指揮官様は愛する御子息の為にお世継ぎ探しに難儀しています・改 (evengel)
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設定資料集

本作に登場するキャラクター達の詳細な設定集です。それぞれの陣営ごとに、本編の進行に合わせて内容は随時更新していきます。ご興味のある方は一度お目通し頂けますと幸いです。


・本作世界観

 

基本的にアニメ時空後に人類が各陣営へ指揮官を配備したら、という前提で進むオリジナルストーリーとなっています。各陣営に一人ずつ主人公となる指揮官(重桜のみ親子の為二人います)と、それの上司(あるいは統括する立場・KAN-SENの研究員)などを一セットとしてオリジナルキャラクターが登場します。

 

 

 

 

 

 

重桜陣営

 

橘 竜胆(りんどう)(38)

 

名門海軍一族の九代目であり、現在のレッドアクシズ重桜艦隊の指揮官を務める人物。階級は准将。幼少期より両親と死別してからは海軍の手で育てられた秘蔵っ子。若かりし頃は一族の興盛と戦争の狂気に取り憑かれていた過去があり、手柄欲しさに自ら各地の最前線に赴いては必ず生還してきた経歴から「人修羅」の異名で恐れられていた過去を持つ。しかし全盛期とも呼べた時期に妻帯して息子の神威を授かった事で気性の荒さは鳴りを潜め、現在に至る。

 

・人物像

 

KAN-SENの誕生以前からセイレーンとの死闘を幾度も経験してきたベテラン海兵。戦争に対する妥協は少なく、「使えるものを最大限使う」という信条の持ち主。そのため実子の神威をわずか8歳から軍人として仕立てるという決断も結果的に下したが、その事に対する葛藤や一族の運命を強いている引け目から普段は神威をべらぼうに甘やかして溺愛している。仕事以外で神威と接している時にはエキセントリックな言動が散見されるが、これは神威にとって優しく・力強く・楽しい父親でありたいという想いの裏返しでもある。実の父である雷胆の影響でとにかく「父親」という概念そのものを神格化している節があるものの、両親との死別が早過ぎた為に子育ての正解が分からないと親しい相手に不安を漏らしたりと繊細な一面も持つ。

 

 

KAN-SEN達との関係性はあくまでも上司と部下の立場を意識しているが、相手によって細かく口調や態度を変えるなど配慮をしている。ただし必要以上のKAN-SENへの干渉は避けており、主に対応を神威へ一任する形で意図的に距離を置いている。また亡き妻を愛する気持ちが未だに強く、一部の者からの好意を感じたり神威にどれだけ催促されても、自らの再婚については否定的。

 

 

しかしながら神威の「母親が欲しい」という催促の熱意に押され、軽はずみな気持ちで神威の「ケッコン」そのものは許可してみたところ、その相手も決めて欲しいと懇願(こんがん)される羽目になった。一応仕事の合間などでお世継ぎ候補を探す素振りは見せているものの、まだ10歳の息子のケッコン相手を決める事に対しては複雑な様子。最近吾妻に神威を取られそうになって(?)やや傷心気味。

 

 

 

 

橘 神威(かむい) (10)

 

一族の十代目にして竜胆の愛息子であり、同時にレッドアクシズ重桜艦隊の補佐官でもある。階級は少尉。生後1ヶ月で死別した母親に代わり、父親の竜胆と運命を共にすることになる。それを拒むことなく8歳になると同時に義務教育を外れ、海軍の士官候補生として約二年の訓練期間を経て、史上最年少となる弱冠10歳での正規軍人となった。普段は補佐官として竜胆のサポートを担当しているが、本職は博士号を持つKAN-SEN専門の研究員であり、その能力は特別開発艦の提案から完成までをチームでこなせるほど。

 

・人物像

 

経歴が経歴なので年齢の割に非常に落ち着いており、仕事中のオン・オフは竜胆よりもハッキリしている。性格そのものも温厚で押しに弱く、優しくされると男女問わず簡単に人を好きになってしまうぐらい惚れっぽい。チョロいとも言う。加えて周囲からも認識される程のファザコンであり、総じて仕事中もプライベートも「息子」というよりは「女房役」といった感じの振る舞い。容姿に関しても竜胆曰く母親似とのことで、妻の幼少期と瓜二つと言わしめるほどの美少年…俗に言う男の娘。なのだが自身の「男の子」という部分に自信を持っているので、言動そのものはしっかりとお年頃の男の子。ただし恋心に関しては非常に疎い。

 

 

主に精神年齢の近い潜水艦・駆逐艦と過ごす事が多く、それとは別に艦種を問わず一部の者からは竜胆の比ではない好意を寄せられている。あくまでも「兵士」という前提の元でKAN-SENと接する竜胆と決定的に違う点として、「人間の女性」という前提でKAN-SENと接している。

 

 

竜胆以外の前で素を出す事は少ないものの、その心根はやはり10歳の子供であるため、自分の記憶の中にない「母親」を非常に恋しがっている。なんやかんやあって竜胆に自分の理想とする母親…らしい「妻」を決めてもらう約束はしたが、今でも竜胆が再婚してくれないかなと密かに思っている。

 

 

 

 

枢木(くるるぎ) 誠 (58)

 

元は貧しい無名家系の出身でありながら、戦場で戦果を挙げ続けて今の地位を得た叩き上げの超ベテラン海兵。階級は大尉。その後セイレーンとの交戦によって右腕を失ってからは最前線を退き、KAN-SEN専門の研究チームの主任となった。今現在は神威直属の上司だが、以前は竜胆直属の上司であった為に誰よりも間近で橘一族を見届けてきた。

 

・人物像

豊富な経験と常に冷静沈着で落ち着いた物腰の紳士的な性格。部下や上層部からの信頼も厚く、神威からはもう一人の父親とまで慕われている。一方で自身の人生にはあまり執着していない世捨て人のような一面もあり、かつて雷胆が愛した女性を奪おうとした事が唯一にして最後の恋だったと竜胆に一度だけ語っている(竜胆は爽やかな青春の一節だと思っているが、その実態は…)

 

 

 

その他の方々

 

 

 

橘 (みお) (享年24歳)

 

今もなお竜胆が愛してやまぬ妻であり、神威の実母。元々はプロのバイオリニストで海軍の記念式典に招かれたオーケストラの構成員だった。その演奏技術と容姿に一目惚れした竜胆からの猛アプローチを受け入れる形で竜胆と結婚し、後に息子の神威を身篭って母親となる。しかし生まれ付き悪かった体調がさらに悪化してしまい、出産から僅か1ヶ月という月日で還らぬ人となってしまった。

 

夫の竜胆曰く「世界一の美人」

 

 

 

提督の皆様 (60〜70付近)

 

両親と幼少期から死別して孤独の身になった竜胆を我が子同然に育てた方々。当然、海軍上層部の懐刀として使うべくそうしたまでに過ぎないのだが、それでも親代わりの情があるのか竜胆が指揮官になるまでの過程や、指揮官として活動を始めた後にも様々な援助をしてくれている。竜胆の言う「お上」とはだいたいこの人達を指す。

 

 

 

おやっさん (?)

 

多分この道何十年とかそれぐらいの蕎麦職人。若かりし頃の竜胆とその妻だった澪を知っている上に、KAN-SEN達にも理解のある貴重な民間人。特にカツ丼が美味いと評判。橘一族限定でツケ払いが効く。

 

 

 

 

 

ロイヤル陣営

 

 

レティス・ヴィンセント (24)

 

レオパルド・ヴィンセントの実弟としてその意志を継いだ青年。階級は少尉。王家親衛隊として従事してきた一族の次男として生を受けたが、経歴作りの入隊経験さえもない民間人という異色の経歴を持つ。14歳で家を後にした際は独学を重ねて一人のパティシエとして世間から評価されていたが、兄の死をきっかけに自らの新たなる運命に身を投じる覚悟を決めた。

 

 

人物像

 

生真面目で温厚だが繊細でもあり、年齢の割にはよく涙する一面が見られる。パティシエを志したのも甘党の父親が喜ぶ姿を見ての事であり、自分の意志よりも他人の喜びを優先しがちという意味では兄譲りと言えなくもないが、総じて見れば兄のレオパルドとは全く異なる性格の持ち主。容姿の良さも瓜二つでとにかく女性を惹きつけてやまないが、本人はとある理由からその事を全く喜んでいない。また紳士的な一面は若干作っている部分もあり、本来の感情が露わになると一人称は僕に戻る。

 

 

 

レオパルド・ヴィンセント (29)

 

ヴィンセント一族の正統な後継者にして、本来のロイヤル指揮官だった人物。階級は少佐。筋金入りの名誉軍人であり、周囲からの信頼も非常に厚かった。しかしながら指揮官として着任する為に移動中であった所をセイレーンの襲撃に遭い、その際に受けた傷が癒える事なく殉職した。彼の死と襲撃による人員欠落を理由として、かつて栄華を誇った王家親衛隊は後に解体されている。

 

 

人物像

 

生真面目で控えめな弟と違って非常に快活な性格で、かつ無類の女好きでもあった。また家族愛も非常に強く、レティスの為に遺した書き置きにてその死後も弟を支えている。しかしながら文中に度々垣間見られる独特の口上だけはレティスに気に入られていないようだ。

 

 

デュラン・ヴィンセント (62)

 

レオパルドとレティスの実父にして、ヴィンセント一族史上最も運命に翻弄された男。経歴からして急死した父親の跡継ぎとして十代で一族の当主となっており、その後はセイレーンの襲撃によって一族の基盤が崩壊する直前まで粉骨砕身する日々を送る。しかしながら長年の無理が祟って十年間も病魔に冒されており、その先は長くない。

 

 

人物像

 

少年時代のレティスからは近寄り難く思われていた過去もあるが、本質としては非常に子煩悩な父親。今現在では親子関係も良好そのものである。婚姻そのものが比較的遅かった事に加えて、二人の息子が幼い時に妻のマノンを失った後には復讐と一族そのものの再建に躍起となっており、満足のいく子育てが出来なかった事を今も後悔している。しかしながらレオパルドやレティスの成長ぶりにはとても満足しているようで、老いてなおその愛情深さには陰りがない。本来は寡黙で言葉足らず。かつ責任を背負い込み過ぎる難儀な性格だが、スイーツが好物という一面がレティスの最初の運命を決める事となった。

 

 

マノン・ヴィンセント (享年34歳)

 

レオパルド・レティスの実母にしてデュランの妻。旧姓はウェルズリー。元々はロイヤル上流貴族の箱入り娘として婚約者のいた身だったが、自身の警護を務めていたデュランに惚れ込んだことで駆け落ち同然に婚姻する。子宝にも恵まれ幸せな日常を送っていたが、その事を恨んだ元婚約者の送り込んだ刺客によって暗殺されるという悲劇的な最期を迎えた。

 

 

その他の方々

 

ミア・フローレンス (25)

 

若くしてロイヤル艦隊KAN-SEN研究部主任の座を射止めた天才肌の人物。階級は中尉。その腕前自体は確かなのだが、発現の節々からサブカル女子的な部分が垣間見えている。またレティスは気が付いていないが、男性同士の蜜月を好む一面もあるようだ。

 

 

ヴェルデューゴ (70)

 

約45年もの長きに渡ってヴィンセント一族に尽くす老執事。かつてのデュランを博識かつ穏やかな性格で献身的に支えており、その後はレオパルドとレティスの教育係兼親代わりとしても重宝されてきた。その忠誠心はヴィンセント一族が没落してもなお変わらず、今現在は唯一の家令としてありとあらゆる業務に従事している。

 

 

補足:ヴィンセント一族について

 

先祖代々ロイヤル王家親衛隊の隊長を輩出してきた名門軍人一族。その名は上層部にも知られており経歴は華々しいが、規模としてはあくまでも中流貴族。その為上流貴族からは使い勝手の良い一族として粗雑に扱われてきた過去もある。そのような一面もありながらも王家の信頼と寵愛を受け、いくつかの事業を展開しつつ発展していたが、セイレーン襲来によってその基盤は崩壊。開戦初期の動乱で王家の面々が相次いで亡くなった事や世界経済の変動による事業の失敗、更にはマノンを巡る血の争いやレオパルドの死などを決定打として没落の一途を辿ることとなった。

 

 

 

 



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プロローグ

 

 

俺は今、夢を見ている…

 

 

そう確信したのは目が覚めたらかつて何度も訪れた病院にいたからだ。それだけであれば病院の待合室で寝てしまっていただけ…そう判断されても不思議ではないが、現に今俺の目の前を「俺」が駆け抜けて、分娩室へと入っていった。まだ三十路手前の、若かりし頃の「俺」…今から丁度十年前のことだ…

 

 

重桜の名門海軍一族の嫡男として産まれ、幼い頃に両親を亡くしてからは海軍上層部の手で育てられてきた十年前の「俺」は、突如として人類の前に現れた「セイレーン」という脅威に対抗する為に構成された特殊部隊の隊長を務めていた。しかしそうした各部隊や人類の総力を結集した連合艦隊の群も奴等にはまるで通用せず、人類は敗戦を重ねる度に刻一刻と近付く滅亡の予感に身を震わせたものだが…やがて人類が自らの命運を賭けたある兵器を開発し、その力によって奴等を退けたことで人類は滅亡を免れ、人々は束の間の平和に安堵していた…だからこそ、こうして一軍人である「俺」も生命の誕生というこの上ない愛の奇跡に、なんとか立ち会う余裕があった。

 

「先生!…妻は⁉︎…お腹の中の子は⁉︎」

 

慌ただしく動く助産師と医者、全ての力を使い果たしてベットに横たわる美しい妻…そしてその腕に愛おしく抱きしめられていた、俺と妻の愛の結晶。

 

「おめでとうございます、元気な男の子ですよ…!」

 

「ああっ…あああっ…!(みお)…!頑張ったね…!」

 

愛おしい我が子。先程まで元気に産声を挙げていたのだろうが、今はもう泣き疲れて眠ってしまっている。

 

「あなた…」

 

「ありがとう…本当にありがとう…俺を…俺を父親にしてくれて、ありがとう…!」

 

…間違いなく俺の人生で一番号泣した日であり、「俺」は顔をくしゃくしゃにして妻の胸に泣きついていたが、それでも妻は優しく「俺」と我が子を抱きしめてくれていた…いい女だった…

 

「…ねぇあなた…見て下さい…」

 

「な、なんだ…?」

 

今なお忘れられない事だが…愛する息子が生まれたその日は真夏であったにも関わらず、朝から土砂降りの雨が降っていた…

 

「ほら…お日様ですよ…」

 

「えっ…ああっ…!奇跡だ…!」

 

だが…我が子が産まれたと同時に土砂降りだった雨は嘘のように止み、天から陽の光が煌々と降り注いでいた…その時、「俺」は確かに確信したのである。

 

「澪…!俺は…俺達は、神様の子を授かったぞ…!!」

 

「ええ…私とあなたの子です…」

 

「神威」…我が子にそう名付けると告げた時に見せてくれた、妻の眩しい笑顔と涙…あぁ…たとえ幻だとしても、もう一度見れて良かった…

 

 

……妻がこの世を去ったのは、それから僅か1ヶ月後のことだった。

 

 

それから…まるで走馬灯のように、十年間という月日を息子と共に過ごしてきた様々な姿の「俺」を見た。

 

一人残された者として、親としての責任である子育てに専念すべく、後進の育成という建前を元にかつての主戦場であった海を離れ、安全な内地で教官の任に就いていた「俺」…まだ赤子だった息子をどうにか寝かしつけた後、いなくなった妻に未練を感じてひとり咽び泣いていた「俺」…初めて息子に「ぱぱ」と呼ばれて飛び上がる程喜んでいた「俺」…そして、当時8歳だった息子に一族の掟を告げ、軍人に仕立てあげるべく士官学校へと送り出した「俺」…数えきれない程の選択、数えきれない程の喜びと後悔の中で息を吐く暇も無いまま過ぎ去った十年間だった…

 

____________

 

 

そして十年後…「俺」は重桜の提督達が一堂に会した事で異様な空気を放つ広大な会議室にて、異動を告げられる。

 

「私が…重桜艦隊の総指揮官に?」

 

それは事実上の昇進とも言えたが、「指揮官」と言ってもかつての教官時代とは異なり、これから俺の指揮下に入る部下達は一人たりとも「ヒト」ではないという前代未聞のことだった。

 

「そう、KAN-SEN達のな…言うまでも無く知っているだろう?」

 

「KAN-SEN」…飽きるほど長い正式名称を持つ人型機動兵器の一種であり、その原理は世界各国の最高機密である、セイレーンによって齎(もたら)された「メンタルキューブ」なる謎の物質で構成されている。その名の通りかつての大戦で活躍した艦船の名を冠する人型…正確には少女やそれ以上の幼子も含めてセイレーン同様に女性だけが存在するという「人間同然の人型兵器」という存在である。その性能たるや一時的にとはいえセイレーンの攻勢を退け、人類を滅亡の危機から救済する最後の希望と当時は持て囃された程であり、映像では何度も見ていたものの後に指揮官となって実際に彼女達と触れ合うようになる前の「俺」にとっては、奇妙そのものの存在であった。

 

「…しかし…」

 

「これは既に確定事項だ。竜胆(りんどう)

 

「他にこの大義を務められる者など最早誰も残っていない…分かってくれ」

 

「…光栄であります」

 

…言うまでもなくKAN-SENには人間同様に感情があり、それぞれの擁する主義・主張の対立からかつて内乱を起こした過去があった。これは人智を遥かに超越した力を持つが故に最小限の介入しか行わなかった人類の失策とされ、内乱の終結後に世界各国はKAN-SEN達の本格的な統治に踏み切った。その直接的な統治者たる存在を、便宜上「指揮官」と呼称するのである。

 

「…して…具体的な任務内容は?」

 

「重桜KAN-SENの管理、運用…そしてこの重桜で再び内乱が生じることがないよう、彼女らを完璧に統治して欲しい…手段は問わん」

 

「必要と判断した場合に限るが、こちらで政治的な工作も出来る。無論この事も最重要機密であるから、お前の嫌うメディアへの露出も皆無だ。心配は要らぬ」

 

そして指揮官を海軍総出でバックアップすることにより、KAN-SEN達への圧力を維持したまま反乱のみを防止する…このような(いびつ)な運用体制も今では世界各国のスタンダードとなっている。

 

「ご厚情(こうじょう)痛み入ります、お父様方…」

 

「お前の口からそんな台詞が聞けるとはな」

 

雷胆(らいどう)が聞いたらさぞかし喜ぶだろう」

 

「…だとしても「お父様方」はよせ、まだ会議中だ」

 

「ハッ」

 

…もっとも、俺と上層部の関係はどの国のそれとも異なる特異なものであるが。

 

「宜しい。では本日付けで貴官を…」

 

「申し訳ありませんがこの件は私一人の手に余りますので、私が推薦する人物を副官として私の元に付けて頂けないでしょうか?」

 

「何…?」

 

それに「俺」はこの瞬間を待っていた節がある。紛れもなく人生最大の転機だが、同時にチャンスでもあった。うまくいけば一族の更なる繁栄に繋がるこの機を逃す手は無い。例えそれが他者からは親のエゴイズムにしか見えなかったとしても、俺にとってこれはまさに運命だと感じていた。

 

「…お前の息のかかった人間など、十中八九予想出来るが…言ってみろ」

 

「ありがとうございます…では…」

 

勿論、幼少期から海軍の秘蔵っ子であったが故に出来た数々の無茶もある。周囲や上層部から非難される事も日常だったが、結局は最終的に許可の降りなかった事案の方が少ない。

 

「私の息子、(たちばな)神威(かむい)少尉を副官に任命して頂きたい」

 

「…はぁ…」

 

…だがこればかりは一世一代の賭けだった。むしろこの要求が通ると本気で思っていた辺りが「俺」という人間の滅茶苦茶さを何よりも表しているといえよう。

 

「…一応聞くが、他の人間では駄目なのか?」

 

「ええ。あれとても橘の男です。自分の産まれた家の運命がどういう物かは分かるような歳になりましたし、私も人の親としてそのように育ててきました」

 

成人していないのは言うまでも無く、小・中学校の義務教育さえ放棄させた上でわずか二年という歳月で正規軍人へと押し上げた…そう、かつての「俺」と同じか、或いはそれ以上に過酷な運命を「俺」は自らの意思で息子に強いてきた事は既にこの場にいる全員が知っている。

 

「…そうまでして息子を手元に置いておきたいのか?」

 

「その親心は否定しませんが…私自身、息子の能力こそこの上無く艦隊の参謀として相応しいと自負しております。失礼ながら、息子が博士号を取得した論文にはお目通し頂けましたでしょうか?」

 

当然、まだ幼い息子を目の届く範囲に置いておきたいというのは本心だった。しかしそれだけの理由ではない。息子は一族の歴史で見ても信じられない程の所謂「神童」とも呼ぶべき存在で、未だ完全な解明には至っていない「メンタルキューブの構造解析とその軍事利用」に関する第一人者であり、十年後にはKAN-SENの使用する艤装の研究・開発チームの主任の座が約束されているとまで上層部に言わしめていた。「未成年だから」などと、世論の影響や上層部の面子でこれだけの才能を埋もれさせるのは愚策に等しい。ましてや愛する息子であれば尚更…というより使える物を全て使ってこそ戦争だ。

 

「あぁ…当然だ、目を疑ったよ…まさか貴様からあれだけの息子が産まれてくるとはな、誰が分かるものか…」

 

「俺」の親代わりとして特に世話を焼いてくれた提督の一人が、皮肉とも称賛とも取れるような複雑な口調でそう呟いた。

 

「…よかろう…橘准将、貴官の提案を許可する」

 

やがて、提督達のトップに君臨する総司令官が遂に沈黙を破り、「俺」の要求に対して許可を出したのである。

 

「しかし…」

 

「先にも言った通り、他に適任者もおらん…当人はこの場に居ないが、親子揃って一族の業を背負う覚悟が決まっているのだろう?」

 

「はっ…必ずやご期待に応えてみせます」

 

重桜のトップから自身とその愛する息子の双方を認められた「俺」は確かに震えていた。自らとこの場にいない男が背負う重圧に対する恐怖では無く、武者震いのそれだった事を強く覚えている。

 

「分かった…ではもう下がれ…後の事は我々の仕事だからな…」

 

「…失礼致しました」

 

筆舌に尽くし難い胸中を味気ない言葉の裏に隠したまま、提督に促されて「俺」が背を向けて退室しようとする。そして、重々しく開かれた扉が閉まりきる直前…

 

(……!)

 

そこで初めて、「俺」が俺を見た。息子の誕生から十年間分の記憶を亡霊のように再体験した俺の事も、最初から気付いていたぞと言わんばかりにニヤリと笑って、そしてこう言った。

 

「あの子が呼んでるぞ、お父さん」

 

そう指摘されて俺は我に返ると、確かにどこから俺を呼ぶ息子の声が響いてきた…どうやらこの夢も、もう終わりを迎えるらしい。そして、新しい今日が始まる…

 

(あぁ…今戻るよ…)

 

やがて、目も眩まんばかりの光に包まれる。あの日、息子が産まれた時と同じだけの天の光の中で、段々と我が子の声が大きく、鮮明になっていくのが分かった…

 

____________

 

「……さん?…もう、お父さん?早く起きて…」

 

「おはよう神威!」

 

「わぁぁっ⁉︎」

 

思えば随分前から起こされていた気がするが、それでも一向に目を覚さなかったはずの父親が突然飛び起きたことに神威は慌てふためき、バランスを崩して倒れそうになる。

 

「っと…危ない危ない、大丈夫か?」

 

朝っぱらから派手にすっ転ぶ寸前の所で神威をそっと抱き抱え、どうにか事なきを得た。

 

「んも〜…起きてたの?」

 

「…まあついさっきな…」

 

仮に起こされなかったとしたら、俺はずっとあの幸せな夢の中に引き篭もっていたのだろうか?

 

「…何か悪い夢でも見た?」

 

「いや、いい夢だった…お前にも見せたいような…やっぱり見せたくないような」

 

「もう、なにそれ?」

 

だがそんな胸中までは流石に知る由も無い神威は、朝っぱらから柄にも無くセンチな事を言う父親に困惑しているようだったが、都合良くその頭に話題を変えられるある物が着いていた。

 

「それはそうと神威…今日はおしゃれだな?ほら、その髪飾り」

 

「えっ?…あっ、もう気付いたの?流石お父さん!」

 

神威は嬉々として、おおよそ10歳の男の子が付けていると本来は不釣り合いな程に小綺麗な髪飾りを見せてくれた。

 

「…そういうの持ってたっけ?」

 

「えへへっ、これは昨日愛宕お姉ちゃんに貰ったの!可愛いでしょ〜♪」

 

「そ、そうか…愛宕お姉ちゃんに、ね…」

 

神威の口から出てきた女の名前はかつての高雄型重巡洋艦二番艦の愛宕…そう、KAN-SENのことである。流石に高雄型のように著名なKAN-SENの説明はもはや不要であろうと思われるのでここでは詳細を省くが、着任から半年が経過した現在でも神威と俺に対するKAN-SEN達のアプローチは絶える事がない。まあ嫌われるよりはずっといいが…

 

「その様子だと随分気に入ってるみたいだが…もしかすると他の子に嫉妬されるかもしれないな?」

 

「えっ⁉︎…あー…どうしようお父さん…これ皆の前じゃ外した方がいいのかな…」

 

嫉妬、という単語を聞いて途端に不安そうになる神威。重桜の女特有のありとあらゆるちょっとしたトラブルを想定したのかもしれないが、いかにKAN-SENと言えど結局有事の際以外は大多数が年頃の少女達だ。それに神威の交友関係は駆逐と潜水艦、それと愛宕のような一部の「そういう人達」が大半であり、髪飾り一つで露骨に嫉妬されるような事はまあ考えにくいだろう。

 

「はははっ…冗談だよ、愛宕君の為にも付けたままにしておきなさい。大丈夫だ、何かあったらお父さんが何とかする」

 

「本当…?本当に大丈夫?」

 

「信頼と実績豊富なお父さんに任せろ、というかここの指揮官は多分お父さん以外には無理だ」

 

「それは…うん、僕もそう思う…」

 

それに対し俺は艦隊を統治する最高責任者として、神威には少し荷が重たいであろう重桜のお姉様方の面倒を見るのが大切な仕事の一つである。そもそも重桜の指揮官には求められる物が非常に多い。まず有事の際に体で止められる程度には強くなければダメ。信用を得る為には誠実でなければダメ。ここまではまあ分かるとしても、彼女達のアプローチを無下にすると大変な目に遭うので女に興味がないとダメ。かといって女誑しもこれまた大変な目に遭うのでダメ。これらの四項目をどれか一つでも欠いた日には斬られる・刺される・ヤられるの重桜三段活用によって即刻ゲームオーバーであろう。人生とは常にコンテニュー無しのハードモードなのだ。

 

「…ところで神威、今何時だ?」

 

まあ軍人としても大人としても、何よりも大切な事は時間を厳守する事である…厳守出来てるとは言ってない。

 

「あっ、そうだった!もう7時半ですよ!皆、朝ご飯食べたくてずっと待ってるんですからね!」

 

予想通り完全に寝坊である。いや、まあ今日に限っては許して欲しいのだが…一応補足しておくと、俺が号令を掛けるまで、誰も朝食に箸を付けてはならない暗黙の了解がこの艦隊にはある。そうしろと命じた事は一度も無いが、気付いたらそうなっていた。

 

「分かった、すぐ着替える…えーっと、俺の軍服…」

 

「全くもう…すぐ脱ぎ散らかすんですから…はいこれ」

 

「いやぁ、すまんすまん…」

 

綺麗に折り畳まれた洗い立ての白い軍服に袖を通し、親子揃って素早く身なりを整える。軍人歴は俺の方がずっと長いので流石に着替えそのものは俺の方が早いが、一方で神威は既に俺よりもネクタイを結ぶのが上手い。父親としての威厳ががが。

 

(……しかしまぁ、いつになったら俺に似るのかな…)

 

自分の小さな頭をすっぽりと覆う軍帽で髪飾りまで隠れてしまわないように微調整する神威。そしてそれを全身鏡越しにぼんやりと見つめる俺。あーでもない、こーでもないとお洒落に気を遣う神威は今風に言うと「男の娘」と言われる程の美少年で、俺に少しも似ていない事が父親としては少し複雑な心境だ。

 

「…よし、完璧!」

 

「おお可愛…よく似合うぞ」

 

勿論本人もかなり気にしているので、少なくとも父親の俺が気安く可愛いなどと発言するのはNGだ。油断するとすぐ拗ねるのだが、そこがまた堪らなく可愛(ry

 

「お父さん?」

 

「はっ…いや、何でもない…とりあえず着替えも済んだし、食堂に行こう」

 

「はーいっ!」

 

ふとした瞬間の勘の良さも何処となく女のそれのように感じつつ、俺達は食堂へと急いだ。

 

 




ここまでのご高覧、誠にありがとうございました。
プロローグは後半を含めた二部構成となっておりますので、興味を持たれた方は後半もご高覧頂けますと幸いです。


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第一話

駆け足で移動する事数分。神威と二人で足を踏み入れた瞬間、食堂中の視線が一斉に俺達親子に向けられる。

 

「…あっ!やっと来た!」

 

「おはよー指揮官!」

 

「指揮官〜!遅いぞ〜!」

 

「指揮官様〜♡」

 

「はいはい、皆お待たせ!ちょっと静かに!」

 

既に配膳と着座も完了してしまっており、俺が来るのを今か今かと待ち侘びていたKAN-SEN達による指揮官コールを神威に宥めてもらいつつ、早速朝の挨拶を始める事にした。

 

「では改めて…おはよう諸君。今朝は完全に寝坊してしまった、遅くなってすまない」

 

「本日の出撃・委託・待機メンバーはシフト通りです。各員順守のほど宜しくお願い致します…変更申請は本日マルハチサンマルまで」

 

「ありがとう神威。それでは早速腹ごしらえといこうか」

 

「はい皆、手を合わせてー!」

 

「いただきます!」

 

「「「いただきまーす!!!!」」」

 

俺の号令を合図に各々が朝食に有り付いたのを確認してから、俺は神威を連れて自分達の朝食を取りに調理場へと向かう。

 

「鳳翔君、いるかな?」

 

艦隊全員分の料理を作る為に増築を重ねた調理場の奥に声を掛けると、間も無くしてその主が料理を乗せたトレイを持ってやってきた。

 

「はーい、おはようございます旦那様、若旦那様〜♪」

 

艶やかな着物の上から割烹着を羽織り、普段に増して和やかに微笑む鳳翔。世界初の空母として設計されたカンレキを持つ彼女は文字通り艦隊のオカンであり、隠居の身となってからはたった一人で毎日全員分の食事を用意してくれているのだ。ちなみに今朝の俺達のメニューは炊き立てのご飯とベーコンエッグ、ワカメのみそ汁、さんまの塩焼き、山盛りのキャベツ…ごきげんな朝飯だ。

 

「鳳翔さん、おはようございます!…ごめんなさい、お父さん中々起きなくて」

 

「ふふっ、旦那様がお寝坊なんて珍しい事もあるんですね〜」

 

「面目無い…しかし今日も美味そうだな…鳳翔君、毎日いつも本当にありがとう」

 

普通なら怒られたり寝坊した原因を探られたりするものかもしれないが、珍しいの一言だけで穏便に済ませてくれた事も含めて俺は心からの感謝を伝えた。

 

「いいえ〜愛する旦那様と若旦那様の為ですからね〜♡」

 

この艦隊で俺か神威、あるいは双方に好意を寄せてくれているKAN-SENはだいぶ多いが、それでも俺達を旦那様とまで呼ぶのは彼女だけだ。しかも恐ろしい事に最近は慣れてきたどころか、むしろそう呼ばれないと違和感すら覚えるようになってきている。

 

「きゃーっ♪なんだかヒューヒューです♪」

 

「やめないか…というか懐かしいフレーズだな」

 

…そんな彼女の夢は「戦いが終わったら愛する人と旅館を営む」ことだと、以前二人きりになった時に一度だけ語ってくれた。その時は大した返事も出来ずに誤魔化してしまったが…もしいつの日か彼女と一緒になる未来が来るとしたら、神威は新しい母親が出来る事を喜ぶんだろうな…

 

「…それはそうと鳳翔君、「今日の四人」はもう決まってるかな?」

 

「はい、こちらに」

 

居た堪れない思考を掻き消すように俺はある物を鳳翔に催促すると、彼女は「今日の四人」の名前が書かれたリストを手渡してくれた。これは俺達親子が食事を取る際の定位置の席で、俺達親子の両サイドに座るKAN-SENの事を指している。着任当初は誰が隣に座るかで毎朝喧嘩騒ぎになっていたので、毎朝くじ引きで決めるルールを作りこれを解決した。

 

「お父さん、今日は誰になったの?見せて見せて!」

 

「はいはい、一緒に見ようか…どれどれ…」

 

リストは俺と神威の二つに分かれており、神威のリストにはまさしく子供といった可愛らしい字で伊19と涼月の名前が書いてある。

 

「おっ!お前は良い組み合わせだな…イチャイチャし過ぎにだけ注意するんだぞ?」

 

「伊19の方が勝手に甘えてくるだけだってば」

 

「フハハ、ぬかしおる」

 

「それよりお父さんの今日のお相手は誰なの?」

 

「…ほれ」

 

対して俺のリストには書道家と見紛う程の美しい筆跡で…赤城と大鳳の名前が色濃く刻まれていた。

 

「あっ………」

 

「…お父さんもイチャイチャし過ぎに注意するよ」

 

見てはいけないものを見てしまった。そんな感じの困惑ぶりを見せている神威。だが所詮運なんてこんなもんだ…ちなみに昼食と夕食の度にくじ引きを繰り返しているとキリが無いので、「今日の四人」とは朝・昼・晩の三食ずっと一緒である。

 

「お、お父さん…その…」

 

「さぁ行こうか、朝ごはんだ…」

 

「うん…」

 

せめて、せめてどうか何事も無く食事を取れますように。それだけを祈りつつ、俺達は料理を持って定位置の席へと向かう。まだ何も物が入ってないのに早くも痛み始めた胃の事は考えないようにした。

 

____________

 

「ねぇねぇ神威!その髪飾りどこで買ったの?すっごく綺麗!」

 

「これは昨日ある人にもらったの!似合うでしょ?もう僕のお気に入りなんだ〜♪」

 

「ある人って?指揮官?」

 

「ノンノン、秘密にしてって約束なの」

 

「そうなんだ…でもいいな〜…わたしも欲しい!」

 

「伊19がちゃんと野菜食べるなら、もう一個買ってもらえるよう頼んでみてもいいんだよ?」

 

「うぅぅ…あーんして!」

 

「もう、甘えん坊なんだから…あーん♪」

 

「あー…あむあむ…うぅ、美味しくない…」

 

「贅沢言わない」

 

色々と心配は尽きないが、いざ食事が始まると早速伊19が神威にじゃれついていた。もれなく周囲からの羨望と嫉妬の視線を感じるのもいつも通りである。その中に普段にも増してうっとりとした表情を浮かべ、神威に熱い視線を送る愛宕(ある人)がいるのも何ら不思議な事ではない。そう、ここは重桜だから。

 

「………」

 

一方で反対席に座る涼月はそんな2人を羨ましそうに見つつ、黙々と食事をしている…この手の光景もよくありがちではある。

 

ピョンッ!タタタッ…!

 

「あっ、プー太ったら…!」

 

「ん?」

 

そんな飼い主を不憫(ふびん)に感じたのか、涼月の頭上からハムスターのプー太が神威の方へと駆け寄った。

 

「プ!」

 

「なぁに?どうしたの?」

 

「プ!プー!プー!」

 

「…ふむふむ」

 

「えっ?神威もプー太の言ってること分かるの?」

 

「あはは、なんとなくこうして欲しいのかな?って推測するぐらいだけどね…はいプーすけ、あーん♪」

 

「プー♪」

 

「ちょっと!プーすけじゃなくてプー太だってば⁉︎」

 

だがそうしたプー太のサポートさえも台無しにしてしまうのが我が鈍感息子である。本人に悪気が一切ないのがこれまた愛おしい。この子にはこれからもこうした日常の一風景に幸せを感じていて欲しい…いつか誰かに襲われないかだけが心配だが。

 

「おおっ、意外といい食べっぷり」

 

「プー太は野菜も好きなんだよ!でもあんまりあげちゃうとお腹を壊しちゃうから、その辺にしてね?」

 

「そうなんだ…伊19もこうだったらなぁ」

 

「うっ…でもほら、半分食べたよ?褒めて褒めて!」

 

「あと半分は?」

 

「神威にあげるね!」

 

「…仕方ないなぁ」

 

「わーい!」

 

「じゃあわたしは神威のベーコンを頂戴致す!」

 

「あっコラ!とってたのに⁉︎」

 

「貴方達、指揮官様の前ではしたないわよ…」

 

「まあまあ赤城君、子供らしくて良いじゃないか…」

 

一応大人代表として赤城が軽く注意したが、はしゃぐ3人には聞こえてなさそうなのでそれ以上言わないようにと赤城に念押しすると、彼女はやれやれといった様子で再びきつねうどんをすすり始めた。自分でも過保護だとは思うが、人の親になると急に子供が可愛く感じるものだ。あぁ、飯が進む進む。

 

「あら…指揮官様〜ほっぺたにご飯粒がついてますわ〜♡大鳳が取って差し上げますから、じっとしてくださいね〜♡」

 

「んっ?あぁ…じっとして?」

 

そんな中、実際に飯が進み過ぎていたのか頬に米粒がついていると大鳳が教えてくれたが、どの辺についているか教えてくれればそれで良かったのに、じっとしろと言われ…

 

「あ〜…んむっ…」

 

「ヒエッ」

 

生温かく、柔らかい大鳳の舌に頬を優しく(ねぶ)られて思わず変な声を出してしまった。流石に妻にもされた事ないぞ…

 

「あ、ありがとう大鳳君…取れたろ?」

 

「いいえ、まだついてますわ〜♡指揮官様のお口の周りにも…♡」

 

「おいおい…流石にそれくらいは…」

 

千載一遇のチャンスと思ったのだろうか。食堂の皆に見せつけたいかのように粘る大鳳の相手に必死になっていると、反対側から熱々の油揚げが再び俺の頬を襲った。

 

「あっつぅーいっ⁉︎」

 

「あら指揮官様、ほっぺにお揚げがつきましたわ」

 

「事後報告やめて⁉︎」

 

もしかして大鳳みたいに赤城も俺の頬を舐るつもりじゃなかろうか…そう思った瞬間、遠くの席で何か砕け散る音が聞こえた。

 

「…えっ?」

 

「あらあら私ったらつい…げほげほ…」

 

食堂中の視線が集中したその席では、赤城の実姉である天城が手に持っていた箸を粉砕していた。慌てて普段通りの病弱さをアピールしてはいるが、隣の加賀は早くも青ざめている。俺の息子(神威じゃないほう)も思わず縮み上がりそうだ。

 

「…い、いやーん、指揮官様〜天城姉様が怖いですわ〜」

 

(こ、こいつ…この状況で…⁉︎)

 

言葉の上ではともかく本当にある程度怖いのだろう、ちょっと震えながらも赤城が俺の腕を取って抱き付いてきた。普段なら絶対有り得ないが俺がいれば安心と思っているんだろうか?

 

「…あー…かー…ぎー…?」

 

(天城さん⁉︎ちょっと、まずいですよ!)

 

笑顔(目は全然笑ってない)のままふらりと立ち上がろうとする天城。姉を守ろうと咄嗟に止めようとするが、あっさり振り払われる加賀。ますます俺に強く抱き付く赤城。どさくさに紛れてこちらも抱き付く大鳳。両肘に触れる豊満。そんな中我関せずとばかりに味噌汁をすする神威に笑いそうになりながらも、俺は慌てて号令を掛けた。

 

「いやぁ何も怖い事はないぞ!食事ってのは楽しく取るもんだからなぁ!…なぁ皆⁉︎」

 

俺の号令を聞いたKAN-SEN達は互いに顔を見合わせていたが、数秒の沈黙の後にまるで何事も無かったかのように談笑を再開する。視線で加賀に新しい箸を準備させると、天城も渋々席に着いた。

 

「はぁ…寿命縮む」

 

「流石は赤城の指揮官様ですわ〜!」

 

「こら赤城君、そういう言い方は…」

 

「大鳳の指揮官様に決まっていますわ…ねぇ指揮官様?」

 

「助けて副官」

 

「皆の指揮官です…そうでしょお父さん?」

 

「大好き」

 

「や、やだもう…お父さんたら…皆見てるのにぃ…///」

 

(我が子よ、毎度のことながらチョロ過ぎるぞ…)

 

…息子のファザコンが進行したことを除いて、どうにか一人の死人も怪我人も出さず、穏便に(?)食事は終わった。

 

____________

 

重桜特有のちょっとしたトラブルに見舞われながらも何とか無事に朝食を終えた後は、出撃と委託を命じたKAN-SEN達を見送った。短時間で終了する委託組を途中で何度か出迎えに行き、戦果の確認と労いの言葉を送ってからまた違う面子で委託に送り出す。ここまでは普段通りだ。一航戦を含めた主力の大半が出払っているので昼食時にはさしたる問題も起きず、俺達も執務室で指揮官としての本業に精を出していた。

 

「指揮官…いえ、橘准将。貴官宛てに本部から通達事項が届いております」

 

父と子という関係が一時的に解消された上で、なお優秀そのものである副官が俺に一通の手紙を持ってきたのはまさにその時である。

 

「わざわざお上の名指しとはな…悪いが今は手が離せん。読んでくれ」

 

重桜がいくつか保有するそれらの中で最も強大であり、それ故に最も複雑怪奇な指示系統の元で運用される艦隊の指揮官とは、決して誰にでも出来るお飾りなどではない。かつて内地で教官を務めていた頃の経験を総動員してなお職務に忙殺されているのが現状なのだから、こうして躊躇い無く指示が出せる副官の存在というのは何よりも貴重である。

 

「はっ。前口上を省き要約しますと、以前攻略した海域を含め、新たにセイレーンの出現が確認された海域の調査・攻略を目的とした当該海域のセイレーン殲滅作戦を本艦隊で遂行せよ、との事です」

 

「普段通りだな…分かった、ありがとう」

 

セイレーンが人類に初めて牙を剥いてから十数年余り…その後のKAN-SEN達の内乱から時を経て、「指揮官」という存在が世界中で求められるようになった現在でも連中の脅威が完全に消えた訳ではない。本拠地を設けず、高度なステルス技術によって攻撃する場所と時間を常に選択出来るセイレーンの脅威に対抗するには、やはり同等以上の戦闘力と機動性を兼ね備えたKAN-SENの力がどうしても必要である。重桜の国民達がその血税をもって各地の艦隊運用を支えてくれている以上、俺達は平穏な日々を完全に取り戻す事で初めてその恩義に報いる事が出来るのだ。

 

「それと…これは私を通じて、KAN-SENの研究・開発チームからの提案なのですが…」

 

「分かっている…「特別計画艦」だな?」

 

「ふふっ、流石は指揮官。ご明察恐れ入ります」

 

その為には何よりも力が必要だ。この母港自体には俺と神威以外の人間は一人も在籍していないが、本部には多数のKAN-SENの艤装や、メンタルキューブそのものの研究と開発を行う機関が存在する。そしてその中のいくつかの支部に対して神威は直接指示を下せる権利を有しており、そうした過程で生まれたプランをこうして提案してくる事が度々あった。その際たる物がこの「特別計画艦」と言えよう。

 

「以前から「一期」と同様に「二期」も二隻の特別計画艦が存在すると伝えられていたからな…そうなるとこれで「二期」も終わりか」

 

そもそも特別計画艦とはかつての大戦において未成艦であったものを復元した存在である。その際に要求される膨大な資金と実戦データ収集こそ難点ではあるが、裏を返せばそれらを踏まえた上でも開発・運用出来ること自体が国力そのものを表す指標となり、世界各国でも日夜熾烈な開発競争を繰り広げている。当然我が艦隊でも第一世代に当たる「戦艦・出雲」並びに「重巡・伊吹」は主力の一つとして運用しており、つい先月第二世代として「駆逐艦・北風」の開発を終えたばかりであった。

 

「はい。ですが指揮官、今回の開発計画はこれまで開発してきた三隻を上回る困難さが予想されます。我々研究員やKAN-SEN達の尽力は当然として、指揮官にも多大な要求を強いる事になります」

 

一隻の特別計画艦を開発するまでに1ヶ月程を要し、その後も艦隊をフル稼働させて漸(ようや)く完成へと辿り着く。ましてやそれを上回る苦難の果てに産まれる存在であるならば、これまで以上の激務は想像に難くない。

 

「構わない。貴官がそうであるように俺も指揮官としての役目を必ず果たす…それに性能の方もこれまでの三隻を上回ると期待して良いのだろう?」

 

その分開発出来た時の喜びは筆舌に尽くし難いものがあるし、何よりかつての未成艦を現代に甦らせるという行為そのものが浪漫の極みなのだ。

 

「えぇ…最大強化が大前提ではありますが、カタログスペックで言えば既存のKAN-SENと比較になりません。それに我々がいち早く開発に成功した際には分類上世界初の艦種としてその名が知れ渡ることでしょう」

 

「…詳細な資料はあるか?」

 

「こちらに」

 

既存と比較にならない世界初の艦種…その正体は愛する副官が懐から取り出してくれた「B65型超甲巡(仮称)開発計画」という一冊の資料集が何よりも雄弁に語ってくれた。

 

「超甲巡…そうか、あの「吾妻」か…」

 

「…!まさか、ご存知で?」

 

「あぁいや、俺とて名前だけだ…」

 

超甲巡とは当時の甲型巡洋艦(=重巡洋艦)を文字通り「超える」巡洋艦として、そしてユニオンの重巡に対抗すべく二隻のみ計画されていたという。吾妻はその片割れにあたり、重桜だけでなく鉄血やロイヤルでも同規模の大型巡洋艦の開発が計画され…そして叶う事のなかった儚い夢の一つでもある。

 

「…とにかくまずはこれの内容を把握する。5分欲しい」

 

「畏まりました。では私は書類業務を再開しますので、終わり次第お声掛け下さい」

 

「副官、いつもすまなんだ」

 

副官(むすこ)ですから」

 

それらの話を語り出せば長くなるのでここらで割愛するとして、俺は隣で神威が羽ペンを走らせる音を聞きながら分厚い書類の束に目を通していく。それには確かにこれまでの三隻を超える膨大な研究工程や専用の主砲を必要とすること、更に可能であれば蔵王重工製の装甲板を用意して欲しいという研究員からの要望なども事細かに記載されていた。

 

「…よし、把握した」

 

「では…!」

 

「まぁ待て副官。急いては事を仕損じる…事前の準備も万全にしておく必要がある以上、計画発動は来週以降だ」

 

「ですが開発の承認は頂けるのですね?」

 

「無論だとも…来週から忙しくなるぞ?」

 

「望む所です!」

 

「うおっ」

 

承認を得たのとほぼ同時に神威は俺の手を握りしめて、ようやく副官ではなく無邪気な子供として満面の笑みを浮かべた。

 

「吾妻完成の際には、我らが橘の威光も更にその輝きを増すことでしょう!そうなればきっと…‼︎」

 

「…今の貴官は若い頃の俺に良く似ている」

 

「本当ですか⁉︎…光栄です‼︎」

 

(…これに限っては褒め言葉ではないんだがな)

 

…まあ当時の俺と違って今の神威の興奮は「良い事をして親に褒められたい子供」のそれと同じであろうから、これ以上余計な詮索は辞めてたまには父親らしい提案でもするとしよう。

 

「…さて、話は変わるがこれからの予定について俺からも一つ提案があってな」

 

「はい!何なりと!」

 

「今週の間は仕事を昼で切り上げて、余った時間で子供らしく皆と遊んできたらどうだろう?」

 

「……へっ…?」

 

俺からの提案()を聞いた神威は鳩が豆鉄砲を食ったようなキョトン顔を披露してくれた。可愛い。

 

「はははっ!なんだ、そんなに嫌だったか?」

 

「い、いえその…指揮官の心遣いは…」

 

「お父さん」

 

「…お父さんの気持ちは嬉しいんだけど、僕だって正規軍人なのに…」

 

「…まぁ確かにそうなんだが、お父さんはそういう(しがらみ)を少しだけ忘れてお前にのんびり過ごして欲しいのさ…もちろん来週からはバリバリ働いてもらうぞ?…前みたいに夜まで仕事してたらお父さん怒るが」

 

以前の開発中には俺からの期待に応えたい一心だったのか、神威は深夜まで平気で仕事をしていた事もある。大の大人なら致し方ない事もあろうがまだ10歳の子供にそれを強要したくはなかった。労基にも引っかかるしな。

 

「でも…」

 

「ならば今週の間一日一個だけ冷蔵庫にあるアイスなんでも食ってヨシ!」

 

「えっ、本当⁉︎分かった!」

 

俺渾身の承認によって社蓄に目覚めそうな副官像からようやく解放された神威は、嬉々として執務室に置いてある冷蔵庫へと向かって行き…

 

「よし、これにきーめた!」

 

バリッ

 

(むっ?)

 

そして何故かその場で袋を開けたかと思うと、たった二つしかない雪みてぇな大福を一つ差し出してくれた。

 

「はいお父さん、あ〜んっ♡」

 

「おお…はむっ…んんっ…」

 

「どうかな?美味しい?」

 

「…最高」

 

「えへへっ、やったあ!」

 

…知覚過敏で若干アイスが辛くなった事に老いを感じるが、満面の笑みを浮かべているこの子の前でそんな弱みを見せる訳には行かない。いつの世も父は強いのだ。

 

「…それにしてもお父さんに構わず二個食べれば良かったのに」

 

「一日一個だけって約束、ちゃーんと守ったよ!」

 

「…お前は本当にいい子だな…」

 

「ん〜おいひ〜♡」

 

「聞けーい」

 

…そしてこれからも愛する我が子の為に世界一素敵なお父さんであり続けたいと心から思う。

 

____________

 

(うーん…どうしよう…)

 

アイスを食べ終わって数分も経てばお父さんは先方達に連絡をするから、と言って僕に執務室から退室するよう促した。せっかくの粋な計らいを無下にする訳にもいかないんだけど、かといって特にやりたい事も無いので僕は暇を持て余している。

 

(…子供らしく、かぁ…)

 

綾波や龍驤と一緒にお菓子をつまみながらゲームする…という今時の子供らしい時間の過ごし方をしたら、何となくお父さんが悲しみそうな気がする。かといって素直に外で遊ぶのも気が引けた。嫌いではないけれど、単純に僕は体が弱いので全く体力がない。せいぜいかくれんぼが関の山といった程度だ。

 

(…とりあえず、誰か見かけたらその子に声を掛けてみよう)

 

そう思ってさっきから駆逐艦寮の辺りをウロウロしてみても、意外と誰にも会わない。出撃・委託で出払っているのは当然として、非番の子も既に外で遊んでいたり、のんびり自分の部屋でお昼寝でもしているのかな?…流石にこちらから特定の誰かの部屋に突然お邪魔するというのも、なんだか申し訳ないし…

 

(…ってあれ?珍しいな…)

 

そんな中、大事そうに紙袋を抱えている霞を見つけた。何やら「ふわりん」と話し込んでいるようだったが、霞は僕に気がつくと嬉しそうに駆け寄ってきた。

 

「神威…一人?珍しいね…」

 

「あはは…お父さんがたまにはお外で遊んできなさいって。霞もどこか遊びに行くの?」

 

「ううん、今お部屋に戻るところ…でも丁度いいタイミングで神威が来てくれた…ふわりんも喜んでる」

 

「そっかぁ…」

 

朝潮型の子は駆逐艦の中でも温厚で、大人しい子が多い。霞もその中の一人だが特にミステリアスだ。誰かと一緒にいる様子はあまり見た事がないし、何より「ふわりん」の存在にはそこはかとない闇を感じる。

 

「…ところで、その紙袋って何か入ってるの?」

 

話題を変えるついでにさっきから気になっていた紙袋の中身について尋ねてみると、霞からは意外な答えが返ってきた。

 

「これ…霞が大好きな、ふわりんみたいのがたくさん出る映画…なんだけど、誰も一緒に観てくれなくて…」

 

「えっ?…ちょっと見てもいい?」

 

「うん、いいよ」

 

霞に広げてもらった紙袋の中には、確かに一枚のDVDが入っている。思わず手に取ってパッケージを確認すると…

 

「…ひいっ⁉︎」

 

「神威、大丈夫?…どうしたの…?」

 

…不気味な女の人が写っているそれはまさしくホラー映画そのもの。「ふわりんみたいなの」がたくさん出てくると聞いて、僕はてっきり「もの○け姫」的な作品を想像していたから、危うく腰が抜けるかと思った。

 

「こ、これは確かに…中々一緒に観てくれる人は少ないかもね…?」

 

「…神威は一緒に観てくれないの?」

 

…しまった。丁度いいタイミングで来てくれた、というのはこれの事だったのか…というかますます何者なんだ「ふわりん」というのは…?

 

「え、えーっと…その…僕、おばけとかホラーとか苦手で…」

 

「これそんなに怖くないよ?前に霞一人で観たけど…やっぱり映画は誰かと一緒に観ないとつまらないから…」

 

これ一人で観たのか…⁉︎いや、霞が一人で観れたからって怖くない保証なんかないし…何とかうまく言いくるめないと…!

 

「…えーっと…その…夜中に一人でトイレ行けなくなったら困るし…遠慮していい?」

 

「…もしもの時は指揮官が一緒に付いてきてくれるんじゃない?」

 

ダメだった。気が動転してるのか小学生レベルの言い訳しか浮かばなかったし、一応言ってみたけどあっさり論破された。

 

「そ、そうだね…あはは…」

 

「…神威、霞と一緒に映画観るの…嫌だった?」

 

「えっ⁉︎いや、そんな事は…」

 

あぁまずいまずい…‼︎このままじゃただ霞を傷付けるだけの結果になるのは火を見るより明らかなんだけど、二人きりとはいえホラーは苦手だし…もうこうなったら…!

 

「あ、あのね霞!お願いがあるの!」

 

「…お願い?」

 

____________

 

(…もうすぐ5分経っちゃうな…はぁ、神様…)

 

霞としては僕と二人きり、趣味の映画を観て過ごす優雅な昼下がりの予定のはずだったろうけど、やっぱり怖いものは怖い。追い詰められた僕は奥の手として誰か他の大人を連れて来てもいいかと提案…いやひたすら懇願した結果、霞は渋々了承してくれた。ただし5分以内に見つからなければ二人きりで観るという条件付きで。

 

(…それともこれって僕も男になれ、っていうお告げなのかも…)

 

お父さんに頼ろうかとも思ったが、まだ仕事中なんだから副官として邪魔だけは絶対にしたくない。かといって他の大人のKANーSENの大半は出撃その他で出払っている。最終手段として非番の高雄型にすがりつくのも考えてはみたけど、そもそもあそこは全員ホラーがダメだった。愛宕お姉ちゃん辺りは多分失神するだろう。

 

(…腹を括ろう…)

 

いざ映画が始まったら、きっと僕は霞にしがみついて悲鳴をあげているんだろうな…憂鬱になりながら霞の部屋へ戻ろうと廊下を曲がった直後、大きくて柔らかい何かに僕は頭からぶつかった。

 

「…むわっぷ⁉︎」

 

それは信じられないくらいの弾力で思わず弾き飛ばされるかと思ったが、立派なそれの持ち主の物であろう細い腕に抱きしめられたので、怪我はしなかった。拘束されたとも言う。

 

「あらあら…うふふっ、捕まえた…♡」

 

「んーっ⁉︎んんんーっ⁉︎///」

 

大人だ。体格差から考えてまず間違いない。そして凄い豊満だ。大人の魅力が…凄すぎて…い、息が…息が出来ない…し、死ぬぅぅ…

 

「…翔鶴姉?神威が苦しそうだよ?」

 

「ぷはっ…」

 

あやうく窒息死するかと思ったところで、隣から聞こえてきた文字通りの鶴の一声によって僕は解放された。

 

「だってぇ…神威からぶつかってきたのよ?瑞鶴も見てたでしょう?」

 

「それはそうだけど…神威、大丈夫?」

 

「う、うん…その…ごめんなさい‼︎///」

 

大人だったら絶対逮捕される事案だけれど、幸い五航戦の二人は高雄型の四人と同じくらい、僕の味方といえる大人…そう、大人なのだ。

 

「神威、歩く時はちゃーんと前を向いてないといけませんよ?じゃないと怖ーい先輩達に捕まっちゃうかも…なーんてね♪」

 

「翔鶴姉もさっき捕まえた、って言ってなかった?」

 

「さっきのはお姉ちゃん特権です♪…ねぇ神威?」

 

元々霞の部屋に戻る途中でぶつかったから、これが最初で最後のチャンスだ。その…お、お…胸に飛び込んでしまった女の人相手に、ましてや一緒にホラー映画見てほしいなんて…ええい、ままよ!

 

「…神威?」

 

「…お、お願い!僕を助けて!助けてくれたら、僕に出来ることなら何でもするから‼︎」

 

ああああ言っちゃった…⁉︎で、でもこの二人なら大丈夫だよね?一応(僕に出来ることなら)何でもって断ったし…後で犬の真似させられたり、四つん這いにさせられたり、挙げ句の果てにアイスティーに睡眠薬混ぜられたりもしないよね…⁉︎

 

「ええっ⁉︎な、何かあったの⁉︎一体…」

 

突然こんな事を言い出したのだから瑞鶴お姉ちゃんが慌てるのも当然の反応だったけれど、翔鶴お姉ちゃんは手でそれを制すと妖艶な笑みを浮かべて僕に尋ねてきた。

 

「…本当に何でも出来る?」

 

…はい出来ますなんて素直に言うと後が怖いので、念のためもう一度断りを入れておこう…

 

「…ぼ、僕にも出来る事にしてね?…乱暴しない?」

 

「もー大袈裟なんだから…大丈夫よ神威、お姉ちゃん達はいつでも神威の味方だから!」

 

あぁ…地獄に仏とはこのことか…!神様ありがとう!さっきも思ったけどすっごく柔らかくて、正直嬉しかったです…///

 

「…それじゃあお願いしてもいい?」

 

「構わないよね、翔鶴姉!」

 

「もちろんよ瑞鶴…さぁ神威?お姉ちゃん達に何でも言っていいんですよ?」

 

「実はかくかくしかじかで…」

 

僕が全てを説明すると、途端に瑞鶴お姉ちゃんの顔が引きつりはじめた…僕と一緒でホラー苦手なんだろうな…罪悪感が凄い。

 

「…もしかして神威、お願いってまさか…?」

 

「…やっぱりダメ?」

 

「で、出来れば別の…」

 

「大丈夫よ、お姉ちゃん達はいつでも神威の味方ですから…そうよね瑞鶴?」

 

「い、いやーっ⁉︎」

 

…こうして嫌がる瑞鶴お姉ちゃんも強制参加する形で、五航戦の二人が一緒に映画を観てくれることになった。

 

____________

 

約束の5分はとっくに過ぎていたし、結局大人二人を連れてきた事で霞に若干嫉妬されたものの、どうにかホラー映画観賞会が始まった。霞はこの瞬間を本当に楽しみにしていたようで、日頃我慢してため込んでいたありったけのおやつをテーブル一杯に広げてくれた時は泣くかと思った。

 

「きゃぁぁぁぁぁーーーっっ⁉︎⁉︎⁉︎」

 

(巻き込んだのにこんな事思っちゃダメだけど…うるさい…)

 

…そして映画が始まってまだ10分も経ってないのに、瑞鶴お姉ちゃんの悲鳴が凄い。部屋を暗くして冒頭が流れてた時からもう様子がおかしかったから、多分怖い雰囲気を感じるだけでダメなタイプだと思う…いや、僕も怖くないとは言えないけれど…

 

「…神威、まだ大丈夫?」

 

それでも僕の隣に座っている霞が度々心配してくれているからまだ大丈夫そうだ。

 

「うん、ありがとう霞…ごめんね、二人きりで観れなくて」

 

「ううん…霞、ずっと神威と映画観たかったから…神威が約束守ってくれて、良かった…」

 

(あっ惚れそう…///)

 

なんていい子なんだ…もっと早く一緒に遊べば良かった。そうだ、今度夕張たちとのゲーム同好会に誘ってみようかな…何が好きなんだろ…ホラーゲームじゃないといいな…

 

「きゃーっ、助けて神威〜♡」

 

一方で僕の隣に座っている翔鶴お姉ちゃんにとっては映画がつまらないのか、それともやきもちを妬いているのかは分からないけれど、時々こんな風にちょっかいをかけてくる。

 

「…翔鶴お姉ちゃん、まだそういうシーンじゃ…」

 

ピシピシッ…バリーンッ!!!

 

「ひゃっ…⁉︎」

 

…安心している時に限って発生するお約束の怪奇現象にびびった僕は、反射的に霞ではなく翔鶴お姉ちゃんにしがみついていた。

 

「あら、まだそういうシーンじゃありませんよ?」

 

「し、翔鶴姉‼︎私もう帰っていいかな⁉︎」

 

「ダメよ瑞鶴、約束は守らないと…ねぇ神威…?」

 

「う、うん…///」

 

…僕の方から近付いてきたのをいいことに、翔鶴お姉ちゃんは僕の腰元に腕を回すと絶妙な力加減でいろんな所を触ってくる。思わず声が出そうになるけれど、霞に気付かれたらまずいので僕は必死に我慢している…

 

(…そういえば神威、覚えてます?)

 

(う、うん?…覚えてるって?)

 

そんな中でも触れる手は止めずに、翔鶴お姉ちゃんは僕にだけ聞こえるような小声で話しかけてきた。

 

(神威がここに来た日に開いた宴会の事なんですけどね…)

 

(あーっ…懐かしいなぁ…)

 

実は副官としてこの艦隊に着任するまで、僕はまだKAN-SENを見た事が無かった。だからこそ初めて皆を見た時は相当びっくりした。モデルさんみたいな美人さんばっかりで、おまけに角とか耳とか尻尾が生えてて、まるでアニメの世界に迷い込んだ気分だったな…

 

(えーっと…確かその時に僕、二人の着物が綺麗だってはしゃいでたところまでは…覚えてるんだけど…)

 

だからこそ、角も耳も尻尾も生えてない五航戦の二人と初めてお喋りした時はついつい着物の方に目がいった。特に二人の名前にも入っている「鶴」を連想する程、大きくて綺麗な袖の部分に心惹かれたけど…二人にその話をした後の事が今でも全く思い出せない…なんでかな?

 

(あら、その後の事は覚えてないの?酷いわ神威ったら…せっかくお姉ちゃん達と約束したのに…)

 

(えっ、約束…?…ごめんなさい、どんなのだっけ…?)

 

本当に大切な約束だったら覚えてそうなものだけれど…その…例えば、本当に例えばの話として…お、大きくなったら…け、けっ…結婚する約束…とか…///

 

(んもう…ほら、いつか神威に私達とお揃いの着物を作ってあげる約束!…思い出した?)

 

あっ、全然違った。違ったけど…お揃いの着物かぁ…えへへっ、着て見せたらお父さんきっと喜ぶだろうなぁ…でも二人の着物って普通じゃまず手に入らないデザインだし、もしかして自分達で作った物だろうか?だとしたら凄いけれど…

 

(…あー、でも本当にいいの?僕の為になんて…その…材料とか高そうだし手間もかかるんじゃ…)

 

(ううん、それは大丈夫なんだけど…どうしても一つだけ問題があって…)

 

(問題?)

 

必要な道具の催促なら、お父さんに事情を説明すれば用意してくれるかな…なんて考えていると、翔鶴お姉ちゃんは小声で話しているのに口元を隠しながらこう言ってきた。

 

(神威の体格に合わせないといけないから…「採寸」をしたいのよねぇ…)

 

…前に瑞鶴お姉ちゃんから教えてもらったのだが、翔鶴お姉ちゃんは悪いことを考えているとき口元を隠す癖があるらしい。もちろん、言ってる事は何も間違ってない。間違ってないけれど…

 

(…その…お父さんに測ってもらうのは…)

 

(ダメよ、「採寸」しながら作りたいもの…そういう訳だから今度お姉ちゃん達のお部屋に来てくれる?「採寸」するだけだから、神威はなんにも心配しなくていいんですよ…)

 

翔鶴お姉ちゃんはそう言ってニコニコと笑っているけれど、今まで見たことがない表情だった。何を考えているかまでは分からないけれど、一つ確かなのはもう僕に逃げ道は無いってことだけ…

 

(…じゃあ…今度お部屋にお邪魔するって約束したら、もうくすぐるのやめてくれる?)

 

(はーい…うふふっ、嘘ついたら針千本…ね…♪)

 

僕が腹を括って言質を取らせると、翔鶴お姉ちゃんはようやくいつも通りの優しい笑顔に戻った。そして僕の腰元に回していた腕も引っ込めて、そのままテーブルのおやつをつまみ始めている。多分もう何もしてこないだろう…

 

(…はぁ…嬉しいような怖いような…)

 

キャァァァァァァーーーッ!!

 

「ギャァァァァァァァアーーーッ⁉︎⁉︎⁉︎」

 

(…喉大丈夫かなぁ…?)

 

…ところで全然観れてなかった映画の方はというと、女の人が幽霊のような何かに襲われている。霞の言う通りよく見たらそこまで怖くないように思えてきたが、襲われた女の人よりも凄い悲鳴を上げる瑞鶴お姉ちゃんには申し訳ない気持ちで一杯だった。

 

(…ねえ、神威…)

 

(うん…?霞?どうしたの?)

 

そんな瑞鶴お姉ちゃんを心配したのか今まで静かに映画を観ていた霞が、これまた僕にだけ聞こえるような小声で話しかけてきた。

 

(瑞鶴さん、辛そうだから…霞が隣に行ってあげてもいい?神威は大丈夫?)

 

(あっ…うん、そうだね…それがいいよ。僕の事は気にしないで、瑞鶴お姉ちゃんの事…お願いね)

 

(…霞は気にしないから、神威も翔鶴お姉ちゃんとイチャイチャしてね?)

 

…黙っていただけで相当ご立腹だったらしい。茶化すような発言だけど全く目が笑ってない。

 

(ゔっ…⁉︎や、やだなぁイチャイチャなんて…そんな…)

 

(あとそれと…)

 

そしてとうとう光も消えた瞳で、僕をまっすぐに見つめて霞はこう言い放つ。

 

(ふわりんが神威の体にパクッと噛み付いてるよ)

 

(えっ⁉︎…ど、どこ⁉︎どこに⁉︎どこを⁉︎ふわりんは⁉︎)

 

そんな一種の死刑宣告を遺して霞は僕の隣を離れた。もはや映画や瑞鶴お姉ちゃんの悲鳴よりも、未だ正体不明の「ふわりん」の方がずっと怖い。結局映画が終わるまで僕は片時も心が休まらなかった…

 

____________

 

「…って感じで、今日は大変だったよお父さん…」

 

親心で遊びに行かせたまでは良かったが、執務室に戻ってから夕食を終えるまで神威はほとんど何も話さなかった。流石に心配になったので、親心水入らずで男湯を満喫しながらそれとなく探りを入れてみると、ようやくこれまでの事を白状してくれた。

 

「…お前がそうなったのはある意味お父さんの責任だ。だが俺は謝らない。そうした出来事を乗り越えて、必ずいい男になってくれると信じているからな」

 

「もーっ、うまい事言ってぇ…背中洗ってあげませんよ?」

 

「おっとそいつは困るな…またいつもみたいに頼むよ」

 

「全く、お父さんは僕がいないとダメなんですから…」

 

息子…というよりは外見も含めて(?)だんだんと女房役になりつつあるが、ひとまずは親子の団欒として普段通り背中を洗ってもらう事にした。

 

「お痒いところはございませんか〜?」

 

「いいえ〜相変わらずお上手です〜」

 

…未だこの艦隊では神威以外誰にも見せたことのない古傷塗れの身体であっても、神威は気にする素振りも見せずにこうして労ってくれる。愛する妻を失っても俺が正気を保っていられるのは間違い無くこの子のおかげだ。

 

「…ところで神威」

 

「なぁに?」

 

「お前、霞君にはちゃんと後で謝ったのか?女の嫉妬というのは恐ろしいぞ…特にここ(重桜)ではな」

 

だからこそ息子には絶対に幸せになって欲しいし、KAN-SEN達との交友関係も気になるのが親心というものだ。

 

「その…ちゃんと頭下げて謝ったら許してくれる、って言ってたよ」

 

「うむ。それが一番だな」

 

「ただその…今度こそ二人きりで映画観て欲しいってお願いされちゃって…」

 

「なんだ、またホラーか?」

 

「…ある意味」

 

「ある意味?」

 

神威は思わせぶりな言い方ばかりしていたが、やがて観念したのかある名作のタイトルを挙げた。

 

「…タイ○ニックなんだけど」

 

「おおっ⁉︎…神威、お前…!間違いない、まだ霞君からは好かれてる!お父さんが保証するぞ‼︎」

 

「えっ…急にどうしたのお父さん…?」

 

それを聞いた俺が急に一人で盛り上がり始めたので、神威は心底不思議そうにしているが…熱くなるなという方が無理な話である。何せまだ俺が若かりし頃、妻と一緒に観た思い出の作品なのだから…もちろん例のシーンも一緒にやった。所属していた基地に停泊中の軍艦の上で二人きり…後日発覚して当時の上官に減給を喰らった、ほろ苦い思い出だったな…

 

「いやーっ、あの時はレオ様がまだお若くお美しくてな…」

 

「そうらしいけど…そうじゃなくて!…タイ○ニックだよ?その…沈んだ船の映画をKAN-SENと一緒に観るんだよ⁉︎不吉じゃない…?」

 

「…お前、本当に女心分かってないな」

 

「えぇ…そうかなぁ…?」

 

確かに相当賢いのだが、こういう部分は年相応の男の子という感じで嬉しいような悲しいような…あの3時間15分にも及ぶ壮大なラヴ・ストーリーを一緒に観たい…これがどういう意味か、そこのあなたならきっと分かるだろう?おっと!分かってても言わないでくれ。お父さんとの約束だ‼︎

 

「…お父さん?」

 

「あっはいごめんなさい」

 

「背中流してもいい?」

 

「あぁ…頼むよ」

 

熱くなりすぎたテンションと一緒に背中を流してもらい、俺達は湯船に肩まで浸かる…が。今夜の俺はまるで人間火力発電所のように気分が高揚している。神威には申し訳無いが、第二ラウンドの幕開けといこう…

 

「……ところで神威よ」

 

「お父さん、今日しつこいね」

 

「まあそういうな。何だかんだでここに来てからもう半年も経ったんだが…そろそろ好きな娘でも出来たか?」

 

「えっ?好きな子?…たくさんいるよ?」

 

神威が迷いなくそう言い切ったので一瞬喜んでしまいそうになったが、この子にとっての好きな子とは良くて友達以上恋人未満の関係だろう。いや、それでも充分青春しているんだが…今夜は確信を突くぞ。

 

「あー…そうなんだけどそうじゃなくてな…例えば…ほら、ちゅーしたくなるぐらい好きな相手って事だ。ていうかもうしたか?」

 

「えぇっ⁉︎…せ…せっ…⁉︎///」

 

「セッ…?…おい待て神威。それもしかして…」

 

接吻(せっぷん)なんてまだに決まってるでしょう⁉︎もうっ⁉︎セクハラですよお父さん⁉︎///」

 

パシャパシャと俺にお湯をかけながら、顔を真っ赤にして神威は狼狽(うろた)えていたがひとまず安心した。流石にそっちはまだ許すつもりないぞ、お父さんだって。

 

「そうかそうか、まだか…まあ流石にまだだよな…」

 

「そ、そんなことよりも!…お父さんこそ、いい人いないんですか?」

 

…そして着任初日から今日に至るまで、神威から何度も言われた恒例の催促が始まった。

 

「やれやれ…新しいお母さんが欲しいのは分かるが、お父さん再婚するつもりはないんだってば」

 

「むーっ!またそんな事言って〜っ‼︎今日という今日は言質を取ってお母さんもゲットしますからね⁉︎」

 

「…はぁ…まあ一応聞くよ、今日のプレゼン…」

 

ちなみにこうした神威の訴えを、俺はプレゼンと呼んでいる。事実、何度か再婚しようかとも考えさせられた事もあるが…結局のところ毎回誤魔化してきた。

 

「…じゃあお父さんに質問です!」

 

「はいはい、何でしょうか?」

 

あの手この手で俺の首を縦に振らせようと神威が知恵を絞ってくるのは正直面白いのだが、今日のは俺の予想を遥かに超えた事を聞いてきた。

 

「…人って何のために生きていくのかな?」

 

「…‼︎」

 

…どこで知ったのだろうか…それはかつて、俺が愛する妻に問いかけたものと全く同じ言葉だった。

 

「…決まってる…人は皆幸せになるために生きていくもんだ…名言だろ?」

 

…そして妻がこう答えてくれたその時、俺は初めて人を愛する事が出来た。そのまま一緒になるのに時間はかからなかった…

 

「…ところでどこで知ったんだ?まさか偶然?」

 

「え?前にお父さんが酔っ払った時に自慢してくれたじゃないですか?」

 

「えっ…あ、そうだったっけ…あはは…」

 

「…でもやっぱりお母さん、お父さんの運命の人なんですね」

 

「もちろんだ…おかげ様でお父さん今も幸せだぞ?お母さんはいなくなっちまったが…今は皆とお前がいるからな」

 

「…寂しくもないの?」

 

「そんな事考えてる暇もないしなぁ…まぁ俺がジジイになる頃にはお前も巣立つだろうから、その時は寂しいだろうな…」

 

「…そうかな…」

 

「そうだ…親子ってのはそれでいいんだ」

 

「………」

 

俺の場合はガキの頃に既に両親とも死別したから、普通の家よりはずっと早かったが…どんな親子も、最後には離れて生きていくのが自然なのだ…神威にはまだ受け入れがたい事だったようで、すっかり静かになったが。

 

「…じゃあ今度は、お父さんからの問題です!」

 

「…えっ?…あ、はい…」

 

とはいえやられっぱなしというのも面白くないので、今度はこちらから打って出る事にしよう。

 

「執務室の机の一番下の引き出しに今日ある箱を入れました。それはなーんだ?」

 

「箱?…しかも今日…?」

 

…まあ今日と言っても正確にはこの子が遊びに出ていた昼過ぎに届いた、俺宛ての任務報酬の中に隠してあった物だから分かるはずはない。お上がわざわざ名指しで海域攻略を命じてきたのには「アレ」を使って戦力を強化しろ、という理由もあったのかもしれない。いずれにせよ、今日はそういう運命の日だったのかもな…

 

「うーん箱かぁ…ラプラス?」

 

「アカンやつ」

 

「分かった、シュレディンガー!」

 

「それ猫や」

 

「…うむむ…」

 

「…じゃあヒントだ。お前が遊びに出てる間にお上から重要な書類付きで渡された、とても大切で綺麗な箱です…」

 

「……えっ…はっ、ま…まさか…⁉︎」

 

俺のヒントも神威にとってはほとんど答えだったのか、すぐ正解に辿り着いたであろう神威は途端に嬉しそうな顔をしはじめたが…残念、俺自身は「アレ」を使うつもりはないんだぞ…

 

「…なぁ神威?」

 

「は、はいっ⁉︎何ですかお父さん⁉︎」

 

「そんなにお母さんが欲しいのなら…」

 

「………」

 

「お母さんになって欲しい人をお前が選んだらどうだ?」

 

「……へえっ?」

 

おそらくは俺が再婚する!…なんて言ってくれると期待しまくっていたからなのか、想定外の返事に神威は今まで聞いたこともないすっとんきょうな声を出した。

 

「は…へっ?お父さん?…それ、どういう…?」

 

「まあまあ、別に入籍しろとまでは言ってない…ただお父さんはケッコンしてもいいよ、と言っている」

 

「……ほ、ほとんど同じじゃない⁉︎///ぼ、僕まだ10歳なんだよ⁉︎そ、それに…それに…///」

 

「女の子とちゅーもしてないしな」

 

「わぁぁっお父さんのバカーッ⁉︎//////」

 

バシャーンッ‼︎

 

「ぬわーーっっ!!」

 

何事も煽り過ぎはよくない。近くの風呂桶を使って、俺の顔面目掛けて風呂の湯をぶっかけられた時に俺は改めてそう思った。神威は俺のエキセントリックな言動には慣れているが、流石に今回のそれは予測不可能だったらしい。弁明しようかとも考えたが、結局風呂から出た後は一言も口を聞いてくれなくなってしまった。

 

____________

 

神威には早々に不貞寝をされてしまったが、たとえ俺一人でも明日に向けた執務の調整と母港の見回りは一日たりとも欠かす訳にはいかない。最近は戦況が落ち着いてきたことで夜戦の回数も減り、川内辺りも熟睡する日が続く…しかしそうかと思えば、消灯時間を過ぎた後の夜更かしにスリルを覚えるKAN-SENも増えてきた。そういう時は夜更かしは身体と肌に悪いと説得したり、こっそりゲームしてたらセーブするまで待ってやったり、それでも愚図る子にはあんな事やそんな事もしてあげて何とか寝かしつけている。正直言って疲れる…が、だからといってこうした仕事が嫌いでもないあたり、俺も父親というものが少し板についてきたらしい。

 

「ふわぁぁ…やっと寝れる…」

 

ようやく全ての仕事を終えて神威の眠る自室に戻り、布団に潜り込んだらすぐに眠りに落ちる…と思っていたのだが…

 

「…お父さん、お疲れ様です…」

 

俺の隣の布団で寝ているはずの神威がこちらの方を振り向く事なく、けれども労いの言葉をかけてくれた。

 

「神威、お前…まだ起きてたのか…今日もありがとう、早くおやすみ…」

 

「……ねぇ、お父さん」

 

「なんだ…寝れないのか?」

 

「ううん?違いますよ…僕思い付いたんです」

 

「思いついた?…おいおい、一体何を…」

 

「気になる⁉︎」

 

「うおっ」

 

何やら嫌な予感がしたので寝る前に聞き出してやろうと思ったが、神威にとっては俺が食いついたと思ったのか、普段からは考えられない程の素早い動きでこちらに振り向いた。

 

「…聞きたい?」

 

振り返った神威の表情は、うっすら月明かりに照らされて普段よりも一段と美しく見える。昔一度だけ見せてもらった、妻の子供時代と瓜二つだ…

 

「お前のことだ…またすごい閃きだったりしてな?」

 

「ふふんっ、我ながら名案だよ?…その分お父さんには頑張ってもらわないといけないけどねー…」

 

「ふーん…具体的にお父さん何をどう頑張ればいいんだ?」

 

何を言われるかは皆目検討もつかなかったが、子供の考えそうなことだから何か甘えたいのだろうか…なんて気楽に構えていたものだから、神威の放った一言に俺は脳天を殴られたかのような衝撃を受けた。

 

「お父さんが決めてよ、僕のお嫁さん!」

 

「……………」

 

全く意味が分からなかった。理解は出来るがしてはいけないと、俺の全細胞が警鐘を鳴らしていた。お父さんに決めてもらう…何を?お嫁さん…神威の?おおそうか、そうか…それはお父さん頑張…………はっ???

 

「…お父さん?」

 

「………な、なぁ神威…今夜はもう寝よう?明日になればまた考えも変わるんじゃあ…」

 

「いや!絶対にお父さんに決めてもらうの!僕のお嫁さ…」

 

「うるさい!誰かに聞かれたらどうするんだ⁉︎戦争だろうが⁉︎重桜なめんなぁっ⁉︎」

 

「んんんーっ⁉︎んんんーっ⁉︎⁉︎」

 

とりあえず内容が不味い。神威を自分の胸に抱き抱えて、ついでにほんのちょっとだけ締めて大人しくさせる。話はそれからだ…あぁ、今ならまだ間に合うから嘘だと言ってくれ、我が息子よ…

 

「ううっ…まだ頭痛いよ…」

 

「……すまない神威、お父さんにも分かるようにこれまでの経緯を詳しく説明してくれ…今、俺は冷静さを欠こうとしています」

 

「もう欠いてませんか…?」

 

「まだ大丈夫だ、多分問題ない…だいたいなんでそんな結論に至ったんだ?」

 

「その…お風呂の後からずっと考えてたんだけど…急にお嫁さんなんて決められないから…じゃあお父さんに決めてもらったら全部丸く収まるかなって…」

 

…つまるところ俺の無責任な発言を真に受けてしまった故の結論らしい。なんてこった…最初から最後まで悪いのは全部俺じゃないか…

 

「あー…その…神威…お父さんはだな?お母さんが恋しいんだったら、お母さんみたいな人とケッコンしてもいいよ?って言ったんであって、必ずしも今すぐケッコンしなさいなんてことは…」

 

「…お母さんは今すぐにでも欲しいもん」

 

そもそも子供とはこんな風に無邪気で我儘なものだし、神威がここまで意地になる事も珍しい。当然父親としてはこんな人生を強いてきた以上、叶えられる事は叶えてやりたいのだが…

 

「…誕生日プレゼントならすぐにあげられるんだがなぁ…こればっかりはなぁ…」

 

「むーっ…お父さん、そこをなんとか!ほら、我らが橘一族のさらなる繁栄の為にもお世継ぎ探しは大事な事でしょう?」

 

「おま…こんな時だけ都合良く一族の名前を出すんじゃないよ全く…ご先祖様に怒られるぞ?」

 

「そうかなぁ…僕が大人になってもいい人連れてこないまま、一族が絶えるのよりはいいんじゃない?」

 

「はぁ…今年のお盆はご先祖様のお墓、念入りに綺麗にしような…」

 

「…家族三人で?」

 

「だぁぁぁぁっ、もーっお前って奴は…⁉︎」

 

「えへへっ…ごめんなさい…」

 

若さ故の過ち…というには若過ぎるのだが、かといって冗談にも見えないのがこれまた考え物だ…ひとまず、一夜で結論の出る問題ではないし、出してもいけない。

 

「…分かった…考えておいてやる。いいか?考えておくだけだぞ…明日明後日に決められる事じゃないからな?」

 

「…でも約束はしてくれるの?」

 

「…はぁ…まあ、お前のお嫁さんはお父さんにとっても他人じゃなくなるからな…」

 

…実際問題その気になって考えれば幾人か候補はいるのだが、今現在ようやく上司と部下としての信頼関係を築けてきた相手が、数年後か下手したら今年中には愛する息子の伴侶になっているかと思えば思うほど父の心は複雑だ。ましてや選べなどと…

 

「…神威、とりあえず今日は寝よう…もう遅いし、明日からはまた忙しくなるんだからな?」

 

「…いい子にして、お仕事も頑張ったらその時は…」

 

「…あぁ…全部落ち着いたら、お父さんがお前を幸せにしてくれそうな人を見繕ってやるから…最後はお前が決めなさい、いいね?」

 

「…分かった!」

 

「はぁ…じゃあ、おやすみ神威…」

 

…自分の伴侶にするかどうかだけは自分で決めると神威も約束してくれたようだし、一旦全部忘れて俺も今夜は身体を休めよう…

 

「あっ…お父さん、お父さん!」

 

「なんだなんだ…指切りでもするか?」

 

「ううん、じっとして…」

 

「んっ?あぁ…じっとして?」

 

皮肉にも今朝と同じ事を言われ、嫌な予感を感じながらも言われた通りにじっとしていると…

 

…チュッ❤️

 

「…大好き♡」

 

「かっ……⁉︎///」

 

…意外にも人生で初めて…にしては割とマジっぽい口付けと共にこれまたマジっぽい愛の囁きを、よりにもよって愛する「息子」からプレゼントされた。一応断っておくが口付けは頬にされた。流石に深夜で親子のアッー♂は不味い。それだけは許されないし許さない。

 

「…かっ…ば、馬鹿野郎⁉︎初めては大切にしろってお父さんいつも言ってるでしょうが⁉︎」

 

「お父さんは男の人だからセーフでーす♪」

 

「…ええいっ、いいから寝ろ‼︎お休み‼︎明日は六時半に起こすからな⁉︎」

 

「はーいっ、おやすみなさーい♪」

 

よく分からない理屈は丁重に無視しつつ、何故か機嫌が良くなった神威に対して俺は突っぱねるようにして背を向けた。今の姿を見られるのはもっと不味い。父親としての威厳が完全に無くなるっ…‼︎

 

(くそっ…くそっ、くそっ‼︎情けない‼︎情けないぞ竜胆⁉︎かつて重桜の人修羅と呼ばれた男がこの程度か⁉︎いくら愛しているとはいえ、息子に!男相手にっ…⁉︎…うおおおお鼻血止まらん…⁉︎⁉︎⁉︎)

 

…やがて満足そうに安らかな寝息を立てはじめた息子とは裏腹に、俺は一晩中生死の境を彷徨うのだった。




ここまでのご高覧、ありがとうございました。
プロローグと一話は台詞のみの変更に留まりましたが、二話以降は細かな点も含めて手直しが入っております。
これからもどうか暖かい目でご愛好頂けますと幸いです。


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第二話

二話以降、前作と比較してシーンの変更・追加などを行なっております。新鮮な感覚でお楽しみくださいませ。


(……んっ……そうか…もう朝か…)

 

草木も未だ深く眠り、空も白む前…正確に言えば午前四時半、俺は目覚めた。別に年齢のせいで眠りが浅くなった訳ではない。週に3、4回程、俺はこの時間に起きて一部のKAN-SEN達と朝稽古をしている。一応神威もそれを知ってはいるが、参加させた事はまだない。これからもあるかは分からないが…

 

(さて…支度をせんとな、起こさんように…)

 

足音を殺しつつ寝巻きから軍服へと着替え、精神を集中させる。鍛錬の一環とはいえこれから相手取るのは武闘派の重桜KAN-SENだ。何ならその内の何名かは確実に俺を殺しに来ている。

 

「………う〜んっ……」

 

(…全く、昨日はやってくれたな…)

 

部屋を出る前に神威の寝顔を確認してみたが、昨日はやりたい放題出来たからなのか普段にまして気持ち良さそうに熟睡している。

 

(…それじゃあ神威、行ってきます)

 

名残惜しくはあったが、何かの拍子で目覚められる前に念には念をと施錠をしてから俺は素早く部屋を出た。

 

____________

 

朝稽古の舞台となるのは、KAN-SEN用の訓練場である。その設備の規模と質は、かつて俺が教官を務めていた海軍のそれとは比較にならない。模擬弾も当然用意しているが、対セイレーン用の榴弾や一航戦も愛用する式神も導入しての実戦訓練、全自動で射程内の目標に斉射される魚雷に対応する対潜訓練だけでなく、真剣を用いた白兵戦の訓練も可能である。そしてそれらの激しい訓練に耐え切れずに鉄屑と化した艤装の山々、黒く焼き付いた弾痕、打ち捨てられた刀の数々がKAN-SENが本来持つ「兵器」としての片鱗を垣間見せていた。

 

(…今日は偶数だ。ついてる)

 

訓練場では加賀・土佐・榛名・出雲・伊吹・高雄・瑞鶴・川内の八名が組み手の真っ最中だった。二人一組での組み手が訓練前の準備体操として定番ではあるが、これが奇数の日には余った一人と俺が組み手をする事になっている。言うまでもなく骨が折れる。折られたこともある。

 

「…ようやく来たか…皆、ここまでにしよう」

 

その中でもリーダー格の加賀が切り上げの合図を出すなり、各々組み手を終えたKAN-SEN達が続々俺の前へと集まった。

 

「気を付けッ!」

 

ザッ!

 

「休め」

 

かつてのように敬礼を強要するまではないが、それでも号令一つで優秀な兵士を従えるのは格別だ。やはり軍隊はこうでなくては。

 

「では改めて…おはよう諸君。本日も早朝から諸君らの気概を見せてもらい、感動している。これからもその姿勢で訓練に臨んで欲しい」

 

「…主殿、失礼ながら」

 

「伊吹君。発言を許可する」

 

朝の挨拶もそこそこに、恐る恐る口を開いたのは特別計画艦が一隻、重巡の伊吹。その誕生経緯もあって俺としては娘のように思う存在だ…ありとあらゆる意味で誰にも言えたものではないが。

 

「頬が腫れているようですが…虫刺され、でしょうか?」

 

「あぁこれか…伊吹君には分からんだろうが、昨夜悪い虫に刺されちまってなぁ…」

 

「悪い虫…?でしたら伊吹のヨモギを敷いてみてはどうですか?」

 

特別計画艦の特性故にカンレキもなければ、本人の性格も純朴そのものであり、「悪い虫」の意味するところなど知る由もない。たとえこれが頬でなく首筋についていても同じ提案をしてくれるだろう。

 

「ありがとう。だが気持ちだけ貰っておくよ、こいつに付ける薬はないんでな」

 

「しかし…」

 

「い、伊吹!…その辺でいい、これの場合は…」

 

「出雲さん?」

 

そんな伊吹に一声掛けたのも同じく特別計画艦が一隻、戦艦の出雲。産まれ方は同じだがこちらは多少色恋の知識がある。だが性格が同じぐらい初心(うぶ)なのでよく顔が発火している。

 

「…ごほん!指揮官殿、構わず進めて頂きたい」

 

「あぁ、分かったよ」

 

同じように少しだけ頬を赤らめている高雄に催促され、俺は本日の訓練内容を皆に告げた。

 

「普段は海上を滑走している諸君らと言えど、陸戦の機会も充分考えられる。その場合でも通常通りの戦力を発揮出来なければ優秀な兵士とは言わん…よって本日は基礎持久力向上の為、走り込みを行う」

 

「…………」

 

真剣・実弾・白兵戦…そのいずれでもない訓練内容に皆は明らかに不満そうにしている。無論、俺が全てを説明し終えるまで口を挟まないよう普段から言付けてあるので、異を唱える者はいない。

 

「今回は母港外周を…そうだな、六周でいい。艤装を装備したまま六周。一時間以内だ…何か質問のある者は?」

 

ここまで話終えたのとほぼ同時に、瑞鶴と伊吹が手を挙げた。

 

「瑞鶴君。発言を許可する」

 

「刀も帯刀したままでいいんだよね?…それと、今日は本当に走り込みだけ?」

 

「戦闘状況を想定している以上、当然帯刀してもらう…自主練するなとまでは言わないが朝の訓練内容としては充分な運動量だ。ましてや瑞鶴君は今日明日と非番なのだから、オーバーワークには注意しろよ。自身の体調管理も…」

 

「はいはい、分かったよ指揮官。神威だけじゃなくて皆に過保護なんだから」

 

「…この歳になると育児が楽しくてな」

 

「はははっ、お父ちゃんらしいぜ」

 

「川内君。今ぐらいは指揮官と呼んでくれよ」

 

訓練前とは言え、和やかな空気が流れるのは決して悪いことではない。そもそも同じ内容の訓練を人間相手にやれば対応出来るのは一握り、出来たとしてもまず朝食は腹に入らない。

 

「さて…伊吹君、他に聞きたいことがあるのか?」

 

「その…一時間以内に六周出来なかった者は?」

 

「別に出来なかったからと言って罰を与えたりはしないよ。次出来るようになるまで気長に待つさ」

 

(良かった…)

 

「だが…そんなノロマを一軍として出撃させるかと言われれば、な」

 

「「「…………!」」」

 

しかしながら、俺が扱っているのはKAN-SENである。人間よりも優れた兵士でなければ意味がないし、そうでなくとも艦隊保全の為に一度の出撃で投入出来るのは十二隻が最大だ。総勢百隻を超えている現在の重桜艦隊において、この序列争いは今なお激しい火花を散らしている。

 

「…さて、少々お喋りが過ぎたようだな…加賀、頼みがある」

 

「なんだ?」

 

「いない事を願うが…もし途中で倒れている奴を見かけたらここまで運んできてくれ」

 

「分かった」

 

「それ以外では飛ぶなよ」

 

「フッ、うるさい奴…」

 

「…それでは始めよう…走れッ‼︎」

 

ダダダダダッ‼︎

 

俺の号令を合図に、内なる闘志に火を付けたKAN-SEN達が一筋の嵐となって疾走する。艤装を装備した陸上でもその性能は遺憾無く発揮され、数十秒もすればもう誰の背中も見えなくなった。

 

____________

 

それから時は流れ、訓練開始から50分を超えた頃…とうとう六周終えて帰還する者が現れた。

 

「……ハッ…ハッ……ハッ…ハッ…」

 

「ご苦労!…急に止まるな、ゆっくり流せ。艤装はもう外していい」

 

「ハァ……ハァッ…ふぅぅ……」

 

「意外だな、まさかお前が一番乗りだとは」

 

予想外でこそあれど、純粋な賞賛を含めた俺の発言を聞いた当人は、明らかに不満気な感情を込めた眼光を俺へと走らせた。

 

「…何?…意外とな?…では聞くが、誰が一番先に帰ってくると思っていた?」

 

「純粋に身軽な空母組か、軽巡である川内。大穴で高雄かと思っていた」

 

「ふん…確かに姉様の実力は疑うべくもないが、今は空母。私は戦艦だ。地力が違う」

 

「…他の3人については何もないのか?」

 

「眼中にない」

 

「やれやれ…」

 

KAN-SEN達は皆複雑なカンレキをもつものだが、艦種が違えど流石は加賀の実妹。性格も悪い部分がよく似ている…

 

「…土佐、飲めるか?」

 

そして荒い息遣いで姉譲りの豊満を上下させている土佐に対し、俺はスポーツドリンク(のようでいて、神威がKAN-SEN用に成分を微調節してくれたもの)とタオルを手渡した。

 

「相変わらず気が利くな、貴様は」

 

「これぐらいしてやらなければ給料泥棒だ」

 

「ふふふ、そうだな…」

 

受け取ったタオルで一通り汗を拭いた後、土佐はキャップを開けるのが面倒だったのか手刀で栓をぶっ飛ばす。そしてそのまま一気飲みした。手に負えん。

 

「ふぅ…さて、私は貴様にもう一つしてもらわねば気が済まん事がある」

 

「…手合わせをしろというんだろ」

 

「よく分かっているではないか…」

 

引き受ける、など一言も言ってないにも関わらず、土佐は空になったスポーツドリンクを投げ捨てて臨戦体制に入る。

 

(……そういえば土佐にはまだ使ってなかったな)

 

だがこれも仕事だ。どんなKAN-SENの面倒も見る。そして何事からも守り抜く。両方やらなくてはならないのが、指揮官の辛いところだな。

 

「さぁ指揮官…覚悟はいいか?」

 

「俺は出来てる」

 

「…ふっ…!」

 

問答の直後、俺の首をへし折る勢いで土佐が繰り出した回し蹴りを直撃寸前で回避する。耳元で地鳴りのように風を裂く音がするがそんなものに気を取られる間は無く、次々に飛来する鉄拳の嵐をどうにか頭の動きとステップの組み合わせで捌く。

 

「はっ‼︎」

 

(…来たっ‼︎今だ‼︎)

 

このままでは決定打に欠けると踏んだ土佐が、文字通りのフィニッシュブローとして渾身の右ストレートを放った。

 

「…⁉︎」

 

ズパンッ‼︎

 

(これも止められるか…!)

 

俺でもそうするだろうと予測は出来たので、クロスカウンターを試みた。間違いなく意表は突けたものの、土佐はすかさずもう片方の手で俺の拳を受け止める。

 

「…流石に地力が違うな?」

 

「貴様ァッ!」

 

直後に激昂した土佐が俺を力任せに放り投げた。荒れ狂う激流に等しいその力に逆らうことなく、俺はぶっ飛ばされながらそのまま距離を取る。

 

ダダダッ!

 

(チャンスは一度!外せば死ぬ!)

 

すかさず距離を詰めてくる土佐の構えが打撃技のそれなのを確認して、俺も構えに入った。

 

(またカウンターか⁉︎…ならば!)

 

「遅い!」

 

「何っ⁉︎」

 

ゴキゴキゴキゴキ!

 

「ぐぁぁぁぁぁっ…‼︎」

 

今度こそ容赦無く、俺は()められるだけの関節に対してありとあらゆる関節技をかけた。

 

「打撃系など花拳繍腿(かけんしゅうたい)関節技(サブミッション)こそ王者の技よ」

 

「ぐぅっ…これしきのことで…!」

 

「見事な技だったぞ、指揮官」

 

「…えっ、加賀?」

 

どうにか土佐の無力化に成功し悦に浸っていた俺を、突然の加賀の賞賛が呼び戻す。

 

「あ、姉上⁉︎」

 

「面白い物が見れた。お前が一時間以内に戻って来いと言った理由が分かったよ」

 

「いや、そういう意味では…」

 

まさかと思って周囲を見渡すと加賀と土佐以外の六隻、つまり全員が既に帰ってきていた。腕時計で確認したがしっかり一時間以内である。

 

「指揮官!今度は私と!」

 

「ちょっと榛名?私の方が早く帰って来たよね?」

 

「ま、待て榛名!瑞鶴!今度こそ死ぬ!」

 

「…土佐、立てるか?」

 

「あぁ待ってくれ、なら関節を…」

 

スクッ

 

「えぇ姉上…油断しました」

 

(あっさり…)

 

…我ながらこんな相手によく勝てたものだ。次はないかもしれん。

 

「はぁ……各員整列!」

 

ザッ!

 

「諸君らの優秀さには改めて感動させられた、というのが本日の感想だ…今後の訓練内容も吟味しておく。ひとまずはこれで終了しよう…解散!」

 

誰一人遅れず、倒れもせずについてきたことは本来喜ばしいことだ。だが今度は組み手なんか出来ないぐらい全員クタクタにさせよう。俺は内心そう誓いつつ、解散の号令をかけた。

 

____________

 

朝稽古を終え、朝食を済ませた俺は神威と共に艦隊の皆へ吾妻の開発を宣言した。皆の反応はやはり「超甲巡」に対する関心が殆どで、特に巡洋艦の中には複雑な心境を吐露する者も居たが…それすらも神威の手を借りて(なだ)めつつ、どうにか今回も皆の協力体制を得た。

 

「…では第五艦隊並びに第六艦隊を吾妻開発の特化連隊として、以上の面々での編成を確定する」

 

「畏まりました。主任と他の研究員一同にも順次情報を共有しておきます」

 

「頼んだ」

 

その後は開発艦用の実戦データ収集をより効率的に行う為の艦隊再編成、装備の見直し、計画発動による追加の書類業務…それらの仕事に忙殺される形で、俺達は昼食も取らずに執務室に篭る羽目になった訳だが…

 

「…しかし指揮官、お言葉ではありますが…」

 

「どうした?」

 

「いえ…何も夜の分の業務まで済ませる必要はなかったのではないかと…」

 

「ふふっ…それにはちゃんと理由があるのさ」

 

無理をしてまで本日分の仕事を終わらせたその最たる理由として、俺は愛用しているバイクのイグニッション(エンジン掛ける時に挿すアレ)を執務室の机の上に置いて見せた。

 

「…外出許可は貰えたの?」

 

「あぁ、計画発動前だしな…親子水入らずのドライブだと伝えたらお上も許してくれた」

 

「お財布持って行かなくていい?」

 

「当然だとも!内地に降りた後はお父さんなんでも買ってやるからな!」

 

「行きたい所にも連れて行ってくれる?」

 

「ドライブってのはそういうもんだろ?」

 

「…うんっ‼︎」

 

「よっしゃあ‼︎久々に楽しもうな、神威!」

 

「…一応聞くけど安全運転でお願いね?」

 

「さっきから質問が多いなぁ、お前って子は…」

 

「えへへ…」

 

聡明そのものの我が子に細かい説明は要らない。戦争に生きる軍人としてではなく、一組のごく普通の親子として最高の時間を過ごしたいという想いにも理由は要らないだろう…

 

「…あっ…」

 

「うん?」

 

「その…少し用事を思い出しちゃって…」

 

「えっ⁉︎」

 

えっ、なに?俺もうフラれるの?早くない?

 

「あっ、違うの!全然お父さんとドライブ行きたくないとか、そういう訳じゃなくて…でも、大事な用事だから…」

 

「…なるほど…プライベートな用事みたいだが、一応お父さんとしては理由くらい…」

 

「…や、やっぱり、言わなくちゃダメ…?///」

 

(……ハッ‼︎)

 

が、しかし。恋に恋する乙女…ゲフンゲフン、美少年の顔になって頬を赤らめる愛息子を見た俺は全てを悟った…クソッ、「YESマイサンNOパンチ」を教育方針にしている俺とした事が、不粋な真似をしたぜ。

 

「…言わなくて大丈夫だ、行ってきなさい」

 

「ありがとうお父さん!…ちょっと時間かかるかもだけど、なるべく早く…」

 

「いや、なんならそのまま帰ってこなくてもいい…お前の好きにしなさい」

 

「…えっ?」

 

「それが大人になる為の近道だとお父さん信じてるからな…」

 

「えーっと…うん…?」

 

…神威は動揺しているようだったが無理もあるまい。相手が誰なのかは候補が多過ぎて予想も出来ないが、むしろ逢瀬(おうせ)の約束を思い出して、そちらを優先したその男気に俺は敬意を表する!

 

「さぁ!そうと決まれば善は急げだ!今すぐイケてる格好に着替えてビシッと決めてきなさい‼︎もしお前が先に着いたとしても、「今来たばかりだよ」って必ず言うんだぞ‼︎」

 

「…お父さん違うの、用事っていうのは…」

 

「言うな!言わなくていい!早く行け!GO GO GO‼︎」

 

「わぁぁっ⁉︎ちょっと!押さな…」

 

バタン!…ガチャ

 

(…頑張れ…‼︎)

 

神威の腕や服が挟まらないよう慎重に、かつユニオン特殊部隊も青くなるぐらいの勢いで神威を送り出し、俺は執務室の戸を固く閉めた。もう俺に出来る事は何もない…

 

(…はぁぁ…あの子もその気になれば相手はたくさんいるもんなぁ…一体誰が最初に挨拶に来るのやら…)

 

ひとまず「お前に息子はやらん‼︎」は絶対に言う。その気がなくても言う。相場は娘なんだろうが。

 

____________

 

…盛大に勘違いしたお父さんに執務室から追い出された僕は、重たい足取りで大事な用事の為にある人達のお部屋へ向かった…

 

「…ひゃっ⁉︎…やだっ、くすぐったいよぉ…///」

 

「んもぅ神威ったら…じっとしてください、じっと…」

 

…そして今、僕は約束通り翔鶴お姉ちゃんに「採寸」をしてもらっている。お父さん以外の人にこんなに身体を触られたことがないのと、やっぱり少しは緊張しちゃうのもあってやたらとくすぐったい…

 

「…ねぇ瑞鶴、今から下も測るからちょっと神威を抑えてて…」

 

「う、うん…ほら神威?すぐ終わるから、そんなに緊張しないでね?」

 

「あっ、待って待って!ズボンの上からじゃダメ⁉︎///」

 

翔鶴お姉ちゃんは下の丈を測るだけなのに何故かズボンまで脱がせようとしてきたり、瑞鶴お姉ちゃんにギリギリバレないぐらいのちょっとエッチなイタズラをしてくる…実は前にお父さんにも相談してみたんだけど、お父さんは鼻血を出しながら「それは愛情表現だから何も問題ないッ」の一点貼りだった。

 

「…う〜っ、採寸ってまだ終わらないの…?」

 

「はい、もう終わりましたよ」

 

「えっ?…もう?」

 

「あら…もしかしてもっと続けて欲しかった?」

 

「へっ⁉︎あっ、いや…べ、べつに…///」

 

…と、とにかく「採寸」は本当に終わったみたいで、お姉ちゃん達は早速ミシンで着物を縫い始めていた。

 

「それじゃあ完成したら持ってくるから、神威はお部屋で待っててね!」

 

瑞鶴お姉ちゃんはさも当然のようにそういって優しく笑ってくれた。最初は単なる口約束だったのに、それでも嫌な顔一つせず着物を作ってくれるなんて…僕なんて幸せ者なんだろう。

 

「えぇ〜?これからお姉ちゃん達が必死にお裁縫するのに、神威はもう帰っちゃうんですか〜?…お姉ちゃん、なにか面白いお話聞きたいな〜♡」

 

「…翔鶴姉、悪い癖出てるよ」

 

…うん、やっぱりうまい話にはちょっと裏があるのも世の中の常みたい…でも困ったなぁ、面白い話なんて急に言われても…

 

「…あるかも」

 

「えっ、本当に何かあるの?」

 

「うん…でもこれは軍事機密なんだからね?いい?お姉ちゃん達を信じて言う訳だから、絶対に口外しちゃダメだよ?」

 

「わ、分かった…!」

 

「うふふっ…それで?どんなお話かなーっ…」

 

お父さん以外は知らないことだから、これを言うのは流石に迷ったけれど…それでも二人への感謝の意味も込めて、僕はとっておきの話をすることに決めた。

 

「…僕ね、実はお兄ちゃんがいるの」

 

「「………‼︎」」

 

…本当の話をちょっとだけ大げさにした上で。

 

「えっ…それってホントの話?」

 

「うん!僕の大好きなお兄ちゃんだよ!」

 

「ふ〜ん…どんな人?」

 

あ、やっぱり翔鶴お姉ちゃんは信じてないな?よーし…

 

「あのね、一言でいえばすっごく優しい人!確か今年で23だったかな?もちろん僕と同じ重桜軍人だよ!…元だけど」

 

「…元?」

 

「…今はもう退役しているの?」

 

「ううん、今は鉄血にいるの…でも凄いんだよ?18歳の頃に交換留学で渡った鉄血で成功して、今は向こうの指揮官にまでなったんだから‼︎」

 

「ええっ⁉︎…橘一族って鉄血でも出世出来るの…?」

 

「血筋じゃなくてその人の努力あってのものよ…そうでしょ神威?」

 

…これ以上はバレたら本当に処罰されるぐらいの機密事項になってしまうし、瑞鶴お姉ちゃんはともかく、翔鶴お姉ちゃんにはもうお見通しみたいだった。

 

「うん、そうだね…あくまで僕が大好きだからそう思ってるだけで、お兄ちゃんと血縁関係はないんだ」

 

「なーんだ…じゃあ義兄弟ってやつ?」

 

「うん!…それに、お父さん以外に初めて好きになった人だよ!」

 

「……!」

 

…カタッ

 

お姉ちゃん達はミシンを止めずに話を聞いてくれていたのだけれど、ふいに翔鶴お姉ちゃんだけがミシンを縫う手を止めた。

 

「…お姉ちゃん?」

 

「あはは、なんでもないですよ…袖の部分、ちょっと縫い過ぎちゃったかしら…」

 

…普段は考えてる事が読みにくいのに、何故か動揺していることだけは僕でもすぐ分かった。

 

「……よっしゃ!面白い話も聞けたし、今度こそお姉ちゃん達頑張るから、神威はお部屋で…ううん、どうせならお外で遊んでおいで!」

 

「…もういいの?」

 

「もちろん!…それにちょっと翔鶴姉と話したいこともあるし…ね?」

 

「…うん、分かった!僕待ってるね!」

 

それについては瑞鶴お姉ちゃんも思う節があるようだったから、僕はもう何も考えずお言葉に甘えて二人の部屋を後にした。

 

____________

 

「…相手の人は男なんだし、心配しなくても大丈夫よ、翔鶴姉!」

 

「…そんなに顔に出てた?」

 

「うん!…多分神威も気付いたんじゃない?」

 

「そっか…ふふっ、いっそのこと全部気付いてくれればいいのに…」

 

「…まぁ…神威はまだ子供なんだから、そういうのはまだ分からないんじゃないかな…」

 

「そうよね…」

 

「…だけど私達の自慢の「弟」なんだって、そうアピールしたいんでしょ?だったらやるしかないよ!」

 

「…ありがとう瑞鶴…貴女は世界一の妹よ…」

 

「や、やだなぁ翔鶴姉ったら…///」

 

____________

 

「…ただいま!」

 

「神威?…なんだ、もう用事は済んだのか?」

 

「うん!」

 

頼れる副官としてではなく、無邪気な子供の面影を残したままで神威は執務室に帰ってきた。

 

「…お父さんの予想より正直ずっと早かったが…心なしか行く前よりいい顔をしているな?」

 

「えへへ…楽しみが増えたよ、お父さん」

 

「ははっ、そっかそっか…」

 

手元のスマホで確認してみるとまだ数十分ぐらいしか経過していなかったが…これ以上の詮索は無用だろう。

 

「…ヨシ!なら今度はお父さんがお前を楽しませる番だな!…ついておいで!」

 

「はーいっ‼︎」

 

それではここから皆様には俺達の親子水入らずのひと時を…尺の都合上ダイジェストでご覧頂くとしよう!

 

____________

 

ブロロロロ…

 

「ドライブなんて久々だね、お父さん!」

 

「忙しくなる前くらい、たまにはこうして息抜きしないとな!」

 

「そんな事言ってぇ〜本当はお父さんも遊びたかっただけでしょ!」

 

「はははっ、バレたか!そうとも!お父さん精神年齢ならお前より若い自信があるぞ!」

 

「…あっ、お父さん!海見て!」

 

「どうした⁉︎……って何も代わり映えは…」

 

「イルカ!イルカの群れだよ!あの大きな積乱雲の根本の方!」

 

「…おおーっ⁉︎すげぇ群れ!十匹はいるな…!お前は目も良いんだなぁ神威!」

 

「えっへん!…それに誰かさん(お父さん)に似て顔も良いと思うんだけど?」

 

「あぁ、誰かさん(お母さん)そっくりの美形だ!」

 

____________

 

グゥゥゥゥ…

 

「…お父さん、お腹空いたね…」

 

「俺達昼飯抜いたからなぁ…せっかく街に来たんだし、晩飯前だけど何か食べていくか?」

 

「なら僕クレープが食べたい!」

 

「おっ、いいねぇ!…何味がいい?」

 

「チョコバナナ!」

 

「お前は迷いないな〜…それじゃ一緒に入ろうか」

 

「はーい♡」

 

カランカラン…

 

「ありがとうございました〜!…あ、いらっしゃいませ!」

 

「すみません、チョコバナナ味のクレープはありますか?」

 

「はい、ございます!」

 

「ではそれを二つ…」

 

「お姉さん!一番大きいやつを一つ!」

 

「えっ?」

 

「えーっと…お一つ、でいいのかな?」

 

「うん!お父さんと半分こするの!」

 

「…お前って子は」

 

「ふふふ…とても可愛い娘さんですね」

 

「あっ、いやこの子は…」

 

「ありがとお姉さん!よく言われる♡」

 

(…俺も錯覚しそうだぞ、息子ちゃんよ)

 

____________

 

「…さて、そろそろ帰ろうか」

 

「…まだいいんじゃない?」

 

「そうは言っても夕方だしな…皆も心配するかもしれんし…んっ?」

 

「どうしたの?」

 

「いや…こんな所にカラオケあったのか」

 

「…そうだ!最後にカラオケして帰ろうよ!」

 

「…風呂場で歌うのじゃダメか?」

 

「お願い!なんでもデュエットしてあげるから!」

 

「入ろう!!!」

 

「やったーっ♪」

 

そして、数分後…

 

 

「「そびえ立〜つ〜♪その勇姿で〜♪駆け抜け〜ろ〜♪愛の宇宙(そら)を〜♪」」

 

 

…結局のところ俺達のカラオケは異様に盛り上がり、冷や汗ダラダラで帰った後は三笠・天城・長門の御三家に、そして何故か神威は五航戦の二人からも死ぬ程怒られたのは言うまでもない。

 

____________

 

「…なぁ、着替えってそんなに時間掛かるのか?」

 

「もうちょっとだから…!」

 

地獄のような説教からようやく解放されて寝床に戻れた俺に対し、突然神威から見せたい物があると言われ、背中を向けて着替えを待つ事10分弱…

 

「出来た…‼︎」

 

ついにその時は来れり。

 

「どれどれ……ハッ…⁉︎そ、その格好は…⁉︎」

 

…神威が身に(まと)っている艶やかな紅と純白の着物は普段から見慣れているようで、けれど本来の所有者である二人の配色とも異なる。月明かりしかない薄暗い寝室でも繊維の一本一本が丹念に織り込まれているのが分かる、まさに職人仕上げ…そして何より!

 

「…ふふっ…似合わない、なんて言わせませんよ?」

 

最も特徴的な袖の部分で、翔鶴の真似なのか上品に口元を隠しながらそう言った神威はもはや百年に一度レベルの美少女にしか見えず、色んな意味でテンションがおかしくなった俺は思わずこう叫んだ‼︎

 

「七五三!七五三じゃないか‼︎」

 

「おバカッ⁉︎」ボカッ‼︎

 

「ぐふっ…⁉︎」

 

…そして人生初となる愛息子からのマジパンチによって俺は正気に戻った。

 

「…い、いい拳だ…世界を獲れる右だぜ…」

 

「もう!言うことが違うでしょ⁉︎」

 

「……あぁ、凄く似合うよ…」

 

「…うん!それが聞きたかったの!」

 

「…ついでに少しだけ大切な話をするから、そこにおかけなさい神威」

 

「…はい」

 

…神威が五航戦の二人からこれを賜った経緯を探るつもりはないが、たまには威厳のある父親っぽく振る舞うとするか。

 

「いいか神威…お前の気に入っている髪飾り、そして今見せてくれたばかりの着物…それは言うならばお前が信頼されている証拠だと、お父さんは思うんだ」

 

「うん」

 

「これからも気の優しいお前には贈り物をくれる子がいるかもしれない。それは物じゃなくて経験だったり思い出の類いかもしれないが…どんな物でも大切にすると、まずは一つお父さんに約束して欲しい」

 

「分かりました、約束します」

 

「ありがとう…ではもう一つだけ。こんなに素敵な物を賜ったからには、それに相応しいだけの恩返しをしなさい」

 

「恩返し…」

 

「勿論それは物の贈り返しでなくてもいいが、これは礼儀作法云々というより男の子としての義務だ…分かるね?」

 

「…はい!」

 

…外見はともかく、こうした時に見せる顔は確かに男の子のそれだ。俺の伝えたい事も完璧に汲んでくれているようだし、何も心配要らないな…

 

「ならヨシ!…さ、後はそれを脱いで早く寝るとしよう」

 

「えーっ⁉︎もう脱ぐの⁉︎着付け大変だったのに…」

 

「シワをつける訳にもいかんだろ…橘一族の家宝となるべき物なんだから」

 

「…えっ…」

 

「お前が大きくなっていつか着れなくなったとしても、この着物は家宝として俺が守り抜くとも…恩返しとはこういう事でもあるんだぞ、神威?」

 

「…ありがとうお父さん…」

 

「…お前もいつかお父さんになったら、自分の子供にこういう事をしてあげてね」

 

「…約束するよ!」

 

…澪、貴女も見てるかな…俺達の子供はこんなにも早く、毎日立派になっていってるよ…

 

____________

 

…昨日は我ながら大胆かつ強引に振る舞った自覚はあるけれど、少なくともあの子はとても喜んでくれた…そう思う。

 

「…翔鶴姉?」

 

それでもやっぱり皆の前で見せびらかすような真似をする子ではないし、艦隊が本格的に稼働するのも来週からで、稽古も無い非番の日は暇で仕方ない…

 

「わっ、翔鶴姉!お茶こぼれてる!」

 

「えっ?…あっ…ごめんなさい瑞鶴、すぐ拭くから…」

 

「いいよいいよ、私がする…火傷してない?」

 

「大丈夫よ…ありがとう瑞鶴」

 

刀の手入れをしていた妹に指摘されるまで、お茶の淹れ過ぎにも気付かないほどの気の抜けようだ。当然笛の練習にも身が入らなかった…

 

「…今日は朝から心ここにあらず、って感じね…悩みなら聞くよ?」

 

「…貴女には言いにくいわね」

 

「もう!なにそれ⁉︎」

 

「ふふっ…ちょっと元気出た」

 

このまま妹に心配を掛け続けるのは私の望む事ではないし、気晴らしに出掛けるかそれとも昼寝でもするか…

 

トントン…トントントントン…

 

そんな時、やけに慌ただしいノックが来訪者の存在を告げる。

 

「…誰だろ?」

 

「私が出るわ」

 

ガチャッ

 

「はい?」

 

「えへへ……き、来ちゃった…///」

 

…そこには私達の想いを完璧に着こなした、可愛い神威()がいた。

 

「…ふふっ、いらっしゃい…ほら上がって?」

 

「うん…お、お邪魔します…」

 

呼ばずに来たのは意外にもこれが初めてで、何故か髪も呼吸も乱れていたけれど…私はこの子を視界に入れただけで、自分でもびっくりするぐらい自然な笑顔を浮かべているのが分かった。

 

「あれっ、神威?…そんなに息切らしてどうしたの?」

 

「あはは…はぁ…ここに来る途中で…葛城に捕まっちゃって…質問攻めに…」

 

「あー…なるほど…」

 

重桜空母の中でも龍驤に次いで小柄な葛城は、何を隠そう話が長い。良い子ではあるのだが…むしろよく神威が振り切れたなとさえ思う。

 

「…頑張りましたね、神威」

 

「葛城には悪いことしちゃったけどね…でも、どうしても伝えたい大事な用事があったから…」

 

…そう言いながら頬を赤らめる神威を見て、その大事な用事が業務連絡の類いと思う者は居ないだろう…

 

「まぁ…ちょっと待っててね、とりあえずお茶でも…」

 

「あーダメダメ!翔鶴姉はこぼすから!瑞鶴お姉ちゃんに任せてなさい!」

 

「…もう」

 

…おまけに優しい妹が気を利かせて私の退路を断つ。

 

「ううん、お茶はいいよ…お気持ちだけ頂きます。だから…瑞鶴お姉ちゃんも聞いてくれる?」

 

「…うん?」

 

「あの…そのね…」

 

だが神威はそれを制して、気恥ずかしさに小さな身体を揺らしながら…それでも勇気を振り絞ってこう言ってのけた。

 

「ぼ、僕と!…デートしてくださいっ‼︎///」

 

「「……!!」」

 

…きっと、今の私は瑞鶴とは同じ表情をしていない。

 

「…どっちと?」

 

「えっ?」

 

数秒のようで数十秒にも感じられた沈黙の後、おもむろに瑞鶴が神威へ問い詰めた。

 

「私達二人いるんだよ?…まさかデートさえ出来たらどっちでもいいなんて言わな…」

 

「り、両方‼︎」

 

「いよね…えっ?」

 

「…両方(ふたりとも)じゃ…ダメ…?」

 

…咄嗟の事でどちらかを選べなかったのか、それとも選ばれなかった方を傷付けたくなかったのか…いずれにせよなんとも神威らしい答えだ。

 

「…〜っ!よく言った!それでこそ男の子よ‼︎」

 

「ほ、本当⁉︎…じゃあ…!」

 

「うん!…正直両方とは予想してなかったけど、私はOKよ!」

 

「…翔鶴お姉ちゃんは?」

 

「もう…ずるいですよ、神威ったら…」

 

「えへへ…」

 

瑞鶴がどんな返事を予想していたかはともかく、私としても神威を部屋に招き入れた時から答えは決まっていたようなものだ。ならば…

 

「…じゃあせっかく誘ってきたんですから、ちゃんとお姉ちゃん達をエスコートしてくださいね?」

 

「もちろん!…少しだけ手伝ってもらえたら、だけど…」

 

「…!こないだみたいなホラー映画ならお姉ちゃん断るからね⁉︎」

 

「ごめんってば…でも違うよ?お姉ちゃん達じゃないと出来ない事だから…」

 

「…?」

 

____________

 

「て、店長!空から女の子達が!」

 

「あん?……馬鹿野郎‼︎真ん中は男だ‼︎」

 

「ええーっ⁉︎」

 

「ほら、二階の座敷だ‼︎…開けてやれ‼︎」

 

「へ、へいっ‼︎」

 

____________

 

「あいお待ちどう…鴨南蛮とカツ丼、それと天ぷら特盛海老3倍ね」

 

「ありがとうおやっさん!」

 

「うわぁ…!美味しそうだよ翔鶴姉‼︎」

 

「ふふっ、そんなにはしゃがないの…」

 

五航戦のお姉ちゃん二人に抱えてもらう形での遊覧飛行を満喫した後は、お昼ご飯を食べる為にお父さん行きつけのお蕎麦屋さんへと転がり込んだ…もちろん今朝のうちに予約は済ませてある。

 

「しかし…まさか本当に空から来るたぁねぇ…しかもこんな別嬪さん(はべ)らせて、お揃いの袖付き着込んでよぉ…出世祝いかい坊っちゃん?」

 

「えへへ…今日はいいご身分って自覚あるよ♪」

 

お店の大将、愛称おやっさんは僕のお父さん譲りの性格も熟知してくれている。だからこそKAN-SENが入って来ても動じないどころか、絶対に口外しないとまで約束してくれた。

 

「…瑞鶴、まずは自己紹介しておきましょう」

 

「そうね!…初めましておやっさん!私は瑞鶴っていいます!妹の方よ!」

 

「同じく第五航空戦隊旗艦、姉の翔鶴と申します…今日は急な来店になりましたが対応ありがとうございます、おじ様♪」

 

「第五航空…?おぉ…そうかい、アンタらが五航戦っていう嬢さん達か…旦那から話に聞いてる、ゆっくりしていきなよ」

 

「………」

 

自己紹介を済ませた二人が五航戦だと一瞬で理解したという事は、お父さんからも結構詳しく聞いているんだろうけど…大人同士で一体何の話したのかな…というか機密は大丈夫…って僕の言える義理じゃないか。

 

「…で、結局どっちが坊っちゃんの「いい(ひと)」なんだい?」

 

「いきなり⁉︎」

 

「そりゃおめぇ気になるだろ!…で、どうなんだ?」

 

「え、えーっと…」

 

「両方じゃダメ?」

 

「そうそう両方!…えっ⁉︎///」

 

突然の展開に戸惑う僕に入れ知恵するように、口元を袖で隠しながら翔鶴お姉ちゃんがそう言った。

 

「あはは…あっ、でもねおやっさん?ここだけの話、多分私よりも翔鶴姉の方がずっと神威のこと…」

 

「ず、瑞鶴‼︎」

 

「はははっ!…流石は坊っちゃんだ、もう旦那以上の(たら)しかもしれねぇなぁ…」

 

「…褒め言葉?」

 

「あたぼうよ…坊っちゃんは坊っちゃんが思ってるよりずっと多くの人から愛されてるのさ。人間そうじゃねぇと幸せに生きていけねぇからな…幾つになっても、それだけは絶対に忘れなさんなよ…」

 

「…うん!」

 

…おやっさんの言葉通り、お父さんや研究員の皆、KAN-SEN達…そして五航戦のお姉ちゃん達とおやっさん自身も僕を愛してくれてる人の一人だろう。

 

「…じゃ、聞くもん聞けたし戻るかね…後は上手くやりなよ坊っちゃん」

 

「…あっ!待っておやっさん!お金!」

 

「ツケにしとくぜ」

 

…そして僕達に気を遣ってくれたのか、おやっさんは素敵過ぎる捨て台詞と共にクールに去っていった。

 

「…もう、格好良いんですから…」

 

「本当、素敵なおじ様ね…それじゃあ神威、ご好意に甘えてそろそろ頂きましょう?」

 

「…うん、そうだね!」

 

「えへへっ、頂きまーす!」

 

…ちゃんと恩返しになっているかはともかく、僕は五航戦のお姉ちゃん達と心ゆくまでお昼ご飯を満喫したのだった…

 

____________

 

(…この時間になっても帰って来ないという事は…どうやら上手くいったかな…)

 

「旦那様?手が止まっていますよ」

 

「おおっ、すまなんだ…ふんっ…!」

 

久方ぶりに神威の補助無しで指揮官としての業務を遂行していた俺は、戦いの場を執務室から厨房へと移し、そして鳳翔と共に海軍カレーを作っている…な、何を言っているのかわからねーと思うが(ry

 

「ふふっ…旦那様もやはり人の子ですね…そろそろ代わりましょうか?」

 

「いいや…!俺の勝手な気紛れで申し訳ないが、今日は皆に俺の作った飯を食わせたいんだ…!」

 

海軍と言えばカレー。そして今日は金曜日なのだ。それはまあ良しとして、何故俺自らが作ってるかと言えば…指揮官としての業務に疲れたからである。それ以上でもそれ以下でもない。

 

「それにこれは…文句一つ言わず皆の食事を作ってくれる、鳳翔君に対する俺なりの労いでもあるんだからな…!」

 

「まぁ…旦那様ったら…」

 

確かに偽らざる本心だが…総勢百隻をゆうに超えている艦隊規模の調理鍋の重さを甘く見ていた。正直後悔もしている。

 

「…けれど、それ以外の用事もおありなのでしょう?」

 

「…何故分かったんだ?」

 

「話を切り出そうとはしていても、中々言いそびれているご様子ですから…」

 

「…流石、俺をよく知ってくれている…君に嘘は付けないなぁ、鳳翔君…」

 

…そして鳳翔が察してくれた通り、俺は彼女に相談したい事もあったのだ。

 

「…実は君に聞いて欲しい事があってね」

 

「…他人行儀をお辞め頂けるのでしたら、お聞き致します」

 

「分かった…では改めて、鳳翔。お前に聞いて欲しい…これでいいか?」

 

「はい…ありがとうございます、旦那様」

 

「礼を言うのはこっちの方さ…」

 

艦隊のオカンとしてではなく、一人の女性の顔になった鳳翔に対し、俺は早速切り出した。

 

「実は最近…世継ぎの候補者を考えているんだ」

 

「まあ…まだ気の早いお考えではありませんか?」

 

「俺もそう思うよ…だがこれはむしろ、神威の願いと言ってもいい」

 

「詳しくお聞かせくださいませ」

 

「ありがとう、鳳翔」

 

そして俺は慎重に言葉を選びつつ…神威が母親を恋しいと思っていること、俺自身は再婚を考えていないこと、物は揃っているので神威にその気があれば「ケッコン」を認めなくもないこと…それらをありのまま伝えた。

 

「なるほど…それでお世継ぎ探しという訳ですね」

 

「…分かってくれるか?」

 

「えぇ…つまり、若旦那様がお母様を恋しく思われるのは若旦那様がまだ幼いからであって、世継ぎの相手さえ見つかってしまえば自然と愛の矛先もそちらに向くだろう…という事かしら?」

 

「あぁ…詭弁(きべん)だとは分かっていたが、こうも正確に言語化されると…辛いな」

 

「旦那様、あまりご自分を責めてはなりませんよ…一人の親として我が子の願いを叶えたいという想いには、正解という物もないでしょう?」

 

「…ありがとう。救われるよ、鳳翔」

 

正直一番最初に誰に相談するかはかなり迷ったが、これが聞けただけでも鳳翔を選んだ事は間違いなく正解だったと思えた。

 

「どう致しまして…それで、具体的な候補者というのもある程度お決まりですか?」

 

「いや、まだ考えているだけさ…それに最終的に決めるのはあの子だから、俺としては誰が挨拶に来たとしても無下にするつもりはないよ」

 

「あら…私にもまだチャンスが?」

 

「お前からお義父さんと呼ばれるようになるのか?勘弁してくれよな…」

 

「ふふっ…」

 

…話をする度に思うが、素敵な女性だ。もし妻と出会う前に鳳翔に出逢っていたなら…そう思わない事もないが、鳳翔や皆に出逢えたきっかけを考えれば運命とは難儀なものだ。

 

「…でしたら旦那様、一つご提案が」

 

「何なりと言ってくれ」

 

「カレーが出来るまではまだしばらくかかりますし…誰が一番に若旦那様を射止めるのかを予想だけでもしてみては?」

 

「ほう…それはつまり…」

 

「はい、「いめぇじとれーにんぐ」とでも言うのかしら?」

 

鳳翔は珍しく悪戯っぽい笑みを浮かべてそう提案してくれたが、心の準備というのは確かに事前に済ませておくべきことだろう。

 

「なるほど…ではまずあの子の交友関係を整理して、それから予想してみよう」

 

「というと…駆逐艦と潜水艦が大半で、それと一部の巡洋艦にほんの少しの空母と戦艦…それ以外のKAN-SENはみーんな旦那様に夢中ですものね〜♡」

 

「おいおい、買い被るなよ…概ねそんな感じなんだが」

 

「その中で一番早く動きそうな娘と言えば…やっぱり愛宕さんでしょうか?」

 

「うっ…」

 

…避けては通れない名前だ、分かっていた事だ…過剰なぐらいだが神威への愛情は揺るぎないものがあるし、事実として神威の方も懐いている。個人の見解だが世間的に見ても絶世の美女と言えるだろうし、力量も申し分ない。性格も…いや…

 

「…その…なんだ…一緒になったが最後、あの子の純潔が食い荒らされそうな事を抜きにすれば完璧な相手とは思うんだが…」

 

「ああいうタイプは一度思う存分愉しませれば案外すぐに落ち着きますよ〜」

 

「手遅れなんだよなぁ…」

 

「なら…いわゆる幼妻と呼ばれるかもしれませんが、駆逐艦や潜水艦の子の方がいいのかしら?」

 

「ふーむ…」

 

確かに相性は良さそうだ。誰と一緒になっても神威は真摯な愛を捧げられるだろうし、俺も不満はない…しかし…

 

「…KAN-SENは歳を重ねないからな…いつかあの子が成人して歳を重ねていくにつれ、お互いに戸惑いが生じないだろうか…?」

 

「それは誰に限った話でもありません…そしてその程度で揺らぐなら、それは本当に愛情と呼べるのかしら?」

 

「…深いな」

 

「若旦那様のお相手ですもの、私だって生半可な覚悟で努めて欲しくはありませんよ…」

 

(覚悟、か…)

 

ここまで来て俺の脳裏には二つの名前がよぎったが…それはそれで神威がどちらを選ぶのか、そもそも選べるのかという問題もあったから、俺は口に出さなかった。

 

「…それはそうと…あくまで親心としてですが、旦那様は出来ればこの娘と一緒になって欲しいというお気に入りはいたりします?」

 

「…お気に入りというのは傲慢な気もするが、いないと言うのも嘘になる」

 

「あら…ならこの際ですからその方々もお聞かせくださいませ」

 

「うーん…そうだな…」

 

俺はうっかり前述の二人の名前を出してしまわないよう気をつけつつ、神威の伴侶に相応しい…あるいは俺自身が「お義父さん」と呼ばれても問題ない面子を思い浮かべた。

 

「筑摩君や神通君なんかはしっかりしているし、今はともかく一緒になれば神威の事も立ててくれそうだな…そうだ、比叡君!彼女なんて完璧なんじゃなかろうか⁉︎」

 

「…なるほど、旦那様はやはりお淑やかな女性が好みのタイプのようですね…」

 

「いや、俺好みの相手という訳では…」

 

「違うんですか?」

 

「…違わないが、そういう鳳翔は誰が良いと思う?」

 

「私なら…そうですね、若旦那様は押しに弱い御方ですし…出雲さんや紀井さんのような姉御肌の尻に敷かれるのも、それはそれで良いのではないでしょうか」

 

「あぁ〜いいとこ突いて来たな…」

 

…尻に敷かれると聞いて、出雲はともかく紀井のやたらとデカい尻に文字通り敷かれる神威がすぐさま思い浮かんだ俺は父親失格であろう。

 

「…でも…結局一番は若旦那様が好きになった方と円満に結ばれる事ですね」

 

「そうだな…それは間違いない…俺もそうだったように…」

 

まぁ神威にはこんな間抜けな父親のようにならず、けれども俺と同じように一生を賭けて愛し抜ける相手に巡り合って欲しい…それだけを願いつつ、俺達はもうそれ以上何も語らずにひたすらカレー作りに没頭していった。

 

____________

 

「えっ、今日のカレーは指揮官が作ったのか‼︎」

 

「あぁ、しっかり食え!もちろんおかわりもいいぞ‼︎」

 

「じゃあ夕立のはお肉山盛り!…あとニンジンいらない!」

 

「おっと、後半部分が聞こえなかった」

 

「あーっ⁉︎なんでニンジン入れるんだよ!このバカ指揮か…」

 

「バカ指揮官…?」

 

「鳳翔君」

 

「…や、やっぱりニンジンちょうだい指揮官…」

 

「ほいきた」

 

「ふふっ…お残しは許しまへんで〜♪」

 

…色々と懐かしい台詞と共に、夫婦みたいな手際の良さで夕立のカレーを盛るお父さんと鳳翔さん。どういう気紛れなのかはわからないけど、お父さんの作ったカレーは大好評で群がるKAN-SENは後を絶たない。

 

「あの…しきかん…」

 

「あぁ如月ちゃん、お待たせしました」

 

「その…如月、からいのは…」

 

「大丈夫。ちゃんとリンゴとハチミツで作ったのも用意してあるよ…これなら食べられるか?」

 

「…うん!」

 

「よかったよかった!…競争じゃないからゆっくりお食べ、こぼさないよう気を付けてね」

 

誰にでも優しいお父さんが皆に慕われるのは息子として僕も誇らしい。でも本当は、そんなお父さんを優しく見守る鳳翔さんが甘口の方のカレーを作ったんだろうな…

 

「…そういえば神威ちゃん」

 

「…えっ?あっ、なに?」

 

なんてボーッと見てたら隣に居る愛宕お姉ちゃんから声を掛けられた。ちなみに「今日の四人」は愛宕お姉ちゃん、夕立、山城さん、比叡さん。前者二名が僕の隣で、後者二名がお父さんの隣の席だ。

 

「この間も今日のお昼もお仕事ばっかりしてたみたいだけど…大丈夫?無理してない?」

 

「あはは、たまたま忙しかっただけだよ…ありがとう愛宕お姉ちゃん」

 

前回は本当にお仕事に励んでいたけど、今日に限っては五航戦のお姉ちゃん達とデートする為の口実にしました…とは口が裂けても言えないな…

 

「そう…でも本当に辛い時は指揮官だけじゃなくてお姉さんにも頼って頂戴。お姉さんなんでも聞いて、なんでもしてあげるから…」

 

愛宕お姉ちゃんは色んな感情が混じってそうな表情と声色でそう言ってくれた。

 

「…懐かしいね…半年前もそう言って僕の看病してくれたっけ…」

 

「そっか…もうあれから半年も経ったのね…」

 

今から半年前…風邪を引いて廊下で倒れてた僕を見つけてくれた愛宕お姉ちゃんに、付きっきりで看病してもらって…その時言ってもらえた僕の大好きな言葉の一つ。まだ右も左も分からなかった頃から今日までずっと、愛宕お姉ちゃんは僕の味方の一人だ。

 

「…でもいつの間にかたくさん「お姉ちゃん」が増えてて、お姉さんちょっと悲しいわ」

 

「うっ…愛宕お姉ちゃんのおかげで他の皆にも慣れたから…ってことじゃダメ?」

 

「ふふっ、別に怒ってる訳じゃないのよ?ただ…お姉さんのこと、どう思ってるのかなーってたまに心配になっちゃう…」

 

「………」

 

こんな顔をしている愛宕お姉ちゃんは初めて見たけれど…僕はそれを「寂しい」という感情のように感じた。

 

「…ねぇ愛宕お姉ちゃん、「コレ」ってどこで見つけてくれたの?」

 

「あら、その髪飾り?明石ちゃんのお店で売ってあったのよ。ちょっと高かったけどね…神威ちゃんに似合うと思ったからお姉さん奮発しちゃった♪」

 

「そうなんだ!…じゃあ今度は僕がお返ししてもいい?」

 

「…えっ?」

 

「その…髪飾りみたいに素敵な物とかじゃないけど…いつかきっとお返しするから、だから待っててくれる?」

 

「…!」

 

意を決してそう伝えると愛宕お姉ちゃんは一瞬だけ目を見開いて…そしてすぐ細めた後に僕の頭を優しく撫でてくれた。

 

「ありがとう神威ちゃん…お姉さん、その気持ちだけで充分よ…」

 

「…遠慮しなくていいのに」

 

「そう?…それじゃあ期待しちゃうわよ?」

 

「うん!…待たせる分、絶対満足させるからね!」

 

「はぁぁ神威ちゃん…っ!」ギュウゥゥ…

 

「んむむむっ…⁉︎」

 

…流石は重桜が誇る高雄型。すごい装甲。なのに暖かくて柔らかい…あっ、ダメだもう意識が…

 

「愛宕君。その辺で」

 

「もう!いいところなのに!」

 

「ぷはぁっ‼︎…ひーっ…ひーっ…」

 

…どうにかお空に飛ぶ寸前でお父さんが割って入ってくれた。

 

「殿様、お帰りなさい!」

 

「ただいま山城君…といっても俺はこれから少し研究所の方に行くよ」

 

よく見るとお父さんは結構な量のカレーが入った鍋を片手で軽々と抱えている。15…いや、20kg以上はありそうだけど、やっぱり鍛え方が違うんだなぁ…

 

「カレーのおすそわけですか?なら殿様!山城が運びます!」

 

「ありがとう山城君。でもいいんだ、これは俺が運ぶ事に意味があるからな…また今度お願いするよ」

 

「むーっ…約束ですよ!」

 

「無論だとも」

 

お父さんの言う事はもっともだし、山城さんにカレーを運ばせたら最後だろうからその点でも賢明な判断…なのかな。

 

「それじゃぼちぼち行ってくる…なぁ神威、お前からも何か言付けはあるか?」

 

「んー…じゃあ「夜勤さん達、いつもお仕事ご苦労様です。無理と居眠りだけはしないでね」…そう伝えて頂けますか、指揮官?」

 

「心得た。ではそういう訳だから、皆は気にせずカレーを満喫してくれ…愛宕君も程々にな」

 

「わ、分かってるわよ!」

 

「はははっ、ならいい…それと、比叡君」

 

「はい指揮官様。後のことは全てお任せください」

 

(…うーむ、この実家のような安心感…やはり嫁にいいかも…)

 

…それでもお父さんは比叡さんに返事をする事も忘れて、少し考え事?…をしながら食堂を後にした。

 

「はい神威ちゃん、あーん♡」

 

「えっ?あっ…」

 

「あーん♡」

 

「…はむっ」

 

そしてお父さんという名の監視員がいなくなった瞬間、愛宕お姉ちゃんは僕にカレーを食べさせてくれる。まぁ愛宕お姉ちゃんが僕の隣を引くたび毎回してもらえるんだけど…

 

(…愛宕が羽目を外さないよう見ていろ、という事ですわね…畏まりましたわ、指揮官様…)

 

(うぅ…今日は一段と凄い視線が…)

 

…毎度たくさんのKAN-SENから、そして今日は何故か比叡さんからも色んな感情の篭った視線が僕達に集中していることを、幸せそうな愛宕お姉ちゃんだけがいつも気付かない。

 

____________

 

我が重桜艦隊に所属する技術研究員は、神威を含め総勢14名。艦隊規模に対するマンパワーとしては微々たるものだが、それでも300人を越えていたかつての俺の教え子達から選び抜いた精鋭である彼等の連帯能力、そしてその揺るぎない忠誠心は何物にも変え難い。

 

「…!准将!お疲れ様です!」

 

「「「お疲れ様です!!!」」」

 

「いい反応だ…夜勤ご苦労様」

 

「各員敬礼‼︎」

 

ザッ!

 

「…もういいぞ」

 

「ハッ!」

 

計画発動前である以上、技術研究員と言えど夜勤業務はもっぱら母港の警備員的な側面が強く、何名かの部下はリラックスした様子で業務中だったが…研究所に足を踏み入れた瞬間俺の気配を察知するなり見事な敬礼を送ってくれた。

 

「…失礼ながら准将。その鍋と食器類は?」

 

「よくぞ聞いてくれた。まぁいつも通りの気まぐれだが、今日は金曜という事もあるし差し入れを兼ねてカレーを作ってな。お前達の口に合えば良いのだが…」

 

「本当ですか⁉︎ありがとうございます准将!…おいお前達!准将から海軍カレーの差し入れだぞ‼︎」

 

「…えっ、何だって⁉︎」

 

「あー、それでその鍋か…」

 

「待ってくれ、今日って金曜なのか…?」

 

「お前はそこからかよ」

 

奥の方にいた研究員も次々に俺とカレーの元へと集まってくる。この場に居ない人物と言えばただ一人、この研究所の最高責任者で神威直属の上司たる研究主任のみだ。

 

「電源確認と進捗状況の保存が終わり次第、各自休憩としなさい…それと誠さんはどちらに?」

 

「主任でしたら開発ドックで最終調整中かと思われます」

 

「分かった。少し話してくる…ちゃんと誠さんの分もとっておくように」

 

「了解です!」

 

「うめ……うめ……」

 

「…食い過ぎには注意しろよ」

 

神威とはまた違う意味で可愛い部下達が、子供のような無邪気さでカレーを頬張るのを流し見つつ、俺は開発ドックへと急いだ。

 

____________

 

「失礼致します」

 

開発ドックに設置されたモニターの前にひとり座す男。生身の右手と機械の左手で別々のパネルを弾きながら、しかしそのどちらにも視線を注ぐことはない。彼の視線は吾妻に関する資料の映し出されたモニターにのみ向けられていて、自分の入力する情報などは指先だけが知っていればいいと言わんばかりであった。

 

「…おや、准将でしたか…気付くのが遅くなり申し訳ありません。歳は取りたくないものですな」

 

男の名は枢木(くるるぎ)(まこと)。年齢は58歳、階級は大尉。今でこそ神威とは別の次元での参謀たる存在だが、かつては俺の直属の上官でもあったから運命というものは本当に分からない。

 

「お疲れ様です…失礼ながら、義手の使い勝手は如何でしょうか?」

 

「私の失った左手よりも自由なのではないかと錯覚する程ですよ…貴方と貴方の御子息に仕える我が身が誇らしく思えます」

 

「勿体ないお言葉です…そこまで言って頂けるならあの子もとても喜ぶでしょう」

 

誠さんはかつてのセイレーン侵攻の際に左手を失った、いわゆる傷痍(しょうい)軍人でもある。そのせいで最前線を離れ、技術研究員として活動する事を余儀なくされたが…やがてKAN-SENが開発された事で戦況も落ち着いた上に、後に産まれた我が子が独学で義手を作成するに至ったのだから本当に運命とは(ry

 

「竜胆?」

 

「ハッ、失礼…回想に(ふけ)ってしまいました」

 

「ふふっ…未だに名前で呼ばれるのは苦手なようですな」

 

「…両親が居ない以上、お上と誠さんぐらいしか呼ぶ人間もいませんからね」

 

「だが今ではお前も父親になったのだ。弱音を吐かずしっかりしなさい」

 

「…お父さんの真似ですか?」

 

「ええ、彼ならきっと貴方にそう言ったかと」

 

…そして何より誠さんは我が最愛の父と同期で、おまけに若かりし頃は我が最愛の母を取り合った仲でもあるらしい。世界は広いが世の中とは案外狭いものだ…

 

「…ありがとう誠さん。元気が出ました」

 

「それは何よりです…ところで、今更聞きにくいのですが…ご要件は?」

 

「来週から息子と…それと吾妻の開発を宜しくお願い致します」

 

「双方お任せくださいませ…ついでに開発希望期間もお伺いしておきましょう」

 

「一ヶ月、可能であれば3週間で」

 

「畏まりました」

 

「ご厚情痛み入ります」

 

我ながら無理難題に等しい要求をしているが、俺の愛する部下達はそうした不可能を可能にしてきてくれた歴戦の猛者達だ。海の上で砲火を交わす女達を、陸の上で支える男達がいても良いだろう…時代は変わるものだ。適応出来る奴だけが、いつだって長生きする。

 

「それと…お口に合うかはともかく、差し入れとして海軍カレーを持参しております」

 

「それはそれは…彼らも喜びそうです」

 

「えぇ、先に食べさせた部下達からは好評でした。誠さんも業務が落ち着き次第お召し上がりください」

 

「そうさせて頂きますね」

 

「…では私はこれで…」

 

「…准将。プライベートなお悩みをお待ちなのでしたら、私は相談に乗りますよ」

 

…そして俺の目の前にいる元上司兼、腹心の部下は何も言っていないのに俺の悩みを探り当てたが…今日に限って生憎もう間に合ってしまっていた。

 

「ありがとうございます誠さん。ですがそちらの件に関しては既に鳳翔にだけ相談しております…お察しの通り息子に関する事ですが」

 

「それは失礼致しました。彼女ならば安心でしょう…吉報をお待ちしております」

 

「いつまでお待たせするかは親の私にも…あっ、そういえばその息子からの言付けもあるのですが」

 

「おや…ぜひお聞かせください」

 

どうにか帰る前に神威からの言付けを思い出した俺は、気配はせずとも僅かに海軍カレーの匂いだけが漂う開発ドックの中、隅々までよく聞こえるよう少しだけ大きく声を発した。

 

「…「夜勤さん達、いつもお仕事ご苦労様です。無理と居眠りだけはしないでね」…以上だ。確かに伝えたぞ」

 

「…………」

 

珍しく呆気に取られている誠さんを尻目に、俺は今度こそ振り返る事なく開発ドックを後にした。

 

____________

 

「…まさか……」

 

…パチンッ!

 

ザザザッ‼︎

 

「…私の目も耳も(あざむ)いたのは見事ですが…いずれにせよ盗み聞きはよくありませんね、お前達」

 

「申し訳ございません。主任の分のカレーをお届けしようと思い立ったまでは良かったのですが…つい出来心で」

 

「…日頃の働きに免じて今回は見逃しましょう。ついでにどこから聞いていたのかも白状しなさい」

 

「准将の入室から退室まで。我ら一同内容は全て把握しております」

 

「正直でよろしい…来週からの吾妻開発に関する説明も省けました。それに対する決定事項も今ここで伝えます。各員周知のほどを」

 

「ハッ、何なりと」

 

「吾妻開発期間に関してのみ、研究主任の権限を私から橘少尉へと移行します」

 

「…よろしいのですか?」

 

「…出雲、伊吹、そして北風。これまでの開発計画においても彼は素晴らしい手腕を見せてくれました。この吾妻開発計画を以って、彼の試金石とする予定です」

 

「…そういう事でしたら、我らも全力で少尉をサポート致します」

 

「結構。ではもう下がりなさい…一人残らず、確実にね?」

 

「大変失礼致しました…」

 

ザザザッ!

 

(…さて…私も忙しくなるが…これまで以上に期待していますよ、神威君…)

 

 

様々な大人達の思惑を乗せて更けていく夜を、純粋無垢な少年だけが知る由もない。

 




ここまでのご高覧、ありがとうございました。
ストックはここまでとなっておりますので今後は不定期更新となってしまいますが、可能な限り早めの更新を目指していきます。

今後ともご愛好のほど、宜しくお願い致します。


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第三話

戦時下における兵士の仕事とは待つ事と訓練する事であり、KAN-SENであってもそれは変わらない。いつ来るか分からない、もしかしたら来ないかもしれない有事に備え続けることが兵士の本質であり、KAN-SEN達にとっての「戦闘行為」とは自身の本能を満たすだけでなく、日頃の鬱屈としたストレスを発散出来る一種の祭りでもある。

 

「………」

 

嵐の前の静けさをたたえる、重桜海沖…まもなく戦場となる大海原の中心に、重桜の第五艦隊艦隊旗艦、長門はいた。

 

「長門様。もう間も無く主砲の有効射程圏内に入ります。砲撃の準備はよろしいでしょうか?」

 

「分かっておるよ、扶桑。今回も余に任せておくといい」

 

「頼もしいお言葉です…及ばずながらもこの扶桑、お手伝いさせて頂きます」

 

「ありがとう」

 

まだ実際に交戦状態に入っていないからとは言え、戦場においてあの長門が僚艦に笑顔を見せた…以前の彼女を知る者であれば誰も信じなかっただろう。

 

(…そうとも、余はもう一人になる必要などない)

 

____________

 

 

「…以上が特別計画艦・吾妻開発までの手順だ。今回は前衛艦の前に主力艦の戦術データを収集・回収する運びとなる。出撃任務のあるKAN-SENは当然のこと、それ以外の者にも委託業務を筆頭に活躍して欲しい。開発予定期間は約1ヶ月を目標としている…なに、もうこれで四度目だ。確かに忙しくはなる。しかしその分開発終了の暁には、三日三晩の大宴会を約束しよう」

 

皆と協力して行う、特別計画艦の開発…出撃の頻度が急増することからある者は祭りのように喜ぶが、ある者は忌み嫌うこの艦隊の恒例行事となりつつある命令。発令の度に皆からの質問攻めや出撃要員に対する一悶着もあるが、誰一人としてこの男の命令は拒まない。

 

「…では次に、計画艦の早期開発の為に再編した第五艦隊の旗艦だが…」

 

この艦隊の勇士達が固唾を呑んで男の発表を待つ中、当の方人は余に視線を向けてこう言った。

 

「長門君。君に任せたい」

 

「…余、か?」

 

戦況も落ち着きを見せ、後進の育成という名目で旗艦の座を離れて随分と久しかったから…そう言われた時は嬉しかったような、そうではないような…未だに分からぬ。

 

「あぁ。長門君が旗艦を務めてもらえるならば他の者も安心し、そして納得するだろう…出来るか?」

 

「…分かった。お主の判断を信じるぞ、指揮官」

 

「…決まりだな!…諸君!」

 

指揮官の言葉通り、皆が余の旗艦を認め、そして褒め称えてくれた…いつも思うが凄い男だ。どんな命令を出しても必ず全て言う通りになるし、ほとんど失敗もない。あったとしても息子や皆がそれを支え、より良い結果に導いてくれる。

 

「…では続いて第六艦隊だが、こちらの旗艦は予定通り三笠だ。他の主力艦として…」

 

そして何より…余が一人で背負っていたものを肩代わりして…手を差し伸べてくれた。何度振り払っても、いつまでも、いつまでも。余が信じて、その手を握り返すと決めた時まで…

 

____________

 

余の眼前には今なお人類を脅かす怨敵がおり、余の側方には愛する仲間達がいる。そして、余の背後には…何よりも守りたい人も…

 

(だから竜胆…余は戦うぞ!何の為に戦っているか、今の余には分かっているのだから!)

 

再びこの世に生を授かり、カミに与えられたこの力。振るう理由は昔も今も何も変わりない…何の恐れもない!

 

「余は長門…重桜の長門である!」

 

雄叫びと共に唸る主砲。響く爆音。水柱と黒煙巻き上がる戦場において、砲塔が開戦の狼煙をあげたばかりだと言うのに、余は早くもこの戦の…否、これからの重桜艦隊の常勝伝説の幕開けを確信していた。

 

____________

 

「吾妻」開発の第一段階として必要な主力艦隊の戦闘データの採取を兼ねているとはいえ、あくまでも本来は海域攻略を目標とした出撃である。一航戦の二人にとってもそれは承知の事であったが、要請があるまではこうして後方で戦況を眺める事を選ぶだけの余裕が赤城にはあった…かつてユニオン・ロイヤルの連合艦隊に奇襲を掛けたあの日のように。

 

「ねぇ加賀?こうしていると昔を思い出さない?」

 

「…昔の定義がどれほど前を指すかにもよりますが、少なくとも私の頭に浮かぶ昔は良い思い出ではありません」

 

「そうね…今となっては消し去りたい過去の一つ、かしら…」

 

そういうなり水平線の彼方を見つめる赤城に対し、加賀はどういう言葉を掛けるかと一瞬考える。しかし口下手な自分が何かを語るよりは、普段のように聞き役に徹するべきだと考え直して結局口は開かなかった。

 

「けれど…そうした過去も含めて、受け入れて…そして共に歩んでくれる人がいるかいないかで、未来の質もまた変わってくるんじゃないかと…最近ずっと思うのよ…」

 

「…指揮官の事ですか?」

 

「あらぁ…やっぱり加賀はよく分かってるわね…」

 

「指揮官」が着任してからというものの、姉の口から出る「人」というのは確実に奴のことだ。しかしながらその熱意に呆れる事はあっても、それに見合うだけの強者だとは感じてもいる。人間の割には体格や能力が優れているという理由だけではない。加賀がそう感じるのは俺が「愛」を知っているからだ…とは本人が言っていたことだが、かつて姉が戦の前に語り聞かせてくれた理屈よりは本能的に理解出来た。

 

「…伊達に加賀も姉様の妹をしている訳ではありません…それに、奴はそれに足る器かと」

 

「当然よ、赤城の指揮官様だもの…でも加賀にだけは共有してあげてもいいかと思っていたんだけど…最近は天城姉様や大鳳、土佐まで赤城の愛の邪魔を…」

 

「…………」

 

またこの調子だ。普段は長門の参謀役や艦隊旗艦なども難なくこなせる優秀なKAN-SENであり、姉としても一人の兵士としても尊敬に値する強者である一方、奴に対してはこうなる。恋は盲目とは言うが…むしろ赤城やそれ以外からもどれだけ妄信的な愛情をぶつけられようが平然としていられることこそが、奴の真の強さやもしれん。

 

(赤城、加賀!…聞こえるか?)

 

その時、懐にしまっておいた「式神」から聞き覚えのある声がした。艦載機として使用するものとは異なる連絡用のそれだが…まさかあの大先輩にも使えたとは。

 

「はい、確かに」

 

(おお、本当に声が…!ごほん!敵戦力を砲撃で一箇所に集中させた。今こそその実力を遺憾無く発揮してもらおう!)

 

「御意…赤城姉様」

 

「聞こえていてよ、加賀…やりましょう」

 

その言葉を合図に「式神」を艦載機としてカタパルトに接続し、次々とスクランブルを掛ける。目標は既に面前、所詮は砲撃隊の威嚇砲撃程度で満身創痍になる雑魚どもだが、それでも我らに挑んでくる限り結果はただ一つ。

 

「…戦えば勝つ‼︎」

 

「あら、懐かしい口癖ね…」

 

味方に当てぬようコントロールしつつ、解き放った攻撃隊の絨毯爆撃によっていつもと同じように戦局は決した。奴からは手強い相手と聞かされていたので、少々肩透かしな感はあるが…少なくとも吾妻とやらの開発が終わるまでは毎日出撃出来るだろうから、それで充分だ…

 

____________

 

昼夜を通して続けられる決死の海域攻略作戦…という名目で日夜繰り広げられる主力艦達のコンペディション。その勢いは凄まじく、僅か一週間で吾妻用の戦術データ収集は折り返しを迎えていた。

 

「戦術データ収集第一段階終了。過剰分のデータを前衛艦用として再構築し、完了次第このまま第二段階に突入します」

 

「第二段階終了までの必要データ量は?」

 

「残り192万です」

 

「順調ですね。では当初の予定通り、二週間で行きます」

 

「了解です、橘少尉」

 

その他にも必要になるメンタルキューブや設計図、そして膨大な開発資金は全てお父さんの権限で工面してもらえた。連日研究に追われている甲斐もあって、吾妻用の強化ユニットも順当に集まってきている…一つだけ不満点を挙げるなら今後のデータ収集の効率が悪くなるのが予想出来る事だけど、「これからは前衛艦のデータだけを使うから、前衛艦が効率的に戦果を挙げられるよう主力艦の皆様は手心を加えてください」…なんて僕からは口が裂けても言えない。

 

「少尉、吾妻の艤装開発に目処が立っております。設計図の確認はお済みでしょうか?」

 

「ええ、拝見しております。あの構図で問題ありません。ですが吾妻に搭載予定の対艦刀は重桜KAN-SENでも使用者の少ない長刀ですので、船体構成の際には専用の剣術プログラミングもお願いします」

 

「畏まりました…流派は何になさいますか?」

 

貫心流居合術(かんしんりゅういあいじゅつ)が可能でしたら、それでお願いします」

 

「はっ」

 

それに皆が命を懸けて僕達親子の為に戦ってくれる以上、僕もそれに見合うだけの仕事をしなきゃ。

 

「それと…蔵王重工様よりご提供頂ける予定のVH装甲鋼板に関する連絡は来ていますか?」

 

「ご安心ください。今朝方より先方から本日の午後には運送出来るとご一報頂いております」

 

「ありがとうございます。では吾妻専用の主砲開発を急ぐのみですね」

 

「その件についてですが…単刀直入に申し上げますと、現行案では吾妻開発完了までに主砲の開発が間に合いません」

 

もちろん他の研究員の皆も僕と同じ気持ちで毎晩遅くまで懸命に働いてくれている。それ自体には感謝してもきれないけれど、通常の建造と違って「無」から「有」を具現化する開発艦の作業工程には予定外のトラブルも絶えない。

 

「…原因はなんでしょう?資材不足や期間の延長であれば、私が指揮官に掛け合って…」

 

「お言葉ですが少尉、そういう次元の話ではないのです」

 

「詳しくお聞かせくださいますか?」

 

「ご存知の通り、超甲巡こと吾妻の主砲は試作型の三連装タイプを予定しておりました。しかしながらこの度、榴弾の装填機構に致命的な欠陥が判明しております」

 

「…改修は?」

 

「可能ですが…基本構造から変更を加える必要がある以上、最低でも一週間は要します」

 

「……………」

 

…この手の報告はやっぱり何回聞いても憂鬱になる。それによりにもよって主砲とは…

 

「…少尉。ここはひとまず既存の重巡主砲を吾妻に搭載するのが最善かと。船体は共通規格ですから問題なく運用可能です」

 

少しの気まずい沈黙の後、僕より二回り以上歳上の部下はベテランとして最善策を提案してくれる。否定材料はないし、あとは吾妻の開発長を任されている僕が首を縦に振るだけ…

 

「…わがままを言ってもいいですか?」

 

「わがまま?…ええ、構いませんが…」

 

「ありがとうございます…それでは吾妻の主砲改修を私に一任して頂けませんか?」

 

…それでも僕の中に確かに存在する、男としてのプライドがその判断を許してくれなかった。

 

「…少尉」

 

「我が重桜艦隊で未使用状態の重巡主砲は合計17門。これらを可能な限り分解して新規主砲として再構築し、同様に予備パーツとして保管中の自動装填機構を併用して、欠陥部分を改修します」

 

「それらを全てお一人でやるつもりですか?」

 

「他の研究員は別の業務で手一杯です。それに私のわがままですから、私がやらなければ」

 

「…しかし…」

 

「現状で投射砲撃が可能な前衛艦はこの重桜艦隊でも吾妻のみです。より多角的な作戦行動立案の為にもその存在は必要不可欠だと私は考えます」

 

「…お気持ちは分かりました。ですが少尉?いくらなんでもお一人では…」

 

「だとしてもやりたいんです!お願いします!期日内には必ず間に合わせ…」

 

「神威後ろ!」

 

「へっ?」

 

ぴとっ

 

「ひゃあああああっ⁉︎⁉︎⁉︎」

 

柄にもなく熱くなっていた僕の首すじにキンキンに冷えたペットボトルが当てられたその瞬間、僕の思考は停止した。

 

「おや、冷やし過ぎましたかな」

 

…もちろん、完全にお仕事モードになってた僕にこんな真似をするのはただ一人しかいない。

 

「…〜っ!もうっ!主任!今は勤務中ですよ⁉︎」

 

「だからこそです。仕事はクールにやりましょう…彼は私が」

 

「助かります…では少尉、後ほど」

 

「あっ、ちょっと…」

 

「さぁ神威君。貴方にも少しお話があります」

 

「うぇぇ…」

 

…お父さんがそうであるように、僕もこの人に逆らうことが出来ない。弱みとかお給料とか色んな物を握られている…

 

____________

 

「…貴方のことですから、時には無理をしてでも自分の役目を果たすべきだと思ったのでしょう。確かにそうする必要がある時もあります…ですが我々はチームです。その意味は分かりますね?」

 

「…はい」

 

「一人で出来る事など貴方のような天才でも限られているのですから、物事を成し遂げたいならば必ず周囲の協力を得るように」

 

「…はい」

 

「よろしい」

 

「でも…」

 

「ん?」

 

「…どうしても…どうしても得られそうにない場合は、どうすれば良いのでしょうか?」

 

「その場合は諦めや妥協も肝心です」

 

「…そうですよね」

 

「どれだけ苦痛だとしても時にはプライドを捨てる決断もしなくてはいけませんし…なにより完璧主義だと疲れてしまいますよ?」

 

「…分かってる…つもりです」

 

「よろしい…さぁ、着きました。今開けますからね…」

 

長い長い階段を登り終えた先にあった、開発ドックの頂上へと続く扉。その扉を開けてくれている誠さんの背中はまるでもう一人のお父さんのように見えた。

 

「ほらご覧なさい、最高の眺めですよ」

 

「うわぁ…!」

 

そして誠さんと一緒に、初めて来た開発ドックの屋上から眺める海はより一層雄大で、おまけに母港だけでなく海沿いの街も一望出来る程にとっても見晴らしが良い。

 

ボォォォーン…

 

そして、海といえば…

 

「…あっ、貿易船…!」

 

お父さんのバイクに跨って、初めてこの母港にやって来たあの日以来…久々に見た貿易船。あれは単なる物資だけじゃない、人の生命や想いまで一緒に運んでくれている。

 

「この海域の安全性は上層部公認ですからね…貴方と貴方のお父様、そしてKAN-SENの力あっての偉業です」

 

「…そっか…うん、そうだね…」

 

「ええ、そうですとも」

 

そんな当たり前の平和を少しでも取り戻せたという自覚だけで、僕は改めて自分の仕事…というより自分の運命が誇らしく思えた。

 

「………」

 

「………」

 

暖かい日差し、気持ちいい潮風…ここにベッドまで置いてあったらすぐに寝転んだのにな…

 

「…そうだ、神威君。怒らずに答えて欲しい事があるのですが」

 

なんて呑気に考えていた矢先、誠さんは和やかな笑顔のままでそんな事を言ってきた。

 

「むっ…何でしょう?」

 

「我ながら意地の悪い質問だとは思いますが…貴方は竜胆にとって良い息子だと思いますか?」

 

「…どう答えて欲しいんですか?」

 

「ありのまま答えて頂ければ幸いです」

 

「………」

 

…誠さんの意図は分からなかったけど、僕は誠さんから求められた通りにありのまま返事をした。

 

「…お父さんは自慢の息子だっていつも言ってくれるけど…僕はそうは思わない」

 

「どうして?」

 

「だって…僕のお父さんは橘 竜胆なんだから。僕がもっとちゃんとしないと、お父さんに迷惑がかかっちゃう…」

 

身体つきに関しては文字通り天と地ほどの差がある。それは仕方ないけれど、僕にはお父さんみたいな勇敢さもカリスマ性もない。だから必死に勉強だけはやって、士官学校でも主席にしてもらって、博士号も取れたけど…それすらもお父さんの力でそうなったような気がする…

 

「だからと言って貴方が何もかもをやってのける必要はないでしょう?貴方は私から見ても、いつだってよくやっています」

 

「よくやってる…僕が?」

 

「えぇ、これだけは断言出来ます。貴方は周囲からの期待にきちんと応えているのだと」

 

「そうかな…」

 

もちろんその事自体はお父さんは泣いて喜んでくれた。そして今、何故かはよく分からないけど誠さんもすごく褒めてくれる。それが嬉しくて、もっと肯定して欲しくて、僕はわざとこう言った。

 

「僕…本当にお父さんの期待に応えられてるかな?」

 

「お父さんの、じゃない」

 

「えっ…」

 

…それを聞いた誠さんは右手で僕の頭を優しく撫でながら、普段に増して威厳のある声で語ってくれた。

 

「私達の期待だ。私や部下達やKAN-SENや、みんなの期待だ」

 

「みんな…」

 

「…時々、貴方は私達の言葉ではなく、貴方の中の竜胆の言葉だけを聞いているように思えるよ」

 

それを言われた時、僕はハッとなった…なんだか目が覚めたような気はする。でも、僕の胸に渦巻いてる感情が何なのかさえ全然分からない…あんなに勉強したのにな…

 

「……誠さん、僕は…」

 

「いいんだ」

 

今度は右手と僕の作った左手で、誠さんがそっと僕を抱き寄せてくれた。

 

「竜胆にならなくていい。貴方には貴方の魅力が、貴方の人生がある…もっと気楽に、自分を生きなさい…神威」

 

「……うん…」

 

「素直でよろしい…」

 

でもきっと、誠さんはずっと前から僕にそう伝えたかったんだ、という事だけは確かに分かった。だからこれでいいんだ…

 

「…ねぇ、誠さん」

 

「なんでしょう神威君」

 

「…その…吾妻の主砲改修、良かったら…」

 

「えぇ。私達二人ならきっと出来ますよ」

 

「…本当に⁉︎…いいの?」

 

「今は貴方が研究主任ですし…なによりも子供を助けるのはいつだって大人の役目ですから」

 

「誠さん…!」

 

「ふふっ…さぁ参りましょう橘主任。「みんな」が私達を必要としています」

 

「…はいっ!」

 

たまには辛い事もあるけれど、それ以上に幸せで、みんなに愛してもらえる…僕は自分の運命が大好きだ!

 

____________

 

神威の抜けた穴を埋める、といった名目で秘書艦に立候補する者は少なくない。事実、書類業務などの補佐を任せられるレベルの者も確かに存在する。しかしそうした特定の誰かを選ぶということは、選ばれなかった者の反感を買うことにもなる。故に俺は神威以外の秘書を付けない。指揮官として選択の多い身ではあるが、この重桜においては「選ばない」という事こそが俺なりの処世術なのだ…なーんて格好つけてるが、俺も独り身だったなら今頃女遊びしまくりだっただろうな…

 

「…ここらで休憩するか」

 

すっかり集中力が切れているのが自分でも分かったので、俺はお茶とお菓子でもつまもうと席を立つ。

 

ジリリリリ…ガチャッ

 

「…レッドアクシズ重桜艦隊総指揮官、橘 竜胆准将であります」

 

その刹那。執務室に備え付けられた古い電話機が鳴り響いたのを聞いて、俺は瞬時に電話機を取る。この電話機で俺に連絡を入れられるのは上層部でも極一部の人間だけで、故に一瞬たりとも待たせる訳にはいかなかった。

 

(久しいな)

 

…もっとも電話の相手はそうしたお上ではなく、俺と因縁浅からぬ鉄血軍人だというのをその声色と独特の高圧感だけですぐ理解したが。

 

「ガロア中将、お久しゅうございます」

 

鉄血のガロア・ヴェインハイムと言えば鉄血海軍の父と称される「ヴェインハイム一族」の末裔であって、その家名と功績は同国において橘一族の比ではない程に神格化された存在である。

 

((わし)の声色を忘れておらんかったか…貴様もようやく礼節を理解出来たらしいな、人修羅)

 

「お言葉ですが中将。今の私は人修羅ではなく子連れ狼です」

 

(フハハハ…よく言う…)

 

既に古希(こき)を迎えた老将ではあるものの、今なお鉄血海軍においてその威光を脅かす者は居ない。口の悪さも親しい者にだけ見せる愛情深さから来る物だ…ツンデレというやつかな。

 

「……それで」

 

(聞く前に答えてやる。いずれ儂のHündchen(ヒュントヘン) をそちらへ預ける予定が出来た)

 

中将が仰った鉄血語は「子犬」を意味する…が、中将はそもそも動物の犬を飼っていない。中将にとっての子犬とは現鉄血艦隊の指揮官にして、神威にとっての「兄」を指す言葉だ。

 

「!…では中将、いよいよ…」

 

(口に出すなリンドー…貴様も重桜も信用しているが、お互い一寸先も見えぬ身だろう)

 

「…ハッ」

 

…いずれにせよ、彼をこちらに遣すという事は以前より俺と中将の間で進めていた計画がある程度形になってきたのだろう。そもそもこれを知っている人間も片手で数えられる程で、この回線も100%安全とは断言出来ない。

 

(…ところで息子は?貴様の隣か?)

 

「神威は席を外しております」

 

(そうか…)

 

中将はそれ以上計画について語ろうとはせず、唐突に神威に関する話題へ変えた。

 

(…息子は元気か?)

 

「えぇ。日々健やかに成長しております」

 

(ニ次反抗期はもう来たか?)

 

「いいえ…いっそ来なければ良いのですが」

 

(来ない方が不自然だろう…その時はしっかり受け止めてやれ。貴様なら出来る…儂には出来なかったが…)

 

「…ありがとうございます、中将」

 

中将もかつては妻子がいたそうだが、それもセイレーンによって奪われた幸せだ。俺もかつては妻を、そして今では神威を愛してやまぬ以上その孤独な胸中は察するに余りある…

 

(…無駄話が過ぎた。日程が確定次第また連絡する。他言無用だ)

 

「中将、お達者で」

 

(貴様もな…)

 

そうした過去すら無駄話と断ずる程の、有無を言わせぬ口調のまま電話は切られた。唐突かつ強引な予定だが最重要課題である。こちらも準備をさらに進めておく必要が出来た…

 

「…休憩終わり」

 

指揮官という立場でありながら、あまりの平穏さに忘れてしまいそうにもあるが…結局は今もまだ戦時中なのだ。むしろセイレーンという共通の敵が存在することで、第三、第四の世界大戦の火蓋が切って落とされていないだけに過ぎない。起こらなければそれが一番良いが、より良い未来を得る…否、守る為には成すべき事を成さなければならない。

 

(…皆、もう少しだけ頑張ってくれ…俺も…お父さんも死に物狂いで頑張るから)

 

…そんな決意を新たにした俺の元へと、新たな刺客が訪れるのはまだ少しだけ先の話だ。

 




ここまでのご高覧、ありがとうございました。
次の話まで重桜編が続き、その後陣営を視点を変えて物語が進んでいきます。そうして点も含めて今後ともご愛読頂けますと幸いです。


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第四話

私は想像する。

 

まず最初に感じられたもの。それは意識。私という存在に対する認識…

次に感じられたもの。それは私以外の存在。私に限りなく近く、けれども私とは決定的に違う存在…人類、ヒトそのもの。

 

やがて血の通う何かと共に私の中に流れ込んできた、記憶…それは私の名前や過去だけでなく、新たな私は彼らによって創造されたのだ、という確信をもたらしてくれた。

 

(規格外の誰かになってみせる。今度こそ…)

 

より鮮明になっていく意識が、私の誕生が近いことを告げる。

 

私に求められる役目、私に向けられる願い、これからの私を待つ日々…そして私を求めて、再び生を与えてくれた存在とは…

 

私は想像する。

私は想像する…

 

____________

 

「ここは…」

 

私が目覚めた場所は私の想像とは少し違った、ある種の研究所のような所だった。

 

「…!気が付きました?…貴女のお目覚めを心待ちにしていましたよ!」

 

そしてそこに居たのは…私の目覚めを喜ぶ可憐な少女が一人だけ。他の気配は何も感じない。

 

(…小さい…それとも私が大きいだけ?)

 

限りなくヒトに近い姿で生を受けたからなのか、自分の身体の複雑な重みまで正確に知覚出来る。鏡のような物が見当たらないので容姿は分からないが…少なくとも目の前の少女は私よりもずっと小さかった。

 

「あっ、ごめんなさい。まずは自己紹介をしないとね…僕は神威。橘 神威と申します」

 

「神威…さん…」

 

眼鏡と白衣のような物を身に纏ったその風貌は如何にも研究者という感じだ。そして橘という姓にも私は何故か聞き覚えがある。何より状況から考えて、この少女が私に再び生を与えてくれたヒトなのだろう…

 

「ふふっ、神威でいいですよ…念のために確認しますが、何か身体の不調は感じていませんか?」

 

「はい、大丈夫です」

 

「あぁ良かった!…本当に良かった…」

 

そう思った途端に目の前の少女…神威の事がどこか愛おしく感じてきた。よく動物は産まれた直後に見た物を親と認識すると言うけれど…私にとっての神威も、そうなのだろうか…?

 

「…ごほん、ここからが本題です…自分のお名前と、何者なのかを僕に説明出来ますか?」

 

「えぇ、もちろん」

 

「では…お願いします」

 

…いずれにせよ、これから仕える事になる相手に好意を抱けるのは悪いことではない。それに神威はまだ少女なのだから…これからは私が守らなくては。

 

「大型巡洋艦吾妻、着任しました。特別計画艦だから就役経験が少ないところもありますけど…一生懸命「指揮官」をお守りします。少しは頼りにしてくだされば嬉しいです…うふふ」

 

「うん…うん!完璧です!カンレキの把握も問題なし…!これなら追加で色々と説明しても大丈夫そうですね…」

 

私が把握出来ている事と言えばこれぐらいで、これからの事は神威に全て教えてもらわないといけない。今の時代の状況や、この艦隊で私を待ってくれているであろう皆の事も知りたいが、まず一番気になる事と言えば…

 

「でしたら早速お聞きしたいのですが…もしかしてここは貴女一人だけで?」

 

「あはは、まさか!僕の他にもKAN-SEN専門の技術研究員はたくさんいますよ。以前は全員でお出迎えしてましたが、かえって緊張させる羽目になっちゃって…皆は外で待ってくれてます」

 

(以前…ということは私の他にも?)

 

その事についても質問しようかと思ったが、よくよく考えればすぐにでもわかることだ。産まれた順番は気にならないが、上手く皆と打ち解けられるよう努力しないと…

 

「…起きたばかりで色々と心配ですよね。でも大丈夫ですよ!…皆いい人だから、きっとすぐにここが気に入ってもらえると思います」

 

「…ふふっ、そうですね」

 

…だがひとまずはこの優しく、小さく、強く抱きしめたら壊れてしまいそうな主人について行こう。

 

「…それでは参りましょうか、吾妻さん」

 

「はい、指揮官」

 

____________

 

いくつかの電子ロックを抜けた先には、たくさんの研究員達が二列になってこちらを待っていた。

 

「主任、無事に連れて参りました」

 

「ご苦労様です少尉…何も問題は無かったようですね」

 

「ありがとうございます。これも主任と皆さんのおかげです」

 

「滅相もありません」

 

研究員の中で唯一義手をされているその初老の男性に対し、神威は流麗な所作で頭を下げた。彼がどうやら神威の上司らしい。

 

「改めまして…お初にお目にかかります、吾妻さん。当施設の主任研究員を務めております、枢木と申します」

 

「は、初めまして…」

 

「ふふっ、緊張なさっておいでですね…」

 

…神威はとても彼の事を信頼しているのが見てとれるが、優しい言葉と和やかな笑顔を向ける彼に対して、私は何故か得体の知れない恐怖を感じた…

 

「本来であれば当施設の説明も行わせて頂くのですが…指揮官や他の皆様も貴女の着任をお待ちかねですし、明日以降に致しましょうか」

 

「…?」

 

そんな彼の発言に私はどこか違和感を感じたので、遠慮なく思った通りに彼へ質問する。

 

「指揮官…でしたらここにいらっしゃいますよ?」

 

「あはは…もう終わっちゃった」

 

「…あぁ、なるほど…確かに目覚めた直後に出会った人物は神威君ですから、彼の事を指揮官だと認識しても不思議ではありませんね」

 

「…彼?」

 

…その違和感が驚愕へと変わるのは一瞬だった。

 

「えぇ、彼…橘 神威君のお父様こそがこの艦隊の指揮官です。愛息子の彼は研究員兼副官という立場になります」

 

「…と、いうことは…」

 

「そーです!こんな見た目だけど、僕だってちゃんと男の子ですよ!…でもちょっとだけ指揮官のフリをしてたのは謝ります、ごめんなさい…」

 

神威は一瞬だけ開き直って、でもちょっぴりおどけた様子でそう言ったが…まさか、信じられない。こんなに可愛らしいのに…

 

「…もしかして、ショックでした?」

 

「い、いえ!…確かに驚きはしましたが…」

 

…いや。大切なことは神威がどんな性格をしているのかをもっと知ることだ。性別なんて何の問題にもならない。

 

「…これから改めて宜しくお願いしますね、神威」

 

「はい!こちらこそ!」

 

それにこの素敵な笑顔は何としても守りたくなる…いや、守ってみせる。心からそう思った。

 

____________

 

それから神威の案内で母港へと辿り着いた私を待っていたものは、熱烈そのものの大歓迎だった。新参者故の不安もいくつかあったが、それらも何処かへ吹き飛んでしまいそうな皆の輝かしい笑顔を見れただけで、私はこの艦隊で再び生を授かった事を幸せに感じる。

 

「うぅ…ありがとう竜胆、だいぶ落ち着いてきたぞ…うぷっ…⁉︎」

 

「三笠。お前も歳だ、無理するな…この俺が優しく葉加瀬太郎(吐かせたろう)

 

「また年寄り扱いして…我から見れば、お主とて小童もいいところだと言うのに…」

 

「…だが幾つになっても活躍出来ると、俺達二人でこれでもかと証明してるじゃないか。そうだろう三笠?」

 

「そ、そうかなぁ…えへへ…」

 

そして私の着任を祝っての大宴会が開かれると同時に生じた様々なトラブルを、この艦隊の指揮官である神威の父親はマニュアルでもあるかのような手際で対処している。少しだけお話出来たが、確かに皆の信頼を勝ち取ったのも頷けるお人柄だ。

 

「ねぇねぇしきかーん!暇〜!宴会もう飽きちゃったよ〜…」

 

「…まあ熊野君は酒があまり好きではないようだしな…せっかくだから神威達と遊んできたらどうだ?」

 

「神威はもう皆の相手で忙しそうだし…それに熊野達は指揮官に遊んで欲しいの!ね、鈴谷?」

 

「えぇ…こんな機会でもないとお願い出来ない事もありますし…ね?」

 

「…出来るかどうかは別として、話は聞かせてもらおうか」

 

…それでも一児の父親をしつつ、これだけの異性の部下をまとめあげるのには人並外れた努力と気苦労があるのだろう。基本的に皆の相手は神威に任せて、指揮官は意図的に皆と少しだけ距離を置いているように感じられた。

 

「やりぃ!んじゃ、指揮官もjuustaやろうよ!やり方なら全部ウチらが教えてあげるからさ♪」

 

「ジュースタ…あぁ、いわゆる艦船通信というやつだな。神威がたまに見せてくれるよ。皆とても楽しそうで何よりだ」

 

熊野さんが指揮官におねだりしているのは、そのジュースタ…というアプリ?をやって欲しいということらしい。先程神威にもらった…スマホ?の中には最初から入っていた。後で私も使い方を教えてもらいたい…

 

「そうっしょ⁉︎実際楽しいよ!…だから指揮官もほら!まずはやってみよ?」

 

「うーん…悪いが気持ちだけ頂こうかな」

 

「も〜っ!指揮官ってばどうしてそう頑固かな〜っ⁉︎」

 

「俺もそれなりには忙しい身でな…すまなんだよ」

 

「すま…何それ?」

 

「文字通りすまない、申し訳ないという意味だ。もう我でも使わないぞ」

 

「俺は十五から使っていたんでな、今更変えられんよ…お前だって急にスマホを使いこなせと言われても困るだろう」

 

「ふん、それならもう出来るぞ!」

 

「おいおい、痩せ我慢を…待て、もう?」

 

「うむ!では論より証拠を見せよう!」

 

先程まで指揮官に背中をさすられていたと思ったら、急にご機嫌になった三笠さんがご自身のスマホを指揮官に見せた。

 

「こ、これは…⁉︎LINEが入ってるじゃねぇか⁉︎しかもjuustaもちゃんと…投稿履歴があるだと⁉︎」

 

「ふふ…いい反応ですね、指揮官…私と神威で手取り足取り三笠様に教えたかいがありました…」

 

「流石に覚えるのは時間がかかったが…幾つになっても、何でも出来る。そうだろう竜胆?」

 

「…はぁ…お前が言うと説得力が違うな」

 

「それじゃ指揮官!juustaやってくれるよね⁉︎」

 

「そうだな…」

 

それを見た指揮官は観念した様子で、懐から自身のスマホを取り出し…

 

\ ワァァァァーッ!/

 

「いや!やっぱり神威が負けたらやることにしよう!万に一つもないと思うがな!ふはははっ‼︎」

 

直後に宴会会場の一角で上がった歓声を指差したかと思うと、そちらへ高笑いしながら駆け出していった…

 

「ま、待て竜胆!…うぷっ…」

 

「だ、大丈夫ですか?」

 

「うむ…我はまだ…動かないほうがいいな…」

 

…それにしても先程から神威の姿が見えないが、あの歓声の中心にいるのだろうか?

 

「ねぇ熊野。あの歓声は何かしら?」

 

「神威と綾波がポケモンバトルしてんの!正直熊野も観たかったんだ〜!」

 

(ポケモン…バトル?)

 

…この世界の事は分からないことばかりだが、この歓声からしてどうやら人気のある催し物のようだ。

 

「綾波が勝ったら指揮官もjuusta始めてくれるらしいし、皆も見に行こっ‼︎」

 

「あっ、待ってください!」

 

それにまだこの艦隊に居場所を作れていない私としては、誰かに置いていかれるとどうしようもない。私も慌てて後を追った。

 

 

「ま、待って…誰か、我の介抱…おえっぷ…」

 

 

____________

 

「レディースアーンジェントルメーン!ポケモンバトルレボリューション、重桜エキシビションマッチ!両者の白熱したバトルもいよいよ最終局面だぁぁぁーっ‼︎」

 

\ ワァァァァーッ!/

 

神威と綾波の戦いは二人の手元にある端末から、大きなテレビに向けられた映像で行われている。いわゆるテレビゲームのようだ。ひとまず荒事の類いではなくて安心した…

 

「夕張君!今北産業!」

 

「終始神威優勢!

 綾波だいばくはつ!

 お互い一対一!」

 

「完璧な説明だ!」

 

(今ので理解出来るのね…)

 

「今夜ついに鬼神が無敗伝説に終止符を打つのか!それとも王子がその玉座を死守するか⁉︎歴史的瞬間の訪れに私、実況の青葉も興奮が抑えきれません!」

 

「青葉さん。お二人が最後のポケモンを選び終わったようです」

 

「ありがとうございます神通さん!それではお二人、最後のポケモンをボールから出してください!」

 

「神威…この勝負、もらったです!」

 

「ふふん…僕の相棒を見てから言ってもらおうか!」

 

やがて派手な演出と共に可愛らしく、しかし独特の迫力もある二人のポケモン、という不思議な生き物がテレビ画面に映し出された。

 

「神威のポケモンは御三家が一角、エンペルト!そして綾波のポケモンは…出ましたガブリアスだーっ‼︎」

 

「…やっぱり温存してたね?」

 

(エンペルト…!正直予想外です…でも…弱点は問題なくつけるです…!)

 

そして二人の間にも流れる謎の緊張感にあてられたのか、会場の歓声も鳴りを潜める。いや…むしろ全員固唾を呑んで見守っている、というべきか。

 

「…解説の神通さん!この組み合わせは如何思われますか⁉︎」

 

「お互いに相手を一撃で仕留められるわざを持ち合わせたポケモン達です。理想的なわざ構成と育成を行っているとすれば…お互いに持たせているどうぐが勝負の分かれ目となりそうです」

 

「なるほど…!」

 

(ツメさえなければ…先手を取られなければワンパン出来るです!)

 

(頼むぞエンペルト、僕もお腹から声を出すからね…!)

 

双方のポケモン達が威嚇と睨み合いを幾度となく繰り広げ、少しばかりの時間が流れた頃…勝負は突然動いた。

 

「先に動いたのは!…やはりガブリアスだ!」

 

「こっちのどうぐはこだわりスカーフです!」

 

ガブリアスの じしん 攻撃!

 

「強烈なじしんがエンペルトを襲うーっ‼︎」

 

効果は バツグンだ!

 

「…いえ、耐えました!神威のどうぐは…きあいのタスキ!」

 

「まさかのワンパンお見通し!そしてそのままカウンターの…!」

 

「エンペルト!れいとうビームッ‼︎」

 

効果は バツグンだ!

 

相手の ガブリアスは たおれた!

 

「決まったぁァァーッ‼︎」

 

\ ワァァァァァァァァァァーッ!!!/

 

私にはよく分からない駆け引きの末、この勝負は一瞬にして幕を閉じた…個人的には神威がこんなに大きな声を出せたのか、という驚きの方が強い。

 

「くぅっ…完敗です…!」

 

「ううん、僕もこんなに追い詰められたの初めてだよ!…またバトルしてね!」

 

「はい!」

 

「皆様、両者に暖かい拍手をお願いします‼︎」

 

パチパチパチパチパチパチ…‼︎

 

二人に対する万雷の拍手と賞賛は数十秒ほど続き…

 

「すまん皆…少しだけ、少しだけ道空けて…神威!すごいバトルだったぞ‼︎」

 

「お父さん!…もしかして見てくれてたの?」

 

「一部始終だけで申し訳ないがな…!ほれ!」ヒョイッ

 

盛り上がりが落ち着いてきたのを見計らって飛び込んできた指揮官だけが、一人興奮さめやらぬ様子で神威を抱き上げた。

 

「うわっ!……ねぇお父さん、そろそろ僕が重く感じてきたんじゃない?」

 

「んな事あるか…よくやったな神威!お前はいつだって、いつだってお父さんの…誇りだよ…‼︎」

 

「もう、ゲーム一つで大袈裟なんですから…///」

 

(指揮官…あっ、泣いてる…)

 

(…いつか神威が反抗期を迎えたら、指揮官様はどうなってしまうのかしら…)

 

…なんとも言えない空気が流れているが、この艦隊では日常なのか誰も何も言わない。

 

「…それにしても今のポケモンは綺麗だなぁ。お父さんが知らないやつもたくさんいるし…」

 

「お父さんも興味出てきた?だったら僕が色々教えるから、皆と一緒にやろうよ!」

 

「本当か!…なら先に教わりたいものがあってな…」

 

やがて指揮官は神威を降ろすと、今度こそ懐からスマホを取り出す。

 

「お父さん、juustaデビューします!」

 

「えっ⁉︎本当に…」

 

…そして、そう宣言した瞬間に先程の比ではない歓声が神威の声を完全に掻き消した。

 

____________

 

「「「「わーっしょい‼︎わーっしょい‼︎」」」」

 

「俺が悪かった!今まで皆の催促無視してたのは認めるから!…もう降ろしてくれぇぇぇぇーっ⁉︎」

 

指揮官の発言を喜んでいるのか。積もる恨みでもあったのか。あるいはその両方か…もちろん全員ではないが、大半のKAN-SENがひたすら指揮官を胴上げしているという光景は奇妙極まりない。

 

「…この艦隊、賑やかだろう?」

 

「こんばんは、出雲さん」

 

「もう覚えてくれたのか。嬉しいよ吾妻」

 

ひたすら天を上下している指揮官をぼーっと眺めていた私に声を掛けてくれたのは、同じ特別計画艦として先輩にあたる出雲さんだ。

 

「…そういえば、伊吹さんと北風ちゃんは一緒じゃないんですね」

 

「別に特別計画艦同士だからといって、常日頃から一緒にいる必要もないさ…最初は私も気にしていたが、ここではすぐ自分の居場所が見つかるよ…ほら、あんな風に」

 

出雲さんが視線を向けた方を見てみると、北風ちゃんは神威達と一緒に枕投げを楽しんでいた。そして伊吹さんの方は…意外にも指揮官を胴上げし続けている輪の比較的中心に陣取っている。とても楽しそうだ。

 

「…先に言っておくが私は静かに酒を飲むのが好きなだけだぞ」

 

「あはは…でも人それぞれで良いと思います。皆さんとても幸せそうですし…」

 

「…そうだな」

 

私達はしばらく皆を静かに眺めていたが、やがて出雲さんがゆっくり腰を下ろしたので私もそれに習う。

 

「…本当は何か困った事がないかと思って、色々と話をしようと考えていたんだが…その様子だと何も心配要らなそうだな」

 

出雲さんは独り言を呟くかのようにそう言ったが…私は内心その手の事を誰かが言ってくれることを期待していたのだ。

 

「なら丁度良かったです!」

 

「ん?」

 

「困り事…というには大袈裟ですが、どうしてもどなたかにお聞きしたいがあったので…」

 

「ほう…いいだろう。私も先輩として知り得た事なら何でも答えようじゃないか」

 

出雲さんが得意顔でそう言ってくれたことを喜びつつ、私はつい先程指揮官が自己紹介してくれた際に生じた疑問をありのままぶつける。

 

「でしたら…指揮官の奥様について知りたいのですが」

 

…それを一言告げた瞬間、出雲さんの表情はみるみるうちに切なさそのものを(たた)えていった。

 

「…禁句、でしたか…?」

 

「いや…指揮官も説明しなかった…しな、疑問に思うのも仕方ない…ただ本人と神威の前ではもう言わない方がいいのは間違いないな」

 

「…分かりました」

 

出雲さんは少々間を置いて、私が想像した…否、それ以上の家庭事情を教えてくれた。

 

「指揮官は自らの妻をとても愛しているが、彼女は生まれ付き病弱だったようで…神威のお産がきっかけでこの世を去った。まだあの子が生後1ヶ月のことらしい」

 

「………」

 

「…母親の愛も知らず、軍人という一族の業も背負わされているが、それでもあの子は優しい子に育っているよ。指揮官も奇跡だと言っていた…」

 

これまでの過程で育ちの良さは実感していたが、まさかそんな過去があったとは…

 

「…だから心配要らない。それにこれからは私達もいる。それでいい…」

 

…出雲さんはそこまで言い切って、神威の事はもう何も言わなかった。

 

「…………」

 

私も次になんて言葉を掛けて良いのか分からなくて、気付けば無邪気に枕投げを楽しむ神威の笑顔を目で追っていた。

 

「…なぁ吾妻、お前…」

 

…それから出雲さんは確かに何かを言おうとされて、私の名前を呼んだのだと思う。

 

「…いや、なんでもない。忘れてくれ」

 

けれども発せられなかった言葉は初めから存在しなかったのと同じで、それ以上私達の間に会話は無かった。

 

____________

 

吾妻の開発終了から一週間が経過する頃には、すっかりこの艦隊も平穏さを取り戻していた。平穏と言ってもKAN-SEN達には毎日出撃してもらっているし、俺自身もデスクワークに忙殺されているが…一方で新たな楽しみも増えた。

 

 《た、食べられちゃう〜!》

 

その楽しみとは言うまでもなくjuustaである。もちろん皆の投稿も楽しみにしているが、やはり一番好きなのは神威の投稿だ。気になる内容は赤ずきんに出てくる狼に扮した神通に襲われそうになっている神威、と言った構図だ。当然二人とも単なる遊びでじゃれてるだけだが、そうとは気付かずに大慌てしている周囲のリアクションが面白い…というか神通って狼だったのか?狐だと思っていたが。

 

(…さて、リプライの文面を慎重に考えんとな…)

 

…皆に直接言われた訳ではないのだが、俺の返信はいつも面白味に欠けていると噂になっている。いわゆるクソリプ疑惑があるらしい…おじさん構文呼ばわりよりも遥かに傷付く…

 

(…それにしても昼間っから一人、自分の部屋でくつろぐ背徳感たるや、尋常じゃないな…)

 

もちろんこんな風にのんびりスマホを弄れるというのは勤務時間外だから、という点に他ならない。普段はほぼ執務室に缶詰めなのだが、今に限ってはある理由で神威との共同部屋兼寝室で過ごしている。

 

トントン

 

「指揮官。吾妻です」

 

「どうぞ。鍵は開いているよ」

 

「失礼します」

 

その最たる理由として、「大事な話がある。話を聞いて頂いた上で宜しければ許可を頂きたい」という旨の内容を吾妻が直談判をしてきたのは一昨日の話。常日頃KAN-SEN達の悩みや相談事を聞いて一人一人に対応しているが、扱いの差を理由に嫉妬が生まれては厄介なので普段ここまでの特別扱いはしていない。

 

「お忙しい中お時間を頂戴致しまして、本当にありがとうございます。指揮官」

 

「そう固くならなくていいさ…待っててくれ、粗茶しかないが…」

 

「いえ。お構いなく」

 

「…そうか。ならせめてリラックスしてくれ。どんな話でも秘密は必ず守るよ」

 

「…はい」

 

…それでも穏やかではない彼女の真剣な雰囲気に負けて、俺は執務室ではなく未だにほとんどのKAN-SENを招いた事のない自室で話を聞くことにした。

 

「そうだ、確認なんだが…本当に神威を呼ばなくても大丈夫だったか?」

 

「あの子も指揮官と同じくらい忙しいですし、何より驚くでしょうから…」

 

内容によっては俺よりも神威の方が適切な対応が取れると思うのだが、どうにも吾妻は神威を同席させることに対して先日から消極的な様子なのだ。

 

「それにもし神威にとっては迷惑だったら…そう思うと、どうしても面と向かって言えなくて…」

 

(…ハッ、まさか…いや…んな馬鹿な話では…)

 

…とうの本人がそういう態度なのだから、ついありとあらゆる可能性を考慮してしまう。そして父親としてあの子を溺愛するあまり、俺の脳内は口に出すのも恐ろしい推察を何度も導き出していた。

 

「…それでも、きっと神威の為になることだと信じていますから…指揮官。聞いて頂けますか?」

 

「…当然だとも」

 

「では…その…」

 

一体なんだ…彼女は何を言おうとしているんだ?

 

「神威の…」

 

「…神威の?」

 

「お…」

 

「…お?」

 

神威の…「お?」…っていうと…………ハッ⁉︎まさかお嫁さ(ry

 

「神威の…お、「お母さん」になりたいです!!!」

 

 

違った‼︎

 

 

予想の遥か上だったッ‼︎

 

 

しかも滅茶苦茶斜め上だったッッ‼︎

 

 

「…い、いけませんか⁉︎」

 

 

…い、いかん。全く…想像もしてなかった。出来る訳ない。神威に「お嫁さん決めて(意訳)」と頼まれた夜の比じゃ…いや、あれも大概だがそもそも俺が悪いのだし…あれ?というかもう吾妻にくっついてもらえば…

 

「…指揮官?…聞こえていますか?」

 

「……ハッ!」

 

いや待て。冷静になるのだ竜胆。神威はまだ10歳だぞ?そして吾妻に至っては…外見ではまず分からないが生後一週間だ。つまりこれは若気の至り。そう、若さ故の過ちだ…

 

「…すまない、一瞬意識が…」

 

「大丈夫…ですか?」

 

「あぁ、もう大丈夫だ。問題ない」

 

「で、では…!」

 

「…一旦保留で」

 

「…ほ、保留…?」

 

吾妻の方は明らかな肩透かしを喰らったと言わんばかりの表情を浮かれているが、むしろ却下されなかっただけ良かったと思ってもらいたい。それに俺も吾妻も神威の事ばかり考えているという点では同じはずだが、一つ無視出来ない問題もある…

 

「…吾妻君。一応確認したいんだが」

 

「…なんでしょう?」

 

「その…今の発言は…神威のお母さんになりたいというのは…」

 

「本気です!」

 

「分かってるよ⁉︎…それはつまり、俺とケッコンしたいと遠回しに言ってることにもなるんだぞ⁉︎」

 

「……えっ?」

 

「えっ?」じゃないよ。そこにいたっては考えてもなかったのかよ。

 

「…君も知ってるかもしれないが、神威は俺と妻の間の子。俺が父親。そして神威の母親とは、即ち俺の妻ということになる」

 

「………そうでした。そう…でしたね…」

 

いや待ってくれ。なんで悲しそうなんだ。そんなに嫌?欲しいのは神威だけ?それとも何?これって新しいタイプのNTRプレイか?

 

「…………」

 

「…………」

 

…どうしよう。間違った事を言ったつもりはサラサラないが、正論は時に人を何よりも傷付ける。今がまさにそうだ。早く、何とかしないと…

 

「…吾妻君。念を押すが…あくまで保留だ」

 

「…駄目なら駄目だと、率直に言って頂けた方が…」

 

「それを決めるのは…やはり俺ではないよ」

 

「……!」

 

ひとまず、ここはどうにか穏便に事を済ませるべきだ。俺だけの問題ではない。吾妻や神威の人生にも、その他のKAN-SEN達に与える影響も計り知れないのだから、穏便に…

 

「その…この件に関しては神威の意思を尊重すべきだと思うんだ」

 

「…はい、そうですね…」

 

「だから、その…この事は俺から神威に伝えさせてもらう」

 

「⁉︎…で、でも…!」

 

「その上であの子に判断してもらわないと、でないと不公平というか…その…分かってもらえるだろうか?」

 

「……は、はい…///」

 

今更になって気恥ずかしくなったのか、吾妻は顔から火が出そうな程赤くなっている。それだけの事を言ってしまったんだぞ、もう既に…

 

「…もちろん神威からの返事も聞く。後日君に一言一句違わず伝えるから、どういう結果になろうともそれで納得すると約束してくれ」

 

「…分かりました!」

 

…よし。これで良い。話の着地点としても、倫理的な観点からしてもこれが正解のはずだ。 

 

「…では…私はこれで」

 

「…分かった」

 

「その…ありがとうございました、指揮官。失礼します」

 

吾妻の方も憑き物が落ちたような表情を浮かべて、俺に深く礼をしてから部屋を後にした。

 

「……ふぅ……」

 

やれるだけの事はやった。責任から逃げた訳ではないのだ。あとの事は全て神威の決断で決まる。いわゆる運命というやつに…

 

「………んっ?」

 

…そしてこれまでの経緯から察するに、神威なら二つ返事で新しい母親を歓迎するだろうという事に気付くのに時間はかからなかった。

 

____________

 

そして、その日の夜…舞台は執務室に移る。

 

「…想像通りだと思うが、見せたい物ってのはこれのことだ」

 

俺はデスクに備え付けてある鍵付きの引き出しから、「誓いの指輪」が納められた小箱を取り出して神威の面前に置いた。

 

「…開けてもいい?」

 

「あぁ、いいとも」

 

「……わぁっ…!」

 

待ちきれないとばかりに箱を開けた神威が感嘆の声を漏らしたのを見て、かつての俺が妻にプロポーズをした瞬間を思い出した。

 

「……すごく、綺麗なんだね…」

 

「やっぱりお前も実物を見るのは初めてなのか」

 

「うん…研究員同士の話にはよく出てくるけど、でも本当にそれくらい」

 

この「誓いの指輪」が指し示すものは人間のそれと同じ。KAN-SENと指揮官が「ケッコン」して夫婦関係にあるという何よりの証明であり、なんとこれを身に付けたKAN-SENは僅かに戦闘力が向上したとの報告もあるという。

 

「…ねぇお父さん、これを僕にくれるの?」

 

「…ゆくゆくはね」

 

「えへへ、楽しみだなぁ…」

 

…何年後に渡すことになるかはまだ分からないが、そろそろ本題へと移ろう。

 

「だが…その前にお父さんが使うことになるかもしれん」

 

「…えっ?」

 

「…実はな。今日、お前のお母さんになりたいと直談判してきたKAN-SENが…」

 

「本当⁉︎」

 

「うおっ」

 

そこまで言いかけた瞬間、神威はやはり普段からは考えられない程の素早い動きで俺の両手を握り締めた。

 

「…お父さん、やっと再婚してくれるの?」

 

「…まぁ正直言って迷ってるよ、色々とね」

 

「そうだよね…でもお父さん、僕すっごく嬉しいよ!」

 

「ならよかった。お父さんもひとまず嬉しい」

 

神威からすれば待ち侘びた報告なのだから、この興奮ぶりも頷ける。むしろ記憶に全く無いはずの実母を蔑ろにしていないのだから、とても気遣いの出来る子だと贔屓目抜きに思う。

 

「でも両手は離してくれ。ちょっと怖いぞ」

 

「やだ!誰が僕の新しいお母さんになってくれるか教えてくれるまで離さない‼︎」

 

「しーっ…まぁまぁ落ち着きなさい、お母さん候補は逃げないよ…教えてもいいが、せっかくだから予想してごらん?」

 

「えーっ?…うーん…誰だろう、結構難しいなぁ…」

 

神威はうんうんと唸りつつ、それでも幸せそうに時折頬を緩ませながら色々な事を考えているのだろう。

 

(…つい忘れちまうが、小学生の男の子なんてこれぐらいが普通だよな)

 

親子三人で川の字で眠ったり、水入らずで旅行を楽しんだり…俺とてそんな幸せを夢見ることがないとは言わない。妻も…きっと俺と神威両方の幸せを望んでくれるだろう。

 

「あっ………」

 

だが幸せそうな様子から一変、何かを感じ取ったかのような表情を浮かべた神威が突然俺の両手を手放した。

 

「…どうした?」

 

「………………」

 

俺の問いかけに答えるわけでもなく、神威はそのまま何かを探すように周囲をキョロキョロと見回している。当然この十年間で一度も見た事の無い反応だ。

 

「…神威、どうしたんだ?何か分かったのか?」

 

「……その…なんだろう…」

 

「…言葉に出来そうか?」

 

「……多分、違うと思うけど…」

 

神威は自分でもよく分からないといった様子で、自信なさげに執務室に備え付けてある古い電話機を指差した。

 

(…これか?…いや、まさかな…)

 

既に夜もそれなりの時間ではあったし、何よりこれを使って連絡をしてくる人物など両手で数えられるだけの人数しかいない…

 

ジリリ…ガチャッ

 

「は、はいっ!こちら、レッドアクシズ…竜胆です」

 

だから有り得ないと思いつつも電話機の前に立った瞬間、電話が鳴った事に驚愕したまま俺は反射的に電話を取ったのだ…信じられない。

 

(…今宵は一段と早いな。まさか分かっていたのか?)

 

驚いた様子の電話の相手も、紛う事なきお上…俺のお父様である。神威の予感は本当に当たっていたのだ!

 

「えぇ、その…勤務中でしたが、そのような感じがして…」

 

…もっとも当の本人さえ「まさか当たるとは」と言った表情を浮かべて目を丸くしていたから、俺は神威のおかげです、とは言わないことにした。

 

(そうか…という事はまさか、神威もいるのか?)

 

「えぇ…普段はもう休ませていますが、今宵は少々話をしようと思い…」

 

(言い訳はいい。いるならあの子に代われ)

 

「…ハッ」

 

ここに着任したばかりの頃は神威を夜まで働かせてしまい、怒りを買ったこともあったが…今思えば懐かしいな。

 

「お電話代わりました。神威です」

 

(うむ、それぐらいでいい…元気にしているか、神威?)

 

「はい。充実した日々を過ごせています…これもお爺さまのおかげです」

 

(ははは、…お爺さま、か…歳を取るのも悪いことばかりではないな…)

 

…神威はわざと受話器を耳から少し離して、俺にも会話の内容がある程度分かるようにしてくれている。俺よりずっと世渡りが上手だ。

 

(…ここだけの話だ、何か困っている事はないか?)

 

「困り事ですか?…いえ、特に何も」

 

(そう遠慮せんでもいい…例えば…勤務時間や労働環境の不満はないか?もしあるなら今すぐにでも調整させよう…竜胆に)

 

でしょうね。

 

「ふふっ…ご安心ください。今夜はたまたま呼ばれましたが、普段であればこの時間には私は眠りについています」

 

(…なら良いが…無理はするな。何かあれば竜胆だけでなく、我々にもすぐ相談するといい。我等全員がお前とお前の父の味方なのだから)

 

「…ありがとうございます、お爺さま…」

 

…だがこうした台詞を嘘偽りない本心で言って頂けるからこそ、命を掛けて忠誠を誓う気にもなるというものだ。

 

(さて…お前はそろそろ休みなさい。私もあと少しだけ竜胆と話がしたい)

 

「分かりました…お爺さま、よい夜を」

 

(ふふっ…品が良いな、お前は…)

 

神威は受話器越しに深々と一礼をしてから、そっと俺に受話器を手渡してくれた。

 

「…お父様、代わりました」

 

(あの子は休んだか?)

 

「えぇ…もう退室させています」

 

(…信じるぞ)

 

…そのまま音を立てずに退室してくれれば120点だったのだが、どこか思うところがあるのか神威は何故か執務室に静かに居座っている。こうなるともう俺の言うことも聞かない。

 

「……では…御用件をお伺い致します」

 

(つい先程の話だが…ロイヤルの女王から合同軍事演習の依頼が入った)

 

「ロイヤル…ですか」

 

そして本題に入ったお父様の口から発せられた国家は今なお絶対王政を貫くアズールレーン陣営の最右翼とも呼べる存在で、ユニオン程ではないが今も昔も重桜とは因縁浅からぬ間柄だ…それも合同軍事演習の依頼と来れば、良からぬ物を感じずには居られない。

 

「…動機も含め、何かしらの情報はお有りでしょうか?」

 

(…ロイヤルの指揮官は親衛隊出身の「レオパルド・ヴィンセント」という男が務めている。それ以外は全くもって不明だ。何故このタイミングなのか、どういう軍人なのかさえ…)

 

(…ヴィンセント…あぁ、そういや名門ではあったな…)

 

…絶対王政たるロイヤルにはやんごとなき身分の者を守るべく、王家親衛隊という物が存在する。その部隊長として先祖代々続く一族の姓がヴィンセントだと風の噂で昔耳にしたが…確かその頃の部隊長の名はデュランだったはずだ。となるとレオパルドというのは息子だろうか。

 

(…どうする?お前には何の得も無い一方的な話だ。断るのは簡単だが)

 

「おおかた私に土を付けて名を上げようという程度の魂胆でしょう…それを分かっていて避けるというのは私の沽券(こけん)に関わります」

 

(…では承諾、という事で返事をするが構わないな)

 

「えぇ…お願い致します」

 

我ながら荒れていた昔はよく売名目的に喧嘩を売られたものだが…それにしてもロイヤルか。真意はどうあれ、相手としてはこの上ない。

 

(…KAN-SEN達を好きに使うのはいいが、これ以上の内乱にだけは発展させるなよ)

 

「ご安心ください…その為に私と、あの子がいます」

 

(…お前があの子を副官に付けたいと言った時はどうなるものかと思ったが…今思えば正解だったかもしれん)

 

「私もそう確信しています」

 

(ふっ…では向こうからの返事が有り次第、追って連絡する。自慢の艦隊をよく(しつら)えておくことだ)

 

「ハッ」

 

最低限の確認と会話を済ませるなり、そのまま電話は切れてしまった。と言っても毎回こんな調子だ。俺としてはもう少し色々と話したいのだが…

 

「…怒ってる訳じゃないが、席を外してくれても良かったんだぞ」

 

「…最後まで会話を聞いてたら何か分かるかも、って思ったんだけど…気のせいだったみたい。ごめんなさいお父さん」

 

「そっか…そういう事ならお父さんも思慮深さが足りなかったな」

 

「ううん、気にしないで」

 

ここからは親子の語らい…というより指揮官と副官としての情報共有に移るとしよう。

 

「さて…電話の内容は合同軍事演習の依頼だ。相手方はロイヤル。理由は不明」

 

「ロイヤル…」

 

「今更向こうさんの説明は省くが、指揮官の名前はレオパルド・ヴィンセントというらしい。親衛隊出身の名門だな」

 

「…レオパルド?」

 

「あぁ、お父さんもよくは知らないがそれなりの血統なんだろう。まぁ俺達橘一族程では…」

 

「ちょ、ちょっと待って…」

 

「…うん?」

 

俺としてはさっさと情報共有を終えて、演習用の艦隊編成案がまとまったらすぐさま神威と寝ようと思っていたのだが、何故か神威は少し怯えたような様子で俺の話を制した。

 

「…本当に…本当にお爺さまはレオパルドと仰ったの?」

 

「如何にも…それ以外は何も分からないようだが確かな情報だ。まさか知っているのか?」

 

「…故人だよ」

 

「…何?」

 

「…レオパルド・ヴィンセントは故人なの…もう亡くなってるの。1ヶ月前に…」

 

…こんなご時世だ。世界の何処で誰が死んでも不思議ではないが、俺の疑問は当然彼の死因などではない。

 

「…お父さんもお父様も知らないような事だ。なんでお前が知ってるんだ?」

 

「…誠さんが前に話してたことがある」

 

「なんだって?」

 

「で、でも!ほら、単なる世間話というか…その、確かに不謹慎だけど…風の噂で耳にしただけだって言ってたし、指揮官同士ならお父さんも知ってると思ったから…」

 

世界各国のKAN-SEN達を管理する指揮官というのはいわばその国家の筆頭海兵とも呼べる存在で、その情報は国家ぐるみでありとあらゆる脅威から守られている。まして指揮官が死亡したなどとは外部に漏らす筈がないが…

 

「……分かった。そうだったんだな…そんな顔をしないでくれ、お前は何も悪くないよ」

 

「…ねぇお父さん、本当にこの演習受けるの?」

 

「受けてしまったんだ。もう確定事項だ」

 

「……沽券に関わるって言ってたもんね」

 

「あぁ…それにお前の…いや、誠さんの話が本当なら新しい指揮官がロイヤルを率いているはずだ。その正体と腕前も確かめておかないと」

 

「…うん…」

 

理屈では納得していても、神威はやはり嫌な胸騒ぎを感じて仕方ないらしい。もしこの情報を事前に知っていたら、俺とてまずはお上に調査を頼んだと思うが…過ぎた事は変えられない。

 

「…大丈夫だ。演習には勝って何もかも上手くいく。お前の心配している事は一つ起きさせない…お父さんと皆を信じろ」

 

「…分かった…じゃあ、編成を考えないと…」

 

「相手もこちらの戦術全てを把握しているとは考えられん。天龍門で行く」

 

「…うん。僕も同じ提案しようと思ってた」

 

「流石親子!気が合うな!」

 

「もう、調子良いんですから…」

 

天龍門とは長門を旗艦として天城・飛龍を主力艦隊に配置する事をそれぞれの名前から取った物で、他のKAN-SEN達からも絶大な信頼を置かれている重桜必殺の陣である。神威とは前衛艦の配置を議論するつもりでいたが…まあ今夜はよかろう。

 

「さて!今夜のお仕事終わり!さっさと寝よう!」

 

「はいはい、お仕事飽きちゃったんですね…」

 

(おっと…その前にこいつをしまっておかないとな)

 

神威が書類などをファイリングしてくれている間に俺はそっと引き出しに「誓いの指輪」をしまって、鍵を掛けた。

 

「お父さん、戸締りいい?」

 

「あぁ…んっ?」

 

そして執務室の窓の鍵もついでに確かめたその時、俺はカーテンからやけに眩しい光が漏れている事に気付く。

 

「…神威、電気消して」

 

「えっ?」

 

「いいから」

 

「…もう」

 

呆れる神威に電気を消してもらって、執務室を漏れた月明かりだけが照らすのを確認してから俺は思い切りカーテンごと窓を開いた。

 

「…おぉ…スーパームーンってやつかな」

 

「…大きいね」

 

満月というものはいつ見ても風情を感じずにはいられないもので、気付けば俺のすぐ隣に神威が来てくれた。

 

「今夜は月が綺麗だな、神威」

 

…この台詞の意味するところはもはやそこの貴方にも説明不要であろう。

 

「私、死んでもいいわ」

 

そしてこれが意外と知られていない返しである。テストには出ないよ。

 

「…お前もいつかそう言ってもらえるだけの男になれよ」

 

「うん」

 

…俺達はしばしこれから先の戦の事を忘れて、親子二人水入らずの月見を楽しんだ。

 

 

 

 

 




ここまでのご高覧、ありがとうございました。
次回以降はロイヤル編になります。
不定期更新となりますがこれからもご愛顧頂けますと幸いです。


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第五話

前回の投稿からだいぶ時間が経過してしまいました。
本話より一旦ロイヤル編となります。
楽しんで頂けますと幸いです。


…レオパルドが死んでからまだ三日しか経っていないというのに、ニューカッスルから唐突に告げられたその報告は私と陛下を大いに困惑させた。

 

「…弟がいたの?彼に?」

 

「はい。確かな情報です」

 

「…う、嘘よそんなの!…彼とは随分長い付き合いだったし、色々な話をしたけど…そんな事一言も…」

 

「…故あってヴィンセント一族を去った弟君の存在は、例え陛下であっても知らせる訳にはいかなかったと…現に周囲の者によれば、レオパルド様は自らの死に目にも立ち会わせなかったと言われております…」

 

「…馬鹿ね…弟が寂しがるでしょうに…」

 

…私と陛下は「フネ」だった頃から先祖代々王家親衛隊を率いてきたヴィンセント一族を知っているが、いかに盛者必衰といえど近年の没落ぶりは見るも無惨なものだった。病に倒れた実の父を支え、長男として一族の宿命を背負い、皮肉にも私達KAN-SENとの能力差から王家親衛隊そのものの立場を追われて最期を迎えた彼の無念は…あまりにも…

 

「…それとも兄弟仲、あまり良くなかったのかしら…」

 

「いいえ…その逆です。レオパルド様は弟君を愛しておられたからこそ、一族の運命を背負わせたくなかったのでしょう」

 

「…あいつらしいわね、ウォースパイト」

 

「そうね陛下…安心したわ」

 

…ここまでの経緯でレオパルド自身の想いは充分伝わった。となれば、後は残された弟がその愛に報いることが出来るだけの器なのかどうかを気にするべきだ。

 

「…さてニューカッスル」

 

「何でしょう?」

 

「その弟君とやらがどんな男か、情報ぐらいはあるんでしょう?」

 

「こちらに…」

 

私の言葉をずっと待っていたニューカッスルは、一冊の大きなファイルを取り出した。これに目当ての情報が載っているのは間違いない。

 

「…一緒に見定めましょう、陛下」

 

「えぇ…ど、ドキドキするわね…」

 

私は努めて冷静に、陛下は緊張した面持ちでニューカッスルから手渡された大きなファイルの情報を食い入るように読み進める。

 

(……至極当然なのだけれど、立場が違えば人生も全然違うものよね)

 

レオパルドの弟は彼と5つも歳の離れた青年で、ヴィンセント一族の人間ではあるが軍歴一つない。代わりに若き天才パティシエとして世間では名を馳せているようで、ファイルの情報もそれに関する内容が大半だ。スタイルの良さと容姿の美しさ、それと純朴そうな笑顔がレオパルドと瓜二つだが、お世辞にも代役には向いていないだろう…

 

「…陛下。内容は把握出来た?」

 

「だいたいね…分かってたけど、やっぱり普通の民間人だわ…」

 

これらの情報を踏まえて、期待が外れて残念そうにしている陛下に対し私は自信を持って進言した。

 

「お言葉ですが…陛下。彼を新しい指揮官としてこの艦隊に招いてはいかが?」

 

「…ちょっとウォースパイト、本気で…」

 

…陛下も私の熱意に根負けしたのか、却下の代わりに溜息をついてからこう続けた。

 

「…理由を聞かせて頂戴」

 

「確かに陛下の仰る通り彼は軍歴一つない正当な民間人だわ。容姿は良いけれど言ってしまえばそれだけで、他に何が優れているとも限らない」

 

「そりゃまぁ…そうだけど、もうちょっと…」

 

「でも…世界に一人しか居ないレオパルドの弟よ。階級だけ高い何処の馬の骨よりも、レオパルドが率いるはずだったこの艦隊を継ぐのは彼こそが相応しいと私は思うわ」

 

「うぅ…」

 

「…陛下。恐れながら申し上げますが、私もそのように感じております」

 

こうした場で自分から言葉を発する事のないニューカッスルも珍しく、しかしながら芯の強い口調でそう言い切った。

 

「ま…待って頂戴!」

 

「陛下?」

 

「その…二人の言うことも分かるし、私だって本当はそうしたいけど…でも、彼の意志や立場は考えたの?彼は民間人だってことを忘れてないかしら…?」

 

そしてこれまた珍しく、陛下は弱った様子でそう言った。普段であれば女王として堂々と、時には一種の傲慢さを以てこの手の決断に対処されるが、やはりレオパルドとその弟のこととなると慎重にならざるを得ないらしい。

 

「…でしたらデュランに一度確認してみましょう。彼の意志も含めて…でもきっと、彼は断らないと思うわ」

 

「…いいわよ、それで…」

 

断らない…というより断れないのだ。ヴィンセント一族の状況を考えれば。それは陛下も痛いほど分かっておられるはず…

 

「…ニューカッスル」

 

「はい。手筈の方は何なりと」

 

「…絶対に強要しないで頂戴ね。相手はずっと私達に忠誠を誓ってくれた、執事も同然なんだから…」

 

「承知致しました」

 

…どうか、どうか陛下やレオパルド、そして私の想いも含めて裏切られる事がないように…エゴイズムを自覚しながら、私達はこの決断を下した。

 

____________

 

…冷たい雨の降りしきるある夜のことだ。念願だった自分の店を持ち、その経営も軌道に乗ってきた矢先…父上が危篤状態になったと伝えられた事をきっかけとして、私はある一つの決意を胸に十年ぶりとなる実家の敷居を跨いだ。

 

「……父上、私です」

 

父上の眠る寝室にたどり着き、喉から搾り出すようにして声を掛けたが…返事はない。

 

「…父上…?」

 

気付けば何度もノックしていた。けれど返事がない。昔であればそれだけで叱責されただろうに…

 

「…父上‼︎」

 

胸騒ぎを感じた私は許しも得ずにドアをこじ開け、中へ飛び込む。

 

「……来たか…いや、よく来てくれた…」

 

…そしてすぐにベットに横たわる父上を見つけた。

 

「ち…父上…」

 

記憶にある威厳も、巨大な背中も、もう何も残っていない。医学には詳しくないが、いくつかのチューブだけでこの世に生を繋ぎ止めている父の姿を一目見ただけで、私は恐ろしい後悔の念を感じた…

 

「…そんな目で見るな。まだ私は死んでいないぞ」

 

「…申し訳ありません…」

 

「…大きくなったな、レティス…」

 

「…はい」

 

…けれど父上の表情に死に対する恐怖は微塵も感じられず、それどころか私の成長を嬉しそうにされる心の余裕すら見える。

 

「随分と背も伸びたが…やはりレオパルドの方が大きかったようだ」

 

「…3㎝しか違いませんが、分かるのですか?」

 

「分かるとも…腐ってもお前達の父親だぞ」

 

「父上…」

 

…こんなに素敵な会話はもっと早くしたかった…

 

「…すまぬ。今更こんな事を言っても何の罪滅ぼしにもならんな…」

 

「いいえ…そんなことはありませんよ、父上…」

 

だが父上もそう思って頂けていたようで、私はそれが無性に嬉しくて…ようやく父上のベッドの近くに置かれた、大きな椅子に腰掛けた。

 

「…そうか…なら良かった…」

 

父上は元来口下手で、口数も多くない。その父上がここまで話すのはそれだけ伝えなければならない事があるからだ、というのは想像に難くない。

 

(…これは…!)

 

その父上からの言葉を待っている間に、私は近くのテーブルにあった一枚のパンフレットに気が付いた。

 

「…あぁ…お前の店の物だ…愛読している」

 

父上の言葉通りパンフレットにはあちこちにシワがついていて、よく読み込まれているのが見て取れる…

 

「私は…そうだな、トライフルが好みだ」

 

「…まさか、お召し上がりに?」

 

「こんな身体だからな、ヴェルデューゴに頼んで買ってもらうが…一日一つ食べるのが、何よりの楽しみだ」

 

ヴェルデューゴ、というのはこのヴィンセント一族に残された最後の執事である。父上の若い頃から一族の忠誠を誓い続けてきた彼の顔が分からないはずもないが…彼の事だから、私が店を離れる僅かなタイミングで買いに来ていたのだろう。

 

「…ゴホッ!ゲホッ…」

 

「ち、父上!」

 

「……狼狽えるな。もう収まった…見ての通りだ。あと何個楽しめるかは分からん…」

 

…父上は不治の病だ。私も十年前から知っていた。それを教えてくれたのは他ならぬ兄上で、兄上が長男として王家親衛隊を継いでくれたからこそ、私は今日まで自由きままに生きていられた。

 

「父上…何か私に大切な話があるのでは?」

 

だがそれも今日で終わりだ。私はそのつもりでここに来たのだから。

 

「……話してもいいか」

 

「お聞かせください」

 

私の覚悟を感じ取られたのか、父上は子に接するそれではなく、男が男に対する声色を使ってこう仰った。

 

「ヴィンセント一族は…継がなくていい」

 

「…えっ?」

 

予想外の言葉に面食らう私に対し、有無を言わせぬ勢いで父上は続ける。

 

「私が死んだ後はこの屋敷も売り払う。大した額にはならないだろうが、お前とヴェルデューゴで分けなさい…葬儀も粗末な物でいい。全てが終わればお前も一族の事など忘れなさい」

 

「…父上…」

 

「…こんな家名は呪いでしかないのだ。私もレオパルドも運命の奴隷だったが…お前はそうならなくていい。私もレオパルドも…そしてお前の母もそれを望んでいる」

 

「………」

 

父上の願いも兄上の想いも全て分かる。この一族の興亡を私は次男という立場で全部見てしまったのだ…だからこそ、そのまま見て見ぬ振りなど出来ない。

 

「後は私とヴェルデューゴに任せて、お前はお前の道を行きなさい。私は決して良い父親ではなかったが…お前とレオパルドの父親でいられて、とても幸せだったよ」

 

「…はい…そうさせて頂きます」

 

…私は今にも溢れそうになる涙を必死に堪えて、今度は自分自身の決意を口にした。

 

「…父上の仰る通り…この一族ではなく、私は兄上の想いを継ぎます」

 

「…なんだと?」

 

「女王陛下もそれを望んでおられますから」

 

「…バカな⁉︎何故それを…まさか…⁉︎」

 

…寝室を訪れる直前、ヴェルデューゴから「ロイヤル艦隊の指揮官」としての話を聞かされた。まさかとは思ったが、兄上の無念を晴らした上でヴィンセント一族そのものの…否、父上の栄光を守れる道があるのなら、私に拒む理由はなかった。

 

「どうかお許しくださいませ。ですがこれは他の誰でもなく、私個人の望みでもあります」

 

「…本気で…言っているのか?」

 

「これこそが運命です、父上」

 

…逆鱗に触れるかと思ったが、そう言い切った途端に父上は憑き物が落ちたかのように笑い出す。

 

「ハハッ…ハハハハッ!傑作だ!お前も…お前も言うようになった…」

 

「兄上そっくりでしょう?」

 

「…素晴らしいな、兄弟というものは…」

 

…やがて、父上は穏やかな表情のままで締め括りに入られた。

 

「…ならば女王陛下には私から伝えておく…本来ならいくらでも代わりが居るはずだ。お前一人で気負わなくていい」

 

「心得ました」

 

「艦隊に着いてからも連絡は不要だ。そちらが落ち着いた頃を見計らって、こちらから連絡する…それまで何があっても泣くなよ」

 

「えぇ、分かっておりますとも」

 

「…ではもう行きなさい、レティス」

 

「はい…また逢いに来ます。父上」

 

どうかこれが最期にならない事だけを祈りながら、私は寝室を後にする。

 

「…ヴェルデューゴ、いますか?」

 

そして直後に、寝室から離れて待機していた老齢の執事を呼び寄せた。

 

「レティス様、お待たせ致しました」

 

「予定通り私が兄上の跡を継ぎます。父上にも納得して頂けました…後の事を頼みますね」

 

「畏まりました」

 

「それと…父上は私が看取ります。その時が近付いたら…すぐに教えて下さい」

 

「ハッ…ではレティス様、お見送りを…」

 

「不要です。このまま店にも行かなければなりませんし、私も忙しくなってきました」

 

要件を伝え終えて屋敷を去ろうとする私の背中を見送りながら、忠実なる家臣は呟くようにして言った。

 

「…ご立派になられましたね」

 

「…ありがとう。でもこれからなりに行くのですよ」

 

「失礼致しました…行ってらっしゃいませ…」

 

そのまま深々と一礼する家臣に私も頭を下げてから、今度こそ屋敷を後にした…

 

____________

 

それから間も無く…「指揮官」としてこの艦隊に招かれた私は、早速女王陛下への謁見(えっけん)が叶った。聞いた話によれば兄上は女王陛下の単なる護衛を超えた、全幅の信頼を得たパートナーだったらしい。ならば弟の私が兄上の信頼を傷付けることは決して許されない。この謁見一つとっても、私の新たな「仕事」そのものだ。

 

「ご主人様。この先で陛下がお待ち兼ねです」

 

「ありがとうございます、ベルファストさん」

 

母港までの案内は安全性の確保と機密保持も兼ねて空路で行われた。その際の護衛は現在のロイヤルメイド長であるという、ベルファストという名のKAN-SENが務めてくれた。出迎えに来てくれた時は外出用の正装をしてくれていたのだが…メイド服に着替えた彼女の格好とそのあまりの露出度を一目見て、私は何となく今後が不安になった。

 

「ふふっ…これから私の事はベルファストとお呼び下さいませ、ご主人様」

 

「分かりました…ではベルファスト、お願いします」

 

「畏まりました」

 

当然そんな感情は表に出さないよう意識しつつ、私はベルファストに女王謁見の間の大きな扉を開けるよう頼んだ。やがて重厚な音色を奏でるかの如く、ゆっくりと扉が開き…直後、視界に飛び込んできた光景に私は衝撃を受けた。

 

(…うっ…!)

 

母港に着任して、ベルファストと共に施設を見て回った時にも散々驚かされたが…それでもなお度肝を抜かれる程の、豪華絢爛そのものの空間。繊細な職人の意匠を感じられる煌びやかな装飾の数々が、私の実家よりも遥かに広大な部屋全てに余す所なく施されている。

 

(…噂には聞いていたが、噂以上の女の園だな…)

 

そして何より…遥か彼方に見える玉座に御座(おわ)す小さな女王陛下、その周りを取り囲むKAN-SEN達…皆揃って美人、美人、美人‼︎ここまで案内してくれたベルファストに負けず劣らずの絶世の美人しかいないという異様な空間に、私は思わずため息が漏れた。

 

「…よく来たわね!さっさとこちらへいらっしゃい‼︎」

 

「は、はっ!ただいま…!」

 

女王陛下のよく通る命令が私を現実に引き戻した。既にベルファストはメイド隊の列の中に戻っている。とにかく陛下の機嫌を損ねる前に御前へと行かなくては。

 

(…しかし…まさかあの全員がメイドか?一体何人いるんだ…⁉︎)

 

歩みを進める途中で様々なKAN-SEN達からの視線を感じるのは当然の事だったが、その中で一番多かったものは私の容姿に対する感嘆…つまり見惚れるような視線だった。自惚れているつもりはないが昔から兄上譲りで容姿には恵まれていたから、この手の視線には慣れている…もっとも初対面でも伝わるような謎の忠誠心を視線から感じるのは初めてだが…

 

「お初にお目にかかります、女王陛下。レオパルド・ヴィンセントの弟、レティス・ヴィンセントと申します。この度は我が一族の汚名を返上する好機を頂き、誠に感謝しております…」

 

そうこうしているうちに陛下の御前に辿り着いた私は、(ひざまず)いて自らの自己紹介と感謝の念を陛下に語った。

 

「…最終確認するけれど、今回の招集には貴方自身の意志で従ったのよね?」

 

「はい。私の人生を懸けて馳せ参じました」

 

「そう…なら今からとても大切な話をするわ。大きい声では言えないから、もう少し近付いて頂戴…」

 

「は、はい…」

 

我ながら少々大袈裟だったか、などと振り返る間も無くどこか神妙なご様子の陛下が仰る通りに私は陛下の元へとさらに歩み寄る。

 

(…実はね。この艦隊にいるほとんどのKAN-SENはレオパルドが死んだ事を知らないわ)

 

「…えっ⁉︎」

 

(しっ!…ショックかもしれないけれど、最後まで聞きなさい!)

 

(し…失礼…)

 

…私としては既に私が兄上の代わりなのは周知の事実なのだろうと思っていたから、思わず声が出てしまった。

 

(レオパルドは王族専用の護衛だったもの。だから彼の事を知ってるKAN-SEN自体が数える程しかいないわ…良い男だったけれどね)

 

(…ありがとうございます)

 

(実際、あなたこそがやっとこの艦隊に派遣された念願の指揮官だと思ってる者が殆どよ。ましてや昨日まで民間人だったなんて夢にも思ってないわ)

 

(…………)

 

今後の立ち回りをどうするべきか…それだけを考える事に必死になっていた私を見透かされるかのように、陛下はこうも仰った。

 

(…でもね。何も焦らなくていいわ。私も女王だから分かるけれど、統治するっていうのは本当に大変なんだから…むしろあなたが来てくれて大助かりよ)

 

(陛下…)

 

「…話は終わり。仕事はこれから覚えればいいわ…背負い過ぎて潰れる前に周囲を頼りなさい。いいわね?」

 

「…しかと心得ました…」

 

…何もかもが突然で予想外の連続だが、まさか女王陛下がこれ程までに見ず知らずの私を気遣ってくださるとは。それこそ兄上がこれまでに築き上げた信頼の成せる業だと重々承知しつつも、私個人もまた改めて陛下に忠誠心を示そう…そう思った末に私は懐からとっておきの物を取り出した。

 

「陛下。どうかこの血判をお受け取り下さいませ」

 

「け、血判?…え、えぇ…まあ…もらっておくけど…あなた、生真面目なのね…」

 

「身に余る賞賛であります」

 

(こういう所はレオパルドと全然似てないわ…ふふっ…)

 

無事に血判も受け取って頂けたことだし、陛下との謁見もまずまずの様子で終えられそうだ。

 

「…さて!謁見は一旦この辺にして…早速あなたの新しい仕事を始めるわよ?準備はいい?」

 

「はい!何なりとお申し付けを!」

 

そのまま陛下は私に確認を取った上で、これまた通るお声で皆に号令を掛けた。

 

「皆も待たせたわね!これから新しい指揮官の歓迎会を始めるわよ!」

 

パチパチパチパチ…

 

拍手の後、皆は続々と大広間を出て行く。足取りからしてどうやら裏庭へと向かうらしい。

 

「お茶会のマナーは分かる?」

 

「えぇ。問題ありません」

 

「なら何も心配ないわね!…皆もあなたに聞きたい事が山ほどあるみたいだから、経歴とレオパルドの事以外は全部答えてあげなさい!」

 

「ハッ!」

 

…この時の私に歓迎会が何時間も続くという驚愕の事実を告げたとしても、同じような返事が出来ただろうか…

 

____________

 

お茶会という名の質疑応答は前述の通り日が暮れるまで続いたのだが、最初のうちは非常に真面目な雰囲気だった。

 

「では改めて…クイーンエリザベス級高速戦艦。名はウォースパイトよ。陛下との関係性は実の妹という立場ね…覚えておいて欲しいわ」

 

「把握致しました。ではウォースパイト殿下、ご質問の方はこざいますか?」

 

「着任早々ではあるけれど、今後の艦隊運用とその展望について。皆に聞かせて頂戴」

 

「畏まりました…まずはKAN-SENごとの労働格差の改善、それによる艦隊稼働率の向上を目標としています」

 

「ふむ。何か具体案はあるの?」

 

「はい。格差と一言で言ってもここはロイヤル。私自身も中流貴族の出身ですから分かるつもりですが、KAN-SENの皆さんにも立場の違いや役職事の違いがあるのは当然です。そうした点も考慮した上でシフト制度を導入しようかと」

 

「シフト…なるほどね」

 

「もちろん皆さん一人一人の希望と能力、その日ごとの体調も重々検討した上で後日作成します。不満や相談があればまたその都度お声かけくださいませ」

 

「ふふっ、そうさせてもらうわ」

 

「…では次の…」

 

「指揮官。私の頼みを一つ叶えてもらいたい」

 

お茶会では一人の質問が終わるのとほぼ同時に次の者が私に声を掛けてきたが、こうした場合の順番一つ取っても彼女達の序列が窺い知れる。

 

「おっと…ではお名前も含めてお伺いします」

 

「我が名はキングジョージ5世だ、そして頼みというのは私の妹に会わせて欲しい」

 

…後に彼女の為にありとあらゆるスイーツを作る羽目になるから言えることだが、思えばこの時から彼女はとても豪胆だった。

 

「…もう少し詳しく説明して頂けますか?」

 

「私とてあまり詳しくはないが…」

 

そんな彼女から私は特別計画艦の事と、彼女の妹である「モナーク」の存在を知ることになる。

 

「なるほど…いずれにせよ、数日で叶えられるようなものではありませんね」

 

「だが叶えて頂けるのだろう?」

 

「えぇ。貴女の力も借りて共に成し遂げましょう」

 

「ははは、あなたならそう言ってくれると思っていたよ…その調子で私や私以外の者も上手く使いこなすが良い」

 

「肝に銘じます」

 

こうした生真面目な雰囲気が続くとどうしても萎縮してしまう者もいたので、この時私は極力場の空気が固くならないように振る舞っていた。

 

「では次は…そうですね、そちらの貴女に」

 

「あ…わたし…?」

 

「はい、貴女です…素敵なレディ、宜しければお名前をお聞かせくださいませんか?」

 

「えっと…ロイヤルネイビー…名前は…ユニコーン…」

 

「ユニコーン…よいお名前ですね」

 

「そう?…えへへ…」

 

この時は駆逐艦にしか思えなかったユニコーンが実は軽空母で、そして彼女が大切にしているゆーちゃんは勝手に動いて空も飛ぶのだからKAN-SENとは本当に恐ろしい…

 

「指揮官…あのぉ…」

 

「はい、なんでしょう?」

 

「お兄ちゃんって呼んでも…いい?」

 

そのユニコーンがそう発した瞬間に陛下と殿下、それと何名かの表情が一瞬こわばったが…私に動揺はなかった。

 

「えぇ、もちろんいいですよ!」

 

「本当?…やったぁ…!お兄ちゃん、ありがとう…!」

 

「どう致しまして…貴女や皆さんの為に、素敵なお兄ちゃんになりますからね…私も…」

 

…とまぁこんな感じで、ここまでは我ながら順調にいっていたのだが…

 

「ダイドー級軽巡洋艦、カリブディスです。会えて光栄です、ご主人さま♪」

 

「こちらこそ光栄です、カリブディス…ではご質問の方をどうぞ」

 

「ご主人さまは何か、「これだけはやってほしくないこと」というものはございますか?」

 

「と、言いますと?」

 

「我々ロイヤルメイド隊はご主人さまの専属メイドとして、いつでもどこでもなんでもをモットーにこれからご奉仕させて頂こうと以前より計画していたのですが…やはりご主人さまも大人の男性ですから、見られたくない物があったりですとか〜」

 

「あはは…私もまだ軍歴の少ない身。恥こそ多い人生ですが、その分隠す物など何もありません。そんな私をこれからお世話して頂けるというなら光栄の極みです」

 

「本当ですか⁉︎良かった〜…ではご主人さま。これからは何でもお世話させて頂きますね♪」

 

(…ん?何でも?)

 

…カリブディスは何も悪くないが、思えばこの辺から若干雲行きが怪しくなり…

 

「指揮官のこれまでの振る舞いを見せてもらったが…その誇り高さ、決闘者(デュエリスト)と見た!」

 

「デュエル…ええ、確かに子供の頃少しだけ遊んでいましたが…」

 

「やはりか!好きなカードはなんだ?」

 

「うーん…確か…ダイダロス?だったかな…あの大きな海のドラゴンのような…」

 

「なるほど!…分かったぞ、指揮官はアトランティスデッキが好きなんだな⁉︎」

 

「アトランティス…あぁ、確かそんなカードもありましたね…」

 

「古代の記憶が蘇ってきたようだな!良かった、この艦隊では殆どデュエルの話が出来ないのが悩みだったが…」

 

(あっ、この流れは不味い)

 

「指揮官がいる限りこれからその心配はなくなるな!」

 

「ベルファスト。次の方をお呼びしてください」

 

「畏まりました…ハーミーズ様。時間です」

 

「まだだ!まだ私はサレンダーしない!私のターン……離せ!」

 

「では次の方〜」

 

「助けて指揮官!……相棒ぉぉぉぉ‼︎」

 

ハーミーズを生贄に、KAN-SEN達の地獄の暴走召喚は続く。

 

「ジャベリンです!ジャベリン、指揮官みたいなハンサムな人とずっとおしゃべりしたかったんです!」

 

「ど、どうも…」

 

「うん?…気になる子の前でどうしたらいいか分かんないって顔してる〜?えへへ♪」

 

(これは…そう、「うざかわ」だ。彼女はそういうキャラクターなんだ…そう認識しろレティス…!)

 

「それでそれで!ジャベリンずーっと気になってたんですけど〜…ズバリ!指揮官は今、お付き合いしている人っていますか⁉︎」

 

「…それがいないんです。ジャベリン、よろしければ貴女が私の大切な人になって頂けませんか?」

 

今日が初対面の、しかも自分の上官になる人間相手に恋の話題を振り撒いてきたジャベリンに対して、私は無類の女好きだった兄上の口癖をそっくりそのまま伝えた。

 

「きゃあ〜!指揮官、いきなりナンパはいけませんよ〜!」

 

(ベルファスト。後で皆さんには社交辞令の一環だとお伝えください)

 

(畏まりました)

 

…それからは好奇心旺盛なKAN-SEN達から「趣味と特技」「休日の過ごし方」「好きなタイプのKAN-SEN」「今までの経験人数」「駆逐艦の妹について」…特に筆舌する程の事ではない項目まで丸裸にされた。

 

____________

 

兄上の存在と私自身の経歴だけはどうにか誤魔化しつつ…しかしながらそれ以外の事は一つを除いて全て暴露することになった恐怖のお茶会を乗り切った私は、そのままKAN-SEN専門の研究員チームの元へと挨拶をする運びとなり今に至る。

 

「ははぁ…それはご苦労様です…でも流石指揮官、モテモテですね〜」

 

「ありがとうございます…といっても、場の空気に流されるがままでしたが…」

 

栄華を極めるロイヤル艦隊ともなればその周辺施設の規模も天井知らずなのだが、幸運にもその研究員チームの総責任者が案内役を買って出てくれた。

 

「いえいえ!新しい指揮官様のご到着をKAN-SENの皆さんはずっと心待ちにしていましたからね。これからの評価はどうあれ、第一印象をクリアしたというのは素晴らしい事ですよ!」

 

「そう言って頂けると救われます、ミア中尉」

 

このミア中尉という女性はこのロイヤル艦隊全てのKAN-SENが使用する兵装の管理を行う研究員達のトップだという。まだ私と同じか下手すれば歳下に見えなくもない程若く美しい人だが…世界とは広いものだ。

 

「まぁまぁ階級なんて気にしないでください、貴方は指揮官様なんですから」

 

(買い被られてるな…んっ?)

 

その時、私はまた自分に向けられた複数の視線に気付く。

 

 

 

(…あっ!こ、こっち見た…)

 

(あんたの声が聞こえてたんじゃない?)

 

(かもねぇ…はぁぁ、カッコいい…)

 

(ねぇねぇ先パイ!手!振ってみてください!)

 

(えぇっ⁉︎嫌よ、はしたなく思われるじゃない…)

 

(先パイに気が合ったら絶対振り返してくれますって!ねっ!)

 

(もうっ…い、一回だけよ⁉︎…)

 

 

 

…会話の中身までは分からないが、一人の研究員の女性が気恥ずかしそうにこちらに手を振っていたので、私も作り笑いを浮かべながら手を振り返した。

 

「「「キャーーッ!!♡♡♡」」」

 

「…そのご様子ですと女性には不自由していないようですな?」

 

「よしてください中尉…私は女性で遊ぶタチではありませんよ」

 

「意外ッ!」

 

…この艦隊の不満点があるとすれば、裏方のスタッフさえも女性だけという事だろうか。

 

「…一つ質問したいのですが、KAN-SEN専門の研究員というのは女性限定の任務なのですか?」

 

流石にそれを面と向かっては言えない…のだが、思ったよりも失礼な聞き方になった事に言葉を発した後で気付いた。

 

「その点は国によります。我々ロイヤルではKAN-SENに刺激を与えない事を最優先にしているのでこうなりましたが、珍しい方だとは思います」

 

「刺激…なるほど」

 

そして思ったよりも真面目な答えが返ってきた。確かにありとあらゆる意味で同性で接する事にはメリットがあるのかもしれない。

 

「……それとも殿方一人って案外寂しいんです?」

 

だがそんな事など内心どうでもよく、本心では気遣いしなくて良い理解者を得たい私の心情を察してもらえたのか、ミア中尉は独特な口調を崩さずにそう聞いてきた。

 

「…白状します。寂しいです」

 

「そうですか…でもさっき何人かのKAN-SENに会いましたけど、皆あなたの事を気に入ってましたよ?」

 

「それは嬉しいんですが…そもそもきっかけからして、私は代役ですから」

 

「代役?…誰の?」

 

「私の…殉職した兄上です」

 

「…その話、最後まで聞かせてもらっても?」

 

「えぇ…是非ともお願いします」

 

それから私はこれまでの経緯と自らの心情を全て吐露したが、ミア中尉は黙って受け止めてくれた上に誰にも口外しないとまで約束してくれた…

 

「…ありがとうございます、ミア中尉。おかげで楽になれました」

 

「つ、辛かったらこれからもお話聞きますからね…無理しちゃダメですよ…」

 

「えぇ…」

 

話を聞き終えたミア中尉はどこかよく分からない感情を持て余していそうなのが見て取れる。

 

「…では、私は一度母港に戻ろうかと思います。またこれからお世話になります」

 

「こ、こちらこそ…!」

 

私は彼女と他の研究員達にも改めて感謝の意を述べてから、指揮官としての細かな業務を習うべく母港と引き返した。

 

 

(………は〜っ…!…エリートお兄様の無念と一族の未来の為に、突然未知の世界に飛び込んできたイケメン弟…!皆からキャーキャー言われるくせにノンケなのか男一人で寂しそうにしてる部分もあるとか、そそるわぁ…今度の新刊、これでいこうかな…♡)

 

 

____________

 

施設の把握や指揮官として従事する業務内容の確認を終えた後は、これまた豪華極まるディナーを皆と楽しみ、そして皆の誘いを断って入浴を済ませ…働いているのか遊んでいるのか分からなかった怒涛の一日もようやく終わりを迎えようとしている。

 

(…ミア中尉のいうとおり第一印象は問題ないはずだ。今後は明日以降の振る舞い次第という所だろう)

 

既に責任感と共に漠然とした不安も膨れ上がってきてはいるが、未経験の職務に従事する時というのは誰でもそういう感情になるはずだ。

 

(…荷解きなんて、寝る前にやるものじゃないな)

 

荷解きもそこそこに用意された寝巻きへと着替え終えた途端、急に眠気に襲われた。

 

(父上も落ち着いたら連絡を寄越すと仰っていたし…ひとまず休んでもいいじゃないか)

 

…今日の私は我ながらよくやった。後は明日の私に任せて、早くあのキングサイズのベッドへ…

 

コンコン

 

(…嫌な予感ほどよく当たる)

 

時計を見ればギリギリ日付けが変わる前だ。最後の一仕事をするとしよう…

 

ガチャ

 

「はい、どなたでしょうか?」

 

「夜分遅くに申し訳ありません。必ず貴方様にお渡しするようにと、レオパルド様から頼まれていた物がございます」

 

今日一日でKAN-SEN達からは色々な呼ばれ方をしたが、私を貴方様と呼んだのはたった二人しかいない。

 

「貴女は…ニューカッスルでしたね」

 

「ふふっ…もう名前を覚えて頂けたなんて、とても光栄です」

 

本来ならばレディーの会話は雰囲気を守ることが最も重要で、自分の立場が上であるからと言って一方的に会話を進める事は御法度だ。

 

「…失礼。兄上が私に渡したかった物というのは?」

 

頭でそれを理解はしていても、心は嘘をつかない。

 

「こちらです…重たいですよ」

 

ニューカッスルはそんな私の心情すらも汲み取ってくれたのか、柔らかい雰囲気を崩さぬまま一冊の分厚い書物を私に差し出した。

 

「…これは…?」

 

「レオパルド様が生前に書き留められていた貴方様への教えをまとめた物になります」

 

表紙には金の刺繍で「Leopard Manuel(レオパルド・マニュアル)」と記載されている。

 

「…兄上は…自分の死を悟っていたのでしょうか?」

 

「…レオパルド様はセイレーンの襲撃の際、受けた傷が癒えずにご逝去されました…ですがそのお命が尽きる直前まで、貴方様がこの艦隊を継ぐと信じてありとあらゆる教えを遺されたのです」

 

「兄上…」

 

自らの遺体さえ私に見せなかった兄上の文字通りの遺産を、気付けば強く抱き寄せていた。

 

「…ありがとうニューカッスル。これがあれば…私は、きっと…」

 

…そのまま頬を暖かいものが伝うのを止められなくて、私は言葉の途中で背を向ける。

 

「…夜分遅くに大変失礼致しました。お休みなさいませ、貴方様…」

 

絶妙なタイミングでニューカッスルが部屋の扉を閉めてくれたのを確認してから、私はすぐさま部屋の机に兄上の遺産を置いて表紙を開いた。

 

《お前がこれを読む頃には、俺はもうこの世に居ないはず…なんて手垢塗れの常套句を、本当に書く事になるとは思わなかったが…許せレティス。お兄ちゃんのおふざけも、これで最後だ》

 

そのまま無我夢中でページを開き、血眼になって兄上の言葉を読み進める…私と父上を残してこの世を去る事への謝罪、決して長くなかった人生に対する後悔と未練、そして私を導く格言の数々と共に、何枚もの家族写真とハンカチーフが収められていた。

 

《もしこれを読んでる途中で悲しくなったらこれを使って涙を拭くこと。お前は優しくて少し繊細なだけだ。泣き虫じゃないから心配するな》

 

「分かってる…分かってるよ、兄さん…」

 

写真を一枚見るたびに、懐かしく…素晴らしかった幼少期の記憶が鮮明に蘇る。まだ若く強い父上と、美しくご存命だった母上、誰にでも優しかった兄上、小さな私、そして裕福だった我が家…叶ってはならないエゴだと分かっていても、永遠に家族皆で幸せでありたかった…

 

《…お前には指揮官として守らなくてはならない決まりが三つある。親衛隊の隊長だった俺も同じ事を守っていた。それにこれはヴィンセント一族の掟そのものでもある…覚悟が出来たら次のページを開け》

 

だが…ページをめくるたびに、胸が熱く…自分の知らない感情が芽生える。

 

《まず一つは信頼を得るということ。これはありとあらゆる意味で、かつあらゆるものに対してだ。これが無い者は誰からも必要にはされない。かと言ってすぐ得られるものでもないが…幸運にも得る手段自体は幾らでもある。お兄ちゃんが知っている限り全て書き残した。安心して先人に習え》

 

私は夢中でページをめくる。

 

《二つ、得た信頼を決して失うな。手に入れるにはあまりにも大変だが、失くすのはとても簡単だ。だが無くせば最後だと思え。こればかりはどうしようもない…疑心、慢心、下心、女心。こいつらは失脚四天王だ。覚えておくように》

 

兄上特有の言い回しに懐かしさと、何故かほんの少しだけ鬱陶しさを覚えながら…ページをめくった。

 

《そして三つ目…結果を出せ。これが一番重要だ。方法は何でもいい。必ず記憶だけでなく、記録に残る結果を出せ。これが出来れば誰も文句を言わなくなる。お前はその時まさしく指導者となり、支配者となり、そしてそれはお前の運命になる》

 

…文書の最後には小さな字で、こう綴られていた。

 

《いい男になれよ。お兄ちゃんよりも》

 

「…大丈夫だよ兄さん。何も心配要らない…」

 

そこまでを読み終えてもまだ半分もいかないManuelを閉じた時、僕の目から涙はもう止まっていた。

 

「後は僕に任せて」

 

口に出したのはこれが想いではなく、決意だと自分と兄さんに言い聞かせたかったからだ。

 

「いい男になります。兄さんより…」

 

そのまま部屋の本棚の奥底、誰にも分からないように隠した兄さんの魂が、僕の人生を変えるものになるとは…その頃の僕はまだ気が付かなかった。




ここまでのご高覧、誠にありがとうございました。
同様に設定集の方も随時更新予定ですので、ご興味のある方はそちらも含めてお楽しみ頂けますと幸いです。


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