学力至上主義の教室の傍観者 (とかちつくち手©)
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1.少年は愚かな隣人を求めて韜晦した
文月学園。
地域でも名の知れた進学校でもあるこの高校で、オレは2年目の春を迎えた。
思えば1年目の春もこんな感じだった。外の世界がどんなところかと期待に胸を懐きながら今歩いている桜並木の登下校路を歩み、そして何も無く一年の月日が過ぎ去った。学校では友人というものが出来ず、あの教室と同じような。もしくは周囲が友人同士楽しげに団欒するクラスメイトばかりだったからか、より虚しく一年が闇に溶けた。
一年前のオレは何故自分がクラスで浮いてしまったのか理解が出来なかった。だが今のオレなら分かる。
認めよう。オレは他人に対して積極的な行動を取るという選択肢を選ばなかった。気の良さそうなクラスメイトにチラチラとアイコンタクトを送ったり、朝の挨拶を唐突にしたみたりするだけでは友人関係を築くという目標に対して効果は薄い。それをオレはこの一年間で実感した。悔いるならばこんな初歩的な見解にもっと短期間で至るべきだったと今更ながら思う。思わせぶりな態度だけでは人と親交を深めることは不可能なのだ。せめてこの儚く散ったオレの一年間を今後に活かそうと思う。
多大なる反省点を踏まえてオレは策を弄することにした。
オレはこれまで、誰かと構わずといえば語弊があるが、それに近似するほどには他人の特徴に興味が無かった。特徴、即ち性格だったり容姿だったり趣味だったりする。オレ自身、友人関係というものを味わいたいという一心しか持ち合わせていなかったため、その本質についてはどうでも良かったのだ。
だが論理的に考えてそれでは効率が悪い。オレはオレと仲良く出来る相手がそう多いとは思えない。つまり大抵の人間とは波長が合わないのだから闇雲に当たれば無惨な結果になるのは必死だった訳だ。
理想的な学園生活を謳歌するべく、次からは狙う人間の特徴を考慮することにした。具体的に言えばこうだ。明るく、相手の裏を読まず、欲望に忠実で、思考が浅薄であること。オレが支配できるくらいには愚かであること。二文字に纏めれば"馬鹿"。
そう、オレの未だ見ぬ友人には馬鹿が相応しい。馬鹿な友人を作るためにはオレは多少本気を出すことも厭わない。高校三年生になってしまえば受験シーズンになってしまい青春を味わう余地は殆ど無い。よってこの一年がラストチャンスだ。
「おはようございます、西村先生」
「ああおはよう。早速だが受け取れ綾小路、振り分け試験の結果だ。お前ならもう少し上に行けると思ったんだがな……」
校舎前の一本道で仁王立ちしているのは西村先生だ。どうやら生徒一人一人に振り分け試験の結果を教えているようだ。熱心な教師だな。その筋骨隆々とした身体付きから鉄人という異名が付いているが、それだけ生徒たちから親しまれているのだろう。去年オレはこの教師とあまり関わり合いが無かったが、それにも関わらずオレの成績を知っている口ぶりなので本当に面倒見が良い教師なのだと思う。
「西村先生。今回は問題が難しかったんです。これがオレの全力ですよ」
「そうか。どちらにせよ、お前は今日からFクラスの代表だ。ついでに代表ということでクラスの名簿も渡しておく。励めよ」
西村先生の言葉にオレは軽く頭を下げて、校舎に向かいつつ封筒に入った紙を開く。振り分け試験の結果は西村先生の言葉通り【Fクラス(代表)】ということらしい。代表か。……オレは代表になるつもりは無かったんだがな。調整した点数はオレの想定ではFクラスの平均より少し上のはずなんだが……。
まあいい。Fクラスならば特に支障はない。
騒乱と動乱に包まれたオレの高校2年の春が始まろうとしていた。
─── ──── ────
文月学園は学力によってクラスが振り分けられている。教室の設備もクラスによって差別されており、例えば最上位のAクラスならノートPC支給にコーヒーサーバーやリクライニングチェア完備など、十二分に至れり尽くせの様相だ。それが最底辺のFクラスとなると、汚い畳にボロいちゃぶ台、座布団は綿が抜けスカスカで壁の隙間からは生温い風が吹き込むといったような悲惨な有様になる。
『おいおい。幾ら最下位クラスとはいえボロボロ過ぎるだろこれは……』
『このちゃぶ台とかちょっと力込めたら折れそうだぜ』
『まあ寝転がりながら漫画読むにはちょうど良さそうだし悪くはないな』
『俺も畳ならこの春休み中に出来た彼女と添い寝できそうだし全然ありだな』
『この春一番の嘘をありがとう』
続々と登校してくるクラスメイトたちの感想を尻目に、オレは名簿を眺める。Fクラスに狙って振り分けられたオレからすれば、この程度の劣悪な環境は想定の範疇から脱しない。何よりオレは学校に勉強しに来てるわけではなく、友人を作りに来ているのだからどれだけ学習環境が悪かろうがどうでも良いと思える部分もある。
それよりもクラスメイトだ。まずはクラスメイトの名前を覚えることが緊要だ。コミュニケーションを取ろうにも、相手の名前を憶えていないのは印象が悪いだろう。幸いというべきか、クラス代表となったためにクラスメイトの生徒名簿は渡されている。どうでも良いが名前を見る限り男女比率が随分と偏っているみたいだ。
「おう秀吉。無事Fクラスになったのか」
「おはようじゃ雄二。お主もこのクラスに振り分けられておったのか」
名簿を眺めている間にもオレの隣の席からそんな会話が聞こえてきた。
どうやら友人同士のクラスメイトも中にはいるみたいだ。それもそうか。この学校は1学年6クラスである以上、確率的に同じクラスに振り分けられる可能性は低くない。加えて言うなれば、言い方は良くないが類は友を呼ぶということだろう。
互いに予定調和感のある口ぶりなのはある程度予想が付いていたからだろうとオレは思う。EクラスやDクラスではなく、最底辺のFクラスだからこそ本人同士も予想しやすい。羨ましいな。オレもこんな親しい間柄の友人が出来るだろうか。
「まあな。この分だと去年と同じ面子になりそうだな」
「そうじゃな。島田とムッツリーニは分からんが明久は確定じゃろうし」
「だな。明久は100%、天と地が入れ替わろうがFクラスだ。万が一、億が一でもFクラスじゃなかったなら俺がどんな手を使ってでも奴をFクラスに落としてやる」
「相変わらず歪んだ友情じゃのう……」
話を傍で聞いていると彼らには他にも友人がいるらしい。オレは羨望の眼差しを送ってしまっていることを自覚しつつ、クラスメイトに話しかけるタイミングを伺う。この教室に入ってくるクラスメイトは最初こそ顔を顰めるが、1分後には適当な座布団に座って寝転がって携帯ゲームに勤しんだりちゃぶ台に頭を預けて昼寝したりと高い適応能力を見せている。振り分け試験を受けた時から覚悟はしていたのか、既に我が家のように寛ぎ始めるクラスメイトにどうもオレは馴染めない。幾ら何でも怠けすぎだろと思ってしまったからだ。オレも特段真面目と称されるような性分ではないが、それでもここまで堕ちてはいない。
そうして名簿を読みつつ辺りを窺っている間にチャイムが鳴った。しかし担任の教師が未だに来ないのは単純に所用で遅くなっているのか、それとも受け持った生徒がFクラスだからか。流石に後者でないことを祈りたい。
「なあ、名簿を持ってるってことはお前がこのクラスの代表か?」
そんなことを考えていると、先程まで友人と仲良さげに会話をしていた男から声を掛けられた。赤い髪に精悍とした顔つきの男だ。制服から読み取れるほど筋肉質だが、体育会系の部活にでも入っているのだろうか。
オレは男の容姿を観察しながらも、これは好機だと思いフレンドリーな挨拶をすることに決めた。
「……ああ。オレは綾小路清隆。一応、このクラスの代表らしい」
「坂本雄二だ。あんま見覚えがないが去年は何組だったんだ?」
「E組だ。そっちはどうなんだ?」
「Cだ。教室も遠いしな、知らなくても無理はないか」
坂本はそう言ってオレをジロジロと見る。オレの方も当然ながら坂本に見覚えは無い。
「でだ、代表。ちょっとその名簿見せてくれねえか」
「分かった」
断る理由もないのでオレは躊躇う事はせず坂本に渡す。坂本は五十音順になったクラスメイトのリストを一番後ろから見ると、すぐに溜息を吐いた。
「やっぱFクラスじゃねえか明久のやつ。初日から遅刻かよ。ったく、らしいっちゃらしいが」
「知り合いか?」
「敵だ」
「敵なのか……」
竹を割ったような明白な宣言にオレも同じ単語を反芻してしまう。利害関係が伴う社会人ならまだしも、高校生活を送っている上で敵なんて概念がどうすれば生まれるのか。若干この坂本という男の友人関係に興味が湧く。ここはその、吉井明久という人物について聞いてしまってもいいな。何せ、このままだと折角の会話が終わってしまう……!
「ともかく助かった」
「ああ。その、吉井明久だったか。どんな男なんだ?」
「一言で言えば馬鹿だな」
オレに名簿を返すと坂本は簡潔に言い切った。馬鹿か……それがどういう尺度からされた評価かは知らないが、その言葉通りならば理想の友人候補だ。吉井のことを馬鹿と呼ぶ坂本には呆れも見えるが、ある程度気心が知れた相手に接するときの気安さも見て取れる。もしオレの思うような人物ならばFクラスに来た甲斐があったというものだ。
「そうなのか。因みに世間には野球馬鹿とかサッカー馬鹿とか馬鹿にも色々とあると思うんだが、その吉井はどういう馬鹿なんだ?」
「究極の馬鹿だな」
おかしいな。具体的に聞いたはずなのにさっぱり分からない。
オレが小さく頭を傾げたのを目敏く見抜いた坂本は補足するように口を開く。
「度し難い馬鹿だ」
「いや、程度が分からなかった訳じゃないんだが……」
今度は坂本が頭を傾げる番だった。いやそれで理解できる人間は吉井の友人くらいだと思うぞ。対人関係の経験値が低いオレと言えどそれくらい判別が付く。まあ、とにかく馬鹿であるという事実だけは伝わってきた。
「なあ代表、まだ教師もまだ来ていないみたいだし折角なら教壇に上ってみないか」
「どういうことだ?」
「なに、お前は代表だろ。これからFクラスのキーになるんだ、ここらでクラスメイト共に顔を売っといても損はないだろ」
「なるほど。そう言われればそうかもしれない」
オレは坂本の言葉に頷いた。顔を繋ぐというのはオレからしても益のある行為だ。友人を作る以上、まずはクラスメイトにオレの印象を残したい。
坂本とオレは今にも崩れそうなボロボロの教卓の前に立つと、坂本が手を鳴らした。
「おーい! みんな聞いてくれ。このクラスの代表の綾小路から話がある」
そう言うと思い思いに寛いでいたクラスメイト達が気怠さを隠さずこちらへ視線を向けた。ワイルドな見た目にそぐわず場を仕切るのが得意なようだ。特にこれといった特徴の無いオレなんかよりもよっぽど坂本が代表をやった方がいいんじゃないか?
兎にも角にも、自己紹介だ。去年と同じ轍はオレとしても踏みたくはない。少し気合を入れて、声を上げた。
「あー、初めまして。綾小路清隆です。この度Fクラスの代表になりましたので、宜しくお願いします」
特徴のある自己紹介をしようと思っていたが、オレという人物は一年程度じゃ変わっていないようで結局無難なものに落ち着いた。どこか白けた空気が流れる。ま、まあオレもこういう表に出る役割は得意じゃないしな……。
『なんだよ、真面目君じゃねえか』
『なんかこいつ影薄いな。こんなんで代表が務まるのか?』
『まあクラス代表なんて誰でも良いだろ。試召戦争も俺達の関わる話じゃないしな』
クラスメイトの反応は概ね無関心といった所か。もう俺はただ名前さえ覚えてくれればそれでいい。
試験召喚戦争、通称試召戦争に関してもオレは同意見だ。ここ文月学園ではクラスの設備を賭けて試験召喚戦争というのが行われている。試験召喚獣というのを生徒一人一人が使役して、相手のクラス代表の召喚獣を倒せば勝ちというのが基本的なルールだ。しかしこの試験召喚獣の強さは直近の試験の点数と直結している。つまり最底辺クラスであるFクラスはどのクラスにも総合力で負けているので勝つのは困難であり、少なくとも戦争をするにもすぐの話じゃない。オレもやる気はないしな。
そう自己完結していると、坂本が黒板を叩いて教室の空気を一変させる。
「んで、俺が副代表の坂本雄二だ。宜しく頼む」
『は? 副代表? そんなもんあったか?』
『いや無かったと思うぞ……多分』
『つか坂本ってあの悪鬼羅刹って噂の……』
代表はともかく副代表という立場は一年間この学校に通ったオレも聞いたことが無い。つまり坂本が勝手に名乗ってるだけだ。でも坂本は何のためにそんな真似をしたんだ。うん、オレには分からないな。
誰もが坂本にざわめいていると、教室の襖が開いた。遅刻した生徒の一人が来たみたいだ。
「すいません、ちょっと遅れちゃいましたっ♪」
「早く座れこのウジ虫野郎」
茶髪で若干年齢より幼そうに見える、というよりも間の抜けた顔をした男子生徒はその発言に若干ショックを受けたような表情を浮かべる。
恐らくこの男子生徒こそ坂本が言っていた吉井明久なる人物なのだろう。坂本の罵詈雑言からオレはそう判断した。ついでに全体的に馬鹿っぽいオーラを纏っているから間違いない。
「聞こえなかったのか? ああっ?」
それにしても今の坂本の顔は深夜にコンビニの前で屯する輩にしか見えないな。オレはあんな言い方はしていたものの坂本と吉井は友人だと思っていたのだが、ヤンキーのような形相で凄みながら吉井を上から見下す坂本の姿を見ると自信を無くしてきた。或いはこれも一つの友人関係の形というのか? ダメだな。オレにはその判別が出来ない。
オレが戸惑っていると、吉井が正気を取り戻したように口を挟んだ。
「雄二は何でそんな場所にいるの?」
「教師がまだ来ていないからな。代わりにこいつと教壇に立ってみた」
「こいつ……?」
吉井は漸くオレの存在に気付いたようで、表情から読み取れるほど分かりやすく疑問符を浮かべる。
「ああ。オレは綾小路清隆、遺憾ながらこのクラスの代表になった」
「これは丁寧に。僕は吉井明久、これから宜しくね」
「こちらこそ頼む」
よし……! 手応えあり!
流れるように自分から自己紹介が出来た。これは去年のオレからすれば大きな躍進だ。
内心でガッツポーズをしていると坂本がずいと乗り出す。
「んで俺が副代表となったわけだ」
「副代表? そんなのあったっけ?」
「いいや。勝手に作った。死んでも後腐れのない自分の兵隊が欲しくてな。こいつらは馬鹿だし、気付かないと思った」
存外いい性格をしている。坂本には幸いというべきか、他のクラスメイトには聞こえなかったみたいで特に反応は無かったが。吉井も苦笑いをするだけで特にそこについて言及はしなかった。
「すみません、ちょっと通してもらえますか?」
気配を感じなかったが、声がした方を向けばスーツ姿の男が困ったように立っていた。どこか覇気に掛ける、現代のサラリーマンを象ったようなこの男は恐らくFクラスの担任なのだろう。
「ういーす」
「分かりました」
オレと坂本、吉井もそれを察して自分の席へと戻る。
教師はそれを淡々と見送りながら、自身も教壇の前へと立つと「えー」と気のない声を発した。
「皆さんおはようございます。私はFクラス担任の福原慎です。これから一年間宜しくお願い致します」
福原先生というらしい。正直、何だか頼りなさそうな見た目をしている。スーツにこそ皴はないが何処となくくたびれた雰囲気が漂っていて、規則にも五月蠅いタイプには見えない。オレの第一印象としては、最低限の校則と常識さえ守っていれば起こることは無い寛容な教師に見えた。これはまたFクラスと相性が良さそうな教師が担任になったもんだ。
オレ以外も福原先生に対してそんな感想を抱いたのだろう。教室に一気に弛緩した空気が雪崩れ込む。
そんな中、クラスメイトの一人が手を挙げた。
『先生ー。この座布団破けてるんですけど』
「我慢してください」
『こっちは畳に穴があって危ないです』
「我慢してください」
『窓枠が歪んでて隙間風が寒いです』
「我慢してください」
遠慮なく物が言えそうだと判断したのか、福原先生に早速Fクラスの設備の不満が殺到した。だがFクラスの宿命なのか改善されることはなさそうだ。福原先生も設備については頑固だな。つまり教室の設備レベルを上げるには試召戦争で勝つしかないということか。
それからクラスメイトによる自己紹介が始まった。名前だけは先程覚えてたから、次は顔と照合する作業だ。ただ全体的に似たような空気感を持つ男が多いせいか少し区別が付けづらいな。この中で区別が付くのは女子の島田、男子ならさっき話した坂本と吉井。それから髪色と言動が個性的かつ危ない土屋と、容姿が完璧に女子にしか見えない木下。この5人くらいである。オレとしてもさっさと他のクラスメイトも覚えてクラスに慣れたいところだ。
自己紹介は五十音順ではなく、座っていた座席順。廊下側からだ。窓際の後ろから2番目の席に座っているので、オレの自己紹介も最後の方となる。まあオレはつい数分前にやったばかりだから特に気負う必要も無いな。代表という地位もあって、印象には残っているはずだ。無難なことを言って終わらせるか。
自己紹介が終盤に差し掛かった時、HR中にもかかわらず襖が再び開いた。
「お、遅れて、すみません……!」
現れたのは緩いウェーブのかかったピンク色の髪をした女子生徒だった。ここまで急いできたのか、息を切らしておりそれを支えるように胸の前に手を当てている。
このクラスに女子は二人だ。島田美波という女子は自己紹介を終えたばかりなので消去法的にこの少女が姫路瑞希なのだろう。ただ、気になるのはクラス中から姫路に対して疑懼の眼差しが向かっていることだ。教室中が騒めき始める。
「丁度いいですね。姫路さん、今は互いに自己紹介をしてもらっているので、その場でお願いできますか」
福原先生は姫路の姿を認めると話しかけた。姫路はそれに息を整えながら頷く。
「姫路、瑞希です……! 宜しくお願い、します……!」
姫路は言葉を続けながら慇懃に頭を下げた。その姿に一瞬呆気にとられるが、クラスメイトの中から「質問です!」と大きな声が飛んだ。今は質疑応答の時間じゃないが福原先生も止める気はないようだ。
「なんでしょう?」
「何で姫路さんがここにいるんですか?」
聞きようによっては失礼千万な質問だ。オレにはその疑問の意図が分からないが、とはいえもう少し言葉の選びようはあっただろうに。
姫路はその言葉に気分を害した様子も無く答えた。
「はい……振り分け試験中に高熱を出してしまって……」
その言葉にクラスメイトの多くは納得したようだった。良く分からないが、状況推理的に姫路は本来Fクラスに振り分けられるはずがないほど高い学力を持った生徒ということだろうか。文月学園は実践主義である。その主義は試験にも適用される。テスト当日に熱を出しても大抵の学校ならば補填措置として追試験を受験できると聞くが、文月学園にはそんなものはない。どんな事情があれ振り分け試験でオール0点を取ればFクラスになってしまう。健康管理も実力の内という考え方だ。オレは些か行き過ぎた主義だとは思うが、学校の運営方針なら従わざるを得ない。
『ああ……熱か……それなら仕方ないよな』
『なるほど……俺も熱の問題が難しくて』
『それが解けててもお前はFクラスに決まってるだろ』
『俺も彼女が試験前日に熱くて離してくれなくて』
『ダウト』
……にしても、オレの思っているよりこのクラスの生徒って馬鹿なんじゃないだろうか。
「ひ───」
「姫路」
口を挟むことなく傍観していると、隣に座る坂本が姫路に声を掛けた。吉井の声も重なって聞こえた気がしたけど気のせいか?
「は、はい」
「初めまして。俺は坂本だ。坂本雄二。宜しく頼む」
「はい! こちらこそよろしくお願いします!」
「ああ。体調はもう大丈夫なのか?」
「はい!沢山寝てきたおかげで大分熱も下がりました!」
「それは何よりだ」
初対面だったのか。なるほど、最初の内はこうやって声を掛けて自己紹介をすればいいんだな。参考になる。
オレも乗るしかない……このビッグウェーブに!
「久しぶりひ───」
「姫路。横からすまない。オレも自己紹介していいか?」
「はい、勿論です!」
今度は明確に吉井の声が聞こえた。吉井も姫路に声を掛けたかったのだろう。眼球運動だけで確かめれば吉井は伸ばした手を空に切らせた体制のまま石になってる。何か、すまん。
「綾小路清隆。このクラスの代表ということになっている」
「代表さんなんですね! よろしくお願いします!」
姫路はオレと目を合わせて、ふんわりとした笑顔を浮かべながら頭を下げた。女子と話す機会があまりなかったから少し気恥ずかしい。ちゃんと噛まずに言えていただろうか。
ともあれ、後追いのおかげで無事に自己紹介が出来た。坂本には心の中で感謝の気持ちを伝えておく。
「ひ、姫路さん!」
「よ、よし、吉井くんっ!?」
これまでにないほどの達成感を覚えていると今度こそ吉井が姫路に声を掛けた。姫路はそれに何故かびっくりしたように肩を跳ねさせた。知り合いだったのか。
「なんだ明久。姫路と知り合いだったのか?」
オレと同じように思ったのだろう。少し意外そうに坂本は眼を見張る。
「うん。姫路さんとは小学校の時のクラスメイトでさ」
「ほーん。それで思いを募らせていたら姫路に振られて今に至ると」
「振られてないよ!?」
「まあオマエに彼女とか宇宙一似合わねえもんな」
「せめて世界一で留めてよ!」
世界一なら良いのか……。
なんと言うか、吉井は意外と面白い奴なのかもしれない。
と、坂本が吉井のことを誂って遊んでいると姫路が「そんなことありません!」と声を張り上げる。
「吉井くんはその、魅力ある素敵な人です!」
「……へぇ、なるほどな」
一生懸命に自身の意見を主張した姫路に、坂本は微かにニヤリと笑う。オレでも分かる。姫路は吉井のことが気になっている……ここまでストレートな物言いを考えれば好きなんだろうな。
息をつくと、坂本は小さく頭を下げる。
「姫路がそう言うんなら、確かにそれは俺が間違っていたな。そういや俺も明久に惹かれている人間を知ってるし」
「え、ホントですか!? どこのクラスの何さんですか!?」
「マジで!? 僕にも教えて友達だろ雄二〜!」
オレも気になる。この内輪に入る勇気はないから頭の中で言うだけだが。
吉井の気持ち悪い言葉を無視して、坂本は口を開く。
「久保───」
「久保さん? ねえ雄二、女子の久保さんってどこのクラスに」
「Aクラスの久保利光(♂)だ。良かったな明久」
知らない人物だ。でも名前的に男だな。まあ九割方面白がった坂本の冗談だろう。本当だったら……強く生きてくれ。
「はぁ……安心しました。坂本君は酷い人です」
「ははっ。わりいわりい」
「あの姫路さんは良いかもしれないけど僕は全く安心できないよ雄二」
吉井にも予想外の名前のだろう。
青ざめた表情で坂本に抗議すると、坂本は溜息を吐きながらイメージに合わないほど柔らかい笑みを溢した。
「そう言うなよ明久。久保は多分良いやつだぜ」
「性格の良し悪しよりもまずは性別を考慮すべきだと思うんだ。それでその話って冗談なんだよね?」
「勘違いすんなよ。これはあくまで俺の見解だ」
「そこは冗談だったって断言するところじゃないの!?」
「……(斜め上に目を向ける)」
「黙って目を反らさないで!!」
微かに移ろった憐憫の眼差しがなんともガチっぽい。オレも僭越ながら手を合わさせてもらおう。合掌。
そんな会話をしてる間にも福原先生が声を上げた。
「はいはい、皆さん。まだHR中ですので静かにしてくださいね(バキッ)」
教室内が騒がしくなってきたのを注意しようと福原先生は教卓を軽く叩くと、教卓の足がポッキリと折れた。オレの想像以上にこの教室の設備は酷いな。
「え~替えの教卓を取ってくるのでそれまで自習していてください」
意図せず教室に静寂を齎した福原先生は壊れた教卓を放置したまま早足で教室の外へと出て行った。新学期初日から自習って言われてもな。
「ねえ雄二、ちょっといい?」
「あ? どうした?」
「ここじゃちょっと話しづらいから、廊下で」
「はぁ。まあ別に構わないが」
呆気に取られているオレを無視して、吉井は隣の席で寝ようとしていた坂本を起こすと二人で廊下へと歩いていった。二人きりで内緒話なんてな……やはり仲が良いみたいだ。
さて、何をしようか。オレは一応代表らしいが、この場を仕切って自己紹介の続きを進めようだなんて使命感に満ちた気概も起きない。適当に持ってきた本でも読んでおくか。
そう思ってバックの中を探っていると「お主、クラス代表じゃそうじゃな」と古風な口語をした男子に話しかけられる。この男子はオレが今名前と顔が一致している少ないクラスメイトの一人である木下秀吉だ。
「ああ、そうみたいだ。木下だったよな? 念の為聞いておきたいんだが、男だよな……?」
オレは言いながらも木下の容姿をマジマジと観察する。顔の造形や目鼻立ちは整っており、1から10まで少女の物として完成されている。しかし着ている制服は男子用の制服で、尚且つ肩幅が女子にしては少し広かったり喉仏が出ていたりと男性的特徴も見受けられる。名前も秀吉と男性名であることを鑑みて、オレは木下は男子であると判断した。
「綾小路じゃったな……ありがとう……」
「あ、ああ」
何故か木下はそのまま溶けて無くなりそうなほど儚く微笑むと感謝の言葉を口にした。いま、オレは感謝されるようなことを言ったか? それで結局どっちなんだ?
「すまない、わしは男じゃ。久々に初対面の相手から男扱いされたのでちょっと感慨深くなっての……」
「そうなのか……まあ確かにその容姿だと勘違いされることも多いだろうな」
「そうなんじゃよ。わしの苦労を分かってくれるか」
「人並みくらいには」
木下くらい女子みたいな出で立ちだとそれはもう大変そうだ。公共のトイレだとか銭湯だとか、一年の頃は体育の着替えもどうしていたのだろうか。まさか女子にしか見えない木下を男子更衣室で着替えさせるわけにはいかないし、だからといって女子ではないから女子更衣室を使わせる訳にもいかないだろう。学校側としても悩みの種だったんじゃないか、木下の性別問題は。
それにしても木下の容姿、何処かで見覚えがあるな。木下よりもう少し女性っぽさがあって、かつ威風堂々とした佇まいだったような気がするから別人物だと思うが。
そうだった。去年のクラスメイトにいた気がする。一度も話したことがないので名前は全く覚えてないが、見た目は木下にそっくりだ。
「木下、もしかして兄弟とかいたりするか? それか姉妹とか」
「姉はおるぞ。わしと違って勉強ができるからな、恐らくAクラスじゃろう」
「それは凄いな」
「でも何故それを聞くたんじゃ?」
「木下の容姿には見覚えがあったからな。多分、オレはその木下の姉と去年クラスメイトだったかもしれん」
「多分って……普通一年過ごしたクラスメイトくらい覚えてるじゃろうに……」
そうなのか?
確かに去年のオレは友人を作るという意志がまだ強固なものではなかった。だからオレは必要があれば覚えておこうと考えていたのだが、木下の呆れ具合を見ているとそれは間違いだったようだ。
去年のクラスと言えば、木下も初日から坂本と親しげに話していた。
「そういや朝に坂本と話していたよな。去年同じクラスだったりするのか?」
「まあのう。他にもおるぞ? 明久、ムッツリーニ、島田もそうじゃ」
「そうだったのか」
偶然にもオレが分かる面子ばかりだ。
「そっちこそどうなんじゃ? 40人もおれば1人くらい元クラスメイトとかいるじゃろ」
「いや、少なくともオレが分かる人はいない。去年オレは学業に付いていくので精一杯だったからな。クラスメイトとは殆ど関わらなかったんだ」
「付いていけてたらのこんなクラスにおらんだろうに……」
オレの主張に木下はやれやれと首を振った。白々しい嘘だと思われたようだ。
すると、廊下から吉井と話していたはずの坂本が戻ってきた。話し終えたのかと思ったが、吉井はまだ廊下にいるようだ。
坂本は俺の席へと立つと廊下を指さした。
「代表、ちょっといいか?」
「別にいいが……何の用だ?」
まるで見に覚えがない。本当に何の用件だろうか。
「廊下で話す。悪い秀吉、コイツ借りるぞ」
「お主らはまた何か企んどるのか?」
「何も企んでねえよ。今はな」
「その言葉が既に答えになってるんじゃが……」
木下は呆れたように溜息吐く。俺は坂本に付いていく形で廊下へと出た。
プロットはありますが続きは書く気が起きれば近い内に。
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