サキュバスが侵食する世界で、俺は家畜の運命から抗う。 ()
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ぽんこつサキュバス

 夢魔。通称――サキュバス。

 

 彼女達は、他種族の『精』を生きる糧とすることで有名だが、列記とした悪魔の一種であり、高い身体能力に加えて『魔法』を扱うことの出来る、俺たち人類にとって、完全なる上位互換とも言える存在である。

 

 つまり、何が言いたいのかというと――。

 

 俺が転生した、夢魔(サキュバス)の存在するこの世界において。彼女達は生態系の頂点に君臨する『捕食者』であり、俺たち人間は『被食者(エサ)』に過ぎないということだ。

 

 場所は東京都の西東京市。とある高校のとある教室。

 鳴り響く休憩時間終了のチャイムに気を止めず、未だ喧騒の只中にある学友たちを頬杖を付きながら眺めて。俺は、ふっと思う。

 

 人間、時間さえあれば、何事にも慣れるもんだな――と。

 

 転生してから約17年の月日が経ち、赤ん坊からリスタートした俺も、今や一端の高校生。チート技能も無く、前世の知識もさほど役に立たなかった俺は、平々凡々とした人生を送ってきた。

 

 夢魔と人類が大戦争を勃発させているのも、海を跨いだ遠い国の話。政治や経済に影響はあっても、実質的に俺が過ごす日常は前世と大差ない。

 

 とはいえ、人類は順調に負け続け、支配領土も着々と減っており、再来年には日本領土まで戦火が伸びるだろうなんて推測されている。

 

 それを知った当時の俺は、マジか……と絶望感に苛まれていたが。まあ、今はこの通り。一年も経てば、あの恐怖感すら慣れたものである。現実逃避……とも言うのかもしれんが。

 

 年月が経つにつれて、帝国軍OBの教師も多くなり、軍事技術を学ぶ為の『兵士』みたいな授業も右肩上がりに増えた。カウントダウンは身近まで迫ってきている。

 

 そろそろかなぁ。そんなことを思った。それがフラグだったのかもしれない。

 

 ――ジリリリリリリッ!!

 

 一瞬で目が覚める程の大音量のベルが鳴った。少し遅れて、防災無線がけたたましい音でサイレンを鳴らし始める。

 

 先程までとは色の違う喧騒に包まれる教室。遅刻の謝罪すらせず、慌てて教室に転がり込んでくる教師。

 ニュースで妙に聞き覚えのある“最悪”を告げるサイレンが、機械的な女性の声を再生した。

 

 夢魔を警告するサイレンには全部で3種類程ある。

 

 一つは、付近の区間に夢魔が侵入したことを警告するサイレン。

 一つは、当該区間に夢魔が侵入したことを警告するサイレン。

  

 最後の一つは、当該区間に夢魔が戦略的攻撃を行うことを警告するサイレン。

 

 ――つまりは、このサイレンのことだ。

 

 慣れていたと思っていた。覚悟していたはずだった。が、震えが止まらなくなった。

 狂気を感じさせる周囲の悲鳴や表情。落ち着いて下さいと連呼し、避難を促す教師の声。

 

 夢魔にとって、少人数だろうが多人数で固まっていようが、俺たち人間は脅威になりえない。むしろ多人数の方がまとめて攫いやすく、ターゲットになりやすい。

 

 俺は教室の出口付近で隊列を組み始める人の流れに逆らって、ベランダ方向へと向かった。

 

「おい青柳! お前何してるッ!!」

 

 ――うるせえッ!

 

 夢魔に遭遇するのも、軍人候補の一人として奴らに立ち向かうのも、どっちも絶対に御免だ。俺は逃げる道を選ぶ。

 

 柵を乗り越えて、深呼吸してから手摺りを一気に飛び降りる。

 

 4階建ての校舎の3階。前世なら確実に大怪我をしている高さも、今の鍛え上げられた俺なら難なく着地出来る。

 

 ダンッと音を立てて、アスファルト舗装された路面に降り立った俺は、即座にダッシュで走り出した。後方から浴びせられる怒声が段々と遠くなっていく。

 

 出来るだけ人のいない場所へ――。上空からの視線に注意しながら、音も立てず、慎重に、気づかれないように――。

 

 やがて草葉の茂る森に入った。高い木々が上空からの視線をシャットアウトしてくれる。木漏れ日の眩しさに目を細めながら、荒ら立つ息を整える。

 

(ここまで来れば、大丈夫か……?)

 

 上空からは軍用ヘリが多数行き交う音。方向から察するに、高校もある中央市街へと向かっているらしい。

 

 やはり俺の判断は正しかった。あの場所に留まるのは危険だ。政府や参謀本部は、避難所のことを囮としか思っていない。

 軍事的メリットを考えれば、確かに一番合理的なのかもしれないが、俺は国益に命を捧げるつもりは無い。

 

 巨木に身を預けつつ、これからの事を考える。

 

 まさか夢魔がこんなにも早く日本に侵攻してくるとは思わなかった。戦地となっている米国本土ではかなり順調に侵攻が進んでいるとの話だったが、後方から物的支援を行う日本を敵視したのだろうか。

 

 しかも空を飛べるとはいえ、茨城や千葉をスルーして東京を狙うとは驚きだ。俺だけじゃなく、誰の目から見ても青天の霹靂だろう。

 

 これからどうするか……か。

 

 街に戻れば、すぐさま軍人に徴兵されるだろう。もう平々凡々な生活など送れない。生か死か……そんな過酷な日々になる。

 

 万が一、夢魔に連れ去られでもすれば、最悪だ。待っているのは『人間牧場』で家畜のように精を搾られる一生。断じて許容できない。

 

(サバイバル本でも持ってくれば良かったな……)

 

 恐らく帝国軍は、夢魔には勝てないだろう。米国ですら勝てないのだ。近いうちに敗戦して、この一帯は夢魔の支配領域になる。

 

 恐竜が猛威を振るい、地上を制した原始時代。

 人類が知恵を振るい、世界を制した現代。

 

 そしてまた、新たな時代が始まるのだ。

 その世界で、俺たちに課せられる新たな役割は家畜。

 

「ハッ……」 

 

 まだ、タヌキの如く森を彷徨いていた方がずっとマシだ。

 俺は文明を離れ、原始人の如くこの森で果実でも喰らって生きることに――。

 

 その時、ブワッと風の鳴る音がした。すぐ上からだ。

 咄嗟に見上げると、ガサガサと上空を覆う木の枝を揺らしながら、一つの塊が落ちてくる――俺に向かって。

 

 咄嗟に回避しようと、距離を取ろうとして――。

 

「うわっ! わ、わわわ……!?」

 

 人の声。それも甲高い少女の慌てたような。

 

「わーーーーーーッ!? 死んじゃうーーー!?」

 

 遂に身体を支える枝を無くし、悲鳴を上げながら急速に落ちてくる少女。俺は思わず着地点に急ぎ、手を広げた。

 

「大丈夫だ。俺が受け止める!」

 

「えっ? えっ? わーーーッ!?」

 

 ドンッと衝撃と共に、両手の中にすっぽり少女が収まる。成功だ。

 

 暖かい人の温もり。少女特有の柔らかい感触。体重は軽い……。

 

「あっ……あれっ……?」

  

 少女が驚きに表情を歪め、身じろぎする。その度、コウモリのような羽がパタパタと手を叩き、矢印のような真っ黒の尻尾が――ん? 尻尾? 羽?

 

「あ……あのー……」

 

「あ、ああ……。なんだ」

 

 少女が混乱する俺に視線を合わせ、おずおずと語りかけてくる。

 

「ありがとうございます。私、危うく死んじゃうところでした。えへへ……」

 

「ああ……」

 

 花が咲くような満面の笑みを浮かべる少女。めっちゃ可愛い……。

 何があったか知らんが、危ないから気をつけろよ。――って、あれ? あれっ? 何かおかしくないか?

 

 だらーっと冷や汗が流れ始める。

 思わず手から力が抜けて少女がドシーンと地面に落ちた。

 

「いっ、痛いですー!」

 

「わ、悪い……」

 

 謝って、そして少女を改めてもう一度確認する。

 

 顔……は可愛い。正直、今まで見たことないくらいの美少女だ。

 そしてその上には……角が二つ。ん? 角が二つ?

 更にはコウモリのような羽がパタパタと痛みに震え、尻尾もまたピクピクと痙攣するように蠢いている。

 

 俺の明晰な頭脳が導き出した答えは一つ。

 

 この少女こそ、他種族の『精』を生きる糧とし、高い身体能力に加えて『魔法』を扱うことの出来る存在で、俺たち人間の上位互換。

 

 生態系の頂点に君臨する『捕食者』であり、俺たち人間を『被食者(エサ)』だと認識している――俺たち人類が恐れて止まない存在。

 

 夢魔。通称――“サキュバス”である、と。

 




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おねだりサキュバス

 目の前の地面で1人の美少女が地面に転がり、呻き声をあげている。

 

 これが普通の少女であれば、俺は即座に手を差し伸べ、イカした台詞の一つや二つと共にお姫様抱っこでもしていただろう。

 

 しかしこの少女は、人類の宿敵“サキュバス”である。

 よって、その可愛らしい容姿と裏腹に、俺の脳内ではしきりに警戒信号が鳴り響いていた。

 

 ――コイツは『捕食者』であり、お前は『被食者』。蛇に睨まれた蛙なのだと。そう告げられている。

 

 気がつけば、さっき少女を抱き込んだ腕。そこに少女の汗が僅かに付着しているのを感じた。

 

 “魅了(チャーム)”――夢魔の体液には、人間を発情させる作用がある。

 

 まずい――と思った時には、既に身体が熱くなり始めていた。

 目の前の光景がゆらゆらと歪む。少女が眩く輝いて見える。俺は情欲に突き動かされ、身体が理性を突き放して少女に近づく。

 

「あ、あのー……すみません」

 

 その時、少女が口を開いた。少し上気した、脳内に直接響くような声。

 

「なんだ?」

 

 冷静に言葉を返しながら、俺は手を伸ばす。勿論、彼女の豊満な胸へ。

 

「あ、あはは……実は私、魔力切れで。起き上がれないんです……」

 

「そうか。なら俺が介抱して――」

 

 伸ばした手が、胸まであと3センチという所で――。

 

「ッ!?」

 

 ようやく理性が戻った。手を引き、瞬時に腕全体を服で拭う。

 

(危……ッぶねえ!!)

 

 危うく生身で夢魔に触れるところだった。『魅了』され、『虜』にされたら一巻の終わりだ。

 

「??」

 

 当の本人は、俺の挙動を見て、キョトンと首を傾げている。

 

「あの、どうかしました?」

 

「いや、別に……」

 

 言いながら距離を取る。彼女から恐る恐る、遠ざかるように。

 起き上がれない演技をされている可能性は否めない。触れられた時点で終わりな俺は、彼女に近づくべきではない。むしろ今すぐ逃げるべきだ。

 

 視線は外さず、後ろ歩きをするように。少しずつ慎重に距離を離す。

 少女が表情を焦りに歪めながら口を開いた。

 

「あの……もしかして、なんですけど。私、置いていかれる感じですか?」

 

「……」

 

「あの……私動けないんです。このままだと本当に死んじゃいます……」

 

「……」

 

「なっ、何か言ってくださいよぉ! 私すっごいピンチなんですって!」

 

「……」

 

「あ゛ーーー! 行かないでーーっ! 一生のお願いだから助けてくださいよぉーーー! 何でもしますからぁーーー!」

 

 ……なんか、思ってたのと違うというか……ポンコツ感がすごい。演技とかって訳でもなく、単純に困ってるだけのような気がしてきた。

 

 こうなると、途端に罪悪感が湧いてくる。人類の敵だし、放っておいても問題ない気はするが……。

 

 俺が再度少女に近づき始めると、パァっと表情を明るくする夢魔。それからハッとした表情、ツーンとそっぽを向いて、

 

「意地悪です……もう」

 

 宿敵に親切な人間など居るわけないだろと突っ込みたくなる。蚊に喜んで血を吸わせてやる人間なんて居ない。

 

「で……助けるって何をどうすればいい?」

 

「出来れば……せ、精液をお分け頂けると……」

 

 ゴマをすりすり。手を揉み揉みしながら言う夢魔。

 

「却下」

 

「ですよねぇ……。私、欲張りすぎちゃいました。えへへ」

 

 ちょこんと舌を出して、悪戯がバレたような表情で笑う。

 可愛い……が、コイツは敵だ。雑念を払うように首を振る。

 

「んー……じゃあ、唾液とか、汗とか……でいいので、下さい。お願いします……」

 

 横たわったまま、ペコりと頭を下げる。

 それはそれでなんかアレだが……。しかし、夢魔の魔力回復手段って本当に体液なんだな……。

 

「断っといて何だが、夢魔って精液じゃなくても魔力補給が出来るのか?」

 

「ええ、まあ。生存維持や空を飛ぶくらいの分なら問題ないです。さすがに魔法使ったりって時は精液じゃないと駄目ですけど。えっと……もしかして、くれるんです?」

 

 ワクワクと目を輝かせる夢魔。

 

「いや、無理」

 

「がーん……」

 

 項垂れる夢魔。いや普通に無理だろ。

 というか、下手にそんなのあげて完全復活とかされたら、確実に連れ去られてしまう。そして牧場でジ・エンドだ。

 

「では……唾液でいいので。下さい……お願いします」

 

 見た目女子中学生から言われると生々しいな……。犯罪臭がする。

 というか、よく良く考えたら、コイツに俺が何してあげてもメリットが全くない気がしてきた。むしろリスクでしかない。

 

「なあそれ、対価はあるのか? 俺がお前を助けるメリット」

 

「え゛。対価……ですか? ……えとえと、ちゅーとかします?」

 

 ――するわけあるかッ!

 

「……いや、それ以外で。身体とかじゃなくてさ……もっとこう、実用的な」

 

「うーん……」 

 

 考え込む夢魔。

 そういや、よく考えたらコイツは今回の夢魔による東京襲撃グループの一人なんだよな。ならその情報を知っているはず。

  

「なら幾つか質問させてくれ」

 

「あっ。それなら大歓迎ですよ! 全然!」

 

 なぜだか嬉しそうな少女に気圧されつつ。俺は思考をめぐらせてから口を開く。

 

「じゃあまず一つ目。今回なんで東京にお前がいるんだ?」

 

「そんなの簡単ですよ。取り分が無くなっちゃったからです」

 

「ん……取り分?」

 

「はい。私たち新人の夢魔なんですけど、先輩たちったら精液とか独り占めしちゃうんですよぉ……。お陰で私たちには全然回ってこなくて……はぁ」

 

 よく分からんが、新人いびりに合っていたらしい。夢魔社会も結構大変なんだな。

 

「それで、米国から日本に来た、と?」

 

「あめりか? が何だか知りませんが、多分その通りです!」

 

 寝転がったまま、グーサインをしてキッパリ言う夢魔。

 

 なんて間抜けな理屈なんだ……。そういやさっきから軍用ヘリの戦闘音とかが全くしないなと思ってたが。もしや、大した襲撃では無いのでは?

 

「……じゃあ、二つ目。日本に来たお前の仲間は何人?」

 

「私が知ってるのは……三人だけです! でも二人は怖がって途中で帰っちゃいました」

 

「……」

 

「私も一人じゃ寂しいので、帰ろうとしたんですけど……この様で、はい。……えへへ」

 

 もう何も言うまい。俺の想像以上に日本は平和だった。流石はオタクの国だ。帝国万歳。

 

「オーケー分かった。魔力ならやるからさっさと母国に帰りなさい。帰り道は気をつけてな」

 

「はい勿論です! イエッサー!」

 

 元気よくビシッと敬礼する夢魔。

 

 しっかし。体液をやるといっても、一体どうすれば……。触れれば『虜状態』になってしまうし、近づいただけでも匂いでもうアウトだ。

 

 考える中、突然ビクッと夢魔が身体を震わせた。

 

「ん? どうした?」

 

「あ、あ……の……」

 

 俺を見る表情がボッと瞬時に赤くなる。そしてだらりと表情筋が垂れ下がる。視線がギラギラと強烈な鋭さを持った。

 

「え、えへへ〜……。男の人だぁ、かっこいー。ねえねえ、リリとちゅーしよー?」

 

 そこで俺は、もう一つの夢魔の特性を思い出していた。

 

 “性衝動”――魔力が尽きかける末期となると、性衝動と呼ばれる強制発情状態に陥り理性を失う。そして、魔力が完全に尽きた場合、死に至る。

 

 バッと最後の力を振り絞るように飛びついてくる夢魔リリ。

 

 不意をつかれた俺は――左足を夢魔に抱きつかれてしまった。

 

 再度、先程のような内側から強烈な熱が込み上げてくる。

 視界が歪み、理性が手放される。情欲が身体を隅々まで支配していく。

 

(まずい……コイツが発情してる状況で俺まで『虜』になったら……)

 

 『性衝動』状態の夢魔と『魅了』状態になった俺。最悪の二人がこの場に揃ってしまった。



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めろめろサキュバス

 バッと最後の力を振り絞るように飛びついてくる夢魔リリ。

 不意をつかれた俺は――左足を夢魔に抱きつかれてしまった。

 

「うーん。すりすりー」

 

 マタタビを前にした猫のような表情で、上機嫌に俺のズボンに頬を擦り付ける少女。

 

(しまった……!)

 

 不意を突かれ、接触を許してしまった。

 生身では無いとはいえ、夢魔の『魅了』はたった一枚の制服生地では防ぎきれるものではない。

 

「――ッ!?」

 

 再度、先程のように内側から強烈な熱が込み上げてくる。

 視界が歪み、理性が手放される。情欲が身体を隅々まで支配していく。

 

(まずい……コイツが発情してる状況で俺まで『虜』になったら……)

 

 確実に取り返しのつかないラインを超えてしまう。

 

 拉致・監禁から『人間牧場』へ出荷され、家畜として毎日精を搾り取られる一生が簡単に予測できた。

 

(――そんな未来など、断じて許容できない)

 

 しかし『魅了』の影響か、気がつけば、俺の視線は足元の少女へと向けられていた。

 少女もそれに気づいて、上目遣いに俺を見上げる。交錯する視線。

 

 鬱蒼とした森の中。互いの荒げた呼吸音が静寂の中で響く。

 

 足元の少女は顔色を紅潮させ、瞳の奥に強い情欲を滾らせている――誰から見ても、完全に発情した表情。だが俺も彼女と全く同じ表情をしているだろう。

 

 数秒視線がかち合うだけで、まるで老年夫婦のように互いの心の内が理解出来た。

 

 ――今すぐにでも“お前が欲しい”と。

 

 寸分違わず一致した思考。

 次の瞬間、同時に察知する。

 

 互いの欲望を叶える方法が一つある――と。

 

 少女は俺の左足を抱えるように回していた腕を解くと立ち上がり、火照った顔で俺を真っ直ぐに見つめた。身長差は頭1.5個分程。

 

 さっきよりも大分縮まった距離。クラクラするような甘い香りが少女から漂ってくる。情欲が身体の奥深くでグツグツと煮だって、もはや理性は一欠片程しか残っていない。

 

 少女が潤んだ目で俺を見て、期待するような表情をしてから、ゆっくりと瞳を閉じた。

 

 俺の眼球はその仕草をしっかりと捉えていて――情欲に抗うことなど、出来るはずがなかった。

 強制的に少女へと近づけられる俺の肉体。もはや制止は不可能。

 

 こうなったら、止むを得まい……。ならせめて――この状況を最大限利用させてもらう……!!

  

「――ッ!」

 

「あ……んむっ」

 

 決死の覚悟と共に――夢魔の頭部を抱き寄せ、その艶やかな唇に顔を寄せた。

 接触は一瞬。唾液を送り込むとすぐに唇を剥がす。

 

「ぷはっ……んんんんんッ!?」

 

 目を輝かせ、恍惚とした表情を浮かべる少女を尻目に、俺は頭をガツンと金槌で打たれるかのような強烈な快感に襲われていた。額を抑えながらよろめく。

 

 聞いた話によれば、『魔力』を摂取した夢魔は強烈な快感を得るらしい。そしてそれは『魔力』を奪われる者も同義。

 

 ――そして。

 

 その後に来るのは――さっきまでとは比べ物にならない程の『魅力』。

 

 思考を通り越して脳内中枢にガツンと激情が伝達される。血液がマグマのように熱く、全身を駆け巡っているのが分かった。

 

「あれ……。私、今まで何をして……?」

 

 夢魔の雰囲気が平常時に戻った。

 どうやら目論見通り、彼女を『性衝動』状態から解放することには成功したらしい。……だが、俺はダメだ。

 

 ――『魅了』は、完全に超えては行けない一線を超えてしまっている。

 

「あ……。そっか私、初めて男の人とちゅーしちゃったんだ……」

 

 顔を微かに紅潮させて、感慨深く何かを口にする夢魔。

 そんな彼女に俺はゆっくりと近づいていく。

 

「……」

 

 もはや目の前の少女のことしか考えられない。

 視界だけでなく脳が虚ろになり、思考が分断される。

 

(あれ……今俺、一体何して……)

 

 数秒経って、ようやく自身の身体が勝手に動いているのに気づいた。

 しかし俺は、まるでテレビ画面でも見ているかのようにじっと他人事のように傍観している。いや……この朦朧とした思考ではそうする他ない。

 

 理性から解放された、燃え盛る情欲に突き動かされる肉体が、今度こそ目の前の少女を蹂躙しようと手を伸ばし――。

 

「あれ、何してるのお兄さん?……って。ダメーーーーっ!」

 

 バチンと強烈なビンタ。真横に勢いよく吹っ飛ばされる俺。

 

「もうっ。いきなりふしだらはダメだよ? 私にも、心の準備とか……あるんだから……」

 

 紅く染った両頬を抑えながら、俺をチラチラと見る少女。

 

 制御不能だった俺の行動は――間一髪、夢魔自身の手で制止されていた。

 

 助かった……。

 危機回避への安堵に思わず身体が脱力し、その場にへたり込む。

 

 しかし、未だに俺の情欲は収まりそうもない。

 こうしてる間にも、理性が簡単に吹き飛びそうだ。

 

 真夏にシャトルランをした後のような荒々しい呼吸と大量の汗が止まらない。視線は決して少女から離すことが出来ず――目まぐるしく彼女の全身へ。

 

「ねぇ……そんなに、したいの?」

 

 そんな俺の様子を見て、何を勘違いしたのか。夢魔が恐る恐る、上目遣いに聞いてくる。

 

 ――違う。俺はしたくない!

 

 叫んで否定しようとしても、俺の口元は動かない。ただ情け無さげな呻き声を漏らすだけだ――彼女に熱を持った視線を向けて。

 

「そっか……。えへへ。なんだか嬉しいな」

 

 小さく笑って、ゆっくりと俺に近づいてくる夢魔。

 

 やめろ。俺に近づくな。違う。これは『魅了』のせいなんだ。

 これ以上近づかれれば、また、俺の理性が――。

  

「初めてだから……優しく、してね?」

 

『性衝動』でもないのに発情して紅潮している彼女の表情。情欲に燃える瞳の奥。

 

 誰もが見惚れる美少女のそんな視線が、全て俺一人に向けられている。

 

 ――もう、限界だった。

 

「――ッ!」

 

 バッと飛び上がるように身を起こした俺は、今度こそ目の前の少女の身体を思うままに蹂躙しようと――。

 

「っ! やっぱりふしだらはダメーーーーっ!!」

 

 夢魔の両手が、俺の胸を大砲のように、思いっきり突き放した。

 

 ドゴッと鈍い衝撃。俺の体は漫画みたいに吹っ飛ばされる。十数メートル後方にある太い木の幹に背中を思いっきり衝突させて、地面に落ちた。

 

 段々と暗くなっていく意識。対照的に戻ってくる理性。

 

(そうか……『魅了』は心的衝撃で解除できるのか……)

 

 けど、今更の話だ。

 視界が完全に闇に閉ざされる。俺は自身の終末を悟った。

 

「あわわわ……。や、やっちゃった!? どうしよう!? ……とっ、取り敢えず……!」

 

 ひょいと背負われる感覚。

 クソ……これで俺も牧場行き……家畜の仲間入りか。

  

「――私のお家に連れていけば、何とかなるよね……」

  

 ……ん?

 

(今コイツ何て……)

 

 バサッと小さな羽音を立てて真っ青な空へと飛び立つ俺の体。

 

 しかしそれ以上の思考は強制的に中断される。俺の意識はピシャリとそこで幕を閉じた。

 



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