ウマ娘プリティーダービー~流星が描く軌跡~ (カニ漁船)
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プロローグ トレーナー始めます

(小説は)初投稿です


 トレセン学園の理事長室。そこでは今ちょっとした修羅場が起きていた。その修羅場の原因ともいえる俺、神藤誠司は理事長室でどうやってこの場を切り抜けようかと焦っている。

 

 

「懇願ッ!どうかトレーナーになってはくれないだろうか!神藤君!」

 

 

「あ、あの、秋川理事長。頭を上げてはもらえないでしょうか?申し訳ない気持ちでいっぱいになりますので……」

 

 

「私からもお願いします、神藤さん。今回のライセンス合格者は神藤さんだけなんです。どうかトレーナーになっていただけないでしょうか?」

 

 

「駿川さん。そう言われましても……」

 

 

 オレンジ色の長い髪をストレートに伸ばした女性、ここトレセン学園で一番偉い人秋川理事長とその理事長の秘書を務めている茶色の長い髪を首のあたりで1つ結びにした女性駿川たづなさんにトレーナーになってくれないかとお願いされている。

 

 

(どうしよう……!どうやってこの場を切り抜けよう……!)

 

 

 考えるのはそのことばかりだ。そもそもなぜこんなことになってしまったのか?おそらく発端になったであろう出来事があった日のことを思い出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数日前、トレセン学園で用務員として働ている俺はいつも通り正門前の掃き掃除に勤しんでいた。上機嫌で。そのことを数少ない歳の近い同僚から指摘される。

 

 

『どうした?誠司。やけに機嫌がいいじゃないか?何かいいことでもあったのか?』

 

 

 俺は同僚のその言葉にテンションを高くして答える。

 

 

『良いことがあった、というよりこれから起こるかもしれないってとこかな。ほら、今日はあれだろ?中央のトレーナーライセンスの合格発表の日』

 

 

『そういえばそうだったな。お前も受験してたんだっけか?』

 

 

『そうそう!通知はメールで届くからさ、休憩時間に確認するのが楽しみなんだよ』

 

 

 俺の言葉に同僚は苦笑いを浮かべながら答える。

 

 

『子供かよお前』

 

 

『良いじゃねぇか別に。合格するために滅茶苦茶勉強したからな。それに、試験の合格発表ってなると不思議とテンション高くなるだろ?』

 

 

『あぁ~。まあ分かるな。でも、仕事はちゃんとしろよ?』

 

 

『大丈夫だよ。その辺の分別はちゃんとついてる』

 

 

 会話をしながらも俺は作業の手を緩めていない。落ち葉1つ見逃さないように掃除をしている。

 しかし無言のまま掃き掃除というのもつまらないと感じているのか、同僚は話しかけてきた。

 

 

『てかさ、お前もし落ちてたらどうすんの?』

 

 

『もし落ちてたら?そしたらもう1回受験するだけだよ。受かるまで何度でもな』

 

 

 その言葉に同僚は意外そうな顔をする。抱いたであろう疑問を俺にぶつけてきた。

 

 

『そんなにトレーナーになりたいのかお前?でもいつもレース興味なさそうにしてるじゃねぇか』

 

 

『別にトレーナーになりたいってわけじゃないさ。諦めるのが嫌いなんだよ、何事もな』

 

 

『へぇ~……』

 

 

『それに、T大の受験と比較されるほどの難しさを誇る中央のトレーナーライセンス試験、是非とも取っておきたいだろ?』

 

 

『出たな資格マニア』

 

 

 同僚は笑いながらそう答える。何か言い返したいが、資格取るのが好きなのは本当のことなので何も言い返せない。俺は同僚の言葉に悔しそうに唸るだけだ。

 そのまま同僚は話を続けてくる。

 

 

『にしても、お前って本当に変な奴だよな、誠司』

 

 

『変な奴とは心外だな。ちゃんと真面目に仕事はしてるだろ?』

 

 

『仕事は、な。でもお前、用務員とは思えないほど色々できるじゃねぇか。この前のアレはなんだ?急にトレセン学園が贔屓にしている業者がお前と親しそうに話してるのを見てビックリしたぞ』

 

 

『まあ俺の紹介だからな、あの業者さん。他にもトレーニング器具を卸している業者だったり練習場の整備の業者だったりは大体知り合いだ』

 

 

『……お前なんで用務員なんかやってんの?普通に仲介業者とかやってた方がよくね?』

 

 

『別にいいだろ、用務員やってたって』

 

 

 同僚は呆れたようにこちらを見てくる。正直、隠すような理由でもないが何となく言わないでおこうと思った。

 そんな会話を続けていると、掃き掃除が終わる。次の仕事へと向かおうと思ったが時計を確認するともう少しでお昼になろうかという時間だった。俺たちは休憩を取るために職員が利用する食堂へと向かう。

 お互いに席に着いてご飯を食べる……前に俺は携帯を確認する。合格通知が来ているかもしれないからだ。メールボックスを確認してみると、合否判定の通知が来ていた。

 

 

『お、合否判定の通知きてるじゃん』

 

 

 その言葉に同僚は興味深そうに尋ねてくる。

 

 

『マジか!それでそれで?どうだったんだよ?』

 

 

『慌てるなって。今確認する』

 

 

 そういいながら俺は緊張しながらメールを開く。内容は……

 

 

『よっし!合格だ!』

 

 

合格していた。そのことに俺は思わずガッツポーズをしながら喜ぶ。同僚も祝福していた。

 

 

『やったじゃねぇか!おめでとう!』

 

 

『ありがとう!いやぁ、肩の荷が下りたぜ!』

 

 

『で、トレーナーになる気は?』

 

 

『今のところはない。トレーナーってなると、ウマ娘の子をしっかりと俺の手で導いていかなきゃいけないだろ?二人三脚で』

 

 

『まあそうだな』

 

 

『それにレースにもそんなに興味ねぇしな。このまま用務員を続けるつもりだよ』

 

 

『本当に変わってんなお前』

 

 

 同僚はまた呆れた目で俺を見る。その視線を受け流しながら俺は自分の昼食を食べ始める。変な奴と思われているのは今更なのでもう気にしないことにした。

 だが、今にして思えば、食堂で話したことが失敗だった。この場にいたのは自分たちだけではない。他の職員も利用しているのだということに俺は気づくべきだったのである。その失敗に気づいたのは数日が経った後だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして現在、俺は2人の女性に迫られている。そういえば聞こえはいいが、実際にはトレーナーになってくれないかという話だ。

 秋川理事長はなおもこちらに頼みこんでくる。

 

 

「疑問ッ!何故トレーナーライセンスを取得していながらトレーナーになることを拒むのだ!?」

 

 

「先程も申し上げました通り、私は資格を取るのが趣味でして、ライセンスに関してもその一環と言いますか……」

 

 

 理事長に同調するようにたづなさんもこちらに頼んでくる。

 

 

「そこを何とか!お願いします神藤さん!先程も申し上げた通り今回の試験の合格者は神藤さんだけなんです!無理を承知でお願いできませんか?」

 

 

「さすがに今の仕事もありますので……難しいですね」

 

 

(一体どこでバレたんだ!?俺がライセンスを取得したってことが!)

 

 

 内心焦りながらそう考えるが、心当たりは1つしかない。あの食堂での会話だ。思えば結構な大声で合格したことを喋っていた。他の利用者にも聞こえていたのだろう。その利用者が誰かに話して、それを聞いた誰かがまた話して……といった感じで理事長まで広まったのだろう。

 

 

(……いや、待てよ?そもそも理事長だったら合格者名簿ぐらい見るんじゃないか?)

 

 

 そもそもの話、トレセン学園の理事長である秋川さんならライセンスの合格者名簿ぐらい見るんじゃないだろうか?そう考えると、俺がどうあがいたところでこの勧誘は起こりえたことなのだと内心諦めがついた。それは表情には出さないようにするが。

 2人に必死にお願いされているが、俺はトレーナーになることを渋っている。理由としては2つあってどちらも単純だ。

 まず初めに、ウマ娘のレースに興味がない。それを言ったことがある全員から

 

 

「なんでお前トレセン学園で働いてるの?」

 

 

と総ツッコミを喰らったが、本当にウマ娘のレースに興味が湧かなかった。執拗に俺のことをレースの世界に引きずり込もうとしたウマ娘もいるが、それでも俺は不思議と興味が湧かなかった。

 2つ目に、今の仕事、用務員の若い男手が不足しているということから抜けることができないからだ。ウマ娘の子が入ってでもくれたら話は別なのだが、入ってこない現状若い男は力仕事を担当することになる。しかしこの若い男手がこのトレセン学園では不足している。今でも結構ギリギリなのにこれ以上減ったら力仕事をできる奴がいなくなってしまう。

 1つ目に関してはこれからレースに興味を持っていけばいいのだからそこまで問題ではないだろう。なので問題となるのは実質1つだけ。人手不足の問題だ。正直、俺がトレーナーと用務員を兼業でもすればいい話なのだが、そうやすやすと受けていい話でもないだろう。

 

 

(ただでさえトレーナーは激務って聞くしな。それを考えると兼業はほぼ不可能だろう)

 

 

 今も熱心な勧誘を聞きながら1人そう思う。

 ……2人がここまで必死になる理由も分かる。用務員を人手不足と言ったがそれはトレーナーだって同じ話だ。T大と並び称されるほどの難関、合格者0の年すらあるその資格は持っているだけで人に自慢できるものといっても過言ではない。1人増えるだけでもありがたいことだ。そしてその合格者が学園の職員から出たともなれば必死にもなるだろう。加えて、どうやら今回の合格者は俺1人。学園側からしたら是が非でも逃したくないはずだ。俺が同じ立場なら同じ行動をするだろう。

 

 

「神藤君、用務員の方も人手不足なのは重々承知している……。だがッ!そちらに関してはまだ検討段階ではあるが対策は立てている!その対策さえ完成すれば用務員の人手不足は解消されるはずだ!だから!どうかトレーナーになってはくれないだろうかッ!?」

 

 

 理事長の勢いに、俺はたじろぐ。

 秋川理事長はとてもウマ娘思いな人物だ。毎年結果が振るわず退学していく子やトレーナーがつかずに去ってしまうしかない子たちを見て心を痛めている光景を何度か見たことがある。それだけでなく俺たちトレセン学園の職員にも真摯に向き合ってくれている。俺も何度かお世話になったことがある。

 そんな人物がここまで頼み込んでいるのだ。ここで首を縦に振らなきゃ、

 

 

(男じゃねぇよなぁ)

 

 

そう思い、秋川理事長にトレーナーの件を了承の旨を伝えようとする。

 

 

「……分かりました、では」

 

 

 そんな俺の言葉を遮って、秋川理事長は俺に提案をしてきた。

 

 

「提案ッ!もしトレーナーを受けてくれるのであれば今の給料の5割、いや、7割増しの給料を払おう!」

 

 

「その話、詳しくお願いできますか?」

 

 

 急にお金の話になり、俺は即座に食いつく。別にお金に困っているわけではないが、給料という言葉に食いつかない社会人はいないだろう。

 秋川理事長は詳細を話す。

 

 

「確かに我々としても用務員の仕事をしながらトレーナーの仕事をしてもらうことになるやもしれないのに給料据置というニュアンスで伝えてしまったのは申し訳なく思っている!しかーし!もし兼業してくれるのであれば今の給料から7割増しで払うことを約束しよう!」

 

 

「……しかし、トレーナー業は激務と聞きます。兼業をするとしても私の身体は持つでしょうか?」

 

 

「心配は無用だ神藤君!私の方から君の業務を減らすように打診しておく!トレーナー業に差支えのないようにな!」

 

 

「……」

 

 

 かなり美味しい話になってしまった。あのままでも受けるつもりではあったが、まさか給料を上げる話にまでなるとは思わなかった。だが、深く考えるならそれほどまでにトレーナーを増やしたいと思っているのだろう。

 別にお金に惹かれたわけではないが、俺は理事長の提案を受けることにした。

 

 

「分かりました。トレーナーの件、受けさせてください」

 

 

 その言葉を聞いて理事長は嬉しそうに笑顔を浮かべ話しかけてくる。

 

 

「確認ッ!本当か神藤君!トレーナーになるという件、受けてくれるか!?」

 

 

「さすがにここまで頼み込まれたら断れませんよ。不肖この神藤誠司、トレーナーを一生懸命務めさせてもらいます。決して給料UPに釣られたわけじゃありませんよ。本当ですよ?」

 

 

「分かっているとも!歓喜ッ!君がトレーナーの件承諾してくれたこと、嬉しく思うぞ!神藤君!」

 

 

 そういいながら理事長は書類の準備をしてくれた。おそらくトレーナーになるための手続きのようなものだろう。俺は用意されたその書類にサインをしていく。

 すべての書類にサインし終わった後、俺は一礼して理事長室を出た。同じタイミングでたづなさんも別の用事があるのか理事長室の外に出てきた。たづなさんは俺に話しかけてくる。

 

 

「ありがとうございます、神藤さん。こちらの無理を聞いてくださって」

 

 

 その言葉に俺は申し訳なさを感じつつも答える。

 

 

「いえ、大丈夫ですよ。理事長がウマ娘思いな人物だっていうのは知っていますので。それに、あそこまでお願いされたら受けなきゃ男が廃るってもんですよ」

 

 

「そうですか……。でも、ありがとうございます」

 

 

 たづなさんはそう言って一礼する。その後こちらに質問してきた。

 

 

「けど、大分渋っておられましたね?神藤さんなら兼業という手段を思いついていたと思うのですが、他にも何か問題が?」

 

 

 そう聞かれて、俺は素直に自分の考えを伝える。

 

 

「いや、たづなさんも知っていると思いますけど、俺ってレースに興味がないじゃないですか?」

 

 

「そうですね。生徒会長に何度誘われても断っておりましたね」

 

 

「その話は置いといてください。レースに熱中できない、興味がない、そんな奴に担当してもらうウマ娘が可哀想だなって考えると……、どうしても尻込みしちゃって」

 

 

「なんだ、そんなことでしたか」

 

 

 たづなさんはそう笑って答える。こっちは結構真剣に考えていたのだが。

 

 

「だったら、これから熱中していけばいいんですよ。それに、もしかしたら神藤さんが熱中できるようなレースをしてくれる、そんなウマ娘が今後現れるかもしれませんよ?」

 

 

「だといいんですけどね」

 

 

「何はともあれ、これからのトレーナー生活頑張ってください!応援してますよ、神藤さん!」

 

 

 そう言って足取り軽やかにたづなさんは去っていった。俺は1人取り残される。何をしようかと思ったが、ひとまずトレーナーになることを知り合いにでも話してみることにした。

 これが俺の、歩むことになるとは思わなかったトレーナー生活の第一歩となった。




小説書くのは初めてなのでいろいろと至らない点があると思います
また、基本的に書き溜めをしないので投稿頻度は結構不定期になると思いますが、できる限り早く投稿することを心がけます。

誤字・脱字報告をしてもらえるとありがたいです



やよいさんのあの口調が母親の真似だとすると結構萌える気がするのは私だけでしょうか?


※細かいところを修正 7/22

※プロローグを丸々改稿 8/14


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第1話 選抜レース

基本は23時に投稿しようと思っています


 理事長室でのやり取りからトレーナーになり、早いもので数ヵ月が経った。今はもう4月の後半。俺は今久しぶりにスーツに袖を通している。わけもなく興奮していた。

 

 

「スーツを着るなんてホントに久しぶりだな。用務員時代は作業着だからスーツなんて着ないし、最後に来たのはトレセン学園の面接に来た時以来か?」

 

 

 懐かしさを感じながらもこの数ヶ月の間のことを思い出す。

 元々トレーナーになる気はなかった俺は準備なんてものをしていなかった。だからまず始めたのはどこかのチームでサブトレーナーとして少しでも経験を積むことだった。悪あがきにしかならないがやらないよりはマシだと思った俺は知り合いのトレーナーに頼みこんでサブトレとして働かせてもらえることになった。

 結論から言うと、自分が思っている以上に大変だった。ウマ娘の子たち1人1人の体調とトレーニングメニューの管理、レース出走のための申請書類の作成、他チームのライバルとなる子たちの研究など、上げていけばキリがない。想像以上に大変だということを分からされた。

 しかし、数ヵ月という期間もあれば人は慣れるもので、終わる頃にはチーフトレーナーの人から

 

 

『うん、これなら大丈夫だろう。これからは同じトレーナー同士、よろしくな神藤君』

 

 

と、お墨付きをもらった。

 そんなことを思い出しながらも、スーツを着終わって俺は目的の場所へと向かう。その場所とは普段は生徒たちが練習で使っているトレセン学園のレース場だ。

 今日は選抜レースが行われる日であり、まだトレーナーのついていないウマ娘たちが出走するレースだ。トレーナーはここでスカウトするのが一般的であり、俺もウマ娘をスカウトするためにこの選抜レースを見に行く。

 まだ見ぬ担当の姿に心を弾ませながら会場へと向かう道中、2人のウマ娘が元気よく俺に話しかけてきた。

 

 

「神藤さん、おはようございます!」

 

 

「おはようございま~す!スーツ姿似合ってますね~!」

 

 

「あぁ、おはよう。褒めてくれてありがとうな」

 

 

「神藤さんは今日はどこに行くんですか?」

 

 

「今日は選抜レースを見るためにレース場に向かうところだな」

 

 

「じゃあじゃあ!私たちもレース場に行くから一緒に行きましょうよ!」

 

 

 特に断る理由もなかった俺はその提案を承諾して2人と一緒にレース場へと向かう。向かっている間、俺は2人と話していた。

 

 

「それにしても、神藤さんがトレーナーか~」

 

 

「神藤さん、私をスカウトしてくださいよ~」

 

 

「どうしてだ?」

 

 

「神藤さん親しみやすいし、優しそうだからスカウトしてくれるかなーって」

 

 

「俺なんかよりもっといいトレーナーはいるよ。それに、冗談で言ってるだろ?それ」

 

 

「アハハ、分かっちゃいます?」

 

 

「まあ、口調とか完全にからかっている感じだったからな。冗談で言ってるとは思ったよ」

 

 

「バレちゃったかー」

 

 

 その後も他愛もない会話を続けていると、無事に会場に着いた。2人とはここで別れる。

 

 

「それじゃあ神藤さん!スカウト頑張って下さーい!」

 

 

「応援してますよー!」

 

 

「あぁ!お前たちの先輩も、無事にスカウトされるといいな!」

 

 

 2人は俺とは違う方へと向かっていった。名も知らない先輩がスカウトされることを俺も祈っておく。

 初めて選抜レースに来たのだが、結構人が多かった。スカウトに来たトレーナーだけでなく、応援に来ているウマ娘の子や、記者の人たちも何人か見受けられる。俺は少しばかり圧倒されていた。

 

 

(結構人多いんだな。出走する子とトレーナーだけだと思っていた)

 

 

 そんなことを思いながら、俺は自分と同じトレーナーの集団を探す。

 理由は単純で、右も左も分からないという現状、指南してもらいながら今回の選抜レースを見ようと思ったからだ。俺は辺りを見渡す。

 すると、若手のトレーナーが一団となっているのを発見する。俺はその一団に近づいて声を掛けた。

 

 

「おはようございます。少し大丈夫ですか?……って、お前らだったのか」

 

 

 その一団は用務員時代から仲良くさせてもらっているトレーナー達だった。

 

 

「おはよう……って、神藤じゃないか。そういえばトレーナーになったんだったな」

 

 

「これからは同業者としてよろしくな、神藤」

 

 

「あぁ、よろしく」

 

 

 挨拶も程々に俺は早速本題に入らせてもらった。

 

 

「ちょっと頼みたいことがあるんだけどさ、いいか?」

 

 

「お前が頼み事?珍しいな」

 

 

「別にいいぜ。俺たちにできる範囲なら手伝うぞ」

 

 

 引き受けてくれるらしい。そのことに俺は感謝をする。

 

 

「ありがとう。実はさ、俺選抜レース見に来るの初めてなんだよ。だからさ、レースの見方とか色々教えてくれないか?一応サブトレしてた時にどこを見ればいいのかってのは教わったんだけどさ、ちょっと不安なんだよ」

 

 

 その言葉にトレーナー達は渋面を作った。そんなに難しいことを言っただろうか?

 

 

「まさかのそこからか……」

 

 

「そういえばコイツレースすら見ない人間だったわ……」

 

 

 それに関しては本当に面目ないと思っている。ただ、トレーナーの1人が笑みを浮かべて答える。

 

 

「まあいいぜ。お前には世話になってるからな。俺で良けりゃ力貸してやるよ」

 

 

「マジか!ありがとう!」

 

 

 そして、その言葉を皮切りに他のトレーナーも口々に名乗りを上げる。

 

 

「ま、軽く教える分には構わねぇぜ?」

 

 

「最初だから不安だって気持ちも分かるしな。俺も手伝ってやるか」

 

 

「お、お前ら……!本当にありがとう!」

 

 

 これでどんな子が良いのか、どんな視点で見れば良いのかを教えてもらえるだろう。例え今日の選抜レースで契約が結べなくても次に活かすことができる。

 そんなことを考えていた時、トレーナーの1人が声を上げる。

 

 

「おい!そろそろ選抜レース始まるぞ!」

 

 

「本当か!?早く見に行かねぇと!」

 

 

「そうだな!特に今日はあの子が出るんだろ?出遅れたら洒落にならねぇ!」

 

 

「あの子だけじゃねぇ!今日の選抜レースは豊作だからな!いい席で見とかねぇと!」

 

 

 そう言って、彼らはそれぞれが見やすい場所へと走っていった。俺を残して。取り残されて1人になった俺は誰に言うわけでもなく呟く。

 

 

「……これはアレか?甘えてんじゃねぇぞってことか?」

 

 

 仕方がないので、選抜レースは1人で見ることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 選抜レースも数レースが終わった。俺は観客席で様子を見ていた。しかし、頭を掻きながら愚痴る。

 

 

「やっぱよく分かんねぇなぁ……」

 

 

 教えてもらおうと思っていたトレーナー達は皆自分のことで手一杯なのか、声を掛けるのも憚られるほどの雰囲気を出していたので、結局1人で見ることにした。そして、自分は最低限の良し悪ししか分からないので、今日はあくまで勉強、あわよくばレースを見てピンとくる子をスカウトしようと思っていた。

 だが、これといった子は見つからなかった。そのことに俺は少し落胆する。レースを見れば良い子が見つかるだろう、ピンとくる子がいるだろうと楽観的な考えが頭を支配していたが、現実はそんなに甘くいくものではなかった。

 溜息を吐いて俺は空を仰ぐ。思い出すのはたづなさんに言われたこと。

 

 

「俺が熱中できるようなレースをするウマ娘……か」

 

 

 そんなことを呟いていると、後ろから声を掛けられる。

 

 

「あ、神藤さんじゃないですか!トレーナーになったんですよね?これからよろしくお願いします!」

 

 

 俺は後ろを振り向いて姿を確認する。声を掛けてきた人物は先程のトレーナー集団の中にはいなかった若いトレーナーだった。横には彼がスカウトしたであろうウマ娘が立っている。俺は彼の名前を呼びながら挨拶を返す。

 

 

「坂口か。あぁ、これからは同じトレーナーとしてもよろしくな」

 

 

 そう言って俺達は握手を交わす。俺は早速気になっていることを聞いた。

 

 

「隣にいるその子は、坂口がスカウトした子か?」

 

 

 そう尋ねると、嬉しそうに答える。

 

 

「はい!さっきスカウトしてきた子です!」

 

 

 坂口がそう言うとウマ娘の子は丁寧にお辞儀をした。俺もお辞儀をする。

 そして、坂口が本題とばかりに俺に尋ねてきた。

 

 

「神藤さんはどうですか?良い子は見つかりましたか?」

 

 

 俺は首を横に振って答える。

 

 

「うんにゃ全く。まだ1人も声を掛けてない」

 

 

「え?大丈夫ですかそれ?どんな子をスカウトしようって考えてるんです?」

 

 

「レースを見てピンときた子」

 

 

「は?」

 

 

 俺の言葉を聞いた瞬間、坂口は驚いたような表情をした後信じられないものを見るような目で俺を見る。ウマ娘の子は曖昧な笑いを浮かべるだけだった。

 おそらく、頭の中で思っていたであろう言葉を俺に投げかける。

 

 

「……それ、本気で言ってます?」

 

 

「本気も本気だよ」

 

 

「……下手したら一生見つからないと思うんですけど」

 

 

「……」

 

 

 一応、そのことは分かっている、つもりだ。ただ、直感で担当する子を決めようとしていたのは事実。俺は彼の言葉に何も言わずに無言を貫く。

 すると、嘆息しながら坂口が俺に告げる。

 

 

「神藤さん的には、どんな子がいいとか希望はあるんですか?」

 

 

 俺は少し考えた後答える。

 

 

「……特にないな。強いて言えば、俺が熱中するようなレースを見せてくれる子か?」

 

 

「う~ん……。抽象的過ぎてアドバイスに困りますね」

 

 

 坂口の言葉に申し訳なさを感じながら俺は弁明する。

 

 

「生まれてこの方ウマ娘のレースなんてほとんど見たことねぇからな。だけど、トレーナーをやるからには本気で取り組みたい。じゃないとウマ娘の子達に失礼だからな。その基準として……」

 

 

「自分を熱中させるような走りを見せる子……だと」

 

 

「そういうことだ。まあ、最初はどんなところに注目すればいいのかを教わろうとしたんだが全員自分のことで手一杯だったのか結局1人で見ることになったよ」

 

 

「アハハ……、まあ出遅れるわけにはいきませんからね」

 

 

 ある程度納得したのか、坂口は苦笑いを浮かべて俺に告げる。

 

 

「だったら、ここから先は一緒に見ませんか?僕はこの後手が空いているので。この子も、他のこのレースを見るのがいい刺激になると思いますし」

 

 

 俺は内心喜びながらお願いする。

 

 

「本当か?だったら頼む!」

 

 

「はい。じゃあ早速次のレースを見ましょうか」

 

 

 そう言って、俺は坂口と坂口の担当ウマ娘と一緒にレースを見ることになった。コースへと視線を向ける。

 コースへと視線を向けた時、一際目立つウマ娘を見つけた。一瞬、その姿に目を奪われる。遠めでも分かる。それほどまでに美しい子だった。

 太陽に照らされて輝いているように見える金色の髪を腰まで伸ばしている。その金色の髪の中で一際目立つ白い部分、まっすぐに伸びた流星。どことなく気品を感じる雰囲気。体躯は平均よりやや小さめ、といったところだろうか?一見すると華奢な雰囲気を出しているが、確かな力強さも感じる不思議な魅力があった。

 そこまで分析したところで、我に返る。坂口が俺に話しかけてきた。

 

 

「あ、神藤さん。あの子ですよ。今日の選抜レースで最注目されている子」

 

 

「……あ、あぁ」

 

 

「……?どうかしましたか?」

 

 

「いや、大丈夫だ」

 

 

 まさか見惚れてました、なんて言えるわけもなく。曖昧な言葉でお茶を濁す。出走する子たちがゲートに入って発走の瞬間を待つ。そして、まもなくしてゲートが開いて一斉にスタートを切った。

 その時、俺の中に電流が走ったような感覚を覚える。自分の中でのレースという概念が覆され、今まで興味がなかったことが嘘かのような感情を覚える。会場の最前列へと身を乗り出し、食い入るようにそのレースを、その子を見る。後ろではさっきまで話していた坂口とウマ娘がびっくりしている声が聞こえているがそんなことはどうでもいいくらいにくぎ付けになる。その子から目を離すことができない。彼女の走りに目を奪われた。時間が経っていることすら忘れてしまいそうなほどに。

 気づいたら、レースが終わっていた。実況の声が聞こえてくる。

 

 

 

 

《…圧倒的な強さを見せつけて今1着でゴールイン!やはり今回の選抜レースで最も注目されていたウマ娘!2着に6バ身差をつけて勝利しました!》

 

 

 

 

 俺はまだ心臓の音が聞こえそうなほどの興奮を覚えていた。今まで感じたことがないような衝撃。思わず口角が上がる。

 後ろから心配するように声を掛けられる。坂口だ。

 

 

「し、神藤さん。急にどうしたんですか?レースが始まったら最前列の方に行っちゃって?」

 

 

 俺は興奮を抑えきれずに坂口の問いに答える。

 

 

「見つけた…」

 

 

「見つけた?何をですか?」

 

 

「見つけたんだよ!担当したいって思える子を!」

 

 

 俺は言うだけ言って走り出す。彼女をスカウトするために。後ろからは坂口の制止するような声が聞こえてきたが、俺は無視して一目散に駆け出した。……が。

 

 

「やはり素晴らしい!君ならトゥインクルシリーズの主役になれる!どうだ?私と契約しないか!?」

 

 

「いや、俺の下で走らないか!?絶対に損はさせない!」

 

 

「いいえ!私と一緒にクラシックを獲りましょう!あなたなら3冠も夢じゃないわ!」

 

 

 スカウトしようと思った金色の髪の彼女は様々なトレーナー達に囲まれている。当たり前だが、俺が入る隙はない。

 

 

「し、神藤さん急に最前列に行ったと思ったら今度は見つけたとか言って一目散に駆け出して…。ほ、本当にどうしたんですか?」

 

 

 後ろから息を切らせて坂口が来る。俺は目の前の光景を見て思案する。

 

 

(まぁ、あれだけすごい走りをしていた子だ。そりゃあこれだけの声は掛かるだろうよ)

 

 

 素人目の俺でも分かるほどにすごい走りをしていた子だ。多くのトレーナーが声を掛けることは想定していた。

 だが、諦めるわけにはいかない。レースを見てあれだけ熱い気持ちになったのは初めてだった。素人である俺のスカウトを受けてくれるかは分からない。だが、やらないよりは遥かにマシだ。俺は意を決して最早壁となっているトレーナー達のところへと突っ込む。

 

 

「き、君!もしよかったら俺と…ぶべらッ!?」

 

 

「し、神藤さーん!?」

 

 

 ……案の定、吹っ飛ばされた。意気揚々と突っ込んだ俺だが、押し出されて頭を打つように倒れる。薄れゆく意識の中、思い出すのはあの子の走り。

 

 

(せめて、名前だけでも知りたかった……)

 

 

 そう思いながら、少しの間気絶した。起きた頃には、次のレースが始まっていた。




自分で書く立場になって改めて小説を書く難しさがわかりました。毎日投稿してる人たちは本当にすごいなぁと思います。


※主人公の言動や心理描写の気になったところを修正 7/22


※最後の部分を修正 9/11


※丸々改稿 11/25


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第2話 夜の語らい

やっと担当が出る模様


「結局、あの後も見ていたが……」

 

 

 選抜レースも終わり、トレセン学園に戻って用務員としての仕事を終わらせてひと段落した頃。日が落ち始めてきたのもありすでに辺りは暗くなり始めてきている。現在俺は落ち着いてきたのもあり、今日一日の出来事を振り返っていた。

 

 

「あの子以上の衝撃はなかったな……」

 

 

 そう、結局あの金髪の子以上のウマ娘に出会うことはできなかった。それもそのはずであの後一緒に見ていたトレーナーに詳細を聞いてみたのだが、どうやら彼女はトゥインクルシリーズ出走前でありながらもかなり期待をされており、あの選抜レースで最も注目されていたウマ娘だったらしい。一応、リストには目を通していたのでどこかで見たことはあるのだろう。ただ、その時点では気にならなかったのかもしれない。そう考えると、こうして選抜レースで実際に見てみることの大切さが身に染みて分かった。

 しかし……。

 

 

「諦めたくねぇよなぁ……。あの子、凄かったし」

 

 

 あれだけの人数がいたのだ。おそらくスカウトされたとみていいだろう。でも、もしかしたら。そう考えてしまうのは俺の諦めが悪いからなのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これからの身の振り方を考えながら歩いていると、いつの間にか練習場へと来ていた。明かりがついているので誰かが練習しているのだろう。寮の門限もあるのであまり遅くまでやるのは好ましくないが、半端な努力ではこの中央で活躍することはできないのでギリギリまで練習をするウマ娘は一定数いる。気持ちは分かるがあまり遅くなるようなら俺の方で注意しておこう。そう思い練習場へと歩を進める。

 しかし、今まで全くレースに興味がなかった奴が無意識のうちに練習場の方へと足を運ぶようになるとは。自分の考えの変わりように我ながら驚いている。ここまで考えが変わったのは間違いなくあの子のおかげであり、あの子のせいであるだろう。まあこんなことを言っても

 

 

「もう担当トレーナーついてるだろうしなぁ…」

 

 

彼女はすでに契約しているだろう。あんなにトレーナーがいたのだ、契約したものとみて間違いない。非常に残念だが諦めるしかないだろう。

 

 

「でもなぁ……。やっぱ諦めたくねー!」

 

 

 そう嘆きながらも少し歩いて練習場の観客席に着く。そして視線をトラックへと向けると

 

 

 

 

 

 

金色の髪を靡かせてあの子が走っていた。一人で。

 

 

「……マジかよ」

 

 

 …まさかこんな偶然があるとはな。そう思いながら周りを見渡す。しかし、彼女以外の人物は見当たらずトレーナーの影も形もない。あんなにいたのに誰とも契約しなかったのか?そう考えていると、おそらく彼女のものと思われる水筒が近くにあり、風に吹かれて倒れた。そんなに強くもない風で倒れたということは中身は残っていないのだろう。拾い上げてみると、案の定中身がないと分かるほどに軽かった。だが、彼女は走るのをやめていない。おそらくだが、彼女はドリンクの中身がないことに気づいていないのだろう。そして周りにも代わりとなるドリンクらしきものは見当たらない。練習の後に水分補給ができないというのはあまりよろしくないだろう。

 

 

「注意する前に、飲み物買ってきてやるか」

 

 

飲み物を買うために一旦練習場の観客席を離れる。別に好感度稼ぎをしようとかそういうわけじゃない。決して。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハッ、ハッ、ハッ」

 

 

 小気味いいリズムでトラックを走る。すでに他のウマ娘は練習を上がっており、この場にはボクしかいない。少し寂しさを感じつつも、ボクはトラックを走っている。

 

 

(ホンマ、来て正解やったわ…トレセン学園ッ!)

 

 

 流石は全国から猛者が集まってくる中央。そのレベルはかなり高い。今日の選抜レースでは自分が勝つことができたが、油断すれば次に負けるのは自分だろう。そう思わせてくれるくらいに。

 自意識過剰かもしれないが、少しくらい調子乗っても罰は当たらないだろう。それに

 

 

「めっちゃスカウトきおったなぁ…アレだけは想定外やったわ…」

 

 

囲まれるくらいにはトレーナーからのスカウトが来たのだ。自分はかなり期待されているのだろう。だからボクは調子に乗る。

 けど、それをいつまでも引っ張るわけにはいかない。ボクの友達が自分と同じくらい、もしくはそれ以上の強さがあることをすでに確認している。だから調子に乗るのは今だけにして、練習を怠らないようにする。友達とはいえ、負けるのは癪だ。

だがその前に

 

 

「どないしよかなぁ…トレーナー…」

 

 

かなりの数のスカウトが来たのだが、今のところ返事は全て保留にさせてもらっている。別にあの場で決めてもよかった。しかし、あの時のことを思い出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『やはり素晴らしい!君ならトゥインクルシリーズの主役になれる!どうだ?私と契約しないか!?』

 

 

『いや、俺の下で走らないか!?絶対に損はさせない!』

 

 

『いいえ!私と一緒にクラシックを獲りましょう!あなたなら三冠も夢じゃないわ!』

 

 

口々に浴びせられるスカウトの声。ボクに期待してくれているのだろう。そこには自分と一緒にトゥインクルシリーズを駆け抜けようという気持ちが感じられる。

 ただ、ボクの心は動かなかった。ありきたりな言葉が、どうしても薄っぺらく聞こえてしまうのだ。きっと、トレーナー達は本気で言っているのかもしれない。けど、ボクの心は動かなかった。

 

 

『おおきになぁ。でもボク、初めての選抜レースで少し疲れとるんよ。せやから、また後日返事させてもろうてもええやろか?』

 

 

 相手の気分を害さないため、その場を凌ぐために疲れていることを告げる。そしたら、トレーナーたちは気が向いたら是非来てくれ!と名刺を次々に渡してくれた。それに一人一人お礼を言いながらこの先のことを考える。

 

 

(正直、みんな言っとることが似とるせいで、今の段階じゃ決めれへんなぁ。個別で会ってみればピンとくるトレーナーにも会えるやろうか?)

 

 

 面白いトレーナーに、自分の心を動かしてくれるトレーナーに会えないだろうか?そんなことを考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 返事を保留にしたのは自分に合うトレーナーを探すためである。自分に合うトレーナーがいるかもしれない。そんな期待を抱きながらボクはトレーニングを続ける。

 

 

「あん中に気の合うトレーナーおるとええんやけどなぁ……っと、そろそろ門限やな」

 

 

 そんなことを考えていると、寮の門限の時間が迫っていた。とはいってもまだ余裕はあるのだが、結構走っていたのでそろそろ切り上げた方がいいだろう。そう思い、ドリンクが置いてある場所へと向かう。水分補給をしようと水筒を持ち上げたのだが、

 

 

「って、いつの間にか空になっとるやん!?しもうたなぁ……自販機で買うしかないか……」

 

 

水筒の中身はいつの間にか空になっていた。練習後ということもあり喉が渇いているのでこのままということはできるだけ避けたい。代わりとなるものを自販機で購入しようと思い、鞄の中から財布を探す。だが、見つからない。

 

 

「財布もないやん……!?どこ置いたっけなぁ……」

 

 

自分の今日一日の行動を振り返ってみると、制服のポケットに入れたままであったことを思い出す。そしてその制服は寮に置いてきている。つまり

 

 

「寮に帰るまでなんも飲めんてことか……。最後の最後にホンマ最悪や……」

 

 

 寮に着くまで喉が渇いていることが確定した今、暗い気持ちのまま帰るための支度をする。喉の渇きを癒すためにもさっさと帰ろうと思い、鞄を持って練習場をを後にしようとすると歩を進めようとした、そんな時だった。

 

 

「お~い!君!」

 

 

「うん?」

 

 

 誰かから声を掛けられる。この場にいるのは自分だけなので、自分に向けられたものだろう。声をかけられた方に顔を向ける。そこにはスーツを着た若い男が立っていた。見る人によっては通報ものの光景だが、よく見るとスーツにはトレーナーバッジが着けられており、彼がトレーナーだということがわかる。

 

 

(まさか、スカウトか?いや、それやったらボクの名前呼ぶはずやしな)

 

 

 ならなぜこんなところに?と思ったが、練習場の設備である照明が点いているので誰かがまだ練習していると思っているのだろう。なら自分が最後だということを告げて、さっさと寮に戻ろう。喉の渇きも増してきている。早く帰ってのどを潤したい。

 

 

「もしかして照明が点いとるからここに来たん?だったらボクで最後やで」

 

 

「あぁ知ってるさ。さっきトラックで君だけが走っているのを見たからな。だから、目的は君だ」

 

 

 どうやら彼はさっき来ていたらしい。全然気がつかなかった。それよりも、ボクが目的ということはやはりスカウトだろうか?ボクは警戒を強める。

 

 

「ボク、ってことはスカウトか?せやったら明日にしてくれへん?疲れてんねんボク」

 

 

「いや、スカウトでもない。ほら、やるよこれ」

 

 

 そう言って彼はボクにスポーツドリンクを手渡してきた

 

 

「確か飲み物なかっただろ?だからやるよ」

 

 

「え?なんでボクの飲み物が無くなっとること知ってるん?まさか…ストーカー?」

 

 

「違うわ!君のボトルが風で倒れたから中身がないと思って買ってきたんだよ!」

 

 

「なんやそうやったんか。でもええんか?ボク今財布もないから払えへんで?」

 

 

「いいよ別に。俺からの奢りだ。そもそも学生から金をたかるわけにはいかないだろ」

 

 

「そういうことやったら。おおきにな!」

 

 

 彼からスポーツドリンクを受け取り、ありがたく飲ませてもらう。沈んだ気持ちがどんどん上がっていく。

 

 

「ホンマおおきに!ボトルも空になっとって財布も忘れとったから寮まで我慢しよ思うてたんよ~。助かったわ~」

 

 

「そりゃよかった。でもまだ余裕があるとはいえ寮の門限があるから早めに帰っとけよ?」

 

 

「そやな~……」

 

 

少し考える。確かに寮の門限はあるが、その時間はまだある。そして、ボクはこの人に少し興味が湧いた。だったらやることは一つ。

 

 

「なぁ、少しお話せえへん?」

 

 

「いや、早く帰れって」

 

 

「ええやん、まだ時間はあるしちょっとくらい。それにキミに興味湧いてんねん、ボク」

 

 

 ちょっとナンパっぽくなってしまった。でも、なんだか面白そうな雰囲気を出しているし、少し話してみたくなった。

 そして、ボクが退かないことを悟ったのか、彼は溜息を吐く。観念したように告げた。

 

 

「なら、寮に戻りがてら話すか」

 

 

「やった!じゃあ行こか」

 

 

そしてボクは寮に帰りながら彼とのお話を楽しむことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え?じゃあまだ誰とも契約してないのか?」

 

 

「せやで、今んとこみ~んな保留にしてもろてんねん」

 

 

 成り行きで彼女の寮まで話しながら帰ることになった俺は、あの場で誰とも契約していないという言葉を聞いて驚いている。みんな似たようなことしか言わないからピンとこなかったらしい。まだ彼女がスカウトされていないということに俺は少し喜んだ。

 ただ、今スカウトするのは止めた方がいいだろう。トレーニング終わりで疲れているだろうし、そんな時にスカウトの話をされても迷惑なはずだ。そう考えていると、彼女の方から話を振ってきた。

 

 

「なぁなぁ、キミはボクのことスカウトせぇへんの?」

 

 

 一瞬、心臓が飛び跳ねそうになるがすぐに自制する。俺は冷静に答えた。

 

 

「君はトレーニング終わりだろ?そんな時にスカウトの話をするつもりはないよ。迷惑だからな」

 

 

「ふ~ん……ボクに興味は?」

 

 

「めちゃくちゃある!」

 

 

「めっちゃ正直やん自分!」

 

 

 勢いのままに口走ってしまった。ただ、彼女は笑っているので好感触だったのかもしれない。そう考えることにした。

 すると彼女は笑うのを止めて真面目な表情で俺に問いかけてくる。

 

 

「…なぁ、少し真面目な話してもええか?」

 

 

「どうした、急に」

 

 

「もしキミなら、ボクにどんなスカウトの言葉を投げてくれるん?」

 

 

「俺が、君に……」

 

 

 まさか本当にチャンスが巡ってくるとは思わなかった。

 

 

(考えろ……ッ!考えろ、俺!ここの言葉選びは重要だぞ!)

 

 

 もしかしたら、俺のスカウトを受けてくれる可能性があるかもしれない!だからこそ、絶対に間違えるわけにはいかない!

 しかし、悲しいかな実績も何もない俺じゃあ三冠を取らせるとか、グランプリレースを勝たせるとかそんなことを言っても無駄な話だ。

 

 

(そもそも、彼女にその言葉を投げかけても断られるのがオチだ)

 

 

 散々スカウトの時に言われただろうから。そう考える。

 一生懸命考えていると、彼女は急かすように俺に言う。

 

 

「なぁなぁ、どんな言葉を言うてくれるんや?」

 

 

 どちらかというとからかうように彼女は言ってくる。でもあまり待たせるわけにはいかないだろう。

 

 

(……当たって砕けろだ!俺の思いを、そのままぶつけてやる!)

 

 

 俺は、自分の思ったことをそのまま口にする。

 

 

「最強のウマ娘にしてやる!」

 

 

「……はぁ?」

 

 

「俺が!お前を!最強のウマ娘にしてみせる!」

 

 

「最強て……具体的にはどんな最強なん?」

 

 

 疑問たっぷりと言った表情で彼女は聞いてくる。俺は勢いのまま言葉を紡いだ。

 

 

「言葉通りの意味だ!お前を、あのシンザンやハイセイコーにも負けない、トゥインクルシリーズの歴史に刻まれるようなウマ娘にしてみせる!」

 

 

 そう言うと、彼女は呆気に取られているような表情をしていた。しばしの沈黙。そして、沈黙を破るように彼女が反応する。

 

 

「…プ、アッハハハハハハ!」

 

 

 滅茶苦茶豪快に笑い始めた。

 

 

「ちょ、ちょお待って、お、お腹痛い!アハ、アハハ!」

 

 

「そこまで笑う?」

 

 

「笑うやろこんなん!アカン、おかしすぎてお腹が、お腹がよじれる!」

 

 

 そしてそのまま彼女は笑い続けた。俺はそれを黙ってみている。

 

 

(……好感触、なのか?)

 

 

 よく分からない。ただ、悪いとは思われていない、と思う。

 しばらくしたら落ち着いたのか彼女は笑うのを止めた。

 

 

「いやぁホンマおもろかったわぁ。入学してからこんなにわろうたの初めてや!」

 

 

「そいつはよかったな」

 

 

「スマンスマン、そんな気を落とさんといてや。でも、プククッ」

 

 

 余程おかしかったのかまだ少し笑っている。だが、気を取り直したように表情を引き締めて俺に尋ねてきた。

 

 

「本気で言うとるんか?シンザンさんやハイセイコー先輩がどんなウマ娘か、知らないわけやないやろ?」

 

 

「もちろん知っている」

 

 

 現生徒会長にして地方のローカルシリーズから成り上がり、中央でも結果を残した稀代のアイドルウマ娘ハイセイコー。

 トゥインクルシリーズで史上二人目となる三冠ウマ娘であり、現役のレースは連対率100%を叩き出し生ける神話とまで呼ばれたウマ娘シンザン。

 レースをあまり見てこなかった俺でも知っているレベルで有名なウマ娘たちだ。けど、それを知ったうえでも俺の意見は変わらない。

 

 

「知ったうえで言うとるんか?なおさらたち悪いわぁ」

 

 

「俺は、お前があの二人にも劣らないと思っている!」

 

 

「その根拠は?」

 

 

「勘!」

 

 

「勘て!そこは嘘でもなんか言うとこやろ!」

 

 

 また笑い始める。けど、俺の雰囲気から嘘ではないと思ったらしい。真面目な表情で俺を真っ直ぐに見据える。

 

 

「本気なんやな?」

 

 

「そうだ」

 

 

「そうか、そうかぁ」

 

 

 彼女は一人で納得したように頷いている。そして。

 

 

「うん、今決めたわ。キミさえよければ、ボクのトレーナーになってくれへんか?」

 

 

 ……俺は、今の言葉を理解するのに時間がかかった。思わず素っ頓狂な声を出してしまう。

 

 

「え?マジで?」

 

 

「マジや!キミおもろいし、会話してて気が合う思うてたし、なにより」

 

 

「なにより?」

 

 

 彼女は、笑顔で答える。それは、人を魅了するようなとてもいい笑顔だった。

 

 

「こんなに愉快な勧誘されたん初めてや!キミとだったら、楽しいトゥインクルシリーズになるはずや!ちなみに、今更嫌と言っても無駄やで?無理矢理にでも担当になってもらうわ!」

 

 

 彼女の言葉に、俺は喜びを噛みしめる。

 

 

(やっ……たぁ!マジで成功した!ありがとう三女神様!)

 

 

 俺は、自分でも分かるぐらいに弾んだ声で彼女の言葉に答える。

 

 

「嫌っていうわけないだろ!これからよろしくな!」

 

 

「じゃ、お互いOKやということで、契約成立やな!それに寮も近づいてきたことやし、この辺で別れよか」

 

 

「そうだな。諸々のことはまた明日にしよう」

 

 

「今日はホンマにありがとうな!せや、契約成立したことやし、改めて自己紹介しよか!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ボクはテンポイント、これからよろしゅうな、トレーナー!」

 

 

「俺は神藤誠司!よろしくな、テンポイント!」

 

 

 月が見守る中、俺は自分をこの世界に引き込んでくれたウマ娘と無事契約できました。




テンポイントは関西期待の星と言われていたそうです。はい、関西弁の理由はそれだけです


次の話一文字も書いてないので明日は投稿できなさそうです。


※主人公の言動や心理描写の気になったところを大幅に修正。7/22


※細かいところ含め改稿。 12/17


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第3話 一夜明けて

三人称視点初挑戦回


「え、神藤さん担当決まったんですか!?」

 

 

「あぁ、まぁな」

 

 

 昨晩、契約が成立してから一夜が明けて、現在は他のトレーナー達と食堂で昼食を取っている。今朝は夢じゃないかと思い不安に駆られたものの、学園内の清掃をしているとテンポイントが近寄ってきて

 

 

「契約のための書類とか書かなくてええんか?」

 

 

と言ってきたので、昨夜のことはどうやら夢じゃなかったのだと再認識した。その後、急いで書類を持ってきて必要事項を記入してもらい、然るべきところに提出してきた。これで晴れて俺はトレーナーとしての第一歩を踏み出したというわけである。そう考えるとなんか感慨深いものがあるな…。まだ一人しか担当していないうえに始まってもいないのだが。

 

 

「へぇ~、ウマ娘のスカウト成功したのか。おめでとさん」

 

 

「坂口から直感で担当を決めようとしてたと聞いた時にはこいつは真性のバカだなと思ったが、良かったな」

 

 

「まあバカでも担当はついたからな。おめでとう」

 

 

「お前ら祝福するのか貶すのかどっちかにしろや」

 

 

 ちなみに坂口というのは選抜レースの時にスカウトするウマ娘が決まらずに悩んでいる俺に話しかけてきたあいつのことである。どうやら俺の消し去りたい過去を他の奴らに広めたらしい。この場にはあいつもいるのでそちらの方に顔を向けると申し訳なさそうに手をついて謝っていた。そんな態度を取られると怒るに怒れない。それにバカであったことは間違いでないから余計にだ。

 

 

「でも、あの状況の後でよくウマ娘をスカウトできましたね?もうそんなに残っていなかったですけど」

 

 

 当時のことをよく知っている坂口がそんなことを口にする。まああそこからスカウトできるなんて誰も思わないだろう。俺もまさか奇跡が起きてウマ娘を担当できるとは思っていなかったのだから。

 

 

「まぁな、そこに関しては俺も信じられねぇわ。正直、今でも夢だと思ってる」

 

 

「なんで本人が信じられねぇって思ってんだよ…」

 

 

そりゃあ本人だからな。同じような状況になったらみんなそう思う自信がある

 

 

「で、で?なんて子なんだよ?お前の担当するウマ娘」

 

 

「そういえば、僕もまだ聞いてませんね。なんて名前なんですか?」

 

 

 他のトレーナーも興味津々といった感じで聴いてくる。別にもったいぶることでもないので素直に答える。

 

 

「あぁ、テンポイントって名前」

 

 

名前を出した瞬間、話を聴いていた全員が噴き出した。昼飯を食べていたので勿論俺の前で食事していた奴もおり、口に含んでいたであろう液体を顔にモロに浴びる。

 

 

「きったねぇな!何すんだ!」

 

 

「ゲホッ!ゲホッ!おま、お前、マジか!?マジで言ってんのかお前!?」

 

 

「て、テンポイントって…、あの選抜レースで一番注目されていたウマ娘じゃねぇか!?なんでお前みたいなやつがスカウトできたんだよ!?」

 

 

「というか、俺も狙ってたのに!どうしてくれんだお前!」

 

 

「俺が知るかそんなこと!」

 

 

 めちゃくちゃ失礼な物言いをされているが、まあ実績もなんもないぺーぺーの俺が超有名らしいテンポイントをスカウトできたといわれても信じられない話だろう。俺も他人の立場だったら絶対に信じない。だが、現実はスカウトできちゃったのである。

 

 

「おい坂口!どういうことだ!今日はせっかく選抜レースでバカなことをしてた神藤を慰めよう会みたいなことを企画してたのに!」

 

 

「そんなこと言われてもしょうがないじゃないですか!というか僕も担当が決まったって話を朝聞いたばっかなんですよ!まさかそのウマ娘があのテンポイントだったなんて思わないじゃないですか!?」

 

 

おーおー、驚いていらっしゃる。これだけの反応をされるとこちらとしても楽しくなってくるものだ

 

 

「あぁ、そうか。これは夢だ」

 

 

「なーんだ夢か。そりゃそうだよな。ペーペーの神藤がテンポイントをスカウトできるはずないもんな」

 

 

「そうだそうだ、これは悪い夢なんだ。目が覚めたらきっと俺がテンポイントを担当することになってるんだ」

 

 

「ところがどっこい…夢じゃありません…!現実です…これが現実…!」

 

 

 その場にいるトレーナー達の悲痛な叫びが室内に木霊する。周りにも利用者居るんだから静かにしてほしいものだ。

 

 

「でも、多分これから大変ですよ?神藤さん」

 

 

「だろうな。まあそれも承知の上だ」

 

 

 トレーナー陣がここまで注目しているのだ。もしこれで下手な結果でも残そうものなら俺に批判が集中するだろう。将来有望なウマ娘を潰した新人トレーナー、といったあたりだろうか。そうなったら今後のトレーナー業は厳しいものとなるだろう。だが、そのリスクも承知の上で彼女をスカウトした。まあ、結局のところは自分の中の気持ちを抑えきれなかっただけと言われればそれまでなのだが。

 

 

「まあ新人なりに頑張るさ。でも、困った時は頼らせてくださいお願いします」

 

 

俺はそう言って頭を下げる。すると彼らは

 

 

「おう!分かんねぇことあったらいつでも聞きに来い!」

 

 

「大歓迎だぜうちは。なんだったらテンポイントごとうちのチーム来るか?」

 

 

「どさくさに紛れて勧誘してんじゃねぇよ。まあ困ったことがあればいつでも聞くぜ?」

 

 

「はい!なんでも聞きに来てください!」

 

 

と言ってくれた。普段はアレだが、こういう時は頼もしい奴らだぜホント

 

 

「で?実際のとこなんて言って誑かしたんだ?」

 

 

「そうだそうだ、変なことしたんじゃないだろうな?」

 

 

「早いうちにゲロっちまいな神藤」

 

 

前言撤回。やっぱこいつらクソだわ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同時刻、学園のカフェテリアでは───

 

 

「あいつら遅ないか…?」

 

 

 テンポイントがカフェテリアの席で誰かを待っていた。彼女は友達とお昼を一緒に食べようと誘われていたのだが、途中で財布を忘れたことに気づいた一人が教室まで取りに戻ったのである。他の友達もその一人について行ったので先に来たテンポイントはカフェテリアの席を取ることにした。そして席で待つこと10分

 

 

「わりぃ、テンさん!遅れた!」

 

 

「いや~、ごめんねぇ、財布探すのに手間取っちゃって~」

 

 

「すいません!テンポイントさん…!」

 

 

「お~待ちくたびれたで。ボーイ、グラス、カイザー」

 

 

待ち合わせをしていた友達が到着した。どうやら無事に財布は見つかったようである。

 

 

「あぶねぇあぶねぇ、危うく飯が食えなくなるとこだった!」

 

 

茶色のショートヘアにボーイッシュな雰囲気を漂わせるウマ娘、トウショウボーイが安堵したようにそう言った。

 

 

「まあ、学園のカフェテリアは基本無料だけどね~」

 

 

そこに黒色の長い髪を後ろで一つ結びにしたウマ娘、グリーングラスが真実を告げる。その言葉にトウショウボーイは

 

 

「嘘だろ!?なんで言ってくれなかったんだよ!?」

 

 

と悲痛そうな叫びを上げる。それにグリーングラスよりもさらに深い色の黒い髪をボブカットにしたウマ娘、クライムカイザーが

 

 

「だってボーイさんが急に財布を忘れた!って走り出すからじゃないですか…。止めようとしても聞きませんでしたし」

 

 

止めようとしたけど無駄だったことを告げる。

 

 

「なんだよぉ、ただの無駄足だったじゃんかぁ…」

 

 

目に見えて落胆している彼女に

 

 

「そもそも、入学時に説明されとったやろ。それを忘れとるお前が悪いやん」

 

 

「というか、今まで利用してたのに気づかないのもある意味すごいよね~」

 

 

「グハァッ!」

 

 

テンポイントとグリーングラスがさらなる追い打ちをかける。

 

 

「ほ、ほら!飲み物はお金で購入しないといけないので!それに財布を忘れたら普通焦って取りに戻りますよね!ボーイさん!」

 

 

「慰めてくれるのはお前だけだよカイザー…」

 

 

「あんまりボーイを甘やかさん方がええで?カイザー」

 

 

「テンさんはオレにもうちょっと優しくしろよ!」

 

 

「気が向いたら優しくしたるわ」

 

 

「まぁまぁ、ボーイを弄るのもその辺にして、早く料理取りに行きましょ~」

 

 

「せやな、早いとこ飯にしよか」

 

 

「畜生!こうなったらやけ食いしてやる!」

 

 

「程々にしておいた方がいいんじゃないでしょうか…。体重が増えちゃうし…」

 

 

全員揃ったということで、各々が料理を取りに行く

 

 

 

 

料理を取り終わり、食事をしている最中、トウショウボーイはこんなことを聞いてくる。

 

 

「で?お前らは決めたのか?」

 

 

「決めたって…、何がや?」

 

 

「トレーナーだよ!トレーナー!」

 

 

トウショウボーイのその問いに

 

 

「トレーナーか~。私は決まったよ~」

 

 

グリーングラスがそう答える。それに続くように

 

 

「わ、私も決まってます」

 

 

「ボクもや」

 

 

クライムカイザーとテンポイントもトレーナーと契約したと答える。そして

 

 

「そういうボーイは決まっとるんか?確か選抜レース出ぇへんかったやろ?」

 

 

とテンポイントが質問する。それに対し

 

 

「フッフッフ、聞いて驚け?なんとオレ、あのリギルにスカウトされましたー!」

 

 

と、笑顔でそう答える。

 

 

「ふーんよかったやん。おめでとさん」

 

 

「わ~、拍手拍手~」

 

 

「さすがはボーイさんですね!あのリギルからスカウトが来るなんて!」

 

 

「ありがとなみんな!…ってちょっと待て!カイザー以外淡白すぎねぇか!?」

 

 

 チーム・リギル。トレセン学園に在籍している者ならば知らない者はいない、トレセン学園最強のチームである。その門は狭く、通常であれば入部試験として選抜レースのようなものが開かれ、その中の一着を取ったウマ娘のみがそのチームに在籍することを許される。が、将来有望なウマ娘がいた場合はチーフトレーナーが直々にスカウトをしに来るらしい。そのため、これはすごいことなのだがテンポイントとグリーングラスの反応は薄い。

というのも

 

 

「そないなこと言われてもなぁ。まあわかっとったことやし」

 

 

「そうだねぇ、まあスカウトされるでしょとは思ってたねぇ。ボーイちゃん強いし」

 

 

「お、おう。そうなのか」

 

 

二人はトウショウボーイがリギルにスカウトが来るのは時間の問題だということが分かっていたからである。彼女は強い。それも圧倒的なほどに。さらにそのスカウトが来ると思っていたことを裏付ける証拠としてこの時期には部員募集の選抜レースを開いているリギルだが、レースを開いていなかったのだ。それは誰かをスカウトする予定であることに他ならない。なら、それはトウショウボーイだろうと彼女たちは考えていたのである。

トウショウボーイは照れくさそうに頬を掻きながら

 

 

「ま、まあオレのことはもういいや!で?みんなはどこに決めたんだ?」

 

 

そう質問する。

 

 

「私はチーム・ハダルに所属することになりました」

 

 

「カイザーはハダルか~あそこも強いよな~」

 

 

「そうですね、皆さんに負けないよう頑張ります!」

 

 

「私はね~おきのんのとこ~」

 

 

「いや誰やねんグラス。おきのんって」

 

 

「ん~?沖野トレーナーのことだよ~。最近復帰したんだってさ」

 

 

「そうなのか。確かリギルのおハナさんが認めるくらいだからトレーナーとしての実力も確かだろうな」

 

 

「うん、出会い頭にトモ触られたよ~、驚いて蹴っ飛ばしちゃったけど」

 

 

「ド変態じゃねぇか!」

 

 

「でもトモを触っただけで私の脚質なんかを的確に分析してたし、なんだか面白かったからスカウトOKしちゃった~」

 

 

「本当に大丈夫なんですか?グラスさん…」

 

 

と、話は進んでいく。そして大本命と言わんばかりに

 

 

「で?テンさんはどこに所属するんだ?」

 

 

「そうだね~一番気になるよね~」

 

 

「どこに決めたんですか?テンポイントさん」

 

 

とテンポイント以外の三人は興味津々といった様子で聞いている。

 

 

「ボクか?ボクは個人トレーナーと契約したで」

 

 

「へぇ?テンさんはチームに所属するんじゃなくて個人なのか。ちょっと意外だな」

 

 

「そうだねぇ、テンちゃんもボーイちゃん並に注目されてるからチームの方に所属するかと思ってた~」

 

 

「そうですね。そのトレーナーさんって有名な方なんですか?」

 

 

「いや?今年なったばかり言うとったで?新人やな」

 

 

その言葉にテンポイント以外の三人は目を丸くした。かなり意外だったらしい。当の本人は涼しい顔をしているが。

 

 

「新人って…。グラス以上に心配じゃねぇかそれ」

 

 

「でも、ちゃんとした理由があるんじゃないでしょうか?例えば有名なトレーナーの指導の下育った期待の新人とか」

 

 

「どっかのチームで数ヵ月サブトレしてただけ言うとったな」

 

 

「私が言えたセリフじゃないけど~それ大丈夫なのテンちゃん?」

 

 

「大丈夫や!悪い人やないし、それに…プクク、アカン、思い出したらわらけてきたわッ」

 

 

「何があったんですか…」

 

 

「まぁ、テンさんが言うなら大丈夫なんだろうけどなんていう人なんだ?」

 

 

「あぁ、神藤って言うとったで」

 

 

「神藤…神藤って、もしかして用務員の神藤さんですか?」

 

 

「せやで、知っとるんか?」

 

 

どうやらクライムカイザーは心当たりがあるらしく、詳しいことを知らないらしいグリーングラスとトウショウボーイの二人に説明する。

 

 

「トレセン学園では結構有名な人ですね。用務員とは言われてますけどなんでも屋みたいな人だって噂です」

 

 

「なんでも屋ってどういうことだ?」

 

 

「そのままの意味らしいです。備品の修理から施設の改装工事の手配、果てには流通ルートの確保まで何でもやるらしいですよ」

 

 

「それはもう用務員じゃないんじゃないかな~?」

 

 

「はい。なので肩書としては用務員なんですけど、トレセン学園のなんでも屋ってみんな呼んでいます。数か月前にトレーナーになったって噂がありましたけど、本当だったんですね」

 

 

思ったよりもすごい人物であることに二人は驚きを隠せなかった

 

 

「テンさんのトレーナー、結構すごい人なんだな…。確かにこれはどんな指導するのか気になるわ」

 

 

「そうだね~、私も興味が湧いてきたよ~」

 

 

「せやろせやろ?ホンマおもろい人やねん!」

 

 

 その後は、次の授業の話や駅前にできた新しいお店の話などとりとめのない会話で盛り上がり、全員食べ終わったということで教室へと戻ることへなった。




三人称視点はそんなに多くはならないと思います。ここまで平均で5000文字書いてますけどこれって多い方なんだろうかと思う日々です。


※気になったところを修正 7/22


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第4話 彼女の実力

テンポイントの実力を測る回


 昼食を食べ終え、用務員としての作業に従事していると放課後を知らせるチャイムが鳴った。ということはもう少ししたらウマ娘たちが下校してくる頃だろう。それすなわち

 

 

「トレーナーとしての初仕事が始まるなぁ」

 

 

ここから俺のトレーナーとしての生活が始まるのだ。年甲斐もなく緊張している。しっかりと準備をしていても新しく物事を始める時はドキドキするものだ。とにもかくにも情けない失敗はしないようにせねば。

 

 

「お~い、しんちゃん!こっちは終わったぞ~!」

 

 

「りょうかーい!こっちももうすぐ終わりまーす!」

 

 

 テンポイントと待ち合わせた時間まではまだある。トレーナーとしての仕事に目を向けるのもいいが、ひとまずは今の作業を終わらせよう。

 

 

 

 

 

 

 作業を終わらせてテンポイントとの集合場所である校内中央に位置する三女神像前へと向かう。時計をちらりと見てみるとまだ余裕があった。しかしどこか別の場所に行ってしまうと今度は遅れてしまいかねないので中庭で待つことにする。そして中庭で待っていると

 

 

「あれ?もう着いとったん?時間もうちょい余裕ある思うたんやけど」

 

 

テンポイントが到着した

 

 

「あぁ、まだ余裕あるぞ。用務員の仕事が早く終わったから待ってただけだ」

 

 

「やっぱり?ボクも遅れへんようにはよう出てきたつもりやったけどそれよりもはよおったからな」

 

 

万が一にも待ち合わせに遅れるわけにはいかない。だから俺は基本的に集合時間より前には着くようにしている。まあ今回はそれとは別に楽しみで待ちきれなかったというのがあるが。

 

 

「ま、合流できたことだしトレーナー室へ向かうか」

 

 

「それなんやけど一つええか?トレーナー」

 

 

テンポイントが疑問を投げかけてくる。一体どうしたのだろうか?

 

 

「どうした?何か気になることがあるのか?」

 

 

「いや、トレーナールーム向かうのに何で外に出たん?エントランスホールから直通で行けるやろ?」

 

 

「あぁそのことか」

 

 

 テンポイントの疑問はもっともだ。トレセン学園にはトレーナールームというものがあり中央に所属しているトレーナーは部屋が一つ割り当てられる。そしてそこに向かうにはエントランスホールから直通で行けるため本来であれば三女神像前で待ち合わせするのではなくエントランスホールで待ち合わせするのが普通だろう。そう、普通ならば。

 

 

「ま、普通のトレーナー室に向かうならわざわざここに来る必要ないもんな」

 

 

「どういうことや?もったいぶらんとはよ教えてや」

 

 

「百聞は一見に如かずだ。とりあえず俺についてきてくれ」

 

 

 そう言って俺は先導するように移動を始める。テンポイントがその後ろをついてくる。後ろをチラリと見てみると彼女は怪訝そうな、こちらを疑っているような表情をしていた。まあどこに向かうのかを一切伏せているのだからそんな表情をされても仕方がない。ひとまずはとある場所を目指して歩き続ける。その場所は練習場だ。

 

 

「練習場…?なんでこないなとこに?」

 

 

「もう少ししたら分かるさ。ほら、こっちだ」

 

 

そして練習場の中には入らず野外ステージ側へと向かう。少し歩いた先には二階建てのプレハブ小屋があった。

 

 

「プレハブ小屋…、っちゅうことはまさか」

 

 

「そう!ここが俺のトレーナー室だ!」

 

 

「そんな…、いくら新人やからってこない惨めなとこに…」

 

 

「違うわ!」

 

 

確かに本来のトレーナー室からはかけ離れた場所にあるけども!見た目はボロいけども!

 

 

「ほら!とりあえず中に入ってくれ!」

 

 

「ホンマに大丈夫なんか…?」

 

 

鍵を開けて部屋に入るように促す。中に入るとそこは

 

 

「お、おぉ…外の見た目とは裏腹にしっかりしとるな」

 

 

「だろ?結構頑張ったんだぜ?」

 

 

トレーナールームの部屋と遜色ない室内が広がっていた。まあ外面に関しては俺がほぼ気にしないのもあって手を加えていない関係上ボロいままだったのだが、あの反応を見る限り近々改修しないといけないだろう。仕事が一つ増えたなと思いつつ、俺はパイプ椅子に座りテンポイントにも座るよう促す。

 

 

「さて、色々聞きたいことはあるけどまず一つええか?なんでこないへんぴなとこにトレーナー室があんねん?」

 

 

「それに関しては俺が秋川理事長にお願いしたんだ。で、まずはこの場所についての説明からしよう」

 

 

俺はテンポイントにここの小屋についての説明を始める。

 

 

「元々ここは練習場の改修工事の際に使われていたプレハブ小屋でな。工事も終わったから解体することになっていたんだが、そこに俺が待ったをかけたんだ」

 

 

「なんでそないなことしたんや?」

 

 

「まあ個人的な理由なんだが、ここをガレージとして使いたかったんだ。トレセン学園の備品や設備を直す工具置くためのな」

 

 

「むっちゃ私的な理由やん。よお許してくれたなそれ」

 

 

「苦労したぜ?その辺は長くなるから省くけど」

 

 

 正直、今までの学園側への貢献があったからこそ許しが得たのだろう。それらがなければまず間違いなく通らなかった。

 

 

「で、トレーナーをやるにあたって俺にもトレーナー室が割り当てられることになったんだが、ここ結構広くてな?だから一画をトレーナー室に改造するから大丈夫ですって言ったんだ。だからトレーナールームには向かわなかったわけ」

 

 

「ふ~ん、やから今日の集合も三女神像前やったんやな」

 

 

「そういうこと。他には何かあるか?」

 

 

「プレハブ小屋って狭いイメージあるんやけど結構広ないかここ?」

 

 

「あぁ、それはあれだ。隣の部屋の壁をぶち抜いて繋げてあるからな。だからめちゃくちゃ広いぞ」

 

 

ちなみに元々のプレハブ小屋は横に六部屋、それが二階建てだったのでそれを考えると全体としてはかなり広い。

 

 

「ちなみに二階はなんになっとるんや?」

 

 

「俺の居住スペース」

 

 

「自由にしすぎやろキミ…」

 

 

「ちゃんと許可は取ってあるから安心してくれ」

 

 

「そういう問題やないと思うんはボクだけか?」

 

 

まあさすがにここに居住することが許可されるとは思わなかったんだが。しかし理事長にこの話をした際

 

 

『快諾ッ!これで何か緊急事態があった場合、学園としてはすぐに対応できる!キミは家から来る手間が省ける!故にッ!断る理由はない!』

 

 

と、快く許可してくれた。

 

 

「さて、他に質問はあるか?」

 

 

「もう聞きたいことはないな」

 

 

「よし、じゃあ今日のトレーニングについての話をしよう」

 

 

集まった目的、今日のトレーニングについての話になる

 

 

「とはいっても今日は本格的なトレーニングじゃなくて、テンポイントの実力を改めて測らせてもらうんだが」

 

 

「ボクの実力を?」

 

 

「そ。俺はテンポイントの走りを一度しか見たことがないからな。今日は改めてその走りを見せてもらおうと思っている」

 

 

適性や現状を把握しないと今後のレースを見据えてのトレーニングメニューを組みようがない。彼女が現在どこまで走れるのかをしっかりと見極めなければ。

 

 

「練習場は予約してある。俺は先に行って待ってるから準備ができたら練習場に来てくれ」

 

 

「了解や」

 

 

彼女の返事を聞いた後、俺は外に出て練習場へと向かう。さ~て、頑張っていきますか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ところ変わって練習場の芝コース、周りに他のトレーナーとウマ娘がいる中テンポイントの走りを見ているのだが

 

 

「改めて見ても、こいつはすげぇな…。最注目ウマ娘って言われてるのも分かるわ」

 

 

自分がどれほどのウマ娘を担当しているのか、それを改めて実感している。デビュー前のウマ娘の走りはサブトレをやらせてもらっていた時にも見せてもらっていたのだが、彼女はそれと比べても抜きんでた実力を持っていることが素人目にも分かる。

 まずは何といってもスピードだ。練習場にいる他のウマ娘と比べても明らかに速いということがわかる。しかも今回は実力を測るために軽めに流しているので本番想定の追い切りならどれほどになるのだろうか少し怖いものがある。また、テンポイントは華奢な身体をしているが実際に走っている姿はそう感じさせないほどに大きく見える。それに息が整うのも早い。心肺機能が高い証拠だろう。

 と、ここまでは良いところばかり考えていたが勿論悪いところ、彼女に向かないものも見えてきた。芝のコースを走る前にダートコースを走らせてみたが、タイムはそこまで良くなかった。彼女にはあまりダート適正はないと考えていいだろう。この辺は純粋にパワー不足ということもあるので後のトレーニング次第では克服できるかもしれない。今の構想だとダートを走らせる予定はないが。それに身体面での不安も残る。走り自体は大きく見えるものの、華奢な身体であることには違いない。この辺りは本人とも相談するべきことだろう。何かあってからでは遅いのだから。

 そして極めつけに

 

 

「さて、次は坂路のコースに行くぞ」

 

 

「……」

 

 

「どうした?早く行くぞ」

 

 

「なぁ?ホンマにやらなアカン?」

 

 

「当たり前だろ。早く準備しろ」

 

 

坂路をめちゃくちゃに嫌がっている。そしていざタイムを計測してみると…

 

 

「…う~ん」

 

 

平地でのタイムから予測していたタイムよりもだいぶ悪い。結構重症レベルで。

 

 

「お前が走りたがらない理由がよく分かったよ」

 

 

「せやろ?坂路苦手やねんボク。走るときはいつも平地やったから」

 

 

そう言いながらテンポイントは胸を張って誇っている。誇ることじゃないんだが?

 そしてその後も細かな計測をしていき、全てが終わった後テンポイントのもとへと向かう。

 

 

「さて、ひとまずテンポイントの実力は分かった」

 

 

「さてさて、キミから見たボクはどんな感じや?」

 

 

「そうだな、一言で簡潔に言うならお前は文句なしに強い。デビュー前はおろかデビューしているウマ娘の中でも最高級の素質を持っている」

 

 

それに続けるように俺から見たテンポイントの強さを語る。

 

 

「特に目を見張るのはスピードだ。今の時点での話だが同世代ならお前に勝てるやつはそうはいないだろう。それに息が整うのも早い。心肺機能が高いからスタミナ面での伸びしろも期待できる」

 

 

「フフン、もっと褒めてくれてええんやで?」

 

 

テンポイントは鼻高々と言った感じにふんぞり返っている。可愛いがここからは悪い点だ

 

 

「反面、パワー不足が目立つな。ダートを走らせてみて分かったことだが今のお前にはパワーが足りない。まあこれはこれからのトレーニングで鍛えていけばいいだろう。それと身体も華奢だな。これは推測になるが、昔はそんなに身体が強くなかったんじゃないか?」

 

 

「うっ、やっぱ分かるか。察しの通りや。ボクは昔そんなに身体が強くなくてな。思いっきり走って次の日以降体調崩すんはいつもんことやったし、足を悪うしたこともあるんや」

 

 

まあ今は大分マシにはなっとるんやけど、と付け加えるようにテンポイントは言った。なるほどな。

 

 

「おそらくパワー不足は幼少期の身体の弱さが原因でもあるな。それに大分マシになったということは今でもそんなに強いわけではない。ならその辺は後回しでいいだろう」

 

 

「弱いなら早いうちに鍛えといたほうがええんやないか?」

 

 

「いや、それで身体を壊すようなことになれば本末転倒だ。それに後回しとは言っても負荷の強いトレーニングをしないだけで軽めにだが鍛えていくつもりではある」

 

 

「確かに身体壊すんは良くないな。了解や」

 

 

そして、ここからが最も重要なことである。

 

 

「さて、それを踏まえた上でお前が一番取り組むべき練習が分かった」

 

 

「お、きたきた!スピードか?スタミナか!?」

 

 

「坂路で重点的に鍛えていくぞ」

 

 

 坂路練習ならそれほど負荷をかけずにスピードを伸ばせるし、テンポイントに足りないパワーも補える。それに本人が苦手としている坂のコースの練習にもなるのでまさに一石三鳥だろう。

 

 

「分かっとった…分かっとったけど…もうちょい希望見せてくれてもええやん…」

 

 

「しょうがないだろ。いくら何でもこのタイムはないぞお前」

 

 

 テンポイントはがっくりと項垂れている。だがトゥインクルシリーズで開催されるレース場には必ずと言っていいほど坂がある。今のうちに克服しておかなければ勝てるレースも勝てなくなってしまうからこれは仕方のないことなのだ。

 

 

「まあさっきも言った通り、今後のトレーニングはあくまで坂路練習を中心にするだけで他の練習も行っていく。何も坂路練習だけするわけじゃないから安心しろ」

 

 

「それにしたってなぁ…はぁ、憂鬱やわ…」

 

 

そんなに嫌かお前

 

 

「さて、今後の目標が決まったところで、まだ余裕あるようだからこのまま練習に移ろう」

 

 

「よっしゃ!早速平地に…」

 

 

「坂路で練習するぞ。準備しろ」

 

 

「嫌やー!平地でやらせてやー!」

 

 

「我儘言うんじゃありません!」

 

 

 結局テンポイントは折れたのか、その後は黙々と坂路で練習するようになった。そしてクールダウンして練習を上がった後、彼女の機嫌を直すために俺はパフェを作ってやった。




テンポイントは坂が苦手だったわけではないのですが、テンポイントの時代では栗東トレーニングセンターには坂のコースがなく、関東の方が強いといわれていた要因の一つともいわれているらしいです。しかし、ウマ娘のトレセンには勿論坂のコースがあるので、どうしようかと悩んだところ、テンポイントは現時点では坂が苦手という設定にしました。


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第5話 レースだけではなく

基本は主人公とテンポイントの視点で話を進めていこうと思っています。

ウマ娘の方ではスイープトウショウが実装されましたね。私はガチャを引いていませんが引けた人はおめでとうございます!


「はぁ~、ホンマ最悪や」

 

 

 トレーナーと契約してから時は少し経ち今は6月。最近は本格的に梅雨入りしたのか雨が多くなり、じめじめとした暑さが続いている。トレセン学園の制服も夏服に移行し始めたが、それでも暑いので気分が落ち込みそうだ。だが、ボクの気分が落ち込んでいるのはそれだけが理由ではない。

 

 

「どした?テンさん。何か悩み事か?」

 

 

 今日の授業は全て終わって今は放課後。練習が始まるまではまだ時間があるので一人ぶらぶらと歩いていると、ボクの独り言を聞こえたのかトウショウボーイが近づいてきた。

 

 

「悩みっちゅうかなんちゅうか、この後の練習のこと考えて気が滅入っとるだけや」

 

 

「へぇ?そんな厳しいのか?結構スパルタなんだな神藤さんって」

 

 

 こちらの練習内容を知らないボーイはボクの言葉から練習がキツいものだと思っているのだろう。まあ実際のところボクが坂路練習が嫌いなだけであるのだが。

 

 

「まあ悩んでも練習が変わるわけやないし、考えるだけ無駄やな。ボーイの方はどうなん?リギルも結構厳しいやないんか?」

 

 

「そうなんだよ!聞いてくれよテンさん!」

 

 

 ボクの言葉にボーイは食い気味に反応してくる。この反応から察するにリギルの練習は厳しいのだろうか?

 

 

「おハナさんったら酷いんだぜ!?オレを全然走らせてくれねぇんだよ!」

 

 

オレは走りたいのに!と地団駄を踏みそうな勢いで、というか実際に地団駄を踏みながらボーイは今の自分の現状をボクに教えてくれた。走らせてくれないというのはどういうことだろうか?

 

 

「まあ落ち着けやボーイ。走らせてくれんてどういうことや?」

 

 

「そのまんまの意味だよ!練習は地味~な基礎練習ばっかだし、しかもその基礎練習でも本当に最低限しか走らせてくれねぇんだよ!」

 

 

「それホンマか?やとしたら確かにストレス溜まるわな」

 

 

「だろ!?別になんかやったわけでもねぇのにさぁ」

 

 

 ボクらウマ娘は基本的に走ることが大好きだ。それを制限されているのはかなりのストレスだろう。だが、

 

 

「仮にも最強チームの方針や。やから走らせんのにも何か理由があるんやないか?」

 

 

ボクはそう言って宥めるものの

 

 

「いーや!だとしてもオレは断固抗議するね!」

 

 

ボーイは相当ご立腹らしい。そう言ってきた。

 

 

「大体おハナさんは頭が固すぎるんだよ!オレが身体壊さないか心配なのは分かるけどもうちょっと信用してくれもいいじゃねぇか!」

 

 

 どうやらリギルのトレーナーはトウショウボーイが身体を壊さないか心配らしい。というか

 

 

(ボーイの身体って結構大柄な方やけど。壊れる心配ってあるんか?)

 

 

ボクの身長が150弱に対してボーイはそれよりも20㎝は高い170はあるだろう。ウマ娘の中でもかなり大柄な方なのになぜリギルのトレーナーは心配しているのか?多分ボクには気づいていないことにも気づいているのだろう。そう思考していると

 

 

「……テンさん、ちゃんと話聞いてるのか?」

 

 

「ん?あぁ、スマン。ちょい考え事してたわ。でもリギルのトレーナーはボーイが心配やからあまり走らせんのやろ?やったら素直に従うんがええんやないか?」

 

 

「でもよぉ……」

 

 

「それにボーイ信用ならへんからな。勝手に多く走りそうやし」

 

 

「ひでぇな!?オレだってちょっとくらい自制する心は……心は……」

 

 

ボーイは言葉に詰まる。もうその態度が答えだろう。

 

 

「ないやろ?自制する心」

 

 

「ゴメン……自分で否定できる材料がなかったわ」

 

 

「分かっとるやん自分のこと」

 

 

 トウショウボーイは好奇心が旺盛だ。基本的に自分の気持ちのままに動くことが多い。それがトラブルになることもあるが、ボクはそれがボーイのいいところだと思っている。だからこそ、無理に咎めることはしない。まあ褒めたら褒めたで調子に乗るからそれを口にはしないが。

 

 

「あ~あ、でも確かカイザーは今月メイクデビューだろ?羨ましいぜ全く」

 

 

「そうやな~、ボクも応援には行きたいんやけどその日は多分練習やろうしなぁ」

 

 

 クライムカイザーは今月にはもうメイクデビューに出走するらしい。いつもつるんでいるボクら四人の中では一番早い。羨ましい限りだ。ボクのメイクデビューはいつ頃になるのだろうか?今日聞いてみるのもいいかもしれない。

 しかしボーイは相当フラストレーションが溜まっているのか

 

 

「ちくしょー!オレもメイクデビューに出たい出たい!走りてぇよ!」

 

 

「落ち着けやみっともない」

 

 

子供みたいな我儘を言い始めた。

 

 

「こうなったら、おハナさんに直談判するしかねぇ!」

 

 

「ボクにはもうすでに却下される未来しか見えへんで」

 

 

「だとしてもだ!ボイコットでも何でもしてあの鬼にぎゃふんと……」

 

 

そう会話をしていると

 

 

「ぎゃふんと……なんだ?トウショウボーイ」

 

 

青黒色の長い髪をポニーテールにしたウマ娘がこちらの会話に割って入ってきた。この人は確か

 

 

「ゲェッ!?テスコガビー先輩!?」

 

 

「ゲェッ、とはなんだゲェッとは」

 

 

そう、ボーイと同じリギルに所属しているテスコガビー先輩だ

 

 

「先程から随分と面白いことを言っているな?トウショウボーイ。ボイコットだのなんだの」

 

 

「い、いや~、それは友達間での冗談というか、なんというか~」

 

 

 どうやらこちらの会話が聞こえていたのか顔は少し険しくなっており、威圧感も半端じゃない。その証拠にボーイは少し逃げ腰のようだ。それにめちゃくちゃ目が泳いでいる。かなり焦っているのだろう。

 まあテスコガビー先輩は雰囲気だけ見ればかなり厳しい人だ。圧倒されるのも仕方がない。現にボクも少し気圧されている。それに同じチームのメンバーがトレーナーの悪口を言っているのかもしれないのだ。真面目な先輩には見過ごせることではないだろう。

 ボーイはすっかり気遅れてしている。仕方ない、少し助け船を出してやろう。

 

 

「あの、テスコガビー先輩。少しええでしょうか?」

 

 

「君は……テンポイントか。噂には聞いているよ。それで何の用だろうか?今ボーイに事の詳細を問いただしているのだが」

 

 

「それなんですけど、ボーイは最近あまり走れんくてストレスが溜まっとるらしいんです。やから、今のこの状況に繋がっとるんやと思います。なんで見逃してはもらえないでしょうか?」

 

 

「テ、テンさん……!」

 

 

 まるで救世主を見るかのような目でボーイがこちらを見てくる。しかし、別にテスコガビー先輩は鬼でも何でもなく理由をしっかりと話せば分かってくれる人なんだからこれくらい自分で言ってほしい。現に先輩は今思考しているように顎に手を当てている。

 そして考えが纏まったのか口を開く。

 

 

「なるほど。テンポイント、君の言いたいことは分かった。トウショウボーイ、今の言葉に相違はないか?」

 

 

「は、はい!練習でも軽く走るくらいだし、全然走れてないからそれでつい……」

 

 

「なるほどな。それがお前の言い分か。だが、東条トレーナーも考えがあってお前に制限を課しているんだ。それは分かるな?」

 

 

「うっ、はい……」

 

 

「お前の身体の心配があるからあまり厳しくやるわけにはいかない。お前には歯がゆい思いをさせているが、それは東条トレーナーも同じだ。あの人もお前と同じ気持ちを抱いている」

 

 

「えっ、そうなんですか?」

 

 

「そうだ。まさかお前、東条トレーナーが意地悪でやっていると思っていたのか?」

 

 

「正直思ってました!」

 

 

「元気よく答えるな阿呆が」

 

 

テスコガビー先輩はこめかみを押さえる。まあ今のは確かにそういう反応になるだろう。

 

 

「だが、そこまでストレスが溜まっているのであればこちらとしても看過できるものではない。私の方からも東条トレーナーに進言しておこう」

 

 

「ほ、本当ですか!?」

 

 

「進言はするが、必ずしも制限が緩和されるわけではない。その辺は東条トレーナーとお前がしっかりと話し合え。分かったな?」

 

 

「へへっ!やりぃ!」

 

 

ボーイは嬉しそうにしている。良かったかもしれないが先輩の性格なら多分

 

 

「それと、お前が東条トレーナーのことを鬼やらなんやら言っていたこともしっかりと報告しておくからな」

 

 

「えっ!?そ、そんなご無体な!」

 

 

「ダメだ、こちらにも非はあるかもしれないが東条トレーナーも考えあってのこと。しかも理由もしっかりと話していたのにまるでトレーナーだけが悪いように友人に話していたお前のその態度は看過できん。しっかりと報告させてもらう。覚悟しておけ」

 

 

「嘘だぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

 

 ボーイは膝をついて絶叫するが、はっきり言って自業自得だろう。むしろこれからの練習が改善されると考えるとマシではないだろうか。

 

 

「それよりもボーイ、もうすぐミーティングだ。早く行くぞ」

 

 

「うぅ、はぁい」

 

 

 ボーイはテスコガビー先輩の後ろをトボトボとついて行く。時間を確認してみるとボクももうすぐ練習が始まる時間だった。さて、トレーナーのもとへ向かうとしよう。しかし、

 

 

「また今日も坂路やろうか……。憂鬱やな……」

 

 

重要なのは分かるが、嫌なものは嫌なのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日はダンスレッスンをしようと思っている」

 

 

「ダンスレッスン?」

 

 

 いつものプレハブ小屋のトレーナー室。トレーナーから今日の練習の内容を聞いたのだが、それは予想外の言葉だった。

 

 

「なんでダンスレッスンなんや?」

 

 

「いつも坂路ばかりじゃ気が沈むだろうからな。それにレースが終わったらライブが待っている。だから今のうちにその練習をしようと思っていてな」

 

 

「そうやな。授業で大まかなことは習っとるけど、詳しくはやらんから今のうちに練習するってことか」

 

 

「まあそういうことだ。というわけで今日はダンススタジオを借りてるからそっちに行くぞ」

 

 

 そう言ってトレーナーは外で待ってるから準備ができたら出てきてくれ、と言ってトレーナー室から出る。それよりも、てっきり今日も坂路中心の練習だと思っていたボクの気分は上がっている。それに踊るのは嫌いじゃないしむしろ好きな部類だ。早く準備してダンススタジオに向かおう。

 そしてボクはすぐに準備を終わらせて外に出る。外には先程言った通りトレーナーが待っていた。

 

 

「準備できたで、はよいこうや!」

 

 

「お、おう。テンション高いなテンポイント」

 

 

「そらそうや!ボク踊るの好きやからな!テンションも上がるで!」

 

 

「そいつはよかった。なら今後はダンスレッスンを増やすのも視野だな」

 

 

「せやったら坂路を減らしてくれてもええんやで?」

 

 

「ダメに決まってんだろ」

 

 

 やはりダメだった。まあもとより期待しないのであまり残念ではないが。そして会話をしながら歩いているとダンススタジオに着く。

 

 

「さて、じゃあダンスレッスンを始めるか」

 

 

「ダンスレッスン言うても、どれからやるんや?」

 

 

「最初はメイクデビューのウイニングライブの振付からやってみよう。覚えている限りでいいからまずは踊ってみてくれ」

 

 

 言われたとおりにボクはメイクデビューのウイニングライブを通しで踊る。まあこれは授業で習うので完全に覚えているから余裕だ。一通り踊り終わるとトレーナーからの拍手が送られる。

 

 

「すごいな、まさか完コピしてあるとは。この分だと振付で教えることはほとんどないな」

 

 

「ふふん、まあこれくらいは朝飯前やな」

 

 

 ボクは得意げに答える。だがそれよりも気になることがある。それは

 

 

「さっきからスルーしとったけどトレーナー、なんやそれ」

 

 

「ん?これか?」

 

 

トレーナーが持っている団扇だ。団扇には【テン様こっち向いて!】と書いてある。ハート付きで。そしてペンライトも持っている。まるでライブで応援してくれている人たちのようだ。

 

 

「試作品で作った応援団扇。手作りなんだぜ!これ」

 

 

「ふん!」

 

 

「あぁ!夜なべして作った俺の団扇!」

 

 

「アホなもん作っとる暇あったら他の事に時間を割かんかい!」

 

 

ボクはその団扇を叩き折る。トレーナーは悲痛な叫びを上げていたがそんなの関係ない。これは普通に恥ずかしい。だが、トレーナーはすぐに立ち上がり

 

 

「まあ冗談は置いといて、ダンスの振付に関しては特にいうことはないな。後は繰り返し練習して動きを身体に染み込ませていこう。それと言うまでもなくウイニングライブはレース後に行われる。いくら休憩があるとはいえ体力勝負になるからしっかりと体力をつけていこう」

 

 

「切り替え早いなホンマ……。了解や」

 

 

「それにダンスでも身体を鍛えることはできる。さっきダンスが好きと言っていたから坂路を減らしてダンスの練習を増やしてみるか?」

 

 

トレーナーからのその一言にボクは飛びつく

 

 

「それ!ホンマかトレーナー!嘘やったら許さんで!」

 

 

「嘘じゃないぞ。苦手を克服するために坂の練習を0にはしないが、嫌々練習をするよりも楽しく練習した方が気分的にも効率的にもいいだろう?だから今後はダンスの比重を増やしてみるか?」

 

 

「それでお願いするわ!いやぁ、最高や!」

 

 

 後ろでトレーナーがそんなに嫌か坂路練習、と言っているが、どうでもいい!これからは好きなダンスでの特訓が増えるということでボクの気分は有頂天になった。今夜は枕を高くして寝れるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なお、ダンスレッスンを終えた次の日は普通に坂路の練習だった。ボクのテンションはダダ下がりだった。




テン様、ダンスが好きかもしれないという私の幻覚です


テスコガビー先輩の身長はテンポイントよりは高く、トウショウボーイよりは低いといった感じです。イメージは160半ばぐらい?


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第6話 メイクデビューの日は?

(トゥインクルシリーズにテンポイント)参戦決定!


「なに!?テンさんメイクデビューの日が決まったのか!?」

 

 

「フフン、せやで?ついにボクもトゥインクルシリーズに出走や!」

 

 

「お~、おめでとうテンちゃ~ん」

 

 

「おめでとうございます!テンポイントさん!」

 

 

 日差しが照りつける日々が続き、梅雨が本格的に明けたことを実感している今日。ボクはいつも通りカフェテリアでボーイ・グラス・カイザーとの四人で食事をしている。そしてその話題はボクのメイクデビューの日が決まったという話だ。

 事の始まりは先日のトレーナーとの会話である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『そうそうテンポイント。お前のメイクデビューの日が決まったぞ』

 

 

 その日の練習が終わり、クールダウンも済ませてミーティングを始めようかという時、トレーナーがそんなことを口にした。

 

 

『ほ、ホンマか!?それでそれで、いつなん!ボクのメイクデビュー!』

 

 

『来月だ。8月17日に函館レース場で行われる芝1000mのメイクデビュー。そこでの出走が決まった。だから明日からはより一層気合入れていけよ?』

 

 

ボクもついにトゥインクルシリーズに出走することができるのか。憧れの舞台に挑めるということでボクの調子も上がってくる。

 

 

『いやぁ、ついにボクもトゥインクルシリーズに出走かぁ。アカン、ニヤニヤが止まらん』

 

 

『おいおい、まだ出走が決まったばかりだってのに今からニヤニヤしてどうするよ?』

 

 

浮かれているボクにそんなことを言っているが、トレーナーも嬉しいのか顔がにやけっぱなしだ。人のことを言えた義理じゃない。

 

 

『トレーナーもにやけが止まっとらんやん。人の事言えんで全く』

 

 

『あ、分かっちゃう?でも俺たちのトゥインクルシリーズが始まるって思うとな』

 

 

その後のミーティングはトレーナーの顔は終始にやけっぱなしであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな会話をしていたことをボクはみんなに話した。まあレースの日にちに関してはボカしているが。

 

 

「しっかし、カイザーの次はテンさんがメイクデビューか~。オレは一体いつになるのやら…トホホ」

 

 

「フッフッフ~、まあ私はそろそろ出走の目途がたち始めてるけどね~」

 

 

「嘘だろ!?オレが一番最後じゃねぇか!」

 

 

どうやらグラスもそろそろ出走できそうなのか、そう報告してきた。となると

 

 

「下手したら、メイクデビューでグラスと走ることになるかもしれへん、っちゅうことか」

 

 

「もし被っても負けないぞ~テンちゃん」

 

 

「上等や、ボクが勝たせてもらうで?」

 

 

 ボクとグラスの間で火花が散っているのが見えるくらいに視線を交わす。が、今はご飯の時間なのですぐにお互い食事を取ることにした。

 そこに未だに出走の目途がたっていないボーイは不満を漏らす。

 

 

「あ~あ、カイザーはデビュー済、テンさんもグラスも出走できるってのに、オレだけな~んも進展がないなんてよ」

 

 

「しょうがないんじゃないでしょうか?リギルのトレーナーさんはボーイさんが万全な状態で挑めるように調整しているんだと思いますよ?」

 

 

「それに~確か練習内容も改善してもらえて最初よりも走れるようになったんでしょ~?」

 

 

「確かにそうだけど、それとこれとはまた別問題なんだよ!」

 

 

 ボーイもトレーナーとしっかり話し合ったのか、練習内容が改善され以前よりも走れる時間を増やしてもらえたらしい。おかげで今はほぼストレスフリーと言っていた。まあトレーナーのことを鬼と呼んでいたことでこっぴどく叱られたと本人は話していたが。

 

 

「まあボーイんことは放っといて」

 

 

「ヒデェなおい!」

 

 

「メイクデビューってどんな感じなん?カイザー」

 

 

「メイクデビュー、ですか?」

 

 

 ボクはすでにデビュー済であるカイザーに話を振る。実際に走ったことのあるカイザーなら気をつけるべき点なども聞けるだろう。そう思い聞いてみることにした。

 

 

「そうですね……、実戦形式の並走はやっていましたけど練習とは全然違いますね。当たり前のことですけど」

 

 

そしてカイザーは話を続ける。

 

 

「それに緊張もしますので、いつも通りの自分の力を発揮するようにリラックスすることが大事だと思います。緊張のせいで私も最初のメイクデビューは負けちゃいましたし……」

 

 

 そう言ってカイザーは落ち込んでしまった。メイクデビューのことを思い出したのだろう。しまった、余計なことまで思い出させてしまった。

 しかしすかさずグラスがフォローを入れる。

 

 

「でも~、次のメイクデビューはしっかり勝ったんだからカイザーちゃんはすごいよね~。前走の反省点をしっかりと活かしてるんだからさすがだね~」

 

 

「そうでしょうか……?」

 

 

グラスの言葉に続くようにボクらもカイザーを励ます。

 

 

「せやせや、次走でしっかり勝っとるんやからそう落ち込むもんでもないで?」

 

 

「そうだそうだ!カイザーが強いってのはオレたちがよく分かってるからな!」

 

 

「……そうですね!もっと気楽に考えていきましょう!皆さんありがとうございます!」

 

 

どうやらカイザーの気分は持ち直したようだ。

 

 

「ふぅ、ダメですね。気を抜くとすぐに悪い方に考えちゃいます。トレーナーさんからも指摘されているんですけど……中々直らないですね」

 

 

「まあまあ~、慎重になることはいいことなんじゃな~い?大事なのはいつまでも引きずらないことだと私は思うな~」

 

 

 珍しくグラスがいいことを言っている。普段はのんびりとしている彼女だが、カイザーが落ち込みそうな気配を察知したのかすぐにフォローを入れていたので、しっかりと人のことを見ているのだと感じた。

 そしたらボーイも同じ考えだったのか

 

 

「おぉ、珍しくグラスがいいこと言ってる……」

 

 

と口にしていた。なんでこう思ったことを口に出すのだろうか。

 

 

「どういう意味かな~?ボーイちゃ~ん?」

 

 

案の定グラスが反応した。分かりづらいが心外だと思っているのだろうか?

 

 

「いやだって、オレが知ってるグラスっていつものんびりしてる印象しかねぇからさ。でも今のフォローもだけど、しっかりと人のこと見てるんだなって」

 

 

「ふふ~ん、そうでしょうそうでしょう~。ちゃ~んとみんなのことを見てるのだよ~私は」

 

 

しかし後のボーイの誉め言葉に気分を良くしたのか自分のおかずを一つボーイの皿に移していた。どうやら好きなおかずだったらしくボーイは喜んでいた。

 少し話は脱線したが元に戻そう。ボクはカイザーに再度質問する。

 

 

「カイザー、もう少しええか?ウイニングライブはどうやった?」

 

 

「ウイニングライブですか?そうですねぇ……」

 

 

少し考えた後カイザーは当時の事を語ってくれた。

 

 

「レースの後ということなので疲れているんじゃないかと思いますけど、しっかりと休憩を取ってから行われるので皆さんが想像してるよりは大丈夫だと思います。それに私たちが出走するメイクデビューはレースも最初の方なので休憩する時間はたっぷりとありますよ」

 

 

「ふ~ん、そうなんか」

 

 

「はい、それに自分を応援してくれるファンの人たちからコールをもらえると不思議と力が湧いてくるんですよ!」

 

 

そう言ってカイザーは両腕で力こぶを見せるポーズを取った。ちょっと可愛い。

 するとボーイは

 

 

「いいなぁ~オレも早く出走してファンのみんなと交流したいぜ」

 

 

と漏らした。今の話を聴いてよりレースへ出たいという気持ちが出てきたのだろう。ボクもカイザーの話を聴いていると早くレースに出たいと身体がウズウズしてきている。

 

 

「ま、ボクはあともう少しの辛抱や。楽しみやな~メイクデビュー」

 

 

「なんだオレへの当てつけかテンさん」

 

 

ボーイに言いがかりをつけられる。

 

 

「いやいや?そんな気持ちこれっぽっちもあらへんで~?ボーイの思い違いやないか~?」

 

 

「煽ってるよ!ぜってぇ煽ってるよテンさん!上等だその喧嘩買ってやる!」

 

 

「お、落ち着いてくださいボーイさん!ここカフェテリア内ですから!」

 

 

「そうそう~、程々にしないと怒られちゃうよ~」

 

 

 少しからかってやると面白いように釣れた。席を立ってこちらに来ようとしているボーイをカイザーとグラスが宥めている。まあ少しからかいが過ぎたか。

 

 

「まあ落ち着けやボーイ。ボクが悪かったから。ホラ、お前の好きなおかず一個やるわ」

 

 

「そんなんでオレが機嫌直すと思うなよ!」

 

 

とボーイは言っているがおかずに口をつけると

 

 

「あぁ~やっぱカフェテリアの飯は最高だな!こんなのが毎日食えるとか本当に幸せだぜ全くよぉ」

 

 

コロッと機嫌が直っていた。単純だな。

 

 

 

 

 

 

 皆食べ終わった後は教室に戻り、各々飲み物を購入して午後の授業が始まるまで話すことにした。そんな折、ボーイが急に

 

 

「前々から思ってたんだけどさ、テンさんって牛乳好きだよな。いっつも飲んでるし」

 

 

なんてことを口にしてきた。まあ確かに牛乳は好きだがそんなに飲んでいるだろうか?

 

 

「いつもって……そんなに普段飲んどるか?」

 

 

ボクはそんな疑問を口にする。そしたら全員が

 

 

「飲んでる。めちゃくちゃ飲んでるな」

 

 

「そうだねぇほぼ毎日飲んでるよね~」

 

 

「ちょっと悪いですけど……確かにいつも飲んでますよね」

 

 

と、全員の意見が一致した。そんなに飲んでたのかボク。

 

 

「全然気づかんかったわ」

 

 

「嘘だろテンさん……無意識だったのかよ」

 

 

「飲み物買う時いつも牛乳なのに無意識だったんだねぇ」

 

 

「テンポイントさんの同室の子も言ってましたよ?冷蔵庫の中に必ず牛乳が常備されてるって」

 

 

「いやいや、冷蔵庫の中に牛乳が常備されとんのは普通やろ。常識や常識」

 

 

ボクのその言葉に

 

 

「いや、常備してない家庭も普通にあるだろ」

 

 

「それに常備してるにしても大体一本だけでさすがに一人で二本も三本も置いておくのは普通じゃないと思いますよ?しかも全部種類違いますし」

 

 

とボーイとカイザーにツッコまれた。おかしい、小さい頃から家では常備されていたのだが。

 

 

「まあ小さい頃から飲んどるな。強い身体を作るためには牛乳やと思うてたし。後普通に味が好き」

 

 

「間違いじゃないけどねぇ、実際牛乳って栄養のバランスがいいし~」

 

 

 しかし自分が飲む量が多い方だとは。今まで全然気づかなかった。だからといって飲む量を減らそうとは思わないが。だって好きだし。

 そんな会話を続けていると話題は今日の授業のことになる。ボーイが唐突に

 

 

「そういや、次の授業なんだっけ?」

 

 

と言ってくる。

 

 

「次の授業はレース座学ですね」

 

 

「レース座学か~。苦手なんだよなぁオレ」

 

 

苦手と言っているボーイにボクは釘を刺す。

 

 

「ボーイ、今日は寝るんやないで」

 

 

「わ、分かってるよ!」

 

 

そう、ボーイは前回のレース座学の時に居眠りをしており先生に怒られている。レース座学の先生は普段はおっとりとしているが怒らせると怖いので念のために忠告しておいた方がいいだろう。

 そんな会話にグラスが

 

 

「ボーイちゃんは~レース座学が苦手というよりジッとしているのが苦手なんじゃないかなぁ?」

 

 

「よく分かってるじゃねぇかグラス。その通りだぜ!」

 

 

「威張んなや」

 

 

ボーイは誇らしげだが、だからと言って寝ていいわけじゃない。

 

 

「でもボーイさん、気をつけてくださいね?レース座学の先生怒らせるととても怖いって先輩方も言っていましたので」

 

 

「うっ、ぜ、善処します……」

 

 

まあ友達が怒られているのを見て気分がいい奴はいないだろう。カイザーの方からも釘を刺されてさすがにボーイも寝ないように気をつけると言った。他の授業では寝ていないのだからまあ頑張れば大丈夫だろう。

 しかし、ここでおかしいことに気づく。もう少しで昼休みも終わるというのに自分たち以外の生徒が見当たらないのだ。一体なぜだろうか?

 

 

「なぁみんな、ちょっと可笑しくないか?なんでもうすぐ昼休み終わるのに誰も教室におらへんのや?」

 

 

「そういやそうだな。いつもなら何人かいるのに」

 

 

そう話しているとカイザーの顔が一気に青ざめている。まるで何か忘れていたことに気づいたように。

それにいち早く気づいたらしいグラスはカイザーに問いかける。

 

 

「カイザーちゃんどうしたの~?なんか顔が青ざめてるけど~」

 

 

そしてカイザーは信じられないことを口にした。

 

 

「そ、そういえば今日はレース座学の先生がお休みしてるから変更になって基礎トレーニングになってたんでした……。すっかり忘れてました……」

 

 

「嘘やろ!?もう後何分もないで!?」

 

 

「おい外見てみろ!クラスのみんなもう着替えて外にいるぞ!」

 

 

「黒板にもちゃんと変更されてる旨が書いてあるね~」

 

 

「ご、ごめんなさ~い!私がしっかり覚えていれば~!」

 

 

これはカイザーだけのせいじゃない。メイクデビューの話で盛り上がって次の授業のことを忘れていたボクたち全員のせいだ。ヤバい!ほんとにやらかした!

すると一番に我に返ったボーイが

 

 

「畜生!さっさと着替えて外行くぞ!」

 

 

と教室で着替え始めた。今は急いでいるからここで着替えるしかない!着替えは後でロッカーにぶん投げとけばいいだろう。

 

 

「クッソ!すっかり忘れとったわ!みんな急ぐで!」

 

 

「は、はい!私も急いで着替えます!」

 

 

しかしグラスはいっこうに着替え始めない。何をしているのだろうか?

 

 

「何してんだよグラス!早く着替えろって!」

 

 

「あぁ、大丈夫大丈夫~だって私」

 

 

そう言ってグラスは制服を脱いだかと思うと、中には体操服を着ていた。

 

 

「もう着替えてあるし~」

 

 

「な、成程!だったら大丈夫だな!」

 

 

と、ボーイはそう言っているがボクは自分の中にある疑問を我慢できずに言った。

 

 

「……いや、やったらサッサと向かわんかい!というかもう着替えとるんやったら教えてくれてもええやろ!?」

 

 

「ごめ~ん、忘れてた~」

 

 

「のんびりしすぎですよグラスさ~ん!」

 

 

と、ボクたちは慌ただしく次の授業の準備をして急いで外に出た。授業には何とか間に合ったが先生からは

 

 

「もう少し早く準備しておくように」

 

 

というありがたいお叱りをもらい、同じクラスの子からは笑われていた。




次の授業が移動教室なことに気づかず、自分たちの教室で待っていることあると思います。私もやらかしたことあります。


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第7話 いざ、メイクデビューへ

メイクデビュー当日回です


「いよいよこの日が来たな……テンポイントのメイクデビュー!」

 

 

 函館レース場控室。俺とテンポイントは今そこにいた。ここにいる理由はただ一つ。これからテンポイントのメイクデビューが始まるからである。俺のテンションも上がりっぱなしだ。

 一人テンションを上げていると

 

 

「なんかボクよりテンション高くない?トレーナー」

 

 

と、テンポイントにツッコまれる。まあ確かにちょっとテンションを上げすぎたので自重する。しかし、まさかこの年になってウマ娘のレースにここまで熱中するようになるとは夢にも思わなかった。まだ20代だけど。

 ひとまず今日のレースでの作戦のおさらいをする。

 

 

「さて、今日のレースをどう走るかのおさらいなんだが……まあこれといった有力なウマ娘は他にいない。お前がいつも通りの力を発揮すれば心配するようなことはないだろう。ただ一つ懸念点があるとすれば」

 

 

「会場に降っとる雨、やな」

 

 

「そうだ」

 

 

そう、今日の函館レース場の天気は雨。バ場の状態は良バ場と発表されているとはいえ、視界が制限される上に雨のレースは荒れやすい。万が一が起こるかもしれないだろう。まあテンポイントならその万が一もなさそうだが。だってゲートの訓練も楽々こなしてたくらいだし。

 

 

「本当は細かい作戦とか色々伝えた方がいいんだろうが……まあデビュー戦だからな!勝つことや負けることは一旦置いといて思いっきり走ってこい!」

 

 

「えらい抽象的な指示やなぁ。というか勝ち負けは二の次とか普通言わんやろ」

 

 

テンポイントは笑いながら言う。まあこの辺に関しては俺の思っていることをそのまま言おう。

 

 

「勝ち負けは置いといてって言ったが、これはあくまで拘りすぎるなってことだな。そこに拘ると気負いすぎてうまく走れないだろうからな。だからと言って気を抜いて走れって話でもないぞ?何事もほどほどにってことだ」

 

 

「分かっとるよ。今日のレースは自分のペースを乱すな、っちゅーことやな」

 

 

「そういうことだ。そうすりゃおのずと結果はついてくる」

 

 

「了解や」

 

 

そして出走前の軽い打ち合わせも終わるとテンポイントが溜息をつく。何か思うことがあるのだろうかと思っていると

 

 

「にしても、グラスは残念やったなぁ……」

 

 

と口にした。グラスと言えば……

 

 

「沖野さんのとこのグリーングラスか?」

 

 

「せやで。まさか肺炎に罹るとはなぁ」

 

 

そう、本来この時期に出走予定だった沖野さんのとこのグリーングラスだが、肺炎をこじらせてしまい、年内の出走が絶望的になってしまったと聞いた。現在は療養中のため、トレーニングもあまり無理はできない状態らしい。

 正直心配だ。レースに悪影響にならないかと考えていたが、テンポイントは

 

 

「ま、やったら今日のレースきっちり勝って、グラスに勝利を報告したるか」

 

 

と、自信満々にそういった。これなら何の心配もいらないだろう。

 

 

「うし!じゃあ俺はそろそろ応援席の方に行ってくる。頑張れよ、テンポイント!」

 

 

「おう!しっかり一着でゴールしたるから期待して待っとき!」

 

 

檄を飛ばして俺は控室を後にし、函館レース場の観客席へと向かう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして現在函館レース場の観客席にいる。周りには当たり前なのだが人がたくさんいる。さすがは国民的スポーツ・エンターテインメントだ。だがそれにしても

 

 

「さすがに多くねぇか?」

 

 

なんか映像で見たメイクデビューの観客数よりも多いように感じられる。今日はそんなでかいレースはやっていないはずだが。そんな疑問の声に答えるように背後から声をかけられる。

 

 

「そりゃそうだろ。なんてったってあのテンポイントが出走するんだからな」

 

 

その声に振り向いていると、棒付きのキャンディを口に咥えた30代くらいの男が立っていた。この人のことは知っている。先程テンポイントとの話題にも挙がっていたグリーングラスの担当トレーナー、沖野さんだ。

 

 

「沖野さん!まあ色々言いたいことありますけど、レースの世界への復帰、おめでとうございます?」

 

 

「なんで疑問形なんだよ……」

 

 

「いや、沖野さんにとって良いことなのか悪いことなのか分からなかったので……。実際また復職しようと思った理由はなんでしょうか?」

 

 

「そうだな……俺もまた、夢を追いたくなったのさ。未練がましく諦めきれなかっただけかもしれねぇがな」

 

 

と、自嘲気味に沖野さんはそう言った。なんにしても

 

 

「俺は会えてうれしいですよ沖野さん。これからは同じトレーナー同士よろしくお願いします!」

 

 

「おう!ってそうだ、俺よりもお前の方がビックリだよ」

 

 

俺が?なんかあったか?と思っていると沖野さんは言葉を続ける。

 

 

「おハナさんや他の奴から聞いてる限りだと、レースの世界に全然興味なかったそうじゃねぇか。なのにいざ復職してみたらライセンス取ってトレーナーやってるって言うし、お前を知ってる奴らからすればそっちの方がビックリだぜ全く」

 

 

「あ~、まあ確かにそうですね……」

 

 

我が事ながらレースの世界に対する情熱なんてこれっぽっちもなかった。そして沖野さんは言葉を続ける。

 

 

「で?なんでまたレースの世界に興味を持ったんだ?」

 

 

「まあ理由なんて簡単ですよ。趣味でライセンス取ったら理事長にトレーナーになってくれとお願いされましたので。それだけです」

 

 

「本当にそれだけか~?なんか怪しいなぁ」

 

 

沖野さんはこちらを訝しんでいる。まずい、どうにかして話題をそらさねば!

 

 

「そ、そういえば!沖野さんグリーングラスは大丈夫なんですか?肺炎って聞きましたけど」

 

 

「グラスか?大丈夫だ。命に関わるようなものじゃなくて本当に良かったぜ。ただ年内の出走は厳しいからメイクデビューは年明けになりそうだな」

 

 

どうやらグリーングラスは大丈夫らしい。沖野さんは安堵している様子を見せていたので心配だったのだろう。何事もなくて本当に良かった。

 しかしこちらのことがよほど気になるようでさらに質問されるが

 

 

「で、話題をそらされたがなんでレースに……」

 

 

 

 

《さぁ、ウマ娘たちが続々と入場してきます!まず出てきたのは8番人気カズノミドリ……》

 

 

 

 

「あ!入場始まったっぽいですよ!そっちに集中しましょう!」

 

 

丁度いいタイミングで始まった!これで逃げ切れる!

 これには観念したのか深いため息を吐きながら、

 

 

「……まあいい、後でじっくり聞かせてもらうからな」

 

 

と言われた。このメイクデビュー終わったら全力ダッシュで逃げることを胸に誓いながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《続いて入場してきたのは、今回のメイクデビュー圧倒的な支持を集めての一番人気!テンポイントがターフに姿を現しました!》

 

 

 

 

「あ、沖野さん沖野さん!来ましたよ!テンポイントです!」

 

 

 最初の子の入場から待つこと数分、テンポイントが入場してきた。それに俺のテンションはめちゃくちゃ上がっている。お客さんに手ぇ振ってる!可愛い!

 

 

「分かってるよ、ったく、お前そんなキャラだったか?」

 

 

と、沖野さんは呆れ口調のまま言ってきた。そのまま

 

 

「しかし、い~いトモだな」

 

 

と続けた。

 

 

「触ったら通報しますよ?例え許可取ってても通報しますよ?」

 

 

「本気トーンで言うな!こえーよ!」

 

 

まあさすがに冗談ではあるが、この人はグリーングラスでの前科があるからな。というか

 

 

「よく蹴られて無事でしたね。ウマ娘の脚力ってヤバいはずですけど」

 

 

俺はテンポイントから聞いたスカウトの際グリーングラスに蹴られた時のことを言う。普通無事じゃすまないと思うが。

 

 

「鍛えてるからな!」

 

 

「鍛えてどうにかなる領域なのか……?」

 

 

どういう身体構造してるんだこの人。

そんな会話を続けていると、レース場内にファンファーレが響き渡る。

 

 

 

 

《さぁレースはあいにくの雨模様ですが今日のバ場は良バ場の発表。函館レース場第3Rメイクデビュー戦が始まろうとしています。一体どんなレースを見せてくれるのか?今から非常に楽しみです》

 

 

「いよいよ始まりますね……頑張れよ~テンポイント~」

 

 

俺は念を送る。効果あるのか分からないけどやるだけならタダだ。

全ウマ娘がゲートに入る。そして

 

 

《各ウマ娘のゲートインが完了し今……スタートしました!》

 

 

 

 

一斉にゲートが開き、レースが始まる。

 

 

 

 

《好調なスタートを決めました8枠8番テンポイント!このレースの一番人気、函館レース場では歓声が響き渡ります!》

 

 

《とても奇麗なスタートでしたね。好レースが期待できそうです》

 

 

 

 

テンポイントは抜群のスタートを決めた。良し!

隣の沖野さんもこのスタートを見て驚いたのか感嘆の声を漏らしていたのが聞こえた。

 

 

 

 

《テンポイントがハナを進みその後ろに7番ヤクモオーショウ、その外に5番ハンピンオー、内をついて2番グランドヤマトシ。この4人が先頭集団を形成しています。そこから少し離れた位置に4番バラベルサイユ、3番人気のウマ娘はこの位置、その後ろ外目をついて1番カズノミドリと9番タイヨウレオ。どうでしょうかこの展開?》

 

 

《先頭のテンポイント、かなりのペースで飛ばしていますね。他のウマ娘はついてこれるのでしょうか?》

 

 

 

 

「なるほどな。こりゃ確かにすげぇわ。一人だけ別格だ」

 

 

沖野さんはそう呟く。

 

 

「分かりますか?沖野さん」

 

 

と、俺はニヒルな笑みを浮かべながらそう言ったが

 

 

「いや、そんな分かる人には分かる風に話しかけてるとこ悪いが、あれは誰がどう見ても分かるだろ。はっきり言って格が違う」

 

 

かっこよく決めたかったのに普通にぶった切られた。

 

 

「他のウマ娘には悪いが、こりゃテンポイントの圧勝だな」

 

 

「ま、まだレースは終わってないので分かりませんよ?」

 

 

そう苦し紛れに俺は言うが沖野さんは首を振り

 

 

「こっから隕石でも振ってこない限り、番狂わせはあり得ねぇよ。そんぐらいの力量差がある」

 

 

そう答えた。隕石て。

 心の中でそうツッコミを入れていると、テンポイントはすでに第3コーナーを回り第4コーナーに差し掛かろうとしていた。

 

 

 

 

《さぁ先頭集団は第4コーナーを回って最後の直線に入りました!先頭は依然テンポイント!ハンピンオーが追いつこうと必死になっている!しかし先頭のテンポイントとの差はグングン開いていきます!テンポイントなんという足だ!?その差を4バ身、5バ身とつけていきます!すでに独走状態!》

 

 

《これは……もう何と言っていいのか分からないですね。凄まじい足です!》

 

 

 

 

「いけいけー!テンポイントー!」

 

 

「頑張れー!」

 

 

「そのまま突っ込めー!」

 

 

観客のそんな歓声が聞こえている。だが当の俺は

 

 

「うぉぉぉぉぉおお!そのまま押し切れー!テンポイントー!いけー!」

 

 

とまるで子供のように大はしゃぎでレースを応援していた。

 

 

 

 

《そのままテンポイント独走状態で今一着でゴールイン!2着と10バ身の差をつけて函館メイクデビューを圧勝しました!勝ち時計は……と!?なんと走破タイムは58.8!その横にはレコードの赤い文字が点いています!テンポイント、自らのデビュー戦で函館レース場芝1000mのコースレコードを記録しました!2着はグランドヤマトシ!3着はハンピンオーです!》

 

 

《すごいウマ娘が現れましたね。テンポイント、彼女のこれからのレースが非常に楽しみです》

 

 

 

 

マジ?レコードタイム?ヤバくね?

 俺は有力なウマ娘がいないことから勝てるとは思っていたが、まさかコースレコードで勝つとは思わなかった。これには観客も大盛り上がりであり

 

 

「すごいぞー!テンポイントー!」

 

 

「次も頑張ってー!応援してるわー!」

 

 

「あのお姉ちゃんすごーい!」

 

 

という声が聞こえてくる。その言葉に俺も鼻高々だ。

 

すごいでしょうすごいでしょう!あの子、俺が担当してるんですよー!奇麗でカッコよくて強い!三拍子揃った無敵のウマ娘!テンポイントをよろしくお願いします!

そう心の中で思っていると沖野さんは俺を微笑ましげに見ながら

 

 

「なるほどな、お前がトレーナーをやる気になった理由、分かった気がするぜ」

 

 

と言っていた。はて、何のことだろうか?

 

 

「どういうことです?沖野さん」

 

 

そう質問すると沖野さんはいたずらっ子のような笑みを浮かべながら

 

 

「いいやぁ?別に何でもないさ?」

 

 

とはぐらかされた。なんだろうか。非常に気になる。

 

 

「それよりも、早くあいつのとこに行ってやりな。ウイニングライブまでは時間あるから、おめでとうの一言ぐらいは言っとけ」

 

 

「そうですね!じゃあ失礼します、沖野さん!」

 

 

そう言って俺は沖野さんと別れる。別れ際に

 

 

「あそこまで惚れ込んでるとはなぁ。眩しいぜ全く」

 

 

と聞こえたような気がするが、一体何だったのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そしてレースの控室。俺はテンポイントに祝いの言葉を贈る。

 

 

「おめでとうテンポイント!まさかコースレコードで勝つとはな!」

 

 

「フフン!どや?これがボクの実力や!これからもめっちゃ勝ったるで!」

 

 

俺たちは勝利を喜び合う。最高の気分だ!

 テンポイントも上機嫌なのかしっぽを忙しなく振っている。可愛い。

 ひとしきり喜びを分かち合った後、この後のウイニングライブについての話になる。まあ振付に関してはしっかりと練習していたし問題はないだろう。問題があるとすれば

 

 

「俺がテンポイントの眩しさに耐えられるかどうかだな……」

 

 

「何言うとんねん自分」

 

 

軽いジョークのつもりで言ったが、テンポイントには普通に返された。

 

 

「ま、まあ後はウイニングライブだけだ!頑張れよテンポイント!」

 

 

「任しとき!ライブに来てるお客さんを全員ボクのファンにしたるわ!」

 

 

実際できそうなのが怖いところである。そしてウイニングライブの準備があるので俺はテンポイントと別れライブ会場へと向かった。

 

 

 

 

そしてライブでは大はしゃぎで応援していたら次の日テンポイントに怒られた。すいません、テンション上がりすぎただけなんです。許してください。




当時のレース映像が全然残ってないから描写が淡白なのは許して……許して……


※細かいところを微修正 7/22


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第8話 生徒会長・ハイセイコー

トレセン学園の生徒会長が出る回


 テンポイントがコースレコードでメイクデビューを制した衝撃から数日。現在はトレセン学園の授業も終わり、放課後の時間なのだが俺はこれから用務員としての仕事をするために生徒会室へと向かっている。放課後はいつもトレーナーとしての仕事をしているのだが今日は違う。というのも

 

 

「軽い症状とはいえ骨膜の炎症だからな……。ここはしっかりと休養しておかねば」

 

 

テンポイントが軽めではあるが骨膜炎になったのでトレーニングはしばらくの間休みを言い渡したためだ。話は少し前にさかのぼる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ライブ後テンポイントを迎えに行くと、彼女は足を気にするような仕草を見せていた。それに気がついた俺はテンポイントに尋ねる。

 

 

『足、どうかしたのか?』

 

 

その問いかけに慌てるようにテンポイントは答える。

 

 

『え?ううん、何でもないで。さ、はよトレセン学園に帰ろうや』

 

 

そう答えたが、そんなことはないだろう。俺は自分の中の疑問を解消するためにさらに追及する。

 

 

『何でもないなら、足を診せてもらっても構わないな?少し触るぞ』

 

 

すると渋々ながらも、彼女はその要望を承諾した。確認を取ってから俺は足の触診を始める。すると痛みを感じるのかテンポイントは顔を歪める。

 

 

『痛むのか?いつからだ?』

 

 

『ウイニングライブの後ぐらいからやな。座るとそんなでもないんやけど歩くとちょっと痛むんよ』

 

 

『嘘じゃないな?』

 

 

『もうバレとるから嘘はつかへんよ。今日はちょっと頑張りすぎたかもしれへんな』

 

 

どうやら本当のようだ

 

 

『そうだな……じゃあ念のために病院に行こう。何かあってからじゃ遅いからな』

 

 

『ここまで来たら観念するで。じゃあ早いとこ病院行こか』

 

 

俺たちは病院へ向かうことになった。だが、少しとはいえ足が痛む彼女をあまり歩かせるわけにはいかない。移動手段はタクシーを使った。そして医者からの診断結果は

 

 

『軽い骨膜炎ですね』

 

 

『骨膜炎……ですか』

 

 

俺は診断結果を聞いて骨折とかではなかったと少し安堵する。そして医者は続けるように

 

 

『今回は軽度ですので、しっかり身体を休めれば回復しますよ。その間はトレーニングは軽めにしておいた方がいいでしょう』

 

 

『なるほど……、ありがとうございます。先生』

 

 

薬などを処方してもらって病院を後にする。そしてトレーニングは軽めにと言われたので

 

 

『とりあえず明日から数日は練習は休みだ。元々休みにはする予定だったが、しっかり羽を休めてきてくれ』

 

 

『了解や。うぅ、走れんってなると結構キツイなぁ……』

 

 

『そこは我慢してくれ。ここで無理して悪化するのは良くないからな』

 

 

テンポイントは渋々と言った感じで了承した。これがライブ後の出来事である。そしてこの翌日ライブで大はしゃぎしていたことをテンポイントに怒られるのだがそれは別の話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で、トレーニングはしばらく休みということで用務員の仕事を入れたのだが、そこで生徒会からお呼びがかかった。詳しい業務内容は会ってから話すと言われたのでまだ何をやるのかは知らない。まあそこまで難しいことではないと思うが。ただ個人的に生徒会長は少し苦手なのであまり気は進まない。

 そう思いながら歩いていると生徒会室に着いたのでノックをする。中から返事が返ってきたので俺はドアノブを回し生徒会室へと足を踏み入れた。

 

 

「失礼します」

 

 

「やぁ、待っていたよ神藤さん」

 

 

そう言って俺を出迎えたのは色の濃い茶色の髪をロングヘアにしたウマ娘、トレセン学園の生徒会長・ハイセイコーだ。室内には副会長のテスコガビーもいる。もう一人の副会長と他の役員は不在のようだが。

 さて、俺はいきなり本題を切り出す。

 

 

「では、今回は一体どんなご用件でしょうか?生徒会からの直々の依頼なんて随分珍しいですが」

 

 

そう質問すると、ハイセイコーはウィンクをしながら

 

 

「敬語はいらないよ神藤さん。私たちの仲じゃないか。それに、特に用はなく君に会いたかったから……ではダメかな?」

 

 

と答える。近くにいる副会長の視線が痛いので止めて欲しい。

 

 

「私は今回依頼をされてこの場にいますので。相応の場では相応の言葉遣いを使っているだけです」

 

 

「そうか……それは残念だ……。神藤さんはどうやら女の子からの可愛いお願いを聞いてはくれないらしい……」

 

 

そう言いながらわざとらしく泣いている。本当にやめて欲しい。副会長の顔見てみろ、修羅の顔してるぞ。人一人くらいなら視線だけで余裕で殺せるぞ。

 

 

「……分かったよ。これでいいか?」

 

 

「フフ、よろしい。その方がしっくりくるからね。やはりあなたはからかい甲斐がある」

 

 

と、気づいたら元の表情に戻っていた。やっぱ噓泣きじゃねぇか。

 俺が生徒会長、ハイセイコーを苦手としている原因はこれだ。なぜかは知らんがこいつはよく俺をからかってくる。しかも生徒で年下という立場を利用してくるからかなり質が悪い。超がつくほど有名なスターウマ娘だ。ハイセイコーを慕っている生徒はかなり多い。この場にいる副会長がいい例だろう。そんな中で下手な対応をしようものなら俺はターフに埋められること間違いなしだ。

 彼女のペースに乗せられるとまずい。すぐに用件の方を聞いて仕事を終わらせよう。

 

 

「それで?そろそろ本題の方を話してもらおうか?」

 

 

「あぁ、そうだったね。実は最近ご意見箱を設置したのは知っているだろう?」

 

 

「アレか。確かに設置してたな」

 

 

 実は最近生徒会長の意向で生徒がより良い学生生活を送れるようにとご意見箱を設置した。話を聴いているとどうやら昨日開封をしていたらしい。そしてその内容を確認してみると、設備が老朽化している箇所があるから修理してほしいという旨の相談が多数あったので、俺を呼んだのだそうだ。まあ他の用務員だとできる作業とできない作業があるので設備の修理なら何でもできる俺が呼ばれるのは当たり前か。

 

 

「なるほど、事情は分かった。それで、どこを修理していけばいいんだ?」

 

 

「それならリスト化してあるよ。ガビー、頼めるかい?」

 

 

「はい。ここに」

 

 

そう言ってテスコガビーから資料を渡される。なるほど、これが修理箇所のリストか。そこそこ数は多いが一つ一つはそこまで時間がかかるものでもない。数日はかかるがまあ大丈夫だろう。

 

 

「じゃあさっそく作業に取り掛かりに行くわ」

 

 

「あぁ待ってくれ。私も同行させてもらうよ」

 

 

「……なんで?」

 

 

思わず真面目に返してしまった。いや、本当になんでハイセイコーも着いてくるんだ?おかしくないか?

 

 

「なんだい?こんな美少女が着いてくるっていうのに神藤さんは不満なのかい?」

 

 

「お前が美少女なのは認めるしそこに不満があるわけじゃないが、真面目にお前が着いてくる意味が分からないからだよ」

 

 

「美少女だなんて……照れるね」

 

 

そう言ってハイセイコーは頬を赤らめる。いや、俺はなんで着いてくるのかを聞いているんだが?

こいつに聞いても変なことになるので俺はテスコガビーの方に聞く。

 

 

「なぁ、なんでハイセイコーも着いてくるんだ?」

 

 

俺の言葉にテスコガビーは頭を痛そうに抱えて答える。

 

 

「……どうやら会長はあなたと個人的に話したいことがあるらしい。私はやめてくださいと言っているんだが……」

 

 

「止められなかったと」

 

 

そうです、とテスコガビーが答える。苦労してるなこいつも。

 ここで断りの言葉を入れるのは簡単だ。だがそうなった場合、被害を被るのは間違いなく俺とここにいるテスコガビーだ。ハイセイコーは一度拗ねるとかなり面倒くさい。しょうがないが、これは同行するのを許可するしかないだろう。

 

 

「分かったよ……じゃあ一緒に行くか、ハイセイコー」

 

 

「おや?随分素直だね。私は嬉しいよ」

 

 

じゃないと俺とテスコガビーの胃が持たないからだよ。口にはしないが心の中でそう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこからはハイセイコーと一緒にリストに載っている箇所へと向かった。

 

 

「まず最初は空き教室の空調の不備か……フィルターが汚れてるだけじゃねぇか誰だよ最後に洗ったやつ」

 

 

「これはひどいねぇ。フィルターって言われなきゃ分からないよこれは」

 

 

だったり

 

 

「新しい自販機の設置……これは生徒目線で語ってもらった方がいいな。どの辺にあると助かる?」

 

 

「そうだね……、やはり体育館周辺にもう少し欲しいな。頼めるだろうか?」

 

 

「なるほどな。業者は俺の方で手配しておこう」

 

 

とか

 

 

「図書室の本を増やしてください……これはアンケートを取った方がいいんじゃねぇか?さすがに無差別に増やすわけにはいかんだろ」

 

 

「まあそれは後日に回そう。次に向かうよ」

 

 

「あいよ」

 

 

など、生徒から要望があった箇所を点検したり修理が必要ならその都度修理を施したりしながら時間は過ぎていった。そして今いるのは今日めぐる予定だった最後の場所だ。

 

 

「ジムの器具が不調気味なので直してください……ねぇ。まあ早速取り掛かりますか」

 

 

「頼むよ。私は何をすればいいのか分からないから協力が必要そうな時に声を掛けてくれ」

 

 

 ハイセイコーの言葉に適当に返事をしながら不調と報告のあった器具の修理に取り掛かる。軽いものはこの場で直していくが、一筋縄ではいかないもの、本格的な修理が必要なものは俺のガレージに運んで修理するための手筈を整える。持っていく時に彼女の力を借りよう。

 そうして作業を進めていく中、周りに誰もいないので俺はハイセイコーに切り出す。

 

 

「で?俺と話したいことがあったんだろ?一体何の用なんだ?」

 

 

「おや?どうして私が君に用があると?」

 

 

「テスコガビーから聞いた、ってのもあるが、普段はついてこない俺の作業に強引について来ようとしたんだ。何かあると疑うのは当然じゃないか?」

 

 

普段は生徒会の仕事を優先するこいつがなぜか俺の作業について来たがった。よほど重要な話でもあるのだろう。俺は身構える。

 

 

「疑うなんてひどいな。まあ君と話したいことがあるというのは本当だけどね」

 

 

ハイセイコーはそう答えた。

 

 

「その話って?」

 

 

「決まっているよ。どうしてレースの世界に飛び込んできたのか。それだけさ」

 

 

余程知りたいのだろう。ハイセイコーの声は冗談ではない真剣みを帯びていた。

 

 

「秋川理事長にトレーナーになってくれと言われたから。それだけだ」

 

 

「嘘だね」

 

 

俺の答えをハイセイコーは一刀両断する。まるでそれが嘘だと確信をもっているように。そのまま彼女は続ける。

 

 

「君がそれだけの理由でトレーナーになるはずがない。仮になったとしても、今のように楽しそうにはやっていないんじゃないかな?あくまで仕事。そう割り切ってやるはずだ」

 

 

「随分俺のことを知っていてくれるんだな。もしかしてファンか?」

 

 

「そうだよ。私が一番気になる相手と言っても過言ではない」

 

 

冗談交じりで言ったのに本気のトーンで返ってきた。随分と俺を買っているようだ。こいつに何かした覚えなどないのだが。

 

 

「……だがまあ、おおよその見当はついている。君がこの世界に足を踏み入れた理由、楽しそうにトレーナーをやる理由をね」

 

 

「へぇ?教えてもらおうか」

 

 

「決まっているさ。テンポイントだ。彼女が君をこの世界へと引き込んだのだろう?」

 

 

ハイセイコーはそう答えた。そしてその後、溜息をついて

 

 

「全く、彼女に嫉妬してしまうよ。私がどれだけ頑張っても振り向かなかった相手をこうも簡単に振り向かせるなんてね」

 

 

「それだけ聞くと振られたみたいな話だな」

 

 

「あ、お付き合いとかは無理だ。ごめんなさい」

 

 

秒で振られた。俺が

そしてハイセイコーは唐突に

 

 

「私が走る理由。君は聞いたことがあったかな?」

 

 

と言ってきた。前に聞いたことあったな。確か

 

 

「自分の走りで全ての人を魅了したい、虜にしたい。とかだったか?」

 

 

「そうだ」

 

 

どうやら合っていたらしい。彼女はそのまま言葉を続ける。

 

 

「だが、身近な人物である君を私の走りで魅了することはできなかった。しかし、テンポイントは君を容易く魅了した。私としてはとても気になるというわけだ」

 

 

「……何が言いたい?」

 

 

「簡単な話だ。君のところのテンポイントと併走させてもらいたいのさ。自分にはできなかったことを簡単に成し遂げた走りを間近で感じたい。そう思うのは当然だろう?」

 

 

「……」

 

 

 正直、これはとても受けたい話だ。学園最強クラスであるハイセイコーとの併走。通常であれば絶対に却下される提案な上、格上との走りはテンポイントの糧にもなる。本来であれば二つ返事で了承したい。

 だが俺の答えは

 

 

「その提案、受けることはできない」

 

 

否だ。その答えにハイセイコーは意外といった顔で

 

 

「なぜだい?自慢ではないが学園最強クラスでもある私との併走。並のトレーナーなら飛びつくようなものだと思うが?」

 

 

疑問をぶつけてくる。まあ答えは単純だ。

 

 

「お前のとこのチームのトレーナーが許さんだろう」

 

 

 あのチームはその辺は特に厳しい。本人の私怨でレースがしたいなど言語道断、許すはずがない。俺の言葉に合点がいったのかハイセイコーは仕方ないか、といった表情で

 

 

「確かに、うちのトレーナーは説得しても無駄だろうしね。分かった、今回は素直に諦めるよ」

 

 

潔く引いた。まあ簡単に許可しないのは本人が一番よく知っているのだろう。俺としても惜しいがチームの方針とあっては仕方がない。

 さて、時計を確認してみると丁度いい時間だ。

 

「さて、話も終わったし時間もいい感じだから今日はこの辺で終わるか」

 

 

「おや?もうそんな時間だったか。早く帰らないとガビーに怒られてしまうね」

 

 

 俺は道具を片付けてガレージに運んでもらうものをハイセイコーに指示する。そして運び終わった後は彼女と別れる。その別れ際

 

 

「ハイセイコー!いつになるかは分からんが、俺の方からも並走の件は頼んでみるよ」

 

 

彼女にそう伝える。すると彼女は嬉しそうに答える。

 

 

「ありがたいね。でも、私は気が長い方じゃない。できる限り早めに頼むよ」

 

 

そして彼女と別れ俺は残りの作業の方に取り掛かる。頭の中ではどうやってリギルのトレーナーを説得するかを考えながら。




現実のハイセイコーは気性が荒めだったらしいですね。生徒会長にするにあたって性格とかどうしようかと悩んだところ普段は表に出さないけど一度拗ねたら長引く、気の許した相手には冗談も言うようになる、みたいなキャラ付けにしました。


※気になったところを微修正 7/22


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第9話 次のレースに向けて

今回はテンポイント視点での日常回。なんとかギリギリ書けました。


 メイクデビューから数週間経ち、骨膜炎も治ってきていることから本格的な練習も解禁された今日この頃、ボクは今外でレーストレーニングの授業を受けている。しかし担当の先生が急用で席を外しているため、この時間は自習となっており、ボクを含め各々好き勝手に過ごしている。

 何をしようかと迷っているところ、グラスから

 

 

「テンちゃ~ん、やることないなら私と一緒にトレーニングしな~い?」

 

 

と、誘われた。特に断る理由もないので承諾する。

 

 

「ええで。他に誰誘おうか?」

 

 

「そうだねぇ、まあいつものボーイちゃんとカイザーちゃんで~」

 

 

「呼んだか?」「呼びましたか?」

 

 

 ボーイとカイザーも誘おうということで探そうかと思っていたら向こうの方からやってきた。向こうも一緒にトレーニングしようとこちらを探していたらしく、ボクらが丁度話していたのでこちらに来たとのことだ。どうやら考えることは一緒らしい。メンバーが揃ったのでトレーニングを始めることにした。

 

 

 

 運動をする前にまずはストレッチをしている最中、カイザーが唐突に話を切り出した。

 

 

「そうだ。テンポイントさん、メイクデビュー勝利おめでとうございます!」

 

 

どうやらこの前のメイクデビューのことらしい。カイザーの言葉を皮切りにボーイとグラスからもおめでとう!、と言われる。このお祝いの言葉は素直に嬉しい。

 

 

「ありがとうなカイザー!でも、まだまだこれからや。次もキッチリ勝ったるで!」

 

 

 この勝利に慢心することなく、ボクは次も勝つことを宣言する。そのためにもこれからの練習も頑張っていかなければ。

 そこから会話も弾み、ストレッチを終えてひとまずランニングをすることにした。走っている最中ボクはカイザーに質問する。

 

 

「にしてもカイザーもうだいぶ出走しとるけど身体は大丈夫なんか?確か今5戦やったっけ?」

 

 

すでにカイザーは5回も出走している。2週間に1回のペースで出走しているが、身体は大丈夫なのだろうか?

するとカイザーはまるで問題ないと言わんばかりに答える。

 

 

「はい、特に問題はありませんよ。これでも私、結構丈夫な方なので」

 

 

「あはは~羨ましいな~。私なんて肺炎拗らせて年内出走無理になっちゃったよ~」

 

 

「全くだ!その頑丈さをオレらにも分けてくれ!」

 

 

「そ、そんなこと私に言われましても……」

 

 

 カイザーの言葉にグラスとボーイは心底羨ましそうに言葉を漏らしていた。二人はまだ身体の問題から出走すらできていないので当然だろう。まあそんなことを言われてもどうしようもないので、カイザーからしたらたまったものじゃないが。けどボクもそこまで身体が強い方ではないので彼女の頑丈さは羨ましい。

 そういえば普通にトレーニングしようと言ってきたが、グラスの体調は大丈夫なのだろうか?

 

 

「グラス、体調は大丈夫なんか?あんまり無理できひんやろ?」

 

 

その質問にグラスはにこやかに答えた。

 

 

「あ~大丈夫大丈夫~。ちゃんとお医者さんからも許可もらってるし、おきのんも激しい運動じゃなければOKって許可があるから~」

 

 

「だとしても、あんまり無理すんなよ?病み上がりなんだからよ」

 

 

「そうですよ。キツくなったらすぐ言ってくださいね?」

 

 

 ボーイとカイザーも心配そうな声を掛けている。しかしグラスは笑いながら心配はないと答える。

 

 

「も~大丈夫だってば~。みんなが心配しているような重症じゃなかったんだし~。それにさ~」

 

 

瞬間、グラスの雰囲気が一変する。普段のんびりした彼女からは考えられないほど剣呑な雰囲気を漂わせている。

 

 

「もうこれ以上遅れるわけにはいかないからね。私も、みんなには負けたくないから」

 

 

「……ッ!」

 

 

 グラス以外のボクら三人は息を呑む。今まで見たことがない本気の表情。しかしすぐに表情を戻して朗らかな笑顔で彼女は言った。

 

 

「フッフッフ~、それでもみんなの心配は嬉しいよ~。ありがとうね~」

 

 

「お、おう。友達だからな。心配するのは当たり前だぜ」

 

 

「そ、そうですよ。困ったことがあったらいつでも相談してください」

 

 

「え~?いいの~?じゃあ私の身体を頑丈にして~」

 

 

「いやそれは無理やろ……」

 

 

 じょうだ~ん、とグラスが言ってまた他愛もない会話を続けていく。しかし今までグラスが見せたことのない表情にボクは戸惑っていた。

 

 

(グラスもあんな表情するんやな……かなりビビったわ……)

 

 

 自分の友達が初めて見せた本気の顔に困惑したが、そこからは普通の会話が続きそれぞれの次のレースについての話題になる。まずはカイザーについて聞くことにした。

 

 

「カイザーは次走どうする予定なんや?」

 

 

「そうですね……次は来月の京成杯に出走して12月の朝日杯を目標に頑張ろうと思っています」

 

 

 カイザーは自分の目標としているレースを教えてくれた。しかし京成杯に朝日杯か。どちらもトレーナーからは狙おうと言われたレースではない。だとしたらカイザーと対決するとしたら年明けになるだろう。

 今度は逆にカイザーから質問される。

 

 

「テンポイントさんはどのレースに出走するか予定は決まっていますか?」

 

 

「そうやなぁ……トレーナーが言うには再来月のもみじステークスと12月の阪神ジュベナイルフィリーズは確定やって言うてたなぁ。体調次第では月末のデイリー杯も視野やって言うてた」

 

 

「テンポイントさんは阪神の方に出るんですね。お互い頑張りましょう!」

 

 

「せやな。お互い頑張ろか」

 

 

ボクとカイザーの言葉に未出走組は面白くないのか

 

 

「おいおいグラス、どう思うよ?まだ出走できないオレたちに対する当てつけだぜ、アレ」

 

 

「私は悲しいよ~ヨヨ~」

 

 

そう小芝居を挟んでいた。まあ棒読みなので本気で思っているわけじゃないのだろう。しかし真面目なカイザーは

 

 

「い、いえ!別にそういう意図はなくて……」

 

 

と必死に弁解している。だが、ボクは二人の方を向いて

 

 

「ハンッ」

 

 

鼻で笑う。その悪ノリに乗ってやろうといった感じで。ボーイたちはすぐに反応する。

 

 

「見ろよグラス!テンさんこっち見て鼻で笑ったぜ!絶対馬鹿にしてるよアレ!」

 

 

「戦争じゃ~戦争じゃ~」

 

 

カイザーは顔を青ざめさせて慌てた様子でボクに謝るように言ってくる。

 

 

「だ、ダメですよテンポイントさん!早く謝らないと!」

 

 

「落ち着けやカイザー。二人ともカイザーの反応がおもろいから悪ノリしてるだけやで」

 

 

ボクは自分の考えを伝える。するとその考えは合っていたのかボーイとグラスは

 

 

「テンさ~ん、もうちょっと引っ張ろうぜそこは。いやでもマジで慌ててるのは面白かったぜカイザー……プククッ」

 

 

「あはは~そんな本気で怒んないよ~。ごめんねカイザーちゃ~ん」

 

 

すぐに表情を崩して笑っていた。

カイザーはきょとんとした表情をしている。そして我に返ったのか顔を赤くして

 

 

「も、もう!お二人とも!悪い冗談はやめてください!テンポイントさんも分かってたなら早く教えてくださいよ!」

 

 

と、怒ってきた。正直言ってそこまで怖くないが。とりあえず三人とも平謝りしておく。

 そして話を元に戻してボクはボーイに質問する。

 

 

「結局ボーイはいつ頃メイクデビュー走れそうなんや?」

 

 

ボクの質問にボーイが答える。

 

 

「んー、おハナさんが言うには年明けだな。グラスと一緒だ」

 

 

その言葉にグラスが反応する

 

 

「お~、テンちゃんと走れなかったと思ったら今度はボーイちゃんと走れる可能性が出てきたのか~。負けないぞ~」

 

 

「へへん、オレだって負けないぜ!じっくり鍛えているおかげで強くなっている実感があるからな!」

 

 

言いながらボーイはシャドーボクシングを始める。余程自信があるのだろうか。

 しかし、年明けにデビューとなると一つ懸念点が生まれる。それはクラシックレースに出れるかという点だ。同じ疑問を抱いたのか、カイザーが話始める。

 

 

「でも、年明けデビューってなると皐月賞やダービーが凄くキツくなりますね。ダービーはまだどうにかなるとしても皐月賞は4月開催ですから」

 

 

「そうなんだよなぁ。人生で一度きりしか出走できないクラシックレース、なんとしても出てぇけどこればっかりはレースを頑張んねぇと」

 

 

間に合うかなぁオレ、と呟くボーイ。少し不安な表情だ。しかしその表情も一瞬のことですぐに

 

 

「ま!ウダウダ考えててもしょうがねぇや!オレの性に合わないし!その辺はおハナさんがうまく調整してくれるだろ!」

 

 

と、元気を出した。まあこの方がボーイらしいと言えばらしいだろう。なので、ボクもいつもの調子で返す。

 

 

「ボーイはいつも能天気やなぁ。羨ましいわ」

 

 

「能天気ってどういう意味だよテンさん!オレだって考える時ぐらいあるよ!」

 

 

 馬鹿にされたと思ったのか、ボーイもすぐに反論する。しかしカイザーがすかさず

 

 

「フフッ、テンポイントさんも褒めてるんですよ。どんなに不安なことがあってもすぐに切り替えることのできる、それがボーイさんのいいところですから」

 

 

とフォローを入れる。その言葉にすぐに機嫌を直し、ボーイは変な絡みをしてきた。

 

 

「えっ!そうなの?なんだよテンさ~ん素直に褒めたらいいのに~」

 

 

「ウザッ、シバくで」

 

 

「ヒデェ!」

 

 

 ボクらは笑いあう。そしてしばらく走っていると授業の終わりを告げるチャイムが鳴り、ボクらは更衣室で着替えて教室へと戻っていった。

 教室へと戻る途中、テスコガビー先輩とすれ違う。かなり慌てた様子だが何かあったのだろうか?すると先輩はこちらに気づいたのか近寄ってくる。

 

 

「クライムカイザーか、丁度良かった。カブラヤオーを見ていないか?姿が全然見えないんだ」

 

 

どうやらカブラヤオー先輩を探しているらしい。しかも結構長いこと探していたのか、それとも先程まで走っていたのだろうか額には汗が浮かんでいる。その名前はボクらも知っている。なぜならテスコガビー先輩とは別の意味で有名な先輩だからだ。

 カブラヤオー先輩。現在クラシック路線で大活躍しているウマ娘でカイザーが所属しているチーム・ハダルの次期エースだ。逃げを得意としておりとんでもないハイペースで他のウマ娘を置き去りにしながら全力疾走するその姿から狂気の逃げウマ娘、なんて呼ばれている。実績も申し分なく、皐月とダービーの二冠を制しており、今目の前にいるテスコガビー先輩との直接対決にも勝っている。また大きな問題を起こすわけでもない大人しい先輩だ。そんなカブラヤオー先輩だがある一つ、重大な問題がある。それは

 

 

「見てませんけど……また逃げたんでしょうか?」

 

 

「あぁ、まただ……元々今日は菊花賞に向けてのインタビューの予定だったんだが、記者の方の一人がウマ娘の方でな。それに驚いて今も逃亡中だ」

 

 

超がつくほどウマ娘が苦手という点だ。カイザーがハダルのトレーナーから聞いた話によると幼い頃に同い年のウマ娘と何かあったらしく、それ以来ウマ娘が苦手になったらしい。逃げという戦法を取っているのも他のウマ娘を怖がって全力疾走しているだけという噂もあるくらいだ。それが本当かどうかは本人とトレーナーしか知らないが。

 しかし、ボクらも今授業が終わって帰ってきたばかりなのでさすがに分からない。その旨を伝えようとすると、柱の陰に隠れてこちらの様子を窺っている見覚えのある髪色のウマ娘を見つける。

 黒い髪のショートヘアにゆるふわのパーマをかけているウマ娘、間違いない。カブラヤオー先輩だ。ボクはすかさずテスコガビー先輩に教える。

 

 

「あのう、テスコガビー先輩?そこの柱の陰におるの、カブラヤオー先輩やないですか?」

 

 

「何?……ッ!見つけたぞ!カブラヤオー!」

 

 

見つかったことに驚いたカブラヤオー先輩は悲鳴を上げる。

 

 

「ヒィィィィィ!?見つかっちゃったぁぁぁぁぁ!?」

 

 

そして全力疾走でカブラヤオー先輩は逃げる。逃がすまいとテスコガビー先輩も追う体勢を取る。

 

 

「待て!逃がさんぞカブラヤオー!テンポイント、彼女を見つけてくれたこと感謝する!」

 

 

「え?えぇ、はい。先輩もお気をつけて」

 

 

テスコガビー先輩はカブラヤオー先輩を追って行ってしまった。会話が聞こえてくる。

 

 

「大人しくインタビューを受けろカブラヤオー!先方はずっと待っていらっしゃるんだぞ!」

 

 

「やぁぁぁぁぁだぁぁぁぁぁ!ウマ娘怖いぃぃぃぃぃ!」

 

 

「我儘を言うな!いいから早く私と一緒に来い!」

 

 

「むぅぅぅぅぅりぃぃぃぃぃ!」

 

 

ほどなくして二人の声は聞こえなくなる。去って行った後ボーイはボソッと呟いた。

 

 

「いつも大変だな、テスコガビー先輩も……」

 

 

グラスも続ける。

 

 

「確か同期なんだっけ~?世話焼きな人でもあるけど~毎度毎度追いかけて大変だね~。相手もカブラヤオー先輩だし~」

 

 

カイザーはいつも見ているからなのか

 

 

「まあもう仕方ないですよ……カブラヤオー先輩ですし……」

 

 

半ば諦めた口調だ。

 ボクも少し呆然としていたがここで立っていてもしょうがないので皆に

 

 

「……とりあえず教室戻るか」

 

 

と促す。皆も同じ考えだったのか、誰一人異論をはさむことなく教室へと戻っていった。

 後日聞いた話によるとカブラヤオー先輩はあの後無事捕まったらしい。テスコガビー先輩から貢献してくれたお礼としてご馳走してもらったお茶はとても美味しかった。




ウマ娘の新作アニメがいつ放送するのか楽しみです。
 今回新登場のカブラヤオー。二冠を達成したりなどで有名ですが一番有名なのはそのハイペースな逃げでしょう。皐月賞の前半1000mのタイムが通常の1000mのレースのタイムと変わらないとかどうなってんですかね……。


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第10話 リギルのトレーニング見学

今日はいつもよりは文字数少なめです


 時は残暑の厳しさもなくなり始めた9月の下旬、俺は今練習場でリギルの練習を見させてもらっている。今日は用務員としての仕事もなく暇を持て余していたところだったのでトレーナーとしての経験を積むためにリギルのトレーナーに頼みこみ、許可をもらって勉強させてもらっている。プライドはないのかと言われるかもしれないがこちらはまだトレーナー歴一年目のぺーぺーだ。そんなものはない。それに俺が恥も外聞も捨てることでテンポイントが勝てるなら安いもんだ。まあ彼女に迷惑がかかるとなったらさすがに止めるが。

 そして俺が練習を見させてもらっていると、リギルのトレーナーであるおハナさん、東条ハナから声を掛けられる。

 

 

「どうかしら?うちの練習は」

 

 

「そうですねぇ……もっとすごい秘密の特訓みたいなことやってると思ったけど別にそんなことはないんですね」

 

 

俺のその答えにおハナさんは溜息をついて

 

 

「うちをなんだと思ってるのよ……。後口調戻しなさい、似合わないわ」

 

 

と呆れたような口調で言ってきた。さすがに冗談で言ったのですぐに訂正をする。

 

 

「すいません冗談です。やっぱり最強チームを受け継いだトレーナー、さすがの手腕だな……と」

 

 

「あら?一体どこを見てそう思ったのかしら?」

 

 

少し興味が湧いているのか、おハナさんはこちらを試すような感じで聞いてきた。俺は思ったことをそのまま伝える。

 

 

「ウマ娘のトレーニングメニューはしっかりと適性を見極めた上でそれを伸ばすための練習内容となっているし、一見多いように見える練習も個人の限界値を見極めた上で最適な量となっている。それにウマ娘側からの信頼も厚い。じゃなきゃ所属しているウマ娘全員が練習に異を唱えることがないなんてありえない」

 

 

「随分高く評価してくれるのね。でもこれくらいは当然だと思うのだけれど」

 

 

「その当然を涼しい顔でやってのけるのが凄いんじゃないですか。少なくとも今の俺にはこんな大人数を管理するなんて無理な話です」

 

 

「あなたもいずれできるようになるわよ。しっかりと経験を積んだらね」

 

 

珍しく褒められた。だが、疑問があるのかおハナさんはこちらに質問してきた。

 

 

「それで?今日は一体どんな風の吹きまわしかしら?用務員の仕事はないって言ってたけどそれだったらあなたの担当の練習を見るべきだと思うけど」

 

 

どうやらなぜテンポイントの練習を見ないのかと疑問を思ったらしい。これに関してはちゃんと理由があるのでそれを教える。

 

 

「あ~……実はテンポイントなんですけど……。季節の変わり目のせいか風邪を引いちゃいまして。発熱しちゃったんですよ」

 

 

今日暇だった理由。それはテンポイントから風邪を引いたという報告を受けたからである。話は今日の朝にさかのぼる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今朝方、珍しく朝の仕事はなかったためテンポイントの練習メニューを考えていたのだが不意に机の上に置いてあった自身の携帯が震えていることに気づいた。画面を見てみるとテンポイントからの電話である。一体何があったのだろうかと思い俺は携帯を手に取った。

 

 

『もしもし?朝に珍しいな。どうした?』

 

 

『……あぁ、トレーナー?』

 

 

随分弱弱しい声をしていた。一体何があったのだろうか?

 

 

『本当にどうした?全然声に覇気がないぞ?』

 

 

『……実はな、風邪引いてもうたんや……』

 

 

俺はテンポイントからの報告に焦った。風邪?彼女は大丈夫だろうか?

 

 

『か、風邪って……大丈夫なのか!?痛いところは?他に何か異変はないか!?』

 

 

 俺の焦りが電話越しにも伝わったのかテンポイントはこちらを安心させるように自分の状況を教えてくれた。

 

 

『大丈夫や……今んとこ軽い発熱だけやし他んとこにも異常ないで……。多分季節の変わり目やからと思う……』

 

 

その言葉に俺は少し安堵する。ひとまず彼女のお見舞い用に色々なものを買い揃えておこうと思った俺は欲しいものを聞くことにした。

 

 

『そうか……なら今日はゆっくり休んでいてくれ。何か必要なものとかあるか?俺の方で買って寮長に渡しておこう』

 

 

『……牛乳。丁度切らしてるんや、牛乳欲しい……』

 

 

『牛乳だな?分かった。他にも色々買って寮長に渡しておこう』

 

 

 必要なものを買い揃えるために出かける準備をする。しかし、テンポイントは不安そうな声色でこちらに尋ねてきた。

 

 

『トレーナー……?デイリー杯はどうするん……?』

 

 

 デイリー杯。今月末に出走を予定していたレースだ。本人は軽い発熱と言っているし体調が回復すれば出走も可能だろう。しかしこれに関してはもう決まっている。今回は見送ることにした。

 

 

『残念だがデイリー杯の出走は見送ろう。体調が万全でない状態で走ってもしょうがないからな。悔しいだろうが分かってくれ、お前の今後のためだ』

 

 

『まあ……うん、分かっとったから大丈夫や……。はぁ、なんで発熱なんかしたんやろか……』

 

 

 テンポイントは残念そうなのが声色で伝わってくる。弱弱しい口調がさらに弱弱しくなっていた。だがこれも彼女の今後のために我慢してもらうしかない。

 

 

『ひとまずは体調を治すことを最優先だ。後のことはまたこれから考えていこう。さっき言った牛乳や他にも差し入れておくから、今日はゆっくり休んでおけ』

 

 

『分かった……。大人しく寝とる……』

 

 

 そう言って電話を切った。しかし風邪か、自分も何年も引いてないが油断したときこそ危ない。気をつけていこう。

 

 

『まずは色々買い出しに行くか』

 

 

 そして買ったものをテンポイントの住んでいる寮の寮長に渡し、おハナさんに頼んでリギルの練習を見せてもらう約束をした。これが朝の出来事である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今朝起こった出来事をおハナさんに話す。すると彼女は合点がいったのか納得するように頷いていた。

 

 

「なるほどね、あなたが今日の朝急に練習見せてくれって言ってきたのはそんな理由だったのね」

 

 

「はい。でも急なことだったのによく受けてくれましたね?正直断られるかと思ってましたけど」

 

 

 テンポイントからの報告は今日受けたものであり、それを知ってリギルのトレーニングの見学を頼んだのも今日だ。いきなり練習見せてくれと言われても断られるのがオチだと思っていたのだが。

 するとおハナさんは自信にあふれたような口ぶりで許可した理由を教えてくれた。

 

 

「確かにいきなりでびっくりしたけども、うちは別に隠すような練習や特別なことは何もしていないわ。だから見られたとこで問題はないもの」

 

 

 確かに、リギルのトレーニングは特別なことは何もしていない。ただトレーナーから与えられたことをしっかりと遂行し、練習をひたすらとこなす。管理していると言えば聞こえは悪いが、反発の声がないということはウマ娘側も望んでやっているということだ。そこに信頼関係があるならば何も問題にならないだろう。

 そのまま続けてリギルのトレーニングを観察しているとおハナさんから疑問が投げかけられた。

 

 

「でも、うちのトレーニングを見てもあなたの勉強になるかしら?あなたの指導方針とうちの指導方針じゃ合わないと思うのだけれど」

 

 

まあその疑問はもっともだが俺はその言葉に自分の考えで答える。

 

 

「確かに指導の仕方は違いますけど、だからと言って参考にならないかと言われるとそうじゃないと思うんですよ。大事なのは知識として蓄えることだと思っているので」

 

 

 実際問題、俺はリギルのトレーニングを見て自分では考えつかなかったものを見れて本当に勉強になっている。それに将来チームを結成することになった時、複数のウマ娘を持つことになる。そうなった時に一つの指導方針しかない場合スカウトできるウマ娘の幅を狭めてしまう。なので他のトレーナーの指導の仕方を見るのは重要なのだと俺は考えている。

 俺の考えを伝えると、おハナさんは納得したように頷いた。そして言葉を続ける。

 

 

「なるほどね。それにしてもあなたをそこまで熱心にさせるなんて、テンポイントに余程入れ込んでいるのね」

 

 

「おハナさんもそれを言うのか……。だから俺は理事長に頼まれただけだって何度も」

 

 

俺の言葉を最後まで聞くことなくおハナさんは俺の言葉を否定する。

 

 

「前までのあなたを知っている人だったらすぐに嘘だって分かるわよそれ。自分がどれだけレースに興味なかったかなんて分からないでしょう?」

 

 

「うぐっ」

 

 

確かにそうだけど。おハナさんは言葉を続ける。

 

 

「でも、今の生活楽しいんでしょ?毎日目をキラキラさせているもの、子供みたいにね」

 

 

「……まあそうだけど」

 

 

「ならいいんじゃないかしら。視野が広くなった。それはいいことよ」

 

 

 確かにそうだ。だがそのせいで一つ弊害が出てしまった。それは

 

 

「なんでレースをもっと見てこなかった俺ぇ!ってさえならなければよかったんですけどねホント」

 

 

「知らないわよそんなの」

 

 

バッサリ切られた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 すでに日も落ち始めてきて夕方になった頃、リギルのトレーニングは終わった。今はリギルの部室でおハナさんに今回のことのお礼を言って帰ろうと思っていたところだ。しかし、いざ帰ろうとしたらおハナさんに呼び止められる。

 

 

「待ちなさい神藤」

 

 

「どうしたんですか、おハナさん?」

 

 

何かあったのだろうか?おハナさんは険しい顔をして俺を見ている。そしてその口を開く。

 

 

「あなたに一つ、忠告しておくわ」

 

 

「忠告?何かありましたっけ?」

 

 

俺の言葉におハナさんは言葉を続ける。

 

 

「トレセン学園には多くのトレーナーが在籍しているわ。そしてその中には勿論あなたを良く思わないトレーナーだっている。理由は分かっているわね?」

 

 

「まあ大体の見当はつきますよ。ただでさえ異色の経歴ですからね、俺」

 

 

 中央のトレーナーってのは数ある職業の中でもエリート中のエリートだ。誇りを持って仕事をしている奴もいる。そんな中にレースに興味もない、ただ資格集めが趣味だからトレーナーになっただけっていう奴が自分と同じだと思うと馬鹿にされていると思う奴だっているだろう。それに加えて有力なウマ娘のスカウトにも成功していて他の人からの評価も高い。正直な話、今なにもされないで無事でいられるのは結構奇跡だ。でもこれから先何かされないという保証はない。おハナさんはそう言いたいのだろう。

 しかし、俺はおハナさんの言葉に笑って返す。

 

 

「まあ大丈夫ですよ。悪口や陰口言われても俺は気にしないんで」

 

 

だが、おハナさんはなおも厳しい口調と態度を崩さない。

 

 

「だとしても、よ。十分に気をつけなさい」

 

 

「大丈夫です。その辺はちゃんと分かってますよ」

 

 

「本当に分かっているのかしら……」

 

 

おハナさんは少々呆れ気味だ。ただ言いたいことは言い終わったのか表情を元に戻して解散を伝える。そして部屋を出る時に俺はおハナさんに感謝の言葉を再度伝える。

 

 

「今日は本当にありがとうございました!また困ったことがあれば頼らせてもらいます!」

 

 

「困ったことにならないといいわね。まあこれからのトレーナー活動頑張りなさい。私個人は応援しているわ」

 

 

 そう言って俺はリギルの部室を後にする。今日の経験を活かして今後のテンポイントのトレーニングを頑張っていこう。

 次の日仕事をしていると本当に軽い発熱だけだったのかテンポイントが登校してきた。それに俺は安堵しながら朝の業務を続けた。




毎度最後の引きをどうしようか考えています。


※主人公の言動や心理描写その他細かいところを微修正 7/22


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第11話 天駆けるウマ娘襲来

少し遅れて投稿。後数話でジュニア級のお話は終わりです。今回阪神JFと略していますが正しくは阪神ジュベナイルフィリーズです。


「うぅ~寒い寒い。最近はホントに寒くなってきたなぁ」

 

 

 すでに12月も半ば。中央のトレーナーライセンスを取得してから1年ちょっと、テンポイントをスカウトした日から半年近くが経っていた。時間が経つのが早く感じるが、それだけ1日が充実しているということだろう。始めは給料を上げるからと受けることにしたトレーナーの仕事も今ではすっかり板についていると思う。あの時はまさかここまでトレーナーとしての仕事に打ち込むことになるとは思いもしなかっただろう。人は変わるもんだと思いながら俺は作業のためにトレーナー室へと入る。

 今日やろうと思っているのはテンポイントのもみじステークスと阪神JFのレース映像を振り返って見てみることだ。デイリー杯の出走は叶わなかったが、彼女はその鬱憤を晴らすかのようにもみじステークスと阪神JFを快勝した。もみじステークスは9バ身、阪神JFは7バ身の圧勝劇だ。そんな圧勝劇の映像をなぜ見るのかと思うかもしれないが、一つ気になる点があったからである。ひとまず俺はレースの映像に集中する。レースはもみじステークス、第3コーナーから第4コーナーへと差し掛かる場面だ。

 

 

「やっぱりあの時の違和感は間違っていなかったか。息を抜いているのか……?ただ後退しているようにも見えるが……」

 

 

 俺がレースで感じていた違和感、それは第3コーナーから第4コーナーにかけてテンポイントの走りが気を抜いているように見えたことだ。もみじステークスで初めて見た時はラストスパートの溜めでペースを落としたのだと思っていた。しかし、ただペースを落としただけのようには見えなかったのだ。

 もみじステークスの走りを見終わり、次は阪神JFの映像を見る。これは前走よりもさらに顕著だった。序盤は3番手の好位置につけていたが、やはり第3コーナーから第4コーナーに入ったところで一度6番手まで後退してしまった。この時観客からどよめきの声が上がっていたことを覚えている。しかしこのレースは最終的に直線で先頭の2人に並んだかと思えば置き去りにして独走していったのだが。映像も丁度その場面だ。

 

 

《───さぁここでテンポイントが上がってきた!どんどん差が開く!どんどん差が開いていく!メイクデビュー、もみじステークスに続いてまたも独走状態だ!見てくださいこの脚を!これが期待の流星テンポイントの強さだ!〈貴公子〉テンポイント!圧倒的強さを見せて今ゴールしました!》

 

 

 テンポイントがこのことを自覚しているのかどうか、もみじステークスが終わった次の日のミーティングで聞いたことがある。だがどうやら彼女はこのことを自覚していなかったらしい。映像を一緒に見て確認してみた時驚いていた。無自覚の癖。本来ならば修正すべきことなのだろう。だが、これが本当に修正すべきものなのか少し疑問を抱いている。その理由は

 

 

「テンポイントの走りはあの体躯からは想像できないほどに大きく跳んでいる。そのせいで気を抜いて走っているように見えるだけかもしれないからな」

 

 

彼女の走りが原因かもしれないからだ。大きく跳ぶ走り、俗にストライド走法と言われているものはロングスパートに優れている反面、長い歩幅を取る関係上小回りが利かない。おそらくコーナーで気を抜いて走っているように感じられるのはそれのせいもあるだろう。もしこれを矯正するとなると一からになるので現実的なことではない。なのでこの件に関しては一旦保留にしている。

 

 

「でも早めに決めないとなぁ」

 

 

「何がだ?」

 

 

「いや実はさぁ……」

 

 

 言いかけて、気づく。誰の声だ?この部屋には俺しかいなかったはずだが。そう思い回りを見渡してみると茶髪のショートヘアのウマ娘がいつの間にか俺の近くに立っていた。突然湧いて出た彼女に俺は驚きの声を上げる。

 

 

「うぉおおおあああ!?お前いつの間に入ってきたんだ!?」

 

 

そして俺の叫び声がうるさかったのか、少女はこちらに非難の声を上げる。

 

 

「うるさっ!びっくりするじゃねぇか!」

 

 

「あっ悪い。……じゃなくて!お前誰だよ!」

 

 

その言葉に少女はあぁそういえば、と言いそうな表情をした後こちらに向かって自己紹介をする。

 

 

「そういや初めましてだな!オレはトウショウボーイ、テンさんの親友だ!」

 

 

「トウショウボーイ?……あぁ、あの有名な」

 

 

その名前は聞いている。かなりの有名人だ。

 

 

「マジで?いやぁオレって有名人なんだな~」

 

 

 トウショウボーイと名乗ったウマ娘は照れているのか気恥ずかしそうにしている。まあ有名と言われて悪い気はしないだろう。まともな意味ならば。

 

 

「おハナさんに隠れて自主練しては怒られてよく罰を受けていることで有名なトウショウボーイか」

 

 

「誰から聞いたんだよソレ!?しかも有名ってそっちの意味かよ!」

 

 

 先程の上機嫌の顔から一転、今度はがっかりしたような顔を見せる。表情がコロコロ変わって面白い奴だ。

 トウショウボーイ。その名前はテンポイントからよく聞いている。友達でありライバル、そしてからかい甲斐のある奴だと。成程これほどよく表情が変わるのなら確かにからかい甲斐がある。さすがにもうしないが。

 そしてトウショウボーイに先程の質問の続きをする。

 

 

「それでトウショウボーイ、お前どうやってここに入ってきたんだ?」

 

 

その質問に彼女は落ち込んでいるように見えた先程までの雰囲気から立ち直り答える。

 

 

「いや、呼び鈴鳴らしても反応なかったからさ。いないのかと思ってドアノブを回したら鍵が開いてたんだよ。だから普通に入ってきた」

 

 

「呼び鈴鳴ってたのか……集中しすぎて全然気づかんかった……」

 

 

 どうやら呼び鈴を鳴らしたものの反応がなかったらしい。レース映像を見ながら考え事をしていたせいで全然気づかんかった。だからと言って勝手に入ってくるのはどうかと思うが。

 彼女はそのまま話を続ける。

 

 

「でも驚いたなー。こんなとこに本当にトレーナー室があったなんて。テンさんから話を聞くまで信じられなかったぜ」

 

 

「確かにこんなへんぴなとこにトレーナー室があるとは思わんからな。その気持ちは分かる」

 

 

「へんぴって自分で言うのか神藤さんよ」

 

 

俺の名前を言われて驚く。自己紹介をした覚えはないのだが。

 こちらの考えが分かっているのか俺の疑問に彼女は答える。

 

 

「あんたの名前はテンさんからよく聞いてたし、それにトレセン学園じゃ有名人だろ?カイザーが言ってたぜ、トレセン学園のなんでも屋だってな」

 

 

久しぶりに聞いたなその異名。色々なことに手をつけては解決してきたのでいつの間にかついていた称号だ。

 さて、話が脱線してしまったがそもそも彼女はなぜここに来たのだろうか。その理由を尋ねる。

 

 

「で、だトウショウボーイ。何の用があってここまで来たんだ?」

 

 

「あぁそれなんだけどさー……ってこれテンさんのレース映像か!?ちょっと見せてくれよ!」

 

 

「あっおい!」

 

 

 俺の制止を聞かずトウショウボーイは映像を巻き戻して阪神JFのレース映像を最初から見始めた。自由な奴だなこいつ。

 レースを一通り見終わり今はテンポイントが記者からインタビューを受けている場面。そこで彼女は羨ましそうな声を上げる。

 

 

「なぁなぁ!もしかしてこれがテンさんの勝負服か!?いいなぁ、かっけーなー!」

 

 

 

 おそらく彼女は勝負服を着て走っているテンポイントを見て羨ましそうな声を上げたのだろう。勝負服を着れるのは一般的にG1だけであるので、これを着て走れるのは全てのウマ娘の憧れだ。

 その言葉に俺は反応する。

 

 

「やっぱり羨ましいよな。勝負服を着て走るってのは」

 

 

 テンポイントの勝負服は西洋の王子を思わせるような見た目だ。彼女に付いた異名である〈貴公子〉の名に恥じないそれは白を基調としており、彼女の金色の髪を際立たせている。一国の王子様と言われても信じてしまいそうな気品すら感じる。女性だけど。

 俺の言った羨ましいという言葉がズバリ本音だったのか、トウショウボーイは大きくうなずきながら答える。

 

 

「当たり前だぜ!あ~あ、オレも早く勝負服着て走りてぇなぁ」

 

 

 インタビューを受けるテンポイントの映像を見ながら彼女は羨ましい羨ましいと繰り返している。まあおハナさんからトウショウボーイの潜在能力については聞いている。彼女の実力ならいずれ着れるだろう。

 また話が脱線してしまったので本筋に戻すために再度同じ質問をする。

 

 

「さて、レースも見終わったところでお前は何の用があってここに来たんだ?」

 

 

「ん?あぁ!そうだったそうだった!忘れてた!」

 

 

そう言うと彼女は俺に手を合わせてお願いしてきた。

 

 

「頼む、神藤さん!オレをテンさんと併走させてくれ!」

 

 

「……はぁ?」

 

 

 どうやら彼女はテンポイントと並走がしたくてわざわざ俺のとこまで来たらしい。だがこの話をリギルのトレーナー、おハナさんは知っているのだろうか?

 

 

「いや、俺の前に頼むべき相手がいるだろう?おハナさんはなんて言ったんだ?」

 

 

俺の質問に彼女は元気よく答える。

 

 

「言ってねぇ!だってさっき思いついたから!」

 

 

子供かお前は。

さらに彼女は言葉を続ける。

 

 

「なぁいいだろ!オレもようやく来月デビューだし、身体も大丈夫になってきたんだ!テンさんと併走させてくれよ!」

 

 

「……大体なんでテンポイントなんだ?リギルなら併走してくれる相手は他にもいるだろ」

 

 

「だって同格の相手で個人トレーナーと契約しているウマ娘って言うとグラスかテンさんしかいねぇんだもん。グラスは来月のデビュー戦で被るかもしれないから絶対に受けてくれなさそうだし」

 

 

「まあ話は分かるが……」

 

 

「だったらいいだろ?テンさんと併走させてくれよ~!」

 

 

 かなりしつこいな。余程テンポイントと併走がしたいのだろう。こちらとしても同格の相手と併走できるのは嬉しい限りだが、相手側のトレーナーの許可がないのに勝手なことはできない。

 トウショウボーイからのお願いに困っているとトレーナー室の扉が開く。開けたのはおハナさんだ。そう言えば書類を渡しに来るって言ってたことを思い出す。だがトウショウボーイはおハナさんが入ってきたことに気づかずに話を続ける。

 

 

「おハナさんには黙ってれば大丈夫だって!バレないようにうまくやるからさ~!」

 

 

「んなこと言われてもな」

 

 

「なんだよ?何か困ることあるのか?いいじゃんいいじゃん!大丈夫だって!」

 

 

「いやお前……」

 

 

 おハナさんに気づかず彼女は話を続ける。おハナさんの目は氷点下を下回りそうなほどに冷たい目をしている。

 

 

「頼む!一生のお願いだ!テンさんと併走を……」

 

 

そこから先、彼女の言葉が続くことはなかった。代わりに聞こえてきたのは地獄の閻魔すら震え上がりそうな冷徹な声、その主はおハナさんだ。

 

 

「トウショウボーイ、随分面白そうなことを言っているわね。誰に内緒で……ですって?」

 

 

「そりゃ決まってんだろ?おハナさん……」

 

 

 ようやく気づいたのか、彼女はロボットのような動きで自分の背後を振り返る。そこには絶対零度の視線を向けるおハナさんが立っていた。

 そしてトウショウボーイは弁明を始める。

 

 

「ち、違うんだおハナさん!これには深いわけが!」

 

 

しかし、彼女の弁明は一刀両断される。

 

 

「他のトレーナーに迷惑を掛けるんじゃないわよ!」

 

 

一喝されてトウショウボーイは小さくなっている。いくら自業自得とはいえさすがにかわいそうなので助け船を出そう。

 

 

「まあまあおハナさん、その辺にしてやってくれ。それに併走に関しては俺からもお願いしたいと思っていたし」

 

 

その言葉にトウショウボーイは目を輝かせる。

 

 

「本当か!?だったら是非オレと」

 

 

「あなたは駄目よ。勝手に併走の予約を取りつけようとしたんだから今回は許さないわ」

 

 

 だがおハナさんに却下されてすぐにしょんぼりとした。まあ無断でやろうとしたんだから仕方ないとは思うが。

 俺はおハナさんに確認を取る。勿論併走に関してだ。

 

 

「で?並走はやってくれるの?おハナさん」

 

 

「……まあいいわ。私もテンポイントの実力を直に見てみたかったし」

 

 

 どうやらやってくれるらしい。これは嬉しい誤算だ。詳しい日取りを決めて最後に誰と併走するかを決めることになった。

 

 

「それで?併走の相手はこちらで選んでいいのかしら?」

 

 

「あぁ、それで大丈夫だ。問題ないぜ」

 

 

 併走の相手はおハナさんが決めることになる。だが、ほぼ確実にアイツが来るだろう。今から楽しみである。

 

 

「それじゃあ私は帰るわ。トウショウボーイが迷惑を掛けたわね」

 

 

「いいよいいよ、こっちもこっちで楽しめたからな。また来いよトウショウボーイ」

 

 

「え!いいの!?やった!じゃあまた遊びにくるぜ!」

 

 

「あなたはもう少し反省しなさい!」

 

 

 おハナさんに窘められながら二人は帰っていく。厳格なおハナさんと自由奔放なトウショウボーイ。案外いいコンビかもしれない。次アイツが遊びに来たようにお茶菓子でも買っておくか。




 テンポイントの時代では阪神ジュベナイルフィリーズは阪神3歳ステークスであり、牡馬牝馬混合で行われていました(ゴールドシチーと同じ)。当時は関西の3歳馬の頂点を決めるレースとされており、テンポイントはこのレースを7馬身差で勝利しました。
 トウショウボーイとおハナさんみたいな性格真反対のコンビは私の性癖にはあっていますね。


※もみじ賞、現在はもみじステークスだった……。修正しました。


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第12話 併走(模擬レース)

いつもより短いですがキリがいいので投稿


 トウショウボーイがトレーナー室に訪問してきてから一週間後。併走の約束の日が来たので俺とテンポイントは練習場へと向かっている。

 練習場へと向かっている間に、この併走が組まれた経緯を詳しく知らないテンポイントから質問される。

 

 

「リギルの人たちと併走なんてよう組めたな。どんな手を使ったんや?」

 

 

「あー……」

 

 

 まさかトウショウボーイが駄々をこねたからなんて言うわけにはいかないだろう。厳密には違うが、組むことになったのは間違いなく彼女の駄々が入っている。トウショウボーイの名誉を守るためにも詳しい経緯に関してはボカして伝えることにした。

 

 

「メイクデビューからの三戦が圧勝だったからな。それでおハナさんがお前の強さに興味を持っていたから俺からお願いしたんだ。こっちは強いウマ娘と並走することでお前の経験になる、あっちは強さを測ることができる。お互いに利が一致したからこそだな」

 

 

「……なーんか少し怪しいけど、まあええか。納得したる」

 

 

 少し声が震えていたせいか、テンポイントはこちらを訝しんでいたが一応納得はしてくれたようだ。まあ嘘は言ってないので大丈夫だろう。一部の真実を隠しているだけだから。

 そしてテンポイントは続けざまに質問してくる。内容は今日併走する相手に関することだ。

 

 

「今日は誰と併走するんや?ボク相手のこと知らされてへんのやけど」

 

 

「今日の相手か?それはおハナさんが決めてくれるらしい。リギルのウマ娘はクラシック級やシニア級でも指折りの実力者ぞろいだ。誰と走ってもいい経験になるからその条件でもOKしたんだ」

 

 

 まあ誰が出てくるかなんて俺は察しがついている。ただ本当に出てくるかは分からないのと少しのサプライズ感を出したいので名前は出さない。

 そして少しばかり会話を続けていると練習場へと着く。約束の時間よりも前に来たがそれは向こうも同じだったらしく、すでに練習場にはおハナさんとリギルのメンバーがいた。そしておハナさんは俺の顔を見るなり苦虫を嚙み潰したような顔をする。そんな顔をされる心当たりは一つしかないのだが。

 

 

「おはようございます。早いですねおハナさん」

 

 

「……あなた、謀ったわね」

 

 

 開口一番酷い言われようだ。だが俺はあくまで何も分かっていないように振る舞う。

 

 

「何の話ですかね?俺にはさっぱりだ」

 

 

「しらばっくれないで。あなたこうなることが分かって併走を取りつけたんでしょう?」

 

 

 あぁ、やっぱり併走の相手はアイツになったか。おハナさんがここまで憔悴しているのも止められなかったからだろう。

 しかし俺は分からないふりをすることにした。

 

 

「うーんやっぱり心当たりがないなぁ」

 

 

「……まあいいわ。後悔しないことね」

 

 

 そう言っておハナさんは踵を返してリギルのメンバーがいる場所へと向かい、彼女らに指示を飛ばしている。悪いことをしたとは思っているので今度何か奢ることにしよう。

 するとテンポイントから質問が飛んでくる。

 

 

「な、なぁ、あの人リギルのトレーナーさんやろ?何があったんや?なんや随分疲れとったけど」

 

 

まあ確かに気にはなるだろう。俺はテンポイントの疑問に答える。

 

 

「まあ俺に一杯食わされたってのと、宥めるのに苦労したってとこだろうな。結局無駄だったみたいだが」

 

 

するとテンポイントは呆れたような口調で

 

 

「なんちゅうか、怖いもん知らずやな……君」

 

 

と一言だけ発した。その後は併走の時間も迫っているということでテンポイントにウォーミングアップをするように伝え、俺は観客席の方、おハナさんとリギルのメンバーがいる方へと向かう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一体何をやったんやトレーナーは……」

 

 

 ウォーミングアップをしながらもボクはこの併走への疑問が止まらなかった。一週間前に唐突にリギルとの併走が決まったと言われたと思ったらあれよあれよという間にこの日が来てしまった。一体どうやって最強チームとの約束を取りつけたのか、どんな手を使ったのか気になって仕方がない。しかし聞いてもトレーナーからははぐらかされてきた。それは対戦する相手に関しても同様だ。向こうのトレーナーが決めると言って今日の今日まで知らされていないし今この瞬間も誰が相手なのか分からないままである。ただトレーナーが言うには「誰が来ても強いから経験になる、勉強させてもらってこい」、と教えられている。

 

 

「さて、そろそろ相手の人が来てもええころやけど……」

 

 

 クラシック級、シニア級クラスのウマ娘と言っていたのでボーイはまずないだろう。テスコガビー先輩も足を故障して療養中であるため違う。本当に誰が相手になるのだろうか。

 

 

「やぁ、待たせてしまったね」

 

 

 そしてウォームアップしていたボクに声がかけられる。おそらく今日の相手の人だろう。ボクは顔を上げて応対しようと思って、固まった。

 ボクの相手、それは

 

 

「自己紹介は不要だと思うが一応しておこう。今日君の併走相手を務めさせてもらう、ハイセイコーだ。よろしくお願いするよ、テンポイント」

 

 

生徒から絶大な支持を集めトレセン学園の生徒会長として慕われており、トゥインクルシリーズを半ば引退の身でありながらも今なお最強のウマ娘の一人に数えられているチーム・リギルのトップ、ハイセイコー先輩だった。彼女はにこやかに微笑みながらこちらに握手を求めている。ボクはそれにぎこちない笑顔を浮かべながら握手を交わす。

 

 

「よ、よろしくお願いします……」

 

 

緊張しすぎて声が震えてしまっている。するとハイセイコー先輩はウィンクをしながら

 

 

「そう緊張しなくていいよ。キミの走りには前々から興味があってね、お互い頑張ろうじゃないか」

 

 

そう言ってくれた。しかしボクの胸中は穏やかじゃない。確かに併走するとは言っていたがまさかこんな大物だとは思わないだろう。トレーナーの方を向いてみる。こちらに元気よくサムズアップしていた。心の中で叫ぶ。

 

 

(やたら楽しそうにしとったんはこれのせいか!絶対分かっとったやろ!)

 

 

とりあえずこの併走が終わったらトレーナーに文句を言いに行こう。ボクはそう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱり相手はハイセイコーになったか。テンポイントの奴ビックリしてんなぁ」

 

 

 俺は観客席の方でハイセイコーとテンポイントのやり取りを見ている。予想通りテンポイントはいい反応をしてくれたのでサプライズは成功になっただろう。

 近くにいたおハナさんに話しかけられる。

 

 

「あなたやっぱり分かってたんじゃない、ハイセイコーが併走の相手になるって」

 

 

「まぁな。元々併走に関してもあいつからお願いされていたし、十中八九ハイセイコーの奴が相手になるだろうって思ってたよ」

 

 

「だったら教えてくれてもいいじゃない。大変だったのよ?」

 

 

「そこはサプライズってやつだ」

 

 

「いい性格してるわねホント……」

 

 

 おハナさんは呆れ口調だ。

 そうして話していると、並走が始まるのかハイセイコーとテンポイントが位置について並んだ。そして旗を持った子の合図でスタートを切る。テンポイントが前を取りハイセイコーが後ろにつく展開だ。今回の距離は1600m。併走というよりは模擬レースに近い形を取られるようになった。

 俺はおハナさんに聞いてみる。

 

 

「なぁ、なんで1600mなんだ?併走だったらもっと短くていいだろう?」

 

 

「……ハイセイコーの我儘よ。せっかくだから実戦形式でテンポイントの走りを見たいからって無理矢理押し通したわ」

 

 

「……スマンおハナさん、それはさすがに予想外だった」

 

 

 強権が過ぎるだろ生徒会長。そう思いながら俺はレースに集中する。しばらく経って、レースは1000m地点を通過したところだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(クッソ!全然引き離せん!)

 

 

 最初こそ相手がハイセイコー先輩で驚いたが、レースが始まってからはそんなことはお構いなしにボクは全力をぶつけている。相手はシニア級、ジュニア級のボクが勝てる見込みはないがそれでもやる以上は勝ちたいからだ。だが当の先輩は余裕綽々と言った感じで

 

 

「ハハッ!確かにすごいね。今の実力でもクラシック級で十分通用するだろう!」

 

 

こちらに話しかけながら、プレッシャーを掛けながら走っている。レースが始まってからずっとだ。こちらがどれだけペースを乱そうともそれを意に介さない。ハッキリ言って格が違う。そう感じた。

 すでにレースは第4コーナーを回って最後の直線に差し掛かろうかというところ。そこで唐突に先輩はこちらに向かって話始める。

 

 

「時にテンポイント。キミは生徒会長に求められるものは何だと思う?」

 

 

(知らんわ!こっちは話す余裕なんかないねん!)

 

 

 こちらはもういっぱいいっぱいだ。だが、構わずに先輩は話を続ける。

 

 

「生徒からの信頼、レースでの実績……他にも色々あるだろう。それらは生徒会長としては欠かせない要素だ。だがね、大元をたどればとてもシンプルなものさ」

 

 

 瞬間、先輩の空気が一変する。ここからが本気だ。そう言わんばかりに。

 

 

(嘘やろ!?ここからさらに上がるんか!?)

 

 

 そしてボクに並んだ。その瞬間先程の答えを言ってくる。

 

 

「誰もが認める最強たり得ること。それが生徒会長としての絶対条件だ」

 

 

 最後の直線に入って先輩は凄まじい加速を見せる。一瞬でボクを引き離しにかかった。これがシニア級の実力、かつて最強の一角と呼ばれたウマ娘の実力。それを見せられてボクは痛感する。自分が天狗だったことを、自分はまだまだ未熟であったことを。

 けれど、

 

 

(やからって、負けてたまるかぁぁぁぁぁ!)

 

 

 ボクは今自分が持てる全てをぶつけるように加速する。もう足は限界だ、今加速しても先輩には追いつけないかもしれない。だが、諦めるなんて嫌だ。驕りかもしれない、生意気かもしれない。それでもボクは先輩に、ハイセイコーに負けたくなかった。その感情だけが今のボクを突き動かしていた。そしてその気持ちが実ったのか、一度は引き離された距離がグングンと縮まっていきついには先輩に追いついた。その横顔を見てみると、とても驚いていた。

 

 

「ッ!まさかあそこから追いつくなんてね。驚いたよ」

 

 

(当たり前や!絶対に負けへんぞ!)

 

 

 そう思ったのもつかの間、先輩はさらに加速したかと思うとこちらを突き離した。さすがにもう体力も脚も残っていない。

 

 

(くそぉ、くそぉ!届か……へん……か……)

 

 

 5バ身差。それがボクとハイセイコー先輩の模擬レースの結果だった。




テンポイントとハイセイコーの模擬レースとかどれくらい積めば見れますか?


※細かい誤字を修正 7/22


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第13話 それぞれの成長

模擬レース終了後のお話


 テンポイントの実力を測りたいおハナさんと強者との経験を積ませたい俺との利害が一致したことから組ませてもらった併走という名の模擬レース。相手は前にテンポイントとレースをさせて欲しいと言っていたハイセイコー。テンポイントが先行する形でレースは展開されていたが、第3コーナーを回ってからハイセイコーがテンポイントを突き放しその差を広げていった。勝負は着いた……。そう思った刹那、突如テンポイントが再加速をして離された距離を一気に詰めハイセイコーへと追いついた。

 

 

「嘘でしょ!?あそこからまた追いつくなんて!」

 

 

 おハナさんは驚いた声を上げている。だがこれは驚くなという方が無理だろう。傍目から見てもテンポイントはすでに体力はなく脚も残っていない状況、後はズルズルと引き離されるだけだろうと誰もが思ったはずだ。かく言う俺もそう思っていた一人だ。しかしテンポイントはそんな状況でも微塵も諦めていなかった。相手がシニア級だろうと、生徒会長だろうと関係ない。ただ己の持つ力を全て出していた。全てはハイセイコーに勝つために。

 

 

(お前は、ホントにすごい奴だよ……テンポイント)

 

 

 だがレースは非情だ。テンポイントはハイセイコーに追いついたもののそこで終わった。ハイセイコーがさらに加速したことで縮めた距離はまた開き、最終的に5バ身差で模擬レースは終わりを告げた。

 おハナさんが口を開く。

 

 

「凄まじい勝負根性ね……。まさか一度離されてからまた追いつくなんて……」

 

 

「あぁ、ホントだぜ。俺にはもったいない子だよ」

 

 

 少なくとも彼女に恥じないトレーナーにならなければならない。トレーナーとしての研鑽を高める。新人だからって胡坐をかいてはいられない。そしてそれ以上に思った。どんな時でも諦めない、担当の子を信じてやれる精神を持ったトレーナーになろうと。この模擬レースでのテンポイントの最後まで諦めない姿を見て、俺はそう思った。

 ひとまずは彼女のもとへと向かおう。レースで大健闘をした俺の担当のもとへ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 テンポイントのもとへと合流した時、彼女は悔しそうにしながらハイセイコーを見ていた。それだけ本気で勝とうとしていたのだろう。するとハイセイコーから話しかけられる。

 

 

「やぁ神藤さん。今日はありがとうね。私の我儘を叶えてくれて」

 

 

「全くだ。てか模擬レースになるなんて聞いてねぇぞ俺は」

 

 

 すると彼女はおかしそうに笑いながら答える。

 

 

「まあ言ってないからね。どうだい?面白いサプライズだっただろう?」

 

 

「面白いっていうよりハラハラしたわ」

 

 

 俺の言葉に彼女はまたおかしそうに笑う。そんなにこの模擬レースが面白かったのだろうか?とりあえず俺はまだ倒れているテンポイントに手を貸そうとする。

 

 

「立てるか?テンポイント」

 

 

 しかし彼女は俺の手を借りず自力で立ち上がる。

 

 

「……平気や、ボクはピンピンしてるで」

 

 

 威勢はいいが、肝心の足は生まれたての小鹿のように震えている。単なるやせ我慢だろう。そのため俺は彼女に無理矢理にでも手を貸すことにした。

 

 

「あんまり無理すんな。ほれ、手に掴まれ」

 

 

 すると観念したのか、テンポイントは俺を支えに立つ。まああれだけの激走だ。疲れが残っていても仕方がない。

 テンポイントに手を貸しながら俺はハイセイコーへと向き直り、お礼を言う。

 

 

「俺からもお礼を言わせてくれ。今日はありがとうなハイセイコー。いい経験になったよ」

 

 

「フフッ、気にしないでくれ。さっきも言ったように元々これは私の我儘だからね」

 

 

 ハイセイコーは答える。真面目な時は本当に真面目だ。そのまま会話を続けようとした時、トウショウボーイがこちらへと近づいてきた。

 

 

「スッッッッッゲェ!ホントにスゲェ!なぁなぁ!オレとも今度併走やってくれよ!」

 

 

 二人の戦いに感化されたのだろう。そう言ってきた。そしてトウショウボーイと一緒にこちらに近づいてきたおハナさんが彼女を窘める。

 

 

「それは後にしなさい、トウショウボーイ。ハイセイコー、お疲れ様。今日はしっかりとクールダウンするように」

 

 

「分かったよ、東条トレーナー。じゃあ行こうかトウショウボーイ。クールダウンに付き合ってくれ」

 

 

「わっかりました!」

 

 

 そう言って二人は離れていった。俺とテンポイントとおハナさんの三人だけが残る。俺は改めておハナさんの方へと向き直り今回のことのお礼を言う。

 

 

「ありがとうございましたおハナさん。こっちのお願いに答えてくれて」

 

 

「元々こちら側にも落ち度があったとはいえ、こんなことはこれっきりにして頂戴」

 

 

 呆れながらおハナさんは答える。さすがにここまでのことになるとは思ってなかったので俺は素直に謝る。

 するとテンポイントは疲れが出てきたのか、少し眠そうにしている。放っておけば立ったまま寝てしまいそうだ。そう思った俺はおハナさんに解散の旨を伝える。

 

 

「すいません、テンポイントが予想以上に疲れているのでこの辺で解散にさせてもらってもいいですか?早く休ませてやりたいので」

 

 

おハナさんもそれを承諾する。

 

 

「そうね、アレだけ全力で走ったんだもの。残りのことはまた後日にして早く休ませてあげなさい」

 

 

「はい、そうさせてもらいます。本当にありがとうございました」

 そして俺たちは練習場を後にする。こんな時トレーナー室が近くにあってよかったと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 模擬レースが終わってテンポイントをトレーナー室のソファで横にさせたらすぐに寝息が聞こえてきた。それだけ疲れていたのだろう。俺は寝ている彼女を起こさないように報告書を作成する。

 数時間経った後、テンポイントは起き上がり自分の状況を把握して顔を赤くした後

 

 

「スマン!いつのまにか寝てもうたわ!」

 

 

と謝ってきた。それに対し俺は問題ないと答える。

 

 

「そんだけ疲れてたってことだ。まだ休んでてもいいんだぞ?」

 

 

「いや、もう十分休めたから大丈夫や。それより今日の反省でもせんか?」

 

 

 確かに反省会はしようと思っていたところだ。俺はその提案を承諾して準備を始める。まあその前にやることをやろう。

 反省会の準備をする前にまずはお疲れ様会をするためにジュースと牛乳を用意した。俺がジュース、テンポイントが牛乳だ。乾杯の音頭を取る。

 

 

「というわけで模擬レースお疲れ様でした!かんぱーい!」

 

 

「かんぱーい!……やないわアホ!」

 

 

 見事なノリツッコミだ。

 

 

「まあまあ落ち着けよテンポイント。ひとまずは疲れを癒すためにだな」

 

 

 言い終える前に彼女は口を開く。

 

 

「こっちは色々言いたいことあるんやで!主に模擬レースの相手とか!」

 

 

「それに関しては弁解の余地がない」

 

 

 ほぼほぼ分かっていた上に予想も言わずに黙っていたので本当に弁解する余地がない。誠心誠意謝る姿勢を見せるとテンポイントはひとまず矛を収めてくれた。

 

 

「……まあでも、経験を積むっちゅう意味では身になったから今回は許したる。次はないで?」

 

 

「はい、次はしっかりとお伝えさせていただきます」

 

 

なんやねんそのキャラ、と言いながら彼女は牛乳を飲む。時間も少し経った後、模擬レースの反省会へと移る。

 

 

「さて、学園最強の一角とレースできたわけだが……、正直な感想を言ってくれ、どうだった?」

 

 

「……自分が天狗やったっちゅうことを分からされたわ。ボクはまだまだやな」

 

 

「今回に関しては相手が悪いだけでもあるが、自分の中で驕っていた部分があったんだな?」

 

 

 俺の質問にテンポイントは頷く。

 

 

「そうや、ボクはまだまだひよっこや。まだまだいろんなもんが足りてへん。やから、これからはもっと鍛えなあかん、そう思うたわ」

 

 

「そうだ。いくらレースで輝かしい結果を残そうと慢心があればいつか足元を掬われる。上には上がいるということを認識することが大事だ」

 

 

 今回に関しては上過ぎるが。だが俺たちがいずれ超えるべき相手なのだ。その実力が分かっただけでも良かったのかもしれない。

 テンポイントは続けて反省点を述べていく。

 

 

「先輩は最初全然本気で走っとらんかった。それにムキになってペースを乱してもうたんは良くなかったな」

 

 

「まあジュニア級相手に最初から本気を出したら心折れかねないからな。だが、そんな時でも自分のレースをする自制心を持とう」

 

 

 その辺はテンポイントも分かっているのだろう。すぐに頷いた。俺は言葉を続ける。

 

 

「けど闘争心を持つことは大事だ。その心を忘れるなよ」

 

 

「ん。分かった」

 

 

そして今回のレースの反省点を次々に述べていく。その中でも今まで敬遠してきていた坂路練習を増やしてくれと言われたのは驚いた。本人曰く

 

 

「強くなるには苦手なもんにも取り組まんとアカンからな。苦手やからっていつまでも逃げるわけにはいかんわ」

 

 

とのことらしい。これは嬉しい誤算だった。それほどまでに今回の模擬レースが悔しかったのだろう。自分の苦手分野に積極的に取り組む姿勢を見せた。 

 反省会もほどほどに、次の話は今後の展望についてになる。

 

 

「そうやトレーナー。今後のレースとかって決まっとるんか?」

 

 

「そうだな……次のレースは共同通信杯を考えている」

 

 

「共同通信杯か……」

 

 

「そうだ。そしてこのレースにはクライムカイザーが出走してくる可能性がある」

 

 

「カイザーが出走してくるんか、それは楽しみやな」

 

 

 俺の言葉にテンポイントはそう言って笑った。まるで今から楽しみだと言わんばかりに。俺は今後のレースについて話す。

 

 

「そしてあともう一つレースを使って次に走るレースは……」

 

 

「皐月賞、やな」

 

 

 彼女の言葉にうなずく。ついにクラシックレースの一つ目の冠、皐月賞へと挑戦する。今のテンポイントの実力ならまず問題なく出走できるだろう。そして皐月賞を見据えて今後はトレーニングをしていこうと思っている。だからと言って他のレースを落とすわけにはいかないので気を引き締める。

 

 

「さて、反省会もこの辺にして明日からの練習を頑張るぞ!」

 

 

「おー!と言いたいところやねんけど……」

 

 

 テンポイントは歯切れが悪く答える。一体どうしたのか?

 

 

「……足がむっちゃ痛いねん、明日の練習休みにならん?」

 

 

「それを早く言え!くっそ!ハイセイコーの奴、恨むぞ!」

 

 

……なんとも締まらない一日の終わりだった。




ジュニア級のラスボスハイセイコーとの模擬レースが終わり、テンポイントは一つ成長しました。
次回からいよいよクラシック級のレース……の前に何話か挟みます。


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閑話1 模擬レースを終えて・ハイセイコーの回想

ハイセイコーの模擬レースまでの回想シーンです。


 私とテンポイントとの併走という名の模擬レースが終わってから数日が経ち、現在私は生徒会室で暇を持て余していた。

 

 

「うーん、暇だねぇ……。ガビーも他の役員の子もいなければ仕事も終わってしまっている。けど散歩という気分にもならないし……。どうしたものか」

 

 

 すでに本日分の業務は終了、他の役員は出払っているので私一人だけが生徒会室に残っているので大好きなおしゃべりもできない。困ったものだ。

 そんな私の脳裏にふとよぎったのはこの前のテンポイントとの模擬レースのことである。

 

 

「しかし、成程ね……。あれがテンポイントか……」

 

 

 確かに彼女は面白い人物だった。そして暇を持て余していた私は目を閉じて思い出の海の中へと潜る。思い出すのは模擬レースに至るまでの経緯だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 元々私はテンポイントというウマ娘に対して最初から興味を持っていたわけではない。リギルの新入部員であるトウショウボーイがちょくちょく話題に挙げてはいたので名前だけは知っている状態だった。そんな彼女に興味を持つきっかけになったのは彼女のトレーナーの存在である。

 神藤誠司。トレセン学園のトレーナーの中でも用務員でありながら中央のライセンスを取り理事長の要望でトレーナーと用務員を兼業するようになったという経歴の持ち主。これだけなら仕事をしていくうちに興味を抱いてトレーナーという職に就きたくなったと言えるだろう。だが彼を知る人物ならそれだけはないとはっきりと言える。

 なぜなら彼はトレセン学園で仕事をしていながらもウマ娘のレースというものに全くと言っていいほど興味を持っていなかったからである。本人に聞いたところによると就職してから一度も見に行ったことがないらしい。私はそんな稀な人がいるのかと戦慄した覚えがある。見に行かない理由を本人に聞いたことがある。すると彼はこう言っていた。

 

 

『あんまり興味がねぇんだよなぁ。それよか仕事をしている方が楽しいし』

 

 

 ……ここまで興味がないといっそ清々しさすら感じた。まあちゃんと趣味と呼べるものはあると言っていたのでただ仕事し過ぎで頭がおかしくなったわけでもないからそれ以上何かを言うことはなかったが。

 そんな彼がトレーナーになったと聞いた時には驚いた。しかもとてもまじめに取り組んでいると聞いてさらに驚いた。なんなら学園の図書室にあるレース映像を片っ端から見ている姿すら確認されている。今までウマ娘のレースに興味のきの字もなかった彼がどうしてここまで変わったのか気にならないはずがない。

 そこから私の行動は早かった。神藤誠司がレースに興味を持ったきっかけを探るために自身のトレーナーをはじめ、友達や友達のトレーナーづでに情報を集め一つの結論へと辿り着く。それがテンポイントというウマ娘だった。全く興味を持っていなかった彼をレースの世界へと引き込んだ子。関心が湧かないわけがなかった。ぜひともその走りを間近で体験したい、そう思った。

 だが、ここで邪魔をしたのが私の生徒会長という役職だ。全生徒の模範となるべき存在である私は個人的な欲求で動くことはあまり好ましいことではない。なので個人で動くのではなくチームとして動けばいいと考え、東条トレーナーに彼女と併走させてくれないかと頼んだことがある。だが、

 

 

『ダメよ。その子はまだジュニア級の子なんでしょ?実力があるのは分かるけど、あなたとの併走なんて認められないわ』

 

 

とあっさりと断られてしまった。東条トレーナーの言っていることも分かる。なのでその場は大人しく引き下がることにした。だが、私はテンポイントと併走することを諦めてはいなかった。

 

 

 

 

 自分のトレーナーが駄目なら相手の方から崩す。そう思った私は神藤さんにコンタクトを取ることにした。丁度良くその時期に設置してあった学園のご意見箱の開封日が近かったので、寄せられた意見をもとに我々生徒会ではできない作業があるという名目で彼を呼び出す。そして多少強引ではあったが私は彼の仕事について行くことに成功した。

 仕事をしている最中も世間話として今のトレーナーの仕事は充実しているかと聞いてみた。すると彼は笑いながら答えた。

 

 

『充実しているよ。まさか自分がここまでトレーナーとしての仕事に取り組むなんて思ってもみなかったけどな』

 

 

 ……まさかここまで変わっているとは思わなかった。そして彼は私が話したいことがあることが分かっていたらしく、その日の最後の業務の時に話を切り出してきた。私は自分の考えを直接ぶつける。

 

 

『簡単な話だ。君のところのテンポイントと並走させてもらいたいのさ。自分にはできなかったことを簡単に成し遂げた走りを間近で感じたい。そう思うのは当然だろう?』

 

 

 結果としてこの提案はその場では成立せずに終わってしまう。確かに東条トレーナーの許可がなければできないから仕方ないと言えば仕方ないが。しかし、彼は別れ際に

 

 

『ハイセイコー!いつになるかは分からんが、俺の方からも並走の件は頼んでみるよ』

 

 

と言ってくれた。やるといったことは必ずやり遂げる彼のことだ。いつかテンポイントとの併走を実現させてくれるだろう。後はその日が来るのを待つだけだ。

 

 

 

 

 そしてついにその日が来た。東条トレーナーがテンポイントと併走する約束をしたというのだ。私はすかさずに立候補する。だが、トレーナーは私を窘めるようにその立候補を断った。

 

 

『ハイセイコー、前にも言ったけどあなたがテンポイントと併走することは認められないわ。聡明なあなたなら分かるでしょう?』

 

 

 だが、私はその意見に反論する。もうこの機会を逃せば彼女と走ることは叶わないだろう。だから精一杯抵抗した。

 

 

『けど東条トレーナー、彼女たちが望んでいることは強者との経験。ならばここは学園トップクラスの実力を持つ私が一番ふさわしいんじゃないかな?』

 

 

『確かにそうね。けど物事には限度ってものがあるわ。ジュニア級の彼女に最強格のあなたをぶつけるわけにはいかない』

 

 

『でも、私が出た方が彼女たちは嬉しいんじゃないだろうか?噂で聞いたことがあるよ、彼女たちの目標は私を超えることだってね。なら超えるべき相手の実力を知っておくのが彼女たちのためにもなるんじゃないかな?』

 

 

『……今回はしつこいわね、ハイセイコー。あなたの何がそこまでさせるの?』

 

 

 東条トレーナーの疑問に私は答える。

 

 

『決まっている、彼女に興味が湧いた。私はその機会を逃したくない、それだけです』

 

 

『……』

 

 

 私は一歩も引く気はない。なんとしてでも彼女と走る権利をつかみ取って見せる。

 長い沈黙の後、東条トレーナーは口を開く。

 

 

『……分かったわ、今度の併走はハイセイコー、あなたに出てもらいましょう』

 

 

 許可をもらえた。その瞬間私の心は歓喜に震える。東条トレーナーに感謝の言葉を述べる。

 

 

『ありがとうございます、東条トレーナー』

 

 

『こうなったあなたは一歩も引かないって分かっているもの。許可するしかないでしょう……』

 

 

 呆れ口調でトレーナーはそう答える。だがなんにしてもこれで彼女と併走ができる。彼を魅了したその走り、是非とも見せてもらおうじゃないか。

 

 

 

 

 そして模擬レース当日。私は少し遅れて練習場へと着いた。先に着いていたテンポイントの姿を確認する。私が彼女に抱いた印象は華奢な子、そう思った。

 ひとまず私は遅れたことへの謝罪の言葉と簡単な自己紹介をする。彼女は私の姿を見た時に併走の相手が私と知って震えていた。それも仕方がないだろう。強い相手とのレースと聞いていたがまさかそれが学園最強クラスとは夢にも思わないから。私も彼女の立場になってみたら同じ反応になるかもしれない。いや、私の場合は楽しみで震える方かもしれないが。

 併走、というよりは模擬レースという形がとられるようになった今回、スタートの合図が切られると私はテンポイントの後ろへとつく。後ろからプレッシャーをかけるため、彼女の走りを観察するためだ。時折彼女にささやきかけて揺さぶりをかけてみるが、余裕はないのか言葉は返ってこなかった。それだけいっぱいいっぱいなのだろう。

 レースは淀みなく進んでいき第3コーナーの手前まで来た。その時私の頭の中に生まれたのは落胆の感情。裏切られたような気持ちになった。理由は単純だ。彼女の走りは私の予想の域を越えなかった。どこにでもいる普通のウマ娘と何ら変わらない。確かにジュニア級というくくりで見れば実力は抜きんでているだろう。だがそれだけだ。なぜ彼が惹かれたのか。その理由は分からなかった。

 

 

(もういい。さっさと終わらせてしまうか)

 

 

 第4コーナーを超えた時、私は少しばかり本気を出す。テンポイントは驚いたような表情をしていたがもう私の中で彼女への興味は消えかけていた。私が勝手に期待していただけなのだが、所詮この程度か。このレースは無意味だったかもしれないと。

 だが第4コーナーを回ってしばらく経った後、突如私の身体に悪寒が走った。一体何だと思って視線を後ろの方に向けると

 

 

(バカな……!息を吹き返しただと!?)

 

 

テンポイントがすぐ近くにまで迫っていた。おかしい、そんなはずはない。彼女はあのコーナーで終わったはずだ。体力も尽きかけて脚も残っていない。あそこから追いつける要素はなかったはずだ。だが、現実は私の近くへと彼女は来ている。

 瞬間、私の中で消えかけていた彼女への興味が一気に戻ってきた。次に湧き上がったのは楽しいという感情。まさか模擬レースで楽しいと思えるとは!

 

 

(訂正するよテンポイント……!キミは凡百のウマ娘ではない、間違いなくこちら側のウマ娘だ……!)

 

 

 こちら側、シンザン先輩に代表されるような時代を創るウマ娘。私は彼女の走りにそれを感じた。思わず私は本気を出して走ってしまう。テンポイントはさすがに限界だったのかもう追いついては来なかった。

 

 

 

 

 結果は私が5バ身差離しての勝利。そしてテンポイントは全力を出し尽くしてしまったのか倒れたまま起き上がることができないでいる。だが、すぐに神藤さんが駆け寄ってきて彼女を支える。彼はお礼を言ってきたが、元々は私の我儘を叶えてくれたのだ。お礼を言うべきは私の方だろう。

 会話もそこそこに彼は後から来た東条トレーナーと話すことがあるのと私はクールダウンする必要があるのでその場を離れる。近くまで来たトウショウボーイにクールダウンの相手をしてもらいながら彼女と会話をする。

 

 

『トウショウボーイ、キミのライバルは強いな。思わず本気を出して走ってしまったよ』

 

 

 するとトウショウボーイは我が事のように喜んでいた。

 

 

『へへ、でしょ!オレの自慢の親友ですから!』

 

 

 テンポイントは確かに強かった。だが、潜在能力で言えばトウショウボーイも勝るとも劣らない実力がある。入部したての頃は身体の成長に他の部分がついてこれなかったことからあまり無理なトレーニングはできないでいたが、東条トレーナーが懸命に彼女のサポートをしてきたおかげで大きな怪我をすることなく身体を仕上げることができた。このままいけば彼女はクラシックを制することができるだろう。そう思わせてくれるほどの才能がある。これからが楽しみな可愛い後輩だ。

 トウショウボーイとテンポイント、彼女たちが激突した時どちらが勝つかは分からない。しかしそのレースは間違いなくトゥインクルシリーズの歴史に刻まれるようなレースになるだろう。そう予感を感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……!……長!会長!起きてください、会長!」

 

 

 私の意識は浮上する。いつの間にか眠っていたらしい。ガビーも戻ってきていた。

 

 

「ん……やぁ、ガビー。すまないね、考え事をしていたらいつの間にか眠っていたようだ」

 

 

「珍しいですね。会長が生徒会室で眠っているのは」

 

 

「まぁね。今回が初めてだよ」

 

 

 そう言って私は伸びをする。座ったまま眠っていたせいか派手に骨が鳴る。するとガビーがこちらに質問してきた。

 

 

「会長、一つよろしいでしょうか?眠っている時笑顔を浮かべていましたが、何か嬉しいことでも?」

 

 

 どうやら寝ている時、私は笑っていたらしい。このまま素直に答えるのもいいが、私の中の悪戯心が働いた。

 

 

「おや?ガビーは寝ている私をすぐには起こさず、寝顔を堪能していたのかな?悪い子だ、ガビー」

 

 

 すると彼女は顔を赤くして反論する。

 

 

「わ、私は会長がお疲れで、起こすのも忍びないと思ったからであって……!」

 

 

 相変わらず面白い反応をしてくれる。だが、今回はすぐに本当のことを教える。

 

 

「冗談だよ。とてもいい夢を見れたからね、そのせいかもしれない」

 

 

「夢……ですか?」

 

 

「そう、これからのトゥインクルシリーズが楽しみになる……そんな夢さ」

 

 

 私の言葉にガビーは不思議そうに首をかしげる。しかし私はそれ以上詳しいことは語らずに彼女にお茶をふるまい談笑を始める。胸の中にこれからのトゥインクルシリーズがより一層盛り上がることへの期待を抱いたまま。




次回はついにトウショウボーイとグリーングラスのデビューのお話になると思います。例のごとくプロットは書いてないので変わる可能性もありますが。


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第14話 それぞれのメイクデビュー

トウショウボーイとグリーングラスのメイクデビュー回


 年が明けて1月の末、俺は現在東京レース場へと来ている。その理由は、この日にトウショウボーイがメイクデビューに出走するからだ。いずれテンポイントの障害となるかもしれない相手の情報を知るために俺はこの場に来ている。果たしてどれほどのものなのだろうか?今からレースを見るのが楽しみである。

 また今日は一人で見るわけではなく、とある人と待ち合わせている。その人物は沖野さんだ。沖野さんも偵察だろうか?と思って質問するとどうやらグリーングラスも今回のメイクデビューに出走するらしい。トウショウボーイと同じレースだ。どちらが勝つのか今から非常に気にあるところである。

 待ち合わせ場所に到着して少し待っていると沖野さんが着いた。

 

 

「よぉ、待たせたな誠司。グラスに今日の作戦を指示していたら遅くなっちまった」

 

 

「いやいや、気にしないでください。んじゃ会場に向かいますか」

 

 

 そして俺たちはレースの様子がよく見えるように観客席の最前列の方へと向かう。発走を待っている間俺は沖野さんから祝辞の言葉を貰った。

 

 

「そうだ、聞いたぜ誠司。テンポイントが最優秀ジュニアウマ娘に選出されたんだってな?おめでとさん!」

 

 

「ありがとうございます!いやぁやっぱこういうのって嬉しいですね!俺のおかげっていうよりテンポイントの実力のおかげなとこありますけど」

 

 

「んなことねぇだろ。確かにテンポイントの実力はあるだろうがそれを活かしたのは間違いなくお前の功績だ。誇っていいと思うぜ?」

 

 

「なんですか?そんなに褒めても酒代くらいしか出せませんよ?」

 

 

 まだ大丈夫だよ、と言いながらも沖野さんは自分の財布を確認している。今度酒でも奢ろう。

 今沖野さんも言っていたが、テンポイントが何と最優秀ジュニアウマ娘に選出された。候補は後もう一人いたのだが、投票で4分の3の支持を受けてテンポイントが無事受賞することとなった。受賞した日のことを今でも思い出す。俺のテンションが上がりすぎて祝いとして料理を作ったのだが二人で食べるにはあまりにも量が多かったせいで他の人も呼ぶことになったのは記憶に新しい。まあそれだけ嬉しかったのだ。テンポイントも終始上機嫌だった。

 そのまま雑談を続けているとレースに出走するウマ娘たちが続々と入場してきた。用務員だけやっていた時代は無縁のものだったが、トレーナーも兼業するようになった今この光景ももはや慣れたものだ。そのまま待っていると沖野さんが担当しているウマ娘、グリーングラスが入場してきた。最初会った時はとてものんびりした子だと思っていたのだが今は集中しているのかその雰囲気はなく真剣な顔でウォーミングアップをしている。あまりにも雰囲気が違いすぎて別人を疑った。

 俺は沖野さんに今思ったことをそのまま話す。

 

 

「沖野さん、アレ本当に俺の知ってるグリーングラスですか?あまりにも雰囲気が違いすぎて別人を疑ってるんですけど」

 

 

 その言葉に沖野さんは分かる、と言いたげな表情で答える。

 

 

「大丈夫だ、お前の知っているグリーングラスで合っている。俺も最初見た時驚いたが、アイツは時折スイッチが入るのか今みたいな雰囲気になるんだ」

 

 

「じゃあ併走とかであの雰囲気を……」

 

 

 すると沖野さんは首を横に振った。

 

 

「いや、併走も年が明けてから何回かやったんだがその時は全然だった。おそらくアイツの中で何か別のスイッチがあるのかもしれねぇな」

 

 

「そうなんですね」

 

 

 なんにしても気合十分ってことだ。沖野さんからすれば喜ばしいことだろう。そうして話していると会場のアナウンスが最後のウマ娘が入場してきたことを知らせる。

 

 

 

 

《続々とウマ娘たちが入場してくる中、最後の一人トウショウボーイが東京レース場のターフに姿を現しました!さぁ一体未来のスター候補たちはどんなレースを見せてくれるのか今から楽しみです!》

 

 

 

 

 俺はそのアナウンスを聞いてトウショウボーイの姿を見る。観客に手を振って応えている姿が確認できた。にしても仕上がりは万全といったところだろうか。緊張も特にしている様子はない。

 沖野さんに率直な疑問を投げる。

 

 

「さて、沖野さん的にはトウショウボーイはどう映ります?俺には体調も万全、不安要素一切なしに見えますけど」

 

 

「同意見だ。さすがはおハナさん、完璧な調整だぜ全くよぉ」

 

 

 一体どんなレースを見せてくれるのか今から楽しみだ。そしてしばらく待っていると東京レース場にファンファーレが響く。実況のウマ娘の紹介が始まった。

 

 

 

 

《ウマ娘たちが続々とゲートへと入場していきます。今回のレースは18人での出走、距離は1400m、芝は良と発表されています。それでは3番人気のウマ娘を紹介いたしましょう。3番人気は5枠9番グリーングラス》

 

 

《非常に落ち着いていますね。一体どのような走りを見せてくれるのか》

 

 

 

 

(いい感じに集中できているとは思うが……果たしてどうなるか……)

 

 

 俺はトウショウボーイの実力に関してハイセイコーに聞いたことがある。同じチームでかつ俺と親しい人物となると必然的に彼女になったからだ。後で何を要求されるか分かったものじゃないのであまり頼りたくなかったのだが背に腹は代えられない。意を決してお願いしてみたのだが、意外にも何も要求されることなくトウショウボーイの実力に関して簡単に教えてもらった。

 曰く、テンポイント同様世代を代表するような潜在能力の持ち主。特にスピードは天性のものだと評していた。10年に一度のウマ娘、そう彼女は評価していた。つまるところかなり評価は高い。

 実況・解説もそのトウショウボーイの紹介へと移っていた。

 

 

 

 

《1番人気のウマ娘の紹介といきましょう!1番人気は8枠18番トウショウボーイ!大外という不利を受けてどのような走りを見せてくれるのか!》

 

 

《緊張した様子は見られませんね。非常に落ち着いています》

 

 

 

 

 いよいよレースが始まろうとしている。そしてしばらく待っているとゲートが開いた。今グリーングラスたちのメイクデビューが幕を開けた。

 まずはトウショウボーイが好スタートを切って先頭を取った。グリーングラスは先頭争いには加わらず、後方の一団へと位置をつける。脚質的に差しなのだろうか?彼女の情報は何も知らないので推測になるがあの位置が彼女にとっての好位置なのだろう。

 レースはそのままトウショウボーイが先頭を走る形で進んでいき、最終コーナーを超えて最後の直線を迎える。

 

 

 

 

《コーナーを回って最後の直線に入った!先頭はトウショウボーイ!トウショウボーイが抜けだした!2番手はシービークイン!シービークインがいっぱいになりながらもトウショウボーイに追いつこうと必死になっている!外からはグリーングラスも上がってきている!しかしトウショウボーイ速い速い!依然として先頭を走り続けています!》

 

 

《ローヤルセイカンも上がってきてますがこれはちょっと間に合いそうにないですね。これはもう決まったでしょうか?》

 

 

 

 

 レースはそのまま最後までトウショウボーイが先頭を走り続けて勝利した。2着との着差は3バ身。着差だけ見ればあまりすごいような感じはしない。だがレースを見て分かった。

 

 

「着差以上の実力を見せた……ってのはこのことですかね?沖野さん」

 

 

 俺と同意見だったのか沖野さんは頷く。

 

 

「そうだな。今日に関してはおハナさんに完敗だぜ」

 

 

 グリーングラスは4着。最後の直線では伸びていたものの距離が足りなかったのか1着のトウショウボーイからは10バ身近く離されていた。

 今回のレース、見に来て正解だっただろう。トウショウボーイ、予想以上の実力だった。走りを見ている感じスピードが出ていることを全く思わせない。にもかかわらず誰も追いつくことができないでいる。本当に地に脚がついているのか疑問に感じさせるほどだった。ふとハイセイコーの言葉を思い出す。彼女はこう言っていた。

 

 

『彼女とは直接走ったことはないが、追い切りで他の子と走っているのを見ていてね。衝撃を受けたよ。彼女はまるで飛んでいるように駆け抜けるんだ』

 

 

 その時はそんなまさかと思っていたが……

 

 

「確かにこれは……空を飛んでいると言っても過言じゃねぇな……」

 

 

 あの走りを見たらそう信じざるを得ないだろう。

 そして全てのウマ娘がゴールして順位も確定する。ウマ娘たちはみなクールダウンしている。ふとトウショウボーイの方に目を向けてみるとグリーングラスともう一人、アレはシービークイン……だっただろうか?その二人と話している。

 結構遠い位置にいるので会話の声は聞こえないが何やらシービークインがトウショウボーイに興奮気味に詰め寄っているように見える。グリーングラスはアレは……煽っているのか?よく分からないが何やら囃し立てているようだ。トウショウボーイは嬉しそうにしているのでおそらくシービークインに褒められているのだろう。

 そのまましばらく観察していると急にシービークインの足元がおぼつかなくなっていた。その場にいた二人も驚いている。一体何があったんだ?いや、そのまま倒れると思ったがその前にトウショウボーイがシービークインの身体を支えた。次の瞬間シービークインの顔は遠目から見ても分かるくらいに赤くしてトウショウボーイの手から離れて逃げるように走り去っていった。

 その一部始終を俺と同じく見ていたらしい沖野さんは俺と同様に不思議そうな顔をしていた。そして沖野さんが口を開く。

 

 

「なぁ、アレシービークインだよな?何があったんだ?」

 

 

 正直、俺にも何があったのかなんて分からない。

 

 

「いや、俺にも分かんないです……。トウショウボーイに抱きかかえられたと思ったら急に逃げ出したように見えるんすけど……」

 

 

「顔を赤くしていたのはなんでだ?恥ずかしさからか?」

 

 

「多分そうじゃないですかね……?会話が聞こえないから何があったのかは分からないですけど……」

 

 

 会話の内容が分かればなぜ逃げたのかも分かるかもしれないが、それを知ることは本人たちに聞かない限り分かるはずもない。残されたトウショウボーイは何が起こったのか分からない顔をしているし、グリーングラスはやたらニヤついているのが分かる。微笑ましいものを見るような目もしている。

 グリーングラスが負けたこと、トウショウボーイの実力、あのやり取りを見るまでは色々なことが頭の中で考えていたが、最後のあの3人を見て一気にその考えは頭の隅へと追いやられた。後にこのレースはウイニングライブも含めて伝説のメイクデビュー戦として語られることになる。




トウショウボーイの嫁、シービークインが少しだけ登場。記事を見た時ドラマみたいな展開だなと思いました。


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第15話 シービークイン

いつものメンバーwithシービークイン


「オヨヨ~、メイクデビュー負けちゃったよ~。テンちゃんカイザーちゃん慰めて~」

 

 

「おぉよしよし、残念やったなぁグラス」

 

 

「大丈夫です!私も最初のデビュー戦は負けたので!次勝てばいいんですよ!あっやばい自分で言っててちょっと悲しくなってきました……」

 

 

 昼のカフェテリア、いつものメンバーでご飯を食べようとしていた時グラスがこちらにわざとらしい口調で慰めてくれとボクとカイザーの二人に言ってきた。聞くところによると先日行われたメイクデビューで負けたかららしい。ちなみに1着はボーイの奴だ。別に落ち込んでいるような雰囲気は感じられなかったがボクは言われるままにグラスを慰める。

 今現在この場にボーイはいない。まあいたらグラスは慰めてくれなど言わないだろう。ボーイがいない理由は1人誘いたい人物がいるからとボクらとは別行動をとったからだ。ボクらはその人物は知らないがどうやらメイクデビューの後で仲良くなったらしい。一体どのような人物なのだろうか?カイザーに聞いてみる。

 

 

「なぁカイザー。ボーイが連れてくる子ってどんな子やと思う?」

 

 

「う~ん、ボーイさんって誰とでも仲良くなりますからちょっと想像つかないですね。少なくとも悪い人ではないと思いますけど」

 

 

 まあ確かにそうだろう。次はメイクデビューを一緒に走っていたということで心当たりはないかとグラスに聞いてみた。しかしこちらはからかうような笑みを浮かべて

 

 

「フッフッフ~、さぁ誰だろうね~?」

 

 

と答えるだけであった。多分グラスは誰が来るのか想像ついているのだろう。しかしボクらが知らないままにしておきたいのか話してはくれないようだ。

 そうしてカフェテリアの席を取り少し待っているとボーイがその人物を連れてやってきた。黒い髪をストレートに腰まで伸ばしており、つり目で少し気の強そうな印象を受ける。身長はボクと同じかやや低いくらいだ。だが少なくともボクは今まで一度も見たいことがない人物だ。カイザーと顔を見合わせるとどうやら彼女も知らない人物らしくお互いに首をかしげる。

 見たことない人物にボクら2人が戸惑っているとボーイが口を開く。

 

 

「待たせたなみんな!紹介するぜ、この子はシービークイン!この前のメイクデビューで仲良くなったんだけどさ、ご飯まだだからって言うからせっかくだしみんなと食おうぜ!って思って誘ったんだ!」

 

 

 トウショウボーイのその言葉にシービークインと呼ばれた子が遠慮がちに前に出てきてボクらに自己紹介をする。

 

 

「は、初めまして、シービークインと申します。きょ、今日はこのような場に招待していただき、真にありがとうございます」

 

 

 なんというかガチガチに緊張している。ただでさえ知らない人たちがいる場所なのにその場にいる自分以外は知り合いかつ友達なのだ。アウェーなんてものじゃない。同じ立場なら耐えられない。

 すると緊張をほぐすようにボーイがボクたちの説明をする。

 

 

「大丈夫だってクイン!ここに来る前に説明したけどみんないい奴だからさ!きっとクインもすぐに仲良くなれるって!」

 

 

「ちなみにですけどなんて説明したんですか?」

 

 

 気になったのかカイザーが質問する。するとボーイは元気よく答える。

 

 

「背が高くてのんびりした奴がグラス!人のことよく見ているいい奴!黒いボブカットがカイザー!こっちが落ち込んでいる時はアドバイスをくれるいい奴!金髪タレ目で気品があるのがテンさん!慰め上手ないい奴!」

 

 

 まあ内容が薄い気がするけど一気に詰め込んでも混乱するだけだからこれだけ端的な方がいいのかもしれない。全ていい奴で締めているのは正直どうかと思うが。

 ボーイからの説明があったところで、シービークインを安心させるために軽く自己紹介をする。まずはボクからだ。

 

 

「さて、今ボーイから言われた金髪タレ目のいい奴テンポイントや。よろしゅうな。好きに呼んでもろうて構わんで」

 

 

「は、はい。テンポイント様」

 

 

 次にグラスが自己紹介をする。

 

 

「はいは~い、背が高くてのんびりしたいい奴グリーングラスだよ~。メイクデビューでちょこ~っと話したから覚えてるかな~?よろしくね~」

 

 

「お、覚えております。その節はとんだご迷惑をおかけしましたグリーングラス様」

 

 

 一体メイクデビューで何があったのか。とても気になるが質問する前に最後、カイザーが自己紹介をする。

 

 

「え~と、黒いボブカットのいい奴らしいクライムカイザーです。これからよろしくお願いしますね、クインさん」

 

 

「よ、よろしくお願いしますクライムカイザー様」

 

 

 一通り自己紹介が終わったところで、ボクらは昼食を取るために料理が置かれているテーブルへと向かう。全員が料理を取り終わり席に着いたタイミングで親睦を深めるためにまずはクインと会話をすることにした。

 まあ無難なことを尋ねてみる。

 

 

「クインってボーイとはどこで知り合ったん?メイクデビュー以前から知り合ってたりするんか?」

 

 

「い、いえトウショウボーイ様とは正真正銘メイクデビューが初対面です。それまで面識はありませんでした」

 

 

 どうやらグラスが知り合ったらしいメイクデビューの時がボーイ・クインの2人の初顔合わせらしい。そんなに日数経っていないのにボクらのとこに連れてくるとはボーイはよほどクインが気に入っているらしい。結構珍しい気がする。

 そこから好きなものの話、趣味の話、所属しているチームの話などを話しているとクインの緊張も解けてきたのかぎこちない笑顔がなくなってきた。ちなみにクインは女性の個人トレーナーと契約しているらしい。

 場が盛り上がってきたところでグラスがクインにからかうような口調で話し始めた。

 

 

「いや~でもあの時は面白かったね~。クインちゃんまさかあんなに慌てるなんて~」

 

 

「あの時?」「あの時って何ですか?」

 

 

 ボクとカイザーは首をかしげる。しかしクインには心当たりがあるのか顔を真っ赤にして慌て始めた。

 

 

「あ、あの時のことはもうおやめください!本当に恥ずかしかったんですから!」

 

 

 あの時、というのはもしかして先程クインが言っていたメイクデビューでの話だろうか?先程質問しそびれていたので非常に気になっていたことだ。

 ボクとカイザーはボーイに同じような質問をする。

 

 

「メイクデビューで何があったんや?」

 

 

「先程クインさんが言っていた迷惑って何のことなんですか?ボーイさん」

 

 

「んあ?あ~多分あのことかな?レース後のことなんだけどよ」

 

 

 必死に止めようとしているクインには少し悪いが、こちらも気になるので当時のことをボーイが語り始めるのを止めなかった。

 

 

「いやぁ、オレも驚いたぜ。レースが終わった後急に話しかけてきたんだよ。確か……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レースが終わってクールダウンしているとオレのもとに見知らぬ子がやってきた。一体誰だろうか?と思っているとすごく興奮気味に話しかけてきたのを覚えている。

 

 

『あ、あの!あなたの走りに私感動いたしました!是非、お名前を教えてはいただけないでしょうか!?』

 

 

『オレの名前か?オレはトウショウボーイ!チーム・リギルの次期エース、トウショウボーイだ!』

 

 

 オレは声高にそう言った。しかしグラスが寄ってきて余計な一言を言う。

 

 

『まあ次期エースの後ろに予定が付くけどね~』

 

 

『グラス!余計なことは言わんでいい!』

 

 

 オレはそう言ったが、どうやら彼女には聞こえていなかったらしい。彼女は恍惚とした表情で

 

 

『トウショウボーイ様……』

 

 

と言っていた。一体どうしたのだろうか?というか彼女は誰だ?と思っていると我に返ったのかオレにまた興奮気味に近づいて自己紹介をしてきた。

 

 

『私、シービークインと申します!よ、よろしければこれから仲良くしてくださると……!』

 

 

 しかし、自己紹介をしている途中彼女は突如としてバランスを崩した。おそらくレースの疲れが今出たのだろう。オレはとっさに彼女を抱きかかえた。そして声を掛ける。

 

 

『っとと!?大丈夫か、クイン?』

 

 

 グラスも心配そうな声を掛ける。

 

 

『レースの疲れが出たのかな~?ひとまずどこか休憩できるとこ行こうか~?』

 

 

 しかし、シービークインにオレたちの声は聞こえていないのか完全に固まっている。どうしたのだろうか?そう思った瞬間、彼女は一気に顔を赤くさせて慌て始めた。

 

 

『あ、ああああの!私大変なご無礼を!』

 

 

 ひとまずオレは落ち着かせるために抱きかかえる態勢を維持したまま話しかける。

 

 

『落ち着けって!別に大丈夫だから!それよか顔も赤いぞ?大丈夫か?』

 

 

『わわわ、私はだだだ、大丈夫ですので!なので離していただけると……』

 

 

 彼女はこう言っているが、オレは心配だった。なので彼女に提案した。

 

 

『う~んでも今にも倒れそうだったし顔も赤いから何かあるかもしれないし、このまま医務室行くか?』

 

 

 オレの言葉にグラスは同意する。

 

 

『そうだね~。そのまま医務室連れていこうか~』

 

 

と言った瞬間、クインはすぐにオレの手の中から離れる。そしてすごい慌てた口調で話し始める。

 

 

『本当に大丈夫ですので!ありがとうございました!それでは失礼しましたぁぁぁぁぁ!』

 

 

……っと言って走り去っていった。その場にはオレとグラスが取り残される。オレはグラスに質問する。

 

 

『……なぁ、何があったんだアレ?さっぱり意味が分からねぇんだけど』

 

 

 しかしグラスはこちらを見て困ったような笑顔を浮かべて

 

 

『う~ん、なんだろうね~』

 

 

と、言うだけである。本当に何だったんだ……?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ってなことがあったんだよ」

 

 

 ボーイはその当時のことを覚えている限りで説明してくれた。クインはとても恥ずかしそうにしている。

 ボクは口を開く。

 

 

「そんなことあったんか。現場で見てみたかったわソレ」

 

 

 その時は自主練をしていたのでレースを見に行くことはできなかった。まあ敵情視察でトレーナーが観戦に行ったらしく、ビデオも撮ってあると言っていたので後で見る予定なのだが。

 クインは顔を真っ赤にしてボーイに向かって抗議の声を上げる。

 

 

「なんで言ってしまうんですか!?あの時のことはもう忘れてしまいたいのに!」

 

 

「いや、だって本当に何のことか分からなかったからさ。みんなに聞けばなんでクインが逃げたのか分かるかな~って思って」

 

 

 ボーイの弁明を聞いてもなおクインは抗議の声を上げ続ける。それをボーイが必死に宥めている。ボクらはその光景を見つめている。

 グラスが小さな声でこちらに話しかけてきた。

 

 

「コレってあれに見えるよね~。初々しい恋人みたいな会話だよね~」

 

 

「まあそれにしか見えんな。見てて微笑ましいわ」

 

 

「でも、ボーイさんは気づいていないっぽいですよねコレ」

 

 

「そうやな」「そうだね~」

 

 

 おそらくだがボーイは本当になんでクインが逃げたのか分からないのだろう。ボクらは今の話を聞いて大体察しがついた。単純に恥ずかしさからだろう。仲良くしたいと思って話しかけに言ったら抱きかかえられた挙句優しい言葉をかけてくれたのだ。普通だったら恥ずかしくてその場から離れたくもなるだろう。ボーイはその辺は普通にお礼を言って終わるだけなので分からないのかもしれないが。

 とりあえずボーイにやんわりとこれ以上の追及はやめた方がいいことを告げる。

 

 

「まあ落ち着けやボーイ。クインにもなんか事情があったかもしれへんやろ?あまり深く突っ込むのは野暮ってもんや。その辺にしとき」

 

 

 ボーイはその言葉にあまり納得はしていない様子だったが、これ以上クインを怒らせたくないと思ったのか

 

 

「う~んまあ分かった……。ごめんな?クイン」

 

 

クインに謝った。するとクインはオロオロした後、ボーイに謝る。

 

 

「い、いえ。私こそ少し言いすぎてしまいました……。でもどうか嫌いにならないでいただけると……」

 

 

 クインの心配そうな声にボーイは笑顔で答える。

 

 

「大丈夫だ!こんくらいで嫌いになったりしねーって!元々オレが悪いんだし、誰だって言いたくないことはあるもんな!オレも謝ってクインも謝った!だからこの話はこれで終わりだ!これからもよろしくな、クイン!」

 

 

「トウショウボーイ様……!」

 

 

 ボーイの言葉にクインは崇めるようにボーイを見ている。おそらく彼女の言葉に感動しているのだろう。自分でも言っている通り大元の原因はボーイ自身なのだが。まあそこを突っ込むのはそれこそ野暮なので言わないが。

 グラスが口を開く。

 

 

「まあ~これで一件落着、なのかな~?」

 

 

「まあ本人たちがよさそうやし、ええんちゃう?」

 

 

「アハハ、そうですね。仲がいいのが一番ですから」

 

 

 その後も話は弾み、ボクたちはご飯を食べ終わって次の授業へと向かっていった。




困った時はカフェテリアに頼りがち。


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第16話 不安要素

今日は短め。皐月賞前の箸休め回みたいな感じです。


 最近は冬の寒さもなくなり桜の開花もチラホラ見えてきた3月末、俺は今中山レース場でテンポイントのレースを見ている。来月に開催される皐月賞への前哨戦として選んだレース、スプリングステークスだ。現在第4コーナーを回ろうかというところ。だが……

 

 

 

 

《さぁ6人が一団となって第4コーナーを回りました!先頭はどの子でしょうか!?内からはメジロサガミが来ている、テンポイントはまだ先頭ではありません!いやわずかに出たか!?わずかにテンポイント先頭か!?カミノリュウオーが突っ込んできた!エリモファーザーも頑張っている!》

 

 

 

 

メイクデビューからの3連戦を圧勝で勝ってきたテンポイント。しかし、前走の共同通信杯からその圧勝さはなくなり始めてきた。単純に相手が強くなっているのもあるだろう。周りの観客が声援を送る中、俺はそのままレースを見続ける。

 

 

 

 

《さぁ最後にはやや坂があります!テンポイント苦しいか!?苦しいがわずかにテンポイントが先頭!メジロサガミとエリモファーザーも懸命に粘っている!しかしテンポイントがわずかに出ている!ほんのわずかの差!ほんのわずかの差のままゴールイン!意地で勝ちましたテンポイント!しかし皐月賞へはやや不安が残る結果となったか?2着はメジロサガミ、3着はエリモファーザーです》

 

 

 

 

 結果はアタマ差での勝ち。共同通信杯は1/2バ身差での勝ちだったがそれよりも詰められている。しかも有力なウマ娘がいない状況でだ。俺は誰にも聞こえない声で反省のセリフを呟く。

 

 

「やっぱり追い切りを甘くしすぎたか……?いつもより精彩を欠いていたしそれが原因かもしれないな」

 

 

 今回の追い切りはテンポイントの体調のことも考えて少し甘めにしていた。しかしその結果が今回のギリギリの勝利なので大事にしすぎたことが裏目に出てしまった。勝ちは勝ちだが反省が出るようなことをするのは望ましいことではない。クラシック1冠目である皐月賞も近い。皐月賞を勝つためにも今後は多少キツめの調整をしておこう、そう心の中で思った。

 考えも纏まったところでテンポイントの方へと目を向けると彼女は明らかに納得していない表情をしていた。おそらく自分の思い描いていたレース展開をできなかったのだろう。結果としてギリギリ勝利することはできたが素直に喜べない、と言ったところか。前回の分の鬱憤も溜まっているのかもしれない。

 少し不安の残るテンポイントとは違い、トウショウボーイは順調なように感じられる。2戦目のつくし賞と3戦目のれんげ賞をそれぞれ快勝していた。その時ふと、1週間前のれんげ賞でのトウショウボーイのレースを思い出す。ウィナーズ・サークルでのインタビューでおハナさんが言っていたことだ。

 

 

『確かにテンポイントは強いでしょう。ですが決して負かせない相手ではありません。それを皐月賞で証明して見せます』

 

 

「決して負かせない相手じゃない……ね」

 

 

 侮られているわけではないのだろう。確かにトウショウボーイの調子を見る限りだと勝てるかもしれない。けれどそれでも勝つのはテンポイントだ。俺はそう信じている。

 ひとまずこの後は勝利者インタビューもあるということで俺はウィナーズ・サークルへと向かった。始めは緊張しながらインタビューを受けていたがさすがに5回目となると人間慣れてくるもの。しっかりと受け答えをする。

 今回質問されたことはいつもの勝利の感想以外に2つ。

・皐月賞への意気込み

・トウショウボーイとの対戦

この2つだった。まあ実質一つだろう。なので俺はこう答えた。

 

 

「出走するからには勝ちます。東条トレーナーは負かせない相手ではないと言っていましたがそれはこちらも同じ。テンポイントが勝ちますよ」

 

 

 その言葉に記者たちは盛り上がる。テンポイントの方も

 

 

「勝たせてもらいます。友達である以上にライバルですから」

 

 

と、やるからには負けないと意気込みを語っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そしてスプリングステークスも終わり、数日が経った頃俺は休憩時間の間に買ってきたウマ娘のレース情報雑誌を見ている。そして特に目を惹くコラムがあった。そのコラムとは

 

 

「【テンポイントは怪物ではない】……ふーん?」

 

 

簡単に言えばテンポイントの実力を疑問視するものだった。その記事の内容を要約するとこうだ。

 

 

【確かにメイクデビューからの3連戦は圧勝劇を繰り返していたがここ2戦を見てみるとあの勝ちは有力なウマ娘がいなかっただけのように思える】

 

 

【また、スプリングステークスも同様であったがアタマ差でギリギリの勝利だったこともあり、その強さに疑問を感じずにはいられない。これならトウショウボーイの方が上だろう】

 

 

 この雑誌を読み終わり、俺は目を閉じてこの記事に対する評価を下す。

 

 

(は?うちのテン様のが上なんだが?にわかかこの記者?中山のターフに埋めんぞ?)

 

 

 ……冗談は置いといて、こればかりは対戦してみないことには分からないことである。しかもテンポイントの調子は下降気味なのに対してトウショウボーイは好調を維持している。そうなるとトウショウボーイびいきになるのはまあ当然と言えば当然である。

 とりあえずこの雑誌は後で焼くことにした。そんなことを考えているとトレーナー室のドアが開く。来たのはテンポイントだ。

 

 

「お疲れートレーナー」

 

 

「おう、お疲れ」

 

 

 挨拶を交わすと彼女は最近パイプ椅子から変えたソファの方に座ってゆっくりし始める。今日は練習前にやることがあるからだ。それは今後のレースの作戦会議も含めたこれまでの反省会である。俺も彼女の対面のソファに座り、話を始める。

 

 

「さて、今日は練習前にスプリングステークスの反省会だ。正直、自分でも納得いっていないんだろう?」

 

 

 俺の問いかけにテンポイントは頷く。

 

 

「せやな、他の強いウマ娘は出走を回避か弥生賞に出走してたし楽勝やと思っとったけど……結果はギリギリ。正直納得できてへん」

 

 

「だな。お前の実力を鑑みればもっと離せたはずだが、これに関しては追い切りの調整が甘かったのが響いたな」

 

 

 俺の考えを素直にぶつける。心当たりがあるのだろう、テンポイントもこちらに意見をぶつけてくる。

 

 

「前々から思うてたけど、トレーナーボクのこと大事にしすぎやないか?さすがに身体も丈夫なってきたし、もっとキツくしたって大丈夫やで?」

 

 

「だよなぁ……。やっぱこの辺は経験不足なのが露骨に出るなぁホント」

 

 

 テンポイントが初めての担当というのもあり、ウマ娘はどれだけの負荷なら耐えられるのか、どこまでがギリギリのラインなのか、それを見定めるだけの経験値が俺には圧倒的に不足している。チームを任せられるようなトレーナーなら勿論、沖野さんもその辺はうまくできるのだろう。だが、俺はその経験が少ないのでどうしても慎重にならざるを得ない。まあこれは言い訳だ、仕方ないで済ませていい問題じゃない。

 なので今後に向けての俺の考えを伝える。

 

 

「今回の件に関しては俺も反省している。だからこれからの練習はいつも以上にしていくぞ!」

 

 

「おう!もっとキツくしてもええで!坂路にも慣れてきたしな!」

 

 

 テンポイントの言葉に俺は思い出す。そう、テンポイントも坂が慣れてきたのである。当時はあんなに嫌がっていた坂路練習もハイセイコーとの模擬レースが効いたのか積極的に取り組むようになり、今では坂での苦手意識も消えかけている。本人の努力の賜物だ。

 そのまま反省会は続き、話題は共同通信杯の話になる。俺はテンポイントに質問する。

 

 

「共同通信杯、前の反省会の時は質問してなかったな。クライムカイザーとの初対決となったが何か走ってみて気になることはあったか?」

 

 

「……そうやな、レースの結果だけじゃ見えへんものが分かったっちゅうんかな?うまく言えへんけど」

 

 

 そう言ってテンポイントは言葉を続ける。

 

 

「とにかくコース取りが巧いねんカイザーは。来てほしくないとこに来るし本人の実力も高いからそれが余計に厄介や」

 

 

「その辺はハダルのトレーナーの指導の賜物だろうな。あの人はそういうの得意だし」

 

 

 クライムカイザーは弥生賞でそれまで無敗であり、朝日杯で自身が負けたボールドシンボリを2バ身差で破っている。皐月賞で注意すべき相手の1人だろう。追い込みのウマ娘ゆえに戦績にムラがあるが嵌った時の恐ろしさは半端じゃない。共同通信杯もあわや負けるところまで来たのだから。

 クライムカイザーの戦績は10戦5勝。テンポイントの5戦5勝とトウショウボーイの3戦3勝に比べると見劣りするかもしれないが、これはこの2人がおかしいだけで彼女も十分に強敵だ。警戒をするに越したことはない。先程テンポイントが言っていたように彼女には数値では見えない強さがあるのだから。

 その後は反省会を終え、練習場へと向かいスピードを鍛えるためにショットガンタッチというものを行うことにした。テンポイントから疑問の言葉が投げかけられる。

 

 

「なぁトレーナー?この装置はなんや?テレビかなんかで見たことあるでこれ」

 

 

「お前が今想像しているのと多分同じだな。まずはこのボタンを押してと」

 

 

 俺がボタンを押すとボールが射出される。そのボールは俺たちから離れた位置に落ちる。良し、無事に動いたな。そう思っているとテンポイントが目を輝かせながら迫ってきた。

 

 

「すごっ!テレビで見たのとまんまやん!」

 

 

「知り合いから仕組みを教えてもらって作ってみた試作機だ。今日はこれで練習するぞ」

 

 

「ええやんええやん!楽しみや~!」

 

 

 俺が一通り装置の使い方を説明した後、テンポイントは所定の位置について早速試している。ボールが射出され、それと同時にテンポイントが走り遠く離れた位置に落ちようとしているボールを落ちる前にキャッチした。

 彼女はさらに目を輝かせ

 

 

「面白いわ~!気に入ったでコレ!」

 

 

そう言ってきた。かなり上機嫌である。あの顔を見れただけでもこの装置を徹夜で作った甲斐があるってもんだろう。

 その後はこの装置の虜になったのか、彼女はずっと続けていた。そして

 

 

「アカン、トレーナー……。もう一歩も動けん……」

 

 

テンポイントは一歩も動けなくなっていた。

 

 

「楽しいからって自分が動けなくなるまでやるな!」

 

 

 そのまま練習場に放置するわけにもいかないので寮までおんぶして運んだ。寮長には驚いた顔をされたが事情を説明して彼女の部屋まで送り届けてもらった。




テンポイントとクライムカイザーの初対決となった東京4歳ステークス(現:共同通信杯)。今回はさらっと流していますが後々どこかのタイミングでレースの回想を書く予定です。


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第17話 皐月への最終調整

皐月賞前最後の練習……?


 不安が残る結果となったスプリングステークスから時間が経ちすでに皐月賞が目前へと迫った今、テンポイントの最終調整をしている。前の走りと同じ轍は踏まない、そのためにも俺はいつも以上に気合の入れた練習を組んでいた。

 現在は芝のコースで走っているのだが、テンポイントにも疲れが出てきたのか苦しそうにしている。

 

 

「……ハァ!……ハァ!」

 

 

 その姿を見て俺は檄を飛ばす。

 

 

「どうしたテンポイント!もう限界か?」

 

 

「んなわけないやろ、まだまだ余裕や!」

 

 

 檄が効いたのか、彼女はペースを上げて走り始める。どうやら彼女も気合が入っているようだ。後は気合を入れすぎて怪我しないように俺がしっかりと調整をしていくだけだ。ちなみにだが、前回作ったショットガンタッチ用の機械はテンポイント自身がこの練習のやり過ぎでペース配分を考えないことと先日壊れてしまったことから封印している。いつか直して改良版を出す予定ではあるが。

 そのまま数10分ほど経った頃だろうか。そろそろ限界も近いように見えたのでテンポイントに休憩を促す。

 

 

「よーし、そろそろ休憩取るぞ!上がれー!」

 

 

 その言葉を聞いてテンポイントがこちらへと近づいてくる。そしてベンチに置いてあった給水用のドリンクとタオルを手に取り、汗を拭きながら水分補給を行う。

 そしてこの休憩のタイミングでこの後の予定を彼女に伝える。

 

 

「さてテンポイント、この後は他のウマ娘の子と併走してもらうぞ。皐月賞前の最後の併走だ、気合を入れて臨んでいけ」

 

 

 すると彼女は息を切らしながら

 

 

「了解や。しかし身体丈夫なってきたからキツくしてもええとは言うたけど、ここまで露骨に変わるとは思わんかったわ……」

 

 

と答えた。まあ確かにそうだが今までが彼女の身体を気遣いすぎて優しくしすぎたのかもしれない。だからこそここは心を鬼にしなければ。

 

 

「今までが優しすぎたからな。それともなんだ?前のようにするか?」

 

 

 すると彼女は不敵な笑みを浮かべながら答える。

 

 

「いや、むしろこれでええくらいや。もっとキツくしてもええで?」

 

 

「ならお望み通り……と言いたいが、今が限界だろ?」

 

 

「うっ。そ、ソンナコトナイデー」

 

 

「目泳ぎまくってんぞ。後今回はあくまで皐月賞前の追い込みだからな。練習で怪我して出走できませんでしたーってならないためにも怪我には注意していくぞ」

 

 

はーい、と間延びした声でテンポイントが答える。これで怪我でもしようものなら悔やんでも悔やみきれないことになる。特に皐月賞は一生のうち一度しか出走できないレースだ。細心の注意を払って挑むべきだろう。

 そんなやり取りをしていると、今日の併走の相手を依頼したトレーナーとウマ娘の子がやってくる。お互いに軽い挨拶を交わす。

 

 

「柳さん、今日は無理なお願いを聞いてもらってありがとうございます。よろしくお願いします」

 

 

「いや、こちらとしてもありがたい申し入れだったよ神藤君。お手柔らかにね」

 

 

 ただテンポイントはまだ休憩に入ったばかりなので準備が整うまでの間相手の子にはウォーミングアップをしてもらう。

 そしてテンポイントの休憩も終わったタイミングで向こうのウォーミングアップも終わったらしく、併走を始めることにした。テンポイントは内、相手は外を走っている。

 二人の走りを見ていると相手のトレーナーが感嘆の声を上げる。

 

 

「なるほど……、これがクラシックの大本命テンポイントか……。噂通りの傑物だな」

 

 

「ありがとうございます。でも、まだまだ安心はできません」

 

 

「慎重だね、まあその気持ちも分かるが」

 

 

 皐月賞のトライアルレースである弥生賞を制したクライムカイザー、弥生賞で敗戦はしたもののそれまで4戦無敗だったボールドシンボリ、そしてテンポイントの対抗としてあげられるトウショウボーイ。ざっと挙げただけだがどのウマ娘も一筋縄ではいかない相手だ。慎重になるのも当然である。

 そして併走も終わりタイムを確認する。今までで一番の時計だ。テンポイントが記録が書かれている容姿をのぞき込んでくる。

 

 

「なぁなぁ、タイムどうだったん?」

 

 

「いい調子だ、今までで一番のタイムだぞ」

 

 

「お、やったぁ!よーし、このままの調子で皐月賞制したるでー!」

 

 

 そして彼女はまた元気よく駆け出していく。その様子を柳さんは微笑ましそうに見ていた。

 

 

「フフ、いいね。元気があって」

 

 

「まあ、たまに元気がありすぎる気もしますけどね」

 

 

 そう切り返すと彼はふと俺にお礼を言ってきた。

 

 

「今日は本当にありがとう、神藤君。おかげでうちの子にもいい刺激になったよ」

 

 

「どうしたんですか急に?」

 

 

そう聞くと彼はこの併走を受けた目的について話してくれた。

 

 

「あの子はここのところ調子が落ちてきていてね。だから年下の子と走ってもらって気分を変えさせようとしたんだ。そしたらあの子も負けん気が出てきたのかタイムも伸びていい感じになってくれたよ」

 

 

「そうですか……。そちらにも有益になってくれてよかったです」

 

 

 そしてもう一本計測した後併走を終えてその日は終了となる。一言ずつお礼を言った後彼らとは別れることになった。

 

 

「今日はありがとう神藤君。また困ったことがあれば呼んでくれ。力になるよ」

 

 

「いえ、こちらこそありがとうございました柳さん。また今度お礼に参ります」

 

 

 彼らの姿が見えなくなるまで見送る。相手の子もいい笑顔をしていたし、彼女にとってもテンポイントにとっても有意義な時間だっただろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 併走も終わったということで俺たちも練習を切り上げてトレーナー室へと戻ってくる。次にやるべきことは皐月賞の作戦会議だ。

 

 

「さて、皐月賞も残すとこ後3日だ。そのための作戦会議をしていくぞ」

 

 

「おー!」

 

 

「まずはマスコミが挙げている有力なウマ娘たちの情報をおさらいしていくぞ」

 

 

 そう言って俺はホワイトボードに名前を書いていく。まず1人目はボールドシンボリだ。

 

 

「ボールドシンボリの特徴は覚えているな?朝日杯を勝ったウマ娘で弥生賞で負けるまでは4戦無敗だった子だ」

 

 

「確か得意なんは逃げやったっけ?」

 

 

「そうだ、あまり深追いしてスタミナを切らすのもよくないが自由に走らせてそのまま逃げ切りなんてことがないようにな」

 

 

 2人目はクライムカイザー。ボールドシンボリの無敗を止めたテンポイントの友達だ。

 

 

「次はクライムカイザーだ。その強さは共同通信杯で対戦したから覚えているだろう」

 

 

「しっかり覚えとるで。ギリギリの勝利やったし」

 

 

 後方からの末脚で一気に上がってくるいわゆる差しを得意としたウマ娘だ。レース展開次第ではその力を発揮できずに終わる可能性もあるがだからと言って油断はできない。

 マスコミが挙げたクラシックの有力候補は4人。うち1人はテンポイントのため残りはあと1人なのだが、この1人がとても厄介だ。

 

 

「今回の皐月賞、分かっていると思うが最も警戒すべきなのはトウショウボーイだ。ハッキリ言ってこいつの強さは先に挙げた2人よりも上位だろう」

 

 

 3戦3勝、しかもそのレースのどれもが強い勝ち方をしているテンポイントと並ぶクラシックの有力候補である。

 

 

「やっぱ最優先で警戒すべきはボーイやな。戦法もボクと似とるし、徹底マークするのもええんちゃう?」

 

 

「そうだな、皐月賞はトウショウボーイをマークする作戦でいこう」

 

 

 確かにトウショウボーイは速いがテンポイントも同じくらい速い。最後の直線での競り合いになったら五分五分だと俺は見ている。後はレースの展開次第だろう。

 そして俺はテンポイントに聞く。それは皐月賞のことだ。

 

 

「テンポイント、皐月賞はどんなレースなのか覚えているか?」

 

 

その言葉に彼女はすぐに言葉を返す。

 

 

「最も速いウマ娘が勝つ……やろ?」

 

 

「そうだ、そしてクラシック3冠の一つでもある。俺がお前をスカウトする時に言った言葉、覚えてるか?」

 

 

これにも彼女はすぐに返す。

 

 

「最強のウマ娘にしてやる……やろ?今でも覚えとるで」

 

 

あの時は笑い死ぬ思うたわ、と一言余計な言葉を添えて答えた。だが俺はあくまで真面目な口調で続ける。

 

 

「俺が超えるべき目標に掲げたウマ娘の1人、シンザンは3冠を取っている。だったら超えたってことを分かりやすくするためにもこっちも3冠取ってやろうじゃねぇか!」

 

 

 その言葉にテンポイントは面白いといったような表情で答える。

 

 

「そうやな!まずは最初の1冠目、取ったろうやないか!目指せ皐月賞優勝や!」

 

 

「その意気だテンポイント!」

 

 

 そして皐月賞に向けての作戦会議も終わり、一服するために俺はテレビを点ける。まあ今の時間はニュースしかやっていないがラジオ代わりにはなるだろう。

 すると冷蔵庫から自分の分の牛乳と俺の分のお茶を取ってきたテンポイントがソファに座り話しかけてくる。

 

 

「そういやトレーナー、こんな噂知っとるか?」

 

 

「うん?何の噂だ?」

 

 

「皐月賞が順延、もしくはレースが中止になるかもしれへんって噂や」

 

 

「あぁ、それか」

 

 

 実は最近組合の方が揉めているらしく、団体交渉を重ねているという話が上がっている。そのためレースが順延する、もしくは中止するかもしれないという噂が立っているのだ。そしてそのレースには皐月賞も含まれている。

 しかし俺はまるで心配していないように振舞う。

 

 

「大丈夫だろ。なんてったって皐月賞は大きなレースだ、中止なんてできないだろうしもし順延になったらもっと前に告知が来るだろ」

 

 

「でも火のない所に煙は立たぬって言うで?ホンマに大丈夫やろか?」

 

 

「心配性だなぁ。確かに順延になったら今日の練習とかほぼ全て無駄になる上に疲れが残るから来週はキツめの練習ができなくなるとは言え、まさか順延になんてならないだろ。あんまりネガティブになるとホントにそうなるぞ?」

 

 

「それもそうやな!気楽に構えよか!」

 

 

「そうだそうだ!ポジティブに考えようぜ!」

 

 

 そう楽観視している俺たちの前に一つのニュースが流れてくる。

 

 

 

 

《次のニュースです。レース場で働く従業員の賃金の値上げを要求し今日まで組合側と運営側で団体交渉が行われていましたが、その交渉が決裂したことで17日と18日の48時間、組合側はストを行うとの声明がありました。これによってURAは中山レース場と阪神レース場で開催される予定だった全レースを中止または延期にすると発表し延期の場合は別のレース場で開催するとの声明を……》

 

 

 

 

 ……え?中山レース場の全レースが順延?マジで言ってる?その中には皐月賞もあったよね?今日の練習なんだったん?

 テンポイントと顔を見合わせる。彼女も言葉が出ないと言わんばかりにこちらを見ていた。そしてその瞬間、俺たちの心は一つとなり同時に叫びを上げる。

 

 

「「ふざけんなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 皐月賞順延。その代償はあまりにも大きく、開催すら危ぶまれている状況で追い切りなどできるはずもなく体調面を気にしてキツめの練習もできなかった。そして皐月賞は本来行われる予定だった翌週の25日に東京レース場で開催されると発表された。別にURAが悪いわけではないのだがそれでもこれだけは言いたい。

 

 

「「今更遅いわ!」」

 

 

 その叫びで何か起こるわけでもなく、とんでもなく大きい不安を抱えたまま俺たちは皐月賞を迎えることになった。




現実のテンポイントの皐月賞も順延したのは結構有名ですね。これによって予定通り行われると予想していた陣営は頭を抱えたそう。でも実際こんなことになったら頭抱えたくもなるわ……。


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第18話 開戦!皐月賞

初めてまともにレースを書いた気がする。


 例年と異なり1週間遅れで開催されることとなった皐月賞。ファンファーレの音が東京レース場に響き渡る。出走する優駿たちが続々と入場してくる。

 

 

 

 

《様々な事情により本来の予定より1週間遅れで開催されることとなりました、クラシック最初の冠皐月賞。最も速いウマ娘が勝つと言われるこのレースを制するのはどのウマ娘か?今ウマ娘たちが続々と東京レース場のターフへと姿を現します。まず出てきたのは1枠1番メジロサガミ》

 

 

《前走のスプリングステークスはテンポイントの2着ですからね。5番人気ではありますが期待が持てます》

 

 

 

 

 そのままウマ娘たちの紹介が続き、ターフにトウショウボーイの姿が現れた。その瞬間歓声が沸き上がる。

 

 

 

 

《続いて入場してきたのは3枠5番トウショウボーイ。ここまで3戦3勝、そのどれもが強い勝ち方をしており本レースの大本命と言っても差し支えないでしょう。評価は少し不満が残るか?2番人気であります》

 

 

《非常に落ち着いていますね。今日は一体どのようなレースを見せてくれるのか非常に楽しみです》

 

 

 

 

 そのままトウショウボーイは観客席に向けてアピールをする。

 

 

「よっしゃあ!今日もオレがぶっちぎってやるぜ!」

 

 

 着物の右肩だけ脱いだように出し、胸にはサラシを巻いた弓手を思わせる勝負服を身に纏い手を振ってアピールしながらゲートへと入っていった。

 

 

 

 

《6枠11番クライムカイザー。前走の弥生賞ではボールドシンボリに雪辱を晴らし見事優勝。本レースの3番人気。その脚で今日はどのようなレースを見せてくれるのか?》

 

 

 

 

 

 皇帝や軍人を思わせるような黒を基調とした勝負服。下はスカートであり一見ミスマッチのように見えるがそれが彼女の愛らしさをより際立たせているのかもしれない。観客席に向かって一礼しゲートへと向かう。

 

 

 

 

《そして!ついに姿を現しました、今回の皐月賞の大本命!7枠12番テンポイントの入場です!……が、なにやら落ち着かない様子ですね?顔には疲労の色が見えています》

 

 

《パドックでもあまり調子が良さそうではありませんでしたからね。果たして大丈夫なのでしょうか?》

 

 

 

 

 テンポイントの内心は穏やかではなかった。元々順延はしないだろうと踏んで先週キツめの調整をしたというのに結果として皐月賞は延期となってしまった。疲労が残るということから軽めの調整しか行うことができず、開催すら危ぶまれていた状況では慎重にならざるを得ない。結果として満足のいく調整ができなかったのである。心の中でテンポイントは愚痴る。

 

 

(当たり前やろ!こちとら予定通り行われると思うて調整してたんやぞ!?それが延期なんかしおって!大丈夫かやと?んなわけないやろ!シバいたろか!?)

 

 

 しかし、実況や解説に怒っても仕方がないと思ったのか一礼だけしてゲートへと入る。そして最後に入場してきたウマ娘もゲートへと入り、出走の準備が整う。

 

 

 

 

《さぁ各ウマ娘ゲートへと入りました。レースを制するのはどのウマ娘になるか?クラシックレースの出発点皐月賞が今……スタートです!》

 

 

 

 

 ゲートが開く。それと同時にすべてのウマ娘が一斉にスタートを切る。今皐月賞が幕を開けた。

 

 

 

 

《今スタートしました皐月賞!好スタートを切りました8番ボールドシンボリ。内にはトウショウボーイ、外にボールドシンボリがつく形となっております。外からはテンポイントが早々に3番手につけています。トウショウボーイは先頭争いには加わらない様子か?3番手集団で争う形。第2コーナーを曲がって向こう正面へといきます、先頭はボールドシンボリ。2番手はユザワジョウ。3番手の位置にテンポイント。その外にクリアロハ。内ラチ沿いにトウショウボーイがつけています》

 

 

 

 

 まず先頭を取ったのは逃げウマ娘ボールドシンボリ。テンポイントは3番手につくことができた。しかしここで彼女にとって計算外のことが起きていた。元々トレーナーと決めたのはトウショウボーイを徹底的にマークするということ。だが、あまりにもスタートダッシュがよすぎたためかトウショウボーイよりも前につけてしまったのである。このことにテンポイントは焦り、どうしようかと迷う。

 

 

(前につけたんはええけど、ボーイの奴は前におらん!どうする?どうするんが正解なんや?)

 

 

 このままのペースを維持すればいいかもしれないがそうなった場合トウショウボーイをマークする作戦は破綻する。どうするべきか、何をするのが正解なのか。テンポイントはその答えを必死に探す。

 悩んだ末にテンポイントが出した結論は下がること。トウショウボーイをマークする作戦を継続することを決めた。そのため少し抑え気味に走る。

 

 

 

 

《向こう正面へと入って第3コーナーの坂へと入っていきます。4バ身のリードを取る先頭のボールドシンボリ。2番手にユザワジョウ。その後ろ3番手はクリアロハ。4番手は外から上がってきましたエリモファーザー。5番手トウショウボーイ控えております。残り1200mを切りました!》

 

 

 

 

 現在テンポイントは9番手から10番手の位置につけている。少し下がりすぎたかもしれないがそのおかげかトウショウボーイの姿を確認するのは容易だった。トウショウボーイの姿を見続ける。

 

 

(確かに体調は万全やないかもしれん。でもやからって負ける気はさらさらないで、ボーイ!)

 

 

 その思いを胸に勝負は第3コーナーから第4コーナーへと移り変わる。トウショウボーイは依然として6番手の内を走る形。クライムカイザーはテンポイントの4つほど後ろにつけて機会を窺っている。

 

 

 

 

《3コーナーを下って残り1000mを切りました。先頭はボールドシンボリ5バ身のリード!2番手ユザワジョウ3番手と4番手の位置でエリモファーザーとクリアロハが並んでいます!その後ろ6番手の位置でトウショウボーイとカミノリュウオーが中団につけています!残り800を切りました!トウショウボーイの後方にはテンポイントの姿もあります!中団につけトウショウボーイをマークする形を取っております!》

 

 

 

 

 そろそろ大欅を超えそうということでテンポイントは先頭との差を詰めるためにペースを上げようとする。しかしその時、クライムカイザーがテンポイントに並ぶように上がってきたのだ。クライムカイザーが前に出た影響でコースを塞がれてしまい、大外を回る以外の選択肢が無くなってしまう。テンポイントは一人愚痴る。

 

 

(ホンマにやらしいコース取りしてくるわ!仕方あらへん、大外回る!)

 

 

 テンポイントがコース取りに苦戦しているところ、トウショウボーイはやや外目を余裕といった感じで回っていく。勝負は最後の直線へと入る。その瞬間テンポイントに悪寒が走った。原因は分からない。ただ何か嫌な予感がする。そういった感覚がテンポイントを襲った。

 

 

(なんや……?なんか嫌な予感がする……)

 

 

 その悪寒の正体は分からないまま、勝負は最後の直線へと持ち込まれた。

 

 

 

 

《第4コーナー回って最後の直線へと入りました!トウショウボーイとテンポイントは外を回っていきます、先頭は依然としてボールドシンボリ!中からトウカンタケシバが突っ込んできた!ボールドシンボリとトウカンタケシバ!そしてクリアロハの激しい争い!その外からトウショウボーイとテンポイントが迫ってきた!先頭は依然としてボールドシンボリしかしその差はわずかしかありません!内からはトウカンタケシバ外からはクリアロハが追い込んできた!しかしここでトウショウボーイだ、トウショウボーイが先頭に躍り出た!トウショウボーイが先頭を走りますテンポイントはまだ4番手の位置だ果たして間に合うのか!?》

 

 

 

 

 第4コーナーの大外を回ってテンポイントは先頭に立つためにペースを上げる。そして残り200mを切ったあたりだろうか?トウショウボーイが凄まじい加速を見せた。その瞬間テンポイントは自身を襲った悪寒の正体を理解する。

 

 

(なんやあの速さ……!トレーナーに見せてもろた映像よりも全然速いやんけ……!)

 

 

 速い、まるで別次元のような速さだ。追いつくどころかどんどん離されていく。そのスピードがのったままトウショウボーイは先頭に立ったかと思うと後続を置き去りにする速さで駆けていく。テンポイントも他のウマ娘と同じように必死になって追走するがいっこうに差が縮まる気配がない。その時テンポイントの脳裏にある2文字が浮かんだ。敗北、その2文字が。

 

 

(負ける……?ボクが……?嫌や!そんなこと……そんなこと……!)

 

 

「許されてたまるかぁぁぁぁぁ!」

 

 

 思わずテンポイントは絶叫した。しかし、トウショウボーイとの差は無情にも開いていく。2番手に躍り出たと思った時、すでにトウショウボーイはゴール板を駆け抜けていた。

 

 

 

 

《今トウショウボーイがゴールイン!2着との差は5バ身差!クラシック最初の冠を手にしたのはトウショウボーイです!これで4戦4勝!大楽勝で皐月賞を制しました!その走りはまさに天を翔けるがごとく!飛んでいるとすら錯覚するような走りを見せてくれましたトウショウボーイ!勝時計は2分1秒6!》

 

 

《すごい走りでしたね。次の走りが非常に楽しみなウマ娘です》

 

 

《2着はテンポイント、3着はトウカンタケシバとなりました。クラシック3冠、最初の冠を手にしたのはトウショウボーイ。次の冠日本ダービーを手にするのは一体どのウマ娘か?来月の日本ダービーが今から楽しみになってきました》

 

 

 

 

「ハァ……ッハァ……ッ!クソッ!」

 

 

 負けた。それも完膚なきまでに。テンポイントは1人そう思っていた。最後のコーナーで大外を回らされたこと、ゲートの枠が不利であったこと、そもそも調整に失敗したこと。色々な原因はあるが今回の皐月賞はとにかく運に恵まれなかった。そう考える外ない。そうテンポイントは結論づけた。

 向こうではトウショウボーイが観客席に向かって手を振り答えている。

 

 

「よっしゃー!皐月賞勝ったぞー!これからも応援よろしくなー!」

 

 

 眩しいくらいの笑顔で彼女は手を振っていた。その光景をテンポイントはただ見ている。

 ことごとく神様に嫌われたテンポイントの皐月賞。その結末は今まで順風満帆だったテンポイントのレースを初めて敗北するという形で幕を閉じることになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして悔しい思いをしたのはテンポイントだけではない。トウショウボーイが笑顔で手を振っている光景をジッと見ているウマ娘がもう1人いた。

 

 

「……」

 

 

 皇帝を思わせる衣装を身に纏ったウマ娘、クライムカイザーだ。クライムカイザーは誰にも聞こえないような声で呟く。

 

 

「このままでは終わらせません……!日本ダービー、その舞台で必ずあなたにリベンジします……、ボーイさん……!」

 

 

 クライムカイザーは1人、リベンジするための牙を研ぐ。全ては友達でありライバルでもある天翔けるウマ娘、トウショウボーイを落とすために。




レース描写の難しさにただただ頭を抱えるばかりです。皐月を制したのはトウショウボーイ、当時のレース映像を見てもスーッと出てきたと思ったら圧倒的な速さで駆け抜けていったので度肝を抜かれました。


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第19話 皐月賞を終えて・反省会

色々と見放されていた主人公とテンポイントの反省会。


 ことごとく神に見放された皐月賞が終わって次の日、現在俺とテンポイントは学園のトレーナー室で今回のレースの反省と改善を話し合うために集まった。

 しかし、お互いに言いたいことがあるのか言葉が被る。

 

 

「しかしまあ……」「ホンマに……」

 

 

 言いたいことは一緒なのだろう。俺たちは深くため息をついた後その言葉を発する。

 

 

「あそこまで運に見放されるとは……」「あそこまで運に見放されるとは思わんやん……」

 

 

 そう、今回の皐月賞はいくらなんでも酷すぎた。テンポイントのレースが、ではなくそれ以外の要素が。大きく分けると3つある。

 まず一番痛かったのがレースが延期したことだろう。元々順延しないと思って1週間前に最終調整をしていたのにいざ蓋を開けてみたらストライキによってレースは延期、しかも別会場で行われる結果となった。延期したといっても、レースまでの間は普通の練習もするので疲労は蓄積していく。そうなると最終調整の疲労が抜けるはずもなく最悪の調子で出走することを余儀なくされた。

 しかしこれは他のウマ娘も同じことであるので、完全に俺の読みが外れただけである。俺はテンポイントに愚痴る。

 

 

「おハナさんは始めから皐月賞が延期することを見越して俺たちが最終調整している頃は軽めの調整にしてたらしいからな……。先見の目がありすぎだろ……」

 

 

「マジか……。預言者か何かとちゃう?」

 

 

「多分単純に俺が先見の目がなさすぎるだけだと思う」

 

 

 この辺の想定外のことをいつまで引きずってもしょうがないが。

 次に頭を抱えたのが枠番だ。7枠12番、基本外枠は不利とされているがこれがまだ中山レース場ならよかった。直線があるからまだ何とかなるからである。しかし今回は会場も変更されており、中山ではなく東京レース場での開催となったのが痛手だった。東京の2000mは1コーナーの奥がスタート地点であり第2コーナーまでの距離が非常に短い。テンポイントは基本前の方で走る戦法を得意としている。外枠から前の方につけるには内のウマ娘が全員差しや追い込みでもない限り初めからトバすしかない。そして今回の内枠のほとんどはトウショウボーイを筆頭に前でのレースを得意とするウマ娘だったことに加えて逃げのボールドシンボリもいた。こんな状況で前につけるのは非常に難しいだろう。だがそれでも最初は前の方につけていたのでさすがはテンポイントと言わざるを得ない。

 レースの展開について俺は彼女に質問する。

 

 

「第2コーナーを過ぎて向こう正面に入ったあたりだったか?抑えて走っていたがトウショウボーイをマークするためか?」

 

 

「せやな、元々そういう作戦やったし」

 

 

 まあそうか。元々トウショウボーイに徹底的につける作戦だったのだから。ただ結果として俺の考えたその作戦が今回は振るわなかったわけだ。

 

 

「今回は俺の作戦ミスだな。トウショウボーイに気を取られるあまり他のウマ娘のマークを疎かにしてしまった。すまなかった」

 

 

「せやなぁ、結果論やけどボーイをマークしすぎたせいでカイザーが上がってきてることに気づかんかったし」

 

 

 これが3つ目の失敗だ。ボーイのマークに集中力を割きすぎたせいで元々想定していた進路がふさがれていたことに気づかずその結果大外を回らされることになった。大外を走ることになったら内を走るよりも距離は伸びるし体力を消耗することになる。元々五分五分の実力なのにこれだけ不利を背負わされたら勝てる勝負も勝てないだろう。

 テンポイントとは逆にトウショウボーイはしっかりと内につけていたため、やや外を回るだけで済んでいた。余力も十分、最後の直線で全力で走ることができた理想のコース取りと言えるだろう。

 今回のレースでの反省点をテンポイントに告げる。

 

 

「延期や枠番は運がなかったとしか言えないから省くぞ。今回のレースでの一番の反省点は位置取りだな。序盤のスタートがよかったが自分にとっての好位置につけるまでが良くなかった」

 

 

「自分の思うた通りにはいかんもんやな……。いつの間にか10番手くらいまで下がってもうたし……」

 

 

「まあ誰かをマークして追うってのは今回が初めてだからな。今後はトウショウボーイだけでなくマークするべきウマ娘が増えてくる。そのための授業料だったと思えばいい」

 

 

「授業料にしては代償がデカすぎんか?」

 

 

「ウッ、まあ今回のことをいつまで引きずってても仕方ない!次のレースはもうすぐだぞ!」

 

 

「誤魔化したな」

 

 

 その言葉を聞こえないふりをして俺は今後のレースについて話すことにした。次はもう決まっている。

 

 

「次のレースは1ヶ月後、クラシックの2冠目、日本ダービーだ」

 

 

「日本ダービーか……。今回と同じ轍は踏まんようにせんとな」

 

 

 日本ダービー。おそらくクラシックレースの中で最も有名といってもいいだろう。このレースで勝つことは最高の栄誉であり、ダービーを制するのは一国の宰相になるより難しいとかなんとか言われている。日本のトゥインクルシリーズの中でも特に伝統と格式があるレースだ。

 その世代の最も速いウマ娘が勝つレースが皐月賞ならば、日本ダービーはもっとも運のあるウマ娘が勝つレースと言われている。この運とは枠番が絡んでいる。大体のレースは多くても18人での出走となるのだが、日本ダービーは特別なレースであるためか20人以上で出走することもある。そのため大外枠を取った場合、それだけで他のウマ娘よりも圧倒的な不利を背負わされることになる。過去にはこの枠番に泣いた子もいるくらいだと聞いている。だが何年か前のダービーに最後の直線だけで22人ぶっこ抜いたヤバい奴がいたと聞いている。だとしても外枠を走ることになるのは避けたい。

 しかしテンポイントはこちらが不安になるような一言を告げる。

 

 

「確かダービーは運が良いウマ娘が勝つんやろ?ボクら無理やん、皐月賞散々やったし」

 

 

「バカ野郎!今回が特別運が悪かっただけだ!こっからきっと上向きになるって!」

 

 

 確かに皐月賞の考えると俺たちに運なんてものはない。でもきっとこれから上がっていく……はずだ。そう思うしかない。

 その言葉の後にでも、と言った後テンポイントは続ける。

 

 

「やったろうやないか。運なんて実力でねじ伏せたる」

 

 

 やだかっこいい。俺はその言葉にすかさず反応する。

 

 

「その意気だ。お前の実力なら日本ダービーだって勝てる!今回は不覚を取ったが、ダービーは取るぞ!そのためにも練習だ!」

 

 

「せや!今からキッチリ鍛えてボーイにリベンジや!」

 

 

「まあレース明けだから今日の練習は身体を鍛えるんじゃなくてレースでの位置取りについての勉強になるけどな」

 

 

 その言葉にテンポイントはずっこける。見事なずっこけ方だ。

 彼女はこちらに文句を言ってくる。

 

 

「さっきまでの意気込み返せや!何のための気合い入れやったと思うとるんや!」

 

 

 俺は至極冷静に返す。

 

 

「そりゃレース疲れとかあるしな。特に今回は余計に」

 

 

 ただでさえ色々な予想外が重なって体調も最悪、疲労も貯まっている状態だ。こんな状態で身体を鍛えるわけにはいかないだろう。なので今日は今後の課題でもある位置取りについてのお勉強だ。

 俺は学園の図書室で借りた資料とビデオをテーブルに置く。けど参考になりそうなものを俺なりにピックアップしてさらに厳選したので数自体は少ない。

 テンポイントから疑問の声が飛んでくる。

 

 

「思うたより数少ないな……?」

 

 

「まあな、一気に詰め込むのは良くないから厳選したものだけを持ってきた。ひとまず今日はこれだけやるぞ。まずはこの問題集からだ」

 

 

 そう言って今日の練習という名の勉強が始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 勉強を始めてから1時間経ち、休憩を取ることにする。脳が疲れた時には糖分ということで俺は自作のケーキをテンポイントへと手渡す。

 すると彼女はケーキを見つめると俺に向かってこんなことを言ってきた。

 

 

「これ自作なんか?」

 

 

「そうだが?もしかしてイチゴじゃなくてチーズとかの方が良かったか?」

 

 

「いや大丈夫やけど……。前々から思うてたけどトレーナー料理得意なんか?」

 

 

「人並みにはできるぞ」

 

 

 その言葉に彼女はケーキを口につけた後、呆れたような顔をしてこう言ってきた。

 

 

「人並みで済ませてええレベルやないやろ。最優秀ジュニアウマ娘の時のパーティで食わせてもろうた料理もそうやしこのケーキもそうやけど店出せるレベルやでコレ」

 

 

「そうか?料理なんて基本自分しか食わないし自分好みの味付けにしてるから店出すってなっても多分無理だぞ」

 

 

 まあ昔から父親の親戚連中からいいもん食わせてもらっていたので味覚を鍛えてもらったこともあってか、同僚連中からは舌が肥えているとはよく言われていた。

 テンポイントは続ける。

 

 

「しかしホンマ美味いな。後で何個か作ってくれへん?」

 

 

「別にいいぞ。友達や同室の子も食えるように多めに作って渡しておく」

 

 

彼女の要求を俺は快諾する。まあ別に手間でもないからそのくらいならお安い御用だ。

続けて質問してくる。

 

 

「もしかしてそういう免許とか持ってたりするんか?」

 

 

「調理師免許のことか?持ってるぞ」

 

 

「なんでも資格持っとるなトレーナー。この前なんかトラックとかリフト運転しとるのを見たって言う子もおったし」

 

 

 その言葉に俺はやや否定気味に返す。

 

 

「さすがに専門の学校を卒業する必要がある資格なんかは持ってないけどな。医師免許とか」

 

 

「逆にそれ持っとったら年いくつやねん」

 

 

 確かにそうなのだが。

  その後は日本ダービーに向けての話し合いとなる。俺は今自分が考えている作戦を彼女に伝える。

 

 

「ダービーでもトウショウボーイをマークする作戦は継続していこう。ただ皐月の反省点を活かして無理に抑えて走る必要はない。もしトウショウボーイよりも前に出る展開になったらそのまま前を走り続けるようにしよう」

 

 

「せやな。無理に下がったらどうなるか、今回のレースでよう分かったわ」

 

 

 トウショウボーイを警戒するあまり好位置につけなかったら元も子もない。だから俺が提示したのは無理に下がらないことだ。そもそもテンポイントは先頭とまではいかなくても前で走るタイプだ。無理に下がって囲まれるよりもよっぽどいいだろう。

 今回の皐月賞を見て確信したことだが、トウショウボーイとテンポイントにはそこまで差がない。決して勝てない相手ではないだろう。だから問題となってくるのは、

 

 

(この華奢な身体……。これが一番の問題点だな)

 

 

身体の弱さだ。デビューしたての頃からは多少マシになっているとはいえ、これからのことを考えるともっと丈夫にならないといけないだろう。しかしこればかりは本人の成長を待たなくてはいけない。

 そういえばウマ娘には本格化と呼ばれる時期があることを思い出す。もし、テンポイントにはその時期がまだ来ていないのだとしたら、もしくはまだ成長途中なのだとしたら。もし完全に本格化を迎えた時どうなるのだろうか?

 しかしその考えを俺はすぐに一蹴する。

 

 

(まあ、いつ来るかも分からない、すでに迎えているかもしれないことを考えても無駄か。今できることをしっかりとやろう)

 

 

 彼女の身体を丈夫にするために今後のメニューを調整していこう。そう考えていると休憩時間が終わる。

 

 

「そろそろ休憩も終わりか。じゃあ勉強再開するぞ」

 

 

「ホンマやな。あっちゅう間やったわ」

 

 

 そしてその後はレースについての知識を深めていき、その日の勉強を終わる。帰りにはテンポイントのからの要望であったケーキを持たせて解散となった。

 後日、彼女に持たせたケーキは寮のルームメイトや彼女の友達連中に大好評だったらしくもっとくれと言われたらしい。そこまで手間ではないからいいが、俺は余計な仕事を増やしてしまったと少し後悔した。




ちなみにですがダービーで22頭ぶっこ抜きしたのはヒカルイマイという競走馬です。当時第1コーナーを10番手以内で回らなければ勝てないと言われていたダービーの常識を覆した名馬ですね。当時のレース映像を見てみると圧巻の走りでした。


※細かいところを微修正 7/22


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第20話 それぞれのチームの部員事情

水曜日って一番憂鬱な日ですよね。週のちょうど真ん中なので。


 皐月賞が終わって初めて迎える週の半ば、5限目は自習となったため皆好きなように過ごしている。それはボクらも同じだ。早々に課題を終わらせてボーイ・グラス・カイザーとボクの4人で会話をしている。今の話題はそれぞれのチームの新入部員のことである。

 ボーイが口火を切る。

 

 

「皐月賞で忘れてたけどさ、そろそろ新入部員の時期だよな?みんなのとこは新しい子入ったのか?」

 

 

 その言葉に真っ先に反応したのはボクだ。ボクのトレーナーはまだ新人ということもあってか新しいウマ娘をスカウトするつもりはないと本人が言っていたことを思い出す。

 

 

「ボクんとこは入ってないで。新人やし、ボク以外を担当するつもりはまだない言うてたわ」

 

 

 そう言うとボーイは納得したように頷く。

 

 

「あ~、確かにテンさんとこはそうだよな。人気ありそうな気はするけどまだ新しい子を見る余裕はないってことか」

 

 

 まあ確かにボクのトレーナーは学生人気が凄く高い。親しみやすいというのもあるが困ったことがあれば彼のとこに行けば大体解決してくれるからだろう。人気があるからと言って担当してもらいたいかはまた別の話のような気はするが。

 次に反応したのはカイザーだった。ハダルは実力も実績もあるし新人は入ったと思うがどうなのだろうか。カイザーが話始める。

 

 

「私のところは1人だけですね。先輩方が何人か卒業して余裕ができたので。ひとまずは1人だけですけどまた何人か増えると思います」

 

 

「へ~、どんな子なの~?」

 

 

 グラスが興味津々と言った感じで質問する。

 

 

「そうですね、芦毛の子ですよ。私は皐月賞の調整があったからまだそんなに話していないんですけど礼儀正しくていい子だって先輩たちは言ってました。将来有望とも言ってましたね」

 

 

 カイザーのチームに入った新人はどうやら将来有望らしい。まあ強豪ハダルに入れる時点で実力者なのは間違いないのだが。

 次はグラスの番となる。彼女も個人トレーナーなのだが担当を増やすのか気になるところだ。そう思っているとグラスが話始める。

 

 

「そうだね~私のところはまだ入る予定はないって言ってたよ~」

 

 

「テンさんと一緒か。確か個人トレーナーだしそれも当然か?」

 

 

 しかしグラスはそれはちょっと違うかな~、と言ってボーイの言葉を否定する。グラスは言葉を続ける。

 

 

「なんでもチームを再建するみたいで~準備しないといけないのとまだ新人を見る予定はないんだって~」

 

 

 その言葉にボクらは驚く。驚いてるこちらをよそにグラスは言葉を続ける。

 

 

「元からチーム自体はあったらしいんだけど~復帰したばかりだからってまだ私しか見る予定はないってさ~。おきのんはそう言ってたよ~」

 

 

 どうやら元からチーム自体はあったようだ。尤もグラス1人しか見る予定がないことからそれはチームなのかという疑問が出てくるが。

 その時ボクはみんなとトレーナーと契約したかというかなり前に話していたことをふと思い出した。あの時グラスは個人トレーナーと契約したと言っていたが実際にはチームトレーナーだったわけだ。その辺はどうなっているのだろうか?ボクはグラスに質問する。

 

 

「グラス、大分前話した時は個人トレーナー言うてたけどまさか知らんかったんか?沖野さんがチーム作っとったこと」

 

 

 その質問にグラスは困ったような笑みを浮かべながら答える。

 

 

「いや~契約した後知ったんだよね~。元々そのチームのトレーナーだったらしいんだけど~、一度トレーナー職から離れた時に一旦なくなっちゃったんだって~。でも~おきのんが戻ってきたから理事長からのお願いもあってチームを復活させることにしたんだってさ~」

 

 

「なるほど、そういう理由か。まあ確かにトレーナーがいなくなったらチームを存続できないもんな」

 

 

 するとカイザーは新たな疑問が生まれたのか首を傾げている。

 

 

「あれ?でもそうなると沖野トレーナーや東条トレーナーの年齢って……」

 

 

「そこまでやカイザー。そこにツッコんだらアカン気がする」

 

 

 なぜかそれ以上言わせたらいけない気がしたのでカイザーの言葉を即座に遮る。

 しかし、今回沖野トレーナーがチームのトレーナーだったということで個人トレーナーはボクだけということになった。そのことに気づいたのかグラスからも言われる。

 

 

「いや~これで正真正銘の個人トレーナーと契約してるのはテンちゃんだけになったね~。希少価値高いよ~」

 

 

「それ喜んでええことか?希少価値も何もここにボクだけしかおらんってだけで個人トレーナーと契約しとる子は沢山おるやろ。それこそクインとかそうやん」

 

 

「まあそうなんだけどね~」

 

 

 さて、これで3人は話し終わったわけだ。後はボーイのとこのリギルだけになる。とはいってもリギルはすでに定員一杯だったはずだから新入部員はいないとは思うが。

 ボクはボーイに聞いてみる。

 

 

「で?リギルは入ったんか?新しい子」

 

 

 しかし、いざ聞いてみるとその予想とは裏腹にボーイはとても嬉しそうに話し始めた。

 

 

「よくぞ聞いてくれた!なんとリギルにも新入部員が入ったんだぜ!」

 

 

 どうやら入ったらしい、新入部員。しかしそれはちょっとおかしくないだろうか?

 

 

「え?入ったんですか?新しい子」

 

 

 カイザーもボクと同じ疑問を抱いたのかボーイに質問する。定員一杯なのになぜ新入部員が入ったのか?その疑問はすぐに氷解することになる。

 

 

「いやー、この新しい子がそれはもうスゲーんだ!なんていうのかな、積んでるエンジンが違うっていうか、とにかく速いしすごい!だから枠を1人増やすぐらいなら大丈夫だからってことでおハナさんがスカウトしたらしいぜ!」

 

 

 かなりの有望株だったらしく、スカウトを決行したらしい。あの厳格な東条トレーナーが珍しいな、と思いながらもそこまでの逸材に興味が湧かないわけがない。

 ボクはボーイにその子のことを聞いてみることにした。

 

 

「ふーん、そこまで言うなんて珍しいやん。なんて名前なんその子?」

 

 

「あぁ!マルゼンスキーって言うんだけどさ、オレも一緒に走ってみたんだけどホントにスゲーんだこの子!それにチームに入って初めてできた後輩だからさ、もう可愛いのなんのって!」

 

 

 相変わらずスゲーとしか言わないので具体的なことはよく分からないがここまで興奮気味に話すということはそれだけ気に入っているのだろう。そんなに気に入ってる相手なら一度くらい走ってみたいものだ。

 カイザーはまだ疑問に感じているのか独り言を呟いている。その声は聞こえないが気になってみたのでカイザーに話を振る。

 

 

「どうしたんカイザー?まだなんか気になることあるんか?」

 

 

 その言葉にカイザーは自身が感じていたであろう疑問をボーイに聞こえないようにこちらに耳打ちしてきた。

 

 

「おかしいと思いませんか?基本的にチームのルールを曲げることがないリギルのトレーナーがどうしてルールを曲げてまでその子を入れたのか」

 

 

「さっきボーイも言うてたやん。それだけ有望やってことやろ?」

 

 

「だとしてもですよ?私には何か裏があるとしか思えないんです」

 

 

「ほうほう?例えば~?」

 

 

 こちらが2人で会話をしていたのに気づいて気になったのかグラスも会話に入ってくる。カイザーはその質問に答える。

 

 

「そうですね……、一番考えられるのはリギルから退部者が出た、とかでしょうか?」

 

 

 その考えをボクたちは即座に否定する。

 

 

「それやったらボーイが知らんのはおかしいやろ。仮にもチームのメンバーのことやで?」

 

 

「だよね~。もしボーイちゃんだけが知らなかったとしても~、なんでボーイちゃんだけ知らされてないのかって話になるよね~」

 

 

「そこなんですよね……。でも私の推測になりますが、何らかの理由があることは確かだと思うんです。ルールを曲げた本当の理由が」

 

 

「そこまで疑問に思うことやろうか?気にしすぎやと思うけどな」

 

 

「私もそう思うな~。カイザーちゃんの気にしすぎだと思うよ~?」

 

 

「だといいんですけど……」

 

 

 自分だけ蚊帳の外になっていることに気づいたのかボーイがこちらに向かって声を掛けてくる。

 

 

「お~い、みんなして何話してんだ?オレにも教えてくれよ」

 

 

 まさかリギルに退部者が出たのかもしれないという不確定なことを言うわけにはいかないだろう。憶測でものを語るのはよくないと思ったボクらは急いで口裏を合わせ話題をそらす。

 

 

「いや、何でもないで。次のレースについて話しとっただけや」

 

 

 ボクの言葉にカイザーも続ける。

 

 

「そ、そうですね。どんな準備をしているかって話してたとこなんですよ」

 

 

「そうそう~、今私がNHKマイルカップ出るって話してたとこ~」

 

 

 その情報は正直初耳だが今は悟られないためにもそれを口にはしない。するとボーイは納得したのかすぐにこちらに話を合わせてくる。

 

 

「へ~グラスはNHKマイルカップに出るのか!やっぱダービーを目指してか?」

 

 

 基本的にダービーの優先出走権を得られるレースは青葉賞が有名なのだが、NHKマイルカップからダービーへと出走するウマ娘も少なくない。ボーイはそう思ったのだろう。

 その言葉にグラスは肯定する。

 

 

「そうだよ~、ギリギリ出走権をもぎ取ってきました~」

 

 

「よかったじゃん!頑張れよ!」

 

 

 NHKマイルカップと言えば確か今週末だったはずだ。その日はトレーナーが休みと言っていたので丁度暇である。ならグラスの応援に行こう。

 

 

「せやな、確か今週末やったか?ボク練習休みやから応援行くで」

 

 

 その言葉にボーイとカイザーが同意を示してきた。

 

 

「テンさんも休みなのか?オレもそうだから一緒に行こうぜ!」

 

 

「私も休みですね。じゃあ週末は皆さんでグラスさんの応援に行きましょう!」

 

 

 ボクたちの応援に行くという言葉が嬉しかったのかグラスはお礼を言ってきた。

 

 

「わ~みんなありがとう~!私嬉しいよ~。頑張っちゃうぞ~」

 

 

 彼女の間延びした口調のせいかいまいち気合が入っているのか分かりづらい。だが、次の瞬間彼女の空気が一変した。この空気には覚えがある。彼女が本気を出す時のものだ。

 グラスはそのまま言葉を続ける。

 

 

「皐月賞、私だけ走れなかったからね。だからダービーは出走して見せるよ」

 

 

 いつもの間延びした口調ではない。かなりの気合いの入りようだ。これはもしかしたら……勝つかもしれない。そう思わせてくれるほどの圧だ。

 そしてこの圧を感じてボーイとカイザーもボクと同じことを思ったのだろう。思わず喉を鳴らしていた。言葉を交わさずとも分かった、2人も同様の期待をしているのだろう。

 

 

(NHKマイルカップ……、ボクは出走せんけど楽しみやな……!)

 

 

 グラスの本気の走りが見れるかもしれない。そう思いながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

迎えた週末、NHKマイルカップ。グラスはどうなったのかというと──

 

 

 

 

《NHKマイルカップを制したのは2番コーヨーチカラ!力強い走りを見せてくれました!すでにダービーへの出走への意思を示しているのでこれからのレースが楽しみです!2着はメルシーシャダイ、3着はケンセカイとなります。ここまで1勝ながら5番人気に支持されました9番グリーングラスはなんと12着の大敗に沈みました!》

 

 

 

 

「負けてんじゃねーか!?」

 

 

「負けとるやないか!?」

 

 

「負けてるじゃないですか!?」

 

 

 ボクらの声は1つになった。あれだけ気合が入っていたのできっと驚くようなレースを見せてくれるのかと思っていたのでこの結果にはさすがにビックリするしかないだろう。

 後日、本人の口からは

 

 

「あんなに囲まれたらむ~り~」

 

 

という言い訳が語られた。




今回初めてウマ娘に実装されてるキャラが出ました。(存在が示唆されただけ)
タグはこれ増やした方がいいんじゃない?というのがあれば教えていただけると幸いです。


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第21話 副会長の職業体験

テスコガビーの意外な弱点


 青葉賞とNHKマイルカップが終わった翌日。俺はトレーナー室でテンポイントのトレーニングメニューを組んでいた。

 

 

「皐月賞では負けちまったからな。日本ダービーは是非とも獲らせたい」

 

 

 今度こそ悔いを残さないような結果にするためにも、俺はテンポイントがギリギリ耐えられるであろう練習メニューを組む。スピードは現状問題ないと判断したのでそれ以外の要素、彼女に不足しているパワーを鍛えることを重点的にしたものだ。地味な筋トレばかりになってしまったがそれは仕方ないだろう。

 その時俺はふとNHKマイルカップのことを思い出す。あのレースには沖野さんとこのグリーングラスがダービーへ望みをかけて出走していたのだが、聞くところによると大敗したらしい。このことに関して沖野さんは無理強いしてしまったと悔いていた。

 そんなことを思い出していると、携帯が震えるのと同時にトレーナー室の呼び鈴が鳴った。もう授業が始まろうという時間なのでこの時間の来訪者は珍しいな?そう思いながら携帯は後回しにして来客の対応をしようと俺は返事をする。

 

 

「扉は開いてるぞー。入ってきてくれ」

 

 

 そう言うと扉は開かれる。そして入ってきたのは俺にとって予想外の人物だった。

 

 

「忙しいところすまない、今時間は大丈夫だろうか?」

 

 

 入ってきた人物、それは生徒会副会長のテスコガビーだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ま、まあとりあえずお茶でも飲んでくれ」

 

 

「ありがとうございます」

 

 

 予想だにしなかった来訪者に俺は内心驚きながらもお茶を差し出す。テスコガビーはそれを受け取る。しかし一体どうして彼女はここに来たんだ?俺の覚えている限り彼女が自発的にここに来ることなんてなかったはずだ。つまり何かしらの理由があるはずなのだが全然見当がつかない。最近は前より大人しくしているので何かやらかした覚えもない。

 いつまでも事情を聴かないまま黙っているわけにもいかないだろう。俺は彼女に質問をする。

 

 

「それで?一体どうして俺のところに来たんだ?何かやらかした覚えはないんだが?」

 

 

「……私が来た時点で何かやらかしたと思うのはどうかと思うが、用件はそうではない」

 

 

 俺の言葉に彼女は渋面を作ったが、どうやら何かやってしまったということではないらしい。ひとまずホッとした。

 そのまま彼女は言葉を続ける。

 

 

「トレセン学園の職業体験を知っているだろう?」

 

 

「あぁ、アレか。いつもこのくらいの時期にやっているやつ」

 

 

 トレセン学園にも普通の学校みたいに職業体験なるものが存在している。ここの場合は希望者のみに実施するような形で行われている。そして生徒が希望した職業の場所に学園側が連絡を取り、職業体験の許可を取って1週間その仕事を実際に体験する。一応俺たちトレセン学園の用務員の仕事も体験できたりするのだがこれまで一度も来たことがない。

 しかしそれでなぜ俺のところに来たのだろうか?と疑問をぶつける。

 

 

「職業体験ってのは分かったがそれでなんで俺のところに来たんだ?もしかして用務員の仕事を体験したいって奴でも連れてきたのか?」

 

 

「そうだな、半分正解だ」

 

 

 どうやら半分だけ当たっていたらしい。しかしそうなると残り半分はなんだろうか?

 

 

「半分?どういうことだ?」

 

 

「残り半分はその体験したい奴が私だということだ」

 

 

 その言葉を聞いた時に俺はお茶を吹き出しそうになった。ありえない言葉がありえない奴の口から聞こえたからだ。

 

 

(用務員の職業体験?こいつが?)

 

 

 ハッキリ言って珍しいというか考えもしなかった。ハイセイコーに代わるリギルのエース、桜花賞とオークスを圧倒的な強さで勝利した女傑。怪我でトリプルティアラこそならなかったがもし出走出来たら確実に獲れていただろうともいわれるほどの評価を貰っている彼女がまさか職業体験に来るなんて思いもしなかった。てっきりドリームトロフィーリーグに進むものとばかり思っていたからだ。

 俺は自分が感じた疑問をそのまま彼女にぶつける。

 

 

「お前が?用務員の職業体験?なんというか珍しいな」

 

 

「なぜだ?今後のことを考えてやってみるのもいいと考えるのは自然なことだと思うが?」

 

 

「いや、ドリームトロフィーリーグに移籍はしないのか?今は無理かもしれんがお前の実力ならいずれ入れるだろう?」

 

 

「……私にも色々あるということだ」

 

 

 俺の言葉に彼女は目を逸らして答える。おそらく答えたくない事情があるのだろう。ならこれ以上深く詮索するのは野暮ってものだ。

 彼女の用務員の仕事を体験したいという要望を俺は承諾することにした。それを彼女に伝える。

 

 

「まあいいや。用務員の仕事を体験したいって言うならこっちとしても大歓迎だ。今日から1週間よろしく頼むぜ」

 

 

 そう言って俺は彼女の手を差し出して握手を求める。その手を彼女は取り握手を交わす。

 

 

「はい、よろしくお願いします。神藤さん」

 

 

「ハードな仕事もあるが、頑張ってついてこいよ?」

 

 

「大丈夫です。体力には自信がありますので」

 

 

 こうして、少しの疑問を残しながらもテスコガビーの職業体験がスタートすることになった。一応体験する身であるためか、彼女も敬語になっている。

 だがその前にもう一つ疑問に思ったことを彼女に質問する。

 

 

「てか俺のとこに連絡来てなかったんだけどなんでだ?」

 

 

 テスコガビーは不思議そうに答える。

 

 

「最初は用務員の方々のところに行ったのですけど、職業体験の旨を伝えたら神藤さんが教えてくださると言われたのでこのトレーナー室へと来ました。連絡は来てませんでしたか?」

 

 

 その言葉に俺は携帯を確認する。そしたらテスコガビーが来た同じくらいの時間に職業体験の子がお前のところに行くとだけ書かれたメッセージが届いていた。おそらく先程携帯が震えていたのはこれだろう。というか

 

 

(体よく押しつけやがったなあいつら)

 

 

面倒だからか分からないが押しつけられたことに俺は怒りを感じた。テスコガビーがいる手前口には出さないが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、仕事を教えていく前にお前が抱いているトレセン学園の用務員の仕事のイメージについて教えてくれ」

 

 

 トレーナー室を出て動きやすい服装に着替えた後、正門前で仕事を教える前にテスコガビーが俺たちにどういったイメージを抱いているのか聞く。何も知らないままで与えられた仕事をただやるというのはやる気も出ないしつまらないだろうからだ。せっかく体験に来てくれたのだからいいイメージを持ってもらいたい。

 俺の質問に少し考えた後テスコガビーは答える。

 

 

「……私がよく目にするのは学園を清掃している姿、でしょうか?なので主な仕事は学園の美化に勤めることだと思っています」

 

 

 まあ大体合っている。俺はそのことを彼女に伝える。

 

 

「そうだな、他にも色々な仕事はあるが俺たちが忙しくなるのはイベントがある時。ただ最近ファン感謝祭も終わったから大きいイベントはもうない。だから今日は清掃からやっていこう」

 

 

 掃除のための道具はすでに持ってきている。俺は箒を彼女に手渡す。

 

 

「今回俺たちに割り当てられたのはこの正門前だ。頑張って奇麗にしていくぞ!」

 

 

「分かりました」

 

 

 そうして掃除を始めたわけだが、ここで想定外の事態が起きた。それは清掃を始めてから少し経った時のこと。

 突然何かが折れる音が聞こえた。音の聞こえた方を振り向くとテスコガビーが柄の折れた箒を持って呆然と立ち尽くしている姿が確認できた。

 

 

「……一応聞いておく。何をやったお前?」

 

 

 奇麗に真っ二つに折れた箒を持っている彼女にそう質問する。すると訳が分からないといった感じに答えた。

 

 

「箒が勝手に折れました」

 

 

「箒が勝手に折れるわけねぇだろ!あぁもう、こっち貸してやるから!」

 

 

 彼女の頓珍漢な返答に呆れながらも俺は自分の持っていた箒を渡し、彼女が持っていた箒を補修するために一度持ち場を離れる。壊れた箒の補修が終わり、新しい箒を持って持ち場に戻ってきたところ……

また折れた箒を持ってテスコガビーが佇んでいた。

 

 

「お前またかよ!?」

 

 

 すると彼女は自分のせいだとは露にも思っていない感じに答えた。

 

 

「先程もそうでしたが老朽していたのかすぐに折れました。できれば新品の箒をお願いできますか?」

 

 

 その言葉に俺は憤慨しながら答える。

 

 

「お前に渡した2本とも新品だよ!それを折るってお前どんだけ力込めて掃除してんだ!?」

 

 

「おかしいですね……、そこまで力を込めたつもりはないのですが……」

 

 

 心底分からないといった風に彼女は答える。分からないと言いたいのはこっちの方だ。そこから何本もの箒が犠牲になったものの、なんとか清掃を終えて次の仕事へと向かうことになる。正直、この先が不安になる始まりだった……。

 そしてその不安は見事に的中することになる。

 

 

「すいません、木材が粉々になってしまったのですが」

 

 

本棚修理のための作業をしていたら強く叩きすぎて木材を粉砕してしまったり

 

 

「ダートコースが抉れてしまいました……」

 

 

授業で使ったダートコースをならしてたら勢い余って地面を抉ってしまったり

 

 

「電球が割れました。古かったのでしょうか?……痛ッ!」

 

 

「早く手を開け!俺が片付けとくから!」

 

 

電球を変える作業をしようとしたら強く握りすぎて電球を割って怪我をしたりと、本当に色々なことがあった。

 そして今はすでに授業も終わる頃であろう時間。保健室でテスコガビーの傷の手当てをしていた。彼女は申し訳なさそうに謝ってきた。

 

 

「申し訳ございません……、まさか自分がここまで不器用だったとは……」

 

 

「生徒会の仕事で掃除とかはやってこなかったのか?」

 

 

 俺の質問に彼女は首を振る。

 

 

「生徒会やリギルでは書類仕事しか与えられなかったので……。細かい作業などは全て別の役員がやっていたんです……。その理由が今分かりました……」

 

 

 確かにこれだと他の役員たちも細かい作業を割り振らないだろう。まさか彼女がここまで不器用だとは俺も思わなかった。

 彼女はここまでと言っていたが、もしかして自覚はあったのだろうか?聞いてみることにした。

 

 

「ここまでって言ってたな?ということは自分が不器用っていう自覚はあったのか?」

 

 

 すると彼女は心当たりがあるように答える。

 

 

「会長は私が作業を手伝うと申す度に引き攣った顔で断っていたので……、もしかしたらとは思っていました……」

 

 

 あのハイセイコーが引き攣った顔するって相当だな。

 彼女はそのまま俯きがちに話を続ける。

 

 

「笑えますよね……、他の子から尊敬されている生徒会の副会長が実は走ること以外何にもできないだなんて……」

 

 

「別にそんなことはないと思うが」

 

 

 しかし彼女は俺の回答に首を振って自嘲気味に話を続ける。

 

 

「走り以外でやれることを見つけなければ……そう思い今回の職業体験に踏み切ったのですが……、呆れましたよね?ご迷惑をおかけしました、もう……」

 

 

「そう結論を急ぐな、テスコガビー」

 

 

 おそらく今回の職業体験はなかったことにしてくれ、と言いたいのだろう。しかし俺はその言葉を遮る。彼女は顔を上げて俺の方に視線を向ける。

 

 

「お前に何があったかのかは知らないし聞く気もない。言いづらいことだろうしな。だからと言って俺は今回の職業体験をなかったことにする気はないぞ」

 

 

「……どうしてですか?ここまで迷惑を掛けているんです、あなたも嫌になったでしょう?」

 

 

 彼女の言葉に俺は首を振る。そもそもの話だ。

 

 

「お前はまだこの仕事をやったことがない、いわゆる新人だ。新人なんて失敗して、怒られて当たり前なんだよ。大事なのはそこから学んで次に活かすことだ。だから今日一日やっただけでなかったことにしてくれなんてそんなの俺が認めねぇぞ」

 

 

「……でも、また迷惑を掛けるかもしれません。同じ失敗も繰り返すかもしれません。それでもいいのですか?」

 

 

 心配そうな顔をしている彼女に俺は答える。

 

 

「上等だ、どんどん迷惑を掛けろ!失敗なんていくらでもしろ!そのために俺はいるんだからな!」

 

 

 俺の言葉に驚いたような表情を浮かべた後、彼女は笑顔を浮かべた。

 

 

「なるほど……、あなたが生徒から慕われる理由を今再認識しました」

 

 

「だろ?いい男だろ俺」

 

 

 俺は得意げに答える。そしてテスコガビーはその姿に呆れたような笑顔を浮かべながら

 

 

「それさえなければ、もっと尊敬できたのだがな」

 

 

元の口調に戻しつつ、そう答えた。

 彼女がどうして用務員の職業体験を受けに来たのかはまだ分からない。だが受けに来てくれたからにはしっかりと教えて彼女のこれからの人生に役に立つように努めよう。そう思いながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の日、昨日のように清掃から始めるために箒を手渡して少し経った後──

 

 

「すいません、また箒が壊れました。新しいのをお願いします」

 

 

「お前迷惑かけてもいいとは言ったがいい加減にしろよ!?」

 

 

……どうやら彼女の不器用が直るのはかなり前途多難な道のようだ。




彼女の不器用が直るのはまだ先のお話


※細かい箇所を微修正 7/22


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閑話2 皇帝は静かに牙を研ぐ

主人公とテンポイント以外の視点になる時は閑話と題名をつけることにしました。主人公たちが行動している一方その頃、みたいな視点になると思います。


 日本ダービーのトライアルレースである青葉賞、私の友達であるグリーングラスさんが出走して色々と予想外な結果になったNHKマイルカップが終了してから1週間ほどが経ち、ダービーに向けての練習が本格化してき始めている。そんな中私、クライムカイザーは自身が所属しているチーム・ハダルの部室で特に警戒すべき相手の過去のレース映像を見ている。その相手は2人。皐月賞を制したトウショウボーイさんと共同通信杯で苦渋を舐めさせられたテンポイントさんだ。今は共同通信杯のレースを見ている。

 

 

《……さぁ最後の坂に入りましたクライムカイザーがわずかに前に出ています!テンポイントは内をついてここから伸びるのか?クライムカイザーが来た!クライムカイザーが先頭だ!クライムカイザーとテンポイント2人の激しい先頭争いだ!テンポイントが内から伸びるかクライムカイザーが外から躱すか!クライムカイザーも強いぞ!しかしここでテンポイントが内からクライムカイザーを抜いた!その差を1バ身と離しますしかしクライムカイザーもじりじりと差を詰めていきますその差を3/4バ身、1/2バ身と差を詰めました!が、ここまで!共同通信杯を勝利したのはテンポイント!テンポイントやっぱり強かった!2着はクライムカイザー3着は……》

 

 

「やっぱりテンポイントさんは油断できませんね……。最後の坂で先頭に立った時は勝ったと思ったのですが……」

 

 

 この時の共同通信杯は今でも鮮明に思い出せる。

 このレース、私は終始テンポイントさんだけをマークしていた。もしハナに立つのであればそれについて行く気であったが、彼女はすぐに2番手へと下がっていた。なので私はいつも通り最後方でレースの展開を窺う。そしてレースは淀みなく進み第3コーナーを回って第4コーナーを超えようかという所、彼女は息を入れる為か一瞬減速して5番手まで下がってきた。私は彼女を内に閉じ込めつつ外から躱すように位置取りをする。直線に入ったタイミングで彼女は3番手へと上がり、坂を越えたタイミングで先頭に立つ。私もそれに追走するように坂を越えたタイミングで外から追いつき、他の子を突き放して最後は完全に彼女とのマッチレースとなった。お互いに差して差し返すといったレース模様となったが最後に私の脚が残っていなかったためか外へとよれてしまい、その一瞬の隙を突かれて突き放されてしまう。私は何とか追いつこうと頑張っては見たが結果は1/2バ身差での2着。今でも悔しい思いをする結果となってしまった。しかし彼女はどうやらここ最近調子を落としてきている。油断さえしなければ勝てるだろう。

 次に私は皐月賞の映像を見る。理由はトウショウボーイさんを観察し、彼女の弱点となる部分を探るためだ。共同通信杯の映像が入っているディスクを取り出して皐月賞の映像を入れる。その時、私の視界が急に真っ暗になった。

 

 

「えっ?えっ!?な、なんですか!?何が起こっているんですか!?」

 

 

 急に視界がなくなったことに私が慌てているとすぐ後ろから楽しげな笑い声が聞こえてきた。おそらく手で私の目を塞いでいるのだろう。そして私の視界を遮っているであろう主はその楽し気な声のまま私に尋ねてくる。

 

 

「さぁ、ここで問題で~す。今カイちゃんの目を手で覆っている私は誰でしょうかぁ?」

 

 

 問題が飛んでくるが、ハダルでこんなことをする人は1人しか思いつかない。私はその名前を少し怒りながら答える。

 

 

「こんなことする人はあなたしかいませんよね、タケホープ先輩!」

 

 

 そう答えた瞬間、私の視界は正常に戻った。おそらく手を離したのだろう。そして後ろを振り向くと茶色の長い髪を2つ結びにしている見知った姿の人物が口元に手をやり笑っていた。そして手を大げさに広げて嬉しそうに、そしてグラスさんに負けず劣らずののんびりとした口調で答える。

 

 

「ピンポンピンポ~ン、大・正・解。カイちゃんが尊敬してやまないタケホープ先輩だよぉ。はいこれ、正解商品のお茶」

 

 

「あ、ありがとうございます」

 

 

 大げさに広げた手を元に戻し、拍手をした後こちらに飲み物を手渡してくる。やはりというか、私に悪戯をしていたのはハダルのチームリーダーにして生徒会副会長でもあるタケホープ先輩だった。

 タケホープ先輩。その名をトレセン学園で知らない者はいないだろう。現生徒会長ハイセイコー先輩の宿命のライバル、世代のダービーウマ娘であり当時連勝街道を走っていたハイセイコー先輩に初めて敗北をもたらしたウマ娘。人気のハイセイコー先輩に対し実力のタケホープ先輩と当時は言われていたほどの実力者だ。2人の対戦においては4勝5敗とタケホープ先輩が負け越しているものの、先着したレースは全て1着であり、さらにそのうち2つはクラシック3冠レースであるダービーと菊花賞である。ダービーを勝った時はフロックだのマグレだの言われていたらしいが、菊花賞でその声を全て黙らしたのは有名な話だ。

 しかしこのタケホープ先輩、実はかなりマイペースな人物だ。普段から何かするわけでもなくダラダラと過ごしている姿を見かけている人も多いと聞く。そしてたまにこうやって後輩である私たちに悪戯をしてくる。悪い人ではないのだが掴みどころがない。それが私が関わってきた中でタケホープ先輩に抱いた印象である。

 とりあえずお茶を貰ってから私は先輩に質問をする。

 

 

「それで、何の御用でしょうか?私は今ダービーに向けての研究で忙しいんですけども……」

 

 

 すると先輩はこちらに指を突きつけて私の質問に答える。

 

 

「答えは単純だよぉカイちゃん。何やら次のレースの研究が行き詰っていると聞いてねぇ。微力ながら私もお手伝いをしに来たというわけさ。というわけで私にもトウショウ何某のビデオみーせて」

 

 

「トウショウボーイ、ですよ先輩」

 

 

 どうやら私を手伝うために来てくれたらしい。そのことに感謝しつつ椅子をもう1つ用意して座るように促す。

 

 

「さてさて~、何某ボーイは一体どんなレースを見せてくれるのかなぁ?」

 

 

「もう覚える気ないですよね先輩……」

 

 

 そうツッコミを入れつつ私は皐月賞のディスクではなく、ボーイさんのレースを全てまとめたディスクを入れる。先輩がいるなら最初のレースから見た方がいいだろうと思ったからだ。

 そして一通り見た後、最後に皐月賞の映像を見ている。そして見終わった後、先輩は称賛の声を上げていた。

 

 

「いやぁ、すごいねぇ。このトウショウボーイって子は。うん、拍手するしかないねぇ」

 

 

 そう言いながら先輩は拍手をしている。

 

 

「それで、ボーイさんの弱点らしい弱点は先輩の目から見つかりましたか?」

 

 

 私の質問に先輩ははぐらかすように答えた。

 

 

「うぅん、特にこれといったのは見つからないなぁ。お手上げかもしれないね」

 

 

「そ、そんなぁ。先輩でも見つからないなんて……」

 

 

 私が泣き言を言いそうになると先輩は呟いた。

 

 

「でもこの子、今まで誰とも競り合ってないっぽいねぇ。そういう子に思いっきり併せてあげるとどういう反応をするか、楽しみにならない?カイちゃん」

 

 

 思わず私は先輩の方へと顔を向ける。すると楽し気な笑みを浮かべていた。どういう反応をするのか、どういった行動をとるのか楽しみで仕方がないといった様子で。

 そしてこの言葉は私にとってボーイさんを攻略するための一筋の光となった。私は慌てて映像を巻き戻して全てのレース映像を見逃すことがないように食い入るように見る。そして全ての確認が終わった後、私は思わず感嘆の声を漏らした。

 

 

「お疲れ様ぁ、カイちゃん。どうだった?」

 

 

「……ありがとうございます、先輩。おかげで見えました、ボーイさん攻略のカギが」

 

 

 私のお礼に先輩は謙遜していた。

 

 

「いいやぁ?私はただ自分が感じた疑問をカイちゃんに教えてあげただけだよ。攻略のカギを見つけたのはカイちゃん自身の功績さ」

 

 

「いいえ、先輩がいなければおそらく見つけられなかったでしょう。だから、ありがとうございます」

 

 

「そういうことなら、素直に受け取っておくよぉ」

 

 

 これでボーイさんを攻略するためのカギは見つけた。後は練習していくだけだろう。しかしどうやってこの練習をしようか?仮想敵がボーイさんとなると半端な相手じゃ練習にすらならない。かなりの実力を持った併走相手が必要となるだろう。ハダルのみなさんは自分たちのレースがあるから頼れない。

 そう考えていると、先輩はなぜか準備運動を始めていた。

 

 

「あの、タケホープ先輩?どうして準備運動を?」

 

 

 私の言葉に先輩はさも当然といった感じで答える。

 

 

「ん~?多分練習パートナーに困ってると思ってねぇ。そのパートナー、私がやってあげるよ」

 

 

「え!?い、いいんですか?」

 

 

「いいよいいよぉ。可愛い後輩のためだからね。私なんかでよければいくらでもパートナーをしてあげるよぉ」

 

 

 先輩の言葉に私は感謝の言葉を返す。

 

 

「とんでもないです!タケホープ先輩が力を貸してくれるなら百人力です!ありがとうございます!」

 

 

「そう言ってもらえると照れるねぇ。ついでに~」

 

 

 そう言いながら先輩はロッカーへと近づき、扉を開けたかと思うと中に入っていた人物を引きずり出す。中から出てきたのは

 

 

「ヒ、ヒィィィィィ!な、なんで分かったんですかァァァァァ!?」

 

 

 カブラヤオー先輩だった。なんでそんなところに隠れてたんですか先輩……。

 

 

「カブちゃんもそろそろ復帰戦でしょ?だから一緒に練習しようねぇ?」

 

 

 カブラヤオー先輩はその言葉に首を大きく横に振る。

 

 

「だだだ大丈夫ですぅぅぅぅぅ!わわわ私は1人で練習できますのでぇぇぇぇぇぇ!だ、だから……」

 

 

 その先の言葉が紡がれることはなかった。タケホープ先輩がカブラヤオー先輩の腕を逃がすまいと力強く捕まえ

 

 

「やるぞ。分かったな?」

 

 

と凄んでいた。カブラヤオー先輩はもう逃げられないと悟ったのか

 

 

「は、はいぃぃぃぃぃ……」

 

 

諦めた口調で答えた。哀れである。

 しかし少し可哀そうだと思ったのかタケホープ先輩が言葉を続ける。

 

 

「それにぃ、今度の復帰戦しっかりと勝って、テスコガビーちゃんにいいとこ見せないとねぇ?」

 

 

 テスコガビー先輩と言えば、NHKマイルカップよりも少し後に怪我明けの復帰戦のレースに出ていたのだが、結果が振るわなかったと聞いている。その報せを聞いた時、カブラヤオー先輩は悲しそうにしていた。

 タケホープ先輩の言葉を聞いて少しやる気が湧いてきたのか

 

 

「そ、そうだ!私が頑張っている姿をガビーちゃんに見せて、励ましてあげるんだ!」

 

 

そう意気込みを語った。カブラヤオー先輩とテスコガビー先輩は同期で仲が良い。その同期が落ち込んでいるかもしれないから自分が頑張っている姿を見せて励ましてあげようと考えているのだろう。普段は臆病なカブラヤオー先輩がテスコガビー先輩のために頑張ろうとしている姿。その友情に少し涙ぐむ。

 やる気も出てきたのか、着替えて先に練習場に行ってくる、と言ってカブラヤオー先輩は部室を出た。私も向おうとしたところ、タケホープ先輩に呼び止められる。

 

 

「ちょっといいかな、カイちゃん」

 

 

「どうしたんですか、先輩?カブラヤオー先輩がやっぱ無理っていう前に早く向かわないと」

 

 

 すると先輩は少し真面目な口調で私に問いかけてくる。

 

 

「カイちゃんはさ、ダービーを勝つ覚悟はある?」

 

 

 投げかけられた質問の意図が分からない。私は素直に返す。

 

 

「ど、どういうことですか?」

 

 

 先輩は私を試すように言葉を続ける。

 

 

「今の状況さ、私の時と似てるんだよね。お前の勝利なんか望んでない、俺たちが見たいのはハイセイコーが勝つとこなんだよ、っていうお客さんたちの声が聞こえてきそうだったあの時の状況っていうかさ。実際望まれてるのはトウショウボーイって子が勝つとこだと思うんだよね。ハイセイコーみたいなスター性があるし」

 

 

 その言葉を私は否定することができなかった。ハイセイコー先輩とボーイさん。どちらも無敗で皐月賞を制している。人々は新たな伝説の誕生を望んでいる声が多い。シンザンさん以来の3冠ウマ娘。そんな中別の誰かがダービーを勝ってしまうと面白くないし、心無い声だって飛んでくるだろう。

 先輩は私に問いかける。

 

 

「勝ったところで称賛の声が届かないかもしれない状況、それでもカイちゃんは勝ちたいって思う?」

 

 

 ……おそらくだけど、先輩は私が傷つくかもしれないと思っているのだろう。先輩はマイペースだけど優しい人だ。可愛い後輩が傷つく姿はできるだけ見たくはないと思っているのかもしれない。

 けれど私の答えは決まっている。

 

 

「勝ちたいです。誰も私の勝利を望んでいないなんて知ったことじゃない、他ならない私自身が勝ちたいと思っているから!だから私は、ダービーを勝ちたいです!」

 

 

 そうきっぱりと答える。すると先輩は優しい顔を浮かべて安心したように言葉を返す。

 

 

「そっか。うん、よかった。カイちゃんはそんなに弱い子じゃなかったね。じゃあ頑張ろうか、ダービーを勝つために」

 

 

「はい!ご指導ご鞭撻、よろしくお願いします!」

 

 

 そして私たちは練習場へと向かう。皐月賞のリベンジを果たすために。ダービーの栄光を掴むために。




エアシャカールガチャ敗北民です。私もエアシャカール育成してぇなぁ。


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第22話 進んだ一歩、体験の理由

切りが良かった&長くなりそうだったのでここまで。結構長くなってしまった……。


「……ついにやったな、テスコガビー……」

 

 

「はい、神藤さん。私、ついにやりました……」

 

 

 テスコガビーの職業体験が始まってから時が経つのは早いもので今日が体験の最終日の朝。俺と彼女はいつも通り清掃からやっていたのだが、お互い神妙な顔つきで会話をする。

 それもそうだろう。この日ついにテスコガビーはやったのだ。

 

 

「ついにだ。ここまで長かったな……」

 

 

「えぇ、とても長かったです……。ついに……」

 

 

「箒を折らずに掃除を時間内に終えたな!」「箒を折らずに清掃を終わらせることができました!」

 

 

 そう、最終日にしてようやくテスコガビーは箒を折らずに清掃を終えることができた。ここまで犠牲になった数は計り知れない。十数本近い数が折られた犠牲のもと、ついに彼女はやり遂げることができたのだ!それ普通のことじゃね?というツッコミは受けつけない。

 まだ彼女の不器用が完全に治ったわけではないがこれは大きな一歩となるだろう。不器用を治すにはこういうコツコツとした積み重ねが大事なのだと誰かが言っていた。

 テスコガビーがこちらに感謝の言葉を伝えてきた。

 

 

「ありがとうございます神藤さん。まだ小さな一歩ですが、着実に前に進んでいるという実感が湧いてきました」

 

 

「おう。この調子で頑張っていこう!……と言いたいが、今日が最終日なんだよな、職業体験」

 

 

 そう、これから頑張っていこうにも体験は今日まで。後は彼女が個人で頑張るしかない。それに彼女はいまだトゥインクルシリーズを現役で走っているウマ娘だ。トレーニングの関係上そう時間は取れないだろう。

 俺は彼女に激励の言葉を贈る。

 

 

「お前はリギルのトレーニングもあるし、俺はテンポイントのサポートがあるからお互い時間は取れなくなるかもしれないが、暇がある時はまた見てやるからさ、頑張れよテスコガビー」

 

 

 まだ仕事は残っているので早いかもしれないが何回言っても損するわけじゃないからいいだろう。

 しかし、彼女は俺の言葉に一瞬だったが浮かない顔をしていた。だがすぐに表情を戻して

 

 

「そうですね……。またお暇な時にご指導をお願いしてもいいでしょうか?」

 

 

 と一言告げた。正直なぜ浮かない顔をしたのかが非常に気になるところだ。おそらく彼女が職業体験に踏み切った理由と関係があるのだろう。本人も言いづらいと思うので俺はあくまで気づかないふりをする。

 

 

「おう!いつでも頼ってこい!」

 

 

 そう言って、俺は掃除用具を片付けることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 掃除用具を片付け終わった後、テスコガビーが尋ねてくる。

 

 

「この後のお仕事は何でしょうか?本棚の修理でしょうか、授業で使ったコースの整備でしょうか?」

 

 

 清掃がうまくいったためか、心なしかテンション高めな彼女に俺はこの後の仕事内容を告げる。

 

 

「いや、今日は特別な仕事があってな。用務員が全員集まってあることをする」

 

 

「あること?」

 

 

「夏に使われている合宿所、あそこの清掃さ。リギルだと使ったことないから分からないかもしれないが」

 

 

 海岸近くに建てられているトレセン学園の合宿所。リギルのように大きなチームだと他の宿泊施設を利用するため、見たことはないと思っていた。だが、どうやら彼女は合宿所を見たことがあるらしい。

 

 

「いえ、生徒会として何度か尋ねたことがあります。用務員の方々が全員集まるということは結構大規模なものになるのでしょうか?」

 

 

「なんだ知っていたのか。月に何回かは清掃しているんだが建物自体が老朽化している影響もあってか年に一回大規模な清掃が必要な時があるんだよ。今日がその年に一度の大規模な清掃の日ってわけだ。さらに今回は理事長主導の下で行われるらしくてな」

 

 

「理事長主導の下……ですか。それは大掛かりなものですね」

 

 

 テスコガビーは驚いている。まあ学園の長が直々に出張っての清掃などかなり珍しいことだろう。しかしあの人はこの学園を愛するものとして自分が先導して行動を起こさねば!みたいな人柄であるためこういうことは結構あったりする。まあたまに秘書のたづなさんに怒られていたりするが。

 合宿所まで少し距離があるので、車を利用して向かう。そして合宿所に着くとすでに何人か集まっており、準備は万端と言った感じで待っていた。そのため俺たちも急いで準備する。

 準備も終わり、後は他の人たちの準備と理事長の準備を待つだけだ。俺はテスコガビーに話しかける。

 

 

「よし、準備は終わったな?これで後は理事長の開始の宣言を待つだけだ」

 

 

「こうしてみると、学園のボランティア活動みたいですね」

 

 

 テスコガビーは素直な感想を抱いている。学園のボランティア活動は言い得て妙だ。やっていることは大差ないだろう。

 そのまましばらく待ってると、準備を終えたのか理事長が出てきた。隣にはたづなさんもいる。

 

 

「清聴ッ!皆のもの、今日はよく集まってくれた!あまり長く語ることでもない、早速この合宿所を我々の手でピカピカにしていくぞッ!」

 

 

 理事長の言葉に皆やる気に満ち溢れた声を上げる。そのまま予め決められた自分たちの持ち場へと足早に向かっていく。普通、こういった催しはやる気が出ない人が大半だが学園側のご褒美もあったりするので俺たちのやる気は高い。サボるなんて言う心配はいらないだろう。

 俺はテスコガビーの教育係という関係上一緒の場所を清掃することになっている。彼女に持ち場へと行くように促す。

 

 

「さて、じゃあ俺たちも持ち場に行くぞ。俺たちは合宿所の廊下だ」

 

 

「わ、分かりました。すぐに向かいましょう」

 

 

 他のメンバーのやる気に溢れている姿に驚いていたのか、彼女は少し気圧されていた。しかしそれも一瞬のことですぐにこちらについてくる。

 合宿所の廊下の掃除ということで雑巾も持ってきているのだが、木造ということもありテスコガビーの場合下手したら床の板を踏み砕きかねないと思った俺は雑巾の代わりになるものとしてモップを持ってきていた。これならよっぽど下手なことをしない限りは壊れるのはモップだけだ。モップが壊れるのも勘弁願いたいが合宿所の床が踏み砕かれるよりはマシだ。俺はモップを彼女に手渡す。

 

 

「さて、じゃあこれで床を掃除していくぞ。準備はいいか?」

 

 

「あの、神藤さん。少しいいでしょうか?」

 

 

 テスコガビーがこちらに質問してくる。俺はそれに応える。

 

 

「どうした?何か問題でもあったか?」

 

 

「いえ、あの、モップではなく雑巾でやってもよろしいでしょうか?」

 

 

「ダ……ッ!」

 

 

 ……一瞬断りの言葉が出かけたが、すんでのところで踏みとどまる。危なかった。

 正直なところ、安全面を考えるのであれば断る一択だ。わざわざ床が壊されるリスクを冒す必要はない。だが、彼女のこれまでと成長を考えるのであれば、俺がとるべき選択肢は1つだろう。

 

 

「……分かった。ただし、少しでも危ないと俺が判断したら止めるからな?」

 

 

 まるで危険物を取り扱うような反応だが、老朽化した木造の合宿所はそれほどに危ない。下手したら成人男性の力でも板を踏み抜きかねないからな。

 テスコガビーもそれが分かっているのか、俺が課した条件に同意する。

 

 

「はい、分かりました。見ていてください神藤さん。私のこの1週間の成長を……!」

 

 

 そう言って彼女は雑巾を手に取り、拭き掃除を始める。

 そのまま1時間、2時間と経っていった。俺も掃除をしながら様子を見ていたのだが、驚いている。ぎこちなくはあるものの、彼女はものを壊すことなくしっかりと床の掃除ができていたのだ。彼女の不器用さを考えたら床が犠牲になっている可能性も大いにあった。しかし、今の姿を見るとその心配は多少だがなくなった。さすがに全部なくなったわけではないが。

 俺はバケツの水を取り替えるために少しその場を離れる。すると離れた位置には理事長が立っていた。俺は会釈をする。

 

 

「お久しぶりです、理事長。どうかされましたか?」

 

 

「うむッ、久しぶりだな神藤トレーナー。何、テスコガビーの様子を見に来たのだッ」

 

 

 どうやらテスコガビーの様子を見に来たらしい。まあ生徒会は学園からの仕事を手伝ったりすることもあるのでもしかしたら彼女の不器用を知っているのかもしれない。それで心配になって見に来たってところだろうか?

 すると理事長は優しい顔をしながらテスコガビーを見ていた。そして口からは安堵するような言葉が飛び出る。

 

 

「感銘ッ。不器用だった彼女がしっかりと掃除に取り組めているッ。私はそれが嬉しいぞ神藤トレーナー」

 

 

「いえ、俺はやり方を教えてやっただけです。彼女の頑張りがあってこそですよ」

 

 

 俺は謙遜するが、理事長は俺にお礼を言ってきた。

 

 

「それでもだ。深謝ッ、彼女が変われたのは君のおかげでもあるだろう」

 

 

「言いすぎですよ」

 

 

「何を言う。何事もオーバーに伝えられた方が嬉しいだろうッ?」

 

 

「さすがに限度があると思いますけどね」

 

 

 まあ嬉しいことには嬉しいが。

 そのまま理事長は俺に向かって話をする。

 

 

「時に神藤トレーナー。この大掃除が終わった後時間は大丈夫だろうかッ?」

 

 

 俺は自分の予定を確認する。確か大丈夫なはずだ。

 

 

「大丈夫ですよ」

 

 

「重畳ッ。ならテスコガビーとともに来てくれッ」

 

 

 テスコガビーと一緒に?それはまたなんでだろうか?そう疑問に思っていたのが顔に出ていたのに気づいたのか理事長はそのまま続ける。

 

 

「君も疑問に思っていただろうッ。なぜテスコガビーが職業体験に踏み切ったのか、その理由を」

 

 

「それは確かに気になりますけど、だからと言って本人が言いたくないことを聞くのは……」

 

 

「大丈夫だッ。彼女の許可は取ってある。それに君には知る権利があるだろうッ。彼女の教育係を務めてくれた君には」

 

 

 一体何を教えられるのだろうか。今から少し怖いと思いながら水を取り替えて俺は掃除へと戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大掃除も終わって学園へと戻り、俺とテスコガビーは着替えて理事長室へと向かった。ドアをノックして返事を待つ。すぐに理事長からの返事が返ってきた。

 

 

「許可ッ!入りたまえ!」

 

 

「失礼します」「失礼します」

 

 

 俺たちは一言いいながら理事長室へと足を入れる。中には理事長の他にたづなさんが立っていた。早速だが本題を切り出す。

 

 

「それで、秋川理事長。一体なぜでしょうか?テスコガビーが職業体験に踏み切った理由とは?」

 

 

 俺の言葉に理事長は待ったをかける。

 

 

「制止ッ。はやる気持ちは分かるがその前に1つ構わないだろうか?」

 

 

「いえ、大丈夫です」

 

 

「ありがたいッ。テスコガビー、今回の職業体験、君にとって楽しいものとなったか?」

 

 

 俺の隣に立っているテスコガビーにそう質問をする。するとテスコガビーは笑顔を浮かべながら答える。

 

 

「はいっ、とても楽しいものでした」

 

 

 その言葉に理事長もたづなさんも嬉しそうな表情を浮かべている。俺もつられて笑顔になりそうだったが理事長の次の言葉に凍りついてしまった。

 

 

「安堵ッ。あの日君から退学をしたいという旨を聞いた時は驚いたが楽しいものとなってくれて良かった」

 

 

 ……はっ?退学したい?テスコガビーが?

 俺は思わず理事長に聞き返す。

 

 

「ちょ、ちょっと待ってください!どういうことですかそれは!?なんでテスコガビーが!?」

 

 

「それは今から説明しましょう」

 

 

 そう言ったのは他ならないテスコガビー自身だ。ひとまず落ち着いて話を聞くために頭を冷やす。俺の準備ができたことを確認できたのか、テスコガビーが話始める。

 

 

「私が今回の職業体験に踏み切った理由。それは元々理事長の計らいでした。学園を辞めようとしている私を引き止めるために」

 

 

 しかしそこで俺は待ったをかける。

 

 

「そ、そもそもどうして学園を辞めようとしてたんだ?俺にはさっぱり分からないぞ!」

 

 

 そうだ、どうして彼女が学園を辞めようとしているのかがさっぱり分からない。まずはその理由から聞かせて欲しい。すると彼女はポツポツと話し始める。

 

 

「……レースに対する情熱が、なくなってしまったんです。オークスまではあった闘志が、私の中から奇麗に消えてしまった……。走ることに意味を見出せなくなってしまったんです」

 

 

 それは、ウマ娘としてあまりにも致命的で、残酷なことだった。




エアシャカール欲しいなぁオレもなぁ。贅沢言うならミスターシービーもください。ハーフアニバが楽しみです。


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第23話 彼女の選択

どんどん沼(競馬)の深みにはまっていってる気がしています。


「……レースに対する情熱が、なくなってしまったんです。オークスまではあった闘志が、私の中から奇麗に消えてしまった……。走ることに意味を見出せなくなってしまったんです」

 

 

 テスコガビーのその言葉に俺は言葉を失う。

 ウマ娘というのは本来走ることが大好きである。俺自身今まで生きてきた中で走ることが好きじゃない、嫌いなウマ娘など一度たりとも見たことがない。それほどまでにありえないことだ。

 しかし、テスコガビーはなぜ今になって急に走ることに意味を見出せなくなったのか?考え方ってのはそんな急に変わるものではない。必ず何かのきっかけがあるはずだ。俺は少しの間考える。

 そして俺が出した結論は

 

 

(確かテスコガビーが怪我をして休養していた期間は1年……。そのあまりにも長い期間が彼女の中から闘志の炎を消してしまったのか……?もしくはその期間の間で何か彼女の心を変えるような出来事があったのか……)

 

 

彼女が満足に走ることのできなかった1年の間で何かあったのかもしれないということだ。曖昧だがその期間で何かあったのは間違いないだろう。

 俺は平静を保ちつつテスコガビーに質問する。

 

 

「……一ついいか、テスコガビー?」

 

 

「構いません、私に答えられる範囲であれば」

 

 

 彼女の了承をもらったところで俺は疑問をぶつける。

 

 

「確か去年の10月からお前は1年ほどの期間休養していたな?その間で何か変わったことはなかったか?」

 

 

「何か……と言われても、色々ありましたが」

 

 

 確かにそうだろう。なので今度は抽象的にではなく分かりやすい質問にする。

 

 

「そうだな、例えばお前の今までの考えを根底から覆すような出来事はあったか?」

 

 

「……ッ!」

 

 

 心当たりがあるのだろう。彼女は何かに耐えるような表情をしていた。理事長たちは何も言わずに静観している。ならばと俺はこのまま質問を続ける。

 

 

「心当たりがあるんだな?」

 

 

「……あります」

 

 

「なら、できればでいい。それを教えてくれないか?勿論言いにくいことだったら言わなくていい。この会話はなかったことにしてくれ」

 

 

 俺がそう言った後、少しの間沈黙が訪れた。そしてその沈黙を破り、テスコガビーが話始める。

 

 

「きっかけは些細なことです。私の復帰レースのためにと組まれた併走。それが始まりでした」

 

 

 俺たちは黙って彼女の話を聞く。

 

 

「相手はトウショウボーイ、彼女も皐月賞明けではありましたが本人の強い希望もあって併走することになりました。その併走はトウショウボーイの勝ちで終わったのですが、私は違和感を感じたのです」

 

 

「違和感?それはどのようなものだ?」

 

 

 理事長の質問に対し彼女は落ち着き払った態度で答える。

 

 

「……いつもは抱えていたはずの悔しいという気持ちが、勝ちたいという欲求が不思議と湧かなかったのです。例え併走であっても負けたら悔しい、勝ったら嬉しい。そう言った気持ちが、あの日は全くと言っていいほど感じなかったのです。そしてそれは復帰レースでも同じでした。6着、今までのレースの中で最低順位に沈んだはずのその成績に怒るわけでもなく悲しくなるわけでもなくただただこう思ったのです」

 

 

 かつて桜の女王を決める戦いで圧倒的強さを見せつけた女傑の姿を微塵も感じさせないほどの覇気で彼女はその言葉を口にした。

 

 

「あぁ、こんなものか、と」

 

 

 ……正直、今の彼女の姿を見て俺は信じられないという感情しか出てこない。そこに2冠の女傑の姿はなく、ただ1人の少女が佇んでいるように感じられた。

 そしてテスコガビーは自身の話を締めるように続ける。

 

 

「その時に私は感じたのです。レースに対して喜びも悲しみも感じなくなった以上競技者としての私は、もう終わったのだと」

 

 

 ……ウマ娘は走ること以外にもう1つ、強い欲求が存在している。それは勝ちたいという欲求だ。これはトレーナーだけではなくウマ娘と関わっていくことで必ず知ることだ。彼女たちは負けたくない、勝ちたいという欲が俺たちよりも遥かに強い。この欲こそが強いウマ娘の条件だとも言われているほどに。

 今のテスコガビーの言葉を信じるのであれば、その欲求が無くなっていると思ってもいいだろう。俺は言葉を失ってしまった。それは理事長たちも同様のようだ。

 言葉を失っているこちらをよそにテスコガビーは話を切り出す。

 

 

「秋川理事長、私のような者のために今回は職業体験を提案してくれてありがとうございました。ですが私の意思は変わりません。退学を……」

 

 

「待て、テスコガビー」

 

 

 気持ちの整理がついたわけではない。胸の中に何かがつっかえたままだ。けれどこのまま彼女が退学してしまったら後悔してしまう、ただ漠然とそんな気持ちを抱いた俺は彼女の言葉を遮る。

 テスコガビーはこちらを不思議そうに見つめる。

 

 

「どうしましたか、神藤さん。私の考えは変わらないと……」

 

 

「本当にそうか?本当にお前の中から闘志は消えたのか?俺にはそうは思えない」

 

 

「……何が言いたいのですか?」

 

 

 彼女はこちらを不機嫌そうに見てくる。それはそうだろう。自分が考え抜いて出した結論を真っ向から否定されているのだから。

 俺は理事長の方を見る。理事長は俺の言いたいことが分かっているのかただ頷くだけだった。それを確認した後、俺はテスコガビーに自分の考えをぶつける。

 

 

「俺は、お前はまだ自分の気持ちが整理できていないだけだと思っている」

 

 

「……なぜですか?」

 

 

「この職業体験でお前は自分の不器用を治そうと頑張っていた。1日目のあの時、俺の言葉に耳を貸さずに諦めることだってできたはずだ。だが、お前はそうしなかった。そうしなかったってことはお前にはまだ負けたくないっていう気持ちがあったんじゃないか?不器用な自分に負けたくないって気持ちが」

 

 

「……それは確かにそうですが、レースと何の関係もないでしょう?」

 

 

「そうだな、直接的な関係はない。だが、間接的な関係はある。負けたくないっていう気持ちだ。これは俺の仮説だがお前の中の闘志はまだ完全には消えていないんじゃないか?」

 

 

 正直、こじつけもいいところだ。理屈も何もあったもんじゃない。だが、それでも俺は彼女を説得する。

 

 

「……ッ。諦めが悪いな、なぜ私が学園を辞めようとするのを止める!お前には何の利もないだろう!」

 

 

 テスコガビーは言葉を荒げる。おそらく揺らいでいるのだろう。確固たる意思を持って退学するという結論を出したのにそれを俺が邪魔しているのだから。

 俺に利益はない?確かにそうかもしれない。けれど

 

 

「俺は何も利益だけで行動する人間じゃない。ただ、このまま学園を去っていったらお前は間違いなく後悔する」

 

 

「……ッ!私に、後悔など……ッ!」

 

 

「今、こうして声を荒げて、揺らいでいるのが何よりの証拠じゃないか?」

 

 

 テスコガビーはいつの間にか自分が昂っていることに気づいたのだろう。口をつぐむ。それに今気づいたのだ。どうして退学などという極端な考えに至ったのか。テスコガビーの性格、走れなくなった理由を結びつけてみるとこいつはどうやら1つ勘違いしているかもしれない。

 

 

「お前、もしかして走れないウマ娘はトレセン学園に必要ないと思っていないか?」

 

 

「あぁ、そうだ!だから私は……ッ!」

 

 

 その言葉に、俺の中のつっかえが取れたような気分になった。全くこいつは、こんなところでも不器用を発揮しないで欲しい。

 俺は今までこちらの言い合いを見ていた理事長に質問を投げる。

 

 

「理事長、確かトレセン学園にはサポート科っていうものがありましたよね?」

 

 

「肯定ッ!確かに存在しているぞ!」

 

 

「なら、途中でサポート科に転科することって可能なんでしょうか?」

 

 

「可能ッ!必要であれば今この場で手続することもできるぞ!」

 

 

「だ、そうだが?」

 

 

 俺たちのやり取りにテスコガビーは目を丸くしていた。しばしの沈黙が流れる。そして沈黙を破ったのはテスコガビーの叫びだ。叫んだかと思うとその場にへたり込む。お湯が沸騰したかの如く顔を真っ赤にしている。自分が考えていなかった答えが今頭の中に出てきたのだろう。恥ずかしそうに手で顔を覆っている。

 俺はテスコガビーに問いかける。

 

 

「お前、まさかとは思うがサポート科の存在を忘れていたな?」

 

 

 顔を手で隠したまま、テスコガビーは答える。

 

 

「……は、はいぃぃぃ……」

 

 

 あまりにも恥ずかしかったのだろう。語気は萎んでいた。

 トレセン学園に所属しているウマ娘はなにもトゥインクルシリーズを走る子だけではない。自分が走るのではなく走るウマ娘をサポートすることを中心としたサポート科というものが存在しているのだ。ただ、中央に所属するウマ娘たちは競い合うことを目的としている子が多いためか、サポート科に入る子は稀だ。存在を知らなくてもおかしくはない。だが彼女は生徒会だから存在を知っていてもおかしくないはずである。なぜ今まで気づかなかったのか?答えは単純だ。走れなくなったイコール退学という図式がすでに頭の中で出ていた彼女にはサポート科に転科するなどという考えが完全に抜け落ちたのだろう。そして今の俺と理事長のやり取りで完全に存在を思い出した、と言ったところだろう。

 思わず俺は噴き出す。

 

 

「お、お前サポート科の存在を忘れてるとか……ッ」

 

 

俺が噴き出した後、理事長がそれを咎める。だが

 

 

「神藤トレーナーッ。失敗は誰だってするのだ、笑うのはよくない……ッ」

 

 

肩が震えている。笑うのを耐えているのだろう。よく見たら隣のたづなさんも少し震えている。

 その状況に耐えきれなくなったのか、テスコガビーの情緒が爆発した。

 

 

「わ、笑うなァァァァァ!私だって恥ずかしいんだぞォォォォォ!?」

 

 

 まるで子供のような癇癪を起こす。それを俺たちは必至で宥めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、落ち着いたか?テスコガビー」

 

 

「……あぁ、まぁな。しかし我が事ながら情けないことこの上ない……ッ!」

 

 

 少し経った後、テスコガビーは落ち着いたのか元の調子に戻った。ひとまず良かったと言えるだろう。

 そしてテスコガビーは理事長に質問する。

 

 

「理事長、先程申していましたがサポート科への転科は……可能なのですか?」

 

 

 理事長は答える。

 

 

「無論ッ!君さえよければ、今すぐにでも手続きをしよう!」

 

 

「なら、私は、学園に残ってもよいのですね……ッ!」

 

 

「肯定ッ!」

 

 

 彼女は感激の涙を流す。ずっと退学するしかなかったと思っていたところに学園に残る方法を見つけたのだ。それは嬉しいことだろう。

 心なしか理事長も嬉しそうだ。そして理事長は言葉を続ける。

 

 

「それに丁度良かったッ!実は今年からサポート科の内容を充実しようと思っていたところでな。まだ計画段階ではあるが、URAからの全面的な支援を受けて改革をするつもりだ!」

 

 

 それは初耳だ。俺はたづなさんの方に視線を向けると彼女は人差し指を口に当てていた。おそらく口外無用ということなのだろう。俺は了承の意味を込めて頷く。

 そしてそのまま理事長が言葉を続ける。

 

 

「それと君さえよければだが、このまま用務員の仕事を続けてみる気はないか?」

 

 

「用務員の仕事を、ですか?」

 

 

「そうだッ!今日の大掃除の時の君を陰ながら見ていたが、とても楽しそうにしていた!故にッ!君さえよければアルバイトとして続けてみる気はないだろうか?」

 

 

 それを補足するようにたづなさんが続ける。

 

 

「テスコガビーさんは学業面でも生活面でも模範的、大きな問題も起こしていないので申請に関してもすぐに通るでしょう。後はテスコガビーさん次第となりますがいかがでしょうか?」

 

 

 しばしの逡巡の後、テスコガビーは答える。

 

 

「……私などでよければ、是非お願いしたいです。私を引き止めてくれた皆さまへのご恩を返すためにも、用務員としてのアルバイトをやらせてもらえますか?」

 

 

 そしてこちらに向けた顔は、静かに、けれども奇麗な笑顔だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうして、テスコガビーの職業体験は幕を閉じた。彼女はこれから自身が所属しているリギルをサポートしていくことを決めたと本人が言っていた。サポート科への転科はまだ時間がかかるが、いずれはと言ったところらしい。そして用務員としてのアルバイトも決まった。終わってみればすべてが丸く収まった、と言ったところだろうか。

 だが、安心してはいられない。テンポイントの日本ダービーがもうすぐ控えているのだから。




次回はダービーに向けての特訓回。数話挟んでのダービーになると思います。


※気になった箇所を修正 7/22


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第24話 ダービー前最終調整

ダービー前の最後の特訓


 日本ダービーまで残り数日となった今日、俺とテンポイントは最後の仕上げとばかりに気合を入れて練習をしていた。

 皐月賞では悔しい思いをした分、その活力を次のダービーへと向けている。今はテンポイントに不足しているパワーを鍛えるために練習場のダートコースを利用して走ったり、腹筋や腕立て伏せなどの器具を使わないで鍛えられる練習をしている。色々と器具を自作している俺だがやはり最後にものを言うのはこう言った基礎トレだと思っている。筋力を鍛えるトレーニングが終わった後は最後に芝のコースでタイムを測定して切り上げる予定だ。

 

 

「よーし、ダートコースを後1周したら休憩した後にまた腹筋・腕立て・スクワットをもう一度3セットずつだ!気張っていけよー!」

 

 

 俺はテンポイントに檄を飛ばす。彼女は走ることに集中しているため返事は返ってこないが、代わりに頷いて了承の意を示しているのが見えた。そして最後の1周ということでかわずかにペースを速めているのを確認した。

 最後の1周を走り終わって肩で息をしている彼女に俺はドリンクとタオルを手渡す。

 

 

「お疲れ。まだまだ本調子とは言えないが、だいぶ戻ってきたな」

 

 

「ありがとさん。せやな、皐月賞で落ちとった調子も大分戻ってきたってとこやな。それでも6から7割がせいぜいやけど」

 

 

 汗を拭きながら水分を取る彼女を尻目に俺は考える。

 正直、7割の調子でダービーを勝つのは難しいだろう。別に他のウマ娘がどうこうというわけではなく、今回の出走数の関係でだ。すでに28人での出走がほぼ確定している。ここからレースを取りやめる子も出てくるがそれを加味しても20人以上での出走はほぼ免れないだろう。そうなると重要になってくるのは枠番とレースでの位置取りだ。

 テンポイントの今回の枠番は2枠5番。今回の人数を考えればかなりの当たりだろう。自分の得意な前でのレースを展開するには内枠は有利に働くことが多い。そのため後は好位置につけるための筋力が必要になる。他のウマ娘と競り合っても負けない、最後の直線で抜け出すためのパワーが。

 しかし、さすがに皐月賞から1ヶ月程度の期間で常軌を逸したパワーが手に入るはずもなく、多少はマシになったものの心配にならざるを得ない。当日はいかに好位置につくことができるかが勝負の分かれ目となるだろう。

 そんなことを考えていると休憩時間の終わりを告げるアラームが鳴る。

 

 

「よし、休憩終わりだ!さっきも言ったがこの後は筋力の基礎トレをしていくぞ」

 

 

「りょうかーい。それにしても……」

 

 

 そう言って彼女は自分の二の腕を確認するように触り始める。いかにも柔らかそうだ。

 

 

「あれから一月ずぅーっと筋トレやっとるのに、全然筋肉つかへんなぁ」

 

 

「さすがにそんなすぐつくほど甘くはないだろ」

 

 

「そうやけども。それでもちっともつかへんのはなんかなぁと思うんよ」

 

 

 そう言いつつ、残念そうに溜息をつく。少しくらい成果が出ているのかと思ったらそんなことはなかったのだから残念になる気持ちは分かる。だが流石に一月程度で見違えるほどに筋肉がついたら今頃ボディービルダーだらけだろう。

 慰めるわけではないが、彼女に言葉を贈る。

 

 

「まあ今こうして練習していることが無駄になるなんてことはない。着実に一歩ずつ前に進んではいるんだ。しっかりと取り組めよ」

 

 

「せやなぁ。まあ今ウダウダ言うてもしゃあないし、しっかり気張るわ」

 

 

 そう言ってテンポイントは筋トレの準備に取り掛かる。俺は回数をしっかりと計測する。計測しながらも俺の考えはダービーへの心配から抜け出すことはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 筋トレも無事に終了し、残すとこは芝のコースでの計測だけである。休憩を挟んでテンポイントがスタート地点につく。今回は併走ではなく1人での計測だ。さすがに皐月賞の時のように都合よく空いているウマ娘がいるわけがなく今回は1人で測定することになった。

 俺は自作した訓練用のゲートにテンポイントが入ったのを確認するとストップウォッチを手に取り、ゲートを開くためのボタンを手に取る。少しの間沈黙が流れた後、俺がボタンを押すと音を立ててゲートが開く。そしてゲートが開いたと同時にテンポイントはスタートを決めていた。

 その姿に俺はゲートをコースの外に片付けつつ、感嘆の声を上げる。

 

 

「相変わらず、スタートダッシュが抜群にうまいな……」

 

 

 テンポイントはまるでゲートが開くタイミングが分かっているかの如く、スタートを切る。いつもいいスタートを切るので俺はなんとなく彼女に話しかけて会話をしている途中でゲートを開いたことがある。しかしそれでもほぼ寸分の狂いもなくスタートダッシュを決めている姿には度肝を抜かれた。このスタートの良さも彼女の長所の1つだろう。

 1200m。いつも走る調整用の距離を走り終えてテンポイントが戻ってくる。タイムを確認してみると

 

 

「……まずまず、やな。可もなく不可もなく」

 

 

「そうだな。好調の時のタイムには少し足りないか」

 

 

いいタイムではあるが、好調の時に記録した時よりも少しだけ落ちていた。まだ本調子とはいかないということだろう。

 

 

「どうする?今回はここでやめとくか?」

 

 

 俺の言葉にテンポイントは否定の言葉で返す。

 

 

「いや、ちょっと納得できへんわ。もう一本いけるからお願いしてもええか?」

 

 

 体力はまだ余っているらしい。彼女はそうお願いしてきた。

 

 

「……そうだな、あと1本だけ計測してみるか。ゲートの準備をするから少し待っててくれ」

 

 

 そう言って俺はゲートの準備をする。彼女は休憩をしながら準備が終わるのを待っていた。

 準備も終わったのでもう一度彼女はゲートへと入り、出走の準備をする。俺がボタンを押すとゲートが開きそれと同時に彼女は走り出した。再びタイムを計測し始める。

 走り終えてタイムを確認してみる。これは……

 

 

「皐月賞前に計測したタイムと同じ……、いや、それ以上か」

 

 

今の彼女の調子を加味すると、順延前に最後に計測したタイムと同じであり順延後の最後に計測したタイムよりも良い出来となっていた。後は本番までこの調子を維持するように俺が頑張るだけだろう。

 テンポイントが記録用紙を覗き込んでくる。彼女は嬉しがるわけでもなくこう答えた。

 

 

「う~ん……、いまいち納得できへんなぁ……」

 

 

 どうやらまだ物足りなさを感じているのだろう。納得できないと口にしていた。すると彼女は名案を思い付いたようにこちらに提案してくる。しかし、

 

 

「なぁ、トレーナー。せっかくやから……」

 

 

「ダメだ。これ以上は身体壊すぞ」

 

 

どうせもう1本計測しようという提案をするつもりだったのだろう。俺は先んじてその提案を断る。そもそもこの実戦形式の練習も週に2本が限界なのだ。日に3本もやったら身体に影響が出る可能性がある。

 どうやら図星だったのか彼女は頬を膨らませて抗議してくる。

 

 

「ええやん別に。後1本だけやし」

 

 

「その1本で身体を壊す可能性だってあるんだぞ。普通はレースの間隔で本数を変えるがそれでも日に何本もやるのはやりすぎだ。そんな可愛く抗議してもダメったらダメだ」

 

 

「ブーブー」

 

 

 彼女はなおも頬を膨らませながら講義してくる。皐月賞での敗戦がよっぽど悔しかったのだろう。とにかく練習してトウショウボーイに勝ちたいっていう気持ちが透けて見えてきそうだ。

 俺はテンポイントを諭すように話しかける。

 

 

「いいか?皐月賞で負けて焦る気持ちも分かるが、そんな時だからこそ冷静に行くべきだ。お前が今すべきなのは日本ダービーまでに調子をできるだけ戻すこと。それが最優先事項だ」

 

 

「……分かった。確かにちょっと焦っとったみたいや。スマン」

 

 

 どうやら分かってくれたらしい。彼女は引き下がった。

 

 

「分かってくれたか。じゃあ後はクールダウンして上がるぞ」

 

 

「了解や。あ、そうそう」

 

 

 テンポイントは何かを思い出したようにこちらに話しかけてくる。

 

 

「トレーナー晩御飯作ってくれへん?重箱かなんかに作って」

 

 

「なんでまた?珍しいな」

 

 

 彼女の提案に珍しいと思いつつも理由を尋ねる。すると理由を話し始める。

 

 

「いやぁ、トレーナーの料理って美味いやん?栄養バランスも完璧やし。やからダメもとで作ってくれへんかなーって。ボクらも自炊はしとるけどどうしても偏ってしまうねん。それに今日はなんやそういう気分やなくてな。やからお願い!」

 

 

 気持ちは分かる。自炊できるといっても大体の人は栄養バランスも何もない自分の好きなものだけを作るご飯になりがちだ。実際俺もそうだ。まあアスリートである彼女たちはもうちょっと気を配ってほしい気がするが。

 特に断る案件でもないので了承する。

 

 

「今日だけでいいんだろ?だったらこの後作ってやるよ」

 

 

「やったぁ!ええなぁ、楽しみやなぁ!」

 

 

 なんか小躍りしそうなほどに喜んでいる。そこまで喜ばれると作る身としても嬉しいが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 器具も片付けてトレーナー室で俺はテンポイントに渡す用の料理を作り始める。一応要望なども聞いており材料もあるので後は作るだけだ。

 料理をしている最中、テンポイントは急に不安そうな声でこちらに質問してきた。

 

 

「なぁトレーナー。ちょっとええか?」

 

 

「ん?どうした?」

 

 

 不安そうな声のまま彼女は続ける。

 

 

「皐月賞、負けてしもうたけど、それでもトレーナーはボクのことを最強って言うてくれるんか?」

 

 

「当たり前だろ」

 

 

 俺は即答する。驚いている彼女を尻目に俺はそのまま言葉を続ける。

 

 

「歴代最強って言われてるシンザンだって何回かは1着を逃してるんだ。確かに最強を証明するには3冠ウマ娘になるのが手っ取り早いとは言ったが、別に3冠取らなくても最強とは言えるんじゃないか?なんとなくだけど」

 

 

 ……言っておいてアレだが、俺自身最強のウマ娘という定義が曖昧だ。せっかくのかっこいい言葉も最後の一言で台無しだろう。

 彼女も同じ思いだったのか小さく噴き出した。

 

 

「なんとなくて。せっかくええこと言うてたのに最後の最後で台無しやな」

 

 

「うるせー。俺もそう思ってたところだよ」

 

 

 軽口を言い合う。すると彼女は今度は感謝の言葉を言ってきた。

 

 

「……ありがとな、トレーナー。日本ダービー、ボク頑張るわ」

 

 

「おう、頑張れよテンポイント」

 

 

 そのまま料理を作る音を聞きながら、静かに時間が流れていった。

 ──そして、日本ダービー当日の朝を迎える。




前話でダービー本編まで数話挟むと言いましたがまさかの一話のみでした。プロット書かないせいですね申し訳ないです。


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第25話 激闘!日本ダービー

日本ダービー本番。果たしてテンポイントはどうなるのか。


 日本ダービー。クラシックレースの中でも最高峰ともいわれ、このレースで勝利することは全てのウマ娘とトレーナーにとっての憧れである。そのレースが今、この東京レース場で開催されようとしていた。

 

 

 

 

《今年もこの日を迎えました、クラシックレースの2冠目日本ダービー。天気は曇りとなっておりますがバ場の状態は良と発表されています。もっとも運のあるウマ娘が勝利すると言われるこのレースを制するのはどの子になるのか?今選ばれた精鋭たちが続々と入場してきています!》

 

 

 

 

 出走が叶ったウマ娘たちが東京レース場のターフに続々と入場してきている。ダービーの歴史に蹄跡を刻むことになるのは誰か?レース場にファンファーレの音が鳴り渡る。実況・解説からの出走するメンバーの紹介が始まる。

 

 

 

 

《今回の日本ダービー、4枠11番のケイシュウフォードが出走を取り消したため27人での出走となります。まず3番人気のウマ娘の紹介から参りましょう!3番人気は1枠1番コーヨーチカラ!》

 

 

《前走のNHKマイルカップで1着。さらに今回のダービーでは最内枠を勝ち取りました。運は発揮された、後は実力を示すだけですね》

 

 

《そして!今回のダービーでは評価が二分される形となりました!そのうちの1人を紹介しましょう、2番人気2枠5番テンポイント!》

 

 

《前走の皐月賞では2着。今回はその雪辱を晴らすことができるか?好走に期待しましょう》

 

 

 

 

 テンポイントの名前が呼ばれた瞬間、先程のコーヨーチカラの時よりも一際大きな歓声が飛んだ。コーヨーチカラも決して人気がないというわけではない。だが、やはり人気という意味でテンポイントは他のウマ娘とは一線を画している。それが如実に表れていた。

 テンポイントは観客の声援に答えながら1人考え込む。

 

 

(正直、皐月賞よりマシやけど調子が完全に戻ったわけやない。6割……よくて7割。でも関係あらへん。絶対に勝ったる!)

 

 

 テンポイントは気合を入れる。ダービーを勝つために。

 そして実況・解説が1番人気の紹介に入る。

 

 

 

 

《1番人気はこのウマ娘!前走皐月賞は圧倒的5バ身差を見せて他の子に強さを見せつけました!3枠8番、天翔けるウマ娘トウショウボーイ!今回我々にどのような走りを見せてくれるのか、今から楽しみです!》

 

 

《まだ彼女の強さは底を見せていないように感じられます。皐月に続いてダービーを制することはできるか?もしできたのであればシンザン以来の3冠達成はほぼ確実と言えるかもしれません》

 

 

 

 

 その紹介が入った瞬間、テンポイントの時と負けず劣らずの歓声が響き渡った。皐月賞で見せた走りに期待しているファン、伝説を目撃できるかもしれないという期待、そういった歓声が聞こえている。

 その声援にトウショウボーイは笑顔で手を振り応えていた。

 

 

「みんなー!今日も応援よろしくな―!」

 

 

 その様子に緊張というものは見られない。それは自信か、余裕の表れか。他のウマ娘たちはトウショウボーイを警戒するように睨みつける。このレースで一番警戒すべき相手が余裕そうにしていたらこのような態度になるのも当然だろう。

 そんな中、深く呼吸をして落ち着き払っているウマ娘が1人いた。クライムカイザーである。今回彼女は4番人気であるものの、あまり注目されているという実感はなかった。その状況でクライムカイザーは今回のために立てた作戦を確認していく。

 

 

「勝負は最後の直線……。もし失敗すれば負けるだけじゃ済まないでしょう……。けれど、先輩たちからはお墨付きはもらった、後はこの大舞台でそれを発揮するだけ……。大丈夫、私ならできる……ッ!」

 

 

 クライムカイザーは1人決意を固める。全てはこのレースに勝利するために。

 実況によるウマ娘たちの紹介が終わり、続々とゲートに入っていく。運命の一戦が今始まろうとしていた。

 

 

 

 

《今最後のウマ娘がゲートに入り出走の準備が整いました。果たして勝利の栄光は誰の手に渡るのか?皐月に続いてトウショウボーイが2冠目を手にするのか?巻き返しを図るテンポイントが雪辱を晴らすか?それとも別のウマ娘になるのか?日本ダービーが今……スタートです!》

 

 

 

 

 実況の言葉が止まる。その数瞬後、ゲートが開く。27人のウマ娘が一斉に走り出す。

 日本ダービーが幕を開けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 各ウマ娘は誰1人出遅れることなく好調なスタートを切り、先頭に立ったのはトウショウボーイだった。

 

 

 

 

《各ウマ娘好スタートを切りました。横一列に奇麗に並んでのスタート。トウショウボーイが真ん中からスーッっと伸びてくる。内からはテンポイント、ドウカンソロン、アカネバンリウが上がってきました。外からはニッポーキングとユザワジョウが上がってきています。第1コーナーに差し掛かるところトウショウボーイが早くも先頭に立ちました。1バ身のリードを取って外に2番手アカネバンリウ内にテンポイント・ミヤリサンヒーロー・ユザワジョウそしてニッポーキングこの5人が先頭集団を形成しています。下がって中団には大外にボールドシンボリ。逃げウマ娘ボールドシンボリは今日はこの位置につけています。内ラチ沿いにはコーヨーチカラ好位置につけている。これは珍しい展開、トウショウボーイが27人を引っ張る形》

 

 

《彼女にしては珍しいですね。いいスタートを切りすぎたのかもしれません》

 

 

《中央外にはボールドシンボリ、より後ろにクライムカイザーが控えています。ここからどういったレース展開を迎えるのか?先頭は第1コーナーを回って第2コーナーへとさしかかる》

 

 

 

 

 27人の先頭に立って走る。トウショウボーイがその事実に気づいたのは第2コーナーにさしかかろうかという所だ。そのことに彼女は焦る。自らがペースメーカーとなっていることに。

 

 

(やっべぇ!まさかの先頭かよ!今までのレースでも先頭に立ってレースしたことはあるけどさすがにこれだけの大人数を抱えて走ったことはねぇぞ!?)

 

 

 トウショウボーイは1人心の中で愚痴る。抑えるか?いや、そうした場合最悪集団に飲まれて体力を削られる可能性がある。そのことは皐月賞で自身のライバルであるテンポイントが証明していた。なら取るべき行動はただ1つだ。このままペースを維持して走る。願わくば自分より前にウマ娘が来ることを祈りながら。

 

 

 

 

《第2コーナーを回って向こう正面へと入ります。レースは縦長の展開を見せています。先頭は依然としてトウショウボーイが2バ身のリードを取っております。2番手はアカネバンリウと内からミヤリサンヒーローこの2人が争う形。4番手にはユザワジョウ、インコースにテンポイントはこの位置につけています。外にはフェアスポートとメルシーシャダイが上がってきています。内ラチ沿いにはコーヨーチカラがじりじりと前との差を詰めていっています。どう見ますかこの展開?》

 

 

《先頭に立つトウショウボーイ、最初こそ焦っていたと思いますが今は焦っている姿は見られませんね。このままのペースを維持していきたいところです。テンポイントは絶好の位置につけましたね。この位置をキープしたいところ》

 

 

《ここから第3コーナーの坂を下ります。先頭トウショウボーイは2バ身のリード。ミヤリサンヒーローとアカネバンリウが2番手の位置で争う。4番手外はユザワジョウ内はトウショウボーイとコーヨーチカラが競り合う形の中今残り1000mを切りました。トウショウボーイが依然として逃げる!このまま逃げ切ることができるかトウショウボーイ!2番手グループも固まりましたアカネバンリウとユザワジョウ、ミヤリサンヒーローは力尽きたのかゆっくりと後退していく!その後ろ中団の位置ではテンポイントが6・7番手につけています!ここから上がりたいところ!》

 

 

 

 

 先頭を走るトウショウボーイは結局自分の前を走るウマ娘が来なかったことを1人心の中で愚痴る。だがそうなってしまったものは仕方がない。こうなったら最後まで先頭を走って逃げきってやる。そう思っていた。

 しかし、この時は彼女も会場の誰もが気づいていなかった。後方集団からバ群を縫って上がってくる1人のウマ娘に。トウショウボーイを喰らわんとしようと忍び寄るその影に。それに気づくことがないまま勝負は第4コーナーを回り最後の直線へと持ち込まれる。

 脚は十二分に残っている。このペースを維持すれば勝てる。そう、思っていた。

 

 

 

 

《さぁ第4コーナーを回って最後の直線へと入っていった!先頭はトウショウボーイ!内ラチ一杯に回ってトウショウボーイが先頭だ!このまま逃げ切れるか!?2番手には……!?》

 

 

 

 

 

 残り400m。このまま逃げ切れる。そう思いトウショウボーイはスパートをかけようとする。

 

 

(うし!このままいけば……ッ!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここが……あなたの隙です、ボーイさん!」

 

 

 そう言いながら、スパートをかけようとしていたトウショウボーイに突如として1人のウマ娘が急襲してきた。後方集団で控えていたはずのクライムカイザーが内をついて上がってきていたのだ。彼女は内を走るトウショウボーイに外から思いっきり併せる。その行動にトウショウボーイは思わず怯んでしまう。

 

 

「うわぁ!な、なんだぁ!?」

 

 

 

 

《いつの間に上がってきたのか!?2番手の位置についているのはクライムカイザー!クライムカイザーが後方集団からいつの間にか2番手の位置につけていました!そして内を走っているトウショウボーイに外から併せる!これにはトウショウボーイも思わず怯んでしまった!その隙をついてクライムカイザーが並んだ!スパートをかける!トウショウボーイも遅れてスパートをかけるがクライムカイザーが先頭に立った!先頭はクライムカイザーだ!トウショウボーイを数バ身引き離す!ゴールまで残り400m!トウショウボーイ間に合うか!》

 

 

 

 

 トウショウボーイは今まで最後の直線で競り合ったことがなかった。本番のレースで誰かに併せられる経験など一度たりともなかった。だからこそ、初めての経験に彼女は思わず怯んでしまった。それは1秒を争うレースにおいて致命的な隙となる。先頭のクライムカイザーはすでに数バ身離れた位置を走っている。トウショウボーイは懸命に追いかける。

 

 

 

 

《クライムカイザーが先頭3バ身のリードを取る!トウショウボーイが懸命に追いかける!その差をどんどん縮めていく!テンポイントは内から上がってきているが伸びてこない!3番手はサンダイモン!2番手トウショウボーイがクライムカイザーを必死に追いかける!その差を2バ身と縮めていきますがこれまでか!クライムカイザーが先頭!そして今クライムカイザーがゴールイン!》

 

 

 

 

 しかし、トウショウボーイの必死の追走も叶わず1着に輝いたのはクライムカイザーだった。観客席は予想外の出来事に静まり返っている。

 観客は今の走りは斜行じゃないか?審議はないのか?とどよめきが広がる。しかし、審議を示すランプは灯ることはなかった。

 

 

 

 

《日本ダービーを制したのはクライムカイザー!トウショウボーイを外から急襲し怯んだ隙を見逃さずに見事にダービーの栄光を掴みました!2着はトウショウボーイ、3着はダイサンモン。しかし前の2人からは遠く離れてゴールしました》

 

 

《一歩間違えれば斜行とも取られかねない展開でしたが……、これはお見事という他ないでしょう。まさにクライムカイザーの技ありの勝利です》

 

 

 

 

 観客席はなおも静まり返っている。クライムカイザーはその光景に何かを思うわけでもなく、ただ一礼をするだけだった。しかし、彼女が一礼をした瞬間、おそらく彼女のファンであろう観客たちが意識を取り戻したように歓声を送る。

 

 

「よく頑張った!クライムカイザー!」

 

 

「すげぇ走りだったぜ!また見せてくれー!」

 

 

「次のレースもん頑張って!クライムカイザー!」

 

 

 その声の数は多くはないし、決して大きいとは言えないだろう。それでも、クライムカイザーは嬉しかった。立ち去ろうとしていたところを、感謝の意を込めて立ち止まって手を振る。その姿に観客は拍手を送った。

 

 

 

 

《クラシックレース2冠目を制したのはクライムカイザー!そして舞台は秋の菊花賞へと移っていきます。彼女たちのこれからのレースが楽しみですね》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そしてテンポイントはというと、

 

 

「7着……ッ!不甲斐ないにもほどがあるやろ……!」

 

 

先頭のクライムカイザーからは大分離れた7着に沈んでいた。完全に第3コーナーで力尽きてしまっていたのである。好位置につけることはできたが、今度は走りがてんでダメだった。自分の不甲斐なさにテンポイントは歯噛みする。

 控室に戻ってウイニングライブの準備をしようと戻る時、テンポイントは左足に違和感を感じた。

 

 

「なんや……?足に力が……ッ!」

 

 

 次の瞬間、テンポイントは突如感じた痛みに思わずうずくまる。なんとか歯を食いしばって左脚のシューズを確認してみるとなんと蹄鉄が外れていたのだ。どうやらレース中に落鉄していたようである。思うように力が入らなかったのもこれが原因だった。

 幸か不幸かすでに地下バ道にいたため誰にも見られることはなかった……と思っていたら遠くから声が聞こえる。

 

 

「大丈夫か!?テンポイント!」

 

 

 テンポイントのトレーナーである神藤だった。神藤はすぐにテンポイントへと近寄って足を診る。

 テンポイントは突然足を触られたことに驚くが、緊急事態なので特に何もしない。神藤へとお礼を告げる。

 

 

「スマン、トレーナー。勝てへんかった……ッ!」

 

 

「それよりも今は足の心配をしろ!大丈夫か?痛みは?」

 

 

「ヤバいな……ちょっとうまく力入らへんわ……。おまけにレース中に落鉄しとった……!」

 

 

「……分かった。この後のウイニングライブは欠席する連絡を入れておく。今は病院に行くぞ」

 

 

「ホンマにスマン……。迷惑かけてもうて……」

 

 

「気にするな」

 

 

 神藤はそう一言だけ告げると、運営にテンポイントの故障を理由にウイニングライブを欠席させてもらう旨を伝え、病院へと向かう。

 2冠目である日本ダービー。テンポイントに待ち受けていたのは自身が初めて経験することとなった大敗だった。




次回、テンポイントの怪我の具合と日常回になる(予定)。


※テンポイントがレース中に落鉄していたことを追加 7/30


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第26話 ダービーが明けて

テンポイントたちの朝の日常回


 日本ダービーが明けて数日、ボクは松葉杖をつきながらトレセン学園へと登校していた。松葉杖をついている理由は単純、ダービーを走り終わった後左足に違和感を感じたボクはトレーナーに連れられて病院へと向かった。そして医者から全治3ヶ月の診断が下された。ただ、症状としては軽いものだったらしく7月にもなれば軽い運動くらいならできるだろうという見込みらしい。

 慣れない松葉杖での登校に悪戦苦闘しながらもなんとか教室へと辿り着いたボクは自分の席に座り、朝買ってきた新聞を読む。小さい時から新聞を読むのが好きだったボクはトレセン学園に入学してからもずっと読み続けていた。朝に新聞を読むのはもはや日課と言ってもいいだろう。ただ、いつもは寮で読んでいるのだが今回は松葉杖での登校ということでいつもより時間がかかるかもしれないということで教室で読むことにしたのである。クラスメイトの子は最初は不思議そうな目で見ていたが、次第に関心が無くなったのかそれぞれの学友との会話に戻っていった。

 ボクはその光景を尻目に気になる記事はないか探してみる。

 

 

「う~ん……、今日はおもろい記事はないなぁ……」

 

 

 今回は目に引く記事はなかった。少し残念である。

 そうして時間を潰していると、教室の扉がまた開かれる。何となく気になって扉の方へと視線を向けるとカイザーがとても良い笑顔で袋を提げながらこちらへと歩を進めていた。そして自分の席、ボクの前の席へと座る。そのままこちらへと話しかけてきた。そしてボクを見るなり驚いていた。

 

 

「テンポイントさん、おはようございます!……って、どうしたんですかその怪我!?」

 

 

「カイザー、おはようさん。これか?ダービーでやってもうてな、まあ症状は軽いから大丈夫やで」

 

 

「そ、そうなんですか?お大事にしてくださいね」

 

 

 話題も話題なので少し暗くなってしまった。あまり引きずることでもないと思ったボクは話題を変えるためにカイザーに袋の中身を尋ねる。

 

 

「ありがとなカイザー。それでその袋はなんや?随分嬉しそうに提げとったけど」

 

 

 するとカイザーはよくぞ聞いてくれました!と言わんばかりの笑顔でこちらに袋を出してくる。

 

 

「これですか!?聞いて驚いてください?この前のダービーのことについて書かれた雑誌なんですけど、なんと私の特集記事が組まれたんですよ!もう発売が楽しみで楽しみで……!」

 

 

「そ、そうなんか。えらいご機嫌なんはそういう理由か」

 

 

「はい!こんなに多くの雑誌でインタビューを受けたの初めてで……!これなんて見てください、私が表紙を飾っているんですよ!」

 

 

 そういってボクの目の前に1冊の雑誌を見せてきた。本当にクライムカイザーが表紙を飾っている。ボクは最優秀ジュニアウマ娘に選ばれた時に、ボーイは皐月賞ウマ娘になった時に雑誌の表紙を飾ったことはあるがクライムカイザーはこれが初めての経験らしい。ボクも同じ経験をした時は嬉しかったしカイザーもそうなのだろう。現に今も笑顔でこちらを見ている。

 そしてボクは雑誌を手に取る。ページを捲っていき、カイザーのことが書かれているページを見つける。そのページの謳い文句に目を惹かれた。その一文は

 

 

【祝!ダービー制覇!ダービーの歴史に蹄跡を刻んだその名はクライムカイザー(Crime Kaiser)!】

 

 

と書かれていた。それに思わずボクは目を丸くする。

 

 

(犯罪(Crime)皇帝(kaiser)?なんやそれ。カイザーはなんも悪いことしとらんやろ?)

 

 

 そう思いながらもカイザーの方へと視線を戻すと相変わらず笑みを浮かべていた。これは多分気づいていないやつだ。

 ボクは教えようと思ってカイザーに話しかける。

 

 

「なぁ、カイザー。よろこんどるとこ悪いんやけど……」

 

 

 犯罪皇帝ってなんや?、そう聞こうとした時

 

 

「おはよーって、テンさんどうしたんだその怪我!?カイザーはやたらニコニコしてるし」

 

 

「おはよ~。あれ?テンちゃんどうしたのその怪我~?後カイザーちゃんは嬉しそうだね~」

 

 

 タイミングが良いのか悪いのかボーイとグラスが登校してきた。

 ひとまず僕は教えることを後回しにしてボーイとグラスに挨拶を返す。

 

 

「おはようさん、ボーイ、グラス。大丈夫や、見た目以上に症状は軽いから。後カイザーは自分が雑誌の表紙が飾ったことが嬉しいんやて」

 

 

「おはようございます、ボーイさん、グラスさん!えへへ、そうなんですよ!見てくださいこれ!」

 

 

「あ、カイザーそれ」

 

 

 止めようとしたが、すでに満面の笑みでボーイとグラスに雑誌を見せつけていた。2人は表紙を見て感嘆の声を上げた。そのまま雑誌を受け取るとページを捲っていった。ボクと同じページにたどり着いたのだろう。2人は異なる反応を見せる。ボーイはそのまま羨ましそうな目をしていた。だが、グラスはすぐに怪訝な顔になった。

 ボーイが反応を返す。

 

 

「おー!かっこいいな!」

 

 

「そうでしょうそうでしょう!フフン、ついに私もお2人の仲間入りですよ!」

 

 

 そう言ってカイザーは胸を張っている。2人のやり取りを尻目にボクとグラスは顔を見合わせる。お互い言いたいことは一緒なのだろう。

 教えてやるか。そう思った瞬間ボクらが言いたかったことをボーイが言ってしまった。

 

 

「特にこの犯罪皇帝ってフレーズかっこいいな!響きがいいぜ!」

 

 

「へ?」

 

 

 ボーイの言葉にカイザーが固まった。そして確認するように雑誌を捲って見る。すると件のページに辿り着いた瞬間肩を震わせて叫びだした。

 

 

「な、な、な、なんですかこれぇぇぇぇぇ!?」

 

 

 どうやら本当に気づいていなかったようだ。突然の叫び声にクラスにいた子たちが一斉にこちらを見た。いきなりクラスで大きい声が響き渡ったら驚いてそちらを見るだろう。周囲の視線に気づいたのか、カイザーは自分の席に座って縮こまる。その姿を見てクラスの子たちはまた各々の会話へと戻っていった。

 周囲の視線が向けられなくなったと感じたのか、カイザーは先程の言葉から続ける。

 

 

「な、なんですかこれ!私の名前は確かにクライムカイザーですけど!綴り間違えてるじゃないですかこれ!CrimeじゃなくてClimbですよ!」

 

 

 それに三者三様の言葉を返す。

ボクは

 

 

「やっぱ気づいとらんかったのか」

 

 

ボーイは

 

 

「てっきりそれ込みで見て欲しいのかと思ってた……」

 

 

グラスは

 

 

「買った時に気づかなかったの~?」

 

 

と、真っ当な意見を言っていた。

 しかし、カイザーはなおも憤慨している。憤慨しているカイザーをよそにボクはその雑誌を手に取り記事を読んでみる。そこにはこう書かれていた。

 

 

【日本ダービー、4番人気といえどまさかの伏兵に皆驚いただろう。筆者もその1人だ。中にはクライムカイザーの走りを斜行だの走行妨害だの言っている連中もいるがとんでもない。アレはトウショウボーイがヨレたからそう見えただけでクライムカイザーはただトウショウボーイに寄せただけだ。審議にすらならないのは当然である。だが、一歩間違えれば確かに審議となる走りであったのは確かだ。まさに技あり。クラシック級でありながらこのような走りを見せてくれたクライムカイザーの今後が楽しみとなるレースだったと筆者は思う。】

 

 

(謳い文句を抜きにすればベタ褒めやな)

 

 

 コラムを書いている人はカイザーを大絶賛していた。ただ、肝心の本人の名前のスペルを間違えているのが致命的過ぎた。登りつめる(Climb)と犯罪(Crime)は確かに読みが一緒なせいで似ているかもしれないが意味に関しては全然違うといってもいいだろう。せっかく雑誌の表紙を飾ったのにあまりにも哀れである。

 他はどうなってるのかと思い、こっそりと袋の中から雑誌を取る。カイザーの箇所に目を通してみると他の雑誌はちゃんと登りつめる方の綴りが書いてあった。どうやら間違えているのは最初に取り出したこの雑誌だけらしい。

 ボクが確認作業をしているとボーイがカイザーを宥めていた。

 

 

「で、でもさ!響きはかっこいいぜ犯罪皇帝!よくないか?」

 

 

 だが、それは逆効果だった。カイザーは顔を真っ赤にして反論する。

 

 

「全ッ然!良くないですよ!なんですか犯罪皇帝って!私がなんか悪いことしたみたいじゃないですか!悪の親玉みたいで嫌ですよ!」

 

 

 ボーイは火に油を注いでしまった、と狼狽えた表情をしていた。

 次にグラスが宥める。

 

 

「ま、まあまあ~、カイザーちゃん落ち着いて~?記者の人も悪気があったわけじゃないと思うからさ~」

 

 

 だがそれでもカイザーの勢いは止まらない。

 

 

「だとしてもですよ!?普通間違えますか!?」

 

 

 グラスは小さな声で

 

 

「ダメだね~これ」

 

 

と呟いていた。

 2人とも撃沈したので最後にボクがいくことになった。ボクはカイザーを宥める。

 

 

「カイザー、見てみぃ。他の雑誌はちゃんとスペル合っとるで。つまり間違えとんのはこの雑誌だけや」

 

 

「……だから何ですか?」

 

 

 不服そうにこちらを見てくるカイザー。少し落ち着いたのだろう。ボクはこのまま畳みかける。

 

 

「つまりや、数ある雑誌の中で間違えとんのはこれだけ。やったら浸透する可能性は低いっちゅうことや。それにこういうんには電話番号が載っとるやろ?急いで電話すれば広まる前に何とかなるんちゃうか?」

 

 

「う~ん、でも……」

 

 

 カイザーは悩みを見せ始めた。それを好機と見たのかボーイがボクに続く。

 

 

「そ、それにさ!仮に広まったとしてもだぜ?人の噂も七十五日って言うだろ?いつの間にか収まってるものだって!あんまり気にしない方がいいって!」

 

 

 そしてボーイに続いてグラスも追撃する。

 

 

「それにさ~こういうのは後のレースでしっかりと実力を出してまたインタビューされた時によくも綴り間違えたな~って怒ればいいんじゃないかな~?」

 

 

 ボクたち3人の必死の説得にようやく心が落ち着いたのだろう。カイザーは嘆息してこちらに謝罪してきた。

 

 

「すいません……。皆さんに当たっても仕方ないですよね……。後でトレーナー経由で出版社に問い合わせてみます……」

 

 

 今度は見るからに落ち込んだ。ボクたちは慰める。

 

 

「ま、まあコラムに関してはカイザーを絶賛しとったし。あんま気にせん方がええで?」

 

 

「そうだそうだ。今日好きな飲みもん奢ってやるからさ?元気出せよカイザー」

 

 

「雑誌の表紙すら飾ったことがない私もいるからさ~元気だしなって~」

 

 

「グラスのそれは慰めなんか?自虐なんか?」

 

 

「どっちも~」

 

 

 ボクたちのいつも通りの会話にようやく心の整理がついたのだろう。カイザーもいつも通りの調子に戻った。

 

 

「まあ起きたことはしょうがないですし、気にしないことにしましょう!皆さんありがとうございました!」

 

 

 その姿にボクたちは安堵する。やっぱり友達が気落ちしている姿はできるだけ見たくない。

 もうすぐ朝のHRが始まろうかというタイミングになったので、それぞれの席について準備をする。先生を待つまでの間、ボクは病院での出来事を思い出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『骨折ですね。全治3ヶ月です』

 

 

 その言葉にトレーナーが反応していた。

 

 

『骨折……ですか』

 

 

 医師は頷き、説明を続ける。

 

 

『ただ程度は軽いので早くて7月には軽めのトレーニングは可能になるでしょう』

 

 

 その言葉にボクたちは安堵をしていた。思ったより軽くて良かったとその時は思った。しかし、医師の人は険しい顔をしている。

 それにトレーナーが気づいて医師の人に質問する。

 

 

『あの……まさか他にも悪いところが?』

 

 

 医師は重々しく口を開く。

 

 

『……脚の骨膜が炎症を起こしています。おそらくですがこれは彼女の体質が問題でしょう。こちらも今はすぐに治ります』

 

 

『……また、ですか』

 

 

 トレーナーは重々しく口を開いた。ボクも同じ気持ちだった。しかし医師はこちらに心配はないと一言告げた後

 

 

『ですが、身体の成長とともにこの体質は治っていきます。焦らずにじっくりと身体を作ることを意識してください』

 

 

『……分かりました』

 

 

 ボクはそう答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこまで思い出したタイミングで、先生が教室へと入ってきた。ボクはその思考を打ち切って先生の話に耳を傾ける。

 少しの不安を抱えながら。




骨折は軽めだったが……?
アイドルホースオーディションが始まりましたね。私は勿論テンポイントに投票しました。


※最後の病院でのやり取りを修正しました。


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第27話 偶然の出会い

赤いあの人が登場。


 午前中の授業が終わり、お昼ご飯を食べるためにとボクたちはカフェテリアへと向かうことになった。ボクは松葉杖での移動に苦戦しながらもなんとかカフェテリアへと向かう。

 

 

「くっ、やっぱ慣れてへんから動きづらくてしゃあないわ」

 

 

 そんなボクの様子をボーイ・グラス・カイザーの3人は心配そうに声を掛けてくる。

 

 

「なぁ、やっぱオレがおぶっていこうか?テンさん軽いし余裕だからさ」

 

 

「あんまり無理しない方がいいよ~?怪我が悪化するかもしれないしさ~」

 

 

「そうですよ。無理せず頼ってください!私たちでよければ力になりますので!」

 

 

 ここで意地を張るのもいいが、正直おぶって移動してくれるのはありがたい話だ。時間がかかってご飯の時間が無くなるよりはマシだろう。

 ボクは3人の申し出に感謝しながら答える。

 

 

「ホンマ?やったらお言葉に甘えさせてもらおうかな。ありがとなみんな」

 

 

 ボクの言葉にボーイが真っ先に反応してボクのもとに近寄る。どうやら先程の言葉通りボーイがボクをおぶる気らしい。松葉杖はグラスが持つのか、こちらに渡すように手を出してきた。

 ボクは手すりに掴まりながらグラスに松葉杖を渡す。それを確認した後ボーイがしゃがんで背中に乗るように促してきた。

 

 

「よっしゃ!乗りなテンさん!トウショウボーイ特急が無事にカフェテリアまで送ってやるぜ!」

 

 

「なんやねんそれ」

 

 

 ボクは笑いながらもボーイの背中に乗る。意外と乗りやすくて快適だ。

 

 

「ええやん、快適やな」

 

 

「しっかり掴まっとけよ~?じゃ、行こうぜグラス、カイザー」

 

 

「ラジャ~。松葉杖もしっかり持ったよ~」

 

 

「私だけ何もしないって言うのは申し訳ないので、テンポイントさんの料理は私がお取りしますね」

 

 

 ボーイの言葉に、グラスとカイザーがそれぞれ返事をした。準備が完了したということでボクたちは改めてカフェテリアへと向かう。

 ボクは1人考える。

 

 

(今度また別の形でお礼せんとアカンなこれは)

 

 

 3人へのお礼をどうしようか考えながら、ボーイの背に乗って向かっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カフェテリアの前につくと、突然ボーイが立ち止まった。一体どうしたのだろうか?

 ボクはボーイに声を掛ける。

 

 

「どしたん?ボーイ。急に立ち止まって」

 

 

「ん?あぁ、あそこに知り合いがいたからさ。お~い!マル~!」

 

 

 ボーイの声にマルと呼ばれた子がこちらを振り向く。こちらの姿を確認すると笑顔を浮かべながら小走りで向かってきた。

 マルと呼ばれたその子がボーイに話しかける。

 

 

「あら、ショウさんじゃない!奇遇ねこんなところで」

 

 

「マルこそ珍しいな?いつもはカフェテリアじゃ食べてないじゃねぇか。何かあったのか?」

 

 

「そうなのよ!聞いてショウさん!今日の朝起きたら登校時間ギリギリでね?用意する時間がなかったのよ!」

 

 

「あちゃ~。そりゃ災難だったな~」

 

 

「もう、本当チョベリバよ!」

 

 

 ボーイとマルと呼ばれた子の会話をボクたちは呆然としながら聞いていた。それはそうだろう。面識も何もない人間が仲の良さそうなこの2人の会話に入れるはずがない。それはそうとチョベリバとは何だろうか?

 ボクたちが蚊帳の外であることに気づいたのか、ボーイがマルと呼ばれた子を紹介する。

 

 

「あ、わりぃわりぃ。3人とも初めてだったよな?この子はマルゼンスキー、前にどっかで話したと思うけどリギルの後輩なんだ。オレはマルって呼んでる!」

 

 

 ボーイの言葉にマルゼンスキーが続けて自己紹介する。

 

 

「ハァイ、あたしはマルゼンスキーよ!好きなように呼んでくれて構わないわ。普段はお弁当なんだけど、今日は寝坊しちゃってね。皆さんはショウさんのお友達かしら?あたしとも仲良くしてくれると嬉しいわ!」

 

 

 どうやらマルゼンスキーはフランクな人物らしい。ボクの第一印象はそれだった。

 あちらが自己紹介してきたのでボクたちも自己紹介をする。

 

 

「ボクはテンポイントや。こないな格好ですまんな。足を骨折しとるからボーイに運んでもろうてたんよ。ボクのことも好きに呼んでくれて構わんで」

 

 

「私グリーングラス~。ボーイちゃんのお友達だよ~。よろしくね~マルゼンちゃ~ん」

 

 

「あ、私はクライムカイザーです。よろしくお願いしますねマルゼンスキーさん」

 

 

「テンさんに、グラスにカイザーね。ヨロピク!テンさんは大丈夫かしら?お大事にね?」

 

 

 年も変わらないので敬語で話すのもおかしいと思ったのか、あちらはそのままのフランクな言葉遣いのまま接してきてくれた。ボクは堅苦しいのがあまり好きじゃないので正直ありがたい。ただ、ヨロピクとは何だろうか?意味合いからしてよろしくに近い感じだとは思うのだが。

 全員の自己紹介が終わったところでボーイが先導する形でカフェテリアへと入る。せっかくだからとマルも一緒に食事を取ることになった。ボクらは席を取って料理を取りに向かう。ただボクの分はカイザーが取りに行ってくれた。

 そして昼食時の話題はマルの話題一色になった。今日が初対面なのでみんな気になるからであろう。グラスが最初に話を切り出す。

 

 

「いや~それにしてもキミがボーイちゃんの言ってたマルゼンちゃんか~」

 

 

「あら?ショウさんはあたしのことをなんて言ってたのかしら?」

 

 

「そうだね~とっても速い子だって言ってたよ~」

 

 

 そういえばそんなことを言っていた気がする。するとマルは満更でもないのか嬉しそうにしていた。

 

 

「あら、嬉しいわね。ショウさんからそんなこと言われてたなんて」

 

 

「いやいや、実際マルはめっちゃくちゃ速いじゃねぇか!オレ最初に走ってるのを見た時マジでびっくりしたんだぜ?」

 

 

「そんなに褒めたってなにも出ないわよ~?」

 

 

 ただ、上機嫌なのかマルの耳は嬉しそうに動いている。尻尾もそうだ。

 次にカイザーが質問する。

 

 

「そういえば、寝坊って言ってましたけど同室の子は起こしてくれなかったんですか?」

 

 

「あぁ、あたし1人暮らしなのよ。トレセン近くのマンションに住んでるわ」

 

 

 その言葉にボーイ・グラス・カイザーの1人暮らし組が反応を示す。

 

 

「そうなのか?オレも1人暮らしだぜ」

 

 

「私も私も~。1人暮らしの子って結構珍しいけど~ここに4人も集まるなんて奇遇だね~」

 

 

「1人暮らしだと色々大変ですよね。お掃除とか」

 

 

 掃除、という言葉に反応したのかマルは慌てた素振りを見せる。

 

 

「え!?えぇ、そうね、ホント大変で困っちゃうわ~」

 

 

 ……反応から察するに、マルの部屋は散らかっているのかもしれない。

 しかし寮に入る生徒も多い中、実家暮らしではなく1人暮らししているのがこんなに集まっているのは珍しい。ボクは寮暮らしなので少しの疎外感と羨ましさを感じる。

 その後も会話は進んでいったのだが、少し気になることが出てきた。というのも度々マルから聞き覚えのない言葉が出てくるのである。

 例えば朝にやることの話になった時は

 

 

「やっぱり朝シャンは欠かせないわよね~」

 

 

だったり、箸を落としてしまった時に

 

 

「メンゴメンゴ!新しいの持ってくるわね」

 

 

だったり、ボクのトレーナーの話になった時に

 

 

「神藤さん?知ってるわよ、あの人もヤンエグで有名よね~」

 

 

極めつけにカイザーがハダルに入った新入部員がマルをライバル視していることを知ると

 

 

「その子ってあの芦毛のマブい子かしら?それはテンションがアゲアゲになるわね!」

 

 

と言っていたりしていた。どれもこれも聞き覚えのない言葉で戸惑っている。マル以外のみんなも同じ気持ちなのか度々頭に疑問符を浮かべていそうな顔をしていた。

 そんな中意を決してボクはマルに質問する。

 

 

「なぁ、ちょっとええかマル?」

 

 

「ん?どうしたのかしらテンさん?」

 

 

「いやな?度々マルから知らん言葉が出てくるからそれなんやろうなと思うて」

 

 

 その言葉にマルは驚いていた。すると喜々として彼女は話し出す。

 

 

「この言葉はね、あたしのお母さんから流行りの言葉を教えてもらったのよ!あたしって昔からどこかセンスがずれててね?だからみんなに話を合わせられるようにって頑張って覚えたのよ~」

 

 

 どうやら彼女の母親から教わったものらしい。しかしどうやらこれが今時の流行り言葉だったとは。ボクも知らなかった。

 みんなも同じ気持ちだったのか、口々にマルを尊敬の目で見ていた。

 

 

「へぇ、そうなのか!今の流行りなんだなその言葉!」

 

 

「いいな~。私もそういうの疎いからな~」

 

 

「これが今の流行りなんですね……、しっかりと覚えておかないと!」

 

 

 するとマルがこんな提案をしてきた。

 

 

「なら、あたしが教えてあげましょうか?」

 

 

「え?いいのか!?」

 

 

「モチのロンよ!せっかく仲良くなったんだもの!みんなもイケイケになりましょ!」

 

 

「お~よく分からないけどこれで私も流行りのガールになれるのかな~」

 

 

「ホンマにええんか?ありがとなマル!」

 

 

 ボクらの言葉にマルは構わないと言って言葉を続ける。

 

 

「それじゃ、みんなもナウなヤングになるために頑張るわよ~!」

 

 

 その後は、マルからずっと流行りの言葉を教えてもらっていた。知らなかったことばかりで本当に新鮮だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ご飯も食べ終わり、授業も終わって放課後。このまま寮に帰ってもやることは授業の復習か宿題だけなので、ボクはトレーナー室へと向かっていた。

 そしていつものプレハブ小屋に着いてトレーナー室の扉を開けるとそこにはトレーナーが書類仕事をしていた。

 トレーナーはボクが入ってきたことに気づいたのか、挨拶をしてくる。

 

 

「ようテンポイント。どうしたんだ?」

 

 

 まあ今日は練習が休みの日だ。そう聞かれるのは当然だろう。なのでボクも正直に答える。

 

 

「いやな、このまま寮に帰ってもなんもないからここで勉強してこかなーっと」

 

 

 その言葉にトレーナーは納得したのか許可を出す。

 

 

「そうか。まああまり遅くならないうちに切り上げろよ?帰りは送っていくから」

 

 

「りょ……」

 

 

 了解や、と言おうと思ったがせっかくなのでマルから教えてもらった流行りの言葉を使ってみよう。きっとトレーナーは驚くかもしれない。

 

 

「モチのロンや!さぁ、テンションアゲアゲでいくでー!」

 

 

「は?」

 

 

 正直、勉強にテンションを上げる要素は特にないかもしれないがそこは使ってみたかっただけである。ただ、トレーナーはこちらを変な目で見ていた。

 ボクはそのままマルから教えてもらった言葉を続けて使う。

 

 

「フフン、すごいやろ?今日教えてもろうたんよ!なんでもナウなヤングにバカウケらしいで!」

 

 

「あ、あー……うん、そうなのか」

 

 

 どうやらトレーナーは驚いているのか言葉が続かないらしい。それに気分を良くしたボクは続ける。

 

 

「いやぁ、流行りの言葉も教えてもろうて、ボクの気分もルンルンや!今なら何でもできそうな気がするで!」

 

 

 するとトレーナーは言いにくそうにボクに告げる。

 

 

「あー……、テンポイント?気分が上がっているところ悪いんだが……」

 

 

「なんや?何でも言うてみぃ?」

 

 

 意を決したようにトレーナーは二の句を告げた。

 

 

「お前が使っているその言葉、流行ったのは大分前だぞ?バブルの時期って言えば分かるか?大体その辺りで流行った言葉だぞ、ソレ」

 

 

 ……おったまげー。




正直、活躍した年代が近いためか一番やりたかったネタです。


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第28話 リハビリ

リハビリ回。
キャンサー杯私はオープンリーグでやっておりますが、決勝はBクラスです。ちくせう


 ダービーが終わってから1ヶ月以上が経過しすでに梅雨も明けそうだというニュースを聞くようになった今日、俺とテンポイントは病院へと来ていた。理由はダービーで骨折した足を診てもらうためである。骨折して以降は週に1回は必ず行っているのでもはや慣れたものだ。

 俺は神妙な面持ちで、医師の人からの言葉を待つ。今は包帯も取りレントゲンも撮り終わって最終的な判断を待っているところだ。

 

 

「……フム」

 

 

「ど、どうなんですか?先生」

 

 

 俺の言葉に少しの沈黙の後、医師は笑顔を浮かべながら答える。

 

 

「……うん、大丈夫ですね!これなら軽い運動程度は大丈夫でしょう。ただし、まだリハビリ程度に留めておいてください。完全に治ったといえるまでは無理な運動はしないように」

 

 

 医師の言葉に俺は喜んだ。隣の方へと顔を向けるとテンポイントも同じ気持ちなのか表情に笑みを浮かべている。

 俺は医師の人にお礼を言う。

 

 

「ありがとうございます、先生!」

 

 

 テンポイントはもう待ちきれないと言わんばかりに早く学園へと戻ることを提案する。

 

 

「よし、こっから1ヶ月分の遅れを取り戻すで!早速メニュー組もか、トレーナー!」

 

 

 俺たちの様子を医師は微笑ましそうな顔で見ている。

 

 

「はは、お礼を言うのはまだ早いですよ。先程も言った通りまだ無理な運動はできませんのでしっかりと覚えておくように」

 

 

 その言葉に俺たちは了解した旨の返事をして、病院を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 病院から出た後俺は車を走らせていた。だが、トレセン学園に帰るのではなく別の場所へと向かっている。学園への帰り道でないことに気づいて怪訝に思ったのか助手席にいたテンポイントが話しかけてくる。

 

 

「なぁトレーナー、これ帰り道ちゃうよな。どこ向かっとるん?はよトレセンに戻って練習しようや」

 

 

「あぁ、トレセンには戻らないぞ。実は最近今のお前にいい施設があることを教えてもらってな。そこに向かっているところだ」

 

 

「今のボクにいい施設?なんやそれ?」

 

 

「なんでも療養とトレーニングを一緒にできる、怪我明けのウマ娘に丁度いいリハビリテーションセンターらしい。中には屋台や温泉もあるらしくてな、果てには医療施設もある充実っぷりだ」

 

 

 俺も最初に教えてもらった時はもっと早く知りたかったと後悔したものだ。この1ヶ月はトレセンのプールを使用しての練習を中心に組んでおり、予約が取れなかった場合はもっぱら勉強の時間に充てていた。お金は掛かるがこれも全ては担当のため、これからのレースを勝つためと思えば安いものである。

 パンフレットも貰っているので、信号待ちの間にテンポイントに手渡す。それを彼女は受け取り広げる。彼女は興味深そうに眺めていたと思うと今度は目を輝かせていた。嬉しそうにこちらに話しかける。

 

 

「なぁなぁ!ここアミューズメント施設もあるやん!ホンマにここに行くんか!?」

 

 

「そうだぞ。リハビリが終わったら少し遊んで帰るか?」

 

 

「ええんか!?……と言いたいところやけど、それはまた今度にしよか」

 

 

 楽しげな声から一変して険しい声色に変わる。そしてそのまま言葉を続ける。

 

 

「前のダービー、ホンマに情けへん走りを見せてもうた。やから今は遊んどる場合やない」

 

 

「……」

 

 

 前走の日本ダービーの7着。それを引きずっているのだろう。皐月賞も敗北したとはいえ2着、掲示板を逃したのは今回が初だ。そのことをこの1ヶ月ずっと悔しそうにしていた。

 だが、いつまでも引きずるのは精神衛生上良くない。なので俺は彼女に提案する。

 

 

「テンポイント、今回俺はこの施設のいろんなところを回ってみたくてな。ここの設備を見て何かいいアイデアが浮かぶかもしれないし、その時に意見を貰える人がいたら助かると思ってるんだ。だから一緒にここの施設を見て回らないか?もちろんトレーニングが終わった後になるが」

 

 

 そう言いながらまた信号に引っかかったので彼女の方へと目をやる。すると耳が忙しなく動いていた。おそらくだが嬉しいのだろう。

 

 

「ふ、フーン?やったらしょうがないな。付き合ってやろうやないか。トレーナーのお願いやからな!うんうん、トレーナーが回りたいんやからな!」

 

 

 誰に言い聞かせているのか分からないが、彼女はそう言った。俺はその姿を見て思わず笑みを浮かべながら答える。

 

 

「そうだな。俺が行きたいから仕方ないことだ」

 

 

「せやせや!」

 

 

 そんな会話をしながら、リハビリテーションセンターへと車を走らせていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後特に何事もなく施設へと到着し中へと入る。そしてお互いにそれぞれの更衣室で着替えてから合流する。俺まで着替える理由は至極単純であり、スーツ姿のままだと完全に浮くからだ。周りに合わせるためにアロハシャツを着ている。テンポイントも同じような格好をしており、見た目だけならただ遊びに来ただけだ。

 まあ勿論遊びに来たわけではなく、トレーニングをする前にお昼時ということで先にご飯を済ませておこうと思ったため、まだ泳ぐ格好でないだけだ。今はフードコートにいる。

 俺はテンポイントに何か食べたいものはあるかを聞く。

 

 

「さて、何か食べたいものはあるか?好きなもん食っていいぞ」

 

 

「うーん、こんだけ充実しとると迷うなぁ……なんにしよか……?」

 

 

「まあ決まったら教えてくれ」

 

 

 会話をしていると誰かから声を掛けられる。

 

 

「あれ~?テンちゃんだ~。こんなところで奇遇だね~」

 

 

「よぉ誠司!お前らもここに来てたのか」

 

 

 声がした方へと顔を向けると、グリーングラスと沖野さんがこちらへと向かってきていた。俺は驚いた。まさかこんなところで会うとは。沖野さんに質問する。

 

 

「沖野さん、こんなところで珍しいですね。俺たちは最近ここのことを知ってきたんですけど沖野さんもそうなんですか?」

 

 

 俺の質問に沖野さんは首を横に振る。

 

 

「いや、ここの施設自体は前から利用しててな。最早常連だ」

 

 

「そうなんですね。あれ?でも何のために?」

 

 

「あ~……」

 

 

 そう言って沖野さんは視線をグリーングラスの方へと向ける。彼女はテンポイントとどこでご飯を食べようかと相談しているのかパンフレット片手に話していた。仲の良いことだ。それを確認すると沖野さんはこちらに耳打ちしてくる。

 

 

「グラスの身体のことなんだが、アイツの身体はそんなに強くなくてな。ここには温泉もあるだろ?湯治をしながらトレーニングするためによく来るんだよ」

 

 

「あぁ~、そういう理由ですか……」

 

 

 どうやらグリーングラスの身体はそんなに強くないらしい。思えばメイクデビューも病気で遅れていたことを思い出す。身体の弱さには2人とも歯がゆい思いをしているのだろう。何となくそう思った。

 ここで会ったのも何かの縁ということで、俺たちは一緒に食事を取った後トレーニングも行うことになった。テンポイントとグリーングラスは学園指定のスクール水着に着替えてきてプールでの練習を開始する。

 俺と沖野さんはその様子をプールの外から見ている。時折タイムを計りながら競い合わせたりしているが、あまり無理はできない。程々にしておけとテンポイントには言っていたのだが、グリーングラスに負けた時ムキになったのか、

 

 

「クッソ!もう1回、もう1回や!負けっぱなしで終われんわ!」

 

 

「フッフッフ~。受けて立ってしんぜよう~」

 

 

「なんやその余裕!上等や、泣かしたる!」

 

 

と、なぜか喧嘩腰になっていた。いくら負荷の少ないプールでのトレーニングとはいえ傷が開きかねないので止めて欲しい。

 そう思っていると隣にいる沖野さんがこちらに話しかけてくる。

 

 

「誠司、お前皐月賞が終わって以降色々言われているが大丈夫か?」

 

 

「色々って?」

 

 

「とぼけんなよ、お前も分かってんだろ?他のトレーナーからよく思われていないってこと。ダービー以降は特に酷いって聞いてるぜ?」

 

 

 その話か。身に覚えがありまくる話だった。

 スプリングステークスまでは特に何も言われてなかったのだが、テンポイントが皐月賞を敗北した後少しずつ俺に対する悪口が増え始めていると他の職員や仲の良いトレーナーから教えてもらっていた。その時は自分の耳に入っていなかったこととそれ以上にダービーが大事だったので気にも留めていなかった。しかし、この前の日本ダービーでの大敗を受けてその陰口は俺も耳にするほどには増えていた。本人に聞こえるように陰口とは見上げた根性である。挙句の果てにはわざわざ俺の前までやってきて

 

 

『テンポイントが負けたのはお前のせいだ』

 

 

とまで言ってくるやつまで現れた。まあクラシック候補大本命とまで言われていたテンポイントが皐月もダービーも逃しているとなると言いたくなる気持ちは分からんでもないが。それに皐月賞の敗北は完全に俺のせいなので正直言い返せない。それはそれとして直接悪口を言ってきた奴は煽り返してやった。するとそいつは顔を真っ赤にして帰っていった。図星だったのだろう、痛快だった。

 俺は沖野さんの質問に答える。

 

 

「まあテンポイントの負けは俺の責任でもありますから。あいつらの言っていることもあながち間違ってないですよ」

 

 

「けど、あそこまで好き勝手言われて悔しくならねぇのか?」

 

 

 沖野さんは俺が耳にした言葉よりもさらに酷い悪口を聞いたことがあるのだろう。言葉の節々から怒りが感じ取られた。同じトレーナーとして許せないところもあるのかもしれない。

 俺は言葉を続ける。

 

 

「悔しくないわけないでしょう。でも、今の俺が何を言ったところであいつらには届きません。だから、実績で黙らせるんですよ。こっからレースを勝ちまくって、誰もケチをつけられないように」

 

 

「……」

 

 

 沖野さんは黙ったままだ。俺はさらに続ける。

 

 

「それにいちいちそういう声を気にしてたらやってられないですからね。記者にはまだなんも言われてないけどその内なんか書かれそうですし」

 

 

「……ハハ、それもそうだな!」

 

 

 沖野さんは笑ってそう答えた。今はまだ記者連中には何も書かれていないが、ここからさらに負けが込むようなら批判は免れないだろう。別にそれにどうこう言うつもりはない。事実なのだから。そう言った奴らを黙らすには実績を作るしかないのだ。

 沖野さんは笑った後俺にこう言った。

 

 

「お前はそのまま頑張れよ?間違っても周りからの言葉なんかに負けるんじゃねぇぞ!」

 

 

「大丈夫です!俺他人からの評価あまり気にしないんで!」

 

 

「それもそれでどうかと思うけどな」

 

 

 俺たちは笑いあう。その後沖野さんは最後に1つだけと言ってこちらに忠告をしてきた。

 

 

「だが、お前が悪く言われて傷つく奴だっている。それだけは覚えておけよ?」

 

 

「え?それって沖野さんですか?」

 

 

「俺もそうだし、おハナさんもそうだ。それに一番は、お前の担当しているウマ娘、テンポイントだよ。自分のトレーナーが悪く言われて気にしない奴なんていないからな。しっかりを気を配っておけよ?」

 

 

「……そうですね、胸に刻んでおきます」

 

 

 沖野さんからのありがたいお言葉を貰ったところで、テンポイントたちの方へと意識を向ける。するとまたテンポイントが再戦を望んでいた。

 

 

「もう1回、もう1回や!」

 

 

 グリーングラスは疲れているのか呆れ気味だ。

 

 

「え~?まだやるの~?いい加減止めようよテンちゃ~ん」

 

 

「嫌や!まだできるやろ!もう1回や!」

 

 

 それを聞いて、俺と沖野さんはお互いに呆れた表情を浮かべつつ止めに入った。テンポイントは渋っていたが強制的に止めさせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後はアミューズメント施設等を回り、いい時間になったので沖野さんたちと別れを告げて車に乗る。トレセン学園へと戻る道中、テンポイントは疲れが出ていたのか眠っていた。寝息が聞こえてくる。

 

 

「……スゥ、……スゥ」

 

 

 その様子に笑みを浮かべながらも俺は決意を固める。これからのレース、彼女を勝たせるために今まで以上にトレーナーとして頑張らねば、と。




公式がアナウンスした新しいウマ娘はいまだに名前が公開されていないあの子たちなのかそれとも完全新規の子なのか……。楽しみですね


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第29話 完治、そして次の目標は

テンポイントが復帰したり次の目標について話し合う回。


 リハビリ施設に通うこと1ヶ月、8月を迎えてトレセン学園の夏休みもあと半月となっている。そんな中俺とテンポイントは病院の医師と緊張した面持ちで対面していた。

 テンポイントのテーピングを外してもらい、医師が触診をしている中レントゲンの写真が届いた。俺たちは医師の人からの言葉を待つ。

 

 

「……はい、レントゲンを見る限り骨も元通りになっております。これならもう大丈夫でしょう。約3ヶ月の間よく頑張りましたね、テンポイントさん」

 

 

「……ッ!よっしゃー!やっと治ったわ!」

 

 

 テンポイントが歓喜の声を上げる。特に彼女にとって走りが解禁されたことが何よりも嬉しいだろう。怪我をしている間は本気で走ることは勿論軽めに流すことも満足にできなかったのだから。俺も声を上げこそしないが滅茶苦茶に嬉しい。

 俺たちは改めて医師の人にお礼を言う。

 

 

「ありがとうございます、先生」

 

 

「ホンマ、ありがとうございます!」

 

 

「いえいえ、それが我々のお仕事ですから。お身体に気をつけて練習なさってください」

 

 

 医師の人は朗らかに笑いながらそう答える。その言葉を聞いた後テンポイントに手を引かれながら病院を後にする。

 ようやくまともに走れるようになったことが余程嬉しいのか、帰りの車の中でも走りたそうに身体を震わせていた。なのでしっかりと釘を刺す。

 

 

「完治して嬉しいのは分かるが、トレセン学園まで我慢してくれよ?」

 

 

「分かっとる分かっとる!いやー、それにしてもやっと治ったわ!」

 

 

 正直ここから走って帰るとか言い出さなくて本当に良かった。そう考えながらトレセン学園へと車を走らせていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夏休みに入っている関係上、大体のウマ娘は帰省しているか合宿に行っているため練習場の予約は思いの外簡単に取ることができた。なので早速練習場へとテンポイント共に向かう。復帰明けということで今日はあまり激しい練習はせずあくまで流しでの走りを行うことにした。その後はまた身体作りの筋トレである。

 最初はテンポイントが速く走りたそうにしているので、数本流しで走らせることにした。ウッドチップコースの距離1600m、まあ軽めということでこれでいいだろう。早速テンポイントは準備に取り掛かる。

 

 

「よっしゃ!久しぶりに走れるで~。気張っていこか!」

 

 

「つっても怪我明けだ。あくまで流しってことを忘れるなよ!」

 

 

「了解や!うし、しっかり見とき!」

 

 

 スタートの構えを取ったので今回は声での合図を出す。俺がスタートの合図を出したのと同時にテンポイントが走り出す。見ているこちらからも分かるぐらいに楽しそうだ。この約3ヶ月の鬱憤を存分に晴らすかのように駆け抜ける。

 程なくしてコースを1周しテンポイントは戻ってきた。一応タイムも図っていたので彼女に見せる。可もなく不可もなく。まあ復帰明けなのでこんなものだろう、そんな感じの反応をしていた。その反応の後こちらにお願いをしてくる。まあ何を言ってくるかは分かっているが。

 

 

「なぁトレーナー?走り足りひんからもうちょい走ってもええ?」

 

 

 両手を合わせてお願いしてきた。まあ後2本くらいならいいだろう。

 

 

「……一応、骨折明けだから後2本までな。それ以上はダメだ」

 

 

 俺の答えに彼女は花が咲いたような笑顔を浮かべる。

 

 

「ええんか!?よっしゃ!やったらはよいこうや!」

 

 

 余程嬉しいのかそのまま走っていきそうな勢いだ。心配はあるが今日くらいはいいだろう。医師からもお墨付きはもらっているし。

 そのまま2本目を走り始めたテンポイントを遠くから眺めてみて1つ気づいたことがある。それは彼女の体格だ。

 

 

「やっぱり気のせいじゃなかったか。想像以上に逞しくなってきているな」

 

 

 デビュー前から着々と身体つきは良くなっていたのだが、いかんせん華奢な印象が抜けなかった彼女の体格がこの怪我の間でじっくりと筋トレに励んだ甲斐あってかしっかりとしてきた。これなら菊花賞には間に合わせることができるかもしれない。あわよくばそのまま制することも夢じゃないだろう。

 そうなると次のレースをどうするか。通常菊花賞のトライアルレースなら神戸新聞杯なのだがあまり出走させたくない理由がある。さすがに10月の初めに開催されるレースには間に合いそうにないという点だ。確かに走れるようにはなったがここから調整までとなるとまた話が変わってくる。それに菊花賞が終われば待っているのはシニア級のウマ娘たちとの闘い。その経験を早いうちに積ませたいという気持ちがある。なので次に狙うべきレースは……。

 

 

「京都大賞典……。このレースを目標に調整するか」

 

 

 同じ10月開催なら下旬にある京都新聞杯でもいいかもしれないが、今回は菊花賞の先を見据えることにした。今日の練習が終わったらテンポイントにこのことを伝えよう。

 考えも纏まったので視線をテンポイントに向けると、彼女はすでに2本目を走り終わってこちらに戻ってきており、目の前に立ってこちらを覗き込んでいた。ヤバい、全然気づかなかった。彼女はやっと気づいたとばかりに嘆息する。

 

 

「トレーナー?何ボーッとしとるん?もう2本目終わったで」

 

 

「あぁすまん。今後のことを考えてちょっとな。じゃあ少し休憩を入れて3本目走るか」

 

 

「何考えとったん?それ言うまでは3本目はいかへんで?」

 

 

 やたら嫌疑的な目を向けてくるが別に隠すようなことでもないので正直に話す。

 

 

「お前の次の目標レースだな。それについては練習が終わった後詳しく話そう」

 

 

「なんや次のレースか。てっきり危ないから走るの取りやめとか考えとんのかと思うたわ」

 

 

「それを考えてたらまず3本目を走らせないから安心してくれ」

 

 

「まあそれもそうやな。んじゃ3本目行ってくるわ」

 

 

 そう言って彼女は3本目を走る準備に取り掛かる。相変わらず楽しそうに走っているなぁ。

 夏休みなのでいつもより練習時間を長めに取ることができる。走り終わった後は筋力トレーニングを行いいつも以上に熱を入れて練習をしていった。合宿ができない分、合宿並かそれ以上の効果を得るために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 練習が終わった後はトレーナー室で今後のミーティングをする。まずは先程も言った通り目標レースの話だ。

 

 

「さて、まずは練習中に言っていた通り目標とするレースの話だな。まず大目標は菊花賞、当面はこれに絞るぞ」

 

 

 俺の言葉にテンポイントは疑問の声を上げる。

 

 

「あれ?菊花賞は回避するかもしれんって言うてなかった?」

 

 

「最初はその方向で考えていたんだがな。怪我明けの状態、そして今日の走りを見て間に合うかもしれない、そう判断した。だから菊花賞を目標にレースを1つ走るぞ」

 

 

「ふ~ん、そのレースはなんや?やっぱ神戸新聞杯か?」

 

 

「いや、ステップレースには京都大賞典を使う」

 

 

 テンポイントは怪訝な表情を浮かべる。なぜそのレースを使うのか分からないといった感じだろうか。彼女は思った通り、なぜこのレースを使うのかという疑問をぶつけてきた。

 

 

「京都大賞典?なんでそないなレースを使うんや?普通やったら神戸新聞杯とか京都新聞杯やろ?」

 

 

「そうだな、まず神戸新聞杯だが怪我明けで調整が間に合わない可能性があるから候補からは除外した。で、ステップレースとして使うなら京都大賞典か京都新聞杯のどちらかにするってなったんだが、先を見据えて京都大賞典を選んだんだ」

 

 

「先を見据えて?」

 

 

「あぁ、京都大賞典はシニア級ウマ娘との混合レース。菊花賞が終わればお前もシニア級のレースに出走することになる。今のうちに経験を積んでおこうってことだ。だからと言ってお前が負けるとは微塵も思っていないが」

 

 

「そか。まあそういう理由なら分かったで。ボーイとカイザーへリベンジするんは菊花賞までお預けっちゅうことやな」

 

 

「そういうことだ」

 

 

 納得してくれたらしい。テンポイントは頷きながらそう答えた。

 次走も決まったことで次の話題はテンポイント自身の話になる。俺は今日感じたことをそのまま伝えた。

 

 

「しかしテンポイント、お前身長伸びたか?怪我する前よりも逞しく感じるぞ」

 

 

「ホンマか?いやぁ、やっと筋トレの成果が出始めたんやな!身長も、毎日牛乳飲んどるからやな!」

 

 

 果たして牛乳が身長に本当に関係しているのかは分からないが、彼女の身長を念のため測ってみる。すると前回測った時よりも3cm程伸びていた。前が155cmぐらいだったので今は158cmだ。着実に成長してきているのだろう。

 テンポイントは嬉しそうに告げる。

 

 

「フフン、このまま身長伸ばしていずれはボーイを越えたるでー!」

 

 

 ……正直それは無理だと思うが。トウショウボーイは確か170cmぐらいあったはずなので今更追いつくのは無理だろう。それを口にしたら間違いなく拗ねる上に拳が飛んできかねないので何も言わない。

 そのまま話し合いは進んでいき、議題もなくなってきたところで解散となる。ただ少し時間があるので俺はテンポイントに1つ提案をする。

 

 

「そうだテンポイント、今から夜間外出の許可って取ることってできるか?」

 

 

「夜間外出?まあ取れんことないと思うけどなんでや?」

 

 

 俺は笑顔を浮かべながら答える。

 

 

「何、せっかくの夏だってのに夏らしいことを何ひとつしてねぇからな。だから、これで少しでも夏気分を味わおうって思ったんだよ」

 

 

 そう言って俺は花火セットを取り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜間外出許可は思ったよりすんなり通ったらしい。普段から模範的な学生生活を心がけているおかげだろう。許可を取るために寮に戻っていたテンポイントが小走りでプレハブ小屋の前まで来た。

 

 

「来たか。じゃあさっそく始めるぞ!」

 

 

「うわぁ、市販品の花火なんてえらい久しぶりやなぁ!ちょっとテンション上がるわ!」

 

 

 そう言ってお互いに花火に火をつける。通常の花火から簡易的な打ち上げ花火、ねずみ花火までより取り見取りだ。俺たちは花火をつけながらその様子を見て笑いあう。最初はこの年でどうかと思ったがやはりいくつになってもこういうのは楽しいものだ。

 そして花火も残り少なくなり、最後はやはり線香花火で締めることにした。そしてテンポイントから1つ提案をされる。

 

 

「なぁトレーナー。せっかくやからこれでひと勝負しようや」

 

 

「勝負?あぁ、どっちが火が長くもつかってやつだな?受けて立つぜ!」

 

 

「よっしゃ!やったら負けた方はペナルティでどうや?」

 

 

「うっ、あんまきついのはやめろよ?」

 

 

「分かっとる分かっとる!んじゃ、勝負や!」

 

 

 テンポイントから提案された線香花火の火をどっちが長くもたせられるかの勝負。やはり花火と言えばこれが定番だろう。その勝負が始まった。

 ただ始まったと言ってもどちらかの火が落ちるまでひたすら待つだけなのでものすごく地味だ。無言に耐えきれなくなったのかテンポイントが話をしてくる。

 

 

「なぁ、トレーナー」

 

 

「どうした?テンポイント」

 

 

 彼女は決意を込めた瞳でこちらを見てくる。

 

 

「ダービーでは情けへん走りを見せてもうた。やから菊花賞、取ってみせるで」

 

 

「……」

 

 

 彼女は目線をこちらに向けたままだ。お互いの視線が交錯する。少しの間の後俺は答える。

 

 

「あぁ、楽しみにしている。なんてたって、お前は俺が思う最強のウマ娘だからな」

 

 

「……!その期待、応えたるわ!」

 

 

 そう言って、俺たちは再び笑いあう。こうやってのんびり過ごすのも悪くない、そう思いながら。

 あ、そういえば線香花火はどうなったのだろうか?俺は視線を下に向ける。すると、

 

 

「あ~……」

 

 

「あちゃあ、どっちもいつの間にか落ちとるやん……」

 

 

俺たちの線香花火はとっくに落ちていた。これだとどっちが長くもったかなんて分からないだろう。しかも今のやつが最後の2本だったので続けることもできない。勝負は引き分けだろう。

 

 

「ま、今回のところは引き分けだな。片付けは俺が後でやっとくから寮まで送るよ」

 

 

 俺の言葉にテンポイントは頷く。

 

 

「せやな。やったら寮まで頼むわ」

 

 

 彼女を寮まで送り届け俺は花火の後片付けをする。明日からの練習を考えながら。




花火セット、もう何年も買ってませんね。書いててやりたくなってきてしまった。


※細かいところを微修正 7/22


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第30話 聖蹄祭と妹と

トレセン学園のファン感謝祭。行ってみたいな俺もな


 学生にとって長いようで短い夏休みも終わり、新学期を迎えて半月ほど経ったある日。トレセン学園はいつも以上の賑わいを見せていた。生徒や職員だけでなく普段であれば校内で目にすることがない一般の方々で校内は溢れかえっている。

 そう、今日はトレセン学園で年に2回行われるファン大感謝祭の日。その内の秋に行われる【聖蹄祭】だ。チーム単位で出店していたり、地方出身のウマ娘が特産品をアピールしていたり果てには模擬店もあったりする。後は普段ライブ用に使われている特設ステージでショー系の出し物や体育館を利用しての発表会など、やってることは文化祭に近いだろう。また、生徒主導で行われるといったものの、大掛かりな準備などは基本的に用務員も手伝うことになっている。そのため、俺も聖蹄祭の準備に追われていたので大変だったがこうしていざ始まっていろんな人の笑顔を見ていると頑張った甲斐があったと感じられる。

 そんなことを思っていると、テンポイントから話しかけられる。

 

 

「……なぁ、トレーナー。1つええか?」

 

 

 彼女の声は少し不満気だ。一体どうしたのだろうか?せっかくのお祭りなのに。

 

 

「どうした?何かあったか?」

 

 

「……確かに、ボクは暇言うたで?やからなんかないかとも言うた。でもなぁ……」

 

 

 そして彼女は我慢の限界とばかりに叫ぶ。

 

 

「なんで!こないなところで焼きそば売らなあかんねん!」

 

 

 客が今いないのをちゃんと確認していたのだろう。叫ぶ前にちゃんと周りを見渡していた。

 そう、俺は今トレーナー室があるプレハブ小屋の前で焼きそばを作っている。テンポイントは暇だからという理由で売り子を担当してもらっているのだ。やっぱり野郎よりも彼女のような美少女に手渡される方が客としては嬉しいだろう。それにテンポイントは〈貴公子〉の名に恥じないぐらい女性人気が高い。集客にはもってこいだろう。先程客がはけた後にSNSを確認してみると彼女が売り子をしていることが拡散されていたのでこうなれば完売もすぐかもしれない。今でこそ客はいないがもう少ししたらごった返すだろう。

 そこまで考えたところで彼女の疑問に答える。

 

 

「こんなところ言うな。特設ステージも近いから毎年割と来るんだぞ?後焼きそばは俺の趣味だ」

 

 

「まあ百歩譲って焼きそば売るのはええわ。でもなんでボクが売り子せなあかんねん!なんもない言うてたから聖蹄祭一緒に見て回ろ思うてたのに!」

 

 

 どうやらせっかくの聖蹄祭を焼きそばの売り子で潰されることがご立腹らしい。だが今のペースでいけば次のラッシュが来た時に完売するだろう。材料もそこまで持ってきているわけではないし。なのでそのことを彼女に伝える。

 

 

「まあ落ち着けって。お前に売り子をしてもらっているのは身も蓋もない言い方をすれば集客のためだ」

 

 

「ホンマに身も蓋もないな!」

 

 

「だが材料もそんなに残っているわけじゃない。次のラッシュがくれば完売するだろう。だからあともう少しだけ手伝ってくれ。完売したら後は本当に自由にしていいから。褒美も上げるからさ」

 

 

「……褒美はなんや?」

 

 

「お前のお気に入りのパフェ3日分と今日のバイト代でどうだ?」

 

 

「……まあええわ。今回のことはそれで許したる」

 

 

 どうやら許してもらえたらしい。後は売り切るだけだろうと思っていたらSNSの投稿を見た人たちが今来たのだろう。大勢の人がこちらへと向かってきていた。

 俺はテンポイントに檄を飛ばす。

 

 

「残りの材料的にアレを捌いたら終わりだ!気張っていくぞ!」

 

 

「ちょ!?いくらなんでも多すぎやろ!あぁもう、やったらぁ!」

 

 

 そのまま俺は焼きそばを作りテンポイントがそれを客に手渡しお金を受け取っていく。そして捌き終わった後は予想通り材料が無くなっていたのでこれで閉店だ。後は適当に聖蹄祭を見て回っておこう。テンポイントにはちゃんと今日の売り上げ分からバイト代を出す。残りは遠征費用にでも充てるとしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 売り切った後はテンポイントは聖蹄祭を回るために他のとこへといったため別れた。彼女の友達であるクライムカイザーとグリーングラスの2人が来たので一緒に回るつもりなのだろう。トウショウボーイの所在について聞くと

 

 

「ボーイさんは休憩になってから合流する予定なんです」

 

 

とクライムカイザーが言っていた。沖野さんのとこは出店しておらずハダルは出店しているがクライムカイザーはシフトは後の方だということらしい。なんか売り子を嫌がっていた理由も少し分かった気がする。下手をしたら回ることができないところだったので悪いことをしてしまった。

 別れた後俺は何をしているのかというと屋台の片づけをしていた。もう売り物もなくなった今出しててもしょうがないのでちょっと早いが片付けに移っている。

 そして片づけをしていると誰かやってきたのか俺に声を掛けてきた。

 

 

「ねぇ、ちょっと聞きたいことがあるし」

 

 

 高い声だから女の子だろう。誰だと思って振り向くとそこに立っていたのは学園では見たこともないウマ娘だった。茶色の髪をショートヘアにしており、タレ目だがどことなく強気というか勝気な印象を受ける。ただそれ以上に俺が思ったのは

 

 

(なんかテンポイントに似てるな?)

 

 

テンポイントに似ているという所だ。髪色・髪型や雰囲気などは全くの別人だが、顔つきを見てみるとテンポイントに似ている。身長も同じくらいだ。ただテンポイントよりは子供っぽい印象を受ける。妹か誰かだろうか?

 とにかく俺は返事をする。

 

 

「はい、どうされましたか?焼きそばでしたらもう売り切れてしまったんですよ、すいません」

 

 

 一応初対面かつおそらく学園外の人物なので丁寧な口調で応対する。しかしどうやら聞きたいことは違ったらしく目の前の少女は鼻を鳴らした。

 

 

「違うし。そんなことどうでもいいし」

 

 

(どうでもいいて)

 

 

 まだちょっとしかやり取りしていないので判断しかねるが勝気な性格なのは間違ってなさそうだ。そのまま彼女は話を続ける。

 

 

「おね……テンポイントのトレーナーってのはどいつだし?そいつに会わせて欲しいし」

 

 

 どうやら彼女はテンポイントのトレーナーなる人物に用事があるらしい。まあつまるところ俺に用事があるらしい。しかし彼女は本当に誰だ?

 

 

「テンポイントのトレーナーなら私のことですが……、一体どのような用件でしょうか?」

 

 

 失礼のないように敬語は継続する。すると彼女は俺が探していた人物だと知って驚いたのか目を丸くしていた。そのまま俺のことを穴が開きそうなレベルで見てくる。

 彼女はボソッと呟いた言葉は俺の耳にまで届いた。

 

 

「フーン、あんたが……なんか冴えない奴だし。本当にトレーナーか怪しいし」

 

 

「聞こえてんぞ」

 

 

 冴えないなんて言われたのは初めてだ。俺に関わったことのある奴は基本的にそんなこと絶対に言わないので本当に初めて言われた。

 彼女は俺の言葉が聞こえてないかのように振舞い、言葉を続ける。今度はこちらに聞こえるようにはっきりと。

 

 

「じゃ、ちょっと立ち上がってほしいし」

 

 

「はあ、まあそれくらいいいですけど……」

 

 

 俺は言われたとおりに立ち上がる。すると彼女はこちらに近づいてきた。一体何をするつもりなのだろうか?

 丁度お互いの手が届くぐらいの距離になったところで歩みを止める。握手か何かでも求められるのかと思ったその瞬間

 

 

「天誅だし!」

 

 

脛を思いっきり蹴られた。さすがにウマ娘のパワーで本気で蹴られたら骨が砕けるどころではないので手加減はしているのだろうが完全に不意を突かれたので俺は悶絶する。あまりの痛みにその場にしゃがみこんでしまう。

 

 

「痛ッッッッテェッ!?」

 

 

 何すんだ、と言いたいがあまりの痛みにその言葉は続かない。なんとか顔を上げて彼女の表情を見てみるとこちらに対してあっかんべーと言わんばかりの顔をしていた。

 

 

「ざまぁみろだし!お姉を負けさせた罪は重いし!」

 

 

 お姉?ということはこいつはテンポイントの妹か?そういえば妹がいるってのをテンポイントから聞いたことがある。トレセン学園に来る前はとても仲が良くいまでも週に1回以上は連絡を取り合うぐらいには仲が良いらしい。

 だが、すぐにそんな思考もできなくなる。痛みは引いてきたとはいえいまだに立ち上がることができない。というか負けさせた罪ってのは皐月賞とダービーのことだろうか?色々聞きたいことはあるのだが彼女はとっくに離れたところにいた。

 

 

「いい気味だし!そのまま悶絶してろし!」

 

 

 捨て台詞を吐いて立ち去って行った。彼女が立ち去ってしばらくした後何とか立てるまでに回復する。台詞だけで考えるなら彼女は姉思いの子なんだろう。蹴った理由もテンポイントが負けた原因がトレーナーにあると考えたからだと思う。姉の代わりに妹が、と言えば聞こえはいいだろう。だが、

 

 

「いくらなんでも蹴るのは無しだろ……。手加減はしてるから最低限の良識はあるんだろうけど」

 

 

やられた側はたまったものじゃない。微妙に痛む脛をさすりながら俺はまだ途中だった屋台の片づけに戻るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トレーナーと別れた後、ボクはグラスとカイザーと一緒に聖蹄祭を回っていた。途中、シフトが終わったボーイと1人で回っていたらしいクインを一緒に連れて色々な屋台へと足を運んでいた。トレーナーから売り子を頼まれた時には間に合うかどうか疑問に思っていたが、トレーナーの性格ならグラスとカイザーが来たタイミングで売り子はいいから遊んでおいでと言うだろうな、と思いつつボクを含めた5人で楽しんでいた。

 みんなからも口々に楽しいという言葉が聞こえてくる。

 

 

「いやぁ、やっぱお祭りってのはいいな!クインもそう思うだろ?」

 

 

「フフ、そうですねトウショウボーイ様。普段の学業など忘れてしまいそうになります」

 

 

「見て見てみんな~、犬の散歩~」

 

 

「いつの間にヨーヨーなんて買ったんですかグラスさん……」

 

 

「みんな、このたこ焼き結構イケるで。食べてみぃ」

 

 

「お~たこ焼きにはうるさいテンちゃんが珍しいね~。じゃあ一口~」

 

 

「オレもオレも!」

 

 

「まあ待ちや。今みんなの分渡すから」

 

 

 そんな会話をしているとどこからか声が聞こえた。

 

 

「お姉!やっと見つけたし!会いたかったし!」

 

 

 その方向へと視線を向けるとボクの妹、キングスポイントがこちらへと小走りで近づいてきていた。そのままの勢いで抱き着いてきたのでボクは彼女を抱きかかえる。

 

 

「キングス!えらい久しぶりやなぁ、お母様たちはどうしたんや?」

 

 

「母さんたちは体育館の方に行ったし。あたしだけ別行動してたし」

 

 

「そかそか。しかしホンマ久しぶりやなぁ、元気しとったか?」

 

 

「元気ありありだし!お姉も元気そうでよかったし!」

 

 

 キングスとの会話に花を咲かせていると、みんながこちらを口を開けて見ていた。そう言えば紹介していなかったと思い、みんなに紹介する。

 

 

「そういや紹介しとらんかったな。この子はボクの妹のキングスポイントや!将来はトレセン学園入る言うとるし、皆仲良くしてくれると嬉しいで」

 

 

「……」

 

 

 しかしキングスは警戒心を露わにしている。もとより人付き合いをする方でもないのでまあ仕方ないかもしれない。

 こういう時真っ先に反応するのはやはりボーイだ。笑顔を浮かべながら握手を求めている。

 

 

「テンさんの妹か!オレはトウショウボーイ、よろしくな!」

 

 

「……アンタがトウショウボーイだし?」

 

 

「へ?そうだけど。もしかしてオレのファンだったりするのか?」

 

 

 ボーイがそう言った瞬間、キングスは指を突きつけて宣言する。

 

 

「お姉の方があんたなんかよりずっと強いし!あんまり調子に乗らない方がいいし!」

 

 

 キングスのその言葉にボーイは呆気に取られている。他のみんなも同様だ。ボクはキングスに謝るように促す。

 

 

「キングス!失礼やろ!はよ謝りぃ!」

 

 

「あたしは事実を言っただけだし!お姉の方がこんな奴より強いし!」

 

 

 その言葉にボーイたちはいろんな反応を示す。

ボーイは

 

 

「こんな奴って……」

 

 

こんな奴呼ばわりされて少し落ち込んでいた。グラスとカイザーは

 

 

「なんていうか~すごい子だね~」

 

 

「お、お姉さん思いなんですよきっと」

 

 

予想外のインパクトに驚いているようだ。クインは

 

 

「と、トウショウボーイ様の方がお強いです!自信を持ってください!」

 

 

「ありがとクイン。励ましは嬉しいけどそこは別に気にしてねぇから……」

 

 

ボーイに励ましの言葉を贈っていた。微妙にずれているが。

 しかしキングスは一向に謝る気配はなく、その後はお母様のいる体育館へと戻ると言って別れた。ボクはキングスの代わりに謝る。

 

 

「スマンみんな!いつもはあんな子やないんやけど……。気ぃわるぅしたよな?ホンマにスマン!」

 

 

 しかし、皆は笑って答えた。特にボーイは敵視されていたのにだ。

 

 

「いいっていいって!それに可愛いもんじゃねぇか!お姉ちゃん大好きってのが伝わってきたぜ?」

 

 

「いや~あんなに慕われてると嬉しいものだよね~」

 

 

「キングスちゃんにとっていいお姉さんなんですね、テンポイントさん」

 

 

「大丈夫ですよテンポイント様。皆さん特に気にしてはいないようですので」

 

 

 みんなからの言葉が嬉しかった。ただ後でキッチリと叱っておこう。それがキングスのためにもなる。

 その後みんなと別れてトレーナーのところへと帰ったところ脛をさすっていたので何かあったのかと聞いたところ、

 

 

「お前の妹らしきウマ娘に脛蹴られた」

 

 

と言っていたので、キングスの代わりにボクが謝る。トレーナーは

 

 

「お姉さん思いのいい子だったぜ。だからあんま気にしてないよ」

 

 

と言っていたが、キングスに叱ることが1つ増えたな、とボクは内心思うのであった。




お姉ちゃん大好きな妹概念は私の性癖に刺さりますね。大好物です。


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第31話 サポート科大改革

久しぶりの方々が登場な回。多分存在忘れてる方が多数だと思います。


 秋のファン大感謝祭、聖蹄祭も無事に終わりを迎えて数日たったある日。トレセン学園に所属しているトレーナーが理事長によって召集されていた。無論俺もトレーナーの1人であるため集合場所である会議室へと歩を進めている。向かっている道中で坂口と出会った。

 

 

「よぉ、坂口。久しぶりだな」

 

 

「あ、神藤さん。お久しぶりです!もしかして神藤さんもですか?」

 

 

「そうだな、トレセン学園に所属している全トレーナーだから俺も今向かっているところだ」

 

 

「だったら一緒に行きませんか?僕も今向かっているところなので」

 

 

 坂口の提案に俺は了承する。どうせ目的地は一緒なので断る理由もない。会議室に行くまでの道中俺たちは今回集められた目的について話していた。坂口にも心当たりはないようだ。

 

 

「しかし、理事長からの招集って何があったんでしょうね?」

 

 

「トレーナーの大量解雇とかじゃね?」

 

 

「いや、ただでさえ不足してるのにこれ以上減らしてどうするんですか……」

 

 

「まあ大量解雇は冗談だとしても集められる理由については心当たりがないよな。俺にも分からん」

 

 

「だったら僕もお手上げですね。情報通の神藤さんに分からなかったら僕にも分かりませんから」

 

 

 周りからは情報通呼ばわりされてるのか俺は。確かに自分で言うことでもないが交友関係は広い方なのでいろんな情報は入ってくる。まあたまに視野が狭くなるせいで情報を見逃すこともあるが。この前のリハビリ施設なんかがいい例だ。

 お互いに理事長が全トレーナーを招集した理由を考え、話しながら歩いていると集合場所である会議室へと到着する。俺はドアを開けて中へと入るとすでに何人かきていたようだ。席にまばらに座っている。その中にはおハナさんの姿もあった。とりあえず坂口と一緒に近場の席に座って他のトレーナーと理事長の到着を待つことにする。

 待っている間も暇なのでお互いの担当の話でもすることにした。俺は坂口に担当しているウマ娘のことについて聞く。

 

 

「そういえば坂口、お前が担当している子って今どうなんだ?」

 

 

 そう聞くと坂口は嬉しそうにこちらへと話を切り出す。

 

 

「そうなんですよ!聞いてください!最近重賞を取ることができたんです!」

 

 

「お、おう、そうか。嬉しいのは分かるがちょっと落ち着け。周りが見てるぞ」

 

 

 周りの視線に気づいたのか坂口は恥ずかしそうに席に座りなおす。

 まあ嬉しい気持ちは非常に分かる。担当の子が勝つだけでも嬉しいものだ。それが重賞レースともなると喜びも爆発するだろう。実際俺もそうだった。それに坂口がトレーナーになったのは俺よりも前だ。それまでは鳴かず飛ばずで担当を勝たせてあげられない自分が不甲斐ないと用務員の俺によく愚痴りに来ては酒を奢ってやったものだ。そんな中でようやく重賞を取ったともなれば喜びは俺よりも上だろう。素直に祝福する。

 

 

「しかし良かったな。おめでとう」

 

 

「はい!その日は担当の子と喜びを分かち合いました!」

 

 

 そんな話を続けていると他のトレーナーも集まってきて会議室の席が埋まる。俺たちも会話は一度中断して理事長が来るのを待つ。少し待つと理事長が秘書のたづなさんと一緒に会議室へと入ってきた。トレーナー全員が立ち上がる。理事長に向かって一礼をした後理事長が話を切り出す。

 

 

「感謝ッ!皆忙しい中集めてしまって申し訳ない!着席してくれ!」

 

 

 その言葉とともに俺たちは椅子に座る。理事長が話を続ける。

 

 

「さて、あまり長々と話を引き延ばすのもよくないだろう。早速今回集まってもらった目的について話そうと思う!たづな、資料を配ってくれ!」

 

 

「かしこまりました」

 

 

 理事長の言葉とともにたづなさんが資料を配り始める。渡された資料に目を通す。

 

 

(【サポート科の改革案】?確かこれって……)

 

 

 前にテスコガビーが職業体験に来た時に少しだけ耳にした言葉だ。あの時はまだ計画段階と言っていたがようやく実現できそうだからと今回集められたのだろうか。

 そんなことを考えていると理事長が話始める。

 

 

「清聴ッ!今回キミたちに集まってもらったのはこの資料のことについてだ!我がトレセン学園はURAの全面的な支援の下、連携を取ってサポート科を充実させようと思っている!資料に目を通してみてくれ!」

 

 

 俺は言われた通りに資料に目を通す。その内容を確認してみると現在のサポート科の問題点、それらに対する改善点、そして改革案などが書かれていた。

 

 

(確かにサポート科って影が薄いからな。知らない生徒の方が大半だろう。だからまずは知ってもらおうってところからか)

 

 

 まずサポート科の問題点について実態を知らない生徒が多数見受けられることが挙げられていた。そしてそれを改善するために月に数回、通常の授業に取り入れてみるのはどうかという改善点が挙げられている。他にも多数の改善の余地があるものについて触れられていた。

 理事長は俺たちが資料を読み進めている中、再度話を始める。

 

 

「我がトレセン学園では毎年少なくない退学者が出ている。夢破れて去るもの、怪我で走れなくなった影響から去るもの、デビューすらままならず去るもの、理由は様々だ。しかしッ!私はそういった生徒たちに向けて充分なサポートができていただろうか?まだできることはあったのではないだろうか?私はそう思わずにはいられないのだ!」

 

 

 理事長は力説している。言葉の端々から悔しさのようなものが滲み出ているように感じられる。そのまま理事長は話し続ける。

 

 

「故にッ!今回の件に踏み込むことにした!改革ッ!走る生徒のことだけではなく、何らかの理由によって走れなくなった、走ることが難しくなった生徒へのアフターケアをこれからは充実させていくことを私は諸君らに提案する!」

 

 

 今回俺たちトレーナーが集められたことに納得がいった。このトレセン学園でウマ娘に1番関わりが深いのは俺たちトレーナーだ。ウマ娘のメンタルケアや体調の管理も行っているのでもし異常があればサポート科への進路を勧めることを推奨する……といった感じだろうか?

 だが、これには問題点がある。それを指摘しようとすると1人のトレーナーが挙手をする。理事長からの許可をもらい、そのトレーナーは発言した。

 

 

「理事長、あの子たちは走ることに関しては人一倍思いが強いです。その子たちに走ることを諦めてサポートに回れというのはあまりにも酷ではないでしょうか?」

 

 

 そう、これが今の話を聞いて思った問題点。ウマ娘側の意思はどうするというものだ。お前は向いてないから走るのをやめてサポートに徹しろというのはあまりにも酷い話だ。

 だが理事長はその質問を見越していたように淀みなく答える。

 

 

「そうだな、それはあまりにも酷な話だろう。だからこそ諸君らに協力してもらいたいのはあくまでこんな道もあるのだということを提示してもらいたいのだ!道を狭めるのではない、道を広げて選択肢を増やすという考えを担当の子たちに教えることに協力してほしい!無論ッ!教師陣も例外ではない。選択肢が増えることで悲しい気持ちになるウマ娘が1人でも減らせるように尽力してもらいたい!」

 

 

(道を狭めるのではなく道を広げる、か)

 

 

 走ることに集中しすぎてその道しか与えなかったら完全に走れなくなった時にその子に待っているのは絶望だ。だからこそ、他の道を提示してあげることで走る以外での自分の道があることを担当に示してあげる。走ることを奪うのではなくレースで走ることを選択肢の1つとしたうえで他の選択肢を増やしてあげて欲しい。理事長はそう言いたいのだろう。

 

 

「なるほど……、ありがとうございました」

 

 

 理事長の言葉に納得したのか、先程発言したトレーナーは頷きながら席に座る。その後も質問は何度かされていたか理事長は完璧な受け答えをしていた。さすがというべきだろうか。

 俺は理事長の言葉に耳を傾けながら資料のページを捲っていく。すると気になるページが出てきたので思わず俺は挙手をして質問してしまう。

 

 

「許可ッ!どうしたのだ神藤トレーナー?」

 

 

「り、理事長!このサポート科の改革案にある項目の1つにある職業体験の欄、トレセン学園用務員と書かれているのですが俺の見間違いじゃないでしょうか!?」

 

 

 そう、サポート科の改革案の1つに将来の選択肢の幅を広めるために実際に職業を体験できる職業体験コースというものがあった。そしてその中の1つにトレセン学園の用務員という文字があったのである。もしこれが本当ならば若者不足が多少は解消されるかもしれない。

 俺の言葉に理事長は答える。

 

 

「否定ッ!見間違えではないぞ!かねてより用務員が人手不足ということは聞いていた。それはひとえに用務員の実態がよく分からないというせいでもあったのだろう。しかーし!この改革を実行する際に用務員としての仕事を体験できる授業を設定する予定だ!そうすればウマ娘の子が用務員を希望するかもしれないからな!人手不足も多少は改善されるだろう!」

 

 

「うおォォォォォ!理事長!俺一生理事長について行きます!」

 

 

「そ、そうか。前々から思っていたが君は本当に分かりやすいな」

 

 

 あまりの嬉しさに言動がおかしくなる。それほどまでに喜ぶべきことだ。特にウマ娘ともなれば若い男と同様に力仕事だって頼める。理事長には感謝しかないだろう。俺のテンションの上りように理事長は若干引き気味だったが。

 その後も会議室での説明会は進んでいき最後の質問へと移っていった。しかし、その質問はあまりにも予想外だった。本当に俺たちと同じトレーナーかと疑うほどに。

 

 

「理事長、質問よろしいでしょうか?」

 

 

「許可ッ!遠慮なく言って欲しい!」

 

 

「では失礼して。今回のサポート科の改革案、私は全くの無駄だと思います」

 

 

 その言葉に室内の空気は凍りつく。俺もあまりの発言に絶句した。

 

 

(おいおい、これのどこが全くの無駄だよ?)

 

 

 理事長もわずかに眉をひそめたがすぐに表情を戻し質問の意図を問う。

 

 

「なるほど、ではなぜ無駄だと思ったのか教えて欲しい」

 

 

 発言を促されてそのトレーナーは言葉を続ける。

 

 

「理事長は道を狭めるのではなく道を広げて欲しい、そうおっしゃいましたが道を広げるのはただの逃げじゃないでしょうか?将来の選択肢を広げてしまったらレースに本気を出して走らない子が出てくる可能性があるでしょう?どうせレースで負けても別の道があるからいいや、そう考える子も出てきます。レースに対するモチベーションの低下にもつながるでしょう。理事長はやる気のない子を増やすおつもりですか?」

 

 

 あまりの発言に他のトレーナーが苦言を呈している。だが奴はどこ吹く風だ。

 俺はその様子を黙って見ている。ただ腸が煮えくり返っていた。

 

 

(どこの誰だか知らんが、見てるだけでムカついてくるな。要はやる気のないウマ娘なんか中央には必要ないし増えるのも困るってことを言いたんだろうが……、ウマ娘側の気持ちを微塵も考えてねぇ)

 

 

 中央のトレーナーはエリート職と呼ばれているし人数不足とは言ってもそれなりの人数はいるのだ。だからこそこういう奴は一定数存在する。その証拠に奴の周りの人間は賛同の意を示すように頷いている。正直、個人的な感情を言うなら気持ち悪いことこの上ない奴らだ。関わり合いたくもない。

 ふと理事長の方へと目を向けると、背筋が震えた。怒っている。普段は明朗快活で温厚な理事長が目に見えて分かるほどに。

 

 

「……なるほど、君の言いたいことは分かった。話したいことはそれだけか?」

 

 

 理事長はそう発言する。しかし、その言葉には怒気がこもっている。当然だろう。全てのウマ娘に幸せでいて欲しいと考える彼女にとってとても許しがたい発言をしたのだから。

 件のトレーナーは一瞬たじろぐもののすぐに取り繕い発言する。

 

 

「は、はい。サポート科の改革案など必要ない、私はそう考えます」

 

 

「……君の言いたいことも一理ある。それに今回はあくまで草案、ここからまた改善していく予定だ。次は君も納得するほどの案を考えておこう」

 

 

 だが、ここで頭ごなしに否定するのは良くないということは理事長が1番分かっているのだろう。怒るのではなく改善することを約束する。

 奴はその言葉にありがとうございますと一言告げた。

 最後にひと悶着あったものの、会議は解散となる。次々と部屋から退出していく。その流れに沿って俺と坂口も部屋を後にする。

 部屋を出てしばらくした後、2人になったタイミングで坂口が我慢の限界とばかりに怒鳴りだす。

 

 

「なんっなんですかアイツは!ウマ娘の子たちをなんだと思ってるんですか!」

 

 

 そう言って憤慨する坂口を俺は宥める。

 

 

「落ち着け坂口。中央のトレーナーつってもいろんな奴がいる。アイツもその1人だったってだけだろ」

 

 

「だとしても!同じトレーナーとして許せませんよ!」

 

 

 担当のことを自分を上げるステータス程度にしか見ていないのだろう。あの発言からそう言った気持ちが透けて見えた気がした。だが怒ったところでどうにもならないのも事実だ。1番の解決策は関わらないことである。

 どうやって坂口を宥めようかと考えているところ柳さんがこちらへと来ていた。

 

 

「やぁ神藤君、坂口君。……その様子だと、君たちもあまりいい気分じゃなかったようだね」

 

 

 俺はすぐに返事を返す。

 

 

「柳さん、お久しぶりです。まあそうですね。アレを聞いていい気分な奴なんていないでしょうよ」

 

 

 柳さんは苦笑いをしながら言葉を続ける。

 

 

「まあそうだろうね。私も同業者としてどうかと思うよ」

 

 

 すると周りを警戒するように見渡しかと思うと声を潜めてこちらに話してきた。

 

 

「神藤君が周りのトレーナーから良く思われていないって話は聞いているだろう?彼、時田はその筆頭さ。だから顔は覚えておくといい、いざという時のためにね」

 

 

 どうやら俺のことが気に食わないトレーナー連中の頭みたいな奴らしい。まああの発言と態度からそんな気はしていた。

 

 

「忠告ありがとうございます。気をつけておきます」

 

 

 俺は柳さんにそう返すと未だに憤慨している坂口を宥めることに戻る。柳さんの協力もあってかやっと落ち着いた。

 トレーナーにもいろんな考えの奴がいる。ここにいる2人のようにウマ娘に寄り添い続ける奴、時田のような考えの奴。少なくとも俺はここにいる2人のようなトレーナーになりたいと思った。




坂口は選抜レースの時に主人公と会話をしていた人物。柳は皐月賞前の調整で併走をしていた子のトレーナーです。時田に関しては今回初登場ですがエリート思考の人間ってこんな感じなのだろうか……と思いながら書きました。
ウマ娘のメインストーリー最終章最高でしたね。思わず涙が出ました。


※細かいところを修正 7/22


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第32話 京都大賞典・妹再び

ウマ娘の新イベントどうなんでしょうねコレ?


 すでに残暑の暑さもなくなり紅葉が見られるようになってきたこの頃、俺とテンポイントは京都大賞典へと出走するために阪神レース場がある関西へと遠征に来ていた。作戦の打ち合わせも終わりテンポイントと別れた後俺は観客席へと足を運ぶ。

 最前列でレースが始まるのを待っているとどこかで聞き覚えのある声が聞こえた。

 

 

「ふぅ、何とか間に合ったし。寝坊した時はどうなるかと思ったけど急いできたかいがあったし」

 

 

 聖蹄祭で出会ったキングスポイントだ。おそらく姉であるテンポイントのレースを見に来たのだろう。ただ俺は彼女に敵視されている節があるので知らないふりをする。願わくば彼女が気づかないことを祈る。

 しかし、その祈りが通じることはなくキングスポイントは俺に気づいて声を上げる。

 

 

「あー!お前お姉のトレーナー!」

 

 

「……やあ、聖蹄祭ぶりだね」

 

 

 会ったのはあの日の1回きり。タメ口で話すのは良くないと思った俺は敬語を継続する。できる限り敵愾心を抱かれないように柔らかい雰囲気を出しながら。

 しかし彼女はそんなことはお構いなしにこちらへ敵意を露わにしている。

 

 

「さっさとどっかいけし!」

 

 

「……しょうがないじゃないか、ここだとレースの展開とかよく見えるし。トレーナーとしてテンポイントの姿をしっかりと見ておかないと」

 

 

「そんなの知らないし!どっかいけし!」

 

 

「そこを何とか頼むよ。君の邪魔はしないからさ。それに……」

 

 

 そこで俺は秘密兵器を出す。正直これを出すのはどうかと思ったが姉のことが大好きな彼女ならこれには絶対釣られるだろう。鞄の中から例のものを取り出す。

 俺が急に鞄を漁りだしたことに一瞬不審げな目を向けてきたが、鞄の中から出した物に彼女は目を輝かした。

 

 

「そ、それは!お姉のぬいぐるみ!なんで持ってるし!?」

 

 

 そう、これはURAが監修しているグッズの1つ、テンポイントのぬいぐるみだ。最近発売された商品でありまだそこまで流通しているものではない。ではなぜそれを俺が持っているのかというと、それにはちゃんと理由がある。

 

 

「私は彼女のトレーナーでなおかつちょっとしたコネがあってね。1つ譲ってもらったんだ」

 

 

 実際にはこのぬいぐるみの制作には俺も関わっており、完成した暁に1個譲り受けたのだ。なのでちゃんとした製品と何ら変わらないものである。

 彼女は依然として目を輝かしたままだ。姉であるテンポイントのことが大好きな彼女ならこのグッズは喉から手が出るほど欲しいはずだ。だからこそ俺は交渉する。

 

 

「私がここでレースを見ることを許してくれるなら、このぬいぐるみは君に譲ろう」

 

 

 別にこの阪神レース場は彼女のものというわけではないので許しも何もないのだが、ずっと不機嫌なままいられるのも嫌だ。ご機嫌取り、かもしれないがそもそも譲ってもらった時に信頼できる人物ならば他の人に渡してもいいという許可も得ているので問題はない。

 キングスポイントはかなり悩んでいる様子だ。相当悩んでいるのか呟いている言葉がこちらまで聞こえている。

 

 

「う~、最近お小遣いも使っちゃってお金ないから欲しいけど……でもアイツが隣にいるのは……」

 

 

 ……余程嫌われているのかずっと悩んでいる。しょうがない、ここでダメ押しの品を出すとしよう。

 俺はもう一度鞄の中を漁る。そして1枚の封筒を取り出し、キングスポイントへと手渡す。彼女は戸惑いながらもそれを受け取って中身を確認する。すると驚きの声を上げた。

 

 

「こ、これ!お姉が最優秀ジュニアウマ娘になった時の雑誌!しかもサイン付きだし!」

 

 

「君に渡したいと言ったらテンポイントは快く許可してくれたよ」

 

 

 雑誌自体は大分前に発売されたものだが、サイン付きはどこも売り切れが続出していたものだ。テンポイントがキングスポイントと連絡を取り合っていた時にキングスがこの雑誌を買えなかったという相談を受けており、だったら俺が持っているものを1つ渡すと言ったところ、彼女は嬉しそうに是非渡してくれとお願いしてきた。

 

 

「このサイン付き雑誌、どこ探しても置いてなかったら諦めてたし……!こんなところでもらえるとは思わなかったし!」

 

 

「それで、どうだろうか?私がここで見るのを許してもらえるだろうか?」

 

 

「全然いいし!お前いいやつだし!」

 

 

「そ、そうですか」

 

 

「敬語もいらないし!あたしのことはキングスでいいし!」

 

 

 気分を良くしたのか、かなりフレンドリーになった。余程姉のことが大好きなのだろう。テンポイントのトレーナーとして喜ばしい限りだ。

 キングスは嬉しそうに雑誌とぬいぐるみを提げていた鞄にしまうとこちらへと話しかけてくる。

 

 

「お姉のトレーナーはあんなに強いお姉を負けさせるようないけ好かないやつってイメージだったけど、いいやつだったし!ありがとうだし!」

 

 

 彼女から敬語はいらないと言われたので俺はいつも通りの口調で答える。

 

 

「いけ好かないって……。まあ確かに俺の至らなさが原因ではあるが」

 

 

 というか本当にお姉さんであるテンポイントが好きなんだな。

 

 

「あっ、そうだ。あの時は脛蹴ってごめんだし……。あたしお姉のことになると暴走気味になるってよく注意されるし。あの日の夜お姉にめちゃくちゃに怒られたし……。それにあんたあたしが思っているよりもいいやつだったから……。本当にごめんだし」

 

 

 そう言ってキングスは落ち込んでしまった。俺自身もう気にしていないことなので気にしないでくれと伝える。

 

 

「いいよ、テンポイントのことを思ってやったんだろ?確かにいきなり蹴るのは良くないが大怪我には繋がらなかったからもう気にしてないよ」

 

 

「ありがとうだし!あんた心も広いし!」

 

 

 現金な奴だな、と思いながらもそろそろウマ娘の入場も終わってレースが始まろうかという雰囲気になったので会話を中断する。

 今回出走する14人のウマ娘が全員ゲートに入り開くのを待つ。そしてゲートが開いた瞬間一斉にスタートを切った。

 

 

「いっけーお姉!頑張れしー!」

 

 

 隣で大きな声を上げながらテンポイントを応援するキングスを尻目に俺はレースの展開を見ている。立てた作戦はいつも通り前でレースを展開するというもの。

 

 

(しっかりと前につけているな。後はこの位置をキープし続けて最後の直線勝負を競り勝つだけだ)

 

 

 そしてテンポイントはまたも3コーナーと4コーナーの中間で息を抜くように下がった。これは彼女の走りがそう見せているだけと結論づけたのであまり気にしてはいない。

 しかしレースの結果は外から来た1人のウマ娘に交わされての3着。隣のキングスから残念そうな声が聞こえてきた。だがシニア級に交じっての3着なので善戦したと思ってもいいだろう。ただ彼女の実力なら勝つこともできたかもしれない。それに1つ収穫もあった。

 

 

(交わされたと思ったらもう一度息を吹き返してさらに伸びてきたな。やはり前での勝負根性はどの子よりも強い)

 

 

 その時実況の声が聞こえてくる。

 

 

 

 

《テンポイントは3着、クラシック級ウマ娘テンポイントは3着です。ですが今日のところはこれで充分でしょう。菊花賞に向けて弾みをつけてくれテンポイント!》

 

 

 

 

 ……阪神ジュベナイルフィリーズの時も思っていたが、阪神レース場の実況者は少々テンポイント贔屓が過ぎるのではないだろうか?どう実況しようが問題とするのは実況者側の問題で処分を下すのもそちらの問題だ。俺が言うことではないかもしれないがそう思わずにはいられない。

 隣のキングスに目を向けるととても悔しそうにしていた。地団駄を踏んでいる。

 

 

「悔しい悔しい、悔しいし!」

 

 

「落ち着けキングス、周りの奴が見てるぞ」

 

 

 しかしキングスの地団駄は一向に収まらない。余程悔しいのだろう。

 数分ほどした後ようやく落ち着いたのか俺に向かって話始める。

 

 

「……トレーナーのあんたから見て、敗因はなんだし?」

 

 

「そうだな……。やはり怪我明けってのが響いたな。それに調整不足だったのもある」

 

 

 その言葉を聞いてキングスはまたも感情を爆発させた。

 

 

「つまるところあんたのせいだし!お姉のトレーナーなんだからしっかりしろし!」

 

 

「返す言葉もない……」

 

 

「……まああんたに当たっても仕方ないし。それにお姉の怪我はあんたは関係ないからしょうがないし」

 

 

 彼女は言葉を続ける。

 

 

「そういえばあんた、お姉が負けてもあんまり悔しそうじゃないし。なんでだし?」

 

 

「いや、滅茶苦茶悔しいぞ。表には出さないだけだ。彼女を勝たせてあげられない自分にもイライラする」

 

 

「そ、そうなの?」

 

 

「そうだ。ただ今回の走りを見て確信した。菊花賞を勝てる可能性は充分にある」

 

 

 怪我明けでありながらシニア級ウマ娘とあそこまで渡り合えたのだ。手ごたえは充分に掴めた。後は俺がしっかりと調整をするだけだろう。

 俺の言葉を聞いてキングスはこちらへと激励の言葉を贈ってくれた。

 

 

「ま、頑張れし!お姉をまた負けさせたら承知しないし!」

 

 

「あぁ、分かってる。頑張るさ」

 

 

 そう言って彼女はウイニングライブの会場へと向かったので分かれる。俺はテンポイントが待つ控室へと向かっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 控室に着くとテンポイントはただ静かに座っているだけだった。しかし耳が絞っているのが目に入ったので相当気が立っているのだろう。

 俺が入ったことに気づいたのかテンポイントはこちらへと視線を向ける。そして申し訳なさそうに謝ってきた。

 

 

「スマントレーナー……。また負けてもうた……」

 

 

 その言葉に俺は言葉を返す。

 

 

「今回は怪我明けでなおかつ調整の時間も取れなかった。だから今日の敗戦はあまり気にするな……と言いたいが、お前は気にするよな?」

 

 

 俺の言葉にテンポイントは頷く。

 

 

「当たり前やろ……!怪我明けやろうと何やろうと関係ない……!レースに出る以上勝つ、それだけや……!」

 

 

 ……この闘争心の高さがテンポイントのいいところだろう。しかし一歩間違えれば彼女が破滅しかねない。うまくコントロールしていかなければならないだろう。

 俺は彼女に労いの言葉を贈る。

 

 

「ひとまず今日のレースお疲れ様だ。まだウイニングライブがあるが、終わった後はしっかりと身体を休めるぞ」

 

 

「……了解や」

 

 

 菊花賞のステップレースに選んだ京都大賞典は3着という結果に終わったが、それでも良くやった方だろう。テンポイントを刺激しかねないのでその言葉は飲み込む。

 菊花賞まで後1ヶ月へと迫っていた。




私自身ちょくちょく見返しては手を加えています。今日はプロローグから第3話までの4話、そして他の話も何ヵ所か修正しています。


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第33話 焦燥の少女

菊花賞前に焦るテンポイントとそれを諫めるトレーナー回。


 京都大賞典が終わってから時が流れ、菊花賞まで残り1週間と迫っている。前走の3着という結果を受けてかテンポイントはより一層気合を入れて練習に取り組んでいる。

 

 

「……ハァ、……ハァ!まだや、まだまだぁ!」

 

 

「……」

 

 

 ……いや、気合を入れすぎていると言った方がいいだろう。普段行っている強めの調整よりもさらに負荷をかけて練習をしていた。付き合いも長くなってきたので彼女の限界値も分かるようになってきたのだが、今の状態が限界値ギリギリである。あまりにも行き過ぎるようなら止めるつもりなのだが、それを許さないとばかりの気迫を感じている。

 京都大賞典での敗北だけなら彼女はここまで自分を追い込みはしなかっただろう。しかし皐月賞の前走であるスプリングステークス以降勝ち星が遠ざかっている。クラシックレースも勝っていないので最後の菊花賞は何としてでも取りたいと考えているのかもしれない。それに加えて彼女が特に意識しているトウショウボーイの存在も大きい。京都大賞典を敗北したテンポイントとは違い、トウショウボーイはダービー明けの札幌記念こそ敗北したが菊花賞のトライアルレースである神戸新聞杯と京都新聞杯を華々しく勝利した。特に神戸新聞杯はレコードタイムでの勝利だ。それまで超えることのなかった芝2000mのタイム1分59秒の壁を突き破っての勝利、テンポイント贔屓で有名なあの実況者をして恐ろしい勝ち時計と言わしめるほどだった。

 この報告を受けてテンポイントは今まで以上の練習を希望するようになった。余程トウショウボーイを意識しているのであろう。闘志が隠しきれていなかった。俺もその希望に応えるべく、今の彼女が耐えられるであろう練習メニューを作り、京都大賞典以降はそのメニューを着々とこなしていた。

 その甲斐もあってか菊花賞に向けての調整は万全と言ってもいいだろう。後はしっかりと調子を維持して本番を迎えるだけなのだが、テンポイントはまだ自分の走りに納得いってないのか休憩の時間になっても練習を止めない。だが流石にこれ以上やると身体が壊れかねないので俺は止めに入る。

 

 

「テンポイント、そこまでだ!それ以上やると身体を壊すぞ!」

 

 

「……分かった」

 

 

 こちらが強めの声で練習を制止すると、ようやく彼女は練習を止め休憩へと入る。息が整う時間がいつもより長いが、以前の練習の倍近い数をこなしているのだ。それに休憩に入る時間がいつもより遅かったのもある。いくらスタミナがついてきたと言ってもキツいことには変わりないだろう。

 俺はテンポイントの息が整ったタイミングを見計らって声を掛ける。彼女を落ち着かせるためだ。

 

 

「テンポイント、気合を入れて練習をするのはいいがお前の場合は気合が入りすぎた。その調子でいったら菊花賞はまた調子落ちするぞ」

 

 

 テンポイントは俺の言葉に反論する。

 

 

「確かにそうやろな。やけど、気合が入るのも当然やろ。次がもう最後のクラシック3冠レース。そして菊花賞はどんなウマ娘が勝つか、それが分からへんわけないやろ」

 

 

 俺は彼女の言葉に分かっている、と一言付け加えて頷く。

 クラシックレースの終着点菊花賞。最も強いウマ娘が勝つと言われるそのレースはクラシック級ウマ娘が初めて挑戦する3000mという長い距離に加えて2回にわたる坂越えがコースにある。スピードとスタミナ、その両方が要求されるレースだ。今までの最長が2400mのテンポイントにとって3000mは未知の領域、気合を入れて練習に臨むのも分からない話ではない。

 しかし俺は彼女を諭すように話す。

 

 

「だからと言って怪我をしたら元も子もないだろ。さすがにお前との付き合いも短くないから限界も分かっている。お前も自分の限界に薄々気づいてるだろ?これ以上やると身体を壊しかねないぞ」

 

 

「せやけど……、せやけど……!」

 

 

 ここが限界だと自分でも薄々気づいているのだろう、悔しそうに歯噛みしながら答える。

 

 

「焦る気持ちは分かる。スプリングステークス以降勝ちは遠ざかっている、皐月はトウショウボーイ、ダービーはクライムカイザーに取られた。最後の菊花賞は何としてもという気持ちはあるだろう」

 

 

 俺の話をテンポイントは黙って聞いている。そのまま俺は話を続ける。

 

 

「だが、焦る気持ちがある時こそ周りをしっかり見て落ち着くことが大事だ。焦りは視野を狭めるし良くない結果に繋がる。じっくりと歩を進めるんだ」

 

 

「……」

 

 

 俺のその言葉にテンポイントは閉じていた口を開く。

 

 

「誰の受け売りや?それ」

 

 

「……やっぱり俺の考えじゃないってバレた?」

 

 

 俺を見て彼女は嘆息する。

 

 

「当たり前やろ?それなりの付き合いや、何となく分かるで」

 

 

「マジか……。まあいい、この言葉は他のトレーナーの受け売りだ。今のお前にはピッタリじゃないか?」

 

 

「……せやな、休憩取って少しは頭冷えたわ」

 

 

「それはなによりだ」

 

 

 どうやら休憩を取ったことで少し落ち着いたらしい。鬼気迫る雰囲気を纏わせていたが、今は普段通りの彼女に戻っている。その様子を見て俺は安堵した。これなら大丈夫だろう。だが、それと同時に今度は俺に不安が襲ってきた。

 ……正直なところ、俺にも焦りがないわけじゃない。自分が立てた作戦に間違いはないか?テンポイントがレースで負けた時、原因を作ったのは自分ではないか?ジュニア級での成績で俺自身天狗になって様々なことを怠っていたんじゃないか?そもそも彼女にふさわしいトレーナーなのだろうか?自分は彼女の才能を潰しているんじゃないか?ここ最近はそんなことを考えるようになった。

 だが、俺はすぐに頭を切り替える。終わったレースのことを考えても仕方がない。それに、彼女は偶然の出会いだったとはいえ俺をトレーナーに選んでくれた。なら、ふさわしいとかふさわしくないとか考えるのは選んでくれた彼女に申し訳が立たないだろう。

 ふさわしくないならふさわしくあるように頑張ればいい。彼女が胸を張れるようなトレーナーになろう。そう頭の中を切り替え、悪い考えを全て払拭する。頭の中から不安なことは消えた。

 考えを切り替えたところで休憩の終わりを告げるタイマーが鳴る。

 安堵したところで休憩の終わりを告げるタイマーが鳴る。俺はテンポイントに確認する。

 

 

「さて、休憩も終わりだが……。どうする?もう少し休憩するか?」

 

 

 俺の言葉に彼女は首を振る。

 

 

「いや、大丈夫や。もう回復したからいけるで」

 

 

「分かった。ただし、また無茶をするようなら容赦なく止めるからな」

 

 

 その言葉に苦笑いで返してきた。

 

 

「分かっとる分かっとる。もう無茶せんように気ぃつけるわ」

 

 

 そう言って彼女はまた練習へと向かっていった。休憩の時間で思ったよりリラックスできたのかその後の練習は休憩前よりも調子が良さそうに練習することができていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最近は日が沈むのも早くなってきた。辺りが暗くなってきたので練習を終わり、テンポイントはクールダウンへと移る。

 満足のいく練習ができたのか機嫌が良さそうにしている。

 

 

「機嫌良さそうだな、テンポイント」

 

 

「ん~?まあそうやな。今日は満足いく練習できたからやな。京都大賞典が終わった後は初めてやなこないな気持ちで練習できたんは。練習メニュー考えてくれたトレーナーのおかげやな!」

 

 

「そうか、それならよかった」

 

 

「なんやなんや~?もうちょい喜んでもええんやで~?」

 

 

 こちらを揶揄うような口調で言ってくる。

 

 

「テンポイント、俺の身体をよく見て見ろ。震えているだろ?今滅茶苦茶歓喜している」

 

 

「ホンマや。なんやそれおもろいな!」

 

 

 そうして他愛のない会話に花を咲かせる。大きいレースを前に緊張感がないと言われるかもしれないが、気負いすぎるよりはマシだろう。

 その後は彼女は寮へと帰っていき俺はトレーナー室へと戻る。菊花賞へと出走するメンバーは大体絞れて来ていた。その対策を考えるためだ。

 まず菊花賞の大本命であるトウショウボーイ。神戸新聞杯でのレコード勝利、ダービーと札幌記念では後れを取ったものの調子は上がってきていると京都新聞杯のインタビューで答えていた。そのため今回の大本命というのも過言ではない。

 トウショウボーイの最大の武器はあの加速力だ。トップスピードならテンポイントも負けてはいないが、加速力という点だとトウショウボーイには劣る。だからこそ最後の直線では先頭に立って優位に進める必要があるだろう。最後の直線でトウショウボーイより前を走る。これを徹底させる必要があるだろう。

 次はダービーウマ娘、クライムカイザーだ。彼女はトウショウボーイと同じレースに出走していたが、全てトウショウボーイに先着を許している。ただ、後方から差してくる脚は驚異の一言だろう。コース取りも一級品であることから油断はできない相手だ。展開に左右されるもののペースによっては実力を発揮できないまま沈む可能性もあるが、テンポイントが逃げでペースを作るわけじゃないから運が絡むことを考えるのは良くないだろう。

 他のウマ娘の資料を見ながら、それぞれに対する対策を考えていく。ただ考えるべきはトウショウボーイとクライムカイザーの2人になるだろう、そう思っていたのだが俺はふと気になる名前を見つけた。

 それは沖野さんが担当しているグリーングラスだ。彼女は菊花賞に出走できるかどうかギリギリだったのだが、何とか出走に滑り込めたらしい。

 普段であれば気にするようなことではないだろう。グリーングラスは現時点で重賞未勝利でありメイクデビューと条件戦を何とか勝って出走にこぎつけたような状態だ。普通であれば警戒するような相手じゃないと考えるのが自然のはずだ。

 だが、この時の俺はそうは思わなかった。胸騒ぎを覚えたのである。

 

 

「グリーングラスの勝ったレースの着差は1/2、アタマ、アタマ差か……。どれもギリギリだな……。だが、その原因が距離が短すぎるせいで彼女の本領が発揮できていなかったのだとしたら……彼女の本領が発揮できるのが2500m以上の距離だったのならば……」

 

 

 俺はある一つのことを思い出す。それはグリーングラスが生粋のステイヤーであるということ。そして、3000mという距離ならば、彼女は今までのレースなど参考にもならない走りをしてくるのではないか?その疑念が頭をよぎる。

 警戒しておくウマ娘リストの中にグリーングラスを加えておく。その中でも特に警戒しておくウマ娘として。




主人公もまだまだ新人トレーナーなので不安になることはありますが、メンタル自体は鋼なので終わったことは終わったことと割り切ります。なのでへこむことはあってもすぐに切り替えて次に活かす……といった思考をしています。
最近お馬さんの写真集を買いました。届くのが待ち遠しいです。


※気になった部分を微修正 7/24 9/15


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閑話3 緑の少女の回顧録

グリーングラスと沖野Tの出会いから菊花賞までの回想。


『グラスちゃんの身体大きいね!』

 

 

『将来絶対強くなれるよ!』

 

 

 昔から言われてきた言葉だ。幼い頃から身長の高かった私、グリーングラスは周りのウマ娘の子たちよりも頭1つ抜けた大きさだったことを覚えている。女の子が大きいとか言われても微妙な気分になるだけだったが、強くなれるという言葉には喜んでいたことは確かだ。

 だが、私が大きいのは身長だけだったようでしばしば風邪を引いては発熱を起こしていた。食生活を改めたり運動をすることで何とか改善に努めようとしたが、その努力空しくトレセン学園に入学してからもこの身体の弱さは治ることはなかった。

 昔よりは大分減ったものの入学してからも風邪で実技は休みがちな日々は続いていたが、選抜レースの日は何とか体調の良い状態で迎えることができた。トゥインクルシリーズに出走するためにもトレーナーの存在は必要不可欠でありこの選抜レースで実力を示すことができればスカウトの声は必ず来る。私は一層気合を入れて臨んだ。

 現実は非情なものであり、出走したレースの結果は8人中の4着。そんな私にスカウトの声がかかるはずもなかった。悔しかった。万全な体調で挑みながらもこのザマにはもはや笑いしか出てこなかった。それにこの選抜レースには入学してから仲良くなった友達の1人であるテンちゃんも出走しており、ほとんどのトレーナーはテンちゃん目当てでこの選抜レースを見に来ていたと言っても過言ではなく、尚更私に注目が集まることはなかった。

 その後はテンちゃんのレースを見ていたのだが、私とは違い走る前から圧倒的な存在感を放っており抜群のスタートを切ったかと思うと他の子を寄せつけないままそのレースを勝利していた。そんな走りをしたものだからトレーナー陣も彼女を囲んで口々にスカウトの言葉を投げかけていた。私はそれを遠巻きに見ている。

 

 

『……帰ろう。ここにいても惨めになるだけだもの……』

 

 

 私は選抜レースの会場を後にしようとした。自分の不甲斐なさに、惨めさに耐えきれなくなる前に。

 そうして会場を出て少し歩いた頃、突如として私の脚に違和感が襲った。何かに触られているような感覚。それに驚いて思わずその何かを蹴っ飛ばしてしまう。

 

 

『わぁぁぁぁぁ!?』

 

 

『ゴフッ!?』

 

 

 思わず蹴っ飛ばしてしまったが、声がしたということはもしかして人だったのかもしれない。私は後ろを振り向いてその姿を確認する。そこには癖毛を後ろで1つに束ね、左の側頭部を刈り上げている黄色いシャツに紺色のベストを着た男性が倒れていた。おそらく彼が私に蹴っ飛ばされた人物だろう。しかしいきなり脚を触ってきたのであちらが悪い……はずだ。

 ただウマ娘の脚力で蹴ってしまったので一応謝罪の言葉を入れる。

 

 

『ご、ごめんね~。大丈夫~?』

 

 

 しかし、彼は問題ないと言わんばかりに立ち上がる。仮にもウマ娘に蹴られたのに身体が丈夫過ぎないだろうか?

 

 

『いや、大丈夫だ。こっちこそ悪いな、急に脚を触ったりして』

 

 

『分かってるんだったら~自制した方がいいんじゃないですか~?』

 

 

『スマン!いいトモだったからつい……!』

 

 

 その男性は手を合わせてこちらに謝り倒してきている。どうやら本当に悪いとは思っているようだ。だから私は次からは気をつけるようにした方がいいと告げる。ただいいトモと言われたことは嬉しかった。

 謝罪もあったということで私はその場を後にしようとする。その瞬間、その男性から待ったの声がかかった。私は聞き返す。

 

 

『どうしたの~?私にまだ何か用があるの~?』

 

 

 そう聞いた瞬間、男性から思ってもいない言葉が飛び出してきた。

 

 

『単刀直入に言う、俺と一緒にトゥインクルシリーズを駆け抜けないか!』

 

 

 手を差し出してきている。私をスカウトする気だったらしい。なら私の言うことは1つだ。

 

 

『誰かと間違えてない~?テンちゃんならまだ会場にいるから今からいっても間に合うと思うよ~』

 

 

 きっと誰かと間違えているのだろう。そう結論づけて会場に戻ることを提案する。あんな走りをした私にスカウトするような物好きなんているはずがないのだから。

 しかし私の言葉を否定するようにその男性は首を振る。

 

 

『いいや、間違ってないさ。俺はお前をスカウトしたいと思っている』

 

 

 ……どうやら物好きな人だったらしい。しかしなぜ私をスカウトしようと思ったのか?理由を尋ねる。

 

 

『なんで私なのかな~?あのレース見てたら普通スカウトなんてしないと思うけど~』

 

 

 自分のことだからこそよく分かる。あんなレースをしておいてスカウトしようなんて普通は思わないだろう。目の前の人は普通じゃないということだが。

 私の問いに男性はそんなことはない、と前置きした後あのレースに対する私見を答えた。

 

 

『負けた理由は単純だ。あの距離はお前さんには短すぎる。それにスパートをかけるタイミングも遅かった。だからこそ最後の直線で追いつくことができなかったんだ。もう少し距離が長ければ勝っていたのはお前さんだったろうよ』

 

 

 この人は随分私のことを買ってくれているらしい。それは嬉しいことだ。ただ疑心が入っている私は本当に自分で良いのかと、自分が抱える欠点とともに聞く。

 

 

『でも~私身体も弱いからレースに出れるかも分からないですよ~?それでもいいんですか~?』

 

 

『身体なんてこれから強くしていきゃあいいさ。とにかく俺はお前の走りを見てスカウトしたいって決めたんだ!受けてくれるか?』

 

 

 ……ここまで自分を買ってくれるのだ。それにもうスカウトが来るかどうか分からない。多少性格に難はあるかもしれないがこのスカウトを私は受けることにした。

 

 

『分かった~。これからよろしくね~。え~っと?』

 

 

『沖野だ。好きなように呼んでくれ』

 

 

『じゃあおきのんだ~。私はグリーングラス、これからよろしくね~』

 

 

 こうして私にトレーナーがついた。今思い返してみるとこの出会いがなければ私はデビューすらままならなかったかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 無事にトレーナーがついてデビューの準備は整ったものの、私の身体は相変わらず弱いままだった。元々夏にデビューする予定だったはずなのに、それも肺炎に罹ってしまい叶うことはなかった。本当に自分の身体の弱さに嫌になる。そんなことを思っていると沖野トレーナーが私をとある場所へと連れていきたいと私を車に乗せてある場所へと向かった。その場所とはリハビリ施設だった。

 別に脚を故障したわけじゃないのだがどうしてこんなところに連れてきたのかを尋ねる。

 

 

『おきの~ん、なんでリハビリ施設なんて来たの~?』

 

 

 私の言葉に沖野トレーナーは意気揚々と答える。

 

 

『ここはな、ただのリハビリ施設じゃない。温泉もある施設なんだ。温泉にはリラックス効果もあるしトレーニングを積むことだってできる。ここでグラスの身体の弱さを克服しながら頑張っていくぞ!』

 

 

 どうやらここには温泉もあるらしい。それは嬉しいことだ。温泉は好きだしトレーニング後に入れるというのなら想像しただけでも喜びがあふれそうになる。

 ただ、私には1つの考えがよぎった。それはお金の問題だ。

 

 

『おきの~ん、温泉があるのは分かったけどさ~ここって結構高いんじゃないの~?』

 

 

 いつも金欠そうにしているのに大丈夫なのだろうか?だが沖野トレーナーは問題ないとばかりに答える。

 

 

『お金の心配なら大丈夫だ。最近は余裕もできてきたからな。それに、お前の身体が丈夫になるってんならこれぐらい安いもんだ』

 

 

 ……本当のところはどうなのか分からない。だが、自分にここまでしてくれるのだからそれに必ず報いなければならないだろう。私は心の中でそう思った。

 リハビリ施設でトレーニングを積む日々。だが、レースに出走できてもあまり勝てなかったため私はクラシックレースの内皐月とダービーに出走することは叶わなかった。そのレースで友達の活躍を耳にするたびに私は焦ってしまいそうになった。だがその度に沖野トレーナーは私を落ち着かせるように言い聞かせた。

 

 

『いいか?グラス。焦る気持ちは分かる。だがな、そんな時こそ落ち着いて深呼吸をするんだ。今お前がするべきことは何か?そのことだけに集中するんだ。そうすれば、いつかきっと報われる日が来るからな』

 

 

 今でも焦ってしまいそうな時はその言葉を思い出している。自分の成したいこと、大舞台で私も友人たちのように走って1着を獲るという目標にして。

 そして努力の甲斐あってか、私はギリギリでクラシック最後の冠である菊花賞への出走が叶った。これでようやく私も友人である彼女たちと一緒に走ることができる。そのことが嬉しくてたまらなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 現在は菊花賞前日、マークすべき相手を1人ずつ沖野トレーナーと確認している。

 

 

「さて、おさらいになるが警戒すべき相手は主に3人。トウショウボーイ・クライムカイザー・テンポイントだ。トウショウボーイは最後の直線に入った時の加速力は半端じゃねぇ。一度離されたらもう追いつけないと思え。クライムカイザーは脚質も近いからコース取りにだけは気をつけろよ?だが、この2人以上に警戒すべき相手がいる」

 

 

「分かってるよ~。テンちゃんだね~」

 

 

「そうだ、菊花賞の距離なら厄介さで言えばこの2人よりもテンポイントだ。スピードとスタミナが必要とされるこのレース、最後に前での根性勝負になったらまず勝ち目は薄いだろうな」

 

 

「テンちゃんしつこいからね~しっかりと気をつけなきゃ~」

 

 

 リハビリ施設で偶然会った時に泳ぎでの勝負をしたが、あの負けず嫌いは天下一品だろう。それがレースでも発揮されるとなると恐ろしいことこの上ない。

 そして作戦の確認へと移る。

 

 

「以上を踏まえた上でどういったレースを展開するか。考えているか?グラス」

 

 

「う~ん、やっぱりスタミナも温存したいから~いつも通り中団か後方集団で控えて~内ラチ沿いに走るかな~?」

 

 

「そうだな、内を取ることができればスタミナの消耗も抑えることができる。でもそろそろラチを頼って走るのはやめような?」

 

 

「う~ん、無理かな~」

 

 

「ちっとは考える素振りを見せろ、ったくよぉ」

 

 

 沖野トレーナーは呆れたように見るがこればっかりは仕方がないと諦めてもらうしかない。ただあまりにも内がキツいようなら外に回るほかないのだが。

 内を走るためにどうしようかと考えているところ、沖野トレーナーは何やらスマホを見ていた。そして嬉しそうな笑みを浮かべ、こちらへと話しかけてくる。

 

 

「喜べグラス。神様は俺たちに味方したようだぞ」

 

 

「何々~?どういうこと~?」

 

 

「こういうことだ」

 

 

 そう言ってスマホの画面を見せてくる。そこにはこの後夜に大雨が降ることが予想されるという天気予報だった。

 ……今から雨が降る、ということはつまり

 

 

「明日の菊花賞、開催されるなら重、良くても稍重ってことだね~?」

 

 

「そうだ、それに伴って荒れる内を走るウマ娘も少なくなるだろう。加えてお前は重バ場を苦にしない上に生粋のステイヤーだ。これだけの条件を揃えてくれるなんて神様に感謝しなきゃな」

 

 

「そうだね~ここまでお膳立てされたんだもの~」

 

 

私は気合を入れる。

 

 

「後は勝つ。それだけだね」

 

 

 明日が楽しみだ。テンちゃん、ボーイちゃん、カイザーちゃん。今までは並び立つことすらできなかった。けれどそれも今日で終わりだ。菊花賞、私が勝たせてもらうよ。




お馬さんの写真集は初めて買ったのですがこれはいいものですね。他のも買いたくなります。


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第34話 決戦!菊花賞

菊花賞本編。急いで書いたので後々手直す予定です。


 昨日の夜急に降り始めた雨は上がったものの晴れることはなく曇りとなった京都レース場。今日ここでクラシック最後の冠であるレース菊花賞が行われる。今回のレースで注目されているのは皐月賞ウマ娘トウショウボーイとダービーウマ娘クライムカイザー、どちらかが菊の冠を手にするのか。それとも違う誰かが戴冠するのか。出走前から盛り上がりを見せていた。

 ウマ娘の入場とともに実況・解説の説明が入っていく。

 

 

 

 

《今年もこの日を迎えました。クラシックロードの終着点菊花賞。果たして菊の冠を手にするのはどのウマ娘になるか?天気は生憎の曇り模様、バ場の状態は重バ場と発表されています。まずは3番人気のウマ娘の紹介から入りましょう。3番人気は6枠13番テンポイント!私イチ押しのウマ娘です!》

 

 

《皐月賞はトウショウボーイに離されての2着、ダービーではクライムカイザーの7着に沈んでいます。トウショウボーイとクライムカイザーに負けられないという思いは誰よりも強いでしょう》

 

 

 

 

 実況の声とともにテンポイントが京都レース場のターフに姿を現す。観客の声援を受けながらもテンポイントは控室で自身のトレーナーから受けた指示を頭の中で繰り返していた。

 

 

(トレーナーが言うとったのはボーイと同じくらいグラスに気ぃつけろやったな……。トレーナーの見立てやったらグラスは生粋のステイヤー、この距離で一番厄介なる言うとった。で、グラスはラチ沿いに走る癖があるみたいやから内をついて走るやったな。まあ頭の片隅にでも入れとこか)

 

 

 そのままテンポイントはウォームアップを始める。その間も実況によるウマ娘の紹介は進んでいた。

 

 

 

 

《続いて2番人気の紹介に移りましょう。2番人気は4枠8番クライムカイザー!世代のダービーウマ娘、前走の京都新聞杯、前々走の神戸新聞杯はいずれも2着!ダービーのような走りを見せて見事菊の冠を手にすることができるか!》

 

 

《ただ疲れが残っているのかパドックでの調子はあまり良さそうではありませんでしたね。これがどう作用するのか?気になるところです》

 

 

 

 

 クライムカイザーの入場とともに湧き上がる歓声。しかしその表情は悲しそうだった。クライムカイザーは1人小さな声で愚痴る。

 

 

「重バ場……なんで前走の京都新聞杯と同じ重バ場なんですか……。鬱です……」

 

 

 クライムカイザーは重バ場に対していい思い出がないのか、そのままブツブツと独り言を呟いていた。

 そして今回の菊花賞の1番人気が入場する。

 

 

 

 

《では今回の1番人気のウマ娘を紹介しましょう!1番人気は勿論このウマ娘!前々走の神戸新聞杯では驚異の勝ち時計を記録して芝2000mの日本レコード記録を塗り替えました!3枠7番トウショウボーイ!》

 

 

《やはり菊花賞の大本命と言えば彼女という声が多かったですね。ただ日程を詰めてレースを組んでいたのかクライムカイザー同様やや疲れが見えています。大丈夫でしょうか?》

 

 

 

 

 トウショウボーイが入場してきたその瞬間、会場からはその日1番の歓声が響き渡る。その声に答えるようにトウショウボーイは手を振って返していた。しかし、普段の彼女ならば声も上げていたのだが今日に限っては上げていない。トウショウボーイは誰にも聞こえない声量で呟く。

 

 

「チクショウ、あんなに晴れるように祈願したのになんで前日の夜になって大雨なんて降るんだよ……。恨むぜ神様」

 

 

 どうやらトウショウボーイも重バ場が得意ではないらしい。そのまま恨み言を呟きながら出走の準備を整える。

 そして周りを見渡しながら内側のバ場の状態を確認しているウマ娘が1人いた。緑色のベレー帽を被りブレザーの制服をモデルにしたような勝負服は中のシャツは白に赤のラインが襷のように入っている。ブレザーの制服部分は彼女のイメージによく似合う緑色、両腕には赤にGのワンポイントがついた腕章をしている。グリーングラス、今回の菊花賞では12番人気。誰からも注目されていないであろう彼女は1人笑みを浮かべている。

 

 

「うんうん~。これならいけるね~」

 

 

 グリーングラスは満足そうに頷き何かの確認が終わった後、彼女はゲートへと向かっていった。そして出走前のウォーミングアップを終えたウマ娘が続々とゲートへと入っていき、開く瞬間をただ待っている。

 

 

 

 

《最も強いウマ娘が勝利すると言われる菊花賞。今年も選ばれし21人のウマ娘がこのレースに出走します。最後の冠である菊の大輪を掴むのはどのウマ娘か?驚異のレコードでトライアルレースを制したトウショウボーイか?ダービーウマ娘の逆襲なるかクライムカイザー?ここまで無冠のテンポイントはクラシックの冠を手にすることができるか?それともまだ見ぬウマ娘が戴冠するのか?今全員のゲートインが完了しました。さぁ今菊花賞が……スタートです!》

 

 

 

 

 実況のスタートという声とともにゲートが開き、21人のウマ娘が一斉にスタートする。クラシックロードの終着点、菊花賞の幕が今上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《まずは最初の第3コーナーの登りへと入ります。逃げウマ娘バンブーホマレが先頭に立ってペースを作ります。2番手の位置には外からセンターグッド3番手テンポイントは内を回ってこの位置につけている。4番手にはニッポーキング5番手の位置にトウショウボーイ。トウショウボーイはこの位置。クライムカイザーはいつも通り後方グループで様子を見る姿勢を取ります。各ウマ娘コーナーを回って正面スタンド前へと入ってきました。まずは1周目、先頭集団は依然変わらずですが3番手テンポイントの内からはグリーングラスが、外からはフェアスポートが早めに上がってきました。そして真ん中のバ群、中団グループの外にトウショウボーイがいます。しかし前から後ろまでほとんど差がない団子状態。ここからどういった展開を見せるのか?》

 

 

 

 

 いつも通り好調なスタートを切ることのできたテンポイントは3番手の位置で様子を窺っていた。目の前にトウショウボーイはいないがここでマークするために無理矢理下がったら皐月賞の二の舞になると考えていた。なので無理に下がることはせずに周りが上がってくるのを待つ。すると第2コーナーへと入る辺りでテンポイントの後ろにいた集団がペースを上げていった。そしてその集団の中にトウショウボーイの姿を確認する。隣にいたはずのグリーングラスはいつの間にか下がっていったのか姿が見えない。テンポイントはすかさず外へと回りトウショウボーイの後ろの位置をキープするようにつけた。

 

 

(我ながらええ位置につけることができたわ。後はこの位置をキープしとくだけやな)

 

 

 皐月賞、ダービーでは後れを取った。だが最も強いウマ娘が勝つこの菊花賞だけは譲らない。自分が世代で1番強いウマ娘であることを証明するために。テンポイントはそんなことを考えていた。そして正面スタンド前を抜けてすでに第2コーナーへと差し掛かろうとしていた。

 

 

 

 

《……クライムカイザーは後方から6番手の位置につけています。そして先頭はすでに第2コーナーのカーブへとかかりました。先頭は依然としてバンブーホマレ2番手の位置にはセンターグッド、フェアスポートが内から3番手から2番手へと上がっていこうとしています。第2コーナーを曲がって向こう正面に入ろうかというところで外からトウショウボーイが上がってきましたセンターグッドを交わして今2番手の位置へと上がっていこうかというところ。その後ろにつけるようにテンポイントも上がっていきます。クライムカイザーも後方からややペースを上げ外からきている。向こう正面に入って先頭はバンブーホマレ、2番手の位置にはトウショウボーイその後ろにつけてテンポイント。内側にはフェアスポートがいます》

 

 

 

 

 第2コーナーを回って向こう正面へと入り、テンポイントはいまだにトウショウボーイの後ろをキープしている。京都レース場には第3コーナーへと入る前に心臓破りの坂と呼ばれる坂がある。それまでにスタミナをできるだけ残しておこうという作戦だ。ただ、テンポイントには1つ気がかりなことがあった。グリーングラスの存在だ。トレーナーは注意しておけと言っていた。内を確認してみるがいまだに彼女は先頭集団には加わっていない。

 

 

(トレーナーの警戒しすぎやったな。これやったらボーイだけ注意しとったらええか)

 

 

 テンポイントはそう考えてグリーングラスの存在を遠くへと追いやる。第3コーナーの手前、心臓破りの坂が目の前に迫っていた。

 

 

 

 

《……そして後方からクライムカイザーが仕掛けてきた!10番手の位置に上がっていきます!そして3000mの2回目の坂へと入っていく!心臓破りの京都の坂を21人のウマ娘たちが果敢に登っていきます!差は広がることなく21人のウマ娘は団子状態!先頭はバンブーホマレ2番手にトウショウボーイ!その後ろをついてテンポイント内にはグリーングラスがいるぞ!心臓破りの坂も上り終わって後はゆっくりと下るだけだ!そしてこの下りでトウショウボーイが先頭に立った!テンポイントは内から切り込んでいく!テンポイントが2番手バンブーホマレは3番手!外から一気にクライムカイザーが上がってきた!先頭は早くも第4コーナーをカーブした!最後の直線へと入っていく!》

 

 

 

 

 坂を下り終えて第4コーナーへと入るタイミング。テンポイントはここしかない、というタイミングで内からトウショウボーイを抜きにかかった。そして見事テンポイントの目論見通り、トウショウボーイよりも前で最後の直線へと入ることに成功する。

 

 

(よし!ここまでは想定通りや!後は……!)

 

 

 後はスパートをかけていくだけ。そのタイミングでテンポイントは脚に痛みを感じる。この痛みには覚えがある。メイクデビューを走り終わった後に感じたあの痛み、それと一緒だった。

 

 

 

 

《最後の直線に入ってテンポイントが先頭に立った!内からグリーングラス!内からグリーングラスだ!さぁテンポイント先頭だ!それいけテンポイント!菊の大輪はもうすぐそこだ!しかし内からグリーングラスだ!グリーングラスが上がってきている!》

 

 

 

 

 

(脚を思うたより使いすぎた……!やけどあとちょっとや、後ちょっとだけ持ってくれ、ボクの脚!)

 

 

 テンポイントは痛みのせいか、直線半ばでまっすぐ走ることができずに外へ外へとヨレていく。だが何とか持ち直しつつもゴールへと向かっていく。

 しかし、この時テンポイントは内からものすごい勢いで上がってきているウマ娘に気づいた。その姿を確認する。それはトレーナーが1番警戒しておくべきと言った相手、自分が途中で警戒を止めた相手、グリーングラスだった。

 

 

(グラ、ス?嘘やろ、いつの間に……!)

 

 

 あっと思ったのもつかの間、グリーングラスはそのままの勢いでゴール板へと走っていく。テンポイントは必死にその後を追うがその差が縮まることはなくグリーングラスの身体がゴール板を通過していった。

 

 

 

 

《グリーングラス1着!テンポイント2着!菊の大輪を手にしたのはグリーングラスだ!ここまで9戦3勝、重賞未勝利のウマ娘が菊花賞を制しました!一体誰がこの展開を予想できたでしょうか!?天を駆けるウマ娘ではない!ダービーを登りつめた皇帝でもない!貴公子でもない!勝ったのは遅咲きの刺客グリーングラス!》

 

 

 

 

 クラシック最後のレース菊花賞、勝ったのはグリーングラスだった。




最近馬の本を買ったりしてます。新しい発見があったりして面白いです。もっと早くハマりたかった……。


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第35話 菊花賞を終えて・油断と後悔

菊花賞の反省会とテンポイントの自信がなくなり始める回。


 京都レース場。ボクは今そのレース場のターフの上で肩で息をしながら膝に手をついていた。脚に走る痛みに耐えながらも掲示板を確認し自分の番号に目をやる。2着。ボクは菊花賞に勝つことができなかった。その事実を突きつけられて後悔の念が押し寄せてくる。

 

 

(クソ……、クソ……!また、またや……。また勝てんかった……!しかも、トレーナーが気ぃつけろ言うとったグラスが1着……!)

 

 

 完全に意識の外に置いていたわけじゃない。だが外にいたボーイに注目しすぎて内から上がってくるグラスに気づいていなかった。さらにはレース中、警戒はしなくても大丈夫だと思っていたのも事実。その結果がこの様だ。完全な油断だった。この油断が今回の敗北に繋がったのだとボクは後悔するしかなかった。

 そうやって少しの間項垂れていたが、いつまでもそうしてるわけにはいかずウイニングライブのために一度控室に戻るために地下バ道を通っていく。そして控室の扉の前にはトレーナーが立っていた。トレーナーはこちらへと声を掛けてくる。

 

 

「お疲れ様、テンポイント。脚の調子はどうだ?」

 

 

 どうやらボクの脚の調子が良くないことを見抜いているらしい。レースへの労いの言葉とともにボクの脚の調子を尋ねてくる。だが、それ以上に気になることがある。それはトレーナーの態度だ。トレーナーは表面上こそ笑顔を浮かべているが、雰囲気はいつもの柔らかいものではなく刺々しい雰囲気を出している。

 怒っている。その理由には心当たりしかなかった。トレーナーがあれほど気をつけろと言ったグラスのマークを怠った上にそのグラスに出し抜かれる形で負けたのだ。怒っているのも当たり前だろう。

 ただ謝罪の前にボクは脚の状態のことを話す。

 

 

「あ、あぁ。脚なら平気や。今は痛みも治まっとるからライブする分には大丈夫やと思う」

 

 

 その言葉を聞いて先程の刺々しい雰囲気がなくなり、一転して顎に手をやり何かを思案している。この切り替えの早さは本当にすごいと思う。

 

 

「そうか……。だが我慢できないようならすぐに言ってくれ。ライブの欠席を本部に伝えるから」

 

 

「う~ん、大丈夫や。ライブには出れる。そ、それと今回のレースのことなんやけど……」

 

 

 謝ろうとしたボクの言葉を遮ってトレーナーは言葉を被せてきた。

 

 

「その話はまた後日だ。今はとりあえずライブに集中しよう」

 

 

 トレーナーはそう言ってライブの準備をするように促す。そしてその言葉を最後にトレーナーはライブ会場へと向かっていったのかボクと別れる。その態度を見てボクは確信する。

 

 

(めっちゃ怒っとる……)

 

 

 しかし今追いかけて謝ったところでトレーナーは突っぱねるだけだろう。ボクはライブの準備をするために控室で着替える。ライブ中もボクは後日トレーナーから何を言われるのか気が気でなかった。

 ……いや、そんなことはなかった。トレーナーがいつものごとくライブの最前列でボクを全力で応援する姿を見て本当に怒っているのか疑問しか感じなかった。しかも今回は隣に応援に来ると言っていたキングスもいた。いつの間に仲直りしたのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 菊花賞が終わり、一夜明けた次の日。ボクはトレセン学園のトレーナー室へと戻ってきていた。そしてトレーナーと向かい合うようにソファへと座る。

 ボクはただ黙ったままトレーナーを見ている。ただ目線は合わせない。作戦を無視した上にそれで負けた気まずさから目を合わせづらかったからだ。そんな時、トレーナーから話を切り出してくる。

 

 

「さて、今日は菊花賞の反省会なんだが……。俺が言いたいことは分かるな?テンポイント」

 

 

 ライブ中の態度で忘れそうになっていたがやっぱり怒っていた。今回のことについては完全にボクが悪いのですぐさま謝る。

 

 

「ご、ゴメン、トレーナー!あんだけ気ぃつけろ言うとったのにグラスのマークを怠ってもうた……。しかもそのせいで負けてもうたし、なんて申し開きすればええのか分からん……。とにかく、ごめんなさい!」

 

 

 そう言ってボクは誠心誠意頭を下げて謝り倒す。これで許されるとは思っていないがボクにはそれしかできなかった。

 しかし、ボクの考えとは裏腹にトレーナーは嘆息をした後こちらに言葉を投げかけてくる。

 

 

「分かっているなら、俺からこれ以上何かを言うつもりはないよ。顔を上げてくれテンポイント」

 

 

 その言葉にボクは驚く。あまりにもアッサリとしていたからだ。顔を上げて表情を確認するといつもの表情と雰囲気に戻っていた。

 困惑しながらもボクはトレーナーに聞き返す。

 

 

「え?と、トレーナー?そんだけ?トレーナーの忠告を無視して負けたのにそんだけでええんか?」

 

 

「そんだけもなにも、今回の敗因が分かっているのにこれ以上何かを言う必要もないだろ。むしろなんでそこまで身構えていたんだ?」

 

 

「だ、だって、トレーナー昨日も怒っとったし……」

 

 

 その言葉にトレーナーは納得したように頷く。

 

 

「まあ確かにそうだな。今日も自分が負けた原因を分かっていないようなら叱るつもりだったんだが分かった上で反省もしている。だったらこれ以上俺から何かを言う必要はない。過去のことをいつまでも怒っても仕方がないし、すでに起こってしまったことだからな。だから次のレースでは同じ失敗をしないように気をつけてくれ、テンポイント」

 

 

 トレーナーの言葉にボクは呆然とするしかなかった。それと同時に次は同じ失敗をしないようにと心に誓う。

 その後、トレーナーは今回のレースについての細かい分析をこちらへと話す。

 

 

「今回のレースは3000mという未知の領域に加えて重バ場でのレースだった。いつもよりパワーを使うからスタミナの消費も早かったな。その影響もあってか最後の直線では外にヨレていたな」

 

 

「う~ん、スタミナはまだちょい余裕はあったんやけど、最後の直線入ってしばらくしてからやろうか?脚が痛んだんよ。それで外にヨレてもうたんや」

 

 

「……骨膜炎か。医師の人は身体の成長とともに自然となくなっていくって言っていたが、いまだになくならないな」

 

 

「せやな。早うなくなってくれるとええんやけど……」

 

 

 医師の人は治ると言ってたがここまで治らないとなると一生なくなることはないんじゃないかと不安になってくる。しかしボクはその考えを一蹴する。大丈夫だ、大丈夫なはずだ。そう自分に言い聞かせる。

 その後はトレーナーが今回のレースでの良かった点を言ってくる。

 

 

「今回のレースは位置取りが良かったな。トウショウボーイの後ろにピッタリとつけて最後の直線で抜くことができた」

 

 

「まあ、その後グラスに抜かれたんやけどな」

 

 

「あんまり引きずってネガティブになるな。グリーングラスの勝利者インタビューを聞いて分かったことだが、思ったより内側が荒れてなかったらしいからな。俺たちは内側が荒れているものだと思っていたし、最内から来るなんて予想もできなかっただろう。もう終わったことだ、切り替えていくぞ」

 

 

 そしてトレーナーはそのまま次のレースについての説明に入る。

 

 

「さて、菊花賞の反省も程々にして次のレースについて話すぞ。次のレースは有マ記念を予定している」

 

 

「有マ記念……!」

 

 

「そうだ」

 

 

 ボクはトレーナーの言葉に身体が震える。武者震いという奴だ。

 有マ記念。年末に行われるそのレースは宝塚記念と同様ファン投票によって選ばれたウマ娘が出走するダービーとはまた違った意味で特別なレースだ。ファン投票で選ばれるウマ娘はその年でファンの心を掴んだ精鋭たちである。それに加えて推薦枠で選ばれるウマ娘もまた推薦されるだけの強さを持っている。年末最後に国内最強のウマ娘を決めるレースと言っても過言ではない。

 トレーナーは言葉を続ける。

 

 

「まだ出走表明段階だが、お前の人気を考えれば余裕で出走はできるだろうな」

 

 

「ホンマか?大丈夫やろか?」

 

 

「心配になるのも分かるが大丈夫だろう。お前はファンからの人気が高いからな」

 

 

 ファンからの人気が高いのは嬉しいことだが、正直今の状況的にはあまり嬉しいことではない。クラシック3冠を1つも取ることができず、自分の強さに疑問を抱いている現状、出走したところで勝てるのだろうか?という気持ちが湧いているのも確かなのだ。そしてボクの頭の中には悪い考えばかりが浮かんできてしまう。負の連鎖というやつだろうか。

 そう考えているとトレーナーがボクに話しかける。

 

 

「それにレースも強いからな。強い上に美しいともなればファン投票1位だって夢じゃないぞ」

 

 

 ボクが落ち込んでいるのを察してかフォローを入れてくれたのだろう。お世辞かもしれないがそれでも嬉しい。

 ボクはお礼を言う。

 

 

「ありがとな、トレーナー。お世辞でも嬉しいで」

 

 

「いや、本心なんだけど」

 

 

 なんか言っているが、気持ちを上向きにしていこう。悪い考えを振り払う。それにファンのみんなはボクの強さを感じて投票してくれるのだ。だったらそれに応えるために頑張らなければならない。

 有馬のファン投票はまだ始まっていないので出走できるかは分からない。だから出走できることを今から祈っておこう。

 その後トレーナーは今後の練習について話始める。

 

 

「今後の練習は有マ記念を想定しての練習をしていく。勝つために頑張っていくぞ」

 

 

「ん、分かった」

 

 

 詳しい練習プランの説明をした後、菊花賞終わりということで練習は休みとし、ここで解散となる。ボクは帰り支度をする。

 そして帰る直前にボクはトレーナーに質問をする。

 

 

「なぁ、トレーナー?」

 

 

「どうした、テンポイント。忘れ物でも思い出したか?」

 

 

「ちゃうわ。そうやなくてな」

 

 

 トレーナーがボクをスカウトした時に言ったこと。それを聞いてみる。

 

 

「……トレーナー、ボクがシンザンさんやハイセイコー先輩にも劣らん言うとったけど、今でもそう思っとるんか?」

 

 

「当たり前だろ。今でもその思いは変わってないし、シンザンやハイセイコーよりもお前の方が強いって俺は思っている」

 

 

 トレーナーはそう即答するが、ボクが傷つかないようにという嘘だろう。クラシックレースを1つも制することのできなかったウマ娘にシンザンさんやハイセイコー先輩より強いなんて言うはずないのだから。

 ただ、褒められて嬉しいことには変わりはないのでお礼は言う。

 

 

「……あんがとな、ホンマ、お世辞でも嬉しいわ」

 

 

「だからお世辞じゃなくて本気だって」

 

 

 トレーナーはまだボクに期待してくれている。だったらその期待に是が非でも応えなければならない。まずは有マ記念での勝利を目標にする。トレーナーが言った最強にはもうなれないかもしれないがそれがボクにできる精一杯のことだ。

 これ以上トレーナーを失望させないためにも、より一層気合を入れていかねばならない。ボクは寮に帰りながらそう考えていた。




明日新しい写真集が届きますワッホイ。


※有馬記念を有マ記念に修正 7/30


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第36話 価値観の相違

主人公が変な奴らに絡まれる回。


 菊花賞が終わってから数日が経ち、いつもの業務へと戻っている今日。俺はトレーナー室がある別棟にいる。他のトレーナーから借りた資料を返しに行くために訪れており、今はその帰り道だ。特段急いで帰る用事もないので普段あまり見ることのない別棟の様子を見ながら帰っている。

 

 

「俺はトレーナー室別の場所にあるからあんま見る機会ないんだよなぁ。用務員としても来ることはないし」

 

 

 本校舎とあまり変わりはないのだが足を踏み入れることがないってこともあってか新鮮な気持ちだ。設備の色々なところに目を向けてしまう。

 ただあまり長居すると変な奴らと鉢合わせる可能性もあるので面倒なことになる前に周りを見るのは程々にしてさっさと帰ることにしよう。

 そんなことを考えているとトレーナー達が1つの集団となって会話している様子が見える。顔を確認してみるとその顔には少しだけ見覚えがあった。前に理事長に集められた際にサポート科を必要ないと言っていた奴の周りにいた連中、つまりは柳さんの言っていた俺のことを良く思っていないトレーナー達だった。

 まさか本当に面倒な奴らに鉢合わせるとは思わなかったが、顔を合わせないようにしてその場を素通りしようとする。しかし通り過ぎようとした瞬間、集団の1人に肩を掴まれる。そのまま俺に向かって話しかけてきた。

 

 

「おいおい、誰かと思えば……神藤君じゃないか?どうしたんだこんなところでコソコソと」

 

 

 肩を掴んできたそいつはニヤつきを抑えられないといった様子だ。何を考えているのかは分からないが碌なことを考えていないことだけは分かる。なのでここにいる理由をさっさと教えて立ち去ることにした。

 

 

「……他のトレーナーに借りた資料を返すために来ただけですので……。では私はこれで失礼します」

 

 

 そう言って俺は立ち去ろうとするのだが、俺の肩を掴んでいる手は逃がすまいとばかりに強く掴んでいる。正直振り払うこと自体は簡単ではあるがそうした場合もっと面倒なことになる可能性を考えてそのままにしておく。

 俺は早く立ち去りたいので彼らに話しかける。

 

 

「あの、私に何か御用でも?早く戻りたいのですが」

 

 

 すると彼らは楽しそうに俺の問いに答える。

 

 

「まあそうツレないこと言うなよ神藤君。せっかくここで会ったのも何かの縁だ、俺たちと楽しくお喋りしようぜ?」

 

 

「そうだそうだ、是非聞きたいなぁ神藤君の話をさぁ?」

 

 

 ……楽しくお喋りと言っているが、彼らの言いたいことは大体わかる。最近のテンポイントの成績についてだろう。しかし逃げられないと悟った俺は渋々その場に居座ることに決めた。

 案の定、楽しいお喋りと言っておきながら話題となったのは俺に対する糾弾、というよりは遠回しな皮肉が主だった。

 俺はただ聞き手に徹している。

 

 

「しかし、神藤君はすごいよなぁ?テンポイントほどの逸材をスカウトできたってのに最近は全然じゃないか」

 

 

「まあ待てよ、もしかしたら作戦かもしれないぜ?なんせ用務員とトレーナーを兼業するような奴だ。俺らじゃ思いつかないようなすごい作戦があるかもしれないだろ?」

 

 

「そうだなぁ?きっと最近の負け続きも作戦のうちかもしれないなぁ?俺も用心しておかないとな!」

 

 

 その会話に俺は適当に相槌を打つ。

 

 

「ハハッ、ソウデスネ」

 

 

 しかし表にこそ出さないが、内心はめんどくさいことこの上なかった。

 

 

(めんどくせー。さっさと終わってくれないかな)

 

 

 正直、ただこれだけのためにわざわざ引き留めているのかと思うと本当にこいつらはトレーナー試験を合格したのかと疑わしくなってくる。ただ中には重賞を勝ったウマ娘を担当している人物もいるおり、インタビューでは普通の態度であったことから人間の外と中身は一致しないのだということが改めて分かった。

 そんなことを考えていると1人の人物がこちらへと近づいてくる。俺を嫌っているトレーナー筆頭と言っていた時田だった。時田は静かに問いかけてくる。

 

 

「……あなたたち、何をしているんですか?こんなところで」

 

 

 その言葉になぜか1人が慌てた様子で答える。

 

 

「と、時田さん!い、いやぁ、神藤君が珍しくトレーナー室がある別棟に来ていたものだから、お話していたんですよ!なぁみんな!?」

 

 

「そ、そうですそうです!みんなで楽しくね!な、神藤君!」

 

 

 急にこちらに話を振られたので一応返事だけはしておく。

 

 

「ソウデスネ」

 

 

 すごい棒読みになったがまあいいだろう。すると時田は溜息をつきながらこちらに話しかけてくる。

 

 

「……別にお話しするのは構いませんが、集団で1人の人間を囲んで嫌味を言っている暇があるなら自分の担当のことを考えた方がいいのではないですか?」

 

 

 至極真っ当な意見である。時田に言われたのが効いたのか、トレーナー達は1人また1人とその場を去っていった。この場には俺と時田だけが残る。

 彼に助けたつもりはないのかもしれないが助かったのは事実なのでお礼を言う。

 

 

「ありがとうございます。おかげで助かりました」

 

 

 すると時田は首を振って答える。しかも頭を下げながら。

 

 

「いえ、こちらこそ迷惑をかけました。彼らは私と仲良くしてくれているのですがまさかこんなことを起こすとは」

 

 

 その態度に俺は目を丸くして驚く。とても俺を嫌っている人物とは思えなかったからだ。唖然としていると時田は言葉を続ける。

 

 

「意外ですか?自分のことを嫌っていると思っている人物がこうして頭を下げているのが」

 

 

 その言葉に俺は頷く。

 

 

「正直、そうですね。噂程度にしか聞いていませんが時田さんは私のことを嫌っていると聞いていたので」

 

 

 時田は笑みを浮かべながら答える。

 

 

「あなたのことは嫌いですよ。けれど今回悪いのは誰がどう見てもこちら側。謝るのは当然のことですし私個人も申し訳なさを感じていますので」

 

 

 笑みこそ浮かべているが面と向かって嫌いと言えるこの胆力はすごいと言わざるを得ないだろう。

 俺は時田に自分が疑問に思ったことを質問する。

 

 

「面と向かって嫌いって言えるってすごいですね。しかも本人に。どうして私がそこまで嫌いなんですか?他のトレーナー同様に趣味でライセンスを取って仕事をしているような人物は気に食わないからですか?」

 

 

 俺のことを嫌いなトレーナーの大半はこの理由だ。おそらく時田も同じなはず。だが俺の読みが外れていることを示すように時田は首を振る。

 

 

「違いますよ。最初こそ趣味でライセンスを取ってトレーナーになる、給料が上がるからトレーナーを受けたという噂を聞いてふざけているのかと思っていましたが、あなたのトレーナーとしての態度、実績、実力などを鑑みても決してふざけてはいなかったことが分かっていたので」

 

 

 どうやら違ったらしい。では俺の何がそんなに気に食わないのか?そう思っていると時田は言葉を続ける。

 

 

「私があなたを嫌いなのは、担当に接する態度ですよ。あなたは担当に対して過保護と言えるまでに接しているでしょう?それがあなたを嫌いな理由ですよ」

 

 

「……どういうことです?」

 

 

 確かにテンポイントからも過保護と言われるまでに接していた自覚はあるが、それの何が悪いのか。俺は時田に聞き返す。すると彼はさも当然とばかりに答える。

 

 

「簡単なことですよ。トレーナーとウマ娘はビジネスライクの関係でなければならない。下手に接しすぎて彼女たちに入れ込みすぎたら勝てるレースも勝てなくなる可能性がある。あくまで彼女たちが勝てるように余計な感情を持ち込まずに徹底的に管理する。少なくとも私はそうしてきました」

 

 

 俺は時田の言葉を黙って聞く。そのまま彼は言葉を続けている。

 

 

「理事長のサポート科の改革案を反対したのもそれが主な理由です。もしあの案がそのまま通ってしまったらそれはウマ娘にとって余計な感情が生まれてしまうきっかけになる可能性がある。それを考慮して私は反対しました」

 

 

「レースに余計な感情はいらない。ウマ娘にはただただロボットのように走れ、と?」

 

 

「極端に言えばそうなるでしょう。ただ誤解しないでいただきたいのはレースに喜びも怒りも持ち込むな、というわけではありません。モチベーションの維持には必要なことですから。ただ理事長の改革案をそのまま持ち込んだらレースに余計な感情を持ち込むウマ娘が出てこないとも限りません。だから反対しました」

 

 

 時田はそう言い切った。そして言葉を締める。

 

 

「……まあ、色々と理屈をこねましたが結局のところ私があなたのことを嫌いな理由は自分とは決定的に違う人間だから、それにつきます。ただただ気に食わないんですよ、あなたのことが」

 

 

「随分とまあ好き勝手に言ってくれますね。全て事実なので言い返す気はありませんが」

 

 

「気を悪くしたなら謝りましょう。ただあなたにだっているのではないでしょうか?決して分かり合えない、そう感じる嫌いな相手が」

 

 

 確かにいる。いや、今できたと言った方がいいだろうか。

 

 

「時田さん、まずはあなたに謝罪させてください。私はあなたのことを誤解していました」

 

 

「誤解、とは?」

 

 

「私はあなたのことをウマ娘を自分のステータスを上げるための道具としか思っていない、ウマ娘の気持ちを何も考えていない。少なくともトレーナーが集められたあの日以降、私はずっとそう思っていました」

 

 

 時田は苦笑いしながら答える。

 

 

「酷い言われようだ。そんなはずないでしょう。私はあくまで彼女たちが望んでいる勝利への道を私なりに提示しているだけです」

 

 

「そうですね、少なくともこうして話してみてあなたは私が思い描いていた人物とは違うということが分かりました。だから謝罪させてください。すいませんでした」

 

 

「いえいえ、誤解が解けて何よりです」

 

 

 時田はそう答えた。俺は彼に言葉を投げつける。

 

 

「それを踏まえた上で言わせてもらいましょう。俺はあんたのことが嫌いだ」

 

 

「……ほう?それはなぜです?」

 

 

「確かにトレーナーとウマ娘はビジネスライクであるべきだというあんたの考えは分からなくもない。それで勝ってきたことはあんたの指導は間違っていないってことだろう。けれど、俺の理想とするトレーナー像はトレーナーとウマ娘が二人三脚で走って喜びも悲しみも分かち合うような関係なんだ。俺はレースに余計な感情を持ち込むことが決して悪いことだとは思わない」

 

 

 

「そうでしょうか?私はそうは思いませんが」

 

 

「少なくとも、俺はそう思っている」

 

 

 その後も多少の議論をしていたが、俺たちの会話は平行線だった。何もかもが合わない。それに気づいたのか時田は溜息をついて結論を出す。

 

 

「……やはり、あなたとは考えが合わないようだ。これ以上は時間の無駄ですね」

 

 

「そうだな、俺もさっさと帰らせてもらうよ。ただあの連中から解放してくれたことには感謝する」

 

 

「まあ、見ていて気分の良いものではありませんでしたから。あぁそれと、気をつけてくださいね」

 

 

 別れようとした時、時田はそう言ってきた。そして俺に忠告をしてくる。

 

 

「テンポイントがクラシックを取れなかった件、あなたが思っている以上に記者の方々は思うところがあるようですよ。今でこそ学園側で処理していますが、その内よからぬ記事が書かれるかもしれませんね?」

 

 

「……わざわざご忠告どうも」

 

 

「いえ、それでは私はこれで」

 

 

 そう言って時田はそのまま去っていく。俺も別棟から出るために歩を進める。その道中時田のことについて考えていた。

 

 

(いるもんだな。自分とは決定的に考えが合わない人物ってのが)

 

 

 考えていたよりも悪い人物ではなかったが、それでも嫌いな人物であることには変わりはない。俺はそんなことを思いながら別棟を後にした。




時田は管理主義に近い考え。主人公はアプリトレーナーに近い考えです。どちらが正しいというわけではないんですよね。


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第37話 ファン投票の結果

やっと納得のいくあらすじの文が浮かびましたので変更しました。これ以降はあらすじを変えることはありません。


 菊花賞が終わってから早いものでもう12月に入ろうかという頃。ボクは自分のクラスに入って自分の席に着く。その後今朝買ってきた新聞を袋から出して広げる。いつもは面白い記事はないかと探しているが今日は違う。目的の記事が掲載されているはずなのだ。ボクはその記事を探す。

 

 

「……お、あったあった!有マ記念のファン投票の記事!どれどれ~?結果はどうなったんや~?」

 

 

 そう、ボクが探していたのは有マ記念のファン投票の結果の記事だ。今日が丁度最終結果発表の記事が掲載される日であり、その結果を確認するために該当の記事を探していた。

 見つけることができたのでボクは早速結果を確認する。確認した後ボクは喜びと苦々しさが半分の気持ちになりつつも記事から目を離す。喜ぶべきはこのファン投票の結果によってボクは有マ記念への出走が叶ったということ。では苦々しさは何かというと、

 

 

「5位……また何とも言えん順位やな……」

 

 

人気投票の順位が5位だったということだ。そもそもファン投票の上位10名のウマ娘に入るだけでもすごいことだ。それだけファンの人から愛されているということなのだから。ではなぜ素直に喜べないかというと自分より上にある名前が関係している。

 

 

「1位トウショウボーイ……4位クライムカイザー……。分かっとったことやけど、いざ現実として見ると凹むわやっぱ……」

 

 

 1位と4位に自分の友達である2人の名前が入っているのだ。友達の活躍が評価されているのは喜ばしいことなのだが心のどこかで素直に喜べない自分がいる。

 そんなことを考えていると教室の扉を開けて聞き覚えのある元気な声が聞こえてくる。

 

 

「おっはよー!みんな、今日も1日頑張ろうぜー!」

 

 

 ボーイの奴だった。みんなはボーイの言葉に微笑まし気な視線を向けながら挨拶を返している。相変わらず見ているこっちまで元気になるような挨拶をする奴だ。

 ボーイはそのままこちらへと向かってきて、ボクの隣の席へと座る。鞄を置いてこちらへと話しかけてきた。

 

 

「よぉテンさん!朝から何見てんの?」

 

 

 ボクは挨拶を返しながら自分が何をやっていたのかを教える。

 

 

「おはようさんボーイ。今日は有マ記念のファン投票の最終結果発表が載る日やからな。それを見とったんや」

 

 

「あ、そういえばそうじゃん!オレにも見せてくれよ!」

 

 

「ええで、ほい」

 

 

 目を輝かせながらボーイにボクは持っていた新聞を手渡す。開いているページが目的のページだと教えそのページをボーイは凝視する。

 結果を見終わったのかボーイは嬉しそうな声でこちらへと話しかけてきた。

 

 

「見ろよテンさん!オレファン投票1位だって!」

 

 

「ハイハイおめでとさん。っちゅうかさっきまで見とったから知っとるわ」

 

 

「それは分かってるけどさ。でもさー、やっぱこうやって目に見える形で支持されてるって思うと嬉しいよなーやっぱ!」

 

 

 ボーイの気持ちは分からないでもない。実際ボクも結果を見て嬉しくなったのは事実なのだから。

 するとボーイは残りのメンバーを見て興奮が抑えきれないといった様子で話を続ける。

 

 

「っにしても、やっぱ年末に行われる総決算のようなレースだけあって有名な人たちばっかだなー。負けてられないぜ!特に……」

 

 

 そう前置きをしたと思ったらこちらへと指を突きつけてきた。

 

 

「テンさんにはぜってぇ負けねぇからな!有マ記念、オレが勝たせてもらうぜ!」

 

 

 こちらへの宣戦布告。面白い、ならばこっちも受けて立ってやろうじゃないか。

 

 

「随分なこと言うてくれるやんけ。こっちも負けへんぞ!」

 

 

 ボクたちは不敵に笑いあう。傍から見ればライバル同士のやり取りだ。ただボクたちは忘れていた。ここが教室だということを。

 微笑ましそうなものを見る目で教室中から注目されていた。会話の内容も聞こえてくる。

 

 

「相変わらず仲いいねあの2人」

 

 

「あのやり取りも何回目だろうね」

 

 

「いいライバル関係だよね」

 

 

「うんうん」

 

 

 ボクたちは向けられる視線に恥ずかしくなって2人そろって咳払いをする。毎度のことだがボーイが絡むと変に熱くなってしまう。それだけボクにとって絶対に負けたくない相手だということなのだが。

 咳払いをして席に着いたタイミングでまた教室の扉が開かれる。姿を確認してみるとグラスとカイザーだった。

 2人とも自分の席に座るためにこちらへと向かってくる。ボクらは挨拶を交わす。

 

 

「はよー。グラス、カイザー」

 

 

「おはようさん2人とも」

 

 

「おはようございますボーイさん、テンポイントさん。お2人とも朝からいつも通りですね」

 

 

「おはよ~2人とも~。そうだね~クラスから聞こえてくる声で大体何があったのか分かっちゃった~」

 

 

「やめーや、毎度のことやけど恥ずかしいんやで」

 

 

 そう言ってボクらは笑いあう。これがボクたちの朝の日常だった。

 カイザーとグラスは広げられている新聞が目についたのか話題を切り出す。

 

 

「そういえば、今日でしたね。ファン投票の最終結果発表の日って」

 

 

「そうだな。カイザーは出るのか?」

 

 

 ボーイの言葉にカイザーは難色を示す。

 

 

「う~ん、今回は出走を見送ろうかと思います。ファンの皆さんには申し訳ないですけど、もっと自分を鍛えないと。そう思ったので」

 

 

 どうやらカイザーは出走しないらしい。残念だ。

 

 

「そっか。カイザーは出走しないのか。残念だけど個人の事情があるから仕方ねぇよな。でもグラスはなんで名前すら載ってないんだ?仮にも菊花賞を勝ったのに」

 

 

「ん~?」

 

 

 グラスは自分に振られた質問に答える。

 

 

「あ~、有マ記念の予備登録してなかったんだよね~。それに仮にファン投票で入っても多分出走はしなかったかな~」

 

 

 どうやらグラスも出走する気はないらしい。ということはいつものメンバーで有マ記念に出るのはボクとボーイだけである。

 その後は別の話題へと飛んでいき、ボーイのリギルの後輩であるマルゼンスキーの話になる。カイザーから話を切り出す。

 

 

「そういえばボーイさん。マルゼンスキーさんの活躍をよく耳にしますけど……、すごいですね」

 

 

 その言葉にボーイは同意を示すように驚きを隠せない様子でいた。

 

 

「そうだな……強い強いとは思ってたけどまさかあそこまでとは思ってなかったぜ」

 

 

 ボーイですら驚いている。それも仕方ないだろう。

 マルがメイクデビューに出走したのは10月の初め。ボクは直接会場で見たわけではないのであくまで映像で見ただけなのだが、衝撃の一言だった。

 大差勝ち。マルは2着のウマ娘に2秒もの差をつけて勝利したのだ。それだけでも驚きなのだが次の条件戦を2着に9バ身差、スポーツ杯ジュニアステークスはハナ差の接戦を制して3戦3勝である。しかもスポーツ杯はあまり調子が良くなかった状態だというので驚きだ。

 次走は朝日杯らしいが負ける姿が想像つかない。それだけの実力をマルは持っている。

 ボクは自分の思ったことを話す。

 

 

「前にボーイが積んでるエンジンが違う言うとったけど……。あの走りを見てるとホンマにそうとしか思えんわ。他ン子とは次元が違う」

 

 

 その言葉にみんなが頷く。ボクの言葉にグラスが補足する。

 

 

「それに~これは私の主観になるけど~実況の人たちは逃げって言ってるけどさ~。あれ多分速すぎて逃げに見えるだけだよね~?」

 

 

 グラスの言葉にカイザーが同意する。

 

 

「やっぱりグラスさんもそう思いましたか……。私も同じ考えです。マルゼンスキーさんは早すぎて逃げに見えるだけだと」

 

 

「しかもあれでジュニア級だからな……。これからが楽しみだぜ……!」

 

 

 ボーイは今から闘うのが楽しみとばかりに震えている。そしてそれはボクも同じだ。ぜひ一緒に走ってみたい。どちらが上なのか、証明してみたい。その衝動に駆られる。

 ただマルはまだジュニア級なので闘えるとしても来年の秋以降になってしまうのが少し残念だ。それにボーイに至ってはもう1つ問題がある。その問題をボクは指摘する。

 

 

「でもボーイは同じチームやから闘うんは無理やないか?リギルのトレーナーはレースの日程被らんようにするって噂があるで?」

 

 

 だが、ボーイはボクの言葉を否定した。

 

 

「別にそんなことはないぜ?おハナさんはなんだかんだいって部員の要望とかはちゃんと聞いてくれるからレースの日程が被ることだってあるぜ」

 

 

「ふーん、そうなんか。やったら心配することないか」

 

 

「そうだ!おハナさんで思い出した!」

 

 

 そう言ってボーイは鞄の中身を漁ったかと思うと1冊の雑誌を取り出した。

 

 

「これさ、誠司さんから借りてたんだよ。今日返しに行こうと思ってたんだけどさ、放課後ちょっと返せそうになくてさ……。だから代わりにテンさん返してくれないか?」

 

 

「まあ別にええけど。いつの間に借りてたんや?」

 

 

 少なくともボクがいる時にボーイが来たことなど一度もない。するとボーイは楽しげに答える。

 

 

「いやー、誠司さんのとこって色んな資料がたくさんあってさ、結構入り浸ってんだよ。たまに入り浸りすぎて怒られることもあるけど。でもテンさんと鉢合わせたことは一度もないな」

 

 

 偶然もあるもんだな、とボーイは締めくくる。入り浸っているのに会わないっていうのはすごい偶然もあったもんだ。

 するとカイザーは呆れたようにボーイに話しかける。

 

 

「会わないのも当然ですよ。ボーイさんが神藤さんのところに行く時って大体チームの練習後とかじゃないですか。それで資料だけ借りていって自分の家に帰るんですから。練習が終わってすでに帰っているテンポイントさんと会うわけないんですよ」

 

 

「それもそうだな。たまにカイザーとグラスも巻き込んで行くし」

 

 

「いや~レア物の資料もあって面白いんだよね~。ホントにレースに興味なかったのか疑問が浮かぶぐらいには~」

 

 

 ちなみにレア物の資料がある理由は、知り合いからトレーナーになった時にもらったらしい。本人がそう言っていた。

 ボクは溜息をついて言葉を告げる。

 

 

「あんま迷惑かけるんやないで?トレーナーかて忙しいんやから」

 

 

「分かってるって!」

 

 

 ボーイはそう元気よく答えるが本当に分かっているのだろうか?というか、

 

 

「いつの間にか名前呼びやん」

 

 

ボーイがトレーナーを下の名前で呼んでいるのだ。まあ自分のトレーナーを下の名前で呼んでいるどころかあだ名のようなもので呼んでいるボーイなら何ら不思議なことではないが。

 ボーイは答える。

 

 

「本人が許可してくれたからな!それに名前呼びの方が親しみがあるだろ?」

 

 

「まあ本人が許可してるならええと思うけど」

 

 

 何とも言えない気持ちになるが、トレーナーは年下に名前で呼ばれたところで気にするような性格でもないだろう。考えるだけ無駄なのかもしれない。

 とりあえず返却予定の雑誌を預かる。そのタイミングで朝のHRの開始を告げるチャイムが鳴った。会話を切り上げて先生が来るのを待つ。

 ボクの頭の中には1つの考えが浮かんだ。

 

 

(今度急に名前呼んでみて反応見るのもええかもしれんな)

 

 

 ちょっとした悪戯心が芽生えた。今日もトレセン学園での1日が始まる。




史実のマルゼンスキーの戦績をみてなんだこの化け物……ってなったのは自分だけじゃないはず。


※有馬記念を有マ記念に修正 7/30


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第38話 決意再確認

水着ゴルシも水着マックイーンも当てられない敗北者は私です。


 季節は12月を過ぎた頃、有マ記念への出走も決定したということでボクは練習にいつも以上の気合を入れて臨んでいる。今は走り込みの練習中。走りながらボクは今回の有馬記念のメンバーについて考えていた。

 今回出走するメンバーは天皇賞を制したウマ娘やボクたちと同世代で桜花賞とオークスを勝ちダブルティアラを手にしたウマ娘も出走を表明している。当たり前のことだが錚々たるメンバーが今年も集まっている。ただその中でも特に負けられないのが1人だけいた。トウショウボーイである。

 

 

(菊花賞の勝ちは天に恵まれとっただけや……。純粋な力勝負ではまだ一度も勝ててへん)

 

 

 ボクがボーイに先着したのは菊花賞の1回のみ。それに対してボーイは皐月賞とダービーでボクに先着している。1勝2敗。負け越しているという現状、出走するウマ娘の中でも特にボーイにだけは負けられないという気持ちが強い。

 その気持ちが前面に押し出しすぎていたのか、トレーナーからの声が飛んできた。

 

 

「テンポイント!気合入れるのはいいがペースが速すぎるぞ!少し落ち着け!」

 

 

 言われて気づいた。まだそこまで走っていないと思ったら結構な距離を走っていたのだ。どうやら思考に没頭するあまり自分が想定したペースよりも速いペースで走っていたらしい。そのためボクはペースを下げる。ペースを下げたことを遠目で確認したらしいトレーナーは視線を落として資料とにらめっこしていた。今もボクが有マ記念で勝つための作戦を考えているのだろう。難しい顔をしながらああでもない、こうでもないといった様子で首を傾げながら考えている様子が走りこんでいる最中でも見える。

 やがて予め決めていた時間が経ったようでトレーナーがこちらへと声を掛けてくる。

 

 

「クールダウンだ!徐々にスピードを落としていけ!」

 

 

 その声とともにボクは走るペースを徐々に緩めていき、最後には歩いてトレーナーの下へと戻っていった。その後は軽いストレッチをして身体をほぐしていく。

 ストレッチが終わった後、トレーナーはこちらにタッパーを差し出してくる。中身が分からないのでボクは質問する。

 

 

「トレーナー、なんやこれ?」

 

 

「レモンのはちみつ漬けだ。ベタだが変に奇をてらうよりはいいだろ?」

 

 

 そう言いながらトレーナーはタッパーを空ける。そこにはごく普通のレモンのはちみつ漬けがタッパーに詰まっていた。ボクはタッパーを受け取り口をつける。疲れた身体に栄養が行き渡る……感じがする。実際のところはよく分からないが疲れが取れていくのは感じられた。

 そのまま食べているとトレーナーはこちらへと質問を飛ばしてきた。

 

 

「テンポイント、途中で走るペースを上げていたがトウショウボーイのことでも考えていたのか?」

 

 

「な、なんで分かったん?」

 

 

 思わず食べているレモンを落としそうになったがギリギリのところで踏ん張れた。トレーナーはなぜ分かったのかを教えてくれた。

 

 

「いつも冷静なお前が決められたペースを逸脱する時は気持ちが前に出すぎている時だ。で、お前が一番意識しそうな相手と言えばトウショウボーイだ。有マ記念も近いし、今んとこ負け越してるからな、次は勝ちたいっていう気持ちが出てもおかしくない。違うか?」

 

 

「……まぁ、合っとるけど。なんか癪やわ」

 

 

「なんでだよ」

 

 

 ピタリと当てられたので少し面白くない。トレーナーは続けて質問してきた。

 

 

「そういえば、お前たちっていつ頃から仲が良いんだ?」

 

 

「それってボーイたちのことか?やったら入学してそんなに経っとらん時やな」

 

 

 特にボーイは当時から目立っていたのでよく覚えている。するとトレーナーは興味が出てきたのか

 

 

「もう練習も上がりだし、良かったらお前とトウショウボーイが出会った時の話をしてくれないか?少し興味が出てきた」

 

 

と頼んできた。別に特別なことではないのでボクは了承する。

 

 

「ええよ別に。アレは確か入学してすぐのホームルームやったか……」

 

 

 言いながらボクは当時のことを思い出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 入学式も終わり、それぞれに割り当てられたクラスで自己紹介をしている。ボクの番が来たので席を立ち自己紹介をする。

 

 

『テンポイント言います。趣味は毎朝新聞を読むことです。仲良うしてくれると嬉しいです』

 

 

 特に奇をてらおうなどとは思っていなかったので自分の趣味を答えて席に座る。拍手がまばらに響いていた。

 そのまま自己紹介は進んでいき、ボクの隣に座っていた奴の番になる。そいつは名前を呼ばれると元気よく答えながら席を立った。

 

 

『ハイッ!』

 

 

 まず思ったのは横顔を見る限り人懐っこそうな顔をしているな、と思った。そしてそのままそいつの自己紹介が始まる。

 

 

『オレはトウショウボーイ!好きなのは走ることと人の笑顔!後困ってる人は見過ごせないから趣味は人助け!みんなよろしくな!』

 

 

 思わずボクは疑ってしまった。まさか人助けが趣味だということを平然と言ってのける人物がいるとは思わなかったからだ。しかし顔を見て見ると冗談ではなく本気で言ったということが分かる。

 その時はただこんな奴もいるんだな、としか思わなかった。だがそいつは席に座ると人懐っこい笑みを浮かべたままこちらへと話しかけてきた。

 

 

『これからよろしくな!』

 

 

『あ、あぁ、うん。よろしゅう』

 

 

 思わずたじろいだが普通の反応だったはずだ。これがボクとトウショウボーイのファーストコンタクトである。

 ……と終わりたいところだが、そうはいかなかった。入学式ということでその日はホームルームだけで終わる予定だった。ボクは寮に戻って荷解きの続きに入ろうと思っていたので手早く帰り支度を済ませてそのまま教室を出ようとする。しかしボクの腕は何者かに掴まれてしまった。誰だと思い手が伸びている方向へと視線を向けるとトウショウボーイがボクの腕を掴んでいた。先程の自己紹介と同じような笑顔を浮かべて。

 

 

『あの、なんか用です?ボク早う帰りたいんですけど』

 

 

 ボクがそう質問すると彼女は腕を掴んだまま答える。

 

 

『改めて自己紹介をしようと思ってな!オレはトウショウボーイ、好きなように呼んでくれ!』

 

 

『……テンポイント』

 

 

 あまりの圧に気圧されながら名前だけ答える。すると彼女は腕を離して話を続ける。

 

 

『テンポイント……ならテンさんだな!お隣さん同士仲良くしようぜ!』

 

 

 そう言って風のように去っていった。一体何だったのだろうか?そう思っていると彼女は似たようなことをクラスのみんなにやっていた。さすがに全員ではなかったが次の日登校していたらやっていない子にも同じようなことをやっているのを見た。なんていうか、嵐のような奴だと思った。

 席が隣同士ということもあり、トウショウボーイはよくボクに絡んできた。そして絡んでくる彼女を邪険に扱うこともできず、律儀に反応する。そのやり取りを繰り返しているうちにボクらは自然と仲良くなっていった。そして彼女と関わっていくうちに彼女がとくにちょっかいを掛けていたグリーングラスとクライムカイザーとも仲良くなり、今の関係に至っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……と、まあこんな感じやな」

 

 

「入学当時から変わんねぇんだなトウショウボーイは」

 

 

「まあそれがボーイのええとこやからな」

 

 

 トレーナーは苦笑いをしている。まあまさか全員初めましてのホームルームで人助けが趣味と自己紹介する人物など見たことも聞いたこともないだろう。

 トレーナーはまた質問をしてくる。

 

 

「じゃあそうだな……トウショウボーイをライバルとして意識しだしたのはいつ頃なんだ?」

 

 

 ボクは顎に手をやって考える。

 

 

「特に意識しだしたんは皐月賞から後やけど、こいつがライバルになるんやろなって最初に思うたんは初めのレース実技の授業やろうな」

 

 

 トレーナーはボクの話に耳を傾けている。ボクは言葉を続ける。

 

 

「試しに走ってみることになったんやけど、そん時の走りを見て直感的に思うたんよ。あぁ、こいつにだけは負けたないってな」

 

 

「やっぱそういうのって直感的に感じるものなのか?」

 

 

「せやな。ホンマに直感的に分かるんよ」

 

 

 実際それまでは友達程度の認識だったのにいざ走りを見て見るとボーイにだけは負けたくないという気持ちが湧いてきた。我ながら不思議なものである。

 その後は主に学業についての話になった。トレーナーが質問してくる。

 

 

「お前たち4人って成績いいよな。いつも成績上位に入ってるって聞いてるぞ」

 

 

「まあせやな。ボクらでたまに勉強会したりするけど基本分からないことだけ質問する感じでただ黙々と進行するだけやし」

 

 

「本当の意味での勉強会ってことか……。学生なんかは毎回遊んでしまうって聞いているが」

 

 

「トレーナーはどうだったん?」

 

 

「俺は基本教える側だったからな。赤点とってもいいのかって脅して勉強させていた」

 

 

 どうやらトレーナーも成績上位側だったらしい。ライセンスを取れるぐらいだから頭がいいのは当たり前なのだが。

 そうして話していると結構な時間が経っていたようで帰る時間が迫っていた。話を切り上げてトレーナー室へと戻る。部屋に戻るとトレーナーがこちらに紙の束を渡してきた。中身を確認すると有マ記念に出走が決定しているウマ娘のリストだった。気をつけるべきポイントやどういったレースの展開が得意かなどが要点良く纏められている。

 トレーナーがボクに告げる。

 

 

「今回の有マ記念の出走者のリストだ。これを渡しておく。俺の主観での話も多いが気をつけるべき点などが書いてあるから目を通しておいてくれ」

 

 

「ん、了解や。やけど、結構大変やったんやないか?」

 

 

「大丈夫だ。これも有マ記念で勝つためだからな。役立ってくれると嬉しい」

 

 

 そう言ってトレーナーは笑顔を浮かべる。その笑顔を見てボクも笑顔を作りながら感謝をする。

 

 

「あんがとなトレーナー!しっかり見とき?有マ記念絶対勝ったるからな!」

 

 

 その笑顔の裏でボクは考え事をしていた。

 ……トレーナーは最近他のトレーナー間でよくない噂が流れているのをボクは知っていた。将来有望なウマ娘の才能を潰したダメトレーナーといった評価を下されていることも。それはボクが負けたことが絡んでいるのだろう。だが、それはボクのせいでもある。彼1人だけにその評価が下されるのはあんまりじゃないだろうか。少なくとも、ボクにとっては良いトレーナーなのだ。

 だからこそ、今度の有馬記念は勝たなければいけない。トレーナーはダメではないということを証明するために。そう胸に誓ってボクは寮へと帰っていく。

 寮に帰って渡された資料に目を通していると最後のページにはトレーナーの字でボクに対する励ましのメッセージが書かれていた。

 

 

【有マ記念お前なら勝てる!頑張るぞ!】

 

 

 そのメッセージにボクは思わず頬が緩んでしまった。そしてより一層気合が入りながらも、もういい時間なので眠りにつく。

 年末の決戦、有マ記念は近い。




ガチャに負けたので写真集を見て癒されます。
この前の生放送では新ウマ娘が盛りだくさんでしたね。実装が待ち遠しいです。


※有馬記念を有マ記念に修正 7/30


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第39話 負けないために

初めてのレース描写2回分け。


 12月の半ば、ボクは今中山レース場の選手控室で有マ記念に出走するための準備をしている。パドックでのパフォーマンス、トレーナーとの作戦の打ち合わせも終えて今は1人レースに向けて集中力を高めている。

 今回の有マ記念、どうしても負けられない理由がある。それは今年の自分のレースの不甲斐なさが関係している。5戦5勝で迎えた皐月賞はボーイに追いつくことができずに2着。続くダービーは7着でレース中の落鉄に加え骨折による療養。京都大賞典はシニア級との混合だったとはいえ3着。しかも1着は自分と同じクラシック級ウマ娘だったのが余計に悔しかった。なんとしてでも挽回したかった菊花賞は自身の油断からグラスに差し切られて2着。皐月賞の前走であるスプリングステークス以降勝ち星が遠ざかっている。正直な感想を言うと、自分が不甲斐なかった。

 そしてジュニア級の成績から一転、今年のボクの成績の落ち込みように付随するように雑誌の記者からは色々な質問をされるようになった。やれ負けた原因はトレーナーにあるんじゃないか?だの、やれ作戦が悪かったんじゃないか?だの、挙句の果てには練習内容に物申してくるような記者までいた。テレビのコメンテーターからは

 

 

『テンポイントも強いがトウショウボーイはもっと強い。テンポイントはトウショウボーイに勝つことはできない』

 

 

などと言われる始末だった。

 悔しくて仕方がなかった。トレーナーは他人が下した評価なんて気にするなと言っていたがそれでも気になるものは気になるのだ。思わずボクはトレーナーに悔しくはないのかと聞いたこともある。するとトレーナーは悔しそうな表情を浮かべた後、

 

 

『俺だって悔しいさ。本当ならトウショウボーイにだって負けないお前を勝たせてやれない自分に苛々する。けれど、一度他人が下した評価を覆すには結果を出すしかない』

 

 

そうボクに答えた。トレーナーも悔しい思いをしているのだということが分かった。

 トレーナーにそう思わせてしまった自分が情けなかった。悪いのは不甲斐ないレースをしたボクであってトレーナーはいつだって最善を尽くしてくれていた。それに応えられなかったのはボクだ。

 だが、それも今日で終わりだ。調子は良好、対戦相手の情報もしっかりと頭に入れてある。

 

 

(大丈夫……大丈夫や……。やることはやった、後は勝つだけ……)

 

 

 そろそろ入場の時間が迫ってきたので地下バ道を通ってレース場へと向かう。絶対に勝つ、そう胸に誓いながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 中山レース場に出走前のファンファーレが轟く。ファンファーレの音とともに実況・解説のマイクが会場へと聞こえてきた。

 

 

 

 

《さぁ天気は太陽が顔を出している晴れ模様。芝の状態は良と発表されています中山レース場。今からこの会場で今年のトゥインクルシリーズの総決算、有マ記念がスタートしようとしています。今年も選ばれし優駿たちが続々と中山のターフへと姿を現してきています!》

 

 

 

 

 実況のその言葉通りに続々と出走するウマ娘たちが入場してきている。各々ターフの上で準備運動をしており、気合を入れていた。

 

 

 

 

《各ウマ娘ゲートに入っていきます。それでは3番人気のウマ娘の紹介から入りましょう。3番人気は7枠12番テンポイント!》

 

 

《今年はクラシックの冠こそ逃していますがダービーを除いて掲示板を外したことはありません。パドックでも気合十分、好走が期待できますね。ライバルであるトウショウボーイとは1勝2敗、ここは何としてでも勝ちたいところでしょう》

 

 

《続いて2番人気の紹介に移りましょう。2番人気は2枠2番エリモジョージ!》

 

 

《今年の天皇賞・春では12番人気という低評価を覆しての優勝。しかしトレーナーからは稀代の癖ウマ娘と称されている彼女。果たして今日はどのようなレースを展開するのか?あらゆる意味で期待ができるウマ娘です》

 

 

《それでは1番人気のウマ娘の紹介です!1番人気は8枠13番トウショウボーイ!》

 

 

《今年のクラシック戦線は初戦の皐月賞を優勝。ダービーは2着、菊花賞は距離不安と重バ場に泣き3着。しかし今日は絶好の良バ場に加えて距離不安もなし。天を駆けるとまで言われたその走りを今日も見せてくれるか?》

 

 

 

 

 ウマ娘が全員ゲートへと入り、出走の刻を待つ。先程までざわついていた観客席の声も静まり返った。実況の声だけが会場に響く。

 

 

 

 

《ウマ娘全員がゲートへと入りました。トゥインクルシリーズを締めくくる総決算ともいえる有マ記念。様々な伝説が生まれたこのレースで今日は一体どのようなドラマが生まれるのか?有マ記念が今……スタートです!》

 

 

 

 

 ゲートが音を立てて開く。有マ記念が始まった。

 

 

 

 

《始まりました有マ記念、まずはスピリットスワプスがハナを進みます。外にはトウショウボーイ、内を回ってコクサイプリンスが先頭に立とうと必死になっていますがスピリットスワプスが先頭です。内からコクサイプリンスが絡みにいきますその後ろにはエリモジョージが2バ身差で3番手につけています。1周目の第4コーナーを回って4番手はテンポイントその後ろにグレートセイカン。トウショウボーイは6番手中団の外につけています》

 

 

《逃げウマ娘が3人もいるこのレース、序盤からハイペースになる様相を見せていますね。最後まで持つといいのですが》

 

 

《コーナーを回って1周目のスタンド前へと入っていきました先頭はスピリットスワプス。内にはコクサイプリンスその差は1バ身。3番手にはエリモジョージと4番手のグレートセイカンが先頭に立とうとペースを上げています。グレートセイカンの後ろテンポイントは展開を窺うように内に潜んでいる。テンポイントの後ろにハクバタローその外にはトウショウボーイも上がってきている。どうでしょうか?この展開》

 

 

《逃げウマ娘と先行のウマ娘にとっては厳しい展開ですね。逆に差しや追い込みのウマ娘にとっては有利ともいえるでしょう。最後の直線でスタミナを残すことができるかが勝負の分かれ目になると思います》

 

 

《成程。おっと各ウマ娘第1コーナーを回っていきます。先頭は依然としてスピリットスワプス。そこから2バ身開いて内にコクサイプリンス、外に1バ身差でエリモジョージが3番手につけています。エリモジョージのさらに外4番手はグレートセイカン。5番手にトウショウボーイがつけています。1番人気トウショウボーイは先頭から5番手の位置につけている。そしてその内をテンポイントがピッタリとマークしています!》

 

 

《テンポイントは今まで同様トウショウボーイをピッタリとマークする作戦のようですね。それに今回は菊花賞の時のように好位置につけています。あの時のように先着することができるでしょうか?》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゲートが開いた瞬間、ボクは絶好のスタートを切ることができた。いつものように前で走りボーイが前に来るようならピッタリとマークする、来ないならそのままのペースを維持する。作戦自体は変わらないがこれが今のボクに打てる最善手だ。無理に作戦を変えたりはしない。

 ただ油断はしない。最後の直線での脚とスタミナをしっかりと残しておくことを心がける。というのも、今回の有マ記念ではトレーナーから渡された資料にハイペースな展開になるという予想が立てられていたからだ。トレーナーは控室で作戦のおさらいをしている時にこう言っていた。

 

 

『今回のレースはスピリットスワプス・グレートセイカン・エリモジョージ。逃げウマ娘が3人もいる。この3人は自分がペースを握るために何としてでもハナを取りに来るはずだ。だから序盤からハイペースになると思われる。それに付き合っていたら共倒れしかねない。どれだけ離されても自分のペースを維持することを心がけてくれ』

 

 

 実際に今はかなりのハイペースでレースが進んでいる。ボクはスタートを切ったタイミングでは前の方につけていたが、前のウマ娘が自分がペースを握ろうと躍起になっているのかかなり飛ばしているのが分かった。それに無理に付き合うことはせず、内の方で脚とスタミナを残すために様子を窺う。すると外から上がってくるウマ娘がいた。

 ボーイだ。第1コーナーの手前辺りでボーイがボクの外から上がってきていた。姿を確認したボクはボーイの後ろにピッタリとつける。我ながら菊花賞の時のような好位置につけることができた。

 

 

(この位置をキープ……。そして最後の直線で溜めた脚を使う!)

 

 

 ボクは冷静にレースの展開を見極める。まだ序盤、頭と心を落ち着かせていこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《……レースの最後方では3人のウマ娘が固まっています。内にアイフル外にヤマブキオー最後方はタイホウヒーローです。先頭は第2コーナーを回って向こう正面に入ろうとしている。先頭は依然としてスピリットスワプス!その後ろ2番手の位置にエリモジョージがつけている。先団グループは固まってきました。っと!?ここでエリモジョージがスパートを決めて先頭を無理矢理奪いに来た!エリモジョージが先頭だ!向こう正面中間でエリモジョージが先頭!外からグレートセイカンが回ってきて2番手、スピリットスワプスは3番手に後退したところで1000mを切りました!先頭3人から3バ身離れた位置に4番手トウショウボーイそれにピッタリつけるようにテンポイント!》

 

 

《なんとしてでも先頭を取りたいとレース前に意気込んでいる様子が見られましたエリモジョージ。しかしちょっとスタミナを使いすぎたかもしれません。加えてグレートセイカンとスピリットスワプスを振り切るためにかなりの脚を使いましたからね。最後まで持つでしょうか?それとは対照的にトウショウボーイとテンポイント、クラシック級の2人はかなり落ち着いてレースを展開していますね。自分の走りができています》

 

 

《序盤から激しい先頭争いに加えてかなりのハイペースで進んでいます有マ記念!一体どのような結末を迎えるのか!?最後まで目が離せません!》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第2コーナーを回って向こう正面に入った。ボクは依然としてボーイの後ろにピッタリとつけるようにマークしている。順調だ。あまりにも。

 

 

(やけど、ここから何が起こるか分からん。しっかりと展開を見極めんと)

 

 

 一瞬でも判断を見誤ったら負ける。そう思いさらに神経を研ぎ澄ませる。

 勝負は第3コーナーへと入っていった。




有マ記念を有馬記念とそのまま書いてしまったという大ポカに今日気づきました。目につく範囲は修正済みですが抜けがあるかもしれません。
それと25話、日本ダービーでのテンポイントの骨折の原因について少し訂正しました。やっと資料が出てきたので。


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第40話 背中は遠く

有マ記念決着回。


 12月半ばの中山レース場。会場は熱気に包まれていた。トゥインクルシリーズの総決算ともいえる有マ記念。その決着がもうすぐ着こうとしている。

 観客席からはそれぞれ自分が応援しているウマ娘への声援の声が絶え間なく響いている。

 

 

 

 

《各ウマ娘が第3コーナーのカーブへと入っていきます!先頭はエリモジョージ1バ身のリードを取っている!しかし外からトウショウボーイが2番手に上がってきました!外から2番手へと上がってきているぞ!テンポイントは内から3番手の位置!しかし3番手は固まっています!テンポイントの外にはグレートセイカン!しかしグレートセイカンは体力が尽きたかズルズルと後退していく!》

 

 

《序盤の先頭争いがこの第3コーナーで響いてきましたね。何とか粘りたいところですが難しいところ》

 

 

《そして第3コーナーから第4コーナーへと差し掛かる!先頭は依然としてエリモジョージ、エリモジョージ踏ん張っている!外からトウショウボーイが2番手の位置!スパートをかけるようにペースを上げてきている!エリモジョージとの差1バ身をグングン縮めていっている!内にはエリモジョージの後ろの位置にテンポイントがいます!外からは今世代のダブルティアラウマ娘テイタニヤが来ているぞ!有マを制するのは一体どの子になるのか!?》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ベストポジションをキープしたままボクは第3コーナーを回ることができた。脚も残っている、スタミナも十分だ。この調子でいけば捲ることができるだろう。後はどのタイミングで仕掛けるかだ。すると第3コーナーと第4コーナーの中間あたりでボーイの奴がペースを上げる。

 

 

(やったら、ボクもそれに着いて行くまでや!)

 

 

 ボーイがペースを上げるのとほぼ同時、ボクも仕掛けるようにペースを上げる。幸いボクの周りにいた子たちはみんな力尽きたのか後退していき中団で展開を窺っていた他の子たちが上がってきている。そして力尽きたのは周りの子だけでなくボクの目の前にいるエリモジョージ先輩もその1人だろう。明らかに脚が残っていない様子を見せていた。先程の直線で無理矢理ハナを取ったのが今になって響いてきたのかもしれない。このまま走れば第4コーナーを過ぎるまでもなく力尽きて下がっていくはずだ。そうなると先輩は外にヨレるはず。その瞬間、先輩と内ラチの間を抜けるように仕掛けていこう。内から残った脚でスパートをかける。そうすれば勝てる。

 

 

(勝てる……!こんまま行けば勝てる……!)

 

 

 ボクはそう確信し、内から仕掛けていく。勝利は目前だ。

 ……だが、計算外のことが起こってしまった。ボクの前を走るエリモジョージ先輩が思ったよりも早く沈んできてしまったのである。加えて外にヨレることなく後退してきているのだ。そのことにボクは焦る。

 

 

(アカン!内から抜ける前提のペースやったからこのままやと激突する!先輩と内ラチの間は狭すぎて通れん!ペースを下げて外回らんと!)

 

 

懸命に粘ってこそいるが先輩のペースは徐々に落ちてきている。このままいけばボクは先輩との激突は免れないだろう。仕方がないが外へと回るためにペースを一旦下げ、先輩を外から交わしてボーイを追いかける。

 この瞬間、ボクは自分の作戦の失敗を悟った。ただでさえ追いかける展開な上にペースを下げたこと、先輩とボーイの間を抜けることもできず、ボーイよりもさらに外を回っていることへの不利がボクにのしかかってくる。

 その時、ボクの心に湧き上がったのは敗北、その二文字だった。

 

 

(負ける……?また、ボクは負けるんか……?)

 

 

 その考えを振り払う。確かに状況は絶望的だがまだ勝てる。そう思いボクは今まで溜めていた脚とスタミナをこの直線で全て使い果たす勢いでボーイを猛追する。

 

 

「アアアァァァァアアッ!」

 

 

 思わず声が出た。普段のボクなら絶対に出さないような咆哮が思わず口から出た。ボーイとの差を縮めていく。

 負けられない。トレーナーのためにも、ボクのためにも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《……勝負は第4コーナーのカーブへと入っていきます!第4コーナーのカーブ残り400mを切りました!天皇賞ウマ娘エリモジョージが必死に粘っている!しかし第4コーナーを越えて最後の直線へと入ろうかというところで皐月賞ウマ娘トウショウボーイがエリモジョージを交わして先頭に立った!先頭はトウショウボーイ!だがエリモジョージも懸命に粘る!テンポイントは内から行こうとしたが無理だと判断したのか外へと回る!最後の直線に入って先頭はトウショウボーイ!2番手はエリモジョージ、3番手にはテンポイント!テンポイントが外から突っ込んでくる!テンポイントのさらに外後方からヤマブキオーが凄い勢いで上がってきている!》

 

 

《テンポイントこれは失敗したかもしれませんね。内ラチ沿いに抜けていこうと思っていたのかもしれませんが前を走るエリモジョージと内ラチの差がなかったために外を回らされました。これがどう響くか?そして中団と後方にいたウマ娘たちが一気に上がってきています》

 

 

《さぁトウショウボーイが完全にエリモジョージを交わして先頭に立つ!エリモジョージすでに力尽きたかズルズルと後退していっている!トウショウボーイを追従するようにテンポイントが2番手の位置に上がってきた!2番手にはテンポイント!テンポイントがトウショウボーイを追う!果たして間に合うのか!?テンポイントがトウショウボーイを必死に追う!大外からヤマブキオーと天皇賞・秋の覇者アイフルが突っ込んできた!3番手の位置まで上がってきた!果たして勝負の行方は!?》

 

 

 

 

 中山レース場の熱気は最高潮に達そうとしていた。先頭2人、トウショウボーイとテンポイントの争いを食い入るように見ながら声援を飛ばしている。

 

 

「逃げ切れー!トウショウボーイー!」

 

 

「負けないでー!テンポイントー!」

 

 

 有マ記念の決着はすぐそこまで迫っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ボクはもはや何も考えられないほどがむしゃらに走っている。ボーイとの差はもう1バ身と1/2まで迫ってきていた。でも、そこから先をどうしても埋めることができない。

 けれどまだだ、まだ追いつける。そう思いながら必死に脚を動かす。

 だが、現実は非情だった。その1バ身と1/2の差が縮まることはなく、ボーイはボクの目の前でゴール板を駆け抜けていった。遅れてボクもゴールする。

 肩で息をしているボクに実況の声が届いた。

 

 

 

 

《……トゥインクルシリーズの総決算、有マ記念を制したのはトウショウボーイ!トウショウボーイだ!昨年に続いてクラシック級ウマ娘がこの有マ記念を制しました!テンポイント必死の猛追も届かず2着!しかしクラシック級ウマ娘によるワンツーフィニッシュは史上初!この世代の強さを証明しましたトウショウボーイとテンポイント!3着はテンポイントから2バ身遅れることアイフル!》

 

 

《テンポイントも最後の直線では見事な走りだったのですが……。やはり第4コーナー手前での判断ミスが響いてしまいましたね。あれさえなければあるいは……といった走りだったのですが。次のレースでは頑張ってほしいですね》

 

 

《おや?掲示板のタイムの文字が……赤く点灯しています!?なんとトウショウボーイレコードタイムでの勝利です!過去スピードシンボリが記録したタイムから1.1秒縮めました2分34.0秒!なんという強さだ!?未だこのウマ娘の底が見えませんトウショウボーイ!》

 

 

 

 

 そうだ、第4コーナーでのあのミス。あのミスが最大の敗因だった。内から抜くことに固執しなければ、早く外を回っていれば。そうすれば1着を取っていたのはボクだ。ボクだったはずだ。

 しかし、いくら後悔しても時間が巻き戻ることはない。掲示板にはボクの番号が2着の位置にあるのが見える。

 せめてあの時、先輩がもう少し外にヨレてくれれば……。そんな考えが頭をよぎった瞬間、ボクは自分自身に対して叱責する。

 

 

(なんでボクは……、相手が勝手に避けてくれることに期待しとんねん!?)

 

 

 どんなレースであれ、皆死に物狂いで勝ちに来ている。確かにスタミナが切れて辛かったかもしれない。だが、だからといって他の子に勝ちを譲るようにそのまま素直に下がるような、進路を譲るようなウマ娘はいない。5着よりも4着、1つでも上の着順へと至るために皆走っている。ボクだってそうだ。

 自分の浅はかな考えに嫌気がさす。目から涙が溢れそうになったそんな時、ふと顔を上げたボクの目に入ったのはボーイの姿。彼女は応援してくれた観客席に向かって手を振っている。その顔はとびきりの笑顔だ。

 するとボクの視線に気づいたのか、ボーイはこちらへと近づいてくる。そして手をこちらへと差し出して握手を求めてきた。ボーイはこちらへと賛辞の言葉を贈ってきた。

 

 

「ナイスレースだったぜ、テンさん!一瞬でも判断を間違えたら負けていたのはオレだった。やっぱテンさんは最高のライバルだよ!」

 

 

 勝ったことが余程嬉しいのか目元には涙らしきものを浮かべている。

 ボーイは嫌味を言うような奴ではない。この言葉も本当に心からの素直な賞賛だろう。ボクは涙を必死に堪えながら彼女の握手に応じる。

 

 

「……フン、次はボクが勝つからな。今までの負け分利子付けて返したるからな!覚えとれよ!」

 

 

「何を~?次もオレがぶっちぎってやるぜ!」

 

 

 次のリベンジを誓いながら、ボクたちは会話をする。観客席からは拍手が鳴り響いていた。

 その後はボーイはウィナーズサークルへ、ボクはライブの準備のために地下バ道を通って控室へと戻る。何とか涙が流れるのを耐えることができた。そして控室に入るとそこにはトレーナーが立っていた。

 一体どうしたのだろうか?そう思っているとトレーナーから労いの言葉が贈られた。

 

 

「お疲れ様、テンポイント」

 

 

 その言葉は短い。おそらくだが、ボクを傷つけないようにと考えているためだろう。

 だからこそ、ボクも彼を心配させないようにできる限り平静を装って言葉を返す。

 

 

「ん、あんがとな。いやー、また負けてもうたわ!」

 

 

「……」

 

 

 トレーナーは何も言わない。ボクは言葉を続ける。

 

 

「トレーナーもあんだけ協力してくれたのに、ホンマ申し訳ないわ!スマン!」

 

 

「……テンポイント」

 

 

 手を合わせて謝るボクにトレーナーがボクの名前を呼んだ。ただボクはそのまま言葉を続ける。

 

 

「ホンマ、あんだけ頑張ったのに……頑張ったのに……」

 

 

 そこが、ボクの限界だった。今まで涙を流すのを耐えていたのに、耐えきれなくなってきた。目から涙が溢れてきそうになる。しかしボクは涙が流れないように必死に堪えた。そんな僕の姿を見てトレーナーは優しい口調で言葉をかけてきた。

 

 

「無理をするな。泣きたいときは泣け。我慢する必要はない、もし俺が邪魔だったら部屋から出ていこう」

 

 

「……ッ!」

 

 

 その言葉に、ボクの中の何かが外れた。部屋から出ようとしたトレーナーの袖を掴む。トレーナーはこちらへと振り向いた。ボクはトレーナーの胸を借りて、子供のように泣いた。泣きじゃくる。

 

 

「ボク……ボグ!あんなに頑張ったのにッ!トレーナーもッ、トレーナーもあんなに頑張ってくれとったのにッ!なんで負けてもうたんやッ!?」

 

 

「……」

 

 

「トレーナーが、最近悪いことばっか言われとったから、勝ちたかったのにッ!勝てば……、みんなトレーナーのこと分かってくれる思うてたのにッ!みんなに……、みんなに見返すええ機会やったのにッ!」

 

 

 トレーナーはただ黙ってボクの言葉に耳を傾けているだけだ。ボクは涙声になりながら言葉を続ける。

 

 

「なんでやッ!なんで、なんでボクはあんな判断ミスをしたんやッ!なんで肝心な時に負けてしまうんやッ!?」

 

 

「……俺の力が足りないばかりに、お前に悔しい思いをさせてすまない。テンポイント」

 

 

「違う……ッ!違うッ!トレーナーは悪ないッ!悪いんは……ッ、悪いんは……ッ!」

 

 

 そこまで言って、ボクは大声で泣き叫ぶ。トレーナーのスーツはボクの涙で濡れていたが、そんなことは関係ないとばかりに泣きじゃくる。

 有マ記念、絶対に勝つという覚悟で挑んだこのレース、結果は2着とボクにとっては一生忘れられないレースとなった。そしてこのレース以降、ボクは世間から<悲運の貴公子>と呼ばれるようになる。




クラシック編も、もうすぐ終わり。


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第41話 クリスマスパーティの準備

後数話でクラシック編が終わる予定です。


「クリスマスパーティ?」

 

 

「そう!明日やろうと思ってんだけどさ、テンさんも来ねぇか?」

 

 

 有マ記念から数日が経ち、トレセン学園の終業式を明日に控えた今日ボーイからそんな提案をされた。時間はすでに下校時刻であり、クラスには生徒たちがまばらに残っていた。

 興味があるのでボクは鞄に教科書類をしまう作業を止めてボーイに詳細を聞く。

 

 

「具体的には何するん?」

 

 

「別に凝ったことをする予定はないぜ。みんなでご飯食べて、プレゼント持ち寄って騒ごうぜー!みたいな感じで考えてる」

 

 

「今んとこの面子は?」

 

 

「他の子は別の友達やトレーナーとやるって断られたから、今決まってるのはグラスとカイザーとクインだな。これからマルも誘おうと思ってる」

 

 

「なんだかんだいつものメンバーやな」

 

 

 いつもと変わらないメンバーだが、それもいいだろう。ボクは参加することをボーイに伝える。

 

 

「ええで、ボクも参加する」

 

 

 するとボーイは笑顔を浮かべて手を握ってきた。

 

 

「ありがとう!終業式は午前中で終わりだからさ、終わったらすぐにみんなでショッピングモールに行ってさ!各々プレゼント買ってこようぜ!」

 

 

「了解了解。嬉しいんは分かったから手ぇ離してくれ」

 

 

「っと、わりぃわりぃ」

 

 

 そう言ってボーイは手を離す。その後鞄を担いで教室の扉の方へと向かっていった。そのまま明日の予定を告げてくる。

 

 

「じゃあ明日!13時にショッピングモール集合な!」

 

 

 ボクは了承の言葉を伝えるとボーイはそのまま教室を出ていった。クリスマスパーティか。

 

 

「そういや聞くん忘れとったけど、どこでやる予定なんや?」

 

 

 どこで開催するのか聞くのを忘れたが、明日の買い物が終わったら連れて行ってくれるだろう。そう思いボクは下校の準備を再開した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして迎えた次の日、終業式も終わって寮へと戻りすぐに出かける準備をする。一応だが寮長に外泊許可証を提出してボクは寮を出た。受理してもらったのを確認した後、待ち合わせ場所であるショッピングモールへと向かう。

 待ち合わせ場所に到着すると、カイザーとクインがすでに着いていた。向こうもこちらに気づいたのか手を振っている。ボクも手を振って応える。

 周りを見渡してもこの2人しかまだいない。ベンチに1人座っているのだが、帽子を深く被っているため顔は分からない。怪しいがボクは2人に話しかけることにした。

 

 

「2人とも早いな。ボクもすぐ出たつもりやったんやけど」

 

 

 ボクの言葉にカイザーは苦笑いで答える。

 

 

「まあ私たちは1人暮らしですから。距離的にも住んでるところが近いってのもありますけど」

 

 

「そうですね。では、テンポイント様が来たのでこれで後はトウショウボーイ様とグリーングラス様だけですね」

 

 

 クインがそう言った時、辺りを見渡すとボーイの奴が遠くに見えた。ボクが手を振るとあちらも気づいたのか手を振ってこちらへと向かってくる。

 こちらと合流してボーイは話始める。

 

 

「みんな早いな!これで後はグラスだけか?」

 

 

「そうですね。後はグラスさんだけです」

 

 

「まあグラスが遅刻なんて考えられへんし大丈夫やろ」

 

 

 ボクの言葉にクインが同意する。

 

 

「そうですね、気長に待ちましょう」

 

 

 その間、ボクはボーイに気になったことを質問する。

 

 

「せや、ボーイ。結局マルは誘えたんか?」

 

 

 するとボーイは残念そうな表情を浮かべる。

 

 

「あー、マルは用事あんだって。今回は無理だってさ」

 

 

 どうやらマルは用事があるから来れなかったらしい。だが用事があったのなら仕方がないだろう。

 グラスを待っている間も他愛もない話をしていたのだが、どんなに待ってもグラスが一向に現れない。さすがにおかしいと思ったのかカイザーが話を切り出す。

 

 

「あの、グラスさんさすがに遅くないですか?もう集合時間ですよ?」

 

 

「そうですね……、グリーングラス様が遅刻なんて珍しい……」

 

 

「なんかあったのかな?もしかして、寝坊とか!?」

 

 

「終業式終わってすぐ言うたのに寝るわけないやろ」

 

 

 そんな会話をしていると、ベンチにいた人物が立ち上がった。そのままボクたちに話しかけてくる。

 

 

「時間になったね~。じゃあ行こうかみんな~」

 

 

「ぐ、グラス!?ベンチに座っとたんグラスやったんか!?」

 

 

 なんとベンチに座っていた人物はグラスだったらしい。顔が分からなかったとはいえ、ボクたちはとても驚く。驚いているボクらを尻目にグラスは自慢げに答える。

 

 

「ふふ~ん、実は誰よりも早く来てました~。パチパチ~」

 

 

 グラスの言葉にカイザーが声を大にして答える。

 

 

「だったら教えてくださいよ!ビックリするじゃないですか!」

 

 

 カイザーの言葉にクインが同意する。

 

 

「そうですよ!本当にビックリしたんですから!せめて一言何か仰ってください!」

 

 

 2人の言葉にグラスは楽しそうに答える。

 

 

「いや~、本当は誰よりも早く着いてベンチに座ってたんだけどさ~、カイザーちゃんとクインちゃんの2人が来たんだけど私に気づいてなかったみたいで~。話しかけようと思ったんだけど面白いからこのまま黙ってようかな~って思ったんだ~。そしたら案の定面白い反応が見れたよ~」

 

 

 どうやらからかい目的であえて黙っていたらしい。結果としてボクら全員が気づかなかったのだから大したものだ。カイザーとクインはグラスに怒りをぶつけており、グラスは平謝りをしている。ボクとボーイはその光景を楽しそうに見るだけだ。

 しかし本来の目的を忘れてもらっては困るためボクはみんなに話しかける。

 

 

「カイザーもクインも、もうその辺にしとき。みんな集まったんや、早うお昼食べてクリスマスパーティ用のプレゼント買いに行こうや」

 

 

 グラスに怒っていた2人もボクの言葉の通りだと思ったのか不承不承ながらも納得した。まだお昼を食べていないためまずはお昼を食べに行った。

 ボクらはお昼を食べた後、各々プレゼントを選ぶために別れた。ボクが来たのはネックレスやイヤリングなどがあるアクセサリーショップだ。

 

 

「普段から身に着けられるし、無難やけどこの辺やな」

 

 

 そう思い、何かいいものはないかと店内を見て回る。そうして店内で商品を探すこと小一時間、よさげな商品を見つけたのでこれにすることに決めた。ボクは商品を持ってレジへと足を運ぶ。無事に買うことができたので店を後にした。

 店から出るとボクは意外な人物の姿を目にした。なんとショッピングモールにトレーナーがいたのだ。ボクは声を掛けようとして、止めた。

 理由は1つ、彼の姿にあった。スーツ姿、まあこれはいいだろう。いつもの格好なのだから。もしかしたらまだ仕事中なのかもしれない。

 だが彼は後ろにリヤカーのようなものを引いていたのだ。後ろにはおそらく彼が買ったであろう商品が大量に積まれている。リヤカー自体も結構な大きさなのに一杯に入っているとなるとかなりの重さになるはずだ。一体どうやって引いていたのだろう?

 ボクが呆気に取られていると、トレーナーが立ち止まっているお店の中から1人のウマ娘が出てきた。アレはテスコガビー先輩だろうか?確か先輩は復帰戦のレースで負けて以降、サポート科へと転科しその後はリギルのサポートをしているとボーイが言っていた。ボーイは先輩がもう走らないことに悲しそうにしていたし、ハダルに所属しているカブラヤオー先輩も1週間は意気消沈していたとカイザーが言っていた。まああんなに素晴らしい走りをしていた先輩がもう走らないとなればその反応も頷けるだろう。だがどうしてトレーナーと一緒にいるのだろうか?

 ボクは2人にばれないように近づいて聞き耳を立てる。周りの客の声などもあるが聞き取ることは可能だ。

 

 

「神藤さん、これで買うものは全部か?」

 

 

「そうだな、後はこれを車まで運ぶだけだ。手伝わせてしまって悪いなテスコガビー」

 

 

「気にしないでくれ、神藤さん。神藤さんにはたくさん世話になっているからな。これくらいお安い御用だ」

 

 

「そう言ってくれると助かる」

 

 

 どうやら何かを買いに来たらしい。テスコガビー先輩はその手伝いのようだ。ボクはそのまま聞き耳を立てる。

 

 

「しかし、こんなに大量の食品を買ってどうするつもりなんだ?後は食器類もそうだ。何をするつもりなんだ?」

 

 

「実はな、お前んとこのトウショウボーイからクリスマスパーティを企画されてな。その場所と料理を俺が提供することになったんだよ」

 

 

「……後でキツく叱っておこう」

 

 

「いやいや、気にしないでくれ。むしろ俺としても嬉しい提案だったよ。楽しいことは大好きだからな」

 

 

「すまない、そう言ってくれると助かる」

 

 

 偶然ではあるが、今日の会場が判明した。どうやらトレーナーのところでパーティをするらしい。しかしそんなスペースあっただろうか?あのプレハブ小屋はトレーナー室の隣はガレージになっているからとても食べるようなところではない。可能性としては2階にある居住スペースの隣の部屋が考えられるがそもそも夜に学園に留まるのは良くないのではないだろうか?

 すごく今更な考えが頭をよぎったところでボクは2人の会話に集中する。

 

 

「良かったらお前も来るか?」

 

 

「せっかくのお誘いありがたいが遠慮しておこう。夜は私も用事があってな。行けそうにない」

 

 

「そっか。なら仕方ないな。お礼はまた別の形でやらせてもらうよ」

 

 

「別に大丈夫なのだが……。律儀だな」

 

 

「手伝ってくれたお礼くらいしないとな。俺の気が済まない」

 

 

「そうか、なら今度は私の仕事を手伝ってもらうことにしよう」

 

 

「おう!どんと任せとけ!」

 

 

 そう言って2人はリヤカーを引いたままどこかへと向かっていった。その後を追いかけることはせずボクはその場に立ち続ける。

 あの2人を見てただこう思った。

 

 

「トレーナーとテスコガビー先輩……相性悪う思うてたけどそないなことあらへんのやな……」

 

 

 ボーイに近い気質のあるトレーナーと生真面目な先輩だと仲は良くないと思っていたのだがそんなことはないようだ。仲が良さそうで羨ましい限りである。

 まあ、

 

 

(トレーナーと1番仲ええのはボクやけどな!)

 

 

と謎の優越感に浸る。本当になんでこう思ったのかは我ながら謎だ。

 プレゼントも決まったということでボクは別れる前に決めた集合場所へと向かう。どうやらボクが一番乗りだったらしい。誰もいなかった。

 それからしばらく待っているとボーイが来た。こちらへと手を振って向かってくる。そのまま話しかけてきた。

 

 

「早いなテンさん、もう決まったのか!」

 

 

「ん、まぁな。最初から目星つけとったからな。後は良さげなものを見繕って終いや」

 

 

「そっかそっか!オレもそんな感じだったんだけど、思ったより時間かかっちまってさ。でも2番目か、他のみんなはまだかかってるみたいだな」

 

 

「せやな。まあ気長に待とか。それはそうとボーイ」

 

 

「ん?なんだよテンさん?」

 

 

 不思議そうな顔をしているボーイにボクは自分が先程聞いた会話のことを問い詰める。

 

 

「さっきトレーナー見かけたんやけど、会場はトレーナーのところらしいやないか。いつ決めたんやそれ?」

 

 

「マジ?誠司さんいたの?そりゃ会って見たかったな」

 

 

「質問に答えや、いつ決めたんや会場ンこと」

 

 

「確か……みんなを誘った後だから~、昨日の放課後だな!」

 

 

 その言葉にボクは呆れる。まあトレーナーもそこまで気にしている様子はなかったし、怒るのはやめておこう。

 

 

「ハァ……、トレーナーやから良かったけど、ホンマやったらもっと前に相談しとった方がええで?」

 

 

 その言葉にボーイは謝罪をするが、彼女からしても受けてくれたことは意外だったらしい。そう言ってきた。

 

 

「まあオレも正直受けてくれるとは思わなかったけどな。もしダメだったらオレの家でやるだけだったし」

 

 

「そうなんか?……まあ本人もそこまで気にしてへんかったからええか」

 

 

「そうそう!細かいこと考えるのは良くないぜ?」

 

 

「お前はもうちょい気にしろや」

 

 

 そんな会話をしているとみんなが戻ってきた。どうやら無事にプレゼントを買えたらしい。みんな揃ったということで今回のクリスマスパーティの会場へと向かおうとしたのだが、まだ時間があったのでみんなでボウリングをして時間を潰すことにした。

 クリスマスパーティ、今から楽しみである。




クリスマスの思い出……、ビックリするほど何も出てこない。


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第42話 パーティ本番

パーティ本番回。


 ショッピングモールで少し遊んだ後、ボクらは学園へと戻ってきていた。ボーイ曰く、トレーナーから指定された場所は学園の校門前だったらしい。しかしあの場所のどこにスペースがあるのだろうか?

 同じ疑問が湧いたのかカイザーが疑問を投げてきた。

 

 

「ボーイさんが言うには校門前に集合らしいですけど……。会場はどこになるんでしょうか?一番可能性が高いのはプレハブ小屋なんですけど……。トレーナー室の隣はガレージだって前に言ってましたよね?他に開いている場所なんてありましたかね?」

 

 

 その疑問にグラスが自身の推測で答えてきた。

 

 

「まあさすがに~あのプレハブ小屋じゃないんじゃないかな~?さすがに6人でパーティってなるとトレーナー室じゃ手狭だろうしね~。空き教室でも学園に借りてるんじゃない~?」

 

 

 トレーナー室は広いことには広いが、6人でパーティをするにはさすがに狭いだろう。棚や全てのものを動かしてあるなら話は別だが。

 クインもその言葉に同意するように会話に加わる。

 

 

「そうですね、神藤様なら学園側に多少の融通は利くでしょうし空いている教室などを使わせてもらえているのかもしれません」

 

 

「まあ、誠司さんならあり得そうだよな」

 

 

 今更な話なのだが学園側に融通を利かせることのできる用務員兼トレーナーとは一体何なのだろうか?ボクのトレーナーながら本当に謎である。

 ボクらは今回の会場がどこになるのかを話し合っていると学園に着いた。すると校門前に1人の人物が立っている。まさか教員だろうか?ボクらは身構える。

 しかしグラスがいち早くその人物に気づいたのか話しかけにいった。

 

 

「あれ~?おきのんだ~。どうしたの~?」

 

 

「お、来たかお前ら」

 

 

 どうやら校門前に立っていた人物はグラスのトレーナーである沖野さんだったらしい。ボクらは安堵する。

 ボクらが安堵していると沖野さんがここにいる理由について話してくれた。

 

 

「俺はお前たちの案内係だ。今日のパーティの会場へのな」

 

 

「へ~そうなんだ~」

 

 

「相変わらず反応薄いなグラス……。まあいい、俺に着いてきてくれ」

 

 

 そう言って先導するように沖野さんは歩き出した。ボクらはそれに続くように歩を進める。

 そして歩くこと数分、着いたのはいつものプレハブ小屋だった。まさか本当にここが会場なのだろうか?ボクは沖野さんに質問する。

 

 

「すいません、ホンマにここで合っとるんですか?この人数でやるには手狭やと思うんですけど……」

 

 

「いや、聞いた話だと1階じゃなくて2階の方らしい。階段を上がるぞ」

 

 

 沖野さんは言いながらプレハブ小屋の横に備え付けてある階段へと向かっていく。そしてトレーナーが居住スペースに使っている部屋……ではなく、その隣の部屋のドアの前へと着いた。

 沖野さんはドアをノックする。すると中からトレーナーの声が聞こえた。そのままドアが開かれる。

 

 

「お、みんな来たようだな。どうぞ上がってくれ」

 

 

 トレーナーの言葉に促されボクらは部屋の中へと入る。

 部屋の中へと入ると、ボクらは思わず感嘆の声を漏らした。

 

 

「わぁ……!」

 

 

「これは……すごいですね、神藤様」

 

 

「俺も今初めて入ったんだが……こりゃスゲェな」

 

 

「いや~ハハハ、驚きすぎて一瞬声が出なかったよ~」

 

 

「スッッッゲェ!これホントに1人で用意したのか!?」

 

 

「いやホンマ、凝り過ぎやろコレ……」

 

 

 部屋の内装を一言で表すならthe・クリスマスと言った内装になっていた。クリスマスの定番でもあるクリスマスツリーに加え、ツリーの下には空箱だろうがプレゼントボックスが置かれている。ツリーを彩るように電飾のイルミネーションが飾られており、ホログラムで火が点いているように見える暖炉、それに加えて豪華な料理が所狭しとテーブルの上に積まれており取り皿も置かれている。

 まさかこれを本当に1人で用意したのだろうか?ボクはいまだに料理を用意しているトレーナーへと話しかける。

 

 

「な、なぁトレーナー?コレホンマに1人でやったんか?」

 

 

「そうだぞ。装飾は昨日の仕事を終わらせた後取り掛かって、今日の朝丁度終わったところだな」

 

 

 その後この部屋の詳しい経緯を教えてくれた。どうやらトレーナーは昨日ボーイからクリスマスパーティの旨を伝えられた後にこの部屋を大改造することに決めたらしい。元々使っていなかった部屋なため後悔はなかったようだ。

 しかしここまで凝る必要はあったのだろうか?そのことを尋ねると

 

 

「どうせやるなら思い出に残るようなものにしたいだろ?」

 

 

とだけ答えた。

 少し気になった沖野さんを誘った人物なのだがどうやらトレーナーが誘ったらしい。確かにボーイと沖野さんに接点はなかったため、誘うとしたらトレーナーだけだろう。

 そんなことを考えているとトレーナーが催促するように言葉を続ける。

 

 

「まあいつまでも立ち話してるのもなんだ。早く食べようじゃないか」

 

 

 その言葉を皮切りにボーイが真っ先に飛びついた。まるで待てをされていた犬である。その姿に苦笑いを浮かべながらも皆思い思いに料理を取りに行く。

 そして全員が料理を皿に取り終わった後、発起人ということでボーイが乾杯の音頭を取ることになる。しかし口元にはソースがついており、すでに何口か食べていたことが伺えた。

 

 

「早く飯が食べたいからごちゃごちゃ言わねぇぞ!みんなかんぱーい!」

 

 

 その言葉にみんなの声が重なる。

 

 

「「「かんぱーい!」」」

 

 

「あ、沖野さん。さすがに酒は用意してないですよ」

 

 

「教え子たちの前で飲むわけねぇだろ!」

 

 

 乾杯の音頭がとられたということでみな料理を食べ始める。たまに作ってもらっているので味は知っているのだが、相変わらず美味しい。

 しかし他のみんなは知らなかったようで口々に賞賛の声を上げている。

 

 

「うッッッめぇ!なんだこの料理!?一体どこのお店のやつなんだ!?」

 

 

「本当に美味しいです!神藤さんどこのお店なんですか?」

 

 

「食堂の人たちに手伝って貰った。ただ味付けに関しては俺のオリジナルだからな。気に入ってもらえたようで何よりだ」

 

 

「……たまに思うのですが、神藤様にできないことってあるのでしょうか?」

 

 

 クインはあまりの超人っぷりに驚きを隠せないようだ。しかしトレーナーはそんなことはないと言わんばかりに首を振り答える。

 

 

「俺にだってできないことぐらいあるぞ?例えば海とかはそんなに好きじゃないな」

 

 

「へ~?そりゃまたなんで~?」

 

 

 疑問が浮かんだのだろう。グラスはそう質問した。その質問にトレーナーは特に問題ないとばかりに答える。

 

 

「俺泳げねぇから」

 

 

「そうなのですか?」

 

 

 クインは驚いている。それはそうだろう。つい先程まで超人だと思っていた人物の意外な弱点が浮き彫りになったのだから。トレーナーは言葉を続ける。

 

 

「昔っから泳ぎだけはどうしてもダメでな。浮かぶとか歩くぐらいはできるが泳ぐなんて絶対に無理だ」

 

 

「それはなんというか、意外ですね」

 

 

 カイザーはそう答える。カイザーの言葉を聞いてトレーナーは言葉を続けた。

 

 

「まあ誰にだってできないことの1つや2つあるさ。それが俺にとっては泳ぎだっただけだ。後は虫もそんなに好きじゃない」

 

 

「そっちはなんでだ?」

 

 

「昔虫取りをしていた時の話だ。子供の俺は罠を仕掛けて虫を捕まえに行ったんだが……。そこでとんでもない目にあったんだ」

 

 

 そう言った瞬間トレーナーは身震いをした。一体何があったのだろうか?ボクは質問する。

 

 

「い、一体何が起こったんや?」

 

 

 意を決したようにトレーナーは言葉を続ける。トレーナーの口から出てきた言葉はボクらの想像を絶していた。

 

 

「……俺の気配に気づいたのか、罠に掛かっていた虫が一斉に俺に向かって飛んできた。しかも餌用に持ってきていた蜂蜜のにおいにつられてか滅茶苦茶にたかられてな……。あの時のトラウマが今でも拭えない……」

 

 

 トレーナーの言葉にクインとカイザーが悲鳴を上げる。ボクも我慢こそできたが下手をしたら2人の仲間入りをしていただろう。ボーイ・グラス・沖野さんの3人はその光景を想像したのか身体を震わせていた。

 空気が微妙になったためかトレーナーは仕切りなおすように言葉を発する。

 

 

「まあ俺の過去の苦い経験は置いといて、みんなどんどん食べてくれ!料理は沢山あるからな!」

 

 

 ボクらは先程の話を忘れるように料理を食べることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それからは談笑などをして小一時間立った頃、ボーイがみんなに呼びかけるように声を出す。

 

 

「よっし、それじゃあそろそろお楽しみのプレゼント交換でもするか!」

 

 

 その言葉とともに各々自分が買ってきたプレゼントを用意する。全員の用意が終わったのを確認してトレーナーが音楽を鳴らし始めた。ちなみにトレーナーと沖野さんは用意していないのか参加はしていなかった。まあ2人は保護者のようなものなので当たり前だろう。

 ジングルベルの歌とともにプレゼントを隣の人物に回していく。それを少しの間続けていると音楽が止まったのでその時点で持っていたプレゼントが自分のものだ。ボクの手元にあったのは四角の箱である。早速中を空けて確認してみることにした。

 中に入っていたのは湯呑だった。ボクのプレゼントが見えたのかグラスが反応する。

 

 

「あ~それ私のだ~。大事にしてね~」

 

 

「丁度つことったマグカップが壊れたところや。ありがたく使わせてもらうで」

 

 

 中々渋いチョイスだが嬉しい。周りを見て見るとボクが買ってきたネックレスはどうやらカイザーに渡ったらしい。本人が喜んでいたので嬉しい限りだ。

 クインはプレゼントを持って固まっている。一体どうしたのだろうか?そう思っているとボーイが声をかけた。

 

 

「大丈夫か?クイン。ってオレのプレゼントはクインに渡ったんだな!気に入ってくれると嬉しいんだけど……」

 

 

 どうやらボーイのプレゼントだったらしい。クインが中身を取り出したので確認してみるとマフラーだった。この寒い季節にはぴったりだろう。

 クインは感無量とばかりにプレゼントを抱きしめて答える。

 

 

「とんでもありませんトウショウボーイ様!私、一生大事にいたします!」

 

 

「お、おう。一生は言いすぎだと思うけど喜んでくれたなら嬉しいぜ」

 

 

 クインのテンションの上りようにボーイは少し引き気味だった。余談だがボーイはカイザーの、グラスにはクインのプレゼントが渡ったようである。

 プレゼント交換も終わりそろそろお開きというところでトレーナー陣から声を掛けられる。2人の手元には6人分の包みがあった。

 

 

「さて、プレゼント交換も終わったということで……」

 

 

「これは俺たちからのプレゼントだ!」

 

 

 トレーナーはそう言って1人ひとりに包みを渡してくる。これにはみんな意外だったのか固まっている。

 カイザーが遠慮がちに2人に聞く。

 

 

「ほ、本当にいいんですか?」

 

 

「気にすんな。俺たちだけなんも渡さないのもアレだからな。遠慮せず受け取ってくれ」

 

 

 沖野さんはそう答えた。ならばとみんな包みを開ける。どうやら中に入っているものは写真立てだった。

 沖野さんは言葉を続ける。

 

 

「あんま凝ったもんじゃなくてわりぃが、せめて楽しい思い出を残そうってことでな。誠司と話し合って決めたもんだ」

 

 

 トレーナーは同意するように頷き、言葉を発する。

 

 

「せっかくだから、ここにいる6人の写真を撮って入れてみるのもいいんじゃないか?思い出ってことでな」

 

 

 その言葉にボーイが真っ先に同意した。

 

 

「賛成賛成!みんな撮ろうぜ!」

 

 

 特に反対意見が出ることなくボクら6人全員で写真を撮ることになった。シャッターを切るのはトレーナーである。

 

 

「じゃあ撮るぞ?せーのっ」

 

 

 カメラのフラッシュがたかれる。トレーナーは

 

 

「現像してくる」

 

 

と言い残し、下のトレーナー室へと向かった。少しの間待っていると現像が終わったのかトレーナーが返ってきて6人分の写真を手渡してくる。写真を見て見るとみんな笑顔を浮かべて見ているだけでも楽しそうということが見てとれる写真だった。皆一様に感謝の言葉を述べる。

 そして時間も迫ってきているということで、パーティはお開きとなった。この後はみんなそれぞれ帰宅する予定だったのだがボーイから

 

 

「みんなオレんちに来ねぇか?二次会だ二次会!」

 

 

と提案され、せっかくということでボーイの家にみんなでお泊りすることになった。ボクは外泊許可書を提出していたのでありがたい限りである。

 トレーナーと沖野さんがそれぞれ車を出し、ボーイの家までボクらを送ってくれた。2人からは

 

 

「あんま遅くまで起きるなよ?」

 

 

と釘を刺されたが。

 その後はボーイの家で夜遅くまで騒いでいた。学校の話、レースの話、それぞれのチームやトレーナーの話。話題は尽きることはなかった。やはり友達のみんなと過ごすのは楽しい。いつまでもこんな時間が続けばいいのに。そう思わずにはいられない大切な時間だった。




ウマ娘のイベントストーリーでゴルマク派が尊死しているらしいですね。まあ私もやられた1人ですが。


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第43話 年末の出会い・時代を築いた2人

最近暑すぎて死にそうです。


 クリスマスパーティが終わって数日が経ち、今日は年末。年末ということでトレーナーとしての仕事も少なくやることと言えば来年以降注意すべき相手のリストアップぐらいのものだった。それもすでに終わっており用務員としての仕事も今日は非番なためやることがない。

 

 

「さて、テンポイントの練習メニューも組み終わったし本格的にやることが無くなってきたな……」

 

 

 正直このまま何もせずに無気力に過ごそうかとも考えたが、どうにも身体を動かさないと落ち着かない。それに夜は車を使って遠出する予定がある。今仮眠をとるわけにはいかない。なので俺は気晴らしに外に出ようと思い外出の準備をする。

 いざ外に出てみたのはいいが、ただ目的もなく出かけたので歩いているだけだ。気づいたらショッピングモールへと辿り着く。どうやら結構歩いていたようだ。そのまま俺はショッピングモールを散策する。

 そんな俺の目に書店が目に留まる。丁度いい、何か参考になるものがないか探してみよう。

 

 

「テンポイントの練習に繋がるような本があるといいんだが」

 

 

 店内をあてもなくふらつく。そんな時、店内で見知った顔を見かけた。クライムカイザーだ。何やら沈んだ表情を見せている。体調でも悪いのだろうか?

 俺は彼女に心配そうに声を掛ける。ただ周りには他のお客さんもいるので、できる限り声を小さくする。

 

 

「やぁ、クライムカイザー。どうかしたのか?浮かない顔をしているけど」

 

 

「……あっ、神藤さん。大丈夫です、何でもないですから……」

 

 

「そうか?俺には何かあったような顔にしか見えないが」

 

 

「ほ、本当に大丈夫ですから!それでは!」

 

 

 そう言って足早に彼女は書店を後にした。俺は彼女が立ち止まっていた場所の本を見る。どうやらレース雑誌のようだ。

 俺は手に取ってレース雑誌の中身を確認する。トウショウボーイとテンポイントが中心の特集記事のようだ。確か同じものがトレーナー室にあったはずなので帰ったら確認してみよう。ただもしなかった場合を考えて俺は雑誌を購入することを決意する。

 

 

(まあもしあったとしても誰かに譲ればいいだけだしな)

 

 

 結局書店ではその雑誌とトレーニングの教本を数冊、後は何となく気になった整体の本を買って書店を後にする。

 店を出ると何やら人だかりができていた。不思議に思った俺はその人だかりの方へと向かう。

 人だかりの中心にいた顔にはとても見覚えがあった。ハイセイコーである。思わず顔をしかめてしまった。

 

 

(まさか休日にアイツに会うとは……。バレないうちに退散しよう)

 

 

 そう思い人だかりから去ろうとする。しかし時すでに遅し、向こうは俺を補足したようで笑顔を浮かべながらこちらへと向かって歩を進めていた。

 諦めて俺はその場に立ち止まる。ハイセイコーは楽しそうに俺へと話しかけてきた。

 

 

「やぁ神藤さん。こんなところで奇遇だね。あなたもお買い物かい?」

 

 

「まあそうだが……。もう用事も終わって帰るところだ。悪いなハイセイコー、じゃあこれで」

 

 

「まあ待ちたまえよ」

 

 

 そう言いながら彼女は俺の腕を掴んできた。逃げられないようにガッシリと。

 

 

「離せ。俺はもう帰るところなんだ」

 

 

「まあまあつれないこと言わないでくれよ。いいだろう?私の買い物に付き合うぐらい」

 

 

「お前と2人きりなんて嫌な予感しかしないんだよ」

 

 

「おや?神藤さんは私と2人きりだと都合が悪いのかい?それはなんでかな?とても気になるね」

 

 

 口調が完全にからかっているそれだ。何とかうまい言い訳を思いついてこの場を離れなければならない。俺は頭をフル回転させる。

 そんなやり取りをしていると誰かが話しかけてきた。

 

 

「おやぁ?ハイセイコーじゃないかぁ。こんなところで奇遇だねぇ」

 

 

「げっ、タケホープ」

 

 

 その人物の姿を見た瞬間、ハイセイコーが思いっきり顔を歪めた。とてものんびりとした口調で話しかけてきた人物とはハイセイコーにとって数少ない天敵の1人であるタケホープだ。

 トゥインクルシリーズ時代散々苦渋を舐めさせられた相手であるためかハイセイコーはタケホープのことを特に苦手としていた。その割には同じ生徒会役員として働いているのだが。仕事自体は優秀であるためハイセイコー自身助かってはいるらしい。しかし、彼女は前にこう言っていた。

 

 

『仕事が優秀だからと言って、私の中の苦手意識がなくなるわけじゃないよ。彼女は、タケホープは何というか、とにかく苦手なんだ』

 

 

 何となくその気持ちは分からんでもない。つい最近、というわけでもないがそういう気持ちを体験したのだから。

 タケホープはそのまま言葉を続ける。

 

 

「ハイセイコーも神藤さんも暇なのかい?だったらぁ、私も同行させてもらっても構わないよねぇ?3人なら神藤さんも安心だろぉう?」

 

 

「そうだな。3人なら俺は文句もない」

 

 

「急に掌を返して……!すまない、用事を思い出したから私は帰るよ」

 

 

 そう言ってハイセイコーは俺の腕を離して帰ろうとした。しかし今度はハイセイコーの腕をタケホープがガッシリと掴む。

 

 

「おやおやぁ?つれないじゃないかハイセイコー。それにさっき買い物だと言っていただろぉう?私たちと一緒に買い物をしようじゃないかぁ」

 

 

 タケホープはハイセイコーを引きずるように歩き出す。俺はその後ろをついて行く。観念したのかハイセイコーは大声でタケホープに訴えかけた。

 

 

「分かった!分かったから!せめて普通に歩かせてくれタケホープ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「クソ……!こんなはずじゃなかったのに……!神藤さんをからかって遊ぼうと思ったのにとんだ誤算だよ全く……!」

 

 

「やっぱろくでもないこと考えてたじゃねぇかお前」

 

 

「いやぁ、楽しかったねぇ」

 

 

 ショッピングモールの帰り道、日も傾きかけてきたため帰ることにした俺たちは荷物を抱えて帰路についている。ハイセイコーはやはりろくでもないことを考えていたらしく悔しそうにタケホープを睨んでいる。だが誤算の原因であるタケホープはどこ吹く風で楽しそうにしていた。

 そんな中ハイセイコーが俺に質問をしてきた。

 

 

「時に神藤さん、あなたはこの後どうするつもりだい?」

 

 

「俺か?トレーナー室に戻って仮眠をとる予定だが」

 

 

「そうか。では私にご飯を振舞ってくれたまえ」

 

 

「すげぇな。話の前後が何も繋がっていない」

 

 

 一体俺の言葉をどう受け取ったらそんな言葉が出てくるのか不思議でならない。するとハイセイコーは抗議するように俺に言ってきた。

 

 

「いいじゃないか減るものではあるまいし。それにボーイからあなたの料理は美味いと評判だからね。是非ともその腕前を見せてもらいたいのさ」

 

 

「あぁ、カイちゃんもそんなことを言っていたねぇ。なら私もご相伴に預からせてもらおうかなぁ?」

 

 

「君は帰りたまえよタケホープ。神藤さんの迷惑を考えるんだ」

 

 

「鏡見てこいよお前」

 

 

 まあ確かに減るものじゃないしご飯を振舞うぐらいはいいだろう。

 

 

「まあいいぞ。学園に戻ることになるがそれでもいいか?」

 

 

「タケホープがいるのはアレだが……、まあいい。私は構わないよ」

 

 

「いやぁ、食費が浮いたねぇ。ありがたやありがたやぁ」

 

 

 方針が決まったということで俺たちは学園へと戻ることになった。

 無事学園へと戻った俺たちはそのままトレーナー室へと向かい、俺は料理の準備に、2人はくつろいでもらうように部屋の中へ案内する。今回作るのは年末なのですき焼きだ。

 日も完全に沈んだ頃、料理が完成したので俺は2人をテーブルへと案内する。

 

 

「できたぞ。年末ということですき焼きだ」

 

 

「いいねぇ、美味しそうじゃないかぁ」

 

 

 タケホープはそう言って取り皿に具材を入れていく。入れ終わった後手を合わせていただきますをした後口にする。彼女はひとしきり頷いた後、

 

 

「うん、普通のすき焼きだねぇ。美味しいよぉ神藤さん」

 

 

褒めてるのかよく分からないことを言っていた。ハイセイコーも同意見だったらしく

 

 

「美味しいけど、普通のすき焼きだね」

 

 

と同じことを口にした。当たり前だろと前置きして俺は反論する。

 

 

「すき焼きなんて誰が作っても同じになるだろ。ホレ、新しい料理だ」

 

 

 そう言って彼女たちの前に次々と料理を置いていく。それに彼女たちは口へと運ぶ。お気に召したのか次々と口へ運んでいきすぐに空になった。そのペースに合わせるようにすき焼きの具材もなくなっていき、こちらも空になった。

 タケホープが感想を言う。

 

 

「いやぁ、噂に違わずだねぇ。いくらでも食べられそうだよぉ。ごちそうさまぁ」

 

 

 ハイセイコーもそれに続くように感想を述べる。

 

 

「確かにこれは素晴らしいね。もっと食べたくなる味だったよ。ご馳走様」

 

 

「はい、お粗末さん」

 

 

 俺は皿を片付けて2人を家に送る準備をする。その準備をしていると急にハイセイコーが話を切り出してきた。

 

 

「ところで神藤さん。どうやら書店で本を買っていたようだけど何を買っていたんだい?差支えがなければ教えてもらえるかな?」

 

 

「別に構わないぞ。買ったのはレース雑誌とトレーニングの教本、後は整体の本だな」

 

 

 隠すようなことでもないので素直に買ってきた本を広げる。するとハイセイコーはレース雑誌を手に取って不思議そうな顔をしていた。

 

 

「おや?これは同じような冊子を先程見かけたが……。同じのを買ってしまったのかい?」

 

 

「やっぱりあったのか。欲しければやるよそれ」

 

 

「いや、大丈夫だよ。ただどうして買ったんだい?」

 

 

 俺は素直に買った理由を話す。

 

 

「実は書店で偶然クライムカイザーに会ってな。沈んだ表情をしながらこの雑誌を見ていたから何か悪いことでも書かれていたのかなと思って買ったんだよ」

 

 

「さっき雑誌の中身を見た限りではクライムカイザーのことへの言及はなかったね」

 

 

 ハイセイコーは険しい表情を浮かべたままそう告げる。となるとなぜクライムカイザーは沈んだ表情をしていたのか?そう思ったのもつかの間、俺はすぐにその理由へと至る。

 

 

「……問題なのは悪いことが書かれていたことじゃない、何も書かれていないことが問題ってことか」

 

 

「だろうね。中身を見てごらん」

 

 

 ハイセイコーは言いながら雑誌をこちらへと手渡してくる。中身は一度見ているが改めて見て見ると気づく。なぜクライムカイザーが落ち込んでいたのかが判明した。

 

 

「【世代を代表する2人。トウショウボーイとテンポイント】……。雑誌の内容もこの2人を褒めているだけで他の子への言及は無し……か」

 

 

 確かにこれは堪えるだろう。自分だってダービーを制したウマ娘なのに見向きもされていないとなると落ち込むのも頷ける。それにこれが1社だけならどれだけよかっただろうか。

 俺は他の出版社の雑誌も確認する。すると案の定だった。

 

 

「……どこもかしこもテンポイントとトウショウボーイのことについての言及しかしていないな。クライムカイザーとグリーングラスについて触れているものはごくわずか。今月発売の雑誌に至っては0だ」

 

 

「TT対決……ライバル2人の頂上決戦……。そう言えば聞こえはいいがね。世間からはライバルとすら見られていないという事実がクライムカイザーには堪えたんだろう」

 

 

 すると今まで黙っていたタケホープが厳しい意見を言う。

 

 

「それは仕方ないさぁ。カイちゃんはダービー以降勝ち星はない。厳しいことを言うけど結果を出せていない以上、あのダービーはフロックだって意見が大半だからねぇ」

 

 

 ……キツい言い方をしているが、本当はこの場の誰よりも歯がゆい思いをしているのはタケホープだろう。その証拠に今にも血が出そうなほどに拳を握り締めている。それを察してかハイセイコーも何も言わない。

 

 

「まあ、この評価を覆すには勝つしかないってことだな」

 

 

「そうだねぇ。だからカイちゃんには是非とも頑張ってもらわないとぉ」

 

 

 タケホープはそう言って雰囲気を和らげた。その後も俺が買った雑誌を3人で見ていく。

 そろそろ2人を家に帰そうと思い俺は外へ出るように促す。

 

 

「もういい時間だ。送ってやるから外に出てくれ」

 

 

「ん、もうそんな時間だったか。すまないねこんな時間まで居座ってしまって」

 

 

「本当だねぇ。いやぁ、時間が経つのは早いねぇ」

 

 

 すると彼女たちは帰り支度をする。俺は車を回すためにその準備をする。

 外に出た時、今度はタケホープが質問をしてきた。

 

 

「時に神藤さぁん、風の噂で聞いた程度だけどぉ、あなたはまだテンポイントちゃんこそが最強だって信じているのかなぁ?」

 

 

 正直その質問は俺にとって愚問だ。迷わずに答える。

 

 

「当たり前だ。俺にとっての最強はテンポイント。それが揺らぐことはない」

 

 

「ふぅん?」

 

 

 明かりがあるので彼女の表情は良く見える。彼女は目を細めて俺に問いかけた。

 

 

「クラシック1個も取れないどころか有マも負けちゃったのに?それでも最強って信じられるのかい?」

 

 

「……そうだ。何が言いたい?」

 

 

 俺は彼女の物言いに苛立ちを隠せずに問いかける。すると彼女はこちらへと謝罪をしてきた。

 

 

「いや、気を悪くしたなら謝るよぉ。けれどそうなると1つ疑問が出てくるんだよねぇ」

 

 

 一呼吸置いた後、彼女は再度俺に問いかける。

 

 

「神藤さん、あなたにとって最強のウマ娘ってのは何なのかなぁ?」

 

 

「……それは」

 

 

 俺は言葉に詰まり、動揺する。今まで考えもしなかったことだ。

 最強のウマ娘。言うのは簡単だがその定義とは一体何なのか?実績?人気?走り?色々な考えが浮かんでは消えていく。何が何だか分からなくなる。

 俺の様子を見てタケホープは嘆息した。そのまま言葉を続ける。

 

 

「まあ、神藤さんと話したのは数回だけの私から言われたらムカつくかもしれないけれどもぉ、軽々しく最強って言っても薄っぺらいだけだと思うよぉ?」

 

 

「その意見には私も同意だね」

 

 

 ハイセイコーも会話に加わる。

 

 

「神藤さん、あなたにとっての最強とは一体なんだい?」

 

 

「……分からない」

 

 

 情けないが、俺はそう答えるしかなかった。ただ、俺はそれでも揺るがない事実を彼女らに告げる。

 

 

「けれど、俺にとっての最強は、1番はテンポイントだ。それが揺らぐことはない」

 

 

 俺の答えを聞いてタケホープは今度は笑いながら拍手をする。何故だ?俺は呆けた顔をしながら彼女を見ていると愉快そうに彼女は答える。

 

 

「いやいやぁ、ここまで思えるってのもすごいねぇ!そのテンポイントって子が羨ましいよぉ!ハイセイコーもそう思うだろう?」

 

 

「全くだ。妬けてしまいそうだよ」

 

 

 ハイセイコーも苦笑いを浮かべながら答える。2人にとって俺の回答は面白いものだったのだろう。

 その後彼女たちは表情を崩して俺に話しかける。

 

 

「まあ、これからじっくり探していけばいいと思うよぉ?神藤さんの思う最強のウマ娘ってやつをさぁ」

 

 

「そうだね。最強の定義は人それぞれだ。自分の中の最強をこれから探していけばいいんじゃないかな?トレーナーとしての成長にもつながると思うよ」

 

 

「……あぁ、探してみるよ。自分なりの最強ってやつを」

 

 

 その会話を終えた後、2人を車に乗せて家まで送る。2人を送った後俺はこの時間だともう間に合わないと思い、朝まで時間を潰すために車を充てもなく走らせる。

 その道中、思うことはタケホープから問われたこと。

 

 

「俺にとっての最強……か」

 

 

 今までテンポイントにお前は最強だと言っていたが、彼女たちと同じようなことを思っていたのかもしれない。ならば、最強という言葉に説得力を持たせるためにも見つける必要があるだろう。

 自分なりの最強のウマ娘の答えを。外ではどこからか除夜の鐘が鳴り響いていた。




主人公にとって色々と考えさせられた回です。彼なりの答えを見つけることはできるのか?


※最後の2人を送った後の描写を変更 8/4


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第44話 いざ担当の実家へ

担当の実家にお邪魔する回。前回のラストをちょこっと修正してあります。


 ハイセイコーとタケホープをそれぞれの自宅に送り届けて一夜明けた後、俺は今スーツを着て飛行機に乗っており、北海道の新千歳空港へと向かっていた。運よく年始の便の席を取ることができたことに安堵し、目的地に着くのを空港で購入した雑誌を見ながら待っている。

 そもそもなぜ北海道へと向かっているのか。話は3日前にさかのぼる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日いつも通りトレーナーとしての業務をしていると不意に1本の電話がかかってきた。電話の主はテンポイントのようだ。彼女は今実家に帰省しているはずだが何かあったのだろうかと思い俺は電話に出た。

 

 

『もしもし?どうしたテンポイント?』

 

 

『もしもし、トレーナー?今大丈夫やろか?』

 

 

『大丈夫だが何かあったのか?』

 

 

『あ~、それなんやけどな……。トレーナーって年末年始暇だったりするん?』

 

 

 そう言われて俺は手帳を開いて予定を確認した。別に急ぎの用事は入っていない。

 

 

『特に予定はないが……、それがどうかしたのか?』

 

 

『ホンマ?やったら1回こっちにこれへんやろか?』

 

 

『北海道に?それまたなんでだ?』

 

 

 北海道は遠い。気軽に行けるような距離ではないだろう。俺はテンポイントの提案に疑問を感じながら問いかける。すると彼女はバツが悪そうに答えた。

 

 

『いやな?実家でトレーナーの話をしとったらぜひ会うてみたいってお母様が言うてきてな?ボクは向こうも事情があるやろうし反対したんやけど……』

 

 

『押し切られたと』

 

 

『せや。それに聖蹄祭の時も会えんかった言うとったし余計に会うてみたいらしいんよ。お母様一度言い始めたら聞かんし。いつもボクがお世話になっとるお礼もしたい言うてるし……』

 

 

 大体話は分かった。まあ特に予定もないので大丈夫だと思った俺はテンポイントの提案を承諾する。

 

 

『分かった。年末の夜か年始の飛行機でそっちに向かうよ。また飛行機に乗った時に連絡を入れる』

 

 

『ホンマ?ありがとなトレーナー』

 

 

『いいよ。それに俺も会って見たかったしな』

 

 

 聖蹄祭の時にキングスポイントには会ったがテンポイントのご家族には会っていなかった。なので会ってみたいという気持ちは強い。その後は詳しい集合場所を決めて電話を切る。

 電話を切った後俺が最初に思い至ったことは1つ。

 

 

『菓子折りの準備しとくか』

 

 

 できる限り粗相のないようにすることだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな事情もあって俺は今飛行機に乗ってテンポイントの実家がある北海道へと向かっている。なかなかの遠出ではあるが俺の心はワクワクしていた。

 飛行機で向かうこと数時間、無事に北海道の空港へと着くことができた。そのままテンポイントと予定した待ち合わせ場所へと歩みを進める。

 待ち合わせ場所へと着くとそこに立っていたのはテンポイントではなくキングスポイントの方だった。向こうはこちらに気づいたのか笑顔で手を振っている。

 

 

「お~い!こっちだし~!」

 

 

「キングス!久しぶりだな!」

 

 

 キングスと最後に会ったのは菊花賞。2か月ほどしか経っていないので言うほど久しぶりではないのだが俺の感覚としては本当に久しぶりに会った気がした。それと菊花賞で会ったことを思い出して1つの疑問が出てきた。

 

 

(こいつ京都大賞典と菊花賞どうやって来たんだ?)

 

 

 それについては後で聞くことにしよう。俺はキングスに連れられて彼女たちの実家へと案内される。道中は近くまで電車……かと思いきやどうやらお手伝いさんの車で向かうらしい。お手伝いさんがいるということは結構な名家なのだろうか?車内でキングスに聞いてみる。すると彼女はこう答えた。

 

 

「うちは実家が農家だからそれ繋がりのお手伝いさんだし。別に珍しいもんでもないし」

 

 

 そう言われて納得した。……いや、だとしてもわざわざ年始に車を出してくれるだろうか?しかしこれ以上深く突っ込むのも野暮だと思った俺は言及するのを止めた。

 雪が積もっている道を車に揺られてしばらく経つとキングスがこちらへと話しかけてくる。とある方向へと指を指しながら。

 

 

「ホラホラ!あれがウチだし!」

 

 

 言われた方へと視線を向ける。そこには古き良き日本家屋の家が建っていた。しかも結構大きい。屋根には雪が積もっていた。

 俺たちは車を降りて玄関へと向かう。キングスは元気よく扉を開けて俺の来訪を告げた。

 

 

「母さん!今帰ったし!お姉のトレーナーも連れてきたし!」

 

 

 そのまま家の奥へと向かう。そこから待つこと少し、黒い髪をショートカットにしたウマ娘が玄関へとやってくる。キングスの声に反応してこちらへときたのであれば、この人がテンポイントとキングスポイントの母親だろうか?顔つきもどことなく似ている。

 母親と思われる人物はこちらへと挨拶をする。

 

 

「まあ、あなたがテンポイントのトレーナーさん?立ち話もなんですし、是非上がっていってください」

 

 

「はい。では失礼します」

 

 

 そう言って俺は家へと上がる。俺は和室へと通され、玄関からここまで案内してくれた彼女に座るように促されたため、腰を下ろして座る。そのまま俺は彼女へと自己紹介をする。

 

 

「お初にお目にかかります。私、トレセン学園でテンポイントさんのトレーナーを務めております神藤誠司と申します。こちら、つまらないものですが……」

 

 

 そう言って俺は手土産にと持ってきた物を紙袋から取り出し彼女へと渡す。

 

 

「これはどうもご丁寧に。私、テンポイントとキングスポイントの母親のワカクモと申します。今日は遠路はるばるご足労ありがとうございます」

 

 

 彼女、ワカクモさんは丁寧にお土産を受け取るとこちらへと深々とお辞儀をしてきた。俺も慌ててお辞儀をする。礼儀に厳しい家かもしれないし気をつけておくにこしたことはないだろう。

 しかしその様子を見ていたらしいキングスが変なものを見るような表情で話しかける。

 

 

「うわ、母さん似合わないし。いつも通り接した方がいいと思うし」

 

 

 キングスの言葉にワカクモさんが笑顔でキングスのいる方向へと顔を向ける。しかし俺には、というか誰が見ても分かる。相当に怒っていた。威圧感が漏れ出ている。

 

 

「キングス~?ちょっとこっちに来なさ~い?」

 

 

「ゲッ!?行くわけないし!逃げるが勝ちだし!」

 

 

 そう言ってキングスはその場から走って逃げた。しかしワカクモさんもキングスを追いかけるように走っていく。俺は呆然とその光景を見ているだけだ。

 しばらくしてから遠くの方でワカクモさんに捕まったらしいキングスの悲鳴が聞こえる。

 

 

「ギャーッ!ごめんなさいだし!ごめんなさいだし!」

 

 

「うるさい!せっかく礼儀正しい母親を演じようとしていたのに台無しじゃないか!」

 

 

「いや母さんの性格からして絶対に無理……ちょっと待って!あたしの腕はそっちには曲がらないし!」

 

 

 ……一体向こうで何が行われているのだろうか。俺はキングスの悲鳴に身体が震えた。

 しばらくするとワカクモさんが和室へと戻ってくる。しかしもう取り繕うのは止めたのか砕けた口調で話しかけてくる。

 

 

「はぁ、まったくあの子は……。もういいわ、好きなように話します。神藤さんも楽にしてください」

 

 

「あ、はい。ではお言葉に甘えて」

 

 

 どうやらワカクモさんの普段の口調はかなりフランクな感じらしい。そう思っているとワカクモさんはこちらへと質問してくる。

 

 

「神藤さん、テンは学園ではどうですか?元気にやっていますか?」

 

 

「はい、テンポイントさんはご学友にも恵まれていますし、毎日元気に過ごしていますよ」

 

 

「そう、良かった……」

 

 

 俺の言葉にワカクモさんは心底安心したような表情を浮かべて安堵している。まあ我が子が心配なのは親として当たり前だろう。そのまま会話を続ける。話題の中心は俺に関係する話だ。俺はワカクモさんからされる質問に嘘偽りなく答える。

 そうしてしばらく話しているとワカクモさんは安堵したような表情を浮かべて言葉を続ける。

 

 

「テンから神藤さんの話は度々聞いていたけれど、こうして話してみると聞いていた通りの人物ですね。もしテンが騙されているようだったら……」

 

 

「騙されているようだったら?」

 

 

「畑の肥料にするつもりでした」

 

 

 ワカクモさんはそう笑顔で答える。俺は乾いた笑いで反応する。しかし内心は下手をしたら今頃畑の肥料になっていたという事実に戦々恐々としている。

 するとワカクモさんは今度はキングスの話題を上げてくる。

 

 

「神藤さん、実はキンも今年の春にトレセン学園へと入学予定なんです」

 

 

「キングスポイントさんも?それは初耳ですね」

 

 

「はい、なのでできる限りでいいんですが学園でキンのことを見かけたら気にかけてはやってくれないでしょうか?あの子は人見知りの激しい性格なので……。神藤さんには懐いているようですし、キンも安心すると思うんです」

 

 

「そう言うことでしたらお任せください。私も彼女のことは嫌いではありませんので。むしろテンポイントさんに関係した同士でもあります」

 

 

「そう、良かったわ……。ん?同士?」

 

 

「その話は置いておきましょう」

 

 

 会話を続けているとキングスが飲み物を運んできてくれた。

 その後もワカクモさんとの会話に花を咲かせる。内容はテンポイントのことが中心だ。そのまま話しているとふと可笑しそうにワカクモさんは笑った。不思議に思っているとそのままこちらに

 

 

「神藤さんは本当にテンのことが大好きなんですね」

 

 

と、告げた。俺はその言葉に思ったことを答える。

 

 

「はい。初めての担当、というのもありますが元々彼女の走りに惚れ込んでスカウトしたと言っても過言ではありません。彼女が走るためなら私は最善を尽くす覚悟です。たとえどんなことがあっても彼女の側を離れない、そんな覚悟で挑んでいます」

 

 

「……自分のトレーナーからここまで思われるなんて、テンは幸せものですね」

 

 

 言ってて恥ずかしくなったので顔を背ける。

そう言えばここまで話していて思ったのだがテンポイントはどこにいるのだろうか?俺はワカクモさんに聞いてみる。

 

 

「ワカクモさん、テンポイントは今どちらに?姿を見ていませんが……」

 

 

「あぁ、テンなら練習をしていますよ。年始ぐらい休んだら?って言っても聞かなくて。よっぽど去年の成績が悔しかったみたいです」

 

 

 その言葉に俺は胸が痛くなる。成績に関しては俺が原因でもある。無理をしていないといいが。俺はワカクモさんに場所を聞く。

 

 

「それなら案内しますよ」

 

 

 そう言ってワカクモさんの先導の下俺は家を出た。

 しばらく歩くとワカクモさんはこの先だと言った。案内してくれたお礼を言った後ワカクモさんは家へと戻っていく。俺は雪が積もっている道を歩いて行く。歩いてしばらくすると雪がかき分けられた跡がある学校のグラウンドほどの広さの場所に出た。テンポイントはそこで走っている。

 俺は彼女へと声を掛ける。

 

 

「よぉテンポイント。年始から精が出るな」

 

 

 すると彼女は驚いたような声を上げる。

 

 

「ト、トレーナー!?いつ来とったん!?」

 

 

「もう1時間か2時間前には来てたぞ。それに気づかないぐらい走ってたのか?」

 

 

「うっ」

 

 

 どうやら図星らしい。そもそもキングスが迎えに来ている時点で疑うべきだった。俺は咎めるように彼女に言う。

 

 

「年始から走りすぎた。去年悔しい気持ちをしたのは分かるが身体を壊したら元も子もないだろう?」

 

 

「うぅ、はぁい」

 

 

「まあ焦る気持ちも分かるし原因は俺にもある。程々にしておけよ?」

 

 

「分かった。でももう上がる予定やったし、一緒に戻ろか」

 

 

「そうか。じゃあ一緒に戻ろう」

 

 

 そう言ってテンポイントとともに彼女の家へと戻っていく。玄関まで戻るとワカクモさんからもありがたいお叱りを受けた後2人で何かを話していた。俺には聞こえなかったので内容は分からないが話した後テンポイントはそそくさと家へと入っていった。

 その後は夕飯をご馳走になり、そろそろ最終便に間に合わなくなるということでお暇させてもらう。ワカクモさんは

 

 

「泊っていってもいいんですよ?」

 

 

と言ってくれたが、長居はよくないだろう。気持ちだけ受け取ることにした。

 なんとか最終便に間に合い、俺は飛行機に乗って帰路につく。飛行機の中で考えるのはこれからのテンポイントのレース。

 

 

(まず大目標として春の天皇賞……その前にいくつかレースを挟みたい……。1つ、可能なら2つ……)

 

 

 1つ目のレースはもう決めているので後はテンポイント次第だ。2つ目のレースをどうしようかと考えたところで睡魔が襲ってきた。俺はそれに抗うことはせずに眠りにつく。起きた時にはもう東京に着いていた。俺は車に乗ってトレセン学園へと戻る。今年こそテンポイントに悔しい思いをさせないためにと思いながら。




そろそろ全体で50話超えそうです。始める前はこんなに長くなるとは思わなかった。


※牛乳の下り全削除。 8/19


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第45話 兆し

今日は涼しかったですね。毎日こうだといいのに。


 トレセン学園の冬休みも終わり通常授業に戻ったある日のこと。レース実技の授業でタイム走をすることになったボクらはみんな順番に並んで自分の出番が来るのを待っている。ただし、ボクはもう走り終わったので他の走り終わった子たちと一緒に休憩を取っているところだが。

 次はどうやらボーイの番らしい。トラックでストレッチをしながら発走の時を待っていた。先生の合図で全員スタートの構えを取る。数瞬の後、合図とともにトラックにいる全員がスタートダッシュを切る。相変わらずボーイが1番上手くスタートを切っていた。そのままボーイが先頭を取って走っている。しかし、こうして改めてボーイが走る姿を見て思う。

 

 

(アイツホンマ楽しそうに走るな)

 

 

 授業で走っている姿だけではなく、レースでも映像を見直すと笑みを浮かべているように走っている。まるで走るのが楽しくて仕方がないように。さすがにスパートをかけている時は笑顔ではないのだがそれでも楽しいという気持ちは一緒に走っているからこそ伝わってくる。まるで子供のようだ。もしかしたらそれがボーイの強さに繋がっているのかもしれない。

 しかし、彼女の走りを観察しているとボクは違和感を覚える。いつもの走りとは少しだけ違うような気がした。違和感の正体は分からないが何となくボクはそう感じた。

 そのまま見ていると走り終わったボーイがこちらへと歩いてくる。ボクは自分が感じた違和感をボーイに伝える。

 

 

「なぁボーイ。調子悪いんやないか?いつもと走りがちゃうかったで」

 

 

「あ~……、やっぱり分かる?」

 

 

 ボーイはそう言うと身体を伸ばしながら自身の不調を教えてくれた。

 

 

「実は去年の疲れがまだ抜けきってなくてさ、おハナさんからもあまり走るなって言われてんだよね」

 

 

「いや、やったら今日の授業も見学しとけや」

 

 

 ボクは呆れながらそう答える。しかしボーイはその言葉に取り繕うように答えた。

 

 

「まあでも流しで走る分には大丈夫だから!心配ないって!」

 

 

「いいわけないでしょショウさん!」

 

 

 ボクらが会話をしていると横やりが入ってきた。その人物はマルゼンスキーだ。彼女はいかにも怒っていますという雰囲気を出している。

 

 

「マ、マル!マルがなんでここに!?」

 

 

「今日はあたしたちのクラスと合同でやるって聞いてなかったの?それよりもショウさん!おハナさんから走るの止められてたでしょ!このことはしっかりと報告しておくからね!」

 

 

「そ、そんな殺生な!見逃してくれよマル!」

 

 

「ダメよ!脚の状態もチョベリバなのに無理に走った罰!おハナさんにこってり絞られなさい!」

 

 

「そんな~」

 

 

 ボーイは地面に膝をついて見るからに落ち込んでいる。だが自業自得なため励ますつもりはない。しかしチョベリバということは脚の状態はそんなに悪いのだろうか?疑問を感じたボクはマルに質問する。

 

 

「マル、ボーイの脚はそんな悪いんか?」

 

 

 するとマルは特に隠すことなく答えてくれた。その内容は驚くべきものである。

 

 

「悪いどころじゃないわよ!お医者さんから脚が炎症を起こしかけているって言われてるんだから!軽く流す分には大丈夫って言ってたけど、本当なら今日の授業だって見学させる予定だったのよ!」

 

 

 どうやらボーイは骨膜炎を発症しているらしい。さっきの呆れた感情から一転、今度は怒りが湧いてくる。ボクはボーイを睨みつける。ボーイは委縮していた。

 

 

「ボ~イ~!」

 

 

「テ、テンさんが珍しく怒ってる……!ち、違うんだよテンさん!わ、理由を……」

 

 

「そないな状態で走っとるんちゃうぞお前!しっかり反省しとき!」

 

 

「ご、ごめんなさ~い!」

 

 

 骨膜炎の辛さはボク自身よく分かっている。今でもボクにつき纏っているものだから。無理に運動して長引いてしまったら満足な状態で走ることはできない。もし大レースでそうなってしまったらやりきれない気持ちにもなるはずだ。だから心を鬼にしてマルと一緒にボーイを叱る。

 そうして周りの目も憚らずボクとマルでボーイへの公開説教が始まる。周りは最初こそ興味が湧いたのか視線を向けるものもいたが、やがてその視線はなくなる。ただカイザーは複雑な表情で、グラスは楽し気にこちらを見ていたが。授業の先生から

 

 

「も、もうその辺にしてあげたら?」

 

 

と言われてボクらはボーイを開放する。ボーイは安堵した表情を浮かべているが、

 

 

「言うとくけど、この後即東条トレーナーに報告したるからな」

 

 

ボクがそう言った瞬間、一気に絶望した表情になった。耐えきれなくなったボーイが

 

 

「オレが悪かったから!もう勝手に走らねぇから許してくれー!」

 

 

そう叫んだ。無論この後マルの口から東条トレーナーへと今回の件は報告されたらしい。

 しかし、ボーイを叱っている最中にもう一つ気になったことがある。それはカイザーが複雑な表情を浮かべていたことだ。そのことを授業後にカイザーに問いただすと、

 

 

「い、いえ特には。ただボーイさんが気の毒だなーっと」

 

 

とだけ答えた。正直、本当かどうかボクは疑わしく思った。何故ならカイザーが浮かべていた表情は気の毒なものを見る視線ではなく、例えるなら何かに絶望したかのような、そんな表情だった気がするのだ。しかし、ボクの気のせいかもしれないしこれ以上言及するのはよくないとボクは直感的に思い、

 

 

「そうなんか。でもアイツの自業自得や。気の毒に思う必要ないで」

 

 

そう返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なるほどな、実技の授業でそんなことがあったのか」

 

 

「せや。ホンマにアイツは……。走るの大好きなんは分かるけどちっとは自重してほしいわ」

 

 

「年明け、休むように言われてたのに何時間も走っていたウマ娘を俺は知っているんだが?」

 

 

「あーあー、聴こえへん聴こえへーん」

 

 

 授業も全て終わって放課後、ボクはトレーナー室を訪れていた。そこでトレーナーに今日授業で起きた出来事を話す。するとトレーナーもボーイの行動に呆れていたが一定の理解を示しているようでボーイに対するフォローを入れる。

 

 

「まあ、あいつは特に走るの大好きみたいだからな。ダメと分かっていても思わず……、だったんだろう」

 

 

「せやろな。やけども、炎症起こしとんのに走るのはアカンやろ」

 

 

「そうだ。だからキッチリとお灸を据えるべきっていう2人の判断は間違ってない。トウショウボーイもこれに懲りて2度と無茶なことはしないだろうからな」

 

 

 トレーナーはそう締める。続けてボクはカイザーのことについて話始める……前にトレーナーが気になる資料を持っていた。題名が少しだけ見えたが【トレセン学園大改革案ッ!】と書かれているのだけは分かった。トレーナーに聞いてみる。

 

 

「トレーナー。それなんや?タイトルからして理事長さんがらみやと思うんやけど」

 

 

「あぁこれか?来年度から施行予定の授業プランの資料だよ。昨日ようやく纏まったところでな」

 

 

 そう言ってトレーナーは説明してくれた。機密じゃないのか?と聞くと別にそんなことはないらしく教えても大丈夫だと理事長から許可はあるらしい。

 要約するとサポート科の授業を体験するプランを現行の授業に増やそう、と言ったものだった。話自体は秋頃からあったらしいのだが、色々と提案と否決を繰り返し昨日ようやく全員が納得するようなものになったらしい。理事長曰く、

 

 

『希望ッ!これを全てのウマ娘が幸福であるための足掛かりにするのだ!』

 

 

らしい。正直その辺の詳しい事情は分からないがあの人はウマ娘のためなら火の中だろうと水の中だろうと飛び込むような人だ。悪い案ではないはずである。

 つまりこれからはサポート科の授業が増える、ということなのだろうか?ボクはそうトレーナーに質問すると首を振る。

 

 

「あくまでこの授業を受けれるのは希望者のみだ」

 

 

 そう補足した。つまるところ希望さえしなければ受けることはないらしい。

 資料のことも聞き終わったのでボクはカイザーの異変について尋ねることにした。

 

 

「なぁトレーナー?カイザーが最近調子悪うしとるみたいなんやけど、なんか知っとるか?」

 

 

「ほう?例えばどんな感じだ?」

 

 

 トレーナーはボクの話に食いついてきた。しかしその表情は何となく暗めだ。ボクは今日感じたことをそのまま話す。

 

 

「なんかな?さっきボーイを叱っとった言うたやん?そん時偶然カイザーの方に視線向けたんやけど、何となく暗い表情しとったんよ。なんていえばええんやろ……、自分の目の前に高い壁があるみたいな……上手く言えへんけどそんな表情しとったんや」

 

 

「……なるほどな」

 

 

 トレーナーはそう言って顎に手をやる。そのまま何やら唸っていた。何かに葛藤しているような、伝えることを躊躇しているような感じがする。

 ボクは迷わずにトレーナーに聞く。

 

 

「トレーナー、知っとることあるんやったら教えてくれ。友達の力になりたいんや」

 

 

 カイザーは大切な友達だ。その友達が困っているのであれば力になりたい。そう思うのは自然だろう。

 するとトレーナーは大きな溜息をつく。そこまでの事情なのだろうか?

 

 

「……テンポイント、1つ聞いてもいいか?トウショウボーイを叱る前に何か変わったことはあったか?」

 

 

「ボーイを叱る前?」

 

 

「そうだな……、トウショウボーイを叱っていた理由だ。その前には何があった?」

 

 

「何って……ボーイが走っとったぐらいやけど」

 

 

「その時、カイザーはどこにいたんだ?」

 

 

「カイザー?そん時は……一緒に走っとったかな?ボーイと」

 

 

 そこまで聞いてトレーナーは右手で手を覆った。まるで厄介なことになったと言わんばかりの態度で。

 トレーナーは言葉を続ける。

 

 

「いいか?テンポイント。今から話すのはあくまで俺の憶測だ。そのことに注意して聞いてくれ」

 

 

「わ、分かった」

 

 

 いつになく真面目な雰囲気だ。トレーナーはボクの答えに頷くとそのまま続ける。

 

 

「おそらくだが、怪我をしていながらもすごい走りを見せたトウショウボーイと自分を比較して堪えたんじゃないか?高い壁だ、本当に自分が超えることはできるのか?そう思った可能性は高い」

 

 

「……そういうことやったんか」

 

 

 ボクが納得しているとトレーナーは小さな声で呟く。

 

 

「……まあ、それだけじゃないと思うがな」

 

 

 その声はボクは逃さなかった。トレーナーに問いただす。

 

 

「それだけやないってどういう意味や?他にもあるんか?」

 

 

 するとトレーナーは観念したように白状する。

 

 

「……特に最近、クライムカイザーは世間での評価も芳しくないからな。余計重荷に感じてしまったんだろう」

 

 

「そ、れは……確かにそうやな」

 

 

 最近カイザーに関する記事をめっきり見なくなった。ダービーから菊花賞まではあんなにあったのにだ。

 ボクが暗い表情を浮かべていると、突然トレーナーは手を叩く。

 

 

「さて、この話はこれでおしまいだ。次はお前のレースの予定について話すぞ」

 

 

「……分かった」

 

 

 胸に大きなしこりを残したままだが、トレーナーはこれ以上この話題について触れる気はないだろう。雰囲気からそう感じた。まるでこれ以上話す気はないとばかりに。ボクも諦めてレースの話に耳を傾ける。

 

 

「まず大目標は勿論春の天皇賞だ。当面はこれを目標に練習をしていく」

 

 

「春天……か」

 

 

 トゥインクルシリーズのレースの中でも最高峰のレースの1つ。菊花賞よりもさらに長い3200mという距離を走ることになる。

 そのままトレーナーは話を続ける。

 

 

「春天の前に2つレースを使う予定だ。1つ目は来月に行われる京都記念、2つ目は3月に行われる鳴尾記念を予定している。何か気になることはあるか?」

 

 

「いや、特にはないで」

 

 

「そうか、ならこの2つを使って4月にはいよいよ春の天皇賞だ」

 

 

 そう言ってトレーナーは拳を握る。どうしたのだろうか?

 

 

「……テンポイント、この春の天皇賞は絶対に獲るぞ。お前の強さを日本中に知らしめてやれ!」

 

 

 そう言って拳を突き出してきた。ボクは一瞬呆けた後、笑顔を浮かべて同じように拳を突き出す。ボクとトレーナーの拳が軽くぶつかる。

 

 

「そうや……。去年はホンマに悔しい思いをした。やけど、今年は違う!手始めに春天、制したるわ!」

 

 

「その意気だテンポイント!」

 

 

 誓いを新たにしたところで、ボクたちはトレーニングへと入っていく。その日の練習は熱が入っていた。




おや?クライムカイザーの様子が……、な話でした。


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閑話4 年度代表ウマ娘

50話突破。なお視点は主人公たちではない。


《本年度のURA賞もいよいよ最後となりました。年度代表ウマ娘の表彰へと移ります。見事年度代表ウマ娘へと輝いたのはトウショウボーイさんです!》

 

 

 司会の人からの発表があった瞬間、カメラのフラッシュがたかれる。オレは少しばかり眩しく感じたが今の喜びに比べたら気にならない程度だ。司会の人が言葉を続ける。

 

 

《トウショウボーイさんは最優秀クラシック級ウマ娘として選出され、見事年度代表ウマ娘にも選出されました!今のお気持ちをお聞かせください!》

 

 

『もっちろん!めっちゃくちゃ嬉しいです!ファンのみんなー!これからも応援よろしくなー!』

 

 

 そのままオレはピースサインをする。やっぱり嬉しい気持ちは簡潔に伝えた方がいいとオレは思っているので、純粋な今の気持ちを言葉に出す。無理に畏まった言い方をするよりも断然いいはずだ。

 司会の人が進行を続ける。

 

 

《ありがとうございます。元気いっぱいですね!では、今後の目標をお聞かせ願えますか?》

 

 

『今後の目標は、いっぱい走っていっぱい勝つこと!特に負けられないライバルたちがいるのでそいつらには絶対に負けない覚悟でいきます!』

 

 

 絶対に負けられないライバル、言うまでもないがグラス・カイザー、そしてテンさんだ。特にテンさんにだけは絶対に負けられない。

 司会の人はオレの宣誓を聞いて感嘆の言葉を漏らした後、締めの挨拶に入った。

 

 

《それでは、輝かしい成績を残しましたトウショウボーイさんには後日URAより新しい勝負服が授与されます。今後の彼女の活躍に期待して、皆様盛大な拍手をお願いします!》

 

 

 司会の人の言葉とともに会場からは拍手が巻き起こった。オレはつい嬉しくなって手を振ってそれに応える。本当に最高の1日だった。……そう、この時までは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 年度代表ウマ娘として表彰されてから数日が経ち、いつも通りならオレはチームで練習を行っている……はずだった。しかし年明けに脚の痛みを訴えたオレをおハナさんが病院へと連れて行き、医者の人に見てもらった。診断結果は両脚ともに骨膜炎ということで軽めなら大丈夫だができる限り走るのはダメだと言われた。

 だからと言ってずっと走っていなかったらストレスが溜まると思ったオレは授業での流し程度なら構わないだろうと思い、見学の予定だったところを走らせてもらった。すると運悪くマルのクラスとの合同だったらしく言いつけを破って走っていたオレをマルは当然怒る。そして事情を聞いたテンさんからもこってりと絞られた。それで終わりならどれだけよかっただろうか。

 2人に怒られた後、勝手に走っていたことをおハナさんにキッチリと報告され当然おハナさんからもお叱りが入る。そして今後は勝手に走ったりしないように、学園内では監視の目が入ることになった。その監視役はマルである。今も隣で絶賛オレの監視中だ。

 走るのを控えなければならないということでオレは主にダンベルでの筋力トレーニングを中心にしているのだがこれがまあ暇だ。ただ黙々とこなすだけなので本当につまらない。

 何か面白い話題はないだろうかと思い、ダンベルを動かしながら考えているとふと気になることが出てきた。

 

 

(そういやおハナさんから見て誠司さんの評価ってどんなもんなんだ?)

 

 

 思い立ったら即実行。オレは近くにいるおハナさんに聞いてみることにした。

 

 

「おハナさん、ちょっといいですか?」

 

 

「どうしたのかしら?トウショウボーイ。走らせる気ならないわよ」

 

 

「マルとテンさんとおハナさんにこってり絞られたから勝手に走ろうなんて気力はないです……、じゃなくて!誠司さんのことなんですけど」

 

 

「神藤?彼がどうかしたのかしら?」

 

 

「確か新人トレーナーじゃないですか。テンさんが初の担当だとか。おハナさんから見て誠司さんってどれくらいの実力だと思ってるんですか?」

 

 

「そうねぇ……」

 

 

 おハナさんは少し悩むようなそぶりを見せ少しの間沈黙した後、結論が出たのかオレに教える。

 

 

「凡ね。良くも悪くもない、100点満点中50点、トレーナーの中でも平均って感じよ」

 

 

 その言葉にオレは目を見開いて驚いた。評価高めだと思っていたら結構な辛口評価だったからだ。隣にいるマルもその評価に少し驚いているような表情を見せていた。オレは理由を尋ねる。

 

 

「結構な辛口ですね……。理由とかあるんですか?」

 

 

「理由ねぇ。1番は単純なことよ」

 

 

 おハナさんはそう前置きした後、言葉を続ける。

 

 

「彼がやっていることは教科書通りなんだもの。戦術やトレーニング等、どれも教本に書かれていることを忠実にしているわ。それ自体は悪いことじゃないんだけど……」

 

 

「悪いことじゃないけど?」

 

 

「教本通りのことしかしないから対策も立てやすいということよ。現に今までのレースがそうだったでしょう?王道ともいえる先行でレースを展開して実力勝負に持ち込む。基本的にはそれの繰り返し」

 

 

「へぇ~……」

 

 

「良く言えば堅実、悪く言えばマニュアル通りにしか動けない。だからこそ凡なのよ。今のスタイルを貫くのであれば数年、下手をしたら10数年単位で時間はかかるけど有名なトレーナーにはなれると思うわ。教本通りに動くっていうのは新人トレーナーにはありがちなことだけどね」

 

 

 と、おハナさんは誠司さんに対する評価を下した。なるほど、教本通りのことしかできないのなら確かに対策は立てやすいだろう。

 すると今まで黙っていたマルがおハナさんに質問を飛ばす。

 

 

「それじゃあ、もしも、もしもの話よ?神藤さんが教本通りに動くことを止めた場合東条トレーナー的にはどうなると思う?」

 

 

「難しい質問ね……」

 

 

 おハナさんは少しの間悩むように黙った後、やがて結論が出たのか口を開く。

 

 

「彼、トレーナーになってからは大人しくしているけどトレーナーになる前は結構突飛なことをやっていたのよ」

 

 

 しかし口から出たのは誠司さんの昔話だった。一体どういうことだろうか?ただ関係はあると思うのでオレたちは黙っておく。

 

 

「普通じゃ考えつかないような発想をしては周りによく危害を及ぼしていたわ。それで生徒会に通報されては正座で怒られていたものよ」

 

 

「いい大人が何してんだよ……」

 

 

 オレは思わずそう言ってしまった。いい歳した大人が年下の生徒に正座で怒られる光景を想像すると情けなさの方が際立つだろう。しかしおハナさんはその後フォローを入れる。

 

 

「でもその発想も誰かのためであることが多くてね、最終的にはお咎めなしってことが多かったわ。それに彼が学園内でも結構自由にさせてもらっているのは知っているでしょう?」

 

 

 マルは納得するように答える。

 

 

「そうねぇ、普通だったら解体するようなプレハブ小屋を個人所有させてもらえるなんてあり得ないわ」

 

 

「それは学園に対する貢献の大きさもあるのよ。カフェテリアの食料の流通ルートを確保したのも彼だし、学園で作業をしている工事の業者は全てが彼の知り合いよ。それと学園のトレーニング室にある機材は全て最新の物。それを卸してもらえるのは彼のおかげと言っても過言ではないって理事長は言っていたわ」

 

 

「なんというか、聞いてるとなんでトレセン学園で用務員やっているのか不思議になってくるな」

 

 

 本当に不思議でならない。それだけの人脈があるならもっと他の仕事に就くっていう選択肢もあっただろう。個人事業主をやった方が儲かるんじゃないだろうか?

 ただその辺の事情はおハナさんも知らないらしい。首を振る。

 

 

「さぁ?どうして彼がトレセン学園の用務員になったのかは学園の7不思議に数えられるぐらいには謎よ」

 

 

(おハナさん知っているのか。トレセン学園の7不思議)

 

 

 そう思ったのもつかの間。話が脱線したわね、と前置きした後先程の評価の話に戻る。

 

 

「とにかく彼の発想はかなり自由なものよ。それがレースに活かされるようになった場合、彼が育てたウマ娘は最重要で警戒しなければならないでしょうね。何をするか、何をしてくるか分からないもの」

 

 

「何をしてくるか分からないってのは怖いな……」

 

 

「そうなった場合、凡なんて評価は下せないわね」

 

 

 おハナさんはそう締めた。総括すると今のままなら凡、化けるようなら最重要で警戒しなきゃいけないほどヤバい、ってことだろう。化けた場合のテンさんと勝負をしてみたいが、誠司さんはテンさんを大事にしている。望みは薄いかもしれない。

 すると1人のウマ娘がこちらへと戻ってきた。そのままおハナさんに話しかける。

 

 

「……東条トレーナー、提示されたトレーニングが終わりました。次はどうすればいいでしょうか?」

 

 

「さすがね、ルドルフ。それならクールダウンした後このメニューをしなさい」

 

 

「分かりました」

 

 

 そのウマ娘の名はシンボリルドルフ。メイクデビューはまだだがおハナさんが期待を置いている子だ。オレも仲良くさせてもらっている。

 オレはルドルフに話しかける。

 

 

「ルドルフ~!頑張ってんな!このままいけば3冠ウマ娘だって夢じゃないんじゃねぇか?」

 

 

「トウショウボーイさん。フフッ、勇往邁進。私の夢、目標に向かってただ進み続けるだけですよ。トウショウボーイさんもしっかりと怪我を治してください」

 

 

「おうよ!治ったらまた一緒に走ろうぜ!」

 

 

 ルドルフは笑みを浮かべた後クールダウンのためにすぐにオレたちから離れていった。別に敬語はいらないと言っているのに律儀なやつだ。

 そう考えているとおハナさんがこちらに注意してくる。

 

 

「さて、無駄話はもうおしまいよ。トウショウボーイもマルゼンスキーもそれぞれの練習に戻りなさい」

 

 

「はーい」

 

 

「分かったわ」

 

 

 そう言われてオレたちはそれぞれのトレーニングに戻る。

 おハナさんは一応春の天皇賞を目標にメニューを組んでくれている。そして天皇賞ほどの大レースともなれば、あの3人は確実に出走してくるはずだ。オレは思わず笑みがこぼれる。

 

 

(見てろよみんな!しっかりと脚を治して、天皇賞の盾はオレが戴くぜ!)

 

 

 その頃には新しい勝負服も届くだろう。春天が初のお披露目になるはずだ。思わずテンションが上がって大声を上げる。

 

 

「春天もオレがぶっちぎるぜー!」

 

 

「トウショウボーイ!黙ってトレーニングしなさい!」

 

 

「すいません!」

 

 

 案の定おハナさんに怒られた。その後のオレは黙々とトレーニングをした。




マルゼンスキーがいるということはアプリでは同級生っぽいルドルフももう学園にいるということで登場。ただ出番はほぼないと思います。マルゼンスキーは年代が近いから絡みやすいけどルドルフは完全に年代が違うので……。
そろそろお盆が近いので纏まった時間が取れそうだからプロローグをはじめとした最初の方の話を大幅に改稿する予定です。ただ話の本筋を変えるような変更はしません。見返すと今と全然違うと思ったので……。改稿した時はまたその時の最新話の前書きでお知らせします。


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第46話 払拭するために

テンポイントが気合を入れる回。


 すでに1月も終わりを迎えようかとしている所。ボクは来月に開催される京都記念を目指して練習に励んでいる。だが、練習にはいつも以上に熱が入っていた。

 熱が入っている理由は2つ、1つは先日行われたアメリカジョッキークラブカップでのグラスの活躍だ。グラスはそのレースをレコードタイムで勝利した。それも有マ記念にも出走していた天皇賞ウマ娘のアイフル先輩を下してだ。友達の活躍を聞いて嬉しく思う反面、こちらも負けていられないと思ったボクはいつもよりも気合を入れて臨んでいるというわけだ。ただ、

 

 

「テンポイント!気合を入れすぎだ!怪我するからもっとリラックスして走れ!」

 

 

「分かっとる分かっとる!気合入れてリラックスするわ!」

 

 

「気合入れてリラックスするってなんだよ!?」

 

 

熱が入りすぎてトレーナーから注意されているが。ただボクも冗談で返す余裕はあるのでトレーナーもまだボクに余裕があることは分かっているのだろう。それ以上は何も言わなかった。

 気合が入っているもう1つの理由はトレーナーが関係している。前にトレーナーはカイザーが世間での評価が芳しくないと言っていたがそれはボクのトレーナーも一緒だった。前から周りのトレーナー達からの評価はよくないということは知っていたが、それが記者たちの間にも普及してきている。それを知ることになったきっかけは記者陣が下したトレーナー評価の一覧の記事を見たことである。ボクはその記事を見る時に多少怖くなりながらもトレーナーが周りからどう思われているのかという好奇心には勝てずに中身を確認した。

 結論から言うと、非難轟々だった。やれボクの勝ち星を消した無能だとかあれほどの逸材を担当しておきながらクラシック1つも取らせてやれないだと色々言われていた。挙句の果てにはあんな新人がボクのトレーナーなんてボクが可哀想だという意見まで出てきていた。極めつけにはワイドショーでトレセン学園のトレーナーについて触れる番組があったのだが、そこでボクのトレーナーが話題に出てきたのである。コメンテーターからの言葉は今でもボクの頭に残り続けている。

 

 

《あんまりこういうことは言いたくないですけどね、テンポイント程の逸材をあんな新人が担当していいわけがないんですよ。彼がトレーナーでなければ、テンポイントはクラシックを取れていた。それは確実に言えることです。それをあんな様だなんて……、身の程を弁えて欲しいですねホント》

 

 

 ……まあこの発言をしたコメンテーターは後日この番組を降板させられたのかは知らないがTVで見る機会はなくなった。周りからもこのコメンテーターは批判されていたがぶっちゃけボクにとってはどうでもいい話だ。

 この発言を聞いていた時のボクは表にこそ出していなかったが内心は腸が煮えくり返っていた。

 

 

(身の程を弁えろ?それはお前の話やろが……ッ!ボクが選んだんやぞ?ボクが望んで、ボクが決めたことや。何も知らんやつが……ッ!ケチつけてんちゃうぞ……ッ!)

 

 

 目の前にいたら手加減せずに本気でぶん殴ってやりたかった。それほどまでに当時のボクは怒り狂っていた。

 ……ボク自身怒りを抑えていたつもりではあったが、どうやら後から聞いた話だと全然抑えれてなかったらしい。あまりの怒りように誰も近寄ろうとしなかったと言っていた。その時たまたま近くにいたグラスからの証言である。

 

 

『全然殺気抑えれてなかったよ。今にも皿とかコップとかテレビにぶん投げそうな雰囲気あったし。というか実際に投げようとしてたから私必死に止めてたんだからね?』

 

 

 いつもの間延びした口調ではなく普通の口調で言っている辺り本当のことだったのだろう。グラスには謝っておいた。

 とにかく、カイザーだけでなくトレーナーの評価も芳しくないのだ。それでいてボクの評価はほとんど落ちていないんだから尚更トレーナーのことが際立つ。ただ、この前トレーナー室で一緒にテレビを見ていた時に、リギルのトレーナーが言っていた言葉はボクもトレーナーも納得いってなかったが。

 

 

《良バ場ならどんな距離でもどんなウマ娘の子たちにもトウショウボーイは負けません。それだけの自負があります》

 

 

 この言葉を聞いた時、トレーナーは悔しそうに歯噛みしていた。そんなことはない、テンポイントだって負けていない、そう言いたいけれど実際に負けている現状何も言えない、そんな気持ちが透けて見えた。

 なので、次の京都記念は負けられない。春の天皇賞への足掛かりでもあるし、もしここでも負けるようなことがあればトレーナーの評価はさらに下がることは間違いないからだ。それだけは絶対に避けたい。

 友達の活躍、トレーナーの評価を覆す。この2つ理由からボクはいつも以上に気合を入れて練習に臨んでいる。ただ無理のし過ぎは禁物だと口酸っぱく言われているので気持ちだけ入れて練習は怪我をしない程度に抑えている。

 そんなことを考えていたらいつの間にか指定の数をこなしていたらしい。トレーナーがこちらへと声を掛ける。

 

 

「テンポイント!そろそろ休憩の時間だ!」

 

 

 その言葉を聞いてボクはトレーナーの方へと走って向かう。トレーナーはいつも通りお手製のドリンクとタオルを持ってボクを出迎えてくれた。それを受け取って休憩に入る。トレーナーはそのまま次の京都記念へと話を移した。

 

 

「さて、休憩を取りながら聞いてくれ。次の京都記念の話だ」

 

 

「ん、出走メンバーが固まりそうなんか?」

 

 

 ボクの言葉にトレーナーは頷く。

 

 

「今の出走メンバーを見ている限り、一番気をつけるべきは有マ記念でも戦ったエリモジョージ……なんだが」

 

 

「どしたん?なんか歯切れが悪そうやけど」

 

 

「正直言って、エリモジョージの対策が分からんっていうのが現状だ。逃げウマ娘だからその対策をとればいいんだけど……」

 

 

「なんとなく、言わんとしたいことは分かるでトレーナー」

 

 

 エリモジョージ。12番人気という低評価を覆しての春の天皇賞制覇を成し遂げたウマ娘だ。実力は確かにある。油断ならない相手であることには間違いない。

 ただ、彼女は〈気まぐれジョージ〉と呼ばれている通り戦績にかなりムラがあるのだ。大レースを制したと思えばオープンレースで嘘のようにボロ負けするようなことを繰り返している。この前の中山金杯も1番人気に支持されながらも7着という掲示板外に沈んでいた。彼女を担当しているトレーナーから

 

 

『私にもさっぱり分かりません。もし前もって分かる人がいたら教えてもらいたいぐらいだ』

 

 

などと、ある意味匙を投げられている。まあ仲の悪いという噂は聞かないので良好な関係ではあるのかもしれない。

 そんな現状だから、対策してもその対策が役に立つのか分からないと言いたいのだろう。こうもムラがあると確かに対策の取りようがない。トレーナーは気を取り直すかのように他のウマ娘について言及し始める。

 

 

「後気をつけるべき相手と言えば、京都大賞典で苦渋を舐めさせられたパッシングベンチャと最近調子を上げてきているホシバージとかだな。ただ年が明けてお前の調子も上がり続けてきている。春天も見据えて是非とも勝っておきたいレースだ。弾みをつけるためにも頑張るぞ」

 

 

「了解。油断はせぇへん、勝ったるわ」

 

 

 そう言って後は作戦などの細かい確認をしていく。この辺ももう慣れたものだ。

 もう負けるわけにはいかない。この調子を維持し続けて絶対に勝つ。ボクはそう誓い休憩を終えて練習へと戻っていく。京都記念だけじゃない、鳴尾記念も春天もボクが勝つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうして迎えた京都記念、ボクは1番人気に支持された。そのことに多少の喜びを覚えつつも気を引き締めて出走の瞬間を待つ。ゲートが開いたとほぼ同時にスタートを切ることができた。調子も好調、後は勝つだけである。

 結果だけ言うとボクはこのレースを1着でゴールすることができた。スプリングステークス以来実に10か月ぶりの勝利である。ただボクの心はあまり晴れやかな気分ではない。久しぶりの勝利に加えて年が明けての最初のレースを勝てて嬉しいことは嬉しいのだが、着差の関係で素直には喜べなかった。

 

 

(2着とはクビ差……。まだまだこんなもんで満足はできへんな)

 

 

 京都記念はG2なので勝つことも難しいのは頭では分かっている。ただボクの気持ちは全然満足していなかった。このぐらいで満足していたらみんなには勝てない、そう思いながらボクはウィナーズサークルへと歩を進める。

 ウィナーズサークルでは久しぶりのボクの勝利を祝うコメントや次走への意気込みなどを質問された。正直、トレーナーに関する記事の件もあってか記者の人たちとはあまり関わり合いたくないが我慢する。ボクとトレーナーはそれに1つずつ丁寧に答えていく。

 

 

「神藤トレーナー、テンポイントの次走はどのレースをお考えでしょうか?」

 

 

「テンポイントの次走は鳴尾記念を予定しています」

 

 

「テンポイントさん、久しぶりの勝利おめでとうございます。今のお気持ちは?」

 

 

「おおきにです。でもまだまだ満足するわけにはいきません。この勝利に慢心することなく次のレースも勝っていこう思うてます」

 

 

「春の天皇賞も残り2か月に迫ってきています。1番警戒しているウマ娘はどの子ですか?」

 

 

「やはり最重要で警戒しているのはトウショウボーイです。今の段階だと負け越していますし、テンポイントも特に彼女を意識しているので負けられない相手であることは間違いありません。ただ、向こうが出走してくるかはまだ分からないので何とも言えませんが。ですが、トウショウボーイが出走してもしなくても勝つのはテンポイントです」

 

 

「ありがとうございました。では次の質問ですが……」

 

 

 そのまま取材は滞りなく進み、取材を終えウイニングライブも終わってボクたちは帰路につく。道中車を運転しながらトレーナーが話しかけてきた。

 

 

「テンポイント、記者の人たちは嫌いか?」

 

 

「どしたん?急に」

 

 

 トレーナーの一言にボクは心臓が跳ねた。ただそれがバレないように平静を保つように答える。しかしトレーナーはボクの胸の内が分かっているかのように答えた。

 

 

「いや、お前の方を向いたら思いっきり耳を絞ってたからな。しかも両耳とも。できるだけ早く取材を終えるようにするのは大変だったぞ」

 

 

 その言葉にボクはトレーナーの方を見る。するとトレーナーは含み笑いをしていた。そのことにボクは恥ずかしくなって顔を赤くするが、すぐに反論する。

 

 

「……やって、記者の人たちって調子ええことしか言わんやんか。あんだけトレーナーのことボロクソに叩いといていざ勝ったら称賛するなんて……」

 

 

「ハハ、まあ彼らはそういう仕事だからな、仕方ないさ。ただ覚えておいてくれテンポイント。記者の人たちも悪い人たちばかりじゃないってことをな」

 

 

 そう言って信号待ちの間に1冊の雑誌をボクに手渡してきた。見やすいように車内のライトを点ける。付箋が貼ってあるページを開くとトレーナーのことが書かれていた。

 

 

【神藤トレーナーは新人でありながら周りの評価に惑わされることなく頑張っている。将来が楽しみなトレーナーだ】

 

 

 要約するとこういった旨のコラムが書かれていた。ボクはトレーナーの方へと視線を向ける。トレーナーは笑いながらボクに告げる。

 

 

「俺のことを悪く言う記者もいれば、良く言ってくれる記者だっている。1つの側面だけ見て結論を急ぐのはよくないことだ。そのことだけは覚えておいてくれテンポイント」

 

 

「……分かった」

 

 

 不承不承ながらボクは納得する。ただ気持ち的な面では納得していない。トレーナーもそれが分かったのか苦笑いを浮かべていた。

 次の鳴尾記念もしっかり勝って春の天皇賞も勝つ。そう思いながらトレーナーの運転で学園へと戻っていった。




実際記者の人でもまともな人はいると思ってます。ウマ娘で言えば乙名史記者とかそうですし。



※京都記念の着差をクビ差に修正。なんかのレースと勘違いしてました。お恥ずかしい限りです。 8/9


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第47話 反対の事情

京都記念後のお話。改革案に反対していた理由が判明する回。


 テンポイントが京都記念を辛勝してから1週間が経ち、俺は今仕事がひと段落したということで昼食を食べるために食堂へと来た。ただ結構早めに来たためか人はまばらであり購入から席に着くまではスムーズに進んだ。しかし食堂に人がいなかったのも一瞬のことで俺が席に着いて少ししたら続々と人が入ってきた。その光景を見ながらラッキーだと思いつつもご飯を食べ始める。

 そんな時、誰かから声を掛けられる。

 

 

「失礼、こちらよろしいでしょうか?」

 

 

 その声は聞き覚えがあった。菊花賞後に訪れたトレーナー棟でひと悶着あった人物時田である。正直言ってあまり好きではない人物なので俺は一瞬顔をしかめるものの返事をする。

 

 

「良くないので他を当たってください時田さん」

 

 

「そうですか、ありがとうございます。ではお向かい失礼しますね」

 

 

「話聞いてた?」

 

 

 断ったはずなのに何食わぬ顔で向かいの席に座ってきた。周りを見渡す限りまだ席は空いているのになぜわざわざ俺の近くの席に座るのか理解できない。

 少しの間無言での食事が進む。気まずい、あまりにも気まずい。あの一件以降も積極的に関わろうとしなかったため、話題が出てこない。同じトレーナーということで共通の話題は沢山あるはずなのに今は不思議なほど出てこなかった。何か話さないとまずいだろうか?そう思っていると向こうから話を切り出してきた。

 

 

「そうそう、テンポイントさんのことなんですが。京都記念優勝おめでとうございます」

 

 

「はぁ、ありがとうございます……」

 

 

 一応褒められたのでお礼は言う。ただ、わざわざそんなことを言うために俺の前に座ったのだろうか?疑問を抱かずにはいられない。

 そんなことを考えていると時田は言葉を続けてきた。

 

 

「おや?せっかく担当が勝ったというのに嬉しくないのですか?声に覇気がありませんが」

 

 

「生憎と、正面切って嫌いと言ってきた人物の言葉を素直に受け取るほど純粋な人間じゃないものでして」

 

 

「それは残念です。本心なんですがね」

 

 

 そう言ってはいるが本当なのか怪しいところだ。

 このままあちらの話題ばかりというのも良くないと思ったので俺からも話題を出す。

 

 

「そういえば時田さん、秋川理事長が提示したトレセン学園の授業の改革案に納得したらしいじゃないですか。どういう心変わりですか?否定的だったのに」

 

 

 俺の質問に彼は嘆息しながら答える。

 

 

「私個人の我儘でこれ以上場を引っ掻き回すのは良くないと思ったまでです。まあ秋川理事長の提示してきたものが完璧で非の打ち所がなかっただけですが。担当達にも影響が及ばなそうなので特に反対する理由がなくなっただけです」

 

 

「私個人の我儘?一体なんですかそれは?」

 

 

「あなたに教える必要がありますか?」

 

 

 そう言ってこれ以上話すことはないとばかりに話題を終えた。気になるところではあるが教えてはくれないだろう。

 すると今度は向こうから質問してきた。

 

 

「ところで神藤さん、あなた随分と堅実にトレーナーをしているんですね。正直意外でしたよ、有マ記念の時も、この前の京都記念も。何故です?」

 

 

「何故も何も……。俺はテンポイントが勝つために最善を尽くしているだけですよ。堅実なのはそれが1番勝率が高いからで……」

 

 

 俺の言葉を遮って向こうはさらに質問を飛ばす。

 

 

「どうでしょう?今の作戦が、本当にテンポイントさんの中で最善なんだと胸を張って言えるでしょうか?」

 

 

「……何が言いたいんですか?」

 

 

 俺は思わずそう質問する。もしかしたら彼はテンポイントが勝つためのより最善の策が思いついているのだろうか?

 しかし、俺の返しに時田はただ溜息をつくだけだった。

 

 

「いえ別に?深い意味はありませんよ?」

 

 

 その言葉に俺は時間の無駄だと思った。だが彼は気になることを告げる。

 

 

「ただ、あなたはただマニュアル通りのことしかやらないトレーナーなのだなと、そう思っただけです。多少は期待していたのですが……残念ですね」

 

 

「それの何が悪いんですか?」

 

 

「そこは自分で考えてください。ただ1つ忠告しておくなら……、このままマニュアル通りのレースを続けていくのであればテンポイントがトウショウボーイに勝つことは一生ありませんよ」

 

 

 その言葉を聞いた瞬間、俺は時田を睨みつける。しかし俺の顔を見ても時田は涼し気な顔をしていた。

 

 

「おやおや、怖い顔ですね。食事時ぐらいリラックスしてみては?」

 

 

「黙れ、誰のせいだと思っている」

 

 

「やれやれ、自分の愛バのこととなるとすぐに熱くなりますねあなたは。相当お熱なようだ」

 

 

「余計なお世話だ。わざわざ俺のところに来たのはそれだけか?だったらもう帰らせてもらうぞ」

 

 

 そう言って席を立とう……と思ったがまだ昼飯が残っているので座りなおす。微妙に恥ずかしい気分になった。勢いだけで動くもんじゃないと反省する。

 ただ時田は何事もなかったかのようにこちらへと話を続ける。

 

 

「別に立てた作戦に正解があるわけではありませんが……。もう少し視野を広げてみることをお勧めしますよ。先輩トレーナーからのアドバイスです」

 

 

「アドバイスありがとうございます。記憶の奥底ぐらいには留めておきますよ先輩」

 

 

「ええ、是非そうしてください。活かせる機会があるといいですね新人君」

 

 

 ダメだ。俺自身悪い方でしか彼を見てこなかったせいか、普通のアドバイスを言われているはずなのにどうしても嫌みのように聞こえてしまう。

 どうにかして時田の鼻を明かしてやりたいと思っていると彼が先程言っていたことがふと気になった。理事長の改革案の話をした時に言っていた私個人の我儘という言葉だ。アレはどういうことだろうか?

 

 

(普通、私個人の我儘だなんて言うか?私たちの我儘ならともかく)

 

 

 まるで時田だけがその改革案に反対していただけのような口ぶり。それに担当達に影響が及ばなくなったから反対する理由がなくなった。そう言っていたということはつまり。

 

 

(この改革案を担当しているウマ娘達には知られたくなかった、もしくは特定の誰かに知られたくなかった?)

 

 

 俺が急に黙りこくったので時田はこちらへと声を掛ける。

 

 

「どうされましたか?神藤君。急に黙り込んで。何か考え事ですか?」

 

 

 とりあえず疑問を解消するために彼へと質問する。その質問は先程の我儘の点についてだ。

 

 

「時田さん、先程私個人の我儘と言っていましたがその我儘って何でしょうか?」

 

 

「……さっきも言ったでしょう?あなたに教える義理はありますか?」

 

 

 時田は先程と同じ答えをする。しかし俺は追及することにした。少々子供っぽいが時田の鼻を明かせると思ったからだ。

 

 

「別にありませんけど。でも気になるじゃないですか?時田さんの我儘が何なのか」

 

 

「別に大したことではありませんよ。あなたが気にすることじゃありません」

 

 

「大したことないなら教えてくれてもいいんじゃないですか?大したことないならね」

 

 

「グッ……!」

 

 

 時田は顔を歪めている。こうなれば完全にこっちのターンだ。

 

 

「これは勘なんですけど、もしかしたら担当が関係あるんじゃないですか?どうやら担当には知られたくなかったようですし」

 

 

「……それはあなたの勘でしょう?違いますよ」

 

 

「そうですか。では時田さんが担当しているウマ娘の名前を教えてもらってもいいですか?」

 

 

「ホクトボーイですよ。あなたのテンポイントと同期の」

 

 

「本当にその子だけですか?他にもいますよね?時田さんはすごいトレーナーですから」

 

 

「……しつこいですね、あなたも」

 

 

「お褒めに預かり光栄です」

 

 

 そのまま時田は唸っていたがやがて観念したように溜息をついた。一体私の我儘の正体とは何なのだろうか?

 

 

「私が改革案に反対していた理由。あるウマ娘には知られたくなかった理由。その原因を作ったのは……ジ、ですよ」

 

 

「はい?」

 

 

 肝心のウマ娘の名前だけ声を小さくしたので聞き直す。すると彼は諦めたように声を大にして答える。

 

 

「エリモジョージ、ですよ。私が改革案に反対していた理由は彼女が原因です」

 

 

 その名前に俺は思わず鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする。思わずその表情のまま聞き返してしまった。

 

 

「エリモジョージ……ですか?」

 

 

「そうですよ」

 

 

「<気まぐれジョージ>と名高い、あの?」

 

 

「……そのエリモジョージですよ」

 

 

 時田さんは手で顔を覆う。まるでやってしまったと言わんばかりに。

 俺は時田さんにそのまま質問をする。

 

 

「あの、なんでエリモジョージが関係しているんですか?彼女の気まぐれはレースだけじゃないんですか?」

 

 

「ハハッ、それならどんなに良かったか……!」

 

 

 どうやらレース以外でもその気まぐれは発揮されているらしい。時田さんは言葉尻を強めていた。

 

 

(……待てよ?もし彼女の気まぐれがレース以外でも発揮されているのだとしたらこの改革案を聞いた時彼女はどんな反応をするだろうか?)

 

 

 今考えついたことを恐る恐る彼に聞いてみる。すると彼は首を振って答える。

 

 

「分かりません。彼女の考えていることなど私にはさっぱり理解できませんので。ただ確実に言えることがあります」

 

 

「……それは?」

 

 

 正直、俺と時田は同じことを考えているのだろう。時田はこちらに目を合わせながら告げる。

 

 

「ふとした気まぐれでレースを辞めて転科しかねない。その危険性があるので私は改革案に反対していたんです」

 

 

「いや、そんなまさか。そんなことがあるわけ……」

 

 

 断言できない。少なくともエリモジョージを担当している時田さんが言っていることだ。それに思い出すのはとある日の番組での時田さんのコメント。

 

 

『私にもさっぱり分かりません。もし前もって分かる人がいたら教えてもらいたいぐらいだ』

 

 

 そんなことを言っていたことを思い出す。つまり、時田さんが言っていたことが現実に起こりえる可能性は0ではないということだろう。

 

 

「だから言いたくなかったんですよ……。お恥ずかしい限りですが本当に私個人の我儘ですので。けれど、彼女がレースで走り続けるためには余計なものを目に入れないようにするしかないんですよ……」

 

 

 時田さんはそう言って頭を抱えて伏せてしまった。俺は何とも言えない気持ちになる。正直今聞いた話をなかったことにしたいとさえ思った。

 そして、なぜ彼がウマ娘のことを管理主義に近い接し方をしているのかが分かった気がした。おそらく全てはエリモジョージのことが尾を引いているのだろう。彼女の気まぐれっぷりに振り回された結果、管理主義の考えに至ったのかもしれない。そう思うと何とも言えない気持ちになった。

 俺と時田さんの間には気まずい沈黙が流れる。俺はかける言葉が見つからなかったため、自分の昼飯である定食のおかずをそっと時田さんの皿に乗せる。

 

 

「あの、俺のおかず1つあげるので……元気出してください」

 

 

「原因を作ったのはあなたでしょう……」

 

 

「はい……。あの、本当にすいませんでした……」

 

 

 思わず俺は時田さんに優しく接してしまう。ただ、彼が歩んできた苦労のことを考えるとやってしまったと後悔するしかなかった。

 その後はお互いに無言でご飯を食べ終わり、それぞれの仕事に戻る。この日以降、俺は時田さんにはできるだけ優しくしていこうと決めた。




嫌いな相手と接する時は子供っぽくなる主人公。後担当(テンポイント)のことになるとすぐに頭がカッとなる。


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第48話 春を迎えて

何のレースと間違えたんだ私は……(京都記念の着差)。過去話のは修正済みです。


 積もっていた雪が解け桜舞う季節となったこの頃、トレセン学園では入学式を迎えていた。今年も様々な夢を持ってこのトレセン学園に入学してきた後輩たちのことを思うと心が躍る。ただ、ボクの心が躍っている理由は別にあるが。

 在学生であるボクに入学式は特に関係がないため休みとなっている。そのためいつものように練習に励んでいた。特に今月末には春の天皇賞が控えている。1日でも練習を休むわけにはいかない。そんなことを考えながら休憩に入ろうとすると

 

 

「お姉!お~ね~え~!」

 

 

とても聞き覚えのある声が誰かを大声で呼んでいた。この声でお姉と呼ぶということは間違いなくあの子だろう。

 

 

「キングス!入学おめでとさん!待っとったで!」

 

 

 ボクはこっちに向かって走ってくるキングスを抱きとめる。ただ向こうの方が体格が大きいため少しキツいが。

 ボクの心が躍っていた理由は妹であるキングスポイントの入学のことだ。無事に試験を合格したらしく、今年晴れてトレセン学園に入学することができたのだ。ボクにとっては可愛い妹、合格の報せを聞いた時は我が事のように喜んだ。

 トレセン学園の制服を身に包んだキングスの姿をじっくりと見る。我が妹ながら可愛い。キングスはそのまま嬉しそうにこちらへと話しかける。

 

 

「お姉!どうかな?あたし制服似合う?似合ってるかな?」

 

 

「むっちゃ似合っとるで!ホンマかわええなぁキングス」

 

 

「えへへ。勉強頑張った甲斐があったし!」

 

 

 そう言って屈んでいるキングスの頭を撫でる。キングスは気持ちよさそうに目を細める。トレーナーもこちらの邪魔をしないためか少し離れた位置に立っていた。トレーナーの顔は微笑ましそうなものを見ている顔だった。

 そのまま頭を撫でているとキングスは何かを思い出したかのような顔をした後、こちらに話しかけてくる。

 

 

「そうだお姉!京都記念と鳴尾記念の連勝おめでとうだし!この調子で春天も楽勝だし!」

 

 

 キングスからのお祝いの言葉にボクは微妙な感情になる。思わず顔に出そうになったが踏みとどまってキングスにお礼を言う。

 

 

「あぁ~……、ありがとなキングス。せやな、このまま春天制覇や」

 

 

 しかしどうやら顔に少しだけ出ていらしくキングスは怪訝な顔をしながら尋ねてきた。

 

 

「あれ?お姉あんま嬉しそうじゃないし。何かあったし?」

 

 

「いや、そういうわけやないんやけど……」

 

 

 ボクは困ったことになったと思った。会話が聞こえていたのかトレーナーも苦笑いを浮かべてこちらを見ている。

 確かにボクは2月の京都記念と3月の鳴尾記念を連勝した。それは事実だ。しかし素直に喜べないレースだったのだ。その理由は着差にある。2レースとも2着とクビ差の接戦だったことだ。

 別に自分の強さに慢心しているわけじゃないが、もう少しやれたんじゃないだろうか?というのがボクとトレーナーの見解だ。特に有マ記念以降ボーイに勝つことを目標としている以上、このまま慢心しているわけにはいかない。彼女は強いウマ娘だから。

 そんな事情を知らないキングスは無邪気な笑顔のままこちらへと話を続ける。

 

 

「まあでもお姉なら心配ないし!あのトウショウボーイって奴も楽勝だし!」

 

 

「あぁ~……それは、なんとも……」

 

 

 痛い、妹からの純粋な尊敬の視線が痛い。ボクが勝つと信じて疑わない妹からの視線がとても痛い。ふとトレーナーの方へと視線を向けるとしきりに頷いていた。キングスの意見に同調しているのかもしれない。

 キングスの視線に耐えられなくなったボクは無理矢理にでも話題を変える。丁度良く入学式の日だ。ボクは気になっていることを質問する。

 

 

「せや!キングス、トレセン学園で仲良うしてくれる友達はおりそうか?お姉はそれが心配で心配で……」

 

 

「友達?それなら心配はいらないし!初日から早速できたし!」

 

 

 その言葉にボクは驚く。離れた位置のトレーナーも驚いた表情をしていた。それはそうだろう。人見知りが激しいキングスが初日から友達を作るなんてお母様が聞いても驚くだろう。

 ボクは驚きを隠せないままキングスに聞き返す。

 

 

「そ、それホンマか?嘘やないよな?」

 

 

 するとキングスは自信満々に答える。

 

 

「嘘じゃないし!何なら今こっちに向かってるし!」

 

 

 そう言って彼女は練習場の外の方へと視線を向けた。ボクもそちらへと視線を向ける。するとこちらへと走ってきている数人のウマ娘がいた。彼女たちがキングスの言っていた友達だろうか?

 キングスが友達といった彼女たちはボクの姿を見ると感嘆の声を上げる。そのままボクへと嬉しそうに声を掛けてきた。

 

 

「あ、あの!失礼を承知でお伺いしますが本物のテンポイント様でしょうか!?」

 

 

 なんだろうか、圧が凄い。ボクは少し気圧されながら答える。

 

 

「う、うん。ボクがテンポイントやけど……」

 

 

 すると彼女たちは黄色い歓声を上げた後感極まったような声でそれぞれ呟く。

 

 

「ほ、本物のテンポイント様だわ……」

 

 

「ど、どうしよう!?ウチ変じゃないかな!?」

 

 

「あぁ、私もう死んでもいい……ッ!」

 

 

「ダメよ!これからもテンポイント様を応援するために生きなさい!」

 

 

 ……この反応はとても見覚えがある。おそらくだが彼女たちはボクのファンなのだろう。ファン交流イベントなどで見たことがある反応だ。

 ボクはまだ若干気圧されながらもキングスへと質問する。

 

 

「キングス、この子たちが言うとった友達か?」

 

 

「そうだし!みんなお姉の魅力が分かるいいやつらだし!」

 

 

 キングスはとても嬉しそうに答える。ボクは何とも言えない気持ちになった。

 

 

(キングスに友達ができたんは嬉しいけど……。まさかのボクのファン繋がりやったんか……)

 

 

 思えば、人見知りなキングスが誰かと関わろうとするならばボク関係の話題に食いつくぐらいだろう。嬉しいのやら恥ずかしいのやらよく分からない感情になる。

 そんなことを考えていたら、キングスの友達の内1人がこちらへと近寄ってきた。

 

 

「あ、あの!テンポイント様!」

 

 

「なぁ、様は止めてくれへん?せめて先輩て呼んでくれへんか?」

 

 

 しかし彼女は様呼びを継続したまま話しかける。

 

 

「テンポイント様!ご、ご、ご迷惑でなければ握手してもらえませんか!?」

 

 

「あ、握手?まあそれぐらいかまへんけど……」

 

 

 そう言ってボクは手を差し出して近づいてきた彼女と握手をする。すると握手をした彼女はその場へとへたり込んでしまった。ボクは驚いて声を掛ける。

 

 

「ちょお!?大丈夫か自分!?」

 

 

「あ……ッ!あ……ッ!私、中央に入学できて良かった……ッ!」

 

 

(たかが握手で!?)

 

 

 ボクは戦慄した。まさか握手でここまで言ってくれるとは思ってもいなかった。するとボクが握手をしている姿を目にしたのか、他の子たちが口々にボクにお願いしてくる。

 

 

「あっ!抜け駆けなんてずるい!」

 

 

「テンポイント様!私とも、私ともお願いします!」

 

 

「いや、握手くらいなんぼでもしたるけど……。そないに嬉しいか?」

 

 

「「「勿論です!」」」

 

 

 彼女たちは息を揃えて答える。

 どうやらちょっと、かなり、大分個性的な友達らしい。そう思ってしまったボクは悪くないはずだ。

 そんなことをしているとキングスはボクのトレーナーの方へと走っていき何やら会話をしていた。丁度いい。キングスがいる間には聞けないと思ったことがあったのだ。ボクはこの機会を逃すまいと彼女たちへと質問する。

 

 

「なぁ、ちょいええか?」

 

 

「はい!なんでもお申しつけください!テンポイント様の質問ならなんでも答えます!」

 

 

「いや、別にそない大したこと聞く気はないから」

 

 

 ボクは気になったことを彼女たちに問いかける。

 

 

「あんま疑うような真似はしたないんやけど……、ホンマにキングスと友達になってくれたんか?あの子のお姉としては心配でな……」

 

 

 そう聞くと彼女たちは一様にキョトンとした表情を浮かべていた。そのままボクへとそれぞれの考えを答えてくれた。

 

 

「え?まだちょっとしか接していませんけどキングスちゃんっていい子じゃないですか?」

 

 

「だよね。ウチらの会話を聞いても気持ち悪がらずに接してくれてるし。それにテンポイント様が大好きなのも伝わってきましたし」

 

 

「それになんだかほっとけないじゃないですか、キングスちゃん」

 

 

「だからテンポイント様が心配するようなことは何もないですよ」

 

 

「それにキングスちゃんがテンポイント様の妹ってのも今知りましたし」

 

 

「そうそう!マジビックリ!」

 

 

「でもでも~?」

 

 

「そんなの関係ない!ってね」

 

 

 そう言って彼女たちは笑いながら答えてくれた。どうやら嘘ではなく本心で言っているようだ。

 

 

(良かった……。これなら大丈夫そうやな……。キングスも悪う思うてないみたいやし)

 

 

 心配するようなことはなかったとボクは安堵する。そのまま彼女たちにお願いする。

 

 

「良かったら、あの子と仲良うしてくれると嬉しいわ。ボクんこと抜きにしてもな」

 

 

 彼女たちは元気よく答える。

 

 

「「「勿論です!テンポイント様!」」」

 

 

 相変わらずの様付けだがこれなら心配はいらないだろう。

 キングスとトレーナーの会話はどうなっただろうか?そう思いトレーナーの方へと顔を向けるとあちらも丁度話が終わったらしくキングスがこっちへと戻ってきていた。キングスはとてもいい笑顔を浮かべているが何かいいことでもあったのだろうか?気にはなるが追及することでもないと思ったボクは何も聞かないことにした。こちらに戻ってきたキングスに彼女たちを大事にするように言う。

 

 

「キングス。せっかくの仲良うしてくれる友達や。大事にするんやで」

 

 

「勿論だし!」

 

 

 キングスは元気よくそう答えた。これなら大丈夫だろう。

 そのままキングスは友達を連れて学園の方へと戻っていった。寮の方で荷造りをするらしい。ボクは彼女たちを手を振って見送る。手を振るボクの姿にまた黄色い歓声が上がるがもう気にしないことにした。

 トレーナーがこちらへと近づいて話しかけてくる。

 

 

「あれなら、キングスのことは心配なさそうだな。みんないい子たちそうだし」

 

 

「せやな。心配せんでもよさそうや」

 

 

 彼女たちが去った後、練習を再開するために準備をする。すると不思議なことに肩が軽くなったように感じた。もしかしたら気づかぬうちに気負いすぎていたのかもしれない。彼女たちと話したことで気が楽になったのだろう。その後の練習はとても調子が良かった。




個性的な友達が増えたよやったねキングスちゃん


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第49話 春のファン大感謝祭

春のファン大感謝祭をテンポイントとトレーナーが見て回る話。


 入学式も終わってしばらく経ち、トレセン学園では春のファン大感謝祭が開催されていた。秋にある聖蹄祭とは違い、こちらは通常の学校の体育祭の側面が強い。普段は平地で走ることを主としているボクたちだがこの日は違い球技や駅伝などあまり触れる機会のないスポーツ種目が各場所で行われている。また、スポーツ系が中心とはいえ聖蹄祭同様お店を出店しているチームも勿論ある。ボクのところも出店側の1人だ。

 

 

「今度はたこ焼きかいな……。しかもむっちゃ美味いのが腹立つ……」

 

 

「テンポイント、2パック出来上がったぞ」

 

 

「はいはい」

 

 

 聖蹄祭の時のようにトレーナーに駆り出されたボクは今度はたこ焼き屋として売り子をしていた。別に誰とも回る予定はなかったので暇と言えば暇だったからいいのだが。

 ボーイはリギル主催の、カイザーはハダル主催のものが別々にあったので一緒に回ることはできないと前もって言われていた。グラスはと言うと最近スピカにも新入部員が入ってきたらしく、チームで何かをする予定らしい。暇ができたらそれぞれのところに行ってみるのもいいかもしれない。

 当初はキングスと回ろうとも思ったのだが先日の友達みんなと仲良さそうに回っている姿を見て邪魔してはいけないと思い誘うのは止めた。楽しい学園生活を送れているようで姉としては嬉しかった。

 最後にトレーナーに声を掛けたのだがその結果が今の状況である。トレーナーが作るたこ焼き屋の売り子として精を出す羽目になった。まあバイト代に加えて好きなものを何でも作ると言われて手伝うと即決したボクも悪いのだが。

 お店の方はと言うと大盛況である。トレーナーがSNSでボクが売り子をしているということを宣伝していた効果とトレーナーが作るたこ焼き自体が美味しいと評判になっていることもあり先程からお客さんがひっきりなしに来ている。お客さんの反応はというと

 

 

「うわぁ……!本物のテンポイントだぁ!」

 

 

「ホントにたこ焼き売ってる~!」

 

 

「すいません、たこ焼き2パックください!」

 

 

「店員さん、たこ焼き買った数に応じて特典みたいなものはないんですか!?」

 

 

「うちはそういうのやってないんで諦めてくださいね」

 

 

上々である。たまに大量に買うから写真を撮らせてくれだの勝手に撮ろうとする輩もいるのだがそれにはトレーナーが逐一対応していた。近くに警備役としてテスコガビー先輩を配置しているため勝手に撮影した場合先輩に捕縛されて他の警備員に連行されていく。先輩はリギルの方はいいのかと聞くと

 

 

「ちゃんと東条トレーナーからは許可は取ってある。それに神藤トレーナーにはお世話になってばかりだから少しでも恩を返したくてな。リギルは人手も足りてるだろうから大丈夫だ」

 

 

大丈夫らしい。ならボクからこれ以上何か言うことはないだろう。

 そうしてたこ焼きを売っていきたまに現れる不埒な輩を先輩が成敗する時間が過ぎていく。お昼になる頃にはもう完売していた。周りはまだ売っているのを見ると驚きの速さである。

 トレーナーはエプロンを外してボクに話しかけてる。

 

 

「さて、完売したからもう終わりだ。後は自由に回っていいぞテンポイント。お疲れ様」

 

 

「あぁ~……、やっと終わったわ……」

 

 

 開催と同時からお客さんがひっきりなしに来ていたためかなり疲れた。ボクは伸びをする。そんなボクに先輩がドリンクを差し入れてくれた。お礼を言って受け取る。

 ドリンクを飲んでいるとトレーナーがボクに質問してきた。

 

 

「テンポイントはこの後どうするんだ?またみんなと見て回る予定か?」

 

 

 聖蹄祭の時がそうだったのでまたみんなと見て回ると思ったのだろう。ボクはトレーナーの質問を否定する。

 

 

「いや、みんな予定ある言うてたから一緒には回れへんな。この後もなんもすることないし適当にどっか見て回ろ思うてるわ」

 

 

「そうか。せっかくのファン大感謝祭なのに1人ってのは寂しいな」

 

 

 確かにそうだが。しかし今から誘おうにも手の空いている人物はいるのだろうか?そんなことを考えているとテスコガビー先輩が不思議そうな顔でこちらへと提案してきた。

 

 

「テンポイントと、神藤トレーナーの2人で回ればいいのではないか?お互いに暇だったらの話になるが」

 

 

 先輩の言葉にボクとトレーナーはお互いに驚いた表情をしていた。おそらくだが考えていることは一緒だろう。ボクとトレーナーの声が重なる。

 

 

「「その手があったか!」」

 

 

「……普通真っ先に思いつくようなことではないか?」

 

 

 先輩は呆れ顔だがボクはトレーナーに暇かを聞く。

 

 

「トレーナー!この後時間大丈夫なんか!?」

 

 

「勿論暇だ!よっしゃ、2人で屋台制覇するぞ!」

 

 

「「おーっ!」」

 

 

 この瞬間、ボクのこの後の予定はトレーナーと一緒に感謝祭を見て回ることになった。先輩はやることは終わったと告げて別行動になる。おそらくだがリギルの方へと戻るのだろう。別れを告げてボクたちは別々の方向へと歩を進めていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 屋台を見て回り食料を買い込んだボクたちは練習場の方へと足を運ぶ。途中で配布されていたプログラムによるともうすぐリギルによる障害物競走が行われるらしい。面白そうなので見に行くことにした。

 練習場に着くと丁度始まるところだったらしい。ボクらはスタンド席の最前列へと移動した。走者が横一列に並んでいる。その中にはなんとハイセイコー先輩がいた。

 旗を持っているリギルの部員のコールによって一斉にスタートする。コースはトラック1周分。障害は色々あり、飴食い競争・コスプレ競争・借り物競争が複合したものみたいになっている。障害競走と呼べるものではないかもしれないが、お客さんを最大限楽しませようとした結果なのかもしれないというのがトレーナーの見解だ。ボクもそれに同意する。

 走者が最初の障害である飴の障害に入ったところでトレーナーは呟く。

 

 

「あいつがやたらと俺に見に来るように誘っていたのはこれが理由か……」

 

 

 ボクはそれを聞き逃さず、トレーナーに質問する。

 

 

「なんやトレーナー。ハイセイコー先輩から誘われてたんか?」

 

 

 トレーナーはボクの質問に答える。

 

 

「誘われていた、と言うよりはこの障害物競走は絶対に見に来てくれ。とだけは言われていたな。何を考えているのかは分からんが……」

 

 

「警戒しすぎとちゃうか?」

 

 

「あいつ相手には警戒しすぎるぐらいが丁度いい」

 

 

「今まで何されてきたんやホント」

 

 

 そんな会話をしていると走者は2つ目のコスプレ競争へと移っていた。一番最初に飛び出してきたのはハイセイコー先輩である。すでにトゥインクルシリーズを半ば引退している人だがその走りはやはり一級品だ。そんなハイセイコー先輩の衣装はと言うと

 

 

「王子様風の衣装だな」

 

 

「せやね。黄色い歓声が上がっとるわ、主に女性の人から」

 

 

おとぎ話に出てくる王子をモチーフとしたコスプレだった。とても似合っている。会場のあちらこちらから悲鳴にも似た歓声が上がっている。そしてハイセイコー先輩に続くように他の走者も飛び出してきた。それぞれの衣装はイロモノだったり正統派な衣装だったりと様々だ。

 最後の借り物競争へと舞台は移る。ハイセイコー先輩は封筒を1枚取って中身を確認する。確認が終わったのだろうか会場を見渡していた。

 すると最前列に立っているボクらと目が合った瞬間、猛然とこちらへと走ってきた。表情は見えていないが目的のものはこちらにあるのかもしれない。ボクは辺りを見渡す。そして1つの可能性に思い立った。

 

 

「……ハッ!まさか、ボクが持っとる食べ物!?」

 

 

「多分違うと思うぞ」

 

 

 トレーナーからのツッコミが入る。まあこちらに来たら分かることだろう。

 そう思っているとハイセイコー先輩はボクらの目の前で立ち止まった。とてもいい笑顔でトレーナーのことを見ている。そして開口一番、

 

 

「私と一緒に来てくれるかな?神藤さん」

 

 

トレーナーにそう告げて片膝をついて跪く。ポーズだけ見たら求婚のそれだ。周りの人たちからまた黄色い悲鳴が上がる。肝心のトレーナーの表情はと言うと苦虫を嚙み潰したような顔をしていた。

 

 

「……これが狙いか、ハイセイコー」

 

 

「はて?何のことでしょうか?さぁ、私の手を取って。ともに参りましょう!」

 

 

 やたらと芝居がかった口調でトレーナーに同行を求めてくる。ボクはその光景を見ながらトレーナーに告げる。

 

 

「ええんちゃうか?トレーナー。先輩の目的はトレーナーみたいやし、一緒に行けばええやろ?」

 

 

「……まあそうだな。分かった、ハイセイコー。どこへでも連れていけ」

 

 

「いや、連れてかれるのはゴールやろ」

 

 

 トレーナーはそう告げるとハイセイコー先輩は笑みを浮かべたままトレーナーへと手を伸ばす。手を取って走っていくのだろうか?

 そう思った次の瞬間、先輩はトレーナーに足払いをすると倒れそうになった身体を抱きかかえる。お姫様抱っこだ。創作でしか見たことないようなものにボクは呆然となる。トレーナーも唖然とした表情をしていた。何かを言うこともできずに先輩はゴールへと駆け出して行った。

 ゴールでの様子を見守っているとどうやら合格だったらしい。1着はハイセイコー先輩だというアナウンスが入った。会場からは拍手が飛ぶ。先輩はその拍手に応えるように手を振っていた。

 しばらくしてトレーナーがこちらへと戻ってくる。その表情は呆れていた。一体どんなお題だったのだろうか?トレーナーに聞いてみると素直に答えてくれた。

 

 

「……あなたが気になってる人物だとよ。けどお姫様抱っこで運ぶ必要はねぇだろ。アイツ完全にこれが狙いだったな」

 

 

「……トレーナー、ちなみに嬉しかったりしたん?」

 

 

「んなわけねぇだろ」

 

 

 ボクの質問をトレーナーは一蹴した。それはそうだろう。いくらウマ娘とはいえ男が女にお姫様抱っこされて嬉しいことは普通ない。逆ならともかく。

 その後は周りからの好奇の視線に耐えきれなくなったトレーナーに連れられて別の場所へと向かうことになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次に向かったのはハダルの出し物だった。まあグラスのいるスピカの出し物はどこを探しても見当たらなかったので友達の場所を回るのはここが最後になるだろう。トレーナーに続いて教室を改造した店内へと入る。

 どうやら和風をモチーフにした喫茶店らしい。席に案内されメニューを見ると団子や羊羹と言った和のお菓子で統一されていた。飲み物も抹茶などで統一されている。注文するものが決まったボクはトレーナーの方へと目を向ける。すると向こうも決まったようで店員さんを呼んだ。

 

 

「すいませーん、注文よろしいですかー?」

 

 

「はーい!ただいまー!」

 

 

 聞き覚えのある声だ。そう思い店員さんの顔を見ると案の定カイザーだった。和風喫茶というコンセプトに合わせているためか和服を着こなしている。時代劇でよく見る給仕のような格好だ。着物は彼女の髪色に近い黒色を主としておりとてもよく似合っている。向こうもこちらに気づいたのか嬉しそうな声を上げる。

 

 

「神藤さん、テンポイントさん!来てくださったんですね!」

 

 

「こっちはもう閉店したからな。寄らせてもらったよ。注文はみたらし団子と抹茶の団子を1セットずつ。抹茶を2つでお願いします」

 

 

「似合っとるやんカイザー」

 

 

「えへへ、ありがとうございます!みたらしと抹茶の団子を1セット、抹茶を2つですね!ただいまお持ちいたします!」

 

 

 注文を受け取るとカイザーは裏の方へと走っていった。その光景を微笑まし気にボクは見る。最近暗いことが多いカイザーだったが元気にしているようで何よりだ。

 しばらく待っているとカイザーが注文の品を運んできた。

 

 

「ごゆるりとお寛ぎください!」

 

 

 一言告げて新しいお客さんの方へと走っていく。盛況のようで何よりだ。そのままボクたちは団子を食べ始める。食べたトレーナーは一言呟く。

 

 

「次の聖蹄祭は団子でも売るか……。しかし作ったことがあまりないからな。どこかで本格的に習うか……?」

 

 

「お願いやから止めてくれトレーナー」

 

 

 ……どうやらお気に召したらしく、本格的な団子を作ろうとよからぬことを画策しようとしていた。ボクは全力で止める。冗談だと思うかもしれないがトレーナーなら本気でやりかねない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後もトレーナーと2人でファン感謝祭を見て楽しく回っていた。しかし楽しい時間と言うものはあっという間で終了のアナウンスが流れる。学園内にいる一般の人たちは続々と帰っていく。その光景をボクたちは見ていた。

 トレーナーは呟く。

 

 

「終わっちまったな。ファン感謝祭」

 

 

「せやなぁ。楽しい時間っちゅうんはあっという間やわ」

 

 

「屋台全部制覇は、来年にお預けだな」

 

 

「そん時は店出さんで最初から回った方がええんちゃうか?」

 

 

「いや、効率よく最速で回ればあるいは……」

 

 

「店出さなええ話やろ……」

 

 

 気が早いが来年以降のファン感謝祭の話をし始める。けれど忘れてはならない。もう少しで天皇賞春が開催されることを。ボクにとっては絶対に負けられない戦いが始まることを。

 トレーナーもそれが分かっているのか話題を変える。

 

 

「それよりもまずは春天だな。トウショウボーイが出走を回避したから借りを返せないのは残念だが……それでもグリーングラスとクライムカイザーは出走してくる」

 

 

「せやな。2人には先着はしても優勝はしてへん。やから春天は絶対に獲る」

 

 

 そしてぼくは宣言する。

 

 

「証明したるわ。いっちゃん強いんはボクやって事を」

 

 

 ……正直言って虚勢に近い宣言だ。本当に2人に勝てるのか?クラシックのように負けたりしないだろうか?不安でたまらない。それでも勝つことを誓う。

 ボクの不安な気持ちが伝わってきたのかは分からないが、トレーナーはボクの背中を軽く叩く。エールを送るかのように。

 

 

「頑張れよテンポイント。お前は強い、俺が保証する」

 

 

 その言葉に少し救われる。けどボクはからかうように答える。

 

 

「新人のトレーナーに言われてもなぁ。ちょい不安やわぁ」

 

 

「……そうだけどさ。これだけは覚えててくれ。俺はいつでも、どんな時でもお前が勝つって信じてることをな」

 

 

 嘘か本当なのかは分からない。けれどその言葉に気分は軽くなったのは確かだ。トレーナーにお礼を言いながら寮へと戻っていく。

 春の天皇賞まで、あともう少し。




お盆休みに入ったので最初の話の方を順次改稿していこうと思っています。


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第50話 雪辱を果たすため

天皇賞・春本編。


 4月末の京都レース場。今年もこの日を迎えることができた。天皇賞・春。トゥインクルシリーズのG1最長距離を誇るこのレースが始まる時を観客たちは今か今かと興奮を抑えきれずにいる。そんな時、実況と解説のアナウンスが入る。

 

 

 

 

《今年もやってまいりました!唯一無二の春の盾をかけた戦い天皇賞!果たして栄光を手にするのはどのウマ娘か?天気は生憎の曇り空、バ場の状態は稍重と発表されています。これがレースにどう影響するか?今地下バ道を通って続々とウマ娘たちが入場してきています!》

 

 

 

 

 パドックでの紹介も終わり、ウマ娘たちはターフの上で各々準備運動をしている。観客たちがウマ娘たちを見守る中、実況からのウマ娘の紹介が入る。

 

 

 

 

《今回出走するウマ娘は14人。まずは3番人気のウマ娘の紹介から入りましょう。3番人気はゴールドイーグル!前走マイラーズカップ、前々走の大阪杯では見事に逃げ切り勝ちを決めました!今回の天皇賞でも逃げを宣言しています。枠番も1枠1番と逃げるにはうってつけの枠番です!》

 

 

《ここ2戦を連勝して調子を上げてきているウマ娘ですね。天皇賞での逃げ切り勝ちと言えば昨年のエリモジョージを思い出す人も多いでしょう。頑張ってほしいですね》

 

 

《続いて2番人気の紹介です。2番人気は2枠2番グリーングラス!昨年の菊花賞ウマ娘、重賞未勝利での菊花賞制覇はいまだに記憶に新しい人が多いでしょう!年明けのアメリカジョッキークラブカップでのレコード勝ちを引っ提げての本レース、果たしてどのようなレースを展開するのか!》

 

 

《菊花賞での勝利をフロック視する人々も多い中でのレコード勝ち。決してまぐれではないことを証明しました。前走の目黒記念は惜しくも2着に敗れています。ただ、パドックでの調子はあまり良くなさそうに見えました。調整不足でしょうか?少し不安が残ります》

 

 

《さぁさぁ!そして迎えました1番人気!1番人気は勿論このウマ娘!6枠10番テンポイント!昨年の成績は決していいと呼べる内容ではありませんでした。しかし今年は違うぞと言わんばかりに京都記念と鳴尾記念を連勝!おそらく皆様が1番期待を寄せているウマ娘でしょう!私もその1人です!》

 

 

《TT世代と評されました昨年のクラシック戦線。その理由はやはり有マ記念の影響が大きいでしょう。シニア級相手に突出した実力を見せつけた2人の内の1人です。ライバルであるトウショウボーイは出走を回避して不在の今レース。しかし菊花賞で敗北したグリーングラスに雪辱を晴らしたいところです》

 

 

《他にも菊花賞ウマ娘コクサイプリンス、TT世代のダービーウマ娘クライムカイザーなど錚々たる顔ぶれ!勝利の女神はどの子に微笑むのか!?各ウマ娘がゲートへと入っていきます!》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 京都レース場のターフの上。ついにこの日を迎えた。ボクはそう思いながらウォーミングアップをしている。自分のお気に入りのウマ娘を応援する声、実況による各ウマ娘の紹介。その声を聞きながら。

 入場する前にトレーナーと立てた作戦を確認するように思い出していく。

 

 

(最重要で警戒するんはグラス……。特に菊花賞でのことがあるからな。もう絶対に油断はせぇへん。ただ他がおざなりになるんはNG。それと大事なんは自分のペースを乱さんこと……。そしたら絶対に勝てる言うとった……)

 

 

 そう思っているとグラスが視界に移った。彼女もウォーミングアップをしている。しかしあまり調子は良くなさそうだった。何かが気になるのか口元に手をやっている。真意は分からないが警戒の手は緩めない。

 ただトレーナーは最重要でグラスを警戒すべきとは言っていたがカイザーに関しては何も言ってこなかった。そのことを問い詰めるとこう答えた。

 

 

『クライムカイザーに長距離に対する適正はない。菊花賞も入着こそはしたが最後には力尽きている様子があったからな』

 

 

 トレーナー曰くこの距離でカイザーを警戒する必要はあまりないと言っていた。むしろあまり多くのウマ娘を警戒しすぎて注意力が分散しすぎないようにしろと助言された。

 幸いなことにボクの調子はいい。後はこの脚が最後まで持つかどうかにかかっている。

 

 

(いまだに骨膜炎はボクを蝕んどる……。やけど、もう負けるんは嫌や!絶対にボクが勝つ!)

 

 

 ボクはそう気合を入れなおす。そしてゲートに入る順番が来たのでゲートの中で出走開始の時を待つ。この天皇賞、勝つのはボクだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《各ウマ娘がゲートに入りました。出走の瞬間を大勢の人が待ちわびています。G1レースで最長距離を誇る春の天皇賞、見事1着でゴールし春の盾を賜るのはどのウマ娘か?天皇賞・春が今……》

 

 

 

 

 実況からのアナウンスが入る。京都レース場は出走の瞬間を待つかのように静寂に包まれていた。少しの静寂の後、ゲートが開く。ゲートが開いたとともに各ウマ娘が一斉にスタートする。

 

 

 

 

《スタートです!》

 

 

 

 

 激戦の火蓋が切って落とされた。

 

 

 

 

《まずハナを取ったのはゴールドイーグル宣言通り逃げに出ましたゴールドイーグルがペースを握ってその差を2バ身3バ身と広げていきます。2番手は最内にグリーングラス、ケイシュウフォードその外にコクサイプリンスとホシバーシが上がってきています。この4人が2番手の位置につけて集団を形成している。2番手集団から1バ身程離れた位置にテンポイント、テンポイントは丁度6番手の位置で様子を見る形です。さらにタイホウヒーローとグランプリウマ娘イシノアラシもこの位置です》

 

 

《グリーングラス今回は先行気味に立ち回る展開を見せていますね。果たしてどのような思惑があるのか?ゴールドイーグルも上手く先頭に立つことができました。ここからペースを握っていきたいところ》

 

 

《先頭ゴールドイーグルはこれから1周目の第4コーナーのカーブへと迫っていきます。ゴールドイーグル快調に飛ばしてその差を広げているリードは4バ身から5バ身といったところ。2番手にはホシバージが上がってきました。その後ろ1バ身程遅れて外にコクサイプリンス、内にケイシュウフォードが3番手の位置につけている。内のケイシュウフォードの後ろにグリーングラスがつけている。テンポイントは変わらず6番手の位置。スーパーフイルド、イシノアラシ、タイホウヒーローこの4人が中団を形成する形。後方にはホクトボーイとクライムカイザーが控えている》

 

 

《ゆっくりとしたペースで進んでいきますね。ここからの展開が気になるところ》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 スタートはいつも通り良好。ボクは焦ることなくレースを展開する。今回トレーナーと決めたことはグラスをマークすることだ。やはり菊花賞で苦渋を舐めさせられた相手ということに加えてステイヤータイプの彼女。このレースに置いて最も警戒すべき相手だということで2人でグラスをマークする作戦を立てていた。

 しかし、後ろで様子を窺っていたのだがどうにも走りづらそうにしている。というよりいつもは中団に控えている展開が多いのに今回は前の方でレースを展開していた。何かの作戦だろうか?ボクは警戒を強めるが、トレーナーからの言葉を思い出し冷静になる。

 

 

『いいか?テンポイント。今回のレースは自分のペースを維持して走ることを忘れるな。今回の出走メンバーとお前の調子を鑑みれば自分のペースを崩さない限り負けることはない』

 

 

 相変わらずトレーナーはボクの強さを信じてくれている。クラシック戦線では不甲斐ない成績だったのにも関わらずだ。本心なのかお世辞なのかは分からない。お世辞だとは思うが、ボクは嬉しくなった。けれど、なんか悔しいので代わりにトレーナーを軽めに小突いた。

 余計なことまで思い出したが、トレーナーはこのレース負ける要素はほぼないと断言していた。だからこそ大事なのはペースを乱さないこと。頭の中を常に冷静に保ちながらレースを展開する。

 1周目のスタンド正面へと入る。ボクはまだ6番手の位置をキープし続けていた。レースの展開としてはゆっくり目。この展開になると警戒すべきはクライムカイザーのような追い込みのウマ娘だろう。

 

 

(前につけとるグラスは相変わらずラチ沿いに走っとる……。もしもに備えて外に抜け出すんもありやな……)

 

 

 有マ記念では外に出る判断が遅れたせいで負けた。それと同じ轍は踏むまいといつでも外へと交わせるように最内ではない進路を選ぶ。内には1人、外には2人いるが外にいた2人はペースを上げて先頭集団に着けようとしている。これで進路の確保は容易になった。だが今外に出るのではなくまだ内をキープするように走る。

 今のところ、自分のペースを維持しながら走ることができている。残る不安要素は脚。菊花賞では痛みで外にヨレてしまった。今度は同じ轍を踏まない。

 

 

(例え痛みが襲っても、意地でも踏ん張ったる!)

 

 

 そう心に誓いながらボクはスタンド正面を抜けて第1コーナーへと向かっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《……各ウマ娘がスタンド正面を抜けて第1コーナーのカーブへと入っていきます。先頭は依然ゴールドイーグルしかしその差はなくなってきたか?2番手にはホシバージがつけています2番手はホシバージ。グリーングラスが上がってきました。内を回ってケイシュウフォードその後ろにコクサイプリンス。コクサイプリンスの後ろ内からテンポイントが来ました。1番人気テンポイントは内から上がっていきます》

 

 

《テンポイントは6番手をキープし続けていますね。無理に前で争うより自分のペースを維持することを目的としているか?》

 

 

《内で様子窺うテンポイント。その後ろをスーパーフイルドとイシノアラシが続きます。イシノアラシから遅れること3バ身から4バ身程の位置にタイホウヒーロー。その外からクライムカイザーが上がってきました。第2コーナー手前の位置からダービーウマ娘クライムカイザーが徐々にペースを上げてきています。どう見ますかこの展開?》

 

 

《おそらくテンポイントを警戒しているのでしょう。最後の直線で彼女が先頭に立った場合のことを考えてか、できるだけ前の位置をキープしたいと考えているのかもしれません》

 

 

《成程。っと先頭はすでに第2コーナーを回って向こう正面へと入ります。先頭はゴールドイーグルとホシバージの2人。2人が競り合っています。そこから2バ身遅れること内からケイシュウフォード、その外にグリーングラスがつけています。常に内を走ってきたグリーングラス向こう正面では外につけている。この4人から1バ身程離れた位置にテンポイント。テンポイントが5番手に上がっています。しかし内からイシノアラシが徐々に差を詰めてきている。すでに向こう正面の中盤へと差し掛かろうかというところ。先頭集団にいたコクサイプリンスは徐々に、徐々に後退していっているこの位置まで下がっているぞ。クライムカイザーが外から上がってきて後方から中団へ、そして先団へと上がってきている。それを追うように後方にいたウマ娘たちもペースを上げてくる!》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 向こう正面に入って今は5番手だろうか?内に控えているのはイシノアラシ先輩、前にはグラスがいる。

 ここまでボクはグラスをマークしていったが、第1コーナーを回った辺り、レース前から抱いていた疑問が確信に変わった。グラスは本調子ではない。ならばグラスを徹底マークする必要はないと思いボクはグラスへのマークを少し緩めて他のウマ娘に注意を向ける。

 マークを緩めてから少しして向こう正面の中盤へと入った辺り。外から覚えのある気配が上がってくるのを感じる。間違いない、カイザーだ。

 

 

(最終直線入る前にボクを抑えんと、でも思うてるんか……?早めに仕掛けとんな)

 

 

 そしてカイザーの気配を感じたのと同時に、後ろからのプレッシャーが一段と強くなったのを感じる。おそらくだがここからペースが上がっていく。ならばと飲まれないようにボクも徐々にペースを上げていく。前を走っている他の子たちとの差を詰めていく。

 まだ脚は大丈夫だ。スタミナも十分。行ける、そうボクは思った。

 

 

(菊花賞での雪辱……晴らさせてもらうで!グラス!)

 

 

 勝負は第3コーナーへと入っていく。




次回決着。思ったより改稿は時間かかりそうです。


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第51話 悲願のビッグタイトル

春天決着回


《各ウマ娘第3コーナーの登りへと入ります。先頭はゴールドイーグルとホシバージこの2人が差がなく競り合っております!3番手の位置にグリーングラス、その後ろにテンポイントだテンポイントが仕掛けている!グリーングラスに並びかける!テンポイントだけではない!後方からクライムカイザーも上がってきた!この3人が1団を形成しています!》

 

 

《……うん?ゴールドイーグルが先頭から後退していっていますね。力尽きたのでしょうか?登り終えようかというところで後ろへ、後ろへと下がっていっています》

 

 

《さぁゴールドイーグルが後退して先頭争いから脱落しました!先頭はホシバージだ!坂を下り残り800mを通過して先頭はホシバージ!しかし2番手にテンポイントが上がってきた!その勢いのままテンポイント2番手からホシバージへと並んだ!そしてテンポイントの外からクライムカイザーも上がってくる!クライムカイザーが3番手の位置!ホシバージ・テンポイント・クライムカイザーの3人が並んだ!第3コーナーの中間で3人が並ぶ!先頭はこの3人だ!先頭から離れること2バ身の位置にはクラウンピラードも上がってきた!内にはグリーングラスも控えているぞ!先頭は第3コーナーの坂を下りきろうとしています!》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第3コーナーの坂を登ろうかというところ、ボクはそのタイミングで仕掛ける。後ろからカイザーが来ていることもそうだが最後の直線で先頭に立つためにはこのタイミングで前に行くしかない。前を走っていた逃げウマ娘の内1人は後退してきている。それを外から交わして先頭を走るウマ娘に肉迫する。

 そして3コーナーの坂を登り切ったというタイミングでボクは先頭を走る子に追いついた。後はこの子を交わして最後の直線を迎えるだけだ。そう思っていた時、外から強烈な気配を感じる。

 

 

(カイザー……ッ!もう上がってきたんか!)

 

 

 間違いないだろう。クライムカイザーだ。向こう正面に入った時はまだ遠くに感じていたが、この登りを使って先頭へと追いついてきたらしい。すぐ近くに気配を感じる。彼女は外へと進路を取ったようだ。

 そのままボクは京都レース場の坂を下っていく。途中まではボクとカイザー、そして今まで先頭争いをしていた子ともう1人の計4人で競り合っていたが、先頭を争いをしていた子はスタミナが無くなったのか坂を下りきった後に後退していった。

 

 

(後2人……。カイザーともう一人を振り切って先頭に立ったる!)

 

 

 ボクはさらに速度を上げる。外へと視線をやるとカイザーが相変わらず背後にいた。先頭に立とうとしている。だが抜かせるわけにはいかない。ボクも必死に脚を動かして走る。もう1人は分からない。グラスは第3コーナーに入ったところから見ていない。しかしグラスは必ず内からやってくるだろう。警戒を強める。

 

 

(もうちょい……、もうちょいや……!)

 

 

 あともう少しで勝利へと手が届く。そう思いながらボクは第4コーナーを回り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《……第3コーナーと第4コーナーの中腹に入ってホシバージは先頭から後退していきます先頭はテンポイント!しかしすぐ外にはクライムカイザーだ!クライムカイザーが先頭に立とうとしている!しかしテンポイントは抜かせまいと必死になっている!クライムカイザーの後ろにはスーパーフイルド!4番手の位置にはクラウンピラード5番手内をついてグリーングラスが来ている!》

 

 

《グリーングラスは最内を走っていますね。菊花賞と全く同じコース取りです。これは菊花賞の再現となるか?》

 

 

《さぁテンポイントかクライムカイザーか!第4コーナーの生垣を回ってほとんど差がなく最後の直線へと入ってきた!先頭はテンポイントだ!外からはクライムカイザー!内をついてまたグリーングラスだ!内からグリーングラスも上がってきた!昨年のクラシック戦線を賑わせた3人の対決なるか!?しかしクライムカイザーのさらに外からクラウンピラードが突っ込んでくる!少しヨレながらもクラウンピラードが突っ込んでくる!おっと!?テンポイントもヨレた!テンポイントもヨレました!クライムカイザーの進路をカットしそうになる!しかし何とか持ち直す!》

 

 

《テンポイントは菊花賞の時も不自然に外にヨレていましたね。癖なのでしょうか?》

 

 

《天皇賞・春もいよいよ大詰め!春の盾を賜るのはどのウマ娘か!》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第4コーナーを回って直線に入る。ボクは先頭で直線に入ることができた。だが油断はできない。すぐ外にはカイザーがいるし内にはグラスもいる。

 スパートをかけるために速度を上げようとする。だが、その瞬間ボクの脚に痛みが走った。

 

 

(またか……ッ!菊花賞ん時と同じ……ッ!)

 

 

 痛みで外にヨレてしまった。だが、ボクは気力を振り絞って何とか持ち直す。ここでまた外にヨレていってしまったら菊花賞の二の舞だ。そんなことは、そんなことだけは

 

 

(絶対に……ッ!許せるわけないやろ!ボケがッ!後ちょっとや、後ちょっとだけ持ってくれ……ッ、ボクの脚!)

 

 

襲い来る痛みを必死に耐えながらゴール板を目指して走る。最後の直線400mがとても長く感じる。それでもボクは必死に走る。

 スタミナももう限界に近い。脚ももうこれ以上残っていない。だからこそ、後は気力、根性の勝負だ。絶対に負けられない。その一心でボクは走る。ただがむしゃらに脚を動かす。春の盾を勝ち取るのは……、栄光をつかみ取るのは……!

 

 

「ボクやぁぁぁぁぁ!!!」

 

 

 声を上げる。自分の残っている力を全て脚へと回して走り続ける。勝利を掴み取るために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《最後の直線残り200mを切りました!先頭はテンポイント!先頭はテンポイントだ!内からはグリーングラスが来ている!グリーングラスが菊花賞同様に内からまっすぐ伸びてくる!テンポイントとグリーングラスの間を割って入るようにホクトボーイも突っ込んできた!外にはクライムカイザーも来ているぞ残り100m!クライムカイザーの外を回ってクラウンピラードが突っ込んでくる!今日は外の方が怖いぞテンポイント!しかし先頭は譲らない!テンポイントが先頭だ!》

 

 

 

 

 残り100mを切った。スタンドからは必至の声援が飛んでいる。

 

 

「粘れー!テンポイントー!」

 

 

「あともう少しだー!クライムカイザー!」

 

 

「TTだけじゃないってとこを見せてくれー!グリーングラスー!」

 

 

 今、決着が付こうとしている。勝利の女神がほほ笑んだのは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 走る、走る、走る。ただゴールを見据えて走っている。

 こんなにゴールまでが長く感じたのは初めての経験だった。残り200mのハロン棒を確認する。内にはグラスがいる。けれどボクは1つのことを確信していた。

 

 

(もう……脚が残ってへんやろ……!グラス!)

 

 

 思えば、レースの最初の方から調子が悪そうにしていた。普段は中団に控えている彼女が先団に混じっている、ペース配分をミスった、脚に不調を抱えている、理由は分からない。だがグラスはもうここから伸びてくることはない。そう確信する。

 そのままがむしゃらに走り続ける。外から猛烈な勢いで誰かが追い上げてくる気配を感じる。けれど、絶対に抜かせない。必死に走る。

 そして、ボクの身体は誰よりも早くゴール板を駆け抜けた。ゴール板を過ぎたという事実に気づいて速度を緩めてやがて立ち止まる。

 肩で息をする。脚は相変わらず痛む。けれどボクは着順が気になり掲示板へと視線を移す。誰よりも早く駆け抜けたというのも自分がそう思っただけかもしれない。疑問を確信に帰るために視線を移す。

 掲示板の1着のところに点灯している番号は10番。10番はボクの数字だ。ということは……!

 

 

(勝っ……たぁ……ッ!)

 

 

 ボクは勝ったのだ。天皇賞・春で。ボクは勝ったのだ。グラスに、カイザーに。その事実に喜びの感情が溢れそうになる。しかし疲れのためかガッツポーズすることすらできない。ボクはただその場に立つだけだ。

 実況の声が聞こえてくる。

 

 

 

 

《テンポイント1着だ!テンポイント1着!夢にまで見た栄光のゴール!テンポイントです!待ちに待った栄光のゴール板、会場からは割れんばかりの大歓声と拍手が送られています!どうだ見たかと、ゴール板を通過しました!ついにやりましたテンポイント!<貴公子>テンポイントに春が訪れた!》

 

 

《今まで大レースでは2着ばかりだった彼女ですがついにビッグタイトルを手にしました!まさに感無量とばかりにターフの上で静かに佇んでいますテンポイント!》

 

 

《2着は3/4バ身でクラウンピラード、そこから1バ身離れてホクトボーイが3着です!2番人気グリーングラスは道中精彩を欠いたか4着、5着にはクライムカイザーです!》

 

 

 

 

(勝った……、勝った……!勝った……ッ!)

 

 

 実況を聞いて改めて喜びを噛みしめる。今まで勝てなかった大レース。あと一歩が届かなかったタイトル。それに手が届いたのだ。ボーイの奴に借りを返せなかったのだけは残念だがそれはまたの機会にやり返せばいいだろう。

 何とか脚の痛みも治まってきたボクはトレーナーと合流してウィナーズサークルへと向かう。記者からの取材が始まった。いまだに苦手意識があるので冷静を保つように答える。

 

 

「まずはテンポイントさん、念願のビッグタイトル獲得おめでとうございます!」

 

 

「おおきにです。やけど、これはまだ始まりです。これを皮切りにしてこれからも勝っていきます」

 

 

「神藤トレーナー、今回のレースはどのように感じていましたか?」

 

 

「そうですね……、周りも強いウマ娘たちが出走するとは思っていましたがテンポイントの調子と距離を鑑みて、自分のペースを維持できれば勝てると思っていました。それが確信に変わったのはパドックを見た時ですね。唯一の不安要素だったグリーングラスが調子を落としていると思ったのであぁ、これはもらったな。と、そう思っていました」

 

 

「次のレースは何を予定していますか?」

 

 

「次走は出走が叶えばですけど宝塚記念へ直行しようと思っています」

 

 

「それではテンポイントさん、今後の抱負についてお聞かせください」

 

 

「せやね……、今回はリベンジ果たせんかったボーイが出走するんやったら、そのリベンジをしたいと思うてます。特に今回はグラスとカイザーにはリベンジできたんで、後はボーイだけですから」

 

 

「成程、ありがとうございます。それでは次の質問ですが……」

 

 

 そのまま何個か質問されていたのだが、脚の痛みが完全に引いたわけではなく今でも少し痛みが走っている。しかし記者はボクが脚を痛めていることを知らないため、お構いなしに質問を飛ばしてきている。別に記者の人たちが悪いわけではないのだが、今までの件から記者にいい印象を抱いていないボクは苛立ちを募らせていた。思わず耳を絞ってしまう。

 そんなことを考えているとトレーナーが一瞬こちらを向く。一瞥した後記者たちに告げた。

 

 

「すいません、先程レース後にテンポイントが脚の調子を悪そうにしていたので今日はここまででお願いできますか?残りの質問はまた後日、私が承りますので」

 

 

 その言葉に記者たちは納得していない様子を見せていたが、ウイニングライブが控えているということ、脚の調子が悪いということで不承不承ながらも了承した。ボクとトレーナーは一礼した後ウィナーズサークルを後にする。

 控室に戻る際中、ボクはトレーナーへとお礼を言う。

 

 

「スマンな、トレーナー。気ぃ遣わせてもうて」

 

 

「気にするな。脚の調子が悪いことも本当のことだろ?できるだけ休ませておきたいからな」

 

 

 トレーナーはそう答えた。相変わらずボクのことをよく見てくれているトレーナーだ。

 そのままトレーナーは言葉を続ける。

 

 

「さて、と。今日のレース苦しかっただろうがよく頑張ったな、テンポイント。この調子でこれからも勝ち続けるぞ!」

 

 

「おう!任しとき!」

 

 

 ボクらはそう誓いあう。この調子でボーイの奴にも勝ってリベンジする。そしてボクの強さを見せつけてやる。

 そのまま会話を続けていると控室へと到着する。控室へと着いた後トレーナーと別れ、ウイニングライブへと向かっていった。

 ……もはや何も言う気はないが、相変わらず最前列でトレーナーとキングスがボクのことを応援していた。しかも今回からはキングスの友達が増えていた。毎度毎度ご苦労なことである。




ついにビッグタイトルを手にしたテンポイント。けれどまだまだシニア級は始まったばかりです。


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第52話 非情な現実

春天が明けた後回。ちょっとシリアスめかもしれません。


 春天が終わって早数日が経ち、ボクはいつも通り学園へと登校する。教室に入って今日の授業の準備をして後はいつも通り朝のホームルームが始まるまで時間を潰す。その間ボクは春天のことを思い出していた。

 

 

(なんちゅうか……、思うたよりもあっさりしとるなボク)

 

 

 勝った時は嬉しいという気持ちが爆発していたが、いざ終わって冷静になってみるとあぁ、勝ったんだな、とぐらいにしか思わなかった。トレーナーがURAから贈られた春の盾を落とさないように必死だったという話を後から聞いた時は噴き出しそうになったが。

 何はともあれ勝って一安心したのは確かだ。ボクも、トレーナーも。後はボーイに借りを返すだけだ。そう考えていると教室の扉を開いて誰かが入ってくる。

 その人物は扉を開けたかと思うとすごい勢いでボクの方へと走ってきた。一体誰だと思って視線を向ける。その人物はボーイだった。彼女は嬉しそうにこちらへと話しかけてくる。

 

 

「テンさんテンさん!春天優勝おめでとう!いやぁ、オレはスタンド席で見てるだけだったけどマジですごかったぜ!チックショー!オレも出たかったー!」

 

 

「落ち着けボーイ、気持ちは嬉しいけど声デカいわ」

 

 

「あっわりぃわりぃ。滅茶苦茶熱い勝負だったからついな」

 

 

 そう言ってボクの隣の自分の席に座る。どうやらボーイにとってあのレースはかなり興奮したレースだったらしい。今も興奮冷めやらぬといった様子でボクに話しかけてくる。

 

 

「いやークインと一緒に見てたんだけどさぁ、ホントすごかったぜ!特に最後の直線!テンさんや他のみんなからぜってぇ負けねぇぞ、って気持ちがこっちまで伝わってきたからな!」

 

 

 レースの感想をこちらへと延々と語ってくる。それは別にいいのだが走っていた当事者からしたら恥ずかしいことこのうえない。ただ、恥ずかしいと思っていることを悟られるのもなんとなく癪に思ったボクはボーイの会話に相槌を打ちながら答える。

 するとふとボーイが時計を確認した。ボクもつられて時計を見る。時刻はもうすぐ朝のホームルームが始まる時間を指していた。確認が終わった後心配そうな声でこちらに話を続ける。

 

 

「もうすぐホームルームだけど……、グラスもカイザーも遅いな……。大丈夫かな?」

 

 

 どうやらグラスとカイザーが遅いことを心配しているようだ。

 

 

「大丈夫やろ。遅う来るようになったんは今に始まったことやないやん。大方朝練でもしとるんやろ」

 

 

「でもよぉ、それでもやっぱり心配じゃん?それに最近は一緒にお昼を食べることもなくなったし」

 

 

「まあ心配する気持ちは分からんでもないけどな。けど向こうもなんや事情があるんやないか?」

 

 

「そうなのかなぁ……。うぅんでもなぁ……」

 

 

 ボーイはなおも心配そうにしている。気持ちは分からないでもない。

 4月に入った辺りからだろうか?グラスとカイザーはボクら2人との付き合いが悪くなった。そう言うと聞こえが悪いが、こちらから誘っても何かと理由をつけて断ることが多くなってきている。カイザーの春のファン大感謝祭での反応を見る限りだとこちらのことが嫌いになったわけではないと思うのだが、それでも心配になる気持ちは分かる。

 それに加えて同じ頃から朝は時間ギリギリに来るようになった。お昼も別々に取るようになったし放課後もさっさと自分たちのチームの練習へ行っているのか声を掛ける間もなく教室を出ていく。入学当初から仲良くしていた身からしたら寂しく感じる。ボーイはそれを余計に感じているのだろう。

 ボクはボーイを慰めるように励ます。

 

 

「まあ、その内元ん関係戻るやろ。6月なったら宝塚記念やしそれに向けて頑張っとるだけかもしれんからな」

 

 

「……そうだよな、宝塚記念が終わるまでの辛抱だよな!そしたらさ、みんなでまた集まって遊べるよな?」

 

 

「まあ、大丈夫なんちゃう?カイザーはファン感謝祭では普通やったし」

 

 

「そこは断言してくれよテンさん!」

 

 

「ボクは未来予知できるエスパーちゃうで。今のうちに元ん関係戻れるよう祈っとき」

 

 

 そう言うとボーイは手を合わせて祈りだした。本当に祈る奴があるかと思いながらもボクはその光景を黙って見ている。

 ……本音を言うとボクも心配だ。あの2人とまた元のように遊べるだろうか?最近はそんなことを思うようになってきた。けれど、あまり悲観的になるのも良くない。大丈夫、きっと元の関係に戻れるはずだ。

 そして朝のホームルームまで残り1分というところでグラスが登校してきた。ボクとボーイは挨拶をする。

 

 

「……うん、おはよう」

 

 

 そう一言だけ告げて自分の席に座る。それ以上話すことはないとばかりに。

 その反応に少し寂しくなるが、今日はたまたま気が立っていただけかもしれない。それに春天が終わってまだ何日も経っていないから気まずいと思っているのかもしれない。ボクはそう思うことにした。

 グラスは来たが、カイザーはまだ来ない。もう先生も来たというのにだ。連絡事項を伝えられるとボーイが先生に質問する。

 

 

「せ、先生!カイザーがまだ来てないんですけど!」

 

 

「クライムカイザーさんですか?クライムカイザーさんならしばらく休むとハダルのトレーナーから連絡が入っていますよ。なんでも次のレースに向けて練習をするようです」

 

 

「そ、そうですか……」

 

 

 ボーイはそう言って座った。先生は他に質問がないことを確認した後、教室を後にする。

 次の授業が始まるまでの間、またボーイが話しかけてくる。今度はグラスも一緒だ。

 

 

「カイザーは練習か~……」

 

 

「そんだけ気合入っとるってことやろ」

 

 

「そうだね~。特に春天悔しそうにしてたから余計にね~」

 

 

「そっか……、確かに惜しかったもんな……。だったら余計に気合入るってもんか」

 

 

 ボーイはそう締めくくる。グラスが何かを呟く。かなり声量が小さくボーイには聞こえていなかったようだがボクには聞こえていた。

 

 

「……まぁ、それだけじゃないけど。2人には分からないだろうけどね」

 

 

 どういうことだろうか?けれど、聞いたところで答えてくれないか白を切るだけだろうと思い聞くことができなかった。

 ボクとボーイには分からない2人の気持ち。何となく察しはついている。だが、それが合っているのかは分からない。トレーナーにも聞いてみるのがいいかもしれない。ただ、その後の授業はグラスの言葉の真意を考えすぎて集中できなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつもの授業が終わって放課後、ボクは練習のためにトレーナー室へと足を運んだ。今日はどこで調達したのか分からない巨大なタイヤをトレーナーは持ってきていた。ボクはトレーナーに質問する。

 

 

「……なぁトレーナー?コレ何のタイヤや?こんなん見たことないんやけど」

 

 

「だろうな。業者に頼んで卸してもらった特注品だ。今日はこれを使ってトレーニングするぞ」

 

 

「これで何するんや?まさかタイヤ引きでもするんか?」

 

 

「そうだ。今日はこのタイヤを引くぞ」

 

 

 まさか冗談で言ったことが本当のことだとは思わなかった。しかしどれだけの重さがあるのだろうか?デカいなんてもんじゃない。タイヤの厚さだけでもボクやトレーナーの身長を軽く超えている。ロープはすでに括りつけてある。というかタイヤはともかくロープは持つのだろうか?

 とにかくやってみることにした。ロープを自分の身体に巻きつけてみる。

 

 

(いやロープクソ太いな……。まあこんだけデカいタイヤ引くんやから当たり前か?)

 

 

 そう思いながらもロープを巻きつけ終わったボクはタイヤを引いて歩くことを試みる。

 ……滅茶苦茶重い。何とか頑張ってみるが、一歩一歩踏みしめるように歩くのが限界だ。その歩きにもすぐ限界がきてボクは倒れ込みそうになったが、身体に巻きつけたロープが倒れることを許さない。そのままロープに引っ張られるまま力を抜く。

 

 

「アカン、もう限界や」

 

 

 ボクのその言葉にトレーナーは

 

 

「まあ今日が初めてだからこんなもんか」

 

 

とだけ告げる。その後も何度かタイヤを引いての練習をしていった。さすがに一回り小さいサイズにしてもらったが。

 何度か繰り返した後、休憩を取る。その休憩の間にボクはトレーナーに朝での会話を話そうと思いトレーナーに話しかける。

 

 

「なぁトレーナー、グラスとカイザーのことなんやけど……」

 

 

「グリーングラスとクライムカイザーがどうかしたのか?」

 

 

 トレーナーは練習メニューを見ながら答える。ボクは話を続けた。

 

 

「グラスとカイザーが最近気負いすぎてる気がしてな?まあ春天からそんなに経ってないから当たり前やと思うけど、それでもなんか気になるんよ」

 

 

「……まああっちは春天を負けたからな。次のレースこそは何としてでも勝ちたいと思ってるんじゃないか?」

 

 

「ボクもそう思うてる。やけど、本題はそれやなくて……」

 

 

「どうした?何か言いにくいことなのか?」

 

 

 ボクは意を決してトレーナーにどう思うか質問をする。グラスのあの言葉を。

 

 

「……グラスがホンマに小さい声で、ボクとボーイにはグラスとカイザーの気持ちなんて分からへん、て言うたんよ。トレーナーはどう思う?」

 

 

「あぁ……」

 

 

 トレーナーは少しの間天を仰ぐ。察しでもついているのだろうか?そのままかなり迷っているように唸っている。ボクは急かすように話しかける。

 

 

「なぁ、トレーナーはどう思うんや?トレーナーの考えを教えてくれ」

 

 

「まぁ、お前も大体察しはついていると思うが……。十中八九世間での評判が関係しているだろうな」

 

 

 そう言うとトレーナーは後の練習は座学にすると告げてトレーナー室へと戻るように促した。ボクは大人しくトレーナー室へと戻る。

 トレーナー室へと入ったボクを待っていたのは数冊の雑誌を抱えているトレーナーの姿。ボクに座るように促し、座ったのを確認するとトレーナーも座って雑誌を広げる。

 

 

「これらは春天が終わった後の記事だ」

 

 

 そう言って記事を見るように促してきた。ボクは確認する。ボクもまだ見たことがないやつだ。その内容はボクの想像を超えていた。

 

 

【TT世代の幕開け!トゥインクルシリーズ最強の2人を特集!】

 

 

【突出した実力を持つ2人トウショウボーイとテンポイント!その強さの秘訣とは!?】

 

 

【向かうところ敵なし!テンポイント春天制覇で打倒トウショウボーイは順調か!】

 

 

【トウショウボーイとテンポイント2人の今後の対戦は?徹底分析!】

 

 

 見事なまでにボクとボーイに関係する記事しか書かれていない。他のウマ娘のことなんて眼中にないかの如く。自分がここまで注目されていることへの嬉しさよりも他の子が全然注目されていないことへの憤りの方が出てくる。

 

 

「ちょ、ちょお待てや!あんだけの戦いしとったのに他の子への言及は無しか!?グラスやカイザーだけやない、ホクトボーイやって、クラウンピラードやておるやろ!なんでそっちに対する記事が一個もないねん!?」

 

 

 ボクはトレーナーに怒りながらそう問いただす。しかしトレーナーは冷静に答えてきた。

 

 

「……世間では、テンポイントとトウショウボーイの対決が1番注目されているんだ。トゥインクルシリーズ最強の2人としてな。それ以外のことなんてどうでもいいとばかりに記事はお前たち2人のことばかりだ。さすがに全部の出版社がそうじゃないけどな」

 

 

 トレーナーはそう締めたが、ボクは怒りのままに質問する。

 

 

「なんやそれ!?他の子かてすごい子ばかりやないか!なんでボクらだけなんや!?」

 

 

「スター性だよ、テンポイント」

 

 

 トレーナーはそう即決する。そのまま言葉を続ける。

 

 

「テンポイント、お前はメイクデビュー前から多大な期待を寄せられていたのは知っているな?その期待のままにジュニア級からスプリングステークスまでを連勝。それ以降は勝ち星を掴めなかったが春天で悲願のビッグタイトル獲得。記者やファンはそこにドラマ性を見出した」

 

 

「……だからなんや?」

 

 

「話はまだ終わりじゃない。トウショウボーイはその走りから天を駆けるウマ娘の異名を持っている。皐月賞までを4連勝。しかも全てがインパクトの強い勝ち方。ダービーと札幌記念でこそ後れを取ったが神戸新聞杯と有マ記念でのレコード勝ち。負けたレースも強さだけは見せていた。圧倒的な存在を放っていたんだ」

 

 

「それがなんや!はよいうてみぃ!トレーナーの考えを!」

 

 

「他のウマ娘はお前たち2人の前じゃ霞むってことだ、テンポイント。いくら俺たちが強いと思っていても関係ない。強い上にスター性もドラマ性もあるならば自然とそっちが注目される」

 

 

 ボクはトレーナーの意見に言葉を失う。

 春天であれだけの戦いをしたのだ。きっと2人だって注目されるし再評価される。そう思っていた。

 けれど、現実はそうはならなかった。注目されているのはボクだけ。それどころか春天を出走していなかったボーイのことについて言及する記事すらある始末。

 ボクはトレーナーに再度問いかける。

 

 

「……世間が興味惹かれるぐらい勝ちまくるしかないてことか?トレーナー」

 

 

「そう言うことだ。厳しいことを言うが勝負の世界である以上光もあれば影もある。お前たち4人で例えるなら光はお前とトウショウボーイ、影はグリーングラスとクライムカイザーだ。今の評価を覆すのであれば影の2人は光の2人に勝ち続けるしかない」

 

 

「……」

 

 

 正直、友達2人の不当な評価には憤りしか感じない。覆してやりたいとも思う。ボクたちが、例えばわざと負けでもすればあの2人は注目されるかもしれない。

 しかし、だからといって勝負事で手を抜くのか。そう言われたら答えはNOだ。向こうは真剣に挑んできている。ならばこっちも真剣に挑まなければならない。わざと負けるなど相手を侮辱しているのと同じだ。

 それに、ボクはあの2人の強さを信じている。ならばボクがやるべきことは1つだ。

 

 

「……これからも全力で走り続ける。それでええんやろ?トレーナー」

 

 

「そうだ。手を抜かれることなんてあの2人は望んじゃない。お前はお前のままで全力でぶつかればいい」

 

 

「分かった」

 

 

「それに、お前も一部からはトウショウボーイには勝てないなんて言われている。それも覆さないとな」

 

 

「なんやと?そいつらの目ん玉節穴か?やったら宝塚で見せたろうやないか。最強は誰かっちゅうことを」

 

 

 ボクは決意を新たにする。

 グラスとカイザーが不当な評価を受けている。それは友人としては憤りを感じる。だが、同じ競技者であるボクにできることはない。できること言えば全力でぶつかることだけだ。ボクは2人の強さを信じる。これからのレースで覆るはずだ。あの2人の評価も。




TTGなんて言われたのも後年になってかららしいですね。それでも私はTTGCと呼びたい(鋼の意思)。
改稿進まねぇ……。


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第53話 気づかない歪み

テンポイントとグリーングラスが話す回。
プロローグの方を改稿しました。最初の方の話を順次改稿予定です。(ジュニア編終了辺りまで)


 決意を新たにした翌日、ボクはお昼休みの時間に屋上へと向かっていた。いつもはカフェテリアで昼食を取るのだが今日は違った。たまには別の場所で食べようと思いボーイの誘いを断って1人屋上へと足を運んでいる。まあそのせいでボーイからは嘆きの言葉を貰ったが。

 

 

『そ、そんな!?テンさんまでオレを見捨てるのか!?』

 

 

 たかが昼食を一緒に取らないだけで大げさだと思ったが、今日だけだということを伝えるとすぐに機嫌を直してボーイは1人カフェテリアへと向かっていった。まあ1人ではなく他の友達と一緒に食べるだろうと思いながらボーイとは別れた。

 そんなことを考えていると屋上へと繋がる扉の前に着く。生徒にも一般開放されているので空いているはずだ。ドアノブへと手を伸ばして回す。扉は開いていた。

 屋上へと足を踏み入れる。あたりを見渡しても生徒は1人もいない。わざわざ屋上で食べようなんて物好きはいないのだろう。ここまで階段で上がってくるのも手間だし屋上はほとんど人がいない。寂しい食事になるだろう。だが、ここで昼食を取るような物好きには1人心当たりがある。そしてその人物こそがボーイの誘いを断ってまで話したいと思っていた人物だ。

 ボクはその人物を探すために屋上を見渡す。程なくしてその人物を見つけた。

 

 

「やっぱ、ここにおったか。グラス」

 

 

「ん~?私に何か用かな~?テンちゃん」

 

 

 目的の人物、それはグラスだ。昨日は朝の会話以降しっかりと話しをすることなく別れたため、しっかりを話しておきたかった。ボクはグラスへと近づく。

 

 

「隣ええか?」

 

 

「いいよいいよ~。好きに座って~」

 

 

 一応許可を取ってグラスの隣に腰掛ける。トレーナーに作ってもらったお弁当を開けてしっかりを手を合わせて食事を始める。グラスはどうやら既製品の弁当のようだ。

 食べている最中は終始無言だった。無言で食べていることもありボクらはすぐに食べ終わる。食べ終わった後も沈黙は続いていた。

 その沈黙に耐えかねてか、あるいは元からある程度察しがついていたのかグラスがこちらへと話しかける。

 

 

「それで~?私に何か用事でもあったんじゃないの~?」

 

 

 グラスのその質問にボクは肯定する。

 

 

「まぁな。話っちゅうんは昨日の朝のことや」

 

 

「朝……、あぁ、2人には私たちの気持ちなんて分からないって言ったこと~?」

 

 

「せやな。ちゅうかこっちが聞こえとんの分かっとったんかい」

 

 

「いやいや~、朝の会話で気になることとなればこの台詞が聞こえてたぐらいしか思いつかなかったもので~」

 

 

 グラスはそう笑いながら答える。まあ分かっているなら話は早い。

 

 

「朝ん時点で何となく察しはついとった。でも、あの後トレーナーから聞いてボクが思うてるより事態は深刻やったって分かったんや」

 

 

「例えば~?」

 

 

「ボクとボーイがどんだけ注目されとる、いや、下手したらボクとボーイだけしか注目されてへん事とかな」

 

 

「そうだね~。2人は滅茶苦茶注目されてるね~。いよ、有名じ~ん」

 

 

「茶化さんでもええでグラス」

 

 

 ボクは真面目な雰囲気を出す。するとグラスもその気配を察してかおちゃらけた雰囲気を出すのを止めた。

 

 

「正直に言うて、ボクは納得できてへん部分はある。グラスやカイザーだけやない、他の子かて強いのにボクとボーイだけしか注目されてへんのは可笑しいと思うてる」

 

 

「まあ、仕方ないんじゃない?2人の世間受けがいいのは事実だし」

 

 

「トレーナーからも言われたわソレ。ボクらのスター性やドラマ性の話をな。それを踏まえた上でグラスやカイザー、他の子たちに伝えたいことがあんねん」

 

 

「……ふ~ん。それは何かな?」

 

 

 グラスは興味深そうにしている。ボクは意を決してボク自身の考えを伝える。

 

 

「スター性とか、ドラマ性とかそんなん関係あらへん。世間やファンが何と言おうと知ったこっちゃないわ。そっちの評価を覆すためにボクはなんもせえへん。ボクはボクで全力で走り抜けたる。現状が悔しいんやったらボクらに勝て!ってな」

 

 

「……傲慢だねぇ?テンちゃん」

 

 

「せやな。けど、何も思わんってことはないで?実際ボクは納得できてへん。けれど、ボクが何と言おうと記者もファンも取り合わんやろうな。むしろ他の子に気を配る余裕を見せるボクカッコええ!なんて持ち上げる光景すら透けて見えるわ」

 

 

「言うねぇテンちゃん。でも実際そうだろうね」

 

 

「やから、悔しいんやったら勝って証明するんや!ボクやボーイだけやないってことを、この世代には自分たちかておるんやってことを!みんなに証明して見せるんやな!って。みんなそれだけの強さはある。それは今まで戦ってきたボクはよう知っとる。ま、だからといって負ける気はさらさらあらへんけどな!」

 

 

 そこまで言ってボクは笑顔を浮かべる。自分の言いたいことを言えてスッキリした。

 

 

「ま、後はアレやな。言いたやつには言わしとけばええって話や。周りなんて気にする必要ないで」

 

 

「……プッ、アハハハ!何それ!」

 

 

 そう言って、グラスは笑い出した。そしてひとしきり笑った後ボクに告げる。

 

 

「ハァー、なんだろうね、深刻に捉えてたのがバカみたいだったよ」

 

 

「なんや?そないに深刻に捉えてたんかグラス」

 

 

「んーまぁね。さすがに菊花賞を勝ってアメリカジョッキークラブカップもレコード勝ちしたのにそんなに話題になってないのには思うところはあったねぇ」

 

 

「まあ、それは腹立つわな」

 

 

「そこからしばらくして、入学式が終わってからじゃない?私やカイザーちゃんが2人を避け始めたのって」

 

 

「せやな。丁度そんくらいの時期やな。ボーイの奴凹んどったで?」

 

 

「あちゃ~。それは後で謝らないとね。まあ私もカイザーちゃんも2人を嫌ってないからそこは安心してね」

 

 

「ボクは分かっとるで。ボーイは知らん」

 

 

「薄情者だね~テンちゃん」

 

 

「知らんわ。ボクはアイツのお守役ちゃうし」

 

 

 昨日のやり取りからは信じられないくらいいつも通りの調子に戻って会話をする。ボクはひとまず安心した。

 するとグラスはカイザーの話を始める。

 

 

「まあ、私は世間からの評価をそこまで真剣に捉えてたわけじゃないんだ。でも、カイザーちゃんはそうじゃない。テンちゃんも薄々感じてはいるんじゃない?」

 

 

「……せやな。授業を休んでまで練習しとるんやろ?カイザーの次走言うたら……」

 

 

「宝塚記念。カイザーちゃんはそのレースを目指して今必死に頑張っている」

 

 

 宝塚記念。そのレースはボクも出走予定だ。そしてそのレースはボーイが復帰を予定しているレースとも言っている。グラスも順当にいけば出走できるだろう。つまりは。

 

 

「菊花賞ぶりやな。みんなが揃っとるレースは」

 

 

「そうだね。でも、正直言うと私は心配でならないんだ」

 

 

「どういうことや?」

 

 

 ボクはグラスにそう質問する。するとグラスはこう答えた。

 

 

「……私のチームの新入部員に、ハダルの子と仲良い後輩ちゃんがいるんだけどさ、その子が言うにはカイザーちゃんすごい思い詰めてるんだって。春天の時もそうだったけど、今はそれ以上に」

 

 

「……それは心配やな」

 

 

「それに、練習量も限界以上のことをやってるんじゃないかって。心配にしていたんだ。だから最近カイザーちゃんが練習している場所を教えてもらって私も見たんだ。練習しているところ」

 

 

 ……聞くのが少し怖くなる。けれどボクは聞いてみた。カイザーの現状を。

 

 

「それで?どうやったんや?カイザーは」

 

 

「……鬼気迫る、っていうのかな。もう後には引けないって感じで練習してたよ。周りからの評価とレースでの結果から、どんどん悪い方向に考えちゃってるみたい。自分の身体が頑丈だからって無理をしてる気がするんだ」

 

 

 確かにカイザーはボクら3人に比べればかなり頑丈な身体をしている。ボクら3人が虚弱すぎるだけなような気もするが、ほとんど大きな怪我もなくここまで来れているから頑丈だろう。

 しかしカイザーはそれを悪い方向に利用している。いくら頑丈といえども怪我をしないわけじゃない。大きな怪我をしなければいいのだが。

 

 

「まあ、怪我をせえへんように祈るしかないわな」

 

 

「そうだね。私たちが言ったところでカイザーちゃんはさらに意固地になるだけだと思うし、下手したら他の人たちが言っても聞かないと思う」

 

 

 そんな会話を続けていると、チャイムが鳴り響いた。どうやらもう少しで昼休みが終わるらしい。ボクたちは会話を切り上げて屋上から出ようとする。

 そんな時、グラスがこちらに向かって話しかけてきた。

 

 

「テンちゃん、ちょっといいかな?」

 

 

「どうしたん?グラス」

 

 

 グラスの表情を見るとこちらを心配するような顔をしていた。何故そんな顔をしているのだろうか?

 

 

「カイザーちゃんも心配だけど、私はそれと同じくらいテンちゃんも心配だよ」

 

 

「なんでや?ボクはこの通り世間での評価なんて全然気にしとらんで?」

 

 

「嘘でしょ、ソレ。何となくわかるもの。テンちゃんはボーイちゃんに敵わないって思われてること、私たちが思っている以上に堪えてるんでしょ?」

 

 

 何かと思えばそのことか。ボクは特に気にした様子を見せることなく返す。

 

 

「なんやそのことか。やったらホンマに気にしてへんよ。実力で見返せばええ話や。今度の宝塚記念でな」

 

 

「……テンちゃんがそう言うなら私はもう何も言わない。でもこれだけは覚えといて」

 

 

 グラスはそう前置きした後、言葉を続ける。

 

 

「人の心はふとした瞬間に、唐突に折れることがあるから。今まで我慢していたものが些細なきっかけで決壊する。それだけは覚えておいて、テンちゃん」

 

 

「グラスは心配性やなぁ。ま、ちゃんと覚えとくわ」

 

 

 ボクはそう言って屋上から出ていく。グラスは後ろからついてくる。屋上から出る時に、グラスの呟きが聞こえた。

 

 

「……私から見たらテンちゃんも相当無理してるよ。自分が思っている以上に堪えてるんだよ、テンちゃん」

 

 

 その呟きを、ボクは聞こえないふりをして教室へと歩みを進めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 教室へと戻って放課後、ボクは練習に行くために席を立って教室を出ようとする。その時、グラスから声を掛けられる。

 

 

「じゃ~ね~、テンちゃん、ボーイちゃ~ん」

 

 

 ボクはそれに返事をする。ボーイは驚いた表情をしていた。

 

 

「お疲れさん。また明日な、グラス」

 

 

「えっ、えっ」

 

 

 ボーイは戸惑っていた。最近あちらから別れの挨拶をかけられることすらなかったから当然かもしれないが。グラスはその表情を見て面白そうに笑いながら再度別れの言葉をかける。

 

 

「あれ~?ボーイちゃんには聞こえなかったのかな~?じゃ~ね~ボーイちゃん」

 

 

 もう一度グラスがそう声を掛けるとボーイは戸惑った表情から一変して花が咲いたような笑顔を浮かべたまま答える。

 

 

「おう!また明日な!グラス!」

 

 

 その返事を聞いた後、グラスは教室を後にした。その顔に笑みを浮かべながら。

 グラスが出ていったのを確認した後、ボーイは嬉しそうにこちらへと話しかける。

 

 

「見たかよテンさん!グラスの態度!元に戻ってくれて嬉しいぜオレは!」

 

 

 そのテンションを鬱陶しく感じながらもボクは答える。

 

 

「はいはい見とった見とった。ちゃんと見とったから離れろや」

 

 

「ヒデェ!?てかカイザーやグラスもおかしかったけど、テンさんもなんかおかしくねぇか?」

 

 

「なんやそれ?ボクのどこがおかしいっちゅうねん」

 

 

「なんていうか、オレに対する当たりが強くなってないか?」

 

 

「気のせいやろ。前からこんなもんや」

 

 

 だが、ボーイは気になっているのか不満気だ。

 

 

「そうかなぁ。前はなんだかんだ冗談で言ってるってのが分かってたんだけど最近はなんて言うかさ……、今までとは違うっていうか……」

 

 

「……ハァ、ボクはもう練習行かせてもらうで」

 

 

 あまりにもアホらしくなって教室を出ていこうとする。ボーイは何か言いたげだったがうまく考えが纏まらなかったのか別れの挨拶をしてきた。ボクもそれに返事をして教室を後にする。

 宝塚記念、菊花賞以来となるボクら4人が出走することになるであろうレース。絶対に負けられない。もう、負けるわけにはいかない。

 

 

(ボクがボーイに勝てへんなんていうふざけた評価……、取り消させたる!)

 

 

 そう胸に誓いながら、ボクは練習へと向かっていった。




レースを見るだけで賭けはしない男、スパイダーマッ!本音を言うと馬券の買い方が分からないだけですが。


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閑話5 才能と焦り

クライムカイザーの現在。


 トレセン学園の施設の1つである海岸近くの合宿所。普段は夏休みに利用されているその施設を私、クライムカイザーは5月のこの時期にトレーナーさんに無理を言って利用させてもらっている。

 そこで私は朝日が昇ってから日が沈むまでひたすらに練習に励んでいた。何時間かに1回、休憩こそ取っているがほとんどを練習に費やしていると言ってもいい。たまにチームの子が様子を見に来るが、私の様子を見たら一瞬たじろいだ後すぐに帰っている。先程も差し入れを持ってきてくれたがすぐに離れていった。

 

 

「ハァ……ッ!ハァ……ッ!」

 

 

 今日も練習に励んでいると先程離れたチームの子が遠目にこちらのことを話しているのが聞こえた。

 

 

「ね、ねぇ、アンタ止めなよ?アレ本当に無茶だって……」

 

 

「できるわけないじゃん……。下手に止めたら無事じゃすまないよ私ら……」

 

 

 会話の内容から察するに私の雰囲気を恐れているのかもしれない。確かに一生懸命練習に励んでいるがそんなに怖い雰囲気を出しているだろうか?それなりの重さがあるアンクルウェイトを装着して走りながらそう考える。

 だが、そんなことは気にしていられない。年が明けてからの私の成績は散々なものだから。

 

 

(皆さんの隣に立つためには……、私には練習するしかないんです……!私は……、才能がない側のウマ娘だから……!)

 

 

 ボーイさんは有マ記念で凄まじい強さを見せつけた。グラスさんは菊花賞で実力を見せた。そしてテンポイントさんは天皇賞でついにタイトルを獲得した。

 一方私はどうだ?ダービー以降の勝ち星は無し。掲示板が精一杯の成績。ダービー以降の成績だけを見るなら皆さんと比べるとかなり見劣りする成績だ。とてもライバルと呼べるようなものではない。

 皆さんは優しいから励ましてくれるかもしれない。前にグラスさんがこの合宿所に来てくれた時も励ましてくれた。けれど、今の私にとってはその励ましの言葉は辛いだけだ。

 

 

(なんとか上手く笑えた気がしましたけど、グラスさん浮かない顔をしてましたね……。心配をかけて申し訳ないです……)

 

 

 そう考えていると着けていた時計からアラームが鳴る。休憩を知らせる時間だ。別にこのアラームを無視して走ってもいいが、そうした場合またタケホープ先輩かトレーナーさんに大目玉を喰らう。大人しく休憩を取ることにした。

 休憩中、私は年明けからこれまでのレースについて考えていた。まずは年明け一発目のレース、アメリカジョッキークラブカップだ。

 グラスさんも出走しており、彼女がレコードタイムで勝利した裏側で私は5着だった。

 年明け2本目は春の目黒記念。またもやグラスさんが出走していたが勝ったのは私でもグラスさんでもなく、それまで重賞未勝利だった子が優勝した。私は4着。

 3つ目は鳴尾記念。このレースにはテンポイントさんが出走しており、クビ差ながらも彼女が優勝した。私は4着である。

 そしてついこの前の天皇賞・春。ボーイさん不在の中で行われたこのレース、私はこれまでの不甲斐ない成績を払拭するために、今まで以上に練習に励んで挑んでいた。先輩からのお墨付きも貰った、後は自分の実力を発揮して勝つだけ。そう思い臨んだこの大一番。私は珍しく自信をもってレースに挑むことができた。

 だが、結果はテンポイントさんの優勝。グラスさんは4着、私は5着で何とか掲示板に名前を残すのが精一杯だった。

 ハダルの先輩たちも私が勝てるように最善を尽くしてくれていた。トレーナーさんも私が勝つためにと他の出走者の弱点などをリスト化してくれて、どう立ち回るべきかの指南もしてくれた。私も、今まで以上の練習をしてその期待に応えようとした。

 だが結果はこの様だ。掲示板に乗るのが精一杯。周りの子からしたら掲示板に乗るだけでもすごいと言ってくれるだろう。けれど、

 

 

(それじゃあ意味がないんです……ッ!皆さんに並ぶためには、掲示板に載るだけじゃダメなんです……!私が、皆さんと並べるようになるには、1着を取るしか……!)

 

 

皆さんと胸を張ってライバルと言うためには勝たなければいけない。私は年明け以降その思考に囚われていた。チームの皆さんはそんな私を心配するように声を掛けてくれたが、私の心が変わることはなかった。

 それに拍車をかけたのが世間での評価。ダービーから菊花賞までは私の評価は上々だった。ボーイさんとテンポイントさんの2人に並ぶ逸材。そんな評価をされて私は嬉しかった。だが、菊花賞以降私の話はめっきりとなくなってしまった。それも仕方ないだろう。勝てていないのだから。これから勝っていけばいい。そんなことを考えていた当時の私を叱ってやりたい。

 年末で偶然手に取ったレース雑誌。ボーイさんとテンポイントさんが特集されていたそれを私は中身を確認してみた。今にして思えば見ない方が良かったのかもしれない。内容はお2人を褒める内容だった。ここまではいい、お2人の特集記事なのだから。

 だが、とある一文が目に留まった。

 

 

【この世代はトウショウボーイとテンポイント、この2人の力が突出しており他のウマ娘は並である】

 

 

 悔しいことこの上ない評価だ。記事ではTT世代の幕開けだの、年明け以降のお2人の対決が楽しみだの、私たちのことなんて眼中にない記事ばかりだった。

 思えばこの記事を目にした時からだろう。私が限界を超えたトレーニングをするようになったのは。幸い、私の身体は頑丈と言っても良かったため、無茶な練習にもある程度耐えることができた。最初無茶なトレーニングをしていた時は、周りのチームの人たちは止めた。しかし、

 

 

『離してください……ッ!私は、練習するしかないんです……ッ!ボーイさんたちに勝つためには、大レースで勝つためには、才能のない私は他の人以上に練習するしかないんです……ッ!』

 

 

私の鬼気迫る雰囲気に何も言えなくなったのか、1ヶ月もしたら止める人はいなくなった。いや、1人だけいた。タケホープ先輩だ。

 思えば、ハダルに入部してからタケホープ先輩に手を上げられたのはあの日が初めてだった。私は頬をはたかれて呆然とした。周りの人たちもタケホープ先輩が手を上げるところを初めて見たのだろう。驚いていた。タケホープ先輩は涙を耐えているような表情をしながら私を叱った。

 

 

『だからって、自分の身体を壊す気かいカイちゃん!自分の身体を壊してまで勝利を得て……、カイちゃんはそれで満足するのかい!?』

 

 

 タケホープ先輩の言っていることは理解できる。その時だけは反省したように謝罪の言葉を述べた。しかし、それ以降も私はトレーニングを止めなかった。その度にタケホープ先輩からの止めが入る。年明けから天皇賞・春まではずっとそれを繰り返していた。

 しかしこの前の敗戦を経て、私はもうなりふり構っていられなくなった。合宿所の使用許可と休学届をトレーナーに出してもらい、タケホープ先輩が手出しができないような状況を作り出すことにした。

 トレセン学園からこの合宿所までは距離がある。気軽に手出しをすることはできない。思う存分練習をすることができる。私はそう思い、毎日練習をしていた。

 しかし、先輩は学園が終わった後毎日のようにこの合宿所を訪れていた。トレーナーさんと一緒なのでトレーナーさんに送られてここまでいているのだろう。どうしてここまで私に構うのか聞いてみた。すると先輩はこちらを心配するような表情を浮かべて答えた。

 

 

『今のカイちゃんを1人にすると、危なっかしくて仕方ないからねぇ』

 

 

 この何ヶ月で何回言っても止めなかったらもはや諦めているのだろう。止めることを諦めて無茶なことだけはしないように監視する姿勢に変えたようだ。先輩を心配させるような後輩で申し訳ないと思いつつも、私は合宿所を借りての練習は宝塚記念までだということを教える。すると先輩はこちらを励ますように言った。

 

 

『そっかぁ。頑張るんだよカイちゃん。私には応援することしかできないけど、宝塚記念で勝つことを祈ってるよぉ』

 

 

 そう言ってその日は先輩とトレーナーは帰っていった。迷惑を掛けてしまい、こんな後輩で申し訳ないと私は感じた。

 その後も度々この合宿所を訪れては差し入れを持ってきてくれている。先程の子たちとはまた別でだ。後輩たちのケアを欠かさないこの姿勢が、ハダルの子たちや学園の生徒に慕われている理由なのだろう。

 そこまで考えたところで、時計を確認する。休憩の終わりの時間だった。それを確認すると私はまた練習へと戻るためにアンクルウェイトをつけて走る準備をする。

 次走は宝塚記念、トレーナーが言うには私の出走は確実らしい。私の人気はまだ完全には衰えてはいないらしい。不甲斐ない成績なのにファンの人たちには感謝するばかりだ。その期待に報いなければならない。

 この宝塚記念には間違いなく皆さん出走してくる。強いて言うならば天皇賞・春の出走を回避したボーイさんだけが心配だが、本人の体調も大分回復してきているらしい。ハイセイコー先輩経由で知ったタケホープ先輩に教えてもらった。宝塚には間に合いそうだと言っていた。

 それに、ボーイさんやテンポイントさんには謝らないといけない。今年のトレセン学園の入学式以降彼女たちを避けるように行動していたからだ。グラスさんとは普通に話していたが、私たちの世代の代表ともいえるあの2人と話すのはどこか気後れしてしまい、結果として避けるようになってしまった。

 グラスさんの言葉によると、ボーイさんはかなり落ち込んでいたらしい。だから宝塚記念が終わったらボーイさんとテンポイントさんに謝ろう。避けてしまっていたこと、そっけない態度を取ってしまったことを。

 そこまで考えたところで、私は思考を打ち切って練習を始める。宝塚記念で勝って笑うのは私だ。

 

 

(もう負けられません!私は、皆さんと並んでも恥ずかしくないようなウマ娘になって見せます!)

 

 

 そう誓い、練習へと向かう。宝塚記念はすぐそこまで迫ってきている。ここからはさらに追い込みをかけていこう。




宝塚記念までもう少し


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第54話 もう二度と

主人公陣営の宝塚記念前。

※最後の描写変更に伴っての上げ直しです。


 宝塚記念を間近に控えた今日、テンポイントは気合を入れて練習に臨んでいる。

 

 

「調子は良好!こんまま宝塚記念ももろうたでー!」

 

 

 そんなことを言いながら今も調子が良さそうに走っている。まあペース走だから走るスピードは一定だが。ただ、怪我だけはしないようにと俺は注意するように彼女に言った。それに彼女が了承の返事をしたのを確認してから俺は手元にある資料を見ながら考える。

 資料は宝塚記念の出走メンバー表、そしてレースの距離だ。距離は阪神レース場の2200m、ここは問題ないだろう。テンポイントの適性は今までの勝ちレースから見て長距離寄りの中距離だが、問題なく勝てる。なので問題となってくるのであれば出走メンバーの方だ。

 

 

(春を全休したトウショウボーイの復帰戦、それにテンポイントを含めて僅か6人という少人数でのレースでありながら5人はクラシックを制したウマ娘か天皇賞ウマ娘……。かなりハイレベルだな)

 

 

 今回の宝塚記念はかなり豪華なメンバーが出揃っている。昨年テンポイントとともにトゥインクルシリーズを賑わせたトウショウボーイを筆頭に、ダービーウマ娘クライムカイザーと菊花賞ウマ娘グリーングラス、まだ大レースを勝ってはいないがこの前の春天を3着と好走したホクトボーイ、昨年の有マ記念でトウショウボーイとテンポイントに次ぐ3着の天皇賞ウマ娘のアイフル。

 非常に豪華なメンバーが出揃っているがテンポイントなら勝てるだろう。俺はそう踏んでいる。テンポイントとて天皇賞ウマ娘、実績なら他の子に勝るとも劣らない。前評判ではトウショウボーイを抑えての1番人気に支持されていた。とはいえ、トウショウボーイはこの宝塚記念が緒戦、さらにはおハナさんはインタビューでトウショウボーイの調子は今一つであると答えていた。対してテンポイントはこの春のレースを天皇賞含めて3連勝、さらには調子も好調を維持し続けている。1番人気なのも納得だ。

 だが、不安要素が何もないわけじゃない。元々この2200mという距離は最重要で警戒しているトウショウボーイも得意とする距離。いくら調子が今一つとはいえ、勝つことは一筋縄ではいかないだろう。

 そして、不安要素はもう一つある。それはテンポイント自身だ。肉体的な面では問題はないが精神的にかなり危うい状態にあるのではないか?俺はそう感じていた。元々有マ記念以降、打倒トウショウボーイを掲げて練習をしてきた。だが、年明けで実家に帰っている時もワカクモさん曰くキツめの練習をしており、年明け以降の練習でも気合が入りすぎて俺から注意されることも多くなっていた。今までは決められた量の練習をキッチリとこなしていたのにだ。

 

 

(気持ちは分からないでもない。対トウショウボーイの戦績は1勝3敗、負け越している。次の宝塚記念は調子を落としているトウショウボーイには何としてでも勝ちたいと思うだろう。しかし……)

 

 

 少し気負いすぎているのではないか?というのが俺の見解だ。元々負けず嫌いではあったが、ここ最近のテンポイントはトウショウボーイに勝とうという気持ちが最早強迫観念に近い領域まで来ているように感じられる。本人は表に出さないようにしているだろうが、親しい人間ならば彼女の変化に気づくレベルだ。限界に近いもしくは超えたトレーニングの要求、トウショウボーイが不在だった春天勝利に対する興味の薄さ。上げていけばキリがない。

 それに最近トレーナー室に遊びに来たトウショウボーイによると

 

 

『なんか最近のテンさんオレに対する当たりが強い気がするんだよ。誠司さんなんか知らない?』

 

 

という証言があった。その場はたまたま機嫌が悪かったんだろ、と言って切り抜けたが俺の内心は穏やかではなかった。

 おそらくだが、テンポイントは内に溜めていたトウショウボーイに対して抱いていた負けたくないといった感情を抑えきれなくなっている。それが表に出てしまい、これがトウショウボーイに対する当たりが強くなっている原因だろう。

 今までは心に余裕があったから抑えることができていた。しかし、万全で挑んだ有マ記念での敗北、世間からのテンポイントはトウショウボーイに勝てないんじゃないか?という評価、それに対する自分への怒り等、色々なものが積み重なりテンポイントの心に余裕がなくなってきているのだろう。それが普段の態度を変えるほどになってしまった。

 元々テンポイントはトウショウボーイのことを特に意識していた。絶対に負けたくない相手だとも。そこまで意識している相手が不調で宝塚記念に出走してくる。余計に負けられないという気持ちが強いはずだ。負けん気が強いのはいいことだが、それで怪我でもしたら泣くに泣けない結果になってしまう。

 あれこれ考えていると日が沈みかけてきた。もうそろそろ練習も終わる時間である。俺はテンポイントに声を掛ける。

 

 

「テンポイント!そろそろ上がるぞ!」

 

 

 しかし、テンポイントはその声に反応することなく走り続けている。俺はもう一度、先程よりも声を大きくして呼びかける。

 

 

「聞こえなかったか!?もう上がりだ、テンポイント!」

 

 

 なおも走ることを止めない。俺は呆れつつも彼女が走るコースの前に立って無理矢理制止させる。彼女は不満げな表情をしていた。

 

 

「なんやトレーナー。走るんに邪魔やからどいてくれへん?」

 

 

「何言ってんだ。練習はもう終わりだ、とっとと上がるぞ」

 

 

「……えっ、うわっ!ホンマやん!?全然気づかんかったわー」

 

 

 そう言っているが、絶対に嘘だろう。目が泳いでいる。俺はまた呆れながらそのことを指摘する。

 

 

「嘘をつくな。目が泳いでるぞ。分かってて走ってただろ?」

 

 

 そう言うとテンポイントは不貞腐れたようにそっぽを向いた。図星だったらしい。

 

 

「いくら何でも気負いすぎだ。身体壊すぞ?」

 

 

「……はーい」

 

 

 分かってくれたかは定かではないが、文句を言いながらもテンポイントは帰り支度を始める。その態度に苦笑いを浮かべながらも俺も荷物を片付ける。今日の練習はこれで終わりだ。

 この後はトレーナー室へと戻って宝塚記念に向けたミーティングを始めた。俺は今回の作戦をテンポイントに説明する。

 

 

「さて、最早いつものことしか言わなくなった作戦会議だが……、トウショウボーイをマークする作戦は継続だ。だが、今回は逃げウマ娘が1人もいない。だからお前かトウショウボーイ、どちらかが先頭に立ってペースを握ることになるだろう」

 

 

「せやな。グラスは差し、カイザーは追い込み、ホクトもアイフル先輩も後ろで展開するからボクかボーイのどっちかが先頭に立つやろうな」

 

 

「そこでだ。もしトウショウボーイが先頭に立つようならそのまま後ろにつけてレースを展開、トウショウボーイが下がるようならお前がペースを握れ。無理に下がろうなんて考えるな」

 

 

「それが一番やな」

 

 

 テンポイントは納得する。だが、大事なのはここからだ。

 

 

「しかし、トウショウボーイはおハナさんのインタビューを信じるのであれば調子が良くない。もし本番でも調子が良くなさそうだったらトウショウボーイのマークを緩めて後方で控えているウマ娘を警戒してくれ。いつものペースで走った場合、怖いのは後ろから追い上げてくるウマ娘たちだからな」

 

 

「特にグラスとアイフル先輩やな」

 

 

「そうだ。グリーングラスは言わずもがなだが、アイフルもここ最近は勝っていないものの後方からの追い込みは驚異の一言だ。警戒を強めるに越したことはない」

 

 

 昨年の有マ記念でもアイフルは2人に迫る勢いで追い上げてきた。要注意ウマ娘の1人だろう。

 そこからは作戦の細かいすり合わせや今後の予定などを話していったが、全てが終わって世間話へと入る。ふと時計を確認するともういい時間だった。俺はテンポイントに帰るように促す。

 

 

「もうこんな時間か。寮の門限もあるし、今日のところはこの辺にしておくか」

 

 

「んー?あぁ、せやな」

 

 

 資料を見ながら話していたのでテンポイントの方を向いてなかったが今向いてみるとソファに思いっきり寛いでいた。作戦のすり合わせの時は普通にしていたので世間話に移った時に態勢を変えたのだろう。俺は呆れた顔をして彼女を見る。するとバツが悪そうな表情を浮かべた後取り繕うように二の句を告げる。

 

 

「あ、あー……。せや!ボクとボーイはどんくらいやと思う?」

 

 

「どんくらいって……何がだ?」

 

 

「単純な話や。どっちが強いかって話やな」

 

 

 その言葉に俺は少し考える。やがて考えが纏まったのでテンポイントに伝える。

 

 

「現実的な見方をするならお前とトウショウボーイの実力は五分五分だ。そこに体調や諸々の条件が重なるとさすがに分からないが」

 

 

「ふ~ん。トレーナー的には?」

 

 

「お前が強い」

 

 

「さっきと違って即答するやん」

 

 

 彼女は笑いながらそう答える。生憎だがこれは彼女をスカウトした時から変わらない。テンポイントこそが最強のウマ娘なのだという嘘偽りない俺の気持ちだ。俺の答えが満足するものだったかは分からないが彼女は帰り支度をしている間も終始笑顔を浮かべていた。

 テンポイントは帰り支度を済ませて扉に手をかける。

 

 

「ま、気が楽になったわ。じゃあな、トレーナー。また明日」

 

 

「おう、また明日」

 

 

 そう言ってテンポイントはトレーナー室を出て寮へと戻っていった。俺は部屋の椅子に腰かけて嘆息する。

 

 

「宝塚記念、一体どういった結果になるのか……」

 

 

 先程テンポイントに言った通り、現実的な見方をするならばテンポイントとトウショウボーイの実力を考えたら五分五分だ。だからこそ、後はトレーナーの腕がレースの勝敗を分けるだろう。

 だが、俺はお世辞にもトレーナーとして優秀とは言えない。今まで勝ってきたのもテンポイントの実力による部分が大きいだろう。そこで、ふと頭をよぎったのは前に時田さんに言われたこと。

 

 

『ただ、あなたはただマニュアル通りのことしかやらないトレーナーなのだなと、そう思っただけです』

 

 

『ただ1つ忠告しておくなら……、このままマニュアル通りのレースを続けていくのであればテンポイントがトウショウボーイに勝つことは一生ありませんよ』

 

 

『もう少し視野を広げてみることをお勧めしますよ。先輩トレーナーからのアドバイスです』

 

 

(視野を広げてみる……か)

 

 

 しかし、一体どの分野に視野を広げればいいのか。作戦が間違っているとは思えない。テンポイントに合っているのは先行気味の立ち回りのはずだ。ならばと効率的な練習や他にも何かないか思考を巡らす。しかし、考えれば考えるほど答えが遠ざかっていくような気分になっていく。ドツボにはまってしまった気分だ。

 

 

「もう止めるか。今はそれよりもテンポイントだ」

 

 

 彼女が帰る時にはあえて触れなかったが、おそらく思っている以上に精神が不安定かもしれない。そのことにテンポイント自身が気づいていないと来ている。

 咄嗟に頭に浮かんだ質問をこっちに投げてきただけかもしれないが、今までの彼女だったら間違いなく自分の方が強いと即答するような質問だった。それを俺に投げかけてきたということは……、

 

 

「自分の強さに自信を失い始めている……。そう考えるのが自然か」

 

 

俺はそう結論づけた。そしてこのままではまずいとも。

 このままいけば、トウショウボーイは不調のまま宝塚記念に出走してくるだろう。もし不調の彼女に負けてしまったら、テンポイントの心が折れてしまう可能性は十二分にある。だが、やれるだけのことはやったつもりだ。後は本番を迎えるだけ。しかし俺の心は晴れない。

 

 

「宝塚記念……。一体どうなっちまうんだ……」

 

 

 俺は不安を抱えたまま、宝塚記念を迎えることになった。

 




次話から宝塚記念。果たしてテンポイントはどうなるのか?


※前書きにも書きました通り、最後の描写変更に伴って上げ直させてもらいました。申し訳ございません。


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第55話 運命の宝塚記念

トレーナーが抱えていた不安が判明する&宝塚記念回


 様々な不安を抱えたまま迎えた宝塚記念当日、阪神レース場の控室で俺とテンポイントは最後の作戦の打ち合わせをしていた。

 

 

「……以上が今回の作戦だ。何か気になるところはあるか?」

 

 

 俺の問いかけにテンポイントは質問はないとばかりに首を横に振る。

 

 

「いや、大丈夫や。そん作戦でいこか」

 

 

 俺はテンポイントのその言葉に頷く。

 あの後も作戦に変更はないということで自分から無理に先頭へ立とうとはせずにトウショウボーイをマークする作戦に決めた。理想はトウショウボーイの後ろ、2番手の位置につけることを目標にする。そして最後の直線に入る前に先頭を取りに行く。いつもの作戦だ。

 作戦の確認が終わったところで、俺は不安が入り混じった感情でテンポイントを見つめる。おかしな点は見当たらない。この前のことは俺の考えすぎだったのかもしれない。テンポイントの自信がなくなりかけているなど。

 

 

(それに、何か別の不安があるような気がするのはなぜだ……?テンポイントのことだけじゃなく……)

 

 

 そこまで考えたところで、テンポイントがこちらの瞳を覗き込むように見てきた。俺は思わず驚いてしまう。

 

 

「っとと、どうした?テンポイント」

 

 

 俺の言葉にテンポイントは呆れた表情を浮かべて答える。

 

 

「どうしたも何も……。それはこっちの台詞や。なんや人んことジィっと見て……。なんかおかしなとこでもあるんか?」

 

 

 俺自身、言ってておかしいことを言っているとは思っていた。テンポイントはそのことを冷静に突っ込んでくる。

 俺は取り繕うように答える。

 

 

「いや、何でもないさ。いつも通り決まってるな!って思っただけだよ」

 

 

「なんやそれ。アホらし」

 

 

 テンポイントはそう言いながら笑った。そしてこちらへと向き直ると俺に対して自信満々といった感じで宣誓してくる。だが、その宣誓はどことなく虚勢のような気がした。

 

 

「ま!軽~く勝ってくるさかい!期待してまっとき!」

 

 

 そう言って拳を突き出してくる。テンポイントの拳は微かに震えている気がした。俺は気づいていない素振りをしてテンポイントに合わせるように拳を突き出す。2人の拳を軽くぶつける。

 拳を合わせたのを確認し終えると、テンポイントは笑顔を浮かべて控室を飛び出し、パドックの方へと向かっていった。

 俺は控室で1人愚痴る。

 

 

「俺の考えすぎだったらそれでいいんだが……」

 

 

 俺はそう思いながら、控室を出てレース場へと足を運ぶ。その足取りはどこか重かった気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 阪神レース場のパドックへと俺は足を運ぶ。そこには待ち合わせていたキングスポイントとその友達たちがいた。

 

 

「あ!帰ってきたし!」

 

 

「神藤さん、どうぞこちらへ!」

 

 

「やめてくれ。周りから変な目で見られるから」

 

 

 まるでお偉いさんを案内するかのような振る舞いで俺を出迎えたキングスポイント達に俺は呆れた表情を浮かべながら勧められた場所へと足を運ぶ。柵に体重をかけながらキングスポイントたちに話しかける。

 

 

「しかし、まさかテンポイントを応援するために阪神レース場まで来るとは思わなかったぞ。学生には高いだろ?東京から関西までなんて」

 

 

 その言葉にキングスポイントは得意げに答える。

 

 

「フフン!その辺は心配ないし!母さんからお小遣い前借してもらったし!」

 

 

 そこまでして見たかったらしい。まあ俺が止めるべきことじゃないから気にしないことにする。他の子たちも同様に貯金を切り崩したりして応援に来たらしい。今度からはバスを使って全員をレース場まで連れて行こうか?などと考えていると、ウマ娘たちが入場してきた。

 

 

 

 

《ウマ娘たちが続々とパドックへと姿を現します!まず最初に姿を見せたのは1枠1番ホクトボーイ!》

 

 

《今回は最低人気の6番人気です。しかしこの前の天皇賞・春ではテンポイントの3着など好走しています。大レース初制覇なるか?》

 

 

 

 

 

「お、入場が始まったな」

 

 

「早くお姉の出番にならないかなー」

 

 

「せめてもうちょっと興味持てよ」

 

 

 俺はキングスポイントを呆れながら見る。しかし彼女はどこ吹く風だ。そのまま滞りなくパドックでの紹介が続いて行く。

 

 

 

 

《続いてパドックに入ってきたのは2枠2番!この評価は少し不満か?今回の宝塚記念2番人気トウショウボーイ!》

 

 

《昨年の年度代表ウマ娘に選出された彼女。新たな勝負服を身に纏っての登場です。今回の勝負服は彼女の異名でもある〈天を駆けるウマ娘〉をモチーフにしているのでしょうか?とてもよく似合っていますね》

 

 

《春は脚部への不安から全休。この宝塚記念が今年の緒戦となります!しかしあまり調子が良くなさそうですね?しかし出走してきたということは勝てると踏んできたということでしょう!好走に期待です!》

 

 

 

 

 ホクトボーイに続いてトウショウボーイがパドックに姿を現した。その装いはクラシック級で纏っていた勝負服ではなく、年度代表ウマ娘に選出されたことで新たに贈呈された勝負服だ。

 今回の勝負服は実況・解説からの紹介にあった通り、まるでそのまま天へと駆けていきそうな雰囲気が感じられる勝負服だ。青空を想起させる色を主軸にしている。髪には羽根の髪飾りをしていた。一見するとドレスのようにも見えるが、下はショートパンツである。彼女にとっては譲れない部分なのかもしれない。まあ似合っているので関係ないだろう。

 キングスポイントはトウショウボーイの姿を見て声を上げる。

 

 

「あー!お姉のライバル!なんか新しい服着てるし!」

 

 

 もう触れないことにした。キングスポイントを諫めつつトウショウボーイを観察する。

 

 

(調子は戻らなかったみたいだな)

 

 

 よく観察してみると、普段の彼女よりも落ち着きがないように感じられた。ベストな体調に戻すことはできなかったのだろう。その不安が態度に現れている。

 そんなことを考えていると、トウショウボーイが退場して次のウマ娘が入場してくる。

 

 

 

 

《さぁ!次に入場したのはこの宝塚記念、圧倒的支持を受けて1番人気となりました!3枠3番テンポイント!》

 

 

《今年度は京都記念から始動して春の天皇賞を含む3戦3勝。この宝塚記念の大本命といっても過言ではないでしょう。今回は有マ記念以来となるTT対決、果たしてどちらに軍配が上がるのか?》

 

 

 

 

「お姉!頑張れ~!」

 

 

「「「テンポイント様~!頑張ってくださ~い!」」」

 

 

 テンポイントが姿を現した瞬間、俺の近くにいたみんなから黄色い声援が飛ぶ。俺はそれを微笑ましそうに見るが、すぐに視線をテンポイントに移す。

 

 

(見た感じ問題なさそうだな……。好調を維持している……)

 

 

 パドックではパッと見問題なさそうに見える。何も不安に思うような要素はない。

 俺はいつだってテンポイントの勝利を信じている。だが、俺の胸の中の不安は晴れない。何か嫌な予感がするのだ。

 

 

(ここまで不安に思うってことは……、テンポイントのことじゃない?)

 

 

 そう思考すると、不安がより一層強くなった。まるで合っているとばかりに。

 胸の中にもやもやを抱えたまま、出走するウマ娘たちがパドックへと続々と入場し、全てのウマ娘の紹介が終わる。紹介が終わったので俺たちはメインスタンドへと移動した。

 最前列へと陣取り、入場してくるのを待つ。しばらく待っていると出走するウマ娘たちが続々と入場してきた。各々ウォーミングアップをしている。

 しかし、今回の宝塚記念は本当に出走者が少ない。G1ではなくオープンレースと言われても信じてしまうほどだ。こんな豪華なメンバーのオープンレースなど見たことないが。それに宝塚記念はクラシック級はダービーが、シニア級は春の天皇賞がある。日程的にキツいこのレースを走るウマ娘はまだ少ないのだろう。

 しばらく待っているとレース場にファンファーレが響いた。実況の声が場内に響き渡る。

 

 

 

 

《今年もやってまいりました宝塚記念!今年はわずか6人との少数ながらいずれも選ばれた精鋭たちです!阪神レース場の天候は晴れ、絶好の良バ場日和です!》

 

 

《今年は一体どんなドラマが生まれるのか今から楽しみですね》

 

 

《まずは3番人気のウマ娘の紹介から入りましょう。3番人気は6枠6番今回の大外枠グリーングラス!》

 

 

《前走は力走叶わずテンポイントの4着。借りを返したいところですね》

 

 

《続いて2番人気。この評価は少し不満か?2枠2番トウショウボーイ!》

 

 

《春は脚部不安からの全休、この宝塚記念が緒戦。この評価も仕方なしといったところ》

 

 

《そして1番人気の紹介に移りましょう。1番人気は3枠3番テンポイント!》

 

 

《緒戦の京都記念から3連勝。この勢いのまま勝利を掴むことはできるか?》

 

 

《各ウマ娘ゲートに入り出走の準備が整いました。貴公子が勢いのまま勝利するか?天を駆けるウマ娘がその底知れない強さを見せるか?はたまた緑の刺客が油断したところを差し切るのか?》

 

 

 

 

 一瞬の静寂が支配する。そして

 

 

 

 

《さぁそして今……ゲートが開きました!宝塚記念が幕を開けます!》

 

 

 

 

 ゲートが開き、宝塚記念が幕を開けた。俺はストップウォッチで時間を測る。

 阪神レース場の正面スタンドの右端、その位置がスタートとなる。ゴール前で応援している関係上、さすがにスタートしてすぐは見えない。実況の声を聞く。

 

 

 

 

《第4コーナーのポケット一番奥から各ウマ娘一斉にスタートを切ります!テンポイント好調なスタートを切りました。最内ホクトボーイは控えます。グリーングラスも外からじわじわと上げてきている3番手の位置。先頭を取ったのはトウショウボーイだ。2番手にテンポイントがいるぞテンポイントは定位置につけている。そして正面スタンド前声援が響きます正面スタンド前をトウショウボーイが通過しました。2番手テンポイントに1バ身から2バ身のリードを取っています》

 

 

 

 

 俺はテンポイントが2番手につけていることに安堵する。作戦通りに言っていることに安心を覚えた。しかし一瞬不安が強まる。だが、気にすることなくそのままレースを見続ける。

 

 

 

 

《トウショウボーイが先頭に立ってテンポイントが2番手、グリーングラスが外に3番手。内をついて4番手にアイフル、ホクトボーイとクライムカイザーが最後方並んで第1コーナーのカーブを曲がります。6人がほぼ一段となって第1コーナーを曲がりました》

 

 

《かなりスローペースで進んでいますね。互いをマークしあっているのかスローペースで進んでいます》

 

 

《ウマ娘たちが一団となって第2コーナーを曲がっていきます。先頭は依然としてトウショウボーイ。2番手テンポイントがトウショウボーイをがっちりとマークする形。3番手グリーングラスはテンポイントをマークしているか?4番手はグリーングラスの内にアイフル。向こう正面の中間手前で一団からちょっと離れていますホクトボーイとクライムカイザー》

 

 

 

 

(スローペース?)

 

 

 俺は実況のその言葉に引っ掛かりを覚えた。そしてその言葉を考えると不安が一層強くなる。

 何か、何か大事なことを見落としている気がする。その何かを必死に考える。だが、一向に出てこない。

 ふと、応援に来ていた観客の言葉が耳に入る。

 

 

「テンポイント、大丈夫かな……」

 

 

「どうしてそう思うんだよ?パドックとか今の走りとか見る限り調子よさそうじゃねぇか。確かにトウショウボーイには負け越しているけど、何がそんなに不安なんだ?」

 

 

「いやさ、スローペースってことは脚を十分に残してるってことだろ?そしたら逃げてるトウショウボーイの方が有利なんじゃないかって思ってさ……」

 

 

「そりゃあお前そうだけど。でも、テンポイントの脚だって負けてないぜ?」

 

 

「う~ん、でもなぁ……」

 

 

 その会話を聞いて、俺は気づく。急いでストップウォッチを確認した。ちょうど今前半1000mを通過したあたりだろうか?そのタイムは

 

 

(63秒……!?)

 

 

遅い。かなりのスローペースだ。少人数でのレースだから当たり前かもしれないが。

 そして、俺を襲っていた不安の正体が判明する。だが、気づくのがあまりにも遅すぎた。

 トウショウボーイとテンポイントの実力は五分五分。最後の直線では前につけている方が有利。しかも少人数での出走。少人数はスローペースになりやすい。そしてスローペースでは逃げているウマ娘が有利になる。ここまで考えれば馬鹿でも分かる。

 

 

(そもそも、トウショウボーイだってテンポイントを警戒していたはずだ!ならば後ろでマークしたいと考えるはず!なのに、どうしてあいつはあっさりと先頭に立った!?)

 

 

 簡単だ。実力が拮抗しているなら前に出た方が有利だから。逃げている方が有利だから。スローペースなら最後まで脚を残せるから。そう考えているに他ならない。

 俺は自分の作戦の失敗を悟った。そして俺がテンポイントに言ったことを思い出す。

 

 

『トウショウボーイはおハナさんのインタビューを信じるのであれば調子が良くない。もし本番でも調子が良くなさそうだったらトウショウボーイのマークを緩めて後方で控えているウマ娘を警戒してくれ。いつものペースで走った場合、怖いのは後ろから追い上げてくるウマ娘たちだからな』

 

 

 俺は自分の馬鹿さ加減に思わず柵を殴ってしまう。隣にいたキングスポイントが驚いていた。

 

 

「うわっ!?いきなりどうしたし!?」

 

 

「……いした」

 

 

「えっ?なんて言ったし?」

 

 

「失敗した……ッ!」

 

 

 俺の言葉にキングスポイントは訳が分からないと言った表情を浮かべている。だが、今の俺には関係がないとばかりに俺は自分の失敗を責め立てる。

 この展開になれば、最早後ろにいるウマ娘は無警戒とまでは行かないが、ほとんど警戒しなくてもいい。脚が十分に残っている状況でテンポイントに勝てるウマ娘などいない。実力が拮抗しているトウショウボーイでも前を取られたらテンポイントには勝てない。だが、そのトウショウボーイはテンポイントの前にいる。このままだと後ろにつけているテンポイントは確実に負ける。実力が完全に五分、お互いに脚が完全に残っている状況ならば前につけている方が勝つのは道理だ。

 そもそも、どうして俺はこのことを見落としていた?いつものペースで進むと考えていたからだ。いつものペース?少人数なのにいつものペースでレースが進むわけがないだろう。トレーナーとしてのレース経験の浅さが、最悪のタイミングで来てしまった。

 不安が消えた代わりに後悔が襲ってきた。俺は祈る。

 

 

(頼むテンポイント……!気づいてくれ……!)

 

 

 情けないが、今の俺にはそう祈るしかなかった。




やっちまったなぁ。
次回はテンポイント視点での宝塚記念。


※バックストレッチから向こう正面に表現変更 8/18


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第56話 決着、そして

宝塚記念の決着。
60個も話を書いておいて今更ですが、本作は70年代当時のではなくアプリのウマ娘のグレード制を採用しています。
後私のお盆休みはどこに行ったんでしょうか?(全く進んでいない改稿を見ながら)


 ボクは今阪神レース場の地下バ道を歩いている。道中思い出すのは控室でのトレーナーの態度。こちらを心配するように見ていたあの視線が気になった。だが、ボクは頬を軽く叩いて気合を入れる。大丈夫だ、気づかれていないはずだ。本番を前にして自分が恐れているなど。

 

 

(トレーナーその辺鈍そうやし、大丈夫やろ)

 

 

 トレーナーを心配させないために言わなかったが、ボクは本当にボーイに勝てるのかと不安になっていた。今までだったらこんな気持ちはなかったのだが、今回に限ってはなぜかそう思ってしまった。おそらくだが、世間で言われているボクはボーイに勝てないんじゃないか?という声が思ったよりも響いているのだろう。けれど、そんな声はこの一戦で黙らせる。

 

 

(ボクがボーイに勝てないなんてバカげた声……、全部黙らせたる!)

 

 

 不安で震えそうになる心を奮い立たせる。今回の一戦は特に負けられない。その思いを胸にボクは地下バ道を通っていった。

 阪神レース場のコースにボクは入場する。ターフにはすでにボーイがいた。ボクはウォーミングアップをしながらボーイの様子を観察する。

 しきりに何かを気にするような仕草を繰り返している。加えて顔色もそこまで良くない。疲労の色が見えていた。つまり、ボーイは本調子ではないことをボクは確信する。

 

 

(やったら、警戒するんは差しの方……、グラスとかやな)

 

 

 そう考えたところで、ボクはボーイから視線を外して自分のアップに集中する。

 程なくして、ゲート入場の案内が来たのでボクはゲートへと向かう。実況は今回出走するウマ娘たちの紹介をしている。ボクはそれを尻目にゲートへと入り、出走開始をゲートの中で待つ。

 

 

 

 

《各ウマ娘ゲートに入り出走の準備が整いました。貴公子が勢いのまま勝利するか?天を駆けるウマ娘がその底知れない強さを見せるか?はたまた緑の刺客が油断したところを差し切るのか?》

 

 

 

 

 訪れる静寂。レースが今まさに始まろうとしている緊張感。早くゲートが開かないかと待つ。そして

 

 

 

 

《さぁそして今……ゲートが開きました!宝塚記念が幕を開けます!》

 

 

 

 

ゲートが開いたのと同時に、スタートを切る。

 

 

(いつも通りの好調!次は……ボーイの後ろにつける!)

 

 

 ボクはそう思い、内の方へと進路を取る。幸い、最内枠だったホクトは後方へと控える姿勢を見せたため、難なくボーイの後ろにつけることができた。そのままラチ沿いに進路を取ってボーイをマークする。外にはグラスがいるが、すぐに後ろの方へとつけたため隣から姿を消す。おそらくだが、ボクをマークしているのだろう。

 トレーナーと打ち合わせた作戦通りに2番手につけることができた。手筈通りに進んでいる。順調すぎて怖いくらいだ。

 

 

(後はこん位置をキープしとくだけやな……)

 

 

 第1コーナーへと差し掛かる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《トウショウボーイが先頭に立ってテンポイントが2番手、グリーングラスが外に3番手。内をついて4番手にアイフル、ホクトボーイとクライムカイザーが最後方並んで第1コーナーのカーブを曲がります。6人がほぼ一段となって第1コーナーを曲がりました》

 

 

《かなりスローペースで進んでいますね。互いをマークしあっているのかスローペースで進んでいます》

 

 

《ウマ娘たちが一団となって第2コーナーを曲がっていきます。先頭は依然としてトウショウボーイ。2番手テンポイントがトウショウボーイをがっちりとマークする形。3番手グリーングラスはテンポイントをマークしているか?4番手はグリーングラスの内にアイフル。向こう正面の中間手前で一団からちょっと離れていますホクトボーイとクライムカイザー》

 

 

 

 

「有マの時みたいなすごい走りを見せてくれー!トウショウボーイー!」

 

 

「あの時の借りを返す時だぞー!テンポイントー!」

 

 

「まとめて差し切れー!アイフルー!」

 

 

 スタンドからは声援が飛んでいる。ウマ娘たちは向こう正面の半ばまで来ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(ホンマ、怖いぐらい順調に進んどるな……)

 

 

 第2コーナーを曲がって向こう正面に入ったところ、ボクは2番手の位置をキープしている。前はボーイの奴だけだ。ボクはボーイの外につけている。後ろも特に何か動きがあったわけでもなく、大きな動きがないまま向こう正面へと入っていった。

 先頭を走り続けるボーイは、マークされる不利を背負っている。それに前を走る子もいないから風除けも満足にできない。逆にボクはボーイを風除けにしてスタミナを温存できるし、多少のマークなら気にも留めない。

 だが、不安に思うこともある。それは、ボーイがやけに素直に先頭に立ったということだ。調子が不調でありながら先頭に立ってペースを握るという経験がほとんどないにもかかわらず先頭に立っている。ボクはそれを訝しんでいた。考えても答えは出てこない。判断材料が少なすぎる。ならばと、すぐにその考えを振り払う。今はボーイのことよりも後方に控えているグラスとアイフル先輩の警戒を怠らないようにした。

 

 

(あんま離れてへんな……。やったら早めに仕掛けるか……?)

 

 

 ボクはそう考える。しかし、はや仕掛けして自滅したら目も当てられないのでグッとこらえる。向こう正面では特に動かないまま進んでいった。

 動いたのは第3コーナーの手前付近。グラスがボクに外から並ぶように仕掛けてきた。ならばと、ボクもペースを上げる。ボクらがペースを上げたのを察知してか、ボーイも速度を上げ始めた。ボクはボーイを必死に追走する。

 第3コーナーのカーブからボクら3人はガンガンペースを上げていく。

 

 

(ホンマ、調子が悪いとは思えへんな!ボーイの奴!やけど、ハナっから結構飛ばしてたんちゃうか!?)

 

 

 グラスへの警戒を強めながら、ボクはそう考える。第4コーナーの手前まで来ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《……第3コーナーのカーブまで来て誰が仕掛けるか?先頭はトウショウボーイ、2番手はテンポイント。3番手のグリーングラスがっと、グリーングラスが仕掛けた!テンポイントに並ぶ!しかしテンポイントも抜かせまいと踏ん張ります!トウショウボーイも仕掛けた!第3コーナーの中間地点、中間あたりで3人が並んだ!アイフルは少し離れた位置につけているぞ!》

 

 

《これは作戦でしょうか?気になるところです》

 

 

《そして最後方ホクトボーイとクライムカイザーは先頭トウショウボーイとの差を7バ身、8バ身としています!しかし2人もペースを上げてきました!第3コーナーと第4コーナーの中間へ入りトウショウボーイが突き放すようにペースを上げる!テンポイントとグリーングラスがそれを追走する!前はトウショウボーイ・テンポイント・グリーングラス3人の争いだ!アイフルは4番手でじっくりと展開を窺っている!ホクトボーイも上がってきた!クライムカイザーは最後方!まだ上がってきません!先頭は第4コーナーを曲がろうかというところ!そして最後の直線へと入っていきます!》

 

 

 

 

 最後の直線に入って、先頭に立っていたのはトウショウボーイだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第3コーナーから第4コーナーへと入ろうかというところ。ボクは焦っていた。ペースを上げているのに、一向にボーイの奴を抜ける気がしない。それに、ボーイが落ちる気配すら感じられないのだ。スタミナも余力も十分に残して走っているように感じられる。まるで不調を感じられない。

 

 

(大丈夫や……!大丈夫なはずや……!それに、最後の直線に入る前に、先頭を取ればええ話やろ!)

 

 

 ボクはそう結論づけて、ペースをさらに上げる。外にいたグラスがそれに気づいてペースを上げるが最早どうでもいい。ボクはボーイを抜かすことだけを考える。

 しかし、どんなに速度を上げてもボーイの奴に追いつくことはできても抜かすことはできない。気づいたら最後の直線に入っていた。

 

 

(ありえへん……!こいつどんなスタミナしとるんや……!?それにこんままやったらまずい!)

 

 

 ずっと先頭を走っていた。いつものペースで走っていたはず。余力もスタミナも残していないはずである。なのにボーイはずっと先頭を譲らないまま走っている。

 おかしい。何かがおかしい。残り200mの標識を確認する。ボクとボーイの差は1バ身。その差を縮めようと必死に脚を動かす。こちらは脚は十分に残っている。スタミナだってある。向こうは先頭でマークされながら走っていた。神経をすり減らすし、スタミナも削られる。体力もないし脚も残っていないはず。なら追いつけるはずだ。最早後ろの子たちのことなんて関係ないとばかりに全神経を前を走るボーイに集中させる。しかし、ボーイとの差は少しずつしか縮まらない。

 

 

(追いつけんなんてことはない!ないはずなのに……!どうして追いつけないんや!?)

 

 

 ボクの頭の中には皐月賞の時のような敗北の文字が浮かんできた。またか?またボクは負けるのか?それも体調が万全ではない相手に?

 ……嫌だ。嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ!負けたくない!もう有マの時のような悔しい気持ちはしたくない!トレーナーに約束したはずだ!軽く勝ってくると!トレーナーだって言っていた!体調も万全だから勝てると!ボクとボーイの実力は五分五分!体調を加味したらボクの方が有利だ!有利のはずなんだ!勝てないはずがないんだ!こっから追いつけるはずなんだ!

 

 

(もっと動けやボクの脚!アイツに……!ボーイに追いつけや……!ボクの脚!)

 

 

 思わず心の中でそう叫んだ。そして徐々に、徐々にだが差を詰めていった。これなら……!

 

 

(いける!追いつける!)

 

 

 そう思った刹那、横目でゴール板を通過したのが見えた。ボーイを追い越すまで後3/4バ身程。そこまで迫ったところで、ボクの身体はゴール板を通過した。通過して、しまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《宝塚記念を制したのはトウショウボーイ!前半1000mを63秒というスローペースで通過しながら後半の1000mを57秒6で駆け抜けました!上がり3ハロンのタイムは34秒5!驚異的な数字です!テンポイントは必至の追走叶わず2着に敗れました!3着は前の2人から4バ身離されることグリーングラスです!》

 

 

《いやーしかし、トウショウボーイとテンポイント……。この2人はやはり突出した実力を持っていますね。世代の中でも別格といってもいいでしょう。しかしグリーングラスもこの2人について行けるほどの実力を秘めていることが分かりますね。トウショウボーイとテンポイントについていけたのはグリーングラスだけでしたから》

 

 

《これからのレースが非常に楽しみになる一戦でした!……っと?テンポイントは何やら膝をついて項垂れていますね?何かアクシデントでしょうか?トウショウボーイが近寄っています》

 

 

《膝をついているということは脚の故障ではなさそうですが……おっと、立ち上がりました。特に怪我などではないようです》

 

 

 

 

「大丈夫かな?テンポイント」

 

 

「アクシデントじゃなさそうだけど……。あっ、立ち上がった!」

 

 

「良かった。大丈夫そうだな」

 

 

 観客たちはテンポイントが怪我をしたわけではないということに安心した表情を浮かべている。しかし、その中で1人、厳しい面持ちでテンポイントを見つめる人物がいた。彼女のトレーナーである神藤誠司である。神藤はテンポイントの姿を確認した後項垂れながら呟く。

 

 

「……畜生。俺のせいで……!」

 

 

 その呟きは、誰にも聞こえることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 負けた、負けた、負けた。

 周りの声が聞こえない。実況の声も、スタンドからの拍手も、勝者を称える歓声も、敗者を慰める声も、何もかもが聞こえない。ボクはただ膝をついて項垂れる。

 

 

(負けた……。ボーイに、しかも、本調子やないボーイに……)

 

 

 嘘だ、信じられない。きっとこれは夢だ。夢から醒めたら宝塚記念を走る前に戻っているはずだ。そう思考してしまう。

 だが、現実は非情だ。ターフの感触も、レース場に吹いている風も、全てが本物だ。夢なんかじゃない。ボクは負けたのだ。本調子じゃないボーイに。その事実が心に深く突き刺さる。

 

 

(じゃあ……ボクは……)

 

 

トウショウボーイに一生勝てない?ボクは、テンポイントはトウショウボーイよりも下?

 本当に悲しい時は涙すら出ないらしい。どこかでそんな話を聞いたことがある。どうやらそれは本当のことのようだ。負けて悔しいはずなのに、悲しいはずなのに。

 

 

(涙……一滴も出てこぉへんな……)

 

 

 それどころか、何も感じない。まるで心に大きい穴が開いてしまったかのようだ。ボクはターフの上でただ呆然と両膝をついて項垂れる。

 誰かがボクに近づいてくる。その姿を確認する気力すら起きない。だが、何とかその姿を確認するためにそちらへと視線を向ける。

 

 

「ハァ……!ハァ……!つっかれたぁ!やっぱテンさんはすげぇよ、あと少しで……ッ!」

 

 

 どうやら、トウショウボーイだった。ただ、こちらの姿を見るなり驚いたような表情を浮かべる。一体どうしたのだろうか?

 ボクは立ち上がる。そのことに多少安堵したのか、トウショウボーイはこちらへと手を差し出してきた。

 

 

「な、なぁテンさん。次も……」

 

 

 その先の言葉は聞かなかった。いや、聞きたくなかった。そのままボクはトウショウボーイの横をすり抜けてライブの準備のために控室へと戻ろうとする。

 後ろから制止するようなトウショウボーイの声が聞こえたような気がするが、誰かに阻まれていた。確認しようとも思わないが。

 そこから先、どうしたのかはほとんど覚えていない。トレーナーが来て何か言っていたような気がする。謝っていたような気がする。返事を返したような気はする。ライブには出席した、と思う。ライブはどうだったかは覚えていない。ただ、ちゃんと踊れていた。ような気はする。

 学園へと戻った次の日、平日にもかかわらずボクは学園を休んだ。




折れてしまった心


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第57話 諦めない

トレーナー視点での宝塚記念のその後回。
車検高すぎ。それと44話の牛乳の下りを全て削除しました。


 トレーナーとして完全に負けた宝塚記念から数日が経ち、俺は用務員としての仕事ではなくトレーナーとしての仕事をしている。だが、機嫌は最悪といってもいいだろう。俺は頭をかきむしる。

 思い起こすのは先日の宝塚記念。

 

 

「クソッ!クソッ!クソッ!完全に俺の失敗だ!」

 

 

 自分の立てた作戦が完全に裏目に出た。その結果、テンポイントに敗北をもたらしてしまった。悔やんでも悔やみきれないとはこのことだろう。

 だが、即座に思考を切り替える。そもそも、どうして俺はこんなミスをしたのか?その答えは単純だろう。

 

 

「テンポイントの強さに甘えていた……。アイツなら勝てると、無理に変な作戦を立てなくてもいいと、そう思っていた……!」

 

 

 テンポイントなら大丈夫だろう、アイツの実力なら勝てるだろう。そう無意識に思っていた。その結果がこの様だ。

 彼女の強さを信じていると言えば聞こえはいいだろう。だが、それだけしかできないのであれば俺じゃなくてもいい。誰にだってできることだ。

 そこまで考えてまた思考を切り替える。反省は終わった。ならば次は改善だ。どうすればいいか?思い出すのはテレビで見た宝塚記念のインタビュー。おハナさんは言っていた。

 

 

『出走しているウマ娘が少なく、実力が拮抗している子が2,3人しかいないのであれば前に出た方が有利です。私はその鉄則に従って走るようにトウショウボーイに指示しました。今回のレースは拮抗していると感じたのはテンポイントただ1人。だから、テンポイントよりも必ず前に出るようにと』

 

 

 その指示に従ったトウショウボーイは見事に逃げ切り勝ちを収めた。完調でないにもかかわらず、あの走りをしたトウショウボーイは見事という他ないだろう。

 この発言を踏まえた上でどうするか?トウショウボーイよりも前で走る、それこそ逃げを取るか?だが、ことはそう単純にはいかない。そもそも、前に出た方が有利なのは少人数でのレースかつ実力が拮抗しているウマ娘がそこまで多くない時に限った話だ。

 

 

「さらに、今回の宝塚記念はあくまで逃げウマ娘がいなかったからこそトウショウボーイが先頭に立っていただけだからな。今回負けたからって逃げに変えるかって話にはならないだろう。それにテンポイント本人の性格にもよるからおいそれと変えるわけには……」

 

 

 俺はそう結論づける。

 トウショウボーイに向けた有効な手立てが思いつかず、八方塞がりの気分だ。ここは少し気分を変えてみるかと思ったところで、もう一つ重大な案件があったことを思い出す。それはテンポイントのことだ。

 

 

「あいつが学園を欠席してもう3日か……」

 

 

 そう、宝塚記念以降テンポイントが学園を休んでいるという報告が俺のもとに来ている。レースが終わった後、俺は急いで彼女の控室へと向かったのだが、一目見て様子がおかしいと分かった。目は虚ろでこちらの言葉に対して生返事しか返さない。そんな状態だったからウイニングライブは欠席する旨を本部に伝えた。そのまま彼女を宿泊先のホテルの部屋まで送ったが状況は変わらず。学園へと戻る道中でも、そんな状態は続いていた。

 そんな状態になったのは心当たりしかない。出走前に控室で拳を突き出してきた時その拳は震えていた。トウショウボーイに勝てるかどうか不安だったのだろう。もうこれ以上負けたくない、その気持ちを必死に隠そうとしていたのだと思う。その気持ちを押し殺して宝塚記念に出走した。

 だが、テンポイントは結果としてトウショウボーイに敗北した。しかも本調子ではない彼女に。そのことがテンポイントに重くのしかかった。自分は本調子じゃないトウショウボーイにすら勝てないのだと、もう一生彼女に勝てないんじゃないかと、そう思ってしまったのだろう。そのことが、今まで何とか持ちこたえていた彼女の心を折るきっかけとなってしまった。

 この数日間、何もしなかったわけじゃない。阪神レース場から帰る道中何度も彼女に話しかけたし、学園に戻ってからは寮から出てこないのでいくつものメッセージを送った。しかし、

 

 

「メッセージも既読無視……。話す気力もないってことか……」

 

 

携帯を確認しながらそう呟く。

 話そうにも、彼女はその全てに無反応だった。さすがに寮に行くわけにはいかないだろう。寮は立ち入り禁止だし、入るにしても設備の不調で直す時に入るぐらいだ。基本的に入ることはできない。

 どうしようかと考えていると学園に校内放送が鳴り響いた。俺はなんだと思いながらもそれを聞く。

 

 

《神藤誠司さん、神藤誠司さん。秋川理事長がお呼びです。至急理事長室までお越しください》

 

 

 なぜか俺は理事長に呼ばれた。トレーナーになって以降、何かをやらかした記憶もないので呼び出される心当たりがない。ただ呼ばれたので理事長室に行く準備をする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 理事長室の扉の前に着いた俺は扉をノックする。

 

 

「秋川理事長、神藤です」

 

 

 そう告げると扉の向こうから声が聞こえてきた。

 

 

「許可ッ!入りたまえ!」

 

 

「失礼します」

 

 

 そう言って俺は理事長室へと入る。中には秋川理事長と理事長秘書のたづなさんがいた。

 俺は早速呼び出されたことの本題を尋ねる。

 

 

「秋川理事長、本日はどういったご用件でしょうか?」

 

 

 俺の言葉に理事長は頷く。

 

 

「ウムッ!実はだな、テンポイント君のことなのだが……」

 

 

「ッ!テンポイントがどうかしたんですか!?ま、まさか……ッ!」

 

 

「落ち着いてください神藤さん。まだ何も言っていませんよ?」

 

 

 たづなさんに言われて俺は落ち着きを取り戻す。そうだ、まだ何も言われていない。俺は1つ咳払いをする。理事長とたづなさんはそれを見て笑みを浮かべていた。

 

 

「失礼ッ。テンポイント君のことなんだが、実はアメリカで行われるレースへの招待状が届いていた。もし本人が希望するのであれば出走することは可能だ。しかしッ!トレーナーである君の意見も聞きたいと思ったわけだ。君はどうしたい?神藤トレーナー」

 

 

 俺は理事長の言葉に少しの高揚感を覚える。だが、俺は理事長に質問する。俺にとっては大事な質問だ。

 

 

「理事長、もしその招待を受けた場合、テンポイントのトレーナーはどうなるのでしょうか?」

 

 

 理事長は少し目を伏せて答える。

 

 

「……普通に考えるのであれば、現地でのトレーナーがつくだろう。その間、君とテンポイント君との契約は一時的に解消してもらうことになる。日本に戻ってきた時にまた彼女が望むようであれば再契約という形にはなるが」

 

 

 理事長の言葉に俺は少し考える。

 普通に考えれば、海外遠征をすべきであろう。無理にトウショウボーイと争う必要はないし、テンポイントの実力なら海外でも十分に渡り合うこともできる。それに向こうで優秀なトレーナーがつくならその方が彼女のためにも……。

 そこまで考えたところで、俺は自分の頬を思いっきり叩く。かなり痛かったが、おかげで目が覚めた。最も、理事長とたづなさんは俺の突然の奇行に目を丸くして驚いているが。

 理事長が俺に問いかけてくる。

 

 

「し、心配ッ!?いきなりどうしたのだ神藤トレーナー!?」

 

 

「すみません、ちょっと自分の考えに苛立ちまして」

 

 

「そ、そうか?」

 

 

 痛む頬を抑えながら理事長の質問に答える。向こうはまだ心配そうにしていたが。

 彼女のためにも?バカか俺は。それが本当に彼女のためになると思っているのか?彼女から、テンポイントから契約を解消してくれと、そう言われたのであれば話は別だ。だが、そんなことは言われてないし聞いてもいない。何より、

 

 

(自分が上手く指導できないからって、他の人に任せようとするのはただの甘えだろうが!)

 

 

そう自分を一喝する。

 契約したのは彼女の気まぐれだったのかもしれない。だが、あの日確かに彼女は俺を選んでくれた。それにハイセイコーとの模擬レースの時、彼女の走りを見て俺は何を誓った?彼女に恥じないトレーナーになろうって思ったじゃないのか?どんな時でも諦めないと誓ったんじゃないのか?ワカクモさんにも宣言しただろう。彼女の側で尽くすと。だったら、ここで諦めるのは違うはずだ。確かに取り返しのつかない失敗をしたのかもしれない。だったら、同じ失敗をしないようにこれから取り組めばいい。

 それに、このまま海外遠征をすればテンポイントはトウショウボーイの下だという評価をされたままだ。個人的な感情だが、そんなことは決してない。テンポイントの実力はトウショウボーイに劣っていない。それを証明するにはどうすればいいか?勝たせるしかない。俺の手で。そう結論を出す。

 そして、俺はゆっくりと口を開いた。

 

 

「理事長、私個人の意見を述べるのであれば海外遠征には賛成です」

 

 

「……そうか」

 

 

「しかし、まだ日本でやり残していることがあります。そのやり残していることを終わらせない限り、海外遠征をするわけにはいきません」

 

 

 その言葉に理事長は疑問に思っているような視線を向ける。

 

 

「質問ッ。そのやり残していることとは?」

 

 

 俺は答える。

 

 

「まだトウショウボーイに勝っていません。今のまま海外遠征をしてしまえば、テンポイントは一生トウショウボーイの下だと思われたままです。そして、その原因を作ったのは私にあります。ならば、その原因を解決しない限り、テンポイントを海外遠征させるわけにはいきません」

 

 

「……成程」

 

 

「それに、この場には肝心のテンポイントがいません。もし彼女が遠征することを決めたのであれば、私は彼女を後押しします。そのためにも、まずは彼女と話し合ってみます」

 

 

 俺のその言葉に理事長は満足そうな表情を浮かべて告げる。

 

 

「了承ッ!何、期限はまだある!テンポイント君とじっくり話し合って決めてくれッ!」

 

 

「すみません理事長。個人的な感情を申してしまって」

 

 

 しかし、理事長は気にする必要はないと前置きして答える。

 

 

「むしろ安心したぞ、神藤トレーナー。宝塚記念でのことは私の耳にも入っている。世間からの評価を受けてもし君がテンポイントのためにとトレーナーを辞してしまったら……そう考えてしまっていた。故にッ、今回君の意見を聞こうと思ったのだ。気に病んで彼女のトレーナーを辞めてしまわないかと、そう考えていないか探るために」

 

 

 理事長の言葉に俺は笑顔で答える。

 

 

「大丈夫です理事長。私は他人からの評価を気にしないので」

 

 

「複雑ッ。それもそれでどうかと思うが……。だが、思ったよりも大丈夫そうでよかったぞ。後は……」

 

 

「テンポイントさんだけですね」

 

 

 たづなさんがそう告げる。

 そうだ、テンポイントの問題を何ひとつ解決していない。その対策を考えなければ。

 

 

「そうでした!テンポイントのことがありました!それでは秋川理事長、駿川さん!これで失礼します!」

 

 

「うむッ!頑張りたまえ、神藤トレーナー!」

 

 

「はいっ。頑張ってくださいね、神藤さん」

 

 

 俺は理事長室を後にする。

 理事長室を出て真っ先に考えるのはテンポイントとどう話すか。まずは向こうからの反応があるかを確かめなければならない。俺はアプリを開いて彼女との個人チャットに連絡を入れる。

 

 

【大事な話がある】

 

 

 短く簡潔だが、これでいいだろう。俺は送信する。上には俺の送ったメッセージに既読だけがついている現状だ。返事があればそれでいいのだが……。

 そう考えていると、今送ったメッセージにも既読がつく。つまり起きているということだ。後は返信を待つだけだ。俺はドキドキしながら返信を待つ。

 しかし、待てども待てども返信は来ない。すでにトレーナー室に着き、メッセージを送ってから1時間以上経過していた。つまりこれは……

 

 

「既読無視、ということか……」

 

 

そう結論を出す。

 ならば、あまりとりたくはなかった最終手段へと移ることを決めた。俺は外に出る準備をする。外は曇りだが雨は降っていない。好都合だ。俺はある場所へと向かう準備をする。その場所は

 

 

「テンポイントの寮……そこに向かうか」

 

 

栗東寮、テンポイントがいるその場所へと俺は足を運ぶ。学園を休んでいるということは間違いなく寮にいるはずだ。真面目な彼女がどこかへ行くことなどあり得るはずがない。そんなことを考えながら、俺はトレーナー室を出て栗東寮へと歩みを進めた。




次回はテンポイント視点でのお話になります。


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第58話 勘違い

テンポイントの宝塚記念のその後。


 気がつくと、ボクは真っ暗な場所にいた。周りを見渡しても何も見えない。黒、黒、黒。黒一色の場所にボクは気づいたら立っていた。

 

 

(なんやここ……?不気味やし、それに、息苦しい……ッ!誰か、誰かおらんのか……ッ!)

 

 

 そう考えながら必死に誰かいないか探す。すると、目の前にいつの間にかお母様が立っていた。ボクは安堵する。そのままお母様に話しかけた。だが、表情は見えない。

 

 

「良かった……!お母様、ここはどこなんや?えらい暗い場所やし……、なんや不気味やし……」

 

 

 しかし、お母様の反応はない。ボクは聞こえなかったのだろうかと思い、もう一度話しかけた。

 

 

「な、なぁお母様?どうしたんや?なんや言ってくれへんと……」

 

 

 すると、こちらの声が聞こえないかのようにお母様はこちらに向かって信じがたい一言を放つ。

 

 

「あなたには失望したわ、テン」

 

 

「……は?」

 

 

 今、お母様はなんて言った?動揺しているボクを尻目に、お母様は言葉を続ける。

 

 

「本調子じゃないライバルにも負けるだなんて……、恥ずかしくないのかしら?」

 

 

 ……嘘だ、お母様がそんなこと言うはずがない。その言葉を聞かないようにするが、まるで無意味とばかりに頭の中に声が響く。ボクを蔑む声が。

 ボクは狂ったように叫ぶ。どこかへと、あてもなく走り出す。言葉が聞こえないように。しかし、相変わらず頭の中に響いてくる。叫ぼうが意味をなさない。

 気づいたら、周りにはたくさんの人が立っていた。その全てに見覚えがある。妹であるキングス、ハイセイコー先輩、ボーイ、グラス、カイザー、クイン。ボクと親しい人物たちが立っていた。全員表情は見えない。

 キングスがボクに向かって告げる。

 

 

「お姉カッコ悪……。全然強くないし」

 

 

 ハイセイコー先輩が告げる。

 

 

「君は私と同じだと思っていたんだが……、どうやら見込み違いだったようだね」

 

 

 ボーイ・グラス・カイザー・クインが告げる。

 

 

「まさか本調子じゃなかったのに勝てるなんてなー。テンさん弱くね?」

 

 

「テンちゃん弱いね~。これだったら次は余裕かな~?」

 

 

「テンポイントさんのマークは、もうする必要ありませんね」

 

 

「これがトウショウボーイ様のライバルだなんて……」

 

 

 皆、口々にボクを罵る。ボクの心は信じられない気持ちで溢れていた。

 

 

「夢や……。これは夢や……。みんなが、そないなこと言うはずない!」

 

 

 そしてボクはまた走り出す。どこを目指して走るわけでもなく、あてもなく走り続ける。その間もボクを罵倒する声は聞こえてくる。精神がおかしくなりそうだ。

 どれだけの時間走っただろう?気づいたら周りには誰もいなくなっていた。声も聞こえなくなった。ボクはそのことに安堵する。

 しかし、目の前に立っている人物が立っていた。ボクは思わず身構える。だが、その姿を見るとボクは安心した。

 

 

(良かった……トレーナーや。トレーナーやったら大丈夫や……)

 

 

 そう思い、ボクは先程よりも軽い気分でトレーナーに話しかける。

 

 

「な、なぁトレーナー?ええか?」

 

 

 しかし、トレーナーから衝撃的な一言が飛んできた。

 

 

「テンポイント、お前との契約を解消させてもらう」

 

 

「……え?」

 

 

 ……嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ!トレーナーがそんなこと言うはずがない!ボクはトレーナーを問い詰める。

 

 

「おもろない冗談やな……!いくらトレーナーでも怒るで!」

 

 

 しかし、トレーナーはこちらの言葉が聞こえないのか、そのままこちらに話し続ける。

 

 

「最強のウマ娘だと思ってお前をスカウトしたんだがな……。どうやら俺の目は節穴だったらしい。じゃあなテンポイント。もう俺に関わるなよ」

 

 

 そのままトレーナーは歩いて去っていこうとする。ボクは信じられないという気持ちを抑え込みながらトレーナーに走って追いつこうとする。しかし、距離は離れていくばかりだった。

 

 

「待って……、待ってくれトレーナー……!ボク、頑張るから!次は、次は絶対勝つから!だからボクを……、ボクを……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「見捨てないで!」

 

 

 ボクは必死に手を伸ばして布団から起き上がった。そして辺りを見渡す。

 先程の何も見えない暗い場所とは違って、生活感あふれる部屋が広がっていた。とても見覚えがある。寮の自分の部屋だ。そして、ボクはベッドの上にいる。ということはつまり、

 

 

「さっきのは……、夢……?」

 

 

そういうことだろう。ボクはひとまず安堵した。時間を確認する。そろそろ学園の授業が終わりそうな時間だった。

 部屋に置いてある小型の冷蔵庫から牛乳を取り出して飲む。少し気分が落ち着いた。気分が落ち着いたところで、ボクは1人愚痴る。

 

 

「ホンマに……過去最悪の夢やったな……」

 

 

 思えば、この数日間はずっと悪夢続きだったが、その中でも過去一に最悪な夢だった。寝汗が凄く、寝間着が身体に張りついて気持ちが悪い。ボクはすぐに着替えた。

 宝塚記念が終わって学園に戻ってからの数日間、ボクは学園を休んでいた。体調が悪かったわけじゃない。クラスのみんなと顔を合わせるのがどうしようもなく怖かった。今日の夢のようなことを言われたらどうしよう。そう考えると学園へと登校する足がすくんでしまった。

 それにどうやら宝塚記念から帰ってきたボクの姿はとてもじゃないが健常には見えなかったらしく、心配した寮長が心を落ち着かせて休むように言ったらしい。断片的にだが寮長の心配するような言葉を思い出してきた。

 今でこそ、自分の行動をゆっくりと振り返ることができているのは多少なりとも心が落ち着いてきている証拠なのかもしれない。もしくは、あまりの悪夢に逆に落ち着いたかのどちらかだろう。

 ボクは携帯を見る。メッセージアプリには新着のメッセージが届いていた。だが、そのほとんどが既読しただけで返信をしていない。どうやらこの数日間、ボクはずっと既読だけをしていた状態だったらしい。だが、内容は全然覚えていないのでゆっくりと内容を見ていく。

 メッセージはその全てがボクを心配する内容だった。夢とは全然違ったことに胸をなでおろす。

 

 

「良かった……。お母様も、キングスも、みんなも。やっぱ夢やったんやな……。てか、トレーナーのメッセージの数多ッ!?」

 

 

 そんなことを考えていると新着メッセージが届いた。誰からだろうと確認してみるとトレーナーからだった。

 

 

「一体なんやろうか……ッ!?」

 

 

 メッセージを見て、ボクは一瞬息が止まった。その内容が衝撃的だったからだ。

 

 

【大事な話がある】

 

 

 まさか……まさかこれは……。

 

 

(正……夢……!?)

 

 

 今このタイミングで大事な話があるということは、契約を解消すること以外ないだろう。あんな不甲斐ない走りをしたのだ。そう切り出されても仕方ないのかもしれない。

 怖い。どうしようもなく怖い。でも、メッセージに既読をつけてしまった。向こうはこちらが確認したことが分かっただろう。

 ボクの取った行動は……、既読無視を決め込むことだった。

 

 

(既読無視なんて今更や……。向こうも気に留めんやろ……)

 

 

 契約解除は嫌だ。問題を先延ばしにするだけだが、その間に解決策ぐらい思いつくだろう。

 ボクは布団を被って自己嫌悪する。

 

 

「最低や……ボク。怖いからって、こないなことするなんて……」

 

 

 ボクはこんなに臆病だっただろうか?分からない。ただぼうっと過ごす。

 そこから2時間以上経っただろうか?気づいたら他の生徒たちも帰ってきていたのか、寮の廊下が慌ただしくなってきた。

 ……いや、いくら何でも慌ただしすぎではないだろうか?ボクは思わず気になって廊下に出る。すると皆玄関に向かっているようだった。

 ボクが部屋から出たことに気づいたのか、1人の寮生が嬉しそうな表情を浮かべてボクに話しかけてくる。

 

 

「あ!テンポイントさん!元気になったんですか?前より顔色良いですね!」

 

 

「う、うん、まあボチボチな。それより、どないしたん?なんやえらい慌ただしいけど」

 

 

 するとハッとした表情をしてこちらの疑問に答えてくれる。

 

 

「そうだ!今栗東寮の玄関に、テンポイントさんのトレーナーさんが来てるんですよ!寮長に必死にお願いしてるんですけど……テンポイントさんも行きましょう!」

 

 

 その言葉と同時に、その子はボクの手を引っ張る。困惑しながらもボクは引きずられるように玄関に行った。

 いざ寮の玄関に着いてみると、中々に混沌とした状況になっていた。

 

 

「頼む!テンポイントに会わせてくれ!話がしたいんだ!」

 

 

 そう言って頭を下げるボクのトレーナー。

 

 

「ダメだって言ってるだろ!トレーナーがウマ娘の寮に入ることは禁止なんだ!これは学園の規則で決まっていること!曲げることはできないよ!」

 

 

 頑として認めない寮長。そしてそれを見る栗東寮の寮生たち。

 ボクは心の中で叫ぶ。

 

 

(な、な、な……!何しとんねんトレーナー!?)

 

 

 困惑しているとトレーナーは諦め悪く寮長にお願いしていた。

 

 

「だったら!ここに連れてきてもらうだけでもいい!ただ会って話したい!それだけなんだ!頼む!」

 

 

 エスカレートしすぎて、トレーナーは土下座までしだした。寮長は一瞬たじろいだものの、すぐに拒否する。

 

 

「ダメだよ!あの子は今不安定な精神状態なんだ!そんな状態なのに合わせるわけにはいかないよ!」

 

 

「頼む!」

 

 

「ダメだ!」

 

 

 そこからは押し問答だ。お互いに一歩も譲らない。ボクのためにそこまでしてくれているトレーナーのことを思うと、これから言われるであろう契約解除のことなど関係なしに、嬉しさのあまり顔がにやけてしまいそうだった。

 ただ、ここまで来た以上もう逃げることはできないだろう。ボクは観念して前に出てくる。寮長は驚いたような表情をしていたが今は気にしていられない。ボクはトレーナーをまっすぐ見据える。

 寮長がボクに話しかける。

 

 

「て、テンポイント!?もう大丈夫なのかい!?」

 

 

「平気です。ご心配おかけしました」

 

 

 ボクは短くそう答えた。ボクの姿を確認してトレーナーも安堵したような表情を浮かべる。

 もう逃げれないだろう。そう悟ったボクはトレーナーに告げた。

 

 

「大事な話、あるんやろ?やったらはよ行こか」

 

 

「あ、あぁ。確かにそうだが……」

 

 

 トレーナーは困惑していた。寮長へと視線を向けている。

 どうやら許可が出たらしく、ボクはトレーナーに連れられてトレーナー室へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トレーナーは早速話を切り出す。

 

 

「まずは……体調は大丈夫か?テンポイント」

 

 

 こちらを心配するような表情で問いかける。その言葉にボクは早く大事な話を聞きたいという焦りを感じながらも平静を保って答える。

 

 

「平気……て言いたいとこやけど、あんま大丈夫じゃないかもしれんな」

 

 

 今から契約解消の話を切り出されるのだ。大丈夫なわけがない。

 するとトレーナーは、

 

 

「じゃあ、この話は後日に回すか?」

 

 

と言ってきた。だが、ここまで来たのだ。ボクはその言葉を断る。

 ……どうしようもなく怖い。本当に、夢の中で言われたことを告げられたらどうしよう?そうなったら、ボクは無事でいられる保証がない。

 ボクの心臓の音が聞こえる。恐怖で手が震えてきた。冷汗が止まらない。今から告げられる言葉が想像ついているだけに、平静を保っていられない。夢での出来事を思い出す。限界を迎えそうだった。

 

 

「テンポイント、実はな……」

 

 

 ……嫌だ。

 

 

「……や」

 

 

「どうした?テンポイント」

 

 

 嫌だ!やっぱり嫌だ!

 

 

「嫌や!」

 

 

 思わずそう言ってしまった。我慢できなかった。抑えることができなかった。トレーナーは驚いた表情を浮かべている。

 嫌だ、嫌だ!確かに不甲斐ない走りをしてしまった!けど、もうあんな走りはしない!だから、どうか見捨てないで欲しい!その気持ちが抑えきれなかった。

 トレーナーは困惑した表情を浮かべていた。そのままボクに告げる。

 

 

「そ、そんなに嫌か?」

 

 

 ……どうしてこいつはこんなに平静を保っていられるのだ?沸々と怒りが湧いてきた。だが、今はトレーナーに悪い印象を抱かれないためにもグッとこらえる。見捨てられないために。

 

 

「当たり前やろ!絶対に嫌や!」

 

 

「そ、そうか。だったら止めておくか」

 

 

 その言葉に、ボクは肩透かしを食らった気分になる。思わず言葉に出してしまった。

 

 

「え?そ、そんだけ?そんだけかトレーナー?」

 

 

「あぁ、無理強いは良くないしそんなに嫌なら止めといたほうがいいだろ」

 

 

 ……こいつはそんな簡単に!

 

 

「お前!そないに軽い覚悟で言おうとしとったんか!ボクを舐めるのもええ加減にせえよ!」

 

 

 思わず怒りの言葉が溢れてしまった。トレーナーは驚いている。

 

 

「え!?なんで怒られてんの俺!?」

 

 

 どうやらトレーナーは事の重大さに気づいていないのか困惑している。その後もボクはトレーナーに怒りをぶつけていたが、トレーナーは謝り倒しているだけだ。

 しばらくして、何かおかしいことに気づいた。いくらトレーナーがアレとはいえ、契約解除の重大さに気づいていないことなどあり得るか?ボクは疑問に感じる。

 その疑問をボクはトレーナーにぶつけた。

 

 

「な、なぁトレーナー。そもそもの話や。重大な話ってなんや?」

 

 

 するとトレーナーは困惑した表情を浮かべたままボクの質問に答える。

 

 

「え?お前に海外遠征の話が来てたからその話をしようとしたんだけど……。でも話聞く前にお前が嫌だって言ったからじゃあ止めとくかって思っただけだが……」

 

 

 ……は?

 

 

「……え?海外遠征?契約解除じゃなく?」

 

 

「契約解除?誰と誰が?」

 

 

「トレーナーが、ボクに」

 

 

「何言ってんだお前?お前が俺に三行半つけることはあっても俺がお前にそんな話を切り出すわけないだろ。天地がひっくり返ってもないと断言する」

 

 

 トレーナーはそう告げた。その言葉に少し嬉しくなったが、直後にボクに羞恥の感情が沸き上がってきた。

 

 

「~~~ッ!」

 

 

 ボクは声にならない叫びを上げる。恥ずかしさで顔が真っ赤になった。

 

 

(重大な話て……!海外遠征の話!?てことは……契約解除云々はボクの1人相撲やったってことか!?)

 

 

 恥ずかしい!恥ずかしい!勘違いで色々とぶちまけてしまった!ボクがトレーナーと契約解除するのが嫌だということが伝わってしまった!

 恥ずかしさで真っ赤になった顔を両手で覆う。トレーナーは心配するように話しかけてくる。

 

 

「だ、大丈夫か?テンポイント」

 

 

「……けや」

 

 

「え?」

 

 

「メッセージに、主語ぐらいつけとけや!こんボケェェェェェェ!」

 

 

「ご、ごめんなさい!?」

 

 

 勝手に勘違いした身で言えた義理ではないが、そう言わずにはいられなかった。




前半と後半の振れ幅がデカすぎる。


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第59話 信頼の理由

その後のお話。
チャンミは普通に負けました。短距離育成なんてしてないよ……。


※昨日上げた話の出来に納得できなかったので削除し改稿したものです。


 トレーナーから大事な話があると言われてついて行ったトレーナー室。てっきり契約解除の話をされるのかと思ったボクはトレーナーの言葉を最後まで聞かずに嫌だと答えた。しかし、どうやら大事な話とはボクに海外からのレースの招待状が来ていたという話であり、契約解除は全く関係なかったことが判明した。

 今ボクは色々とぶっちゃけてしまった恥ずかしさから真っ赤になった顔を両手で覆ってうずくまっている。

 

 

「……アカン、やってもうた……」

 

 

「スマン、テンポイント……。次からはちゃんと主語を入れてメッセージを送るようにする」

 

 

「いや、ボクが自爆しただけやからトレーナーは気にせんといて……。でもそうしてくれるとありがたいわ……」

 

 

 トレーナーは自分が悪いと思ったのか申し訳なさそうに謝罪してきた。だが、元はといえばボクが勝手に勘違いしただけでトレーナーは悪くない。

 しばらくして何とか復帰したボクにトレーナーが告げる。

 

 

「で、だ。お前にアメリカで行われるレースの招待状が届いていたわけだが……。どうしたい?テンポイント」

 

 

「アメリカやろ?う~ん……」

 

 

 正直、魅力的な提案である。ボクの実力が海の向こうでも評価されているということなのだからそれ自体は嬉しい。

 だが、果たしてボクの実力が本当に海外でも通用するのだろうか?本調子ではないボーイに力負けするボクが、海外に行ったところで勝てるのだろうか?そんな疑問が湧いてくる。

 ボクはトレーナーに質問する。

 

 

「なぁ?トレーナー。トレーナーはボクが海外でも通用する思うてるんか?」

 

 

「通用する。俺はそう思っている」

 

 

 ……聞いた後に気づいたが、トレーナーに聞いたところでこう答えるのは目に見えていた。だからボクは質問を変えた。

 

 

「じゃあ、本調子やないボーイに負けたボクが、本当に海外でも通用する思うんか?」

 

 

「……宝塚記念のことか」

 

 

 そう言ってトレーナーは頭を掻いた。ボクは頷く。トレーナーは何と答えるだろうか?

 しばらく沈黙した後、トレーナーは思い出したように答える。

 

 

「そう言えば、宝塚記念の反省会してなかったな。お前多分俺が言ったこと覚えてないんじゃないか?」

 

 

「うっ、それは……そうやな」

 

 

 宝塚記念が終わった後のボクは抜け殻のようになっていたらしいので、トレーナーがなんて言ったのか覚えていない。レース後の記憶もほとんど曖昧なことからそれは分かっていた。

 

 

「じゃあ、今のうちにしておくか。それで今回の敗因が分かるからな」

 

 

「……分かった」

 

 

 聞くのは怖いが、逃げてばかりではいられない。それに、みんなからの励ましのメッセージやトレーナーとのやり取りで少しは精神状態も安定してきた……と思う。ボクは意を決して宝塚記念の反省会に挑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え~と、つまり?」

 

 

「はい」

 

 

 ボクはトレーナーから今回の宝塚記念のことについての総評を聞いていた。その内容はこうだ。

 

 

「少人数でスローペースになるはずやから前に出た方が有利やのにボーイの後ろにつけるよう指示して?」

 

 

「はい」

 

 

「それに気づかずいつもんペースで進む思うてたから後方を警戒してボーイのマークを緩めるよう指示してしまい?」

 

 

「はい」

 

 

「結局スローペースでスタミナ十分残しとるボーイが逃げ切り勝ちを収めおって?」

 

 

「はい」

 

 

「後方で控えていたボクは敗北した……と。つまりトレーナーが言いたいんはあの負けは完全に作戦が読まれた上での必然の敗北、ボクの実力がボーイに劣っとったわけやない……と。そう言いたいんやな?」

 

 

「その通りでございます」

 

 

 トレーナーからその総評を聞いてボクは口を開いて呆けるしかなかった。

 完全に力負けしたと思っていたあの宝塚記念。実際のところはボクの実力がボーイに劣っていたわけではなく、トレーナーとしての腕の差が出たレースだったらしい。リギルのトレーナーはこちらの作戦を完全に読んでおり、その対策を取ってきた。それに加えて少人数でのレースの鉄則を踏まえた上での作戦を組んでいたため、トレーナー曰く第4コーナー時点で勝負は見えていたらしい。トレーナーは自分の作戦が失敗したことに向こう正面の中間に入ったタイミングで気づいたらしく、もうどうしようもなかったとのこと。

 ボクはトレーナーに聞く。

 

 

「トレーナーが言いたいんは、ボクが負けたんはボーイとの実力が開いていたからではなく、自分の立てた作戦が悪かったから負けた……と」

 

 

「本当にもう、返す言葉もございません……」

 

 

 トレーナーはそう言って落ち込んでいた。だが、ボクは呆れながら答える。

 

 

「阿呆やなぁトレーナー」

 

 

「はい、本当に阿呆な作戦を立ててしまい……」

 

 

「ちゃうわ。あんなぁ、確かにトレーナーが立てた作戦で負けたかもしれへん。やけど、その作戦にはボクも納得した上で宝塚に挑んだんや。やったら、ボクも同罪やろ」

 

 

「……それはそうだが」

 

 

「それに」

 

 

 ボクは一拍おいて答える。

 

 

「トレーナー前に言うてたやろ?過去んこといつまでも引きずるんは良くないってな。大事なんはこれからどうするか。ちゃうか?」

 

 

「……そうだったな。悪い、俺も不安だったみたいだ」

 

 

 そう言って、トレーナーは笑顔を浮かべる。つられてボクも笑みを浮かべた。するとトレーナーがボクに告げる。

 

 

「いつの間にか、いつもの調子に戻ってきたな、テンポイント」

 

 

「……ホンマやな。いつの間にか普通の調子に戻っとるわ」

 

 

 自分でも不思議に思った。今まで心の中にあった不安の気持ちが晴れていた。不安が全てなくなったわけじゃないが、少なくともこの数日間の中では一番マシと言ってもいい。今日の夢で見たものが全てボクの不安から生まれたものだったことに気づいて、気が楽になったのかもしれない。

 トレーナーが時計を確認する。ボクもつられて時計を見ると、もういい時間になっていた。トレーナーがボクに告げる。

 

 

「もうこんな時間か。寮まで送ろう。明日と明後日は練習休みにしとくからゆっくり休んでくれ」

 

 

「う~ん、正直練習したいんやけど……」

 

 

「念のためだ。いつもの調子に戻ったとはいえ、まだ油断はできないからな」

 

 

「は~い……」

 

 

 明日と明後日の練習は休みとなった。だが、これはちょっと好都合かもしれない。幸い学園は休みだ。ボクが気になっていることを調べるチャンスだろう。

 気になっているのは、トレーナーのボクに対する態度だ。トレーナーはボクの強さに絶対の信頼を置いているような気がする。負け星の数もそれなりにあるのにだ。それがどうしてなのかボクは知りたかった。なので、トレーナーと親しい人物たちに聞いてみることにしよう。トレーナーは他の人にボクのことをどんな風に言っているのか、ちょっと知りたくなった。ボクはそんなことを思いながらトレーナーに送られて寮へと帰る。ボクがいつもの調子に戻っていたことにみんなが安堵した表情を浮かべていた。

 その日は、悪夢を見ることなくしっかりと寝ることができた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 明けて次の日、ボクは生徒会室を訪れていた。まずはトレーナーと最も関りが深いであろう生徒を尋ねてみようと思った。その人物は間違いなくあの人だろう。今日は学園は休みであるが、事前に連絡を入れると仕事があるらしく、学園に登校していると言っていた。

 生徒会室の扉をノックする。すると目的の人物が扉を開けて出迎えてくれた。

 

 

「やぁ、待っていたよテンポイント。元気を取り戻したようで何よりだ」

 

 

「ご心配おかけしました、ハイセイコー先輩。やけどもう大丈夫です」

 

 

 トレーナーと最も関りが深いであろう人物、それはハイセイコー先輩だ。普段から親しげに会話しているので仲はいいのだろう。多分、いいはずだ。トレーナーは毎回嫌な顔をしているが。

 先輩に招かれてボクは生徒会室に入る。中には誰もいなかった。先輩曰く、

 

 

「あまり他の人には聞かれたくないのかもしれないと思ってね。迷惑だったかな?」

 

 

とのことらしい。確かにあまり人には聞かれたくないのでお礼を言った。

 先輩がお茶を淹れてくれた。ボクは再度お礼を言って早速本題を切り出す。

 

 

「今回話したいことなんですけど……。実はトレーナーのことで」

 

 

「トレーナー?神藤さんがどうかしたのかい?」

 

 

 先輩は興味深そうにそう言った。ボクは言葉を続ける。

 

 

「トレーナーはいつもボクのことを信じてくれとるんです。あんなに負けたのに、悪いんは自分言うてボクを責めたことはほとんどありません。なんでトレーナーはボクのことをこないに信じてくれるんか知りませんか?」

 

 

 しかし、ボクの言葉に先輩は呆れた表情を浮かべて答える。

 

 

「……それはアレかい?惚気話でもしに来たのかい?抜け殻みたいな状態から戻ったと思えば惚気話とは君もまあ随分……」

 

 

「ちゃいます!ホンマに疑問なんです!」

 

 

「はいはい分かった分かった」

 

 

 先輩はまともに取り合う気がないような返事をする。そんなにおかしな質問だっただろうか?

 しかし、先程の呆れから一転して真面目な表情でボクを見据える。ボクはその視線に姿勢を正して言葉を待つ。先輩は口を開いた。

 

 

「そうだねぇ……。まあ、強いて言うなら神藤さんが君にベタ惚れしているからだろうねぇ」

 

 

「ボクは真面目に聞いとるんです!」

 

 

「私も大真面目で返してるんだが?まあ惚れてると言っても走りにだけどね」

 

 

 ボクが少し怒りながら言っても先輩はそう答えるだけだ。どうやら嘘は言っていないらしい。ボクは先輩に再度質問する。

 

 

「じゃあ、その理由は何です?」

 

 

 しかし先輩はお手上げのポーズを取って答える。

 

 

「さぁ?その理由までは私も知らないさ」

 

 

 どうやら先輩も知らないらしい。だが先輩は続けてこう言った。

 

 

「まあ1つ確実に言えることは、あの人が君に対して言ったことは全て本心であることは間違いないよ」

 

 

「ボクに言うたことって……最強とか、その辺ですか?」

 

 

「そうだよ。なんせ私とタケホープがいる場でも宣言するくらいだからね。最強はテンポイントだ!……ってね。全く羨ましいよ、ここまで思われてるとはね」

 

 

 少し恥ずかしくなったが、それよりも驚きの方が勝った。トレーナーはハイセイコー先輩とタケホープ先輩相手にもそんなことを言っていたのかと。ボクは無言になる。

 そこからしばらく経って、先輩は締めるように告げた。

 

 

「まあなんにせよ復活してくれてよかったよ。おかえり、テンポイント。メッセージでも言っていたが、心配だったからね」

 

 

「……ありがとうございます。それと、すんません。メッセージの返信遅れてもうて」

 

 

「気にしないでくれ。こうして元気になった君に会えたんだ。これからの君の活躍、期待しているよ」

 

 

 先輩は笑顔でそう言ってくれた。まぎれもない本心なのだろう。ボクもお礼を言う。その後先輩は仕事があるからと生徒会室を出た。ボクもそのタイミングで退室する。先輩とはそこで別れた。

 しかし、分かったことは少ない。

 

 

「トレーナーはボクの走りに惚れとって……、今まで言うてきたことはお世辞やなくて全部本心……」

 

 

 確かに嬉しいけども。ボクは何とも言えない気持ちになりながらその場を後にした。

 しばらく歩いているとリギルのトレーナーである東条トレーナーに会う。せっかくなのであの人にも聞いてみよう。

 

 

「あの、東条トレーナー。少しお時間よろしいでしょうか?」

 

 

「あなたは……テンポイント?体調は大丈夫なのかしら?」

 

 

「はい、すんません。えらい迷惑を掛けました」

 

 

「それはトウショウボーイに言ってあげて。あの子、とても気に病んでいたから」

 

 

「あぁ~……。一応、解決しましたので……」

 

 

 その言葉にボクは苦笑いを浮かべる。一応寮に戻った後、メッセージの返信をしたのだ。心配をかけたこと、メッセージの返信が遅れたことを謝った。

 すると、ボーイだけでなく、他の人からも速攻で既読がついたと思ったら通話が飛んできた。内容はどれもボクを心配する言葉であり、夢の内容とは全く違うものだった。ボーイに至っては涙声だったし。カイザーは自分のことも大変なのにありがたい限りだ。

 そう考えていると東条トレーナーが口を開く。

 

 

「それで?私に聞きたいことがあるのでしょう?」

 

 

「は、はい。それなんですけど……」

 

 

「おぉ?おハナさんにテンポイントとは珍しい組み合わせだな」

 

 

 話そうと思ったところで、横やりが入る。誰かと思って視線を向けるとグラスのトレーナーである沖野さんだった。丁度良かった。沖野さんにも聞く予定だったのだ。

 

 

「あ、沖野トレーナー。丁度良かったです。沖野トレーナーにも聞きたいことなんですけど……」

 

 

「おハナさんだけでなく俺にもか?そりゃまた随分珍しいな。まあいいぜ、何でも言ってみろ」

 

 

「あなたねぇ、そんなに安請け合いして」

 

 

「だ、大丈夫です。そないに難しいことやないんで」

 

 

 そう言ってボクは2人にもハイセイコー先輩と同じような質問をした。何故トレーナーがボクのことをここまで信じてくれるのかを。

 すると2人は揃って微妙な表情をしていた。そんなにおかしい質問だったか?まず沖野トレーナーが口を開く。

 

 

「……テンポイント、冗談で聞いてるんじゃないんだよな?」

 

 

「は、はい。本気です」

 

 

「なるほどなぁ……」

 

 

 2人揃って、どう伝えようか迷っているのか唸っている。しばらくして東条トレーナーの方が口を開いた。

 

 

「そうねぇ……神藤があなたの走りに惚れているから……としか言えないわね」

 

 

「俺もおハナさんに同感だ。アイツがお前の走りに惚れているからとしか言えねぇ」

 

 

「ハイセイコー先輩と同じこと言いますね……」

 

 

 それぐらい共通認識らしい。喜ぶべきことなのだが、なんというか素直に喜んでいいものなのだろうか。

 

 

「お2人も、理由までは分からないですか?」

 

 

「そうね、神藤はそのことは詳しく話さないから私たちも知らないわ」

 

 

 そんなに秘密にしたいのだろうか?そう思っていると沖野トレーナーが口を開く。

 

 

「まあ確実に言えることは、アイツはお前を裏切ることは絶対にないってことだな。宝塚記念も相当悔しかったのか珍しく酔い潰れるまで飲んでたからな。しかも言ってることはほとんどお前さんのことだったし。俺が悪いだの完全に作戦負けだっただのってな」

 

 

「同感ね。神藤があなたのことを裏切る姿なんて想像できないわ」

 

 

「い、言い切りますね……」

 

 

「そんぐらいってことだよ。誠司のお前さんに対する思いは」

 

 

 そこまで聞いたところでお2人は仕事に戻っていった。ボクは1人取り残される。

 その後もトレーナーと親しい人物に話を聞いていったが、共通してボクに絶対の信頼を置いているということが分かった。

 そして、その信じてくれている理由が、

 

 

「ボクの走りに惚れとるから……か」

 

 

にやけそうになる顔を必死に抑える。だが、誰だって自分の走りが好きだと言って貰えたら嬉しくもなるだろう。

 しかし、ボクの走りに惚れている理由まではついぞ分からなかった。誰にも言っていないらしい。そこはもう本人に聞いてみるしかないだろう。

 

 

「休み明け、聞いてみるしかないってことやな……」

 

 

 ボクはそう決意した。




札幌記念はジャックドールが勝ちましたね。


※納得できなかった理由なのですが、前半の会話を見直すとあまりにも酷い出来だと思ったからです(個人的な感情で申し訳ありません)。なので前半部分を丸々改稿しました。


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第60話 見出した活路

対策を考える回。


 テンポイントが完全にとは言わずとも調子を取り戻した次の日、俺は1人トレーナー室で資料をにらめっこをしていた。お昼の時間帯は用務員としての仕事もあり、その後から取り組み始めたので、もうすでに日は完全に沈んでいる。テンポイントには今日と明日の練習を休みにすると言い渡しているのでこの場にはいない。

 何の資料を見ているのかというと、チーム・リギルのトウショウボーイの資料である。過去のレース資料から何か弱点はないかと探しているのだがこれが見つからない。

 

 

「日本ダービーで浮き彫りになった寄せられると怯むっていう弱点はもう解消されてるからな……。隙が見当たらねぇ」

 

 

 お手上げムードになりながらも、俺はくまなく資料から何か弱点になりえるものはないかと見ていく。だが、資料を見れば見るほど、最新の資料になっていくほどトウショウボーイには隙が無いということが分かって嫌になる。ここまで育てたおハナさんの手腕を褒めるしかないだろう。

 強いてあげるのであれば、バ場が荒れていると本領を発揮できないということと、長距離を走るのが不安だということだろうか。だが、距離に関してはそもそも不利な距離に出走しない可能性だってあるし、荒れてるバ場だと本領を発揮できないことも運が絡む。どれも決定打にはなりえないだろう。

 俺は1つ伸びをして休憩を取る。ずっと資料とにらめっこしていたのでさすがに疲れてきた。俺は溜息をつきながら呟く。

 

 

「テンポイントがトウショウボーイに劣っているわけじゃない……。だからこそどうやってレースを展開するかが重要になってくるわけだが……」

 

 

 いかんせん、いい案が思いつかない。トウショウボーイの後ろでマークして先行気味に展開し、最後の直線で先頭に立つ。王道だが、これこそが一番勝ちやすい道筋だ。

 だが、その作戦は少人数でのレースだと意味をなさないことが今回の宝塚記念で分かった。だからと言って前につけるという作戦を立てても、そんな浅い考えで挑んだところで熟練のトレーナーにはすぐに看破されて対策を取られるのがオチだ。というより、宝塚記念が終わった後におハナさんにそう言われた。悔しかったが、全くもってその通りだったので反論できなかった。

 どうやってトウショウボーイに勝とうかと四苦八苦していると、トレーナー室のインターホンが鳴る。もう日も完全に沈んでいるのに誰だろうか?

 

 

「どうぞー」

 

 

 そう返事をすると、普段から仲良くしてくれるトレーナー達が部屋の中に入ってきた。驚いている俺を尻目にそいつらは気軽に挨拶をしてくる。

 

 

「よぉ、神藤。どうした?呆けた面して」

 

 

「いや、だって……」

 

 

 いまだに驚いていると、トレーナーの1人が目的について話してきた。

 

 

「お前が宝塚記念が終わった後苦労してるって風の噂で聞いてな、協力しに来たぜ」

 

 

「……いいのか?自分たちのことだってあるのに」

 

 

「気にすんな。仕事は全部終わらせてきたからな」

 

 

 だが、俺は思わずしり込みして答える。

 

 

「でも、悪いだろ?俺のことなのに」

 

 

 そう言うと、みんなは笑いながら答える。

 

 

「今更何言ってんだよ。それによ、お前担当を持つってなった時に言っただろ?困ったときは頼らせてくれって」

 

 

「それは、確かに言ったけど」

 

 

「だから気にすんな。もし気にするんだったらまた何か別の形で返してくれ」

 

 

 そう言って、笑顔を見せた。他の奴らも笑顔でこっちを見ている。

 正直言ってありがたい話だ。俺1人では気づかないようなことでも気づくことがあるかもしれない。俺は歓喜のあまり心が震えた。お礼を言う。

 

 

「ありがとう……。じゃあ、頼む!手を貸してくれ!」

 

 

「「「おう!任せろ!」」」

 

 

 その姿は、とても頼もしく見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが、頼もしく見えたのはその時だけだった。時間はもう日付が変わりそうな時間帯。俺のトレーナー室は死屍累々となっていた。

 

 

「「「全然見つからねぇ……」」」

 

 

「皆さんグロッキーになってますね……。これ差し入れです」

 

 

 そう言って後から合流した坂口がエナジードリンクを差し入れてくれた。俺はお礼を言って受け取り、早速開ける。少しだけだが睡魔に負けそうだった脳が復帰した。

 集まってくれたトレーナー達は口々に言う。

 

 

「いやマジで……弱点っていう弱点が見つからねぇな……」

 

 

「さすがはリギルのトレーナーだわ……。弱点があっても次のレースではすぐに解消してる……」

 

 

「強いて言うなら重バ場だとそこまででもないってことぐらいか……?でもそのぐらいの欠点は神藤ももう分かってるだろ?」

 

 

 その質問に俺は答える。

 

 

「そうだな。重バ場の時とそれ以外の時とでは差があるからな。すぐに分かった」

 

 

 そう言うと、全員溜息をついた。俺もつられて溜息をつく。

 3人集まれば文殊の知恵とは言うが、俺たちの現実は3人以上集まっても打開策すら見つからないという現状だ。それだけトウショウボーイが強いってことでもあるのだが。

 トレーナーの1人が告げる。

 

 

「ぶっちゃけさ、テンポイントも実力っていう点で見ればトウショウボーイに全然見劣りしてねぇんだよ」

 

 

「そうだよな。だから問題があるとすれば……」

 

 

 そう言って全員が俺の方に視線を向ける。俺はいたたまれなくなって反応する。

 

 

「やめろ……。俺の経験が足りないってことは俺が一番よく分かってるから……」

 

 

 やはり他人から見ても俺がテンポイントの足を引っ張っているらしい。かなり落ち込む。そんな俺の姿を見て不憫に思ったのか、トレーナーの1人が慰めるように言った。

 

 

「まあ、トレセン学園最強と名高いリギルのトレーナーと新人を比べてもしょうがねぇよ。どうしたって経験の差ってもんは出てくるんだからさ」

 

 

 その言葉に同調するように他のトレーナーも慰めてくる。

 

 

「まあ、そこを考えても仕方ねぇよ。どうしたって差ってもんは生まれるんだからよ」

 

 

「それに、後何年かすれば経験の差は埋まるだろ。多分」

 

 

「いや、今勝てないと意味ないですよね……」

 

 

「しっかし、本当にどうするのが正解なのか……。ウマ娘同士の実力が拮抗している以上トレーナーとしての腕の差が出てくる……。それを埋める方法は時間がかかるときた……」

 

 

「詰んでね?」

 

 

 後半はただの事実の羅列だったが、実際その通りなので俺は反論もできない。だが、諦めるわけにはいかない。なんとしてでも活路を見出す。俺は頬を叩いて気合を入れた。

 

 

「良し!休憩も取れたし、もうひと頑張りするか!」

 

 

「「「おおー!」」」

 

 

 その後も、俺たちは対トウショウボーイの対策を練っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時刻は丑三つ時。もう誰もが寝る時間だろう。だが俺のトレーナー室は明かりが点いている。部屋の現状を一言で説明するなら、

 

 

「うえぇ……もう、もう文字見たくねぇ……」

 

 

「なんか見えるなー……なんだアレ……」

 

 

「落ち着け!そこにはなんもねぇぞ!」

 

 

「眠い……瞼が上がらねぇ……」

 

 

地獄絵図だった。まあ、日が落ちてからずっと資料とにらめっこしていたのだ。いくら休憩を取りながらといえども精神的に来るだろう。

 かく言う俺も限界が近かった。すでにエナジードリンクを摂取しても眠気は取れなくなってきている。だが、何とか気合で持ち堪えていた。

 ここまで頑張って分かったことは数点。

 

 

「テンポイントがトウショウボーイに勝つためには最後の直線を先頭で迎えること……。最高速度はほとんど差がないからそこに至るまでの展開が大事……。いかにしてトウショウボーイの速度を封じ込めるか……」

 

 

 テンポイントが勝つためには、最後の直線で先頭を取ることが絶対条件であると俺たちは結論づけた。テンポイントの最高速度はトウショウボーイとそこまで差がないと感じている。なので後はトウショウボーイの速度をどう封じ込めるかが大事になってくる。

 だがそれは、俺がすでに至っている考えだった。つまるところ、何も進展していない。先行にも様々なパターンがあることが分かったが、そこから先どうするのかが全く思いつかなかった。自分の頭脳の貧困さを嘆く。

 すると、トレーナーの1人が突然叫ぶように言った。

 

 

「あーもーめんどくせぇ!ようは最後の直線を先頭で迎えればいいんだろ!?」

 

 

「急にどうした?まあ確かにそうだけど」

 

 

「だったらもう、細けぇこと考えてねぇで序盤から逃げちまえばいいんだよ!」

 

 

 そいつはそうぶっちゃけた。その言葉に俺たちは溜息をつく。俺がみんなの気持ちを代弁した。

 

 

「お前、それは無理だって結論がついただろ?テンポイントは先行型だから意味ないって」

 

 

「知るか!最初から最後までずっと先頭だったら、テンポイントだったら勝てるだろ!?」

 

 

「無茶苦茶言うなお前……。それができたら苦労はしねぇだろ。今から逃げの走りに矯正するにも時間がかかるし……」

 

 

「そこはほら!頑張んだよ!」

 

 

「お前なぁ……」

 

 

 俺は呆れながらそいつを見る。だが、直感のような何かが俺に働いた。

 

 

(待てよ……?テンポイントは負けず嫌いな性格だ……。先頭を取れば抜くことは容易ではない……。今まで先頭を取るために色々と試行錯誤してきたのはそのためだ……)

 

 

「お、おい?どうしたんだよ神藤。まさかこいつの言ってること真に受けてんのか?」

 

 

「スマン、少し黙っててくれ」

 

 

 もう少し、もう少しで何か掴めそうなんだ……!

 

 

(宝塚記念でトウショウボーイを逃げさせたのはテンポイントを前に出させないため……。おそらくだがおハナさんはそう考えたはずだ。それはなぜだ?どうしてそこまで警戒したのか……。今までの公式レースでの経験か……?それとも別の……ッ!)

 

 

 そこまで考えたところで、俺は棚に向かった。そして、今までのレース映像が収められているBOXをひっくり返す。ここにあるはずだ。俺の目的のものが!

 坂口は俺の行動に戸惑っているような声を上げる。

 

 

「ど、どうしたんですか神藤さん!?急にBOXをひっくり返したりして!」

 

 

 だが、俺は返事をせずに一心不乱に目的の映像を探す。

 

 

「これじゃない……!これじゃない……!……ッ!あった!」

 

 

 探すこと数分、ついに目的の物を見つけた。そのDVDに収められているのは、テンポイントのジュニア期のものだ。しかも公式のレースではなく、リギルのハイセイコーとの模擬レースが収められた映像。俺は焦る気持ちを抑えながらその映像を再生しようとレコーダーに入れた。そして、片時も見逃さないように食い入るように映像を確認する。

 そんな俺の行動に他のトレーナー達は戸惑いの声を上げていた。挙句の果てには疲れで狂っただの言われる始末だ。だが俺はそれを聞こえないふりをして映像を見る。もう少しで目的のところだ。

 その目的の箇所とは、ハイセイコーに抜かれてもう追いつくことが絶望的になった第4コーナー。ここからテンポイントはすさまじい追い上げを見せた。あのハイセイコーに追いつくほどの末脚を見せたこのレース。これが俺の目的の映像だった。

 

 

(この時のテンポイントは後ろからのプレッシャーでスタミナも削られてほとんど空だったはずだ……。脚ももうほとんど残っていなかったはず、なのにハイセイコーに追いついた……。恐ろしいまでの勝負根性。ということは……!)

 

 

「見つけた……!テンポイントが一番輝ける戦法を……!」

 

 

 俺は思わずそう呟いた。その言葉に坂口たちは驚きの声を上げる。坂口が代表して聞いてきた。

 

 

「ほ、本当ですか!?神藤さん!」

 

 

 興奮を隠しきれない様子で言ってくる。俺は自信満々に答えた。

 

 

「あぁ!これならトウショウボーイにも、誰にも負けやしない!テンポイントの強さを最大限活かすことができる!」

 

 

 その言葉に周りのみんなは一瞬呆ける。だが、しばらくしてから歓喜の声を上げた。俺も嬉しさから歓喜の声を上げる。

 なぜ今まで気づかなかったのか?その理由は単純だ。先行が王道の戦法だから。教本でも強いウマ娘はほとんどが先行だからと、その王道こそがテンポイントに最もふさわしいと俺は決めつけていた。だからこそ、視野が狭まっていた。そして、教本通りの戦法しかとらなかった。

 思えば、時田さんはあの時から気づいていたのだろう。だからあの時俺にヒントをくれた。視野が狭まっていた俺に。悔しいが、感謝しかない。

 俺は早速練習メニューを作成しようする。間に合うかは分からない。だが、絶対に間に合わせて見せる!

 だがその前に、協力してくれたみんなに感謝する。

 

 

「みんなありがとう!こんな時間まで付き合ってくれて……!おかげで、勝つための算段が整った!」

 

 

「まさか、苦し紛れで言ったことがヒントになるとはなぁ……」

 

 

「でもまあ、これだけやったんだ!勝たなきゃ承知しねぇぞ!」

 

 

「頑張ってください神藤さん!」

 

 

 こんな時間に帰させるわけにはいかないと思った俺は上の居住スペースを使うようにみんなに言った。すると、全員お言葉に甘えて上の部屋で寝始める。俺は1人トレーナー室で練習メニューの作成に取り掛かった。先程までの疲れが嘘のようにやる気に溢れている。

 

 

「待ってろトウショウボーイ……、おハナさん!次戦う時に勝つのは俺とテンポイントだ!」

 

 

 そう誓いながら、俺は朝日が昇るまで練習メニューの作成をしていた。




ついに見つけた勝つための方法。


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第61話 その走りに

トレーナーの思いを聞く回


 トレーナーと親しい人物たちにトレーナーがボクのことをどう話しているのかを聞いて回っていた日から明けた次の日。時刻はお昼過ぎ。本来であれば練習は休みであるはずの今日、ボクはトレーナー室を訪れている。その理由は単純で、トレーナーに聞きたいことがあったからだ。

 その聞きたいこととは、ボクを信じてくれる理由。トレーナーの周りの人はボクの走りに惚れているからとか言っていた。だが、それだけでボクの強さを信じてくれる理由になるのだろうか?それに、走りに惚れている理由までは誰も知らないらしく、ならばもう本人に聞くしかないだろうと思い、トレーナー室へと足を運んだ。

 少し緊張しながらもトレーナー室のインターホンを鳴らす。

 

 

「トレーナー?ボクや、おるんか?」

 

 

 ……しかし、中から反応はない。出かけているのだろうか?そう思いドアノブを回す。すると鍵が開いていたのか普通に回すことができ、中に入ることができた。不用心とは思いつつもボクはトレーナー室の中に入る。

 

 

「うわっ!?なんやこの惨状は!?」

 

 

 トレーナー室の様子を覗いてみると、それはもう酷いありさまだった。思わず顔をしかめてしまう。

 まず、紙の資料が辺り一面に散らばっていた。机には眠気覚ましにでも飲んだのであろう空のエナドリや飲み物の山、挙句の果てにはカラーボックスに入れていたレースの映像が収められたDVDもひっくり返されており、まるで泥棒でも入ったかと勘違いするほどの汚さだった。

 だが、何が起こったのか推理するより前にボクはトレーナーを探す。鍵が開いていたということはトレーナーは中にいるはずだ。鍵を開けたままにして外出するような人物でもない。必ず部屋の中にいるはずだ。

 そして、見つけることができた。トレーナーは机に突っ伏して寝ていた。こんなところで寝ているとは珍しいと思いつつもボクはトレーナーを起こそうとする。だが、止めた。

 

 

「部屋の荒れ具合とトレーナーの今ん状況から推測するに……徹夜しとったんか?やったら起こすのは悪いな」

 

 

 トレーナーがここまで徹夜しているのは珍しいと思いつつも、起こしたら悪いと思いそのままにしておく。ただ聞きたいことがあるので、トレーナー室で待っておこうと思った。

 ただ待っているだけなのも暇なので、ボクは部屋を片付けることにした。

 

 

「いくら何でも酷すぎやろ……。何があったんやホンマ……」

 

 

 資料をひとまとめにして、ひっくり返されているDVDもカラーボックスに収納しなおし、空になっている飲み物類を分別してごみ袋に入れる。

 1時間もしないうちに先程の惨状は幾分かマシになった。本格的な掃除はまたトレーナーが起きてからでいいだろう。いい運動になったと思いつつボクはソファに座ってテレビを点ける。テレビでも見ながらトレーナーが起きるのをひたすら待つことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ト、……イント。テンポイント!」

 

 

「……んう?」

 

 

 誰かに呼ばれてボクは目を覚ます。テレビが点けっぱなしになっている。どうやらぼんやりとテレビを見ている間に眠ってしまっていたらしい。ボクは目をこすって意識を覚醒させる。外の方へ視線を向けるともう日が沈みかけていた。

 ボクを起こしたのは誰だろうか?そんな人物は1人しかいないとは思いつつも声のした方へと振り向く。そこには思っていた通り、トレーナーが立っていた。どうやら起きたらしい。向こうは呆れた表情をしている。そのまま話しかけてくる。

 

 

「起きたか。びっくりしたぞ?起きたら部屋が奇麗になってるし、ソファでテンポイントが寝てるし。今日は練習は休みだと伝えていたが、何かあったのか?」

 

 

 そう質問してきた。ボクはトレーナーの言葉に肯定して答える。

 

 

「せや。トレーナーに聞きたいことがあってん」

 

 

「俺に?何を聞きたいんだ?」

 

 

 ボクは意を決して聞くことにした。

 

 

「トレーナーは、どうしてボクの強さをこないに信頼してくれるんや?」

 

 

「どういう意味だ?」

 

 

「言葉通りの意味や。普通やったら、5回も戦って1勝しかできてへん相手に対してお前ん方が強いとは言わんやろ。それでも、トレーナーはボクん方が強い言うてくれる。なんでや?どうしてそないにボクの強さを信頼してくれるんや?」

 

 

「あぁ~……そのことか」

 

 

 トレーナーはバツが悪そうに頬を掻いている。ボクはさらに追撃するように今回集めた情報をトレーナーに伝える。

 

 

「トレーナーと親しい人たちに聞いてみたで。ボクの走りに惚れとるらしいやないか」

 

 

「お前休みの間そんなこと聞いて回ってたのか!?」

 

 

「みんな同じ事言うとった。ボクを信頼しとんのはボクの走りに惚れとるからやって。やけど、そん理由までは誰も知らんかったわ」

 

 

「そんなに知りたいのか……」

 

 

 トレーナーは苦虫を噛み潰したような顔をした。少し悪いとは思ったが、それ以上に気になるのだ。どうしてボクをそこまで信頼してくれるのか、その理由を。

 そして、トレーナーは観念したのか溜息1つついて答える。

 

 

「まあ、お前もこの前色々ぶっちゃけたしな。アレは俺のせいでもあるしこの際だ。お詫びと言うわけではないが俺も色々とぶっちゃけるか……」

 

 

「アレは忘れてくれ、ホンマに」

 

 

 今思い出すだけでも恥ずかしいのだ。

 トレーナーは外で話そうと言ってトレーナー室から出る。ボクもその後をついて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日も完全に沈んでそろそろ寮の門限を心配しなければならない時刻。ボクはトレーナーと2人歩いている。この状況だとあの日を思い出す。トレーナーと契約を交わしたあの日を。

 トレーナーが話しかけてきた。

 

 

「こうして歩いていると思い出すな。お前と契約を交わすことになったあの日を」

 

 

「奇遇やな。ボクも同じこと思うてたわ」

 

 

 どうやら向こうも同じことを思っていたらしい。なんとなくおかしくなって、2人して笑いあう。

 しばしの沈黙の後、トレーナーが本題を切り出してきた。

 

 

「さて、聞きたいのは俺がお前の走りに惚れた理由……だったか?」

 

 

「せや。どうしてなんや?」

 

 

 トレーナーは答える。

 

 

「そうだな……いろんな人に聞いて回ったってことは、俺がトレーナーになる前まではレースに興味がなかったって話も聞いたんじゃないか?」

 

 

「せやな。みんな言うとったわ。トレセン学園に就職したのにレースに全く興味示さん変な奴ってな」

 

 

「だろうな。今こうしてレースにハマってみると、自分がどれだけ異端だったかがよく分かるよ。これだけ夢中になれるものが側にあったのに今まで見てこなかったんだから」

 

 

 トレーナーはそう言って笑った。だが、ボクは急かすようにトレーナーに言う。

 

 

「で?ボクの走りに惚れとる理由はなんや?話を逸らそうとしてへんか?」

 

 

「違う違う。これが重要なことなんだよ」

 

 

 トレーナーはボクの質問に首を横に振って答える。どうやら本当らしい。ボクは大人しく聞くことに徹する。トレーナーはそのまま話を続けた。

 

 

「で、そんなレースに興味がなかった状態で俺は選抜レースを見ていたんだよ。ウマ娘をスカウトしようとしてな」

 

 

「そん中にボクがおったわけか」

 

 

「そうだな。けど、初めに言っておくとお前のことは走るまで何にも知らなかったんだ。ただ凄い子いるなー程度にしか思っていなかったよ」

 

 

「えぇ……」

 

 

 その言葉にボクは呆れる。まさか、ボクのことを知らなかったとは思わなかった。トレーナーはすまなそうな表情をしている。

 そして、言葉を続ける。

 

 

「正直、その選抜レース自体もただ何となくで見ているだけだったんだ。ただピンとくる子が、波長が合う子がいればいいな程度にしか考えていなかった。お前の走りを見るまでは」

 

 

 おそらく、ここからが核心なのだろう。ボクは緊張しながらも話を聞く。トレーナーは告げた。

 

 

「身体に電流が走る感覚……っていうのかな?衝撃を受けた時に感じるもの。それをリアルで体感したよ」

 

 

「……」

 

 

「最初は観客席の離れた方から見ていたけれどお前の走りを見た瞬間、もっと間近で見たいと思った俺はすぐさま最前列に身を乗り出したよ。もっと近くで見たい。もっとこのレースを、いや、もっとお前のレースを見ていたい。周りの声が聞こえなくなるくらい、時間が経っていることすら忘れるくらい、お前のレースに熱中していたんだ」

 

 

 トレーナーはその日のことを懐かしむように語る。ボクは黙って聞く。

 

 

「そこからだ、俺がレースに熱中し始めたのは。みんなから言われたよ、お前に何があったんだ!?ってな」

 

 

 トレーナーは苦笑いを浮かべてそう言った。

 

 

「テンポイントは俺がトレーナーになるのを渋っていたっていう話を知っているか?」

 

 

「あぁ、聞いたで。なんでも給料UPに釣られたとかいろいろ言われとったわ」

 

 

「……当時のことを考えるとあながち間違いじゃねぇのが辛いな。今は絶対に違うと断言できるけど」

 

 

 トレーナーはそう言って、トレーナーになることを渋っていた本当の理由を話し始める。

 

 

「正直言うとさ、不安だったんだ。レースに熱中できない、興味もない。そんな奴に指導されるウマ娘は可哀想なんじゃないか?そう思うと、どうしてもトレーナーになろうとは思えなかった。結局は理事長の熱意に押される形と、たづなさんからのこれから熱中していけばいいっていう言葉で承諾したんだけどな」

 

 

「そうだったんか……」

 

 

 トレーナーが、トレーナーになった本当の理由が明かされた。しかし、今のトレーナーを見ると、とてもレースに興味がなかったとは思えないぐらいの豹変ぶりだ。ボクはそう思った。

 トレーナーはそんなボクの心を見透かしているかのように思ったことを当ててきた。

 

 

「もしかして今こう思ってるんじゃないか?今の俺を見ていると、とてもレースに興味がなかった男には見えない……ってな」

 

 

「せやな。他ん人に聞かされた時も半信半疑やったし、今のトレーナーしか見てへんからとてもそうとは思えんかったわ」

 

 

「そうだな。でも、本当のことだ。俺はレースに興味がなかった……。けど」

 

 

 一拍おいて、トレーナーが答える。

 

 

「お前が変えてくれたんだ、テンポイント。お前が、お前の走りが俺にレースを見ることの楽しさを教えてくれた。お前の走りが、俺をレースの世界に引き込んでくれたんだ」

 

 

 その言葉を、ボクは黙って聞く。

 

 

「これがお前の聞きたかったお前の走りに惚れている理由だな。俺を夢中にさせたその走りに、俺にレースの楽しさを教えてくれたその走りに、俺をレースの世界に引き込んだその走りに。俺はどうしようもなく惚れていると言ってもいい」

 

 

 トレーナーは涼しい顔でそう告げた。ボクはトレーナーに確認する。

 

 

「スマントレーナー。ちょっと静かにしてもろうてええか?」

 

 

「?あぁ、いいぞ」

 

 

 少し疑問を感じている顔を浮かべながらもトレーナーはそう答える。ボクはトレーナーから顔を背ける。トレーナーに今のボクの顔を見られるわけにはいかない。何故なら……、

 

 

(アカン、思うたよりもベタ惚れしとるやんけ!?どないしよう……ニヤニヤが止まらん……!)

 

 

今のにやけた顔を見られるわけにはいかないからだ。だがそれも仕方ないだろう。自分の走りを褒められたこともそうだが、まさかここまで自分を思ってくれているとは考えもしなかったからだ。誰だってここまで思われていたらニヤニヤが止まらなくなるだろう。

 そして、トレーナーの発言により他の人たちの言っていたボクに告げた言葉は全て本心であるということ、ボクを絶対に裏切らないという言葉が真実味を帯びてきた。

 

 

(つまり……ダービーん時も、菊花賞が終わった後んことも、宝塚んときも!全部本心で言うとったんか……!?)

 

 

 あの時の言葉は全部本心で言っていたことが判明した。お世辞ではなかったのだ。

 ボクは気を取り直すように咳払いをしてトレーナーに話を続けるように促す。

 

 

「もう大丈夫や。それで?なんでボクの強さをそないに信頼してくれるんや?」

 

 

「まあ、大体は今言ったお前の走りに惚れている理由に集約している。俺をレースの世界に引き込んでくれたお前の走りは誰にも負けない。俺はそう思っているからだ」

 

 

 淀みなくそう答える。その言葉に嬉しくなったがトレーナーは真面目な表情をしてボクに話始める。

 

 

「だからこそ、俺の不甲斐なさのせいで負けさせてしまって申し訳ないと思っている。だが、それもここまでだ」

 

 

「どういうことや?まさか、徹夜しとった理由と関係あるんか?」

 

 

「そうだ」

 

 

 そう言って、トレーナーは宣言するようにボクに告げる。

 

 

「テンポイント。お前には悔しい思いをさせてきた。そんな俺が頼むことではないのかもしれない。それでも聞くだけ聞いてくれないか?」

 

 

「……なんや?」

 

 

 ボクは緊張しながら次の言葉を待つ。トレーナーは頭を下げてこう言った。

 

 

「頼む!もう一度、もう一度だけ俺を信じてくれないか!もうお前を負けさせたりさせない!悔しい気持ちにさせない!そのための秘策を考えた!だから、もう一度だけ俺を信じてくれ!」

 

 

「勿論、信じさせてもらうで」

 

 

 ボクは即答する。トレーナーは顔を上げて

 

 

「……即答だな」

 

 

と、拍子抜けした顔をするが、ボクのこの態度は当然のものだ。何故なら、

 

 

「トレーナーは、いつだってボクを信じてくれとったんやろ?」

 

 

「そうだ。その気持ちに嘘偽りはない」

 

 

「やったら、ボクも信じる。キミが信じたボクの強さを、ボクも信じてみることにするわ」

 

 

トレーナーは、ずっとボクを信じてくれていた。なら、信頼には信頼で返さなければならない。そう思い、トレーナーの問いかけにボクは心からの笑顔で答える。

 その時、今まで胸の中で抱えていたものが不思議と軽くなった気がした。ボーイに勝てるのかと言う不安も、これから先勝てるのだろうかと言う不安も、なくなったかのように軽くなった。

 トレーナーが拳を突き出して告げる。

 

 

「勝とうぜ。俺とお前で。トウショウボーイに、おハナさんに!」

 

 

 その言葉に、ボクも拳を突き出して答える。

 

 

「勝とうや。ボクとキミで。ボーイに、東条トレーナーに!」

 

 

 契約を交わしたあの日のように月が見守る中、2人の拳を合わせる。そして、お互いに笑いあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……で、寮の門限にギリギリだった言い訳はもう十分かい?」

 

 

「「大変申し訳ありませんでした」」

 

 

 ……その後、寮の門限ギリギリの時間に帰ってきたことでボクとトレーナーは寮長からこっぴどく叱られた。




新シナリオはどうなるのか今から楽しみです。後は無料10連。


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閑話6 今は休んで

グラスとカイザーの宝塚記念のその後回


 学園の授業が終わり、放課後のチームの練習も終わって今から自宅に帰ろうとしている所。偶然、友達であるカイザーちゃんのチーム・ハダルの部室の前を通った私は気になる現場を目撃した。ハダルの部室の前で松葉杖をついたカイザーちゃんと誰かが言いあうような声が聞こえてきたのである。私は姿を見られないように近づいて様子を窺う。

 

 

「すいません……、もう私には無理です……」

 

 

「で、でも!ここで諦めちゃったら……」

 

 

「今まで、ご迷惑をおかけしました。さようなら」

 

 

 そう言ってカイザーちゃんはハダルの部室を後にした。ハダルの先輩と思われる人物は必死に引き留めようとしているが、カイザーちゃんは聞こえないふりをして松葉杖をついて去っていく。私はその会話を聞いた後、カイザーちゃんに気づかれないようにその後を追った。

 学園の校門前まで来たところで私は何食わぬ顔でカイザーちゃんに話しかける。偶然鉢合わせたように、先程の会話を聞いていなかったのように振舞いながら。

 

 

「あれ~?奇遇だね~カイザーちゃん。今帰り~?」

 

 

「グラスさん?そうですね、今から帰るところです」

 

 

 カイザーちゃんは私の言葉を疑うことなく答えた。そのことにちょっと罪悪感を覚えながらも私はカイザーちゃんに提案する。

 

 

「だったら~、途中まで一緒に帰らない~?」

 

 

 私の提案にカイザーちゃんは少し悩んだ後、

 

 

「そうですね。一緒に帰りましょうか」

 

 

と答えた。返事を聞いた後、私はカイザーちゃんの隣へと移動し、彼女の歩調に合わせるようにして歩く。横目でカイザーちゃんを見ると申し訳なさそうな表情をしていたので、私は

 

 

「いや~。たまにはゆっくり帰るのも乙なものだね~」

 

 

とカイザーちゃんに言った。全然気にしていないよと伝えるために。その意図が伝わったのかは分からないが、カイザーちゃんは少しだけ笑顔を見せた。

 そのまましばらく歩いていると、公園を見つけた。私は再度提案する。

 

 

「カイザーちゃん、ちょっとあの公園で休んでいかない?」

 

 

「え?でも……」

 

 

「ほらほら~、いいじゃないかいいじゃないか~。ゆっくり帰ろ~」

 

 

 そう言って私はカイザーちゃんを強引に公園へと誘う。私がこうするのにも理由がある。それは彼女とゆっくりと話したいと思っていたからだ。今なら近くに誰もいない。ゆっくり話すチャンスだろう。

 カイザーちゃんは観念したのか、公園のベンチに座った。私は2人分の飲み物を自販機で買って1つをカイザーちゃんに渡す。カイザーちゃんはお礼を言う。

 

 

「ありがとうございますグラスさん、何から何まで」

 

 

「ん~?何が~?」

 

 

「公園で休もうという提案も、私が疲れているように見えたからですよね?ただでさえ普段から使い慣れていない松葉杖を使って歩行しているから歩くペースも遅いですし、疲れも溜まるだろうからと……」

 

 

 そう言ってカイザーちゃんは落ち込んでしまった。私は気にしていないことを伝えるために話す。

 

 

「さっきも言ったでしょ~?たまにはゆっくり帰るのも乙なものだって~。気にしな~い気にしな~い」

 

 

「で、でも……」

 

 

「カイザーちゃんは~、色々と気にしすぎ~。たまにはな~んも気にしないで過ごすのもいいと思うよ~」

 

 

「けど……、いえ、そうですね」

 

 

 そう言って、カイザーちゃんは渡された飲み物を飲み始める。私も自分の分の飲み物を飲むことにした。

 しばしの沈黙が訪れる。その沈黙を破ったのは私の方だった。

 

 

「それで~?カイザーちゃんなんか悩みとかあるんじゃない?」

 

 

 その言葉にカイザーちゃんは驚いたように耳を立てた。

 

 

「な、なんでそう思うんですか?」

 

 

「いやいや~。ここまでの間浮かない表情だったし~、耳も尻尾もずっと元気なさそうにしてたからね~。いかにも悩みがあります~みたいな状態だったからさ~」

 

 

 私はそう指摘する。少しの沈黙の後、カイザーちゃんは意を決したような表情をした後、告げる。

 

 

「……私、もうレースで走るのを止めようと思うんです」

 

 

「……え?」

 

 

 告げられた言葉は、あまりにも衝撃的だった。私が驚いて何も言えないでいると、カイザーちゃんはポツポツと話始める。

 

 

「……ずっと前から、考えてはいたんです。どんなに努力しても届かない、越えられない。そんな壁に今まで立ち向かってきました。きっといつか超えられると思って。けれど……」

 

 

「……この前の、宝塚記念?」

 

 

 私の言葉にカイザーちゃんは頷く。

 

 

「私は宝塚記念に向けて沢山の練習を重ねました。ハダルの人たちから止められても決して止めないで、身体を壊すような真似をしてまで特訓を重ねました。その結果がこれですよ」

 

 

 カイザーちゃんは自嘲気味に笑った。そのまま続ける。

 

 

「6人中6着。しかも無理な練習が祟って脚を故障。滑稽ですよね……?」

 

 

「そんなことはない!そんなこと……絶対にない!」

 

 

 私は我慢できずにそう言った。けれど、カイザーちゃんは意に介していないように振舞う。

 

 

「もう、疲れちゃったんです。届かない壁に挑むのは……、越えられない山に挑むのは……」

 

 

 そうして見せたのは、全てを諦めた、絶望し切った表情。宝塚記念のレース後にテンちゃんが見せていたあの表情を、カイザーちゃんはしていた。

 あの宝塚記念で追い詰められたのはテンちゃんだけじゃなかった。カイザーちゃんも、ここまで追い詰められていたのだ。レースで走ることを諦めてしまうほどに。

 カイザーちゃんは言葉を続ける。

 

 

「だから、もう走るのを止めようと思って、さっきもハダルに退部届を出してきたんです。引き留められましたけど……、それでも、私にはもう続けられる気がしなくて……」

 

 

 私がさっき見た光景だ。退部届を出していたところだったのか。

 私は藁にも縋る思いでカイザーちゃんに尋ねる。

 

 

「カイザーちゃん、本当にレースにはもう出ないつもり?」

 

 

「……そうですね」

 

 

 決意を固めた目をしている。その目を見て私は悲しくなった。だが、諦めない。まだ手はあるはずだ。私は再度尋ねる。

 

 

「……じゃあ、カイザーちゃんは走る情熱はまだある?走ろうっていう気持ちは、まだある?」

 

 

「そりゃあ、ありますけど……。でも、レースを走るのは……」

 

 

 良かった。まだ走ろうっていう気持ちはある。ならばと、私はカイザーちゃんに提案した。

 

 

「じゃあさ、こうしようよカイザーちゃん。カイザーちゃんは、今日から長い休みに入るってことで」

 

 

「……どういう意味、ですか?」

 

 

 突然私が変なことを言い出したのを不思議に思っているのだろう。けれど、私はそのまま言葉を続ける。

 

 

「言葉通りの意味だよ。カイザーちゃんはさ、今は色々と悪いことが起きすぎちゃって疲れちゃってるんだと思う。だから、今はちょっとだけお休みするんだ。疲れが取れるまで、またレースで走ろうっていう気持ちになれるまで、お休みしようってこと」

 

 

「……そんな日は、来るんでしょうか?」

 

 

「来るよ。絶対に来る。だってまだ走ろうっていう気持ちがあるんだもの。絶対にまたレースで走りたいっていう気持ちが湧いてくる日が来るよ」

 

 

 正直、そんなことは分からない。でも、ここでレースで走ることを止めちゃったらきっとカイザーちゃんは後悔する。何となくだけどそう思った。それに、友達と、ライバルと競い合えなくなるのは私も嫌だ。その一心で提案する。

 カイザーちゃんは難色を示している。やはり今更引き下がれないのだろう。ハダルまで辞めてしまったのだから。だから私は続けて提案する。

 

 

「それに、私はカイザーちゃんがレースの世界に戻ってくるまで待つよ。ずっと走り続ける」

 

 

 その言葉に、カイザーちゃんが反応を示した。そして、分からないといった表情で私に質問する。

 

 

「……どうして、どうしてそこまで私に構ってくれるんですか?こんな私に」

 

 

 私はその質問に自分が思っていることをそのまま伝える。

 

 

「決まってるよ。カイザーちゃんは私の友達で、ライバルだから」

 

 

 そう言って私はカイザーちゃんをまっすぐ見据える。カイザーちゃんは狼狽えていた。

 

 

「世間からどんな評価を下されていようが関係ない。私は、カイザーちゃんのことを友達でライバルと思ってる。だから、走るのを止めちゃったから悲しいし、もうレースで競い合えないと考えると残念に思うよ。それはきっと、ボーイちゃんとテンちゃんも一緒だと思う」

 

 

「そんな……。私にはもったいないですよ」

 

 

 カイザーちゃんはそう答える。ここで私は話すことを決めた。世間が下した私たちの評価を、それを受けて私が思っていることを。

 

 

「それにさ、私とカイザーちゃんは、似てると思うんだ」

 

 

「私と、グラスさんが……ですか?」

 

 

「そ。だってさ、私たちの代ってボーイちゃんとテンちゃんばっかりで他の子たちって全然話題に上がらないじゃない?私とカイザーちゃんはそれぞれダービーと菊花賞勝ったのに今じゃほとんど話題に上がらないんだもの。失礼しちゃうよね~ホント」

 

 

「あ、アハハ……。まあそうですね」

 

 

 私の言葉にカイザーちゃんは苦笑いを浮かべた。私はそれを見た後言葉を続ける。

 

 

「きっとさ、私たちはどこまでいっても日陰者なんだと思う。日なたを歩んでいくボーイちゃんとテンちゃんと違って、ずっと日陰の道を進んでいくしかないと思ってるんだ~」

 

 

「……」

 

 

「でもさ?ちょっとは見せてやりたいじゃん?日陰者の意地ってやつをさ」

 

 

 私はそう宣言する。カイザーちゃんは目を見開いていた。

 

 

「カイザーちゃんが休んでいる分は、私が頑張る。あの2人に一矢報いようじゃないか~。日陰者同盟ここに結成だ~」

 

 

「……なんですか?その同盟」

 

 

 そう言って、カイザーちゃんは笑った。私もつられて笑みを浮かべる。

 お互いに笑いあった後、カイザーちゃんは申し訳なさそうに告げる。

 

 

「……正直、レースの世界に戻ってくるかは分かりません。もうハダルも辞めちゃいましたし、ここからまた再燃するかは分からないので」

 

 

 その言葉に、私は頷く。だが、その目は先程の決意を固めたものから揺らいでいた。カイザーちゃんはそのまま話を続ける。

 

 

「でも、皆さんのことは応援しています。頑張ってください、グラスさん!」

 

 

「おぉ~、カイザーちゃんの応援があるなら百人力だ~。頑張っちゃうよ~」

 

 

「なんですかそれ」

 

 

 カイザーちゃんは笑う。本人は戻ってくるつもりはないと思っているのだろう。だが、私には分かった。多少ではあるが、彼女の気持ちが前に向き始めたことを。

 

 

(戻ってくるかは分からない……か。本当に止めるつもりだったら、そんな言葉は出てこないよね?カイザーちゃん)

 

 

 おそらくだが、彼女は迷いが出始めたのだろう。少しだけだが、希望は見えてきた。そのことに私は安堵する。

 

 

「それじゃあ、そろそろ帰ろうか~?」

 

 

「そうですね、帰りましょうか」

 

 

 そういって、私たちは帰路につく。カイザーちゃんの表情は、校門前で見た時よりも晴れやかになっている気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の日、私は沖野トレーナーの部屋を訪ねる。トレーナー室に彼はいた。沖野トレーナーは私を見ると驚いたような表情を浮かべて応対する。

 

 

「グラス?どうしたお前?今朝は随分早いな」

 

 

 私は沖野トレーナーの言葉を無視して、彼が座っている机の方まで詰め寄る。そして、机を叩いて告げる。

 

 

「お願いがあるの、トレーナー」

 

 

「お、おう。どうしたそんな怖い顔して」

 

 

「私を強くして。ボーイちゃんにも、テンちゃんにも負けないぐらいに」

 

 

 トレーナーは私の言葉に一瞬呆けた後、頭を掻いて答える。

 

 

「そんな顔するってことは何かあったんだな?何があった?」

 

 

「……それは言えない。でも、私はどうしてもあの2人に勝ちたい」

 

 

 しばしの沈黙が訪れる。沈黙を破って沖野トレーナーが口を開いた。

 

 

「……分かった。何があったかは聞かねぇ。全力でお前のサポートをしてやる」

 

 

「ありがとう。トレーナー」

 

 

「気にすんな。それが俺の仕事だからな」

 

 

 そう言って頭を掻く。迷惑を掛けてしまうことを申し訳なく思うが、これもあの2人に勝つためだ。

 

 

(必ず勝つ……。覚悟してて。ボーイちゃん、テンちゃん)

 

 

 カイザーちゃんのためにも、私はそう誓った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とあるチームの部室にて退部届と書かれた封筒を持ったウマ娘は途方に暮れていた。

 

 

「どうしよう……。カイザーから受け取っちゃったけど、トレーナーさんに渡すべきかな?」

 

 

「どうしたんだい?そんな顔してぇ」

 

 

「あ!先輩。実はこれなんですけど……」

 

 

「ふんふ~ん……。じゃあ、これはこのまま取っておこうかぁ」

 

 

「え、いいんですか?トレーナーに渡した方がいいんじゃ……」

 

 

「いいよいいよぉ。私が上手く言っておくからぁ。それにぃ、取っておいた方がいい気がするんだよねぇ、それ」

 

 

「ま、まあ先輩がそう言うなら……」

 

 

そんな会話があった。




初日の無料10連はSSRライアンが来ましたやっほい。まあ50連してSSR0枚で帳消しになりましたが。


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第62話 復帰と宣戦布告

朝の日常会話回。


 休日が明けて、ボクは学園に登校している。宝塚記念が終わってからは学園を休んでいたため随分久しぶりのように感じた。少し緊張しながら自分のクラスへと向かう。

 ボクは教室の扉を開けた。扉が開いたことに反応した何人かのクラスメイトがボクの姿を見て驚いている。その反応を尻目にボクは自分の席に着いた。席に座って少し経つと、クラスメイトがボクのところに駆け寄ってきた。

 

 

「お、おはようテンポイントさん。もう大丈夫なの?」

 

 

「おはようさん。うん、もう大丈夫やで。心配かけてすまんかったな」

 

 

「そう……それならよかった。お大事にね」

 

 

 そう言って、その子はまた元のグループに戻っていった。ボクは授業の準備をして、朝買ってきた新聞を読み始める。

 そこからしばらくするとグラスが登校してきた。ボクの姿を見ると一瞬驚いたような表情を見せた後、笑顔でボクに話しかけてくる。

 

 

「おはよう~テンちゃ~ん。いやはや~、元気になったようで何よりだよ~」

 

 

「おはようさんグラス。心配かけたけど今日からまたよろしゅうな」

 

 

「なんの~、こちらこそよろしく~」

 

 

 そう言って自分の席に鞄を置いた後、ボクのところに戻ってきた。グラスはこちらに話しかけてくる。

 

 

「それにしても~、宝塚記念ではびっくりしちゃったよ~。テンちゃんのあんな顔初めて見ちゃった~。レアだよレア~」

 

 

「やめーや。レアちゃうぞはよ記憶から抹消しい」

 

 

「え~?それは無理かな~」

 

 

 グラスはあっけらかんとそう答える。本気で嫌と言うわけではないのでボクはそれ以上は何も言わないことにした。すると、グラスがこちらに質問してくる。

 

 

「う~ん?でも宝塚記念終わった後とは雲泥の差だね~。前と変わらない……、いや、前より元気良さそう~。テンちゃん何かいいことあった~?」

 

 

「ええことって……。例えば?」

 

 

「……アイスで当たりが出たとか~?」

 

 

「仮にそれで立ち直ったとしてボク単純すぎやろ」

 

 

「冗談じょうだ~ん。でも本当に何があったの~?」

 

 

「ま、グラスの言うた通りや。この休みの間でええことがあったやからな。おかげで今までの不安全部吹っ飛んだわ」

 

 

 ボクは笑顔でそう答える。するとグラスは安堵したような表情を浮かべていた。

 

 

「でも、本当に良かった~。春天が終わって少し経った後に私と屋上でした会話覚えてる~?レースが終わった後、テンちゃんもう立ち直れないかも……って思ってたからさ~」

 

 

 勿論覚えている。あの時はそんなことにはならないと思っていたが、結果だけ見ればグラスの言っていた通りになったのだ。恥ずかしい気持ちを抑えながらも、ボクは答える。

 

 

「そういや言われとったな、唐突に心が折れそうな危うさがボクにはあるって。グラスの忠告を流しといてあの様やったんは恥ずいわ……」

 

 

「ふっふっふ~。次からはちゃんと人の忠告は聞くことだね~?」

 

 

「せやな……。今回のことでよう身に沁みたわ……」

 

 

「そう言えばテンちゃ~ん。いいことって……」

 

 

 そんな会話をしていると教室の扉を開く。ボクたちはそちらの方へと視線を向けた。すると、ボーイが元気なさそうに教室へと入ってくる。

 

 

「みんな~、おはよ~……。ハァ……」

 

 

 ……いや、元気なさすぎじゃないだろうか?一体何があったのだろうか?そう思っているとこちらの方へと歩いてくる。そして自分の席であるボクの隣に座った。ボクとグラスは挨拶する。

 

 

「おはようさんボーイ。随分元気なさそうやけどなんかあったんか?」

 

 

「おはよ~ボーイちゃん」

 

 

「あぁ……おはようテンさん、グラス。……テンさん?」

 

 

 そう言ってボーイはボクの方を見て目を白黒させている。ボクの顔に何かついているのだろうか?そして目を白黒させたかと思うと席を立ってボクの前に立つ。

 

 

「どしたん?ボーイ。人ん顔ジロジロ見て。ボクの顔になんかついとるのか?」

 

 

 その質問に答えることなく、ボーイはボクの顔を無遠慮に触り始めた。くすぐったい。ボクはボーイに抗議する。

 

 

「なんやお前人ん顔ジロジロ見たかと思うたら今度は触りだして。シバくで」

 

 

 するとボーイはやっと言葉を発した。

 

 

「……テンさん、だよな?本物のテンさんだよな?誰かが変装した偽物とかじゃねぇよな!?」

 

 

「何を考えとんのか知らんけど、ボクはちゃんと本物やで。分かったらとっとと手ぇ離してくれへん?くすぐったいんやけど」

 

 

 そう言うとボーイはボクの顔から手を離した。安堵していると今度はボーイがボクに抱き着いてきた。

 

 

「うおおォォォ!良かった……本当に良かったァァァァァ!テンさんが帰ってきてくれて本当に良かったァァァァァ!」

 

 

「暑っ苦しいな!放せや騒々しい!」

 

 

「電話で元気そうになったのは確認してたけど、この目で確認するまでは信じられなくて……!お帰りテンさん!」

 

 

「分かった!分かったからはよ放してくれ!」

 

 

 そこから格闘すること数分、何とかボーイの拘束から逃れる。ただでさえ体格差があるので抜け出すのに苦労したが、何とか脱出することができた。ボクは肩で息をする。

 

 

「ハァ、ハァ……!ボーイ、久しぶりに、会うたにしても、やりすぎやろ……!」

 

 

 ボクの言葉にボーイは涙ぐみながら答える。

 

 

「でもよぉ、オレ、ずっと心配でさぁ……!テンさんのあんな顔、初めて見たし……!もう戻ってこねぇんじゃねぇかと思って……!」

 

 

 グラスがボーイをかばうようにボクに話しかける。

 

 

「まあまあ~許してあげて~?テンちゃん。ボーイちゃんは宝塚記念が終わってからず~っと元気なかったからさ~。テンちゃんが元気になってくれて本当に嬉しいんだよ~」

 

 

「やけど、限度っちゅうもんがあるやろ……。まあ、そこまで心配かけて悪かったわ」

 

 

 ボクは素直にそう謝る。ボーイは落ち着いたのかこちらに笑顔を見せた。つられてボクとグラスも笑顔になる。

 そんなことをしていると申し訳なさそうにこちらへと割って入ってくる声があった。

 

 

「あの~、そろそろいいですか?」

 

 

「うおっ、カイザー。いつの間に来とったん?」

 

 

「ボーイさんがテンポイントさんに抱き着いているあたりでしょうか。なんか声掛けるのも悪かったので……」

 

 

 声の主はカイザーだった。松葉杖をついており、脚には包帯を巻いている。そう言えば宝塚記念後に故障したとは聞いていた。ボクは心配しながらカイザーに聞く。

 

 

「せや、カイザーの方こそ大丈夫なんか?脚の怪我」

 

 

「まあ、私の方はしばらくかかりそうですけど大丈夫です」

 

 

 カイザーは笑みを浮かべてそう答えた。大丈夫と言う言葉にボクは安堵する。だが、その表情には少し陰りが見えた気がした。ボクはそのことを聞こうとしたが、グラスからの無言の視線を受けてそれを止める。聞かない方がいい、そういいたげな視線だ。おそらく、ボクが触れていいことではないのだろう。そう感じた。

 するとボーイが言葉を発した。

 

 

「にしても、この4人が朝の教室で揃うのって久しぶりだよな!」

 

 

「そうだね~。4人が揃うってなると~最後に揃ったのは3月ぐらい~?」

 

 

「そんぐらいやな」

 

 

「そうですね。4月から私とグラスさんは時間ギリギリに登校してましたし。こうして朝話すのは本当に久しぶりですね」

 

 

 ボクは少し懐かしい気分になる。そんな気分に浸っているとグラスが思い出したかのようにボクに話しかけてきた。

 

 

「そう言えば~、ボーイちゃんが来たから結局聞けなかったけど~、テンちゃんに起きたいいことって何なの~?多分それが調子を取り戻した要因だよね~。私気になるな~」

 

 

「え?なんだそれ?オレも気になる!」

 

 

「私も気になりますね……。あんなに落ち込んでいたのにこんなに元気になるなんて、一体何があったんですか?テンポイントさん」

 

 

 グラスの言葉にボーイとカイザーも興味を持ったのかボクに詰問してくる。だが、あの時のことはあまり他人に話したくはない。トレーナーの名誉のためにも、後ボクが絶対にからかわれるからこそ。

 

 

「……秘密や」

 

 

「え~?なんでだよ教えてくれよテンさ~ん。気になるじゃんか」

 

 

 ボーイはそう言うが、ボクは断固として答える気はない。グラスとカイザーも抗議するような目線を送ってくるがボクの答えは決まっている。

 

 

「そないな目で見ても答える気はないで。ボクは調子を良くして帰ってきた、カイザーも帰ってきた、こうして4人また揃った。それでええやろ」

 

 

 3人の不満を訴える視線を受けながらボクはそう答える。だが、頭の中ではあの夜のことを思い出していた。

 トレーナーから聞いたボクを信頼している理由。そしてあの時ボクにかけてくれた言葉を思い出す。

 

 

(いや~、あそこまで言われると悪い気はせぇへんな。選抜レースまでボクんこと知らんかったのは意外やったけど、それも全部帳消しや)

 

 

 まさかあそこまで自分の走りを評価してくれていたとは。それにボクにかけてくれた言葉は全て本心から言っており、最強と言う言葉も本気で言っていたと考えるとまた嬉しくなる。

 そんなことを考えていると、ボーイたちは後ろで隠れるように会話をしていた。

 

 

「見ろよテンさんの耳と尻尾。滅茶苦茶機嫌良さそうに動いてるぜ」

 

 

「耳はピコピコ動いてるし尻尾を忙しなく振ってるね~」

 

 

「余程いいことがあったんでしょうね」

 

 

 無論、ボクにもその会話は聞こえている。慌てて思考を打ち切ってボーイたちに告げる。

 

 

「とにかく!確かにええことはあったけどなんも話す気はないで!それはそうとまた今日からよろしゅうな!」

 

 

 ボクの言葉にみんなは笑顔を浮かべる。

 

 

「よろしくな、テンさん!」

 

 

「また今日から頑張ろうね~テンちゃ~ん」

 

 

「また仲良くしていただけると嬉しいです」

 

 

 そう話していると、朝のホームルームの開始を告げるチャイムが鳴った。ボクたちは急いで席に着く。担任の先生が入ってくる。

 

 

「皆さん、おはようございます」

 

 

 先生の言葉にボクたちは元気よく挨拶を返す。それに満足したように先生は頷いて朝の連絡事項を話始める。

 

 

「……と、朝の連絡事項はこれで終わりです。あぁそれとテンポイントさん。欠席していた分の課題があるので後で職員室に来るように」

 

 

「はい、分かりました」

 

 

「では、これで本当に終わりです。皆さん今日も1日励むように」

 

 

 そう言って先生は退室する。それと同時にみんな席を立って各々好きな行動をする。ボクは職員室に行って課題を受け取りに行こうと思い、廊下に出る。するとボーイから話しかけられた。

 

 

「なぁテンさん、ちょっといいかな?」

 

 

「ん?どしたんボーイ」

 

 

 ボクは振り向いてボーイの方へと視線を向ける。ボーイは不安そうな表情をしていた。

 

 

「いや……さ、テンさんホントに大丈夫かなーって思って」

 

 

「なんやそれ?」

 

 

「だ、だって、宝塚記念が終わった後のテンさんホントにヤバかったからさ……。オレ、ずっと心配で……」

 

 

 余程だったのだろう。こちらに向けている表情は不安一色だ。

 

 

「もしオレのせいだったらって思うと……」

 

 

「ハァ、あほらしいな」

 

 

 ボクはボーイの言葉を最後まで聞くことなく溜息をついてそう一蹴する。ボーイは少し怒ったように抗議する。

 

 

「あ、あほらしいって!オレだって真剣に……!」

 

 

「あんなぁ、確かにそん時はヤバかったかもしれへんけど、今のボクを見ても同じこと言えるんか?」

 

 

「それは……言えねぇけど……。でも、何考えてるのかまでは分かんねぇじゃん?」

 

 

 そんなに不安なのだろうかボーイは。ならばと、ボクはボーイに宣戦布告をする。

 

 

「何考えてるか?やったら今ボクがボーイに対して思うてること言うたるわ」

 

 

「ま、待ってくれテンさん!せめて心の準備を……」

 

 

「次戦う時はぶっ倒す。それだけや」

 

 

 ボーイの制止の言葉を無視してボクはボーイに告げた。ボーイは呆けた表情をしている。そして口を開いた。

 

 

「……え?それだけ?」

 

 

「そんだけや。覚えとれよ?今までの負け、利子つけて返したる。覚悟しとき!」

 

 

 そう言ってボクはボーイに指を突きつける。ボーイはそんなボクの姿を見て、呆けた表情から徐々に笑顔になり、

 

 

「……へへっ!上等だテンさん!次もオレが勝つぜ!」

 

 

そう答える。そうだ、ボーイには笑顔の方が似合う。そう思いながらもボクはボーイにからかうように告げる。

 

 

「そうそう、さっきのシケた面しとるより、お前は笑顔の方が合うてるで」

 

 

「シケた面ってヒデェな!?って、アレ?」

 

 

 ボクの言葉にボーイは不思議そうに首を傾げている。ボクは問いかけた。

 

 

「なんや?どしたんやボーイ」

 

 

「いや、なんていうのかな……。宝塚記念前に感じてたテンさんの言葉の違和感が無くなった気がして」

 

 

「なんか言うとったなソレ。まあ違和感なくなったんならええんちゃう?」

 

 

「それもそうだな!テンさんもいつもの調子に戻ってるみたいだし、オレも頑張るぜー!」

 

 

 そう言ってボーイは教室へと戻っていった。相変わらず騒がしいやつだ。そう思いながらもボクは自然と笑顔を浮かべる。ボクは職員室へと課題を取りに行った。




確定ガチャはライスシャワーとメジロドーベルでした。新シナリオ忙しすぎてやれません!


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第63話 勝つための秘策

打倒トウショウボーイに向けて回


 授業も終わって放課後、ボクは帰り支度を整える。ボーイたちに別れを告げた。

 

 

「じゃあボーイ、グラス、カイザー!また明日やな!お先に失礼するで!」

 

 

「おうテンさん。また明日な!」

 

 

「本当にもう元の調子に戻ったね~。また明日~」

 

 

「はい、テンポイントさん。また明日」

 

 

 それぞれの返事を聞いた後、ボクは急いで教室を出る。向かう場所はトレーナー室だ。

 ボクが落ち込んでいたということもあって、宝塚記念が終わってからの初めてとなる練習。そして何よりトレーナーが考案したという打倒ボーイに対する秘策。それを今日教えてくれるらしい。一体どんな策なのだろうか?気になりすぎてボクは早歩きで学園の廊下を歩いている。

 はやる気持ちを何とか抑えながらボクはトレーナー室へと着いた。ノックもせずに中へと入る。扉は開いており、中にはトレーナーがいた。いきなり扉が開いたことに驚いたような表情を浮かべていた。

 

 

「どうした?テンポイント。ノックもしないなんて珍しいな」

 

 

「トレーナー!いやぁ、そんくらい楽しみやったってことや!」

 

 

「例の秘策のことか?」

 

 

 ボクは肯定するように首を縦に振る。ボクのその姿を見てトレーナーは苦笑いを浮かべる。

 

 

「そんなに楽しみだったのか。まあいい、じゃあその秘策について教えよう」

 

 

 トレーナーは一拍おいてその秘策について話を始める。

 

 

「打倒トウショウボーイに対する秘策、それは簡単に言えば序盤から先頭に立って逃げるってことだ」

 

 

「……は?逃げる?誰が?」

 

 

「お前だ、テンポイント」

 

 

 なんというか、意外にもあっさりとした秘策だった。以前からトレーナーは最後の直線で先頭に立つことを重要視していたが、それ繋がりだろうか?ボクはトレーナーの言ったことに疑問を覚える。

 確かに序盤から先頭に立てば展開にもよるが最後の直線を先頭で迎える可能性はグッと上がるだろう。それにボーイよりも前につけて直線を迎えることだってできるかもしれない。だが、ボクは序盤から先頭に立って逃げたことなど、メイクデビュー以外はない。そのメイクデビューも距離が短いから先頭に立っていただけなので今のレースとは訳が違う。今の走りとはペース配分も何もかも違ってくるのだ。そう簡単にいくものではない。

 まさか、ボーイよりも前につける為とかいう単純な理由だけか?一瞬そう思ったがすぐにその考えを否定する。何故なら、

 

 

(ボーイへの秘策、簡単に言えばって前置きしとった……。つまり、ちゃんとした理由があるっちゅうことやな?逃げへと転向する理由が)

 

 

トレーナーは簡単に言えばと前置きした。つまり、ちゃんとした理由があるのだろう。ボクはそう思い、トレーナーに問いかける。

 

 

「序盤から逃げる……。なんでそう思ったん?まさか最初から逃げればボーイよりも前につけるから……なんて単純な理由やないやろ?」

 

 

 ボクの言葉にトレーナーは肯定する。

 

 

「そうだ。これにはちゃんとした理由がある。まずお前は今の走り、前の集団につけて走るよりもさらに前、先頭争いの方がお前に合っていると思ったからだ」

 

 

「なんでや?今んままでも十分勝てとったけど」

 

 

「そうだな。正直、今のままでもレースで勝つことはできる。だが、トウショウボーイに勝つってなったら今のままだと絶対に勝てない。それを宝塚記念で痛感したからな」

 

 

 トレーナーはそう言って悔しそうに歯噛みしていた。しかし、すぐに元の表情に戻して切り替えていた。

 

 

「同じ戦法で走った場合、その後の優劣を決めるのは本人たちの実力と作戦の引き出しの多さだ。実力が拮抗している以上、勝敗を分けるのは後者の方になる。その点で俺はおハナさんに大きく劣っている」

 

 

「そうやなぁ……。東条トレーナーは学園最強を率いるベテラン、対してトレーナーは新人やからどうしたって差はあるわな」

 

 

「そうだな。俺の経験不足を露呈しているだけだが……、これはあくまで理由の1つに過ぎない。そして、もっと大きな理由がある。お前が逃げに向いていると思った理由が」

 

 

 ボクはトレーナーの話を黙って聞く。そしてトレーナーはこの秘策を考えついた本当の理由を話し始める。

 

 

「テンポイント、お前の1番強い武器は卓越したスピードや、他のウマ娘よりも高い心肺機能じゃない。お前の1番の武器は前で走る時の勝負根性だ」

 

 

「……勝負根性?」

 

 

「そうだ。お前は他の子よりも闘争心が強い。絶対に負けたくない、そんな気持ちが走りにも表れるのか、抜かされた時のお前は凄まじい強さを見せていた。俺がそれに気づいたのはジュニア級の時に行ったハイセイコーとの模擬レースを見直した時だ」

 

 

 トレーナーの言葉にボクはそんなこともあったと思い出す。対戦相手を一切伏せられて挑んだ模擬レース。相手は学園最強のハイセイコー先輩ということでかなり驚いた記憶もある。

 トレーナーは話を続ける。

 

 

「あの時お前は第4コーナーに入る前にハイセイコーに抜かされてその差はグングン開いていった。もう追いつくことは絶望的、模擬レースを見ていた全員が勝敗は決まったと思ったその時、お前は凄まじい追い上げを見せたな」

 

 

「あ~、そないなこともあったな。あん時はがむしゃらに走っとったけど、だんだん思い出してきたわ」

 

 

 先輩と言えども、戦う以上絶対に負けられないという気持ちで走っていたことを思い出す。結局そのレースは負けてしまったわけだが。

 

 

「俺の推測混じりになるが……、その時は後ろからのプレッシャーでスタミナを削られ続けてもうほとんど空、脚も残っていない……そんな状況だったんじゃないか?」

 

 

「……せやな。もうなんも残ってへんかったはずや」

 

 

「だが、お前はそんな状況から追いついてみせた。負けたくないという意志が、お前を突き動かしたんだ。そして一度離された距離を再び縮めることができた。結果としては負けたが、みんな度肝を抜かれただろうな」

 

 

「そんで、それが逃げることと何の関係が……ッ!」

 

 

 言っている途中で気づく。トレーナーの言いたいことに。この秘策を考えた本当の理由に。ボクはそのことを告げる。合っているかを確かめるために。

 

 

「……ボクの勝負根性が一番発揮されるんが抜かされた時。やから、そん力を発揮するんやったら前で走れば走るほど発揮できる……!そんで、そんために最適な作戦は今のように先行気味に走るんやなくて逃げて走ること……!」

 

 

 トレーナーはボクの言葉に頷く。ボクの考えが合っていることを証明するかのように。そして、そのまま頭を下げて謝罪する。

 

 

「俺はお前の強さに甘えていた。先行気味に立ち回って勝てているのだからこれが一番合っているのだと。この作戦が最適解なのだと、他の可能性を模索することなく同じ作戦を貫き続けた。その結果が宝塚記念だ。本当にすまなかった」

 

 

「もうええよ。アレはボクらが未熟だったが故の敗戦や」

 

 

「そう言ってもらえると助かる」

 

 

 謝罪を言い終えた後、頭を上げてトレーナーは話を続ける。

 

 

「秘策のことに関してはお前が言った通りだ。お前の勝負根性を発揮するために先頭で走ることこそが最適解。作戦自体は状況次第で適時変えるつもりではあるが、基本的にはこれからのレースでは逃げで走ってもらうことになる。そのためにはこれからの練習が重要だ」

 

 

「せやな。今までの立ち回りを全部変えて新しい立ち回りにする。言葉にするんは簡単やけど、いざ実践てなったら難しい話やからな」

 

 

 いくら近い戦法であるとはいえ、10戦以上同じ戦い方をしてきたものを今から変えるというのだ。簡単な話じゃない。

 だが、トレーナーはそれに関してもちゃんと考えているのだろう。その顔は問題ないとばかりの表情を浮かべていた。

 

 

「そうだな。今までの作戦を一新するんだから難しい話だ。だが、そのための練習プランはちゃんと考えてある」

 

 

 そう言ってトレーナーは机の上に置いてある資料を1つ手に取ってボクに渡す。そこには逃げのことに関してビッシリと書かれていた。

 

 

「まずは逃げに関しての見識を広めることから始めよう。ここにある資料は全部逃げのことについて書かれた本だ。だがこれを1冊1冊読むような手間がかかることはしない。お前に今渡した資料のような俺が本の内容をまとめたものを渡す。ここにあるだけじゃなく、今学園に在籍している逃げウマ娘の資料も用意してあるからな、その量は膨大だ。そして肝心のこれからの練習内容だが、これはいつも通りの練習を行う。夏合宿まではな」

 

 

「夏合宿まで……。つまり、それまでは逃げに関しての見識を広めるだけっちゅうことやな?」

 

 

「その通りだ。お前にどんな逃げを取らせるか、それについてはもう考えてあるが、知識を蓄えておくのは悪いことじゃない。その分引き出しが増えるってことだからな」

 

 

 ボクの言葉にトレーナーは頷く。トレーナーが渡そうとしている資料は少し見ただけでもかなりの量がある。これに並行して逃げの練習を行うとなったらボクの負担が大きいと判断したのだろう。だから、まずは逃げの知識を深めるだけに留めておくだけにする。少なくとも夏合宿までは。

 ただ、ボクは1つ気になることがあってトレーナーに質問する。

 

 

「トレーナー。まとめた資料の中にカブラヤオー先輩のはあったりするんか?」

 

 

「……アイツの逃げは参考にならん。逃げの中でも異端中の異端だ。一応用意してあるが」

 

 

 ……まあ、先輩の逃げはある意味異次元の走りだ。あんな走りは先輩ぐらいしかできないだろう。ボクも心肺機能には自信があるが、同じことやったら身体がもつ気がしない。

 少し話が横道に逸れたが、トレーナーが今日の練習内容を説明する。

 

 

「さっきも言った通り、夏合宿まではいつも通りの練習だ。これから練習するぞ。特に宝塚記念以来練習していないからな。今は1秒でも惜しい」

 

 

「せやな。その節はホンマに迷惑を掛けました……」

 

 

「気にするな。これから取り戻していけばいい」

 

 

 そう言って、トレーナーは部屋から出た。ボクもその後を追う。久しぶりの練習は、とても充実しており、気分よく終えることができた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 練習後、帰り支度をしているボクにトレーナーが話しかけてくる。

 

 

「それにしてもテンポイント。俺の秘策のことに関してだが、やけにあっさりと受けいれたな?」

 

 

「ん~?まあ、ちゃんと考えがあるんやろうなとは思うてたから、特に抵抗はなかったで?」

 

 

 確かに最初は驚いたというか肩透かしを食らったような気分になったが、ちゃんとした理由もあっての秘策だった。ボクの強みを最大限生かすための作戦。文句を言うべきところなどない。

 トレーナーは話を続ける。

 

 

「正直言うと、単純な考えだなって言われると思ってたからな。レース終盤に前で走られると追いつけないなら最初っから前で走ればいいじゃん!って言ってるようなもんだからな。俺の秘策」

 

 

「まあ簡単に言えばそうやな」

 

 

「それで本当にトウショウボーイに勝てるのか?ってツッコまれるかとビクビクしてたよ」

 

 

 トレーナーは笑いながらそう告げた。だが、ボクは自信をもってトレーナーに告げる。

 

 

「トレーナーは、ボーイに勝てる思うたからこん秘策をボクに話してくれたんやろ?ボクならできる、そう信じとるからこそ伝えたんやろ?」

 

 

「まあそうだな」

 

 

「やったら、ボクもそれを信じるだけや」

 

 

 トレーナーの信頼に、ボクも信頼で返す。あの日以降決めたことだ。それに、仮にこれで勝てなかったとしてもその時はまたトレーナーと一緒に考えていけばいい。ボクはそう思っていた。

 トレーナーは笑顔を浮かべて、ボクに話しかける。

 

 

「そうか。だったら、お前の信頼を裏切らないように俺も頑張らないとな」

 

 

「それはボクも一緒やでトレーナー。トレーナーの信頼裏切らんように、ボクも頑張らんとな!」

 

 

 そう言って、お互いに笑いあう。復帰初日の練習は、とても充実した日となった。




70話到達。次回は時間が飛んで夏合宿になると思います。


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第64話 夏合宿開始

夏合宿が始まる回。そして招待レースの返事をする。


 秘策のことについて教えてもらってから1ヶ月程経ち、トレセン学園は夏休みへと入った。終業式も昨日終わり、これから夏合宿へと向かおうと思っていた今日。ボクとトレーナーは秋川理事長に招待レースの件の返事をするために理事長室を訪れていた。

 トレーナーが秋川理事長にボクたちが出した結論を話始める。

 

 

「テンポイントとも話し合った結果、今回の招待レースに関しては見送らせていただく方針となりました」

 

 

 トレーナーの言葉に秋川理事長は深く頷いて答える。

 

 

「了承ッ!先方にはそのように伝えておこう!」

 

 

 その言葉にボクとトレーナーは頭を下げる。

 

 

「秋川理事長。ご返事が遅れてしまい申し訳ありませんでした」

 

 

「気にする必要はないッ!神藤トレーナーも、テンポイント君もそれだけ話し合いが長引いたということだろう!きっとお互いの意見をぶつけ合い、納得するまでに相当の時間を要したはず!だから気にする必要はないぞ、神藤トレーナー!テンポイント君!」

 

 

「ありがとうございます、秋川理事長」

 

 

「それに……。2人とも随分と良い顔をするようになった。憑き物が落ちたような表情をしている!きっと悩み事が晴れたのだろう!嬉しく思うぞ!」

 

 

 秋川理事長はそう言った。ボクはその言葉に嬉しさと恥ずかしさを覚える。どうやらトレーナーも同じ気持ちだったのか頬を掻いていた。

 報告も終わったということでボクとトレーナーは退室する。退室した後、ボクはトレーナーに話しかけた。

 

 

「報告も終わったことやし、合宿に行こかトレーナー」

 

 

「そうだな。早速向かうとしよう」

 

 

 ボクたちは理事長室を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トレーナーの車で合宿所へと向かっている最中、ボクはトレーナーから渡された逃げに関する資料に目を通していた。一応、この1ヶ月の間で一通り目を通してはいるが念のためだ。

 しかし、途中資料から目を離して外の景色を覗いてみるとトレセン学園の合宿所へ向かう道でないことに気づいた。ボクはそのことをトレーナーに尋ねる。

 

 

「なぁトレーナー。どこ向かっとるん?合宿所への道ちゃうよなこん道」

 

 

「ん?あぁそうだな。今回行く合宿所はトレセン学園の合宿所じゃない」

 

 

 トレーナーはそう答える。ならばどこに向かっているのかと質問するとトレーナーは、

 

 

「俺たちが今向かっているのは箱根だ。俺の父親の知り合いが旅館を経営していてな。合宿中はそこでお世話になる予定だ」

 

 

と答えた。箱根といえば日本でも有数のリゾート地である。遊びに行くわけじゃないのだが、ボクの気分は高揚する。

 そのまま車を走らせている最中、トレーナーはボクに確認するように話しかけてきた。

 

 

「テンポイント、俺が渡した資料は全部頭に入れてきたか?」

 

 

「もち、ちゃんと頭に叩き込んであるで」

 

 

「そうか。だったらここでお前に取らせようと思っている逃げについて話そう。合宿所に着いたらすぐに練習に入る予定だからな。今済ませておく」

 

 

 トレーナーの言葉にボクは了承の返事をする。その言葉にトレーナーは頷いた後、話を続けた。

 

 

「まず、ひとえに逃げと言っても様々な種類がある。正確なラップタイムを刻んで走る逃げ、先頭を取ってペースを握り後方のウマ娘たちを惑わす逃げ、最初っから全力で飛ばして他を置き去りにする逃げ等が挙げられるな。だが、大別すると逃げは2種類に絞られる」

 

 

「大逃げと溜め逃げやな」

 

 

「そうだ。お前に取ってもらおうと考えているのは溜め逃げ。後方のウマ娘たちを突き放す逃げではなく、あくまで先頭に立つことを重きを置いた逃げだな」

 

 

 トレーナーがボクに取らせようとしているのは溜め逃げ。だが、これはボクにも想像がついた。何故なら、ボクの勝負根性を活かすのであれば溜め逃げの方が都合がいいからである。

 大逃げは後続を突き放すという関係上、道中1人旅になることが多い。ペース配分やレースの展開によって左右されることが多いのと、単純に1人旅がボクに合わないと考えていた。トレーナーもそのことについて話始める。

 

 

「お前の強さを発揮するためには大逃げは向かないだろう。大逃げは1人旅になることが多い。お前の強みを最大限に活かすことはできない。それに今から大逃げに矯正するよりも、先行に近い溜め逃げの方が今までの走りの経験を活かすことができるし、何よりお前の強みを最大限活かすことができる。競り合いになればお前は負けない、それだけのポテンシャルがある」

 

 

 そう、溜め逃げならば、トレーナーが言ったボクの最大の武器である勝負根性を活かすことができる。それに先行気味に立ち回れるため、今までの経験も無駄にはならない。だから、トレーナーがボクに取らせようとしている逃げはこちらだろうとある程度予測はできていた。

 次にトレーナーは細かい作戦について話始める。

 

 

「次は主にどういったレースを展開するかだ。結論を先に言うとお前には何が何でも先頭に立って走る……なんて展開を取らせるつもりはない。今までよりも前で走ることを意識してもらう」

 

 

「今までよりも前で走る……」

 

 

「そうだ。こうして言葉にすると結構単純だろ?」

 

 

「せやな。やけど、事はそう簡単にいかへん……ってことやろ?」

 

 

 トレーナーは頷く。

 

 

「今までと戦法を変えるってことはペース配分から何までその走りに合わせないといけないってことになる。それは簡単なことじゃない。大幅に変えるわけではないとはいえ、な」

 

 

 トレーナーの横顔を見ると苦笑いを浮かべていた。そのまま言葉を続ける。

 

 

「だが、お前なら問題なくできると思っている。そのためにこれまで逃げの知識を蓄えてもらったからな」

 

 

「せやな。おかげで今逃げで走れ言われてもできる自信あるで」

 

 

 ボクは胸を張って答える。トレーナーはボクの言葉に笑顔を浮かべていた。

 

 

「ま、今回の合宿はお前の長所を伸ばすのと身体の筋肉を鍛えるための練習を重点的に行っていく予定だ。スピードは元々抜きんでているし、スタミナも3200mの天皇賞を勝てたから問題はないだろう。今更そっち方面を鍛えても仕方がないと考えている」

 

 

「ボクの長所……、根性?」

 

 

「まあ、そうだな。実際どんな練習をするからは合宿所に荷物を置いてからだ。もうそろそろ着くぞ」

 

 

 会話をしていて気づかなかったが、いつの間にか合宿所の近くまで来ていたらしい。ボクは降りる準備をする。合宿所は古き良き日本の和風旅館といった感じだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 旅館に荷物を置いて、トレーナーに軽トラックに乗るよう促される。後ろの荷台には何か載っていることが分かったのだが、カバーがしてあって何が載っているのかまでは分からない。軽トラに揺られてボクたちが来たのは、熱海峠と呼ばれる場所だった。

 トレーナーが運転席から降りたのでボクも助手席から降りる。トレーナーはボクにトレーニングの内容を指示し始める。

 

 

「さて、お前に取ってもらおうと思っている練習だが……。まあここに来た時点で大体想像はつくだろう。この坂を走ってもらう」

 

 

「結構急な坂やな……。やけどそんぐらいやったら軽くいけそうや」

 

 

「まあ走るといってもお前の脚で走るわけじゃない」

 

 

 トレーナーの言葉にボクは疑問符を浮かべる。その疑問をトレーナーにぶつけた。

 

 

「ボクの脚で走るわけやない?やったら何で走るんや?」

 

 

「それは……コイツだ」

 

 

 そう言ってトレーナーは軽トラの荷台のカバーを外す。中から現れたのは……。

 

 

「……自転車?」

 

 

「そ。コイツでこの坂道を登ってもらう」

 

 

 中から現れたのは自転車だった。まあ確かに普通に走るよりもキツいだろう。だがそれでもボクなら問題なくいけるはずだ。

 そう考えているとトレーナーがボクに呼びかける。

 

 

「そうだテンポイント。これを渡しておく」

 

 

「なんや?……ッて重!?アンクルウェイトかこれ?」

 

 

 トレーナーがボクを呼んであるものを渡してくる。それはアンクルウェイトだった。トレーナーはそれをボクの脚につけるように言ってくる。

 アンクルウェイトを脚に巻きつけ終わった後、トレーナーは軽トラに乗ってボクに話しかけてきた。

 

 

「ただ走って登るだけもつまらないし、自転車で楽しく登ろうぜ」

 

 

 トレーナーはそう言っているが、間違いなく楽しくはならないだろう。自転車で坂道を登るのは走るよりもキツいし、何よりアンクルウェイトもあるのでかかる負荷はほぼ倍になると考えていいだろう。

 ボクは自転車に乗り、ヘルメットを着けて準備をする。準備が整ったところで、ボクは自転車を漕ぎ始める。とりあえず、走破することを目標に掲げながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 走破することを目標に、そんな甘い考えはすぐに消え去った。ボクは心の中で悪態をつく。

 

 

(クソッ!思うたよりもキツい……ッ!こん自転車……ッ、ゴリッゴリに改造しとるな!?)

 

 

 普通の自転車よりもペダルを漕ぐための力が倍以上必要なくらい重い。一番軽いギアでこれなのだからこれから段階的に上がっていくことを考えるとゾッとする。

 だが、悪態をついたりこれから待ち受けることについて考えても仕方がない。今はペダルを必死に漕ぐことだけを考えてボクは自転車で走り続ける。後ろからはトレーナーが軽トラでボクのことを追跡している。時折応援の声が聞こえてくるが、正直、頭の中には入ってこない。

 そのまま何とか漕ぎ続けていたが、やがて限界が来た。

 

 

(アカン……ッ!もう限界や……ッ!)

 

 

 自転車ごと倒れるのを防ぐため、片足をついて休憩を取る。ボクは息も絶え絶えになっていた。肩で息をする。後ろではトレーナーが距離を計測しているのか周りを見渡していた。

 

 

「ふむ、まあ最初だからこんなものか……。よし、じゃあテンポイント」

 

 

「ハァ……、ハァ……。なんや?」

 

 

「下まで降りるぞ。自転車を荷台に乗せて助手席に乗ってくれ」

 

 

「……は?」

 

 

 トレーナーが発した言葉にボクは言葉を失う。聞こえてはいたが脳が理解することを拒んだ。そんなボクのことを尻目にトレーナーは涼しい顔で告げる。

 

 

「大丈夫か?テンポイント。休憩を取ったらもう一度さっきの場所まで戻るぞ。最初から登ってもらう」

 

 

「……嘘やろッ!?」

 

 

 まさか、また一から登り始めろとでも言うのだろうか?この坂道を?その言葉にボクは愕然とした。

 しかし、トレーナーは首を横に振って答える。

 

 

「嘘じゃない。それにテンポイント、俺がこの練習を始める前に言ったことを思い出せ」

 

 

「……言うとったこと?コイツで坂道登ってもらうしか言うてへん気がするけど……ッ!て、まさか!?」

 

 

 ボクの考えていることが合っているのであれば本気で言っているのだろうか?もし合っていた場合、今日中の走破など絶対に無理だ。ボクは予想が外れていることを祈る。

 しかし、トレーナーが告げた一言はボクの予想通りのことだった。

 

 

「テンポイント、俺は坂道を登ってもらうといったが、途中で休んでいいとは言っていないぞ」

 

 

「……本気で言うとるんかソレ」

 

 

「本気だ」

 

 

 つまりトレーナーは、この魔改造が施された自転車で、アンクルウェイトを着けながら、この熱海峠から箱根峠までの道のりを走れとでも言うのだろうか?休憩なしで。

 ただでさえキツい道のりを休憩なしで重りを着けながら走破しろなど無茶にもほどがある。抗議したい気持ちも出てきた。だが、それ以上にボクはある感情に支配される。

 

 

「上等や……ッ!絶対に走破したる……ッ!」

 

 

「その意気だ、テンポイント」

 

 

 その無茶を絶対にやり遂げてやる、このまま負けを認めたくないという気持ちだ。それに、トレーナーとて無茶だとは思っていないはずだ。そう考えながらボクは軽トラの荷台に自転車を載せて助手席に乗る。そしてまた一から登り始めた。

 夏合宿初日、峠を走破することは叶わなかった。しかし、まだまだ始まったばかり。これからである。




Mr.FULLSWINGとアイシールド21は特に大好きな漫画です。


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第65話 合宿は始まったばかり

合宿2日目回


 目覚ましの音でボクは目を覚ます。一瞬、見慣れない景色に戸惑ったがすぐに夏合宿で旅館に泊まりに来ていたことを思い出して落ち着きを取り戻した。布団から出て顔を洗うために洗面台へと向かう。顔を洗いながら、昨日のことを思い出していた。

 あれから何度もトライしたが結局熱海峠を越えることすら叶わずその日を追えた。日が落ちてきたということで練習を終え、旅館に着いたボクを待っていたのは大量の料理。トレーナー曰く、

 

 

『食うのも練習だ。夏合宿はまだ始まったばかり、しっかり食って体力をつけておけ』

 

 

らしい。疲れで食欲は落ちていたが、何とか完食することはできた。その後は旅館の温泉に入り、ゆっくりと寛いだ後はトレーナーの部屋で勉強をした。その後22時にはその勉強も終わり自分の部屋へと案内される。部屋に案内された後、ボクはすぐさま布団に入り眠りについた。あそこまで早く眠れたのは生まれて初めてかもしれない。

 その後、朝食を取り終わりトレーナーとの待ち合わせ時間も近づいてきたので集合場所へと急ぐ。集合場所にはすでにトレーナーが立っていた。向こうもこちらに気づいたのかボクに挨拶をしてくる。

 

 

「おはようテンポイント。昨日はぐっすり眠れたか?」

 

 

「おはようさんトレーナー。お陰様でぐっすりや」

 

 

 少し皮肉を込めながらボクは挨拶を返す。トレーナーは皮肉で言ったことに気づいたのか少し苦笑いを浮かべていた。

 その後、トレーナーは今日の予定について話始める。

 

 

「さて、今日の練習メニューだが。朝は昨日と一緒だ。ヒルクライムをしてもらう」

 

 

「朝っぱらからアレかいな……」

 

 

「昼はまた別のメニューがあるからな。それにこれからは朝はずっとヒルクライムをやるぞ」

 

 

「毎朝ぁ!?」

 

 

 冗談であってくれと思いながらそう言ったが、トレーナーの顔を見る限り本気のようである。少し憂鬱になりながらも走破できなかった悔しさを思い出して持ち直す。

 軽トラに乗り込んで昨日と同じ場所へと辿り着く。ボクは自転車に跨って昨日と同じように走る。走破してトレーナーの驚いた顔を見るために必死でペダルを漕いでいた。

 走り始めて小一時間後……。

 

 

「アカン……吐きそう……」

 

 

「大丈夫かー?まあでも昨日よりは進んでるな。着実に前にいけてるぞ」

 

 

「嬉しさよりもキツさの方が先出るわ……」

 

 

 現実はそんなに甘くなく、いまだに熱海峠すら超えることすらできなかったが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝の練習は本当にコレだけであったため、早めに切り上げて旅館で昼食を取る。昼食を取りながらトレーナーはこの後の予定をボクに伝え始める。

 

 

「さて、この後のトレーニングだが」

 

 

「何するんや?」

 

 

「今日は他のウマ娘の子たちと一緒に走ってもらう」

 

 

 どうやら併走トレーニングらしい。しかし、絶対にただの併走トレーニングではないだろう。ボクは何を言われても驚かないように身構えておく。トレーナーが言葉を続ける。

 

 

「グラウンドはここから少し離れているからこの後車で移動するぞ」

 

 

「良かったわ。自転車で移動してこいとか言われんで」

 

 

「別にそれでもいいぞ」

 

 

「勘弁してくれ……どこにあるかも分からんのに」

 

 

 げんなりしながらそう答える。トレーナーは苦笑いを浮かべていた。

 昼食を取り終わり、グラウンドまで車で移動する。グラウンドに着くと、すでに何人かのウマ娘とトレーナーが集まっていた。人数的には10人ちょっとだろうか?20人はいなさそうだ。しかし、その顔は見覚えのない子たちばかりである。少なくとも一緒に走ったことはない。

 少し戸惑っているボクを尻目にトレーナーは彼女たちに挨拶をしに行った。

 

 

「ようみんな。今日は集まってもらって悪かったな」

 

 

 ボクのトレーナーがそう言うと、他のトレーナーたちは感謝の言葉を言っていた。

 

 

「いやいや、こっちとしても嬉しい限りだよ」

 

 

「いやぁ、別の形で返してくれとは言ったが、最高の形で返してくれたな」

 

 

「今日はよろしく頼むぜ、神藤」

 

 

 どうやら親しい仲らしい。お互いに砕けた口調で話している。そう思っていると、ウマ娘の子たちがボクに興奮気味に話しかけてきた。

 

 

「あ、あの!テンポイント先輩……ですよね!?」

 

 

「うん。そうやけど」

 

 

「うわぁ……!本物だぁ……!」

 

 

 そう言って感激している子が多い。話を聞いていると、どうやらメイクデビューもまだの子がほとんどらしい。成程、ならば顔を見たことがないというのは当然だろう。

 ウマ娘の子たちと会話をしていると、トレーナーがボクの方へと歩いてきた。そしてトレーニングの内容について説明し始める。

 

 

「さて、テンポイント。午後のトレーニングだが大体察しはついているだろう。この子たちと併走をしてもらう」

 

 

「……う~ん。やけど大丈夫なんか?この子たちと併走しても」

 

 

 あまりこう言いたくはないが、シニア級で走っているボクとメイクデビューもまだの子がほとんど、一緒に走って練習になるのだろうか?そう考えるとハイセイコー先輩は良くボクと走ってくれたものである。

 しかし、トレーナーは悪い笑みを浮かべていた。絶対になんかある。そう思いながらボクは身構える。

 

 

「勿論、普通に走らせてもらえる……なんて考えてないよな?お前にはこれを着けて走ってもらう」

 

 

 トレーナーが取り出したのは、朝のヒルクライムでも使っていたアンクルウェイト。そしてシューズだった。いつもボクが使っているものと同じものだ。ボクはそのシューズを受け取る……が。

 

 

「おっも!?何キロあんねんコレ!?」

 

 

 予想外の重さに驚いて落としそうになった。何とか持ち直しつつも結構な重さを感じている。これを着けて走るとなると相当の負荷がかかりそうだ。加えて重りもある。

 そのままトレーナーは説明に入る。他の子たちも一緒に聞いている。

 

 

「今回このグラウンドを使ってキミたちはテンポイントと一緒に走ってもらう。ただし、テンポイントは負荷をかけた状態でだ。方式は1400mの距離での模擬レース、五人立て。それぞれのコーナーには目印として各トレーナーに立ってもらっている。ここまでは大丈夫か?」

 

 

「「「はい!」」」

 

 

「よし、いい返事だな。じゃあみんな、位置についてくれ!」

 

 

 そう言ってボク以外の子はスタート位置に着いた。ボクも向かおうとするとトレーナーが制止する。

 

 

「あぁ待てテンポイント。お前にはまだ話すことがある」

 

 

「なんや?」

 

 

「今回走るのはただの模擬レースではない。お前にはある条件もつける。その条件を達成できなかった場合、その度にペナルティが課せられる」

 

 

「ペナルティ?それも気になるけど条件ってなんや?」

 

 

「簡単だ。お前が先頭で走り続けること。一度も前を譲ることなく走り続けることが条件だ。ペナルティは……アンクルウェイトの重りがどんどん追加されていく」

 

 

「なんやそんだけか。やったら余裕やな」

 

 

 ボクはそう言ってほくそ笑む。ただずっと先頭を走り続けるだけだったら楽勝だ。どんなキツい条件を課せられるかと思って身構えたが、これなら安心できるだろう。

 話はそれだけだったようでトレーナーは自分の持ち場へと戻っていった。そして所定の位置に着いてボクはスタートの構えを取る。

 

 

「みんな準備はいいな?それじゃ、よーい……スタート!」

 

 

 トレーナーの合図で全員が一斉に走り出す。午後のトレーニングが始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 先頭を走り続けるだけだから楽勝。そんなことを考えていた過去の自分をぶん殴ってやりたい。ボクは今そう思いながら模擬レースを続けている。

 もっと疑ってかかるべきだった。あんなヒルクライムを提案してくるトレーナーなのだから普通に模擬レースをするわけがない。ほとんどがトゥインクルシリーズ未出走の子たちと走るのだからもっと何かあるはずだ。そう疑うべきだった。

 この模擬レース、単純にボクの走る感覚が半端じゃなく短い。1回走ったら少し休憩を取って息が整ったらすぐに次……といったように走っている。それに対して、他の子たちは4人グループでローテーションして走っているので、ボクよりも大分休憩を取りながら走っているのだ。

 加えて、このシューズである。

 

 

(普段のシューズと違って重いからいつも以上に筋肉使う……ッ!舐めてかかっとったたわ……!)

 

 

 普段使いのシューズと同じものではあるが、中に重りでもあるのか重量が違う。いつも通り走っていたらかなりのスタミナを削られた。そのため、今はかなりキツい状況である。だが、ペナルティのことを考えたら先頭を譲るわけにはいかない。これ以上にキツくなるのは御免だ。

 すでに何本走ったのか分からない。何本か走った後に大きな休憩を取っているが、それでも数えるのを止めた。

 そして、ついに限界を迎えたのか一瞬速度を緩めてしまう。その瞬間、ボクは抜かれてしまった。

 

 

(しもうた!?)

 

 

 そう思ったが、何とか走るペースを上げて抜き返す。そのままゴールしたが、トレーナーがこちらへと近づいてきた。そしてぼくに告げる。

 

 

「さて。途中で抜かれたな?」

 

 

「……はい」

 

 

「ペナルティだ。重りの重量を増やすぞ」

 

 

 そう言って、重量を追加してきた。さすがに劇的に変化するわけではないが、これで今まで以上にキツくなることはボクにも分かっている。だが、次は抜かれなければいいだけだ。そう思い走る準備を整える。

 だが、その後のボクは散々だった。さすがに疲れが出始め途中で抜かれることが多くなる。それでも最後には抜き返して先頭でゴールを駆け抜けることはできたが、それでは意味がない。トレーナーが提示した条件は最後まで先頭で走り続けること。途中で抜かれたら容赦なく重りを増やされていくのである。

 空が夕焼けに染まり始めた頃。トレーナーが大きな声でボクらに集合するよう呼びかける。

 

 

「よーし!最後の1本は全員で走るぞ!位置に着けー!」

 

 

 その言葉で全員が位置に着く。ボクも位置に着いてスタートの構えを取る。

 

 

「……スタート!」

 

 

 合図とともに一斉に走り出す。ボクは最初から先頭に立ってレースを進める。

 だが、ボクの走りはいつもの走りよりも遅い。結構な量の重りが追加されているので、いつもの速さが制限されている。疲れもあるのでペースも落ちている。先頭で走ることこそできているが、これだとじきに抜かれるだろう。

 だが、それでも抜かされるのは嫌だ。ボクは残っている力を振り絞って走り続ける。なんとか最後の1本を抜かされることなく走り抜けることができた。

 ボクが肩で息をしていると、続々と他の子たちがゴールしてくる。トレーナー達がそれぞれの担当の子に労いの言葉をかけていた。ボクも自分のトレーナーから労いの言葉をもらう。我ながら単純な気がするが、疲れが取れた気がした。

 そこからしばらくして、他の子たちは今回の練習についての感謝を述べて帰っていった。ボクとトレーナーだけがグラウンドに残る。トレーナーがボクに話しかけてくる。

 

 

「思ったよりもキツいだろ?重りを着けて走るのは」

 

 

「せやな……。いつもんペースで飛ばしたせいで後半はペナルティ祭りやったわ……」

 

 

「それは次からの課題だな。次といっても1週間後になるが」

 

 

 1週間。つまり毎日やるわけではないということらしい。毎日やらないことに安堵すればいいのか、1週間後にはまた同じことをやることに憂鬱になればいいのか、感情が迷子になった。

 重りを全て外し、元の靴に履き替える。あまりの軽さに感嘆の声が漏れた。その後、トレーナーの車に乗って旅館へと戻る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 旅館に戻って夕飯を取りお風呂に入った後、トレーナーの部屋を訪れた。昨日のように勉強をするためだ。しかし、どうやらトレーナーの考えは違ったようである。部屋に入ったボクにトレーナーが告げる。

 

 

「さて、テンポイント。マッサージをするから横になってくれ」

 

 

「……セクハラ?」

 

 

「違うわ!」

 

 

 コントを挟みながらもボクは横になる。少し不安な気持ちになりながらトレーナーに質問した。

 

 

「トレーナー整体ってやったことあるんか?見たことないんやけど」

 

 

「安心してくれ。本職の人にお墨付きを貰えるぐらいには自信がある」

 

 

「いつの間にもろうたんや……。っちゅうかホンマに多才やな」

 

 

 そう言いながらも、ボクはトレーナーのマッサージを受けた。

 結論から言うと、

 

 

「あぁ~……。気持ちええ~。こんまま寝てしまいそうやわ~」

 

 

「もし寝たら部屋まで運んでやるよ」

 

 

「それもええかもしれんなぁ……。お姫様抱っこで頼むわ~」

 

 

トレーナーのマッサージはかなり上手だった。思わずだらけた声を出してしまう。そのままトレーナーのマッサージを小一時間受けていた。

 マッサージが終わった後、ボクはトレーナーに就寝するように促される。マッサージの件にお礼を言いつつボクは自分の部屋に戻って布団へと潜った。

 寝る直前に思い浮かんだのは今日のマッサージのこと。

 

 

(……毎日やってくれって頼んだらやってくれへんかな?)

 

 

 毎日頼みたいぐらいには疲れも取れて気分も楽になった。明日頼んでみてもいいかもしれない。そんなことを思いながらボクは眠りについた。




なけなしの石を貯めてコパノリッキーが当たりました。今日の午後、チケゾーの衣装違い☆3が発表されましたね。泣きました。


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第66話 着実に前に

合宿はまだまだ続くよ回


 合宿が始まって数週間ほどが経った朝、ボクは合宿所として利用している旅館で目を覚ます。もう景色も見慣れたものだ。いつものように顔を洗い、日課である新聞を読んだ後、朝食をいただいて身支度を済ませる。身支度が済んだ後はロビーへと向かい、トレーナーと合流。お互いに挨拶を交わす。

 

 

「おはようテンポイント。じゃ、今日も早速やろうか」

 

 

「おはようさんトレーナー。せやな、今日も頑張るわ」

 

 

 挨拶を交わした後、トレーナーが運転する軽トラの助手席に乗って熱海峠へと向かう。

 熱海峠に着いたら軽トラの荷台に乗せてある自転車を降ろして、ヘルメットを装着し走らせる準備をする。全ての準備が終わってので、ボクは自転車を漕ぎ始める。

 このヒルクライムも、最初は熱海峠を越えることすらできなかったがすでに一番軽いギアでの走破は成し遂げており、今は6段階中4段階目のギアまで上げている。それでもすでに湯河原峠の入り口まで来ているので走破するのも時間の問題だ。

 

 

(それに、最初こそ、キツう思うてたけど、慣れると、そうでもないやんな!)

 

 

 そう思いながら、ボクは自転車で峠を快調に飛ばしていく。疲れもそこまでない。この分なら楽勝だろう。

 今日の朝のトレーニングが終わりそうな時間、ボクはギア4でのヒルクライムに成功した。ガッツポーズをして喜ぶ。

 

 

「ッしゃあ!今日でギア4走破や!これで後はギア5とギア6やな!」

 

 

「いいペースだなテンポイント。これなら次のレースまでには最大ギアでの走破は問題なさそうだな」

 

 

 軽トラを運転してボクを後ろから追跡していたトレーナーが合流してボクにそう告げながらタオルを渡してくる。ボクはタオルを受け取り、汗を拭きながらトレーナーに笑顔でピースサインを向ける。トレーナーはそれにサムズアップで答えた。

 軽トラに自転車を載せて旅館へと帰る道中、ボクはトレーナーに今日の午後のトレーニングについて確認する。

 

 

「トレーナー。今日の午後は何するんや?プールか?併走か?それともジムで筋トレか?」

 

 

「そうだな……。今日はジムでの筋トレの日だな。昼食取り終わったらトレーニングジムに向かうぞ」

 

 

「ん、了解や」

 

 

 どうやら今日はジムでのトレーニングらしい。ボクは了承する。

 この夏合宿、午前中はヒルクライムで固定されているが午後のトレーニングは日によって変わっていた。合宿初日は時間がなかったのでヒルクライムのみにとどまったが、2日目は併走トレーニングをしていた。その次の日はトレーニングジムで上半身を中心に鍛え、そのまた次の日はプールでのスタミナと筋肉のトレーニング、その次の日はまたジムでのトレーニング……といったように交互にトレーニングを行っていた。そこに1週間に1回ずつ、あの併走トレーニングと午後のトレーニングが丸々休みの日が入る形である。

 丸々休みの日といっても、その日は基本的に勉強の時間となっている。レースの座学、逃げのための勉強、学園の課題などを主に取り組んでいた。お陰様で、逃げに対する知識はかなり蓄えることができたと自負している。この合宿、かなり順調に進んでいることにボクは1人ほくそ笑んだ。

 だが、すぐに気合を入れなおす。順調にいっているからといって満足するわけにはいかない。少しの油断が敗北に繋がる。だからこそ最後まで気を抜かないように気をつけなければならない。

 そう考えていると、いつの間にか旅館に着いていた。ボクは助手席から降りてトレーナーとともに昼食を取りに向かう。ギア4での走破を達成した喜びからか、ボクの足取りは軽かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昼食を取り終わって今度は車でジムへと向かった。ジムに着いたら軽くストレッチをして早速トレーニングを始める。まずは手始めに器具を使わないトレーニングから。腕立て伏せの体勢を取って、トレーナーの合図とともに始める。

 

 

「いち……ッ!にぃ……ッ!っさん……ッ!」

 

 

「いいか?数をこなすことを考えるな。正しいフォームを意識して負荷をかけるイメージだ」

 

 

「りょう……、かい……!ごぉ……ッ!」

 

 

 基本的な腕立て・腹筋・プランクをしていく。それぞれ腕立てと腹筋は10回を3セット、プランクは20秒を3セットだ。本命はこの後控えているので、数自体はそこまででもない。ただ、最初の方は正しいフォームで時間をかけてやっていたのでかなりキツかったことを思い出す。しかし、ボクはすぐにトレーニングの方へと意識を向ける。

 そして、プランクが3セット終わったところで長めの休憩を取る。タオルで汗を拭いているとトレーナーが今日やる予定のメニューを説明する。

 

 

「……と、まあこんな感じだ。何か質問はあるか?」

 

 

「いや、大丈夫や。もうちょい休憩取ったらさっそく始めよか」

 

 

「分かった」

 

 

 トレーナーの組んだメニューに異論はなかったのでそのことをトレーナーに伝えてボクは休憩を取る。

 合宿の初日からトレーナーが組んだメニューをしていたのだが、これが驚くほどボクに合っていた。ボクの足りないもの、重点的に鍛える箇所をしっかりと分析したうえで最適な数のトレーニングをこなせるように組んである。あまりにも凄かったのでトレーナーにその喜びを伝えながらどうやってこのメニューを考えたのかを聞くと、トレーナーはこう答えた。

 

 

『ここのジムの人に教えてもらいながら……な。俺1人の力で組んだわけじゃないが、そんなに喜んでもらえたのなら本望だ』

 

 

 どうやらここのジムの人に教えてもらいながら作成したメニューらしい。それでも、ボクのために一生懸命考えてくれたのだと思うと嬉しくなる。

 そんなことを思い出したが、そろそろ時間なので休憩を切り上げてトレーニングへと移る。まずはベンチプレスから始める。それなりの重量はあるバーベルをボクは数を数えながら持ち上げる。横ではトレーナーがアドバイスをしながら応援していた。

 

 

「さ……んッ!しぃ……いッ!」

 

 

「腕だけで持ち上げようとするなよ!背中や胸、様々な部位を使って持ち上げることを意識しろ!」

 

 

「しぃ……ちッ!はっ……ちッ!」

 

 

「いいぞ!そのまま残り半分だ!」

 

 

 ベンチプレスは1セット15回、それを3セット。普段やっている練習だったら楽勝な量だが、今回は合宿ということでボクが持ち上げられる限界ギリギリの重さのバーベルを用意されている。なので持ち上げるのも一苦労だ。気合を入れて持ち上げている。全てはレースで勝つために、今やっているトレーニングも必ず力になる。その一心で続ける。

 ベンチプレスを3セット終えてしばらく休憩を取って次に向かう。次にボクはベンチに腰掛けて、両手にダンベルを持つ。このダンベルも持ち上げられる限界ギリギリの重さだ。そのダンベルを担ぐようにして持ち上げる。そのまま、腕を上に伸ばしてダンベルを持ち上げる。これが結構キツい。肘を伸ばしきるのではなく、伸ばしきる直前で止める必要がある。そうしなければ効果が薄れてしまうからだ。肘を伸ばしきらないように気をつけながらボクはダンベルを上に持ち上げてはまた担ぐような体勢に戻す。これをベンチプレスと同じ数繰り返す。

 その後も、主に上半身の筋肉を使うことを意識した筋トレを続けていった。やり過ぎないように、数をこなすよりも負荷をかけることを意識するようにしっかりとトレーニングを行う。最後のトレーニングを終えたところで、トレーナーがボクに告げる。

 

 

「よし!今日のトレーニングは終わりだ!クールダウンして旅館に戻るぞ、テンポイント」

 

 

「ハァ……、ハァ……ッ!りょう……かい……や!」

 

 

 ボクは肩で息をしながらトレーナーの言葉に返事をする。数が少ないとはいえ、正しいフォームを意識しつつ、負荷をかけてトレーニングをやっていると思いの外体力を消費する。それに13時から日が沈みかける時間までみっちりとやっているのだから余計に。そう考えながらボクはクールダウンをする。

 クールダウンが終わった後は、帰り支度を済ませてトレーナーの車で旅館に帰る。勿論、この後もやるべきことは残っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 旅館に帰ってまずやることは夕食を取ること。トレーナーが旅館の人に頼んでボク専用のメニューを組んでもらっている。合宿が始まって数日は疲れで食欲不振になり無理矢理押し込んでいたが、今は食欲不振になることはなくむしろ足りないと感じておかわりを頼むまでになっていた。我ながらトレーニングでも食事でも成長を実感している。

 食事を取り終わった後は旅館にある温泉に入る。温泉につかると、疲れが取れていくことを実感する。思わず声が出た。

 

 

「あぁ~……。初日からずぅっと入っとるけど、ホンマにええなぁ……ここの温泉……」

 

 

 今度グラスに教えてやろう。まあ向こうはもうこの場所を知っているかもしれないが。そんなことを思いながらボクは温泉でのんびり過ごす。時折サウナと水風呂を行き来しながらボクは今日の疲れを癒していた。

 温泉から上がったボクを待っているのはトレーナーからのマッサージである。2日目の後、毎日やってもらえないかとお願いしたところ、トレーナーは快諾してくれた。温泉に加えてマッサージもしているのだから寝る頃には1日の疲れは取れているといっても過言ではない。

 トレーナーからのマッサージを施された後、少しだけ勉強会をやる。とは言ってもこれは休みの日にやっている勉強の復習みたいなものだ。特に苦戦することなく黙々と課題を進めていく。

 そして21時を回った頃、トレーナーがボクに告げる。

 

 

「そろそろだな。部屋に戻ってゆっくり休んでくれ」

 

 

「ん?もうそんな時間か。ほなトレーナー、また明日やな」

 

 

「あぁテンポイント。また明日」

 

 

 お互いに別れの挨拶をしてボクは部屋から出て自分の部屋へと向かう。

 そして自分の部屋に戻った後、ボクは歯を磨いて軽めのストレッチをする。それが終わった後はメッセージが来ていないかの確認をする。あの宝塚記念以降、ボクは頻繁にメッセージを確認するようになった。理由は単純で、あの一件でボクは周りの人に多大な迷惑を掛けたからである。なので、練習中に確認ができない代わりに、1日の終わりである寝る前にしっかりと確認して返信を返すようにするようにしている。

 

 

「誰からも連絡なし……。やったら、もう寝るか」

 

 

 誰からも特に連絡が来ていないことを確認してボクは消灯して寝る。すぐに眠りについた。

 こうしてまた、ボクの合宿の1日が終わる。




衣装違いチケゾー……衣装違いチケゾーが欲しい……。でも石がなければ金もない……。


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第67話 2人の逃げウマ娘

とある2人とトレーニングする回


 8月も終わりを迎え、もうすでに9月の半ば。ボクは変わらず箱根で練習をしている。本来であれば学園が始まっているので切り上げて戻るべきだ。しかし、トレーナーは次のレースに出走するギリギリまで合宿を行うと宣言した。

 思えば、合宿に入る前に学園側に休みの申請していたのはそのためだったのだろう。宝塚記念でのことがあったから許可が下りるか少し不安だったのだが、ボクの普段の授業態度と成績から特に問題なく許可が下りた。ただし、休んでいる分の課題をしっかりとやることを条件に出されている。学習の時間はその課題の時間に充てるようになった。

 そしてボクは今、朝のトレーニングであるヒルクライムをしている。後ろを軽トラで走行しているトレーナーの声援を受けながらボクは自転車を必死に漕ぐ。

 

 

「ハァ……ハァ……!」

 

 

 現在地点は十国峠の中間、湯河原峠からゴールの箱根峠まではここと比べて比較的楽なこともあり十国峠を越えればほぼ走破したも同然だ。気合を入れて自転車を漕ぎ続ける。

 しかし、結局その日は6段階目のギアで走破することはできなかった。悔しく思ったが、湯河原峠の入り口までは来たのですぐにでもゴールまで走り抜けることはできるだろう。そう気持ちを切り替える。

 トレーナーがボクに労いの言葉をかけてきた。

 

 

「お疲れ様テンポイント。今日は走破できなかったが……、この分だと明日にでも走破できそうだな」

 

 

「あんがとトレーナー。もう最後のギアやけど、これ走破し終わったらどうするんや?」

 

 

「特にギアを増やすってことはしない。6段階目のギアでずっと走ってもらう」

 

 

「そうなん?やったら、明日は一層気合入れて頑張らんとな~っ!」

 

 

 ボクは伸びをしながらそう答える。そしてトレーナーの軽トラに自転車を載せてボク自身も助手席に乗り、旅館へと戻る。

 昼食を取り終わった後は午後のトレーニングについてトレーナーに聞く。

 

 

「トレーナー。午後はどうするん?今までのローテ的にはプールトレーニングやけど」

 

 

「そうだな……だが、今日はちょっと予定を変更して併走トレーニングをしてもらう」

 

 

「併走?」

 

 

「そうだ。今日ぐらいしか先方の予定が合わなくてな」

 

 

「ふ~ん。まあ了解や。併走やな?」

 

 

 ボクの言葉にトレーナーは頷く。併走トレーニングということでボクはトレーナーの車に乗ってグラウンドへと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 車に揺られて少し経った後。併走でいつも使っているグラウンドへと到着した。ボクは車から降りる。グラウンドにはすでに人影があった。だが、その人数は随分と少ない、いや、少なすぎる。

 

 

(いつもはトレーナー含めて20人はおったのに……。今日は2人?)

 

 

 違和感を覚えながらもボクはグラウンドへと歩みを進める。

 近づくにつれて、その人物たちの姿を確認できた。その姿を見てボクは腰が抜けそうになった。まさか過ぎる人たちがこの場に来ているのである。こちらに気づいたのか、向こうが話しかけてきた。

 

 

「来たか、テンポイント」

 

 

「おおおお久しぶりですぅ。て、て、て……やっぱり無理ぃぃぃ!」

 

 

 そう、今回ボクと併走する相手とはテスコガビー先輩とカブラヤオー先輩だったのである。カブラヤオー先輩はボクの姿を見るなり逃げようとしたが、テスコガビー先輩に首根っこを掴まれる。

 

 

「待て、逃げるなカブラヤオー」

 

 

「だだだ、だってぇ!神藤さんにはお世話になったから受けたけど、やっぱり怖いぃぃぃ……!」

 

 

「お世話になったのもそうだが、少しでも変わろうと思ったんだろう?だったら、これを変わる第一歩として頑張れ、カブラヤオー」

 

 

「う、うぅぅっ!わ、分かった、私、頑張る!」

 

 

「その意気だ、カブラヤオー」

 

 

 ボクがいまだに何も言えずに呆然としていると後ろからトレーナーが歩いてきた。トレーナーは2人に挨拶をする。

 

 

「よう、テスコガビー、カブラヤオー。忙しいだろうに済まないな。今日はよろしく頼む」

 

 

「神藤さん。今日は聖蹄祭だったからな、私もカブラヤオーも午前中にシフトを回してもらっていたから午後からは暇をしていたんだ。問題ないさ」

 

 

「ははは、はいぃ。きょ、今日はよろしくお願いしますぅ……」

 

 

 今日は聖蹄祭だったらしい。ずっと練習漬けの日々だったので忘れていた。いや、考えるべきはそんなことではないだろう。ボクはトレーナーに問いただす。

 

 

「と、トレーナー!まさか今日の併走相手って、テスコガビー先輩とカブラヤオー先輩なんか!?」

 

 

「そうだ。ただ誤解しないで欲しいのは併走相手として決まったのは昨日の夜だったんだ。だからお前に伝えようがなかった。すまないな」

 

 

「いや、そこはええけど……」

 

 

 まさかこの2人と併走なんて夢にも思わなかった。

 追随するものなき快速女王テスコガビー先輩と狂気の逃げウマ娘カブラヤオー先輩。2人とも戦法逃げを得意としたウマ娘だ。テスコガビー先輩はそのあまりの速さからマルのように周りがついて行けないだけととも言われているが、逃げで実績を残した先輩であることに違いはない。ただ、もう引退した身だと聞いているが、大丈夫なのだろうか?ボクはテスコガビー先輩に質問する。

 

 

「テスコガビー先輩、大丈夫なんですか?失礼やと思いますけど、もう引退した身て聞いてますし……」

 

 

 ボクの質問に先輩は気を悪くした様子もなく答えた。

 

 

「なに、たまには走らなければ、と思ってな。それに」

 

 

「それに?」

 

 

「あの時消えたはずの闘志も徐々に戻ってきている。ブランクこそあるが、君の併走相手を務めるぐらい大丈夫ということだ」

 

 

 そう言い終えると、テスコガビー先輩の纏っている雰囲気が激変した。本当にこの人は引退した身なのだろうか?そう思わせるほどの威圧感がある。今すぐ現役に戻っても心配ないだろうと思わせるほどに。ボクは身震いする。武者震いというやつだ。

 テスコガビー先輩は大丈夫、ならばカブラヤオー先輩はなぜ併走を受けてくれたのだろうか?ハダルの人たちとしかやらないと聞いていたので謎だ。ただ、聞いたところで避けられると思ったのでボクはテスコガビー先輩に質問する。

 

 

「あの、やったらカブラヤオー先輩はどうして受けてくれたんです?」

 

 

「あぁ、カブラヤオーも神藤さんにお世話になったことがあってな。その縁だ」

 

 

 どうやらボクのトレーナー繫がりらしい。お世話になったことが気にはなるが、今聞くことでもないと思い、ボクはテスコガビー先輩の言葉に納得する。

 話がひと段落したところで、トレーナーが今回の併走についての説明に入る。

 

 

「さて、今回の併走だが。各々自由なように走ってくれ」

 

 

「ふむ……。本当に自由で走っても構わないんだな?」

 

 

「あぁ、ただ1つ付け加えるのであれば、本番のレースを走る気で走ってくれ。距離は2000mだ。じゃあ始めるぞ」

 

 

 トレーナーはそう言い終えると、発走の準備を始める。ボクたちも所定の位置に着いた。カブラヤオー先輩は終始落ち着かない様子だったが。カブラヤオー先輩が最内枠、テスコガビー先輩が2枠、ボクが3枠に入る。トレーナーがボクたちの準備が終わったことを確認すると、旗を上げた。

 

 

「じゃあ。よーい……スタート!」

 

 

 一瞬の静寂の後、トレーナーが旗を下ろす。その合図とともにボクとカブラヤオー先輩が弾けるようにスタートダッシュを決める。テスコガビー先輩は少し遅れた。

 分かっていたことだが、カブラヤオー先輩は後のことを考えていないかのように全力で飛ばしながら走っている。

 

 

「ひぃぃぃぃ!」

 

 

 一見すると最後まで持たずに破滅しそうな走りだが、これがカブラヤオー先輩の走りだ。そして、この走りで2冠を取っている。

 ボクはそんなカブラヤオー先輩の後ろを走っている。これでも自分なりに飛ばしているつもりではあるが、それでもカブラヤオー先輩より前を走ることはできない。

 

 

(いざ一緒に走ると、ホンマにこれで勝てるんかって思うぐらいにはヤバいな!)

 

 

 だが、ボクは冷静を保つようにレースを展開する。確かにカブラヤオー先輩の逃げは驚異的だ。しかし最後には必ずペースが落ちる。だからこそ、ボクがすべきなのはカブラヤオー先輩の後ろをキープし続けること。

 そう考えていると後ろから凄まじい圧を感じる。思わず後ろを振り向くと、出遅れたテスコガビー先輩がすぐそこに来ていた。ボクはたじろぐ。

 

 

(速い……!これが快速女王と呼ばれたテスコガビー先輩の走り!)

 

 

 確かにこれは速い。だが、ボクも負けていられない。並ばせないようにペースを上げる。

 しかし、これが失敗だった。ペースを上げすぎた。そのせいで第4コーナーを回って最後の直線に入る頃にはほとんどスタミナも脚も残っていなかった。テスコガビー先輩に一度は抜れてしまったが、気合を入れなおして抜き返すことに成功はしたものの、そんな状態でカブラヤオー先輩に追いつけるはずもなく、気づけばカブラヤオー先輩が先にゴールしていた。

 結局、その1走目はカブラヤオー先輩がそのまま逃げ切り勝ちを収めた。2着はボク、3着はテスコガビー先輩だった。ボクがカブラヤオー先輩に負けた理由は単純である。ボクは悔しさのあまり歯噛みする。

 

 

(気づかんうちにカブラヤオー先輩のペースで走ってもうた……!前のカブラヤオー先輩、後ろからのテスコガビー先輩の圧に負けた……!最後はスタミナが切れて自滅……!これやとダメや!常に自分ペースで走ることを心がけんと!)

 

 

 ならば、次は同じ失敗をしないようにしなければ。そう心に誓って次のレースの準備をする。

 

 

「それじゃあ、よーい……スタート!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこから休憩を挟みつつ10本以上は走っただろうか?すでに空は夕焼けに染まっている。ボクも先輩たちも肩で息をしている。

 結果としてボクが勝ったのは3回だけ。その結果にボクは悔しさから歯噛みする。だが、ただ負けただけじゃない。何となくだが、逃げのペースをつかむことができた気がする。

 

 

(なるほどな……。溜め逃げのコツ、掴めた気ぃするわ……ッ!)

 

 

 大逃げについていかず、かといって先行よりも前で走る。今まではイメージだけだったが、実際に走ったことでイメージを現実に変えることができた……気がする。まあ少なくともイメージはより固まった。後はイメージ通りに走るために繰り返し練習していこう。

 ボクは2人にお礼を言う。

 

 

「ありがとうございます。カブラヤオー先輩、テスコガビー先輩。おかげ様で、何となくやけど掴めました。ボクが目指すべき走りが」

 

 

「それは良かった。先行気味に走った甲斐があったというものだ」

 

 

「いいい、いえ!お役に立てたのならよかったですぅ……」

 

 

 テスコガビー先輩の言葉に一瞬絶句したが、すぐに持ち直す。

 

 

(アレ先行気味に走っとったんか……。逃げやと思うてた……)

 

 

 それくらいの圧はあった。

 走り終わったボクたちにトレーナーが差し入れのドリンクとタオルを渡してきた。ボクたちはお礼を言ってそれを受け取る。トレーナーがボクに問いかけてきた。

 

 

「どうだ?テンポイント。お前が目指すべき逃げのイメージ、少しは形にできたか?」

 

 

「お陰様で、やな。後は繰り返し練習してものにするだけや」

 

 

「良かった。2人もありがとうな。無理なお願いを聞いてくれて」

 

 

 トレーナーは先輩たち2人にお礼を告げる。

 

 

「最初に言ったが、気にしないで欲しい。元々予定は空いていた、というよりは空けることができたからな。問題はないさ」

 

 

「わわわ、私も、大丈夫です!しし、神藤さんにはお世話になりましたのでぇ……。少しでも助けになれたならよかったですぅぅぅ」

 

 

 先輩たちはそう答えた。その言葉にトレーナーは笑顔を浮かべていた。

 休憩を取っていると、不意に着信音が鳴る。

 

 

「すまない、俺だな。ちょっと電話に出る」

 

 

 どうやらトレーナーの携帯だったらしい。一言断ってトレーナーは携帯を取った。

 

 

「もしもし?……あぁ、ワカクモさんでしたか。どうされましたか?随分慌てていますが……」

 

 

 どうやらかけてきたのはお母様だったらしい。一体何の用だろうか?そう思っていると突然トレーナーが血相を変える。

 

 

「……なんですって!?キングスがどこかに行ってしまった!?」

 

 

 その言葉に、ボクは絶句する。テスコガビー先輩とカブラヤオー先輩も驚いていた。

 充実したトレーニングを過ごした合宿の最後に、突如として暗雲が立ち込めた。




最後の最後に暗雲が。衣装違いチケゾー欲しいなぁ。


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第68話 くらませた理由

妹を探す回。


 夕焼けだった空がだんだん暗くなって夜を迎えそうになっている。ボクは今トレーナーの車に乗ってトレセン学園へと戻っている。車内には先程まで一緒に練習をしていたテスコガビー先輩とカブラヤオー先輩も乗っている。2人とも表情は暗かった。

 ボクはトレーナーに急かすように言う。

 

 

「トレーナー!もっと急いでくれ!」

 

 

「分かってる!クソ!道が空いてて助かったよ本当!」

 

 

 ボクの言葉にトレーナーは余裕がなさそうにそう答える。そして、車のスピードをさらに上げた。

 ここまで急いでいるのには理由がある。先程かかってきたお母様からの電話が原因だ。お母様が言うにはキングスが行方不明になったらしい。どうして行方をくらませたのか?お母様に詳しい事情を聞いた。その理由はお昼頃にさかのぼる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 聞いた話によると、今日は聖蹄祭を家族で一緒に見て回ろうということで朝からキングスとずっと一緒にいたらしい。キングスの案内でトレセン学園の催し物を見て回り、終始楽しそうに見て回ったと言っていた。

 事態が急変したのはリギルが出店しているお店に入った時。何を食べようか迷っているお母様たちの耳に他のお客さんの会話が聞こえてきたらしい。

 

 

『しっかし、テンポイントも残念だよなぁ。トウショウボーイと同じ代じゃなければ……なんて考えちまうよ』

 

 

『だよなぁ。でも、この前の宝塚記念で格付けは終わっただろ。テンポイントはトウショウボーイの下だってな』

 

 

『だな。トウショウボーイ相手によく頑張ってると思うけど、不調の相手に負けるようじゃテンポイントも終わったな』

 

 

 その内容はボクがボーイより下だという話だ。もしボクが現場にいたならば確かにムッとはするが、負けっぱなしは事実なので我慢できたであろう。それに所詮は他人の言っていること、気にするだけ無駄だ。お母様とお父様もそうだったのか、何も言わなかったらしい。

 けれど、キングスは我慢できなかった。会話をしていたお客さんのところまで足を運び、机を叩いてこう言ったそうだ。

 

 

『お姉はトウショウボーイなんかに負けてない!訂正しろし!』

 

 

『うわっ!?誰だお前!?』

 

 

 そこからキングスはその人たちに対してボクがボーイより下だということを訂正するように言葉を浴びせ続けたらしい。だが、いきなり知らないウマ娘からそんなことを言われても戸惑うだけだろう。その人たちは終始狼狽えた様子だったそうだ。

 勿論、お母様とお父様もキングスがそんなことをしたので諫めるように叱った。

 

 

『キン、失礼でしょうが!申し訳ありません!うちの娘が……。ホラ!あんたも謝りなさい!』

 

 

『嫌だし!私は間違ったこと言ってないし!』

 

 

 しかし、キングスは止まらなかった。そんな評価を下されたことが余程悔しかったのか最後まで謝らなかったらしい。少しの間口論した後とうとう堪忍袋の緒が切れて、お母様はキツめに叱ったらしい。

 

 

『いい加減にしなさいキン!謝らないんだったら、無理矢理にでもアンタの頭を下げさせるよ!』

 

 

『……母さんは、なんで何も言わないし』

 

 

『え?』

 

 

『母さんは悔しくないの!?お姉がこんなこと言われてるのに!』

 

 

『そ、それは……』

 

 

 お母様はたじろいでしまったらしい。ここで負けっぱなしの事実を言ったところでキングスの神経を余計に逆なでするだけだと考えたのだろう。だから慎重に言葉を選んだはずだ。キングスをこれ以上刺激しないように。

 だが、それがまずかったらしい。沈黙していたお母様の様子を見てキングスは泣きそうな表情のままこう言ったそうだ。

 

 

『母さんもこいつらと同じこと思ってるんだ!お姉がトウショウボーイよりも下だって、そう思ってるんだ!』

 

 

『違う!話を……』

 

 

『うるさいうるさい!お姉は負けてなんかない!お姉はトウショウボーイより下なんかじゃない!』

 

 

 そう言って、キングスはお店から出ていったらしい。お母様はお父様と一緒にその2人のお客さんに謝った後、お店を出た。そして、キングスを探し続けた。

 しかし、キングスは一向に見つからなかった。校内放送などで呼びかけもしたが、見つけた人はいなかったらしい。聖蹄祭も終わりそうになっても見つからなかったため、たまらずボクのトレーナーに電話をかけたそうだ。

 

 

『もしもし、神藤さん!キンが……、キンが……ッ!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、現在に至る。すでに日は沈んでいる。連絡が来ないということはまだ見つかっていないらしい。ボクは落ち着かなかった。もしキングスが何かあったら……、大事な妹に何かあったら……と思うと背筋が凍りそうな思いになる。

 長い時間が経ったように感じられたが、トレセン学園に無事に着いた。正門にはお母様が立っている。ボクは慌ててお母様のもとに駆けつけた。

 

 

「お母様!キングスは!?」

 

 

「テン!……まだ、見つかってないわ」

 

 

 お母様によると、お父様は商店街の方に聞き込みに向かったらしい。もしかしたら学内にはいないのかもしれないと思ったそうだ。

 後ろからトレーナーと先輩たちが遅れてやってくる。お母様から一通りの事情を説明された後、それぞれ役割を分担することにした。

 

 

「俺とテスコガビーは寮長に事情を説明してこよう。もし帰ってきたら連絡を入れてもらえるように頼んでみる」

 

 

「わわわ、私はハダルのみんなにあたってみます!なな、何か知ってるかもしれないので!」

 

 

「寮長に連絡を入れた後、私と神藤さんは校舎内を探す。テンポイントとカブラヤオーはそれぞれ学園周辺を探してくれ」

 

 

「分かりました、テスコガビー先輩!」

 

 

 そんな時、お母様が目から涙を流して後悔するように話始めた。

 

 

「私のせいだわ……ッ!あの時私が黙ってしまったから……ッ!キンに何かあったら私……私ッ!」

 

 

 そんなお母様の様子を見てテスコガビー先輩が背中を優しくさすりながら告げる。

 

 

「ご安心ください。キングスポイントは、我々が必ず見つけ出してみせます」

 

 

「……はい」

 

 

「よし、じゃあみんな!キングスを必ず見つけ出すぞ!」

 

 

「「「はい!」」」

 

 

 トレーナーの言葉にみんなが気合を入れるように声を上げる。しかし、それはボクたちだけじゃなかった。声のした方に視線を向けると、そこにはキングスの友人たちが立っていた。

 

 

「ウチらも手伝います!」

 

 

「寮長からもちゃんと許可はもらいました!」

 

 

「友達がいなくなったのに、ジッとなんてしていられません!」

 

 

「さぁ!キングスちゃんを探しましょう!」

 

 

 正直ありがたい申し出だった。探す人数は多ければ多いほどいい。彼女たちの行動にボクは胸が熱くなった。

 そして、彼女たちとはまた別の方向から声を掛けられた。

 

 

「「俺たちも探すよ!」」

 

 

 2人の男性が立っていた。その顔には見覚えがない。しかし、お母様には見覚えがあったらしい。驚いたような表情をしていた。

 

 

「あなた方は……!先程の……!」

 

 

 どうやら、この人たちが件の人たちらしい。その人たちはバツが悪そうに頬を掻きながら告げる。

 

 

「あの子がいなくなっちゃったのは、俺たちの会話が原因なんだろ?」

 

 

「だったら、ここで無視して帰るわけにはいかないって思ってさ……。だから俺たちも探すよ!そのキングスポイントって子!」

 

 

「……ッ、ありがとうございます!」

 

 

 お母様はそう言って頭を下げた。ボクも頭を下げる。

 ある程度話が纏まったところで、トレーナーが全員との連絡先を交換した後、言葉を発する。

 

 

「よし!じゃあさっそくキングスを探すぞ!見つかったら連絡を入れてくれ!」

 

 

「「「はい(おう)!」」」

 

 

 こうして、いなくなったキングスの大捜索が始まった。みんなそれぞれ割り当てられた場所を探し始める。ボクたち学生組は学内、トレーナー以外の大人たちは学外を探すことになった。

 お母様が言うには、校内はほとんど探し終わったらしい。練習場の方も見てみたが、そこにはいなかったとのことだ。だが、もしかしたら漏れがあるかもしれないということで一度探した場所も探すことになった。

 探し始めて小一時間が経過する。ボクは焦る気持ちを何とか抑えながら、キングスがどこに行ったかを考える。

 

 

「校舎にもおらんくて、屋上にもおらん……。となると、学外に行ったんか?」

 

 

 だが、それも少し考えにくかった。もし学外に行ったのだとすれば守衛が目撃しているはずである。だが守衛の人はキングスらしきウマ娘は見なかったと言っていた。もし交代の合間に学外に出たのであればどうしようもないのだが、ボクにはどうしてもキングスが学外に行ったように思えなかった。姉としての勘というやつだろうか?

 それに、キングスはあまり遠出をするような子でもない。ボクの応援のために県外のレース場に行くことぐらいはあるがそれだけだ。だから、ボクはキングスは学内にいるんじゃないかと睨んでいる。

 だとすれば、どこにいるかだ。ボクは必死に考える。屋上は重点的に探したと連絡が来たからここは除外する。校舎の中で隠れられそうな場所も粗方探し終わっている。練習場にも人員を割いてくまなく探したと言っていた。

 練習場のことが頭に浮かんだ瞬間、ボクは1つだけ心当たりが出てきた。練習場にはいなかった。だが、その周辺にはある場所があったはずだ。キングスが知っていて、尚且つ今回の聖蹄祭だからこそ誰にも見つからないであろう場所。たった一つだけ心当たりがあった。

 

 

「一つだけある……!キングスが隠れられそうな場所……!」

 

 

ボクはそこに足を運んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ボクが向かったのは練習場……ではなく、その近くにあるプレハブ小屋。持ち主がいないので閉まっているはずなのだが、それでもボクはドアノブを回す。案の定カギがかかっており開かなかった。しかし、中から物音がする。ボクは緊張しながらも声を掛けた。

 

 

「キングス?ここにおるんやろ?ボクや」

 

 

 少しの沈黙。その後、中からカギが開ける音が聞こえた。扉を開いて中にいたであろう人物が顔を覗かせる。

 

 

「……お姉?」

 

 

「せやで。中に入ってもええか?」

 

 

「……」

 

 

 キングスは何も言わなかったが、カギを閉めることなく中に入っていった。ボクも続いて中に入る。トレーナー室の中は机の上に置いてあるスタンドライトしか点けられていなかった。ボクはカギを閉めてソファに座っているキングスの隣に座る。

 お互いに何も喋らずに沈黙が訪れる。先に口を開いたのはキングスの方だった。

 

 

「……お姉は合宿中じゃなかったの?」

 

 

「大好きな妹がおらんくなったって連絡があったんや。飛んで帰ってきたで」

 

 

「……どうしてここが分かったし?」

 

 

「ボクはキングスのお姉やで?どこにおるかなんてお見通しや」

 

 

 実際のところは、ここは捜索場所から真っ先に除外されていると思っていたからである。持ち主であるボクのトレーナーは合宿で不在なので、誰も入ることはできない。だからこそ、探そうとも思わなかっただろう。キングスもそう考えた上でここに逃げ込んだはずだ。

 だからこそ、疑問が1つだけある。ボクはキングスにそのことを質問した。

 

 

「やけどキングス、どうやってここに入ったんや?」

 

 

「……ここのカギ、合宿行く前にアイツから預けられてたし。だから入ることができたし」

 

 

 どうやらトレーナーはキングスにカギを渡していたらしい。真意は不明だが、どうやってここに入ったのかという疑問が氷解した。

 その後、また沈黙が訪れる。その沈黙を破ってボクはキングスに話しかける。

 

 

「お母様から聞いたで?今回のこと」

 

 

「……お姉も怒ってる?」

 

 

「う~ん、怒ってる……っちゅうよりなんでそんなことしたんや?って気持ちの方が強いで。いつもやったらここまではいかんやろ?」

 

 

 確かにキングスは時々暴走するが、今回のようなことは滅多にない。だから疑問だった。どうして今回はここまで引き下がらなかったのか。

 するとキングスはポツポツと退かなかった原因を話始める。

 

 

「……最近のお姉、いろんなとこでずっとバカにされてたし。雑誌を見ても、テレビを見てもお姉は終わったとかトウショウボーイより弱いとか、色々と言われてたし」

 

 

「……そっか」

 

 

「だから、鬱憤だけずっと溜まっていったし。それが、あの時爆発しちゃって……。気づいた時にはもう止まらなかったし」

 

 

「今は、後悔しとる?」

 

 

「……」

 

 

 キングスは何も言わない。けれど、心の中では後悔しているのだろう。スタンドライトに照らされて見えた表情は沈痛な面持ちを浮かべていた。

 すると、突然キングスはこちらに訴えかけるようにまくし立ててきた。

 

 

「お姉は、お姉は最強だよね!トウショウボーイなんかより、ずっと強いよね!?」

 

 

「……」

 

 

「お姉は昔からずっと強かったもん!だから、だから……!トウショウボーイなんかに負けないよね!?」

 

 

 キングスは悲痛な表情を浮かべてそう言ってきた。その目には少し涙が見える。ボクは何も言わずにただキングスを見据える。

 少しの沈黙の後、ボクは口を開いた。




あまりにも長くなりそうだったので2分割しました。


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第69話 謝罪と誓い

姉が妹を諭す回


 お母様からキングスがいなくなったという連絡が来て、ボクはトレセン学園に戻ってきていた。そして現在、ボクはトレーナー室で無事キングスを発見することができひとまず安堵する。ただ、少し話がしたかったのでみんなに報告はまだしていない。

 キングスがボクに悲痛な表情を浮かべて訴えかけてきた言葉。ボクが一番強いということ、ボーイよりも強いという言葉。その言葉を受けて、ボクは、

 

 

「それは分からへんな」

 

 

「……え?」

 

 

そう返した。

 ……ここでボクの方が強いと言うのは簡単だ。だが、それでいいのだろうか?いや、いいはずがない。そうしたら、キングスはずっとボクの幻影を追いかけるままだ。ボクのことを持ち上げて、ボクを貶める人たちを徹底的に排除して狭い世界に閉じこまったままになるだろう。

 だから、ボクはキングスに告げる。ボクが思っていることを、そのまま。表情を引き締める。

 

 

「レースで走ってみぃひんことには分からん。そん時そん時の状況によって変わるもんやし。それに、今までのレースでボクはボーイに1勝4敗。負け越しとるから今のボクがボーイより弱いて声はあながち間違ってない。それは事実として受け止めなアカン」

 

 

「……嘘だよね?お姉までそんなこと言うの?」

 

 

 キングスは絶望したような表情を浮かべている。それもそうだろう。今までだったらボクは自分の方が強いと言っていた。そんなボクが相手の方が強いと言っているも同然のことを告げたのだ。その表情も当然だろう。

 だが、キングスの言葉に返事をすることなくボクは言葉を続ける。

 

 

「ええか?キングス。多くの人はレースの実績でボクたちを評価するんがほとんどや。それが一番分かりやすいからやな。さっきも言うた通り、ボクは対ボーイの成績は大きく負け越しとる。やから、その人達が言うとったボクがボーイより下っちゅう言葉はあながち間違ってないんよ」

 

 

「嘘だ……!お姉は強いんだ!トウショウボーイよりも、お姉の方が強いんだ!」

 

 

「キングスがそう言うてくれるんは嬉しいで。やけど、多くの人はそう思うてはくれへん。それが現実や」

 

 

 ボクの言葉を受けてもなお、キングスは受け入れられないといった表情を浮かべている。

 

 

「キングス、ええ加減現実を見んとアカンで?ボクは今までのレースでボーイに負けてきた。それを覆すには、レースで勝つしかないんや。やないと、キングスがいくら訴えたところでボクん方が強いて言葉は誰も信じてくれへん」

 

 

「でも……!でも!……ッ」

 

 

 キングスはボクの言葉を受けて何か言い返そうと思ったのだろう。だが、言葉が思いつかなかったのか俯いて黙り込んでしまう。

 正直、キングスがボクが悪く言われたことに対して怒ってくれていたことは嬉しい。それだけ思われているということだ。しかし、だからといって人に迷惑を掛けていいわけではない。時には我慢することだって必要だ。

 ボクはキングスを優しく諭す。

 

 

「ええか?キングス。ボクが強いからて他ん子が弱いっちゅう話にはならん。それは分かってくれるやろ?」

 

 

「……うん」

 

 

「別にボクの方が強いて言うたり思うたりするんはキングスの自由や。それを咎める気はあらへん。やけど、他ん人にキングスの考えを強要するんは違う。お母様はそう思うたからあん時キングスに怒ったんや」

 

 

「……それは分かってるし。でも……」

 

 

 キングスは少し間を置いた後、ボクに対して質問する。

 

 

「お姉は認めるの?お姉がトウショウボーイよりも下だってこと」

 

 

「そうやなぁ。少なくとも、今はそうやな」

 

 

「……ッ!」

 

 

 ボクがそう答えると、キングスはまた俯いて黙り込んでしまう。その目には涙が見えた気がした。

 そんなキングスに対して、ボクは告げる。

 

 

「キングス。ボクはあくまで今は、って言葉をつけた。この意味分かるか?」

 

 

「……」

 

 

「確かに今のボクはボーイに負けっぱなしや。それは事実。やからって、諦める気はさらさらあらへん」

 

 

 そしてキングスに宣誓するように言葉を放った。

 

 

「こっからのレースを全部勝って証明したる。ボクの方が強いって、キングスは間違ってへんてことをな」

 

 

「……え?」

 

 

「確かに、今までは負けっぱなしやった。やけど、これからはもう絶対に負けん。そして世間に証明したる。ボクの方がボーイよりも強いってことを」

 

 

 確かに今までのレースでは負けてしまった。先着したのは菊花賞の時だけ。その菊花賞もボクは1着ではないので勝ったとはいえないだろう。その結果からボクの方がボーイより下と見られるのは仕方のないことなのだ。

 だが、それもここまでだ。ボクはもう絶対に負けない。そして証明する、ボーイよりボクの方が強いということを。

 今度は呆然としている表情を浮かべているキングスに対してボクは話を続ける。

 

 

「さっきから言うてる通り、ボクがボーイより上やって証明するんに一番簡単なんは勝つことや。やから、これからあいつと一緒に走るレースでボクは勝つし、他んレースでも勝ち続ける。そしたら、キングスの言うようにボクはボーイに負けないって言葉は嘘やなくなるな」

 

 

「で、でも!お姉さっきは走ってみるまで分からないって……ッ!」

 

 

「せやな。やから、これは宣誓や。ボクはもう絶対に負けへん。ボクん方が強いて証明するためにも、キングスの言葉が嘘やないて知らしめるためにも。ボクはこれからのレースを勝ち続ける」

 

 

 そう宣言する。キングスはボクに疑問をぶつけてきた。

 

 

「……お姉、さっき自分でトウショウボーイより下って認めてたし。それなのに、もう絶対に負けないとか、なんでそんなことが言えるし!」

 

 

「決まっとる。ボクの強さを信じてくれとる人がおるからや。キングスだけやない、ボクのええとこ悪いとこ全部知っとる癖に、それでもボクが最強やって信じてくれとる人がおる」

 

 

「……それって、あのトレーナーのことだし?」

 

 

「やな。ホンマおかしい話やで。こんなにボーイに負けとるのに、学園最強格の先輩2人相手に啖呵切るくらいやからな」

 

 

 ボクはそう言って笑った。しかし、キングスは依然として呆然とした表情を浮かべている。

 そんなキングスにボクは言葉を続けた。

 

 

「キングス。お姉との約束や。ボクはこれからのレース勝ち続ける。やから、キングスも今日から他ん人に自分考えを押しつけるんは禁止や。ちゃんと相手の考えも尊重すること。ええか?」

 

 

「で、でも……」

 

 

「なんや?キングスはボクの強さを信じてくれへんのか?お姉悲しい……」

 

 

「そんなことないし!あんな奴よりずっと、ず~っとお姉の強さを信じてるし!」

 

 

 キングスはムキになったのか、語気を強めてそう答えた。その表情は先程までの暗い顔ではなくなっている。少しだけ調子を取り戻したようだ。

 その表情を確認した後、ボクはキングスを諭すように話す。

 

 

「ええか?キングス。さっきも言うたけど、キングスがボクを強いて言うてくれるんは自由や。やけど、それを他人に押しつけるんは違う。それも見ず知らずの他人にな」

 

 

「……うん」

 

 

「知らん子から突然最強はテンポイントやー!言われたら相手も驚くし戸惑うやろ?やから、キングスのやったことはよくないことや。あっ、でもボク個人としては嬉しかったで」

 

 

「……そうなの?」

 

 

「当たり前やろ?大好きな妹にこんなに思われて、嬉しくない姉はおらん!やけど、それとこれとは話は別や。それに、今回行方をくらませたキングスを探すためにいろんな人が今も探しとる。分かっとるな?」

 

 

「……分かってる」

 

 

「悪いことしたら何をすべきか?キングスは分かっとるな?」

 

 

 ボクの言葉にキングスは黙ったままだが、深く頷いた。それを確認した後、ボクは携帯で時間を確認する。

 

 

「よし!じゃあ、はよみんなのとこ戻ろか!」

 

 

 そう言ってボクはキングスの手を引っ張ってトレーナー室を出る。携帯でキングスを見つけたという報告と正門前に向かうという連絡をトレーナーに入れる。すぐに既読がついた。この分ならすぐにみんなに報告されるだろう。そう思いながらボクはキングスの手を引いて正門前に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ボクが学園の正門に着いた頃には先輩やキングスの友人たちはもうついていた。学内を捜索していたトレーナーも正門にいる。ボクの姿を確認するとみんなこちらに走ってきた。

 

 

「良かった!心配したんだよ、キングスちゃん……!」

 

 

「いなくなったって聞いて生きた心地しなかったわホント……。でも無事みたいでよかった!」

 

 

「大丈夫?怪我はない?」

 

 

「う、うん。大丈夫だし……」

 

 

 まずはキングスの友人たちが口々に心配の声を上げる。キングスはそれに戸惑いながらも応対している。

 すると、厳しい顔をしたテスコガビー先輩がキングスの前に立った。

 

 

「キングスポイント、今回自分が何をやってしまったか……分かっているな?」

 

 

「……はい」

 

 

 その返事を聞いたテスコガビー先輩は厳しい顔を崩してこう言った。

 

 

「なら私から言うことはない。今回の件について、しっかりと反省文を書くように。私からは以上だ」

 

 

 テスコガビー先輩はそう告げるとキングスの前から去った。遠く離れた位置にいるカブラヤオー先輩のところに向かっている。

 その後はボクのトレーナーからもしっかりとお小言を貰ったところで、キングスが迷惑を掛けたお客さん2人が走ってきた。比較的近い位置にいたのだろう。

 キングスは2人の姿を確認して頭を下げて謝罪した。

 

 

「あ、あの、今日はごめんなさいだし。あたし変なこと言っちゃって……」

 

 

 その言葉を聞いて、2人組は頬を掻きながら答える。

 

 

「いや、俺たちも悪かったよ」

 

 

「少なくとも、ファン感謝祭っていう楽しい場で言うことじゃなかったよな。だから俺たちも、ゴメン!」

 

 

 そう言って、2人組は頭を下げた。キングスは困惑している。まさか自分も謝られるとは思っていなかったようだ。その姿にボクとトレーナーは互いに苦笑いを浮かべる。

 キングスが困惑していると、聞き覚えのある声が遠くから聞こえる。

 

 

「キン!」

 

 

 お母様が戻ってきた。走ってきたのか息を切らしている。少しでも早く会いたかったのだろう。キングスの姿を確認し目を見開いていた。

 

 

「……」

 

 

 お母様はキングスを黙ったまま見つめている。キングスはバツが悪そうに視線を逸らした。ボクたちはその様子を固唾を呑んで見守る。

 お母様は一歩ずつキングスに近づいていき、ついにはキングスの目の前に立った。怒られると思ったのか、はたまたビンタの一発は覚悟したのかキングスは固く目を閉じた。

 そんなキングスを、お母様は抱きしめた。もう二度と離さないと言わんばかりにしっかりと。キングスは閉じていた目を見開く。

 お母様は泣きながら話す。

 

 

「キン……ッ!良かった……ッ、本当に良かった……ッ!またあなたをこうして抱きしめることができて、本当に良かった……ッ!」

 

 

「……母さん、どう、して?」

 

 

 キングスは困惑している。そんなキングスにお母様は言葉を続ける。

 

 

「あの後、ずっと後悔していたわ……。私があの時黙ってしまったから、何も言わなかったからキンを傷つけてしまったって……。キンがこのままどこかへ行ってしまうんじゃないか、誰かに酷い目に合わせられているんじゃないかって考えると、心配で心配で……ッ!」

 

 

 お母様は涙を流しながら続ける。

 

 

「ごめんね、キン……ッ!母さんを許してちょうだい……ッ!」

 

 

「……母さんは悪くないし。悪いのは……、悪いのは……ッ!あたしで……ッ!」

 

 

 そこまで言ったところで、キングスは我慢できなかったのか、目から大粒の涙が流れ始めた。そして、涙声でお母様に、みんなに謝り始める。

 

 

「ごめんなさいっ、ごめんなさいっ!いっぱい、いっぱいめいわくかけて、ごめんなさい!かあさんに、とうさんに、おねえに、みんなに!たくさんめいわくかけて、ほんとうにごめんなさいっ!ほんとうに、ほんとうにごめんなさいっ!」

 

 

 そう言って、キングスは大声で泣き始めた。そんなキングスをお母様は優しく抱きしめ頭を撫でている。

 今まで我慢してきたものが、お母様に抱きしめられて、謝罪されて決壊したのだろう。人目をはばかることなく泣いている。

 それからしばらくの間、キングスとお母様は泣き続けていた。その2人の姿をボクは少し離れた位置から見ている。頭に浮かぶのはある1つのこと。

 今回の騒動が起きてしまったのはボクにも責任があるんじゃないだろうか。ボクがボーイに負けてしまったから、この騒動が起きてしまったのではないだろうか。そう考えてしまう。

 だが、頭を振ってその考えを振り払う。過去のことを後悔しても仕方がない。そして、もう二度とこんなことが起こらないようにすればいいと胸に誓う。そう決意を固めていると、隣にトレーナーが立っていた。ボクに話しかけてくる。

 

 

「……負けられない理由が増えたな」

 

 

「……やな」

 

 

 もとよりもう負けるつもりはなかったが、今日の一件でその思いはさらに強くなった。今もボクの強さを信じてくれる大好きな妹のためにも。ボクはこの先のレースで負けられない理由が1つ増えたのだった。




単発でタイシンの方を当てました。こっちも欲しかったのでありがたやありがたや。


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第70話 合宿最終日

合宿最後の日回


 聖蹄祭が終わってから時は流れ今は10月、次のレースを3日後に控えているということでボクは合宿最後の調整を行っていた。

 場所は併走トレーニングで利用しているグラウンド。そこで本番のレースを想定した追い切りをしている。レースの人数は14人、距離は2400m。今回一緒に走っている子たちはクラシック級やシニア級で走っている子たちだ。重賞を勝っている子もいるため、レベルも高い。

 その中でボクはスタートから先頭で走り続けている。すでに第3コーナーと第4コーナーの中間まできているが、ずっと先頭をキープしている。ここまでボクの2バ身後ろをずっとキープしていた子がいるが、その子はやがてスタミナが切れたのか少しずつ下がっていった。

 

 

「む、む~りぃ~!」

 

 

「……ッ!」

 

 

 その子が落ちていったタイミングでボクはスパートをかける。ずっと先頭で逃げてはいたが、途中ペースを変えたりして脚は十分に残してあった。スタミナもある。最後の直線に入ってボクは一気に加速した。後ろからは一緒に走っている子たちの驚いたような声が聞こえる。

 

 

「嘘ッ!?」

 

 

「追いつけないって~っ!」

 

 

 そんな言葉を聞きながらボクは加速していく。そして、後続に大差をつけてゴールした。ゴールして息を整えていると、一緒に走っていた子たちが続々とゴールしてくる。みんな息も絶え絶えだ。肩で息をしている。

 全員ゴールし終わったタイミングで、トレーナーがクーラーボックスを持ってこちらに近づいてきた。

 

 

「みんなお疲れ様!飲み物とタオルを用意したから各自ゆっくり休憩を取ってくれ!」

 

 

「「「はーい!」」」

 

 

 トレーナーの言葉にみんな一斉に休憩を取り始めた。先程レースで火花散らしていた相手とは思えないほどに和気藹々とした雰囲気が流れている。

 ボクも休憩を取っていると、トレーナーが労いの言葉をくれた。

 

 

「お疲れ様、テンポイント。なんとかモノにできたな」

 

 

「あんがとトレーナー。せやな、何とか本番前にモノにできたわ」

 

 

 トレーナーからの労いの言葉にボクは感謝の言葉を返しつつ、今回の併走を振り返る。

 今回のレース、我ながら手ごたえは十分、会心の出来だといえるくらいには完璧だった。終始冷静に展開することができ、今回のレースで自分なりの逃げを完全に確立することができたと言ってもいいだろう。合宿が始まる前は不安だったが、新しい戦法をモノにできたことにボクは歓喜する。

 歓喜に震えているボクに今回一緒に走った子が話しかけてきた。しかし、その表情はどこか不安げであり、落ち着かなさそうにしている。

 

 

「あ、あの。お疲れ様ですテンポイントさん」

 

 

「お疲れ様です。今日はおおきにです、ボクとの併走受けてくださって」

 

 

「いえ!とんでもないです!むしろ私たちの方こそありがたいっていうか……ッ!」

 

 

 そういうと、今度は落ち込みだした。

 

 

「本当に私たちなんかで練習になったのかなーって思うと、少し不安で……」

 

 

 どうやら、ボクが満足のいく練習ができなかったんじゃないだろうかと不安になっていたらしい。その子の言葉にボクは答える。

 

 

「何言うとるんですか。むしろありがたい限りです、皆さんお忙しい中ボクとの併走を受けてくれて!ここまで遠かったんやないです?」

 

 

「ま、まあ確かにちょっと遠かったですけど」

 

 

「やったら、お礼を言うんはボクの方です!わざわざご足労頂いて、ホンマおおきにです!」

 

 

 ボクは笑顔を浮かべてそう言った。すると、

 

 

「はぅあっ!」

 

 

その子は急にのけ反ったかと思うとフラフラとし始めた。レースの疲れが出たのだろうか?ボクは心配して声を掛ける。

 

 

「あ、あの!大丈夫ですか!?」

 

 

「え、ええ!大丈夫です!ちょっと疲れが残ってたみたいで!それじゃあ私はこれで!」

 

 

 そう言って、その子は足早に去っていった。やはりレースでの疲れが残っていたらしい。心配だが、足早に去っていったということは体力が空ということはないだろう。なら、万が一は起こらないはずだ。ボクはそう結論づける。

 しかし、なにやら先程の子を含めて数人のウマ娘で固まって何やら話している。ボクは聞き耳を立てた。

 

 

「……ヤバいって!私テンポイントさんのファンになっちゃいそう……!……」

 

 

「……今からでも遅くないよ。こっちに落ちちゃいなよ?……」

 

 

「……そうそう、みんな歓迎するよ?あなたもこっちにおいで?……」

 

 

 

 ……よく分からないが、この会話をこれ以上聞くのは止めた方がいいだろう。ボクはその会話を聞くのを止めた。

 今日はこの併走で終わりなので、他の子たちはみな自分たちのトレーナーと一緒に帰っていった。グラウンドにはボクとトレーナーだけが残る。

 

 

「俺たちも旅館に戻るか。明日の朝には旅館を発つからしっかりと準備しとけよ?」

 

 

「了解や」

 

 

 そしてボク達も旅館に戻ることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 旅館に帰ってきて、ボクは自分の部屋で暇を持て余していた。

 

 

「う~ん、暇や……。何もすることがあらへん」

 

 

 課題は全て終わらせてある。復習もすでに終わった。帰り支度も今日できる分は終わらせている。週末にはレースが控えているということもあり、あまり練習するのも良くない。本当に何もすることがなかった。

 何もすることがなかったので、とりあえず旅館の中でも見て回ろうと思ったボクはあてもなく歩いていた。すると、背後から声を掛けられる。

 

 

「あらまあ、テンポイント様。どうかされましたか?」

 

 

 ボクに声を掛けてきたのは壮年の女性だ。その顔には見覚えがある。この旅館の女将さんだ。ボクは姿勢を正して挨拶をする。

 

 

「こんにちは、女将さん。いえ、トレーナーに暇をもろうたのはええんですけど、なんもすることがなくて……」

 

 

 苦笑いを浮かべながらそう答える。すると女将さんは笑みを浮かべてボクに提案してきた。

 

 

「だったら!テンポイント様にお見せしたいものがあるんですよ!ちょっと私に着いてきてくださりますか?」

 

 

「ホンマですか?やったら、是非」

 

 

 そう言ってボクは女将さんに連れられて旅館の中を進んでいく。

 女将さんに連れられてきたのは客間とは違う、どちらかといえば書斎のような部屋だった。女将さんは座布団を2人分出しながらボクに座るように促した。ボクは座布団の上に座る。

 女将さんは何かを探すように部屋の中を探し回ると、やがて目当てのものを見つけたのか、

 

 

「あぁ、あった!良かった、ちゃんと取ってあったわ!」

 

 

といって、座布団の上へと腰を下ろした。そして、探していたものをボクに差し出してくる。一言断ってから中身を確認すると、それはアルバムのようだった。

 とある家族のアルバムのようだが、ボクはその家族の男性の顔にどことなく見覚えがあった。一体誰だろうか?と考えていると女将さんが笑みを浮かべながら答えを告げる。

 

 

「それ、誠司ちゃんがまだ小さい頃の写真のアルバムなんですよ。確か……高校生ぐらいまでだったかしら?」

 

 

「え!?そうなんですか!?」

 

 

 ボクは女将さんの言葉に驚きながらアルバムのページを捲っていく。すると、高校生ぐらいの写真にもなると今のトレーナーと姿がそう変わらない写真が収められていた。ボクは興奮を抑えきれないといった感じでページを捲っていく。アルバムの中に写っているトレーナーはどれも多くの人に囲まれていた。

 そこからいくらか時間が経ち、アルバムを見終わったので女将さんにお礼を言って返却する。

 

 

「おおきにです女将さん」

 

 

「いいんですよ。それに、あんなに楽しそうに見てくれたんですからお見せした甲斐があったというものです」

 

 

 女将さんの言葉にボクは照れくさくなって目を逸らす。少し焦りながらボクは女将さんに質問した。

 

 

「お、女将さんは!トレーナーのことよく知っとるんですか?」

 

 

「えぇ勿論。あの子が赤ちゃんの頃から知っているわ」

 

 

 女将さんの言葉にボクは興味津々になる。自分の耳と尻尾が忙しなく動いているのを感じた。女将さんもそれが分かっているのか笑みを浮かべながらボクに問いかける。

 

 

「聞きたいかしら?誠司ちゃんの小さい頃の話?」

 

 

「それは勿論!是非聞きたいです!」

 

 

 女将さんの言葉にボクは即答した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後は書斎でボクは女将さんの話をずっと聞いていた。いつの間にか窓の外が夕焼けに染まっている。途中お仕事は大丈夫なのだろうか?と思い質問したが、

 

 

『大丈夫よ。私本当は今日お休みだもの』

 

 

と答えた。休みでも浴衣を着て旅館に来ているあたり仕事人間なのかもしれない。

 女将さんは楽しそうに喋り続けている。

 

 

「それでね?あの子ったら自分が父親の枕元に大きな音が鳴る目覚まし時計をセットしたのにそれを人の、しかも自分のお兄ちゃんのせいにしたのよ?まあすぐにバレて父親にこっぴどく叱られたけど。旅館の木に逆さづりにされていたわ」

 

 

「アハハ!それはおもろいですね!」

 

 

 ボクは女将さんの話を笑いながら聞いていた。どうやらトレーナーは小さい頃は相当やんちゃだったらしい。悪戯しては兄のせいにしてはすぐにバレて父親に怒られる。反省したかと思ったらまたすぐに違う悪戯を決行する。そんなことを繰り返していたそうだ。まあ本当にやってはいけないラインは分かっていたらしく、大事にはならず最後にはみんな笑っていたらしい。

 しばらく話していると女将さんは懐かしむような表情を浮かべてボクに話しかける。

 

 

「それにしてもあの子が元気そうで何よりでした。急に旅館に3ヶ月ぐらい泊まらせてくれと言われた時には何事かと思いましたが……」

 

 

「あ、アハハ。えらい迷惑をおかけしました」

 

 

「いいのよ。気にしないで頂戴。それにあの子の祖父には沢山お世話になったんだもの。これくらいお安い御用よ」

 

 

「そうなんですか?」

 

 

 ボクは女将さんにそう聞き返す。すると女将さんは肯定するように頷いた。

 

 

「あの子の祖父は昔っから人と人との繋がりを大事にする方だったわ。だからあの人の周りにはいつも沢山の人がいた。アルバムの写真、誠司ちゃんの周りに沢山の人がいるのはそういうことなの。みんなあの人のことを慕っていた人たち。みんなあの人の子供や孫たちを可愛がっていたわ」

 

 

「そうだったんですね……」

 

 

 どうやら、写真に家族以外の人がたくさん写っていたのはそれが理由だったらしい。疑問が1つ氷解した。

 女将さんは話を続ける。

 

 

「その考えはあの人の息子、誠司ちゃんの父親にも受け継がれ、そして今度は誠司ちゃんたちにも受け継がれているわ」

 

 

「その考えって、なんです?」

 

 

「人と人との繋がりを大事にしなさい。人に裏切られても人を裏切るような人間にはならないようにしなさい。そして、人を信じ信じられる人でありなさい。それがあの人の教えよ」

 

 

「……なるほど」

 

 

 トレーナーのお爺様はかなりの人格者だったのだろう。女将さんの表情やアルバムに写っている人たちの表情からそれが読み取れる。そして、残した教えからもそれが分かった。

 同時に、トレーナーが他人を信頼する理由が分かった気がする。この教えを小さい頃から教えられてきたからだろう。女将さんの話だと、反抗期もなかったらしい。

 ボクが教えの言葉を頭の中で反芻させていると、女将さんが手を叩いてボクに話しかけてくる。

 

 

「さ、結構時間は潰せたのではないでしょうか?」

 

 

「あ、ホンマですね。女将さん、今日はおおきにです!」

 

 

「いいのよ。私も久しぶりに楽しかったわ。それじゃ、お部屋まで案内しますね」

 

 

 そしてボクは女将さんに連れられるまま旅館を歩いていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自分の部屋に着いて少ししたら夕食が運ばれてきた。それを食べながら、ボクは今日女将さんから聞いていた話を1つずつ思い出している。どれも面白い話だった。ただ、それよりも自分の知らなかったトレーナーのことを知れたのが嬉しかった。耳も尻尾も上機嫌に動く。

 夕食を食べ終わると扉がノックされる。

 

 

「俺だ、テンポイント。入るぞ」

 

 

「トレーナーか。ええで」

 

 

 そう言うとトレーナーが部屋に入ってくる。用件を聞くとどうやら週末に控えたレースについてらしい。ボクはトレーナーの言葉を待つ。

 

 

「さて、お前のレースは今週末に行われる京都大賞典。注意すべき相手は頭に入っているな?」

 

 

「……最重要で警戒するんはホクトボーイ、やろ?」

 

 

「そうだ。ただ俺の正直な感想を言わせてもらおう。このレース、貰ったも同然だ」

 

 

「……えらい自信やん?」

 

 

 正直理由は分かっている。それでも一応聞いておこうと思った。

 ボクがそう言うとトレーナーは笑みを浮かべて答えた。

 

 

「当然だ。唯一の懸念材料だった逃げへのシフトが間に合うかっていう問題はもう解消された。だったらお前が負ける要素はないといっても過言じゃない。まあレースに絶対はないから、油断だけはするなよ?」

 

 

「分かっとるよ。油断はせぇへん。去年は負けてもうたからな、今年はキッチリ勝たせてもらうわ」

 

 

 そう言ってボク達はお互いに拳を突き出して軽く合わせる。最早ルーティーンのようなものだ。まだレースの日ではないが。

 トレーナーがボクに告げる。

 

 

「さぁ、いよいよ今週末は新しいお前のお披露目だ!観客たちの度肝を抜いてやろうぜ!」

 

 

「おう!新しいボクの力、見せてやろうやないか!」

 

 

 ボク達はそう言って笑いあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 軽い打ち合わせが終わった後、ボクはトレーナーに楽し気に話しかける。

 

 

「せや、聞いたで?トレーナー。昔は結構なやんちゃ坊主やったそうやないか。旅館の木に逆さづりにされたって?」

 

 

「……誰から聞いた?その話」

 

 

「女将さん」

 

 

「……」

 

 

 トレーナーは苦々しい表情を浮かべている。ボクはそれを楽しみながら続けた。

 

 

「ええやんええやん。トレーナーの昔の話とかぎょうさん聞けておもろかったで~?」

 

 

「……今度から口封じもしておくか」

 

 

 そう言っていたが、粗方聞いたのでもう無駄だろう。そのことは黙っておいた。




SSRチケで賢さネイチャを完凸するか他のカードを凸るか悩みどころさん。


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閑話7 京都大賞典開幕

タイトル通り京都大賞典が始まる回。


 10月の半ば、週末なので学園は休みだ。その休みを利用して私はボーイちゃん・カイザーちゃん・クインちゃん・マルゼンちゃんたちと一緒に京都レース場へと足を運んでいた。

 ただし、私たちは学生なので引率の人が必要である。その引率には私のトレーナーである沖野トレーナーが着いてきてくれた。沖野トレーナーは

 

 

『俺もテンポイントの走りを見に行く予定だったからな。丁度いいタイミングだ』

 

 

と、私たちの申し出を快諾してくれた。ありがたい限りである。

 現在は京都レース場のパドックに私たちはいる。もうそろそろテンちゃんが出走予定の京都大賞典のメンバーがパドックへと登場する頃だ。興奮を抑えきれずにいるとボーイちゃんが唐突に喋りだす。

 

 

「いやー!テンさんのレース見るのは春天以来だけど、こうして観客の目線で見ることは滅多にないからな!相変わらず新鮮な気分だぜ!」

 

 

「そうですね。私はティアラ路線なのでテンポイント様とご一緒に走る機会はなかったので少しワクワクしています」

 

 

「それに、テンさんがこの夏でどこまで強くなったのか気になるもの。これは見るっきゃないない!」

 

 

 ボーイちゃんの言葉にクインちゃんがそう答え、マルゼンちゃんがカメラ片手にそう言った。私は声には出さないがボーイちゃんの言葉に同意するように頷く。

 こうしてテンちゃんのレースを現地で、観客席で見るのは本当に久々だ。最後に見たのはクラシック戦線で戦う前なのでジュニア級の時。それ以外では映像でしか見てなかったのでボーイちゃんの言う通り新鮮な気分を味わっている。

 私はふと気になってカイザーちゃんに質問する。

 

 

「そうだ~。カイザーちゃ~ん、テンちゃんの枠番って何番だったけ~?」

 

 

 私の言葉にカイザーちゃんは手に持っている出走表を確認しながら答える。

 

 

「1枠1番ですね。なので一番最初にパドックに出てきますよ」

 

 

「そっかそっか!いやぁ、楽しみだな!」

 

 

「ショウさんのテンションもアゲアゲね!」

 

 

「あったりまえよ!飛び入りで参加できねぇかな?」

 

 

「トウショウボーイ様、さすがにそれは無理かと……」

 

 

 ボーイちゃんのテンションは上がりっぱなしだ。飛び入り参加できないだろうかという言葉にクインちゃんが苦笑いを浮かべながら答える。

 私は沖野トレーナーに質問する。

 

 

「おきの~ん。おきのん的に今回のレースはどう見てる~?」

 

 

「そうだなぁ……」

 

 

 沖野トレーナーは少し考えた後、言葉を続ける。

 

 

「やっぱ最有力候補はテンポイントだな。次点でホクトボーイ、ここに差はないと見てる。ただ問題があるとすればテンポイントがこの夏でどれだけ仕上げてきたかってところだ。ホクトボーイは前走のチャレンジカップで勝っている。勢いのままにテンポイントを差すかもしれないな」

 

 

「なるほどね~。基本的にはテンちゃんとホクトちゃんの一騎打ち、ってみてるの~?」

 

 

「そうだな。この2人のどっちかが勝つ、ってのが大方の予想だ」

 

 

 沖野トレーナーとそう会話をしているとその会話に割り込むように声が聞こえてきた。

 

 

「まあ、実際のレースはそう簡単にいきませんが」

 

 

 聞きなれない声だ。私はその声がした方へと視線を向ける。そこにはビジネスマンのような出で立ちの人が立っていた。沖野トレーナーは苦い表情でその人に話しかける。

 

 

「ゲッ、時田トレーナー。なんでここに……って思いましたが、ホクトボーイのトレーナーでしたね」

 

 

「そうですよ。まさかあなたに覚えててもらえるとは、光栄ですね。沖野トレーナー」

 

 

 時田トレーナーと呼ばれたその人は社交辞令のように沖野トレーナーにそう言った。しかし、沖野トレーナーはぎこちない笑みを浮かべている。その様子に違和感を覚えた私は沖野トレーナーに耳打ちする。

 

 

「おきのんおきの~ん。苦手な人~?」

 

 

「……ぶっちゃけ苦手だ。指導方針の違いでな」

 

 

 先程の表情からある程度察していたが、私のトレーナーにとって時田トレーナーは苦手な人物らしい。そこから少しの間会話をしていたが、沖野トレーナーの顔は終始引き攣っていた。

 気の毒だとは思ったが、私ができることはない。心の中でトレーナーに謝りつつ私はパドックの方へと視線を向けようとする。すると丁度パドック入場のタイミングだったらしい。私はドキドキしながらパドックに注目する。

 

 

 

 

《京都大賞典に出走するウマ娘たちの入場が始まりました。まずは1枠1番テンポイント選手の入場です》

 

 

 

 

 その言葉にボーイちゃんが真っ先に反応した。

 

 

「おっ!みんな、テンさんが出てくるぜ!」

 

 

「落ち着きましょうボーイさん。楽しみなのは分かりますけど」

 

 

「ふふっ、本当に嬉しそうですね。トウショウボーイ様」

 

 

「さてさて?テンさんはどこまで鍛えたのかしら~?」

 

 

 興奮が抑えきれないといったボーイちゃんを見てカイザーちゃんは落ち着くように言う。そんなボーイちゃんをクインちゃんは微笑まし気に、マルゼンちゃんは興味深そうにパドックを見ている。

 興奮が抑えきれないのは私も一緒だ。テンちゃんが入場するのを今か今かと待っている。沖野トレーナー達も注目しているようだ。それから程なくしてテンちゃんがパドックに姿を現した。

 

 

「さて、誠司の奴はどこまで鍛え上げたのやら……ッ!」

 

 

「こ、これは……!」

 

 

 沖野トレーナー達は息を呑んでいた。だが、驚いているのは私たちも一緒である。

 

 

「す、すごい……!」

 

 

「まるで夏前とは別人のようです……ッ!」

 

 

「おいおい、マジかよテンさん……!」

 

 

「……ッ!」

 

 

 私はパドックに姿を現したテンちゃんに言葉が出なかった。

 見た目だけならば、夏前と比べて大きな変化は見受けられない。身長が少し伸びたように感じられるだけだ。しかし、纏っている雰囲気がまるで別人のようだった。

 夏前までのテンちゃんはどこか華奢な雰囲気が出ていた。テンちゃんは身体の線が細いため、その華奢な雰囲気は余計に感じられていた。だが、今のテンちゃんはそんな華奢さを微塵も感じさせない。身体つきがしっかりとしている。一部を鍛え上げるのではなく、均整の取れた肉体に仕上げていた。さながらボクサーのような肉体だ。

 パドックに注目していた人たちはそんなテンちゃんを見て、私たちと同じように目をみはっている。驚きで声も出ない、そんな様子だった。

 そんな視線を受けて、テンちゃんはアピールをする。瞬間、みんな我を取り戻したように黄色い歓声を上げていた。その歓声を受けて、テンちゃんは下がっていく。程なくして次の枠番の子が登場した。

 ボーイちゃんは戸惑いながら私たちに話しかける。

 

 

「スッゲェな……!一瞬言葉を失ったぜ……」

 

 

「そうですね……。私も、本当にテンポイントさんかと思いました……」

 

 

「すごいわね……。夏前は華奢な雰囲気が抜けきっていなかったけど、今はまるで別人だわ……」

 

 

「私、驚きのあまり声が出ませんでした……。すごいですね、テンポイント様……」

 

 

 まさか、あそこまで鍛え上げているとは思わなかった。夏前とはまるで別人のような印象だ。一体どのようなレースを展開するのだろうか?私はそう考えた。

 沖野トレーナー達は最初見た時は驚いていたものの、今は冷静に分析している。

 

 

「……ですが、いくら鍛え上げてもどのようにレースを展開するかが重要です。今までのレースで来るならば、ホクトボーイは十分差し切れます」

 

 

 時田トレーナーはそう言った。沖野トレーナーはその言葉に肯定も否定もしなかった。

 そのままパドックでの紹介は滞りなく進んでいき、パドックでの紹介が終わったということで私たちはレース場へと足を運んだ。

 私たちはゴール前の一番見えやすい席に陣取る。そこにはとても見知った顔の子が立っていた。

 

 

「あー!先輩たちは!」

 

 

 テンちゃんの妹であるキングスちゃんだ。周りには彼女の友達と思われる子が数人程一緒にいる。彼女はこちら、というよりはボーイちゃんに指を突きつけている。もう見慣れたものだ。

 ボーイちゃんももう見慣れたのか普通に話しかけていた。

 

 

「キングスじゃねぇか!キングスもテンさんの応援か?」

 

 

「そうだし!みんなでお姉を応援しに来たんだし!」

 

 

 そう言うと、キングスちゃんの友達はこちらに挨拶してくれた。私たちも挨拶を返す。そして、キングスちゃんがボーイちゃんに宣言するように告げる。

 

 

「覚悟するし、トウショウボーイ先輩!次戦う時はお姉が勝つし!首を洗って待っているといいし!」

 

 

「そいつは楽しみだな!次戦う時も、オレが勝ってみせるぜ!てか、初めて先輩って呼んでくれたな!嬉しいぜー!」

 

 

「止めるし!先輩に褒められてもそんなに嬉しくないし!」

 

 

 ボーイちゃんはキングスちゃんを撫でようとするが、キングスちゃんはそれを必死に阻止しようとしている。微笑ましい光景だ。

 

 

「青春ねぇ。お姉さん羨ましいわ」

 

 

「いや、マルゼンスキーさんも私たちと歳変わらないですよね?」

 

 

 そんな会話をしていると、京都レース場内にファンファーレが響き渡る。いよいよレースが始まるようだ。私たちはターフの方へ視線を向ける。

 

 

 

 

《晴れ渡る青空の下、京都大賞典の幕が上がろうとしています。芝2400m、バ場の状態は良と発表されています。果たして今回はどのようなレースが展開されるのか?今から非常に楽しみです》

 

 

《出走するウマ娘たちが続々と入場してきていますね》

 

 

《それでは3番人気のウマ娘の紹介から入りましょう。3番人気は……》

 

 

 

 

 実況のウマ娘の紹介が始まる。それを聞きながら私たちは発走の瞬間を待ち続ける。

 

 

「あ~、早く始まらねぇかな」

 

 

「落ち着きなよ~ボーイちゃん」

 

 

 待ちきれないボーイちゃんを私は宥める。そして、実況の今回の1番人気であるテンちゃんの紹介が始まった。

 

 

 

 

《そしてそして!今回の京都大賞典1番人気は勿論このウマ娘!1枠1番テンポイント!私イチ押しのウマ娘です!》

 

 

《パドックで見た時も思いましたが、夏前とは本当に別人のようですね……。果たして今日はどのようなレースを見せてくれるのか?》

 

 

《そして今、各ウマ娘がゲートに入りました。間もなく出走となります。京都レース場第10R京都大賞典が今……スタートです!》

 

 

 

 

 実況の言葉とほぼ同時に、ゲートが開く。京都大賞典が幕を開けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レースが始まって間もなく、この場にいた私たち全員が驚きの声を上げた。それは時田トレーナーも例外ではない。みんなの気持ちを代弁するように実況の人が驚きの声を上げている。

 

 

 

 

《な、な、な、なんと!1枠1番今回の京都大賞典1番人気のテンポイント先頭を走っています!これは全くの予想外!内を通ってテンポイントが逃げている先頭はテンポイントだ!2番手は外からフローカンボーイだハリウッドボーイは先頭争いには加わらない抑える形!》

 

 

《大方の予想ではハリウッドボーイが逃げるとされていましたが……。これは完全に虚を突かれましたね。作戦なのか、はたまた掛かっているのかが気になるところ》

 

 

《さぁそのままテンポイントが先頭で走っています。京都レース場に拍手が沸き上がりました。その拍手を受けてテンポイントが2番手以下を引き連れて快調に飛ばしていく。これが後の展開にどう響くか?第1コーナーのカーブへと差し掛かります》

 

 

 

 

 今まで見たことがないテンちゃんの逃げに皆が驚きのあまり口を閉じている中、真っ先に声を上げたのはカイザーちゃんだ。

 

 

「テンポイントさんが逃げ……。今まで見たことがありませんね」

 

 

「いや、1回だけ取ったことがある。テンポイントのメイクデビューの時だ」

 

 

 カイザーちゃんの言葉に沖野トレーナーがそう答えた。そのまま言葉を続ける。

 

 

「だが、あの時はあくまで距離が短く少人数でのレースだったからこそ逃げを取っただけだ。今回も少人数とはいえどメイクデビューと重賞レースじゃあ訳が違う。何を考えてやがる……誠司」

 

 

 沖野トレーナーはそう言った。しかし、時田トレーナーはほくそ笑みながら呟く。

 

 

「なるほど……。それがあなたの答えですか、神藤さん」

 

 

 どことなく嬉しそうだ。私は疑問に思ったが、その疑問を頭の隅に追いやってレースに集中する。みんなもそう思っているのか、テンちゃんの応援をしているキングスちゃんとその友人たちを除いて、私たちは一言も発することなくレースに意識を集中し始める。

 だが、私の頭の中には今までとは違う戦法を取っているテンちゃんに対する疑問が浮かび上がる。

 

 

「何を考えているの……?テンちゃん」

 

 

 私はそう思わずにはいられなかった。京都大賞典はまだ始まったばかりである。




長くなってしまったので分割。


※トウショウボーイの最初の台詞を修正 9/7


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閑話8 抑えきれない衝動

京都大賞典の続き回


 テンポイントさんが出走するレースの応援のために訪れた京都レース場。私はいつものメンバーであるボーイさんたちに加えて引率としてグラスさんのトレーナーである沖野さんと一緒にテンポイントさんのレースを見ている。そこにパドックで出会ったホクトボーイさんのトレーナーである時田さん、レース場で偶然出会ったキングスさんとそのお友達の皆さんを加えて、テンポイントさんの応援をしている。

 パドックでテンポイントさんの姿を一目見た時、驚きのあまり一瞬声を失ったことを思い出す。それまでは華奢な雰囲気があったテンポイントさんだが、それが一切無くなっていた。一体どのようなレースをするんだろう?私は少しの興奮を覚えながらレースが始まる瞬間を待っていた。

 そして、いざレースが始まるとテンポイントさんはそれまで先行で走っていた戦法を変え、逃げを取っていた。私はそのことに驚く。実況・解説の人たちからも驚きの声が上がっていた。

 

 

(逃げ?見た感じ何が何でも先頭に立つ、というわけではなさそうですが……。いつものテンポイントさんなら逃げる子の後ろで控えるように走るはず……。まさか、掛かっている?)

 

 

 いつもと違う戦法を取っているテンポイントさんに私はそう結論づける。だが、どうにも違う気がする。冷静にレース運びをしているように感じられる。とにかくこのままレースを見てみないことには分からないだろう。私は片時も見逃さないようにレースを観戦する。

 

 

 

 

《……ホクトボーイは本来の位置でレースの展開を窺っています。第2コーナーを回って向こう正面に入ろうかというところ。先頭は依然としてテンポイント。テンポイントがちょっと差を広げようとしています2番手との差を1バ身から2バ身と広げていきます。しかし快調に飛ばしていますね、気持ちよさそうに走っています先頭のテンポイント》

 

 

《しかし、彼女が逃げを取ったのは初めてのはず。やはり掛かっているのでしょうか?最後までスタミナが持つのかが気になるところ》

 

 

《向こう正面に入って2番人気ホクトボーイは後ろから3人目ホクトボーイはこの位置につけています。しかしすぐに後ろから2番目になりました。しかしこちらもいいペースで走っています。ホクトボーイの調子もよさそうだ》

 

 

 

 

 レースが向こう正面に入ったタイミングでボーイさんが口を開く。

 

 

「なんか、今までのテンさんらしくねぇな?」

 

 

 その言葉に同意するように私も自分の主観を交えて話す。

 

 

「そうですね。今までのテンポイントさんは先行気味に走っていました。今のように先頭に立って走る作戦を取ったことはありません。私は最初掛かっている、と思ったのですが……」

 

 

「アレが掛かっている走りに見える?カイザー」

 

 

 マルゼンスキーさんからすぐにそうツッコまれた。私はその質問に答える。

 

 

「見えませんよね……。つまり、テンポイントさんはこの夏で今までの戦法とはまるっきり違う戦法に変えてきた、ということでしょうか?」

 

 

 そんな私の言葉にグラスさんが真っ当な疑問をぶつけてくる。

 

 

「え~?でも結構リスク高くな~い?確かに位置取り的には近いけど~、ペースとか脚の残し方とか色々変わってくるからかなり大変だと思うけどな~」

 

 

「ですが、実際にテンポイント様は走りを変えています。それがどのように影響するのか……。それはまだ分かりませんが」

 

 

 クインさんがそう締める。私たちの隣ではキングスさんたちが大きな声で声援を送っている。反対側の沖野さんたちの方を見ると、難しい表情をしていた。トレーナーという目線から見ても意外だったのかもしれない。

 私はすぐにターフへと視線を移し、依然として先頭を走り続けるテンポイントさんを見据える。考えるのは1つのこと。戦法を変えた理由である。

 

 

(まさか、宝塚記念でボーイさんに負けたから無理矢理先頭を走るために?ですが、テンポイントさんがそんな単純な思考で作戦を変えるわけが……。宝塚記念がそんなにショックだったのでしょうか?)

 

 

 宝塚記念でボーイさんに負けたショックからヤケになっている可能性が私の中で出てきた。レースから1週間後に元気を取り戻した様子だったが、もしかしたら空元気で内心はとても傷ついていたのかもしれない。そう考えだすと途端にテンポイントさんが心配になってきた。

 

 

「大丈夫でしょうか……テンポイントさん……」

 

 

 思わずそう呟いてしまう。その呟きが聞こえたのかグラスさんが私に不思議そうな表情で話しかけてきた。

 

 

「大丈夫って、何が~?」

 

 

「いえ、テンポイントさんが逃げているのはもしかしてヤケになってるんじゃないか……って思ったらそうとしか見えなくなってしまって……」

 

 

「……あぁ~、その可能性もあるね~」

 

 

「あくまで可能性、ですが」

 

 

「……まあ、見てるしかできないよね~」

 

 

 グラスさんの言葉に私は頷く。果たしてどのようなレースになるのか、先頭のテンポイントさんは第3コーナーを回ろうとしていた。

 

 

 

 

《……各ウマ娘が第3コーナーの坂へと入ります。これから苦しい坂に入りますが先頭は依然としてテンポイント。2番手フローカンボーイとサイコームサシに1バ身半から2バ身のリード。フローカンボーイとサイコームサシ8枠の両ウマ娘が今レース2強の一角を崩すか?ホクトボーイはしんがりへと下がりました。京都レース場からは心配の声が上がっています》

 

 

《ホクトボーイはいつ仕掛けるか?そろそろ仕掛けないと先頭には追いつけません。ここから上がっていきたいところ》

 

 

《そして第3コーナーの坂を下っていきます先頭はテンポイントだ。テンポイントと2番手フローカンボーイの差がまた開いていくその差は1バ身半から2バ身。坂でその差は縮まりましたがまたしても差が開いていく。余力たっぷりだテンポイント。フローカンボーイの外からサイコームサシが上がってきたサイコームサシが2番手に変わります。そしておおっと!ようやくホクトボーイも上がってきた!勝負は第4コーナーを回ろうかというところ!》

 

 

 

 

 勝負は最後の直線に持ち越される。この最後の直線で今まで抱いていた私の心配は完全に消え去った。戦法を変えても大丈夫なのか?掛かっているのではないか?ヤケになっているんじゃないか?それらが完全に霧散する。それほどまでに衝撃な走りを、テンポイントさんは見せてくれた。

 

 

 

 

《勝負は最後の直線に持ち越されました!先頭のテンポイントが外を確認する!そして外を確認した後内へと切り込んだ!今日は内へ行きましたテンポイント!そして……ッ!なんという脚だ!?テンポイント!2番手との差がグングン開いていく!よーしという声が場内から聞こえてきます京都レース場!》

 

 

《驚きました……!初めて取った逃げにもかかわらずここまでしっかり脚を残しているとは……!》

 

 

《わー!テンポイント先頭だ!初めての逃げもなんのその!初めての逃げもなんのその!2番手との差がグングン開いていく!最早独走状態だテンポイント!2番手以下ではホクトボーイが上がってきた!サイコームサシが粘っている!しかし先頭テンポイントの姿は遥か彼方だ!もうこれは決まったでしょう!場内からは大歓声が響き渡る!大歓声大歓声!差は開いた開いた!そして今ゴール板を駆け抜けましたテンポイント完勝です!》

 

 

《いやはや……!今までとガラリと戦法を変えて走っていた時は掛かっているのかとも思いましたが……。これは見事な逃げ切り勝ちという他ないでしょう!》

 

 

《勝ち時計は2分27秒9!テンポイント強い!これは文句なし!これからのレースがひっじょーに楽しみになる、そんなテンポイントの走りでした!2着はサイコームサシ、3着はフローカンボーイです。2番人気ホクトボーイは仕掛けるのがちょっと遅かったか6着に沈みました!》

 

 

 

 

 私は言葉を失っていた。テンポイントさんが先頭でゴールしたという事実にではない。初めて取った逃げにもかかわらず、まるで今回の逃げこそが彼女の本来の走りなんじゃないかと錯覚してしまいそうになるほど見事な走りを見せてくれたことに私は驚きのあまり言葉を失っていた。そのテンポイントさんは涼やかな表情でターフの上に立っていた。

 ふと横に目をやるとボーイさんが抑えきれないといった様子で闘志を燃え上がらせている。それはマルゼンスキーさんも一緒だった。

 

 

「やっぱさすがだよテンさん……!テンさんはそうでなくちゃな……!」

 

 

「ウフフ、あたしも燃えてきちゃった……!戦える時が楽しみね!」

 

 

 マルゼンスキーさんの言葉に私も心の中で同意する。キングスさんとそのお友達の皆さんは黄色い歓声を上げていた。

 

 

「お姉かっこよかったしー!次も頑張れー!」

 

 

「「「キャー!テンポイント様ー!」」」

 

 

 様付けされていることに少しだけ疑問を感じたが、私はその様子に思わず笑顔になる。

 テンポイントさんの走りを見て私は一緒に走ってみたい、あの走りを体感してみたい。そう考えたところで私は思考を止める。

 

 

(一緒に走りたい?……私はもう、チームを辞めたのに。一緒にレースで走ることは、もうできないのに……)

 

 

 私はもうハダルを辞めてしまった。今更戻ることはできない。再契約でもすれば、またレースに出られるだろうか?しかし、その考えに私は首を横に振る。

 

 

(今更こんな気持ちになってももう遅いんです。私はもうレースで走らないって決めたんですから……)

 

 

 それに、レースで走ったところで私はテンポイントさんに手も足も出ずに負けるだろう。情けないがそれだけの実力差がある。そう考えることで、私は自分の中に湧いて出た気持ちを無理やり押し込める。

 私がそう葛藤していると隣からグラスさんが心配そうに声を掛けてくれた。

 

 

「カイザーちゃん、大丈夫~?」

 

 

「……はい、大丈夫です。それにしても、テンポイントさん凄かったですね!初めての逃げなのにペース配分も完璧で!私も思わず……ッ!」

 

 

「どうかされましたか?クライムカイザー様?」

 

 

「……いえ、何でもありませんよ」

 

 

 クインさんの言葉に私はそう返す。大丈夫、大丈夫だ。ちゃんと気持ちを抑えることはできるはずだ。

 私は話題を逸らすために沖野さんたちトレーナー陣へと話しかけることにした。

 

 

「沖野さんたちはどう思われましたか?今回のテンポイントさんの走りを見て」

 

 

 すると、沖野さんと時田さんも苦々しい顔をしていた。

 

 

「最悪だな。下手すりゃ、今までの対策が全部無意味になる可能性すら出てきやがった」

 

 

「同感です。これは、新しく対策を組み直さなければなりませんね」

 

 

 お2人はそう答えた。確かに、今までの対策を全部組み直さなければならないのはかなり大変だろう。私も今すぐに変えなければ……ッ!

 

 

(だから……!私はもうレースで走らないって決めたんです!なのに、どうして!?)

 

 

 競ってみたいという衝動が抑えきれない。再び膨れ上がってきたその感情を無理矢理抑え込む。グラスさんが心配そうに私を見るが、それに大丈夫だと私は返す。グラスさんは一応納得したのか何も追及はしてこなかった。

 何とか落ち着いたところで、ボーイさんが興奮しながら私たちに話しかける。

 

 

「チックショー!あんな走り見せられたらオレも走りたくなってきた!」

 

 

「ダメよショウさん。ショウさんも、来週はレースでしょ?我慢しなきゃ東条トレーナーにまた怒られるわよ?」

 

 

「そういえばそうだった!また怒られるのは勘弁だから我慢するか……」

 

 

「と、トウショウボーイ様!私でよければ併走を……」

 

 

「ダメよ?クイン。ショウさんを甘やかしちゃ」

 

 

 走りたくなったというボーイさんに一緒に走ることを提案したクインさんをマルゼンさんが窘める。その光景を私は微笑ましく見る。少しだけ、先程の気持ちが薄れてきた。そのことに私は安堵する。

 その後は最後のレースを見終わった後、ウイニングライブの会場へと向かう。そして、テンポイントさんがセンターで踊っている時のキングスさんたちと神藤さんのテンションに、私はちょっと引いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ライブも終わって、新幹線で帰る道中私は外の月を見ながら物思いにふける。思い出すのは今日のテンポイントさんの走り。

 

 

(すごかったな……。私も、あんなふうに走れたら……)

 

 

 だが、それは無理だろう。私にあんな走りはできない。少し悲しくなったが、みんなを心配させないように表情には出さないようにする。

 今回の京都大賞典、私の中でレースを諦めるという気持ちが、少しだけ揺らいだ時間だった。




揺れるママママインド


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第71話 京都大賞典を終えて

結構久々な気がする日常回


 京都大賞典から一夜明け、俺はトレセン学園でいつも通りの業務に取り組んでいた。朝は学園の清掃を済ませ、昼食までの残りの時間でトレーナーとしての仕事を片付ける。最早用務員とトレーナーとの仕事の両立にも完全に慣れた。特に苦戦することなく作業を進めていく。

 今は前走である京都大賞典のデータをまとめている。今までの先行とは戦法をガラリと変えて逃げへとシフトした初めてのレース。そのレースでテンポイントは見事な走りを見せてくれた。

 俺は興奮を抑えきれずに呟く。

 

 

「本当にすごかったな。思わず痺れちまったぜ」

 

 

 終わってみれば2着に8バ身差の圧勝劇。年末に出走を予定している有マ記念に向けて良い弾みをつけることができた。

 だが、喜んでばかりはいられない。俺たちの大目標である有マ記念での勝利を掴み取るまでは最後まで油断するわけにはいかない。そう思い直し俺は気を引き締める。

 京都大賞典の走りを見て分かったが、やはりテンポイントにはこの作戦の方が合っている。初めて取ったにもかかわらず、ここまでの圧勝を見せてくれたのだ。間違いないと見ていいだろう。主となる作戦は逃げでいくとして、誰をマークするかなどの細かい作戦をまとめ、後でテンポイントと話し合って決めていく。

 そうして作業を進めていき、ひと段落したところで俺は時計を確認する。時刻はもう少しで正午になりそうな時間だった。資料をまとめて昼食を取るためにトレーナー室を出る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 食堂へと足を運ぶと、まだ席が完全に埋まっていない状態だった。そのことに俺は安堵する。食券を買い、それを食堂の人に渡し、ご飯が運ばれてくるのを待つ。程なくして頼んだ定食が運ばれてきたので俺はそれを受け取って適当な席に着く。

 

 

「いただきます」

 

 

 手をしっかりと合わせて昼食を食べ始める。しかし、食べようとしたタイミングで誰かから声を掛けられた。

 

 

「失礼、相席よろしいでしょうか?」

 

 

 とても聞き覚えのある声だ。俺はその言葉に返事をする。

 

 

「他を当たってください時田さん」

 

 

「ありがとうございます。では失礼しますね」

 

 

「前もやりましたよねこのやり取り」

 

 

 そして前回同様、時田さんは俺の目の前の席に座る。もう何も言う気はなかった。向こうも手を合わせて黙々と食事を取り始める。俺も気にするだけ無駄だと思い食べることにした。ただ、今回の相席に限っては他に席が空いてなさそうだったのでたまたま空いている俺の対面の席に座っただけだろう。

 すると、突然食べる手を止めて時田さんがこちらに賛辞の言葉を贈ってきた。

 

 

「そうそう、京都大賞典おめでとうございます。初めて取った作戦で2着に8馬身差の圧勝劇、お見事という他ないでしょう」

 

 

「ありがとうございます。素直に受け取りますよ、その誉め言葉」

 

 

 そして、時田さんは言葉を続ける。

 

 

「しかし、練習したとはいえ重賞レースで新しい戦法を試すとは……。私には恐ろしくてできませんね」

 

 

「普通なら、今までの俺ならそうだったでしょうね。けど、俺はもう失敗を恐れないことにしたので。もし負けたのだとしても、それは次の糧となります」

 

 

「……ほう?」

 

 

 俺の発言に時田さんは興味深そうな視線を俺に送る。俺はその視線を軽く受け流して食事を再開しようとした……が、そう言えば時田さんにお礼を言うのがまだだったのであの時のお礼を言う。

 

 

「時田さん、あの時はアドバイスありがとうございました。あのアドバイスがなければ、この作戦に気づけないままだったかもしれないので」

 

 

「おや?記憶の奥底に留めておくだけだったのでは?」

 

 

「記憶の奥底に留めさせてくれたおかげで、勝てましたので。なのでそのお礼ですよ」

 

 

「そうですか。ならその言葉、ありがたく受け取っておきましょう」

 

 

 そう締めくくり、時田さんと俺は食事を再開する。そこから先はお互い一言も喋らなかった。俺たちの間に沈黙が訪れる。だが、別に時田さんと特別仲がいいわけではない上に、お互いに嫌いあっているので沈黙している方が合っている。嫌いな割にはこの人はやたら俺に絡んでくるのだが。

 お互いに食事を取り終わり、そのまま別れた。俺も作業の続きをするために、トレーナー室へと歩みを進めていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時間は進んで放課後、トレーナー室の扉をノックする音が聞こえた。

 

 

「いいぞー」

 

 

 俺は返事をして中に人がいることを伝える。ノックした人物が扉を開けた。中に入ってきたのはテンポイントである。

 彼女はトレーナー室に入ってきて、軽い調子で挨拶してきた。

 

 

「よ、トレーナー。きたで」

 

 

「ようテンポイント。じゃあ早速だが京都大賞典の反省会といこうか」

 

 

「はいはーい」

 

 

 彼女は鞄を置いて早速ソファに座る。俺も朝まとめた資料を持って仕事で使っている机から離れてテンポイントが座っているソファの対面の椅子に座る。

 俺は反省会をする前にテンポイントに賛辞の言葉を贈る。

 

 

「反省会の前に……京都大賞典おめでとうテンポイント。今までとは違う作戦で走ったにもかかわらずあれだけの走り、痺れたぞ」

 

 

「フフン、それほどでもあるわ」

 

 

 テンポイントは俺の誉め言葉に機嫌良さそうに答えた。しかし、すぐに顔を引き締める。

 

 

「やけど、これはあくまで前哨戦や。ボクらの大目標は年末の有マ記念。そこで負けるんやったら意味がない」

 

 

「そうだ。ちゃんと分かっているようだな。なら、俺からあえて言う必要はないか」

 

 

「やな。やったら、早いとこ反省会といこか」

 

 

「そうだな」

 

 

 そうして、俺たちは京都大賞典の反省会へと移る。

 

 

「さて、今回から戦法を逃げに変えて走ってみたわけだが……。正直に答えて欲しい。お前はどう感じた?自分には合わないとか、前の方が合っていたとかは思わなかったか?」

 

 

 俺の質問にテンポイントは首を横に振って答える。

 

 

「いや、むしろ今までのレースん中でも一番やと思うくらいには気持ちよく走れたわ。ボクにはこっちん方が性に合ってると思う」

 

 

「なるほどな……。なら、この先も逃げ戦法は継続だ。後は細かい作戦のすり合わせはレースの都度していこう。他に反省すべき点なんだが……、今回のレースはほぼ満点に近い仕上がりだった。前を一度も譲らず、ペースを控えて脚も残しておく。全てが噛み合った結果、あの圧勝に繋がった。前に出ることの大切さがわかったな」

 

 

「後はホクトが後方でもたついてたんか分からんけど、上がってこぉへんかったからな。後ろからの圧もそんなに感じんかったわ」

 

 

 テンポイントは冷静にそう分析していた。確かに、あのレースで要注意していたホクトボーイは上がってこなかった。仕掛けどころでも誤ったのか、それとも……。ただ、この敗戦を機に次戦う時は今回以上に仕上げてくるだろう。用心しておかなかければならない。

 反省すべき点もほとんどないので、俺は次のレースへと話題を移す。

 

 

「さて、次のレースなんだが……。有マの前にもう一つ走ろうかと思っている」

 

 

「何走るん?」

 

 

「候補としては東京レース場で行われるオープンレースを考えている。距離は1800m。まあ有マの前にもう1つレースを使って今の戦法をより強固なものにしたい……っていう目的だな」

 

 

「なるほどな。準備しておくにこしたことはない……ってことやんな?」

 

 

「そういうことだ」

 

 

 テンポイントは深く頷いて俺の言葉に納得した。ただ、オープンレースを使うとは言ったが1つ問題があった。俺はそのことをテンポイントに話す。

 

 

「ただ、このオープンレースちょっと問題があってだな……」

 

 

「なんや?そん問題て」

 

 

 テンポイントは興味ありげに身を乗り出した。俺は意を決してその問題をテンポイントに告げる。

 

 

「下手したら、人数が足りなくてレースが成立しない可能性がある」

 

 

「あぁ~……。それは、ボクらにはどうにもならん問題やな……」

 

 

 テンポイントは何とも言えない表情でそう言った。気持ちは分かる。まさか予定しているレースが人数が足りなくて不成立になるかもしれないと言われたら、微妙な表情にもなるだろう。しかし、今のテンポイントの状況を考えたら、出走を回避をする子だって出てくるだろうし不成立になる可能性は十分にある。これは俺たちにはどうしようもない問題だ。

 一応サブプランは考えてある。俺はそれをテンポイントに話始める。

 

 

「一応、次点の候補はある。ただ、会場が京都になるし距離もグッと短くなる。あまり好ましいとは言えないな」

 

 

「距離はなんぼなん?」

 

 

「1200m」

 

 

「……スプリントやんか。短すぎひん?」

 

 

「だから好ましくないんだ。最低でもマイルの距離は欲しいからな」

 

 

 だが、他のレースとなると日程が詰まったり逆に空いたりする。それを踏まえた上で一番良かったのがこの東京レース場のオープンレースだ。だからこそ、レース成立人数に達することを祈るしかない。

 この辺の事情に関してはもう祈るしかないので早めに話を切り上げる。

 

 

「さて、京都大賞典の反省会も終わったことだし今日はこの辺にしておこう」

 

 

 レース明けということもあり、今日は練習は休みだ。だからテンポイントにも帰宅するように促す。

 しかし、彼女はソファに座ったままだ。俺はテンポイントに話を続ける。

 

 

「どうした?練習は休みだから帰っても大丈夫だぞ?」

 

 

「ん~……。せっかくやからもうちょいおってもええか?」

 

 

 テンポイントは少し悩むような素振りを見せた後、俺にそう言ってきた。まあいる分には構わないが、生憎と楽しめるようなものは置いていない。

 

 

「それは別に構わないが……。トレーナー室には資料や映像しかないから楽しめるものは何もないぞ」

 

 

「ええよ別に。テレビ見ながら宿題でもしとくわ」

 

 

 それは別に寮の部屋でもできないだろうか?そう思ったが口には出さない。テンポイント本人がここがいいと思っているようだし、余計なことを言う必要はないと思ったからだ。なんか前もこんな展開があったような気がする。

 だが、俺は気にしないことにして自分の仕事をすることにした。黙々と自分の仕事をこなしていく。テンポイントも時折テレビを眺めながら、課題を進めていた。たまに他愛もない世間話をしながら時間だけが過ぎていく。とても心地よい時間だった。

 結局、テンポイントは日が沈むまでトレーナー室で課題を進めていた。その間、終始彼女の耳と尻尾は機嫌が良さそうに揺れていたのが印象的だった。




SSRチケ何に使おうかいまだに迷ってる民です。やはり賢さネイチャ完凸だろうか。


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第72話 休日の出会い

2人が遊んだりする回


 京都大賞典が終わってから1週間が経った。学園も休み、練習も休みということで何もすることがなかったボクは暇を持て余していた。

 休日の朝から寮の部屋で携帯を弄っているのもどうかと思ったボクは、ふと今日はボーイのレースがあることを思い出す。発走は14時、加えて中山レース場での開催ということもあり、今から出れば間に合うだろう。

 

 

「トレーナーも見に行く言うてたから一緒に出ればよかったわ」

 

 

 ボクはそうボヤくが、まあ会場で合流でもすればいいだろう。ボクは着替えて外に出る準備をする。外出用の洋服に着替える。バッグの中を見て貴重品が入ってることを確認したボクは出かけることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 学園を出て、駅に向かっている道中見知った顔を見かけた。カイザーである。ボクは声をかけた。

 

 

「カイザーやん、おはようさん。奇遇やな」

 

 

 ボクの挨拶に気づいたのか、向こうも挨拶を返してくる。

 

 

「おはようございます、テンポイントさん。本当に奇遇ですね。テンポイントさんはお出かけですか?」

 

 

「ん。ボーイのレースでも見に行こ思うてな。カイザーも一緒に行かへんか?」

 

 

 ボクの誘いにカイザーは一瞬暗い表情をする。しかしすぐに元の表情へと戻り、

 

 

「すいません、せっかくのお誘いはありがたいんですけど遠慮しておきます」

 

 

と申し訳なさそうな笑みを浮かべて断った。

 ……普段ならば、都合が悪かったんだと思いそのまま行こうとしただろう。だが、一瞬見せた暗い表情から何かあると思ったボクは、そのまま別れようとは思わなかった。

 ボクはカイザーに問いかける。

 

 

「カイザー、今日は暇やったりするん?」

 

 

「え、えぇ。まあ1日中暇ですけど……」

 

 

 カイザーは戸惑いながらそう答えた。ならばとボクはカイザーに提案する。

 

 

「やったら、こんままボクと遊ばへんか?」

 

 

「え?でもボーイさんのレースを見に行くのでは……?次のレースの対策を立てるために見に行こうとしてたんですよね?でしたら、見に行った方がいいんじゃ……」

 

 

「トレーナーがレース見に行っとるからそこは問題ないで。ちゃんとレースの映像は撮ってくれてるやろ。ホンマにやることなかったから見に行こ思うてただけやし」

 

 

 レースの映像を撮るからということで今日は同行しなかった。それに、カイザーが一瞬だけ見せた暗い表情が気になる。1日中暇なのにレースを見に行くのを断ったのと関係があるだろう。問い詰める、ような真似はしないがもしかしたら理由が聞けたりするかもしれない。

 だが、興味よりも純粋にカイザーが心配だという気持ちの方が上だ。カイザーが実技の授業の時も時折苦しそうな表情を浮かべていたことを思い出す。アレは疲れといったものではない、何か別なものだとボクは感じていた。しかし、授業後にそのことを問い詰めてものらりくらりと躱されていた。余程話したくないのだろう。曖昧な返事を返すだけだった。

 友達が何かの事情で苦しんでいるかもしれない。そう考えるとこのまま放ってはおけない。相談してくれるかは分からないが、少しでも気分が軽くなってくれたらそれでいい。だから、ボクはカイザーを遊びに誘う。

 カイザーは少し悩んだ後、答えを出す。

 

 

「そうですね……。ここで会ったのも何かの縁でしょうし、一緒に遊びましょう!テンポイントさん!」

 

 

 元気よくそう答えた。それにボクは笑顔で答える。

 

 

「よっしゃ!やったら何して遊ぼか?」

 

 

「このままここにいるのもなんですし、まずはショッピングモールに行きましょう。そこで考えましょうか」

 

 

「了解や。やったら、ショッピングモールにしゅっぱ~つ!」

 

 

「おー!」

 

 

 ボク達は手を突き上げて、ショッピングモールへと歩みを進める。ボーイのレース観戦は急遽取り止めて、カイザーと遊ぶことになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ショッピングモールに着いてボク達がまずしたことはゲームセンターに寄ることだった。ボクはクレーンゲームでぱかプチを取ろうとする。

 

 

「よしよし、こんままこんまま……ッ!ッし!」

 

 

「わぁ!上手ですねテンポイントさん!」

 

 

 

 無事に取ることができた。ぱかプチは様々な種類があるが、ボクが取ったのはハイセイコー先輩のぱかプチである。競争率が高く、こうして出回っているのはレアなので思わず取った。そのままボクは次のぱかプチに狙いを定める。

 

 

「さてさて、次はどれを取ったろうかな~?」

 

 

 その時、カイザーのぱかプチが目に入る。決めた、次はこれにしよう。ボクはカイザーのぱかプチに狙いを決める。

 お金を入れてしっかりと狙いをつける。いつやってもぱかプチを狙うこの時間は緊張する。しっかりとカイザーのぱかプチにアームを合わせる。

 

 

「よしよし……ッ!ここや!」

 

 

 ボクはアームが丁度ぱかプチの頭の上に来た瞬間を狙って降下のボタンを押す。そのままアームはゆっくりと下がっていき、カイザーのぱかプチをしっかりと掴んだ。

 そのままアームが上がっていく。すると、カイザーのぱかプチが持ち上がるのと同時に他のぱかプチも持ち上がった。ボクのやつである。思わずテンションが上がってしまった。

 

 

「おっしゃ!そんままいけ!」

 

 

 興奮を抑えきれないでいると、下のぱかプチが揺れる。もしや落ちてしまうのでは?と一瞬不安になったが、何とかそのまま取り出し口の穴まで持ちこたえてた。ボクは景品取り出し口に手を入れてぱかプチを手に入れる。

 カイザーに自慢するように見せた。

 

 

「どや、カイザー!また取ったで!」

 

 

「すごいすごい!テンポイントさん本当にお上手ですね!」

 

 

 カイザーはボクに拍手していた。小さい頃からキングスにねだられて鍛えられた甲斐があった。

 ボクはカイザーに今取ったぱかプチを渡す。

 

 

「じゃ、これはカイザーにやるわ」

 

 

「え?いいんですか?」

 

 

 カイザーは目を丸くしていた。ボクはカイザーの言葉に答える。

 

 

「ええよ。それにボクとカイザーのぱかプチがこうして一緒に取れたんや。偶然にしてはおもろいやん?やからカイザーにプレゼントや」

 

 

「そうですね……。でしたら、ありがたく頂きます!」

 

 

 カイザーは笑顔を浮かべながらそう言った。ボクもつられて笑顔になる。その後、お昼までゲーセンで時間を潰した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゲーセンでそれなりに時間を潰したので昼食を取った後、次は何をしようかという話になった。するとカイザーから提案される。

 

 

「せっかくなので、映画を見に行きませんか?」

 

 

「映画かぁ。今何やっとるん?」

 

 

 ボクの質問にカイザーが目を輝かせながら答える。

 

 

「よくぞ聞いてくれました!なんと、今これをやってるんですよ!」

 

 

 そう言ってボクに携帯を見せつけてきた。突然のテンションの上りように驚きながらもボクは見せてきたネットの記事を見る。そこには、

 

 

【コングVSメガロシャーク!海外で話題を呼んだあの作品がついに日本で初上映!】

 

 

と書かれた記事とともにその映画のポスターの画像がある。ただ、そのポスターを見た瞬間ボクは色々と察した。

 

 

(B級どころかZ級の匂いがするでこれ……)

 

 

 まず、映画のタイトルからして意味が分からない。なんだメガロシャークって。そしてなんでゴリラとサメっぽいなにかが戦う必要があるのか?あらすじを流し見してもよく分からない。何から何まで意味が分からなかった。

 しかし、カイザーは喜々としてこの映画を見ようとしている。もし、ここで見たくないと言ってしまったらカイザーは落ち込むこと間違いなしだ。ならばと、ボクは腹を決める。この映画を見ることにした。

 ボクはカイザーに覚悟を決めて質問する。

 

 

「カイザー、こん映画そんなに楽しみなんか?」

 

 

 するとカイザーは上機嫌に答えた。とびっきりの笑顔で。

 

 

「はい!本当は今日これを見に来る予定だったんですよ!日本で上映されると聞いてからもう楽しみで楽しみで!」

 

 

 ……ボクにこの笑顔を曇らせることは無理だ。もう、見るしかない。

 

 

「そ、そうなんか。やったら、それにしよか」

 

 

「はい!テンポイントさんもこの機会にぜひハマりましょう!この世界に!」

 

 

 多分一生ハマることはないと思う。そう思いつつもチケットを買ってシアターへと入っていった。中に入ってみると、案の定ガラガラである。海外で話題を呼んだとは一体何だったのか。

 程なくして上映が始まる。上映時間はどうやら1時間ほどらしい。

 物語が始まって5分ほどでボクはギブアップしそうになった。しかし、隣のカイザーはウキウキ気分である。微笑ましいと思いながらも心の中で愚痴る。

 

 

(ボク、無事でいられるやろうか?)

 

 

 ……結果だけ言うと、妙に面白かったのが腹立たしかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやぁ!面白かったですね、テンポイントさん!」

 

 

「……せやね」

 

 

 カイザーが映画の感想を喜々として話しながらボク達はショッピングモールを出て外を歩いている。映画を見てからというもの、カイザーのテンションは高いままだった。そのことは嬉しいのだが、まさかカイザーの趣味が映画鑑賞だとは思わなかった。その映画はアレだが。

 まだ日が昇っており、寮の門限まで全然時間があるということでどこかでゆっくりと話すことにしたボク達はあてもなく歩いている。すると広場を見つけたのでそこで時間を潰すことにした。

 ボク達はベンチに腰を掛ける。少しの間、静寂が訪れた。その静寂を破るようにカイザーがボクに話しかけてくる。

 

 

「テンポイントさん、今日はありがとうございました。色々と」

 

 

「気にせんでええよ。こうしてカイザーと遊ぶんも随分久しぶりやったし」

 

 

「そうですね。普段はボーイさんたちもいますから私たち2人だけってなると本当に久しぶりです」

 

 

 カイザーは懐かしむように天を仰ぐ。その後、すぐに表情に陰を落とした。朝ボクがレースを見に行こうといった時に見せた表情である。

 答えてくれるかは分からない。けれど、ボクは質問した。何も聞かないよりはマシだと思ったから。

 

 

「カイザー、なんかあったんか?朝もレース見に行こ誘った時におんなじ表情しとったで」

 

 

「……」

 

 

 カイザーは口をつぐんで俯いた。言いたくないのだろう。ボクは言葉を続ける。

 

 

「まあ、言いたくないんやったらそれでもええで。やけど、ボクでよければいつでも相談に乗る。それだけは覚えといてくれ」

 

 

「……テンポイントさん」

 

 

 俯いていた顔を上げてカイザーがボクを見る。ボクは笑みを浮かべてカイザーを見る。すると、カイザーもつられたのかぎこちなくも笑顔を浮かべる。

 そして、覚悟を決めたのかよしっ、と呟いた後ボクに話始める。

 

 

「……実は、ボーイさんのレースを見に行きたくなかったんです。映画があるとか、関係なしに」

 

 

「……なんでや?」

 

 

 そう返すと、カイザーはまた口をつぐんだ。しかし、意を決してボクの言葉に答える。

 

 

「……皆さんを見ていると、辛いからです。レースで走ることを諦めようとしているのに、皆さんのレースを見るたびに一緒に走ってみたいという衝動に駆られてしまう。それを、テンポイントさんの京都大賞典を見た時に強く感じました」

 

 

 ボクはカイザーの言葉を黙って聞く。

 

 

「もう高い壁に挑むのは止めたのに、届かないから諦めたのに。そのはずなのに、皆さんのレースを見ると一緒に走りたい、競いたいって気持ちが湧いてきてしまうんです。私は、それが辛いんです。だから、その気持ちを抑えるためにボーイさんのレースを見に行くことを拒んだんです。見たらきっと、京都大賞典の時のような気持ちが湧き上がってしまうから」

 

 

 カイザーは、本当に辛そうな、我慢しているような表情を浮かべていた。友達のそんな表情を見るとボクは悲しくなった。

 その気持ちを抱きながらボクは、カイザーに気になることを質問する。

 

 

「……カイザー。1つ、ええやろうか?」

 

 

「……はい」

 

 

「諦めたんは、宝塚ん時か?」

 

 

 思い当たるレースといえば1つしかない。あの宝塚記念だ。カイザーも、死に物狂いで練習して勝利を掴み取りに来ていた。だが、結果は……。

 カイザーはボクの言葉に肯定する。

 

 

「……そうですね。あの宝塚記念で、それまで何とかなるって思ってた気持ちは、きれいさっぱり無くなっちゃいました」

 

 

 そう言ってカイザーは笑った。しかし、その笑みは痛々しかった。

 カイザーは言葉を続ける。

 

 

「あんなに必死になって、誰かに止められても止めないで、必死に、必死に頑張って……。それでも届かなくて……。宝塚記念で脚を故障して、私の中で何かが崩れました」

 

 

「……」

 

 

 一緒だ、ボクと。世間の評価を覆すために必死で練習して、ボーイに勝つために努力して、それでも届かなかったボクと。細かい理由は違えど、ボクと同じようにカイザーは宝塚記念で折れてしまったのだろう。

 沈黙しているボクにカイザーはそのまま話を続けた。

 

 

「グラスさんには言ったんですけど、もうレースで走るのを辞めようと思ってハダルも退部したんです」

 

 

「……それは初耳やな」

 

 

 もしや、宝塚記念が終わってそこまで時が経っていない時に辞めたのだろうか?ボクが宝塚記念から1週間ぶりに登校した時の朝の会話を思い出す。あの時カイザーに脚の怪我の具合について聞いたら、

 

 

『まあ、私の方はしばらくかかりそうですけど大丈夫です』

 

 

と言った時に、表情に陰りがあった。あの時は、グラスに視線で止められたので詳しくは聞かなかったが、もう辞めていたのかもしれない。

 カイザーは笑みを浮かべてこう言った。

 

 

「今日はありがとうございました、テンポイントさん。本当に楽しかったです。最後に変な話聞かせちゃってごめんなさい。この話は、聞かなかったことにしてください」

 

 

 そのまま立ち去ろうとする。ボクは立ち去ろうとするカイザーの腕を離さないようにしっかりと掴んだ。

 

 

「まあ待ちや、カイザー。まだ時間はある。今度はボクの話を聞いてもらおうやないか」

 

 

 カイザーは不思議そうな表情を浮かべる。そんなカイザーを尻目にボクは話を始めた。




諦めようとしている友達に何を語るか?


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第73話 友達で、ライバル

2人の会話の続き回。


 カイザーが語ったボーイのレースを見に行きたくなかった理由。そして、カイザーの口から語られる宝塚記念後の自身の話。必死に努力しても届かなくて、もうレースに出走することを止めようとしていること。諦めようとしていること。なのに、ボクのレースを見てまた走りたいという気持ちが湧いてきてしまったということ。その気持ちを抑えるためにボーイのレースを見に行きたくなかったということがカイザーの話で分かった。

 言いたいことも終わって、ボクが聞きたいことも話したということからカイザーは帰ろうとした。ボクはそんなカイザーの腕を掴んで止める。このまま帰すわけにはいかないと思い、咄嗟に掴んだ。

 腕を掴んでいるボクを不思議そうな表情でカイザーは見ている。ボクはカイザーに再び座るように促す。

 

 

「ホラホラ、ボクの話も聞いてもらうで。まあ座りや」

 

 

「は、はぁ。分かりました」

 

 

 戸惑いながらもカイザーは再びベンチに腰掛ける。ボクはひとまず安堵した。

 さて、まずは何から話し始めたものだろうか。少し考えて、ボクは宝塚記念の話を切り出すことにした。軽い口調で話し始める。

 

 

「しっかし、あの宝塚記念散々やんな。ボクもしばらく立ち直れんかったし、カイザーは脚を故障やろ?こう振り返るとボクら散々やな」

 

 

「あ、アハハ……。実際は全然笑えませんけどね」

 

 

「やな。ま、これもええ経験やと思うことにするしかないな。悔いたところで、どうしようもないことやし」

 

 

 すると、カイザーはボクに質問してきた。

 

 

「……テンポイントさんは、どうやって立ち直ったんですか?」

 

 

「ん?あん状態からか?」

 

 

「はい。ボーイさんは言ってました。目に生気がなかったと。グラスさんは心が折れてしまったんだろうと言ってました。私はその時のテンポイントさんを直接見ていないので分かりませんが、お2人の言葉を信じる限り、とても復帰できるような状態ではなかったと推察できます」

 

 

「そうやなぁ、あん時のボク酷かったからな。そう思われるんも仕方ないわ」

 

 

 カイザーは一呼吸おいて続ける。真剣な眼差しで、ボクに問いかける。

 

 

「ですが、テンポイントさんはこうして無事に立ち直ることができました。いえ、それどころか前以上に元気になったと私は思っています。だからこそ、疑問なんです。どうやって立ち直ったのかが」

 

 

「……う~ん。特別なことなんもしてへんし、おもろい話でもないで?」

 

 

「構いません。教えてはいただけないでしょうか?」

 

 

 カイザーの言葉を受けてボクは話すことに決めた。ボク自身の宝塚記念後の話を。

 

 

「ま、ボクの話聞いてもらおかって言うた手前話さんのもおかしいわな。分かった、話すわ。ボク自身の宝塚記念後の話」

 

 

「……お願いします」

 

 

 ボクは頭の中を整理しながら、語り始める。

 

 

「まあ、確かに宝塚終わった後はホンマに酷い状態やったわ。やること全部に気力が湧かんわ、みんなと会うのが怖くて学園休むわ、挙句の果てにはみんなに罵倒される夢見るわ。精神状態は最悪の一言やな」

 

 

「みんなに罵倒される夢?」

 

 

「言葉通りの意味や。お母様に始まり、カイザーたちにお前は弱いとか色々と罵倒される夢やな。最後はトレーナーに契約解除を言い渡されるとこで目ぇ醒めたわ」

 

 

「わ、私たちはそんなこと言いません!絶対に!」

 

 

 カイザーは強い口調でそう言った。ボクは苦笑いしながら答える。

 

 

「分かっとる分かっとる、あくまで夢ん中の話や。そんだけ精神状態は良くなかったっちゅうことやな。そんな状態やったから寮長からも学園を休むよう言われとったんよ」

 

 

「そうだったんですね……」

 

 

「で、そんなボクが立ち直るきっかけをくれたんが、トレーナーや」

 

 

「神藤さん……ですか?」

 

 

 ボクは頷く。あの時のことを話し始める。

 

 

「あん時のトレーナーにはホンマ驚いたで!ボクに会うために寮長に土下座までしとったからな!」

 

 

「……なんか、容易に想像つきますね。その様子が」

 

 

「やろ?まあ驚いたのもそうやけどそれ以上に、ボクは嬉しかった。ボクのためにそこまでしてくれたことが」

 

 

 今でも昨日のことのように思い出す。あの日のトレーナーのことを。

 

 

「そして、そこからまあ色々あってその日ん内に体調自体は良くなったんやけど完調とまではいかんかった。今思うと不安やったんやと思う。ボクはボーイに勝てるんやろうか……って。その不安がある限り、ボクの体調は戻らんかったやろうな」

 

 

「テンポイントさんも不安だったんですね。それだけ、ボーイさんは強い」

 

 

「そうや。悔しいけど、ボクはあの宝塚記念で余計それを印象づけられた。不調のボーイ相手に負けたんやからな」

 

 

「……じゃあ、どうやって?」

 

 

「簡単や。それでもボクの強さを信じてくれとる人がいた。ボクがどんだけ負けようと、ボクが最強やって言うてくれる人がおった。やから、ボクもそれを信じることにした。そしたら、ボーイに勝てるのか?これから先も勝てるやろうか?って不安はきれいさっぱり無くなった」

 

 

「……」

 

 

「そっからは、カイザーたちが知っている通りのボクや。調子は最高、夏合宿で鍛えまくって、京都大賞典でのあの走りに繋がっとる。戦法変えることは、最初は勿論不安やった。やけど、トレーナーができる言うたからボクもそれを信じた」

 

 

 ボクがそう話すと、カイザーがボクに聞いてきた。

 

 

「あの、どうして神藤さんのことを信じようと思ったんですか?」

 

 

「……どういう意味や?」

 

 

 思わずそう聞き返すとボクが気を悪くしたと思ったのかカイザーが慌てて弁明を始める。

 

 

「いえ、別に深い意味はないんですけど!テンポイントさんの話してる時の表情を見ていたら、柔らかい笑みを浮かべてたからすごく信頼してるんだなぁって!そしたら、どうしてそんなに信頼してるのかちょっと疑問になって!」

 

 

「あぁ、そういうことか。そうやなぁ……」

 

 

 話そうと思った、が。思いとどまる。あの日のことだけは絶対に話したくない。ボクは内心慌てながら答える。

 

 

「……トレーナーがボクを信頼しとることがよう分かったから、ボクも信頼で応えよう、って思うたからや」

 

 

「本当にそれだけですか?なんか、深い理由とか……」

 

 

「そんだけや!」

 

 

 ボクは大きな声を出してそれ以上追及されることを阻止する。するとカイザーは一応納得したようで聞いてこなかった。ボクは安堵する。

 

 

「でも、テンポイントさんが少し羨ましいです。テンポイントさんをそこまで思ってくれて、強さを信じてくれる人がいて」

 

 

 カイザーの言葉に、何を言っているんだと思いながらもボクはカイザーに質問した。

 

 

「何言うとるん?カイザーにもおるやろ?」

 

 

「……いませんよ。私の強さを信じてくれる人なんて……」

 

 

 カイザーは自嘲気味に笑う。だが、そんなことはない。ボクはカイザーの言葉を否定する。

 

 

「少なくともここに1人おるやん。カイザーの強さを信じとる奴」

 

 

「……え?」

 

 

「ボクはカイザーは強い思うてるで。それにあくまでここにボクしかおらんてだけで、グラスもボーイも同じこと思うてるやろ。後はクインもそうやな」

 

 

「……慰めなんていりませんよ。私のどこが強いって言うんですか?」

 

 

 そう言うカイザーには少し怒りが見えた。ただ、ボクは思ったことをそのまま伝える。

 

 

「確かに、カイザーって派手な勝ち方はしてへんけど。やけど21回も走っとって掲示板外は宝塚記念だけなんは純粋にすごいことやと思うで?」

 

 

「……そうでしょうか?」

 

 

「そうや。それに、カイザーはダービーウマ娘やろ?ダービーをまぐれで勝つんは不可能や。そんダービーを、ボーイを抑えて勝ったんやから強いやろカイザーは」

 

 

「でも、私は世間的には……」

 

 

 やはり、カイザーが気にしているのはそこか。周りの、というよりは記者やファンの人たちの言葉を過剰に気にしているのだろう。ボクは溜息1つついてカイザーを諭す。

 

 

「ええか?カイザー。ボクが言えたことやないけどな、周りの評価なんて気にしたとこで無駄や。どうしたって悪いこと言うてくる連中はおる。それに一々反応しとったらキリないで?」

 

 

「ですけど、外野の意見というものも……」

 

 

「大体な、カイザーは物事を悪う考えすぎや。もうちょい気楽に考えた方がええで?カイザーのことをええように言うてる人たちだっておる。信じるんやったらそん人達の方や」

 

 

「でも……」

 

 

 カイザーはなおも渋っている。まあこれは彼女の性格によるものが大きいかもしれない。ならば、これ以上言うのは止めた方がいいだろう。

 ボクはカイザーに告げる。

 

 

「ま、少なくともボクはカイザーは強い思うてる。そんだけ覚えててくれたらええわ」

 

 

「ありがとうございます……」

 

 

「それに、名前挙げんかったけどタケホープ先輩もカイザーのこと信じとるんやないか?あの人カイザーに入れ込んどるし」

 

 

「えぇ?そうですかぁ?タケホープ先輩にはからかわれてる記憶しかないんですけど……」

 

 

 カイザーは疑問たっぷりといった表情でボクを見る。確かにいつもカイザーに悪戯しているが、それもタケホープ先輩なりの愛情表現なのだろう。本人には1ミリも伝わっていないが。

 

 

「あの人なりの愛情表現ちゃう?少なくともどうでもいいと思うてる相手にはちょっかいかけんやろ。先輩の性格的に」

 

 

「……確かにそうですけど」

 

 

「まあ、なんにせよ」

 

 

 ボクはそう言って一拍おいてカイザーに告げる。

 

 

「カイザーがレースで走るの止めるんやったら、ボクは無理には止めへん。それはカイザーの自由やからや」

 

 

「……はい」

 

 

 カイザーは辛そうな表情を浮かべている。けれど、ボクの言いたいことをカイザーに伝える。

 

 

「やけど、後悔が残る選択だけはせんようにするんやな。今やったら、まだハダルにも戻れるかもしれへんし」

 

 

「……どうでしょうか?トレーナーが許してくれるとは……」

 

 

「まあ、そこは気合で何とか」

 

 

「えぇ……」

 

 

 それはボクにはどうしようもない。でも、戻ることを許してくれそうな気はする。何となくだが。

 

 

「これは個人的なことやけど。カイザーがレースの世界に復帰するんやったらボクは嬉しいで。そん時はまた競い合おうや。ま、簡単には負けてやらんけどな!」

 

 

「……考えておきますね。まだ、分からないですけど」

 

 

 ぎこちなくだが、カイザーは笑みを浮かべる。復帰を考えているのかは定かではないが、ひとまず安堵した。

 笑みを浮かべていたカイザーは一転して不安そうな表情でボクを見る。その表情を見てボクは緊張する。そして不安げな表情でカイザーがボクに質問する。

 

 

「……テンポイントさんは、私をどう思っていますか?私を、ライバルだと思ってくれてますか?」

 

 

 その質問に少し肩透かしのような気分になりながらも、正直に答える。

 

 

「当たり前や。友達でライバル、そう思っとるで。やから、復帰してくれるんやったらボクはむっちゃ喜ぶ。止めるんやったらむっちゃ泣く」

 

 

 そう答えると、カイザーは苦笑いをしながら続けた。

 

 

「……グラスさんと、一緒のこと言ってくれるんですね」

 

 

「なんや、グラスも同じこと言うてたんか。でもボーイに聞いても同じこと言うやろな」

 

 

「そうでしょうか?」

 

 

「絶対に言うで。賭けてもええわ」

 

 

 ボクは笑いながらそう言った。するとカイザーも苦笑いではない笑顔を浮かべた。

 言いたいことも言ったのでボクはカイザーに質問する。

 

 

「さて、結構話してたけど……どないする?まだ時間は余裕あるで」

 

 

「そうですね……。ちょっと、考えたいことがあるのでここで解散してもいいですか?」

 

 

 カイザーは少し考えた後そう言った。ボクはそれに納得するように答える。

 

 

「分かった。やったらここでお別れやな。また学園で、カイザー」

 

 

「はい。また学園で会いましょう、テンポイントさん」

 

 

 そしてボク達は別れてそれぞれの帰路につく。

 学園の寮に帰る道中で、ボクはカイザーの様子を思い出していた。別れた時は憑き物が少し落ちたような表情をしていた。ボクの言葉はちゃんと届いていたのだろう。そのことを思い出す。

 

 

「これで、ちっとは前向きになってくれたんかな?」

 

 

 大切な友達が前向きになってくれたことを嬉しく思いつつ、ボクは寮へと帰っていった。




最近天気予報に裏切られることが多い今日この頃。台風はどっか行きましたね。


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閑話9 意識する理由

とある2人のデート回(なお片方は買い物としか思っていない)


 授業が終わって放課後、先日がレースだったということでオレは休みを言い渡されている。しかし、困ったことに何もやることがない。テンさん、グラス、カイザーも自分たちのレースがあるだろうから忙しいはず。1人で家に帰っても何もすることがない。コッソリ自主練でもしようかと思ったが、そんなことをしたらおハナさんに大目玉を食らうことは間違いない。もう怒られるのは勘弁だ。

 何かないかと考えていると、前を歩いているクインが目に入った。オレは声を掛ける。

 

 

「お~い、クイン!奇遇だな!」

 

 

「ト、トウショウボーイ様!?ど、どうされたのですか?」

 

 

「いや、クインがいるのが目に入ったからさ。そうだ!クインってこの後暇だったりする?」

 

 

 クインは少し考えた後、答える。

 

 

「そうですね……。目黒記念を控えてはいますが、今日の練習はお休みを頂いています。ショッピングモールで新しい靴を買おうかと。それがどうかされましたか?」

 

 

「じゃあさじゃあさ!それにオレもついていっていいか?練習休みでやることなくてさー」

 

 

「それは構いませんが……ッ!」

 

 

 同行の許可を貰えたと思ったら、急にクインの顔が真っ赤になった。一体どうしたのだろうか?何か小声でボソボソと言っている。

 

 

「もしや、これは…トという…では!?落ち着き…私、冷静に…トウショウボーイ様に…ように!」

 

 

 詳しくは聞き取れないが、オレの名前を言ってるのは分かった。とにかく、いまだに顔を真っ赤にしているクインを心配するように声を掛ける。

 

 

「な、なぁクイン。大丈夫か?顔真っ赤だし、体調悪いなら……」

 

 

 しかし、最後まで言い終えることなくオレの言葉をクインは遮り食い気味に答える。

 

 

「大丈夫です!全っ然、大丈夫です!では、早速向かいましょう!トウショウボーイ様!」

 

 

「お、おう。まあクインが大丈夫って言うならいいけど」

 

 

 クインの言葉に気圧されながらも、許可を貰えたということでオレとクインはショッピングモールへと一緒に行くことになった。道中、クインは終始機嫌が良く、

 

 

「フフッ、トウショウボーイ様とデート……、トウショウボーイ様とデート……ッ!」

 

 

と、呟いていた。デート?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ショッピングモールに着いて、足早に靴屋へと向かい、無事にクインの靴を購入することができた。なのに、クインはどこか浮かない表情をしている。

 

 

「あぁ……、せっかくのデートがこんなに早く終わってしまうなんて……」

 

 

 そんなことを呟いていた。デート、なのかはよく分からないが、オレはここで解散する気はサラサラなかった。オレはクインに提案する。

 

 

「なぁクイン、時間はまだたっぷりあるからさ、どっか見て回ろうぜ!」

 

 

 オレの提案に、クインは首肯した。

 

 

「は、はい!是非、是非お願いします!」

 

 

 食い気味である。そんなにショッピングモールを見て回るのが楽しみなのだろうか?疑問に思いながらもオレはクインを連れて色々なところを回ることにした。

 時には洋服を試着したり、

 

 

「なぁクイン!この服どうよ?似合ってるか?」

 

 

「とてもよくお似合いです!トウショウボーイ様の凛々しさが増していますわ!」

 

 

時にはゲーセンでクレーンゲームに挑戦したり、

 

 

「よーしよし、このまま無事ぱかプチを……って、あぁ!?」

 

 

「落ちてしまいましたね……」

 

 

「くっそー、テンさんは滅茶苦茶上手なのになー。今度教えてもらおうかな……?」

 

 

映画のシアター前を訪れたり、

 

 

「さすがに映画を見る時間はありませんね……」

 

 

「だなー。ま、今度また見に来ればいいだろ!」

 

 

「そ、それは次のデートのお誘い……ッ!」

 

 

「みんなで!」

 

 

「……あぁ、そうですね……」

 

 

「えっ?ダメだったか?」

 

 

ショッピングモールで楽しく過ごした。

 色々な場所を見て回ったのでクインが歩き疲れたと思ったオレは喫茶店で休憩を取ることにした。クインと一緒に店内へと入る。

 

 

「いらっしゃいませ、2名様でよろしいでしょうか?」

 

 

「はい、2名でお願いします!」

 

 

「かしこまりました。それではこちらの席へどうぞ」

 

 

 店員さんに席へと案内され、メニュー表を見て注文を決める。待っている間、オレは今日の買い物のことをクインに話す。

 

 

「いやー!楽しかったなクイン!」

 

 

「フフッ、そうですね。私も楽しかったですトウショウボーイ様」

 

 

「やっぱ、クインと一緒にいるとテンさんたちとは別の楽しさがあるな!テンさんたちとはレースでバッチバチにやり合うのが合ってるんだけど、クインとは何ていうか……こう……とにかく一緒にいると落ち着くし楽しい!なんて言うんだろうなコレ……」

 

 

「そう言っていただけると、私も嬉しいです」

 

 

 クインはそう言ってお冷を飲む。相変わらず所作の1つ1つに気品を感じる。テンさんもそうだがクインもなんていうかお嬢様っぽい。

 そう考えていると、先程の疑問に答えが出た。オレは答えが出たことを嬉しく思いながらクインに伝える。

 

 

「分かった!クインと一緒にいると家族みたいな感じがするんだ!」

 

 

「ぶーっ!?」

 

 

 オレがそう言ったら急にクインが飲んでいるお冷を噴き出した。驚きながらもクインに声を掛ける。

 

 

「ど、どうしたクイン!?オレなんか変なこと言ったか!?」

 

 

「い、いえ、大丈夫です、トウショウボーイ様。ただちょっと驚いてしまっただけなので」

 

 

「え?な、なんで?」

 

 

「大丈夫ですので!」

 

 

 クインからそう強く言われたのでオレは渋々引き下がる。そんなに変なこと言っただろうか?

 すると、クインから話を振られた。

 

 

「そういえば、以前トウショウボーイ様はレースで走るみんながライバルと言った旨の発言をしていましたよね?」

 

 

「ん?そうだな。一緒に走ったらそれはもう友達でライバルだ!」

 

 

 それがオレのレースでのスタンスだ。一緒に走ったら友達でライバル。勝ったら嬉しい。負けたら悔しいから次は負けないように頑張る。そうやってオレはずっと走ってきた。

 クインはさらに続けて質問する。

 

 

「ですが、トウショウボーイ様は特にテンポイント様を意識していらっしゃいますよね?」

 

 

「あぁ~、確かにそうだな」

 

 

 オレはレースで走るみんなを友達でライバルだと思っている。ライバルには負けたくないと思うのは当然。だが、その中で特に負けたくない相手が1人だけいた。それがテンさんである。

 

 

「それはどうしてでしょうか?トウショウボーイ様は、なぜテンポイント様をそこまで意識するのでしょうか?」

 

 

「う~ん……」

 

 

 クインの質問にオレは悩む。するとクインは慌てた様子で弁明してきた。

 

 

「気を悪くしたのであれば申し訳ありません。ですが、どうしても気になってしまって……」

 

 

「いや、気にしなくてもいいぜ。ちょっと思い出してただけだから」

 

 

「そうなのですか?」

 

 

「あぁ。で、テンさんを意識する理由なんだけど……。ちょっと長くなるけどいいか?」

 

 

「大丈夫です。是非、お聞かせください。トウショウボーイ様」

 

 

 クインの言葉を聞いてオレは話すことにした。テンさんを意識する理由。それは入学時までさかのぼる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 テンさんを初めて見たのは入学式が終わってから自分たちのクラスに入室した時。テンさんの席はオレの隣だったからその第一印象は今でもよく憶えている。

 最初見た時、お人形さんみたいな子だと思った。端正な顔に金色の長い髪、触れたら折れてしまいそうなほどに細い手足。小さい身体にスレンダーな肉体。気品を感じさせる雰囲気。ガタイが良く身長も高い、全体的に筋肉質な自分とは正反対だと思った。オレは内心、

 

 

(スッゲー奇麗な子だな……)

 

 

と思った。

 そこからホームルームで自己紹介が進んでいきオレの番になる。オレは元気よく返事をして自己紹介をした。

 

 

『オレはトウショウボーイ!好きなのは走ることと人の笑顔!後困ってる人は見過ごせないから趣味は人助け!みんなよろしくな!』

 

 

 オレの自己紹介に一部笑っている子もいた。受けが良かったとオレは内心安堵していた。自分の席に座ろうとすると、テンさんがこちらを不思議そうな目で見ていたからオレは笑顔を浮かべて挨拶をすることにした。

 

 

『これからよろしくな!』

 

 

『あ、あぁ、うん。よろしゅう』

 

 

 そのまま自己紹介は滞りなく進み、ホームルームが終わる。帰ろうとしているテンさんに改めて自己紹介をしてその場は別れた。これがオレとテンさんのファーストコンタクトである。ただ、この時点ではテンさんをライバルとしてここまで意識するとは思ってもみなかった。

 テンさんをライバルとして本格的に意識しだしたのは、最初のレース実技の授業である。オレは自分のストレッチをしながら走っているクラスメイト達を見ていた。

 

 

(やっぱスゲェなトレセン学園は!みんなレベルが高いぜ!)

 

 

 そんなことを考えていたら、テンさんの出番がやってきた。オレがまず思ったのは不安。本当にあの身体で走れるのだろうか?と、そう思っていた。

 

 

(大丈夫なのかな?テンさん華奢だし、下手したら……)

 

 

 だが、そんな心配はテンさんの走りを見た瞬間消え失せた。

 思わず見惚れた。身体の小ささとは不釣り合いなほどに大きく見せる走り、ストライドが長くそれでいて美しいフォーム。オレはテンさんの走りに、一瞬で目を奪われた。あまりにも美しいその走りに釘付けになる。それは周りのクラスメイト達も同じだった。

 そして、テンさんが走り終わって少し経ってから授業の先生に名前を呼ばれて我に返った。慌ててコースへと小走りで向かう。

 

 

(スッゲェ……!心臓がバクバクいってる……!一緒に走ってみてぇ!そして、勝ちてぇ!)

 

 

 そう思いながらも、走ることに集中する。レースではないので着順は関係ないのだが、1番最初にゴールすることができた。

 オレは走り終わってから急いで休憩をしているテンさんの下へと向かう。向こうは驚いた顔をしていたが、オレはお構いなしに指を突きつけてこう言った。

 

 

『テンさん!もしトゥインクルシリーズ一緒のレースで走ることになったら、ぜってぇ負けねぇかんな!』

 

 

『……え?あ、うん。お手柔らかに?』

 

 

 向こうは戸惑っていたが、オレは宣戦布告をしてその場を去った。その後はクラスメイト達の走りを見てすごいとは思ったが、テンさん以上の衝撃は感じなかった。テンさんの次点でグラスとカイザーの走りだろう。2人のことは特別なライバルだと思っているが、テンさんはその中でもさらに特別だ。それだけテンさんの走りが、オレの心に響いたのかもしれない。

 その後はリギルにスカウトされて、トゥインクルシリーズへの出走が決まった。メイクデビューは他の子よりちょっと遅れたが、順調に勝ち星を重ねて皐月賞で初めてテンさんと勝負した。そして、勝負していくたびにテンさんに負けたくないという気持ちはどんどんと強くなっていった。だから、有マでお互いベストな状態で勝った時は本当に嬉しかった。

 テンさんと走るレースは本当に楽しかった。だからこそ、あの宝塚記念はオレにとって別の意味で忘れられないレースになった。

 レースが終わってテンさんに駆け寄ると、勝った喜びが一瞬で消え失せた。敵わない相手を見るような目、生気のない目でオレを見るテンさんの目。

 

 

(なんでだよ……。なんでそんな目で見るんだよテンさん……。いつもみたいに、次は勝つって言ってくれよ……!)

 

 

 去っていくテンさんに声を掛けようとしたがグラスに止められる。

 

 

『離せよグラス!テンさんが……』

 

 

『今ボーイちゃんが行っても逆効果だってことが分からないの!?そっとしてあげて!』

 

 

 思えば、グラスに怒鳴られたのはあの時が初めてかもしれない。オレは去っていくテンさんを見ることしかできなかった。

 そこから1週間は本当に生きた心地がしない日々だった。テンさんのあの目が忘れられなかった。

 

 

(オレ、テンさんを傷つけちゃったのかな……。もう、一緒にレースで走ってくれねぇのかな……)

 

 

 もうテンさんとレースで走れない、競い合えないと考えると、絶望感が半端じゃなかった。

 そんな考えを抱き続けて1週間たったある日、オレは暗い気持ちのまま登校するとテンさんがいた。最初は夢かと思ったが現実だと分かると嬉しくなってつい抱き着いてしまった。テンさんは鬱陶しがっていたが。

 ただ、心配が晴れたわけではない。テンさんはまだオレをあの目で見るんじゃないだろうかと考えると気が気でなかった。思わずテンさんにそう言ったが、その心配は杞憂に終わる。

 

 

『次戦う時はぶっ倒す。それだけや。覚えとれよ?今までの負け、利子つけて返したる。覚悟しとき!』

 

 

 その言葉に、オレは嬉しくなった。

 

 

(良かった、いつものテンさんだ!)

 

 

『……へへっ!上等だテンさん!次もオレが勝つぜ!』

 

 

 いつものテンさんに戻ったことに、オレは安堵した。

 そこから京都大賞典の走りを見て、やっぱりテンさんはすごいと思った。戦法を変えてアレだけの走りを見せた姿は脱帽しかない。それに、入学時のような華奢さも完全になくなった。その日は、自分の中から湧き上がる気持ちを抑えるのに必死だった。この闘志は、次戦う時のために取っておくべきだろう。そう考えていた。

 今にして思えば、テンさんの姿を初めて見た時から今の今まで、オレはずっとテンさんを意識していた。走りに見惚れたから、とか美しいから、とかそんな理由ではなく。本能レベルで刻まれているかのようにテンさんを意識していた。詳しい理由なんか必要ない。ただ絶対に負けたくない相手として、オレはテンさんを特別なライバルだと意識し続けている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……と、まあこれがテンさんを意識している理由……になんのかな?結局、本能だとしか言えねぇんだけど」

 

 

 オレはクインにそう言って締めた。話している途中で運ばれてきた飲み物に手をつける。少し温くなっていた。

 クインは感嘆したように息を吐きながら言う。

 

 

「そうなんですね……。トウショウボーイ様にとって、テンポイント様は特別な存在なのだと」

 

 

「そうだなぁ。グラスやカイザー、他の子にも勿論負けたくねぇって気持ちはあるんだけど……。テンさんに対してはそれが特に強いんだよ。絶対に負けたくねぇ相手っていうのかな?そんな感じ」

 

 

 オレがそう言うと、クインは寂しそうな目をして告げる。

 

 

「少し、テンポイント様が羨ましく感じます。トウショウボーイ様にそこまで思われているテンポイント様に」

 

 

 オレは不思議に思いながらもクインの言葉に反応する。

 

 

「う~ん。クインもテンさんとは違う感じの特別だと思ってるぜ?テンさんはライバル、クインは……やっぱ家族だな!」

 

 

 そう言うと、クインはまた飲み物を噴き出した。せき込むクインを心配すると、彼女から怒られた。

 

 

「トウショウボーイ様!軽率にそのようなことを言わないでください!」

 

 

「え!?ごめんクイン!もう言わねぇからさ!」

 

 

「いえ!できればもっと言ってください!特にみなさんがいる場所で!」

 

 

「どっちなんだよ!?」

 

 

 そんな会話をしながら、オレはクインと心地の良い時間を過ごしていった。




ここからは閑話が多くなっていくと思います。


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第74話 不思議な先輩

名前だけは登場していたあのウマ娘回


 京都大賞典が終わってから早いもので1週間が経った。ボーイのやつもこの前のオープンレースを無事に勝ったらしく、上機嫌な様子で報告してきた。ボクはそれに賛辞の言葉を贈りながら対応する。

 カイザーはあの日以降、時折1人で練習をしているらしい。チームの方に戻る気は今のところないようだ。ただ、レースを諦める、という気持ちは少し薄くなってきているのかもしれない。喜ばしいことである。グラスも心なしか嬉しそうだった。

 そして現在、放課後の練習をしているのだが……、1つ問題があった。ボクはトレーナーに質問する。

 

 

「……なぁトレーナー。1つええやろうか?」

 

 

「どうした?なんか問題でもあったか?テンポイント」

 

 

「なんや最近すっごい視線感じるんやけど……ボクの気のせいやろか?」

 

 

 そう、京都大賞典が終わってからというもの、何者かの視線を感じるようになったのだ。ボクは基本遠巻きに見られることが多いので視線を向けられるのには慣れているのだが、どうにもこの視線が気になって仕方がない。というのも、ファンの子たちはちゃんと姿が確認できる位置にいるのだが、この視線の主はどこにいるのかが全く見当がつかない。その方向を向いても視線を向けた時にはすでに消えている。

 これが1日や2日なら気のせいで済ませてもいいだろう。だが、京都大賞典からすでに1週間以上が経っている上にこの視線は毎日向けられている。カイザーと出かけた時にはさすがに感じなかったが、学園に帰ってきた時には視線を感じた。

 トレーナーは難しい顔をしている。

 

 

「ふむ……ファンの子とか、偵察とかそういったものか?」

 

 

「いや、そういうんやないな。なんというか、ボクの様子をジーっと見てるだけ、っちゅうか……」

 

 

「なるほどな……」

 

 

 そう言って、トレーナーは辺りを見渡す。しかし、誰もいないことを確認したのか嘆息をする。

 

 

「トレセン学園の警備は厳重だ。記者が紛れ込んでるとか、そういったものではないと思うんだが……。放ってはおけない問題だな」

 

 

「う~ん、一体誰なんやろうか……」

 

 

 結局、その日はトレーナーの方でも後で調べてみるということで練習を再開する。練習を再開した後も、その視線をボクは感じ取っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の日の放課後、ボクは帰り支度を済ませているとまたあの視線を感じ取った。思わずその方向へと振り向く。しかし、姿は確認できなかった。

 ボクが溜息をつくと、ボーイがボクに不思議そうに声を掛けてきた。

 

 

「どうしたんだよテンさん。なんかあったのか?」

 

 

「いや、最近誰かからの視線を感じるようになってな……」

 

 

 ボクの言葉を聞いてグラスも声を掛けてくる。

 

 

「えぇ~?大丈夫~?それって何時からなの~?」

 

 

「京都大賞典が終わってからずっとや」

 

 

「1週間もですか?それは気が滅入りますね……」

 

 

 カイザーがボクを心配するように声を掛ける。ボクはみんなを心配させないように告げる。

 

 

「まあ大丈夫や。遠巻きに見られるんは慣れとるし。やけど、ホンマに誰なんやろうか……?」

 

 

「う~ん……っ?なあ、アレ。エリモジョージ先輩じゃないか?」

 

 

「え?」

 

 

 そう言ってボーイの言った方へと視線を向けると、色の深い茶色の髪で片目を隠し、長い髪を後ろで一つ結びにしているボクよりも小柄なウマ娘が立っていた。その姿にはボクも見覚えがある。本当にエリモジョージ先輩が立っていた。ジーっとボクを見ている。そしてその視線はボクがここ1週間感じているものと同様のものだった。つまり、視線の主はエリモジョージ先輩だったようである。

 エリモジョージ先輩。トレセン学園でその名前を知らない者はいないだろう。カブラヤオー先輩とテスコガビー先輩の同期であり、クラシックの冠とは無縁だったが12番人気で迎えた春の天皇賞で逃げ切り勝ちを収め、一気に頭角を現した人である。

 だが、エリモジョージ先輩が有名なのはそこではない。その強烈な個性である種恐れられているのだ。何をするのか予測がつかない、何をやってくるのか分からない、何を考えているのか分からない、トレーナーでさえも抑えることのできない気性。そのことから、エリモジョージ先輩は<気まぐれジョージ>と呼ばれ、トレセン学園ではある意味恐れられている。……ついでに、先輩は学年不詳でありどの学年に所属しているのか分からないので便宜上ボク達は先輩と呼んでいる。本当に謎が多い人なのだ。

 そんな人がなぜボクを見ているのだろうか?そう疑問に思っていると先輩がこちらへと歩みを進めてくる。ボクの目の前で止まった。思わず身構える。

 

 

「ジーッ」

 

 

(口に出してジーッとかいう人初めて見たわ……)

 

 

 心の中でツッコミを入れながらもボクは先輩に質問する。

 

 

「あの、ボクになんか用でしょうか?1週間ずっと見とりましたよね?」

 

 

「ん。用事 ある」

 

 

 先輩は短くそう言った。やはりボクに用事があったらしい。ボクは先輩に質問する。

 

 

「やったら、何の用でしょうか?」

 

 

「んー……」

 

 

 そう聞くと、先輩は自分の鞄を漁り始める。何かボクに渡したいものでもあるのだろうか?そう考えていると先輩はあるものを取り出した。麻袋である。

 ……麻袋?そんなもの、何に使うつもりだ?というか、なぜ鞄の中に麻袋なんか入れているのだ?そう考えていたら、

 

 

「てやー」

 

 

麻袋をボクの頭の上から思いっきり被せてきた。

 

 

「もがっ!?な、なんや!?」

 

 

 突然の出来事にボクは狼狽する。なんとか麻袋を外そうとするが、誰かがボクの手をがっしりと掴んで後ろ手に縛った。完全に身動きが取れなくなったと思ったら誰かに担がれる。

 

 

「テン坊 かくほー」

 

 

 先輩のそんな声が聞こえたと思ったら、ボクはどこかへと運ばれる。遠くから我に返ったようなボーイたちの声が聞こえたが、徐々にその声は聞こえなくなっていった。一体ボクはどこに運ばれるのだろうか?不安を抱えながら、ボクは担がれたままどこかへと連れて行かれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しばらくしたら目的地に着いたのか先輩の動きが止まったように感じた。麻袋を被せられているため詳しい状況は分からない。だが、扉を開けるような音が聞こえたのでどこかの部屋に入ったようである。

 そして、先輩の声が聞こえた。

 

 

「やほー とれーなー」

 

 

 おそらく彼女のトレーナーだろうか?男の呆れた声が聞こえる。相変わらずボクは担がれたままだ。

 

 

「……エリモジョージ。人に麻袋を被せて拉致するのは止めなさいといつも言っているでしょう。というか、今度は誰ですか?」

 

 

「今 解放する」

 

 

 その先輩の声とともに、ボクは椅子に座らされ、縛られていた手を解放され麻袋を外される。

 

 

「プハッ!ど、どこやここ!?」

 

 

「……エリモジョージ。よりにもよって、なんて子を拉致してきたんですか!?」

 

 

 麻袋から解放されて辺りを見渡すと、どうやらトレーナー室のようである。そして、男の声が聞こえた方へと視線を向けると、ビジネスマン風の出で立ちをした男がボクを驚いた表情で見ていた。おそらく、先輩のトレーナーだろう。

 ボクは警戒を強めながら事の成り行きを見守る。先輩とトレーナーが口論をしていた。

 

 

「とれーなー。新規入部の子 つれてきたよ」

 

 

「何言ってるんですかあなたは!その子はもうトレーナーがついています!早く帰してきなさい!」

 

 

「えー?でも わたし テン坊と 一緒の ちーむで 走りたい」

 

 

「我儘を言ってないで、早く帰してきなさい!」

 

 

「ボクはペットかなんかですか?」

 

 

 やり取りが拾ってきたペットに対する親と子の口論そのものである。思わずそうツッコんでしまった。

 どうやら、先輩のトレーナーにとっても予想外のことだったらしい。かなり驚いている。思わず警戒を緩めていると、トレーナー室の扉が開いた。

 

 

「おーっす、時田トレーナー。……ってまーたジョージ先輩が誰か拉致してきたッスか?」

 

 

「おはようございます時田トレーナー、ジョージ。……ってまた誰か拉致してきたんですねジョージ……」

 

 

 2人のウマ娘が入室してきた。ボクはそちらへと視線を向ける。すると、1人の方はとても見覚えがあった。向こうもこちらを指さして驚いたような表情を浮かべている。

 そして、怒った口調でボクに話しかけてきた。

 

 

「あーッ!お前はテンポイント!テメェ、なんでここにいるんだ!」

 

 

「ホクトやんか。なんでも何も、さっき自分で言うとったやん。エリモジョージ先輩に拉致されたからや」

 

 

「そ、そういえばそうだった……!で、でも!忘れたとは言わせねぇぞ!この前の京都大賞典!」

 

 

「あ~そういや一緒に走っとったな」

 

 

 最重要で警戒していたから覚えている。向こうは大きい声で宣戦布告してきた。

 

 

「あの時はちょーっと調子が悪かっただけだ!次は俺が勝ってやる!覚悟しとけよ!」

 

 

「そうか。次また走ることあったらよろしゅうな」

 

 

 ボクは冷静に答える。ホクトは何か言いたげだったが、一応納得したらしくそれ以降は絡んでこなかった。そしてホクトは時田トレーナーと呼ばれた男に問いかけていた。

 

 

「それで、トレーナー!今日のメニューはなんだ!?こいつに勝てるようなメニューを組んでくれたんだよな!」

 

 

 ボクを指さしながら時田トレーナーに詰め寄っていた。余程京都大賞典の負けが悔しかったのだろう。

 しかし、それに答えたのはエリモジョージ先輩である。何を考えているのか分からない表情でホクトに告げる。

 

 

「ホクト わたしと一緒に おさかなさん 取りに行こう」

 

 

すごい。どういうことなのかさっぱり分からない。ホクトも驚いている。

 

 

「なんで!?魚はこの前取りに行ったばかりでしょう!?」

 

 

 前も取りに行ったのか。しかし、エリモジョージ先輩は意に介していないようだった。

 

 

「なくなっちゃった。だから 補充」

 

 

「嘘でしょ!?というか、俺じゃなくてもいいでしょう!?トレーナー、先輩!助けて!」

 

 

 ホクトは悲痛な叫びを上げながら自身のトレーナーと先輩に助けを求める。しかし、待っていたのは非情な言葉だった。

 

 

「諦めなさいホクトボーイ。エリモジョージがこういったらもう終わりです」

 

 

「ホクト、骨は拾ってあげるわ。一緒に海まで逝ってあげて」

 

 

「先輩絶対行っての漢字間違えてましたよね!?嫌だー!もう荒波に飲まれるのは嫌だー!」

 

 

 ホクトは絶望したような表情を浮かべている。いくら何でも可哀想だと思ったボクはエリモジョージ先輩に物申す。

 

 

「あの、エリモジョージ先輩?こんなに嫌がっとるんやから、やめてあげたらどうです?」

 

 

 しかし、ボクの言葉に時田トレーナーは鼻を鳴らして告げる。

 

 

「無駄ですよテンポイントさん。エリモジョージが一度言い出したら……」

 

 

「んー。テン坊が そう言うなら やめるー」

 

 

「「「……は?」」」

 

 

 ボクとエリモジョージ先輩以外の3人は呆けていた。まるで信じられないものを見るような目でエリモジョージ先輩を見ている。

 代表して時田トレーナーがエリモジョージ先輩に話しかけていた。

 

 

「エ、エリモジョージ!あなた、人の言うことを聞くことができたんですね!?」

 

 

 滅茶苦茶失礼な物言いである。エリモジョージ先輩も心なしか怒っている……、ように見える。何しろ表情がほとんど変わらないのでボクの推測だ。

 エリモジョージ先輩は時田トレーナーの言葉に返答することなくボクの方を向く。

 

 

「ジーッ」

 

 

「あ、あの。なんですか?」

 

 

「ジョージ」

 

 

「え?」

 

 

 ボクはエリモジョージ先輩の言葉に戸惑う。いきなりどうしたのだろうか?そう考えているとエリモジョージ先輩はそのまま話を続ける。

 

 

「ジョージで いい。むしろ ジョージって 呼んで。敬語も いらない」

 

 

「は、はぁ。ジョージ?」

 

 

 ボクは戸惑いながらもジョージの名前を呼んだ。すると、ボクの発言に満足したのか、

 

 

「ムフー」

 

 

と言いながらご満悦な表情を浮かべている。余程嬉しかったのだろう。表情はほとんど動いていないが。

 すると我に返ったホクトがボクに詰め寄り、手を握りながら感謝の言葉を述べてきた。

 

 

「ありがとう!ほんっっっとにありがとう、テンポイント!おかげで船に乗らずに済んだ!」

 

 

「前は乗らされたんか……」

 

 

「当たり前だ!ジョージ先輩は一度言い出したら絶対に聞かねぇんだ!しかも本人は途中で飽きるから結局俺だけでやる羽目になるし!」

 

 

 どうやらジョージの気まぐれで余程酷い目に合わせられてきたらしい。悲痛な叫びに聞こえた。

 すると、時田トレーナーがジョージに疑問をぶつけた。

 

 

「……エリモジョージ。何故テンポイントさんをそこまで気に入っているのですか?」

 

 

「え?どういうことです?」

 

 

 ボクは思わずそう聞き返した。間髪入れずに時田トレーナーは答える。

 

 

「人の話は聞かない、気まぐれで他人を振り回す、生徒会の手を焼かせた数は覚えていません。そんなエリモジョージがあなたの言うことは素直に聞きました。あなたより付き合いの長い私たちの言うことは聞かないというのに。ならば、それだけあなたを気に入っているということでしょう」

 

 

「はぁ……」

 

 

「なので、その理由を知りたいのです。こちらとしては……ね」

 

 

 時田トレーナーはそう締めた。まあ確かに気になるだろう。ボクも気になる。ジョージはどうしてボクを気に入ったのだろうか?思わず前屈みになる。

 すると、ジョージは時田トレーナーの質問に答える。

 

 

「京都大賞典」

 

 

「京都大賞典がどうかしたのですか?」

 

 

「テン坊 逃げで 走ってた。気になった。そこから 色々 調べた。そしたら 親近感 湧いた」

 

 

「なるほど……」

 

 

「わたし テン坊 気に入った。だから 拉致した」

 

 

「いや、なんでそうなるんですか?」

 

 

 ボクは思わず突っ込んでしまった。気に入ったから拉致するのはどうかと思う。

 そして話を聞いていくとどうやら1週間ボクのことを見ていたのは機会を窺っていたらしい。ボクと話す機会を。ただ、さすがに飽きて放課後、教室で拉致したと言っていた。

 そして、全てを話し終わった後、時田トレーナーは告げる。

 

 

「あなたがテンポイントさんを拉致した理由は分かりました。ですが、彼女はもう他のトレーナーがついています。だから諦めなさい」

 

 

「えー」

 

 

 ジョージは不満気だ。時田トレーナーがこちらをチラリと見る。言いたいことは分かるのでボクはジョージに話しかける。

 

 

「悪いんやけどジョージ、ボクのトレーナーはあの人しかおらんからジョージのチームには入れんわ。ごめんな?」

 

 

「……わかった」

 

 

 不承不承ながらも納得した。しかし、次にジョージはとんでもないことを言い出す。

 

 

「じゃあ、わたし 神藤のとこ 入る。それで 万事 解決」

 

 

「いや、アカンやろ」

 

 

 驚きながらもそうツッコんだ。というかボクのトレーナーのこと知っていたのか。

 そこからボクは解放されてトレーナーの下へと帰る。トレーナーはボーイたちから詳細を聞いていたらしい。余程心配していたのか、

 

 

「だ、大丈夫かテンポイント!なんか変なことはされなかったか!?」

 

 

と、とても慌てていた。それが少しおかしくてボクは笑いながらも無事だということを告げた。トレーナーは安堵したようで、そこから少し遅めの練習へと入っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 練習も終わり、ボクは寮に帰宅する。すでに同室の子がいると思ったのでボクは帰宅の挨拶をしながら扉を開けた。

 

 

「ただいまー」

 

 

「ん。おかえり テン坊」

 

 

 勢いよく扉を閉める。おかしい。何故かジョージの声が聞こえた。ボクは聞き間違いだと思いもう一度扉を開ける。

 

 

「おかえり テン坊」

 

 

 聞き間違いではなかった。ボクの部屋になぜかジョージがいる。ボクは頭の中が混乱しながらもジョージに問いかける。

 

 

「……なんでジョージがここおるん?」

 

 

 するとジョージは何でもないように答えた。

 

 

「テン坊 同室の子 変わってもらった。ちゃんと 寮長の 許可取った。合意の 上」

 

 

 多分、言っても聞かないから諦められただけじゃないだろうか?そう思ったがもう遅い。ボクは諦めた。

 

 

「まあ、これからよろしゅうな。ジョージ」

 

 

「ん。よろしく テン坊」

 

 

 これから仲良くしていきたい。そう思いながら挨拶を交わした。




テンポイントの同室の子がエリモジョージになりました。いまだにグランドライブ育成がよく分からんち。


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第75話 準備は万全

あっさりだけどオープンレース回


 ジョージに気に入られてから1ヶ月が経ち、今ではボーイたちと変わらないくらいには仲良くなった。また、ジョージとボクの逃げは似通っている部分が多く、たまにジョージから逃げのコツなんかを教えてもらっている。

 ……まあ、ジョージはほぼ感覚で走っているためかほとんど参考にならないのだが。寮でジョージがどんなことを意識して走っているのか聞いたことがある。その時に言われたことは本当に衝撃的だった。

 

 

『せや、ジョージって走っとる時はどんなこと考えてるん?』

 

 

『走ってる 時 ?』

 

 

『そうそう、なんかあるやろ。こう走ったろーとか、ここはこうしとるーとか』

 

 

『うーん』

 

 

 少し考えた後、ジョージはこう答えた。

 

 

『後ろ 来たら びゅびゅーん って走る。後ろ 緩めたら だらーん ってする』

 

 

『……は?』

 

 

『後ろ 来たら びゅびゅーん。後ろ 緩めたら だらーん』

 

 

『……前に詰めてきたらペースを上げる、詰めてこぉへんならペースを下げる?』

 

 

『そんな感じー』

 

 

 何とか翻訳することはできたが、ジョージはほぼ感覚で走っているらしくこのような擬音を用いての説明が多かった。感覚で走って勝てるあたり、ジョージのポテンシャルの高さが垣間見えた気がした。

 そんなことを思い出しながら、ボクは今東京レース場のターフの上に立っている。東京レース場の第8Rであるオープンレースに出走する準備を進めていた。

 最初こそ、レース成立人数に達するかどうか不安だったが、何とか成立人数ギリギリの5人が集まったため、無事開催されることとなった。ボクは1枠1番の最内枠。天気は晴れの良バ場。警戒しておく相手はいないが、万が一があるため油断はしない。ここを勝って有マ記念への弾みをつける。トレーナーとはそう打ち合わせていた。

 ウォーミングアップを終えて、ボクはゲートへと入る。そして、続々と出走する子たちがゲートへと入っていった。最後の子が入ったことで、後はゲートを開くのを待つだけだ。

 

 

 

 

《東京レース場第8R、芝は良バ場と発表されています。各ウマ娘がゲートへと入りました。間もなく出走となります。このレース、やはり最注目はテンポイントでしょうか?》

 

 

《そうですねぇ。このレースでは圧倒的支持を得て断トツの1番人気、観客の中にはテンポイントがどう勝つか?なんて声すら聞こえてきそうなほどの歓声です。しかし他のウマ娘たちも負けず劣らずのいい仕上がりです。勝負は最後まで分からない、それがまたレースの面白いところでもあります》

 

 

《成程。さぁ、それでは東京オープンレースが今……スタートです!》

 

 

 

 

 ゲートの中でしばらく待っていると、ゲートが開いた。ボクはゲートが開くのとほぼ同時に走り出す。ハナを取ってボクは快調に飛ばしていった。

 2番手とはつかず離れずの位置をキープする。追い越せそうで追い越せない、その絶妙なラインをキープする。

 

 

(なるほどな、これがジョージがいつもしとることか)

 

 

 いざ自分で実践してみると、その難しさに少し驚いた。だができないことはない。ジョージはほぼ感覚でこれをやっているらしい。やはりジョージのポテンシャルは底なしと言ってもいいだろう。

 そのままボクは東京レース場を先頭で走り続ける。不思議なことに、ボクの調子は誇張抜きに過去最高の調子と言ってもよかった。気楽に走れている。何ならレコードタイムで勝つことすらできそうな気分だった。

 だが、ボクはその考えをすぐに改める。

 

 

(あくまでこれは京都大賞典と同じで前哨戦や。対ボーイに向けた最終調整レース。それを頭に入れんとな)

 

 

 このレースはあくまで有マ記念への弾みをつけるためのレース。レコードを出すことが目的ではない。無理をして怪我に繋がるようなことになれば最悪だ。別に派手な勝ち方をする必要はない。

 そして、2番手とつかず離れずの位置をキープしながら走り続けてボクは第4コーナーのカーブを抜けて最後の直線に入る。後ろの子たちがペースを上げてきた。ボクもそれに合わせてペースを上げる。

 

 

 

 

《……勝負は第4コーナーを抜けて最後の直線へと入っていった!先頭は変わらずテンポイント!テンポイントが逃げています東京レース場!2番手ロングホークが必死に追走している!しかしテンポイントとの差は縮まらない!》

 

 

《……ロングホークも決して弱いウマ娘ではありません。G1にこそ手は届いていないものの皐月賞と春の天皇賞を2着、秋の天皇賞を3着に潜り込むほどの猛者です。それをまるで赤子扱いですね》

 

 

《そのままテンポイントが逃げる!ロングホークが追う!しかし、その差は縮まらなかったテンポイントゴールイン!1着はテンポイントだ!それから遅れること1と3/4バ身差で2着はロングホーク!》

 

 

 

 

 そのままボクは1着でゴール板を駆け抜けていった。そこからほとんど差はなくロングホーク先輩がゴールする。

 ロングホーク先輩を尻目にボクは着順やタイムが出る掲示板を見る。今回のレースのタイムを見るためだ。

 

 

(1分47秒5か……。ッし!)

 

 

 我ながら優秀なタイムだ。内心喜ぶ。しかし、それを決して表には出さずにウィナーズサークルへと歩を進めていった。

 ウィナーズサークルでトレーナーと合流し、記者の人たちのインタビューに答えていく。

 

 

「神藤トレーナー、テンポイントさん。まずは勝利おめでとうございます。今回のオープンレース出走についての理由をお聞かせ願えますか?」

 

 

「それについては私が。テンポイントの体調と疲労が残ること、前走である京都大賞典と次のレースのことを考えた結果、この日のオープンレースが最良だと判断しました」

 

 

「次走は何を予定していますか?」

 

 

「次走は有マ記念を予定しています。最も、ファン投票次第ではあるのでまだ分かりませんが」

 

 

 トレーナーは苦笑いを浮かべながら答える。それに記者の人たちも少し笑顔になりながら質問を続けた。

 

 

「まあ、テンポイントさんの人気を考えたらほぼ出走は確定と言ってもいいでしょう。テンポイントさんに質問ですが、有マ記念で意識している相手はどなたでしょうか?」

 

 

「それは勿論、トウショウボーイです。彼女には今んとこ負け越しとるので。それに、世間ではボクのこと〈悲運の貴公子〉だの、トウショウボーイには勝てないだの色々言われとりますので。それを有マ記念で払拭したろうと思うてます」

 

 

 ボクは笑顔でそう答える。しかし、記者の人たちは引き攣った顔をしていた。一体どうしたのだろうか?隣に立っているトレーナーは頭が痛そうに抱えていた。

 ……まあ、引き攣った顔をしている理由は勿論分かっている。何故なら、ボクのことを〈悲運の貴公子〉だのボーイに勝てないだの煽っているのは他ならないこの人たちだから。トレーナーは前に良い記者だっていると言っていたが、ボク自身あまり記者に対しては良い印象を抱いていない。

 ただ、このことに関してまたトレーナーに後から言われるだろう。そのことだけは覚悟しておく。

 トレーナーが記者の人たちに謝った。

 

 

「……申し訳ありません。トウショウボーイを意識するあまりつい熱くなってしまっているようです」

 

 

「い、いえ。それに煽っている記事を書いているのは事実ですので……。そ、そうだ!トウショウボーイの他に注目しているライバルはいますか!?」

 

 

 その質問にボクは答える。

 

 

「そうですねぇ……。やっぱグリーングラスでしょうか。クライムカイザーは……ちょっと有マに出走するかは分からへんので何とも言えません。あぁ、でもマルゼンスキーと闘えるのは楽しみにしとります。彼女のレースはボクの耳にも入っていますので」

 

 

「そうですね。それでは次の質問ですが……」

 

 

 その後は特に問題なくインタビューは進んでいき、時間が来たということでインタビューは終わった。記者の人たちがはけてからトレーナーから一言、

 

 

「あんまり記者の人たちを威圧するような言動はしないようにな?」

 

 

と、軽く怒られた。確かに、あの発言は良くなかっただろう。ボクは少し後悔しながらトレーナーに謝る。今度記者の人たちには何らかの形でお詫びした方がいいかもしれない。

 その後はウイニングライブへと移っていった。最前列でトレーナーとキングスとその友人たちがサイリウムを振ってボクを応援している。もう見慣れた光景だ。だが、トレーナーの隣にいつもなら見慣れない人が増えていた。ジョージである。レースを見に来ていたのか、と思ったがボクはセンターで踊りながら重大なことを思い出す。それは2日前の会話のこと。

 

 

『ジョージの次のレースっていつなん?』

 

 

『ん-っと 今月末 復帰戦』

 

 

『そか。練習頑張ってな、ジョージ』

 

 

『応援 嬉しい。わたし 張り切る 練習も 頑張る』

 

 

 ジョージはそんなことを言っていた。だが、今こうしてボクのライブを見に来ている。その瞬間ボクは

 

 

(練習どうしたんやジョージ……)

 

 

そう思わずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の日、ボクとトレーナーはトレーナー室で昨日のレースの反省会をする。とは言っても、

 

 

「過去最高の出来って断言できるわ。ホンマに気楽に走れた。疲労も残っとらんし」

 

 

「だな。文句なしの出来だったぞテンポイント。これで後は有マ記念に向けて調整するだけだな」

 

 

ほとんど反省する点はなかった。

 トレーナーの視点から見てもあのレースは会心の出来だったらしい。ボクを褒めちぎっていた。ボクはその言葉1つ1つに喜ぶ。また、ここまでの出来になったのもトレーナーのおかげだ。なのでボクもトレーナーを褒めちぎる。お互いに褒め合ったことが何となくおかしくてしばらく笑いあっていた。

 これで有マ記念に向けて準備は万端と言ってもいいだろう。後は怪我をしないように細かい調整をしながら本番に備えるだけである。

 トレーナーがボクに告げる。

 

 

「さて、後は細かい調整をしていくだけなんだが……。この日は空いているか?テンポイント」

 

 

「んー?……その日やったら空いとるで。なんかあるんか……って思うたけど」

 

 

「そう、この日は秋の天皇賞が行われる日だ。そしてこのレースにはトウショウボーイとグリーングラスが出走する」

 

 

 トレーナーの言いたいことが分かった。偵察というやつだろう。ボクは二つ返事で了承する。

 

 

「了解や」

 

 

「よし、なら詳しい集合時間だが……」

 

 

 そうして詳しい日程を詰めていく。この日は練習も休みにして見に行くこととなった。

 ボクの準備は全てにおいて順調と言っていいだろう。なので気になるのは他の有力なウマ娘たちの仕上がりだ。そして、有マ記念に置いて最大の障害となるであろう2人が出走するとなれば見に行かない理由はない。

 ……その日の夜、ジョージと会話しているとどうやらその日はジョージもレースらしく見に来てくれと言われた。しかし、もう秋の天皇賞を観戦しに行くと約束したため行けないことを告げると、

 

 

「薄情者。よよよ」

 

 

と、言われてしまった。なので後日必ず埋め合わせをするというと機嫌がコロッと治った。




今回はちょっと短めです。


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第76話 思わぬ展開

ライバルたちの偵察回。昔は秋の天皇賞も3200mだったことに驚きを隠せません。


 11月半ばに出走したオープンレースを快勝してから早いもので月末。秋の天皇賞を迎えた。ボクはトレーナーとともに東京レース場へと訪れている。理由は1つ、ボーイとグラスがこのレースに出走するからだ。いわゆる敵情視察というやつである。

 今現在ボクたちはパドックにおり、そのパドックでは秋の天皇賞に出走するメンバーたちの入場が今まさに始まろうとしているタイミングである。少しの興奮を覚えながらボクはトレーナーに話しかける。

 

 

「なぁトレーナー。トレーナー的にはどの子が勝つと思うてるん?」

 

 

「今日のレースか?そうだなぁ……」

 

 

 トレーナーは少し考えた後答える。

 

 

「パドックでの調子次第にはなるが……。やっぱ俺の大本命はグリーングラスだな。トウショウボーイは確かに強いが距離不安が残る。だから長距離に絞ればステイヤーであるグリーングラスの方が有利ってのが俺の私見だ。今回の天皇賞の距離は春の天皇賞と同じ3200m。グリーングラスは春の天皇賞は4着だった。順当に考えれば、グリーングラスに軍配が上がるだろう。まあ、休養明けだからパドックでの調子次第ではあるな」

 

 

「ふ~ん、ボクとおんなじ意見やな。それに、そんだけやないやろ?グラスが勝つ思うてるんは」

 

 

 お見通しだったか、と前置きしてトレーナーは言葉を続ける。

 

 

「重バ場、とまではいかないが今日の東京レース場のバ場の状態は良くないらしいからな。トウショウボーイは重バ場が得意じゃないからさらに不利を背負わされている。対してグリーングラスは重バ場を苦にしない。それでも、トウショウボーイが1番人気な辺り、アイツの実力の高さと世間の期待が伺えるが」

 

 

「やな。それに、グラスも今回かなり気合入れとるらしいし、休養明けを考慮してもグラス有利は変わらんか」

 

 

「まあ、この2人だけじゃなくて有力な子はまだまだいるからな。春の天皇賞でお前の2着だったクラウンピラード、トウショウボーイとは違って長距離を走れるホクトボーイ。後はこの前のオープンレースで2着だったロングホークなんかもそうだな」

 

 

 トレーナーはそう言ってパドックへと視線を向けた。その時、パドックにアナウンスが流れる。どうやら入場が始まるようだ。ボクもパドックへと視線を集中させる。

 

 

 

 

《……続いてパドックに入ってきたのは秋の天皇賞1番人気!5枠6番トウショウボーイです!》

 

 

 

 

 しばらくパドックを眺めていると、ボーイが入場してきた。調子は悪くなさそうだが、その表情はどことなく不安げだ。おそらくだが、バ場の状態が関係しているのかもしれない。

 ボーイのパフォーマンスが終わり、アナウンスの後パドックに次の子が入場してくる。そこからしばらくして今度はホクトの番が回ってきた。見た感じ、調子は良さそうである。一瞬、ボクのことが視界に入ったのか、警戒心むき出しの表情をしていたが。

 ホクトのパフォーマンスが終わって、次はグラスがパドックに入場してきた。調子は可もなく不可もなく、といったところだろうか?だが、休養明けということを考慮すれば十分だろう。ただひとつ、気になる点があった。ボクはトレーナーに話しかける。

 

 

「……なんちゅうか、気が立ってへんか?グラス」

 

 

「……そうだな。どことなく集中し切れていない感じがしている」

 

 

 どうやらボクの気のせいではなかったらしい。グラスはどことなく精彩を欠いているような、そんな感じがパドックで見れた。これがレースにどう影響するか。

 そこから全員のパドックでのパフォーマンスが終わり、ボク達はレース場へと足を運ぶ。いつもトレーナーが観戦している位置に着くと、トレーナーがボクに話しかけてくる。

 

 

「しかし、あの調子だと誰が勝つかは全く予測がつかないな。トウショウボーイは距離とバ場の不安。ならば対抗のグリーングラスが本命は変わらないが、彼女はどことなく精彩を欠いている様子だった。それらを踏まえると、この2人ではない誰かが勝つ可能性がグッと上がったな」

 

 

「そうなると……、ホクトとクラウンピラードやろうか?あん2人は調子が悪うなさそうやったし」

 

 

「そうだな。結局は走ってみないことには分からないが」

 

 

 そこからは多少の世間話をしてターフに入場してくるのを待つ。その間にジョージからメッセージが届いていた。どうやら向こうは無事に勝ったらしい。ボクは祝福のメッセージを送り返す。ジョージとメッセージのやり取りをしていると、出走する子たちの入場が始まった。

 

 

 

《少し雲が残る空の下、秋の天皇賞へと出走するウマ娘たちが続々とターフへと入場してきています。距離は3200m、今日のバ場の状態は午前中は重バ場と発表されていましたが午後になって稍重まで戻りました東京レース場。果たして秋の盾を勝ち取るのはどのウマ娘になるのか?》

 

 

 

 

 入場したウマ娘たちは各々ウォーミングアップをしている。その中には早い段階で入場してきたボーイの姿もあった。パドックで見た通り、調子はそこまで悪くなさそうである。

 しかし、心配なのはグラスの方だ。グラスは枠番の関係で後の方で入場してきたのだが、どことなく集中し切れていない。一体彼女に何があったのだろうか?ボクは不安になる。

 ボクが不安にしているのを感じ取ったのか、トレーナーがボクに話しかけてくる。

 

 

「不安か?グリーングラスが」

 

 

「……せやな。今回はかなり精彩を欠いとる。変なことにならんとええけど」

 

 

「……だな。果たして、これがどう転ぶか」

 

 

 グラスへの心配が晴れないまま、出走する子たちがゲートへと入っていく。まもなく秋の天皇賞が始まろうとしている。

 

 

 

 

《各ウマ娘がゲートへと入っていきます。まずは3番人気のウマ娘から紹介しましょう。3番人気は7枠10番グリーングラス!TT世代の菊花賞ウマ娘、生粋のステイヤータイプと評される彼女は一体どのようなレースを見せてくれるのか!》

 

 

《前走である日経賞を1着。しかし直後に脚の不安と発熱からその後のレースは休養。休養明けぶっつけ本番となる今回の天皇賞、それが考慮されての3番人気でしょう。頑張ってほしいですね》

 

 

《続いて2番人気のウマ娘の紹介です。2番人気は3枠3番クラウンピラード!春の天皇賞はテンポイントの2着と好走、雪辱を果たすことができるか!》

 

 

《今まで重賞を勝ち切れていない彼女。ここは何としても勝ちたいところ》

 

 

《最後に1番人気のウマ娘の紹介です。1番人気は勿論このウマ娘!5枠6番トウショウボーイ!春は全休、宝塚記念から始動した本年度は3戦3勝で秋の天皇賞へと乗り込んできました!》

 

 

《前走であるオープンレースは日本レコードでの7バ身圧勝。レコードを塗り替えた回数は驚異の4回、距離不安こそ残るもののやはりこの強さが支持されての1番人気でしょう。後は稍重となったバ場がどこまで響くのかが気になるところです》

 

 

 

 

 実況と解説による紹介が終わり、後は出走の時を待つばかりである。東京レース場に静寂が訪れた。観客は出走の瞬間を今か今かと待っている。ボクもその1人だ。

 

 

 

 

《各ウマ娘の準備が整いました。後は出走の時を待つばかりです。秋の盾を賭けた戦い天皇賞・秋。果たして栄光を勝ち取るのはどのウマ娘か?秋の天皇賞が今……スタートです!》

 

 

 

 

 ゲートが開いた。秋の天皇賞が開幕する。

 

 

 

 

《ゲートが開きました。トウショウボーイが好スタートを見せます。しかし2枠を活かして先頭に立ったのはトウカンタケシバだ。トウカンタケシバが先頭に立ちます。その後ろ2番手にランスロット、3番手にトウショウロックその外4番手にトウショウボーイが控えています。5番手はグリーングラス。そして1周目の第4コーナーへ向かいます。先頭トウカンタケシバは2番手との差を2バ身から3バ身のリードをつけている。2番手はほとんど差がなく内にランスロット、中にトウショウロック外にトウショウボーイが並んでいます5番手は変わらずグリーングラス。後方集団は固まっています》

 

 

《ホクトボーイはいつも通り最後方で控える形ですね。調子は良さそうです》

 

 

《1周目の第4コーナーを抜けて先頭トウカンタケシバ。内から飛ばしていきますトウカンタケシバ2番手とは4バ身のリード。2番手は変わらず3人が争う形そしてその後方に5番手グリーングラスが展開を窺っています》

 

 

 

 

 走りを見ている限り、グラスに問題はなさそうだ。レース前の心配は杞憂だったとボクは感じた。後はこの後のレースがどう展開されるか。しっかりと見ておく必要がある。

 ボクはトレーナーに話しかける。

 

 

「グラス、休養明けやけどあん走りを見とる限り調子は悪うなさそうやな」

 

 

「だな。後は末脚をどこまで残せるかが勝負の分かれ目だろう。……気になるとすればトウショウボーイをマークしているからか前目につけていることぐらいか」

 

 

「う~ん。やけど、グラスは先行でも走れるしそこは問題ないとボクは思うとるで」

 

 

 ボクの言葉にトレーナーは理解を示したのか軽く頷いた。ボクはその姿を確認した後、レースへと視線を戻す。先頭は第1コーナーを曲がろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこからレースは進んでいき、勝負は向こう正面を回って第3コーナーに入ろうかというところ。だが、ここでボク達が予想していなかった展開を見せていた。

 驚きながらボクは呟く。

 

 

「おいおい……。何考えとるんや、あん2人……」

 

 

「分からねぇ……。ただ、普段のトウショウボーイとグリーングラスなら絶対にしない状況になってやがるな」

 

 

 実況からも驚きの声が上がっている。

 

 

 

 

《さぁ向こう正面の中ほどからトウショウボーイが先頭に立ちました!しかし外からグリーングラスがトウショウボーイに並びかける!第3コーナーの下りに入りました先頭はトウショウボーイとグリーングラスだ!先に動いたトウショウボーイにグリーングラスが絡んでいるぞ後続を突き放しにかかる!3番手クラウンピラードとの差は3バ身!しかし一体どうしたことか!?これはちょっと暴走気味ではないでしょうか!?》

 

 

《これは一体どうしたことでしょうか、トウショウボーイとグリーングラス両ウマ娘ともに掛かっているのかかなりのハイペースで展開しています。残り1000mをこのペースで駆け抜けるほどのスタミナを残しているのでしょうか?》

 

 

《さぁグリーングラスがトウショウボーイに執拗に絡んでいます!しかしトウショウボーイも負けていません第4コーナーを先頭で駆け抜けています!そのすぐ外に2番手グリーングラス!3番手はクラウンピラードグリーングラスからは3バ身遅れることクラウンピラードが3番手!バ群の中央に4番手カーネルシンボリが控えています!》

 

 

 

 

 そう、ボーイもグラスも暴走ではないかというペースで先頭争いをしているのだ。そしてそのペースのまま第4コーナーを回り、最後の直線に入ってお互いがお互いを競り落とそうとさらにペースを上げ始める。しかし、

 

 

「いくら何でもスタミナが足らんやろ!?中距離とは訳がちゃうんやぞ!」

 

 

ボクはそう思わずにはいられなかった。この夏でスタミナ強化に励んでいるのであれば話は変わるかもしれない。だが、道中もそこそこ早いペースで走っていたのにそこからさらにペースを上げて走るなど、どんなスタミナお化けでも無理だ。現に、後続の差は全然開いていない。むしろ縮まってきている。

 トレーナーの方へと視線を向けると、難しい顔をしていた。ボクはトレーナーに質問する。

 

 

「トレーナー。どんな意図があると思う?あん2人に」

 

 

 ボクの質問に、トレーナーは表情を崩すことなく答えた。

 

 

「……多分だが、意図なんてものはない。あの2人は完全に掛かっている。お互いがお互いを競り落とそうと躍起になっているんだろう。だが、競り合いになるのが早過ぎた。このままだと共倒れになるぞ」

 

 

「一体どうしたんや、2人とも……」

 

 

 ボクは不安な気持ちのままレースを見守る。すでに先頭を走っているボーイたちと後ろの子たちとの差はなくなっていた。

 

 

 

 

《……先頭を走るトウショウボーイとグリーングラス!しかし内から3番手クラウンピラードが追い込んでいている!クラウンピラードがその差を縮めていくすでに1バ身を切っているぞ!外からはホクトボーイが追い込んできた!外からホクトボーイが先頭に立つか!?いやホクトボーイが先頭だ!トウショウボーイとグリーングラスはペースが落ちてきている!2番手にクラウンピラードだ!先頭ホクトボーイを2番手クラウンピラードが追う!ホクトボーイかクラウンピラードか!?秋の盾を勝ち取るのはどちらだ!さぁホクトボーイがクラウンピラードを突き放した!その差は2バ身そしてその勢いのままホクトボーイがゴールイン!》

 

 

《最後方からの見事な追い込み勝ちでしたね。前々走の京都大賞典の雪辱を晴らすかのような見事な勝ちっぷりでした。クラウンピラードは惜しくも2着でしたね。ただ、トウショウボーイとグリーングラスは道中精彩を欠いていました。一体どうしたのでしょうか?》

 

 

《秋の天皇賞、勝利したのはホクトボーイだ!2着は2と1/2バ身差でクラウンピラード、3着はシタヤロープです!グリーングラスは5着でなんとか掲示板入りを果たしましたがトウショウボーイは自身の最低着順となる7着に沈みました!やはり仕掛けるのが早かったかトウショウボーイは7着です!》

 

 

 

 

 偵察のために訪れた秋の天皇賞、そのレースで注目されていたボーイとグラスはお互いに競り合った結果共倒れという結果となってしまった。その結果を受けてボクは戸惑いを覚える。

 

 

「一体どうしたんや、2人とも……」

 

 

 走り終わって、肩で息をしている2人を見つめながら、ボクはそう呟いた。




次のガチャ更新はユキノビジンですね。


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第77話 感じ取った異変

グリーングラスの異変を感じ取る回


 ボーイとグラスの2人を偵察するために訪れた秋の天皇賞。大方の予想ではこの2人のどちらかが勝つと予想されていた。現に、ボクとトレーナーもボーイかグラスのどちらかが勝つと予想していた。

 しかし、実際に秋の天皇賞を勝ったのはホクトの方だった。だが、レースの展開を考えればこの勝ちは不思議なことではない。

 ボーイとグラスが負けた原因をボクはトレーナーと冷静に分析する。

 

 

「……やっぱ、向こう正面での競り合いやろうな。あれで大分スタミナ持ってかれたやろ、ボーイもグラスも」

 

 

「だな。競り合いになるのが早過ぎた。グリーングラスならば、残りの距離を考えたらあそこはまだ控えるべきだっただろう。そうしなかったのは……」

 

 

「宝塚記念での逃げ切り勝ち。それが印象に残っとったからやろうな。そんまま逃げ切られると考えたから早めに仕掛けた。やけど、それだけなんやろうか?」

 

 

「どういうことだ?」

 

 

「いや、暴走してたんはパドックで気が立っとった理由に関係しとるかもしれへんなって思うて」

 

 

「そうか……。だが、その辺の事情はさすがに分からないな。調整明けだから、っていうのが一番納得できる理由だが。ただまあ……」

 

 

 溜息1つついた後トレーナーは言葉を続ける。

 

 

「今回、トウショウボーイにとっては悪い条件が続いていた。稍重というバ場に加えて距離の不安。だが、今回のレースに限って言えば敗北の要因はそのどちらでもない」

 

 

「レースの展開のせいやろうなぁ……」

 

 

 もう少し仕掛けるのを遅らせれば、無理に競り合わなければ。そうすればボーイが勝つ可能性はあっただろう。レースにたらればを語っても仕方ないが。

 それに、褒めるべきはホクトの方だろう。ボクはホクトを称賛する。

 

 

「しっかし、ホクトはすごかったなぁ。ようあん展開でギリギリまで我慢しとったわ。それがあったからこそ、このレースを勝利することができた」

 

 

「だな。最後方で控えて最後の最後で捲ってきた。冷静にレースを見ていなければできないことだ。今回のレースはホクトボーイが上手だった」

 

 

 そこからは他の有力そうな子たちの話になり、ライブの時間までその話で盛り上がった。

 だが、頭の中ではグラスの乱調の理由が気になって仕方がなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 天皇賞が明けて次の日、ボクが教室でいつも通り新聞を読んでいると扉を開けて誰かが入ってきた。扉が開いた時には特に反応しなかったが、周りの子たちがざわついていたので気になったボクは扉の方へと視線を向ける。そこにはジョージが立っていた。

 向こうは中京レース場から帰ってきたばかりなので、朝出る時はまだ寝ていた。ボクはジョージを起こさないようにして登校してきた。あの後ジョージも起きたのだろう。遅刻せずに済んだようで何よりである。

 しかし、朝からどうしてこの教室に?と疑問に思っているとジョージがボクの方へと歩いてくる。そして、ボクの腕を掴んだ。

 

 

「どしたんジョージ?」

 

 

 そう質問すると、ジョージは短く答える。

 

 

「屋上 れっつらごー」

 

 

 どうやら屋上に来て欲しいらしい。別に断る理由もないのでボクはジョージとともに屋上へと向かった。

 屋上に着くとボクは早速呼び出した理由をジョージに聞く。

 

 

「で?屋上に呼び出してどうしたんやジョージ」

 

 

「んー」

 

 

 少し考えるそぶりを見せた後、ジョージがボクに聞き返してくる。

 

 

「天皇賞 結果 聞いた。ホクト 勝った。トウショウボーイ グリーングラス 負けた」

 

 

「せやなぁ。ボーイとグラスは残念やったけど、ホクトはあん時ホンマにすごかったな」

 

 

「んー。ホクト すごい そうだけど」

 

 

 しかし、どうやら言いたいことはそういうことではないらしく、頭を振った後ジョージはボクに聞いてくる。

 

 

「トウショウボーイ グリーングラス 負けた理由 知りたい?」

 

 

 その言葉にボクの興味が一気に湧いた。だが、その前に1つ質問させてもらう。

 

 

「そん前にええか?ジョージ」

 

 

「どぞー」

 

 

「ジョージは天皇賞見たんか?」

 

 

「見た。 帰り 新幹線 動画 あっぷ されてた」

 

 

「やったら、あん2人の暴走の理由も分かるんか?」

 

 

「なんとなくー」

 

 

 ジョージはボクの言葉にそう答えた。あの2人の暴走の原因が気になったボクはジョージに聞く。

 

 

「やったら、教えてくれへんか?あの2人がなんであんなハイペースで走っとったのか」

 

 

「いいよー」

 

 

 そう言ってジョージは話始める。

 

 

「天皇賞 2週間前 テン坊 レース 出てた」

 

 

「やな。オープンレースやったけど」

 

 

「あのレース わたし 見てた。けど トウショウボーイと グリーングラスも 見てた」

 

 

「そうだったんか?」

 

 

 ジョージがレースを見に来ていたことは知っていたが、その情報は初耳だった。

 

 

「テン坊 レース 快勝。わたし 嬉しかった。おめでとー」

 

 

「前も言うてくれてたな。ありがとさんジョージ」

 

 

「えへへー。そうだ トウショウボーイ やったー してた。でも グリーングラス 違った。むむ~ してた」

 

 

「難しい顔……とは違うんか?」

 

 

「多分。おこ。そんな感じ」

 

 

「……怒っとった?」

 

 

 少し訳が分からなくなった。情報を頭の中で整理する。

 

 

(ボクのオープンレースをボーイとグラスの2人は見に来とった……。ジョージが言うにはボーイは楽しそうにしとったけどグラスは違う。難しい表情、というよりは怒っとった顔をしてた……)

 

 

 ダメだ。少し判断材料が少ない。ボクはジョージに問いかける。

 

 

「う~ん。ジョージ的にはグラスの顔はどんなやったん?怒っとる表情にも結構種類あるやんか。ジョージはどんな風に感じたんや?」

 

 

「んー」

 

 

 少しの間沈黙が訪れる。やがて考えが纏まったのか、ジョージが口を開いた。

 

 

「ぐぬぬ~ してた」

 

 

「ぐぬぬか……」

 

 

 そうなると、あのオープンレースでグラスはボクの走りを悔しそうに見ていた、ということだろうか?ジョージの主観を信じるのであればそうなる。

 だが、それが今回の天皇賞にどうつながるのか?ボクは今回の天皇賞に出走していない。ならば、考えられるとすれば……。

 

 

「ボクの走りに対抗意識を燃やして、それをボーイにぶつけた?」

 

 

 そんなところだろうか。ジョージは両手で丸を作っていた。ボクの答えが合っていることを示すように。

 

 

「天皇賞 向こう正面中ほど。トウショウボーイ 先頭立った。でも ぎゅーん 行く気 なかった」

 

 

「まあ飛ばす気はなかったやろうな。少なくとも、今までのボーイやったらあんハイペースで飛ばしていこうなんて思わんはずや」

 

 

「けど 誤算あった。グリーングラス ぐわーっ 来た。トウショウボーイ びくっ なった」

 

 

「グラスが急に来たからボーイは驚いたんか。確かに計算外やったろうなボーイからしたら」

 

 

 ボーイからすれば、最後の直線に来ると思っていた相手が第3コーナーで急に来たのだ。驚くのも無理はないだろう。

 ジョージは話を続ける。

 

 

「ぐわーっ 来た。トウショウボーイ ぐぬぬ なった。グリーングラス 同じ。どっちも 後 引けなくなった。結果 最後 ばたんきゅー」

 

 

「グラスが来たからボーイもペースを上げた。ボーイがペースを上げたからグラスも上げる。どっちも後に引けんくなった。そん結果、最後の直線で共倒れ……っちゅうことか?」

 

 

「わたし 主観 そんな感じー」

 

 

 ジョージはそう言って言葉を締めた。ボクは嘆息しつつも、驚いていた。

 

 

(グラスのあん暴走はボクのオープンレースを見とったのが原因……。ジョージの言葉を信じるんやったらそういうことになる。まああのオープンレースは我ながら完璧な走りやった。それを見て対抗意識を燃やしたっちゅうんは納得できることやけど……)

 

 

 対抗意識を燃やしたのがボーイならばまだ分かる。そういう性格だからと納得できる部分があるから。

 だが、グラスがあそこまで対抗意識を燃やした走りをしているのがボクとしては意外だった。グラスは表に出すタイプではないと思っていたから。少なくとも、今まで見てきた走りはそうだったはずだ。

 ボクはジョージに質問する。

 

 

「つまりや、グラスの暴走に乗っかる形でボーイも暴走。そんで、グラスの暴走はボクの走りを見たのが原因かもしれん。そん理由は対抗意識、ボクに負けてられへんから……っちゅうことで合っとるか?」

 

 

「そだよー。でも わたし 主観 覚えてて」

 

 

「あくまでジョージの主観やってことやな」

 

 

 ボクの言葉にジョージが頷く。それを確認した後、ボクは時間を確認するために携帯を取り出した。時間はもう少しで朝のホームルームが始まる時間である。ボクは慌てる。

 

 

「うわっ!もうこんな時間か!ジョージ、ホームルームに遅れるから急ぐで!」

 

 

「らじゃー」

 

 

 ボク達は慌てて屋上を後にする。ボクは何とかホームルームの時間には間に合ったので安堵する。しかし、ジョージの方はどうだったのだろうか?

 

 

(そういや、ジョージのクラスっていまだに謎のままやんな……)

 

 

 まあ、間に合ってるだろう。ボクはそう思うことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 授業が終わって放課後、ボクはトレーナー室で勉強をしている。休憩中にボクは朝のジョージとした会話をトレーナーに話した。

 

 

「……というわけなんや」

 

 

「なるほどな。グリーングラスが……ただ、納得できる部分はある」

 

 

 トレーナーはそう結論づけた。ボクは問いかける。

 

 

「トレーナー的には、ジョージの主観は合っとると思うか?」

 

 

「どうだろうな。ただ、最近のお前らの評価とグリーングラスの評価を比べたら闘争心を燃やしていてもおかしくないとは思う。それにグリーングラスは日経賞からの4か月は脚部の不安と発熱から強い練習ができなかったって聞いてるからな。ライバルであるお前たちとの差がついた焦りから暴走してしまった可能性だって0じゃない」

 

 

「そこに、ボクのレースを見てさらに焦ってしもうた……と」

 

 

「多分な。まあ、これの答えは本人のみぞ知る、ってやつだ」

 

 

 トレーナーはそう締める。続けてボクはボーイのことを質問した。

 

 

「ちなみに、トレーナー的にはボーイの暴走はどう思っとるん?」

 

 

「アイツの場合は単純に先頭を譲りたくなかったからだろう。仕掛けて先頭に立った以上、先頭を譲ったら後で追いつけるかは分からないからな。だからこそ先頭で走り続ける選択肢を取った。今回はそれが悪い方向に働いてしまったようだが」

 

 

「やっぱそう思うんやな。今回に関してはボーイに運は巡ってこんかった、と」

 

 

「そうなるな。だが、有マ記念で最大の障害となるのはトウショウボーイで間違いないだろう」

 

 

 トレーナーはボクにそう告げた。ボクは気持ちを引き締めてトレーナーの言葉を聞く。トレーナーは言葉を続けた。

 

 

「確かに今回は大敗した。が、それでも俺達の最大の敵がトウショウボーイであることには変わりはない。マルゼンスキーは今回の有マ記念に出てくるのかは不明、しかし脚部に不安を抱えているという噂がある。真偽は分からないが、もし真実ならおハナさんが出走させてくるとは思わない。だからマルゼンスキーは有マ記念を回避すると見ていいだろう」

 

 

「う~ん、それは残念やな……。マルとも競ってみたかったんやけど……」

 

 

「こればっかりは仕方ない。脚を壊すわけにはいかないからな。それに戦える機会はまだある。それを待つのがいいだろう」

 

 

 そしてトレーナーは有マ記念に出走してくるであろうメンバーの名前を上げる。ボクはそれを頭に叩き込んだ。

 その最中、思い出したかのようにトレーナーはボクに告げる。

 

 

「そうだテンポイント。海外遠征の件だがどうする?時期としては年明けになるが、主戦場を向こうに移すのも俺は悪くないと思ってるんだが……」

 

 

「トレーナーがついてくるんやったら行くで」

 

 

 ボクはそう即答する。海外遠征をするなら、これだけは譲れない部分である。

 すると、トレーナーは考え込み、呟いた。

 

 

「……まあテンポイントしか見てないし、どうせ1年ぐらいだから海外で見聞を広めるのもありか?問題としては用務員の業務だが」

 

 

 前向きに検討してくれるらしい。そのことにボクは喜ぶ。

 話が横道に逸れたので軌道修正する。有マ記念への構想を練っていると、ふとテレビから驚くべきニュースが舞い込んできた。

 

 

 

 

《……前走の秋の天皇賞で7着に沈んだトウショウボーイが、年内の有マ記念を最後にドリームトロフィーリーグへと移籍することをチーム・リギルの東条ハナトレーナーが発表しました。同トレーナーによるとトゥインクルシリーズで鎬を削るのではなく、ドリームトロフィーリーグでさらなる強者たちと闘う道をトウショウボーイ自身が選んだと答えており……》

 

 

 

 

 ……どうやら、ボーイの奴は今度の有マ記念を最後にトゥインクルシリーズを引退するらしい。そして今後はドリームトロフィーリーグに戦いの場を移すというニュースがボクの耳に入ってきた。

 つまり、

 

 

「次の有マ記念が、トゥインクルシリーズでボーイにリベンジする最後の機会……っちゅうことか」

 

 

「……だな。まあどの道、年明けはこっちも海外だから今度の有マ記念がトゥインクルシリーズでの最後の戦いになる。お前と、トウショウボーイとのな」

 

 

「……上等や。やったら、余計に負けられんな」

 

 

 もし負けるようなことになれば、ボクは一生ボーイの下という烙印を押されたままだろう。そんなこと、絶対にあってはならない。ボクはより一層気合を入れた。




もうそろそろ秋。つまりウマゆるが始まる……!


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閑話10 それぞれの反省

ちょっと話は戻って秋の天皇賞その後回


 東京レース場第9R天皇賞・秋。私は今そのレースを走っている。勝負は向こう正面に入った辺り。前にはボーイちゃんの他に後3人いる。だが、私の目にはボーイちゃんしか映っていなかった。

 このレース、特に警戒すべき相手として私はボーイちゃんを選んだ。バ場の状態や長距離への不安という点を考慮しても、出走するメンバーの中ではボーイちゃん以上の子はいないと思ったから。それに、私にとって絶対に負けれない相手だ。だからこそ、ボーイちゃんへと意識を集中する。

 

 

(抜け出したら、私も一気に仕掛ける……ッ!)

 

 

 向こうの隙を見逃さないようにマークする。このレースに絶対勝つために。

 そして向こう正面に入って中間を過ぎた頃、ボーイちゃんがハナを取るためにスピードを上げたのを私は確認する。

 

 

(……ッ!仕掛けた!だったら私も!)

 

 

 確認するのと同時に、私も仕掛けた。団子状態になっていた集団から抜け出して一気に先頭を走るボーイちゃんに並ぶように追走する。

 向こうは私が来たことに驚いたような表情を浮かべていた。だが、そんなことはどうでもいい。後はボーイちゃんを競り落とすだけだ。私はペースを上げる。

 

 

「私が勝たせてもらうよ、ボーイちゃん!」

 

 

 しかし、私がペースを上げるのと同時、ボーイちゃんもペースを上げる。

 

 

「へっ、グラスが来たのはちょっと予想外だったけど、競り合いだったら負けねぇ!」

 

 

 相変わらずそのスピードは一級品だ。だが、すでに坂を登り終えて下りに入っている。スピードも乗っている今の状態だったら、私も負けていない。先頭でボーイちゃんと私が競り合う状況になった。

 その状態のまま、最後の直線へと私たちは先頭で駆け抜けていった。

 

 

「もう限界なんじゃない!?」

 

 

「冗談!オレはまだまだいけるぜ!」

 

 

 しかし、ボーイちゃんは思った以上にスタミナを残していたのか全然競り落とせない。私は思わずムキになる。

 

 

(ここで競り勝てないんじゃ……、テンちゃんにだって勝てない!だから……ッ!)

 

 

「絶対に、勝つんだぁぁぁぁぁ!」

 

 

 ここまで意地になっているのには理由がある。それはテンちゃんのオープンレースでの走りを見たからだ。

 正直言って、圧巻の走りだった。着差こそ開いていないが、レースの展開を見ていればすぐに分かる。2着の子をまるで赤子扱いするかのような大楽勝だったのだから。

 そのレースで2着だった子は決して弱いウマ娘ではなかった。むしろ、G1にこそ手は届いていないが重賞をいくつも勝利しているような子だったはずだ。そんな相手を、テンちゃんは完封したのである。

 私も現地でそのレースを見ていた。すごかった、称賛の言葉は出てきたが最初に覚えた感情は嫉妬だった。

 

 

(私も、身体が丈夫だったら……ッ!)

 

 

 そう思わずにはいられなかった。だが、嘆いても仕方がない。私は私のできることをやるしかない。

 それだけじゃない。テンちゃんの走りもすごかったがボーイちゃんもすごかった。オープンレースといえどもレコードタイムでの勝利。私も日経賞をレコードで勝ったが、向こうは宝塚記念からの3連勝ということもあり、話題を呼んでいた。そのことにも、私は嫉妬した。

 今回の秋の天皇賞はいつも以上に気合を入れて臨んでいた。沖野トレーナーは何か言いたげだったが、特に何も言わないでくれた。迷惑を掛けて申し訳ないとは思っている。だから、なんとしてでも勝ってみせると意気込んでボーイちゃんと競り合う。

 だが、残り400mを越えたあたりで私の脚は限界を迎えた。先程までの走りとは打って変わって思うように力が入らない。脚が棒のようだ。自分の思った通りに動いてくれない。

 

 

(お願いだから……もうちょっと持ってよ……ッ!)

 

 

 そんなことを考えている間にも、突き放したはずの後続がどんどん追いついてきていた。私は追いつかれないように必死に脚を動かすが、無情にもその差は縮まっていく。それは隣のボーイちゃんも同じだった。

 結果として、秋の天皇賞は何とか掲示板には入れたものの5着。私と競り合ったボーイちゃんは7着なので結果だけ見ればボーイちゃんには勝ったと言えるだろう。けれど、

 

 

(自分の得意距離で戦ってこの様……ッ!全然嬉しくない!)

 

 

私の気分は晴れなかった。

 息を整えてふとスタンド席を見ると、テンちゃんと神藤さんの姿が目に映った。どうやらこのレースを観戦しに来ていたらしい。

 だが、2人が視界に入った瞬間、私の中に生まれたのは、やってしまった、という感情だった。

 

 

(情けないレース見せちゃったな……)

 

 

 展開だけ見れば、私がボーイちゃんに執拗に絡んだ結果自滅してしまったのだから情けないことこの上ないレースだった。穴があったら入りたい。

 息が完全に整ったので、私は逃げるように地下バ道を通って帰っていった。控室で休憩していると、沖野トレーナーが入ってくる。

 そして、開口一番今回のレースについて話してきた。

 

 

「これで分かったんじゃないか?お前がトウショウボーイやテンポイントの土俵で戦っても勝てないってことが」

 

 

「……負けた担当に、最初にかける言葉がそれ~?」

 

 

「そいつは悪かったな。だが、今回はレース前からどこかおかしかったからな、お前。気合が空回りしていたぞ?」

 

 

 沖野トレーナーの言葉に、私は謝る。

 

 

「……ゴメン」

 

 

「頭は冷えたか?」

 

 

「……こんだけ清々しい負けっぷりだと、ね。やっぱ、似合わない戦法は取るもんじゃないね~」

 

 

 レース中はあれだけ意地になっていたのに、いざ負けてみるとどうしてあんなことをしたのだろうと後悔が押し寄せてきた。我ながら恥ずかしい。

 沖野トレーナーは最初から分かっていたのだろう。このレースは負けることを。だが、あえてそれを口に出さず私に対していつも通り作戦を提示して見送ってくれた。それはどうしてか?答えは簡単だ。

 私に気づかせるため。競り合いになってもあの2人には勝てないということを。言葉には出さずともそう伝えるためにわざと口を出さなかった。

 沖野トレーナーは溜息をついて告げる。

 

 

「お前が気合を入れていた原因もなんとなく分かる。テンポイントのオープンレースを見たからだな?正確に言えば、京都大賞典以降のテンポイントのレースを見てからだ」

 

 

「……よくお分かりで~」

 

 

「確かに、あの時のテンポイントはヤバかった。重賞ウマ娘に対してあの勝ち方。化け物っぷりを再認識したよ」

 

 

「……でも、私は負けたくない。どんなに強くても関係ない。テンちゃんに、ボーイちゃんに。他の誰にも負けたくない!」

 

 

 私はそう宣言する。すると、沖野トレーナーは満足げな表情で私に告げる。

 

 

「その気持ちがありゃあ大丈夫だ。でも、これだけは覚えておいてくれグラス。お前が本当に戦うべきなのはテンポイントでも、トウショウボーイでもない。お前自身だ」

 

 

「……私自身~?」

 

 

「そうだ。お前は他のウマ娘に比べて特別身体が弱い関係で無茶ができない。だからこそ、お前に必要なのは自分を自制する心を身に着けることだ」

 

 

「自制する、心」

 

 

「そうだ。それさえ身に着ければ、お前はトウショウボーイにもテンポイントにも勝てる!」

 

 

 戦うべきなのは自分自身。自制する心を身に着ける。私は頭の中でその言葉を反芻する。

 一呼吸置いた後、トレーナーが私に諭すように話しかける。

 

 

「いいか?グラス。相手の土俵で戦っても勝てない。特に、あの2人は自分の土俵で戦えばだれにも負けないってぐらいには強い」

 

 

「そうだね~」

 

 

「だが、無理に競り合う必要はないんだ。菊花賞での勝ちを思い出せグラス。あの時、お前はどんな風に勝った?」

 

 

 沖野トレーナーに言われて、私は菊花賞を思い出す。私たちが最初に戦ったあの舞台。あの時は確か……。

 

 

「……警戒が無くなったのを逆手にとって、内から抜け出して勝ったね~」

 

 

「そうだ。そして、それがお前さんがあの2人に勝つための最良の手段だ」

 

 

 沖野トレーナーは言葉を続ける。

 

 

「それに、今回は休養明けって面も大きい。前走の日経賞から4ヵ月、その間に発熱と脚部不安を抱えて完全に調整ができなかった。特にお前はレースで走らないと本領を発揮できない。だから、この敗戦はあくまで次の布石と考えろ」

 

 

「次の布石……。ということは、次のレースはもう決まってるんだね~?」

 

 

 私の言葉にトレーナーは頷いた。そして、次に出走する予定のレースの名前を発表する。

 

 

「次のレースは有マ記念。テンポイントとトウショウボーイはここに確実に出走してくる。だからこそ、今回の敗戦を糧にしてここで勝つぞ!グラス!」

 

 

 グランプリレース有マ記念。前回はそもそも登録すらしていなかったから出走しなかったが、今回はしっかりと登録してある。後はファン投票で選ばれるかなのだが……、

 

 

「お前は自分が思っている以上に人気が高い。必ず出走できる。だからしっかりと調整するぞ」

 

 

「分かった。もう負けたくないからね~。頼んだよ~?おきの~ん」

 

 

「はいよ」

 

 

 その後は沖野トレーナーが退室したのを確認してからウイニングライブの準備をする。その最中も私の心は燃え上がっていた。

 

 

(ボーイちゃん、テンちゃん。もう、絶対に負けない!)

 

 

 自制する心が大事なのは頭では理解していた。だが、この気持ちを抑えるのは無理だった。有マ記念で絶対に勝つ。そして、あの2人だけじゃないってことを証明する。そう心に誓った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 秋の天皇賞が終わってオレは控室で休んでいる。しかし、今日のレースは散々だった。おハナさんにどやされること間違いなしの内容である。

 

 

「バ場と距離はともかく……絶対あの展開についてなんか言われるってー!自分でも悪いと思ってるけどさー!」

 

 

 向こう正面の中間ほどを過ぎたあたりだっただろうか?先頭を取って走っていたらグラスがオレに執拗に絡んできた。絶対に負けないという気迫とともに。

 別に無理に競り合う必要はなかったのだが、オレの中の闘志を抑えることができずついグラスと競り合ってしまった。それも向こう正面中ほどから。言葉にして確認してみるととんでもないロングスパートである。

 結果として、オレのスタミナは最後の直線に入る頃にはガス欠寸前。気合で何とか走っていたが、レースで初となる掲示板外である。

 絶対に叱られる。そう考えているとおハナさんが控室に入ってきた。表情を窺う。

 

 

「……ッ」

 

 

(やっぱスッゲェ怒ってるよ!?どうする?今から土下座でもするか?)

 

 

 かなり難しい顔をしていた。多分だが、怒っている。なら、怒られる前に謝っておくかと考える。

 ただ、オレが謝ろうとするよりも先におハナさんが口を開く。

 

 

「……トウショウボーイ、あの展開は何かしら?」

 

 

「うぇ!?ええっと~……」

 

 

「今は怒らないから、正直に言いなさい」

 

 

「……グラスが競り合ってきたから、オレも負けねぇぞー!って思って競り合っちゃいました……」

 

 

「……ハァ。まあ、あなたはそういう子よね」

 

 

 正直に話すと本当に怒らなかった。どちらかというと呆れているが。ただ、お叱りの言葉が飛んでこなかったことにひとまずオレは安堵する。

 だが、おハナさんの次の言葉でオレは地獄に叩き落された。

 

 

「今回の反省会は、明日の放課後みっちりやりましょう」

 

 

「えっ、それって……」

 

 

「今回のレース、言いたいことは沢山あるわよ?覚悟しておきなさい」

 

 

「嫌だー!絶対怒るやつじゃん!」

 

 

 怒られないだろう。そんな甘いことを考えていたがそんなことはなかった。といっても、オレが悪いので反論もできない。

 明日が来ないといいのに、なんて思っているとおハナさんが今度は寂しげな表情でオレを見る。その表情のままオレに話しかけてきた。

 

 

「それにしてもトウショウボーイ。本当にいいのかしら?」

 

 

「?何がだよおハナさん?」

 

 

「年内でトゥインクルシリーズを引退することよ」

 

 

「あ~そのことか」

 

 

 おハナさんの言葉にオレは思い出した。年内でトゥインクルシリーズを引退してドリームトロフィーリーグに移籍しようと考えていたことを。招待自体は来ているので問題はない。

 なぜ、トゥインクルシリーズを引退しようと考えているのか。その答えはいたって単純だ。

 

 

「おハナさん、オレの気持ちは変わらない。トゥインクルシリーズで走ってる子たちよりも、ドリームトロフィーリーグの先輩たちと戦ってみたいって気持ちが今は強いんだ!まあテンさんたちと競い合えなくなるのはちょっと残念だけど……」

 

 

 正直な話、前々からドリームトロフィーリーグ自体に興味があったからだ。トゥインクルシリーズで華々しい成績を修めたウマ娘のみが出走できるレース。興味が湧かないわけがない。

 ……まあ、この話自体は宝塚記念が終わった辺りからおハナさんに話していたので、せっかくだからドリームトロフィーリーグに移籍するまで全勝して華々しくトゥインクルシリーズを引退してやろうと考えていた。だが、現実は秋の天皇賞で惨敗してしまった。オレの計画は頓挫したのである。

 まあ計画自体は頓挫したが、ドリームトロフィーリーグに移籍するという気持ちは変わらない。オレはおハナさんにそう告げる。すると、向こうも納得したのか、それ以上は何も言ってこなかった。

 おハナさんは次のレース、つまりはオレがトゥインクルシリーズで最後に走るレースを発表する。とは言っても、大体予想はついているが。

 

 

「あなたの引退レースは有マ記念を予定しているわ。ファン投票もあなたなら問題なく突破できるでしょう」

 

 

「だよな。やっぱ有マだよな」

 

 

 予想通り、引退レースは有マ記念を予定していると告げられた。予想が合っていたことに喜びつつもオレは考える。

 

 

(テンさんもグラスも出走は確定だろうな。マルとカイザーは……ちょっと分かんねぇけど)

 

 

 あの2人、特にテンさんは有マ記念に照準を絞って調整している。ならば確実に出走してくるだろう。オレは心が震えた。

 

 

(トゥインクルシリーズ最後の年を全勝してドリームトロフィーリーグに移籍するって計画は散ったけど、最後にテンさんに勝って移籍してやる!)

 

 

 それに、今回勝てばスピードシンボリ先輩以来となる有マ記念二連覇となる。俄然燃えてきた。思わず叫ぶ。

 

 

「よっしゃー!最後にテンさんに勝って、移籍するぞー!」

 

 

 テンさんは京都大賞典以降、すごい走りを見せている。だからこそ、早く競いたいっていう気持ちを抑えるのにここ最近は必死だった。……実のところ、グラスと競り合ったのも、テンさんと早く競いたいっていう気持ちが抑えきれなかったからだったりするのだが。それは言わないでおこうと思った。

 有マ記念が今から楽しみである。オレは気合を入れた。




ユキノビジンも欲しいけど、他に欲しい子がいるので我慢……我慢じゃ……


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第78話 有マのファン投票

何気ない日常回&ファン投票の結果回


 秋の天皇賞から月日は流れて12月に入った。ボクは学園へ登校する準備をしながら呟く。

 

 

「最近前にも増して寒うなってきおったな……」

 

 

「寒い お布団 恋人」

 

 

「早う布団から出るんやジョージ。やないともっとつらくなるで」

 

 

「んー」

 

 

 ルームメイトであるジョージは布団から出ようとしなかったが、ボクの学園に遅刻するという一言で渋々布団から出てきた。布団から出た瞬間、寒さからジョージは身を震わせる。その姿を微笑ましく思いながらもボクはジョージの支度を手伝う。

 ジョージの準備が済んだところで、ボク達は一緒に寮を出て学園に登校する。正門前ではボクのトレーナーが掃除をしていた。実のところ、トレーナーが掃除している場所は日によって変わるため朝から会えるということはあんまりない。

 ちょっと幸運だと思いつつ、ボクはトレーナーに挨拶する。

 

 

「トレーナー、おはようさん。朝からお疲れ様やで」

 

 

「神藤 おはよー」

 

 

「おはようテンポイント、エリモジョージ。今日も一日頑張れよ」

 

 

「うん。今日も一日頑張るわ」

 

 

「らじゃー」

 

 

 その後はたづなさんにも挨拶をして、学園の購買部に立ち寄る。今日の分の新聞を購入して、自分の教室へと向かう。その途中でジョージとは別れた。

 

 

「テン坊 またね」

 

 

「うん、ジョージ。また寮でやな」

 

 

 そんなやり取りをしてボクは自分の教室へと向かう。いつも通りの日常だ。

 教室に着いたボクはクラスメイト達に挨拶をしながら自分の席に着いて早速先程買った新聞を広げる。今日の新聞にはお目当ての情報が載っているはずだ。ボクは他の記事には後で目を通そうと思いながら目当ての記事を探す。

 それから程なくして見つかった。

 

 

「お、あったあった。有マ記念のファン投票」

 

 

 ボクのお目当ての記事とは有マ記念のファン投票の結果の記事だ。早速目を通す。結果は……。

 

 

「ファン投票1位……!ッシ!」

 

 

 思わず小さくガッツポーズした。その瞬間、はっとして周りを見渡す。どうやら他の子には見られなかったらしい。安堵して息を吐く。

 前回の有マ記念の時はファン投票5位だったはずなのでかなり嬉しい。それだけファンの人がボクに期待をしてくれているということだ。

 ファン投票1位で選出されたことに喜びつつ、ボクは他のメンバーの名前を確認していく。

 

 

「2位はボーイ、3位はグラス……まあ秋の天皇賞が響いてやろうな。他ん子は……っと。ホクトとカシュウもおるんやな。後はマルと……今年の菊花賞を優勝した子か」

 

 

 やはり年末最後の大一番ということで今回も錚々たるメンバーだ。ここから出走を取り消す子もいるので全員が出るわけではないのだが、それでも楽しみである。

 

 

(それに、これがトゥインクルシリーズでボーイにリベンジする最後のチャンスや。絶対に負けられへん!)

 

 

 心の中でそう思っていると、後ろから声を掛けられる。

 

 

「おはよ~テンちゃ~ん。ソレ今日の新聞~?私にも見せて見せて~」

 

 

「グラスか、おはようさん。ええよ、ほい」

 

 

「わ~い、ありがとう~」

 

 

 声を掛けてきた人物はグラスだった。ボクはグラスに自分が見ていた新聞を渡す。そしてファン投票の記事を見てグラスは嬉しそうに声を上げた。

 

 

「お~。テンちゃんテンちゃ~ん、私ファン投票3位だって~。わ~い」

 

 

「おめでとさんグラス。グラスは有マに出走予定なんか?」

 

 

「そうだよ~。負けないぞ~テンちゃ~ん」

 

 

「ふふん、上等や。ボクの調子は今んとこめっちゃええからな。このままのしたるわ」

 

 

「え~?手加減してよ~」

 

 

「それは無理な相談やな」

 

 

 軽い冗談を言い合いながらボク達は会話をする。ただ、グラスは秋の天皇賞のことがある。より一層気合を入れて臨んでくるだろう。油断ならない相手であることには間違いない。

 お互いにファン投票の結果を確認し終わった後は日常的な会話をする。今日の授業の話だったり、今月末の期末テスト等、当たり障りのない話をした。

 そんなとりとめのない会話をしていると、いつも通り大きな声で挨拶しながらボーイが教室に入ってきた。

 

 

「おっはよーみんな!今日も一日、頑張ろうぜー!」

 

 

 その言葉にクラスのみんなも口々に挨拶を返す。そしてボーイはそのまま自分の席であるボクの隣の机の椅子に座った。ボーイが改めて挨拶してくる。

 

 

「おはようテンさん、グラス!今日も寒いな!」

 

 

「おはようさんボーイ。やなぁ、ボクは慣れとるけど」

 

 

「おはよ~ボーイちゃ~ん。まあ私も寒いのには慣れてるけどね~」

 

 

 すると、ボーイは思い出したかのようにボクに話しかける。

 

 

「そうだ!テンさん今日の新聞見せてくれよ!確か有マ記念のファン投票の結果が載ってるはずだろ?」

 

 

「確かに載っとるで。ちょっと待っとき鞄中から出すから」

 

 

 そう言ってボクは鞄にしまった新聞を取り出してボーイに渡す。ボーイはお礼を言って新聞を受け取り、早速ファン投票の記事のページを見る。

 

 

「……うげ、やっぱりテンさんに負けたか~。この前の秋の天皇賞で大敗したのが響いたのかな~」

 

 

「やろうな。せや、おハナさんからなに言われたんや?秋の天皇賞」

 

 

「……秋の天皇賞が終わってからのオレの様子で察してくれ……。もう思い出したくねぇんだ……」

 

 

 そう言ってボーイは露骨に落ち込んだ。その姿にボクとグラスは互いに顔を見合わせて苦笑いする。

 秋の天皇賞が終わって次の日、ボーイは朝から何かに怯えるように過ごしていた。その時は調子でも悪いのかと思い心配して声を掛けたのだが、ボーイから

 

 

『何も聞かないでくれ、テンさん……。今のオレはさながら刑の執行を待つ囚人の気持ちなんだ……』

 

 

と、訳の分からないことを言われたので言われた通りそっとしておくことにした。

 そしてさらに明けて次の日、ボーイは完全に死んだ目をしていた。思わず驚いたボクは再度心配して声を掛けたのだが、ボーイからは一言だけ、

 

 

『そっとしてくれ……』

 

 

と言われた。その時の様子からこっぴどく叱られたのだろうと思ったのだが、ボーイは何も語ることはなかった。まあ、数日も経てば元のように元気になったが。先程の朝の挨拶がその証拠である。

 少し思考が脱線したが、ボクはボーイに気になっていることを質問する。

 

 

「そういやボーイ、マルは有マ記念どうするんや?噂やと出走回避する言われとるけど」

 

 

「あ、それ私も気になる~。教えて教えて~」

 

 

 グラスも気になるのか同調するようにボーイに聞く。するとボーイは笑顔を浮かべてこう言った。

 

 

「マルは何とか有マに間に合いそうだってよ!リギルでは今その調整しているところなんだ!」

 

 

「おっ、良かったやん」

 

 

「良かったね~。パチパチ~」

 

 

 ボクはマルが有マ記念に出れそうだというボーイの言葉に喜ぶ。グラスも嬉しいのか拍手していた。トレーナーの言葉では脚部不安から出れるかは分からないと言っていたので不安だったが、出走できるところまで回復したのであれば喜ばしいことである。

 となると、有マ記念では警戒しておくべき相手が増えたことになる。マルはクラシック3冠である皐月賞・日本ダービー・菊花賞には出走していなかったが、他のレースではすさまじい勝ちっぷりをしていた。8戦8勝、2着につけた合計着差は61バ身ととんでもない記録を打ち立てている。まさに規格外の走りと言ってもいいだろう。……まあ、そのせいで今年のクラシック戦線を勝ったウマ娘たちは総じて微妙な評価を受けているのが悲しいところなのだが。

 今回クラシックを勝ったウマ娘の中で出走がほぼ確定しているのは菊花賞を勝ったプレストウコウだけなのだが、油断ならない相手であるのは確かだ。一度レースの映像を見たことがある。マルの影に隠れがちだがその実力は本物だ。

 そんなことを考えていると、朝のホームルーム開始を告げるチャイムが鳴った。しかし、

 

 

「あれ?カイザーは?」

 

 

ボーイの言う通り、カイザーがまだ来ていなかった。もうそろそろ先生も来る時間である。もしかして何かあったのだろうか?と不安になっているところに、教室の扉を勢い良く開けて入ってくるウマ娘がいた。驚きながらも姿を確認すると、なんとカイザーだった。彼女は肩で息をしながら自分の席であるグラスの隣に鞄を置いて座る。そして呟くように言った。

 

 

「ハァ……、ハァ……ッ。な、何とか間に合いました……」

 

 

 一体何があったのだろうか?もうじき先生が来るので話せないが、ホームルームが終わったら聞いてみることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……では、今朝の連絡事項は以上です。皆さん今日も勉学に励むように」

 

 

 そう言って先生が教室から出ていった。それと同時に、ボクは席を立ってカイザーの席へと足を運ぶ。朝遅刻しそうだった件を聞くために。それはボーイとグラスも一緒だったらしく、気づけばカイザーを取り囲むようにボクらは立っていた。カイザーは驚いた表情をしている。

 

 

「さて、カイザー。今朝はどうしたんや?」

 

 

「随分珍しいじゃん。カイザーが遅刻しそうだなんてさ」

 

 

「ほらほら~。白状したまえ~」

 

 

「きゅ、急に私を取り囲むように立ったと思えば、そういうことでしたか」

 

 

 カイザーは納得したような表情を浮かべて、今朝遅刻しそうだった理由を話し始める。

 

 

「別に大したことじゃないですよ。昨日いつも通りトレーニングをして、夜に映画を見ていたらついつい夜更かししちゃって……。朝起きたら遅刻ギリギリの時間だったんですよ」

 

 

(映画……。もしかして、アレか?)

 

 

 映画、という単語にボクは少し前にカイザーと映画を見に行った日のことを思い出す。あのB級映画を共に見た日のことを。もしかして、アレ系列の作品だろうか?

 そう考えていると、ボーイが気になったのかカイザーに質問する。

 

 

「へ~。何の映画なんだ?カイザーが夜更かしするぐらいハマる映画、ちょっと興味が湧いたぜ」

 

 

「ボーイ、アカン!それ以上は……」

 

 

 ボーイはあの日のことを知らないので純粋にカイザーが見ていた映画が気になったのだろう。そう質問する。だが、ボクはどんな映画を見ていたのか大体予想がついていたので制止しようとする。しかし、間に合わなかった。カイザーが目を輝かせて答える。

 

 

「興味がありますか!?でしたら、ボーイさんも是非見ましょう!このサメ映画を!」

 

 

 やっぱりサメ繫がりだった。ボーイはカイザーに質問する。

 

 

「へー。サメ映画か。どんなやつなんだ?」

 

 

「そうですねぇ……。無難なのはこのあたりでしょうか?」

 

 

 そう言って、カイザーはいくつかの作品を見せてきた。しかし、そのラインナップにボク達は揃って微妙な表情を浮かべる。カイザーはとてもいい笑顔だ。

 

 

「わりぃカイザー、ちょっと待ってくれ」

 

 

「?はい。いいですよ」

 

 

 ボーイがそう言ってボク達を呼ぶ。カイザーから少し離れた位置で聞こえないように小さい声で会話をする。

 

 

「なんだあのラインナップ。すげぇB級の匂いがするんだけど」

 

 

「私は~ちょ~っと遠慮したいかな~」

 

 

「……ちなみに、ボクはカイザーに連れられてあん中の1つを見に行ったことあるで」

 

 

「マジか。どうだったんだ?」

 

 

「……そこそこおもろかったけど、謎の敗北感があったわ」

 

 

「まあ~、分からなくもないかな~」

 

 

 そう会話をしていると気になったカイザーがこちらに近寄ってくる。

 

 

「皆さんどうしたんですか?そんな小声で会話をして」

 

 

「い、いや!なんでもないんだ!ただちょーっとカイザーの見てる映画が意外だっただけで!」

 

 

「そ、そうそう~。カイザーちゃんそんなのも見るんだね~」

 

 

 ボーイとグラスの言葉にカイザーは笑顔を見せる。

 

 

「はい!この作品たちは私も最初は敬遠していたんですけど、一度見てみると止まらなくて……!皆さんも見てみましょう!きっとハマりますよ!」

 

 

 カイザーは笑顔のままそう告げた。しかし、ボーイとグラスは一言。

 

 

「い、いや。オレは遠慮しておこうかな~」

 

 

「わ、私も~」

 

 

 断りの返事をした。すると途端にカイザーは暗い表情をして告げる。

 

 

「そうですよね……迷惑でしたよね……」

 

 

「あー!やっぱ見てみよっかなー!?オレスッゲェ気になるなー!?」

 

 

「わ、私もなんか興味が湧いてきちゃったな~!?よかったらカイザーちゃんのオススメ教えてくれないかな~!?」

 

 

 あんな表情をされたら断れないだろう。ボーイとグラスは掌を返してそう答えた。ボクは2人を気の毒に思いながら見つめる。

 そして最終的に、有マ記念が終わってひと段落したらカイザーが厳選した映画を見ようということで話がついた。ボーイとグラスは一言。

 

 

「あんな顔されたら断れねぇって……」

 

 

「私にも無理だよ……」

 

 

「安心しぃ2人とも、ボクにも無理や」

 

 

 ボクは2人を慰めるようにそう言った。




そういえばウマ娘の覇王世代のOVAっていつやるんでしょうね?


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第79話 有マ直前インタビュー

有マ記念のインタビュー回


 有マ記念まで後3日と控えた今日、有マ記念前最後の追い切りを済ませたボクは寮の自室に戻ってきている。そして、興奮気味なジョージとテレビを見ていた。ジョージは待ちきれないといった様子でテレビを凝視している。その姿に苦笑いをしながらボクはジョージに話しかける。

 

 

「落ち着きやジョージ。そんな焦らんでもそろそろ始まるで?」

 

 

「わくわく」

 

 

「聞いとらんし」

 

 

 ジョージがここまでテレビにくぎ付けになっているのには理由がある。今日は有マ記念まで後3日に迫ったということで、出走を表明しているウマ娘の特番が組まれているのだ。ボクは勿論有マ記念への出走を表明している。なのでボクのインタビューの映像も流れる。自分のインタビューを見るのは少し恥ずかしいが、ジョージがここまで見るのを楽しみにしているため、見たくないとは言えなかった。

 しばらく待っていると、ジョージのお目当ての番組が始まった。

 

 

《今年もこの時期がやってまいりました!有マ記念を直前に控えている今日!皆さんも気になっているであろうあのウマ娘の状態はどうなのか!?出走を表明しているメンバーへの突撃インタビューの時間がやってまいりました!》

 

 

「始まった テン坊 いつ ?」

 

 

「ボクの番は最後やでジョージ。ファン投票1位やから大トリなんやと」

 

 

「そう 楽しみ」

 

 

 ジョージはテレビにくぎ付けになっている。ボクはジョージの分の飲み物を持ってきた。お互いに飲み物を飲みながらテレビを視聴する。

 

 

《さてさて~?まずはこのウマ娘に突撃!インタビュー!今年のクラシック戦線で見事菊花賞を勝ち取ったプレストウコウちゃんです!》

 

 

《は、初めまして!プレストウコウです!きょ、今日はよろしくお願いします、インタビュアーさん!》

 

 

《はい、今日はよろしくお願いしますね!それではまず有マ記念のファン投票での選出、おめでとうございます!ファンの方々に一言お願いできますか?》

 

 

《はい!ありがとうございます!私に投票してくださったファンの方々の期待を裏切らないように、精一杯走りたいと思います!……ちょっとありきたりかな?でもこれ以上何か思いつかないし……ど、どうしよ~!?トレーナーさ~ん!》

 

 

《お、落ち着いてくださいプレストウコウさん!?》

 

 

「初っ端 放送事故 だいじょぶ ?」

 

 

「……大丈夫なんちゃう?」

 

 

 大丈夫じゃなかったらこの部分はカットされていると思う。そう思いながらボクはテレビを見ている。

 

 

《そ、それでは!プレストウコウさん、今年1年を振り返って、どう感じていますか?》

 

 

《そうですね……。なんというか、菊花賞勝ったのに地味じゃありませんか、私?》

 

 

《え?》

 

 

《だって!私葦毛で初のクラシックを制したウマ娘なんですよ!もうちょっと注目されていいと思うんです!そりゃ、同期にマルゼンちゃんがいるからそっちが話題になるのも仕方ないと思うんですけど……。それでも、もうちょっと話題になってもいいんじゃないですか私!》

 

 

《え、え~と》

 

 

 結構豪胆な子だった。テレビで放送されるというのに色々とぶっちゃけている。その姿に思わずボクは笑ってしまった。インタビュアーの人は困ったような笑顔を浮かべているが。

 いくつか質問した後、最後にインタビュアーが質問する。

 

 

《では最後に!有マ記念への意気込みについて教えてください!》

 

 

《はい!ファン投票で選出されたクラシック級代表として、マルゼンちゃんと頑張りたいと思います!そして、NIKKEI賞で負けた借りをマルゼンちゃんに返したいと思います!頑張るぞー!おー!》

 

 

「この子 今頃 ががーん」

 

 

「やろうなぁ……。まさか今日になってマルが出走できんくなるとはなぁ……」

 

 

 ジョージの言葉にボクは同意する。

 マルは有マ記念に出走予定ではあったのだが、3日前に控えた今日、屈腱炎を再発したということで出走を取り消したのだ。お昼のニュースはその話題で持ちきりだったのを覚えている。

 屈腱炎の程度自体は軽いのだが、大事を取って出走を取り消したらしい。加えて、来年度はドリームトロフィーリーグに移籍することが発表された。プレストウコウにしてみれば二重にがっかりだろう。

 気を取り直して特番の続きを見る。どうやら次はグラスのようだ。

 

 

《それでは次にインタビューするのはぁ~?このウマ娘!グリーングラスちゃんです!今日はよろしくお願いしますね!》

 

 

《はいは~い、グリーングラスだよ~。よろしくね~》

 

 

《思わずこっちものんびりしちゃいそう~……ハッ!?いけないいけない、しっかりしなきゃ!それではグリーングラスさん、まずはファン投票での選出おめでとうございます。投票してくれたファンの方々に一言お願いします!》

 

 

《いや~、まさか私がファン投票で選出されるなんて~。嬉しいよ~。みんなありがとうね~。私頑張っちゃうよ~》

 

 

 グラスはインタビューでものんびりとしている。変わらない姿にボクは思わず苦笑いを浮かべる。インタビュアーが何個か質問していたが、終始のんびりした口調で返していた。

 そして共通の質問である1年を振り返ってという質問に入る。

 

 

《さてさて、グリーングラスさんは今年1年振り返って見てどうでしたか?何を感じましたか?》

 

 

《そうだね~……。やっぱり、テンちゃんやボーイちゃんに勝てなかったのがすっごく悔しかったな~。アメリカジョッキークラブカップと日経賞をレコード勝ちしたのは嬉しいけど~、あの2人に勝てなかったのが本当に残念だった~》

 

 

《そうですねぇ、やはりグリーングラスさんと言えば!トウショウボーイさんとテンポイントさんとは切っても切れない関係ですからね!負けた悔しさも他の子たち以上ということでしょうか?》

 

 

《そうだね~。だから~》

 

 

 一拍おいて、グラスの空気が一変したのをテレビの画面越しに感じた。

 

 

《有マ記念は私が絶対に差し切る。ファンのために、カイザーちゃんのために、トレーナーのために》

 

 

《……ッ!な、成程!では最後に、有マ記念への意気込みをお願いします!》

 

 

《まあ~今言った通りだよ~。私が2人を差しきっちゃうぞ~。みんな応援よろしくね~》

 

 

 そう言ってグラスはカメラに向かってピースをしていた。先程の剣呑な雰囲気はすでに無くなっている。

 ジョージがボクに話しかけてきた。

 

 

「グラス ぐわーっ 十分」

 

 

「やな。むっちゃ気合入っとるわ」

 

 

 それだけ本気で挑んでくるということだろう。ボクは思わず身体が震えた。今すぐにでも走って競い合ってみたい衝動に駆られる。だが、まだ我慢だ。

 そして、グラスの番が終わったので次の子へのインタビューが始まる。

 

 

《ではでは!次のウマ娘は推薦枠からの紹介です!まずは……》

 

 

 そのまま順調にインタビューは進んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《……ありがとうございます、スピリットスワプスさん!それでは最後に!有マ記念への意気込みをどうぞ!》

 

 

《はい!前回は逃げ切れなかったけど、今回は絶対に逃げ切って勝っちゃうからね!TTがなんぼのもんじゃー!ファンのみんな応援よろしくねー!》

 

 

《はい!スピリットスワプスさんありがとうございました!》

 

 

「この子 覚えてる。去年 びゅー 来た子」

 

 

「あん時はジョージハナ取れんかったもんな」

 

 

「ぐぬぬ。あ 飲み物 ない とりいこ」

 

 

 去年も逃げていたスピリットスワプスの番になるとジョージは悔しそうな表情を浮かべる。しかし、飲み物が無くなって取りに行ったと思ったら悔しい気持ちはどこにいったのか機嫌良さそうに帰ってきた。微笑ましく思いながらもボクはテレビを見る。ボクが大トリ、そして今は8人中6人のインタビューが終わった。ということは次は……。

 

 

《ではでは!皆さん気になっているでしょう!次のウマ娘はこの子!トウショウボーイちゃんです!》

 

 

《いえーい!テレビの前のみんな見てるかー?トウショウボーイだぜー!》

 

 

《今日も元気一杯ですね!それではトウショウボーイさん、ファン投票での選出おめでとうございます!ファンの方々に一言、どうぞ!》

 

 

《投票してくれたファンのみんなー!本当にありがとうなー!みんなの期待に応えられるように、有マ記念ぶっちぎってやるぜー!》

 

 

 相変わらずのボーイらしいインタビューの答え方だ。思わず笑みがこぼれる。

 

 

《これまた元気一杯のトウショウボーイ節ありがとうございます!それでは、トウショウボーイさんは今年1年振り返って見てどう思いましたか?》

 

 

《そうだなぁ。春全休したのがやっぱ悔しかったなー。特に春の天皇賞!テンさんたちのレース見てたらもう走りたくて走りたくてウズウズしてたんだよ!だから夏では思いっきり走ってやったぜ!宝塚記念でちょっと色々あったけど……、まあ問題は解決したからいいかな!》

 

 

《おや?宝塚記念で何かあったのですか?ちょっと気になりますね~?》

 

 

《あ~……、これについてはちょっと言えねぇかな。ごめんな、ファンのみんな。でも、もう大丈夫だからさ。そこは安心してくれよな!》

 

 

《う~ん、ちょっと気になりますがあまり深堀りしないようにしましょう!ではでは、皆さん気になっているであろうこの質問!ズバリ!テンポイントさんをどう思っているか!?》

 

 

「なんちゅう質問やねん」

 

 

「でも みんな ワクワク」

 

 

 ボクも同じような質問されたが、ボーイにも同じようなことが聞かれていたとは思わなかった。

 

 

《テンさん?そうだなぁ……。ライバルの中でも、特別なライバルだな!有マ記念を勝つんだったら最大の障害だと思ってる!》

 

 

《成程ぉ……。トウショウボーイさんにとってテンポイントさんは特別だと……》

 

 

《あぁ!》

 

 

 やたら含みのある言い方をするインタビュアーである。というか、私情が入っていないだろうか?ボクは思わず訝しんだ。

 そして最後に有マ記念への意気込みについてとなった。

 

 

《それでは最後にトウショウボーイさん!有マ記念への意気込みについて聞かせてください!》

 

 

《おう!秋の天皇賞では情けねぇ姿見せちまったけど、代わりに有マ記念では絶対に勝ってやるぜ!それにトゥインクルシリーズ最後のレースだからな!華々しく勝ってドリームトロフィーリーグに移籍してやるぜ!特にテンさん!テンさんにだけは絶対に負けねぇからな!オレがぶっちぎって勝ってやる!》

 

 

「ボーイの奴ボクがこの番組見てへんかったらどうするつもりやったんやろうな」

 

 

「ボーイ テン坊 バチバチ」

 

 

 そんなことを思いながらついに番組は最後の子に入る。大トリであるボクだ。ジョージはテレビを食い入るように見ている。

 

 

《それではトウショウボーイさんでした!さてさて、名残惜しいですが次が最後の子になります。最後にインタビューするのは勿論この子!ファン投票1位で選出されたテンポイントちゃんです!》

 

 

《テレビの前のファンのみんな、いつも応援おおきにな。テンポイントや》

 

 

「きたー」

 

 

「落ち着きぃやジョージ」

 

 

 興奮気味なジョージをボクは宥める。

 

 

《ファン投票1位での選出おめでとうございます、テンポイントさん!投票してくれたファンの方々に一言お願いします!》

 

 

《ファンの方々にはいつも力をもろうてます。有マ記念では、ファンの方々の期待を裏切らんように精一杯頑張ろう思うてます。やからみなさんこれからも応援よろしゅうお願いします》

 

 

 そう言ってテレビのボクは笑顔を浮かべていた。インタビュアーの人はその笑顔を受けてのけ反っていた。そういえばこんなこともあったな、と思い出す。

 

 

《こ、これが噂の貴公子スマイル……ッ!危うくやられてしまうところでした……!で、では気を取り直して!今年1年を振り返ってどう感じていますか?》

 

 

《せやねぇ……。京都記念から始まりましたけど、春の天皇賞を含む3連勝は良かったんですけど、宝塚記念でトウショウボーイに負けたんはちょっとよろしくなかったと思うてます。あの宝塚記念での敗戦はホンマに悔しかったですね》

 

 

《成程……。宝塚記念での悔しさをバネに、京都大賞典では戦法を大きく変えて挑んだ、ということでしょうか?》

 

 

《そうですね。ボクのトレーナーが言うてくれたんです。お前にもっと合っとる戦法がある、って。やから、変えることにしました》

 

 

《しかし、戦法を変えることに不安もあったのではないでしょうか?》

 

 

《う~ん……あんまりなかったですね。トレーナーはボクができると信じてくれとりましたし。やから、ボクもできるって思うてました》

 

 

《トレーナーさんのことをかなり信頼しているんですね!》

 

 

《そうですね。トレーナーはいつもボクのことを信じとりますから。やからボクも彼のことを信頼しとります》

 

 

「ひゅー ひゅー」

 

 

「どしたんジョージ」

 

 

「何となく やらなきゃ 思った」

 

 

 一体どうしたのだろうか?そう思っていると質問も残り数個というところまで来ていた。

 

 

《それでは!テンポイントさんに寄せられた質問の中でも特に多かった質問!トウショウボーイさんをどう思っていますか!?》

 

 

《絶対に負けられんライバル、ですね。有マ記念を優勝する上で最大の障害ですし、彼女にだけは特に負けたくない思うてます》

 

 

《お互いがお互いを特別と意識し合うライバル関係……ッ!とても素晴らしいですね!そうそうテンポイントさんと言えば、来年は海外のレースを視野に入れているという噂がありますが……。本当ですか?》

 

 

《あはは、噂ですよ、噂。やけど、アメリカのレースの招待状が来とったんは間違いないですね》

 

 

《うーん情報は引き出せませんでした!それでは最後に、有マ記念への意気込みをお願いします!》

 

 

《応援してくれとるファンの方々のためにも、絶対に勝とう思うてます。やからファンのみんなも、応援よろしゅうな!》

 

 

《さ、最後に敬語を崩した上での貴公子スマイル……ッ!やられ、ました……ガクッ》

 

 

《い、インタビュアーさん!?自分でガクなんて言うてどないしたんですか!?》

 

 

 倒れたインタビュアーに心配するように駆け寄ったボクの場面を最後にCMに入った。どうやらこれで終わりらしい。

 ジョージがぼそりと呟く。

 

 

「最後 放送事故 一番」

 

 

「なんでカットせんかったんやろうなぁ……」

 

 

「事故 見せたかった。でも テン坊 笑顔 ファン 兵器」

 

 

「ファンの人にとってボクの笑顔って兵器なんか?」

 

 

 ジョージは首を縦に振った。一体全体どういうことなのだろうか?

 特番を見終わったということで時間もいい時間になっていた。テレビを消してお互い寝る準備に入る。布団の中でボクは有マ記念を絶対に勝つと決意を新たにした。




ダートのウマ娘育ててないので私のチャンミは終わりました。


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第80話 決戦前夜

それぞれが決意を固める回


「しっかし、残念だったなマル。せっかく調整頑張ってたのにさ……」

 

 

「こればっかりはしょうがないわよショウさん。東条トレーナーもあたしの脚のために出走取り消しを決断したんだもの。責めるわけにはいかないわ」

 

 

「まあそうだけどさ……」

 

 

 もうすぐ日が沈みそうな時刻、オレはマルと一緒に帰っていた。その最中、オレはマルが有マ記念を出走できなくなってしまったことを残念に思っていた。マルはもう割り切っているみたいだが、それでも残念だ。

 マルが出走できなくなった原因は、一度は治った屈腱炎が先日再発したせいである。練習中に突如脚に痛みを訴えたマルをおハナさんが医者に見せたところ、そう診断されたらしい。

 症状は軽いとのことだったが、有マ記念はもう目前に迫っているということから大事を取って出走を取り消すことになった。これで出走した場合、症状が重くなることを考えたらおハナさんの決断は正しいことだ。けれど、オレの感情的に納得いってない部分はある。

 ただ、どうやらマルもドリームトロフィーリーグの招待が来ているらしく、オレと同じタイミングで移籍するらしい。だから、戦える機会はこれからいくらでもあるだろう。何も有マだけが戦う舞台ではないのだから。そう頭の中を切り替える。

 その後は他愛もない会話に華を咲かせながら歩いていると、あっという間に別れの時間が来た。

 

 

「あら、もうここまで来ちゃったのね。じゃあショウさん、ここでお別れね」

 

 

「そうだな。話しながら歩いているとあっという間だな」

 

 

 そして別れようとした時に、オレはマルに宣言する。

 

 

「なぁマル!オレ、明日マルの分まで頑張るからさ!オレが1着取るとこ、ちゃんと見とけよ!」

 

 

 マルは驚いた表情を浮かべていたが、すぐに笑顔になって答える。

 

 

「えぇ!あたしの分までパーペキな走り、頼んだわよ!ショウさん!」

 

 

「おう!まっかせとけ!」

 

 

 そう言ってマルと別れる。少しの名残惜しさを感じながらオレは歩き出した。

 しばらく1人で歩いていると、私服姿の見知った姿が目の前を歩いているのを確認した。向こうはオレと同じ方向、正面を向いているためこちらに気づいていない。

 オレは大声で目の前の人物の名前を呼ぶ。

 

 

「おーい、クイン!奇遇だな!」

 

 

「トウショウボーイ様!今お帰りなのですか?」

 

 

「そうそう、さっき練習が終わって今帰るとこなんだ。良かったら途中まで一緒に帰らねぇか?」

 

 

「構いませんよ。途中まで一緒に帰りましょう」

 

 

 内心喜びながらオレはクインと一緒に帰る。クインとの話題はやはり明日に迫った有マの話だった。

 

 

「トウショウボーイ様!私、先日の特番見ましたわ!トウショウボーイ様らしさが出ていて、とてもカッコよかったです!」

 

 

「本当か!?いやぁ、クインに褒められると嬉しいなー!」

 

 

 しかし、クインはすぐに表情を引き締めてオレに話しかける。

 

 

「トウショウボーイ様。明日の有マ記念に向けての調整はいかがでしたか?」

 

 

「そうだなぁ……」

 

 

 オレは少し溜める。不安そうな表情を浮かべているクインを安心させるように笑って答えた。

 

 

「万ッ全だ!おハナさんが最高の調整をしてくれたし、当日は絶好調で迎えられる!……と、思う!」

 

 

「そこは断言しないのですね」

 

 

 クインはオレの言葉に薄く微笑んだ。オレは苦笑いをしながら答える。

 

 

「まあ、明日どうなってるかなんて分からねぇからな。断言はできねぇ。でも」

 

 

「でも?」

 

 

「たとえ万全じゃなくても、オレは悔いの残らないのように走るさ!」

 

 

 その言葉に、クインは笑みを浮かべてオレを応援してくれた。

 

 

「トウショウボーイ様。私は、トウショウボーイ様が勝利することを信じております。ですが、勝利すること以上にご自身に悔いが残らないように、頑張ってください。微力ながら、私もスタンド席応援しております」

 

 

「おう!クインの応援があれば百人力だ!見とけよ~?スッゲェレースにしてやるからさ!」

 

 

「ふふっ、楽しみにしておりますね」

 

 

 そう話しながら、俺とクインは帰路についた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私は今練習を終えてスピカの部室にいる。もう他の子たちは帰っているのでここにいるのは私と沖野トレーナーだけだ。日はもうすぐ沈みそうな時刻。

 沖野トレーナーが私に告げる。

 

 

「さて、調整は文句なし。いよいよ有マを明日に控えたわけだが……」

 

 

「どうしたの~?おきの~ん」

 

 

「……大丈夫か?グラス」

 

 

 沖野トレーナーは神妙な顔つきで私に告げる。私はそれを飄々とした態度でかわす。

 

 

「大丈夫だよ~おきの~ん。何がそんなに心配なの~?」

 

 

 私がそう言うと、沖野トレーナーは頭を掻きながら答えた。

 

 

「……トウショウボーイとテンポイントはこの有マ記念、死に物狂いで勝ちに来る。特にテンポイントは余計にな」

 

 

「まあ~テンちゃんからしたらトゥインクルシリーズでボーイちゃんに勝つ最後の機会だからね~」

 

 

「そうだ。だが、それはお前も同じだグラス。負けっぱなしのままで良いのか?トウショウボーイとテンポイントに」

 

 

 私はその言葉を聞いて、胸の中から何かが湧き上がってくるような気分を味わう。何とか平静を保とうとするが、そうはいかなかった。少し怒りながら答える。

 

 

「……いいわけないでしょ。ボーイちゃんも、テンちゃんも下して……、最後に笑うのは私だ!」

 

 

 そう答えると、沖野トレーナーは笑顔を浮かべながら言った。

 

 

「よし!そんだけ気合が入ってりゃ大丈夫だな!」

 

 

「……わざと焚きつけたね~?」

 

 

「はてさて、なんのことやら」

 

 

 沖野トレーナーはそうとぼけているが、確信犯だろう。呆れながらも私は別れの挨拶をして部室を出ようとする。

 そんな私を沖野トレーナーは引き留める。

 

 

「待て、グラス」

 

 

「何~?まだなんかあるの~?」

 

 

「いいや、最後に1つだけな」

 

 

 一拍おいて沖野トレーナーは私に告げる。

 

 

「グラス、お前の力はトウショウボーイにもテンポイントにも劣っていねぇ。俺が断言する。だから明日は、TTが勝つと思っている観客の度肝を抜いてやれ!」

 

 

「……言われなくても~。勝つのは私だからね~。でも、ありがとトレーナー」

 

 

 私はそう言って今度こそ部室を出た。

 部室を出て校門まで歩いていると、見知った顔を見かける。私はその子に声を掛けた。

 

 

「あれ~?カイザーちゃんだ~。こんなところでどうしたの~?」

 

 

「あ、グラスさん。いえ、ちょっと図書室を利用していたもので。帰りが遅くなってしまいました」

 

 

「だったら~一緒に帰ろ~」

 

 

「はい、いいですよ。一緒に帰りましょう」

 

 

 そうして私はカイザーちゃんと帰路につく。

 最初はお互いに無言のまま過ごしていた。何となく心地よい時間が流れる。しかし、その沈黙を破るようにカイザーちゃんが私に話しかけてきた。

 

 

「……いよいよ明日ですね、有マ記念」

 

 

「……そうだね~」

 

 

 カイザーちゃんが飛んできた言葉は、私にとって少し予想外だった。

 

 

「明日、見に行きます。だから、頑張ってください、グラスさん」

 

 

 驚いて私はカイザーちゃんの方を見る。そこには、以前私にレースで走ることを諦めようとしていた瞳はなかった。決意のこもった目をしている。

 おそらく、レースで走ることに前向きになってくれたのだろう。私は嬉しくなった。

 

 

「……そっか。じゃあ、頑張らないとだね」

 

 

「はい。私たち、日陰者同盟ですから」

 

 

 カイザーちゃんは笑いながらそう答える。私も、可笑しくなって一緒に笑う。

 私はカイザーちゃんに問いかける。

 

 

「でも、どうして急に~?辛くなるからレースを見たくないって言ってなかったけ~?」

 

 

「そうですね……。いい加減、自分の気持ちと向き追おうと思いまして」

 

 

「そっかそっか。なんにしても、カイザーちゃんが応援してくれるなら頑張らないとだね~」

 

 

 私は決意を新たにする。明日の有マ記念、絶対に勝つことを胸に誓った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 有マ記念を明日に控えた今日、ボクは今日の練習を終えてトレーナー室で休んでいた。夕焼けの空が奇麗だ。

 トレーナーがボクに話しかける。

 

 

「調子も良好、有マに向けて調整は完璧ってとこだな」

 

 

「せやな。これやったら明日も大丈夫や」

 

 

「だが油断はするなよ?当日風邪でも引いたら目も当てられないからな」

 

 

「今更そんなことせぇへんわ」

 

 

 軽い冗談を言いながらボクはトレーナーと会話をする。心地よい時間が流れていた。

 他愛のない話をしていると、トレーナーが突然顔を引き締めてボクに話しかける。

 

 

「テンポイント。泣いても笑っても、明日で全ての結果が分かる。俺達の努力の結果が」

 

 

「……やな。やけど、大丈夫やトレーナー」

 

 

「……何がだ?」

 

 

 ボクは笑みを浮かべて、堂々と答える。

 

 

「トレーナーのやってきたことは間違いやない。ボクはそう信じとる。それを証明するためにも、明日勝ってきたるわ!」

 

 

「……嬉しいこと言ってくれるじゃねぇか!テンポイント!」

 

 

 トレーナーは少し涙ぐんでいた。けれど、この気持ちに嘘偽りはない。それは堂々と言えることだ。

 そんなボクにトレーナーが告げる。

 

 

「テンポイント、お前にはずっと悔しい思いをさせてしまっていたな。宝塚記念だけじゃない、クラシックの冠も取らせてやれなかった。あの時は、正直自分が情けなかったよ」

 

 

「どうしたんや急に」

 

 

「何、この際色々ぶっちゃけようと思ってな。クラシックの時は、いつ三行半つけられるか気が気でなかったよ」

 

 

「なんやそれ。ボクがキミに三行半なんてつけるわけないやろ」

 

 

 ボクは笑いながらそう答える。するとトレーナーも笑顔を浮かべた。トレーナーも笑い、お互いに笑いあう。

 

 

「ボクとしては、選抜レースでなんも知らんかった方が意外やったけどな。自慢やないけど、ボクって有名やったし?トレセン学園で知らん人なんかおらんと思うてたわ」

 

 

「それは悪かったって。サブトレやらせてもらっていたところのチーフトレーナーにお前の資料だけ抜かれてたんだよ」

 

 

「う~ん、それでも許さへんな!」

 

 

「えぇ!?どうしたら許してくれますかテンポイント様!」

 

 

「様は止めんかい。後なんやその口調。う~ん、そうやな~……」

 

 

「……」

 

 

「明日ボクが勝ったら許したろうかな!」

 

 

「お前次第じゃねぇか!いや、俺の作戦のこともあるから……俺たち次第だな!」

 

 

「そういうことや!やから、どうあっても許すことになるな!ボクとキミの力があれば負ける気せんし!まあ、別にボクのこと知らんかったことに関しては気にしてへんけど。それに、もし負けたとしても、そん時はまた一緒に考えようや!ボクとキミで、一緒に!」

 

 

「あぁ!」

 

 

 お互いに色々なことをぶちまけながら話す。

 そこからはもう少しだけトレーナーと話していた。楽しい時間が流れていく。しかし、もうそろそろ寮に戻らないといけない。もう寮長に怒られるのは勘弁だ。

 ボクは鞄を持ってトレーナー室から出る。

 

 

「じゃあトレーナー。また明日やな」

 

 

「あぁ、テンポイント。また明日」

 

 

 名残惜しさを感じながらトレーナー室を後にした。

 少し歩いて、寮に着く。そのままボクはまっすぐと自分の部屋に向かった。中にはすでにジョージがいる。

 

 

「おかえり テン坊」

 

 

「ん。ただいまジョージ」

 

 

 挨拶を交わして、ボクはお風呂に入る準備をする。その最中にジョージがボクに話しかけてきた。

 

 

「テン坊」

 

 

「どしたん?ジョージ」

 

 

「明日 頑張って。応援 行く」

 

 

「ん。任しとき。絶対に勝ったるわ!」

 

 

 がんばれー、と言ってジョージは布団にくるまる。少し微笑ましく思いながら、ボクはお風呂へと向かった。

 お風呂にも入り、やるべきことを済ませてジョージと会話をしていると、消灯時間になる。隣からはジョージの寝息が聞こえてきた。ボクも布団の中に入って瞼を閉じる。

 

 

(いよいよ明日やな……。ボーイ、お前に勝ち逃げなんて絶対にさせへん、勝つんはボクや!)

 

 

 そう胸に誓いながら眠りに入る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、有マ記念当日の朝を迎えた。




チャンミ……?知らない子ですね


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第81話 有マ記念・出走前

まだ出走前回


 中山レース場の選手控室。その場所で、俺は今テンポイントと最後の打ち合わせをしている。

 

 

「……以上が今回の作戦だ。気になるところはあるか?」

 

 

 俺の言葉にテンポイントは笑みを浮かべながら返す。

 

 

「大丈夫や。それで問題ないで」

 

 

 その言葉に、俺も笑みを浮かべた。今回の作戦は対トウショウボーイに向けたものが多い。それだけトウショウボーイというウマ娘を警戒している。それも当然だろう。彼女との戦績は1勝4敗で大きく負け越しているのだから。だからこそ、この有マ記念では絶対に負けられない。俺はそう思っているし、おそらくテンポイントも同じ気持ちだろう。

 作戦の打ち合わせは済んだが、まだ少し時間がある。そう思っているとテンポイントがこちらに話しかけてきた。

 

 

「……いよいよやな、トレーナー」

 

 

「あぁ」

 

 

「ボーイはこのレース限りでトゥインクルシリーズを引退。やから、世間の目ぇ覚まさせるチャンスは今日が最後っちゅうことやな?」

 

 

「そうだ。お前がトウショウボーイより下という評価を覆すには、今日ここでトウショウボーイに勝つしかない。じゃなければ、お前は一生トウショウボーイの下という評価を受けたままだ」

 

 

 ドリームトロフィーリーグでも対戦する機会はあるだろう。だが、今日ここで勝たなければテンポイントはトウショウボーイの下という評価が覆ることはない。俺はそう感じていた。テンポイントもそう思っているのか、気合十分といった様子だ。

 そして、テンポイントは不敵な笑みを浮かべて告げる。

 

 

「夏合宿の練習、京都大賞典、こん前のオープンレース。今までの努力、そして練りに練った作戦があれば大丈夫や。それに……」

 

 

「どうした?テンポイント」

 

 

「ボクはキミが信じる最強のウマ娘……やろ?」

 

 

「……あぁ!」

 

 

「やったら、なんも心配ないわ!観客席でしっかり見とき?ボクが1着で駆け抜けるとこ!」

 

 

 そう言って、テンポイントはこちらに拳を突き出してきた。その拳はあの時のように震えてはいない。確固たる自信をもってこちらに突き出しているように感じた。

 俺も拳を突き出して、彼女の拳に軽く合わせる。そして、お互いに笑った。

 まだ時間はあったが、今日は観客の数も多いだろうと思い俺は早めに退出する。最後にテンポイントに激励の言葉を贈って俺は控室を出た。向かう先はパドック、ではなく、中山レース場の観客席だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 中山レース場の観客席。いつものように最前列のゴール前の席に陣取る。途中、いつもは京都レース場や阪神レース場で実況をしている人がマイクスタンド片手に観客席にいるのを見かけたような気がしたが、気のせいだと思うことにした。

 そうしてしばらく待っていると、パドックを見に行っていたであろうキングスたちと合流する。向こうは不思議そうな表情でこちらに問いかけてきた。

 

 

「ねぇ、パドックでお姉や出走する先輩たちの様子を見ておかなくてよかったし?」

 

 

 キングスのその言葉に俺は自信を持って答える。

 

 

「テンポイントの体調が万全なのは選手控室で確認したから大丈夫だ。それに、今日のテンポイントなら誰にも負けねぇ。それだけの自信がある」

 

 

「随分な自信だね?神藤さん」

 

 

 キングスの質問にそう答えると、聞き覚えのある声がした。間違いない、ハイセイコーだろう。俺は声がした方に向いて姿を確認する。やはりハイセイコーだった。

 

 

「よぉ、ハイセイコー。当然だ、今のアイツが負けるヴィジョンが見えねぇからな。それよりいいのか?リギルの方にいかなくて?」

 

 

「大丈夫さ、東条トレーナー達も直にここに来るからね」

 

 

「マジかよ、曲がりなりにも敵同士だから気まずいんだけど」

 

 

「じゃあ、他のとこで見るか?誠司」

 

 

 また聞き覚えのある声がする。そちらに振り向くと沖野さんが立っていた。沖野さんの近くにはスピカのメンバーらしきウマ娘の子たちが数人とクライムカイザーがいる。つまり、沖野さんもここで見るということだろう。

 

 

「まさかの見るとこ被りましたか」

 

 

「そりゃ、ここが見やすいからな」

 

 

 別に俺達の席というわけでもないのでそれ以上は何も言わない。

 しばらく待っていると、おハナさんたちがハイセイコーと合流した。出走を取り消したマルゼンスキーにテスコガビー、リギルではないがシービークインもいる。後もう1人は見慣れないウマ娘だった。

 そう思っていると、見慣れないウマ娘の子が俺に丁寧に挨拶をしてきた。

 

 

「初めまして、私はシンボリルドルフ。チーム・リギルのメンバーの1人です。以後、お見知りおきを。神藤トレーナー」

 

 

「あ、あぁ。こちらこそよろしく、シンボリルドルフ。俺の名前を知ってるんだな?」

 

 

「当然至極。学園に在籍している者の顔は憶えていますので」

 

 

 シンボリルドルフと名乗ったその少女はこともなげにそう答える。トレセン学園に在籍している人数はかなり多いのに、それを全て憶えているとは、凄まじい記憶力だ。俺は思わず戦慄する。

 そこからは、入場が始まるまでしばらく会話に華を咲かせていた。ハイセイコーがシンボリルドルフに質問をする。

 

 

「さて、ルドルフ。君は誰が勝つと思うかい?」

 

 

 ハイセイコーの質問に、シンボリルドルフは少し考えた後答えた。

 

 

「……トウショウボーイさん、でしょう」

 

 

「ほう?その理由は?」

 

 

「まず、この有マ記念で有力とされているのはトウショウボーイさんとテンポイントさんの2名です。しかしトウショウボーイさんはテンポイントさんに4勝1敗と勝ち越しています。それに、調子も良好です。ならば、トウショウボーイさんが勝つのは自明之理……と、いったところでしょうか?」

 

 

「なるほどねぇ。神藤さん、こう言われているけど?」

 

 

「なぜ俺に振る?別に何にも言わねぇよ。言ってることは事実だしな」

 

 

 俺の答えにハイセイコーは面白くなさそうにしていた。そんなハイセイコーにシンボリルドルフが聞き返す。

 

 

「ハイセイコー会長は、誰が勝つと思っていますか?」

 

 

「私かい?そうだねぇ……」

 

 

 少し考えて、ハイセイコーは答える。

 

 

「テンポイント、かな?」

 

 

「……それはなぜです?」

 

 

「単純な理由はルドルフがトウショウボーイに賭けるなら、私はテンポイントに賭けるってだけさ。それに彼女は個人的に気に入っていてね。それも大きい。後はそうだねぇ……」

 

 

 一拍おいて、ハイセイコーはシンボリルドルフにウインクをしながら答えた。

 

 

「彼女の諦めの悪さをよく知っている……からかな?」

 

 

「はぁ……」

 

 

 シンボリルドルフは要領を得ないといった表情を浮かべている。まあ彼女はテンポイントのことをよく知らないからこの反応も仕方ないだろう。

 そうして話していると、ターフの上に続々と出走するウマ娘たちが入場してきた。実況・解説の人が紹介していく。

 

 

 

 

《さぁ年末のグランプリレース有マ記念!出走するウマ娘たちが今続々と入場してきています!そしてレースには特に関係ありませんが、先程解説担当が体調不良を訴えたため、偶然会場に来ていた京都レース場や阪神レース場でお馴染みのアナウンサーを特別ゲストとしてお呼びしました!今日はよろしくお願いします!》

 

 

《いやー!テンポイントのレースを見るために実況マイク片手に訪れたらまさかこんな機会に恵まれるとは!こちらの方こそよろしくお願いします!》

 

 

《余程テンポイントが好きな様子、それは普段の実況を聞いている人からすれば分かっていることかもしれませんね!》

 

 

 

 

 どうやら、先程見た気がしたのは気のせいではなかったらしい。まさか実況マイク片手に関西から中山まで訪れるとは、かなりのテンポイントファンのようである。俺は内心嬉しくなって、今度どこかで会ってみたくなった。

 

 

 

 

《それでは本レースに出走する8人のウマ娘の紹介に入りましょう!まず入場してきたのは8枠8番のメグロモガミ!》

 

 

 

 

 そのまま紹介が進んでいく。そして、4人目に入場してきたウマ娘は……。

 

 

 

 

《……そして次に入場してきたのは6枠6番グリーングラス!TT世代の菊花賞ウマ娘、本年度は2つのレースでレコードタイムを記録するなど実力は十分!TTに次ぐ3番人気です!》

 

 

《テンポイントとトウショウボーイばかりが話題に上がりますがこのウマ娘もまた強い!重賞未勝利で菊花賞を制したあのレースでファンになった方も多いのではないでしょうか?もしTTが敗れるとしたらこのウマ娘のみ、そんな声も上がっています!果たして緑の刺客がTTの2人を差し切るのか!?》

 

 

 

 

 パドックで見ていなかったので俺はグリーングラスを観察する。

 ……どうやら、調子は悪くなさそうだ。秋の天皇賞で調子落ちしたかと思ったがそんなことはないらしい。絶対に勝つという気迫が感じられる。沖野さんの方に目を向けると、満足そうにしていた。

 そして、沖野さんが俺達に挑発するように言った。

 

 

「悪いな誠司、おハナさん。今日の有マ記念を勝つのはグリーングラスだ」

 

 

 俺はその言葉に不敵な笑みを浮かべて返す。

 

 

「何言ってるんですか。勝つのはテンポイントですよ」

 

 

「いいや、グラスだね」

 

 

「いいや、テンポイントです」

 

 

「いい大人が何やってるのよ……」

 

 

 俺と沖野さんのやり取りをおハナさんは呆れた目で見ていた。

 グリーングラスの後にプレストウコウが入場する。そして、次に入場してきたウマ娘の姿を見た瞬間、中山レース場に今までで一番の歓声と拍手が鳴り響いた。

 

 

 

 

《さぁそして!プレストウコウの次に入場してきたのはこのウマ娘!1枠1番最内枠のトウショウボーイだ!パドックでも調子よさそうにしていました!好走に期待できます!この評価は少し不満か?2番人気です!》

 

 

《TTの1人、今まで勝利してきたレースはそのどれもが印象深いものでした!秋の天皇賞での大敗が響いての2番人気ですが、このウマ娘に人気は関係ないでしょう!今回のバ場は絶好の良バ場!不安要素はなしといったところ!果たして今日はどのような走りを我々に見せてくれるのか!》

 

 

 

 

 トウショウボーイだ。実況の人たちが言っているように、調子は好調、不安要素はなさそうだ。俺はおハナさんに話しかける。

 

 

「おハナさん。調子よさそうですね、トウショウボーイ」

 

 

「えぇ。天皇賞では負けたけど、彼女の引退となるこのレースは何が何でも勝たせたい。だから一切の妥協をせずに調整をしたわ」

 

 

「なるほど……」

 

 

 ということは、トウショウボーイは万全な状態だということは間違いないのだろう。だが、俺はテンポイントなら勝てるという確固たる自信を持っていた。

 

 

(アイツは俺のやってきたことは間違いじゃないと言ってくれた。それを証明するために必ず勝つと。アイツは俺を信じてくれている。だからこそ、俺もテンポイントの勝利を、強さを信じる!)

 

 

 そう考えていると、残りのウマ娘たちが入場してくる。そして、最後に入場してきたのはテンポイントだった。トウショウボーイの時と負けず劣らずの拍手と歓声が鳴り響く。

 

 

 

 

《……そしてそして!トウショウボーイが2番人気ならば!1番人気はこのウマ娘を置いて他にいない!3枠3番テンポイント!今回の有マ記念、1番人気のウマ娘がターフへと姿を現しました!今年の戦績は6戦5勝2着1回とクラシック級での無念を晴らすかのような好成績です!》

 

 

《私イチ押しのウマ娘!宝塚記念での敗戦を経て一皮剝けたのか、対峙したら思わずたじろいでしまいそうな風格を漂わせていますテンポイント!ライバルであるトウショウボーイとの戦績は1勝4敗、トゥインクルシリーズを引退することが決定しているトウショウボーイに勝つ最後のチャンスだと、だからこそ必ず勝つとインタビューで答えていました!頑張れテンポイント!》

 

 

 

 

 テンポイントの姿を見てキングスたちが歓声を上げる。そしてその中にはいつの間に合流したのかエリモジョージの姿もあった。ターフの上ではテンポイントとトウショウボーイが対峙している。何を話しているのか分からない。

 そんな様子を見ていると、沖野さんが俺に話しかけてくる。

 

 

「テンポイントの方も、調子は絶好調……ってところか?誠司」

 

 

「えぇ。今のアイツには、誰も勝てませんよ」

 

 

 その言葉に、珍しくおハナさんが反応する。

 

 

「言うじゃない。余程自信があるようね?」

 

 

「当然ですよ。これで負けたらトレーナーを辞める、そのくらいの覚悟を持ってこの有マ記念に挑んでますから」

 

 

 俺は笑ってそう答える。すると、俺の覚悟が伝わったのか沖野さんとおハナさんは満足げな表情を浮かべていた。

 おハナさんは続ける。

 

 

「……ライセンスを取る前のあなたが今のあなたを見たら、どう思うかしらね?」

 

 

「さぁ、案外喜ぶんじゃないですか?信じられねぇ!とは思われそうですけど」

 

 

「ハハッ、違いねぇ」

 

 

 沖野さんがそう言うと、ウマ娘たちが続々とゲートに入っていった。そして、最後に4枠4番のシンストームがゲートに入る。

 

 

 

 

《最後に4枠4番のシンストームがゲートに入りました。年末の大一番グランプリレース有マ記念。距離は2500m、絶好の良バ場と発表されています》

 

 

《あなたの夢、そして私の夢は叶うのか?人気と実力を兼ね備えた8人のウマ娘たちが発走の瞬間を今か今かと待っています。トウショウボーイが天を駆ける走りでスピードシンボリ以来となる連覇を飾るか?〈貴公子〉テンポイントが日本一の座について海を渡るか?はたまた〈緑の刺客〉グリーングラスがTTの1角を崩して日本一の座につくのか?》

 

 

 

 

 会場は静まり返っている。ここにいる全員が同じ気持ちなのだろう。発走の瞬間を待ちわびている。

 会場に訪れる静寂。そして、

 

 

 

 

《グランプリレース有マ記念が今……スタートです!》

 

 

 

 

ゲートが開いて、テンポイントたちが一斉に飛び出す。

 有マ記念が、始まった。




有マ記念、開幕


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第82話 想定外と想定内

ちょっと時間が戻って有マ記念発走前から始まる回


 ボクは今地下バ道を通っている。パドックでのアピールも終えて中山レース場のターフへと歩を進めていた。

 気分は不思議なほどに落ち着いている。大レースへの緊張も、勝てるかという不安も、多少はあれど気にならないほどだ。それほどまでにボクはリラックスできている。

 そして地下バ道を通ってボクは中山レース場に入場した。地鳴りが起きたと錯覚するほどの大歓声と拍手がボクを迎える。さすがに少し圧倒された。

 どうやらボクが最後だったらしい。すでにターフの上にはボク以外の7人がそれぞれウォーミングアップをしている。その中にはボーイの姿もあった。

 こちらに気づいたのか、ボーイがウォーミングアップを切り上げてボクの方に寄ってきた。ボクの目の前に立つ。ボクはただボーイを真っ直ぐに見据える。

 ボク達の間に訪れる静寂。先に破ったのはボーイの方だった。

 

 

「やっとだ。今までで一番長く感じたぜ……。けど、またテンさんと闘える」

 

 

「前回の有マから宝塚までの日数とそんな変わらんやろ。ま、ボクも同じ気持ちやけどな」

 

 

 ボーイはボクの言葉に何も返さない。ボク達はお互い睨み合うように立っている。少しの間、ボク達の間に静寂を訪れた。

 そしてボクはウォーミングアップのためにその場を動く。すれ違いざま、ボクとボーイはほぼ同時に、お互いに宣言する。

 

 

「勝つのはオレだ」「勝つんはボクや」

 

 

 その言葉を最後にボクは自分のウォーミングアップを始める。その最中、グラスから鋭い視線を向けられていた。もしかしたら、先程の言葉を聞かれていたのかもしれない。だが、ボクはその視線を無視して自分のことに集中する。

 十分に済ませたところでボクはゲートへと入った。後は発走の瞬間を待つだけである。

 

 

 

 

《最後に4枠4番のシンストームがゲートに入りました。年末の大一番グランプリレース有マ記念。距離は2500m、絶好の良バ場と発表されています》

 

 

《あなたの夢、そして私の夢は叶うのか?人気と実力を兼ね備えた8人のウマ娘たちが発走の瞬間を今か今かと待っています。トウショウボーイが天を駆ける走りでスピードシンボリ以来となる連覇を飾るか?〈貴公子〉テンポイントが日本一の座について海を渡るか?はたまた〈緑の刺客〉グリーングラスがTTの1角を崩して日本一の座につくのか?》

 

 

《グランプリレース有マ記念が今……スタートです!》

 

 

 

 

 ゲートが開いたのとほぼ同時、ボクは走り出す。有マ記念が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《さぁ始まりました有マ記念!一団が奇麗なスタートを切ります!各ウマ娘鮮やかなスタートを決めました!そしてまず先頭を取ったのは逃げ宣言をしていたスピリットスワプス……では、ありません!?なんとハナに立ったのはトウショウボーイだ!1枠1番トウショウボーイが最内枠を活かしてハナを取った!先頭はトウショウボーイ!》

 

 

《これは序盤から予想外の展開!?スピリットスワプスの後ろで控えると思われていましたトウショウボーイがハナに立っている!テンポイントはその外におりますトウショウボーイの1バ身後ろ2番手の位置につけている!》

 

 

《逃げ宣言をしておりましたスピリットスワプスこの展開に驚いたか3番手に控える形テンポイントの3バ身程後ろの位置!その後ろにグリーングラスとプレストウコウ両菊花賞ウマ娘がおります!トウフクセダン、メグロモガミこの2人を加えて4人で一団を形成する形!その後ろにポツンと1人シンストーム!》

 

 

 

 

 この展開に、中山レース場の観客たちは驚いていた。今回の有マ記念、誰もがスピリットスワプスが逃げると考えていた。昨年同様スピリットスワプスが逃げていくものだと。

 だが、実際に目に飛び込んできたのはトウショウボーイが先頭で逃げる姿。驚き、戸惑いの声が聞こえてくる。

 

 

「トウショウボーイが逃げてるぞ!」

 

 

「宝塚記念の時と一緒だ!」

 

 

「大丈夫なのか!?前回と違ってスピリットスワプスがいるんだぞ!」

 

 

 俺はそんな声を上げている観客たちを尻目に、おハナさんの方を見る。戸惑っている様子はない。つまりこれは作戦通りということなのだろう。

 

 

(宝塚記念とさほど変わらない少人数でのレース……。ただ、明確な逃げウマ娘がいなかった前回と違って今回はスピリットスワプスがいながらも逃げを取った。真意は分からねぇが……)

 

 

 おそらく確信を持っているのだろう。トウショウボーイならば大丈夫だと。それに、トウショウボーイは逃げでも走れることは宝塚記念でも分かっている。それを踏まえての今回の作戦なのかもしれない。

 

 

 

 

《各ウマ娘が1周目の第4コーナーを抜けてスタンド前を走ります!先頭はトウショウボーイ!そのトウショウボーイに並ぶようにテンポイントがついています!3番手はスピリットスワプス逃げずに前を窺う形を取りますスピリットスワプス!》

 

 

《前の2人が結構なペースで走っているのを感じたのでしょうスピリットスワプスは控える!そして3番手スピリットスワプスの内をついて4番手プレストウコウその外5番手はグリーングラスだ!菊花賞ウマ娘の2人はここで控えているぞ!》

 

 

《しかし前の2人はかなりのペースで飛ばしている!これは後ろの方が有利な展開となるか!?そしておおっと!?テンポイントが外からトウショウボーイの内へと切り込んだテンポイントがトウショウボーイの内をつく!トウショウボーイがリードを広げようとしてます2番手テンポイントとの差を1バ身程広げようとしている!》

 

 

《レースはスタンド前から第1コーナーのカーブへと入ろうとしてます!先頭はトウショウボーイ1バ身程開いて2番手テンポイント!2番手からさらに1バ身開いてスピリットスワプス!4番手グリーングラス5番手にプレストウコウ!その後ろ6番手にトウフクセダン7番手メグロモガミしんがりはシンストームだ!》

 

 

 

 

 だが、俺は非情に落ち着いてレースを見ていた。何も慌てていない。そんな俺の様子を不思議に思ったハイセイコーがこちらを向いて話しかけてくる。

 

 

「神藤さん、随分落ち着いているね?もしかして、これもあなたにとっては想定内……だったのかな?」

 

 

 俺はこともなげに答える。

 

 

「まあな。宝塚記念での敗戦を考えたら可能性の1つとして考えるだろ。この状況は、俺にとっては想定内だ」

 

 

「なるほどねぇ……。けれど、このままだと宝塚記念での二の舞になるよ?」

 

 

 ハイセイコーはそう言うが、俺は不敵に笑う。ハイセイコーは俺のその表情を見て訝しむような目線を向けてきたが、レースを見なければ、と思ったのか視線をターフへと向ける。

 そして、驚愕の声を上げた。それはハイセイコーだけじゃない。おハナさんも、沖野さんも、この場にいる全員が驚いたような声を上げる。中山レース場にいる観客からもその声は上がった。

 

 

 

 

《さぁ先頭は第1コーナーの中ほどに入りましたが……ッ!テンポイントが内から仕掛けた!テンポイントが内からトウショウボーイに併せる!先頭はトウショウボーイとテンポイントこの2人の一騎打ちだ!後続をグングンと突き放します!》

 

 

《前評判はトウショウボーイとテンポイントこの2人のマッチレースになると予想されていました!しかしまさか、こんなにも早くマッチレースの様相を呈するとは誰も予想していなかったでしょう!テンポイントとトウショウボーイが先頭に立って競り合っている!第1コーナーを抜けて第2コーナーに入ろうかというところ!後続を突き放してTTの2人がグングンペースを上げている!》

 

 

《先頭は第1コーナーを抜けるところそしてテンポイントがまた内から行きました!トウショウボーイの内にテンポイントが入る!しかしトウショウボーイも負けじとペースを上げる!3番手はスピリットスワプス……いや違う!3番手はグリーングラスだ!グリーングラスが先頭2人の様子を窺う形!4番手はプレストウコウとスピリットスワプスです!》

 

 

 

 

「おいおい、大丈夫かよ!?」

 

 

「大丈夫なわけないだろ!下手したらテンポイントとトウショウボーイの共倒れだぞ!?」

 

 

「これが作戦だとしたら……あの2人のトレーナーは何考えてんだよ!」

 

 

 観客たちは口々にそんな声を上げる。おハナさんも難しい表情をしていた。沖野さんは待ち望んでいた展開だったのか、おハナさんとは対称的に笑みを浮かべていたが。

 ハイセイコーが俺に話しかけてくる。その表情は驚き、というよりも笑いを必死に抑えようととしている表情だった。

 

 

「……神藤さん、まさか、この展開を?」

 

 

「さぁ?どうだろうな?」

 

 

 そのまま俺はレースを見る。先程から変わらず、笑みを浮かべながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レースが始まってすぐ。先頭を取ったのはスピリットスワプス……ではなく、ボクでもない。ボーイの奴だった。最内枠から飛ばしていく。ボクはそれに併せるように2番手の位置についた。ボクの後ろにいるスピリットスワプスが驚きの声を上げているのが聞こえた。

 

 

「え、え!?な、なんで!?」

 

 

 そんな声を尻目に、ボクはボーイの後ろにピッタリとつける。

 1周目の第4コーナーに入ろうかというところ。ボクは内にいるボーイを確認する……というよりはバ場の状態を確認する。

 

 

(……荒れとるな)

 

 

 第4コーナーのバ場は荒れていた。ボクはそれを確認し終えるとボーイの2番手の位置につける。ボーイも第4コーナーのバ場が荒れているのを分かってか、かなり外を回っていった。ボクはさらにその外を回る。

 そのまま先頭を走るボーイの1バ身程後ろをキープしていく。その最中、ボクはあることを考えていた。

 

 

(先頭取って走ったろう思うてたけど……まあそう上手くはいかんわな)

 

 

 向こうもボクの逃げを一番警戒していたはずだ。だからこそ最内枠を活かしてハナを取ったのだろう。ボクは3枠、逃げウマ娘のスピリットスワプスは7枠だ。そこから無理にハナを取ろうなどとは思わない。

 ならばと、ボクは誰かがボーイを突っつきに行くことに期待することにした。このままボーイに先頭で走らせたら宝塚記念での二の舞になる。だからこそ誰かがボーイにちょっかいを掛けることに期待したのだが……。

 

 

(ボクが2番手走っとることから察しはついとる。ま、誰も行かへんわな)

 

 

 2番手がボクなことから、スピリットスワプスは無理に先頭で走ることを止めたのだろう。抑えて走っているかもしれない。ボーイの速さは規格外だ。無理に競り合うよりは抑えた方がいいという判断だろう。

 心の中で嘆息しながらも、ボクは2番手で様子を窺う。ゴール板手前ぐらいだろうか?ボーイとラチの間が空いているのが確認できた。

 ボクは内へと切り込む。外からボーイを抜かすのではなく、内からボーイを抜くことを決めた。内へと進路を取る。

 しかし、向こうはそうはさせまいとラチとの間を締めてきた。もう潜り込むことは難しいほどの狭さになる。そのため、ボクは一旦下がって様子を見ることにした。

 

 

(……今は行かへん。無理に行ってスタミナ削るんことになったら本末転倒や。やからまだ抑える……)

 

 

 勝負は第1コーナーへ入ろうとしていた。相変わらずボーイが先頭で走っている。ボクは2番手、後ろにはスピリットスワプスが控えている。

 ボーイが内を確認するように顔を見せる。その時ふと、ボーイと視線が合ったような気がした。

 ……いや、気のせいではないだろう。向こうが何かを訴えるような視線を送ってくる。言葉を発したわけじゃない。ただ視線が合っただけだ。本当にそう思っているかは定かではない。ただ、ボクは不思議とボーイがこう言っているのだと、確信を持っていた。

「かかってこい」……と。つまるところ、喧嘩を売ってきたのである。

 

 

(……上等や。やったら)

 

 

「そん喧嘩ぁ……、買ったろうやないか!」

 

 

 ボクは加速してボーイの内へと切り込む。第1コーナーで、ボクはボーイの内へと潜り込むことに成功した。第1コーナー内側のバ場はそれほど荒れていない。これなら問題ないだろう。

 お互いの身体がぶつかりそうなほど近くで走る。そして、ボーイがボクを挑発するように告げる。ボクも、その言葉を返すように挑発し返した。

 

 

「来ると思ってたぜぇテンさん!オレからのラブコール、受け取ってくれたみたいだな!」

 

 

「はん!あんな熱烈なラブコールもろうたからな!お礼に敗北をプレゼントしたるわ!」

 

 

「上等だ!奇麗にラッピングしてそのまま返してやるよ!」

 

 

 お互いに身体がぶつかりそうな距離感を維持したまま、ボクとボーイは走る。

 勝負はまだまだ第2コーナーに入ったばかりというところ。だが、その時点でボクとボーイはお互いがお互いを競り落とそうとペースを上げている。後続は最早確認しようという気すら起きない。しかしペースを抑えているのであれば、差は開いていく一方だろう。

 序盤から、ボクとボーイの完全なマッチレースが展開されていた。




チャンミはデジたんが頑張ってくれたので何とか決勝には残れました。まあBグループなんですけどね。


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第83話 マッチレース

有マ記念。前代未聞のマッチレース


《先頭は第2コーナーのカーブへ入りました!先頭はテンポイントとトウショウボーイこの2人だ!この2人が競り合っているぞ!ものすごい接戦だ!?お互いの身体がぶつかりそうなほどに併せているぞ激しい先頭争いだ!その後ろ3番手は前の2人を見るようにグリーングラスとスピリットスワプスだグリーングラスとスピリットスワプスが3番手!5番手にはプレストウコウ!》

 

 

《テンポイントが内から仕掛けてトウショウボーイを抜かす!しかし、抜かされたトウショウボーイが負けじと外からテンポイントを躱す!凄まじいマッチレースだ完全に2人の世界に入っている!他のウマ娘はそんな2人を遠くから眺めているだけだ!しかし、眺めているだけではない!虎視眈々と前を狙っているぞ!》

 

 

 

 

 中山レース場は驚きと戸惑いの声に包まれていた。それもそうだろう。テンポイントとトウショウボーイ、世代を代表するこの2人のマッチレースになることは誰もが予想していた。

 だが、レースはまだ序盤も序盤の第2コーナー。まだ半分も走っていない状況ですでに2人のマッチレースの様相を呈している。他のウマ娘を置き去りにして2人はガンガンペースを上げていっている。後のことなんて考えていないようなペースでだ。

 そんな時、俺の隣にいるハイセイコーがもう抑えきれないといった感じで大笑いしていた。そのまま俺に話しかけてくる。

 

 

「アハハ!神藤さん、これがあなたの思い描いていた展開かい!?成程、これは確かに面白い展開だ!今までいろんなレースを見てきたけど、こんなレースは見たことがないよ!」

 

 

「そりゃどうも。まあこんな序盤からの競り合いになるとはちょっと予想外だったが……」

 

 

 これは本音だ。テンポイントが前に立ったらトウショウボーイは引くかもしれない、そんな期待を抱いてはいた。現実は2人がマッチレースを展開しているのだが。

 だが、問題はない。俺はそう確信していた。

 そんな時、シンボリルドルフとおハナさんの会話が聞こえてきた。

 

 

「……理解できない。何故、トウショウボーイさんは引かないのですか?東条トレーナー」

 

 

「それはどういうことかしら?ルドルフ」

 

 

「単純明快、普通であればこの場面、後ろで控えるように走るのが定石です。わざわざ相手に付き合う必要はありません。テンポイントさんのスタミナが無くなるまで後ろで控え、脚を温存しておいた方がいいのではないでしょうか?」

 

 

「……そうね、ルドルフ。並のウマ娘相手なら、それが通用したでしょう」

 

 

 でもね、と一拍おいておハナさんが答える。

 

 

「相手は並のウマ娘ではない、少しでも後ろに下がったらそのまま逃げ切られてしまう。そう思わせるほどのウマ娘よ。だから、トウショウボーイの判断は間違っているとは一概に言えないわ」

 

 

「……成程」

 

 

 完全に納得はしていなさそうだったが、シンボリルドルフはそれ以上何も言わなかった。

 今度はクライムカイザーと沖野さんの会話が聞こえてくる。

 

 

「前のお2人はハイペースでレースを展開していますね」

 

 

「あぁ。そして、これが俺とグラスが待ち望んでいた展開だ。ハイペースで展開されたら後方で待機している方が有利。ペースが落ちてきたところを、グラスが差し切るチャンスは十分にある。後はグラスがどれだけ冷静でいられるか……だな」

 

 

 そんな会話をしていた。

 俺は両側で繰り広げられる会話、中山レース場の驚きと戸惑いの声を聞きながらレースを見ている。

 

 

(……作戦通りに運んでいるな。頑張れ……、テンポイント!)

 

 

 そう思いながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「随分なペースで飛ばすやんか!素直に引き下がった方がええんちゃうか!?」

 

 

「こっちの台詞だぜテンさん!ただでさえ細いんだから怪我する前に下がっちまえよ!」

 

 

「あァ!?なめとんちゃうぞ!お前こそ上体に比べてほっそい脚をやる前に大人しく下がれや!」

 

 

「んだとォ!?人が気にしてることを言いやがって!」

 

 

「なんや!?」

 

 

「なんだ!?」

 

 

 お互いに挑発しながらボクとボーイは第2コーナーを走っている。だが、そのペースはかなり速いと自分でも感じている。絶対に先頭を譲らない、その気持ちでボクが走っていた。引き下がらないということは向こうも同じ気持ちだろう。

 ボーイに対して挑発してはいるが、ボクの頭の中は冷静だった。

 

 

(ここまでは作戦通り……。問題なく進んどる……)

 

 

 全てトレーナーとの作戦通りに進めることができていた。控室での会話を思い出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『テンポイント、今回の作戦は大まかに分けて2パターン用意してある。1つはスピリットスワプスが逃げた時のパターンだ』

 

 

 選手控室で作戦の打ち合わせをするボクとトレーナー。トレーナーはそう言った。ボクは大人しく聞いている。

 

 

『もしスピリットスワプスがハナを取って逃げるようだったら後ろで控えろ。先頭に立つんじゃなくて常に2番手、3番手の位置をキープするんだ』

 

 

『やな。スピリットスワプスなら十分躱し切れる。そうやろ?』

 

 

『そうだ。だからこそ無理に先頭に立つ必要はない。そしてもう一つのパターン。トウショウボーイがハナに立った場合だ』

 

 

『う~ん、明確な逃げウマ娘のスピリットスワプスがおるのにボーイは逃げるんやろうか?』

 

 

 ボクの疑問にトレーナーは断言に近い形で答える。

 

 

『正直言うと、俺はトウショウボーイが逃げる確率の方が高いと見ている。最内枠かつ宝塚記念のような少人数でのレース。ならば逃げを取る確率はかなり高い。スピリットスワプスがいるにしてもな』

 

 

『なるほどな。で?ボーイが先頭やった場合はどうするんや?』

 

 

 トレーナーは真面目な表情でボクに告げた。

 

 

『お前も先頭に立って競り合え。絶対にトウショウボーイにハナを取らせるな』

 

 

『……後ろで控えるっちゅうんは?』

 

 

『そうしたら、宝塚記念の二の舞だ。だからこそ、何が何でもトウショウボーイよりも前で走ることを意識しろ。トウショウボーイがそのまま引き下がるようなら先頭立って走る。仮に競り合いになっても問題はない。そのためのトレーニングは積んできたからな』

 

 

『やな。まあ一応の確認や』

 

 

 ボクはトレーナーの作戦で行くことを決めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこまで考えたところで、ボクは思考を切り替える。レースは向こう正面に入ったところ。相変わらずボクとボーイが先頭で競り合っている。

 ボクが内から差したら、ボーイが外からボクを差し返す。ボーイが外から差し返したらボクがまた内から差し返す。そんなマッチレースを展開していた。

 ボーイがボクに告げる。

 

 

「いい加減諦めた方がいいんじゃねぇかテンさん!そろそろキツくなってきただろ!」

 

 

「ハン!お前は諦めの対義語がテンポイントっちゅうんを知らないんか!やったら勉強不足やでボーイ!」

 

 

「んなことよく分かってるよ!それがテンさんだからな!」

 

 

「褒めてくれてありがとさん!お礼に後ろ下がってもらおか!」

 

 

「それはできねぇ相談だな!テンさんにだけは絶対に負けたくないんでね!」

 

 

「奇遇やな!ボクもお前にだけは絶対に負けたないわ!」

 

 

 お互いにそんなことを口走り合いながら走る。スタミナが余分に削られそうだが、今のボク達にとってそんなことはお構いなしだ。

 ボクの体力にはまだ余裕がある。それは向こうも同じだろう。こうして挑発し合えるぐらいの余裕があるのだから。だが、じきにそれもなくなるだろう。レース後半になると口を開く暇があるのなら全リソースをスパートにかける必要があるのだから。

 ボクとボーイ、お互いに競り合いながら向こう正面の中ほどの位置に来る。最早他の子なんて関係ないと言わんばかりのペースで飛ばしてきたボクたちは一歩も譲らないままここまで来ていた。ボクの目にはボーイしか眼中にない。そう言っても過言ではないだろう。

 ボク達はハイペースを維持したまま、向こう正面を走っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《さぁレースは向こう正面に入りました!しかし依然として先頭はトウショウボーイとテンポイントこの2人が競り合っています!もう他のウマ娘のことなど眼中にないかの如く飛ばしていきますトウショウボーイとテンポイント!》

 

 

《最後までこの2人が競り合う形になるのかどうか!しかしここで気になるのは共倒れの可能性です!あまり競り合いすぎますと控えているグリーングラスや他のウマ娘に漁夫の利を取られる可能性も十分に考えられます!》

 

 

《前の2人もそれは分かっているでしょう!……いや多分そんなことは考えていませんね!?さらにスピードを上げていきますテンポイントとトウショウボーイの激しい競り合い!一体どのような結末を迎えるのか!》

 

 

 

 

 向こう正面でテンポイントとトウショウボーイが激しく競り合っている。その様子に中山レース場の観客はまた悲鳴を上げていた。

 

 

「全然引き下がらねぇじゃねぇか!何考えてるんだ!?」

 

 

「いやでも……もしかしたらこのまま最後まで行くかもしれねぇぞ!?」

 

 

「何言ってんだ!あんなハイペースで飛ばして持つと思うのか!?」

 

 

 俺はその悲鳴を聞きながらレースを見ている。先程まで笑っていたハイセイコーが神妙な顔つきで俺に問いかける。

 

 

「さて、観客からは持たないだのなんだの言われているけど……。神藤さん的にはどう思っているんだい?」

 

 

「持つさ」

 

 

 俺は即答する。しかし、それに異論を挟んだのはクライムカイザーだった。

 

 

「……私は持たないと思います。ボーイさんもテンポイントさんもかなりのペースで飛ばしていることは火を見るよりも明らか。あのペースで走って、最後まで持つとは思えません」

 

 

 確かにそうだろう。普通であれば持たないと考える。だが、俺は確信を持って言える。

 

 

「テンポイントは持つさ。そのために、宝塚記念から有マ記念まで特訓を重ねてきた」

 

 

「それはトウショウボーイも同じよ」

 

 

 俺の言葉に同調するようにおハナさんが声を上げる。そのまま言葉を続けた。

 

 

「テンポイントが持つなら、トウショウボーイも持つわ。だからこそ、競り合いになっても走りを緩めないように指示したもの」

 

 

 やっぱり、競り合っているのはおハナさんの指示だったらしい。それほどまでにテンポイントが前を走ることを恐れているのか、あるいは……。

 俺たちの話に沖野さんが口を挟む。

 

 

「だが、この展開だったらグラスのが有利だ。アイツは今もテンポイントとトウショウボーイの後ろで機会を窺っている」

 

 

「そうだね。沖野トレーナーの言う通り、普通ならば持たないだろうね。グリーングラスが差し切る可能性の方が高い」

 

 

 沖野さんの言葉にハイセイコーが同調する。しかし、表情を見るに全くそうは思っていなさそうだ。あの2人は落ちない。そう思っているのかもしれない。

 キングスたちはテンポイントに必死に声援を送っている。

 

 

「頑張れー!お姉ー!」

 

 

「「「負けないでくださーい!テンポイント様ー!」」」

 

 

 シービークインはトウショウボーイに。

 

 

「トウショウボーイ様!ここが踏ん張りどころです!頑張ってください!」

 

 

 沖野さんが担当しているウマ娘たちはグリーングラスに。

 

 

「「「頑張れー!グラスせんぱーい!」」」

 

 

 その声援を聞きつつ、俺はレースの展開に少しの興奮を覚えながら見る。勝負は向こう正面中ほどに入っていた。

 

 

 

 

《残り1000mのところでテンポイントが抑えました!トウショウボーイがハナに立つ!しかしテンポイントがまたすぐに併せてきた!テンポイントが今度は外から併せます!トウショウボーイが内、テンポイントが外!先程までとは違う形で競り合います先頭2人!》

 

 

《両雄はまだ並んでおります!スタートから向こう正面中ほどを過ぎました今でもテンポイントとトウショウボーイこの2人が競り合っている!その後ろに控えるようにグリーングラスが1バ身から2バ身程の位置につけている!4番手はプレストウコウ3番手グリーングラスとは4バ身差!しかしじりじりと差を詰めていますプレストウコウ!5番手はスピリットスワプス6番手トウフクセダン7番手メグロモガミ!最後方は変わらずポツンとシンストーム!》

 

 

 

 

 俺は興奮しながらレースを見ている。するとテスコガビーの呟きが聞こえた。

 

 

「……最早、ここまでくると純粋な力勝負だな。どちらが先に力尽きるか、その勝負になるだろう」

 

 

「そうだね、ガビー。そして、それこそが……」

 

 

「俺が待ち望んでいた展開だ」

 

 

 俺はハイセイコーが言い終える前にそう答える。ハイセイコーは笑みを浮かべていた。俺もハイセイコー同様笑みを浮かべる。勝負は第3コーナーに入ろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 残り1000m。それを確認すると、ボクは勝負に出た。一度下がり、ボーイを1バ身程押し出す。

 諦めたわけじゃない。それを証明するようにボクはボーイの外へと進路を取った。内からではなく外からボーイとまた競り合う。

 外に進路を取った理由は1つ。バ場の状態だ。

 

 

(第1と第2コーナーはそれほど荒れてなかった……。やけど、第4コーナーは荒れとった。それに、今走っとる向こう正面もそれほど良くない……。なら、第3コーナーも荒れとる可能性は十分にある……)

 

 

 そう結論づけたボクはボーイの外へと進路を取った。本来ならば、ボーイよりも前に立って走り、外に進路を取るのが理想だったのだが、バ場が荒れていると分かっていたのかボーイはボクを内に閉じ込めていた。先程から競り合っている理由の1つでもあるのだろう。

 このままだと不利を背負わされる。そう考えたボクは一度競り合いを止めて外へ進路を取るためにボーイを前に押し出した。少しの間差が開く。だが、すぐさまボクは外からボーイに併せる。今度はボクがボーイを内に閉じ込める形になった。

 ボクはより一層気合を入れる。

 

 

(京都大賞典……、東京オープンレース……!2つんレースで培ってきたもんを、ここでぶつける!クビでも、ハナ差でもいい!ボーイよりも前出るために!)

 

 

 勝負は第3コーナーへと入っていく。




お互いに一歩も退かない戦い


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第84話 天を駆ける

勝負は第3コーナーへ


《レースは第3コーナーへと入りました!第3コーナーでまたテンポイントが少し出る!テンポイントが先頭に立った!しかしトウショウボーイ負けじと差し返す!トウショウボーイも負けじと差し返す!3番手グリーングラスも迫ってきているぞその差は1バ身から2バ身!4番手グリーングラスの内にトウフクセダンが突っ込んできた!トウフクセダンが上がってくる!プレストウコウはその外5番手の位置だ!》

 

 

《先頭2人の競り合いはまだまだ続きます!第3コーナーの中ほどでまたトウショウボーイが先頭に立った!テンポイントが外から躱そうとしている!ハナは絶対に譲らない、そんな気迫が感じられますテンポイント!しかしそれはトウショウボーイも同じ!お前にだけはハナを取らせないと必死に粘っている!だが第4コーナーの手前テンポイントがまた外から躱した!》

 

 

《第4コーナーに入って3番手グリーングラスが縮めた差がまた開いた!先頭の2人とは3バ身差!4番手は外を回っているプレストウコウ5番手はトウフクセダン!》

 

 

《さぁ、さぁ、一騎打ちか!トウショウボーイがまたちょっと出ている!第4コーナーの終盤でトウショウボーイがまたちょっと出た!これは世紀のレースだ、世紀の一戦だ!トウショウボーイの外からテンポイントが躱したか!?躱してしまったのか!?テンポイント躱したか!?》

 

 

 

 

 最初から今の今まで2人のマッチレース。凄まじいハイペースで飛ばしていたテンポイントとトウショウボーイの2人を見て、観客はいつ共倒れになるか気が気でなかっただろう。だが、最早観客たちの頭の中には共倒れなどという言葉はなかった。誰もが声を振り絞って応援の声を飛ばしている。その声援は、中山レース場が揺れていると錯覚を起こすほどだった。熱狂の渦に包まれる中山レース場。その高まりは最高潮に達しようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 残り1000mの標識を確認したあたりで、テンさんが不自然に下がったのをオレは見た。普通ならば力尽きたか?と思うような場面である。序盤からハイペースで飛ばし続けているのだ。力尽きていてもおかしくはない。

 だが、オレはそんなことは微塵も考えなかった。相手は普通のウマ娘ではないのだから。現に、一度内から姿を消したテンさんが第3コーナーに入ろうかというところでオレの外に姿を現した。オレは内心舌打ちをする。

 

 

(チッ!内に閉じ込めてるのがバレたか!)

 

 

 良バ場と発表はされてはいたものの、第4コーナーの内側のバ場はかなり荒れていた。それが分かっていたからこそオレは大きく外を回る進路を取ったのだ。そして、第4コーナーが荒れているということは第3コーナーも荒れている可能性が高い。そう考えたオレはテンさんを内に閉じ込めるように競り合った。

 だが、競り合っている本当の目的は別にある。内に閉じ込めるのはあくまで理由の1つでしかない。おハナさんとの作戦を思い出す。それはテンさんを絶対に先頭に立たせるなという指示。

 

 

(テンさんを逃げさせたらまずい……。特に、最後の直線でハナを取られたら本気でヤバい!)

 

 

 テンさんのしつこさは天下一品だ。それこそ、世界一と言っても過言ではないだろう。一度でもハナを取らせたらそのまま逃げ切れる。それだけの芸当ができるのがテンさんだ。

 そもそも、世間ではテンポイントはトウショウボーイに勝てないだのなんだのと言っているが、当事者からしたら何を言っているんだ、と言いたくなる。

 確かに、クラシックの内皐月とダービーはオレの圧勝だっただろう。だが、皐月賞はそもそもテンさんが調子落ちしているのが原因だし、ダービーはレース中に落鉄していたのだから参考にならない。

 前回の有マ記念や宝塚記念では確かに勝った。だが、そのどちらもがギリギリの勝利だった。特に宝塚記念は後もう少し距離が長ければ負けていたのはオレだっただろう。レースにたらればを語っても仕方ないのだが。

 今度はオレが内、テンさんが外で競り合う形になる。第3コーナーの中ほどでテンさんが外から躱す。オレは負けじと差し返すようにペースを上げる。最早挑発し合うような余裕はない。オレはペースを上げて走る。

 

 

(本当に不思議だよ……ッ!今この瞬間、このレースだけはテンさんに負けたくねぇ!)

 

 

 絶対に負けたくない。その気持ちが占めている。トゥインクルシリーズを引退するから?それは何か違う気がした。とにかく、絶対に負けたくない。その気持ちがオレを突き動かす。向こうも同じかもしれない。じゃなければ、今もこうやって競り合わないはずだ。

 第4コーナーのカーブに入って、もう少しで最後の直線に入ろうかというところ。オレは内からテンさんを差し返した。テンさんが外から躱そうと来る。オレは躱させまいと粘る。このレースが始まった時からそれは変わらない。お互いに一歩も退かない勝負。

 勝負は最後の直線に入る。テンさんとほぼ同時に入った。そして、最後の直線で向こうがわずかに先頭に立つ。その差が少し開いた。

 ……まだだ!まだオレは負けていない!確かに最後の直線で向こうが先頭に立ったかもしれない。一番避けたかった事なのは確かだ。だが、だからと言ってまだオレが負けたわけじゃない!

 

 

(絶対に負けられない……ッ!)

 

 

 おハナさんやチームのみんなのためにも……ッ!

 

 

『勝ってきなさい、トウショウボーイ』

 

 

 出走できなかったマルのためにも……ッ!

 

 

『あたしの分までパーペキな走り、頼んだわよ!』

 

 

 オレの勝利を信じているクインのためにも!

 

 

『私は、トウショウボーイ様が勝利することを信じております』

 

 

 絶対に負けられない!だから、オレの前を……ッ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第3コーナーに入ったところでまたボクが先頭に立つ。しかし、内からボーイが差し返してくる。もう何度目か分からないハナの取り合い。けれど、譲るわけにはいかない。勝つためには、絶対に譲るわけにはいかない。

 もうお互い挑発し合うような体力はなかった。序盤の挑発合戦から一転してただただお互いを競り落とそうと走り続ける。第3コーナーの中ほどでまたボーイにハナを取られる。

 

 

(ホンマに……ッ!とんでもないやつやな!お前は!)

 

 

 だが、ボクだって負けるわけにはいかない。

 絶対に負けられない。ボーイがトゥインクルシリーズを引退するから?ボクがこのレースの後海外遠征を予定しているから?いや、そのどちらでもない気がした。今この瞬間、このレースだけは絶対に負けたくない。向こうも同じ気持ちだろう。ここまで競り合っているのが何よりの証拠だ。

 外からボーイを躱そうとペースを上げる。

 

 

(最後の直線で向こうが先頭やったら宝塚記念の二の舞や!それだけは絶対に避けなアカン!)

 

 

 なんとしてでも、ボーイよりも前に出る。その一心で脚を動かしている。

 世間から見たら、ボクとボーイはとてもライバルとは思えない戦績をしているだろう。総合戦績ならば見劣りしないが、対ボーイに対するボクの勝利数は1勝のみ。向こうは4勝もしている。様々な外的要因があったとはいえ負けは負け。甘んじて受け入れるしかない。

 特に、宝塚記念で格付けは済んだと言ってもいい。調子落ちのボーイに惜敗。ボクはボーイに一生勝てないという烙印を押された。前回の有マ記念での敗北で世間はボクを〈悲運の貴公子〉なんて呼ぶようになった。

 それが積み重なってか、ボクは一度折れてしまった。宝塚記念で、一番の取り柄である負けん気すら起きなくなるほどに。そして思ってしまったのだ。ボクはもうボーイに勝てないのだと。

 そんなボクが立ち直れたのは、間違いなくトレーナーの存在が大きい。トレーナーはいつだってボクを信じてくれていた。どんなに負けてもトレーナーはボクを信じてくれていた。そして、その度にボクを励ますのだ。

 ボクは最強のウマ娘だと。

 思えば、スカウトされた時から何も変わらずにそう言ってきてくれた。最初は冗談だと思っていた。クラシックで負けが続いた時はボクを励ますためだと思っていた。シニアでも言い続けている時は、さすがに呆れた。けれど、今は自信を持って言える。

 トレーナーの言葉に嘘偽りはない。ボクこそが最強のウマ娘だと信じているのだと。そして、ボクはトレーナーのその言葉を信じている!だからこそ。

 

 

(ここで負けるわけには……ッ!いかんよなぁ!)

 

 

 そう決意を固めてボクは第4コーナーでもう一度ハナを奪う。ボーイが負けじと内から上がってくる。内側の荒れたバ場を嫌ってか、かなり外に回してきた。ボクもボーイと競り合うようにして第4コーナーを回る。

 第4コーナーの終盤で、またボーイにハナを奪われる。ボクも負けじとボーイと競り合う。お互いに一歩も譲らない戦い。

 勝負は最後の直線に入る。ボクとボーイほぼ同時に入った。だが、わずかにボクが外から躱す。最後の直線を、ボクはハナを取って進む。その差が少し開いた。

 ……いや、まだここからだ。ハナを取ったからと油断はできない。ボーイは死に物狂いで差し返してくるはずだ。だからこそ、最後の最後まで油断はしない。

 そもそも、まだ最後の直線でハナに立っただけだ!勝ったわけじゃない!確かにボクに有利ではある。だが、有利イコール勝ちとはならない!死に物狂いで脚を動かせ!ゴールするその瞬間まで絶対に足を止めるな!

 

 

(絶対に負けられへん……ッ!)

 

 

 キングスやお母様が信じてくれた……ッ!

 

 

『お姉の強さを信じてるし!』

 

 

 ジョージが応援してくれている……ッ!

 

 

『頑張れ テン坊。テン坊 大丈夫』

 

 

 何よりも、トレーナーが信じている……ッ!

 

 

『お前は、俺が信じる最強のウマ娘だ!』

 

 

 絶対に負けられない!だから……ッ!

 

 

「お前はァ!ボクの影でも踏んでろやァァァァァァァァァァ!」

 

 

「オレの前を……!走ってんじゃ……、ねェェェェェェェェェェ!」

 

 

 同時にボク達は叫んだ。

 意地と意地がぶつかり合う。勝負は、残り200m。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……なんだこれは?一体、何が起きているんだ?

 レースが始まった時、私は理想通りの展開に進んでいると思っていた。前2人、ボーイちゃんとテンちゃんがお互いがお互いを競り落とそうと躍起になっている。まるで、秋の天皇賞での私とボーイちゃんみたいに。

 それを見て好機だと思った。かなりのペースで飛ばしているのだ。私が差し切れるチャンスは十分にある。しかし、だからと言ってあまり後ろで控えると今度は追いつくことができない。だから私は、ずっと3番手の位置をキープしていた。

 

 

(それにしても~お互いのことしか目に入ってないみたいだね~。他の子なんてお構いなし……ってとこかな~?)

 

 

 そのことに少し苛立ちを覚えたが、チャンスなことに変わりはない。私は変わらず3番手の位置をキープする。

 正直、ついていくのも結構キツいがついていけないことはない。私は差し切るチャンスを虎視眈々を狙う。

 向こう正面を越えて第3コーナーに入ろうかというところ。テンちゃんは内から抜くことを諦めて、一度下がった。しかし、下がったと思ったらすぐさまボーイちゃんの外を躱すようにペースを上げる。それを見て、私も少しペースを上げてテンちゃんたちを追従する。この時、私は内側のバ場を通っていこうかと思ったが……。

 

 

(う~ん、1周目の第4コーナーでも思ったけど~かなり悪いね~。さすがにここを通るのは勘弁かな~)

 

 

 私は荒れたバ場でもそれなりに走ることはできるが、あくまでそれなりだ。好んで走ろうとはあまり思わない。そして、これだけ荒れているのが分かってか、内を走るボーイちゃんも外をめいいっぱい回していた。

 ペースを上げた私は2人の1バ身程後ろの位置につける。この位置なら、

 

 

(嫌でも意識するしかないよね~?さぁ、隙を見せてもらおうか~!)

 

 

そう思った。そして、隙を見せたところで差し切る。順調に事は進んでいた。はずだった。

 ……だが、あの2人は私のことを全く意識していなかった。レース開始の時から変わらない。お互いのことしか眼中にない。そう言わんばかりにガンガンペースを上げていく。一体、どこにそんな体力があるのかとばかりに。

 そんな2人に湧いてきたのは、怒りという感情だった。

 ……上等だ、だったら、後悔させてやる。

 

 

(私を無視したこと……!絶対に後悔させてやる!)

 

 

 沖野トレーナーのためにも……ッ!

 

 

『お前の力はトウショウボーイにもテンポイントにも劣っていねぇ。俺が断言する。だから、TTが勝つと思っている観客の度肝を抜いてやれ!』

 

 

 カイザーちゃんのためにも……ッ!

 

 

『頑張ってください、グラスさん。応援しています』

 

 

 私自身のためにも!

 

 

「私をォ……ッ!無視するなァァァァァァァァァァ!」

 

 

 私はそう叫んで、先頭を走る2人に肉迫する。

 距離は、残り200m。




決着の時が近づく。


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第85話 緑の刺客

《テンポイントとトウショウボーイが最後の直線に入ってきた!ほとんど同時だほとんど同時に最後の直線に入りましたテンポイントとトウショウボーイ!しかし外からテンポイントがトウショウボーイを躱したか!?最後の直線テンポイントがハナを奪った!しかしその差はわずかだテンポイント!トウショウボーイ追いすがる!テンポイント粘る!トウショウボーイが差し返すか!テンポイントがこのまま突き放すか!》

 

 

《このマッチレースは終わらない!終わってほしくない!しかし有マ記念残り200を切ろうしている!残り200を切ろうかというところでテンポイントとトウショウボーイが他のウマ娘を置き去りにして……ッ!いや、外からグリーングラスだ!外からグリーングラスが突っ込んできた!その差をグングン縮めていきます!ただ1人この世紀の一戦に割り込んでくるウマ娘がただ1人だけおりますグリーングラス!》

 

 

 

 

「いけー!押し切れー!」

 

 

「まだだー!差し返せー!」

 

 

「負けないでー!」

 

 

「頑張れー!」

 

 

 観客たちの大歓声が中山レース場に響き渡る中、俺はレースを食い入るように見ている。身を乗り出しそうな勢いで勝負の行く末を見ていた。

 全員、同じ気持ちなのだろう。最早誰も会話をしようとは思っていない。口から出るのは応援の言葉だけだ。他の観客たちと同じように、全員大声で応援している。

 実況も、興奮が抑えきれないといった様子で実況していた。

 

 

 

 

《残り200mを切った!残り200を切って先頭はテンポイントだ!トウショウボーイがハナを奪われたままだ!しかし凄まじい勝負根性だトウショウボーイ!内から差し返したトウショウボーイ!だがテンポイントも驚異の粘り!奪われたハナをすぐさま奪い返した!外からグリーングラスだグリーングラスが来ている!》

 

 

《外からグリーングラスが飛んできた!外から怖い怖いグリーングラス!先頭2人を猛追しますグリーングラス!最後はやはりこの3人での決着となるか有マ記念!先頭2人との差を1バ身に詰めましたグリーングラス!そして最後の坂を登り切って残り100mここでテンポイントが抜け出した!テンポイント完全に抜け出しました!トウショウボーイとの差を1バ身つける!》

 

 

《しかしこれが天を駆けるウマ娘の底力だトウショウボーイ!それ以上は離させない!そしてテンポイントとの差を詰めていく!トウショウボーイが追いすがる!テンポイントが粘る!外からグリーングラスが急襲してきた!さぁ日本一の栄冠は誰の手に渡るのか!?》

 

 

 

 

 残り100mを切ったその時。俺は今まで抑えていた気持ちを全てぶつける勢いで叫んだ。それは、テンポイントへの応援の言葉。

 

 

「頑張れぇぇぇぇぇ!テンポイントォォォォォ!」

 

 

 俺は何度もそう叫ぶ。テンポイントを応援し続けた。

 決着まで、残り僅か。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前はァ!ボクの影でも踏んでろやァァァァァァァァァァ!」

 

 

「オレの前を……!走ってんじゃ……、ねェェェェェェェェェェ!」

 

 

 前方から、そんな声が聞こえる。どうやら、あの2人の目にはどこまでもお互いしか映っていないらしい。

 そのことに一層怒りが湧いたが、むしろ好都合だ。その方が私が差し切るチャンスがあるのだから。私は自分が持てる全力を持ってあの2人に急襲する。

 

 

(後悔させてやる……ッ!私を意識の外に追いやったこと……ッ!必ず後悔させてやるッ!)

 

 

 思えば、いつもそうだった。注目されるのはあの2人だけ。私や他の子は注目されることは少ない。

 あの2人は私のことをライバルだと言ってくれる。そのこと自体は嬉しいし、私自身あの2人をライバルだと思っている。

 けど、私はあくまでその他大勢のライバルにしかなれないのだ。あの2人は、お互いがお互いを特別なライバルだと思っている。有マ記念でのインタビューの特番を見て、それは分かっていた。

 ボーイちゃんもテンちゃんも、倒すべき相手にお互いを掲げている。絶対に負けたくない相手にお互いの名前を出し合った。そこに、他の子の名前はない。

 別に深い意図はないのだろう。だけど、私はつい悪い方向に考えていってしまった。私たちには負けないから。そう考えているからこそ、お互いしか意識していないのだろうと。

 それは、世間の声も一緒だった。テンポイントのライバルはトウショウボーイだけ。トウショウボーイのライバルはテンポイントだけ。そんな声しか上がらない。

 ……そんなのは嫌だ。私だって、あの2人のライバルなのだと世間から認められたい!あの2人だけじゃない、自分たちの世代にはまだまだ強い子は沢山いるのだと!世間に知らしめてやりたい!

 結局は、子供の駄々のようなものなのだろう。注目されたいから、認められたいから気を引くためにあの手この手を使う。だからこそ……。

 

 

(あの2人の一騎打ちだと思っているこのレースを、私が横からかっさらっていってやる!)

 

 

 そう心に誓い、私は走る。すでにボーイちゃんに並んだ。後はテンちゃんを抜かすだけだ。

 ……だが、抜かせない。それだけじゃない。ボーイちゃんに追いついたはずなのに、追い抜くことができない。

 ありえない。ボーイちゃんもテンちゃんも、序盤から飛ばしてきたはずだ。体力は残っていないはず。対して、私の体力はなくなる寸前だが、2人よりはあるはずだ。どうして?どうして追いつけない!

 どうして追い抜くことができないのか。そんなことを考えたまま、勝負は最終局面へと入っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 走る。走る。走る。ただ、脚を動かして走る。ただ、いつものように走れているだろうか?ボクはふとそう思った。

 いつものように呼吸するのが難しい。脚が鉛のように重い、最早棒のように感じている。心臓や肺が破れそうだ。

 春の天皇賞で3200mを走った時でも、ここまではならなかった。だが、それも当然だろう。有マ記念の距離実に2500m。その距離を、ほぼ全力に近い形で、ペース配分というものをガン無視して走っているのだから。

 なぜそんなことをしているのか?理由は簡単だ。

 

 

(ボクの隣を走っとるコイツに……ッ!絶対に負けたないからや!)

 

 

 隣を走っているボーイに、絶対に負けたくない。その一心だったから。

 残り200m。最後の直線に入って取ったハナが取り返されそうになる。内心舌打ちする。

 

 

(ホンマに……ッ!恐ろしいやつやな、ボーイ!)

 

 

 だが、それでこそボクのライバルだ。こんなところでくたばるようなたまではない。そのことを、ボクが一番よく分かっている。

 もう駆け引きなんてものは存在しない。ただ、意地と意地だけがぶつかり合う純粋な力勝負。お互いに絶対に負けたくない。その一心で走っているに違いないだろう。

 ただ、トウショウボーイというウマ娘を負かす。そのことだけにボクの全神経を集中させる。

 そして、ボクとボーイは最後の直線の最後の坂に入っていく。ここを越えれば、ゴールは目前だ。坂を一気に登っていく。

 苦しい。ただでさえ最初から全力疾走してガス欠寸前のこの身体に坂はキツ過ぎる。だが、それはボーイも同じこと。絶対に諦めない。全ては勝利するために。ボクは必死に脚を動かす。

 最後の坂を登り終える。これで、残り100m。もうボーイと競り合っているのかどうかすら分からない。ただ機械のようにボクは脚を動かす。

 だが、残り100mが果てしなく遠く感じる。あとどれだけ走ればゴールに着くのだろう?そんな考えが頭をよぎる。もう何も考えられない。すでにガス欠になったのだろうか?ちゃんと、ボクは走れているのだろうか?そんな感覚に陥る。

 ……その時ふと、スタンドからの声がボクの耳に入ってきた。それは、本当に偶然だった。

 

 

「……ォォォ!」

 

 

(なんや?誰の……ッ!)

 

 

 この大歓声の中だ。誰の出した声かなんて普通は分からない。だが、その声だけは大歓声の中でも聞き分けることができた。

 

 

「……イントォォォォォ!」

 

 

(あぁ……。この声は)

 

 

 聞き間違えるはずがない。どんな時でもボクを励ましてくれた。

 

 

「……ぇぇぇ!テンポイントォォォォォ!」

 

 

 どんな時でも、ボクを信じてくれていた。

 

 

「頑張れぇぇぇぇぇ!テンポイントォォォォォ!」

 

 

 大切な、ボクのトレーナーの声!

 

 

「あぁ……そうやな……。そうやったな……ッ!」

 

 

 思わず、声が漏れ出る。真っ白になりそうだった意識が回復する。ボクの全身に、みるみるうちに力が湧いてくる!

 思い出す。選手控室でトレーナーと交わしたあの約束を。いつものルーティーン。お互いの拳を軽く合わせて誓った、あの約束を!

 

 

『観客席でしっかり見とき?ボクが1着で駆け抜けるとこ!』

 

 

「よう見とき……ッ!」

 

 

 深く呼吸をする。

 

 

「これが……、キミの信じる……ッ!」

 

 

 脚を力強く踏み込む。

 

 

「最強のウマ娘の……ッ!最強の走りやァァァァァァ!」

 

 

 ボクは、全力で駆け抜ける。残り100m先の、ゴール板を目指して。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《残り100を切った!さぁテンポイント先頭だ!テンポイントが先頭だ!しかしトウショウボーイとの差はわずかだ!トウショウボーイも意地がある!トウショウボーイが内から懸命に追いすがる!トウショウボーイ追いすがる!その差を1/2バ身まで詰めたトウショウボーイ!じりじりと差を詰める!テンポイントここまでか!?いや違う!テンポイント息を吹き返した!テンポイント粘る!テンポイント粘る!それ以上差を縮めさせませんテンポイント驚異の粘り!そしてそして外のグリーングラスもトウショウボーイに並んだ!3人がもつれ合う!》

 

 

《もう残りわずかだ!もう残りわずかだ有マ記念!勝利の3女神は誰に微笑むのか!?》

 

 

 

 

 中山レース場が揺れる。有マ記念というレースの歴史上見たことがない展開。最初から最後までテンポイントとトウショウボーイ2人によるマッチレース。そこに入り込めたのはただ1人、同世代の菊花賞ウマ娘グリーングラスのみ。他に出走しているウマ娘たちは前3人の激闘を後方で見ることしかできない。

 テンポイントを応援する声が飛ぶ。

 

 

「頑張れ!もうちょっとだテンポイント!」

 

 

「トウショウボーイに雪辱を果たしてくれ!」

 

 

「勝って、勝って海外に飛び立ってくれテンポイント!」

 

 

 その声に負けじと、トウショウボーイを応援する声が飛ぶ。

 

 

「後もうちょっと!差し返せトウショウボーイ!」

 

 

「お前の走りは誰にも負けねぇってことを見せてくれ!」

 

 

「トゥインクルシリーズ最後のレースを勝って、華々しくドリームトロフィーリーグに行ってくれ!」

 

 

 そして、グリーングラスへの声援も飛ぶ。その声は、2人にも負けていない。

 

 

「そうだ!テンポイントとトウショウボーイだけじゃねぇ!お前もいるってことを見せつけてやれ!グリーングラス!」

 

 

「2人はとっくにガス欠だ!差し切れるぞー!」

 

 

「頑張れ……ッ!頑張れ!グリーングラス!」

 

 

 そして……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 不思議だった。さっきまではあんなに疲れていたのに、もう走り終わって楽になりたいと考えていたのに、今は真逆のことが頭に浮かんでいる。

 もっと走っていたい。このレースを終わらせたくない。そんな考えが頭をよぎった。

 ……それだけ、このレースがボクにとって楽しいものだったのだろう。レースという真剣勝負に楽しいという感情を持つのもどうかと思うが、ボクはそう思った。もうレースが終わりそうだという今際だからかもしれない。

 ボクは変わらず先頭を走っている。ボーイは半バ身だろうか?それくらい後ろを走っている。だが、微塵も諦めようとする気配はない。ボクに食らいつこうと必死になっている。彼女の叫びが聞こえるような気がする。

 

 

「テンポイントォォォォォ!」

 

 

 そう、叫んだような気がした。

 ……だが、それももう終わりだ。ボクはペースを緩めずに走る。そして……。

 

 

「ボクの……ッ!勝ちや……ッ!」

 

 

 ボクの身体が、1番最初にゴール板を駆け抜けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 有マ記念。ファン投票と推薦されたウマ娘によって選ばれた優駿たちが年末最後に競い合う歴史と伝統のあるレース。その年最後に日本一のウマ娘を決めるレースとも言われている。そして、様々な伝説が生まれてきた。今回の有マ記念もまた、人々にとって忘れられないレースとなった。

 1番人気と2番人気のライバル2人が最初から最後まで競り合うマッチレース。共倒れになるんじゃないか?そう思っていた観客たちの声を嘲笑うように、この2人によるマッチレースが繰り広げられた。

 1番人気のウマ娘の名は〈貴公子〉テンポイント。2番人気のライバルの子には、絶対に負けられないと意気込んでいた。

 2番人気のウマ娘の名は〈天を駆けるウマ娘〉トウショウボーイ。こちらも同様に、1番人気のライバルには絶対に負けられないと意気込んでいた。

 お互いがお互いを特別なライバルと認めるこの2人によるマッチレース。見るもの全てを魅了した伝説のマッチレース。

 

 

「戯れにもみえた、死闘にもみえた」

 

 

誰かがそう言った。

 2500mの死闘を制した、勝者の名は――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

テンポイント




有マ記念、決着。


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第86話 流星の貴公子

決着、その後


 12月の夕日に照らされる中山レース場。今もなお熱狂の渦に包まれているその場所で、1つのレースの決着がついた。勝者は、誰よりも早くゴール板を駆け抜けたウマ娘は、夕日に照らされて黄金色に輝く髪を靡かせている。喜びを噛みしめているのか、はたまた喜ぶ体力すら最早残されていないのか、顔は下を向いていた。

 実況の人たちが、興奮冷めやらぬといった様子で実況する。

 

 

 

 

《……~ッ!決ッ着!勝ったのはテンポイント!勝ったのはテンポイントだテンポイント1着!トウショウボーイは2着!3着はグリーングラス!テンポイントが力で!トウショウボーイを!そしてグリーングラスを!力でねじ伏せました!テンポイント1着ゥゥゥゥゥッ!》

 

 

《テンポイントが1着だ!テンポイント1着!中山の直線を、中山の直線を流星が走りました!有マ記念を勝ったのは<貴公子>テンポイント、……いえ!<流星の貴公子>テンポイントです!<流星の貴公子>テンポイントが中山の直線を駆け抜けました!しかし、さすがにトウショウボーイも強かった!》

 

 

《2着トウショウボーイはテンポイントの3/4バ身!3着グリーングラスは2着トウショウボーイの1/2バ身!そして4着のプレストウコウは3着グリーングラスから遅れること6バ身!》

 

 

 

 

 大歓声と拍手が鳴り響く中山レース場。その興奮が冷める様子はなかった。

 その歓声を聞きながら、俺はターフへと視線を送っていた。テンポイントは最早動く気力すら湧かないのか、ターフの上から動かない。それは、トウショウボーイも同じだった。やがて、テンポイントが先にターフに寝転んだかと思うと、少ししてからトウショウボーイも同じように寝転んだ。その光景を見て、俺は一瞬何かあったのかと思い心臓が跳ね上がったが、どうやら問題はなさそうだ。安堵する。

 周りにいるメンバーはそれぞれ思い思いの言葉を口にしていた。テンポイントが勝ったことに喜び泣くキングスたち。グリーングラスを心配するように呟く沖野さん。少し悔しさをにじませて、しかし満足そうに表情を崩すおハナさん。様々だった。

 ハイセイコーが俺に話しかけてくる。

 

 

「神藤さん。強いね、テンポイントは」

 

 

 その言葉に、俺は笑みを浮かべて答える。

 

 

「当たり前だろ?俺が信じる、最強のウマ娘だからな!」

 

 

 ハイセイコーの言葉に、俺はそう答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一番最初にゴール板を駆け抜けたボクは、勝利したことを喜ぶようにガッツポーズやらなにやら取ろうと思った。

 しかし、身体が思うように動かない。もう限界だったのだろう。立っているのもやっとだ。ガッツポーズなんてできるはずもない。ふと横を見る。ボーイがいる。逆の方を見る。そこにはグラスがいた。全然気づいていなかった。心の中で思う。

 

 

(あぁ……怖いレースしとったんやな、ボク)

 

 

 少しだけ、冷汗をかいた。ただ、ボクは勝つことができた。今はそれを喜ぼう。

 少しずつ減速して、やがて立ち止まる。膝に手をついて、荒々しく呼吸をする。

 だが、最早立っていることにすら疲れたボクは、お構いなしにターフに寝転ぶことにした。すでに他のみんなもゴールしている。だから寝転んだところで問題ないだろう。ターフに倒れ込む。

 12月の冷たい風がレース場に吹く。少し寒さを感じる。けど、今のボクにはそれが気持ちよく感じた。

 そんな時、ボクの近くに誰かが倒れ込む音がした。音がした方を向く。そこには、ボーイがボクと同じようにターフに倒れ込んでいた。その表情は、どこか満足げだった。

 ボーイがボクに話しかけてくる。

 

 

「チッッッックショー!負けた!完ッ全!完ッ璧に!負けたー!」

 

 

「うっっっっさ!こんな近くで叫ぶなや!」

 

 

 話しかけてくる、なんて生易しいものじゃなかった。ボーイがそう叫ぶ。ボクは驚きから思わず飛びのきそうになった。しかし、動く体力もないので実際には寝転んだ場所から動いていない。

 そのままボーイが謝ってきた。

 

 

「わりぃわりぃ!でもさ、そんだけ悔しかったってことで勘弁してくれよテンさん!」

 

 

「そうかそうか、やったら勘弁したる……なんていうと思っとるんか!」

 

 

「わ、悪かったって!」

 

 

「……ま、ええわ。今のボクは気分がええからな。こんまま少し話そうや、ボーイ」

 

 

「……あぁ、いいぜ」

 

 

 ボクはそう言って、ボーイとの会話を始めることにした。

 

 

「ホンマに、疲れたわこんレースは……。過去最高に疲れた言うても過言やないで」

 

 

「ホントだよ。テンさん全然譲らねぇんだもん。だからオレも競り合い続けたよ。それが最初から最後までだぜ?しんどいなんてもんじゃねぇよ」

 

 

「こっちの台詞や。しんどいし、疲れるし、明日絶対筋肉痛やろ。こんなん」

 

 

「ははっ、ちがいねぇな。けど、今までのどんな負けよりも悔しいなぁ、今日の負けは」

 

 

「ふん。言うたやろ?今までの負け利子つけて返したるって」

 

 

「ホントに利子つけて返されるとはなぁ……。やっべぇ、また叫びそう」

 

 

「ホンマに止めろ。せめてボクが近くにおらん時に叫んでくれ」

 

 

「冗談冗談。さすがにもう叫ばねぇよ。だけど……」

 

 

「あぁ……そうやなぁ……」

 

 

 お互い、思っていることは一緒だったのだろう。お互い、口を揃えて告げる。

 

 

「「スッゲェ楽しかった!」」

 

 

 言葉どころか、声のタイミングも揃った。そのことがどこかおかしくて、ボクとボーイは笑いあう。身体が少し痛んだが、そんなことはお構いなしに2人で笑いあった。

 そうして2人で笑っている時、ふとボク達を覗き込むように1人のウマ娘が立っていた。すぐに分かった。グラスだ。

 グラスはボク達に話しかける。

 

 

「いやいや~お2人とも楽しそうで~。あんなに走った後なのにね~」

 

 

「グラス!グラスも一緒に寝転ばねぇか?結構気持ちいいぜ!芝の上で寝転ぶの!」

 

 

「いや~遠慮しておくよ~。私の場合そのまま寝ちゃいそうだからね~」

 

 

「それはないやろ」

 

 

 お互いに冗談を言い合う。するとグラスが少し悔しさをにじませながら言ってきた。

 

 

「……それにしても~、後もうちょっとだったんだけどな~。後もうちょっと、追いつけなかったな~」

 

 

「え?後もうちょっと?」

 

 

 ボーイがそう返すと、グラスは露骨に残念そうな表情をした。

 

 

「えぇ~?ボーイちゃん気づいてなかったの~?私すぐ隣にいたよ~?」

 

 

「……マジ?」

 

 

「マジやで」

 

 

「……ボーイちゃん、気づいてなかったんだね~?」

 

 

「……全ッ然気づかなかった」

 

 

 それを聞いたグラスは泣き始めた。すごくわざとらしく。

 

 

「オヨヨ~。私は悲しいよ~。ボーイちゃんにはテンちゃんしか映ってなかったんだね~。オヨヨ~」

 

 

「わ、悪かったよ!でも、そんだけ必死だったんだって!」

 

 

「おぉよしよし、可哀想にな~?グラス~」

 

 

 ボクはグラスを慰めるように何とか立ち上がって励ますように頭を撫でた。グラスは膝をついていたので撫でやすい位置に頭がある。

 ……ぶっちゃけボクもゴールするまでグラスが来ていたことに全然気づいていなかったことは黙っておこう。

 しかし、グラスは嘘泣きを止めてスクっと立ち上がる。そしてボク達に告げる。

 

 

「それじゃあ、そろそろライブの準備しなくちゃだから~。私はそろそろ行くね~?」

 

 

「マジか。じゃあオレも行かねぇとな!」

 

 

 そう言ってボーイも立ち上がる。何とか立ち上がった、といった様子だった。

 

 

「それじゃあテンさん!またライブでな!」

 

 

「じゃ~ね~」

 

 

「あぁ、またライブでやな。2人とも」

 

 

 ボクは手を振って2人と別れた。去り際、グラスは悔しそうな表情を滲ませていた。ただ、何も言わない。勝ったボクが何かを言ったところで、意味はない。そう思ったから。

 ボクはこの後はウィナーズサークルに向かう必要がある。記者の人たちのインタビューに答えなければならないことに少し憂鬱になる。ボクの中にある記者の人たちにある苦手意識はなくなっていない。

 だが、それよりもボクにはやるべきことがあるのを思い出した。体力も軽く動く分には問題ないほどに回復した。ボクは目当ての人物を探す。いつもゴール前の最前列に陣取っているのだ。どこにいるかなんてすぐに分かる。それに、あの時に聞こえた声の地点から大体の位置は予測できている。その声が聞こえた地点に向かいながら、ボクは観客席を見渡す。

 案の定、すぐに見つかった。ボクのトレーナーが立っている。トレーナーだけではない。ハイセイコー先輩たちに沖野さん、カイザー、キングスたちも同じ場所にいた。

 ボクはまっすぐにトレーナーを見据える。トレーナーも、ボクをまっすぐに見ていた。お互いの間に沈黙が訪れる。

 そして、ボクは沈黙を破るようにとびっきりの笑顔でトレーナーにピースサインをする。言葉はいらない。ただボクは、トレーナーに向かって笑顔でピースサインをした。

 それを受けてトレーナーは、笑顔でサムズアップをする。ボクと同じように、とびっきりの笑顔で。

 言葉は交わさずとも、お互いの言いたいことは分かっている。そんな気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後は、ボクとトレーナーは合流してウィナーズサークルへと向かう。そして、記者の人たちのインタビューに答えていた。

 

 

「神藤さん、テンポイントさん!まずは有マ記念優勝おめでとうございます!これで日本一ですね!」

 

 

「ありがとうございます」「おおきにです」

 

 

「宿敵であるトウショウボーイに雪辱を果たしました!今のお気持ちをお聞かせください!」

 

 

「せやね……。ようやっと、借りを返せたってとこですかね。やけど、まだまだ負け越しとるんで負け越しとる分はドリームトロフィーリーグで取り返したいと思うてます」

 

 

「神藤さん!今回のレースはどういった作戦だったのでしょうか!?是非お聞かせください!」

 

 

「今回は宝塚記念での経験から、トウショウボーイが逃げると思っていました。だから、もしトウショウボーイが逃げるようであれば競り合え、絶対にハナを取らせるな……と。そうテンポイントに指示しました。それが結果として、あのようなレースに繋がったんだと思います」

 

 

「どんな気持ちでレースを見ていましたか!」

 

 

「そうですね……。やっぱりトウショウボーイも強いですから、先が見えない展開にハラハラしていましたよ。恥ずかしながら、最後の直線では思わず身を乗り出してテンポイントの応援をしていましたね」

 

 

「なんや?ボクが勝つて信じてなかったんか?」

 

 

「何言ってんだ。お前が勝つって信じてたに決まってんだろ」

 

 

「大丈夫大丈夫、ちゃんと分かっとるって。それに、ちゃんと聞こえ取ったで?トレーナーの『頑張れぇぇぇぇぇ!テンポイントォォォォォ!』って声」

 

 

「マジかよ。ちょっと恥ずかしいな」

 

 

「恥ずかしがる必要ないで?あの声援のおかげで、ボクは元気貰えたからな!」

 

 

「お2人は仲が良いんですね!」

 

 

 記者の人はそう言った。ただ、話が横道に逸れてしまったので軌道修正する。

 

 

「それでは今話題となっていることですが……。テンポイントさんは年明け海外挑戦をする予定だとか!?真相をお聞かせください!」

 

 

 記者のその質問にトレーナーが答える。

 

 

「正直、噂の出所が気になるところではあるんですが……、年明けに海外挑戦する予定というのは事実ですね。テンポイントなら向こうのバ場でも問題なく走れる、そう思っていますので」

 

 

「おぉ~!一体いつ頃から意識しだしたのですか!?」

 

 

「漠然とした意識自体は前々あったのですが、最終的な判断は今日の走りを見て決めました。宝塚記念が終わった後にアメリカのレースの招待状は来ていたのですが、まだトウショウボーイに負けたままなのでこのまま海外に渡るわけにはいかない……。なので、海外挑戦するにしてもトウショウボーイと決着をつけてから、とテンポイントと意見が一致しました」

 

 

「海外ではどのレースに挑戦する予定ですか!?」

 

 

「有名どころには出走するつもりです。ひとまずはイギリスのキングジョージとフランスの凱旋門賞が大目標ですね」

 

 

「テンポイントさんが海外遠征する場合、神藤さんはどうなさるおつもりですか?やはり向こうのトレーナーに……」

 

 

「何言うとるんや。ついてくるに決まっとるやろ」

 

 

「……らしいです。なので私も海外研修という形でテンポイントと一緒に向こうに渡る予定です」

 

 

「そ、そうですか」

 

 

 ボクの態度に、記者の人は思わず気圧されていた。トレーナーは少しだけ呆れた表情をしている。だが、これだけは宣言しておかなければならない。ボクはそう思った。

 そこからは細々とした質問が続いていき、最後に記念の写真を撮ることになった。有マ記念の優勝レイが渡される。

 本来ならば、ボクだけが首にかけるのだがここでボクがいい案が浮かんだ。トレーナーに話しかける。

 

 

「なぁトレーナー。ちょっとええか?」

 

 

「どうしたんだ?テンポイント」

 

 

「ちょい屈んでくれへん?ボクとおんなじ高さまで」

 

 

「まあいいが……。こんな感じか?」

 

 

 そう言って、ボクの言葉通りにトレーナーは屈んだ。ボクと同じぐらいの高さになる。ボクは屈んだトレーナーの首も巻き込むように、自分の首とトレーナーの首に有マ記念の優勝レイをかける。

 

 

「えい!」

 

 

「わ!?お前、何するんだ!?」

 

 

 トレーナーが驚いたようにそう言った。ボクは笑顔でトレーナーに告げる。

 

 

「決まっとるやろ?こん優勝レイは、ボクとキミ、2人で勝ち取ったもんや。やから、ボクとキミの首にかけんとな!」

 

 

「……全く。分かったよ。すいません、これでお願いできますか?」

 

 

 トレーナーの言葉に記者の人は笑顔で答える。

 

 

「勿論です!それではお2人とも、とびっきりの笑顔でお願いします!」

 

 

 記者の人の言葉にボクは心からの笑顔で応える。きっとトレーナーも同じだろう。眩しい笑顔だった。

 写真を撮り終わって、ウイニングライブの準備をするために控室へと戻る。トレーナーとは途中で別れた。準備を済ませて、ウイニングライブの会場へと向かう。ライブは今までのライブの中でも一番の盛り上がりだった。ボクの気持ちも昂っていく。

 ライブも終わり、予約してあったホテルに泊まる。さすがにもう寮の門限は過ぎていた。あらかじめ外泊届を出しているので問題ないが。

 シャワーを浴びて、お風呂に入る。風呂上りにはいつものように牛乳を飲んで、トレーナーのマッサージを受けて自分の部屋に戻る。ボクはすぐさま眠りについた。その日は熟睡だった。

 こうしてボクの、有マ記念が終わったのだった。




激闘、終戦。


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閑話11 敗者の残響

勝利した者の影には必ず敗者がいる


 テンちゃんと別れて、しばらくボーイちゃんと歩く。道中はお互い無言だった。そのボーイちゃんとも途中で別れて、私は1人自分の控室に入る。中にある椅子に腰かけて、扉に背を向けて項垂れる。

 ……今回のレースの敗因はなんだ?仕掛けるタイミングを見誤ったのか?それとも前のボーイちゃんとテンちゃんにあてられて自分も知らずのうちにペース配分を誤ったのか?そもそもついていくのに精いっぱいだっただけか?考えは尽きない。

 そんな時ふと、前を走る2人の姿を思い出す。お互いのことしか目に映っていない。終盤も終盤、疲れも見えていた。けれど、どこか楽しそうに走っている2人の姿。そして、それ以上に感じた……。

 そこまで考えて思考を逸らす。辛い現実から目を逸らすように。すると、控室の扉がノックされる。

 

 

「……誰~?」

 

 

 そう言うと、扉を開けてその人物が入ってきた。私はその姿を確認するために扉の方に視線を向ける。沖野トレーナーとカイザーちゃんだった。姿を確認すると私は先程と同様に項垂れる。レースの疲れ……、違う、何となく、こうしていたかった。

 私は沖野トレーナーに問いかける。扉に背を向けて、椅子に座り項垂れたまま。

 

 

「おきの~ん、他の子は~?」

 

 

「……先にライブ会場に行ってるよ」

 

 

 沖野トレーナーは短くそう答えた。そしてそのまま続ける。

 

 

「グラス、今日のレースだが……」

 

 

「いや~、惜しかったな~」

 

 

 けれど、私は沖野トレーナーの言葉を最後まで聞くことなく話始める。そして、今回のレースに対する反省を言い始める。

 

 

「仕掛けるのがちょっと遅かったかな~?もうちょっと早く仕掛けてたら、勝ってたのは私だったんだけどな~」

 

 

「……グラス」

 

 

 私は言い訳がましくそう言った。沖野トレーナーは何か言いたげに私の名前を呟く。表情は分からない。そもそも顔を見ていないのだから。けれど、言葉を遮って私は続ける。

 

 

「思ったよりスタミナも削れてたな~。あの2人にあてられちゃったかもしれないね~。反省反省~」

 

 

「グラス」

 

 

「負けちゃってごめんねおきの~ん。でも……」

 

 

「グラス!」

 

 

 今度は沖野トレーナーが私の言葉を遮るように私の名前を呼ぶ。いや、叫んだ、といった方が正しいだろうか。その言葉には怒気を孕んでいた。

 私は思わず無言になる。沖野トレーナーは言葉を続けた。

 

 

「現実を見ろ、グラス!お前は負けたんだ!」

 

 

「……」

 

 

 ……分かってるよ。どうして自分が負けたのか。

 

 

「お前は負けた。テンポイントに、トウショウボーイに。そしてその原因は展開のせいじゃねぇ」

 

 

「……るよ」

 

 

 私の何が、あの2人に劣っていたのか。

 

 

「今回の負けに関しては冷静にレースを展開していれば……とか、そんな次元の話じゃねぇ」

 

 

「……ってるよ」

 

 

 何が一番悪かったのかなんて……。

 

 

「お前は、あの2人に……」

 

 

「分かってるよ!そんなこと!」

 

 

 私は耐えきれなくなって、叫んだ。トレーナーと顔は合わせない。項垂れたまま、私は言葉を続ける。

 ……本当は全部分かってる。どうしてあの2人に負けたのか。

 

 

「分かってるよ!なんで負けたのか!」

 

 

 レースにたらればはない。

 

 

「何が悪かったのか……ッ!」

 

 

 もっとこうしていれば。もっとああしていれば。

 

 

「私があの2人に勝てなかった理由なんて……ッ!」

 

 

 そんな考えが出る時点で……ッ!

 

 

「私が一番……ッ!分かってるよぉ……ッ!」

 

 

 気持ちの時点で、私はあの2人に負けていたんだ……!

 ……前を走る2人を見て、一番感じたのは負けたくないっていう気持ちだった。お互いに、絶対に負けたくない。そんな気持ちで走っているのを私はひしひしと感じていた。他の誰に負けてもいい、だけど隣を走るコイツにだけは絶対に負けたくない。そんな気持ちで走る2人を、私はずっと見ていた。

 最後の直線で並んだ時、ボーイちゃんとテンちゃんを抜かせなかった理由だって分かっている。私に、2人ほどの気持ちがあっただろうか?絶対に負けたくない。彼女たちに勝つためだったら、他の誰に負けてもいい。そんな気持ちで走っていたか?

 ……いいや、なかった。だからこそ、私は負けたんだ。

 悔しさと後悔から涙が溢れて止まらない。悔やんでも悔やみきれない。私は懺悔するように沖野トレーナーに告げる。

 

 

「悔しい……!悔しいよ……!トレーナー…!」

 

 

「……」

 

 

「……グラスさん」

 

 

 沖野トレーナーは黙っている。カイザーちゃんが私の名前を呟いた。私は続ける。

 

 

「今まで負けてきたことは沢山あった……!でも……!でも!」

 

 

 私は涙声になりながら、告げた。

 

 

「今日の負けが……ッ!一番悔しいよぉ……!」

 

 

 どんなに後悔しても時間は止まらない。どんなに悔やんだところで、もうこのレースの最初に戻ることはできないのだ。その現実に、私は涙を流すしかなかった。

 そんな時、私の頭に何かが置かれる。これは、誰かの手だろうか?おそらく、沖野トレーナーの手だろう。声が聞こえる。

 

 

「……俺も悔しい!お前を勝たせてやれなかった……!それが何よりも悔しい!」

 

 

 ……違う。悪いのは私だ。そう言いたくなった。けれど、口に出すことができない。

 

 

「だからグラス。次は勝つぞ!」

 

 

 ……何を言っているのだろうか?テンちゃんは海外に行く。ボーイちゃんはトゥインクルシリーズを引退する。次は、誰に勝てば……。

 そう思っていると、すぐに沖野トレーナーは言葉を続ける。

 

 

「確かにトウショウボーイはトゥインクルシリーズを引退する。テンポイントは海外遠征で半引退のようなもんだろう。けどな、お前が戦ってきた相手は、その2人だけか?」

 

 

「……違う」

 

 

「そうだ。あの2人がいないからってお前のトゥインクルシリーズでの戦いが終わったわけじゃねぇ。お前の戦いはこれからも続いていく」

 

 

 沖野トレーナーは、そのまま続ける。

 

 

「だったら!お前はいなくなった2人の分までトゥインクルシリーズを盛り上げてやれ!そして、証明するんだ!自分はあの2人にも劣ってねぇ……ってな!」

 

 

「……できるのかな?あの2人に、勝ってないのに」

 

 

「できるさ。俺が保証する。それに、あの2人にやり返すんだったら、それこそドリームトロフィーリーグがある。それまではトゥインクルシリーズでお前も頑張るんだ!」

 

 

 私の戦いはまだ終わっていない。そのことが、私の心に深く刻まれた。少しだけ、元気が出る。項垂れていた状態から、身を起こしてトレーナーの表情を見る。その顔は、笑っていた。

 きっと今の私の顔はとても人に見せられたものじゃないだろう。泣きすぎて、どんな表情をしているのかも分からない。だけど、私は精一杯笑って言った。

 

 

「……そっか。おきのんができるって言ってるんだから、頑張らないと……だね」

 

 

 その言葉に、いつの間にか近くに来ていたカイザーちゃんも笑顔を見せる。そして、私を労うように告げる。

 

 

「グラスさん。お疲れ様でした。結果は残念でしたけど……。けれど、私も決心がつきました」

 

 

「……なんの?」

 

 

 私がそう問いかけると、カイザーちゃんは答える。

 

 

「私は、近日中に正式に引退することを発表しようと思います。そういえば、してませんでしたからね」

 

 

「……ッ!そっか……うん、分かった。カイザーちゃんがそう決めたなら、私は何も言わないよ……」

 

 

 本当は引き留めたい。けれど、カイザーちゃんがそう決めたのなら……。

 

 

「そして、ドリームトロフィーリーグに挑戦します。グラスさんが勝てなかったボーイさんに、私も挑戦しようと思います。まずは、トレーナー探しからになると思いますけど」

 

 

「……え?」

 

 

 一瞬、何を言っているのか分からなくて呆けてしまった。カイザーちゃんが続ける。

 

 

「確かに追いつけなかったかもしれません。けれど、グラスさんの走りは私の胸に深く刻まれました。だから思ったんです。もう一度頑張ってみようって。それに、グラスさん言いましたよね?私とグラスさんは、日陰者同盟だって」

 

 

「……うん」

 

 

「じゃあ、同盟の1人として負けたグラスさんの仇として私がボーイさんに勝ってきます!勝てるかどうかは分かりませんけど、私なりに頑張ってみようと思います!」

 

 

 そう言って、私に笑いかけてくれた。どうしたらいいのか分からない。そんな私に、沖野トレーナーが話しかける。

 

 

「友達が頑張るって言ってんだ。応援してやりな、グラス」

 

 

「……うん、うん!頑張ってね……、カイザーちゃん!」

 

 

「はい!グラスさんの仇は、私が取りますよ!私たち、日陰者同盟ですから!」

 

 

 私はまた泣いた。今度は悔しさからの涙じゃない、友達が復帰を決めたこと、そのことが嬉しくて泣いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 テンさんと別れて、グラスとも別れてオレは控室で休んでいた。あれだけの走りをしたのだ。まだ疲れが残っている。ただ、ライブの準備もしないといけないのであまり休んでいられないというのが現状なのだが。

 少しでも身体を休めようと椅子に座っていると、扉がノックされる。オレが返事をすると、外にいた人物たちが部屋に入ってきた。おハナさんとクイン達だった。

 まず最初に、ハイセイコー先輩がオレに話しかける。

 

 

「お疲れ様、トウショウボーイ」

 

 

「ありがとうございます!結果はアレですけどね……」

 

 

 苦笑い気味にオレは答えた。その答えに、ルドルフが告げる。

 

 

「いいえ、恥ずかしいことではありません。精励恪勤、お互いに全力を尽くして戦うその姿は、とても素晴らしいものでした」

 

 

「おう、そう言ってくれると嬉しいぜ!ルドルフ!」

 

 

「トウショウボーイ」

 

 

「な、なんでしょうか!テスコガビー先輩!」

 

 

「……なぜそう委縮する?」

 

 

「いや……。何となく?」

 

 

「……お前というやつは」

 

 

 テスコガビー先輩は頭を痛そうに抱える。なんだか申し訳なかった。

 そのままテスコガビー先輩が続けて言った。

 

 

「素晴らしい勝負だった。お互いに全力を尽くした力と力のぶつかり合い。見ているこっちも、走りたくなったぞ」

 

 

「お、おぉ……!ありがとうございます!」

 

 

 何気にテスコガビー先輩に褒められたことは少ないので本当に嬉しい。そんなオレの様子にテスコガビー先輩は苦笑いを浮かべると、それ以上は何も言わなかった。

 今度はマルだ。マルが何か言う前にオレはマルに謝る。

 

 

「わりぃ!マル!負けちまった!約束したのに……!ホントにごめん!」

 

 

「いいのよショウさん。ショウさんはパーペキな走りを見せてくれたわ。あたしはそれだけで満足よ」

 

 

 あ、でもと付け加えて、マルは悔しそうにこちらに告げる。

 

 

「あぁ~!2人の勝負を見てるとあたしも出たかったわ~!もうホントにチョベリバ!」

 

 

「諦めなさいマルゼンスキー。あなたの脚を考えると出すわけにはいかないわ」

 

 

「分かってるわよ東条トレーナー!それでも悔しいものは悔しいの!」

 

 

 地団駄を踏みそうな勢いのマルを微笑ましく思った。

 次はおハナさんだ。おハナさんは無言のままオレを見ている。そんなおハナさんに、オレは質問した。

 

 

「なぁ、おハナさん」

 

 

「……何かしら?トウショウボーイ」

 

 

「今日のレース、オレに悪かったところはあったかな?」

 

 

 ……正直、聞くまでもない質問なのは分かっている。ただ、何となくそう聞きたくなった。

 おハナさんは逡巡した後、答える。

 

 

「……いいえ、なかったわ。作戦も、あなたの走りも完璧だった」

 

 

「……そっか。おハナさんが言うなら、間違いねぇな」

 

 

「えぇ。今回の勝負は、完全にこちらの力負けよ。それほどまでに、テンポイントは強かった」

 

 

「そっか。……そっか」

 

 

 おハナさんも、オレと同じ気持ちらしい。悔しい、というにはどこか晴れ晴れしい表情をしていた。

 リギルのみんなとの話が終わったということで、最後にクインと話す。他のみんなはもうライブ会場に向かった。オレとクインだけが残っている。

 オレはクインに話しかける。

 

 

「なぁ、クイン」

 

 

「……なんでしょうか?トウショウボーイ様」

 

 

「悪かった。勝てなかったよ」

 

 

「……はい」

 

 

「オレも、全力を出して頑張った。死力を尽くした。けど、テンさんはオレ以上に強かった」

 

 

 オレはクインに謝罪する。勝てなかったことを。オレの言葉を、クインは相槌を打ちながら答える。

 そんな時、クインがオレに問いかけてきた。

 

 

「トウショウボーイ様、昨日のことを、覚えておりますでしょうか?」

 

 

「……クインと一緒に帰った日のことか?」

 

 

 クインは頷く。

 

 

「私はあの時トウショウボーイ様に言いましたね。勝利すること以上にご自身に悔いが残らないように走ってください……と」

 

 

「……あぁ、そうだな」

 

 

「トウショウボーイ様。悔いは、ありますか?」

 

 

 クインのその言葉に、オレは答える。思っていることを素直に。

 

 

「……正直さ、やっぱり負けたから悔しいって気持ちは勿論ある。そりゃそうだ、負けて悔しくならない奴なんていないからな」

 

 

「……はい」

 

 

「けど……」

 

 

 オレは、笑顔で言った。

 

 

「悔いはねぇ。それだけは間違いなく言える」

 

 

 オレの言葉に、クインも笑顔を見せた。

 

 

「それは、何よりでございます。トウショウボーイ様」

 

 

 今回のレース、結果としてオレはテンさんに負けた。そのことはすごく悔しい。

 けど、悔いはない。全力を出した上での結果だ。だから、負けた悔しさはあっても負けたことに対する悔いはない。オレは、そう思った。




有マ記念、これにて終幕


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第87話 激走の代償

有マ記念の次の日回


 死闘を繰り広げた有マ記念が明けて次の日、ボクは学園に登校していた。すでに教室について自分の机に座っている。

 ただいつもと違って、ボクは机に突っ伏していた。そしてそれは、ボクと同じぐらいに登校してきたボーイも同じである。ボクの隣である自分の席で机に突っ伏していた。

 その状態のまま、ボーイはボクに話しかけてくる。

 

 

「……なぁ、テンさん」

 

 

「……なんや?ボーイ」

 

 

「……今年もさ、去年みたいにクリスマスパーティ考えてるんだけどテンさんも参加しねぇか?」

 

 

「……ええなぁ。去年も楽しかったし、今年も参加させてもらうで」

 

 

「……よっしゃー」

 

 

 ボーイは嬉しそうな言葉を上げるが、声に全然覇気がない。というかこの会話中、ボクとボーイどちらもテンション低めの声で会話していた。

 クラスの子たちはボク達のその様子を遠巻きに眺めているだけだ。誰も話しかけてこようとしない。どちらかといえば、その方が嬉しいのだが。

 そんな時、誰かがボク達に話しかけに来た。聞き覚えのある声がする。

 

 

「あの……ボーイさんもテンポイントさんも何してるんですか?」

 

 

 カイザーだ。その声はボク達を心配するものだった。まあ2人して机に突っ伏して会話をしているのだから傍から見たら何しているんだと聞きたくなる状況なのは分かっている。

 カイザーの言葉にボーイが答える。

 

 

「あー……、大丈夫大丈夫、問題ねぇよ」

 

 

「いえ、とても問題がないような姿には見えないんですけど……」

 

 

 ボーイが覇気のない声でそう答えると、カイザーから至極真っ当なツッコミを貰っていた。しかし、言い返す気力がないのかボーイはそれ以上何も言わなかった。

 と、思ったらボーイがカイザーに話しかける。

 

 

「そうだ。カイザーもクリスマスパーティに参加しねぇか?去年みたいなさ」

 

 

「クリスマスパーティですか?それは勿論大丈夫ですけど……」

 

 

「やったーこれで2人目確保ー」

 

 

「後はグラスとクインやなー」

 

 

「そうだなー」

 

 

「本当にどうしたんですかお2人とも!?いつものお2人と全然違うんですけど!?」

 

 

 耐えきれなくなったカイザーがボク達2人にそう言った。

 すると突然グラスの声が聞こえた。いつの間に登校してきたのだろうか。

 

 

「まあ~、有マ記念であんだけ走ったんだから~、疲れてても仕方ないんじゃな~い?」

 

 

「あーグラスだー」

 

 

「ホンマやー。グラスやなー」

 

 

 ボク達はグラスの言葉にそう返す。しかし、返ってきたのは、

 

 

「いいこと思いついた~。カイザーちゃ~ん……」

 

 

「なんでしょうか?……えぇっ?大丈夫ですかそんなことして?」

 

 

「大丈夫大丈夫~」

 

 

そんな言葉だった。後ろの言葉は小さすぎて聞き取れなかった。2人して何をするつもりなのだろうか?

 そう疑問に思っていると、先程までボク達の前に立っていたグラスたちの気配がそれぞれボク達の後ろに移動する。そして……。

 

 

「わ~」

 

 

「わ、わー!」

 

 

 そう言いながら、ボク達の身体に触れた。いきなりの行動に少し驚いてボクとボーイも突っ伏していた状態から立ち上がる。その瞬間、

 

 

「「痛ッッッッたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」」

 

 

凄まじい痛みがボク達を襲った。その痛みからボクとボーイが思わず叫ぶ。クラスメイト達が何事かとこちらの方を見ていた。グラスは楽しそうに、カイザーはいきなり叫び声をあげたボク達にビックリしている。

 ……そう、朝からテンション低くボーイと会話していたのはこれが原因だ。有マ記念での走りの代償か、ボクには朝から筋肉痛が襲ってきた。しかも結構洒落にならないレベルで痛いほどの。お風呂上りにトレーナーからのマッサージを受けて疲労も少しは回復していたと思っていたのだが、あれだけの走りだったのだ。さすがに回復し切れるはずもなく、朝から筋肉痛に苦しむことになった。トレーナーに送ってもらい、痛む身体を引きずりながらなんとか学園には登校できたものの、クラスに着いた瞬間ボクは自分の席で机に突っ伏すことにした。いつも朝に読んでいる新聞を読もうとも思わなかった。買ってきてはいるが。

 そして、筋肉痛だったのはボクだけじゃないようで、ボクとずっと競り合っていたボーイも同じだったらしい。ボクの少し後にクラスに着いたのだが、ボクと同じようにすぐに机に突っ伏していた。

 その後はお互いに痛む身体を刺激しないようにそのままの体勢で会話をしていた……というわけだ。そこにカイザーが来て、先程グラスが来たということである。

 ボクとボーイはグラスに抗議する。

 

 

「何してくれんだグラス!」

 

 

「そうや!気づいてんやったらやめろや!」

 

 

 ボク達の言葉にグラスもさすがに悪いと思ったのか謝ってきた。

 

 

「ごめんごめ~ん。さすがにそこまで痛いとは思ってなかったからさ~」

 

 

「す、すいませんすいません!」

 

 

 なぜかカイザーも謝ってきたが。カイザーはグラスに乗せられただけなので悪くはない。だから気にしないでくれと告げる。

 しばらくして痛みが引いてきたのか、ボーイが座りなおしてグラスに質問する。

 

 

「……で、グラス。去年みたいにまたクリスマスパーティする予定なんだけどさ、グラスも参加しねぇか?」

 

 

「もちろ~ん。参加させてもらうよ~。去年も楽しかったからね~」

 

 

「よし!これで後はクインも参加すれば去年のメンバーは揃うな!」

 

 

「他の人は誘う予定なんですか?」

 

 

 気になったのかカイザーがそう質問する。

 

 

「う~ん。一応声を掛ける予定ではあるけど、去年みたいに断られるかなーって思ってる。ハイセイコー先輩とか生徒会の人たちは忙しいかもしれないしさ」

 

 

「やろうなぁ。先輩たち去年も忙しそうやったし」

 

 

 ボーイの言葉にボクも同意する。マルはこれるかもしれないが、ハイセイコー先輩たちは厳しいだろう。

 その後は詳しい日程を決めたところで、朝のホームルームの時間になる。それぞれ自分の席に着いて先生が到着するのを待つ。待っている間も、微妙に筋肉痛の痛みが襲ってきていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……と、いうわけや。トレーナーも参加するやろ?」

 

 

「なんで決定事項みたいに言うのかは分からんが、まあ参加させてもらうよ」

 

 

 その後は授業も終わって放課後。ボクはトレーナー室に来ている。練習も何もないが、クリスマスパーティの参加の可否を聞くために訪れていた。あの後ボーイはクインとマルに参加の可否を聞いたらしい。2人とも参加するとのことだった。

 どうやらトレーナーは参加してくれるらしい。ボクは内心ガッツポーズした。トレーナーの料理は美味しいし、去年のクリスマスパーティの飾りつけも見事なものだった。だからこそ、今年もどのような光景を見せてくれるのか今から少し楽しみである。

 そんなことを考えている時、トレーナーが心配するようにボクに話しかけてくる。

 

 

「それよりもテンポイント。お前身体は大丈夫か?朝すごいしんどそうだったが」

 

 

「あ~。何とか痛みは少しだけ引いてきた……ってとこやな。まだ痛いけど」

 

 

「そうか……。まあ今日はあまり無理しないで早めに身体を休めておけ。そのために反省会も後日に回したことだしな」

 

 

「りょうか~い」

 

 

 その後はしばらく寛いで遅くならないうちに寮に戻ってきた。寮の自分の部屋へと入る。ジョージはまだ帰ってきていないらしい。姿が見えなかった。

 鞄を置いて、自分のベッドに腰掛ける。トレーナーに言われて早めに帰ってきたのはいいのだが、やることは何もない。横になろうにも制服をしわにするわけにもいかない。

 

 

「しゃあない。勉強でもしたるか」

 

 

 そう思い、ベットから立ち上がって机に移動する。だが、

 

 

「うぐぐ。また痛むなぁ。こん状態で勉強するわけにはいかんか……」

 

 

まだ筋肉痛が収まらなかった。仕方ないのでまたベッドに腰掛ける。そういえば今日購入した新聞をまだ読んでいなかったのでボクは鞄から新聞を引っ張り出して読むことにした。

 新聞の一面には、有マ記念の記事だった。写真はゴールする瞬間のボク達の写真が使われている。一番前を走るボク、次いでボーイ、そこから半バ身遅れる形でグラスが写っていた。これまで新聞の一面を飾ることは何回かあったが。

 

 

「ヤバい。今回のは特に嬉しいわ」

 

 

 思わず笑顔になる。ボクは記事に目を通した。そして、ある1つのコラムに目が留まる。それはボク達の世代のことについて書かれていたコラムだった。

 

 

【今回の有マ記念はテンポイントとトウショウボーイによる2強対決になるのが大方の予想だったが、そこに割り込んできた伏兵がいた。菊花賞ウマ娘のグリーングラスである。あの2人のハイペースな競り合いに遅れることなく、ただ1人TTの2人に肉迫していた彼女の姿に驚いた人も多いだろう。そしてこう思った。この世代はテンポイントとトウショウボーイばかりが目立つが、他の子も強いウマ娘ばかりではないだろうか?そう思ってからの筆者の行動は早かった。この世代の成績を洗い出してみたのである。】

 

 

【結論から言うと、話題にしてこなかったのが悔やまれるほどのウマ娘ばかりだった。まず世代のダービーウマ娘であるクライムカイザーはダービー一発屋の評価が下されたことが記憶に新しいが、彼女の戦績を見てみると、掲示板外を逃したのは最後の出走となった宝塚記念のみだったのである。決して派手ではない、しかしこのことは評価されるべきことではないだろうか?クライムカイザーは決してダービー一発屋などではない。彼女もまた、強いウマ娘だったのである。】

 

 

 ボクは気になって続きを読んでいく。

 

 

【次に、有マ記念には出走していなかったが秋の天皇賞でトウショウボーイとグリーングラスの両名を下して勝利したホクトボーイ。彼女もまた強いウマ娘であるだろう。秋の天皇賞はトウショウボーイとグリーングラスの漁夫の利をついた、という評価をされていたホクトボーイだが改めてレース映像を見直してみると、そんなことは決してないと言えるだろう。先頭のペースに飲まれることなく静かに機会を窺い続け最後に追い込んで勝つ。これは並大抵のウマ娘にはできないことだ。彼女もまた、強いウマ娘である。】

 

 

【今回は大レースを勝利したウマ娘ばかりを取り上げたが、この世代にはまだまだ強いウマ娘がいる。彼女たちが大レースを制して名を上げるその日を、筆者は期待してこの記事を残すことにした。トウショウボーイはトゥインクルシリーズを引退する。テンポイントは海外遠征をすることを正式に発表した。だが、これからのトゥインクルシリーズが楽しみになる。そう思わせてくれるウマ娘ばかりだった。】

 

 

 記事を読み終わった後、ボクは思わず立ち上がって喜んだ。筋肉痛の痛みのことも忘れて動き出したくなる。痛みで現実に引き戻されたのですぐにベッドに腰掛けた。

 

 

(ヤバい……!自分のことみたいに嬉しいわ……!)

 

 

 今まで自分たちと鎬を削ってきたライバルたちが、ここにきて再評価されてきた。そのことがボクには嬉しかった。喜びから身体が震える。

 その後、テンション高く過ごしているとジョージが帰ってきた。

 

 

「ただいま」

 

 

「お帰りジョージ!今日も一日お疲れさんやで!」

 

 

 ボクの様子に、ジョージは首を傾げる。

 

 

「テン坊 ウキウキ どしたの?」

 

 

「ん?まあちょっとええことあってな」

 

 

「そう。良かった」

 

 

 ジョージはそれ以上の追及はしなかった。鞄を置いてお風呂に入る準備をしている。ボクも浴場に向かう準備をした。準備を終えて、2人で大浴場へと向かう。

 お風呂に入り終わって、自分たちの部屋に戻ってきたタイミングでボクはジョージにクリスマスパーティのことについて話す。人数は多い方が楽しいし、ジョージもボクの友達だ。ジョージに話を切り出す。

 

 

「せやジョージ。クリスマスの日って空いとるか?」

 

 

「んー? 空いてる」

 

 

「やったら、みんなでクリスマスパーティするんやけど、ジョージもこぉへんか?」

 

 

「いく」

 

 

 ジョージは食い気味に反応してきた。その様子に少し気圧されながらボクは続ける。

 

 

「そ、そうか。やったら明日にでも話しとくわ」

 

 

「ワクワク」

 

 

「そんなに楽しみなんか?」

 

 

「もち」

 

 

 まあ楽しそうならいいだろう。

 その後はゆっくりを身体を休めるためにすぐに寝ることにした。クリスマスの日が楽しみである。プレゼントも買っておかなければ。また前のようにみんなで買いに行くか?寝るまでの間そんなことを考えながら、ボクはベッドで横になっていた。




アプリのレジェンドレース久しぶり過ぎて存在を忘れてました。


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第88話 流星とアイドル

貴公子とアイドルウマ娘が話す回。


 ボーイからクリスマスパーティを今年もやるという誘いを受けてから早いもので今日がクリスマスパーティ当日の日。今日まで色々なことがあった。

 まずはカイザーが正式にトゥインクルシリーズ引退を発表したこと。そしてドリームトロフィーリーグに挑戦するという発表をしたことだ。レースの世界から引退というものではなくてボクは心底安心したし、ドリームトロフィーリーグに挑戦することをみんなで祝福したのを覚えている。本人はトレーナー探しから始めようと思っていたらしいが、結局はハダルに戻ったらしい。この辺の詳しい事情は聴いていないが、戻れたようなら何よりだ。そのことを話している時のカイザーはどこか遠い目をしていたが。

 次に、今回のクリスマスパーティはハイセイコー先輩も参加することになったことだ。ダメもとでボーイが先輩を誘ったところなんとOKを貰えたらしく、ハイセイコー先輩が加わるとのことだ。てっきり忙しいものだと思っていたのでとても驚いた。ハイセイコー先輩曰く、

 

 

『去年はせっかく誘ってもらったのに参加できなかったからね。だから今年は参加させてもらうよ。生徒会の方は気にしないでくれ』

 

 

と言っていた。

 後はボクの海外遠征プランの話を打ち合わせをトレーナーを交えて理事長と話したり、プレゼント選びのためにまたみんなと出かけたり、トレーナーが会場を借りるために理事長に許可を貰いにいっていたり、理事長も参加しようとして、たづなさんに止められていたりと色々とあった。

 そしてボクは今ジョージと一緒にあらかじめ指定された集合場所でみんなを待っている。前回と同じく正門前集合らしい。ボクとジョージはみんなを待ちながら他愛もない世間話をしていた。

 

 

「なぁジョージ、会場どこやと思う?去年はプレハブ小屋やったんやけど」

 

 

「んー、分かんない。でも ワクワク 言ってた。だから ワクワク できる」

 

 

「やなぁ。期待しとけ言うてたからまた大掛かりなことしとるんやろうなぁ」

 

 

 ただでさえ用務員の仕事に加えてトレーナーの仕事もしているのにどこにそんな時間があるのだろうか?ちゃんと寝ているのだろうか?そんな心配が浮かんだが、体調が悪そうにしている所は見たことがない。つまり問題はないということなのだろう。

 ……ボクのトレーナーはウマ娘の蹴りにも耐える沖野トレーナーを本当に人間か?なんて言っていたが、トレーナーも大して変わらないと思うのは気のせいだろうか?

 そんなことを考えていたらハイセイコー先輩が到着した。こちらに挨拶をしてくる。

 

 

「こんばんは、テンポイント、エリモジョージ。今日も冷えるね」

 

 

「こんばんはです、ハイセイコー先輩。忙しい中ありがとうございます」

 

 

「やほー ハイセイコー」

 

 

「ジョージは会長相手でも変わらないんやな……」

 

 

「ハハハ、気にしてないよ」

 

 

 ハイセイコー先輩はそう言っていた。ならば、ボクが口を挟むようなものではないだろう。それ以上は何も言わない。

 ハイセイコー先輩が到着したら、他のメンバーも続々と正門前に集まってきた。最後に沖野トレーナーが来て、会場へと案内してくれる。

 沖野トレーナーが先導するように告げる。

 

 

「みんな揃ってるみたいだな。じゃあ早速向かうか!」

 

 

「おきの~ん。今回の会場はどこなの~?去年とは違うんでしょ~」

 

 

「そうだな。今回は理事長に頼んで校舎の一室を貸し切ったらしい。一体どうやったのかは謎だが……」

 

 

 確かに謎ではある。深く突っ込まない方がいい気がするので何も言わないが。

 そして沖野トレーナーの案内でボク達は夜の校舎に入る。普段は立ち入ることができないので少し新鮮な気分だった。教職員の人たちがまだ仕事をしているのか、はたまた今日のために特別に電気を点けているのかは分からないが、ところどころ明かりが点いていた。

 そうしてしばらく歩くと目的地に着いたのか沖野トレーナーが立ち止まる。そこは多目的室だった。中の照明は点いていないのか中は暗くどうなっているのか確認することはできない。

 

 

「さて、誠司から指定された場所はここなんだが……。ぶっちゃけ俺も中はまだ見てないからな。去年のこともあるし、一体どんな光景が広がっているのやら」

 

 

 そう言って沖野トレーナーが扉を開ける。ボク達はそれに続くように部屋の中に入っていった。

 そして、部屋の中に入った瞬間、みんな言葉を失っていた。ボクも例外ではない。誰もが感嘆の声を漏らす。

 前回はthe・クリスマスといった内装が広がっていた。今回もクリスマスということでそこは変わらない。ただ変わっているのだとすれば、さながらプラネタリウムのような星空が部屋に広がっていた。時折、サンタと思わしき姿がソリに乗って星空を駆け巡っている。一体どうやっているのか、どんな技術を使っているのか。そんな疑問が浮かぶよりもボク達はこの光景に圧倒されていた。

 

 

「神藤 すご」

 

 

「これは、すごいね。思わず圧倒されてしまったよ。去年もこれぐらいのものを?」

 

 

「いえ、去年よりもさらにすごいです……!」

 

 

「これはちょっと……あたしも言葉が出ないわね……」

 

 

「いやはや~。神藤さんってどこまでできるんだろうね~?」

 

 

「見てくださいトウショウボーイ様!星空をサンタさんが!」

 

 

「ホントだ!いやマジでどうやってんだこれ!?」

 

 

 我に返ったみんなが口々にこの部屋への感想を言い合っている。そんな時、奥からこの部屋を作った張本人が現れた。

 

 

「よぉ、みんな来たようだな」

 

 

 そう軽い口調で言ってきた。その言葉に思わず沖野トレーナーが反応する。

 

 

「おま、誠司!なんだこの部屋!?」

 

 

「いやー、凝り過ぎちゃいました」

 

 

「いくら何でも凝り過ぎで済ませていいレベルじゃねぇだろ!?」

 

 

 沖野トレーナーは驚きながらそう言った。

 そんな時、急に普通の照明が点いて先程の夜空からいつもの室内に切り替わる。そのことにみんなが残念そうな声を上げる。

 ボーイが代表してトレーナーに抗議した。

 

 

「なんで消すんだよ誠司さん!すごかったのに!」

 

 

「落ち着けトウショウボーイ。これには深い理由があるんだ」

 

 

「なんや?深い理由て」

 

 

 ボクがそう聞くと、トレーナーは心底残念そうに溜息をついて答える。

 

 

「……あの星空点けたままだと暗すぎて料理が見えないから飯が食えないという欠陥を抱えているんだ」

 

 

「えぇ……」

 

 

「後……いや、これは言わないでおこう。とにかくそういうことだから我慢してくれ。その代わり料理は去年よりも豪華に仕上げたから」

 

 

 そういったボク達の前には去年以上に豪勢な料理の数々が並んでいた。思わずどれから取ろうか迷ってしまいそうになる。先程まで残念そうにしていたメンバーも自分の分の取り皿を持って料理を取りに向かう。

 全員取り終わった後は発起人であるボーイが乾杯の音頭を取ってそれぞれ思い思いに食事を取る。料理に舌鼓を打ちながら、楽しい時間が流れていた。

 しばらくして次は何を食べようかと迷っていると、ハイセイコー先輩がボクに話しかけてくる。

 

 

「やぁテンポイント。楽しませてもらっているよ。すごいねこれは」

 

 

「ハイセイコー先輩。そうですね……、トレーナーが凝り性なんは知っとりましたけど今年は特にすごいです」

 

 

「まぁそうだろうね。私もびっくりだよこれは」

 

 

 そう会話している時、ボクは前から気になっていたことを質問することにした。

 

 

「ハイセイコー先輩、1つええでしょうか?」

 

 

「構わないよ。何でも言ってくれたまえ」

 

 

「ハイセイコー先輩は、やたらとボクを気にかけてくれますよね?普通やったら、会長が同世代でもない、深い関りがあるわけでもない1生徒とメッセージのやり取りなんてしませんし、有マん時もボクの勝利を我が事のように祝ってくれましたよね?それはなんででしょうか?」

 

 

「おや?迷惑だったかな?」

 

 

「いえ!迷惑だなんてとんでもないです!やけど、ちょい疑問でして……」

 

 

「まあ君の疑問はもっともだ。トレセン学園の生徒会長である私と1生徒でしかない君。普通であればまず関わることすらなかっただろうね」

 

 

「はい。やから疑問なんです」

 

 

「答えは単純だよテンポイント。私が君を気に入っているからさ。君とジュニア期で走った時からずっと……ね。そしてその気に入っている理由は1つ。私と君が似ているからだ」

 

 

「似ている?ボクと、ハイセイコー先輩が……ですか?」

 

 

「そう。あ、似ていると言っても容姿とか走り方の話ではないよ」

 

 

 まあそれは分かっている。ボクとハイセイコー先輩の見た目はあまり似ていないし走法も似ているとは言えないだろう。

 ハイセイコー先輩は話を続ける。

 

 

「似ているというのは世間での評価のことさ。君も知っているだろう?私の世代が何と言われているのか」

 

 

「人気のハイセイコー先輩、実力のタケホープ先輩……ですよね?」

 

 

「そう。その評価を受けている時、つまりはトゥインクルシリーズの話なんだが私はそのことがとても悔しくてね。少しだけ荒れている時期があったんだ。今となればいい思い出だけどね」

 

 

 ハイセイコー先輩にも荒れている時期があったことに驚く。いつも余裕綽々とした態度をしている先輩からは想像できないからだ。

 

 

「人気ばかりが先行して実力が伴わない……。そしてその人気の大部分は私が地方から中央に殴り込みに来たウマ娘だから……。誰も私の走りではなく、私の背景で応援してくれていただけ……。恥ずかしながらそう思っていた時期があってね、私は不貞腐れていた。実際にはそんなことはなかったのだけれどね」

 

 

「まぁ、気持ちはわかります」

 

 

 ボクも人気ばかりが先行しているような時期があったので他人事ではない気がした。……待てよ?もしや先輩が言いたいことは。

 

 

「君も感づいたかな?私と君が似ている所。私もタケホープには勝てないと言われていた時期があった。君もトウショウボーイには勝てないと言われていた時期があっただろう?あの時は、君が思っている以上に心配していたんだよ?当時は私も辛かったから、君の気持ちは痛いほど分かったからね」

 

 

 ハイセイコー先輩は苦笑いをしながらそう答える。先輩はだから、と前置きして言葉を続けた。

 

 

「私が君を気にかけているのは私と君が似ているから……そう思っていたからさ。人一倍強い闘争心、同世代にいる強いライバル、そして人々からの人気。どれもこれも私ととてもよく似ていた」

 

 

「そうなんですか……」

 

 

「そうさ。だから君が有マ記念を1着で勝った時は本当に嬉しかったよ。私の有マ記念はタケホープには勝ったけど1着にはなれなかったからね」

 

 

 ハイセイコー先輩の言葉にボクは嘆息する。向こうは笑みを浮かべていた。その後も、ボクと先輩の共通点を細々と教えてくれる。そのことにボクは頷きながらも内心驚いていた。

 まさかボクとハイセイコー先輩にそんなに共通点があるとは思わなかった。そして、先輩がボクを気に入っている理由、それが分かった。

 そう考えていると、先輩がボクに告げる。

 

 

「さて、テンポイント。君の聞きたいことは聞けたかな?」

 

 

「あ、は、はい!ありがとうございます、ハイセイコー先輩!」

 

 

「いいよ、気にしないでくれ。私もこうして君とゆっくり話せて楽しいからね。あぁ、それと」

 

 

 そう前置きしてハイセイコー先輩は続ける。

 

 

「君は年明けから海外挑戦をするんだったね?頑張ってくれ、生徒会長としてではない。ハイセイコー個人として応援しているよ」

 

 

「あ、ありがとうございます!」

 

 

 そう言って先輩と別れる。先輩は新しい料理を取りに向かった。

 ……しかし、自分がハイセイコー先輩に気に入られているとは思いもしなかった。てっきり、ボクのトレーナーと親しいからボクとも親しくしてくれているものだと思っていたから。ただ、悪い気分ではない。むしろ、トレセン学園の生徒会長にそこまで気に入られているのだから嬉しかった。上機嫌でボクも料理を取りに行く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後はプレゼント交換の時間になった。今年も各々が用意したプレゼントをジングルベルの歌とともにプレゼントを隣の人物に回していく。曲が止まり、ボクの手元に1つのプレゼントが渡った。早速開けてみる。

 中には少し豪華なペンダントが入っていた。中心部分にはサファイアだろうか?それを取り囲むように装飾されている。見るからに高そうだ。それを見てハイセイコー先輩が声を上げる。

 

 

「ほう?私のプレゼントはテンポイントに渡ったようだね。気に入ってくれるといいのだが」

 

 

「いや、コレ高いんとちゃいます先輩!?大丈夫ですか!?」

 

 

 思わずそう言ったが、ハイセイコー先輩は笑顔で告げた。

 

 

「ハハハ、気にする必要はないよ。見た目こそ高そうに見えるが実際のところはそうでもないからね」

 

 

「そ、そうなんです?」

 

 

「あぁ。さて、私のプレゼントは……と。ほう、これは手袋か。この季節にはありがたいね」

 

 

「あ、それは私のですね」

 

 

 そうクライムカイザーが言った。それにハイセイコー先輩がお礼を言う。

 

 

「大事に使わせてもらうよ、クライムカイザー。……ところで、グリーングラスはなぜそんなに微妙な顔をしているんだい?」

 

 

「……いや~。なにこれ?」

 

 

 ボクもグラスの方へと視線を向けると、グラスは変な置物を両手で掲げていた。見た目は骸骨なので結構不気味である。……誰か探さなくても分かる。これは。

 

 

「わたし」

 

 

「まあ、やろうな」

 

 

 ジョージのプレゼントだろう。ジョージは得意げに説明する。

 

 

「ぞわわ 退散。玄関 よし」

 

 

「どういうこと~?」

 

 

「魔除けの置物、玄関に置くとええんやて。ちなみにどこのやつなん?」

 

 

「メキシコ」

 

 

 なんでそんなものを持っているのか疑問だが、深くは突っ込まないようにした。

 そして、今年もボーイのプレゼントはクインに渡ったようである。去年もそうだったし、最早この2人には運命的な何かが結びついているのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 楽しい時間はあっという間に過ぎていくもので、気づけば21時になりそうだった。さすがにこれ以上続けるのは良くないということで解散となる。名残惜しいが、あまり遅くなると今度は学園側から怒られるかもしれない。ボクたちはそれぞれの帰路につくことにした。後片付けは後日トレーナーがやってくれるらしい。

 ボクとジョージは外泊届を出しているので、誰かの家に泊まることになった。その時、名乗りを上げたのがハイセイコー先輩である。驚きながらも本当にいいのかと尋ねたところ、

 

 

「何、今以上に親睦を深めようと思ってね。今夜はお互いに語り明かそうじゃないか」

 

 

と言ってくれた。せっかくのお誘いなので、ボクとジョージはご相伴に預からせてもらうことにした。

 その後は、先輩の家で会話をしながら夜を明かした。




この話で合計100話突破だったりします。ちなみに消したもう一つの理由は電気代。


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閑話12 大切な友達

前回さらっと流したカイザーがハダルに戻った経緯回。
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 昨年同様、ボーイさん主催の下で行われたクリスマスパーティ。ただ昨年とは違い、ボーイさん・クインさん・テンポイントさん・グラスさんだけではなく、今年はマルゼンスキーさんにエリモジョージ先輩とハイセイコー先輩も参加することになった。ちなみにキングスさんはお友達のみんなと楽しんでいるらしい。

 そして迎えた当日、会場に着いた私たちを待っていたのはとても室内とは思えないような装飾が施されている多目的室だった。まるで本当に外にいるかのように感じたプラネタリウム、どういう原理かは分からないが時折星空を駆けるサンタクロースの姿、勿論クリスマスツリーなどもちゃんと置かれておりクリスマスを演出している。

 最初見た時はあまりの光景にみんな言葉を失った。……まあ、暗すぎてご飯が食べることができないという欠点からすぐにプラネタリウムは消されることになったのだが。もったいなく感じたが仕方ないだろう。それにプラネタリウムが消されたと思ったら今度は去年のような光景が広がっていた。火のついた暖炉に電飾のイルミネーション。そしてテーブルの上に置かれた料理の数々。去年も思ったが本当に1人で準備したのかを疑いたくなるほどのクオリティだ。料理は去年同様別の人が作ったのだと信じたい。

 そこからはボーイさんの乾杯の音頭で私たちは各々料理を頂くことにした。どれも美味しそうなのでつい目移りしてしまう。

 

 

(う~ん、どれから食べましょう。にんじんハンバーグもいいですが後に取っておきたいですし……。ここはバランス良く野菜から食べていきましょうか?)

 

 

 そんなことを考えていると横から声を掛けられた。

 

 

「よ、カイザー!」

 

 

「ボーイさん。どうかしましたか?」

 

 

「いやさ、料理を前にカイザーが立ち止まってたからさ。何となく気になって声を掛けたんだよ」

 

 

「そうですね。去年と同じくとても美味しそうなのでどれから食べようか目移りしてしまって……。ボーイさんは決まってるんですか?」

 

 

「オレか?オレは野菜からだな。ほら、こんな感じ」

 

 

 そう言ってボーイさんは自分の皿を私に見せてくれた。とても奇麗に盛り付けられており、お店で出てきても違和感ないほどである。

 私は思わず感嘆の声を漏らした。

 

 

「はぁ……相変わらずすごいですねボーイさん。とても奇麗に盛り付けられてます」

 

 

「そうか?こんくらい慣れれば楽勝だぜ?」

 

 

 ボーイさんは言いながら盛り付けてある野菜を食べ始める。そのまま別の人のところへ行ってしまった。他人が食べている姿を見ていると私も早く食べたくなったので急いで料理を取る。ボーイさんのようにとまではいかないが、自分なりに奇麗に盛り付けることはできた……と思う。

 しばらく経って、私は少し休憩するように1人で佇んでいた。陽気な曲に耳を傾ける。そんな時、先程別れたボーイさんが私の方に歩いてきた。近くにはグラスさんも一緒である。

 

 

「どうした、カイザー?具合でも悪いのか?」

 

 

「あぁいえ。少し休憩を取ろうかと」

 

 

「そうなんだ~。じゃあさ~、私たちとお話しな~い?」

 

 

「構いませんよ。ところでテンポイントさんは?」

 

 

「あぁ、テンさんならあっちにいるぜ」

 

 

 ボーイさんが指した方向にはハイセイコー先輩と話すテンポイントさんの姿があった。とても楽しそうである。

 ボーイさんが続けた。

 

 

「ハイセイコー先輩、テンさんを気に入ってるからな。すげぇテンション上がってるぜ」

 

 

「そうなんだ~。それは初耳だね~」

 

 

「そうですね。私も初耳です」

 

 

「まあ先輩はあまり表立って接触はしねぇからな。メッセージのやり取りは結構頻繁にしてるらしいけど」

 

 

 そう話していると、会話が終わったのかハイセイコー先輩とテンポイントさんが別れる。ハイセイコー先輩はクインさんとマルゼンスキーさんのとこへと足を運んでいた。テンポイントさんは料理を取りにいったようである。皿の前で迷っている姿が見えた。そこにエリモジョージ先輩が近づいている。2人でどんな料理を取ろうか迷っているような光景が見えた。

 

 

「しっかし、テンさんとジョージ先輩も仲良くなったよなー。出会いはアレだったのに」

 

 

「衝撃的だったね~アレは~」

 

 

「まぁ……確かにそうですね。アレは忘れられませんよ」

 

 

 麻袋を被せて拉致する光景を見せられたのだ。忘れようにも忘れられないだろう。

 すると、唐突にボーイさんが大きな声で私に質問してきた。とても驚いたような表情で。

 

 

「そうだ!カイザーに聞こうと思ってたんだけどさ、カイザーっていつハダルを辞めたんだよ!オレグラスから話聞いた時スゲェビックリしたんだけど!?」

 

 

「あぁ……、そういえばボーイさんには言ってませんでしたね。まあ、結果から言えば辞めてなかったことになってたんですが……」

 

 

「どういうこと~?辞めたのに辞めてなかったの~?」

 

 

「その話をすると少し長くなるんですが……」

 

 

「へぇ?それは私も気になるね。是非聞かせてもらえるかい?クライムカイザー」

 

 

「クライムカイザー様、ハダルを辞めたというのは……」

 

 

「どういうこと!?お姉さんに説明しなさい!」

 

 

 そう言いながら、ハイセイコー先輩がこちらに近づいてきた。クインさんもマルゼンスキーさんも興味津々……というよりはボーイさんのハダルを辞めたという言葉を聞いて心配しているような表情を浮かべている。

 

 

「なんやなんや?みんなしてどないしたん?」

 

 

「わくわく じーっ」

 

 

 そして、みんなが集まっているのを見てかテンポイントさんとエリモジョージ先輩も近づいてきた。別に話すのは構わないが、少し話すのを躊躇するぐらいには大人数だ。しかし、私は意を決して話すことにした。ハダルを辞めて、もう一度ハダルに入部することになった経緯を。

 

 

「まあ、簡単に言えばタケホープ先輩に一杯食わされたと言いますか……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 有マ記念の控室でグラスさんにレースの世界に復帰宣言をした私が最初にしたことはトレーナーを探すことだった。しかし、当たり前だが難航するだろうと予想していた。

 その時の私はダメ元でハダルのもとへと訪れることにした。自分から辞めた身で厚かましいとは思ったが、ダメで元々、試さないよりはマシだとその時は思っていた。結果的にこの判断が大正解だったわけなのだが。……いや、後々のことを考えるとむしろ大失敗のような気がする。

 私はハダルの部室の前を訪れ、意を決して扉をノックした。中から返事が聞こえたので部屋に入る。中にはハダルのチームのみんながいた。少し懐かしさを覚えたが、私は思いっきり頭を下げる。そして大声でお願いした。

 

 

『もう一度!私をハダルに入部させてもらえないでしょうか!?』

 

 

『え、え!?どしたのカイザー!?』

 

 

 ハダルの人たちから戸惑いの声が上がっている。ただ、私はお構いなしにお願いした。

 

 

『一度自分から辞めた身で厚かましいとは思っています!けれど、もう一度、私がハダルで走ることを許してはもらえないでしょうか!?』

 

 

『え、え~とぉ……』

 

 

『雑用からしろというのであれば喜んでやります!もう二度と敷居を跨ぐなというのであれば……!自分が蒔いた種です!もう二度とハダルの敷居を跨ぎません!けれど!もし許されるのであれば、もう一度このチームで走ることを許してはもらえないでしょうか!?』

 

 

 私は一生懸命お願いした。それこそ、土下座をしそうな勢いで。

 そんな私に返ってきたのは、戸惑いの言葉だった。

 

 

『え~っと、カイザー?1つ聞いてもいいかな?』

 

 

『はい、私に答えられる範囲であれば』

 

 

『え~と、じゃあさ……』

 

 

 部員を代表して1人の先輩が私に質問してくる。それは、私にとってあまりにも予想外な言葉だった。

 

 

『カイザーって、ハダルをいつ辞めたの?休部扱いになってるのは知ってるけど、辞めたってのは初耳なんだけど……』

 

 

『……えっ?』

 

 

 そのあまりの予想外の言葉に、私は呆けるしかなかった。

 少しの間、沈黙が流れる。そして、我に返った私は焦りながら先輩に聞いた。

 

 

『ど、どういうことですか!?私は宝塚記念の後ちゃんと退部届を出したはずです!』

 

 

『こ、こっちが聞きたいよ!私たちはカイザーが休部するってことしか聞いてないんだから!チーフトレーナーもそう言ってたし!』

 

 

『そ、そんな……!私はあの時確かに退部届を出したはず……!一体どうして……』

 

 

『おはよぉ。随分騒がしいねぇ。何かあったのかぁい?』

 

 

 なぜ退部届が受理されていないのか。そう考えている私の後ろにタケホープ先輩が来ていた。そして、タケホープ先輩は私に気づくと、何事もなかったように私に告げた。

 

 

『おやぁ?カイちゃんじゃないかぁ。休部から復帰したんだねぇ。よかったよかったぁ』

 

 

『そ、そのことなんですけどタケホープ先輩!一体どういうことですか!?私は退部したはずで……』

 

 

『退部ぅ?あぁそれってぇ』

 

 

 そう言いながらタケホープ先輩は1つのロッカーを開けて中から一封の封筒を取り出した。それには見覚えのある字でしっかりと【退部届】と書いてある。間違いない、私があの時出した退部届だ!

 

 

『これのことかぁい?』

 

 

『そ、それ!私が書いた退部届!なんでそんなところにあるんですか!?』

 

 

『そりゃあ、あの時退部届を受け取った子から私が受け取ってぇ、ここにしっかりと保管していたからだねぇ。誰の目にも止まることがないようにねぇ』

 

 

『ど、どうしてそんなことを……』

 

 

 つまり、ハダルのチーフトレーナーにも見られていないということだ。ということは、私はハダルを辞めていないことになる。そのことに戸惑いを覚えながら私はタケホープ先輩に質問した。

 

 

『決まってるじゃないかぁ。このままカイちゃんがハダルを辞めたらきっと後悔するだろうと思ったからねぇ。ほとんど私の勘のようなもんだったけどぉ、結果的にはそれが正解だったわけだぁ。だからこれはぁ……こうしてやろうかぁ!』

 

 

 そう言って、タケホープ先輩は私の退部届を破いていった。最早なんて書いてあったのかすら分からないほどに細かく破いていく。私はその光景を呆然と見ていた。

 タケホープ先輩が私に話しかける。

 

 

『さてさてぇ、まあ、色々と言いたいことはあるけどぉ。カイちゃん?』

 

 

『……なんでしょうか?』

 

 

 私は少しの不安を覚えながら答えた。すると、タケホープ先輩は笑顔で告げた。

 

 

『おかえりぃ。また一緒に頑張ろうかぁ』

 

 

 ……おかえり、ということは、私はまた……!

 

 

『ここで頑張っても……!いいんですか……!』

 

 

『もちろんだよぉ。そもそも、チーフにもみんなにも休部だとしか言ってないからねぇ。真相を知っているのは封筒を受け取った子とぉ、私だけさぁ』

 

 

『……!分かりました。クライムカイザー、もう一度ハダルで頑張らせてもらいます!』

 

 

 私は震えた声でそう言った。ハダルの人たちは事情が分かったのか、私が戻ってきたことに祝福するように拍手をしていた。タケホープ先輩は満足そうな表情で私を見ている。

 

 

『うんうん、良かった良かったぁ。それじゃあカイちゃん?』

 

 

『なんでしょうか?今ならなんだってできちゃいそうです!』

 

 

『そうかいそうかい。そいつは良かったぁ。じゃあ……』

 

 

 タケホープ先輩は私に近づいて、両肩をガッシリと掴んで笑顔のまま告げる。まるで逃がさないとばかりに。痛みを覚えるぐらいにはガッシリと。

 

 

『今まで休部してた分、しっかりと、頑張ろうねぇ?』

 

 

『あ、あの。練習の話ですよね?』

 

 

『……』

 

 

 タケホープ先輩は何も言わず笑みを浮かべるだけだ。……もしかしてこの人!

 

 

『わ、私に何をする気ですか!?』

 

 

『人聞きが悪いねぇ。ちょぉっと生死にかか……キツめにお灸を据えるだけさぁ』

 

 

『生死!?下手したら死ぬようなことされるんですか私!?だ、誰か助け……ッ!』

 

 

 私は助けを求めるように視線を送る。しかし、みんな気まずそうに目を逸らすだけだ。自業自得とはいえ、あんまりだった。

 

 

『それじゃあ、私と個人レッスンだよぉカイちゃん。頑張ろうねぇ』

 

 

『待ってください!復帰初日でそれは本当に……ッ!いやぁぁぁぁぁぁぁっ!?』

 

 

 そのまま私はタケホープ先輩に連れられて、先輩の特別レッスンを受けることになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……というわけなんです。つまるところ、タケホープ先輩の計らいでハダルを辞めたことになっていなかったんです」

 

 

「そういうわけだったのか……。そもそも、なんでハダルを辞めようとしたのかは……まあ大体察しがつくけどさ……」

 

 

「ボーイさんの思っている通りですよ。でも、あまり気にしないでください。そこから立ち直って、またハダルに戻ることができたので」

 

 

 そう言うと、ボーイさんは少し申し訳なさそうな表情を見せたものの、すぐに表情を崩して私がレースの世界に復帰したことを喜んでくれた。そのことに、私は嬉しくなった。

 ただ、私はいつもの悪い癖で悪いように考えてしまう。今更自分がドリームトロフィーリーグに行ったところで勝てるのだろうか?また、届かない壁に挑んで、絶望するだけじゃないだろうか?復帰を決意するのが、遅すぎたんじゃないだろうか?そんなことを考えてしまう。

 私は、思わず呟いてしまった。

 

 

「……少し、遅すぎるかもしれませんけど」

 

 

 私の呟きに対して、ボーイさんが否定する。

 

 

「何言ってんだよカイザー。確かに早くやるにこしたことはねぇけどさ、何かを始めるのに遅すぎるなんてことは絶対にない!ドリームトロフィーリーグでさ、また一緒に走ろうぜ、カイザー!」

 

 

 次いで、グラスさんが私を応援する。

 

 

「そうそ~う。カイザーちゃんは強いんだから~。もっと自分を誇ってあげて~?だから~、また一緒に走ろ~?」

 

 

 最後に、テンポイントさんが約束する。

 

 

「カイザーの強さは、ここにおるみんなが保証する。やから、また一緒に走ろうや!ターフの上で、思いっきり!みんなで!」

 

 

 3人だけじゃない。他の人たちも、言葉にこそ出さないが私に温かい視線を送っていた。

 ……あぁ、私は本当に……。

 

 

(いい友達に……恵まれました……!)

 

 

 きっとこれからも、ネガティブな思考になることもあるだろう。けれど、きっと大丈夫だ。乗り越えていける。そんな気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ちなみにタケホープ先輩の個人レッスンってどんなことするんだ?」

 

 

 ボーイさんがそう聞くと私の身体は震える。寒いからではない、恐怖で震えた。そのことにみんなが驚いている。

 私は叫ぶように言った。

 

 

「言わないでください!思い出すのすら恐ろしいんですから!」

 

 

「……何されたんだよカイザー」

 

 

「聞かない方がいい。それがクライムカイザーのためだ、トウショウボーイ」

 

 

 内容を知っているのか、ハイセイコー先輩がそれ以上追及しないように釘を刺した。正直、ありがたい限りである。

 プレゼント交換を終わらせたのち、いい時間になったので解散となる。テンポイントさんとエリモジョージ先輩はハイセイコー先輩の家に、私たちはそれぞれの家へと帰っていった。プレゼント交換でもらったプレゼントを持って私は自宅に戻る。

 私にとって忘れられない一日になった。それはきっとクリスマスということだけではない、大切なものを再確認した、そんな一日だった。




次のガチャ更新で衣装違いは誰が来るのか楽しみです。


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第89話 振り返って

またテンポイントの実家にお呼ばれする回


 楽しいクリスマスパーティから時間が経つのは早いもので今日は年末。俺はというと……。

 

 

「ん~!やっと着いたで!」

 

 

「テン坊 実家 ワクワク」

 

 

「……なんでエリモジョージ先輩がいるし。どういうことだし」

 

 

「気づいたらおったんや。まあ1人増えるぐらいええやろ?ところでトレーナーはいつまでボーッとしとるん?」

 

 

「……そうだな。ここに来ることが決まってからの展開の速さに未だにビックリしているよ」

 

 

 テンポイントとキングスの実家である北海道まで来ていた。今はお手伝いさんの車をみんなで待っている。しかし、俺の胸中は本当に大丈夫だろうかと不安になっていた。

 そもそも、どうして今年もまたテンポイントたちの実家に来ることになったのか。話は少し前にさかのぼる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺が北海道に行くという話が持ち上がったのは本当に昨日のことである。昨日はテンポイントが明日実家に帰るということでトレーナー室で年内最後のミーティングをしていた。

 俺がテンポイントに告げる。

 

 

『……というわけで、この日が海外に飛び立つ日だ。しっかり覚えておけよ?』

 

 

『了解や。しっかし、ボクも海外かぁ……』

 

 

『こっちのバ場と海外のバ場は違う。だからまずは向こうのバ場に慣れるために大目標であるキングジョージの前に数レース程使うつもりだ』

 

 

『どのレース使うかは決めとるん?』

 

 

 テンポイントの質問に俺は首を横に振る。

 

 

『現段階ではまだ……だな。とにもかくにも向こうで練習してみて、様子を見てから決めても遅くはない。だからどのレースに出るかはまだ不明だ』

 

 

『ふーん。了解や……っと、ちょい待ち。お母様から電話や』

 

 

 そう言ってテンポイントは電話をするために会話を打ち切る。俺は電話が終わるまで待っていた。

 しばらくして、テンポイントが困ったような表情で俺を見てきた。一体どうしたのだろうかと思い、俺はテンポイントに聞く。

 

 

『どうした?テンポイント。そんな困った顔をして』

 

 

『あ~……、トレーナー?ちょい聞いてもええか?年末って暇?』

 

 

『まあ暇だが……。もしかして』

 

 

『……まあ察しがついとると思うけど、お母様がこっちこぉへんか?って言うとる。去年みたいに』

 

 

『なるほどなぁ……』

 

 

 別に俺自身は問題ないが、1つ気になったので聞いておくことにした。

 

 

『何となく気になったんだが……どうしてだ?』

 

 

『お母様曰く、聖蹄祭でキングスが大変お世話になったことと、ボクがいつもお世話になっとるから、そのお礼がしたいんやと』

 

 

『別に大丈夫なんだがなぁ……』

 

 

『でも、お母様しつこいからなぁ……。多分退かんで?』

 

 

『……分かった。とりあえず年末年始のいずれかに向かうとだけ伝えておいてくれ』

 

 

 俺はテンポイントにそう告げて、お土産に何を持っていくかを考えることにした。テンポイントは俺が言ったことを母親に伝えている。

 

 

『お母様?……うん、トレーナーもOKやって。やから……えっ?ちょい待ち!?いつの間にそんな……ッ!やから……ッ!って切れてもうた……』

 

 

 何やら随分慌てていた。一体どうしたのだろうか?

 俺はテンポイントに聞く。

 

 

『どうした?随分慌てていたが』

 

 

『……トレーナー。多分、明日にはボクやキングスと一緒に発つことになるで』

 

 

 テンポイントの言葉に俺は驚く。一体どういうことだ?テンポイントは何を言っているんだ?その気持ちを表に出さないようにしながらテンポイントに質問した。

 

 

『待て、どういうことだ?なぜ明日には発つことになるんだ?』

 

 

 俺の言葉にテンポイントは溜息をつく。そして、携帯の画面を見せながら俺の言葉に答える。

 

 

『お母様、もうチケットの手配済ませとった……。ボクと、キングスと、トレーナーの分』

 

 

『……は?』

 

 

 間抜けな声を出しながら、俺はテンポイントが見せている携帯の画面を見る。そこには、北海道行へのチケットがご丁寧に3枚分あった。名前は上から順に、テンポイント、キングスポイント、そして俺の名前が書かれている。日時は全て一緒の日。明日だ。

 ……ということはつまり。

 

 

『最初から選択肢はなかった……ということか』

 

 

『スマン!トレーナー!お母様がホンマにスマン!』

 

 

 テンポイントは手をついて俺に謝る。

 

 

『気にするな。どの道休みではあったから問題はない。ただまあ……、さすがに急すぎるとは思っているが……』

 

 

 俺はそう嘆息するが、飛行機が予約してある以上キャンセルするわけにはいかないだろう。俺は腹を括って北海道へと旅立つことを決めた。これが昨日の出来事である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……今思い返してみても、かなり急な北海道旅行になったと思っている。ただ何とか準備も間に合い無事に着くことができた。後はこちらで何もないことを祈るだけである。

 ちなみにエリモジョージは飛行機が飛び立った時に機内を見渡しているといつの間にかいた。ちゃんと飛行機のチケットは買っているようだったが、一体いつ俺たちの会話を聞きつけたのだろうか?

 しばらく空港で待っていると、去年も見た迎えの人が来た。その人の案内の下、俺達は歩を進める。向こうはエリモジョージがいることに首を傾げていたが、テンポイントが説明して納得したのか追及はしてこなかった。

 そうして車で揺られることしばらく、去年も見たテンポイントの実家が見えてきた。車が停止したのを確認してから俺達は車を降りる。

 

 

「母さ~ん!今帰ったし~!」

 

 

 キングスがそう言いながら家の扉を開けて入っていく。それに続くようにテンポイントも家へと入っていった。俺とエリモジョージは外で待つ。

 キングスとテンポイントが入ってからほどなくしてワカクモさんが俺達を出迎えてくれた。丁寧にあいさつをする。

 

 

「神藤さん!この度は私の我儘で遠路はるばるありがとうございます。ささ、立ち話もなんですから早速上がってください。……そちらの方は?」

 

 

「テンポイントさんのルームメイトのエリモジョージさんです。いつの間にやら着いてきていたみたいで……。ご迷惑でなければ彼女も一緒で構わないでしょうか?」

 

 

「エリモジョージ。好きに いいよー」

 

 

「まあ!あなたがエリモジョージさんでしたか!テンから話は聞いていますよ。勿論構いません!ささ、2人とも早速上がっていってください」

 

 

「では、失礼します」

 

 

「おじゃまー」

 

 

 そう言って俺達はテンポイントたちの家に上がる。そのまま俺達は客間に通された。

 俺は早速持ってきた菓子折りをワカクモさんに渡す。

 

 

「ワカクモさん、こちらつまらないものですが」

 

 

「ですがー」

 

 

「まあ、ありがとうございます。別によろしいのに……、律儀なんですね」

 

 

 そう言って薄く微笑んだ。そのまま言葉を続ける。

 

 

「重ねてになりますが、本日はありがとうございます。私の我儘でここまで来てくださって……。その分、今日は精一杯おもてなしさせていただきます」

 

 

「そんな、とんでもない!こちらとしても年末の過ごし方に悩んでいたところだったので、渡りに船だったんですよ!」

 

 

「そうそう。神藤 ぐでーっ するだけ」

 

 

「お前は何目線なんだエリモジョージ」

 

 

 その時、ふと気になったことを俺はワカクモさんに質問した。

 

 

「ワカクモさん、ご主人が先程から見当たらないのですが……。今日はどちらに?ご挨拶をと思ったのですが……」

 

 

「あぁ~……」

 

 

 俺がそう聞くとバツが悪そうに頬を掻く。そして俺の質問に答えてくれた。

 

 

「実は主人は急な出張が入りまして……。今は関西にいるんです」

 

 

「関西に?それはまた……遠いですね」

 

 

 俺は目を丸くして驚いた。ワカクモさんはそのまま続ける。

 

 

「元々関西の方で仕事をしていたのですが……。今はこっちの方に住んでいるんです。でも、たまに本社の方から声がかかることがあって……」

 

 

「それで今はいない……と」

 

 

「そういうことになります。主人も神藤さんと会うのを楽しみにしていたのですが……。出張に行くのも最後まで抵抗していましたし」

 

 

 ワカクモさんは苦笑いしながらそう答える。つられて俺も苦笑いした。しかし、なんだかんだテンポイントのお父さんには一度も会ったことがない。だから今日は是非とも挨拶をと思ったのだが……。

 

 

(まあ急な仕事が入ったのなら仕方ないな)

 

 

 俺はそう割り切った。

 その後は、夜に開かれると言っていた宴会のための準備を手伝いながら時間は過ぎていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 迎えた夜、テンポイントの親族が集まって宴会が開かれていた。場所はテンポイントの家から少し離れた位置にある別邸である。というか、前回来た時キングスは名家ではないと言っていたような気がするが絶対にそんなことはないだろう。少なくとも普通の家に別邸があるとは思えない。……まあ、自分の実家にもあるから特段珍しいものだとは思わないが。

 そして、宴会で俺はテンポイントの親族の人たちと話していた。

 

 

「いやー!君がテンのトレーナー君か!噂には聞いているよ、すごいトレーナーなんだって?」

 

 

「いやいや、自分なんてまだまだですよ。毎日勉強させてもらっている日々です」

 

 

「何言ってんだい!おじさんは生で見たよ、この前の有マ記念!聞くところによるとあの作戦を立てたのは君だそうじゃないか!」

 

 

「そうですね。私が考えて、テンポイントも納得した上であの作戦で行きました」

 

 

「普通だったら、あんな共倒れしそうな作戦なんて考えないよ!でも、君は信じてたんだろ?テンを」

 

 

「はい。テンポイントなら必ず競り勝てる、そう信じていました」

 

 

「……カーッ!いいトレーナーだねアンタ!ウマ娘のことを心の底から信頼している、目を見りゃわかるよ!それは簡単に見えてかなり難しいことだ。テンもいいトレーナーを捕まえたもんだよ!」

 

 

「ははは、恐縮です」

 

 

 そう親戚の人たちに褒められながら、俺は料理をつまんでいた。テンポイントたちは未成年の人たちと席を囲んでいる。ここにいる人たちは全員酒が入っているので入らせるわけにはいかないだろう。

 しかし、気のいい人たちばかりだ。思わず俺も饒舌になる。他愛もない世間話にも花を咲かせる。

 

 

「なんだって!?アンタこんな免許まで持ってるのかい!?」

 

 

「いやぁ、免許、というか資格を取るのを楽しいと感じる性分でして。友達からは良く資格マニアなんて言われてますよ」

 

 

「しっかし、こんなマイナーな資格まで持っているとは……。国家資格以外は持ってるんじゃないか?」

 

 

「国家資格でも学校で学ぶ必要があるもの以外は大体揃えてますよ。後はひよこ鑑定士の資格もあります!」

 

 

「逆になんでそんなもの持ってるんだよ!?こりゃ資格マニアというのもあながち嘘じゃないみたいだねぇ」

 

 

 そんな話をしていた。

 そうやって話していると、俺は夜風に当たろうと思い席を立つ。親戚の人たちに一言断って、俺は宴会場を後にした。

 靴を履いて外に出る。かなり寒い。これでも結構厚着をしたはずなのだが、まだ足りなかったようだ。そう思いながらも俺は外を歩く。

 しばらく夜風に当たっていると、誰かが後ろから俺の肩を叩く。俺は誰だと思いながら後ろを振り向く。そこに立っていたのはテンポイントだった。

 

 

「よ、トレーナー。奇遇やな」

 

 

「テンポイントか。本当に奇遇だな。夜風に当たろうと思って外に出たんだが」

 

 

「なんやトレーナーも一緒か。やったら一緒にのんびりしよか。ええとこ知ってんねんボク」

 

 

「そうだな。じゃあ案内頼むよ」

 

 

「任しとき」

 

 

 そう笑顔で言うと、テンポイントが俺を案内する。道中、俺はテンポイントにあることを話すことにした。

 

 

「そうだ、テンポイント。実はだな……」

 

 

「どしたん?随分歯切れ悪そうやけど」

 

 

「いや、海外に飛び立つ前にお前が走る姿を日本で見たい……っていうファンがいるんだ」

 

 

「ホンマ?それは嬉しいなぁ。やけど、なんでそんな歯切れ悪いんや?」

 

 

「……望んでいる人たちは関西の人たちなんだ。だからこそ、やるとしたら関西のレース場を使うのが望ましいだろう。ただ、いつ向こうに発つかはもう決めている。出走できるレースは限られるんだ。別にないことはないんだが……」

 

 

「あんまり気が進まん……っちゅうことか」

 

 

「身も蓋もないことを言えばそうだな」

 

 

 俺はテンポイントにそう告げる。するとテンポイントは苦笑いを浮かべながら答える。

 

 

「まあ、しゃあないんやないか?それに声もあんまり上がってへんのやろ?」

 

 

「今のところはな」

 

 

「やったら、ファンの人たちには申し訳ないけど諦めてもらうしかないんやないか?」

 

 

「……まあそうだな。ファンには申し訳ないが、こればっかりは仕方がない」

 

 

 そんなことを話しながら、テンポイント先導の下、歩を進める。しばらくして目的地へと到着した。

 そこは去年テンポイントが練習していた場所だった。夜空には星々が煌めいていてとても奇麗だった。普段生活しているビルや建物に囲まれている場所ではこの景色を見ることはできないだろう。白い息を吐きながらその景色に少しの間見惚れていた。

 俺達はそこで立ちながら話す。

 

 

「今年も1年、色んなことがあったなぁトレーナー」

 

 

「そうだな。本当に色んなことがあった」

 

 

 俺達は今年の思い出を振り返っていく。

 

 

「京都、鳴尾と来て春の天皇賞までを3連勝。絶好調な滑り出しだったな」

 

 

「やな。やけど、宝塚で不調のボーイに負けてもうた。それが原因で、ボクの心は1回折れてもうた」

 

 

「あの時は自分の不甲斐なさを痛感したよ。俺のせいで、そんなことをずっと思っていた」

 

 

「今となってはいい思い出やけどな。それに、あの敗戦があったからこそ今のボクがあるし……。トレーナーがボクんことどんだけ思うてくれとるのかよう分かったからな」

 

 

「はは、それは良かった。色々ぶちまけたせいで少し恥ずかしかったけどな」

 

 

「ボクも色々ぶちまけたからそこはおあいこやな」

 

 

 俺達は互いに笑いあう。心地よい時間が流れていた。

 

 

「しっかし、ホンマに許さんで……、ボクがボーイの下やって記事書いとったんは」

 

 

「落ち着け。あっちも商売だから仕方ないさ」

 

 

「……まあ、百歩、千歩いや、万歩譲ってボクんことは許したるにしてもトレーナーのことボロクソにこき下ろしてたんは今でも許さへんからな」

 

 

「別に俺は気にしてないんだがなぁ……。むしろ俺としてはお前の評価のことについて小一時間問いただしたいところなんだが。何がトウショウボーイの下だ、目ん玉ついてんのか?ってな」

 

 

「考えること一緒みたいやな、ボク達」

 

 

「だな」

 

 

「まあ記者のことはこの辺にしとこか。それにしても、夏合宿はホンマきつかったなぁ。戦法を変えるためにむっちゃ頑張ったわ」

 

 

「あぁ。そして迎えた秋の始動戦である京都大賞典。そこでの圧勝と東京オープンレースの勝ち。そこで俺の考えは間違っていないということを改めて認識したよ」

 

 

「やな。ボクに無茶苦茶合っとったわあの走りは。そして、打倒ボーイを掲げて迎えた有マ記念」

 

 

「観客は度肝を抜かれただろうな。まさか最初から最後までお前とトウショウボーイのマッチレースになるとは」

 

 

「最後にグラスが追い込んで来とったけどな。まあゴールするまで気づかんかったけど。そして……」

 

 

「あぁ……。勝つことができた。そして、世間に証明したな」

 

 

「うん。ボクがボーイに負けてないっちゅうこと。ボクはボーイの下やないということを証明してやったわ」

 

 

 俺達は今年の出来事を1つ1つ振り返っていく。時折笑いながら、時折懐かしさを感じながら、振り返る。

 そうして振り返っていると、どこからか鐘の音が聞こえてきた。これは……。

 

 

「除夜の鐘……やな。いつの間にか年越してたわ」

 

 

「本当だな。全然気づかなかった」

 

 

 俺達の間に少し流れる沈黙の時間。その沈黙を破るようにテンポイントが俺に話しかけてくる。

 

 

「……なぁ、トレーナー」

 

 

「どうした?テンポイント」

 

 

 テンポイントが俺の正面に立つ。そして、笑顔で告げる。

 

 

「今年も1年、よろしゅうな!ボクの、最高の相棒!」

 

 

「……あぁ、こちらこそ!今年も1年、よろしく頼むぜ!俺の、最高の相棒!」

 

 

 俺も笑顔を浮かべて答える。

 星空の下、俺達は今年も1年共に頑張っていこうと誓いを立てた。




ハロウィンはデジたんとドットさんですか……。まだ石は貯蓄できる……。我慢、我慢だ私。


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第90話 分岐点

思いの外声が大きかった回


 年が明けて少し経った今日、トレセン学園も通常授業が始まっている。そんな中、俺はトレーナー室で珍しい客人から相談を受けている。

 その珍しい客人というのは理事長秘書であるたづなさんだった。わざわざ忙しい仕事の合間を縫ってきてくれたのであろう。俺を呼び出すのではなく、わざわざトレーナー室まで来ていた。

 そしてその相談内容というのが……。

 

 

「……というわけなんです。年が明けてからというものの、日に日に声が大きくなっておりまして……」

 

 

「今は、どのくらいになっているんですか?」

 

 

「URAにほぼ毎日嘆願書が届いているのと……後はこちら、今日の新聞になります」

 

 

「失礼します。……成程、確かにこれは……無視できませんね」

 

 

 テンポイントのレースに関するものだった。

 レース、と言っても海外のことではなく国内のレースのことだ。向こうに飛び立つ前に何としてでも一目見たいというファンの人たちの声が日に日に大きくなっているらしい。URAにはテンポイントが海外に飛び立つ前に日本でレースを!といった旨の嘆願書が何通も寄せられているのだとか。

 実のところ、この声自体は年を越す前にもあった。ただ、その時はまだ声が大きくなかったし無視できるだけの状況だった。しかし、今はそうもいかなくなってきている。関西の新聞では連日のようにテンポイントの記事が載るようになり、挙句の果てにはパパラッチまがいの連中まで出てくる始末だった。最も、そういう輩はトレセン学園に入る前に守衛によって撃退されているのだが。そういう輩がいたという報告が俺のとこに上がってきているので存在だけは知っている。

 それだけではない。最後に日本で一目テンポイントの勇姿を見たいといった旨の電話がURAやトレセン学園のみならず、テンポイントのトレーナーである俺のところまで来ていたのだ。中には脅迫まがいのものまであったが……まあそれはいいだろう。

 とにかく、年を越す前までは無視できるだけの状況だったが、今はそうもいかなくなってきているのだ。俺はたづなさんに質問する。

 

 

「たづなさん、例えば……ファン交流イベント、みたいなものはダメなんですか?走るんじゃなくて、テンポイントと触れ合う……みたいな」

 

 

「URAもそう提案したらしいのですが……効果はなかったみたいで……」

 

 

「見たいのはあくまで走る姿……というわけですか」

 

 

「そうなりますね……」

 

 

 たづなさんは難しい顔をしている。俺も渋面を作っていた。

 俺もまさか、テンポイントのファンがここまで声を上げるとは思っていなかった。海外で走る姿を見ることができたら満足だと、勝手にそう思っていたところはある。だからこそ、今この状況にすごく悩んでいる。

 

 

(出走するべきか……出走しないべきか……)

 

 

 出走しても、テンポイントなら問題なく勝てるだろう。それだけの自信がある。ただ、出走する意味が薄いのも確かだ。今まで前哨戦で使ってきたレースは大レースのための調整だったり、作戦の確認だったりで使っていたのだが、今回のレースに関しては前哨戦としての意味をなさないのが現状だ。日本と海外では芝が違うので練習にはならないだろう。だから、走る意味は正直薄い。

 

 

(これで声が小さかったら悩む必要はなかったんだがなぁ……)

 

 

 ここまで声が大きくなっているのであれば、もし出走しなかった時ファンから何を言われるか分かったもんじゃない。もしかしたら、他に飛び火する可能性だって0じゃないのだ。それを考えたら出走するべきなのだろうが……。

 そう悩んでいると、扉を開けて誰かが入ってくる。その姿を確認すると授業を終えたであろうテンポイントであった。

 

 

「おはようさんトレーナー……って、たづなさん?」

 

 

「こんにちは、テンポイントさん。少しお邪魔していますね」

 

 

「あ、はい。やけど、一体何の御用でしょうか?」

 

 

 テンポイントの疑問は尤もだ。普段は訪れない人がトレーナー室を訪れているのだからその疑問は真っ先に出てくるだろう。当事者の1人であるテンポイントに話さないわけにはいかないのでたづなさんは事情を説明した。

 話を一通り聞いたテンポイントは難しい顔をしていた。

 

 

「う~ん……一応、年末にトレーナーからそういう声があるて言われとったけど……。今はそんなに大きくなっとるんやなぁ……」

 

 

「それだけ、お前がファンの人に愛されてるってことだな」

 

 

「そうですね。これもひとえにテンポイントさんの人気があってのことでしょう」

 

 

「素直に喜べんなぁ……。トレーナーはどうするつもりなん?」

 

 

 俺は思っていることを正直に言う。

 

 

「あんまり出走させたくない……ってのが本音だな。ファンのため、と言えば聞こえはいいが、逆に言えばそれ以外走る意味がほとんどないってのが現状だ。海外に向けての調整にもならないし、走る意味はファンのため以外にはない……と言ってもいいだろう」

 

 

「そうですね……。こちらと向こうではバ場が違いますし、もしものことを考えたら出走をしないのが無難かもしれません」

 

 

 俺の意見に同調するようにたづなさんがそう告げる。すると、テンポイントが思案するように手を顎にやる。

 しばらくして、考えが纏まったのか自分の意見を告げた。

 

 

「なぁ、出走登録だけはしとかん?」

 

 

「出走登録……だけか?」

 

 

「そや。もし調子が悪うなるようやったら取り消せばええし、調子が良いようやったら出走する。それでええんやないか?」

 

 

「そりゃ別に構わないが……。どうしてだ?俺達の意見を聞いたら出走をしないと考えていたんだが……」

 

 

「う~ん……、トレーナーとたづなさんの言うとることも分かるんやけど……」

 

 

 一拍おいて、テンポイントは苦笑いをしながら答える。

 

 

「ここまで望まれとんのに、それに応えんのはどうかなーって思うんよ。やから、とりあえず出走登録だけはしとこかなーって」

 

 

「……そうか」

 

 

 テンポイントの言うことも一理ある。ここまで望まれているのに走らないのは今まで応援してもらっているのにどうかという部分があるのも確かだ。そして、本人がこう言っているのだ。ならば、その意見を尊重するのがトレーナーというものだろう。

 俺はレースの日程表を見て出走可能なレースを吟味する。テンポイントでも出走ができて尚且つファンの声が特に大きい関西のレース場で開催されるレース。そして、1つのレースにたどり着いた。

 

 

「日経新春杯……これしかないな。他は日程的に厳しいし、向こうに飛び立つ日を考えたらこのレースしか残っていない」

 

 

 日経新春杯。京都レース場のG2レースで芝2400m。テンポイントが走れるレースはこれしかない。俺はテンポイントにそう提案する。

 すると、向こうは二つ返事で了承した。

 

 

「ん、了解や。やったら出走登録だけはしとこか」

 

 

「あぁ。だが、当日体調が良くないようだったらすぐに出走を取り消す。それだけは憶えておいてくれ」

 

 

 俺の言葉にテンポイントは頷く。たづなさんにもその意向を伝える。

 

 

「というわけで、一応出走の方向で固めたいと思います。ただ、ファンの人たちには出走は確約はできない、とだけは伝えてくださいませんか?」

 

 

「かしこまりました。それでは、URAにもそのように伝えておきますので。私はこれで失礼しますね」

 

 

 そう言ってたづなさんは部屋を出ていった。俺とテンポイントだけが部屋に残る。

 俺は嘆息して呟く。

 

 

「一体どうなることやら……」

 

 

「まぁ、なるようになるやろ」

 

 

 俺の呟きにテンポイントはそう答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日経新春杯の出走登録だけは済ませておいた日からまた時間が経って今はURAに呼ばれてとある会場に来ている。URAに呼ばれた理由、それはテンポイントが最優秀シニア級ウマ娘と年度代表ウマ娘に選出されたからだ。

 今は壇上で授与式が行われている。

 

 

《それでは本年度のURA賞もいよいよ最後の表彰になります。登壇していただいてるのはテンポイントさんです!》

 

 

 司会の人からの言葉を受けてテンポイントは丁寧にお辞儀をする。隣に立っている俺も続くようにお辞儀をした。

 司会の人が熱のこもったスピーチをする。

 

 

《見事最優秀シニア級ウマ娘と年度代表ウマ娘に輝きましたテンポイントさん!しかし、実はそれだけではありません!なんとなんと、メイヂヒカリ以来となる満票での選出で年度代表ウマ娘に選ばれました!皆さん盛大な拍手をお願いします!》

 

 

 瞬間、会場に割れんばかりの拍手が鳴り響く。それを受けてテンポイントは薄く笑みを浮かべ、手を振って答えていた。

 しかし、まさか満票での選出になるとは思わなかった。俺は内心驚く。年度代表ウマ娘が満票で選出されるということは滅多にないことだからだ。あのシンザンやトウショウボーイでさえも満票ではなかったのだからそのすごさが分かるだろう。それだけファンの人に愛されているのかもしれない。

 

 

《ではテンポイントさん、今後の目標をお願いします!》

 

 

「はい。皆さんご存じやと思いますけど、ボクは来年度からは海外で走る予定です。偉大な先輩たちに追いつく……いや、追い越す気で走ろう思うてます。海の向こうになりますけど、今後も応援してくれると嬉しいです」

 

 

《ありがとうございます!それではテンポイントさんには後日新しい勝負服がURAより授与されます!活躍の場は海外へと移りますが、海の向こうでの活躍を期待しまして、皆さまもう一度盛大な拍手をお願いします!》

 

 

 司会の人の言葉とともに、また割れんばかりの拍手が鳴り響く。俺はテンポイントに倣うようにお辞儀をした。その後、降壇する。

 降壇した後は記者の人たちからの質問攻めにあっていた。相変わらずテンポイントは記者の人たちに苦手意識を持っている。なのでできる限り早く終わらせるよう心掛けた。

 

 

「年度代表ウマ娘の選出おめでとうございます!しかも満票!今のお気持ちをお聞かせください!」

 

 

「せやね……。光栄やと思うてます。ボクを応援してくださる皆様のためにも、より一層頑張っていきたいです」

 

 

「神藤トレーナー!今のお気持ちは!?」

 

 

「大体はテンポイントと同じです。今後とも彼女の側で、どんな時でも尽力していきたいと思います」

 

 

「おぉ~……!では、海外でどのようなレースを使うかはもう決めていますか!?」

 

 

「今のところはまだですね。大目標は変わりませんが、向こうの芝でならしてからどのレースに出走するかを決めていきたいと思います」

 

 

「なるほどなるほど……。では続いての質問なのですが、日経新春杯に出走登録したというのは本当でしょうか!?」

 

 

「……そうですね、一応出走登録だけはしています」

 

 

「それはやはりファンの声を受けてでしょうか!?」

 

 

「そうなります。ただ、本人の体調次第では出走を取り消す可能性があることを十分に留意していただきたいです。やはり、本人の体調第一に考えていますので」

 

 

「それは今から願掛けしないといけませんね!テンポイントさんが無事に出走できるようにと!」

 

 

「はは……」

 

 

 俺は苦笑いしながら答える。テンポイントの方でも似たような質問をされていたのか、向こうも苦笑いを浮かべていた。

 その後は何個か質問を受けつけて、足早に会場を後にする。駐車場に停めていた自分の車に乗って学園へと戻っていった。車内で俺はテンポイントに話しかける。

 

 

「さて、後は無事に壮行レースを乗り切るだけになったな」

 

 

「やなぁ。しっかし満票で選出か……。アカン、ニヤニヤが止まらん」

 

 

「まあ滅多にないことだからな。あのシンザンですら満票での選出はなかったらしいし」

 

 

「そんだけファンに思われとるってことやな。やからこそ日経新春杯も頑張らんとな」

 

 

「頑張るのはいいが、怪我だけはするなよ?それで海外遠征できなくなったら泣くに泣けないからな」

 

 

「分かっとる分かっとる。自分の体調第一、やもんな?」

 

 

「そういうことだ」

 

 

 そこからしばらく無言になる。そして、唐突にテンポイントがこちらに話しかけてきた。

 

 

「なぁトレーナー。記者の人たちに言うとった言葉はホントなん?」

 

 

「何がだ?俺なんか変なこと言ってたか?」

 

 

「そうやなくて、ボクの側でどんな時でも尽力する言うてたやん。それはホンマか?」

 

 

「そのことか。だったら本当のことだよ。どんな時でも、俺はお前を見放さないさ」

 

 

「ふ~ん。まぁ、分かっとったことやけどな!」

 

 

 俺は笑いながら答える。

 

 

「じゃあなんで聞いたんだよ」

 

 

「決まっとるやろ?改めて聞いとこ思うただけや。トレーナーがボクんこと見放さんのはボクがよう分かっとるからな!」

 

 

「それは何よりだ」

 

 

 そのまま俺は車を運転して帰路につく。天気は暗くてよく分からない。ただ、月が顔を出していないことから分かった。

 空は、どんよりとした曇り空だった。




期待をされたら、応えたくなる。


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第91話 準備は万全

他愛もない日常回


 URA賞の授賞式が終わった次の日の朝、ボクはいつも通りの日常を教室で過ごしている。そんな時教室の扉を開けてボーイが入ってきた。

 そのまま自分の席に座るとボクに話しかけてくる。どこか興奮気味だった。

 

 

「おはようテンさん!なぁなぁテンさんテンさん!日経新春杯で走るって本当なのか!?」

 

 

「おはようさん。そうやな、一応そん予定や」

 

 

「マジかー!てっきりレースに出走しないで日本を飛び立つかと思ってたから楽しみだぜ!最後にテンさんの勇姿をしっかりと見に行かないとな!」

 

 

 ボーイはそう言ってボクにどれだけ嬉しいかを語ってくれた。かなり照れくさかったがそれだけ楽しみにしてくれてるのだろう。ファンの人たちもボーイと同じ考えなのだとしたら、レースに出走することを決めたのはあながち間違いではなかったのかもしれない。

 ただ、ボクは一言釘を刺す。

 

 

「やけど、あくまで体調次第や。体調次第では出走取り消しもあること忘れんようにな」

 

 

「分かってるさ!無理して出走するのは良くねぇからな!」

 

 

 ボーイはそう答える。そうしてボクの出走の話で盛り上がっているとグラスとカイザーが登校してきた。自分たちの席に荷物を置いてすぐさまボク達の下へとやってくる。

 

 

「おはよ~2人とも~。何の話してたの~?」

 

 

「おはようございますボーイさん、テンポイントさん。随分盛り上がってましたけど、なんのお話をしていたんですか?」

 

 

 2人は開口一番ボク達が話していたことについて尋ねてきた。ボーイが答える。

 

 

「おはよう2人とも!いやさ、テンさんが日本で最後にレースに出るらしいからさ、そのことを話してたんだよ!」

 

 

「おはようさんグラス、カイザー。まあそういうことや」

 

 

 ボクが出走するレースに興味が出てきたのか、グラスがさらに尋ねる。

 

 

「へ~。じゃあ是非とも応援に行かないとね~。どのレースに出走するの~?」

 

 

「G2レースの日経新春杯や。確か……今週末やったか?」

 

 

 ボクは素直に答える。するとグラスは頷きながら確認していた。

 

 

「今週末か~。うんうん~……うん?」

 

 

「どうした?グラス。なんかあったのか?」

 

 

 突然グラスが身体を震わせ始めた。それを心配したボーイがグラスに聞く。しかし、ボーイの問いかけに答えることなくグラスはボクに詰め寄ってきた。

 

 

「テンちゃんテンちゃん、本当に今週末なの!?」

 

 

「う、うん。間違いないで」

 

 

「……嘘~。そんなことってある~?」

 

 

 嘘ではないことを告げると、今度はガッカリしだした。一体どうしたのだろうか?そう思っているとグラスは続けて話始める。

 

 

「私その日レースだよ~。アメリカジョッキークラブカップ~」

 

 

「あちゃ~、日程被ってもうたかぁ」

 

 

 どうやらグラスはその日レースに出走予定らしい。なら応援にはこれないだろう。少し残念である。

 そう考えているとグラスは未練がましくボクにお願いしてくる。

 

 

「テンちゃんテンちゃ~ん、私と一緒にアメリカジョッキークラブカップで走ろ~?」

 

 

「無茶言うなや。とっくに出走登録期間過ぎとるわ」

 

 

「だってだって~、テンちゃんあっちに行っちゃったら最低でも1年は一緒に走れないじゃ~ん。だから一緒に走ろうよ~」

 

 

「あんまり無茶言うなってグラス。テンさんの言う通りとっくに出走登録期間は過ぎてんだからさ。諦めるしかねぇよ」

 

 

 ボクとボーイはグラスを宥める。するとグラスは露骨にガッカリした表情を浮かべながら言った。

 

 

「オヨヨ~、友達が日本で最後に走るレースの応援にも行けないなんて悲しいよ~。ついでにみんなテンちゃんのレース見に行くから私のとこには応援誰も来ないよ~、オヨヨ~」

 

 

「そんなこと言われてもな……」

 

 

「大丈夫ですよグラスさん!」

 

 

 ボクがどう対応しようか悩んでいるとカイザーが会話に入ってきた。

 

 

「グラスさんの応援には私が行きますから!これで少なくとも誰も応援に来ないという状況は脱しました!」

 

 

「……本当にいいの~?テンちゃんの日本最後のレースだよ~?」

 

 

「はい!テンポイントさんの方にはボーイさんも行きますので、なら私はグラスさんを応援しに行こうと思います!」

 

 

「……ありがと~カイザーちゃ~ん」

 

 

 グラスはそう言ってほほ笑んだ。ボク達もつられて笑顔を浮かべる。

 その後は他愛もない雑談をする。話題は海外でのレースのことだった。

 

 

「つってもさ、海外のレースといっても色々あるよな?テンさんはどれに出走するとか決めてんの?」

 

 

「トレーナーが言うには、キングジョージと凱旋門賞は確定らしいで。後は前哨戦で数レース、もしかしたらアメリカでも走るんやと」

 

 

「はえ~3か国も走るんだね~。キツそ~」

 

 

「まあ、あくまで予定やからな。そっからボクの体調と相談して……みたいな形になると思うわ」

 

 

「海外に行く間は神藤さんはどうするんですか?普通だったら契約の一時解除になると思いますけど」

 

 

「海外研修という名目でボクと一緒に行くで」

 

 

「そうなんですね。……あれ?でもそうすると緊急時に学園の設備を直せる人いなくないですか?基本神藤さんが対応していますよね?」

 

 

「……何とかなるやろ、多分」

 

 

 トレーナーもその辺はしっかりと考えているはずだ。うん、きっと。

 

 

「後はアレだな」

 

 

「そうだね~アレだね~」

 

 

「……まあ、テンポイントさんがいないとなるとあの問題がありますよね」

 

 

「アレってなんや?」

 

 

 気になったボクはそう尋ねる。すると3人は口を揃えて答えた。

 

 

「「「エリモジョージ先輩のストッパーがいない」」」

 

 

「……ホクトが何とかするやろ」

 

 

 遠くでホクトの悲鳴が聞こえたような気がしたが、気のせいだろう。きっと気のせいだ。

 

 

「海外だと語学の壁があるけど……まあテンさんなら大丈夫だろ。英語の成績悪くないし」

 

 

「やな。不安なとこもトレーナーが空いとる時間使うて教えてくれてるわ」

 

 

「神藤さんそんなこともできるの~?」

 

 

「学生時代暇やからって色んな国の言葉勉強しとったらしいで。代表的な国の言葉は大体わかるんやと」

 

 

「暇だからって他国の言葉を勉強しようってなる発想が凄いですね……」

 

 

「後はそうだな……。日経新春杯のメンバーくらいか?気になるとしたら」

 

 

「今んとこ分かっとるんは……阪神大賞典を勝った子と後は」

 

 

「わたし」

 

 

「うわっ!?ビックリした!いつの間に来てたんだエリモジョージ先輩!」

 

 

 ボーイが驚きながらそう言った。まあ驚く気持ちはわかる。ボクも驚いていた。ジョージは本当に神出鬼没である。

 ジョージはボクを見ながら宣戦布告をしてきた。

 

 

「テン坊 壮行 負けない」

 

 

「ふふん、ボクかて負けんで?日経新春杯、ボクが勝たせてもらうわ」

 

 

「めらめら。 あ そろそろ 帰る」

 

 

 ボク達はお互いに火花を散らすほどに見つめる。ふと時計を確認したジョージはそう呟いてどこかへと去っていった。おそらく、朝のホームルームが始まりそうになったから自分の教室へと帰っていったのだろう。

 去っていったジョージの方を見ながらボーイがボクに聞いてくる。

 

 

「本当に神出鬼没だなエリモジョージ先輩」

 

 

「だね~。普段何してるんだろ~?」

 

 

「寮におる時は割と大人しゅうしとるで。外では分からんけど」

 

 

 そんな他愛もない話を続けていると朝のホームルームの始まりを告げるチャイムが鳴った。先程まで友達とお喋りを楽しんでいたクラスメイト達が次々と席に着く。ボク達も例外ではない。自分たちの席に着いて先生が来るのを待つ。今日もまた学園での1日が始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後は授業も終わって放課後になる。ボクはコースのトラックで練習に励んでいた。無論、日経新春杯に向けた調整である。

 何本か走ってから休憩を取り、そのタイミングでトレーナーにタイムを教えてもらう。

 

 

「トレーナー、タイムは?」

 

 

「ほれ、いい調子だ。この調子なら日経新春杯も問題ないだろう」

 

 

「どれどれ……うん、まあええ感じやな。後は追い切りして、ボチボチ調整して本番やな」

 

 

「だな。今回のレースにはお前と同タイプのエリモジョージがいるから油断ならないな。後はアイツがどう走るかによるんだが……」

 

 

 トレーナーは溜息をついて呟く。

 

 

「情けないことに、アイツのことは本当に分からんからな。一番読みにくいタイプだ」

 

 

「やなぁ。ボクも大体分かる言うてもどう走るかは本番になってみんと分からんわ」

 

 

 こういう時、ジョージは本当に厄介だ。何をしてくるかの予測がつかないから対策が立てづらい。まあ考えても仕方のないことなのでトレーナーもそれ以上は何も言わなかった。

 トレーナーがボクに今回の作戦を告げる。

 

 

「まあ負けるつもりはないんだが……。今回一番大事なのは無事に走り終わることだ、分かってると思うけどな」

 

 

「分かっとるよ。無茶はせぇへん」

 

 

「分かってるなら、大丈夫だな」

 

 

 そう言ってトレーナーは笑みを浮かべた。ボクも笑みを浮かべる。

 日経新春杯の大まかな作戦も決めたところで、休憩時間が終わる。ボクはまた練習に戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 空が夕焼けに染まった頃、練習を終えたボクはトレーナー室で勉強をしていた。寮の門限まではまだ時間がある。なのでトレーナーから英語を教わっていた。

 別に英語の成績が悪いわけではない。むしろ良い方であるとは自覚している。なのでトレーナーに教わっているのはリスニングだ。向こうは発音が違うだけで別の意味の単語になることもある。正しい発音を身に着けるためにもトレーナーに教えてもらっていた。

 一通り終わったのか、トレーナーは教科書を閉じてボクに告げる。

 

 

「……と、まあこんな感じだな。しかし俺が教える必要ないくらいには大丈夫だぞ」

 

 

「まあ、自分でもそれなりに勉強しとるからな。というかトレーナーは本場の人たちと話す機会なんてあるんか?」

 

 

「まあじいちゃんの知り合いには海外の人もいるからな。その人たちと話す機会があったからそれなりに自信はある。向こうからもお墨付きはもらってるし」

 

 

「旅館の時にちょろっと話は聞いとったけど、トレーナーのお爺様はなにもんなんやろうな」

 

 

「俺も詳しくは知らんが、融資関係の仕事に就いていたらしいぞ。それ以上のことは知らん。俺達の前では仕事の話はしないし、趣味のことしか話さなかったからな」

 

 

「ふ~ん」

 

 

 聞きながらボクはトレーナーお手製の教科書に目を通している。本人からのOKを貰ったということは現地に行っても大丈夫だろう。それにトレーナー曰く、

 

 

『最悪身振り手振り使って説明すれば大体理解されるから大丈夫だ』

 

 

らしい。なので気を楽にしていくことにした。

 そのままトレーナー室でのんびりと過ごしていると、寮の門限が近い時間になってきた。そろそろ帰らなければならないだろう。ボクは帰り支度を済ませてトレーナーに挨拶をする。

 

 

「それじゃトレーナー。また明日もよろしゅうな」

 

 

「おう、テンポイント。また明日な。あぁそうそう、明日は追い切りの予定だ」

 

 

「ん、了解や」

 

 

 明日の予定も聞いたところでボクはトレーナー室を後にして寮へと帰る。いつものようにお風呂に入って、ジョージと少し会話をして、消灯したら寝る。いつもの日常だ。

 ただ、この日常も後もう少しで終わる。来月には海外遠征のために日本を離れるからだ。そのことに少し寂しさを感じる。

 

 

(やけど、ボクの強さを海外に見せるんや!ボクが日本のウマ娘の代表として、強さを見せつけたる!)

 

 

 そう心に誓いながら、ボクは眠りについた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そのまま数日が経ち、朝から雪が降る中、ボクは日経新春杯の日を迎えた。




迎えた、本番の日。


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第92話 悲劇の引き金

日経新春杯、出走


 京都レース場の選手控室。日経新春杯を調子を落とさず迎えることができたボクは今その場所にいた。いつもならばボクとトレーナーが作戦の最終確認をするためにいるのだが今回はいつもと違っていた。

 ボクとトレーナーだけではなく、ボクの応援に駆けつけてくれたボーイとクイン、そしてハイセイコー先輩もいる。直接応援の言葉を贈りたかったらしい。嬉しい限りだ。

 みんなからの応援の言葉の前に、ボクとトレーナーは作戦の打ち合わせをしている。

 

 

「今回気をつけるべきはエリモジョージだけじゃない。ここまで3連勝で調子を上げてきているビクトリアシチーも要注意だ。相手の勢いに飲まれないようにしろよ?」

 

 

「了解や。今更油断なんてせんよ、壮行レース言うても負けるつもりはないやんな」

 

 

「それはそうなんだが……。まあとにかく、無事に帰ってこい。俺からはそれだけだ」

 

 

「了解了解」

 

 

 トレーナーはボクを心配するように見ている。もしかしたら、ボクが調子が悪いことを隠しているのかもしれない、そう思っているのだろうか?ならばと、そんなトレーナーを心配させないように、ボクは問題ないとばかりに笑って返した。ボクの笑顔を見てか、トレーナーも少し安堵したような表情を浮かべる。ボクが調子が悪いことを隠していないことが分かったのだろう。何も言わなかった。

 そのまま、今度はボーイたちがボクに応援の言葉を告げる。

 

 

「テンポイント、今日のレース場では雪が降っている。雪に脚を取られないよう、気をつけて走りたまえ」

 

 

「ありがとうございます、ハイセイコー先輩」

 

 

「いよいよですね、テンポイント様。頑張ってください」

 

 

「ん、応援ありがとな。クイン」

 

 

「……なぁ、テンさん。今からでも、出走を取り消すってできねぇかな?」

 

 

 ただ、ボーイだけは少し様子がおかしかった。

 

 

「どうしたんやボーイ?いきなりそんなこと言うて?」

 

 

「いや……さ。なんて言えばいいのか分かんねぇんだけど……」

 

 

 少し逡巡した後、ボーイは続けた。

 

 

「テンさんがどこか遠くへ行ってしまうような気がしてさ……。不安な気持ちが収まんねぇんだよ……」

 

 

 ……まあ、確かにこのレースが終わったら海外に飛び立つから遠くに行くことになるのだが、今更どうしたのだろうか?ボーイの様子にボクは困惑していた。

 ただ、ボーイがこの調子だとボクの調子も狂いそうになる。なので、

 

 

「お~よちよち、ボーイちゃんは寂しがり屋さんでちゅね~。テンポイントお姉ちゃんと一緒に海外に行くか~?」

 

 

思いっきり煽り散らすことにした。するとこちらの目論見通り、ボーイは顔を真っ赤にして反論してくる。

 

 

「な……ッ!人が心配してんのに!後別に寂しくなんかねぇよ!」

 

 

「ホンマか~?」

 

 

「ホントだよ!いや、嘘ついた!テンさんが海外に行ったら寂しい!」

 

 

 いつもの調子に戻ってきた。これでいい。しおらしい態度はこいつには似合わない。元気でいる方が合っている。

 ただ、ボーイが心配していることも分かる。なので、ボクは安心させるようにボーイに告げる。

 

 

「まあ心配する気持ちは分からんでもないけどな。やから、約束しようや、ボーイ」

 

 

「え?何を?」

 

 

「また一緒に走る約束や。子供っぽいけど、多少は安心できるやろ?」

 

 

「……ま、そうだな!」

 

 

 そう言ってボクとボーイはゆびきりで約束をした。また一緒に走る約束を。

 そこまで見守っていたところで、トレーナーが告げる。

 

 

「さて、そろそろ俺達も会場の方へ行くぞ。あんまり長居するわけにはいかないからな」

 

 

 その言葉に、みんなが了承の言葉を返した。選手控室を後にしていく。少し名残惜しさを感じた。

 最後に、トレーナーが退室する。それを確認したところで、ボクも選手控室を後にした。

 

 

(さて、壮行レース言うても負けるわけにはいかんからな。気合入れて行こか!)

 

 

 そう決意を新たにして。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 パドックでの様子も確認して、テンポイントに特に問題がないことを確認した俺達は京都レース場へと足を運ぶ。今日はいつものゴール前ではなく、第4コーナーに近いところへと陣取った。いつもの場所は他の誰かがもういたので、仕方がない。ゴールする瞬間を間近で見たかったがそう割り切ることにした。

 今は続々と出走するウマ娘たちの入場が始まっている。そしてテンポイントが入場してきた時、一際大きな歓声が上がった。その歓声を受けてハイセイコーが俺に話しかけてくる。

 

 

「すごい声援だね。テンポイントのファンしかいないんじゃないか?って錯覚しそうだよ」

 

 

「だろうな。日本で最後に走るレースってのもあって、それだけアイツの走りに期待しているファンが多いってことだろう」

 

 

「それだけに、テンポイント様のお母様は残念でしたね……。飛行機が飛ばなくてこれなくなってしまうとは……」

 

 

「それも仕方ないさ。その分、俺達がしっかりと応援しよう」

 

 

 そんなことを話していると、ウマ娘たちが次々とゲートへと入っていった。もうすぐレースが始まろうとしている。ただ、俺の胸には少しだけ不安があった。何か起こりそうな予感がする。そんな感じがしていた。

 

 

 

 

《京都レース場には雪が降る中、日経新春杯が始まろうとしています。距離は2400m、芝の状態は良と発表されています。やはりこのレースで一番注目されているのは来月には海外遠征が決定しているテンポイントの走りでしょう!今レース断然の1番人気!》

 

 

《パドックでの調子も悪くありませんでした。果たして今日はどのようなレースを我々に見せてくれるのでしょうか?気になるところです。またテンポイントだけではありません。天皇賞ウマ娘エリモジョージに加えて3連勝と勢いに乗っているビクトリアシチーもおります。他のウマ娘がテンポイントに食らいつくか?》

 

 

《G2レース日経新春杯が今まさに始まろうとしています!》

 

 

 

 

 観客は発走の瞬間を今か今かと待ちわびている。そんな空気を俺は感じ取っていた。一瞬訪れる静寂、そして、ゲートが開いた。

 

 

 

 

《日経新春杯が今……スタートです!》

 

 

 

 

 日経新春杯が幕を開けた。全員が一斉にスタートを決める。……いや。

 

 

「……ん?」

 

 

「……なぁ、誠司さん。オレの気のせいじゃなければ今」

 

 

「あぁ、ほんのわずかにだがテンポイントがもたついた」

 

 

「え?テンポイント様が?」

 

 

 シービークインは驚いている。それもそうだろう。テンポイントがスタートで出遅れるとこなど見たことがない。そのテンポイントがほんの少しだが、スタートでもたついていたのだ。だが一瞬のことなので最内枠を活かしてハナを取り先頭を走る。だが、走りもどこかぎこちないように感じた。俺の不安は一気に加速する。

 

 

(調子は悪くなさそうにしていたが……。走りもどこかぎこちない、アイツの身に、何が起こっている?)

 

 

 スタンド前を走るテンポイントに拍手を送る会場の観客たちを尻目に、俺は不安を抱えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(アカン!気合れ過ぎてもうた!)

 

 

 ゲートが開いてスタートを決めた瞬間、ボクはそう思った。というのも、気合を入れすぎたせいもあってかスタートでほんの少しもたついてしまったのだ。出遅れにならなかっただけマシなのだが、それでもボクは焦る。

 そもそも、なぜそんなに気合を入れていたのか。それは地下バ道を通っている時にあるウマ娘から宣戦布告を受けたからだ。彼女の言葉を思い出す。

 

 

『先輩の壮行レースであっても、負けません!私、先輩に勝ってみせます!』

 

 

 聞くところによると、これが初の重賞レースらしい。どこか初々しい彼女の反応に思わず笑みが零れたが、ボクもすぐに表情を直してその宣戦布告に答える。

 

 

『ふふ、ボクもそう簡単には負けへんで?お互い頑張ろか!』

 

 

 そう告げると、彼女はボクに一礼して足早にレース場へと向かっていった。そんな彼女の姿を見送りながら、ボクもレース場へと足を運んでいった。

 後輩からの宣戦布告にボクはどことなく嬉しくなって、つい気合を入れすぎてしまった。それだけではない。トレーナーには言わなかったが、今のボクの調子は好調も好調の絶好調だった。そのことで少し気分が浮ついていた部分もある。その結果、ほんの少しだがスタートでもたついてしまったのである。

 だが、第1コーナーを曲がって第2コーナーに入ろうかというところ。ボクはさすがに冷静さを取り戻していた。今はハナを取って走っている。ボクのすぐ外にほとんど差がなくボクに宣戦布告をしてきた子がいた。彼女もボクと同じ戦法なのか、それともボクをマークしているのか。まあどちらでもいい。

 

 

(ボクはボクのレースをするだけやからな)

 

 

 そう思いながら第2コーナーを曲がって向こう正面に入る。

 すると、意外なことに2番手だった子がボクの外から並んできたかと思うとそのままボクに変わってハナを取りに来た。少し驚きながらも、ボクは無理にハナを取り返そうとはせずに抑える判断をする。

 

 

(無理に走って、後ろのジョージに漁夫の利されんのだけは勘弁やからな……。冷静に見極めよか)

 

 

 そのままボクは向こう正面を2番手で走っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《……第2コーナーをカーブして向こう流しに入りました向こう流しに入りましてテンポイントの外にビクトリアシチーが並びました。そのままハナを取りテンポイントを抑える形。ここで先頭ビクトリアシチーに代わります2番手にテンポイント先頭はビクトリアシチー。あたかもテンポイントの門出を祝うかのように、粉雪が舞っている京都レース場です》

 

 

 

 

「頑張れー!テンポイントー!」

 

 

 場内のそんな声を聞きながら、俺はテンポイントの走りを観察する。少し冷静さを取り戻したようだ。走りも元に戻っている。……いや、心なしかいつもより跳びが小さいように感じた。

 

 

(調子は悪くなさそうだった……。身体チェックも医者からの異常なしという判断を貰っている……。なんだ?何が原因なんだ……?)

 

 

 細かい違いだが、いつもと微妙に違うテンポイントの走り。それを見て俺の不安は尽きることはなかった。

 そう考えていると、後ろから声を掛けられる。

 

 

「不安ですか?テンポイントが勝てるか」

 

 

 声の主は時田さんだった。エリモジョージが出走しているからだろう。それでもなぜ俺のとこに来たのか。

 

 

「……時田さんでしたか。わざわざ俺のとこまで来て、何の用です?」

 

 

「別に。深い理由はありませんよ。ただ、うちのエリモジョージが勝った時にあなたの悔しがる表情をいの一番に見ようと思いましてね」

 

 

「趣味悪いですね。……というか、それなんですか?」

 

 

 俺は時田さんが抱えている2本の角材について言及する。すると時田さんは溜息を吐きながら答えた。

 

 

「……エリモジョージに押しつけられたものですよ。一体どこで買ってきたのやら……」

 

 

「どこで買ってきたのも気になりますけど、なんでそんなものを買ったのかも気になりますね」

 

 

「前に修理のために必要な材料が足りない……とか言っていたので、それに使うんじゃないですか?分かりませんけど」

 

 

 時田さんは諦めたような表情を見せた。気持ちは分からんでもない。俺も担当から唐突に角材を渡されたら同じような気持ちになるだろう。

 少しお喋りが過ぎたのでレースに集中する。レースは第3コーナーを曲がろうとしていたところだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 勝負は第3コーナーの坂に入っている。その時ボクは内から仕掛けるのではなく外から仕掛けることにした。宣戦布告の子を外から躱す。しかし、後ろからジョージがボクが取ろうとしていたルートに侵入してきた。これでは外から躱せない。仕方がないので内から抜くことにした。内心舌打ちする。

 

 

(……アカンな。外にジョージがおるからこれ以上外は回れへん。まあちょい誤算やったけどこれなら問題ないわ)

 

 

 勝てる。ボクはそう確信した。

 脚は十分に残っているし、バ場の状態も気にならない。宣戦布告の子は少しバテたのか後退していった。先頭はボクとジョージの2人の2人が抜け出した。後はジョージを躱すだけだ。

 並んだ時に、ジョージからも宣戦布告を受ける。

 

 

「テン坊 負けない」

 

 

「ふん、お互いさまやでジョージ。ボクが勝たせてもらうわ!」

 

 

 そのまま内にいるボクと外にいるジョージはペースを上げていく。激しい競り合いになった。競り合いとなると、去年の有マ記念を思い出す。さすがにあそこまでキツくはないが。

 しかし本当に調子がいい。このままどこまでも行けてしまいそうだ。

 

 

(もうすぐ第4コーナー入るとこやな……。よっしゃ、こんままハナ取って決めたるわ!)

 

 

 残り600mの標識を確認し、そう考えたボクは左足を思いっきり踏み抜いてスパートをかける。その刹那

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何かが折れる音とともに、ボクの意識は刈り取られていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《あ……あぁ……あ……ッ!こ、こんな……まさか、こんな……ッ!》

 

 

《そんな……、こんなことが起こるなんて……》

 

 

 

 

 先程まで冬の寒さを感じさせないほどに熱狂していた京都レース場が静まり返っている。どよめきの声すら上がらない。それほどまでに信じがたい光景が目の前に広がっていた。実況と解説も言葉を失う。それでも、何とか声を絞り出して現在の状況を伝えようとする。

 

 

 

 

《なんとしても無事で……!と、なんとしても無事で、と願っていたお客さんの……気持ち、も、……通じません》

 

 

《目の前には信じがたい……、信じたくない光景が広がっています……しかし……》

 

 

 

 

 実況の人が絞り出すように、声を出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《故障発生ッ!テンポイントに、故障発生ですッ!》

 

 

 

 

「テンポイントォォォォォォォォォッッッ!!」

 

 

 京都レース場に、俺の叫びが響き渡った。




最終章、開幕


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第93話 キミとなら

連続投稿


 日はすでに沈んで夜の帳が下りている。俺は今京都レース場でも宿泊先のホテルでもなく、病院にいた。一緒に来ていたハイセイコーたちはすでに別れている。俺だけが病院にいる。その理由は簡単である。

 俺は血が流れるほどに拳を握り締めて、祈る。

 

 

(頼む……ッ!無事でいてくれ……ッ、テンポイント!)

 

 

 話は、数時間前にさかのぼる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 テンポイントが海外に飛び立つ前にレースを見たい。そんなファンの願いに応える形で出走した日経新春杯。少しの不安はありながらも、レースは滞りなく進んでいった。そう、途中までは。

 事件が起こったのは残り600mの標識を通過して第4コーナーへ入ろうとした時。突如としてテンポイントの走りが大きく乱れたのだ。

 まともに走ることができていない。大きく減速して後続の子たちに抜かれていく。しかしそれでも、テンポイントは何とか走ろうとしていた。だが、そんな彼女の意思に反しているかのようにおぼつかない足取りを見せている。

 ……まさか、まさかまさかまさか!

 

 

(骨折か!?)

 

 

『テンポイントォォォォォォォォォッッッ!!』

 

 

 静まり返っている京都レース場に俺の叫びが響き渡った。だが、次の瞬間俺は冷静に頭を働かせる。

 今は叫んでいる場合じゃない、あのままだとテンポイントは地面と激突する!そうなったらもう手遅れだ!ならそのために何をすればいい?考えろ、考えろ俺!

 俺は隣にいるハイセイコーの方を向く。彼女も俺の方を見ていた。俺は彼女に命令した。

 

 

『ハイセイコー!左足だ!』

 

 

『分かってる!あなたが走るより私が走った方が速い!』

 

 

 そう言うやいなや、ハイセイコーは観客席のフェンスを乗り越えてレース場に飛び出す。俺も後を追うようにフェンスを乗り越えた。だが、その前に。

 

 

『時田さん!その角材借りますよ!』

 

 

『……ッ!えぇ!好きなだけ持っていきなさい!』

 

 

 俺のやることを瞬時に察知したのか素直に差し出した。それだけじゃない、医療用品も貸してくれた。俺は感謝の言葉を述べつつ、ハイセイコーの後を追うようにテンポイントのところへと駆け寄る。

 俺よりも先にテンポイントの下へと駆け寄っていたハイセイコーがテンポイントを抱きとめる。そして、傷つけないように、労わるように横に寝かせた。骨折したであろう左足を下につけないように。

 俺はテンポイントの左足を見た。……まずい!

 

 

『開放性か……ッ!』

 

 

 俺は消毒液をガーゼにつけて、急いで患部が外気に触れないようにする。そのまま左足を支えながら、包帯を巻いていった。その間も、テンポイントは呻き声を上げていた。

 そんな時、おぼつかない足取りでエリモジョージが近づいてきた。うわごとのように呟きながら、テンポイントの側に座る。

 

 

『うそ テン坊 ぼきっ 聴こえた。うそ うそ うそ!』

 

 

 普段のエリモジョージからは考えられないほどの大声と取り乱し方。……おそらく、テンポイントの近くで走っていたエリモジョージには聞こえたのだろう。彼女の脚が折れる音が。

 だが、今はそんな場合じゃない。俺はエリモジョージの目の前で思いっきり手を叩いて音を出した。目を覚まさせるように。エリモジョージが我に返った。

 

 

『目は覚めたか?』

 

 

『…… うん。わたし する?』

 

 

『テンポイントの左足を支えてくれ!今からこの角材を使って固定する!』

 

 

『分かった』

 

 

 そう言ってエリモジョージがテンポイントの左足を支えた。俺は角材を使ってテンポイントの左足を固定する。動かないように、けれど患部を傷つけないようにしっかりと。テンポイントは意識を失っているのか身体から力が抜けていた。

 ……これで応急処置は終わった。後は救急隊員が駆けつけるのを待つだけだ。そう考えていると、すぐさま救急隊員がレース場へと入ってきた。

 

 

『患者は!?』

 

 

『ここだ!急いで病院へ!』

 

 

 俺はそう言って救急隊員についていく。ハイセイコーたちは自分たちのやるべきことをやるためにここで別れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして今、病院ではテンポイントの治療が行われている。その間俺には疑問が浮かんでいた。

 

 

(クソッ!クソッ!何が悪かった!?調子も悪くなかったし、身体チェックだって大丈夫だったんだ!なのに、何が悪かったんだよ!)

 

 

 テンポイントが骨折した原因だ。調子は朝から悪くなかったし、医者からのお墨付きをもらえるぐらいには健康体だったんだ。なのに、どうして骨折を起こした?冬の寒さのせいか?いや、それは考えにくい。だったら別のレースでも同じことが起こっていたはずだ。

 何故、何故、何故。疑問は尽きない。最早握り締めすぎて血だらけになった手を開いていると、手術が終わったのか、手術室から医者の人が出てきた。俺は焦りながらも医者に問いかける。

 

 

「先生!テンポイントは……、テンポイントは無事なんですか!?」

 

 

「……落ち着いてください。ひとまずは、テンポイントさんを病室へ移動した後、テンポイントさんも交えて詳しい話をしましょう」

 

 

 そう返されて、俺は冷静さを取り戻す。そうだ、今ここで焦っても仕方がない。俺は医者の人に連れられて、病棟へと歩を進めた。

 病室について、テンポイントの容態を確認する。血色は悪くない。五体満足だ。ひとまず安堵した。そしてしばらく待っていると、ベッドの上のテンポイントが目を覚ます。

 

 

「……んぅ?……どこや、ここ?」

 

 

「起きたか……ッ、テンポイント……ッ!」

 

 

「とれー、なー?どうしたん?そんなに安堵して……!てかトレーナーの手血だらけやん!?どうしたんやホンマ!?」

 

 

 ベッドの上では、いつもと変わらないテンポイントがいた。そのことに、俺は涙を流した。良かった……、本当に良かった!

 涙を流している俺をテンポイントは慌てた様子で宥めようとして、少し顔を歪めた。そして自分の身体を見渡して、察したのだろう。自分の置かれている状況を。

 

 

「……そっか、レース中に骨折したんやな、ボク」

 

 

「……そうだ。だが、今はその前に」

 

 

「はい」

 

 

 そう言って、医者の人が俺達のところに来る。そして、テンポイントの容態について詳しく教えてくれた。

 

 

「まずテンポイントさんですが……、命に別状はありません。レース中に骨折した場合、大半のウマ娘はスピードに乗ったまま地面に激突するケースがほとんどです。しかし、テンポイントさんの場合……」

 

 

「ハイセイコーがしっかりと抱き留めたから、最悪の事態は免れた……」

 

 

「そうです。そして脚の状態に関してですが……。骨が露出していました。開放骨折です。開放骨折の場合、傷口から雑菌が入る等によって感染症を引き起こす恐れがあるのですが……。これもスムーズな応急処置によって被害は最小限に抑えられました。ただ、油断はできません。そのことを留意しておいてください」

 

 

「分かりました。……それで、骨折の原因は?」

 

 

「……医者としてお恥ずかしい限りですが、原因は不明です。本人の体調に問題はない、身体に異常があったわけでもない、なのに骨折した。このような事象には遭遇したことがありません。少々オカルトになってしまいますが……まるで、骨折することが運命だったかのような事象です」

 

 

「……くそったれな運命ですね、反吐が出る」

 

 

 俺は吐き捨てるようにそう言った。だが、嘆いても結果は変わらない。頭の中を切り替える。

 俺達がそう話していると、テンポイントが会話に割って入ってくる。

 

 

「あの、1つええでしょうか?」

 

 

「はい。なんでしょうか?」

 

 

 少しの沈黙。やがて、意を決して口を開く。

 

 

「ボクはまた、走ることはできるんでしょうか?」

 

 

 その言葉に、医者の人は難しい表情を浮かべて沈黙する。やがて決意が固まったのか、答える。

 

 

「……走ることは可能です。ですが、元のように、レースで走ることは極めて難しいでしょう。リハビリをしても今までの4割、下手をすれば3割ほどの力でしか走れない可能性もあります。医者である私の判断としては、レースで走ることは諦めた方がいいと、そう考えています」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 元のように走ることは難しい。レースで走ることを諦めた方がいい。医者から宣告された言葉がボクの頭の中を駆け巡る。だが、医者は気になる言葉を頭につけていた。

 

 

(極めて難しい……やったら!)

 

 

 ボクは続けて医者の人に質問する。

 

 

「極めて難しい……。それって、何パーセントぐらいですか?」

 

 

 ボクの言葉に、医者の人はこれまた難しい表情をしていた。覚悟を決めたのか、口を開く。

 

 

「……良くて数パーセント。1パーセントか、2パーセントほどだと思ってください」

 

 

 ……良くて数パーセントか。だったら、話は簡単だ。

 

 

「そんだけあれば十分や。それで?元のように走るためにはどうしたらええんや?」

 

 

 ボクはそう質問した。この言葉に医者の人は驚いた表情を見せる。ただ、トレーナーはボクがそう言うと分かっていたのか、表情を崩さなかった。相変わらず、ボクのことをよく分かっている相棒だ。

 医者は信じがたいものを見るような目でボクを見る。そして、やるべきことを告げた。

 

 

「やることは通常のリハビリと変わりません。ですが、そのリハビリでさえも過酷な道のりになるでしょう。地獄のような苦しみが続くことになります。下手をすれば、悪化して二度と走れなくなる可能性もある。そこまでしても、元のように走れるかどうかは奇跡でも起きない限り無理です。それでも、あなたは走ることを望みますか?」

 

 

 ボクを諭すように、医者の人はそう問いかける。だが、ボクの答えは最初から決まっている。

 

 

「当たり前や。ボクは諦めが悪いんでな。それに、奇跡は起こるのを祈るもんやない、起こすもんや。やから、奇跡起こしたるわ。ボクとトレーナーの手でな」

 

 

「……トレーナーさん。あなたは?」

 

 

 医者は止めて欲しそうな目でトレーナーを見る。だが、トレーナーの答えは決まっているだろう。

 

 

「彼女が走ることを望むのであれば、私はその手助けをします。その決意は揺るぎません」

 

 

 やっぱり。トレーナーはボクの手助けをすると、そう思っていた。そのことに嬉しさを覚える。

 医者の人は溜息をついて、ボク達に告げる。

 

 

「……分かりました。医者としては本来止めるべきなのでしょう。けれど、あなた方がそう望むのであれば……」

 

 

 そう言いながら、医者の人は少し席を外してどこかへと行った。しばらく待っていると戻ってくる。手には資料を持っていた。

 

 

「都内にある病院です。ひとまずはここに転院することをお勧めします。ここだと、ファンの人たちに突撃される可能性がありますので。それはあなたたちも本意ではないでしょう?」

 

 

「……まあ、そうですね」

 

 

 医者の人の言葉にトレーナーは苦笑いを浮かべていた。ボクも同じ気持ちだが。

 

 

「ここは秘匿性も高い上に、トレセン学園からも比較的近い位置にあります。リハビリに関しても日本一と言っても過言ではありません。お望みであれば、明日にでも転院手続きをしますが……、どうなさいますか?」

 

 

「「お願いします」」

 

 

 ボクとトレーナーの言葉が重なる。その言葉を受けて医者の人が告げる。

 

 

「それでは、転院手続きはこちらの方で済ませておきます。今日はもう早めに身体を休めてください」

 

 

 そう言って医者の人は病室を後にした。病室にはボクとトレーナーが取り残される。

 ボクはトレーナーに謝る。

 

 

「……ごめんなぁ、トレーナー。無事に帰ってこい言われとったのに、帰れんかったわ」

 

 

 ボクの謝罪の言葉に、トレーナーは微笑みながら答える。

 

 

「気にするな。お前とまたこうやって話すことができるだけでも、俺は嬉しいよ」

 

 

 その言葉に、ボクは嬉しさを覚える。けれど、トレーナーはこれからきっと大変だろう。ボクのリハビリだけではない、世間からのバッシング、その矢面に立たされるのは間違いなくトレーナーだ。

 ボクはトレーナーに問いかける。

 

 

「トレーナー。ホンマにええんか?」

 

 

「何がだ?」

 

 

「きっと、これから大変やと思う。ボクが元のように走れるかは分からへん、先の見えない暗闇を進むことになると思う。それでも、ボクのトレーナーでいてくれるんか?」

 

 

 ……正直、聞かなくても分かり切っている答えだ。それでも、一応聞いておきたかった。

 トレーナーは、愚問だとばかりに答える。それは、ボクが思っている通りの言葉だった。

 

 

「当たり前だ。前に言っただろ?お前を見放さないって。それだけじゃない、俺はお前がまた走れるようになるって信じてる。奇跡を起こしてやろうぜ?2人でな」

 

 

 そう言って、ボクに拳を突き出してくる。レース前にやっている、いつものルーティーン。そう言えば、日経新春杯の時はやっていなかった。ボクは嬉しさを噛みしめながら、拳を突き出してトレーナーと軽く拳を合わせる。

 

 

「また、こっから頑張ろか、トレーナー!」

 

 

 ボクの言葉に、トレーナーは頷く。嬉しさから涙がこぼれそうになったが、からかわれそうなので必死に堪える。そう思っていたらトレーナーの方が涙を流していた。それにつられて、ボクも涙を流す。

 

 

「ちょ、なに泣いてんねんトレーナー。そんなに、うれしいんか」

 

 

「お前も、だろ、テンポイント。でも、うれしい、ほんとに、うれしいよ、テンポイント」

 

 

 ボク達はお互いに涙を流す。悲しさからではない、またこうやって2人で歩んでいける嬉しさからだ。ボクがそうなのだ、トレーナーもきっとそうだろう。

 これから先、ボクを待ち受けているのは辛いことばかりだろう。リハビリも、やったところでレースの世界に帰ってこれるかは分からない。先の見えない暗闇を突き進むようなものだ。上が見えない高い壁に挑む気分だ。

 けれど、トレーナーと一緒なら大丈夫だ。例え先の見えない暗闇を進むことになったとしても、どんなに高い壁があったとしても、トレーナーとだったら進んでいけるし、乗り越えていける。そうボクは確信した。




例えその先が地獄でも、2人ならば乗り越えられる。
とまあ、ここからタグのIF展開が働いていきます。


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閑話13 心配は尽きず

レースから明けて数日後回


 東京レース場、私はグラスさんの応援のためにその会場に来ていた。そして、グラスさんのレースも終わったので、選手控室へと沖野トレーナーとともに訪れていた。

 扉を開けて中に入ると、まず目についたのは疲れを癒すように椅子に項垂れているグラスさん。そんなグラスさんに沖野トレーナーが労いの言葉をかける。

 

 

「お疲れさん、グラス。惜しかったな」

 

 

「うあ~。後もうちょっとだったのに~」

 

 

「いや、脚も万全じゃない状態であれだけのレースができたんだ。大したもんだよ」

 

 

「それでもさ~、やっぱり悔しいものは悔しいよ~。はぁ~……」

 

 

 そう言ってグラスさんは項垂れる。私はそんなグラスさんを励ますように言った。

 

 

「大丈夫ですよ!次はきっと勝てます!万全な状態で大目標である春の天皇賞を迎えられるように、頑張りましょう、グラスさん!」

 

 

「……うん、ありがとうね~カイザーちゃ~ん」

 

 

 グラスさんは私の言葉にそう答えてほほ笑んだ。

 グラスさんが出走したレース、アメリカジョッキークラブカップ。結果としてはクビ差の2着だった。1着の子は、昨年目黒記念で私とグラスさんに勝った子。最近メキメキと頭角を現し始めてきた子だ。おそらく、春の天皇賞にも出走してくるだろう。沖野トレーナーはそう言っていた。

 すると突然、グラスさんが時計を確認した。私もつられて確認する。……この時間だと。

 

 

「今頃テンちゃんが走ってる頃かな~?」

 

 

 そう、テンポイントさんのレースも始まっている時間だ。私はグラスさんの疑問に答える。

 

 

「そうですね。もう出走している頃だと思いますよ」

 

 

「テンちゃん勝ったかな~?」

 

 

「どうでしょう?日経新春杯にはエリモジョージ先輩も出走していますからね」

 

 

「そうだな。それに、エリモジョージのポテンシャルは底が見えないからな。もしかしたら……ってことがあるかもしれねぇな」

 

 

「だね~。まあでも~テンちゃんなら心配ないかな~」

 

 

 グラスさんはそう締めた。テンポイントさんの実力を信頼しているのだろう。そして、それは私も同じだ。テンポイントさんなら勝てる。そう思っていた。

 そんな時、私の携帯が震える。誰かからか着信が来たようだ。私は画面を見て誰が掛けてきたのかを確認する。

 

 

「……クインさん?ということは、あっちもレースが終わったみたいですね」

 

 

 私に電話を掛けてきたのはボーイさんと一緒にテンポイントさんの応援に行っているクインさんだった。先日レースが終わったら連絡すると、そう言っていたことを思い出す。私は電話に出る。

 

 

「もしもしクインさん?そちらはどうでしたか?グラスさんの方は……ちょっと残念な結果になってしまいましたけど」

 

 

「……」

 

 

 しかし、クインさんは無言だった。もしかして私の声が聞こえなかったのだろうか?そう思い私はもう一度呼びかける。

 

 

「あの、クインさん?聞こえてますか?そちらはどうでしたか?」

 

 

「……うっ、うぅ……ッ!クライムカイザーさま……ッ!」

 

 

 そして、クインさんから返ってきた言葉に私は思わず携帯を手放しそうになるほど驚いた。なんと電話の向こうでクインさんは泣いていたのである。

 ……いや、それだけじゃない。私は時計を確認する。

 

 

(この時間だったら、レースの出走時間から逆算してクインさんたちはまだレース場にいるはず……。なのに!)

 

 

 異様なほどに静かだ。レース場の熱気も、歓声も喧噪も聞こえない。それどころか、クインさんの他にも咽び泣いているような声や悲鳴のような声が聞こえてきたのだ。

 私の雰囲気から只事ではないと察知したのか、沖野トレーナーとグラスさんも私の方を神妙な顔つきで見ている。

 私は、冷静さを保ちながらクインさんに尋ねる。

 

 

「……クインさん。一体、何があったんですか?」

 

 

 その言葉とともに、私は携帯をスピーカーモードにする。グラスさんたちにも聞こえるように。

 電話の向こうでクインさんはまだ泣いていた。やがて、絞り出すような声で答える。

 

 

「くらいむ……かいざー……さまっ!てんぽいんとさまが……、てんぽいんとさまが……っ!」

 

 

 クインさんが必死に絞り出したその言葉は、私たちを奈落の底に落とすには、十分だった。

 

 

「れーすちゅうに、こっせつして……!びょういんに、はこばれました……っ!」

 

 

「……えっ?」

 

 

 選手控室を無言が支配する。私たちは、何も言えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから数日が明けて私はグラスさんとともに学園に登校している。だが、気分は最悪と言ってもいいだろう。理由なんて分かり切っている。

 

 

「……カイザーちゃん。テンちゃん、今頃どうしてるんだろうね?」

 

 

「……分かりません。病院に運ばれたという報告以降、音沙汰がありませんから」

 

 

 テンポイントさんのことだ。私たちは暗い気分のまま登校している。

 テンポイントさんがレース中に骨折したというニュースは、瞬く間に全国に広がっていった。レースの次の日どころではない、レースがあった日の夕方にはすでにニュースとして全国放送されていた。私も、おそらくグラスさんもそのニュースを見て、夢ではなく現実だということを再認識した。そして、病院に搬送されて以降、どうなったのかは分からないということも。ただ、搬送先の院長曰く、

 

 

『手術は成功しました。ただ、テンポイントが今どこにいるのかはお教えできません』

 

 

と言っていたので、無事ではあるのだろう。……そう思わないとやってられなかった。それに、テンポイントさんのトレーナーである神藤さんもここ最近姿を見ていない。きっと、テンポイントさんの側にいるのかもしれない。そんなことを思っていた。

 暗い表情、重い足取りのまま私たちは教室へと向かう。道中、私とグラスさんの間に会話はなかった。自分たちの教室に到着する。

 教室の中は、お通夜のような空気が漂っていた。いつもならば仲の良い友人と会話を弾ませているクラスメイト達は、沈痛な面もちで言葉少なく会話をしていた。あのレースが終わってからの数日間、ずっとこうだった。

 私たちも自分の席に着いて支度を済ませる。ボーイさんもすでに登校していたらしく、自分の席に座っていた。ただし、

 

 

「おはようございます、ボーイさん」

 

 

「……あぁ、おはよ」

 

 

いつものような元気は鳴りを潜めている。……それも仕方ないだろう。ボーイさんはテンポイントさんが骨折するところを現場で見ていたのだ。ダメージも私たち以上に大きいはず。私はそれ以上ボーイさんに何か言うことはなく、自分の席に着いて先生が来るのを待っていた。

 長い、時間が過ぎるのが遅く感じる。いつもだったら、時間が過ぎるのを速いと感じているのに。時間の流れが遅くなったかのように錯覚する。テンポイントさんのことを思うと、私は不安でたまらなかった。

 

 

(テンポイントさん……。せめて、何か一報だけでもあれば……)

 

 

 仕方がないので、私は腕を枕にして目をつむることにした。こうしていれば、いつの間にか先生が来るだろう。辛い現実から逃避するように、私は目をつむる。

 しばらく待っていると、朝のホームルームを告げるチャイムが鳴った。その音とともに私は顔を上げる。先生が来るのを待った。

 ……しかし、いつもだったら結構早めに来る担任が今日はやけに遅かった。何かあったのだろうか?そう思っていると廊下から誰かが走っている音が聞こえてくる。その音は、私たちの教室の前で止まりそのまま勢いよく扉を開けて入ってきた。担任の先生だ。息も絶え絶えに教室に転がり込んできた。そんなに急いで一体どうしたのだろうか?そう思っていると、担任の先生は笑顔を浮かべて私たちに告げた。

 

 

「み、皆さん!嬉しいニュースです!先程テンポイントさんのトレーナーがトレセン学園に帰ってきまして、テンポイントさんは無事だと!命に別状はないということを教えてもらいました!今も病院で療養中だそうです!」

 

 

 その言葉を聞いて、先程まで暗い気持ちだった私の心に光が差し込んだ。嬉しい気持ちでいっぱいになる。

 

 

(良かった……ッ!本当に良かった……ッ!)

 

 

 顔を手で覆う。嬉しさのあまり泣きそうになった。クラスメイト達も同じ気持ちなのだろう。中には泣いている子もいた。

 そんな中、ボーイさんが質問する。

 

 

「せ、先生!テンさんがどこの病院にいるか教えてくれませんか!?」

 

 

 しかし、その質問に先生は首を振って答える。

 

 

「ご、ごめんなさい。先生もテンポイントさんがどこの病院にいるかは教えられていないの。ただ、無事であることは確かよ。神藤トレーナーはこんなことで嘘はつかないもの」

 

 

「そう……ですか」

 

 

 少し落ち込んだようにボーイさんは席に着く。気持ちは分からないでもない。多分だけど、ボーイさんはテンポイントさんの無事を自分の目で確認したかったのだろう。私も同じような考えが浮かんでいた。だが、先生もどの病院にいるかは教えられていないらしい。申し訳なさそうにしていた。

 ただ、テンポイントさんがどこの病院にいるのかを秘匿している理由は分からないでもなかった。まだ面会ができない状態なのかもしれない。私はそう考えた。

 連絡事項は他になかったようで、先生はそのまま退出していった。その足取りはどこか軽そうに見えた。最近は足取り重く、暗い表情で退出していたので先生も嬉しいのだろう。

 私は急いでボーイさんの下へと向かう。グラスさんも同じ考えだったらしい。2人でボーイさんの席へと向かっていた。

 私はボーイさんに話しかける。

 

 

「ボーイさん、これで1つ進展しましたね!」

 

 

「うんうん~、テンちゃんのトレーナーの神藤さんが言うなら~、間違いはないよね~」

 

 

 私たちの言葉に、ボーイさんは嬉しさ半分、残念さ半分といった感じで答える。

 

 

「あぁ……!あぁ!ホントに良かった!まあ、お見舞いに行けないのはちょっと残念だけど……」

 

 

「それは仕方ないと思います……。まだ面会謝絶状態なのかもしれませんし」

 

 

「そうだね~」

 

 

 私たちは、テンポイントさんが無事だったということの喜びを分かち合うように話した。

 そんな時、教室の扉を開けて誰かが入ってくる。1限目の先生だろうか?しかしまだ時間はあるはずだ。一体誰だろうか?私たちは扉の方へと視線を向ける。そこに立っていたのは何とハイセイコー先輩だった。

 

 

「失礼。トウショウボーイとグリーングラス、そしてクライムカイザーはいるかな?」

 

 

 開口一番、ハイセイコー先輩はそう尋ねた。どうやら私たちを探しているらしい。一体なんのようなのだろうか?

 呼ばれた私たちはすぐさまハイセイコー先輩の下へと向かう。

 

 

「お呼びでしょうか?ハイセイコー先輩」

 

 

「どうしたんですか?わざわざオレたちの教室まで来て」

 

 

「……もしかして~テンちゃん関係のことですか~?」

 

 

「それは生徒会室で話そう。ひとまずついてきたまえ。あぁ授業のことなら安心してくれ。担当の先生にはちゃんと許可を取ってある」

 

 

「「「分かりました」」」

 

 

 ハイセイコー先輩の言葉に私たちは口を揃えて答える。そのまま、ハイセイコー先輩に連れられるまま生徒会室へと向かった。

 しばらく歩くと生徒会室に到着する。そのまま先輩は扉を開けて中へと入る。私たちも促されるまま入室した。

 

 

「よし、ここならば誰にも聞かれる心配はないだろう」

 

 

 ハイセイコー先輩はそう呟く。おそらく誰かに聞かれたくない内容なのだろう。一体どんな話なのだろうか?不安な気持ちで私は次の言葉を待つ。

 そしてハイセイコー先輩は私たちに告げる。

 

 

「さて、君たちを呼んだのは他でもない。今からテンポイントが入院している病院へ向かうよ。迎えのものが来るまでここでお話でもして待とうじゃないか」

 

 

「「「……えっ?」」」

 

 

 ハイセイコー先輩のその言葉に、私たちは揃って間抜けな声を出した。




キョンシーデジたん可愛いなぁ


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閑話14 いざお見舞いへ

気づけば過去一長くなったお見舞い回


 ニュースの情報だけじゃ無事かどうか半信半疑だったオレのもとに舞い込んできた先生からの連絡事項。それはテンさんのトレーナーである誠司さんからのテンさんが無事だという報告だった。

 この数日間、レース中に骨折したテンさんのその後の情報は全くと言っていいほど出回らなかった。唯一与えられた情報は手術をしたということ、そして手術を担当した病院の院長からのテンさんの手術は成功したという声明のみ。正直言って、情報が足りなさ過ぎて信憑性を疑っていた。別に院長の人を疑っているわけじゃないのだが、この目で無事を確認するまではオレの不安は尽きなかった。

 そんなところに舞い込んできたテンさんを担当している誠司さん直々の無事であるという言葉。あの人もこの数日間学園で見なかったが、きっとテンさんの側にいたのだろう。そんな人がテンさんは無事であると言ったのだ。今までのどの情報よりも信憑性は高かった。ただ、お見舞いのために病院の場所を聞こうとしたら先生もテンさんがどこに入院しているかは知らないということで、お見舞いに行けないのは少し残念だったが。

 少し残念に思いながら授業の準備をしていたところ、オレたちの教室にハイセイコー先輩が訪れた。先輩に連れられるまま、グラスとカイザーとともに生徒会室へと向かったオレは先輩から衝撃的なことを告げられる。

 

 

「さて、君たちを呼んだのは他でもない。今からテンポイントが入院している病院へ向かうよ。迎えのものが来るまでここでお話でもして待とうじゃないか」

 

 

「「「…えっ?」」」

 

 

 オレ達は揃って間抜けな声を上げたが、それも仕方ないだろう。無理だと思っていたテンさんのお見舞いに今から行こうと言われたのだから。

 驚きを隠せないまま、オレはハイセイコー先輩に尋ねる。

 

 

「ちょ、ちょっと待ってくださいよハイセイコー先輩!テンさんが入院している病院って秘匿されてるんですよね!?どうしてハイセイコー先輩が知ってるんですか!?」

 

 

 オレがそう尋ねると、ハイセイコー先輩はこともなげに答える。

 

 

「あぁ、答えは単純だよトウショウボーイ。私は昨日お見舞いに行ったからね。神藤さんに連れられてね。私が思っていたよりも、元気そうだった。だから君たちにも早く会わせてあげたいと思ってね。尤も、神藤さんもそのつもりだったらしいけど」

 

 

 その言葉に、オレは開いた口が塞がなかった。あんなに情報が出回らなかったのに、今日だけで色々と情報が増えてきている。正直、どうして教えられたのかという疑問は尽きなかったが、頭が混乱してそれどころじゃなかった。そして、生徒会室の扉が開かれて誰かが入ってくる。入ってきた人物はクインだった。

 

 

「あ、あの、ハイセイコー様。お呼び出しされてきたのですが、一体私に何の御用でしょうか……ってトウショウボーイ様たちもですか?」

 

 

「呼び出してすまないねシービークイン。何、今からみんなでテンポイントのお見舞いにでも行こうと思ってね。今は準備待ちさ」

 

 

 ハイセイコー先輩の言葉にクインも驚いた表情を見せる。そして、オレと同じことを聞いて同じように返されていた。

 そのまま待つことしばらく、生徒会室にまた人が訪れた。誠司さんだ。

 

 

「よし、みんな揃ってるようだな。なら早速向かうぞ」

 

 

「す、すいません神藤さん。色々と聞きたいことがあるのですが……」

 

 

 そうカイザーが質問する。

 

 

「詳しい話は道中話そう。俺に着いてきてくれ」

 

 

 色々と聞きたいことはあるが、誠司さんの言う通り道中聞けばいいだろう。オレ達は誠司さんに連れられるまま、テンさんがいるという病院へと車で向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「着いたぞ。ここがテンポイントの病室だ」

 

 

「「「……」」」

 

 

 車で揺られながらそれなりの時間が経って、今オレ達はテンさんの病室の前にいる。向かっている車内で、誠司さんからこれまでのことを聞いた。

 あの後テンさんがどうなったのか。テンさんの手術は本当に成功したのか。そして、どうして今まで情報が出回らなかったのか。その質問の1つ1つに誠司さんは丁寧に答えてくれた。

 まず、テンさんが無事ということと手術が成功したことは本当のことらしい。テンさんの状態を聞こうと思ったが、後のことは本人に会って確認してくれと言われたのでそれ以上は聞かなかった。

 そして情報が出回らなかったのはマスコミが踏み入ることを考えてのことらしい。理由を聞かされて納得した。思えばテンさんはマスコミに対して良い感情を抱いていない。けれど、テンさんが入院している病院の情報が出てきたら間違いなく記者の人たちはここに来るだろう。ただでさえストレスをかけられない状態なのに、ストレスがかかるような状況にするのは誠司さんも本意じゃないだろう。本人は苦笑い気味に答えていたが。

 加えて、オレ達に病院の場所は誰にも喋らないようにと厳命してきた。勿論、誰にも話すつもりはない。オレ達は誠司さんの言葉に力強くそう答えた。

 いざ病室に入ろうとすると、誠司さんとハイセイコー先輩はその場を後にしようとする。

 

 

「私は昨日来たからね。今日は君たちだけで話してくれ」

 

 

「俺は今後のことを先生と話さないといけないからな。友達同士、積もる話もあるだろう」

 

 

 そう言って2人はどこかへと行ってしまった。オレ達だけが取り残される。

 

 

「ど、どうしましょう……誰が開けますか?」

 

 

「……私はちょっと、怖いかな~」

 

 

「大丈夫だグラス。多分ここにいるみんなそう思ってる」

 

 

「ト、トウショウボーイ様……」

 

 

 正直言って、オレ達は戸惑っていた。テンさんのところに行こうとも、情報がないからどうしようもない数日を過ごしていたのに、気づけばこうやってテンさんに会えることができたのだ。困惑するのも無理はないだろう。

 ……オレは覚悟を決める。

 

 

「……オレが開ける」

 

 

「大丈夫ですか?ボーイさん」

 

 

「大丈夫だ」

 

 

 正直、怖い。今見ているのは夢で、この扉を開けた瞬間夢から醒めて自分のベッドの上で目を覚ますんじゃないか?そんなことを考えてしまう。

 オレは、病室の扉に手をかける。心臓の音がうるさい。手から汗が止まらない。オレは、意を決して扉を開いた。オレ達の目に飛び込んできたのは、

 

 

「……ん?おぉ!みんなきおったんか!なんもないとこやけど、ゆっくりしてき!」

 

 

ベッドの上で、新聞を読んでいるテンさんの姿だった。入室してきたオレ達に、新聞を読むのを止めてゆっくりするように告げる。近くにあるテーブルにはテンさんの好物である牛乳パックが置いてあった。時折飲んでいたのだろう。パックは空けられている。骨折した左足はギプスで固定されていた。ただ、それ以外は特に目立ったところはなかった。元気そうにしている。

 

 

(無事だ……!本当に、本当に無事だったんだな!)

 

 

 オレは急いでテンさんの下に駆け寄る。涙が自然と流れた。テンさんの手を握る。温もりを感じる。これは夢なんかじゃない、現実だ。そのことに喜びを覚えながらオレはテンさんに話しかける。

 

 

「テンさん……ッ!テンさんッ!」

 

 

「はいはい。そんな何度も呼ばんでも聞こえとるで?」

 

 

「良かった……、良かったよぉ……ッ!オレ、オレぇ……ッ!」

 

 

「……心配かけて、ごめんな。みんな」

 

 

 オレだけじゃない。グラスも、カイザーも、クインも。みんな涙を浮かべていた。それだけ嬉しいのだろう。

 そこからは他愛もない話をした。学園でのこと、日常でのこと、今まで心配していた気持ちを払拭するために、色々なことを話した。

 

 

「いや~本当に良かったよ~。ボーイちゃん練習にも身が入ってなかったみたいだからね~」

 

 

「そうなんか?」

 

 

「ちょ、グラス!それは言うなって!」

 

 

「いやいや~、東条トレーナーにしばらく練習に来なくていいって言われてたらしいからね~。あ、これハイセイコー先輩情報~」

 

 

「テメェグラス!グラスだって同じだろ!沖野トレーナーが言ってたぞ!練習中もどこか上の空だったって!」

 

 

「ちょっと!?それは言わないでって言ったでしょ!」

 

 

「なんやなんや~?みんなしてボクんこと大好きか~?」

 

 

「それだけ心配だったんですよ、テンポイントさん。私も、どこか練習に身が入ってないってタケホープ先輩に……ッ!うぅ、思い出すだけで身震いが……ッ!」

 

 

「クライムカイザー様は本当にタケホープ様に何をされているのですか!?」

 

 

 そんな他愛もない話をしている。

 そんな時、急にカイザーが真面目な表情でテンさんに尋ねる。

 

 

「テンポイントさん。1つ、いいでしょうか?」

 

 

「ええで。なんでも聞き」

 

 

 テンさんの言葉を聞いて、一拍おいてからカイザーは質問した。

 

 

「テンポイントさんは、また走ることはできますか?」

 

 

 オレは息を呑んだ。グラスも、クインも一緒の気持ちだろう。それは、聞こうと思っていたけれど、聞くのを憚られた質問だった。

 だがテンさんは思ったよりもあっけらかんと答える。

 

 

「走れるらしいで。治るまでの辛抱やな」

 

 

 その言葉にオレは安堵した。良かった、テンさんはまた走れるみたいだ。そのことに喜びを覚える。

 しかし、カイザーはそう思っていないのか厳しい表情をしたままだ。嬉しくないのだろうか?そう思っているとカイザーが話を続ける。

 

 

「……質問を変えましょう、テンポイントさん。元のように走ることはできますか?」

 

 

「ど、どういうことだよカイザー?」

 

 

 オレはカイザーの言葉に思わずそう聞き返す。しかし、

 

 

「……お見通し、っちゅうことか」

 

 

テンさんは、観念したようにそう言った。そして、オレ達に衝撃の事実を告げる。

 

 

「走ることは可能や。やけど、レースの世界に戻るんは諦めた方がいい、先生はそう言うとった。良くて今までの3、4割ほどの力でしか走れんってな。元のように走るんは難しいって告げられたわ」

 

 

 その言葉に、オレの頭は冷水をかけられたように急激に冷えていく。戸惑いが支配する。

 

 

(……嘘だろ?じゃあ、テンさんはもう……)

 

 

 レースの世界に帰ってこれない?さっきまで喜んでいた気持ちがどんどんなくなっていく。心にぽっかりと穴が空いたような感覚になった。

 

 

「まあやけど」

 

 

 テンさんの言葉を最後まで聞くことなくオレはテンさんを問い詰める。

 

 

「どういうことだよ!?なんだよレースで走るのを諦めた方がいいって!」

 

 

「ボーイちゃん落ち着いて……」

 

 

 グラスがオレを止めようとしてくる。けれど、オレはお構いなしにまくし立てる。

 

 

「テンさん言ってたじゃねぇかよ!また一緒に走ろうって!」

 

 

「ボーイさん……」

 

 

「ゆびきりまでしたのに……ッ!あの言葉は嘘だったのかよ!?」

 

 

「トウショウボーイ様……」

 

 

 正直、テンさんに言ったってしょうがないことは分かってる。でも、オレは気持ちを抑えられなかった。

 オレがそうまくし立てていると、テンさんがオレに話しかける。

 

 

「まあボーイ、ちょい屈め」

 

 

「……なんだよ」

 

 

 オレは言われた通りに屈んだ。テンさんと同じ目線の高さになる。すると、

 

 

「ちったぁ……落ち着けや!」

 

 

「痛ったァ!?」

 

 

そう言いながらオレに思いっきりデコピンしてきた。そのままオレに続ける。

 

 

「人ん話は最後まで聞けや!いきなりまくし立ておって!シバくで!」

 

 

「テンポイント様!もう手を出しています!」

 

 

 デコピンされた痛みに悶えているオレを尻目にテンさんは話を続ける。

 

 

「あくまで先生から言われたんは、元のように走るんは難しいってだけや。可能性がないわけやない」

 

 

「……そうなの~?」

 

 

 可能性がないわけではない。その言葉に少しだけ希望が見えた気がした。オレはテンさんに尋ねる。

 

 

「……ちなみに、何パーセントぐらいなんだ?元のように走れる確率は?」

 

 

「……良くて数パーセント。あっても1パーセントか2パーセント言うとった。加えて、下手したら二度と走れんくなるとも」

 

 

 だが、見えた希望もすぐに無くなった。オレの心に暗い影が落ちる。

 

 

(1パーセントか2パーセントって……そんなのないも同然じゃねぇか……ッ!)

 

 

 しかも、下手したら二度と走れなくなる可能性もある。もう、レースの世界に帰ってこないと言っているのも同然だった。気持ちがどんどん落ち込んでいく。

 そんなオレを尻目に、カイザーがテンさんに質問する。

 

 

「……それで?テンポイントさんはどうするんですか?」

 

 

 カイザーの言葉に、テンさんは決意のこもった目で答えた。

 

 

「決まっとるやろ。ボクはその可能性にかける。必ずレースの世界に復帰したるわ」

 

 

「……え?」

 

 

 テンさんはなにを言っているんだ?もう走れなくなる可能性もあるのに?それなのにテンさんは……。だが、カイザーはまるでそう答えると分かっていたように苦笑いを浮かべていた。

 

 

「まあ、テンポイントさんならそうしますよね」

 

 

「だね~。これがテンちゃんって感じだね~」

 

 

「そうですね。テンポイント様、頑張ってください」

 

 

 オレは驚いているのに、みんなはそう答えていた。そして、テンさんが告げる。

 

 

「ボクは必ずターフに戻ってくる。やから、首洗って待っとき!」

 

 

 その言葉を最後に、オレ達の面会は終了した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕暮れ時、オレ達は久しぶりにみんなで帰っていた。練習はみんな休みである。偶然もあるもんだと思いながら帰っていた。話題は今日の面会でのことだ。オレはみんなが話しているのをただ聞いているだけだった。

 グラスからの提案で公園で一休みしているオレにカイザーが心配そうな表情で尋ねる。

 

 

「どうしたんですか?ボーイさん。面会の後から元気なさそうですけど」

 

 

「……いや、さ」

 

 

 オレは思っていることをみんなにぶちまけた。面会で言っていたテンさんの言葉。必ずレースの世界に復帰するという言葉。オレはその言葉を信じきれずにいた。

 

 

「テンさんはああ言ってたけど、本当にレースの世界に戻ってくんのかなって……」

 

 

「……何言ってるの~?」

 

 

「だって、そうだろ?医者の人は復帰は絶望的、諦めた方がいいって言われてんだぜ?だったら……」

 

 

 諦めた方がいいんじゃないだろうか?そう思ってしまったのだ。口には出さなかったが。

 そんなオレの前に、クインが立った。

 

 

「トウショウボーイ様、少しよろしいでしょうか?」

 

 

「……どうしたんだよ?クイン」

 

 

 オレがそう返事をすると、突然乾いた音が鳴った。その発生源は、オレの頬。今、叩かれたのだ、クインに。そんなに力は込めていないのだろう。痛くはなかった。

 

 

「クイ、ン?」

 

 

 オレが戸惑っていると、クインは睨むようにオレを見ながら告げる。

 

 

「トウショウボーイ様、あなた様の知るテンポイント様は、そこまで弱いお方でしょうか?骨折をしたから、お医者様から諦めろと言われて、素直に諦めるようなお方だったでしょうか?」

 

 

「……」

 

 

 違う。

 

 

「少なくとも、私の知るあのお方はそのような人物ではありません。どなたからか諦めろと言われて引き下がる、そのような人物ではありません」

 

 

 そうだ。

 

 

「学園のどなたよりも負けず嫌いで、学園のどなたよりも諦めが悪い。それでいて、気高いお方。私の知るテンポイント様はそのような人物でございます」

 

 

 そうだ。テンさんはどこまでも負けず嫌いだ。それは、今までのレースでよく分かっている。

 厳しい表情を崩して、笑みを浮かべながらクインは続ける。

 

 

「だからこそ、私は分かっておりました。テンポイント様ならば、たとえどれだけ可能性が低くとも走るための道を選ぶと。それはクライムカイザー様も、グリーングラス様も同じ気持ちだったのでしょう」

 

 

「はい。テンポイントさんならそうすると、リハビリをする道を選ぶと思っていました」

 

 

「そうだね~。テンちゃんとっても負けず嫌いだから~」

 

 

 ……けど、オレは違った。勝手に諦めたと思い込んで、オレ達を心配させないようにと、空元気だと思い込んでいた。

 

 

「それに、あのお方は約束を必ず守るお方です。そのことは、トウショウボーイ様もよく分かっているのではないでしょうか?」

 

 

「……あぁ、そうだ」

 

 

 オレは、気づかないうちに悪い方向にばっか考えちまっていた。

 

 

「一緒に走る、そう約束したのであればテンポイント様は必ずその約束を守ります。それに、あのお方は……」

 

 

 だから、大事なことを忘れちまっていた。

 

 

「トウショウボーイ様のご友人で、一番のライバルではありませんか。ならば、復帰する。そう宣言したテンポイント様を信じてあげるべきではないでしょうか?」

 

 

 あの人は、テンさんはこれくらいで諦めるようなヤツじゃねぇってことを!

 

 

「……そうだよ。そうじゃねぇかよ……ッ!」

 

 

 今の自分が恥ずかしかった。友達のことを信じてあげられない、そんな自分が堪らなく恥ずかしかった。オレはみんなに頭を下げて謝罪する。

 

 

「わりぃ!オレ、いつの間にか悪い方向にばっか考えちまってたみてぇだ……ッ!そうだよな、テンさんが諦めるわけねぇよな!」

 

 

 今まで沈んでいた気持ちがドンドン上がっていくのを感じる。もうテンさんが復帰しないんじゃないかという気持ちは完全に消えていた。そんなオレの様子をみんなは温かい目で見ている。

 

 

「良かった、いつものボーイさんですね」

 

 

「はい。それでこそトウショウボーイ様です」

 

 

「そうそう~。ネガティブになるのはカイザーちゃんだけで十分だよ~」

 

 

「ちょっと!?どういう意味ですかグラスさん!」

 

 

 そうしてオレ達は笑いあった。

 

 

「申し訳ありませんトウショウボーイ様。頬を叩いてしまって……」

 

 

 クインがオレにそう謝罪する。だが、オレからしたらクインのおかげで元の調子に戻れたのだ。

 

 

「いいよクイン。クインが叩いてくれたおかげで、オレの目は覚めたんだ。だから、ありがとうクイン!」

 

 

「……はい!」

 

 

 その後オレ達はそれぞれの帰路につく。そこにはもう不安な気持ちは一切ない。テンさんがレースに復帰するその日まで走り続ける。オレはそう決めた。




最近忍者と極道を全巻揃えました。面白いのでお勧めです。


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第94話 記者会見

記者の人たちに説明する回


 トウショウボーイたちをテンポイントの病室へと送り届けてから、俺は今後のためにテンポイントの担当を務めてくれる医者の人の下へと訪れていた。

 

 

「今日はよろしくお願いします、先生」

 

 

「こちらこそ、よろしくお願いします。神藤トレーナー。最後に確認しますが……、本当によろしいのですね?」

 

 

 先生は神妙な顔つきで俺にそう聞いた。おそらくだが、本当にレースの世界へ復帰するためのリハビリをするかの最後の確認だろう。

 俺とテンポイントはすでに覚悟を決めている。深く頷いて答える。

 

 

「はい。レースの世界に復帰する、それが俺達の総意です」

 

 

「……すでに聞いているとは思いますが、リハビリの道は過酷を極めます。成功する確率は限りなく低い、仮に成功しても全力で走れるかは分からない、テンポイントさんの脚は今、そのような状態となっております。まるで、彼女の脚が復帰するのを拒むように」

 

 

「……」

 

 

「最悪の場合、走れなくなる可能性も0ではありません。それでも、あなたたちは復帰することを望みますか?」

 

 

「はい」

 

 

 俺達はすでに決意を固めてある。たとえどれだけ可能性が低くても、その可能性にかける。あの日俺達はそう決めた。

 先生も俺の決意が固いことが伝わったのか、頷きながら続ける。

 

 

「分かりました。それでは当院も最大限のサポートをしていきます。テンポイントさんがまたレースで走るれるようになることを目指して」

 

 

「ありがとうございます」

 

 

 俺は頭を下げてお礼を言った。顔を上げて先生の表情を見ると笑みを浮かべていた。

 

 

「いえ、これも私たちの仕事ですから。それでは今後のことになるのですが……、リハビリの開始は骨が癒着するまでは行いません。なので、レントゲンで確認しながら適切なタイミングでリハビリを始めていきます」

 

 

「分かりました」

 

 

「そして、骨が癒着したらリハビリの開始となります。再三になりますが、過酷な道のりになりことを覚悟しておいてください。それほどテンポイントさんの骨折が酷いということでもありますし、これから先何が起こるのかも分かりません。この骨折自体、不思議な現象ですからね」

 

 

「……そうですね。向こうの先生からはまるで骨折することが運命だった、なんて言われましたよ」

 

 

 俺の言葉に先生は複雑な表情を浮かべていた。

 

 

「私もあのレース映像を見ましてね。あまりこう言いたくはないのですが……、その人には同意せざるを得ません。調子も悪くない、出走前のメディカルチェックのデータを見せてもらいましたがそれにも問題はなかった。なら後に残っているとすれば雪に脚を取られた、天候の問題等が挙げられますが……」

 

 

 先生はそのまま続ける。悔しそうな表情を滲ませて。

 

 

「雪が積もっているようには思えませんでした。脚を取られた可能性は論外、天候に関してもそれで崩れるほどのウマ娘でもないでしょうし、本当にあのレースで骨折することが運命だった……としか言いようがありません。医者として、情けない限りです」

 

 

「いえ、先生たちには本当にお世話になっています。こうして、テンポイントと話せているのは先生たちが尽力してくれるおかげですし、希望が見出せたのも先生たちのおかげですから」

 

 

「……そう言ってくれるとありがたい限りです」

 

 

 そこからは細かいリハビリの内容などを確認し、続きは本格的にリハビリが始まった時にテンポイントを交えて、ということで解散となった。俺は途中ハイセイコーと合流し、テンポイントの病室にいるトウショウボーイたちを回収して学園へと戻る。帰る時、トウショウボーイだけ浮かない表情をしていたのが気になったがきっと大丈夫だろう。アイツには頼れる友達がいるのだから。だからこそ、何があったかは聞かなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トウショウボーイたちのお見舞いから明けて次の日。俺は記者会見の会場に来ていた。ここに来ている理由はただ1つ。テンポイントの現状を記者の人たちに話すためだ。

 付き添いで来ているたづなさんは不安そうな表情をしている。

 

 

「……神藤トレーナー、本当によろしいのですか?」

 

 

「はい。テンポイントのトレーナーとして、私には説明する義務がありますから。今まで学園に来ていたマスコミの対応、ありがとうございました」

 

 

「いえ、それが我々の仕事でもありますから」

 

 

 たづなさんはそう言った。

 そして、準備が整ったということで俺は記者の人たちが待つ場へと足を踏み入れる。俺が入ってきた瞬間、カメラのフラッシュがたかれた。少し眩しさを感じたが、特に気にならない程度だ。カメラも回っている。生放送でもされているのだろうか?それだけテンポイントのことが気になるのかもしれない。

 マイクが置かれている場所まで移動し、一礼する。そのまま、告げる。

 

 

「本日はお集まりいただき、ありがとうございます。今回この場を用意させてもらったのは他でもありません。テンポイントの現在の状態についてお話しするために、この会見を開かせていただきました」

 

 

 その言葉を発してすぐ、記者の1人から質問が飛んでくる。

 

 

「単刀直入にお聞きします!テンポイントさんの現在の状態はどうなっているのですか!?」

 

 

 その質問に俺はすぐさま回答する。冷静さを保ちながら。

 

 

「テンポイントは手術も成功し、今は病院にて療養中となっております。担当してもらいました医師の方は命に別状はない、そう仰っていました」

 

 

「どの病院に入院しているかをお教えください!」

 

 

 正直来ると思っていた質問だ。俺は首を横に振りながら答える。

 

 

「その質問にはお答えできません。理由としましては、病院の情報を公開して多数の人間がその病院に足を運ぶのを防ぐためです。病院にはテンポイントだけではなく、他の患者さんも入院していますので、その方々のご迷惑とならないようにするためにもお教えするわけにはいきません。なので、もしこの病院ではないだろうか?という目星がついたとしても、足を運ぶようなことがないようにお願いいたします」

 

 

 そう言いながら俺は一礼する。質問をした記者は理由を聞いて納得したのか大人しく引き下がった。

 次の質問が飛んでくる。おそらく、皆が最も聞きたいと思っていたことだろう。そんな質問だった。

 

 

「神藤トレーナー!今回のテンポイントさんの骨折の原因は何でしょうか!?詳しくお聞かせください!」

 

 

 その質問にも、何とか冷静さを保ちながら答える。

 

 

「……原因は不明です。あの日のテンポイントは体調も問題なく、メディカルチェックも問題はないと、そう診断されていました。だからこそ私は出走を決め、テンポイントもそれに従いました。当日は雪が降っていましたが、雪に脚を取られたというわけでもなく天候が問題だったというわけでもありません」

 

 

「ではどうして!?」

 

 

 俺が聞きたい。そう言いたくなる気持ちを必死に抑えて答える。先生たちに聞いた言葉をそのまま。

 

 

「まるで、あのレースで骨折することが運命だったと……。手術を担当した先生と現在の入院先の先生はそう仰っていました。なので、詳しい原因については私にも分からないというのが現状です」

 

 

「そんな……」

 

 

 記者の人は項垂れた様子を見せる。気持ちは分からないでもない。骨折の原因が不明と言われて、さらにはオカルトじみたことを告げられたら残念な気持ちにもなるだろう。だが、俺にはそう言うしかない。

 次の質問が飛んでくる。

 

 

「今回のことについて、ファンの方々に何か一言、お願いします」

 

 

「はい」

 

 

 俺は一拍おいて答える。

 

 

「これはネットで呟かれていた言葉になりますが……、ファンの方々が無理強いをしたからテンポイントの骨折に繋がった、あのレースには出走するべきではなかった、そのまま海外に飛び立つべきだった、ファンの人たちは反省してほしい……。そんな心無い言葉が見受けられました」

 

 

 記者の人たちは揃って顔を俯かせる。心当たりがあるのだろう。テンポイントが出走したことの原因に。そのまま俺は言葉を続ける。

 

 

「ですが、今回のレースに出走すると最終的な判断を下したのは私です。テンポイントも、そのことに納得して走ることを決めました。確かにファンの言葉を受けて出走を決めたのは事実です。しかし、あくまで最終的な判断をしたのは私であり、ファンの方々が悪いわけではないということを皆さん忘れることがないようにお願いします」

 

 

 これは俺の本音だ。そもそも、誰がこのような結末を迎えるなどと予想できただろうか?誰も予想がつかなかっただろう。それに、日本を飛び立つ前にテンポイントのレースを見たいという気持ちは分からないでもない。だから、ファンの人たちが悪いわけではない。俺はそう思っていた。

 その後は細々とした質問が続く。そして、残り時間が少なくなってきたというところでその質問が飛んできた。

 

 

「テンポイントさんは、レースの世界に復帰できるのか、お聞かせ願えますか?」

 

 

 その質問に、俺は一瞬だけ目を閉じる。意を決して口を開く。

 

 

「……手術を担当した先生、入院先の先生。両名が仰るには、レースの世界に復帰するのは極めて難しいと。そう仰っていました。リハビリをしても可能性はないに等しい、下手をすれば二度と走れなくなる、絶望的な状況だとそう告げられました」

 

 

 俺の言葉に記者の人たちは明らかに落胆したような表情を浮かべていた。きっと、この会見を見ているテレビの前の人たちも同じ気持ちになっているだろう。

 

 

「……では、テンポイントさんはこのままドリームトロフィーリーグに進むことなく引退だと。そういうことになりますか?」

 

 

 なんとか声を絞り出したのだろう。記者の1人がそう質問する。それに俺は首を横に振って答える。

 

 

「いいえ。私とテンポイントが出した結論といたしましては、レースの世界に復帰すると。そう2人で決めました。どれだけの時間がかかるかはまだ分かりませんが、ひとまずは復帰を目指してリハビリをする、そう決めました」

 

 

 その言葉に、会場は驚きの声が上がった。そして、次々と悲鳴のような声を上げて俺を糾弾する。

 

 

「しかし!可能性はないに等しいのでは!?」

 

 

「あくまでないに等しいだけです。完全に0というわけではありません」

 

 

「走れなくなる可能性もあるんですよ!?」

 

 

「全て覚悟の上です。私も、テンポイントも」

 

 

「担当が不幸になろうとしているのに……!アンタそれでもトレーナーか!」

 

 

「まだ不幸になると決まったわけではありません。極めて難しいだけで幸せになる可能性もあります。そして、皆様にまず誤解しないでいただきたいのでは復帰すると決めたのは私だけではなく、そしてテンポイントだけでもありません。我々2人が話し合って決めたことです」

 

 

「担当ウマ娘が走れなくなるかもしれないんだぞ!無茶を止めるのがトレーナーの仕事だろ!何考えてるんだ!」

 

 

 その言葉に、俺は心の中で嘆息しながら答える。

 

 

「無茶を止める……。確かにそうかもしれません。本来であれば止めるべき立場なのは重々承知しています。過酷なリハビリ、それに耐えても本来のように走れるかは分からない。そもそも、復帰できる可能性もよくて数パーセントと宣告されています」

 

 

「だったら!」

 

 

「ですが」

 

 

 俺は記者の言葉を遮るように続ける。

 

 

「私は、トレーナーの本懐はウマ娘の夢を、彼女達が決めたことを全力で支えることにあると思っています。担当がこのレースで勝ちたいと願うのであれば全力でサポートをし、担当が復帰を願うのであればその側で支え続ける。彼女たちが望んだことを叶えるための手伝いをすることこそが、トレーナーなのだと。私はそう思っています」

 

 

 俺の言葉に記者の人たちは言葉を失っている。最後とばかりに俺は記者の人たちに告げる。

 

 

「確かに可能性は限りなく低いのかもしれません。しかし、テンポイントが、私の担当が復帰することを望んだのであれば私はそれを全力でサポートすると、そう覚悟を決めています」

 

 

「め……」

 

 

 滅茶苦茶だ。おそらくそう言おうとした記者の人の言葉を遮って、その人物は大声を上げた。

 

 

「素晴らしいですッ!」

 

 

 いきなりの大声に驚いている記者が散見される。俺はその声を上げた人物の方へと視線を向ける。確かあの人は……。

 

 

(俺のことを好意的に書いてくれている出版社の1人だな)

 

 

 テンポイントのクラシック級からシニア級の最初の頃、俺のことを酷評する雑誌が多い中で数少ない俺のことを好意的に書いてくれていた出版社の記者だった。インパクトが強かったので覚えている。確か、乙名史さんと言っただろうか?

 乙名史さんはそのまま言葉を続ける。

 

 

「担当ウマ娘の夢を叶える手伝いをすることこそがトレーナーの本懐……ッ!私、感服致しました!」

 

 

「ありがとうございます」

 

 

「つまり神藤トレーナーはこう言いたいのですね!担当ウマ娘が望むのであれば例え火の中であろうと水の中であろうと突き進み!脚を癒すためならどんな名湯へと訪れることを厭わず!水を飲みたいと望んだのであればアルプスの山まで汲みに行くことすら苦ではないと!そう仰りたいのですね!?」

 

 

 乙名史さんの言葉に記者の人たちが困惑したような表情を見せている。おそらく、全員の心は一致したことだろう。絶対そこまで言ってないだろ……、と。

 俺は乙名史さんの言葉に頷きながら答える。

 

 

「勿論です。テンポイントが牛乳を飲みたいというのなら北海道まで調達しに行きますし、テーマパークを貸し切ってくれというのであれば貸し切りましょう。私の貯金全額使うことになっても躊躇いはありません」

 

 

 俺がそう言うと、乙名史さん以外の記者の人たちは絶句していた。しかし、俺の言葉に嘘偽りはない。テンポイントのためならばどんなことでもする覚悟だ。

 そして、当の乙名史さんはすごくいい表情を浮かべている。

 

 

「あぁ……ッ!やはり私が見込んだ通りのお方でした……ッ!あなたは素晴らしいトレーナーです!」

 

 

「ありがとうございます」

 

 

 そして、これを最後に会見が終わった。記者の人たちは撤収していく。最後に乙名史さんが俺にまた取材の許可を求めてきたので承諾した。乙名史さんは嬉しそうにしていた。

 全員帰って、静まり返った会場でたづなさんが俺に尋ねてくる。

 

 

「……さすがにご冗談ですよね?先程の言葉」

 

 

「テンポイントが望むのであればやりますよ」

 

 

「やめてくださいね?本当に」

 

 

 そう釘を刺された。




秋アニメ始まりましたね。うまゆるの放送を楽しみにしています。


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第95話 ゆっくりと

入院しているテンポイント回


 ボーイたちがお見舞いに来た日から明けた次の日、ボクは病室で暇を持て余していた。トレーナーが来るのは早くても正午過ぎ、ボーイたちもさすがに昨日の今日でお見舞いには来ないだろう。ハイセイコー先輩も忙しいだろうし来ないのはほぼ確定。後来るとすればキングスかお母様なのだが、キングスは放課後になるまで来ないだろうし、お母様も今日は来れないと事前に連絡が来ていた。つまり、

 

 

「あぁ~、暇や~。めっちゃ暇や~」

 

 

ボクは何もやることがない。骨がまだ完全にくっついていないので絶対安静中の身では何もできない。今日の新聞も読み終わったし、トレーナーが持ってきた暇つぶしの漫画も読み終わってしまった。また新しく持って来てもらわないといけないと思いながら、ベッドの上で嘆く。

 しかもこの病室、ボク1人しかいないという個室待遇だ。しかも他の個室よりも上の階に位置している。なぜわざわざこのような個室を用意したのだろうか?トレーナーに聞いてみたところ、

 

 

『秘匿性を考えたら個室一択だからな。寂しいだろうが我慢してくれ』

 

 

らしい。まあ、マスコミが踏み入る可能性を考えたら仕方ないと言えば仕方ないのかもしれない。ボクは今日何度目になるか分からない溜息をついてゆっくりと過ごす。

 

 

(しゃあないとは言え、ホンマに暇やなぁ)

 

 

 早く骨折が治ってほしいと思いながら過ごしていると、病室の扉が開く音がした。トレーナーは用事があるからこの時間には来れない、ボーイたちはまだ授業中だろうから来れない。じゃあ一体誰だろうか?そう思っていると、ボクの前にジョージが姿を見せた。思わず驚いてしまう。驚いているボクを尻目にジョージはボクのところへと近寄ってくる。そして、いつもと変わらない調子で挨拶をした。

 

 

「やほー テン坊」

 

 

「あ、あぁうん、おはようジョージ……やなくて!授業はどうしたんや!?」

 

 

「単位 だいじょぶ もーまんたい」

 

 

「そういう問題やないやろ!?」

 

 

 しかし、ジョージはまるで気にしないように寛ぎ始める。何を言っても無駄だろう。そう思ったボクは諦めることにした。それに、ジョージが来たことで退屈だった時間が無くなった。授業をサボっていることはあまり褒められたことではないが、そのことには感謝しなくてはならない。

 するとジョージは思い出したかのように鞄を掲げる。

 

 

「そだ。許可 ある」

 

 

「うん?授業を休む許可もろうてたんか?」

 

 

「そ。テン坊 届け 頼まれた。だから もーまんたい」

 

 

「あー、そういうことやったんか」

 

 

 どうやらジョージは授業をサボったわけではなく、ボクに色々なものを届けるためにちゃんと先生に許可を貰ってここに来たらしい。何故ジョージに頼んだという問題も、ボクとジョージが寮で同室だから、ということで納得できる。ならば問題ないだろう。

 ボクは時間を確認するために時計を見る。

 

 

(もうそろそろやな)

 

 

 そう思いながらボクはジョージに頼みごとをする。

 

 

「ジョージ、ちょいええか?」

 

 

「なに?」

 

 

「テレビつけてくれへんか?見たいもんがあんねん」

 

 

「らじゃー」

 

 

 そう言ってジョージは近くにあったテレビのリモコンを操作してテレビをつける。そしてボクの言ったチャンネルに切り替える。テレビには、見覚えのある姿が見える。ボクのトレーナーだ。

 

 

「神藤だ」

 

 

「せや。今日記者会見やる言うてたからな」

 

 

「合点」

 

 

 見たい番組というのは、ボクの現在の状態を報告するためにトレーナーが開くと言った記者会見である。ボクは緊張しながらその会見を見ている。

 

 

(トレーナーは大丈夫言うてたけど……。やっぱり心配や、非難の矛先がトレーナーに向く思うたら……)

 

 

 おそらくだが、今回のレースの出走を決めたとしてトレーナーは非難されるだろう。ボクはそう考えていた。元々ファンの人たちの声援を受けて出走を決めたとはいえ、最終的に出走すると判断したのはトレーナーだ。そのレースで骨折したのだから、マスコミしたら格好の的だろう。今までの記者のイメージからして、絶対に批判の的にされる。そう思っていた。

 だが、いざ会見が始まってみると思ったよりも非難はされていなかった。ボクの近況や骨折の原因など、質問に関してもボクのことが中心でありトレーナーの責任を問うような質問は一個も飛んできていない。

 

 

(まあ、ボクの近況を説明するための会見言うてたし当たり前か……)

 

 

 肩透かしを食らったような気分だが、ボクは安堵する。ジョージはあまり興味なさそうに見ていた。

 そして、会見の時間も終わりが近づいてきた頃、その質問がトレーナーに投げかけられた。

 

 

《テンポイントさんは、レースの世界に復帰できるのか、お聞かせ願えますか?》

 

 

 その記者の言葉に、ボクは再度緊張する。それは、トレーナーが一番非難されるであろうと危惧していた質問だった。

 レースの世界に復帰するのは2人で決めたことだが、復帰できる可能性は極めて低い上に下手をすれば二度と走れなくなるというおまけつきだ。それを覚悟の上でボク達はリハビリすることを決めたのだが、記者たちからすればそんな事情はお構いなしだろう。

 テレビの向こうのトレーナーも、ボクの状態がどれだけ悪いのか、復帰するのにかなりのリスクがあるということを説明している。そして、記者の人がドリームトロフィーリーグに進むことなくこのまま引退するのか?という質問を投げかけた。それに対して、トレーナーは毅然とした態度で答えている。

 

 

《いいえ。私とテンポイントが出した結論といたしましては、レースの世界に復帰すると。そう2人で決めました。どれだけの時間がかかるかはまだ分かりませんが、ひとまずは復帰を目指してリハビリをする、そう決めました》

 

 

 そう発言した瞬間、記者の人たちは皆一様に驚いた表情を見せる。一瞬の静寂が訪れた後、危惧していた通りトレーナーに対して批判の声が集中した。

 ボクの将来を潰すつもりか、ボクが不幸になってもいいのか、そんなに可能性が低いのだからやる意味はない、このまま引退させるべきだ、担当の無茶を止めるのが仕事。そんな声がトレーナーに向けられている。その声にボクは思わず不快感を示す。事前に2人で決めたことと言っているのに、まるでトレーナーが一方的に決めつけたかのように糾弾している。

 ジョージも嫌なものを見る目でテレビを見ている。

 

 

「押しつけ 自分勝手」

 

 

「やな。ボクが無理矢理やらされとるとでも思うてるんやろ」

 

 

 しかし、そんな糾弾の声にもトレーナーは終始冷静に対応していた。そして、記者の人たちに告げる。

 

 

《無茶を止める……。確かにそうかもしれません。本来であれば止めるべき立場なのは重々承知しています。過酷なリハビリ、それに耐えても本来のように走れるかは分からない。そもそも、復帰できる可能性もよくて数パーセントと宣告されています》

 

 

《だったら!》

 

 

《ですが》

 

 

 トレーナーは記者の言葉を最後まで聞かずに答える。

 

 

《私は、トレーナーの本懐はウマ娘の夢を、彼女達が決めたことを全力で支えることにあると思っています。担当がこのレースで勝ちたいと願うのであれば全力でサポートをし、担当が復帰を願うのであればその側で支え続ける。彼女たちが望んだことを叶えるための手伝いをすることこそが、トレーナーなのだと。私はそう思っています》

 

 

 そして、おそらく自身の考えであろう言葉を記者の人たちに告げる。

 

 

《確かに可能性は限りなく低いのかもしれません。しかし、テンポイントが、私の担当が復帰することを望んだのであれば私はそれを全力でサポートすると、そう覚悟を決めています》

 

 

 その言葉に、会場にいる人たちは絶句していた。いや、1人だけ大声を出してトレーナーを称賛している。あの人は確か……。

 

 

(トレーナーのことをよく言うてくれとる記者の人やん。ボクも何回か会うたことあるな)

 

 

 乙名史さんだっただろうか?トレーナーに批判の声が集中していたボクのクラシック級からシニア級初期の時に、数少ないトレーナーのことを好意的に書いていた記者の人。たまにある妄想癖が玉に瑕だが基本的に良い人である。こちらが答えずらい質問はしてこないし、何よりこの人自身あまり批判的な内容は書かない。そのため、記者の人が苦手なボクもこの人は好意的に感じている。

 最後はトレーナーと乙名史さんのやり取りを信じられないものを見るような目で他の記者の人達が見る中、会見が終わりを告げる。そのまま別のニュースへと移っていった。

 ジョージが会見の感想をボクに言う。

 

 

「神藤 テン坊 大好き」

 

 

「まあ、最後のアレは冗談やと信じたいところやわ」

 

 

 トレーナーなら本当にできそうだというのが恐ろしい。そのため、冗談交じりで言おうとも思わなかった。実際にやった場合困るから。

 そのままジョージと他愛もない会話を続ける。その会話の時、ボクはふと言葉を漏らす。

 

 

「それにしても、ジョージももうちょい本気出してもええんちゃうか?」

 

 

「どゆこと?」

 

 

 ジョージは不思議そうな表情でボクを見る。ボクはジョージの疑問に答える。

 

 

「いや、ジョージが強いんは知っとるんやけど、ジョージの強さはムラがあるやん?」

 

 

「そだねー。その日 気分」

 

 

 おそらくその日の気分次第で走っている、と言いたいのだろう。それで勝てるとはどれだけのポテンシャルを持っているのだろうか?そう思ったが口には出さない。

 ボクはジョージに告げる。

 

 

「ジョージは強いんやから、たまには気分次第やない走りをしてもええんちゃうか?」

 

 

「うーん」

 

 

 ジョージは唸った後ボクに問いかける。

 

 

「テン坊 わたし 勝つ やったー?」

 

 

「当たり前やんか。ジョージが勝ったらボクは嬉しいで」

 

 

「わたし 勝つ もりもり?」

 

 

「むっちゃ元気貰えるで」

 

 

「そう 分かった」

 

 

 ジョージはそう答えるとボクに宣言する。

 

 

「わたし 勝つ だから テン坊 回復」

 

 

「うん。ボクも早く回復できるよう頑張るで」

 

 

「とりま 次 勝つ」

 

 

「日程次第ではボクは現地には行けへんけど、テレビで応援しとるで」

 

 

「残念 分かった」

 

 

 少しだけしょんぼりしたジョージはそれだけ言って、帰っていった。おそらく学園に戻るのだろう。ボクはテレビのリモコンを操作して興味を惹かれるような番組を探す。

 しばらく経つと、病室の扉を開けて誰かが入ってくる。入ってきた人物はトレーナーだった。

 

 

「よう、テンポイント。調子はどうだ?」

 

 

「よ、トレーナー。悪くないで」

 

 

「そうか。……ん?さっきまで誰か来てたのか?見慣れない荷物があるんだが」

 

 

「あぁ、さっきまでジョージが来とったんよ。ボクん荷物届けるためにな」

 

 

「そういうことか」

 

 

 そう言ってトレーナーは近くにあるソファに腰掛ける。ボクは先程の会見のことを話題に挙げる。嬉しさを感じながら。

 

 

「そうそうトレーナー、会見見とったで?ええこと言うやんか」

 

 

「嘘偽らざる俺の本音だよ。あれが俺のトレーナー観だ」

 

 

「分かっとるよ。いやぁ、それにしてもボクのためなら何でもする覚悟か~」

 

 

「何かしてほしいことでもあるのか?」

 

 

「う~ん……。ひとまず牛乳買ってきてもろうてもええか?そろそろなくなりそうやねん」

 

 

「分かった。じゃあ北海道に行く手配を……」

 

 

「いや、そこまでいかんでもいいから。普通の市販のやつでええから」

 

 

「冗談だよ。牛乳以外に何かあるか?」

 

 

「あの会見の後やと冗談に思えんのやけど……。後は暇つぶしに持って来てもろうた漫画全部読み終わったから他のがあるとありがたいぐらいやな」

 

 

「分かった。また別のやつを持ってくるよ」

 

 

 そうしてトレーナーと会話をする。楽しい時間が過ぎていく。そのまま、ボクが眠るまでトレーナーは病室にいてくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トレーナー棟の一室。仕事をしているあるトレーナーの前に1人のウマ娘が訪れる。

 

 

「とれーなー」

 

 

「……っと、あなたでしたかエリモジョージ。どうしましたか?」

 

 

 ウマ娘、エリモジョージに対して彼女のトレーナーである時田はそう質問する。エリモジョージは時田に対して尋ねた。

 

 

「次 わたし いつ?」

 

 

「あなたの次のレースですか?次は京都記念ですが……それがどうかしましたか?」

 

 

「そう」

 

 

 エリモジョージは短くそう答えた。怪訝な表情を浮かべながら時田はエリモジョージに尋ねる。

 

 

「どうしました?走りに関してならば、いつも通りあなたに一任するつもりですが……、言ったところで聞きませんしね」

 

 

「うーん」

 

 

 少し考える素振りを見せた後、エリモジョージは時田に対して告げる。

 

 

「次 本気」

 

 

「……は?」

 

 

 時田はエリモジョージの言葉に面食らったような表情を浮かべる。しかし、エリモジョージは言うことは言ったとばかりに部屋を後にした。部屋にいた時田が担当しているウマ娘の1人、ホクトボーイが頭に疑問符を浮かべながら時田に尋ねる。

 

 

「どうしたんすかね?ジョージ先輩。なんか次のレース本気出すとか言ってますけど」

 

 

「……どうでしょう。どの道、我々にできることは本番まで気が変わらないことを祈るだけですよ」

 

 

「ま、それもそっすね」

 

 

「本番になったら気分がコロッと変わってそうですけどね」

 

 

「……いやな信頼っすね」

 

 

 2人は短くそう会話をする。突然本気を出すと宣言したエリモジョージに対して、時田は本番まで気が変わらないことを祈るだけだった。




秋アニメが続々と始まってますね。今期は結構見たいものが多いので時間を見つけて消化していきたいです。


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第96話 会見が明けて

あの記者会見の後回


 記者会見から早いもので1週間が過ぎた。俺は今自分のトレーナー室で雑誌を読んでいる。その内容は先週行われた記者会見の記事について言及されているものだ。一通り読み終わった雑誌を置いて、溜息をつく。

 

 

「まあ分かっちゃいたが……非難轟々なことで」

 

 

 書いてある内容は、俺に対する批判の声がほとんどだった。一応、俺のことを好意的に書いてある雑誌も数は少ないが存在している。代表的なのは乙名史記者が勤めているところだ。

 だがそれを埋め尽くすほどに批判的な記事を書いてある雑誌がほとんどだ。果てには陰謀論めいた記事を書いている雑誌すら出てくる始末である。正直、復帰の道を選んだ時からこの手の批判は受けると思っていたのだが予想以上に多かった。

 

 

(まあ、俺は赤の他人から何言われたところで気にしねぇから別にいいんだが)

 

 

 しかし、この雑誌をテンポイントが見た時が怖い。ただでさえ記者が苦手で取材を敬遠しがちなのに、この雑誌を見たら今後一切取材を受けなくなりそうなのが可能性としてあるのだ。それはあまり好ましくない。だからこそ、この雑誌群はテンポイントの目につかないように厳重に保管しておく必要がある。お見舞いに行く子たち、特にキングスにはしっかりと言っておく必要があるだろう。テンポイントに新聞やらを買って届けているのはキングスだ。一応、記者会見の後に新聞や雑誌はしっかりと吟味してから渡すように言ってあるので大丈夫だとは思うのだが。

 今後のことを考えていたところで、トレーナー室の扉がノックされる。

 

 

「どうぞー」

 

 

 俺がそう答えると、勢いよく扉を開けて誰かが入ってくる。入ってきた人物は仲の良いトレーナー達だった。勢いよく扉を開けて入ってきたことに驚いていると、全員が俺に詰め寄ってくる。

 

 

「おい神藤!大丈夫か!?」

 

 

「何の話だ?というか、えらい勢いよく入ってきたが何があった?」

 

 

「何があったって……、お前ネットの記事とか見ないのか?」

 

 

「そういや見てないな。俺のことに関して何かあったのか?」

 

 

「まあ、とりあえずこれ見てみろよ」

 

 

 そう言って、トレーナーの1人が俺に対して携帯を見せてくる。俺はその携帯の画面を覗き込んだ。とあるまとめサイトのようだ。記事のタイトルを見る。

 ……まあ、この手の反応も一応予想していた通りだった。俺は内心困りつつ記事に対して反応する。

 

 

「随分過激なファンレターだな」

 

 

「ファンレターで済ませていい範疇じゃねぇだろ!?」

 

 

 記事の内容は、大雑把に言うなら俺の解雇を求める記事だった。おそらくテンポイントのファンの人達によるものだろう。あくまで憶測に過ぎないので愉快犯の可能性もあるが。

 俺は溜息をついて答える。

 

 

「そう言ったってな。正直この選択をした時点でこういった声が上がるのは予想していたことだからな。別に驚くことでもない」

 

 

「にしてもだぜ?あることないこと書かれてるし、お前はそれでいいのか?」

 

 

「心配してくれていることには感謝している。ただ、お前たちも知ってるだろ?俺が他人からどんな評価を下されたところで気にするような性格じゃないってこと」

 

 

「それは……そうだけどよ」

 

 

「でも!元々今回のレースはファンの人達のために出走を決めたって言ってたじゃないですか!なのに、なんで神藤さんだけが悪いように書かれなきゃいけないんですか!?」

 

 

「まあ、俺が記者会見でそう言ったからだな。最後に出走を決めたのは俺だって」

 

 

 彼らの言葉に俺は冷静に答えていく。そして、1人が我慢の限界とばかりに告げる。

 

 

「そもそも、ファンが無理強いしたからテンポイントの骨折に繋がったんじゃねぇか。それが手のひら返したように神藤だけを糾弾しやがって!お前はファンの人達に対してなんか思わねぇのか?」

 

 

「何か思う……ねぇ」

 

 

 俺は嘆息しながら答える。

 

 

「仮にだ。俺がファンの人達に恨みつらみを重ねているとしよう。お前たちの声さえなければ、お前たちが望まなければ。そう思っていたとする」

 

 

「あ、あぁ」

 

 

 俺の言葉にトレーナー達はたじろいでいる。だが、俺はお構いなしに言葉を続ける。

 

 

「で?それを口に出したところでテンポイントの骨折は治るのか?テンポイントが骨折する前の状態に戻るのか?違うよな?」

 

 

「……」

 

 

「ま、結論としては。そんな無駄なことに時間を割いている暇があるんだったら、テンポイントが復帰するために試行錯誤する方が有意義だってことだよ」

 

 

 俺の言葉にトレーナー達は押し黙る。俺の言っていることにも一理あると思っているのだろう。ただ、俺を心配してここにきてくれているのだ。そのことに感謝する。

 

 

「心配してくれてありがとうなみんな。ただ、見ての通り俺は通常運転だからよ。心配ご無用……ってな」

 

 

 その言葉に、全員苦笑いを浮かべている。

 

 

「……そういえば、こういう奴だったな神藤は」

 

 

「だな。心配するだけ無駄だったわ」

 

 

「ただ、ファンの人からの突撃に気をつけろよ?そういう事件だって少なからずあるんだからな」

 

 

「安心しろ。俺は普段からここで寝泊まりしているから寝込みを襲われることはまずない」

 

 

「それ安心できることなんですかね……?」

 

 

「なんか別の問題が浮上してきたな……」

 

 

 そう言って彼らは帰っていった。1人になって静かになったトレーナー室で俺は1人愚痴るように呟く。

 

 

「……まあ、結果を出して見返すしかない、ってな」

 

 

 結局ファンの人も、記者の人も不安なのだろう。本当にテンポイントは復帰できるのか?また、自分たちの前で走ってくれるのか?そんな不安が襲うのは仕方のないことだ。それに、テンポイント本人はいまだに表舞台に出てきていない。だからこそ、俺の言葉が真実なのか疑っているのだともとれる。だが、記者が苦手なテンポイントは取材されるだけでもストレスがかかるだろう。一応、テンポイントが好意的に接する記者の人も何人かいるのだが……。

 

 

「特例を認めたら他の取材も応じなければならなくなるからな」

 

 

 そうなったらどの道テンポイントにストレスがかかる。

 

 

「何かいい手はないだろうか……」

 

 

 テンポイント本人にストレスがかかることなく、かつファンの人達が安心できるように報告する方法。そう考えていた俺に、ふとあるアイディアが思いつく。

 

 

「……あるにはあるな。ただ、本人の同意が必要だが」

 

 

 とりあえずテンポイントの説得から始めなければ。そう思いながら俺は病院へ行く準備を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日もボクは病院のベッドの上で過ごしている。無論、リハビリはまだ始まってすらいない。ただ、いつもなら暇を持て余しているのだが今日は妹であるキングスがボクのお見舞いに来ている。学園の方は特別に休みがもらえたらしい。

 キングスがコンビニの袋をボクに渡してくれる。それを喜びながら受け取った。

 

 

「お姉。これ今日の分の新聞だし」

 

 

「ありがとなキングス。さてさて、今日はどんなことがあったんやろな~?」

 

 

 そんなボクの様子をキングスは笑顔で見ていた。ボクはコンビニの袋から新聞を取り出して確認する。そして、ある記事を探す。

 

 

(……おかしい。絶対にあるはずやのにこん1週間も記事になっとらんのはどういうことや?)

 

 

 ある記事とは、先週ボクのトレーナーが開いた記者会見について書かれた記事だ。あれだけの記者がいたのだ、新聞の記事にあってもおかしくない。アイツらは何を書いているのか、そう思いながら1週間過ごしていた。

 しかし、探せど探せどこの1週間記者会見に関する記事が1つも見当たらなかった。ネットの記事と新聞の記事とでは多少ではあるが異なる部分があるためできれば新聞の方で真偽を確認したいと考えているボクは見逃さないように探しているのだが、不思議なほど見つからなかった。

 思わずボクは呟く。

 

 

「今日もないなぁ。トレーナーの記者会見の記事……」

 

 

 何となく呟いたその言葉。しかしその言葉にキングスが過剰に反応する。

 

 

「うぇ!?そ、そうだし!そう思えばないし!ふ、不思議なこともあるもんだし!」

 

 

 ……怪しい。そう思ったボクはキングスに質問する。

 

 

「なぁキングス?」

 

 

「な、なんだし?」

 

 

 ボクの方へと顔を向けるが、視線があっちこっち動いているし、かなり挙動不審だ。まるで知られたくないことがあるかのように。

 ボクは平静を保ちつつ答える。

 

 

「キングス、お姉になんか隠しとることないか?」

 

 

 ボクの言葉にキングスはその場から飛び跳ねそうな勢いで驚いていた。そして答える。

 

 

「ななな、なに言ってるし!?ああ、あたしが、お姉に、か、隠し事なんて……するわけないし!?」

 

 

 ……もうこの態度が答えだろう。キングスはボクに隠し事をしている。そう確信した。なので、ボクはキングスを問い詰める。

 

 

「キングス、その態度が答えやで。お姉に何隠しとるんや?」

 

 

「うっ……。そ、それは言えないし!」

 

 

「なんでや?」

 

 

「だって!アイツが見せるなって……あッ!」

 

 

 キングスは慌てて自分の口を塞ぐがもう遅い。大体分かった。

 アイツ、というのは十中八九トレーナーのことだろう。キングスが素直に言うことを聞くような人物でアイツと呼ぶのはボクのトレーナーぐらいしかいない。つまりキングスはトレーナーから記者会見の記事を見せるな、と言われているのだろう。そして、キングスにボクに記者会見の記事を見せるなと言ったということは……。

 

 

(大体記事ん内容察しがついたわ)

 

 

 ボクはキングスを威圧するように告げる。

 

 

「キングス?ボクはキングスのこと大好きやで?」

 

 

「あ、あたしもお姉のこと大好きだし!」

 

 

「やったら、大好きなお姉の言うこと……聞いてくれるよな?」

 

 

「うっ……そ、それは……」

 

 

「聞いて……くれるよなぁ?」

 

 

 キングスには悪いが、どうしても気になる。だからこそ、無理矢理にでも持ってきてもらうことにした。

 やがて、観念したのかキングスは鞄の中からボクに渡す前に抜き取ったであろう新聞の記事を渡してくる。渡してきた手は震えていた。怖がらせたこと、無理強いさせてしまったことに申し訳なく思う。ボクはしょげているキングスの頭を慰めるように撫でる。

 

 

「ごめんなキングス。トレーナーにはボクが無理矢理奪い取った言うとくから」

 

 

「うぅ……。そこは気にしてないんだけど……。お姉、記事見ても怒らないし?」

 

 

「内容次第や」

 

 

「あ、もうダメだしこれ。諦めるしかないし」

 

 

 キングスはそう言って諦めたような表情をしていた。まあ、すでにどんな内容かは察しがついているのだが、キングスの頭を撫でるのを中断して内容を確認する。

 ……なるほどなるほど。そういうことだったのか。トレーナーがボクに見せないように言った理由が分かった。

 自分の中で納得していると、キングスが怯えたような声でボクに告げる。

 

 

「ヒィィ!?やっぱり怒ってるし!」

 

 

 怒っている?キングスはなにを言っているのだろうか?そう思いながらボクは冷静に答える。

 

 

「何言うとるんや?ボクは、極めて、冷静やで?」

 

 

「絶対噓だし!新聞が破れるぐらい手に力が入ってるのに説得力ないし!」

 

 

 そう言われて、ボクは気づく。ボクの持っている新聞が真ん中から真っ二つに裂けていた。無意識に力を込めていたのだろう。

 だが、それも当然だ。何故ならある意味予想通り、いや、それ以上に酷い内容の記事が散見されたのだから。

 

 

「それにしてもなぁ、会見でちゃ~んとボクとトレーナーで話し合って決めた言うとったのになぁ。なんッでトレーナーの独断みたいな記事が書かれとるんやろうなぁ?不思議やなぁホンマに」

 

 

「……」

 

 

 キングスはボクに対して手を合わせている。まるで鎮まりたまえといわんばかりに。ボクは他の新聞の記事も確認する。

 ……まあ察しはついていたが、内容は似たり寄ったりだった。どれもこれもトレーナーを批判するような記事ばかりだった。思わず溜息をつく。

 落ち着いたことを察知してか、キングスがボクの顔色を窺うように見てくる。

 

 

「お、お姉?落ち着いたし?」

 

 

「……もう怒り通り越して呆れとるわ」

 

 

「……一応好意的な記事もあるし」

 

 

 そう言ってキングスは遠慮がちに新聞を渡してくる。受け取って確認すると、そこにはトレーナーに対して好意的なことを書いている記事が見られた。あの会見で喋っていたことをありのままに伝えている。少しだけボクは満足した。ちゃんと見てくれている人もいるのだと。そして、ボクはトレーナーに言われたことを思い出す。それは事前に批判されるだろうと話していたこと。

 

 

(まあ、トレーナーもこうなるって言うてたからな)

 

 

 彼らはそういう仕事、悪い人たちばかりではない。良く書いてくれる記者だっている。トレーナーはそう言っていた。そして、実際トレーナーのことを良く書いてくれる記者だっている。

 まあ、だからと言って感情的に納得できないのだが。しかしここで怒りを見せても仕方がないので我慢する。

 キングスがボクに質問してきた。少し遠慮がちに。

 

 

「お、お姉。大丈夫?」

 

 

 ボクはその問いかけに笑みを浮かべて答える。

 

 

「うん、もう大丈夫やで。怖がらせてごめんなキングス」

 

 

 すると、キングスも笑顔を浮かべて返す。

 

 

「あたしは大丈夫だし!それに、お姉が怒るのも分かるし!」

 

 

「まあもう気にせんことにするわ。ボクもしっかり治して、治ったらまた一緒に遊ぼか!キングス!」

 

 

「うん!約束だし!」

 

 

 そう言ってボク達は約束する。怪我が治ったらまた一緒に遊ぶことを。

 そろそろ帰らなければならないということでキングスは帰り支度をする。去り際にボクに尋ねてきた。

 

 

「最後に1ついいし?お姉」

 

 

「なんや?キングス。どうかしたんか?」

 

 

「……アイツのこと悪く書いてた記者の人達、これから先取材しに来るかもしれないけど……、どうするし?許すし?」

 

 

 ボクはその質問にとびっきりの笑顔で答える。

 

 

「許すわけないやろ。二度と取材受けんわ」

 

 

「あっ、はい」

 

 

 キングスはそう言って病室を後にした。どことなく怖がっていたのは気のせいだろうか?




昨今の振る舞い見てると悪いイメージしか湧かないのが悲しいところ。
今期は見たいアニメが多いので消化する時間を確保しないと。


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第97話 今後のこと

珍しい組み合わせ回


 今日もテンポイントの病院へ行くために俺は準備を済ませてトレーナー室を出る。そして、外に出た時に誰かから声を掛けられた。

 

 

「こんにちは~、神藤さ~ん」

 

 

 声の方へと視線を向ける。立っていたのはグリーングラスだった。

 

 

「よう、グリーングラス。珍しいな?お前が1人でここに来るなんて」

 

 

「いや~、実は練習休みなんだよね~。だから~あてもなく歩いてたら~ここに来てた~」

 

 

「なるほどな。俺はこれからテンポイントのお見舞いに行くつもりだが、お前も行くか?」

 

 

「おぉ~。だったら私も行こうかな~」

 

 

 1人でお見舞いに行こうとしていたが、急遽グリーングラスも連れて行くことになった。俺の車に乗ってもらい、病院へと向かう。

 

 

「いや~ありがとうございま~す。本当は今日もお見舞いに行こうとしてたんだよね~」

 

 

「ということは、俺の提案は丁度いいタイミングだったわけか」

 

 

「そうそう~。ベストタイミングだったわけですよ~」

 

 

 病院へ向かう途中の車内で、グリーングラスとそんな会話をしていた。グリーングラスに限らず、トウショウボーイたちも練習が休みの日や暇な時間を見つけてはテンポイントのお見舞いに来ていることは俺も知っている。そのことを思い出すと、俺は自然と頬が緩んだ。

 しばらくして病院に着く。グリーングラスを連れてテンポイントの病室へと向かった。道中、看護婦がグリーングラスに会釈をして不思議そうな顔をして問いかける。

 

 

「あら、グリーングラスさん。今日は検診の日ではなかったはずですが……」

 

 

 看護婦の問いかけにグリーングラスは困ったような笑みを浮かべて答える。

 

 

「あ~……、今日は別の用事があって来たんですよ~」

 

 

「あぁ、そうなんですね。引き留めて失礼しました」

 

 

 看護婦はそう言って再度会釈をしてこの場を後にする。俺達もテンポイントの病室へと進め始める。だが、俺とグリーングラスの間に気まずい沈黙が訪れていた。

 やがて、沈黙に耐えかねてかグリーングラスの方から話しかけてきた。

 

 

「……聞かないんだ~?検診のこと~」

 

 

「まぁ、大体察しはついてるからな。それに、あまりいい話でもないんだろ?」

 

 

「よくお分かりで~」

 

 

 そう言ってグリーングラスは困ったように笑った。

 おそらく、検診というのはグリーングラスの脚に関することだろう。年が明けて以降、さらに状態が悪くなったと聞いている。元々、それほど身体が強い方ではないがさらに酷くなっているらしい。

 グリーングラスに告げる。何もしてやれないことに申し訳なさを感じながら。

 

 

「……ま、俺には心配することしかできねぇけど、お大事にな」

 

 

「その気持ちだけでも嬉しいよ~。ありがとうね~。それに~」

 

 

 グリーングラスは一拍おいて続ける。

 

 

「神藤さんは~、テンちゃんのことがあるからね~。そっちも頑張ってね~」

 

 

「……あぁ。ありがとな」

 

 

「どういたしまして~。お、着いた着いた~」

 

 

 そう話していると、テンポイントの病室に着く。俺は扉を開けて入っていった。グリーングラスもそれに続く。

 中ではテンポイントがベッドの上でテレビを見ていた。俺達が入ってきたことに気づいたのか、テレビから視線を外して俺達の方へと向ける。嬉しそうな表情を浮かべていた。

 

 

「来たぞ、テンポイント。今日はグリーングラスも一緒だ」

 

 

「やぁやぁテンちゃ~ん。体調はどうかな~?私は~普通~」

 

 

「トレーナー!グラス!……なんや珍しい組み合わせやな?後、そこは調子がええとか言うとこやろ」

 

 

 テンポイントは不思議そうな表情をして質問する。俺は正直に答えた。

 

 

「お前のお見舞いに行こうとした時に偶然出会ってな。一緒に行くか?って誘ったんだよ」

 

 

 グリーングラスが続けて言う。

 

 

「そうそう~。私も練習休みだから~OKしたんだよ~。元々テンちゃんのお見舞いには行く予定だったんだけどね~」

 

 

「そうやったんか。まあなんにせよゆっくりしてき」

 

 

「じゃあお言葉に甘えて~」

 

 

 そう言ってグリーングラスはソファに座る。そして、テレビへと視線を向けた。内容はごく普通の時事ニュースである。

 俺も荷物を置いてゆっくりしようとしたところに、テンポイントから声を掛けられる。

 

 

「そや、トレーナー。ちょいええか?」

 

 

「どうした?テンポイン……ト」

 

 

 どうしたのだろうかと思い、テンポイントの方を向く。その表情は、とてもいい笑顔だった。可愛い。……ただ、威圧するようなオーラがやばい。ソファに座っているグリーングラスもそれを感じ取っているのか、引き攣ったような笑みを浮かべている。

 俺は何かやってしまっただろうか?そう思いながらテンポイントに質問する。

 

 

「ど、どうしたんだ?テンポイント。そんないい笑顔を浮かべて」

 

 

 そう聞くと、その笑顔のままテンポイントは答える。

 

 

「いやな?記者会見のことなんやけどな?」

 

 

 記者会見。その単語が聞こえた瞬間、俺は全てを察した。次いで襲ったのはキングスに対する同情の感情。

 

 

(キングス……ダメだったか)

 

 

 最後まで隠し通せるものではないと思っていたが、バレてしまったらしい。新聞と雑誌を渡しているのはキングスなので、きっとキングス経由でバレたのだろう。心の中でキングスに対して合掌する。

 軽く現実逃避しそうになったが、覚悟を決めて俺はテンポイントに聞く。

 

 

「き、記者会見?それがどうかしたのか?」

 

 

 テンポイントは依然として笑顔のままだ。だが、威圧感はどんどん増している。脚が震えそうになるが何とか堪える。

 テンポイントが答える。

 

 

「いやぁ、ボクビックリしたわぁ。まさか、トレーナーとボクが!2人で決めたことってちゃんと言うとったのに、トレーナーの独断だのボクが可哀想だの書いてある記事を見てな?思わず笑ってもうたわぁ」

 

 

 正直立っているのも辛くなってきた。そして、テンポイントは笑顔から一転して怒りの表情を見せる。

 

 

「……ボクんトレーナーコケにするのも大概にせぇよホンマに」

 

 

 底冷えするような声でそう告げた。マスコミに対して、明確な敵意を抱いているのを感じる。内心恐怖を抱きながらも俺は思う。

 

 

(……恐れていたことが、現実になってしまったか)

 

 

 こうなればもう手遅れに近いだろう。少なくとも、テンポイントは俺を批判していたマスコミの奴らの取材は一切合切受ける気はないと言っても過言ではない。苦手だったものが、明確に敵意を露わにするほどになったのだ。例え取材を受けたとしても最低限のものにしか答えない光景が目に浮かんだ。グリーングラスはテンポイントの雰囲気に震えている。

 一応、俺はテンポイントを宥めるように言う。できる限り機嫌を損ねないように言葉を選ぶ。

 

 

「まあテンポイント。向こうも不安なんだろうよ」

 

 

「……どういう意味や?」

 

 

「簡単な話さ。向こうの立場になって考えてみろ。表舞台に出ているのはトレーナーである俺だけ、骨折した本人は何も言っていないし姿も見せない、話しているのはトレーナーのみ……。これだけだったら信じろってのが無理な話だ」

 

 

 俺の言葉にテンポイントは嘆息しながら答える。

 

 

「それは分からんでもないで。でも、ここまでこき下ろす必要はあるんか?なんやトレーナーの解雇を求めるて」

 

 

「そうした方が一般の人達の目を惹きやすいからさ。何も記者の人達も本気で言っているわけじゃない」

 

 

「やったら尚更たちが悪いやろ」

 

 

「それはそうだが……」

 

 

 まずい、少し押され気味だ。しかも、俺の方は苦し紛れの言い訳でしかないのと違い向こうは事実に基づいた正論をぶつけている。俺の方が劣勢になるのは当たり前だった。その後も、何とか宥めようとするがあまり効果はなかった。

 ……まあ、これも分かっていたことだ。これ以上説き伏せることを諦めてテンポイントに聞く。

 

 

「……分かった。これ以上言っても俺が不利になるだけだからな。諦めて降参しよう。で?何が望みだ?お前は記者の人達に何を望む?」

 

 

 テンポイントは毅然とした態度で答える。

 

 

「最低でも、トレーナーをこき下ろしたこん出版社の奴らは取材を受けへん。他も……まあ最低限度の受け答えしかせぇへんわ」

 

 

「……取材拒否か。それはちょっと困るな。最低限の受け答えでも構わないから俺をこき下ろした記者の取材も受けるってのはダメか?」

 

 

「なんで自分をこき下ろすような奴らを庇うねん?」

 

 

 俺は思っていることをそのまま伝える。

 

 

「別に庇うわけじゃない。ただ、他と違う待遇をした場合、今以上にあることないこと書かれる可能性があるからだ。それはお前も本意じゃないだろう?」

 

 

「……それはそうやな」

 

 

「俺の方でもできる限りのことはする。だから、取材拒否は勘弁してくれないか?俺はまだしも、お前にまで被害が及ぶのは嫌だからな」

 

 

「……」

 

 

 テンポイントは目を閉じて考える。やがて、考えが纏まったのか、観念したように溜息をついて答える。

 

 

「……分かった。気持ち的に納得できへんけど、あることないこと吹聴されるんはボクも嫌やからな。我慢するわ」

 

 

 その言葉に、俺は安堵する。

 

 

「助かる。さっきも言った通り、俺の方でもできる限りのことはしよう」

 

 

「頼むで、トレーナー」

 

 

「あ、あの~」

 

 

 無事話がついたところで、グリーングラスが遠慮がちに手を上げる。

 

 

「も、もう大丈夫かな~?」

 

 

「大丈夫だ。悪いなグリーングラス、俺達のゴタゴタを聞かせてしまって」

 

 

「それは大丈夫だけど~……。テンちゃんめっちゃ怖かった……」

 

 

「ご、ゴメングラス!ホンマにゴメン!」

 

 

 テンポイントは手を合わせてグリーングラスに謝った。

 話題を変えるために、俺はテンポイントにある提案をする。

 

 

「そうだテンポイント。お前に1つお願いがあるんだが」

 

 

「なんや?今のボクにできることなん?」

 

 

「あぁ。すごく簡単なことだ」

 

 

 俺はテンポイントに聞く。

 

 

「ブログを始めてみないか?」

 

 

「「ブログ?」」

 

 

 テンポイントとグリーングラスが口を揃える。不思議そうな表情を浮かべていた。俺は続ける。

 

 

「正確には、ファンの人達に向けたものを作ろうと思っているんだ。俗に言うファンクラブのサイトってやつだな。ただ、お前の許可なしにやるわけにはいかないからな」

 

 

「それって~、具体的に何をする予定なの~?」

 

 

「やろうと思っているのは、今だとテンポイントの経過報告だな。怪我がどんな具合なのか、どれくらい回復しているのか……。そんなことを書くつもりだ」

 

 

「書くつもり?実際に書くのはトレーナーなんか?」

 

 

「そうだな。後は写真なんかもつけて釣りでも何でもないことを証明するつもりでもある」

 

 

 テンポイントは少し考える素振りを見せる。やがて、考えが纏まったのか結論を俺に告げる。

 

 

「ボクとしては構わんで。それに、これでファンの人達の不安も晴れるんやろ?やったらボクからはなんもないで」

 

 

「そうか。だったら今日か明日にでも取り掛かろう」

 

 

 特に説得の必要もなく話は纏まった。ひとまず安堵する。

 すると、テンポイントが何かを思い出したかのようにグラスに話しかける。

 

 

「せや、カイザーから聞いたで?グラスも残念やったな、こん前のレース」

 

 

 この前のレースとはアメリカジョッキークラブカップのことだろう。確か、グラスはクビ差の2着だったはずだ。1着の子は去年の目黒記念でも負けた相手。悔しさは倍増だろう。

 グラスは唸った。

 

 

「うあ~。そうだった~。でもでも~次やった時は絶対負けないもんね~」

 

 

 だが唸ったのも一瞬のことですぐに決意を新たにするように告げる。

 だが、テンポイントは心配そうな表情をしてグラスに尋ねる。

 

 

「……何となくやけど、グラスも脚の調子あんま良くないんやろ?無理したらアカンで」

 

 

 どうやら、テンポイントもグラスの脚の状態のことを見抜いていたらしい。グラスは一瞬驚いた表情を見せるが、すぐにテンポイントに聞き返す。

 

 

「……誰から聞いたの~?」

 

 

「……前にトレーナーが言うてたんや。憶測の話やったけど、そん表情を見るに図星やな?」

 

 

「……そうだね~。年が明けてから、また酷くなってきてるみたい~」

 

 

 テンポイントはなおも心配するようにグリーングラスを見る。だが、グリーングラスは決意の籠った目をしてテンポイントに告げる。

 

 

「大丈夫だよテンちゃん。確かに酷くなってはいるけど、レースに出る分には問題ないくらいだから。それにね」

 

 

「……それに?」

 

 

「私はもう、気持ちで負けたくないんだ。みんなに、レースで走る子たちに。だから、止まってはいられない」

 

 

 そう告げた後、グラスは表情を崩して続ける。

 

 

「まあ~さすがにレースに影響が出るくらい酷かったら出走はしないから安心してね~」

 

 

「……そか。うん、グラスも頑張ってな!」

 

 

 テンポイントは笑顔でそう言った。グリーングラスもつられてか笑みを浮かべる。

 

 

「テンちゃんも~。頑張ってね~」

 

 

 お互いに激励し合う。俺はその光景を微笑ましく思いながら見ていた。

 その後は、グリーングラスを彼女の家に送り届けて俺はまた病室へと戻ってくる。テンポイントと話をしながら、今日も1日が過ぎていった。




最近出費が激しくて辛いです。でも欲しいものだから後悔はない。


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第98話 ファンクラブ開設

ファンクラブを作る回


 テンポイントにブログの開設許可をもらった翌日の朝、俺は理事長室の前に来ている。1回深呼吸をして気持ちを落ち着かせ、扉をノックする。

 

 

「許可ッ!入りたまえ!」

 

 

「失礼します」

 

 

 中にいる人物からの許可をもらい、俺は理事長室へと入室する。部屋の中には秋川理事長とたづなさんがいた。

 俺は今回の訪問について理事長に感謝をする。

 

 

「ありがとうございます、秋川理事長。お忙しい中時間を作っていただいて」

 

 

 俺の言葉に理事長は特に気にした表情を見せることなく明るく答えた。

 

 

「構わないッ!それで神藤トレーナー、今日は一体どのような要件だ?」

 

 

「はい、実はテンポイントのことなのですが……」

 

 

「テンポイント君か?彼女がどうかしたのか?」

 

 

「実は、彼女のファンクラブを作ろうと思いまして。その許可を貰いに来たんです」

 

 

 俺の言葉に、理事長は神妙な顔つきになる。そのまま俺に告げる。

 

 

「……フム、具体的にはどのようなものだ?そして、どういった意図があって私のところまで許可を求めに来たのか、それを教えてくれるか?」

 

 

 俺は冷静に答える。

 

 

「具体的には、今のテンポイントの経過報告を報せるためのブログのようなものを考えています。テンポイントは現在病院の場所を明かしておらず、加えて表舞台にも姿を見せていません。ファンの人が不安に思うのも仕方がないことだと思っています」

 

 

「その人達を安心させるために、日誌のようなものを作ろうと?」

 

 

 たづなさんがそう口を挟む。俺は頷きながら答える。

 

 

「そうですね。ただ、それだけなら私個人が作成すればいいだけの話になります。テンポイント本人からの許可はありますし、個人運営のブログという形で公開すればいいのですから」

 

 

「そうだな。わざわざ私のところまで来る必要はないだろう。では、君は一体何の目的があって私のところまで足を運んだのだ?」

 

 

「簡単です。信憑性を持たせるためです。トレセン学園が関与しているとなれば、疑うような人はまず現れないでしょう」

 

 

「……フム、わざわざ私のところまで来たというのはそういうことか。トレセン学園の理事長である私が関与することで、君の言うファンクラブが提供する情報に信憑性を持たせようと、つまりはそういうことだな?」

 

 

「そう言うことになります」

 

 

「フム……」

 

 

 理事長は考えるように顎に手をやる。やがて、考えが纏まったのか俺に問いかける。

 

 

「理由はそれだけか?神藤トレーナー」

 

 

 理事長の言葉に、俺は特に迷うことなく答える。

 

 

「それだけではありません。理事長はテンポイントがメディアの露出を嫌っているということはご存じでしょうか?」

 

 

 俺の言葉に、理事長は困ったような笑顔を見せた。思い当たる節があるのだろう。

 

 

「そうだな。確かにテンポイント君はメディアへの露出……否、正確にはマスコミを嫌っているのは私も知っている。そして、それゆえに今回の一件に繋がっているというのもな」

 

 

 今回の一件、テンポイントの病院の情報を秘匿していることについてだろう。学園の方にも問い合わせがかなり来ているらしい。その対応に秘書であるたづなさんや他の事務員の人に迷惑を掛けていることも。秘匿するというのは俺が決めたことなので心が痛い。たづなさんや事務員の人達には頭が上がらない。

 だが、テンポイントにストレスをかけないためにも仕方のないことだと割り切って、たづなさんたちにはまた別の形でお詫びをしようと考える。

 理事長が言葉を続ける。

 

 

「それでは、一体それがファンクラブ開設にどのように繋がるのだ?」

 

 

「……実はこの前の記者会見でテンポイントのマスコミ嫌いに拍車がかかりまして……」

 

 

 思い当たる節があるのか、理事長とたづなさんは頭を痛そうに抱えている。正直、その気持ちはすごくよく分かる。俺も同じ気持ちだったからだ。

 俺は言葉を続ける。

 

 

「取材拒否は何とか防ぎましたが……、このままだと今後にも響くと思いまして。なので、学園公認で私がテンポイントのファンクラブを開設し、そこから情報を発信しようと、そう考えているのです」

 

 

「……つまりは、今後の活動を見据えて学園の認可が欲しいと?そういうことか?」

 

 

「そうですね。後は、仮にも学園の生徒に関わるものなので理事長の許可を取りに来た……という感じになります」

 

 

「成程ッ」

 

 

 理事長は少し考える素振りを見せた後、笑顔で答える。

 

 

「許可ッ!こちらとしても特に断る理由は見当たらない!テンポイント君のファンクラブ開設、並びに学園の認可が必要だという件、承知した!すぐにでも手配しよう!」

 

 

 その言葉に俺は内心ガッツポーズをしながらも、顔に出さないようにしてお礼を言う。

 

 

「ありがとうございます、理事長」

 

 

「問題はないッ!ただし!学園の認可がある以上、こちらでも内容は精査させてもらう。そのことはしっかりと覚えておくように!」

 

 

「勿論です。しっかりとした広報を心がけます」

 

 

 俺は理事長の言葉に力強く答える。その答えに満足したのか理事長は良い表情で頷いた。

 話が終わったので俺は理事長室を後にしようとする。その時、たづなさんから声を掛けられる。

 

 

「そうだ、神藤さん。もしブログをお書きになるのであれば、ハイセイコーさんを頼るのがよろしいかと。彼女も独自のファンクラブを持っておりますから」

 

 

「……あんまり頼りたくないですけど、もしもの時はそうさせていただきます」

 

 

 俺の言葉にたづなさんは苦笑いを浮かべる。俺としてはハイセイコーをあまり頼りたくないというのが本音だ。俺をからかうようなことさえなければこんなことは思わないのだが。

 そして俺は理事長室を後にする。廊下で伸びをしながら考える。

 

 

(とりあえず、ファンクラブ開設に向けて色々と準備しないとな)

 

 

 そう考えていると、誰かに声を掛けられる。

 

 

「やぁ神藤さん。奇遇だね」

 

 

 ……まさか、話題に挙げたタイミングで出会うとは。タイミングが良いのか悪いのか分からない。待ち伏せを疑うレベルだ。

 俺は声を掛けてきた人物、ハイセイコーに返事をする。

 

 

「……本当に奇遇だな。どうしたこんなところで?」

 

 

 その言葉に、ハイセイコーは不服そうな表情を浮かべている。

 

 

「なんだい、嫌そうな顔を浮かべて。私と会えたのがそんなに不服かい?」

 

 

「別にそういうわけじゃない。なんで理事長室なんかに来てるんだ?」

 

 

 俺の言葉にハイセイコーは答える。

 

 

「何、ここを通りかかったのは本当にたまたまさ。生徒会の仕事を終えてね、散歩をしている時に偶然出会っただけだよ」

 

 

「マジで偶然かよ……」

 

 

「それで?理事長室から出てきた神藤さんは何かあったのかい?」

 

 

 別に隠すようなことでもないので素直に教える。

 

 

「テンポイントのファンクラブ開設の件でちょっとな。今学園側の許可をもらってきたところだ」

 

 

「ファンクラブの開設ぐらいだったら、別に学園側の許可は必要ないんじゃないかな?なぜわざわざ理事長に許可を?」

 

 

 ハイセイコーは素朴な疑問をぶつけてきた。俺はその質問に答える。

 

 

「発信する情報はテンポイントの経過報告の面が主になるからな。できる限り情報に信憑性を持たせるためには学園側の許可があるって言うのが一番だろう」

 

 

「成程ね。後はアレかい?テンポイントはマスコミが好きじゃないからね。マスコミを介さないでテンポイントの情報を発信するため、少しでも信頼できる情報だとファンに理解してもらうため……と言ったところかな?」

 

 

「……よくお分かりで」

 

 

 俺は嘆息しながら答える。ハイセイコーも苦笑いを浮かべていた。

 

 

「まあ、確かにアレはね。君のことを心から信頼しているテンポイントからすれば我慢できないだろう。特に、マスコミを好まない原因に今までの積み重ねもある。それが今回の記者会見の一件で爆発した、と言ったところかな?」

 

 

「本当によく分かってるな。ズバリその通りだ」

 

 

「ふーん……。ということは、今からファンクラブ開設のために色々と動こうとしているのかな?神藤さんは」

 

 

「……まあそうだな」

 

 

 ハイセイコーは笑顔を浮かべてある提案をする。

 

 

「ならば、私の手を貸そうじゃないか。私もファンクラブを持っているし、色々と力になれると思うよ?それに、神藤さんはファンクラブを運営したことがないだろう?先人である私の意見は貴重なはずだ。悪い話ではないと思うんだけど」

 

 

「……」

 

 

 正直に言えば、手を借りたい。だが、手を借りた場合、後で何を要求されるか分からない。そのことが、ハイセイコーの手を借りることを拒んでいた。

 俺の様子を見て悩んでいると思ったのだろうハイセイコーは呆れながら口を開く。

 

 

「別に何かを要求するわけじゃないよ。ただの親切心さ。特に、何のイロハもないままに運営したら炎上しかねないからね。そうなったらテンポイントにも危害が及ぶが……それでも嫌かい?」

 

 

「お願いしますハイセイコーさん。私めにファンクラブ運営のイロハを教えてください」

 

 

 テンポイントにも危害が及ぶ。そう言われてからの俺の行動は早かった。ハイセイコーに即座に協力を依頼する。そんな俺の様子を見たハイセイコーは呆れながら続ける。

 

 

「恐ろしいぐらいの変わり身の早さだね……。相変わらずテンポイントが絡むと人が変わったようになるね神藤さんは。まあいいさ。私の方でも協力するよ」

 

 

「……助かる。後、疑うような真似して悪かった」

 

 

「構わないよ。疑われる心当たりはあるからね。まあ、これからもからかうのは止めないけどね」

 

 

「心当たりがあるなら止めてくれ」

 

 

「それは無理な相談だ。楽しいからね」

 

 

 そんな話をしながら俺とハイセイコーはトレーナー室へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トレーナー室で俺はハイセイコーにファンクラブのイロハについて教えてもらっている。ハイセイコーの言葉を俺は時折頷きながら聞く。

 

 

「……と、まあこんな感じさ。今回作成するのはブログだったね。なら、運営する上で重要なのはスルー能力、人が一番堪えるのは無視されることだからね。荒らし目的のコメントは無視するのが一番だよ」

 

 

「成程な……」

 

 

「まあ運営するのは神藤さんだし、そこは心配してないけどね。ただ、こっちが煽りと思ってなくても向こうが煽りと捉える可能性もある。だからコメントの返信は極力行わない方針がいいよ。返信するにしても短く簡潔に答えるのがいいと思う」

 

 

「その可能性は考慮してなかったな……。お前に教わらなかったら多分やらかしてたわ」

 

 

「何、そうさせないために私が今教えているわけだからね」

 

 

 ハイセイコーはそう答えた。講座がひと段落したということで俺達は休憩を取る。俺は1つ伸びをした。そんな時、ハイセイコーが俺に問いかける。

 

 

「そう言えば神藤さん。あのことについての結論は出たのかい?」

 

 

「あのこと?なんかあったか?」

 

 

「去年の年末さ。私とタケホープがいる場で宣言しただろう?テンポイントこそが最強だと。その時に言っていた神藤さん自身が思う最強の答え、見つかったのかい?」

 

 

「……あっ」

 

 

 そう言えば、そんなことを言われた気がする。

 

 

「……その反応、忘れていたね?」

 

 

「……正直に白状しよう、忘れてた」

 

 

 ハイセイコーは嘆息しながら答える。

 

 

「まあ別に答えを見つけたところで何かあるわけじゃない。私自身が興味あるというだけの話だからね。だから神藤さんが悪いわけじゃないさ」

 

 

「だとしてもなぁ。俺自身が思う最強か……」

 

 

 いざ考えてみると本当に思い浮かばない。俺は何をもってテンポイントを最強だと思っているのか?考えても答えが出ない。

 1人で考えても埒が明かないと思ったので、他の人の意見を聞くことにする。俺はハイセイコーに質問した。

 

 

「ちなみにだが、ハイセイコーが思う最強のウマ娘って誰なんだ?」

 

 

「それは勿論私さ」

 

 

 ハイセイコーは自信満々にそう答えた。そして、苦笑いを浮かべて続ける。

 

 

「まあ、現実的な見方をするのであればシンザン先輩じゃないかな?実績からしてもあの人以上ってなるとそうそういないからね」

 

 

「まあ確かにそうだな」

 

 

 2人目の3冠ウマ娘に加えて、現役中連帯率100%。そんなウマ娘はそうそういないだろう。ハイセイコーはシンザンの凄さを語ってくれた。

 

 

「シンザン先輩の逸話を語ったらキリがないからね。誰もが取らない作戦を取ってファンの人を驚かせたり、オープンレースを練習代わりに使ったり、挙句の果てには現役中は一度も本気を出して走っていないなんて話も残っているぐらいだからね」

 

 

「いざそう言われると、どこまで本当なのか分からない話ばっかりだな」

 

 

「あの人は決して派手な勝ち方をしているわけじゃない。ただ、妙に記憶に残るのさ。あの人のレースはね」

 

 

 そしてハイセイコーは締めとばかりに告げる。

 

 

「最も、シンザン先輩と一緒に走ったところで私は勝つけどね」

 

 

「すごい自信だな」

 

 

「当然さ。私は全ての人達を私の走りで魅了しようと考えているんだ。生半可な気持ちでいるわけじゃないんだよ」

 

 

「成程な」

 

 

 ハイセイコーの言葉に俺は頷く。何となく、今の会話が頭の中で反芻している。理由は分からない。ただ、何となく覚えておこうと思った。

 その後もファンクラブのイロハを教えてもらい、いい時間になったところで解散した。今日も変わらずテンポイントのお見舞いに行って今日の出来事を話す。いつも通りの一日の終わりだった。




昨日と今日で急に寒くなりすぎじゃないですかね?


※最強のウマ娘のくだりを修正 10/7


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第99話 応援の形

ファンクラブを開設した回


 ハイセイコーにファンクラブのイロハを教えてもらい、ファンクラブを開設してから1週間程が経った。俺は今ファンクラブの反応を見るために、PCとにらめっこしている。

 一通りファンクラブのサイトに寄せられたコメントに目を通していた。俺は満足に思いながら頷き呟く。

 

 

「よしよし、反応は上々。釣りを疑う人もいたが、テンポイントの入院中の写真と学園の広報もあってかすぐになくなったな」

 

 

 結論から言えば、ファンクラブとしての滑り出しは上々といってもいいだろう。最初こそ【入院中のテンポイントの経過報告をします】という文面を疑う人がたくさんいたが、学園による広報と関係者しか持ちえないであろうテンポイントの入院中の写真を張り付けたブログを書いたことで疑う人は減ってきた。

 一応、ファンクラブのブログは俺が書いていると明記してある。そのことで何か言われるかもしれない、何なら批判されるかもしれないと少し身構えていたのだがコメントを見る限りそんなことはなかった。むしろ、俺を好意的に捉えてくれる人が多くてありがたい限りである。

 

 

・テンポイントの経過報告助かります!日経新春杯からずっとずっと心配で眠れない夜を過ごしていました……。神藤トレーナーには感謝しかありません!

・世間では色々言われていますが私は神藤トレーナーのこと応援しています!誹謗中傷に負けないで、頑張ってください!テンポイントが復帰するその日を待っています!

・頑張って!テンポイント様!あなたがターフに戻ってくる日を私たちずっと待っています!

・娘と一緒にテンポイントが復帰する日を一日千秋の思いで待っています。頑張れ!テンポイント!

 

 

 ……と言った感じの意見が見受けられた。勿論、批判めいたコメントもあったが、それにはあまり対応しないようにしている。

 

 

「ハイセイコーも言っていたからな。下手に対応するとまずいことになるって。仮に炎上でもしたらテンポイントにも危害が及ぶ……。それだけは絶対に避けなければならない」

 

 

 そう思いながらコメントを精査していると、ふと1つ気になるコメントがあった。俺はそのコメントを確認する。

 

 

「何々、【テンポイントを応援する気持ちを込めて学校の友達みんなと千羽鶴を折りました。是非テンポイント本人の下に送りたいと考えているのですが、どこに送ればいいでしょうか?】……ふむふむ」

 

 

 そのコメントを見た時、俺は失念していたと思った。

 

 

(そうか……。応援の気持ちを形に届けたい人だっている。そのことをすっかり失念していた)

 

 

 改めてコメントを見ていくと、似たようなコメントが多数見受けられた。病院の場所を明かしていないという関係上、どこに送ればテンポイントの下に届くのか分からない。だからこそ、届けたくても届けられない気持ちが彼らにはあったはずだ。これは反省すべきことである。

 この問題を解決するために、俺はある人に連絡を取る。

 

 

「……あ、もしもしたづなさんですか?すいません、今ちょっとお時間よろしいでしょうか?……はい、できれば私のトレーナー室でお話ししたいことでして……はい、はい。ではすいません、お願いします」

 

 

 ある人とは、たづなさんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しばらく待つと、たづなさんが俺のトレーナー室を訪れる。

 

 

「失礼します。神藤さん」

 

 

「たづなさん。すいません、お呼び立てしてしまって」

 

 

 たづなさんは笑みを浮かべて告げる。

 

 

「いえいえ、丁度仕事がひと段落したところですので構いませんよ。それで一体どういったご用件でしょうか?」

 

 

 あまり時間を取らせるわけにはいかない。用意していたお茶をたづなさんに渡して早速本題を切り出す。

 

 

「お話、というのはテンポイントのことでして。実はテンポイントを応援するために千羽鶴を折ってくれた学生たちがいるんです。しかし、病院の場所を明かしていないという事から、どこに送れば確実に届くのか分からない……と言った旨のコメントが寄せられまして」

 

 

「成程……。神藤さんの言いたいこと、何となく分かりました。その送る場所の指定先を学園にしたい……といったご相談でしょうか?」

 

 

「はい。その通りです」

 

 

 俺の言葉に、たづなさんは笑みを浮かべて答える。

 

 

「勿論構いませんよ。こちらの方でも準備を進めておきますので、送り先を学園にしてもらって大丈夫です」

 

 

 ……本当にこの人達には頭が上がらない。俺は頭を下げてお礼を言う。

 

 

「ありがとうございます。何から何までご迷惑をおかけしてしまって」

 

 

 俺の言葉にたづなさんは気にする必要はないと言ってくれた。本当にありがたい限りである。

 

 

「お話したいことはこれだけでした。たづなさんはこの後どうされますか?」

 

 

 俺の言葉にたづなさんは少し考える素振りを見せる。

 

 

「そうですね……。次の仕事まで時間がありますので、少しここでゆっくりしていっても構わないでしょうか?」

 

 

 断る理由はない。俺は了承する。

 

 

「勿論構いませんよ。今お茶菓子を用意しますね」

 

 

 たづなさんにお茶菓子を用意して、俺は早速次のファンクラブの記事を書き始めた。

 許可がもらえたという事で、俺は次のブログの記事にテンポイントを応援するために千羽鶴を折ってくれた人達や何らかの形にしてくれた人達宛てに、その形にしたものをどこに送ればいいかを明記する。

 ブログを書いていると、視線を感じた。尤も、この部屋にはたづなさんしかいないのでたづなさんの視線だろうが。PCから目を離して確認するとたづなさんが俺を微笑ましいものを見るような目で見ていた。俺の視線に気づいたのか、たづなさんはすぐに取り繕うように謝罪する。

 

 

「すいません神藤さん!お邪魔になりましたか?」

 

 

「いえ、大丈夫ですけど……。どうかされましたか?」

 

 

 するとたづなさんは先程のように薄く笑みを浮かべて答える。

 

 

「いえ……少し昔のことを思い出しまして。神藤さんは覚えていますか?あなたがトレーナーになった日のことを」

 

 

 勿論覚えている。

 

 

「覚えていますよ。人によっては給料に釣られたと捉えられてもおかしくない動機でトレーナーになったことを」

 

 

「ウフフ。そういえばそうでしたね。……神藤さんはあの時、こう言っていましたね?レースに熱中できない、興味がない、そんな奴に担当してもらうウマ娘が可哀想だ……。そう思っていたと」

 

 

 懐かしい話だ。最初の頃はそう思っていたことを思い出す。俺は苦笑いしながら答える。

 

 

「そうですね。そしてたづなさんが言ってくれました。これから熱中していけばいい。もしかしたら、俺を熱中させてくれるようなレースをするウマ娘が現れるかもしれない……って」

 

 

「はい。……それを踏まえた上で神藤さん、あなたに1つ、お聞きしたいことがあります」

 

 

「……なんでしょうか?」

 

 

 たづなさんは真剣な表情で俺に問いかける。

 

 

「今のトレーナー生活、楽しんでおられますか?熱中、できていますか?」

 

 

 ……おそらく、たづなさんは聞くまでもない質問だと分かっているのだろう。今の俺を見て、確信を得ているはずだ。だから、俺は愚問だとばかりに答える。自信満々に。

 

 

「勿論。最高に楽しんでいますよ。俺はレースの世界に、とても熱中しています。だから、ありがとうございます。あの時理事長と一緒に、俺にトレーナーになってくれと言ってくれて本当にありがとうございます」

 

 

 俺がそう答えると、たづなさんは微笑みながら答える。

 

 

「それは何よりです。これからもトレーナーとして、頑張ってくださいね。応援していますよ、神藤さん」

 

 

「はい。不肖神藤誠司、これからもトレーナーとして頑張っていきます!」

 

 

 その会話を最後に、次の仕事があるという事でたづなさんはトレーナー室を後にした。俺は時計を確認する。

 

 

「……そろそろだな。今日はあの日だし、早めに病院に行くとするか」

 

 

 ファンクラブの記事を書くのを一旦止めて、俺は病院へと向かう。いつもより早い時間だが、理由がある。今日から本格的に始まるのだ。テンポイントのリハビリが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ベッドの上で待っているボクに、扉を開けて誰かが入ってくる音が聞こえた。少しして、その姿を確認する。トレーナーと先生だった。ボクはトレーナーと先生に挨拶をする。

 トレーナーが先生と会話をしている。

 

 

「先生。今日からですね」

 

 

 トレーナーの言葉に先生は真面目な表情で答えた。

 

 

「はい。レントゲンを確認して、問題がないと判断しました。なので、今日から簡単なリハビリを始めていくことになります」

 

 

 その言葉に、ボクは大きく頷く。トレーナーもボクと同じように頷いていた。

 今日からボクのリハビリが始まる。復帰に向けた第一歩、ボクは少しの緊張を覚えながらベッドから降ろしてもらい、車椅子に乗せてもらう。

 車椅子をトレーナーに押してもらいながら、リハビリ用の施設へと移動する。不思議なことに道中は誰ともすれ違わなかった。そのことを疑問に思ったトレーナーが先生に質問した。

 

 

「あの、誰ともすれ違わないんですけど、どうしてでしょうか?」

 

 

 すると先生はこともなげに答える。

 

 

「あぁ、この通路は関係者以外立ち入り禁止ですからね。また、それに加えて他のスタッフにもこの日この時間は通らないように言いつけてありますから」

 

 

「げ、厳重ですね」

 

 

 ボクは思わずそう答えてしまった。先生は気にしていないように告げる。

 

 

「秘匿性に関しては日本一だと自負していますので。もうすぐ着きますよ」

 

 

 先生がそう言うと、リハビリ施設に着いた。中には勿論誰もいなかった。

 先生が告げる。

 

 

「今日からテンポイントさんのリハビリを始めていきます。とは言っても、骨が完全に癒着していませんし、今日が初めてなのでそこまで難しいことはしませんので安心してください」

 

 

 ボクは先生に質問する。

 

 

「あの、具体的に何するんですか?」

 

 

「そうですね……。まずは、簡単な歩行をやってもらいます。手すりに摑まって、左足に少しだけ負荷をかけるように歩いてもらう感じですね」

 

 

 その言葉にボクは頷く。先生がそれを確認すると、目的の場所までボクを案内する。

 そして、指定の位置に着いたボクに先生が告げる。

 

 

「それではテンポイントさん。車椅子から降りて手すりに摑まってください」

 

 

 言われた通りにボクは車椅子から降りて手すりに摑まる。まだ体重はかけていない状態だ。これくらいならば問題ない。

 先生が次の指示を飛ばす。

 

 

「まずは、大丈夫な方から行きましょう。右足に体重をかけてください」

 

 

 言われた通りに右足に徐々に体重をかける。問題ない。大丈夫だ。つけることができる。ただ、それよりも久しぶりに地面を踏む感触にボクは喜んだ。

 

 

(ホンマに久しぶりや……。こうやって地面に脚つけんのは……)

 

 

 日経新春杯から2週間以上が立っている。その間は車椅子での移動だったし、基本的にベッドから動くことはなかったから本当に久しぶりに地面に脚をつける。そのことが堪らなく嬉しかった。

 ボクの状態を見て、先生は1つ頷いて次の指示を飛ばす。

 

 

「……右足は問題ありませんね。それでは、次は患部の方、左足の方に行きましょう。できる限り体重はかけないでください」

 

 

 言われた通りに、ボクは右足に体重をかけるのを止める。先程同様、腕で身体を支えている。そして、言われた通りに左足を地面につける。

 ……だが、左足を地面につけた瞬間、ボクの身体はバランスを崩したように倒れ込む。トレーナーが心配するようにボクに駆け寄ってきた。

 

 

「テンポイント!大丈夫か!?」

 

 

「……だ、大丈夫や。ちょいビックリしただけ……ッ!」

 

 

 瞬間、ボクに鋭い痛みが襲う。思わず左足を抑えるように手をやる。

 本当に、最初はビックリしただけだ。左足を地面につけた瞬間、上手く支えることができないことにビックリして思わず手すりから手を放してしまった。だが、次は大丈夫だろう。しばらくしたら痛みが引いてきたので、トレーナーに手すりのとこまで戻してもらうように言う。トレーナーは心配そうな表情を浮かべていたが、ボクが言った通りに手すりのとこまでボクを運んでくれた。

 もう一度、左足に地面をつける。今度はさっきのようにならないように気をつけながら。だが。

 

 

「……うぐッ!」

 

 

 さっきと同じように倒れ込んでしまった。左足に全くと言っていいほど力が入らない。これは、筋力が落ちたとか、そういったものではない。もしそうなら右足だって同じようになるはずだ。トレーナーが駆け寄る。顔を上げて先生の方を見ると、厳しい表情をしていた。

 ボクはトレーナーに再度言う。

 

 

「……トレー、ナー……ッ!また手すりんとこまで……ッ!」

 

 

「いえ、テンポイントさん。今日はここまでにしましょう」

 

 

 ボクの言葉を遮るように、先生が言う。ボクは納得できず、先生に抗議する。

 

 

「だい……じょう……ぶ、です、先生ッ!まだ、まだ……ボクは……ッ!」

 

 

 しかし、ボクの抗議の声に先生は首を横に振って答える。

 

 

「いえ、これ以上は危険です。早急に戻りましょう」

 

 

 逆らうわけにはいかない。ボクはトレーナーの手で車椅子に乗せられる。少し不満に思いながらも、病室に戻ってまたベッドの上に寝かせられる。

 病室に戻ったボクに、先生は厳しい顔を崩さずに告げた。

 

 

「……テンポイントさん、神藤さん。あなたたちが思っているよりも、大変な道のりになるかもしれません」

 

 

「……そんなに悪いんですか?」

 

 

 恐る恐る、と言った感じでトレーナーが先生に聞く。先生は大きく頷いて答える。

 

 

「はい。テンポイントさん、左足を地面につけた時、どんな感じがしましたか?」

 

 

 先生に聞かれたことに、ボクは素直に答える。

 

 

「……全く力が入らんかったです。まるで、左足だけボクの身体やないみたいに……」

 

 

 先生は、リハビリ施設からずっと難しい顔をしている。それだけ、ボクの状態が悪いという事だろう。

 意を決したように先生はボク達に告げる。

 

 

「……これからも我々は全力でサポートにあたります。それに今日は初日、徐々に慣れていくはずです」

 

 

 徐々に慣れていくはず、ボク達に向けて言ったはずなのにまるで自分に言い聞かせているようにボクは感じた。そう言って、先生は病室を後にする。ボクとトレーナーだけが残る。

 

 

「……トレーナー。思うたよりも不味いみたいやな」

 

 

「……あぁ。だが、まだ初日だ。気を落とすには早い」

 

 

「……やな」

 

 

 リハビリ初日。ボクの復帰に向けた第一歩は、未来に暗雲が立ち込める結果となった。




まだ、初日。焦らぬように一歩ずつ。


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第100話 相棒

地味にお父さん初登場回


 リハビリを始めてからさらに月日が流れた。すでに2月も半ば。今ボクは病室のベッドの上でテレビを見ている。特に何か目的があって見ているわけじゃない。見たいものはまだ時間があるので、ただ何かを思うわけでもなく見ているだけだった。

 正直言って、気分は憂鬱だった。理由はリハビリにある。溜息1つ吐いて、ボクは1人愚痴るように呟く。

 

 

「なんで……なんで動いてくれないんや、ボクの脚……」

 

 

 リハビリを始めてからすでに2週間は経っただろうか?初日は全くと言っていいほど力が入らなかったが、医者の先生が言うようにこれから慣れていけば、そうすれば少しずつでも前進していけるはずだ。そう思っていた。

 だが、現実は今になってもボクの左足には全く力が入らない。右足は問題ないというのにだ。左足は地面に脚をつけることすらままならない状態がずっと続いていた。先生はレントゲンを見る限り異常はないと言ってくれていた。だからこそ不思議なのだ。異常はないはずなのに、体重をかけるどころか脚をつくことすら許さないこの左足が。

 リハビリの日々を思い出し、また溜息が零れる。そんな時、病室の扉を開ける音が聞こえた。何となく、誰が来たのか分かった。ボクはテレビを消す。

 扉を開けた人物がボクの前に姿を現す。思った通り、ボクのトレーナーだった。台車に数個の段ボールを載せて運んできている。

 

 

「おはよう、テンポイント。具合はどうだ?」

 

 

「おはようさんトレーナー。今日はいつもよりええ調子や。それは?」

 

 

 中身は大体分かっているのだが、一応聞いてみることにした。ボクの疑問にトレーナーが答える。

 

 

「あぁ、今週分のやつだ。お前を応援するために、みんな色んな物を送ってくれているぞ」

 

 

「……ありがたい限りやな、ホンマ」

 

 

 トレーナーが持ってきた段ボールの中には、ファンの人達がボクのためにと全国から送ってきてくれた様々な物が入っている。ボクが入院している病院を明かせないという関係上、トレセン学園宛てに送るようにトレーナーが誘導したらしい。そう言っていた。ちゃんと中身は学園とトレーナーで精査してあるらしく、変なものはあらかじめ弾いているらしい。

 トレーナーは携帯を取り出してボクに告げる。

 

 

「さて、と。じゃあ今日も写真を撮るか」

 

 

「頼んだで」

 

 

 トレーナーが段ボールの中に入っている物をボクの周りに置いていく。さすがに一度じゃ置き切れない量なので、何回かに分けて置く。写真を撮る理由は、ちゃんとボクの下に届いているのだと証明するためにファンクラブのブログに載せるらしい。

 準備が完了したのでトレーナーが携帯を構える。ボクは笑顔を浮かべる。ファンの人達にボクは元気だと伝えるために。

 数枚撮り終わった後、段ボールから出した物をトレーナーが片付け始める。片付けている最中、扉を開けて新しい人が部屋に入ってきた。

 入ってきたのはお母様だった。

 

 

「おはよう、テン。神藤さんも、おはようございます」

 

 

「おはよう、お母様」

 

 

「おはようございます、ワカクモさん」

 

 

 お母様は薄く微笑みながら挨拶をする。ボクとトレーナーもそれに応えるように挨拶を交わした。お母様は荷物を置いてソファに座る。

 ソファでゆっくりしているお母様にボクは気になっていることを尋ねる。

 

 

「お母様、実家の方は大丈夫なんか?ここまで遠いやろ?時間も随分早いやんか」

 

 

 するとお母様は問題ないとばかりに答える。

 

 

「大丈夫よ。昨日のうちに今日の分の仕事も終わらせて、昨日の最終便でこっちに来たんだから。それに、大事なあなたのためだと思えばこの程度のこと苦じゃないわ」

 

 

「……ッ!」

 

 

 お母様の言葉にボクは嬉しくなって思わず顔を俯かせる。そんなボクを見て、お母様はからかうように告げる。

 

 

「あらあら?テンったらどうしたの?恥ずかしいのかしら?」

 

 

「……ちゃいます。嬉しいんです」

 

 

 俯いていた顔を上げてお母様の表情を見る。柔らかい笑みを浮かべていた。ボクもつられて笑顔を浮かべる。そんなボク達の様子をトレーナーは少し離れた位置で微笑ましい目で見ていた。

 片付け終わったトレーナーがこっちに戻ってくる。そしてふと思い出したかのようにボクに尋ねてきた。

 

 

「そういえばテンポイント。お父さんの方はお見舞いに来たのか?」

 

 

「うん?来とったで。トレーナーが来とらん時間帯に」

 

 

「……本当に不思議なぐらい会わないな、お前のお父さん」

 

 

「別にトレーナーのこと悪う言うてないから安心してええで。むしろ看病のことで頭が上がらん言うとったわ」

 

 

 そんな会話をしていると、お母様がトレーナーに告げた。

 

 

「旦那なら、もう少ししたらここに来ますよ。今はお手洗いに行っていますので」

 

 

「あ、そうなんですか」

 

 

 トレーナーは少し驚いたような表情をしていた。今しがた会わないと言ったばかりなので、驚くのも無理はないだろう。

 しばらくしたら再度扉が開く音が聞こえる。中に入ってきたのはお父様だった。

 

 

「久しぶりやな、テン。元気か?」

 

 

「お父様。うん、今日は調子ええです」

 

 

「そかそか。それは良かった。……あなたが、テンのトレーナーさんですね?」

 

 

 お父様に言われて、トレーナーは姿勢を正して答える。

 

 

「はい。私、テンポイントのトレーナーをさせてもらっています、神藤誠司と申します。初めまして……ですね」

 

 

「はは、そうですね。不思議なぐらい会わんもんですから。ただ、妻とテンから色々聞いとりますよ?ええトレーナーやって」

 

 

 お父様の言葉にトレーナーは気恥ずかしそうに頬を掻いた。ボクとお母様はその光景を見て口を手で押さえて笑った。

 だが、一転してお父様は厳しい表情でトレーナーを見る。お父様がトレーナーに問いかけた。

 

 

「トレーナーさん、1つ聞いてもええでしょうか?」

 

 

 雰囲気から真面目なことだと思ったのだろう。トレーナーも表情を引き締めていた。

 

 

「……なんでしょうか?私にお答えできることでしたらなんでも答えましょう」

 

 

「それは良かったです」

 

 

 お父様は一拍おいてトレーナーに尋ねる。

 

 

「……記者会見、見させてもらいました。テンのためやったら、どんなことでもやる。それに違いはありませんか?」

 

 

「はい。テンポイントのためだったら、私はどんなことでもやり遂げましょう」

 

 

「どんな時でもテンの側におる、テンのためやったらどんなことでもやり遂げる。そん言葉に嘘はありませんか?」

 

 

「はい。テンポイントのために、私は最善を尽くす覚悟です」

 

 

「……」

 

 

 お父様はただトレーナーのことをジィっと見ている。トレーナーもお父様から視線を外すことなく真っ直ぐ見ている。ボクは緊張しながらその光景を見ている。

 しばらくお父様とトレーナーが睨み合うように立つ。先に動いたのはお父様だった。先程までの睨むような視線から一転して笑みを浮かべ告げる。

 

 

「……いい目をしとります。嘘やないみたいですね」

 

 

「ありがとうございます。それと、申し訳ありません。今回私のせいでテンポイントさんに大怪我を負わせてしまい……」

 

 

 トレーナーは頭を下げてそう言った。その言葉にボクは抗議する。

 

 

「何言うとるんやトレーナー!レースへの出走はボクとトレーナーが2人で決めたことやろ!トレーナー1人が悪いわけやない!ボクも同罪や!」

 

 

 動いたことで左足に痛みが走ったが、そんなことは関係ない。ボクはトレーナーの言葉を必死に訂正する。

 そんなボクの様子を見て、お父様は笑みを浮かべたまま告げる。

 

 

「落ち着きぃやテン。神藤さんも顔を上げてください。別にそんことで神藤さんにあれこれ言うつもりはありません。確かに思うことはあります。やけど、神藤さんは今も必死にテンの看病をしとります。それに、ホンマやったら止めるべき立場やのにテンの意思を尊重してくれとるのも、私は知ってます」

 

 

「「……」」

 

 

 ボクとトレーナーはお父様の言葉を黙って聞く。

 

 

「どんなに低い可能性やとしても、テンのために必死に力を尽くしてくれとる。それだけで、神藤さんの人柄の良さ、どれだけテンを大事に思ってくれとるのかはよう分かります。そんな人を糾弾する趣味は私にはありません。やから、感謝することはあっても神藤さんを恨むようなことはありません。それは、妻も同じ意見です」

 

 

 お父様の言葉にお母様が大きく頷く。そして、お父様の言葉に続くようにお母様も話始める。

 

 

「それに、テンがこれだけ信頼を寄せているんですもの。それだけで、神藤さんがテンにとってどれだけ大きな存在なのかがよく分かります」

 

 

 お父様は、お母様の言葉に同意するように大きく頷いた。

 

 

「……はい。テンはホンマに、ええトレーナーに恵まれました」

 

 

 そして、お父様とお母様が2人揃ってトレーナーに頭を下げて告げる。

 

 

「「どうかこれからも、テンのことよろしくお願いします」」

 

 

「……はい、なんとしてでも、テンポイントが望む結果に導いてみせます!」

 

 

 2人の言葉に、トレーナーは力強くそう答えた。ボクはそのやり取りを聞いて、零れそうになる涙を必死に抑えている。

 嬉しかった。これだけ思われているということに。そして、同時に思った。絶対に復帰して見せると。この思いに報いるためにも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しばらくして、先程の緊張した雰囲気から一変して和気藹々とした雰囲気が流れる。

 お母様が話を切り出す。

 

 

「それでね?テンったら昔はかなりの甘えん坊だったんですよ?」

 

 

「あぁ!そやったなぁ!ホンマに懐かしいわ!神藤さんも聞きますか?テンの小さい時ん話!」

 

 

「……ちょっと興味がありますね。是非聞かせてもらえますか?」

 

 

「ちょ!?お母様、お父様!そん話は止めてっ!」

 

 

 ボクの必死の抗議も空しく、ボクの小さい頃の話が暴露される。

 

 

「何をするにしても私の後ろにべったりと着いてきてて!ちょっとでも離れようものならすぐ悲しそうな表情をして……。もう本当に可愛かったんですから!」

 

 

「そやったそやった!いやぁ、アルバム持ってきてへんのが悔やまれるなぁ。是非神藤さんにも見てもらいたかったですわ!」

 

 

「ホンマに止めてやお父様お母様!」

 

 

「はは。まあ子供というのはそういうものですよね」

 

 

 トレーナーは笑みを浮かべつつそう答える。しかしボクは恥ずかしさでそれどころではなかった。

 

 

「キンが生まれてからは少しは落ち着いたんですけどね?でもキンを寝かしつけたら……」

 

 

「あぁ!お前に寂しそうな表情して甘えてきおったんやったな!お母様寂しい……って!」

 

 

「~~ッ!」

 

 

 一体何の公開処刑だこれは。そんなことを思いながらボクは恥ずかしさを隠すように枕に顔をうずめる。

 枕を顔から離すと、トレーナーが時計を確認した後告げる。

 

 

「そろそろじゃないか?テンポイント。エリモジョージのレース」

 

 

 その言葉にボクは食い気味に反応する。この公開処刑から逃れるために。

 

 

「そやったな!はよ見るでトレーナー!お母様お父様!」

 

 

 ボクが叫ぶようにそう言うと、トレーナーがテレビを点けてチャンネルを切り替える。ジョージが出走するレース、京都記念が今まさに始まろうかという場面だった。

 

 

 

 

《……京都レース場第9R、京都記念が今幕を開けようとしています。距離は2400m、芝の状態は良と発表されています。出走するウマ娘の紹介へと移りましょうまずは……》

 

 

 

 

 ボクはトレーナーに今回のレースについて聞く。

 

 

「トレーナー。今回有力な子は誰が出とるん?」

 

 

「そうだな……、エリモジョージは勿論、同じ天皇賞ウマ娘ホクトボーイ、昨年のオークス覇者リニアクイン辺りが有力視されているな」

 

 

「ジョージは何番人気なん?」

 

 

「確か……前評判では2番人気だったか?」

 

 

 2番人気。今までのジョージだったらあまり期待できない方だ。ジョージが大敗する時は決まって人気を集めている時なのだから。ただ、あの時病室で交わした約束があるから大丈夫だとボクは思った。

 お母様たち同様、ボクもテレビに集中する。今まさに出走しようかという場面だった。

 

 

 

 

《……京都記念が今、スタートです!》

 

 

 

 

 ゲートが開いて、出走するウマ娘たちが一斉にスタートを切った。

 レースはジョージが逃げる展開を見せていた。いつものようにハナを取って走っている。特に問題はなさそうだ。

 そのままレースは特に波乱が起こることはなく進んでいき、第3コーナーに差し掛かる。依然として先頭はジョージだ。お母様もお父様もテレビの前でジョージを応援している。

 ふと、トレーナーの方を見ると怪訝そうな表情を浮かべていた。どうしてそんな表情をしているのか気になったボクはトレーナーに尋ねる。

 

 

「どうしたん?トレーナー。怪訝な顔して」

 

 

「……気づかないか?テンポイント」

 

 

「何が?」

 

 

 トレーナーの言っていることが分からず、ボクはそう聞き返す。するとトレーナーは怪訝な表情を浮かべている理由を教えてくれた。

 

 

「……今のエリモジョージの走り、お前の走りに似ている」

 

 

「え?ホンマ?」

 

 

「あぁ。さすがに完璧に、とは言わないがお前のフォームに似ている」

 

 

 会話が聞こえていたのか、お母様とお父様もトレーナーに聞き返す。

 

 

「そうなんですか?」

 

 

「テンのフォームに似ているとは思いましたが……」

 

 

 どうやらお母様たちもそう思っていたらしい。ボクは改めてレースを見る。

 ……確かに、ボクの走りに少し似ているような気がする。一体どういう意図があるのだろうか?そう思いながらテレビを見ていると、第4コーナーでジョージは後ろの子たちに捕まった。お母様とお父様は残念そうな声を上げる。ただ、トレーナーは厳しい表情でテレビを見ていた。そのことを聞こうとすると、テレビの実況から驚くような声が上がった。

 

 

 

 

《……エリモジョージが先頭だ!先頭はエリモジョージ!先頭は一団となっているしかし第4コーナーで捕まったと思われたエリモジョージが二の足を炸裂させている!一度詰められた差がまた開いた!エリモジョージ先頭!これはもう完全に決まった!2着争いはホクトボーイかハッコウオーか!1番人気ホクトボーイが粘っているがこれは僅かに届かないか!?しかし2着を争っている間にエリモジョージが今悠々とゴールイン!京都記念を制したのはエリモジョージです!2着との差は4バ身差!》

 

 

 

 

 京都記念を制したのは、ジョージだった。




やっべぇブルーロックめっちゃ面白かった。


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第101話 走りの真意

前回の続きと昔話回


 ジョージが出走すると言っていた京都記念。その結果は、ジョージが最初から最後まで逃げて勝ちを収めた。第4コーナーで後ろを走る子たちに一度捕まってしまったが、二の足を使ってもう一度引き離しての4バ身勝ち。天皇賞ウマ娘であるホクトとオークスを制したウマ娘リニアクイン相手に見事に逃げ切り勝ちをした。

 勿論ジョージが勝って嬉しいという気持ちはある。だが、ボクとトレーナーはそれ以外のことに目をつけていた。

 ボクは困惑しながらもトレーナーに尋ねる。

 

 

「……トレーナー、ジョージは何の意図があってボクの走りを真似たんや?」

 

 

 ボクの疑問に、トレーナーは首を横に振る。

 

 

「分からん。それに、あくまで似ているだけ……と言えなくもない走りだ。本当にお前の真似をして走っていたのかはまだ分からない」

 

 

 トレーナーも意図は分からないらしい。テレビでは、ウィナーズサークルでジョージとジョージのトレーナーがインタビューされているところだった。

 

 

 

 

《京都記念勝利おめでとうございます時田トレーナー。今後のレースについてお聞かせ願えますか?》

 

 

《エリモジョージもホクトボーイも、次走は鳴尾記念を予定しています。そして、宝塚記念を大目標に調整を進めていくつもりです》

 

 

《成程、ありがとうございます。エリモジョージさんも、京都記念優勝おめでとうございます!一言お願いできますか?》

 

 

《……》

 

 

《あ、あの?》

 

 

 

 

 ジョージにマイクが向けられているが、ジョージはぼうっと立っているだけだ。表情の変化が少ないから分からないが、何か考え事をしているように見える。ジョージのトレーナーが呼びかけているが、それも無視して何かを考えている。記者の人も困り顔だ。

 お母様が呟く。

 

 

「どうしたのかしら?ジョージちゃん。何か考え事をしているみたいだけど……」

 

 

「やな。何考えとるんやろ?ジョージ」

 

 

 しばらく待っていると、記者の人がジョージの走りを褒めだす。おだてる作戦だろうか?

 

 

 

 

《そ、それにしても!素晴らしい走りでしたねエリモジョージさん!第4コーナーで集団に追いつかれましたが、二の足を使っての見事な逃げ切り勝ち!完璧な勝利と言えるでしょう!思わず……》

 

 

《違う》

 

 

《え?》

 

 

《違う》

 

 

 

 

 記者の人がジョージの走りを褒め始めると、ジョージはやっと反応を示した。だが、記者の人に返した言葉は誉め言葉を否定するもの。ジョージが続ける。

 

 

 

 

《完璧 違う》

 

 

《ど、どういう意味でしょうか?》

 

 

《6 7 ぐらい。次 完璧 本気》

 

 

《え、え~っと……?って!待ってくださいエリモジョージさん!一体どこに……ッ!》

 

 

《ばいびー》

 

 

《ちょ、ちょっとー!?》

 

 

 

 

 言う事は言った、とばかりにジョージはウィナーズサークルを後にした。記者の人は最後まで困った表情を浮かべたままだった。ジョージのトレーナー、時田トレーナーは頭が痛そうに抱えている。その後の取材はずっと時田トレーナーが対応していた。

 お父様が苦笑いを浮かべて呟く。

 

 

「なんちゅうか……、自由な子やなぁ」

 

 

「そうなの。でも、そういうところが可愛いと思わない?」

 

 

「そういう問題やないと思うんやけどお母様……」

 

 

 そう言いながらもボクはジョージの言っていたことの意味を頭の中で考える。

 ジョージは6、7と言っていた。つまり今回の走りは本気ではなく6割か7割程度の力で走っていた……という事だろうか?いや、多分違う。何となくだが、そうではない気がする。そこでふと頭をよぎったのはトレーナーの言葉。

 トレーナーは今回のジョージの走りがボクに似ていると言っていた。だが、あくまで似ているだけとも言えない走り。それを考えると……。

 

 

(ジョージは意図的にボクん走りを真似た?やけど、今回ん出来は6割か7割程度……っちゅうことやろうか?)

 

 

 これなら、ジョージの言葉の意味が理解できる。そして、最後に言っていた言葉。次こそは完璧なボクの走りを見せる、そう考えているのかもしれない。

 だが、どうしてボクの走りを真似たのだろうか?そう考えていると、お母様が呟くように言った。

 

 

「それにしても、ジョージちゃんも面白いことを考えるのね。激励のためにテンの走りを真似るなんて」

 

 

「激励……ですか?」

 

 

 トレーナーがボクが疑問に思った部分をお母様に聞いた。激励とはどういう事だろうか?するとお母様は得意げに答える。

 

 

「えぇ。ジョージちゃんがテンの走りを真似ていたのは、ジョージちゃんなりの応援なんじゃないかなって。そう思ったんです。後はテンの走りはこんなにも強いんだぞ、っていうことをみんなに伝える気持ちがあったのかもしれませんね」

 

 

 さすがに完璧に分かるわけじゃありませんけど、と苦笑いしながらお母様は締めた。ボクは呆けながらお母様の言葉を反芻していた。

 成程。ボクの応援のため、ボクの走りが強いという事を証明するため……か。元々ジョージとボクの戦法は近いものがある。ボクが走れない分、ジョージがボクの走りを真似ることで少しでも自分で走っている感覚を味わってほしい。そんなことを考えているのだろうか?嬉しさを覚えるのと同時に、不思議と納得できた。トレーナーも同じ気持ちなのか

 

 

「成程な」

 

 

と呟いていた。

 だが、それと同時にボクはエリモジョージというウマ娘のポテンシャルの高さに驚いた。普通、他の子の走りを真似て、それも1着でゴールするなどという芸当はできない。同じことをやれと言われてもボクには無理だ。思わず身体が震える。

 だが、これは恐怖から来るものではない。武者震いだ。競ってみたい、ボクが今の戦法に変えてジョージと戦ったのは日経新春杯の1回のみ。まともな決着はついていない。だからこそ、競ってみたい。そして、どっちが上なのかを決めたい。ボクは思わず口角を上げる。

 まあ、競ってみたいと考えるよりも先にこの怪我を治すことが先なのだが。一層リハビリを頑張らなければと気持ちを新たにする。リハビリは今日は休みだから明日からになるが。

 テレビに視線を戻すと、すでにインタビューが終わって次のレースの準備に取り掛かっていた。その後も走っている子たちをテレビの前で応援しながら時間が過ぎていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レースも最終レースが終わったという事で、またテンポイントたちとの話に花を咲かせている。テンポイントの子供の頃の話は本人が恥ずかしがるので切り上げてもらった。今の話題はテンポイントのおばあちゃん、ワカクモさんの母親にあたる人物の話だ。

 ワカクモさんは昔母親から聞いたであろう話を懐かしみながら俺達に語ってくれる。

 

 

「……それで、母さんが言うには父方の両親にすごく反対されていたらしいんです。理由については教えてくれなかったんですけど、猛反対されていたらしくて」

 

 

 俺は時折頷きながら話を聞いている。ふとテンポイントの方を見ると、俺と同じように頷いていた。お父さんの方は何度も聞いた話だと言っていたが、それでも初めて聞くような姿勢で聞いている。余程この話が好きなのかもしれない。

 ワカクモさんが話を続ける。

 

 

「それでも、父さんは諦めなかったみたいなんです。何度突っぱねられても、俺にはこの人しかいないんだ!だから結婚を認めてくれ!……って何回も直談判して。今にして思うと、テンの諦めの悪さは父さんに似たのかもしれませんね」

 

 

 どうやら、テンポイントのおじいちゃんとおばあちゃんはかなりの大恋愛の末に結ばれたらしい。話を聞いているとそう思った。

 

 

「でも、結局は認めてもらえなくて。父さんは軟禁に近い形で屋敷に幽閉されたらしいんです」

 

 

「そ、それで?お爺様とお婆様はどうしたんや?」

 

 

 テンポイントは続きが気になるのか、急かすように言った。そんなテンポイントの様子に笑みを浮かべながら、ワカクモさんは続きを話し始める。

 

 

「その時父さんが取ったのは、屋敷を抜け出して母さんに会いに行くことでした。裸足で抜け出したらしくて、足を血だらけにしながら自分の前に現れた父さんを見て母さんはすごくビックリしたって言ってました」

 

 

「すごい行動力ですね……」

 

 

「でしょう?でも、本当にすごいのはここからなんですよ?」

 

 

「あぁ、せやったなぁ。私も何回も聞いとりますけど、毎回驚かされますわ。お義父さんの行動力には」

 

 

 一体どうしたのだろうか?そう思いながら話の続きを待つ。

 

 

「それで、驚いている母さんの手を取って父さんはこう言ったそうです。俺と一緒に逃げよう!ここじゃない、どこか遠い別の場所で暮らそう!……って。それに母さんは了承しました。そして父さんたちが向かった先が……」

 

 

「今私らが住んどる北海道です」

 

 

 その言葉に、俺は驚いた。テンポイントも驚いたような表情を浮かべている。俺は思わず尋ねた。

 

 

「え?でも、確かおじいさんたちが元々住んでいた場所って……」

 

 

「はい。関西ですね。道中は協力してくれた人達のおかげもあってか、父方の者に見つかることはなく無事に逃げることができたそうです」

 

 

「関西から北海道まで……」

 

 

 かなりの大移動だ。それだけ、思いが強かったということかもしれない。

 

 

「北海道に着いた両親は、名前を変えて暮らしていたそうです。追手に見つからないように、隠れて過ごしていたらしいです」

 

 

「まあ見つかったら間違いなく連れ戻されますからね。聞いている限りだと」

 

 

 俺の言葉に、ワカクモさんは頷いた。俺の考えが合っているとばかりに。

 

 

「そこから幸せな日々を過ごしていました。子供を産んで、父さんは前のような豪勢な暮らしはできなかったけど、母さんがいたから前以上に幸せだったと、毎日のように語っていました。けれど……そんな日々も終わりを告げる時が来たんです」

 

 

「ま、まさか……」

 

 

 テンポイントが震えながらそう言った。俺も、大体の察しはついた。おそらく……。

 

 

「えぇ。父方の両親に、見つかったらしいです。丁度、私が生まれた年に」

 

 

「そんな……」

 

 

 テンポイントは話にのめり込んでいるのか、絶望したような表情を見せる。だが、多分俺も同じ表情をしているだろう。それだけ、この話にのめり込んでいる。

 

 

「その時母さんは終わった、と。そう思ったらしいです。けれど、父さんは違いました。自分の両親の姿を見るなり、地面に膝をつけて土下座してお願いしたらしいです。結婚を認めてくれ!と。逃げ出したことを謝りながら、額を地面に擦りつけて必死にお願いしていたそうです」

 

 

「そこまで、テンポイントのお婆さんのことが好きだったと……」

 

 

「そうですね。すごく惚れ込んでいました。見ているこっちが恥ずかしくなるくらいには」

 

 

 苦笑いしながらそう言った。話を続ける。

 

 

「そんな父さんの態度を見て、父の両親はただ一言、こう言ったみたいです。孫を、私を抱かせてくれないか?と。父さんと母さんは、言われた通りに私を両親に抱っこさせたと」

 

 

「「……」」

 

 

 俺とテンポイントは無言になる。一体どうなったのか?そう思いながら。

 ワカクモさんは微笑みながら続けた。

 

 

「腕の中で無邪気に笑う私を見て、父さんの両親は涙を流したそうです。そして、父さんたちに今までのことを謝罪しました。自分たちが間違っていた、くだらない噂に惑わされて、お前たちを見ようとしなかった。申し訳なかった……と。そこで、父さんたちの間にあったわだかまりは完全になくなったそうです」

 

 

 その顛末に、俺は涙を流しそうになった。何とか堪えたが。思わず呟く。

 

 

「良かった……良かったですねぇ……」

 

 

「ホンマや。ホンマに良かったわ……」

 

 

 そして、先程の神妙な口調から一転して明るい口調でワカクモさんは続けた。

 

 

「そして!私はその後すくすくと成長して母さんがなれなかった桜の女王になりました!って話ですね。いやぁ、両親もじいちゃんたちもすごい泣いてましたねぇ」

 

 

 しみじみとそう言った。その様子に、俺はさっきの涙が引っ込んだ。テンポイントも同じだったらしい。何とも言えない表情をしている。それはテンポイントのお父さんの方も一緒だった。

 そして、締めるようにワカクモさんがテンポイントに告げる。

 

 

「テン。あなたもじいちゃんのように頑張ってね。辛い時だってある、苦しい時だってある。けれど、あなたの隣には神藤さんがいるわ。神藤さんだけじゃない。私も、旦那も、キンだっている。あなたのお友達もね」

 

 

 続くように、お父さんの方もテンポイントに告げる。

 

 

「そうや、テン。やから、1人で抱え込まんと辛い時は辛い言うんやで?お義父さんが頑張ってこれたんは、お義母さんっちゅう支えがあったからや。俺はそう思うとる。お前は1人やない。それだけはしっかりと覚えとき!」

 

 

 そう言ってテンポイントの頭を撫でる。テンポイントはくすぐったそうに目を細めていた。だが、目元には涙が見える。きっと、嬉しいんだろう。自分の両親からここまで思われて。俺は微笑ましく思った。

 テンポイントの両親は時計を確認したかと思うと、立ち上がって俺達に告げる。

 

 

「すいません、そろそろ出ないと飛行機に間に合わなくなってしまうので。この辺で失礼しますね。神藤さん、テン」

 

 

「はい。今日はありがとうございました。色々とお話聞かせてもらって」

 

 

「ボクの小さい頃ん話は今すぐ記憶から抹消するんやで」

 

 

 スマン、多分無理だ。心の中でテンポイントに謝りながら俺は2人を送るために一旦病室の外に出る。しかし、2人は病室の外に出ると俺に話しかけてくる。

 

 

「大丈夫ですよ、神藤さん。神藤さんは、少しでもテンの側にいてやってください」

 

 

「え?でも……」

 

 

「ええんですよ。テンも、神藤さんが側におる時がええ表情しとりましたから。側におった方がテンも安心するでしょう」

 

 

 そして、2人は俺に深々と頭を下げてお願いする。

 

 

「重ねてになりますが、テンのことどうかお願いします」

 

 

「神藤さんなら、信頼できます。やからテンのこと、私たちの娘んこと、どうか頼みましたよ」

 

 

 ……俺は決意を込めて、この人達を安心させるようにしっかりとした態度で答える。

 

 

「はい。テンポイントのために、全力を尽くさせてもらいます!」

 

 

 俺がそう答えると、2人は満足したように病室を後にする。俺はまた病室に入ってテンポイントの下へと足を運ぶ。

 帰ってきた俺にテンポイントが尋ねてくる。

 

 

「お母様達なんて言うてたん?」

 

 

「お前のことを改めてよろしくされたよ」

 

 

「そか」

 

 

 テンポイントは短くそう答えた。俺はテンポイントに話しかける。

 

 

「なぁ、テンポイント」

 

 

「どしたん?トレーナー」

 

 

「頑張ろうぜ、どんなに険しい道のりでも、先の見えない道だとしても、俺達なら大丈夫。……そうだろ?」

 

 

 俺は拳を突き出す。レース前、いつものように。テンポイントは笑みを浮かべて答える。

 

 

「……あぁ!ボク達なら大丈夫、一歩ずつ頑張っていこうや!」

 

 

 テンポイントも拳を突き出す。軽く合わせて、俺達は再度これから頑張っていくことを確認した。

 

 

「あぁでも、辛い時はちゃんと言えよ?無理だけはしてほしくないからな」

 

 

「大丈夫や。昔みたいに隠したりはせんよ。っちゅうか、トレーナーやったら無理してたら気づくやろ?」

 

 

「ま、それもそうだな」

 

 

 俺達は、その後も他愛もない話をしながら過ごした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「せや、キングスはどうしたんや?いつもやったら来る思うてたんやけど」

 

 

「……アイツなら補習受けてるぞ。今日一日中」

 

 

「……何したんや、キングス」

 

 

「とりあえず、お父さんたちにバレないことを祈るだけだな」

 

 

「……やな」

 

 

 なお、病院に来ないことを不審に思ったワカクモさんがキングスに電話してバレたらしい。こっぴどく叱られたと涙ながらに言っていたとテンポイントが話していた。




ブルーロックを全巻揃えたい欲が凄いです。


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第102話 誰にも

ファン交流(トレーナーのみ)回


 エリモジョージが逃げ切り勝ちを収めた京都記念から数日が経った。俺は今学園ではなくショッピングモールにある喫茶店を訪れている。時間はお昼を少し過ぎた頃だ。何も注文しないというわけにはいかないので適当な飲み物を注文して席で待つ。

 平日の昼間であるにも関わらず、なぜ仕事をしないで喫茶店を訪れているのか。それはつい先日俺のもとに届いた一通の手紙が原因だ。その内容は要約すれば俺と話がしたいというもの。普通であれば、そんな手紙は悪戯か何かだと思って気にも留めないだろう。それに、今俺を取り巻く状況から考えると報復される可能性だって0じゃない。会わない方が得策だろう。

 だが、手紙に書かれていた名前を確認して今回俺は手紙の人物を会うことを決めた。その人物なら、下手なことはしないだろうと。そう思ったから。

 席で待つこと数分、店員さんに案内されて1人の人物が俺のところに訪れた。俺は席を立ってその人にお辞儀をする。向こうも、俺と同じように丁寧にお辞儀をした。

 

 

「こうして会うのは初めてですね。神藤トレーナー」

 

 

「はい。私も、いつも楽しくあなたの実況聞かせていただいてますよ」

 

 

「光栄です。テンポイントさんのトレーナーであるあなたにそう言われるなんて」

 

 

 その人物とは、関西のレース場で実況を務めているアナウンサーだった。俺の言葉に笑みを浮かべている。

 基本的に平等な視点で実況することが多いアナウンサーの中でも、この人は自分の感情のままに実況するスタイルが有名だ。ここ数年だと、テンポイントに対する肩入れの実況が有名だろう。テンポイントの阪神ジュベナイルフィリーズで発した

 

 

《どんどん差が開く!どんどん差が開いていく!メイクデビュー、もみじステークスに続いてまたも独走状態だ!見てくださいこの脚を!これが期待の流星テンポイントの強さだ!〈貴公子〉テンポイント!圧倒的強さを見せて今ゴールしました!》

 

 

というフレーズが結構有名だ。そして、この人のテンポイントの入れ込み様は半端じゃない。何せ、昨年の有マ記念でマイク片手に中山レース場まで訪れるほどなのだから。

 お互いに握手を交わして席に着く。向こうも飲み物を注文していた。飲み物が到着するまで、お互いに無言を貫く。

 程なくして飲み物が到着したところで、向こうが俺に尋ねてくる。

 

 

「それにしても、驚きました。まさか本当に会ってくださるなんて。どうして会おうと思ったのですか?今のあなたの状況から考えると、会ってくれないと思っていたのですが……」

 

 

 俺は少し苦笑い気味に答える。

 

 

「そうですね……。単純に、私としてもあなたと一度会って話してみたかったんです。テンポイントのトレーナーとして、彼女に対する思い入れが強いあなたと。それよりも、お仕事の方は大丈夫なのですか?お互い様のような気はしますが」

 

 

 向こうは苦笑いを浮かべつつ答える。

 

 

「はは。今日はこの日のために有休をとりましたから。あなたとお話しできるこの日を楽しみにしていました」

 

 

「そう言ってくださるのは嬉しいですね。今日はよろしくお願いします」

 

 

「はい。こちらこそ」

 

 

 向こうは早速話題を切り出してくる。

 

 

「それにしても、本当にテンポイントさんはすごいですね。私が彼女のレースを始めて見たのはもみじステークスの時でしたが、思わず口走ってしまいましたよ。やっぱりこのウマ娘は強いのか!……と」

 

 

「結構感情任せに実況することが多いんじゃないですか?」

 

 

 向こうは困ったような笑みを浮かべながら肯定する。

 

 

「そうですね。でも、ファンの人からはそれが好評みたいで。結果として今のような実況に落ち着いているわけですから」

 

 

「ファンの人に感謝しないといけませんね。おかげで、こちらもあなたの実況を聞くことができるんですから」

 

 

「おだてても何も出せませんよ?」

 

 

「本心ですよ」

 

 

 お互いに笑いあう。その後も、テンポイントのことを中心に話し合った。クラシック級で挑んだ京都大賞典の惜敗、菊花賞の敗北、進化を遂げたシニア級の京都大賞典、後世に語りたいとまで言ってくれた昨年の有マ記念。様々なレースのことを話した。

 そんな時、ふと向こうが表情を引き締めた。思わず俺も気を引き締める。向こうからの言葉を待つ。そして、口を開いた。

 

 

「……正直、聞くのが怖いのですが、それでも聞かせてくれませんか?神藤トレーナー」

 

 

「……なんでしょうか?」

 

 

「今でもファンの人を、我々を恨んでいますか?」

 

 

 俺はその言葉に、無言を貫く。ただ、胸中には黒いものが渦巻いている。向こうは、そのまま言葉を続ける。

 

 

「日経新春杯、元々このレースに出走したのは我々ファンが望んだからだと。そう言っていましたよね?海外に飛び立つ前にテンポイントの走りを見たいというファンのために、出走をしたと」

 

 

「……えぇ、その通りですね」

 

 

「つまりは、テンポイントさんの怪我は我々ファンの声があったから。そう捉えられてもおかしくはありません。だからこそ、神藤トレーナーはテンポイントさんが骨折したのは我々のせいではないかと。そう、考えているのかと、思いまして……」

 

 

 言葉尻を窄めてそう締めた。俺はいまだに無言を貫いている。向こうは、何かに怯えるように背を縮こませている。先程までテンポイントの話題で盛り上がっていた2人とは思えない雰囲気が場を支配する。

 一瞬訪れる静寂。その静寂を破るように、俺は溜息1つ吐いてその問いに答える。

 

 

「恨みがない、と言えば嘘になります」

 

 

「……ッ!です、よね……」

 

 

「えぇ。あの声さえなければ、そのまま海外に行っていれば。テンポイントは無事だったんじゃないか。そう考えたこともありました。けれど」

 

 

 俺は言葉を続ける。

 

 

「結局、出走することを選んだのは私達です。確かにファンの声を受けて出走したのは事実です。でも、私もテンポイントも納得した上で出走を決意しました。だからこそ、記者会見での言葉が私の本音ですよ。最終的に決定したのは私であってファンの人々が悪いわけじゃない」

 

 

「で、でも」

 

 

「それに、恨んだところで何かが起こるわけではありません。だから、恨むようなことであってもそれであなたたちに何かしようとは思いませんし、一生許さないなんてことはありません。私も、テンポイントも」

 

 

「そう……ですか……」

 

 

 向こうはそう言って顔を俯かせる。俺は飲み物を飲みながら向こうの言葉を待つ。

 やがて、向こうは顔を俯かせたまま絞り出すような声で告げる。

 

 

「……しかし、私としてはあなた方に何か償いたい……ッ!テンポイントさんが骨折する原因を作ってしまった、そう考えている1ファンとして、そう思っています……ッ!私にしか、できないことで……ッ!」

 

 

「でしたら、是非お願いしたいことがあるんです。それこそ、あなたにしかできないことで」

 

 

 向こうが顔を上げる。驚いたような表情をしていた。俺は笑みを浮かべながら続ける。やってもらいたいことを。

 

 

「先程も言いましたが、あなたの実況を私は楽しく聞いているんです。そして、それはテンポイントも同じです。彼女は、あなたの実況が好きだと言っていました」

 

 

「……それは、嬉しい限りです」

 

 

「そんなあなたにこそ、お願いしたいんです。テンポイントの復帰レースの実況を」

 

 

「テンポイント、さんの……復帰レース?」

 

 

 面食らったような表情をして言葉を絞り出していた。俺は頷いて答える。

 

 

「はい。テンポイントは今復帰に向けて一生懸命頑張っています。そんな彼女が復帰した時、是非ともあなたに復帰レースの実況してもらいたいんです。テンポイントが好きだと言った、あなたの実況を」

 

 

「……私なんかで、いいんですか?」

 

 

「あなただからこそ、です。もっとも、復帰レースがどのレース場で行われるかなんてまだ分かりませんし、下手をしたら関西以外になるかもしれません。そうなったら……」

 

 

「やりますよ。例え関西のテレビ局から退くことになっても」

 

 

 先程の俯いていた、不安を抱いていた様子は微塵も感じられない。決意の籠った目で俺を見ている。そして、宣言する。

 

 

「テンポイントさんの復帰レースの実況は、誰にも渡しません。絶対に、私がその席を掴み取ります」

 

 

「……頼みましたよ」

 

 

「はい、頼まれました」

 

 

 最後はお互いに笑いあって握手をする。その後は、会計を済ませて向こうは帰っていった。俺もテンポイントの病院へと向かう。今日は、リハビリの日だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 病室のベッドの上で、ボクは今日ものんびりと過ごしている。すると、扉を開けて誰かが入ってきた。入ってきたのはトレーナーと医者の先生である。

 挨拶も程々に済ませて、ボクは車椅子に乗せられる。向かう場所は、リハビリ施設だ。道中は緊張を覚えながら車椅子を押してもらっていた。

 程なくしてリハビリ施設に到着する。先生がボクに告げる。

 

 

「さて、今日も歩行訓練です。右足はほとんど問題ない状態まで来ました。なので、左足の方を重点的に行っていきましょう」

 

 

「はい」

 

 

 ボクは先生の言葉に頷いて、手すりを頼りに車椅子から降りる。

 いつものリハビリのように、手だけでボクの全体重を支える。そして、ゆっくりと左足を地面につける。いつもだったら、つけた瞬間バランスを崩して倒れていた。

 だが、この日のボクは違った。激痛こそ走るものの、何とか左足を地面につけることに成功する。

 

 

「……ッウ、グゥ……ッ!グッ……、っつぅ……ッ!」

 

 

 しかし、喜ぶような余裕もない。全身から汗が噴き出る。額からは大粒の汗が流れているのを感じる。それでも、ボクは痛みを必死に耐えて左足に徐々に体重をかけていく。

 そこがボクの限界だった。バランスを崩して倒れ込む。

 

 

「ガッ!?グゥ……ッ!」

 

 

「テンポイントさん!?」

 

 

「……」

 

 

 そんなボクの様子を、先生は心配そうに、トレーナーは何も言わずにジッと見ているだけだ。

 無言だが何となくトレーナーの考えが理解できる。きっと、トレーナーは分かっているのだろう。ボクはまだ大丈夫だということを。ボクは手すりを頼りに何とか身体を起こす。

 

 

「ッフー、フー……ッ!まだや、まだ……まだぁ……ッ!」

 

 

 そして、先程同様左足を地面につけて徐々に体重をかけていく。また倒れる。また手すりを頼りに起き上がる。そんなことを繰り返す。

 もう何度目か分からない回数起き上がると、無言だったトレーナーがボクを制止する。

 

 

「ストップだテンポイント。今日はこの辺で止めておこう」

 

 

「……トレー、ナー……。やな、キミが、そう……判断、したんやったら、ここが……今の……限界っちゅう、こと……やな?」

 

 

 息も絶え絶えにボクはそう言った。トレーナーは頷いた。

 

 

「そうだ。それに少しずつ、本当に少しずつだが進んでいる。ですよね?先生」

 

 

 トレーナーの言葉に、先生は頷いた。

 

 

「はい。昨日までは足をつけることすらままならなかったのが今日は足をつけ、少しだけですが体重をかける段階まで来ました。着実に一歩ずつ進んでいる証拠です」

 

 

 今までは実感しづらかったが、今日こうやって少しだけでも前に進めている証拠が出てきてボクは嬉しかった。ただ、かなりの体力を使った。それを察してか、トレーナーが車椅子のところまで抱っこして運んでくれた。また、車椅子に乗せられて自分の病室へと戻る。

 病室でボクの経過報告を告げて、先生は退室する。その後はいつものように、トレーナーとのお話が始まる。

 トレーナーが今日あった出来事を話してくれる。

 

 

「今日はお前の大ファンと話してきたぞ。あの関西のレース場で実況している人だ」

 

 

「ホンマ?あん人の実況スタイルボク好きなんよな」

 

 

「分かる。俺もそうだ。そして、お前の復帰レースをあの人に実況してもらうことを約束してきた」

 

 

「マジか!やけど、あん人確か関西のテレビ局ん人やろ?関東のレースん時はどうするん?」

 

 

「分からん。ただなんとしてでもお前の復帰レースは自分が実況するって意気込んでたぞ」

 

 

「そかそか。それは嬉しいなぁ」

 

 

 他愛もない会話を続ける。リハビリの疲れなんてなかったように感じていた。そして、いつものようにボクが眠くなるまでトレーナーはボクの話し相手になってくれた。




どんなに小さくても一歩は一歩


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第103話 会長の責任

生徒会長のお見舞い回


 一歩前進したリハビリから明けて次の日。ボクは病室でぼうっと過ごしていた。お昼ご飯の病院食のことを思い出しながら1人呟く。

 

 

「トレーナーのご飯食べたい……」

 

 

 別に病院食が不味いというわけではないのだが、とにかく味が薄い。ボクの身体のことを考えたら仕方のないことなのだが、さすがに一ヶ月近くほとんど変わらない味の料理を食べていると飽きが来るのは当然だ。思わずため息を吐く。

 愚痴っても仕方がないと考えたボクはトレーナーが持ってきてくれた本を読むことにした。穏やかな時間が流れる。

 そのまま本を読むことに集中していた時、病室の扉を開けて誰かが入ってきた。ボクは時計を確認する。学園の授業はすでに終わっている時間だった。大半の生徒が下校して練習に励んでいるだろう。この時間だったら……。

 

 

(トレーナーやろうか?それとも、ボーイたちか?)

 

 

 正直誰が来てもおかしくない時間だ。そんなことを考えていると扉を開けて病室に入ってきた人物がボクの前に訪れる。

 その人物は、ハイセイコー先輩だった。先輩は笑みを浮かべてボクに挨拶をする。

 

 

「こんにちは、テンポイント。今日の調子はどうだい?」

 

 

 ボクは少し驚きながらも挨拶を返す。

 

 

「こ、こんにちは。ハイセイコー先輩。ええ調子です、リハビリも順調ですし」

 

 

「それは何よりだ」

 

 

 ハイセイコー先輩は荷物を置いてソファに座る。そのままボクに申し訳なさそうな表情を浮かべながら謝罪をしてきた。

 

 

「すまないね、テンポイント。中々お見舞いに来ることができなくて」

 

 

 ボクは慌てながらも先輩を擁護する。

 

 

「い、いえ!こうして来ていただけるだけでもボクは十分ですんで!それに先輩も忙しい身ですし、お見舞いに来てもらえるだけでも十分っちゅうか!」

 

 

「そう言ってもらえると助かるよ。これからも、空いた時間を見つけたら君のお見舞いに足を運ぶとしよう」

 

 

 そう言って先輩は挨拶した時同様笑みを浮かべる。先輩は生徒会長としても忙しいだろうに本当にありがたい限りだ。

 とりあえず、ボクは何か話題はないかと頭の中で考える。その時、ボクの頭にあることが浮かんだ。それは、日経新春杯の時のこと。あまり触れていいことなのかは分からないが、ボクはその話題を先輩に切り出す。

 

 

「そ、そういえば日経新春杯ん時に地面に激突しそうやったボクを助けてくれたんはハイセイコー先輩やったんですよね?」

 

 

 ボクの言葉に先輩は答える。

 

 

「あぁ、私だよ。それがどうかしたのかい?お礼なら、最初にお見舞いに来た時にもらえたから十分だよ?」

 

 

「いくら感謝してもし足りんぐらいの恩ですけど……、そうやなくてですね。その……」

 

 

 ボクは少し言い淀んでしまう。だが、意を決して聞く。

 

 

「その、URAからなんか言われんかったんですか?救助んためとはいえ、レース中のコースに飛び出したわけですから。特に、ハイセイコー先輩は生徒会長ですし……。お咎めなしっちゅうわけにはいかんかったんじゃないですか?」

 

 

 基本的に、ウマ娘のレース中にコースに飛び出すのはご法度だ。それは、人であってもウマ娘であっても変わらない。いくら救助のためとはいえ飛び出してきたのだから何らかの処罰があるのではないだろうか?ボクはそう思っていた。最初にお見舞いに来た時には聞くことができなかった。

 ボクはそう尋ねるとハイセイコー先輩は困ったような顔をして答える。

 

 

「そうだね。さすがにお咎めなし……とはいかなかったよ」

 

 

「やっぱり……」

 

 

「あぁでも……フフ。そうだね。その時の話をしてあげよう。とても面白い話だからね」

 

 

「お、面白い?」

 

 

 先輩の言葉にボクは思わずそう聞き返した。URAからお叱りの言葉を貰ったはずなのに、面白いというのはどういう事だろうか?そう考えていると先輩がその時のことを話し始める。

 

 

「そうだね……。アレは日経新春杯が終わって数日が経った後、君のお見舞いが済んだ次の日ぐらいだったかな?私はURAに呼び出されてURA本部へと足を運んだんだ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『さて、トレセン学園生徒会長ハイセイコー君。今日ここに呼び出された理由は分かっているね?』

 

 

 重厚な扉を開けて部屋の中に入った私に、重役の1人が開口一番そう告げる。私は頷きながら肯定した。

 

 

『はい。先日行われた日経新春杯……。そのレースで私は、レース中であるにも関わらず観客席から飛び出し、コースへと侵入した。そのことについて……ですね?』

 

 

 私の言葉に質問した重役は頷く。どうやら合っていたらしい。もっとも、安堵なんてできないが。私は気を引き締めて次の言葉を待っていた。

 部屋の中には私を含めて6人。5人のURAの重役が私の前に座っていた。机に腕を組んでいる1人が私に尋ねてくる。

 

 

『救助のためとはいえ、レース中のコースに飛び出すのは禁止されています。そのことは勿論知っていますね?』

 

 

『はい』

 

 

 私は頷いて答える。レース中のコースに飛び出すのはご法度。誰もが知っているルールだ。いくら人命救助のためとはいえ、褒められた行為ではないことは私も分かっていた。だが、自分が取った選択に後悔はなかった。大切な友であるテンポイントの命を助けるためを思えば私の名誉や地位がいくら汚れようが構わなかった。

 眼鏡をかけた人物が私に詰問してくる。

 

 

『あなたはトレセン学園の生徒会長。全生徒の模範となるべきウマ娘です。そんなあなたがルールを破った。それも、基本中の基本のことを。いくら人命救助のためとはいえ、褒められた行為ではありません』

 

 

 私は、その言葉に強い口調で返した。

 

 

『それは勿論存じております。ですが、大切な友であるテンポイントのため。そう考えたら自然と身体が動いていました』

 

 

 私の言葉に重役の人達は口を閉じる。私は続けた。

 

 

『褒められた行動でないことは重々承知しております。ですが、私は自分の行動に後悔はしていません。いかなる処罰も受けましょう。生徒会長の解任、どうぞお好きなように。私は、友の命を救うことができた。それだけで十分ですので』

 

 

 私は自分の意思を告げる。部屋の中を静寂が支配していた。

 やがて、真ん中に座っている人物がボクに話しかけてくる。

 

 

『成程。余程の覚悟があるようだ。では、君に対する処罰を告げる』

 

 

 私は目を閉じた。いかなる処罰でも受ける覚悟を持って。そして、私の処罰が告げられる。

 

 

『反省文。後日URA宛てに反省文を提出してもらうことにしよう』

 

 

 告げられたその言葉に私は思わず素っ頓狂な声を上げた。

 

 

『……はっ?』

 

 

 だが、私の気持ちなどお構いなしに他の人物も口々に賛成の声を上げる。

 

 

『まあ、妥当でしょう』

 

 

『えぇ。それに、これを機にルールを改定するというのはいかがでしょうか?』

 

 

『良いですね。改めるなら……レース中のコースに飛び出すことを禁ずる。しかし、人命救助のためであればその限りではない……と言った感じでしょうか?』

 

 

『そうさなぁ、これからも同じような事例が起こる可能性だってある。それを考えるとルールを変えることが望ましいさね』

 

 

 私はあまりのことに何も言えないでいた。そんな私に真ん中に座っている人物が私に告げる。

 

 

『……と、いうことだ。君に対する処罰は反省文を書いてもらう事。それだけだ。おっと……、コースに入ったのは神藤誠司君もそうだったか。彼にもそう通達しておくとしよう』

 

 

『あ、あの。1つよろしいでしょうか?』

 

 

『なんだね?』

 

 

『本当に、それだけでよろしいのでしょうか?仮にも全生徒の模範となるべき生徒会長がルールを犯したのですよ?』

 

 

 私の言葉に重役たちは揃って曖昧な表情をしていた。代表して真ん中に座っている人物が答える。

 

 

『確かに、君はルールを犯した。それは糾弾されるべきことだろう。だが、それは人命救助のためだというのは周知の事実だ。ならば、重い罰を与える必要はない。我々はそう判断した。ただし、褒められた行為ではないのは確かだから軽い罰は与えるがね』

 

 

 私は先程までの緊張が一気になくなる感覚を味わった。次いで、少しの安心を覚えた。とにかく、反省文の提出。そして、私は生徒会長を続行することになるらしい。

 

 

『さて、話は終わりだ。ハイセイコー君。これからも君の手腕を期待しているよ』

 

 

『……はい。誠心誠意、務めさせてもらいます』

 

 

 私はそう言って部屋を後にした。帰りの足取りはどこか軽かった気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……と、いうわけさ。つまるところ、ほとんどお咎めなしと言ってもいいね」

 

 

 ハイセイコー先輩はそう締めた。その内容は日経新春杯でコースに侵入したことに対するURAからの会話の内容。それを聞いたボクは開いた口が塞がらない程に驚いていた。

 そんなボクの様子を見てハイセイコー先輩は苦笑いをしている。

 

 

「まあ、確かに驚くだろうね。私もどんな罰が下されるのかと思ったら反省文だけだったんだから」

 

 

「そ、そうですね……」

 

 

「まあ、結果として私は生徒会長を続けることになったよ」

 

 

「あはは。まあハイセイコー先輩が生徒会長続けるんことなってボクは良かったです」

 

 

 そんなボクの言葉に、ハイセイコー先輩はウィンクしながら告げる。

 

 

「テンポイント、君になら生徒会長の座を譲ってもいいと考えているんだけどね。どうだろうか?」

 

 

 ボクは勢いよく首を横に振って答える。

 

 

「い、いえいえ!そんなボクなんかが!」

 

 

「そうかい?ファンからの人気、実力、生徒からの支持……どれをとってもふさわしいと私は思っているのだが……」

 

 

「う、う~ん。やけど……」

 

 

 ボクはしり込みしながらも続ける。

 

 

「やっぱり、ボクは会長になって何をやりたいかなんて思いつかんので、遠慮しときます。お言葉は嬉しいんですけど」

 

 

「残念、フラれてしまったか。まあ君ならそう答えると思っていたけどね」

 

 

 嘆息しながらハイセイコー先輩はそう告げる。ただ、気になることがあったのでボクは先輩に尋ねた。

 

 

「ボーイはどうなんです?ボーイも、会長にふさわしいんやないですか?」

 

 

「トウショウボーイかい?う~ん……」

 

 

 少し悩む素振りを見せた後、首を横に振って答える。

 

 

「個人的な意見だが、彼女は自由であるべきだ。生徒会長という役職で縛るわけにはいかない。だから、私としてはあまり生徒会長にはなって欲しくはないかな。本人が望めば、その限りではないけどね」

 

 

 その答えにボクは納得した。確かに、ボーイの性格を考えるとその方がいいだろう。むしろ、生徒会長という職について自分の走りをできなくなってしまったらと考えると、その方がいいかもしれない。もしかしたら、逆に良い方向に働くかもしれないが。

 その後はハイセイコー先輩の学園での生活を中心に聞いていった。笑えるような話から、少し真面目な話まで。様々な話を聞いて過ごした。




そろそろ秋のG1戦線が始まる頃。


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閑話15 復帰に向けて

元鞘に納まった練習回


 2月も後半になり、そろそろ暖かくなってくる頃であろう季節。本来であれば休日である今日、有マ記念の後退部した……正確には休部扱いになっていたハダルに戻ってきていた私は、ドリームトロフィーリーグに向けての練習に励んでいる。正直、私に出走資格があるのか少し不安だったが、日本ダービーでの勝利と宝塚記念以外では掲示板内に入っているという実績から問題はないと判断されて無事にドリームトロフィーリーグに参加することができた。嬉しい限りである。

 ただ、戻ってきた私に待っていたのは練習……なんていう生易しいものではなかった。私は今コースをならすために使われるコートローラーに追っかけ回されている。コートローラーを運転している悪魔に私は叫びながら訴える。

 

 

「た、助けてくださぁぁぁぁい!もう……もうホント無理です!死んじゃいます!」

 

 

 私は心からそう叫んだ。走りながらなので息も絶え絶えに。だが、運転している悪魔、タケホープ先輩は私の心からの叫びを一蹴するように告げる。

 

 

「おやぁ?まだそんな大声を出す余裕があるんだったら大丈夫だねぇ。もうちょっとスピードを上げようかぁ」

 

 

 その言葉を聞いた瞬間、私の背筋が凍った。これ以上スピードが上がったら本当にヤバい。私は必死に訴える。

 

 

「ちょ、ちょっと!?本当に止めてください!洒落にならないんですけど!?」

 

 

「大丈夫大丈夫ぅ。ちゃぁんと轢かないようにはするからぁ」

 

 

「そういう問題じゃないですけどぉぉぉぉぉ!?いやぁぁぁぁぁぁ!?」

 

 

 結局、私はコートローラーに乗ったタケホープ先輩に延々と追い掛け回された。そんな私を、チームのメンバーは憐れむような目で見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ゼェ……ゼェ……」

 

 

「お疲れ様ぁカイちゃん。はい、タオルとドリンク」

 

 

「あ、ありがとうございます……」

 

 

 地面に膝をついている私にタケホープ先輩がタオルとドリンクを持ってきてくれた。タオルで汗を拭きながら座って休憩を取る。ドリンクは今飲んだら吐きそうだったので後から飲むことにした。

 タケホープ先輩が隣に座って私に話しかけてくる。

 

 

「いやぁ、大分慣れてきたねぇ。これだったら次の段階に逝ってもいいかもしれないねぇ」

 

 

「あの、なんですか次の段階って。これより上があるんですか!?というか、いっての漢字が物騒じゃありませんでしたか!?」

 

 

 私はタケホープ先輩の言葉に絶句しながらそう答える。しかし、先輩は笑顔を浮かべるだけだった。

 ……年が明けてから、正確にはハダルに戻ってきた私を待っていたのはタケホープ先輩による鬼のようなしごきだった。さすがに今日のような変な練習は滅多にしないが、それでも通常の練習よりもはるかにキツいしごきが私を待っていたのだ。昔先輩には私が無茶な練習をしていた時に身体を壊したらどうするみたいなことを言われたような気がしたのだが、それを本人に告げたところ、

 

 

『私にはカイちゃんの限界がちゃぁんと分かってるからねぇ。だからぁ、これは無茶でも何でもなくカイちゃんが耐えられる限界ギリギリの練習さぁ。安心して励んでねぇ』

 

 

と、言われた。本当かどうか怪しいと思っていたが、今日まで怪我無く過ごせているということは先輩の言っている通りなのだろう。

 だが、限界ギリギリを責めた練習をほぼ毎日させられているこっちの身にもなって欲しい。私は先輩に抗議する。

 

 

「というよりも、なんですかあの無茶苦茶な練習は!?」

 

 

「今日のはぁ……スタミナ練習だねぇ。限界まで走ってスタミナを上げようって魂胆さぁ」

 

 

「もっとやりようがあるでしょう!?今日だけじゃありません、別の練習もそうです!」

 

 

「そんなに酷いことしてたかぁい?」

 

 

「自覚なしですか!?ある時は精神修行とか言ってこの時期に滝行させられますし!山の中で鬼ごっこと称してチームメンバー全員に追っかけ回されますし!捕まったら罰ゲームで色々やらされますし!他にも色々あるんですよ!?」

 

 

「あぁ、そんなこともあったねぇ」

 

 

 タケホープ先輩は懐かしむようにそう言った。私からしたら即刻封印したい記憶である。実際、滝行の時はトラウマになりかけた。

 しかし、私のそんな憤りを受けてタケホープ先輩は真面目な表情で私に告げる。

 

 

「いいかい?カイちゃん。私はカイちゃんに自信をつけて欲しいのさぁ」

 

 

「自信……ですか?」

 

 

「そうさぁ。カイちゃんは物事を悪い方向に捉えがちだろぉう?それはカイちゃんの長所でもあるけどぉ、短所でもあるんだぁ」

 

 

 私は真面目な雰囲気を出しているタケホープ先輩の言葉を黙って聞く。

 

 

「長所はぁ、あらゆる危機に対して即座に対応することができる……。カイちゃんは慎重だからぁ、色んなパターンを想定して動いているだろぉう?実際、鬼ごっこの時はほとんど捕まらなかったじゃないかぁ」

 

 

「そう……ですね。やっぱり、十分な準備をして動いているので」

 

 

「でもぉ、どんなに万全を期しても不測の事態というのは起きるもんさぁ。その時に必要なのはぁ、自分の実力に対する自信さぁ。自分の力に自信を持っていればぁ、不測の事態が起きても問題なく自分の実力を発揮することができる……。そうは思わないかぁい?」

 

 

「確かに、そうですけど……。でも、この練習と一体何の関係が?」

 

 

「大有りさぁ」

 

 

 タケホープ先輩は大仰にそう言った。そのまま言葉を続ける。

 

 

「カイちゃんはぁ、普通にキツい練習をいくらやったところで自信なんてつかなかっただろぉう?だからぁ、こうやって限界ギリギリの練習をたっくさぁんすることでぇ、無理矢理にでも自信をつけさせようってことさぁ。これだけやれば、いやでも自信はつくだろぉう?」

 

 

「まぁ……悔しいですけどその通りですね」

 

 

 実際のところ、なんだかんだ私はタケホープ先輩のしごきに耐えて乗り越えてきている。トラウマを植え付けられたりしているが、自信はついていた。ただ、本当にもっと違うやり方はなかったのだろうか?そう思わずにはいられなかった。

 タケホープ先輩が私に問いかける。

 

 

「カイちゃん。カイちゃんの一番の強みってなんだと思ってるぅ?」

 

 

「私の……強みですか?う~ん……」

 

 

 いざ言われると分からない。分析力だろうか?それとも末脚?いや、違う気がする。私は答えが分からなかった。

 そんな私にタケホープ先輩が答えを告げる。

 

 

「カイちゃんの一番の強みはぁ、一瞬の判断力さぁ。それだけに限ればぁ、カイちゃんは世代の中でもトップクラスだと私は思ってるよぉ」

 

 

「判断力……ですか?」

 

 

「そうさぁ。勝負の世界においてその能力は重要だよぉ?一瞬の判断が命取りにもなるしぃ、未来を変えることだってあるんだからぁ」

 

 

 タケホープ先輩はあっけらかんとそう言った。判断力……、今まで考えもしなかった私の長所。これだけならば、私はテンポイントさんやボーイさん、グラスさんよりも上だと。そう言われた。驚きもあったが、少し嬉しかった。

 タケホープ先輩が私に告げる。

 

 

「これからカイちゃんはぁ、私たちがいるドリームトロフィーリーグに挑戦するんだろぉう?トゥインクルシリーズの中でも指折りの猛者たちが鎬を削る舞台だぁ。そんな舞台でカイちゃんが戦うためにはぁ多少荒療治でも自信をつけてもらわなきゃねぇ」

 

 

「……」

 

 

「正直に言うとぉ、カイちゃんに自信がついたら判断力と合わせてドリームトロフィーリーグの猛者たちにも劣らない強さを身に着けることができるよぉ。私がそれを保証しようじゃないかぁ」

 

 

「タケホープ先輩は」

 

 

「うん?」

 

 

 私は気になっている疑問を、先輩にぶつけた。

 

 

「タケホープ先輩は、どうしてそんなに私を気にかけてくれるんですか?」

 

 

 ずっと疑問だった。前にテンポイントさんに言われたことが頭にずっと引っかかっていた。

 

 

『タケホープ先輩もカイザーのこと信じとるんやないか?あの人カイザーに入れ込んどるし』

 

 

 どうして、私にここまで入れ込んでくれるのか。それが少し疑問だった。

 しばしの静寂。私は緊張しながら言葉を待つ。やがて、タケホープ先輩が口を開いた。

 

 

「……最初はチームの後輩だから、それだけの理由で気にかけてたねぇ。何もカイちゃんだけが特別ではなかったさぁ」

 

 

「そうなんですか?」

 

 

「そうだよぉ。でも、明確に変わったのはダービー以降になるねぇ。勝てなくて、必死に手を伸ばして、でも届かなくて。そんなカイちゃんの姿をずぅっと見てきたんだぁ」

 

 

 タケホープ先輩は懐かしむように続ける。

 

 

「普通だったらぁ、同世代にあんなスターが2人もいるんだったら諦めてしまいそうなものをぉ、カイちゃんは宝塚記念のその日までずぅっと諦めずに手を伸ばし続けてたぁ。そんな姿を見てぇ、私は無意識のうちに自分と重ねてしまったのかもしれないねぇ。きっとぉ、私も勝てなかったらカイちゃんと同じようなことになってただろうからぁ」

 

 

「タケホープ先輩の代には、ハイセイコー先輩がいましたものね」

 

 

「そうだねぇ。しかも私負け越してるしねぇ」

 

 

 タケホープ先輩は笑いながらそう言った。しかしすぐに表情を引き締めて告げる。

 

 

「カイちゃんに入れ込んでるのはぁ、どこか他人のような気がしないからさぁ。理由はそれぐらいのもんだよぉ」

 

 

「そう、ですか」

 

 

 私はタケホープ先輩の言葉にそう返す。それ以上は何も言えなかった。というよりも、なんといえばいいのか分からなかった。胸の中にあるのは自分に親身になってくれるこの人に。どうやったら恩を返せるか?そんな思いが生まれた。だが、それをうまく言葉にすることができない。お互いに無言になる。チームのみんなの練習に励んでいる声がよく聞こえた。

 無言を破ったのはタケホープ先輩だった。

 

 

「さぁて、お話も済んだところでぇ、練習に戻ろうかぁ」

 

 

「……そうですね。タケホープ先輩、いいですか?」

 

 

「なんだぁい?」

 

 

 私は、頭を下げてお願いする。

 

 

「これからもご指導ご鞭撻、お願いします。ドリームトロフィーリーグで、その結果を出して見せます」

 

 

「……気合十分だねぇ。それじゃあ頑張ろうかぁ」

 

 

「はい!」

 

 

 私は決意を固めて練習に戻る。タケホープ先輩の期待に応えるためにも。

 

 

「じゃあ、早速向かおうかぁ」

 

 

「え?どこにです?」

 

 

 タケホープ先輩はとてもいい笑顔で答えた。

 

 

「決まってるだろぉう?さっきの続きさぁ」

 

 

「……え”?」

 

 

 思わず、そんな声が漏れ出た。さっきのコートローラーで追い掛け回されるやつを?またやるのか?そのことに絶望している私にタケホープ先輩は笑顔で告げる。

 

 

「大丈夫さぁ、今度はカブちゃんも一緒だからねぇ」

 

 

 その言葉に、遠くの隅っこの方で練習していたカブラヤオー先輩が悲鳴のような声を上げる。

 

 

「えええええ!?なな、なんでですかァァァァァ!?わ、私関係ないじゃないですかァァァァァ!?」

 

 

 とんでもないとばっちりを受けたことにカブラヤオー先輩が抗議する。しかし、タケホープ先輩はその意見を一蹴した。

 

 

「そんな隅っこで1人練習するぐらいだったらぁ、一緒に練習しようじゃないかぁ。ほらほらぁ、早く逃げないと轢かれるよぉ?」

 

 

 そんなことを言いながら、すでにコートローラーに乗っているタケホープ先輩がカブラヤオー先輩を追いかけまわす。そして、私の方に進路を取ってきた。

 私とカブラヤオー先輩は二人そろって悲鳴を上げながら走る。

 

 

「「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?誰か助けてぇぇぇぇぇぇぇぇ!」」

 

 

「ほらほらぁ、頑張れぇ頑張れぇ」

 

 

 追い掛け回されてる時に、あることが頭に浮かんだ。それはドリームトロフィーリーグ最初の挑戦になるであろうサマードリームトロフィー。私は中距離部門で出る予定だ。おそらく、ボーイさんも中距離で出るだろう。きっと戦うことになる。だから、グラスさんの仇を取らなければ。そう考える。しかし。

 

 

(サマードリームトロフィーまで、私は生きていられるでしょうか……?)

 

 

 今の状況から、そう考えていた。




もう日曜にはうまゆるの放送日か……。


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第104話 招待レース

新しいレースを開催する予定回


 季節はもうすぐ3月になりそうな頃。もうそろそろ暖かくなってもおかしくないがまだまだ寒い日が続いている。俺はいつものようにテンポイントの病室にいる。

 だが、今テンポイントの容態は芳しくない。朝から原因不明の高熱にうなされており、荒々しい呼吸をしている。突然高熱が襲ってくること自体は初めてじゃない。今までも何回かあった。だが、そんな彼女に俺がしてやれることは、手を握って安心させることぐらいしかなかった。その度に、俺は自分の情けなさを感じていた。

 テンポイントの苦しそうな声が俺の耳に届いている。不安そうに俺を呼んでいた。

 

 

「ハァ……ッ、ハァ……ッ。とれーなー、ちゃんとおる……?」

 

 

「……あぁ、安心しろ。ちゃんとここにいる」

 

 

 そう言って手を強く握る。ちゃんといることに安堵したのか、少しだけ楽になったような表情をした。呼吸も、先程よりは安定する。少しだけ、俺は安堵した。

 俺は不安を抱えながらも、今回のことについて先生に尋ねる。

 

 

「……先生、テンポイントの容態は?」

 

 

 医者の先生は安心させるような声で答える。

 

 

「風邪の症状に近いです。このままゆっくり休めば、じきに良くなるでしょう」

 

 

 そう宣告されて、俺の中にあった不安な気持ちは大分収まってきた。だが、まだ油断はできない。今日はつきっきりで看護しないといけないだろう。看護婦の人と連携を取ってテンポイントの看護にあたる。

 ただ、ここで問題となったのは今日は朝からテンポイントのお見舞いに来ていたので仕事の道具を一切持ってきていないということだ。さすがに今日の分の仕事はやっておかないとまずい。なのでテンポイントの手を離して一度学園に戻ろうとしたのだが、俺が手を離そうとするとテンポイントの方から強く握ってくる。もっとも、高熱の影響か力は全然入っていなかった。だが、先程より力を込めて俺の手を握っている。そして、不安そうな声で俺に告げる。

 

 

「いやや……。いかんといて、とれーなー……」

 

 

 ……その言葉を聞いて、少し困った気持ちになりつつも俺はもう一度座りなおしてテンポイントを安心させるように話しかける。

 

 

「大丈夫だ。どこにもいかねぇよ」

 

 

 仕事道具に関しては、誰かに連絡して持ってきてもらうことにしよう。俺は携帯を取り出して知り合いに連絡する。仕事の道具を持ってきてもらうために。その間も、テンポイントの手をずっと握っていた。テンポイントは、そのことに安堵したのかしばらくしたら寝息を立て始めた。

 高熱で不安な気持ちが出てきているのだろう。俺も小さい頃に熱を出した時、誰かが側にいないと不安で仕方がなかったことを思い出す。きっと、テンポイントは不安なんだろう。だからこそ、少しでも安心させるために彼女の手を握り続けている。

 しばらくしたら、病室の扉を開けて誰かが入ってくる。看護婦の人だった。バッグを抱えている。そのまま俺に話しかけてきた。

 

 

「神藤さん、こちら仕事の同僚だという方からです」

 

 

「あぁありがとうございます。こんな状況ですから、仕事道具を持ってきてもらったんですよ」

 

 

 俺は握っている手の方を見ながら笑みを浮かべて答える。看護婦の人は笑みを浮かべながら話す。

 

 

「テンポイントさんにとても信頼されているんですね、神藤さんは。でないと、ここまで安心した表情で眠らないと思います」

 

 

「まあ、この子のトレーナーとして今まで一緒に頑張ってきましたから。今もですけど」

 

 

 俺は看護婦さんからバッグを受け取ってお礼を言う。用事はそれだけだったらしく、看護婦さんはそのままテンポイントの容態を確認してから退出した。

 受け取ったバッグの中から、俺は早速仕事の道具を取り出す。片手しか使えないので少し手間取ったが問題はない。ノートPCを下敷き代わりに使って書類仕事を終わらせていく。今日は一日中、テンポイントの病室で過ごしていた。

 次の日になる頃には、先生の言っていた通りテンポイントの容態はすっかり良くなっていた。熱も下がって体調も問題はなくなり、テンポイントもすっかり元気を取り戻していた。そのことを確認した俺は学園へと戻る準備をする。帰り際にテンポイントからお礼を言われた。

 

 

「ありがとな、トレーナー。ずっと側におってくれて」

 

 

「いいってことよ。じゃあテンポイント、また夕方見舞いに来るよ」

 

 

 俺はそう答えて学園へと戻る。だが、その前にお風呂に入ってからにしよう。そう思いながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 風呂に入って、学園に戻ってきた俺を待っていたのは秋川理事長による集合の報せだった。俺だけではなく、トレセン学園に在籍しているトレーナー全員が召集される。一体何事だろうか?と思いながら俺は集合場所の会議室へと足を運んでいた。

 集合場所で坂口を見つける。向こうも俺に気づいたのか近づいてきて挨拶をしてきた。

 

 

「おはようございます、神藤さん。テンポイントさんの容体はどうですか?」

 

 

「おはよう坂口。あぁ、今朝はすっかり熱も下がって元気になったよ。ところで、今回なんで集められたか知ってるか?」

 

 

 俺の質問に坂口は首を横に振る。

 

 

「分かりません。皆さんどうして呼ばれたのか分かっていないみたいで……」

 

 

「そうか。まあ、秋川理事長を待つしかないか」

 

 

 そう話していると、秋川理事長が会議室に姿を現した。そして、そのまま一番前へと歩いていく。一番前に立つと、挨拶を始めた。

 

 

「清聴ッ!トレセン学園のトレーナー諸君!忙しい中集まってくれたこと心より感謝する!」

 

 

 そのまま集めた目的について話始めた。

 

 

「トレーナー諸君に集まってもらったのは他でもない!URAがあるレースを開催する予定を報せてきた!今日はそのレースについての説明を行う!」

 

 

 理事長の言葉にトレーナーの1人が手を挙げる。理事長の許可を貰って意見を述べた。

 

 

「秋川理事長、それは一体どのようなレースなのでしょうか?」

 

 

 その質問に、理事長は大仰に頷いた後答える。

 

 

「百聞は一見に如かず!早速見てもらおう!たづな、資料を!」

 

 

「はい」

 

 

 そう言われて、たづなさんが資料を配っていく。程なくして俺のもとにも資料が届いた。俺はその資料を確認する。そこには……。

 

 

「開催ッ!その名も、〈ジャパン・ユニバーサル・レーシング・カップ〉!」

 

 

 英語で<Japan Universal Racing Cup>というレース名が書かれていた。一体どういうレースなのだろうか?そう思っていると理事長が説明を始める。

 

 

「このレースがどのようなレースなのか!非常に簡単だ!世界各国のウマ娘たちを日本に招待し、日本のレース場で走る、招待レースのようなものだ!勿論!日本のウマ娘も参加可能だ!URAは、そんなレースの開催を年末に予定していると発表した!」

 

 

「世界中のウマ娘が!?」

 

 

 どこかからかそんな声が上がった。俺も声こそ上げなかったが内心驚いている。会議室では様々な声が上がっており、そのほとんどは好意的な声が占めていた。俺も面白い試みだとは思っている。

 しかしながら、懸念点が1つある。そのことから俺は面白い気持ちよりも不安な気持ちの方が大きかった。そう思っていると、トレーナーの1人が手を上げて理事長に質問した。時田さんである。

 

 

「失礼ですが理事長。招待レースと銘打っていますが、現在はどれだけの国がそのレースのことを認知しているのでしょうか?開催までまだまだ期間はありますが、下手をしたら開催すら危ぶまれるのでは?」

 

 

 そう、本当に海外のウマ娘たちが出走してくるのかという疑問が湧いてくる。さすがに年末開催なので期間はたっぷりとあるのだが、下手をしたら日本のウマ娘だけで出走するという可能性もある。そうなったら、いつものレースと変わり映えしないだろう。この時期に開催することを発表した、ということはURAにもちゃんと考えがあるのだと思うが。時田さんもそう考えてはいるが、念の為ということもあり質問したのかもしれない。

 その質問に、理事長はまるで問題ないとばかりに答える。その表情は笑顔だった。

 

 

「心配は無用ッ!すでに出走に好意的な姿勢を見せている国がいくつかある!それに、期間はまだまだたっぷりとある!今回はあくまで開催する予定だけを報せに来た!」

 

 

「……成程。ありがとうございます」

 

 

 そう言って時田トレーナーは礼を述べる。俺は資料を捲ってどのようなレースになるのかを見てみた。

 

 

(東京レース場2400m……いつものレースと特に変わらないな……)

 

 

 気になるところといえば、出走条件がトゥインクルシリーズに在籍しているウマ娘のみという点だろう。これは海外から出走してくるウマ娘もトゥインクルシリーズにあたるレースに出走しているウマ娘のみが条件に組み込まれているから特に問題はなかった。

 報せはこれだけだったみたいで、後はいつ頃に出走の登録始めるのかの説明があり、程なくして解散となる。解散した後、坂口が興奮気味に俺に話しかけてきた。

 

 

「神藤さん神藤さん!すごいですねコレ!実際に開催されたらものすごい人が見に来そうじゃないですか!?」

 

 

「まあそうだな。世界中のウマ娘が日本のレース場に集まるんだ。注目度は抜群だろうよ」

 

 

「でも出走できるかちょっと不安ですね……。競合率高そうですし……」

 

 

 坂口の心配そうな声に俺は否定の言葉を投げる。

 

 

「そんなことはないと思うぞ?年末といえば有マ記念がある。大体のトレーナーはそっちに照準を絞るんじゃないか?」

 

 

「あ~……そういえばそうでしたね。でもそうなるとどっちに出走するか悩みますね……」

 

 

「まあ期間はたっぷりとあることだし、ゆっくりと悩めばいいんじゃないか?」

 

 

「それもそうですね」

 

 

 俺達はそう言って別れた。その後は仕事を終わらせてテンポイントのお見舞いへと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 テンポイントの病室に着いた俺は、ブログ用の写真を撮って早速記事を作成している。結構慣れてきた。

 記事を作成していると、ベッドの上のテンポイントが俺の鞄から飛び出している資料が目に入ったのか、尋ねてきた。

 

 

「トレーナー?なんやそれ?」

 

 

「うん?あぁこれか。URAが年末に開催を予定しているレースの資料だよ。今日理事長から発表されてな」

 

 

「ふ~ん……」

 

 

 テンポイントに資料を渡すと、その資料を流し見し始めた。時折頷きながら見ている。

 しばらくすると、楽しそうな表情で俺に告げる。

 

 

「おもろそうやん。トゥインクルシリーズで海外のウマ娘なんてみぃひんかったからな」

 

 

「まぁそうだな」

 

 

「出走したいとこやけど……そん前にボクは脚治すことが先決やしなぁ……」

 

 

 自分の左足を触りながら、溜息を吐いてそう言った。俺はテンポイントを安心させるように言う。

 

 

「少しずつだが、リハビリの結果は出てきている。それにさっきも言ったようにこのレースまでにはまだまだ期間があるからな。その頃には、お前の脚もきっと治っているさ」

 

 

「……ま、悲観せんほうがええな!トレーナーんいう通り、ホンマに少しずつやけど回復して来とるし、こん頃にはきっと走れるようになっとるやろ!」

 

 

「そうだ!病は気からっていうし、明るく前向きにいこうぜ!」

 

 

 俺の言葉にテンポイントは笑顔で頷いた。

 そんな話をしていると病室の扉を開けて誰かが入ってくる。その人物はトウショウボーイだった。

 

 

「ようテンさん!お見舞いに来たぜ!これ見舞い品な」

 

 

「今日も調子よさそうやなボーイ。見舞い品ありがとな」

 

 

 テンポイントの言う通り、トウショウボーイは調子よさそうにしていた。最初のお見舞いの時はどことなく元気がない雰囲気があったか、あの後しっかりと持ち直したようだ。そのことに俺は安堵する。

 するとトウショウボーイはテンポイントが持っている紙が気になったのか尋ねてくる。

 

 

「うん?テンさんなんだその紙?」

 

 

「これか?URAが年末に予定しとるレースの資料やで。ほい」

 

 

「お、サンキュー。どれどれ……」

 

 

 テンポイントから資料を受け取り、トウショウボーイは資料を見る。肩を震わせている。

 資料を一通り読み終わったトウショウボーイは興奮気味に言葉を発した。

 

 

「なんだこのレース!スゲェ面白そうじゃねぇか!」

 

 

 そして、笑みを浮かべて続ける。

 

 

「オレもこのレースに出走しようかな!おハナさんに相談してみるか!」

 

 

 ……俺はテンション高くそう言ったトウショウボーイに、沈痛な気持ちで告げる。

 

 

「……トウショウボーイ、喜んでいるところ悪いが……」

 

 

「ん?どうしたんだよ誠司さん。そんな可哀想なものを見る目でオレを見て?」

 

 

「……このレースの出走条件は、トゥインクルシリーズに在籍しているウマ娘のみだ。ドリームトロフィーリーグに移籍したお前は出走できない」

 

 

「……え?」

 

 

 そう告げられたトウショウボーイは改めて資料を確認する。そして、出走条件のページを見たのだろう。肩を震わせている。今度はさっきのような喜びからじゃない。どちらかというと怒りや悲しみの感情が見てとれた。

 そして、悲痛な叫びをトウショウボーイが上げる。

 

 

「嘘だろぉぉぉぉぉ……!?」

 

 

 目に見えて落胆するトウショウボーイに、俺は何も言えなかった。テンポイントも、なんとも言えない表情でトウショウボーイを見ていた。




ぼっち・ざ・ろっくおもしろいのでお勧めです。


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第105話 気まぐれウマ娘

気まぐれウマ娘のレース回


 時間が過ぎるのは早いものでついこの前3月に入ったかと思えば、もうすぐ3月も終わりそうな頃になった。学園の方も春休みに入っている頃だろうか?それだけの月日が流れていた。今はお昼過ぎぐらいである。

 ボクは朝からベッドの上で本を読んでいた。病室ではトレーナーが仕事をしている。会話こそ交わしていないが、それなりに心地よい時間が流れていた。

 だが、ボクの心はあまり晴れやかな気分ではない。思わず溜息を吐いて愚痴るように呟く。

 

 

「はぁ……。まさかここにきて治りが遅うなるなんて……」

 

 

 医者の先生が言うには、少し治りが遅くなってきているらしい。リハビリの影響も多少あるらしく、本来であれば今日も朝からリハビリをする予定だったのだが急遽中止となった。無理をして身体を壊さないようにするためだろう。分かってはいるのだが、それでも焦りは生まれる。特に、体重負荷もまだ全然かけられないほどだ。一日でも早く復帰したいと考えているのでどうしても焦ってしまう。

 ボクの呟きが聞こえてか、トレーナーが作業の手を止めてボクに話しかけてきた。

 

 

「これも身体を壊さないためだ。無理して一生走れなくなるよりはマシだろ?」

 

 

「分かっとるよ。それでも……」

 

 

「焦る……よな。だけど今はまだ我慢の時だ。我慢して我慢して、復帰した時にその鬱憤を晴らしてやろうぜ」

 

 

「やな」

 

 

 トレーナーの言葉にボクは頷く。トレーナーの言う通り、一生走れなくなるよりはマシだ。今はただひたすら我慢するしかない。復帰するその時まで。

 丁度本も読み終わったので、本を閉じて時計を確認する。この時間だと……もうすぐジョージが出る鳴尾記念の出走時間だ。ボクはトレーナーにお願いする。

 

 

「もうそろそろやな。トレーナー、テレビ点けてもろうてええか?」

 

 

「うん?……あぁ、もうそんな時間か。今点ける」

 

 

 トレーナーも時計を確認した後にリモコンを操作してテレビを点けた。テレビでは出走するウマ娘の紹介に入っている。

 ボクはトレーナーに尋ねた。

 

 

「トレーナー。ジョージって今回は何番人気なん?やっぱ1番人気なんか?」

 

 

 ボクの質問にトレーナーは首を横に振る。

 

 

「いや、京都記念と同じ2番人気だ。1番人気はホクトボーイ、ここは変わらないな」

 

 

 トレーナーから返ってきた言葉に、ボクは少し驚いた。だが、すぐに納得する。

 

 

「まあ、ホクトの成績は安定しとるからなぁ。少なくともジョージよりは」

 

 

「そうだな。特にホクトボーイは前走の大阪杯で6着だったのにそれでも1番人気だからな。天皇賞ウマ娘はそれだけ注目されるってことだし、同じ天皇賞ウマ娘でもエリモジョージよりはホクトボーイ、って人が多いんだろ」

 

 

「ちゅうか、ホクトは中1週でレースなんか。カイザーも頑丈やけどホクトも大概やな」

 

 

 ボクは思わずそう呟いた。羨ましい限りである。

 テレビを見ていると、ターフの上でホクトとジョージが何やら話している様子が見えた。もっとも、声は拾えないのでなんと会話しているのかは分からないのだが。もしかしたらホクトが宣戦布告でもしているのかもしれない。

 実況のウマ娘の紹介も行われている。丁度ジョージの番になった。

 

 

 

 

《……さてさて、鳴尾記念2番人気は2枠2番のエリモジョージです!前走京都記念は同じ天皇賞ウマ娘であるホクトボーイを相手に逃げ切り勝ち。しかし発走するその時までこの子の気分は他の出走する子にも、勿論我々にも分かりません。そのことが評価されての2番人気でしょう!》

 

 

《果たしてそれは誇れることなのか?少々疑問が湧きますがそれもまた愛嬌というやつでしょう。それに気分が乗った時のエリモジョージの強さは手がつけられませんからね。果たして今日の気分はどうなのか?》

 

 

《1番人気はこのウマ娘!7枠7番ホクトボーイ!トウショウボーイとグリーングラスを相手に勝利した秋の天皇賞、前走の大阪杯と前々走の京都記念では破れましたが調子は上がってきているとは本人談。パドックでの調子も悪くありませんでした!京都記念の雪辱を晴らすことができるか!》

 

 

 

 

 

 実況の言葉にボクは苦笑いをするしかなかった。確かにジョージの気分は本人以外には分からないだろう。ただでさえ表情に出さないので余計に。

 程なくして、出走する子たちが次々とゲートに入る。そして最後の子がゲートに入り、発走の時をただ待っている。

 

 

 

 

《……阪神レース場第8R鳴尾記念。エリモジョージとホクトボーイ、2人の天皇賞ウマ娘のどちらに軍配が上がるのか?それとも他のウマ娘が勝利するか?今……スタートです!》

 

 

 

 

 ゲートが開いてウマ娘たちが一斉に飛び出す。鳴尾記念が始まった。ボクは少しの緊張を覚えながらテレビを見る。トレーナーも表情を引き締めてテレビを見ていた。

 まずハナを取ったのはやはりジョージだった。だが、その走りを見てボクは驚く。前走の京都記念でもやっていたボクの走りの真似。それをこの鳴尾記念でもジョージは実践していた。それだけじゃない。あの時はボク達もあくまで何となく似ているだけと思っていた走りが、本人曰く6割か7割ほどと言っていた走りがほとんどボクと変わらないフォームで走っている。そのことにボクは驚いていた。

 トレーナーも、ボクと同じ気持ちなのか驚いたように呟く。

 

 

「……やべぇな。京都記念のインタビューで次は完璧に仕上げると言っていたが、本当に完璧に仕上げてくるとは……」

 

 

「やな。ホンマにボクん走りにそっくりや」

 

 

 これはもう気のせいで済ませていいレベルではない。それほどまでに完成度の高い走りをジョージは見せていた。思わず身体が震える。早く競ってみたい、ボクの本気とジョージの本気、ぶつかったらどっちが勝つのか。それを早く試してみたい。その気持ちに駆られる。

 その後もレースはジョージが先頭を走る形で続いていく。ホクトはいつも通り後方に控える形だ。

 

 

 

 

《……さぁレースは向こう正面に入りました。2番のエリモジョージが先頭で走っています。後続との差はかなりありますその差は7バ身程でしょうか?いやそれ以上開いています。2番手を見てみましょう2番手は1番スリーシャトーか2番手はスリーシャトー。3番手は4番ファインニッセイ後はほとんど団子状態となっております向こう正面スローペースで展開しています。このままのペースが続くか鳴尾記念》

 

 

 

 

 トレーナーがボクに問いかける。

 

 

「お前だったらどうする?この後の展開は」

 

 

 ボクは間髪入れずに答える。悩む必要はない、答えは1つだ。

 

 

「ペースを抑えんでそんまま突き放す。後続の子には悪いけど、こんままやったらもう決まったも同然や」

 

 

 もしこのままの展開で進むのであればジョージの勝ちは揺るがないだろう。ボクはそう確信する。トレーナーも同じ意見だったのか頷いていた。

 レースはすでに第4コーナーを回って最後の直線に入ろうかというところだった。

 

 

 

 

《……第4コーナーを回っております!2番手集団は固まっております!ホクトボーイが2番手集団に上がってきた!しかし先頭エリモジョージはすでに最後の直線に入ってきました!2番エリモジョージが最後の直線に入った!このまま行くのか!?このまま行くのか!?あまりにも後続が、あまりにも後続が楽に走らせすぎたか!余裕たっぷりだエリモジョージ!エリモジョージが完全に先頭だ!2番エリモジョージが先頭だ!》

 

 

《今日は最初から最後まで気分よく走っていますねエリモジョージ。後続も必死に追い上げていますがこれはもう決まったでしょう!》

 

 

《2番手集団を抜け出してホクトボーイが来た!そしてハッコウオーが差を詰めてきた!ようやくハッコウオーが差を詰めてきました!しかし完全にエリモジョージ独走だ独走だ!問題なし!2番手はホクトボーイかハッコウオーも懸命に追い上げているがしかしエリモジョージはすでにゴールしました1着はエリモジョージだ!2着はホクトボーイ!》

 

 

 

 

 結局、そのままジョージが逃げ切り勝ちを収めた。それも普通の勝利ではない。2着に大差をつけて勝利した。ただのウマ娘ではない、同じ天皇賞ウマ娘であるホクトを相手に。

 トレーナーは引き攣ったような顔をしていた。あまりの勝ちっぷりに驚いているのだろう。多分、ボクも同じ表情をしていると思う。

 トレーナーがボクに話しかけてくる。

 

 

「……とんでもねぇ勝ちっぷりだな。第4コーナー入る前に勝つとは思っていたが……」

 

 

「まさか、同じ天皇賞ウマ娘のホクト相手に大差勝ちするとは思わんかったわ……」

 

 

 ホクトだって弱いわけじゃない。少なくともボーイとグラス相手に天皇賞を勝利するだけの実力はある。そんなウマ娘を相手にして大差勝ちを収めるジョージの方が凄いのだ。

 だが、この大差勝ちはレースの展開が絡んでいるだろう。トレーナーもそう思っているのか、今回のレースのことを話し始める。

 

 

「まぁ、大差がついたのは展開のせいもあるだろうな。差しや追い込みのウマ娘にとっては不利になるスローペース展開だったのも敗因の1つだろう。エリモジョージにも十分な脚が残っていたしな」

 

 

「やな。さすがに第4コーナーであんだけ差ぁ開いてたら追いつけんやろ。終始5バ身以上差が開いとったし」

 

 

 ボクとトレーナーは今回のレースをそう分析した。

 全ウマ娘がゴールした後、しばらくしたらウィナーズサークルでのインタビューの映像に切り替わる。ジョージのトレーナーとジョージが記者の人達に囲まれていた。

 

 

 

 

《京都記念に続いて鳴尾記念の勝利おめでとうございます!これで2連勝ですね!》

 

 

《そうですね。ですが、まだまだ油断はできません。次は宝塚記念ですので、しっかりと調整して……調整して……行こうと思っています》

 

 

《あ、アハハ……。そ、そうですね》

 

 

 

 ジョージのトレーナーである時田トレーナーは一瞬ジョージの方をチラ見した後絞り出すようにそう言った。記者の人も苦笑いを浮かべている。まぁ、気持ちは分からないでもない。トレーナーもそう思っているのか、同じように苦笑いをしている。そして、当の本人であるジョージはいつものようにぼうっとしていた。

 記者の1人がジョージに質問する。

 

 

 

 

《そ、それではエリモジョージさん!鳴尾記念勝利おめでとうございます!今のお気持ちは?》

 

 

《ん。完璧 ムフー》

 

 

《成程!?ありがとうございます!次のレースについての意気込みを語ってくれますか!?》

 

 

《テン坊 見てるー?ぶい 元気 もりもり》

 

 

《あ、あのー……。次のレースについての意気込みをぉ……》

 

 

《飽きた。とれーなー よろー》

 

 

《ちょっとー!?》

 

 

 

 

 そのままジョージはどこかへ行ってしまった。相変わらずの自由人である。時田トレーナーは前回のように頭を痛そうに抱えている。まぁ、日常茶飯事なのかすぐに対応していたが。

 トレーナーがボクに話しかけてくる。

 

 

「聞いてたか?今のインタビュー。やっぱりお前に向けての応援だったみたいだぜ、あの走り」

 

 

 ボクは頷く。やはりボクの走りを真似ていたのは激励のためだったらしい。そのことにボクは喜ぶ。

 だが、喜びよりもボクが思ったのは先程よりも強いジョージと走ってみたいという気持ち。競い合いたいという気持ちが先程よりも湧き上がってきた。思わず拳に力が入る。

 

 

「やな。おかげで、今燃え上がっとるわ。早う復帰して、ジョージと競い合いたいわ。ジョージだけやない、みんなとな」

 

 

「その気持ちを、次のリハビリの時に発揮しようぜ、テンポイント」

 

 

「もちや。あ~、はよ次のリハビリの日決まらんかな~?」

 

 

 そんなことを話しながら、今日も一日が終わる。そろそろ桜が開花する時期が近づいてきていた。




明日のアニメは見るものが多すぎる……!


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第106話 自由人

あるウマ娘の登場回


 季節は桜が満開になった4月。学園が休みの日でも俺達は仕事がある。俺はトレセン学園の校門前を俺と同じ用務員達と掃除していた。普通だったら別の場所で掃除を行っている彼らだが、今は桜の開花時期ということで結構な人数で校門前の掃除をしている。ただ、かなり面倒くさい。同僚の1人も俺と同じ気持ちなのか、俺に愚痴ってくる。

 

 

「桜ってよぉ……」

 

 

「あん?どうした?」

 

 

「奇麗だよなぁ。こんだけ奇麗だと花見もしたくなるってもんだよ」

 

 

「まぁそうだな。奇麗なのは同意だ」

 

 

「でも掃除するってなったらマジでめんどくせぇよなぁ」

 

 

「ホントに同意する。マジでめんどくさい」

 

 

 学園の景観を保つためには掃除するしかないのだが。愚痴るぐらいは許されるだろう。コイツもそう思っているのか、口ではそう言いつつも手を動かして掃除をしている。

 その時、ふと思い出したかのように仕事仲間の1人が告げる。

 

 

「そういやさ、用務員の数も増えてきたよな。若い男手は増えてねぇけど、力仕事ができるウマ娘が入ってきてさ!いやぁ、これで俺達の負担も減るってもんだよ」

 

 

 その言葉に、他の奴らも同意する。

 

 

「あ~だな。その辺は理事長に感謝だな」

 

 

「ホントホント。あの人が慕われてる理由がよく分かるわ」

 

 

「それに、この仕事に興味を持っている子たちもいるって話だからな。この仕事の未来は明るいな」

 

 

「それに伴って俺達はリストラの可能性もあるけどな」

 

 

「はっはっは!ないだろ!……ないよな?」

 

 

 仲間の1人が不安そうにそう言ってきたので、俺は安心させるように告げる。

 

 

「大丈夫だろ。真面目に仕事やってりゃリストラなんかしないだろ理事長の性格的に」

 

 

「だ、だよな!」

 

 

 たまにふざけた会話を挟みつつも、仕事は真面目にやる。朝のホームルームを告げるチャイムが鳴る頃にはすでに終わっていた。終わったら、全員それぞれの仕事をするために解散となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日はトレーナーとしての仕事をする前にもう一つやることがある。それは時計の点検だ。たづなさん曰く不調気味らしいので直してほしいとのことだ。俺はその頼みを二つ返事で了承し今屋上へと足を運んでいる。

 扉を開けて屋上へと足を踏み入れる。朝だというのに扉が開いていたので珍しく思ったが特に気にすることなく俺は仕事に取り組むことにした。

 

 

「さて、と。点検を始めるとしますか」

 

 

 だが、結果としてそこまで時間がかかるものではなかった。仕事が楽に終わったことに喜べばいいのか、とにかく肩透かしを食らった気分だった。

 まあ早く終わったならそれだけトレーナーとしての仕事にも早く取り組むことができる。

 

 

(特に今日はテンポイントのリハビリもあるからな。早く終わるに越したことはないか)

 

 

 そう思いながら道具を片付けて屋上から去ろうとする。そんな時、どこからか声が聞こえてきた。

 

 

「ねぇ、そこの人」

 

 

 一瞬俺は足を止めたものの、姿が見えなかったことから気のせいだと思い歩を進める。だが、またどこからか声が聞こえる。

 

 

「ここだよ、ここ」

 

 

 声の発生源は上からだった。俺は上を見る。見上げると、声の主と視線が合った。思わず驚いて声を上げる。

 

 

「うおっ、ビックリした。先客がいたのか」

 

 

 俺の反応を見て、声の主は楽しそうな笑みを浮かべている。学園の制服を着ている、ということはここの生徒なのだろう。

 ただ、今日は学園は休みだったはずだ。なのに、どうして屋上に?そんな疑問が浮かぶ。理由を考えていると、その生徒は上から降りてきた。

 

 

「よっ、と」

 

 

 降りてきたその生徒の姿を確認する。ところどころ癖があるように跳ねている茶色のロングヘアに、どことなくどこかで見たことがあるような目元をしていた。だが、何よりも特徴的だったのは頭のアクセサリーだった。シルクハットに、CとBのアルファベットが刻印されている。シーと、ビー。そう考えたところで、俺は目元の部分に感じていた既視感の正体に気づく。

 

 

(誰かに似てるかと思えば、シービークインか!)

 

 

 既視感の正体に気づいて1人納得していると名も知らない生徒が俺に話しかけてくる。

 

 

「ねぇ、キミって噂のトレーナー?」

 

 

「……噂、と言いますと?」

 

 

 一応初対面の人物なので敬語で話す。するとその子はその噂について話し始める。

 

 

「色々あるよ?用務員とトレーナーを兼業する人、悩み事があれば大体のことは解決してくれるなんでも屋。今だと……1人のウマ娘の将来を潰そうとしている極悪人なんてのもあるね」

 

 

「前2つは概ね合っていますが……最後に関しては否定します。私も彼女も、覚悟の上でやっていることです」

 

 

「うん、知ってる。クインさんからそんな人じゃないって聞いてるし。それにアタシもその噂は信じてないからね。出所も雑誌だったから」

 

 

 俺の答えに彼女はあっけらかんとそう答えた。極悪人だと思われていないことにひとまず安堵する。安堵したところで、俺は気になっていることを尋ねる。

 

 

「ところで、どうして君はここに?今日は学園は休みだったはずだけど……」

 

 

「うーん……」

 

 

 少し悩んだ後、その子は答える。

 

 

「桜を見ながら学園に登校してきたはいいけど、休みだってことに着いてから気づいてさ。でもすぐ帰るのももったいないと思ってね」

 

 

「それで屋上に?」

 

 

「まあそんな感じ。でも来て正解だったよ。噂のトレーナーに会えたことだし」

 

 

「私に?何か用事でも?」

 

 

「別に用事はないよ。ただアタシが会いたかっただけ。それと敬語はいいよ。その方が気楽でしょ?」

 

 

「……まぁ、そういうことならそうさせてもらうよ。え~っと……」

 

 

 そういえば、彼女の名前を聞いていない。そう考えていると彼女は名乗りを上げる。

 

 

「アタシはミスターシービー。またどこかで会おうね、神藤トレーナー」

 

 

 そう言って彼女、ミスターシービーは屋上から出ていった。どこにいくかは知らないが、多分帰るんだろう。

 

 

「ミスターシービー……ねぇ」

 

 

 少し不思議な魅力を感じた。あの口ぶりから察するに、シービークインとは知り合いのようだし、もしかしたらテンポイントも知っているかもしれない。聞いてみるのもいいだろう。そう思いながら俺は屋上を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トレーナーの仕事も終わらせていつものようにテンポイントの病室を訪れる。リハビリまではまだ少し時間があったので、テンポイントと話をしていた。

 せっかくなので、俺は今日出会ったミスターシービーのことを話題に挙げる。

 

 

「そうだテンポイント。お前ミスターシービーって知ってるか?今日偶然屋上で出会ったんだが」

 

 

「ミスターシービー?あぁ知っとるで。そこそこ有名やし」

 

 

「有名?そうなのか?」

 

 

 テンポイントは頷いて答える。

 

 

「うん。むしろトレーナーが知らんかったことがちょい驚きやけど……」

 

 

「多分、どっかで聞いたことはあるんだろうけどな。忘れたと思う」

 

 

「まぁええわ。それでシービーの話やったら……、リギルやハダルの勧誘を蹴ったんが一番有名やな」

 

 

 その情報に俺は驚いた。まさかトレセン学園でもトップレベルのチームから誘われるほどに有望なのに、その勧誘を蹴るとは。

 俺はテンポイントに尋ねる。

 

 

「リギルやハダルの勧誘を蹴った理由なんかは分かっているのか?」

 

 

「本人曰く、なんか違うから、やと。ボクも少しだけ話したことあるんやけど、なんちゅうか……シービーは独特の感性で動いとるからな。それにリギルの方針は合わんやろうし、ハダルに入るんもなんか違う気がするんよ」

 

 

「そうなのか。……でも特に問題は起こしていないよな?」

 

 

「大きな問題は起こしてへんよ。ただ、雨ん中散歩言うて歩いてる姿をしょっちゅう目撃されとるし、それにグチグチ言うてくるやつに真っ向から反抗しとる姿も目撃されとるな」

 

 

「良くも悪くも、自分の感性で動くタイプってことか。その点だとトウショウボーイに近しいものがあるな」

 

 

「やな。後はクインと住んどるとこが一緒らしいで。ちょくちょくクインが話題に挙げとるわ」

 

 

 一通り話を聞き終わったタイミングで医者の先生が入ってきた。

 

 

「テンポイントさん、神藤さん。リハビリの時間になります」

 

 

「分かりました。テンポイント、移動させるぞ」

 

 

「うん、頼んだわ」

 

 

 俺はテンポイントをベッドから車椅子に移し、そのまま車椅子を押す。リハビリ施設へと移動した。

 リハビリ施設に着いて、早速始める。テンポイントは手すりに摑まりながら、車椅子から立ち上がる。そして、両足を軽く地面につけた。

 先生が告げる。

 

 

「それでは、今日も右足の方から確認しましょう。それが終わったら左足に移ります」

 

 

「はい」

 

 

 テンポイントは短くそう答えて、まずは右足から地面につけ徐々に体重をかけていく。特に問題はなかった。

 体重をかけていた右足を地面から離して、次は左足に徐々に体重をかけていく。だが、まだ地面に触れただけだというのに、その表情は苦悶に満ちていた。苦しそうな、辛そうな声を上げている。

 

 

「……ッ!ぐ……!ふぅ……!」

 

 

 しかし、それでもテンポイントは踏ん張って痛みに耐えている。少しずつ体重をかけていこうとした。しかし、痛みに耐えかねてか左足を地面から離す。

 テンポイントは手すりを頼りに身体を支える。荒々しく呼吸をしていた。まだ始まったばかりだというのに。

 テンポイントの辛そうな表情を見る度に、俺はすぐにでも彼女のところに駆け寄りたい気持ちになっていた。だが、俺は拳を強く握って踏みとどまる。それは彼女のためにならないし、彼女の覚悟を踏みにじる行為だと分かっているから。だから、リハビリをただ見守る。

 リハビリが始まってかなりの時間が経った。今までで一番長かっただろう。テンポイントは何度目かの挑戦で、少しだけ、本当に少しだけだが左足に体重をかけて身体を支えることに成功した。相変わらず表情は苦悶に満ちている。けれど、俺はまた一歩前進したことに喜ぶ。

 先生がリハビリの終わりを告げる。

 

 

「良い時間ですし、今日はここまでにしましょう。テンポイントさん、お疲れ様でした」

 

 

 その言葉とともに、テンポイントは左足を地面から離す。俺はすぐに駆け寄って彼女を車椅子に移動させた。息も絶え絶えになりながらテンポイントは先生にお礼を言う。

 

 

「ハァ……、ハァ……ッ。せん、せい……。今日も、おおきに、です……ッ」

 

 

 その後俺達はリハビリ施設を後にして病室へと戻ってくる。病室で先生が今回のリハビリ結果について教えてくれた。

 

 

「テンポイントさん、着実に一歩ずつ進んでいます。この調子でいけば、もしかするかもしれません」

 

 

「もしかって……!」

 

 

 テンポイントは希望に満ちた表情で先生を見る。先生は笑みを浮かべながら俺達に告げる。

 

 

「はい。前のような走りに、戻れるかもしれません」

 

 

 その言葉に、俺は喜びを噛みしめる。テンポイントも同じ気持ちなのか、目元には少し涙が見えた。しかし、先生は一転して表情を引き締めて告げる。

 

 

「ですが、まだ油断はできません。あくまで可能性が上がった、というだけであり依然として少ない可能性であるというのは変わりはありません」

 

 

「けれど、僅かでも可能性が上がったのなら……!」

 

 

「せや、前よりもずぅっと高い確率で、ボクはまたレースで走れる!」

 

 

 俺達の言葉に、先生は頷いた。ただ油断はできないのは確かだ。気を引き締めて挑まなければならない。

 その後先生は経過を報告して退出する。退出した後、俺とテンポイントは喜びを分かち合った。

 

 

「やったな、テンポイント!ここにきて大きく一歩前進だ!」

 

 

「ホンマやな!成果はちゃんと出て来とる、やったら後は……!」

 

 

「完全に治るその日を、またレースで走れる日まで頑張るだけだ!」

 

 

 俺達は一層気合を入れなおした。

 その後は他愛もない話をする。俺はテンポイントに話しかける。

 

 

「にしても、夏の合宿で鍛え上げた身体がまた華奢な身体に逆戻りしちまったな。大分細くなっちまってるよ」

 

 

 しかし、俺の言葉にテンポイントは不敵に笑って答える。

 

 

「やったら、また鍛え直すだけや。完全に治ったそん時にな」

 

 

「……だな。また夏で鍛え上げよう、テンポイント!」

 

 

「おう!そんための練習メニュー、しっかり頼んだで、トレーナー!」

 

 

「任せとけ!前以上の強さを発揮できるように、最高のメニュー組んでやるよ!」

 

 

 そんな時、テンポイントはふと思い出したようにミスターシービーのことを話題に挙げる。

 

 

「せや、シービーの話やったらボーイがやたら気に入っとるってのがあったな」

 

 

 俺は少し驚きながら尋ねる。

 

 

「トウショウボーイが?でもアイツって誰とでも仲良くなるし、別に珍しくないんじゃないか?」

 

 

 俺の言葉にテンポイントは首を横に振って答えた。

 

 

「いや、さっきリギルの勧誘を蹴った言うたやん?そん時ボーイがやたら引き留めてたらしいんよ。ボクもハイセイコー先輩から聞いただけやけど」

 

 

「ふーん。そんなことがあったんだな。にしても、リギルやハダルの勧誘を蹴るぐらいだし、一体誰がスカウトするんだろうな」

 

 

「それは分からへんな。まあ、シービーがビビッと来た人と契約するんやないか?自分の感性に合うトレーナーと」

 

 

「だろうな。話を聞いてる限りだと」

 

 

 そんなことを話しながら今日も1日が終わる。窓の外からは月が良く見えていた。




ウマゆる面白かったしシンボリクリスエスが可愛すぎました。


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閑話16 決意の刺客

少女が決意を固める回


 4月のある日、私は中山レース場のオープンレースに出走していた。大目標である春の天皇賞の調整というのが主な目的だったが、だからといって負けるつもりはない。アメリカジョッキークラブカップでは2着だったし、1着だった子もこのオープンレースに出走している。だからこそ、勝って弾みをつけるつもりだった。

 しかし、結果は振るわなかった。

 

 

 

 

《……プレストウコウ1着でゴールイン!中山オープンレース、菊花賞ウマ娘対決はプレストウコウに軍配が上がりましたプレストウコウ1着!2着は3/4バ身差でカシュウチカラ!3着はハナ差でグリーングラス!1番人気……》

 

 

 

 

 1着はプレスちゃんに取られたし、前回負けたカシュウちゃんにも勝てなかった。悔しさから拳を強く握りしめる。

 

 

(脚の状態も良くないし……ッ!いや、違う!)

 

 

 一瞬、頭によぎった考えを即座に否定する。脚の状態が良くないのは分かっているが、それを今回の敗北の免罪符にしようとしていた自分の考えに嫌気がさす。

 あまりここに長居するのもよくない。そう考えた私は控室へと戻ることにした。控室で椅子に座り、自分の脚を確認するように触る。痛みこそあるが、ウイニングライブに出る分には問題はない。私はそう判断した。私はひとまず安堵する。

 しばらくすると、扉をノックして誰かが入ってくる。沖野トレーナーだった。

 

 

「お疲れさんグラス。脚の状態はどうだ?」

 

 

「……正直言って、あんまりだね~。レースも順調とは言い難かったし~」

 

 

「そうか……」

 

 

 私がそう言うと、沖野トレーナーは一瞬目を伏せる。しかし、すぐに私を安心させるためなのか明るい表情をして告げる。

 

 

「だが!春の天皇賞までまだ時間はある!しっかりと調整して万全な状態で挑むぞ!」

 

 

 ……そうだ。負けたからって落ち込んでばかりはいられない。私は気持ちを前に向ける。顔を上げて沖野トレーナーの言葉に答える。

 

 

「そうだね~。しっかり調整して~、万全な状態で春天を獲るぞ~お~」

 

 

「相変わらず緩いな……。まぁそれがお前のいいとこなんだが。グラス、今回の敗北はあまり気負い過ぎるなよ?」

 

 

「分かってるって~。気負い過ぎるとろくな目に合わないってのは~秋天と有マで痛いほど見たからね~」

 

 

 その後はウイニングライブに出席して一日が終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レースが明けて次の日の放課後、レース明けということで今日の練習は休みだ。だからこそどうやって過ごすか迷っていた。

 真っ直ぐ帰ろうか?それともどこか寄り道して帰ろうか?そんなことを考えていると後ろから声を掛けられる。

 

 

「おや?グラスさんではありませんか!奇遇ですね!」

 

 

 呼ばれたので、私は振り返ってその姿を確認する。そこに立っていたのは黒に近い茶色の髪をボブカットにしたウマ娘だった。髪の一部は染めているのかメッシュなのかは分からないが、赤色の部分がある。そして、耳にも同じ色のメンコを付けていた。

 見覚えがある。カシュウチカラちゃんだ。私は挨拶を返す。

 

 

「奇遇だね~カシュウちゃ~ん。カシュウちゃんも今日はお休みなの~?」

 

 

 私の言葉にカシュウちゃんは元気よく答える。

 

 

「はい!なんと言ってもレース明けですから!私は問題ありませんが、トレーナーさんが休んでおけと!」

 

 

 私は彼女の様子に思わず笑みが零れる。相変わらず元気なようだ。そして、カシュウちゃんは私に対してその勢いのまま尋ねてくる。

 

 

「グラスさん!グラスさんの次のレースは春の天皇賞だとか!」

 

 

「まぁそうだね~。次で3回目の挑戦だね~」

 

 

「私も次のレースは春の天皇賞です!昨日は1着こそ逃しましたが春の天皇賞では私が勝ってみせますよ!そして今も頑張っているテン様を元気づけるんです!」

 

 

 カシュウちゃんは自信満々にそう告げた。そういえば、テンちゃんとカシュウちゃんは同郷の親戚同士だという話を聞いたことがある。

 だが、負けられないというのは私も同じだ。私もその宣戦布告に応えるように告げる。

 

 

「私も負けないよ。前2つは後れをとったけど、今度は負けない。絶対に」

 

 

「……ッ!やはり凄まじい圧ですね!一瞬ですが気圧されましたよ!えぇ!本当に一瞬だけ!」

 

 

 誰に言い訳しているのかは分からないが、カシュウちゃんはそう言った。

 その後カシュウちゃんと別れを告げて、私はまた1人歩いていく。ボーイちゃん達はそれぞれ練習だと言っていた。そんな時、ふと頭にいい考えが浮かんだ。

 

 

「そうだ~テンちゃんのお見舞いに行こう~」

 

 

 私は学園を出てテンちゃんの病院へと向かうことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私は少し寄り道をしてテンちゃんへのお土産を買った後、病院へと着いた。そのまま中に入って真っ直ぐとテンちゃんの病室へと向かう。ボーイちゃん達は周りにバレないように気を使っているらしいがその辺私は問題はない。ここは私も脚の検査のために利用している病院であるため、たとえマスコミにバレようとも脚の検査に来たと言えばいいのだ。喜ぶことではないのだが。

 私はテンちゃんの病室の前に着く。そんな時、丁度私の反対側から神藤さんが来たのが見えた。向こうが挨拶してくる。

 

 

「ようグリーングラス。テンポイントのお見舞いか?」

 

 

「こんにちは~神藤さ~ん。そうだよ~テンちゃんのお見舞~い」

 

 

「いつも悪いな」

 

 

「なんの~。友達だし~それに心配ですから~」

 

 

 そんな会話を挟みながら病室の扉を開ける。中ではテンちゃんが本を読んでいた。こちらに気づくと笑みを浮かべながら挨拶をしてくる。

 

 

「グラス、今日は調子ええんか?」

 

 

「やぁ~テンちゃ~ん。う~ん……そこそこかな~?」

 

 

「今日も調子良くないんかい」

 

 

 私の言葉にテンちゃんは笑いながらツッコミを入れる。私もそれに笑顔で答えた。

 

 

「冗談じょうだ~ん。いい調子だよ~昨日のレース負けたけど~」

 

 

「微妙に触れずらい自虐ネタやめーや」

 

 

 私はお土産をテーブルに置いてソファに座る。気になっていることをテンちゃんに尋ねた。

 

 

「私の方もだけど~テンちゃんの方はどうなの~?調子はいい感じ~?」

 

 

 そう尋ねると、テンちゃんはよくぞ聞いてくれましたとばかりに顔を輝かせる。余程いいことがあったのだろうか?そう思っていると、テンション高くテンちゃんは答える。

 

 

「ふっふーん!ボクはええ調子やで!なんてたって完全復活の可能性が上がった言われたからな!」

 

 

 可能性が上がった。その言葉に喜びを覚えながらも興奮を抑えてテンちゃんに問いかける。

 

 

「おぉ~!それでそれで~?どれくらい上がったの~?」

 

 

「最高2パーセントやったんが5パーセントぐらいになったわ!」

 

 

「……ほとんど上がってなくな~い?」

 

 

 思わずズッコケそうになった。ほとんど上がってなかったからだ。向こうもそれが分かっているのか苦笑いを浮かべている。まあ可能性が上がったのは確かなので喜ばしいことではあるのだが。

 それからしばらく神藤さんを交えて世間話に花を咲かせていると、扉を開けて誰かが入ってくる。入ってきたのは医者の人だった。

 テンちゃんは少し寂しそうな表情を見せて私に告げる。

 

 

「スマンなグラス。ボクこん後リハビリなんよ」

 

 

 私は寂しそうな表情をしているテンちゃんに気にしないように言う。

 

 

「いいよいいよ~。テンちゃんが元気なのは伝わったから~。じゃあ私はこれで~」

 

 

「待ってくれグリーングラス」

 

 

 帰ろうとしたところ、神藤さんに呼び止められた。一体どうしたのだろうか?すると神藤さんは続ける。

 

 

「良かったら、テンポイントのリハビリを見ていくか?」

 

 

「……どういうこと~?」

 

 

「別に深い意味はないさ。断ってくれても構わない。先生、見る分には大丈夫ですか?」

 

 

 神藤さんの言葉に医者の人は頷いて答える。

 

 

「構いませんよ。ただし、リハビリの場所は他言無用という条件付きですが」

 

 

「う~ん……」

 

 

 正直、このまま帰ってもやることがないのは確かだ。それに少し興味がある。テンちゃんのリハビリがどんなものなのか。

 結局私は好奇心から神藤さんの提案を承諾する。

 

 

「じゃあ~お言葉に甘えさせてもらいましょう~。リハビリを見学しま~す」

 

 

 医者の人と神藤さんからの許可も貰ったので見学させてもらうことにした。私は神藤さん達に連れられるままリハビリ施設へと移動する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リハビリを見学すること1時間ほど。私は目の前に広がる光景に言葉が出なかった。ただ口を手で押さえて目の前でリハビリに励んでいる友達の姿を見る。

 友達が入会しているテンちゃんのファンクラブでリハビリの経過報告などが上げられていたので順調そうだということは知っていた。ただ、リハビリの様子などは写真がなくリハビリが終わった後の病室での写真しかなかったためどんなリハビリをしているかまでは知らなかった。何となく、普通のリハビリと変わらないだろうと、そう高をくくっていた。

 確かに普通のリハビリと変わらないメニューであったのは確かだ。だが、目の前にいるテンちゃんは痛みに耐えるように呻いている。

 

 

「ギィ……ッ、グ……うぅ……!ッあぐっ!」

 

 

 痛みに耐えかねてか、テンちゃんは倒れ込んだ。もう何度目か分からない。思わず目を逸らす。目を逸らしている間にも、テンちゃんは辛そうな声を上げていた。

 何とか気持ちに整理をつけて視線をテンちゃんに向けると、テンちゃんはまた手すりを頼りに立ち上がっていた。そして、先程と同じように左足に負荷をかけていく。また、倒れた。倒れる度に、また起き上がる。

 

 

(……なに、これ……?写真のテンちゃんはずっと笑顔だったのに……!)

 

 

 リハビリは、毎日こんなことを繰り返しているのか?いや、毎日ではないだろう。けど、それでも週の半分以上はリハビリをしているはずだ。毎回、こんなことをやっているのだろうか?そう考えた時、私の身体は震えた。そして、先程のテンちゃんの言葉を思い出す。

 

 

『ボクはええ調子やで!なんてたって完全復活の可能性が上がった言われたからな!』

 

 

『最高2パーセントやったんが5パーセントぐらいになったわ!』

 

 

 テンちゃんは、笑顔でそう言っていた。その笑顔の意味が今分かった。それと同時に、テンちゃんに対して尊敬の感情も湧き上がる。

 

 

(普通だったら、こんなに頑張ってるのに数パーセントしか完全復活の見込みがないなんて言われたら諦めたっておかしくない……。でも、テンちゃんは……)

 

 

 諦めずに今も必死にあがいている。たとえ先が見えなくても、またレースで走るために必死に頑張っている。その思いに、私は尊敬の感情が湧き上がった。

 そこからさらに時間は経って、医者の人がストップをかける。

 

 

「今日はここまでにしましょうテンポイントさん。お疲れ様でした」

 

 

 テンちゃんはその言葉に息も絶え絶えに返事をした。

 

 

「はぁ……はぁ……ッ!きょう、も……おお、き、に……です……!」

 

 

 そんなテンちゃんに、神藤さんはすぐさま駆け寄って車椅子に移動させる。私はその光景を見ているだけだった。

 リハビリ施設から移動して、テンちゃんの病室に戻ってくる。医者の人は経過報告をした後退室した。病室に静寂が訪れる。

 私が無言でいると、テンちゃんが苦笑いを浮かべながら私に話しかけてきた。

 

 

「あ~……驚いた?」

 

 

「……うん。すっごく。毎回あんな感じなの?」

 

 

「……やな。毎回あんな感じや」

 

 

「そっか……」

 

 

 また、無言になる。私はテンちゃんの姿を改めて見てみた。

 細い。こうしてしっかりと見ることで分かった。有マ記念の時の姿からかけ離れている。華奢な雰囲気に逆戻りしていた。そして、この身体でテンちゃんはリハビリを頑張っていた。

 私は、昨日のレースの時に頭によぎった考えを思い出して、恥ずかしくなった。テンちゃんは、自分の友達は、自分よりも酷い状況だっていうのに……、

 

 

(私は脚の状態が悪いことを言い訳にしそうになったなんて……ッ!今思い出すだけでも恥ずかしい!)

 

 

そう自分を叱責する。

 私は考えを改める。もう脚を言い訳になんてしない。そう心に誓う。そして、テンちゃんのために何かできることはないかと考える。そんな時、放課後のカシュウちゃんとの会話を思い出した。

 

 

『私も次のレースは春の天皇賞です!昨日は1着こそ逃しましたが春の天皇賞では私が勝ってみせますよ!そして今も頑張っているテン様を元気づけるんです!』

 

 

 ……そうだ、春の天皇賞。私の大目標でもあるこのレース。このレースで勝って、テンちゃんを……!

 考えが纏まったのでテンちゃんの方を見る。私が無言なことを心配しているのか、テンちゃんは話題を探そうとしているような仕草を見せていた。思わず笑みが零れそうになったが、気持ちを引き締めて私はテンちゃんに話しかける。

 

 

「ねぇ、テンちゃん」

 

 

「ど、どうしたんやグラス?」

 

 

「テンちゃんはさ、春の天皇賞見に来れるかな?」

 

 

「春天?う~ん……」

 

 

 テンちゃんは神藤さんの方を見た。神藤さんは頷きながら答える。

 

 

「何か、考えがあるんだろう?グリーングラス」

 

 

「……うん。絶対に、見に来て欲しい。ダメかな?」

 

 

 私は神藤さんを真っ直ぐに見据える。すると、神藤さんは苦笑いしながら答えた。

 

 

「分かった。俺の方で何とかしよう。春の天皇賞、絶対に見に行く」

 

 

「ありがとう。神藤さん」

 

 

 私は頭を深く下げてお礼を言った。改めてテンちゃんの方に向き直る。

 

 

「と、いうことだけど……」

 

 

 テンちゃんは微笑みながら答える。

 

 

「うん。トレーナーが言うんやったら、絶対に大丈夫や。見に行くで、グラスの天皇賞」

 

 

「……ありがとう、テンちゃん。見ててね」

 

 

 私は一拍おいて、告げる。

 

 

「絶対に勝つ。1着を取って、私なりのエールをテンちゃんに贈るよ」

 

 

 絶対に勝つという覚悟を持って、テンちゃんにそう宣言した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の日の朝、私はトレーナー室を訪れる。沖野トレーナーが座っていた。その姿を確認して、私は沖野トレーナーの下へと歩を進める。

 向こうもこちらに気づく。そして、私の雰囲気を感じ取ってか表情を引き締めながら問いかけてきた。

 

 

「おはようさんグラス。……で?どうした?」

 

 

「おはようトレーナー。……今日から練習を再開してもらっていいかな?」

 

 

 私の言葉に、沖野トレーナーは難色を示す。

 

 

「今日からか?つってもなぁ……」

 

 

「お願い」

 

 

「……テンポイント絡みか?」

 

 

 私は頷いて、昨日のように宣言する。

 

 

「次の春の天皇賞だけは絶対に負けられない。だから、脚のことを言い訳になんてしている場合じゃない」

 

 

 覚悟を持って私はそう告げた。沖野トレーナーは頭を掻いて答える。

 

 

「……よーし、分かった!なら、今日から春の天皇賞に向けて練習を始めるぞ!」

 

 

「……ありがとう、トレーナー」

 

 

 気にすんな、とだけ言ってトレーナーは笑った。

 次の春の天皇賞、3度目の挑戦。そして、テンちゃんに私なりのエールを贈るために。

 

 

(絶対に……勝つ!)

 

 

 そう心に誓った。




来週のウマゆるが今から楽しみです。


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第107話 外出の秘策

外出のための策を講じる回


 トレセン学園、春のファン大感謝祭。今日は生徒たちや職員の人だけではなく、ファンの人達も混じって賑わっていた。出店で食べ物を買う人や仲の良い友達とお喋りをしながら歩く人達でごった返している。ボクはそんな光景に少しの興奮を覚えている。車椅子をトレーナーに押してもらいながら。学園に来たのは1月以来、実に約3ヵ月ぶりにトレセン学園へと戻ってきた。

 最も、ボクの姿は普通じゃないのだが。帽子を深く被って顔を見えないようにし、サングラスをかけている。まるで……。

 

 

「お忍びで遊びに来た有名人みたいやな」

 

 

 そう呟くと、即座にトレーナーからのツッコミが入る。

 

 

「あながち間違いじゃないさ。お前はまだ入院中、外に姿を見せていないってことになってるからな。もしこの場にいることがバレたら大騒ぎだよ」

 

 

「ま、それもそうやな。そろそろ外してええか?これ」

 

 

「いいぞ。どこまで大丈夫なのかの確認の意味を込めてな」

 

 

 許可が貰えたので、ボクは帽子とサングラスを外す。瞬間、ボクに視線が集中する。少し緊張した。ボクがテンポイントだってバレてしまわないか?そう思っていた。

 周りの声が聞こえてくる。ボクを見ながら友人と、たまたま近くにいた人と小さい声で会話をしているのが聞こえてきた。

 

 

「……ねぇ?あのウマ娘の子すっごく可愛くない?」

 

 

「……うんうん!儚げ、って言うのかな?お嬢様みたい!……」

 

 

「……でも、どこかで見た顔だな?……」

 

 

「……他人の空似って奴だろ。あんな可愛い子、一度見たら忘れねぇって……」

 

 

「……どこかのご令嬢とかかな?あわよくば連絡先とか!……」

 

 

「……止めとけ。後ろにいる人、多分SPの人とかだろ。近づく前にストップが入るのがオチだよ……」

 

 

 どうやら、周りの人はボクがテンポイントだということに気づいていないようだ。ボクは思わず安堵の声を漏らす。

 

 

「良かったぁ……。誰にもバレてへんわ」

 

 

「そいつは何よりだ。気合を入れた甲斐があるってもんだぜ」

 

 

 トレーナーはそう告げた。そもそも何故ボクがここにいるのか?そして何故周りの人はボクがテンポイントだと気づいていないのか?話は少し前、グラスがお見舞いに来た頃までさかのぼる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ボクに春の天皇賞を絶対に勝つと宣言した後、グラスは病室を後にした。グラスが退出した後、ボクはトレーナーに尋ねる。

 

 

『さっきはああ言っとったけど、なんか策とかあるんか?』

 

 

『本当に大丈夫なのか?とは聞かないんだな』

 

 

 トレーナーの言葉にボクは当然とばかりに答える。

 

 

『当たり前や。トレーナーはできへんことは言わんからな。できる言うたってことはちゃんと策があるんやろ?』

 

 

『その通りだ。ちゃんと策はある。元々はお前の外出用に考えていたものだったんだがな』

 

 

 トレーナーは自信満々にそう言った。その策というのは次の日身を持って体験することになる。

 そして明けた次の日、トレーナーはアタッシュケースを持ってボクの病室に訪れた。仕事用の鞄ではなかったので気になったボクは尋ねた。

 

 

『トレーナー。それが昨日言うてた策ってやつか?』

 

 

『そうだ』

 

 

 トレーナーはそう答えてアタッシュケースを開ける。中身が露わになった。その中身は……。

 

 

『……メイク道具と……なんやそれ?メッシュ?』

 

 

『その通りだ。ここにあるのはメイク道具一式と変装用の小道具だな』

 

 

 そう言ってトレーナーはアタッシュケースの中身をどんどん取り出していく。帽子やサングラスなどの小道具も入っていた。

 トレーナーの言っていた策というのが分かった。つまるところ、メイクをしてボクだということを気づかせない作戦なのだろう。だが、本当に大丈夫なのだろうか?ボクは基本的なメイクしか知らないし、別人に見せるようなメイクなんて無理だ。

 ボクは今感じた疑問をトレーナーに尋ねた。

 

 

『でもトレーナー。ボクはメイクのことは基本的なことしか知らんで?別人に見せるようなメイクできる自信がないわ』

 

 

 するとトレーナーは道具を確認しながら当たり前のように答えた。

 

 

『あぁそこは大丈夫だぞ。俺がメイクするからな』

 

 

 ボクは目を丸くした。思わず聞き返す。

 

 

『トレーナーが?ボクを?』

 

 

『そうだ。俺がお前をメイクする』

 

 

 少し嫌疑が湧いたが、トレーナーならできそうだというのがこれまでの付き合いで何となく分かっている。なので、特に言葉にすることはなかった。

 用意が終わったのか、トレーナーがボクに確認の言葉を投げかける。

 

 

『さて、始めるぞテンポイント。準備はいいか?』

 

 

『ええで。頼むわ』

 

 

 ボクがそう言ったら、トレーナーは早速ボクをメイクしていった。少しくすぐったさを覚えるが終わるまで我慢する。

 それから少しの時間が経って、トレーナーが一息ついてボクに告げる。

 

 

『よし、完成だ。確認してみてくれ』

 

 

 そう言って手鏡を渡してきた。ボクはそれを受け取って、自分の顔を確認する。

 

 

『おぉ……。すごいなホンマ。遠目に見たら分からないんやないか?』

 

 

『そうだな。もっとがっつりやることもできるが、レースを見るぐらいならそれぐらいで大丈夫だろう』

 

 

 鏡に映ったボクの顔は、遠目で見た限りではボクだと気づかないぐらいには別人だった。さすがに、近くで見られたらバレてしまいそうな気がするが。

 そう考えているとトレーナーは小道具片手にボクに話しかける。

 

 

『後は帽子やサングラスを被って、さらに判別できないようにしよう。先生からの許可もな』

 

 

『うん。頼んだで』

 

 

 トレーナーはこの後、医者の先生を呼んできて外出の許可を貰っていた。先生はこれなら大丈夫だと言い、ボクは晴れて外出の許可を貰ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして現在、ボクは帽子を被りなおし、サングラスをかける。今日ここに来たのはメイクが本当に大丈夫なのかの確認の意味合いが大きい。帽子とサングラスで変装し、普段は腰まで伸ばしたロングヘアの髪型をギブソンタックにしている。何故ここまで見た目を変えているのにメイクまでしているのか?トレーナー曰く、何らかのアクシデントが起こった時を想定してのことらしい。ボクは納得した。

 先程の通行人の反応から、ボクだとは分かっていないようだった。だから特に心配はしていない。学園から感じる祭りの雰囲気を肌に受けて、ボクのテンションは上がっていた。トレーナーに催促するようにお願いする。

 

 

「ほらほら!はよ行くで!」

 

 

「分かった分かった。そう焦るなって」

 

 

 少し呆れたように言いながら、トレーナーはボクの車椅子を押していく。勿論だが、トレーナーも変装している。ボクと同じように自分にメイクを施し、メガネなどの小道具でバレないようにしている。ボク達は感謝祭を楽しむことにした。

 校舎に入ってまず向かったのはボーイが所属するリギルの出し物だ。どうやら今年は喫茶店をやっているらしい。かなり盛況らしく、長蛇の列ができていた。ボク達は待機列に並ぶ。

 待っている間かなり暇だったが、これも醍醐味のようなものだろう。それにトレーナーが退屈にならないようにと本を持ってきてくれていたので、それを読みながら待っていたらあっという間だった。

 

 

「それでは次の方~……ッ!」

 

 

 どうやらボク達の番が来たらしい。ただ、どこかで聞き覚えのある声だった。本を閉じて店員さんを見る。

 対応していたのはマルだった。少し驚いたが向こうはこちらを見て口をパクパクさせている。もしかして……。

 

 

(バレた?)

 

 

(いや、そんなことはないと思うが……)

 

 

 トレーナーと小声でそう会話をする。緊張しながらも、トレーナーが尋ねる。

 

 

「……何か?」

 

 

 そう聞くと、黄色い声を上げながらマルが急にしゃがみこんだかと思うと、車椅子に座っているボクの手を掴んだ。

 

 

「キャー!かなりイケイケな子じゃない!お名前は!?なんて言うの!?」

 

 

 どうやらボクだとは気づいていないらしい。そのことに安堵したが、名前を聞かれて少し困る。どう切り替えそうか?そう考えていると、トレーナーが助け舟を出す。

 

 

「……すまない、早く席に案内してくれないか?」

 

 

「あらごめんなさい私ったら!お仕事中にダメね!」

 

 

 気を取り直したのか、マルは姿勢を正して接客を始めた。

 

 

「改めていらっしゃいませ喫茶〈リギル〉へ!2名様ね?相席になっちゃうけど大丈夫かしら?」

 

 

 どうやら素の態度で接客する喫茶店らしい。ファンの人からしたら畏まった態度よりもこちらの方が嬉しいだろう。

 ボクはマルの言葉に頷く。トレーナーは声を出して答える。

 

 

「……私も彼女も問題ない」

 

 

「はいは~い。じゃあ早速案内するわね!」

 

 

 言われるがままに、マルが席へと案内する。すでに座っている2人組に話しかけていた。

 

 

「ごめんなさいカイザー、グラス。相席になっちゃうけど大丈夫かしら?」

 

 

「はい、大丈夫ですよ」

 

 

「私も~。問題な~し」

 

 

「分かったわ!それじゃあ2名様ごあんな~い!」

 

 

 今告げた名前に驚きながらも、席へと着く。ボクは車椅子なので、椅子を1つどかしてもらった。

 しかしまさかカイザーやグラスと相席になるとは。偶然というのは怖い。ただ、向こうはボクだと気づいていないようだ。トレーナーが話しかけている。

 

 

「……すまない。相席、感謝する」

 

 

「いえいえ。お気になさらないでください」

 

 

「そうそ~う。ところで、そっちの子は……」

 

 

「……見ての通りだ。事故の影響で脚が悪くてな。満足に歩くことさえできず、車椅子での移動を余儀なくされている。ただ、このファン感謝祭に来たいというのでな。不自由な生活をさせている分、できる限りこの子の要望は叶えてあげたい」

 

 

「……そうですか。それは、お辛いですね」

 

 

「……ごめんなさい。軽率に聞いちゃって」

 

 

「……気にするな。此方も、楽しい食事の場で話すことではなかったな」

 

 

 トレーナーはそう言って謝る。ただ、当事者であるボクはすぐにでも声を上げてネタ晴らしをしたい気分だった。それをしたら大騒ぎになること間違いなしなので何とか抑えるが。

 ただ、これぐらいは許されるだろうと思い、筆談での会話を試みる。ボクはトレーナーのスーツの袖を引っ張っる。

 

 

「……どうした?」

 

 

 ボクはジェスチャーで筆談したいという意図を伝える。すぐに分かったのか、トレーナーはメモ帳を差し出してきた。ボクはお礼をするように頭を下げて、早速紙に文字を書く。

 

 

【気にしないで。みんなの楽しんでる姿を見ると、私も楽しいから。それに、こうやって筆談でならお話しできるし】

 

 

 その言葉を見て、グラス達は少し笑みを零した。そして、ボクに告げる。

 

 

「……そうですね。ここで会ったのも何かの縁です!」

 

 

「一緒に楽しくお喋りしようね~」

 

 

 その後はボクも筆談で対応しながら会話が弾んでいく。2人を騙していることへの良心が痛んだが。

 程なくして、料理を食べているボク達のところに誰かが来る。すぐに気づいた。ボーイだ。

 

 

「お待たせ!カイザー、グラス!やっと休憩時間だよ~……?この2人は?」

 

 

 ボーイはボク達を見て2人に尋ねる。カイザーがその質問に答えた。

 

 

「相席していた人達ですよ。お名前は……」

 

 

「……藤上と、ミーティアだ」

 

 

「そうそう~。藤上さんとミーティアちゃん~」

 

 

「へ~そうなのか。オレはトウショウボーイ!よろしくな!」

 

 

 そう言ってボーイは手を差し出してくる。ボクはその手を掴んで握手をした。一瞬、ボーイの視線がボクの脚に注がれたが、すぐにボクの方へと視線を戻す。触れてはいけない、そう思ったのだろう。

 ただ、ボクは筆談でボーイに尋ねる。

 

 

【気になる?この脚】

 

 

 そう聞くと、ボーイはバツが悪そうに頬を掻いて答えた。

 

 

「やっぱ見たのバレちゃったよな……。気を悪くしたよな?ゴメンな」

 

 

 ボクは筆談で答える。

 

 

【気にしないで。慣れっこだから】

 

 

 あくまで設定の話である。そう思いながらも答えた。

 ……この時、ボクにちょっとだけ悪戯心が湧いた。筆談でバツが悪そうにしているボーイに向けて伝える。

 

 

【トウショウボーイさん、私、また走れるようになるかな?】

 

 

 紙を見たボーイはボクを安心させるように、手を握って答える。

 

 

「大丈夫だ。絶対にまた走れるようになる!オレの友達にもさ、ミーティアと似たような状況のやつがいるんだ」

 

 

 ボクのことだろう。そう思ったが顔に出さないように堪える。向こうにボクの顔は見えていないだろうが。そのままボーイは続ける。

 

 

「そいつも今復帰のために必死に頑張ってる。諦めなければ、きっといつかまた走れるようになるって頑張ってる!だから、ミーティアも諦めちゃダメだ!諦めなかった先には、きっと希望があるから!」

 

 

 ボーイは自信満々にそう答えた。その表情は、希望に満ち溢れた笑顔だった。

 ……もうダメだ。ここが限界だ。耐えきれずに声を出す。

 

 

「……アカントレーナー。これ以上はボクの良心が持たん」

 

 

「……奇遇だな。俺もだ」

 

 

 ボクの声を聞いたその瞬間、ボーイ・グラス・カイザーの3人は目を丸くした。とても驚いているのが見てとれる。

 

 

「え、え?な、なんで?なんでここにいんだよ!?」

 

 

「そ、その声って……ッ!まさか……!」

 

 

「テン……」

 

 

「ストップだ!事情は後で話すからとりあえずこの場を離れるぞ!」

 

 

 いつの間にか注目を集めていたらしい。他の客達はみんなボク達の方を見ていた。会計を済ませて、ボクは車椅子でトレーナーに運ばれるままに喫茶店を後にした。ボーイ達と一緒に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさかテンちゃんの変装だったなんて~」

 

 

「ま、全く気付かなかった……」

 

 

「はい、私とグラスさんなんて相席してたのに気づきませんでしたよ……」

 

 

「な、なにやら大変なことがあったみたいですね皆様」

 

 

「スマン!ホンマにスマンみんな!別に騙す気はなかったんや!ただ、みんながどんくらい気づかんかな~って思うて……」

 

 

 プレハブ小屋のトレーナー室で、途中合流したクインを加えてボク達は話している。話題はボクの変装のこと。結果的に騙すようなことになってしまったことをボクはみんなに謝る。

 グラスがボクをまじまじと見ながら告げる。

 

 

「それにしても~本当にすごいね~。メイクまでしてあるし~遠目だと分かんないよこれ~」

 

 

「そうですね。というか、近くにいてもちょっと怪しいですよ。テンポイントさんかどうかなんて」

 

 

「メイクは誰が施したのでしょうか?テンポイント様ご自身で?」

 

 

「いや、メイクは俺だな」

 

 

「誠司さんメイクまでできんのかよ……」

 

 

 そして、トレーナーが今回のことを話し始める。

 

 

「まあ、グラスは知っていると思うがこれが春の天皇賞を見に行くための策だな。テンポイントだってバレないように外を出歩くための変装だ」

 

 

「あ~そういうことだったんだね~」

 

 

「確かに、テンポイントさんだってバレるわけにはいきませんもんね」

 

 

「そうだ。ただ、ここまでバレなかったってことは本番である春の天皇賞でも大丈夫だってことだろう。今日はすまなかったな」

 

 

 トレーナーは頭を下げて謝罪をする。ボーイ達は特に気にしている様子はなかった。ただ、

 

 

「オレのさっきの言葉……本人を前にして本人の話してたってことかよ!?恥ッず!?」

 

 

ボーイはそう言って赤面していた。ボクはただ申し訳なくボーイに謝罪をする。

 

 

「スマン、ボーイ。ちょっと悪戯心が働いてもうたんや……」

 

 

「いや、まぁ……別にいいけどよ……」

 

 

 ボーイは曖昧な表情を浮かべている。ボクも、多分同じ表情をしていることだろう。

 春の天皇賞を見に行くための変装。結果としては大成功だった。




チャンミはBグループでした。


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第108話 春の盾

春の天皇賞出走前回


 春のファン大感謝祭も終わってから月日が流れて、グラスが出走する天皇賞・春を迎えた。ボクは感謝祭の時のような変装をして京都レース場を訪れている。

 車椅子をトレーナーに押してもらいながらパドックの入場が始まるのを待つ。車椅子、ということで他の人達から注目を集めていたのでバレないか少しドキドキしていたが、すぐに視線を感じなくなる。どうやらボクがテンポイントだとはバレていないらしい。ボクは安堵した。感謝祭で効果は実証済みとはいえ、やはり心配にはなる。

 後ろで車椅子を押しているトレーナーを手招きして呼び寄せる。屈んでもらい、ボクはトレーナーに耳打ちする。あまり声を出しての会話も控えた方がいいと思っているので、こうするのが得策だろう。

 

 

「……トレーナー。いよいよやな……」

 

 

「……あぁ、今回の天皇賞はグリーングラスに菊花賞ウマ娘プレストウコウ、グリーングラス相手に4勝しているカシュウチカラ。この辺が有力だ。特に……」

 

 

「……カシュウ、やな。グラスとは相性がええんのか分からんけど、大きく勝ち越しとる。グラス側からすれば、カシュウをどう攻略するかやな……」

 

 

 それに、カシュウはカイザーやホクトと同じ最後方からの追い込みを得意としている。加えて、今回のレースはこれといった逃げウマ娘がいないのもグラスにとっては向かい風だ。ただ。

 

 

「……直前の公開練習では調子は良かった。ハッキリ言ってこの距離で調子のいいグリーングラスに勝てる奴はそうはいない……」

 

 

「……不安要素やった脚も大丈夫みたいやしな。油断はできへんけど……」

 

 

 直前に行われた沖野トレーナー率いるチーム・スピカの公開練習では脚の不安を感じさせないほどに快調に走っていたらしい。練習を見ていたトレーナーの話だ。

 そうして声を潜めて話していると、会場にアナウンスが入る。

 

 

 

 

《これより、京都レース場第9レース、天皇賞・春に出走するウマ娘たちのパドック入場が始まります。まずは1枠1番……》

 

 

 

 

 どうやら入場が始まったらしい。ボク達は会話を中断して出走するメンバーの調子を確認していく。確かグラスは2枠の3番。すぐに順番が来るだろう。

 

 

 

 

《……続いて2枠3番、1番人気グリーングラス選手の入場です》

 

 

 

 

 思った通り、すぐにグラスの出番になった。ボクはグラスの様子を注視する。

 ……見た感じ、問題はなさそうだ。というよりは、調子が良さそうに感じられる。調子落ちはしなかったらしい。ボクは安堵する。トレーナーが身を屈めてボクに話しかけてくる。

 

 

「……調子良さそうだな、グリーングラスは……」

 

 

「……やな。後は他ん子たちの調子とレースの展開次第やな……」

 

 

 ボクの言葉にトレーナーは頷く。同じことを思っていたのだろう。

 そんな時、ふとグラスがボクのいる方向を見る。ボクとグラスの視線が合ったような気がした。変装しているとはいえ、グラスにはこの変装を感謝祭の時に見せている。だから向こうはボクだと気づいているだろう。

 一瞬驚いたような表情を見せた後、こちらに笑みを浮かべてサムズアップしてくる。それにボクは薄く微笑んで答える。向こうに見えているかは分からないが、何となく嬉しかったから。それを最後にグラスは退場していった。

 それから何人かの出走するウマ娘が入場してきて、思い思いのアピールをしていく。そして、次のウマ娘は……。

 

 

 

 

《……続きましては5枠9番、2番人気プレストウコウ選手の入場です》

 

 

 

 

 グラスと同じ菊花賞ウマ娘、プレストウコウが入場してきた。大きく手を振ってアピールしている。

 

 

「みなさ~ん!なにとぞ!なにとぞこのプレストウコウをお願いしま~す!」

 

 

 ……言ってることはよく分からないが。トレーナーがボクに耳打ちする。

 

 

「……まあ同期がマルゼンスキーだからな。自分は葦毛で初めてクラシック3冠の内の1つを取ったのに、全然話題に上がらないから、ってとこじゃないか?……」

 

 

「……ちなみに、ボクの〈貴公子〉とかグラスの〈緑の刺客〉みたいに、ファンからの愛称みたいなもんはあるんか?……」

 

 

「……確か、<銀髪鬼>だったか?……」

 

 

「……それヒールレスラーのニックネームやなかったか?……」

 

 

「……むしろよく知ってたなこのニックネーム。まあこの2つ名は関西でしか言われてないけどな……」

 

 

 そう言いながら、トレーナーが携帯を操作してボクに1つの記事を見せてくる。そこにはプレストウコウが菊花賞を勝った時の内容が書いてあった。出版は関西の新聞のようである。

 見出しだけ見れば、まるで勝ったプレストウコウが悪役のような記事だった。どうやら菊花賞2着だった子は関西では人気の子だったらしく、それが余計に拍車をかけたらしい。まあ記事の内容自体は普通にプレストウコウを褒めている内容だったのだが。

 トレーナーは溜息を吐いて続ける。

 

 

「……菊花賞もレコード勝ちしたってのに、ほとんど話題に上がらないからな。あまりにも不憫すぎる……」

 

 

「……そん時は後んレースが重要になるけど、プレストウコウの菊花賞の次のレースって……」

 

 

「……大体察しはついてると思うが、あの有マ記念だ……」

 

 

「……あぁ、うん。それは……」

 

 

 確か、その時のプレストウコウは6バ身離されての4着だったはずだ。決して低くないし、むしろ上の方ではあるのだが、あのレースの状況を考えると確かに目立たないだろう。

 その後もプレストウコウはパドックの時間目一杯使って自分をアピールしていた。そのアピールにファンの人達は生暖かい視線を向けていた。ファンから愛されているらしい。何となくそう思った。

 その後も出走する子たちが続々とパドックでアピールをしていく。そして、ついに最後の子の番が来た。確か、最後の大外枠は……。

 

 

 

 

《……最後は8枠16番、3番人気カシュウチカラ選手です》

 

 

 

 

 会場に響いたアナウンスとともに、最後の枠番の子、カシュウが入場してきた。アピールをしている。ボクはトレーナーに耳打ちする。

 

 

「……こっちも調子良さそうやな……」

 

 

「……だな……」

 

 

 カシュウの調子は見た感じ絶好調と言ってもいいだろう。問題なく調整で来たようだ。心なしかキラキラしているように感じる。

 そんなことを考えている時、突然カシュウが大声を出してアピールを始める。

 

 

「ここで勝って、テン様に勇気を上げますよー!」

 

 

 思わず声を漏らしそうになったが、何とか我慢した。内心驚いている時、トレーナーがボクに声を潜めて話しかけてくる。

 

 

「……危なかったな。思わず俺も反応しそうになった……」

 

 

「……ボクも危なかったわ。ここで声上げたら帰らなあかんとこやったからな……」

 

 

 いきなり名前を呼ばれたのだ。誰だって反応しそうになるだろう。

 カシュウはその言葉を最後にパドックを退場する。カシュウが最後なので、ファンの人達はレース場へと移動を始める。それに続くようにボク達もレース場へと移動を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レース場に着いたボク達は辺りを見回す。最前列、グラスのレースをよく見るためにその場所を取っておいてもらったのだ。勿論向こうにも了承済みである。まあ、ボクの場合車椅子なので最前列に立ったところで見えるかどうかは分からないが。

 そんなことを考えていると、目的の人物達を発見した。向こうもこちらに気づいて手を振っている。ただ、声を出して呼ぶことはしない。一応、ボクはお忍びで来ているということになっているからだ。向こうもそれを知っているので手を振るだけに留めている。

 最前列に待機してくれていた人物達、ボーイ、カイザー、クインにメモを利用してお礼を言う。

 

 

【ありがとうみんな】

 

 

 そのメモを見たみんなはそれぞれ答える。

 

 

「気にすんなって!そうだ、グラスはパドックでの調子はどうだった?」

 

 

【調子良さそうだったよ】

 

 

「そうですか……。直前の公開練習でも脚の問題はなさそうでしたので、万全な状態で迎えることができたみたいですね」

 

 

「万全な状態のグリーングラス様なら、問題はない……と言い切れないのが天皇賞ですものね。私達も、精一杯応援いたしましょう!」

 

 

 クインの言葉にボク達は頷く。ちなみに、無言なのはボクだけではなくトレーナーもだ。やるからには徹底的に、らしい。

 しかし、やはり車椅子だと少し見えずらい。これに関しては諦めるしかないだろうと思っていると、ふと視界が高くなった。車椅子が動いている。そのことに驚いて思わず声が漏れる。

 

 

「っとと。なん……」

 

 

 何とか口を塞いでそれ以上言葉を話さないようにする。落ち着いて自分の下を見てみると、トレーナーが何やら車椅子の下に台のようなものを設置していた。動かないように固定しているのが確認できる。

 しばらくして車椅子が完全に動かなくなる。トレーナーからサングラスをとってもいいというジェスチャーを貰い、サングラスを外してターフへと視線を向ける。そこには……。

 

 

「わぁ……!」

 

 

 思わずそう声が漏れてしまう。いつもと変わらない景色、立って、レースを観戦している時とほとんど変わらない光景が眼前に広がっていた。

 目の前の光景に圧倒されているボクに、トレーナーが声を潜めて話しかけてくる。

 

 

「……これなら見やすいだろ?……」

 

 

「……ホンマや。ありがとな、トレーナー……」

 

 

「……いいってことよ……」

 

 

 まさかレースのために外出の許可を取ってくれるだけではなく、レースを見やすくするためにこんなものまで用意してくれているとは。ボクは喜びを噛みしめる。

 そんな時、ボーイがトレーナーに尋ねる。

 

 

「一応確認だけどさ、許可は取ってあんの?」

 

 

 その質問に、トレーナーはいつもより声を低くして答える。

 

 

「……問題ない。レース場の許可はあらかじめ取ってある」

 

 

「まぁそうですよね」

 

 

「しかし、このようなものまで自作なさるなんて。すごいですね」

 

 

 カイザーとクインは感心していた。

 しばらくして、沖野トレーナー達とも合流する。ターフには、出走するウマ娘が続々と入場してきていた。実況の声が聞こえてくる。

 

 

 

 

《天気は生憎の曇り空、京都レース場第9レース天皇賞・春を迎えました。距離は芝3200m、バ場の状態は稍重と発表されています。春の盾を巡り、選りすぐりのウマ娘達が覇を競います!》

 

 

《今回の天皇賞・春。最注目と言えばやはりグリーングラスですね。有マ記念をもってドリームトロフィーリーグに移籍したトウショウボーイ、現在も復帰に向けてリハビリ中と発表されているテンポイント。この2人と鎬を削り合った彼女が天皇賞の盾に最も近いウマ娘と評されています》

 

 

《しかしそれに待ったをかけるかの如く調子を上げている2人のウマ娘、2番人気プレストウコウと3番人気カシュウチカラがおります。カシュウチカラは対グリーングラスの戦績を4勝1敗、プレストウコウは前走のオープンレースでグリーングラスとカシュウチカラ相手に勝利しました!勿論この2人だけではありません。この舞台に上がっているのはトゥインクルシリーズでも指折りの実力者たちです!》

 

 

 

 

 そうして、ウォーミングアップを終えた子たちが続々とゲートに入っていく。ボクはそれを緊張しながら見守っていた。思わず手を強く握る。

 そして、最後の子がゲートに入る。まもなく始まろうとしていた。

 

 

 

 

《さぁ、各ウマ娘のゲートインが完了しました。出走の瞬間を今か今かと待ちわびております。果たして春の盾は誰の手に渡るのか?グリーングラスか?プレストウコウか?カシュウチカラか?はたまた他のウマ娘か?天皇賞・春が今……》

 

 

 

 

 一瞬訪れる静寂。次の瞬間、ゲートが開く音が聞こえた。

 

 

 

 

《スタートです!》

 

 

 

 

 グラスの戦いが、今始まった。




チャンミはBグループの2位でした。ちくせう。


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閑話17 アクシデント

思わぬアクシデント


 京都レース場のターフ。そこに私は今立っている。春の天皇賞出走を控え、身体をほぐすようにウォーミングアップをしていた。

 脚の状態を確認する。大丈夫、問題はない。いや、

 

 

(前2戦よりも全然調子がいい……。これならいけるね~)

 

 

不安視していた脚の状態は天皇賞前に行った公開練習の時から調子の良い状態で迎えることができた。これで後は、誰よりも早くゴールするだけだ。私はそう決意する。

 周りを見回す。今回注目されているのは私と同じ菊花賞ウマ娘であるプレスちゃん。プレスちゃんはウォーミングアップをしながら観客席に手を振っている。微笑ましさから笑みが零れそうになったが、すぐに気を引き締める。今回のレースで要警戒しておくべき相手の1人だ。マルゼンちゃんの影に隠れがちだが、プレスちゃんは菊花賞をレコード勝ちする実力を持っている。油断はしない方がいい。

 そう考えていると、後ろから声を掛けられる。

 

 

「ついにこの日が来ましたね、グラスさん!」

 

 

 声のした方へと振り向く。カシュウちゃんだった。

 今回のレースどちらかと言えば、警戒すべきなのはプレスちゃんよりもカシュウちゃんの方だ。戦績は私の1勝4敗、かなりの数負け越している。別に苦手意識があるというわけではない。ただ、不思議と勝てないでいた。だからこそ、今回のレースだけは絶対に勝つ。そう考えていると、思わず気合が入って睨むような目つきになる。

 カシュウちゃんは私の顔を見て一瞬たじろいだものの、すぐに言葉を続ける。

 

 

「……っふふ、やはり凄まじい圧です!流石はテン様やトウショウボーイさんと並ぶ3強の1人です!」

 

 

「3強……か」

 

 

 思わず自嘲気味に呟く。有マ記念以降そう呼ばれることもあったが、実際のところあまり嬉しくはなかった。

 というのも、世間一般的には前2人よりも下の位置にいる永遠の3番手。それが私の評価だ。だが、それも仕方がない。私は菊花賞以外で2人に先着したことは一度たりともない。前回の春の天皇賞はテンちゃんに負け、宝塚記念は2人から4バ身離されての3着、有マ記念は2人に肉迫したものの、結局は3着だ。永遠の3番手という評価は、あながち間違いではない。

 けど、今日でその評価を覆す。私は2人の下なんかではない、2人に並ぶだけの実力があることを証明してみせる!そして、

 

 

(勝って、テンちゃんに応援の気持ちを届ける!私なりの、応援の気持ちを!)

 

 

今も頑張っているテンちゃんを勇気づける。そのために、今日は絶対に勝つ!そう決意を新たにする。

 私はウォーミングアップを切り上げて、カシュウちゃんに宣言する。

 

 

「勝つのは私だよ」

 

 

 私の宣言を受けて、カシュウちゃんは不敵に笑って答える。

 

 

「そうはいきませんよ。勝つのは私です!勝って、春の盾をテン様に捧げます!」

 

 

 そう宣言した。その言葉を最後に私たちはそれぞれ自分の枠番のゲートに入る。

 

 

 

 

《さぁ、各ウマ娘のゲートインが完了しました。出走の瞬間を今か今かと待ちわびております。果たして春の盾は誰の手に渡るのか?グリーングラスか?プレストウコウか?カシュウチカラか?はたまた他のウマ娘か?天皇賞・春が今……》

 

 

 

 

 ゲートが開くその時を静かに待つ。

 

 

 

 

《スタートです!》

 

 

 

 

 ゲートが開いた。私はスタートを切る。絶対に勝つ、その思いを胸に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《さぁ16人のウマ娘がスタートを切りました!逃げウマ娘がいない今回の天皇賞一体誰がペースを握るのか非常に楽しみなところ。まず内枠から3番グリーングラスが先頭に立ちました。外からは5番のキングラナークと4番ビクトリアシチー加えて6番ロングイチーも行きますそれを見てグリーングラスは下がりました無理に先頭には立たない様子。5番のキングラナークも控えました4番ビクトリアシチーと6番ロングイチーが先頭に立ちました。第3コーナーに入りまして先頭はこの2人になりますビクトリアシチーとロングイチー》

 

 

《プレストウコウは中団、カシュウチカラは最後方いつもの位置につけていますね。この位置をキープしていきたいところ》

 

 

《レースは1周目の第3コーナーの下りに入りました。先頭を走るのは4番ビクトリアシチーそこから1バ身離れて2番手に6番ロングイチー。その後ろは3人のウマ娘が固まっております。3番手にキングラナーク4番手に7番トウカンタケシバ、そして5番手にグリーングラスがつけています。1番人気グリーングラスはこの位置だ。3番手から5番手にはほとんど差がありません》

 

 

《グリーングラスは内をついていますね。このまま内を通っていきたいところ。しかし他のウマ娘も内を走る彼女の怖さをよーく知っております》

 

 

 

 

 春の天皇賞が始まった。私達は今グラスさんのレースを見ている。

 グラスさんは最初こそ先頭に立ったものの、外から他の子が上がってくるのを見て即座に抑えた。今は5番手の位置にいる。好位置につけることができていた。

 ボーイさんが呟く。

 

 

「内側……枠番のおかげもあるだろうけど、内に入ることができたな」

 

 

「はい。ですがまだ序盤も序盤です」

 

 

「そうですね。ですが有利に運ぶことができるのは確かです。頑張ってください……グリーングラス様!」

 

 

 声こそ出していないが、テンポイントさんもジッとグラスさんのいる位置を見つめている。無言の応援だろう。私はそう感じた。

 そして先頭は第3コーナーから第4コーナーへと入る。ここで、思わぬ事態が発生した。プレストウコウさんの走りが突如として乱れ始めたのだ。そのことに京都レース場は騒然となる。そして、プレストウコウさんは第4コーナーの生垣を越えて直線に入ろうかというところで外へ外へと進路を取る。

 

 

 

 

《……さぁ先頭は4番ビクトリアシチーがペースを握ります。第4コーナーの生垣を越えて直線に入ろうかというところ。2番手は2バ身離れて6番ロングイチー、2番手から少し離れて3人のウマ娘が集団を形成しています3番手は真ん中キングラナーク4番手は外にトウカンタケシバ、5番手にグリーングラスはいつも通り内をついて走っています。グリーングラスの後ろに14番ハッコウオーが控えています。中団にはプレストウコウ2番人気プレストウコウはこの位置にいますが、あぁっと!どうしたことか!プレストウコウ突如として走りが乱れたぞ!プレストウコウ最早走りというよりは競歩に近くなっている!》

 

 

 

 

 私は思わず悲鳴を上げそうになった。もしかして、故障?そう思ってしまったから。しかし、テンポイントさんの呟きが聞こえる。

 

 

「……脚、っちゅうよりは靴」

 

 

「え?どういうことですか?」

 

 

 私の質問に、テンポイントさんはメモ帳を取り出して書き始める。そして、書き終わったメモを私に見せてきた。それをボーイさんとクインさんも覗き込む。

 

 

【靴、蹄鉄が取れかかってる。あれじゃ上手く走れない】

 

 

 靴。そう言われて私はプレストウコウさんの足元に注目した。

 ……本当だ。よく見ると蹄鉄が外れかけていた。何とか走れはするものの、あのまま走っていたら蹄鉄はいずれ外れるだろう。そうなったら大惨事に繋がる可能性がある。

 実際、プレストウコウさんもそれに気づいてか外の方に進路を取っている。万が一の事故を起こさないようにするためだろう。

 しかし、この大一番で蹄鉄が外れかけるとは……。メンテナンスはしっかり行っているだろうし、不幸な事故と言えばそれまでだ。でも……。

 

 

「なんというか、本当に不憫ですね……プレストウコウさん」

 

 

「何もこんな大一番で外れなくてもな……」

 

 

「な、なんとも言えませんね……」

 

 

 ボーイさんとクインさんも、憐れむような目で外へと進路を取るプレストウコウさんを見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 春の天皇賞が始まった。私は最初こそ先頭に立ったが、外から上がってくる2人のウマ娘の姿を確認するとすぐに抑えて走る。

 

 

(私はペースを握って走るのはあんまり得意じゃない……。だから誰かが行ってくれると助かったんだけど……)

 

 

 あの2人が先頭に立って争っている。今回のレースのペースメイカーになるだろう。ひとまず安心する。今回のバ場は稍重。重バ場程ではないとはいえ力がいるレースになるだろう。

 第3コーナーの下りに入る。私は先頭集団につけていた。しかも絶好の最内に。外に2人、トウカンタケシバちゃんとキングラナークちゃんがいる。後ろにも何人か控えているだろう。気配を感じた。

 そして第3コーナーから第4コーナーを回ろうかというところ。突如として後ろから悲鳴のような声が上がる。

 

 

「え!?嘘、なんでぇぇぇぇ!?」

 

 

 ……この声は、プレスちゃんだろうか?何かアクシデントでも起きたのか?ただ今はレース中、自分のことに集中する。

 この時点で私は5番手の位置。ただ2番手から5番手はほとんど差がない。先頭を走るビクトリアシチーちゃんが離れて走っているくらいだ。

 

 

(さて、このまま内を走れれば万々歳なんだけど……)

 

 

 そう上手くはいかないだろう。それがレースというものだ。そう考えながら私は内ラチ沿いを走る。

 そして第4コーナーの生垣を越えて直線へと入る。その時また後ろからプレスちゃんの悲鳴が聞こえた。

 

 

「何もこんな時に外れなくてもー!ちゃんとメンテはしたのに何で外れるの~!?」

 

 

 その悲鳴に気を取られて、というわけではないが後ろの状態を確認するために視線を向ける。プレスちゃんが外へ外へと進路を取っているのが少しだけ確認できた。

 ……というか、プレスちゃんは最早走りというより競歩に近い状態だ。一体何があったのだろうか?他人の心配をしている場合じゃないのだが、思わず気になってしまう。

 そして、またプレスちゃんの悲痛な叫びが聞こえてくる。

 

 

「もー!このレース終わったらトレーナーに文句言ってやるー!蹄鉄が外れかけるなんてー!」

 

 

 そんなことを言いながら、レースから脱落していった。あれじゃあ近いうちに競争中止になるだろう。

 ……この大一番で蹄鉄が外れかけるとは。しかもプレスちゃんの話を信じるならメンテナンスはちゃんとしていたらしい。それでも外れた。つまるところ不幸な事故というやつだろう。ただ……。

 

 

(同情したくなるくらい不憫な子だ……)

 

 

 そう思ったが、すぐにその考えを捨てる。同情するのはレースが終わってからでもいいだろう。今はただこのレース、天皇賞に意識を集中させなければ。私は考えを改める。

 今は直線に入ったところ。今は先頭を走っているビクトリアシチーちゃんも抑えたのかほぼ団子状態で密集している。私は完全に内に閉じ込められていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《……各ウマ娘が1周目の正面スタンド前に入ってきました!しかしアクシデントが発生したプレストウコウは外で他のウマ娘の進路を妨げないように大外を走っています!》

 

 

《よ~く見てみると、彼女の靴の蹄鉄が外れかかっていますね。あのまま走り続けると大惨事になるでしょう。それを受けての大外への進路取りですね》

 

 

《この大一番で不幸な事故が発生ですプレストウコウ!2番人気プレストウコウに大アクシデント!しかしレースは続いております先頭を走っているのはどのウマ娘か?先頭を走っているのは6番ロングイチー外から14番ハッコウオーが続いております間にキングラナークこの3人が先頭を走っております。その後ろには7番トウカンタケシバ4番ビクトリアシチーがおります。3番グリーングラスは内で抑えて走っている。彼女にとっての好位置につけているぞ!》

 

 

 

 

 アクシデントはあったものの、それでレースは止まらない。ひとまず大きな事故に繋がらなかったこと、プレストウコウさんが故障したわけじゃないということに私は安堵する。

 安心したところで、私はグラスさんの位置を見る。内ラチ沿い、彼女にとってのベストポジション。そこをキープしていた。

 

 

 

 

《さぁ先頭集団は第1コーナーへと入っていきます!先頭は5番キングラナークと14番ハッコウオーこの2人が先頭で入りました。そこから3バ身ほど離れた位置にロングイチーとトウカンタケシバが内から行きます。その後ろは中団から上がってきた11番カミノカチドキとビクトリアシチー、そしてグリーングラスと続きます!》

 

 

 

 

 春の天皇賞、勝負は第1コーナーへと入っていく。




なんでしょう……。史実を見るとプレストウコウって本当に不憫な子だなって(実際には鞍ズレで競争中止。鞍はないので今回は蹄鉄が外れかかっていることに)。


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閑話18 ただ冷静に

春の天皇賞続き回


《さぁ先頭集団は第1コーナーへと入っていきます!先頭は5番キングラナークと14番ハッコウオーこの2人が先頭で入りました。そこから3バ身ほど離れた位置にロングイチーとトウカンタケシバが内から行きます。その後ろは中団から上がってきた11番カミノカチドキとビクトリアシチー、そしてグリーングラスと続きます!》

 

 

《前から後ろまでほとんど差がなく団子状態となっていますが、最後方プレストウコウは大きく離されていますね。蹄鉄が外れかけるというアクシデントによりプレストウコウが最後方です》

 

 

《思わず同情しそうになりますが手を抜くわけにはいかないのが勝負の世界。グリーングラスに続くのは12番トウフクセダンここは1つのグループを形成しております16番カシュウチカラ2番ヒシノブルーム10番ジンクエイトが集団を形成している3番人気カシュウチカラはこの位置だ》

 

 

 

 

 京都レース場の第9レース春の天皇賞。2番人気だったプレストウコウさんの蹄鉄が外れそうになるというアクシデントこそあったものの、それ以外はつつがなく進んでいた。今は第1コーナーを越えて第2コーナーに入ろうかというところ、グラスさんは変わらず5番手ぐらいの位置にいる。

 私達はレースを見守る。

 

 

 

 

《先頭は早くも第2コーナーを抜けて向こう正面へと入ります。先頭はキングラナークとハッコウオーこの2人が競り合う形。そこから徐々に差を詰めていっておりますロングイチーとトウカンタケシバ。そこからさらにカミノカチドキ、ビクトリアシチーそしてグリーングラスと続いております》

 

 

《最後方プレストウコウは今完全に競争を中止しようとしていますね。さすがにこれ以上は無理だと判断したか》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第1コーナーを回り終わって、第2コーナーに差し掛かる場面。そこそこ密集していた状態から少しずつバラけ始める。私は今中団辺りの位置だろうか?なんにせよ、まだ焦るような時間じゃない。

 周りを確認していると、後ろからの圧を感じる。この圧、視線の主は、多分カシュウちゃんだ。おそらく、プレスちゃんが早々に離脱したことから私1人にターゲットを絞ったのだろう。此方を射抜くような視線を背中に感じていた。カシュウちゃんだけじゃない。レースが始まった時から、私をマークするかのように視線を向けられていた。

 私は笑みを零しそうになる。思えば、自分がマークされることなんてほとんどなかった。大レースではボーイちゃんかテンちゃんのどっちかが出走していたため、ほとんどの子たちはそっちをマークしていた。私も一応マークされていたが、2人のおまけ程度だ。こちらを射抜かんばかりのマークなどされたことはなかったし、これだけの大人数からマークされることもあまりなかった。

 

 

(これが注目されるってことか~あんまり悪い気分じゃないね~)

 

 

 私のレースの展開上、注目されない方が嬉しいのだがそれはそれ、これはこれだ。それだけ自分の実力が認められたような気がして、少し嬉しくなる。

 ただ、今は勝負の最中。気を抜くわけにはいかない。すぐに頭を切り替えてレースに集中する。前を走っている4人。先頭集団をどう抜くかを考える。

 

 

(……レースの展開的には少し早い。多分だけど、先頭を取った子たちは前で走ることに慣れていない、もしくは逃げの子たちがいないからペース配分が分からない、って感じかな?とにもかくにもそこまで驚異じゃない)

 

 

 私はそう判断する。ならば、今はまだこの位置で控えさせてもらおう。幸いなことに内側のバ場はそこまで荒れていなかった。

 有マ記念のように滅茶苦茶に荒れていたら勘弁だが、これぐらいだったら問題ない。私は内を走りながらこの後のことを考える。

 

 

(前で走る子たちは問題ない。なら後考えるべきは私と同じ差しや追い込みの子たち。特に、カシュウちゃんは要注意だね。多分だけど、私が仕掛けたら向こうも仕掛けてくる)

 

 

 他にも警戒すべき子はいるだろうが、要注意なのはカシュウちゃんだろう。後ろからの追い上げは脅威的だ。それに、

 

 

(4敗もしてるし)

 

 

言ってて悲しくなったが事実は事実なので受け止めるしかない。

 レースは向こう正面に入っている。前を走る子たちに大きな動きはない。ペースを維持して走っていた。

 ……そろそろ仕掛けるか。そう思い、私は少しだけペースを上げ始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《各ウマ娘向こう正面へと入りました。先頭は5番キングラナークそこから半バ身離れまして14番ハッコウオーが2番手だ。そこから1バ身半ぐらい離れてロングイチーとトウカンタケシバこの2人が競り合っている。その後ろ5番手の位置にグリーングラスが追走しております1番人気グリーングラスはこの位置だ》

 

 

《グリーングラスは今日も内側を気持ちよさそうに走っていますね。好位置につけていますグリーングラス》

 

 

《そこから差はなくカミノカチドキ、ジンクエイト、カシュウチカラ、トウフクセダンこの4人が固まっております。グリーングラスも加えてこの5人が中団を形成する形。そこから2バ身、いや3バ身程離れた位置にビクトリアシチーはここまで下がりました序盤先頭を走っておりましたビクトリアシチーは現在この位置。ヒシノブルームとスリークルトと一緒に1つの集団を形成しています。しんがりは13番のベルと15番ハシコトブキとなっております》

 

 

《カシュウチカラはグリーングラスをマークする形を取っていますね。彼女の後方から機会を窺っております》

 

 

 

 

 実況を聞きながら私はレースを見守る。内の好位置につけているグラスさんは問題なさそうに走っている。順調そのものだ。後は……。

 

 

「京都の坂、だな」

 

 

「ですね。1周目でも登ったあの坂をもう一度上る。体力も削られますし、何より気持ち的にも辛いものがあるでしょう」

 

 

「ですが、グリーングラス様ならばスタミナは問題ないでしょう。あのお方が苦にしているところなど見たことがありませんので」

 

 

 クインさんの言葉を私は否定する。

 

 

「いえ、一度だけありましたよ。スタミナを苦にした時」

 

 

「え?どのレースのことでしょうか?」

 

 

「……あー、うん。アレだな」

 

 

 ボーイさんは心当たりがあるのか、というか当事者だからかバツが悪そうに頬を掻く。そして、ボーイさんの姿を見てクインさんも察しがついたのだろう。合点がいったような表情をしている。

 私は苦笑いをしながら続ける。

 

 

「まあ、あの時とは条件が全然違いますしスタミナ的な問題はないでしょう」

 

 

「だな。競り合ってもいないし、冷静にレースを見ている。あの時みてぇなことにはならねぇだろ」

 

 

 ふとテンポイントさんの方を見ると、なにやらメモを書いていた。そして、書いたメモを渡してくる。

 

 

【カシュウが不気味。ずっとグラスをマークしてる】

 

 

「……そうですね。プレストウコウさんがいない今、カシュウさんにとって警戒すべき相手はグラスさんただ1人でしょう」

 

 

「グリーングラス様が仕掛けた時が、カシュウチカラ様が動く時」

 

 

「普段とは立場が違うってことだな、グラス」

 

 

 レースを見ていると、グラスさんが仕掛けたようにペースを速める。向こう正面中ほど。少しずつペースを上げていき、第3コーナーに入ろうかというところ。先頭に立とうとしていた。

 

 

 

 

《……向こう正面も中ほどを過ぎましてもう少しで第3コーナーの坂へと差し掛かろうかというところ!1周目でも上ったこの坂をもう一度上ることになります!ウマ娘達は向こう正面に入ってからほとんど団子状態だ前から後ろまでほとんど差がありません、そんな中先頭を走っているのは5番のキングラナークだ。しかしトウカンタケシバとロングイチーもキングラナークを捉えているぞ!グリーングラスも内から上がってきている!》

 

 

《グリーングラスが仕掛けるように動きましたね。ロングスパートを仕掛けるか?》

 

 

《そして第3コーナーに入りました。第3コーナーの上りに入ってグリーングラスが内から上がって先頭に立ちました!先頭はグリーングラス内からスーッと上がっていきますグリーングラス!ロングイチーとトウカンタケシバも加えて3人の競り合いになるか?いや、キングラナークも粘っている4人の競り合いとなるか?》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 向こう正面も半分を過ぎた。私は徐々にペースを上げていっている。

 

 

(この調子なら、第3コーナー入る頃には先頭に立てそうかな?)

 

 

 第3コーナーというと、前回の秋の天皇賞を思い出す。ムキになってボーイちゃんと競り合い、自滅してしまったあのレース。

 

 

(……変なこと思い出しちゃった)

 

 

 走っている状況じゃなければ、間違いなく溜息を零していた。

 まあ、あの時とは状況が何もかも違う。ムキになって競り合ってはいないし、何よりスタミナも脚も十分にある。このままロングスパートでそのまま行けるだろう。

 そして迎えた第3コーナー。1周目でも登った坂をもう一度上り始める。その時私は先頭に立った。

 

 

(やっぱり慣れるもんじゃないね、この坂!)

 

 

 前回の春の天皇賞、菊花賞でも上っているが、やはりキツい。そう思いながらも脚を動かして坂を上る。

 そんな時、背中から突き刺すように感じていた視線が不意に消えた。あの視線の主はカシュウちゃんのはずだ。

 

 

(集団に埋もれたか、もしくは……)

 

 

 外へと進路を取って、私と同じように仕掛け始めたか。おそらく後者だろう。カシュウちゃんの実力を鑑みたら、その方が確率が高い。個人的には集団に埋もれていて欲しいのだが。

 だが、関係ない。私はこのレース絶対に勝つとテンちゃんに、そして自分自身に誓った。だからこそ、誰がこようとも。

 

 

(絶対に私が勝つ!)

 

 

 そう決意を固める。もうすぐ、第3コーナーの坂を上り終えようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《第3コーナーの坂に入ってグリーングラスが先頭に立ちました!2番手ロングイチーに半バ身程さをつけております先頭グリーングラス!もう二度、上ってそして下った京都のこの坂であります!これを克服してこそグリーングラス、栄光の盾が近づくでしょう!》

 

 

《カシュウチカラは外の方へ進路を取りましたね。外から先頭に立とうとしてます》

 

 

《さぁ京都の坂を下り始めます先頭はグリーングラス!2番手は1バ身差でロングイチーだ!残り800の標識を通過したところでそこからさらに1バ身離れること3人のウマ娘が一団となっている!ロングイチーの外を回りましてトウカンタケシバとキングラナーク!間を抜けるようにカシュウチカラだ!カシュウチカラも上がってきている!3番人気カシュウチカラはこの位置だ!》

 

 

 

 

 第3コーナーの坂で先頭に立ったグラスさんはそのままペースを上げ続ける。会場の熱気もどんどん上がってきているのを肌で感じている。

 ボーイさんが大声でグラスさんを応援している。

 

 

「いけー!グラスー!そのまま突っ切れー!」

 

 

 私とクインさんも同様に応援の声を飛ばしていた。声を出すわけにはいかないテンポイントさんは、ただジッとレースを見ている。神藤さんも同様だ。

 そして第3コーナーの下りに入る。先頭は依然としてグラスさん。しかし、その外から急襲するように1人のウマ娘が走ってきていた。

 カシュウさんだ。待ってましたと言わんばかりに、グラスさんの外から猛然と追い上げてきている。ボーイさんがやっぱりか、と言い続ける。

 

 

「やっぱそう簡単に勝たしてくれねぇよな!」

 

 

「カシュウチカラ様がどんどんグリーングラス様に迫ってきております……ッ!頑張ってください、グリーングラス様!」

 

 

 テンポイントさんは膝の上で手を握っていた。力を込めているのが分かる。応援の声が聞こえてきそうだった。

 

 

 

 

《第3コーナーから第4コーナーへ入ろうかというところ!先頭はグリーングラスそしてカシュウチカラだ!先頭はグリーングラスとカシュウチカラこの2人の競り合いとなっている!しかし後ろの子たちもほとんど差は開いておりません!十分に差し切れるチャンスはあります!果たしてグリーングラスは逃げ切ることができるか!?》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 京都の坂を下り、第4コーナーへと向かっている途中。それは突然やってきた。

 

 

「えぇ!やはりこうなると思っていましたとも!レース前ぶりですね、グラスさん!」

 

 

 外から急襲するようにカシュウちゃんがやってきた。やはり、あの時不意に視線が消えたのは外に進路を取ったかららしい。読みが当たっていたことに内心舌打ちする。

 

 

「お喋りなんて随分余裕だね!」

 

 

「余裕はありませんよ!ただ、こうして宣戦布告だけはやっておこうかなと!」

 

 

 そのままカシュウちゃんは続ける。

 

 

「私は負けません!春の盾を賜るのは私です!」

 

 

 私とカシュウちゃんの競り合いは続く。カシュウちゃんの言葉に、私も言い返しそうになるが、すんでのところで思いとどまる。脳裏に浮かんだのは、秋の天皇賞で負けた時に沖野トレーナーから投げかけられた言葉。私の敵は自分自身、自制する心を身に着ければ、私は誰にも負けない。

 

 

(思わずカッとなっちゃうところだったね。無理に競り合うようなことだけはしない。向こうから競り合ってくる分には大丈夫だけど、あくまで自分のペースを崩さないようにしないと)

 

 

 ただ、これくらいなら言い返してもいいだろう。冷静になった頭で私はカシュウちゃんに宣戦布告をする。

 

 

「……上等だ。勝つのは私だ!」

 

 

 私は内からスピードを上げ続ける。第4コーナーへと入っていった。




次回、春の天皇賞決着。


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閑話19 緑の街道

春天の決着回


《第4コーナーに入って先頭はグリーングラス!グリーングラスが変わらず内を走っておりますグリーングラス先頭だ!外からカシュウチカラが猛然と追い上げてきている!カシュウチカラだけではありません!外からジンクエイト!内からトウカンタケシバとトウフクセダンも上がってきている!まだ予断を許さない状況です!》

 

 

 

 

 春の天皇賞も佳境に入っていた。先頭を走るグラスさん。それを追うようにカシュウさん。この2人が先頭で競り合っている。だが、ほとんど差は開いていない。このまま行くのならだれが勝ってもおかしくはない、そんな状況を見せていた。

 私達はグラスさんを応援するように声を上げている。テンポイントさんも、声こそ出していないが応援の気持ちを込めるように手を強く握っていた。

 

 

 

 

《さぁ第4コーナーを曲がって最後の直線に入ります!先頭は変わらずグリーングラスだ!カシュウチカラは第4コーナーをどういう風に回るか!っとうまく回りました!カシュウチカラ第4コーナーをうまく回りました!ほとんど減速せずに最後の直線に入りましたカシュウチカラ!しかしグリーングラス先頭は譲りません!グリーングラスは内を行く!グリーングラスは例によって内を行きます!他のウマ娘もスパートをかけています!春の天皇賞もいよいよ大詰めです!》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第4コーナーから始まったカシュウちゃんとの競り合い、状況はほぼ五分と言ってもいいだろう。私もカシュウちゃんもほとんど互角の勝負を繰り広げていた。

 カシュウちゃんが外から躱そうとペースを上げてくる。私は抜かせまいと躍起になる。もうそろそろ大欅に差し掛かろうかというところ。

 

 

(ここを抜ければ最後の直線……!)

 

 

 私は気合を入れなおす。

 一度目の天皇賞は直線での伸びが足りずにテンちゃんに負けた。二度目の天皇賞、ボーイちゃんと無理に競った代償か、入着こそしたけど優勝は逃した。

 これが三度目の天皇賞。二度あることは三度ある、ではない。三度目の正直で、私は栄光の盾を……!

 

 

(天皇賞の盾を勝ち取る!)

 

 

 カシュウちゃんは変わらず外から猛然と追い上げてくる。大欅を確認する。

 ……ここだ。ここで、一気に突き放す!

 

 

「ここだぁぁあぁぁぁ!」

 

 

 内を通って私は大欅を抜ける。先程まで競り合っていたカシュウちゃんを置き去りにしようと、渾身の力を振り絞る。最速、最短のペースで第4コーナーを駆け抜ける。

 カシュウちゃんも外をうまく回ったようだが、気配は少し離れていた。先程までほとんどなかった差が、半バ身かそれ以上離れた位置になる。最後の直線で抜け出すことに成功した。

 

 

(後は……ッ!このまま走り抜けるだけ!)

 

 

 ゴールまで残り400m。私は死ぬ気で脚を動かしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《内からグリーングラス!外からカシュウチカラ!1番人気と3番人気の競り合いになった!しかし内を走るグリーングラスが有利を取りました!カシュウチカラもうまく回ったがやはり内を走るグリーングラスが有利だった!グリーングラスが先頭だ!集団の丁度真ん中の位置からカシュウチカラも突っ込んでくる!この2人の一騎打ちになるか!?いやグリーングラスとカシュウチカラの間を抜けるようにトウフクセダンも抜け出してきた!トウフクセダンも抜け出してきた!3人によるたたき合いとなる春の天皇賞!》

 

 

 

 

 最後の直線に入ってグラスさんが後続を突き放し始める。それを見てボーイさんは大声を上げる。

 

 

「よっし!グラスの勝ちパターンだ!このまま内から突っ込め!グラス!」

 

 

「まだです!カシュウチカラ様も驚異的な速さで追い上げてきております!頑張ってください、グリーングラス様!」

 

 

「グラスさん!頑張ってください!」

 

 

 その時、テンポイントさんの声が聞こえた。

 

 

「……頑張れ!頑張れ、グラス!」

 

 

 思わず漏れ出たであろうその声は、グラスさんに対する応援。こぶしを握り締めているのが見えた。

 

 

 

 

《最後の直線グリーングラスが内から伸びてくる!外からカシュウチカラとトウフクセダンが追い上げてくる!今日は追う側ではない!お前が追われる側なのだと!そう言わんばかりに追い上げてきているカシュウチカラとトウフクセダン!第4コーナーを抜けて開いた差が徐々に、徐々に縮まってきております!グリーングラス!残り200mを切った!4番手以下との差はかなり開いている!グリーングラスとカシュウチカラそしてトウフクセダンこの3人のたたき合いとなる!栄光の盾を掴み取るのは一体誰か!?天皇賞もいよいよ決着の時です!》

 

 

 

 

 春の天皇賞、決着がつこうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 200mの標識を確認する。先程まで遠くに感じていた気配がどんどん近づいてくるのを感じている。1つはカシュウちゃんだろう。外から追い上げてくるのが分かった。けれどカシュウちゃんだけじゃない。もう1人、追い上げてくる気配を感じる。カシュウちゃんよりも内からその気配は感じた。

 ……だが、そんなことは関係ない!

 

 

(私はもう……負けたくない!)

 

 

 このレースに出走しているウマ娘にも、このレースには出走していないウマ娘にも、そして何より、今までのレース、負けてきた原因を自分の脚や身体の弱さのせいにしてきた自分自身にも!私を応援してくれるみんなのためにも!

 

 

「負けて……たまるかぁぁぁぁぁぁ!」

 

 

 そう叫びながら駆け抜ける。

 3200mという長丁場、スタミナにはそれなりの自信があるが最早ガス欠寸前だ。それでも、最後の一滴まで振り絞るように懸命に走り続ける。

 ……後ろの気配がドンドン強まってきているのを感じる。差が縮まってきているのだろう。

 

 

(でも……それももう終わりだ!)

 

 

 私は一切ペースを落とさずにゴール板を目指して走り抜ける。もうすでに気配は1バ身後ろまで近づいてきていた。しかし……。

 

 

「お見事です……ッ、グラスさん……ッ!」

 

 

 カシュウちゃんのそんな呟きが聞こえてきたのと同時、私の身体はゴール板を駆け抜けていた。それと同時に、私は拳を突き上げる。

 

 

「私の……、勝ちだぁぁぁぁぁ!」

 

 

 そう叫んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《……グリーングラスだ!グリーングラスが駆け抜けましたグリーングラス1着!3度目の挑戦!3度目の正直!グリーングラスが緑の街道を走り抜けましたグリーングラス1着!観衆よ見ているか!トゥインクルシリーズはTTがいなくても私がいる!自分はあの2人よりも劣っていない!そう証明するように駆け抜けましたグリーングラス!2着は1バ身離されてトウフクセダン!3着はアタマ差でカシュウチカラ!》

 

 

 

 

 グラスさんが1着でゴール板を駆け抜けた時、私は喜びを爆発させるように両手を突き上げる。

 

 

「やった!やりました!グラスさんが勝ちました!」

 

 

 我が事のように嬉しい。年明けから脚の状態に悩まされたグラスさんの姿を見ていた身としては、彼女がこの大レースを制することができて本当に嬉しかった。ボーイさんとクインさんも同じ気持ちなのか、私と同じくらい喜んでいるのが見てとれた。

 ふとテンポイントさんの方を見ていると、身体を小刻みに震わせていた。そして、彼女の呟きが聞こえる。

 

 

「……ホンマ、ええレースしてくれるやん。ボクも……ボクも早く……ッ!」

 

 

 その呟きに対して、神藤さんが諫める。

 

 

「……まだ我慢だ。お前の怪我は徐々に治ってきている。完調まで後少し……。それまでの辛抱だ」

 

 

「……分かっとる。やけど、走りたくて身体がウズウズしてきたわ!」

 

 

 どうやら、グラスさんの走りに感化されてテンポイントさんも走りたいという気持ちが湧き上がってきたらしい。そんな会話が聞こえた。私はその会話に笑みを零す。そして、グラスさんが出走前に言っていたこと、テンポイントさんを応援したい、そのためにこのレースは絶対に勝ちたいと言っていたことを思い出す。

 

 

(応援の気持ち、届いたみたいですよ。グラスさん)

 

 

 そう思いながら、私はターフの上で佇むグラスさんを見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 春の天皇賞、走り終わった私はターフの上で佇んでいた。息を切らし、膝に手をつきそうになる気持ちを堪えて、静かに一点を見つめる。視線の先にあるのは順位を確定する掲示板の文字。1着のところにあるのは3番。私の番号。

 勝った。私は春の天皇賞を勝ったのだ。私はガッツポーズを作って喜ぶ。実況の声も聞こえてきた。

 

 

 

 

《……観衆よ見ているか!トゥインクルシリーズはTTがいなくても私がいる!自分はあの2人よりも劣っていない!そう証明するように駆け抜けましたグリーングラス!》

 

 

 

 

 そう聞こえてきた瞬間、私は目を閉じて感傷に浸った。

 

 

(勝ったんだ……!私は、勝ったんだ!)

 

 

 勝ち時計は、前回の春天でテンちゃんが刻んだ時計よりも早い時計。展開のせいもあるだろうけど、あの日のテンちゃんを越えることができた。そのことに私は喜ぶ。

 そうして感傷に浸っていると、カシュウちゃんが私に話しかけてきた。

 

 

「ハァ……ッ、ハァ……!お見事です、グラスさん!力走叶わず、私は3着でした!」

 

 

「……カシュウちゃん。カシュウちゃんも、お疲れ様」

 

 

 私の言葉にカシュウちゃんは笑みを浮かべて私を称える。

 

 

「いやはや、後一歩及ばずでした!やはりお強いですねグラスさんは!」

 

 

 ……そんなことはない。カシュウちゃんだって強い。少なくとも、私だったら自分の出走するレースで勝った相手をこうやって褒めに行くなんてことはできない。

 負けて悔しいだろうに、それでも勝者を称えるためにこうやって足を運んでくる。そんなカシュウちゃんだって。

 

 

「……強いよ。カシュウちゃんは。私も、一瞬だって気を抜けなかった」

 

 

「やや?グラスさんからそう言われると嬉しいですね!これからも精進あるのみです!」

 

 

 そして、私に指を突きつけて宣言する。

 

 

「次は負けませんよ!私が勝ちます!」

 

 

 その言葉に、私は笑顔で答える。

 

 

「上等!次も私が勝ってみせるから!」

 

 

 そこで私とカシュウちゃんは別れた。

 勝利者インタビューのために沖野トレーナーとウィナーズサークルへと向かう。記者の人達の質問に受け答えして、次走はなにを予定しているか?今後の目標は何かを伝える。一通り終わった後、私は控室に戻ってきた。

 そして、控室には先客がいた。その先客は私の姿に気がつくと、祝福の言葉を口々に贈ってくれた。

 

 

「春天勝利、おめでとうございます!グラスさん!」

 

 

「やったなグラス!最後の直線での走り、見事だったぜ!」

 

 

「稍重というバ場で内を通ってのあの走り。お見事でした、グリーングラス様!」

 

 

 カイザーちゃん達だ。笑顔で私を出迎える。

 そして、その中には車椅子に押されて変装をしているウマ娘が1人。テンちゃんもいた。私は少し緊張してテンちゃんの言葉を待つ。

 テンちゃんは帽子を取って私を見つめる。そして、笑顔で告げた。

 

 

「おめでとさん、グラス。ええレースやったわ」

 

 

「……うん」

 

 

「それにしても、厄介なことしてくれたやんかグラス」

 

 

 神妙な顔でそう言ったテンちゃんに私は驚く。一体何をしでしかしたのだろうか私は?そう思っていると、テンちゃんはそのまま言葉を続ける。祝福するような笑顔から、不敵な笑みに変わった。

 

 

「グラスのレースを見とったら、ボクも走りたくて走りたくてウズウズしてきたわ!やけどまだ走れへんし……どうしてくれんねんホンマ!」

 

 

「……プ!アハハ!何それ!神妙な顔で何を言うかと思ったらそんなこと~!?」

 

 

「ホントだよ!それグラス関係ねぇじゃん!」

 

 

「いやいや!厳密には関係ありますけど……!でも逆恨みもいいとこじゃないですか!プクク……ッ!」

 

 

「て、テンポイント様……ッ!それはいくら何でも……ッ!」

 

 

 私は思わず笑いこげそうになる。部屋の中には笑い声が響いていた。そんな私達の様子を、神藤さんと沖野トレーナーは微笑ましい目で見ている。

 

 

「グリーングラス優勝、おめでとうございます。沖野さん」

 

 

「ありがとよ。でも、こいつはまだまだこれからだ。このまま勝ちまくって、いずれはお前んとこのテンポイントやおハナさんとこのトウショウボーイよりも上だってファンに証明してやるさ!」

 

 

「うちのテンポイントだって負けませんよ?必ず復帰して、グリーングラスやトウショウボーイ以上にすごいことをやってやりますよ!」

 

 

 そう宣言し合う。

 春の天皇賞。私は1着を取ることができた。そして、レース後は友達みんなに祝福されるように囲まれる。私はその中心で思う。

 

 

(いい友達やライバルに恵まれたな~私は~。この出会いに~感謝しないとだね~)

 

 

 それは決して口には出さない。気恥ずかしいから。

 こうして私の春の天皇賞は幕を閉じた。




明日ウマゆるやんやったぜ。


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第109話 最強の定義

最強とは何かを探す回


 春の天皇賞が終わってから時間が経ち、今は5月の半ば。俺は今病院でテンポイントのリハビリを見ている。

 テンポイントの左足は今まで体重を少しだけかけるのが限界だった。しかし、グリーングラスの春の天皇賞が終わってからというものの、著しい進歩を見せた。俺は驚きと喜びを感じながら目の前の光景を見ている。

 

 

「……フーッ!ぐっ……!もう、ちょい……ッ!まだ……、まだ、行ける……ッ!」

 

 

「……ッ」

 

 

 医者の先生も俺と同じ気持ちなのか、ここ数日は驚きに満ちた表情でテンポイントのリハビリの様子を見ていた。

 今まで体重をかけるだけが限界だった左足。それが今では少しではあるものの歩行することが可能になった。しかも、その歩行できる距離は日増しに伸びてきている。これまでのリハビリは時折停滞していることもざらだったが、その停滞もなかった。順調そのものである。

 

 

(これなら……!)

 

 

 近いうちに完治する。俺はそう感じ、内心喜んでいた。

 リハビリ開始から2時間ほど。先生からストップがかけられる。

 

 

「そこまでです。今日はここまでにしましょうテンポイントさん」

 

 

 テンポイントは肩で息をしながら答える。

 

 

「ハァ、ハァ。分かりました。今日も、おおきにです、先生」

 

 

 俺はテンポイントを車椅子に乗せ、病室まで運んでいく。

 病室に戻った後、先生からの経過報告が入る。その声は心なしか弾んでいた。

 

 

「テンポイントさんの脚の状態ですが……著しい回復を見せております。それはこれまでのリハビリで分かっていると思いますが」

 

 

「そうですね。少し前までは体重をかけるだけでも精一杯だったのに、今では……」

 

 

「はい。歩行も可能になるほどに回復しています。加えて、その歩行の距離は日に日に伸びています。このスピードが続けば……。これはもう、疑いようもないでしょう」

 

 

「……っちゅうことはつまり!?」

 

 

 テンポイントが喜びを隠せないのか、興奮気味に先生に問い詰める。先生は笑みを浮かべて答えた。

 

 

「はい。後一月もあれば退院は可能かと」

 

 

「……~~ッ!やっっったぁ!」

 

 

 テンポイントは両手を上げて喜んでいた。それほどまでに嬉しいのだろう。俺も、表にこそ出していないが今すぐにでもテンポイントと同じように喜びを爆発させたかった。

 先生は微笑まし気にテンポイントを見ていたが、すぐに表情を引き締めて今後のことを話し始める。

 

 

「それでは、今後のことを話しましょう。最初に元のように走れる可能性は数パーセント……という話はしましたね?そしてその可能性も徐々に上がってきていると」

 

 

「はい。それは今回のリハビリでも上がってきていると?」

 

 

 俺の質問に先生は頷く。

 

 

「そうですね。そもそも元のように走れなくなる原因として骨折した時の記憶がフラッシュバックして走れなくなることが主な原因になります。いわば、心的外傷……トラウマというものですね。リハビリで徐々に可能性が上がってきているのは、テンポイントさんの気持ちがそれだけ強くなってきているということです」

 

 

「つまり、今までのリハビリも……?」

 

 

「はい。何割かはトラウマを乗り越えるためのものでした。普通のリハビリを行うよりも、辛いリハビリを乗り越えた方がトラウマを乗り越えるハードルは低くなりますので。それに医者としてこういうことを言うのは良くありませんが、病は気からとも言います。気持ちが前を向けば向くほど、それだけ治りは早くなります」

 

 

「まぁ、こんだけ頑張ったっちゅう体験があったら確かにハードルは低くなりますね」

 

 

「そうなります。まあほとんどの理由はそれだけ怪我の具合が酷かった……というのがありますが」

 

 

 先生は苦笑い気味に告げた。そのままこちらを元気づけるように続ける。

 

 

「テンポイントさん。あと少しです。共に頑張っていきましょう!」

 

 

「はい!最後までよろしゅうお願いします!」

 

 

 その言葉に満足げな表情を浮かべた後、先生は退室した。

 先生が退室した後、俺達はハイタッチをして喜びを表す。テンポイントの表情は笑顔だった。俺も同じような表情をしているだろう。

 

 

「やったな、テンポイント!ついにここまで来たぞ!」

 

 

「ホンマや!後もう少し、後もう少しで走れるようになる!年内復帰も夢やないで!」

 

 

 その後は2人してテンションを高くしながら今後のことを話し合った。

 

 

「まず退院したら何したろうかなぁ。アカン、やりたいことがたくさんありすぎて迷うわ」

 

 

「ま、好きなだけ考えとけ。できる限り俺も叶えてやるよ」

 

 

「ホンマか?まぁまずは前みたいに走るんが最優先事項やけどな」

 

 

「そうだな。退院は早くて1ヶ月後って言ってたし、夏合宿には間に合うだろ」

 

 

「また去年の場所でやるんか?」

 

 

「一応その予定だ。練習メニューも特に変えるつもりはない」

 

 

「またあの旅館に泊まれるんかぁ。部屋も広いし、温泉も最高やったし、今から楽しみやな!」

 

 

「一応合宿だからな?それは忘れるなよ?」

 

 

「大丈夫や。ちゃんと分かっとるって」

 

 

 テンポイントは笑顔でそう答える。気に入ってくれたようで何よりだ。

 その後は終始他愛もない世間話をしながら、テンポイントが眠くなるまで話していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リハビリから明けて次の日、俺はトレーナー連中と一緒にご飯を食べている。ただ、俺のテンションは昨日のリハビリ後同様高めだ。

 そんな俺の様子を見たトレーナーの1人が興味が出てきたのか尋ねてくる。

 

 

「どうしたんだよ?神藤。今日は随分機嫌良さそうじゃねぇか」

 

 

「うん?あぁ、まぁな。滅茶苦茶嬉しいことがあってさ」

 

 

「へぇ?何があったんですか?」

 

 

「坂口、こいつで嬉しいことと言えばテンポイント絡み以外ねぇだろ?」

 

 

「あ、そうですよね。ごめんなさい」

 

 

「確かに今回はテンポイントが絡んでいるのは確かだけど、それ以外でも普通に嬉しいことぐらいあるわ!」

 

 

 実際には間違ってないので、あまり強く否定できないのは確かなのだが。そんな冗談交じりの会話をしながら食事を取る。

 そんな時、ふと俺はあることを思い出す。それはハイセイコーとの会話で出てきた最強のウマ娘について。

 

 

(そういや、他のみんなはどうなんだろうな?)

 

 

 少し興味が出てきた俺は今この場で会話しているトレーナー達に話題として切り出すことにした。

 

 

「なぁお前ら、ちょっといいか?」

 

 

「どうした?」

 

 

「俺達に答えられる範囲なら構わねぇぞ」

 

 

「まあ他愛もないことだよ。お前らが思う最強のウマ娘ってどの子なんだ?」

 

 

 俺がそう尋ねると、トレーナーの1人は自信満々に答える。

 

 

「そりゃやっぱシンザンだろ!2人目の3冠ウマ娘に加えて19戦15勝の連帯率100%!特にトゥインクルシリーズのラストランである有マ記念は忘れられないね!」

 

 

 その言葉に別のトレーナーが異議を唱える。

 

 

「待て待て。3冠ウマ娘って括りだったら1人目の3冠ウマ娘であるセントライトだろ。やっぱ初代3冠ウマ娘は特別な格ってもんがあるよな。勝ちレースも印象深い勝ち方してるのが多いし」

 

 

「3冠って括りならダービー・オークス・菊花賞の変則3冠のクリフジだって負けてねぇぜ!特にダービーは圧巻だったからな!しかも負けなし!」

 

 

「俺はタニノムーティエかなぁ。3冠は逃したけど、体調が万全だったら3冠は確実だっただろ。レースにたられば語っても仕方ないけどさ」

 

 

「う~ん……僕はクラシック級で初めて海外に行ったタケシバオーでしょうか。あれほどタフなウマ娘はそうはいませんよ」

 

 

 何の気なしに尋ねてみたことだが、思いの外白熱した様子を見せていた。食事そっちのけで盛り上がっている。提案しといてあれだが、ここまで白熱するとは思わなかったので俺は少し苦笑い気味になる。

 だが、さすがに時間というものがあるので程々のところで終わった。意見はバラバラだったが、見なたのしそうに語っていたのでそれは良かったかもしれない。

 食事を取り終わり、仕事に戻ろうとしたところ廊下である人物とすれ違う。

 

 

「おや、神藤さん。暇そうにしてますね」

 

 

「こんにちは時田さん。別に暇じゃありませんよ。昼食取り終わって帰ってきただけです」

 

 

 時田さんだった。俺は挨拶をする。

 そうだ。時田さんにも聞いてみよう。教えてくれるとは思わないが、聞くだけタダだ。そう思い尋ねる。

 

 

「そうだ時田さん。時田さんが思う最強のウマ娘って誰ですか?」

 

 

「なんです?藪から棒に」

 

 

「別に。ただの質問ですよ。深い意図はありません」

 

 

 俺の言葉に、時田さんは溜息を吐いて答える。

 

 

「……まず言えることは、最強についても色々と定義があるでしょう。実績という点であれば3冠ウマ娘が最初に浮かびますし、負けなかったという点に限ればまた別の子が出てきます。レコードを出した数でも違う子が出ますし、一概に最強と言っても色々な形がありますよ」

 

 

「知ってますよそれは。それを踏まえた上で時田さんが思う最強のウマ娘は誰なんですか?」

 

 

「そうですね……」

 

 

 少し考える素振りを見せた後、時田さんは答える。

 

 

「……ポテンシャルという面で言えば、今私が担当しているエリモジョージですね。彼女の強さは底が見えません。特に前回の鳴尾記念は圧倒的な強さを見せました。今でも記憶に残っていますよ。もっとも」

 

 

「……あの気まぐれさえなければ……ですか?」

 

 

「その通りですよ……。次走の宝塚記念もどうなることやら……」

 

 

 時田さんは頭を痛そうに抱える。気持ちは分からんでもない。

 あまり引き留めるのも悪いので、それだけ聞いて俺は時田さんと別れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後も、沖野さんやおハナさんにも聞いてみたが帰ってきた答えは先程とは違うウマ娘だった。やはり人によって思い描く最強のウマ娘は違うものらしい。俺は再認識した。

 となると、俺本人が思い描く最強のウマ娘。俺は何を思ってテンポイントを最強だと思っているのか?そう考える。

 

 

(う~ん……。実績……ではないし、レコードもそんなに出してるわけじゃない。レコードだったらトウショウボーイの方が出してるしな。悔しいけど)

 

 

 なんだか、考えれば考えるほどドツボにハマりそうだったので最初から思い出してみることにした。テンポイントを最初見た時に感じたこと。それを思い出す。

 ……今にして思えば、自分はトレーナーとしてあまりにも無知だったことを思い出す。最有力ウマ娘と言われていたテンポイントのことは勿論知らなかったし、後から聞いた話だとあの日の選抜レースにはグリーングラスも出走していたらしい。沖野さんの話である。

 あの日見たテンポイントの走り。太陽に照らされて輝く金色の髪を靡かせ、自分の身体以上に大きく見せる走り。それでいて、不格好には見えない完璧なフォーム。その姿に思わず見惚れてしまったことを思い出し苦笑いする。

 思えば、レースの世界に全然興味を持っていなかった俺が今こうしてトレーナーをやっていけてるのは、あの日テンポイントの走りを見たからだろう。もし見ていなかったら、こうして他のトレーナーと交流することもなかったかもしれないし、沖野さんやおハナさんともトレーナーとして親しくすることもなかったかもしれない。

 少し思考がズレたが、軌道を修正してテンポイントの今までのレースについて思い出していく。圧倒的強さを見せ、レコードタイムで駆け抜けたメイクデビュー。クラシックの大本命候補と言われた5連勝目のスプリングステークス。初めての敗北となった皐月賞。悔しい思いをさせてしまったクラシック級での有マ記念。今までの雪辱を晴らした春の天皇賞。俺の不甲斐なさが原因で一度折れてしまった宝塚記念。今までの戦法を変えて快勝した京都大賞典。トウショウボーイとの2500mのマッチレースを制した有マ記念。そのどれもが昨日のように思い出せる。それぐらい俺の記憶に残っていた。

 

 

(……あ、そうか)

 

 

 そこまで考えて、俺は気づく。どうしてテンポイントを最強だと思っているのか?何を思ってテンポイントを最強だと感じたのか?その答えに。

 思えば簡単なことだった。深く考える必要はない、答えは凄くシンプルだった。思わず苦笑いをしつつ呟く。

 

 

「マジで簡単なことだったな……。ま、答えは見つかったか」

 

 

 俺はそう呟いて仕事へと戻る。今日はテンポイントと何を話そうか?そんなことを考えながら足取り軽く仕事へと戻った。




声優さんはやっぱすごいですね(今日のウマゆるを見た感想)。


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第110話 自由人の再来

また自由人と出会う回


 そろそろ月が明けそうな5月末。天気は生憎の雨模様である。百貨店で買い物をした帰り道、俺は傘を差しながら歩いている。

 

 

「しかし朝から降ってるなぁ。そろそろ6月だし、梅雨入りももうすぐってとこか?」

 

 

 連日のように降るのはさすがに勘弁だが、こうしてたまに降る分にはいい気がする。少し楽しさを感じながら、俺は学園へと戻っていた。

 そうして学園へと戻る道中の公園。俺は見知った顔、というほど会ってはいないが見たことがある少女が歩いているのを見た。俺はその少女を思わず注視した。

 ただ歩いているだけなら気にも留めないだろう。だが、その少女は雨の中傘もささずに歩いていたのだ。しかも、こちらにも聞こえるほどの鼻歌を歌いながらとても楽しそうに歩いている。まるで晴れた日に散歩をするように。

 そのことに驚きながらも俺は彼女に声を掛ける。

 

 

「よう、ミスターシービー。……何してんだ?お前」

 

 

 彼女、ミスターシービーは俺の方を向いてあっけらかんと答える。

 

 

「こんにちは、神藤トレーナー。見ての通りお散歩だよ?後私のことはシービーで良いよ。みんなそう呼んでるし」

 

 

「……こんな雨の中どうしてだ?シービー」

 

 

「散歩の気分だったから。その気分の時にたまたま雨が降ってただけの話だよ」

 

 

 前にテンポイントに聞いたことを思い出す。ミスターシービーは自分の感性で動くタイプだと。つまりこの雨の中散歩しているのもそういうことなのだろう。俺は納得する。

 ならば、別に散歩を止める必要はないだろう。本人が散歩したいという気分で散歩をしているというのに、それを横からあれこれ言って止める必要はない。

 だが、雨で濡れて風邪を引くのはよろしくない。鞄から包装された未開封のタオルを取り出し、シービーに手渡す。

 

 

「そうか。ならこのタオルをやろう。風邪ひかないように気をつけろよ?」

 

 

 シービーはそのタオルをキョトンとした表情で受け取った。俺はその場を去ろうとする。しかし、その去り際。

 

 

「止めないんだ?アタシが散歩するのを」

 

 

 シービーからそう呼び止められる。振り向いて彼女の顔を見てみると、先程とは違い、どことなく楽しそうな表情を浮かべていた。

 俺は当たり前のように答える。

 

 

「本人が楽しんでるのに、止める必要なんかないだろ。風邪引くのは困るからタオルは渡しとくけどな」

 

 

「ふ~ん……」

 

 

 俺の答えを聞いたシービーは、興味深いものを見る目で俺を見ていた。それと同時に、何かを考えている素振りを見せる。一応、俺はその場で律儀に待っていた。

 やがて考えが纏まったのか、手を一叩きした後俺に話しかけてくる。

 

 

「そうだ!キミも一緒に散歩しない?」

 

 

「断る。雨だし、スーツが汚れるだろ」

 

 

 俺はそう即決した。しかしシービーは俺の答えに聞く耳を持たずだった。俺の目の前に立ち、悪戯をする子供のような表情を浮かべている。俺はその表情に嫌なものを覚えた。

 次の瞬間、シービーが俺の傘を奪い取ってすぐさま傘を閉じる。一瞬のこと過ぎて普通に傘を取られてしまった。俺が呆気に取られていると、シービーが俺の傘を掲げながら楽しそうな声で告げる。

 

 

「ホラホラ!傘を取り戻したかったらアタシを追いかけてくることだね!」

 

 

 そう言ってシービーは逃走する。彼女の声で我に返った俺はすぐさまシービーを追いかけた。

 

 

「待ちやがれ!シービー!傘を返せ!」

 

 

「フフン、じゃあ頑張ってアタシに追いついてね!」

 

 

「ウマ娘のお前に人間の俺が勝てるわけねぇだろ!?」

 

 

「大丈夫大丈夫!ちゃんと加減して走るからさ!」

 

 

 そのまま、俺は雨に打たれながらシービーを追いかけ続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シービーを追いかけること十数分、気づいたら公園からは大分離れた位置にあるところに来ていた。シービーの言葉通り、彼女は加減して走っていたため何とか追いついた俺は彼女の手から傘を取り戻すことに成功する。

 俺は息を少し切らしながらシービーに窘めるように話しかける。

 

 

「ったく。急に傘を奪って逃走しやがって……。何のつもりだよ」

 

 

 シービーは少しバツが悪そうに答えた。

 

 

「ゴメンゴメン。でも、ちゃんと加減して走ってたでしょ?」

 

 

「そういう問題じゃないだろ」

 

 

 呆れながらも俺は取り戻した傘をさそうとする……が、止める。先程の追いかけっこで大分濡れてしまった。これでは傘をさしても大した差はないだろう。そう考えた俺は傘をささずにそのまま歩き始める。シービーは、その隣を歩き始めた。

 隣にいるシービーが俺に話しかけてくる。

 

 

「ねぇ、傘はささないの?せっかく取り戻したのに」

 

 

「ここまで濡れてたら、さしてもささなくても一緒だろ。だからささない」

 

 

「ふ~ん。鞄の中身はいいの?」

 

 

「別に書類が入ってるわけでもないしな。中身もほぼ空だし、濡れても問題はない」

 

 

「そうなんだ。空の鞄持ち歩いてるって中々変な人だね、キミ」

 

 

「雨の中散歩しているお前には言われたくないな」

 

 

「違いないね」

 

 

 そんな他愛もない話をする。

 ふと思い出したように、シービーが俺に尋ねてきた。

 

 

「そういえばさ、キミはどうしてアタシの散歩を止めなかったの?他の人はすぐ止めてきたのに」

 

 

 俺はさっきと同じ答えをシービーに聞かせる。

 

 

「さっきも言ったが、本人が楽しそうにしているのに止める必要はないと思ったからだ。楽しんでるのに止めるってのは無粋だろ?理由はそれだけだよ」

 

 

「そうなんだ。じゃあさ、アタシが傘を持って逃走した時も、そして今もそんなに怒ってないよね?それはどうして?」

 

 

「う~ん……。別に怒ることでもないしな。雨に濡れたけど、それだけだし」

 

 

「中々変わってるね、キミ」

 

 

「よく言われるよ」

 

 

 シービーは楽しそうに笑っていた。

 楽しそうに笑っているシービーに、俺は自分の考えを伝える。

 

 

「それに、方法は強引だったが自分と同じ気持ちを味わってほしかったんだろ?雨の中で楽しく散歩している自分と同じ気持ちを」

 

 

「そうだね。せっかくだからこの気持ちを共有したくてね。アタシが雨の中散歩しているのは今日が初めてじゃないけど、止めなかったのはキミだけだったし」

 

 

「ま、だから別に怒る気はない。お前が良かれと思ってやったことだからな」

 

 

「へぇ……」

 

 

「後、こうして雨の中散歩するというのもたまには悪くない。今度はスーツじゃない時にやってみるか」

 

 

 俺の言葉に、シービーは可笑しそうに笑う。

 

 

「中々どころじゃないね。かなり変わってるね、神藤トレーナーは」

 

 

「……よく言われるよ」

 

 

 少し不満を感じながらも俺は答える。

 シービーが再度俺に尋ねてきた。

 

 

「そういえばキミはさ、テンポイントさんのトレーナーだよね?どう?あの人は復帰できそう?」

 

 

 それはテンポイントのことだった。俺は自信満々に答える。

 

 

「できるさ。そのために今も頑張っている」

 

 

 俺の言葉にシービーは不思議そうな表情を浮かべている。そして、俺に聞いてきた。

 

 

「確かさ、医者の人が言うには復帰は絶望的だったんでしょ?それに、骨折したのは運命だったって。クインさんがそう言ってたよ」

 

 

「……あぁ、そうだな」

 

 

「それってさ、捉えようによってはここで走るのを諦めなさいって意味にも取れると思うんだけど。諦めようとは思わなかったの?」

 

 

「……」

 

 

 別にシービーに悪気はないのだろう。ただ気になったから聞いただけ。それだけだ。だからこそ、俺は冷静に答える。

 

 

「テンポイントが諦めない限り、俺も諦めない。それだけさ」

 

 

「たとえそれが運命だったとしても?」

 

 

 俺は不敵に笑いながら答える。

 

 

「上等だ。だったらそんな運命、俺達でぶっ壊してやるさ」

 

 

「わーお、中二病チックだね。でもアタシは好きだよ、そういうの」

 

 

「男の子はみんな好きだからな、かっこいいのが。それに、運命なんてもので全部の物事を片付けられるのは嫌だろ?」

 

 

「違いないね。アタシも多分同じことするだろうし」

 

 

 俺達はお互いに笑いあう。

 会話がひと段落したところで、俺はテンポイントから聞いて気になっていたことをシービーに尋ねる。

 

 

「そういえばシービー。お前確かリギルとハダルから勧誘されてたのに蹴ったんだって?」

 

 

「知ってたんだ。気になる?」

 

 

 俺は自分の思っていることを素直に答える。

 

 

「滅茶苦茶に気になる。あの2チームから直々にスカウトされるってことはそれだけ実力があるって認められてるんだろ?なのにどうして勧誘を蹴ったんだろうなって」

 

 

 俺の言葉に、シービーは答える。難しい顔をしていた。

 

 

「別に深い理由はないんだよね。リギルは束縛されそうだし、だからといってハダルもなんか違うし。アタシはアタシらしく走らせてくれるチームに入りたいんだ」

 

 

「ふ~ん。ならスピカなんていいんじゃないか?沖野さんのとこなんだけど、あの人は基本ウマ娘側のやりたいように走らせているし」

 

 

 まぁ、何でもかんでもウマ娘側に任せっきりなせいでいい加減なトレーナーに見られがちなのが玉に瑕なのだが。ただ、沖野さんも沖野さんなりの考えがあっての指導方針だろうし助け船はちゃんと出している。願わくば沖野さんがいい加減なトレーナーだという誤解が解けることを祈るばかりだ。

 俺の言葉にシービーはあっけらかんと答える。

 

 

「スピカも違うかな~?あそこは自由に走らせてくれるけど、そこにアタシが望んでいる走りがある気がしないんだよね。ただの勘だけど」

 

 

「勘かよ」

 

 

 俺は多分苦笑いを浮かべているだろう。俺の表情を見たシービーも苦笑いを浮かべていた。

 シービーは続ける。

 

 

「まぁ、目下チーム探しは継続中かな?ビビッと来たチームに入るよ」

 

 

「そうか。いいチームが見つかるといいな」

 

 

「……フフっ」

 

 

 俺の言葉にシービーは意味深に笑った。俺はその表情の意味が分からず、頭に疑問が出てくる。しかし、それを聞く前にシービーは俺から距離を取って告げる。

 

 

「じゃあ、アタシこっちだから」

 

 

「お、そうか。じゃあここでサヨナラだな」

 

 

「そうだね。じゃあねミスター神藤」

 

 

 ……ミスター神藤?さっきまではキミとか神藤トレーナーと呼んでいたのに、シービーは急に呼び方を変えた。そのことを問いかけようとするも。

 

 

「じゃーねー。タオルは洗って返すよー」

 

 

 シービーはさっさとどっかにいってしまった。なんだか釈然としない気持ちになったが、俺もこのままでいたら風邪を引くだろう。

 

 

「……とりあえず、1回学園に戻って着替えを取りに行くか。その後銭湯にでも行こう」

 

 

 そう思った俺は、トレセン学園へと歩を進めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アタシは鼻歌を歌いながら帰路につく。上機嫌にスキップを踏んでいた。その帰路につく途中、見知った人物と出会った。向こうもこちらに気づく。そして、驚きに満ちた顔でアタシを見る。

 その人物はこちらに近づいてくると、開口一番アタシを叱る。

 

 

「もう!シービー!あなたはまたこの雨の中散歩していたのですね!風邪を引くからお止めなさいっていつも言っているでしょう!?」

 

 

 親が子供を叱りつけるように怒るその人物の言葉に、アタシはあっけらかんと答える。

 

 

「ゴメンゴメン。でも、散歩したい気分だったから」

 

 

「いつもそう言ってるじゃありませんか!ほら、早く傘の中に入って!一緒に帰りましょう!」

 

 

「え~?こんなに濡れてたらもう関係ないと思うけど」

 

 

「シービー?」

 

 

 アタシを叱る人物、クインさんの圧が増した。これ以上怒らせるのも良くないと判断したアタシは素直に傘の中に入る……が、アタシの方が身長が高いのでアタシが傘を持つことにする。

 歩くこと数分、アタシたちが住んでいるマンションへと到着した。もっとも、部屋は違うのだが。

 クインさんが心配するようにアタシに話しかけてくる。

 

 

「早く部屋に戻ってお風呂に入りましょう。あぁでも、その前にタオルですね。濡れた身体を拭かないと」

 

 

「あぁ大丈夫。タオルなら持ってるから」

 

 

 そう言ってアタシはさっき貰った未開封のタオルを取り出す。そのタオルを見て、クインさんは驚いていた。

 

 

「どうしたのですか?そのタオルは?」

 

 

「ん~?親切な人から貰った。洗濯して返しに行くよ」

 

 

「そうですか……」

 

 

 クインさんは納得したのか、それ以上は追及してこなかった。アタシは濡れた身体を拭いてマンションの自分の部屋に入ってお風呂の支度をする。クインさんはアタシの部屋で時間を潰していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 お風呂から上がったアタシの髪をドライヤーで乾かしながら、クインさんは先程の散歩の件を聞いていた。

 

 

「そういえばシービー。今日はいつも以上に上機嫌でしたね。何かいいことでもあったのですか?」

 

 

 アタシは正直に答える。

 

 

「うん。面白い人に会ってね。その人と一緒に散歩してたんだ」

 

 

「散歩ですか……この雨の中、しかも他人を巻き込んでいたのですね?あなたは」

 

 

 クインさんの声色が低くなる。アタシは急いで弁明した。

 

 

「だ、大丈夫。向こうも楽しかったって言ってくれたからさ。迷惑はかけてないよ?」

 

 

「そういう問題じゃありません!全くあなたは……」

 

 

 クインさんからお小言を貰いながらも、髪を乾かしてもらう。

 髪を乾かしてもらった後、アタシは冷蔵庫へと向かい中から飲み物を取り出す。飲み物を飲んでいるアタシに、クインさんが再度尋ねてきた。

 

 

「シービー。あなたスピカからの誘いも断ったそうですね?」

 

 

「ん~?そうだね、断ったよ」

 

 

 ミスター神藤は何も知らなかっただろうが、アタシはすでにスピカにもスカウトされていた。まぁクインさんの言う通り、断ったのだが。理由は単純で、ビビッとこなかったから。それだけだ。

 アタシの言葉に、クインさんは溜息を吐いた。

 

 

「ハァ……。スピカにはグリーングラス様もおりますし、何よりもウマ娘側の意思を尊重しています。何が気に入らなかったのですか?」

 

 

「ビビッとこなかったから?」

 

 

「……あなたが気に入るトレーナーは、今後現れるのでしょうか?私は心配です」

 

 

 アタシはクインさんを心配させないように答える。

 

 

「大丈夫だよクインさん。その内見つかるからさ」

 

 

「そうでしょうか?」

 

 

「うん。何となく、そんな感じがする」

 

 

 アタシはあっけらかんと答えた。クインさんは苦笑いを浮かべながらも答える。

 

 

「いつか見つかるといいですね。あなたのトレーナー」

 

 

 クインさんの言葉にアタシは頷く。外はいつの間にか雨が上がっていた。




ミスターシービーを相手にするときだけ口調がお母さんのそれになるシービークイン。ただの私の性癖です。


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第111話 天皇賞ウマ娘対決

気まぐれ娘の宝塚記念回


 6月初めの今日。ボクは病院……ではなく、車椅子に乗りながらトレーナーと一緒に変装をして阪神レース場へと足を運んでいた。5月の半ば頃には医者の先生から松葉杖での移動も大丈夫というお墨付きをもらっているものの、場所が関西ということから車椅子での移動となった。天気は生憎の曇り空である。

 何故阪神レース場に足を運んでいるのか?その理由は単純で、今日ここで宝塚記念が開催されるからである。元々見に来る予定はなかったのだが、数日前ジョージに、

 

 

『宝塚 絶対。こない ヨヨヨ』

 

 

……と、絶対に見に来るように言われたため、こうして訪れている。病院のベッドで見るよりは実際にレースを見る方が楽しいので構わないのだが。現に今ボクは出走の時を楽しみにしている。

 レース場の観客席で出走する子たちが本バ場入場してくるのを待ちながら、ボクはトレーナーと小声で会話をする。

 

 

「……確か、今回は7人出走やったっけ?ジョージの他にはグラスとホクト、後はクラウンピラードも出走するんやったか?……」

 

 

「……そうだな。天皇賞ウマ娘3人によるレース、なんて意見もチラホラある。人気もこの3人が突き抜けてるな……」

 

 

「……1番人気はファン投票1位のグラス、2番人気はジョージ、3番人気はホクトやったな。ホクトは京都と鳴尾でジョージに負けとるんが響いたんかな?……」

 

 

「……だろうな。後はグリーングラスは前の春天を勝ってるからそれ込みでの1番人気なんだろう。エリモジョージは出走する瞬間まで分からんからな……」

 

 

「……天皇賞ウマ娘3人の対決、か……」

 

 

 この3人に注目が集まりがちだが、他も負けていない。大阪杯でホクトを破ったキングラナークや天皇賞を連続で2着に入ったクラウンピラードなどがいる。天皇賞ウマ娘と言えども、油断はできないだろう。

 そう話していると、本バ場入場が始まった。ウマ娘が続々とターフの上に姿を現す。ボクは少し緊張しながらその様子を見ていた。

 1人、また1人と入場してきてそれぞれウォーミングアップをしている。そして、最後にジョージが入場してきた。相変わらず、ぼうっとした表情をしていた。

 しかし、突然こちらを向いたと思ったら少しだけ笑みを浮かべてこちらに手を振ってくる。笑顔は見る人が見れば分かる程度の差異だが、ボクには分かった。多分だけど、ボクを見て嬉しくなったのだろう。ジョージにこの変装を見せるのは初めてのはずなのだが、よく分かったものだ。少し驚く。

 あまり反応を返すのはよろしくないのかもしれないが、一応ボクも手を振って答える。するとジョージは満足げな表情をしてウォーミングアップを始める。

 ボクはトレーナーに小声で話しかける。

 

 

「……一応、ジョージはボクの変装見るんは初めてのはずなんやけど、よう判ったなジョージ……」

 

 

「……エリモジョージの勘は鋭いのかもしれないな。本当によく判ったとは思うが……」

 

 

「……まぁええわ。みんな特に調子は悪くなさそうやな。グラスも脚の調子は悪うない言うてたし、ホクトもええ仕上がりや……」

 

 

「……あぁ。後はエリモジョージだけだな……」

 

 

 そこまで話したところで、レース場に実況と解説の人達の声が響く。

 

 

 

 

《天気は生憎の曇り模様。距離2200m、芝の状態は重バ場と発表されています阪神レース場第9R宝塚記念!夏のグランプリレースを制するのは誰か!今出走するウマ娘達が続々とゲートに入っていきます!》

 

 

《今回の宝塚記念は7人と少数ながらも天皇賞ウマ娘が3人も出走しています。豪華な顔ぶれとなっていますね》

 

 

《それでは3番人気のウマ娘の紹介から入りましょう!3番人気は6枠6番ホクトボーイ!パドックではいい仕上がりを見せ調子もよさそうです!》

 

 

《京都記念と鳴尾記念では本レースにも出走しているエリモジョージに敗れています。今日はその雪辱を果たしたいところ》

 

 

《次に2番人気のウマ娘の紹介に入ります!2番人気は7枠7番エリモジョージ!逃げウマ娘の彼女にとっては不利となる大外枠での出走!これがどう響くか気になるところ!》

 

 

《2連勝で迎えた今回の宝塚記念です。しかしこのウマ娘程前のレースがあてにならないウマ娘もいないでしょう。今日もその気まぐれ逃げは炸裂するのか?》

 

 

《1番人気のウマ娘の紹介です!1番人気はこのウマ娘!3枠3番グリーングラス!前走の春の天皇賞を勝利しての本レース!今日はどのようなレースを見せてくれるのか!》

 

 

《不安視されていた脚の調子も悪くないとは本人談。逃げウマ娘エリモジョージを見事に差し切ることはできるのか?注目ですね》

 

 

《今7人のウマ娘全員がゲートに入りました。グランプリレース宝塚記念が今……》

 

 

 

 

 ボクは出走の瞬間を今か今かと待ちわびる。他の観客達も一緒だろう。静寂が阪神レース場を支配する。そして、ゲートが開いた。

 

 

 

 

《スタートです!》

 

 

 

 

 宝塚記念が始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 宝塚記念、全員奇麗なスタートを切った。そして、その中から飛び出して先頭を取ったのはやはりジョージだった。

 

 

 

《各ウマ娘奇麗なスタートを切りました!エリモジョージが早くも先頭に立とうとしていますが、おぉっと大外枠から内へと切り込みました。7番エリモジョージが内へと切り込んできます。やはりハナを取って進むのはエリモジョージです》

 

 

《大外という不利を背負いましたが、特に堪えた様子を見せることなくハナを取りました。他に逃げウマ娘がいないからかもしれません。エリモジョージの一人旅です》

 

 

《エリモジョージが1番内を走っております。3番グリーングラス今日は真ん中を走っているぞ。グリーングラスは今日は真ん中だ。ホクトボーイはあまり行きません。後ろに下がっております。6番ホクトボーイは後方に控える形だ。天皇賞ウマ娘3人はそれぞれのペースで走っています》

 

 

 

 

 ジョージが早くも集団から抜け出して逃げを取る。快調に飛ばして2番手であるグラスとはすでに5バ身以上は離れていた。グラスもあまり追う気はないのか積極的にはいかない様子を見せる。

 スタンド正面前を走るみんなを観客の人達は歓声で迎える。声に少し驚きながらもボクはレースを見ていた。

 

 

(今日は重バ場て発表されとったし、あんまり無理に追わん方がええて判断したんやろうか?)

 

 

 ボクは最初の展開からそう予測する。ジョージの逃げに付き合って自分が潰れたら元も子もない。そう判断してグラスや他の子も逃げさせているのかもしれない。

 考えていると、ジョージは早々にスタンド正面を抜けて第1コーナーへと差し掛かっていた。

 

 

 

 

《……各ウマ娘がスタンド前を抜けて第1コーナーへと進みます。先頭は7番エリモジョージ、エリモジョージが先頭だ。2番手はそこから大分離れてグリーングラス。外目をついてグリーングラスが2番手です。その後ろに4番トウフクセダン、5番キングラナークと続いております》

 

 

《グリーングラス今日は外から行く様子を見せていますね。果たしてこれが後の展開にどう響くか?》

 

 

《キングラナークの後ろは内をついて1番ハシコトブキ、6番ホクトボーイと続いております。しんがりは2番のクラウンピラード。各ウマ娘が第1コーナーを回っております。ホクトボーイが外から上がっていくかどうか?またエリモジョージに逃げ切られるのだけは避けたいところです》

 

 

 

 

 レースはそのまま進んでいく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(……クソ、クソ。クソ!不味い不味い不味い!)

 

 

 第3コーナーに差し掛かった今、私はそう思いながら脚を動かして走っている。ホクトちゃんがスパートをかけるのと同時、私も勝負を仕掛ける。だが、果たして間に合うかどうか。私は今そう考えていた。

 

 

(間に合うかどうかじゃない……!間に合わせろ!私の脚!)

 

 

 その悪い考えを断ち切るように気合を入れなおす。しかし、ついつい考えてしまう。

 この宝塚記念、私はずっとエリモジョージ先輩をマークするように動いていた。ホクトちゃんは私よりも後ろでレースを展開するし、それにどちらが怖いかと言われたらエリモジョージ先輩の方だったから。スタートからずっと先頭をキープしているエリモジョージ先輩にプレッシャーをかけながら走っていた。重バ場な上に後ろからのプレッシャーでいつも以上に体力を削られるだろう。そう考えながら。

 だが、今目の前を走っている先輩の姿は疲れている様子など微塵も感じさせない。後方にいる私達を確認する余裕すらある状態だ。

 そもそも何故こうなってしまったのか?驕りはなかった。油断もなかった。だが、相手は悠々と逃げている。一体どうして?疑問は尽きない。ただ今は考えるよりも脚を動かした方がいいと考え、少し思考を打ち切る。

 私はいつものように内へと進路を取る。だが、不安しか感じていなかった。

 

 

(あまりにも、あまりにも楽に逃げさせ過ぎた!このままじゃ……!)

 

 

 エリモジョージ先輩の独走になる。そう考えながら、私は第4コーナーのカーブを曲がって最後の直線に入っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ボクは目の前に広がっている光景に驚愕しながらレースを見ている。トレーナーも同じ気持ちなのだろう。驚くような声がかすかに聞こえた。レースはすでに第4コーナーを回って最後の直線に入ったところ。決着が着こうとしている場面である。

 実況も驚いたような声をしていた。

 

 

 

 

《第4コーナーを回って最後の直線に入った!先頭はエリモジョージだエリモジョージ先頭!2番手グリーングラスが内から必死に追いかける!外のホクトボーイも少しヨレたが内へと進路を取った!3番手はホクトボーイ!やはり天皇賞ウマ娘3人での決着となるか!宝塚記念!》

 

 

《しかし、前を走るエリモジョージはまだ余裕があるように感じられますね。どこにそんなスタミナを隠していたのか?》

 

 

《ホクトボーイは苦しいのかヨレている!しかし懸命に粘っておりますホクトボーイ!最後の直線に入ってグリーングラスが差を縮めましたその差は1バ身程になります!があぁっと!しかし!エリモジョージが突き放す!グリーングラスは粘っているがエリモジョージが二の足を使って突き放す!残り100mを切ってエリモジョージが突き放す!これはもう完全に決まった!エリモジョージが先頭だ!》

 

 

 

 

 ボクは思わず声を漏らす。

 

 

「嘘やろ……」

 

 

 結局、その後差は縮まることはなかった。

 

 

 

 

《エリモジョージ逃げ切った逃げ切った!マイペース文句なし!エリモジョージが最初から最後までマイペースに逃げ切りましたゴールイン!2着はグリーングラス!3着はホクトボーイだ!天皇賞ウマ娘3人による対決はエリモジョージの逃げ切り勝ち!》

 

 

《勝ち時計は2分14秒2……。重バ場ということもあり決して早くない時計です。しかしこれは見事な逃げ切り勝ちという他ないでしょう!》

 

 

《天皇賞で春を告げましたえりも節!今度は宝塚記念で夏を報せましたえりも節!果たして次はどのようなレースを見せてくれるのか!非常に楽しみなウマ娘です!これが気まぐれウマ娘の真骨頂!エリモジョージ堂々の1着!》

 

 

 

 

 ボクは空いた口が塞がらなかった。同じ天皇賞ウマ娘であるグラスを相手に4バ身差。驚くなというのが無理だ。

 トレーナーも驚いたように呟く。

 

 

「力と力でぶつかるレースになると思ったが……。それすらさせねぇとは……」

 

 

「どんだけの才能を秘めとるんや……ジョージは……」

 

 

 だが、ボクは驚愕とともに内から闘志が燃え上がるのを感じる。戦ってみたい、ジョージと一緒に走ってみたい。そう思った。

 そんなジョージは今、ターフの上で何かを探すように辺りを見渡している。そして、視線がボクのところで止まった。表情はどことなく嬉しそうだ。

 そして、ピースサインをしながらボクの方に向かって告げる。

 

 

「勝った ブイ」

 

 

 その様子に、周りにいる観客はどよめきを見せた。驚いている会話が聞こえてくる。

 

 

「お、おい。あれってファンサってやつか?」

 

 

「そ、そうじゃないか?」

 

 

「エリモジョージのファンサ……珍しいなんてもんじゃねぇぞ!?」

 

 

「今日は一体どんな気まぐれだ!?」

 

 

「しかもちょっと、本当にちょっとだけど笑ってねぇか!?」

 

 

 大騒ぎである。ボクは苦笑いしながらもジョージを見つめた。手を振って応えると親しい人物だとバレてしまうので我慢する。

 やがて満足したのか、ジョージはそのままどこかへと向かっていった。多分だが、ウィナーズサークルへと向かうのだろう。それを確認した後、ボクはトレーナーに小声で話しかける。トレーナーも聞きやすいように屈んだ。

 

 

「……それじゃ、早いとこ帰ろか……」

 

 

「……話しておかなくていいのか?……」

 

 

「……大丈夫や。ジョージのことやから、明日ぐらいに病院に来るやろ……」

 

 

「……ま、それもそうだな……」

 

 

 そう言って、トレーナーはボクの車椅子を押して移動を始め、阪神レース場を後にする。

 ジョージに言われるまま来た宝塚記念、すごい逃げ切り勝ちを見せてもらった。ボクも復帰したら……と決意を固める日となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後日、ボクの病室にてグラスが本気で悔しそうにしながら宝塚記念のことを話し始めてきた。

 

 

「うえーん!悔しいよー!悔しいよー、テンちゃーん!」

 

 

「お、落ち着きぃやグラス。ほら、よしよし」

 

 

「なんなのさー!あの人ー!なんかやたらテンちゃんと走り方似てたしさー!今度走る時は絶対に差し切ってやるー!」

 

 

 そう悔しそうに歯噛みしていた。




ウマさんぽ毎月やってくれ。というか常設してくれ。


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第112話 復帰の第一歩

ついに完治?回


 宝塚記念も終わって6月半ば。ボクとトレーナーは診察室で医者の先生と対面していた。ボクは過去最大級に緊張しながら先生の言葉を待っている。きっとトレーナーも同じ気持ちだろう。ふと横を見て表情を覗くと、緊張が顔に出ていた。先生は、難しい顔をしている。

 診察室を静寂が支配する。心臓の音すら聞こえてきそうなほどに。やがて、先生は表情を崩して笑顔でボク達に告げる。

 

 

「……はい!これならば問題ないでしょう!」

 

 

 ……問題はない。ということは、つまり!

 

 

「退院……ですか!?」

 

 

 トレーナーがそう尋ねる。その言葉に、先生は深く頷いた。

 

 

「骨も完全に元通りになりました。明日からは普通に過ごしても大丈夫ですよ」

 

 

「っっったぁ!やっとや!やっと退院や!」

 

 

「あぁ!ようやく……ようやくだ!」

 

 

 時間にして約5ヶ月。長かったボクの病院生活が終わりを告げた。ボクはトレーナーとハイタッチして喜びを分かち合う。

 喜びを分かち合っているボク達を先生は微笑ましい表情で見ていたが、気を引き締めたのか真面目な表情でボク達に話しかける。

 

 

「ですが、まだ日常生活に戻れるぐらいには回復しただけ、とも言えます。テンポイントさんたちの目標であるレースの世界への復帰……。その戦いはこれから始まると言っても過言ではありません」

 

 

「……そうですね」

 

 

 まずは落ちた筋肉を戻さないといけない。フォームの確認だったり、やるべきことは沢山ある。

 だが、先生は表情を崩して笑みを浮かべる。

 

 

「しかし、私は特に心配はしておりません。あなた達ならきっと復帰できる。そう思ってますから。レースの世界でまたテンポイントさんが走ることを、私も応援していますよ」

 

 

「「……ありがとうございます!」」

 

 

 先生からの言葉に、ボク達は揃ってお礼を言う。純粋に嬉しかった。

 ボク達は診察室を後にして病室へと戻る。その道中は、ボクは普通に歩いていた。車椅子や、松葉杖でもなく普通に。病室へと戻り、ボクの私物を持って帰る準備をする。

 5ヶ月の間世話になった病室。何となく感慨深いものがある。ただ、ボクははやる気持ちを抑えきれないでいた。この後は学園に戻って練習をする予定だ。勿論軽めだが、それでも楽しみなものは楽しみだ。

 

 

(ホンマに久しぶりに走る……!はよ学園に戻りたい!)

 

 

 そんなボクの気持ちを察してか、トレーナーは苦笑い気味に答える。

 

 

「そんな急いで片付けしなくても、トレーニングは逃げねぇぞ?」

 

 

「何言うとるんや!1分1秒でも長く練習したいねん!やからはよ片付けて戻るでトレーナー!」

 

 

「分かった分かった。早いとこ片付け済ませて学園に戻ろうか」

 

 

 ボク達は片付けを始める。ブログの写真に使ったファンの人達からの贈り物は都度トレーナーが持って帰っているし、本や雑誌の類もすでに持ち帰っているのであるのは冷蔵庫の中に入っている豆乳やボクの着替えぐらいのものだ。そこまで時間はかからなかった。

 病院を出て、トレーナーの車で学園に戻る。その間、ボクの気分は昂ったままだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 病院で回収し荷物をトレーナー室に置いて、ジャージに着替えて練習場へと向かう。このジャージも懐かしく感じる。だが、何よりも……!

 

 

「ホンマに懐かしく感じるわ……!この芝の感触……!」

 

 

 5ヶ月は短く感じるかもしれないが、ボクの体感では1年近く走ってない感覚がしていた。手足も随分細くなった。これは戻すのが大変だろう。

 ウォーミングアップをしながらもボクは高揚を隠し切れずにいる。早く走りたい、そう思いながらトレーナーの言葉を待った。

 トレーナーがボクに告げる。

 

 

「まずは、今のお前の現在地点を確認しよう。3ハロンのタイムを計るぞ」

 

 

「了解や!」

 

 

 ボクはウォーミングアップを切り上げて早速スタート位置につく。トレーナーの合図を待つ。そして。

 

 

「……スタート!」

 

 

 トレーナーの言葉とともに、ボクは走り出した。怪我だけはしないよう、今出せる全力で。

 自分の脚で走る感覚、風を切る感覚、地面の芝の感触、その全てが懐かしく感じる。そして、こうして走ることで改めて実感した。嬉しさから涙が零れる。

 

 

(走れる……!ボクはまた、走ることができる……ッ!)

 

 

 そのことがたまらなく嬉しかった。

 3ハロンを走り終わって、ボクはトレーナーの下に戻る。タイムを見せてもらおうと思ったが、トレーナーも涙を見せていた。けれど、表情は笑顔だった。きっとボクがまた走る姿を見て嬉しさから涙を流したのだろう。

 ボクが戻ってくると開口一番告げる。

 

 

「見ろよ、このタイム……!」

 

 

 そう言って先程のタイムを見せてきた。ボクはそれを確認する。

 

 

「……はは、なんやこれ!ひっどいタイムやな!ジュニア級の時ん方がマシちゃうか?」

 

 

 お互いに笑いあう。

 

 

「またこっから頑張っていけばいいさ!お帰り、テンポイント!」

 

 

 ボクは精一杯の笑顔で答える。

 

 

「ただいま!」

 

 

 ボクは、帰ってきた。この世界に。レースの世界に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 タイム走はこの一本のみで終わり、後は基礎的なトレーニングを積んでいく。走るよりもやるべきことは沢山ある。まずは落ちた筋肉を戻さないといけないし、フォームのチェックもしなければならない。さすがに5ヶ月も離れていたのだ。どこかしらおかしくなっている可能性もある。地道にコツコツと励むことにした。

 練習が終わって、トレーナー室へと戻ってくる。今日の反省会となった。

 ソファで休んでいるボクにトレーナーが告げる。

 

 

「さて、明日から本格的に復帰のためのトレーニングを積んでいくわけだが。分かっているな?テンポイント」

 

 

「分かっとるよ。まずは落ちた筋肉を取り戻す。基礎トレが主になる……やろ?」

 

 

「あぁ。タイム走も1日1本までだ。走れなくて辛いかもしれないがまだ様子見に徹しよう」

 

 

「了解や。こん状態で走ってもしゃあないしな」

 

 

 反省会も程々に済ませ、ボクは寮に戻ろうとする。そんなボクをトレーナーは呼び止めた。

 

 

「そうだテンポイント。ちょっといいか?」

 

 

「どうしたん?なんか他にもあったんか?」

 

 

「お前の食生活に関してだな。毎食分作る予定だ。これは今日の晩御飯な」

 

 

 そう言ってボクにスポーツバッグを手渡してきた。結構ずっしりしている。驚きながらもボクはそれを受け取ってトレーナーに尋ねる。

 

 

「嬉しいけど、いつの間に作ったん?」

 

 

「下準備自体はお前のトレーニングの休憩中にちょくちょくな」

 

 

「あぁ、練習中たまにおらんくなったと思うてたらご飯作っとったんか」

 

 

「そういうことだ。明日の朝もトレーナー室に来てくれ。昼食を渡すから」

 

 

「ん。了解や」

 

 

 ボクはスポーツバッグを持ってトレーナー室を出る。ただ、出る前にトレーナーに話しかける。

 

 

「なぁ、トレーナー」

 

 

「どうした?テンポイント」

 

 

 ボクはとびっきりの笑顔で告げる。

 

 

「明日もよろしゅうな!」

 

 

 トレーナーも笑顔で答える。

 

 

「あぁ!明日も頑張ろう、テンポイント!」

 

 

 今度こそボクはトレーナー室を出て、寮へと歩を進める。

 寮に戻ってきたボクを迎えたのは、なにやら落ち着かない様子の寮長達だった。ボクが扉を開けて寮の中へと入ると、皆が一斉にこちらを振り向く。そして、一斉にボクの方に向かってきた。

 戸惑っていると、寮長が涙を浮かべながらボクに話しかけてくる。

 

 

「テンポイント!無事に戻ってこれたんだね!」

 

 

「は、はい。えらい迷惑かけました」

 

 

「気にしなくていいよ。あんたの姿をまたこうやって見ることができただけでもあたしは……ッ!うぅ……!」

 

 

 そのまま寮長は涙を流し始めた。他の子たちも笑顔こそ浮かべているが、涙が見えていた。それだけ、ボクが帰ってきたのが嬉しかったのだろう。ボクもまた、嬉しくなる。

 寮長や他のみんなに、ボクは声を大きくして挨拶する。

 

 

「また今日からよろしゅうお願いします!ただいま、みんな!」

 

 

 ボクの言葉に、みんなは思い思いの言葉をボクに投げかけてくれた。

 ボクは寮の自室に戻ってくる。扉を開けて中に入る。すると中から勢いよくボクに抱き着いてくる子がいた。もっとも、この部屋にはボクと同室の子ぐらいしかいないから誰かなんてすぐにわかる。

 ジョージがボクの腰辺りに抱き着きながら話してくる。

 

 

「おかえり テン坊」

 

 

「うん、ただいま。ジョージ」

 

 

 ボクはジョージの頭を撫でながらそう答える。

 自分の机でトレーナーが作ってくれたお弁当を食べながらジョージと会話をする。

 

 

「テン坊 どう?」

 

 

「う~ん。まずは落ちた筋肉を戻すとこからやな。タイムも測ったんやけど酷いの一言に尽きるわ」

 

 

「レース 出れる?」

 

 

「出れるかやない。ボクは出るで。絶対に復帰する」

 

 

「良かった」

 

 

 ジョージはボクの言葉に微かに笑みを浮かべる。

 ご飯も食べ終わり、お風呂にも入った後ジョージと話をする。話題は今後のレースについてだ。

 

 

「ジョージは次はどうするん?決まっとるんか?」

 

 

「月末」

 

 

「月末かぁ。なんにせよ頑張ってな、ジョージ」

 

 

「気分」

 

 

 ジョージの答えにボクは苦笑いをする。まぁ今の調子を継続できればジョージは問題ないだろう。今度は逆にジョージがボクに尋ねてくる。

 

 

「テン坊 レース いつ?」

 

 

「ボクか?う~ん……」

 

 

 少し考えた後答える。

 

 

「早くとも年末……年末でも有マにはでぇへんかな。年明けになると思うわ」

 

 

「レース 教えて 応援 ごー」

 

 

「うん。決まったらジョージにも教えるわ」

 

 

 復帰レースに関してはトレーナーと相談して決めなければならない。トレーナーも現時点では決めかねていると言っていた。どのレースに出走するのか、今から少し楽しみである。

 レースの話題が上がったことでボクはあることを思い出す。それはジョージのここ3戦でのことだ。ボクはジョージに尋ねる。

 

 

「せや、ジョージ。京都、鳴尾、宝塚の走りはボクのフォームに似とったけど、アレは意図的なんか?」

 

 

 ボクの質問にジョージは頷く。

 

 

「そだよ 元気 出た?」

 

 

「まぁ元気はもらえたで。やけどなんでまたボクのフォームを真似たんや?」

 

 

「ゴボゴボ ないよ。テン坊 走り 強い 証明」

 

 

「別に深い意味はないんやな。ボクの走りが強いことを証明するため……っちゅうことか」

 

 

「いえす。後 ふれー」

 

 

「しっかし、よう真似られるな。戦法は似とるけど、あんなに完璧にできるとは思わんかったわ。これからやっても通用するんちゃう?」

 

 

 ボクの言葉に、ジョージは首を横に振って答える。

 

 

「やらない ずっと ばたんきゅー」

 

 

「そうなん?割と余裕そうやったけど」

 

 

「冗談 いっぱい やらない。テン坊 すごい」

 

 

 あぁ見えて結構いっぱいいっぱいだったらしい。全然そんな風には見えなかったが。まあ本人がそう言っているということは間違いないだろう。ボクは納得する。

 しばらく話し込んでいると、消灯時間が近づいてきたのでお互いに布団に入って寝る準備をする。目を閉じながら、ボクは明日からのことについて思いを馳せる。

 

 

(久しぶりの学園や。みんなどんな反応するやろうな?ボーイ辺りは泣くんとちゃうか?)

 

 

 後は、明日からトレーニングも再開することになる。今頃トレーナーはメニューを組んでいるだろうか?それとも別のことをしているだろうか?少し気になったが、意識がドンドン遠のいていく。

 明日からまた前のような日常に戻るだろう。そう思いながらボクは眠りにつく。病院のベッドの上じゃない。寮の自分のベッドで寝る感触に嬉しさを覚えながらボクは眠った。




音ゲーアプリのログインを忘れてました。やっちまったぜ。


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第113話 日常への回帰

久しぶりに学園への登校回


 目覚ましのアラーム音で目を覚ます。ボクはアラームを止め、眠い目をこすり身体を起こしてベッドを出る。

 

 

「ここで寝起きするんも随分久しぶりに感じるわ」

 

 

 そう呟きながらカーテンを開けて陽の光を浴びようとする……が、天気は生憎の曇り空だった。6月だしまぁ仕方ないかもしれない。雨が降っていないだけマシだと考えることにした。

 まだ熟睡しているジョージを無理矢理起こし、朝食をとる。登校する準備を済ませて、ジョージと一緒に寮を出て学園へと向かう。

 

 

「忘れもんはないか?ジョージ」

 

 

「もーまんたい 学園 全部」

 

 

「いや、教科書類ぐらい持って帰ろうや」

 

 

 学園へと向かう途中、寮住まいではないみんなはボクのことを驚きに満ちた表情で見ていた。久しぶりの登校だから当たり前かもしれない。それに、ほとんど外出もしていなかったし外出していても変装をしていたためボクの姿を見るのは随分久しぶりなはずだ。少し苦笑いをする。

 ジョージとは途中で別れて、ボクは校舎ではなく練習場近くにあるプレハブ小屋のトレーナー室へと向かう。扉をノックして声を掛け、中の人物がいるかを確認する。

 

 

「トレーナー、ボクや。昨日の夕飯分を返しに来たんと今日のお弁当受け取りにきたで」

 

 

 程なくして扉が開き、中にいたトレーナーがボクを出迎えた。

 

 

「おはようテンポイント。わざわざすまんな。これが今日の分だ」

 

 

 トレーナーはボクからスポーツバッグを受け取り、中から空の重箱を取り出して新しい重箱を入れる。ボクはお礼を言ってスポーツバッグを受け取る。

 

 

「おはようさんトレーナー。ありがとな」

 

 

「今日からまた学園の授業だな。頑張れよ」

 

 

「うん。トレーナーも練習メニューの方、しっかり頼むで?」

 

 

「任せとけ!お前が復帰するための完璧なプランを考えてやるからな!」

 

 

 ボク達はお互いに笑いあって別れる。次会う時は放課後だろう。昨日は軽くだったが、今日からまた本格的な練習が始まる。喜びで足取りを軽くしながらボクは校舎の教室へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 購買で新聞を購入してからボクは自分の教室へと入る。こうして教室に入るのも随分久しぶりのように感じた。少し緊張しながら扉を開ける。

 扉の空いた音がしたからか、すでに教室の中にいるクラスメイト達が一斉に扉の方を見る。ボクの姿を確認して、皆一様に驚いた表情を浮かべていた。そんなクラスメイトにボクは挨拶をする。

 

 

「おはようさんみんな。今日からまたよろしゅうな」

 

 

 それだけ告げて、ボクは自分の席に着く。クラスメイトは口を開けて驚いているだけだった。苦笑いしそうになったが、ボクは先程購入した新聞を広げて読むことにした……、タイミングでクラスの子の1人がボクに話しかけてきた。表情はどこか緊張しているような顔をしている。

 

 

「お、おはようテンポイントさん!ふ、復帰おめでとう!」

 

 

「うん。おおきにな。やけど、まだまだこれからや。レースの世界に戻るためにもこれから頑張らんと」

 

 

「頑張ってね!みんな応援してるから!そ、それじゃ!」

 

 

 それだけ言うとその子は会話していた子達のところへと足早に戻っていった。何か不味いことでも言ってしまっただろうか?そう思っているとその子たちの会話が聞こえてくる。

 

 

「……き、緊張した~……」

 

 

「……よくやった!アンタは勇者だよ!……」

 

 

「……でも、本当に大丈夫そうでよかったね……」

 

 

 ……どうやらただ緊張していただけらしい。そのことに安堵しながらボクは改めて新聞を読むことにした。

 しばらく誰にも話しかけられることなく新聞を読んでいると、教室の扉の方からこちらに嬉しそうな声で近づいてくる子がいた。

 

 

「おはよ~テンちゃ~ん。こっちでは久しぶりだね~」

 

 

 グラスだ。ボクは読むのを止めてグラスの方を向く。

 

 

「おはようさんグラス。ホンマにえらい久しぶりや」

 

 

「今日からまた学園に復帰なんだね~。よろしく~」

 

 

「おう、またよろしゅうなグラス」

 

 

 そこからはグラスとの会話に華を咲かせる。

 

 

「せや、ボーイとカイザーはどうしたん?一緒やないんか?」

 

 

「ん~?2人ともサマードリームトロフィーの練習があるみたいだよ~。でも~ボーイちゃんはそろそろかな~?」

 

 

 そんな会話をしていたら、教室の扉を開けて元気な声が聞こえてきた。

 

 

「おっはよーみんな!今日も一日頑張ろうぜ!」

 

 

 噂をすればボーイが教室に姿を現した。そのまま自分の席であるボクの隣に座る……前に、ボクの姿を確認して目を白黒させていた。そして、満面の笑顔でボクに抱き着いてきた。

 

 

「うおおぉぉぉ!テンさぁぁぁぁん!久しぶりぃぃぃ!」

 

 

「感激しとるんは分かったから離せや!暑苦しいねんホンマ!後ちょくちょくお見舞いに来とったやろお前!」

 

 

「病室で会うのと学園で会うのとはやっぱ違うんだって!退院おめでとぉぉぉ!テンさん!」

 

 

「ほ、ホンマに離せ!せめて力緩めろ!こんままやとまた病院送りになってまう!」

 

 

 筋肉が衰えているので振り解くのは無理だし、結構な力で抱き着いてきているのでかなり苦しい。ボクはそう抗議したことで、やっとボーイは拘束を緩めた。

 肩で息をしながらボーイの表情を見ていると、かすかに涙を浮かべていた。それだけボクがまた学園に戻ってきたのが嬉しいのだろう。だが、加減というものを覚えて欲しい。

 

 

「にしても、テンさんが帰ってきてホントに嬉しいぜ!」

 

 

「分かるな~。なんて言うんだろうね~。こう、戻ってきた~って感じ~?」

 

 

「どういうこっちゃねん」

 

 

「いつも通りの日常が戻って来たってことだな!ここに後はカイザーを加えるだけだな!」

 

 

 そういえば、ボーイは来たがカイザーはまだ来ていない。ボクは2人に聞いてみる。

 

 

「カイザーは随分遅いんやな?ボーイが来たっちゅうことはカイザーも来る思うてたんやけど」

 

 

 ボクの質問に、2人は曖昧な表情を浮かべていた。一体どうしたのだろうかと思っているとグラスが口を開く。

 

 

「カイザーちゃんは~いつも始業のギリギリぐらいに来るよ~」

 

 

「へー、そうなんか。随分頑張っとるやん」

 

 

「あー……うん、そうだな。頑張ってるよカイザーも」

 

 

「どうしたんや2人とも、さっきからなんや言いにくいことでもあるんか?微妙な表情しとるけど」

 

 

「まぁ、見た方が早いかな~。カイザーちゃんに関しては~」

 

 

 グラスはそう言いながらどこか遠くを見つめていた。一体カイザーに何があったというのだろうか?今から見るのが少し恐ろしくなった。

 そこからは他愛もない話をしていると、もうすぐで朝のホームルームが始まろうかという時間になった。そのタイミングで、教室の扉を開けて誰かが入ってくる。扉の方を確認すると、カイザーだった。ボーイ達言っていた通り、ギリギリの時間に来ている。

 だが、それよりも気になるのはカイザーの状態だ。なんというか、病んだような表情をしている。ボクは驚きながらもカイザーに尋ねた。

 

 

「か、カイザー!?何があったんや!?」

 

 

 カイザーはこちらを見ると少しだけ笑みを浮かべながら挨拶をしてくる。

 

 

「あぁ、おはようございますテンポイントさん……。学園で会うのは久しぶりですね。今日からまたお願いします……」

 

 

「あ、あぁうん。おはようさん……やなくて!何があったんや!?」

 

 

「あぁ、大丈夫ですよ。朝練でちょっと疲れただけなので……」

 

 

 いや、絶対に疲れただけじゃないような状態だ。ボクはそう聞こうとするが、間が悪くチャイムが鳴る。仕方がないのでボクは席に着いて後で聞くことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 午前中の授業も終わって昼食の時間になる。ボクはスポーツバッグを持ってボーイ達とカフェテリアに向かう。途中でクインと合流していつもの5人で食べることになった。

 

 

「こうしてテンさんと飯を食うのも久しぶりだなー!」

 

 

「ボーイちゃん今日ずっとそればっかだね~」

 

 

「それだけ嬉しいんですよ。私もそうですし」

 

 

「はい。退院おめでとうございます、テンポイント様」

 

 

「みんなありがとな。今日からまたよろしゅう」

 

 

 カフェテリアに到着して席を取る。ボクは弁当を持ってきているので席でみんなが戻ってくるのを待つ。

 みんなが戻ってくると、ボクが持ってきたスポーツバッグが気になったのかボーイが不思議そうな表情で尋ねてきた。

 

 

「そういやさ、ずっと聞こうと思ってたんだけどテンさんが持ってるそのバッグはなんだ?」

 

 

「あぁこれか?トレーナーが作ってくれたお弁当や。まぁカフェテリアで食うても大丈夫やろ」

 

 

「神藤様のですか?それはやはり、復帰のためにバランスの良い食事を取るという意味で……でしょうか?」

 

 

「せや。ボクが偏った食事を取るとは思うてへんみたいやけど。医者の人やスポーツトレーナーに聞いて作ったメニューみたいやで」

 

 

「それは随分本格的だね~。中身はどんな感じ~?」

 

 

「今開けてみるわ」

 

 

 ボクは重箱を早速開けて中を確認する。昨日貰った晩御飯と遜色ない豪華なメニューだ。思わずどれから食べようか迷いそうなほど美味しそうな品の数々である。

 ボーイ達は弁当の中身を見て感嘆の声を漏らす。

 

 

「いや~、相変わらずスッゲェな誠司さんは。朝から作ってたのかよコレ」

 

 

「そうですね。1つ1つ丁寧に作り上げておられますし、何よりテンポイント様のことを思って作っているのが見てとれます」

 

 

「いいな~。私と1つおかず交換しな~い?」

 

 

「大丈夫やで。ほんなら好きなおかず取りぃ」

 

 

「やった~」

 

 

「私もいいですか?テンポイントさん」

 

 

「ええよ。カイザーも好きなおかず取りや」

 

 

 その時ふと、朝のことを思い出す。カイザーが異様に疲れていた理由。普段からあの姿を見ていたであろうボーイ達は分かっているらしいが、ボクは初めて見たので分からない。なので、このタイミングでカイザーに聞く。

 

 

「せや、カイザー。サマードリームトロフィーに向けて練習頑張っとるみたいやけど、朝はなにがあったんや?なんちゅうか、病んだ表情しとったけど」

 

 

 ボクがそう尋ねるとカイザーは突然驚いたように身体を震わせる。そのまま何かにあきらめたような表情をしながら話始めた。

 

 

「……聞いちゃいます?それ」

 

 

「朝も思うたけどホンマに何があったんやカイザー!?」

 

 

「いえ、ハダルでサマードリームトロフィーに向けて朝練をしているのはいいんですが……その内容が、ですね」

 

 

 ボクは喉を鳴らして次の言葉を待つ。

 

 

「今日の朝はなにされましたかねぇ……。確か、滝行でしたっけ?」

 

 

「滝行は1週間前じゃなかった~?ずぶ濡れで教室来てたの覚えてるよ~」

 

 

「そうでしたね……。山の中で鬼が追い掛け回される鬼ごっこでしたっけ?勿論鬼は私1人のやつ」

 

 

「それは3日前のことかと。それに時間がないから放課後しかやらないとクライムカイザー様が以前仰っておられませんでしたか?」

 

 

「そういえばそうでした……。じゃあなんだったかな……。コートローラーで追い掛け回されるやつでしたっけ?」

 

 

「それは昨日だったろ。練習場から悲鳴が聞こえてきたからよく覚えてるぜ」

 

 

「……あぁ思い出しました!ランニングマシンに乗ってクイズをやってたんでした!間違えたらスピードがドンドン上がっていくやつです!」

 

 

「ちょい待てや!?なんやそのラインナップ!全部おかしいやろ!?」

 

 

 ボクは思わず突っ込む。何から何までおかしい練習内容だった。しかしカイザーは達観したような表情でボクに告げる。

 

 

「なんて言うんでしょうね……。私も、最初はおかしいと思っていたんです」

 

 

「いやおかしいやろ!?カイザーは間違ってへんで!?」

 

 

「でも、もう慣れちゃいました」

 

 

「アカン!カイザーが何もかも諦めたような表情しとる!?」

 

 

 ボクが入院している間に、友達が随分と遠い場所に行ってしまったような感覚になった。ボーイ達も同情しているのか沈痛な面もちで黙とうしている。それでいいのか。

 だが、次の瞬間カイザーがボソッと呟く。

 

 

「……いつか憶えてろよタケホープ……」

 

 

「は?」

 

 

「え?」

 

 

 聞き間違いじゃなければ、カイザーは今タケホープ先輩のことを呼び捨てにしていなかっただろうか?それも憎々し気に。ボクは驚きながらもカイザーに聞く。

 

 

「いや……今自分が何言うたか覚えとるか?カイザー」

 

 

「え?私何か言ってましたか?」

 

 

 カイザーは本当に知らないかのようにふるまっている。心の中の言葉を無意識に発してしまったのだろうか?ボーイ達は聞こえなかったのか不思議そうな顔をしている。

 ……気にしない方がいいだろう。きっとカイザーも疲れているんだろう。そう思うことにした。

 これ以上カイザーを刺激しないように話題を変える。これからのこと、ボクの復帰の話、ボーイのドリームトロフィーリーグの進捗、グラスの次走、クインはどうするのか。話題は尽きなかった。こうしてみんなと話すのはやっぱり楽しい。みんな笑顔を浮かべながら楽しく会話をする。

 ボクは友達との会話を楽しみながら、カフェテリアでの時間を過ごした。




面白い漫画がたくさん出るので出費がかさむ。


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第114話 再始動

日常の続き回


 カイザーの闇が垣間見えた気がしたカフェテリアでの食事が終わり、午後の授業も終わって現在放課後。ボクはすぐに帰り支度を済ませて練習に行く準備を整える。

 

 

「それじゃ、また明日なみんな!」

 

 

「おう!また明日な、テンさん!」

 

 

「じゃ~ね~。頑張ってね~テンちゃ~ん」

 

 

「応援してますよテンポイントさん!また一緒に走りましょう!」

 

 

 ボーイ達と挨拶を交わしてボクは足早に教室を出てトレーナーが待つトレーナー室へと向かう。

 駆け足気味にいつものプレハブ小屋に向かうと、すでにトレーナーが外で待っていた。ボクに気づいて、トレーナーはこちらに手を振る。

 

 

「早いなテンポイント」

 

 

「せやな。はよう復帰したいっちゅう気持ちが強くてここまで駆け足で来たわ!」

 

 

 ボクの言葉に、トレーナーは苦笑い気味に言葉を返す。

 

 

「ま、そりゃそうか。なら早速着替えて練習と行こうか」

 

 

 ボクはトレーナーの言葉に元気よく返事をして小屋の一室を改造した更衣室で着替える。着替え終わったらトレーナーと再度合流して今日のトレーニングの確認に入った。

 

 

「さて、昨日も言った通り今日から本格的に復帰に向けたトレーニングを始めていく。まずは落ちた筋力を戻すことが先決だ。これが今日のメニューな」

 

 

「ありがと。どれどれ~?」

 

 

 トレーナーから渡されたトレーニングの内容が書かれた紙をボクは確認する。

 ……紙には腕立てや腹筋などの基礎的なトレーニングから懐かしの坂路トレーニングまで色々書かれていた。その量は1つ1つは大したことはない。ボクは疑問に感じてトレーナーに質問する。

 

 

「う~ん、トレーナー。ちょい量が少なくないか?」

 

 

「そのことか。なら安心してくれ。それはあくまで仮の数字だからな。大丈夫そうだと判断したら量を増やしていく予定だ」

 

 

「そういうことか。まぁ復帰初日やし慎重に……っちゅうことやな?」

 

 

「そうだな。それと、今回はサポートメンバーもいる」

 

 

 サポートメンバー、という言葉にボクは反応する。ボクのトレーニングに付き合ってくれる子がいるのだろうか?一体誰だろうか?と思っていると、トレーナーは早速その子を呼んだ。

 ボクの目の前に現れたのは……。

 

 

「テンポイント様!退院おめでとうございます!」

 

 

「私達、テンポイント様が復帰できるこの日を一日千秋の思いで待ち望んでおりました……!」

 

 

「あぁ……!今日もお美しい……!やはり写真で見るのとは違います!」

 

 

「我々も微力ながらサポートさせていただきます!」

 

 

 キングスの友人達だった。みんなボクの姿を見て感激の涙らしきものを流している。その姿に思わずたじろぐ。

 戸惑っているボクにトレーナーがこの子達を呼んだ理由を話し始める。

 

 

「この子達はキングスとファンクラブ経由でテンポイントの情報は知っていたんだが、復帰のための練習を今日から始めるってことを知ったら自分達も是非手伝いたいと言ってくれてな。好意を無下にはできないし、何より複数人で練習した方が効率はいいしな」

 

 

「そういうことか。ボクは問題ないんやけど……キングスはどうしたんや?キングスも言いそうなもんやけど」

 

 

 ボクの疑問にトレーナーは即座に答える。

 

 

「キングスは後で合流する。もう少ししたら来るんじゃないか?」

 

 

「成程な。了解や。やったらさっそく始めよか」

 

 

「「「分かりました!テンポイント様!」」」

 

 

「……うん、よろしゅうな」

 

 

 この子達が悪い子ではないと分かっているので強くも言えない。純粋にボクを慕ってくれているのが分かるからこそ。

 気にしていても仕方がないので、ボク達は練習を始めることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 練習を初めて結構な時間が経った。キングスも途中で合流し、後輩達と一緒にトレーニングをしながら時折ボクを応援している。ボクは肩で息をしながら考える。

 

 

(ホンマ……ッ!思うたよりも体力が落ちとるわ……ッ!)

 

 

 練習量はシニア級の時よりも少ない量だ。だが、肩で息をしている自分の現状から入院生活で筋肉が落ちている上に体力も落ちていることを改めて実感する。

 だが、へこたれてもいられない。こういうのは積み重ねが大事だ。焦らずに、じっくりと元に戻していくことを心がけることが重要だと。そう思い直して決して無茶だけはしないようにする。それに、

 

 

「がんばれー!お姉!」

 

 

「頑張ってくださーい!テンポイント様ー!」

 

 

「後1セットです!踏ん張っていきましょう!」

 

 

自分を慕ってくれている後輩達の応援もあってか、不思議と力も湧いてくる。まだまだ頑張れそうだ。

 今は坂路でのトレーニングをしている。思えば、坂路のトレーニングもジュニア級の頃は嫌々やっていたことを思い出して、苦笑い気味になった。

 

 

(坂が苦手やから坂路のトレーニングって聞いただけで憂鬱になっとったなそういや。アカン、ちょい懐かしいわ)

 

 

 そこまで考えて、すぐに気を取り直して練習に集中する。先程の言葉通り後1セット。気合を入れて走った。

 最後の坂路を走り終わったところで、トレーナーからの言葉が飛んでくる。

 

 

「よーし休憩だ!しっかりと休むぞ!」

 

 

 その言葉とともにボクはトレーナーの下に集まって休憩を取る。休憩を取っているボクにトレーナーが話しかけてきた。

 

 

「……で、改めてトレーニングをしてみてどうだった?予想以上に体力が落ちていて驚いたか?」

 

 

「やな。やっぱ長い間リハビリでしか身体動かさんかったから思うた以上に体力が落ちとるわ」

 

 

「だが基礎トレの方はもう少し数を増やしても問題なさそうだな。問題なくこなせていたし」

 

 

「頼むわ。やっぱ数は少なく感じたからな。まだまだいけるで」

 

 

「分かった。明日からは回数を増やしていこう」

 

 

 ボク達は休憩を取りながらトレーニングの内容を改善していく。

 休憩を取り終わったら、すぐにトレーニングを再開する。1日でも早く復帰するためにもと気合を入れて練習に励んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日が傾きかけてきた頃、トレーナーの声が響き渡る。

 

 

「テンポイント!他のみんなも今日はここまでだ!クールダウンして上がるぞ!」

 

 

「「「はい!」」」

 

 

 その言葉でボク達はトレーニングを切り上げてクールダウンをする。ボクはキングスと後輩達に改めてお礼を言う。

 

 

「キングス、みんな。今日はホンマにありがとな。ボクのために集まってくれて」

 

 

 ボクの言葉に、キングス達は笑顔を浮かべて答える。

 

 

「気にしなくていいし!お姉のためだったらどんなことでもやるし!」

 

 

「そうです!テンポイント様のためならたとえ火の中水の中嵐の中でも!」

 

 

「ウチらで力になれるんだったらいつでも呼んでください!」

 

 

「そうです!補習中だろうと飛んでいきますよ!」

 

 

「いや、補習はちゃんと受けろ」

 

 

 最後の子にはトレーナーからのツッコミが入ったが、多分冗談だろう。その証拠にみんな声を出して笑っていた。それぐらいの心意気でいるという意志表示かもしれない。

 クールダウンが終わったキングス達はみんな寮へと帰っていった。ボクとトレーナーはトレーナー室へと戻る。今日の晩御飯のお弁当を受け取りながら、明日以降の練習内容を2人で考えていく。

 

 

「さて、今日はタイム走は行わなかったがどこに入れるのがいいと思う?俺は最初にするのがいいと思ってるんだが」

 

 

「タイム走は日によって交互にやるのがええんやないか?この日は最初に、この日は最後に見たいに。疲れとる時とそうでない時のタイムどっちも欲しいやろ」

 

 

「そうだな。まだ1本しか走らない時はそうしよう。その内本数を増やすときになったらその日の最初と最後に1本ずつ測る。これで行くか」

 

 

「やな。後は基礎トレ……腹筋や腕立てなんかの回数やな」

 

 

「休憩中も話してたやつだな。もう1セット……いや、2セットいけるか?」

 

 

「そんぐらいで問題ないで。あんま数増やしても逆効果やしな。そんぐらいが安牌やと思う」

 

 

「ならそれでいこう」

 

 

 ボク達はお互いに意見を出し合いながら次の日以降のトレーニング内容を詰めていく。

 内容の修正が終わると、ボクはトレーナーから脚のマッサージを受けていた。疲れが取れていく感覚を味わいながらボクはトレーナーと会話をする。

 

 

「せや。今日久しぶりにみんなと学園で話たで」

 

 

「どうだった?」

 

 

「みんな病院で会話しとる時とあんま変わらんけど、やっぱ病院と学園とでは全然ちゃうな。こう、日常に戻ってきたー、って感じがするわ」

 

 

 ボクは笑顔でそう言った。トレーナーも嬉しそうに答える。

 

 

「それは良かったな。他には何かあったか?」

 

 

「う~ん……ボーイがサマードリームトロフィーに向けての調整がバッチリなんと、グラスの次走がだいぶ先になる言うてたな」

 

 

「グリーングラスはやっぱり脚か?」

 

 

「やな。宝塚が終わってからまた少しずつ悪うなっとるみたいや。走る分には問題ないみたいやけど、全力は出せん言うとった」

 

 

「グリーングラスも沖野さんも歯がゆいだろうな……」

 

 

 そんな会話をしている。これも怪我する前のいつもの日常のような感じがして、心地よかった。

 そして、言うべきかどうか迷ったが話題としてカイザーのことを上げる。それはカフェテリアでのこと。

 

 

「後……カイザーの闇を垣間見た気がしたわ」

 

 

「何があったんだよクライムカイザーに?」

 

 

「なんやろうな……。ハダルでタケホープ先輩にしごかれとるらしいで」

 

 

 一応、タケホープ先輩の名前を憎々し気に、しかも呼び捨てで呟いていたことは言わないでおく。ボクの言葉にトレーナーは冷静に答える。

 

 

「まぁ、クライムカイザーもサマードリームトロフィーが近いからな。タケホープも練習に熱が入ってるんじゃないか?」

 

 

「やけど、滝行とか逆鬼ごっことかやらされとるらしいで」

 

 

「……逆鬼ごっこってなんだ?」

 

 

「鬼を鬼以外の人が追い回すらしいで。しかも山ん中」

 

 

「……大変だな、クライムカイザーも」

 

 

 トレーナーはカイザーに同情しているような声でそう言った。

 マッサージも終わり、ボクは帰り支度を済ませる。お弁当が入ったスポーツバッグを持ってトレーナー室を後にする。

 

 

「じゃあトレーナー。明日もよろしゅうな!」

 

 

「あぁ。明日も頑張るぞ!テンポイント!」

 

 

 そう挨拶を交わしてボクはトレーナー室を後にする。寮へと帰宅した。

 寮の部屋にはすでにジョージがおり、ボクが帰ってきたことが分かるとジョージはボクに飛びついてきた。

 

 

「テン坊 おかえり」

 

 

「ただいまジョージ。ジョージは今日は休みやったん?」

 

 

「そう すやぷぅ」

 

 

「寝とったんか」

 

 

 ボクの言葉にジョージは頷く。ボクは微笑ましく思いながらスポーツバッグの中からお弁当を取り出して食べ始めることにした。

 お弁当を食べていると、ジョージが物欲しげな表情でボクのお弁当を見ていた。ボクはお弁当からおかずを1つつまんで、ジョージに食べさせる。

 

 

「ホラ、ジョージ。あーん」

 

 

「あーん」

 

 

「どや?美味いか?」

 

 

「でりしゃす」

 

 

 それだけ答えて次を催促するように口を開けていた。苦笑いしながらもボクはおかずをジョージに食べさせていく。

 お弁当を食べ終わってからはいつものようにお風呂に入り、予習と復習をしながらジョージとの会話に華を咲かせる。

 消灯時間が近づいてきたのでボクは勉強を切り上げて布団の中に入った。ジョージと挨拶を交わす。

 

 

「それじゃジョージ。おやすみ」

 

 

「おやすみ テン坊」

 

 

 電気を消して眠りにつく。一日でも早く復帰できるようにと思いながら。




衣装違いタマモと衣装違いイナリ……。良きですね。ところでウマさんぽはどこですか?


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第115話 取材を受けて

復帰後の取材を受ける回


 6月も後半に入ったある雨の日のこと。ボクはトレーナーと一緒にマスコミの応対をしている。この前ファンクラブのサイトで正式に退院したということを発表したので、この機会にボクの姿をカメラに収めようと数多くの出版社がこのトレセン学園を訪れていた。隣ではトレーナーがマスコミの質問に丁寧に答えている。ボクは記者の人に質問を振られた時にだけ答えていた。

 だが、ボクの機嫌は最悪と言っても過言ではないだろう。元々記者の人達はそこまで好きじゃなかったがボクが入院した時にトレーナーが開いた記者会見でトレーナーを一方的に批判していたことを忘れてない。まるでトレーナーだけが悪いみたいな記事を書いていたこと、トレーナーがボクを無理矢理復帰させようとしていると書いた記事を出したこと、そのせいで世間の一部からトレーナーがバッシングを受けていたこと。まぁバッシングの方はファンクラブのこともあってかすぐに収まり、今ではむしろ好意的に見る人が増えてきているのは喜ばしいことだが。

 マスコミの人達がしてきたことを上げていけばキリがない。トレーナーはそれでも良い人はいると言っているもののボクにだって我慢の限界というものはある。

 

 

(この応対もホンマやったらやらん予定やった。ファンクラブでボクの復帰の写真見せるだけで終いやったのに……)

 

 

 学園の方に取材をやらせてくれとかなりの数の申し出が殺到したらしい。秋川理事長やたづなさんも最初は断っていたそうなのだが、最終的にトレーナーが折れる形でこの場が設けられることとなった。何故やるのかを聞いてみたところ、

 

 

『騒ぎが大きくならんうちに応対していた方がマシだろ?』

 

 

と返ってきた。確かに、断り続けたら騒ぎがドンドン大きくなってあることないこと書かれることになるかもしれない。ならば今のうちにボクの復帰のインタビューをした方がマシだという判断だろう。トレーナーの言葉を聞いてボクは渋々納得した。

 もうこれで何人目か分からない記者の人が、これまた何度目か分からない質問をしてくる。そしてその質問はボクに向けられたもので、必ず聞かれた質問だ。

 

 

「テンポイントさん、正直にお答えください。本当に復帰に関しては神藤トレーナーの独断ではないのですね?」

 

 

 ……もし今何をしても罪に問われないのだったら、こいつら全員蹴っ飛ばしてやりたい。だが、それをしたらトレーナーや学園の人達に迷惑がかかるからやらない。

 こめかみに青筋が浮かび上がりそうなほどの怒りの感情を抑えながらボクは冷静に答える。

 

 

「……何度も聞かれとりますけど、復帰に関してはボクとトレーナーで決めたことです。決してトレーナーの独断ではありません」

 

 

「本当ですか?言わされてるわけではなく?」

 

 

「何を勘違いしとるか知りませんけど、それ以上言うことはありません。ボクとトレーナーで話し合って復帰を決めました。それだけです」

 

 

 ボクの答えを聞いて記者の人は大人しく引き下がった。こちらは今のところ必ずされているこの質問にいい加減堪忍袋の緒が切れそうだった。隣にいるトレーナーも、ボクの怒りが伝わっているのだろう。先程から早く切り上げようと記者の質問にできる限り短く答えていた。

 この記者の質問も終わったということで退出する。次の記者誰か?そう考えていると入ってきたのはたづなさんだった。こちらを労うように声を掛けてくる。表情には申し訳ないという感情が見てとれた。

 

 

「お疲れ様です神藤さんテンポイントさん。それと、申し訳ありません。止めることができず……」

 

 

「たづなさんのせいじゃありませんよ。気にしないでください」

 

 

「そうです。悪いんはアイツらなんですから」

 

 

「もうちょっとオブラートに包もうな?テンポイント」

 

 

「知らんもん。ツーン」

 

 

「ツーンてお前」

 

 

 ボクとトレーナーのやりとりにたづなさんは少しだけ笑みを浮かべる。そしてこの後の予定を伝えてくれた。

 

 

「この後なんですが、後数社だけ取材が残っております。それが終われば取材は終わりですね」

 

 

「後もう少しってことですね」

 

 

「はい。それに最後の数社は神藤トレーナーに対して好意的な記事を書いてくれた出版社の方々ですし、あの記者会見の後も肯定するような記事を書いてくれた出版社です。テンポイントさんも安心して受け答えができるかと」

 

 

「っちゅうことは、乙名史さんも含まれとるってことでしょうか?」

 

 

「そうですね。月刊トゥインクルの記者の方も含まれております」

 

 

 たづなさんの言葉にボクは少し気持ちが軽くなる。その後のたづなさんの話によると後半に乙名史さんと同じように批判的な記事を書かなかった出版社を集中させたらしい。ありがたい限りである。

 その後10分後に再開だという旨を伝え終わった後たづなさんは部屋を出ていく。トレーナーは溜息を1つ吐いてボクに話しかけてきた。

 

 

「しっかし、同じような質問に同じような批判。さすがに飽きてきたところだったからな。ここにきて少し気持ちが楽になったよ」

 

 

「やな。ホンマ蹴っ飛ばしてやろうかと思うたわアイツら」

 

 

「やめろよ?本当にやめろよ?」

 

 

 冗談交じりにそう言うが、どうやらボクが思っているよりも声に凄みがあったらしい。トレーナーはボクに制止の言葉を投げてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこから何人かの記者の人の質問を受ける。たづなさんが言っていた通り、この人達はトレーナーにも好意的に接してくれている人達ばかりで前半の記者のような質問は全然してこなかった。何より、ちゃんとボクとトレーナーが2人で復帰を決めたということをちゃんと分かっているのか、その類の質問をしてこなかっただけでもボクとしては嬉しかった。

 最後に、月刊トゥインクルの記者である乙名史さんの質問を受けている。

 

 

「神藤トレーナー、テンポイントさん。まずは退院おめでとうございます!復帰に向けて一歩前進ですね!今のお気持ちをお聞かせ願えますか?」

 

 

「ありがとうございます。正直まだまだやるべきことがたくさんありますし、スタートラインにようやく立った、って感じですけど」

 

 

「おおきにです。トレーナーの言うた通り、ようやくスタートラインに立った感じですね。こっから頑張っていこう思うてます」

 

 

「成程成程。では、復帰レースに関してもまだ考えてはいない、と?」

 

 

「そうですね。まずは前の状態までいかに戻せるか。それだけを考えています」

 

 

「分かりました。ではテンポイントさんに質問なのですが」

 

 

「はい、何でしょう?」

 

 

「ファンクラブサイトでの記事は私も目を通しました。リハビリ中、辛い思いや不安な気持ちもあったと思います。しかし、テンポイントさんはそれらを乗り越えて今こうして復帰の道を歩み始めることができました」

 

 

「そうですね。辛かったり、不安やったことはあります」

 

 

「ズバリ!乗り越える原動力になったものをお教えいただけますか?」

 

 

「乗り越える原動力……ですか」

 

 

 ボクは少し考えて、答える。自分の頭に浮かんできた、ボクが思っていることをそのままに。

 

 

「友達や、家族の励ましもあったんですけど、やっぱり一番大きいんはトレーナーの存在ですね」

 

 

「神藤トレーナーの存在……ですか?」

 

 

「はい。トレーナーはボクの復帰したいっちゅう我儘を聞き入れてこうして一緒に歩んでくれとります。それだけやありません。入院中は1日も欠かさずお見舞いに来てくれましたし、ボクが眠るまでずっと病室におってくれました。自分の仕事やってあるのに、それでも欠かさず来てくれました」

 

 

 ボクの話を乙名史さんは黙って聞いている。ボクは続ける。

 

 

「入院して、最初ん頃は高熱でうなされる時もありました。そん時トレーナーは決まってボクの手を握ってくれたんです。安心させるように、ずっとボクの手を握ってくれました。リハビリでも、終始ボクを気遣うように動いてくれました。世間からの批判もあって自分も大変やったやろうに、ボクのために色々と動いてくれとったんです」

 

 

 乙名史さんは何かを耐えるように身体を震わせていた。ボクは少し不思議に思ったがボクはそのまま続けることにした。

 

 

「やから、今ボクがこうして復帰できるとるんはトレーナーの貢献が一番大きいと思うとります。友人達や家族の存在も勿論ありますから優劣はつけられませんけど、リハビリを乗り越えることができたんはトレーナーの存在が一番大きいと。そう思うてます」

 

 

 ボクはそう締めくくった。乙名史さんは相変わらず身体を震わせている。何かあったのかと思い声を掛けようとしたその瞬間、感情を爆発させるように乙名史さんは大声を出した。

 

 

「素晴らしいですッッッ!!」

 

 

「うわぁ!?」

 

 

 突然の大声にビックリしてしまった。トレーナーも声こそ上げなかったが驚いた表情を浮かべている。しかし、ボク達のことはお構いなしに乙名史さんは話始めた。

 

 

「神藤トレーナーがテンポイントさんを深く思っているのは存じ上げておりました……。しかしッ!テンポイントさんも神藤トレーナーを深く信頼しているのですね!?」

 

 

「は、はい。まぁそうですね」

 

 

「あぁ……!素晴らしい……!トレーナーとウマ娘が互いに互いを信頼して思い合う……ッ!神藤トレーナーは担当のためならばどんな無理難題でも不可能なことだろうと叶えてみせ、テンポイントさんもそれに応えるようにG1だろうと海外のレースだろうと勝ってきてやると!つまりはそういうことですね!?」

 

 

 一瞬圧倒されそうになったが、ボクは力強く答える。

 

 

「はい。それぐらいの覚悟を持っとりますし、トレーナーができる言うんやったらボクにはできる。そう思うてます」

 

 

「私もです。テンポイントのためであれば、嵐の中の航海だろうと出航しましょう」

 

 

 その言葉を聞いた乙名史さんは感極まったような声を上げた後、落ち着いたのか恥ずかしそうに謝罪をしてきた。

 

 

「す、すいません。つい興奮してしまい。それでは次の質問ですが……」

 

 

 その後は何個か質問される。

 全ての質問を聞き終わった後、乙名史さんはこちらに一礼した後笑顔で告げる。

 

 

「本日は本当にありがとうございました!記事ができるのを楽しみに待っててください!期待に応えられるような記事を作ると約束いたしますので!」

 

 

「はい。出来上がるのを楽しみに待ってますね」

 

 

 トレーナーがそう答えると、乙名史さんは足取り軽やかに帰っていった。入れ替わりでたづなさんが入ってきて、労いの言葉を貰った後解散となる。ボクとトレーナーは一緒にトレーナー室へと返っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トレーナー室に戻った後は、お互いに労いの言葉をかける。

 

 

「お疲れ様テンポイント。悪かったな今日は。嫌だったろうに受けてくれて本当にありがとう」

 

 

「トレーナーこそお疲れさん。ええよ。あることないこと書かれるよりはマシやからな」

 

 

 練習は今日は休みだ。今日は一日中取材の予定だったのと、連日やるのは身体に良くないということで休みにしている。なのでトレーナー室でボクはゆっくりしていた。

 不意にトレーナーがテレビをつける。

 

 

「うん?時田さんじゃないか。そういやエリモジョージの次走も近いんだっけか?」

 

 

「そういやそうやな。確か今週末やったはずやで」

 

 

 ニュースには【エリモジョージ覚醒!今後の展望は?】と銘打たれていた。……何故かジョージ本人はいないが。

 時田トレーナーがインタビュアーの質問に答えている。

 

 

《……それでは、エリモジョージさんは問題ないと?》

 

 

《はい。京都記念、鳴尾記念、そして宝塚記念。この3つに勝ったことで確信しました。エリモジョージは完全に覚醒したと》

 

 

《今までのような気まぐれさはなくなった……と?》

 

 

《そうですね。精神的にも成長し、世代の代表格であるグリーングラス相手に完勝しました。今のトゥインクルシリーズでエリモジョージに敵うウマ娘はいないでしょう。それだけの自負はあります》

 

 

 インタビューの言葉に、トレーナーは真面目な表情で告げる。

 

 

「実際問題、今のエリモジョージはヤバいからな。ドリームトロフィーの猛者相手にも勝てるだろうよ」

 

 

「やな。時田トレーナーの言葉もあながち間違いやないしな」

 

 

「ま、完全に復帰したらお前が最強だけどな?」

 

 

 トレーナーは笑みを浮かべて答える。少し苦笑いしながらもボクは答える。

 

 

「当たり前やろ。ま、復帰するまでが長いんやけどな」

 

 

「気長にいこうぜ?テンポイント」

 

 

「やな。よろしゅう頼むで、相棒」

 

 

「任せとけ、相棒」

 

 

 ボク達はお互いに笑いあって宣言する。

 その後はせっかくだからジョージのレースを見に行こうという話になって解散となった。週末、少し楽しみである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして迎えた週末、ジョージのレース本番の日。ジョージはグラスやホクト相手に格の違いを見せつけて勝利したことから圧倒的1番人気に支持されていた。雨の中の不良バ場。それでもジョージならば問題ないだろう。そう思い、レースを見ていた。

 なお、

 

 

 

 

《今2番ヤマニンゴローが1着でゴールイン!雨の中、不良バ場のレースを2番人気ヤマニンゴローが制しました!2着は1番キングラナーク!3着は7番クラウンピラード!1番人気エリモジョージはまさかまさかのしんがり負け!大惨敗です!》

 

 

《グリーングラスやホクトボーイ相手に格の違いを見せた彼女はどこにいったのか。とんでもない惨敗ですね》

 

 

《精神的に成長した!彼女に敵うウマ娘はトゥインクルシリーズにはいないとは何だったのか!彼女のトレーナーの願い叶わず!エリモジョージの気まぐれがここにきて炸裂してしまったぁぁぁぁぁ!》

 

 

 

 

ジョージはしんがり負けの大惨敗を喫した。当の本人は負けたというのに腕を頭の上で組んで口笛すら吹く始末である。

 雨が降る中、隣にいる時田トレーナーの悲痛な叫びが聞こえてきた。

 

 

「なんでだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」

 

 

「キャラ崩壊しとる……」

 

 

「あんな負けされたら誰だって発狂するだろ……」

 

 

 ボクとトレーナーは、時田トレーナーを哀れに思うことしかできなかった。




うーんまさに気まぐれジョージ


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閑話20 覚醒の予兆

サマードリームトロフィーに向けての特訓回


 梅雨が明け、日差しが強くなってきた7月。私はサマードリームトロフィーに向けてハダルのメンバーと練習に励んでいる。今は山で鬼1人が鬼以外の全員に追いかけられるタケホープ先輩考案の遊び、もとい練習をしていた。

 鬼は勿論私。というか、私以外が鬼になったところを見たことがない。タケホープ先輩は決まって私を鬼にするからだ。私のための練習とはいえ、腹立たしさを感じる。

 

 

(最初の頃は苦戦してましたが、さすがにもう慣れてきましたね)

 

 

 私を捕まえようと追いかけてくるチームメンバーを尻目に私は山の地形を利用して躱していく。捕まったら待っているのはタケホープ先輩による罰ゲームなので、できる限り捕まりたくはない。私は山を登るように逃げていった。

 そのままメンバーの手から逃げていると、気づけば山の頂上付近まで来ていた。道中は最初の時と違って、不思議なほどメンバーと出くわさなかったが、一息ついて考える。

 

 

(っと、いつの間にかここまで登ってきてましたか。時間もそろそろですし、今のうちに下って……!)

 

 

 そこで、気づく。不自然なまでにいなかったチームメンバーが今どこにいるのか。その答えに行きついた。嫌な予感が全身を駆け巡る。

 私は急いできた道を戻ろうと山を下ろうとする。だが。

 

 

「いた!カイザー!」

 

 

「捕まえたよ!」

 

 

 2人がかりで私を捕まえようとしてくる。その手から逃れるために私は一度下山するのを諦めてもう一度登ってから別ルートで下ることにした。

 

 

(けど、私の予想が合っているなら……!)

 

 

 そう考えながらも、別ルートで山を下ろうとする。その先には、先程の2人とは別のハダルのメンバーがこちらに向かってきていた。

 

 

「見つけたよカイザーちゃん!」

 

 

「神妙にお縄についてください!」

 

 

「嫌です!タケホープ先輩の罰ゲームは食らいたくないので!」

 

 

「それは私達も一緒だよ!だから捕まって!」

 

 

 このルートも使えない。というより、山を下るためのルートは全て使えないだろう。私は思わず舌打ちをする。

 山を登るように逃げていったが、それが罠だった。多分、チームのメンバーは私を捕まえるために包囲網を作っているのだろう。頂上付近ならば、ペアで行動すれば山を下るためのルートを全て潰すことができる。そのままどんどん山を登っていけば、いずれ私を捕まえることは容易になるだろう。それだけの時間はある。

 私が山を登っていくのと同時に、私の考えが合っているかのように下の方からメンバーがどんどん私を頂上へと追いやるように動いているのが感じられた。

 このままいけば私は頂上で捕まるだろう。そして、待っているのはタケホープ先輩の罰ゲームだ。あの人の楽しそうな顔が私の頭の中に浮かぶ。頭の中のタケホープ先輩が私を煽るように告げる。

 

 

(やっぱり捕まっちゃったねぇカイちゃん。慣れてきたとはいえ、一度も捕まらずに終えるってのは無理だったみたいだねぇ)

 

 

「……あぁ、もう!」

 

 

 本物のタケホープ先輩だったら絶対にそんなことは言わないと思うが、今の私にそれを考えるだけの余裕はない。この包囲網を突破するための手段を考えるのが先決だ。何より、あの人の全てを見透かしたような表情を驚きで満たしてやりたい。

 

 

(一度でもいいからあの人の鼻を明かしてやる!)

 

 

 そう決意して、必死に逃げるためのルートを考える。

 その時私に浮かんだのは、今私を頂上へと追いやるように連携している2人のメンバーだった。2人の間には少しだけだが距離がある。

 

 

(隙間がある……あそこを通り抜けられれば!)

 

 

 だが、無理だ。今から方向転換して間を抜けるように走ったところで感づかれること間違いなし。挟み撃ちされて終わりだ。得策じゃない。

 しかし、そんなことを考えているうちに私の身体はすでに動いていた。いつの間にか、切り返して2人の間を抜けるように走っていた。

 

 

(あ、れ?私いつの間に?)

 

 

 私が驚いていると、2人も虚を突かれたのか立ちすくんでいた。私がそのまま走り抜けると我に返ったように大声を上げる。

 

 

「ちょ!?いつの間にか抜かれた!?」

 

 

「み、みんなゴメン!カイザーがそのまま山を下っていっちゃった!」

 

 

 1人は驚愕の表情を浮かべて私を追いかけてくる。もう1人は携帯か何かを使って他のメンバーと連絡を取っていた。それを尻目に私は下山する。それからしばらく逃げて、私の携帯が震えた。着信が入ってきている。相手はタケホープ先輩だった。私は電話に出る。

 

 

「お疲れ様ぁカイちゃん。鬼ごっこ終了だよぉ」

 

 

 その言葉とともに、私は地面にへたり込む。疲れがどっと押し寄せてきた。

 

 

「~っはぁ。やっと、終わりましたぁ……」

 

 

「いやぁ、それにしてもぉ今回は一度も捕まらなかったねぇ。お疲れ様ぁカイちゃん」

 

 

 タケホープ先輩からお褒めの言葉を預かった。私はお礼を言う。

 

 

「ありがとうございます。まぁ、さすがに慣れてきたのもあると思いますけど」

 

 

「本当にそれだけだといいねぇ」

 

 

 タケホープ先輩は含みがあるような言い方をした。思わず私は聞き返す。

 

 

「へ?どういうことです?」

 

 

 しかし、それの答えが返ってくることはなかった。タケホープ先輩が私に告げる。

 

 

「それじゃあ、今度は学園に戻って模擬レースをするよぉ。みんなもそろそろ撤収してるだろうからぁ、カイちゃんも学園に戻ってきてねぇ」

 

 

 それだけ言って電話は切れた。私は嘆息しながら1人愚痴る。

 

 

「はぁ。教えてくれたっていいじゃないですか……」

 

 

 その愚痴は誰に聞こえるわけでもなく、私は他のメンバーと合流して学園へと戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 学園に戻ってきた私達は長めの休憩を取った後、模擬レースのための準備をする。出走するのはハダルから私含めて4名、ハダル以外から4名の計8名。芝2400mの左回り。東京レース場で行われる予定のサマードリームトロフィー想定のレースとなっている。

 私を含めた8人が位置について、開始の合図を待つ。

 

 

「……スタート!」

 

 

 その合図とともに一斉に走り出した。私はいつものように最後方につく。

 今回のメンバーはトゥインクルシリーズでも結果を残している人達やドリームトロフィーで戦っているフジノパーシア先輩等いつもよりもかなり豪華なメンバーだ。どうやってフジノパーシア先輩をこの模擬レースに誘い込んだのかが気になるところだが、ひとまずレースに集中する。

 展開としては逃げの子が1人先頭に立ってペースを握っている。それを追走するように3人、そこから離れて中団の位置に3人。フジノパーシア先輩はここにいる。そして最後方に私1人が走っている状態だ。先頭から最後方の私まで10バ身以内。なので最後方でも前の展開が良く見えた。

 先頭集団に位置している3人が牽制しながらも逃げの子にプレッシャーをかけ続けている。そのせいもあってか逃げの子も結構なペースで飛ばしていた。速めのペースを作っている。

 

 

(速めのペースなら私に有利……。模擬レースといえど負けるわけにはいきません!)

 

 

 中団と後方の私も前に続くように走る。淀みなく進んでいった。

 レースが動いたのは第4コーナーの手前。中団にいたフジノパーシア先輩がペースを上げる。

 

 

「さて、そろそろいきますかい!」

 

 

 そう呟くと一気にペースを上げ始めた。それにつられるように中団にいた子たちもペースを上げ始める。私も続くようにペースを上げた。第4コーナーを抜けて最後の直線、残り500mに入る。

 先頭集団も懸命に粘っていたが、スタミナを削られ過ぎたのか残り200を切ったところで全員追い抜かれた。先頭はフジノパーシア先輩。それに続くように中団の2人が私の前に立ちはだかっている。思わず悪態をつきそうになった。

 

 

(完全に前に抜ける道を塞がれている……ッ!間は抜けられないし、外から抜いたら絶対に間に合わない!内側からもほぼ不可能……ッ!)

 

 

 フジノパーシア先輩と一緒に中団を形成していた2人は私の取りたい進路を塞ぐように走っていた。間を抜けることはできないし、外からだとかなりの大回りを強いられる。残り200を切っているというのにそんな悠長に大回りしていたら私の脚だと絶対に勝てない。

 

 

(こんな時……グラスさんならこうなる前に外に進路を取るんでしょうね。ボーイさんやテンポイントさんなら、同じような状況になっても追いつけるだけの脚がある)

 

 

 本当に、羨ましい限りだ。嫉妬すら覚える。

 私は暗い気持ちを抱えたままチラリと内ラチの方を見る。……別に通れないことはないぐらいの隙間があった。だが、下手をすればぶつかる可能性がある。模擬レースで、そんなリスクを取る必要はあるのか?そんなことを考えたら、無理に通ろうとは思えなかった。しかし。

 私の身体は、すでに内ラチの方へと進路を取っていた。内から抜かすことを決めたように私の身体は走っている。思わず頭が真っ白になりそうになった。

 

 

(あ、あれ?また考えるよりも先に……ッ!)

 

 

 ……模擬レースの結果だけ言うと、私はフジノパーシア先輩に僅かに追いつくことができずハナ差の2着だった。

 肩で息をしながら先程のことについて考える。疑問は尽きなかった。

 

 

(どうして私は内ラチを抜けるように進路を取ったのでしょうか?しかもほぼ無意識のまま……。結果的に前にいた子が疲れで外にヨレたから接触はしませんでしたが、下手をしたら……ッ!)

 

 

 模擬レースで怪我をしていたかもしれない。そう考えると身震いがした。けれど、あの時の私は不思議とそうならないという確信を持っていたような気がするのだ。まるで、スタミナ切れで外にヨレることが分かっていたかのように。

 

 

(……そんなバカな。いくら何でも外にヨレるかなんて分かるはずがありません)

 

 

 頭の中に浮かんだ考えを一蹴する。

 休憩を取っていると、フジノパーシア先輩が私に話しかけてきた。

 

 

「やぁクライムカイザー!こうして話すのは初めてかな?あたしはフジノパーシア!よろしくね」

 

 

 そう言って握手を求めるように手を伸ばしてきた。私は慌ててその手を握って答える。

 

 

「あ、は、はい!フジノパーシア先輩!今日はありがとうございます!」

 

 

「気にしなくていいよ。あたしもいい経験になったからね。しかしまぁ……」

 

 

 そう言ってフジノパーシア先輩は私をジロジロと見てくる。何か変なところでもあるだろうか?そう思っていると、フジノパーシア先輩が続ける。

 

 

「見た目は大人しそうなのに、随分と大胆な進路を取るんだね?結果的に外にヨレたから助かったけど、下手したら接触してたよ?」

 

 

 おそらくさっきのレースのことだろう。私は頭を下げながら答える。

 

 

「は、はい!もう本当におっしゃる通りです……ッ!自分でも、どうしてあんな進路を取ったのか……ッ!」

 

 

「ん?もしかして無意識にあの進路を取ってたの?」

 

 

 フジノパーシア先輩は不思議そうな表情で私を見ていた。私は内心慌てながらも答える。

 

 

「は、はい。内ラチがちょっと空いてるなーって思ってて、気づいたらそっちに進路を取ってました」

 

 

「ふーん……」

 

 

「そ、それに!何となくですけど、前の子が外にヨレるかなーって……思ったり、思わなかったり……。あ、アハハ……」

 

 

 私は言葉尻をすぼめて締めた。きっとフジノパーシア先輩はコイツ何を言ってるんだ?と思っているかもしれない。

 だが、意外にもフジノパーシア先輩はさらに興味深そうに私を見ていた。そして呟く。

 

 

「成程ねぇ……。確かにこれは面白い子だ。タケが気に入るのも分かるよ」

 

 

「へ?どういうことです?」

 

 

「あぁそれはね……」

 

 

「さてさてぇ、カイちゃんお疲れ様ぁ。パーシアも今日はありがとねぇ」

 

 

 フジノパーシア先輩に聞こうと思ったら、会話の流れを切るようにタケホープ先輩が現れた。こちらを労うようにドリンクとタオルを渡してきた。私達はそれをお礼を言って受け取る。

 ドリンクとタオルを受け取って休憩していると、タケホープ先輩が笑顔で私に告げる。

 

 

「さてぇカイちゃん。負けちゃったわけだけどぉ……」

 

 

「ひ、ヒィ!?な、なんですか!罰ゲームでもやらされるんですか!?」

 

 

 思わず後ずさりする。タケホープ先輩は表情を崩さずに答えた。

 

 

「とりあえず今日のところはもう上がりだよぉ。朝から疲れただろうからねぇ。クールダウンをしっかりすることぉ。分かったかぁい?」

 

 

 タケホープ先輩の言葉に一瞬呆けてしまったが、慌てて返事をする。

 

 

「は、はい!そ、それでは!」

 

 

 どうやら罰ゲームはないらしい。そのことに私は安堵する。クールダウンをして身体を休める。久々に罰ゲームがない日となったことに、私の心は軽くなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 遠くでクライムカイザーが休憩を取っている姿を見ながら、タケホープとフジノパーシアは会話をしていた。

 フジノパーシアが会話を切り出す。

 

 

「それにしてもタケ。彼女は面白いね。君が気に入るのも分かるよ」

 

 

「そうだろぉう?面白い子なんだよカイちゃんはぁ」

 

 

 タケホープの言葉にフジノパーシアは笑いながら答える。

 

 

「まさか、ほとんど無意識であんなことができるなんてね。次のサマードリームトロフィー……、あたしとタケは長距離部門だけど、中距離部門は一波乱起きそうだね」

 

 

「カイちゃんはきっと台風の目になってくれるさぁ。中距離部門の本命2人……カブちゃんにも、トウショウボーイにだって勝てるかもしれないねぇ」

 

 

「アレを見た後だと、本当にそうなりそうだ。楽しみだということは間違いないね」

 

 

 2人は楽しそうに会話をしていた。




秋の天皇賞すごいレースでしたね。


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第116話 合宿再び

復帰に向けての合宿回。


 終業式も終わってトレセン学園も今日から夏休みに入った。ボクはクラスのみんなに別れを告げて急いで寮へと戻る。廊下を走るわけにはいかないので早歩きだが。急いでいる理由はただ1つ、今日から合宿が始まるからだ。

 寮に戻ったボクは鞄を置いて部屋に置いてあった旅行用のキャリーケースを持って寮を出る。今度はトレーナーが待っている練習場近くのプレハブ小屋、トレーナー室へと急いだ。

 プレハブ小屋まで走って向かうと、すでにトレーナーは準備万端とばかりに小屋の前に立っていた。走ってきたボクに気づいたのか、手を振っている。ボクは少し息を切らしてトレーナーと合流した。

 息を整えているボクに、トレーナーは少し呆れたようにボクに話しかけてきた。

 

 

「別にそんな急いで来る必要はないだろ?そんなに早く練習したかったのか?」

 

 

 ボクはトレーナーの質問に即座に答える。

 

 

「当たり前やん!早う復帰するためにも、一分一秒も無駄にできんからな!」

 

 

 ボクの答えにトレーナーは苦笑いを浮かべる。

 

 

「ま、それもそうだな。じゃあ早速向かうぞ!」

 

 

「おー!」

 

 

 トレーナーの先導の下、ボクは歩いていく。少し歩いたところに停めてあるトレーナーの車に乗って、ボクは合宿所へと向かった。

 今年の合宿所も、去年と同じ場所である。トレーナーの車に揺られるままボクはぼうっと過ごしていたが、さすがに暇になったので運転しているトレーナーに話題を振ることにした。

 

 

「トレーナー。今回の合宿のメニューどうするん?」

 

 

「合宿のメニューか?そうだな……」

 

 

 少し間をおいてからトレーナーは答える。

 

 

「大まかに変える予定はないが、今回の合宿は去年と違って少しでも早くベストな状態に戻すための合宿だ」

 

 

「朝はアレやろ?峠を自転車で超えるんやろ?」

 

 

「そうだな。さすがに最大ギアで挑むようなことはさせないが。また一から段階を刻んでいくぞ」

 

 

「了解や。今のボクでどんだけ行けるか……試すのもええかもな」

 

 

 復帰から1ヶ月程経っている。今のボクがどこまで行けるのか、どこまで戻っているのかを試すにはもってこいかもしれない。

 

 

「俺の鞄の中に合宿のメニューが書いてある紙が入っているはずだ。気になるなら確認してもいいぞ」

 

 

「りょうか~い」

 

 

 ボクは脚元に置いてあったトレーナーの鞄の中を漁る。

 

 

「どれどれ~……あったあった、これやな」

 

 

 その中から先程トレーナーが言っていた合宿用のメニューが書かれた紙を取り出す。内容に目を通した。

 

 

「ふむふむ……。去年とあんま変わらんけど、基礎的なトレーニングが多めやな。特に走りに関してはフォームチェックもあるくらいやし」

 

 

「さすがにここ1ヶ月もタイム走以外ではほぼ走ってないからな。そのタイム走も基本は3ハロンまでしか測ってないし、そろそろ本格的な復帰に向けて練習をする予定だ」

 

 

「3ハロンのタイムも徐々に右肩上がりになってきとるからな。それでもベストには程遠いんやけど」

 

 

 そう告げたボクを励ますようにトレーナーは言葉を返す。

 

 

「右肩上がりになってきているってことは、徐々に戻ってきている証拠だ。そう遠くないうちに元のタイムまで戻せるようになるさ」

 

 

「……ま、そうやな。この合宿でベストに近づける、いや、ベストのタイムまで戻したろうやないか!」

 

 

「おし!その意気だテンポイント!今年の合宿も頑張るぞ!」

 

 

「おう!目指すは年内復帰や!」

 

 

 お互いに笑いあってそう宣言した。今回の夏合宿でベストな状態まで持っていく。難しいかもしれないが、絶対にベストまで持っていってやる。そう心に誓った。

 合宿所まではまだ時間があるが、聞きたいことは聞いたので他愛もない会話を始める。まずは、今年のサマードリームトロフィーについてだ。聞くところによると、ボーイとカイザーは無事に中距離部門での本選出場が決まったらしい。その日はみんなでお祝いしたのを覚えている。

 ボクはトレーナーに尋ねた。

 

 

「せやトレーナー。ボーイもカイザーもサマードリームトロフィーの本選に出走するけど、トレーナー的に本命は誰なん?」

 

 

「俺か?そうだな……。確か今回の中距離部門はカブラヤオーが出走するんだろ?順当にいけばカブラヤオーかトウショウボーイになるんじゃないか?今回は2400mだったか……。カブラヤオーとトウショウボーイどっちも一番得意とする2000mじゃないがそれでも中距離だったらこの2人だな」

 

 

「やっぱその2人になるよなぁ。個人的にはカイザーも応援したいところやけど……」

 

 

 言って思い出す。カイザーのあの時の言葉を。普段の彼女からは想像もできないほど憎々し気に呟いたあの言葉。

 

 

『いつか憶えてろよタケホープ』

 

 

 思わず身震いした。トレーナーが途中で言葉を切ったボクに心配そうに声を掛けてくる。

 

 

「どうした?テンポイント」

 

 

「い、いや。何でもないで」

 

 

 あの時は何というか、得体のしれない恐ろしさを感じた。それを振り払うようにボクは言葉を続ける。

 

 

「せ、せや!ハイセイコー先輩も確かマイル部門で出るんやろ!?トレーナー的にはどう思うん?」

 

 

「ハイセイコーか?う~ん……。贔屓目で見るわけじゃないが、あの距離でハイセイコーに勝てる奴はそうはいない。マイル部門はハイセイコーの独壇場じゃないか?」

 

 

「先輩方ほとんど長距離か中距離いっとるもんな。マイルって他にどんな人がおったっけ?」

 

 

「確か……お前と同世代のテイタニヤが出るはずだ」

 

 

「あぁ~ダブルティアラの」

 

 

 ボクはクラシック路線、あっちはティアラ路線だったのでたまにしか話したことはないが。それなりに仲の良い方だとは思っている。

 そうして話を続けていると、いつの間にか宿泊先の施設に着いていた。トレーナーは駐車場に車を停めて降りる。ボクも降りて、後部座席から荷物を下ろした。

 旅館のチェックインを済ませ、自分の部屋へと案内される。去年と同じ部屋だ。内装も特に変わっていないため、懐かしさを覚える……が、すぐに気を取り直してジャージに着替え始めることにした。

 

 

(少しでも早う練習せんと!)

 

 

 そう思い、ボクは着替えた後はすぐに部屋を出てロビーへと向かう。ロビーではすでにトレーナーが待っていた。

 

 

「よし、じゃあ早速行くぞ」

 

 

「了解。早いとこ行こか」

 

 

 トレーナーは旅館の駐車場に停めてあった軽トラに乗る。ボクが助手席に乗ったのを確認し、トレーナーは軽トラを発進させた。ボク達の合宿が始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 前回も来た、旅館から近い位置にあるこの峠道。随分懐かしいように感じた。今ボクはスタート地点で自転車を漕ぐための準備をしている。

 準備をしているボクにトレーナーが話しかけてくる。

 

 

「今回は現時点でお前がどこまで行けるかを試す。アンクルウェイトはまだ着けない」

 

 

「ま、最初は測るためやからな。問題ないで」

 

 

「よし。じゃあ準備が終わったら言ってくれ」

 

 

 ヘルメットをしっかりと装着して、準備を整える。大きく1つ深呼吸して気持ちを落ち着ける。

 

 

「……よし、ええで。準備できたわ」

 

 

 ボクの言葉にトレーナーが頷く。

 

 

「分かった。それじゃ、よーい……スタート!」

 

 

 トレーナーの言葉とともに、ボクは自転車を漕ぎ始める。1年ぶりの坂道、今の自分がどこまで行けるのか……。いや、そうじゃない。

 

 

(軽く走破したるぐらいの気持ちで行ったらぁ!)

 

 

 そう気合を入れて自転車を漕いでいった。坂道を上っていく。

 ……まあさすがに現実はそんな甘くはなく、走破することはできなかった。ただ、アンクルウェイト無しとはいえ半分まで進むことができたのは純粋に喜ぶべきことだろう。

 息を整えているボクに、軽トラに乗ったトレーナーが話しかけてくる。

 

 

「まずは一発目ご苦労さん。ほら、ドリンクだ」

 

 

「あ、ありがと……」

 

 

 息も絶え絶えにボクはそのドリンクを受け取る。水分補給をしているとトレーナーが驚いたようにボクに話しかけてきた。

 

 

「しかし、思ったよりも進んだな。重り無しとはいえ半分も進むとは」

 

 

「自分、でも、驚い……とるわ。ここ、までこ、これる、とは……な」

 

 

 水分補給をして、息を整える。少し落ち着いてきた。そんなボクにトレーナーが提案する。

 

 

「さて、じゃあ次からはアンクルウェイトも込みでやるか?」

 

 

「……走破目的、やったら断りたいとこやけど……。頼むわ」

 

 

「分かった。ひとまず軽トラに乗ってくれ。スタート地点まで戻るぞ」

 

 

「あいあい」

 

 

 自転車を荷台に乗せて軽トラの助手席に乗る。スタート地点まで戻ってきた。

 その後は重りを装着して峠道を上っていく。目標は高く、走破を目指して自転車を必死に漕いでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、日も落ちてきたし今日はここまでだ!旅館に戻るぞ!」

 

 

「……お、おう。りょう、うっぷ、かい……や」

 

 

「自転車は俺が乗せとくから助手席で休んどけ。テンポイント」

 

 

「わ、分かった……」

 

 

 結局走破することはできなかったし、何なら前回の初日同様最初の峠すら超えることはできなかった。息も切らしながらボクは軽トラの助手席に座る。

 トレーナーの運転に揺られるまま旅館へと帰って来た。旅館の人達がボク達を温かく出迎えてくれる。大分息も整ってきた。

 トレーナーがボクに聞いてくる。

 

 

「先に飯にするか?」

 

 

「やな。先にご飯食べよか」

 

 

 ボクの言葉にトレーナーは頷く。ボクは自分の部屋に戻って料理が運ばれてくるのを待った。

 しばらく待っていると、旅館の人が部屋の扉を開けて入ってくる。

 

 

「テンポイント様。お食事をお持ちいたしました」

 

 

「おおきにです」

 

 

 旅館の人が続々と料理を部屋の中に運んできた。前回同様結構な量である。ただ、トレーナー曰く食べるのもトレーニング。残すわけにはいかない。

 

 

「いただきます!」

 

 

 ボクは料理に舌鼓を打ちながらも残さないように食べていく。結構ギリギリだったが何とか完食することができた。

 料理を食べ終わった後は温泉に入るための準備をする。道具を持って部屋を出た。

 

 

(ここの温泉極楽やったからな~。一日の疲れを癒すにはもってこいや)

 

 

 思わずスキップしそうなほどに足取り軽く、ボクは温泉へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 温泉で疲れを癒した後は、トレーナーの部屋の前に立つ。扉をノックして返事を待った。

 

 

「どうぞー」

 

 

 中から返事が聞こえたのでボクは扉を開けて中へと入る。部屋の中では、トレーナーがPCで作業をしていた。

 ボクの姿を確認したトレーナーは作業の手を止めてボクに告げる。

 

 

「んじゃ、マッサージを始めるか」

 

 

「うん。頼むで」

 

 

 ボクはうつ伏せになってリラックスする。トレーナーのマッサージが始まった。

 

 

「あ~極楽や~。一日の疲れが吹っ飛んでいく気がするで~」

 

 

「今日もお疲れさんテンポイント」

 

 

「真面目な話、トレーナーはホンマに色んな職業就けそうやな」

 

 

「資格は沢山あるからな。お前のトレーナーを辞めるつもりはないが」

 

 

「当たり前や。ちゃんとボクの隣を歩いてもらうで」

 

 

「分かってるよ」

 

 

 そんな他愛もない会話を繰り広げながらマッサージを受ける。誇張抜きに一日の疲れが飛んでいきそうな感じがした。

 マッサージも終わって、学園から出た課題をトレーナーの部屋で進めていく。トレーナーもボクもそれぞれの作業を黙々としていた。

 課題がキリのいいところで終わったので時計を確認する。

 

 

「ええ時間やな。そろそろ自分の部屋に戻るわ」

 

 

「うん?もうそんな時間か。じゃ、お休み。テンポイント」

 

 

「トレーナーも、お休み。明日もよろしゅうな」

 

 

「あぁ。明日もよろしく」

 

 

 トレーナーと挨拶を交わしてボクは部屋を後にする。自分の部屋へと戻った。

 自分の部屋でメッセージを確認し終わった後、歯を磨いて布団に潜る。電気を消して、目を瞑り寝る準備を始めた。

 

 

(明日も頑張るで!目指せ年内復帰や!)

 

 

 そう心に誓って、合宿初日は終わった。




そういえば今日ハロウィンだった(今日の午後に気づいた)。


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第117話 ひたすら前に

合宿2日目回


 合宿2日目の朝。ボクは旅館の部屋で目を覚ます。時間を確認した後身体を起こして顔を洗うために洗面台へと向かった。

 顔を洗いながらこの後の練習のことについて考える。

 

 

(朝は前回のようにヒルクライム、午後からは走り込み言うとったな)

 

 

 フォームチェックが主になるらしい。シニアの時の走りにはまだまだ程遠い。調整しながら練習すると昨日言っていた。

 顔を洗った後は朝食を取り、朝食を食べ終わった後は少し休憩を取った後着替えて旅館のロビーへと向かう。ロビーにはすでにトレーナーがいた。

 ボクとトレーナーは互いに挨拶を交わす。

 

 

「おはようテンポイント。今日も一日頑張っていくぞ!」

 

 

「おはようさんトレーナー。今日も頑張ろか!」

 

 

 そう言葉を交わして早速旅館を出発して峠へと向かった。

 スタート地点に着いたら早速自転車で走るための準備をする。ヘルメットを着けて、アンクルウェイトを着けて、サポーターをつけて準備万端だ。

 

 

「それじゃ。よーい……スタート!」

 

 

「楽に制覇したるわー!」

 

 

 ボクはそう気合を入れて峠道を上り始める。トレーナーはボクの後ろから乗ってきた軽トラで追走していた。

 風を身体に感じながらボクは自転車で飛ばしていく。合宿用にカスタマイズされた通常よりも踏む力が倍くらいは必要なペダル、重りを着けた状態で走ることで普通に自転車を漕ぐよりもさらにキツく感じている。辛い、というよりは懐かしさの方が強かった。それに、半年前のことを考えればこうやって自転車を漕いでるだけでも嬉しい。

 でも、それだけで終わるわけにはいかない。あくまでボクの目標はもう一度レースの舞台に立つこと。1日でも早く復帰するために、止まってはいられない。ボクはペダルを踏んで自転車を一生懸命漕いでいく。

 

 

「ハッ、ハッ、ハッ!……フッ!」

 

 

 小気味よいリズムを刻んで呼吸をする。まだまだ余裕だ。快調に飛ばしていく。

 だが、半分を超えた辺りで限界を迎えた。疲れが来たので足をついて休憩を取る。少し息を切らしながらもトレーナーに確認する。

 

 

「ハァ……ハァ……。トレー、ナー。いま……どの、辺、や?」

 

 

 ボクの言葉を聞いてトレーナーは現在位置を確認する。そして、嬉しそうにボクに告げた。

 

 

「半分を過ぎた辺り、ってとこだな。昨日に比べて大分進んだじゃないか」

 

 

「ま、まぁ……前回の、けい、けんも、あるから、やな」

 

 

 ボクは少し息を整えてから続ける。

 

 

「息の、入れ方、無駄なく漕ぐために最適な力の入れ方、それら諸々は身体が覚えとったみたいや。昨日は全然活かせんかったし、筋力も完全には戻ってへんからここまでしか来れんかったけど」

 

 

「2日目でここまで来れただけでも大したもんだ。これなら近いうちに最初のギアで走破はできそうだな」

 

 

「やな。早いとこ最大ギアで走破したいところやし、気張っていこか!」

 

 

 その後走破することはできなかったものの、初日よりは進んだことをボクは喜んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヒルクライムが終わった後は旅館に戻ってきて昼食の時間となる。部屋に戻って少し経つとすぐに料理が運ばれてきた。

 

 

「いただきます」

 

 

 ちゃんと手を合わせてからいただく。全部食べ終わった後の挨拶も忘れずに。

 昼食を食べ終わった後は再度トレーナーと合流して近くにあるグラウンドへと向かう。今回もここで走り込みを行うらしい。

 また怪我などしたら洒落にならないので入念にストレッチをして走るための準備をする。ストレッチが終わった後、トレーナーが練習内容の細かい説明を始める。

 

 

「さて、昨日のミーティングでも言った通りだが今日はフォームをチェックしながらハロン走……つまりは200mを走ってもらう。復帰明けから何度かチェックしているから知っていると思うが、まだまだ全盛期の走りには程遠いからな」

 

 

 トレーナーの言葉にボクは頷く。

 

 

「やな。動画で見たら分かりやすかったわ。どことなくぎこちないっちゅうか、見比べたら一目瞭然やったし」

 

 

「そうだな。だからフォームを逐一チェックしながらハロン走を行うぞ。早速始めようか」

 

 

「了解や」

 

 

 言われてボクはスタート位置に着く。まずは最初の走り。深呼吸して気持ちを落ち着けた後スタートの態勢をとって発走の瞬間を待つ。

 

 

「……スタート!」

 

 

 トレーナーの合図とともにボクは走り出す。特に意識せず、いつも通りに走り抜けた。タイムはまだまだ物足りなかったが。

 200mを走り終わった後、トレーナーが撮った映像を一緒に確認していく。そこに映っていたのは、やはりというかどことなく感じる違和感だった。

 

 

「う~ん……いつも通り走っとったはずなんやけど、やっぱなんかちゃうよなぁ」

 

 

 タイムの時点で察しはついていたが、前のフォームよりも崩れているのが分かった。トレーナーは冷静に分析した結果をボクに告げる。

 

 

「前までの走りと比べて、今のお前の走りは完歩が小さいんだ。そこに注目して見比べてみろ」

 

 

 そう言ってトレーナーは再び映像を再生する。言われた通りに、足元に注意して映像を見てみた。

 

 

「……ホンマやな。前の走りよりも歩幅が小さくなっとる」

 

 

 トレーナーの言う通り、今のボクの走りは前のボクの走りと比べて歩幅が小さくなっていた。おそらくフォームが崩れているように感じたのはこれが原因だったんだろう。

 しかし、どうして歩幅が小さくなったのだろうか?そう疑問に感じたがすぐにその理由に思い当たる。ボクが言葉に出す前に、トレーナーから告げられる。

 

 

「おそらくだが、骨折の影響だろう。無意識にだが抑えるように走っているのかもしれない」

 

 

「……こればっかりは、走って治すしかないっちゅうことか」

 

 

「そうだな。次は歩幅を意識して走ってみてくれ」

 

 

「分かった」

 

 

 会話を切り上げて、ボクはスタート位置に着く。トレーナーのスタートの合図で2回目の計測が始まった。さっきよりも歩幅を大きくするイメージで走る。

 ……意識しすぎてさっきよりもタイムが落ちてしまった。トレーナーも微妙な表情をしている。さっきのハロン走の映像をボクに見せてきた。映像に注目する。

 

 

「……ひっどいなこれ。意識しすぎてさらに変になっとるやん」

 

 

「俺が悪いってのもあるが、さすがに意識しすぎだ。もう少し楽に走ってくれ」

 

 

「分かったわ」

 

 

 この映像は使えないということでトレーナーは消去した。ボクは3回目の計測に移る。さっきよりも楽に、けれど歩幅は大きくするイメージで……!

 そこから微調整を繰り返していきながらハロン走を続けていく。だが、さすがに一日程度でどうにかなるくらいだったら苦労はしない。思わず愚痴を零しそうになる。

 

 

(……まぁ、最初っから分かっとったことや。気を取り直して頑張るか!)

 

 

 気合を入れ直し、練習に熱を入れる。

 そこから時間が経つのも忘れて練習をしていると、いつの間にか空が夕焼け色になっていた。何なら日も沈みそうである。トレーナーの声が飛ぶ。

 

 

「よし!今日はここまでにするぞ!しっかりとクールダウンをしておけ!」

 

 

「お、お~……」

 

 

 ボクは疲れを感じながらもクールダウンのストレッチへと移る。クールダウンをしているボクにトレーナーが近づいてきた。

 

 

「合宿2日目お疲れさんテンポイント。この後は旅館に帰って夕飯、お風呂の後はマッサージとミーティングだ」

 

 

「了解。お疲れ様やトレーナー」

 

 

 ストレッチが終わったらまた車に乗って旅館へと戻る。合宿2日目の練習が終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 晩御飯を食べ終わった後はお風呂に入ってトレーナーのマッサージを受ける。疲れが取れていくことを実感しながらトレーナーと会話をしていた。

 

 

「そうだ。今回のサマードリームトロフィーだが、せっかくトウショウボーイとクライムカイザーが出ることだし見に行くか?」

 

 

「う~ん、大丈夫なんか?練習もあるやろうし」

 

 

「そこについては問題はない。うまく調整して休みを入れるからな。それに無理をし過ぎるのも身体に毒だ」

 

 

「……ま、ボクもどうなるか気になっとるし、調整頼むわ。トレーナー」

 

 

「任せとけ」

 

 

 実際サマードリームトロフィーがどういう結末を迎えるのかは気になるところだったので嬉しい提案だった。

 マッサージが終わった後は課題を黙々と終わらせる。とは言っても、難しい課題があるわけでもないし、話しながらする余裕があった。なので課題をしながらトレーナーとお話をする。

 

 

「今頃キングスはどうしてるやろうなぁ」

 

 

「寮で友達と遊んでるんじゃないか?そして夏休みが終わりに近づくにつれて課題が終わってないことに焦る」

 

 

「……去年がそうやったな。今のうちに課題は早めに終わらせとけ言うとくか」

 

 

「そうした方がいいぞ。お前の言葉なら素直に聞くだろうし」

 

 

「お母様に怒られるっちゅうことを添えとかんとな。怒らせたらホンマに怖いし」

 

 

「そうなのか?いや、確かに怒らせたら怖そうだな」

 

 

「間違ってへんで?怒ったらホンマに怖いからなお母様。お父様も頭が上がらんし」

 

 

「いつの世も母親が一番強いってことか……」

 

 

「トレーナーのとこもそうなんか?」

 

 

「一度親父が本気で怒らせたことがあったらしい。詳しいことは聞いていないが、それ以来二度と逆らわないことを心に誓ったそうだぞ」

 

 

「何があったか無茶苦茶気になるんやけどソレ」

 

 

「俺もそう思って聞いたんだが、身体を震わせるだけで何も答えてくれないんだ。余程恐怖を抱いたらしい」

 

 

「何をしたのかも気になるし、何をされたのかも気になるけど迷宮入りっちゅうことか」

 

 

「いや、多分兄貴なら覚えてるから今度聞いてみるか。久しぶりに思い出したことだし」

 

 

 そんな他愛もない会話を繰り広げていた。

 話題はボーイ達のことになる。

 

 

「カイザーもタケホープ先輩にしごかれとるらしいし、ボーイも調整はバッチリらしいし、ホンマにどう転ぶんやろうな?サマードリームトロフィー」

 

 

「カブラヤオーがいるから展開は超ハイペースになることは間違いないが、それに他の子達がどこまでついていけるかだな。何も対策できなければそのままカブラヤオーの逃げ切り勝ちで終わるだろうよ」

 

 

「やけど、ボーイもほぼ全力に近いペースで有マを走り切るぐらいの体力あるしカブラヤオー先輩の逃げにもついていけるんやないか?やっぱ本命はカブラヤオー先輩とボーイになるな」

 

 

「だな。後はお前が不気味だと言っていたカイザーだな」

 

 

「ホンマにカイザーはなにがあったんやろうな……。恨みつらみでも溜まっとるんやろうか?」

 

 

「タケホープに対する恨みは溜まってるんじゃないか?練習の元凶だし」

 

 

「カイザーも無事でおるとええんやけど……」

 

 

 トレーナーはふと思い出したようにボクに尋寝てきた。

 

 

「そういえば、シービークインはどうするんだ?あまり話を聞かないが」

 

 

「ん~……確か、ドリームトロフィーリーグには進まん言うとったな。トゥインクルシリーズで走り続けるかもまだ未定やって」

 

 

「そうなのか」

 

 

「本人は元気そうにしとるし、あんま心配はしとらんけどな。ドリームトロフィーで走らん言うてもボクらで走ることはできるし」

 

 

「それもそうだな。後はカシュウチカラとか、ホクトボーイはまだまだトゥインクルシリーズで走るんだったか?」

 

 

 トレーナーの言葉にボクは思い出しながら答える。

 

 

「やな。グラス・カシュウ・ホクトはまだトゥインクルシリーズで走るみたいや。ボクも一応トゥインクルシリーズに籍を置いとるし、また戦うかもしれんな」

 

 

「だな」

 

 

 その後もトレーナーと他愛もない会話を続けながらボクは課題を進めていく。心地よい時間だった。

 ふと、トレーナーが時計を確認してボクに告げる。

 

 

「もうこんな時間か。今日はこの辺で解散しとくか」

 

 

 言われてボクは時計を確認する。トレーナーの言った通り、もう寝るにはいい時間だった。名残惜しいが、トレーナーの言葉に同意する。

 

 

「明日もよろしゅうなトレーナー。トレーナーも疲れを残さんように早う寝るんやで?」

 

 

「分かってるよ。お前に言ってるのに俺が体調を崩したら目も当てられないからな」

 

 

 トレーナーは苦笑いをしながら答える。ボクは笑みを浮かべながらトレーナーの部屋を後にした。

 自分の部屋に戻ってから歯を磨き、布団に潜って寝る準備をする。こうして、合宿2日目が終わった。




ぼっち・ざ・ろっくED変わっててテンション上がりました。


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第118話 致命傷

弱点が浮き彫りになる回


 合宿が始まってから大分時間が経った。今は8月の上旬。もう少しでサマードリームトロフィーが始まろうかという時期だった。

 ボクは自転車で峠道を走りながら1人考える。

 

 

(今んとこすこぶる順調やな。着々と前に進んどるのが実感できとる)

 

 

 自転車の一番軽いギアはすでに走破し終わった。今は3つ目のギアに入っている。その3つ目のギアも今日にでも走破が可能な段階まで来ていた。ボクは上りの厳しい峠道を快調に飛ばしていく。

 夏合宿の練習はすこぶる順調だった。

 時には走り込みで限界ギリギリまで走り込み

 

 

『ハァ……ッ、ハァ……ッ、ハァ……ッ!』

 

 

『後10周!頑張れテンポイント!』

 

 

 時には自分の身体よりもはるかに大きい特注タイヤを引き

 

 

『フンギギギッ……!おっも……ッ!やけど、こんじょおおおぉ!』

 

 

『その意気だ!そのまま引っ張り続けろ!』

 

 

 時には地道な筋トレを行い

 

 

『残り3セット!気合入れてけ!』

 

 

『フングググ……ッ!こ、こんじょおおおぉ……ッ!』

 

 

 とにかく練習、練習、練習と。練習に明け暮れていた。

 その甲斐もあってか走りはまだまだ元のようにとはいかないものの、タイムは徐々に伸びてきている上にフォームの修正も進んでいる。落ちた筋肉も、さすがに元通りとまではいかないものの徐々に戻ってきているのが実感できていた。このまま練習を重ねて行けば元の状態、いや、それ以上も可能かもしれない。入院していた時に感じていた不安は今は感じられない。思わず笑みが零れる。

 ボクはいい調子のまま峠道を駆け抜けていき、ゴールまでたどり着いた。軽く息を整えていると、トレーナーがドリンクを渡してきた。

 

 

「ホラ、テンポイント。水分補給だ」

 

 

「ありがとさん、トレーナー」

 

 

 ボクはそれを受け取って飲み始める。水分摂取しているボクにトレーナーが話しかけてきた。

 

 

「に、しても。前回とは段違いの速度で進んでいるな。すでに3つ目のギアが終わって4つ目。1週間後には最大ギアまで行ってそうで少し怖いぞ」

 

 

「あんま変わらんと思うけどな。やけどまぁ、ノウハウがあるのとないのとではやっぱ違うわ」

 

 

 そう言って、ボクは少し残念そうに続ける。

 

 

「走りの方も活かされとったら良かったんやけどなぁ。それやったら今みたいに苦労はせんかったのに」

 

 

 ボクの言葉にトレーナーは苦笑いをする。

 

 

「仕方ないさ。骨折の影響が残っているんだろう。けど、タイムは徐々に伸びてきているし筋肉だって戻ってきているのが分かるだろ?」

 

 

「やな。合宿の成果言うよりは退院してからの積み重ねもあると思うけど細さも少しはなくなったんちゃう?」

 

 

 そう言ってボクはジャージの袖を捲って確認する。……あんまり変化のない細い腕が現れた。嘆息しながらも分かっていた事実に苦笑いしながら続ける。

 

 

「ま、現実はそんなに甘くない、ってなー」

 

 

「それでも、前に進んでいる実感はあるんだろ?今はそれで十分だ」

 

 

「ま、そうやな。焦らず一歩ずつ。目標は変わらず年内復帰、やな!」

 

 

「その意気だ!」

 

 

 トレーナーは時計を確認して、ボクに告げる。

 

 

「ちょっと早いが、キリがいいし早めに旅館に戻って昼食を取ろう」

 

 

「ん。了解や。今日の午後はなにするん?」

 

 

「今日の午後は学園に戻って模擬レースだな。そろそろレース感を取り戻すための練習をしておかないとだからな」

 

 

「お!久しぶりのレースかぁ……!めっちゃ楽しみやな!」

 

 

 ボクは気分が高揚するのを感じた。退院してから2か月余り、まだ3ハロンまでしか走っていないので模擬レースといえどもレースは本当に久しぶりだ。

 しかし、トレーナーは難しい表情をしていた。その表情の理由が気になったので、ボクはトレーナーに尋ねる。

 

 

「なんか心配事でもあるんか?トレーナー」

 

 

「そう、だな。少し懸念していることがある。ただ、こればかりは走ってみないことには分からないことだ」

 

 

「ボクには言えんことか?」

 

 

「言えない、というよりは言ったら余計に意識しそうだから言えないってのが正しいな。別に隠し事をしたいわけじゃないからそこは安心してくれ」

 

 

 トレーナーの弁明にボクは笑みを浮かべつつ答える。

 

 

「ま、そういうことやったら無理には聞かんで。それに、走ったら分かることなんやろ?」

 

 

「そうだ。とにかく今回の模擬レースを走ってみないことには分からない」

 

 

 トレーナーの答えにボクは納得する。

 その後は旅館に戻って昼食を取った後、トレセン学園へと戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トレセン学園に戻ってきて、すぐに練習場へと向かう。練習場にはすでに今日一緒にレースをする予定の子達とそのトレーナー達がすでにレース場で準備をしていた。

 遅れながらもボク達も合流する。

 

 

「すまない、遅れたな」

 

 

「いや、大丈夫だ神藤。時間通りだぜ」

 

 

「今日はよろしくな」

 

 

 そう言葉を交わして、ボクもウォーミングアップを始める……前に、今日一緒に走る子達に挨拶をしに行くことにした。

 

 

「こんにちは。みんな、今日はよろしゅうな」

 

 

「は、ひゃい!よろしくお願いしますテンポイント先輩!」

 

 

「む、胸を借りるつもりでいかせてもらいますテンポイント先輩!」

 

 

「ほ、本物のテンポイント様だ……ッ!わ、私頑張ります!」

 

 

「みんな張り切りすぎて怪我だけはせんようにな。ボクも今日は胸を借りるつもりで走らせてもらうわ」

 

 

「「「はい!」」」

 

 

 どこか緊張している後輩達を微笑ましく思いながらも、ボクはストレッチを開始する。

 ストレッチをしながら今日のレースについて考える。

 

 

(芝2400mの左回り。12人立てのレース。今のボクがどこまでいけるんか、それの確認……やったな)

 

 

 気合を入れて臨まなければ。そう決意する。

 ウォーミングアップも終わったので、位置について発走の瞬間を待つ。ゲートも用意して本格的だ。ゲートに入るのも随分久しぶりのように感じられる。少しだけ、いや、結構緊張していた。

 しばらく待っていると、ゲートが開く。ボクはそれとほぼ同時に勢いよく飛び出した。久しぶりといえども、スタートダッシュは鈍っていないようだった。

 

 

(ま、それなりに練習しとったからな!)

 

 

 そう思いながらもボクはハナを取って快調に飛ばしていく。

 それからレースは淀みなく進んで第3コーナーへと差し掛かる。ボクはスタート時に抱いていた緊張もすっかり解けて飛ばしていた。今も先頭を走っている。

 

 

(はじめはどうなるかと思うてたけど、案外行けるもんやな!)

 

 

 まぁトレーナー曰く、今回の子達はまだメイクデビューを終えたばかりの子達だ。向こうの経験とボクの復帰の調整、双方の利害が一致したので今回の模擬レースが成立したらしい。

 そのまま飛ばしていき、第4コーナーへと差し掛かる。2番手の子との差は2バ身程。ここらで後ろとの差を広げるためにもスパートをかけようと考える。

 

 

(……よし!この辺でスパートや!)

 

 

 第4コーナーへと入って、スパートをかけようと思いっきり足を踏み抜く。その瞬間

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何かが折れるような音が聞こえて、思わず脚がすくむ。脳裏には、あの日の、日経新春杯の光景がフラッシュバックした。

 

 

「……ッ!?……あ、……え、……え?」

 

 

 思わず立ち止まりそうになったが、レース中だということを思い出して走りだそうとする。けど、上手く走ることができなかった。後輩達は、突然立ちすくんだボクを不思議に思いながらも次々にボクを抜かしていく。

 結局、ボクは最下位でゴールした。ゴールした後、ボクは自分の脚を確認する。

 

 

(……痛みはない。大丈夫、大丈夫や。折れてへん)

 

 

 そのことに安堵する。けれど、次に湧いたのは疑問。

 

 

(……おかしい。なんで、折れた音が聞こえたような気がしたのに無事なんや?もしかして)

 

 

 そう思い、軽く脚を上げ下げして確認する。痛みは、ない。ボクの脚は無事そのものだった。

 脚を確認しているボクに、トレーナーが近づいてくる。その表情は、何かを確信しているような、それでいてボクを心配している表情だった。

 

 

「……大丈夫か?テンポイント」

 

 

 トレーナーの言葉に、ボクは何でもないように振舞う。

 

 

「トレーナー。次、お願いできるか?」

 

 

「……分かった。次は10分後だ」

 

 

 それだけ告げて、トレーナーはゲートの準備を始める。ボクは気を取り直して次のレースに向けて備える。

 

 

(……まだ1回目や。次は、大丈夫かもしれん)

 

 

 けれど、ボクの心はそう思っていなかった。すでに、トレーナー同様確信めいた自信がある。ただ、それを認めたくなくて、心配している後輩の子達相手に気丈に振舞いながらも次のレースの準備をする。

 ……結果として、ボクはこの日第4コーナーでスパートをかける度に、正確には第4コーナーを曲がろうとする度にあの日の光景がフラッシュバックしてうまく走ることができなかった。

 肩で息をしているボクに、心配するように近づいてきたトレーナー。その表情は、今起こっていることを信じたくないかのように苦痛に歪んでいた。

 ボクは信じられない気持ちを抱きながら、絶望するように呟く。

 

 

「第4コーナーが……曲がれない……?」

 

 

 それは、レースで走るためにはあまりにも致命的過ぎるものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 模擬レースが終わって、トレーナー達が話をしている横で後輩達がボクを心配するように声を掛けてきた。

 

 

「あ、あの。大丈夫ですか?テンポイント先輩」

 

 

 ボクは不安を抱えつつも笑みを浮かべて答える。多分だが、ぎこちない笑みになったと思いながらも。

 

 

「うん、大丈夫や。今日はおおきにな。ボクの練習に付き合ってくれて」

 

 

「い、いえ!とんでもないです!お礼を言うのは私達の方で……ッ!」

 

 

「で、でも。テンポイント様今日は調子が悪かったんですか?ずっと最下位でしたし」

 

 

「き、きっと調子が悪かったんですよね!?じゃないと、私達が勝てるわけありませんもん!」

 

 

「……いや、これが正真正銘今のボクの実力や。それが浮き彫りになっただけでも、今日はええ収穫になったわ」

 

 

 後輩達はボクを哀れむような目で見ている。前とは違うボクの走りに、失望しているのかもしれない。彼女達に謝る。

 

 

「堪忍な。多分、失望させてもうたよな?こんな情けない走りを見せたんやから」

 

 

 ボクの言葉に、彼女達は声を荒げて否定する。そして、ボクを励ますように口々に声を上げた。

 

 

「そんなことありません!」

 

 

「そうです!先輩に失望するなんて……ッ!それだけは絶対にありません!」

 

 

「それに!テンポイント様は復帰明けなだけです!きっと、また元のように走れる日が来ます!私達、その日が来るのをずっと待ってますから!」

 

 

 他の子達もそうです!と声を上げている。慕われていて、嬉しい限りだ。ボクはお礼を言う。

 

 

「……うん、おおきにな。みんなもこれからのレース、頑張ってな!応援しとるで!」

 

 

 ボクは笑顔で告げた。先程のようなぎこちない笑みではなく、今度は応援するように心からの笑顔で。

 

 

「「「グハァッ!?」」」

 

 

 ……だが、彼女達は突然そう口走ったかと思うと酔ったようにおぼつかない足取りをしていた。ボクは戸惑いつつも心配するように声を掛ける。

 

 

「だ、大丈夫か!?みんな!」

 

 

 すると彼女達は息も絶え絶えにそれぞれ呟く。

 

 

「や、ヤバい……ッ!これが噂の……ッ!」

 

 

「破壊力半端ないって……ッ!しかも応援のメッセージ付き……ッ!」

 

 

「これだけで今日の一日の疲れが吹っ飛びそうだよ私は……ッ!」

 

 

「誰か!誰か録音している人はいないの!?」

 

 

「ダメ!手元に携帯も録音機もない!」

 

 

 ……思ったより大丈夫そうだった。ボクは複雑な気分になる。

 その後は彼女達に別れを告げてから旅館へと戻り、晩御飯を食べ終わった後お風呂に入ってトレーナーのマッサージを受ける。その間は、今日のレースには触れずに他愛もない会話をしていた。お互いにぎこちなかったが。

 ミーティングの時間になって、トレーナーが話を切り出す。表情は、やはり暗かった。

 

 

「……懸念していたことが現実のものとなったか」

 

 

「トレーナーが言うとった、走るまでは分からんっちゅうのはこのことやったんやな?」

 

 

「そうだ。距離は一緒でも条件が違うし、心のどこかで大丈夫だと思っている自分がいた。だが……」

 

 

 トレーナーは沈痛な面もちをして続ける。

 

 

「甘かった……ッ!すまない、テンポイント……ッ!」

 

 

 そう言ってトレーナーはボクに頭を下げた。ボクは気にしないようにトレーナーに話しかける。

 

 

「……いや、今こうして分かっただけでも収穫や。こっからまたどうするか、2人で考えようや」

 

 

「……そうだな。悔やむよりも次に進むために……克服するためにどうするか、だな。悪いな、ネガティブになっちまって」

 

 

「ええよ別に。不安になるのも分かるし。やけど」

 

 

「俺達なら大丈夫……ってな?」

 

 

「そういうことや」

 

 

 お互いに笑いながらも対策を考えていく。

 

 

「トラウマを乗り越えるのが一番の対処法なんだが……そんな簡単に克服したら今日はこんな苦労してねぇからな」

 

 

「それはそうやな。そんな簡単に乗り越えられたら苦労はせんわ」

 

 

「なら、できる限りあの時の条件から遠ざける……ってのはどうだ?いつもなら内からスパートをかけるが、それを外からかけるようにしたりするとか」

 

 

「後は……スパートのタイミングを最後の直線に絞るとかやな。とりあえず色々やってみる必要がありそうやな」

 

 

 2人であぁしようこうしようと考える。議論に熱中して、気づけば就寝の時間が近づいていた。

 

 

「……もうこんな時間か。残りは明日に回そう」

 

 

「そうやな。ひとまずは今挙げたことを1つずつ実践していこか」

 

 

「それでいこう。お休み、テンポイント」

 

 

「うん。お休み、トレーナー。それと……」

 

 

「どうした?テンポイント」

 

 

「あんま気にせんといてな。ボクはこの通り、ピンピンしとるからな!」

 

 

「……頼もしいな。分かった、俺もできる限りの対策を考えておくよ」

 

 

 お互いに笑みを浮かべて、ボクは部屋を出る。自分の部屋に戻って就寝の準備を終えた後、布団の中で考える。

 考えるのは、今日浮き彫りになったこと。第4コーナーを曲がれなくなるという、致命的過ぎる弱点。ただ、トレーナーに先程言った通り、ボクはあまり気にしていなかった。

 確かに不安ではある。でも。

 

 

(トレーナーがついとるんや。トレーナーだけやない、みんなもついとる。やから、このトラウマも克服できる!)

 

 

 そう考えながら、ボクは眠りについた。




復帰の道のりは遠く。けれど、トレーナーやみんながいるから大丈夫。


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第119話 サマードリームトロフィー

サマードリームトロフィー回


 致命的な弱点が浮き彫りになった模擬レースから時間が経って8月の中ほど。今日は合宿を休んでボクとトレーナーは東京レース場を訪れていた。ここに来た理由は1つ、サマードリームトロフィーを観戦するためだ。練習は休みとは言っても、アンクルウェイトを着けて脚に負荷をかけた状態にはしているのだが。

 ボクは東京レース場の会場前でドリンクを飲みながらトレーナーと会話をしている。

 

 

「今回は距離なんぼやったっけ?」

 

 

 ボクの言葉にトレーナーはパンフレットを見ながら答える。

 

 

「最初に長距離で2600m、次にマイルで1600、短距離1400を経て中距離2400、最後にダート1400だな」

 

 

「ボーイ達は最後から2番目っちゅうことか」

 

 

「そういうことになるな。まぁ一番盛り上がるメンバーだろうし、順当なとこじゃないか?」

 

 

 今回のサマードリームトロフィーの話をしながら会場の前で話している。会場に集まったファンの人達がボクを遠巻きに見ているような視線を感じているが、気にしないことにした。

 しばらく待っていると、こちらに手を振って近づいてくる2人組がいた。グラスと沖野トレーナーである。

 

 

「お待たせ~テンちゃ~ん、神藤さ~ん」

 

 

「悪いな誠司。ちょっと遅れちまった」

 

 

「大丈夫ですよ沖野さん。まだ始まってないでしょうし」

 

 

 トレーナーの言う通り、今の時間だとようやく最初の長距離部門のパドック紹介が始まったぐらいの時間だ。

 

 

「ここで話しとるのもなんやし、早いとこ行かんか?」

 

 

 ボクの言葉にこの場にいる全員が同意する。

 

 

「そうだな。早いとこ会場に入るか」

 

 

「いいとこでレース見ないと~。ボーイちゃんやカイザーちゃん達の勇姿をこの目でしっかりと見るぞ~」

 

 

「んじゃ、早速向かおうぜ」

 

 

 そう言って、ボク達はレースが行われる東京レース場へと足を運んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それなりに人がいたのでいい場所が取れるか少し不安だったものの、何とか見やすい場所をとることができた。ボクは安堵しながらもレースが発走するまでトレーナー達と会話をしながら時間を潰した。

 話していると、長距離部門に出走するウマ娘の入場が始まり、各々ウォーミングアップを始める。そこからゲートに入って、発走するまではすぐだった。ゲートが開いてサマードリームトロフィーの第一戦目、長距離部門が始まった。ボクは緊張しながらもレースを見守る。

 第1戦目からサマードリームトロフィーは混戦模様となっていた。レースの始まりから最後まで、先頭から後方までの距離は10バ身以内の接戦。これといった逃げウマ娘もいなかった影響か、他の子達を牽制するように動いているように感じる。それは最後の直線まで続いた。

 そんな混戦となった長距離部門を制したのは、ハダルのチームリーダーであるタケホープ先輩だった。

 

 

 

 

《……混戦となった長距離部門を制したのはタケホープだ!今回のサマードリームトロフィー長距離部門を制したのはタケホープ!2着は半バ身差で7番!3着は……》

 

 

 

 

 レースが終わったことで、ボクの緊張が解ける。1つ息を吐いて、ターフの上で観客にアピールしているタケホープ先輩を見ていた。観客の人達はタケホープ先輩に声援を送っている。

 こうしてみていると、タケホープ先輩は本当に当時不人気だったのだろうか?と疑問に思ってしまう。実力もすごいし、走りも一級品。何よりクラシック2冠に加えて天皇賞ウマ娘でもあるのだ。人気が出ないはずはない。そう思いながらボクは呟く。

 

 

「ホンマにタケホープ先輩は当時不人気やったんろうか?とてもそうは思えへんのやけど」

 

 

「そうだね~。すごい声援だもんね~」

 

 

 ボク達の言葉に、トレーナーは微妙な表情をしながら答える。

 

 

「……次のマイル部門を観戦すれば分かるさ。当時のタケホープがどうして不人気だったのか」

 

 

 沖野トレーナーも肯定するように頷いた。トレーナーの言葉と沖野トレーナーの態度に、ボクは少々疑問に思いながらも次のレースが始まるのを待った。グラスも同じ気持ちなのか、黙って見守る。

 長距離部門に出走したウマ娘達がコースを後にし、しばらく待っていると次のレース、マイル部門に出走するウマ娘達の入場が始まった。

 

 

「次はマイル部門やな。ハイセイコー先輩をしっかり応援……ッ!」

 

 

 そう意気込んでいると、突如として地鳴りが起きたかと錯覚するほどの歓声が東京レース場に響き渡った。ボクは驚いて辺りを見渡す。

 

 

「な、何や!?何があったんや!?」

 

 

「な、何々~!?どういうこと~!?何があったの~!?」

 

 

 グラスもボクと同様に驚いている。ただ、トレーナー達は驚いていなかった。困惑しているボク達にトレーナーが告げる。

 

 

「ほら、入場してきたぞ。これが当時タケホープが不人気だった理由だ」

 

 

 そう言われて、ボクはターフの上へと視線を向ける。そこに立っていたのは、ハイセイコー先輩だった。

 

 

「やぁみんな。今日もたくさんの声援ありがとう。それに報いるためにも、今日は全力で頑張らせてもらうよ」

 

 

 そう言いながら、観客席に向かって手を振る。それと同時に、黄色い歓声が湧き上がった。

 

 

「キャー!ハイセイコー!」

 

 

「今日も1着取ってくれよー!」

 

 

「頑張れー!ハイセイコー!」

 

 

「「「ハイセイコー!ハイセイコー!ハイセイコー!」」」

 

 

 とたんに湧き上がるハイセイコー先輩へのコール。とてつもない人気っぷりである。他の子達の応援の言葉が聞こえないぐらいにはすさまじい歓声だった。

 ボクは内心戸惑いながらもトレーナーに尋ねる。

 

 

「こ、これがタケホープ先輩が不人気やった理由なんか?」

 

 

 ボクの言葉に、トレーナーは頷いて答える。

 

 

「とは言っても、俺は当時のレースを見ていたわけじゃないからな。その辺は沖野さんの方が詳しいだろう」

 

 

「そういや、誠司がレースに熱中し始めたのってテンポイントを担当してからだったな。俺もこの時期はレースの世界から離れていたから詳しくはないんだが……」

 

 

「じゃあ、私が答えてあげようかねぇ」

 

 

 後ろから割って入ってくる声が聞こえた。そちらの方へと振り向くと、先程長距離部門で1着になったタケホープ先輩が合流してきた。

 ボクはタケホープ先輩に祝福の言葉を贈る。

 

 

「た、タケホープ先輩!長距離部門優勝、おめでとうございます!」

 

 

「おめでとうございま~す、タケホープせんぱ~い」

 

 

 トレーナー達も口々に祝福の言葉を贈った。その言葉を受けてタケホープ先輩は笑みを浮かべつつ答える。

 

 

「ありがとうねぇ。今回は勝つことができたよぉ。うんうん、頑張った甲斐があったってもんさぁ」

 

 

 そのままタケホープ先輩は言葉を続ける。

 

 

「それでぇ、私が不人気の理由だったねぇ。まあ、今の光景を見ていれば分かると思うけどぉ」

 

 

 タケホープ先輩は苦笑いを浮かべていた。実際、こうして会話を成立させるのも少し難しいぐらいの歓声が今も響き渡っている。

 ボクはタケホープ先輩に尋ねる。

 

 

「も、もしかして、タケホープ先輩の現役中はずっとこうやったんですか?」

 

 

 ボクの言葉に、先輩は頷きながら答える。

 

 

「そうだねぇ。勝っても負けてもハイセイコーに対するコールが響いてたくらいだからぁ、相当なものだよぉ、ハイセイコーの人気はねぇ」

 

 

「た、確かに~これは凄いかも~」

 

 

「この中でレースするウマ娘達はさぞ辛いだろうな……」

 

 

 トレーナーの言葉に、タケホープ先輩は楽しそうに答える。ただし、その笑みは何となく邪悪さが際立っていた。

 

 

「何言ってるのさぁ神藤さぁん。こういう状況でハイセイコーを負かすからこそ楽しいんじゃないかぁ。1番人気のウマ娘を蹴落として1着を取った時の観客の鎮まる様子はたまらないさぁ。いやぁ、ダービーとか菊花賞の時は快感だったねぇ」

 

 

 なおもタケホープ先輩は楽しそうに笑っている。ボクもつられて笑みを浮かべた。ただし、かなり引き攣った笑みだが。内心タケホープ先輩に対する恐怖を抱く。

 

 

(こっっっっわ!?いつもそんなこと考えとるんかこの人!?)

 

 

 グラスも引き攣ったような笑みを浮かべている。トレーナーと沖野トレーナーは何とも言えない、複雑な表情を浮かべていた。それを受けてもなお、タケホープ先輩は楽しそうに笑っている。

 少し現実から逃避するように、ターフの上へと視線を向ける。ふと、ハイセイコー先輩と目が合った。向こうと視線が交錯する。

 すると、ハイセイコー先輩は楽しそうに笑みを浮かべた後、ボクがいる方向へと向かって何かをし始める。口元に指をやって、

 

 

「……ん。サービスだよ」

 

 

投げキッスをしてきた。思わずボクは固まる。

 会場に、一瞬静寂が訪れる。観客は事態を把握したのか、大歓声が湧き起こった。

 

 

「うおおおぉぉぉぉ!ハイセイコーの投げキッスだぁぁぁぁぁ!」

 

 

「い、今私に向かってやったわ!やったわよね!?やったって言いなさい!」

 

 

「何言ってんだ!俺に決まってんだろ!」

 

 

「自意識過剰も大概にしやがれ!俺だ!」

 

 

 ボクの周囲は誰に向かって投げキッスをしたのか大混乱となっていた。投げキッス1つでここまで観客を魅了するとは……。ハイセイコー先輩の人気っぷりに驚く。

 

 

「ホンマ……すごいな、ハイセイコー先輩の人気は」

 

 

 その言葉に、グラスが苦笑いを浮かべながらボクに告げる。

 

 

「多分だけど~、テンちゃんも直にこうなると思うよ~?」

 

 

「はは、そんなわけないやろ。ないない」

 

 

 同意を求めるように、ボクはトレーナーに視線を向ける。トレーナーは、確信めいた表情でボクに告げた。

 

 

「いや、多分同じぐらいの歓声が湧き起こるぞ。断言してもいい」

 

 

「……嘘やろ?」

 

 

「嘘じゃないよぉ。テンポイントもハイセイコーみたいになると私も思うねぇ」

 

 

「……」

 

 

 無言で沖野トレーナーの方へと視線を向ける。気まずそうに視線を逸らした後、沖野トレーナーは答える。

 

 

「……スマンテンポイント。否定できる材料がなにもねぇ」

 

 

 ボクは信じられない気持ちになる。だが、ボクに同意してくれる人はいなかった。

 ちなみにサマードリームトロフィーマイル部門はハイセイコー先輩がその人気に応えるように1着を取った。テイタニヤは悔しそうに歯噛みしていた。機会を見て励ましてあげよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから程なくして短距離部門も終わり、ついに中距離部門を迎える。練習もあって少し遅れてきたクインとマイル部門を終えてこちらへときたハイセイコー先輩も合流してレースを観戦することとなった。ハイセイコー先輩は変装している。まぁ先程の人気を考えたら当然のことかもしれない。

 タケホープ先輩が呟く。

 

 

「さてさてぇ、今回最注目の中距離部門だねぇ。みんなは誰が勝つと思うかぁい?」

 

 

 クインがいの一番に答えた。

 

 

「勿論私はトウショウボーイ様を応援します!」

 

 

「まぁクインはそうやろな」

 

 

「私は~カイザーちゃんかな~?メンバー的に厳しくても~やっぱり一番に応援してあげたいから~」

 

 

「私は同じチームのよしみでトウショウボーイだね。カブラヤオーも強いが、トウショウボーイも引けを取らない」

 

 

「俺はカブラヤオーだな。あのハイペース逃げにトウショウボーイがどこまで食らいつけるか……そこが焦点になるだろう」

 

 

「俺も誠司と同意見だな。カブラヤオーの逃げは常軌を逸している。トウショウボーイがどこまでついていけるか……だな」

 

 

 それぞれ誰が勝つかを予想し、その理由を添える。そして、ボクに矛先が向いた。

 

 

「テンポイント。君はどう思う?誰が勝つと思うかい?」

 

 

 ハイセイコー先輩にそう聞かれて、ボクは考える。

 やはり有利となるのはカブラヤオー先輩だろう。先輩は日本ダービーの2400mをあの破滅ともいえるペースで逃げ切った経験がある。ボーイも得意な距離ではあるが、あの破滅逃げの展開で脚を残せるかと言われると少々疑問が残る。だからボクはカブラヤオー先輩が有利だと考えていた。

 しかし、脳裏によぎるのはやはりあの時のカイザーの様子だ。もしかしたら……それを考えて、ボクはハイセイコー先輩の言葉に答える。

 

 

「カイザー……やと思います」

 

 

 ボクの答えに、みんな驚いたような表情を浮かべていた。代表してハイセイコー先輩がボクに尋ねる。

 

 

「意外だね。君ならトウショウボーイかカブラヤオーと答えると思っていたんだが……。理由を聞いても?」

 

 

 ハイセイコー先輩の問いにボクは答える。

 

 

「なんちゅうか、最近のカイザーの様子を考えたらもしかして……と思うたんです。それに練習頑張っとったみたいですし、勝つんやないかなって」

 

 

 できる限り怪しまれないようにボクはそう答える。みんなボクの様子を不思議に思っていたみたいだが、特に質問はしてこなかった。胸をなでおろす。

 

 

 

 

《それでは!サマードリームトロフィー中距離部門の選手入場となります!まず入ってきたのは……》

 

 

 

 

 会場のアナウンスとともに本バ場入場が始まった。みんなコースの上に注目する。

 何人かの入場があった後、ボーイが入場してきた。歓声が湧き起こる。それに応えるようにボーイは観客席に向かって手を振っていた。

 

 

「みんなー!応援よろしくなー!オレがぶっちぎってやるぜー!」

 

 

 いつもと変わらない様子にボクは笑みを浮かべる。みんなそう思っているのか、ボクと同様に笑みを浮かべていた。

 それから何人かの入場があり、最後にカイザーが入場してくる。……が。

 

 

「……あぁ、この日が来ましたか」

 

 

 すごい、とてつもなくダウナーな雰囲気を漂わせていた。嫌いなものばかりが目の前にあるような、自分の目の前で限定品が売り切れてしまったような、上手く言えないがとにかくダウナーな雰囲気を漂わせているカイザーにボクは戸惑う。

 それは観客の人達も同じなのか、歓声ではなく戸惑っているようなどよめきが広がっていた。ハイセイコー先輩がタケホープ先輩に尋ねる。

 

 

「……タケホープ。君はクライムカイザーに何をしたんだ?」

 

 

 ハイセイコー先輩の問いかけに、タケホープ先輩は頬を膨らませながら反論する。心外だとばかりに。

 

 

「カイちゃんにはぁ、私が特別レッスンをつけてあげただけさぁ。それをなんだぁい?私が悪いみたいに見つめてぇ」

 

 

「いや、間違いなく原因は君だろう!?今までの彼女とは別人じゃないか!?」

 

 

 しかし、ハイセイコー先輩の言葉を受けながらもタケホープ先輩は反論していた。

 グラスやクインも戸惑っているように呟く。

 

 

「何があったのでしょうか、クライムカイザー様……」

 

 

「カイザーちゃ~ん、本当に大丈夫~?」

 

 

 その言葉に、誰も答えることができなかった。それに、レースはまもなく出走となる。

 ボク達は不安を抱えながらも、サマードリームトロフィー中距離部門のレースを見守ることになった。




長距離とマイルは流しで。中距離部門は描写する予定です。


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閑話21 皇帝少女の戸惑い

中距離部門のレース回


 東京レース場のターフの上。今私はそこに立っている。響き渡る歓声を受けながら、私はただ立ちすくんでいた。

 緊張を覚えながらも私は考える。

 

 

(あぁ……ついにこの日が来ましたか……)

 

 

 サマードリームトロフィー中距離部門。激戦区とも言われているその場所に、私は今挑戦しようとしている。

 今回の中距離部門はトゥインクルシリーズ時代に苦渋を舐めさせられ続けたボーイさんを筆頭に、チームの先輩であるカブラヤオー先輩も出走している。他の方々もすごいウマ娘達ばかりだが、この2人は特に突出しているというのが世間での評価だ。勿論、私はほとんど注目されていない。まぁ私の戦果なんてダービーのみ。それだけでも十分凄いのだが相手はクラシック2冠のカブラヤオー先輩に世代最強の1角と名高いボーイさんに比べたらあまりにも見劣りするだろう。

 ……2人のことを考えたら暗い感情が浮かんできた。強さに対する苛つき、観客の声を受けている姿への嫉妬、様々な負の感情を覚える。そこまで考えて、私は正気に戻る。

 今、私はなにを考えていた?

 

 

(いけません!仮にも友達と先輩相手になんてことを考えてるんですか!?)

 

 

 浮かんだ邪な考えを振り払うように頭を振る。だが、頭にこびりついたように離れない。ならばと、私は別のことを考えることにした。

 

 

(そうだ!これまで一生懸命頑張ってきたんです!それを思い出しましょう!)

 

 

 このサマードリームトロフィー、私は勝つためにハダルで猛特訓をしてきた。それを思い出していく。脳裏に浮かぶのはこれまでの練習の日々……。

寒さに凍えそうな冬の日に滝行をさせられて川の向こう側が見えたこと

コースを整備するためのコートローラーで走れなくなるまで追い掛け回されたこと

腹を空かせた猛獣たちがいるサファリに置き去りにされたこと

その猛獣たちに追い掛け回されて本気で死が見えたこと

地面から何百m離れているかも分からない高所でバンジージャンプをさせられて失神しかけたこと

それが原因で高所恐怖症になりかけたこと

 今となってはいい思い出だ……

 

 

「んなわけあるかぁぁぁぁぁぁ!?」

 

 

 思わず私はそう叫んでしまった。出走する他の方々や観客の人達は突然叫んだ私を見て驚いたような表情を見せている。私は恥ずかしさを隠すように1つ咳払いをする。しかし、頭の中では先程の思い出に対しての言葉しか出てこなかった。

 

 

(ろくな思い出がないじゃないですか!?しかもこの原因を作ったのほぼタケホープ先輩ですし!?)

 

 

 私は観客席でこのレースを見ているであろうタケホープ先輩のことを考える。

 ……まぁ、正直タケホープ先輩のことは嫌いではない。なんだかんだ優しいし、面倒見もいい。本当に嫌なことは絶対にやらないし、限界も分かっているのかキツい時はすぐに練習を止めてくれる。今までの練習も自信を持てない私の自信をつけさせるため、というのも少しは分かる。ただ、加減というものを覚えて欲しい。

 邪な考えを振り払うために思考を逸らしたのに、先程よりも負の感情は増したような気がする。ただ、もうすぐ発走の時間だ。仕方がないので私はゲートへと入る準備をする。16人立ての7枠14番。外枠だ。後方でレースを展開する私にとっては都合がいい。

 程なくして私の番がくる。ゲートへと入り、発走の瞬間を待った。脳裏によぎるのはレースのこと、観客のこと。色々だ。

 

 

(世間様はきっとボーイさんやカブラヤオー先輩が勝つと思ってるんだろうなぁ……。もしくは他の方々が勝つとか……。私に期待してくれている人なんていないんだろうなぁ……)

 

 

 グラスさんが応援しに来ると言っていたので、グラスさんは私を応援してくれるだろう。グラスさん抜きにしても、私を応援してくれる人が1人もいないなんてことはさすがにないだろうが。それでもほとんどはボーイさんやカブラヤオー先輩だろう。

 ……そんな状況で。

 

 

(私が勝ったらどうなるんだろうなぁ。きっと、驚いたように静まり返って……)

 

 

 その光景は、とても楽しいんだろうなぁ。そう考えて、私は正気に戻る。

 

 

(さっきから何考えてるんですか私は!?ハダルに戻ってきてからなんか考えがヤバい方向に行ってる気がするんですけど!?)

 

 

 そんなことを考えていると、目の前のゲートが開いた。ゲートを開いたことを確認した私は急いで飛び出す……が、すぐに落ち着いた。

 

 

(私はいつも通り後方でレースを展開するだけです。多少出遅れても影響はありません)

 

 

 さすがにレースに集中しよう。意識を前を走る方々に向ける。暗い感情は、発走しても消えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 中距離部門に出走するウマ娘達が全員入場して各々ウォーミングアップをしている頃。ボクはターフの上でウォーミングアップをしながらもどこか上の空なカイザーを心配していた。

 

 

「カイザー、何かあったんやろうか……」

 

 

「心配だよね~。さっきのダウナーな雰囲気もあるし~」

 

 

 グラスも同じ気持ちなのか、ボクに同意する。今も何か考え事をしているのかと思ったら急に頭を横に振りだした。何かを振り払うように。

 ハイセイコー先輩が冷静に分析している。

 

 

「フム……。クライムカイザーは、どこか集中し切れていないね。何かあったのだろうか?」

 

 

「少し心配ですね……。体調面は問題なさそうなのですが……」

 

 

 クインがそう告げると、突如としてカイザーは大声を上げた。

 

 

「んなわけあるかぁぁぁぁぁぁ!?」

 

 

「「「どゆこと!?」」」

 

 

 突如として意味不明な言葉を発したカイザーに、ボク達は戸惑うしかなかった。トレーナー達も不可解な表情を浮かべている。

 

 

「一体全体、何があったんだ?クライムカイザーに」

 

 

「分からねぇ。ある意味不気味だな……」

 

 

 そんなカイザーとは対称的に、ボーイは調子良さそうにしていた。枠番も2枠3番と、前でレースを展開するボーイには絶好の枠番だろう。カブラヤオー先輩は6枠12番の外枠。逃げの先輩にとっては少し不利な枠番だ。

 色々あったものの、出走する子達が続々とゲートに入ってまもなく発走を迎えようとしていた。

 

 

 

 

《サマードリームトロフィー第4戦目。中距離部門がまもなく発走となります!最注目はやはりトウショウボーイとカブラヤオーの対決でしょう!》

 

 

《トゥインクルシリーズでは対決が叶わなかった2人。天を駆けると称されたトウショウボーイと狂気の逃げとも呼ばれたカブラヤオー、果たしてこの2人が戦った場合どちらに軍配が上がるのか?それがこのレースで分かります》

 

 

《勿論!この2人だけではありません!トゥインクルシリーズで華々しい活躍を収めたウマ娘達が出走の瞬間を今か今かと待ちわびております!激戦区である中距離部門を制するのは一体どのウマ娘か!?サマードリームトロフィー第4戦中距離部門が今……》

 

 

 

 

 ゲートが開いた。

 

 

 

 

《スタートです!》

 

 

 

 

 激戦の火蓋が切って落とされた。

 まず最初に飛び出して先頭に立ったのは、やはりカブラヤオー先輩だった。外枠という不利を背負わされながらもいの一番に飛び出いて先頭に立つ。ボーイはその後ろについていた。

 

 

 

 

《さぁ7番と14番クライムカイザーが少し出遅れましたサマードリームトロフィー中距離部門が幕を開けます!先頭に立ったのはやはり12番のカブラヤオーだ12番カブラヤオーが外枠という不利ながらも全速力で先頭を取りにいきます。ハナを取ったのはカブラヤオー。その後ろに控えるように3番トウショウボーイが早々に2番手の位置につけました。トウショウボーイはこの位置だ》

 

 

《飛び出したのはやはりカブラヤオー。破滅逃げとも称される彼女の逃げにトウショウボーイはどう対処するのか、気になるところでありますね》

 

 

 

 

 ハイセイコー先輩がレースを見ながら呟く。

 

 

「今回の中距離部門、カブラヤオー以外の逃げウマ娘はいない。彼女の一人旅となるか、それとも誰かが待ったをかけるか……」

 

 

「カブラヤオー様の逃げに付き合えば先に倒れる……かといって対策をしなければそのまま逃げ切られる……これほど厄介な相手はおりませんね」

 

 

「言葉にしてみると、やっぱとんでもねぇなぁカブラヤオーは」

 

 

 沖野トレーナーがそう締める。ただ、ボクは別のことを考えていた。その視線の先には、最後方で控えているカイザーがいる。

 

 

(ホンマにどうしたんやろうか?カイザー……。何もなければええんやけど……)

 

 

 頭には嫌な予感がよぎっている。怪我とか、そういうことにはならなそうだが……。

 レースは第1コーナーへと入る。レースは縦長の展開を見せていた。

 

 

 

 

《各ウマ娘が第1コーナーへと入ります。先頭に立って走るのは12番カブラヤオー。今日も破滅的ともいえるペースで逃げていますカブラヤオー。そうさせているのは2番手を走るトウショウボーイが原因でしょう。3番トウショウボーイがカブラヤオーをマークするように2バ身程離れた位置をキープしております》

 

 

《カブラヤオーをそのまま逃げさせるわけにはいかないと直感しているのでしょう。スタミナ勝負へと持ち込もうと考えているのかもしれません。ここで心配となるのはトウショウボーイ自身が果たして最後まで持つのかというところでしょう》

 

 

《3番トウショウボーイから1バ身開いて内から1番と5番、外から8番が並びかけてきました。3番トウショウボーイを含めたこの4人が先頭集団を形成しております。この4人が12番カブラヤオーの逃げに付き合う形をとっております。そこから3バ身程離れて最内に2番、その外11番、後ろに控えるように4番と16番がおります。この4人が中団を形成する形。最後方は後方集団から3バ身離されてクライムカイザーがポツンと1人走っております》

 

 

 

 

 果たしてここからどうなるのか。中距離部門の戦いはまだ始まったばかりだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最初に飛び出したのは、やはりというかカブラヤオー先輩。何か叫びながら飛び出して、すぐに先頭に立った。

 

 

「ヒィィィィィ!?に、逃げなきゃ!早く逃げなきゃァァァァァ!?」

 

 

 そう叫びながら先頭に立っていた。毎度思うが、あんな逃げで良く最後まで持つものである。

 私はというと、いつもと変わらず最後方でレースを展開している。前の方を窺いながらどういったレースになるかを考えていた。

 

 

(カブラヤオー先輩が先頭に立ったのはまぁ当然として……ボーイさんがそれにピッタリとくっついていますね。それに気づいてかカブラヤオー先輩は早いペースで走っている……)

 

 

 つまるところ、今回のレースはかなりのハイペースになる。私はそう予想した。

 スタンド正面を抜けて第1コーナーへと入ろうというところ。ここまでくると集団が形成され始めてくる。先頭を走るカブラヤオー先輩。そこから少し遅れてボーイさん。私はポツンと1人最後方だ。別についていけないわけではない。少しの安心感を覚えながら私は走る。

 

 

(思ったよりも大丈夫ですね。このまま最後方で走りましょう)

 

 

 最後方から捲るためにも足をしっかりと残しておかなければならない。ここで重要となってくるのは仕掛けるタイミングだ。

 私はトップスピードが他の人に比べて特段早いわけではない。そんな私がドリームトロフィーリーグの猛者達を抜かすためには、きっとロングスパートが必要になる。タケホープ先輩も、それが分かってか私にはスタミナ中心の練習を組んでいた。後は……。

 

 

(仕掛けどころを見誤らないこと……。それが一番大事ですね)

 

 

 仕掛けどころを間違えたら、私は間違いなく負ける。そうならないためにも、ベストなタイミングを計ることに全神経を集中させる。

 ……きっとここにいる人達は、こんなに試行錯誤しなくても実力を発揮できれば勝てるような人達ばかりなのだろう。何かしらの武器を持ってトゥインクルシリーズで結果を残し続けた人達だ。そうに違いない。

 対して、私には何がある?ボーイさんのような天性のスピードもなければ、グラスさんのような類まれなるスタミナもない。テンポイントさんのように全てがバランスよく整っている上に前での勝負強さがあるわけでもなければ、カブラヤオー先輩のように破滅的ペースを逃げ切るだけの身体もない。

 ……嫌になる。本当に嫌になる。羨ましい、妬ましい。そんなドス黒い感情が私の心に渦巻く。そして、また正気に戻る。私は、レース中にも関わらず動揺する。

 

 

(また……!本当にどうしたんですか、私は!?)

 

 

 ハダルに戻ってきてからというものの、ずっとこんな調子だ。トゥインクルシリーズの時は、羨ましいとは思っても妬ましいとまでは思わなかった。本当に、私に何が起きているのだろうか?

 ……いっそ、この気持ちを解放して走ってみるか?そんなことを考えるが、さすがに思いとどまる。何となく戻れなくなるような気がして止めた。

 第1コーナーを曲がっている途中。私は前を走る後方集団から4バ身程離れた位置をキープする。彼女達の一挙手一投足に注目しながら走る。

 

 

(カブラヤオー先輩、かなり飛ばしていますね。それにつられて、後方集団までもが普段よりも早いペースで進んでいます)

 

 

 それだけボーイさんを警戒しているのかもしれない。ボーイさん自身、スタミナに不安は残るものの、テンポイントさんと2500mを競り合った。スタミナがないわけではない。そのことに苛立ちを覚えるが、私は冷静にレースを見極める。

 勝負は第2コーナーへと入った。




ライブで新しいウマ娘の発表があるか。そしてオペラオーのOVAの続報があるか。最後に未だに名前が公開されていないあの2人の名前が公表されるのか。楽しみです。


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閑話22 完全覚醒

中距離部門の続き回。


《各ウマ娘が第1コーナーを回って第2コーナーへと入っていきます。先頭を走っているのは依然として12番カブラヤオー。カブラヤオーがかなりのペースで飛ばしておりますペースを握っているのはカブラヤオーだ。その後ろ2バ身離れた位置をキープしているのは3番のトウショウボーイ。トウショウボーイがカブラヤオーをピッタリとマークしている形だ。しかしトウショウボーイ自身もかなりのハイペース》

 

 

《カブラヤオーのハイペースもおそらく後続に控えているトウショウボーイのマークがあってこそのものでしょう。トウショウボーイはカブラヤオーを楽に逃げさせないためにずっとつかず離れずの位置をキープしています。これは前を走るカブラヤオーからすればやりにくいでしょうね》

 

 

《そして2番手トウショウボーイから遅れること2バ身の位置に1番と5番、その外に8番がおります。この4人が先頭集団なのは変わらず。後方から追い上げて中団は今5人になりました。先頭集団から離されること3バ身の位置に中団を5人で形成しています。最後方は変わらずクライムカイザー。後ろで気ままな一人旅。これもまた彼女の作戦なのか?気になるところ》

 

 

 

 

 サマードリームトロフィー中距離部門。第2コーナーに入って向こう正面に抜けようというところ。先頭は大方の予想通りカブラヤオー先輩が逃げ、それをボーイが追う形だ。ボクはレースを観ている。

 クインが顎に手をやりながら呟く。

 

 

「やはり、トウショウボーイ様はカブラヤオー様にスタミナ、どちらかと言いますと根性勝負を持ちかけましたね」

 

 

「まぁ、実際カブちゃんに勝とうと思ったらそれしかないからねぇ」

 

 

「破滅的ともいえるペースの逃げ……。普通のウマ娘が同じことをすればまず間違いなく潰れてしまう狂気のラップ。それを可能にしているのは彼女の恵まれた心肺機能と走りに耐えうるだけの肉体があったから……だろうね」

 

 

 ハイセイコー先輩がそう締めた。

 実際のところ、カブラヤオー先輩に勝つとなったら根性勝負に持ち込むしかない。先輩は他のウマ娘と競り合うことを嫌うという関係上、絶対に先頭に立って逃げる。そして、そのまま自分の能力をフルに活かして最初から最後まで全力疾走。これがカブラヤオー先輩の勝ちパターンだ。破滅的ペースで逃げる先輩を追わなければいいだけの話なのだが、そうなったらカブラヤオー先輩は速度を抑える。楽なペースで逃げるだろう。逃げウマ娘を楽に逃げさせたらどうなるか。それはジョージが証明している。

 だからこそ、取られた対策はカブラヤオー先輩に競り合い続けて彼女の脚とスタミナを削ること。つまるところ根性勝負に持ち込むことである。実際、クラシックレースである皐月賞と日本ダービーではこの作戦をとるウマ娘がいたと聞いている。

 ……だが、ここで発揮されるのがハイセイコー先輩が言った強靭な心肺機能とそれに耐えうるだけの肉体だ。カブラヤオー先輩は競りかけられて皐月賞と日本ダービーを凄まじいペースで逃げていたものの、最終的に競り勝っている。しかも、レース後に故障すら起こすことなく。あまりの頑丈さにボクは少しばかりの畏怖を覚えた。

 競り合わなかったら逃げ切られる。競り合ったらほぼ確実に負ける。カブラヤオー先輩は、まさにそんなウマ娘だ。

 ただ、そんな先輩にも弱点はある。タケホープ先輩がその弱点を指摘した。

 

 

「だけどぉ、カブちゃんは左回りが苦手なんだよねぇ。それがどう響くのかぁ……気になるところではあるねぇ」

 

 

「そうなんですか~?でも~左回りのダービーを勝ってますよね~?」

 

 

 グラスの質問に、タケホープ先輩は嘆息しながら答える。

 

 

「まぁ、悪いとは思うけどぉ、あの時点でカブちゃんと競り合って勝てる子なんていなかったからねぇ。レベルが低いとは言わないけどぉ、カブちゃんだけ突き抜けた強さを持ってからねぇ。あの時点で勝てるとしたらぁ……」

 

 

「それこそ、ガビーくらいのものだろうね。もっとも、ガビーはティアラ路線だったからクラシックレースには出走していないけど」

 

 

「だねぇ。共同通信杯もあわやだったからねぇカブちゃんはぁ。それにカブちゃんはぁ、トウショウボーイやテスコガビーみたいに突き抜けた速さを持っているわけじゃないからねぇ。前回のドリームトロフィーもぉ、ハイセイコーに最後抜かされたからねぇ」

 

 

「そんなこともあったね。あんまり思い出したくないレースだけど……」

 

 

「何があったんです?」

 

 

 ボクは気になってハイセイコー先輩に尋ねた。ハイセイコー先輩は答えてくれる。

 

 

「私もトウショウボーイと同じ作戦を取った。カブラヤオーのすぐ後ろに控えて最後の直線で抜く作戦……。だが、彼女のペースは本当に驚異の一言だね。何とか最後にクビ差で勝つことはできたけど、レース後は観客に対してパフォーマンスをする余裕もなかったぐらい息も絶え絶えだったさ」

 

 

 ハイセイコー先輩の言葉に、タケホープ先輩がからかうように告げる。

 

 

「まぁ、元々ハイセイコーはスタミナがあるわけじゃないからねぇ。2000mとはいえど、良くカブちゃんに勝ったもんだよぉ本当にぃ」

 

 

「当たり前だ。私にも意地がある」

 

 

「そうだねぇ。現役時代、散々私に苦渋舐めさせられたものねぇ?私の後輩であるカブちゃんには負けられないよねぇ?」

 

 

「うるさいよ!というか、結果的に私が勝ち越してるだろ!」

 

 

「とったG1の数はぁ、私の圧勝だけどねぇ?」

 

 

「喧嘩売ってるんだな?いいだろう、その喧嘩買ってやろうじゃないか!」

 

 

「お、落ち着いてくださいハイセイコー先輩!?こんなとこで喧嘩せんでもええやないですか!?」

 

 

 ボクがハイセイコー先輩を宥め、クインとグラスがタケホープ先輩を止める。焦ってはいたが、ハイセイコー先輩の意外な一面を見れてちょっと得した気分になった。

 気分が落ち着いたのか、ハイセイコー先輩は落ち着いた口調でボク達に告げる。

 

 

「まぁ、カブラヤオーは確かに強いかもしれないが勝てないなんてことはない。無尽蔵に思えるスタミナも必ず底があるし、勝算は十分にあるさ」

 

 

「そのことはぁ、前回のドリームトロフィーの中距離でハイセイコーが勝ったことが何よりの証明だねぇ。カブちゃんは無敵じゃない、必ず付け入る隙はあるさぁ」

 

 

「そういうことさ。さぁ、レースの続きを見ようじゃないか」

 

 

 そう言われて、ボク達はレースを観る。状況は1000mを通過したところだった。

 

 

 

 

《さぁ最初の1000mを通過しました!タイムは何と58秒1!日本ダービーよりも早いペースで駆け抜けております先頭12番カブラヤオー!これに付き合うのはトウショウボーイだ!後ろで控えるのを止め、1バ身に差を詰めております3番トウショウボーイ!トウショウボーイがカブラヤオーと競り合う形を取る!》

 

 

《やはり逃げさせないためにも差を詰めてきましたね。これがどう転ぶのか気になるところ》

 

 

《やはりハイペースの展開となりましたサマードリームトロフィー中距離部門!ここから一体どういった展開を見せるのか非常に気になるところ!手に汗握る戦いになること間違いなしでしょう!》

 

 

 

 

 多分だが、観客の人達は先頭を走るカブラヤオー先輩とボーイに注目しているだろう。そんな中でボクは、依然として最後方で走るカイザーのことが気になって仕方なかった。見た感じ、どこか集中し切れていない彼女が心配になる。

 

 

「……大丈夫なんか?カイザー」

 

 

 思わずそう呟いてしまった。レースは進んでいく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第2コーナーを抜けて向こう正面へと入る。オレは今2番手の位置でカブラヤオー先輩に競りかけてきた。向こうはオレが隣に来ないように必死に逃げている。

 

 

「こここ、こないでェェェェェェ!どっかいってよォォォォォ!」

 

 

「無理ですね!オレだって勝つ気で走ってますんで!」

 

 

「ヒィィィィィ!?」

 

 

 とは言ったものの、オレは初めて体感するカブラヤオー先輩の破滅逃げに内心舌を巻いていた。一応、ハイセイコー先輩から気をつけろとは言われていたものの、実際に体感するとそのヤバさが分かる。

 

 

(なんつーペースで逃げてるんだよ!テンさんの逃げとも、他の逃げとも違う!これで最後まで持つんだから本当にやべぇよ!)

 

 

 ただ、ついていくことはできる。果たして最後まで脚が持つかは分からないが、絶対に持たせてやる。そう意気込んで走っている。

 そんな時ふと、カイザーのことが頭に浮かんだ。なんというか、レースが始まる前からどことなく上の空というか、集中し切れていない感が凄かったが大丈夫だったろうか?そう考えるが、レース中に他人の心配をする暇はないだろう。すぐに思考を切り替えてカブラヤオー先輩を見つめる。

 すでに向こう正面の半分は過ぎて、残り1000mを示すハロン棒が見えてきた。オレはより一層気合を入れる。

 

 

(記念すべきドリームトロフィーリーグ移籍後初のサマードリームトロフィー!負けるわけにはいかないぜ!)

 

 

 カブラヤオー先輩は特にバテた様子を見せていない。だが、このペースを維持すれば最後の直線に入る頃には必ずバテる。オレはそう確信していた。何故なら、先輩の日本ダービーがそうだったから。あれから多少スタミナがついたと言えど、日本ダービー以上のハイペースだ。必ず最後の直線で力尽きはずだ。そしたら、オレが直線で抜いて1着を取る。そう考えた。

 後続のことが頭によぎるが、特に心配はないだろう。後続もオレたちのハイペースにあてられてか、かなりのペースで飛ばしている。こちらも、最後の直線に入る頃にはバテている可能性が高い。

 

 

(まぁ、オレもバテてる可能性の方が高いけどな……ッ!それでも、絶対に負けらんねぇ!)

 

 

 根性勝負になったら勝てる。それだけの自信はある。オレはそう考えながら第3コーナーを曲がっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 向こう正面に入って、私はいまだに最後方に控えている。前との差はさらに開いて5バ身程。私は最後方で一人旅をしていた。

 別に追いつけないとかそういうわけではない。むしろ、レースに関係ないことを考えているのに追いつけるだけの余裕がある。

 私は頭の中にこびりついている嫌な考えを必死で振り払おうとする。レースの最初から頭から離れない、他の方々に対する嫉妬の感情。自分の目で前を走る方々を見る度にその感情は強くなっていた。

 羨ましい、妬ましい、うらやましい、ねたましい……そんな考えばかりが浮かんでくる自分の頭を怒鳴りつけながら閉じ込める。まあ、結局無意味に終わってるからこそいまだにこんな気持ちのまま走っているのだが。

 

 

(本ッ当に……!なんでこんな気持ちになりながら走らなきゃいけないんですか!?)

 

 

 過去最悪の気分だ。本当に、勘弁してほしい。一体全体自分に何が起こっているのか?そんな考えも浮かんでくる。

 ……前を走る子達に対する嫉妬の感情が増えてくるのと同時、今度は憎悪が湧いてくる。主に、無茶な特訓を課してきたタケホープ先輩に対する。

 

 

(あいつは私のため~とかいつも言ってますけど……ッ!絶対楽しいからって感情も入ってるでしょう!?あいつはそういう人だから!)

 

 

 というか、トレーナーもトレーナーだ。タケホープ先輩の暴挙をほとんど止めることはない。微笑ましいものを見る目でしごかれている様を見るだけだ。あの表情が頭に浮かんできて、さらに怒りが湧いてくる。

 

 

(何が……ッ!青春だね~、だ!目ん玉ついてるんですか!?のほほんと静観しやがって……ッ!)

 

 

 私の頭の中に、どんどんと負の感情が湧き上がってくる。才能に対する嫉妬、先輩に対する憎悪、トレーナーに対する憤怒、どんどんと湧いてきた。

 その矛先は、前を走る奴らに対しても向けられる。キラキラしていて、眩しく見えた。その眩しく見える姿に、私は憎悪を募らせる。

 

 

(羨ましいですねぇ……。私も、そんなキラキラした気持ちで走りたいですねぇ……)

 

 

 もっとも、無理な話だが。何故なら、その姿を見るだけでどんどん負の感情が湧いてくるのだから。その気持ちを閉じ込めようとして、気づく。

 ……というか、なんで私は我慢しているんだ?別に、我慢する必要なくないか?この気持ちを解放して、楽になった方が良くないか?というか、その方が走れるんじゃないか?

 

 

(あぁ、もう……どうでもいい。そもそも、こんな状態で走ったところで勝てない……。だったら……)

 

 

 勝つためには、こいつら全員ぶち抜いて勝つためには、この気持ちを解放して走った方がいいんじゃないか?

 そうだ。勝つためにはこれこそが最良だ。何故他者を慮る必要がある?私が無事に勝てば、ルールを侵さなければそれでいい。前を走る奴らも、この走りをした後にごちゃごちゃ抜かしてくる世間様も、何も考える必要はない。

 そこからの私の行動は早かった。向こう正面の半分を過ぎた辺りで、私はペースを上げる。内を走ることを意識して走った。勿論、前には私よりも前を走る奴らがいる。私はその後ろにつけた。

 だが、今はここで良い。勝負は第3コーナーを過ぎてからだ。今はあくまで差を詰めるだけ。第3コーナーを過ぎたら……。

 

 

(進軍を始めますか……ッ!)

 

 

 全ては勝利のために。私はそう考えながら向こう正面を走っていく。

 そして迎えた第3コーナー。私は予想していた展開を迎える。

 

 

(そりゃそうですよねぇ!先頭の2人にあてられてハイペースで走ってるんですから、想像以上に脚に来てますよねぇ!)

 

 

 前を走る奴らのペースが下がってきた。そして、私は一瞬の隙も見逃さないように意識を極限まで集中させる。

 前を走る奴が外にヨレる。ほんのわずかにヨレた。だが、私はその隙を見逃さない。前の奴が外にヨレるのと同時、私はそこに進路を取った。

 

 

「へ!?い、いつの間に!?」

 

 

 そんな声が聞こえたが、どうでもいい。所詮雑音だ。気にする必要はない。私はペースを上げて前へ前へと進む。

 一歩間違えれば斜行をとられかねない進路だ。そんなことは重々承知している。だが、問題はない。私ならできる。いや、

 

 

(私なら、できて当然だ)

 

 

恐れずに、ただ最短のルートを通って私はどんどん順位を上げていく。

 第3コーナーを過ぎようとしていた。




おや?クライムカイザーの様子が……?
メジロラモーヌ……だと!?


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閑話23 皇帝少女の復活

中距離部門決着回


《先頭のウマ娘が第3コーナーを抜けて第4コーナーへと入ります!先頭を走るのは依然として12番カブラヤオー!しかしさすがに苦しくなってきたのか序盤に刻み続けたハイペースなラップタイムは鳴りを潜めています!序盤よりもペースは落ちているぞ!先頭カブラヤオー!》

 

 

《しかしそれは後続も同じでしょう。2番手に控えているトウショウボーイと3番手との差が徐々に縮まりつつあります。これは最後の直線は混戦模様となるかもしれません》

 

 

《トウショウボーイのすぐ後ろ道中は3バ身程開いていた差を徐々に縮めようとしてきております!3番手には後方集団から上がってきた7番!その内をついて11番!外には13番が上がって来たぞ!1番と8番はすでに力尽きたか後退していっている!後続に控えていたウマ娘達が続々と前へと上がってきております!レースはまたも混戦模様!中距離部門を勝つのは一体どのウマ娘か!?最後まで目が離せません!》

 

 

 

 

 先頭を走るカブラヤオー先輩はすでに第4コーナーへと入った。ボクはこの後の展開を固唾を緊張しながら見守っている。きっとみんなも同じ気持ちかもしれない。

 展開としては、依然として前を走るカブラヤオー先輩が外に、内にボーイが控えている形だ。ただ、後続との差はほとんどなくなりつつある。さすがにここで追いついておかないと最後の直線で追い抜けないと判断したのだろう。最後の直線に向けて全員がペースを上げていた。

 グラスが呟く。

 

 

「やっぱ~この展開だと後ろの方が有利なんだけど~、あの2人相手だとそうは思えないのが不思議だよね~」

 

 

「そうだね。通常であれば後ろの方が有利なこの展開。だが、カブラヤオーはここからが強いし、トウショウボーイはここからでも強い」

 

 

「勝負は最後の直線……というわけですね」

 

 

「そうだねぇ。特に東京レース場2400mは長いからぁ、総合力の高さが試されるねぇ」

 

 

 そんな会話を聞きながら、ボクは後ろを走っているはずのカイザーの様子が気にしなってそちらへと意識を向ける。多分だが、まだ最後方を走っていると思ったボクは集団から抜けた最後方を見る。

 

 

「……?あれ?おらんな」

 

 

 だが、最後方にカイザーの姿はなかった。いつの間にか最後方から抜け出していたらしい。一体どのタイミングで抜け出したのか気になるが、カイザーの姿を補足するために後ろから順に確認していく。

 すぐに発見した。カイザーは現在丁度中団。先頭を走る2人からはまだ大分離れた位置だが、ひとまずホッとする。だが、その気持ちもすぐに驚きへと変わった。

 驚いた理由。それはカイザーの走りにある。走る前や序盤に感じられたどこか集中し切れていない走りはすでになく、むしろ怖いぐらいに集中している姿が確認できた。それだけじゃない。思わず声に出してしまう。

 

 

「なんや……!あの無茶苦茶な進路……!?」

 

 

 カイザーは何と、前を走るウマ娘達の間を抜けるように走っているのだ。それ自体は普通のことなのだが、カイザーのそれはかなり異質だ。なんせ、ウマ娘1人がやっと通れそうな隙間を寸分の狂いもなく抜けて前へと上がってきている。

 一歩間違えれば走行妨害を取られかねない進路。だが、まるでカイザーは前を走る子達がどちらに移動するのかが分かっているかのように、一切の迷いもなく進路を取っている。不安な気持ちは一切感じさせない、確固たる自信を持ってその進路を選択しているかのように。

 普段の彼女からは想像もできなかった走りに驚いていると、ボクと同じくカイザーを見ていたらしいタケホープ先輩が笑い声をあげる。

 

 

「くっくっく……はーっはっはっは!そうだ!それでいい!ようやく一皮剥けたじゃあないかクライムカイザー!」

 

 

「ビックリした!?いきなりどうしたんだタケホープ?」

 

 

 急に笑い声をあげたタケホープ先輩に驚いたトレーナーが尋ねる。しかし、その言葉が聞こえていないかのようにタケホープ先輩は楽しそうに告げる。

 

 

「そうだ!それでいい!それこそが!お前の、お前だけに可能な、お前だけの武器だ!」

 

 

「ど、どうしちゃったんですか~?タケホープせんぱ~い?」

 

 

「ふ、普段のタケホープ様とは別人のようになっておりますね……」

 

 

 グラスとクインの疑問に、ハイセイコー先輩が複雑な表情を浮かべて答える。

 

 

「タケホープは嬉しいこととか、楽しいこととかがあるとこうなるんだよ。君たちは初めて見たかもしれないがね」

 

 

「普段のんびりとしたタケホープからは想像もつかねぇな……」

 

 

 沖野トレーナーがそう呟く。

 

 

「最初見たら驚くだろうね。180°変わるし」

 

 

 そう言いながら、ハイセイコー先輩もカイザーの方を見ている。そして、見たままの感想を呟いた。

 

 

「しかしまぁ、無茶苦茶な進路だ。下手をすれば走行妨害を……」

 

 

「取られないさぁ。今更、そんなヘマをするような鍛え方はしてない」

 

 

 ハイセイコー先輩の言葉を切って、タケホープ先輩が答える。その言葉は自身に満ち溢れていた。確信しているように。その言葉にハイセイコー先輩は眉をひそめる。

 

 

「なぜそう言えるんだい?あんな無茶苦茶な進路……未来でも分かってない限り」

 

 

「分かるさ。今のクライムカイザーならね」

 

 

 タケホープ先輩の言葉に、今度はみんなが驚く。驚いているボク達を尻目に、タケホープ先輩は続けた。

 

 

「見てれば分かるさぁ。今のカイちゃんの強さがねぇ」

 

 

 言われて、ボクはカイザーを観続けることにした。勝負は第4コーナーを抜けて最後の直線へと入ろうとしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カブラヤオー先輩を追い続けて、すでに第4コーナーまで来ていた。オレは悪態をつきそうになりながらもなんとか食らいついている。

 

 

(やっべぇ……!有マよりはマシだけど、それでもかなりキツい!)

 

 

 元々自分はスタミナがある方じゃない。テンさんと競り合い続けた有マ記念だってほとんど気力で走っていたようなものだ。

 一応スタミナと脚はまだあるとはいえ、万全な状態には程遠いだろう。カブラヤオー先輩の破滅逃げに最初から付き合い続けたのだ、当然の結果かもしれない。

 だが、万全な状態じゃないのはカブラヤオー先輩も同じだ。現に、ペースは徐々に落ち始めてきている。辛そうな声も聞こえてきた。

 

 

「ヒィ……ッ!ヒィ……ッ!に、逃げなきゃ、逃げなきゃぁぁぁぁぁ……ッ!」

 

 

 ただ油断はできない。カブラヤオー先輩が強いのはここからだ。

 後ろからも、辛そうな声が聞こえてきている。オレたちのペースに合わせるように通常よりも早いペースで走っていたからだろう。

 多分、最後の直線の勝負は泥沼化するだろう。全員のスタミナが尽きかけ、足もほとんど残っていない状態。その混戦を制するのに必要なのは……!

 

 

(精神力だ……!残りの距離、持ってくれよ、オレの身体!)

 

 

 第4コーナーを抜けて最後の直線に入った。距離は確か、500mちょいあったはず。加えて、上り坂もあったはずだ。勝負を仕掛けるならそこ。そこで先頭に立って、後続を突き放しにかかる。オレはそう作戦を立てた。

 最後に勝つのは自分だ。そう思いながら気合を入れなおす。残り400を示すハロン棒を確認しつつ、オレは坂を駆け上っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1200m地点から閉じ込めていた気持ちを完全に解放し、進軍を始めた。そして、第3コーナーから私は前にいる奴らを抜きにかかる。

 1人、1人、また1人と、抜いていく。その度に、奴らは驚いたような声を上げていたが、まぁどうでもいいことだ。私は気にしないでひたすら前を目指して走り続ける。

 そもそも、どうしてこんなに簡単に抜かすことができるのか?答えは簡単だ。

 

 

(普段とは違うペースで走らされてますもんねぇ?いつもより早いペースで走ってるんですから、スタミナにも、脚にも当然キます。そして、少しだけ息を抜くタイミングを入れる……。それこそが、私が狙っている隙!)

 

 

 最後の直線に向けて脚を溜めるのに息を入れる。そのタイミングで私は抜きにかかっている。相手からすれば意表を突かれて驚いた声も上げるだろう。完全に油断したタイミングで後ろから抜かされるのだ。驚かないはずはない。

 じゃあ抜かされたら次はどうするか?それも簡単だ。

 

 

「クッソ!油断した!でも、負けない!」

 

 

「私だって!絶対に勝つんだから!」

 

 

 1人、1人と、私が抜かした奴らがペースを上げ始める。気合を入れている声が聞こえた。

 その声に、私は自分のペースを上げつつ口角が吊り上がるのを感じた。あぁ、面白いくらいこっちの策に嵌ってくれている。そのことがたまらなく楽しい。

 

 

(まぁ、ペースを上げますよねぇ?後ろから抜かされた、それが自身の油断から来たもんだ。そう考えるはずです。でもぉ、いいんですかねぇ?序盤から前にあてられるようにハイペースで来ているのに、無理にペースを上げて?それで本当に、最後まで持つんですかね?)

 

 

 これで抜かした奴らを心配する必要はない。息を入れるタイミングを失い、焦り、無理にペースを上げて、スタミナも脚も残っていない状態で最後の直線に入って、勝手に自滅する。だから、後は最後の直線で先頭2人をいかにして抜かすかだ。

 それについても考えてはある。序盤からの破滅的ペース。先頭2人はスタミナはともかく脚は残っていないだろう。だが、最後方で気ままな一人旅をしていた私にはまだまだ余力がある。スタミナも、脚も残っている。いくら1200m辺りからペースを上げたといっても、他の奴らは序盤からハイペースで来ているのだ。私の方が残っているのは当たり前。だから、問題ない。

 そう考えながらも私はまた1人抜かしていく。もう何人抜かしただろうか?途中で数えるのを止めたので覚えていない。まあ。

 

 

(関係ないか。数える必要なんてじきになくなる)

 

 

 そして、残り400mを示すハロン棒を確認してまた1人抜かしていく。その時だった。

 前を走る2人の姿を確認する。あの後ろ姿。見間違えようがない。片や友達、片や同じチームの先輩として、長い付き合いだからだ。

 口角がさらに吊り上がる。自然と笑みが零れる。これから待ち受けるであろう結末を想像して、喜びがあふれてくる。

 あぁ、あぁ。あぁ……!

 

 

見  つ  け  た  ぁ

 

 

 私はスパートをかける。坂は、すでに上り終えようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《さぁ残り400を切りました!ここから坂へ入ります!先頭は依然として12番カブラヤオー!それにピッタリ半バ身差で3番トウショウボーイだ!やはりこの2人の争いになるのか!サマードリームトロフィー中距離部門!》

 

 

《いやぁ、やはりこの2人は今回の中でも突出していますねぇ。あのハイペースでもまだここまで走れるのですから脱帽するしかありません》

 

 

《そして他のウマ娘がそれに待ったをかけるようにスパートをかけてきた!トウショウボーイの後ろ3番手は……ッ!?えぇ!?》

 

 

 

 

 実況の人の驚く声が聞こえる。いや、実況の人だけじゃない。観客の人達も戸惑っているような声を上げていた。

 焦りながらも、レースを実況する声が聞こえる。

 

 

 

 

《な、な、なんと!3番手は14番クライムカイザー!最後方に控えていたはずのクライムカイザーが3番手に上がってきていた!一体いつの間に上がってきたのか!?全く分かりませんでした!それだけではありません!他の2人よりもはるかに速いスピードでスパートをかけているぞ!先頭内を走るトウショウボーイと外を走るカブラヤオーのさらに外!嘗てダービーを登りつめた皇帝が猛然と襲い掛かります!》

 

 

《一体どのタイミングで抜け出してきたのか!?本当に分かりません!ただ分かるのは、クライムカイザーはまだ余力を十分に残しているということだけははっきりと分かります!》

 

 

《サマードリームトロフィー中距離部門残り200mを切った!まさかここにきて伏兵が現れるとは予想だにしなかったでしょう!先頭は依然として12番カブラヤオーと3番トウショウボーイ!だが、だが!外から14番クライムカイザー!外から14番のクライムカイザーだ!外から皇帝の末脚が炸裂する!あっという間に並んだ!》

 

 

 

 

 観客を支配しているのは驚きと戸惑い。悲鳴すら聞こえてきそうだった。

 

 

「嘘だろ!?いつの間に来てたんだよ!?」

 

 

「そんな!負けないでー!カブラヤオー!」

 

 

「抜かせるなー!トウショウボーイー!」

 

 

 だが、そんな観客の声を嘲笑うようにカイザーは加速する。

 

 

 

 

《観客席からは悲鳴が聞こえてきている!後続はハイペースでいっぱいいっぱいか末脚は思ったように伸びていない!ただ1人を除いて末脚は伸びてこない!序盤からカブラヤオーとトウショウボーイの対決となっていたサマードリームトロフィー中距離部門!しかししかし!まさかの伏兵がここにきて飛んできた!外から14番クライムカイザーが2人を躱したぁぁぁぁぁ!》

 

 

 

 

 ボーイもカブラヤオー先輩も必死に粘っている。だが、それすらも笑うようにカイザーは他とは段違いの速度で走っている。

 そして。

 

 

 

 

《そのまま14番クライムカイザーが突き放す!その差を広げる!残り100m!これはもう決まった!完全に決まった!嘗てダービーを登りつめた皇帝が!天を駆けるウマ娘を!狂気の逃げウマ娘を!跪かせた!トウショウボーイもカブラヤオーも!クライムカイザーの前に跪くしかなかった!サマードリームトロフィー中距離部門を制したのは14番のクライムカイザーだぁぁぁぁぁ!》

 

 

 

 

 決着が着いた。激戦区と呼ばれたサマードリームトロフィー中距離部門を制したのは、カイザーだった。




ウマ娘3期やったー!


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閑話24 皇帝少女の豹変

決着の後回


 東京レース場最後の直線にある坂。そこでオレは勝負を仕掛けた。残っている力を振り絞ってスパートをかける。カブラヤオー先輩に並んだ。

 

 

(よし!ひとまず並んだ……ッ!後はこのまま、ぶっちぎるだけだ!)

 

 

 しかし、オレが並んだのと同時、カブラヤオー先輩が叫びながらさらに速度を上げる。

 

 

「ヤダァァァァァ!?来ないでェェェェェ!?」

 

 

 一体どこにそんな力を隠し持っていたのか。近づいた距離がまた離される。やっぱり、この人の力は凄い!思わず楽しさを覚えた。

 だが、速度を上げるといっても疲れが出ているからたかが知れている。それに追いつけないということは、オレも脚が残っていないということだろう。しかし、問題ない。この坂を登り終わったら。

 

 

(抜かせる!)

 

 

 オレは速度を維持したまま坂を駆け上がる。

 坂を上り終えて、少し離れた位置に残り200mを報せるハロン棒が見えた。そこでオレはカブラヤオー先輩に完全に並んだ。

 

 

「ようやく、捕まえましたよ!カブラヤオー先輩!オレがぶっちぎります!」

 

 

「ゼェ……ゼェ……、に、逃げなきゃ、逃げなきゃぁぁぁぁぁ……」

 

 

 本当にすごい根性だ。オレはカブラヤオー先輩に尊敬の念を抱く。

 でも、勝つのはオレだ。そう思い、持てる力を振り絞って残り200mを駆け抜ける。そして、オレの方がわずかに前に出た。

 

 

(よし!このまま維持すれば……ッ!)

 

 

 残り100m。勝てる。そう思い前を見る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 オレの、オレ達の前に、誰かが走っているのが見えた。外を走るカブラヤオー先輩のさらに外。大外からその影は、いきなり現れた。思わず目を白黒させる。カブラヤオー先輩も、多分驚いている。

 頭の中が混乱していた。なんで?いつの間に?いつの間に、上がってきたんだ……!

 

 

「カイザー……?」

 

 

 呟いて、我に返る。そうだ!今は驚いている場合じゃない!このままだと負ける!身体中から力をかき集めろ!なんとしてでも前を走るカイザーに追いつけ!そう思い、必死に脚を動かす。が。

 

 

(だ、ダメだ!ハイペースで走り続けたせいで思うように脚が動かねぇ!リソースも、もう残ってねぇ!)

 

 

 前を走るカイザーとの差を詰めることができない。そのまま突き放される。

 最終的に、1着のカイザーに2バ身差つけられる形でオレは2着になった。カブラヤオー先輩はクビ差で3着である。

 オレは肩で息をしながらも、最後の直線でのことを振り返る。オレの心は、負けた悔しさよりもカイザーに対する賞賛の感情が上回っていた。

 

 

(スゲェ……ッ!あのハイペースの中で、カイザーはちゃんと脚を残してたんだ……ッ!やっぱカイザーはつえぇ!)

 

 

 でも、次は負けない。そう心に誓う。

 息も整ってきたので、カイザーを祝福しようと思い彼女に近づく。だが、どういうことかカイザーは勝ったというのに顔を俯かせていた。何があったのだと思い、気づく。

 会場は不気味なほど静かだった。普通だったら勝者を称える歓声が上がるはずの東京レース場は、驚くくらい静まり返っていたのだ。

 

 

(もしかして……カイザーは……)

 

 

 こんなのあんまりだ。勝ったというのに、称賛の声も上げられない。オレは悲しくなる。

 ……いや、だったら、オレだけでもカイザーを称えよう!カイザーは凄い走りをしたのだ。褒められて然るべきである。そう思い、カイザーに声を掛ける。

 

 

「カイザー、おめでとう!いやー、やっぱカイザーはつえぇな!でも、次は負けねぇかんな!」

 

 

「……」

 

 

 オレの言葉に、カイザーは無反応だった。オレは訝しむ。

 

 

(そ、そんなにショックなのか?賞賛の声がないことが)

 

 

「な、なぁ、カイザー……」

 

 

 カイザーの肩に手を置こうとした時、彼女が顔を上げたので表情が見える。その表情を見て、オレは思わず後ずさった。

 

 

「ヒィ!?」

 

 

 情けない声まで上げる。だが、それも仕方ないと思う。

 笑っていたのだ。それも、不気味に。そんな表情をしていたものだから、オレは驚いて後ずさってしまった。

 

 

「か、カイザー?」

 

 

 オレはそう呟く。会場は変わらず静まり返っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 サマードリームトロフィー中距離部門、激戦と呼ばれるレースを制したのはカイザーだった。最後方で脚を溜め続け、最後の直線で捲り返す。そんなレースをしていた。

 だが、会場は静まり返っている。ただ、小さなどよめきが聞こえてきているので、おそらく戸惑っているのだろう。まさかの伏兵に。気持ちは分からなくもない。ボクも驚いている。

 ハイセイコー先輩がタケホープ先輩に尋ねる。

 

 

「……タケホープ。君は今のクライムカイザーなら未来さえも分かるといったね?」

 

 

「ん~?まぁ、厳密には違うけどぉ、似たようなことはできるねぇ」

 

 

「それは一体、どういう原理なんだい?」

 

 

 おそらく、この場にいる全員が今一番聞きたいことだろう。カイザーのあの走り。おそらく生み出したのはカイザーとタケホープ先輩だ。タケホープ先輩の言葉を待つ。

 

 

「単純さぁ」

 

 

 そう前置きして、タケホープ先輩は続ける。

 

 

「前を走るウマ娘の一挙手一投足を観察してぇ、次にどう動くのかぁ、何を考えているのかぁ、どこで息を入れるのかぁ。それらを瞬時に判断したのさぁ。カイちゃんはねぇ」

 

 

「……それだけ、ですか?」

 

 

「大雑把に言えばねぇ。ただぁ、それ自体は誰でもできるしぃ、後方でレースを展開する子にとってはぁ、できて当たり前の芸当さぁ」

 

 

「それだけじゃないってことですか~?」

 

 

 グラスの質問にタケホープ先輩は頷く。

 

 

「カイちゃんに見えているのはぁ、1人だけじゃないってことさぁ。それこそぉ、レースを走る全員の場所すら分かっていたんじゃないかなぁ?そしてぇ、全員の位置・動き・タイミングを計れたからこそぉ、寸分の迷いもなくあの進路を取ることができたぁ。わざわざ間を抜けるように走ってたのもぉ、どのタイミングでどう動くかが分かっているからこそ……だろうねぇ」

 

 

「……そんなこと可能なのか?」

 

 

 トレーナーが尋ねる。タケホープ先輩は苦笑いを浮かべながら答える。

 

 

「これはさすがに言いすぎかもしれないけどぉ、審議のランプすら灯ってないんだからぁ、できててもおかしくはないさぁ」

 

 

「だが、気になることはもう一つある。なんで後方のやつらは全然伸びてこなかったんだ?クライムカイザーがあれだけ脚を溜めることができたんだ。他のやつらだって脚は残ってるはずだ」

 

 

 沖野トレーナーの質問に、タケホープ先輩は少し悩む素振りを見せた後、口を開く。

 

 

「そうだねぇ。グリーングラス、ちょっち深呼吸してくれるかぁい?」

 

 

「へ?私~?まあいいですけど~」

 

 

 言われるままにグラスは深呼吸をする。その瞬間。

 

 

「ワッ!!」

 

 

「わぁっ!?」

 

 

 タケホープ先輩がグラスを驚かせた。虚を突かれたであろうグラスは驚きながらもタケホープ先輩に抗議する。

 

 

「な、なんですか!いきなり!ビックリしたじゃないですか~!」

 

 

「ごめんねぇ。でもぉ、簡単に言えばぁ、これがカイちゃんのやったことさぁ」

 

 

 先輩の言葉に、ボクとグラス、クインは頭に疑問符を浮かべる。だが、沖野トレーナーは合点がいったのか、頷いていた。

 

 

「……成程な。相手が息を入れるタイミングを見計らって仕掛けた、ってことか」

 

 

「どういうこと~?おきの~ん」

 

 

「簡単だグラス。お前、今からスパートを仕掛けるぞ!ってタイミングで気合を入れるよな?そんな時、後ろから急に抜かされたらどう思う?」

 

 

「う~ん、普通なら焦っちゃうかな~?」

 

 

「そうだな。じゃあ次はどうする?」

 

 

「そりゃ~、抜かし返すために~……!」

 

 

 そこまで言って、グラスは気づいたらしい。納得のいった表情を浮かべている。ボクも、この言葉を聞いて合点がいった。

 普通、これからスパートだというタイミングで抜かされたら焦るだろう。仕掛けるタイミングが遅かったか、そう思うはずだ。そしたら次は焦る。焦って、ムキになってスピードを上げる。だが……。

 

 

「焦って走って、普通に走る時とはリズムが狂う。違うリズムで走るといつも以上に体力を消費するし、思った以上にスピードは上がらねぇ。加えてこのハイペース、スタミナも脚も残ってねぇんだから尚更だ」

 

 

「そういうことさぁ。だから最後の直線はぁ、みんな思ったように伸びてこなかった、というわけさぁ」

 

 

「そういうからくりか……」

 

 

 トレーナーは納得していた。

 次はボクがタケホープ先輩に質問する。

 

 

「やけど、いくら分かっとっても、普通やったら間に合わんくないです?見てから判断してたら走行妨害取られますよね?あの進路やと、0.1秒の遅れでも妨害取られますし」

 

 

「それも簡単さぁ。カイちゃんはぁ、反射で動いてるものぉ」

 

 

「反射で?」

 

 

 ボクがそう聞き返すと、タケホープ先輩は頷きながら答える。

 

 

「見て、考えて動くんじゃあ遅い。だからぁ、考える時間を極限まで削ってぇ、見て動くのさぁ。いわゆるぅ、直感で動くってやつだねぇ」

 

 

「……そんなこと可能なのかい?」

 

 

 ハイセイコー先輩がそう尋ねる。タケホープ先輩はこともなげに答えた。

 

 

「現実問題できてるじゃあないかぁ。それが答えだよぉ」

 

 

 その言葉には不思議な説得力があった。ボクは納得してそれ以上は何も言わない。

 だが、そうなると今度は別の疑問が湧いてくる。その疑問を、クインがぶつけていた。

 

 

「で、では。クライムカイザー様はどうしてトゥインクルシリーズではこの走りをしなかったのでしょうか?そうすれば、もっと勝てていたと思うのですが……」

 

 

「う~ん……今日の勝ちはぁ、展開のおかげってのもあるけどぉ」

 

 

 少し言いづらそうにして、やがて決心したのかタケホープ先輩が話始める。

 

 

「カイちゃんはぁ、考え過ぎちゃうのさぁ。もっといい走りがあるはずだぁ、こんなリスクを取らなくても別の策があるはずだぁ。そう考えてしまってぇ、今日のような走りをしてこなかったぁ。自信もなくてぇ自己評価も低いからねぇ。加えてぇ、もしぶつかって怪我をさせたらどうしよう、そう考えたらぁ、今日のような走りはできなかったのさぁ」

 

 

「考えすぎる性格が仇になったっちゅうことですか……」

 

 

「そうだねぇ。だからぁ、私はその考えを一から矯正したのさぁ。自信がないならぁ、自信をつけさせればいい。無理矢理にでも自信をつけさせるための特訓を私はさせてきたからねぇ。その結果ぁ、あの無茶苦茶な進路を取るまでに成長したぁ。普通の子にはできない、他人をよく見ていてぇ色々なことを考えすぎるカイちゃんだからこそ可能な走りさぁ」

 

 

「クライムカイザー様が毎日のようにボロボロになっていたのは、そういうことだったのですね……」

 

 

 クインはそう納得する。タケホープ先輩が締めるように告げた。

 

 

「まぁ、カイちゃんはまだまだこれからさぁ。今回の勝ちはぁ、あくまでハイペースで展開されたおかげぇ。次からはぁ、自分の思ったような展開にさせるためにぃ、また特訓を重ねないとねぇ」

 

 

 そう言って、タケホープ先輩は慈しむようにターフの上で静かに佇んでいるカイザーを見る。ボク達もつられてカイザーの方を見た。近くにはボーイがいる。

 ……ただ、カイザーは異様に静かだ。なんかボーイが顔に恐怖を張りつかせて飛びのいたが、一体何があったのだろうか?そう思っていると。

 

 

「くくく……!はーっはっはっは!最ッ高ですねぇ!」

 

 

 突如としてカイザーが高笑いを始めた。ボクは思わず驚く。そして、カイザーの表情を見て、さらに驚いた。

 彼女は笑みを浮かべている。だが、普段の彼女からは想像もつかないほど邪悪な笑みだった。突然のカイザーの豹変ぶりに何も言えないでいると、彼女はそのまま続ける。

 

 

「静まり返った会場……、まあそれも当然でしょう。だーれも私が勝つなんて思っていなかったでしょうからねぇ?でもぉ」

 

 

 邪悪な笑みを浮かべたまま、カイザーは続ける。

 

 

「勝ったのは私だ!ボーイさんでも!カブラヤオー先輩でも!ましてや他の人達でもない!勝ったのはこの私!クライムカイザーだ!」

 

 

 そのままカイザーは高笑いを続けた。彼女の笑い声が東京レース場に響き渡る。観客も、実況の人達も戸惑いからか何も言えなかった。いや、あまりの豹変ぶりに誰も口を開けないだろう。普段の彼女を知っているファンからしたら。

 近くにいるボーイは、同じく近くにいたカブラヤオー先輩と一緒に恐怖に震えていた。

 

 

「ヒィィ!?カイザーが怖えよぉ!?」

 

 

「ヤダァァァァァ!?カイザーちゃんがタケホープ先輩みたいになってるゥゥゥゥゥ!?」

 

 

 気持ちは凄い分かる。ボクも多分、同じ反応をする。というか、してる。

 チラリと、タケホープ先輩の方を見る。タケホープ先輩は呟いた。

 

 

「うんうん。一皮剥けたねぇカイちゃん。私は嬉しいよぉ」

 

 

 タケホープ先輩はカイザーをそう褒めた。だが、視線は明後日の方向を見ている。そのことをハイセイコー先輩が指摘した。

 

 

「おい、しっかり見ろ。現実から目を逸らすなタケホープ。あれ絶対ダメな方に一皮剝けただろ」

 

 

「……」

 

 

「黙るな!ああなったのはお前が原因だぞ!?」

 

 

「し、知らないよぉ!?私だってああなるとは思わなかったんだからぁ!」

 

 

「知らないで済ませられるか!?普段の彼女とはかけ離れすぎだろ今の彼女は!」

 

 

 そんな会話を繰り広げている。グラスはというと……。

 

 

「うわーん!勝ったのは嬉しいけどカイザーちゃんが変になっちゃったよー!」

 

 

「お、落ち着いてくださいグリーングラス様!」

 

 

「あんなカイザーちゃんやだよー!元に戻ってー!」

 

 

 こっちもこっちで阿鼻叫喚になっていた。トレーナーと沖野トレーナーも、なんとも言えない表情を浮かべている。

 そこまで見たところで、ボクはもう一度ターフへと視線を向ける。

 

 

「はーっはっはっは!アーハッハッハッハ!」

 

 

 依然として高笑いをしているカイザーを見て、笑みを浮かべながらボクは呟く。

 

 

「……勝利おめでとさん。カイザー」

 

 

「現実から目を逸らさないでよテンちゃん!?」

 

 

「ええやろ別に!ボクかて目の前の光景を信じたくないんやから!」

 

 

 どこか遠くへ行ってしまったかのような友人の豹変ぶりに、ボクは目を逸らすしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、カイザーの選手控室へと向かったボク達。ボク達が部屋に入ると、カイザーは地面に寝転がっていた。その状態のまま呟く。

 

 

「誰か私を殺してください……」

 

 

 どうやら先程の自分のやらかしをしっかりと覚えているのだろう。元に戻ったようで何よりだが、自己嫌悪に陥っているのかとても暗い雰囲気を漂わせていた。

 そんな友人に対して、ボク達はそっと肩を置くことしかできなかった。




ウマ娘3期は誰が主役になるのか?気になりますね。


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第120話 足掻き

合宿最終日回


 色々とあったサマードリームトロフィーも終わってボクはまた合宿で練習漬けの日々となった。朝は太陽が昇ってから夜は日が沈むまでみっちりと練習する。そんな日々へと戻っていた。全ては怪我をする前の状態に少しでも早く戻るために。

 今日は合宿最終日。朝のヒルクライムもこれで最後だと思うと少し名残惜しさを感じる。キツいことはキツいのだが、それでもこれで少しのお別れだと思ったら寂しくなる。そんな気持ちになりながらもボクはペダルを漕いで峠道を上っていた。

 

 

「ハッ、ハッ、ハッ……」

 

 

「いいペースだテンポイント!そのペースを崩すなよ!」

 

 

「分かっ、とる、よ!こん、まま、行ったる、わ!」

 

 

 トレーナーからの応援の言葉を聞きながらペダルを漕ぐ。朝焼けからずっと自転車で走っており、すでに1回はゴールした後だ。これは2回目のゴールの景色。ギアは勿論最大。前回のノウハウがあるにしても、ボクはそこまで戻ってくることができた。

 ペダルを漕ぐこと少し。ボクは2度目のゴールを迎える。自転車から降りて息を整えながら休憩を取った。トレーナーから飲み物とタオルを受け取る。

 

 

「よし。時間も丁度いい感じだし、朝の練習はここで切り上げて旅館に戻るぞ。予定は憶えているか?」

 

 

「覚えとるよ。こんまま昼食だけとって、旅館から引き上げて学園に戻って練習やろ?レース感……っちゅうよりはトラウマを抑えるための走りを見つける特訓」

 

 

「そうだ。夏合宿最初の方以降走ることはなかったが、対策だけは考えてきた。今日の午後はそれを1つずつ試していくぞ。相手も用意している」

 

 

「相手って、誰なん?」

 

 

 ボクの質問にトレーナーは少し嬉しそうに答える。

 

 

「今回の相手の1人にクライムカイザーが立候補してくれた。お前が戻るために力を貸したい……ってさ」

 

 

「カイザーか!それはええな!」

 

 

 ボクも少しばかりテンションが高くなる。トレーナーは言葉を続けた。

 

 

「ま、カイザー以外にも何人かのメンバーが立候補してくれている。人数はカイザー含めて11人。実戦形式での練習を行うことになる」

 

 

「実戦形式か……。それやったら、考えた対策を1つずつ実践していこか」

 

 

「そうだ。落ちた筋力も大分戻ってきて、フォームの修正も着々と進んでいる。そんなお前が完全に復活するための最後のピース……。怪我をした時のトラウマをいかに抑える、もしくは乗り越えるか。それを見つけるための合宿最後の練習だ」

 

 

 ボクはトレーナーの言葉に頷く。

 その後は旅館へと戻り、部屋から荷物を回収して昼食を食べる。食べ終わった後は、トレーナーの車でトレセン学園へと戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トレセン学園に戻ってきて、トレーナー室に荷物を置いた後練習場へと向かう。今回の模擬レースの相手となる子達はすでにターフの上でウォーミングアップをしていた。

 その中にカイザーの姿を見つける。ボクは足取り軽やかにカイザーに駆け寄る。向こうもボクに気づいたのか、嬉しそうな表情を浮かべていた。

 

 

「テンポイントさん!今日はよろしくお願いしますね!」

 

 

「カイザー!こっちこそよろしゅうな!」

 

 

 ただ、模擬レースをする相手はカイザーだけじゃない。ひとまずカイザーへの挨拶はこれだけにして他の子達へと挨拶をしていく。

 そしてカイザー以外の10人に挨拶が終わった後、ボクはまたカイザーのところに戻ってカイザーと話をする。

 

 

「久しぶり!……言うても、あんま久しぶりやないな」

 

 

「そうですね。あんまり久しぶりって気はしませんね」

 

 

 カイザーは苦笑い気味に答える。最後に会ったのはサマードリームトロフィーの時なので2週間程度しか経っていない。カイザーの言っている通りである。

 ただ、ボクは極力サマードリームトロフィーの話題には触れないように気をつける。カイザーからしたら、黒歴史以外のなにものでもないだろう。レース自体は勝ったが、その後がアレだったから。

 しかし、急にカイザーは達観したような表情をするとボクが触れないようにと気をつけていた話題を切り込んできた。

 

 

「そうだ、テンポイントさん。あのサマードリームトロフィー以降、私がなんて言われてるか聞いています?」

 

 

「……」

 

 

 ボクはカイザーから目を逸らす。気まずさからくるものだ。

 あのサマードリームトロフィー以降、カイザーがなんて言われているのか勿論知っている。あのレースの2強として名を馳せていたボーイとカブラヤオー先輩を破って中距離部門を優勝したウマ娘として大々的に取り上げられていたのだから。それ自体はカイザーからしたら嬉しいことだろう。……普通なら。

 

 

「あ~……そ、そうやな!ニュースで取り上げられとったから勿論知っとるで!」

 

 

「……」

 

 

「すごいもんな!雑誌にも引っ張りだこで!やっぱボーイとカブラヤオー先輩に勝ったんが響いたんやろうな!」

 

 

「……」

 

 

 カイザーは無言だ。ボクはあることに触れないように気をつける。

 

 

「これで世間はカイザーは強いて認識したもんな!やっぱ嬉しいんちゃうか!?」

 

 

「そうですね。確かに認識されましたね」

 

 

 カイザーは笑みを浮かべて答える。そして、触れないようにしていたワードをカイザーはぶっ込んできた。

 

 

「〈犯罪皇帝〉クライムカイザーとして、ね」

 

 

「……」

 

 

 ボクはカイザーから視線を外して遠くを見て、考える。

 

 

(うん……まぁ、そうやろなぁ……)

 

 

 あのサマードリームトロフィーを見たら、そう思われても仕方ないんじゃないか?とボクは考えている。

 レースに関してだけだったら何も言われなかっただろう。あのレース映像は評論家の間でも大好評だった。2強のレースを伏兵が差すという大番狂わせ。加えて寸分の狂いもない位置取りで見事に差し切ったカイザーを評論家達は大絶賛していた。そう、レースは。問題はその後だ。

 レース後のカイザー。その姿を思い出していると、カイザーは自嘲気味に続ける。

 

 

「いやぁ、これで私も有名人ですね。嬉しいなぁ」

 

 

「そ、そうやな。カイザーは有名人や」

 

 

「「アハハハハ!」」

 

 

 カイザーが笑って、ボクもつられて笑う。多分、愛想笑いだ。そう認識できるぐらいには分かった。

 しばらく笑った後、溜息を吐いてカイザーは続けた。

 

 

「なんで……なんでこんなことに……!元々は雑誌の誤植で始まったものだったのに……!」

 

 

「お、落ち着きやカイザー!」

 

 

「これでもう名実ともに私は<犯罪皇帝>じゃないですか!?自分が悪いのは分かってますけど、こんなのあんまりですよ!」

 

 

「あ、自分が悪いとは思っとるんやな」

 

 

「まぁ……レース終わった後にテンション高くなった結果あんなことしてましたから……」

 

 

 そう言ってカイザーは落ち込んだ。確かにあの姿を見たら、<犯罪皇帝>などと呼ばれても仕方はない気がする。それぐらい、あくどい笑みを浮かべながら高笑いをしていたのだから。

 ボクはこれ以上この話題を続けるわけにはいかないと思い、話題を逸らすために気になっていたことをカイザーに質問する。

 

 

「カイザー、なんでボクの模擬レースの相手に立候補してくれたんや?」

 

 

「へ?」

 

 

「いや、何となく気になってな。今のボクの状態知っとるやろ?」

 

 

「……そうですね。噂では聞いています。第4コーナーを曲がれなくなってるって」

 

 

 カイザーの言葉に、ボクは頷く。そして、カイザーは笑みを浮かべながら続けた。

 

 

「立候補した理由は単純ですよ。友達が困ってるから助けたい、それだけです」

 

 

「……」

 

 

「それに、テンポイントさんは私が諦めようとしていた時に励ましてくれたことがあったじゃないですか。そのご恩もありますから」

 

 

「……ありがとな。カイザー」

 

 

 ボクは少し涙ぐみそうになった。最後にカイザーは無邪気な笑みを浮かべてボクに告げる。

 

 

「それに、完全に復活したテンポイントさんを潰さないと意味がありませんから。ボーイさんには勝ちましたけど、テンポイントさんにはまだ勝ててませんし。不肖クライムカイザー、テンポイントさんが復帰するためのお手伝いをさせてもらいます!」

 

 

「あ、う、うん。ありがとな」

 

 

 ボクは曖昧な笑みを浮かべて返事をする。そして、内心無邪気な笑みの裏にある黒い部分を見せるカイザーに恐怖を抱く。

 

 

(こっっっわ!?タケホープ先輩みたいになっとる!?)

 

 

 元に戻ったと思ったら、少し黒い部分が見え隠れするようになった。ポジティブに捉えるなら、自分の本音を隠さなくなったと思えばいいのだろうか?それが嬉しいことなのか、それとも悲しむべきなのかは分からないが。

 だからといって付き合いが変わるわけでもないだろう。ボクはカイザーとの会話を切り上げて自分のウォーミングアップをすることにした。カイザーに別れを告げる。

 

 

「じゃ、カイザー。今日はよろしゅうな」

 

 

「はい!よろしくお願いします、テンポイントさん!」

 

 

 ボクは模擬レースのためにウォーミングアップを始める。その間に考えるのは今回の模擬レースで見つけるべきこと。

 

 

(日経新春杯のトラウマがフラッシュバックしないためにも、少しでも当時の状況から遠ざける……。まずはスパートのタイミングをずらすとこから始めよか)

 

 

 ウォーミングアップを終えて、今回走るメンバーがスタート位置に着く。ボクは内側だ。

 

 

「よーい……スタート!」

 

 

 トレーナーの声とともに、全員が一斉にスタートを切る。ボクは勿論先頭を走る。レースは淀みなく進んだ。

 そして迎えた問題の第4コーナー。いつもならばここらでスパートをかける……が、レース前に予定していた通り、スパートのタイミングを遅らせる。

 ただ、あまり効果はなかった。再びボクの脳裏にあの時の光景が甦ってきて、思うような走りができなくなる。後続の子達にどんどん抜かされていった。

 

 

(クッソ!やっぱそんな甘ないか!)

 

 

 何とか持ち直して走る。ただ、それでも2、3人抜かすのが精一杯だった。ドベから4人目。1着はカイザーである。

 息を整えながら次の模擬レースでどう対策するかを考える。

 

 

(次は……外で走ってみるか。走る距離は増えるけど、あの光景がフラッシュバックするよかマシや)

 

 

 少しの休憩の後、再び全員がスタート位置に着く。トレーナーの合図とともに、再びスタートが切られた。先程と変わらずボクが先頭でみんなを引っ張る形になる。ただ、今度はさっきとは違ってボクは内ではなく外で走っていた。

 とにかく試すのが目的なので、ボクは大外を回って第4コーナーに入る。そして、再び脳裏にあの日の記憶が甦ってきた。ただ、今までとは違って症状は軽い。脚が立ち止まるほどではなかった。だが……。

 

 

(ダメや!それでも減速してまう!こんままやと……ッ!)

 

 

「甘いですよ、テンポイントさん」

 

 

 そう告げて、カイザーはボクを抜かしてさっさと行ってしまった。ボクも必死に追いかけるが、追いつくことができず、他の子にも抜かされて最終的には12人中8着になる。

 

 

(ただでさえ大外回る不利背負うてんのに、減速してしまうんは痛すぎる!そうなったら、後続の子に抜かされるんは当たり前や!)

 

 

 そう考えて凹みそうになるが、そんな暇はない。どうすれば減速せずにスパートをかけられるか、どうすればあの時の光景がフラッシュバックしないかを必死に考え、その度に試す。何度も、何度も。

 だが、現実はそう甘くはなかった。あの日以降トレーナーと必死に考えた策はことごとく失敗に終わった。どうしても第4コーナーでの減速は免れず、思うような走りができなくなる。悔しさから歯噛みしてしまう。

 しかし、失敗だけじゃない。少しだけ光明は見えていた。

 

 

(いつもより外を走れば、多少ではあるけど減速は免れる……。それが分かったことだけでも収穫やな)

 

 

 トレーナーもそれは分かっているだろう。後は、これをどうレースに組み込むか。トレーナーと相談していかなければならない。

 他の子達は今回の模擬レースのお礼を言った後別れた。最後にカイザーだけが残る。トレーナーは一足先にトレーナー室に戻ったので、この場にいるのはボクとカイザー2人だけだ。

 しばらく無言の時間が流れる。無言の空間を破ったのはカイザーの方だった。

 

 

「やっぱりすごいですね、テンポイントさんは」

 

 

「お、なんやなんや?今回の模擬レースずっと1着やったからってボクを煽っとるんか?」

 

 

 からかい半分にボクはカイザーの言葉に答える。するとカイザーは慌てたように弁明してきた。

 

 

「ち、違いますよ!決してそんな意図はありません!」

 

 

「分かっとるよ。冗談や冗談」

 

 

「も、もう!質の悪い冗談はやめてください!」

 

 

 そう言ってカイザーは少し怒った。ただ、さっきまでとは違ってあんまり怖くはない。やっぱり素のカイザーは変わっていなかったことにボクは少し安堵して、お互いに顔を見合わせて笑いあう。

 ひとしきり笑った後、ボクはカイザーに尋ねる。

 

 

「で?ボクが凄いって何がや?」

 

 

「そうですね……。やっぱり、そのメンタルでしょうか?」

 

 

「メンタル?」

 

 

 ボクの言葉に、カイザーは頷いて答える。

 

 

「はい。普通だったら、お医者様から諦めろと言われたら諦める子が多いと思うんです。それはきっと、骨と一緒に心も折れてしまうからだと思います」

 

 

「やろうな。1回重い骨折したから分かるわ。先が見えないことへの恐怖、本当にまた走れるようになるんかっちゅう不安が骨折した脚を見る度に出てくるんやからな」

 

 

「はい。けれど、テンポイントさんはそんな状況でも諦めることなく頑張っています。どんなに辛く苦しい道のりだとしても、決してあきらめることなく頑張っている。この模擬レースで一緒に走ってみて、それを強く実感しました」

 

 

 カイザーは言葉を続ける。

 

 

「トラウマが刺激されて第4コーナーを曲がれない……。そんな諦めてしまいそうな状況に陥っても尽くせる手を尽くして走る……。そんな姿を見ていると、やっぱりテンポイントさんは凄いんだなって、今日改めてそう思いました」

 

 

「なんやなんや?褒めてもなんもでぇへんで?」

 

 

 ただ褒められて悪い気はしない。内心喜ぶ。カイザーは笑みを浮かべてボクに告げる。

 

 

「また、模擬レースがしたくなったら声を掛けてください!私はいつでも相手になりますよ!」

 

 

 カイザーの言葉に、ボクも笑顔で答えた。

 

 

「……うん。そん時はまた頼らせてもらうわ!カイザー!」

 

 

「はい!好きなだけ頼ってください!」

 

 

 また、お互いに顔を見合わせて笑いあう。

 夏合宿で大分前に進んだといえども、完全復帰には程遠いという現実を突きつけられた今回の模擬レース。でも、ボクの心に暗い気持ちはない。頼もしいトレーナーに加えて、頼もしい友達や仲間がいる。それだけで、ボクの心はいくらでも前を向けるのだから。




次のガチャ更新はナカヤマフェスタらしいですね。まだだ、まだ我慢できる……!


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第121話 開催告知

夏休みが明けた回


 長いようで短い夏休みも終わって、トレセン学園の新学期が幕を開けた。ボクは寮で朝食を食べながら今後のことを考えていた。今後のことと言っても、今日の予定はなんだろうか?理事長の話はどんなものになるかぐらいのことしか考えていないが。

 朝食を食べ終わって、学園へ登校する準備をする。同室のジョージもボクと同じく朝食を食べ終わって登校する準備をしていた。

 お互いに準備が終わったので、ボクはジョージに声を掛ける。

 

 

「ほな、学園に向かおか、ジョージ」

 

 

「らじゃー」

 

 

 言葉を交わしてボク達は寮を出てトレセン学園へと向かう。道中、ボク達と同じように登校している生徒や、職員の方達と挨拶を交わしながら学園へと登校した。

 靴箱のところでジョージと別れてボクは購買で新聞を買った後、自分の教室へと向かう。教室の扉を開けて中に入るとすでに何人かは登校していた。挨拶をしながらボクは自分の席へと歩を進める。

 

 

「おはようさんみんな。今日からまたよろしゅうな」

 

 

「あ!テンポイントさんおはよう!今日からまたよろしくね~!」

 

 

「おっはよーテンポイントさん!こっちこそよろしく~!」

 

 

 そんな挨拶を交わしてボクは自分の席へ荷物を置いて座る。そして新聞を広げて今日のニュースを確認する、いつも通りの朝だ。

 

 

「……う~ん、今日は特におもろいニュースはないか」

 

 

 特に目を惹くニュースがなかったことを確認すると、ボクは新聞を鞄の中に片付ける。丁度そのタイミングで誰かが教室の扉を開けて入ってきた。そちらへと視線を向ける。

 

 

「皆さん、おはようございます。今日からまたよろしくお願いしますね」

 

 

 入ってきたのはカイザーだった。クラスメイト達と挨拶を交わしていく。

 

 

「おはようカイザー!またよろしくね!」

 

 

「おっはよー!そうそう、サマードリームトロフィー見てたよカイザー!凄かったね!……色々と」

 

 

「おはよう。私も見てたよ。本当に凄かった!……色々と」

 

 

「やめてください!私ももう思い出したくないんです!」

 

 

 まぁ案の定サマードリームトロフィーのことを弄られていた。カイザーはそのまま自分の席に荷物を置いてボクの方へと歩いてきた。

 

 

「おはようございますテンポイントさん。今日から新学期ですね」

 

 

「おはようさんカイザー。やな。心機一転、お互い頑張ろか」

 

 

「そうですね。テンポイントさんは復帰に向けて、私はひとまずウィンタードリームトロフィーですかね?」

 

 

 そこからこの後ある全校集会での理事長での話はなんになるか、午前中終わったらどうするか、そんな他愛もない話をする。

 カイザーと話をしていると、また扉を開けて誰かが入ってくる。ボクとカイザーはそちらへと視線を向ける。

 

 

「おっはよーみんな!新学期、またよろしくなー!」

 

 

「おはよ~みんな~」

 

 

 ボーイとグラスだった。2人もクラスメイトと挨拶を交わしながら自分の席、ボーイはボクの隣へと歩を進めてくる。

 自分の席に着くと、ボーイがこちらに挨拶をしてきた。

 

 

「おはようテンさん!カイザー!新学期、またよろしくな!」

 

 

「私も~。よろしくね~テンちゃ~ん、カイザーちゃ~ん」

 

 

「おはようさんボーイ、グラス。こちらこそよろしゅうな」

 

 

「おはようございますボーイさん、グラスさん。こちらこそよろしくお願いします」

 

 

 そこからは、始業式の時間までみんなとの会話に華を咲かせる。

 

 

「せや。ボーイは次はどうするん?やっぱウィンタードリームトロフィーか?」

 

 

「うーん。そうだなぁ……。多分また中距離部門で出ると思う」

 

 

「私もまた中距離でしょうか?短距離は論外として、マイルも長距離もちょっと分が悪いので」

 

 

「ってことは、またカイザーと一緒に走れるのか!今度は負けねぇぜ?」

 

 

 ボーイはそう言って不敵に笑う。カイザーもそれに応えるように笑みを浮かべていた。

 

 

「はい。サマードリームトロフィーは展開のおかげで勝ちを拾えましたが、ウィンタードリームトロフィーは正真正銘私の実力で勝ってみせます!」

 

 

「へへ!俄然楽しみになって来たぜ!」

 

 

「お熱いことで。ボクも早いとこ復帰したいわ」

 

 

「まあまあ~テンちゃんは~焦らずじっくりと~だからね~?」

 

 

「分かっとるよ。無茶してまた怪我するんは勘弁やからな。グラスはどうするん?どのレースを目標にしとるんや?」

 

 

 ボクがそう尋ねると、グラスは困ったような笑みを浮かべて答えた。

 

 

「私は~有マ記念に直行かな~」

 

 

「ステップレースは使わねぇんだな?どうしてだ?」

 

 

「脚の調子~そんなに良くなくてね~。合宿でも満足な調整できなかったんだ~」

 

 

「グラスも大変やな……」

 

 

「テンちゃん程じゃないけどね~。まあ~テンちゃんに言ったように~焦らずじっくりと。その精神でいくつもりだよ~」

 

 

「頑張ってください、グラスさん!応援してます!」

 

 

「あ!オレもオレも!またドリームトロフィーで走る日を楽しみに待ってるぜ!」

 

 

「ボクも早いとこ復帰して、みんなとまた走れるようにならんとな!グラスも頑張りや!」

 

 

「みんなありがと~。でも~ドリームトロフィーに行っても~私は長距離部門にしか出なさそうだけどね~」

 

 

「えぇ!?オレ達と一緒に中距離で走ろうぜ!?」

 

 

「ボクも中距離で走ること確定なんかい」

 

 

「実際のとこ、テンポイントさんはどう考えてるんですか?ドリームトロフィーに移籍したら」

 

 

「ボクか?う~ん……」

 

 

 少し考えた後答える。

 

 

「中距離と長距離を行ったり来たりしてそうやな。ボクはどっちでも走れるし」

 

 

「クッソー!だったらオレもスタミナつけて長距離走れるようになるしかねぇ!一緒に頑張るぞ、カイザー!」

 

 

「あ、私も長距離で走らせること確定なんですね。まぁ元からそのつもりでしたけど」

 

 

「そうなん?」

 

 

「はい。挑戦する分にはタダなので。それに」

 

 

 カイザーは無邪気な笑みを浮かべて答える。

 

 

「私はグラスさんに菊花賞と春天で負けてましたし。ぶっ潰すためには長距離を走るのもいいかなって」

 

 

「お、おう。そうか。うん、何にせよカイザーも乗り気でオレとしては嬉しいぜ」

 

 

「カイザー。漏れとる漏れとる。闇の部分が漏れとるで」

 

 

「おっと、いけませんね。しっかりと抑えとかないと」

 

 

「……カイザーちゃん、サマードリームトロフィー以降変な方向に向かってな~い?」

 

 

「何言ってるんですかグラスさん。いつも通りですよいつも通り」

 

 

「いや、多分ヤバい方向に向かってると思うぞ。オレもグラスと同意見だ」

 

 

「そうですかねぇ?」

 

 

 カイザーはそう言って首を傾げる。ボクも口にこそ出さないがボーイ達と同意見だった。

 そんな話をしていると、チャイムが鳴る。ボク達はそれぞれの席に戻って先生が来るのを待った。しばらく待っていると、扉を開けて先生が入ってくる。号令の子の合図でクラスにいる全員が席を立って先生に向かって挨拶をした後、着席する。

 

 

「みなさんおはようございます。夏休み中、特に問題行動を起こした生徒がいなくて私もホッとしました。この後は体育館の方で始業式が行われますので、ホームルームの後みなさん体育館の方へと移動してくださいね。朝の連絡はこれで以上です」

 

 

 そう言って先生は退出する。クラスメイト達は各々体育館へと向かっていった。ボクも体育館へと向かう。

 始業式では理事長の話や先生方からの連絡事項などの話があった。途中、あくびをかみ殺していたボーイを肘で小突いて注意しながらも、ボクは話を聞いている。ただ、頭の中では別のことを考えていた。

 

 

(フォームの修正も大方終わっとる……。フィジカル的にも、これやったら年内には完全に戻るやろ。やから問題は、第4コーナーをいかにして曲がるか、やな)

 

 

 日経新春杯の光景がフラッシュバックして、思うように曲がることができず失速してしまう。それを改善するためにはどうしたらいいか。

 やはり一番単純な方法はトラウマを乗り越えることだろう。また折れるかもしれない、また同じように骨折したら今度こそ走れなくなるかもしれない。そんな不安があるからこそ第4コーナーで失速してしまう。なので、その元である恐怖を克服すればボクは完全に復活することができる。

 

 

(ま、そう易々といかんからこそ今こうして悩んでるんやけどな)

 

 

 そんな楽に克服できたらこんなに苦労はしていない。頭の中では分かっていても、身体は骨折する恐怖を覚えているのだ。だからこそ、克服することは簡単ではない。心の中で溜息を吐く。

 だが、そこまで不安視はしていない。いつかきっと乗り越えられる。ボクはそう信じているから。

 そんなことを考えていると、もう少しで始業式が終わるというところだった。ようやく解放される。そう思っているとたづなさんからのアナウンスが入る。

 

 

《それでは最後に、秋川理事長から大切なお知らせがございます。生徒のみなさんはそのままお待ちください》

 

 

 大切なお知らせ?一体なんだろうか?そう思っていると、秋川理事長が登壇して一礼をする。そのまま話始めた。

 

 

《清聴ッ!長話を聞かされて疲れているだろうが、もう少しの辛抱だ!私から大切なお知らせがある!》

 

 

 秋川理事長の言葉に、生徒のみんなは苦笑いを浮かべていた。確かにそうかもしれないが、そんなにハッキリ言うことはないだろう。多分みんな、同じことを思っているかもしれない。ただ、こういうところが秋川理事長が好かれている理由なのだとボクは思った。

 秋川理事長はそのまま続ける。

 

 

《実は年末に、とあるレースを開催することとなった!出走登録はまだまだ先の話だが、生徒諸君には出走することをじっくりと検討してもらうために今この場で発表することとなった!その名も……》

 

 

 秋川理事長の言葉とともに、プロジェクターを使用して画像が表示される。レース名が大々的に表示されていた。

 

 

《開催ッ!ジャパン・ユニバーサル・レーシング・カップ!年末の大晦日の日に、このレースを開催することとなった!》

 

 

 生徒達の間にどよめきが起こった。戸惑っているのかもしれない。ボクとボーイは事前にトレーナー経由で知っていたためそこまで驚かなかったが。

 秋川理事長が説明を続ける。

 

 

《このレースの出走条件はトゥインクルシリーズに籍を置いているウマ娘のみ!逆にそれ以外の条件は不問だ!候補者が多かった場合はURAの厳正なる審査の下出走するウマ娘が選抜される!そして、このレースがどのようなものなのか?生徒諸君は疑問に思っているだろう》

 

 

 生徒の心を見透かしているように秋川理事長はそう告げる。そして、レース概要の説明を始めた。

 

 

《単純ッ!このレースの説明は非常に簡単だ!世界中のウマ娘を日本に招待して走るレース!それがジャパン・ユニバーサル・レーシング・カップだ!開催は東京レース場、条件は芝2400mを予定している!そして!すでにアメリカ・イギリス・フランスの3ヶ国が参加することを表明している!無論ッ!出走に意欲的な国はまだある!》

 

 

 これはボクも初耳だ。思わず驚きの声が漏れる。隣のボーイはワクワクした表情を一瞬浮かべたが、すぐに自分には出走資格がないことを思い出して、落ち込んでいた。

 そのまま理事長は締めの挨拶に入った。

 

 

《このレースはお祭りのようなものだと思って気軽に参加してくれ!特に、海外のウマ娘達と鎬を削る良い機会だ!みんなの参加表明を待っているぞ!》

 

 

 それだけ告げて、秋川理事長は降壇した。その後たづなさんのアナウンスで解散となる。

 クラスで帰りのホームルームが終わった後、少し時間があったのでボーイ達と話す。ボーイはかなり悔しそうにしていた。

 

 

「秋川理事長の言ってたレーススゲェ面白そうだけどさぁ、オレ出走できねぇんだよ!あ~あ、オレもでたかったぜ~」

 

 

「仕方ありませんよ。私とボーイさんはドリームトロフィーリーグに移籍しちゃいましたし。一度ドリームトロフィーリーグに移籍したらもうトゥインクルシリーズには戻れませんからね」

 

 

「そうなんだよな~。この場で出走資格があるのはグラスとテンさんだけかぁ。2人はどうするんだ?」

 

 

 ボーイの言葉に、まずはグラスが反応した。

 

 

「私は~出ないかな~。有マから連戦は~私にはちょっとキツいからね~」

 

 

「ボクはまだ分からへんわ。もしかしたら、出走できるかもしれへんけど。そこはトレーナーと要相談、っちゅうとこやな」

 

 

「でもさ!やっぱ楽しそうだよな!海外のウマ娘ってどんな人達なんだろうな~。野良で走ったりしてくんねぇかな~」

 

 

 ボーイの言葉に、カイザーが答える。

 

 

「向こうの人達もこっちの芝に慣れなきゃですし、もしかしたら併走やってくれたりするんじゃないですか?海外の人達だけでやるかもしれませんけど」

 

 

「その可能性もあったか!あ、でもおハナさんが許してくれそうにねぇや……」

 

 

「どの道だったね~ボーイちゃ~ん」

 

 

「まあいいや。切り替えていくぜ!」

 

 

 そんな会話をしてボク達は別れる。ボクは練習へと向かった。




サポカ回したいけど我慢。


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第122話 トラウマの条件

フラッシュバックする条件を改めて模索する回


 夏休みが明けて今日は始業式の日だ。なので授業は午前中で終わる。時刻は12時を回ろうかというところ。テンポイントには事前に午後からは練習の時間にあてると言っているのでもう少ししたら来るだろう。始業式に出席した後トレーナー室へと帰ってきた俺は練習の準備をしておく。

 ただ、朝の間にできるだけのことは済ませておいたので後はテンポイントを待つのみとなった。トレーナー室で少し暇を持て余しながら、テンポイントのことを考える。

 

 

「この夏合宿で落ちた筋力は大分取り戻してきた……。このまま順調にいけば目標通りに行けるだろう。ただ……」

 

 

 このままではレースの世界への復帰は難しい。俺はそう考えていた。その理由は、骨折した時のトラウマが原因で第4コーナーを曲がれないという現状だ。

 テンポイントもきっと、頭の中では分かっているのだろう。所詮過去のことだと、頭の中ではそう割り切ることはできる。だが、彼女の身体はそうはいかない。また折れてしまわないかという恐怖、それが彼女の身体を縛りつけているのかもしれない。俺達は第4コーナーを曲がれない原因についてそう結論を出した。

 元々、医者の先生からもトラウマのことは言われていたがそれでもショックは大きい。順調に来ていた道のりに突如として現れた大きい壁。それが目の前に立ちはだかっているのだから。

 ただ、不安は不思議となかった。理由は単純。

 

 

「俺達なら乗り越えられる、きっと、テンポイントもそう思っているはずだからな」

 

 

 弾んだ声でそう呟く。呟いてから辺りを見回して誰かいないかを確認するが、誰もいなかったことに胸をなでおろした。そのまま、テンポイントが来るまでの間PCと向き合ってトラウマの対策について考えていく。不安はないといっても、楽観視していられないのも事実だ。少しでも万全の状態に戻すため、情報を集める必要がある。

 

 

「う~ん……、やはりこの方法が今打てる最善手か……」

 

 

 俺はトラウマの克服に関する数ある情報の中から1つの情報が目に留まる。それは成功体験を徐々に積み重ねていく、というもの。

 最初からハードルを高くするのではなく、低いハードルを徐々に上げていって最後にはトラウマ自体を克服するという方法だ。時間こそ掛かるが、最も確実な方法と言える。

 短期でトラウマを克服する方法なら、トラウマ自体を忘れるというものもあった。ただ、これはあまり期待できないだろう。嘆息しながら呟く。

 

 

「第4コーナーはほぼ全てのレースに存在している。忘れるなんてことはできないだろう」

 

 

 そもそも記憶から忘れたところで身体が覚えているのだ。多分やったとこで無意味だろう。

 PCの画面とにらめっこしながら作業をしていると、扉を開けて誰かが入ってきた。相手は分かっているので俺は入ってきた人物に声を掛ける。

 

 

「来たか、テンポイント」

 

 

「おはようさん、トレーナー。とりあえず昼食にしよか」

 

 

「そうだな。用意してあるからソファにでも座って待っててくれ」

 

 

「はいはーい」

 

 

 そう言ってテンポイントはソファに座ってテレビを見始めた。俺は用意してあった昼食をテンポイントの下へと運んでいく。

 昼食を食べているテンポイントに俺は今日の練習の予定を説明する。

 

 

「さて、食べながらになるが聞いてくれ。今日の練習の予定だ」

 

 

 テンポイントは食べているものをしっかりと飲み込んでから答える。

 

 

「ん、了解。今日はなにするんや?」

 

 

「今日の練習はトラウマが起きる条件を改めて確認していこうと思っている。1人で走っていても起きるのか、本当に第4コーナーを曲がることが条件なのか、他に条件があったりしないか、それをしっかりと確認していく。それが判明したら、次はそれを克服するためにどう対策するかをもう一度2人で考えていこう」

 

 

 テンポイントは昼食を食べながら頷く。

 

 

「じゃあ、食べ終わって2時間ほど経ったら練習を始めよう。今回は夏合宿の時とは違って他に走る相手はいない。自分のペースで走ってみてくれ」

 

 

「んく。了解や」

 

 

 そのまま俺はテンポイントが食べ終わるまで一緒にテレビを見ながら待っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昼食を食べ終わって少し経った後。俺達はレース場へと足を運んでいた。テンポイントは走る前にしっかりとウォーミングアップを済ませている。

 彼女のウォーミングアップが済んだ後、俺は早速今日の練習を始めることにした。

 

 

「よし。じゃあまずは当時の状況で走ってみよう。右回り1周を外ではなく内側を走るイメージで頼む」

 

 

「日経新春杯と同条件やな。分かった」

 

 

 テンポイントは位置について、俺の合図で走り始める。ストップウォッチを確認しながらテンポイントの走りを観察する。

 走りのフォームも大分戻ってきており、全盛期のタイムよりは落ちるものの、復帰から3ヶ月でこれならば上出来という他ないだろう。第3コーナーまでは快調に飛ばしていた。

 そして迎えた第4コーナー。やはりというかテンポイントは失速する。先程までブレなかったフォームに突如としてブレが生じる。そのせいで思うように加速することができず、結果として減速することとなった。思わず顔が歪みそうになるが、何とか表情には出さないように気をつける。

 1周して戻ってきたテンポイントにタオルを渡しながら尋ねる。

 

 

「やっぱり、フラッシュバックしたか?」

 

 

 息を整えながらテンポイントは答える。

 

 

「やな。やっぱおんなじ条件やし、当たり前な気はするけど」

 

 

「一応の確認だからな。悪い」

 

 

「ええよ。これもトラウマ克服して復帰するためや。問題ないで」

 

 

「よし。なら休憩を取った後は今度は左回りで1周だ」

 

 

「分かった」

 

 

 テンポイントはそう答えて休憩を取る。

 休憩を取り終わったテンポイントは早速スタート位置に着いた。今度は左回りで走り始める。先程と同じように、第3コーナーまでは問題なかった。しかし、第4コーナーでやはりというべきか大きく減速する。

 その後も色々な条件で走ってみた。内で走るのが原因か、それとも外が原因か。走る距離を長くしても起こるのか。それとも短くすると起こらないのか。他のウマ娘がいるのかは併走相手がいなかったので後日に回すことになったが、それ以外の条件はできる限り試し続けた。

 少し空が夕暮れに染まってきた頃。最後の走りを終えたところで俺はテンポイントに告げる。

 

 

「よし!今日の練習はここまでだ!早めに切り上げるぞ!」

 

 

 俺の言葉に、テンポイントは疑問の表情を浮かべていた。

 

 

「あれ?もう終わりなん?まだ時間あると思うんやけど」

 

 

「今日の練習はあくまでトラウマの条件を調べるためのものだからな。今日の走りのビデオは撮ってあるし、この後はそのビデオを見ながらこれから先どうしていくかを考えていくぞ」

 

 

「分かった。やったら、トレーナー室戻ろか」

 

 

 俺達はトレーナー室へと戻る。

 トレーナー室に戻った俺達は今日撮ったビデオを見ながらトラウマの条件が何かを考え始める。とは言っても、夏合宿で大体察しがついていた通りの条件だった。

 

 

「距離は特に関係なし。やっぱり第4コーナーを曲がることが条件のようだな」

 

 

「やな。加えるんやったら第4コーナーを内で曲がろうとすると、やな」

 

 

「スパートのタイミングは特に関係なし。外で走ると多少緩和はされるもののそれでも減速は免れない……といったところだな」

 

 

「右回りも左回りも関係ないんは模擬レースで分かっとったことやからあんまり驚かんけど、スパートのタイミングも関係なかったんやな。これは結構デカいんやないか?」

 

 

「確かにデカいが、第4コーナーで減速が免れないという現状、スパートのタイミングは必然的にずらす必要がある。タイミングを早めるか、それとも遅くするか……それも課題だな」

 

 

「早めても減速するし、そっからまた加速することになるやろ?スタミナと脚の消費も激しそうやし、遅くする方がええんちゃうか?」

 

 

 2人で話し合いをしながら走りをどうするかを考えていく。そんな折、俺は朝調べていたトラウマの克服方法についてテンポイントに話すことにした。

 

 

「そうだテンポイント。お前が来るまでの間トラウマの克服方法について考えていたんだが、丁度いいのがあったんだ」

 

 

「ん?どんな方法なん?」

 

 

 俺は少し緊張しながらもテンポイントに告げる。

 

 

「初めから高いハードルを越えようとするんじゃなくて、低いハードルを徐々に高くしていくものだ。成功体験を積み重ねるってやつだな。最初はそうだな……第4コーナー競歩に近い速度で回ってみることから始めるか」

 

 

「そうやな……。確かに、今のボクらはトラウマをどう抑えて走るかに焦点を当てとったけど、いずれ完全に復帰するんやったらトラウマは克服せなアカン。時間はかかるけど、それをやってみるのもありかもしれんな」

 

 

「なら、次からはそうしてみよう。ちなみに短期で克服する手立ての中にトラウマ自体を忘れるなんてものもあったぞ」

 

 

 俺は冗談交じりに短期でトラウマを克服する方法を告げる。向こうも冗談だと分かっているのか、笑いながら答えた。

 

 

「無理に決まっとるやろ!そんなすぐ忘れたら苦労してへんわ!催眠術でもやるんか?」

 

 

「だよな。ま、短期の克服方法については没だ。成功体験を積み重ねていく方法で頑張っていこう」

 

 

「そうやな。小さいことからコツコツと……やな」

 

 

 俺達はそう結論を出した。後は今後の練習方法について詰めていく。

 話し合いが一段落したところで、俺達は飲み物でも飲みながらゆっくりすることにした。特に話すことなく時間は流れていく……と思ったら、テンポイントがこちらに話題を切り出してきた。

 

 

「そうやトレーナー。今度の聖蹄祭はどうするん?」

 

 

「聖蹄祭か……そういえばもうそんな時期だな」

 

 

 色々とやることがあったのですっかり忘れていたが、もうすぐ聖蹄祭の時期だ。俺は少し考える。

 いつもならば何かの屋台を出していたが、今年に関しては特に予定が決まっていなかった。つまるところ、何も考えていない。俺は素直にそう答える。

 

 

「今年はなに出すか決まってないな」

 

 

「そうかそうか。やったらボクトレーナーにお願いがあるねん」

 

 

 テンポイントが声を弾ませてそう言ってきた。

 

 

「何か予定があるんだったら、俺1人でなんかの屋台を出しておくが?」

 

 

「いや、それやと都合が悪くなるねん。できれば屋台は出さんでもらえると助かるわ」

 

 

「うん?どういうことだ?」

 

 

 頭に疑問符を浮かべている俺に、テンポイントは笑顔で告げる。

 

 

「簡単や。今度の聖蹄祭、ボクと一緒に見て回らんか?前言うてたやろ?一緒に屋台制覇したろうって」

 

 

「あぁ、そういえばそんなこと言ってたな」

 

 

 特に予定も決まってなかったことだし、別に問題はない。俺はテンポイントの提案を快諾する。

 

 

「分かった。だったら予定は空けておこう。聖蹄祭、一緒に見て回るか」

 

 

「あ、もしかしたらキングスやお母様とも見て回ることになるかもしれへんけどそれでもええか?」

 

 

「別に問題ないぞ。大人数の方が楽しいだろ」

 

 

「よっしゃよっしゃ!やったらそれで頼むわ!」

 

 

 テンポイントは小躍りしそうな勢いで喜んでいる。その姿に俺は自然と笑みが零れる。

 その後は少しだけ会話をして、テンポイントに晩御飯を渡して別れる。お互い笑顔で別れた後、俺は1人になったトレーナー室で1人呟く。

 

 

「……さて、今後の練習内容もある程度固まってきた。後はアイツの復帰レースをどうするか、だな」

 

 

 普通であれば、オープンレースを使うのが望ましいだろう。復帰レースで重賞を狙うのは得策じゃないし、調子を確認するという意味でもオープンレースが最適だ。普通ならば。

 だが、今回に限っては少し状況が違った。俺はある資料に目を通しながら1人呟く。

 

 

「海外のウマ娘と鎬を削るいい機会、お祭りのようなものだと思ってくれ……、か。勝敗を気にしなくていいってのは、気が楽かもしれないな」

 

 

 もっとも、出る以上は勝ちに行く。その気持ちは変わらない。

 

 

「出走登録はまだ、応募者多数の場合はURAの審査の下出走するウマ娘が選ばれる。だが、重賞の選定基準でいくのであればテンポイントなら間違いなく出走できるはずだ」

 

 

 怪我によって離脱しているものの、テンポイントの実績を考えたらほぼ間違いなく出走できるだろう。俺はそう確信していた。

 だからこそ、俺はこのレースをテンポイントの復帰戦にすることに決めた。後はテンポイントが首を縦に振るかである。

 

 

「せっかくの機会だ。試させてもらうとしますか」

 

 

 ジャパン・ユニバーサル・レーシング・カップ。世界のウマ娘と闘えるこの機会を逃すわけにはいかない。これをあの日進むことのできなかった海外挑戦への足掛かりにする。

 なら後は、復帰のために全力を尽くすだけだ。テンポイントをベストな状態で持っていくために。タイムリミットは年末。長いようで、短い。だが、問題はない。

 俺は自然と笑みがこぼれながらも、テンポイントの今後の練習内容を考えていった。




ブルーロック全巻を揃えましたやったぜ。


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第123話 聖蹄祭開幕

2人で回る聖蹄祭回


 9月半ば、朝のトレセン学園。この日はいつもとは違って生徒や職員だけではなく一般の人達にも校内を出歩いている。

 今日は聖蹄祭の日。校内では個人で郷土品をアピールしている生徒やチームでお店を開いている生徒達の屋台が所狭しと並んでおり、大きな賑わいを見せている。特設ステージや体育館ではトレセン学園の生徒達による演劇やミニライブが開かれており、ファンの人達は自分の推しウマ娘の姿を見ようとプログラムと睨めっこしながら予定を立てているのか考え込んでいた。

 そんな中ボクはトレーナーと一緒に出店を回っていた。目標は勿論、いつかの春のファン大感謝祭で立てた屋台全店舗制覇である。

 時間はたっぷりとあるのでトレーナーと歩きながら屋台を眺めていた。

 

 

「今年もいろんなお店があるなぁ。どれから入ろうか迷うわ」

 

 

「そうだなぁ……おっ、地方出身のウマ娘が郷土品を紹介しているぞ。ちょっと見て行かないか?」

 

 

「お、ええやん。どこの郷土品やろ?」

 

 

 そんな会話をしながらボク達は2人で聖蹄祭を見て回っていた。心なしか、ボク達のテンションはいつもより高かった。お祭りの雰囲気にあてられているのかもしれない。トレーナーはこういった催しが好きだし、ボクも嫌いではない。2人で聖蹄祭を楽しんでいた。

 ただ1つ、残念な、というよりは疑問に思っていることがある。トレーナーも疑問を抱いていたのか、ボクに尋ねてきた。

 

 

「そういえば、ワカクモさん達はどうしたんだろうな?俺達と回ろうっていったら遠慮しだして」

 

 

「う~ん……分からへん。お母様何考えてねんやろな?」

 

 

「それに、どこか様子もおかしかったよな?俺達を見てニヤニヤしてたし」

 

 

「なんやったろうな?あの表情」

 

 

 元々この聖蹄祭はお母様達と見て回ろうと思っていたのだが、ボクとトレーナーが一緒にいる姿を見た瞬間、ニヤニヤした表情で遠慮しだしたのだ。その時のことを思い出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝の時間、聖蹄祭も始まって間もない頃。ボクはキングスと一緒に正門前でお母様達を待っていた。

 

 

『お姉、母さんは何時に来るって言ってたし?』

 

 

 ボクは時計を確認して、お母様からのメッセージを確認する。

 

 

『そろそろやな。もうちょいで来ると思うで』

 

 

『それにしても、お姉と感謝祭を見て回るのは初めてだし!あたし楽しみだし!』

 

 

 キングスは笑顔でそう告げる。ボクも頬を綻ばせながらキングスの言葉に答える。

 

 

『なんやかんや、キングスと一緒に回ったことないもんな。ボクも楽しみやで!』

 

 

『うん!今日は楽しもうね、お姉!』

 

 

 ボク達は笑顔でそう会話をしていた。

 それから程なくしてお母様達が手を振りながらこちらへと近づいてきた。

 

 

『テン!キン!来たわよ!』

 

 

『2人とも元気そうやなぁ!良かった良かった!』

 

 

『母さん!父さん!待ってたし!』

 

 

 キングスは嬉しそうにお母様達の下へと向かう。そんな折、丁度いいタイミングで仕事の引継ぎが終わったトレーナーがやってきた。

 

 

『待たせたなテンポイント。それと、お久しぶりです。ワカクモさん、ご主人』

 

 

『トレーナー。いや、丁度ええタイミングや。お母様達も今来たところやしな』

 

 

 トレーナーの登場に、お母様達は笑みを浮かべて応対した。

 

 

『まぁ神藤さん!お久しぶりですね。テンやキンがいつもお世話になっております!』

 

 

『神藤さん!いつも出店してるて聞いとりますけど、今回は出店はなさらないんですか?』

 

 

『あぁ、今回はテンポイントから一緒に見て回らないか、と誘われておりまして。なので出店は見送ろうかと。どうしても出店しないといけない理由があるわけでもありませんし』

 

 

『へぇ、テンが……』

 

 

『ほうほう、テンが……』

 

 

 トレーナーの言葉に、お母様達はまるで悪戯っ子のような笑みを浮かべてながら呟いた。一体どうしたのだろうかと思っていると、お母様達は何かを思いついたかのような表情をした後、ボク達に申し訳なさそうに告げた。

 

 

『ごめんねぇテン。母さんたちど~~~しても寄りたいところがあるのよぉ』

 

 

『せやせや!ど~~~しても寄りたいもんがあってな!申し訳ないんやけど、一緒に見て回れそうにないわ!』

 

 

 ……なんというか、すごくわざとらしくそう言われた。ただ、そう言うのであれば仕方がない。少し残念だが、お母様は多分曲げないだろうし、お父様も曲げることはないだろう。

 トレーナーは残念そうにしている。

 

 

『そうですか……少し残念ですね。色々とお話ししたいこととかあったのですが』

 

 

『ほんっと~に!申し訳ありません神藤さん!』

 

 

『それに!話やったら聖蹄祭が終わった後にでもゆっくり話しましょ!私達も今日と明日はこっちにおる予定ですし!』

 

 

 手を合わせて謝っている。だが、どことなくわざとらしさを感じるのは気のせいだろうか?まぁ、気にするだけ無駄だろう。

 するとキングスがボクの方へと近づいてくる。

 

 

『じゃあ、あたしはお姉達と一緒に……』

 

 

 しかし、キングスがこちらに来ることは叶わなかった。お母様とお父様に肩をしっかりと掴まれてそれ以上ボク達のところへと近づくことは許されなかった。

 キングスは戸惑いながらお母様達に尋ねる。

 

 

『え、え~と……母さん?父さん?あたしお姉達と一緒に見て回るんだけど……』

 

 

 しかし、圧の強い笑みを浮かべながらお母様がキングスに告げる。

 

 

『何言ってるのキン。あなたには私達の案内をする役目があるでしょ?』

 

 

『せや。どうしても行きたいとこある言うても、どこにあるかまでは分からへんからな。お前に案内してもらわんと』

 

 

『え、それだったら別にあたしじゃなくても……』

 

 

 キングスの主張もお構いなしに、お母様達はキングスの手を引っ張っていった。

 

 

『さぁ行くわよキン!それでは神藤さん、私達は私達で聖蹄祭を楽しみますので!』

 

 

『積もる話は、また夜にでも会って話しましょう!ホラ、はよ行くでキン!』

 

 

『ちょ、ちょっと待って!?あたしはお姉達と……ッ!ちょ、力強!?歩くから!歩くからそれ以上引っ張らないで欲しいし!』

 

 

 そのまま、お母様達はどこかへといってしまった。最後までお母様とお父様はニヤついた表情だった。

 

 

『……なんやったんや?』

 

 

『分からん……。とにかくいえることは、俺とお前の2人で聖蹄祭を回ることになったってことだな』

 

 

 残されたボク達は、そう呟くしかなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……まぁ、こんなことがあって元々予定していたお母様達と聖蹄祭を見て回るという約束はあちらの都合でなくなり、代わりにボクとトレーナーの2人で聖蹄祭を回ることとなったのだ。終始浮かべていた笑顔の真意は、ボクとトレーナーもどちらも分からなかった。

 そんなことを考えながら、トレーナーと一緒に屋台を見て回り気になったお店があったら立ち寄り購入する商品を吟味する。やがて、2人の考えが一致した商品を買うことになった。

 

 

「すいませ~ん店員さん、こちらを1つ」

 

 

「は~い!お買い上げありがとうございま~す……って、神藤さんじゃないですか!なら、こちらおまけしときますね!」

 

 

「おいおい良いのか?」

 

 

「いいんですよ!この前私の小物を直してもらったお礼です!」

 

 

「そういうことだったら、ありがたくもらっておくよ」

 

 

「それじゃあ!また来てくださいね~!」

 

 

 店員の生徒はこちらに手を振りながら見送ってくれた。ボクもトレーナーも手を振って答える。この対応にも慣れたものだ。

 こうしておまけを貰うのは初めてじゃない。割と、というよりは結構な数の屋台でトレーナーはおまけと称して色々な物を貰っていた。理由はトレーナーにお世話になったお礼というのが大半を占めている。こういったトレーナーの姿を見ていると、やっぱり生徒からの人気は高いだな、と思わずにはいられない。それに、トレーナーが他の生徒に慕われているとなるとボクも誇らしい気分になる。後、謎の優越感に浸れる。

 そうして優越感に浸っていると、ボクは誰かから声を掛けられた。

 

 

「あ、あの。テンポイントさんですよね?」

 

 

「?はい、そうです。ボクに御用でしょうか?」

 

 

 振り向いて確認してみると、若い女性の2人組がボクをキラキラした目で見ていた。そしてボクの答えに黄色い声を上げる。

 

 

「や、やっぱり本物だ!まさか偶然会えるなんて……!」

 

 

「あ、あの!一緒に写真撮ってもらってもいいですか!?」

 

 

 ファンの人達の言葉に、ボクは笑みを浮かべながら答える。

 

 

「勿論、ええですよ。トレーナー、ちょいええか?」

 

 

「どうした……って、写真か。分かった。それではお姉さん方、私が撮りますので携帯をお借りしますね」

 

 

「は、はい!お願いします!」

 

 

 2人組はトレーナーに携帯を渡してボクの方へと近づいてくる。そして、ボクを挟むような立ち位置を取った。

 

 

「は~い、それじゃあ撮りますよー」

 

 

「「お、お願いします!」」

 

 

「……はい!撮りました!こんな感じで大丈夫ですか?」

 

 

 トレーナーがファンの人に携帯を返す。撮った写真を確認すると、嬉しそうな声を上げてお礼を言ってきた。

 

 

「ありがとうございます!テンポイントさんと、そのトレーナーさん!」

 

 

「復帰レース、楽しみに待ってますね!」

 

 

「応援おおきにです!復帰する日を楽しみに待っとってください!」

 

 

 2人組は足早にどこかへと向かっていった。ボク達は笑顔で見送る。

 姿が見えなくなったタイミングで、トレーナーがボクに楽しそうな声で話しかけてきた。

 

 

「人気者だな。今の2人組で何人目だっけか?」

 

 

「う~ん……、8人目やったか?応援してもらえるんは素直に嬉しいわ」

 

 

「ま、そうだな」

 

 

「ボクもそうやけど、トレーナーもモテモテやんか。さっきおまけしてもろうたんで何人目や?」

 

 

 ボクはニヤつきを抑えながらもそう尋ねる。トレーナーは特に表情を崩すことなく答えた。

 

 

「5人目だな。他のお客さんよりも贔屓されている感があるから良くないとは分かっているんだが、好意を無下にはできないからな」

 

 

「それに、トレーナーに世話んなった子達やろ?やったら問題ないんちゃう?商品やないみたいやし」

 

 

「まあ大丈夫だろう。それに、慕われるのはやっぱり嬉しいからな」

 

 

 ボク達はそんな他愛もない会話をしながら次はどこに行こうかと歩いていた。

 しばらく歩いていると、カイザーと会った。向こうもボク達に気づいたのか、手を振りながらこちらへと近づいてくる。

 

 

「テンポイントさん!神藤さん!お2人で回ってるんですか?」

 

 

「カイザー!そうやで。ボクとトレーナーで回っとるとこやねん。カイザーはなにしてるんや?」

 

 

「私ですか?私は今からハダルの方でシフトが入ってるので向かってるところです」

 

 

「ハダルの出し物っていうと……、春のファン大感謝祭でも好評だった和風喫茶だったか?」

 

 

「そうですね。良かったらお2人も来ませんか?サービスしますよ!」

 

 

 カイザーが笑みを浮かべながら提案してきた。丁度休憩をしようかと思っていたところだったので、カイザーのお願いを承諾する。

 

 

「ええなぁ。サービスって何してくれるん?」

 

 

「そうですね……お冷を出します」

 

 

「……いや、それ普通のことやんけ!サービスには違いないけど!」

 

 

 ボクがそうツッコむと、カイザーはおかしそうに笑いながら答える。

 

 

「フフッ、冗談ですよ冗談。はい、これを差し上げますね」

 

 

 そう言って、カイザーはボク達に一枚の紙を手渡してきた。確認してみると、どうやらクーポンのようである。

 カイザーは続ける。

 

 

「本当はハダルが主催しているミニゲームをクリアすると貰えるものなんですけど、お2人には特別に差し上げますね。問題なく使えるはずです」

 

 

「ええんか?問題になったりせぇへん?」

 

 

「大丈夫ですよ。お祭りなので気にする人はいません。チームメイトの何人かも、親しい人物に配っているみたいですし」

 

 

 そういうことなら、ありがたく使わせてもらおう。カイザーにお礼を言う。

 

 

「そういうことやったらありがとな!カイザー!後で行かせてもらうわ!」

 

 

「はい。お待ちしてますね、テンポイントさん、神藤さん」

 

 

 そうしてカイザーはハダルのお店の方へと向かっていったのだろう。ボク達と別れた。

 確か、ハダルの出し物は春のファン大感謝祭と同じ和風喫茶。だったら、昼食を食べてから行った方がいいだろう。それに時間も丁度いい感じだ。トレーナーに提案する。

 

 

「トレーナー。丁度ええ時間やし、お昼食べに行かんか?」

 

 

「そうだな。だったら、リギルの出し物に向かうか。確かそれ系の店を出してるはずだし」

 

 

「そうやな。それにもしかしたら、ボーイの接客しとるとこ見れるかもしれんしな。揶揄いがてら向かうおうや!」

 

 

「はいはい」

 

 

 ボクとトレーナーはお昼ご飯を食べるためにリギルの出し物へと向かう。これからのことを考えると、道中ボクはスキップしそうなぐらいにはテンションが上がっていた。

 聖蹄祭はまだまだ始まったばかりである。




今期のアニメは豊作だなぁ。個人的イチ押しはブルーロックとぼっち・ざ・ろっくです。


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第124話 ファンの声

聖蹄祭の続き回


「ほい!これでええかな?」

 

 

 ボクはファンの子と握手を交わす。ファンの子は嬉しそうな表情を浮かべると、ボクにお礼を言う。

 

 

「は、はい!ありがとうございます、テンポイントさん!」

 

 

「ええですよこれくらい。なんぼでも受けたります。これからも応援よろしゅうお願いしますね!」

 

 

「勿論です!復帰レース、楽しみに待ってますね!」

 

 

 そう言って、ボクのファンの子は足早に去っていった。ボクとトレーナーはそれを笑顔で見送る。ファン感謝祭ではこういったファンとの交流も可能なので彼ら彼女らの声を直接聞けるというのはありがたい限りだ。

 トレーナーがからかうような口調でボクに言う。

 

 

「人気者だな。握手はこれで20人目、声を掛けてきたのはもう数えきれないくらいだからな」

 

 

「フフン、それほどでもあるわ。やけど、やっぱ嬉しいな。こうやってファンの子達から直接応援の声を貰うんは」

 

 

「そうだな。ファンの声が力になる。時には重荷にもなるが、やっぱり応援されたら嬉しいからな」

 

 

 そんな会話をしながらボク達は目的地へと向かう。目的の場所は、リギルが開いている出店だ。パンフレットによると、どうやら軽食を中心としたカフェを開いているらしい。

 それから歩いていると、リギルのお店に着く。ただ、結構並んでいた。春のファン感謝祭でもかなりの数並んでいたので、やはり人気のあるチームなのだと再認識させられる。

 待ってる間、トレーナーと会話をして時間を潰したり、リギルの人から渡されたメニュー表を確認しながらどれを食べるかを決めていく。こうやって待つ時間もお祭りの醍醐味だろう。不思議と嫌な気分はなく、むしろ少し気持ちは高揚していた。

 しばらくトレーナーと会話をしながら待っているとボク達の番がくる。

 

 

「は~い!そこのイケイケなウマ娘とヤンエグなトレーナーさ~ん!お姉さんが席にご案内いたしますね~!」

 

 

「お姉さんも何も、ボクと変わらんやろ。マル」

 

 

「どういうコンセプトの店なんだ。服はメイド服なのに」

 

 

「やぁねぇ。知り合いだから固いこといいっこなしなし!ホラホラ、席に案内するわ!」

 

 

 そう言われて、ロングスカートのメイド服を着たマルの案内に連れられてボク達は席に着く。見渡す限りでも、席は満席だった。大盛況らしい。

 しばらく待つと店員さんが注文を聞きにやってきた。ボクはその姿を確認する……と同時に、目を見開いた。

 

 

「おっ帰りなさいませー!ご主人様……ってテンさんと誠司さんじゃねぇか!来てくれたんだな!嬉しいぜ!」

 

 

 注文を聞きに来たのは、なんとボーイだった。しかも、マルと同じようにロングスカートのメイド服を着て結構ノリノリだ。普段からあまりスカートを好まない傾向にあるボーイがスカートというだけでもレアなのに、さらにメイド服だ。驚きで思わず固まってしまう。

 驚きで固まっているボクとは違い、トレーナーはそのまま注文を始める。

 

 

「すいません、オムライスを1つと……テンポイントはこのサンドイッチのセットだったよな?」

 

 

「え、あ、うん。それで」

 

 

「かっしこまりました!オムライスとサンドイッチのセットですね!ごゆっくりとお待ちくださーい!」

 

 

 ボーイはそのままカウンターの方へと向かっていった。そこでようやくボクは固まった状態から復活する。

 

 

「ビックリしたぁ。ボーイのスカートなんてレアなんてもんやないで。執事服もあるみたいやからそっちを選んどると思うてたわ」

 

 

「まぁトウショウボーイの性格を考えたらそっちの方が自然かもな。でも似合ってるんじゃないか?」

 

 

 そう言われてボクはボーイの姿を遠目で確認する。

 

 

「……まぁ似合っとるな。悔しいけど」

 

 

「なんの悔しさだよ」

 

 

 トレーナーからのツッコミが入りつつもボクはボーイの様子を観察する。どうやら、お客さんには大好評らしい。あちらこちらで黄色い声が上がっていた。少しばかり嫉妬する。

 

 

「トレーナー。ボクかてメイド服を着ればあんくらい……!」

 

 

「何を競ってるんだお前は」

 

 

 トレーナーは呆れたような表情でボクを見ている。確かに、意味不明なことを口走ったとボク自身思っている。

 程なくして注文した料理がボク達のところへと運ばれてきた。運んできたのは、これまたメイド服を着たハイセイコー先輩である。どうやらボーイ経由でボク達が来たことを知ったらしい。笑みを浮かべていた。

 

 

「お待たせしましたご主人様。ご注文のオムライスとサンドイッチのセットですね」

 

 

 ハイセイコー先輩は注文した料理をボク達のテーブルへと置く。そして、そのままボク達の席に座ってきた。一体どうしたのだろうか?

 

 

「……なんで座ってるんだ?ハイセイコー。仕事に戻った方がいいんじゃないか?」

 

 

 トレーナーの疑問に、先輩は涼しい顔で答える。

 

 

「私は今から休憩でね。せっかくだからお話でもしていかないかい?」

 

 

「周りの奴らの視線を見てみろ。俺にだけ殺意の籠った視線を送られてるぞ。どこかに行ってくれ」

 

 

「なんだい?神藤さんはこんなに可愛いメイドさんと会話をしてくれないのかい?私は悲しいよ……。神藤さんがそんなに薄情な人だったなんて……」

 

 

 ハイセイコー先輩はわざとらしく泣きまねをしている。それと同時に、トレーナーに向けられる目線は一層鋭くなった。観念したようにトレーナーは答える。

 

 

「そのわざとらしい泣きまねを止めてくれ!分かったから!」

 

 

「最初からそう言ってくれればいいのさ」

 

 

 やはり泣きまねだったらしい。ハイセイコー先輩の表情はコロッと変わっていた。

 

 

「しかし、俺達に何か用でもあるのか?別になくても構わないけど」

 

 

「まぁ特別用があるわけじゃないさ。ただ楽しくお話がしたい、それだけだよ」

 

 

「やけど、先輩人気ですし他の人達が黙ってないんやないですか?」

 

 

「大丈夫さテンポイント。何も神藤さんをからかうためにこういうことをやっているわけじゃないのさ」

 

 

 そう言ってハイセイコー先輩はボク達に一枚のビラを渡してきた。そこには、【あなたの推しウマ娘と素敵なひと時を!リギルの喫茶店へ是非ご来店ください!】と書かれていた。そして、リギル所属のウマ娘との会話も可!とも書かれている。

 つまるところ、これも出し物の一環なのだろう。それをわざわざ休憩時間を割いてやってくれているのだから先輩に対して尊敬の情念が湧く。ただ、ハイセイコー先輩を苦手としているトレーナーは何ともいえない表情をしていたが。

 そこからハイセイコー先輩ととりとめのない会話をしていく。話題は基本的にボクのことだった。

 

 

「時にテンポイント。練習は順調かな?」

 

 

「順調です。これやったら年内には復帰できそうです。まぁ、ちょい大きな壁がありますけど……」

 

 

「そうだね。私も、少しだけ話には聞いている。きっと、君も苦しんでいるだろう」

 

 

 ハイセイコー先輩は柔らかい笑みを浮かべてボクに告げる。

 

 

「でも、君には私達やファンの子達、それに何より、神藤さんがついている。きっと乗り越えられるさ。君が復帰できるその日を心から願っているよ、テンポイント」

 

 

「……はい!ありがとうございます!」

 

 

 ボクは頭を下げてハイセイコー先輩にお礼を言う。

 そんな時、周りの声が聞こえてきた。

 

 

「……見てみて!ハイセイコー様とテンポイント様のツーショットよ!……」

 

 

「……さ、撮影禁止なのが惜しまれるぐらいの状況!だから、せめて私の記憶に焼きつけておかないと!……」

 

 

「……あそこにいるのはテンポイントのトレーナーか?クソ、テンポイントだけでも羨ましいのにハイセイコーにも気に入られてるなんて!……」

 

 

「……今羨ましいっていう感情だけで人殺せるんだったら間違いなく殺せる。あの野郎……」

 

 

 多分、トレーナーにもその声は届いていると思うのだが涼しい顔をしてオムライスを食べていた。ボクはトレーナーの胆力を素直に尊敬する。

 そのまま食べ終わって会計を済ませると、足早にボク達は店を後にした。道中、ボクはトレーナーに尋ねる。

 

 

「トレーナー、あの状況でよう普通に食えたな?」

 

 

 トレーナーは苦々しい表情で答える。

 

 

「……生まれて初めてだよ。味を感じなかったのは」

 

 

 ……結構堪えていたらしい。ボクは励ますようにトレーナーの肩にそっと手を置いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リギルの後はデザートということでハダルの和風喫茶へと足を運んだ。その道中、グラスと出会う。向こうもこちらに気づいたのか、手を振っていた。

 

 

 

「テンちゃ~ん、神藤さ~ん。2人は今からどこに行くの~?」

 

 

「ボク達はカイザーんとこ行くとこやな」

 

 

「そうなんだ~。私も一緒に行っていい~?暇なんだよね~」

 

 

「構わないぞ。一緒に行くか」

 

 

 というわけで、偶然出会ったグラスと一緒にハダルの和風喫茶へと行くことになった。

 こちらもリギルに負けず劣らず、中々の盛況ぶりである。店員さんたちは忙しそうに目を回していた。

 ただ、そんな中でも特に目立つ子がいる。銀色の髪をウルフカットにした少女、プレストウコウだ。彼女はお客さんに向かってめいいっぱいアピールをしている。

 

 

「みなさーん!今日はこのプレストウコウを!このプレストウコウの名前を覚えて帰ってくださいねー!私お手製のグッズもありますよー!安いですよー!」

 

 

「勝手に変な物売っちゃだめだよぉプレちゃぁん?さっさと注文取ってきてねぇ」

 

 

「変な物とは何ですかタケホープ先輩!これは私のイメージを上げるためにも必要なものです!それはそれとして注文は取りにいきます!」

 

 

 プレストウコウは小走りでお客さんの下へと向かっていった。それを見てボクは微笑ましく思いながらトレーナーと会話をする。

 

 

「努力が報われるとええな。プレストウコウ」

 

 

「今までのレース、基本的に不憫な目にしかあってないからな。ファン人気はあるからここからイメージアップにつながることを願っておこう」

 

 

「春の天皇賞はアレだったからね~。頑張って欲しいよね~」

 

 

 ボク達は注文した和風のデザートをつまみながらそう会話をする。そんな時、お客さんから声を掛けられた。

 

 

「テンポイントだー!」

 

 

「うん?」

 

 

 そちらの方へと視線を向けると、小さい男の子がボクの方を指さしてボクの名前を呼んでいた。近くにいる両親が慌てた様子で子供をたしなめている。

 

 

「こ、コラ!す、すいませんうちの息子が……」

 

 

「大丈夫ですよ。ほ~らぼく~?本物のテンポイントやで~」

 

 

 そう言いながらボクは笑みを浮かべて子供の方へと向かい握手を交わす。その子はとても喜んでいた。ただ、途端に暗い表情をする。何か粗相をしてしまったのだろうか?そう思っていると、少し小さい声でその子はボクに尋ねてきた。

 

 

「……ねぇ?てんぽいんとは本当にふっきできる?」

 

 

「ん?どういうことや?」

 

 

 心配させないように、ボクはやんわりとした口調でその子に尋ねる。するとその子はポツポツと話始めた。

 

 

「友だちが言うんだ。大きいけがしちゃったからてんぽいんとはもうダメだって。それで、ぼく、不安になっちゃって……」

 

 

「……そっか」

 

 

 トレーナーは黙って見守っている。ボクはその子を安心させるように、笑顔で答える。

 

 

「大丈夫や!ボクはちゃんと復帰するし、これからレースでバンバン一着取ったる!」

 

 

「……ほんと?」

 

 

「本当や!約束したる!やから、これからもボクのこと応援よろしゅうな!」

 

 

「……うん!」

 

 

 ボクがそう告げると、その子の表情に笑顔が戻った。ボクは胸をなでおろす。

 ただ、ここはハダルの店内である。勿論他にお客さんがいるわけで、ボクの対応は一部始終みられていたというわけだ。周りから拍手が上がる。それに加えて、ボクを称賛する声も上がっていた。グラスから茶化すように言われる。

 

 

「いよ、テンちゃん神対応~。かっこいいぞ~ひゅーひゅー」

 

 

「やめやグラス!」

 

 

 なんだか恥ずかしくなって、残っていたものをすぐに食べてトレーナーとグラスにも急ぐように促す。

 

 

「ほ、ホラ!トレーナー!グラス!急いで出るで!」

 

 

「ちょ!?待てって!まだ食い終わってないんだから!」

 

 

「別に恥ずかしがることないと思うんだけどな~。あ、私はこのままゆっくり食べてるからお構いなく~」

 

 

 トレーナーもボクに倣うように急いで食べている。グラスはお言葉に甘えてさっさと出ることにした。会計はボクのトレーナーがまとめて払うらしい。グラスはお礼を言っていた。

 トレーナーが食べ終わったのを確認すると足早に会計へと向かった。レジ係をしていたカイザーが悪戯っ子のような笑みを浮かべてボクをからかう。

 

 

「人気者ですねぇ?テンポイントさん。神対応でしたよ」

 

 

「やめーや!はよお会計しぃ!」

 

 

「え~?どうしましょうかねぇ?みなさんテンポイントさんのお姿見たいでしょうしぃ?」

 

 

「はよ!お会計!」

 

 

「はいはい」

 

 

 会計を済ませてボクとトレーナーは足早にハダルのお店を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから時間は経ち、日も傾きかけてもうすぐ聖蹄祭も終わろうかという時間になった。ボクとトレーナーは屋上で2人、休憩を取っている。

 それにしても、色々とあった一日だった。なんとか目標の全店舗制覇も成し遂げることができたし、何よりたくさんのファンから励ましの声を貰った。その度に、ボクは嬉しさを覚えた。

 トレーナーと話す。

 

 

「それにしても、色々あったなぁ今日は。ファンの人からもたっくさん応援の声をもろうたし、頑張らんといかんな!」

 

 

「そうだな。改めて、ファンのありがたみを感じたんじゃないか?」

 

 

「やな。みんなボクの復帰を楽しみに待ってくれとる。……ホンマに、ありがたい限りや」

 

 

 ボクは今日、ファンの人達から貰った応援の言葉を思い出しながら感傷に浸る。胸の奥が暖かくなった。トレーナーも、同じように感傷に浸っている。言葉は交わさずとも、何となくトレーナーの気持ちは分かっていた。きっとトレーナーも、ファンのありがたみを感じているのかもしれない。ボクに応援の言葉をくれたファンの人達を。

 屋上から下の景色を眺めている。そんな時ふと、思い出したかのようにトレーナーがボクに告げる。

 

 

「そうだ、テンポイント。お前に言いたいことがある」

 

 

「ん?なんや?」

 

 

 トレーナーはボクの方を向いて、真剣な表情をしている。トレーナーの言葉をボクは待った。少しの静寂の後、トレーナーが口を開く。

 

 

「お前の復帰レースが決まった」

 

 

 思わず、心臓が飛び跳ねる。冷静さを保ちながら、ボクはトレーナーに聞いた。

 

 

「……どのレースに出るんや?」

 

 

 再び訪れる一瞬の静寂。それを破るようにトレーナーがボクに告げる。

 

 

「〈ジャパン・ユニバーサル・レーシング・カップ〉……。世界のウマ娘を相手に戦えるこの舞台を、お前の復帰戦として使うことを決めた」

 

 

「……ハッ。復帰戦にしては、えらい豪華やな?」

 

 

 ボクは身体が震えるのを感じる。世界のウマ娘と闘えるのだ。楽しくならないわけがない。今すぐにでも、走りたくなる衝動に駆られる。

 

 

「勝ち負けを気にする必要はない……。だが、出る以上負ける気はない。俺はお前が勝てると信じて調整をする」

 

 

「当然や。誰が相手やろうとボクは負ける気はないで」

 

 

「その意気だ。それに、これはお前が世界へ挑戦するための前哨戦だ。このレースの結果次第で、再び世界へ挑戦するかを決める」

 

 

「……あの日行くはずやった世界へ行くんやったら、これぐらい勝ってこい、ってことやな?」

 

 

「ま、そういうことだ。難しいことだとは分かっているが、それでも……」

 

 

「ボクなら大丈夫……やろ?」

 

 

「そういうことだ」

 

 

 ボク達はお互いに笑みを浮かべる。そして、拳を突き合わせて宣誓する。復帰レース、ジャパン・ユニバーサル・レーシング・カップで勝つことを。

 

 

「勝つぞ、テンポイント」

 

 

「勝つで、トレーナー」

 

 

 復帰レースで世界のウマ娘を相手に戦う。傍から見れば無謀極まりないものだろう。だが、ボクに不安はない。

 ボク達ならば問題ない。そう信じているから。聖蹄祭も終わりそうな夕焼け空の下、ボクはそう考えていた。




風斗探偵見たいのに独占配信だから見れない悲しみ。


※冒頭ファンとの握手のところのトレーナーとの会話を少し加筆 11/13


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第125話 不思議な一日

練習と休みの日回


 聖蹄祭が終わってからしばらく経って10月に入った頃。復帰レースも決まったということでボクはより一層気合を入れて練習に励んでいた。

 まず一番に取り組むべきなのは、トラウマを克服すること。いくら落ちた筋力が戻ろうが、元のフォームに戻ろうが第4コーナーを曲がれないという弱点を何とかしないとボクは戦いの土俵にすら上がらせてもらえない。相手は世界だ。なんとしてでもレースの日までには弱点を克服しなければ。そう思いながら練習に取り組む。

 今やっているのは、そのトラウマ克服に向けた練習。第4コーナーをわざと減速してどの程度の速度ならば問題ないかを検証、それが分かったら今度はその速度で曲がることを意識して第4コーナーを曲がれることを身体に覚えさせるものだ。こうして徐々に成功体験を積み重ねていくことで、最終的には元の状態まで走れるようにする……というのが狙いだ。

 トレーナーが指定した距離、2400mをボクは走っている。今は第3コーナー、ここでボクは意図的に、大きく減速した。不安な気持ちを抱えながらもボクは第4コーナーへと差し掛かる。

 

 

(……ッ!まだアカンか!)

 

 

 そうして第4コーナーに差し掛かった時、日経新春杯の光景がフラッシュバックしてきた。さらに減速することになる。減速したところで、ボクは一旦走るのを止めた。

 息を整えながら、ボクは現状について冷静に分析する。

 

 

(この速度でもダメとなると……、ホンマに競歩レベルまで速度落とさんと厳しいっちゅうことか……)

 

 

 一応、競歩程度であれば問題なく曲がれるレベルまで回復したのは前の練習で判明してある。なので、今はそれよりも速度を上げて走ったのだが、いかんせん上手く曲がれなかった。ただ、悲観してばかりもいられない。気持ちを切り替えるべきだ。

 立ち止まって少し休憩を取ったらスタート地点にいるトレーナーの下へと向かった。今後のことについて話し合う。

 

 

「今の速度でもダメか」

 

 

「やな。競歩レベルまで速度を下げんと曲がれんわ」

 

 

 ボクは歯がゆさから拳を強く握りしめる。悲観すべきでないのは分かっている。ただ、それでも復帰レースが決まり、その相手が世界のウマ娘であることが分かった今、やはり焦りは生まれてしまう。

 

 

(どうしても焦ってまう……。割り切るんはやっぱ難しいわ……)

 

 

 ボクの気持ちに気づいてか、トレーナーが気を使ってくれた。

 

 

「……復帰レースに関してはまだ時間はある。焦る気持ちは分かるが、一歩ずつ確実に進んでいくぞ」

 

 

「……分かっとる。焦ったとこでどうにもならんことは、ボクが一番よう分かっとるからな」

 

 

 ボクはそう答える。トレーナーの励ましもあってか気持ちも、幾分か楽になった。

 その後は競歩に近い速度で第4コーナーを曲がることを意識して練習をする。そのまま時間は過ぎて行って、やがて練習が終わる時間になった。

 トレーナー室でミーティングがてら、今日の練習の反省に移る。撮ってあった練習中のビデオを2人で確認しながら今後のことを話し合っていく。

 

 

「今日のとこはほぼ進捗無しやな。まだ競歩程度の速度でしか曲がれんわ」

 

 

「そうだな。だが、フォームの崩れは少しずつだが防げてきている。徐々に速度を上げて曲がれるようになるだろう」

 

 

「その徐々に、が焦点やけどな。成果が出てへんからどうしても焦ってまうわ」

 

 

「その気持ちは分かる。成果が出ないと焦る気持ちはどうしても生まれてしまうからな。だが一歩も進んでいないわけじゃない。地道に積み重ねていくぞ」

 

 

「はいよ。筋肉も戻ってきとるし、フォームの修正も着々と進んどるからな。後はホンマに第4コーナーだけや」

 

 

 今後中心的に取り組むべき練習を2人で決めていく。いい時間になったところで、トレーナーから晩御飯を受け取って帰ることになった。

 帰り際、トレーナーがボクに告げる。

 

 

「そうそう、明日は練習休みだ。最近は根を詰めていたし、学園も休みだからどこかに遊びに行くとかして、ゆっくり休んでくれ」

 

 

「ん、了解」

 

 

 明日は練習は休みだ。やはりというか、休みというのはテンションが上がる。明日は何をしようかと考えて、ボクの気分は高揚した。

 それは明日にでも考えればいいだろう。ボクはふと我に返ってトレーナーに別れを告げる。

 

 

「それじゃトレーナー。また明後日やな」

 

 

「あぁテンポイント。またな」

 

 

 ボクはトレーナーと別れて寮へと帰る。寮ではジョージといつものやり取りをして就寝した。明日の休みに何をしようかと考えながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 明けて次の日の昼過ぎ。特に思いつくこともなかったのでボクは普通にショッピングモールで遊ぶことにした。久しぶりに1人でゆっくりしているような気がする。少し新鮮な気持ちを味わいながらボクはショッピングモールをぶらついていた。

 

 

(しかし何しようかな。新しい服を見るのもええし、映画を見るんもええな。何をしようか迷うわ)

 

 

 時間はたっぷりとある。急がずに気になったものを見ていこう。そう思い適当に歩いている。

 そんな時、気になる光景が目に入った。金色の髪に赤が少し混じったような、とても身長の高いウマ娘がこのショッピングモールで購入したであろう商品を両手に下げながら困った様子で道行く人に話しかけているのだ。話しかけられた人は、皆一様に困った表情を見せて申し訳なさそうにそのウマ娘のもとから去っている。その度にウマ娘の人は落ち込んだような様子を見せた後、また別の人に話しかけに行く。

 ボクはその様子が気になって会話を聞いてみた。そのウマ娘が別の人に話しかけている。

 

 

「~~~?~~」

 

 

「え、あ、そ、ソーリー!」

 

 

「~~!?~~!」

 

 

 話しかけられた人は先程までの人達と同様に去っていっている。だが、その原因は分かった。

 

 

(あの人、英語圏の人なんかな?英語で喋っとるし)

 

 

 どうやら件のウマ娘は海外のウマ娘らしい。英語で話しかけては、見事に撃沈している。旅行にでも来ているのだろうか?

 だとしたら見過ごすわけにはいかない。せっかくの旅行を、言語の壁で楽しめくなるというのはあまりにも悲しいことだ。幸いにも、ボクは英語の勉強は散々トレーナーとしてきた。なので、彼女の言っていることは分かる。

 ボクは彼女に話しかける。勿論、英語で。

 

 

「『少しいいかな?何か困ってるみたいだけど』」

 

 

「『……え?』」

 

 

 ボクが英語で話してきたことに驚いたのか、彼女は目を見開いている。直後、ボクと会話ができることが分かったのか、嬉しそうな表情を浮かべて抱きついてきた。

 

 

「『良かった!英語を話せる人がいたんだね!嬉しい!』」

 

 

「『そ、それは良かった。ところで離してくれるかい?苦しいんだけど』」

 

 

 彼女の身長はとても高い。高身長というとグラスが思い浮かぶが、彼女はそれ以上だ。少なくとも180後半はあるだろう。加えて、ナイスバディ。少しばかり嫉妬を覚える。海外のウマ娘はみんなこうなのだろうか?

 ボクがそう言うと、彼女は少し残念がりながらも離れる。

 

 

「『ごめんごめん。やっと英語が分かる人がいてつい、ね』」

 

 

「『気持ちは分からないでもないよ。さっきから話しかけては撃沈しているのを見ていたからね』」

 

 

「『えぇ!?だったらさっさと話しかけてくれたら良かったのに!意地悪だね君は』」

 

 

「『そうは言っても、見たのは本当についさっきだ。そこは誤解しないでくれ』」

 

 

「『分かってるさ。ちょっと意地悪したかっただけ。それよりも、名前を聞いてもいいかな?』」

 

 

 彼女の問いかけにボクは素直に答える。

 

 

「『ボクの名前はテンポイント。好きなように呼んでくれ』」

 

 

「『ッ!へぇ、テンポイント……。そう、君が』」

 

 

「『ボクを知っているのかい?』」

 

 

 ボクの質問に彼女は笑顔で答える。

 

 

「『勿論!君はこの国では有名人だもの!〈流星の貴公子〉テンポイント!とても優れた容姿に加えてレースの実力も折り紙つき、日本中の人がファンなんじゃないかってぐらい大人気だってね!こうして会ってみると、本当に美人だね君!』」

 

 

「『そう褒められると悪い気はしないね。ありがとう。ところで、キミの名前を聞いていもいいかい?』」

 

 

「『あぁ、自己紹介がまだだったね!私はデッドスペシメン。気軽にデッドって呼んでくれて構わないよ!』」

 

 

「『そうか。だったらそう呼ばせてもらうよデッド。デッドはなにしに日本に来たんだい?』」

 

 

 ボクの言葉に少し考える素振りを見せた後、デッドは答える。

 

 

「『……ありきたりな理由だけど、観光さ。元々人づてに聞いていた日本に興味はあったんだけど、中々機会に恵まれなくてね。でも、ようやくその機会が来たから観光に来たってわけ!』」

 

 

「『そうか。もしよければ、今日はボクが案内しようか?そんなに遠くには行けないけど』」

 

 

 ボクの言葉に、デッドは花が咲いたような表情を見せる。そのままボクに抱きついてきた。

 

 

「『本当かい!?是非頼むよ!このショッピングモールで行きたいお店があってね。是非とも頼みたい!』」

 

 

「『わ、分かった。分かったから離してくれるか?苦しいんだが』」

 

 

「『おっと、ごめんごめん。つい癖でね』」

 

 

 そう言ってデッドはすぐにボクから離れた。このスキンシップは向こうでは普通のことなのだろうか?

 

 

「『ところで、デッドはこのショッピングモールにいつぐらいから居たんだい?』」

 

 

「『このショッピングモールに?朝から居たよ。開店凸、って言うのかな?』」

 

 

(朝からおったんか。やったらこの荷物の量も納得やな)

 

 

 しかし、彼女はどうやって商品を購入したのだろうか?そんな疑問が浮かんだが、すぐに結論を出す。

 

 

(大方ガイドさんがおったんやろ。で、別行動中に手当たり次第に話しかけとった、と)

 

 

 そう思っていると、デッドがボクの手を取って歩き出した。

 

 

「『ホラホラ!早く行こうテンポイント!時間は待ってくれないよ!』」

 

 

 そんな彼女の行動に少し微笑ましく思いつつも手をつないだままボク達はショッピングモールを散策することになった。

 時にはアクセサリーショップ

 

 

「『やはり日本の品はいいね。全てのものが高品質だ。あ、これくださーい!』」

 

 

「『ボクがお会計するよ』」

 

 

 時には洋服

 

 

「『こんなに身長が大きいと、私に合う服が中々なくてね』」

 

 

「『だったらサイズ直しをしてもらうといい。最悪このお店ならオーダーメイドも受け付けているからね。気に入った柄の服があれば、それを自分の身長に合わせたものを仕立ててくれるよ』」

 

 

「『それは本当かい!?だったらこの服をお願いしようかな?』」

 

 

 時には運動がてら遊戯場

 

 

「『……テンポイント、君球技はてんでダメだね』」

 

 

「『うるさい!もう一回だ!次は勝つ!』」

 

 

「『しかも諦め悪いし。まあ付き合ってあげるけど』」

 

 

 ショッピングモールでボクとデッドは楽しんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 空がオレンジ色になってきた頃。どうやらデッドは見たいお店は一通り回ったらしく、満足した表情でボクにお礼を言ってきた。

 

 

「『今日はありがとうテンポイント!君という日本のスターと会えただけでも幸運なのに、こうやって案内までしてもらえるなんて!本当に楽しい一日だったよ!』」

 

 

「『それは良かった。楽しんでもらえたようでボクも嬉しいよ』」

 

 

 そう会話をしていると、これまた日本人とは思えない男性がこちらに近づいてくる。ボクは警戒するが、デッドがその男性に親しそうに話しかけていった。

 

 

「『デイビッド!お迎えに来てくれたのかい?』」

 

 

 デイビッドと呼ばれた男性は不機嫌そうな表情を隠さずに答える。

 

 

「『……お迎えも何も、ショッピングモールに行くといってお前が勝手に出て行ったんだろ。おかげで朝から大変だったんだからなこっちは』」

 

 

「『あれ?書置き残さなかったっけ?』」

 

 

「『書置き程度でどうにかなると思うな!全くお前は……』」

 

 

 デッドよりも頭1つ分ぐらい小さいその男性、デイビットはデッドに対して呆れていた。日常茶飯事なのかもしれない。

 デッド達の会話を呆けながら聞いていると、デッドがこちらに別れの言葉を告げる。

 

 

「『ごめんねテンポイント。お迎えが来ちゃったみたいだ。ここでお別れだね』」

 

 

「『そうか。こちらも楽しかったよデッド。またどこかで会おう』」

 

 

「『フフ、きっとすぐ会えるよ。きっと、ね』」

 

 

 デッドはそう意味深に笑った。どういうことだろうか?そう思っていると、デイビットと呼ばれた男がボクを値踏みするように見ていた。

 

 

「『テンポイント?そうか、こいつが……』」

 

 

 しかし、すぐに興味を失ったのか鼻を鳴らしてボクから視線を逸らす。思わず不快感を覚えた。

 

 

(デッドと違って、こいつはえらい性格が悪そうやな。ま、どうでもええけど)

 

 

 そう考えていると、デッド達はショッピングモールの出口へと歩いていった。帰り際、デッドがこちらを向いてボクに話しかけてくる。

 

 

「それじゃ、今日は楽しかったよテンポイント。また遊ぼうね?それと、英語上手だね君。海外でも通用するよ!」

 

 

 思いっきり、日本語で。手を振りながら帰るデッドを、ボクは呆然とした表情で見つめる。

 話せたのか?日本語を?そう考えて、ボクは彼女が朝から購入したであろう商品を両手に持っていたことを思い出し、すぐにある考えに至る。

 

 

(普通、ガイドさんがおるにしても別行動なんてするか?それに、デッドが英語で話しかけとる時も他の人は助ける素振りも見せんかった……。コールセンターの人を呼べばええ話なのに……)

 

 

 じゃあ、デッドは一体何のためにわざわざ英語で話しかけていたのだ?

 ……考えても結論は出ない。ボクは諦めることにした。それに、デッドは気になることを言っていた。それはすぐに会えるということ。

 

 

「……考えても仕方あらへんか。早いとこ帰ろ」

 

 

 ボクはそう思い帰路につく。何とも不思議な一日だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『……で?目的のテンポイントに接触した感想はどうだ?』」

 

 

「『あぁ知ってたんだ?私の目的』」

 

 

 日本での宿泊先に帰る途中、私デッドスペシメンは本国のチームのサブトレであるデイビットと会話をする。

 私の質問にデイビットは鼻を鳴らしながら答える。

 

 

「『当たり前だろ。こっちに来たらぜひ会いたいって向こうで散々聞かされたからな。しかも、自分から話しかけるんじゃなくてわざわざ向こうから話しかけるように仕向けてまでな。アイツはお前が日本語話せるの知らなかったようだし』」

 

 

「『彼女には悪いことをしちゃったね。ま、期待通り……いや、期待以上の子だったよ』」

 

 

 遊戯場で少し遊んでみたが、彼女、テンポイントはとても負けん気が強い。それこそ、本国でも中々いないレベルでだ。加えて、レース映像を見たから分かるポテンシャルの高さ。それらがレースで発揮されるとなると……とても楽しみだ。思わず身体が震える。日本で言う、武者震いというやつだろうか?

 しかし、デイビットは嘲笑するように私に言う。

 

 

「『とは言っても、アイツは確か1月に大怪我をしたんだろ?お前が出走するお祭りレースには出てこないだろうし、仮に出てきてもお前が負ける確率は0だ。ま、怪我なんてしてなくてもアイツが勝てる確率は0だがな』」

 

 

 ……本当に、この男は。溜息を吐きながらも私は彼に告げる。

 

 

「『デイビット、だから君はいつまでたってもチーフに認めてもらえない二流なんだよ。そうやって相手を見くびる癖、止めた方がいいってチーフに言われてるだろ?』」

 

 

 その言葉が逆鱗に触れたのか、デイビットは大声で私に反論してきた。

 

 

「『うるさい!俺が認めてもらえないのはあの野郎の嫉妬だ!くだらない嫉妬で俺の邪魔しやがって……!』」

 

 

「『そのすぐ感情的になるのも止めろと言われてるだろ?……何言っても無駄だね、こりゃ』」

 

 

 隣で喚いているデイビットの言葉を受け流しながら私はテンポイントのことを考える。

 ……普通であれば出走は難しいだろう。ただ、何となく彼女は出走する。そう思っていた。私がこの国に来た理由、〈ジャパン・ユニバーサル・レーシング・カップ〉に。

 開催は12月末なのに、今来た理由は日本のウマ娘の実力を測るため、という側面が大きい。そして、結果的に来て大正解だったといえるだろう。後進国などとデイビットは言っているがそんなことはない。どの子も内に強い闘志を秘めている。実力だって私達の国、アメリカに負けず劣らずだ。そんな子達と闘えると思うと……。

 

 

(心が躍るね!)

 

 

 闘える時が楽しみだ。そう思いながら宿泊先へと帰っていく。




シリウスシンボリかっこよすぎんか?


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第126話 来訪者

学園で出会う回


 海外から来たというウマ娘、デッドに一杯食わされたような気分を味合わせられた休日が明けて次の日。ボクはクラスでカイザー達と話していた。

 みんなはデッドについて何か知っているだろうかと思い、ボクはみんなに尋ねる。

 

 

「そうや、みんなに聞きたいことがあるねんけど。デッドスペシメンてウマ娘聞いたことあるか?」

 

 

 ボクの言葉にボーイとグラスは頭に疑問を浮かべている。

 

 

「う~ん、悪い。オレは知らねぇな」

 

 

「私も~。聞いたことないかな~」

 

 

 ただ、カイザーはどうやら知っていたらしい。携帯を操作しながら答える。

 

 

「私も詳しくは知りませんが……あぁありました。この人ですよね?」

 

 

 やがて目当ての記事を見つけたのか、携帯の画面をボクに見せながら説明してくれる。携帯に写っていたのは、ボクが昨日であったデッドその人である。

 ボクは記事の内容に目を通す。

 

 

「<追跡者>デッドスペシメン……。総合戦績35戦11勝……て、強!?」

 

 

「しかも日本でいう重賞も勝利しています。アメリカで行われる招待レースを制したこともありますよ」

 

 

「ふんふん……アメリカを拠点にしている、というよりは海外遠征を主にしてんのか」

 

 

「そうだね~。凱旋門賞にもキングジョージにも出走してるっぽいね~」

 

 

「しかも凱旋門賞は掲示板内……、えらい人物と会うたんやなボク」

 

 

 ボクの言葉にボーイは驚いたような表情を見せる。その表情のままボクに詰め寄ってきた。

 

 

「マジかよテンさん!どこで会ったんだ!?」

 

 

「うん?昨日練習休みやったからな。ショッピングモールぶらついとる時に偶然会うたんや」

 

 

「へ~すごい偶然だね~」

 

 

「ちくしょー!オレも会いたかったぜ!そんでそんで!あわよくば模擬レースを……!」

 

 

「どうでしょう?受けてくれるんですかね?」

 

 

「昨日会うた感じやと、受けてくれそうやけどな。デッドはそういう性格しとったし」

 

 

「デッド!?滅茶苦茶親しそうじゃねぇか!」

 

 

 ボーイの言葉を聞きながら、ボクは記事を流し見していく。一際気になったのは、彼女の異名である<追跡者>のことだ。

 レース映像はないっぽいが、その異名のことについて書かれている文面がある。ボクはその箇所を注視した。

 

 

「デッドスペシメンは前でレースを展開することを得意としている。特筆すべきは、目標に定めた相手には必ず先着しているという点である、か」

 

 

 おそらく、<追跡者>の異名はここからきているのだろう。記事には目標に定めた相手のことを徹底的に調べ上げてマークするということが書かれていた。

 そんな会話をボーイ達としていると、教室の扉を開けて先生が遠慮がちに入ってきた。思わず時間を確認するが、朝のホームルームまではまだ時間がある。一体どうしたのだろうか?

 

 

「あ、あの~。テンポイントさんはいらっしゃいますか~……?」

 

 

「は、はい。ボクならここにおりますけど。どうしたんですか?」

 

 

 どうやらボクに用事があったらしい。扉の方まで近づいて先生の方へと足を運ぶ。先生はそのままボクに告げた。

 

 

「実はテンポイントさんの知り合いだという方が来てまして……。嘘か本当か確かめるためにも先生についてきてくれますか?」

 

 

「あ、分かりました」

 

 

 ボクの知り合い?一体誰だろうか?お母様達はもう北海道に帰っているだろうし、本当に見当がつかない。

 そう考えて廊下に出ると、ボクの知り合いだという人物はすでにここまで来ていた。ボクを発見した途端、嬉しそうな表情で抱き着いてくる。

 

 

「『ハァイ!テンポイント!昨日ぶりだね!』」

 

 

「わぷっ!?」

 

 

 突然のことに驚きながらも、その声で誰が来たかは分かっていた。

 金色の中にところどころ赤が混じったロングヘア、190は超えているだろうという身長にこのナイスバディ、極めつけに英語で話しかけてきた。この特徴でボクの知り合いは、1人しか該当しない。

 昨日出会い、先程ボーイ達との話題に挙げていたデッドスペシメンである。

 ひとまず苦しいのでデッドに話しかける。

 

 

「く、苦しい!離してくれデッド!」

 

 

「『え~?私日本語分かんないな~』」

 

 

「思いっきり分かっとるやんけ!しかも昨日普通に日本語で別れの挨拶をしたから日本語話せるんは分かっとるで!」

 

 

「はいはい。全く、シャイだねテンポイントは」

 

 

 そう言ってデッドは抱き着くのを止めた。息を整えているボクにデッドが話しかけてくる。

 

 

「……ね?昨日言った通りすぐに会えたでしょ?」

 

 

 その表情は、悪戯が成功したような笑みだった。ボクは呆れながらもデッドに尋ねる。

 

 

「ホンマにすぐやったな。で?一体何の用でトレセン学園に来たんや?」

 

 

「うん?あぁ、私はデイビット……昨日の男の人の付き添いだよ。彼がここのアカデミーのプリンシパルとの話し合いがあるらしくてね。ただ待ってるだけってのは暇だからこうやって遊びに来たってわけ!」

 

 

「そういうことやったんやな」

 

 

 通りで学園内に入ってこれるわけである。付き添いで来たというのであれば彼女にも当然入校許可証はあるのだろう。彼女の姿を改めてよく見ると、首からその入校許可証を下げていた。後はそこそこ大きめの鞄も下げている。

 ボクがデッドと話していると、クラスのみんなが興味津々といった感じでこちらを覗いていた。ここで会話をしているのもなんだし、教室に入るように促す。

 

 

「まぁ立ち話もなんや。教室に入ってみるか?ええですよね?先生」

 

 

「は、はい。それは勿論大丈夫です。テンポイントさんの知り合いだということも分かりましたので」

 

 

「じゃ、お言葉に甘えて!」

 

 

 デッドはボクに促されるまま教室へと入る。クラスの子達はデッドの身長の高さに改めて驚いている様子を見せていた。ボクはボーイ達のところへと戻る。

 ボーイはキラキラした目で、グラスは呆けた表情で、カイザーは少し懐疑的な目でデッドを見ている。三者三様の表情を見せていた。

 いの一番にボーイがデッドに話しかける。

 

 

「まさか話題に挙げていたら本人が来るなんてな!オレはトウショウボーイ!好きなように呼んでくれ!」

 

 

「私も好きなように呼んでくれて構わないよショウ!短い間だけどよろしくね?〈天を駆けるウマ娘〉さん?」

 

 

「オレのこと知ってんのか!?」

 

 

 驚いた表情で問いかけるボーイにデッドは笑みを浮かべながら答えた。

 

 

「オフコース!私のチームは日本が大好きでね!日本のニュースは逐一追っているんだ!だから君達のことも勿論知ってるよ?〈流星の貴公子〉テンポイント、〈天を駆けるウマ娘〉トウショウボーイ、〈緑の刺客〉グリーングラス、そして……〈犯罪皇帝〉クライムカイザー!」

 

 

「お~私のことも知ってるんだ~」

 

 

「ちょっと待ってください!?なんでそっちの方で認知されてるんですか私は!?」

 

 

「サマードリームトロフィーのレース映像見たらそりゃ犯罪皇帝の方で認知されるんじゃねぇかな……」

 

 

 カイザーの抗議の声にボーイがそうツッコむ。ただ、デッドは意外そうな表情を見せた。

 

 

「えぇ?クールじゃないかな?犯罪皇帝だなんて。現に私達のチームメンバーには大好評だよ君。最高にロックだって」

 

 

「ぐぬぬ……ッ!嬉しいのに嬉しくない!」

 

 

 カイザーは複雑な表情を浮かべる。まぁ本人はあまり気に入ってない異名だしそれも仕方ないかもしれない。

 ボクはデッドに尋ねた。

 

 

「デッドはいつまで日本に滞在するんや?さすがにずっとおるわけやないやろ?」

 

 

「そうだねぇ……。明日には1回アメリカに帰るよ。お土産も沢山買ったことだし、それをチームのみんなに渡さなきゃいけないからね」

 

 

 ということは、今日が最後らしい。少し残念に思っていると、デッドが真剣な表情でこちらを見ていた。ボクも思わず気を引き締める。

 真剣な表情のままデッドはボク達に話しかけてきた。

 

 

「だから、君達にお願いがあるんだ。今日はそのお願いをするために来たといっても過言じゃないよ」

 

 

「ボク達に、お願い?」

 

 

「いいぜ!なんでも言ってみてくれ!」

 

 

「私達に~叶えられる範囲なら大丈夫だよ~」

 

 

「そのお願いとは、何でしょうか?」

 

 

 全員が真剣な表情をしている。訪れる静寂。クラスのみんなも事の成り行きを見守っている。その沈黙を破るように、デッドは鞄から何かを取り出したかと思うとボク達に頭を下げてお願いしてきた。

 

 

「お願いだ!みんなのサインをこの色紙に書いてくれ!」

 

 

 その言葉に、ボクは思わずずっこけそうになる。みんな同じ気持ちなのか、肩透かしを食らったような表情をしていた。

 代表して、ボクがデッドに言う。

 

 

「えらい真剣な表情でお願いしてくる思うたらそんだけかい!」

 

 

「何を言うんだ!これは重要なことだよ!特にテンポイント、君のサインは是が非でも欲しい!」

 

 

 デッドは真剣な表情でお願いしている。まぁサインぐらい別にいいのだが。なんというか肩透かしを食らった気分だ。

 

 

「……まぁサインぐらいなんぼでもしたるわ。ボクのサインでよければな」

 

 

 その言葉に、デッドは花が咲いたような笑みを浮かべてボクに抱き着いてきた。またこのパターンか!

 

 

「ありがとうテンポイント!チームのみんなも喜ぶこと間違いなしさ!」

 

 

「分かった分かった!ええ加減抱き着くの止めてくれ!」

 

 

「恥ずかしがる必要はないさ!私達の国ではこれぐらい普通だよ?」

 

 

「単純に苦しいねん!」

 

 

 そう言うと、渋々ながらもデッドは引き下がった。ボクは彼女から色紙を受け取ってサインを書く。

 

 

「……ほい、これでええか?」

 

 

「ありがとうテンポイント!チームのみんなもきっと喜ぶよ!ところで、ショウ達のサインも貰ってもいいかい?」

 

 

 デッドの言葉に、ボーイ達は笑顔で答える。

 

 

「もっちろん!そんぐらいいくらでも書くぜ!」

 

 

「私のでよければ~勿論いいよ~」

 

 

「まぁサインぐらいなら大丈夫ですよ」

 

 

 そう言ってみんなデッドから色紙を受け取って自分達のサインを書いていく。それを受け取ると、デッドは心から嬉しそうな表情でみんなに抱き着きながらお礼を言っていた。ボーイはそれに応えるように、グラスとカイザーは少し恥ずかしそうにしていた。

 そうして会話をしていると、朝のホームルームの開始を告げるチャイムが鳴る。デッドは残念そうな表情をしながら別れを告げる。

 

 

「残念だけど、タイムリミットみたいだね。もう少しお話ししたかったけど、そろそろ戻らないとデイビットに怒られちゃうからね」

 

 

「そっか。残念だな……」

 

 

「また日本に来たら~遊ぼうね~デッドさ~ん」

 

 

「はい。私達はいつでも歓迎しますので」

 

 

「日本に来たらいつでも頼ってや、デッド」

 

 

「……みんな、ありがとう!また会おうね!」

 

 

 そうして手を振りながらデッドは教室を出ていった。おそらく、デイビットというトレーナーのところへと向かったのだろう。入れ替わりで先生が入ってきた。

 先生から朝の連絡事項があった後、ボク達は次の授業のための準備をする。その間に、ボクは気になったことをカイザーに尋ねた。

 

 

「なぁカイザー。デッドに会うた時、なんや疑うような目をしとったけどなんか気になることでもあったんか?」

 

 

 ボクの質問にカイザーは特に迷う素振りを見せずに答えた。

 

 

「いえ、私の気のせいだったんで大丈夫ですよ。敵情視察にでも来たのかと思いまして」

 

 

「敵情視察?何のために?」

 

 

 ボクの言葉にカイザーは意外そうな表情をした後答える。

 

 

「多分ですけど、デッドスペシメンさんは年末のレースに出走するために日本に来たんじゃないですか?こっちの芝の感触を確かめる為とか、そんな理由で」

 

 

「……あ~、あり得そうやな」

 

 

「特に、彼女の異名を考えると日本のウマ娘の実力を測りに来たっていうのが主な目的じゃないですか?」

 

 

「<追跡者>……やったか?」

 

 

 カイザーは頷く。確かに、彼女のスタイルと異名から考えるとその線は間違ってなさそうだ。

 そんな会話をした後、ボク達は授業の準備を済ませたので先生が来るまで教室で待つ。しかし、ジャパン・ユニバーサル・レーシング・カップにデッドが出走してくるかもしれない……。ということは、強敵の1人になることは間違いないだろう。トレーナーに、彼女のレース映像はあるか聞いてみるのもいいかもしれない。そう思いながら先生を待っていた。




デッドスペシメンはオリジナルウマ娘です。特にモチーフはありません。


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第127話 追跡者

トレーナーの方にも来訪回


 用務員としての仕事が休みだったので朝からトレーナー室でテンポイントの練習メニューについて考えいた時、インターフォンの音が響いた。

 

 

(この時間に珍しいな?誰だ?)

 

 

 そう思いながらも俺は返事をする。

 

 

「はーい、どうぞー」

 

 

 そう返事をすると、扉を開けて誰かが入ってくる。その人物はたづなさんだった。扉から顔だけ覗かせるようにこちらを見ている。

 その態度に少し疑問を感じながらも俺はたづなさんに尋ねる。

 

 

「どうしたんですか?たづなさん。俺に何かご用でも?」

 

 

「はい……。そのことなんですが神藤さん、デッドスペシメンという方があなたにぜひお会いしたいと」

 

 

 聞き覚えのない名前に俺は疑問を浮かべる。ただ、別に断る理由もなかったのでその申し出を承諾した。

 

 

「……デッドスペシメン?まぁ急ぎの用事もないので大丈夫ですけど」

 

 

「そういうことでしたら。どうぞ、デッドスペシメンさん。こちらが神藤さんのトレーナー室となっております」

 

 

「ありがとうミスたづな!助かったよ!」

 

 

 どうやら外で待たせていたらしい。たづなさんはデッドスペシメンを案内していた。そのお礼か、デッドスペシメンはたづなさんに抱き着いている。たづなさんは突然の行動に狼狽えていた。ただ、我に返ったのか社交辞令の挨拶を交わしてその場を後にした。トレーナー室に俺とデッドスペシメンだけが残される。

 部屋に入ってきたデッドスペシメンというウマ娘は、一言で簡潔に言うのであればデカい。その一言に尽きる。俺や沖野さんよりも高い身長、190は超えているだろうか?金色にところどころ赤が混じったロングヘア、ウマ娘を象徴するウマ耳に尻尾。荷物としてか鞄を下げていた。ただ、雰囲気としては身長の高さを感じさせない、親しみやすい印象を受ける。今も人懐っこそうな笑みを浮かべていた。

 PCを利用してデッドスペシメンのことを調べながら俺は彼女に尋ねる。

 

 

「それで、デッドスペシメンさん……でしたか?私に何かご用でも?」

 

 

「敬語はいらないよミスター神藤。お互いにフレンドリーにいこうじゃないか!」

 

 

「……そういうことなら、お言葉に甘えて。それで?何の用だ?」

 

 

 俺の質問にデッドスペシメンは満面の笑みで答えた。

 

 

「決まってるさ!君はあの<流星の貴公子>のトレーナーだろう?彼女は私のチームでは大人気でね!そのトレーナーがどんな人物なのか、気になっているのさ!」

 

 

「テンポイントがアメリカのトップチームでも人気か。そいつは嬉しいな。彼女のトレーナーとしても鼻が高いよ。とは言っても、俺自身はただの一般トレーナーだけどな」

 

 

「そんなことはないさ。どんなに素材の良い鉱石でアクセサリーを作っても、加工する人間が三流だったら出来上がるのは三流の品物。テンポイントという素材が今こうして光り輝いているのは、君という存在が大きい。チーフはそう言っていたよ」

 

 

「そう言うことなら、素直に受け取っておくよ。ありがとうデッドスペシメン」

 

 

「デッドで構わないよ。その方が呼びやすいだろう?」

 

 

「そうか。ありがとうなデッド」

 

 

 俺の言葉にデッドは満足げな笑みを浮かべている。すると、急に部屋を見渡し始めた。とても興味深そうに。

 

 

「どうした?部屋の中を見渡して。何か面白いものでも探してるのか?」

 

 

「いいや?ここで君達の旅路がスタートしたかと思うと、興味が出てきてね」

 

 

 デッドは笑みを浮かべながら答える。ただ、その笑みに少しばかり違和感を覚えた。何かを隠しているような、そんな笑みを浮かべている。

 ……PCで彼女のことは大体調べ終わったので、見当はつく。俺は彼女に指摘した。

 

 

「最初に言っておくが、テンポイントの資料をお探しなら諦めるんだな。タダで渡す気はない」

 

 

「……なんのことだい?私は本当に興味があるだけだよ?」

 

 

 デッドは表情を崩さずに答える。俺は追撃するように彼女に告げる。

 

 

「興味がある、というのは嘘じゃないんだろうな。ただ、わざわざここに来た目的にしては少し弱い。ならば、他にも目的があると考えるのが妥当なんじゃないか?<追跡者>さんよ」

 

 

「……へぇ?知ってるのかい?私の異名を」

 

 

「今PCを使って調べて、な。おかげでほんの少ししか分かってねぇけど」

 

 

 <追跡者>デッドスペシメン。アメリカのトップチームに所属するウマ娘の1人であり、その実力は折り紙つきだ。目標に定めた相手を徹底的に調べ上げてレースに臨み、結果として彼女は目標に定めた相手には必ず先着しているという結果を残している。

 ただ、<追跡者>の異名がついたのはもう一つある。それは彼女のチームでの役割だ。彼女のチーフトレーナーは記者からの質問にこう答えていた。

 

 

「お前はチームのブレイン……、海外遠征を積極的に行っているのは現地に赴いて有力なウマ娘のデータを本国に送るため……といったところか?」

 

 

「……フフッ、大体正解だよ。神藤」

 

 

 バレたから隠すのを止めたのか、デッドは笑いながらそう答えた。ただ、大体ということはまた違う目的があるということだろうか?

 そう思っていると、デッドが俺の疑問に答えるように続けた。

 

 

「とは言っても、主要なレースの映像はすぐに手に入るんだよね。だからこそ、私が欲しいのは有力なウマ娘の練習風景や普段の生活態度の方さ。そういった映像は現地に足を運ばないと手に入らないし見れないからね。どんなトレーニングを積んでいるのか、どんなメンタルでいるのか、チームの立ち位置はどうなのか、普段の態度はどうなのか……。それらを調べるのが、私の役目ってところさ。まぁ他の国に出向くのが大好きってだけ、だけどね」

 

 

「……そんな映像が参考になるのか?」

 

 

 俺の質問に、デッドは苦笑い気味に答える。

 

 

「ほとんどは参考にならないさ。そもそも、レースの映像を見れば事足りる話だしね。ただ……」

 

 

 だが、瞬時に切り替えて今度は真剣な表情で続ける。

 

 

「情報に関して、私は一切の妥協を許さない。レースで負けた時にはレース外で何か問題があったのかもしれない、レースで本領を発揮できていない時にはどこかメンタル的な問題を抱えているかもしれない、評判を覆して勝った時はレースだけじゃ計り知れない何かがあるかもしれない……。そんな不確定情報を1つずつ潰すためなら、私はどんなデータでも集めるさ」

 

 

「……殊勝な心掛けなことで」

 

 

 彼女の雰囲気に、思わず圧倒されそうになった。

 おそらく、彼女の言ったことは全て本当だろう。情報に関してなら一切の妥協を許さない。どんな些細な情報でも見逃さない。少しでも不確定要素を潰すために。全ては、勝利のために。その情熱に尊敬を覚える。

 しかし真面目な表情から一転して、今度は笑顔でここに来た本当の目的を告げた。

 

 

「ただ!ここに来た目的はさっき言ったことが本当さ!私はテンポイントの大・大・大ファンでね!彼女が積みあげたヒストリーがここにあると思うと、どうしても訪れたかったんだ!ここはいわば、私にとっての聖地!情報も重要だけど、それ以上にここを訪れることこそが私にとって重要なことなんだよ神藤!」

 

 

「お、おう。そうか」

 

 

 とてもいい笑顔でそう告げたデッドに、俺は別の意味で圧倒された。

 どうしてテンポイントのファンになったのか?そこが気になった俺は彼女に尋ねる。

 

 

「ど、どうしてテンポイントのファンになったんだ?しかもその口ぶりから察するにかなりのものだろ?」

 

 

「うん?彼女のファンになった理由かい?そうだねぇ……」

 

 

 少し考えた後、デッドは答える。

 

 

「まず第一に、彼女は美しい上に可愛い。加えて、カッコよさすらある。まさにゴッデスだ!」

 

 

「激しく同意する」

 

 

「それに、彼女のメンタリティも大好きでね。同期に強いライバルがたくさんいて、夏のグランプリレースで一度折れたと思ったのにそこから復活を遂げた。彼女の負けん気の強さは筋金入りだ、レース映像からでも分かるよ。中でも年末のグランプリレース……有マだったかな?ショウとの死闘は思わず手に汗握りながら見たものだよ。彼女が1着を取った時は、チームのみんなでパーティを開いたものさ!」

 

 

 どうやら彼女のチームではテンポイントの評価はかなり高いらしい。だが、次の瞬間には悲しそうな表情をしていた。

 

 

「だからこそ、彼女が海外遠征するってなった時にはみんなで大喜びしたものさ。アメリカに来た時にはみんなでもてなそうとしてたんだけど……」

 

 

「……1月のレースか」

 

 

「イエス。彼女のファンだった私は酷く落ち込んだよ。もう彼女のレースを観ることはできないのだろうか……そう思ってしまった」

 

 

 悲しそうな表情から切り替えて、今度は嬉しそうな表情をしながら続ける。

 

 

「彼女のファンクラブサイトが開設されたから即座に入会したよ。そしたらどうだ!?彼女は復帰のために頑張っているらしいじゃないか!脚の骨が折れるなんて大怪我をしても、彼女は微塵も諦めてなんていなかった!その姿勢に!その気高さに!私は尊敬せずにはいられなかった!だからこそ!ここまで日本語を話せるように頑張ったわけだからね。全ては日本でテンポイントに会うために!」

 

 

「かなり奇麗に日本語話せるなと思ったら、テンポイントが絡んでいたのか」

 

 

「オフコース!それだけ私にとってテンポイントはスペシャルってことさ!だからこそ、年末のジャパン・ユニバーサル・レーシング・カップも出走することを決めたからね!」

 

 

「そうなのか。でも、いくら何でも早くないか?レースは年末だぞ?」

 

 

「あぁ、日本の芝の状態を確認したかったからね。なんせ、日本でレースをしたことあるウマ娘はアメリカにはいなかったからね。こうやって直接出向くしかなかったというわけさ。それに、日本のレースも見たかったし。何よりテンポイントに会いたかったし!」

 

 

「分かった分かった」

 

 

 どうやらデッドはかなりテンポイントのことが大好きらしい。言葉の端々からそれが伝わってきた。そのことに頬が緩む。

 その後もいかにテンポイントが素敵か、テンポイントのどういったところが尊敬できるかをお互いに延々と語り合った。それこそ、時間を忘れそうになるくらいに。

 そんな時、ふと思い出して俺はデッドに尋ねる。それはここに来た目的だ。

 

 

「そういや、本当にここに来たのはお前の言う聖地巡礼のためか?情報が欲しいとかではなく?」

 

 

 俺の言葉にデッドは不思議そうな表情で答える。

 

 

「そうだよ?そもそも情報なんて欲しいものは大体出揃ったからね。テンポイントの情報も欲しいっちゃ欲しいけど、そこまで急務ではないってのが本音かな」

 

 

「……それは、テンポイントが敵じゃないからか?」

 

 

 俺の言葉に、デッドは勢いよく首を横に振って答える。

 

 

「とんでもない!彼女は今回のレースでも特に脅威となる相手として私は見ているよ!」

 

 

「……ジャパン・ユニバーサル・レーシング・カップに出走するかも分からないのにか?」

 

 

「まあ登録期間はまだ先だから分からないってのは確かだ。でも、君達は出てくるだろう?そのレースに」

 

 

「……その心は?」

 

 

「ベリーイージーさ。怪我をする前の君達の目的は海外遠征。だとしたら世界のウマ娘を相手に戦えるこの機会を逃すはずがない。1月に怪我をして完全な状態ではないとはいえ、ね」

 

 

 ……多分、カマをかけているんだろうがデッドの場合すでに調べがついていそうなのが怖いところだ。それぐらいの情報を持っているかもしれない。

 ただ、次の瞬間真面目な表情を崩してデッドは残念そうな表情を見せた。

 

 

「それにしても本当に残念だよ!無事に海外遠征していたら、アメリカでは私達のチームが面倒を見る予定だったのに!」

 

 

「そうなのか?」

 

 

「イエス!本当に楽しみにしてたのに!」

 

 

 デッドは地団駄を踏みそうな勢いで悔しがっている。それだけ楽しみにしていたのだろう。少し申し訳なさが出てくる。

 少し経って、冷静になったデッドが謝りながら続ける。

 

 

「ソーリー。少し取り乱しちゃったね。ま、結論としてはテンポイントの必要なデータはもう出揃ってるんだ。それに……」

 

 

「それに?」

 

 

「今の彼女の強さは参考にならない。怪我から完全に復活していない彼女の強さは、ね。加えて、彼女はデータでは測れない強さがある。私はそう思っているからね」

 

 

 デッドはそう締めた。

 ……この口ぶりから察するに、テンポイントが抱えている問題にも気づいてそうだ。一体どこから漏れたのか気になるところではあるが、それを気にしたところで今更どうしようもないだろう。彼女の情報網に、驚きとともに少しの恐怖を感じる。

 デッドは時計を確認し、寂しそうな表情を浮かべて俺に話しかけてきた。

 

 

「そろそろお別れだね神藤。さすがに帰らないとデイビットに怒られてしまう」

 

 

 デイビットというのは、おそらく日本でのデッドの保護者のことだろう。トレーナーかその辺りかもしれない。

 

 

「そうか。楽しい時間だったよデッド。もし海外遠征でアメリカに行くことになったら、その時はよろしく頼むよ」

 

 

「オフコース!任せて!私の方からチーフに話をつけておくよ!あ、ついでに連絡先を交換してもらってもいいかい?テンポイントの分は貰ったから」

 

 

「逆にいるか?俺の」

 

 

「勿論必要だとも!私と君は同じコミュニティの同士だからね!」

 

 

 特に断る理由もないので連絡先も交換する。その後満足げな表情でデッドはトレーナー室を後にした。彼女が帰った後、改めて彼女のことについて考える。

 

 

「<追跡者>デッドスペシメン……。おそらく、テンポイントのことは調べ上げていると判断してもいいだろうな。強敵になることは間違いない」

 

 

 彼女のレース映像を見てこちらも研究する必要がある。そう考えつつも、俺はひとまずテンポイントの練習内容をまとめることにした。




ぼっち・ざ・ろっく6話面白かった。


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第128話 海外のウマ娘

続々と出走表明する回


 アメリカからの来訪者デッドスペシメンの来日があったものの、それ以外は特に何かあったわけでもなく11月も下旬になっていた。……強いて何かあったといえば、ジョージのレースがこの前あったのだが1番人気で迎えたレースを掲示板外になったことぐらいである。これで1番人気のレースを3連敗、相も変わらずの気まぐれっぷりに時田トレーナーの胃が心配になるレベルだ。ジョージのレースはボク達も観戦しに行っていたのだが、トレーナーは時田トレーナーに同情めいた視線を送っていた。なお、レースで走っているジョージはどこ吹く風であったことは言うまでもない。

 しかし、あまり人の心配をしていられないというのも事実だ。ボクの第4コーナーを曲がれないという弱点はいまだに改善できていないのだから。さすがに競歩レベルは脱したものの、それでも大幅な減速は免れない。それもレースでは致命的なレベルでだ。焦らず一歩ずつ。そう思い毎日練習しているが、<ジャパン・ユニバーサル・レーシング・カップ>まで残り1ヶ月。さすがに焦りも生まれてしまう。

 ただ悲観することばかりではない。骨折明けで歪になっていたフォームが元に戻り、落ちた筋力も元通りというとこまで来たのだ。なので、第4コーナーを除いたタイムでは前と同じところまで戻すことができた。その日はトレーナーと一緒に大喜びしたのを覚えている。これで問題はただ1つ。トラウマの克服のみとなった。

 今は授業も終わって放課後。ボクはトラウマ克服に向けた練習をしている。2400mの距離を走り、第4コーナーへと差し掛かろうかというところだ。減速しながら第4コーナーへと入っていく。

 

 

(前はこんぐらいやったから、もうちょい速度を上げて……ッ!)

 

 

 トラウマを刺激しないレベルまで、ただ前回よりは速く。それを心がけて第4コーナーを曲がろうと気合を入れる。結果は……、曲がることができた。そのまま最後の直線へと入って徐々にスピードを上げていく。ボクの心は喜びで溢れていた。

 

 

(これで、また一歩進んだ!)

 

 

 小さな一歩。それでも進んだことには変わりはない。ボクは喜びながら最後の直線を駆け抜けてゴールまで走る。

 ゴールして息を整えた後、ボクはトレーナーのところへと戻っていった。ボクが駆け寄ってくると、トレーナーはいつものように休憩用にタオルとドリンクを渡してくる。お礼を言って受け取り、汗を拭きながら給水しつつ先程の走りの反省をすることになった。

 

 

「前よりもスピードを上げて突入することはできたが……順調とは言い難いな」

 

 

 トレーナーは言いにくそうにしていたが、意を決したようにそう告げた。その言葉に、ボクも苦笑いしながら返す。

 

 

「競歩は脱したいうても、それでもまだ致命的なぐらい遅いもんな。おまけに、競歩を脱するんはそこまでかからんかったけど……」

 

 

「今回は2週間近くかけてようやく、だ。元のタイムと比較してもかなり遅い」

 

 

 そう言いながらトレーナーはボクが怪我をする前のタイムと怪我をした後のタイムを比較した用紙を見せてきた。ボクはそれを受け取って確認する。

 ……簡潔に言うならば、酷いの一言だ。タイムこそ右肩上がりになってきているものの、元のタイムと比較した場合、悲惨の一言だ。第4コーナーは特に酷い。1秒や2秒程度の差ではなく、とんでもなく遅い。これが今現在のボクの状態である。

 トレーナーがフォローするように告げる。

 

 

「ただ、第4コーナー以外は元のタイムに近づきつつある。だからこそ、後の問題はトラウマの克服だけといってもいいだろう」

 

 

「やな。まぁ、それが一番デカい壁なんやけど……」

 

 

「俺の方でも克服方法が他にないか伝手を頼って調べてはいるんだが……」

 

 

「近道はない……やろ?」

 

 

 トレーナーは苦々しい表情を浮かべつつ、肯定するように頷いた。ボクは嘆息する。

 ……今になって、医者の先生が言っていた復帰できる確率は限りなく低いという言葉が身に沁みて分かってきた。トラウマの克服がそう上手くいかないだろうとは思ってはいたのだが、正直言ってボクの想像を超えていた。

 何とかしたい気持ちはある。だが、有効な手立ては今やっているように地道なトレーニングのみ。そのトレーニングのみでは、年末には絶対に間に合わない。そのことに焦りが生まれる。

 そこで、医者の先生からの言葉を思い出す。

 

 

「ボクの回復が早まったのは気持ちが前を向いとるから……やったな」

 

 

「うん?あぁ、確かにそう言っていたな」

 

 

「う~ん……あん時みたいに気持ちは前を向いとると思うんやけどなぁ」

 

 

 何か他に足りないものでもあるのだろうか?そう考えるが特に浮かんでは来なかった。

 分からないことを今気にしてもしょうがないので、早々に休憩を切り上げて練習に戻ることにした。やはり地道に積み重ねていくしかない。そう思いながらボクはさっきのように2400mを走るための準備をする。

 結局、この日はこれ以上の進展はなく練習を終えることになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 練習も終わり、ボクはトレーナーから弁当を受け取って寮の自分の部屋へと戻ってきた。部屋ではすでにジョージが寛いでいる。ただ、ボクを待っていたのかは分からないがお風呂には入っていないようだ。ボクが扉を開けて入ってきたのを確認すると、ジョージはボクの方へと寄ってくる。

 

 

「おかえり テン坊」

 

 

「ただいまやジョージ。お風呂まだやろ?早いとこ行こか」

 

 

「待ってた テン坊」

 

 

「別に先に入っとっても良かったのに」

 

 

 ただ、ボクを待っていたというのは少し嬉しい。思わず笑みが零れる。ボクはすぐに荷物を置いてお風呂に行くための道具を取り出す。準備を済ませてジョージとともにお風呂へと向かった。

 お風呂から上がった後はボクは自室にて夕食を取る。時折ジョージにおかずをついばまれながらも完食し、その後は2人で会話をしながらゆっくりする。

 そんな時、何の気なしにボクはテレビをつけた。理由は特にない。何か面白い番組でもやってないかということでテレビを見る。

 今はニュースをやっている所だった。ただ、特に面白いニュースではなかったのでボクはチャンネルを変えようとする。その時。

 

 

 

 

《……それでは、次は年末に開催を予定されている〈ジャパン・ユニバーサル・レーシング・カップ〉についての続報です。現時点で出走を予定しているウマ娘の情報が入りましたのでお知らせいたします》

 

 

 

 

 ニュースキャスターのその言葉に、ボクはチャンネルを変えようとする手を止めてテレビに釘付けになる。自分が出走する予定のレースだ。気にならないはずがない。ジョージはそんなボクを不思議そうな目で見ているが、気にしないでボクはニュースの続きを見る。

 

 

 

 

《まず1人目はアメリカから参戦がほぼ決定しているウマ娘、デッドスペシメンさんです。記者の1人がアメリカで彼女に接触したところ、参戦することは確定だという情報が得られました。今はそのための調整を続けているとのことです》

 

 

 

 

 最初に紹介されたのは出走することが確定しているデッドだ。希望者多数の場合、海外のウマ娘のみで選考があるのかもしれないが、デッドの成績ならまず間違いなく大丈夫だろう。それにデッドの話だと向こうで日本に興味を持っているのはデッドのチームぐらいで、他の国でも日本に興味はあるものの出走となるとまた話は別だという評価らしいので尚更だ。これはデッドから教えられたことである。

 

 

『慣れない土地で走るのはリスクあるからね。私みたいに積極的に走ろうなんて子は少ないんじゃないかな?私の知る限り、イギリスとフランスには1人ずついるけどね』

 

 

 そんなことを言っていた。

 ジョージはデッドの映像をぼんやりと眺めている。

 

 

「でか」

 

 

「まぁ190超えとるらしいからな。本人の雰囲気でそんなこと感じさせんけど」

 

 

 テレビではデッドが笑顔で取材を受けている映像が流れている。リポーターの他に通訳の人がおり、その人が翻訳したものが音声として使われていた。

 

 

 

 

《……それでは、今回出走を決意した理由をお聞かせしてもらってもよろしいでしょうか?》

 

 

《構わないよ!元々私のチームはみんな日本が大好きでね。タイミングを合わせて行きたいと思っていたところに、こんなに素晴らしいレースが企画されたじゃないか!この機会をリリースするわけにはいかないと思ってね。すぐさま申請したよ!》

 

 

《ということは、もう出走は確定と考えても?》

 

 

《イエス!アメリカには私以外にエントリーする子はいなさそうだし、私のチームも応援に来ることはあっても出走はないかな。チームから1人だけってチーフとの約束だからね》

 

 

《成程。日本のウマ娘で特に警戒している子などはいますか?》

 

 

《う~ん……どの子も素晴らしいけど、出走してきそうな子で特に警戒しているのはホクトボーイって子かな?グリーングラスやプレストウコウも素晴らしいと思うけど、日本には冬のグランプリレース……有マがあるだろう?そこから中1週しかないときた。となると、その期間で出走するのはホクトボーイぐらいだと考えてるよ》

 

 

《ま、まるでその3人が有マに出走することが分かっているような口ぶりですね》

 

 

《え?有マは国内最強を決めるレースだろう?だったら、この3人はエントリーするんじゃないのかい?それだけの実力はあるし》

 

 

 

 

 ……多分だが、デッドはすでに調べているのだろう。それぐらいは分かっていそうだ。

 最後の質問が終わったところで、デッドは何かを思い出したかのような仕草をした後不敵な笑みを浮かべてこう言った。

 

 

 

 

《そうそう。特に警戒している子、もう1人いたよ。ある意味で、海外のウマ娘よりも警戒している子がね》

 

 

《え?そ、そのウマ娘の名前は!?》

 

 

《ハハ!それはトップシークレットさ!本番までのお楽しみだよ!》

 

 

 

 

 不敵な笑みから一転、今度は楽しそうに笑いながらそう言った。それから映像がリポーターからアナウンサーの方へと移る。

 

 

 

 

《続いては、フランスから出走を表明しているウマ娘の紹介に入ります。総合戦績17戦8勝、前走の凱旋門賞を3着と好走したオブリガシオンさんです》

 

 

 

 

 その言葉とともに、あらかじめ撮ってあったであろうインタビュー映像を流し始める。テレビにはリポーターの他に、気品というよりは厳格さを感じさせるオレンジ色の髪をお嬢様風にしたウマ娘が座っていた。座っているので身長は分からないが、少なく見積もってもボーイぐらいはありそうだ。

 そのウマ娘、オブリガシオンはリポーターの質問を真面目に返している。

 

 

 

 

《……今回出走を決めた理由をお聞かせ願えますか?》

 

 

《日本のウマ娘に興味があったということ。凱旋門賞に挑戦しに来る日本のウマ娘はまだ少ないですが、これからきっと増えていくだろうとトレーナーは考えています。なので、これからの彼女達の行く末を見通すため、この脚で確かめてみるのも一興だと》

 

 

《今回が初挑戦となる日本でのレースですが問題に思っていることは?》

 

 

《こちらの芝とは違うと聞いています。なので、それを確かめる必要があるかと》

 

 

《ジャパン・ユニバーサル・レーシング・カップの抱負などをお聞かせ願えますか?それと、日本で警戒しているウマ娘などが分かれば》

 

 

《我が祖国の強さを見せつける。誰が相手であろうと関係ありません。それだけです》

 

 

 

 

 どうやら見た目通り、真面目そうな印象を抱かせるインタビューだった。また映像が切り替わり、今度はイギリスのウマ娘の紹介に入る。

 こちらは前2人とは対照的に小柄だ。身長もボクより低くジョージと同じぐらいかもしれない。座っているので正確な身長は分からないが。藍色の髪をアンダーツインテールにしており、顔には幼さが残っている。簡単な説明によると、この子はトゥインクルシリーズでいうクラシック級に相当するらしい。

 名前は……。

 

 

「バルニフィカス……」

 

 

「生意気そう」

 

 

「会うたこともない子になんてこと言うんやジョージ」

 

 

 確かにボクもそう思ったが。

 

 

 

 

《……今回出走を決めた理由は何でしょうか?》

 

 

《そうですね~。日本にも私っていう存在を知らしめないとって思ったからですね!ヨーロッパには私の存在が認知されましたし~、ここらでワールドワイドに展開しようと思いまして!》

 

 

《な、なるほど。日本の芝とイギリスでは芝の違いがありますが、その辺はどう考えていますか?》

 

 

《特に問題はないかなって。早めに現地入りして練習する予定ですし。慣れる時間は十分に取るつもりで~す》

 

 

《ジャパン・ユニバーサル・レーシング・カップでの抱負をお聞かせ願いますでしょうか?後は、日本のウマ娘で警戒している選手がいればお願いします》

 

 

《お祭りレースって聞いてますし、精一杯盛り上げちゃいま~す!ま、1着は私ですけどね!日本の子は研究はしてるけど~、特に警戒している子はいないかな~?とにかく頑張りま~す》

 

 

 

 

 今のところ、決まっているのはこの3人らしい。ニュースはここで切り替わった。

 ボクは紹介されたウマ娘達をネットで検索してみる。とは言っても、デッドのことは知っているので他の2人についてだ。まずはフランスのウマ娘、オブリガシオンの方を調べてみる。あんまり慣れていないので少し時間がかかったが、何とか辿り着くことができた。

 

 

「17戦8勝、内2着は3回。前走の凱旋門賞は3着……」

 

 

「てれび 同じ」

 

 

「後はデッドと同じで、前で走るんが得意らしいで。それとサンクルー大賞を勝っとる」

 

 

「ふーん」

 

 

 ジョージは興味なさそうだ。この様子だと、出走する気はないのかもしれない。そう思いながらも今度はバルニフィカスについて調べる。

 調べて、ボクは驚きから携帯を落としそうになった。なんとか落とさないようにしたものの、いまだにビックリしている。ジョージはそんなボクの様子を見て不思議そうに尋ねてきた。

 

 

「どした?すごかった?」

 

 

「……すごいなんてもんじゃないで」

 

 

「そんなに?」

 

 

 ジョージの言葉にボクは頷く。どうしてこんな子がわざわざ日本に来るのか疑問に思うぐらいにはすごい戦績だった。

 

 

「総合戦績10戦8勝、主な勝鞍に2000ギニーとイギリスダービー……」

 

 

「すごいの?」

 

 

「……こっちでいう2冠ウマ娘や。バルニフィカスはな」

 

 

「へー」

 

 

 ジョージはなおも興味なさそうだ。まぁ自分が出走しないレースにはとことん興味なさそうだし別に構わないのだが。ボクは苦戦しながらも情報を集めていく。

 その過程で分かったことはバルニフィカスはこっちいう2冠ウマ娘であるということ、後方からのまくりを得意とすること。そして、オブリガシオンが3着だった凱旋門賞で2着だったこと。以上のことが分かった。

 

 

「……本当になんでこんな子が日本のお祭りレースに出走してくるんや?」

 

 

「目立ちたいだけ 意味なし」

 

 

「ホンマにそんだけか?」

 

 

「なんとなくー。でも 格下 見てる 私達」

 

 

「……なんでそんなこと分かるんや?」

 

 

 ボクの質問に、ジョージは答える。

 

 

「いんたびゅー 警戒してる子 いない 言ってた。研究してるのに」

 

 

「確かにそう言うてたな」

 

 

「その子 自信家。負ける 微塵も 思ってない。このれーす 世界注目。勝って 知名度 上げたいだけ」

 

 

「……そういうことかいな」

 

 

 確かに思い返してみればインタビューでそんなことを言っていた。ボク達に負けるとは微塵も思っていないのだろう。確かにこの戦績ならそう思っても仕方ないのかもしれない。

 ただ、この戦績を見てボクの中に生まれたのは闘争心だ。競って、勝ちたい。このウマ娘達相手に、ボクは勝ちたい。その気持ちがボクを支配する。

 

 

「……ま、それよか早いとこトラウマ克服せんとな」

 

 

 闘争心が湧き上がるのは良いことだが、とにもかくにもその問題がある限り走ったところで負けるだけだ。その事実だけはちゃんと考えないといけない。

 そんな時、ジョージが励ますようにボクに告げる。

 

 

「頑張れ テン坊。テン坊 1人 違う。私 いる。みんな いる」

 

 

「……うん、ありがとなジョージ。ジョージもいつかまた、一緒に走ろうな」

 

 

「もち。楽しみ」

 

 

「ボクも楽しみや」

 

 

 お互いに笑みを浮かべて会話をする。その後は消灯まで2人で楽しく話していた。




デッドスペシメン同様、オブリガシオンとバルニフィカスもオリジナルウマ娘かつモチーフはいません。勝ち鞍に関しても史実には特に影響はないと考えても大丈夫です。


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第129話 誰が為に

他愛もない日常&奮起する回


 季節が過ぎるのも早いものでもう12月に入った。ボクは寒さでかじかむ手をこすりながらジョージと一緒に登校する。ジョージも寒さからか身体を震えさせていた。

 

 

「寒い 帰りたい」

 

 

「ダメや。ちゃんと授業は受けるんやで」

 

 

「鬼 悪魔」

 

 

「なんとでもいいや。ほら、カイロや。少しはあったまるやろ」

 

 

 そう言ってボクは持ってきていたカイロをジョージに手渡す。受け取ったジョージは少しだけ緩んだ表情を見せた。

 

 

「あったか あったか」

 

 

 その様子に頬が緩みながらもボク達は学園へと登校する。

 いつも通り購買で新聞を購入した後自分の教室へと歩を進める。その途中でボーイに会った。向こうもボクに気づいて挨拶をしてくる。

 

 

「おっはよーテンさん!最近寒くなってきたなー!」

 

 

「おはようさんボーイ。やな、いつにもまして寒うなってきたわ」

 

 

「ホントだよなー。そろそろ家のこたつ引っ張り出してくるかなぁ」

 

 

 他愛もない会話をしながらボク達は教室へと向かった。

 教室に着いたボク達は自分達の席に着く。着いた後ボクは先程購入した新聞を広げて記事の方を見る。時期的に、今日は有マ記念の投票結果が確認できるはずだ。ボクは目当ての記事を探していく。ボーイもボクが見ている新聞を覗き込むように見ていた。

 

 

「……お、あったあった。有マのファン投票」

 

 

「マジか!オレにも見せてくれテンさん!」

 

 

「はいよ。一緒に見よか」

 

 

 ボクは新聞を机に広げてボーイと一緒にファン投票の結果を確認する。確か、グラスとホクト、ジョージとカシュウが参加表明していたはずだ。ボクは少しドキドキしながら結果を確認する。

 

 

「ふ~ん……ファン投票1位はプレストウコウなんやな」

 

 

「まぁ菊花賞をレコードで勝ったし、何よりこの前の天皇賞2着だからな。……いろんなことあったけど」

 

 

「……あぁ、ホンマに色々あったな秋の天皇賞は」

 

 

 ボク達は互いに複雑な表情を浮かべる。多分、気持ちは同じだ。プレストウコウに対する同情の気持ちが湧き上がっている。

 ボクは現地で見たわけじゃないが、現地で応援に行ったらしいカイザーから話は聞いていた。その話を聞く限りだと、とことん運に恵まれていないのだと、プレストウコウに同情せざるを得なかった。

 春の天皇賞は競争途中に蹄鉄が外れかけるというアクシデントにより競争中止。今回こそは何としてもと意気込んで挑んだであろう秋の天皇賞。プレストウコウは何と逃げる姿勢を取ったらしい。絶好のスタートを切って、ハナを取って進んでいた。完璧なスタートを切っていた……らしい。

 だが、問題はここからだ。なんと、とあるウマ娘のゲートが開かなかったらしい。原因は、そのウマ娘がゲートに入っている時にゲートに蹴りを入れてしまい、ゲートが壊れてしまったとのこと。結果としてその子のゲートは発走の瞬間になっても開かなかったそうだ。

 そうなったらどうなるか?勿論競争はやり直しである。逃げていたプレストウコウもこのリスタートには呆然としていたらしい。そして、観客にも聞こえる声でただ嘆いていたそうだ。

 

 

『なんでこんなことになるんですかー!絶好のスタートを切ったのにー!』

 

 

 嘆いたところで覆ることはなくプレストウコウは大人しくゲートへと戻った。再度スタートが切られる形になる。再スタートでもプレストウコウは逃げる姿勢を取ったが、カイザー曰く集中し切れていなかったとのこと。それも当然だろう。絶好のスタートを切ったのにそれに水を差されたのだ。誰だって集中力は切れる。それでもハナを取って逃げることができるのはプレストウコウのポテンシャルが高い証拠だと思うが。

 そんな集中し切れていない状態でも、プレストウコウは逃げていた。そして迎えた最後の直線。このまま勝てるんじゃないか?と観衆が見守る中、菊花賞でプレストウコウの2着だった子が追い上げてきたらしい。菊花賞の時とは真逆の構図となった秋の天皇賞は、菊花賞2着の子の執念が勝った。プレストウコウは半バ身差の2着である。

 ……ただまあ、リスタートしていなければ、なんてことを考えてしまう。レースにたらればを語っても仕方がないのだが。プレストウコウはレース後に勝った子を讃えながらも嘆きの声を上げていた。

 

 

『なんでこうなるのー!?』

 

 

 ……カイザーから秋の天皇賞の一部始終を聞かされた時は、あまりの不運っぷりにその場にいた全員が俯いて黙り込んでしまったのは言うまでもない。

 話が少しそれてしまった。気を取り直してボク達は残りのメンバーを見ていく。

 

 

「へぇ、メジロの子も出てくるんだな。グラスは……3位か」

 

 

「まぁしゃあないんやないか?宝塚以降レース出とらんし」

 

 

「それに~宝塚以降体調もそんなに良くないからね~」

 

 

 ボーイと会話をしていると、いつの間にか登校していたグラスが話に割って入ってきた。思わず驚いてしまう。それはボーイも同じだった。

 

 

「うわっ!びっくりした!」

 

 

「お、おはようさんグラス。いつ来たんや?」

 

 

「ん~?本当についさっきだよ~。2人で新聞広げて何話してんのかな~って」

 

 

「私もいますよ」

 

 

 グラスの後ろからカイザーも現れた。ボク達は挨拶を交わしていつものように4人で会話をする。

 

 

「今年の有マ記念も頑張ってくださいね、グラスさん」

 

 

「おう!オレ達も応援に行くからさ!」

 

 

「ありがと~。私張り切っちゃうぞ~むん~」

 

 

「緩いなぁグラスは。ま、ボクも応援に行くで」

 

 

「お~これは是非とも1着を~……ッて、言いたいとこなんだけどね」

 

 

 グラスはそう言いながら自分の脚を撫でるように触り始める。その様子でみんな察したのだろう。代表してボーイがグラスに尋ねる。

 

 

「……あんま良くねぇのか?脚の具合は」

 

 

「……そうだね。春の天皇賞と、宝塚は大丈夫だったんだけど。今はあんまり、って感じかな」

 

 

 やはりグラスの脚の状態も良くないらしい。きっと、グラス自身歯がゆい思いをしているのだろう。ボクはグラスに同情する。

 だが、グラスは不安げな表情を見せることなく微笑んだ。

 

 

「でも、私は走るよ。脚のことを言い訳にはしない。自分の現状を受け止めて、それでも前に向かって走り続ける。だから、みんなも応援してくれると嬉しいな」

 

 

 ……グラスの言葉に、ボク達は顔を見合わせる。そして、グラスに向かって笑顔でそれぞれ答えた。

 

 

「当たり前やろ!グラスの応援、任しとき!」

 

 

「はい。私も、精一杯応援させていただきます!」

 

 

「有マ記念、頑張れよ!グラス!」

 

 

「お~私頑張っちゃうぞ~」

 

 

 最後はグラスがのんびりと締めたが、この方がらしい気がする。ボク達はみんな顔を見合わせて笑いあった。

 ひとしきり笑った後、ふと思い出したようにボーイがボクに尋ねてきた。

 

 

「そうだ。グラスは有マ、オレとカイザーはウィンタードリームトロフィーがあるけどよ。テンさんは復帰レース決めてんの?年内復帰できそうって話だったけど」

 

 

「そういえばそうですね。テンポイントさんの復帰レースの話はどうなったんですか?」

 

 

「どこのオープンレース使うの~?もしかして~、重賞とか使ったり~?」

 

 

 そういえば、みんなには話してなかった気がする。素直に教えてもいい気はしたが、少しばかりもったいぶることにした。

 

 

「一応決まっとるで」

 

 

「へぇ。どのレースに出走するんだ?」

 

 

「ふふ~ん、どれやろうなぁ?どれやと思う?」

 

 

「はは、素直にうざいですね」

 

 

「待ってカイザー。ちょいふざけただけなのに辛辣すぎひん?」

 

 

「でもでも~実際のところどのレースに出走するの~?」

 

 

「ジャパン・ユニバーサル・レーシング・カップ」

 

 

「「「……は?」」」

 

 

「年末開催のジャパン・ユニバーサル・レーシング・カップや。それがボクの復帰レースやな」

 

 

 ボクの言葉に、3人は固まった。ボク達の間に静寂が訪れる。やがて、3人とも我に返ったのか次の瞬間には大きな声を上げた。

 

 

「「「ええぇぇぇぇぇえええ!?」」」

 

 

「うるっさ!」

 

 

 周りのクラスメイトも突然大声を上げたボーイ達に驚いたような表情を浮かべていた。ただ、そんなことお構いなしにボーイ達はボクに詰め寄る。

 

 

「どどど、どういうことだよテンさん!?なんで復帰レースがよりにもよって!?」

 

 

「そうですよ!普通、オープンレースを使いません!?」

 

 

「いくら何でも無茶苦茶過ぎない!?テンちゃん!」

 

 

「ひとまず落ち着きや3人とも!順番に答えるから!」

 

 

 少し時間はかかったが、3人とも落ち着いたのを確認してからボクはボーイ達の質問に1つずつ答えることにした。とは言っても、3人とも聞きたいことは1つだろう。ボクは答える。

 

 

「なんで復帰レースに選んだっちゅうことやろ?みんなが聞きたいんは。簡単な話や。ボクはもう一度海外に挑戦する。これはそのための前哨戦や」

 

 

「な、なるほど。確かに海外のウマ娘と闘えるまたとない機会だもんな。分からなくもないぜ」

 

 

「でもでも~本当に大丈夫なの~?」

 

 

 ボクは少し後ろめたさを感じつつも答える。

 

 

「ま、タイムも徐々に戻ってきとるしその辺は大丈夫や。年末には間に合う……と、思う」

 

 

 ボクの言葉にボーイとグラスはずっこけた。

 

 

「そこは自信もって間に合うって言ってくれよテンさん!」

 

 

「そうだよ~。でも~タイムが徐々に戻ってきてるなら大丈夫だね~」

 

 

「せやせや。そんな心配せんでも大丈夫やで」

 

 

 ボクとボーイとグラスは笑いあった。だが、ただ1人カイザーだけは険しい目つきでボクを見ている。

 ……カイザーはボクの事情を知っている数少ない人物だ。だから、カイザーには筒抜けだろう。ボクの状態が良くないということは。

 2人に余計な心配はかけさせたくない。そう思ったボクはカイザーにアイコンタクトを取る。頼むからこの場では黙ってくれ、と。カイザーは1つ頷いたかと思うと、ボク達の会話に入ってくる。

 

 

「まぁ、復帰レースが決まったのなら喜ばしいことです。応援しに行きますよ、テンポイントさん」

 

 

 笑顔でそう言った。どうやらボクの意思は伝わったらしい。ひとまず安堵する。

 その後はチャイムが鳴ったので朝のホームルームが始まった。自分の席に着いて担任の先生の話を聞く。それも終わったら通常通り授業が始まった。今日も学園での1日が始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 午前の授業が終わって昼休みの時間。私はボーイさんとグラスさんを屋上へと呼びだした。テンポイントさんには悪いが、今日は1人でご飯を食べてもらうことにした。テンポイントさんは特に疑うことなく了承したのでそこのところは安心である。これで、お2人にも話がスムーズに運ぶことができる。

 私に呼び出されたボーイさんとグラスさんは不思議そうな表情を浮かべていた。

 

 

「急にどうしたんだよカイザー。オレ達を呼び出してさ」

 

 

「そうだね~。テンちゃんだけ省いたのも少し疑問だよね~」

 

 

 まぁ、納得の疑問だ。なので私は呼び出した理由を手短に伝える。

 

 

「すいませんボーイさん、グラスさん。2人に話したいことがありまして。それはテンポイントさんの状態についてです」

 

 

「あ~。まぁテンさんを呼ばなかった時点で大体察しはついてるけどさ。でもよ、タイムは徐々に戻ってきてるんだろ?特に問題はないんじゃないか?」

 

 

「そうだね~。テンちゃん自身は大丈夫って言ってなかった~?」

 

 

 ……今のテンポイントさんの、本当の状態を知っているのはこの中では私だけだ。テンポイントさんには悪いが、私はお2人に伝えることにする。

 

 

「……そうですね。テンポイントさんの言っていたことは、半分合っています」

 

 

「半分合ってる……って、どういうことだ?」

 

 

 ボーイさんとグラスさんは疑問に満ちた表情をしていた。私は1つ深呼吸をした後、お2人に告げる。

 

 

「……タイムが戻ってきているというのは本当です。私も、神藤さんに見せてもらって確認したことですから」

 

 

 その言葉に、ボーイさん達は安堵した表情を浮かべる。

 

 

「な~んだ!誠司さんのお墨付きなら余計心配はいらないじゃん!あの人テンさん絡みで嘘はつかないし!」

 

 

「……ですがそれは、第4コーナーを含まないタイムの話です。今テンポイントさんは、致命的な弱点を抱えています」

 

 

「……何?致命的な弱点って」

 

 

 心臓の音がうるさい。緊張している。もう一度深呼吸をして、気持ちを落ち着けた後、告げる。

 

 

「……日経新春杯での骨折が原因で、第4コーナーを曲がれなくなっています。右回り左回り、距離は関係なく、第4コーナーを曲がろうとした際に事故の光景がフラッシュバックしてうまく走れなくなっています。それを私は、この目で確認しました」

 

 

 私の言葉に、楽しそうな表情から一転して信じられないような表情をお2人は浮かべている。そして、私に尋ねてきた。

 

 

「なんだよそれ……!第4コーナーを曲がれないって、致命的じゃねぇか!?」

 

 

「……どれくらい減速すれば曲がれるの?」

 

 

「先日神藤さんから頂いたデータです。比較用に、怪我をする前のテンポイントさんのタイムも載せてあります」

 

 

 私は用紙を取り出してグラスさんに渡す。お2人はその紙を食い入るように見た後、身体を震わせて絞り出すように言った。

 

 

「……遅すぎる!1秒や2秒なんてもんじゃねぇ、第4コーナーに限ればデビュー前の子よりも遅いじゃねぇか!」

 

 

「……テンちゃんは、瞬発力がある方じゃない。第4コーナーでこんなに失速したらまず間違いなく追いぬかれるし追いつけない。こんな状態でレースに?」

 

 

 グラスさんの言葉に私は頷く。お2人は、沈痛な面もちだった。

 

 

「なんで……ッ!なんで言ってくれねぇんだよテンさん……ッ!」

 

 

「……多分、私達の重荷になるのが嫌だったんだと思う。私は有マがあるし、2人もウィンタードリームトロフィーがあるでしょ?だから、余計な心配をさせたくなかったんだと思う」

 

 

「でもよ……ッ!少しぐらい相談してくれたっていいじゃねぇか!」

 

 

 ……ボーイさんの気持ちはもっともだ。友達なんだから、もう少し頼って欲しいという気持ちはある。

 だからこそ、私はとっておきの作戦を考えた。思わず笑みが零れる。

 

 

「そうですよね?だから私は、とっておきの作戦を考えたんです」

 

 

「……なんかスゲェいい笑顔してるけど、何考えたんだ?カイザー」

 

 

「……それ、大丈夫な案だよね?危害が及ぶようなことじゃないよね?カイザーちゃん」

 

 

 お2人は私のことをなんだと思ってるのか。一瞬そう思ったがすぐに気を取り直して作戦について説明する。

 

 

「簡単ですよ。他の人達も巻き込んで、テンポイントさんと併走をするんです。神藤さん曰く、トラウマ克服のために成功体験を積み重ねるのが大事なんだとか。だから今も2400mを走っていると聞いています。ただ、今は1人で走っているというのが現状。そこでです」

 

 

「……オレ達が併走相手として立候補する、っつうわけか?」

 

 

「そういうことです」

 

 

 私はそう答える。そこで、グラスさんが疑問をぶつけてきた。

 

 

「私は大丈夫だと思う。おきのんも許してくれるだろうし。神藤さんも……テンちゃんのためっていえば受けてくれるだろうし」

 

 

「そうですね。神藤さんには私からお願いしてみます。この中で唯一テンポイントさんの状態を知っているのは私ですから」

 

 

「だけど、リギルは大丈夫なの?厳しいでしょ、そういうの」

 

 

 グラスさんの言葉に、ボーイさんは決意の籠った目をしながら答えた。

 

 

「そうだな。多分、おハナさんは許してくれねぇと思う」

 

 

「……だよね」

 

 

「けど、ぜってぇ何とかする!土下座でも何でもして、おハナさんの首を縦に振らせてみせる!大事な友達が、親友がもがき苦しんでるんだ!だったら、助けるためにオレは何でもしてやらぁ!」

 

 

 ボーイさんはそう言った。その言葉に、私とグラスさんは笑みを零す。

 

 

「ひとまず、いつ作戦を決行しますか?」

 

 

「善は急げだ!オレはすぐにでも動くぜ!」

 

 

「じゃ~私もそうしようかな~。下手したら授業間に合わなくなりそうだけど~」

 

 

「その時のことはその時考えればいいんですよ。今はとにかく動きましょう。テンポイントさんに気取られないように」

 

 

「おう!」「うん!」

 

 

 私達は手を重ねる。心は1つ。親友であるテンポイントさんを助けるために。その思いで、私達はそれぞれ動くことにした。




ばぁばは来ませんでした。


※タイトルが他と被ってたのでタイトル修正 11/18


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第130話 友の為

珍しい組み合わせ回


 午前中の授業が終わってお昼休み。ボクは考え事をしながら1人でカフェテリアへと向かっていた。考え事とは、カイザー達のことである。

 今日もいつも通り、みんなで食事を取ろうとした時カイザーが申し訳なさそうに謝ってきたのを思い出す。

 

 

『すいません、実は用事がありまして。お昼をご一緒するのは難しそうです』

 

 

 これがカイザー1人だけだったらそんなこともあるだろうぐらいで済ませられるのだが、カイザー曰くボーイとグラスも連れてくるように言われていたらしい。一体誰からの用事かは分からないが、3人も必要だということはよほどの用事なのかもしれない。そう思った。

 そんなことがあってか、ボクは1人で食事を取ろうと思いカフェテリアへと足を運んでいる。お弁当があるので外で食べるのもいいかと考えたが、さすがに寒いので止めた。

 もう少しで目的地に着こうとした時、後ろから声を掛けられる。

 

 

「テンポイント様?珍しいですね。トウショウボーイ様達とは別行動でしょうか?」

 

 

「あれ?テンポイントさんじゃん。やっほー」

 

 

 声のした方に振り向くと、クインともう1人、シービーが立っていた。ボクも挨拶を交わす。

 

 

「よ、クインにシービー。ボーイ達はなんか用事があるんやと。やからボク1人で悲しく食事や」

 

 

「アハハ……。それは残念でしたね」

 

 

「ま、いつも一緒に食うとるしたまにはええと思うてるけどな」

 

 

「ねぇねぇ。だったらアタシたちと一緒に食べない?」

 

 

「シービー達と?ボクはかまへんけど」

 

 

「私も構いませんよ。でしたら、一緒にお食事を取りましょうか」

 

 

 偶然とはいえ、クイン達と一緒に食事を取ることになった。早速席を取りに行く。3人分の席を確保すると、ボクは2人に食事を取ってくるように促す。

 

 

「ボクはお弁当あるし、2人とも席の心配はせんでええで。ボクがここで見張っとくわ」

 

 

「それでしたら、お言葉に甘えさせていただきます。テンポイント様」

 

 

「よろしくね~テンポイントさ~ん」

 

 

 2人が取りに行っている間、ボクは席で帰ってくるのを待つ。程なくして2人は帰ってきたのを確認し、ボクはお弁当を取り出して机の上に置いた。お弁当を見たシービーは少し驚いたような表情をしている。

 

 

「へー。すごいお弁当だね。テンポイントさんが作ったの?」

 

 

「うん?ちゃうで。これはトレーナーが作ったもんや」

 

 

「ミスター神藤が?あの人料理できるんだね」

 

 

「えぇ。神藤様は手先が大変器用ですので」

 

 

「へー。中はどんな感じなの?」

 

 

 シービーは待ちきれないといった様子でボクのお弁当を見ている。ボクはすぐさま包みを解いてお弁当を広げる。相も変わらず、すごいお弁当だ。思わずお腹が鳴りそうになる。クインとシービーも、感嘆の声を漏らしていた。

 

 

「「「いただきます」」」

 

 

 手を合わせて、食事を取り始める。どのおかずから手をつけようか迷っていた時、横から箸が伸びてきておかずを持っていかれる。箸が伸びてきた方を見ると、シービーが笑みを浮かべていた。

 

 

「テンポイントさん、一個貰うね」

 

 

「こら!シービー!はしたないでしょう!それに、取ってから言うのではなく取る前に言いなさい!」

 

 

「ええよクイン。そんなに怒らんでも。おかずの1つや2つぐらい」

 

 

「そういう問題ではありません!これは行儀として……ッ!」

 

 

「ゴメン、もう食べちゃった」

 

 

「シービー!」

 

 

 ボクのおかずを勝手に取っていったシービーをクインは叱っていた。その様子はまるで、親が子供を叱りつけるような、そんな姿に見えた。怒っているクインに対して、シービーは平謝りをしている。その姿に、ボクは思わず笑い声が漏れてしまった。

 

 

「……フフッ」

 

 

「?どうかされましたか?テンポイント様。何か面白いことでもあったのですか?」

 

 

「いや、何でもないで。怒られとるシービーがおもろかっただけ」

 

 

「えー?何それ。ちょっと趣味悪いんじゃない?」

 

 

 シービーはおかしそうにそう言った。ただ、それをクインが呆れた表情をしながらも叱る。

 

 

「元はといえば、怒られるようなことをしたあなたが悪いんでしょう」

 

 

「でもでも、テンポイントさんは気にしなくていいって言ってるよ?」

 

 

「ハァ……。全くあなたは……」

 

 

 そう言いながらも、クインは微笑まし気な視線をシービーに送っている。これが2人なりの距離感なのだろう。ボクも思わず笑みが零れる。

 食事を取っていると、ふと思い出したようにシービーがボクに尋ねてきた。

 

 

「そうだ。テンポイントさんはミスター神藤の唯一の担当ウマ娘なんだよね?」

 

 

「うん?そうやな。今んとこボク以外にはおらんで」

 

 

「あの人チームとかは持たないのかな?」

 

 

「う~ん……まだ難しいんじゃないでしょうか?時折忘れそうになりますが、神藤様はテンポイント様が初めての担当ですので」

 

 

「でもさ、そろそろチームを持ってもおかしくないんじゃないかな?トレーナーって万年人手不足って聞いてるし。勤務態度や評判もミスターなら問題ないだろうしね」

 

 

「それに、用務員の問題も改善しとるらしいからな。近々、チーム持つことになったりしてな!」

 

 

 そんな会話をしていると、クインがシービーに尋ねる。

 

 

「先程から尋ねようとは思っていたのですが……。その、ミスター神藤とは何でしょうか?シービー。神藤様のことを指しているのは分かるのですが。他のトレーナーにはつけておりませんでしたよね?」

 

 

「あ、それはボクも気になっとった」

 

 

 クインの言葉通りなら他のトレーナーにはつけずに、ボクのトレーナーだけにつけているらしい。純粋に気になる疑問だった。

 その質問にシービーはあっけらかんと答える。

 

 

「別に深い意味はないよ。ミスター神藤はミスター神藤さ。ただ、強いていうなら……ちょっと気になる相手、かな?」

 

 

 シービーの言葉に、クインは花が咲いたような笑顔を見せる。

 

 

「まぁ!それは良いことですね!あなたはトレーナーからのスカウトを断り続けてここまで来ましたが……ついに見つけたのですね!シービー!」

 

 

「……ま、トレーナーはチーム持ってへんけどな」

 

 

「うっ、そうでしたね……」

 

 

 ボクがそう言うと、クインはあからさまにしょげた。別に意地悪で言ったわけではないが、感じていたことがつい漏れてしまった。ボクは慌ててフォローを入れる。

 

 

「で、でも!これまでのこと考えたらトレーナーもチーム持つかもしれへんからな!まだ分からへんで!」

 

 

「そ、そうですよね!神藤様でしたら……ッ!」

 

 

「ま、あくまで気になるだけでトレーナーになってもらうかはまた別問題だけど」

 

 

「シービー!おまっ!」

 

 

 シービーの言葉にクインはまた落ち込んでしまった。当のシービーは舌を出していたずらっ子のような笑みを浮かべている。ただ、シービーはボソッと呟く。

 

 

「……ま、もう決めてるんだけどね」

 

 

 何を、と聞く前にシービーはクインに対して申し訳なさそうに謝る。

 

 

「ゴメンゴメン。でも、どうするかはちゃんと考えてるからさ。クインさんは心配しなくても大丈夫だよ」

 

 

「……ハァ、あなたはそういう子ですものね。それでも、1つだけ言わせてもらいます。……後悔はしないようにね?シービー」

 

 

「それこそ大丈夫だよクインさん。アタシは後悔しないように生きてるから」

 

 

 そこでこの話題は終わった。なんだかんだ、いい感じに終わった……気がする。その後は他愛もない話をして時間が過ぎていった。こうして、この2人とは話す機会があまりなかったので新鮮な気分だった。2人のことを深く知ることができて、少し嬉しくなった昼食だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺はトレーナー室で時計を確認する。もう少しでお昼休みが終わりそうだという時間だった。俺は1つ伸びをして、休憩を取ることにする。

 たまには凝ったものでも飲もうと思い、コーヒー豆の準備を始めようとしたその時、インターフォンが鳴った。

 

 

「この時間に誰だ……?お昼休みも終わりだし、生徒ではなさそうだが」

 

 

 そう思いながらも、俺は鳴らした人物に対して入ってくるように促す。扉を開けて入ってきたのは、なんとクライムカイザーだった。驚いている俺をよそに、クライムカイザーは一礼をして部屋へと入ってくる。

 

 

「失礼します、神藤さん。今日はお願いがあってここに来ました」

 

 

「いや……それはいいんだが、もうすぐお昼休み終わるぞ?大丈夫か?」

 

 

「大丈夫です。手短に済ませますので」

 

 

 そう言うクライムカイザーから少し圧を感じた。余程重要な案件なのかもしれない。俺は手を止めてクライムカイザーの方を見る。

 俺は彼女に尋ねる。

 

 

「……それで?用件ってのはなんだ?クライムカイザー。只事じゃなさそうだが」

 

 

 しばしの無言。クライムカイザーは意を決したように俺の質問に答える。

 

 

「……テンポイントさんと、模擬レースをさせていただけないでしょうか?実戦形式で」

 

 

 返ってきたのは、身構えていたにしては普通の答えだった。思わず肩透かしを食らった気分になる。だが、雰囲気的にそれだけじゃないのだろう。俺は続けて彼女に質問する。

 

 

「……それは、お前とだけか?それとも、他の子も巻き込んでか?」

 

 

「勿論、私だけじゃありません。私の他に、ボーイさんとグラスさんは確定です。彼女達の許可も取ってあります。今後も、増えていくと思います」

 

 

 ……俺はこめかみを押さえながら、気になっていることを聞く。

 

 

「このこと、ハダルのトレーナーは知っているのか?」

 

 

「先程許可を貰いました。スピカは言うまでもなく、リギルも許可はもらえます。後は神藤さんの声でこの模擬レースは成立します」

 

 

「……リギルの許可が貰える根拠は?」

 

 

「ボーイさんが何としても許可を取ると言っていましたので。根拠はそれだけで十分です」

 

 

 クライムカイザーは強い意志を持った目で答えた。その様子を見ながら、俺は考える。

 ……この模擬レース、俺達側からすればかなりありがたい話だ。実戦に近い形で練習ができるのは勿論のこと、1人で走るよりも効率は格段に上がるだろう。二つ返事で了承したい提案だ。

 ここで疑問となるのは、何故クライムカイザーがこの話を持ち掛けてきたかだ。この模擬レース、俺達側にメリットはあるがクライムカイザー達にはほとんどメリットがない。テンポイントが第4コーナーを曲がれなくなっている現状、実戦形式で走ったところで彼女達には利はないだろう。

 トウショウボーイとグリーングラスはテンポイントの現状を知らないだろうが、クライムカイザーは知っているはずだ。それを承知の上で、クライムカイザーは何故この話を持ち掛けてきた?

 ……いや、考えなくても分かる。答えなんて、1つだ。

 

 

「……テンポイントのためか?」

 

 

 俺の言葉に、クライムカイザーは深く頷いた。合っているとばかりに。俺は嘆息する。

 ありがたい話であるのは確かだ。ただ、彼女達に利益がないのにここで頷いてしまってもいいのだろうか?そう考えると、素直に首を縦に振るわけにはいかなかった。

 そんな俺の考えを見透かすように、クライムカイザーは告げる。

 

 

「正直言って、私達にとって利益はないに等しいでしょう。第4コーナーで必ず失速するって分かっているのに、実戦形式で走ったところで意味はありませんから」

 

 

「……」

 

 

 俺はクライムカイザーの言葉を黙って聞く。

 

 

「利益がないのにそんな提案をするなんてバカバカしい。この話を聞いたら、普通の人だったらそう言うかもしれません。ですが」

 

 

 クライムカイザーは、宣言するように俺に告げる。

 

 

「バカで上等。親友が困っているんです。それを助けなきゃ、親友なんて名乗れません」

 

 

 その言葉を聞いて、俺は心が震えるのを感じる。そして、内心彼女達に感謝しながらテンポイントのことを思う。

 

 

(テンポイント……。お前の親友達は最高のウマ娘だよ……)

 

 

 俺は決意を固めてクライムカイザーを見る。

 

 

「さっきお前自身で言ったように、お前達に利益はないに等しい。それは、トウショウボーイ達も承知の上か?」

 

 

「はい。私から事情を話して、それでもテンポイントさんのためにと」

 

 

「そうか……」

 

 

 俺は天井を見上げる。少し逡巡した後、頭を下げてクライムカイザーにお願いする。

 

 

「頼む。テンポイントのために、力を貸してくれ。クライムカイザー」

 

 

 その言葉に、クライムカイザーは肯定の言葉を返した。

 

 

「勿論です。テンポイントさん復活のために、私達にも手助けさせてください」

 

 

 俺は顔を上げて彼女の顔を見る。笑みを浮かべていた。俺もつられて、笑みを浮かべる。

 そこから細かい打ち合わせは後日にしようと思ったのだが、クライムカイザーはそれを拒否した。なんでも、すでに午後の授業は休む旨を伝えてあるらしい。そのことに少し呆れたが、伝えてしまったものは仕方がないのであまり同じことはしないようにとだけ告げる。

 

 

「ひとまずいつからやるかだが……」

 

 

「神藤さんさえ差し支えなければ今日からでもやりましょう。少しでも早く復活するためです」

 

 

「本当に大丈夫か?練習場の予約とか」

 

 

「問題ありません。今日はハダルで予約を取ってある日ですから。ハダルのトレーナーに関しては脅す……お願いすれば問題ありません」

 

 

「お前今脅すって言わなかったか?」

 

 

「気のせいですよ。そうだ、この話はテンポイントさんには練習開始まで内緒にしておいてくださいね?」

 

 

「それはどうしてだ?」

 

 

 俺の言葉に、クライムカイザーはいたずらっ子のような笑みを浮かべて答える。

 

 

「私達を頼らなかった罰ですよ。それと、ビックリした表情を見たいじゃないですか」

 

 

「……なるほどな。まぁ分かったよ。そうしとく」

 

 

 その後も打ち合わせをして模擬レースのことを詰めていく。途中でトウショウボーイとグリーングラスも合流した。2人の話によると、無事に許可を取ることができたらしい。リギルの方は少し難航したらしいが、トウショウボーイが折れないと分かったから、加えてハイセイコーの口添えもあって許可を取ることができたらしい。今度ハイセイコーには何らかの形でお礼をしないといけないだろう。

 テンポイントのためにと、協力してくれる子達がいる。自分に利益がないと分かっていても。そのことに喜びと感謝を感じながら俺はクライムカイザー達と模擬レースのことを詰めていった。




チャンミはBグループの2位でした。あんまり育成してなかったから残当ですね。


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第131話 君の為

友の為にお願いする回


 お昼休みも終わってボクは教室に戻ってきていた。午後からの授業の準備をしながら、いまだに空いている自分の隣の席を見る。ボーイはまだ戻ってきていなかった。ボーイだけではない。カイザーも、グラスも戻ってきていなかった。

 

 

「用事がそんなに長引いとるんやろうか?」

 

 

 さすがに授業が始まる前には戻ってくるだろう。ボクはそう思いながら席に着いて授業が始まるのを待った。

 だが、先生が来て授業が始まろうとしているのに3人とも戻ってこなかった。一気に不安な気持ちが湧いてくる。もしかして、何かあったのだろうか?

 少し心配になりながらも、ボクは午後の授業に集中することにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カイザーからテンさんの状態を聞き、カイザーの提案に乗ることにしたオレは急ぎ足でトレーナー室へと足を運んでいた。目的はただ1つ、おハナさんの許可を貰うためだ。

 ただ、オレの胸中は穏やかじゃない。おハナさんの性格なら、多分というより絶対に断られる提案だ。当たり前ではある。こっちには利益なんてないも当然なんだから。

 けれど、それでも絶対に首を縦に振らせてみる。そう意気込みながらオレはおハナさんがいるであろうトレーナー室の前まで来た。

 

 

「スゥー……ハァ……」

 

 

 扉の前で1つ深呼吸をして、意を決して扉をノックする。中からおハナさんの声が聞こえた。

 

 

「失礼します!」

 

 

 オレは緊張しながらも扉を開けて中に入る。おハナさんは、書類仕事をしていた。オレの姿を見て少し驚いたような表情をしたものの、すぐに元の表情に戻って用件を尋ねてくる。

 

 

「どうしたのかしら?トウショウボーイ。練習はまだまだ先よ」

 

 

「その練習のことで、おハナさんにお願いしたことがあってここに来ました!」

 

 

「……何かしら?」

 

 

 オレはおハナさんに頭を下げてお願いする。

 

 

「テンさ……テンポイントと模擬レースをしてもいいですか!?」

 

 

「ダメよ」

 

 

「少しは悩んでくださいよ!」

 

 

 オレの提案は一刀両断された。断られるとは思っていたが、いくら何でもあんまりである。ただ、おハナさんは呆れたようにオレに告げる。

 

 

「ハァ……。理由も言わずに、模擬レースだけさせてくださいなんて言って通るわけないでしょう?せめて理由を教えて頂戴」

 

 

「あっ」

 

 

 言われてみればそうだ。テンさんとの模擬レースのことだけ言って、肝心の模擬レースをしたい理由を話していなかった。ハッとしながらもオレはおハナさんにテンさんと模擬レースをしたい理由を話す……前に、今のテンさんの状態についておハナさんに尋ねることにした。

 

 

「おハナさんは、今テンさんがどんな状態になっているか知っていますか?」

 

 

「……私も詳しくは知らないわ。ただ、神藤が毎日のように難しい顔をしながら奔走していることから全てが順調……ってわけじゃないんでしょう?」

 

 

 どうやらおハナさんも詳しいことは知らないらしい。多分だけど、知っているのはテンさんと併走をした子達だけなのかもしれない。

 なのでオレは、テンさんの状態についておハナさんに言うことにした。

 

 

「……テンさん、今事故のトラウマが原因で第4コーナーが曲がれなくなってるみたいなんです。今も、それを克服するために頑張ってるみたいなんですけど、全然順調じゃないって」

 

 

「そう……。それは、辛いわね」

 

 

「はい。きっと、テンさん辛い思いをしてると思うんです。今も、1人でトラウマと闘っている」

 

 

「トウショウボーイ、あなたがテンポイントと模擬レースをしたい理由は……」

 

 

 おハナさんの言葉に、俺は頷いて告げる。

 

 

「オレはテンさんの助けになりたい。オレ達が模擬レースをして、助けになるかは分かんねぇけど……それでも何もしねぇよりはマシだと思うんです!」

 

 

「……」

 

 

 おハナさんは無言だ。ただ、表情的に少し否定的に考えているのかもしれない。オレはなおも頭を下げてお願いする。

 

 

「お願いですおハナさん!テンさんと模擬レースをさせてください!オレは、友達の……親友の助けになりたいんです!」

 

 

 オレは必死にお願いする。頭を下げた状態のまま、おハナさんの言葉を待った。

 ……だが、返ってきたのは非情な言葉だった。

 

 

「……許可できないわ」

 

 

 オレは思わず感情的になりそうになるが、必死に抑えて理由を尋ねる。

 

 

「……ッ!なんでですか!?」

 

 

「第一に、こちらに利益がないということ。トウショウボーイ、あなたの話を信じるのであればテンポイントは今第4コーナーを曲がれなくなっているのでしょう?そんな相手と模擬レースをして、あなたの利にはなるのかしら?」

 

 

「そ……ッ!れは……ッ!で、でも!」

 

 

「第二に、あなたの性格的に1回では済まないでしょう?きっと長期に渡って模擬レースをする予定だったんじゃないかしら?」

 

 

 おハナさんはこちらの考えを見透かしているように告げる。オレは何も言えずにいた。そして、無言を肯定と捉えたのだろう。おハナさんは厳しい表情で続ける。

 

 

「その間の練習はどうするつもり?あなたにだってウィンタードリームトロフィーがある。そちらを疎かにするようだったら、あなたのトレーナーとして許可できないわ」

 

 

「練習も手は抜きません!模擬レースをしながらでも……ッ!練習も一緒に取り組みます!」

 

 

「これからウィンタードリームトロフィーの詰めの練習に入るというのに?本当にできるのかしら?」

 

 

「やります!絶対にやってみせます!」

 

 

 できる根拠はない。でも、オレにはそう言うしかない。テンさんと模擬レースをするためにはそう言うしかなかった。

 おハナさんはさらに続ける。

 

 

「最後に、模擬レースをしたところでテンポイントが本当に元のように走れるようになる保証はあるのかしら?」

 

 

「……それは」

 

 

 そうだ、とは言えずに思わず口ごもる。オレの様子を見て、嘆息しながらおハナさんが告げる。

 

 

「……友達の助けになりたい。あなたのその気持ちは痛いほど分かるわ。私だって、できることなら許可してあげたい」

 

 

「だったら!」

 

 

「けれど、リギルはあなた1人のチームじゃない。あなた1人の我儘で、チームを乱すわけにはいかないわ。分かってとは言わない、恨むなら恨んでくれてもいいわ」

 

 

「……ッ!」

 

 

 ……おハナさんの言うことの方が正しい。そんなことは頭では分かっている。けど、けど!

 

 

(それでも、少しでもテンさんの助けになりたい!模擬レースをしたところで、テンさんがまた元のように走れるようになるなんて保証はどこにもないかもしれない!そんなことは分かってる!だけど、テンさんが苦しんでるのに、ただ見てるだけなんて嫌だ!)

 

 

 こうなったら土下座でもしてやる。そう思ったところで、誰かがトレーナー室の扉をノックした。

 

 

「……どうぞ」

 

 

 おハナさんがそう言うと、ノックしたであろう人物が入ってきた。その人物は。

 

 

「ハイセイコー先輩?」

 

 

「おや?トウショウボーイか。何かあったのかい?何やら、ただならぬ雰囲気だけど」

 

 

 オレはハイセイコー先輩に事情を話した。テンさんの今の状態、それを受けてオレはテンさんと模擬レースをしたいということ、チームのことを考えたらおハナさんとしては許可ができないということ。今までの流れを全て話した。

 ハイセイコー先輩は難しい表情をしながらオレに告げる。

 

 

「そうだね……。厳しいことを言うようだが、トウショウボーイの提案にはおいそれと賛同はできないね」

 

 

「……先輩も、そう言うんですか?」

 

 

「あぁ。私としても賛成してあげたいのは山々だ。ただ、チームのことを考えた場合君1人だけ特別待遇のような扱いをするのはチームリーダーとして賛同はできないね。それに、リギルが練習場を使用する時にもテンポイントの模擬レースのために使用するのだろう?それではあまりにもこちらの利益にならない」

 

 

「……ッ!」

 

 

 その通りだ。そんなことは分かってる。でも、でも!

 それでもオレは、と言おうとしたらハイセイコー先輩がウィンクしながらオレに提案してきた。

 

 

「そこでだ。トウショウボーイ1人が協力するのではなく、リギル全体で協力する。それならチームの和は乱さないし、何よりリギルの未デビューの子にも利益が生まれる。トップレベルのウマ娘との模擬レースは彼女達にとってもいい経験になるからね」

 

 

「ハイセイコー!何を勝手にッ!」

 

 

「これは提案ですよ。東条トレーナー。これなら、東条トレーナーが懸念しているチームの和を乱すこととこちらに利益がないということ……両方をクリアできます」

 

 

「確かにそうかもしれない……。けれど、それでも賛成は……」

 

 

「それにだ、トウショウボーイ。賛同者は他にもいるのだろう?そうだね……、クライムカイザーとグリーングラスは確定かな?」

 

 

「そ、そうですけど……」

 

 

「なら、彼女達のチームも巻き込むことができるかもしれませんよ?テンポイントだけではなく、ハダルとスピカとも模擬レースができる……。トップチームであるハダルとの模擬レースは明確な利益です。さらに、彼女達が練習場を使用する日にも何人かは模擬レースのために練習場を使用することができるかもしれません。それを考えたら、利益の方が大きくなるのではないでしょうか?」

 

 

 ハイセイコー先輩は淡々とそう告げる。ただ、言葉には感情が籠っているように感じられた。もしかしたら、先輩もテンさんの助けになりたいのかもしれない。オレはそう感じた。

 ハイセイコー先輩の言葉に、おハナさんは考え込んでいるような素振りを見せる。その間、トレーナー室は無言が支配していた。

 やがて、考えが纏まったのかおハナさんが口を開く。

 

 

「……確かに、ハイセイコーの言う通りこちらにも利益があるわね。いいわ、トウショウボーイ。あなたの言うテンポイントとの模擬レース……受けましょう」

 

 

 その言葉に、オレは身を乗り出しそうな勢いでおハナさんに聞く。

 

 

「本当ですか!?」

 

 

「えぇ。こちらにも明確な利益が生まれて、なおかつチームの和も乱さないときたわ。なら、この提案は受けた方が吉。私はそう考えているわ」

 

 

「……ッ!ありがとうございます、おハナさん!」

 

 

「お礼ならハイセイコーに言いなさい。ハイセイコーの意見があったからこそ、実現したようなものよ」

 

 

「先輩も、ありがとうございます!」

 

 

 オレがお礼を言うと、先輩は笑みを浮かべつつ答える。

 

 

「どうせ許可は出すつもりだったんじゃないですか?東条トレーナー」

 

 

「黙りなさいハイセイコー」

 

 

「え?そうなんですか?」

 

 

「……話は終わりよトウショウボーイ。早く神藤のところに行きなさい。リギルはテンポイントとの模擬レースを承諾するって」

 

 

「わ、分かりました!」

 

 

 おハナさんからの圧が凄かったのでオレは急いでトレーナー室を後にした。部屋から出ると、喜びが爆発する。

 

 

「~~~ッ!よっしゃー!これで何とかなったぞー!」

 

 

 オレ一人ではどうしようもなかった。ハイセイコー先輩には感謝しても仕切れない。ただ、いまはこのことを誠司さんに伝えなければ。オレは急いで誠司さんのいるプレハブ小屋のトレーナー室へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 授業が終わって放課後。ボクは練習に行く準備をしながらボーイ達の席を見る。

 

 

「……結局、用事から戻ってこぉへんかったな」

 

 

 ボーイ達は授業を欠席していた。本当に何があったのだろうかと心配が尽きない。不安を抱えたままボクは練習のためにプレハブ小屋のトレーナー室へと向かった。

 トレーナー室に着いて、ボクはトレーナーと挨拶を交わしながら今日の予定を聞く。一応、前日聞いた限りでは筋トレだったはずだが、念のためだ。

 

 

「トレーナー。今日の練習はどうするん?昨日は筋トレ言うてたけど」

 

 

 だが、返ってきたのは予想外の返事だった。

 

 

「今日は練習場で走るぞ」

 

 

 ボクはその言葉に目を丸くしながらも問いかける。

 

 

「へ?でも練習場予約取れんかったんちゃうか?」

 

 

 ボクがそう聞くと、トレーナーは笑みを浮かべながら答える。

 

 

「着いてからのお楽しみだ。早く準備をして向かうぞ」

 

 

 そう言ってトレーナーは外へと出た。

 ……何を考えているのかは分からないが、多分練習場でやるのはもう決まっているんだろう。それに、少し嬉しい。これでトラウマ克服のための練習ができるのだから。

 ボクは着替えてトレーナーと合流し、練習場へと向かう。

 

 

「にしても、よぉ練習場予約できたな。キャンセルでもあったんか?」

 

 

「ま、それは着いてからのお楽しみだ」

 

 

 まぁ、トレーナー室から練習場まで距離はないのだが。少し苦笑いながら練習場へと入る。ボクを待っていたのは……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お、来た来た!待ってたぜテンさん!」

 

 

「こっちは準備万端だよ~。テンちゃんも早く早く~」

 

 

「さ、模擬レースをしましょうか、テンポイントさん!」

 

 

 午後の授業を、欠席していたはずのボーイ達だった。……いや、ボーイ達だけじゃない。

 

 

「さて、表向きはテンポイントとの模擬レースだが……お前には負けんぞタケホープ」

 

 

 ハイセイコー先輩。

 

 

「へぇ、随分な物言いじゃあないかぁハイセイコー。私だって負けないよぉ?」

 

 

 タケホープ先輩。

 

 

「来たか、テンポイント。お前の事情は聴いている。私も、微力ながら手伝おう」

 

 

 テスコガビー先輩。

 

 

「おおおお久しぶりですぅぅぅ。が、ガビーちゃんと一緒に、私もお、お、お手伝いさせていただきます!」

 

 

 カブラヤオー先輩。それだけじゃない。ハダルのチームの人達も、練習場にはいた。

 

 

(な、なんで?どうしてや!?)

 

 

 そう思わずにはいられない。

 ボクはきっと、すごく間抜けな顔をしていると思う。隣にいるトレーナーに、問いただす。声は震えていた。

 

 

「……これ、どういうことや?なんで、何でみんながおるんや?」

 

 

「これからやる、お前の模擬レースの相手だ。みんな快く協力してくれた」

 

 

「トレーナーが、お願いしたんか?」

 

 

 トレーナーはその質問に首を横に振る。代わりに、カイザーが答えてくれた。

 

 

「違いますよ。私達がお願いしたんです。テンポイントさんの力になりたいって」

 

 

「そういうことだ」

 

 

「でも……」

 

 

「テンちゃんも水臭いよね~。そんな状態なのに~私達に何も相談しないどころか~隠そうとするなんて~」

 

 

「全くだ!オレ達に話してくれてもいいじゃねぇか!」

 

 

 グラスとボーイは、怒っていた。今のボクの状態を隠していたこと。そのことに。カイザーも、怒ったように頬を膨らませている。

 

 

「そんなに私達は頼りになりませんか?友達なんだから、もっと頼ってください」

 

 

「やけど……」

 

 

「オレ達は、テンさんの助けになりてぇんだ!今更遠慮なんてすんなって!」

 

 

「そうそう~。むしろ~隠そうとしてたことに怒っちゃうぞ~。ぷんぷん~」

 

 

「全然怖くないですよグラスさん」

 

 

 何が何だか分からなかった。周りを見渡すと、客席でクインが何かの準備をしているのが分かった。多分、水分補給用のスポーツドリンクかもしれない。ボクに気がつくと、手を振ってくれた。ボクは、まだ呆けたままだ。

 目頭が熱くなる。ボクのために行動してくれたみんなのことを考えたら、涙が流れそうになった。ボクは思わず言葉が零れた。

 

 

「……ゴメン、みんな」

 

 

 その言葉に、トレーナーが反応する。

 

 

「テンポイント。みんなが欲しいのはその言葉じゃない。言ってやりな?きっとみんなが望んでる言葉を」

 

 

 口調は、柔らかかった。ボクは、涙が零れそうになるのを必死に堪えながら、その言葉を紡ぐ。

 

 

「あり、が、とう……ッ!みんな……ッ!」

 

 

 その言葉に、みんな笑顔を浮かべた。ボクは急いでウォーミングアップをする。

 ゲートにみんなが入った。発走の瞬間を待つ。心の中で、みんなに感謝をする。

 

 

(ホンマに……ッ、ホンマに、ありがとう……ッ!みんな!ボク、きっと元のように走れるようになってみせる!)

 

 

「……スタート!」

 

 

 ゲートが開く。それと同時に、ボクは勢いよく飛び出した。みんなも、それは同じだ。ボクは、久しぶりにトラウマのことを忘れて走っていた。

 その日の模擬レースでは、トラウマの景色が少しひび割れたように見えた。




ウマさんぽが恋しい。


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第132話 海外からの評価

さらっと流される有マ記念回


「ということは、無事に実況のマイクを握れる……ということですか?」

 

 

「はい!今回は関東と関西のテレビ局合同でやるらしく、私は関西代表として実況のマイクを握れることになりました!」

 

 

「おぉ!おめでとうございます!」

 

 

 中山レース場。今日はここで有マ記念が開催される。俺は有マ記念に出走するグリーングラスの応援のためにテンポイント達とその場所へ訪れていた。テンポイント達は先に会場に入っており、俺はお手洗いへ行くために別行動をとっている。

 お手洗いを済ませた後、携帯が鳴ったので俺は画面を確認する。どうやら着信のようだ。その主は、テンポイントのファンでもある関西のアナウンサーだった。この人にはテンポイントの復帰レースのことを伝えてあり、それを受けて復帰レースである〈ジャパン・ユニバーサル・レーシング・カップ〉の実況のマイクを何としても握って見せると意気込んでいたのは記憶に新しい。

 一体どうしたのだろうかと思い、電話に出たら開口一番嬉しそうな声で見事に実況のマイクを握ることができたことを報告してくれた。俺も彼に祝福の言葉を贈る。

 

 

「それにしても、本当に良かったですね。大変だったんじゃないですか?」

 

 

「なんの!絶対にテンポイントさんの復帰レースのマイクを握ると約束しましたから!これぐらいの苦労、安いものですよ!」

 

 

 それから少し会話をして電話を切る。俺は彼が無事に実況のマイクを握れたことに喜ぶ。

 

 

(とりあえずはテンポイントに報告しておくか。きっと喜ぶぞ)

 

 

 そう思いつつ、会場へと足を運ぼうとする。そんな時、なにやら焦った様子の人が俺の視界に入った。その人は少し苛立っているのか、肩を怒らせながら何かを探すように辺りを見渡している。

 

 

「『クソ……ッ!帰り道が分からなくなった!ここはどこだ!?』」

 

 

 その人は日本語ではなく、英語で何かブツブツと言っている。周りの人は英語が分からないためか対応に困っている様子を見せていた。

 幸いにも、俺は英語を話せる。彼に話しかけることにした。

 

 

「『あの、どこへ向かうつもりですか?よろしければ案内しますよ?』」

 

 

「『……アンタ、英語が分かるのか。すまない、助かる。ここに行きたいんだが……』」

 

 

 そう言って彼が見せてきたのは中山レース場のマップ。そこの関係者以外立ち入り禁止のゲストルームだった。ということは、この人は海外からやってきたお偉いさんだろうか?

 ひとまず粗相のないように俺は彼を案内することにした。

 

 

「『分かりました。では、私に着いてきてください。案内しますので』」

 

 

「『助かる。ここに来たのは初めてでな。ツレにせがまれてきたのは良いんだが、肝心のツレは俺をほっぽいてどこかへ行きやがった……ッ!クソ!デッドの奴め!』」

 

 

 思わず驚いて彼の方を見る。彼は突然振り向いた俺を不思議そうな表情で見た。俺は彼に尋ねる。

 

 

「『……1つお伺いします。もしかして、そのデッドというのはデッドスペシメンさんのことですか?』」

 

 

 俺の言葉に、彼は意外そうな表情のまま答える。

 

 

「『アンタ、デッドを知ってるのか?そうだ、俺のツレはお前の言っているデッドスペシメンで合っている』」

 

 

「『……ということは、あなたのお名前はデイビットさん、ですか?』」

 

 

「『俺を知っているのか……って、デッドの奴なら言いそうだな。そうだ、俺がデイビットだ』」

 

 

 まさか、こんなところで偶然出会うとは思わなかった。少し驚きながらも俺は関係者のゲストルームへと案内する。

 道中はここに来た目的を聞いてみた。純粋な興味である。

 

 

「『中山レース場に来たのは、やはりデッドの言う偵察ですか?』」

 

 

「『そうだ。俺は必要ないと言ったんだが、アイツは自分の目で確かめないと気が済まないタイプだ。加えて、どんな些細な情報を見逃さないために絶対見に行くととな。振り回されるこっちはいい迷惑だよ』」

 

 

「『アハハ……。彼女とは少しだけお話をしましたが、確かに自由な性格をしていましたからね』」

 

 

 そんな話をしながら歩く。しばらくすると、目的地へと着いた。

 目的地に到着すると、彼はこちらに向き直ってお礼を言ってくる。

 

 

「『ありがとう。おかげでここまで戻ってこれた』」

 

 

「『いえ、困った人は見過ごせませんから』」

 

 

「『最後に、アンタの名前を聞いてもいいか?』」

 

 

「『自己紹介がまだでしたね。私は神藤誠司と申します』」

 

 

 俺が自己紹介をすると、彼は眉をひそめた。なにか気に障ったのだろうか?

 

 

「『……もしかして、アンタがあのテンポイントのトレーナーか?』」

 

 

「『……はい。私がテンポイントのトレーナーです』」

 

 

「『なるほどな。アンタがチーフの言っていた……』」

 

 

 そう呟きながら、俺を値踏みするように見る。その後、俺に同情的な視線を向けながら言った。

 

 

「『アンタも大変だな。ウマ娘の我儘に付き合わされて』」

 

 

「『……それはどういう意味でしょうか?』」

 

 

 思わず、俺はそう聞き返した。俺の言葉に、デイビットは嘲笑的な笑みを浮かべながら答える。

 

 

「『テンポイントが復帰のために頑張っている、って言うのはデッド経由で知っている。だが、それはテンポイントって奴の我儘だろ?その我儘に突き合わされるアンタは可哀想だなと、そう思っただけさ』」

 

 

 ……一瞬、怒りそうになるも俺はその気持ちを必死に抑えて言葉を絞り出す。

 

 

「『……何を勘違いしているのかは分かりませんが、テンポイントの復帰は私自身も望んでやっていることです。決して、彼女1人の我儘ではありません』」

 

 

「『へぇ?だったら、相当なもの好きなんだなアンタ。終わったウマ娘の復帰のために頑張るなんて』」

 

 

「『随分な物言いだな?ま、そんな判断下すぐらいじゃあ、お前の程度も知れるってもんだがな』」

 

 

 デイビットの言葉に、俺は感情を無にして返す。激情のままに言葉をぶつけるのもいいが、こういう手合いはこっちの方が効くだろう。

 俺の言葉に、デッドは眉をひくつかせながら告げる。

 

 

「『……まぁいい。勝ち目のねぇレースにわざわざ出走するんだからな。寛大な俺は許してやるよ』」

 

 

「『そうかい。勝てるように精々祈っとくんだな』」

 

 

 俺がそう言うとデイビットはそのままゲストルームの扉を乱暴に閉めて部屋へと入っていった。俺は溜息を吐いて観客席へと向かう。

 

 

「……テンポイントのことになるとカッとなる癖、いい加減治さないといけないか?」

 

 

 だが、多分治ることはないだろう。そう思いながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 観客席に着くと、テンポイント達の他にどこかで見た姿のウマ娘もいた。アメリカのウマ娘、デッドスペシメンがなぜかテンポイント達と一緒にいる。指定席にいるのではないのだろうか?そう考えている俺をよそにデッドは気さくに挨拶をしてくる。

 

 

「ハァイ神藤!久しぶりだね!」

 

 

「……お前、指定席の方じゃなくていいのか?」

 

 

「え?どうしてだい?」

 

 

「お前の保護者らしい男、ゲストルームの方にいるぞ」

 

 

 その言葉に、デッドは苦笑いを浮かべて答える。

 

 

「あー……大丈夫だよ。それに、ここの方が好きなんだ。観客との一体感、って言うのかな?私はお祭り好きだからね!」

 

 

「お!だよな!やっぱ楽しく見てぇよな!」

 

 

 デッドの言葉にトウショウボーイが反応する。まぁどこで見ようが彼女の勝手なので俺がどうこう言う権利はない。それ以上は突っ込まないようにした。ただ、意外にもデッドはあっさりと指定席ではなくこちらを選んだ理由を教えてくれた。

 

 

「ゲストルームの方には年末のレースに出走する海外のウマ娘がみんないるんだよね。6人ぐらいかな?トレーナー含めるともっといるかも」

 

 

「そうなのか」

 

 

「みーんな無言でターフを見てんの!空気がかたっ苦しくてさ、私には合わなかったんだよ。だからこっちに来たってわけ!」

 

 

「そういう事情があったんですね」

 

 

 クライムカイザーがそう締める。

 そう話していると、本バ場入場が始まった。続々とウマ娘達が入場してくる。その中にはグリーングラスの姿もあった。

 調子は悪くなさそうだが、やはり懸念すべきはぶっつけ本番でこの有マ記念に挑むということだろう。脚部不安で思うようにレースに出走することができなかったグリーングラスはレースを挟まずにこのレースに挑んでいる。それがどう響くか……そこが焦点になるだろう。

 後はエリモジョージとホクトボーイ、プレストウコウもいる。やはり年末の総決算、豪華なメンバーだ。観客達はそれぞれの推しウマ娘の名前を呼んで応援している。

 それから話しながら待っていると、各ウマ娘がゲートに入る。発走の瞬間を待つ。観客は静かにその時を待っていた。

 やがて、ゲートが開く。有マ記念が幕を開けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《……カネミノブが来た!3番カネミノブが追い込んできた!しかし15番のインターグロリアも外から突っ込んでくる!真ん中からカネミノブ!カネミノブだ!インターグロリアはちょっと届かない!カネミノブが先頭だゴールイン!有マ記念を制したのはカネミノブです!2着はインターグロリア!》

 

 

 

 

 今回の有マ記念を制したのは、カネミノブだった。横からはテンポイント達の残念そうな声が聞こえてくる。ただ、その気持ちも分かる。グリーングラスは掲示板外の6着。沖野さんの方を見ると、悔しそうに歯噛みしていた。

 俺は沖野さんを励ます。

 

 

「……残念でしたね、グリーングラス」

 

 

「……いや、次は勝つさ。下を向いてばかりもいられねぇ。次のレースについて考えねぇとな」

 

 

 沖野さんはそう答えた。俺はそれ以上は何も言わなかった。

 ふとデッドの方を見る。彼女はレース中は真剣そのものと言った表情で見ていたので声を掛けるのをためらった。そんな彼女は今、不敵な笑みを浮かべて楽しそうに告げる。

 

 

「ハハッ!やっぱり私の思った通りだ!日本のウマ娘は我々が思っている以上に強い!これは、年末のレースが俄然楽しみになって来たよ!」

 

 

 彼女はそう言って踵を返す。そんな彼女にテンポイントが尋ねた。

 

 

「どこ行くんや?デッド」

 

 

「うん?指定席に戻るのさ。デイビットがうるさそうだからね。ま、特に気にしないんだけど!」

 

 

「いや、そこは気にしてやろうぜ?多分だけどデッドのトレーナーだろ?」

 

 

 トウショウボーイがそうツッコむ。だが、デッドは困ったような笑みを浮かべて答える。

 

 

「う~ん……、私のトレーナーとはちょっと違うかな?彼、デイビットは私のチームのサブトレなんだ」

 

 

「あ、サブトレなんですね。でも、どうしてサブトレの方がデッドさんと一緒に日本へ?」

 

 

「チーフは忙しいからね。だからサブトレのデイビットが日本に来たんだけど……」

 

 

 デッドは言いづらそうにしている。ただ、理由は何となくわかっていた。俺もさっき本人に会ったのだから。彼の性格は、大体予想がつく。

 やがて、意を決してデッドは続けた。

 

 

「デイビットは優秀なトレーナーではあるんだけど、いかんせん他のウマ娘を軽んじるところがあってね。その癖を直すためにも日本に来たんだ。まぁ、経過は思わしくないんだけど……」

 

 

「ボクもちょっとだけ会うたことあるから分かるわ。ボクのこと見下すような目で見とったし」

 

 

「分かっていると思うが、俺もさっき会ったぞ。なんというか、プライド高そうなやつだったな」

 

 

「それは本当かい?デイビットは、何か失礼なことは言わなかったかな?」

 

 

 俺は彼と会話した内容を簡潔に伝える。

 

 

「怪我をして終わったウマ娘の面倒見るなんて物好きだな、って言われたよ」

 

 

「~~~ッ!ッ当にあの男は……ッ!」

 

 

 そう言うと、デッドは頭を下げてきた。

 

 

「すまない神藤!彼に代わって私が謝るよ!ただ、誤解しないで欲しいんだ。彼も、根っからの悪い人ってわけじゃない。それだけは分かって欲しい」

 

 

「大丈夫だ。腸煮えくり返ったけど、おかげで決心がついたからな」

 

 

「……それは、なんだい?」

 

 

 俺はデッドに宣戦布告をする。

 

 

「アイツのプライドをへし折ってやるってな。お前の言う、終わったウマ娘の強さを見せて……な」

 

 

「……ッ!そうか。君達はやはり……いや、ここで言うのは止めておこうか」

 

 

 デッドは笑みを浮かべながらそう言うと、出口の方へと足を運び始める。最後にもう一度、俺に謝罪をしてきた。

 

 

「本当にすまない!私の身内が無礼を働いてしまって!そのお詫びは……」

 

 

 次の言葉は、英語で伝えてきた。

 

 

「『レースで見せよう!私の強さを、全力を持って君達の相手をしようじゃないか!』」

 

 

 笑顔でそう言って、彼女は今度こそゲストルームへと戻っていった。

 俺達もグリーングラスを労うために控室へと向かおうとする。その道中、頬を膨らませたテンポイントから告げられた。

 

 

「……さっきデッドに言うとったデイビットとかいう奴との会話、ボクに全部教えるんやで」

 

 

 俺はテンポイントの雰囲気に気圧される。かなり怒っていた。それも当然だろう。勝手に終わったウマ娘扱いされたら誰だって怒る。

 俺はテンポイントの言葉に短く答える。

 

 

「分かったよ」

 

 

 そんな会話をしながら俺達はグリーングラスがいる控室へと足を運んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 中山レース場にある一室。そこには海外から来たウマ娘達がこの日のレースの模様を見ていた。あるものは興味深そうに、あるものはただ粛々と、またあるものは楽しそうに見ていた。

 藍色の髪、イギリスから来たウマ娘、バルニフィカスが呟く。

 

 

「『日本のウマ娘がどんなレベルかと思ってたけど……思ったより楽しめそうじゃん』」

 

 

 そう呟いた彼女の隣にいる赤い髪をセミロングにした女性、彼女のトレーナーが諫めるようにバルニフィカスに言う。

 

 

「『あまり相手を侮るなよ。万が一、ということもあるからな』」

 

 

 そんなトレーナーの言葉に、バルニフィカスは拗ねるように答える。

 

 

「『分かってるよマネージャー。もう聞き飽きたってばそれ』」

 

 

「『私は君のことを思って……』」

 

 

 瞬間、バルニフィカスの圧が増した。部屋の中に緊張が走る。

 

 

「『僕が負けると思ってんの?あんな奴らに?』」

 

 

 そこにあるのは、確固たる自信。自分の実力を信じて疑わない少女の姿があった。その言葉に、彼女のトレーナーは少し呆れたような表情を見せた後、答える。

 

 

「『……いいや、思ってないさ』」

 

 

 その言葉にバルニフィカスは満足げな笑みを浮かべた。部屋の中の緊張が解かれる。

 ただ、バルニフィカスの圧があった状況下でも冷静にターフに視線を送るウマ娘がいた。オレンジ色の髪をお嬢様風の髪形にしているフランス出身のウマ娘、オブリガシオンである。

 

 

「『……成程。ここにいるメンバーが出走してくるかは定かではないが』」

 

 

「『これに近いレベルのウマ娘が出走してくる、だろうな』」

 

 

 オブリガシオンの隣にいる金髪の男性、彼女のトレーナーはそう告げる。その言葉に、オブリガシオンは表情を崩すことなく宣言した。

 

 

「『誰が来ても変わらない。我がフランスの強さを見せる。それだけだろう?サー』」

 

 

「『その通りだオブリガシオン。我らの強さを見せるぞ』」

 

 

 オブリガシオンの言葉に、彼女のトレーナーはそう答える。他のウマ娘達も、自分達のトレーナーと思い思いの感想を言いあっている。彼女達の共通認識はただ1つ。年末のレースは思ったより楽しめそうだ、それだけである。

 〈ジャパン・ユニバーサル・レーシング・カップ〉は、もうすぐだ。




うまゆる親父連中もバチバチにやり合ってて笑いました。


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第133話 着実に一歩ずつ

海外のウマ娘を少し研究する回


 有マ記念が終わり、ボクはいつものように練習の日々に戻っていた。今は練習場でボーイとカイザーを筆頭にしたリギルの未デビューのメンバーと模擬レースをしている。グラスは有マ記念後ということもあってか今日はボク達のサポートに回っている。

 12月の初めの方からボクの助けになりたいからと提案されたこの模擬レース。この模擬レースが始まってからというものの、今までは見違えるぐらいに順調に進んでいた。先月までは競歩程度の速度しか出せなかった。だが、今のボクはタイムを徐々に縮めてきている。この調子なら、年末に間に合うんじゃないだろうか?そう思うぐらいには順調に進んでいた。

 模擬レースも第4コーナーへと入る。ボクは、試す意味を込めてスパートをかけながら入ることにした。

 

 

(今なら、行けるかもしれん……ッ!)

 

 

 だが、そう簡単にはいかなかった。第4コーナーを全力で走ろうとしたその時、日経新春杯の少しひび割れた光景がボクの脳裏にフラッシュバックする。いつもと同じように、脚がすくんでしまい大きく減速した。内心舌打ちをする。

 

 

(やっぱ、そんな甘ないか!)

 

 

 急いで減速から立て直そうとする。だが、その間にも他の子達はどんどんボクを抜いて最後の直線へと入っていった。ボクも、それからかなり遅れて最後の直線へと入る。

 だが、減速から立ち直った状態でどうにかなることはなく、ボクは12人中10人目のゴールとなった。肩で息をしながら先程の第4コーナーのことを考える。

 

 

(確かに経過は順調そのものや……。やけど、まだ全力で走れん。全力で走れんかったら、海外の子に勝つなんて夢のまた夢や!)

 

 

 復帰レースである<ジャパン・ユニバーサル・レーシング・カップ>。そこに出走を予定している海外のウマ娘達が相手と考えたら、今の状態では絶対に勝てない。トレーナーが入手した彼女達のレースを観た時から、その気持ちが強くなった。

 休憩しつつ、トレーナーと一緒に海外のウマ娘達のレース映像を見た時のことを思い出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トレーナーが今のうちに敵についての研究もしていこうということで始まったデッド達の研究。彼女達のレース映像をどこからか入手してきたトレーナーが資料を片手にボクに話しかけてきた。

 

 

『ジャパン・ユニバーサル・レーシング・カップに出てくる海外のウマ娘の中で特に注目されているのは3人だ。この3人を中心に対策を組み立てていくぞ』

 

 

『3人……。デッドは確定として、他の2人は誰や?』

 

 

『イギリスのウマ娘バルニフィカス、フランスのウマ娘オブリガシオンだ』

 

 

 バルニフィカスについてはボクも少し調べたので凄さは知っている。やはりこのレースでも最注目ウマ娘の1人らしい。

 トレーナーが早速レース映像を再生し始める。ボクはトレーナー同様に細かい動きを見逃さないようにレース映像を凝視していた。

 トレーナーはレースが始まる前に大まかな説明を入れてくれた。

 

 

『まずはデッドスペシメン。彼女は基本的に前で走っているが、この点に関しては無視してもらって構わない』

 

 

『目標に決めた相手が後方で展開するんやったら、躊躇なく後ろでも展開するから……やな?』

 

 

『そういうことだ。そういう意味では、デッドスペシメンの脚質は変幻自在と言ってもいいだろう。前で粘ろうが後ろから追い上げようが変わらないからな』

 

 

 この万能性こそが、デッド最大の強みなのかもしれない。トレーナーとそう話しながらデッドの映像を見ていく。

 見た映像は2つ。前で展開したレースと後ろで展開したレースの2つだ。どちらもデッドの勝利を飾ったレースである。そのどちらでも、デッドは特に苦にした様子もなく勝利していた。思わず舌を巻く。

 

 

『この万能性こそが、デッドの一番の武器……っちゅうことか?』

 

 

『そうだな。だが、明確な弱点がある。トップスピードがそこまで速くないってとこだ』

 

 

『え?やけど追い込んで勝ってへんかった?』

 

 

 そう疑問をぶつけたボクにトレーナーは説明を始めた。

 

 

『追い込みで勝ったレースはデッドの格下が相手だからハマっただけだ。現に、大レースで追い込みを選択したレースのほとんどは掲示板外に沈んでいる』

 

 

『っちゅうことは、ボクに見せたレースはたまたまハマったレースを見せただけ?』

 

 

『そうだ。一応追い込みもできるぞってことを頭に入れさせるためにな。そして、デッドの万能性に次ぐ武器。トップスピードが速くないデッドがレースで勝ってきた武器……』

 

 

『カイザーみたいな情報処理能力……やな?』

 

 

 ボクの言葉にトレーナーは頷いた。

 

 

『対戦相手のウマ娘の弱点を的確について思い通りのレースをさせない……。ある意味では一番厄介な相手だな。デッドが誰をマークするかは分からない。だが、アイツがマークするのはお前の可能性が高い』

 

 

『まぁ、理由は何となく分かるわ。ボクには不確定要素が多すぎるから、やろ』

 

 

『そうだ。そもそも出走してくるかも分からないし、出走してきても本調子かどうかは判明していない。そんな不確定な相手だからこそ、デッドならマークしてくる可能性が高い。実力が判明している相手よりもな』

 

 

『分かった。本番では注意しとくわ』

 

 

 その後、次のレース映像を見る。写っているのはフランスのオブリガシオンだ。トレーナーが説明する。

 

 

『オブリガシオンは先頭ではなくその後ろ、前か中団でレースを展開することが多い。トップスピードも中々のものだ』

 

 

 ボクはその説明を聞きながらレース映像を見る。サンクルー大賞のものだ。

 確かに、実力はある。スピードも、トレーナーが言うように中々のものだ。だが、彼女はデッドと違い対処しやすい弱点がある。ボクはそれを指摘した。

 

 

『……中団におることが多いから展開に左右されやすいってとこやな。サンクルー大賞は実力を十全に発揮できた舞台やけど、格下のレースで負けとるレースもあるみたいやし』

 

 

『王道的なレースを展開する。それゆえに対処はしやすい。対策されても勝ったレースはあるから実力が高いことは間違いないんだがな。お前が全力を出せるならまず負けない相手だ』

 

 

『ま、まだ全力出せへんねやけどな』

 

 

 ボクの言葉にトレーナーは苦笑いを浮かべる。こればっかりは今後の練習次第だから仕方がない。

 オブリガシオンに関してはそこまで問題視していない。展開に左右されやすいというのと、デッドがいることから彼女は思い通りにレースをさせてもらえないだろうからだ。加えて、オブリガシオンはデッドを苦手としているのか、オブリガシオンは1回目の凱旋門賞でデッドにこっぴどくやられていたレース映像があった。デッド自身は掲示板内に入っているが、オブリガシオンはデッドに揺さぶられ続けた影響か11着。良くも悪くもムラがある、というのがボク達が下した評価だ。

 最後に、イギリスのウマ娘バルニフィカスの映像を見ていく。ただ、トレーナーが神妙な顔つきでボクに告げた。

 

 

『……おそらくだが、こいつが今回のレースで一番強いかもしれない。心して映像を見てくれ』

 

 

 イギリスの2冠ウマ娘だから強いとはボクも思っている。だが、トレーナーがここまで念押しするってことは、相当な実力者なのだろう。ボクは頷いた。トレーナーが映像を見せる。

 結論から言って、圧巻の一言だった。

 

 

『……ヤバいな、これは。後方でレースしとるから展開に左右されやすいて思うてたけど』

 

 

『バルニフィカスの場合、展開とか関係なしに全員ぶち抜いてくる。凱旋門賞も、あんだけマークされてたのに最後方から2着まで捲ってきたからな』

 

 

 バルニフィカスのレース映像を見て感じたのは、とにかく速い。その一言に尽きる。トップスピードに至るまでがとんでもなく速い。加えて、レース勘もあるのか囲まれる前に集団から抜け出して勝利をかっさらっている。

 

 

『コイツ相手に展開なんてものは求めるな。そんなこと関係なしに、こいつはぶち抜いてくる。そう思った方がいい。バルニフィカスは特に内からの追い上げを得意としている。そのことを頭に入れておけ』

 

 

『……分かった』

 

 

 そこからレース映像を改めておさらいしていった。彼女達の癖、弱点となりそうなもの。それらを見逃さないように映像をトレーナーとともに見ていった。

 その日は特に有効的な手が見つからず解散となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 海外のウマ娘の強さは分かっていたつもりだ。だが、あの映像を見てからは自分の考えが少し甘かったことを痛感させられた。

 その気持ちが練習にも表れてしまったのか、つい無茶をしてしまう。トレーナーのもとへ向かうと、そのことを少し咎めるような口調で指摘された。

 

 

「どうしたテンポイント。あの第4コーナー、怪我をする前の状態のつもりで走ってたみたいだが?」

 

 

「……ゴメン、ちょい焦ってもうたわ。次からは気をつける」

 

 

「焦る気持ちは分からなくもない。海外のウマ娘の強さを改めて見て、そういう気持ちが生まれるのも仕方がないと思っている。だが、まずは目の前の課題をクリアすることから始めるぞ」

 

 

「……分かった!最優先はトラウマ克服、やもんな!」

 

 

 ボクの言葉にトレーナーは笑みを浮かべつつ頷く。もう少ししたら次の計測が始まる。ボクはスタート位置へと向かった。

 次の計測が始まって、ボクは走りながらトレーナーとのことを思い出す。

 思えばトレーナーにもお世話になりっぱなしだ。退院してからずっとお弁当を作ってくれているし、練習終わりには欠かさずマッサージをしてくれている。感謝してもしきれない。そんなトレーナーに報いるために、ボクにできることは何だろうか?年末のレースで勝つこと?

 

 

(……いや、ちゃうな。それはちゃうわ。多分、トレーナーが望んどるのは)

 

 

 ボクが無事に走り切ること。ボクが元のように走れること。ボクが、笑顔で走っていること。それがトレーナーの望んでいることだろう。ボクに復帰レースを告げたあの日、結果次第では海外挑戦すると言っていた。けれど、トレーナーのことを考えたらどんな順位でも、きっとボクの意思を尊重してくれるだろう。掲示板外でもボクが行きたいと言えば行くし、1着を取っても行きたくないと言えば行かない。そんなことを考えていたら、レース中にも関わらず自然と笑みが零れた。

 

 

(ホンマにええトレーナーに恵まれた。ボクにとってのトレーナーは、誠司しかおらん)

 

 

 そう考えながらボクは第4コーナーへと差し掛かる。ただ、ほぼ減速せずに入ったのでまた日経新春杯の光景がフラッシュバックして脚がすくんでしまった。さっき自分で気をつけると言ったばかりなのに。また反省だ。

 ただ、フラッシュバックした光景にあったひびが、広がっていたような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから何度か計測したものの、トラウマの克服とはならなかった。ただ、深く考えても仕方がない。切り替えることにする。

 日が沈む時間。ボクはトレーナー室のソファでくつろぎながらテレビを見る。

 しばらくして、トレーナーがお弁当を持ってソファの方に来た。

 

 

「ほら、今日の分だぞ」

 

 

「いつもありがとさんトレーナー」

 

 

 そう言ってボクはお弁当を受け取る。すぐに帰ってもよかったのだが、何となくまだ帰る気分にはならなかったのでトレーナーと世間話をしてから帰ることにした。

 他愛もない話で盛り上がる。学園での話、ボーイ達との話題。トレーナーの仕事の話、新しく取ろうとしている資格の話。そんなとりとめのない会話をしている。トレーナーの表情は終始笑顔だった。ボクもつられて笑みを浮かべる。

 この日常に喜びを感じながら、ボクはトレーナーとの会話を楽しんだ。




ブルーロックのアニメ7話約束された神回でした。


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第134話 パーティと枠順

枠順を決める回


 年末の祭典、〈ジャパン・ユニバーサル・レーシング・カップ〉に向けた練習の日々。時間が過ぎるのを早く感じた。ついこの前有マ記念があったと思えば、すぐに翌週のウィンタードリームトロフィーの開催日となる。

 クリスマス・イブの日に開催されたウィンタードリームトロフィー。ボーイとカイザー、そしてハイセイコー先輩とカブラヤオー先輩が中距離部門で出走した。ボクもグラスやみんなと一緒に応援に行ったのでよく覚えている。

 結果は、ボーイの4バ身差の圧勝劇。サマードリームトロフィーでカイザーに負けた雪辱を見事晴らす結果となった。

 

 

 

 

《やはり強い!これが天を駆けるとまで称されたウマ娘の本領だ!東京レース場ウィンタードリームトロフィー中距離部門2000m!トウショウボーイが後続を突き放す!これはもう決まった!完全に決まったトウショウボーイの一人旅!トウショウボーイが2着以下を4バ身差に突き放す圧勝劇だゴールイン!》

 

 

 

 

 中山レース場の歓声に応えるボーイの姿は今でも思い出せる。

 

 

『よっしゃー!みんなー!応援ありがとなー!』

 

 

 いつもの彼女らしい言葉。みんなで笑みを浮かべていたのを思い出す。その後ろで、カイザー達が悔しそうにしていたのは言うまでもないことだろう。

 そして迎えた今日。ウィンタードリームトロフィーが明けた次の日の夜。ボクはトレーナーとともにとドレスコードを着てあるパーティ会場へと足を運んでいた。今日この会場では〈ジャパン・ユニバーサル・レーシング・カップ〉の開催を記念したパーティが催されており、出席は自由だということからボク達はこのパーティに参加していた。また、このパーティは出走メンバーが確定したから開催されているということもあり、レースに出走するであろう生徒もチラホラと見かける。全員がドレスコードを着ていた。テレビ局の関係者らしき人達もカメラを回していた。

 勿論、出席が自由だからこのパーティに来たわけじゃない。本当の理由は別にある。本当の目的は、ボク自身がレースに出走するからだ。ただ、ボクがレースに出走することは出走届を受け取った理事長とたづなさん、それを受け取ったURAの人達とボーイ達のようにボクの方から報せた一部を除いて知らない状況だ。ボクが出走すると知ったら、みんな驚くだろうか?ちょっとしたサプライズ気分にボクの気分は少し高揚していた。

 ボクはトレーナーと飲み物を飲みながら話す。

 

 

「うん?ホクトもおるやん。ホクトも出走するんやろうか?」

 

 

「まぁ、ここにいるってことは出走はほぼ確実だろうな。出席自由ではあるが、学園のほとんどの子は友達なんかとパーティをやっているか長期休みを利用して実家に帰っているかだ。それでもここにいるってことは……」

 

 

「出走する、って考えた方がええな」

 

 

 辺りを見渡すと、他にも学園の生徒とトレーナーが何人か見えた。おそらく、彼女達の中にも出走する子がいるのだろう。さすがに全員ではないだろうが、そう見た方が良さそうだ。

 

 

「色んな子がおるなぁ。あ、カネミノブもおるやん。っちゅうか、ホクトもカネミノブも有マの後やのにすごいなホンマ」

 

 

「出走するかはまだ分からないが、身体が頑丈なんだろうな」

 

 

 羨ましい限りである。ボクはそう考えながらも飲み物に手をつける。

 しばらくすると、ステージの方にテレビ局らしき人達に秋川理事長が登壇していた。それを受けてか、会場は静まり返る。しばらくすると、マイク越しに秋川理事長の挨拶が始まった。

 

 

《皆の者!パーティは楽しんでいるだろうか!》

 

 

 その言葉に周りの人達は無言で頷いたり拍手をしたりして反応していた。それを受けて秋川理事長は満足そうに頷いて続ける。

 

 

《満足ッ!皆が楽しんでいるようで私も嬉しいぞッ!さて、ここからは12月の31日、大晦日の日に開催を予定しているレース、〈ジャパン・ユニバーサル・レーシング・カップ〉のことについて説明を交えながら出走するウマ娘達の紹介をしていこうと思う!まずはこのレースの説明からしていこう!》

 

 

 その言葉に続けて、理事長はレースの説明をしていく。おそらくはこの会場にいない、テレビでこのパーティの様子を見ている人達に向けて説明しているのだろう。トレーナー曰く、このパーティは生放送されているらしい。

 レースの説明が終わったのか、秋川理事長は降壇する。次に、テレビ局のアナウンサーらしき人物にマイクが代わった。

 

 

《それでは!ここからは〈ジャパン・ユニバーサル・レーシング・カップ〉に出走するウマ娘達の紹介をしていこうと思います!まずは海外のウマ娘の紹介から入りましょう!まず最初に紹介しますのは……アメリカから来たウマ娘!デッドスペシメンさんです!》

 

 

「『ハーイ!みんなパーティ楽しんでるかなー?私は勿論楽しんでるよー!』」

 

 

 アナウンサーの紹介とともに、デッドがステージの上へと登壇した。拍手を受けながらデッドは会場の人達に手を振っている。

 そのまま、アナウンサーの人は続々と海外のウマ娘の紹介をしていった。

 

 

《……それでは次に紹介しますのはフランスから来日したウマ娘!オブリガシオンさんです!》

 

 

「『初めまして、日本の方々。今宵はこのような素敵な場を開いてくださったこと、感謝します』」

 

 

 オブリガシオンはそう言って深々とお辞儀をした。それを茶化すようにデッドが何か言っているが、オブリガシオンはデッドを見た瞬間苦々し気な表情をして無視をした。

 

 

《……最後の紹介となります6人目!イギリス期待の〈超新星〉バルニフィカスさんです!》

 

 

「『ハーイ日本の人達。僕がバルニフィカスだよ。会場のみんなも、テレビの前のみんなも僕の名前を覚えて帰ってね?』」

 

 

 バルニフィカスはそう言ってお辞儀をする。なんというか、ジョージの言っていたことは当たらずとも遠からずと言った感じの子だ。

 ただ、すごく自信に溢れているというのはここからでも分かる。現に今も、会場にいる多くの人から視線を向けられているにもかかわらず涼しい顔をしている。もっとも、それは現在登壇している海外のウマ娘全員に言えることだが。

 アナウンサーが続いて日本から出走するウマ娘の紹介に入った。

 

 

《それでは続きまして日本から出走するウマ娘の紹介に入ります!まずはトゥインクルシリーズを最前線で駆け抜けるTTG世代の1人!ホクトボーイさんです!》

 

 

 アナウンサーの紹介を受けて、ホクトはステージへと登壇する。そのまま一礼すると海外の子達と向かい合うような位置に立った。

 そのまま続々と紹介されていく。会場の人達の会話がボクに聞こえてきた。

 

 

「やっぱり、日本の総大将になるのはホクトボーイだな」

 

 

「有マ記念を勝ったカネミノブもいるが、総合的に見ればホクトボーイが上だろう」

 

 

「でも、心配だよな……。日本は海外に比べて遅れてるって言われてるし、いくらこっちのホームといえども……」

 

 

「勝てないにしても、一矢報いるぐらいはしてほしいよな」

 

 

 その会話を聞いて少し怒りを覚えたがすぐに鎮める。ここでボクが怒っても仕方がない。深呼吸を1つして心を落ち着かせた。

 今紹介されたウマ娘で9人目。今回は最大16人での出走となるので、次で最後だ。会場を緊張が支配している。最後に紹介される子は一体どんな子だろうか?そう思っているのだろう。そう考えたら、少しだけ笑みが零れそうになった。

 アナウンサーが最後のウマ娘を紹介しようとする。

 

 

《……それでは日本から出走する10人目!最後のウマ娘の紹介となります!10人目は……ッ!え!?ちょ、ちょっと!これは本当なんですか!?……え?嘘じゃないしドッキリでもない?こっちも驚いている!?》

 

 

 そのアナウンサーの反応に、隣にいるトレーナー共々噴き出しそうになった。ステージに登壇している子達もみんな不思議そうな表情を浮かべている。もっとも、デッドは10人目の察しがついているのか楽しそうな笑みを浮かべていた。

 ボクは噴き出しそうになるのをしっかりと我慢して表情を引き締める。今も驚きが隠せない様子でいるアナウンサーが少し上ずった声で10人目のウマ娘の紹介を始めた。

 

 

《し、失礼しました!それでは10人目のウマ娘の紹介に入ります!日本から出走する10人目のウマ娘は……テンポイントさんです!》

 

 

 その言葉が響いた瞬間、会場が一気にざわついた。どよめきが広がっている。ボクはそれを無視してステージへと歩を進めた。

 道中、様々な声が聞こえてくる。

 

 

「嘘だろ!?テンポイント!?」

 

 

「リハビリしてるって聞いてたけど……もう問題ないのか?」

 

 

「てか、復帰後初のレースがこれかよ!?いくら勝ち負けが関係ないレースとはいえどうなんだ!?」

 

 

 そんな声が聞こえてきた。ただ、ボクは気にせずにステージへと登壇する。

 ボクがステージに登壇した時、出走する子達の反応は様々だった。驚いている子もいれば、心配そうに見る子もいる。そんな中、海外側からデッドが拍手をしながらボクに近づいてきた。

 

 

「『ハハッ!やはり私の思った通り、君達は出走してくると思ったよ、テンポイント!』」

 

 

「『それはどうも。予想通りにいって満足かい?』」

 

 

 デッドの言葉に、ボクは英語で返す。

 

 

「『勿論さ!君と走るのが今から待ちきれないよ!』」

 

 

 それだけ告げて、デッドは元の位置に戻った。ボクも日本側の方へ立つ。隣にいるホクトがボクに話しかけてきた。

 

 

「……ハッ。お前もこのレースに出走するとはな」

 

 

「ボクも同じ気持ちやで。有マの疲れは大丈夫なんか?」

 

 

 ボクの言葉に、ホクトは鼻を鳴らして答える。

 

 

「お前に心配されるほどじゃねぇ。問題なく調整できる。そして……今度こそてめぇに勝ってやる。怪我明けだからって容赦はしねぇ」

 

 

「望むところや。受けて立ったる」

 

 

 お互いに宣戦布告をする。

 その後はアナウンサーから出走する子達の戦績が告げられて、そのまま枠順を決めるための抽選が始まった。この枠順を引く順番もランダムで決めるらしい。ボクは少し緊張しつつも呼ばれるのを待つ。

 

 

《それでは枠順を決める抽選を始めましょう!最初に引くのは……デッドスペシメンさんです!》

 

 

「『私が一番最初?これは幸運だね!』」

 

 

 そう言いながらデッドは楽しそうにくじを引く。書かれていた番号は……。

 

 

《3枠5番!デッドスペシメンさんは3枠5番となります!》

 

 

 狙い通りなのかは分からないが、デッドは上機嫌そうに戻っていった。そのまま続々と名前が呼ばれていく。

 丁度半分といったあたりで、ボクの名前が呼ばれた。

 

 

《それでは次は……テンポイントさん!どうぞ!》

 

 

 ボクはアナウンサーに言われるままくじを引く。ボクの枠順は……。1枠1番だった。

 

 

《テンポイントさんは1枠1番!1枠1番です!》

 

 

 ボクは軽くお辞儀をして元の位置に戻る。そのまま他の子達がくじを引いていく中、ボクはこの枠順のことを考えていた。

 

 

(日経新春杯の時とおんなじやな……)

 

 

 骨折をした日経新春杯も、今回と同じ1枠1番だった。だからといって何かあるわけではないのだが。

 枠順の抽選も終わり、ステージに上がっていた子達はみんな降壇する。ボクもそれに倣うように降壇した。

 トレーナーのところへと戻ろうとした際中、後ろから声を掛けられる。

 

 

「『ふ~ん。あなたがテンポイントなんだぁ』」

 

 

 日本語ではない。英語ではあるが、デッドとは少し違う発音。ボクは声の主の方へと振り向く。そこに立っていたのは、藍色の髪をアンダーツインテールにしたウマ娘、バルニフィカスだった。少し疑問に思いながらもボクはバルニフィカスに尋ねる。

 

 

「『確かにそうだけど……。ボクに何か?』」

 

 

「『べっつに~?でも、あなた日本では大人気なんだってね?』」

 

 

「『らしいね。ありがたい限りだよ』」

 

 

「『……なるほどぉ。確かに人気ありそう~』」

 

 

 一体何の用事があってボクに話しかけてきたのだろうか?そう思っていると、バルニフィカスがボクに向かって指を突きつけてきた。そのまま宣言する。

 

 

「『あなたのファンを、全部僕のものにしてあげるよ。レースで勝って……ね』」

 

 

 ……成程。宣戦布告というわけか。ならばと、こちらも答えるように宣言する。彼女、バルニフィカスを睨みながら。

 

 

「『やってみろ。ボクの影を踏ませてやるよ』」

 

 

「『……へ~?随分な自信だねぇ。ま、いいけど』」

 

 

 ボクの宣戦布告を、バルニフィカスは軽く受け流してどこかへと去っていった。ボクは溜息を吐いてトレーナーのもとへと戻る。

 開口一番、トレーナーは真面目な表情でボクに告げる。

 

 

「これで、デッドに続いて2人目だな。宣戦布告をされたの」

 

 

「ホクトにも宣戦布告されたで。モテモテやな、ボク」

 

 

「自分で言うことか?実際その通りだけどよ」

 

 

 トレーナーは苦笑いしながらそう言った。ボクは笑みを浮かべる。その後はパーティの終わりまでトレーナーと一緒に過ごしていた。

 年末の祭典、〈ジャパン・ユニバーサル・レーシング・カップ〉まで、残り僅か。




ぼっち・ざ・ろっくいい感じにアニオリが入ってて最高に面白い。


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閑話25 海外勢の事情

海外のウマ娘達の作戦会議回


 日本に来てから拠点としているホテル。私はそこで年末に開催される<ジャパン・ユニバーサル・レーシング・カップ>に出走してくるメンバーのデータを起きた時からまとめている。時差ボケもなく、普通に朝起きることができた。

 出走するメンバーは確定した。枠順も決まった。それを踏まえてどのような対策を取るか、どのように位置取りをするかを私は決めていく。

 私がPCでデータをまとめていると、サブトレであるデイビットが不機嫌さも隠そうとせずに部屋に入ってきた。そのままズカズカと私のところへ近づいてくる。正直応対するのもめんどくさいがとりあえず挨拶だけはする。

 

 

「『……おはようデイビット。なんか用?』」

 

 

 私の言葉に、デイビットは怒りを隠そうともせずに答える。

 

 

「『なんか用、じゃないだろ!もう夕方だぞ!いつまで時間かけてるんだテメェは!』」

 

 

「『夕方?……あぁ、もうそんな時間だったんだ』」

 

 

 対戦相手の研究に夢中で時間が過ぎるのを忘れていた。そういえばお昼も適当に済ませた記憶がおぼろげながらある。せめて夕食ぐらいは普通に取ろう。

 そんなことを考えているとデイビットは私がまともに取り合う気がないと分かったのか私がまとめている資料を拾い上げて読む。訝し気な目をして読んだ後、鼻を鳴らして続けた。

 

 

「『チッ。日本のウマ娘をなぜそこまで警戒する?俺にはさっぱり分からん』」

 

 

「『前にも言っただろう?相手を軽んじるなって』」

 

 

「『フン。バルニフィカスやオブリガシオン、アイツらを警戒するならまだ分からなくもない。だが、海外のレースで結果を残していない日本の奴らの情報なんぞをまとめて、何の意味があるんだ?警戒なんてしなくても、お前なら余裕で勝てるだろ』」

 

 

「『ここは彼女達の主戦場だ。当然我々とは違ってノウハウがある。それだけでも警戒に値するんじゃないかい?』」

 

 

「『ただ腰抜けなだけだろ。海外に挑戦している奴らはこの国でもトップレベルらしいが、入着できない時点で程度は知れている』」

 

 

 デイビットの主張に呆れそうになるが、正直めんどくさいのでここに来た目的を尋ねることにした。

 

 

「『……で?ここに来た本当の目的はなに?』」

 

 

 私がそう尋ねると、デイビットは思い出したかのような表情を浮かべた後私を問い詰めた。

 

 

「『そうだ!デッド、テメェなんで日本のウマ娘、特にテンポイントの情報を他の国の奴らに横流しした?せっかくの情報の優位性を、なんでドブに捨てるような真似をした!?』」

 

 

「『……なんだそのことか』」

 

 

 思ったよりどうでもいい質問だった。それが態度に出ていたのかデイビットはさらに怒りながら続ける。

 

 

「『テンポイントは現在第4コーナーで必ず減速する……それは他の国の奴らは知らなかった情報だ。俺達だけが知っている機密情報だったはずだ!それをなぜ他の国の奴らにバラした!?』」

 

 

「『日本のウマ娘は警戒しないんじゃなかったのかい?』」

 

 

「『それとこれとは話が別だ!知らなかったら、アイツらは勝手に警戒して自滅したかもしれねぇだろ!』」

 

 

「『まぁそうかもしれないね。特にオブリガシオン辺りは警戒を強めていただろう。テンポイントはこの国でも最強に近い実力者だ。他の国の子達は、きっと警戒するだろうね』」

 

 

「『それを分かっていながら、なんで情報を横流しした!?』」

 

 

 デイビットの質問に、私は簡潔に答える。

 

 

「『別に機密にするほどでもない。そう判断したからさ』」

 

 

「『……なんだと?』」

 

 

「『テンポイントは現在第4コーナーで必ず減速をする……。それは彼女の陣営からしても隠したかった情報なんだろう。私でも集めるのに苦労したからね』」

 

 

 この情報を得るために結構危ない橋を渡ったのはここだけの話だ。

 

 

「『だが、このデータは直にあてにならなくなる。私はそう判断した。だからこそ、情報を渡すことに躊躇はなかった。それだけの話さ。ま、かく乱にでもなればいいかな程度の期待はしてるけどね』」

 

 

「『……』」

 

 

 デイビットは頭を痛そうに抱えている。だが、これ以上聞いても無駄と判断したのかそれ以上の追及はなかった。

 私はデータを集める作業に戻る……と思ったが、デイビットは私に質問してきた。

 

 

「『……で?お前が今回のレースで一番警戒しているのは誰だ?バルニフィカスか、オブリガシオンか?今回はどの位置でレースをするつもりだ?』」

 

 

「『その点に関してはもう決めてあるよ。今回は逃げで走るつもりさ』」

 

 

 私の言葉にデイビットは訝し気な目でこちらを見る。

 

 

「『逃げだと?オブリガシオンでも警戒すんのか?』」

 

 

「『違うよ。私が今回のレースで最も警戒しているのは……』」

 

 

 言いながら、一枚の画像をPCに表示させる。そこに映されているのは、金色の髪のウマ娘、テンポイントだ。このレース、私が最も警戒しているウマ娘。それにしても。

 

 

(我ながらいい出来だ。彼女の美しさ、カッコよさを上手く撮れている!)

 

 

 会心の出来に思わず誇らしい気分になった。

 だが、デイビットは信じられないといった風に私に問い詰めてきた。

 

 

「『冗談だろ!?バルニフィカスでもなく、オブリガシオンでもねぇ!テンポイントは1月に大怪我をして終わったウマ娘だ!第4コーナーで必ず減速している時点でそんなことは分かってんだろ!?そんな奴を、一番警戒しているだと!?』」

 

 

「『彼女には不確定要素が多いからね。それに、ホクトボーイも強いがテンポイントはそのホクトボーイと走ったレースで全て先着している。警戒するならテンポイントの方さ。バルニフィカス達の対策だってもう考えてある。彼女達に関しては他の子だって警戒している。だからこそ、私が対策を取るまでもない。勝手に潰しあってくれるさ』」

 

 

「『確かに実力は一級品、勝負根性があるのは認めてやる。だが、それはテンポイントが本領を発揮出来たらの話だ。第4コーナーで必ず減速するんだから警戒する必要すらねぇだろ。第4コーナーを曲がれない、終わったウマ娘だ。わざわざ朝から情報をまとめてると思ったら、そんな無駄なことを……』」

 

 

「『曲がれるさ。彼女は、テンポイントは必ず曲がれるようになってジャパン・ユニバーサル・レーシング・カップに出走してくる』」

 

 

 私はそう確信している。彼女達ならば、必ずこの弱点を克服して出走してくると。

 だが、デイビットはそうは思っていないようだ。鼻を鳴らして告げる。

 

 

「『アイツの映像は俺も見た。酷いもんだったなありゃ。どんなに調子よく走っていても第4コーナーで必ず減速する。退院したのは半年ぐらい前だろ?そっから取り組んであれとか、もう終わったも同然だ。それでもお前はテンポイントを警戒すべきだとでも思ってんのか?くだらねぇ。アイツは警戒に値しない。それが俺の評価だ』」

 

 

「『……まぁ、デイビットがそういうのは自由さ。私がテンポイントを最重要で警戒するという事実は変わらないんだからね』」

 

 

「『……チッ!後悔はするんじゃねぇぞ。後、せめて夕食ぐらいはまともなもんを食べろ。昼も食ってねぇんだろ?体調崩しても俺は知らねぇからな』」

 

 

 デイビットはそれだけ告げて部屋から出て行った。私は彼が出て行った後溜息を1つ吐いて呟く。

 

 

「デイビットも少しは成長してくれるといいんだけどねぇ……」

 

 

 元より優秀なトレーナーではある。だが、ああいう風に他のウマ娘を見下したり不確定要素を織り込まない、良くも悪くも現実主義なところは少し頂けない。それがこの遠征で少しでも治ってくれるといいのだが。

 だが、私のやるべきことは変わらない。作業の続きを行う。

 

 

「テンポイント……。彼女の精神力は並外れている。この弱点もきっと克服してくるだろう。そう考えた場合、競り合いに強い彼女の強さを封じ込めるには意識外から急襲する必要がある……。先頭に立った彼女が抜かされたのはたった一度だけ。菊花賞、だったかな?その時グリーングラスはテンポイントの意識外から抜いたと思われる。ならば私の取るべき行動は……」

 

 

 私は対テンポイントに向けて作戦を立てていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『……サー、君はどう思う?』」

 

 

「『どう思う、とは?』」

 

 

「『デッドスペシメンが渡してきたこの情報のことだ』」

 

 

 ここはURAが用意した海外から来日してきたウマ娘達が宿泊しているホテルの一室。今日のトレーニングを終え、オブリガシオンとそのトレーナーはお互いに年末の〈ジャパン・ユニバーサル・レーシング・カップ〉に向けたミーティングを行っていた。

 だが今現在、彼女達は頭を悩ませている。その原因は、彼女達と同じレースに出走するアメリカのウマ娘、デッドスペシメンが渡してきた日本のウマ娘、テンポイントに関する情報。これを渡す時、デッドスペシメンは笑みを浮かべていた。

 その時のことを思い出し、オブリガシオンは苦々し気な表情をする。

 

 

「『……奴がタダで情報を渡すとは思えん。何が狙いだ?』」

 

 

「『だが、入っていた情報はかなり貴重なものだ。これで1人、警戒するべき相手が減ったと考えてもいいだろう』」

 

 

 オブリガシオンは頷く。確かに、入っていた情報はかなり貴重なものだった。

 彼女達が日本のウマ娘の中で特に警戒していたのはテンポイントというウマ娘だ。日本でも指折りの実力者、トゥインクルシリーズの中では最強との呼び声も高い。1月に大怪我をして海外遠征を取りやめたという話は聞いていたが、どうやら完治したらしい。そんな彼女が出走してくるのだから、最重要で警戒にあたるつもりだった。

 しかし、デッドスペシメンから渡されたこの情報によるとテンポイントは第4コーナーで大きく減速してしまう弱点を抱えていることが分かった。この弱点を抱えた状態ならば警戒に値しない。オブリガシオンはそう考えていた。

 懸念すべき点があるとすれば1つ。オブリガシオンは自身のトレーナーに尋ねる。

 

 

「『サー、この情報が本物だと思うか?』」

 

 

「『……』」

 

 

 しばしの沈黙の後、オブリガシオンのトレーナーは答える。

 

 

「『デッドスペシメンにどのような意図があるのかは分からない。だが、彼女は情報に関して一切の妥協を許さない。そんな彼女が嘘の情報を渡すとは思えない。気になることは言っていたが……』」

 

 

「『……成程』」

 

 

「『それに、映像が加工された様子も特にない。つまりこの映像は本物だと考えてもいいだろう。撮られたのも、随分最近のようだしな』」

 

 

「『……つまり、テンポイントはいまだに第4コーナーで減速するという弱点があると、サーはそう言いたいのか』」

 

 

「『可能性としては高い。ただ、一応の警戒はしておいた方がいいだろう』」

 

 

「『了解した』」

 

 

 オブリガシオン達は出した結論は、テンポイントの警戒を緩めるという判断。弱点を克服できないと判断して別のウマ娘に照準を合わせることにした。

 

 

「『……となると、日本勢で警戒すべきはカネミノブか?』」

 

 

「『そうだな。日本一を決めるレース、有マ記念で勝ったウマ娘だ。彼女を警戒しておこう。だが、最重要で警戒するのは……』」

 

 

「『デッドスペシメンだ。かの日の凱旋門賞での借りを、ここで返させてもらう』」

 

 

 オブリガシオン達の作戦会議は日付が回るまで続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 URAが海外のウマ娘のために用意したホテル。イギリスから来た私、ソフィアは用意された部屋でPCと向き合いながら出走するウマ娘の情報を整理していた。私の担当ウマ娘であるバルニフィカスはこの場にはいない。ミーティングの時間はとっくに過ぎているというのにだ。まぁ、いつものことだから気にしない。

 私は今、アメリカのウマ娘、デッドスペシメンから渡されたデータを確認している。そこに書かれていたのは驚くべきことだった。

 

 

「『……この情報を信じるのであれば、テンポイントというウマ娘は終わったも同然だ。第4コーナーで大幅な減速が免れないという弱点、そんな弱点を抱えた状態ではフィーはおろか未デビューの子にすら劣る。警戒をするに値しないだろう』」

 

 

 この情報の出処がデッドスペシメンというのも信頼できる。彼女は情報に関して一切の妥協を許さないし、偽ることも彼女の性格からしてないだろう。この情報が本物であることの裏付けにもなる。

 だが、気になるのはこのデータを渡すときに彼女が言っていたことだ。

 

 

「『現在のテンポイントの情報だよ。有効に活用してね、……か。それが一体どのような意味なのかは分からないが』」

 

 

 そう思考していると、扉を開けて1人の少女が入ってきた。藍色の髪をアンダーツインテールにした小柄なウマ娘、バルニフィカスだ。

 

 

「『ただいまーマネージャー!いやぁ、ここの温泉良いね。僕気に入っちゃったよ!』」

 

 

「『……それは良かった。だが、ミーティングの時間から大分遅れているのはどういうことかな?』」

 

 

「『あれ?そんなに遅れてた?まぁいいや。細かいことは気にしな~い気にしな~い』」

 

 

 バルニフィカスの悪びれもしない言葉に、私は溜息を吐く。それ以上は言及しなかった。こういったことには慣れているからだ。

 

 

「『フィー。まず気をつけるべき相手だが……』」

 

 

「『日本ならホクトボーイとカネミノブ、でしょ?ホクトボーイは私と同じ位置で展開するみたいだし、気をつけないといけないね。でも最重要で警戒するのはオブリガシオンか、デッドスペシメンじゃない?まぁデッドスペシメンはそこまででもないか。東京レース場……だっけ?最後の直線長いみたいだし、十分に追いぬけるでしょ』」

 

 

「『そうだが、このウマ娘のことも頭に入れておいてくれ』」

 

 

「『……この子、テンポイントだっけ?なんで?』」

 

 

「『テンポイントはこの国でも指折りの実力者だ。加えて、彼女が先頭のまま最後の直線に入った場合、90%以上の確率で勝利を収めている。負けたのはたったの1回だ。漁夫の利をつかれる形でね。だからこそ、彼女も警戒しておく必要があるだろう』」

 

 

「『ふ~ん。確かに凄いね。でもさぁ』」

 

 

 フィーは小バカにした感じで続ける。

 

 

「『そいつ1月に大怪我して、その時のトラウマでまともにレースできないみたいじゃん。そんな相手、警戒する必要ないでしょ。勝手に自滅するんだからさ』」

 

 

「『フィー……』」

 

 

「『あ~あ。パーティの時に宣戦布告したけど、デッドスペシメンから渡されたデータを確認したら宣戦布告し損じゃん。僕が100%勝つし。つまんないの~』」

 

 

「『……相手を侮るな、フィー。聞くところによると、テンポイントの強さはその精神力にある。本番までに克服してくる可能性も』」

 

 

「『この時期まで克服できてないのに?』」

 

 

 フィーの言葉に、私は言葉が詰まる。彼女は笑いながら続けた。

 

 

「『それに、たとえ克服してもたかが知れてるよ。僕が勝つのは決定事項なんだから。他の子達の情報も頭に入ってるし、僕はもう寝るね~』」

 

 

「『……あぁ、お休み。フィー』」

 

 

「『マネージャーも、あんまり根を詰めないでよね?僕には君が必要なんだからさ』」

 

 

 そう言ってフィーは自身の部屋に戻っていった。彼女が出て行った後、ソフィアは溜息を吐く。自分以外誰もいない部屋で愚痴るように呟く。

 

 

「『……あまりよろしくないな。今のフィーは』」

 

 

 分かりやすく調子に乗っている。他の子達なんて眼中にない、明らかに下に見ている。そんな状態だ。

 もっとも、バルニフィカスというウマ娘はここに来る前からそうだった。デビュー戦は体調不良により2着に負けたがその後の未勝利戦を快勝し、圧倒的な才能のままに2冠を達成。その勢いのまま凱旋門賞を2着と好走。大きな負けをしたことがない。同世代に強いライバルもいなかった。イギリスでは、期待の若手として持て囃されている。そんな経緯もあってか、バルニフィカスは自分に絶対の自信を持っている。

 だが、それこそがバルニフィカスの弱点になっていた。自分の実力に自信を持つのは良いことだが、彼女はそれが良くない方向に働いている。先程の態度もそうだし、明らかに相手を舐めたような言動が多くなった。

 相手を軽んじ、いつか自身の油断で負けることになるかもしれない。このままだと、彼女の才能は枯れてしまう。私は彼女のトレーナーとしてそう判断していた。

 だからこそ、私は期待する。年末のレースで、フィーを実力で負かすウマ娘が現れることを。そして、その相手として最も期待できるのは……。

 

 

「『テンポイント……。あなたならば、フィーの目を覚まさせてくれるだろうか?』」

 

 

 厳しいことは分かっている。だが、私は期待せずにはいられなかった。これからのフィーのために、彼女を実力で負かしてくれることをテンポイントというウマ娘に期待する。




最近かなり冷え込んできました。お布団から出たくない日々を過ごしています。


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第135話 不安を払って

本番前の追い切り回


 〈ジャパン・ユニバーサル・レーシング・カップ〉のパーティの後、ボク達のところには取材の話がひっきりなしに来ていた。世間でも、驚きや戸惑いの声が上がっていた。あのパーティから3日たった今日も話題に上がるぐらいである。まぁ、それも当然かもしれない。

 ボクが年末のレースに出走する話自体、ボクが周りの友達にしか話していなかったし、トレーナーも極一部を除いて秘匿していたことだ。退院して復帰に向けて頑張っていること自体はボクのファンクラブで知っているだろうが、復帰のレースについては一切言及していない。そんな状態でボクの復帰レースがあの場で、生放送で発表されたのだ。それはもうお祭り騒ぎだったらしい。自分が話題の中心なので恥ずかしさもあったが嬉しくもあった。

 ただ、疑問の声も少なからず上がっている。本当にこのレースで大丈夫なのか?という疑問だ。骨折明け、復帰のレースでオープンレースではなく世界のウマ娘を相手に戦うなど前代未聞だ。いくら勝ち負けが関係ないお祭りレースといえども、出走してくるウマ娘は全員が重賞を制覇した経験のあるウマ娘。加えて、約半数がG1での勝利経験があるウマ娘だらけである。そんなウマ娘達を相手に、ほぼ1年近く本番のレースで走っていないボクが出走するなんて無謀もいいところという声が大半だ。

 ただ、世間的にはやはりボクがもう一度走る姿を見れるのが嬉しいらしい。朝から並んで席を取ると発言している人や、遠方からでも現地で生のレースを観たいという人で溢れかえっているらしく、飛行機のチケットの争奪戦が始まっているらしい。それだけ人気があるということなのだから、個人的には恥ずかしくもあるが嬉しい気持ちがある。

 期待してくれているファンのためにも、情けない姿は見せられない。今日は最後の模擬レースを行う日、追い切りの日だ。ボクは気合を入れて臨んでいる。

 

 

(……大丈夫、大丈夫や。今まで順調に来とる。問題なくいけるはずや)

 

 

 すでに出走するメンバーはゲートの中に入っている。ボクもゲートで心を落ち着かせていた。スタートの合図を待つ。

 そして。

 

 

「……スタート!」

 

 

 合図とともにゲートが開いた。ボクはスタートを切る。そのままハナを取ってレースを展開していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゲートをコースからどかしながら俺は模擬レースを見る。テンポイントは相変わらず抜群のスタートを切っていた。後ろの11人を引き連れて、テンポイントは快調に飛ばしている。

 フォームの修正は完全に終わった。タイムも、今までの模擬レースを見る限り戻ってきた、というよりは前よりも良いタイムを叩き出していた。だからこそ……。

 

 

(問題は、トラウマの克服だけだ)

 

 

 最後にして最大の壁。これを克服しなければ、レースで勝つことはできない。俺はそう考えながら模擬レースを見ていた。

 模擬レースは第2コーナーへと差し掛かる。先頭は依然としてテンポイント。そこから少し離れてハイセイコーを中心とした先頭集団が続いていた。近くにいるおハナさんと沖野さんが俺に話しかけてくる。

 

 

「調子良さそうね、テンポイント」

 

 

「あぁ。タイムも戻ってきているみたいだしな。だから問題は……」

 

 

「第4コーナーをいかにして曲がるか、だけですね。もっとも、それが一番難しいんですけど」

 

 

 俺の言葉に2人は難しい表情を浮かべている。おハナさんも沖野さんも分かっているのだろう。今直面しているこの問題が、一番大きい問題だと。

 しばらくレースを見ていると、沖野さんが大きな声で俺に言う。

 

 

「でもよ!この模擬レースが提案されてから見違えるぐらいの速度で回復してるじゃねぇか!それに、お前たちが頑張ってきたのはここにいる全員が知っていることだ!だから、大丈夫だろ!」

 

 

「……ありがとうございます。沖野さん」

 

 

 この励ましで、少しだけ元気が出た。俺は沖野さんにお礼を言って、レースに注目する。向こう正面を走るテンポイントを、俺は緊張しながら見る。

 

 

(テンポイントからの話を聞いている限り、もう少しで克服できそうなのは間違いない……。後は、克服のための最後のピースが何か……。それさえ分かれば……)

 

 

 テンポイント曰く、フラッシュバックするトラウマの光景にも変化があるらしい。最初は第4コーナーを曲がろうとする度鮮明に見えていたらしいが、条件を遠ざければ少しぼやける程度に、この前のトウショウボーイ達の提案があった日の模擬レースではトラウマの光景にひびが入っているように見え、つい最近の模擬レースではそのひびが広がったように見えたと。そう言っていた。

 おそらくだが、徐々にトラウマを克服しつつあるのだろう。後一押し、後一押しさえあれば、きっと怪我をする前の状態に戻ることができる。俺はそう考えていた。

 

 

(……っと。レースを見ないとな)

 

 

 少し考えすぎた。俺は思考を切り替えてレースの方へと視線を移す。レースは丁度第3コーナーの半ばほどに来ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レースは第3コーナーの中ほど。もう少しで第4コーナーだ。ボクはより一層気合を入れる。

 ハナを取っているのはボク、その半バ身程後ろにボーイとハイセイコー先輩が控えている形だ。ここは特に変わりはない。ただ、グラスの気配が強くなってきている。

 第3コーナーを抜けて第4コーナーへと差し掛かる。ボクはスピードを維持したまま第4コーナーへと突っ込んだ。

 

 

(頼む……ッ!こんまま、こんまま行かせてくれ!)

 

 

 怪我をする前のように、第4コーナーを曲がろうとする。……だが。

 ボクの目の前に広がったのは、日経新春杯で骨折した時のあの光景。ひび割れて色褪せているものの、骨折した時の状況が、思い出したくもないのに蘇ってくる。骨が折れる音、意識を刈り取られる感覚がボクに襲い掛かってきた。実際に意識は刈り取られていないものの、当時の状況がフラッシュバックしてくる。思わず、脚がすくんでしまう。大幅に減速した。ボクを抜き去る時のみんなの表情は、どこか悔しそうな、ボクに同情しているような顔が、なぜかしっかりと見えた。

 ボクは何とか持ち直してゴールを目指して走る。けど、結果は12人中の7着。ゴールして、息を整えているボクに誰かが近づいてきた。

 

 

「……テンさん」

 

 

 声で分かる。ボーイだ。ボーイの声は、信じられないといったような声色をしていた。ボクは何とか声を振り絞って答える。

 

 

「……なんも、言わんでくれ。ボーイ」

 

 

 ジャパン・ユニバーサル・レーシング・カップ前の追い切り。最後の模擬レース。ボクは、最後までトラウマを克服することはできなかった。

 ……だが、悲観している場合ではない。第4コーナーを曲がれないというのであれば、それを前提とした走りをすればいい。幸いにも、どのルートで走ればあの光景を遠ざけることができるかは分かっている。それが通用するかは分からない。だが、ボクには絶望している暇なんてない。できないならできないなりの戦い方をすればいい。そう頭の中を切り替える。

 本番をどう戦おうかと考えていると、ボーイとハイセイコー先輩の会話が聞こえてきた。その声は、ボクを心配しているような声だった。

 

 

「だ、大丈夫かな?テンさん……」

 

 

「トウショウボーイ……。無理もない。あれだけ頑張ったのに、結局本番には間に合わなかったんだ。テンポイントも、今はそっとしておいた方がいいかもしれない」

 

 

「……いや、別に落ち込んどるとかそう言うんやないですけど」

 

 

 ハイセイコー先輩の言葉にボクは思わず突っ込んでしまう。すると、先輩達は驚いたような表情を見せた。

 

 

「うわっ!?だ、大丈夫なのか?テンさん。落ち込んだり、してないのか?」

 

 

「まぁ、残念な気持ちがないわけやないけど……。別に完全に走れんわけやないからな。そこまで落ち込んどらんで」

 

 

「なら、どうしてトウショウボーイの言葉に無反応だったんだい?さっきからずっと君に話しかけていたんだが……」

 

 

「え?ホンマ?」

 

 

「お、おう。ずっと話しかけてたのにテンさん顔俯かせたままなんも言わねぇからさ。落ち込んでるのかなって……」

 

 

「あー……それはスマン。ちょい考え事しとったんや」

 

 

 これから先どうするかを考えていたらボーイの言葉が聞こえていなかった。ボクの方が悪いのでボーイに謝罪をする。

 

 

「考え事?何を考えていたんだい?」

 

 

「本番をどうやって走るか、ですね。確かに前みたいに第4コーナー曲がれへんのは致命的ですけど、模擬レースを重ねるうちにどこで走れば影響が少ないかは分かっとるんで。それをどう組み込むか考えてました。最終的にどう走るかはトレーナーと決めてくつもりですけど」

 

 

 ボクの言葉に、ハイセイコー先輩は驚いたような表情をした後表情を崩して笑みを浮かべながら答える。

 

 

「そうか。なんにせよ、思ったよりも大丈夫そうでよかったよ」

 

 

 そう言ってハイセイコー先輩はボーイとともにリギルの東条トレーナーのもとへと帰っていった。今日はこの模擬レースで最後である。出走していた他の子やサポートに回っていた子達もそれぞれのトレーナーのもとへと戻っていっている。

 ボクもトレーナーのもとへといこうと考えていると、トレーナーがこちらへと向かってくるのが見えた。手にはタオルと給水用のボトルを持っている。

 

 

「テンポイント。模擬レースお疲れ様。ひとまず汗を拭いて水分補給をしよう」

 

 

「うん、ありがと」

 

 

 トレーナーからタオルとボトルを受け取って休憩を取る。今日はこれで終わりなので、後は他の子達のところに模擬レースのお礼をしに行くだけだ。ボクはトレーナーと一緒に模擬レースをしてくれた東条トレーナーと沖野トレーナーのところへといく。ハダルのトレーナーは今日は急用でこれなかったので後日お礼を言いにいくつもりだ。

 

 

「おハナさん、沖野さん。長い間テンポイントのために模擬レースをしてくださり、ありがとうございました」

 

 

「おおきにです。東条トレーナー、沖野トレーナー」

 

 

「気にしないでちょうだい。こちらもまだデビューしてない子にとっていい刺激になったもの」

 

 

「こっちもだ。いい経験になったよ」

 

 

 そこから意見交換をした後ボク達は練習場を後にする。トレーナー室へと戻ることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トレーナー室へと戻ってきたボク達は早速今日の模擬レースの反省会をする。反省会、と言ってもほとんどは本番をどう走るかの作戦会議になるだろう。

 

 

「結局、最後まで克服できんかったわ。スマン、トレーナー」

 

 

 ボクの言葉にトレーナーは首を横に振る。

 

 

「気にするな。それに、克服できなかったらそれを踏まえた作戦を立てればいい。そうだろ?」

 

 

「……そうやな!やったら、早いとこどう走るかを決めよか!」

 

 

 ボク達は早速作戦を立てることにした。

 

 

「とりあえず、できる限りフラッシュバックが起きないぐらい外を回ろう。大体どの位置で回るかの予測はついているんだろ?」

 

 

「せやな。どんくらいやったら大丈夫か予測はついとるからそこを回るつもりや」

 

 

「分かった。ならその位置取りをメインに据えておこう。幸いにもお前は逃げだ。集団にもまれる心配はない。だが……」

 

 

「デッドの存在、やな?ボクをマークする可能性が高いんやったか?」

 

 

「そうだ。加えて、アイツはお前が第4コーナーで減速してしまうという弱点を知っている可能性がある。できる限り情報は秘匿していたつもりだが、それにも限界があったからな。アイツがこの情報を持っている可能性は高いと見ている」

 

 

 だが、明確な弱点があるのに本当にデッドはボクをマークするのだろうか?放っておけば勝手に自滅するのだ。わざわざマークする意味は薄い。

 ……いや、違う。おそらくだが、デッドはボクがトラウマを克服できていないということは知らないだろう。デッドが知っているのは昨日以前の情報。今日の情報は知らないはずだ。だからこそ、デッドは不確定要素が多いボクをマークしてくるかもしれない。そう考える。

 

 

「おそらくだが、デッドはお前をマークするように走るはずだ。そうなると、アイツの戦法も見えてくる」

 

 

「逃げ……やな?それも、ボクをピッタリとマークするように動くかもしれんな」

 

 

「そうだ。さすがに今日の情報は抜かれていないだろう。向こうからしたら不確定要素が多いから慎重に動くはずだ。だからできる限り外で走ることを意識してくれ」

 

 

「分かった。距離のロスはキツいけど、弱点抱えたまま走るんは勘弁やからな。やけど、外走るんやったらデッド以上に脅威になる子がおるな」

 

 

「あぁ。バルニフィカスだ。バルニフィカスは内からの追い上げを一番得意としている。それも警戒しないといけない」

 

 

「う~ん……。やったら、最後の直線で外から内に進路取るしかないなぁ……」

 

 

 そこからトレーナーと試行錯誤をして作戦を決めていった。

 粗方作戦を決めたところで、トレーナーは少し悩む素振りを見せた後意を決したようにボクに告げる。

 

 

「テンポイント。実はもう一つ作戦があるんだ」

 

 

「うん?どんな作戦や?」

 

 

「上手くハマれば、相手が誰であろうと関係ねぇ。お前なら必ず勝てる作戦だと俺は信じている」

 

 

 そんな作戦があったことに驚くが、伝えるのに悩んでいた。つまりは、それだけリスクがある作戦なのだろう。

 ボクはその作戦の詳細をトレーナーに聞くことにした。

 

 

「……どんな作戦なんや?それは」

 

 

「いいか?まず……」

 

 

 そこからトレーナーの言う作戦をボクは事細かに聞いた。

 聞き終わった後、ボクは驚きながらもトレーナーの言う必ず勝てるという意味を理解した。確かに、それならばメインに考えている外を回る作戦よりも格段に勝率は上がるだろう。そして、デッドが取ってくるであろう作戦の対策もできる。そんな作戦だった。

 それと同時に伝えるのに悩んでいたのも理解した。この作戦は、あまりにもリスクが高すぎる。メインの作戦がローリスク・ローリターンならば、こちらはハイリスク・ハイリターンの作戦だ。

 

 

(所詮はお祭り。勝ち負けは関係ない。そんなレースでこんなリスクあるレースをする必要はない。頭ではそう分かっとる。やけど……)

 

 

 目先のレースと、ボク達のこれからのことを考える。迷う必要はなかった。ボクは結論を出す。

 

 

「……ええよ。そん作戦でいこか」

 

 

 ボクの言葉に、トレーナーは苦笑いを浮かべながら問いかける。

 

 

「良いのか?ハッキリ言うが、下手をすればこのレース最下位はほぼ確実みたいなもんだぞ?」

 

 

 トレーナーの言葉に、ボクは笑って答える。

 

 

「何言うとんねん。トレーナーは、ボクができると信じて教えてくれたんやろ?言い淀んとったのはいただけんけど」

 

 

「悪いな。今日の模擬レースを見ていたら、言い出せなくてな」

 

 

「ま、その気持ちは分からんでもないわ。下手を打てば悪化する可能性やってあるんやしな。やけど……」

 

 

 ボクはトレーナーを真っ直ぐに見て、告げる。

 

 

「前に言うた通り、ボクはトレーナーを信じとる。ボクの信じとるトレーナーができる思うて考えた作戦や。やったらボクはそれを信じる。迷う必要なんてあらへんで?トレーナーはドーンと構えとったらええんや!」

 

 

「……そうだったな。悪い、少し弱気になってたみたいだ」

 

 

 そう言ったトレーナーは、笑みを浮かべていた。だが、すぐに表情を引き締めて結論を出す。

 

 

「なら、この作戦をメインに据えていこう。今週末には本番だ。出走するメンバーのレース映像を見て対策を立てつつ、軽めの練習をしていこう!」

 

 

「おー!」

 

 

 ボクとトレーナーは拳を上げて鼓舞をする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、<ジャパン・ユニバーサル・レーシング・カップ>当日を迎えた。




迎えた本番の日。


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第136話 最強の答え

出走前準備回


※1話を改稿しました


 大晦日の東京レース場。例年通りであればレースは開催されないはずの東京レース場は、多くの人で溢れかえっていた。ある者は友達や家族と仲良く談笑していたり、またある者は会場が開くその時を今か今かと待ちわびていた。ここに来た人々の目的はただ1つ、今日この場所で開催されるレース<ジャパン・ユニバーサル・レーシング・カップ>を現地で見に来た人達だ。

 今この会場には、先日開催された有マ記念やウィンタードリームトロフィーの観客の数よりもさらに多いであろう人で溢れかえっている。その理由は、このレースに海外のウマ娘が参戦するから……というだけではない。

 京都レース場で起きた悲劇から1年が経とうとしている今日。あのウマ娘がターフに帰ってくる。その情報が流れたのがつい1週間程前のこと。その情報を見た時、人々はそのウマ娘を一目見ようと、またターフの上で走る姿を見ようとこうして現地を訪れていた。

 

 

「本当に、テンポイント出走するのかな?」

 

 

「あの番組に出てたんだ!きっと出走するって!」

 

 

「でも、体調不良とか、あの番組に出てたこと自体夢とかだったらって考えるとさ……」

 

 

「テンポイントが走る姿、もう一度見たいなぁ。見れるかなぁ?」

 

 

 そんな声が大半を占めていた。他にも出走するウマ娘はいる。海外のウマ娘が参戦するのだから話題性だってばっちりだ。だが、ほとんどの話題がテンポイントである辺り、テンポイントというウマ娘の人気の高さが伺える。

 そんな彼らのもとに、アナウンスの声が響き渡る。

 

 

 

 

《……長らくお待たせいたしました。東京レース場まもなく開場となります。怪我防止のために、最前列の方からゆっくりと前にお進みください。〈ジャパン・ユニバーサル・レーシング・カップ〉は12:30からの出走となります》

 

 

 

 

 その言葉とともに、東京レース場の門が開く。人々は、会場へと足を踏み入れていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 東京レース場の控室。ボクは準備をしていた。

 

 

(ついに迎えたか……。〈ジャパン・ユニバーサル・レーシング・カップ〉……)

 

 

 最後までトラウマは克服できなかった。そのことが重くのしかかる。気にしないようにと思っていても、どうしても引っかかってしまう。

 何とか悪い考えを振り払おうと四苦八苦していると、控室の扉がノックされた。

 

 

「?は~い。ええですよ~」

 

 

 一体誰だろうか?そう思いながら扉の方へと視線を向ける。

 そこに立っていたのは、笑みを浮かべていたボーイだった。いや、ボーイだけじゃない。グラスにカイザー、クインにハイセイコー先輩達が立っていた。

 ボクが驚いていると、ボーイ達はそのまま控室へと入ってくる。

 

 

「よ、テンさん!調子はどうだ?」

 

 

「出走前に、こうしてみなさんで激励しに来ちゃいました」

 

 

「いや~神藤さんのおかげだね~」

 

 

 いつも通りのみんな。その姿を見ていると、先程までの悪い考えはどこかへと行ってしまった。ボクは笑みを浮かべつつ答える。

 

 

「絶好調や!みんなありがとな!わざわざここまできてくれて!」

 

 

「何言ってんだよ!これぐらいなんでもねぇって!」

 

 

「それにしても~……それ、新しい勝負服~?似合ってるね~」

 

 

「本当だね。いつもの君の勝負服が貴公子を前面に押し出しているのならば……今の君の勝負服は流星をモチーフにしているのかな?」

 

 

「あ、はい。そん通りですハイセイコー先輩」

 

 

 今のボクの勝負服は、年度代表ウマ娘になった時に新しく仕立てたものだ。

 深い青色を基調とした勝負服は、ボクの愛称でもある<流星の貴公子>の流星を前面に押し出したデザインとなっている。ただ、貴公子要素が完全になくなったわけではなく、ズボンスタイルなのはそのまま継続だ。別に拘りがあるわけじゃないが。髪型もいつもとは変えており、髪を1つに纏めて、低めのサイドポニーにしている。纏めた髪は肩に乗せて胸の前に出している。

 本当だったら、海外でお披露目になるはずだったこの勝負服。骨折さえなければ、ついそんなことを考えてしまいそうになる。

 ……そんな考え事をしていると、ボーイが突然ボクの前に跪いたかと思うとボクの左足を持った。突然の行動に驚く。思わず蹴っ飛ばしそうになったが何とか踏みとどまることができた。

 呆れながらボーイに尋ねる。

 

 

「……何しとん?ボーイ」

 

 

 そう聞くと、ボーイは笑顔で答えた。

 

 

「今念送ってんだ!頑張れ~、頑張れ~テンさん~ってな!」

 

 

「それ、直接言えばええんちゃうか?」

 

 

「そうだけどさ。それだけじゃ心配だからこうやって念送ってんだよ!」

 

 

(なんやそれ)

 

 

 思わず吹き出しそうになったが、別に悪い気分じゃない。そのままにしておくことにした。

 すると、カイザーが楽しそうな声で告げる。

 

 

「いいですねそれ。じゃあここにいるみなさんでここにいない人達の分も込めて念を送りますか!」

 

 

「いいねいいね~やるだけタダだからね~」

 

 

「で、では!私もやらせていただ来ます……ッ!頑張って下さ~い、テンポイント様~」

 

 

「なら、僭越ながら私もやらせてもらおうかな?」

 

 

「ちょちょ!?全員でやるつもりかい!?……まぁ、別にええけど」

 

 

 ボーイ以外のみんなも、ボーイと同じようにボクの左足を持って念を送るような仕草をしている。気持ちは嬉しい。だが、絵面は完全に怪しい儀式そのものである。傍から見れば誤解されかねない光景だ。

 1人ずつ、ボクに激励の言葉をかけてくる。

 

 

「頑張れ、テンさん!テンさんならきっと大丈夫だ!」

 

 

 ボーイ。

 

 

「頑張ってねテンちゃん。観客席で応援してるよ」

 

 

 グラス。

 

 

「無事に走り切れること、祈ってますよ。テンポイントさん」

 

 

 カイザー。

 

 

「テンポイント様。テンポイント様は1人ではありません。私達がついております」

 

 

 クイン。

 

 

「武運を、テンポイント。頑張ってくれ。ここにいる私達だけじゃない、他の子達も君を応援しているよ」

 

 

 ハイセイコー先輩。

 ここにいるみんなで念を送りながらそう激励してくれた。ただ、激励の言葉を贈った後も念を送るのは継続していた。何でもここにいないみんなの分、キングスやカシュウ達の分も送っているらしい。

 そんな時、扉を開けて誰かが入ってくる。ボクのトレーナーだった。トレーナーは、部屋の中を見て疑問たっぷりといった表情をしていた。

 

 

「……何してんだお前ら?」

 

 

「シッ!静かに誠司さん!今テンさんに念送ってんだから!」

 

 

「そ、そうか」

 

 

 トレーナーはそれだけ言って引き下がった。何も言わない方がいいと判断したんだろう。

 しばらくして、念を送り終わったのか全員が立ち上がった。そのタイミングでトレーナーがボーイ達に告げる。

 

 

「それじゃ、これから作戦の打ち合わせとかあるからそろそろ会場の方に向かってくれ。わざわざありがとな、ここまできてくれて」

 

 

「いいんすよ誠司さん!誠司さんこそ、オレ達の我儘を聞いてくれてありがとな!」

 

 

 そう言ってボーイ達はトレーナーにお礼を言って控室から退室していった。部屋の中はボクとトレーナーだけになる。

 なんだかここで2人っきりで話すのも随分久しぶりのように感じる。日経新春杯の時はみんながいたから、有マ記念以来だろうか?

 するとトレーナーが小包のようなものを取り出した。

 

 

「トレーナー。なんやそれ?」

 

 

 ボクの質問にトレーナーは笑みを浮かべながらボクに小包を渡してくる。

 

 

「いや、ちょっと遅めのクリスマスプレゼントだ。今年はパーティで潰れたからな」

 

 

「もう年末やけどな。開けてもええか?」

 

 

「いいぞ」

 

 

 ボクは早速小包を開けた。中に入っていたのは……朱色の髪飾りだ。バーミリオンカラーといっただろうか?今ボクが着けているのと同じ色である。そしてもう一つ、ダイヤモンドのブローチが入っている。

 

 

「いやいやいや!これ高いんやないか!?素人目にも分かるで!」

 

 

 入っていた物に対してボクは思わずそう言った。だが、トレーナーは特に気にした様子を見せずに答える。

 

 

「まぁ確かに高かったが他にいいプレゼントも思いつかなくてな。お金にも余裕あったし。後どっちも俺の手作りだ」

 

 

「なんも驚かん。もうなんも驚かんでボクは」

 

 

 ツッコむだけ無駄だと判断したボクはもう気にしないことにした。

 ……せっかくのトレーナーからのプレゼントだ。これを着けてレースに挑みたい。ただ、自分で着けるよりも……。

 

 

「……なぁ、せっかくやからトレーナーが着けてくれへん?」

 

 

 ボクはトレーナーにそうお願いした。トレーナーは少し驚いたような表情を浮かべている。

 

 

「俺がか?」

 

 

「せや。せっかくのトレーナーからのプレゼントや。着けて挑みたいねん。それに、ボクが着けるよりもトレーナーに着けて欲しいし」

 

 

「ま、それぐらい構わんぞ。くすぐったかったら言ってくれ」

 

 

 トレーナーに髪飾りとブローチを渡す。確認したところ、このブローチは髪留めにも使えるようなのでこちらは今髪を束ねるのに使っているゴムを外してこちらを着けよう。

 トレーナーに髪飾りを着けてもらう。少しくすぐったい。トレーナーがボクに話しかけてきた。

 

 

「……テンポイント、いよいよだな」

 

 

「うん。いよいよやな」

 

 

「作戦に関しては、特に変更はない。あの作戦で行くぞ」

 

 

「了解や」

 

 

「……ま、作戦であぁだこうだ言ったけどよ」

 

 

 トレーナーは髪飾りを2つとも着け終わったのかボクから離れる。ボクはトレーナーの顔を真っ直ぐに見据えた。彼は、笑顔で告げる。

 

 

「勝つとか負けるとか、一旦置いとけ!思いっきり、お前らしく走ってこい!」

 

 

 それは、ボクのメイクデビューの日に言われた言葉と一緒だった。ボクは思わず吹き出して笑う。

 

 

「ッププ!それ、メイクデビューの時に言うとった言葉やん!懐かしいなぁ!」

 

 

「そうだったか?まぁ作戦とか色々立てたけどよ。一番大事なのはお前らしく走ることだ。それを頭の中に入れて走ってくれ」

 

 

「了解了解!いやぁ、ホンマに懐かしいなぁ!」

 

 

 ボク達はお互いに笑いあう。不安も、緊張も何もかも忘れてお互いに笑いあった。

 しばらく雑談をしていると、トレーナーが時計を確認する。

 

 

「……さて、俺もそろそろ会場の方に向かうとするよ」

 

 

「あー……もうそんな時間か」

 

 

 少し名残惜しいが仕方がない。

 トレーナーは拳をこちらへと突き出してきた。

 

 

「頑張れよ、テンポイント。俺が惚れたお前の走りを見せてくれ!」

 

 

 ボクも同じように拳を突き出す。いつもと変わらないボクらのルーティン。

 

 

「行ってくるわ、トレーナー。しっかり見とき?キミが惚れたボクの走りで、1着取ってくるわ!」

 

 

 拳を軽く合わせる。

 その後トレーナーは部屋を退出した。ボクもパドックに向かう準備をする。その前に、トレーナーから貰った髪飾りを手で触る。思わず笑みが零れた。

 

 

「……ふふっ」

 

 

 もう不安も緊張も、何もなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺はテンポイントの控室から出ると、誰かから声を掛けられた。

 

 

「やぁ神藤さん。話は終わったかい?」

 

 

「待ってたよぉ神藤さぁん」

 

 

 ハイセイコーと、タケホープだった。

 

 

「待ってたって……なんで俺なんかを待ってたんだ?というか、タケホープはなんでここに?」

 

 

 率直な疑問を2人にぶつける。俺の疑問にタケホープが答えた。

 

 

「私がここにいるのはぁ、ハダルからも1人出るからだねぇ。その子の控室からの帰り道さぁ。そのタイミングでハイセイコーと偶然会ってねぇ。聞いたところによると神藤さんが出てくるのを待っているらしいじゃあないかぁ。だから私も待ってた、というわけさぁ」

 

 

「私はこの機会に聞いておこうと思ってね。それに、タケホープもいるから都合がいい」

 

 

「なんか聞きたいことでもあったか?」

 

 

「何、あの日の答えさ」

 

 

 ハイセイコーは一拍おいた後、俺に問いかける。

 

 

「神藤さん、あなたが思う最強のウマ娘……それの答えを聞かせてもらえるかな?」

 

 

「神藤さんが何を思ってテンポイントを最強と思うのかぁ、それを聞かせてもらおうと思ってねぇ。答えは、出たのかぁい?」

 

 

「そうだな……」

 

 

 言われて合点がいった。テンポイントがクラシック級の時に2人から聞かれた質問。一時期は忘れていたが、ハイセイコーから言われて思い出したこと。俺が何を思ってテンポイントを最強だと思っているのか、それの答え。

 少し逡巡した後、俺は2人の質問に答える。

 

 

「……見つけたよ。俺なりの最強の答えってやつを」

 

 

「へぇ?是非聞かせてもらおうじゃないか」

 

 

「楽しみだねぇ」

 

 

 2人は少し楽しそうにいている。俺はそのまま自分なりの答えを告げる。

 

 

「誰かの記憶に残るような走りをするウマ娘。その中でも、多くの人の記憶に残るような……そんなウマ娘こそが、最強なんじゃないかって俺は結論を出した」

 

 

「へぇ?」「ふぅん?」

 

 

「いろんな奴に聞いたんだ。自分が思う最強のウマ娘はどの子かって。当たり前だけど、答えはバラバラだったよ。そりゃそうだ。最強の定義なんて人それぞれなんだからな。バラバラの答えになるのは当たり前だ」

 

 

「まぁそうだね。一理ある」

 

 

「でもぉ、神藤さんがその答えに至った理由はなんだぁい?」

 

 

「共通点があったんだ。みんな挙げた最強のウマ娘……それには1つ共通点があった。それは、記憶に刻まれているという点だった」

 

 

 全員が印象深いレースをしていた。それが、俺が思った最強のウマ娘の共通点。

 

 

「思えば、スカウトした時から答えは出ているようなもんだった。俺がテンポイントをスカウトしたのは、アイツの走りが記憶に刻まれたから、誰よりも印象深いレースをしていたからだ」

 

 

「だから、テンポイントこそが最強だと?」

 

 

「そうだ。そして、このレースで証明してやるさ」

 

 

「ふぅん?何をだぁい?」

 

 

 タケホープの質問に、俺は笑顔で答える。

 

 

「テンポイントこそが最強のウマ娘だと。世界中の人間の記憶に、テンポイントっていうウマ娘のレースを刻んでやる!」

 

 

 2人は俺の宣言に少し無言になる。しばしの静寂。沈黙を破るように2人は笑みを浮かべつつ喋り始める。

 

 

「フフッ。成程、それがあなたの最強の答えか。成程成程……」

 

 

「アハハ!成程ねぇ、記憶に残るウマ娘かぁ。うんうん、いいんじゃあないかなぁ?私は好きだよぉそういうのぉ」

 

 

 2人は笑いながらそう答えた。

 

 

「さて、じゃあ俺達も会場に向かうか。キングス達が場所を取ってくれているはずだからな」

 

 

「そうだね。早速向かおうか」

 

 

「じゃあ、レッツらごぉ」

 

 

 俺達は会場へと向かう。

 <ジャパン・ユニバーサル・レーシング・カップ>出走まで、もうすぐだ。




明日の新衣装ウマ娘の発表を心待ちにしています。


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第137話 日本VS海外

ついに始まる回


 テンポイントと別れて俺はハイセイコーとレース場へと向かう。タケホープはハダルのメンバーと見るらしく途中で別れた。観客の多くはまだパドックにいるのか、キングス達が待っている最前列に行くのにはそこまで難しくはなかった。

 いつもの定位置、ゴール前の席。俺達が来たことに気づいてか、キングス達が手を振る。俺もそれに応えるように手を振った。

 

 

「待たせたな」

 

 

「お!誠司さんとハイセイコー先輩も来たか!」

 

 

 キングスの他には、いつものキングスの友人達とおハナさんを始めとしたリギルの面々、沖野さんに連れられてきたスピカの面々とクライムカイザー・シービークイン・ミスターシービーがいた。

 俺も定位置に着くと、沖野さんが話しかけてくる。

 

 

「調子はどうだった?テンポイントは」

 

 

「絶好調ですよ。何も問題はありません」

 

 

 俺は自信満々にそう答える。その言葉に沖野さん達は一瞬だけ笑みを浮かべたがすぐに難しい顔をした。おそらくだが、最後の模擬レースのことが糸を引いているのだろう。

 加えて。

 

 

「雪、か……」

 

 

「嫌でも思い出しちまうな、あの日のことを……」

 

 

 トウショウボーイの言葉に全員が顔を俯かせる。会場には、あの日と同じように雪が降っていた。

 結局、テンポイントはトラウマを克服することはできなかった。第4コーナーで減速することは免れない。そう考えたら、どんなに調子が良くても意味がない。そう考えているのかもしれない。

 だが、俺は何も心配していない。たとえどんな走りをしても俺はテンポイントを見捨てないし、これからもアイツの望むようにしていくつもりだ。それに、アイツなら大丈夫だと俺はそう信じている。

 そう考えていると、レース場にアナウンスの声が響いた。

 

 

 

 

《大晦日の東京レース場!すでに動員数は15万人を超えております!天気は粉雪が舞う雪模様、しかし芝の状態は良と発表されております!この日開催されるレースは1Rのみ!年末最後のビッグレース、〈ジャパン・ユニバーサル・レーシング・カップ〉がいよいよ始まろうとしています!解説は東京のテレビ局から代表して私が!そして実況を務めますのは関西のテレビ局から代表してテンポイント一筋のこの方が東京レース場へとお越しいただいています!》

 

 

《いやー!このような機会に恵まれて本当に嬉しい限りです!今日は精一杯実況を務めさせていただきます!さて、URAの発案により決まった本レース!なんと海外からも参戦するというレースとなっております!日本だけではなく世界も注目するこのレース、放送は日本だけではありません!衛星放送を介して世界中に発信されております!まさに世界が注目するビッグレースとも言えるでしょう!》

 

 

《今パドックでのパフォーマンスを終えたウマ娘達が続々と入場してきております!まず入ってきたのは……》

 

 

 

 

 実況の言葉とともに続々とウマ娘達が入場してくる。ウマ娘の姿が見える度に観客は拍手と歓声を送っていた。

 そんな時、一際大きな歓声が上がった。

 

 

 

 

《さぁ続いて入場してきましたのはアメリカから来たウマ娘、〈追跡者〉デッドスペシメン!3枠5番、今回のレースで誰をターゲットにしているのかは最後まで明かされませんでした!果たして追跡者にマークされるのはどのウマ娘になるのか?気になるところです》

 

 

《マークした相手への先着率は100%!〈追跡者〉の異名に違わない戦績です!このレースでもその伝説は続くのか!》

 

 

 

 

 

 

「『ハァイ!日本のみんなー!今日は応援、よろしくね!』」

 

 

 西部劇の保安官を思わせるような勝負服を身に纏ったデッドスペシメンは観客に対して手を振っている。

 沖野さんが呟く。

 

 

「さて、デッドスペシメンは誰をマークするのか……」

 

 

「彼女の情報収集能力は世界一、なんて言われてるわ。だからこそ、このレースで一番警戒している相手をマークするはずよ」

 

 

「……順当に考えれば、日本勢ならばホクトボーイさん、海外勢ならばバルニフィカス……でしょうか?」

 

 

 シンボリルドルフの言葉に、俺は反応する。

 

 

「いや、おそらくだがアイツがマークするのはテンポイントだ」

 

 

「それは、何故でしょうか?神藤トレーナー」

 

 

「テンポイントには不確定要素が多いからだ。俺達は知っているが、テンポイントの弱点が克服できていないことをアイツらは知らないだろうからな。そんな不確定要素が残っている相手を、見過ごすはずがない」

 

 

 俺の言葉に、シービークインが疑問をぶつけてくる。

 

 

「ですが、そもそもテンポイント様の弱点を知っているのでしょうか?情報管理に関しては徹底していましたし、漏れているとは思えないのですが」

 

 

「……多分だが、アイツは知っているはずだ。他の海外勢は分からないが、アイツの情報網を考えたら知っていてもおかしくない」

 

 

 現実として、アイツは弱点のことを知っているかのような口ぶりだった。それに、アイツなら知っていてもおかしくはない。

 そんな会話をしている時にでも、ウマ娘は続々と入場してきていた。

 

 

 

 

《……続いて入場してきたのは7枠14番ホクトボーイ!5枠9番のカネミノブ同様有マ記念から中1週での出走となります!》

 

 

《TTG世代の天皇賞ウマ娘!秋の天皇賞でトウショウボーイとグリーングラス相手に勝利を収めたレースは衝撃的でした!その末脚は今日も炸裂するのか!?》

 

 

《ホクトボーイに続いて入場してきたのは今回の大外枠!8枠16番バルニフィカスだ!イギリス期待の若手、イギリスクラシックの2冠を手にして凱旋門賞も2着と好走したまさに中距離戦のエキスパート!これからの時代を担う〈超新星〉とも呼ばれています!》

 

 

《後方からの追い込みは驚異の一言!このレースの大本命との呼び声も高いバルニフィカス!果たして彼女はどんなレースを見せてくれるのか!》

 

 

 

 

 

 

「『フフッ。すごい人数のファンだね。ここにいる人達み~んな僕の虜にしてあげるよ』」

 

 

 そんなことを言いながらバルニフィカスは観客に向かって手を振ったり投げキッスをしたりしている。その度に歓声が湧き起こっていた。彼女の勝負服は近未来的なアイドル衣装だった。

 トウショウボーイが悔しそうに歯噛みしている。

 

 

「クッソー!オレも走りたかったー!」

 

 

「諦めるんだトウショウボーイ。気持ちは分かる、すごく分かるが!」

 

 

「会長もそちら側に行くのは止めてください。収拾がつかなくなるので……」

 

 

 テスコガビーが頭を痛そうに抱える。リギルの面々はそんな様子に苦笑いを浮かべていた。

 出走するウマ娘も残り少なくなってきた。今15人目が入場してくる。そして、最後のウマ娘が入場してきた時、この日一番の歓声と拍手が鳴り響いた。実況と解説も、涙を耐えているような声で、最後のウマ娘の紹介をする。

 

 

 

 

《そして……ッ!あぁ、我々は、今、夢を見ているのでしょうか……ッ!》

 

 

《……いいえ!解説さん、これは夢ではありません!今ターフに立っている彼女は夢ではありません!パドックで見た姿は、決して幻でも、幽霊でもありません!》

 

 

《……ッ!はい!あの日、京都レース場で粉雪が舞う中起きた悲劇から1年が経とうしている今日!奇しくもあの日と同じ粉雪が舞っております!枠番も、あの日と全く同じであります!》

 

 

《中山レース場を駆け抜けた流星が!京都レース場で散った流星が!11ヶ月という時を経て!今再び、不死鳥のごとく舞い戻ってきました!東京レース場に、1枠1番!〈流星の貴公子〉テンポイントが再び我々の前に姿を現しました!》

 

 

 

 

 テンポイントが姿を見せた瞬間、東京レース場が揺れた。比喩でも何でもなく、本当に揺れたように感じた。それだけの歓声が響き渡っている。

 観客の中には涙を流している人もいた。それだけ、嬉しいのだろう。再びテンポイントのレースが見れることが。

 

 

「頑張れー!お姉ー!目指せ1着だしー!」

 

 

「「「頑張ってくださーい!テンポイント様ー!」」」

 

 

 キングス達も大きな声で応援している。その声援を受けて、テンポイントは威風堂々と入場してきた。入場して、ターフでウォーミングアップをしている。

 

 

「お帰りー!テンさーん!」

 

 

「テンちゃーん!頑張ってー!」

 

 

「応援してますよー!テンポイントさーん!」

 

 

「テンポイント様!ファイトです!」

 

 

 ボーイ達が応援の声を飛ばす。そのタイミングでテンポイントは一度ウォーミングアップを切り上げて観客席に向かって大きく手を振っていた。その時、また地鳴りのような歓声が東京レース場に響き渡る。

 

 

「すげぇ人気だな。やっぱり」

 

 

「仕方ないさ神藤さん。実況の人達の言葉通り、彼女がレースに出走するのは11ヶ月ぶり。彼女の人気から考えても、これは当然のことだよ」

 

 

「それもそうだな」

 

 

 俺はターフの上にいるテンポイントを見る。向こうと視線が合った。お互いに、笑みを浮かべる。その後、テンポイントはウォーミングアップに戻った。

 もうすぐレースが始まろうとしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トレーナーと目が合った。ボクは思わず笑みが零れる。トレーナーも笑顔になっていた。

 

 

(っとと、アカンアカン。ウォーミングアップせんと)

 

 

 ボクは気を取り直してウォーミングアップに入る。そんな時、誰かがボクに話しかけてきた。

 

 

「『ハァイテンポイント!やっぱり君は出走してきたね!』」

 

 

「……デッドか。どうしたんや?」

 

 

 話しかけてきた主はデッドである。ボクはウォーミングアップをしながら彼女に応対している。デッドは笑顔を浮かべていた。

 

 

「いやはや、日本の大スターである君と走れる日が来るなんて……ッ!心が躍るね!」

 

 

「ボクに構ってばかりでええんか?自分のウォーミングアップは?」

 

 

「ノープロブレム!私は最初の方で入場してきたからね!とっくに準備万端さ!」

 

 

 そう言うと、デッドは真面目な表情に切り替えてボクに告げる。

 

 

「テンポイント。私は君を一番警戒している。その意味、分かるだろ?」

 

 

 ……つまりは、ボクをマークする。そう宣言しているのだろう。わざわざ本人に宣言する辺り、相当な自信を持っているのだろう。

 

 

「『だからどうした?それで、ボクが怯むとでも思ったか?なら、見当違いも甚だしいな。その程度でボクの心は揺らがない。キミが相手でもね』」

 

 

「……ッ!ハハッ!ただの宣戦布告さ!」

 

 

 ボクはデッドを睨む。デッドはそれを受けて、楽しそうな笑みを浮かべていた。その後は言うことは言ったのかどこかへと歩いていく。

 だが今度は別の子が話しかけてきた。藍色のアンダーツインテール、バルニフィカスである。その表情は仏頂面だった。

 

 

「『随分人気なんだねあなた。僕の時よりも歓声大きかったじゃん』」

 

 

「『そうなんだね。ありがたい限りだよ』」

 

 

「『……まぁいいや。レースが終わった時には、この歓声は僕のものになっているんだから。知ってるんだから。あなたの弱点。だから、あなたの勝ちは万に1つもないんだから』」

 

 

 言いながらバルニフィカスは不敵な笑みを浮かべている。一体どこから漏れたのかは分からないが、どうやらボクの弱点でもある第4コーナーで減速するという情報を知っているらしい。

 だが、関係ない。ボクは彼女に挑発し返す。

 

 

「『そっちこそ、ボクの影を踏む準備でもしておくんだね。デカい口を叩いておいて、負けてレース後に泣いても知らないよ?』」

 

 

「『フン!誰が!』」

 

 

 バルニフィカスはそのまま怒ってどこかへと行ってしまった。

 

 

「なんて言ってたんだ?アイツ」

 

 

 今度はホクトがボクのところへとやってきた。我ながら大人気だ。

 どうやら彼女の言っていることが分からなかったらしいホクトにボクは簡潔に伝える。

 

 

「ただの挑発や。ま、挑発し返したらどっか行ったけどな」

 

 

「フーン……。まぁいいや。それよりもテンポイント。京都大賞典での借り、ここで返させてもらうぜ」

 

 

 ホクトはボクを睨みながらそう言った。

 

 

「上等。京都大賞典みたいにボクが勝ったるわ」

 

 

「ほざいてな!怪我明けだろうが容赦しねぇ、勝つのは俺だ!今日の主役は海外の奴らでも、お前でもねぇ!俺だってことを教えてやる!」

 

 

 ホクトはウォーミングアップに戻っていった。ボクもウォーミングアップを続ける。

 しばらく準備をしていると、ゲートへと入る時間がやってきた。ボクは1枠1番。最初にゲートへと入る。

 ゲートの中で気持ちを落ち着かせる。

 

 

(……さて、えらい久しぶりの本番の空気やな。やけど、気持ちは不思議と落ち着いとる)

 

 

 どんな結果でもいい。ボクはボクの全力を尽くすだけだ。そう思いながら、ボクはゲートが開くその瞬間を待った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《粉雪が舞う東京レース場、年末の祭典ジャパン・ユニバーサル・レーシング・カップ!距離は2400m、バ場の状態は良と発表されております!勝利の栄光を手にするのはどのウマ娘か?世界中が注目する一戦!始まる瞬間を今か今かと待ちわびております!》

 

 

《注目のウマ娘は多数おります。海外勢がその強さを見せつけるのか?それとも日本勢が意地を見せるか!》

 

 

《私の注目するウマ娘はやはりテンポイント!11ヶ月ぶりのレースでどのような走りを見せてくれるのか?勿論テンポイントだけではありません。イギリス期待の超新星バルニフィカスの末脚も魅力的、ホクトボーイも末脚を語る上では外せません!できることならば全員に注目したい本レース!まもなく発走となります!》

 

 

 

 

 全てのウマ娘がゲートに入り終わった。

 

 

 

 

《各ウマ娘、ゲートインが完了しました。あの日の悲劇を乗り越えて、テンポイントが駆け抜けるか?ホクトボーイがその末脚で七星を描くか?カネミノブが待ったをかけるのか?》

 

 

《日本勢だけではありません。バルニフィカスがその圧倒的な強さを見せつけるのか?オブリガシオンが祖国フランスの矜持を見せるのか?デッドスペシメンが全てのウマ娘に縄をつけるのか?》

 

 

 

 

 東京レース場を静寂が支配する。

 

 

 

 

《1年の終わり、最後の祭典ジャパン・ユニバーサル・レーシング・カップが今……》

 

 

 

 

 東京レース場に、ゲートが開く音が響いた。それと同時に、ウマ娘達は一斉にスタートを切る。

 

 

 

 

《スタートです!》

 

 

 

 

 ジャパン・ユニバーサル・レーシング・カップが、始まった。




決戦の火蓋が切られた


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第138話 世間の評価

レース序盤。追跡者が標的に定めた相手。


《各ウマ娘奇麗なスタートを切りました!16人のウマ娘が一斉にスタートを切ります!まずハナを取ったのは……ッ!やはりこのウマ娘だ!テンポイントが先頭に立った!1枠1番、最内枠を活かしてテンポイントが先頭に立った!後続15人を引き連れて快調に飛ばしていきます……がっ、外からデッドスペシメンだ!外から5番デッドスペシメンがテンポイントに併せてくる!》

 

 

 

 

 ジャパン・ユニバーサル・レーシング・カップが幕を開けた。16人のウマ娘が誰一人出遅れることなく奇麗なスタートを切る。その中から先頭に立ったのはテンポイントだった。集団の中からいち早く抜け出そうと快調に飛ばしている。俺はひとまず安堵した。

 観客席を見渡すと、すでに涙を流している人がいた。

 

 

「あぁ……ッ!テンポイントが走ってる……!」

 

 

「テンポイントがターフで走ってる……。それだけで満足だ……ッ!」

 

 

「頑張ってー!テンポイントー!」

 

 

 テンポイントへの応援の声が多数を占めていた。

 

 

「なぁなぁ?お前誰が勝つと思う?」

 

 

「う~ん……ホクトボーイか、カネミノブに勝って欲しいけどなぁ」

 

 

「やっぱバルニフィカスかオブリガシオンじゃね?」

 

 

「いやいや、デッドスペシメンも外せないだろ~」

 

 

 だが、テンポイントのは勝利への応援というよりも……。

 

 

「走ってることに対する応援、だね」

 

 

「お前もそう思うか、ハイセイコー」

 

 

 俺の言葉にハイセイコーは頷く。同じことを考えていたらしい。

 

 

「まぁ、仕方ないと言えばそれまでだ。海外出身のウマ娘は向こうで結果を残してきた子ばかりだし、日本のウマ娘もトゥインクルシリーズの精鋭達だ。11ヶ月というブランクがあるテンポイントが勝つなんて、誰も思ってねぇだろうよ」

 

 

「加えて骨折明け。11ヶ月の約半分はリハビリに費やしていたわけだからね。勝つことよりも無事に走り切って欲しい、という感情の方が大きいんだろうさ。けれど、あなたは違うだろう?」

 

 

 ハイセイコーは俺に対してウィンクしながら尋ねる。俺は真面目な表情で答えた。

 

 

「出走する以上勝つ気で臨んでいる。俺も、アイツもな。そして、俺はアイツなら勝てると信じている」

 

 

 そう言いながら俺はレースを見る。先頭を走るテンポイントが第1コーナーへ入ろうかというところだった。展開は縦長の展開を見せている。

 

 

 

 

《……さぁ先頭が第1コーナーのカーブへと入っていきます。先頭を走るのは1番のテンポイント。そして先頭テンポイントをマークするように外から5番のデッドスペシメン!時折テンポイントを躱して抜かすような仕草も見せているがテンポイントこれには無理に付き合わない様子!それを見てかデッドスペシメンも大人しく控えるようだ!つかず離れずの位置をキープしているぞ5番のデッドスペシメン!》

 

 

《デッドスペシメンが標的に定めたのはテンポイントのようですね。先着率100%を誇るデッドスペシメンの徹底マーク。果たしてテンポイントは追跡を振り切ることができるのか?》

 

 

《そこから2バ身程離れて11番オブリガシオンを中心として4人のウマ娘が集団を形成しています。3番手は2番、4番手11番オブリガシオン。サンクルー大賞を制したオブリガシオンはこの位置だ。オブリガシオンの内に15番、その外6番手は8番、ドイツのウマ娘がこの位置にいます》

 

 

 

 

 思った通り、デッドはテンポイントを徹底マークする様子を見せていた。テンポイントがどう動いてもいいようにつかず離れずの位置をキープしている。

 マルゼンスキーがレースの様子を見て呟く。

 

 

「後続は様子見……ってとこかしら?テンさんあまり注目されてないわね。もっとも……」

 

 

「一番厄介な相手にマークされている。これがどう響くか、だな」

 

 

 テスコガビーの言うように、あの追跡者にテンポイントはマークされている。そのことが気がかりになっているようだ。

 だが、デッドがテンポイントをマークすることは予想していたことだ。俺は焦っていない。それに、どうやらデッドは展開を早めようという意図はないように感じられる。テンポイントがペースを上げれば自分も上げ、ペースを下げれば自分も下げる。前を走るテンポイントにプレッシャーをかけ続ける。そんな位置取りをしていた。

 

 

 

 

《6番手から2バ身離れた位置に7番手9番のカネミノブ、有マ記念覇者のカネミノブがこの位置。7番、12番、13番とともに中団を形成する形。最後方は14番ホクトボーイ、その後方に16番バルニフィカスだ。大外枠バルニフィカスはこの位置にいる》

 

 

《各ウマ娘がそれぞれ自分のベストな位置取りに着きましたね。レースは縦長の展開を見せています》

 

 

 

 

 俺は先頭を走るテンポイントを見つめる。手に自然と力が入っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゲートが開いた。それと同時にボクは飛び出す。

 作戦を立ててこそいるものの、まずはハナを取る。幸いにも今回の出走者の中には逃げで走るウマ娘はいない。だからこそ。

 

 

(苦もなく先頭を取れるはずや!)

 

 

 思った通り、無理に先頭に立とうとしている子はいなかった。ボクはそのまま内を走ってハナを取る……が、どうやら1人だけいたらしい。そいつは外からボクに併せてきた。

 

 

「さっきぶりだねテンポイント!ソロは寂しいでしょ?私が付き合ってあげる!」

 

 

 デッドだ。挑発しながらボクの外へと進路を取っている。徹底マークする形を取っていた。

 だが、予想通りの展開だ。ボクに焦りはない。デッドの挑発も、あえて乗らずに無視をすることに決めた。向こうはボクを揺さぶろうと時折ボクを躱して先頭に立ったりしているが、ボクはペースを一定に保っている。

 

 

「……ふ~ん。冷静だね。挑発には乗らないし、抜かされても気にしない……ってとこかな?ならいいや!本来のプラン通りに行こう!」

 

 

 そう言いながらデッドはボクの半バ身後ろの位置についた。今度はボクがデッドを揺さぶるようにペースを速めたり遅くしたりするが、向こうはボクに合わせるようにペースを変えている。

 

 

(なるほどな……。ボクを後ろでマークする姿勢に徹する……っちゅうことか)

 

 

 ならありがたい限りだ。ボクは少し遅めのペースで走る。もうすぐ第1コーナーへと入ろうとしていた。

 東京レース場の最後の直線は長い。逃げで走るのには少し不利なコースだ。考えなしにペースを飛ばして走ったらカブラヤオー先輩でもない限り後続に捕まってしまうのがオチである。幸いにもデッド以外のマークは緩い。ボクよりも他の子をけん制するように動いているのだろう。ここで1つの考えが浮かんだ。

 

 

(多分やけど、ボクの弱点は広まっとるって考えた方がええな。やないと、ここまでマークが緩いんはおかしい)

 

 

 まだ序盤なので判断しかねるがボクに対するマークはかなり緩い。まぁ、11ヶ月も前線から退いていた身だ。弱点のことなしにしてもマークが緩いのは納得できる。デッドが異端なだけだろう。デッドの場合は、それだけボクを警戒しているということになるが。

 そんなデッドは第1コーナーを曲がっている時にもボクにささやくように挑発してきている。

 

 

「いいのかな?そんなペースで。追いぬいちゃうかもしれないよ?」

 

 

 こちらの集中を乱すように。

 

 

「もしかして、脚を残そうとしているのかな?でも、それで大丈夫なのかな?」

 

 

 的確に痛いところをついてくる。

 

 

「君は第4コーナーで必ず減速する。今のうちに、大逃げにシフトした方がいいんじゃないかい?」

 

 

 そんなデッドに対して、ボクは冷静に言葉を返す。

 

 

「アメリカのウマ娘はお喋りなんやな。負けた時の保険でもかけとるんか?」

 

 

 ……なんかこっちも挑発みたいになってしまった。

 だが、ボクの言葉を受けてデッドは困ったような声で反応した。

 

 

「ふ~ん……。言葉での挑発は無意味か。あんまり効いた様子はないし、ペースも変わらない。だったらもう無駄なおしゃべりは止めようか!」

 

 

 同時に、デッドからかけられるプレッシャーが増した。思わず怯みそうになる。

 

 

(ッ!いや、問題はない。ボクはボクのペースで走ればええ!)

 

 

 プレッシャーこそ増したものの、デッドは戦法を変えるつもりはないようだ。ボクの半バ身後ろ、外側の位置をキープしている。

 ボクは試すように少し外へ進路を取る素振りを見せる。

 

 

「……フフッ、ダメだよ?そっちには行かせない」

 

 

 するとその進路を塞ぐようにデッドはペースを上げた。ボクは進路を戻して内を走る。これで、この位置取りの理由が分かった。

 

 

(ボクを内に閉じ込める……っちゅうことか)

 

 

 その位置取りをしている理由もなんとなく察しはついているが問題はない。ボクは変わらず内を走る。

 第1コーナーの中間、まだレースは始まったばかり。滑り出しは上々といったところだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第1コーナーを走るテンポイント。それを追うデッドスペシメン。そこからさらに3バ身程離れた先頭集団。縦長の展開になっている。

 デッドはテンポイントの外に陣取っている。内の最短経路ではなく、外をだ。その理由は何となく察しがついている。

 

 

(第4コーナーを内で回らせるため、外に行かせないためか……)

 

 

 これでハッキリした。デッドスペシメンはテンポイントの弱点を知っている。俺達が外へと進路を取ろうとしていた作戦を立てているのだと思っているのかもしれない。徹底してテンポイントを外へ行かせないような立ち回りをしていた。

 こんな序盤で、と思わなくもないがそれだけ危険視しているのだろう。テンポイントという不確定要素を。俺は冷静にそう考えていた。

 そんな時、観客の会話が聞こえてきた。

 

 

「あ~……テンポイントはデッドスペシメンにマークされてるのかぁ」

 

 

「確か先着率100%だろ?テンポイントは怪我明けだし、かなり厳しいよな~」

 

 

「何言ってんだよ。無事に走っている姿が見れるだけでも……ッ!うぅ……ッ!」

 

 

 主観の会話。それも内輪の何気ない会話だ。気にする必要はない。だが、キングスポイントの方を見ると悔しそうに歯噛みしていた。彼女にも会話が聞こえていたのだろう。

 

 

「うぅ~……!お姉は負けないし!お姉~!頑張れー!負けんなしー!」

 

 

 ここで観客相手に噛みつきに行かない辺り、キングスも成長しているようだ。代わりに、テンポイントに対して精一杯の応援を送っている。

 その光景を少し微笑ましく思いながら視線を戻そうとすると、いつの間にか隣にエリモジョージがいた。思わず飛びのく。

 

 

「うわっ!?いつの間にいたんだエリモジョージ!?」

 

 

「どうしたんだい?神藤さん……ってエリモジョージ、いつの間に来てたんだい?」

 

 

「やほー 神藤 ハイセイコー。ついさっき」

 

 

「ホクトの応援にはいかなくていいんすか?多分、時田トレーナーのとこにいたんですよね?エリモジョージ先輩」

 

 

「ううん。野暮用 あった。ついさっき 着いた」

 

 

 どうやらエリモジョージはついさっき着いたらしい。何故時田トレーナーのところではなくこちらにきたかをトウショウボーイが尋ねたところ、俺達ならここにいるだろうと察しがついていたから迷わなかったこと、時田トレーナーはどこにいるのか分からないのでとりあえず場所が分かっている俺達のところへと来たらしい。

 

 

「野暮用ってのは何なんだ?」

 

 

 俺の質問にエリモジョージは答える。

 

 

「テンポイント 両親 連れてきた。大変だった」

 

 

「ワカクモさん達を?で、そのワカクモさん達は?」

 

 

「あそこ」

 

 

 エリモジョージが指を指した方を見る。少し離れた位置に、観客に紛れるようにワカクモさん達がいた。向こうもこちらに気づいて手を振っている。お2人が無事に会場に来れたことを喜びながら俺も手を振る。

 気を取り直して、俺はレースを見る。テンポイントは丁度第2コーナーへと入ろうかというところだった。

 

 

 

 

《レースは縦長の展開を見せています。各ウマ娘が自分の位置でレースをしようと少しペースを抑える形を取っている。先頭は依然としてテンポイントその半バ身後ろの位置をキープしているのはアメリカのウマ娘デッドスペシメン!》

 

 

《追跡者がマークしているのは海外のウマ娘ではなく日本のウマ娘!流星の貴公子は追跡者を振り切ることができるのかこれからの展開に注目です》

 

 

《後続は依然として変わりがありません。デッドスペシメンから4バ身程、いや少し差が縮まりました。2バ身離れた位置に3番手オブリガシオンを中心とした4人の先頭集団。先頭集団から1バ身離れて7番手カネミノブ、8番手は内に12番外に7番。最後方も変わらずホクトボーイとバルニフィカスこの2人が最後方だ》

 

 

《レースは第2コーナーへ入ろうかというところ。まだまだ始まったばかり。ここから荒れるか?目が離せません!》

 

 

 

 

 今のところ俺とテンポイントの作戦に支障はない。レースは第2コーナーへと入っていく。




序盤は静かに。


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第139話 追跡者の思惑

序盤の攻防


《レースは第2コーナーへと入ります。先頭に大きな動きはありません依然として先頭は1番のテンポイント。その半バ身外に5番のデッドスペシメンが控える形。3番手以降には少し動きがみられます。3番手はオブリガシオンに代わって2番、その外に8番。オブリガシオンはそこから半バ身離れた5番手内側に代わります》

 

 

《しかしオブリガシオン非常に落ち着いていますね。自分のペースを乱していません。問題はないと見ていいでしょう》

 

 

《その後ろ6番手は15番。6番手から2バ身から3バ身離れた位置に7番手9番カネミノブここも変わらず。先頭から15、6バ身程離れて最後方はホクトボーイとバルニフィカス。2人の追い込みウマ娘は展開を窺っている様子》

 

 

 

 

 序盤の位置取り争いを終え、ウマ娘はそれぞれペースを落としてこれから先の展開に備えている。特に大きな動きはなかった。

 全員がレースを見守る中、トウショウボーイが安心したように言う。

 

 

「テンさん、調子良さそうだな。デッドのマークを受けても自分のペースで走れてる」

 

 

「だね~。ここからは~大きな動きはなさそうだし~」

 

 

「いかに冷静にレースを展開して脚を残せるか、ですね」

 

 

 クライムカイザーがそう締める。

 そんな時、エリモジョージがレースを見ながら呟く。

 

 

「展開 ノロノロ」

 

 

「そうだねエリモジョージ。ペースは少し遅めに進んでいる。おそらくだが……」

 

 

「道中は脚を溜めて、最後の直線で勝負を仕掛けるつもりなのだろう。幸いにも、テンポイントのマークは緩いからな」

 

 

 テスコガビーの言葉にハイセイコーが頷く。他のみんなも同意するように頷いていた。俺は先頭を走るテンポイントを見ながら考える。

 

 

(トウショウボーイの言う通り、デッドのマークを受けても自分の走りができている。これなら問題はなさそうだ)

 

 

 後は、作戦通りに行くかどうかだ。あの位置取りだと、外に進路を取ることはできなさそうだが果たしてどうなるか。

 デッドの意図も、何となく想像はつく。第4コーナーで減速するという弱点を突く……なんて考えだけではないだろう。外に進路を取らせないようにしているが、デッドはテンポイントが第4コーナーを減速せずにそのまま駆け抜けると考えている可能性もないことはない。さすがに考えすぎかもしれないが。

 

 

(さすがにここまでくると人狼じみてくるな……。疑いすぎるのも良くないが……)

 

 

 相手は世界一ともいえる情報収集能力の持ち主。加えて、マークしてきた相手はどんな実力者であっても必ず先着してきたという実績持ちなのだ。考えすぎるぐらいが丁度いいような気がする。

 そんな相手がただ弱点を突くためだけにあの位置取りをしているとは思えない。俺は考えを巡らせる。

 

 

(1つ、思い当たる考えがあるが……)

 

 

 今考えても仕方がないだろう。それに、もしその作戦だとしたら何の問題もない。俺は気を取り直してレースに集中する。

 先頭は第2コーナーを抜けて向こう正面へと入っていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第1コーナーを抜けて第2コーナーへと差し掛かる。ボクはデッドのマークを受けながらも自分のペースを守って走っていた。

 

 

(えげつないプレッシャーやな!ホンマに勘弁してほしいわ!)

 

 

 1人からかけられてるとは思えないほどに強烈なプレッシャー。その主はデッドだ。常にボクと一定の距離を保ちながらボクよりも外へと進路を取っている。

 デッドからのプレッシャーを受けながらもボクは考える。デッドの本当の意図についてだ。

 

 

(ボクが第4コーナーで減速するっちゅう弱点を突くため?……やけど、デッドがそんな単純なことんためにここまで徹底するやろうか?)

 

 

 ボクはトラウマを克服できていないため第4コーナーで減速するという弱点を突く、という点ではこの上なく正解な作戦だろう。

 デッドというウマ娘の付き合いはそんなに長いわけではない。ただ、トレーナーと一緒にどんなウマ娘かの研究はしてきたつもりだ。その分析をしてきた上で言えることは。

 

 

(デッドがボクの弱点突くためだけにこんな単純な作戦を立てるとは思えんっちゅうとこやな)

 

 

 他にも何も考えがある。それがボクに対するものなのか、他のウマ娘に対するものなのかは分からないがボクはそう結論づけた。

 ただ、デッドだけに集中するわけにもいかない。他にもマークするべきウマ娘はいる。まぁ、そのウマ娘達は後方に控えているので今は関係ないのだが。デッドだけに集中しそうになる思考を打ち切る。

 もうすぐ第2コーナーを抜けて向こう正面へと入る。すでに展開は落ち着きを見せているので脚を溜める時間だろう。もし仕掛けるにしても向こう正面半分を切ってからだ。

 

 

(デッド以外のマークは緩いおかげで、スローペースで展開できとる。ま、第4コーナーで必ず減速するやつが先頭走っとるんやからマークしても無意味っちゅうんは理解できるけどな)

 

 

 それはそれで腹立たしいが。

 向こう正面をボクは変わらないペースで走る。後続15人を引き連れて快調に走っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(う~ん、遅いペースで走ってるね。それはあんまりよろしくないんだけど……)

 

 

 私以外にテンポイントをマークしている子はいないという現状、どうしようもない。私1人のマークでは限界があるし、何よりテンポイントのマークが緩いのは私が情報をばらまいたせいだ。

 まぁ。

 

 

(それも織り込み済みで作戦立ててるけどね)

 

 

 今の状況のデメリットを差し引いても欲しかったメリット。それはテンポイントと1対1という状況を作り出すことだった。

 あの弱点がまだあると仮定した場合、今の位置取りを続けていればテンポイントはそのまま脱落する。あの思い出したくもない日経新春杯の状況を再現されたら彼女は思うような走りはできなくなるはずだ。減速は免れない。そのまま私が逃げ切るだけの土台は作っている。

 

 

(心は痛む……すごく痛むけど!でも、これも私が勝つためだ!ごめんねテンポイント!)

 

 

 まぁ、こうなる可能性は限りなく低いのだが。

 弱点を克服した場合。私はこちらの可能性の方が高いとみている。そうなれば、2人の有力なウマ娘を封じ込めることができるのだ。その状況へと持ち込めることができる。

 1人は、バルニフィカス。弱点を克服できているのであればテンポイントは最内を走るはずだ。そうなればバルニフィカスの必勝パターンである内からの追い上げは機能しない。少なからず外を回らされるはずだ。距離のロスに加えて、スタミナに心配が残るバルニフィカスにはキツい状況だろう。それでも警戒は続けるが。

 もう1人はオブリガシオンだ。オブリガシオンは現在先行集団の中心をとなって走っている。私が考えている通りだった。

 オブリガシオンというウマ娘は王道のレースを好む。勝つべくして勝つ、そんなレース運びをするウマ娘だ。

 

 

(私からすれば格好の餌だからね。どうかそのままの君でいてね、オブリガシオン)

 

 

 王道なレースを展開するウマ娘など、私のようなウマ娘からすれば格好の的だ。作戦も分かりやすいし、どう対策を取るかだって予想がつきやすい。現に、彼女が出走した凱旋門賞ではコテンパンにしてやった。私も1着ではなかったものの、私を悔しそうな表情で見ていた彼女の顔は今でも忘れられない。

 

 

(デイビットが聞いたら、そんなんだからオブリガシオンに嫌われてんだよって言われそうだけど)

 

 

 私としては仲良くしたいのだが、向こうからは嫌われているらしい。残念だ。

 そんなオブリガシオンにも対策を取ってある。それはホクトボーイを使ったものだ。情報によるとホクトボーイはどちらかといえば長距離向きのウマ娘である。ホクトボーイはロングスパートを仕掛けてくるだろう。宝塚記念では疲れでヨレていたがアレはバ場が悪かったせいもあるだろう。本来の彼女ならば問題ない距離のはずだ。

 最後方にいるホクトボーイがロングスパートを仕掛ければ、後続もつられてペースを上げる。今のオブリガシオンの位置は内側。そんな状態のままペースが上がればオブリガシオンは集団の中に埋もれるだろう。そうなれば。

 

 

(オブリガシオンはジ・エンドだね)

 

 

 これで2人のウマ娘を封じ込めることができる。そうなれば後警戒すべきなのはテンポイントとホクトボーイだ。カネミノブもいるが、彼女もまたオブリガシオン同様に集団の中に埋もれるだろう。もし抜けたとしたらその時はその時でまた考えがある。ノープロブレムだ。

 そして対テンポイントの対策。それは彼女と競り合わないことだ。

 テンポイントというウマ娘が一番力を発揮するのは誰かと競り合っている時or抜かされた時。有マ記念が分かりやすい例だろう。あんな無茶苦茶なペースで最初から最後まで競り合うなんて、有マまでの彼女からすれば考えられないことだ。

 自身の限界すら超える闘争心の高さ、負けず嫌い。加えて、通常のスペックですら他のウマ娘を凌駕している。そのおかげもあってか、彼女が最後の直線で先頭に立ったらほぼ逃げ切り勝ちを収めるほどには強いレースをしている。

 だが、一度だけ先頭に立ったレースで敗北したレースがある。日本のクラシック競争の3つ目、菊花賞でのグリーングラスの差し切り勝ちだ。完全な意識外からの差し切り勝ち。レース映像を見て思わずほれぼれしたのを覚えている。

 私はここに活路を見出した。競り合うのではなく、彼女の意識外から躱す。テンポイントの一番の武器である闘争心を発揮させないままで終わらせるためのこの位置取りだ。然るべきタイミングでプレッシャーを緩めて大外へと進路を取る。競り合いで限界以上の力を発揮するのであれば、競り合わなければいい。それが私の出した結論だった。

 後はホクトボーイだが、こちらも外へ進路を取るだろう。内側は密集しているし、何より彼女もテンポイントの勝負強さを知っているはずだ。

 

 

(それでもなお向かう気がするけどね。ホクトボーイの場合は)

 

 

 ならばホクトボーイを壁にして私が外から躱すだけだ。作戦に支障はない。

 レースは向こう正面に入る。私はただ静かに機会を待った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《各ウマ娘第2コーナーを抜けて向こう正面へと入りました。先頭から最後方まで13から14バ身程の差が開いております。先頭を走るのは依然としてテンポイントとデッドスペシメン。この2人が争っている形……というよりはデッドスペシメンが後方からテンポイントをひたすらマークする形》

 

 

《テンポイントとデッドスペシメン、両ウマ娘ともに凄い集中力ですね。序盤からプレッシャーをかけ続けるデッドスペシメンもそうですが、それに惑わされずに自分のペースを貫くテンポイントもまたすごい!復帰明けとは思えないぐらいの冷静さですテンポイント!》

 

 

 

 

 東京レース場のゲストルーム。そこには海外のウマ娘達のトレーナーがこのレースを見ていた。それぞれ自分の担当のレースぶりを見ている。

 その中の1人、デッドスペシメンのトレーナーであるデイビットは呟く。

 

 

「『……テンポイントを外に出させない、第4コーナーで減速することを織り込んだ作戦を立てていやがるな。テンポイントには、デッド以外のウマ娘のマークはない。ま、あんな情報が流れてきたら当たり前か』」

 

 

 ここにいる全員は、皆テンポイントの弱点を知っている。だからこそ、ごく一部を除いてテンポイントは敵ではないと判断しウマ娘に指示していた。呟いたデイビット本人もそうである。

 ただ1人、イギリスのウマ娘バルニフィカスのトレーナーであるソフィアだけは違った。彼女はレースを見ながら誰にも聞こえない声で呟く。

 

 

「『……成程。怪我明けであれだけ見事な走りをするとは。日本最強、という称号もあながち間違いではないのかもしれない。彼女も警戒対象に入れておいて正解だった……が』」

 

 

 呟きながらソフィアは溜息を吐く。ソフィア自身は警戒しているからといって、担当ウマ娘であるバルニフィカスも警戒しているか、といわれたら違った。バルニフィカスはそれでもテンポイントというウマ娘を敵とみなしていなかった。他のウマ娘も同様である。

 だが、それはソフィアも同様だ。

 

 

「『今のままなら、フィーなら全員差し切れる……』」

 

 

 ソフィアはそう呟いた。

 

 

 

 

《最初の1000mを通過しました!最初の1000mのタイムは62.1秒!スローペースでレースを展開していますテンポイント!他のウマ娘も互いに牽制しあうように動いている!果たしてここからどういった展開を見せるのか!》

 

 

 

 

 その後もレースは淀みなく進む。まもなく半分が過ぎようとしていた。




それぞれの作戦、思惑。


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第140話 試練の時

ついにその時が訪れる


 向こう正面に入ったレースは淀みなく進んだ。大きな動きを見せることなく、ただ誰かが仕掛けるのを待っている。そんな拮抗状態が続く。俺はそんなレース模様を見ていた。

 レースが動いたのは残り半分を切った頃。最後方に控えていたホクトボーイがペースを上げ始める。そんなホクトボーイをピッタリとマークするようにバルニフィカスも上がってきた。

 トウショウボーイが呟く。

 

 

「ホクトの奴、ペースを上げてきたな!」

 

 

「ホクトボーイ様は長距離、ステイヤー寄りです。ロングスパートを仕掛けてきましたね!」

 

 

 シービークインの言葉通りに、ホクトボーイが最後方から追い上げてきている。集団をかき分けるようにホクトボーイが追い上げてきていた。

 そんな時、ずっと膠着状態が続いていた先頭にも動きが見えた。

 

 

 

 

《先頭が第3コーナーへと入ります!ここにきてデッドスペシメンが仕掛けた!常にテンポイントの半バ身後ろに控えていたデッドスペシメンがテンポイントに並んだぞ!テンポイントもペースを上げる!それを見てか先頭集団もペースを上げ始めた!前との差をジリジリと詰めてきております!》

 

 

《最内を走るテンポイントは依然として有利な状況ですが……っと、デッドスペシメンは外へ外へと進路を取っていますね?これには一体どのような意図があるのでしょうか?》

 

 

 

 

 デッドスペシメンは外へと進路を取り始めた。その姿を見た瞬間、俺は予想していたことが的中したことに内心舌打ちをする。

 

 

(やはり、テンポイントとの競り合いを避けてきたか!しかも、なんつう嫌なタイミングで仕掛けてきやがる!)

 

 

 4バ身程あった先行集団との差はすでに2バ身以内に収まっている。しかも、最内を走るテンポイントを避けるように外へと進路を取っている。この状況だと……。

 

 

「不味いです!あの状況だと、テンポイントさんは外に進路を取れません!」

 

 

「あぁ……ッ!テンポイントはまだトラウマを克服できていない!あのままだと……ッ!」

 

 

「それだけじゃないよガビー。ホクトボーイにあてられてか、後続がどんどんと差を詰めてきている。後ろに下がって外へ進路を取る……なんて悠長なことをしている暇はない」

 

 

 すでに第3コーナーも半分を過ぎようとしていた。つまり、問題の第4コーナーまでもうすぐということである。

 ハイセイコーの言う通り、トラウマの克服はできていない。外へ進路を取り、できる限りフラッシュバックをさせないようにするという作戦もあの状況では厳しいだろう。どうあがいても減速は免れない。つまり、ほぼ詰みである。

 その状況を察してか、みんな不安げな声を上げ始める。

 

 

「テンちゃん……」

 

 

 顔を俯かせるグリーングラス。

 

 

「テンポイントさん……ッ!」

 

 

 悔しそうに歯噛みするクライムカイザー。

 

 

「テンポイント様……」

 

 

 祈るように呟くシービークイン。

 

 

「……」

 

 

 ただ黙ってテンポイントを見据えるハイセイコー。

 他の面々、テスコガビーや沖野さん達もテンポイントの名前を呟きながら目を逸らしたり、暗い表情をしている。そんな全員に共通していることは、この詰みに近い状況に絶望しているということだろう。

 そんな暗い表情をしているメンバーの中でただ1人、トウショウボーイが声を上げる。

 

 

「頑張れぇぇぇぇ!テンさぁぁぁぁん!」

 

 

 大きな声で、テンポイントを応援していた。ここにいる全員が、トウショウボーイの方を見る。メンバーたちの態度を見て、トウショウボーイが訴えかけてきた。

 

 

「ほら!みんなも!テンさんを応援しようぜ!」

 

 

「ボーイさん……」

 

 

「まだレースは終わってねぇ!まだ第4コーナーにも入ってねぇじゃねぇか!諦めるには、絶望すんのにはまだはえぇ!オレ達で一生懸命応援しようぜ!」

 

 

 トウショウボーイの言葉に、全員が驚いたような表情を浮かべる。そして、その言葉通りだと思ったのかテンポイントへの応援が始まった。全員が一丸となってテンポイントを応援している。

 

 

 

 

《第3コーナーでデッドスペシメンが外へ外へと進路を取る!先頭は依然としてテンポイントだ!しかし後続との差はどんどん縮まってきている!後方からホクトボーイが仕掛けたぞ!ホクトボーイとバルニフィカスが上がってきている!集団の外を走るホクトボーイ!そしてホクトボーイのすぐ後ろをバルニフィカス!ホクトボーイがこじ開けた進路を走るバルニフィカス!2人の追い込みウマ娘が上がってきている!》

 

 

 

 

 その状況を見ながら、俺はテンポイントとの作戦を思い出す。表情を引き締め、レースを走るテンポイントを見つめる。

 

 

(ここまでは作戦通りだ……ッ!後は……ッ!)

 

 

 手に力が入る。もう少しで、第4コーナーに入ろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レースも半分を切った。もうすぐ第3コーナーへと入ろうとしている。そのタイミングだった。

 常に半バ身後ろから掛けられていたプレッシャーが不意に緩まった。そちらの方へと視線を向ける。デッドは、外へと進路を取っていた。つまり……。

 

 

(ボクとの競り合いを避けてきた……ッ!読み通りっちゅうことか!)

 

 

 考えてみれば当たり前だ。ボクを徹底マークするというならば、勿論ボクの強みだって把握しているはずだ。ボクの強みを活かさないためにも、外へと進路を取る判断は間違っていない。

 ならばボクも外へと進路を取ろうとすればいい。だが、それはできない。内心舌打ちをする。

 

 

(後続との差も縮まってきとる!こんまま外に進路を取ったら、斜行を取られてまう!)

 

 

 無理矢理にでもペースを上げて外に進路を取るという作戦もある。だが、その作戦を取る気はない。無理にデッドと競り合う必要はないからだ。

 それに。

 

 

(ここまでは作戦通りやからな!)

 

 

 トレーナーとの作戦を思い出す。

 このレース、トレーナーは2つの作戦を立てていた。1つは、トラウマが克服できなかった場合の外を回るという、最初に立てていた作戦。フラッシュバックしないほど外を回ることで、できる限り減速を防ぐという作戦だ。

 この作戦のメリットはただ1つ。今のボクが抱える弱点を押さえられるという点だ。減速した状態からまたマックスのスピードに持っていくには、最後の直線だけでは全然足りない。だからこそ、できる限り減速を押さえた状態で最後の直線に入るための作戦。ボクが打てる最善手がこの作戦だった。

 だが、この作戦はハッキリ言ってデメリットだらけだ。外を回るということはそれだけ距離のロスがあるし、どんなに外を回っても減速は免れないのだ。どんなことになっても負ける気はないが、できる限り不利な状態は避けたい。

 そしてもう一つの作戦。最後の模擬レースがあった日に、トレーナーが言っていたことを思い出す。

 

 

『いいか?まず、やることは今までのお前と変わらない。内側を走って、そのまま駆け抜ける作戦だ。これが作戦の第一段階』

 

 

 やることは単純なこの作戦。

 

 

『おそらくだが、デッドはお前と競り合わないために外へと進路を取る可能性がある。お前の意識外から抜き去る……。これはその対策も兼ねているんだ。外へ逃げるデッドに無理に付き合わない、そのための作戦でもある。それにはあるウマ娘が必要不可欠なんだが……ここも問題はない。必ず罠に引っかかるだろう』

 

 

 問題点があるとすれば。

 

 

『だが、これはお前がトラウマを克服したことが前提の作戦だ。今のお前でこの作戦を取った場合、最下位になることは免れない。それだけのリスクがある』

 

 

 そう。この作戦ができるんだったら苦労はしていない。内を走るとトラウマがフラッシュバックして大幅な減速をする。それを防ぐために色々と作戦を立てていたのだ。前と同じように内を走る。そんなことができるんだったら、外を回る作戦なんて考える必要なんてないのだから。

 その時のことを思い出していると、ふと笑みが零れる。あの時トレーナーはボクの状態を見て言い出せなかったと言っていた。けれど、結局はこの作戦のことを話してくれたのだ。その意味は、ボクも分かっている。

 

 

(ボクなら大丈夫。そう思うたからこそこん作戦を提案した。やったら……ッ!)

 

 

 それに応えなければならない!そう思いながら、ボクは少し内を開けて走る。丁度ウマ娘が1人走れる分くらいのスペースを開けながら、ボクは内側を走る。

 残り800mを報せるハロン棒が見えた。第3コーナーを抜けようとしている。もうすぐ、問題の第4コーナーを迎えようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レースはまもなく第4コーナーへと入る。レースを見守っている人達は、様々な感情を見せていた。

 日本のウマ娘を応援している観客。

 

 

「頑張れー!ホクトボーイー!」

 

 

「日本のウマ娘の強さを見せろー!」

 

 

 海外のウマ娘を応援する観客。

 

 

「やっぱバルニフィカスの脚はすげぇ!どんどん追い上げてってるぜ!」

 

 

「やべぇ!?オブリガシオン囲まれてるじゃねぇか!抜け出せー!オブリガシオンー!」

 

 

 あるウマ娘を応援しながらも、心配そうに見守る少女もいれば。

 

 

「頑張れー!テンさーん!」

 

 

「頑張れ……ッ、頑張れテンちゃん……ッ!」

 

 

 祈るように手を組んでいる少女もいる。

 

 

「お願いします……ッ!どうか、どうかご無事で……ッ!テンポイント様!」

 

 

「曲がって……ッ!曲がってくださいッ!」

 

 

 ただただ、レースの展開を見守る人もいれば。

 

 

「……テンポイント」

 

 

「……会長、ただ、祈りましょう。彼女が、無事でいることを」

 

 

 展開を見てほくそ笑む人もいる。

 

 

「『内側に閉じ込められた。これでアイツは終わりだな』」

 

 

「『……』」

 

 

 実況の声が東京レース場に響く。

 

 

 

 

《各ウマ娘が第4コーナーへと入ります!先頭は内を走るテンポイントと外を走るデッドスペシメンだ!しかし後続との差はなくなってきているぞ!すぐそこまで迫ってきている!3番手は8番4番手は15番に代わります!そしてオブリガシオンは完全に囲まれている!オブリガシオンを囲むように5番手外に3番6番手内に9番カネミノブ!その半バ身後ろに11番オブリガシオン!前の進路は3番とカネミノブに防がれているぞ!》

 

 

《オブリガシオンこれは完全に囲まれましたね。やはり最重要で警戒されているウマ娘の1人。前の進路を防がれています!》

 

 

《7番手オブリガシオンの後方8番手は13番その外9番手に12番!そして集団の外からはホクトボーイが上がってきている!その内にはバルニフィカスがいるぞ!集団のやや外、ホクトボーイを内から抜きにかかるバルニフィカス上がってきている!ホクトボーイとバルニフィカスがグングン上がってきている!》

 

 

《ホクトボーイのロングスパートを利用してバルニフィカスも上がっていますね!これは上手い位置取りです!》

 

 

 

 

 そんな中、テンポイントのトレーナーである神藤誠司は先頭、内を走るテンポイントを真っ直ぐに見据えていた。両手は観客席のフェンスを力強く握っていた。

 ただ一言、呟く。

 

 

「……いけっ!テンポイント!」

 

 

 その目に曇りはない。真っ直ぐとテンポイントというウマ娘を見ていた。

 第4コーナーへと入っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 呼吸は落ち着いている。脚も十分に残っている。まるで問題ないとばかりに身体は動く。

 だが、そんな身体とは違って心臓は強く脈打っていた。その原因は走っているから、というだけではない。

 もうすぐ第4コーナー。粉雪が舞っている。左回りと右回りという違いこそあれど、嫌でも思い出してしまうあの日の光景。その考えを、ボクは必死に振り払う。

 第4コーナー。このタイミングだ。ボクは、スパートをかけるために左足を思いっきり踏み抜く。

 瞬間。

 

 

(……ッ!)

 

 

 脳裏にフラッシュバックする、事故の記憶。模擬レースでは、景色が色あせていたり、ひびが入っていたりしていたその光景は、くっきりと当時の情景が浮かび上がってくるぐらいに見えている。

 ボクの左足が折れる音、バランスが崩れる身体、意識が刈り取られる感覚がボクを襲う。

 身体が思うように動かせない。鉛のように重く感じる。自分が走っているという感覚すら曖昧だ。ボクの身体は、諦めそうになる。

 目の前の事故の光景から目を逸らすように、ボクはゆっくりとを目を閉じた……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな時。

 

 

『……送ってんだ!頑張れ~……』

 

 

 事故とは違う光景が浮かんできた。

 

 

『……すねそれ。ここにいない……』

 

 

 これは、レース前の。

 

 

『……タダだからね~』

 

 

 みんなからの応援。

 

 

『私もやらせて……』

 

 

『……私もやらせてもらおうかな?』

 

 

 その時の光景が、浮かんできた。

 それだけじゃない。今までのみんなとの記憶が、事故の光景を隠すように、上書きするように覆いつくしている。

 そして、聞こえてくるみんなとの会話。

 

 

『頑張れ、テンさん!テンさんならきっと大丈夫だ!』

 

 

ボーイ。

 

 

『頑張ってねテンちゃん。観客席で応援してるよ』

 

 

グラス。

 

 

『無事に走り切れること、祈ってますよ』

 

 

カイザー。

 

 

『テンポイント様は1人ではありません。私達がついております』

 

 

クイン。

 

 

『武運を、テンポイント。頑張ってくれ』

 

 

ハイセイコー先輩。

 それだけじゃない。応援してくれているみんなの光景が、声が聞こえてきた。みんなが、近くにいるように感じる。

 それと同時に、日経新春杯の、あの日の光景がどんどんひび割れていく。それと同時に、鉛のように重かった身体も軽くなってきた。

 徐々にひび割れていく事故の光景。最後に。

 

 

『勝つとか負けるとか、一旦置いとけ!お前らしく、思いっきり走ってこい!』

 

 

 思い出すのは、トレーナーとの会話。拳を突き合わせるボクらのルーティン。その時の会話を思い出す。

 

 

『頑張れよ、テンポイント。俺が惚れたお前の走りを見せてくれ!』

 

 

『行ってくるわ、トレーナー。しっかり見とき?キミが惚れたボクの走りで、1着取ってくるわ!』

 

 

 笑顔で拳を突き合わせるボクらの光景が浮かんできた。それと同時。

 ボクの目の前に広がっていた事故の光景は、音を立てて崩れ去った。現実に引き戻される。今、ボクは走っている。場所は東京レース場の第4コーナー。前は誰も走っていない。前が鮮明に見えていた。舞っていたと思われていた粉雪は降っていない。いつの間にか止んでいたようだ。

 ボクは、自然と笑みが零れた。呟く。

 

 

「さぁ、行こか」

 

 

 第4コーナー。ボクはスパートをかけた。残り、600m。



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第141話 運命を越えて

あの日のトラウマを乗り越えて、後はただ勝利へ


 各ウマ娘が第4コーナーへと入った。俺達はただ一点、テンポイントだけを見つめている。テンポイントが抱える弱点、第4コーナーの減速。その行く末を見守っていた。

 雪はいつの間にか止んでいる。あの日とは違う左回りのコース。ただ、練習では最後まで克服できなかった。そのことが、みんなの心に残り続けていたのだろう。全員が縋るように、祈るようにテンポイントを見ている。

 そんな中テンポイントは、第4コーナーでスパートをかけた。まるで問題ないとばかりに内側を走る。コーナリングも問題ない。前は誰もいない。詰められた差を再び突き放しにかかった。俺は思わずフェンスから手を離してガッツポーズをする。

 

 

「……シッ!」

 

 

 テンポイントは、減速することなく第4コーナーを曲がった!そのことが、たまらなく嬉しい!

 

 

 

 

《ウマ娘達が第4コーナーを回っている!第4コーナー半分を過ぎて先頭を走るのはテンポイントだ!後続に詰められた差をもう一度突き放す!これは上手いコーナリングだ!最短経路で内を走っているぞテンポイント!デッドスペシメンは大外を回っている!これがどう響くか!》

 

 

《バルニフィカスは内へ内へと進路を取っています!すでに前から7番手のオブリガシオンの隣まで来ている!しかし進路はありません!一体どうするつもりなのか!?》

 

 

《おそらく彼女には何かが見えているのでしょう!勝利に繋がる何かが見えているのかもしれません!バルニフィカスとは対称的にホクトボーイは外から上がってきている!ホクトボーイが外から順位を上げている!ゴールまで残り600mを切りました!まもなく最後の直線へと入ろうとしている!先頭はテンポイントです!》

 

 

 

 

 実況の言葉で我に帰る。まだ第4コーナーを抜けただけだ。作戦の、第一段階をクリアしただけ。勝ったわけじゃない。けれど……。

 

 

(よしッ……。よしッ!)

 

 

 喜んだって、許されるはずだ。俺は歓喜に震えている。

 それは、他のみんなも同様だった。テンポイントが第4コーナーを無事に曲がった、トラウマを克服したという事実に肩を抱き合って喜び合っている。

 

 

「みんな見ろよ!テンさん、無事に曲がれてるぜ!」

 

 

「ホント……ッ!ホントによかった……ッ!」

 

 

「でも、まだです!テンポイントさんはまだ勝ってません!だから、応援しましょう!」

 

 

「そうですね!頑張ってください、テンポイント様ー!」

 

 

 トウショウボーイ達は声援を送っている。他の子達もみんなテンポイントを応援していた。

 そんな中、シンボリルドルフが俺に尋ねてくる。

 

 

「……神藤さん。何故、あれほどまで苦労していた第4コーナーの弱点を克服できたのですか?我々との最後の模擬レースでは克服できていなかった。この3日間の間に、テンポイントさんに一体何が?」

 

 

「特別なことはなんもしてないさ」

 

 

 俺はシンボリルドルフの疑問にそう答える。彼女は納得のいかない表情をしていたが、俺は構わず続けた。

 

 

「テンポイントは第4コーナーを曲がる時、日経新春杯の光景がフラッシュバックすると言っていた。それが原因で減速してしまうと。思い出したくなくても思い出してしまうぐらいにアイツの記憶と身体に事故の記憶が刻まれていた」

 

 

「……」

 

 

「トラウマを克服するには、恐怖と向き合って乗り越えることが大事らしい。そのために練習はしてきた。結局模擬レースでは克服できなかったが、乗り越えるための土台はちゃんとあったんだ。それが本番で発揮された。俺はそう思っている。後は……お前達の応援もあるだろうな。お前達の応援が、テンポイントが恐怖を乗り越える力をくれた」

 

 

 俺はみんなに向けてお礼を言う。全員に聞こえるように。

 

 

「ありがとう、みんな!」

 

 

 俺の言葉に、みんな様々な反応を見せた。素直に受け取ったり、茶化したり、気を引き締めるように言ったりと反応は色々だった。

 俺の言葉を聞いてシンボリルドルフは笑みを零していた。

 

 

「成程……。みんなとなら、ですか。感恩戴徳。ありがとうございます神藤さん。私の疑問に答えてくれて」

 

 

「いや、納得のいく答えだったのなら良かったよ」

 

 

 俺は表情を引き締める。

 

 

「ま、テンポイントはこうして第4コーナーを無事に曲がることができた。後は」

 

 

「勝つだけ、だね」

 

 

 ハイセイコーが俺達の会話に割り込みながらそう言った。目尻の方には少し涙が見える。ただ、表情は笑顔だった。

 

 

 

 

《さぁ最後の直線に入りました!東京レース場の長い長い直線に入りました!一番最初に駆け抜けてきたのはテンポイント!テンポイントだテンポイント先頭!》

 

 

《ブランクなんて関係ない、日本の総大将は自分だ!海外のウマ娘を蹴散らしてやると言わんばかりの見事な走りです!しかし後続もスパートをかけ始めています!》

 

 

《2番手大外にデッドスペシメン!テンポイントとの差はほとんどない!大外にデッドスペシメン!そして……ッ!内からバルニフィカスだ!内からバルニフィカスが上がってきている!テンポイントよりもさらに内!テンポイントと内ラチに空いたウマ娘1人分の隙間を狙っているぞ!オブリガシオンはまだ仕掛けない!オブリガシオンはまだ仕掛けない!》

 

 

 

 

 今の状況を見て、俺はもう一度ガッツポーズをしそうになった。俺達の狙い通り……ッ!

 

 

「罠に掛かってくれたな、バルニフィカス!」

 

 

 勝負は最後の直線へと持ち込まれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第4コーナーを外で回る。大袈裟ともいえるぐらいには外を回っていた。

 

 

(でも、警戒しすぎるにこしたことはないからね!それに……)

 

 

 私は内ラチ沿いを走っているテンポイントを見る。彼女は、減速することなく第4コーナーを曲がっていた。相手だというのに、レース中だというのに笑みが零れる。

 

 

(やっぱり君は克服してきたね!私の予想通りだ!)

 

 

 しかし、思考を切り替える。勝つために全力を尽くさなければ。

 テンポイントというウマ娘は非情にバランスよくまとまったウマ娘だ。彼女のライバル筆頭候補であるトウショウボーイはスピードに優れている。グリーングラスはスタミナに恵まれている。クライムカイザーはサマードリームトロフィーで類まれなる戦術眼を得た。それぞれ突出した武器がある。

 テンポイントは、全てのパラメーターをトップレベルに備えているウマ娘なのだ。スピードもあるし、長距離を走れるだけのスタミナもある。加えて、戦術眼にも優れている。器用貧乏とも取れるが、彼女の場合は器用貧乏の枠組みに収まらない。いうなれば……。

 

 

(真の意味での万能型……ッ!それが、私がテンポイントに下した評価!)

 

 

 対戦する上でこの上なく厄介な相手だ。しかも彼女は逃げで走る。大逃げで走る子でもいない限り、絶対に先頭に近い位置で走る。今のオブリガシオンのように、集団に閉じ込めることは難しい。

 加えて、テンポイントにはトウショウボーイ達のようにとても大きな強みがある。それは、負けん気がとても強い、すさまじい勝負根性の持ち主だということだ。競り合いになればほぼ勝てる。そんな強さを持っている。

 

 

(競り合わなくても強いし、競り合っても強い。勘弁してほしいね!)

 

 

 ただ、特化型にどうしても劣るという点、テンポイント自身が追う展開になったら弱いという明確な弱点がある。しかし、私は悔しいことに特化型というわけではない。逃げで走るから追う展開になることもほとんどない。

 競り合えば限界以上の強さを発揮することがあるテンポイント。ただ、競り合わなければ私でも十分に勝機はある。だからこそ、私が取ったのは菊花賞のグリーングラスのように彼女の意識外から抜かしにかかるという作戦。

 

 

(これだけ大外にいれば君の眼には入らないでしょ?)

 

 

 私とテンポイントの間はかなり開いている。意識的にこっちを見ないと分からないレベルだ。これぐらいあれば、彼女との競り合いは発生しない。後続が追い上げてくるだろうが、あのレベルなら追いつかれても限界以上の強さは発揮されないだろう。私は安心してレースを展開する。

 すでに最後の直線に入っている。残り300mを切っていた。このままいけば私の勝利は盤石のものとなる。私は内を走るテンポイントを見て……思わず目を見開いてしまった。

 いつの間にか私よりも前を走っている。加えて、スピードもいつもの彼女の数値から予想していた値から大きく逸脱している。私は、困惑していた。

 

 

(What's!?どういうこと!?あれじゃあまるで……)

 

 

 彼女が競り合っている時の数値。それも、かなりの猛者と競り合っている時の数値だ。まるで、有マ記念でのトウショウボーイのような……。

 だが、そんな相手はいないはず!オブリガシオンがいるであろう位置を確認する。彼女は抜け出すのに手間取っている。ならホクトボーイ?いや、ホクトボーイも姿が見えない。カネミノブもだ。誰だ?一体誰が競り合っているの!?

 テンポイントの方を見ると、奥の方からチラリと藍色の髪が見えた。

 

 

(藍色の髪?……って、まさか!?)

 

 

 その髪には見覚えがあった。けど、まさか!そんなはずはない!

 

 

(内側からの追い抜き!彼女が最も得意とするやり方!必勝パターン!そんなこと、君達だってわかっているはずだ!)

 

 

 テンポイントが誰と競り合っているのか。その正体は分かっている。だからこそ、理解できない。

 瞬間、テンポイント達の意図を理解した。まさか……、まさか!

 

 

(私が競り合わないことを想定して、あの子をわざと誘い込んだとでも言うの!?)

 

 

 確かに彼女ならば乗ってくるだろう。自分の実力に絶対の自信を持っている彼女ならば、内側が空いていれば必ずその進路を取る。現実としてその進路を取っていた。だからこそ、今テンポイントは競り合って私が想定していた値よりも高いスピードで走っている。

 

 

(だからって、普通そんな作戦取る!?)

 

 

 あまりにもリスクが高すぎる。勝算が低い、賭けのような勝負を仕掛ける意味が理解できない!まったくもって彼女達が理解できない!こんな場面で、フィフティーフィフティーがいいとこのギャンブルを仕掛ける意味が、到底理解できない!

 

 

「クレイジー……ッ!」

 

 

 思わずそう呟いてしまった。その時。

 

 

「余所見たぁ随分余裕だな!」

 

 

 ホクトボーイが私のすぐ近くにいた。一気に現実に引き戻される。

 そうだ。今はまだ勝負の最中だ。想定外のことに驚いてしまったが、まだ勝算は残っている!

 

 

「ハハッ!どんな時でも余裕は持つものさホクトボーイ!」

 

 

「それで負けちゃあ世話ないなデッドスペシメンさんよぉ!抜かせてもらうぜ!」

 

 

「ノン!そうはさせないよ!私だって意地があるからね!」

 

 

 実際余裕なんてものはないが。私は全力で走る。その先の勝利へと向かって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第4コーナーを抜けて最後の直線へと入る。ボクは今まで第4コーナーで減速していたのが嘘のようにスパートをかけることができた。そのことに歓喜している。

 だが、喜んでばかりもいられない。これはまだ作戦の第一段階。ここから作戦は第二段階に入る。ボクはそのために内側の進路を先程と同じように空けて走った。丁度、ウマ娘が1人走れるぐらいの間隔だ。

 

 

(トレーナーは言うとった!こうすれば、バルニフィカスは必ず罠に掛かるって!)

 

 

 バルニフィカスというウマ娘は確かに強い。だからこそ弱点があるとトレーナーは言っていた。

 

 

『こいつは自分の強さに絶対の自信を持っている。自分の必勝パターンに持ち込めば絶対に負けない。それだけの自負がバルニフィカスはある』

 

 

 だからこそ、トレーナーはそれを利用すると言っていた。

 

 

『第4コーナー……できれば第3コーナーからだな。内側を空けて走ってくれ。そうすれば、バルニフィカスは内側から抜くことを決めるはずだ。明確に自分の必勝パターンのルートが空いている。それを見逃すアイツじゃない。これが作戦の第二段階だ』

 

 

 その時ボクはトレーナーに、他のウマ娘が内側に入ってくるんじゃないか?と疑問をぶつけた。だが、トレーナーは首を横に振って答えた。

 

 

『大体のウマ娘はお前を外から躱そうとするはずだ。お前が競り合いに強いという情報は全員が知っているからな。必然的に競り合う位置になる内側から抜こうとするウマ娘はいない。バルニフィカスを除いてな』

 

 

 そして。残り400を切ろうかというところでボクの真後ろから強烈な気配を感じる。その気配は、ボクの内側から上がってきた。内を見ると、その姿が確認できる。

 

 

「『わざわざ内を空けてくれてありがと~。第4コーナーで減速しなかったのはちょぉっとびっくりしたけど……。お礼に敗北をあ・げ・る』」

 

 

 バルニフィカスだ。ボクを小ばかにするように挑発してくる。だが、ボクは極めて冷静だ。すでに第4コーナーは抜けた!ボクには、何の不安要素もない!

 ここからだ。ここからが重要な場面。トレーナーが立てた作戦の、最後の段階!

 

 

『そして作戦の第三段階……最終段階だ』

 

 

 いつも以上に脚を回す。スローペースで展開したおかげでスタミナも、脚も十分に残している。何ら問題はない。

 ボクは気合を入れて臨む。最後に、バルニフィカスを挑発し返す。

 

 

「『その余裕な態度崩してあげるよ。キミの得意な土俵に立たせてあげた上で……』」

 

 

『バルニフィカスに競り勝て!お前の方が上だと、お前の方が強いと!お前というウマ娘を世界に証明してやれ!』

 

 

「『ボクの影を踏ませてやる!』」

 

 

「『やってみろよ!僕相手にそんな口を利いたこと、後悔させてやる!』」

 

 

 ボクは全力を出して走る。残り、およそ300m。



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第142話 終戦

《残り400を切った!ジャパン・ユニバーサル・レーシング・カップもいよいよ大詰め!残り400を切りました!先頭はテンポイント!テンポイントが先頭だ!しかし内から猛然とバルニフィカスが上がってくる!バルニフィカスがどんどん差を詰める!これが英国2冠の強さだ!バルニフィカスが一気に先頭を走るテンポイントへと差を詰めていきます!先頭と後続との差はそこまで差がありません!ここから他のウマ娘差し切る可能性も十分に考えられます!》

 

 

《バルニフィカスの末脚は本当に凄い!テンポイントのライバルの1人、トウショウボーイを彷彿とさせる速さです!しかし、ならばなおのこと負けられない!テンポイントも先頭で粘ります!》

 

 

《大外にはデッドスペシメン!デッドスペシメンが半バ身程後ろになったか!しかしデッドスペシメンもギアを上げる!デッドスペシメンも上がってきている!テンポイントに並ぼうとしている!そんなデッドスペシメンの内にはホクトボーイだ!ホクトボーイが上がってきた!4人のウマ娘が並ぼうとしている!サンクルー大賞のオブリガシオンは……ッ!ようやく仕掛けた!ようやくオブリガシオンも仕掛ける!しかしこれは間に合うかどうか!》

 

 

 

 

 東京レース場のゲストルームでは悲鳴が上がっていた。その原因は、今先頭を走っているウマ娘が原因である。

 テンポイントというウマ娘は第4コーナーで必ず減速するという弱点がある。そんな情報を彼らは鵜呑みにしていた。だが、現実は彼女は第4コーナーで減速することなく今もなお先頭で走っている。メインに据えていた作戦が無に帰したのだ。悲鳴をあげたくもなるだろう。

 ただこの情報は他者から渡されたものだ。そんな情報を信じた方が悪いと言えばそこまでである。なぜ彼らがそんな情報を信じたのかというと、情報源が世界一の情報網を持っているとまで称されるデッドスペシメンだったからだろう。情報に関しての妥協を許さず、虚偽の情報を流布したという話もない彼女からの話だ。信じてしまうのも無理はない。

 そんな中、デッドスペシメンのトレーナーであるデイビットは驚きに満ちた表情でレースを見ていた。

 

 

「『信じられねぇ……。アイツ、本当に……』」

 

 

 デイビットはデッドスペシメンがテンポイントをマークするという話を聞いた時、無駄なことだと一蹴した。第4コーナーを曲がれない欠陥、11ヶ月というブランク、そもそも世界で目立った実績がない日本のウマ娘。マークする必要すらないウマ娘だと、デイビットはテンポイントをそう判断していた。

 だが、現実は違う。自分が終わったと判断したウマ娘は今も先頭で走っている。第4コーナーをしっかりと、減速することなく曲がった。デッドスペシメンが言っていた通りになったのだ。

 自分の担当であるデッドスペシメンはそれを必死に追いかけている。徐々に差は縮まってきていた。だが……。

 彼は、今の状況にただ呟く。

 

 

「『相手を見くびるな……か。ハハッ、デッドやチーフに口酸っぱく言われていたことが……今ようやく理解できた。でも、今になって、それが分かるなんて……』」

 

 

 後悔しているように、そう呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゲストルーム、愕然としている人が多い中私はレースを見守っている。先頭を走るのは4人のウマ娘。私の担当ウマ娘であるフィーと、フィーと競り合う日本のテンポイント。大外にデッドスペシメン。デッドスペシメンと競り合うホクトボーイ。後は、集団からやっと抜けだしたオブリガシオンが凄い勢いで上がってきている。この5人での争いになるだろう。

 だが、問題はない。オブリガシオンはあの位置からでは追いつけない。他の4人も直に抜きされるだろう。

 

 

(フィーの必勝パターンに入った。こうなれば、もう終わりだ)

 

 

 自身の担当ウマ娘であるバルニフィカスの必勝パターン。内からの追い上げ。それが決まったのだ。このレースは終わった。私はそう判断する。

 ……だが、いつもならすぐに追い越せるはずのフィーが追い抜くのに手間取っている。決して手を抜いていない。必死に、全力で走っていることは分かる。だが、いつまでたってもテンポイントを抜けない。そんな状況に陥っていた。

 

 

「『進路が塞がれているわけではない……。一体どうして?』」

 

 

 確かにテンポイントというウマ娘は強い。出走するウマ娘だけではなく、他のウマ娘のデータと比較してもトップクラスの子であることは分かっていた。ただ、それでもフィーには及ばない。私はそう判断した。

 だからこそ、今の状況は不可解だった。フィーが追い抜けないでいる。今まで同じ状況になってもすぐに抜き去った、余裕そうに抜き去っていた彼女が。テンポイントというウマ娘を抜くことができないでいる。思わず呟く。

 

 

「『確かに彼女の勝負根性は驚異的だが……ッ!』」

 

 

 言って、気づく。彼女達の、テンポイント達の意図に。

 これまでの展開。今の状況。まさか、彼女達は……ッ!

 

 

「『わざと誘い込んだとでもいうのか!?テンポイントの強さを発揮させるために、わざとフィーを最内に!?』」

 

 

 思わず大声を上げる。他のトレーナー達がビックリしたように私を見ているがそんなことは関係ない。

 思えば、最内が空いているのはおかしい。テンポイントはとても利口だと聞いている。フィーのことを警戒しているのであれば、フィーの必勝パターンは封じ込めてくるはずだ。なのに、まるで無警戒とばかりに最内を空けていた。

 これが最後の直線ならまだ分かる。だが、レースを見た感じ第3コーナー辺りから最内は空いていた。だからこそフィーは内へと進路をとったのだから。

 テンポイントの強み、デッドスペシメンがそれを知った上で取る対策、フィーの性格……それらを考えると何故内側が空いていたのか、理解できた。

 

 

「『フィーを誘い込むため……ッ!テンポイント本来の強みを最大限発揮するために、フィーを誘い込んだ……ッ!全てはテンポイントの強みを発揮させる舞台、競り合いという状況を作るために!』」

 

 

 それと同時に理解する。テンポイントのトレーナー、神藤誠司……といっただろうか?彼の意図を、私は理解した。

 

 

「『彼は、テンポイントなら勝てると……テンポイントなら、英国2冠ウマ娘であるフィーにも勝てると、そう踏んでこの作戦を立てたのか!?』」

 

 

 だとすれば、尊敬の念が上がってくる。誰が相手でも、どんな相手でも関係ない。自分の担当が勝つことを愚直に信じるその姿勢、称賛に値する。

 だが、それでもフィーの方が上だ。

 そう思っていても、私は不安と、ドキドキを感じずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 東京レース場の熱気は最高潮に達しようとしていた。第3コーナーを過ぎた辺りでもしかしたら……なんて声が上がっていた。その声は、第4コーナーを越えてテンポイントが先頭を走っているあたりから確信に変わった。テンポイントが、勝つんじゃないかと。

 会場のあちこちからテンポイントを応援する声が飛ぶ。会場にいるほぼ全員が今もなお先頭を走るテンポイントを応援していた。

 

 

「これ、もしかして……もしかするんじゃないか!?」

 

 

「バカ!そんなこと言っている暇あったら応援しろ!頑張れー!テンポイントー!」

 

 

「負けないでー!テンポイントー!」

 

 

「日本の力みせてやれー!」

 

 

「頑張れー!頑張れー!お姉ー!」

 

 

「「「負けないでー!テンポイント様ー!」」」

 

 

「負けんなー!テンさーん!」

 

 

「頑張れー!テンちゃーん!」

 

 

「もう少しですよ!テンポイントさん!」

 

 

「テンポイント様!もうひと踏ん張りです!頑張ってくださーい!」

 

 

「エンジンフルスロットルで行きなさーい!テンさん!」

 

 

「勝て!テンポイント!」

 

 

「テンポイント!君の力を、みんなに見せてやれ!」

 

 

 会場から湧き上がる応援の声。テンポイントを応援する声が東京レース場を支配していた。

 実況と解説にも熱が入っている。

 

 

 

 

《レースは残り200を切りました!先頭は4人のウマ娘が並んでいる!内を走るテンポイントとバルニフィカス!大外を走るデッドスペシメンとホクトボーイ!この4人がほとんど横並びだ!この4人がほとんど横並びで200を切った!誰が勝つか全く予想がつきません!》

 

 

《そしてこの4人にオブリガシオンが猛追してきましたね!オブリガシオンも猛追してきています!オブリガシオンが前の4人に並びかけています!これは凄い脚だオブリガシオン!前との差をグングン詰めてくる!》

 

 

《やはり彼女もまた強いウマ娘!いえ!このレースに出走しているウマ娘は誰もが強い!誰もが認めるウマ娘達ばかりです!ジャパン・ユニバーサル・レーシング・カップ!栄冠を勝ち取るのは誰か!泣いても笑っても最後の200m!頑張れ日本!頑張れ海外!》

 

 

 

 

 テンポイントのトレーナーである神藤は、先頭を走るテンポイントを見る。その瞳に、揺らぎはない。己の担当が勝つ、1着でゴール板を駆け抜けることを信じている。そんな目をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 残り200を示すハロン棒を通過する。ボクはまだバルニフィカスと競り合っていた。お互いに一歩も譲らない力勝負。ただただバルニフィカスというウマ娘の実力に驚くしかない。

 

 

(ホンマに強い!あの態度、言葉も納得できるぐらいの強さがある!流石は英国2冠っちゅうとこやな!)

 

 

 だからといって負けるつもりはさらさらない。ボクはバルニフィカスと競り合いながらそう感じていた。

 強いのはバルニフィカスだけではない。ボクを最初から最後まで徹底マークして対策を講じていたデッドも、トゥインクルシリーズで戦った同じ天皇賞ウマ娘のホクトも、勿論他のウマ娘も。全員が強い。今でも絶対に勝つ、絶対に負けたくないという思いを背中にヒシヒシと感じる!それでも!

 

 

(勝つんはボクや!ボクが、絶対に勝つ!)

 

 

 大外にはデッドとホクトが、真ん中を突っ切ってオブリガシオンが並ぼうとしている。ただ、オブリガシオンはかなり消耗しているように感じられた。それでもここまで来たのは彼女の意地というやつだろう。自分の国を誇りに思っているであろう彼女の、意地。

 

 

「『負けられない!祖国の、フランスの誇りにかけて!私は負けるわけにはいかない!』」

 

 

 そう叫んでいた。

 走る。ただがむしゃらに走る。ここまで来たらもう何も考える必要はない。ただ、誰よりも早くゴール板を駆け抜ける!それだけだ!

 バルニフィカスは依然としてボクの後塵を拝している。彼女も、息は絶え絶えだった。それでも絞り出すように必死の形相でボクに問いかけてきた。

 

 

「『なんなんだよ……ッ!なんなんだよお前!僕の方が強いのに、僕の方が速いのに!なんで追い抜けないんだよ!』」

 

 

 彼女は薄々感づいているのだろう。400mを過ぎた辺りから競りかけられてきたが、今だにボクを追い抜くことができていない。彼女は疑問に思っていることだろう。自分の方が速いはずなのになんで追い抜けないのか。なんで自分がいまだに競り勝てないのか。なんで負けているのか。

 

 

(ボクは、誰にも負けへん!トレーナーが信じる最強のウマ娘!それがボクや!)

 

 

 バルニフィカスはそれを認めたくないように、今も必死に走りながら、叫ぶようにボクに言い放った。

 

 

「『お前は……ッ!なんなんだよ!誰なんだよ!?』」

 

 

 その言葉に、ボクは答える。

 

 

「しっかり覚えとき……ッ!ボクの名前を、お前を負かしたウマ娘の名前を!」

 

 

 それと同時に。

 

 

「ボクはテンポイント!世界一のウマ娘やァァァァァ!」

 

 

 ボクは彼女を振り切る。残り100m。ボクは単独で抜け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《残り100mを切って……ッ!抜けた抜けた!抜け出した!テンポイント抜け出した!内から〈流星の貴公子〉だ!内から〈流星の貴公子〉が抜け出した!後続との差を開いていく!1バ身!2バ身と差を開いていく!テンポイントだテンポイント!テンポイント先頭だ!》

 

 

《後続も必死に食い下がります!バルニフィカスも、オブリガシオンも、デッドスペシメンも、ホクトボーイも!全員が食い下がる!しかしこれはもう決まった!》

 

 

《さぁ行け、それ行けテンポイント!もうお前を縛るものは何もない!あの日の記憶を乗り越えて!テンポイント独走!テンポイント先頭!テンポイント先頭!》

 

 

 

 

「いけー!テンポイントー!」

 

 

「駆け抜けろー!」

 

 

「いっっっけぇぇぇぇぇ!」

 

 

 東京レース場に、テンポイントを応援する声が響き渡る。そして。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 テンポイントは、俺の担当ウマ娘は。トゥインクルシリーズの精鋭達相手に、世界のウマ娘を相手に。年末、大晦日のこの日。東京レース場で行われた〈ジャパン・ユニバーサル・レーシング・カップ〉のゴールを。

 誰よりも早く駆け抜けた。



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第143話 流星が描く軌跡

激闘、その後。


 テンポイントがゴールを駆け抜けた瞬間、会場が一瞬静まり返った。先程までの大歓声が嘘のように会場に静寂が訪れる。現実を受け入れるのに時間がかかっているのかもしれない。

 やがて、観客達が目の前で起こっていることが現実だと理解したであろうその瞬間、今日一番の歓声が東京レース場に響き渡った。

 俺は辺りを見渡す。近くにいる人と喜びを分かち合うように抱き合い、涙を流している観客。そんな人達が目に入った。

 

 

 

 

《テンポイントだ!テンポイント1着!テンポイント1着!年末大晦日の祭典ジャパン・ユニバーサル・レーシング・カップを制したのは……ッ!日本が誇る総大将!〈流星の貴公子〉テンポイントだ!2着はテンポイントから遅れること1と半バ身差でイギリス2冠ウマ娘バルニフィカス!3着はクビ差で天皇賞ウマ娘ホクトボーイ!しかし2着から5着のオブリガシオンまでは全員がクビ差ハナ差の大接戦だ!》

 

 

《テンポイントが……ッ!テンポイントが、我らが〈流星の貴公子〉が!世界中が見守る中で凄いレースを見せてくれました!11ヶ月というブランクを感じさせない見事な走り!やはり、やはりこのウマ娘は強かった!私は……ッ!私はもう涙で前が見えません!お帰りテンポイント!》

 

 

《中山を駆け抜けた流星が!今再び!我々の前で、東京レース場を駆け抜けた!東京レース場に舞い降りた流星が軌跡を描いたテンポイント1着!あの日の悲劇を乗り越えて!絶望的と診断された怪我を乗り越えて!再び東京レース場で軌跡を描いた!テンポイント1着ゥゥゥゥゥゥ!》

 

 

 

 

「す、すげぇぇぇぇぇ!」

 

 

「勝った!テンポイントが勝ったんだ!」

 

 

「ウオオオォォォォ!勝った!テンポイントが勝ったぞォォォォ!」

 

 

「おめでとうテンポイント!お帰り、テンポイントォォォォ!」

 

 

「「「テンポイント!テンポイント!テンポイント!」」」

 

 

 歓喜に包まれる東京レース場。湧き上がるテンポイントコール。冬の寒さを感じさせないほどの熱さが、今この会場にあった。

 トウショウボーイ達も、全員が涙を流しながらテンポイントの名前をコールしていた。

 俺は空を見上げる。空は、勝者であるテンポイントを祝福するように。雲の隙間から陽光が差していた。俺は流れそうになる涙を必死に耐える。

 

 

(ウィナーズサークル……向かわねぇとな)

 

 

 涙を流したままテンポイントに会うわけにはいかない。飛びっきりの笑顔であいつを迎えてやらなければ。俺はそう思いながら、ウィナーズサークルへと足を運んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 東京レース場のターフの上でボクは勝利を噛みしめるように佇む。歓喜に震えていた。会場の歓声、誰もがボクの名前を口にしてボクの勝利を祝福している。

 

 

(勝った……ッ。勝った!勝ったんや!ボクは、勝った!)

 

 

 そのことが何よりも嬉しい!

 ターフの上で喜びを噛みしめているボクに、誰かが話しかけてきた。

 

 

「『テンポイント!』」

 

 

 そちらの方へと振り向くと、急に誰かが抱き着いてきた。

 

 

「むぐっ!?」

 

 

 ただ、誰かなんて分かりきっている。ボクは苦しみながらもボクを抱きしめてきた相手、デッドに抗議の声を上げる。

 

 

「苦しい!苦しいから離してくれデッド!」

 

 

「『テンポイント!君は本当に凄いよ!第4コーナーを曲がれるとは思っていたけど……まさかあんな作戦を取るなんて!私ですら予想できなかった!』」

 

 

 しかしデッドは聞こえていないのかボクを離そうとしない。仕方がないので力ずくで彼女をはがすことにした。はがした後、名残惜しそうな顔をしていたが、あれ以上続けられていたら窒息死しかねない。

 そのままデッドはボクを称賛するように言葉を続けた。

 

 

「テンポイント。アレは君の作戦通りかい?私が君と競り合わないことを分かっていたから……、だからこそバルニフィカスを利用したと?」

 

 

「まぁ、そうやな。競り合わんの分かっとったからあの作戦を立てたんや」

 

 

「それは、君がかい?」

 

 

「……それはちゃうで。デッド」

 

 

 頭に疑問符を浮かべるデッド。そんなデッドにボクは自信満々に言い放った。

 

 

「こん作戦を立てたんはボクのトレーナーや。トレーナーは、ボクが実行できる作戦の中で一番確率が高いもんを選んでくれた。ボクもそれを信じた。やからこそこの勝利は、ボク達の勝利や」

 

 

「……成程。君だけではなく、君達が掴んだ勝利だということか」

 

 

 ボクは頷く。デッドは笑顔で続けた。

 

 

「おめでとうテンポイント!次レースする時もまた、最高のレースにしよう!」

 

 

「あぁ!次やった時も負けへんで!」

 

 

 ボク達がそう誓い会った時、別のウマ娘が近づいてくる。オレンジ色の髪、オブリガシオンだ。

 

 

「『……テンポイント、少しよろしいだろうか?』」

 

 

「『構わないよ。ボクに何か?』」

 

 

 オブリガシオンはこちらに手を差し出してきた。

 

 

「『まずは、貴殿の勝利に賛辞を。見事な走りだった』」

 

 

「『ありがとう。キミも素晴らしい走りだった。集団から抜け出すのに手間取ってなければ、もしかしたらがあったかもしれない』」

 

 

 そう言いながらボクは握手に応じるように手を差し出す。オブリガシオンと握手を交わした。

 

 

「『……いや、囲まれたのは私の思慮が足りなかっただけのこと。あの展開に持ち込まれたのは、私自身の研鑽が足りなかった、それに尽きる。その原因がなんであれ……これからも精進を続けなければならない』」

 

 

 チラッとデッドの方を見たが、当のデッドは楽しそうに笑みを浮かべていた。何を言うわけでもなく、オブリガシオンはボクの方へと向き直って尋ねてくる。

 

 

「『テンポイント。貴殿は年が明けて以降はどうするつもりだ?』」

 

 

「『……トレーナーと相談してからになるが、海外のレースに挑戦することになるだろうね』」

 

 

「『そうか……』」

 

 

 一拍おいた後、オブリガシオンは真面目な表情でボクに告げる。

 

 

「『パリロンシャンレース場。凱旋門賞が開催されるその地で、再び貴殿と闘う時を楽しみにしている』」

 

 

「『ボクもだ。キミとまた走る日を楽しみにしているよ』」

 

 

 オブリガシオンはそれだけ言って踵を返した。彼女が発していた厳格な雰囲気から解放されてボクは一息つく……と思ったのもつかの間。

 

 

「『テンポイントォォォォォォ!』」

 

 

 突然の大声に驚きながらもボクは呼ばれた方へと振り向いた。チラッと見えたデッドの顔も、驚いているように見えた。

 その声の主は、ボクを睨みつけているバルニフィカスだった。

 

 

「『フーッ、フーッ……!』」

 

 

「『……何か用かな?バルニフィカス』」

 

 

 零れそうになる涙を必死に耐えているのだろう。それでもボクを睨むのを止めない。バルニフィカスの言葉をボクは冷静になりながら待つ。

 やがて、彼女は大きな声でボクに告げた。

 

 

「『アスコットだ!アスコットレース場に、必ず来い!アスコットレース場で開催されるキングジョージで……ッ!僕のホームで!お前を潰してやる!』」

 

 

「『……』」

 

 

「『僕は今日のことを絶対に忘れない……ッ!お前に負けたこの日のレースを絶対に忘れない!僕のホームで……ッ!お前をぶっ潰してやる!』」

 

 

 負けたことが余程悔しいのだろう。耐え切れずに涙が流れている。それでもなお睨みながらそう宣戦布告してきた。ボクは彼女の言葉に答える。

 

 

「『上等!次も勝つはボクだ!』」

 

 

 バルニフィカスは何も言わない。踵を返してターフを去っていった。

 デッドがからかうようにボクに話しかけてくる。

 

 

「『モテモテだね?テンポイント』」

 

 

「『あれをモテてるにカウントして良いのかは分からないけど……。ライバルが増えたのは素直に嬉しいよ』」

 

 

「『ま、君の一番のファンの座は譲らないけどね』」

 

 

「『ハハッ、デッド。それは無理な話だ』」

 

 

 デッドの言葉にボクは笑いながら返す。デッドは不思議そうな表情をしていた。

 

 

「『へぇ、どうしてだい?』」

 

 

「『決まってるさ。ボクの一番のファンは……』」

 

 

 ボクはウィナーズサークルへ向かうために歩を進める。デッドの方を向いて、笑顔で答えた。

 

 

「トレーナーに決まっとるからな!」

 

 

 デッドは一瞬、呆けた表情を見せたが、すぐに彼女も笑顔になる。

 

 

「ハハッ!違いないね!妬けちゃうなぁ本当!」

 

 

 それだけ聞いてボクはウィナーズサークルへと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ウィナーズサークルへと向かった俺は程なくしてテンポイントと合流した。記者の人達が待っているのですぐにでも向かおうとしたのだが……。

 

 

「……む~」

 

 

 テンポイントは頬を膨らませている。可愛い。……ではなく。

 

 

(なんで怒ってるんだ?ま、まさか俺、知らないうちに何かやってしまったか!?)

 

 

 思わず焦ってしまう。俺が戸惑っていると、テンポイントは不機嫌そうに言った。

 

 

「……ボク、頑張った」

 

 

「え?あ、あぁそうだな。お疲れ様テンポイント」

 

 

「やったら、褒めぇや。インタビューよりも先に、褒めぇや」

 

 

 ……確かに。後で沢山褒めればいいと思ってないがしろにしてしまった。これは反省しなければならない。

 俺はテンポイントを褒める。

 

 

「凄いぞテンポイント!やっぱお前は強い!」

 

 

 褒める。テンポイントの耳が反応する。

 

 

「お前は最強のウマ娘だ!それも日本じゃない、世界最強のだ!」

 

 

 さらに褒める。テンポイントの尻尾も動く。

 

 

「お前が勝つって信じていたが……。俺の予想以上のレースをしてくれた!お前は、最高のウマ娘だ!」

 

 

「……フッフーン!それほどでもあるわー!」

 

 

 テンポイントはふんぞり返りながらそう言った。耳と尻尾もとても機嫌が良さそうに動いている。可愛い。

 しばらくして冷静になったテンポイントが俺に謝ってきた。

 

 

「ありがとなトレーナー。やけど……ぷぷっ、ボクが不機嫌そうにしてる時のトレーナーの慌てようと言ったら……!」

 

 

「正直滅茶苦茶焦った。だけど理由を聞いて納得した。そりゃ怒って当然だわな」

 

 

「ま、別に本気で怒っとったわけやないけどな」

 

 

 さすがに本気で怒ってないとは分かっていた。でも、テンポイントが頑張っていたのに真っ先に褒めなかったのはさすがによろしくなかったと心の中で反省する。

 しばらく話しながら歩く。ウィナーズサークルでは記者の人達が待っていた。全員が泣き腫らしたような顔をしていた。

 

 

「うっ、ひっぐ!て、テンポイント、さん!お、おめ、おめでとう、ございます!」

 

 

「あ、あの。ゆっくりでええんで。落ち着いてからでも大丈夫ですんで」

 

 

 俺とテンポイントは互いに顔を見合わせて苦笑いしながら記者の人達が落ち着くのを待った。

 しばらくして、インタビューが始まる。

 

 

「テンポイントさん……!重ねてになりますが、ジャパン・ユニバーサル・レーシング・カップ優勝おめでとうございます!」

 

 

「おおきにです。お祭り的なレースとはいえ、やっぱり負けたくはないですから。勝てて一安心です」

 

 

「神藤トレーナー!11ヶ月ぶりのレースで見事な走りをしたテンポイントさんに何か一言ありますか!?」

 

 

「よく頑張った。よく無事に帰ってきてくれた。この場ではそれだけ伝えたいと思います」

 

 

「神藤トレーナー、テンポイントさん!年明け以降のご予定は!やはり……!」

 

 

「大体察しはついとると思いますけど、改めて海外挑戦しようと思うてます。それに、オブリガシオンさんとバルニフィカスさん、後デッドスペシメンさんにも必ず来いと言われたんで。年明けは海外挑戦しようかと」

 

 

「私もそれについていく形ですね。また向こうの人達に連絡を入れないといけないのでいつになるかは分かりませんが……。また詳細が決まり次第お伝えしたいと思います」

 

 

 それからいくつかの質問があって、最後の質問となる。

 

 

「テンポイントさん!この勝利を、誰に伝えたいですか!」

 

 

「そうですね。トレーナーは……ここにおるし、友達や家族の人達に伝えるんは勿論ですけど」

 

 

 一拍おいて、ボクは続ける。

 

 

「みなさん知っての通り、ボクは1月の日経新春杯で大怪我をしました。医者の人からは復帰は絶望的、元のように走れるんかは分からへん……そう宣告されました」

 

 

 記者の人達は黙って聞いている。だが、心なしか気まずそうにしていた。

 

 

「復帰んためのリハビリはホンマに辛かったですし、入院して最初ん頃は高熱にうなされる日もありました。思うような結果がでなくて焦る日も沢山ありました」

 

 

 ボクは思うままの言葉を口にする。

 

 

「なんでボクは頑張っとるんやろう?十分頑張った。もう諦めて、楽になった方がええんやないか?お恥ずかしい話ですが、そう考えた日もありました」

 

 

 ボクが、この勝利を伝えたい人。いや、人達に。

 

 

「やけど、それでも諦めんかったのは……トレーナーを始めとした、みんながおったからです。みんながおったから、ボクは諦めかけた時も、絶望しかけた時も奮起することができました」

 

 

「テンポイント……」

 

 

「諦めそうな時、心が折れそうな時……。ボクが頑張れたんはみんながおったからです。それはトレーナー達だけやありません。ファンの人達もおったからこそ、ボクは今日、ここで勝つことができました。やから、ファンの人達にも感謝を伝えたいんが1つあります」

 

 

「……それは、他にも?」

 

 

 ボクは無言で頷く。そのまま続けた。

 

 

「日本だけやありません。世界中には、ボクと同じように怪我をして復帰が難しい子や、身体が弱くて走れん子がたくさんおると思うんです。大怪我をしたボクやから、満足に走れへん辛さはよう判りますし諦めてしまう気持ちも分かります。やけど……」

 

 

 一拍おいて、さらに続ける。

 

 

「諦めなかったからこそボクはこうして走ることができました。どんなに絶望的やとしても、諦めんかったからこそ、こうしてまたここに立つことができました。やから、今も怪我や病気で苦しんどる子に伝えたいんです」

 

 

 ボクは、自然と笑みが零れていた。

 

 

「諦めんかった先にはきっと希望がある。どんなにわずかな可能性でも、キミたちが思うように走れる日はきっと来る。やから、先の見えない恐怖に怯えることがあったら、ボクというウマ娘を思い出してください。先の見えない未来を踏み出す一歩を。絶望やない、希望に向かって踏み出す小さな一歩を。ボクが与えることができたらええなと。そう伝えたいです」

 

 

 ボクはそう締めくくった。記者の人達は、また泣いていた。

 

 

「……はい!ありがとうございます!テンポイントさん!」

 

 

 その様子に、ボクとトレーナーはまた苦笑いを浮かべる。

 URAが主催した大晦日の祭典、〈ジャパン・ユニバーサル・レーシング・カップ〉。ボクはそこで勝利を収めることができた。そしてこの勝利は、トレーナーを始めとしたみんながいたからだ。ボク1人では、きっと勝つことはできなかっただろう。

 

 

(ありがとう……!ホンマにありがとう!みんな!)

 

 

 ボクはみんなに感謝をする。みんなと会った時に、改めてお礼を言おう。そう思いながら、ボクの復帰レース、<ジャパン・ユニバーサル・レーシング・カップ>は終了した。




77年有馬記念での好きなエピソードをここに挟みました。かっこいい走りを見せるテン様の甘えん坊な一面…最高に好きなんですよ。


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最終話 未来へ

最終話です


 <ジャパン・ユニバーサル・レーシング・カップ>が終わった後。すでに日は沈んでいる。俺は今とあるパーティ会場に来ていた。テンポイント達もこのパーティに出席している。勿論全員ドレスコードだ。

 このパーティは大成功に終わった<ジャパン・ユニバーサル・レーシング・カップ>を祝して行われているものだ。主催者であるURA理事の人達曰く、年が明ける瞬間をこのパーティで祝いながら待つらしい。海外のウマ娘やトレーナー達、お偉いさんもこのパーティに出席している。

 まず最初に行われたのは出走したウマ娘達へのインタビューだった。今はオブリガシオンの番である。

 

 

「『オブリガシオンさん。今回のレースはいかがでしたか?』」

 

 

「『己の未熟さを痛感したレースでした。万全を期して挑んだつもりでしたが、心のどこかで驕りがあったのでしょう。それがあのようなレース結果に繋がった……。己の至らなさを恥じるばかりです』」

 

 

「『日本のウマ娘に何か一言あればお願いします』」

 

 

「『次は我が祖国フランスで。凱旋門賞に挑戦するウマ娘がいれば、そこで相対しましょう。その時を、我々は楽しみにしています』」

 

 

「オブリガシオンは厳格やな……。ボクも気が引き締まるわ」

 

 

「同感だ。どんな時でも毅然としている」

 

 

 隣にいるテンポイントとそう話す。

 オブリガシオンのインタビューは終わり、彼女は一礼して自身のトレーナーと共に去っていった。次のウマ娘へのインタビューが始まろうとしている……そんな時。

 

 

「『すまない。少しいいか?』」

 

 

 英語で、話しかけられる。俺はそちらの方を振り向いて応対しようとすると……デッドと、彼女のチームのサブトレであるデイビットという男が立っていた。

 テンポイントは警戒心を露わにしている。そんな彼女を宥めながら俺は彼に応対した。

 

 

「『大丈夫ですよ。私達に何かご用でしょうか?』」

 

 

「『……敬語は外してくれて構わない。楽に話してくれ』」

 

 

「『……それなら遠慮なく。それで、一体何の用で?』」

 

 

 俺がそう聞くと、彼は勢い良く頭を下げてきた。突然の行動に俺は驚く。

 

 

「『すまなかった。アンタのウマ娘を侮辱して。同じトレーナーとして恥ずべき行為だった』」

 

 

 そう言うと、デイビットはテンポイントの方に向き直る。テンポイントにも深く頭を下げて謝罪した。

 

 

「『すまなかった。本人がいない場とは言え、俺はアンタを侮辱した。加えて、ショッピングモールで会った時、アンタを見下すような目で見ていたこと……。多分気づいてただろ?それの謝罪もある』」

 

 

「「……」」

 

 

「『許してくれ、なんて言わない。ただ、すまなかった。神藤誠司、テンポイント』」

 

 

 俺とテンポイントは無言だった。ただ、許す気はない……というよりも、俺も、多分テンポイントも戸惑いの方が大きい。初対面の時とは大分違う印象だったからだ。

 少しの間無言が支配する。俺はデイビットに告げる。

 

 

「『顔を上げてください。デイビットさん』」

 

 

 彼は頭を上げる。何を言われてもいいという覚悟を決めているのだろう。表情は引き締まっていた。

 そんな彼に、俺は微笑みながら続ける。

 

 

「『俺もテンポイントも、もう気にしてません。それに、そのまま黙って去ることもできたのにこうして謝罪に来てくれただけでも十分ですから』」

 

 

「『ボクも気にしてません。確かにカチンとは来ましたけど、もう過ぎたことですから』」

 

 

「『……ありがとう』」

 

 

 デイビットはただ一言そう言った。デッドは嬉しそうな、楽しそうな表情を浮かべている。

 そのまま彼は言葉を続けた。

 

 

「『そういえば、アンタらは年明けまた海外に挑戦するんだろう?』」

 

 

「『そうですね。一応その予定です』」

 

 

 その言葉を聞いて彼は少し考える素振りを見せる。考えが纏まったのか、俺達に提案してきた。

 

 

「『なら、俺達と一緒に来る気はないか?知っての通り俺達は海外を飛び回っている。アンタたちにとっても悪くない提案だと思うんだが』」

 

 

 その提案に俺は驚く。確かに魅力的な提案だ。前回連絡した相手が今回も大丈夫かは分からないし、それを踏まえたら彼の提案は渡りに船だろう。

 だが、本当にいいのだろうか?俺は彼に聞く。

 

 

「『こっちとしては嬉しい提案ですが……。いいんですか?』」

 

 

「『構わない。今回の件の詫び……という面もあるが、デッドが出走する主要なレースはテンポイントも通る道だろう。だからこそ都合がいいし問題もない。それに、デッドはテンポイントの大ファンだからな。アンタたちが来るならアイツのモチベーションアップにも繋がる』」

 

 

「『で、デイビット!その話は本当かい!?テンポイント達と、海外を一緒に回れるのかい!?』」

 

 

 デッドは興奮気味に詰め寄っている。デイビットは鬱陶しそうにしていた。どうやら彼らも大丈夫らしい。

 ならば断わる理由はない。

 

 

「『でしたら、お願いします。俺達も一緒にあなたたちのレースに連れて行ってください』」

 

 

 俺はテンポイントと一緒に頭を下げてお願いする。

 

 

「『気にするな。むしろこちらからお願いしたいぐらいだからな。チーフにも話は通しておく。詳しい日程は後日送る』」

 

 

 そう言って少し会話をした後デイビット達は別のところへと向かった。俺はテンポイントに話しかける。

 

 

「デッドの言う通り、根はいい人だったな」

 

 

「やな。それに、どこか晴れ晴れしとったな」

 

 

「そうだな。お前達のレースを見て、考え方が変わったんだろう。それもいい方向にな」

 

 

 テンポイントは頷く。

 俺達はインタビューの方へと視線を向けると、丁度バルニフィカスのインタビューの時間だった。

 

 

「『それではバルニフィカスさん。今回の敗因はなんだと考えていますか?』」

 

 

 記者のその質問に、バルニフィカスは飄々とした様子で答える。ただ先程まで涙を流していたのか、顔には泣いたような跡があった。

 

 

「『いやー!芝が悪かったね!イギリスとは全然違うし、慣れるように頑張ったけど無理だったよ!後は体調も良くなかったね!調子良くなかったし!』」

 

 

 バルニフィカスの答えに記者の人は苦笑いを浮かべている。だが、ひとしきり言い終わった後、溜息を1つ吐いてバルニフィカスは続けた。

 

 

「『……なんて、ここに来るまでの間に色々と言い訳を考えてきたけどさ』」

 

 

 彼女は、飄々とした態度を崩している。表情を引き締めていた。

 

 

「『完敗だ。完全に僕の実力負けだった。僕の得意な展開だったのに、彼女を、テンポイントを追い越すことができなかった。言い訳のしようがない、完全に僕の力負けだったよ』」

 

 

「『フィー……』」

 

 

 彼女のトレーナーは心配そうにバルニフィカスを見つめる。すると、バルニフィカスは記者の人に向かって宣言する。

 

 

「『けれど、次は負けない!もし次も開催するようなことがあれば、今度こそ僕が勝つ!それだけ!』」

 

 

 そう言い終えると、バルニフィカスは自信満々な表情に戻っていた。彼女のトレーナーも、先程の心配した表情から一転して満足そうな表情を浮かべている。

 

 

「次戦う時は気をつけないとな」

 

 

「やな。また一段と強うなってるやろうし、ボクも頑張って練習せんとな」

 

 

 バルニフィカスのインタビューはそれからいくつかの質問の後終わった。

 全員のインタビューが終わったということで改めてパーティの開催が宣言される。俺もテンポイントと一旦分かれて、思い思いの時間を過ごすことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 パーティが始まってからしばらく経った。俺はパーティを楽しんでいる。

 その理由は、今俺が手に持っている大量の名刺だ。その名刺は日本語だったり、英語だったりといろんな国の言葉で書かれている。

 

 

(フッフッフ。日本だけじゃなく世界の人とも繋がりを持てた。相手からも好感触だったし、大収穫だな!)

 

 

 別にコネが欲しいとかそういう打算があるわけじゃない。ただただ仲良くなりたいだけだがそれはそれこれはこれだ。俺は高揚した気分でいる。

 ただ、少し熱くなってきたように感じる。

 

 

「外で涼むか」

 

 

 そう思い、バルコニーへと歩を進める。

 バルコニーに着くと、どうやら先客がいたらしい。とても見覚えのあるウマ娘が、バルコニーで俺と同じように涼むように立っていた。

 俺は、そのウマ娘の名前を呼ぶ。

 

 

「よ、テンポイント。お前も涼みに来たのか?」

 

 

 彼女、テンポイントは俺の方へと振り向く。髪は、今日のレースと同じように俺がプレゼントしたブローチで纏めていた。

 

 

「なんや、トレーナーもここに来たんか?そうや、ボクもちょい涼もう思うてな」

 

 

「考えることは一緒か」

 

 

 そう言いながら俺はテンポイントの隣に立つ。そのままどちらから話すということもなく、少しの間無言の時間が流れた。この時間が、どことなく心地がいい。

 沈黙を破るようにテンポイントが俺に話しかけてくる。

 

 

「やー……、ボーイ達と話しとったんやけど、ボクに話しかけてくる人達が多くてな。なんとか抜け出してここに来たんや」

 

 

「そうだったのか。俺は逆に自分から話しかけに言ってたな。おかげでいろんな人と知り合いになれたぞ。かなりの好印象だった」

 

 

「嬉しいんは嬉しいんやけど、さすがに疲れたわ。トレーナーと一緒にこんままゆっくりしときたいわ」

 

 

「違いない。ま、気にするやつもいない。ゆっくりしとけ」

 

 

 そのまま俺とテンポイントは2人きりで話していた。それは、今までと同じようにこの1年を振り返っての会話だ。

 

 

「年明けから大波乱やったな。満票で年度代表ウマ娘なった思うたら、日経新春杯で骨折するなんてな」

 

 

「あの時はマジで生きた心地がしなかったぞ……。お前とまた話せたとき、俺がどれだけ嬉しかったか……ッ!」

 

 

「そん節はホンマにご迷惑をおかけしました……。手が血だらけなっとったし、どんだけ心配しとったかは痛いほど分かったわ」

 

 

「お前は悪くない。それに、こうして無事に話せるんだ。それが何よりも嬉しいよ、テンポイント」

 

 

「……そうやな。ボクも同じ気持ちや」

 

 

 テンポイントは笑みを浮かべている。

 

 

「……キミにはあん時言わんかったけど、ホンマはお医者様から復帰は絶望的言われて、目の前が真っ暗になりそうになったわ。ボクはもう走れないんやないか、そう思うたら、諦めそうになってもうた」

 

 

「……気持ちは分かるさ」

 

 

「やけど、キミは言うてくれたよな?どんな時でもボクを見捨てへんて。あん言葉があったからこそ、ボクは最後まで諦めずにここまで来れた。お母様達やキングス、ボーイ達やファンの人達も大きいけど、やっぱりキミの存在が一番大きいわ」

 

 

「ははっ、そう言ってくれると嬉しいよ」

 

 

「リハビリは辛かったし、レースを見てると走りたいっていう気持ちが抑えきれんかった。やけど、根気よく頑張って、頑張り続けて……ボクは復帰の道を進むことができた」

 

 

「だな。あの時は本当に嬉しかったよ。最初の頃はジュニア級のタイムよりも劣っていたけど……お前がまた走る姿を見れるのが本当に嬉しかった」

 

 

「2人して涙流しとったもんな。懐かしいわホンマ。……やけど、事故の影響で第4コーナーを曲がれんくなったのは致命的やった」

 

 

「色々と試行錯誤したな。夏合宿や本番までの練習でお前の落ちた筋肉は戻ってきたし、模擬レースを続けていくうちにレース感も取り戻してきた。だけど……その弱点はレースまで克服できなかった」

 

 

「そうやなぁ。結果として無事に曲がれたけど、内心気が気じゃなかったんやないか?」

 

 

「さすがにな。だけど、どんな結果になっても受け入れる、そういう心構えでいたよ」

 

 

 バルコニーで涼みながらこれまでのことを振り返っている。本当に、心地の良い時間だ。

 

 

「聖蹄祭でファンの人達がボクを応援してくれとった。確かそん日やよな?復帰レースを告げたんは」

 

 

「そうだな。確かその日だったはずだ」

 

 

「まぁビックリしたで?まさか復帰レースで世界相手に戦うことになるとは思わんかったわ。ま、おかげでボクの気持ちは燃えとったけどな」

 

 

「ならよかった。もう一度世界に挑戦するのに、ジャパン・ユニバーサル・レーシング・カップは最高の舞台だった。お前がどこまで戦えるのか……それを見てみたい気持ちはあったからな」

 

 

「なんや?ボクは通用せんとでも……なわけないか。トレーナーは、ボクこそが世界最強のウマ娘て信じ取るもんな」

 

 

 さすがに俺の言いたいことはお見通しらしい。いたずらっ子のような笑みを浮かべてテンポイントはそう言った。

 

 

「ま、そういうことだ。弱点さえ克服できればお前は勝てる。そう信じていた」

 

 

「フフン。それほどでもあるわ。後は……デッドと会うたのもその辺やな。デッドと会うて、他の海外ん子もニュースで知って……対策を取った」

 

 

「やっぱ強かったな。全員が、本当に強かった」

 

 

「そうやな。おまけに模擬レースの段階ではボクは全力やない状態。正直不安やったで。やけど……」

 

 

 テンポイントは、俺がプレゼントした耳飾りとブローチに手を触れながら微笑みを浮かべる。

 

 

「みんなの応援、キミの応援で不安な気持ちは全部吹っ飛んだわ。ボクは1人やない、そう認識できたからな。やからこそ、ボクはトラウマを乗り越えることができた。ボーイ達にはもう言うたけど、ホンマに……」

 

 

 テンポイントは一拍おいて深呼吸をした後、続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ありがとう、誠司」

 

 

「……は?」

 

 

 いきなり名前で呼ばれて俺は驚いた。いつもならトレーナーや、キミと呼ばれていたし、それに慣れていたから本当に驚いた。

 驚いた俺を見て、テンポイントは楽しそうな笑みを浮かべている。悪戯が成功した子供のような、そんな笑みを浮かべていた。

 

 

「ぷぷっ。思うた通り、おもろい顔してくれるな!やっぱり誠司とおると退屈せぇへんわ!」

 

 

「いや……急に名前で呼ばれたら誰だってビックリするだろ?」

 

 

「ええやん。ボクとキミの仲やし。それにしても……ッ!大事に大事に機会を窺っとった甲斐があったわ!」

 

 

「お前な……」

 

 

 呆れながらも俺は笑みを浮かべる。悪い気はしない、むしろ、どこか喜んでいる自分がいた。

 ひとしきり笑った後、テンポイントは笑みを浮かべたまま俺に言う。

 

 

「せや。せっかくやから誠司には教えたるわ」

 

 

「何をだ?」

 

 

「ボクが小っちゃい頃呼ばれとった名前や。親戚の人達や、家族しか呼ばないボクの名前……誠司には教えたる」

 

 

「……良いのか?」

 

 

「何言うとんねん。ボクと誠司の仲やで?問題ないどころか教えてへん方が問題あるわ」

 

 

 言いながら、テンポイントは俺に耳打ちで教えてくれた。小さい頃に呼ばれていた、テンポイントの名前を。

 

 

「――ッ」

 

 

 その名前を聞いて、俺は笑みを浮かべる。成程……。

 

 

「お前らしい、いい名前だな」

 

 

「やろ?あ、他ん子の前で言うたらアカンで。あくまでボクと2人きりの時……ギリ、キングスやお母様達がいる前では許したる」

 

 

「分かった分かった。口外しないよ」

 

 

 俺の言葉に、テンポイントは満足そうに頷いた。

 そのまま彼女は俺を見たまま話を続ける。

 

 

「誠司」

 

 

「なんだ?」

 

 

 テンポイントは。

 

 

「あの日、ボクと出会ってくれてありがとう。誠司がおったからこそボクはここまで来れた。あの日、キミを選んだんは間違いやなかった。やから……」

 

 

 彼女は。

 

 

「これからも、ボクのトレーナーでおってくれるか?」

 

 

 微笑みながらそう告げた。

 ……答えなんて決まっている。俺も彼女と同じように笑みを浮かべながら答える。

 

 

「当たり前だ。お前が嫌って言っても離さねぇからな!」

 

 

 彼女は一瞬呆けた表情をする。しかし、すぐに表情は笑顔に戻った。

 

 

「これからも頼むで!相棒!」

 

 

「あぁ!これからもよろしくな!相棒!」

 

 

 俺達はそう笑いあう。

 この先も、きっと多くの困難があるだろう。思うようにいかないことも、諦めてしまいそうな時だってあるかもしれない。

 けど、俺達なら大丈夫。2人ならどんな時だって前を向いていける。2人ならどんな壁だって乗り越えられる。きっと彼女も、テンポイントも同じ気持ちだろう。

 月が見守るバルコニーで、俺と彼女は笑いあった。途中トウショウボーイ達も交えて思い出話に花を咲かせる。楽しい、とても楽しい時間が流れるのと同時。

 

 

(トレーナーになって、良かった)

 

 

 俺は、そう思った──。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「指令ッ!神藤トレーナー!今までの実績、周りからの評価、他のトレーナーからの推薦もあり君にチームを作ってもらうこととなった!」

 

 

「つきましては、チーム名の決定とチームのメンバーとなるウマ娘のスカウト、及び書類の提出をお願いします。こちら特に期限などはありませんが、できる限り早めにした方が助かります」

 

 

「これからも君の活躍!大いに期待しているぞッ!」

 

 

 ある日の理事長室、俺は秋川理事長とたづなさんにそう告げられた。事態を飲み込むことができていない俺はただ一言だけ呟く。

 

 

「嘘やん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~Fin……?~




あとがきは活動報告にて。


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