風の末裔 ~見えない羽根のおはなし~ (西風 そら)
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すべてのはじまりのおはなし
風の末裔・Ⅰ



いらっしゃいませ
ごゆるりと


全39話 約14万文字で完結
中編4本と 短編5本の オムニバス


 

 

 

 草原には時おり不思議が起こる。

 

 たとえば子供達が野駆けを遊んでいると、いつの間にか馬の数が増えている。

 あれ、と思って集まってみると、最初の人数。

 また遊びを始めると、やはり増えている。だけれど()()()()()はいない。

 

 あるいは夜に、一番下の子が友達の事を話し出す。

 その中に、誰も知らない子供の話が混じる。

 改めて問いただしても、子供はもうその子の事を覚えていない。

 

 そういう時は、『風の神様の子供が気まぐれに遊びに来ていたのだ』という事で終わらせる。

 そんな話は長引かせる物ではない。

 広い広い広い草原。そういう事だってあるのだろう位な感覚。

 だって皆、この世の全てを知っているつもりではないから。

 

 

 

 

 草原を子供達の馬が駆けている。

 皆それぞれに三ツ又の棒を持ち、萱草を固く丸めた球を奪い合う遊びをしている。

 一人の子が球を棒に刺し、高く掲げて走り出した。皆も一斉に後を追い掛ける。

 

 馬が何もない場所で踏ん張って跳ぶ。後から来た馬も同じ場所で跳ぶ。

 子供たちは気にしない。

 それもよくある事なのだ。馬が()()()()()()を避(よ)けて跳ぶのは。

 

 

「ああ、ビックリした」

 賑やかな集団が去って、地面の窪にうずくまっていた小さな女の子が、小さな愛馬と共に立ち上がった。

 走り去った子供達と明らかに違う姿形。

 丁度今の曇り空と同じ色の髪と瞳。霜がかかったような薄色の肌。

 この草原に昔から住まう、風の妖精の子供。

 

 人間からは見えない。『見えている波長が違う』らしい。この子にもよく分かっていない。

 姿を見せる術はある。けれどわざわざ人間に見られたい妖精なんていない。

 たまに自然に波長の会う人間もいるが、大概は幼児で、大きくなると忘れてしまう。

 古い人間の部族は風の神と呼び、処によっては信仰もされている。

 

 ただしこの子供は、神どころか味噌っかす。

「みんな行っちゃった……」

 一緒に妖精の里から遊びに出た仲間達は、上手に馬を操って、人間の間をクルクル飛び回りながら集団に着いて行ってしまった。

 体重のある人間に絡み付いて、どれだけ加速させられるかを競って遊んでいるのだ。

 この子が置いてけぼりになっているのなんて誰も気に止めない。

 それはそう。楽しい子供の時間なんてあっと言う間だ。着いて来られない子に構っている暇なんてない。

 

「一緒に馬に乗り始めたのに、皆すぐに飛ぶのが上手になったもの」

 女の子はしょんぼりして、隣の小柄な愛馬を見つめた。

 他の子の馬よりも一回り小さい。

 

 この子の部族『蒼の妖精』が駆るのは、人間の馬とは違う『草の馬』。

 文字通り草で編まれた身軽い馬で、これも人間からは見えない。

 里で編まれるこの馬は、妖精の子供が七つになると、一人に一頭宛がわれる。

 馬は主(あるじ)の資質に沿って成長し、術力の大きな大人ともなると、遥か空の色の変わる高みにまで飛び上がれるという。

 

 しかしこの子供は味噌っかす。

 空の色が変わる高みどころか、他の子が自然に使えるようになる飛行術すら満足に使えない。

 仕方なく長さまが、飛行術を助ける『金の鈴』を持たせてくれた。女の子はそれがないと満足に飛ぶ事も出来ない。

 

「いつ落としちゃったんだろ」

 里を出て、皆と一緒に風に乗っていた時までは確かにあった。

 人間の集団と一緒に遊び始めて、あっちこっち走り回っている内に、いつの間にか馬の首に掛けていた革紐が千切れて金の鈴がなくなっていた。

 置いていかれて初めて気付く体たらく。

「しようがない、私は役立たずの味噌っかす。せめて皆の楽しみの邪魔にならないようにしていよう」

 

 風の子供達はもうバラけて空高くまで駆けて行ってしまった。このまま自分がいないのに気付かずに里へ帰ってしまうのだろう。

 妖精の里は結界に守られていて、真上からでないと入れない。

 即ち空を飛べないとおうちへ帰れないのだ。

 

 馬は項垂(うなだ)れる主に、フルルと鼻を寄せた。

「ごめん、あんたも他の子の馬になれたら良かったのにね」

 

 

 空気が震えて、馬が耳を立てて顔を上げた。

 後ろで小さな蹄音。

 振り向くと、人間の馬がポクポクと歩いて来る。さっきの集団の後ろの方にいた一頭だ。

 粗末な鞍の上にひょろっとした男の子と、背中にしがみつく幼い妹。

 

(あっ、あの子)

 知った子だった。

 この子が小さい頃は妖精が見えていて、一緒に野駆けを遊んだりした。

 最近は幼い妹を連れているので皆に着いて行けないようで、今も妹をあやす為にああやって置いてけぼりになっている。

 

(優しいお兄ちゃん……)

 女の子は立ち上がって指を上げ、そよそよと優しい風を吹かせてあげた。

 数少ない出来る術の一つだ。背中の幼児は機嫌良く笑ってくれた。

 

「え――と、そこに居る?」

 

 唐突に男の子に声を掛けられ、女の子はびっくりして風を止めた。

 この子は大分前に妖精なんか見えなくなった筈。そろそろ記憶からも消えてしまう頃だ。

 

「居ないの? 居ると思ったんだけどな」

「いゆ、そこ、くしゃのなか――!」

 男の子にはやはり見えていないようだったが、背中の妹が言葉を話せるようになっていた。

 

(本当に人間の成長って早い……)

 

 女の子は黙って自分の馬に跨がった。

 風の妖精は、むやみやたらと人間と口を聞いてはならない。

 彼らの寿命は自分達よりずっと短く駆け足だ。下手に関わると急(せわ)しい人生の邪魔をしてしまう。

 関わっていいのは、長さまが決めた特別な場合だけ。里の掟で決まっている。

 

「あのさ、居るか居ないか分からないけれど、一応言うね。君の馬がいつも首に掛けていた『金の鈴』」

 

 去りかけていた女の子はビクンと揺れた。

 

「僕には見えなかったんだけれど、妹が、切れた革紐に付いた金の鈴が落ちていたって言うの」

 

 思わず声を出しそうになり、女の子は口を押さえた。慌てて身を乗り出して耳をそばだてる。

 

「引き返したら、通り掛かった集団がいて、その中の一人が拾ってしまったみたいなんだ。見えない何かを摘まんで掲げる動作をしたから。その時チリンって音が聞こえた気がした」

 

 ・・!!

 

「でもごめん、拾った子の顔とかちゃんと見られなかった。近寄っちゃいけない集団だったから。ほら、あっちの大きな街の奴隷の人達。石切場からの荷車を引いて帰る途中だったと思う。縄に繋がれて、すぐに引っ張られて行っちゃった」

 

 何もない窪地に向いて一通り喋ってから、男の子は不安そうに背中の妹を振り返った。

 妹は泣きも笑いもしないで、草原の地平をじっと見ている。そこに、まるで今しがた馬が駆け去ったような草の切れ端が舞っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 






挿し絵: 草原の子ら
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挿し絵: 妖精の子ら
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風の末裔・Ⅱ

 

 

 

 見上げるような石の塔が街の中央にそびえる。

 今この街を制圧している部族の、力の象徴。

 周囲は外敵に備えた長い石垣が建築中。

 どちらも、荒々しく冷たい印象しか受けない。

 

 女の子は、とっぷり暮れた夜空に黒々とそびえる塔を横目に、石垣に沿って歩いた。

 人間の大人は怖い。子供とは別の生き物。元々草原に住んでいた人達はそうでもないけれど、集団で他所から来る大人達は桁外れに怖い。

 

 前にこの街に住んでいた部族は追い出されて散り散りになり、今いる人達も後から来る者に怯えている。

 ここ最近草原に来た人間達は、そうやって目まぐるしく押し合い圧し合いをしながら、恨み辛みを増やしている。

 何がどうしてそうなっているのか、女の子には分からない。ただ、里の長さまや大人達は、人外界にも悪い影響が及ぶ事を憂えている。

 

 小さな愛馬は、そびえる塔を気にしながらポテポテと着いて来る。空を飛べたら一飛びで塀を越えて奴隷小屋を捜しに行けるのだろうが、女の子は自分でも情けない程に飛行術が下手くそだ。

 指導してくれる大人ももう諦めて、叱る事もしてくれない。味噌っかすだからどうしようもないのだと。

 

 やるせない気持ちでトボトボ歩いて、作りかけの石垣の切れ目に行き着いた。

 そこから覗くと、篝火が一つと歩哨が一人二人。奥に粗末な長屋が連なっている。奴隷小屋って感じだ。

 

「鈴を拾った人間、あそこに居てくれればいいんだけれど」

 鈴が見えるんなら、うんと小さい子供だ。

 奴隷は大体が制圧された部族の生き残りで、女の人や子供が多い。が、うんと小さい子供はそう多くないだろう。自分の所で育てるよりも、誰かの育てた子を奪って来る方が安易だからだ。

 

 女の子は石垣の前で唾を呑み込んだ。

 妖精の姿は見られないと分かっていても、怖い物は怖い。

 空を飛べると意外と見てしまうのだ。平和に暮らしている人達のパォが燃やされる様や、うずくまる者が棒で打たれる光景を。

 一番怖いのは、それをやっている顔が笑っている事だ。あんなの永遠に相容(あいい)れられる筈がない。

 

 ごく、ごく、ごくたまにだが、大人になっても妖精を見る事の出来る人間がいる。

 例えば先代の妖精の長と友人だったという、人間の英雄。その英雄のお父さんもお祖父さんも、代々妖精を見る事が出来たらしい。

 英雄の家系が繁栄していた時代は、妖精と人間が協力をして草原の平穏を保っていたという。修練所の授業で習っただけで、ピンと来ていないが。

 

「大人になっても妖精が見える人間は、怖い大人にはならないんだろうか」

 何となく独り言を呟いて、石垣の内側にそおっと足を踏み入れ……

 

 ――!!

 両手首を後ろから掴まれた!!

 

 うそ、用心していたのに!?

 

 気配なんか一切感じなかった。

 風の術で逃れようとしたが、ビクともしない。何で!?

 掴まれた所がヒヤッとする。水で冷やされた手だ。

 

「怖い大人じゃないから落ち着いて」

 

 背後から急(せ)いたささやき声。声も手も幼児の物ではない。ジャラリと鎖の音。

 女の子は身を捩ってもう一度『すり抜け風の術』を唱えた。これを使うと大概の者からはフィッと抜けられるのだが……手首はガッチリ掴まれたまま。

 

「いいから落ち着け、鈴が欲しいんだろ?」

 もう一度声がささやき、女の子は思わず振り向いた。

 

 子供……とも言えない、十四、五の男の子だ。ざんばら髪が獅子みたいな、強い目をした少年。

 

「こっち!」

 冷たい手に引っ張られ、女の子は馬と共に、塀の外へ引き戻された。

「そこから塔の先端を見てみろ。瞬きせずに集中して」

 

「??」

 言われるままに塔を見上げる。

 何もない、さっきも何もなかった……後ろから掴まれた両手首がまたヒヤッとする…… んん? うすらボンヤリ、赤い影?

 

 ――!!

 女の子は思わず悲鳴を上げそうになった。

 

 ――狼!!

 普通の狼の何倍もある巨大な狼が、塔の先端に絡み付くように夜空に浮かんでいる。

 全身燠炭(おきすみ)のように真っ赤に瞬(またた)き、首の回りや背中からは炎が上がっている。銀に光る目はギラギラと地上をねめつけ、大きな牙の覗く口からは熱そうな吐息。

 よく見ると、周囲を小型の同じ狼が、見えたり見えなかったりしながらぐるぐると駆け回っている。

 

 集中を切るとフッと消える。

 勿論普通の狼ではない、魔性。しかも人外からも姿を忍ばせられる、高等なモノ。

 

「見えた?」

 後ろから声。

 女の子は黙って頷(うなず)いた。

「じゃあ、手を離すけれど、逃げないでくれる?」

 一寸置いて、女の子はまた頷いた。

 

 

 ***

 

 

「水に濡らした手で両手首を掴まえると、風の術を防げるって教わった」

 少年は両手の水滴を飛ばして服の裾で拭いながら言った。

 粗末な奴隷の衣服。鎖の音は彼の手首に繋がれた物だった。

 

 向かい合って距離を取り、妖精の女の子は無言で視線を落としてじっとしている。

 

「あ、見ての通り囚われの奴隷だけれど、小屋にいないで自由に出歩けているのは、歩哨も他民族の人間で馴れ合っているから。かと言って逃げないのは、仲間も大勢捕まっているから。鈴は勿論返すけれど、頼みを二つ聞いて欲しい。あと何か聞きたい事ある?」

 少年は早口でささやいた。

 

 女の子が口をつぐんだまま動かないので、少年は勝手に頼み事を話し始める。

「まず、あの狼の正体分かる? 知っていたら教えて欲しい。ずっとああやってこの街の上空に居るんだけれど、何が目的か分からない。思いもしない切っ掛けで突然襲って来られても困る」

 

 女の子は黙ったまま首を横に振った。自分にも分からないという意思表示なのだが、少年は構わずに話を続けた。

「何でそんな心配をしているかというと、俺ら、今晩これから集団脱走をするから」

 

 サラリと言う少年を、女の子は顔を上げて凝視した。

 そういう事をやって捕まった者が、どんな目に遭わされるのかも見知っている。

 

「今は俺が一族の長なんだ、親父が死んじまったから。俺が仲間を守らなくちゃならない。部族の誇りも」

 

 丁度雲が流れて、月の明かりが彼の立つ場所へ届いた。

 少年は痛々しい傷だらけだった。

 こんなに傷だらけなのに、何でこんな燃えるような目をしていられるのだろう。

 

「だからもう一つの頼みなんだけれど、逃げ遅れそうな者が居たら助けて欲しい」

 

「・・・・」

 女の子は口を開いた。が、返事は出来ない。これは妖精の掟に触れるのではないか? だいいち鈴を返して貰ったとしても、自分の小さな馬ではどれだけの働きが出来るか分からない。

 

「出来る範囲でいいんだ。空を飛べるだけでも俺らからしたら凄い事だから」

 まるで心が読めるかのように、少年は後を継いだ。

 

 ・・・・そうか、彼は、目の前の妖精が味噌っかすである事を知らない。

「あの……」

 女の子はとうとう声を出した。

「それ……今日でないと駄目ですか? 私はあの狼の正体を知らないし、里へ戻って大人達に聞いたら……えっと、もっと良い方法が見付かるかもしれない……」

 

「無理、今日しかない、時間もない」

 少年は即答した。

「あの狼、数が増えているだろ。身体の炎もいつもより燃え上がっている。そういう時に何が起こるかは今までに見て来た。戦(いくさ)だ。狼の数が増える程に、大きい戦になる。おそらく今晩、他部族の大規模な夜襲がある。ずっと機会を伺っていた逃げるチャンスなんだ」

 

「狼……炎が燃え上がる程に大きい戦……」

 女の子には思い至る事があった。修練所の授業で習った気がする。でもうろ覚えで確信が持てない。

 

「俺ってさ、『何か』を持っているんだ。ほら、今日という日に金の鈴が足元に転がって来て、そして張っていたら案の定あんたがやって来た。これは、あんたの協力を得てチャンスを物にしろって事なんだ。運命は待っているだけじゃ変えられない。親父もその親父も当たり前にそうやって、『何か』の力を最大限に生かして部族を守って来たんだ」

 

 女の子は、ただ彼の顔を見つめる。

 自分には縁の無い、自信に満ち満ちた言葉がドシドシと出て来る。こんなに自分を信じられるヒトなんて、妖精でも人間でも出会った事がない。

 

「ねえ、狼が東を睨んでどんどん数を増やしている。多分敵方が迫っているんだ。早く約束して。『風の末裔の一族』は、約束事を絶対に違(たが)えないんだろ?」

 

 私達の正式名称まで知っている。この子…………とまで考えて、女の子は別の事にハタと気が行った。

「あっ、あの、東って、夜襲して来る部族って、もしかして東の川沿いに野営していた軍団?」

 

「ああ? 多分そう。狼がそっちをずっと気にしてる」

 

 答えを聞いて、女の子はさぁっと青くなった。

 川とこの街の間に、先程の兄妹達の暮らすコミューンがある。彼らは移動する民族で、安全そうな場所を選んではいるのだが、脅威の対象も移動するのでそういう不運も起こる。

 侵攻する軍隊にとって、路上の牧畜農家など、塵芥(ちりあくた)な養分でしかない。

 

「どうかした?」

 

「あっあの……鈴……鈴……」

 この少年は自分の仲間が一番優先だ。他の友達に知らせに行きたいと言って、鈴を返してくれるだろうか。

 

 少年は妖精の女の子をじっと見る。

「進路上に、知り合いでもいるの?」

 

 本当に心が読めるんだろうか。吸い込まれそうな真っ黒い瞳。全て見透かされている気がして、女の子は正直に白状した。

「居ます、友達のパォが。お願いします、鈴を返して下さい。ひとっ飛びして逃げるように知らせたら必ず戻って来ますから。その鈴がないと飛べないんです」

 

 少し間を置いて、

「……分かった」

 少年は傍らの石垣から石を外して、奥に隠してあった鈴を取り出した。

 

「えっ」

「待ってる」

 

 あまりに呆気なく鈴を返して貰い、女の子は一瞬躊躇したが、すぐに慌てて鈴を受け取って、愛馬の首にくくり付けた。鈴が光って、馬の草の隙間に風を孕ませる。

 浮き上がりかけた馬によじ登り、女の子は今一度少年を振り返る。

 彼は真剣な表情で、手を肩の高さに上げて振っている。

 信頼してくれているんだ、今さっき初めて出会った自分を。

 

「ありがとう、約束します、絶対に絶対に戻って来ます!」

 渦を起こして小さな馬は一気に舞い上がった。

 

 

 

 




ガールミーツボーイ

挿し絵:ガール 
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風の末裔・Ⅲ

 

 

 

 

 

 地平に赤い揺らめきが見える。

 

 ――ああ・・!

 

 女の子は息を詰まらせながら馬の高度を下げた。

 

 赤く炎に包まれた幾つかのパォ。

 松明を掲げた騎馬兵士達の黒い影。

 遅かった……駄目だ。

 

 馬がフルルと嘶(いなな)いて、離れた方向へ首を向けた。

「あっ」

 月に長い影を落として、一頭の馬が駆けている。

 裸馬の背には昼間の男の子。

 妹は? 兄の懐で背に手を回して泣きながらしがみついている。

 二人とも下着姿だ。寝込みを襲われ、着の身着のまま逃げ出したんだ。

 

 鞍も無い馬で不安定な姿勢、今にも投げ出されそうな二人に、複数の騎馬兵が追い討ちを掛ける。

 斬られて馬を盗られるか、捕らえられて『物資』となるか。

 

 女の子は必死に馬を駆って、間に割り込んだ。

 

 風の妖精と草の馬は人間からは見えないが、馬には見える。

 斜め上から降って来た物に、兵士の馬は驚いて飛び退いてくれた。

 しかしそんなのは時間稼ぎにすらならない。鞍上の子供達はもう限界だ。

 

 ――風、風よ、もっと風!

 腕を上げて懸命に風をかき集める。

 もっと、もっと早く、走らせてあげて!

 小さな金の鈴がキシキシと音を立てて軋む。

 

 不意に、大きな風がうねった。

 女の子の身体がふっと軽くなる。

 彼女の起こしていた風とは比べ物にならない大きな渦が、小さな草の馬と兄妹の馬を包み込んだ。

 次の瞬間、どん! と加速が付いて、二頭は木の葉のように軽々とそこを離れた。

 兄妹を見ると、馬の背に危なげなく収まって、信じられないという表情で茫然としている。馬の足が地に付いていないので、反動が一切無いのだ。

 

 ヒュン、ヒュン、ヒュン

 風切り音と共に、武装した立派な草の馬が数頭、斜めに降りて来た。蒼の妖精の兵士達だ。

 

 女の子の横にも一頭の草の馬が寄る。

「何をやっている。お前のような子供が人間の争いに手出しをするな」

 里の兵士長だ。普段は修練所の教官をやっているので、女の子の味噌っかす振りも知っている。

 

「ご、ごめんなさい、鈴を、落として……」

「この忙しい時に、他の子はまったく手間を掛けないというのに、どうしてこうお前だけ」

「……」

 駄目だ、全部を説明している余裕がない。

 

 言っている間に兄妹の馬は、他の兵士二頭に挟まれたまま遠くへ運ばれて行く。

 あぁ……という顔で見送る女の子に、老練の兵士長は前を向いたまま厳めしい顔で言った。

「あの子供達の家族はもうおらぬ」

「…………」

「少し先に古い部族の集落がある。草が少なく暮らしにくい土地だが、誰も欲しがらないので争いが起きず穏やかだ。住民も昔ながらの互助の精神を持っている。後はあの子らの運次第だ」

「……ありがとうございます……」

「土着(どちゃく)の子供の未来まで絶えてしまったら我々も困る」

 

 追い掛けていた人間の黒い騎兵達の姿も見えなくなって、兵士長は風の術を解いて馬を止めた。

 

「あ、あの、兵士長様」

「いいから里へ戻りなさい。罰は明日だ。今夜我々は忙しい。捜し物があるのだ。月占の告げがあった。長様も出張って来られている。あの方に余計な心配をかけるでない」

 

「あ、赤い狼を見たんです、全身が火に包まれた凄く大きい狼。前に授業で習った、ヒトの欲を糧にして育つ『欲望の戦神(いくさがみ)』じゃないかと……」

 兵士長の表情が変わった。

 

 

 ***

 

 

「お前は先に里へ戻っていなさい」

 兵士長にそう言われたが、女の子は彼の後ろ姿が見えなくなるや、即座に踵を返して塔の街へ向かった。

 今さら罰の一つ二つ増えたって同じだ。それよりも約束だ。そして炎の狼の正体・・

 

 ――『欲望の戦神(いくさがみ)』

 ヒトの欲望を煽って戦の炎を燃え立たせる邪神。

 少年の計画する脱走には支障は無さそうだけれど、戦火は思ったより大きくなるかもしれない。

 何せあの魔性は、ヒトの攻撃性を操って戦を止まらなくし、地上が丸坊主になるまで争わせ続けるのだ。

 

 黒い騎兵群は松明を持たずに粛々と行進をしている。

 それを上空から追い抜いて、先程の壁の端に辿り着いた。

 地面に降りたが少年の姿は見えない。仲間の所へ行って逃げる準備をしているのかもしれない。

 

 塔の狼は銀の目を細めて妖精の子供を視線で追っているが、それだけで意に介していない風だ。近付く部隊の方に興味津々で、上げた口角から炎を漏らしている。

 塔の窓には見張りの人間が立っているが、狼にも近寄る脅威にも、まるで気付いていない。

 

「ボンクラだろ」

 不意に壁越しに声を掛けられ、女の子は飛び上がった。

 壁の切れ目を乗り越えて、獅子頭の少年が、何処から入手したのか、大きな鉄製の火掻き棒を携えて現れた。

「分かるか? これが人外を見る事の出来る者と見えない者の違いだ。この世の人の上に立って率いるには、人外と通じる事が不可欠だ。俺の親父や爺さんにそう教わった」

 

 女の子はそれには返事しないで、狼の正体だけを急いで話した。

「狼が煽ると人間は止まれなくなるから、争乱は思うよりも酷くなるかもしれないです。それに……」

「それに、なに?」

 少年は唇を舐めながら次を促す。

 

「うっかり心を持って行かれないで」

「俺が!? はん!」

 

 

 漆黒の草原にポツポツと火が灯る。

 

「よし、あんた、こいつで俺の鎖を壊してくれ」

 火掻き棒を渡されて、女の子は息を吸って石の上に張られた鎖に振り下ろした。

 大きな音が響くのと、地平の灯りが火の粉のように広がって空を飛んで来るのと、同時だった。

 

 塔の銅鑼が打ち鳴らされる。

 石の街は一気に、蜜蜂の巣箱を引っくり返したような騒ぎなった。

 火矢が降り注ぐ街の上空で、赤い狼が飛び上がって嬉しそうに遠吠えをする。

 

「はは、確かに俺にとってあいつは味方かもな。奴隷小屋の施錠を叩き壊して来るから、後は頼むぞ」

 少年は火掻き棒を持ち直して、火矢の降り注ぐ小屋の方へ走って行った。

 

 約束の半分は果たした。後は逃げ遅れた人を助ける……自分に出来るだろうか。

 でも約束だ、やれるだけの事をやらなくちゃ。 

 こんなに人間に関わって、里へ戻ったらどれだけ叱られるだろう。もう後戻り出来ない。

 

 女の子は胸を押さえた。動悸が喉元まで上がって来る。 

 何でか、あの少年の燃える目に逆らえない。里の誰にもこんな気持ちになった事はない。

 

 そう、まずは乗馬しなくちゃ、と馬を引き寄せた時

 ――ガ、ガガン!

 

 どちらかの投石が、すぐ側の石垣を砕いた。

「あっ」

 一瞬の油断、馬はパニックを起こして手綱を振り払い、そのまま街中へ駆け込んでしまった。

「ああっ、何でそっちに!」

 

 蒼の妖精は馬に文句を言ってはいけない。

 草の馬は主の鏡映し。馬が動揺するのは主が動揺しているからだし、馬に怪我をさせるのは主にとって最も恥ずかしい事だ。

 

「待って、待って!」

 女の子は馬を追い掛けて、炎の上がり始めた街中へ駆け込んだ。

 

 

 

 

 

 



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風の末裔・Ⅳ

 

 

 

 飛び交う火矢と投石、左に右に逃げ惑う住民、財を抱えた人間、子を抱いた人間、動いている人間、動いていない人間。

 

 草の馬は、風の妖精が飛行術を唱えないと飛べない。

 人間からは見えないが、火も石も馬にとっては脅威だ。

 

 屋根で燃える炎がはぜて、破片が降って来る。

「ひっ」

 頭を抱える腕を、横から掴まれた。

 

「ドン臭ぇなあ、あんた本当に蒼の妖精か?」

 火掻き棒を持ったままの少年が、狭い路地に引っ張り込んでくれた。

 直後、居た場所を、どちらかの騎兵が乱暴に駆け抜けて行く。

 

「あんたの言った通り街中丸焼けになりそうだから、奴隷小屋を全部開けて回る事にした。あっちにあと二棟」

 少年は話しながら細い路地をぐいぐいと進む。

「それも貴方の仲間?」

「いや、知らん連中だけれど、こんな中、奴隷小屋の鍵を開けてやってから逃げる律儀な牢番なんかいないだろ」

 女の子はオレンジの炎に逆光の少年をマジマジと見た。

 

「それより馬はどうした?」

「えっ、あ、あの、逃げられて……」

「はあ!?」

 

 顔を真っ赤にして女の子は俯いた。情けない。こんな少年を前にして情けない。

 自分は安全な妖精に生まれてフワフワ生きて来て、手綱もフワフワ持っていただけなんだ。

 こんなにも覚悟を決めて必死に生きている人の前で、何て恥ずかしい。

 

「ほれ」

 目の前に鉄の棒が突き付けられた。

「そちらの棟。さっきの調子で錠前を叩き壊して回って。俺はあっちを壊して来る」

「は、はい」

 

 鉄の棒を振り下ろすと、自分の中の何かも叩き壊した気がした。

 扉が開くと、絶望の表情をしていた女性や子供がよろけながら飛び出して来る。

「あ、ありがとう、ありがとうございます」

 顔が煤で真っ黒だ。

 女の子は夢中で次々に扉を壊した。

 

「あっち方向の壁が切れてる、走れ!」

 少年の指差す方向へ、解放された奴隷達は顔を上げて駆けて行った。

 最後の一人まで小屋を出たのを見計らってから、少年は妖精の女の子に向いた。

 

「よし、じゃあ、あんたの馬を捜しに行こうか」

 

 

 ***

 

 

「だ、大丈夫です、一人で捜せます」

「そんなにドン臭くて大丈夫もないだろ」

 

 さっきから女の子は、飛んで来る物や走って来る馬から、散々少年に助けられている。

 壁の裏に隠れて騎馬をやり過ごしながら、少年は呆れ顔で言った。

「人間から見えないからって、踏み潰されたら同じだろうが。そもそも何で手綱を離しちまうんだよ」

 

「しょ、しょうがないじゃないですか! 味噌っかすなんだから! 何をやっても皆と同じに出来なくて! 貴方とは違うんです!」

「…………」

「貴方も出会ったのが他の妖精なら良かったのに」

 

「おい、お前!」

 

 少年が出し掛けた言葉は、頭上からの怒号に掻き消された。

 一段高くなった石垣の上から、階級の高そうな兵士が見下ろしている。

「『英雄』の息子じゃねえか! 何でここに居る? ……ああ、逃げ出しちまったか、ちっ。そこに居ろよ。お前だけは逃がしちゃいけねぇんだよ」

 

 女の子は少年を見た。彼は口を結んで虚空を睨み付けている。

 彼の傷は石切場の労働だけで出来るような物ではない。

 知っている、人間が実権を取ったらまず何をやるか。以前の首長の血縁を酷い目に遭わせて見せ付けて、民族の誇りを奪って勝利を誇示するのだ。

 

「こっちだ」

 少年は路地に駆け入ろうとしたが

 

「おい、皆、英雄の息子がいるぞ、捕らえろ! 報奨が出るぞ!」

 声に、騎馬や歩兵が集まって来てしまった。

 

 ち、と少年は舌打ちをして、繋いでいた手を離して腰の火掻き棒を握った。

「俺は強い、心配すんな。お前は踏み潰されないように隅っこに隠れてろ」

 

 軽く言われて、女の子は突き離された。

 そう、この少年にとっても自分は役立たずの味噌っかす。逃げれば楽だ。この子は大丈夫、強いって自分で言っているもの。

 

 狂気の顔の大人が大量に押し寄せて来る。

 少年の真っ黒い瞳の奥で何かが揺らいだ。

 

 ・・大丈夫な訳がない!

 

 瞬間、女の子の何かがはぜた。

 

 ―― 風! 風よ、かぜ、かぜ、かぜえぇえええ――――!!!

 

 キュキュン! キュン!

 少年に迫っていた先頭の兵士達が、見えない何かに凪ぎ払われた。

 

「行きますよ!」

 今度は女の子の小さい手が、少年の傷だらけの右手をガッシリと握った。

 

 

***

 

 

 少年には、女の子が叫んだ瞬間、空気が色を持って、火花を散らしながら渦巻くのが見えた。

 

 人垣が崩れた所から二人、手を繋いで駆け抜ける。

 

「ハッハア! 誰が味噌っかすだって?」

 

「出来た事なかったです、『凪ぎ払いの竜巻』。今初めて成功しました」

 

「マジかよ」

 

 

 路地を抜けるといきなり目の前が開けた。

 作りかけの石像がそびえ、いつの間に塔の真下まで来ていた。

 楼閣の狼は猛々しげに地上を見下ろし、時折上がる火の粉を喰らいながら着々と数を増やしている。

 

 と、石像の影にヒョッコリと、小さな草の馬が現れた。

 

「あっ、馬っ!」

 女の子が叫ぶのと、

「『英雄』の息子だ!」

 両部族の兵士がどよめいて一気に注目を集めるのと同時だった。

 

「貴方どれだけ有名人なの!?」

「有名なのは親父や爺様だ!」

 

 殺気立った男達が波の如く押し寄せる。

 馬がまた怯えて駆け出そうとして

 ――!

 一足早く駆け付けた少年の左手が手綱を掴まえた。

 

「よぉしよし、ご主人さまの帰還だ」

 反対の右手で女の子を馬上にブンと放り上げる。

「ほら行け、・・おい?」

 繋いだ右手を女の子は離さなかった。

 

「乗って、下さい!」

 

 

 少年を後ろに二人乗りで、小さな馬は舞い上がった。

 金の鈴がキンキンと悲鳴を上げる。

 重量も限界なのだが、風の妖精以外を乗せるのに抵抗しているのだ。

 

「おい、大丈夫なのか?」

「低い所をゆっくり移動する分には……集中が切れるからあまり話し掛けないで下さい」

 女の子は玉汗を滲ませながら手綱に集中する。ギリギリだが浮いていられる。

 

 掟破りだから当然なのだが、試した事もないから知らなかった。

 草の馬に跨がると、人間の姿も人の視界から消えるようだ。

 足の下では、見失った英雄の息子を求めて、大勢が右往左往している。

 そんなに大事なのだろうか、以前の権力者の子供を踏み付けて上に立って見せる事が。

 

 燃え盛る屋根からの上昇気流に乗って、二人を乗せた草の馬はそこそこの高さまで上がる事が出来た。

 火の赤に照らされて、街の端の外壁と外の草原が見える。ここからなら気流を滑り降りるように街の外まで一気に飛べる。もうあまり馬に負担を掛けずに済む。

 ほぅ、と気の弛んだ瞬間、

 

「あぶな・・!」

 少年が後ろから手が伸ばして女の子を抱えた。

 髪を掠めて赤い塊が横切る。

 

「ええっ!?」

 さっきまで素知らぬ振りだった狼達が、一斉にこちらを見下ろしているのだ。

「な、何で、どうして?」

「知らないよ!」

 

 親玉の大きい狼を残して、小兵の分身達が空中で跳ねて八方から襲って来る。

 駄目だ、逃(のが)れられない。今の馬の能力ではとても……

 

 刹那、女の子の手足が頭を経由しないで動いた。

 手綱鞭一閃、渾身の飛行術を馬にくれ、自分は両足引き上げて馬の背峰を蹴る。

 

「おい!!」

 

 少年の腕をすり抜けて女の子の身体は空中へ飛び、負荷の減った馬は急加速を得てツバメのように離脱した。

 その場でぶつかり合って花火のように散る狼を尻目に、少年一人を乗せた馬は、外に向けて滑空して行く。

 

「お、お――い、チビッ子!」

 

 鞍上で振り返る少年に、小さい妖精は落ちながら、頑張って笑顔を作って手を振った。

 自分は風の妖精だ、ちょっとくらいの高さなら大丈夫な筈……

 だけれど、これ、高過ぎない? やっぱり、こ、わ、い!

 

 

 キュイン!

 一際高い風切り音。

 

 胴に腕が回って、女の子の身体はフワリと浮いた。知った色の髪が目の前に掛かる。

 

「長さま・・!」

 

 翡翠の額飾りに群青色の長い髪。

 草原の人外の頂点に立つ蒼の長が、闘牙燃え立つ馬に跨がり、半泣きの女の子を片手で抱えながら彼方を見据えている。

 

「長さま、あ、あの、ごめんなさい」

 

 長は女の子の方を見もせずに、唇を結んで眦(まなじり)を上げ、壁向こうに飛び去る少年の後ろ姿を凝視している。

 そして女の子を小脇のまま、片手綱で馬に渇を入れて彼の後を追った。

 

「長さま! 違う、私が無理に乗せたの、あの人は悪くない、私が」

 

 草の馬に風の妖精以外が乗るのは最大のご法度だ。ましてや単独で手綱を握るなど。

 相手が何者でも関係ない。草原では蒼の長の裁定が全てなのだ。

 

 長は一言も発さぬまま一駆けで少年のすぐ後ろに迫り、手綱を離して剣をシャリと抜く。

 地上に飛び降りた少年も、こちらを見据えて火掻き棒を構えているではないか。

 

「だめ――――っ!!」

 

 ザシュザシュザシュ! ドン! 

 

 

 剣を納める音がして、焦げ臭い匂いの中、女の子が目を開けると、少年の周囲で数匹の赤い狼が真っ二つになって散って行く所だった。

 彼の火掻き棒も一匹を仕留めたらしく、振り抜いた形のまま黒い煙を上げている。

 

 塔の親玉狼は数匹の追っ手を放っただけで、諦めたのか興味を失くしたのか、そっぽを向いて街中に集中し始めた。

 炎を吐いて分身を増やし、地上で争い続ける人間を煽っている。

 

 長の馬は地上に降りていた。

 放された女の子は慌てて地面に飛び下りて、少年に駆け寄る。

 何があってもこの人を弁護しなくては。例えどんなに厳しい罰を受けても。

 

 しかし長はそんな妖精の子供を咎めるでなく、自身も下馬して少年をじっと凝視する。

 やがて目を細めて最初の言葉を発した。

 

「お捜ししました。イェスゲィ・バァトルの子息殿」

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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風の末裔・Ⅴ

 

 

 

 

 

 女の子はキョトンとして、孔雀鳥のように美しい長と、煤と傷だらけの少年を見比べた。

 

「あぁ――」

 少年はこめかみをポリポリと掻く。

「じゃあ、あんたが、蒼の妖精の偉大なる長サマ?」

 

「『蒼の長』で結構です。代々、貴方の一族にはそう呼ばれていました」

 

「あ――、うん、分かった、オッケ」

 

「私の父も貴方の父上と同時期に急逝してしまい、引き継ぎが何も出来ていませんでした。本当に突然過ぎて、貴方の行方を失してしまって……申し訳ありませんでした」

 

「いいよ、それは。捕まったのは俺のドジだったし。それに『妖精は人間の生業に深く関わる物ではないから当てにはするな』って言われていたよ、あんたの親父さんから」

 

「父上が……」

 

「俺達家族、たまにしか親父に会えなかったけれど、あんたの親父さんもよく一緒に来たよ。兄弟で見えるの俺だけだったけど。聞いてない? 親父さんから」

 

「いえ……」

 

 女の子はポカンと口を開けたまま、長と少年を交互に見やった。月占の託宣で捜していたとは彼の事だったのか。

 ポツポツと、長と共に捜索に出ていた兵士達が空から降りて来た。

 兵士長もいて、渋い顔でこちらを見ている。

 

「でもまあ、申し訳なかったと思ってくれているのなら、今、一個だけ頼みを聞いて貰える?」

 

「我々に出来得る事なれば」

 

「その立派な剣と草の馬を貸して。空飛ぶ術もサクッと掛けて」

 

「えっ!」

 女の子だけでなく、長も驚きの声を上げた。

 

「そなたの逃がした奴隷達なら、あちらで外の仲間と合流出来ていたぞ。斬った張ったは必要なかろう」

 老練の兵士長がこちらへ歩きながら口を挟んだ。

 

「ああ、草原に潜んで機を伺っていた同族がいたんだ。ちゃんと来てくれたんだな、うん、あいつらは大丈夫。俺が行くのはあっち」

 

 少年は火掻き棒を上げて街の中心を指した。

 赤い狼の親玉が、塔の上からギラギラした銀の瞳で地上を見回している。

 

「あの欲望の戦神(いくさがみ)をあそこまで育てちゃったのは、下で争っている人間の所為(せい)だ。そして人間のやらかした事に妖精は手出ししない。そうだよね?」

 

 蒼の長は黙って頷く。

 

「だったら人間の俺が始末を付けに行かなくちゃ」

 

 女の子は仰天してまた少年を見上げた。今、命辛々逃れて来た所なのに。

 

「あそこで争っているのは、そなたには関係のない部族だろう。むしろ遺恨があるのでは……」

 兵士長が言うのを、長は視線で制した。

「双方の部族が闘う力を失くすれば、あの獣は離れて行くでしょう。今は一刻も早く貴方の傷の手当てをしたい」

 

「そしてまた何処かに現れては人間の戦を煽って、どんどん大きくなるんだろ?」

 

「…………」

 

「あんたの親父さんは、人間を部族で分けていなかった。人間という種族で一括りにしていたよ」

 

 長は無言でヒクリと揺れた。

 

「俺の親父もそうだった。そして、人外が見える身に生まれたのならその役割を果たさにゃならんって、耳にタコが出来るくらい言われていた。俺は役割を果たしに行く」

 炎の熱に煽られて、獅子みたいな髪がゆっくりと揺れる。前髪の奥の強い強い目。

 でも横で見上げる女の子は、真っ黒な瞳の中にまた、炎とは違う揺らめきを見た。

 

 

 ――そして

 風の魔力を孕んだ馬と剣、ついでにマントも借り受けて、少年は街に向けて舞い上がる。

 

「長……」

「掟破りの罰は私も受けましょうね」

「いえそれは……」

 兵士長は苦々しい唇を噛みながら、少年の騎馬の後ろ姿を見送った。妖精は人間の生業に手出し出来ない。

 隣の、まだ危うい表情を隠しきれない若い長は、先代の長から何も引き継いでいない。

 機会が無かったのだ。

 

 人間の何倍も寿命を持つ妖精。

 まだまだ現役だった先代は、妻に一度先立たれたが、後妻の予定は整っていた。

 これから直系の子孫を増やし、その中から慎重にゆっくり後進を育てる予定でいた。

 人間とは時間の感覚が違う。

 まさかあのヒトがあんなに急に呆気なく逝ってしまうとは、誰も思わなかったのだ。

 

 たった一人の跡取り候補となった彼は、手探り状態で長を襲名せねばならなかった。

 しかし蒼の長を名乗るからには、何もかも己で判断して背負う事となる。

 

 

 ――ザアッ

 

 空から影が過(よぎ)って、長も兵士長も驚いて見上げた。

 女の子の小さい馬が、少年を追って飛び上がったのだ。

 

「馬鹿者、お前が行って何になる。邪魔になるだけだぞ」

 

 兵士長が叫んだが、女の子は一瞥もくれずに馬を駆って飛び去った。

 風を巻いて一足飛びに炎を越える様は、いつもの弱虫の味噌っかすとは思えない。

 

「兵士長」

「何でしょう、長様」

「あの子、あんなに飛べましたっけ。あの様子だと、もう鈴の能力も越えているのでは?」

「そういえば、何でだ……」  

 

 

 ***

 

 

 塔の上の狼は、突然飛び込んで来た人間の若者を、眉間にシワを入れてねめ付けていた。

 地上の人間達は我を忘れて叩き合い、大好物の欲望のエネルギーを撒き散らしてくれている。ご馳走をたらふく頂いて上機嫌な所に、貧弱な人間の若造が無粋に飛び込んで来たのだ。

 

 いやこの若造も、先程、蒼の妖精の子供とセットになった時は、一瞬美味しそうに見えた。

 なのにすぐ離れてしまったので残念に思っていた。

 

「聞けよ欲望の戦神(いくさがみ)」

 

 だから若者が図々しく宣(のたま)い始めても、鼻でせせら笑って喋らせてやっていた。

 

「聞かぬと後悔するぞ、面白い話を持って来てやった。なぁお前、そんなにチマチマとセコい欲望ばかり集めていて、つまらなくならないか?」

 

 はあ!? 狼は銀の目をギョロリと剥いて、爪を光らせて威嚇する。

 後一寸でも不快にさせたらバラバラに引き裂いてやるぞという意思表示だ。

 ただ、若造の出で立ちは先程と違う。馬は一流の闘牙を立ち上げ、掲げる剣は翡翠。少しは美味そうか?

 

「ここらで大きい勝負をしないか? 俺と来いよ。今とは比べ物にならない面白い世界を見せてやる。何せ俺はこの地上の大王(ハーン)になるんだ」

 

 今度こそ狼は大口を開けて笑った。

 少年を取り巻いていた分身狼どもは、一斉に後肢を縮めて飛び掛かる体勢を取る。

 

 ――!!

 少年の前に別の草の馬が立ち塞がった。

 小さい詮(せん)ない草の馬、チビの妖精が、ハナクソみたいな竜巻を構えている。

 

「・・あれぇ、チビッ子、何で来ちゃったの?」

 

 少年は軽い感じで言ったが……

 声は微かに上ずっていた。

 

 女の子は夢中で少年の周りを竜巻で守りながら、彼の瞳の奥の揺らぎを見た。

(やっぱり……)

 この人は、自信に満ち溢れている訳ではない。

 大勢から期待され頼られるので、『大丈夫な振りをするクセ』が付いてしまっているだけなのだ。

 

 チビッ子妖精のそよ風みたいな術など狼の鼻息一つで吹き飛ばされて、次の瞬間には草の馬ともどもバラバラにされてしまうだろう。

 

 しかし狼の爪は動かず、銀の目が細まって、大口叩きの人間の少年と芥子粒みたいな妖精の子供をじっと見つめている。

 

 ここいらで蒼の妖精の兵士部隊などが来ていれば、戦闘になったろう。

 だが目の前で狼の群れに囲まれながら自分を睨み上げるのは、どう見たって相手にならない非力な二人。

 

 理解出来ない、分からない。

 分からない事は・・・・お も し ろ い 。

 

 ――ちょっとでも『つまらねぇ』と感じたら、その瞬間お前さんは八つ裂きだ。それでもいいか――

 

 地の底から響くような魔性の問い掛けに、少年は声を張って答えた。

 

「おお! 望む所だ」

 

 

 ***

 

 

 地上で争っていた人間達は、信じられないモノを見た。

 大勢が目撃して後々語り草になったのだから、幻覚ではないだろうが。

 

 闘牙まとった天駆ける馬に乗った少年が、光輝く剣を掲げて空から舞い降り、しかも炎の狼まで従えていた。

 そりゃ、天から降りた神の子、救世主だと思うだろう。

 双方剣を捨て、導かれるようにその『神の子』の元へ集う流れとなる。

 

 

 

 

「あのさ、チビッ子に聞いた。あんた、親父さんに何を教わる間も無かったんだって?」

 馬と剣とマントを返しながら少年は、長に顔を寄せて小さい声で言った。

「悪かったな、なんか色々無神経を言っちまった」

 

「いえ」

 長は短く答えて、遠くの山を見やって目をしばたかせた。

 長い夜が明けて、朝陽が山際に光の縁取りを作っている。

「本当に、急に隠れてしまわれたので」

 

「俺の目の前だったんだ」

 

 長は振り向いて少年を凝視した。

 

「親父を庇った。暗殺者の矢が三方から飛んで来て……普段は堂々と構えて凄い術を使うヒトなのに、咄嗟にやった事は自分を盾にする事だった。俺も親父も茫然とした。そんな事をするヒトだとは思っていなかったから。妖精は人間の生業には手出ししないって自分で言っていたのに」

 

「…………」

 

「結局その後攻め込まれて、親父もいつもの力を出せずに倒されてしまった。あの人なりにショックを受けてたんじゃないかな、多分だけれど」

 

「…………」

 

「あんたの親父さんさ、結構あんたの自慢してた」

 

「……私への気遣いですか? だったら……」

 

「違うよ、あんまり自慢するから、会った事もないあんたに反感を抱いてたんだ。会ってみたら思ってた奴と違ったけどね」

 

「…………どんな自慢を?」

 

「どこにでもいる普通の親馬鹿の自慢だよ。俺の息子は出来が違う、将来が楽しみだ、羨ましいだろとか。そんで親父も同じような事を言い返してた」

 

 長は下を向いて少し笑った。

 

「大変だよね、お互い大層な親を持つと」

 

 二人は静かに握手をした。

 

 

 

 

 

 

 



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風の末裔:Ⅵ

 

 

 

 

 

 

 地平線が紫に白んでいる。もう白夜の季節だ。

 露に濡れる草原を、女の子は馬を引いてヒタヒタと歩いていた。

 紫紺の空には泣きたくなる程満天の星。

 この星々が消える頃には、里の皆は残して来た手紙に気付くだろう。

 

 あの出来事から数ヵ月かけて、女の子は一晩で犯した数々の掟破りの罰則をこなした。

 最後の『草の馬と狼を、一時だけ人間に見せる術』を使った罰が、一番重かった。あれのせいで厩掃除が倍に増えてちょっと大変だった。

 ……いや、これからの自分はもっと大変な道を選んでしまった。あの位で大変だとか言っていてはいけない。

 

 

 丘を登り掛けた所で、星を背景に背の高いヒトが佇んでいた。

 隣の大きな馬は闘牙を静かに燻(くゆ)らせている。

 

「長さま」

 

「こんな夜中に何処へ行くというのです。兵士長は貴女の事を親身に心配しているのですよ」

 

「すみません、でも掟破りはこれで最後です。そう伝えて頂けませんか」

 

 言い捨てて進もうとする女の子の前に、長は立ちはだかった。

「どうして貴女が行くのです」

 

「…………」

 

 それだけあの少年がヒトを引き付ける磁力を持っているという事。それは長にも分かる。

 現に今や続々と、草原の隠れていた部族が彼の元に集っているという。

 だがそういう噂を耳に入れる度、この子供が眉間にシワを入れて暗い顔になるのを、長はちゃんと知っていた。

 欲望の戦神(いくさがみ)を背負ってしまった少年は、もう一時も立ち止まれないのだ。気を抜くと一瞬で、その身が炎に焼き付くされてしまう。

 

 長は、頭(こうべ)垂れた小さな馬を見やった。

 

「鈴は、置いて来たのですか?」

 

「勝手に一族を抜けるのです。もう長さまの加護は受けられません」

 

 少し間を置いて、長は自分の馬に寄って闘牙のたてがみを少し切り取った。

 目を丸くしている女の子の前で、それを小さな馬のたてがみに絡ませる。

 たちまち馬は金砂のような光を振って首をシャンと立ち上げた。一回り大きくなったようにも見える。

 

「長さま?」

「内緒ですよ」

「…………」

「私にしてあげられる餞別はこのくらいです。結局貴女の為に何も出来ませんでしたから」

 

 女の子は顔を上げて首を横に振った。

「違う、本当は貴方と荷物を分け合えれば良かったのに」

 

「…………」

 

「でも見付けました。私でも世界の為に出来る事。あの少年の横へ行って、狼に飲み込まれぬよう寄り添う事。妖精の里を出奔して、掟から離れた者にしか出来ない事です」

 

 確かに、魔性と契約を交わしてしまった彼に関わるには、そうするしかない。妖精の身上では無理なのだ。

 

「それが、私が味噌っかすに生まれた意味だったんだわ。私がいなくなっても里は何も困らないもの。そうでしょう? 兄さま」

 

 長は瞳を一杯に見開いた後、色んな感情の入り交じった表情で小さい妹を見た。 

 それから静かに右手を上げる。

 

「生まれて来た意味を見付けたのなら、貴女はもう子供ではない。もう一つあげられる餞別が出来ました。風の末裔の成人の名を」

 

「兄さま、私は一族を……」

 

「その前に一つだけ誓って下さい。いつか、貴女が彼と意志を違(たが)える日が来たら、ここへ戻って来るのです。里へは戻れないけれど、私の元へ必ず。約束して下さい」

 

 女の子は俯(うつむ)いて小さく頷き、雫を一粒落とした。

 

「貴女はこれから一つ処に留まらない自由な風となる。『欲望の赤い狼』と対峙した者、

『慈しみの蒼の狼』を名乗りなさい」

 

「……慎んで、お受け致します」

 俯いたままの瞳からもう二粒の雫が溢(こぼ)れた。

 

 

 遥か中天にけぶる天の川は、光の道のように白夜の地平に伸びる。

 

 夜明けはこの先にある。

 

 

 

 

   ~風の末裔・了~

 

 

 

 

 

 





挿し絵:天の川 
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挿し絵:天の川・改 
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閑話・Ⅰ
あなざぁ すとぉりぃ



閑話・ 短編です





 

 

 

 イルアルティは草原をトボトボと歩いていた。

 涙と鼻水でぐちゃぐちゃな顔をして。

 

 兄妹喧嘩はいつもの事だけれど、今日のお兄ちゃんは酷い。

 イルの事、捨て子拾われっ子って言った。ずっと棘みたいに刺さってる事なのに、お兄ちゃんは無神経にそれを押し込んだんだ。

 

 イルは六人兄弟の末っ子だけれど、一番近いお兄ちゃんは六つ離れていて、そこから上はみんな年子。

 お兄ちゃん達はお父さんそっくり、お姉ちゃん達はお母さんそっくり。

 イルはどちらにも似ていない。目も鼻も唇も、お父さんお母さんの何処とも重ならない上に、肌の色まで違う。

 イルだってもう七つ。

 子供っていうのはお父さんお母さんの部品を貰って生まれて来る事くらい知っている。

 

 

「おうちに帰りたくない……」

 丘の上の大きな楡(にれ)の木の根元に座り込んで、落ちて行く夕陽を見つめる。

 頭の上に早い星が煌(きら)めき出し、泣きべその子供に、もう暗くなるよと囁く。

 

 遠くの雲間にちらちらと見え隠れするモノ。

 夕陽のオレンジに溶け込んで、首の長い細い馬が二頭三頭駆けている。

 馬上には幻のようなヒト。皆、乗り姿が凄く綺麗。

 馬が大好きなイルは、いつもウットリと見惚れる。

 

 物心付いた頃から何度も見掛ける光景だけれど、お兄ちゃんはそんなの居ないと馬鹿にする。

 お姉ちゃん達は『鳥じゃない?』と信じてくれない。

 大好きなモノを貶されるのが嫌だから、誰にも言うのはやめた。

 

 

「おうちに帰りたくない」

 もう一度呟く。

 あのお空の馬が連れて行ってくれないかな。

 どんな所へ連れて行かれたって、皆の気の毒そうな視線の集中する食卓よりはずっといい。

 お父さんはきっと言う。

 イルももう七つだね、本当の事を言っても受け止められるよね、って。

 幾つだって聞きたくない。

(でもいつかは聞かなくてはいけない……)

 イルは耳を押さえてうずくまった。

 

 

「イルアルティ」

 風が穏やかな声を運んで来た。

 顔を上げると、お父さん。

 イルの一番仲良しの、尾花栗毛に乗っている。

「こいつはお前が何処へ行っても一直線に見付けるな」

 お父さんが降りると馬はすぐに寄って来て、イルのテカテカの頬に鼻をくっ付けてくれた。

 あったかい。

 

 お父さんは後から歩いて来て、横に腰を下ろす。

 イルは前を向いたまま硬直する。

 

「イルももう七つか。お父さんのお話を聞いてくれるかい?」

 

 イルは思いっきり頭を振って、耳を押さえた。

 と、肩に大きな手、それからギュッと抱き寄せられた。

 しばらく暖かいお父さんの心臓の音を聞いて、イルは耳から手を離して膝の上に置いた。

 

「イルは、お祖父さん、お祖母さんは好きかい」

 拍子抜けな問い掛け。

 

「? うん、好き」

 

「お父さんも大好きだ。沢山の兄弟を別け隔てなく育ててくれた。でもお祖父さんお祖母さんは、お父さんの本当の親ではないんだ」

 

「え……」

 

「お父さんが小さい時ね、住んでいた場所で戦争があって。怖い兵隊が大勢来て、お父さんの両親も兄弟も、皆この世からいなくなってしまった」

 

「…………」

 そんな話初めて聞いた。ほんのちょっと前まで世界で一番可哀想な気分でいた自分を恥ずかしく思った。

 

「寝ていた所をお母さんに起こされて、外に出たら目の前が真っ赤で。妹と一緒に馬に押し上げられて、逃がされたんだ」

 

「それでお父さんは生き延びられたのね」

 

「ああ、だけれど、それだけじゃない」

 お父さんは風にうねる草原を身やった。

「その頃、お父さんには素敵な友達がいた」

 

「??」

 

「名前も知らない、喋った事もない。ただお父さんが野駆けを遊んでいると、何処からともなく現れて、隣を走っている。こちらが笑うと向こうも笑う。それだけでその子の事が大好きになれたんだ」

 

 少年みたいな声で、お父さんは過去に思いを馳せる。イルはドキドキしながらそっと聞いた。

「その子はどんな馬に乗っていたの?」

 

「金の鈴を付けた、空飛ぶ馬だったよ」

 お父さんはサラリと言った。

「イルには見えているんだろう? 羨ましいな、お父さんはイルくらいの年頃にはもう見えなくなってしまっていた」

「…………」

 

「それでね、お父さんと妹は、馬を走らせて一生懸命逃げたけれど、すぐに兵隊に追い付かれてしまった。大きなギラギラした刀が光って、もう駄目だと思った」

 

 お父さんの声が震えた。イルも一緒になって震えた。

 

「いきなり凄い風が吹いた。馬ごと浮き上がってしまうような物凄い風」

「う、馬ごと?」

「ただただビックリいている間に、信じられない早さで景色が流れて、気が付いたら今のお祖父さんお祖母さんのパォの前に居た。大きくなって調べてみたけれど、元の住処は馬で一昼夜かかるような遠い場所で。襲われた時から月もほとんど動いていなかったのに、本当に不思議だった」

「それって……」

 

「妹はショックでしばらく口を聞けなかったんだけれど、一年位して不意に教えてくれた。あの時、金の鈴の馬に乗ったあの子が来て、兵隊を追い払ってくれたのだと」

 

「ほ、本当?」

 

「イルは本当だと思うだろう?」

 

 イルは頭がクラクラする程、何度も頷いた。

 

「お父さんも本当だと思う。でも信じてくれる人が居ない中では、妹は言いたくはないみたいだった。イルも内緒で頼むな」

 

 イルは神妙に頷いた。本当はお兄ちゃん達にも話して欲しいけれど、信じる術のない人達の前で、大切な宝物みたいな想い出を語りたくない気持ちは分かる。

 それよりお父さんと内緒話を共有出来る方が嬉しかった。

 

「それからお父さんと妹は、お祖父さんお祖母さんの家族に入れて貰って、それはもう大切に育てて頂いた。本当に感謝しかない」

 

 その妹という人は、別の部族にお嫁に行った。婚礼の儀式も持参品も、遜色のない物を取り揃えて送り出して貰えたのだという。

 

「だから……捨て子を拾っても、同じようにしようと思ったの?」

 イルはズバリと聞いてみた。お父さんの今の話を聞いた後では、自分を可哀想に思う気持ちはほとんど薄らいでいた。

 

「ああ、そうなんだけれどね」

 お父さんもズバリと言ったが、まだ言葉を継いだ。

「それだけじゃない。お父さんは大人になって、その家族の子供の一人と所帯を持って、子供が出来て、とても幸せで」

 

 イルは黙って神妙に聞く。最初より怖くない。

 

「ある夜、風が吹いたんだ。無風だったのにいきなり屋根をミシミシ言わせる程。風の中に、金の鈴の音を聞いた気がした」

 お父さんはまたイルの肩を抱き寄せた。

「小さい時のあの友達が訪ねて来てくれた! そう確信して外へ出たらね…………イルが居たんだ。羽毛みたいなおくるみに包まれて」

 

「イルも……何処かで助けられて運ばれて来たの?」

「うん? その頃には草原の争いは落ち着いていたから、どうだろうね。とにかくお父さんは嬉しかったんだ。小さい時のあの友達が、お父さんの事を忘れないでいてくれた。お父さんの事を信頼して、大切な赤ん坊を預けに来てくれたって」

 

 ・・・・

 イルは聡い子供だった。

 そこまで聞いて、お父さんの話はどこまでが作り事だろうかと考えてしまった。

 捨てられ子だったという事実を、甘い砂糖がけにくるんで、和らげようとしてくれているのか、と。

 

 お父さんはイルの表情を見て取った。

「イルは自分でどう? 風の神様と縁続きがあると感じる事はないかい?」

 

 ・・・・

 足は凄く早い。走っても走っても疲れない。

 空飛ぶ馬が見えるだけでなく、たまに、いろんな声や音が聞こえる。

 おかしな子だと思われるから言わなかったけれど。

 ・・? あれ、もしかして、おかしな子じゃないのか?

 イルはただのイルで、おかしな子ではなかったの?

 

 不意に、新しい世界が目の前に広がった気がした。

 大地にとろけるような感覚。

 

「さて帰ろうか。お母さんが心配している。お母さんは子供の頃、お父さんや妹の話を信じてくれた、数少ない一人なんだよ」

 

 イルはお父さんと一緒に立ち上がった。

 馬が鼻を鳴らして寄って来る。

 

「それとねぇ、お兄ちゃんを許してあげておくれ。もうこってり上のお兄ちゃんお姉ちゃんに絞られたから」

 

 元よりイルは、最初の恨み事など消えていた。お陰てでこんなに素敵な秘密を聞けた。

 そうしてお父さんの前に乗せられて、ポクポクと家路に着いた。

 

 その時楡の木の枝を、風が小さく跳ね上げた。

 

 

 

 

  ~あなざぁ すとぉりぃ・了~

 

 

 

 

 

 

 



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ふたつめのおはなし
蒼と赤・Ⅰ



『風の末裔』から幾年月


 

 

 

 泥のように粘つく雲が、とぐろを巻いてゆっくりとうねっている。

 雲の表面ギリギリを、蒼の妖精の子供の駆る草の馬が、うねりに飛び込んだり吐き出されたりしながらジグザグに飛び回っている。

 しかし、ヒタリと追走する黒い大鴉(おおからす)を振り切れない。

 

「ダメか」

 舌打ちしながら進路を変えて、鴉の登れない高空を目指してみる。

 しかしこの妖精も大した上昇力は持っていない。

 鴉は余裕で先回りして、翼を広げて煽って来た。

 

 このままでは馬が疲れて追い詰められる。

 妖精はためらいながら剣の束に指を掛けた。

 

 雲がグワリと乱れて、炎をまとった狼が飛び出して来た。

 大鉈(おおなた)のような前肢と爪が一瞬で、鴉だったモノを、辺りに飛び散る羽根だけの存在にしてしまった。

 

「なめられてんじゃねぇ! どチビが!」

 

 

 欲望の赤い狼は、自分と対峙する『蒼の狼』の名が気に入らなくて、『どチビ』とか『ちっこいの』としか呼ばない。

 少年は間を取って『小狼(シャオラ)』と呼んでくれた。

 妖精はその名の響きは結構気に入って、好きに呼んで貰っている。

(第一あんな小兵を振り切れないようでは、まだまだ蒼の狼は名乗れない……)

 

 

 ――獅子頭の少年・・彼の名はテムジンといった。

 草原の平定は、英雄伝説に乗っかれたのもあり、比較的早かった。

 元々混沌とし過ぎて、人も人外も収束を求めていた。

 

 人外に関しては、何が出て来てもテムジンは動じなかったし、小物は赤い狼の一睨みで退散し、理性的な者には蒼の妖精の娘が話を付けに行った。

 人の生業に、人外の協力を得るか得られないかの違いは計り知れない。

 それをやってのけた少年が最速で若い王まで駆け上がれたのは、至極当然だったのかもしれない。

 

 しかし草原から外に出ると事情が違った。

 統治より征服の色が濃くなると、地元の人外部族の反感も買う。

 小狼が頑張って駆け回るが、蒼の妖精その物が知られていず、見た目の幼さに侮られる事の方が多くなった。

 

 そして世界が広がると、同じレベルの敵とも出会う。

 侵攻先の先陣に、魔物を使役する将軍がいた。

 動物を模した小者の魔性を複数操れるようで、人間の兵士には見えないので始末が悪い。

 砦に籠って出て来ないので、正体が分からない。人間の陰陽師か、高位の人外の協力を得られているのかもしれない。後者だと厄介だ。

 

 その情報を探りに行った筈が逆に鴉を放たれ、危うく落とされる所だった。

(しかもまた赤い狼(アイツ)に借りを作ってしまった……)

 

 

 野営の本陣は、崖を背にした河の側に張られていた。

 最奥の、他の天幕より一回り大きい天幕の横に、草の馬はフワリと降り立った。

 

 立ち番の兵士がのんびりと会話している。彼らには妖精も草の馬も見えていない。

「ああ、殿はいつも陣を張る時は、御自身の天幕の横に無人の小さなパォを張らせるのさ。戦神(いくさがみ)を住まわせているのだと」

「縁起担ぎですか。豪胆な王とイメージが違いますね」

 

 そんな会話の横をすり抜けて、小狼は王の天幕へ急いだ。

 偵察して来た事をとっとと報告しに行こう。

 しかし入り口の二重の御簾を潜(くぐ)った所で硬直して止まった。

 そして林檎みたいな頬を更に真っ赤にし、風よりも早くその場を走り去った。

 

「今、入り口の布が上がったような?」

「……風だよ」

 

 

 

 本陣を離れた崖の真下に小さな森があり、小狼は陣の雰囲気を抜け出したくなると、こういう木の多い所へ来る。

 低い枝が重なってハンモックのようになった場所がお気に入りで、うつ伏せで手足をブラブラさせていると森の精気が染み入って、身の内の澱が浄化される気がする。

 

「お――い」

 呑気な声がする。

 背が伸びて、王となって、父親になっても、この人の本質的な所は何も変わらない。

「軍議だよ―― 作戦パォに来て」

 

 妖精の娘はゆるゆると身を起こすが、仏頂面で目も合わせない。

 

「ん~? どした、ご機嫌斜め?」

 

「こちらの奥方様が来られる日だとは、存じませんでした」

 

「あぁ、あの人はこちらの奥方様じゃなくて、こちらの三番目の人。いい加減俺の奥さんの顔くらい覚えてよ」

 

「あんなに大勢いたら覚えきれません!」

 

「しょうがないじゃん、子供いっぱい欲しいもん! 俺の代だけじゃ無理だもん、世界制覇!」

 

「…………」

 この人は何処まで本気で何処からが冗談なのか分からない。

(でも、こんな人に着いて行こうって決めたのは自分だ)

 

 最初は、自分の大好きな草原の戦火を収めて行ってくれるのが、単純に嬉しかった。

 だが彼にとっての世界は、自分の思っていた範疇より遥かに広かった。

 赤い狼の力も拍車をかけて、襲覇の勢いが止まらない。

 

 本国を出た今、小狼は、ただただテムジンへの好意だけで側に居る。

(だから……その好意が、揺らいだ時が怖い)

 妖精は小さく息を吐いて、テムジンの後に続いた。

 

 

 大きな台座を囲んで、難しい顔をした面々が額を付き合わせている。

 この辺りの地形図が墨で乱雑に描かれ、盤上に布陣を表す駒。係りが王の指示に従って駒を並べて行く。

 

「後、此処と此処。そんでこっちに数が少ないけど行動の早い部隊。あ、そこ、谷が切れ込んでいて騎馬が通れないから書き足しておいて」

 

 臣下達は何故王が、居ながらにして敵の布陣を手中にしているのか、疑問に思っても今更聞かない。

 いつもの事だし、違(たが)えていた事もない。余程優秀な間者を持っているか、さもなければ本当に戦神(いくさがみ)が憑いているのだろう。

 目に見えない子供が台の端に腰掛けて、指差して教えているなんて、努々(ゆめゆめ)思わない。

 

 あ、ここで鴉に……と言い掛けて、小狼は、慌てた指で駒をカタンと倒してしまった。

 一同ギクリとなる。

 

「ん? 其処がどうかした?」

 王は何でもないように独り言を呟く。

 

「ああ、ああ、あの鴉使いの砦か。確かに其処は気を付けなきゃね」 

 手元で駒をクルクル回して置き直す王を見ながら、本当に戦神が憑いているのかもしれない……と一同は思うのだった。

 

 

 一通りの偵察の結果を告げれば、後は王と臣下達の軍議だ。妖精の娘に用はない。

 小狼はさっさとパォを抜け出し、森へ戻った。

 ところが定位置のハンモックには、赤い狼が陣取っていた。

 

 野牛程の大きさにもなれる魔性だが、今は通常の狼サイズ。炎も静かで、身体の中心で燠を灯らせているだけだ。『のべつまくなしに炎を燃え立たせているような燃費の悪いバカじゃねぇ』らしい。

 何にしても小狼は彼が苦手だ。長年行動を共にしているとはいえ、そもそもが相容れない相手。

 でも言うべき事はちゃんと言わなきゃ……

 

「あの」

 

 銀の三白眼が、妖精の娘をギロリと睨み上げる。

 

「先程は、ありがとうございました」

 

「別に」

 

 心底面倒臭そうに吐き捨てられたが、いつもの事だ。言うべき事は言ったと、小狼は踵を返した。

 

「お前さぁ」

 狼が妖精に自分から声を掛けるのは珍しい。

「向いてねぇぜ、戦場」

 そしてそんな時は、ろくな事は言われない。

 

「そ、そうですね!」

 一言返して小狼は駆け出した。

 そんなの分かってる!

 

 

 自分の小さなパォに飛び込んで、妖精はベッドにうつ伏せた。

 しかしふてくされている暇もなく、入り口に獅子頭が顔を出した。

 

「饅頭食う?」

「軍議はいいんですか」

「終わったよ。今日明日でどうなる物でもない。向こうの出方待ち。使者が来るかもしれない。明日また偵察を頼むと思う」

「分かりました」

 

 話を切ったつもりだが、王はまだ入り口で突っ立っている。

 

「まだ何か?」

「だから饅頭」

「いりません!」

 

 王は心底困り顔をする。そういう顔が昔から変わらないのはずるい。

 

「……いただきます」

 後で食べるから置いていってください、と言う暇もなく、王は隣にいそいそと来て、大きな饅頭を取り出して半分に割った。

「はい、大きい方!」

 

 仕方なく饅頭をモソモソ頬張る。贅沢な材料を使った物なのは分かるが、味がしない。

 

「さっきの女性(ヒト)のさ、土産がこれ。センスとしてどうよ、色気がないと思わない?」

 

 妖精は饅頭の塊をごくりと呑み込んだ。今それを言う?

「王が甘党だとご存知だったのでしょう。私が頂いてしまって申し訳なかったですね」

 

「険があるねぇ、んんん~? ヤキモチ?」

 

 小狼が枕を振り上げて立ち上がった。

 

「だってしょうがないじゃん、小狼、いつまでたってもお子さまなんだもん」

 王はひらりと出口に退避して、御簾の向こうに逃げたかと思いきや、もう一度顔を出した。

「鼻の頭、餡コ」

 そして飛んで来る枕を尻目にサッサと消えた。

 

 後に残された娘は呆然と固まった後、最大脱力してベッドに倒れ込む。

 

 

 

 

 





挿し絵:シャオラ 
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蒼と赤・Ⅱ

 

 

 張り番の兵士に敬礼されながらテムジンが天幕に戻ると、床に敷物のように赤い狼が寝そべっていた。

 黙って彼を避けながら、王はベッドに寝転んだ。

 

「バーカ」

「ほっとけよ」

「ホントにバーカ」

 

「だっていつまで経っても子供だし」

 さっきと同じ台詞を王は口の中で呟く。

「なぁ、蒼の妖精が人間と寿命が違うのは知っているけれど、あんなに育たない物なのか?」

 

「さぁてな。あいつと会って何年経つんだっけか、見た目が全然変わんねぇな。蒼の妖精ったってそこまで長命じゃあない筈だが」

 

「何でだと思う?」

 王は上物の穀物酒の封を開け、狼用の平たい盃に注いだ。

「もしかして里でないと成長出来ないとかあるのかな。または人間の食べ物が良くないとか」

 

「知るか」

「…………」

 

 困り顔のテムジンに弱いのは小狼(シャオラ)だけではない。

 狼はフフン、と鼻を鳴らして考えてやった。

「場所も食べ物も関係ないと思うぜ。少数だが里の外で育つ妖精も居るし。まあ、ムラがあるんじゃないか? 偏った成長の仕方をするケースもあるらしいぜ」

「どういう時?」

「必要に応じて成長が早くなるってのは珍しくねぇ。例えば今の蒼の長が就任した時は、見た目ほど年長けていなかった。だが遅いってのは、どういう必要があるんだか」

 

「……俺の役に立っちゃいけないのかな」

「役に立つって、あいつ、戦場は向いてねぇぜ」

「違うよ、妖精の血を持った子供が欲しいって事」

 

「阿呆ぅ!!」

 狼が首を上げて、銀の眼を光らせて睨み付けた。

「そういう目的で人外に関わるな。ロクな事になんねぇぞ」

 

「何で? 俺の一族に妖精が見えるのは、先祖に妖精の血が入ったからだと聞いているぞ。交わって呪われたりはしないのだろう?」

 

 狼はまた王をギロリとねめつけた。

 自分が呪われていないとでも思っているのか・・?

 

 

 

 

 小狼(シャオラ)はベッドにうつ伏せて身じろぎもしなかった。

 テムジンが冗談の中に紛れ込ませた一つの本音が刺さっている。

(本当に何で私、いつまでも子供なんだろう)

 

 兄さまは成長するのが凄く早かった。

 偉大な父親の後を引き継ぐ為、一日も早く成人になる必要があったからだ。

 勉学も修練も寝ないでやって、父に厳しい事を言われながらも後を着いて回っていた。

 あれぐらいの根性がないと駄目なんだろうか。自分は生まれもっての資質を何も持っていなかったから、兄の苦労を尻目にノホホンとしていた。だから今、罰が当たっているのかなぁ。

 分からない。

 ここには相談出来るヒトも居ない。

 

「はぁ~あ」

 せめて偵察くらいはきっちり出来るよう、寝ておこう。

 入り口に落ちた枕を拾いに行き、妖精の子供はパフンと横になった。

 

 

 

 

「こういうのはどうだ?」

 こちらは眠れない面々。

 赤い狼が口を開いた。

「蒼の長に手紙を書くんだ。それをどチビに頼んで届けさせる。あんたからの緊急の用事とか言って。中身は告げ口一色でいい。こちらの人外一族に侮られて毎度襲われそうになる事とか、今日も敵方の鴉に落とされそうになった事とか、とにかく危なっかしくて目も当てられないと」

「えっ、ちょ……」

「そんな手紙を読んで、長がどチビを返す気になるか、って事だ」

 

「良い手だけれど、パス」

「なんでだよ」

「小狼は側に置いておきたい。返すのは嫌だ」

「じゃあとっとと押し倒しちまえ!」

「出来る訳ないだろ! あの外見年齢で、どうしろっっってんだよ!」

 

 狼は自分で自分に呆れていた。誇り高い戦神の俺様が、何でこんなくだらない与太話に付き合ってやらにゃならんのだ?

 

「それよりさっきの話。小狼、今日も危ない目に遭ったって?」

「ああ、もうあいつ使うのやめろよ。ヘボ過ぎて見ていられないわ。魔性使いを何とかするまで、偵察は俺様が行ってやるから」

「何か仕事を与えてやらないと、小狼すぐへこむんだ」

 

 狼は思いっきり眉間に縦線を寄せた。

 あのな、いつもの合理的で鮮やかな手腕の賢王はどこへ行った?

 しかしやはり「勝手にしろ」と立ち去る事が出来ない。

 この王の、ヒトを惹き付ける謎の磁力は尋常ではない。自分がこいつに興味を持っているのはそれもあるからなのだが、分かっていても術中に嵌まっていやがる。

 

「押し倒す、押し倒す…………はっ、そうだ!」

「本気でやるなよ」

「良い事思い付いた!」

 

 眠気を通り越してハイになった脳ミソに閃くのは、ロクな事じゃない。

 

 

 

 

「ご用とは何でしょう。偵察ではなかったのですか?」

「うん、偵察は狼が行ってくれるから」

「……やはり私では至りませんか……」

「違う違う、小狼にはもっと大事な仕事が出来たの。小狼にしか頼めない事」

「どのような事でしょう」

 

「あのね、地元の部族から、俺ん所にお嫁さんを一人くれるんだって。その人が顔を見せに来るから、専属で護衛に付いて欲しいの。ほら、こんな事、小狼にしか頼めないからさ――」

 

 妖精の娘の額に縦線が入り、ピシリと空気が凍り付く音がした。

 

 上空で赤い狼が八の字に飛び回りながら叫んでいる。

「阿呆ぅ――――!」

 

 

   ***

 

 

 小狼だって、最初からこんな複雑な感情は持っていなかった。

 獅子髪の少年の所へは、好意、心配、守りたい、そういう単純な気持ちで参じたのだ。

 

 何せ、テムジンと行動を共にして最初にやった事が、囚われの彼の妻を取り戻す戦だった。

 

「さ、妻帯者だったのですか!?」

「小さい頃、親同士が決めた許嫁(いいなずけ)。けど俺にとっては残り少ない大切な家族だ」

 

 無事奪還した彼女を正室とし、世継ぎに恵まれ、統治事業はトントン進み、その頃のテムジンは順風満帆だった。

 

 后(きさき)のヴォルテ妃には妖精や狼は見えなかったけれど、自分の夫が何か人知を超えたモノに守られているのは理解して、夫の決め事に従い、言われた場所には踏み入らなかった。

 小狼は、后や側室に対してこれと言った感情はない。テムジンの家族なら健やかでいて欲しい、くらいに思っていた。

 

 揺らぎが見えたのは、正妃に跡取りになるべく男の子が生まれた頃だ。

 生まれた子供の目が開く度に、小狼はこっそり引き合わされた。

 そして幼子(おさなご)が妖精を目で追わないのを見る度に、テムジンは少なからず落胆するのだった。

 

「兄弟で人外が見えるの俺だけだったし……血が薄くなりつつあるのかなぁ……」

 深刻に呟く王の横で、小狼はそれならそれで良いと思っていた。

 蒼の妖精の矜持に、『摂理に沿う』というのがある。天がそう決めたのなら、それに従い地上の者が変わる。妖精の里で育った彼女には、息をするように身に付いた考えだった。

 

 しかしテムジンは天に抗(あらが)う人間だ。

 そもそも己の力で過酷な運命を打破して来たのだ。天に委ねたって欲しい物は手に入らない。

 

 思えばテムジンがやたらと側室を集め出したのは、三番目の男の子も人外が見えないと判明した頃だ。

 自分の家系には太古に妖精の血が入っていた。ではあらゆる血筋の娘を集めれば、どこかに同じような血の者がいるのではないか? と。

 表向きは、跡取りは正室の皇子でいい。しかし世界に覇権を広げるには、絶対に人外と通じる身内が必要だ。

 

 ヴォルテ妃は忠実に、どんどん大きくなる後宮の世話と管理をした。この世界の権力者が血縁で周囲を固めるのは当然な事。

 小狼は一抹の危うさを感じたが、テムジンは全員を家族と呼んでそれなりに大切にしたので、口出ししなかった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 そして陣中。

 

 先日平伏して来た近隣の小さな氏族に、急遽側女(そばめ)を差し出せと申し付けたのだ。この暴君は。

 赤い狼は上空を旋回しながら、歯をガチガチと噛み鳴らした。

 どチビに安全な護衛任務に専念させる為とか、・・阿呆か!

 

「まどろっこしいにも程がある」

 風の末裔と繋がる子供が欲しいなら、それそのモノが目の前にいるだろが。守備範囲とやらに育つまで待ちゃあいいだけだ。

 そこまで思い巡らせて、狼はふと思い至った。

 

「あいつ無意識に勘付いて、それで成長を止めているんじゃねぇか?」

 

 

 

 

 高原の小さな氏族にとって、王に側女を差し出すというのは、そう悪い事ではない。生まれる子供の先行きによっては、一気に良い思いが出来る。

 差し出される本人がそれで良ければ……なのだが。

 

 急ごしらえの輿(こし)一つで、花嫁は陣にやって来た。

 小康状態とはいえ戦の陣中なので、華やいだ雰囲気は無く、『陣中見舞い』の体裁を取っていた。

 

 小狼は崖の上から見守っていたが、輿から小柄な人影が降りた所で、草の馬に跨がって岩肌を駆け下りた。

 気が進まないが王の決め事だ。

 

 天幕の御簾の隙間からそっと滑り込むと、護衛すべき娘は王の前で重そうな被り物を外した所だった。

 古い刺繍の襟飾りに包まれた、くっきりとした顔立ちの十代であろう娘。

 黒々とした髪が墨で線を引いたように腰まで波打ち、肌は糖蜜のような飴色。

 へぇ、綺麗だ、と単純に眺めていると、娘はツンとした唇を開いた。

 

「アルカンシラと申しま……す……??」

 

 言葉を途中で止め、真っ黒な瞳は入り口を凝視する。

 

「どうしたのかね?」

 

「あの、ここは戦の陣中と聞いていました。何故にあのような幼子(おさなご)がおわすのですか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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蒼と赤・Ⅲ

 

 

 

 小狼(シャオラ)は二つの事に驚いた。

 一つはこの娘に人外が見えている事。

 もう一つは彼女の物怖じの無さだ。

 

 鬼神とも称される草原の覇王の元に召されたのだ。

 大概の娘は口を聞くどころか、おののいて顔も上げられない。

 だがこの娘は、世間話のように素朴な疑問を口にする。語尾のハッキリとした感じから、頭が緩い訳でもなさそうだ。

 小狼はムクムクとこの娘に興味が湧いて来た。

 

「さぁ、何か居るのかい?」

 

 惚(とぼ)けてカマを掛ける王に、娘は真っ直ぐに向き直った。

 髪と同じく真っ黒な瞳の後ろの白目は青みを帯びて、水底の玉石を思わせる。

 

「王様もご覧になれていらっしゃるのでは? その御瞳に映っていますわ。空色の髪の小さな女の子」

 

 小狼はつい、クスリと声を上げてしまった。

 テムジンがたじろぐのなんて初めて見る。

 

 娘は今度は妖精の女の子に向き直る。

「こんにちは、私はアルカンシラです」

 

「あ、小狼(シャオラ)です……」

 今度は小狼がタジタジとなる番だった。

 

「あらごめんなさい、幼子などと言ってしまったけれど、何だか私よりお姉さんな感じがします。不思議です」

 

 小狼は王と顔を見合わせて、ゴクリと唾を呑み込んだ。

 

 

 ***

 

 

 テムジンは上機嫌だった。

 積年の憂鬱が解消したのだ。

 

「見える父親に見える母親。当然見える子供が生まれて来るよな」

 

 本日は、小狼の森のハンモックはテムジンが占領していた。

 

「ただ見えれば良いだけではないと思いますよ。英雄イェスゲイ・バァトルは、全ての人外を惹き付け魅了する力をお持ちだったと聞き及びます」

 小狼は木の下に座って縫い物を広げ、チクチクと針を刺した。

 

「俺は?」

 

「それなりの魅力はお持ちだと思います」

 妖精のひっつめた髪には、珍しく薄桃色の花が飾られていた。

 

「おーうーさま――」

 同じ花を髪に刺した娘が、両手に何かを包んで駆けて来た。

 

「鳥のヒナが落ちていました。巣に戻してあげなくては」

「ほぉ、王に木登りをしろと?」

「いえ、王様だと親鳥が怯えます。登るのは私が」

 娘は小さな靴を脱いで裸足になった。

 

「じゃあ俺は?」

「肩車して下さい」

 

 小狼は縫い物をしながら思わず吹き出した。

 

「この娘は?」

「かなりな魅力をお持ちです」

 

 

 

 

 最初の日、アルカンシラは小狼(シャオラ)のパォに泊まり、枕を並べて語り明かした。テムジンがそうしろと勧めたのだ。

 

 朝、二人は赤い目をしてニコニコと手を繋いでいた。特に妖精の娘の、ここ最近の額の縦線が、嘘のように失せていた。

 そう、妖精の娘には、普通にお喋り出来るような存在が、必要だっただけなのだ。

 

 そうして朝食を共にしながら、アルカンシラは小狼に促されて切り出した。

 

「王さまに告白せねばならぬ事がございます」

「うむ、構わないよ、話して」

 

「私、あの氏族の首長の娘と言う触れ込みで来ましたが、嘘ですの」

「ふぅん」

 

「ね、王はそんな事では怒らないって言ったでしょ」

 

 隣で嬉しそうにチャチャを入れる妖精の娘に、王はチラと複雑な表情をしたが、すぐに戻した。

 

「じゃあ何者なの?」

 

「あの氏族の者ですらありません。

 私の母は流民だったそうです。行き倒れて命と引き替えに私を産み落とし、私は集落の人達に育てて貰ったのだけれど、差し出される事に決まった首長の娘さんが前の晩に駆け落ちしてしまって、皆が困り果てていた所に、ご恩を返すなら今だと思って名乗り出たのです」

 

 壮大なストーリーをあっさりと一気語りした娘は、口を閉じて、例の美しい瞳で王をじっと見つめる。

 

(ずるいぞ小狼……)

 テムジンは匙をクルクル回しながら仕方なく答えた。

「んん、じゃあ、それは聞かなかった事にしよう。君の恩人の氏族にも咎めは無しだ」

 

 アルはニッコリして礼を述べた。

 

 その隣で澄ましている妖精の娘を、テムジンは一瞬だけ忌々しげに睨んだ。

 夕べ、アルカンシラの血縁の娘すべてを召し上げる算段をしていた。

 他所から来た流民だと言うのなら、その計画はお流れだ。

 実際アルの言う事は真実だろうが、こちらの考えを先読みして釘を刺されるのは、非常に面白くない。

 

(成りは子供なのに、要らない所ばかり年長けて!)

 

 

 

 戦が小康状態なのもあって、アルカンシラの陣中見舞いは予定を大きく越していた。

 小狼は木陰で縫い物に勤しみながら、穏やかな空気に身をたゆたわせていた。

 思いも寄らない友達が出来、テムジンは小鳥のヒナなんてのどかな事にかまけている。

 このまま戦が消滅すればいいのに……

 

 しかし始めたモノを忘れる訳には行かない。

 アルの乗馬用のズボン(ウムドゥ)を縫い上げて糸を切った所で、空から赤い狼が降りて来た。

 

 小狼の後ろに隠れる人間の娘を横目でねめつけ、王に歩み寄って素早く何か耳打ちする。

 テムジンの中で歯車が切り替わった。

 

「アルカンシラ、長らくありがとう。一度故郷の集落へ戻りなさい。追って本国から迎えを差し向けるから」

 

 アルは即座に状況を悟った。

「はい、王さま、お気を付けて」

 

「小狼、アルカンシラを集落まで護衛するんだ」

「承知しました」

 

「そしてそのままそこに残りなさい。アルカンシラを護衛しながら待機を命ずる」

 

「ど……!」

 どうして! と言葉を出す前に、赤い狼が目をギラ付かせて口端から炎を吐いた。

「分かんねぇのか!」

 

 テムジンが片手で彼を制しながら言った。

「小狼はもう戦場(いくさば)には出さない」

 

 

 ***

 

 

 小狼(シャオラ)の剣は人間を斬れない。

 物理的に非力なのもあるが、妖精の理(ことわり)で禁忌とされている。

 人間を屠ると妖精でなくなる、冥府の魔性に身を落として二度と戻れなくなってしまう。

 そう教えられているのだが、具体的にどうなってしまうのかは知らない。

 

 だからと言って全くの役立たずではなく、妖精なりに術が使える。

 風を起こして先陣を足止めしたり、空も飛べて姿を隠せる存在は、戦場でもかなりな役に立つ筈だ。

 ましてや、敵に魔物使いがいる時に戦場を外されるとは思わなかった。

 

「嫌です。私は私の意思でここに来たんです。駒扱いされる覚えはありません」

 

「分かった、言い方が悪かった。小狼はもう危ない場所に出ないでくれ」

 

 アルは双方を見てオロオロしている。

 

「足手まといなんだよ!」

 狼がブチキレた。

「剣を抜くのが一拍も二拍も遅い! 戦場に向いていねぇんだよ、てめぇは! こいつに皆まで言わせるつもりか!?」

 

 小狼は頭から鉄芯を通されたみたいに硬直したが、やがてガクリと肩を落とした。

 項垂れたままテムジンに一礼し、無言でアルの手を引いてその場を去った。

 

「要らん事を言ったとは思わねえぜ」

「いや、感謝する」

 

 二人は顔を上げて遠くの空を見た。

 ――鴉(からす)が、動き出した……

 

 

 ***

 

 

 馬車の御簾の隙間から何度も覗いては、アルカンシラは横を歩く草の馬を確認している。

 鞍上の小狼の表情は真っ青で生気が無い。

 護衛の兵士がいるので話し掛ける事も出来ない。

 本当は今すぐに抱きしめてあげたいのに。

 

 通りすがりの流れ者が産み落とした娘。部族内での扱いはそれなりだった。

 そんな生きている価値が分からないような自分でも、一生に一度くらいは光に当たりたい。

 族長の家で駆け落ち騒ぎが起こった時、今がその時だと思った。健やかに育った年頃の娘達は皆、知らない国から来た恐ろしい鬼神の所へ行くのを、泣いて嫌がっていた。

 

 私が参りますと名乗り出た時、今まで冷たかった面々が、ケロリと顔を緩ませて讃えてくれた。

 ここを抜け出せるのなら後はもう、行き先が地獄だろうと鬼の懐だろうと構わないと思った。

 

 アルカンシラにとっても小狼は、生まれて初めての友達だった。

 

 

 故郷の集落にはその日の内に着けない。行きも二泊の道程だった。

 荒野に張られた天幕の中、アルはやっと妖精の娘と二人きりになれた。

 小狼は少し落ち着いていた。

 

「要するに早く『破邪の呪文』を習得すればいいんだ。今は上手く行かなくて空振りばかりだけれど、魔物を一撃で祓えるようになれば、テムジンはきっと側に置いてくれる」

 

 アルは黙って聞き役に徹していた。

 この妖精があの王にどれだけ阿(おもね)ているか、側に居れば分かった。確かにあの方には、表より隠している無垢で脆(もろ)い部分がある。放って置けなくなるような。

 そういう所に気付いて、妖精の里を出奔してまで側に添いに来たのだろう。

 

 だがアルは、彼女の方が心配だった。

 妖精だから相当の力があるのかもしれないが、精神が一途過ぎて、何と言うか、幼い。

 戦場に行って欲しくない、危ない場所に立って欲しくない。だけれど今、一生懸命立ち直ろうとしている彼女に、そういう自分の本心は言えなかった。

 

 

 小狼がピクリと顔を上げた。

 天幕がハタハタと風に揺らめいている。

 外の草の馬が、激しく足踏みして嘶(いなな)いた。

 

 小狼が剣を掴んでアルを庇うのと、突風が天幕をまくり上げて持って行くのと、同時だった。

 

 ――!!

 大鴉(おおからす)! 人間の身の丈もあろうかという巨大な鴉が、月光の下黒々と、護衛の兵士に襲い掛かっている。

 人間に対して姿を現している? 何故……小狼は草の馬にアルを押し上げながら頭を巡らせた。

 三人居た兵士は爪を掛けられる事なく、ただ追い立てられている。生きて証言をさせる為だ。

 ――何を?

 

「アル、しっかりたてがみを握って!」

 馬の尻を叩いて一気に走らせ、自分は剣を抜いて鴉の前に立ちはだかった。

 

 鴉使いの陰陽師は只者ではない。草原の覇王の弱点を、適格に突き止めていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 



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蒼と赤・Ⅳ

 

 

 

 先に気付いたのは赤い狼だった。

「何かおかしかねぇか?」

 

 テムジンも不自然を感じていた。

 敵方が大きく動き、撃って出るのを匂わせたが、どうにも殺気が薄い。

 

「中途半端なタイミングでちょっとづつ動きやがる。大将をここに張り付けて置く為みたいな」

「――狼、あの中に鴉使いはいるか?」

「ああ、鴉は飛んでいる…………いやちょっと待てよ。薄い、あれは幻影だ。術者は側に居ない」

 

「狼・・」

 テムジンが呼んだ時、赤い狼はもうその場に居なかった。

 

 膠着状態の本陣に、泡を吹いた馬の伝令が駆け込んだのはその直後。

 ――側女を護衛していた一行が信じられないような巨鳥に襲われ、アルカンシラが行方知れずだと。

 

 

 ***

 

 

 細く吸った小狼(シャオラ)の息が腕を伝い、振り下ろした剣から強烈な光が弧を描いて飛び、鴉に命中した。

 蒼の妖精の破邪の術。

 

(や、やった、一発で出来た!)

 

 真っ二つになった鴉が羽根を散らして消滅するのを見てホッとしたのも束の間、上空が渦巻いて、更に二羽の鴉が降って来た。

 

(えっ、複数居たのなら何故アルを追わなかったの?)

 考えている隙もなく、左右から鋭い鉤爪が迫る。

 

「――破邪!」

 

 続けて術を炸裂させる。

 空振りなんかしている暇はない。

 とにかくここには自分しかいない、誰も助けてくれない。

 自分が抜かれたらアルが襲われる!

 

 経験のない高揚が身体を駆け上がった。

 空気が震える。

 剣から撃ち下ろされた衝撃波が波紋状に広がる。

 

(わ! なにこれ!?)

 

 双方の鴉がその場から動けず粉々になった。

 信じられない威力。

 自分がやったのか? 

 

 一瞬、また狼が助けてくれたのかと思ったが、気配はない。やっぱり自分がやったんだ。

 その代わり、身体から一気に力が抜けて膝を着いてしまった。

 手の中の剣がボロボロと崩れ落ちる。

 

 駄目だ、目が回る、立ち上がれない。

 術を使い過ぎたせい? こんなの経験がない。

(で、でも、アルは、守れた……)

 

 グラグラする視界を上げて、小狼は凍り付いた。

 目の前の空間がまた渦巻いているのだ。

(嘘でしょ……)

 

 今度は黒雲が現れ、すぅ、と左右に千切れて二匹の大虎となった。

 白地に黒縞の虎と、黒地に白縞の虎。

 狂暴そうな吐息が、妖精の娘がしゃがみ込む地面にまで伝わって来る。

 

 しかし小狼が鳥肌を立てているのは、虎の間に立っている人影を見てだ。

 人間…… 人間には違いない、でも……

 

「・・そのように恐ろしげな顔をするな。ちと色々なモノと契約を交わし過ぎておるだけなのだ」

 

 おどろおどろしい雲の中に像を結んだのは、姿形は人間の陰陽師の出で立ちではあった。

 だけれどこの気配は人間とは違う。

 今まで出会ったどんな邪(よこしま)な魔物よりも恐ろしい。

 小狼は背筋の於曾気(おぞけ)に身を震わせながら、懐の小剣に手を伸ばした。

 間違いない、この人間が、テムジンを悩ませている鴉使いの陰陽師。

 

「さすが噂に聞く北の草原の蒼の妖精殿。大した術をお使いになる。じゃが小さいお身体が術力に見合っておらぬようですな」

 

 

 

 二匹の虎の間に立つ黒い男は、蛇がうねるような声で喋る。

 

「稀少な太古の術を使う蒼の妖精。戒律厳しく警戒心の強い筈の妖精の子供が、草原の覇王の側仕えにおると、魔性どもの噂で耳に入りましてな。お会い出来るのを楽しみにしておりました。もっともこれからは儂のコレクションに加わって頂くが」

 

 ――!!

 

 小狼は身震いした。於曾気の正体はこれだ。

 この男の目的は敵王の寵姫の誘拐などではない。それはついでで、優先しているのは自分の欲だ。

 子供が珍しい虫を掴まえたがるみたいに、妖精の子供を自分の収集箱に入れたいのだ。

 多分、自分が仕える王にも戦の先行きにも興味はない。

 

(アルに意識が行っていないのは良かった。あとはどうにかしてこの場を切り抜けなくては。でないといい加減テムジンの傍に居られなくなる)

 

 

 ***

 

 

 赤い狼が見付けたのは、荒野に野営の残骸と、飛散した鴉の羽根、砕けた剣……

 

「・・ふん」

 

 鼻から息を一つ吐き、消し炭になった焚き火跡を覗き込む。

 

「なぁ兄弟、お前さんは見ていたよな? 妖精のチビと人間の女はどうなった?」

 

 焚き火跡に芥子粒のように残っていた燃えさしが瞬き、たちまち大きな炎となった。

 赤く揺れる中心に、今しがたここで起こった出来事が浮かびあがる。

 

 

 

 

 

 

 人かとみまごう隈取りを湛えた陰陽師が、手にした杖を振り上げる。

 両脇に鎮座していた黒白の二頭の虎が、糸で操られるように立ち上がった。

 並みの虎の数倍の大きさ。

 妖精の娘は座り込んだまま動けない。

 

「二つ返事では来て頂けるとは思ぅておらぬ。黒虎(こくこ)よ、白虎(びゃくこ)よ、ほぉれ出番だぞ」

 

 奇矯な形の杖が地を打つと、虎の爪の色が根元から紫に変わり、切っ先から毒がしたたった。

 

 小狼は変わらず動かない。

 でも懐で小刀を握って、絞り出した魔力を貯めている。眼の奥の光は消えていない。

 

 

「やめて、やめてぇ!」

 

 双方の間に、黒髪の娘が割って入った。

 

「えっ!?」

 妖精の娘は固まった。何が起こったのか理解出来ない表情。

 しかしアルカンシラの次の言葉が、彼女を心臓深くまで凍り付かせる。

 

「妖精の女の子には何もしないって言ったじゃない。誰も血を流さないで戦を終わらせるって言うから協力したのよ!」

 

 

 

 

 

 

 ――それ見たことか・・

 

 映像を映していた炎がシュンと消え、赤い狼は今一度鼻から息を吐いた。

(本音を言わない人間なんぞ、無償で信用しちまうからいちいちダメージを受けるんだ。ヒトとヒトとの関わりなんぞ、術で縛った契約だけにしておけばいいのによ)

 

 あの陰陽師はモノホンだ。ヤバイ気配がビンビンする。魔界に片足か両足首ぐらいまでは踏み込んでいるだろう。

 

「テムジンに知らせるか? いや……」

 知らせてどうなる?

 側女はともかく、どチビが敵の手に落ちたとなると、あの唐変木は何をトチ狂うか分からない。俺様にとって面白くない方向に転がっちまう事だけは確かだ。

 

 炎の記憶の最後は、脱力して連れ去られる妖精の後ろ姿だった。

 

「あっちか……」

 狼がその方向に踏み出した時……

 足元に何かが転がった。小指の先程のトルコ石の玉。

「あの娘がしていた首飾り?」

 

 確かテムジンがアルカンシラに贈った物だ。

 見ると、幾ばくか置きに、ポツポツと落ちている。

 

「ふん、しゃら臭ぇ」

 狼は三度(みたび)鼻から息を吐き、青い玉を辿りながら空中を駆け出した。

 

 

 ***

 

 

 月明かりに石造りの城塞が浮かぶ。

 

 小狼は随分と大層な部屋に入れられていた。

 石煉瓦の頑丈な壁に、天涯付きのベッドと毛皮を張った椅子、凝った彫り物の調度品。

 出入り口は大虎が出入り出来る程の大きさがあるが、ご丁寧に結界の膜が張られている。半透明の膜の向こう側では、黒虎が寝そべって薄目で睨んでいる。

 

 ここは敵将の砦の一つ。

 廃墟となっていた昔の城跡。見張り塔まである大きな造りで、結構な数の兵士が駐留している。

 陰陽師は墨将(メィジャ)と呼ばれ、砦の将軍に仕えている。かなり重用されているらしく、城の一部を立ち入り禁止にして妖しげな事を好き放題にやっていても、誰にも文句を言われない。

 

 入り口の壁の向こう側に、虎が視線を動かした。

 先程からそこに、アルカンシラが背をもたせかけて立っているのだ。

 

「王様の側女に名乗りを上げて、出発の前夜に、あの人が忍んで来たの」

 

 小狼は家具に一切触れず、入り口に背を向けて石の床に座り込んでいる。

 声は届いているのだが、微動だにしない。

 

「私の協力次第で戦を終わらせる事が出来るって。私、もう戦が嫌だった。集落の男の人達、徴集されて誰も戻らなかった。毎日誰かが泣いて、心が荒れて癇癪を起して、そういうのが私に向くの。ずっとビクビクして怖くて辛くて……早く穏やかになって欲しかった。だから承諾したの」

 

 小狼は無機質な床をぼぉっと見つめていた。

(何と能天気だった事か)

 侵略に来たのだ。恨まれて当たり前なのだ。友達になんかなれる筈なかったんだ。

 

「毒の入った爪を渡されたわ。でも聞いて。とても出来なかった。王様、あんなにいい人だとは思わなかったもの。最初の夜、王様と一緒でなくて本当に本当によかった」

 

 返事はなくとも、アルはひたすら続ける。それしか出来ることがないからだ。

 

「しばらくして、業を煮やした間者鴉が来たわ。それではっきり伝えたの。王様を殺める事は出来ません、気に入らないのなら私の命を取って下さいって。本当よ。

 そしたらね、もういいって。私が妖精と懇意になれたようだから方針を変える、妖精の子供の身柄を利用して、交渉で戦を終わらせる事にした。その方が、王様も誰も血を流さないで済むって」

 

 うまい事言うな……小狼は床を見つめた。

 戦に脅かされるアルのような弱い者には効くだろう。

 

 しかし、質の一人や二人で折れるような者は戦なんか始めない。

 現に小狼はあちこちで、身内を犠牲に平気で攻め入る人間を見て来た。

 そも、テムジンが自分の身柄ごときで足を止めるなんて有り得ない。

 

「ねえ、もうそれでいいじゃない。このまま引き揚げて帰ったって。王様も無事、兵隊さん達も無事、小狼だって戦なんか消えてしまえばいいと思っていたんじゃないの?」

 

 

 虎が首を上げて居住まいを正した。

 黒衣をひらめかせて墨将が、白虎を従えて滑るように歩いて来た。

「儂の特別誂(あつら)えの部屋は如何かな、北の国の妖精殿」

 

 小狼は顔を上げたが、振り向きはしない。

 

「長年話にだけ聞いていた蒼の妖精が生きてこの手に収まるなど、夢のようです。しかも雌だ。色々遊べそうですね。どんな掛け合わせをしましょうか。楽しみだ楽しみだ」

 

「墨将様? 何を言って……」

 アルが慌てて言うのに、小狼は被せて声を張った。

「アルカンシラはもう要らないでしょう? 解き放ちなさい!」

 

 壁の向こうのアルが息を呑む音が聞こえた気がした。

 元々は賢い娘だ。瞬時に、自分が何をされたかを悟っただろう。

 

「それは無理な相談です」

 ねちっこい嫌な声。

「さてさてこちらの娘も面白いモノを宿している。鬼神とも言われる草原の覇王の種子」

 

 小狼は驚愕の目を見開いて振り向いた。

 何て? 今何て?

 

「隠しておけると思ぅたか? 儂の目はごまかせぬ、この娘には命が二つ見えておるのだよ。

 まぁ安心してよい。種子は儂のコレクションの一つとして大事に大事に育むとしよう。取り出せるまではその腹で大きくして貰わねばならぬが」

 

 ひきつった喉で息を吸い込むアルの悲鳴。

 

 バネで弾かれたように小狼は入り口に駆け寄った。

「あぅ!!」

 結界の膜に触れた瞬間、全身を針で貫かれる衝撃。駄目だ、今の自分の力では。

 

 アルカンシラは白虎に押されて奥へと連れ去られて行く。

 何度も振り向いて口をパクパクさせるが、とうとう言葉を喋れなかった。

 

「謝りの言葉すら出せないようですな。自分でも『今更何を言っても』と思っているのでしょう。まぁ利用しやすいですな、あの手の単純な娘は」

 

「黙れ!」

 小狼は髪を逆立てて怒鳴った。人の気持ちが分かっていない訳ではないのだ。どう利用出来るかしか考えていないだけで。

 相容れない。この人間が今までどんな人生を積んで来たとしても、理解はしないだろうと思った。

 

「儂を怒らせない方が宜しいですぞ。今貴女に四肢があるのは、我が主君の為にだけです。面倒ですが、貴女を質に戦を優位に運ぶ仕事もやっておかねばならぬのです。ある程度の地位も必要ですからね、人間界で自由にやって行くには。戦が終わった後は、貴女の態度次第だという事をお忘れなく」

 

 嫌な声で喋るだけ喋って、墨将は満足して去って行った。

 小狼は拳を握りしめて黙って突っ立っていた。

 口の中に血の味がする。

 こんなに奥歯を噛み締めたのは生まれて初めてだ。

 

 

 ――落ち着けよ、どチビ。

 

 耳元で声がささやいた。

 

 

 

 

 

 



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蒼と赤・Ⅴ

 

 

 

 

 

 小狼(シャオラ)は周囲を見回した。

 

「狼狽えるな、アイツが見ている」

 

 見張りに残った黒虎が、結界の向こうから不審げに覗いている。

 

 小狼は虎に背を向け、ベッド駆け込んで突っ伏した。

「うわああ――ん、うえええ――ん」

 

 黒虎はやれやれという感じで、入り口から離れてそっぽを向いた。

 

 

「どこ?」

 枕に顔を埋めたまま小声で聞く。

 

「俺様が分身を作れるのは知っているだろ。本体は屋根の上」

 

 耳に手をやると、狼の硬い体毛が数本、指に触れた。

「鴉は?」

「俺様があんな小者に気取られるようなドジを踏むと思ってんのか、お前じゃねぇんだ」

「ごめん……」

「ああ、分かった分かった、今は脱出するのが先だ。草の馬は地下に繋がれていたから、ここを出たら自分で取りに行けよ。俺様は他を引き付けて置いてやる。まったくお前さんが質とか、冗談じゃないからな」

 

「そうじゃない、狼、先にアルカンシラを助けて」

「はあああ!?」

 

 狼が思わず声を上げたので、黒虎がまた覗き込んだ。

 

「ああ――ん、ひっく、ひっく」

 妖精の泣き声で、虎はうっとおしそうに引っ込む。

 

「狼、お願い。私は自分で渦中に飛び込んだ身だけれど、アルは静かに暮らしていた所を巻き込まれたのよ」

「いやいや、あいつ思いっきり間者だったんだろが。テムジンがここに居ても、『放っとけ』って言うぞ」

 

「それは……・・でも助けて。狼の言うこと何でも聞くから。契約してもいい」

「いい加減にしろ!」

 

 妖精の娘ははなだ色の瞳でじっと分身の毛を見つめる。

 ――くそ!

 

「分かったよ、あの娘を外に逃がせばいいだけだな」

「ううん、私の所へ連れて来て」

「は・・」

 また大声を出しそうになって狼は口をつぐんだ。

 あああ、面倒くせえ!

 

「そいじゃ一度で済ませるぞ。あの娘を助けながら騒ぎを起こすから、お前はそれに便乗して自力で脱出してこちらへ来い。出来るな?」

「うん、狼、ありがと……」

「言うな! 俺様はお前に礼を言われるのが、この世で一番大っ嫌いなんだよ!」

 

 赤い毛は妖精の手を離れて、壁の隙間にすぅと消えた。

 

 

 程なくして、大きな破壊音。

 建物全体が激しく揺れる。

 

 

 ***

 

 

「派手ね」

 小狼は呟いてベッドから身を起こした。

 何でだろう、凄く冷静になれた。

 狼が来てくれたお陰? だとしたら何か悔しい。

 

 入口を向くと、黒虎が音のした方を気にしながらも、こちらを凝視している。

 

「何があったのかしら? ね、黒虎さん?」

 

 また破裂音がして、虎はそちらへ顔を向けた。今だ!

 

 ――真空!

 

 素早く唱えて、風の渦を結界の手前に飛ばした。

 油断していた黒虎は真空に引っ張られ、一回転して結界に激突。

 

 虎だってやっぱり痛かろう。唸りながら無茶苦茶に暴れて、入り口周囲の壁を壊してしまった。

 支えの無くなった結界は、急激に収縮して、瓦礫と共に虎を呑み込む。

 

 爪を宙に一掻きして、黒虎は結界と共にプツンと消えた。

 

 後には、都合よく下の階に通じる大穴。

 階下の人間の兵士達が何事かと右往左往している。

 小狼は息を吸い込んで、そのまま大穴に飛び降りた。

 

 

 ***

 

 

 月が煌々と照らす、砦の塔の屋根の上。

 赤い大きなケダモノが、黒髪の少女を咥えてぶら下げている。

 

「助けて、助けてぇ……」

 

 城壁から見上げるのは、墨将(メィジャ)。

「そいつはテムジンの所の戦神(いくさがみ)だ。怒りを買ったな、諦めろ」

 

「嫌ぁあ!」

 

 赤い狼は、アルが監禁されていた部屋をいきなり叩き壊して、何も言わずに彼女を咥えて屋根に飛んだのだ。

 タダで助けてやるもんか。怖い思いの一つもしやがれ!

 

「狼さん」

 ぶら下がりながらアルが小さな声で言った。

「今轟音がした部屋は小狼(シャオラ)がいる所だわ。早く助けに行ってあげて」

 

「…………」

 

「私の事は気の済むようにして。早く小狼を。虎の唸り声もしたわ。お願い早く」

 

 またかよ!

 狼は、自分でも血管が二、三本ブチ切れるのが分かった。

「てめぇら、これ以上俺様に『お願い』すんな! 俺様はそんな何でも聞いてやるような『いいヒト』じゃねぇ!!」

 

 思わず開いてしまった口から、アルの身体が転がり落ちる。

「きゃっ!」

 

 狼は慌てて追い掛けて、屋根の端で取り押さえた。

「危ねぇ危ねぇ……あ」

 

 墨将がワナワナ震えながら見上げている。

「茶番かあ! 謀(たばか)りおって! 行け!」

 陰陽師の影が延びて、白虎が飛び出した。

 

「はぁん? 俺様が娘を庇って自由に闘えないとでも思ったか?」

 狼はアルを掴まえていた前肢をあっさり離して、白虎を迎え撃った。

 

「きゃああ!」

 アルは簡単に屋根から落ちた。

 次の瞬間、蒼の妖精の駆る草の馬が、屋根の下から現れる。首にアルを引っ掛けて。

 

 

 小狼はアルを抱えたまま、屋根の天辺に馬を下ろした。

「狼、ちょっとだけ時間稼いで」

「ヒト使いが荒過ぎるぞ!」

 

 赤い狼は白虎とガッツリ四つに組みながら、陰陽師の方へ飛んだ。

 墨将が慌てて避けた後に、二頭の戦神が絡まって激突する。

 

「小狼(シャオラ)、私、私……」

「時間がないから私の話だけ聞いて」

 小狼はアルをきちんと鞍に座らせて、自分は下馬した。

 

「集落へ帰っては駄目。テムジンの元も、北の都の後宮も駄目。貴女とお腹の子供が戦から逃れて本当に安心出来る場所」

 一旦息を呑み込む。

 故郷を出てから、極力迷惑をかけないようにと縁を絶っていた。

 でもアルと子供を様々な柵(しがらみ)から守って貰えるのは……

 

「蒼の里を目指して。この馬が場所を知っている。私の兄がいるわ。兄様を頼って」

 

「小狼……」

 

 アルに何を言う暇も与えないで、小狼は馬の尻を叩いた。

 振り向いて何か叫ぶ娘を乗せて、草の馬は一気に跳躍した。

 鴉が一斉に飛び立ったが、呪文の効いた馬は彗星のように夜空に消える。

 

 

「もういいのかよ」

 赤い狼が、白虎の首をペッと吐き捨てながら隣に来た。

 城壁では、怒りの陰陽師が黒いオーラを発散させながら、次々と怪しげなモノを召喚している。

 

「うん。後はあいつをやっつける」

 小狼は屋根の天辺で、狼と背中合わせに剣を構えた。

 何処で調達したのか、三本の細剣を腰帯ごとたすき掛けに背負っている。

 

「あれは人間扱いしない方がいいぞ」

「やっぱりそう?」

「掟破りになるとか惑っている余裕はねぇって事だ。・・来るぞ!」

 

 

 ***

 

 

 墨将の放った魑魅魍魎(ちみもうりょう)が空に舞い上がる。

 動物の形をしたモノ、爬虫類の形をしたモノ、よく分からない毛むくじゃらのモノも。

 屋根上の二人の上に影を落として、一斉に襲い掛かる機を伺っている。

 

 しかし狼は、空よりも背後の気配に背筋をザワ付かせた。

「なんだ……?」

 後ろで小狼が呪文を唱えている。

 剣が破邪の術力を吹き込まれてピリピリと震えるのが伝わって来る。

 

「お、おい?」

 声を掛ける前に、妖精は剣を頭上高くに掲げた。

 

 ――破邪!!

 

 術力ではち切れんばかりの剣が、思い切り撃ち下ろされる。

 破邪の光が三勺花火みたいに飛び散った。

 魍魎(もうりょう)どもも大鴉も一気に吹っ飛ぶ。

 

 赤い狼は?

 間一髪、屋根の反対側に張り付いて難を逃れていた。

「阿保ぉお――! 俺様まで祓う気か!」

 

「ご、ごめん」

 妖精の娘が謝る手の中で、剣にピシリとヒビが入り、ホロホロと崩れてしまった。

 

「ああ、やっぱりその辺に転がっていたような剣じゃ、もたないね」

 柄を投げ捨てて小狼は、残りの二本の内太い方を抜いた。

 

 狼は無言で妖精を凝視する。

(何だ? こいつ、いつの間にこんな芸当が出来るようになった?)

 

 赤い狼とて、小狼をまったくの無能者だとは思っていない。

 痩せても枯れても蒼の妖精だ。長の血筋のようだし、太古の術を使う素養はあるのだろう。

 ただ、心身が子供のままなのが枷になっていただけだ。

 

「俺様の背に乗れ」

「いいの?」

「離れて闘って流れ弾に当たっちゃたまらん。ほら奴さん、まだおかわりがあるみたいだぞ」

 

 陰陽師が、もはや人間の声ではない音で呪文を発しながら、ムクムクと妖気を集めている。

 

 小狼は慌てて狼の赤い毛を掴んでよじ登った。炎が上がっているが、以外と熱くはないんだな、と思った。

 

 恐ろしい声の呪文が止まって、一瞬の静寂

 ――ジジジジ、ジジ・・!!!

 

 瞬間、墨壺が破裂したように、真黒な影が広がった。

 空全体が嵐の海のようにうねる。

 墨の波が四方から荒れ狂いながら襲って来る。

 

「振り落とされるなよ!」

 狼は小狼を背に、塔の屋根から跳躍した。

 直後、黒い波が塔の屋根を粉砕した。

 

 

 ***

 

 

 

 黒いうねりを掻い潜って、彼方に二つの光が見えた。

「奴の目だ」

 

 小狼は逆手に持った剣を水平に保ち、片掌(てのひら)を剣の柄尻に押し当てた。

 術力は切っ先に集中する。

 

 うねりが鞭となって飛んで来るが、狼の炎が全て焼き付くした。

 二つの光が怯えの表情を示す。

 

 ――人がそこまで力を持ってはいけない。

 

 狼は戦慄を覚えた。

 どチビの声か これ? 

 背中にいるのは……だ れ だ ??

 

 辺りが眩(まばゆ)い白に満ち、陰陽師の断末魔が空一杯に広がった。

 

 

 

 遠くの山に一条の朝陽が射し、薄い朝焼けの中に赤い狼が浮かんでいる。

 空の墨はきれいさっぱり消えていた。

 

「ああん、また剣が折れちゃった」

 狼が振り向くと、ボロボロになった剣を情けなさそうに見つめる妖精の子供。

 さっきのは…………何だ?

 

 急に周囲の音が耳に入り出した。

 地上でいつの間にか、見慣れた旗色の軍隊が、雀蜂のように城に雪崩れ込んでいる。

 

「おい、白馬の王子様のお出ましだぞ」

 

 

 

 

 

 



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蒼と赤・Ⅵ

 

 

 

 テムジンはさすがの草原の覇王だ。

 人外達の補佐がなくとも一夜で敵本陣を制圧し、情報を得て、鴉使いの本拠地までたどり着いていた。

 

 小狼は屋根の瓦礫から身を乗り出して、先頭で切り込むテムジンを見た。

 丸一日しか離れていないのに、偉く懐かしく感じる。

 

「行こうぜ、あいつを止めてやらんと、付き合わされている周囲が気の毒だ」

 

 しかし小狼は後退りして、尖塔の瓦礫にすっと立った。

 

「おい?」

「約束。アルを助けて貰う代わりに、何でも言うことを聞くって言ったから」

「あぁん? お前さんが俺様の希望に添える事が出来るとでも思ってんのか。思い上がりも甚(はなは)だしい」

 

「出来る事はあるよ。狼、私がテムジンの前から消えればいいと思っているでしょ」

「…………」

「その方がテムジンを自由に出来るものね」

 

 赤い狼は妖精の娘をマジマジと見た。

 確かに、あの人の皮を被った獅子王がまどろっこしい面を残しているのは、こいつが側に居るせいだ。しかし……

 

「俺様が消えろと言ったら消えるのか?」

 

「うぅん、消えてあげたいけれど、やっぱりそれは出来ない」

 

「だろうな」

 

「代わりに」

 

「…………」

 

「祓ってあげます。テムジンの隣を巡っての決着、今ここで付けてしまいましょう」

 

 妖精の娘は残った一本の剣を抜いた。

 もしも第三者がここに居たら、何でそれが代わりになるんだと、無茶な理屈に呆れるだろう。

 しかし炎の戦神は口を耳まで裂いて楽しげに笑った。

 

「奇遇だな、丁度俺様も、それを望もうと思っていた所だよ!」

 

 狼の首回りから背峰に掛けて、バリバリと炎が燃え上がった。

 先程までとは違う、本気の炎。

 

「勿論タダでは祓わせない、命を賭けろ。サシの命のやり取りだ。蒼の妖精の太古の術とのガチ勝負! ヒャアッハハ、骨の髄まで痺れるぜぇ!」

 

 戦神なのだ。闘う中でしか己を保てない、身体の芯まで戦神(いくさがみ)。

 相手に退いて貰って借りを作っては駄目なのだ。命を張って奪い合わないと。

 

 対して小狼はシンと動かず、静かに剣に呪文を溜め始める。

「狼さ、私のこと戦場に向いていないって言ったよね。ここで躊躇(ためら)うぐらいなら、この先テムジンの役には立てないって事でしょ?」

 

「そういう理屈で構わんよ、どうせ俺様が勝つ。アイツが上がって来ない間にとっとと済ませちまおうぜ」

 赤い狼は妖精と距離を取って、地面スレスレに身を低くした。

 こいつの兄貴の蒼の長は、確かに強そうだったが、特に闘ってみたいとは思わなかった。

 今、目の前にある強さは別の種類だ。背筋がザワ付く、ああ、面白れぇ……

 

 小狼の引きつめていた髪がほどけてオーラと共に舞う。

 狼の炎が更に白熱して辺りを焦がす。

 

 

 

 城下で戦している人間達は、勘の良い者も悪い者も、皆一様に意味不明の鳥肌を立てた。

 テムジンは必死に塔を駆け上がる。

 間違いなく上で、取り返しの付かない事が起きようとしている。

 

 

 小狼の剣が翡翠色に輝いた。

 狼の炎も白から金に変わる。

 双方空(くう)へ飛び、二つの光が上空で交わる。

 

 光の中で、狼はスローモーションのように気付いた。

 妖精の子供が大きくなれないのは、無意識にテムジンとお子様関係を続けていたいからだと思っていた。

 違う。

 この娘を子供のままにして置きたかったのは……折り畳んで自分の手の中に収めて置きたかったのは……テムジンだ!

 テムジンから離れて、初めてこいつは成長し始めたのだ。

 

 狼が垣間見たのは、透明な薄い羽根に包まれた、凜々とした女性の戦神だった。

 

 しかし翡翠の輝きはすぐにしぼんだ。赤い狼の力が勝り、カミソリみたいな牙が妖精の子供の喉元に届く。

 

 

 

 ・・

 ・・・・

 双方の光は消えていた。

 小狼の剣はダラリと下ろされ、狼の牙は喉の直前で止まっている。

 

(なんで、なんでこの牙に力が入らないんだ、俺は!)

 

 妖精の娘は静かに目を開いて、狼からするりと離れて剣を鞘に収めた。

「おあいこね。狼だって私を倒せない癖に」

 

「ほ、本気で来なかったのか? 俺様を試したのか? てめぇ……!」

 

「ううん、そんな怖い事出来る訳ないじゃない。目一杯本気だったのに、貴方の匂いを感じただけで剣の力が消えてしまった。貴方がその気なら、私はそれまでだった」

 

「…………」

 

 

 

 

 

 

 

 鴉の残党を薙ぎ払いながら、テムジンが城壁に駆け込んで来た。

 

「小狼(シャオラ)――!」

 

 二人はフサリと王の両側に降り立った。

「早かったな、テムジン」

「ご心配をお掛けしました、王」

 テムジンは荒い息を吐きながら、子供のような心細い顔で二人を見比べた。

 

「鴉使いはほぼほぼ魔性だったぜ。まぁ、祓ったのはこいつの破邪の剣だ」

「魔の者と契約し過ぎて人間でなくなった者でした」

 狼が素直に妖精の手柄を報告し、謙遜してアワアワしそうな妖精の娘はスンと落ち着いている。

 テムジンは戸惑いながら双方を見る。

「……アルカンシラは?」

「あいつは」

 

「死にました」

 狼が言うより早く小狼が言葉を被せた。

「死んだと思ってあげてください。二度と王の前に姿を現しません」

 

「何で……」

 

「普通の女の子だからです。いくら人外が見えたって、普通の女の子に貴方の隣は厳しいのです。大鴉に襲われて魔性の陰陽師に苛まれて、二度とそんな場所に戻りたくないと思うのは当たり前だわ」

 

 小狼はポケットに残っていたトルコ石の玉を差し出してテムジンの掌(てのひら)に落とした。

 王はそれを見つめて茫然とする。

 

「護衛しきれなくて申し訳ありませんでした」

 妖精の娘はテムジンに頭を下げながら、その向こうの赤い狼をチラリと見た。

 狼は、チッ、分かったよ、という風に口の端を歪めた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 テムジンがアルカンシラを諦めたかどうかは分からない。

 人間の密偵を使って調べさせたかもしれないが、人目からは見えない草の馬で遠くに運ばれた者は、探しようがなかったろう。

 少なくとも人外の二人の前では、彼女の名を口にしなくなった。

 

 

 戦が収束と言っても、土地の一つを越えて先へ進めただけだ。

 廃城をそのまま本国との中継地に据え、王は本来の生業に専念する。

 先の国と使者を送り合い、しばらくは兵を休ませての牽制合戦。

 

 人外の二人も羽根を伸ばす時間だが、テムジンは彼らに変化を感じていた。

 赤い狼は、あれほど鬱陶しがっていた妖精の子供に行き合っても、顔をしかめなくなった。

『どチビ』とも言わなくなったし、冗談めかして『蒼の狼さんよぉ』とか呼んだりしている。

 

 小狼は小狼で、以前は事あるごとに拗ねて逃げ回った物だが、今は多少からかってもニッコリ受け流す。

 

(何があったのか、あの日城壁で)

 

 何だか置いてけぼりのテムジン。

 だから二人が小狼の部屋で話をしているのを、つい足を止めて立ち聞きしてしまう。

 

 

 小狼は囚われていた部屋をそのまま寝室にしていた。

 天涯付きのベッドは気に入っていたのだ。

 床は塞いだが、壁に穴が開いたままなので、声は丸聞こえ。

 

「蒼の妖精ってさぁ、成長すると姿が変わったりするのか?」

「ん――? 術力が付くにつれて髪や瞳の色が濃くなるよ。稀に、術力が凄く高いのに赤ちゃんのままな色のケースもあるらしいけれど」

 

「そうじゃなくて、もっとドドンと大きな変化。例えば羽根が生えるとか」

「羽根ぇ? あはは」

(……やはり目の迷いだったか?)

 

「いるよ、そういう蒼の妖精」

「いるのかよ!」

「ごくごくご――くたまに、肩甲骨の下に小さいヒヨコみたいな羽根を持って生まれる子。百年に一人か二人って感じで、先祖返りだって」

 

「ほぉ、で、そいつは大きくなったら天使になったり、特殊な能力が目覚めたりする訳か?」

「それはないわ」

「ないのかよ!」

 

「育っても羽根は小さいままだし、特に何の効能もないし。それ以前に羽根がある子は虚弱で長生き出来ないって言われていたぐらいで。少なくとも有難がられる物ではなかったと思う」

「…………」

 

 

 二人の会話が他愛も無さげだったので、テムジンも中に入ろうとした。

 

「お前さ、身体を成長させたいか?」

 

 唐突な話題に、壁の向こうの者は足を止める。

 

「勿論よ、どうして?」

「成長を阻害しているモノの正体は分かる。後はお前がそれをどうするかだが」

「本当?」

 

 テムジンも思わず身を乗り出した。自分だって知りたかった事だ。

 

 しかし気配に狼は気付いた。

(立ち聞きかよ、王様!)

 ここで本当の事、『テムジンが、成長する小狼と向き合う事を嫌がっているから』なんて言った日にゃあ、余計にややこしい事になっちまう。

 妖精は目をキラキラさせて続きをまっているし……

 

「お前さん、色恋って奴に興味を持て」

「はぁ? 何それ?」

「要するにだ、お前は色気が足りん!」

「だから悩んでいるんじゃない。はぁ、期待して損した」

 

 壁の向こうで、ズリズリドシンと脱力した音。

 ふん、簡単に教えて貰えると思うなよ、てめぇで気付いて何とかしろ。

 

 しかし狼の思惑を越えて、小狼はけっこう本気にしていた。

 

 

 

 結果オーライという言葉がある。読んで字の如くだ。

 

 小狼は『色恋』なる物の練習をしてみようと、ひっつめていた髪をおろしたり、唐突に花を摘んで輪っかを作ったりし始めた。

 人間の兵士の中に好みの容姿の者を見付けては、見えていないのをいい事に、耳元で謎の歌を唄いかけたりした。(犠牲になった兵士はその後悪夢を見るようになるらしい)

 何せお手本がいない。

 何処ぞで入手した恋物語の書物をなぞっているだけ。

 

 しかし果たして、僅かずつではあるが、彼女の身体が変化を始めた。

 背が伸びて、顔も指もほっそり、直線だったシルエットに曲線が増えたような気もする。

 嘘から出たマコトか、本当に効果があったようだ。

 

 妖精の娘のはっちゃけは、思いの外テムジンにこたえていたのだ。

 手の中に収めて置きたかった小鳥が、手から抜け出して勝手な方向へ飛んで行く。

 草原の覇王と言えど、彼女達は思い通りにならないって事を、真綿で首を絞めるように思い知らされている。

 

『この城何かいる』『読経のような声が聞こえる』などと兵士の間に流れる怪異簞を懸命に潰して回るテムジンを横目で見ながら、狼は鼻からフンと息を吐く。

(自業自得だ。全盛期のどチビの悩みの半分も味わえ)

 

 

 

 そんな穏やかな日々の夕刻。

 赤い狼は城壁のへりに立っていた。

 

 妖精の娘はこの短期間で頭一つも背が伸びた。

 完全に成人したらあの有翼の姿になるのだろうか。

 残念ながら自分にそれを見る事は出来ないな。

 

(潮時だ)

 

 居心地が悪すぎる。

 もうここは自分の居る場所じゃない。

 

 妖精の娘は、勝負の決着を双方付けられなかった事で、対立を保留にしたつもりだろう。

 こちらはそうは行かない。

 

 戦神なのだ、欲望と憎しみの。

 あの城壁で、アイツに牙を掛けられなかった時点でリーチ。

 これ以上ぬるま湯に浸かっていると、力を失くして消えてしまう。

 

 本来ならば、契約した者から離れるならば、某(なにがし)かの呪いを掛けて行かねばならない。

 しかし今回は全面的に自分の気分。テムジンに落ち度はない。

 しゃあないな、勘弁してやるか。

 

 あばよ・・

 口の中で呟いて城壁を蹴ろうとした時、夕空に一点の影が見えた。

 

「小狼、お前の馬が戻って来たぞ!」

 

 

 

 

 



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蒼と赤・Ⅶ

  蒼と赤、最終話


 

 

 

 妖精の娘は久し振りの愛馬に駆け寄って頬ずりし、丁寧に補修された馬具を撫でて、兄の心遣いにジンとしている。

 

 旅立つタイミングを逸した狼は、黙ってそれを眺めていた。

 

 王も城壁に上がって来た。

 馬はアルを乗せて何処かへ行ったんだと承知していたが、一旦死んだと言われた者の事は、敢えて聞こうとはしない。

 

 小狼は馬の手綱にくくり付けられていた紙を広げて読んでいる。

 妖精の文字で書かれているので、テムジンには読めない。

 しばらくすると、妖精の娘は紙を畳んで懐にしまい、フィと後ろを向いて、馬に跨がった。

 

「小狼?」

「久し振りだから、ちょっと飛んで来る!」

「おい、馬を休ませてあげなよ」

 

 テムジンの言葉をよそに、妖精の娘はあっという間に空に滑り出した。

 

 狼は去るのを少し遅らせる事にした。

 彼は妖精の文字が読める。

 全部が見えた訳ではないが……『呪い』『毒』『病』『手の施しようが』『余命』…………

 

 そう、あの娘が健在なら、小狼への手紙は自分で、人間の文字で書くだろう。

(陰陽師は最後まで陰険な奴だった。あの娘に、自分から逃げた時の呪いを掛けていたか)

 

 妖精の娘は今頃空の真ん中で、自分の不注意を悔やんで悔やんで声を振り絞っているのだろう。

 帰った時俺まで居なくなっていたら……まぁ、可哀想だ。

 

 

 ***

 

 

 小狼が城へ戻ったのは、陽も落ちて兵士達も寝静まった後だった。

 二人に顔を向けないで、挨拶だけしてそそくさと自室に下がってしまった。

 

 

 ――それは本当にたまたまで、赤い狼と言えど、予測していた事ではない。

 

 音もなく……本当に音もなく、壁の穴の空間が渦巻いて、すぅっと黒虎が出現した。

 

「アオイヨウセイ……アオイ……」

 

 異次元に飛ばされた虎が、蒼い妖精への恨みの執念だけで、時を経た空間を繋げて、今ここに出現したのだ。

 ベッドには目指す妖精が眠っている。

 虎は爪から毒を滴らせながら忍び寄る。

 

「俺様は無視かよ!」

 

 赤い狼が疾風のように黒虎に飛び掛かった。

 虎は狼の首に噛み付いて背に爪を立てたが、狼は構わず虎を、出て来た渦の中へ押し返した。

 

「泣き疲れてやっと眠ったんだ。寝かせておいてやってくれ」

 

 狼はチラと振り向き、ベッドの妖精が目を覚ましていないのを確認する。

 相変わらず無防備な奴だ。もう俺は守ってやれんぞ……

 

 そして満足げに口の端を上げて、虎と共に異空間に消えた。

 

 

 ***

 

 

 

 大国からの使者を城壁から見送りながら、小狼は草の馬のたてがみを編んでいる。

 

 テムジンがやれやれ顔で、肩を回しながらやって来た。

「しばらくは実戦にはならなさそうだ。一度本国に帰れるかも」

 

「王の家族もお喜びになりましょう」

 結い上げた蒼い髪を揺らして振り向いた妖精は、数ヵ月前まで鼻をたらして拗ねていた子供とは別人だ。

 

「小狼もさ、一度家族に会って来たら? 里へは帰れなくても外で会うぐらいいいんだろ?」

「……何故、急に?」

「いや、心配しているんじゃないかと思って」

「…………」

「心配するよね、残された者は」

 

 小狼は馬のたてがみを編み終えて、最後に赤い毛を依った房飾りで纏めた。

 

「それ、奴の?」

「うん、御守り」

 彼のいなくなった朝、何でか部屋に大量に散らばっていた。

 何があったのかは分からないが、立ち止まっていないで前へ進めと言われている気がした。

 

 遠くの稜線すれすれに、夕陽を透かして低い雲が重なっている。

 朱に染まる雲を縫いながら、赤い戦神(いくさがみ)が駆けているように見えた。

 

 

 

 

 

 ~エピローグ~

 

 

 

 草原を夕の風が渡っている。

 

 蒼の長は風を紡ぎながら、草の馬でそろりそろりとに空(くう)を歩む。

 懐に大切な壊れ物を抱えていたので。

 

 数ヵ月前、何年も音沙汰の無かった妹の馬が草原の端に現れ、馬上の女性が懐妊していると報告を受けた時は、心臓が引っくり返るかと思った。

 あの王をどうしてくれようとメラメラ燃えながら駆け付けたら、女性は妹ではなく見ず知らずの人間だった。

 

 ボロボロにに疲れきった、息も絶え絶えの女性。しかも呪いを受けていた。

 

 里で保護したが、娘は何も語らなかった。名前すら。ただ妹の安否を訪ねた時だけ、息災です、と答えた。

 

 呪いは毒を伴った物で、手遅れではあった。

 それでも数ヵ月命を永らえたのは、腹の子に対する某かであったのか。

 月の早い子をこの世に送り出すと、糸が切れるように逝ってしまった。

 

「長殿、人間の赤子は、蒼の里で育てるには障りがありましょう」

「そうですね。兵長が、充(あ)てを一つ教えてくれました」

 

 

 地上に人間のパォが見え、柔らかな笑い声が聞こえて来る。

 ここなら大丈夫。

 

 長は今一度手の中の赤子を見た。

 

 妹はどういう経緯であの娘を寄越したのだろう。

 彼女が、薄くではあるが風の妖精の血を引いていた事は知っていたのだろうか。

 人外の姿が見えて声を聞く……テムジンのようでなければ、人間の間で生きにくかったに違いない。

 

 この子供は、必ず自分が守護しよう。

 成長したらどんな資質が現れるか分からない。

 その時も、迷わぬように精一杯導こう。

 何もしてやれない妹への手向けだ。

 

 草の柔らかい所を選んで赤子を下ろし、風で人間に呼び掛ける。

 パォから出て来た男性が、最初驚いたがすぐに抱き上げ、暖かな室内へ駆け込んだ。

 

 ――お頼みしましたよ。

 

 風に乗せて祝福を贈り、宵の星が一つ二つ煌めく空へ、長は手綱を翻(ひるが)す。

 

 

 

 

   ~蒼と赤・了~

 

 

 

 




話の中にないけど、こういうの描いてみたかった一枚
挿し絵:三人 
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挿し絵:四コマ 
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閑話・Ⅱ Ⅲ
続・あなざぁ すとぉりぃ


 短編です

『蒼と赤』より十二年後
『あなざぁ すとぉりぃ』から五年後


 

 

 

 

 パォの隙間から朝の弱い光が洩れている。

 

 イルアルティは目を覚ました。

 昨日の興奮が覚めやらない。まだ慌ただしい夢の中にいるようだ。

 周囲には、お祝いのご馳走でお腹をパンパンにした兄姉達が、布団にくるまってまだ夢の中。

 

 昨日、この地方で一番大きな競馬(くらべうま)大会が催され、大人の部に出場した十二歳の女の子がぶっちぎりの勝利を飾って、観客達の度肝を抜いた。

 もっとも子供の部ではもう勝負にはならなくての大人の部出場だったので、大概の馬乗り達はやれやれと納得していた。

 

「あの部族には風の申し子のような子供がいるぞ」

 そういう噂は近隣に知れ渡っていた。

 何せ、箸にも棒にも掛からなかった鼠馬でも、彼女が跨がると羽根が生えたように走り出す。

 

 それでも各部族生え抜きの名馬名騎手に混じっても勝てるなんて、当の本人のイルアルティだって思っていなかった。

 目を閉じて昨日のゴールの瞬間を何度も反芻する。胸がドキドキして目が冴えてしまった。

 

 寝返りをうつと、枕元に並んだお祝いの品。

 賞品のお酒は宴で振る舞い、羊は家族に、お菓子は小さい子から順に配っているとイルの手元には無くなった。

 それを見ていた兄姉達が、お祝いと称して手持ちの宝物をくれた。

 貝殻、骨ナイフ、キラキラのボタン、お母さんからは刺繍のスカーフ。

 

 ニコニコしてそれらを眺めていたが、ふと見慣れぬ物に目が止まる。

「あれ? 昨日こんなのあったっけ?」

 上等の羊皮紙にくるまれた、両腕に乗っかる程の包み。表面には確かに『イルアルティ』と書いてある。

「寝てしまってから族長さんとか偉い人でも来たのかな」

 

 イルはそぉっと身を起こし、周囲を起こさぬように、包みを持ってパォを出た。

 

 外の馬具掛けに腰掛けて、包みの紐を解く。

「わあぁっ!」

 思わず声が出た。

 新品の乗馬ズボン(ウムドゥ)!

 しかも見た事もないような美しい品。

 

 この空色のスベスベは絹かしら? お尻と内股の当て布は、真っ白な貂の(テン)の夏毛皮。

 脇には白い刺繍の花模様。こんな細い糸、気の遠くなる時間が掛かりそう。

 腰紐の末には濁りのないトルコ石。本当に、どこもかしこも夢のような作り。

 

 イルはしばらく呆けて眺めていたが、お陽様が地平から顔を出しきった頃、やにわに包み直して厩(うまや)へ走った。

 そうしてそれを、自分の馬具箱の奥深く突っ込んだ。

 これは隠しておくべきモノだ。

 

 族長じゃない。あそこの贅沢息子だって、こんな凄い品は履いていない。

 周辺部族だって似たり寄ったりで、こんな品物は存在しないだろう。

 

 そう、これもまた、あってはならないモノ。

 

 駆け込んで来たイルを見て、馬達が嬉しそうに鼻を鳴らす。

 イルは順に撫でてやりながら、ふぅっと呟いた。

「あのヒトだ、きっと……」

 

 

 

 

 風に乗って空を駆ける草で編まれた馬。それに跨がる透けるように青いヒト達。

 小さい時から普通に見える風景だ。

 

 兄姉には見えない。

 昔は喧嘩したりしたけれど、お父さんを困らせるからやめた。

 お父さんはイルの言う事を信じてくれた。お父さんも小さい時は空飛ぶ馬が見えていたらしい

 

 でも『いつまでも見えるままのイル』を不安がっている。

 それが分かってからは口をつぐんだ。

 お父さんは、イルも自分と同じに、大きくなったら見えなくなって忘れてくれると信じている。

 皆と同じに平凡に普通に生きて欲しいのだ。

 

 でもイルは、見えなくなるどころか年々色がはっきりし、馬の息遣いまで聞こえるようになって来た。

 そうしてそれに心奪われている。

 

 イルが空を見てボォッとしていると、お父さんが大きな声で呼び戻す。

 その声には不安と恐れが入り雑じっていて、大切なお父さんにそんな声を出させてしまう事を、イルは罪に思っていた。

 お父さんを安心させてあげられるように、見えていても見えない振りをして、異質な品物は隠して置かなければならない。

 

 

 それでも馬の足音はどんどん近付いて、最近では、一人の騎手をはっきりと見極められるようになっていた。

 白い法衣を着た背の高い男のヒト。長い髪が深い水の流れのようで、乗り姿も本当に綺麗。

 気が付くとふと目の端に居る。木の上だったり真上の空だったり。

 

 昨日もいた。

 ゴールした瞬間、流れる観客の一番後ろに。

 にこやかに細まる瞳までもがくっきりと。

 歓喜に包まれて、今一度同じ場所を見ると、もうそのヒトは居なかった。

 

 見えていない振りをせねばと思いつつ、イルの心はどんどんそのヒトに惹かれて行く。

 どうしてこんなにあのヒトだけが気になるのだろう。

 そうしてイルの中に一つの思いが芽生える。

 

「あのヒトが、イルの本当のお父さんかもしれない」

 

 

 ***

 

 

 陽が昇って家族が起き出し、イルアルティはいつも通りに羊を追って草原へ出る。

 

 お気に入りの馬に跨がった後ろ姿が遠ざかり・・後方の楡の木の梢が揺れた。

 

「聞こえました? お父さんだって、お父さんだって、うふふ」

 

 梢の上の人影は二つで、片方は白い法衣の男性。

 もう一人は、冬空に溶けてしまいそうに薄色な女性。男性の言葉にやや呆れ顔。

 

「兄様、あの娘(こ)には立派な父親がいてくれるではありませんか」

 

「貴女にそんな風に言われる筋合いはありませんね」

 男性はムスッとして反論した。

「そもそも何の説明もなくあの子の母親を寄越して来たのは貴女です。生まれた子の資質が危ういから、私は心配で心配でず――っと見守っていたのですよ。ちょっとくらいお父さん気分を味わったっていいじゃないですか」

 

「その点は、感謝しています……」

 女性はすまなさそうに目を伏せた。

 でも見える者から完全に姿を隠すなど、兄にとってはお手の物な筈。

 わざと視界に入るなんて自己顕示も甚だしい、そんなヒトだっただろうか?

(それでも、彼女の母親について何も聞かないでいてくれる。やはり感謝しなくては)

 

「あああああ――っ!!」

 男性がいきなり絶叫した。

 

「どうしたんです?」

 兄の視線、イルアルティが去った方向を見ると……

 遠目に、馬に乗った誰かが、娘に近付いているのが分かる。

 昨日の競馬大会の子供の部に出ていた族長の息子だ。

 手のにした野の花束を真っ赤になって差し出している。昨日はおめでとうとでも言っているのだろう。

(可愛いものだなぁ)

 微笑ましく眺めていたら、隣でメラメラと音がした。

 

「・・許しません、まだそういうのは早いです、あの小悪童(こわっぱ)・・!」

 

「いや兄様、だから兄様がそういう事を言う筋合いは……」

 

「ないって言うんですか! 私がどれだけあの子の事を見守って来たと思っているんです。ああいう子はイタズラ好きの精霊にちょっかいを掛けられやすいんですよ。

 昨日の競馬大会だって、貴女も応援したいかなぁと思って、わざわざ呼んであげたんですよ。素晴らしかったでしょう、あの子の晴れ姿。

 そもそも貴女だってずっとあの子を思って刺繍を刺していたって言うじゃないですか。渡せて良かったでしょ。包みを開いた時のあの子の顔ったら。そういうのを貴女と分かち合いたかったのですよ」

 

「ああはいはいすみません」

 

 大切にしてくれるのは重々分かった。感謝もせねばならない。

 遠征準備で忙しい所をいきなり手紙で呼び付けられたのにも、文句を言ってはいけない。

 でも何だろう…………

(このヒト、こんなにベラベラ喋ったっけ……?)

 

 イルアルティは貰った花束を困った顔で眺めている。

 こんな物を急に渡されても、って顔だ。

 この娘が花を貰って喜ぶようになるなんて、まだまだ、まだまだ当分先の事だろう。

 

 

 ***

 

 

 優しい風が頬を撫でる。

 イルアルティは空を見上げる。

 また何処かであのヒトが見ているのだろうか。

 

 鳥も飛んでいないのに、薄い羽根が一枚二枚とそこを舞っていた。

 

 

 

 

  ~続・あなざぁすとぉりぃ・了~

 

 

 

 

 

 





挿し絵:贈り物 
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鎮守の森


 短編です

 『蒼と赤』より1年後
 『続・あなざぁ すとぉりぃ』より11年前





 

 

 

 

 風の末裔の長はそんなに暇を持て余している訳ではない。

 こう見えても結構忙しいのだ。

 ここ数ヵ月所用が重なり、あの人間に預けていた赤子の様子すら見に行けていない。

 そんな時に今度は妹が、危急の手紙を寄越して来た。

 まったく…………

 

 馬を駆って草原を抜け、王都を眼下に飛び越える。また人口が増えたようだ。あの獅子王の勢力は広がっているのだろう。

 

 

 まだ子供だった妹が、一人の人間の少年の元へ行ってしまったのは、何十年前だったか。

 少年はたちまち草原の部族を平定し、気が付くと大陸を塗り潰すように覇権を広げていた。

 

 遠征ばかりしているので、妹にぜんぜん会う機会がないままだったのが、先日久し振りに接触を持って来た。

 すっかり成長した姿に驚いたのも束の間、肝が冷えるような報告をされた。

 ヒュッと喉が鳴り意識が遠くなったが、はにかみながら腹を撫でる妹の前で、気合いで踏ん張って平静を保った。

 

 

 そも、蒼の妖精は、滅多な事では人間に近寄らない。

 術も使えて寿命も長く何百年も先を見据えて生きる妖精と、出来る事が少なくて寿命も短く目の前の事に全力で取り組まねばならない人間は、生きる基準が違う。関わってもろくな事にならない。

 

 数の多い人間が地上の基盤を築いている事は確かで、人間界が荒れると人外界にも悪影響が出る。

 だから代々の蒼の長は人間のトップと親交を持ち、最小限の関わりを細く保っていた。極端に悪い方向へ行くのを防ぐ為だ。

 

 しかし当代の長……自分が引き継いだ時、戦乱の真っ只中で、人間側の『後継者』の行方を見失ってしまった。

 やっと見付けた獅子髪の少年は、過酷な運命を生き抜き過ぎて、素直に長の手を取らなかった。

 欲望の赤い魔性と契約して、人間界の制覇に踏み出してしまったのだ。

 

 その時、貴重な長の血を分けた妹が、妖精の立場を捨てて少年の元へ行ってしまった。

『人間の男などにケソウして』となじる声もあったが、長は彼女の気持ちを尊重した。

 自分で納得しているとはいえ長の責務から逃れられない身からして、あの子にだけは自由に生きて欲しいという願望が働いたのかもしれない。

 そうして、何年も何年もしてから、彼女の行動の本当の意味に気付いた。

 

 魔性と契約した人間と蒼の妖精は、交流を持てない。

 だが『里を出奔して何者でもない身』ならば関係ない。

 王の側に添って、彼の魂が、欲望の赤い獣に乗っ取られてしまうのを防ぐ事も。

 

 多分、彼女に聞いたら、『え? そんなの考えていなかったよ』と、キョトンとするだろう。

 

 妹は、蒼の長としての資質は何一つ継承していなかった。

 故に里でもまったく期待されていなかったのだが。

(実は継承していたのだなぁ、一番大切な事を……)

 

 それに気付いてから長は、なるべく彼女に口出しはせず、見守る事にしていた。

 だけれど、今回の件は…………

 

 

 

 

 王都の外、西の外れに、丸くこんもりとした森がある。

 王が近隣住民の立ち入りを禁じている『鎮守の森』。

 

 道なき森の中心に少しの広場があり、木陰に小さなパォが建つ。

 長は樹々をかすめながらその前に下り立った。

 広場では妹の馬が遊んでいる。

 入り口に座り込んでいた獅子髪の男性が、長を見て立ち上がった。

 

「やぁ……」

 

「久し振りですね、王君。あの子は?」

 長はそっけなく言った。

 

「中だけれど、今入ったら怒られるよ」

「私は兄ですよ」

「小狼(シャオラ)じゃない、あの婆さんが怒るの! 俺だって思いきり蹴り出されたんだ」

「ああ、オタネお婆さんならそうでしょうね」

「トンでもない産婆さん寄越したな。俺、怒鳴られっ放しだったぞ。その癖、人を顎でコキ使うんだ!」

 

 大切な一族の娘をかどわかし、あまつさえ身籠らせるなんて、オタネお婆さんにしたら怒りは果てしなかったろう。

 ふてくされる王を見て、長はホンのちょっとだけ気の毒に思った。

 

「仕方がないでしょう。人間に妖精のお産は扱えませんから。まったく、私が気を回さねば、あの子をどうするつもりだったのですか」

「俺が取り上げるさ」

「・・!」

 

 長は険しい顔で王を見た。そんな子供じみた意地で妹を危険に晒されては堪らない。

 

「あ、バカにしてる。俺の末の弟は俺が取り上げたんだぞ!」

「……」

 そうだった。この王は泥水をすする少年時代を送ったのだった。

 

「あの子がそれで良かったのなら、貴方に文句は言いません。でも私にとっても大切な妹だという事を忘れないで下さい」

「……ああ、悪かったよ」

 王は素直に謝った。

 一族に頼りたくないのは妹の希望だったのだろう。

 だがそれでも彼女の身を一番に案じて欲しい物だと、長は不満を拭えなかった。

 

 

 パォの入り口が細く開いて、小さな老婆が出て来た。

 わら半紙を丸めたような顔を更にクシャリと歪ませて、いきなり長の両手を掴む。

「おお、長様、長様……」

 

「オタネさん、ご苦労様でした。出奔した妹の為に労して頂いた事を感謝します。しかし今朝がたの鷹の手紙、緊急を要する事とは……何があったのです?」

 

「申し訳ありません、申し訳ありません、私(わたくし)が付いていながら……」

 老婆の両目から涙がぶわっと溢れ、長は空より青くなった。

「あ、あ、あの子に何か!?」

 

「心配しなくていいよ。その婆さんずっとその調子なんだ。大袈裟なんだから」

 王が呑気な声で言って、どさくさに紛れてパォの入り口に近付いた。

 

「黙れ小悪童(わっぱ)! お嬢の取り成しが無ければ貴様などイタチに変えてくれた物を!」

「トンビの方がいいな、飛べるし」

 

 王が婆さんの振り回す杖を避けて逃げ回っている間に、長はパォを伺った。

 

「兄様? 兄様、いらしているの?」

 

 元気そうな声。長はとりあえず胸を撫で下ろした。

「入ってもいいですか」

 

 薄いカンテラの灯りの中、妹は寝床に身体を起こして兄を出迎えた。

 懐妊の報告を受けて以来数ヵ月振りだが、頬はふっくらして顔色も良い。

 腕の中に真っ白な産着のかたまり。小さな指が贅沢な絹の間から覗いている。

 

「ありがとうございます、オタネお婆さんを寄越してくれて。久し振りに怒鳴られて、懐かしかったわ」

「加減はどうですか?」

「大丈夫よ、私もこの子も。そう、男の子だったの。とても元気で」

 

 妹に抱かれた生まれたての命が可愛い声を上げ、長の複雑な思いは怒涛の如く流れ去った。

「抱かせて下さい、この子に祝福を」

 

 妹が差し出した赤子を長が慎重に受け取った時、入り口に王が現れた。

 杖の先を掴んで高々と掲げ、ジタバタするオタネ婆さんごとぶら下げている。

「落っことすんじゃないぞ!」

 

 まさか、王のような粗忽者じゃあるまいし、と赤子を抱き直して顔を覗いて…………!!?

 電気に打たれたみたいに身体中が震えた。

 取り落としそうになるのを慌てて受け止める。危な……

 見ると、妹は予測していたように、下に手を伸ばして構えている。

 

「心配すんなって。俺も一番始め、落っことしそうになった」

 王がオタネ婆さんを引きずったまま、長の横へ来て赤子を覗き込んだ。

 

「心配するなって、心配するなって……心配じゃないのですかぁああっっ!!」

 速攻妹の手に赤子を返し、長は王の胸ぐらを掴んだ。

 母は困った顔で赤子の耳を塞ぐ。

 

 赤子の髪は生まれたてなのにフサフサで、血のように真っ赤。

 既にパッチリ開いている瞳は銀にランランと光り、瞳孔は動物のように縦に割れていた。

 

 

 ***

 

 

 赤子の背中には、首筋から繋がって真っ赤なたてがみもあるという。

 

「それって、それってまるで……」

 呆然と震える長の前で、胸ぐらの手を掴んで、王は真顔で言った。

「俺の子だよ」

 

「いや、だって……」

 

「テムジンの子なの」

 

「…………」

 

 長はチラリとオタネ婆さんを見た。

 婆さんは心得た感じで一礼し、王を睨み付けながら外へ出た。

 

「いいですか、二人ともよく聞いて下さい。貴方達の気持ちはね、分かりました、よ――っく分かりましたっ。しかし現実的な問題を考えなくてはならません。混血児はどちらの資質が出るか分からないし、きちんと考慮して資質に合った教育を施してやらねば、当人の不幸に繋がります。そういう意味で受け継いだ血をはっきりさせておく必要が……」

 

「ね、テムジン、もう歯が生えて来たのよ、ほら」

「ホント? おお、犬歯じゃん、かっけぇ――!」

 

 のどかに赤子を覗き込む王を、青筋立てた長が引き剥がし、胸ぐらを掴んでガクガクと揺さぶった。

「貴方ね、貴方! 能天気過ぎやしませんか? 男として、妻が産んだ子供が明らかに……あ――・・」

「うゎっ、嬉し! 俺、そんなぶっちゃけトークしてみたかったんだ! 『お兄さん』と!」

 長はテムジンを突き飛ばしてパォの壁に張り付いた。

 

 しばし、長の荒い息と沈黙。

 

 妹が静かに切り出した。

「確かに最初は戸惑ったけれど……本当にテムジンの子なの、兄様」

 

「小狼がそう言うならそうなんだ。だって小狼は俺に嘘を言う必要なんかないもん。いつだって、どんな時だって」

 

「…………」

 

「ね、兄様、もう一度この子をよく見て」

 長は少し落ち着きを取り戻して、赤子に近付いた。

「このゲジゲジ眉毛とか、小憎らしく上むくれた口の端とか、テムジンにそっくりじゃない?」

 

 ・・言われてみるとそうかもしれない。色を考えないでよく見ると、この子は王とそっくりだ。

 

「兄様なら分かるかもと思って、オタネお婆さんに頼んで手紙を書いて貰ったのは私なの。これってどういう事なのか。もしも病気か何かだったら治療をしてあげなきゃならないし」

 

「あ、ああ、そうですね……」

 長はやっと冷静になって、両手を出して赤子を受け取った。

 銀の瞳は臆する事なく長を見ている。

 その眉間の奥、深い深い所に、長は意識を送り込む。

 

 王も隣に来て、口を結んで大人しく待った。

 永いか短いか分からない時間が過ぎ……

 顔を上げて長は、潜水から上がって来たように息を吸った。

 

「何か分かった?」

 

「呪い……」

 

「えっ?!」

 妹が赤子を受け取りながら強張った。

 

「あの獣……は、大陸から戻る少し前に、フィといなくなったと言いましたね?」

「ああ、小狼が身籠る前だよ」

 だから長は今こうして、王とも普通に話せるようになったのだが。

「去り際に呪いを掛けて行ったのです。次にこの子から生まれる赤子には、生まれながらに狼の呪いをと。そういった所でしょう」

 

「あいつが?」

「あの、兄様、呪いって、具体的にどんな災いが?」

 妹は母らしくうろたえている。

「いえ、直接悪い事を起こす物ではありませんが……この容姿が、災いといえば災い……」

 

「見た目だけかよ!」

 王が叫んで、両手を頭上に突き出した。

「ついでにあいつの強さと図太さも乗っけてくれればよかったのに!」

 

 長がまた胸ぐらを掴みに行こうとするのを、妹がそっと止めた。

 

「イタズラ、なんだわ」

 

「いた……ず……?」

 

「自分がいなくなっても覚えていて欲しいって、ホント、タチの悪い、子供じみた、

イ タ ズ ラ 」

 

 

 ***

 

 

 オタネ婆さんが戻って来て、授乳の時間だと、男二人はパォの外に追い出された。

 

 王はスタスタと高台へ歩き、先に座って長を振り向いた。

「ありがとうね、長。やっぱり小狼も不安で思い詰めていたみたいでさ。真相が分かってスッキリした」

 

「それは良かったです」

 長も息を吐いて、少し離れた隣に座り、意味ありげに聞いた。

「あの子は絶対に貴方に嘘は吐かないですか?」

 

「うん、必要ないもの」

 王も意味ありげに答えた。

「隠し事はあるかもしれないけれどね」

 

「隠し事……について、貴方は問いただしたりはしないのですか?」

「うん、しない」

「どうして?」

「言える時になったら、ちゃんと話してくれるから」

 

 

 数ヵ月前、兄の元を訪れた妹が、懐妊の報告の後にした事は、アルカンシラの墓参りだった。

 里の近くのハイマツの丘で、玉石が二つ積まれた小さな墓を撫でながら、彼女はアルの出自(しゅつじ)を打ち明け、改めて彼女の子供の先行きの見守りを兄に願った。

 元より長は、あの子供の事は全て引き受けるつもりでいた。

 

 アルの子供の存在を王に告げるつもりのない妹に、心中で安心した。

 王はどんな子も皆を大切にするだろうが、平凡に安らかな人生を過ごさせてやりたいとのアルカンシラの願いを、一番に尊重してやりたかった。

 

 ただ、お腹の目立つ妹に一抹の不安を抱いた。

 まさかアルカンシラの身代わりになるつもりなのか? と。

 

(今日の様子を見た感じでは、幸せそうで良かった。これからも気は抜けないが……)

 

 

 

「長、生まれた子は人間だった!」

 王の声に、長は我に返った。

「俺の勝ち!」

 

 口端を上むくれたさせて勝ち誇る王に、長は眉間に縦線を入れた。

「そうですね、見た目はアレですが人間です」

 

 

 懐妊を聞いてから、長は一度、妹を通さずに王と会った。

 混血児の扱いについて知っていて欲しかったからだ。

 

「どっちだって俺の子じゃん!」

「妖精の子供を人間が教育出来ると思いますか。ましてや長の本流の血筋。妖精として生まれたなら里で引き取ります。そこは曲げられません」

「鬼が生まれようと蛇が生まれようと俺の子だ!」

 

 険々豪々の問答の末一触即発までになり、とにかく生まれるまでお互い頭を冷やそうと、その時は物別れした。

 結局王の遺伝子が勝利し、オタネ婆さんに報らせを受けた時は、長も内心で胸を撫で下ろした。

 

「人間の母親を決めておくって約束してたろ」

「ええ、王の子息として生きるのに母親不明では、あらぬ苦労をするでしょうからね」

「ヴォルテが引き受けてくれるって」

「ヴォルテって……! それは無理があるでしょう!?」

 ヴォルテは王の正妃だ。既に三人の皇太子がいる。

 

「その位置が一番安全だからさ。中途半端な側室に頼んでみろ。男児が生まれたとなると、絶対本人も知らない親族がウジャウジャ湧いて出て、いらん画策をやり始めるぞ」

「大変ですね、王様というのも」

「長ん所はそういうのないの?」

「そもそも蒼の長なんて、誰もやりたがりませんからね」

 

 それから王は、二枚の羊皮紙を取り出した。両方に同じ文が書かれている。

「頼まれていた誓約書、一応作っておいたけれど、いいの? こんな紙切れ一枚で」

「私が不破の術を掛けますから。共に内容を改めましょう」

 

 証紙には、子供の将来に付いての約束事が記されている。

 『妖精の血を持つこの子はけして王位には据えない』『大人になって子を成した時は報告する』等、あらかじめ長が依頼していた事柄とは別に、『王亡き後の相続は、北の草原台地のみ』の一文。

 

「これは……?」

「蒼の里のある場所だよ。いいだろ、それくらい」

 

 二枚の証紙にそれぞれ署名をし、長が最後に祝詞をあげた。

 

 何やかやの手続きを終えて、長はやっと肩を降ろした。

 パォから小さなむずかり声が聞こえ、何とはなしの感情がジワジワと胸に広がる。

(甥っ子なんですよねぇ……)

 長だって本当は手放しで喜んでいたい。

 

「さてと、祝福を授けて帰るとしましょう」

「あの婆さんも連れて帰ってよ!」

「それは妹に聞いて下さい」

 

 男性二人は草を払って立ち上がり、明るい光の当たるパォへ向かって歩き出す。

 

 

 

     ~鎮守の森・了~

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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みっつめのおはなし
金銀砂子・Ⅰ


 

 

 朝露の草原に春草が波打っている。

 なんて広い、真っ直ぐな大地!

 イルアルティは風に乗って愛馬と共に飛ぶように駆けていた。

 

「気持ちいい・・!」

 

 昨日この草原を通り掛かった時、思いきり走ってみたい衝動に駆られたけれど、族長達と一緒だったので我慢した。

 それでも宿の布団で眠れなくてそっと抜け出して来たのだ。

 やっぱり来てよかった!

 夜明け前の凛とした空気の中、馬の脚も軽く、空まで駆けて行けそう。

 

 不意に、後ろから別の馬の息づかいが聞こえた。

 イルの斜め後ろにピタリとくっついている。いつの間に?

 チラと見ると、青鹿毛の艶やかな馬に、乗っているのは同年代の男の子。

 大人用の兜を深く被っていて、顔は見えない。

 

(イルを女の子だと思ってからかうつもりね。よぉし!)

 馬に檄を飛ばす。

 

 ――行け!

 

 気持ちのいい風が束になってイルと愛馬を包む。

 地元ではこれで、どんな大人も名馬もぶっちぎれたのだ。

 

 しかし

 シュン! と風切り音がして、青鹿毛は一歩でイルの尾花栗毛を抜き去った。

 追い抜き際に、兜の下の口端が上むくれて笑っているのが、スローモーションのように見えた。

 

 あっと思う間に小さくなる青鹿毛を、イルは茫然と眺める。

 生まれて初めて……負 け た …………

 

「やっぱり王都ともなると、凄い人がいるんだわ」

 馬を返すと、地平まで広がる、王宮を擁する巨大な都。

 昇り始めた朝陽に色付く建物群に、イルは馬を向けた。

 

 

 今日の午後には、噂に名高い帝国の大王が、大陸から凱旋して来る。

 明日より祝賀の催事が開かれるのだが、そのひとつの競馬(くらべうま)大会に、イルは地元の代表として招かれたのだ。

 

 驚いて辞退しようとするイルの父親に、族長は是非に是非にと押し切って、都までの送迎も申し出てくれた。

 地元の競馬大会で二年連続ぶっちぎりで優勝しているイルを、彼は大層自慢だったのだ。

 

 

「イルアルティ、何処へ行っていたのかね?」

 族長はたっぷりした髭を撫でながら、宿の中庭で他の部族の代表達と井戸端会議をしていた。

 

「ほぉ、その子供ですか。お宅のご自慢の神童というのは」

 大勢のニヤニヤした視線が嫌で、イルはお辞儀だけして、馬を引いて早足で通り過ぎた。

 

「あの子は内気でね。しかしひと度馬に跨がると、都といえどもその辺の騎手では歯が立ちませんぞ」

 族長の自慢を背中に聞きながら、イルは消えてしまいたくなりながら馬房へ向かう。

 今しがた『その辺の騎手』に思いっきり負けて来た所なんだけれど……

 

 都に行くと決まった時はワクワクもしたけれど、来てみたら街の大きさ人の多さが想像の百倍だった。

 色んな物が所狭しと並んで目がチカチカして、忙(せわ)しなく行き交う人達は早口で何を喋っているのか分からない。

 

 そのてっぺんにいる王様や偉い人や沢山の人が見ている中で競走するって?

 ここではその辺の子供でさえも当たり前にあんなに強い。

 イルは既に逃げ出したくなっていた。

 尾花栗毛がなぐさめるように鼻面を押し付けて来る。

 

「うん、明後日は目立たないように適当に走って、とっととおうちに帰ろうね」

 

 

 

 

 青鹿毛は草原を抜けて、王都の西の森に向かって駆けていた。

『鎮守の森』と呼ばれ、近隣住民の立ち入りが禁止されている場所だ。

 少年はお構いなしに踏み入って、慣れた感じで馬を進めた。

 入り口の藪だけ抜けると馬一頭分通れる道が出来ており、少し歩くと小さなパォのある広場にたどり着く。

 

 ひんやりした朝霧の中に、馬装を解かれたばかりの草の馬が湯気を上げながら立っていた。

 その奥、木漏れ日の下、空色の髪を長く編んだ女性が、小柄な身体を覆った甲冑を外している。

 

「おかえりなさい!」

 

 少年は馬から飛び降り、駆け寄りながら兜を脱いだ。

 真っ赤な髪がファサと広がる。

 

「母さんは一足先に帰ると思って、城のバルコニーから空を見張っていたんだ。ドンピシャだったね!」

 女性の前まで来て少年は、銀の瞳で懐こく見上げ、八重歯と言うには大き過ぎる犬歯を見せて笑った。

 

 女性……小狼(シャオラ)は、ついついほころびそうになる頬を引き締め、冷静な声を作る。

「王が帰還なさるというのに、城に居なくていいのですか?」

 

「いいの! 昼までに戻れば。あいつら、俺がいない事なんか気にも止めないよ」

「またそんな言い方……」

「だってさ、王は百万の歓声に迎えられるのに、母さんは一人なんて」

 

 この辺りで小狼は根負けした。駄目だ、ピシリと接さなければと思っていても、頬の緩みは止められない。

 

「そうね、うん、ありがとう。ただいま、トルイ」

 

 

 少年は武装を外すのを手伝い、最後に白銀の剣を受け取って、目をキラキラさせながら眺めた。

「俺が一緒に行けるようになったら母さんを一人にしないからね。あ――あ、早く大きくなって出陣したい。兄上達はもう役職を貰って城を守っているっていうのに!」

 

 いつもここへ来ると饒舌になる子供だけれど、今日はとみによく喋る。

 

「何だかご機嫌ですね。良い事でもありました?」

 

「うん! 面白い奴に会った!」

 

「どんな方?」

 

「俺と同じように、人間なのに風を使う奴!!」

 

 

 

 



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金銀砂子・Ⅱ

 

 

 

 

 小狼(シャオラ)が息を呑むのと同時に、上空で甲高い鳥の声がした。

 

 足に伝信筒を着けた鷹が風を切って降りて来て、女性の腕に留まった。

 

「蒼の里からの鷹?」

「ええ、少し待っていて下さいね」

「うん、いいよ」

 

 トルイ少年は母から離れて、馬の世話を始めた。

 妖精の母さんの所へ来る綺麗な鷹は、同じく妖精のお兄さんの持ち物で、大切な連絡を運んで来るらしい。

 今は手紙が来た時は邪魔をしないように離れているけれど、もうちょっと大人になったら内容を教えて貰って手伝うんだ。

 何せ母さんの助けになれるのは俺だけなんだから。

 

 

「トルイ」

 呼ばれて少年は振り向いたが、母はまだ手紙を凝視している。

「その、さっきの話の続きをして下さい」

 

「え?」

 手紙を読んでいる最中じゃないの?

「えっと、風を使う奴の話? 俺と同じ位の子供で、女だった。結構強い風を使って、俺が本気出さなきゃ置いて行かれる所だったよ」

「…………」

「??……明後日の競馬(くらべうま)大会に出る為に来たんじゃないかな。この街では見かけない肌の色だったし……」

 

 聞くだけ聞いて無言な母親に、少年は「ちぇ」と呟いて、馬の世話に戻ろうとした。

 

「トルイ」

「もお、なぁに!?」

「明後日の競馬大会、貴方も出場して下さい」

「は?」

「そして、王から手渡される優勝杯を貴方が受け取って下さい」

「・・・・」

 

 しばしの沈黙の後、少年はそれまでと違う重い声を出した。

「・・俺なんかがそんな事をやらかしたら、シラけるぜ・・」

 

 小狼はハッとして散っていた目の焦点を戻した。

「ああ、そうよね、そんな大層な場所、貴方は嫌いだったわよね。ごめんなさい。何を言っているのかしら、私は……」

 

 トルイは少し考えてから聞いた。

「そいつと親父を会わせたくない、って事?」

 

 ――!!

 なんて頭の回転の早い子供だろう!

 小狼は手の中の紙を握りしめた。

 

 手紙には、『目を離した隙にイルアルティが王都に招かれ、出発した後だった。絶対に王に会わせないで欲しい』と、慌てた感じの兄の文字が綴られていた。

 そう、遠目ならともかく、テムジンが真正面から見て、あんなにアルカンシラにそっくりな娘に気付かない訳がない。

 

「トルイは凄いですね。その通りです」

「俺が何とかしてやろうか?」

「でも、貴方、競馬大会などには……」

「そいつが大会に出られなくなればいいんだろ? ケガさせるとか」

「だ、駄目です!」

 

 冷静な母が顔色を変えたので、トルイはピクッとした

「なんだよ、そいつの事そんなに大事なの?」

 

「いいえ、いいえ、貴方が簡単に人にケガをさせるとか言うのが嫌なの」

「じゃ……じゃあどうすればいい? 俺、母さんの助けになるよ」

 

 母は俯(うつむ)いて、手の中の手紙を畳んだ。

「何もしなくていいわ」

「だって」

「大丈夫よ、なるようになるから」

「そ・・」

 

 王宮の方から号砲が響いた。

 

「王のご帰還だわ」

 女性は顔を上げた。

 街が浮き足立ってざわめくのがここまで聞こえて来る。

「さ、もう戻って。あちらの行事ではきちんと振る舞うって約束しているでしょう」

 

 少年はムスッとして兜をかぶり直した。

「そうやっていつも、何も話してくれないんだ」

「トルイ」

「何だよ」

「落ち着いたらまた来て下さいね。剣の上達振りを見てあげるわ」

「ちぇ」

 

 舌打ちしながらも少年は、馬上から片手をヒラヒラ振って、森の中へ分け入って行った。

 

 残った女性はもう一度手紙を開き、所在なさげに止まり木の鷹に話し掛ける。

「本当に、なるようになるしかないわ……」

 自分だってイルアルティには、アルの遺言通り穏やかな人生を歩んで欲しい。

 でもどんなに阻止しようとも、風が流れ始めたら止められない……

 

 

 ***

 

 

 イルアルティは宿の二階の部屋に一人でいた。

 王の凱旋パレードで、街の中央はお祭り騒ぎ。

 族長達は見物に行ってしまった。

 イルも行ってみようとしたけれど、チビの自分には人の背中しか見られない。

 人混みに揉みくちゃにされ、ヨレヨレになって逃げて来た。

 

「はあ、早く帰りたい・・」

 ふと窓の外を見ると、中庭の厩の外に見覚えのある馬が立っている。

「あの青鹿毛……」

 

 イルは階段を降りて外に出た。

 宿の客も従業員もほとんどがパレード見物に行っているらしく、人気(ひとけ)がない。

 

 そろそろと厩に近寄ると、話し声がした。

「だからこうやって頼んでるんじゃないか!」

 

 戸口から覗くとやはりあの兜の子供。だが一人だ。

 正面にはイルの尾花栗毛。

(んん? イルと同じで馬に話し掛けるタイプ?)

 

「融通の効かない奴だな、しようがない」

 男の子は兜を脱いだ。

 イルは息が止まった。

 血のように真っ赤な髪、横からでも分かるギラギラと動物みたいに光る目。

 尾花栗毛の頬を両手で押さえ、妖しい瞳の男の子は、馬の顔にズイと近付く。

 馬が絞め殺されるみたいな呻きを上げた。

 

「ややややめて――!!」

 

 厩の天井まで響くイルの叫び声。

 振り向く銀の目。

 その目の横を、乾し草用の三本ホックが掠めた。

 

「ちぇ、ほら、お前が素直に言うことを聞かないから、ご主人様が来ちゃったじゃないか。どうすんだよ、これ……おっと」

 テンパったイルが振り回すホックの先を、男の子は避けて掴んだ。

「危ねぇなあ、こんなの当たったら死んじゃうだろ」

 

「イイイ、イルの馬にぃっ、呪いを掛けようとしたぁっ!!」

 

「そうな大層なモンじゃないって。ちょっと二、三日怯えて動けなくなる程度で……」

 

「やっぱりぃ! 正々堂々勝負しなさいよ、この卑怯者ぉ!」

 

「何だと、俺は卑怯なんかじゃない。訂正しろ」

 

「しないわ、何度でも言ってやる! 卑怯者、卑怯者、ヒキョ――モ――ノ――!」

 

 さすがにこれだけ騒げば、残っている従業員も気付く。

 複数の足音がした所で、少年は兜をかぶって青鹿毛に飛び乗った。

 

「逃げるの? 卑怯者!」

 

「卑怯じゃない、正々堂々勝負してやる! 覚えてろ!」

 

 馬を返して身を低くして駆け去る男の子。

 イルは三本ホックを握ったまま肩で大きく息をして、その後ろ姿を睨み付けていた。

 

 許せない、馬に手出しをするなんて。悔しい悔しい悔しい・・! 

 あんな奴に絶対負けたくない! 勝たせるもんか!!

 

 

 

 ・・

 ・・・・

「親父ィ 頼みがあるんだけど……」

「凱旋の労いも無しの第一声がそれか?」

 

 金の輪兜を外しながら、赤毛の四男坊に甘い王は、頼み事をされるのが嬉しくてたまらない様子でニニッと笑った。

 

 

 

 

 

 





挿し絵:三本ホック 
【挿絵表示】


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金銀砂子・Ⅲ

 

 

 

 

 朝から快晴の競馬(くらべうま)日和。

 城門から宮殿まで続く広いメインストリートがコースに据えられ、出店の屋台、賭け事屋、有料の高見見物席と、抜け目のない商売が両脇に陣取る。

 各地方の代表騎手達が、この日の為にピカピカに磨き上げた馬に跨がって行進する。

 誰もかれもがウキウキと沸き立っていた。

 

 

 街の賑わいを遠目に、妖精の女性が丘の上の一本杉に立つ。

 今朝方また兄からの手紙があって、くれぐれも宜しくと言って来た。

 どうなるか分からないが、結果は報せてやらねばならないだろう。

 

 トルイがいる今、王がイルアルティにそこまで執着するとは思えない。そうであって欲しいし……

 

「あら?」

 宮殿前庭の王族のバルコニーに、兜を被ったトルイの姿がある。

 目立つ場所に立つのを嫌う子なのに?

 

 

 大勢の名騎手や名馬の中で、イルも愛馬も見るからに貧相だった。

 でも今日は萎縮している暇はない。

 絶対にやっつけなきゃならない敵がいる!

 

「あいつ、どこにいるんだろ?」

 キョロキョロしていると、選手達の前の方でざわめきが上がった。

「なになに?」

 

「決勝で勝ち残った者と、皇子がマッチレースをやるんだってさ。それに勝ったら優勝杯を渡されるって」

「何だそれ、帝国の大王も親バカだったか」

「末の皇子だろ、まだ十二かそこらの。ちょっと遊んでやって最後に勝ちゃあいいんだって」

 

 

 バルコニーでは王の後ろでトルイがふてくされている。

「俺は普通に参加して、予選から走りたかったのに」

 

「それじゃあ可哀想だろ」

 王がニヤニヤしながら振り向く。

「お前と走らされる面々が」

 

 皇太后のヴォルテ妃は、訳の分からない策略を相談する男達に一瞬眉をしかめるが、すぐに見流した。

 自分は自分で、気に入りの娘や小姓達と素直に祭りを楽しんでいる。

 そういうのが、人並み外れた大王の正妃で居られるコツらしい。

 

 

 背の低いイルアルティからバルコニーが見えないのは幸いだった。

 見当たらぬ敵に勝手に闘志を燃やし、鬼のような走りで予選をぶっちぎる。

 

 王が嬉しそうにトルイの肩に手を回した。

「あのコ? お前の気になる娘って。遠目でよく分からんが……随分とチビッ子だな。ふ――ん、あのサイズがお前の趣味か、くふふ」

「そんなんじゃない!」

「じゃあどんな?」

「三本ホックで追い回されたんだ!」

 

 決勝ゴールを駆け抜けて、三本ホック娘はオッズ屋に悲鳴を上げさせる。

 

 人垣が割れ、マッチレースの相手の皇子が兜を被り直してバルコニーの階段を降りて来て、初めて彼女は兜の君の正体を知る。

 

「はひ? ふへ?」

 

 

 

 スタートラインに突っ立ったイルは、馬に乗ろうともしないで呆けている。

 

 青鹿毛に跨がったトルイが、急(せ)いて近付いた。

「どうした? 正々堂々勝負してやるって言っているんだ。とっとと乗馬しろ」

 

 しかしイルの目は焦点が合っていない。

「わたわたわた私、打ち首になるの? おおお皇子さまに三本ホックを……」

 

「公にする訳ないだろ、あんな恥ずかしい事! 俺はただお前と……あああ、もお!」

 トルイはヒラリと青鹿毛から飛び降りて、硬直したままの女の子をヒョイと抱えて尾花栗毛に押し上げた。

 場内にクスクス笑いが起こる。

 

 しかしイルはカチンコチンに硬直したまま。

 こんな奴に勝っても意味がない。

 勝負してやる為にわざわざ大っ嫌いな公衆の面前に出て来てやったというのに。

 

「しっかりしろ、『あのヒト』も見ているぞ」

 イルがピクンと揺れた。

「あのヒトって……」

「青い髪の妖精だよ」

 

 一瞬でイルの目の焦点が合った。

「あのヒトを知っているの!?」

「勝ったら教えてやるよ、行くぞ!」

「待って!」

 

 二人はロケットスタートした。

 

 

 ***

 

 

 トルイの青鹿毛が先に立ち、余裕で振り向いて犬歯を見せて笑った。

「へへんどうした、そいつは驢馬(ロバ)か?」

 

「待って教えて、あのヒト誰なの!?」

 イルは必死に追い付こうとする。

 

「聞こえないなァ、ここまでおいで」

「・・!!」

 

 イルは目一杯集中した。

 風よ来い! もっと沢山!

 今までにない感覚が来た。尾花栗毛がグン、と抜き返す。

 歓声が上がるが、二人にはそんなの聞こえない。

 

「貴方もあのヒトが見えるの?」

「見えるのどころか俺の師匠だ。風の使い方も馬の乗り方も全部あのヒトに教わった。だから……」

 

 トルイは本気の風を呼んだ。

 お前なんかに負ける訳に行かないんだよ!

 俺の乗馬を貶(けな)されるのは、母さんを貶されるのと同じなんだ。

 

 ところが女の子の尾花栗毛はピタリと脇に着いて来る。

 引き離せないまま並んでゴールを通過した。

 歓声が上がるが、二頭は止まらない。

 

「しつこいな、離れろよ!」

「待って待って、あなたずるい!」

 

 王宮前の水盤をぐるりと回って、二頭はメインストリートを逆走し始めた。

 場内は何の演出かと大興奮。

 

「ずるいって何だよ!」

「だってイル、何も教わってない、ずるい!」

「知るか!」

「ずるいずるい!」

 

 王が立ち上がった。

「城門を開けろ――!!」

 

 城門なんか見えていなかった二人は、寸でで開かれた扉から外の草原に飛び出した。

 馬の脚がもう地面を掻いていないのを、イルは気付いていない。

 

「あのヒト、あのヒトは、イルのお父さんなのにィ!」

 ――!?  トルイは言葉が詰まった。

「いや、あのヒトって女だぞ、俺の母親」

 

 瞬間、イルの集中が切れた。

 我に返る、空が回る、真っ白い雲がトンでもない早さで流れて行く。

 

 

 ・・

 ・・・・

 

 

 イルは目を開いた。

 頭がワンワンする。

 地面に叩きつけられたと思ったけれど、衝撃はなかった。

 感覚が無くなる程叩きつけられたの? と怖くなったが、そうでもないみたい。

 

 辺りにキラキラが舞っている。

 陽に透けて……何これ? ……羽根……?

 

 空を背景に駆けて来る、青鹿毛と兜の少年。

 その向こうにイルの馬、それともう一頭…………緑色の馬??

 

「母さん――!!」

 耳鳴りがやんで音が戻り、少年の悲壮な叫び声。

「母さん、大丈夫か? 母さん!」

 

 イルの胸に白い腕が交差している。

 振り向いてやっと把握した。

 後ろから抱きかかえて下敷きになってくれたヒトがいたのだ。

 

 空みたいな青い髪の女のヒト。

 振り向いたイルに、無理をした感じの笑顔を作ってくれた。

 が、額から赤い血の筋が流れている。

 

「どけよお前、早くどけ! 母さん・・!」

 

 少年に怒鳴られて、イルは慌てて横に転がった。自分自身は何の怪我もしていない。

 

「トルイ、静かに」

 女性がピシリと言った。それから優しい声をイルに向ける。

「大丈夫? 貴女」

 

「は、はいっ、大丈夫です、どこも大丈夫。あの、あのあの……」

 

 女性は仰向けのまま痛みで動けない風で、どんどん青ざめて行く。

 少年は兜を脱いだ。今にも泣き出しそうだ。

 

「大丈夫ですよ、トルイ、しゃんとしなさい」

「でも……」

「この娘はまだ風を使う事も制御する事も知りません。気付いてやらねばなりませんでしたね」

 イルに言うのとは打って変わって厳しい声。

 トルイと呼ばれた少年は赤い髪を顔にかけて項垂れた。

「……ごめん……」

 

「私(わたくし)の責任でもあります。こんな事を頼んでしまったのは私です、ごめんなさいね」

 

「えっ、いえいえいえいえ!」

 イルは慌てて頭(かぶり)を振った。

「私が悪い。正々堂々勝負しろって迫ったんです」

 

 女性はキョンとイルを見た。

 

「そうだよ、母さんに言われたからじゃない。俺がこいつと約束したんだ。正々堂々勝負するって」

 

 まあ……という顔で、女性は二人を見比べる。いつの間にそんな。

 

「あの、これを」

 イルが自分の頭に巻いていたスカーフを外して、女性の額の傷を押さえようとした。

 墨を流したような真っ黒い髪がクルクルとほどけて背中を流れる。

 

 途端、女性の表情が止まる。はなだ色の瞳からはらりと滴が溢(こぼ)れた。

 

「アルカンシラ・・!」

 

 

 ***

 

 

 

 イルが聞いた事もないその名前を、街から馬に乗ってやって来た身分のありそうな男の人も、凍り付いたように呟いた。

 

 男性はすぐに馬を降りて、黙って女性の額の傷を見た。

「蹄に引っ掛けられたか。縫わなきゃね……立てる?」

 

 女性は力なく首を振る。

 見ると、右足首も腫れ上がってダランとなっている。

 どんな風に受け止めたかをトルイが説明し、男性が簡単に調べただけでもあちこち傷めている事が分かった。

 

 イルはただオロオロする。

 どうしていいか分からないし何も出来ない。

 

「ちょっと我慢して」

 男性は思い切りよく女性を抱き上げ、緑の馬に押し上げた。そして自分もその後ろに跨がり、女性を抱えた。

「飛行術、行ける?」

「はい」

 女性は玉汗を滲ませながら、手を伸ばして馬の背峰に触れる。

 馬の身体を作っている草がザワザワと膨らんだ。

 

 そのまま馬は垂直にすうっと上がる。

「西の森へ運ぶ。トルイ、そこのお嬢さんを城の客間に案内して。丁重にもてなすよう指示してから、お前も森へ来なさい」

「はい……」

 

 

 緑の馬はそのまま上昇して西の方へ飛んで行った。

 イルは茫然と見つめている。

 

「行くぞ」

 トルイが兜を被って、尾花栗毛も連れて来たが、イルは動かない。

「俺が悪かったんだ。お前が何も出来ないのを気付いてやれなかった。母さんの言った通りだから」

 

「分かんない……」

「分からなくていい」

「風の制御って何? あの女のヒト、誰? あの緑の馬、何なの?」

「ワルい、どれも語るのを止められている事ばかりだ」

「アルカンシラって誰!?」

「俺だって知らないよ!」

 

 トルイは半泣きで言うことをきかない女の子を持て余し出した。

「ひとつだけ教えられる事がある。お前、トンでもない勢いで投げ出されたんだ。風の魔法なんかじゃ全然止まらないくらい。あのヒトが飛び付いてくれなきゃ、今頃そうやってベラベラ喋っている事も出来なかったさ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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金銀砂子・Ⅳ

 

 

 

 西の森のパォ。

 

「足は折れてはいない。肋(あばら)は多分ヒビ。内蔵は大丈夫そうだけれど当分安静で様子を見よう。額は俺が縫ったから、痕が残ったらごめんな」

「いえ……」

「しばらくトルイを滞在させるよ」

「大丈夫です。薬が効いてきました。貴方、お城に戻らなきゃ」

「ヴォルテに任せて来た。俺より仕切りが上手い。『若い二人の旅立ちに拍手を』とか言って城門を閉じちまった。お陰で大部分の者が演出だと思ってくれている」

「あらまあ……」

 

 女性は笑ったが、力が弱い。

 目立たないが筋肉やら血管やら、あちこち潰しているのだろう。

 

「間抜けね、戦場でも怪我なんかした事なかったのに」

「間抜けなもんか、あの娘(こ)は無傷だ」

 

「……あの子ね……あの子……」

「うん……」

「イルアルティっていうの」

「うん……」

「ごめんなさい、アルはお腹に赤ちゃんがいました」

「俺の?」

「はい」

 

 王は、動揺を表に出さないように、努めて冷静に聞いた。

「アルは?」

「亡くなったそうです。拐われた時に呪いを掛けられていたと」

「…………」

 

 少し時間を掛けてから、聡明な王は呑み込んだ。

 そんな目に遭ったのなら、子供を自分から遠ざけたいと思われても仕方がない。

 

「アルの遺志なんだね? 子供は俺と関係のない人生を歩ませたいって」

「……はい」

 

「君は大切な友人の願いを守った。では俺もそれに沿おう」

 

 小狼は目を閉じて、心からの感謝の礼を述べた。

 よかった…………

 ただもう一つ、今話さなかった事は、自分が墓まで持って行く事だ。

 ――アルカンシラが、敵方の国の間者だった事。

(せめてテムジンの中では、無邪気で純粋な乙女でいさせてあげたい)

 

 

 

 パォの入り口が揺れた。

 銀の瞳のトルイと、後ろに居心地の悪そうなイルアルティ。

 

「何でその娘を連れて来た!?」

 テムジンが怒鳴った。

 

「だ、だってこいつが……」

「ひっく……」

 大声に驚いて息が止まっている娘。

 話を聞かれていた訳ではなさそうだが……

 

「ほら言うんだろ? 無理矢理にでも着いて行くって大暴れした癖に」

 トルイが娘を押し出した。

 

「あ、あのあの、きちんとしなければいけないと思って。い、命を助けて頂いて、ありがとうございましたっ。そしてトンでもない怪我をさせてしまってごめんなさい!」

 

 小狼はテムジンと顔を見合わせた。

「大した怪我ではないのよ。綺麗に治るから大丈夫」

 

「ほ、本当に?」

「本当ですよ。妖精は身体の傷は人間より治りやすいの」

「すごい……あ、良かったです、良かったぁ」

 

 心から胸を撫で下ろす娘に、小狼も痛みが癒された気がした。

 きっと素晴らしい両親の元で育ってくれたのだ。感謝せねば。

 

「あ、それでですね。皇子様に聞いたんですけれど、お母様は妖精さんだから他の人には見えないって。だったら、もしも嫌じゃなかったら、治るまでイルに看病させて下さい! お掃除もお洗濯も何でもやります!」

 決死な顔で一気に言い切って、黒髪がピョコンと頭を下げた。

 

 夢のような申し入れ。しかし小狼は王を見て目を游がせた。

 今しがた、関わらないようにしようと話し合った所なのだ。

 

「うん、じゃあお願いしちゃおうかな」

 テムジンが軽く言って、周囲を驚かせた。

「君、イルアルティだっけ? ここへは家族と? ……あ、族長? では手紙を書こう。もう少し滞在して皇子の乗馬指導を頼む、って名目でいいだろ。トルイ、後でこのお嬢さんと一緒に宿舎まで行って、先方を安心させて来なさい」

 

「何で俺が!」

 トルイは不満いっぱいだ。

 自分ばっかり叱られるし、母を付ききりで看病するのは自分だと思っていたからだ。

 

「皇子なら民がいらぬ心配をしないよう采配してやる物なの。嫁入り前の嬢ちゃんを王宮が引き留めるなんて、あらぬ噂が広まったら可哀想だろうが」

 王はさっそく腰掛けて、羊皮紙を引っ張り出して書状を書き始めた。

 本当に決めるのも動くのも早い人だ。

 

 イルはクルクル進む話に目を白黒させていたが、希望どおり看病出来そうなのでホッとしている。

 

「あ、皇子様、無理言ってごめんなさいでした」

「はいはいどういたしまして」

「おじさまも有難うございます」

 

 手紙を書いていたテムジンが顔を上げてキョロキョロした。

 

「え、おじさま……俺の事?」

「はい、駄目でしたか、何とお呼びすれば」

「いやむしろ俺を誰だと思ってた?」

「はあ、そういえば、あの、どなた様で」

 

 口をポカンと開いて何も言えない男性と、忍び笑いが肋(あばら)に響いて悶絶している女性の代わりに、トルイが口を開いた。

「この人、俺の父親」

 

「父親、皇子様の父親、ち、ち、お、や、、、」

 イルアルティの口が秒刻みでヒキガエルみたいに横に伸びて行く。

「お、う、さ、ま? 王様! へほほほ!?」

 

 飛び上がる娘を眺めながら、テムジンがトルイに耳打ちする。

 

「面白いな、この娘」

「面白れぇだろ」

 

 

 ***

 

 

 兄にはなるべく連絡しないで……というのは事ある毎の小狼の口癖だが、今回は上空で待機していた鷹が一部始終を眼(まなこ)に記録して帰ったので、一気にバレた。

 

 競馬大会の翌日には、蒼白な蒼の長と赤鬼のようなオタネ婆さんが、ハヤブサの如く飛んで来た。

 

「あああ、やっぱりあの王に関わっているとロクな事にならない」

「受け身が甘いからそういう事になるんじゃい」

 

 などとブツブツ言いながらも術で骨を継ぎ、特製の膏薬で足をぐるぐる巻きにしてくれた。

 妖精の治癒の術はけして万能ではなく、身体が直そうとする力を後押しする物だ。

 それでも施して貰うと痛みがすうっと引く。

 小狼は素直に感謝した。

「お忙しいでしょうに、すみません」

 

「いやいや今回は私の不手際が発端です。貴女はよくやりました。よくイルアルティを守ってくれました」

 

 

 入り口にパサリと音がする。

 街へ買い物に行っていたイルが、荷物を足元に落っことした音だ。

 小狼に誉めてもらった髪はおさげに編んで下ろしている。

 

 長が振り向いて感動の瞳を潤ませた。

 ずっと成長を見守って来た赤子。いつも遠目でしか見られなくて、こんなに近くで対面するのは初めてだ。

 

「貴女が……ぐふ!!」

「お父さん! イルのお父さんでしょ!」

 

 背の高い長にチビッ子のイルがタックルすると、丁度鳩尾(みぞおち)に入る。

 痛そう……と思いながら小狼がベッドから見上げると、兄は『お父さん』と呼ばれて抱き付かれた事にじ――んとしている。

 訂正しないで放って置いてあげた方がいいのかしら。

 

「人の娘よ、お主には歴とした両親がおるだろう」

 オタネ婆さんが思いっきり怖い顔をして娘をねめつけた。

 

「だって……」

 

「お主を育んでくれた者がお主の両親じゃ。人の娘が人外と関わりたがるとロクな目に合わぬぞ。とっとと故郷へ帰りなされ」

 厳しい。でもその通りなのだ。

 誰も味方してくれないので、イルは泣きそうになった。

 

「帰しちまっていいのかよぉ?」

 戸口に片足を掛けて、オタネ婆さんの天敵が現れた。

 可愛かったのは赤子の頃だけの、赤毛の小悪童(わっぱ)。

「少なくとも風の制御方法ぐらい仕込んでやんないと、こいつ同じ事を繰り返すぜぇ」

 

 トルイは落ちていた荷物を拾って、イルと長の間に挟むように押し付けた。

 

「知った風な口をききおって、お主が挑発したせいではないか」

 

 婆さんが小突いて来る杖を掴んで、皇子は空いた片手で蝋印された羊皮紙を、長に突き付けた。

「親父から。外せない会合で挨拶に来られなくてゴメンって内容」

 

「トルイ、親書は両手で正面に立って渡しなさい」

「この態勢でどうするんだよ!」

「礼儀が優先です。小突かれておきなさい」

「うう」

 

 母子が言い合っている間に長は手紙を開いて目を通し、丁寧に畳んで懐にしまった。

 

「イルアルティの風の制御についての相談も書かれていました」

「ああ、母さんには無理だし、長に頼みたいって言ってた」

 

 隅に突っ立っていたイルはビクッと顔を上げた。

 もしかしてお父さんに教えて貰えるの?

 

「蒼の長を何と思っておるのか。長様にそんな暇はお有りでない!」

 婆さんの一喝がイルの期待をペシャンコにする。

 

「俺が教える?」

「ヒヨッコがさえずるでない!」

「じゃあ……」

「仕方がない、この婆が直々に一肌脱いでやろう」

 

 イルはまたヒキガエルみたいな顔になった。

 よりによってこの場で一番怖そうなヒトが師匠だなんて。

 と、思う暇なく、鼻先にビッと杖を突き付けられた。

「挨拶は!?」

「よ、宜しくお願いします……」

 

 

 

 



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金銀砂子・Ⅴ

 

 

 

 結局オタネ婆さんは小狼(シャオラ)の出産の時と同じに居座り、トルイも暇を見付けては入り浸ったので、西の森は今までになく賑やかになった。

 

 小狼の額の傷は塞がり、外から見える怪我はほとんどが回復した。

 まだ枕から頭が離れないが、たまに皆と雑談して笑ったりしている。

 

 イルアルティは、能力に酷いムラがあった。

 今まで人間の騎手相手の競馬しかして来なかったので、『無意識に使っていた風』は微々たる物だった。

 その程度ならと長も見過ごしていたのだが、トルイ相手に眠っていた力が爆発してしまったのだ。

 

「俺はさ、分かるの。母さんが妖精だから。でもあいつは? あいつもどっちかの親が妖精だったりすんの?」

 

 パォの前で並んで立つトルイとオタネ婆さん。

 上空ではイルアルティが自分の馬に跨がって、半泣きになりながら課題の八の字乗りをやっている。

 馬は婆さんの術で浮かばされ、了が出るまで地上に降ろして貰えないのだ。

 

「長様が仰るには、本当にたまたま、あの娘の両親とも大昔に妖精の血が入っていたらしい」

 オタネ婆さんは、イルの両親が誰かを聞いていたが、長や小狼が言わないならば自分も言う物ではないと心得ている。

 

「へえ? だったらすっごく薄い筈だよね、半分の俺と違って。何で俺とガチで走れたの」

 

「一概に血の濃さなどで測るような物ではないのじゃよ」

 婆は、娘の馬が傾き過ぎぬよう術で補助してやりながら、答えを続ける。

「父親方は多分蒼の妖精、母親方は他国の風の妖精じゃ。血が交じるというのは、時として思いも寄らぬ効果をもたらす事がある」

 

「そうなの?」

「我ら蒼の一族も、太古に風の霊峰から下りて来た風の民が始祖じゃ」

「あ、それ、母さんに教わった。そんで今の蒼の里に住んでいた大地の妖精と交わって蒼の一族になったんでしょ」

「ふむ、お嬢はキチンとお主にも里の歴史も学ばせておるようじゃな。

 そういう理由で、血が交じわるという事を、我々はお主らが思うよりも深く考えておる。故に混血児の扱いにも慎重なのじゃ」

 

「じゃあ俺も、いきなりピキーンとか謎の力が目覚めたりする?」

「調子に乗るな、小悪童(わっぱ)が」

 

 

 ようやくイルが八の字に見える形を描け、婆さんに許されて降りて来た。

「あ、足がガクガクですう」

 

「でも大分、風の加減が自分で出来るようになったじゃん」

 最初は邪険だったトルイも、彼女の頑張りを認めて褒めてもくれるようになった。

 

 訓練が終わったら病人の身の回り、水汲み洗濯、おつかいに馬の手入れと、彼女は本当にクルクルと働いた。

 イルの話す遊牧民の日常は小狼のお気に入りで、トルイのツッコミと共に明るい時間が過ぎて行く。

 

 このまま順調に時を重ね、細い繋がりを持ったまま其々の生活に戻って行けばいいと、皆が思っていた。

 でも……

 いつだって影は、油断している所に忍び寄る。

 

 小狼の具合が一向に良くならない。

 朝も夕もぐったりと瞼を閉じて食も進まない。

 いやいや、外から見える回復と身体の痛みは別物なのだろう。焦らなくても今日よりは明日、明後日にはもっと良くなっている筈…………

 

 

 

「一度、蒼の長を呼んでくれ」

 枕元でとうとうテムジンが言った。

 

 オタネ婆さんが自分の馬で秒で消え、半刻もせぬ内に長と共に戻って来た。

 

 怪我はほとんど治っているのに、小狼の身体に力が入らない。

 体温が低いままで、体力をどんどん奪われて行く感じなのだ。今では枕から頭も上がらない。

 

 テムジンと、トルイやイルも見守る中、長が病人の額に手を当て、身体中に気を巡らす。

「自分で何か、心当たりはないですか? 特別に重い箇所などは」

「いいえ、本当に分からなくて。ご心配かけてすみません」

 

 

 取り敢えずの治癒の術を施し、枕元にイルを残して、一同は外へ出る。

 

「本当に原因が分からないのか? 何でもするから治してくれ」

「ヒトを万能みたいに言わないで下さい。体温が上がらないのは生命力が落ちているからです。なまじかの目で見える怪我より厄介なんですよ」

 

「生命力って……大好きなアルカンシラの娘に看病して貰って、何を落ち込む事があるんだ」

 

「本人も分からないと言っているでしょう。そう単純に割り出せる物ではありません」

 

 大人の男性二人が言い争う横、トルイはパォを振り向く。

『アルカンシラ』という名前はイルも気にしていたが、二人で話し合って、容態が良くなるまで詮索しない事にしていた。

 

(母さんの、大好きな友達の娘って事? それで何で内緒にしてんだろ?)

 などと思っていると、イルがパォから出て来た。

 

「何かあったのか?」

 

「いえ、今は穏やかに眠っておられます。あの、ちょっとお聞ききしたい事があって」

 

 テムジンと長は緊張の顔をした。今の不用意な会話を聞かれてしまったか?

 しかし娘の口から出たのは、全く別な言葉だった。

 

「怪我は綺麗に治ると仰っていたので安心していたのに、全然治る気配がないです。もしかしてずっと元に戻らないのですか?」

 

「ああ、貴女は心配しなくていいのですよ。怪我はほとんど治っています。後は何か別の原因が……」

 

「治っているんですか? 全然生えて来ないけれど」

 

 ――??

 長はテムジンと顔を見合わせた。

「何が生えて来ないって?」

 

「羽根ですよ、背中の羽根。イルを庇った時、折って散らしてしまったでしょ? 綺麗に治ると仰ったから、すぐに生え揃うんだと思っていたんです」

 

 ――!!!

 テムジンは長を見、長はオタネ婆さんを見た。

 婆さんは全力で首を横に振り、長も振った。

 そりゃ確かに、蒼の里にはごくごく稀に、先祖返りで『羽根の痕のような物』を持って生まれる子供はいる。だが妹にはそんなの無かった。今世話をしているオタネさんだって知らない。

 

 

 

 イルが言うには、助けられて目を開けた時、周囲にキラキラした羽根が舞っていたというのだ。

 背中には天使のように美しい女性。だから羽根はこの女性の物で、自分を受け止めた衝撃で折れてしまったのだと思ったと。

 

「見間違いじゃねぇの?」

 トルイがぶっきらぼうに言った。

 あの場にいた自分はそんなの見ていないし、鷹の眼にも記録されていなかった。

 

 そう言われるとイルも自信をなくし、やはり見間違いだったという事に収まりそうになった……が、長が念の為と呟いて、パォに引き返した。

 妹に横を向かせ、背中に手を当てる。何の痕もないツルンとした背中だ。

 半信半疑の視線の中、長はハッと目を開けた。

 

「羽根・・!?」

「兄様?」

「確かに、背中の肌に、『羽根がここにあった』という記憶があるのです。貴女、知っていましたか?」

「えぇ? いいえ、いいえ」

「イルアルティの言うように、折れて散ってしまって今は、背が記憶に残しているだけ。ただその記憶が、根のように貴女の身体を縛っている」

 

 小狼は狐につままれた顔をした。羽根なんて寝耳に水。しょっちゅう会っていた長にだって見えていなかったのだ。

 

「そいつが母さんの身体に触りを起こしているって事?」

 トルイが叫んだが、長は即答出来なかった。

 確かに原因はこれだろう。だがこの手の物は因果をキチンと紐解いてやらねばならない。あと……

(どうして自分には見る事が出来なかった?)

 

 長は目を上げてイルアルティを見た。娘は女性の背を凝視して、口を結んで黙っていた。

 

 

   ***

 

 

城の書庫の奥深く。

 蜘蛛の巣とホコリにまみれて、書物のトンネルから真っ赤な髪が抜け出して来た。

「何か用?」

 

「あの、お母君が、皇子様がしばらく見えないから、気にしていらっしゃいました」

 イルは天井まで届く書物の山に目をパチクリしている。

 

「ああ、ずっとここに居たから……」

「さっき長様がいらして、王様と、里の治癒師を呼ぶ算段をしていらっしゃいました」

「で? 俺が行ったってどうなる訳でもないだろ」

「…………」

 

 

 

 小狼の容態は変わらない。

 蒼の長が数日置きに術を掛けに来てくれるが、一時回復しても翌日には後戻り。

 

 それでとうとう、『背中に根付いている羽根の記憶を抜き去る』という手段を取る事になった。

 難しい技術で、長以外にも里から専門の治癒師を頼む。

 因果が分からないのが不安だが、後になる程小狼の体力がもたなくなるのだ。

 

 

 トルイは起きている時間の全てを羽根の事を調べるのに費やしていた。

 オタネ婆さんをせっついて、どんな僅かなヒントでもないかと聞き出そうとした。

 その段階でアルカンシラという女性が蒼の里でイルを生んだ事も打ち明けられたが、羽根には関係なさそうだった。

 

 書庫に潜って古い書物を掘り起こし、羽根に関連しそうな物を片っ端から読み漁る。

 多分、婆さんや長も同じような事をしただろう。あのヒト達に比べたら自分の調べられる範囲なんて蚤の歩幅だ。

 それでもトルイは何もせずにいられなかった。

 

「お前、用事がないならパォへ戻れよ」

「イルは、あの羽根、消し去ってしまっていいのか不安なんです。皇子様もそうじゃないんですか?」

「お前……」

 

 確かにそうなのだ。

 あの時、羽根なんか見えなかったけれど、石つぶてみたいに飛ばされたイルとそれを受け止めた母親。

 自分は両方とも無事では済まないと思った。下敷きになった方は身体が千切れてしまうのではないかという位。

 だけれど母の怪我は思った程ではなかったし、イルなんか無傷だ。

 考えてみれば、あれだけの勢いなら地面にバウンドするか転がりそうな物なのに、背中から一回着地して終わり。

 そう、イルの言うように見えない羽根が折れてクッションになってくれたのだろう。

 

 何で? たまたまあった見えない羽根が、たまたま助けになっただけ?

 それだけで済ませてしまうには、何か危ういのでは……トルイはザワザワした胸騒ぎに突き動かされていた。

 

 

 

 コトリ・・ 書庫の入り口で音がした。

 

 二人の少年……ヴォルテ妃付きの小姓が、大きな長持ちを運んで来てそこに置いたのだ。

「トルイ皇子様、あの、王妃様のお言い付けで、これを」

「ではお渡ししました。これで」

 二人は銀の瞳を恐れるように、そそくさと去って行った。

 

「あの人が、何を?」

 長持ちを開いてびっくりした。

 美しく整頓された書物。どれにも羽根の絵や文字があり、明らかに羽根に関連する文敵を選って集めた物だ。

「どうして、急に?」

 

 イルが横から覗き込んで、キョンと言った。

「お城の王妃様は、博学でかなりの蔵書家だと、イル達平民にも伝わっています。でも行動がお早い」

 

「お前……?」

 

「さっき、お城に入った所で呼び止められたのです。王様と皇子様の様子が最近ただならない、さすがに気に掛かるから教えて欲しい、って」

「それで、ベラベラ喋ったの?」

「皇子様の血を分けた方のお母様が、羽根が折れて病んでいて、治す方法を探しているんです、って。何もやましい事はないと思って」

 イルはケロリと言った。

「いけなかったですか?」

「いや……」

 

 トルイは、書物の一つを手に取って、パラパラと捲ってみた。

 書庫の物と違って、保存状態が段違いに良く、大切に扱われていたのが分かる。

 ……そして、あの人が自分を知らないのと同じに、自分もあの人を知らないのだと気が付いた。

 

 

 

 イルが西の森へ戻った後、トルイは長持ちの書物を備(つぶさ)に調べた。

 古い民話、伝承……

 何となく意味があって一つに繋がって行く気がした。

 

 そして、最後に長持ちの底に残った一冊・・

 それを手に取った瞬間、トルイの前髪を風に吹き上げた。

 理屈じゃない、全身の血がその書物に惹かれる。

 

 ――全ての風が生まれ還り行く場所・・風出流山(かぜいずるやま)――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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金銀砂子・Ⅵ

 

 

 

 

 夜中の森を掻き分けて、徒歩でパォに近付くトルイ。

 どんなに叱られたって、縁を切られたっていい。母さんの草の馬が必要だ。

 

 パォの灯りは消えている。

 オタネ婆さんもイルも寝静まっているのだろう。

 母さんの馬は、いつもあの辺りで休んでいる筈……

 

 身を低くして歩いていて、太い灌木にぶつかった。

 こんな所に木なんかあったっけ?

 ・・見上げると、二つの鋭い光!?

 

 尻餅を付いたトルイの前、灌木のような太い前肢でヌッと立つのは、母の馬ではない。

 蒼の長の愛馬『闘牙の馬』が、爛々(らんらん)と光る目で皇子を見下ろしている。

「え? 長はまだ居るの?」

 

「いえ、蒼の長様が置いて行かれたんです」

 馬の後ろからイルがひょいと顔を出した。

「皇子様が草の馬を盗みに来るだろうから、こちらの馬の方が力があっていいでしょうって」

 

「ぬ、盗むって人聞きの悪い。ちょっと借りるだけ……」

 

「王様は、皇子様が何をしようとしているか、ご存知なようでした」

 イルがスィと差し出した包みは、母の白銀の剣。

「三日だけ待つ、明後日の日の入りまでに必ず戻れって仰っていました」

 

「……親父、長……」

 剣を受け取り、トルイは目を閉じて感謝を念じ、そしてキッと顔を上げた。

 

 馬の腹帯を締め直し、決意新たに、勢いを付けて跨がる。

「行くぞ!」

「行きましょう!」

 後ろにイルがチョコンとよじ登る。

 

「待て待て待て! お前は降りろ、 何考えてんだ!」

 振り向いたトルイは、イルの手の中にある杖を見てしゃっくりしたみたいに息を呑んだ。

 エンジの柘榴石が先端に付いた、オタネ婆さん愛用の杖。

 

「ガ、ガメて来たのか?」

「まさか人聞きの悪い。ちょっと借りて来ただけです」

「…………」

 

「今から行く所は、妖精さんにとっては禁忌の山なんでしょう?」

「……何で知っている?」

 

 禁忌の地、風出流山(かぜいずるやま)。

 長持ちの底に残されたその書物に、トルイは酷く惹き込まれた。

 羽根を失くした有翼人が、山で新たな羽根を授かる、何て事はないお伽噺(とぎばなし)。

 

 しかし書物には地図があり、現実の地図と同じ。山も、名前は違うがちゃんとある。

 普通の馬ではとてもたどり着けない高山。だけれど草の馬なら可能かもしれない。

 そう思うともう、そこへ行く事しか考えられなくなった。

 

 だが妖精の禁忌の地だと記されている。

 何か理由はあるんだろう。意味もなくそう呼ばれたりはしない。

 相談したってきっと反対される。だからこっそり行こうとしたのだ。

 

「ただ俺が惹かれただけなんだ。骨折り損の可能性の方が高いんだぞ」

「でも行くんでしょう?」

「…………」

 

「皇子様」

 イルはシンと畏(かしこ)まった声を出した。

「長様達は、皇子様に、何も期待していません。ただ気の済むようにやらせてあげたいだけ。闘牙の馬を置いて行ったのは、皇子様を守らせる為だと思います」

「…………」

 

「でもイルはそうは思っていません」

 顔を上げてきっぱり言う娘に、トルイは一瞬気圧された。

「皇子様、最初に草原で逢った時、どうしてイルを追い掛けたんですか?」

 

「えっ、いや、そう聞かれても、何となく、面白そうだったから」

「それが答えです、皇子様の『何となく』は凄いんです」

「ちょっ、待っ、何でそんな自信満々……」

「誰が何と言っても、イルは、イルを見付けた皇子様を信じます」

 

 

 結局押し切られて一緒に出発した二人を、パォの陰からテムジンとオタネ婆さんが見上げていた。

 

「すげぇな、あの屁理屈。婆さんが仕込んだの?」

「まあ、儂の弟子じゃでな。しかし小悪童(わっぱ)が、本当に山の情報を調べ上げるとは思わなんだ」

「まあ、俺の子だもん」

 

 

 

 ***

 

 

 イルアルティは根っからの草原育ちだ。

 山といっても、頂が一つポンとあるお饅頭のようなお山を想像していた。

 だから今、翼を広げたように連なる白い稜線群を見て、クラクラしている。

 しかも寒い、オタネお婆さんに『ありったけを着て行け』と言われた事がヒシヒシと有難く感じる程に寒い。

 

 馬上で、トルイは荷物から毛皮を引っ張り出した。

「着ていろ」

「皇子様は?」

「いいから着ていろ。足手まといになられても困るんだよ」

 休ませてやりたいが、丸一日飛んでもう日暮れ近い。帰りの事も考えると一刻も早く山に着きたかった。

 

 もやの中、ひときわ高い頂がヌッと現れた。ここいらで一番高い山の筈だから、きっとあれだ。

 トルイは馬を上に向けようとしたが、何でか風に乗れなかった。

 それどころか、山懐に入るにつれて経験した事もない気流に翻弄される。

 

「こ、こんなの、習わなかった」

 闘牙の馬じゃなければ飛んでいられない。水圧に近い風にぶつかられる中、イルが叫んだ。

「皇子様、あれ!」

 

 前方の急斜面を岩塊が転がり落ち、雪煙の中から生き物が飛び出して来た。

 毛むくじゃらの……熊? 違う、翼が開いた。

 人間大の巨大蝙蝠(こうもり)!!

 

「ニ、ニンゲン、ニンゲン、キタ!」

 

 灰色のマダラ模様の魔蝙蝠が数匹、気流に乗って舞い上がる。

 この山に定住している魔物だろう、小さい翼のくせに、乱気流に自在に乗っている。

 縄張りを死守するタイプか、曲がった鉤爪を振り上げて四方から威嚇して来る。まずい。

 

 トルイは剣を抜いた。母に一通りは仕込まれている。

 破邪の光で怯ませて、その隙に離脱。この馬なら行けるだろう。

 しかしイレギュラーな横風が来た。

 しまった、馬が傾いて……

 

 ・・・・

 魔物達が止まっている。

 どうした?

 それぞれが黄色い目を見開いて、トルイの後ろを凝視している。

 振り向くと、イルが柘榴石の杖を高く掲げていた。

 

「オタネ、オタネノ姉御――!」

「ナンデ、ソンナ、縮ンダ?」

 

 

 何とまあ、蝙蝠型の魔物達はオタネ婆さんの旧知だった。

 しかも会話が通じた。

 オタネ婆さんの弟子だというと、彼らの洞穴に案内してくれた。

 

「知っていたの? イル」

「いいえ。でもお婆さん、若い頃ヤンチャしてあちこちに子分を作っていたって。冗談だと思っていたら本当だったんですね」

「…………」

 

 どんなヤンチャだったか知らないが、『氷蝙蝠(コォリコゥモリ)』達は親切に、凍えた二人の為に火を用意してくれた。

 トルイ達の事情を聞いて、洞穴の奥から真っ白な老蝙蝠の手を引いて来る。一番長く生きている蝙蝠らしい。

 

「コノ山ノ、チョウジョウハ、ヨウセイニハ、キンキ」

「俺達は妖精と違う。貴方がたの理(ことわり)からは外れない筈だ」

 

 老蝙蝠はしばらく渋ったが、イルが命の恩人を助けたい気持ちを一生懸命伝えると、心を動かされたようだった。

 若い者に地図を持って来させて、説明を始めてくれた。

 

「コトワリユエ、オタネニモ、言ッタコトナイ。オヌシタチノ、ムネダケニ、オサメテホシイ」

 

 風出流山(かぜいずるやま)・・禁忌の霊峰は、今見えている範囲ではなく、その背後に、もやに包まれて天にも突き刺さる如くに存在すると。

 

「あれより高いの!?」

 

 その頂上直下に神殿がある。いつ誰が建てたのかも分からない氷の神殿。封印が効いている為、妖精には近寄れない。ただ妖精に対する封印なので、トルイ達には近寄れるだろうとの事。

 

「妖精にだけ……?」

「ヨウセイニハ、フコウシカ持タラサヌト、言イ伝エラレテイル」

 

 蝙蝠翁も先代からそう聞かされただけだ。

 先祖代々口伝(こうでん)されている内に、失する事柄もあったのだろう。

 

 それでも行くという意思を見せると、蝙蝠達は、気流の荒れている山懐(やまふところ)の外までの案内を約束してくれた。

 ありがたい。イルが柘榴石の杖を持って来てくれたお陰だ。でも……

 

 朝の幾分凪いでいる時に出発するからそれまで休めと、蝙蝠達は毛皮を敷いて床を設(しつら)えてくれた。

 周囲が寝静まってから、トルイは隣に話し掛けた。

 

「イル、お前、ここに残れ」

 

 娘は寝返りを打ってこちらに向いた。

 

「人間とはいえ妖精の血が混じっている。不幸って奴がどんな物か分からないし、呪いを被ったら洒落になんないだろ」 

 

「皇子様だっておんなじです。イルがはいそうですかと引き下がるとでも思っているんですか」

 青みをおびた白目に浮かぶ真っ黒な瞳にじっと見つめられ、トルイはドギマギした。

「いやだから、その自信は何処から……」

 

 観念して、トルイは上を向いて、はぁ・・と息を吐いた。

 

「お前さ」

「はい」

「皇子様って呼ぶのやめない?」

「…………」

「トルイでいい。俺の好きな奴で皇子様って呼ぶ奴、いない」

「…………」

 

 返事がないので見ると、娘は口を半開きにしてクゥクゥと寝息を立てていた。

 自由だなっ!

 

 山鳴りが響いて洞穴を揺らす。

 氷蝙蝠達にはこんな夜が日常なんだろう。

 世の中には自分の知らない日常が沢山ある……と思った。

 

 

 朝になり、一体の若い蝙蝠に先導されて二人は出発した。

 昨日程ではないにしろ、また突風に煽られる。蝙蝠はヒョイヒョイと風を受け流しながら、こちらを振り向いては風が来るタイミングを教えてくれた。

 

 見えている頂を越えると、なるほど向こうにうっすら山影が現れた。

「ココカラ先ハ、ワレワレモ、行ッタコト、ナイ。アンナイ、ココマデ」

「ありがとう、氷蝙蝠さん」

 

 若い蝙蝠は無事を祈る手旗(サイン)を送りながら去って行き、二人は闘牙の馬の上で感謝の手を振った。

 ここからは本当に、未知の領域。

 

 風圧は緩くなったが、多分空気が薄くなったせいだ。

 闘牙の馬が風を孕めなくなっているのが分かる。

 雪の斜面に着地しては少し飛ぶ事を繰り返したが、ある地点でもう舞い上がれなくなった。

 

 蝙蝠翁が教えてくれた頂が見えている。

 もう少しだ、後は歩いて。

 最初乗馬していたが。流石の闘牙の馬も、雪を掻いての登りは体力を消耗する。

 トルイが降り、そしてイルも降りた。

 

「お前は乗ってろよ」

「イルはこれでも重いんです」

「お前さ、屁理屈こきの意地っ張りって言われない?」

「お父さんによく言われます」

 

 二人は馬の踏んでくれた跡をザクザクと歩いた。本当に闘牙の馬がいていれて良かった。長の事をシスコンとか好好爺とか陰口言うのはもうよそう。

 

「お父さんって、どっちの?」

「人間の方のお父さんです。長様の事は私が勝手に呼んでいるだけだし」

「人間の家族が好きか?」

「はい、皇子様・・トルイさまも、そうでしょ」

「俺は違う……」

「…………」

「もしお前が、こんな真っ赤な髪に銀の瞳をしていたら、お前の家族は受け入れてくれたかな?」

 

 しまった、こんな女々しい事を言うつもりじゃなかったのに…… トルイは後悔したが、イルは暫く視線を空中に游がせ、ああそうか、と呟いた。

 

「イルは小さい時から青い髪のヒトを当たり前に見ていたから、トルイさまを初めて見た時、ああ都には赤い髪のヒトもいるんだ、って思いました」

 

「……?……」

 

「銀の目が光った時はビックリしたけれど、やっぱりイルが知らないだけで、広い世界のその辺には、その位の人、普通にゴロゴロいるんだろうなぁ、って」

 

 トルイの目の前で何かがパンと弾けた気がした。

 

「イルのお父さんも同じだと思います。子供の頃に青い髪の子と友達だったんだから、もし赤い髪のイルが落っこちていても、あんまり何も考えないで拾い上げるんじゃ…………? 何笑ってるんですか?」

 

「ああ、何でもない、何でも……」

 皇子は笑いすぎて涙をこぼしていた。

 こんな雪と氷の世界で何かを溶かす力があるなんて……こいつ、凄いよ……

 

 

 

 

 



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金銀砂子・Ⅶ

 

 

 

 四つ足の馬では厳しい角度の崖が出現した。

 小さな人間なら登れそうな細いキレットがある。

 

「お前、ここで待っていてくれる? 明日中には絶対に戻るから」

 鐙(あぶみ)を上げ、手綱を鞍に縛って、トルイは馬の両頬を挟んで銀の目で見つめる。

 もう二日目の夕方。明日の日の入りまでが大人達との約束だ。

 

 崖は思ったより短く、二人はほどなく広い棚に出た。

 山の頂点が目の前にそびえる。

 その真下は見上げるような氷の壁。

 表面はツルツルで何の取り掛かりもない。

 ここから先には進めないのか?

 

 しかしイルは、ニコニコしてその壁を見上げている。

「やりましたね!」

 

 不思議顔で、何が? と聞く皇子に、イルは戸惑って答えた。

「え、確かに、神殿にたどり着くだけじゃ駄目なんだけれど……」

 

「神殿って、どれ?」

 

 イルが指差す場所は、氷の壁があるばかりで、どんなに目をこらしたって何も見えない。

 

 イルは罰悪い顔で黙ってしまった。

 こいつは意地っぱりだけれど、嘘は言わない。

 

「どんな神殿?」

 

「あ、はい。・・太い氷の柱が両側にそびえて、大きな入り口。奥は山を堀り抜いた感じで、先が見えません。でも入り口が氷漬けです」

 

「入れないの?」

 

「はい……ただ、ここに意味のありそうな標(しるし)があるんです」

 イルが進み出て、雪原のある一点に立った。氷の壁の真正面で、足元の氷の下に太陽の標があるという。トルイにはやはり見えない。

「解錠の魔法、使ってみましょうか」

 

「あ、それなら俺も習ってる」

 

 二人で並んで、杖と剣を掲げて呪文を唱えた。

 小さな風が立ち上がって氷壁を撫でる。

 

 ――パシン!

 氷に亀裂が入った。それが瞬く間に広がって・・

 

 やったか? と思うより早く、氷壁が一気に砕けた。

 開錠の魔法が効いた? 違う。

 巨大な破片が鋭い切っ先を向けて、二人目がけて一斉に飛んで来た。

 招かざる者に対する攻撃!?

 

「あぶな・・!」

 トルイは咄嗟にイルを庇うが、剣で弾ける量じゃない、やばい!

 

 

 地を這うように一直線に雪を蹴るモノがあった。

 それは一瞬で、牙で男の子の襟首を、爪で女の子の胸ぐらを引っ掛け、垂直にジャンプした。

 氷のナイフ達は二人のいた地面に刺さり、盛大に砕けて白い粉となる。

 

 いきなり空に連れて行かれた二人は、今度は急下降し、地面にゴロンと放り出された。

 何が起こったのか?

 

 転がったまま呆然と見上げる二人の前に、見馴れすぎた赤い色。

 

「お前らの来る所じゃねぇ! どチビどもが!」

 

 

 

 ***

 

 

 

 燃えるように真っ赤な、水牛ほどもある狼。

 口の端からも炎がチロチロと洩れ、銀の三白眼は鋭い光を放っている。

 魔物? 神殿の魔物だろうか?

 

 しかしトルイは、それ以外の事で頭が一杯になっていた。

 何で俺と全く同じ色の赤い体毛、銀の瞳? 何で、何で?

 

 狼は踵を返すと、「帰れ!」と言い捨てて頂上の方に跳び、姿を消した。

 

「ま、待って」

 トルイが追い掛けようとするのを、イルが腕にぶら下がって止めた。

 

「罠かもしれないです!」

「邪魔す……」

 

 怒鳴りかけたトルイの両頬を、小さい両手がパチンと挟んだ。

「何すんだ!」

「貴方は何をしにここへ来たの!?」

 

「あ・・」

 目の前に火花が散ったかと思ったら、いきなり氷壁に巨大な神殿がそびえ立った。

「ああああ、ああ・・!」

 

「見えるんですか?」

「ああ……」

「良かった」

「俺、覚悟が足りなかったのかもしれない」

 

 トルイは肩で息を付いて、イルをしっかり見た。

「すまなかった」

「いえ、こちらこそすみませんでした。ほっぺ、痛かったですか?」

「いや……」

 オタネ婆さんがこいつに無理矢理な自信を植え付け、着いて行くよう仕向けた理由が、トルイはだんだん分かって来た。

 

 

 

 とにかく結果だけ見ると、神殿の入り口は開いた。

 さっきの事を考えると足を踏み入れるのも恐ろしいが、行く以外にない。

 

「神殿っていうと、奥に本殿があったりするんでしょうか」

「イル、そっち半分気を付けていてくれよ」

 

 エントランスの階段を上り、広いホールに出る。いきなり奥に向かって真っ直ぐな廊下。

 枝道は一切無さそうだ。

「嫌な作りだな」

「奥に……行くしかなさそうですね」

 

 二人並んで、ゆっくりゆっくり氷の廊下を歩く。

 外の風の音すら遮断されているようで、静か過ぎて不気味だ。

 床も壁も鏡のようにツルツルで、二人の姿を二重三重に写し出す。

 トルイは緊張して息が詰まって来た。

 

「ほっぺ、やっぱり痛かったですか?」

「違うって! 何故それをそんなに気にする!?」

「皇子様だから、ほっぺパチンされた事ないかなぁって」

「ほっぺパチンて……」

 

「イルのおうちではそう言って、我が儘言ったり悪い事をしたらパチンってされるの」

「親父さんが?」

「お父さんもお母さんもお兄ちゃんもお姉ちゃんも。イル末っ子だから一番一杯される」

「…………」

 

「された事ない?」

「ないな。頬を張られた事はあるけれど」

「お父さんに?」

「母さん。俺が小さい頃、勝手に草の馬に乗って飛びそうになった時。俺も浮かぶと思っていなかったし」

「わあ・・」

「母さんのあんな怖い顔見た事なかった。俺、吹っ飛んだもん」

 

「その後ヨシヨシしてくれた?」

「ないよ! 何だよそれ、こっ恥ずかしい」

「イルんちでは、泣きべそしてたらヨシヨシされるよ。末っ子だから一番一杯される」

「俺は泣きべそなんかしない!」

 

 何だか喋っている内に気味が悪いのも吹き飛んで、歩幅が大きくなって行った。

 イルは本当に規格外なのだ、色んな意味で。

 グングン歩いて、とうとう両開きの大きな扉に突き当たる。

 

 天井まである重そうな扉。

 頷(うなず)き合って、片側の取っ手を二人で協力して押したり引いたりした。

 固い。当たり前だ、どれだけの時間締め切りだったのか。

 それでもやっと少しの隙間を作り、人の通れる隙間をこじ開けた頃には、随分時間が経ってしまっていた。

 

「はあ、ふう、ちょっと休む?」

「王様達に言われたタイムリミットがあります。行きましょう」

 

 トルイを先頭に、隙間から身体をねじ込むと、内部は以外と明るかった。

 天井の円いドームから中央に光が降り、肩で息をしている二人の吐息がやけに響き渡る。

 けっこうな広間で、奥には祭壇。

 やはり神殿の本殿なのだろうか、壁一面に何やらレリーフが刻まれている。

 

「見て……!」

 イルが掠れた声で叫んだ。

 レリーフは羽根のあるヒト達の絵柄だった。大きな鳥のように厚みのあるたっぷりとした羽根を持つ、有翼人。

 

「やった! やっぱりここで正解だったんだ!」

 後は、そう、この部屋をくまなく調べよう。

 どこかに文字があるかもしれない、それともレリーフに何かヒントは?

 

 キョロキョロしているトルイに、イルが寄り添った。

「このレリーフ、何だかおっかないです」

「そう?」

「生きているみたいで……」

「まさか、怖い事言うなよ」

 

()()()()なんて特に……」

 イルが視線で指した先、祭壇の真後ろに、一際大きい像が立っていた。こちらはレリーフでなく立体だ。

 右手にドクロ、左手に一本の羽根を持ち、他の物に比べて確かに生々しい。

 

「他のより精巧に作ってあるからだよ。そんなに言うなら風の魔法で問い掛けてみる? 何か反応したら儲け物だし」

 

「でも……」

 

「何かやらなきゃ進まないだろ。ああ、よく見るとこのホールの床の中心、太陽の標じゃないか。()()()()だな」

 

 一歩踏み出すトルイを、イルが引っ張った。

「イルがやります。何かあったら助ける役は、トルイさまの方が頼りになりますから」

 

「そう? うん……」

 確かにそうではある。

 

 イルは太陽の標に立ち、石像に向いて柘榴石の杖を掲げる。

 トルイは剣を構えて背中合わせに立ち、剣に術を含ませて、何かが飛んで来ても対処出来るように身構えた。

 

「いいぞ」

 

 イルが教科書どおりのきれいな呪文を唱える。

 風が渦巻いて、祭壇の像だけでなくレリーフ達も撫でた。

 

 何か起こるのか?

 起こらないのか?

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 天井がザワザワとどよめき、降りていた光が陰った。

 次いで黒い塊がシュンシュンと飛び回る。

 ――羽根ヲヨコセ

 ――ハネ、ハネヲ・・

 

 黒い影の一つがトルイ目掛けて降って来た。

「は、破邪!」

 慌てて呪文を唱えて剣を振るが、水を斬ったみたいな感触だ、やっつけた気がしない。

 天井の魔物は増えて行く。

 床にも黒いもやが湧いて来た。

 まずい、まずいまずい・・!

 

 ――こっちだ!

 喧騒に混じって明確な声がした。

 ――走れ!

 

 トルイは後ろ手でイルの腕を掴んで、声の方へ駆け出した。

 途端、床が消えて足が空を切った。

 

 

 

 

 

 



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金銀砂子・Ⅷ

 

 

 

 

 真っ暗な中、上も下も分からない状態で、トルイはいた。地に足が着いている感触が無い。

 

「イル?」

 繋いでいた筈の手は離れ、返事もない。ただ、近くに彼女がいる気配はした。

 

 ――ほぉ・・

 

 低くエコーの掛かった声が上がった。

 

 ――羽根を持つ資質がある。だが純血ではない。

 ――しかし今となっては稀少。

 複数がざわざわと、好き勝手に話す気配。

 

「誰だよ!」

 

 目の前の暗闇に、さっきのドクロと羽根を持った巨大な像が浮かんだ。次いで、他の人物のレリーフが数体、トルイを囲むように出現する。

 皆、背中に立派な羽根を持っているが、よく見ると複数の羽根を重ねているから分厚く見えているのだ。

 

 何にしても羽根の事を聞かなければ。

「あの、俺、折れた羽根の……」

 

 ――羽根が欲しいのだろう。

 ――羽根が欲しくてここへ来たのだろう。

 

「えと、ちょっと違くて」

 

 ――純血でもない分際で。

 ――純血でもない身で神に近付きたいか。

 

 言っている内容が分からない上に、エコーがかかり過ぎて耳鳴りがする。

「俺は、折れた羽根の治し方を聞きに来たの! 俺の母親が、羽根が折れて病んでるの!」

 やっと言えた。

 

 ――ほお。

 ――母親がいるのか。

 ――そちらは純血か?

 

 どうして大人ってこちらの言ってる事とは別の所に食い付くのだろう。

「純血とか知らないよ! 母親を、治す、方法、教えて、下、さ、い!」

 

 ――ではその羽根を母親に与えればよい。

 

「え?」

 いきなり身体のバランスが崩れた。

 後ろに倒れる? と思ったが、元々立っているのかどうかも分からない。

 

 さっきの廊下みたいに氷の鏡が何枚も現れた。皆トルイを映している。

「ええっ?!」

 背筋がザワッと震えた。

 鏡の中の少年の背中には、半透明の翡翠色の羽根があるのだ。

 たとえ羽根がなくても、トルイはそれが自分だと気付くのに時間が掛かった。

 だって、鏡の向こうの見知らぬ子供は……親父と同じ真っ黒な髪、母さんと同じはなだ色の瞳…… でも顔立ちは自分だ。服装も、手の中の剣も。

 

「どういう事? どういう……」

 

 ――よかったな、呪いは解けた。

 ――神の力に近い護りの羽根のお陰だ。

 ――あの娘に感謝せねば。

 

 あまりに沢山の事が降り掛かって来て、トルイは頭がどうにかしそうだった。

「呪い? 守り? 何だって? あの娘ってイル?」

 

 ――良い羽根になった。

 ――背中を合わせて儀式をしたろう。

 ――お前が連れて来た贄の娘。

 ――美しい羽根になってくれた。

 

「えええええ――!」

 トルイは血の気が引いた。背中のこの羽根がイルだって!? なんで、どうして!

「待って待って、違う、間違いだ! イルを元に戻して!」

 

 ――なんと、折角の羽根を。

 

「違う、違くて、俺、羽根なんか要らないから!」

 

 ――・・・・・・

 

「イルは贄じゃない、間違いです、元に戻して! あと母さんもそんな羽根なんか欲しくないと思うから、具合を良くする方法だけ教えて下さい」

 

 レリーフ達は長らく黙っていた。

 が、トルイに聞こえないように自分達だけで何やら相談しているのが分かる。

 トルイは彼らの羽根をじっと見た。

 この羽根も誰かを贄にして得たのだろうか。一人でこんなに沢山…………

 

 ドクロ持ちのレリーフがやっと喋った。

 ――お前の母親をここへ連れて来るがいい。折れた羽根を接いでやろう。

 ――その時、お前の羽根も元の娘に戻してやろう。

 

「……今、戻してくれないの?」

 トルイは慎重にゆっくりと聞いた。

 

 ――今戻すと、再びこの神殿を訪れた時、入り口で難儀する。

 ――その本来の姿も、一度母親に見せたかろう。

 

「…………」

 

 ――だがお前は一つやらねばならぬ事がある。

 ――羽根を持ってこの空間を出るには、羽根を要らないなどと口に出してはいけなかった。

 ――さあ、一度声に出して言うだけでよい。羽根が欲しいと。

 

 

 

 ***

 

 

 

「子供騙したぁ、まさにこの事だな!」

 

 良く通る声が響いた。

 

(何度か聞いた声?)

 思う間もなく、上方に炎が渦巻き、入り口で会った炎の狼が現れた。

 

「どチビが、帰れっつったろが!」

 

 ――獣、邪悪な。

 ――穢らわしい。

 ――子供よ、お前の呪いの元凶だ、相手にするな。

 

 トルイは炎を揺らめかせる獣を見上げた。 ……呪い……

 

「ふん、どぅでもいいけどよぉ。そこのガキに教えたおく事が、ふたぁつ程あるんだわ」

 

 闇に並んでいた鏡が砕け、破片が切っ先を光らせて狼に飛んだ。

 狼はそれらをヒョイと避けながら

「『欲しい』って言っちまうと、羽根は二度と娘に戻れない!」

 叫んでトルイの頭上を飛び越した。

 

 ――聞くな、耳を塞いでいろ。

 ――出鱈目だ。

 

 追い立てるように鏡が砕け、破片が渦を巻いて狼を襲う。

 

「それと、折れた羽根を治す術(すべ)なんかない!」

 飛んで来る破片を避けながらも狼は、トルイの目をしっかり見て叫んだ。

 

 ――黙れ黙れ黙れ!

 ――獣が、邪悪な獣!

 

 レリーフ群が轟音を立て、狼に向けて倒れる。

「おっと?」

 流石に少々たたらを踏んだ所で、残りの鏡が一斉に砕けて狼を囲んだ。

 

 !!!!

 

 半透明の翡翠の羽根が狼の目の前に広がった。

 避け損ねた破片を、トルイの剣が叩き落としたのだ。

 そうして剣を上げ、最後に残ったドクロを持つ像に、ピシリと切っ先を向ける。

 

 へっ……と炎の息を漏らし、狼は口の片端を上げた。

 

 ――子供よ、気でも振れたか。

 

 トルイは剣を振り上げた。

「ワンワンうるさい!」

 

 思い切り撃ち下ろした剣から破邪の光が弾け飛び、像は呆気なくかき消された。

 辺りはシンと静寂に包まれる。

 

 

「ふぅん」

 赤い狼がニヤニヤしながら、暗闇の空中を歩いて来た。

「ショボい魔法だな」

「さっき呼んでくれたの、あんただろ」

「お偉い有翼人サマより、何で邪悪な獣を信用した? 赤毛の皇子さん」

 

「あんたを信用したからじゃない。ただ……」

「ただ?」

「大勢で来て口々に喋る連中は、相手にしちゃいけない」

「誰が言った?」

「親父」

 

 狼は口を耳まで裂いて笑った。

 

 

 ***

 

 

「さてと、教える事はさっきので終いだ。じゃあな」

 狼は踵を返した。

 

「え、待って! もっと教えて、お願い」

 

「俺様は、お願いされるのが大っ嫌いだ!」

 狼は振り向いて牙を剥いた。

 

「お願いじゃなけりゃ、どうしたら……あ、ケイヤク? 魔性に何か頼むには『契約』って奴をすれば……」

 

 一瞬で、狼が元いた場所からいなくなり、牙がトルイの喉に迫っていた。

「軽々しく契約なんて言葉を口走るんじゃねぇ! ガキが! ・・!」

 その言葉の最後、狼は後退りしていた。

 トルイが剣を抜いて、両手で突き出していたからだ。

 

「言え! 母さんの救い方、イルの戻し方、言えよ!」

 

「宥(なだ)めたり脅(おど)したり、自分勝手だねぇ、人間はこうでなくっちゃ」

 

 狼はクルリと回って普通の狼サイズにまで縮み、突き出したままの剣の背峰に飛び乗った。

 何だか上機嫌だ。剣を向けられて喜ぶなんて、おかしな奴。

 

「有翼人の祖先もそうだった」

 喜ばせてくれたご褒美なのか、鼻先を顔に近付けて急に語り出した。

 

「生まれた時から羽根がある奴は稀だ。もっと昔は全員にあったのかもしれんがな……

 おっと、剣を下ろすと話をやめちまうぜ。頑張って支えていな。ちょいと長くなるがな」

「ぇぇ・・」

 ニタリとする鼻先を睨みながら、トルイはプルプルと剣を握った。

 

「羽根のねぇ奴は欲しいわな。神に近付く護りの羽根。だが以外と簡単に手に入るんだ。寿命の終わる者が、子や孫の為に死後羽根になってやる。美しい話だ。それだけやってる間は平和だった」

「…………」

「ところがこの羽根、奪う事が出来る。そして、死に行く身内に頼らなくとも、人間でも誰でも羽根に変えられる儀式の方法を、誰かが構築しちまった」

「・・・・・・」

 

「後は争奪戦だわなぁ。いつの世も、欲をかいた強い奴が生き残る」

「あいつら、贄とか言っていた……」

「ああ、やっただろうな。何も知らない人間を拐って」

 

 トルイは動揺する気持ちを抑えて、必死で剣を支えた。

 

「お前の背中の羽根は、ここにいる間はまだ戻せるから落ち着け。続けていいか?」

「……ああ……」

「そういうのに危機を感じた良心の残った連中が、一気に反旗を翻し、神殿を封印して山を降りた。後は分かるな」

「……うん……」

 

「蒼の妖精に対して此処(ここ)が禁忌なのは、封印されているのが祖先だからだ。万が一関わると、また敵対せにゃならん。同族の殺り合いが奴らには禁忌なんだ、魔のモノに身を落とす」

「…………」

 

「封じられた祖先は長い長い時間、肉体を亡くしても羽根への執着だけでここを漂っている。『羽根を持つ資質のある肉体』は喉から手が出る程欲しいだろうな。

 分かったか、お前や妖精どもがここに近付いちゃいかん理由が。理解出来たら二度と来るな」

 

 トルイは腕が鉛みたいだった。支えていられなくなる前に聞いてしまわなくては。

 

「か、母さんも羽根があったの? ここで儀式をしたの? だから羽根が折れたら罰を受けなきゃならないの?」

 

「あいつのは、多分違う」

 狼は、近しく知っているみたいな口振りだった。そしてトルイは気付かなかっが、ホンの少し身体を浮かせてオマケしてやっていた。

「たまたま隔世遺伝で羽根を持つ資質があった。そこにたまたまあいつを守りたい死に行く魂があった。まったくの偶然だ。本人も多分知らん。羽根は力尽きて折れたら、ただ散って無くなるだけの存在だ。本来ならな」

 

「本来と違うの?」

 

「……未練があるんじゃねぇか?」

「羽根になったヒトが?」

「両方だ、お前の母親も」

「…………」

「お前は心当たりがねぇのか」

「母さんは、そのヒトについて何か隠してる」

 

「十分だ、後は自分で考えろ」

 狼は剣を離れてやって、クルリと回って暗闇に着地した。

 

「あっ、イルを……」

「さっきお前が『要らない』と言ったろ。あれで儀式は反故になってる。ここを出たら元通りだ。ああ、『欲しい』と言い直せばその姿でおうちに帰れるぞ」

 

「俺の青鹿毛、赤毛の方が映えるし」

 

 狼はカカカッと高笑いした。

 

 

 

「契約してもいいから、一つ質問に答えてくれ」

 

「あぁん?」

 三白眼がまた睨み付けて来たが、今度はキレずに質問を待ってくれた。

 

「何であんた、そんなに詳しいんだ? 見た所、風の一族との関係もなさそうなのに」

 

「……まぁ、面白そうだったからな。ここには俺様の大好きな欲望がギュウ詰めだ。それに惹かれた魔物連中も賑やかだし」

 

「そう……分かった、ありがと」

「なんだ、それだけでいいのか?」

「うん、で、契約って俺、何をすればいいの?」

「いらんいらん、それっぽっちサービスにしておいてやる。じゃあな!」

 

 去りかける狼に、トルイは一度つぐんだ口を思い切った感じで開いた。

 

「わざわざ調べてくれていたの? 母さんの為に」

 

 狼の全身から炎が立ち上った。

「か  え  れ  !!」

 

 

 

 

 

 赤い獣が闇を歩いていると、前方に立つ影があった。闇の中にいて、内からの光が辺りを温もらせる。

 

「あいつはもう帰ったぞ。お前も早くここから出て行かんと、還り損ねるぞ」

 

「トルイさまのお母君に……」

 イルアルティは胸に手を当てて、獣の銀の眼を真っ直ぐに見ていた。

「看病していた時、聞いちゃったんです。イル、馬鹿だから。皇子様の髪の毛なんであんなに真っ赤っかなんですか? って」

 

 狼は下を向いて蒸せ返るように笑った。

「そりゃ大馬鹿者だ! 普通聞かんぞ」

 

「そしたら、そんな風に笑いながら……トルイにはお父さんが二人いるのよ、って」

「…………」

「血を分けてくれたお父さん、護りを授けてくれたお父さん」

「護り? 何かの間違いだ」

 狼は吐き捨てるように言った。

 

「強い、狼の、護り、だって」

「・・へっ」

 

 二人は闇に溶けた。

 

 

 

 

 



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金銀砂子・Ⅸ

 

 

 

 神殿の広間で、少年と少女は目を開いた。

 背中合わせに突っ立ったままだ。二人は飛び退くようにそこを離れた。

 

 辺りには、今しがたまで戦闘が繰り広げられていたような、瓦礫と魔物の残骸が散らばっていた。

 狼の言っていた、欲望に惹かれた魔物達だろう。

 誰が一掃してくれたかは……疑問に思いようもない。

 

 二人は無言で手を取り合って扉を潜(くぐ)り、外へ向かって駆け出した。

 もやの晴れた入り口から朝陽のオレンジが見える。三日目の朝だ。

 

 しかし鏡の廊下から魔物の残党が湧き出した。

 真正面には巨大な黒虎が、青竜刀を束ねたような爪を振りかざしている。

 

 走りながらトルイは白銀の剣を構える。

 その剣にイルが柘榴石の杖を重ねる。

 二人、心を併せて唱えた。

 

 ――破邪!!!!

 

 力強い声が長い廊下にこだました。

 

 眩い光が神殿の外まで伸び、掻き消える魔物の残影を潜って二人は雪原に駆け抜けた。

 

 次の瞬間神殿はミキミキと氷に覆われる。

 再び迫り来るもやに追われるように、手を繋いで一気に崖を滑り降りた。

 闘牙の馬がいななきながら駆け寄って来る。

 

「帰ろう!」

 

 二人を乗せた馬は雪の斜面を滑走路のように駆け下(くだ)り、弾けるように飛び立った。

 

 

 

 小さくなる馬影を眺める、神殿の上で伸びをする赤い背中。

 

「最後の魔法は、まぁまぁだな」

 

 

 

 ***

 

 

 

 オタネ婆さんは幾度となく空を見上げていた。

 パォにはテムジンと蒼の長が詰めている。

 日の入りまでに二人の子供が戻らないと、蒼の長が風出流山に向かう事になっていた。

 小狼(シャオラ)の馬にはもう鞍が置かれている。

 

 婆さんとしては、長に行って欲しくなかった。蒼の長たる者に禁忌の場所に足を踏み入れて欲しくない。どうしてもと言うのなら、自分が行くと申し出た。

 しかし普段けして我を出さないあの方が、今ばかりは自分が行くと言い張る。

 だから子供達に、帰って来てくれ、頼むから日の入りまでに帰ってくれと、空を見据えて祈っている。

 

 小狼(シャオラ)はベッドで目を閉じている。

 オタネ婆さんと同じ気持ちだった。一生懸命動いてくれているトルイに、気が済むようにやらせてあげたかっただけだった。

 男性二人も同様で、子供達に対しては何も期待していない。帰って来た時どう慰めようかとばかり考えていた。

 

 だから、オタネ婆さんの歓声と共に帰還した子供達の晴々とした表情は、一同を戸惑わせた。

 

 

 

 二人はパォに飛び込むや、尽力してくれた大人達への礼は後回しに……別の事を喋ると何かが溢(こぼ)れてしまうとばかりの勢いで……小狼の枕元に駆け寄った。

 両側に座り込み、左右から手を握る。

 小狼は不思議そうに二人を交互に見た。

 

 イルアルティがまず口を開く。

「あの羽根は、イルのお母さんです」

 

 ・・!!

 一同が揺れた。

 小狼は目を見開いた。

「アルカンシラ・・?」

 

 今度はトルイが口を開いた。

「見えない羽根になってずっと母さんを守っていたんだ。イルの事も守ろうとして、限界が来て折れてしまった」

 

「アルが……」

 

「力尽きて散った羽根は、そのまま天に召される筈なのに、そうならないのは未練があるからだって。それが母さんの身体に枷をかけている」

 

「本当か、それは」

 テムジンが口を挟もうとするが、蒼の長にそっと手首を握られた。

 まずは子供達の話を聞きましょう、という合図だ。

 

「母さん、心当たりはない?」

「…………」

 

 小狼は目を閉じて思い巡った。

 アルカンシラに関して、確かに言わないでいる事がある。

 それは自分が墓まで持って行く事だ。

 言ったとて、誰も幸せになれない。テムジンは傷付き、イルアルティは裏切り者の子になってしまう。兄様だってオタネお婆さんだって、美しいままの思い出にしておきたい筈だ。

 

 目を閉じて考え込んでいる母に、トルイがそっと言った。

「じゃ、俺が質問するから、それに答えてくれる?」

「え? ええ、分かったわ」

「アルカンシラは何で死んだの?」

 

「トルイ!」

 テムジンが声を上げたが、長に促されて口をつぐんだ。

 

「アルは、戦の最中、敵方に拐われて人質に捕られました。その時に呪いを掛けられたの。逃げたら発動する呪い」

 

 長とオタネ婆さんは、どんなに手を尽くしても弱っていく娘を見ているしかなかった日々を思い出して、暗い目をした。

 

「私が至らなかったせいです。護衛に着いていたのに簡単に拐わせてしまった。その後も呪いに気付かないで、アルを逃がす事しか考えていなかった。私のせいです」

 

「違います」

 イルアルティが握っている手を両手で包み直した。

「お母君のせいではありません」

 

 小狼は枕の上で首を横に振った。

「イルは優しい子ね」

 

「母さん、イルは適当言ってんじゃないよ。本当に母さんのせいじゃない。俺達、帰りの馬上で、二人で目一杯話し合ったんだ。そんで答えに行き着いた」

 

 ベッドの女性は緊張し、後ろに立つ大人三人は口を半分開いて片手を上げかけた。

 アルカンシラに関して不自然な点があるのは承知している。

 だが今は愛すべきイルアルティが健やかに育ってくれている。それでいいではないか。

 

「お母さんは、敵方の人だった。王様に反する存在だったんですよね」

 

 娘の一言に、室内の空気が止まった。

 

 後ろの三人は唖然としている。

「何を馬鹿な・・」

 テムジンは声を上げたが、小狼の凍り付いた表情を見て止まった。

 

 トルイが後を継ぐ。

「それですべて説明が付くんだ。母さんが護衛すべき人を守れなかった事も、親友な筈の人の思い出を全然語らない事も。

 敵方が掛けた呪いは『逃げたら発動する呪い』じゃなくて、間者の契約をする時に使われる『裏切ったら発動する呪い』だったんじゃないの?」

 

 長はハッと目を見張った。呪いは契約に基づく物だった? 解く事が出来なかった訳だ。

 その長とオタネ婆さんの方を向いて、トルイは続けた。

「オタネ婆さん、その人を蒼の里で保護して療養させていたって言ったよね。でもまったく身の上を話さなかったって。それって……」

 

 テムジンが動いて息子の口を塞ごうとしたが、トルイの言葉が早かった。

 

「裏切った人の子供を身ごもって、途方に暮れていたんじゃないの」

 

 テムジンが手を上げる前に、小狼が息子の頭を抱いて黙らせた。

 跳ね起きるのにすべての力を使ってしまったのか、その後ヘナヘナと崩れ落ちる。

 父親と息子は慌てて彼女を枕に戻した。

 

 イルは離された手をもう一度握り直しながら、ベッドの反対側の王を見た。

「イルは大丈夫です」

 

 トルイも母の手を握り直した。

「ごめん、俺、言葉が下手だ。だから母さんが話して。アルカンシラという人の『本当』を」

 

「トルイ、少し休ませてから……」

「いいえ」

 テムジンの顔をしっかり見て小狼は言った。

「お話しします」

 

「オタネ婆さん!」

 トルイが背中越しに、出口に向かう老婆を呼び止める。

「ここに居てよ。俺達みんな婆さんの子供だ」

 

 皆が囲むベッドの上、小狼は目を閉じて静かに話し始める。

 

「アルカンシラは純粋な人。誰かが戦で血を流すのを止めたいとだけ考えていた。でも、信頼する人を間違えてしまったの……」

 

 イルの余った手の方にトルイの手が伸びる。

 二人は暗い海の漂流者のように強く手を握った。

 テムジンはトルイと同じにひざまづき、長とオタネ婆さんはイルの側に寄り添って。

 其々の体温を感じながら、黙って静かに、遠い女性(ヒト)の話を聞いた。

 

 テムジンの一筋の涙を見て、小狼は突然、自分がアルカンシラにやり残していた事を悟った。

 だから話の最後は、声に出さずに締め括った。

 

(アル、でもみんな、貴女を許すわ。そしてありのままの貴女を受け入れる)

 

 アルは、テムジンにも誰にも、美化された虚像でなく、あがきながらも必死に生きた泥だらけの足跡を曝(さら)して…………自分を知っていて貰いたかったんだ……

 

 

 

 

 

 

 



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金銀砂子・Ⅹ

 

 

 

 

 一夜明けたら、小狼の背中の羽根の跡は、綺麗に浄化されていた。

 無理矢理消し去っても肉体は同じに回復したろうが、アルカンシラの願いも消し去られていた。

 即ち小狼は自分を責め続け、大人達の心に乾かぬ傷痕を残したままだったろう。

 

 

 蒼の長は溜まった用事にうんざりしながら、慌ただしく帰って行った。

 トルイからある程度は聴取したが、羽根の事、神殿の事についてはまだまだ調べねばならない。一度開いた封印も心配だ。彼に休まる暇はない。

 だが途中で、イルがたてがみの中に編んだ小さな三つ編みを見付けて、少しはホンワリ出来るだろう。

 

 オタネ婆さんは小狼の看護でもうしばらく鎮守の森に滞在する。毎日凄い臭いの膏薬を精製してはトルイと喧嘩をしている。

 

 テムジンは、再びの遠征準備に掛かっている。

 世界統一はライフワークだから止むことはない。

 世界を同じに塗り潰し、戦を無くする事が、彼の母親や兄弟やアルカンシラや、沢山の不幸を止める事に繋がる……そういう信念は、多分一生揺るがない。

 

 そんなテムジンの息の止まるその時まで、小狼は側にいる。

「私、アルに嫉妬した時期があったかもしれません。いつ頃だったかは忘れたけれど」

 と告白してみるが、テムジンはふぅん、と惚けるだけだった。

 

 

 トルイは兜を被る事がなくなった。

 赤い髪をなびかせて場内を闊歩していると、意外と若い兵士のシンパが着いた。

 同年代の友人が出来、遅まきながらの反抗期で、小狼を困らせテムジンを楽しませている。

 それから王妃ヴォルテの書庫に出入りし、ぎこちない会話をしたりしている。

 

 次は遠征に道々するか? とテムジンに尋ねられた夜、久しぶりに母の元へ出向いた。

 

「戦場へ行く前に、一度ちゃんと妖精の学びを受けたい。人間だけでない、多くの繋がりを知って、広い目で統べる事の出来る者になりたい」

 

 そう申し出ると母は、兄様に相談してみましょうと言ってくれたが、少し寂し気だった。

 

「何か障りがある? 言ってくれないと俺、分かんないから」

「そうじゃなくて…………人間の子供って、大きくなるのが本当に早いなぁ、って……」

 

 そう呟く母を見て、自分の背丈がこのヒトを追い抜いている事に気付く。

 

 

 

 イルアルティは………………草原へ帰った……

 

 不思議な事に、風の魔法や能力が一切使えなくなった。

 妖精や草の馬が見えて、ちょっと馬に乗るのが上手いだけの平凡な女の子になってしまった。

 

「思い込みだったんじゃ」

 不思議がるトルイに、オタネ婆さんが説明する。

「自分が『あの草の馬を駆る蒼い髪のヒト達の子供』だと思い込むだけで、風を使う能力が生まれ、『蒼の長の子供かも?』と思い込んでからは急激に能力が上がった」

 

「ま、まさか? そんな事あり得るの?」

 

「普通はあり得ん。じゃがあの子ならあり得る、思い込みだけで何でも出来てしまう、そんな気がせんか?」

 

 オタネ婆さんの手元の柘榴石の杖は、何だか以前と違っていた。

 前は、傷だらけで長年の酷使を忍ばせる風貌だったのが、今は、一度溶けて固まったようにピカピカと輝いている。

 トルイはそれを眺めながら、大真面目に頷(うなず)いた。

 

 婆さんは次の句を呑み込む。

 父親が人間と分かっただけで能力が消えちまうのも、思い込みの一種なんだがね。

 一体どちらが本当のあの子なのやら。

 

 

 イルは魔法が使えなくなっても、あまりガッカリしていない。

 むしろ何であんな事が出来たんだろうと、風出流山での出来事を幻のように思っていた。

 相変わらず馬でビュンビュン駆けるのは楽しいし、自分はあまり変わっていないと思う。

 

 ああ、家族は増えた。お父さんやお婆さんが一気に増えたのも嬉しいけれど、一番嬉しいのは、一生末っ子だと思っていたイルに弟が出来た事だ。

 実はほっぺパッチンを弟にやるのは夢だった。次はヨシヨシもしてあげなくては。

 

 

 ***

 

 

 晩春の夕方。

 イルは空色の乗馬ズボン(ウムドゥ)を履いて、大好きな楡(にれ)の木の下にいた。

 軽いいななきに振り向くと、懐かしい闘牙の馬と……

 

「お待たせしましたか?」

「いえ」

 

 

 蒼の長は、イルが草原に帰ると言った時、一番嬉しそうだった。

 そして母の墓参りに行きたいというイルの願いを聞いてくれた。

 その帰りに、雲の上の天の川を見せてくれるという約束も。

 金銀砂子の星々の中に、大きな羽根を広げた白鳥がいるという……

 

 

 

 

 

 

 

    ~金銀砂子・了~

 

 

 

 

 





挿し絵:草原のイルアルティ 
【挿絵表示】


挿し絵:ありし日のレディ・オタネ 
【挿絵表示】




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閑話・Ⅳ
カタカゴ


 
 短編です
 金銀砂子の13年前
 イルアルティの生まれる少し前



 

 

 

「水疱瘡ですねぇ」

 熱に喘いで横たわる子供の手をとって、そのヒトは家人を振り向いた。

「お祈りより熱冷ましですね。薬とたっぷりの湯冷まし、安静、清潔、風通し。村内の防疫は先程教えた通りに……ああ、それと幼子が居たら、この際伝染(うつ)して済ませて置くと良いですよ」

 

 一通りの説明を済ませ外に出ると、そのヒトはもう居なかった。

 そのヒトを呼んだ祈祷師だけが、平伏している。

 家人も習って、その方向に頭を下げた。

 

 

「人間がもう少しまとまって暮らしていた時代は、水疱瘡くらいで呼ばれなかった物ですがねぇ」

 蒼の長は草の馬で空を駆けながら、小さくなる集落を振り向いた。

 それでもたまに、本当に恐ろしい呪いや憑き物に出くわす事もあるので、人間の求めも無下に出来ない。

 

 妖精は……取り分け、蒼の長の血筋は、人間の何倍も長命だ。

 その分、完成された知識を受け継ぐ。

 それを行使するのは長命な者の摂理。

 人助けとか、積徳等の概念は無い。

 摂理なのだ。

 その信念の元に、長は代々風の末裔の一族を率いる。

 

 

「今日はここまででしょうかね」

 先代ならば、こんな些末な呼び出しは、やり過ごしていたかもしれない。

 

 先代は、『物事の流れを見据え、正しき方向に風を流す力』を完璧に行使出来ていた。

 長の血が継承する、『内なる目』と呼ばれる、預言者にも近い能力。

 それがあり、永々と実績を積み上げて来たからこそ、蒼の長は草原の人外種族から絶対的な信頼を集めている。

 

 自分にその『内なる目』が継承出来ているかというと…………多分、出来ている……筈……

 それは天啓のようにピシャンと閃く物ではなく、先代いわく『当たり前のように思考の中にあり、当たり前に身体が動く』らしいのだ。

 自分も確かに、これがそうかな? と感じる時はある。

 が、まだあやふやなのだ。

 だから里に舞い込む依頼のすべてが『必要な事』に思えてしまい、こうしててんてこ舞いな日々が続いている。

 

 先代……自分の父親なのだが……は厳しくて、お前は未熟者だから、とても何も任せられないと、連れ回してはくれたが実践はあまりさせてくれなかった。

 見せて目で盗ませて、太くゆっくり育てる方針だったのだと思う。

 

 その父が、人間の戦の流れ矢で呆気なく逝ってしまった。

 いや、彼の名誉の為に補足すると、交流のあった人間の首領の危機に、突発的に飛び込んだのだ。

 息子の癖に、父にそんな感情的な面があったなんて知らなかった。

 

 茫然としている暇も無く、遺されたのは、能力があやふやな若い長。

 おまけにその人間の首領も共に散ってしまったので、人間社会とのパイプも切れてしまった。

 

 人間界の戦は治まらないし、人外界にも悪影響が出る。

 暗黒の時代を苦労して潜り抜け、最近ようやく安定して来た所なのだ。

 

「あの子を行かせてしまいましたからねぇ」

 彼と同じ血を持つ妹が居たのだが、何十年も前に里を飛び出したきり。

 それなりの目的があったから自分も許したのだが、こうも忙しいと愚痴ってみたくもなる。

 

 今の所頼りになるのは、本業の傍ら長の補佐をしてくれている、オタネお婆さんという里の医療師。

 その彼女が今は、他の用件に掛かりきりなのだ。

 

 長は溜め息ひとつ吐いて、草原の真ん中の、結界で守られた蒼の里へ帰還する。

 

 

 

「長さま、長さま――!」

 

 里の馬繋ぎ場で係の者に馬を預けていると、淡い髪色の子供が数人駆け寄って来た。

 

 蒼の妖精は白に近い髪で生まれ、成長するにつれ青い色が付いて来るのだが、術力の高い者ほど色が濃くなる。

 長の髪は里で一番濃い群青色だ。父はほとんど黒に近かった。

 

「長さま、先日の試験で約束通り一番を取りました。僕、早く名前が欲しいです!」

「今度、沼地の蟲を退治に行くの、俺も行っていいですよね。兵長さんが長さまに許可を貰えって!」

 

「ああ、よくやりましたね、でも名前はもうちょっと先ですよ。あと百回は一番を取って下さい。

蟲退治? あ――・・勇敢なのは結構ですが、あと百回は剣の稽古を……」

 そんな話、なんで兵長の所で止めて置けなかったのだ? 

 分かっている……前の長が何にでも完璧な判断が出来たので、みんな長に頼る習慣が抜けていないのだ。

 

「おさたま、おさたま」

 こんな小さな者まで何の用事が?

 うんざりしてそちらを向くと、鼻先に薄桃色の花を突き付けられた。

 

「今年いちばんのカタカゴの花が咲いたの。おさたまに見てイタタキたくて」

 

「あ、ああ……ありがとうございます」

 幼い手に握られた小さな花を受け取り、多少穏やかな気持ちになる。

 

「あ――! ずるい! それなら俺は今年一番のゲジゲジを」

「僕、カマキリのタマゴを」

 

 長は群がる子供達を何とか振り切って、里の中央の坂を登った。

 坂上には石造りの執務室があるが、それを通り越して、里の裏側へ向かう。

 

 人家の無い寂れた場所に山茶花(さざんか)林があり、その奥にポツリと小さなパォがあった。

 外から声を掛けて入ると、淡い明かり取りの下で、女性が半身を起こそうとしていた。

 

「ああ、そのままで良いですよ、無理しないで下さい」

 オタネお婆さんは何の用事か、外しているようだ。

「今日はお顔の色が宜しいようですね」

 

「はい、今とても気分が良いのです。風の具合で修練所の方から子供達の元気な声が聞こえて来たせいかしら」

 女性は長い黒髪を滑らせて身を起こした。

 ふっくらしたお腹が重そうだ。

 

「オタネお婆さんが、長様は気が付いたら子供達の輪の中に居られると言っていました。慕われていらっしゃいますのね」

「いや、特に機嫌を取っている訳でもないのですが……何でなんでしょうね」

「子供ってそういうの、分かるんです。自分を子供扱いしないヒトを信頼するんです」

 

 最初に比べたら随分喋ってくれるようになった。

 初めは何を聞いてもダンマリだった。

 

 

 まだ冬の最中の何ヵ月か前。

 草原の外れに、長年音沙汰のなかった妹の馬が現れた。

 背には妹でなく、凍えた人間の娘が乗っていて、これが酷い病で、おまけに身重だった。

 蒼の里で保護し、オタネお婆さんが付ききりで看病しているのだが、容態は芳しくない。

 

 そして、名前もここへ来た経緯も、一切喋らないのだ。

 

「では、こちらの聞く事は何も答えてくれなくて結構。貴女の話したい事を話してください。特に妹に関して」

 そういう言い方をしてみたら、ポツポツと断片的に喋ってくれた。

 

「乗馬ズボン……」

「は? 乗馬ズボン(ウムドゥ)、ですか?」

「はい、妹君が、私の為に縫ってくださいました。私が馬に乗った事がないと言うと、教えてあげると仰ってくれて」

「裁縫ですか、あの子が……」

「ヒトの物を繕う機会が多かったので、段々と縫えるようになったとか」

 少しでも周りの状況が見える話になると、彼女は聡く話を切った。

 

「あの乗馬ズボン、履かないうちにお別れしてしまった。一度くらい履いてみたかったわ」

「どんな乗馬ズボンだったんです?」

「明るい青の、彼女の髪と目の色に合うと、ある方に頂いた絹だって。私なんかに使ってくれなくてもよかったのに」

 

 核心に触れずとも、そうした言葉の端々に、妹があの王君にそこそこ大切にされているのが垣間見れて、長は彼女と雑談するのが好きになった。

 

 

 

「あ、カタカゴ」

 

 言われて長は、手の中の花を思い出した。

 小さな皿に水を張り、花弁を浮かべて枕元の小机に置く。

 

「私、この花、一番好き。春が来るって教えてくれるの」

 女性は嬉しそうに淡い薄桃を見つめる。

 

「では、カタカゴにしましょう」

「は?」

「貴女は名前を教えてくれる気がないし、カタカゴでいいでしょう。不便だし」

「…………」

 

「一応、祝福しましょうか?」

 

 

 ***

 

 

 その頃、山沿いの沼地に、巨大な蟲が異常繁殖していた。

 何処まで成り行きに任せて、何処から手を出すべきなのか、判断するのも蒼の長の役割りだ。

 

 害を成すモノは排除! で済ませていては、必ず破綻する。

 広く遠くまで見渡す必要があるのだ。

 理由も無しにそれまでの理が崩れたりしない。

 流れを見据える蒼の長の目が頼られる由縁だ。

 

 

 昨日から蕭々(しょうしょう)降っていた雨が本降りになり、空が暗くなる夕方。

 沼の周囲に住まう部族に話を聞きに行った兵士が、渋い顔で帰って来た。

「一番古く生きている翁も、初めて見る繁殖ぶりだそうで。平常なら成虫は二、三匹しか見られないのに、今は目に付くだけで十数匹、しかも倍の大きさです」

 厩横の詰め所で、馬の雨養生を外しながら、長に報告をする。

 

「そこまで異常な繁殖ぶりとは、何か理由があるのかもしれない。翁は、他に何か言っていませんでしたか? 例えば最近のこの悪天候についてとか」

「あ、えっと……聞いて来いと言われたのは蟲の事だけでしたので」

「…………」

 

「長!!」

 慌ただしく飛び込んで来たのは、修練所の若い教官だった。

 

「どうしました?」

 

 教官の後ろから、足元のおぼつかない幼い女の子が着いて来た。

「イトコのお兄ちゃんたち三人が、夕方、ムシの沼に行くって……止めたんだけれど勝手にお馬で飛んでって、帰って来ないの」

「な、なんですって!?」

 

「先月馬に乗り始めたばかりの子供達です。気の大きくなる年頃で……」

「解説は要りません!」

 

 長は雨衣をはおって、外に飛び出した。

「闘牙の馬を引け! 雨に強い馬の班を招集、準備次第沼へ! 私は先に行きます!」

 

 伝令が飛び、各所から兵士達が走って来た。

 まさに飛び立とうとする長に、教官が、私も行くべきでしょうか? と尋ねる。

 当然でしょう! と喉まで出掛かるのを呑み込み、お願いしますと叫んで飛び立つ。

 

 

 

 雨脚は強くなり、普通の草の馬の脚力は宛てにならない。

 闘牙の馬は雨を突いて一騎、矢のように飛んだ。

 

 沼の畔に近寄る頃には辺りは真っ暗で、どうどうという水の音だけが響いていた。

 

 闇の中、馬を空中で停止し、長は両手を回して印を結ぶ。

 ――蒼の一族の血を持つ者・・

 ――血に応えよ・・

 

 即座に眉間に三つの反応がよぎった。

 よかった、生きている。

 

 反応のあった方向に目を凝らすと、茅草に覆われた中洲が見えた。

 暗闇の中、長は更に、同族の血をかぎ分ける。

 折り重なった草の間、抱き合う三人の子供が見え、長は胸を撫で下ろした。

 

「長さまっ、長さまぁっ」

 馬から飛び降りた長に、子供達が駆け寄った。

 

「怪我は無いようですね。貴方達の馬は?」

 三人が泣きべそで指し示す先に、ずぶ濡れになった三頭の草の馬が半分泥に埋もれていた。

 

「う……わあ……」

 子供って、何で一番やっちゃイケナイ事をやらかしてくれるんだろう……

 

「沼地に馬を降ろしちゃ駄目って習いませんでしたか? まぁ、説教は後です」

 

 長は空中で待たせていた闘牙の馬に術を飛ばし、高く舞い上がらせた。

 上空で馬は白く明滅する。

 

「さあ、後は後発部隊を待ちましょう。こちらへいらっしゃい」

 屈んで三人を抱き寄せ、自分の雨衣を、被せる。

 三人とも冷えきっているが、顔色は大丈夫だ。

 

「何だってこんな日に蟲の沼に来ようと思ったんです?」

「こいつが……」

「お前だろ……」

「自分のする事に責任を持たない者は、立派な草の馬の乗り手になれませんよ」

 

 二人は項垂れ、三人目の一番背の小さい子が告白する。

「ボクが言い出したんです。トモダチを助けに行こうって」

 

「友達?」

 

「中州にトモダチが居るの」

「水が増えて怖いって」

「だから助けに来たのに、見つからないんだ」

 

「友達なのに……見つからないんですか?」

「だって、会った事ないんだもの」

「??」

「長さまお願い、トモダチを助けて」

 

 そんな無茶な……

 しかし三人は真剣な様子で、嘘を言っている風ではない。

 

「では、こちらへ手を」

 長の差し出された手の平に、三人の小さな手が重なる。

「友達の事を強く思って下さい」

 長も集中する。

 確かに一定のイメージが流れ込み、一つの場所を示す。

 

 長は立ち上がって、そちらへ歩いた。

「この辺り……?」

 中洲の少し高い所に薮があるばかりだ。

 

「あっ」

 ひとつ雨衣の下に六本足で動いていた子供達が、足元に何かを見つけた、

「キミ、こんな所に居たのか!」

 

 そこにはキビタキの巣があり、卵が二つ残っていた。

 まだ僅かに生きているが、親鳥は居ない。

 ギリギリまで護っていたのが増水で諦めたか、蟲に喰われたか……

 

「今晩中に水に沈んでいたでしょう」

 長は巣ごと持ち上げて子供達に渡した。

 一番大きい子が、大切に懐にしまう。

 

(卵の内の者の声を聞いていたのか。まったく子供って……)

 

「長さま、あの」

 真ん中の背丈の子が、遠慮がちに口を開いた。

 

「はいはい、今度は何ですか?」

「生物学で習ったのですが、蟲って」

「はい、蟲って?」

「点滅する光に寄って来るんじゃなかったですか?」

「!!!」

 わ・す・れ・て・た・・・!!!

 

 

 雨闇の中を見渡すと、大木程もある巨大蟲達が、鎌首をもたげて中洲を取り囲んでいる。

 トモダチ捜しに構けていて、気付けなかった。

(何たる失態!)

 

 腕を上げて、闘牙の馬を別方向に移動させるが、遅かった。

 何匹かは馬に着いて行ったが、既に大多数は中洲の四人の体温に執着している。

 

(倍の大きさドコロじゃない、ほぼ大型魔獣だろ、こんなの!)

 

「長さまぁ・・」

「三人、雨衣をしっかり被って、私の真後ろに、出来るだけ身を低くしていなさい」

 

 剣を抜いて、呪文を含ませる。

 真空術で薙ぎ払うしかないが、最初の一撃でどれだけ倒せるだろう?

 

 腰を落としたその時、上空がにわかに明るくなった。

 同時に火の付いた草の束が、中洲のあちこちに落ちて来る。

「うわっ」

「くっさ!!」

 

 蟲達は首を振って縮まりながら退散して行った。

 蟲避けのニガヨモギの煙。

 こんなに機転を効かせてくれるのは……

 

「オタネお婆さん!」

 

 上空に、兵士に指示を出している婆勇者のエンジの馬が見える。

 

「助かりました……」

 

 

 沼地の馬にロープを掛けて引き揚げ、子供達は兵士の馬に分乗させて、全員が飛び立った所で……

 山が唸り出した。

 

 どっどっどっ・・・

 どどどどどどどど!!!

 

「鉄砲水じゃ!」

「もっと上空へ!」

 

 間一髪だった。

 山から一気に流れ落ちた土砂が、みるみる沼の形を変えて行く。

 皆口を閉ざして、どうしようもない大地の力を茫然と眺めていた。

 子供達は、衣の上からキビタキの巣をさすり、口を一直線に結んでいる。

 

「あ!?」

 若い教官が叫んだ。

 松明で照らされた先の方、水に押し流された巨大蟲が、沼の流れ口に引っ掛かる。

 蟲は段々に重なり、水の流れを緩く塞き止めてしまった。

 彼らはこのまま死んで石になり、天然の堤となる。

 これにより、下流の森や集落は、大きな被害を免れるだろう。

 

「蟲の増殖は、これを予見していたのでしょうか?」

 長はオタネお婆さんに尋ねる。

 

「奴等は何も考えとりませぬ。在るのは何らかの意思、それだけですじゃ。下流の者達は、まだ滅ぶべきでなかったという事」

 

「蟲を切り刻んでいたら……」

 

「長様、わしら小さい者は、その場その場で精一杯をやるだけなのですじゃ」

 

 長は雨に打たれながら、一匹また一匹と折り重なる蟲を見つめていた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 群青の髪を垂らして、長が小机に突っ伏している。

 

「どうされたのですか?」

 ベッドのカタカゴの君が、小首を傾ける。

 

「昨日の己の無能ッ振りに、落ち込んでいるのです」

 

「そうなのですか? オタネお婆さんのお話しでは、三人の子供も草の馬も、長様の素早い行動があったからこそ助けられたと」

 

「それは結果です、たまたまです。もっと的確な方法があった筈なのです。あんなギリギリになるようじゃダメなんだ」

 スルスルと弱音が出る不思議。

 何でだろう、この女性(ヒト)が里の者ではないからだろうか?

「先代は偉大だったのですよ。あの方なら、もっと完璧な判断が出来ていたでしょうに。そう、もっと、あの方なら……」

 

 

 

 オタネお婆さんは、薬師の所で、わざとゆっくり四方山話をしていた。

 先程、今日の外回りを済ませて帰還した長が、カタカゴのパォに向かうのを見たからだ。

 

 子供の頃から長を知っている婆も、彼があんなにストレートに弱音を溢(こぼ)すのを見たことがない。

 彼女が聞き上手という理由だけでは無かろう。

 カタカゴの君には、何か、ヒトを無防備にさせ、本心を引き出す力がある。

 

 あの長は、偉大な先代のプレッシャーにいつも押し潰されていた。幼い頃から己に厳しく、誰にも弱味を見せない。あれではいつか疲れて折れてしまうのではと、婆は案じていた。

 彼の負担を薄める為に、先代に後妻を娶らせ、血縁を増やす計画も進められていたのだが、その前に先代は没してしまった。

 独り残された長はますます張り詰め、一刻も緩める時がない。

 だから、あの娘と話している時の長のほどけた表情を見ると、婆もほっとするのだった。

 

「できれば持ち直して欲しい物だが……」

 日を追う毎に、枕から離れられなくなる娘の先行きを想うと、気持ちが沈む。

 

「お腹のお子に障るので、あまり強い薬は使えないんですよね」

 薬師は独り言のようにぼやきながら、慎重に薬を量って調合する。

「何にしても、病の進行を少し遅らせるだけで」

 

 

 

「先代様は……」

 カタカゴがぽつんと話し始めて、長は顔を上げた。

「本当に完璧だったのでしょうか?」

「!??」

 

 長はカタカゴに向き直る。

「ええ、あの方には間違いがありませんでした。全てにおいてソツ無く抜け目無く」

 

「それは……さぞかし大変だったでしょうね」

「??」

「皆に完璧だと思われ、頼られるのでは、ひとときも気が抜けなくて」

 

 長はムキになって反論した。

「いえ、あの方は大変だなんて思わないですよ。豊富な知識と力量があって、いつでも余裕たっぷりで。私はいつもそんな背中を見て憧れて……」

 

 カタカゴは口を閉じた。

 少し間が悪くなる。

「すみません。私、良く知りもしないのに」

「あ……いえ」

 

「でも私は……」

 カタカゴは言葉を選びながらゆっくりと言う。

 

「迷ったり落ち込んだりなさる長様の方が好きですわ」

「え・・!?」

 

 長はよっぽど言われつけていない言葉を聞いたのか、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔になった。

 

 言葉の選び方をしくじったかと、カタカゴは慌てて言い直した。

「完璧で間違いのない方の下では、つい頼ってしまって自分が成長出来ません。私が里の民だったら、迷って、悩んで、失敗しては反省する長様と、一緒に成長して歩んで行きたいです」

「……………」

 長は言葉という物を忘れたように、黒髪の娘を見つめていた。

 

 

 ***

 

 

 風が少し強い。

 

 丈の高い草がうねる中に、ハイマツと苔が覆う小さな丘があり、その天辺に、あの日自分の人生を変えてくれた女性(ヒト)が眠る。

 

 大きな馬から助け下ろしたのは、彼女が命と引き替えにこの世に遺した少女。

 母に近い年になり、やっと初めて母の名を知り、墓に訪れる。

 

「稚(いとけな)いお墓ですね……」

 玉石がふたつ積まれただけの、言われなければ分からないような小さな墓。

 石を撫でる少女の背で、母と同じ真っ黒い髪が波打つ。

 

「こちらへ来てごらんなさい」

 蒼の長が丘の反対側で呼ぶ。

 

「……わあっ!!」

「少し季節を外してしまいましたが、まだ残っていますね」

 丘の反対斜面は、一面のカタカゴの群落だった。

 

「雪の溶ける頃、この辺りで一番に咲くんですよ。」

 

 

 

 

 一族を離れた妹は、父と共に散った人間の首領の息子の元へ行き、共に戦場を駆けていた。

 暗黒の時代を潜り抜ける事が出来たのは、遠い所で、彼女も彼女なりの役割を果たしてくれていたからだった。

 その妹が戦火の中、兄を頼って逃がした娘が、図らずも兄を救ってくれた。

 ヒトの縁(えにし)は不思議な物。

 

 今現在、里では長に着いて修行する若者が何人か居て、その中の有望株が、あの日の中洲の三人組だ。

 遭難の翌日、三人伴って、弟子入りを志願して来た。

 キビタキの巣を見つけ出した長を見て『カッコイイ』と思ったのが動機らしい。

 

 その時はあしらうつもりで、キビタキの卵を孵したらね、と答えたのだが、何とあんなに冷えきっていた卵を見事に孵化させた。

 ピイピイ言う雛を眺めながら思案に暮れている長に、血に関係なくやりたい事を伸ばしてあげればいいじゃありませんか、と後押ししてくれたのも、カタカゴだった。

 蒼の里の者からは決して出ない意見。

 

 勿論、反対はあった。

「あの子達の血では修行する価値があるかどうか。それ以前にやるべき基本の勉強が山積みです。まあ、長様がそう決められるのなら、仕方がありませんが」

 

 気が進まない素振りの教官に、長は書き物机から顔を上げて、シレッと言った。

「そうですね。貴方の言う通りです」

「へ? はあ……」

 

「私が間違っているかもしれません。しかし子供達の将来を『仕方がない』で済ませてはいけません。子供達と、どのような時間割りを組めば可能か、話し合って下さい。その上で出来るかどうかを判断して下さい。貴方が」

 

 教官は戸惑って長を見直す。この方、こんなに沢山喋るヒトだったか? 

 

「あの、そんな手引き、私には……」

「楽しみですよね、あの子達は気骨がある」

 

 

 そんな感じで責任を少しづつ分散したら、自分なりの長のやり方が見えて来た。

 

 三人の子供は寝食惜しんで勉強し、修練所の基本勉強を半分の年数で終わらせた。

 弟子入りしてからも、出来る事出来ない事に差があるが、それぞれに頑張ってくれている。

 お陰で去年辺りから、長はかなり楽になった。

 

 

 

 

「もうあまり、会えなくなるんですよね」

 黒髪が顔を隠して表情の分からない少女が言った。

 母に似て、本当に敏(さと)い。

 こうして話をするのは今日までにしようと思っていた。

 

「貴方はもう寂しい子供ではありません。これから成長して、大人になって、人間として素晴らしい人生を送るんですよ。今までのように見守る必要はもう無いのです」

 

 それでもこの先、彼女が何かに窮したら、必ず助けに行くだろう。

 でもそうでなければ……関わらない方がいいのだ、そういうものなのだ。

 

「さあ、今宵は一番の天の川が見られる星回りです。最後にひと飛び参りましょう」

 

 空色の乗馬ズボン(ウムドゥ)の少女は、長に助けられて馬に乗る。

 二人を乗せた馬は、白鳥座の翼に包まれるように、星々の間に飛び立った。

 

 

 

 

 

 

      ~カタカゴ・了~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





挿し絵・カタカゴ:
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よっつめのおはなし
白い森 ~寂しい天の川~・Ⅰ


 

 

 

 この土地の夏は短い。

 短い夏に一斉に草が萌え立つ。

 

 夏草色の馬に乗った青い髪の青年が、雲を縫って目的地へと急いでいた。

 

 青というより濃い紺色の癖っ毛を襟足で束ね、眉と目の縁は細筆でスラと線を引いたよう。

 里で一番高くまで上がれると自負する飛翔は力強く、表情も自信に満ち満ちている。

 

 人間の王都より北に位置する白い森が、長に指定された待ち合わせ場所だが、その手前の岩山に、手を振る二人の知った顔が見えた。

 

「ノスリ! カワセミ!」

 青年は馬を降下させた。

「どうした? 集合はあの森だろ?」

 

「ああ、集合場所へ行く前に、確認しておこうと思ってな」

 青い髪を頭の天辺でぎゅっと束ねたガッシリ系の青年が答える。

 三人とも成人になりたての初々しい年頃だが、ノスリと呼ばれたこの青年は、他の二人より頭一つ抜き出ている。

 

「確認?」

「お前は何て言って長に呼ばれた? ツバクロ」

 

 ツバクロと呼ばれた青年は、整った眉を寄せて困り顔をした。

 ノスリはどうも、物事に即答を求めたがる。

 自分達の師匠である蒼の長に呼ばれたのだから、何でも任せて素直に従っていればいいのに。

「鷹の手紙では、用事があるから白い森へ来て二人と合流するように、ってだけ」

 

「お前もそれだけか」

 ノスリは腕組みした。

「近くの湖に滞在していた俺達はともかく、遠い北西の山に出向していたお前までわざわざ呼び戻して」

 

「ノスリ、とにかく長の指示通りに動こうよ」

 

「それがな、カワセミが……」

 ノスリは、さっきから押し黙って目だけキョロキョロさせている小柄な青年の方を向いた。

 

 カワセミは緩慢な動作で顔を上げ、二人を交互に見た。

 ノスリとは対照的にこの青年はえらく華奢で、本当に小鳥みたいだ。

 その細い首や手足にザラザラびっしりと石の鎖が巻き付いて、身体は小さいのに腰まで覆う水色の猫っ毛が、アンバランスなシルエットを作っている。

 ゆっくりゆっくり開かれた口から、「胸騒ぎがする・・」と不穏な台詞。

 

 ツバクロは真顔になった。

 カワセミの場合、捨て置けないのだ。彼がたまに発する予知(っぽい)能力はガチだ。何度か助けられもしているし、ノスリが彼に一目置くのもその為だ。

 

「ザワザワする。誰か来るんだ。そいつは破壊者。何かを壊す」

 

「カワセミ」

 ツバクロはなるべく穏やかに遮った。

「君の予感が信頼出来る事は知っているよ。でも会う前からそういう風に決めつけられる奴の身にもなってやれよ。気の毒だろ」

 

「うん・・」

 カワセミは頷いた。

 この能力が現れ始めた頃、気味悪がる周囲から庇ってくれ、上手くやれるように誘導してくれたのはツバクロだった。

 だから普段マイペースな彼も、ツバクロの進言は素直に受け入れる。

 

「何にしても森へ行こう。そろそろ約束の時間だし…………っっ!!?」

 ツバクロが馬の方へ歩きかけて、違和感に足を止めた。

 影が、着いて、来ない!?

 

 馬が悲鳴を上げて後退りする。

 ノスリとカワセミにも緊張が走った。

 

 ピンピン跳ねた癖っ毛の影が、いきなりビュンと伸びて地面から離れて立ち上がった。

 

「何だ、何がっ??」

「虎……」

 カワセミがポソリと言った直後、見上げるばかりの黒虎が形を成した。

 青竜刀のような爪がツバクロに向いて振り下ろされる。

 

「うわっ」

 後方に跳んで避けた次の二撃目を、ノスリの二刀がガチリと受け止めた。

「カワセミ! 呪文を寄越せ!」

 

 水色の青年が、慌てて術を唱えて光の塊を作り、ノスリの大刀に向けて放った。

 受け止めた光を切っ先まで重鎮させ、剣は生き物のように震える。

「うりゃあ!」

 術の上乗せされた刃をノスリが一閃、虎は腹を見せてすっ転んだ。

 

 しかし退治するには至らず、黒い毛を剣山みたいに逆立てて起き上がって来る。

 

「ごめ・・慌てたから力が足りなかったみたい」

「ツバクロ、時間を稼げ!」

「言われなくても」

 

 動きの素早いツバクロは、左右に跳んで虎の気を引き、細剣を振ってカマイタチの術を放った。

 しかし虎は何かに守られているのか毛皮が固いのか、物理の攻撃では傷一つ付けられない。

 

「何てモノを連れて来たんだ、ツバクロ!」

「ごめん、二、三日前に山で祓い損ねた奴だ。影に取り付いていたなんて」

「迂闊だな。長が居たら大目玉だ・・」

「いいから早く術を作れ、カワセミ!」

 

 武器を持つ者を狙う習性なのか、虎は剣を持つ二人を執拗に襲う。

 その隙にカワセミは手の中でジュワジュワと、緑に光る特大の槍を作り上げた。

「行くよ――」

 

「おう! ……ぁっつ!!」

 視線のそれた隙に虎の前肢が飛んで来て、ノスリは転がって避けねばならなかった。

 投げられない槍を両手で掲げたまま、細っこい妖精はグラグラと揺れる。

「ああ~ ツバクロ~」

 

「僕にはそんなデカイの無理っ!」

 

「ダメ~ 持ってられない、直接投げる~」

 

「よせ、バカ!」

 

 貧弱な腕が投げた槍は案の定、弧を描いて虎の鼻先にヘナヘナと落ちた。

 武器と見なしたのかおちょくられたと思ったのか、とにかく黒虎の逆鱗にめっちゃ触れた。

 

 ガアアアア――!!

 

 怒り狂った獣の爪と牙と棍棒のような尻尾が無茶苦茶に飛んで来た。

 

「こうなる事を予知しろよ!」

 魔力に全振りで体力機動力ゼロのカワセミを抱えて、ノスリが逃げ回る。

「ボクだって万全じゃない・・」

 

「君の言ってた『何かを壊すモノ』ってこいつ?」

「違う、多分・・」

「逃げろ逃げろ逃げろ!」

 

 とにかく物理が効かないんだからカワセミに術を作って貰う以外にない。それをノスリの力業で撃ち込むのがいつもの定石(セオリー)。

 今一度仕切り直そうと、ツバクロが囮になって飛び出そうした所で……

 

 不意に虎が止まった。

 と思ったら三人に背を向け、いきなり四つ足で岩山を駆け下り出した。

 

「え? 何だ!?」

「ヤバい! あそこ!」

 

 岩山を下った森の入り口に、人間の子供がポテポテと歩いている。

 人間にあの虎が見えているかは怪しいが、魔の獣は人間を引き裂く力を十分に持っている。

 

「行け、とにかく間に合え!」

 ツバクロが風を呼んで岩山を飛び下り、ノスリは最速で走る。カワセミはとにかく槍を作る。

 

 しかし次の瞬間、思いも寄らない事が起こった。

 

 子供は迫り来る虎にしっかりと視線を向け、腰の剣を抜いた。

 小さい身体に不釣り合いな、大きな刃。

 その剣は鞘から姿を現した時から溢れんばかりの光を湛えていた。

 

「破――邪――!!」

 

 声変わりしていない子供の声と共に、振り上げられた剣から光が湾曲して飛び、真正面から虎に命中した。

 光はたちまち虎を包んで絡め取る。

 逃れられない黒虎はしばらくもがいていたが、だんだんに小さくなってプツンと空中に消えた。

 

 三人は岩山の中腹で止まっていた。

「今の、どうなったんだ。ツバクロ?」

「多分、異次元に飛ばしたんだと思う。でも、あんな子供が……?」

 

「光が翡翠色だった・・」

 後ろからカワセミが不機嫌そうに下りて来た。

 蒼の妖精の術の光は様々で、緑もあれば黄やオレンジもある。

 術力が上がるにつれて色が抜けて白に近付き、白を越えると翡翠に輝く。

 

「嘘だろ、緑の見間違いじゃないのか?」

「ううん、翡翠。長の術と同じ色。ボクでも二、三回しか出せた事ないのに・・」

 

 言っている間に、子供は剣を収めてスタスタと岩山を登って来た。当たり前みたいに妖精も見えているようだ。

 

「何だ、こいつ」

 ノスリが無遠慮に呟く。

 子供……十二、三の人間の男の子は、見た事もない真っ赤な髪と、瞳孔が縦に割れた銀の瞳をしていた。

 だが気配は至(いた)って人間。

 何者なの? と聞く前に、子供の方から質問して来た。

 

「『蒼の長の三人の弟子』って、あんた達?」

 開いた口元の犬歯も人間離れして大きい。

 

「ああ、そうだが、お前は?」

 答えたノスリの鼻先に、蝋封された手紙が突き付けられた。

 

「長が、渡せって」

 

 人間の子供をメッセンジャーに?

 三人は訝(いぶか)りながら封を剥がして覗き込んだ。

 大人しく待つ子供の前で、三人の青年の目は見開かれ、口がポカンと開く。

 

「蒼の長が、人間を、弟子に取るって!?」

 

 

 

 

 





挿し絵:ツバクロ 
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挿し絵:ノスリ 
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挿し絵:カワセミ 
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挿し絵:トルイ 
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挿し絵:四コマ 
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白い森 ~寂しい天の川~・Ⅱ

 

 

 

【――この手紙を持参した子供を暫く預かる事になりました。人間だけれど風が使えちゃいます。放っておくと危ないですからね。弟子と同じに扱いますので、心構えを教えて、蒼の里へ案内してあげてください。

 P・S みんな仲良くね♪ 】

 

「おい、本当に長の書いた物か? 長が人間なんかを弟子にする訳ないだろ」

 

「人間なんかで悪かったな」

 

 大男のノスリに臆せず背伸びして睨み付ける子供の前に、ツバクロが慌てて割って入った。

「落ち着いて、この蝋印は長の物で間違いないよ。えと、まず名乗り会おう。僕はツバクロ。こっちはノスリ、それとカワセミ。君は?」

 

「名前ってのは自分で名乗る物だと教わった。蒼の里ではそうではないのか?」

 

 イラッと揺れるノスリの肩をツバクロが押さえた。

「……ノスリだ」

「・・カワセミ」

 

「僕達は名乗ったよ。さ、君の名前は?」

「長に止められてる、名乗っちゃ駄目だって」

 

「ふざけんな!」

 ノスリが掴もうとする胸ぐらがフィッと消えて、子供は後ろに移動していた。

 

「そうじゃなくて。俺、妖精の里に、弟子入り? をするんでしょ? 人間の名前を持って来ちゃ駄目なんだって。あんた達に名付けて貰えって」

 

「弟子入りなんざ認めていねぇ!」

 振り向いて再び胸ぐらを掴もうとする手を、子供はまた風の術でかわそうとする。

 しかし先回りしたツバクロに肩を掴まれた。

 

「今、何て?」

「だから人間の名前を持って来ちゃ……」

「その後!」

「あんた達に名前を付けて貰えって」

「!?」

 

 三人は驚愕の目を見開いた。

 蒼の妖精が名前を授かるのは成人と認められてからだ。それまでは生まれた家系で使い回される幼名で呼ばれる。

 名を授けるのは当代の長で、長の言霊(ことだま)によってその者のヒトと成りが定まる。簡単ではない、超重要な役割なのだ。

 

「ねえ、君の聞き間違いじゃないかな? 僕達は長の弟子で、名前を授けるような立場じゃない」

 

 赤毛の子供はフィッと下を向いた。

「そりゃ、俺だって長に付けて貰いたかったさ。でもあんた達の記念すべき命名第一号になってやれって」

「…………」

「これってどっちが名誉なんだ? あんた達に名前を付けられる俺か? 俺に名前を付けるあんた達か?」

 

 三人は口を結んで止まった。

 そんな重い責任がいきなり降って来るなんて……

 

「え――と、名前ったって、僕達君の事を何も知らない。少し行動を共にしてからちゃんと考える。それでいい?」

 ツバクロが何とかまとめようとした。

 

「うん、それでいいぜ」

 

「じゃあねぇ、まず言葉使いをキチンとしなさい。僕らは君の兄弟子だ」

 

「ちょっと待てツバクロ、俺はまだ認めていないぞ」

「今それを言っても堂々巡りだろ」

「いや、認めん、人間なんざ……」

 

 ――ピッシィィイイ――!!

 

 すぐそこの岩に緑の雷光が落ちた。

 地面がどん! と揺れて、全員が尻餅をついた。術を使ったワセミ以外。

 

「・・ノスリィ、長の決め事は、絶対・・!」

 静電気をバチバチ言わせながら、水色の髪が広がる。

 

「ち、分かったよ、お前がそう言うのなら」

 渋々諦めるノスリの横を通り過ぎて、赤毛がカワセミに駆け寄った。

 

「すっげぇえ!」

「!??」

「凄い凄い、ね、俺も練習したらそんなの使えるようになる!?」

 子供は感激の勢いでカワセミに両手を突き出した。

 

「あっ、今触ったら……」

 ツバクロが止める間もなく、子供は細い両手を握ってしまった。

 雷(いかづち)を使った直後のカワセミに触れると、自分達だってエライ目に遭うのに。

 

「うわあ、ビリビリする! カッコイイ! 本格的な術って感じ!」

 赤い髪を逆立てながら子供は大喜びだ。平気なのか……?

 

 カワセミは水色の目を真ん丸に見開いて呆然、ノスリも流石に驚き顔だ。

 ツバクロがノスリの横にスッと寄る。

「暫く様子を見よう。君だってあの子の正体を知りたいだろ?」

 

 

 ***

 

 

 ともあれ、全ては蒼の里へ行ってからだ。

 長に聞けば納得の行く答えをくれるだろう。

 三人は自分の馬を引いて来た。

 

「おい赤毛、お前、馬は? 歩いて来たのか?」

「乗って来たけれど、借り物だ。帰さなきゃ。あんた達の誰かに二人乗りで連れてって貰いなさいって言われた。あ、俺、このヒトがいい!」

 子供にいきなり抱き付かれて、カワセミは子犬にじゃれ付かれる老猫みたいな迷惑顔をした。

 

「よく見ろ、その貧相な馬で二人乗りが耐えられると思うか?」

 ノスリが後ろから子供の首根っこを掴んで引き剥がした。確かにカワセミの馬は主に似て痩せギスだ。

 

「ついでに言うと僕の馬も駄目だからね」

「え、えぇ――……」

「意地悪じゃないぞ。ツバクロの馬は里で一番狂暴だ。俺らだって迂闊に近寄ると噛まれる」

 ツバクロの後ろの鮮やかな夏草色の馬は、先程から白目をむいて鼻息荒く子供を睨み付けている

 

「で、必然的に俺になるのだが」

 ノスリは子供を下ろして、腕組みをして息を吐いた。

「何か言う事は?」

「おっきい馬!」

 

 は? と後の言葉が空振りしたノスリの横を通り過ぎて、子供は他の馬よりも二回りも大きい草の馬の前に立った。

「こんな大きな馬初めて見た。長の馬も大きいけれど、こっちは筋肉隆々ですっごい強そう!」

 キラキラした目で言われて、さすがの大男も対応に困っている。

 

「うん、ノスリの馬は大概の事に動じない。他の馬が煽られるような風の中でも空中でドッシリ構えていられるんだ」

 ツバクロが取り持ってやった。

「キチンと頼んだら乗せて貰えるよ」

 

「あ、はい。宜しくお願いします。ノスリさん!」

 

 何だちゃんと挨拶出来るじゃないか、と思ったが、よく考えたら初っぱなに「人間なんか」などと言われたら、そりゃ斜に構えるよな。

 心配しなくとも、普通に良い子かもしれない。長が面倒を見る気になるぐらいだし。

 何となく安心したツバクロだが、森の入り口を見下ろしてハタと止まった。

 

 一頭の薄色の草の馬が現れ、子供目指して一気に駆け上がって来たのだ。

 

「君、乗って来たって草の馬だったの?」

「うん、俺の馬じゃないよ。か……『蒼の狼』の馬」

「あおの・お・お・か・み・・?」

 

 三人の青年は顔を見合わせた。聞いた事もない名前だ。しかも随分と厳(いか)つい。

 

「里を出奔したヒトだから普段は使っていないけれど、長に貰った名前だから、蒼の里のヒトに言うのならこっちかなと。駄目だった?」

「いや……」

 

 草の馬を持っている上に長が名を授けたのなら、正真正銘、蒼の妖精だ。

 しかし、里を出奔した? 自分達はそんな存在知らない……

 

 子供に鼻面を刷り寄せる馬は、淡い新芽の黄緑色。中振りだが均整が取れていて、立ち姿も美しい。

 そして何より、まとっている精気が半端じゃない。昨日今日鍛えられた物ではない格上のオーラ。

 蒼の妖精は皆自分の馬が一番と思っているが、今ばかりは三人ともしばらく見惚れた。

 

 草の馬は基本、一生を一人の主(あるじ)と過ごす。

 主が七つの時に宛がわれ、主の資質に合わせて草を伸ばして成長する。

 こんな立派な草の馬の持ち主って……?

 

「どういうヒトなの? その『蒼の狼』ってヒト、君とどういう関係?」

 

「あ――……」

 子供は戸惑いながら、ツバクロの質問に答えようとしたが……

「俺の師匠で…… ああ、やっぱり長に聞いて。俺、何を何処まで喋っていいのか分かんない」

 

 三人はまた顔を見合わせた。

 確かに、出奔した者ならそれなりの事情があるのだろうし、本人の居ない所で無闇に喋らないのは真っ当だ。

 でもやっぱりモヤる。

 

「ねぇ、ボク、その馬に触っていもいい?」

 後方にいたカワセミがスゥッと動いた。

 

「いいよ、こいつ頤(おとがい)をコショコショされるのが好きだよ」

 子供は喉(のど)かに言って場所を明けた。

 

(あ、それは……)

 手を上げかけてツバクロは躊躇した。

 カワセミは、『モノ』に触れるだけで持ち主の情報を読み取る事が出来る。

 止めなきゃいけないのは分かっているが、ツバクロだってこの馬の持ち主への興味は止められなかった。

 

 

 

 

 



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白い森 ~寂しい天の川~・Ⅲ

 

 

 

 

 カワセミが赤毛の子供の馬に近付き、顎をちょっと掻いてやってから、その手を首筋に滑らせた。

 ノスリとツバクロは固唾を呑んで見守る。

 

「あれ?」

「どうしたの? 何か変?」

「・・いや、きれいな瞳だ」

「サンキュ、ぼちぼち帰すね。あんまり遅くなるとあのヒト心配するし」

「あ、ああ・・」

 

 鐙(あぶみ)を結わえて手綱を外し、子供は短い呪文を詠唱した。

 馬はフワリと風をはらみ、円を描きながら上昇して雲の中へ消える。帰り先を悟らせぬよう、普段からそういう風に仕込まれているのだろう。

 

(それにしても、飛行術まで知っているのか、この子供……)

 

 

 ツバクロが子供に二人乗りのレクチャーをしている間、離れた所でノスリがカワセミに寄った。

 

「どうだった?」

「・・分からなかった」

「どうして?」

「防御・・馬自体、強い術で守られている。ボク、そういうのはソコソコ破れる自信があったんだけれど・・」

「お前でもか」

 

 カワセミは唇を噛んだ。

 自分の術力は里で一番長に近いと自負している。それが通用しないなんて初めてで、言いようのない不安に襲われている。

 まぁ、でも、長の元へ戻るまでの辛抱だ。

 もしも長が皆に明さないスタンスでも、後で一人でこっそり聞きに行けばいい。あのヒトはボクにだけは教えてくれる。

 心を乱される事はごめんだ。厄介事もごめんだ。

 

「あ、あれ!」

 不安の種の赤毛が、空の一点を指差した。

 

 さっき返した鷹が、再び舞い降りて来た。

 逆さにしていた書簡筒が正位置に戻っているから、新たな手紙を運んで来たのだ。

 

 ツバクロが開くそれを、全員で覗き込む。

 

【――危急の用事で東方に出向かねばならなくなりました。二、三日は戻れません。流石に私の不在時に人間を里に迎え入れる事は出来ませんので、その子供と白い森で待機していて下さい。追って鷹で連絡します。

 P・S ごめんね 】

 

「…………」

「…………」

「・・・・」

 

「ふ――ん」

 後ろから子供が覗き込んでいるのに、三人はびっくりして振り向いた。

「読めるのか?」

「うん、一応師匠に習ったし。二、三日って、どうなるの? ここで夜営するの?」

 

「ああ、だけれど……」

 この子は身なりが良いし、森で地面に寝たりするのは抵抗があるかもしれない。一旦帰宅するよう促すか?

 

 ツバクロが言葉を探している間に、子供は岩山を駆け降りて振り向いた。

「やったあ、皆でキャンプ! さっき風穴を一杯見付けたんだ。寝るならあそこがいいよ。こっちこっち!」

 

 三人はもう、気遣ってやるのも馬鹿馬鹿しくなって、溜息を吐きながら、馬を引いて、駆け降りて行く子供の後に続いた。

 

 

 

 夜営の寝床を設(しつら)えたり薪を拾ったりしている合間、ツバクロが一人になった時に、カワセミがスゥッと横に来た。

「あのヒト、時々こういう事やるよね・・」

 

「ああ、まあね」

 ツバクロは曖昧に返した。

 多分これは長の故意だろうが、知らない振りをして流れに乗っているのが吉だ。

 長に従っていれば間違いない。

 

「ボク達とあの子供とを近付けて、長は何がしたいんだろうね。ボク、コドモにあんまりイジられるのは嫌(ヤ)だよ」

「さぁ、あまり考え過ぎない方がいいよ。いざとなったら僕が間に入るからさ」

「うん、頼むね」

 水色の妖精は軽い薪だけを引き摺って、竈を作るノスリの方へ歩いて行った。

 

 遅れて重い薪を肩に担ぎながら、ツバクロはカワセミの言った言葉を反芻する。

 僕達三人はいずれ、蒼の長を継ぐ。

 成人の名を授かった時、長にそう宣言をされた。

 最初ビビったが、三人で協力する『三人長』と言われて、少し安心した。

 

 今代の長には直縁の子孫がいない。今後出来るかもしれないが、まだこの世にも居ないあやふやな者より、目の前の実力者を重用(ちょうよう)しましょう、というのが長の考えだった。

 

 一人一人の力は長に遠く及ばないが、カワセミの術、ノスリの剣、ツバクロの知を合わせ、三人で補い合えばやって行ける。

 自分達も里の皆も、それで納得している。

 今が一番ベストなのだ。今の状態でどこもいじらなくていい。いじられたくない……

 

 

 

「おい、赤毛」

 焚き火を囲んで、焼けた肉に手を伸ばそうとする子供に、またノスリが絡んだ。

「食べるにも作法って物があるんだ。まずは年長者から」

 子供は素直に手を引っ込めた。

「ほぉ、殊勝じゃないか」

「師匠に、何でも教わって来いって言われた」

 

「年長者って誰?」

 カワセミがホワンと聞く。

 

「ああ――誰だ? 俺は八月生まれだが」

「ボク、十二月・・」

「あ、じゃあ僕だ」

 

 ツバクロがさっさと手を出し、全員順番に肉の串を取った所で、畏(かしこ)まって本日の糧への感謝の祈りを唱える。

 毎日やっていたわけじゃないが、この子がいる間は手本としてやる羽目になりそうだ。

 

「三人は同い年なの?」

「ああ、子供の頃から一緒で、三人一緒に弟子入りしたんだ」

「へえ、いいな……」

 

「お前、友達いなさそうだもんな」

「いるよ! けど、小さい時から師匠に付ききりだったから、あんまり遊ぶ時間、無かった」

「人間の君に、どうして妖精が師匠に付いたの?」

「それは……俺に妖精の資質が現れたから。思ったよりも強く出ちゃって、危ないからって、まずは抑える事を習った」

 

 ツバクロはノスリと顔を見合わせた。

 アナーキーな妖精が、無責任に人間に術を教えたって訳ではないみたいだ。

 

 

 ***

 

 

「ボク、肉はいらない」

 さっきから黙って焚き火を睨んでいたカワセミが、手付かずの串をノスリに押し付けた。

 

「ああ、またか?」

「うん」

 

 ノスリは特に心配する風でもない。

 子供が心配そうにキョロキョロしているので、ツバクロが先回りして説明した。

「カワセミは新しい術が入りそうな時は、身体を研ぎ清まして口に入れる物を制限するの。いつもの事だから心配しなくても……」

 しかし子供は興味一杯にカワセミを覗き込んだ。

「術が入るってどんな感じ? 肉を食べないとそうなるの?」

 

 カワセミは露骨に嫌そうな顔をし、ノスリが割って入った。

「人間には無理だろ。妖精の中ですらカワセミは特別なんだ。『物事の本質を見極め、この世の流れを見据える力』。里の中でも蒼の長に一番近いと言われている能力なんだぞ」

 術者としての水色の妖精は、他の二人のちょっとした誇りだ。

 

 しかし子供はノスリを飛び越し、いきなりカワセミの両手を掴んだ。

「教えて!」

 

「・・ナニ・・?」

 

「それこそ俺の求めるモンだ。物事の本質を見極め、世界の流れを見据える力! それが出来る者になりたいんだ!」

 

「放してよ・・」

 カワセミは冷静に子供の手を振り払って立ち上がった。

「ボク、日課の修練に行って来る。その子が邪魔しに来ないように見張ってて」

 

「ああ、行ってら」

 髪を振って繁みを分け入る後ろ姿を見送って、ノスリは押さえ付けていた子供の口から手を離した。

 

「ぷはっ、何で? カワセミさん怒ったの? 俺、謝りに行かなきゃ」

 ジタバタする子供を抱えたまま、ノスリは眉間にシワを入れて相棒を見る。

 ツバクロは息を吐きながら子供の真正面に来て、目の高さに屈んだ。

 

「何を怒らせたか分からないままの謝りの言葉は、意味を持たないと思うよ」

「……でも、ひとことくらい」

「それ、君だけの自己満足だから」

 

「おいおいツバクロ」

 子供が手の中でショックで硬直して、ノスリの方が慌てている。

 

 厳しすぎたか。この年頃の男の子は加減が分からない、自分も通り過ぎて来た筈なんだが……

 青年は今一度子供の銀の目を覗き込む。

「物事を知りたい気持ちは悪い事じゃない。でもカワセミは小さい頃から食べる物も制限して、全ての時間を術の為に捧げて来たんだ。それを軽く扱われたら、自分の人生を否定された気分になる。君だってそんな経験あるだろ?」

 

 子供は口を結んで、目の前の青年の言う事を一所懸命に聞いている。

 クソガキだが、言えばちゃんと分かろうとする奴なんだな、とノスリは思った。

 

「俺、酷い事を言っちゃった。どうしよう……」

 子供は項垂れて呟いた。

 

「今日は触れないでおけ。修練後はピリピリしているからな。謝るなら明日の朝イチがいいぞ。起きがけのボォッとしている時ならあいつ寛容だ」

 ノスリは押さえていた手を離して、カワセミに貰った肉を半分に割いて子供にくれてやった。

「お前さん、急ぎ過ぎなんだよ。習得したい術があるんなら、里へ行ってから長に相談してみな」

 

 子供は素直に肉を受け取って、かじった。

「うん、そうだね。俺、時間の制限があるから焦ってしまって。夏にはもう行かなきゃならなくて」

 

 

 ***

 

 

「夏まで? じゃあ二ヶ月かそこら?」

 そういえば、弟子入りについて具体的な話はあまり聞いていない。

 人間は寿命が違うから急ぐ物だと聞いているが、それにして短か過ぎると、二人の青年は眉根を寄せた。

「お前さん腰掛けで弟子入りするつもりか? 行くったって何処へ行くんだ?」

 

「た、大陸の南、遠征に……」

「遠征って、もしかして軍隊?」

「……うん」

「お前さんみたいな子供が?」

「…………」

 

 ツバクロは口ごもる子供の肩に手を置いた。

「分かったよ、君もどこまで打ち明けていいのか分からないんだろ? 長が名前を授けろと言ったんだから、君に関する事だけはドシドシ喋ってくれても大丈夫だよ。君の事を知らなきゃ名付けようがない」

 

 子供は仔犬みたいな目でツバクロを見上げる。

 ツバクロはこうやって理詰めでヒトの心を解きぼぐすのが本当に上手い。

 すぐに手が出るノスリと人見知りが服を着て歩いているカワセミには不可欠な存在だ。

 

「そうだぞ、あんまり生意気だと、恥ずかしい名前を付けちまうぞ」

 頭を小突くノスリに、子供は口を尖らせた。

「名前ってのは、本人よりも圧倒的に周りの者が使うんだ。恥ずかしい思いをするのは、長の前でその名前を呼ばなきゃならないノスリさん達だよ」

 

 ノスリは豆鉄砲喰らった顔になり、ツバクロが吹き出した。

「確かにそうだ、一本取られたな」

 

 

 焚き火を囲んで少しずつ話をし、子供の身の上が分かって来た。

 どうやら何処か身分のある軍人の子息らしい。

 戦場へ行くと言っても、一兵卒ではなく、父に着いて戦という物を学びに行くと。

 

「一度現場に出ると、もう子供だと言っていられない。どんな大局にも流されないよう、大きく広く物事を見据えられる者になりたいと思ったんだ」

 それで、元蒼の妖精の師匠を通して、蒼の長に学びを求めたという。

 

「ふうん、お前、ただの生ガキじゃなかったんだな。立派な心掛けじゃないか」

 ノスリは根が熱血なだけに、この子の生真面目な動機は気に入ったみたいだ。

 

「俺も聞いていい?」

 子供が殊勝に膝を揃えた。

 

「ああ、だけれどお前の知りたい事はやっぱり長の管轄かと思うぞ」

 

「ううん、里の掟について」

「掟?」

 二人の妖精は顔を見合わせた。

 

「蒼の里の掟って色々厳しそうだけれど……里を出奔するって、重い罪なの?」

「…………」

 

「ごめん、長に迷惑が掛かる事だったら忘れて」

「ああ、いや……」

 

 説明は、里の書物を読み漁っている理詰め担当のツバクロが引き受けた。

「長が出奔した者と交流している事を気にしているの? それなら大丈夫だよ、特に禁じられてはいないし」

「そう……」

 

「掟上(おきてじょう)は、『里を出て蒼の妖精の身上を放棄する』って事だったかな、出奔って。……え――と、……罪ではないけれど、責は負うと思うよ」

「責って?」

「里での存在を抹消される。勿論里には戻れないし、皆もなるべく話題にしないようにするから、……まぁ最初から居なかったような扱いになるな」

 

 子供が急に立ち上がった。

 

「おい?」

 

 無言でスタスタと洞穴の方へ歩き出す。

 おいおい、とノスリが手首を掴みに行って、びっくりした。

 子供は俯(うつむ)いてぱたぱたと涙を落としているのだ。

「何でもないよ、ああカッコワル……」

 

「ど、どうしたの?」

 焦るツバクロに向いて、子供は顔をぐいっと拭った。

「自分でも分かんない。何か急に……故郷で『最初から居ないヒト』になっていたなんて……ああまた……」

 子供は二人に背を向けてうずくまった。

「ああもぉ、カッコワルイ、カッコワルイ!」

 

 二人とも何も言えなくてしまった。

 大切な師匠が、故郷で居ない者となっている……そう聞いただけで段階を通り越して、涙を溢れさせてしまうのだ、この子供は。

 

(ヒトの気持ちを考えろなんて偉そうに言えた立場じゃなかったな……)

 ツバクロは自分の杓子定規な言葉を反省した。

 

 

「師匠を見る事が出来るの、俺と親父だけなんだ」

 子供は少し落ち着いて、話し始めた。

「人間だから先に寿命が終わる。俺達が居なくなったら、あのヒト、何倍もの長い時間を寂しく独りで過ごすのか……って急に思って、そしたら何か勝手に涙が出て来て」

 

「ああ――、なる程な、お前は優しい奴だな」

 ノスリが子供の頭をワシャワシャと撫でた。

 こういう時、腫れ物に触るような態度しか取れないツバクロと違って、素直に動ける彼は本当に頼りなる。

 

「なあツバクロ、俺らで、こいつの師匠が寂しくならないように協力してやろうぜ」

 

「うん、そうだね……」

 ツバクロは直ぐには乗ってやれなかった。

 一番早道なのは、自分達がその師匠というヒトと仲良くなる事だろうが……

(長が僕らに言わないって事は、僕らを関わらせたくないんじゃないのか? 第一、里を出奔したり、人間の子供に術を教えたり、どうも危ない思想の持ち主な気がする。この子にとっては良い師匠なんだろうけれど、あんまり関わりたくないなぁ……)

 っのが本音だ。

 

「でも、師匠は……」

 子供が言いかけた所を、ツバクロがハッとして遮った。

 

 上空の梢がザワめく。

 

 ――!??

 

 夜行性でない筈の鳥が一斉に飛び立った。

 

「なに、なに?」

「森の奥だ?」

「カワセミ!」

 

 

 

 



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白い森 ~寂しい天の川~・Ⅳ

 

 

 

 

 森の奥の水場のある広場に最初に飛び込んだのは、俊足のツバクロだった。

「カ、カワセミ――!」

 

 昼間の黒虎が、針金みたいな体毛を逆立て、真っ赤な口を開いて水色の妖精に襲い掛かっている。

 カワセミは足元に描いた円に結界を張って辛うじて防いでいる状態だ。

 

「虎、こっちだ!」

 ツバクロが回り込んでカマイタチを放つ。

「カワセミ、呪文を寄越せ!」

 ノスリも駆け込んで、二刀を引き抜いた。

 しかしカワセミは円の中にうずくまったままだ。

 ケガをしているのか?

 

 その時、かなり遅れて子供が繁みから飛び出して来た。

 黒虎はいきなり翻って、三人に見向きもせずに、爪を振り上げて子供に向かって行った。

 

「危ない!」

 ツバクロが慌ててそちらへ走ろうとするが、

 ――え?? 

 見えない壁に遮られた。

 

「おい!?」

 ノスリも同じように足止めを喰らっている。まさか……

 

 水色の妖精が、結界の円の中で、スッと立ち上がった。

「・・お手並み、拝見・・」

 

「「カワセミ――――っっ!!」」

 

 

 虎は子供に向かって一直線に襲い掛かる。

 子供は目を見開いて、大きな剣を抜いた。

 しかし……

 

「何だよそれ・・」

 昼間とは比べ物にならない薄い光に、結界の輪の中でカワセミがイラ付いた声を上げる。

 

 虎は子供の真上に爪を振り上げる。

 子供も剣を振りかぶるが、誰がどう見たって防げる力ではない。

 

「カワセミ! 術を解け!」

 ツバクロが叫ぶと同時に、カワセミは結界から消えた。

 一瞬で子供の前に移動して、虎の前に即席の結界を張る。

 虎は見えない壁にぶつかってドスンと尻餅を付いた。

 

「ノスリ、頼んだ・・」

 

 ようやくカワセミから術を受け取ったノスリの剣が、後ろから虎を両断した。

「??」

 手応えがぜんぜん無い?

 藁束を切ったみたいで、真っ二つになるやいなや、カサカサと崩れてしまった。

「何だ? 昼間の虎と違う?」

 

「・・ああやっぱり複製品じゃそんな物か」

 子供の前で座り込んでシレッと言うカワセミに、青年二人は顎も外れんばかりに叫んだ。

 

「「こらぁあ――――!」」

 

 

 

「黒虎の体毛から作った。昼間拾っておいたんだ」

 焚き火に戻ってカワセミは、悪びれもなく説明した。

「もういっぺん君の剣技を見たくてさ」

 

 子供は複雑な表情。あとの二人も口をへの字に曲げながらも、責め立てる事が出来ない。

 何せカワセミは仰向けでぐったり動けない。

 

『瞬間移動』『結界』『破邪の呪文』の三つを一時に唱えた反動で、身体が悲鳴を上げてぶっ倒れ、ここまでノスリに背負われて来たのだ。

 

「そんな顔しないでよ、罰が当たってこんな羽目になってんだから。ああアタマイタイ・・」

「にしても、やり過ぎだぞ、お前」

 ノスリが、額の濡れ手拭いを替えてやりながら言った。

 

「君らだって気になってるだろ?」

「…………」

 

「昼間のアレなら、俺の力じゃないよ」

 子供が口を開いた。

「師匠が破邪の呪文を持たせてくれているんだ。術を剣に含ませて。だから一回こっきりしか出来ない」

 

 三人の妖精は口をポカンと開けた。

「本当かよ」

「うん、俺、破邪の呪文は習い始めた所だもん。俺自身の能力はそんな大した事ないと思うよ」

「何だよそれ、俺、マジでビビってたわ、あ――ぁ」

「ビビってたの?」

 

 ノスリは脱力したが、カワセミは額の手拭いを落として半身を起こした。

「術を持たせるって? 剣に術を、その、手弁当のように持たせる事が出来るの? 君のその……師匠?」

 

「うん、長だって出来るでしょ?」

 

()()()()しか出来ないよ!!」

 叫んで貧血起こして、ベタッと二つ折になって倒れ込む。

 

「カワセミ、今日はもう寝ろ。今聞いても頭に入らんだろ。明日に回そうな、明日に」

 ノスリが子供をあやすみたいに言った。

「うん・・」

 色々難しいカワセミだが、ノスリは彼の扱いのベテランだ。ツバクロは心の中だけで『カワセミマスターのノスリさん』と崇めて有り難がっている。

 

 とりあえず本日は就寝する事になった。

 ノスリがカワセミを抱えて寝床の洞穴へ行き、子供も後に続こうとして、焚き火番のツバクロを振り向いた。

 

「ごめんなさい、俺がちゃんと言わなかったから、混乱させて」

「いや、気にしないでいいよ。それよりカワセミがごめんな」

「ううん。あの……俺、蒼の妖精って、師匠と長と、あと一人ぐらいしか知らないから、基準が分からないの」

「そうなんだ」

「師匠、『蒼の里の者から見たら、自分など味噌ッかすです』っていつも言っているから」

「…………」

 

 

 子供も寝床へ行き、ツバクロは焚き火を見つめながら、今日の出来事を反芻する。

 術はヒトの物でも、それをブレずにしっかり撃ち出せるのは、『大した事のない者』には出来ない。ノスリだって相当酷い目に遭いながら、やっと修得したのだ。

 あの子供は、()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 ***

 

 

 

「あ、あ、あ、うわぁああ――ー!」

 

 子供の叫び声にツバクロは、泡喰って寝床の洞穴へ走った。

「どうした?」

 

 起こされたノスリとカワセミが迷惑そうに子供を睨んでいる。

 子供は半身起こして背中を丸め、自分の肩を抱いてカタカタ震えている。

 

「寝惚けたの?」

「まったく、お子ちゃまだよなぁ」

 

 しかし子供の震えが止まらないのでちょっと心配になって来た。

 

「世話の焼ける・・」

 カワセミが動いて、子供の肩を押して仰向けに転がし、額に手を当てた。その手が額との間で薄く光る。

 子供の目がトロンとなった。

 

「・・悪い夢でも見たのか?」

「黒い虎が影から出て来て」

「・・うん」

「母さんを引き裂くんだ」

 

 ノスリとツバクロは真剣な顔を見合わせた。

 

「・・予知夢を見た事は?」

「ない」

「・・じゃあ大丈夫だ。黒虎と闘ったから神経が昂っているだけ」

「母さんを」

「・・うん」

「守らなきゃ、誰も守ってくれないから俺が守らなきゃ」

「・・そうだな」

「早く大人になって、もっと強くなって、早く、もっと……」

「・・ああ、きっと強くなれる」

 

 子供は口を半開きにしたまま、静かに寝息を立て出した。

 ツバクロが毛布を掛けてやる。

「カワセミ、ありがとう」

 カワセミは何も言わず、横になって毛布に潜り込んだ。

 

「焚き火番、変わるぞ」

 ノスリが起き出して来て、ツバクロの横へ来た。

「何だか大変な子供だが、やっぱり子供だなぁ」

「ああ」

 

 

 

 

 

 



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白い森 ~寂しい天の川~・Ⅴ

 

 

 

 

 朝陽の射し込む洞穴で子供が目覚めると、他の者はもう居なくて寝具が畳まれていた。

 

「うわあ、寝坊、ごめんなさい」

 外へ駆け出ると、ノスリが焚き火を組み、ツバクロが落ち枝を抱えて繁みから出て来た所だった。

 

「おはよ、ね、水汲んで来てくれる?」

「うん、あ、はい。カワセミさんは?」

「日課の修練」

 

「カワセミさんに一杯用事があるんだ。まず謝らなきゃ。そんで夕べのお礼も言わなきゃ」

 

「どっちもいいよ」

 灌木をかき分けてカワセミが出て来た。上半身裸ででずぶ濡れだ。禊(みそぎ)をしていたらしい。

 

 長い髪が張り付いた背中を見て、子供は目を見開いた。

 濡れた髪の間、肩甲骨の下に、小さな二つの隆起があり、髪とは違う異質な細い毛に覆われている。

 

「・・何ジロジロ見てるの?」

「あ、うん……それ、羽根痕(はねあと)……珍しい先祖返りって奴?」

「ああ、知っているんだ?」

「そんなに詳しくは聞いていない」

 

 カワセミの背には生まれた時から鳥のヒナのような羽根がある。赤ん坊の拳程の、ほとんど成長しないコブのような物だ。

 何百年か前には複数いたらしいが、近年ではカワセミだけだ。能力には関係しないし、長生き出来ないなんて不吉な言い伝えもあるので、里の者はあまり話題にしない。

 彼がそれについてゴチャゴチャ言われる事を嫌がるので、ツバクロ達は身構えた。この子がまたしつこく絡むようなら止めなくちゃ。

 

 と、やにわに子供が自分の上衣をガバリと捲り上げた。

「俺のも見て見て!」

 

 !? まさかこの子にも羽根が? 一瞬ビビったがそうではなく、彼の背にあったのは仔馬のようにフサフサのタテガミだった。髪と同じ真っ赤っか。

「カッコいいでしょ、ね、カワセミさんとどっちがカッコいい!?」

 

「…………」

 二人の妖精は口を半開きで止まり、カワセミは不機嫌になるタイミングを奪われて困っている。

 

(サクッとお出しされたな)

 ツバクロがカワセミの頭に乾いた布を放ってやりながら目配せした。

 子供は純粋の人間ではなく何か混ざっているのだろうと予測していたが、やはりそうだったみたいだ。

 カワセミは懸命に目を細めて正体を見極めようとしている。だが彼にも判別出来ないようで、眉間に縦線を入れて苛立っている。

 

「おう、カッコいいぞ。それは誰から貰った?」

 ノスリのカラッとした声に、二人は思わず二度見した。

 

「狼! 『狼の呪い』って長は言ってた。でも直接悪い事が起こる呪いじゃないから大丈夫だよ」

「え、狼って、お前の師匠?」

「ううん、師匠は『蒼』でこっちは『赤』。長が言うには、師匠の喧嘩相手だって」

 

「ほぉ、外見だけの呪いで済んでいるのか?」

「うん、母さんは気にしていないし親父もカッコいいって喜んでるし、全然呪いになってないの。呪った相手もガッカリだよね」

「はは、そうか、それは確かにガッカリだな」

 

 子供が水を汲みに行ってから、ノスリは鼻から息を吹いて二人を見た。

「聞いて欲しいから見せたんだろうが。聞いてやりゃいいんだよ」

 

 ノスリィ、だから君って好きだよ。

 

 

 焚き火を囲んで、お祈りをして、煮られた雑穀の朝食を摂る。

 

「あの、カワセミさん、夕べは……」

 そぉっと言う子供に、カワセミはピシャリと突っぱねた。

「そういうの、いいっていったでしょ」

 

「カワセミ、お礼くらい言わせてやれよ」

 

「昨日黒虎を呼んで君をハメた事と相殺してくれれば助かる。あとじゃあ、頼みがある」

 

「うん! 俺に出来る事なら何でもする!」

 子供は張り切って答えた。

 

「君の師匠に会わせて欲しい。その、『蒼の狼』ってヒト」

 

 それは、ツバクロとノスリも願っていた事だ。

 この子の昨日の話の感じから、二つ返事で応じてくれるだろうと思えた。

 しかし……

「ごめんなさい」

 子供は眉を寄せて俯(うつむ)いてしまった。

 

「へえ・・」

 カワセミのこめかみの血管がヒクリと動いて、他の二人はヒヤッとなる。

「ボクみたいな小者には会っていられないって? 孤高の剣士サマなんだ、へえ――、へええ――」

 ああ、スイッチが入っちまった。このモードになると蛇よりネチッこいんだよなあ。

 

 しかし挑発は子供を素通りする。

「逆だよ、あのヒト、出奔した事を凄く重く考えているんだ」

「へえ?」

「長と交流があるっていっても、いつも長の方から押し掛けて来る。あのヒトはガチガチに気を使って遠慮して。里の知らない若者になんてとても気楽に会える感じじゃない」

 

 流石のカワセミも拍子抜けして挑発を止めた。

 

「ごめんね、カワセミさん、何か他の頼み事、考えておいて。水、足りなくなったよね、汲んで来る」

 子供は水筒を持って、水場へ駆けて行った。

 

 

 三人はシンとなったが、ウヤムヤしている。

 特にツバクロは、その孤高の剣士サマに逆に興味を持ってしまった。

 凄いオーラの馬を持っていて、長に匹敵する術者の癖に、ガチガチに気を使うヒト……? イメージが湧かない。

 

「畏(かしこ)まって会おうとするから、引かれるんだ」

 ノスリがまたもっともな事を言い出した。

「もっとこう、ナチュラル~に会える感じを演出すりゃいいじゃないか」

 

「何だよそれ、ナチュラル~って何だよ」

「あの子供が危機一髪の所をボク達が助けるとか、ベタベタなのはやめてね」

「何で分かる!」

 

 話している所へ子供が帰って来たので、一旦その話題は切られた。

 

 四人で空を眺めてしばらく待ったが、鷹が来る気配はない。

 二、三日と言っていたから、やはり今日は何も無いのだろう。

 

 ノスリが手頃な木の枝を掴んで立ち上がった。

「鈍(なま)りそうだから、いっちょ振って来るわ。お前も来るか? 剣は習っているんだろ?」

 

「うん! あ、はい!」

 子供は嬉しそうに返事をし、二人連れ立って昨日の広場へ歩いて行った。

 

 程なく、森の中から剣を振る風切り音とノスリの威勢のいい掛け声が聞こえて来る。

 腕を組んで考え込む癖っ毛の妖精に、水色の妖精は禊(みそぎ)の間外していた手首足首の石をジャラジャラつけ直しながら、話し掛けた。

「そんなに難しく考えなくてもいいんじゃない?」

 

「会わせて欲しいって望んだのは君だろ」

「キミだって興味津々な癖に。どっちにしても頭脳担当はキミだから任せるよ」

「丸投げかよ……」

 

 カワセミはひとつひとつの石を確かめながら、丁寧に身体に巻き付ける。

 どれもこれもちゃんと意味があるらしい。

 ただの装飾品ではなく、術を使うとすぐにオーバーフローを起こす彼の、護身道具なのだ。

 

 外された石と一緒に、小さな布袋が置いてある。口元からピンピンと覗く黒い毛。

 

「カワセミ、それ、黒虎の毛、まだ残っていたのか?」

「うん? 長に渡そうと思って」

「見せてくれる?」

 

 ツバクロは針金みたいな固い毛を摘まんで、じっと見つめた。

「よし!」

 

「何を思い付いたの?」

「カッコ付けようとするから駄目なんだ。僕ら全員、情けなく黒虎に襲われればいい。タスケテ~って」

「はあ……」

 

「あの子の師匠の目の届きそうな場所で黒虎の分身(フェイク)を出してさ。出て来ざるを得ないだろ? キミは希望通り彼の術を見られる。あちらは助けに来たんだから遠慮しなくていい。僕らはお礼を言う為に、眼前まで行かなきゃならない。一石三鳥だ」

 

「ツバクロ、凄いな、キミがいれば里の未来は明るい」

 

 

 森の奥の打ち合いの音が途切れ、灌木の枝の折れるパキパキという音が聞こえる。

「・・あの重量感はノスリだな。受けてやってるのか」

「ノスリには黙っていよう。間違いなく大根だし」

「ひどぃ・・まぁ、嘘の吐けない奴だものな」

 

 一汗かいた二人が、晴れ晴れとした表情で戻って来た。

 

「お前、思い切りは良いがワンパターンだ。敵はお手本通りの動きばかりしてくれんぞ」

「うん、……あ、はい!」

「いつでも術が使えるとは限らん。ついでに剣も無い時の格闘術も教えてやろうか?」

「やったあ! ……あ、はい!」

 

 剣を交えると何かが通じると言うが、まるで昔から知っていたみたいに打ち解けている。

 世の中みんなノスリならどれだけ平和になる事か……二人とも、ノスリのそういう所には一生敵わないと思っている。

 

「所で、今話し合ったんだが」

 ツバクロが畏まって子供に向いた。

「僕は今までの持ち場に仕事を残している。聞いたらカワセミも、中途半端にして来た所があるって言うんだ。それで、今日はもう鷹は来なさそうだから、一旦持ち場に戻ろうと思う。君も家まで送って行くよ」

 

「え、だって、長はここで待機して鷹を待てって……」

「大丈夫、一日程度で戻るし、鷹は僕らがいなけりゃノスリ達のいる湖の方へ行く。こんな森に君を一人で置き去る訳には行かないよ」

「…………」

 

 午後一杯ノスリに指導して貰うつもりだった子供は、酷くガッカリ顔だ。

 ツバクロは少し胸が痛んだ。

 

「カワセミ、何をやり残して来たんだ? まあお前が気になるんなら戻った方がいいよな」

 計略を知らないノスリは素直に従ってくれ、カワセミもちょっと胸が痛んだ。

(後で、ツバクロがナイショにしている隠し酒の場所でも、教えてやるか・・)

 

 

 

「どっちに送る? 家の方か、それとも師匠の所か?」

「あ、師匠ン所に俺の青鹿毛を置いて来たんだ。王都の西側で降ろして欲しいです」

 

 会話を聞いて、ツバクロはカワセミにGOOサインを出した。

 無理に誘導せずに済んだ、計画の半分は成功したような物だ。

 

 三騎は同時に風を呼び、一斉に地上を離れる。

 編隊で飛んだ事がないという子供は、ノスリの後ろでワクワクした顔。

 

 足元に白い森が小さくなる。

 カンバの白っぽい葉と石灰岩の岩山が、緑の草原の中に浮かぶ島のようだ。

 

 カワセミがノスリの馬にスッと寄せて、後ろの子供に話し掛けた。

「ねぇ、キミの長剣の柄のその赤い石、何か謂れがあるのか?」

 

「えっ」

 カワセミから普通に雑談して来てくれた事に顔を輝かせ、子供は嬉しそうに剣を持ち上げた。

「師匠のお下がりだからよく知らない。珍しい石なの?」

 

「ボクの石と共鳴するか試してみたい。ちょっと貸して貰えるか」

 

 子供は少し躊躇したが、飛んでいる間ならと、剣をベルトから外してカワセミに渡した。

 カワセミは手首の石を剣に当ててみる振りをしながらさりげなく離れて行き、ツバクロにGOOサインを出した。

 虎はどうやら『武器を持つ者』に向かって行く習性があるようだから、子供から剣を取り上げておく事にしたのだ。

 

 よし、これで準備万端。

 小袋を取り出しながらカワセミは、王都の西のこんもりした森を睨んで目を細める。

 目一杯、目一杯、目一杯集中して、やっと微かな気配を感じる程度。今まで何度もこの辺りを飛んだのに、結界が張られている事にすら気付けなかった。悔しい、悔しい、忌々しい・・!

 

 黒い固い毛を袋から掴み出し、念を込めてフッと吹く。

 

 

 

 

 

 

 



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白い森 ~寂しい天の川~・Ⅵ

 

 

 

 

「ノスリ、ツバクロ――!」

 空に響くカワセミの叫び声。

 三頭の馬が黒い影に覆われた。

 真上の空中に、いきなり黒虎が出現したのだ。

 

「派手過ぎだろ、カワセミ!」

 ツバクロは馬を翻して虎の前に飛び込み、剣を抜いて見せてから降下した。

 地上まで虎を誘導するつもりだ。

 

 ところが虎は武器に見向きもせず、風を巻いて空中を走り、反対方向へ逃げるノスリの馬を追い掛けた。

「いかん!」

 一人なら迎え撃つが、今は子供を乗せている。ノスリは速力に劣る自分の馬に渇を入れて、何とか逃げ切ろうとする。

 

 その時、後ろの子供がいきなり立ち上がった。

「あの虎、俺が目当てなんだ!」

 言うが早いか、馬の背を蹴って進行方向と逆側に飛び降りてしまった。

 もうほとんど地面近くにいたが、上手く風に乗れずに着地に失敗し、子供はゴロゴロと転がる。

 虎は本当にそちらへ向きを変えた。

 

「あああっ! まずい!」

 想定外の事態に、ツバクロもカワセミも反応が遅れた。虎が思ったように動いてくれない。

 まだ転がる子供を追い掛け、青竜刀のような前肢を振り上げる。

 

 ――ガシィ!

 二人と違って油断していなかったノスリが、いち早く馬を飛び降り、二刀で爪を受け止めた。

「カワセミ! 呪文を寄越せ!」

 

「あ、うん」

 カワセミは慌てて術を唱えてノスリの剣に向けて放った。夕べみたいに一撃で終わらせたら元も子もないので、ややセーブした呪文だ。

 

 ツバクロも馬を返して戻って来た。

 ――!??

 視界の端に何か映った?

 地平に細い人影、と、昨日の馬……?

 ゆっくり凝視している暇はない。

 とにかく子供を逃がさなきゃ。

 

 術を貰ったノスリの剣が虎を退かせ、ツバクロもカマイタチを放った。

 しかし黒虎は全く効いていない感じで、首を左右に振っている。

 おかしい? 夕べの森で闘った分身とは大分違うような……?

 

「カワセミ?」

「ごめん、本体が来ちゃったみたい」

「マジか、ヤバいだろ!」

 

 子供が立ち上がって、二人に向かって走って来る。

「カワセミ、俺の剣!」

「来るな! キミは逃げろ!」

 

 しかし黒虎は、鼠に執着する猫のように子供の方へ向きを変える。

 

「うぉりゃああ!」

 跳躍したノスリが一閃、虎の肩に大刀で斬りかかった。

 しかし術の入っていない剣は、固い毛皮に止められる。

 

 食い込んだ大刀はビクとも動かず、ノスリは身を振った虎に振り飛ばされてしまった。

 流石に虎も肩の刺(とげ)に怒り、刺した本人に向かって両前肢を振り上げて行く。

 小刀のみになったノスリはまだ体勢が取れていない。

 

 一瞬の隙を突いて、子供が虎の背に駆け上がって大刀に飛び付いた。

 

「カワセミ、呪文、呪文ちょうだ……あぁあ!」

 振り回されながらも握った刀を離さない子供。

 

 考えている暇はない。カワセミはフルスロットルで呪文を放った。

 

 術を貰った大刀が緑から白に輝き、子供は両手に力を込める。

 

 ――破邪――!!

 

 光が翡翠に変わる。

 虎は肩口から真っ二つに分かれた。

 分かれた瞬間粉微塵になり、ザアッと崩れて子供はダルマ落としのように真下に落っこちた。

 

 三人の妖精はしばし茫然としていた。

 最初に我に返ったノスリが、落ちた所へ駆け寄る。

 子供は大の字になって黒い破片の中に伸びていたが、大刀は離していなかった。ノスリを見てニニッと笑う。

 残りの二人も来て両側から手を差し伸べ、子供を引っ張り起こした。

 

 ツバクロは地平の人影を振り向いた。カワセミも途中から気付いていた。

 何で助けに入らなかったんだろう?

 

 その人影が、馬を引きながらこちらへ歩いて来た。

 

「・・!!!!」

 三人は息が止まった。

 赤毛の子供の師匠、『蒼の狼』が、出奔した蒼の妖精だというのは聞いていたが、ごつい剣士か老練賢者のような風貌をイメージしていた。

 

 だから……歩いて来た、風柳(かぜやなぎ)みたいに細い女性に、何のリアクションも取れずに棒立ちになっている。

 冬空色の、霜の降りたような髪と瞳、透ける肌。遥か氷の山から粉雪と共に飛んで来たのかと思わせる……アイスレディ。

 ……こんな女性(ヒト)、里でも何処でも見た事がない……

 

 

 

 

(まったく、どの辺が『狼』なんだよ)

 三人は口をパカンと開いたまま突っ立っていた。

 

「母さん!」

 子供が駆け寄った。

 

 え――っと、粉雪さん、じゃなくて、この子の母さん? が、蒼の狼でこの子の師匠?  

 あ、もしかして馬を借りてるだけで師匠はまた別に? ダメだ、頭が働かん……

 などと脳みそを巡らせている間に、女性は大きく手を振り上げていた。

 

 ――ピシャリ!

 三人は自分が叩(はた)かれたように目を閉じた。

 

 頬を張られた子供が、女性の前で三歩よろめいている。

 

「虎に付け狙われているというのに、剣を身体から離すなんてもっての他です。貴方は一人しかいないのですよ」

 凛と通った、鈴を振るうような声。

 

「ごめんなさい……」

 

「やっと虎を倒せましたね、よくやりました。でも一人で倒したと思ってはいけませんよ」

 

「はいっ」

 

 それから女性は、空間に糊付けされたように固まっている三人に正面向いて、深々と頭を下げた。

「未熟な子供でございますが、何卒宜しくご指導下さいますよう……」

 

「あ、は、はははい!」

 三人は電気に弾かれたように返事をした。

 

 女性がもう一礼をして草の馬で飛び去って、しばらくしてから青年達はようやく硬直が解けた。

 

 子供が神妙に覗き込む。

「ね、とても『気楽に会える』って感じじゃないでしょ?」

 

 三人は首降り人形のように何回も頷いた。

 

 

 ***

 

 

 いぶかる子供とノスリを連れて白い森へ戻り、ツバクロとカワセミは自分達の企てを白状した。

 ノスリは蚊帳の外だった事に不満タラタラだったが、結果一番早く動けたのだからと宥められた。

 

「母さんが助けてくれる訳ないじゃん!」

 子供は口を尖らせた。

「黒虎は俺が怒らせたんだから、責任取ってちゃんと倒せ、って言われていたんだ」

 

「怒らせたって……」

「何ヵ月か前、カゼイズル……北西の山で、眠っている所に騒ぎを起こして怒らせたんだ。それ以来、影に乗っては俺を襲いに来る」

「ええ……」

 ツバクロの影に乗って来たのも必然?

 道理でこの子にばかり向かって行った訳だ。

 

「術を持たされて、責任持って祓えって言われていたんだ。でもいつも力が足りなくて、山に帰す事しか出来なかった。みんなのお陰でやっと倒せた!」

 子供は犬歯を見せて笑顔になり、三人に向けてピョコンとお辞儀をした。

 

「……それで、君が命を落としそうになったらどうするつもりなんだ? 今日だって剣が無かったし、結構危なかったと思うんだが」

 ツバクロが真剣な面持ちで問うた。

 

「そうならないように普段からシゴかれてんじゃん」

 キョンと返事をする子供。

 

 三人はうっすら分かって来た。

 この子と蒼の狼の師弟関係に、自分達の定石は通用しない。二人だけの絶対の信頼で成り立っているんだ。

 

「何だか少しだけ羨ましい」

 カワセミがポツリと言った。

 

 

 ***

 

 

 時は少し遡る。

 

 西の森、中央の広場。

 空から戻った女性は、馬を下りてパォの入り口を潜った。

 

 中にいたヒトがいない? と思ったら、床に転がってカブトムシの幼虫のようにくの字になって、ヒクヒクと痙攣している。

 

「兄様?」

「ひ、ひ、クルシイ……」

 

 小机には一抱えもあるビイドロの大皿。清水が張られた水面に、今しがた出会って来た三人の若者の呆けた顔が映っている。

 

 彼女の兄である蒼の長が、まだヒィヒィ言いながら起き上がった。

「ああおかしい、ツバクロの顔ったら。カワセミでもこんな顔をするんですねぇ」

 

「兄様、趣味が悪いです。ご自分の弟子をそんな風にオモチャにする長が、何処にいますか」

 

「オモチャになんかしていません!」

 長は長い髪を払って背筋を伸ばした。

「ただね、あの子達が勝手にオモチャになってくれるだけですよ」

 

 また相好を崩して笑い出す兄に溜め息吐いて、女性はベッドに腰掛けた。

 確かに自分で頼んだ事だから、文句は言えないのだが……

 

 

 

 トルイが妖精の学びを受けたいと言うのを、長は二つ返事で承諾してくれた。

 人間に生まれたので油断していたが、思った以上に妖精の資質を継承していた子供を、彼も案じていたのだ。

 技や術は妹でも教えられるが、蒼の妖精としての根っこの摂理を、一度きちんと学ばせねばならない。

 

 ただ、多忙な長を独占する訳には行かず、他の弟子の子達と机を並べる事となる。

 心配したのは、里を出奔した身の妹だ。

 

「心配いりませんよ、皆本当にいい子達です」

 長は不安がる妹の為に、少しの『お試し期間』を設けて参観させてくれた。

 水鏡の術は、音声は聞こえないが大体の状況を見る事が出来る。

 最初はギクシャクしていた弟子達との間柄が段々とほぐれて行くのを、母は涙ぐみながらここで見つめていたのだった。

 

 

 

 水盤の映像がフッと消え、甲高い鳴き声と共に外から鷹が帰って来た。

「ご苦労様でした」

 昨日の夕方から、この鷹の目が水盤に映像を送ってくれていたのだ。

 褒美のエサを与え、長は水鏡の術を解いた。

 

「参観はもう要りませんよね、安心したでしょ。何せ私の自慢の弟子達です」

 

「はい、でも、お弟子さん達にもっとお礼を言いたかったわ。身を挺してトルイを守ってくれたあの身体の大きな方なんか、抱きしめて感謝を示したかった位です」

 

「そ、それは、絶対にやめて下さい、ああ、釘を刺しておいて良かった……」

 

 黒虎との闘いを見届けに行こうと馬に跨がる妹に、長は幾つかお願いをしていた。

『表情は崩さぬよう、間違っても笑ったりせぬよう、弟子達に話し掛けるのは最小限にして下さい』と。

 

 

「出奔した身ゆえ、里の者とあまり関わってはならぬのは得心しておりますが……」

「あ、そういうのじゃないです」

 長は努めてシャッキリして、妹に向き直った。

 

「貴女には、あの三人にとって『孤高の存在』になって貰います」

「へ……は……?」

「必要なんですよ、ああいう成長途上の若者には。今後もし会う事があっても、毅然としていて下さい」

「はぁ……でもそういう役割は兄様の方が適任ではありませんか?」

 

「嫌ですよ、疲れるから」

「…………」

 

「私は優しくて美味しいトコ取りのオジサンでいます。楽だから」

「…………」

 

「貴女も、一族の事を私に任せきりで引け目を感じているのなら、その位は引き受けて下さい」

「……分かりました」

 

 渋々承知する妹に、長は横目でほくそ笑む。

 この妹(こ)は、自分を見られる者がほぼ限られた環境で成長し、唯一の大人の男があの『唐変木(テムジン)』だ。

 だから自分の外見が、他の者にとってどれだけインパクトがあるのかなんて、全く知らない。

 弟子達が一通りのリアクションを取ってくれて、長は大いに満足だった。

 

 まあ、予想外の収穫もあった。

 優等生過ぎて、横風(イレギュラー)に弱かったツバクロ、

 自分の事だけで精一杯だったカワセミ、

 物事を早合点して、即席に答えを求めがちだったノスリ、

 ……彼らが自分の欠点に向き合って克服する切っ掛けをくれた。

 

(本当に大した子供ですよ、貴女の息子は……)

 

 

 

 

 

 

 



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白い森 ~寂しい天の川~・Ⅶ

 

 

 

 

 

 

 満天の星だ。

 白い森の四人は焚き火を離れ、草地に仰向けに寝転んで空を眺めている。

 でも話しているのは三人だ。

 ノスリはさっきから軽いいびきをかいている。

 

「兄貴ってこんな感じなのかな」

 子供は午後一杯稽古を付けてくれた彼を、目を細めて見つめた。

 

「キミ、一人っ子なの?」

 カワセミは反対側に寝転んで、ノスリの顔の生傷に軽く呪文を施してやっている。

 

「腹違いの兄弟は一杯いるよ。でも誰ともあんまり話した事ない」

「ふぅん、まぁ無理に付き合わなくてもいいと思うよ。この世の必要なヒトには自然と巡り会うようになっているから」

「そうなの?」

「そうだよ」

 

 ツバクロが努めてあっさり聞いた。

「君のお母さんが、師匠で、蒼の狼?」

 

「うん」

「そうか」

 何でこの子に妖精の資質が? というそもそもの疑問も、出奔したという師匠が女性だった事で合点が行った。

 自分には想像も出来ないが……そういうロマンスも、アリなんだろう……

 

「あんなおっかないヒトを守れるようになるつもりなんだ」

「うん」

「遠い道程(みちのり)だね」

「うん」

 

 カワセミが星を指差して、細い光でつなげながら言う。

「長はさぁ、あの女性の事、ボクらに内緒にして、しょっちゅう会いに行ってたんだぁ。ちぇっ、ちぇっ、ちぇ――っ、だよね」

 

 ツバクロも頭を手の後ろで組んで、つなげた星を眺める。

「ぜぇんぜん知らなかったよ。長があちこちから来る縁談をノラリクラリかわしてるの理由がやっと分かった。あんな綺麗なヒトがいたんじゃねぇ」

 

「綺麗なの? 母さん」

 子供がキョンと聞く。

 

「綺麗だよぉ。蒼の里でも十人中十一人が振り向くよ」

 

「へぇ、やっぱり綺麗なんだ。長も親父はそんな事一言も言わないし」

 

「男ってそんなモンだよ」

 カワセミが髪をかきあげて知った風な口をきいた。

 

「まぁ安心したよ。長がいつまでも独り身なもんで、里では噂好きにあれやこれやと言われ放題だったから。きちんと健全にお付き合いしている女性がいてくれて良かった」

 妖精は寿命が長い分、連れ合いを亡くして新たに結ぶ事を繰り返すのは珍しくない。そのあたりは人間と少し感覚が違う。

 

「あの……」

 勘違いさせたままなのが申し訳なくなって来て、子供は口を開いた。

「長はただ、大事な妹が親父にぞんざいに扱われていないか心配で見に来るだけで……」

 

「…………」

「・・・・」

 

 二人の妖精がガバリと上半身を起こした。目を丸くして息が止まっている。

 やっぱり言わない方がよかったのか?

 

「い も う と って言った?」

「長、妹がいたの? 直系の?」

 いや、妹がいたような話は小耳に挟んだ事はあるが、古い大人もその先に触れないから、てっきり幼くして亡くなっていると……

 

「長の血筋・・」

 カワセミが乾いた声で呟いた。

「血筋の能力者が極端に居なかったから、今の長はたった一人で苦労しなきゃならなかったんだ。それが、貴重な血も持ちながら自分の色恋を優先して里を捨てたって・・」

 

「カワセミ! この子に言う事じゃないよ!」

 制止するツバクロの声も上ずっている。

「ね、君のお母さん、里へ…………た、例えばさ、一人になった後、里へ戻る……は無理か、 ……えっと、里との交流は復活出来るんじゃないか? きっと歓迎される。そうしたら寂しくならないで済むだろ?」

 

「余計に寂しくなると思う」

 子供は立ち上がった。

「歓迎するって何を? あのヒト自身をじゃないよね? 里で生きている価値を見失ったから、母さんは外へ顔を向けたんだと思う。親父に聞くだけだから細かい事まで知らないけれど、母さんが里を出たのって、今の俺より小さい子供の頃だったんだ」

 

「…………」

 二人の妖精は言葉を止められてしまった。

 種族も育ちも違うから価値観がすれ違うのは当たり前だ。

 だけれどこの子の言う事は、胸に刺さった。

 

「ごめん、俺、頭冷やして来る」

 

 子供は岩山の方へ駆けて行ってしまった。

 二人は引き留める事も出来ずに無言だった。

 

 

「お前ら、馬鹿野郎だ」

 

 振り向くと、いつの間にノスリが起き上がっていた。

「お前らは物事を理屈で考え過ぎるんだ。俺が行く。お前らはお子ちゃまのご機嫌取りに甘いお茶でも沸かして待っていろ」

 

 ノスリは大股でズンズン、岩山に向いて歩いて行った。

 呆気に取られて見送るツバクロだが、ふと隣を見ると、カワセミは何故だか空を見上げている。

 

「どうしたの?」

「・・あ・・!」

 彼は何かを思い出したように目を見開いた。

 

 

 ***

 

 

 岩山の天辺で、子供は膝を抱えていた。

 二人の事は大好きだ。

 好きなヒトと分かり合えないのは、そうじゃない奴に分かって貰えないより、ずぅっと辛い。

 こんな気持ち初めて知った。生まれてこの方、好きなヒトがあんまりいなかったからだ。

 

 いつの間にかノスリが隣に居た。

 

「俺はお前が羨ましいぞ」

 

「…………」

 

「俺達三人な、長に弟子入りを志願した時、親族や教官には反対されたんだ。あんな血じゃ修行する価値もないって」

 

「え……」

 

「長は血に関係なく、やる気のある者を受け入れてくれた。その代わり、通常七年程掛かる修練所を半分で修めた。昼間正規の授業を受けて、深夜まで一コ上の勉強をするんだ。次の年、もう一つ飛び越したクラスに入る。俺はキツくて弱音を吐きそうだったが、ツバクロは年上の子に混じってずっと主席だったぞ」

 

「…………」

 

「正式に弟子に付いてからも、どんなに頑張っても出来ない事がある。長は出来る事だけ伸ばせば良いと言ってくれた。最初、カワセミが一番何も出来なかったんだ」

 

「え? まさか……」

 

「本当だ。身体が弱くてすぐにぶっ倒れる。何一つ満足に出来ない。いじけて拗ねては逃げ出す。脱落するだろうと誰もが思った。

 でも長だけは思わなかった。逃げるのを追い掛けて捕まえては、根気よく地道な訓練をした。長だけは奴の本当を分かっていた。だから奴にとって長は絶対なんだ。奴が長中心の考え方になってしまうのは、許してやってくれ」

 

「あ、うぅん……」

 

 ノスリは一息付いて、もう一度子供に向き直った。

「お前、長の名前、知っているか?」

「えっと?」

 そういえば、母が兄を呼ぶ時も、『兄様』か『長』としか呼ばない。

 

「あのヒトな、名前が無いんだ」

「ええっ?」

「蒼の妖精に名前を授けられるのは長だけだ。あのヒトは名前も貰えないまま、自分が長になってしまった」

「えぇ…… それって、何とかならないの?」

「何ともならん。前例がないんだ。ここまで血縁が絶えた時代はなかった」

「…………」

 

「俺達は、お前のお袋さんの寂しさ辛さを分かっとらん。だがそれと同じに、お前も長の大変さを分かっていないんじゃないか?」

 

 子供は胸に手を当てた。たまに母親のパォへ押し掛けて、のんびりと日和見話(ひよりみばなし)をして帰る長しか知らなかった。

 

「そうかも……」

 

「俺ら、早く一丁前になって、長の役に立ちたい一心で頑張っている。お前もそうだろ、早く母親を守れるようになりたい……一緒だ」

 

「ノスリさん……」

 

「俺らがちゃんと通じ合う事は、長とお前のお袋さんの為になるんじゃないか? そう思う、お前はどうだ?」

 

「……うん、そうだね、そうだ」

 

 子供は八重歯を見せて微笑んだ。

 

 

 

 砂利を踏む音がして、二人の妖精が星空を背景に歩いて来る。

 ツバクロは熱い馬乳酒のポットを、カワセミは温めたカップを四つ持って。

 

「もうじき月が昇るからねぇ。天の川が見えなくなる」

 カワセミが独り言のように呟きながら、カップを配った。

「天の川、見える内に話したかった」

 そう話す彼の口調は、今までの突き放した感じとは少し違っていた。

 

 四人、岩山に腰掛けて馬乳酒をすする。

 

「ずうっと前にさ、もう本当に修行が嫌になって逃げ出した。こんな風に満天の星の夜でさ。

 例によって長に捕まって、でもその時はボクも結構追い詰められていて、キレて反抗したんだ。

 そしたらね、長が急に静かになって、違う話をし始めた」

 

 三人とも無言でカワセミを見ている。他の二人も聞いた事のない話なのだ。

 

「過去に、『何も出来ない』からって見捨ててしまったヒトがいる。何も出来ないけれど、存在するだけで構わないからと放って置いた。

 そのヒトは、遠い所へ行って手が届かなくなってしまった。そして今も寂しい目をしている。もうあんな後悔は二度としたくない、二度と誰も見捨てたくないと」

 

 子供はハッとして水色の妖精を見つめる。

 

「その時は、(( 勘弁して――!))って思ったけれどね。結果今のボクがある訳で」

 カワセミは一息付いて、空を見上げた。

「さっき唐突に思い出したんだ。あの夜も、長の後ろで天の川が凄く綺麗だった」

 

 子供のみつめる水色の瞳は、霞のような星々を映している。今この時でない星も混じっているような気がした。

 

「長は妹君の事、ちゃんと話してくれていた。隠されてはいなかったんだ。僕達の事をどういう資質でも弟子に取ってくれたのは、そのヒトの存在があったからだよ」

 

 他の二人も釣られて空を見上げた。

 星々が慧砂の帯のように流れる地平が、薄ら明るくなって行く。

 

「月が昇ったら、命名の儀式をしようか……」

 

 

 

 

 






挿し絵:白い森 ~寂しい天の川~ 
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白い森 ~寂しい天の川~・Ⅷ

 

 

 

 

 

「起――き――ろ――!」

 

 やっぱり子供は寝過ごしてしまった。

 今回はノスリに毛布ごとひっくり返される。

 洞穴から転がり出ると、ツバクロが焚き火を起こし、カワセミは朝の修練に行く所だった。

 

「来い・・ キミ、修練次第では何かの術が降りるかもしれない」

「えっホント? じゃなくて、はい!」

 

 滑るように歩く水色の髪の後ろを、子供はバタバタと着いて行った。

 湯を沸かすツバクロの横で薪を削りながら、ノスリが微笑まし気に見送る。

 

「俺、最初、長があの子を里に関わらせる事に、結構ビビった。何を考えているんだ、って」

「ああ、実は僕も。あのヒト、慣例を無視して飄々と色んな事を変えて来たから……今度は何をやらかすんだ、って」

「長があの子をどうされるつもりなのかは分からんが…… 俺はあの子は好きだ」

「僕も好きだよ」

 

 

「そうですか、それは良かったです」

 木々のざわめきの中に声がした。

 

 二人が飛び上がって振り向くと、長い群青色の髪を揺らして、蒼の長が涼しげな顔で立っていた。

 

「お、さ、!」

「直接来られたんですか!?」

 

「早く貴方達に会いたくて、ダッシュで用件を済ませて来ました。何か飲ませて下さい」

「あ、あの、長……」

「最初に言っちゃいますが、()()()あの子をどうこうするつもりはありません。お茶くださいな。喉がカラカラです」

「は、はい」

 

 ツバクロがカップに紅茶を注いで、長に差し出した。

 

「長、だけれどあいつ、中々のタマだ。人間の将軍だけに納めておくのは勿体ないですぜ」

「ふふ、ノスリは私と同意見ですね。あの子の落ち着き先は、彼の父親と話が着いているんですよ、あちち」

「はあ」

 長の人脈って……

「北の草原台地の領主の席です。蒼の里のある所ですね。貴方達と彼と、仲良く平和に治めて行って下さいね」

 

「…………」

「…………」

 二人の青年は口をパカンと開けた。そういう事ですかっ! 

 

「仲良しになって貰えてとても良かったです」

 長はすまして紅茶をすすった。

 

 ツバクロがそぉっと切り出した。

「僕達、その……あの子の母親、長の妹君に、お会いしました」

 

 長はカップから口を離して、二人から顔を背けて地面を向いた。ヒクヒクと肩を震わせている。

 勝手に王都へ行った事を怒っているのか、妹君の事を想って涙を堪(こら)えているのか。

 実は思い出し笑いを噛み締めているだけだが。

 

「そうですか、で、どうでした? 私の妹、どうでした?」

 やっと顔を上げた長は、目をうるうるさせている。

 

「えぇ? えと、その、綺麗な方だなぁ、と」

 思っていたのと違う質問をされて戸惑うツバクロ。

「綺麗だけれど、おっかなかったっス」

 素直なノスリ。

 

 

「誰がおっかないの?」

 カワセミが上半身裸のズブ濡れで戻って来た。

 後ろから同じような格好の子供が着いて来るが、こちらは朦朧(もうろう)として足元が千鳥っている。

 

「おやおや」

「あ、長ぁ!」

「ちゃんと修練は欠かしていませんね、エライエライ」

 長は立ち上がって、カワセミの濡れた髪をクシャクシャと撫でた。

 

 子供はどんな修練をやらされたのか、フラフラで長にも気付けていない。

 背中のタテガミを晒したまま、地面にグニャリと倒れ込んでしまった。

 

「お――い、長が見えているぞ」

「お、長、ふにゃ……」

 立ち上がろうと頑張るが、手足に力が入らない感じで、うつ伏せたままアメンボのようにもがいている。

 

「珍しい弟子入りポーズですね。名前は貰えたんですか」

 

 三人は顔を見合わせて子供に向いた。

「ほら頑張れ」

「名前ってのは自分で名乗るモンだろ」

 

 子供は歯を喰い縛って顔を上げた。

「キ……キビタキ!」

 言い終わるや、また地面にバタンキュウ。

 

「ほお」

 長は三人を見回した。

 蒼の里で鳥の名前を貰ったのはこの三人だけだ。彼らはそれを誇りに思っている。

 しかもキビタキというのは三人にとって特別な鳥だ。

 この子は相当好いて貰えたようだ。

 

 

「おや?」

 長が森の入り口を見やった。

 

 青年達も釣られてそちらを見て……

「ヒッ」

 三人一緒に電気に弾かれたように飛び上がった。

 森の入り口に気配もなく現れた、馬を連れた人影……

 

「あらら貴女、どうしたのですか?」

 長が驚いた感じで立ち上がった。

 

 逆光の中の冬空の髪、氷のような表情……件(くだん)のアイスレディだ。

 昨日はローブ姿だったが、今日は真白い甲冑に身を包んでいる。

 

「かっけぇ……」

 ノスリがポツと呟いた。

 

 女性は朝の木洩れ日の中を静かに歩き、長の前まで来て、やにわに跪(ひざまず)いた。

 

「長、申し訳ありません」

 

「何かあったのですか?」

 

 

 

 ***

 

 

 

「遠征が早まったのです大陸で急な動きがあって」

 

「それは、また……」

「急ぎ出立(しゅったつ)せねばなりません。トルイも、初陣は発表されています。父と共に国民の前に立って宣誓をせねばなりません」

「そうですか……それは……仕方がないですね。今回の弟子入りは見送りにしましょう、残念ですが」

 

 三人の青年はハッとして、うつ伏せたまま意識を失くしている子供を見た。

 あんなに楽しみにしていた弟子入りを取り止めて、戦争に行ってしまわねばならないのか……

 

「まあ、トルイ」

 女性は弟子達の陰になっていた我が子をやっと発見した。

「だらしのない、長の御前で!」

 

「わぁあ!」

 カワセミが弾かれたように子供に被さる。

「ボクがシゴキ過ぎたの、ビンタは勘弁してやって!」

 

 ノスリもその前に立ちはだかった。

「昨日から飛ばし過ぎたんだ。こいつ吸収が早いからつい熱が入って、すんません!」

 ツバクロは一歩前に出る。

「この子は僕の弟弟子です。不備があるのなら、あ、兄弟子の僕に、せ、責任が、ありまひゅ」

 ちょっと噛んだ。

 

 弟子達に見えない後方で、長が目を三日月にしてニコニコと眺めている。

 

 女性は口の端を震わせて、何かを懸命に抑えているようだ。

 ツバクロは歯を喰い縛った。

 しかし子供が目を覚ましたので、女性の意識はそちらへ行った。

 

「ふわ…… あれ、母さん?」

「遠征が早まったのです。急ぎ城へ戻らねばなりません」

「え、えぇっ?」

「今回の弟子入りは見送りとなりました。帰宅の準備をして来なさい。出陣に際して、初陣の皇子の顔見せがあります。貴方がいなくては始まりませんよ」

 

「は、はい……」

 子供は三人の方を哀しそうに見てから、千鳥足で洞穴へ駆けて行った。

 三人はというと、女性が今言った言葉の中身に、やや凍り付いている。

 

 長が改めて女性の隣に来た。

「本当に残念です。皇子として世間にお披露目してしまうと、そうそう自由もなくなる。今回が良い機会だったのに」

「大陸から帰ったら……もしかしたら何年か先になるかもしれませんが、またお頼み致します」

「ええ。貴女も病み上がりなんだから無理をしてはいけませんよ」

 女性は少しだけ目をしばたいた。

 

 子供が身支度を整え、三人の青年の前に来た。

「えっと、ありがとう、ございました……カワセミさん、ノスリさん、ツバクロさん……」

 

「おう、俺らの事はもう、さん付けで呼ばなくてもいいぞ。同じ名を持つ仲間だ」

 子供の堪(こら)えた目の下が、ブワッと膨らんだ。

 

 それを見ていたツバクロが、意を決したように女性の前に駆け出た。

「あ、あの! 出陣式と、その後、大陸の砦に居ればいいんですよね!?」

 

 女性は固まった表情で癖っ毛の青年を見つめている。

 今度こそビンタが飛んで来るかもしれない、しかしビンタの一つ二つ受ける覚悟だ。

「大陸までの移動に何十日も掛かるでしょう? そのタイムラグに、少しでも蒼の里で勉強出来ます!」

 

「ほぉ、そしてその後は?」

 長が口を挟んだ。

「僕が砦まで送ります。僕が風を読んだら、どんな草の馬よりも何倍も速い。長もご存知でしょう? だから、えっと、大陸まで飛ぶ許可を、下さい……」

 

「順序が逆でしたね。宜しいでしょう、許可します」

 言いながら女性に向き直る。

「・と言う事です。どうです? このツバクロなら、二人乗りでも大陸の砦まで半日掛からずに飛べます」

 

 女性は氷の像のように微動だにしない。

 子供はすがるような目で彼女を見上げる。

 やがて女性は目を臥せて、ツバクロに深々と頭を下げた。

「宜しく、お頼み致します……」

 

「あ、いえ、はいっ」

 テンパる青年に背を向け、女性はスタスタと自分の馬に向かって歩き出した。

 子供も慌てて着いて行く。

 

「ここで待っていますよ、式典なんて面倒な物、チャッチャと済ませて来て下さいね――」

 長が朗らかに声を掛け、女性は鞍上で目礼して、子供と共に飛び去った。

 

(あの子、色んな物を堪(こら)えるのに、一杯一杯でしたねぇ)

 

 

 

「お~さぁ~~」

 しみじみしている長の後ろから、三人の弟子が折り重なって抗議の目で圧を掛けている。

 

「キビタキの父親が帝国の大王だなんて聞いてませんよぉお――!」

「あのガキンチョ、皇子サマかよぉ」

「あのヒト、大王の妃なんダ・・」

 

「まあまあ、丁度時間も出来ました。ちょっと座りましょう。ノスリ、焚き火が消えそうですよ。ツバクロ、お茶を入れて下さい。カワセミ……」

 長はまだ上半身裸のままの弟子に、上衣を掛けてやりながら言った。

「あの子は妃ではありません。王の子を一人送り出したけれど……それだけです」

 

 

 

 

 

 

 



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白い森 ~寂しい天の川~・Ⅸ


笹の葉さらさら

寂しい天の川・ラスト

これのあと一本、短い余話を描き下ろしました


 

 

 

 

 四つのカップに紅茶が行き渡り、長は訥々と話し始めた。

 

「むかしむかし、望まれて生まれて来た兄妹がおりました。兄は期待通り沢山のモノを持って来て、皆を大喜びさせました。妹は何一つ持って来なくて、周囲をガッカリさせました」

 

 三人の弟子はカップを両手で抱えて、黙って長を見ている。

 弟子になって長らく共にいたけれど、こんな静かで深い水の底にいるみたいな声は初めて聞く。

 

「その頃この土地は、人間の王が他所から来た侵入者に弑(しい)され、混沌としていました。人間界が荒れると人外界も荒れる。蒼の里も今とは比べ物にならないくらい殺伐として、大勢命を落としました。そういう歴史は知っていますね」

 

 三人は頷(うなず)いた。親世代に聞いているし、カワセミはその時代に親族の殆どを失った。

 

「そんな折、何も出来ない妹は、一人の人間の少年と出逢いました。手足を鎖で繋がれているのに、誇りを失わない、瞳に炎を宿した少年でした。

 何も出来ない妹でしたが、気付く力はありました。この少年こそが、混沌とした時代に夜明けを連れて来るのだと。何も出来ない自分は、彼を助ける事によって何かを出来るようになるのではないかと」

 

 三人とも黙って聞いている。

 カワセミのカップが傾いて、紅茶が糸のように垂れているのに誰も気付かない。

 

「そうして子供は、天の川の綺麗な夜に、生まれ育った里を後にしました。兄は………………」

 

 長く間が開いた。青年達は長の方を見られなかった。

 

「名前を与え、黙って彼女を見送りました。彼女の事にまったく興味を持たず、見捨てて放って置いた兄に、引き留める言葉など、言える訳が、なかった……」

 

 焚き火がパチパチとはぜて崩れた。ノスリが無言で屈んで、転んだ薪を組み直す。

 

「貴方達には言う機会がありませんでした……というのは言い訳で、正直、言えなかったんです。あまりに不甲斐のない話で」

 

「いえ、今が話す丁度良い機会だったのだと思います」

 ツバクロがぬるくなった紅茶カップを両手で抱えながら言った。

 不甲斐のない話などではない。見事な先見の明だった。妹君が添った少年は、瞬く間に草原を平定し、混沌に歯止めをかけたのだ。

 

「何も出来ない子供と仰ったけれど、凄いヒトに見えたです。馬も凄かったし」

 ノスリが三人を代表するように聞いた。

 

「ああ、何十年か振りに会って私も驚きました。何があの子をあそこまで鍛えたのか。ただ、本人は知りません」

 

「えぇ、それ、ホントだったんですか・・」

 

「自分と比べる物がない環境で育ちましたからね。貴方達も変にちょっかい出さない方がいいですよ。加減を知りませんから」

 

「はい……」

 思ったより一筋縄に行かない存在に育ってしまったのかもしれない。

 

 ツバクロは、長が、自分達に蒼の長を継がせると宣言した日を思い出した。

 反対する面々を前に長は、『血統外の者でも蒼の長を勤められるという前例を、作って置かねばなりません。子々孫々の為に』と述べた。

 

 あの時は、自分が苦労をしたから子孫に同じ苦労をさせたくないのだろう、位に思っていた。

 ――違う。この先、長の能力を持つ者が安定して生まれて来る保証なんて、何処にもないんだ。現に強い術者は、昔に比べて減っている。

 

 このヒトは正真正銘の蒼の長だ。ちゃんと物事の流れを、先の先の遥か遠くまで見渡せている。

 そして、前長の急逝で散ってしまったパズルの欠片(かけら)を、見事に拾い集めて収めようとしている。

 

(今の時代に生まれてこのヒトの弟子になれて、何て運が良かったのだろう……)

 

 

 

 木々がざわめき、女性の馬が二人を乗せて戻って来た。

 子供は真新しい正装をまとっている。

 

「皇子サマみたいじゃん」

「あんま見ないで……」

 

 女性は長と二言三言交わし、皆に深々と頭を下げて、飛び立って行った。

 本当に、自分の立場をピシリと守っている。確かに気軽に会える感じではない。

 

「城と……逆方向へ行かれましたね」

「一足先に大陸に出向き、下準備をしておくのですよ。王があちらですぐ動けるようにね」

「へ……え……」

 

「ツバクロ、この子を送りついでに、ちょっと隠密のコツを教えて貰って来たらどうです」

「いやいやいや、いいです!」

 

「『蒼の狼』の後は俺が継ぐの!」

 子供が息巻いて、皆穏やかな笑顔になった。

 

 

 この子供は確かに何かを壊した。

 

 若者達の卵の殻と、大人の心の壁。

 

 

 三人の青年は思う。

 この子供と一緒に未来を築いて行こう。

 自分達が心置きない存在になれば、長も家庭を持ち、あの女性も自分を責める事をしなくなるのではないか。

 

 寂しい天の川も、明るい月と共にあれば、その寂しさは霞んで行くのではないかと……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ~白い森 寂しい天の川・了~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





長いお話はこれでラスト
あと一本、短い余話があります


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余話
沈丁花・Ⅰ


余話・短編です


 

 

 

 

「・・着いて、来るな」

 

「もう一回見せて、もう一回だけ!」

 

「しつこい」

 

 水色の妖精は振り向きざまに腕を伸ばして、五本指を突き出した。

 地面の岩が光ったかと思うと、表面がパリッとはぜる。

 

 追い掛けていた赤毛の子供は、目をキラキラさせて満面の笑み。

 憧れの妖精の里で毎日術に触れられて、嬉しくてしようがないのだ。

 兄弟子の眉間の縦線になど気付いていない

 

「そう、これこれ、この感じ」

 子供は躊躇なく、まだチキチキ言っている岩を撫でた。

 並みの者なら感電して悲鳴を上げる所だが、この子は平気だ。

 手の中に感触が残っている内に模倣しようと、銀の瞳を寄り目にして、掌に集中し始めた。

 

 カワセミは鼻から息を吐いて、とっとと踵を返した。早朝の修練が済んだら、長に言い遣った仕事がある。子供の相手ばかりしている訳には行かない。

(第一子供の面倒を見るのはノスリやツバクロの方が上手じゃないか。何で暇さえあればボクに絡んで来るんだよ)

 

 ――バシッ

 

 振り向くと、子供の両手の間に放電が出来ていた。一瞬で消えてしまったが間違いなく自ら作った物だ。

 

「へぇ・・」

 

「ね、ね、今の感じでよかった?」

「まぁね」

「やったあ!」

 

 子供は拳を突き上げてピョンと跳ね、そのまま手を振って坂を駆け下りて行った。

 放牧地の向こうの修練所へ座学を受けに行くのだ。

 

 肩を下ろして、馬繋ぎ場へ向かうカワセミの両側から、ノスリとツバクロが寄って来た。

 

「・・見てたの」

「ガキンチョ、長に、雷系の術の資質があるって言われて、大喜びだったもんな」

「ノスリが相手してやれば良かったのに」

「僕らに誉められてもあそこまで喜ばないよ、キビタキは」

「…………」

 

 

 キビタキという名前を貰った人間の少年トルイは、限られた里での修行期間に、あらゆる物を吸収しようと一所懸命だった。

 今は修練所に通い、妖精の子供が基本として学ぶ、世界の摂理や掟についての講義を受けている。

 

 修練所は里の子供の為の教育施設で、年齢に応じた様々な講義や実技教習が行われている。

 長は彼に役立ちそうな講義を選び出して、受講の許可を取ってくれた。

 何日かに一度は長に直接指導も受けられるのだが、基本、長も三人の弟子も忙しいのだ。

『城の家庭教師と師匠にしか物を習った事がない』と言うキビタキは、初めての大勢で学ぶ教室に緊張しながらも、真面目に通っている。

 

 指定された講義が終わったら一直線に長の執務室に駆け戻る。

 里の中心、石造りの執務室は、長と三人の弟子、数人の見習いが出入りするが、昼間は無人な事が多い。

 彼はひたすらそこで『一番下っ端』らしい雑用をこなしている。

 誰かが帰って来たら稽古を付けて貰い、子供が寝る時間になったら、居候している三人の弟子の家へ。

 

 

「放課後なんか、ちょっとくらい同年代の子と遊んでもいいのに」

 

 子供か帰宅した夜半の執務室。

 ツルツルに磨かれた靴を眺めながら、ノスリが呟いた。

 同じくツルツルにされたスウェードの長靴(ちょうか)を睨むツバクロ。

「皇子様育ちで下働きなんかした事ないだろうに、健気だな。そうそう、朝の早い内に夏草色の馬に会いに行っているみたいだよ」

 

「ああ、帰る時はあいつに乗せて貰わにゃならんからな。どうだ、ちょっとは慣れてくれたか?」

 

「何だかんだ言ってあの馬は、肝心な時はちゃんと言う事を聞いてくれるからね。最初に脅し過ぎちゃったな」

 

「子供は子供と遊べばいいんだ――!」

 長椅子に寝転んだカワセミが手足をバタバタさせる。長が居ないと行儀もクソもなくなるのが彼。

 

「ノスリやツバクロは程々にしか懐かれていないから、のほほんとしていられるんだ。何でボクにだけあんなトリモチみたいにベッタリ張り付いて来る訳?」

 夕方仕事から帰ってからも、カワセミはずっと子供にまとわり付かれて、渋々術の手解きをしてやっている。ちなみに彼はいつも裸足なので、磨いて貰う靴がない。

 

「君だってキビタキの事、結構気に入ってただろ?」

「あの子は好きだけれど子供の相手はキラ――イ!」

 

 訳の分からない理屈を捏ね出した所で、御簾が開いて群青色の長い髪の長が入って来た。

 

「人間は寿命が短いですからね、一期一会という言葉があるくらいで。貴方に教わる機会を、貴方より重く考えているんですよ」

 

「長、お帰りなさい」

 弟子の二人は立ち上がり、カワセミは長椅子の下に一度転がり落ちてから、ぬっと顔を出した。

「ボクは困る! もっとノスリやツバクロと分担して欲しい!」

 

「俺は格闘を教えているぞ。だが人間は体力の限界が早いから、時間が短くなるのはしようがない」

「僕は座学を見てあげてるけれど、カワセミが戻って来ると飛んで行っちゃうからね」

 

「後進を育てるのも大切な修練の一環です。短い期限なんだから頑張って見てあげて下さいね」

 

「ゔう゛・・」

 

 長に言われたらしようがない。

 水色の妖精は、渋々諦めて、長椅子に戻った。

 

 長は奥の大机に座し、手にしていた巻き紙を端に置いて、本日の報告に目を通し始める。

 

「長、こちらの巻き紙は? 僕に処理出来る物ならして置きますが」

「ああ、先ほど馬繋ぎ場で、修練所の古参の教官に渡されたのですが……そうですね、目を通して、必要な部分を要約して口頭で伝えてくれますか?」

 

「はい」

 ツバクロは巻き紙を開いて、なるほど……と納得した。ビッシリと敷き詰められた煉瓦塀文字。

 ノスリとカワセミも両側から覗き込んで、うへぇという顔になる。

「文字数の圧で殴ろうとするヤツって、得てして薄っすい事しか書いていないんだよね!」

 カワセミが言って、顔を上げた長に『めっ』って顔で叱られた。

 

「あぁ――……キビタキが講義を受けに来る事に対しての、遠回しな苦情ですね」

 きっちりと目を通したツバクロが喋り始めた。

 長は黙って報告書類を仕分けている。

 ノスリとカワセミが横へ行って、仕分けられた萱紙を綴じる作業を手伝い始める。

 

「人間が混じっていると、教えてはいけない箇所の度につっかえて、講義が滞ると。まぁそんな感じです」

 

「『()()()()迷惑してる』とか主語を大っきく書いてあるんでしょ?」

 カワセミが嫌みたっぷりに突っ込んで、長にまた睨まれた。

 

「返書しますか?」

 ツバクロはもう紙を広げて羽根ペンを構えている。

 長は、報告書の何枚かを読み返しながら、朗々と答えた。

「では……『こうこう、こう言う陳情を頂いたけれど、修練所で子供達に教える基本の中に、他種族に言えないような代物が混じっているとの指摘にびっくり。真実ならば大問題であるので、人手を割いて全見直しをお願いします』って内容を穏便な文章に変換して、修練所長殿宛てにしたためて下さい」

 

「了解です」

 ツバクロは返事と共に筆を走らせる。

 

「ノスリ、こちらの見習いさんが書いた報告書、問題点を朱筆しておきましたので、明日、指導をお願いします」

「承知しました」

「カワセミ、何かありますか?」

「ん――・・ これ、何だかピリッとする」

 水色の妖精は机に残された書類の中から、一枚を取り上げた。

「では、明日は一番にそれを再調査しましょう」

「はぁい」

 

 将来的に長を継ぐ事を告げられた時は三人ともビビったが、こうやって皆で協力する形を作って、少しずつ準備している。

 長は、未来を見据えた様々な改革を、自分の任期の間に形にしようとしている。

 が、やはり里の皆が皆、諸手を挙げて賛同してくれる訳ではない。

 

 特に古い大人には、血縁外の長に異を唱える者が少なくない。仕方のない事だ。何万年もやって来た事を変えるのだから。

 少しずつ少しずつ、無理なく自然に曲げて行かねばならない。

 

 

「人間の教育を引き受けるってぇのも、改革の一つなのか?」

 執務室の灯りを消し、長と別れて三人、坂を下って帰宅の途。

 三人暮らしのパォだが、今は小さいベッドを入れてキビタキが居候している。

 

「流石にあの子だけの特例だとは思うよ。それでも未来にまた、妖精の資質を持った人間の子供が現れる可能性もある。その時に里がスムーズに受け入れられるように、良い前例にしてあげなくちゃね」

「えぇ――っ、ボクは疲れるぅ」

 

「お前に喰い付いて行ける人間なんてそうそう出現してたまるか。稀少なケースなんだからせいぜい可愛がってやれや」

「他人事だと思って……」

 

 パォが近付いて来たので、三人はお喋りを止めた。

 奥のカンテラ台に薄い灯りが灯され、隅のベッドで子供が寝ている。

 最初は起きて待っていたのだが、カワセミに『定められた時間に寝ろ、さもなきゃ強制睡眠の術だ』と脅されてから、寝ているようになった。

 

 妖精でも人間でも、子供には充分な睡眠が必要っていうのは、大昔からの大地の掟だ。

 

 

 

 

 

 

 

 



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沈丁花・Ⅱ

 

 

 

 その日、執務室は珍しくカワセミ一人だった。

 本日の仕事が奇跡的に何の滞りもなく終わり、日の高い内に帰って来られたのだ。

 この時間、キビタキはまだ修練所。

 

「う~~ぃ、久し振りにダラダラ出来る。これで長が居てくれたら最高なんだけどな~」

 

 しかし彼の満喫タイムはすぐ打ち壊された。

 外から声が掛かり、御簾が揺れて顔を出したのは、キビタキと同年代の子供。

 室内にカワセミ一人なのを見て、ビクビクしている。

 

「・・なに?」

 ゆらりと立ち上がる水色の妖精に、子供は絞め殺されそうな顔でしどもどと喋った。

「えっあっ、あの、修練所長が、長様を呼んで来るようにって」

 

「長がこんな時間に居らっしゃる訳がなかろう」

「でっ、でも、あうぅ……」

 

 居なかったら弟子の誰かでもいいという伝言を子供がやっと言えた頃には、カワセミのイライラはマックスに達していた。

 何だってこんな日に限ってツバクロもノスリもいないんだよ。そもそも所長ごときが何故長を呼び付ける? 

 

 仕方なく子供に先導させて修練所へ向かうカワセミ。

「あの、俺ら、ちょっとからかっただけなんです……」

 子供は消えそうな声で一度だけ喋ったが、恐ろしい三白眼にギロリに睨まれ、二度と口を開けなくなった。

 

 修練所に近付くにつれて喧(やかま)しい声が響き、土手を登って姿を現したら、広場で遊んでいた子供に一斉にビビられる。

(だからイヤなんだ、こっち来んの)

 

 所長室の扉を開くと室内全員にまたビビられた。

 所長はじめ教官らしき大人と子供が数人づつ。不快指数の高い部屋だ。

 

「長は不在です。代理で来ました」

 奥に座す所長の前に進もうとして、来客用の長椅子に子供が寝かされているのに気が付いた。

 額に濡れ手拭いを乗せられた、赤毛のキビタキ。

 

「…………」

 カワセミは無言でそちらへ方向を変え、脇に屈んだ。

 手拭いをどけると、意識が飛んでいて目の下が黒い。

 術力を急激に放出した反動症状。彼も散々経験したからすぐに分かる。

 

 何も言わずにカワセミは、細い指を突き出して赤毛の子供の額に触れた。

 ピシッと音がして、横たわっている身体が拳一つ分も跳ね上がる。

 室内全員がまたビビる。

 

「な、何をしておる」

 古参らしき老教官が、その場から動かないまま声を上げた。

 

「叩き起こして連れ帰る。その為に呼び付けたのではないのか?」

 

 子供の身体がもう一度ピシリと跳ね上がり、足が椅子の肘掛けに当たってゴンと音を立てたが、まだ目を覚まさない。

 

「え、いやいやいや」

 老教官は慌てて所長を見た。

 髭をたたえた所長はハッとして、やっと自分の役割の為の口を開いた。

「こうなった次第を伝える為に呼んだのです」

 

「長を?」

 

「そ、その子は先程まで熱もあった。動かせないだろう」

 

「知恵熱みたいな物だ、この程度でだらしがない。長が居らしたら煩わせる所だったではないか」

 

 水色の妖精の声は氷のように棒読みで、聞く者の背中に冷水を流す。

 細い指がもう一度子供の額に触れようとした所で、後方にいた若い教官が駆け寄り、手首と腕を掴んだ。

 

「話を、先に話を聞いて下さい」

 

 案の定というか、呼び出しの理由は子供の喧嘩だった。

(くだらない・・)

 

 若い教官が、子供らに話をするよう促す。

「俺ら、『何もやってない』よ。何もしないのにそいつが勝手にキレたんだ」

 一番身体の大きな子が、代表するように喋った。

 

「最初は『ささいな』口喧嘩だったらしいが、人間の子供が興奮して放電を起こしてしまったのだ」

 古参の教官が仰々しく言う。

 

「・・何処で?」

「き、教室だ、場所などどうでもいいだろう。側に居ただけのこの子らを感電させたのだぞ」

 

 カワセミは顔を上げて、大人の陰に隠れて立つ子供達を見た。人数は五人で、案内して来た子も混じっている。

 

「ピリっとしただけだよ、静電気みたいなの」

「光は眩しかったけれど、しょぼい術だったよな」

 思いの他大層な騒がれ方になって、呼び出されて来た大人は物凄くおっかないしで、後悔している感じだ。

「でも俺ら、本当に『何もしてない』よ。そいつ、術をボーハツさせて勝手に引っくり返っただけだし」

 身体の大きい子供が繰り返した。

 

「そうか」

 カワセミは、踵を返して戸口へ向かった。

 

「待て、まだ話を」

「どの教室だ?」

「は?」

「起こった事をつまびらかにする。長には繕い無き真実を報告せねばならぬゆえ。早く案内を」

 

 誰も動かないので、水色の妖精は風のように老教官の前へ行き、額に掌をかざした。

「ひっ」と禿げ頭を押さえる老人を尻目に、スタスタと廊下に出て、一直線に件の教室へ向かう。

 

 所長が慌てて追い掛け、残る教官と子供達も後を追った。

 教室では水色の髪の後ろ姿が、既に漆喰の床に掌(てのひら)を当てていた。

 正確に、先程赤毛の子供が倒れていた場所だ。

 

 何故分かる? 疑問に思うまでもない。彼が『長に次ぐと噂される術者』だからだ。

 禿げ頭から教室の場所を抜き取り、教室に入ったら術の残り香を探ったのだ。

 

「このヒトには何も隠せない」

 後方の若い教官が小声で呟いた。

 横の子供がビクッと揺れる。最初にカワセミを案内して来た子だ。

「あ、あれは何をしているの?」

「『地の記憶を読む』って奴だ。過去にそこで何があったかを知る事が出来る。……誰が何をどういう風に喋ったのかも、全部だぞ」

 子供は五人とも蒼白になった。

 

「や、やめて貰ってよ」

 身体の大きい子が老教官の腕にすがった。

 禿げ頭は思いも寄らぬ事態に茫然と突っ立っている。こんな予定ではなかった、長殿を呼び付けて、それ見たことかとネチネチ喋る自分しか想定していなかったのだ。

 

「『何もしていない』のなら堂々としていなさい」

 若い教官が小声で言った。

「何もしてないよ、手も出していないし、触ってもいない」

「言葉は暴力と同じにヒトを傷付ける事が出来る。知っているから使ったし、いま後悔しているんだろう?」

「~~ と、とにかくやめて貰って。謝るから!」

 

 若い教官が「カワセミ殿」と言って止めようとした時、後ろから何かに押された。

 赤毛の子供が凄い勢いで飛び込んで来て、皆を押し退け、足をもつれさせながら水色の妖精の腕にしがみ付いたのだ。

 地面から手の離れたカワセミは、驚いた目で子供を見ている。

 

「み、視ちゃった?」

「・・・・いや、まだ」

 

「視なくていい。俺がみんな悪い。どんな罰も受ける。だから視なくていい」

「…………」

 

 カワセミは立って、キビタキを子供達の方へ向かせた。

「悪かったと思うのなら、謝れ」

 

「ごめんなさい」

 赤毛の子供は素直にペコンとお辞儀をした。

 

 ・・?

 正面の子供達ばかりでなく、所長や教官までもが目を見開いている。

 キビタキは顔を横に向けて、そして感電したみたいに震えた。

 

 カワセミも後ろで直角に頭を下げている。

 

「この度は我が弟(おとうと)弟子が大層な迷惑を掛けた。兄弟子として不行き届きを深謝する」

 

 キビタキは上げようと思っていた頭をもう一度、額が膝に着くかと思う位勢いよく下げた。

 

 

 

 

 夕焼け空を背景に並んで帰る、水色の妖精と赤毛の子供。

 二人とも無言だったが、まだ足取りの覚束ない子供の歩調に、カワセミは合わせてやっている。

 

 放牧地への土手を登った所で、カワセミが立ち止まった。

「何の香りだ?」

 

「ああ、うん、あれだよ、沈丁花」

 子供は反対側の土手下の、白い花房に覆われた灌木を指差した。

「もうちょっと早くに咲く花なのに。陽当たりが悪いのかな」

 

「キビタキはそういうのよく知っているな」

「母さんが、花や植物が好きな癖に、全然覚えないの。だから俺が代わりに覚えて、教えてあげてる」

「そうか…… 手折って来てくれ」

「えっ? はい」

 

 キビタキは土手を滑り下りて、花房が一つ付いた枝を取って来た。

 カワセミは枝を受け取って、香りをくゆらせながら歩き出した。キビタキも後に続く。

 

 それだけの、何て事はない道行きだった。

 初夏の牧草地が夕陽のオレンジに柔らかくそよぐ。

 これから沈丁花の香りを嗅ぐ度にこの風景を思い出すんだろうなと、キビタキは思った。

 

 

 人生で、ただ長く居ても何も残らないヒトがいる。

 ほんの少ししか居なかったのに、一生残るヒトもいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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沈丁花・Ⅲ

 
すべてのおしまいのおはなし


ラストです

 

***

 

 

 

 

 

 夜、キビタキが帰った後の執務室。

 カップに挿した沈丁花がほのかに香り、三人の弟子はそれぞれの手仕事をやっている。

 

 修練所での事は大まかに話されている。ツバクロはただ、カワセミにごくろうさんを言い、ノスリは俺が行きたかったと息巻いた。

 

 外に足音がし、長の帰還かと三人は立ち上がる。

 長と、あともう一人誰かいるようだ。話し声が近付いて来る。

 

 御簾が開いて長が入って来たが、もう一人は外に突っ立ったままだった。

 所長室に居た若い教官。

 

「どうぞお入りなさい」

「いえ、お伝えする事は以上ですので、ここで失礼致します」

 執務室の中をチラチラと見て、彼はビク付きながら後ずさる。

 でも三歩下がった所で、思い定めたように室内に向けてザッと頭を下げた。

「本日の事は、子供達の教育者たる私の責任でもありました」

 

 多分カワセミに向けての詫びなんだろうけれど、当人はは眉を少し動かして会釈しただけなので、ツバクロとノスリがまあまあと取りなした。

 

 

 若者を帰らせてから、長は改めて三人の弟子に向き直った。

「え――と、まず、キビタキは、明日からも今まで通り受講に来て良いそうです」

 

 カワセミがスッと立って出口に向かう。

「あの子に知らせて来ます。多分眠れていないだろうから」

 

「お、おい、他は聞かなくていいのか?」

 というノスリの声を背中に、水色の髪はあっという間に坂の下に消えた。

 

「あいつが走るの見たの、子供の頃以来かも」

 呟くツバクロに、ノスリも苦笑いで隣に戻った。

 

「子供の何人かが、あの教官に正直に告白しに来たそうです」

 長は奥へ歩いて、大机に座した。

 二人もそれぞれの場所に腰掛けて聞く体制を取る。

 

「カワセミの悪口を囃し立てたらしいです、結構しつこく」

 

「ああ、まあ、キビタキがキレるんなら、その辺りかなと」

 

「ほとんど交友を持たず、講義が終わると速攻帰るキビタキが『すかしてる』ように見えたんですって」

「それ、問題を起こさないように懸命に自制していただけだろうに」

「あいつ元来は喧嘩っ早いからな」

 

「どうにかして自分達の土俵に引き摺り下ろしたかったんでしょう。子供ですからねぇ。五人がかりで行く手を塞いで」

「…………」

「カワセミなんかすぐ死んじゃう死んじゃう、死んじゃうから長になんかなれっこないって」

「え゛……」

「子供ですからねぇ。意味なんか分からず、簡単に大人の真似をする」

「…………」

 

「丁度講義で、羽根痕のある者が何百年か前までは多く居た話をした後だったので。授業ではそこまでだけれど、羽根痕持ちは虚弱で早死にするなんて噂は、ご家庭でも普通に話題にするんでしょうね」

「…………」

 

 長は水面(みなも)のように表情を動かさず穏やかに話しているが、張り詰めた水面下がそうではないのが、二人には分かった。

 

「蒼の長は草原を支えるけれど、里人が長を支える土台が無ければ成り立ちません。時間を掛けて地道に石を積んで行かねばならないでしょう」

 

「はい」

 二人は重く心に受け止めた。

 

 子孫を残さないこのヒトを無責任だと咎める声がある。

 しかし、血統外の者が長を勤める実績は、()()()()()()()()()()()()()()()()()、必ず作って置かねばならない。

 未来の為に。

 

「それにしても、カワセミが『地の記憶』を視る前で良かったな。俺でもヘコむわ、そんな光景」

「キビタキは優しいからな。そりゃ、自分が全部をひっ被ってでも視せたくないって思うよ」

 

 二人の弟子の会話を流し聞きながら、長は本日の報告書の点検に掛かった。

(カワセミが、ほんの一刻前の地の記憶を読むのに、そんなに時間を要するとは思えないんですけれどね……)

 

 

 

 

 やはり眠れていなかったキビタキを大喜びさせた後、軽く安眠の呪文を唱えてやって、カワセミは住まいのパォを後にした。

 執務室に戻って、事務の手伝いをせねばならない。

 

 メインストリートの坂道を登っていると、枝道から一人の男性が歩いて来てかち合った。

 長に報告に来てくれた若い教官。出会い頭でまたビビらせてしまった。

 

「さ、先程は、どうもっ。ああ、えと、感電した子供達の家庭を回っていましたっ。皆、特に問題なく食欲もあって元気ですっ」

 聞いてもいないのに慌てて喋る彼に、カワセミは「そうか」とだけ返した。

 

 修練所の教官寮へ帰る彼と、道が一緒。

 気まずい……と思っていると、教官の方から声を掛けて来た。

 

「実は私、結構感動したんです」

「んん?」

 

「あ、長様に聞きましたよね? 子供達の告白、教室での一部始終。あの子……キビタキが一回だけ言い返した言葉」

「ああ、まあ」

 

「私も、自分の教え子にああいう風に言って貰える指導者になりたいと、激しく思いました」

「……そうか」

 

 執務室の前まで来た。

 教官は安堵した顔で、別れの挨拶をして坂を越える。

 その後ろ姿に向かって、カワセミは声を張った。

 

「なれる。少なくともボクよりはちゃんとした指導者になれる」

 

 若者は、その言葉を謙遜程度に受け取って、ニッコリお辞儀をして向こう側へ下って行った。

 

 

 子供の告白の口伝えより正確に、カワセミはその光景を漆喰の地べたに教えて貰っていた。

 

 ――違う! この世に必要なヒトだから羽根があるんだ!

 過去の羽根痕持ちのヒト達も、本当は生まれられないくらい弱かったのを、この世でそれぞれに役割があったから、神様が護りの羽根をくれたんだ!

 カワセミは里にも草原にも絶対必要になるヒトだよ! そんな事も分かんないの!? 

 

 

 

 

 

 キビタキが人間界へ帰ってしばらくしてから……

 カワセミは自分の衣服の背中に穴を開けた。

 子供の拳ほどだった羽根痕から、少しづつ羽根が伸び始めたからだ。

 まだアヒルの雛のような、心許ない羽根ではあったが。

 

 

 

 

 

 

 ~沈丁花・了~

 

 

 

 

   ~風の末裔 見えない羽根のおはなし・了~

 

 

 

 

 

 

 






これにて、風の末裔~見えない羽根のおはなし~、完了です
ここまでお付き合い頂きまして、まことにまことに、ありがとうございました

ずっとリメイクしたかった、【風の末裔シリーズ】の一番初めのお話、
ようやく書ききれて、とても嬉しい

 時系列で並べると、
 第一シーズン  【風の末裔~見えない羽根のおはなし~】
 第二シーズン  【碧い羽根のおはなし】
 第三シーズンの1【ネメアの獅子】
 第三シーズンの2【春待つ羽色のおはなし】
 第四シーズン  【緋い羽根のおはなし】
 第五シーズン  【六連星(むつらほし)】
 第五シーズン余話【冬虫夏草】
 第七シーズン一部【星のかたちの白い花】
 ですが、それぞれが独立したお話ですので、どこから読んでも、全部読まなくでもOK 
 (推奨は、公開順)

第六シーズン・第七シーズンの本編がまだです。これからぼちぼちと書いて行きます
ふと思い出した時にでも、また見に来てやって下さいませ

挿し絵:てくてく 
【挿絵表示】

挿し絵:風の末裔 一番初めに何気なく描いたらくがき 
【挿絵表示】






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