ抜けられる可能性があるって程度の話さァ。そこまでクソゲーじゃねェから安心しなァ」

 

 ……何だって?

 どういうことだ? 「交換魔法」でも法則を曲げる事は出来ず、別の方法で「過去改編」を実現するのか?

 他にも疑問はある。ウルヴァナの言う通りに「神」が居ないのなら、「交換魔法」で法則を創造したのは誰なんだ。

 そもそもの話。なんでウルヴァナは、こんな誰も知らないような事を知っているんだ。

 疑問が次々と湧いてきて止まらない。

 いや、落ち着け。ゆっくり考えるのは後でも出来る。

 今はウルヴァナから情報を聞き出すことに専念しろ。

 

「交換魔法を使った所で、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。多分だけどなァ。……だがァ、「普通の時間遡行」とは少ォし違う手法を取るのさァ」

「違う手法だって?」

「大真面目に時間遡行魔術を編み出そうとするなら、触媒も魔術も儀式場も「未来(いま)」で用意しなきゃならねェ。これは分かるなァ?」

「あ、あぁ。勿論」

 

 そう。別に「時間の巻き戻し」自体は不可能じゃない。

 超絶複雑で膨大な術式と、アホみたいな魔力と、ヤベェくらい貴重な触媒が山程必要になるというだけで。理論的には可能なのだ。

 とはいえ、どれだけ苦労した所で記憶は持ち越せず、全ては同じ結果になる。……つまり、何事も無かったのと同じになるのだ。無限ループが起きる事もなく、時間軸は先へ先へと進んで行くだけ。本当に無意味に終わる。

 故に「過去改編」は不可能なわけだが。

 それとは別の方法による「時間の巻き戻し」を「交換魔法」は行える。ウルヴァナはそう言っているのだ。

 

「契約魔法は()()()()()()()()()()()()()()()。そして、魂は物質とは少ォしだけ異なる時間の流れを有してるんだよなァ。……だからこそ、紀元前3000年に死んだ奴と紀元後2000年に死んだ奴が一緒の時間軸に居たりする訳だァ」

 

 ……成程。

 思い出すのは、茶髪クソガキのノイン。

 アイツは古代エジプトで死んで、この世界この時代に転生した。

 死んだ時期が全く違う者が、同じ時間に転生している。それは、魂が物質やヒトの認識とは全く異なる時間の中に存在する事を示す。

 

「要するに。魂に作用する魔法である「契約魔法」は、その対価を過去から徴収する事も出来るって訳よォ」

「そうか。やっと分かった。魔王エイジが隻腕だったりしたのは……」

「だなァ。「交換魔法」で「やり直し」の対価として捧げたんだろうなァ」

 

 つまり。法則やら何やらを捻じ曲げたわけでなく、既存の方法とは別の方法によってタイムスリップを行っていただけ。

 その対価として、何かを捧げていたのだ。

 ビクトの魔王が「隻腕」だったのは片腕を捧げて、前回の記憶無しのタイムスリップを行ったから。

 カルツの魔王が「魔術を使えなかった」のも同じ。

 エイクや他のルートの魔王も、きっと何かを失っていた。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それが魔王エイジの「過去改編」のカラクリだったわけか」

 

 腕が無ければ、重点的に魔術を鍛えただろう。

 魔術が使えなければ、剣技を極めただろう。

 それらの差異によって、「未来」を変えようとしたのだ。魔王エイジは。

 己を捧げて。捧げて。繰り返して。繰り返して。繰り返して……。

 しかし、そうだとしても。

 根本的に大きな問題が1つ残っている。

 そもそも――

 

「……けどよ。交換魔法も契約魔法も。誰も使えない代物じゃないのか?」

 

 「契約魔法」はヒルアーゼ固有の魔法。

 「交換魔法」は8柱の神々の魔法。

 そして、その神々さえも存在しないかもしれないという。

 ならば、一体誰が使えるというのか?

 

「じゃァ、何でヒルアーゼは使えたんだァ?」

「それは彼女オリジナルの魔法だからだろ?」

「ヒルアーゼが死んでから約1400年。ずっと同じ魔法の使い手が1人も現れなかったァ? 本当にそんな事があり得るかァ?」

 

 ……正論だ。

 確かに、魔法とは個人個人に固有の力。けれど、命の数だけ魔法があれば、当然ながら似たような効果の魔法もたくさん現れる。

 だというのに、1400年もの間、誰一人として「契約魔法」に目覚めなかったのは流石に異常だ。

 

「つまりよォ、そこに最大のカラクリがあるのさァ」

「……そのカラクリってのは?」

「残念だがァ、これ以上は語れねェ」

「……厄介な奴に目を付けられて命が危ないから、か?」

「違ェ違ェ。そっちもあるが、さっきも言った「約束」の方だなァ」

 

 約束……。

 そう言えば、さっきも「大昔の約束がある」と語っていた。

 

「オレは自分が楽しくない事は御免だァ。この約束を破っちまえばァ、オレの気分は沈んじまう。なら、絶対に破らねェよォ。「前回」の魔王サマにもココまでしか教えてねェしな」

 

 彼女が一度話さないと決めたら聞き出すのは無理だ。ましてや、それが彼女の「信条」に関する事なら尚更。

 そして、「魔王エイジ」がこの情報だけで最後まで辿り着いたのであれば。

 「魔王」を超えると宣言した俺も成し遂げねばならない。

 それに――

 

「……まァ。ここまで知れば、次は分かるだろォ?」

 

 ――次に目指すべき場所・調べるべき事は明白だ。

 

()()()()……だな」

「ピンポンパンポン、大・正・解ッ! ケケケケケ!」

 

 ゼクエス教の開祖、聖女ヒルアーゼが「契約魔法」を使えたのならば。

 目指すべきは大魔聖堂……「ゼシドラル」。教皇直属の人員が構成する教会の最高権力機関。そして、「聖女」に関する情報を徹底的・独占的に管理し続けるブラックボックス。

 そこで始まりの聖女ヒルアーゼや、神々について調べなければならない。また、教皇周辺を探る事で、ウアたちの情報を得ることが出来る可能性もあるだろう。

 ただ、問題があるとすれば。

 人間の支配領域は新型の「探知魔術」によって侵入できないという点なのだが――

 

 

◇◇◇

 

 

「エイジ君、これを」

「良いのか?」

 

 フィデルニクスの手には指輪型の魔導具。

 探知魔術を欺くべく開発された魔導具だ。

 

「これは巨人討伐に対する、エルフの長からの報酬です。信賞必罰は大切ですからね」

「そういう事なら遠慮なく受け取るよ。ありがとう、フィデルニクス」

「勘違いなさらないように。今は復興を優先させますが、私と貴方は敵のままですよ」

「……分かった。次に会う時は気を付ける」

「えぇ。その時は相打ち覚悟ではなく、完封して見せましょう」

「ははは……お手柔らかに頼むよ。マジで」

 

 こうして、俺は再び人間の領域へと歩みを進める事が可能になった。

 故に。目指すは大魔聖堂。教会の中枢。

 恐らくは。

 世界で最も「魔王」に敵対的な場所――。

 

 

 






【あとがき】

いつも閲覧ありがとうございます。これにて4章は終了です。
物語の根幹に関わる情報が明らかとなりました。
皆様の推理は当たっていたでしょうか? 感想などで教えて頂けると嬉しいです。
まだまだ大きな謎は幾つか残っていますので、これからも考察しながら読み進めて頂ければ幸いですね。

今後とも、この「ダークファンタジーミステリー小説」をお楽しみいただければ幸いです(笑)


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幕間 修行の日々④「なぞなぞ」

 

 これは、俺がバルバルを旅立つ直前の事……師匠から1本を取る数日前の事だ。

 

「マイスイートシスター! 愛してるぜ!」

 

 もう何度言ったか分からない言葉を叫んで、俺はウアを抱きしめた。

 13歳になって背も伸びてきた妹だが、一方で俺も大きくなっている。故に、いつまで経ってもウアは抱きしめやすい大きさだ。

 ……抱きしめた理由は何だったか覚えていない。日常にありふれた平凡な事……些細だけど尊い日常の一欠けらだったと思う。

 ともかく。俺はウアの可愛さに感極まって、いつもと同じようにウアを抱きしめたのだ。

 

「ねぇ、兄ちゃん。兄ちゃんはさ、どうして私を「愛してる」の? そもそも「愛」って何なのかな?」

 

 けれど。その日は、抱きしめられたウアの反応が普段と違っていた。

 何やら真剣な顔で問いかけるウア。内容は「愛」について。

 ……ふむ。もしかしなくても、思春期というモノだろうか? モノの見方考え方に変化が生じているのかもしれない。

 これは、兄として真剣に向き合わねばなるまい。

 さて。なぜウアを「愛している」のか、「愛とは何か」だけども。

 

「前者に関しては。ウアが俺の可愛い可愛い妹で、俺の身体の一部みたいなものだからだよ」

 

 俺なりに良く考えた結果。回答はこんな感じ。

 抽象的で難しい問いではあるが、それなりに納得できる内容を返せたのではないだろうか。

 そう思ったのだけれど。

 

「妹だから? 妹じゃなかったら愛してくれないの?」

「……うん?」

「可愛いから? 可愛くなかったら愛してくれないの?」

 

 恐るべしは、思春期の悩み。

 これは想像以上に深いし、手強いぞ。もっと真剣に考えねば。

 

「……難しい問いかけだな」

 

 成程。例えば、ウアが妹では無かったとしたら? 接点が少なかったら?

 ……俺は彼女を自分の一部だと思うくらいに考えていただろうか?

 難しい。実に難しいぞ。

 再び思考を巡らせていると。

 

「兄ちゃん、シムナスさんのこと好きでしょ」

 

 急にウアが変な事を言い出した。

 

「ななななななな何を言うか! 何を! ばばばばば馬鹿なことを! 師匠に対して抱いているのは、そういう、断じてそういう感情じゃなくてだな! もっと何か、こう、何か違う感じのだな!」

「動揺し過ぎ。流石に無理があるよ」

 

 ……自分で言ってても気付いたわ。

 いつのまにか。本当にいつのまにか、俺が師匠に抱く感情は恋慕の域に達していたのかもしれない。自分でも良く分からないのだけれど。

 

「兄ちゃんはシムナスさんのドコが好きなの? 何が一番好きなの?」

「どこ? ……一番?」

 

 なんだ? 恋バナか?

 それも思春期の醍醐味ではあるかもしれんな。ただ、この環境……師匠とバルバルと俺とウアしかいない空間……では、ウアの恋愛話が出てこない。俺ばかりが話す不平等で一方的な展開になるのでは?

 いや、待てよ? 今の条件は、必ずしもウアが恋愛をしていない証明にはならない。

 例えば、バルバルに恋慕している可能性がある。……兄として、どんな反応をすれば良い? 確かに、バルバルは超絶良いヤツだし、ウアを任せるに足る存在である。だが、魔獣だ。しかも、アイツは好きな花が居ると前に聞いた。険しい道のり過ぎる。

 例えば、師匠に恋慕している可能性もある。……修羅場じゃ。目も当てられない修羅場じゃ。俺は妹と初恋の人を奪い合う事になっちまうぞ。

 例えば、ブラコンを拗らせて俺に恋慕している可能性もある。……こっちも修羅場じゃ。これで師匠がウアに恋慕してたりしたらヤバい。恐ろしい三角関係が出来上がる。

 ……待て。待て待て待て。思考が逸れまくっている。想像以上に、師匠への恋愛感情を指摘されて動揺しているらしい。深呼吸して落ち着こう。

 

「綺麗なヒトだよね。大人の女性の魅力もあるけど、身長が小さいから可愛さも併せ持ってる。……兄ちゃんはシムナスさんの容姿が好きなの?」

 

 俺が思考を落ち着けてる間にも、ウアの言葉は続く。

 ……ふむ?

 

「強いヒトだよね。一度剣を持てば、まさに「達人」って言葉がピッタリ。……兄ちゃんはシムナスさんの強さに焦がれたの?」

 

 確かに、師匠の剣技は美しい。数百年の研鑽が辿り着いた、1つの極致。それに焦がれ、求め続けた5年間であったのは事実だ。

 

「賢いヒトだよね。色々な事をいっぱい知ってる。……兄ちゃんはシムナスさんの知識に惹かれたの?」

 

 確かに、師匠の知識は膨大だ。永い時を探求し続けた師匠のみが到達できる領域。それに惹かれ続けた日々であったことも間違いない。

 

「……そのくせ、抜けてる所もあって、ポンコツな所も多くて可愛い。そういうヒトだよね」

 

 それは間違いない。師匠は強い癖に、放っておけないポンコツさがある。ダメダメな所を見ていると、守ってあげたいという感情が湧いてくるんだよな。

 正直、何が一番かって言われると困る。

 それに……

 

「容姿では、無いかもしれない。そりゃ、綺麗だと思うけど。俺は師匠の容姿に惹かれた訳じゃない。最初に会った頃とか警戒しかしてなかったし」

 

 一目惚れをした……とか、そう言う事では無かった。

 師匠と出会った時を思い出す。両親から、知人から、街から、あらゆるモノから逃げてきた時だ。あの時の俺は、彼女の全てを疑いながら、少しでも情報を集める事しか考えていなかった。それは、最低でも数日間続いていたと思う。

 師匠を信用できる人物と定めていても、両親のように豹変する可能性だってあったのだから。

 故に。俺は、師匠の容姿に骨抜きにされた訳では無い。

 

「強さでもない気がする。よわよわな師匠を守ってあげるシチュは正直良いと思う」

 

 師匠のピンチに颯爽と現れて救うみたいな? 別に師匠に窮地に陥って欲しいわけでは無いけど、男として憧れる心は否定できない。弱い師匠……アリだと思います。

 

「賢さでもない気がする。俺が先生になって師匠に教える……みたいなのも面白そうだし」

 

 師匠が俺の事を「師匠」とか「先生」って呼ぶ……めっちゃ良いな? 一度で良いから呼んで欲しい。

 あ、料理教える時に「先生」と呼ぶように頼めば良かった! 失敗した!

 

「ポンコツさは確かに庇護欲みたいのが湧くけど、それを直して欲しいって俺は思ってるくらいだしなぁ……」

 

 この5年。バルバルと協力して、師匠のズボラさに随分とメスを入れた。

 まだまだポンコツだが、最低限の生活スキルは修得させることに成功している。

 

「……うまく説明できねぇや。何なんだろうな。好きとか愛するって。……魂が求める? そんなスピリチュアルな話に落とし込みたくないしな……」

 

 畢竟。良く分からない。

 俺が師匠の何に一番惹かれたのか。どうして師匠だったのか。良く分からないのだ。

 

「けど、そんなに難しい話でも無いのかもしれない」

「どういうこと?」

 

 確かに、問いかけ自体は難しい。

 最初の「愛とは何か」にも通ずる問いかけであり、容易に答えが出せるモノではない。

 しかし。

 

「目の前にある現実を否定したってどうにもならない。なら、それを受け入れるしか無いんじゃないか?」

 

 またも思い出すのは、5年前の日のこと。あの逃げた日のことだ。

 あの時、俺は深く考えるのは後で出来ると考えた。

 どれだけオカシイ状況であろうとも、目の前の現実を受け入れて、取れる手段を選ぶしかないと。そう考えて進んだ。

 それと似ているかもしれない。

 

「今、俺はウアを大切に想っている。愛していると感じている。師匠とバルバルを大切に想っている。……その「今」。自分の感情を俺はあるがままに認めようと思う。何があったから好きじゃなく、今までの全てがあって「好きという今」があるんだって」

 

 随分とまどろっこしいな。深く考えたことがない内容だったので、思いつくままに喋っているせいだろう。

 そうだな。簡潔に述べるならば。

 つまるところは。

 

「俺は、「今」目の前にいる「ウア・ククローク」。その存在を愛している。それが、今の俺が認識している現実で、事実。そこに仮定を挟み込む意味は無い」

 

 ……こういう事なのだろう。

 専門的に正しいのかは知らない。興味も無い。

 ただ、俺の回答はこれだ。

 例えば。『世界5分前仮説』という説がある。世界が実は5分前に始まったのかもしれない。5分前に、存在しない「記憶」を生命が「覚えている」状態で出現したのかもしれない……という有名な思考実験。

 この説は否定する事が出来ない。しかし、否定出来ないだけで、証明する事も出来ない。そういう代物。

 ならば、これが真実であるか否かなど、何か意味がある事だろうか? それを馬鹿真面目に考えて、今の自分が有する記憶・感情・関係性に疑心暗鬼となる事に何の意味があるのか?

 そんなモノに時間をかけるくらいなら、今の自分が愛しいと思う存在を大切にした方が良い。

 ……「愛」に理由を求めるよりも、今の感情を大切にすべき。それが俺の結論。

 だったのだが。

 

「私は納得できないかな、それ」

 

 ズッコケそうになる。

 必死に考えた結果を即答で否定された。

 どうやら、俺の答えは妹的にはダメダメだったらしい。

 

「兄ちゃん、「アナタの全てを愛しています」って言葉をどう思う? 言われたら、どう感じる?」

 

 攻守交替でウアのターンということかな。

 それで、「アナタの全てを愛しています」か。ふむ。

 

「随分とロマンチックな言葉だな。もしかして、師匠の本棚にそういう感じの本でもあったのか?」

「茶化さないで。真面目に答えて」

 

 おぉっと。ちょっと場を和ませようとしたのだけど失敗した。

 思春期の女の子の思考は難しい……。

 えっと、それで。言われたらどのように感じるか、だったか。

 

「……そうだなぁ。現実にそんな言葉を言う人が居るかどうかは別として。言われたら嬉しいと思うよ。その気持ちを受け入れるか否かも別問題だけど、それでも嬉しくて誇らしい事だ」

 

 ま、こんな感じかな?

 誰に言われるか、どんな状況で、どれだけの真剣さで言われるか。そういう条件でも大きく変ってくるだろうけれど。

 それでも。それが嘘偽りの無い真剣な言葉であれば、嬉しい。自らの全てを肯定し、愛してくれる誰かが居る……少なくとも、そのヒトにそこまで想って貰える自分になれた。その事は、誇るべきではないだろうか。

 しかし、これに関してもウアの答えは違っていた。

 

「私はね、この言葉が大嫌い」

「大嫌い?」

 

 よりにもよって「大嫌い」とは穏やかじゃない。

 一体どういうことなのだろう?

 

「でもね。「全てのアナタを愛しています」……こっちは嫌いだけど好きなんだ」

「なんだ? もしかして、なぞなぞか?」

「なぞなぞ……うん、そうかも。そう思ってくれて構わないよ」

 

 今までの意味深な会話の全てが「なぞなぞ」のための壮大な前振りだった……という事はあるまい。

 恐らく、ウアには何か思い悩む事があるのかもしれない。

 しかし。ウア自身が話したくない事……話さないと決めた事を無理やり聞き出すのも違う気がする。

 第一に。思春期の悩みというのは、自分で答えを見つけていくモノだとも思うし。

 必要以上に干渉する面倒くさい兄にはなりたくない。ウアの自主性を認めることだって必要だ。

 師匠との模擬戦でも手応えが出て来て、そろそろ一本に繋がりそうと感じる今日この頃。

 そうなれば、俺は旅立つ訳で。どんな時でも妹の傍に居られる訳では無いのだから。

 

「よっしゃ。なら兄ちゃんが解いてやるぜ。「アナタの全てを愛しています」は嫌い。でも、「全てのアナタを愛しています」は嫌いだけど好き……むむむ?」

 

 意外と難しいぞ、コレ。ちっとも答えが分からん。

 

「あはは、流石の兄ちゃんでも今は解けないよ」

「……ウア?」

 

 悩んでいると、ウアが「よっ」なんて言いながら立ち上がり、テクテクと歩きながら言葉を紡ぐ。

 俺は隣に座って会話をしていたので、視界にはウアの背中が映る。ウアがどんな表情でいるのか、それを伺うことは出来ない。

 

「でも、きっと」

 

 そうして、ウアは。

 俺の妹、ウア・ククロークは。

 

「ずっと先で。いつかの答え合わせにはなるはずだよ」

 

 少しだけ悲しそうな声音で、そう言って。

 そのまま、「じゃ、今日も修行頑張ってね!」なんて言いながら、タタッと走って行ってしまう。

 その後、この日の会話の内容について話を振っても、ウアは頑なに何かを語ろうとはせず。俺はウアの意思を尊重し、それ以上の追及を止めた。

 そして。この会話から1週間ほど後に。

 俺は師匠から一本を取って、晴れて旅立ちの許可を得たのである。

 

 

 



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Chapter 5: “Typo”
1話 “Typo”


空白期間すみませんでした。
更新再開です。


 

◆◆◆

 

 

 ……さて、と。

 転移魔法を連続使用した疲労も回復した。やっとマトモに動ける。

両の肩を1度ずつグルリと回し。次に首を左、右と動かす。

 動かす度にバキッだのゴキッだのと嫌な音が鳴る。全く、年は取りたくないものだ。

 老いた身体を労いながら、ゆっくりゆっくりとコリを解す。

 ヒルアの最西端に位置する儂の庵から、オーロングラーデに1度。そこで聖女と合流して、聖女を連れてレウワルツまで1度。この時点で同日に2連続。

 結局、魔王を取り逃がして、次の日には勇者とオルトヌスも連れて1度。最後に庵に帰るために1度。

 2日連続で2連続使用。計4回。内2回は複数人での転移という重労働。

 改めて羅列すると酷いものだ。齢130の老人がやっていい内容では無い。

 ……などと。身体を解しながら取り留めの無い内容を思考していれば、庵の周囲に張り巡らした索敵魔術に反応があった。

 最近発明された「探知魔術」ほど優れたものでは無いため、何者かの詳しい判別など不可能。それでも、ドアベル代わりにはなる。

 さて、こんな辺境の山奥に態々出向いてきた物好きは一体何者だろうか。

 

「よぉ、クソジジイ。くたばってなくて安心したぜ」

「……なんじゃ。誰かと思えば、ラドロボールか。またぞろ何か盗みにでも来たかの。生憎じゃが、“前回” と同じく此処には高価なモノ等ありゃせんよ」

 

 律儀に庵の入口から入ってきたのは、金髪金眼の青年。

 ヘラヘラとした笑みを浮かべ、両の手には金と銀の指輪が幾つも嵌められている。どこか軽薄な印象を受けてしまう青年。

 ……しかし、こうした外面の半分は、この青年が過酷な生い立ちの中で身に着けた生き抜くための知恵。指輪は戦闘に支障が無いよう軽量化された魔導具。軽薄な言動は相手を油断させるためのモノだ。

 尤も。半分は彼自身の趣味。金銀財宝やキラキラした物が大好きなのも揺らがぬ事実。

 名をラドロボール・ゴールド。「前回」において勇者一行に選ばれた男である。

 

「おいおい、俺様の名前は “ラドロボール” じゃなくて “ラドロ()()ール” だって何度言えば分かるんだよ」

「少なくとも、“今回” では1度目じゃな。初めて聞いたわい」

 

 おっと。また間違えてしまった。

 全く、最近の若いモンの名前は覚えにくくて敵わん。魔術の詠唱よりも難しい。

 いつだかエスリムの言っていた「きらきらねーむ」とはこういうものか?

 

「老人の屁理屈うぜぇ……。あと、もう1つ訂正だ。俺様はとっくにコソ泥稼業からは足を洗った。今の俺様は、元勇者一行の “義賊ラドロ” 様だぜ」

 

 そう。彼は決して身綺麗な存在ではない。善悪で言えば「悪」に分類される人間。その能力を買われて減刑を対価に抜擢された、正真正銘の犯罪者である。

 「前回」における最初の邂逅は、彼が儂の庵に忍び込んだ時。それが、「今回」では堂々と入口から、ぶっきらぼうながらに挨拶しながら入ってくるとは。

 ……それでも、音を始め一切の気配を感じさせなかったのは身に染み付いた技術なのだろうが。

 ともあれ。勇者一行として歩んだ救世の日々が、青年の心に何らかの変化を生んだのは間違いないのだろう。

 

「何のかんの言っても盗人なのは変わらんじゃろ、ラドロボール」

「あぁ!? 全然違ぇだろうが! 義賊には矜持があんだよ! そして俺様はラドロヴォールだ! ラドロボールじゃねぇ!」

「ほいほい、ラドロボールラドロボール。完璧に覚えたぞ」

「こんのボケ老人……! 今日という今日は許さねぇ! 目にモノ見せてやる……!」

「ほっほっほ、儂に勝とう等100年早い。経験の差を思い知らせてやろう!」

「言ってろ!」

 

 懐かしいものだ。この若造と戦うのも「前回」以来。

 どれだけ強くなったのか見させてもらうとしよう。

 

 

◆◆◆

 

 

「……さて、と。ま、こんなもんじゃろ」

「くそっ……まだ、決着は……ついて、ねえぞ……」

 

 また負けた。

 5年間、ひたすら鍛えても及ばねぇ。

 いや、もっとか。「前」でコイツがくたばってから、ずっとだ。ずっと、俺様はコイツを超えようと足掻き続けてきた。

 その「前の俺様」の意思を継いで、経験を糧として。それでも、及ばない。

 

 ……俺様は弱ぇ。どうしようもなく。「前」も昔も今も。ずっと弱ぇままだ。

 

「それだけ息を荒れさせておいて何を言うか。ほれ、茶でも飲んで落ち着け」

 

 ジジイの気配が遠ざかったと思えば、直ぐに戻ってくる。

 俺様に差し出した手には湯呑が1つ。中には琥珀色の液体。

 覚えのある薬草の香が漂ってくる。間違いなく、「前回」で散々飲んだジジイ特製の激マズ薬膳茶だ。

 くそったれ。疲労で倒れてる奴に熱い茶を渡すか? 普通は冷たい水だろうが。

 

「……ちっ。……茶が勿体ねぇから受け取ってやる」

「ほっほっほ。そういう事にしておいてやろう」

 

 気に入らねぇ。

 普段は一言も二言も余計な癖に、肝心な所では「賢者」になりやがる。こちらの全てを見透かしたような目で、優しく微笑むだけに留めてしまう。

 大人なんて全てゴミだ……そう思ってた俺様の考えを引っ繰り返しちまったクソ爺。俺様が間違っていた事を突き付けてきたクソ爺。

 ……くそっ。やっぱマズイ。

 

「……それで? ただ旧交を温めに来たという訳でもあるまい。要件を聞こう」

 

 茶を飲み終わって、呼吸も整えば。見計らったように、ジジイが切り出す。

 ……ま、これくらいは見抜くよな。

 なら、こっちも直球で行くとしよう。

 

「単刀直入に聞くぜ。あの日、どうして聖女を連れて行った?」

 

 

◆◆◆

 

 

「単刀直入に聞くぜ。あの日、どうして聖女を連れて行った?」

 

 ふむ。「あの日」というのは、魔王を討伐すべくレウコンスノウに向かった日の事だろう。

 儂は態々オーロングラーデに一度転移し、聖女を連れて向かった。加え、それは大魔聖堂からの指示ではなく儂の独断だ。

 

「オルトヌスより魔王発見の報を受けてのう。かの者を押さえつけるには、戦力はどれだけあっても過剰という事は無いじゃろうと、そう考えた次第じゃよ」

「建前はいらねぇよ。教会連中やエスリムは騙せても俺様は無理だぜ。何せ俺様は、()()()()()()()()を知ってるからな」

 

 ……ほう。ラドロボールが有する「記憶」がいずれの「過去」のモノかは分からぬが、どうやら彼は知ってしまったらしい。

 そも、普通に考えて教会騎士数十名と勇者が軍師の策と共に居たのだ。結局取り逃がしてしまったが、普通であれば十分と考えられる。態々戦闘用の体力・魔力を削ってまで連れて行くのは理に適っていない。

 隠し立てするだけ無駄、か。

 

「……此度の魔王が聖女メレリアに如何なる反応を示すのか。それを確かめようと考えたのじゃ」

 

 そう。あの日、儂は魔王と相対しながらも戦闘とは別の事に意識を割いていた。

 魔王エイジが聖女メレリアを認識して如何なる反応を示すのか。それを観察していた。

 

「へぇ。アレが事実なら納得の確認だな。結果は? 魔王はどんな反応を示した?」

()()

「……は? 何も?」

「あぁ、魔王は聖女を視界に収めただけじゃった。あれは、自らを囲む集団の1戦力……単なる敵の1人としてしか考えておらんかった様子じゃったぞ。演技という訳でも無さそうじゃった」

「おい、そりゃオカシイだろ! ()()()()()()……!」

 

 ラドロボールの困惑も分かる。

 何故ならば。

 

「うむ。然れども、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それが動かざる事実じゃ」

 



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2話 禁書

 

◆◆◆

 

 

 ―――『創造神は創造魔法を使って「有」を生み出した』……これは言い換えれば、創造神ですら「魔力」が無ければ何も出来ない事を示している。

 それでは、我々が普段何気なく使用している魔力とは一体何なのか。

 当たり前のことだが、「生物」も「非生物」もどちらも魔力を持っている。神話の記述を引用するならば、それら全ては「魔力」より生み出されたモノだからだ。しかしながら、生物と非生物は魔力の保有の仕方において明確にして重大な差異を抱えている。

 例えば、魔術の触媒として水晶を用いる場合を考えてみよう。水晶は多くの魔力を有しているため、魔術の触媒として重宝される。しかし、一度内包されている魔力を使い切ってしまえば、新しく魔力が湧いてくる事は無い。

 水晶を始めとした魔術触媒は「魔力タンク」なのである。水晶自体は魔力を生み出す能力を有しておらず、生物が体内で生成する魔力を補充するか、または空気中や地中に存在する魔力が少しずつ溜まっていくのを待つしかない。

 畢竟、生物も非生物も魔力を有するが、生物は自らで魔力を生成する能力を有し、非生物は有さないという点で大きく異なるのだ。

 ここで考えなければならないのは、創造神が用いた魔力はどこから来たのか、という点である。

 空気中や地中・水中に存在する魔力の大部分は、生物が生み出した魔力に由来する。水晶が貯め込んだ膨大な魔力も、元を辿れば生物によって生み出された魔力なのだ。

 それでは、なぜ生物は魔力を生成できるのか。なぜ非生物は生成できないのか。魔力から生み出された存在に過ぎない生物が、その魔力を生み出せるのは何故なのか。鶏が先か卵が先か。決して無視できぬパラドクスが其処にある。

 生物が魔力を生成するという事実。また、第2章にて記述した「魔力増幅説」……空気だけを隔離した空間において時間経過により魔力が極々微量に増加する現象を基に、魔力それ自体が魔力を生成する能力を有しているとした説……を踏まえると興味深い考察が可能となる。

 即ち、「魔力」そのものが「生物」であるという説が成り立つのだ。「魔力」自体が「生物」であり、「魔力」を生み出す性質を有している。全ての始まりには「魔力」だけが存在し、「創造神」は其処から誕生した「生物」の一種でしかなかったのではないか。或いは、「生物としての魔力」そのものが、「創造神という生物」だったのではないだろうか―――

 

■禁書指定書『魔力とは何か』

 著者:マンソンジュ・フォン・ビドウン

 理由:記述に大いなる誤りが散見される。特に、「魔力増幅説」の内容は実験方法が不適格である他、データは改ざんされたモノであり、信用に値しない。人心を惑わし、世を混乱させる意図を内包した危険な書物であると判断。ゼシドラル真理探究会は全会一致で当書物を異端認定し、教皇の決定の下で禁書として定める。

 備考:著者は病死。事件性は皆無。

 

 

◆◆◆

 

 

 ―――改めて確認しよう。『極光龍』とは神話上に語られる魔獣である。

 過去現在未来において最強の生物。古今東西に敵う存在無き頂点にして、神々の敵対者。

 神話学の観点では、物語を成立させるための「必要悪」・「共通の敵」であり、その実在が疑問視されている。

 しかし、この龍が実在していた事は、既に本書で述べた通り。幾つもの証拠が、かの龍の存在を証明している。

 故に。「オーロングラーデ」は極光龍の屍の上に築かれた都市であるという説話も半分は事実なのだ。

 なぜ、半分なのか。これこそが、本書冒頭で述べた事と繋がる。つまり、極光龍は未だ生きている。8柱の神々が人間と力を合わせて討伐したなど、真っ赤な嘘だったのだ。

 オーロングラーデがあれ程に自然豊かで資源豊富な地であるのは、そもそも異常である。気象学・植物学・地学等といった既存のあらゆる学問的見地に立っても異質極まる事は、既に何度も記した通り。そもそも、素人目にも周辺環境と明らかに異なる環境だと分かるはず。国境から離れた地でありながら、教会の最大戦力たる聖女が常に配置されていた……その歴史が有する意味は重い。あの地は大陸全土で見ても豊か過ぎるのだ。

 この事について、極光龍の屍の上に成立したからだと教会は説明している。片腹痛い。聡明たる読者諸君は既に気付いていようが、こんなモノは真っ赤な嘘である。マンソンジュ博士が著書『魔力とは何か』において記しているように、「非生物」は魔力を生み出さない。死した存在は魔力を生み出さない。人歴が始まって1000年。これ程まで長きに渡りオーロングラーデが、その土地が命溢れる地であったのは、極光龍が未だ生きているからに他ならない。生きた龍の上に築かれた都市こそが、オーロングラーデであるのだ。

 読者諸君、忘れてはならない。極光龍は、神話に語られる最凶最悪の災厄は未だ生きている。かの龍はヒトへの、世界への復讐を誓いながら、眠りについているだけなのだ。かの予言者シェケルが予言した1444年の破滅とは、正にその事だと私は考えている。極光龍が目覚め、世界を滅ぼそうとするのだ。

 あと400年しかない。しかし、あと400年もある。来るべき災厄に備えよ。戦いの準備を怠ってはならない。その選択に世界の命運がかかっている。

 信じるかは、君次第だ。―――

 

■禁書指定書『コンスピラスの都市伝説3/極光龍は生きている!』

 著者:コンスピラス・ゴゴスデマ

 理由:論外。稀代の陰謀論者コンスピラスが記した根も葉もない嘘。論ずるにも値しない駄作。

 備考1:著者は失踪。

 備考2:当書には禁書指定書の引用が多数見受けられる。著者がどこから情報を入手したのか、徹底的な調査が必要である。

 

 

◇◇◇

 

 

 ここは、ヒルア帝国の首都シンヤヒルアにある禁書庫の1つ。滅多に読めない禁書指定書の宝庫。

 明らかな嘘っぱちの本が殆どだが、それも含めて読んでいて楽しい。時々見つかる興味深い記述は知的好奇心をくすぐられるし、俺にとっては天国みたいな空間だ。

 しかし……

 

「……クリス。そっちは何か見つけられたか?」

「いえ。申し訳ございません。お探しの記述は何処にも見つかりませんわ」

「いや、クリスが悪い訳じゃない。そもそも、こんな所にある可能性は少なかったんだ」

 

 ……肝心の「聖女」や「交換魔法・契約魔法」に関する本は何処にも無い。

 やはり、この程度の警備の場所にあるのは、根も葉もない陰謀論・都市伝説、荒唐無稽な暴論仮説の類か……。

 

「ならば、次は……」

「あぁ。ゼシドラルの本拠地……教皇直轄領「大魔聖堂」に侵入するしかない。けれど、侵入手段が無いんだよなぁ……」

 

 「ゼシドラル」、別名「大魔聖堂」または「魔聖堂」。それは教会の最高権力機関の名前にして、シンヤヒルアの中心に位置するゼクエス教の聖地の名。

 1400年もの長きに渡って秘密を保持し続けた不落の城。教会の聖地にして、外敵の侵入を決して許さぬ聖域である。

 

「大森林の時のように、都市を崩落させてはどうでしょう?」

「やめい。一体どれだけの人間に被害が出ると思ってるんだ。……それに、1400年の歴史は軽くない。その程度ではビクともしないと思うぞ」

 

 歴史上、大魔聖堂が攻められたことは何度もある。そして、その全てを容易く退けてきたのだ。

 地盤を崩してどうにかなる程度なら、誰かが既に突破している。

 ……困った。完全に打つ手がないぞ、これは。

 なんて考えている最中だった。

 

 背後に気配。

 近い! 不覚だ、これほど接近されるまで気付けないとは!

 

「……っ!」

「エイジ様っ!」

 

 双剣を瞬時に抜刀。

 背後の存在に向け、最短最速の動きで剣を滑らす。

 

「おぉっと! 危ねぇ、危ねぇ。賢者でも知覚出来ない俺様の隠密を破るとは、流石は魔王様だな」

 

 そこに居たのは金髪金眼の軽薄な見た目の男。

 容姿、「賢者」というワード。能力。

 成程、この男は……。

 

「勇者一行、「義賊」ラドロヴォール・ゴールドか」

「正解だ。俺様の名前を正確に認識してくれていて嬉しいぜ、魔王様」

 

 天下の大盗賊でありながら勇者一行として活躍。「前回」において「義賊」の二つ名で呼ばれるようになった男が、そこに居た。

 

 



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3話 雇用

◇◇◇

 

 

「うぉっ、熱っ!? あぶな! 回避がちょっと遅かったら死んでたぞ!? 待て待て! 先ずは会話をしようや!」

 

 ラドロヴォールは、クリスが振り下ろした炎の剣を避けながら喚く。

 どうやら、彼は「会話」を求めているらしい。

 

「下がってくれ。一先ず、話を聞いてみよう」

「……かしこまりました」

 

 コイツの真意は全く分からないが、俺を抹殺する事が目的なら、わざわざ1人で来る必要性は無かった。

 いや、そもそも顔を出す必要性すら無いだろう。俺がここにいる事を教会に伝えればいいだけ。それだけで、教会騎士の大軍が禁書庫を包囲して俺はゲームオーバーだ。

 或いは、都市に備え付けられた何かしらの魔術。それを発動するだけで、俺の動きを完全に封じる事すら可能かもしれない。ここはヒルア帝国の首都。教会の総本山。それくらいの大魔術が幾つも仕掛けられているのは、何ら不思議な事では無い。

 

「賢い奴は話が早くて助かる。カモにするのは難しいが、ビジネスパートナーに選ぶなら最適だな」

 

 なぜ彼が俺の居場所を暴けたのかも含めて、現状は何もかもが不明。情報も圧倒的に不足している。

 この状況で、彼と会話をすることは、プラスになることはあってもマイナスになる可能性は低い。ならば、警戒を続けつつ言葉を交わすべきだろう。

 クリスは炎の剣を消し、俺も双剣の構えを解く。ただし、片手に魔力を装填し、いつでも魔術を放てるようにしておくことは忘れない。クリスも同じようにしているだろう。

 

「まどろっこしいのは嫌いだからよ。さっさと本題に入るぜ」

 

 そうして。

 ピリピリと張りつめた空気間の中、変わらずヘラヘラと軽薄な笑みを浮かべる金髪金眼の青年は。

 仕事帰りの一杯に誘う程度の気軽さで、告げた。

 

「俺様を雇え、魔王様」

「……なんだって?」

 

 

◇◇◇

 

 

「雇う、だと?」

「あぁ、そうだ。元勇者一行の「義賊」ラドロヴォール・ゴールド。この俺様を雇ってみないかって商談さ」

 

 ……商談。

 よりにもよって商談と来たか。今まで多くの濃い、イカレタ奴らと相対してきたが、こういうアプローチは初めてかもしれない。

 

「分かった。アンタの話を聞こう」

「いいねぇ、そうこなくっちゃ」

 

 しかし、考えてみれば平常だ。

 血生臭い殺し合いよりも、よっぽど利口で文明的。少なくとも、俺は嫌いじゃない。

 受ける受けないは別として。この商談、臨む価値はある。

 

「最初に。アンタを雇う事でどんなメリットが俺にある?」

「俺様は忍び込むことに関しちゃ世界一。そんな俺様を雇えば……そうだな、例えば。大魔聖堂の中枢だって忍び込めるだろうぜ。今のテメェにとっては、喉から手が出るほど欲しい存在じゃねぇか?」

 

 それは間違いない。超絶魅力的な提案だ。

 ただ、ここで「大魔聖堂」の話題を持ってくるとはな。これを偶然と考える程お花畑ではない。

 さっきの会話を聞いていたのか。否、それだけではない。俺が此処にいる事を把握していたからこその邂逅。ならば、俺が大魔聖堂を探る事を予め予測していたとしか思えない。

 

「……何をどこまで知っている?」

「確定で知ってんのは、テメェに「前回」の記憶が無い事だな。それは賢者から聞いているぜ」

「俺の居場所をどうやって知った?」

「そんなのは簡単だ。単純に、蛇の道は蛇って事さ。都市の防衛網やら何やらを考慮すれば、ここに真っ先に忍び込むって予測は容易だよ。それに、ここなら工夫をすれば忍び込むことは可能だしな」

「……しかし、俺が探ろうとしていると知っていなければ無理なのでは?」

「まー、そこら辺は俺様が「前回」で得た独自の情報があってな。魔王は絶対に教会中枢を探ろうとすると踏んでいたのさ」

「その内容を教えてもらう事は?」

「おいおい、勘違いするなよ。俺様は別にテメェの居場所を教会に告げ口したって良いんだぜ? 何でも教えて貰えるなんて思わないでくれや」

 

 そうして、彼が取り出したのは半分に割られた夜想石。

 成程。いざとなれば直ぐに連絡は取れると。そういうことか。

 分かり切った事ではあるが、この「商談」は俺の側が一方的に不利だ。全ては、ラドロヴォールが握る「独自の情報」とやらが分からない故。それを教えないのは当然と言えば当然か。

 

「次だ。対価として何を求める?」

「地球のアールピージーってヤツじゃあ、敵の親玉を倒すとレアアイテムがゲットできるらしい。てなわけで、対価は魔王の秘宝……なんてどうだ?」

「……秘宝? 具体的には?」

 

 俺に秘宝なんて無い。そも、旅路の途中に靴磨きとかで集めた僅かな金銭しか持っていない貧乏人である。

 師匠から授かった物品の数々……特に双剣は宝と言えるかもしれないが。それくらいだ。

 それとも、「前回」の俺は何かを後生大事に抱えていたのだろうか?

 

「秘宝ってのは、魔王エイジ・ククロークにとって最も大切なモノ。そして、それが何かを決めるのは未来の俺様さ」

 

 ……成程。つまりは。

 

「つまり、それがお前の復讐ってわけか」

 

 こういうことなのだろう。

 この俺の言葉に、ラドロヴォールは不敵な笑みを浮かべるだけ。明確な答えを返しこそしなかったが、ほぼ間違いない。

 彼は「前回」の復讐を「盗み」で果たすと決めた。そして、俺に力を貸す過程で、「エイジ・ククローク」にとって「最も大切なモノ」を見極めようということかもしれない。

 俺が真実に近付いて初めて、自分の目的の為に動き出せる。だから力を貸す。そういう考え方はヴァルハイトに似ているかもしれない。

 ここは彼の申し出を受け入れるのが最善か。

 

「……契約魔術は結ぶか?」

「おぉっと。それは無しだ。契約で縛られたら動きにくくて堪らねぇ。“達成した暁には渡す”なんて契約をしてみろ、それは「盗み」じゃねぇ。絶対に成功する盗みなんてイカレてんだろ?」

 

 今回は俺が圧倒的に不利な立場での取引。彼が契約魔術に難色を示すのであれば、此方は強く出られない。

 とはいえ、だ。彼の裏切りを防ぐことは出来ないが、マイナスばかりでもない。契約魔術の強制力に縛られてしまえば、例えば問答無用でウアを奪われてしまう可能性すらあった。それを考えればプラスとも言えるだろう。

 契約さえなければ、後でどうとでも対策は打てる。

 

「要するに全ては口約束。テメェが俺様を信用するか否か。それだけの話さ。――さぁ。どうするよ、魔王様?」

 

 ……この条件であれば、断る理由は無い、か。

 

「分かった。アンタを雇うよ。よろしく頼む、ラドロヴォール」

「オッケー、上等だ。上手く使えよ、雇い主様(マスター)?」

 

 

 



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4話 聖女の回顧録

永い間更新できず、誠に申し訳ございません。

もう覚えてくれている方もいらっしゃらないかもしれませんが……それでも、完結まで走り抜けます。


 

 

◇◇◇

 

 

「よっと。これでトラップは全て無力化したぜ」

「……凄いな、盗賊って」

「おいおい、俺様をそんじょそこらのパンピー盗賊と一緒にするなって。これは天下の大義賊ラドロヴォール様だから出来た事さ」

 

 ゼクエス教会の中枢、総本山。その奥に眠る禁書庫。

 それは大魔聖堂と呼ばれる場所の地下に広がっていた。

 その空間の広大さは、小さな町程度であれば軽く凌駕する規模。そこに幾重にも本棚が並び、聳え立っている。魔術で空中浮遊を行わなければ、上部の本には手すら届かない。

 そして、その本棚一つ一つにビッシリと光の文字が刻まれている。不届き者に鉄槌を下す防衛の魔術なのだろう。……尤も、それらは全て義賊ラドロヴォール・ゴールドの手によって無力化されてしまったが。

 詳しくは分からないが、彼は魔術の文字列に何らかの細工を施したようだ。それにより、魔術は起動したままにもかかわらず、俺たち3人を侵入者と認識できなくなっている。

 魔女である師匠の下で膨大な魔術知識を学んできたが、俺にはこんな事は出来ない。これは知識云々ではなく、天性の才能と無数の経験があって到達する技だ。侵入して盗む――“盗賊”らしく、その技術に特化して磨き上げられている。

 こんな場所にこうも易々と侵入してしまい、あまつさえ警備のトラップ全てを無力化してしまう……そんな人物は長い歴史の中でも間違いなく存在しなかったはず。

 ……否。恐らくは、未来にだって存在しないだろう。

 

「勇者一行に選ばれるだけはある……という事か」

 

 勇者一行は“正義”であらねばならない。少なくとも、教会は絶対にそう考えただろう。

 “魔王”という“絶対悪”を滅ぼし世界に平和を取り戻す。そういうストーリーを必要としていたはず。であれば、盗賊などという“悪人”の手を借りるのは悪手だ。

 

「へへ。ま、そういうことだ。流石は俺様だぜ。……じゃ、俺様は周辺の警戒をしているからな、マスターはマスターのすべき事をしろよ」

「あぁ、分かった。助かるよ、ラドロヴォール」

 

 しかし、その犯罪者の手を借りる、というデメリットを踏まえても尚、この男の力を手放すことはできなかった。犯罪者に“勇者一行”の肩書きを渡すこととなろうとも、それでもメリットが上回ったのだろう。

 

「魔王様にお褒め頂くとは光栄だね、っと。んじゃまぁ、頑張ってくれや」

 

 彼はそう告げると、そのまま何処かへと向かっていく。

 普通の動きだったはずなのに、そのまま気配ごと消え去って見失ってしまった。

 ……なんか、勇者一行のレベル高すぎないか? 勇者には一度殺されかけたし、賢者はテレポート持ち。聖女は良く分からないが、一筋縄では行かないのだろう。

 

「聖女については……この棚か」

 

 ……思考が逸れた。今の最重要項目は勇者一行ではない。

 俺は古代にて、“最初の聖女ヒルアーゼ”が用いたという“契約魔法”……そこから直接繋がる“8柱の神々”の“交換魔法”及び“創造神”が用いた“創造魔法”について調べに来ている。

 ならば、先ずは聖女について記されている禁書を読んでみるべきだろう。

 神ならぬ身で契約魔法を……交換魔法という形で再現した女性の話を。現在の世界に起きている異常……それを実現せしめるのが、世界の法則を捻じ曲げる可能性を有する契約魔法なのであれば。そこを解き明かすことさえ出来れば、事態の解明・解決に大きく前進できるはずだ。

 

「クリスと俺でそれぞれ調査、そして気になる記述を見つけたら、その都度情報を共有する」

「了解ですわ」

 

 さて、と。随分と膨大な本があるものの、一体どこから手を付ければ……。

 いつ侵入が露見したっておかしくはない。なるべく最短最速で、必要な本だけ読むべきなのは自明の理。

 とはいえ、これだけの量があると探すだけでも一苦労である。

 

「……契約魔法にせよ交換魔法にせよ、直接書いている本は少なそうだな」

 

 あっても複数ある魔術・魔法の記述の1つとして書かれている程度。神話の時代から1400年以上、誰もその真実に辿り着けなかったのだろうか。

 否。そんな事はありえない。人間は、ヒトはそんなに甘くない。前世でも、今世でも。人間という生き物は強い。そこに未知があるのなら、必ず暴き踏破してしまう。

 故に。ここまで少ないというのであれば、そこには何者かの思惑を感じる。――例えば。決して真実に辿り着かせまいとするような思惑を。

 教会よりも先に。誰よりも徹底的に。そして1400年という途方もない歳月の中で。……流石に馬鹿げた妄想か。しかし、何らかの組織や人知を超えた長命存在ならば、或いは可能性も捨てきれない。

 

「『聖女名鑑』、『聖女レウの日記帳』、『聖女ネルマーの日記帳』……」

 

 一つ一つ背表紙のタイトルを見ていく。

 “ヒルアーゼ”が残した書物でもあれば最高だったが、彼女は1400年以上前の人物。当時は教会の体制も今ほど整っていなかったと聞くし、その時代の本が残っているとは考えにくい。

 

「……『聖女メイオーンの回顧録』、『聖女ニエスの日記帳』……」

 

 やはり、この棚にヒルアーゼが記したモノは見当たらない。

 ……しかし、日記帳やら回顧録やらが多いのはどういうわけだ?

 研究書を封印するのなら理解は容易い。事実、ラドロヴォールと合流した禁書庫……最初に行った禁書庫ではそうだった。真偽はどうあれ、教会の思惑に反した書物を人目につかぬよう封印する。それが禁書庫の役割。

 だが、聖女は教会の最大戦力であり、権威の象徴でもある。歴代の聖女は教会の最大の擁護者であるはず。

 そんな彼女たちが残した日記が禁書となっている。

 ……単純に、日常で零れる秘密を隠すためだろうか。日々の呟きの中で、ついうっかり重大な秘密を零してしまうというのは良くある話だ。前世でもSNSとかで頻繁に見受けられた。

 しかし、である。その理屈では回顧録を禁書として封印するのはオカシイ。日記とは異なり、回顧録とは誰かに見せるために残されるものなのだから。

 それを隠すということは、余程マズイ事が書かれてしまっていた可能性がある。……言い換えれば、それだけの事を当時の、或いは後世の“誰か”に伝えたいと願った聖女が居たということだ。

 

「そういう事なら……」

 

 手に取ったのは、『聖女メイオーンの回顧録』。

 先程見つけた『聖女名鑑』で名前を参照する。どうやら、400年前の人物らしい。

 さてさて、鬼が出るか蛇が出るか。

 

 

◆◆◆

 

 

『聖女メイオーンの回顧録』

 

 

 あんなに酷い事をした私を、未だに友人だと思ってくれている……そんな傲慢な幻想は抱きません。抱いて良いはずがありません。

 それでも。どうか届いてほしいと願って。

 ――この書を、親愛なる友人シムナスへ贈ります。

 

 

 齢6になる頃には、私の保有する魔力は人並外れた領域にありました。そう、私は“魔女”として生まれてしまったのです。

 しかし、当時の私が「お前は魔女だ」と誰かに蔑まれることは無く。むしろ“聖女候補”などと持て囃され、チヤホヤされていたくらい。……幼少の私は、只々、それを幸せな事だと考えていました。そして、それは決して間違いでも無かったのです。

 たとえば、腕、脚、目、魔法……何らかの欠損を抱えた子がいたとして。そのような幼き命を慈しみ、その存在を肯定する――即ち、「貴方は他の子供と変わらないよ」と伝えることは、愛溢れる行為でしょう。それで救われる心は確かにあり、当時の私もそうでした。

 両親は嫌味の1つも言わずに庇護し、ニコニコとした笑顔で愛してくれる。

 友人は私の“強さ”を単なる1つの個性として捉えてくれる。

 私の周りは常に“善意”で溢れた世界でした。私は何の疑いも無く、良く言えば純粋で無垢。悪く言えば浅慮で愚かしくも、それが世界そのものだと信じていたのです。

 ……しかし、それは単なる“箱庭”でしかなく。溢れていた笑顔は仮面で、交わされていた言葉は空虚な偽り。全てが嘘の上に成り立っていたと知ったのは、私が聖女となる“処置”を施された後でした。

 そもそも、聖女候補や聖女などと言ってはいますが、その本質は魔女でしかありません。魔女とは行動の果てに名付けられる名ではなく、その存在そのものに付けられる名。親兄弟も友人も、全ての存在は私を魔女として認識していました。……そう思っていなかったのは、私ただ一人だったのです。

 それは、私が生まれる数十年前に確立された方法。「聖女の箱庭」と名付けられた聖女育成プログラムにして、魔女更生プログラム。魔女だと判明した子供の周りの世界を偽りの箱庭とすることで、魔女を聖女へと育成する――端的に行ってしまえば、洗脳教育の一種です。

 魔女という強大に過ぎる力を脅威としてではなく武器として用いる……そのために発案された方法でした。ヒルア帝国はゼクエス教が強大な権力を握る宗教国家。故に、冠婚葬祭を始め日常における多くの事は大魔聖堂の管轄。特に医術や学問に関しての統率は極めて強力に行われています。子を身籠り医者の世話になれば、その子は教会の“調査”を受ける事となるのです。

 魔術さえあれば、産まれる前の子を検査するのも容易いこと。ヒルア帝国の医療機関が必ず教会に付随する形で存在するのも、ここに起因しています。ほとんどの人々は知らない事ですが、胎児は魔女であるか否か、という検査を受けているのです。

 この段階で魔女であると発覚した場合、両親には2つの選択肢が提示されます。その子供を育てるか否か、という選択です。育てないという選択を行った場合、その「魔女の子」は教会の完全な管理下に置かれます。訓練を施された教会騎士の精鋭が、偽りの両親や偽りの祖父母、偽りの知人として身辺を固めるのです。そして、徹底的な“教育”を施し、罷り間違っても人間への敵意を抱かぬように……自ら進んで聖女となって人類の為に力を尽くすようにするのです。

 歴史上、ほとんどの両親はこの選択をしたと聞きます。ヒルア帝国に住まうゼクエス教徒は、忌み嫌われる魔女を育てたいと思う事は少ないのでしょう。

 私の場合もこの形式だったらしく。血の繋がった両親は私を育てる事を放棄し、教会から孤児を受け取って育てることにしたとのこと。私はその方たちの名前すら存じませんが、その引き取られた子と実の両親が幸せに暮らせている事を願うばかりです。

 ……話が逸れてしまいましたね。仮に育てるという選択をしたとしても、教会側が用意した家に引っ越すこととなり、周囲は関係者で固められます。そして、幼少期から徹底的な“教育”を施されるのです。人の理を外れた“魔女”は悪そのものでも、聖女として人の道に生きる事は出来るのだと。そう教え込みます。

 そのどちらにも従わぬ場合、即ち、教会の意に反する場合には、記憶処理が施されるとも聞きます。個別の生命の自由意思を尊重する……そんな神々の取り決めにすら抗う方法を、大魔聖堂の教皇たちは有しているのでしょうか。聖女の立場ですら知ることは出来ない領域なので、詳しい事は何も分からないのですが。

 ともかく。教会は決して、魔女(聖女)を野放しにはしません。記憶処理ですら噂話と切って捨てる事が出来ぬほど、教会は徹底して管理しようとします。

 

 或いは、この書を後世にて読む誰かは、これを愚かしい事と断じるのかもしれません。それでも、現在のこの世界は綺麗事だけで維持できるモノでは無いのです。

 空には龍が暴風と共に舞い、地では魔女が嗤う。そして、異種族と人間、或いは人間同士の間には、無数の軋轢が堆く積み重なっています。

 魔女の力は一切の誇張なく、災害とでも呼ぶべき脅威。そんな力を、自分たちを護る盾として使えるのならば、多少の無理も為さねばなりません。少なくとも、為政者はその決断をせねばならないのです。

 故に、私が実の親と引き離され、偏った教育を受け、挙句の果てに聖女としての苦痛に苛まれていようとも。それでも私は、このシステムを肯定します。持たざる者たる人間が、この世界で生きていくためには欠かせぬ知恵だと思うから。多くの人の笑顔が守れるならば、私は何の不満も無いのです。

 

 ……この考えこそ、植え付けられたモノなのだと、魔女の貴女は言うのでしょうけれど。

 

 けれど。そんな教会の掲げる綺麗事が無かったとしても。

 それが嘘で塗り固められた、虚飾の羊水だと知っても尚。私の心が救われた事実は、救われてきた事実は無くなりません。

 ――だから私は、“聖女”として生きることを決めたのです。

 

 

◇◇◇

 

 

 まさか、ここで師匠の名前が出て来るとは思わなかった。

 

「……花葬の魔女が暴れたのは確か400年程前の事。一応、時代は同じなのか」

 

 聖女の教育……否、もはや洗脳か。こんなモノが存在していたとは驚きではある。そして、師匠の過去というのも非常に興味深い。

 けれども、それはそれとして。ここに書かれている記述は直接、最初の聖女ヒルアーゼや契約魔法・交換魔法に繋がるわけではなさそうだ。

 ……仮に、師匠の過去に「やり直し」に関する有力な手掛かりがあるならば、師匠がそれを見逃すはずがない。修行の日々の中で、必ず伝えてくれていた筈だ。

 ならば、今この書を熟読する意味は薄い。時間が限られているのなら尚更。

 ……正直なところ、凄く読みたい。俺が知らない師匠の過去を知りたいという欲求が溢れている。

 しかし。今は自重しよう。

 

「どうかされましたか?」

「いや、独り言だ。クリスは何か見つかったか?」

「妾の方でも1つ。奇妙な書を発見致しました」

「奇妙?」

「この書ですわ」

「『聖女の真実と、聖女増産計画』、著者タンザ・ホーレンエム……聖女増産計画だって?」

 








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5話 ある騎士の回想

大変長らくお待たせいたしました。
本日は2話更新です。


 

◆◆◆

 

 

『聖女の真実と、聖女増産計画』

 

 

 僕は無力だ。

 才能には恵まれていたと思う。親兄弟や友人にも恵まれていた。

 ……前世とは随分と異なる環境。何も成せずに死んだ僕に、神様がやり直しの機会を下さったのかもしれない。

 基本的には転生者が強力な魔法を発現することは無いけれど、僕はそこそこ有能な魔法に目覚めることが出来た。チートとは口が裂けても呼べない代物で、とてもじゃないけど無双なんて無理だけど、それでも使いようはある……そんな魔法だった。神様のような存在から祝福を受けているのだと、そう考えてしまうのも仕方ないだろう。

 そんな思いを抱きつつ、僕は必死に努力を重ねてきた。授かった環境に決して恥じぬ積み重ねをしてきたという自負はある。前世が持たざる者だったからこそ、自らが生まれながらに有する全てが如何に特別なモノか知っていた。それら全てを余すことなく使い切って、僕は今生を生きている。

 日々、魔術と剣術を鍛錬し、遂には教会騎士最強の8人“ゼリオス”として選ばれた。そのまま、聖女サニー様の護衛騎士という大任を任されてもいる。

 ゼクエス教徒として、騎士として、これ程までに名誉なこともない。僕は騎士として、王道にして最高の道を進んできたと言えるだろう。

 

 それでも、僕は無力だった。無力なままだった。

 だって、僕は。目の前で苦しむ少女1人すら救うことが出来ない。苦痛を抱えて生きる少女――聖女様の心身を救ってあげる事が出来ない。

 必死に考えたけれど、本人が望んでいないモノを僕は与えられなかった。

 自己満足の救済ほど偽善的で愚かしいモノはない。あくまでも救いとは、救われる側が判断するべきだから。

 

 救いを求めていない者を救うことは出来ない。

 

 助けてくれと一言でも彼女が言うのであれば。その手を僕に伸ばすのであれば。僕は全てをかなぐり捨てて彼女を救うために奔走しただろう。その覚悟は持っていたと断言できるのに。彼女はそれを望んではいなかったから。

 ……いや、これは醜い言い訳か。所詮、僕には覚悟が無かったのだ。国を滅ぼしてでも、或いは、世界を混沌に陥れてでも。世界全てを敵に回し、少女本人すらも敵に回しても。――それでも、たった1人の少女を救う。そういう覚悟が無かった。

 異世界転生をして、才能にも家族にも恵まれて。僕はもしかしたら主人公なんじゃないかって、そう思ったこともあったけれど。結局のところ、僕はただのモブだったらしい。

 

 それでも。

 それでも、あの計画を知ってしまったからには、何もしないなんて無理だ。――「聖女増産計画」なんて計画を知ってしまったからには。

 僕に彼女は救えない。けれど、後世の誰かの背を押す力になれるのなら。聖女を救いたいと願う誰かの助けになれるのなら。

 そう考えて、筆をとる。恐らく、この本は禁書指定になるだろう。しかし、それならそれで好都合。禁書指定になれば禁書庫に保管される。禁書庫の警備は尋常ならざるけれど、世界全てを敵に回そうとする大馬鹿なら何とかして見せると信じよう。

 そもそも、あの禁書庫のシステムは教会にとっての保険でもある。異端審問官を始め、教会には暗部も多い。それらが後世にて批判にさらされた際、内部告発をした教会騎士や司祭もいたのだと証明できるからだ。それによって、あくまでも当時の上層部が悪かっただけで、教会そのものや信徒、ひいては神々や教義に落ち度はないと言い逃れが可能となる。

 故に、僕のこの本も保管される。たとえ爆弾でも、難攻不落の禁書庫の守りさえあれば保管は可能……少なくとも、教会上層部はそう考えるはずだ。

 

 前置きが長くなってしまったが、許して欲しい。本を書くなど初めての事で勝手が分からないんだ。

 先ずは、そうだな。僕自身の事をもう少しだけ書かせてくれ。僕の固有魔法は「共感」。誰かの感情を自らに映し出すことが出来る力だ。どんな細かい嘘でも見抜けるとか、そこまで大それたモノじゃ無い。その時点で対象が抱いている漠然としたイメージを共有するだけ。けれどコツさえ掴めば、戦闘時の相手の焦燥や殺意を読むことが出来る。

 聖女護衛の任務を任された時も、僕は真っ先に彼女の心を自分に投影した。単純に、護衛対象の心理を知っておくことは任務遂行に役立つだろうと。それだけを考えての事だった。

 

 その結果、僕は一瞬にして気を失った。

 

 護衛対象を前にして、護衛する側が気を失う。初顔合わせにおける、赤面ものの大失態。今後百年は教会騎士団の中で語り継がれる笑い話になる事は間違いなく……けれど、そんな事は僕にはどうでも良かった。そんなモノは些末な事だった。

 

 僕は、彼女の心を映して気を失ったのだ。

 彼女の内面が、大人の男の……肉体も精神も鍛え上げられた教会騎士、その最上位の精神を一瞬にして蝕み、飲み込んだのだ。

 むしろ、僕ではない者が同じことを彼女にしていたらと思うとゾっとする。磨き抜いた精神だからこそ耐えられた。精神が完全に崩壊して廃人になっていても何の不思議も無かった。

 

 あの感情の濁流を、どのような言葉に表現すべきなのか未だに分からない。彼女と出逢った日から随分と経つが、一度は僕自身のモノとなった感情を言語化できずにいる。

 激痛などという言葉は生ぬるい。或いは、地獄の責め苦というモノが実在するのなら、ああいうモノになるのだろうか。

 ひたすらに押し寄せる痛みと苦しみ。痛い事が辛く、辛いことが苦しい……そんな風に、苦痛が少しずつ姿を変えて折り重なって。ただの痛覚ではなく、精神的な苦しみも伴って。全身が“苦しみ”で襲われているかのような――人間が感じることが出来る感覚と感情の全てが悲鳴を上げているかのようにも感じられた。

 

 目が覚めて直ぐ、枕元に聖女様が居て、倒れた僕を看病してくれていたのだと知った。人間側の重要な戦力として活躍する彼女は騎士団の中でも人気者……前世でいう所のアイドルのような存在でもある。だから、そんな女性に看病されたことは嬉しい事だった。……嬉しい事のはずだった。

 しかし、あんなモノを内に抱えたまま、ニコニコと笑いながら他者の心配をするなど狂っている。

 不気味だった。

 いっそ、全てが夢だと思いたかった。白昼夢の類だと考えた方が余程納得がいった。

 その瞬間、僕は確かに少女を恐れていた。

 自分より僅かに幼く見える程度の少女が、それまで相対した如何なる存在よりもおぞましいナニカに見えた。

 

 それでも。騎士としての使命感、もしかしたら男としての矜持かもしれない。僕は震える声でその問いかけを紡いだ。

 ――「聖女様は一体何を抱えていらっしゃるのですか」と。

 何かの間違いなら、僕が意味不明な質問をした変人として認識されるだけ。僕としては、そうであることを切に願っていた。

 けれど。その質問に、聖女様は驚いたような顔をした。それは、隠し続けたモノが発覚してしまった表情そのもので。同時に、僕はあの地獄が夢の世界では無い事を確信する。

 僕が自らの魔法の特性を彼女に語れば、彼女は諦めたように語り始めた。

 

 そして、僕は知った。

 “聖女”という存在の歪さを。僕たちの日常が、犠牲の上に成り立っている事を。

 

 そもそも、聖女は魔女。永き永き時を、老いることも無く生きる魔女を、強大な力そのままに人間の枠へと留めた存在。具体的には、内臓をはじめとした身体の各種器官を停止させ、苦痛によって精神を削り、結果として命を削り続けている。これこそが魔女を聖女とするカラクリ。言い換えれば、寿命を普通の人間並みにまで落とし込んだ魔女を「聖女」と呼称しているに過ぎない。

 僕が覗き込んでしまったモノは、聖女となった者が生きる限り永遠に……それこそ、寝ている時だろうが関係なく苛まれ続ける苦痛だったのだ。

 聖女となる処置を施された直後は、彼女も僕のように気を失ってばかりだったという。……単に、彼女は慣れてしまったのだ。あの地獄に。

 

 僕は彼女を化け物のように見ていた事を恥じた。こんなに気高く美しい心を持った存在を化物だと、そんな事を思う方が人の道を外れている。

 先程まで感じていた、死地にいるかのような緊張感は霧散していた。そして、僕は単純な質問を彼女に投げかけることにしたのだ。ひどく単純な疑問だった。今まで疑問に思わなかったことが異常であった。

 ――「なぜ聖女の寿命を削る必要があるのか」という根本的な問いである。

 聖女が人間の世界を守る最大戦力。最強の矛であり最強の盾でもあることは常識だ。であれば、彼女たちが長く生きていた方が良いではないか。数百年も生きて国を護ってもらえるならば、その方が絶対に良い。

 この問いに対し、彼女は驚くべき答えを返してきた。

 

 曰く。そもそも、魔女を人間と思ってはいけない。彼女たちは価値観が根本的に異なっているのだ、と。

 

 例えば、僕たち人間は動物の肉を食べる。目障りであれば虫を潰す。この「肉」や「虫」が魔女にとっての人間なのだと。彼女は語った。

 数百年も生きることから明らかなように、魔女は肉体構造から人間と異なってしまっている。それは思考回路も同様。魔力が容姿に影響を与えるというのは有名な話だが、これは言い換えれば魔力によって肉体が改造されるという事。それには当たり前のように頭脳も含まれる。教会上層部と当事者である聖女・魔女しか知らない事らしいが、彼女たちの思考は致命的なまでに人間からかけ離れ、ずれてしまっているのだと彼女は語った。

 人間が家畜を殺して食う事に必要以上の抵抗を覚えないように、魔女も人間を糧とすることに心を痛めたりはしない。例えば、人間を魔術研究の材料とするような行為にさえ……魔女が良心の呵責を覚えることは無いのだ。

 詳しい事は分かっていないが、魔女は己の知的好奇心に従って欲望のままに振舞う傾向があるという。どうして魔力の影響でそのような思考に変化するかは謎とのことだが、ともかく、魔女は人間とは異なる思考回路と肉体を有した、全く別の生命体なのだ。

 しかも、である。魔力によって変質するソレは、時の経過と共に一層進行する。数百年も生きた魔女はただの生ける災害。人類の敵と化す。

 

 ……思うに。魔力による変質は汚染の類なのかもしれない。健康のための薬も飲みすぎれば毒になりうる。魔力とはそういう代物であり、埒外の魔力を抱える魔女は急速に汚染されていくのだろう。

 故にこそ。

 そんな魔女を聖女とするべく、聖女育成プログラム『聖女の箱庭』は編み出された。周辺環境から徹底的に作り出すことで人間の味方へと作り変える計画。この際に、肉体も弄って寿命を削ることで、後に魔女へと戻ってしまう事を防いでいるとのことだった。

 つまり。あの苦痛を少女に与えたのは人間だった。僕たちが彼女たち聖女へと押し付けた痛みだったのだ。

 

 ……そんな話を聞いた直後。僕は教皇様直々に呼び出され、聖女に関して知った事の全てを口外禁止だと命令される。ご丁寧に契約魔術まで結ばされた。よっぽど広められたくない事実だったらしい。

 当然と言えば当然でもある。この事実はどう転んでも良い結果をもたらさない。

 まず、聖女が魔女と名前だけ異なる存在だと知って、民の信仰心が揺らぎ国内に不和を招く恐れがある。

 次に、今までの平和が聖女たちの犠牲の上に成り立っていたと知って、義憤に駆られたものが反乱を起こす可能性だってある。……こちらに関しては、常日頃からそういう理由を探している者達が居る事も忘れてはならない。教会も国も一枚岩ではなく、何か付け入る要因さえ見つければ、それを大義名分に行動を開始する……そんな者達だって居るのだ。

 しかし、あの教皇も既に御年87歳。未来を見通すとさえ言われる埒外の頭脳を持った傑物だったが、最近はボケてきたのではと専らの噂の人物でもある。

 だからこそ政敵が教皇の座を狙って蠢いており、貴重な戦力の僕が聖女護衛に派遣されたわけだが……今回ばかりは、それに救われた。教皇は契約魔術で「口外する事」しか禁止しなかったのだ。

 故に。その日以来少しずつ少しずつ調べ続けた内容をここに記すことが出来ている。

 

 教皇様との会話の後、僕は手始めに聖女様の説得へと乗り出した。……が、直ぐに挫折した。彼女は全てを知って納得してしまっていたからだ。嘘で出来た箱庭の中で都合の良い思想を植え付けられたことも、自らの置かれた状況が異常極まりないことも。何もかもを。

 そして。その全てを受け入れた上で言ってのけたのだ。自分の苦しみが多くの人々を救う力となるのなら、それで構わないと。

 それが彼女本来の気質なのか、植え付けられた思想によるものかは分からない。けれど、「共感」の魔法で彼女の思考を覗いた僕には分かった。分かってしまった。

 彼女は。ただただ、人々が平和に暮らせることを、彼女は願っていた。彼女が苦しみから解放されようとすれば、間違いなく教会と国に混乱が生じる。それを彼女は望んではいなかった。

 だから、僕は諦めた。彼女に降りかかる災厄を1つでも減らすべく、護衛騎士として尽力する……それだけしか僕に出来ることは無かった。

 

 救われたくないと願う者を救う事は出来ない。

 少なくとも僕には。

 

 そんな日々を続けること十数年。

 未練がましく聖女の事を調べ続けていた僕は、偶然にも、とある計画の存在を知ることとなる。

 それこそが、「聖女増産計画」。

 内容は単純で、国の最大戦力たる聖女を量産する事は出来ないだろうかという計画だった。

 理由は不明だが、オーロングラーデは大地そのものが膨大な魔力を有する都市。そこにおいて、建造物の中に無数の魔術式を書き込み、かつ建物の配置自体も工夫する事で、都市全体を1つの巨大な魔術装置とする計画。原理までは解明できなかったけれど、この魔術が発動すると、魔女が生まれる可能性を高めることが出来るらしい。この国の長い歴史を紐解いても、聖女の数は同時期に3人いれば良い方だが、それを増やそうという計画だ。

 僕はこれを認めるわけにはいかなかった。そもそも、この国の戦力は聖女だけではない。例えば、僕たち教会騎士だって十分に強力な戦力。他にも、各都市には防衛用の強力な魔術が無数に仕掛けられてもいる。現状の体制で防衛力は十分に足りているのだ。これ以上の戦力が必要となるとすれば、それこそ領土拡大や大陸制覇でも視野に入れている可能性が高い。

 隣接する地には吸血鬼の国を始め、幾つもの異種族の小国が存在する。あれらを教会上層部が快く思っていないのは知っているし、現に吸血鬼は人間にとって脅威だ。彼らの残虐非道な行為は良く知っている。

 ……しかし、それでも。綺麗事かもしれないが、かつて“日本”という国で生きていた僕には、どうにも受け入れられないのだ。防衛のための戦争は仕方なくとも、侵略戦争や民族浄化を許容するわけにはいかない。

 そして何よりも。聖女を増やすという事は、彼女と同じ苦しみを押し付けられる者を増やすという事だ。それは絶対に認められない。

 僕はこの書を書き終えたら、この計画を白紙とすべく行動を開始する。……ほぼ間違いなく失敗するし、どう足掻いても処刑だろうけども。

 それでも決意は変わらない。

 

 僕は無力だ。

 けれど。

 僕は僕の物語を。無力な男が紡ぐ、異世界ファンタジーの最終章を始めようと思う。

 

 

 



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6話 発覚

本日2話目です。


 

◇◇◇

 

 

 オーロングラーデ……俺の故郷で聖女増産計画? そんなモノは聞き覚えが……いや、待て。

 オカシイ。そうだ、“日常”過ぎて気付かなかった。10歳にも満たない子どもを毎日勉強机に縛り付ける……少々やり過ぎでは無かったか?

 外に出て遊ぶことすら滅多に許されない日々。自由なんて無い毎日。いくら魔法が使えないからって度が過ぎていたように思える。

 これは罷り間違っても、俺が聖女(魔女)……男の場合は“魔人”か。魔人であるという馬鹿げた話ではない。ネグレクト同然の扱いは、かえって反感を抱かせてしまう。聖女育成プログラムの趣旨に添わない。

 ならば、どういったことが考えられる?

 例えば。例えば、そう。妹のウアが聖女候補だったとしたら?

 たまたま既に俺という息子が居る家に、聖女候補のウアが生まれたのだとしたら? その状況で、両親はウアの事も育てると決めたのだとしたら?

 俺は何も知らない子供。計画に支障を来す可能性は高い。それでも同時に育てることが認められたのは……或いは、両親が教会内でも実力者だったのか。権力者ともなれば、その血筋も重視される。俺とウアは“跡継ぎ”であり、それを手放すわけにはいかなかった……とか?

 

 ……今更ながら。両親の立場すら碌に知らないとは、つくづく異常な環境に居たのだと実感する。或いは、暗部関係の実力者だったのだろうか。ヴァルハイトなら何か知っているのかもしれない。

 ともかく。今は両親が教会内での有力者だったと仮定して思考しよう。

 

 計画の重要性は両親もよくよく分かっており、だからこそ邪魔になりかねない俺は勉強だけさせて放置。彼らが重視したのは血筋、遺伝子のみであり、手元においておけるだけで構わなかった。ある程度育った後は、どこかの家との縁談に使うなどすれば良いのだし。

 思い返せば、両親は随分と敬虔な信徒だった。魔女に遭遇したら自害しろと何度も何度も大真面目に言われた。心身深かったことは明白で、それが立場故だとしたら納得がいく。

 

 少しずつ、しかし確実に。パズルが埋まってきている。

 

 ――しかし、1つ致命的な欠陥がある。

 仮にウアが聖女……つまり魔女なのだとして。それに師匠が気付かないはずがない。

 幼少の頃は魔女であっても保有魔力は少なく、だからこそ普通の人間と同じように成長する。だが、一定以上の魔力を有するようになると肉体が大幅に変質し、成長・老化が限りなく緩やかになって……結果、数百年の時を生きるようになるのだ。

 確かに、師匠と出会った直後のウアは幼すぎたかもしれない。しかし、旅立つ頃には年相応の成長を遂げていた。成長が不自然に止まるような兆候も無かった。

 

 駄目だ。今の俺が有する情報では答えが出ない。

 何か決定的なピースが1つ欠けている。どれだけ足掻いても、このままではパズルは完成しない。

 

 ……今これ以上考えても答えは出そうにない。一先ずは保留で良いだろう。

 それよりも。今の本に記されていた聖女……サニーだったか。その人物の年代を確かめておくべき。

 時系列の整理は重要だ。特に何1つ手掛かりがつかめないような状況では。

 

『“天”の聖女サニー(人歴1076~1147)

 本名:サニー・レイン ※レイン家に生まれ、箱庭計画によって教会預かりとなる。なお、両親には記憶処理を施す。以降、慣例に従って苗字は抹消、封印。

 魔法:天候操作

 功績:いくつもの戦争にて活躍。特に1112年、吸血鬼殲滅作戦にて大地を枯らした功績は大きい。また、平時は天候操作によって農業をはじめとした多様な場面にて尽力。

 備考:特になし。』

 

 師匠と聖女メイオーンの頃から100年ほど後。また、300年前の吸血鬼との戦争の真っただ中。

 2つの書の内容を照らし合わせるに、騎士タンザの為そうとした事は失敗したのだろう。そのまま、ヒルア帝国は吸血鬼の国を滅ぼし、周辺の小国を滅ぼして領土を拡大していった。

 恐らく、全ては聖女の数を増やす事が出来るようになったからこそ。今のヒルア帝国に聖女は5人。本には“多くても3人”という記述があったのだから、やはり増加している。

 思えば、勇者一行の聖女メレリアもオーロングラーデの出身だった。彼女も増産計画の結果として誕生した聖女だったのかもしれない。

 

「この結果が吸血鬼の滅亡だったのですね」

「……大丈夫か?」

 

 吸血鬼は人間に滅ぼされ、その果てに造り出されたのがクリスだ。

 聖女が苦痛を抱えて生きるように、彼女の生も痛みを伴う。価値観すら壊れている故に苦しいと感じないだけで、彼女もまた押し付けられた側。一部の犠牲で何かを為そうとするのは、世界や種族が異なろうとも変わらないヒトの業なのかもしれない。

 ヒトが国を、文明を、社会を築く生き物であるならば。その集団が拡大するにつれて犠牲が生まれる。不都合を押し付けられる者が必要となってしまう。

 聖女やクリスのような極端な例で無くとも貧富の差などは典型例。万人が平等で幸福な世界など空想の夢物語。犠牲あればこそ回るのがヒトの世である。

 それは当たり前の事で、決して「悪」ではない。

 

「ふふ、ご心配下さりありがとうございます」

 

 されど、その犠牲から目を逸らし続ければ、やがて安寧は崩れ去る。革命や内戦の火種となって世を包み込む業火となってしまう。

 たおやかに微笑みを浮かべる彼女は、ただの美しい女性に見える。華奢な身体は触れれば容易く折れてしまいそうだし、儚さと気品を伴った立ち姿は神聖な彫像を思わせる。

 

「ですが、不思議と思う事は多くないのです」

「……そう、なのか?」

 

 だが。彼女こそは炎。人間たちが切り捨ててきた存在を薪として燃え上がる業火。

 そして。それらの炎を束ね、世を燃やし尽くさんとした存在こそが“魔王エイジ・ククローク”。

 ……何のことは無い。かの王も世の理が必然的に生み出した、ありふれた存在に過ぎないのだ。この世界は無数の火種を抱えていて、その限界が魔王を生み出した。奴がやらずとも吸血鬼クリスは単独で行動を開始していただろうし、その場合は彼女が女王にでもなっていたかもしれない。或いは、アドラゼールが魔王になっていた可能性もある。……この場合は竜王とでも呼ばれていたのだろうか。

 

「はい。ただ1つだけ。人間が……ヒルア帝国が軍事力を増強し吸血鬼を滅ぼした。その過去があったからこそ、妾は産まれ、エイジ様と出逢えた。それだけですわ」

「……随分と熱烈だな。それだけ想って貰えるなんて、魔王様も草葉の陰で喜んでるだろ」

「ふふ。どうでしょうか。喜んでいただけているのなら幸いですけれど」

 

 ……“魔王様”ではなく“エイジ様”か。

 彼女の中で何かしら明確な答えが1つ出ている事――ずっと一緒に居るんだ、それくらいは気付いている。特に、あの純白の街レウワルツで勇者と相対した日からは顕著だった。

 ただ、それがどのようなモノか確信が持てない。

 これが単純に、前回の“魔王”と“俺”を別個の存在として捉え、“魔王”ならざる“俺”に力を貸す覚悟を決めてくれた――とかなら問題はない。実際、彼女のこれまでの行動とその仮定は矛盾が無く、可能性は高いと言えるだろう。

 それでも。

 それでも俺は彼女を疑ってしまう。

 ここまで来れたのは間違いなく彼女のおかげだ。世界中が敵となった世界で、ずっと共に旅をしてきた。“前回”の魔王軍四天王――その圧倒的な実力があったからこそ、ここまで旅を続けられたのだ。

 そんな彼女を……仲間を俺は疑い続けている。そして、その事を改めようとは微塵も思っていないのだから救いようがない。

 

 信頼とは一種の思考停止だ。確信も結論も、全ては容易く覆る。

 実の両親、友人に知人。あらゆる存在が俺を殺そうとしてきた日の事は脳裏に焼き付いてしまってる。忘れたくとも、何度も何度も夢に見るのだ。

 だから、どんな人物に対しても裏切られる事を前提として考えてしまう。師匠やバルバルのことも「あのヒトたちになら裏切られても構わない」と考えているのであり、絶対に裏切られないなんて考えちゃいない。

 ……そんな事を思えるのは、世界でただ1人。妹のウアに対してくらいだろう。

 

 果たしてクリスの今の感情は何処へ、誰へと向いているのか。その紅の瞳は何を映しているのか。

 ふと思い出すのは橙色髪と仮面。ヴァルハイトの奴が心底羨ましい。他人の心理を完全に見抜けるのならば、どれだけ楽なことだろう。

 

 ただ1つだけ確かなことは。そう遠くない内に、彼女の内面と向き合う必要があるということ。

 その時、俺と彼女は争う事になるかもしれない。吸血鬼たちの狂気が具現化した、魔女にすら匹敵する正真正銘の怪物……そんな彼女と戦うとなれば手加減なんて出来やしない。俺か、彼女か。どちらかが必ず命を落とすことになる。

 

 その時、俺は――。

 

「……今は一刻も早く目当ての情報を探すべき時だな。全ては後回しだ」

「えぇ、その通りですわ」

 

 ともかく、この2つの本は棚に戻そう。これ以上眺めていても新しい発見は無さそうだ。

 

「悪いが、この本は元々あった場所に戻してきてくれ。侵入した形跡をゼロには出来ずとも、最小限にはしたいからな」

「了解いたしました」

 

 本をクリスに渡せば、彼女は奥の本棚へと向かって行った。

 盗賊ラドロヴォールならともかく、俺やクリスでは痕跡を一切残さずに消え去るなんて不可能だ。それでも発覚を遅らせる程度の効果はあるだろうし、やっておいて損はない。

 

「さて、と。俺はこの『聖女名鑑』を元の場所に……」

 

 ……ん? この名鑑、全体的に魔術的な仕掛けが施されているな。

 本に魔術を仕掛けるのは珍しい事では無い。重大な秘密を隠しておいたり、持ち主以外の読者を迎撃したりと様々な魔術が仕掛けられている。

 本の中の特定の文字にだけ特殊な塗料を使うことで術式を隠すこともあれば、この本のように……。

 

「背表紙の中に術式を刻んでいる事もある……だよな、師匠」

 

 師匠との修行では何も戦闘技術だけを鍛えていた訳じゃない。

 むしろ、こういう細かな事の方を徹底的に学んでいた。……というか、学ばなきゃ死んでた。師匠保有の本には即死級のトラップが仕掛けられている物も少なくなかったのだ。

 

「……ありふれた術式だな。迎撃用でも無いし、わざわざ慎重に調べる必要も無かった」

 

 別の場所で記した内容をリアルタイムに反映する術式だ。聖女が誕生したら地上のどこかに名前を刻み、その内容がここに反映されるのだろう。確かに、いちいち禁書庫に入って書き直すよりは効率的だ。

 ただ、その程度の便利グッズ機能を見つけたところで何の意味も無い。時間を無駄にしてしまった……

 

 ……待て。

 と、いうことは。最新の聖女、勇者一行のメレリアの事も書かれているはず。名鑑には名前以外の事も書かれている。何かの参考になる可能性は高い。

 どうせ、いずれは奴とも戦うことになる。情報を集めておいて損はない。

 俺は名鑑の最後のページを開き……。

 

「……は?」

 

 そこに書かれていた名前は。

 

「メレリア・ククローク?」

 

 想像の斜め上を行くモノだった。

 

 

 



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7話 ピース

 

◇◇◇

 

 

「覚悟するんだね、兄ちゃん! 今度こそ私の勝ちだよ!」

 

 思い出すのは、いつだって無邪気な笑顔。

 

「ふっふっふ。妹より優れた兄なんて存在しないってことを教えてあげる!」

 

 俺の事を「兄」と呼び慕う女の子。何かと理由をつけては俺の傍にいようとする少女。

 

「ふははははは! 残念だったな、ウア! ここで発動、伏兵カード! 俺の勝ちだ!」

「なんで初めてのゲームで勝てるのさ!」

「兄より優れた妹など存在せんのだ! クハハハハハ!」

「むきー!」

 

 そんな少女()を、俺はーー

 

 

◇◇◇

 

 

 俺の目の前に書かれた“メレリア・ククローク”の文字列。

 そして――。

 

「……備考。“魔王”エイジ・ククロークは実兄。魔王は聖女を“解放”すべく戦いを始めたと推察される……教会の支配を揺るがす恐れ大。最重要機密として扱うべし……」

 

 これは罠だ。教会は俺が此処に潜入する事を読んでおり、俺を動揺させる為に嘘の記述を用意したのだろう。

 ――それなら、教会騎士やら勇者一行やら執行官でも配置して仕留めてしまうべきだ。

 

 或いは、ラドロヴォールが裏切者……というか獅子身中の虫だったというのはどうだろう? 奴が教会側に連絡し、それを受けた教会は戦力の手配が間に合わず、急遽、嘘の情報を遠隔で書き込んだ。

 ――それなら、ここに閉じ込めるとか方法は幾らでもある。第一、俺がこの書を取ったのは偶然だ。予め予想できる類の事ではない。

 

 あぁ。クソっ。

 ウアを疑いたくなんて無いのに。俺の理性が、染み付いた思考が、状況を冷酷に分析していく。

 全ての違和感が氷解していく。見えなかった道が見えていく。

 

 ずっと何か重大なピースが欠けていると感じていた。

 ウアが妹ではないこと。

 聖女が妹であること。

 表裏一体の2つの事実が探し求めたピースなのだとしたら。

 

 そもそも、奇妙な話だったのだ。

 集めた情報を整理する限り、全ての1周目(ルート)において魔王エイジの始まりは共通している。

 それこそが、故郷の街オーロングラーデの強襲。

 奇妙だったのは、ただ一点。

 強襲を実行に移したこと、では()()

 あの街が選ばれたこと、でも()()

 それらは疑問ではあっても奇妙では無かった。

 

 ただ1つ。奇妙だったのは。

 “エイジ・ククローク”が聖女一人に追い返されたということ。

 

 別に自惚れているわけではない。これは冷静な判断の結果だ。

 根拠なんて1つだけ。“エイジ・ククローク”は“花葬の魔女シムナスの弟子である”という事実。

 師匠は正真正銘の魔女。魔女としての圧倒的な力を、数百年の生の中で研ぎ澄まし続けて来たヒトだ。武も知も妥協することなく極めてきたヒトである。

 そんな人から6年も修行をつけてもらっていた少年。俺のように“記憶事変の謎を探る”なんてフワッとした目的では無く、たった1つの明確な目的を掲げて走り始めた少年。

 ……そんな少年が、聖女とはいえ、たった一人に追い返された。

 

 “魔王エイジ”は勇者一行を長年苦戦させ続けていた存在。当時は魔王軍という戦力を有していなかったのは事実だが、その程度で勇者一行の1メンバー程度に後れを取ったとは考えにくい。しかも、聖女メレリアは力が開花して直後だったというのに。

 これは幾ら何でもオカシイ。

 

 “エイジ・ククローク”であるならば、万全なんて言葉では生ぬるい準備をして実行に移しただろう。

 ヴァルハイトから聞いた話では、エイクルートでは街周辺の森を焼き払ったらしい。当然、無関係な犠牲者が大勢出る事態も想定していた筈だ。……つまり、覚悟はガンギマリ。腹を括っていたと解釈できる。

 今みたいに俺以外が2周目なんて鬼畜モードでもなく、師匠の下で修業を積みながら1つの目的の為に6年間も準備をして。

 それでも失敗した。失敗したのだ。

 そんな事が起きるとしたら。それは。

 

 ふと、つい先ほど読んだ教会騎士の独白を思い出す。

 ――救いを求めぬ者を、救う事は出来ない。

 

 聖女メレリア。彼女が。彼女こそが目的だったのなら全てに納得がいく。

 救うはずだった存在に攻撃されたのならば。

 

 

◇◇◇

 

 

 その後しばらくして。ラドロヴォールの「そろそろ出た方が良い。侵入がバレたら詰みだ」との助言を受け入れ、俺たち3人は禁書庫から出る事を決めた。

 地下に張り巡らされた回廊。その薄暗い道を走り抜けながら、考えるのは1つ。

 

 ……あの後、幾つもの禁書に目を通したはずだが、不思議と内容が頭に残っていない。

 特に役立ちそうな情報と出会えなかったから、というのも理由の1つだろう。だが、一番の理由は――

 

「おいおい。どうした魔王様。この世の終わりみたいな顔しやがって」

 

 脱出の最中、ラドロヴォールがそんなことを言った。クリスも不思議そうに俺の顔を覗き込んでいる。

 ……そうか。今の俺はそんなに絶望した表情をしているのか。

 

「困るんだよな、そういう表情は俺様に最も大切なモノを奪われた時にしてくれないとさ」

 

 最も大切なモノ。俺にとって一番大切なモノ……。

 

「……ラドロヴォール。現状、お前が考えている標的……俺の最も大切なモノってなんだ」

「それ教えたら対策を練られちまうだろうが」

 

 ……コイツは絶対何か知っている。 

 俺が此処に来ることを予測できた理由。“前回”にてコイツが得たという“独自の情報”。それが深く関係している。そう考えた方が辻褄が合う。

 だが、それを敢えてはぐらかしているのだ。

 それがコイツの性格だというのは既に理解した。理解したが、今の俺には余裕がない。さっさと会話を進めさせてもらう。

 

「……なら良い。当ててやる。……聖女なんだよな?」

「…………成程。どうやら、わざわざ禁書庫まで来たのは無駄じゃ無かったらしいな」

 

 告げれば、ラドロヴォールはニヤリと口角を上げて答えた。

 やはりコイツは知っていた。知っていながら様子見をしていたのだ。

 

「少し前までは俺様もそう考えていた。テメェを妹と完全に決別させてやろうってな」

 

 “決別”。仲間の聖女を殺すという意味では無いだろう。

 恐らく、裏も何も無く言葉通りの意味。“前回”にて何があったか知らないが、“魔王”と“聖女”として争った兄妹。……しかも、少なくとも“魔王”の側は“聖女”を嫌っていたわけでは無く。むしろ助けようとしていた節がある。

 思い出すのは、いつぞやの靴磨き中に聞いた話。エイク、ビクト、カルツ。知られている限り全ての“前回”において“聖女”が死んだ事は無い。最後まで生き残っていたという話。

 成程。それが敵対しても捨てきれない肉親の情だったとしたら。そうだとしたら、その仲を決裂させることは小さくないダメージとなる事だろう。

 しかし――

 

「だが、テメェが聖女と相対した時の反応をジジイ……賢者から聞いて考えが変わった」

 

 それは、俺が聖女を大切に想っているという前提があって初めて成り立つ。

 

「“今回”では、聖女が俺の一番大切な存在じゃないかもしれないってことか」

「あぁ。少なくとも、今のテメェにとって聖女がどういう存在か見極める必要があるって考えたのさ」

 

 だから、彼は此処に来た。

 ……間違いなく、コイツにだって俺を憎む理由がある。この飄々とした男が背負って行くと決めた憎悪は、きっと決して軽いモノではない。

 それこそ、大切な誰かを俺に殺されたとか、その辺りだろう。

 それでも、彼は。

 己の美学に沿って復讐を行うと決めて。間違った“盗み”を行う事が無いよう、こうして俺の事を手伝ってまでいる。

 あぁ、コイツは――

 

「……お前って口調も格好も肩書きもオラオラしてるのに、意外と一番常識人だよな」

「何を言いやがる! 俺様は天下の義賊、ラドロヴォール・ゴールド様だぜ? 常識なんてモンに囚われねぇトリックスターが俺様だよ」

 

 ――“義賊”か。

 言い得て妙だ。

 或いは。魔王も勇者一行も何も無く。絡まった因果の全てが存在しない、そんな夢のようなIFが存在していたとしたら。

 俺はコイツと良い友達になれたかもしれない。

 

「聖女について聞きたい。聖女は俺の――」

「あぁ。聖女は魔王エイジと血を分けた実の妹だぜ」

 

 即答。もう隠す必要は無いから……というよりは、最初から隠し通すつもりでも無かったのだろう。

 

「……やっぱり、そうか」

「へぇ? 意外と動揺しねぇんだな」

「今は1つの情報として受け止めるしか無いって腹を括った。……それより、あと幾つか聖女について聞きたい。聖女は――」

 

 ともかく、深く考えるのは後だ。今はまず少しでも情報を。

 そう思って問いを発した、直後。

 

「――っ!?」

 

 凄まじい“()()()()”。

 ()()()()()()()()()()という確信。

 

「エイジ様っ!」

 

 咄嗟に双剣を構えることが出来たのは奇跡に近い。

 こういう奇襲搦め手は、実力差のある師匠から一本を取るために俺が多用した手だった。

 当然、使うからには対処法も特訓しておく。だから対応できた。それだけだった。

 

「っ…ぅ……」

 

 首前に構えた双剣。滑らせるように前へ。

 同時。身体を下方に。

 ギャリギャリと金属同士の擦れあうような音が耳の至近で轟く。

 

「……ぅらああああああああああああああ!!」

 

 そのまま、全力でソレを上方へと逸らす。

 それこそは、鋭利に研ぎ澄まされた風の刃。

 不可視の刃は音も無く、ぴったり俺の首の高さに忍び寄っていた。

 “俺を殺す”という絶対の意思を感じる一撃。

 これまでで1、2を争う強烈な殺意。殺意の刃。

 飛ばしたのは間違いなく――

 

「見つけました。魔王エイジ・ククローク。いえ……」

 

 ――そこに居たのは少女。

 両目を覆う目隠しで顔の上半分は隠された、黒髪の少女。

 車椅子に座る、その少女こそは――

 

「……兄様、お覚悟を。身内の穢れは私が消し去ります」

「聖女、メレリア……っ!」

 

 



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8話 聖天使

 

◇◇◇

 

 

 これは大森林を出立する直前の事。

 かつての魔王軍四天王、エルフの智将フィデルニクスは俺に告げた。

 

「エイジ君。くれぐれも聖女には気を付けてください」

「なんだ、心配してくれるのか?」

「いえ。単純に、他の者に貴方を殺されたくないだけですよ」

「ま、そうだよな……既に分かり切った事だけど、味方が皆無で泣きそう」

「魔王様の泣き顔は見たことが無いので非常に興味がありますね。是非見てみたいものです」

「妾も! 妾も見たいです、エイジ様! 絵師に命じて絵画としましょう! 必ずや、未来永劫受け継がれる至高の名作となります!」

「自分の泣き顔が博物館で飾られて大勢の人に見られるとか恥ずかし過ぎて死ぬから止めてくれ……っと、話が逸れた。それで、聖女に気を付けろってどういうことだ?」

 

 片手でクリスの頭を撫でて黙らせながら問いかければ、フィデルニクスは先程までの和やかな雰囲気を捨てて口を開いた。

 

「聖女の魔法は得体が知れない。或いは、賢者や勇者よりも恐ろしい。勇者一行の中で最も危険な力といっても差し支えないでしょう」

「……そこまで、なのか?」

「えぇ。長きに渡った戦争の最終盤でこそありましたが。私の“前回”では――」

 

 そして。その後に彼が続けた言葉は。

 

「――かの滅龍。アドラゼールと互角に渡り合ったのです」

 

 あまりにも常軌を逸した内容だった。

 

 

◇◇◇

 

 

 ここで、この局面で。よりにもよって聖女。俺の血の繋がった妹かもしれない、聖女メレリア・ククローク。

 全てが罠だったのか?

 義賊ラドロヴォール・ゴールド。全てが奴の作戦で、ここで聖女と共に俺を仕留める腹積もりだったのか?

 

「聞け! 俺には“前回”の記憶が無い! 罪やら何やらと言われても、俺には関係の無い事だ!」

「問答無用。全ては天上にて主に弁明してくださいませ、兄上!」

「くっ、無理か……!」

 

 駄目元で記憶無しカミングアウトを使ってみたが、やはり覚悟ガンギマリの聖女には通じない。

 最近、この暴露技が通じる相手が皆無過ぎるな。新しい敵に必殺技が全く効かなくなっていく容赦ないインフレシステムに泣けてくる。

 そもそも必殺技が単なる説得・命乞いでしかないというね。こんなので良く“魔王”なんてなれたな“前回”の俺は。

 

「我、此処に希う。求めるは、神敵魔王を滅する力。降臨せよ――」

 

 紡がれる言葉に呼応するように。聖女の身体が白く光り輝く。

 間違いなく、聖女が発動しようとしているのは彼女の魔法。

 フィデルニクス曰く、あのアドラゼールとすら渡り合ったという驚異的な力。

 龍にすら匹敵する、ヒトの領域を軽々と超越した化け物染みた魔法。

 その名も――

 

「――聖天使」

 

 直後。眩い光の奔流が迸り。

 地上に天使が顕現した。

 

 

◇◇◇

 

 

 それは、穢れ1つない純白の存在。

 全長およそ6メートル。

 右手にはレイピア。左手には盾。その何れも装飾の類は一切なく。しかし、武骨では無く荘厳。ただ戦うために研ぎ澄まされた至高の美。

 真白き2対の翼は、少女を護るように広げられて。

 成程、これは“聖天使”と表現するより他にない。

 

「聖なる剣よ。彼の悪魔を滅し給え」

 

 聖女の言葉に従い、天使の背後に純白の剣が現れる。

 十、二十、三十……まだ増える。

 剣は全て俺へと切っ先を向けて空中で制止していたが……

 

「来ます、エイジ様……!」

「っ…!」

 

 瞬間。全ての剣が一斉に射出された。

 弾丸と見紛う速度。数十の刃はただ一直線に俺へと向かってくる。

 あの速さと大きさに伴う質量。アドラゼールにすら通じる威力なのだとしたら、俺如きの力で破壊できるはずも無い。

 躱すというのも現実的ではない。無駄に広いとはいえ、此処は左右に逃げ場のない通路。蜂の巣になるだけだ。

 ならば、打てる手は1つ。

 双剣で軌道を逸らしつつ接近。術者である聖女を直接叩く。

 

「援護してくれ、クリス!」

「はい! 御武運を!」

 

 そのまま突撃しようとして――

 

「うわ、あっぶねぇ。超ギリギリじゃん。流石はメレちゃんだな」

「……何の真似ですか、ゴールドさん」

 

 全ての剣は、間に割って入ったラドロヴォールの直前で制止していた。

 

「おいおい、そのゴールドさんって他人行儀な呼び方止めてくれって言ったろ? 俺様の事は“昔”みたいにラドって呼んでくれて良いんだぜ?」

「良い加減にしてください、ゴールドさん。前にも申しあげた通り、私の“前回”と貴方の“前回”は別物です。そんな事より、何故貴方は魔王を庇うように立っているのですか。返答次第では貴方諸共……」

 

 何だ、どういう事だ?

 聖女との遭遇に始まる一連の流れはラドロヴォールの差し金では無いということか?

 いや、だとしても。此処で彼が俺を庇う理由は一体……。

 

「……ったくよ。クソジジイも余計な事してくれる。……メレちゃん、いや、聖女。今、何の真似ですかって聞いたな」

 

 ラドロヴォールはそこで一度言葉を区切ると。

 真っ直ぐ聖女を見定めて。告げた。

 

「それは俺様のセリフだ! 血を分けた肉親を殺そうとするとは一体どういうつもりだ、メレリア・ククローク!」

 

 

 



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9話 ラドロヴォール・ゴールド

 

◆◆◆

 

 

 魔王に話した盗みで復讐云々の話は、半分嘘で半分真実と言った所だろうか。

 奴には盗みの標的が変わるかもしれねぇ感じで伝えたが、それが真っ赤な嘘。“前回”の恨みやら辛酸やらに関する意趣返しの意味合いが大きい。

 正直、“今回”の魔王の一番大切なモノが何かなんて知った事か。

 俺様の盗みの標的は初めから1つだけ。契約魔術を結ばなかったのも、別の標的を盗む事態に陥らないためだ。

 

 金銀財宝、美食、豪邸。

 どんな価値ある品より尊いモノを、ラドロヴォール・ゴールドは知っている。

 

 魔王に力を貸しているのも、それを魔王から盗み出すため。

 そう、全ては。

 魔王の妹、聖女メレリア・ククロークを()()ためだ。

 

 

◆◆◆

 

 

 俺様は今でこそ「義賊」なんて名乗っちゃいるが、元は生粋の悪党だ。

 人様の大切なモノを奪って生きる、どうしようもねぇクズ。ただの盗人だった。

 

 なぜ盗人なんてモノになったのか。そんなのは決まっている。それが一番生きやすい道だったからに他ならねぇ。

 別に珍しい話でもねぇさ。親父がどうしようもねぇクズで、違法なクスリに傾倒して暴力三昧。母はそんなクソ親父を見限って姿をくらませた。

 クソ親父は終いに3人を殺めて投獄、処刑。殺したのはヤクの売人2人と全く無関係の通りすがり1人。

 結果、俺様は路頭に迷った。当然だ。クソ親父はクスリに有り金全部注ぎ込んでやがったし、殺人鬼の子を引き取ろうとする親戚は居なかった。

 それで生きていくために盗人になった。それだけの話だ。

 

 幸いと言って良いのか分からねぇが、俺様には盗みに関して天賦の才が有った。

 クスリ代のために、幼少期から窃盗行為はさせられていたから十分な経験もあった。

 誰にも見つからず、気付かれず。盗みが入った事を認識すらされず。

 そのまま盗みの回数を積み重ねていくうちに、徐々に俺様は調子に乗っていった。

 最初はそこそこ裕福な家から食い物やらを拝借するだけだったが、次第にとびきり立派な邸宅やら教会やらを狙うようになった。

 奪うモノの価値も跳ねあがり、流石に盗みが入った事には気付かれ始めていった。

 もっとも、それは俺様が去った後。全てが手遅れになって初めて発覚する。

 俺様はますます図に乗って、それでも誰にも捕まらず。誰にも阻まれず。

 そんな日々が続いて、数年。

 このまま死ぬまで盗賊だと思っていた俺様は、あの人と出会ったのだ。

 今の“義賊ラドロ”を構成する2つの運命の出逢い。その片割れ。

 あのジジイ……賢者クレイビアッドと。

 

 

◆◆◆

 

 

 当時、天狗になっていた俺様は国の中枢にだって忍び込んでいた。それで遂に、俺様を捕縛すべく国が……ヒルア帝国が動いたのだ。

 まぁ、それでも誰にも捕まらなかったのだが。教会の誇る教会騎士、最大戦力ゼリオス、暗部の執行官。誰からも俺様は逃げ切った。

 だからこそ、ある男に白羽の矢が立つこととなる。

 その人物こそ、人間で最も魔道に優れる者。賢者クレイビアッドその人だった。

 

 学の無い俺様だって賢者の事は良く良く知っていた。

 魔術・魔法で女より劣る男。その男の身でありながら、研究に研究を重ね、魔道に人生を捧げ続けた者。

 決して魔力の量は多くない。どこまでいっても人間の範疇に留まり、生まれついて保有魔力に優れるエルフやら何やらの異種族と比べれば並程度。聖女やら魔女には及ぶべくもない。

 それでも彼は“賢者”と呼ばれている。

 より効率的な術式、より効果的な触媒。少ない魔力で最大威力の術を発動する方法を模索し続けた。あらゆる知識を集め、新たな地平を切り拓き、遂には世界最高峰の術者に上り詰めたのだ。

 生まれついての才能ではなく、果て無き探求と努力によって頂上へと至った男。それ故、ヒトは最大の敬意をもって、彼を“賢者”と呼び称える。

 

 だが、それでも。

 それでも俺様は勝てると踏んだ。それだけ自分の技に絶対の自信があった。

 だからこそ。賢者が動き出しているという情報を掴みながら、あえて賢者の庵に侵入して――そして敗北した。

 

 

◆◆◆

 

 

「放せ! この拘束を解きやがれ! クソジジイ!」

「ほっほっほ。良い威勢じゃ。若者はこうでなければのぅ」

 

 全ての作戦を把握され、あらゆる技を叩き潰されて。

 完膚なきまでに敗北した俺様は、魔術のツタで無様に拘束されていた。

 

「のぉ、1つ提案があるのじゃが。お主――」

 

 そして。賢者は俺様に向かってほざきやがったのだ。

 

「――英雄になってみぬか」

 

 全くもって意味不明な事を。

 

「何を言ってやがる、ジジイ! 英雄だと!? このまま牢屋にぶち込むんだろうが!」

「ほっほっほ。それでも良いのじゃがのう。正直、お主の力は黴臭い牢に閉じ込め潰してしまうには惜しいのじゃ」

「はぁ!?」

「いやぁ、実に見事じゃった。警備の穴、人の盲点、罠……あらゆるモノを迅速かつ正確に見抜く目。誰も追いつけない素早さに加え、巧みな数々の小細工。それら全てを活かす回転の速い頭脳。あのゼリオスや執行官どもを翻弄して見せたのは誠に天晴じゃよ」

「な、何を言ってやがる!」

 

 馬鹿げたことを口走ったかと思えば、今度は唐突に褒め始めた。

 本当に何なんだ、このジジイは。

 まぁ、褒められて悪い気はしねぇ。中々見る目があるじゃねぇか……などと思った直後。

 

「……ま、儂には全く通じなかったがのぅ! やーい!やーい! ほっほっほっほ!」

「こんのクソジジイ……っ!」

 

 クルリと掌返しで馬鹿にしてきやがった。

 杖でグリグリと小突きながら、めちゃくちゃムカつく笑みで挑発してきやがる。

 とはいえ。ジジイの言い分は全て正しかった。

 俺様は手も足も出せずに完封された。それが全て。疑いようのない真実。何一つ言い返せない。

 それでも。いや、だからこそ。

 何か1つでも言い返したくて。反論したくて。それで――

 

「さっきテメェは英雄って言いやがったがな! 俺様がそんなのになれるわけねぇだろ! 英雄ってのは正義の存在! 俺様みてぇな極悪人がなれるもんじゃねぇだろうが!」

 

 と、吼えたのだ。

 ガキの癇癪のような惨めな反論だった。

 しかし。先程までと異なり、老人はそれを笑うことはなく。ただ真っ直ぐ此方を見つめて。

 

「確かに、お主は法に照らせば“悪”じゃ。それは間違いない。しかしのぅ、お主は決して邪悪の徒ではないぞ」

 

 断言した。

 盗賊の俺様が“邪悪”ではないなどと道理を外れた内容を、自信満々に。

 

「儂の調べた限り、お主は誰一人として人を殺めておらぬし、傷すらつけておらぬ。……まぁ、お主の実力がそこそこに高かった故、上手くすり抜けただけと見る事も出来るが……」

「……それは」

 

 確かに、そうだ。

 俺様は人を殺してはいない。

 でも、それは……。

 

「初めの頃から、わざわざ裕福な家を狙っておった。警備が厳重であることを承知の上で。しかも、盗む物はごくごく僅か。最低限生きていくのに必要な食料程度。高価な装飾品の類もあったというのにじゃ。これは一体何故じゃろうのう?」

「なんで知って……!」

「お主の盗みの回数を考えれば、偶然というのは無理があろう。或いは、価値を知らなかったのじゃろうか? 否。教会やらを狙った際は高価なモノも盗んでいる。故、知らなかったわけでは無い。あえて見逃しておったな」

 

 …………。

 ばれている。全てが見透かされている。そんな気分になってしまう。

 いや、事実。この老人は何もかも知っているのだろう。“賢者”という名に偽りなく。

 

「お主の過去は調べた。ろくでなしの父親のせいで随分と辛い歩みを強いられてきたようじゃな。盗みに手を出してしまったのも致し方ないと思える悲惨さじゃ」

 

 そんな俺様の内心を知ってか知らずか。ジジイは淡々と続けていく。

 

「……それが」

「む?」

「それが何の言い訳になるってんだよ。俺様程度の境遇の奴なんて山程いる。俺様より悲惨な境遇の奴もな。……それでも、お天道様に恥じねぇ真っ当な生き方を貫いてる奴らがいやがんだ。なら、俺様の生き方は……」

 

 そうだ。俺様は卑怯者だ。

 父親がクソだった。金が無かった。家が無かった。

 誰も殺さず。貧乏人からは盗まず。過剰に奪わず。

 それがどうした。

 結局のところ、俺様は罪を犯して生きている。どうしようもねぇクズだ。

 

「ほっほ。……その言葉が全てじゃよ。恐らく、お主は父親のようになりたくないと思っておる。それが最後の関となって、お主は取り返しのつかない過ちだけは犯しておらんのだ」

「取り返しがつかねぇ過ち……?」

「盗んだモノは必死に買い戻して返せばよい。壊したモノは魔術で治せばよい。喧嘩したなら仲直りじゃ。……しかし、命を奪えば取り返しがつかん。命は買い戻せぬし、魂は如何なる魔術でも創り出せぬのじゃからな」

 

 それは、そうかもしれない。

 しかし……

 

「お主の中には、常に悪を憎む心があった。自らの為す事を悪と認識し、決して開き直って肯定する事はなく。ただ、そうとしか生きられぬ自分自身をこそ憎悪しておるのじゃ。そして同時に、清く生きられる存在に……太陽に焦がれてもおる」

 

 太陽に焦がれる。

 何故か。その言葉は不思議と、ストンと入って来た。

 そして、直後の事。全く意味不明な事に、何かが込み上げてくるような心地となって。目頭が熱くなって。

 

「それは紛れも無く、善なる資質じゃ。お主ならば、きっと別の道を。誰かを助ける生き方を選べるはずと、ジジイは思うのじゃよ。……なんじゃ、お主。男がメソメソ泣くとは何事じゃ」

「くそっ……泣いてなんか、いねぇ……ただ、目に…ゴミが、入っただけだ」

 

 初めてだった。

 賢者は俺様のこれまでを色眼鏡なく見てくれた。

 その上で、駄目は所は駄目と、良い所は良いと言ってくれたのだ。

 ……そんな人は初めてだった。

 誰かが見てくれている。それだけの事が、こんなにも嬉しい事なのだと。その日、初めて知ったのだ。

 

 

◆◆◆

 

 

 そうして。俺様は賢者の元で助手兼弟子のような日々を過ごす事となった。

 賢者の元に寄せられてくる様々な依頼を押し付けられ、人助けに駆けずり回る日々。

 そんな日々が数年続いた後。

 賢者が勇者の仲間として招集された際、賢者と教会の駆け引きで俺様も一行の一員となったのだ。

 魔王エイジ・ククローク率いる魔王軍の脅威から人間を、世界を守る戦いに身を投じ、そして――

 

 ――俺様は恋を知る。

 聖女メレリア・ククロークと出逢い、その存在に心奪われたのだ。

 

「聖女様。俺様は貴女の美しさに心奪われました。これまで盗んできた如何なる宝石美術品よりも美しい。どうか俺様と結婚を前提に――」

「お断りします」

「お付き合いを――」

「お断りします」

「せめて友達から――」

「軽薄な男性は嫌いです。作戦上必要な内容以外で話しかけないでください」

「ちくしょおおおおお! 360度大海原! 取りつく島無さ過ぎんだろ! ……だが、俺様は諦めない! 必ず振り向かせて見せるからな!」

「…………」

「ガン無視っ!?」

「ほっほ。ここまで見事な玉砕は長い人生でも初めてみたぞ」

「うるせえ、初恋拗らせ100年童貞ジジイ」

「貴様ラドロボール! 言ってはならぬ事を言ったな! 其処に直れ! その性根を叩き治してやる!」

「俺様の名前はラドロヴォールだって言ってんだろうが! 上等だ、今日という今日は負かしてやるよクソジジイ!」

 

 それから何度も俺様は聖女に言い寄っては撃沈するを繰り返し、それは勇者一行の定番のノリとなっていくのだが。

 ……正直、最初は場を明るくする悪ふざけに過ぎなかった。

 勇者一行。救世の旅。聞こえは良いが、結局はただの戦争。殺し殺されの日陰の道だ。

 聖女も勇者も俺様より僅かに年下で、しかも女。その心を少しでも軽くしてやろうと思い、出会い頭に聖女へ軽薄なアプローチをした。

 案の定、聖女はすげなく断り、俺様は過剰に残念がる。その一連の流れで一行に小さいながらも笑いが生まれたのだから、俺様の狙いは完璧だった。

 

 そう。全ては冗談。

 確かに、一目で聖女の容姿を良いと思ったのは事実。だが、愛した女に暴力を振るうクソ親父の姿を見て育った俺様は、恋だの愛だのは遠い世界の事のように感じていた。

 この身体に奴の血が流れていると知っていればこそ、自分が誰かと結ばれることは無いと考えていた。

 だからこその冗談。決して本気にはならない悪ふざけ。……そのつもりだったんだけどな。

 いつからだろうか。それが本気の恋に変じてしまった。

 過酷な闘争の日々の中、俺様は次第に聖女に惹かれていったのだ。

 

 でも、恐らく。

 最初に勇者では無く聖女に声をかけた時点で。俺様は聖女に無意識のうちに惹かれていたのかもしれない。

 今ふり返ると、そんな風に思う。

 

 

◆◆◆

 

 

「……ったくよ。クソジジイも余計な事してくれる。……メレちゃん、いや、聖女。今、何の真似ですかって聞いたな」

 

 間違いなく、今回の遭遇は全て賢者が仕組んだことだ。

 俺様が此処に来ている事を知っているのは、転移魔法で送り届けた賢者だけ。そして、賢者の魔法なら聖女を送ってくることも容易い。

 聖女と魔王の縁を明らかとし、同時に俺様の覚悟を問う。そのために、わざわざ舞台を整えやがったんだろう。

 クソジジイの手の上で踊るみてぇで癪だが。けれど、おかげで覚悟は決まった。

 今の俺様には、復讐よりも何よりも大切なことがある。それに気付けた。

 

「それは俺様のセリフだ! 血を分けた肉親を殺そうとするとは一体どういうつもりだ、メレリア・ククローク!」

「……ゴールドさん。貴方だって魔王の悪行の数々は知っているでしょう? 例えば、貴方の経験したエイクでは賢者様が殺されたのですよね。ならば、貴方こそ魔王を滅したいと考えているのではないのですか?」

「あぁ、そうだな。あえて否定はしねぇよ」

 

 そう。俺様の人生を変えた賢者は、“前回”にて魔王に……正確には、魔王軍四天王フィデルニクスに殺された。

 賢者の魔法である転移は、攻守両方で絶大な力を発揮する。故にこそ真っ先に狙われたのだ。

 当然、憎いさ。憎いに決まっている。

 “前回”では復讐心に駆られて剣を振るったのも事実だ。今だって暗い感情は消えちゃいない。

 だが、それでも。

 

「だとしても、お前に“兄”を殺させるわけにはいかねぇ」

 

 “前回”の最終盤。魔王討伐が終わり、全てが巻き戻る直前の事だ。

 俺様は聖女と魔王の間にある秘密を知った。知ってしまった。

 兄殺しに尽力し、挙句に兄が死んだ事実。その事実に一人隠れて涙する聖女を見てしまった。

 それを切っ掛けに、あらゆる場所に忍び込んで情報を集め、全てを知ったのだ。

 反吐が出る思いだった。

 肉親に殺し合わせた教会。妹を救おうとした挙句に魔王なんぞになってまで戦った兄。兄殺しと知りながら全身全霊を捧げた妹。全員全部、ふざけるのも大概にしろと憤った。

 思い出すのは、あの日の賢者の言葉。殺してしまえば最後、決して取り返しがつかないのだと。

 そう。兄殺しの罪が永遠に妹の心を苛み続ける。聖女の心は魔王に囚われ続け、盗賊は太陽を永遠に盗み出せなくなった――これが“前回”の結末。救いようのないバッドエンド。

 俺様はそれを認めない。真正面から否定する。

 

「肉親であろうと悪は悪。魔王の所業はもはや死ぬことでしか贖えません」

 

 あぁ、そうとも。これだ。これこそが彼女だ。この在り方に俺様は惹かれた。

 勇者には、お花畑のような生来の甘さと、家族を殺されて生じた暗い復讐心が混在していた。両極端な思考でこそあったものの、正負清濁併せ持つという点で実に人間らしい少女だった。

 一方。聖女は違う。彼女の行動には負の感情が存在しない。完全なる“正しさ”。正しさの奴隷とでも表現すべき在り方。人間離れした、正しさの具現化存在こそが聖女メレリアなのだ。

 彼女は、肉親の情やら何やらを全て消し去り、ただ粛々と魔王を断罪する。してしまう。肉親の命と、顔も知らねぇ誰かの命……それらを天秤に掛けて当価値と断じることが出来てしまう。

 聖女は魔女とイコールで、人間じゃねぇって話も納得だ。

 彼女の思考は根本的にズレていて、人間味が無い。

 しかし、だからこそ。

 長く日陰で生きてきた俺様は、その焼けつくような“正しさ”に、太陽のような少女に惹かれたのだ。

 その正しさに圧し殺された、彼女の心を守りたいと願ったのだ。

 

 ……この兄妹に何があったのか、正確な所は分からねぇ。

 けれど。肉親を殺めて真の幸福が得られるなんて、そんな事はあるわけがねぇし、あっちゃならねぇ。それくらいは、俺様みたいなクズにも分かる。

 だから――

 

「悪いが、今の俺様には復讐や責務よりも優先すべき事がある」

「……それは一体何だというのですか」

 

 ここまで協力したのは、それが俺様の目的にも沿うから。それだけだ。

 魔王が“やり直し”や“妹”についての謎を解けば、それは聖女を取り巻く状況の解明にもつながる。そう考えて行動を共にしていた。

 ただ、その過程で魔王が聖女を“妹”と認識していないどころか、別の“妹”が存在する可能性まで出て来てしまった訳だが。

 ……まぁ、そこら辺の問題は追々何とかするとして。

 俺様の全ては、ただ。

 

「決まってる。惚れた女を幸せにしたい。男が生きる理由なんて、それだけで十分だ」

 

 ――なぁ、そうだろ。クソジジイ。

 俺様は、テメェが連れ出してくれた日の下で、何より大切なモノを見つけたぞ。

 

「お前の兄は死なせない。殺させない」

 

 それは魔王の為じゃない。無論、他の誰の為でもない。

 全ては、ただ――

 

「お前を幸せにするためにな」

 

 ――他ならぬ俺様が、誰より彼女を幸せにするために。

 一番の座を魔王()から奪うために、俺様は今、此処にいる。

 

 

 

 



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10話 妾の愛した殿方は

 

◇◇◇

 

 

 会話内容から推察するに、ラドロヴォールは聖女メレリアに恋心を抱いているらしい。

 少なくとも、2人の関係性は単なる勇者一行の仲間というだけではないようだ。

 ならば、ラドロヴォールを人質にするなり、盾とするような位置取りをするなりすれば無傷で脱出できる可能性が……

 

「戯言はそれだけですか、ゴールドさん」

 

 ……そうそう上手くはいかないか。

 てか、おい。ラドロヴォール。好感度全然稼げてないじゃないか。聖女もう攻撃の準備に入ってるんだけど?

 

「真剣に戦う気が無いのなら、そこで寝ていてください」

「アレをやるつもりか。上等だ、俺様の覚悟が本物だって分からせてやるよ」

「……そうですか。ならば遠慮はしません」

 

 何か来る。

 発動前に聖女を無力化……無理だ。“聖天使”が睨みを利かせている。剣の間合いにすら入れそうもない。

 ならば、とにもかくにも守りを固める。

 双剣を前へ。身を屈め、前方に魔力の障壁を練って……

 

「――資格無き贄を神は求めず」

 

 ……不味い! この詠唱は!

 

「エイジ様! これは例の!」

「あぁ、分かってる!」

 

 即座に練った魔力を霧散させる。

 クリスやフィデルニクスから聞いて知っている。これから放たれる魔法に、剣や魔力の守りなど何の意味もなさない。

 

「――凡庸なる魂よ。慈悲深き御心に感謝し眠れ」

 

 必要なのは1つ。心構えのみ。

 これから放たれるは、ある種の精神攻撃。

 

「――求めるは唯、偉大なる戦士の聖戦なれば」

 

 そもそもの話。デカい“天使”を召喚する程度ならば、フィデルニクスは“得体が知れない”“最も危険な力”と言い表したりしないし、アドラゼールと互角に戦えもしない。

 

「――白と黒。善と悪。光と闇」

 

 聖女の魔法『聖天使』の最も奇怪で恐ろしい点は、それが掟破りの“複合魔法”であるという点に他ならない。

 詳しい事は分からないが、1人に1つ固有の力であるはずの魔法を、聖女は複数使用できる。

 魔術が魔法より優れている点は、修練を積めば際限なく数多の種類を習得できること。あらゆる状況に対応できるようになるという事こそ、融通の利かない魔法に勝る魔術の真骨頂である。

 だが。聖女は違う。他の誰も再現できない魔法を状況に応じて使い分ける。

 本当に、なんて冒涜的な力だろうか。

 この力は才能の暴力。あらゆる努力を蟻のように踏みつぶす。

 

「――今此処に、世界は二つへ別たれる」

 

 そして。今まさに聖女が発動しようとしている魔法こそは。

 対多数、対軍勢の場面で絶大な効果を発揮する戦略的魔法。

 “前回”にて、()()()()()()()()()()()()()()()

 その名も――

 

「聖天使。三之法。――聖別」

 

 直後。

 薄暗い回廊は眩い光に飲み込まれた。

 

 

◆◆◆

 

 

 この場面で何故、よりにもよって三ノ法を選ぶ?

 真白き光に包まれながら、妾は聖女の意図を測りかねていた。

 

 確かに、驚異的であることは事実。

 この魔法の効果は、一定以上の戦意無き者の行動を封じるというもの。

 敵も味方も全て。己の命よりも大切な“戦う理由”が無い者は、誰であろうと指一本動かせなくなる。

 率いる軍が使い物にならなくなってしまうのだから、“前回”では何度も苦戦させられた。

 

 けれど、この魔法では、妾たち四天王や魔王様を始めとした実力者の行動を阻害することは出来ない。

 実力のある者ほど、戦いに相応の覚悟で臨んでいるのだから当然と言えば当然。そういう者であれば少し心構えをすれば簡単に弾けてしまう。

 ……妾の場合、“人間を滅ぼす事”、即ち“戦う事”が骨の髄まで刻み込まれている故、少し異なるのだけれど。

 ともかく、この魔法では強者の行動は止められない。

 そして。此処にいるのは、妾とエイジ様と盗賊のみ。妾とエイジ様の実力は語るまでも無く高く、盗賊もそこそこの実力者。その他に率いている手駒も無いとなれば、ここで三ノ法を発動する意味は……

 

 ……否。かつて仲間として共に戦ったのだ。殺意が乗っていない分、盗賊の聖女に対する戦意が()()なってしまうのは自明の理。

 成程。かつての仲間を死闘に巻き込まないように……そのためだけに、これ程の大技を。

 傷つけ合い慰め合う事こそ愛の本質だというのに、無粋な事を。

 ……とはいえ。

 

「 “前回”で…何度、振られたと…思ってんだ。この程度じゃ…この程度じゃ俺様の想いは折れねぇ!」

「……っ!」

 

 動きは鈍く、息は荒くなり。それでも確かに、盗賊は膝を突かず耐えきった。

 聖女は驚愕しているようだけど……。

 

「何も分かっていませんのね、あの聖女は」

 

 先程の啖呵は正に愛の告白。

 男があれだけの覚悟と共に吼えたのだ。無粋な魔法1つで止められる訳がないではないか。

 義賊ラドロヴォール・ゴールド。

 あらゆる点でエイジ様に及ぶべくもないし、男として妾の琴線には微塵も掠らないけれど。それでも、同じく愛に生きる者として、その心意気だけは賞賛に値する。

 

「……ゴールドさん。……そうですか。貴方も相応の覚悟で其処に立つのですね」

「へへっ…やっと、分かったかよ」

「ならば、もう手加減は出来ません。貴方も魔王に組する者として容赦なく断罪します」

「いいぜ! それでこそ!」

 

 やっと男と女が本気で戦う覚悟を決めたらしい。

 やはり愛はこうでなければ。

 さて、負けてはいられない。妾とエイジ様の愛の深さも見せつけてやらねば。

 

「今度こそ大技が来ます、エイジ様! …………エイジ様?」

 

 視線の先。

 そこには、何倍もの重力によって押しつぶされているような……そんな様子で苦痛に顔を歪めるエイジ様がいた。

 

 

◇◇◇

 

 

 何故だ。どうして動かない。

 身体が言うことを聞かない。指一本動かそうとするだけで体力が底を尽きそうになる。

 膝を突かないように耐えるのが精一杯。加え、それすら時間の問題だと感じる。

 

 ……まさか。

 いや、まさかも何も無い。考えられる理由なんて1つだけだ。

 一定以上の戦意を持つ者以外を強制的に行動不能とする聖女の魔法。それを弾き返せないのは、俺の戦意が欠けているからに他ならない。

 そもそも根本的な話だが。俺は何のために此処まで来たのだろうか。世界中全てが強くてニューゲーム状態で敵。そんな鬼畜な難易度の旅を続けているのは何故か。

 バルバルに引きこもって、師匠とウアと楽しく暮らすという選択だって出来たかもしれないのに、何故。

 ……そんなのは決まっている。()()()()

 “前回”で殺された可能性がある妹を守るために、世界の謎を解く旅路を始めた。

 その後。何も無くなったバルバルの跡地を目の当たりにし、師匠とバルバルとウア……大切な3人の行方を捜すようになった。

 

 その芯が揺らいでいる。

 ウアが妹ではないかもしれなくて。今まさに目の前で敵対する聖女が妹かもしれなくて。

 いや、そもそも。

 1つだけ確かな事があって。ウアが俺に何か隠している……特に“前回”の話に関して嘘をついていたことは十中八九間違いないわけで。このどうしようもない袋小路の中、そんな絶望的な情報だけが確かな事実として目の前にあって。

 血の繋がった妹だけでなく、ウアすら“敵”なのかもしれなくて。

 ……その場合、“敵”とは何なのだ。何に対する“敵”だというのだ。もはや、これでは俺が“敵”なのではないのか。

 ウアの命を脅かす存在を敵と定めて走り出した。それなら、仮にウアと俺が道を違えているのなら、俺が真っ先に滅すべきは俺自身なのではないのか。

 駄目だ。もう何も分からない。

 戦う理由が。前に進む意思が。如何なる障壁にも立ち向かう覚悟が。

 それら全てが根底から揺らいでいる。

 もういっそ、このまま膝をついて、そのまま立ち止まってしまいたい。

 永遠に歩みを止めて、そして――

 

「エイジ・ククローク!」

 

 …………?

 一瞬、誰の発した声か分からなかった。

 だって、()()はいつだって「魔王様」だの「エイジ様」だの仰々しい敬称付きで俺を呼んでいたから。

 炎の剣で命を狙ってきた時以外、常に俺を肯定し続けた声だったから。

 

「あの日、妾に吼えた言の葉は偽りだったのか!」

 

 “前回”における魔王軍四天王。吸血鬼の末裔にして、人間を滅ぼすべく生み出された“吸血鬼”。

 そう。この叱咤するような声を発しているのは彼女……クリスティアーネ・マラクス・ガーネットに他ならない。

 

「全ての魔王を超えると! 魔王よりも主人公になって見せると! あの宣言は全てが出鱈目だったのか!」

 

 その言葉は。

 バルバルが消滅している光景に絶望した日。

 師匠とウアが見当たらない現実に自暴自棄になりかけた日。

 その日、確かに俺が彼女に向かって吼えた言葉だ。

 

「今の貴様では足元にも及ばぬ程に、魔王様は凛々しく気高く強かった! それで良いのか!」

 

 ……言いたい放題言ってくれるじゃねえか。

 あぁ、くそ。良いわけがねぇな、その通りだ。

 何がどうであろうと。“魔王”に負けるのだけは我慢ならない 

 

「思い出せ、“エイジ・ククローク”とは、どういう男であったのかを!」

 

 彼女の周囲には緋色の文様が無数に広がり、焔の如き紅の魔力が溢れ出している。

 ……どうやら、最大威力の魔術で聖女の一撃を相殺するつもりらしい。

 いつのまにか俺より数歩前方に移動していた彼女の顔は伺えない。今、どのような表情で言葉を紡いでいるのかは分からない。

 けれど。魔力の奔流の中で棚引く深紅の長髪を綺麗だと、そう思った。

 

「理由が分からないからと戸惑うのか! そのまま座して殺されるのを待つのか!」

 

 ――理由が分からないからと戸惑うのは馬鹿だ。そのまま殺されるのはもっと馬鹿だ。

 

「未知を前に足を竦ませるのか!」

 

 ――分からないなら、まずは逃げろ。時間を稼いで原因を探れ。

 

「何も成せず、道半ばで命を落とすのか!」

 

 ――話し合いやら仲直りがしたければ後でやればいい。命が無くなれば何も出来ない。

 

「妾の愛した殿方は…っ!」

「――もう良い。もう大丈夫だ。ありがとう、クリス。目が覚めた」

 

 そうか。そうだったな。

 それが俺だった。

 危うく俺は、また俺自身を見失う所だった。

 もう指も手も足も動く。剣が振るえる。術式が刻める。

 “記憶事変”の謎を解き明かさなきゃならない。ウアと師匠とバルバルを見つけなきゃならないし、今一度しっかりとウアの話を聞かなければならない。いくつか再戦の約束みたいなものも残っている。

 何もまだ成し遂げちゃいない。為すべきことは山積みだ。

 だから、まずは――

 

「まずは殺意ガンギマリの妹に灸をすえて、次に噓つきの妹を一言叱ってやらなきゃな! 合わせろ、クリス、ラドロヴォール!」

「……はいっ!」

「了解だ、雇い主様!」

 

 時間がない。最短の短縮発動で行く。

 右手に構えた剣を()()。剣先を俺自身へと向け、そのまま左太腿を突き刺す。

 さすれば、ポケットの更に奥、隠し収納に入っている()()()()()()()()が砕けると同時、噴き出した俺の血を吸う。

 

「二之法。――聖炎」

「――飲み込め、シュヴァルツヴァルト!」

「――燃やせ、蓬戦燬(ほうせんか)!」

「――翻せ、開門揖盗(かいもんゆうとう)!」

 

 此処に、四者の渾身の一撃が交錯し、そして――

 

 



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11話 誤植邂逅

 

◆◆◆

 

 

「だぁああああっ! くそっ! どう考えても皆で協力して聖女を説得って流れだったじゃねぇか!」

 

 堆く積み重なった瓦礫の山の中、一際大きな瓦礫に胡坐をかいて座りながら。

 手近で手頃な大きさの破片を掴み上げて、思いっきり遠くへ投げる。

 もっとも、投げようが叫ぼうが、このムカつきを解消することは出来ないと分かり切っているのだが。

 

「早々に逃げ出して俺様に押し付けていきやがって!」

 

 それでも。さっきまで曲がりなりにも共闘していた魔王に対して悪態をつかずにはいられない。

 聖女の魔法の1つ、『聖炎』。小難しい追加効果は一切なく、ただ眼前の敵を焼き払う白い炎。聖女の持つ最大威力の超脳筋攻撃魔法だ。

 それに対し、俺様達はそれぞれが自身の全力で迎え撃った。

 吸血鬼は馬鹿でかい炎の球を顕現させ、聖女の放った白い炎に真正面からぶつけた。

 魔王は俺様の知らない魔術を発動させていた。空間の裂け目とでも表現すべき黒い亀裂を生み出し、そこに吸血鬼が相殺しきれなかった白い炎を飲み込ませていた。……あくまで推測だが、異空間に攻撃を飲み込む類の魔術なのだろう。

 一方、俺様は魔法『開門揖盗』を発動した。相手の魔法・魔術を構成する魔力の一部を盗み出す、俺様専用の魔法。

 どんなに強力な魔法・魔術であろうとも、それを構成しているのは魔力。その魔力が乱れれば、最悪の場合は暴発する。その暴発へと誘うのが俺様の魔法……なわけだが、そう上手くはいかない。強者になればなるほど魔力のコントロールに長けており、出来るのは僅かな弱体化か軌道を逸らす程度が精々となる。

 とにもかくにも。

 相殺。吸収。そして弱体化。三者三様の方法で聖女の魔法に立ち向かうと完全な拮抗状態が成立。直後、集まった魔力が爆発した。

 結果として、大魔聖堂地下の回廊が倒壊。直上にあった土砂やら何やらを盛大に巻き込んで大惨事を引き起こした。

 魔王と吸血鬼は、そのどさくさに紛れて姿を消していたのだ。

 その後はもう控えめに言って地獄だった。

 不名誉な事に魔王の仲間認定を受けた俺様は、殺意迸る聖女から一人で逃げ回る羽目になったのだ。

 

「ほっほっほ。それが奴じゃ。巧妙な嘘と逃げの一手。お主だって良く知っておろうに」

 

 無論。ここまで全て、独り言では無い。

 悪態に応じるのは長い髭が特徴的な白髪の老人。

 先ほど転移でやって来たクソジジイ……賢者クレイビアッドだった。

 

「ああ知ってたよ! 知ってて騙されたから余計ムカつくんだ! 次会ったら絶対あの顔面ぶん殴ってやる……!」

 

 女を殴る趣味は無い故、吸血鬼は見逃す。

 ただ、その分2倍魔王をタコ殴りにする。

 

「まぁ、実際。儂が勇者と共に聖女を止めねば本当に殺されていたかもしれんのぅ。危ないところじゃったな、儂に感謝するんじゃぞ」

「マジそれな……って、おい! クソジジイてめぇ! ずっと様子を見ていやがっただろ! そうでもなけりゃ、あんな最高のタイミングで登場できるわけないもんな!」

「ほっほっほ。さて、どうじゃろうな。儂には何のことやらサッパリじゃ」

「そもそも聖女を転移で送り込んできたのもテメェだろうが! マッチポンプも大概にしろよ!」

「いかん、いかんぞ。憶測で他者を貶しめてはならん。儂はお主をそんな風に育てた覚えは……」

 

 ヨヨヨ…と下手糞な泣きまねをしやがるジジイ。超ウザい。

 

「じゃあ聞くけどよ、これだけの大惨事で死傷者が1人も居ないってのは何故だ?」

「あぁ、それは人払いが予めされておったからじゃよ」

「人払い?」

「“前回”、どこぞの盗賊が易々と侵入したのでな。一度壊して造り直す計画があったんじゃよ。この周辺は住宅街でもない故、比較的すんなりと実行に移せたのじゃ」

「……嘘だろ? そんな重要な情報をラドロヴォール様が見逃したってのか?」

 

 かつての天狗になっていた頃とは違う。“前回”で何度も侵入している場所であっても、事前に下調べは徹底していた。それなのに掴めなかったというのか?

 

「あぁ、そりゃ当然じゃ。この計画の責任者は儂じゃし。儂なら、お主に隠し通すのも容易じゃ」

「……成程な。死ぬほど悔しいが納得だ。俺様はまたテメェに勝てなかったって事かよ」

 

 “前回”でも俺様は作戦全てを叩き潰されて捕まっている。今回も同じように先回りされて手を打たれたのだろう。

 ……待て。

 

「やっぱり全部テメェの差し金じゃねえか!」

「ほっほっほ。そうとも言うかもしれんのぅ」

「そうとしか言わねぇよ!」

 

 分かっていたが、やはりムカつく。

 ジジイは、予め禁書庫からの脱出経路上に全力で戦っても問題ない場所を用意していやがったのだ。

 俺様を転移させた後、その場所へ頃合いを見計らって聖女を転移させたのだろう。

 

「いずれ若者たちの道が衝突する事は明白じゃったからのぉ。その為の場所をと用意しておいて正解じゃったよ」

「クソジジイ、テメェ一体いつから準備してやがった?」

「ひと月くらい前かのぉ。ここの解体再建計画を知って、これは使えると思って引き受けておったんじゃよ。お主たちのおかげで、解体の手間が省けたわい」

「魔王と勇者一行を利用して建設事業かよ!」

「ほっほっほ! これが意外と儲かるんじゃよ。隠居老人の仕事としては十分じゃろうて」

 

 ぬわぁああああ! ムカつく!

 俺様たちの右往左往を巧みに誘導して、自分はちゃっかり得してやがる。

 相も変わらず、このクソジジイは他人をイラつかせる天才だ。

 

「しかしのぅ。そうか、もう1人の妹、か……」

 

 ……と。突如、賢者は真剣な表情と声音で呟く。

 おふざけの時間は終わりという事らしい。

 

「何か分かるか、賢者」

「……いいや。お手上げじゃ。なんにも分からん」

「……そうかよ。クソジジイでも分かんねえ事ってあんだな」

「ほっほ。老人を買いかぶり過ぎじゃ。分からぬ事の方が多い。この世界は未知に満ちておる」

 

 賢者は世界中から知識を集め続けている。その賢者が何1つ分からないなら俺様に分かるはずもない。

 とりあえず、今ここでウダウダ考えても無駄な事は確かだ。

 

「……っておい。その聖女は何処に行ったんだ? 勇者も見かけねぇが」

 

 賢者は単独ではなく、勇者を連れて転移してきた。わざわざ遠方にいた勇者の元へ一度向かい、共に転移して来たとのことだった。

 その二人の姿が忽然と消えている。

 

「ほっほ、気になるか? 青春じゃのぅ」

「茶化すな! ……また兄貴と戦ったんだぜ? 隠していても、本音では相当参ってるかもしれねぇだろうが」

「その辺りには儂も配慮しておる。今ごろ聖女は勇者と共に歓楽街の方へ行っているはずじゃ」

 

 このヒルア帝国首都シンヤヒルアは実に特殊な構造をした都だ。同心円状の四重構造が最も端的な表現であるものの、4層の分け方が一律ではないという特徴を有する。

 まず、都の外周を囲う高く分厚い壁。龍種の群れが襲来してきても耐え抜けるよう設計された壁は高さ30メートルを優に超える。その内側には美しい水路によって碁盤の目のように整理された区画が広がり、住宅や商業施設が整然と並び立つ。

 次いで、その区画を都の中心へと向かって進むと、少し建物の様相が変わる。この領域は教会騎士の住居や都市防衛に関する施設の類が配された場所だ。……ちなみに、今の俺様達は此処にいる。

 そのまま更に突き進むと、今度は巨大な円錐台の構造物が行く手を阻む。蒼く鋭い傾斜のソレは一種の防衛装置であり、よじ登ろうとすれば発見されて迎撃される仕組みとなっている。また、その外周は常に蒼く透明な結界魔術で覆われており、許可無き者の侵入を決して許さない。

 そして、最後の場所。円錐台の頂上には荘厳な白亜の建造物『大魔聖堂』が聳え立つ。外側の居住区から眺めると、蒼い結界の向こう側、遥かな高みに聖堂が浮いて見えるよう設計されているのだ。

 聖女たちが向かった歓楽街は一番外側の層。一般住宅街エリアの一部。

 成程、あそこであれば気分転換には最適……

 

「って、おい!? 歓楽街デートのチャンスだったじゃねぇか! そこは俺様に声かけろよ! メレちゃんを完璧にエスコートしてみせたのによ!」

「お主、さっきまで殺されかかっておったじゃろうが。楽しい歓楽街で殺人事件を起こすわけにもいくまいて」

「ぐ…っ」

「それに、同じ年頃の娘同士の方が気安かろうて」

「うぐぐ…」

「悔しかったら、同性の友人より優先される程度には好感度を稼ぐことじゃな」

 

 ……ちくしょう。反論の余地が一切ない完璧な正論だ。

 

「……んなこたぁ分かってるよ。冗談だ、冗談」

「そうは聞こえなかったがのぅ」

「うるせぇ、さっさと話しを進めるぞ! ……気分転換をさせて、それで? その後はどうするつもりだよ。わざわざ勇者を連れてきたのは聖女の遊び相手ってだけじゃねぇんだろ?」

 

 賢者の転移魔法は魔力の消費が激し過ぎる。いくら1人または2人の少人数とはいえ、ここまで連続で使用したのなら賢者の魔力は空っぽになってしまっている筈。

 つまり、戦えなくなる危険まで冒して勇者一行の殆どを集めた。そこには何かしらの意味がある。

 そう思い、尋ねれば。以外にも賢者は誤魔化しも悪ふざけも一切なく素直に応えた。

 

「そろそろ情報を共有しておくべきと思ってのぅ。聖女と魔王の血縁やら、もう1人の魔王の妹やら。それぞれが持っている情報を隠さず共有しておかねばならん」

「後者はともかく、前者は教会から口外禁止されてる超極秘情報だろ? 良いのか、教会に歯向かう事になるんだぞ」

「正直その辺りは面倒極まりないんじゃが、そんな事を言ってられん状況になったからのぉ」

「……どういうことだ?」

 

 クソジジイは敬虔な信徒って訳じゃねぇが、それでも教会上層部との繋がりは深い。国一番の術者として国の裏側にも関わっている。

 その賢者が教会の意に反してでも行動すべきと判断した。一体何故だ?

 

「“前回”には存在すらしていない魔王のもう1人の妹。その話が事実であれば、聖女が狙われる可能性がある」

 

 ここで「妹」の話?

 …………成程、そういうことか。

 

「本物を消して取って代わろうとする可能性があるって事か」

「然り」

「そういうことなら納得だ。今一緒にいるのが勇者ってのもな」

 

 あらゆる状況に対応できる聖女だが、本領を発揮するのは対多数の戦い。一方、勇者は完全に対個人へと特化している。一対一の戦闘ならば、勇者の力は聖女すら超えるのだ。

 戦闘スタイルの相性も良く、お互いの性格や癖も熟知している。あのタッグならば如何なる怪物であろうと打ち勝つだろう。

 

「……まぁ、普通はそうじゃな」

「あぁ? 奇妙な言い回しするじゃねぇか。何か気にかかる事でもあんのかよ」

「…………もし仮に、あの2人ですら勝てぬ化け物なのじゃとしたら、最早ヒトが…生物が抗える存在では無いかもしれぬと。そんな馬鹿げた事を考えてしまってのぅ」

「何だそりゃ、冗談でも笑えねぇ。そんな化け物がいて堪るかよ」

 

 あの二人を苦戦させられるのは、それこそ魔王と魔王軍くらいだ。

 それすら“前回”で打ち破っている二人が負けることなど万に一つもあり得ない。

 

「そういや、オルトヌスの野郎は連れて来なくて良いのか?」

「もう転移の魔力は残っとらん。アヤツには後で伝えるしかあるまい」

 

 ……敗北軍師として陰口叩かれて。彼自身が提案した作戦とはいえ孤独な隠居生活を続けて。挙句の果てにハブられる。

 “前回”から変わらず星のめぐりが悪いというか、貧乏くじを引き続けるというか……とりあえず、なんかもう憐れすぎて同情する。

 今度一緒に飯でも行ってやるか。

 

「兎にも角にも、今の儂らがすべきは此処の後始末じゃ」

「後始末?」

「こんだけ散らかしたんじゃ、下手人の一人として瓦礫の撤去を手伝ってもらうぞ」

「はぁ!? テメェの魔術でやれよ!」

「ほっほっほ。儂の魔力は空っぽじゃと言ったじゃろうが。つべこべ言わず働くのじゃ」

「魔王も下手人だろうが!」

「此処にいないんじゃから仕方があるまい」

「マジで恨むぞ魔王……!」

「ほっほっほっほ!」

 

 

◆◆◆

 

 

「話してくれて有難う、メレ。……なるほどね。そういうことがあったんだ」

 

 賢者が有無を言わさぬ様子で勧めるので、聖女と共に歓楽街へ来たのだけれど。

 正直、“前回”は戦いに明け暮れた日々だったし、どうやって遊べばいいのかなんて分からない。

 それに、ボクたちの顔はそこそこ有名で見つかれば騒ぎにもなってしまう。

 だから、簡易な変装をしてジェラートを2つ購入。人通りを離れ、人気の無い建物の陰で食べながら聖女の話を聞いていた。

 どうも、エイジとクリスティアーネにラドロヴォールが手を貸し、その3者を相手取って聖女は戦ったらしい。その結果、逃げられてしまったとのこと。

 ……世界中多くのヒトが魔王を憎んでいる中、こんな事を思うのは不謹慎かもしれないけれど。

 それでも。

 良かった。本当に。彼は世界中が敵という状況でも無事に生きている。

 

「1つ、どうしても分からないのです。何故ゴールドさんはあんなことを」

「えぇ、嘘でしょ。本気で分かってないの……」

「……何をでしょうか?」

「これは道行が険しそうだよ、ラドロ……」

 

 ボクが経験した“前回”は勇者一行の誰とも異なる。一行からボク独りはぐれて、同じく偶然にも単独行動していた魔王と過ごした数日。大筋はエイクだけれど、あの数日だけはエイクでもビクトでもカルツでも存在しなかった。

 そして。賢者と義賊がエイク。聖女がビクト。軍師がカルツ。皆それぞれバラバラだけど、それでも1つ共通しているのは義賊ラドロが聖女メレリアにぞっこんだったという事。彼はずっと、どんなルートでも一途だった。

 そんな彼が一生懸命になるとしたら、それは聖女の為だ。……あとは恩人の賢者の為かな。後者を義賊本人は絶対に認めようとしないだろうけれど。

 だから、多分。今回もそうなんだと思う。

 事情は良く知らないけれど、間違いなくラドロヴォールはメレリアの為に動いた。

 まぁ、でも。そこらへんは本人同士の領域。他人の恋路に外野がとやかく言うべきじゃないと思うわけで。

 

「まぁ、でも。かつて共に戦った身としては。ラドロが裏切るなんて事は絶対に無いと思うよ。何かのすれ違いじゃないかな。落ち着いてゆっくり話し合えば誤解も解けるよ」

「……そうでしょうか」

「この後で重要な話があるって賢者さんが言ってたし、多分そこで事情は聞けるはずだよ」

 

 ……でも、ボクもちょっと良く分からない。何が起きてるんだろう。

 “前回”の時から聖女が何か大きな秘密を抱えているのは知っていた。けれど、踏み込もうとしたところで賢者に止められたのを思い出す。

 そんな事情を色々と知っていそうな賢者が用意した話し合いの席。間違いなく、多くの未知を知る事になるだろう。きっと、良い話も悪い話も両方。

 それでも。ボクも立ち止まるわけにはいかない。エイジだって頑張っているんだ。ボクもより良い未来を…“前回”では掴めなかった最高のハッピーエンドを目指していく。

 

「……? どうしたのですか、エスリム?」

「……ううん。何でもないよ。ただちょっと、ある約束を思い出してたんだ」

「約束、ですか……?」

 

 ……ボクも頑張るから、キミも生き抜いてね。あの日、雪の上で最後に交わした約束が果たせるように。

 そんな風に思った直後のことだった。

 ボクたちの背後から話しかける、少女の声が聞こえたのは。

 

「ねぇ、そこにいるのは勇者エスリムさんと聖女メレリアさん?」

「…っ!」

「何者ですかっ!」

 

 咄嗟に飛びのいて振り向き、聖剣グラヴィテスを抜き放って構える。

 聖女も同様に『聖天使』を発現させる。……場所が場所だから大きさは2メートル程に抑えているけれど、それでも決して能力は劣っていない。

 ボクも聖女も全力の警戒。決死の構え。

 

「うん、良い反応。流石と言っておくべきかな」

 

 そこにいたのは少女。

 銀髪と白い肌、そして赤い瞳。精巧に出来た人形のような、美しく可愛らしい少女だ。

 けれど、何故だろう。

 ただただ身体が震える。武者震いじゃない。そう、これは純粋な恐怖による震えだ。

 滅龍アドラゼール……いや、もっと。或いは、最終決戦の時の魔王エイジすら超える絶望的な力を感じる。

 

「キミは一体……? これだけ威圧的に魔力を放っている以上、味方というわけでは無さそうだけれど」

「うーん。味方と言えば味方のはずだよ。貴女たちの事だって何度も助けてあげてるし。……まぁ、でも。私が味方しようと思える存在は世界に1人だけだから、結局は敵になるのかな。うん」

 

 ボクたちを助けた?

 ……駄目だ。必死に記憶を引っ繰り返してみても、彼女のような女の子と出逢った覚えはない。それは“前回”を含めても同じ。

 返って来た答えは良く分からないモノだったけれど、でも彼女自身が“敵”と明言している。

 となれば。 

 

「出来れば退いて欲しい。敵だというのなら、ボクはキミを斬らなきゃいけなくなってしまう」

 

 聖剣を見せつけるようにして脅しをかける。

 でも、多分だけれど。傍から見たら小動物が毛を逆立てて肉食獣を威嚇しているみたいに見えるんじゃないかな。

 勿論、小動物がボクの方で……

 

「出来るものならやってみなよ。無駄だと思うけど」

 

 ……肉食獣が彼女だ。

 それでも。ボクは勇者だ。たとえ、彼我の実力差すら分からない強大な相手であろうとも、引く理由にはならない。

 見た目はボクより年下の少女。本来なら、手加減して気絶させる程度にしておくべきだ。でも、彼女に対して手加減なんてしている余裕はない。

 ここは彼女の実力を信じて、本気で……!

 

「……え?」

 

 剣が動かない。足が踏み出せない。

 恐怖による硬直? いや違う。これはもっと強制的なモノだ。ボクはこれと似た力を何処かで……。

 

「聖天使、二之法――……え? これは、一体どういう?」

 

 メレリアも最大威力の一撃を放とうとするが不発に終わる。

 ボクとは違って動く事は出来ていた。けれど、発動の直前になって全ての魔力が霧散するように掻き消えたのだ。

 

「魔法も魔術も私には通じないよ。全て元を辿れば私のモノだし」

 

 一体どういうこと……?

 何も分からない。何1つさえ。

 

「貴女たちには聞きたいことがあったの」

 

 いや、待って。今のボクを押さえつける謎の力。これをボクは何処かで経験している。

 そう、確かこれは契約魔術の契約に反そうとした時のような……まさか!?

 

「ねぇ、勇者さん。兄ちゃんを刺し貫いた時どうだった? 楽しかった?」

 

 やっぱり、そうか。

 彼女がエイジの妹、ウア。ウア・ククローク。

 そうか、彼女はボクを憎んでいるのかもしれない。いや、きっとそうだ。

 ……言い訳はしない。ボクは“前回”で彼女の兄へと剣を向けたのだから。

 

「ねぇ、聖女さん。兄ちゃんの唯一の右腕を吹き飛ばした時どう思った? 楽しかった?」

「貴女が、妹? そんな…そんなはずが……」

 

 なんだろう? メレリアの様子がおかしい。動揺の仕方が普通じゃない。

 心配だ。けど。今は何より、この目の前の存在に注意を向けなければ。

 

「……キミがウア、なのかな。そうでしょ?」

「正解だよ、勇者さん。けれど、質問に質問で返すのは駄目なんじゃなかったかな。私の質問にも答えて欲しいのだけど?」

「……そうだね。ごめん、キミの言う通りだ」

 

 思い出す。魔王軍の本拠地に乗り込み、エイジの心臓を聖剣で貫いた光景を。感触を。

 先日のレウワルツでの一件を踏まえると、あれは幻覚の類だったのかもしれないけれど。そんな事は関係ない。

 今思い出しても、あれは……

 

「最悪の気分だったよ。あの時、ボクは全然楽しくなかった。凄く凄く悲しかったんだ」

「ふぅん。なのに殺そうとしたんだ。殺すつもりで心臓を突き刺したんだ」

「言い訳はしない。ボクはボクの道を、彼は彼の道を貫いた。その結果があの結末だった」

 

 会話をしながら、懐の夜想石に魔力を通していく。こうすればエイジにも会話が聞こえるはず。

 彼女の行動がエイジの想定の範囲内なのか範囲外なのか。彼女がエイジの敵なのか味方なのか。何1つ分からない。

 けど、あれだけ必死に探していたエイジに伝えないという選択肢はない。

 ……それに。ボクが分からない事でも、きっとエイジなら答えを見つけ出すだろうから。

 

「させるわけないでしょ。殺し合いをしておいて、恋人の真似事とか図々しいにも程がある」

 

 駄目だ。長そうとした魔力が消えていく。

 ……違う。これは、効力を失っている?

 

「……本当。ヒトの感情って分からない。何で兄ちゃんは、こんな奴らのことを」

 

 分かった。何も分からないけれど、魔法も魔術も無駄だという事は理解した。

 それに剣も振るえないのなら、もうボクたちに抗う術はない。

 今は言葉を交わす事しかボクには出来ない。

 

「エイジがキミを探していたよ。世界中を敵に回しながら、必死にね」

「知ってるよ。私の兄ちゃんは最高だよね」

 

 ……なにこれ。なんなのコレ。

 たった1度の応酬で理解できてしまう。

 会話が致命的にかみ合わない。ズレている。思考や価値観がボクたちと明確に異なっている。

 

「……キミの目的は、……ううん。願いは何?」

「兄ちゃんが幸せになること。それだけだよ」

「幸せ……?」

「……まぁ、でも。そもそも私にヒトの幸せなんて分からないんだけどね」

「それは、どういう……?」

 

 奇妙な返答を更に聞き返そうとして、そこで今まで不自然な程に口を噤んでいたメレリアが口を開いた。

 

「貴女は! 貴女は一体何者ですか! 」

 

 彼女らしくもなく言葉を荒げてメレリアは尋ねる。

 ここまで感情を昂らせた彼女は、“前回”“今回”通して初めて見た。

 

「私はウア。ウア・ククローク。エイジ・ククロークの唯一無二の妹だよ、メレリア・ククローク」

 

 ……え? どういうこと?

 メレリア・ククロークだって?

 そう呼ばれた聖女を見れば、否定する様子は見受けられない。一体どういうことなの?

 

「貴女が妹であるはずが……だって、妹は……」

「うるさいなぁ、もう。ちょっと黙っててくれる?」

 

 そう少女が…ウアが言うと、それきりメレリアの声は聞こえなくなってしまった。

 口をパクパクとするだけで、音が出ていないのだ。

 

「さて、と。勇者さんとのお話の続きを…………あ、まずい。ヒトが近づいてきてる。本当はもっと聞きたいことがあったけれど……まあ、いいや」

 

 すると、銀髪の少女はニコリと笑って告げたのだ。

 

「とりあえず、消えてもらうね」

 

 

 



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幕間 修行の日々⑤「新魔術開発」

 

◇◇◇

 

 

「これが幻影の木、デイドリームツリーの種子ですか」

「然り。非常に貴重なモノ故、扱いは慎重にな」

「仮に紛失したら?」

「弟子2号の片目をえぐる」

「両目じゃない所にリアリティがあって笑えないですね」

「まぁ、冗談だが。模擬戦で我が本気を出す程度だ」

「結局それ死ぬやつじゃないですか」

 

 自惚れでなく、師匠は俺を弟子として溺愛してくれている。

 魔女が生かして手元に置いてくれて、しかも毎日修業までつけてくれているのだ。どう考えても破格の待遇過ぎる。

 そんな師匠が、実際に俺を殺したりしないのは明白なのだが。ともかく、扱いには細心の注意を払えということだろう。

 

「しかし、この小さな種をどうやって魔術に転用するんです?」

 

 師匠の植物魔術は正直、良く分からない所が多い。

 ……もっとも、たかだが数年で400年の魔女の研鑽を理解するのが無理なのは当然だけれども。

 それでも。理解しようとすることを放棄する理由にはならない。俺は他ならぬ、魔女シムナスの弟子なのだから。

 

「拡大の魔術を使ってみよ」

「げ」

「まさか我の弟子が、拡大程度の初歩的魔術が出来ない等と情ないことは言わぬよな?」

「あ、当たり前ですよ!」

 

 質問を投げかけると、魔術で種を拡大して観察しろと言われる。

 ……正直、拡大の魔術は苦手だ。光の屈折やら何やらの調節が非常に繊細で難しい。高い集中が必要なのに、ピントが中々あわなくてイライラするのだ。

 普通に虫眼鏡を使わせてくれと思ってしまうのは致し方ないと思う。……が、それを言っても修行の一環と言われて終わりだ。魔力コントロールの修業になるのは事実だし、諦めてやるしかない。

 

「………む」

 

 魔力の塊をレンズ代わりに。光を屈折させ、焦点を形成する。

 

「むむむ………ん。よし」

 

 これで完了。

 あれ? 何か見える。これは……

 

「…………正気ですか?」

 

 直径1センチ程度の小さな種。それを拡大すると、表面にびっしりと隙間なく術式が書き込まれているのだ。

 

「どうだ、凄いだろう我は」

「凄い通り越してヤバイです」

 

 いやホントに。

 拡大の魔術を常に発動しながら、これだけ細かな術式を刻み込むなど尋常ではない。術式は魔力を使って描く故、種類の異なる精密な魔力制御を並列して行う事となる。

 必要なのは完璧な魔力制御と常軌を逸した精神力。

 機械で再現できない系ジャパンの下町職人技術的な何かを感じる。

 

「まさか、これをマスターするんですか?」

「ある程度は出来るようになっておいた方が良い。旅先であっても種1つあれば有用な触媒が制作できる故な」

 

 成程、師匠の言う通りだ。

 種なら持ち運びにも不便では無いし、種類を揃えておけば様々な状況にも対応できる。

 

「もっとも、我の領域までは要求せん。我の技は100年研鑽を積んだ結果だ。易々と

模倣されては、軽く殺意が芽生える」

 

 師匠が壊したら片目をえぐると言ったのも納得だ。

 例えるのなら、数えるのも馬鹿らしくなるくらい失敗を重ねたドミノ世界記録。それが完成した直後、部外者に真ん中から壊される感じ。むしろ、命を奪わないとか仏様レベル。

 ただ、1つ理解できない点があるとすれば。

 

「何でこんな細かい作業が出来るのに料理出来ないんだ、このズボラ魔女」

「何 か 言 っ た か ?」

「イエ、ナンデモアリマセン」

 

 

◇◇◇

 

 

「よし。これも完成、っと」

 

 師匠から植物魔術の基礎を教わって2か月ほど。

 今、俺の目の前には術式を刻み込んだ種子がたくさんある。

 

「……やっぱり、イマイチだよなぁ」

 

 2か月も必死に修練したのだ。ある程度は出来るようになっている。

 しかし。種は師匠の見せてくれたモノより遥かに大きいモノばかり。術式の量も師匠とは比べるべくも無く少なく、出力は師匠の10分の1が精々だろう。

 比較対象の師匠が凄すぎるだけで、今の俺の技術でも十分に一流だと師匠は言っていたが……

 

「これじゃあ弟子1号と何も変わらない。魔王を超えることは出来ない」

 

 問題はコレだ。

 別に師匠のいる高みに到達しようなんて、そんな身の程をわきまえない事は考えちゃいない。いつかは辿り着きたいけれど、今すぐは絶対に無理だ。

 そうではなく、今は目先の目標。「魔王」となった「前回の俺」、弟子1号を超える事を目指している。

 理由は単純。真に俺以外の全員が2周目ならば、“前回”持っていた手札だけじゃ対応できない事態が生じかねないからだ。勿論、超えるべきライバルとして、というのも理由の1つではある。

 そんなわけで、師匠から及第点をもらった後もこうして術式の開発と修練に励んでいる……のだが、これが中々上手くいかない。

 

「植物の種は可能性そのもの、か」

 

 呟くのは、師匠が教えてくれた植物魔術の神髄。

 植物魔術の基本は、種子に術式を書き込むことを通じて種子の“自己”の認識を狂わせる事にある。

 植物が身を守る為や子孫を残す為に用いる魔術は、徹頭徹尾その植物自身にしか効果を発揮しない。認識を改竄し、術者を植物の一部として認識させて初めて植物魔術は発動可能となる。

 過程は複雑で難易度は高いが、マスターすれば植物の有する特殊な魔術を自由自在に使用可能となるのだ。

 植物の種類は無数にあり、書き込む術式によっても術は変化する。異なる植物の組み合わせで新たな術を生み出すことだって出来る。

 植物魔術とは正に可能性の魔術。発想で上回りさえすれば、自ずと俺は弟子1号を超えることが出来る。

 

「……理屈は分かってんだけどなぁ。元々同一人物じゃ発想は似通ったモノになるのは当たり前といえば当たり前、か。……なぁ。どうすれば良いと思う、バルバル?」

 

 最近は修業で上手くいかない事があると、こうしてバルバルに相談している。

 ウアの前では頼れる兄でありたいし、師匠の前では少しでも格好良い男でありたい。だからこそ、この二人に弱音を吐いている姿を見せるわけにはいかないのだ。

 無論、バルバルは喋れないので、何か有用なアドバイスや激励の言葉が返ってくるわけでは無い。それでも励ますようにツルで肩を叩いてくれたり、心を落ち着ける香りの草花を持って来てくれたりする。

 今日も今日とて、相談すれば長いツルが一本伸びてきた。先端の葉っぱに何やら包まれているのが分かる。

 

「本当にバルバルは優しいな。いつもありがとう」

 

 今日は一体何だろうか。綺麗な花だろうか? それとも美味しい果実だろうか?

 かなりワクワクしながら、徐々に開かれていく葉っぱに注目する。結果、中から出てきたのは……。

 

「……種? これ、何の種だ?」

 

 そこには、直径4センチ程の大きめの種があった。

 初めて見る種だ。師匠の植物図鑑でも見たことがない。

 すると、俺の疑問に応じて、バルバルがジェスチャーを開始する。

 ……ふむ。

 ツルで地面を指して……。

 ん? 地面? ……あれ、そういえばバルバルって師匠の植物魔術で創造された存在だったよな?

 つまり……?

 

「まさか、これってバルバル自身の種か?」

 

 そう問いかけると、「正解だ」とでも言うようにツルが花丸を描いた。

 

「まじか!? いや、流石にそんなモノ貰う訳には……!」

 

 植物にとって種は、人間に置き換えれば子供みたいなモノだろう。

 そんなモノを受け取るわけにはいかないと思い、断固拒否したのだが……。

 

「サムズアップってマジか。お前、どんどん器用になっていくな……」

 

 終いには、ツルで器用にサムズアップの輪郭を象ってまで見せたバルバルの漢気(?)に俺が折れる結果となった。

 

「でも、これは凄いぞ。上手く術式を書き込めさえすれば、バルバルの異空間魔法が使えるようになる可能性がある」

 

 出力は限りなく弱くなるだろうけれど、それでも魔法が使えるようになる……これはデカい。一人一つの固有の力。俺には使えない力。それが使えるようになるかもしれないのだ。

 

「バルバルの厚意を無駄にしない為にも、絶対に上手く扱ってみせなきゃな」

 

 

◇◇◇

 

 

 それから再び2か月ほど後。

 俺は修行の合間に必死に研究を重ね、遂に完成した触媒を師匠に見せた。

 すると……。

 

「ほう、これは中々やるではないか。術者の血を多量に飲み込ませなければならない欠点こそあるが……それでも効果は十分だな」

「はい。出力を考えれば、異空間に逃げこむとかは出来ません。でも、相手の攻撃を飲み込む盾としての使い道なら……」

「うむ。その通りだ。これは実に有用だな。良くやった、弟子2号」

 

 師匠に褒められて有頂天の気分だが、ここは必死に抑える。

 だって、これは俺一人の功績では無い。

 

「バルバルのおかげです。バルバルが種を渡してくれたから、思いついたんです」

「……いや。それも含め、弟子2号の実力だ。暗い感情に囚われていた弟子1号は、バルバルと気軽に会話を交わすことも少なかった。その差が如実に出たのだろうよ」

 

 そうか、成程。

 弟子1号はウアを殺された復讐心に燃えていた……と推測される。だからこそ、修行の合間の和やかな雑談が少なく、今日のようにバルバルから種を貰う機会が無かったのだろう。

 

「故に、今は純粋に誇れ。お前は確かに、新たな手札を1つ生み出したのだからな」

「……はい!」

 

 こうして俺の修業の日々は、着実に前へと進んで行くのだった。

 

 



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Chapter 6: “Quest”
1話 胎動する神話


 

◆◆◆

 

 

 はじめに“創造神”がいた。

 創造神は招いた。異界より  を。その数は八であった。

 八の  は力を授かった。其は交換の力。偉大な力。

 八の  は再現した。遠き彼の地を。

 大地。天空。大海。草木。獣。そして我々。全てをつくった。

 

 ――『創世の書』原典。第1章。

 

 

◆◆◆

 

 

 最初に“創造神”がいた。名は伝わっていない。初めから無かったのだ。

 次に“8柱の神々”が迷い込んだ。名は伝わっていない。消されたのだ。

 

 ――『契約の書』原典。第1章1節。

 

 

◆◆◆

 

 

 一の神、最も優れし知恵の神。神々まとめて世界を創る。

 二の神、最も強き武力の神。神々鼓舞して世界を守る。

 三の神、最も美しき無垢の神。神々癒して世界を彩る。

 四の神、最も優しき愛の神。神々想いて行く末を憂う。

 五の神、最も気高き道徳の神。神々諫めて法を定める。

 六の神、最も弱き勇気の神。神々   全てを捧げる。

 七の神、最も賢しき幸運の神。神々離れて彼の地を目指す。

 八の神、最も卑しき悪逆の神。神々裏切り最後に嗤う。

 

 ――『ヒルアーゼの福音書』原典。第3章『神々の黄昏』26節。

 

 

◆◆◆

 

 

 少年と吸血鬼が去った禁書庫にて。

 乱立する無数の巨大な本棚。その中でも一際大きな棚の上。そこで様子をずっと伺っていた存在がいた。

 それは一人の女。

 女は腿の付け根まで晒した生足を妖艶に組みながら、妖艶さの欠片も無い笑い方でケラケラと笑っていた。

 

「ケケケ。オイオイ、オレらの王様は大丈夫かよォ。妹の一人や二人の真贋程度で動揺し過ぎじゃないかァ? 時間に限りがあったってェのもあるが、神話関連の本を殆ど読んでないじゃねェか」

「それだけ兄ちゃんにとって“妹”が大きい存在なの。……腹立たしいことにね」

 

 女の呟きに応じる少女の声。

 その声の主は、先ほどまで何も無かった空間から現れた。

 

「……あァ? 愛されてるって事で嬉しいんじゃねェのかよォ、他ならぬ妹サマからすればさァ?」

「愛なんて嫌い。大嫌い。愛するのも愛されるのも嫌い。愛があるからヒトは…兄ちゃんは不幸になる」

「はァ?」

 

 唐突に現れた銀髪の少女に対し、青い肌の女は一切の驚愕を示すことなく会話を続けていく。

 まるで、傍にいるのが当然の友人へと話しかけるように。

 

「貴女なら分かるんじゃない? 貴女たち8人を切り裂いた最大の原因の1つでしょ?」

「……成程。そういうことなら、一理あるわなァ。だが、この世界にオレたちを呼び込んだ元凶が言う事かよォ」

「あれは事故。貴女たちが勝手に迷い込んだだけ。その後の事は全て貴女たち自身の選択の結果でしょう?」

「……ま、その通りなんだけどなァ。それでも容易に納得できねェのが、人の心ってヤツなんだろうぜェ」

「そんなの私が知った事じゃない」

「ケケケ、違いねェや」

 

 そこまで言葉を交わして、女は…今はウルヴァナと名乗る者は、腕を組んで嘆息した。

 

「しっかし、このまま神話知識抜きで進まれたらよォ、妹サマだって困るんじゃねェのか?」

「どうして?」

「魔王サマが妹サマの所まで来れねェかもしれねェだろォ」

「それは無いよ。その程度の欠落で兄ちゃんは止まらない。絶対に」

「へェ、ってことは、そういう“前回”もあったのかァ。純粋に凄ェなァ、我らが魔王サマは」

「うん、私の兄ちゃんは凄い。本当に。だから困ってるんだけどね」

「……何がしたいんだァ、妹サマよォ」

「兄ちゃんを幸せにしたいんだよ。それだけ」

「駄目だこりゃァ、会話にならねェ」

 

 そこで女は少女を理解する事を完全に放棄した。

 遥か昔にも同様の判断をしている故、ただの確認作業に過ぎなかったのだが。

 

「……ならよォ」

 

 そして。女は話題を変えるように口を開いた。

 しかし。

 

「この燻る感情はオレの未練って事かよォ」 

 

 呟く女の表情は苦々しく苛立たし気で、常に浮かべていた笑みが消えている。

 

「どうしたの? 貴女が笑っていないなんて珍しい」

 

 他者の感情が分からない少女すら指摘する程に、それは異常な事であった。

 何故ならば。自称“快楽主義者”の女は、千年以上もの間、笑顔を絶やしたことが無かったのだから。

 

「神話が不要って言われてもよォ、なんかモヤモヤするんだよなァ。やっぱり、誰かに……他ならぬ魔王サマに知ってもらいてェんだろうなァ。オレたちの真実をさァ」

「貴女が徹底的に歴史から消したのに? それに、兄ちゃんをはぐらかしたのも貴女自身でしょう?」

「だからオレも困惑してんだよォ。とっくに吹っ切れたと思ったんだけどなァ」

「……ねぇ、貴女はどうして兄ちゃんに手を貸していたの? 政治やら戦争やらと距離を置き続けていた貴女が、曲がりなりにも臣下として忠誠を誓っていたのは何故?」

「そんなのテメェなら直ぐに分かんだろォ。読心やら共感やらの魔法だって使えるんだろうが。勝手に心を読めやァ」

「じゃあ聞くけれど、貴女は知らない言語の本を解読できる? ……いえ、もっと酷い。心が読めるからって習性として共食いをする昆虫の思考が理解できる?」

「オレらは昆虫かよォ」

「あくまでも例え話だけど。でも、私からすればヒトの思考はそういう領域なの。まだ言葉にしてもらった方が、納得は出来なくても理解はできる」

「なるほどなァ。……ま、そういうことなら答えてやるよォ」

 

 一度言葉を区切ったウルヴァナは、その金の瞳を静かに閉じる。

 そして一度深く息を吸って吐くと、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。

 ()()()()()()調()()

 

「……アイツに似てたから。弱くても、何も無くても。自分に出来る事を必死に探して探して。挙句の果て、自分を擲ってでも走り抜ける。その姿が、アイツに重なった。だからきっと、私は魔王の配下となったんだ」

「アイツ?」

「極光龍なんてェ大層な名前で呼ばれるようになった、あの馬鹿の事だよォ」

 

 彼女の口調が変わったのは、その一度だけ。

 続く言葉は、既に元の妙な口調に戻っていた。

 

「極光龍……あぁ、あのトカゲ」

「ケケケ。トカゲって酷ェな。……さっきの対価ってわけでもねェが、オレの質問にも1つ答えて貰って良いかァ?」

 

 口調が戻ると同時、ウルヴァナは普段通りに笑い始める。

 どこか無理をしているような。正しい笑い方を忘れてしまったかのような笑い方で。

 

「良いよ。等価交換。それが世界の絶対の法則だから」

「じゃァ、遠慮なく。まさか無ェとは思うが、オレが魔王サマとキャッキャウフフな関係になった“前回”って存在したのかァ?」

「……よりにもよって、その質問。でも、答えるって約束しちゃったし答えてあげる」

「オイオイオイオイ。ちょっと待てェ。その反応、まさかァ……」

 

 珍しく動揺を露わにするウルヴァナに構わず、銀髪の少女は淡々と言葉を続けていく。

 

「……最悪な事に、あったの」

「げェ! マジかよォ。ケケケ。何がどうしたら、そんな奇妙奇天烈な状況になるんだァ?」

「甘い要素は皆無だったけれどね。でも事実だよ」

「“前”のオレは一体何を考えてたんだァ……待て。じゃァ、何か? オレも消されちまうのかァ?」

「幾億回も繰り返された“前回”の中には、そういう事もあったというだけの話。たった1度だけだったし、誤差の範疇として見逃してあげる。“今回”で兄ちゃんに色目を使わない限りは、という条件付きでね」

「ヘイヘイ、重々気を付けますよォっと」

 

 そこで女は立ち上がり、腕を前で組んで伸びをする。

 何か大きな事をする決意を固めるかのように。

 

「……どうするつもりなの?」

「妹サマと話していて思いついた…ッてより、思い出したことがあってなァ。オレは約束で語り部にはなれねェが、もう1人適任がいるってよォ」

「あぁ、成程。あのトカゲね」

「正解だァ。あの寝坊助を千年の眠りから目覚めさせる。そう決めたァ」

「別に構わないけど。私は手を貸さないよ」

「んなこたァ分かってる……待て。まさか魔力が使えなくなるってェ話かァ?」

「そこまではしないよ。その程度は許してあげる」

「ケケケ。そりゃ有難い。んじゃまァ、互いに頑張ろうぜェ」

「互いに?」

「詳しくは知らねェが、オレはアンタをそこそこに応援してるってェ話だァ」

「……そ。心の底から要らないけど、一応感謝はしておく」

「ケケ。それじゃあなァ」

 

 そう告げて。ウルヴァナは姿を消した。

 霞のように跡形も無く。音も無く。

 

「笑い方も口調も一人称も振る舞いも、魔術も戦い方も、その肉体すら借り物の継ぎ接ぎ。千年以上昔の約束やら何やらを未練がましく引きずって。それで何処を目指すのか」

 

 誰もいなくなった書庫で、銀髪の少女は呟く。

 どこか歌うように。朗々と。

 

「正直、本当にどうでもいいけど。でも、長い付き合いだからね。見届けるくらいはしてあげるよ、陽瑠奈(ひるな)

 

 そして少女も姿を消す。

 書庫は再び、無人の静寂を取り戻したのだった。

 

 

 



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