【全40話】英梨々とラブラブ過ごすエッチな夏休み (きりぼー)
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01 終業式の帰り道にガリガリ君を食べる英梨々

7月23日(土)終業式

 第一話は状況説明も多めでスロースタートですが、是非英梨々を応援してあげてください。

 チラ裏までついてきてくれた方には、支援を何卒よろしくお願いします。

 今回は脱線せずに、最後まで駆け抜けます。





 終業式こそオンラインで十分ではないか?そう思いながら、全校集会での校長の話がバックミュージックと同じぐらい頭に入らない。冷房のあまり効いていない体育館で、どの生徒も気だるそうにしていた。

 

 高校三年生の夏休みは楽しいものではない。部活を頑張っている人には最後の夏で、燃えるような青春の日々を有意義に過ごしている人もいる。けれど、多くの生徒にしてみれば受験のための夏で、この夏が将来を大きく左右すると頭でわかっていても、何も集中できず、参考書を眺めるだけの人も多いはずだ。

 

 俺、安芸倫也(あき ともや)も、そんなありふれた受験生の一人で、学校が終わってほっとするものの、夏休みに浮かれるような期待は何もなかった。それどころか、どうせ勉強に集中できない自分をわかっているので、バイトまで予定にいれている。将来はたかが知れている。

 そんな風に自己分析するクールな俺ってかっこいいと、まだまだ中二病が治っていないことも自覚しているつもりだ。

 

 周りの人間がぞろぞろと動き始めた。どうやら集会が終わったらしい。俺も教室に戻ろうとすると、

「倫也!」

と声をかけられた。振り返ると、金髪ツインテールが揺れていた。「何、ぼんやりしているのよ」と、ツンと口調で話かけてきたのは、学校一の美少女と名高い英梨々だ。

 

 澤村スペンサー英梨々。その容姿は童話のヒロインといった趣で、欠点のない美しさと言っていいだろう。ママレードジャムを溶かしたかのような綺麗な金髪に、サファイヤブルーの瞳。白皙の肌に華奢でスラリと長い手足。小柄でペタンコの胸だが、それが小動物のようにコロコロと表情を変える英梨々には似合っていた。

 学校では一番人気で、告白された回数は三桁らしい。もはや芸能人以上と噂されるが、本人は無頓着。一応、学校では愛嬌を振りまき、お嬢様然としているが、中身は一言でいうとアレ。アレだよアレ。『腐女子』。

 

 オタク。その上、学校では秘密だがエロ同人作家。コンタクトレンズを外すとド近眼で、マンガを描いている時は黒ぶちメガネで髪はボサボサ。残念美人を体現したかのような容姿になる。俺としては、その時の英梨々の方が親しみやすく、オタク話も盛り上がれるので嫌いじゃない。

 

 けれど、隣にいる学校仕様バージョンの英梨々だと、未だに少し緊張してしまう。なんというか・・・オタクで背の低い俺には美少女すぎる。吊り合いがとれないというか、分不相応というか・・・。

 

 こうして英梨々が隣にやってきて、並んで教室まで歩いて帰ると、周りの視線を強く感じずにはいられない。英梨々も英梨々で学校ではあまり無駄口を叩かず、ましてや絶対にオタクの話題などをせず、しずしずと静かに歩いている。男子生徒のため息を洩れる声だけならまだしも、女子生徒からは俺が英梨々を脅迫していると思われているらしい。

 

 そう。俺と英梨々は付き合っている。そして、この英梨々の持つ二面性こそが問題だった。

 

「ねぇ、倫也。今日の予定ある?バイトとか」

「今日は特に何もねぇな」

「じゃあ、後で行くわね」

「ああ」

 

 今日も英梨々が家に来る。

付き合い始めたのが去年の12月のクリスマス。それから無難に恋人たちのイベントの正月やバレンタインを過ごした。二人の仲は急速に縮まる・・・なんてことはなかった。一応、チューはしたけれど・・・それから発展はない。

 プラトニック。それもオタク仲間で、一緒にアニメ観たり、ゲームしたり、ひどい時には英梨々のエロ同人制作を手伝っているから、汚れきったプラトニックといっていい。その関係性がお互いに心地良く、それはそれで楽しいのだけど・・・恋人的な発展はしていなかった。

 

 高校生の年頃が、部屋に2人きりで長い時間を過ごし、時には泊まり込む時も(厳密いうなら、明け方までゲームをして退廃的にすごしている)、何事もなかった。そういう雰囲気にならない。

 オタクの時は、オタク生活を楽しむのが英梨々のポリシーらしく、髪の毛がボサボサの時は、チューもしない。

チューするときは、それなりの服装でデートや買い物など、特別なシチュエーションになった時だけだ。そして、その時の英梨々は美少女なので、俺は・・・一言でいうなら怖気づく。綺麗な英梨々に見惚れてしまって、何も手がだせないまま、英梨々を家まで見送ってしまうのだ。情けない。

 

「あんた、さっきから何をぼっーと考え事しているのよ」

「エッチなこと」

「は?バカなの?死ぬの?」

 

 とまぁ・・・こんな感じでボケをすると、お約束のツッコミをいれてくれる。心優しいツンデレでもある。

 

 教室に戻ってきて、席に着く。俺の席は一番後ろの窓側の席で、ラノベ主人公の指定席みたいな場所だ。英梨々はその隣の席に座っている。こちらは席替えの後に英梨々が男子生徒に頼んで交代してもらった。俺の知る限りでは、英梨々が何か頼んだことを断れる男子生徒は皆無だ。英梨々に声をかけてもらっただけで、青春の1ページとなる生徒も多い。気持ちは痛いほどわかる。けれどそいつらは英梨々の上っ面だけを見て、英梨々のイタイ部分を知らない。

 

 プリントやら夏休みの分厚い課題用テキストが配布された。それから先生がお決まりの挨拶をしてクラスは解散になった。みんながバラバラと教室から出ていった。俺と英梨々は教室に少し残って、下駄箱が空くのを待つ。

 

「倫也、明日はうちにこれるかしら?」

「明日?用事はないけど、何かあるのか」

「うん。ホームパーティーがあるのだけど、手伝って欲しくて」

「ああ、別に構わないけど」

「午前中から来てもらえる?」

「昼からパーティーがあるのか?」

「ううん・・・夜からだけど、ちょっと準備を手伝って欲しいのよ」

「それは構わんが・・・」

 

 英梨々の父は外交官で、ホームパーティーがしばしば開催される。俺は以前からそれを手伝いにいっていた。バイト代がかなりおいしい。ウエイターや掃除などの裏方もするが、一番の役割は英梨々のご機嫌とりだ。元々内向的な英梨々は、ホームパーティーで愛嬌を振りまくと、だんだんと疲れてきて目つきが悪くなる。そんな英梨々がボロを出さないようにケアするのが俺の役目となる。タレントのマネージャーみたいなもんだ。

 

「流しソーメンやるのよ」

「流しソーメンって・・・あの竹筒にソーメンを流すあれのことか」

「そうよ。それで、庭に設置して、どうしたらうまくいくか考えてもらおうと思って」

「ほう・・・」

 

 英梨々の家はでかい。屋敷といっていいだろう。庭もとても広く、数十人規模のホームパーティーなら余裕すらある。そこで流し素麺をするらしい。

 

「親が思い立ったのはいいけど、それを人任せってどうなのかしらね」

「まぁ・・・でも、予算は潤沢なんだろ?楽しそうでいいけどな」

「夏らしいとは思うわよ」

 

 とりあえず明日の予定が埋まった。夏休みの初日だし、別に勉強を焦ることもない。俺は配られたプリントとテキストを鞄にしまって立ち上がった。英梨々も立ち上がる。終業日なので荷物が何かと多く、鞄はパンパンだった。さらに英梨々は美術部で作った作品も持ち帰るらしく、両手が塞がっている。大き目のバックには油絵のキャンバスが入っていた。

 

 これも英梨々の大事な一面で、美術部に所属していて油絵の制作をしている。美術全般が得意で水彩や色鉛筆などでももちろん絵は上手だ。彫刻や版画なども上手い。そういうわけで進学希望は美大らしい。

 

 下駄箱にいる人がだいぶ減っていた。まだ学校から帰るのが名残惜しい生徒があちこちで立ち話をしている。英梨々が下駄箱を開けると、お約束通り手紙がバラバラと落ちた。英梨々ファンによるラブレターだ。以前よりはだいぶ減っている。

 以前の英梨々はラブレターをちゃんと受け取って鞄にしまっていた。その辺の外面の良さは、小学時代のいじめにあった経験からの学習らしい。八方美人で敵を作らない。それが英梨々の基本方針だった。ただ、俺と付き合うようになってから変わった。ラブレターを受け取らなくなったし、告白のためと思われる呼出にも応じなくなった。

 だから英梨々は、落ちたラブレターを拾い集めると近くのゴミ箱まで持っていき、そこで破りながら捨てていく。これももはや様式美と化している。ショックを受けたり、陰口をたたく人もいたりすると思ったが、案外とこの行為は好評らしい。

英梨々に彼氏ができたことで、当たってくだけて、気持ちに踏ん切りをつける生徒があとを絶たない。一説には、英梨々に振られてから他の女子に告白すると上手くいくという、ゲン担ぎもされているようだ。さすがに告白回数三桁は伊達じゃなく、斜め上の存在になっている。

 

 英梨々が袋に上履きをしまった。もう手荷物でいっぱいなので、それぐらいは俺が持ってやることにした。英梨々の小柄な体型で大きな鞄を抱えていると、なんだかコミカルで可愛く見える。

 

 校舎の外は、ムワッと暑かった。日本らしい湿度のある暑さで、これから真上になる太陽がギラギラと校庭を熱している。遠くのアスファルトがゆらゆらと揺れていた。真っ白な雲がいくつか浮かんでいて、濃い蒼い空が広がっている。そして、やたらとセミがうるさい。

 

 夏だ。

 

金髪のツインテールが光輝いて、細い黄色のリボンと一緒に揺れていた。

 

「暑いわね・・・」

「まったくだな」

「倫也、団扇を仰ぎなさいよ」

「どこの貴族だよ。あいにくだが俺も両手が塞がっているんでな」

「つかえないわね」

「従者じゃねぇんだから」

 

 英梨々と一緒に帰ると、遠巻きに見ている人達がいつもいる。英梨々ファンのみんなだ。芸能人の出待ちみたいなもので、下級生の女子生徒もちらほらといる。そして俺はその全員から敵視を受けている。今ではもう慣れてしまったし、英梨々も気にしていない。

 

「暑いわね・・・」恨めしそうに英梨々が少し歩くたびに呟いている。往生際が悪い。

「暑いな」俺は相槌を打つ。東京の夏はアスファルトで照り返された熱でさらに熱い。ヒートアイランドといわれて久しい。

 

 駅前に着くと、コンビニの駐車場にうちの生徒のグループがいくつかいた。買い食いをしてアイスを持っている。気持ちはわかる。冷たい炭酸飲料か、アイスが一番おいしく食べられるタイミングだと思う。

 

「倫也・・・」

「どうする?」

「あたしもガリガリ君食べたい」

「なら・・・我慢だな」

「なんでよ」

「これだけ注目される場所で、英梨々がガリガリ君喰うわけにはいかないだろ。お嬢様イメージでいったら、ハーゲンダッツだな」

「なんでそんなこってりしたものを食べないといけないのよ」

「なら我慢しろ」

「別にお嬢様だって、ガリガリ君ぐらい食べるでしょ?時の総理だって食べていたんだから」

「あれは、あの総理だから成立するんだろ。別にイメージ崩してもいいなら、ガリガリ君ここで喰えば?」

「いい」

 

 興味のある方は、『麻生副総理 ガリガリ君』で画像を検索してくれ。世界一かっこよくガリガリ君を食べている。普通、ああいう大人にはなれない。

 

 英梨々が諦めて改札へと向かう。荷物が多すぎて定期券が出せないので、俺が荷物をもってやった。改札を抜け、恨めしそうにコンビニでアイスを食べている生徒を睨んでいた。逆恨みも甚だしい。

 

 電車を乗り継いで、地元の駅に戻ってくる。電車の中の冷房が効いているだけに、外に出るとその度に辟易とする。英梨々が待ってましたとばかりに、コンビニでなく、スーパーへと向かった。こちらのほうがアイスは安い。地元だと気取らずに庶民派なのも英梨々のいいところだろう。

 庶民派英梨々は地元商店街では知らない人はいない。金髪で目立つから当たり前だが、商店街の中ほどにある写真屋は未だに英梨々の七五三の写真を飾っていた。英梨々の成長に合わせた写真もその都度飾っているので、もはや専属モデルといってもいいだろう。

 そういうわけで、「ああ、あの写真の子ね」とみんな知っている。

 

 俺は荷物を持って待っていると、英梨々がガリガリ君ソーダ味を2本買ってきた。新作を買わないあたり、無難に過ごしたいようだ。

 

「はい」

「どうも」

 

 俺は荷物を地面において、ガリガリ君を一本受け取った。実にひんやりとしていて、白い冷気が落ちているのが見える。一口齧ると爽やかな味が広がった。やっと生き返った気がする。

英梨々は目がランランと輝いている。ガリガリ君一本でテンション上がるとか、未だに精神年齢は小学生ぐらいか。

 

「はむっ」

 

 英梨々がガリガリ君にかじりつき、前歯で一口噛み切った。その時に八重歯をちらりとのぞかせた。

学校では口を閉じて、かしこまった笑顔を作るからあまり八重歯は見えない。

 

 でも、こんな時の油断した英梨々は屈託なく少女のように笑う。すると八重歯見えて、最高にキュートなわけだが、これはできるだけ秘密にしたい。

 

 別にさっきのコンビニで英梨々がガリガリ君を食べても問題なんて何もない。お嬢様ならハーゲンダッツなんて誰も気にしないことだ。ただ、あそこでガリガリ君を食べてしまうと、英梨々のこの無邪気な笑顔がみんなに見られてしまう・・・。俺はそれが嫌だった。ちょっとした独占欲なのを自覚しているが、もちろん英梨々には悟られたくない。

 

 俺も英梨々も無言でガリガリ君を食べる。中心部はかき氷タイプのアイスなので、けっこう早く溶けて落ちてくる。手が汚れるよりも前に食べきってしまうのが大事だ。

 

 英梨々は食べ終わってから、咥えていた棒を取り出して、クジを確認し少しだけ眉をひそめた。俺も棒を確認するが何も書いていない。二人ともいつものようにハズレクジの棒を引き、ちょっぴり、ほんのちょっぴりだけ自分の期待が裏切られたことにがっかりし、その棒をゴミ箱に投げ捨てた。

 

 俺としては、この夏に英梨々との関係をもう少し深めたいと思っている。少し?いや、あわよくば一線を超えてしまいたいが、英梨々がどう思っているかはわからない。相変わらず天真爛漫な少女といった感じで自由だった。セクシーさに欠け、未だに小学生のように見える時もある。

 

 ガリガリ君や流しソーメンを食べるイベントでは、一線を超えるようなことにはならないだろう。

 

 今はそれでいい。

 

 夏休みは明日から始まるのだから。

 

(了)




 毎日更新。時間は適当にずらして投稿します。

 全40話完結済なので投稿予約をしていきます。更新もれや、日付のずれ等、お気づきになりましたらお知らせください。


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02 流しソーメンをやりたい

 今年は6月の末からやたら暑いですが、今日の天気はどうでしょうか?
 せっかく40話書いたので投稿予約するまでは死にきれない。ということで今投稿作業中。

 今回は夏らしく流しソーメンのお話です。


7月24日(日)夏休み初日

 

 今日も夏日で暑いが、からりと晴れた日で気持ちがいい。

 午前中からソーメンパーティーの準備のために英梨々の家に向かう。

 大きな門の横のインターホンを押すと英梨々が出た。それから門の横の小さい扉のロックが自動で開いた。俺はそこから中へ入る。玄関から英梨々が出てきた。

 英梨々はDIY用の黄色いつなぎ服を着ている。見たところ新品だった。なんでそんな恰好なのか俺は不思議に思ったが、庭先に案内されて理解した。そこには、大きな竹が一本横たわっていた。笹には七夕の願い事の短冊がまだたくさんついている。

 

「これ、商店街の七夕のだけど、処分する代わりにもらってきたのよ」

「あのさ・・・もしかして、竹から流しソーメンを作る気か?」

「当たり前でしょ。倫也の服も用意してあるから、着替えなさいよ」

「準備いいなっ」

 

 今更断れないか。そもそも素人が作れるのかよくわからない。用意されている以上はとりあえずやれるだけはやってみよう。俺が物陰で着替えていると、英梨々が壁から顔を半分出して、じぃーと見ている。何かツッコミをいれてやるべきだけど、まだ午前中でテンションが上がらない。俺は下着姿になってから、用意された青色のつなぎ服に身を包む。思ったよりも軽くて柔らかい素材だった。

 

「はい。これ」

「これ・・・使うのか」

「知らないわよ、そんなこと」

 

これまた用意のいいことにDIY用の道具ベルトを渡された。ドライバやペンチなどがすでにセットされていた。これは流石に金属の道具なので、腰に巻いてみるとずしりと重い。英梨々も同じものを腰に巻いている。

 

「で、どうするんだ・・・」

「これが設計図ね」

「ほう・・・設計図ないと無理だよな」

 

 受け取った設計図を見て、俺は少しでも期待していたことを後悔した。まさに小学生の設計図。斜めに描かれた竹とそれを支える台が縦に何本かの線で描かれていた。

 

「じゃあ、倫也は竹の加工をお願いね」

「英梨々は?」

「あたしは竹をのせる台の方を作るわよ」

 

 英梨々の示す方をみると木材が並んでいる。そこには電ノコや丸ノコ、電動ドリルなど大工道具もそろっていた。英梨々の頭の中には設計図が入っているのかもしれない。

 

「危なくない?」

「別に平気でしょ。それとも竹と変わろうかしら」

「いや、竹でいい・・・とりあえず枝を落とせばいいよな。ゴミ箱は・・・」

「あの辺の横に置いといてくれるかしら、そしたら後で処分してもらうから」

「あいよ」

 

 そういうわけで、日陰の場所まで竹を移動し、俺は小さな植木用のノコギリを使って竹の枝を切り払っていくことにした。やれることをやって、詰まったら動画でも見ようと思った。

 竹は意外と固く、コツをつかむまでは苦労をした。切った枝の七夕飾りや短冊は付けたままでいいだろう。どうせ燃やす。最初は興味深く短冊を読んでいたが、人間の煩悩なんてどれも似ている。そして時々混じる「世界が平和になりますように」という漠然とした願い。お金が欲しいという直接的な願いとどっちがマシだろうと考えながら、枝をすべて切り払った。ゴミをまとめて横の方に移動しておく。

 一本の竹の幹が残ったが、これをどうやって半分に割るのかわからない。立てかければ3階に届きそうなほど大きくて立派だ。

 

 英梨々は電動ドリルで木製の板に穴を開けている。あいつの中ではわかっているのだろう。長さの違う棒のような板が量産されていた。真剣に作業している時に声をかけて邪魔するのも悪い。俺は端の方に座って英梨々が没頭する作業を少し見ていた。

何か炭酸飲料が飲みたいので家の中に入って、働いている執事かメイドさんを探した。パーティーなので厨房の方には料理をしているスタッフがいた。そこに声をかけて瓶のコーラを二本受け取り、その場で栓を抜いてもらう。

 

 英梨々のところに戻ると、一段落したようで電動ドリルを置いて体を伸ばしている。俺は「お疲れ」と一言添えて冷えた瓶のコーラを渡した。なんとなくお互いに瓶を軽くキンッとぶつけてから飲む。これが暑い日には最高に美味い。このために働いていると言っても過言ではないだろう。大人になったらビールになるのかもしれないが、コーラも楽しめる大人でありたい。

 

「でだな。一応あそこまで準備できたけれど、どのくらいの長さにするんだ?」

「5メートルもあれば十分だと思うけど、長い方が見栄えがいいじゃない?適当に細くなる当たりで切ってもらえれば」

 俺は竹のところにいって、「この辺でカットするか?」と聞くと、英梨々がうなずいた。

 

 飲みかけのコーラを脇に置き作業へ戻る。言われたあたりで竹をノコギリでカットする。あとはこれをどう二つに割るかだが・・・

 

「英梨々、これってどうやって割るんだ?」

「知らないわよ」

「ネットで見るか・・・」

 

 スマホを出して動画を検索する。これぐらいの情報ならすぐに集められる。

 

「けっこう普通にナタで割れるんだな・・・」

「というか倫也・・・竹を乗せる台って、余った竹をクロスにさせればいいのね・・・」

「少しは予習してから、作れよ」

「創作は予備知識がないほうが奇抜なのができていいのよ」

「創作じゃなくて、工作だろ」

 

 英梨々が頬を膨らませて少し怒った表情をしている。英梨々の中ではH型を木材で作り、橋げたのようにする予定だったらしい。作りかけた以上はそれでいいだろう。別に正解があるわけじゃない。

 

「英梨々。鉈ってどこかにあるか?」

「裏手の物置にあると思うけど・・・探してみてくれる?」

「はいよ」

 

 俺は屋敷をぐるりと周って物置小屋に行く。100人乗っても大丈夫なあの物置だ。中に入って電気をつける。広い・・・俺の部屋ぐらいありそう。幸い、鉈はすぐに見つかった。壁にもたれかかっている柄があったからだ。刃の部分は皮製の鞘で保護されていた。俺はそれを右手にとって、皮のケースから抜いた。抜刀という表現がいいかもしれない。

 刃渡りは50cmぐらいあり、幅も10cm程あった。これはもう武器だ。しかも刃の部分は鋭く研がれていて、文様も浮き出ている上に、銘も打ってあった。これはもう伝説の武器クラス。ちょっとテンションがあがる。もう一度ケースに戻してから、英梨々のところに戻った。

 

 英梨々の周りにはH型に組まれた木材がいくつかできあがっていた。ネジを電動ドライバで締めている。

 

「英梨々。見てくれ!これ!もはや武器!」

 

英梨々の前で、それらしい型構えから抜刀して、両手で鉈を構えた。ちょっとした勇者気分。もしくは山賊。

英梨々は俺を一瞥して、何も言わずに自分の作業に戻っていった。つれない。

 

・・・さては、英梨々が俺を覗いた時に、何もツッコミを入れなかったことを根に持っているらしい。こうなったら、さらに何かボケるしかない。

 

「俺・・・このソーメン台作り終わったら、結婚するんだ・・・」有名な死亡フラグをアレンジしてみる。英梨々はため息をついて、俺を睨むと、

 

「すぐにゾンビになりそうね」と言った。

「弱いのは自覚あるけどなっ! ・・・なぁ、これ使って竹を割るのは怖いんだが・・・」

「あたしがやったほうがいいかしら?」

「いや・・・竹を抑えるのを手伝ってくれるか?」

「いいわよ」

 

 俺は竹の太い方を台の上に乗せて角度をつける。それを両足ではさみ動かないように固定した。後ろで英梨々が竹を転がらないように支えてくれている。

竹の切り口に鉈の刃を当てる。鋭い刃が自分の方を向いているので非常に怖い。木槌をつかってトントンと慎重に叩くと、竹が裂けて中へ刃が入っていく。思ったよりもずっと切れ味がいい。そのままリズミカルに木槌を叩いていく。ある程度まで割る。ここでいったん鉈を抜いて、竹を地面におろした。

 

「ここからは、横に寝かせたままでもできそうだな」

「割れたところを少し持ち上げるようにしておくから、さっさと終わらせましょ」

 

 英梨々が竹の先端側を持ち上げて角度をつけた。俺は鉈を裂け目に戻して木槌を当てると、もうほとんど抵抗もなく竹を割くことができた。節目のところだけ少し固いが、上手に二つに割ることができた。竹を割くようにとはよくいったもんだ。体験しないとわからない。

 

「あとは、この節のところをキレイに整えればいいんだよな?」

「そうね。あたしのほうもだいぶできたから、それが終わったら、組み立ててみましょ」

 

 とりあえず鉈をケースに戻して物置にしまってきた。物騒なものなのでその辺に置いとく気がしない。ぬるくなったコーラを飲み干し、俺はまた作業に戻る。

 

 先端の尖った金槌で、節目の薄い所を砕いていく。もちろん砕いただけではギザギザしているので、そこをノミか彫刻刀で削ろうか思案していたら、英梨々が電動ドリルの先端に、研磨用ヤスリをセットするといいと教えてくれた。俺はそれを使って、ガリガリと削っていく。手で感触を確かめると、すでに凹凸はなくなっていて、つるつるとした手触りになった。これを全部の節目に加工をした。これならきっと素麺は上手に流れるに違いない。

 

「倫也、これ建てるのを手伝ってくれるかしら」

「はいよ」

 

 俺は英梨々の作ったH型の木材を持ち上げた。そんなに重くもないし頑丈ではない。英梨々の指示に従って芝生の上に置き、それを木槌で叩いて埋め込んでいった。太陽が真上になりギラギラと輝いている。時々雲の影になった時だけ、ほっとする。セミの声が妙にうるさかった。

 全部の橋げた部分の設置が終わると、俺と英梨々で竹を一緒に抱える。これがなかなか重い。「せーの」と息を合わせて英梨々の作った台の上に乗せると、これがなかなか立派で、見事な流しソーメンイベントの舞台が整った。

 

「固定しなくても大丈夫そうだけど、やっぱり針金か何かで固定しておいた方がいいわよね?事故につながるかもしれないし」

「そうだな。台の上に濡れた布でも置いておけば、すべらずに固定すると思うが」

「いいわね、それ」

 

 英梨々が家の中に入って、ボロ布を何枚か抱えて戻ってきた。それを水で濡らし、絞らずに台の上に干していく。そこに改めて竹を乗せると、今度はまったく動かなかった。

 

「これでいいわよね」

「そうだな。一応、両端だけ針金で固定しておくか」

「そうね」

 

 2人で両脇だけ針金で台と固定する。これで完成だ。

 英梨々はそれを眺めているが、不服そうだった。

 

「どうした?見事なもんだと思うが」

「なんか、もっとこう・・・レインボーブリッジみたいになると思ったけど、普通に流しソーメンマシーンよね」

「こんなもんだろ。即席で素人が作ったにしては、立派だと思うぞ」

「うん」

 

 それから、二人で道具を片付け、軽く掃除も済ませた。お昼を過ぎているので、お腹がだいぶ空いていた。ここは労働の代償として、何かランチをおごってもらおう。

 

「英梨々、昼飯なんだけど、何喰う?」

「はぁ?あんたバカなの?死ぬの?」

「なんだよ・・・普通のこと聞いただけだろ。そろそろ腹減ったし・・・」

「そうじゃないわよ。せっかくこれを作ったのだから、試してみないとわからないじゃない。実際にどんな感じで、不具合があるかどうか」

「そうだな」

 

 英梨々の意見はごもっともで、俺たちは流しソーメンをすることになった。英梨々が家の中に入っていく。俺はその間、日陰に座って飲み干したコーラの瓶を口につけたが、もう入っていない。空気を吹き込んで、「ホォーホォー」と奇妙な音色だして遊んでみる。暇だ。

 

 空には大きな白い雲が流れていた。塀の上に近所のノラ猫がこちらを見ている。ソーメン台は立派だし、綺麗な芝生の上にうまく調和していた。けっこう納得のいく仕事ができたと、我ながら感心する。

 

「倫也~」と家の中から声が聴こえた。俺は家にはいって英梨々のところへ行くと、トレイに何やらいろいろ乗せている。「これ、先に運んでくれるかしら?」というので、俺は受け取って庭に運ぶ。

 

 氷水に浸かった素麺と、そう麺つゆの入った器、それに薬味がいくつか用意されている。英梨々の方の皿はいろいろと綺麗に盛り付けられていた。今日のパーディーの料理の前菜か何かだろう。

 

「英梨々、あとテーブルがあった方がいいかも」

「そうね、そこに折り畳みテーブルがあるから、出してくれるかしら」

「OK」

 

 ソーメン台の近くにテーブルをセットする。立ながら食べられる高さに調整をした。

英梨々は水道からホースを伸ばして、上から水を流してみた。竹の上を水が綺麗に流れ涼しい感じがする。そして、俺たちは気が付いた。受けるところがない。最後のところにタライとザルでも置かないと、ソーメンが地面に落ちてしまう。また水もすぐにびちゃびちゃになって、芝生がぬかるむかもしれない。英梨々がいったん水を止めた。

 

 プラスチックバケツを持ってきて、電動ドリルで横に穴を開けた。そこにもう一本のホースをねじり込む。もう一方の端は下水に流れるようにした。これで万全だ。バケツの上にザルをセットし、ソーメンだけを受けられるようにした。

 

 もう一度水を流してみると、バケツから水が多少は洩れるが量は少ない。あとで防水テープで固定するば大丈夫だろう。水はホースを通って、無事に下水へと流れていった。即席にしてはいい感じだ。英梨々がなかなかできる子で驚く。もう少しポンコツかと思っていたが工作の上手さが役にたった。さすが教育テレビの工作番組を欠かさずに見ていただけのことはある。

 

「いい感じね。ソーメン流してみるから、倫也が先に食べなさいよ」

「悪いな」

「ほらほら、薬味適当にいれて」

「そんなに慌てるなよ」

 

 薬味を適当にいれる。左手に麺つゆの入ったお猪口を持って、右手で箸構えた。

 

「よし、こい!」

「いくわよ~」

 

 英梨々が適当な量を、箸でつまもうとしたが上手くつまめなかった。トングでも難しい。

 

「手でいいかしら?」

「そういうのは、普通は手じゃないか?」

「本番だと衛生的に問題よね」

「薄い使い捨てのビニール手袋でもしたら?」

「そうするわ」

「とりあえず今はいいぞ」

「じゃあ、いくわよ~」

 

 英梨々がソーメンをつかんで、竹の中に入れた。水と一緒に流れて来る。なかなかの速度だった。俺は箸を待ち構えたが、ソーメンのすべてをつかむことはできなかった。

 

「倫也、下手くそ~」

 

英梨々がケラケラと笑っている。黄色いつなぎ服もよく似合っているし、頭の上にまとめた髪型もいい。何よりも、こうやって無邪気に笑っている英梨々は、八重歯ちょっとだけ見えて文句なしに可愛い。そして、俺はそんな英梨々の笑顔につられて一緒に笑ってしまった。

 

 塀の上の猫はアクビをしてから、どこかへ行ってしまった。

 

(了)



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03 アニメ鑑賞①童貞力を舐めるなよ

月曜日はアニメ鑑賞になります。

今回はとあるアニメを倫也が延々と解説、感想を述べます。
そのつまらなさといったら、校長先生の話とか、結婚式の祝辞とか、政見放送とか、そういう誰が話ても似たような内容で、聞いたそばから忘れてしまうような話。

覚えているのは内田裕也の政見放送ぐらいで、みてない若い人は見ておいた方がいいと思う。

で、僕が何を言いたいかというと、意見というのは、他人にどう思われるか考えてはいけない。自分はこう思う。こう思うんだよ!って叫ぶことだ。
それがロックなんだね。


7月25日(月)夏休み2日目

 

 外はどんよりと曇り、小粒の雨が降っている。連日の夏日にあって、ほっとする一日だ。

 ランチを食べ終わった頃に英梨々が家にやってきた。俺と英梨々は恋人同士だし、特に何も用事がなくても一緒にいるのは別に不思議なことじゃない。

 

 受験生の俺たちは一緒に勉強をする名目で過ごしている。しかし、まったく俺は勉強に手がつかなかったし、英梨々に至っては課題テキストすら持ってきていない。夏休みを夏休みらしくダラダラと過ごす。この至福と贅沢を英梨々は満喫する気のようだ。

 

 早々と英梨々のペースに巻き込まれて諦めた俺は、英梨々の隣に座って一緒にアニメを見ることにした。

 

『true bears(トゥルーベアーズ)』という、幼馴染ヒロインが勝利する王道ラブコメだった。

登場するヒロインは主に3人。主人公と同居しているわけありの幼馴染ヒロイン。不思議系の小柄な同級生。そして、ラーメン屋を営む闊達で明るい女の子。

最初から、主人公と幼馴染ヒロインが両想いであることが示唆されながらも、2人の間には障壁がある。どうやら父違いの兄妹らしいのだ。

不思議系ヒロインの兄がその幼馴染ヒロインを口説いたり、友人と付き合っているはずのラーメン屋の娘が告白してきたりと、まぁいろいろと脇道にそれるものの、2人は実は他人だったことがわかり、晴れて結ばれる。そんな話だ。

 

「倫也・・・このアニメ・・・つまら・・・」

 

英梨々が率直な感想を言おうとしたのを、俺は慌てて口をふさぐ。

 

「こらこら、そんな直接的な批判しても、敵を作るだけだぞ」

「誰も聞いてないでしょ」

「まぁ、そうなんだがな・・・ でも、これは一応幼馴染ヒロインが勝つアニメで上位にランキングされている作品だったぞ」

「別に幼馴染ヒロインが勝つからって、あたし好みってわけじゃないわよ?」

「こういう時はだな・・・まずは適当に褒める方法を学ぶべきだ」

「なによそれ」

「ふふふっ。英梨々、俺は学習したんだよ」

「何を?」

「コメント力」

「はい?」

「コメントする力だよ、いいか英梨々。ヤホーニュースって知っているだろ?そのニュースにコメントをすると、高評価と低評価が付く。場合によってはコメントにコメントが付くんだ」

「それで?」

「とりあえず、いろいろと試してみたんだがな、8割、場合によっては9割が高評価してくれるコメントにはコツがある」

「へぇ・・・倫也がこれから話すことって、このアニメよりもつまらなそう」

「辛辣だな!まぁ聞け。基本的には肯定することだな。このアニメのニュースがあったとするだろ?その場合はこのアニメに興味のある人やファンがそのニュースを読むわけだ。ということは、そこで『つまらない』などと言ってみろ、煽っているようにしか聞こえないだろ?」

「嘘をついてもしょうがないじゃないの」

「だからこそのコメント力さ。まずは賛成意見。

 

『青春の群像劇。偽りの恋愛ごっこから本当の恋人になる友人、心に傷をもった少女の成長、何よりも両想いなのに障壁があって結ばれることない主人公と幼馴染。ハラハラする場面もあったけれど、結果的には大団円で良かったと思う』

 

とまぁ、こんな感じだな」

「・・・。倫也。言ってて恥ずかしくないの?」

「実験だからな。こんな感じだと否定はつきにくいので、無難に乗り切れる」

「それって、別にバズらないわよね」

「バズらないな。三桁もいかない」

「意味ないんじゃないの?」

「意味ならあるさ。次に、否定をする場合が大事だ。否定をするが、高評価をもらいたい場合はどうするか?」

「さっき、ファンが見ているから否定的なコメントは煽りになるって言ってたわよね」

「そうなんだ。そこでコメント力が試される。何を否定するか?何がいけなくて、何がつまらなかったのかをはっきりさせる必要がある」

「そうね。それはわかる気がするわ・・・」

「例えばこうだ。

 

『両想いの主人公と幼馴染であるが、用意されたエピソードが子供時代の縁日でのエピソードだけ。それを2人が大切にしているのはわかるが、それだけで幼馴染同士が抱える長い時間は表現できていないように思う。全13話のワンクールアニメなので仕方がないが、駆け足で過ぎてしまい、感情移入が追いつかなかった。これでは『幼馴染』の属性だけが一人歩きをする有象無象のアニメと変わらない気がした。もう少し丁寧に描いてくれれば、もっと良作になったと思うだけに、少し消化不良のような感情を抱いてしまった。』

 

でどうだろうか?」

「ふーん。もっとらしいアニメ批評に思えるけど、それだと8割の支持があるの?」

「ああ、これにはちょっとした心理が働く。『つまらなかった』という表現はマイナス点になる。『この作品ってマイナス20点だよね』という評価の仕方は反感を買うだろ?そこで、『この作品は90点ぐらいになれたと思うけど、70点ぐらいなので惜しい気がした』という表現なら、同じマイナス20点でも印象がだいぶ違う。同じ70点でも、まぁ妥当なところで70点ぐらいかな。などという上目線もだめだ。わかるか?」

「はぁ・・・倫也、何がいいたいのよ?」

「ファン心理だよ。原作ファンが期待して観ている。しかしアニメ化された時点で、自分で抱いていたイメージとは違うものになるだろ。声の印象とか、振る舞い方とか。そこに『もっと原作はいいのに』と寄り添うことで、賛同を得やすくなるわけだ」

「ふーん・・・」

 

 英梨々は立ち上がって遮光カーテンを開けた。ワンクール分を一気に見たから、外はすでに雨があがって晴れていた。

 

「このアニメと類似した作品の金字塔に『みゆっき』がある。義理の妹物の元祖といっていいかもしれないが、それと比較するとわかりやすいかもしれない」

「『みゆっき』は有名だけど、今の子たちが見たら流石に古いわよね?」

「そうだな。昭和アニメには昭和アニメの良し悪しがある。第一に絵が古い。常識も少し違うしな。タバコとか暴力表現とか」

「そうね。だから、必ずしも『みゆっき』が『true bears』よりも優れているとは言えないわよね?」

「後発物が改良されていくのは当然だろ。問題はそういう時代の影響でなく、もっと抜本的なところなんだ。描かれている時間が長い。これに尽きる。なにしろ全37話もある。」

「時間?」

「そう。一緒に過ごした何気ないエピソードのことさ。実際、『みゆっき』にどんなエピソードがあったかは重要でない。ささやかな日常のドタバタが描かれていた。そこが丁寧に描かれていたんだよ。そして最後に綺麗にまとまって読後感がいい」

「言いたいことはわかるわよ」

「最近の作品で表現に成功したものもある。『紫エヴァー庭園』だな。あれは主人公のヒロインがずっと少佐のことを想い続けていることが繰り返し描かれていた。だからこそブレなかった。映画での完結編ではなんのひねりもない話でもカタルシスがあったわけだ」

「あれって、ハイカーラさんのパクリよね」

「その言い方は悪意があるけど話の構成は同じだな。後発物として洗練されているとは思うが」

 

 英梨々はベッド上に座ったまま、開けた窓から空を眺めている。雨あがりの緑の匂いがする。もう日が沈みはじめていた。遠くの方は赤くなっている。

 

「話戻すけど、倫也。この『true bears』は最後の方で、主人公と幼馴染ヒロインで『エッチ』してるわよね」

「ああ・・・それなっ!」

「いいたことあるなら、言っていいわよ。ただの感想だし。だいたい、ヤホーコメントみたいなことしても意味ないでしょう?虚しいだけよね。そんな他人の評価を気にして、いいたいことも言えないこんな世の中じゃ」

「ポイズン」

「・・・バカ」

 

 英梨々がクスクスと笑っている。今日の英梨々はフードの着いた長袖の服を着ている。サマー用のUVカット仕様で汗を効率的に発散させることで着ていても涼しいらしい。色は淡いピンクで、おまけにフードには猫ミミが付いている。下はゆったりとしたスラックスを履いていたので、セクシーさはゼロ。可愛さ全振りだった。

 

「じゃあ、言わせてもらうけどな・・・

ありえねぇんだわ!

『いいよ』の一言で、一線を超えられるとか、どこの村上春貴作品だよ。童貞力舐めすぎだろ!

童貞と処女が一線を超えるのがどれだけ大変か。あの作品はその部分を思い切り端折ったからな。いらない表現だったと思うぞ。そのために突然のヒロイン一人暮らし始めたからな。意味がわからん。おかげで全部が台無しだよ。

はぁ?さっきまでいい話っぽく作ってませんでしたかー?

ヤるなとはいわん。だがな、どうせヤるならイチャイチャしてからヤれ。なんで、いままでツンとしていて、部屋の中で正座しているような真面目な子と、同じく真面目な主人公が、『いいよ』の一言でコトが進むんだよ!

視聴者にも想像力ってものがあるだろ?こちらの想像力の欠如か?そうなのか?あの状況からどうやって、一線超えるんだよ・・・童貞力なめすぎだろ!!」

「それ、二度言ったわよ」

「大事なことだからな、二度言ったやったわ!」

 

 英梨々が小さく拍手をしてくれた。いやいや、照れる。くだらない感想でも全力で叫べばロックだ。もうちょいうまく演説ができるようになりたい。

 

「実はエッチしてないという解釈が分れるようにしているのかも?」

「どっちにしろ蛇足だろ・・・」

「そうね。ねぇ、倫也。ちょっとこっちに来なさいよ」

「ん?どうした?」

 

 英梨々がベッドの上に俺を呼んだ。スラックスなので英梨々は足を行儀悪く胡坐を組んでいる。俺もベッドに上がった。英梨々が窓の外を見つめているので、俺も外を見たが、いつもの見慣れた街並みが夕闇に沈むのが見えるだけだった。何の感慨もわかない。

 

「・・・いいよ。倫也」

「はい?」

「だから、いいわよって言ってるの」

「はぁ?だから、何がだよ」

「『はぁ?』は、あたしのセリフでしょ!あんたバカなの?今の流れからあたしの言いたいことぐらいわかるでしょう!」

「わからん。さっぱりわかりませ~ん」

「もういい・・・」

 

英梨々の顔が赤い。耳はフードで隠れていて見えないけど、たぶん真っ赤だろう。俺だって今の文脈から言いたいことぐらいわかる。そして文脈からすれば、俺の童貞力を英梨々は甘く見すぎだ。詩羽先輩から『倫理君』と伊達に呼ばれていない。ここ、自慢するところだからね。

 

「だいたいな、英梨々。お前の場合はツンデレ風に言わなきゃダメだろ」

「はい?」

「ツンデレ風に」

「・・・」

 

 英梨々がこっちを見つめている。大きなサファイヤブルーの瞳が少し潤んできている。猫ミミフードがコミカルなせいで、ただの可愛い美少女にすぎないが、フードがなかったら自制心に自信がない。

 

「付き合って、もう半年以上たつわよね」

「・・・そうだな」

 

付き合い始めたのは去年の12月からだ。けっこう長い時間を英梨々と過ごしている。

 

「倫也が、したいなら、してあげてもいいわよ?」

「何を?」

「はぁ?あんたバカなの?死ぬの?ここまで言ったんだから、あんたも男らしさを見せなさいよ!このヘタレ童貞」

「おお、罵倒するとは・・・別な何かに目覚めそうだな」

「もう・・・好きにしなさいよ」

「そんなに無理することも、焦ることもねぇだろ」

「なによ、賢者タイムにでもなってるわけ?」

「なってねぇよ!」

「じゃあ、なんなのよ。あたしに魅力がないってわけ?」

「いやいや、いくらなんでもそこまでがっつくなよ。俺がケモナーじゃないだけだ」

 

「ケモナー」

 

 虚をつかれたように、英梨々がきょとんとしている。さては自分の恰好を忘れているらしい。そんな小学生低学年が着るような猫ミミフードに発情できるほど、俺の守備範囲は広くない。建前上の話だけどな。

 

 英梨々が両手で頭の上の耳をつまんだ。それを動かして、「ニャー」と言った。

 

 2人で見つめ合ったまま真顔になった。なんだか笑ったら負けみたいになったが、どっちも耐え切れずに笑い転げた。

 

「バカみたい。ほんと、倫也ってバカ」

「お前に言われたくねーよ」

 

 ケラケラと弾けるように笑う英梨々から八重歯が見える。今日も最高に可愛いし、俺はそれだけで満足だし、別に焦っていない。

そりゃあ、迫れば受け入れてくれるのだろうけど、こんな子供っぽくて笑い転げる英梨々のことが好きで、その英梨々はセクシーさとは遠い場所にいるのだからしょうがない。

 

 そう、焦ることはない。夏休みは始まったばかりだし、チャンスはきっとくる。そんな雰囲気になる日がきっと来る。

 

(了)




『SSR倫也くん』
童貞力 ☆☆☆☆☆
ヘタレ ☆☆☆☆☆
倫理感 ☆☆☆☆☆
優しさ ☆☆☆☆



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04 風鈴絵付け教室体験レポ

火曜日は英梨々に芸術的な創作意欲がわくらしい。

ところでこの作品プロットは、日付に『風鈴』と書いてあり、内容に『風鈴制作』と書いてあった。
なめてんのか。このプロット作ったやつちょっとこっちこい。と思いつつ出来上がった作品。
意外とちゃんと着地しているあたりは、もはや英梨々に他ならない。


7月26日(火)夏休み3日目

 

 今日の英梨々は黄色を基調としたアロハシャツに大きなサングラス。昭和のチンピラを思わせるような恰好をしていた。恥ずかしいことに、俺もおそろいの青いアロハシャツ、おでこにサングラスを乗せている。英梨々としては休暇中のハワイの芸能人をイメージしているらしいが、周りから浮いていることこの上ない。ベージュの短パンに履き心地のいいビーチサンダルまでそろえている徹底ぶり。

 

 英梨々が予約した『風鈴絵付け教室』なるものに行くことになった。

炎天下を駅まで歩く時、すでに暑くてブーブーと文句を言っている英梨々をなだめ、コンビニでガリガリ君を食べさせてあやし、今やっと冷房の効いた電車に落ち着いたところだ。まったく世話が焼ける。

 

「風鈴の絵付けって、ガラスにマジックで塗るだけだろ?」

「そうだけど、ちょっと違うのよ」

「何が」

「ガラスと塗料が」

「へえぇ・・・」

 

 英梨々に渡された資料を読む。風鈴のガラスにもランクがあって高価なものほど音色が高く、音がいいらしい。塗料はガラス専用の透き通ったものや、不透明色にしたいときはマニキュアを使うらしいのだ。全部を買いそろえるか、教室に参加するかで英梨々はずいぶんと迷ったようだが、絵の具ばかり種類が増えても大変ということで、教室参加に決めたようだ。参加費は1万円。

 

「高くね?」

「でも、人気で予約が大変だったのよ。高価な風鈴ってそれだけで一万円近くするのもあるし、妥当だと思うわよ」

「へぇ・・・」

「あんたさっきから、『へぇ・・・』しか言わないわね」

「いや、ぜんぜん詳しくないし、わからんからな」

「実際に風鈴を触って、聴き比べてみたらわかるんじゃないかしら?」

「英梨々はわかるのか?」

「さぁ・・・だから参加費払って体験するんじゃないかしら」

「なるほど」

 

 ちなみに参加費1万円は税込み価格。2人で2万円。費用は全額英梨々持ち。ここでバイトしている俺が自分の分ぐらい負担してもいいが、それをすると英梨々のやりたいことができなくなる。こっちの財布事情に合わせないといけなくなるからだ。

 お嬢様の育ちの英梨々に生活の不安はもちろんない。売れっ子同人作家として年収はすでにサラリーマン以上。。もちろんお小遣いとして使い放題。金銭感覚はすでに高校生のものでなく、別に散財したり、無駄遣いしたりはしないが、こういう美術系イベントには金を惜しまない。道楽者といったらいいのだろうか。

 そういうわけで俺は素直に甘える。将来ヒモになりそうだなと思いながらも、交通費は自分もちで、ガリガリ君ぐらいは英梨々に買っている。いや、その方がヒモっぽいか。

 

「はい、これ」

「ども」

 

 英梨々がくれたのはハイチューのレモン味。俺は包装をとって口に放り込む。甘酸っぱい香りが広がる。そのゴミを英梨々が回収し鞄にしまった。

 地元のローカル線はのんびりと走り、カタカタとよく揺れる。

 

※ ※ ※

 

 風鈴教室には10名が参加していた。小学校の図工室みたいな場所で、大きな木の机が4つほどある。参加グループも4組だったようでちょうどいい。俺と英梨々は後方左の席に座り、まずは授業を受けた。英梨々はサングラスをハンドバックにしまい、真剣に耳を傾ける。

 ガラスの講義と一緒に風鈴の制作現場が映像で流れた。吹きガラスの逸品もので色など塗らなくてもすでに完成度が高い。

 

 いくつか用意された風鈴を実際に体験しながら音を鳴らしてみる。確かに一つ一つの音が違う。見た目でなく音色で選ぶのもいいらしい。叩く棒でも音色が代わり、やはり金属だと高音になるが、木だと少しだけぬくもりのある音色になる。

俺みたいな無粋な人間だと聴き比べてうちに、どうでもよくなってきてしまう。風鈴はしょせん風鈴などという感想を抱くのは、俺にはきっと芸術的な才能が欠けているからなのだろう。

 

 そこから一つを選んで絵付けする。俺は無難に透明のものを選んだ。形も丸いものだ。少しデコボコさせたものや、多角形を思わせるような形のもある。

 英梨々は、薄い水色のひび模様のある風鈴を選んだ。クラックガラスと言うらしい。それだけですでに美しいのは素人でもわかる。

 

「ついつい値踏みしてしまうわね・・・」

「値段わかるのかよ」

「だいたいよ。手間のかかるガラス加工は値段が高くなるのは当然でしょ」

「どう手間がかかっているかなんてわからん」

「だって、倫也のその普通のガラスより、こっちの方がどう作っているかわからないでしょ?」

「そうだな」

「そういうことよ」

「へぇ・・・」

 

 それぞれ一つずつ選んで席に戻る。各テーブルの箱にはたくさんのマーカーとマニキュアが用意されていた。それから絵付け用の小さなお皿や、小筆もある。なかなか本格的なのである。

 

「俺、マジックだけで十分なんだけど・・・」

「別に好きにしなさいよ」

「この皿ってもしかして、マニキュアの色を混ぜるのか?」

「そうよ。まずは色作り。次に実際に塗ってみて発色を確かめてから調整ね」

「へぇ・・・」

「何を描こうかしら」

「見本とか、作品の本とかあるみたいだぞ」

「うん」

 

 見本が用意されていて、わからないところを質問すると手順を教えてくれるようだ。しかしまぁ、マジックで好きに塗る分には問題ない。ここに来ている人もすぐに塗り始める人がいる。見本を見て考えたり、本を読んで作品を探したり、人それぞれだ。

ぼんやりと自分のガラスを眺めて考えこんでいるのは英梨々だけだった。

 

 途中から、風鈴教室に取材が来た。地元ケーブルTV局らしく、スタッフはカメラマンと音声さんの2人のみ。夕方のニュースコーナーで使うらしい。「制作風景を撮らせてもらっていいですか?」と質問され、みんなが許可をしていた。俺も別に構わないが、英梨々はすでに作品作りに集中していて、撮影スタッフに気が付いていない。

 

マニュキュアを開けて少量ずつ皿に塗って色を確かめている。俺はスタッフさんに「OKです」と、代わりに返事をしておいた。

 集中しはじめると周りが見えなくなるのは、ある種の才能だと思う。撮影スタッフも別に声をかけたりしないで、カメラを静かに回していた。

 

 金髪ツインテールの美少女ともなれば、おいしい素材だろう。カメラマンが遠目にさっきから英梨々を撮っている。当の本人はいつ気が付くか楽しみだが、まったく気が付く様子がない。

 

俺は撮影が気になったが、気にしていてもしょうがないので絵付けを開始する。中心から放物線の模様を3色で線をいれて完成だ。なかなかの出来栄え。風鈴の絵付けに何をそんなに悩めるのか俺には理解できない。クリエイターとしての才能が絶望的にないのかもしれない。

 

 英梨々は小さな小筆でガラスに絵を描き始めた。小皿には数色がすでに用意されていて、マジックを使うつもりはなさそうだ。真剣な表情でガラスと向き合っていると職人に見えなくもない。が、残念なのはアロハシャツを着ていることだろう。ほんとがっかりで、それらしき作業着なら画面映えもしただろうに。まぁアロハシャツも可愛いのだけど。

 

 俺は自分の作業が終わったので、いったん席を立ってトイレにいって時間をつぶす。それから、他の人の作品を見てまわった。どれもこれも風鈴である。線、水玉、花柄、そうそう奇抜なものが描けるわけでないし、ゴタゴタとかけばガラスの風合いが失われる。みんな適当なところで完成させたが、英梨々だけはまだガラスと向き合っている。

 いつの間にか、カメラマンが英梨々の後ろにいて手元を写していた。英梨々自身を十分に撮れたので。次に制作しているところを撮っているのだろう。

 

 先生が絵付けの終わった人から、紐と舌(ぜつ)と呼ばれる風鈴にあたる棒の部分を選んでもらっていた。紐も組み紐でいろんな色が用意されていて上等なのがわかる。舌(ぜつ)の部分も素材がいろいろあった。金属製よりもガラス製のものが見た目もよく人気のようだ。紐の下に短冊をつけて風で揺れるようにしたら完成。

 

 俺は適当に選び、適当に完成させる。シンプルなデザインのシンプルな風鈴。ガラスがいいせいか高価な逸品物に見えなくもない。充分満足する。

 

 英梨々のところはまだカメラが密着していた。カメラマンも同じ体勢のまま大変だなぁと思ったのと、こっちの舌(ぜつ)の制作は撮らなくていいのかと心配になったが、撮影に夢中らしい。

 俺がそばに戻ってみてみると、英梨々はカットされたスイカと皿を描いていた。これがなかなかどうして緻密で、スイカはみずみずしく見える。風鈴のもつガラスの風合いを空にでも見立てたのか、スイカは大きすぎずあまり主張していない。この絶妙な構図。

 小筆を使う繊細な動作は、いささか夕方のニュースには不釣り合いかもしれない。

 

 英梨々が筆をおいて、大きく息を吐き出した。これで完成らしい。

 

「倫也~」と俺を呼びながら、カメラマンの方に振り返っていた。それからカメラに気が付いて固まっている。カメラマンはカメラを上げて英梨々の顔を写す。英梨々はよくわからないまま作り笑顔を作って、風鈴を見せている。この辺はもう天性の才能なのか、産まれてこの方ずっと美少女でカメラ慣れしているからなのか、よくわからない。

 

「英梨々。次はこの舌(ぜつ)っていうのを組み立てて完成だぞ」

「はーい。で、このカメラは何かしら?」

「今日のニュースの撮影だってさ」

「そう。驚くじゃない。声ぐらいかけなさいよ」

「まったくだ」

 

 英梨々が風鈴をもって、先生のところに用意されている紐や舌(ぜつ)を選び始める。カメラマンが後ろをついていく。もはや専属カメラマンみたいになってんじゃねーか!と心の中でツッコミをいれる。英梨々のそれっぽい質問がぎこちなく、番組を意識したとたんにポンコツになっているあたりが、いかにも英梨々だ。

 

 英梨々の風鈴が完成したところで、音声スタッフから、みんなの風鈴とコメントを撮影したいと言われた。1人ずつカメラが周り、コメントを撮っている。

 

いよいよ英梨々の番だ。風鈴片手に作り笑顔で誤魔化し、コメントに迷っている。

 

「彼氏さんと一緒にどうですか?」と音声スタッフが言った。

 

 その言葉を聞いて、せっかくの英梨々のよそ行き用の作り笑顔は崩れ、顔が赤くなり、口は波みたいに歪んで照れている。せっかくの仮面美少女が台無しで、アロハシャツもあってか、どうみても不審者で、なんていうか、まぁいつも残念美人の英梨々だった。

 そんな英梨々を見て、俺はクスッと笑ってしまう。

 

「倫也ぁ~」と英梨々が困った声で俺に助けを求めるが、俺は知らん顔していた。周りのみんなもスタッフも笑っていた。

 

 英梨々の手元の風鈴の音色が上品に揺れて、高い音色が涼し気に鳴っていた。

 

(了)




ちり~ん♪


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05 古き良き時代の日本の夏。そしてキス。

戦火を逃れ、現存する古民家は少ない。
子供の頃に迷子になるぐらい広い屋敷を訪れたことがある。
あれはいったいどこだったのだろう?


7月27日(水)夏休み4日目

 

 日差しの下に、白い大きな帽子をかぶった英梨々が立っている。黒いサングラスをかけ、俺の部屋を見上げていた。

 英梨々が迎えに来たので俺は下へと降りて外へ出た。

 

暑い。日差しで溶けそうなぐらい暑い。

こんな日は冷房の効いた家でゴロゴロ・・・じゃない、勉強をすべきだと思うが、英梨々に誘われてでかけることになった。

 

 英梨々は黒いノースリーブにデニムの短パンを履いている。足元はラメの入った派手なミュールだ。体にフィットしたノースリーブは、さすがのペタンコ英梨々とはいえ、胸元のふくらみがはっきりとわかる。まぁ、中にパットが何枚か入っているかもしれないが・・・プロポーションはとてもいい。

英梨々が風で飛ばないように手で帽子を抑えているので脇が見える。もちろん毛の処理はしている。ノースリーブの袖口が広いので、英梨々の下着がチラリと見えた。色は同じく黒だが、ノースリーブのはっきりとした黒よりは、少しばかりチャコールグレーに近い気がした。

デニムのジーンズはところどころ解けていて、白い糸が見える。これはそういう仕様なのだろう。そういうわけで、全体的には元気な女の子の印象だ。白い太もももが露わになっていて、いつにもよりはずっとセクシーに見える。

 

「今日も暑いわね」

「まったくだ。こんな日はでかけなくてもいいんじゃないか」

「しょうがないでしょ。竹下さんに呼ばれたんだから」

「誰だよ・・・」

「竹下さんは竹下さんよ。行けばわかるわよ」

「俺の知り合いに竹下さんはいないが・・・」

 

 英梨々がくるりと踵をかえして歩き始めた。俺はその左側に並んで歩く。手をつなぐには少し暑すぎる気がした。どうしたものか悩む。隣に並んでいると、英梨々の袖口から見えるわずかな下着がチラチラして気になる。どうも欲求不満のようだ。そのうち慣れるだろうが。

 手をそっと差し出して、英梨々の指にぶつかった。英梨々が俺の方をみて少し首をかしげ、それから俺の指を少し握るような感じで手をつないだ。英梨々の手の方が俺よりも少し冷たい。

 

「で、竹下さんのところに何しにいくんだよ」

「庭掃除」

「庭掃除・・・って、雑草を抜いたり、枯れ葉を集めたりか?」

「そうね」

 

 英梨々の家の方へ坂道を上っていく。英梨々の屋敷は洋館で塀も高い。門は立派で威圧感すらある。個人所有とは思えないほど立派で、横浜にある異人館のように見学料をとれそうだ。

 その横を過ぎて、さらに丘を登るように歩いていく。この上は高台で立派な豪邸が多い。いわゆる金持ちの住む地域で、道路などは普通のコンクリートと違って、タイルになっている。商店街でもないのにこの仕様である。途中の道にはポールが立っていて車両通行止め、ここからは私道になる。むやみに車は入れない。私道とはいえ、車が十分に通れる幅がある。

 ときどき英梨々が俺の指に指を絡めて遊んでいる。

 

「あんた、爪を切った方がいいわよ」

「ああ、そうだな」後で切ろう。

 

 道なりに進むとだいぶ緑が多くなってくる。どの家も庭を持っていて、木々が植わっていた。今は緑が濃い時期で、日陰を作ってくれてありがたかった。左手に古めかしい石垣が現われる。ところどころデコボコしていて苔が生えていた。盛んにセミが鳴いていて、木漏れ日から照らす地面が眩しいぐらい輝いている。夏だ。

その石垣が終わると、木でできた古めかしい門があった。表札には「竹下」とある。どうやらここらしい。

 

「この屋敷のことだったのか・・・」

「だから、知ってるっていったでしょ」

「知っているには知ってるが・・・竹下さんは知らないぞ」

 

 近所なので子供の頃にこの辺りまで遊びに来た。自然が残っているので虫が獲れたのだ。

 

 英梨々がチャイムを押す。「澤村です」と挨拶をする。しばらくしてから、横の勝手口が開いた。白髪のおばあちゃんが出てきた。割烹着を着ていて品もある。今時、割烹着なんてサザエさんの舟さんぐらいしか見かけないが、これが実に良く似合っていた。

 中に案内される。玄関が広い。下駄箱の上には民芸品が並んでいて、お約束通り魚をくわえた木彫りの熊もいる。

 英梨々がサンダルを脱ぎ横にそろえた。俺もそれのマネをして脱いだ靴を横にそろえた。

廊下の床は磨きあげられていて、ピカピカしている。和室に通されると、そこからは一面の庭が見えた。縁台もある。昭和にタイムスリップした気分になった。

女性と英梨々がお話をしている。英梨々が座って持ってきた和菓子のお土産を渡した。なんだか礼儀正しい。俺の知っている作法の知識は、畳の縁を踏まないことぐらいだった。こういう真面目な教養あるお嬢様の側面も英梨々にはあるようだ。

 

 女性が部屋から出ていって、俺はやっとほっとする。なんだか温泉旅館にでも来たような気分になる。

 

「そんなに緊張しなくていいわよ」

「だから、誰なんだあの人」

「あの方がここの持ち主で、旦那様はもう他界されているのよ」

「知り合い?」

「そうね。政治家よ。父の仕事上の親交あるの。倫也も竹下夫人とうちのパーティーでお会いしていると思うわよ」

「記憶にないなぁ」

「無関心なだけよね」

「そんなもんだろ。それで、一人暮らしの女性の手伝いに来たのか?」

「名目はね。でも、別に本当に庭掃除はしなくて平気よ。見ての通り手入れが行き届いているでしょ?プロの庭師が出入りしているから」

「そうだな。じゃあ、なんでここに来たんだ?」

 

 部屋には冷房が付いていなかった。古い扇風機が回っているだけだった。ただ、そんなには暑くないのはなぜかと思ったが、庭に小さな池と小さな滝があるせいかもしれなかった。鹿威しも時々カコンッとなっている。見事な和風庭園だ。

 

 再び部屋の襖が開いて、女性がお盆にグラスの入ったお茶をもってきてくれた。青いガラスの皿には水羊羹がのっている。きっとすごく偉い女性なのだろうけど、割烹着のせいか女中さんに見える。

 

「ほんと、お嬢様もよく来てくださいました」

「いえいえ、こちらこそ無理な頼みをしてしまって」

「ご両親もお元気でしょうか?」

「ええ、無駄にピンピンしています」

 

 英梨々が女性と雑談している。俺は、「いただきます」と言ってグラスのお茶を飲んだ。麦茶だった。少し濃い気がするが香りも高い。茶の味などわからんが、もしかして高級品なのだろうか・・・

 和菓子を食べていいものかわからず、英梨々が口にするまでは様子をみる。粗相があってはいけなそうだ。

 

 英梨々が持ってきたバックから小さな箱を出した。これは昨日の風鈴の箱と同じだ。テーブルの上に置き、箱を開ける。わたの上に英梨々のスイカの風鈴が乗っていた。涼し気で綺麗だ。こんな場所でそんな風に出されると、なにやらすごい品物に見えてくる。

 

「あら、素敵」

「気にいっていただければ幸いです」

 

女性の声が少し高くなった、風鈴を見て目を少し輝かしていた。さっきよりも少し若々しく見えた。表情や声で印象がずいぶんと変わるもんだ。

 

「手に取っていいかしら?」

「是非」

 

 女性がその風鈴を手にして、まるで品定めしているみたいに眺めている。それから手に持って音を鳴らした。チリーンという音がなる。音には余韻があった。

 

 2人の会話を横で聞いていた。英梨々が何事もなく和菓子を口にしたので俺も食べる。上品な甘さの餡で舌ざわりもよかった。

会話から察するに、英梨々がこの方に風鈴を選ぶ約束でもしていたようだ。そこでこの品を贈るつもりらしい。女性は少し遠慮していたが、それを喜んで受け取った。英梨々とは親交がそれなりにあるのだろう。

 

「倫也、そこにかけてみてくれる?」

「OK。でも何か踏み台あるか?」

 

障子の上の鴨居に釘が打ってあった。俺はそこに英梨々の風鈴をかけた。釘に紐をかけるのがなかなか大変だった。

かけ終わると、風鈴が風で揺れて、ときどきチリーンと弱い音を出す。あんまり風が強いところよりも騒がしくなくていいかもしれない。

 

「前の風鈴も気に入っていたのだけど、落としてしまってねぇ」

「ちょっとかけにくいですよね」 俺が相槌を打つ。落としてしまうのもわかる。

「ええ、そうでしょう?また落としてしまっても申し訳ないし」

「少し、いじっていいですか?」

 

 風鈴は夏の間つけっぱなしにするようなものではない。夕暮れになったらしまうのがマナーだ。毎日かけたりしまったりするには、さっきの釘とこの風鈴の紐ではやりにくい。

 俺は工具箱を借りて中を見る。先の丸いフックを見つけた。釘をぬいて、ネジ式のフックと取り換えた。風鈴の先には金属の輪っかを取り付ける。これで取り外しが楽になる。今度は大丈夫だろう。

 実際に女性にもやってもらったが、今度はスムーズにできた。そんなに高い場所ではないので、踏み台があれば大丈夫そうだった。女性に感謝の言葉をいただき、俺は少し照れてしまう。

 

「では、ゆっくりしてらしてね」

「はい。少しの間お借りします」英梨々が答える。

 

 女性がまた部屋から出ていった。英梨々が足を崩している。座布団があるとはいえ正座したままで疲れたらしい、行儀悪く足をマッサージしている。マッサージを俺がしてやるには生足すぎて無理だ。デニムの短パンが短すぎて、隙間から下着が見えそうになったので、俺は目をそらして立ち上がった。人の目がなくなったとたんに、英梨々が無防備になるのはなんとかならないのだろうか。もっとも警戒すべき相手は俺だと思うのだが・・・

 

「倫也。そういうわけで、ここで少し絵でも描いて過ごすから」

「ほい」

「スマホゲーでもして、時間つぶしててよ」

「ほい」

 

 英梨々がバックから小さなスケッチブックを取り出した。レターサイズのものだ。筆箱には何種類かの鉛筆が入っている。エンピツはどれもナイフで削ったもので、歪な形をしている。

縁台の方に移動して、足を庭の方にブラブラさせながら、英梨々はスケッチを始めた。蚊取り線香があるが火はついていない。まだ蚊の出る時間ではないが、もしかしたら何か除虫処理しているのかもしれない。

 

 庭のサンダルを履いて、俺はぷらぷらと歩いてみる。掃除するようなものは何もなかった。英梨々は庭のデッサンをさせてほしいという口実でここにきて、お礼に風鈴を渡したのかもしれない。俺には掃除といった。円滑に運ぶための方便なのだろう。別に問題があるわけじゃない。

 縁台でスケッチをしている英梨々の顔が真剣になる。部屋の中に風が流れ込んで風鈴が揺れて鳴った。畳に置いた白い帽子のリボンが少し揺れる。

 

 のどかな夏のひとときだ。

 

 女性と英梨々の関係性ははっきりとはわからない。血縁ではないが祖母と孫といった印象を受けた。おそらくは幼少の、あるいは産まれる前から英梨々のことを知っているのかもしれない。

 それと俺のことを話題にしなかったし、英梨々は紹介もしなかった。俺は名乗りもしなかった。それは礼儀としてはおかしいのかもしれないが、それでいいような気がした。たぶん、英梨々はすでに俺のことを話ししていたのだ。女性も何も質問してこなかったし、俺を褒めるようなこともしなかった。英梨々の性格をよく知っているのだろう。

 

 でも英梨々がこうして、この場所に俺を連れて来たということは、女性に俺を紹介しにきたということだ。そして、俺からすると英梨々のプライベートの少し深い部分を知った気がする。オタクで腐女子。それが素の飾らない英梨々だと思ったが、今日の英梨々も英梨々の一面だ。

 

 ここが英梨々にとって大切な場所なのはわかる。だから、素直に嬉しく思った。少し緊張するけど。

 

※ ※ ※

 

 俺は英梨々の隣に腰を掛けた。スケッチブックを覗くと見事な絵が描いてある。ツインテールのリボンは青色で、髪と一緒に揺れていた。英梨々の日向の香りがする。なんだかとても愛しく思う。

 

「なぁ英梨々」

「ん?どうしたの倫也」

 

 英梨々が鉛筆を止め、俺の方をみた。大きなサファイヤブルーの瞳がきらきらしている。こうしてみると改めて美人である。肌も透き通るように白い。しみもないし、にきびもない。眉は手入れが行き届いている。

 

「キスしよっか」

 

 鹿威しがカコンッとなった。日本庭園はいいなぁ。

 

「あらあら、どうしたのよ。自慢の童貞力は」

 

 英梨々が照れるかと思ったが、照れて舞い上がったのは俺だ。英梨々の返しに何も反応できなかった。

 手を伸ばして、英梨々の髪に触れる。髪は柔らかいシルクのように手の上をすべって落ちていく。顔を近づけると英梨々も顔を近づけてきて、瞳を閉じてくれた。

 

 そっと、少しだけ唇を重ね、すぐに離れた。英梨々の唇の柔らかさを感じるよりも早く、ほんの少しだけ触れるようなキス。

 

 風鈴の優しい音色。

 

(了)




縁台でスケッチをする英梨々の横で、倫也は爪切りをする予定だった。
伏線も回収せずにキスするとか、主人公としての自覚に欠けると思う。


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06 マンガ喫茶バイト①緑ジャージ

木曜日の舞台はバイトです。
いろいろあって、舞台はマンガ喫茶になりました。
実際のマンガ喫茶がどうなのか知らないので、そこら辺はテキトーでお願いします。


7月28日(木)夏休み5日目

 

 エアコンの効いている部屋でイスに座りながらマンガを読み、時々仕事をするだけでお金がもらえる。そんなバイトがあったらなぁ・・・

 

「あるわよ」

「えっ、あるの?」

「ええ、楽しいかどうかはわからないし、楽なのかも知らないけど」

「まじで、紹介して!」

「いいわよ。でも紹介する以上、しばらくは勤めなさいよね」

「おう」

 

 俺がそんなダメ人間の鑑みたいなことをぼやいていたら、英梨々が仕事を紹介してくれたのは先月の話だ。

 マンガ喫茶。

 駅前から徒歩10分と少し遠いビルの5階にあった。ちなみにビルの名前は澤村第五ビル。英梨々の親族か何かの所有物なのだろうか。あんまり深くは立ち入らない。

 俺が面接に行くと、あっさりと受かった。

木曜日の週1でシフトに入る。時給は1200円と好待遇だった。ただしワンオペ。ワンオペというのは、店内に一人しか従業員がいないということだ。

高校生一人に店を任せるとか法律に抵触するのではないかと思ったが、細かいことは気にしない。

 

 研修は一日で終わった。仕事内容は受付がメイン。オーダーが入れば冷凍食品を裏の電子レンジでチンをして提供する。散らかったマンガは片付ける。監視カメラがついていて、一応モニターのチェックをするのも仕事。万引き防止対策らしい。個室が3部屋あって、そこにも監視カメラがついていた。

 インタネットの利用もできるが、利用する場合はお客様の身分証明書をコピーする。仕事はそれぐらいで、簡単だった。日中にお客様はほとんど来ることがなく、多くても10人程度の常連さん。夜になると宿替わりに使う人もいるらしい。個室の横にレンタルシャワールームがある。

 張り切って何かをすることもないので、マンガを読みながらでいいらしい。すごい。

俺にとってここは天国かもしれない。

 

店長は別のフロアで働いているので、何かトラブルがあればすぐに来てくれる。

 

 俺は午前10時のから18時までの8時間、休憩1時間を差し引いた実働7時間勤務だ。これで日当8400はおいしい。1時間の間にお客がこない時間も多かった。こんなので店が成り立つのか不思議だったが、それは俺の関知するところではないだろう。

 

※ ※ ※

 

「いらっしゃいまっ・・・なんだ英梨々か」

「なんだはないでしょ、なんだは。誰が紹介したと思ってんのかしらね」

「すまん」

 

 英梨々が遊びに来た。朝から来るとか、こいつ暇人なんだな。

 

「ご利用コースはいかがいたしますか?」

「えっと、フリーの8時間お得コースで」

「2800円なります」

「はい。これ」

 

 英梨々が財布から一万円札を出した。俺はおつりを渡す。俺の知る限り、8時間コースを朝から頼むバカは英梨々だけだ。普通は1~2時間を息抜きに使う。マンガ喫茶はフリードリンクなので普通の喫茶店よりもお得に時間を潰せたりする。うちは1時間600円と良心的価格。延長は30分ごとに300円だ。

 

 この8時間コースは夜用だ。終電を逃した人が利用するための料金でカプセルホテルよりも安い価格になっている。従って、8時間ぶっ通しでマンガを読む人はあまりいない。

 

「個室空いてる?」

「個室は空いているけど、別料金だぞ」

「少しだけ借りたいのよ。いいでしょ?」

「何につかうんだよ」

「あんたねぇ。彼氏なんだから少しは融通しなさいよ」

「わかったよ。汚すなよ」

 

 俺は英梨々に個室の鍵を渡した。英梨々は夏らしい白いロングワンピースを着ていた。髪型はツインテールで銀色に光るリボンをつけていた。清楚な印象を受ける。およそマンガ喫茶にはふさわしくない。オープンカフェでカフェオレでも飲んでいれば絵になりそうだが、本人はあまり気にしていないのかもしれない。

 

 英梨々がしばらくして個室から出てきた。それを見て俺は、「おまえ、バカか?」と言った。

「しょうがないでしょう。こうじゃないとマンガ読む気がしないのよ。コンタクト疲れるし」

「なら、その恰好でくればいいだろ」

「これるわけないでしょ」

 

 そう。英梨々が着替えた。緑のジャージ上下。髪をほどき、黒ぶちメガネ。いやいや、それはもう腐女子モードの恰好じゃないか。場には合っているけどさ。だいたい夏にジャージって。

 

「まさか、ここの往復のためだけにおしゃれしてきたのか」

「おしゃれだなんて、倫也も褒め上手~」

「そこに反応する!?」

「流石に駅前まで、この姿は恥ずかしいわよ」

「いや、さっきの姿のまま過ごせばいいだろ・・・」

「コンタクト疲れるのよ。さっきも言ったわよね?」

「いやいや、なら、さっきの服装のままメガネにすればいいだろ?」

「はぁ?あんたバカなの?あのワンピースに合うメガネを探さないとでしょ。あんたには女のファッションがわかってないわね」

「ファッションって・・・それ、ただの中学時代のジャージだろ」

「そうだけど?何か?」

「いや、もういいや・・・まぁ好きに過ごせよ」

「お金払ってるんだから、お客様として接しなさいよね」

「個室貸してやったろ・・・」

 

 俺がこうやって英梨々と受付で長々と話しているのも、まだ客が0人だからだ。夜に泊まった客は帰り、こんな午前中から来る客はほとんどいない。

 英梨々が受付から離れて、フードコーナーに移動した。そこには有料の自販機と、無料の自販機がある。有料の自販機はお菓子なども販売している。どういうわけか『パックンチョ』が良く売れる。手が汚れないからだろう。それから缶ジュースの自販機、一律100円のサービス価格。無料のドリンク自販機もあり、こちらは紙コップがでてきて、各種コーヒー、紅茶、緑茶、コーラとメロンソーダとカルピスが選べる。だいたいの人はこちらを選ぶ。

 

「倫也、この自販機ってミックスできないの?」

「できない」

「つかえないわね。どうせフリーなら、ファミレスみたいのにしなさいよ」

「俺に言われても」

「どれがおすすめ?」

「どれでも好きなの飲めよ」

「冷たいわね・・・そうやって、彼女になると、とたんに態度が変わる男性っているのよね。心が狭いというか、封建的っていうのかしら」

「昔から、こんなんだろ?じゃあ、コーラでいいんじゃね」

「今、そんな気分じゃない」

「じゃあ、紅茶」

「緑茶でいいや」

「俺に聞く必要ないよねぇ!?」

 

 英梨々がボタンを押した。カップが出てきてお茶が注ぎ込まているのをしゃがんで眺めている。こういうところが子供っぽい。

 

「熱っ!」

「大丈夫か?」

「なんで、ホットなのよ~。あたしアイスがいいんだけど」

「なら、アイスのボタンを押せよ」

「これ、あんたにあげるわよ」

「いい迷惑だなっ!」

 

 英梨々が受け付け代にお茶を置いた。

 その時、ピンポーンとチャイムが鳴った。客が入ってくる合図で自動で鳴って知らせる。

 

「ちっ」と英梨々が舌打ちをした。

「大事なお客様だからね!?」

 

 英梨々が何も言わずに奥に行き、適当な場所に陣取った。ドリンクはいらないのかよ。

 

「いらっしゃいませ・・・」俺は今きた客の相手をする。

 

 客はいつもの常連客で一時間ぐらいここでお茶を飲んで帰る。俺は時間の書いた札を渡した。1時間分だけ前金を受け取っている。延長したら帰りに再度清算をしてもらうシステムだ。ちなみにこの客はゴルゴシリーズを読んでいる。

 

 英梨々は本棚を物色している。ところどころからマンガを抜き取っているのは、最新刊だけチェックするつもりか、一巻だけチェックするつもりのどちらかだ。

何を読むのか気になるが、他のお客がいる以上、私語は慎みたい。雰囲気としてはやはり図書館に近いかもしれない。

 

※ ※ ※

 

 午後の1時になった。そろそろ休憩の時間で、店長がやってくるはずだ。店内のお客は英梨々の他に3名。これまで6名が来ている。多いのか少ないのかわからないが、俺の時給を払ったら赤字じゃないだろうか。

 俺は受付を立って英梨々のところへ行く。英梨々の積み重ねているマンガはどれも1巻だった。そんなに読んだら話がこんがらがると思うのだが、性格は人それぞれだ。

 

「英梨々。もうすぐ休憩なんだけど」

「うん」

「一緒に、飯でも食べに行くか?」

「別に、倫也が一緒に行きたいなら、言ってあげてもいいわよ?」

「ああ、頼むよ」

「そ。じゃ、片付けるの手伝ってくれるかしら?」

「ああ」

 

 マンガ本を適当にもって、本棚に戻していく。1巻だけたくさん抜くのはマナー違反な気がするが、客も少ないし、今はとやかくいわない。その内に読みたいものが決まるだろう。

 その間に英梨々は個室に行って着替えてきた。なんの縛りなのかよくわからないが、二度目はツッコム気がしない。

 

 店長がやってきた。引継ぎをして、俺は英梨々と店を離れた。店長と英梨々は顔見知りで、俺との関係も知っているらしく何も言わない。

 

 英梨々は髪型を後ろで一つに束ねている。さすがに再度ツインテールは面倒らしい。それはそれで可愛いから別にいいのだけど、もう少し上にしてポニーテールの方が似合っていると思うのだけど、今度頼んでみるか。

 

「何喰う?」

「担々麺」

「街中華の?」

「うん」

 

 2人でエレベーターを乗りながら、どこに行くかを決めた。駅前の街中華がなかなかおいしい。ボリュームもあって料金も安い。ただ、愛想がない。客がいても仕事ない時は競馬新聞を読んでいる。そんな店だ。それに安心感を覚えるのは、俺が地元育ちだからだろうか。

 

「暑ぅ~」

「暑いな」

 

 ビルから出ると、太陽が真上にあって、燦燦と照っている。地面が揺らめいているから相当な温度だ。ボンネットなんか触ったら、かなり熱いに違いない。雲があまりなかった。

少し歩けば、街中華がある。冷やし中華ののぼり旗があり、入り口にも『冷やし中華はじめました』のあのポスターに、手書きのマジックで800円と書いてあった。去年より100円値上げしている気がする。

 

「冷やし中華もいいわね」

「なら食べればいいだろ」

「そうね・・・倫也、担々麺食べなさいよ」

「いやだよっ!暑いのに熱いの食べたくないだろ」

「暑い日こそ、担々麺だと思うけど」

「いやいや、汗かきたくねぇし」

「ああー、どうしよ」

「とりあえず、中に入ってから決めね?」

「そうね」

 

 赤い扉を開けて中に入る。入口付近にレジ。本棚には雑誌とマンガ本。調理している人が一人と、配膳係のじいさんが一人。いらっしゃいませも言われず、俺は店の中に案内される。氷の入った水が二つ置かれた。

メニューはテーブルに備え付けてある。黄色い紙に潔い活字が等間隔で並んでいる。それがラミネートされていた。

 壁にはホワイトボードにおすすめメニューと、本日のランチが書いてあった。『若鶏の甘酢あんかけ』。酢豚みたいなものだろうか?冷やし中華には、ゴマダレも選べる。悩ましい。

 

「英梨々、決まったか?」

「まだ。そんなことよりも倫也」

「そんなことって、お店に入ってメニューを選ぶより大事なことは早々ないぞ?」

「そんなつまらないツッコミはいらないわよ。あそこのミセス味っ子の1巻を確保してきてよ」

「誰もとらねぇよ!」

 

 店に入って、すぐにマンガ本のラインナップをチェックするな。俺はパイナッポーアーミーの4巻が確保できれば十分なので、心に余裕がある。

 

「はやくとってきなさいよ」

「わかったよ。俺、おすすめランチな」

「あの若鶏のやつ?」

「ああ」

 

 返事をして、入り口の本棚から、ミセス味っ子の1巻とパイナッポーアーミーの4巻を確保した。ミッション達成。

 

「すみません。えっと、担々麺と、冷やし中華のゴマダレください。どちらも大盛で!」

「あいよー」

「あと、餃子二枚お願いします」

「あいよー」

 

 英梨々がオーダーした。うん。こいつはそういうやつだ。なんとなくわかってた。別に俺だってどうしても若鶏が食べたいわけじゃない。それはそれでいいさ。冷やし中華が確保できればな。

 英梨々にミセス味っ子の1巻を渡した。

 

「絵が古いわね」

「そりゃあ、もう古典の領域だからな」

 

 本も古くなっていて水色っぽく色褪せていた。なかなか年期がはいっているわりに、まだしっかりとしているのは、みんなが丁寧に扱っているからなのか、誰も読まないからなのか、それはわからない。

 

「それにしても、倫也。さっきまでマンガ読んでて、よくここでも読む気になれるわね」

「って、それ。おまゆう!?」

「あたしはただ、ちょっとボケただけでしょ」

「わかりにくいな・・・」

 

 英梨々がミセス味っ子をテーブルの上に置いた。読む気はないらしい。俺は汚してはいけないので、それを回収して元の位置に戻しに行った。いったい、なんの手間だ。

他にも客が二組ほどいて、1時を回ってもなかなか繁盛している。

 

「ところで英梨々。メガネのままなんだが?」

「もう、しょうがないわよね。突然ランチに誘ったあんたが悪いのよ。あたしはあそこの冷凍ピラフで済まそうと思ってたのに」

「そっか・・・そりゃあ悪かったな・・・」

「やっぱり変かしら?」

「いやぁ・・・別にいいんじゃね?」

 

 ちょっとダサいが、真面目な少女に見えなくもない。マンガよりは文庫本が似合いそうではある。詩集でも持たせれば内向的なキャラとして、いそうではあるが・・・

 

「倫也、その言い方は失礼よ」

「そっか。すまん」 素直に謝る。

「メガネ買おうかしら・・・」

「それで十分だろ」

「だって、倫也がダサいって思ってそうだし」

「思ってねぇよ」

 

 英梨々がメガネを外して、バックにしまった。メガネをはずせば、あら不思議。ちゃんと正統な美少女に早変わりする。髪を後ろで結わいている方が年相応に見える。ツインテールはやっぱり少し幼くみえるらしい。

 話題を変えよう。

 

「それで、さっき読んでた1巻のマンガは、面白そうなのは見つかったか?」

「別にないけど、ちょっと気になるのよね」

「何が?」

「ほら、アニメ化された作品。その原作を読もうと思ってたけど・・・先を知ってもつまらないじゃない?」

「ああ、うん。まぁそうだな」

「でも、話題作なら読んでおきたいしー。あとアニメ化が途中の作品も気になるじゃない」

「『ゴールでカムイ』なら原作が完結したぞ」

「店にある?」

「あると思うぞ」

 

 なかなかの話題作。戦後の北海道を舞台に、原住民のアイヌと一緒に埋蔵金を追う物語だ。アニメ化も進んでいる。

 

「あれって、次ぐらいでアニメも完結しそうよね」

「そうだな2クールもあれば余裕だろうけど」

「我慢しようかしら」

「なら、もう少し古典で完結している作品を読めば?」

「例えば?」

「『うる星かれら』とか。アニメもリニューアルするしさ」

 

 人生相談って程でもないが、英梨々がマンガ喫茶で何を読むかで盛り上がる。これは朝の時にお客がきたのでできなかったことだ。ちょっと気になっていた。

マンガ喫茶は男性客が多い。男性が漫画好きだからなのか。もちろん女性もいるが、比率は圧倒的に男性だ。だから男性向けの作品が多く、少女漫画は有名どころと、最新作ぐらいしかそろえていない。英梨々は少女漫画も読むが、英梨々向けではないかもしれない。もっとも英梨々向けの作品はすでに英梨々が買い集めているわけで、結局のところ英梨々がマンガ喫茶で時間をつぶすなら、自分の趣向から少し外れたものになる。

 

「おまち」じいさんが料理を運んできた。

「きたきたっ♪」と英梨々は嬉しそうに笑う。

 

 先に餃子が二枚来た。

英梨々は小皿に醤油と酢、そしてラー油を垂らした。俺は小皿に酢だけをいれてそこに胡椒を振った。

 

「なによそれ」

「餃子のタレ。これが最近のマイブームなんだよ」

「ふーん」

「って、さりげなく小皿を取り換えるなよ。別に使っていいぞ」

 

 英梨々が割りばしをとって二つに割った。メガネを外しているので、目つきがだんだんと悪くなる。近眼のせいなのだ。

 英梨々が餃子を1つ箸でつまんで、胡椒酢をつけて口に運んだ。

 

「熱っ」と言いながら、一口齧った。八重歯が見えるので、噛むときは小悪魔っぽい。

 

「どうだ?」

「あら、なかなかいけるじゃない」

 

 そういいながら、目をちょっと細めて笑っている。

 

 続いて、担々麺と冷やし中華が来た。けっこうなボリュームだ。

 英梨々は担々麺のスープをすくって、満足そうに飲んだ。

 

 薄汚れた扇風機が回り、テレビでは甲子園の地区予選が流れていた。

 

(了)




バイトシリーズは全5話。
第一話では舞台設定と伏線を少々。
街中華は完全に趣味です。

評価、感想といただけると英梨々が喜びまふ。


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07 スイカ割りをしたい

夏イベントの代表ともいえるスイカ割り。アニメなんかでは常連イベントだが、実際にみんなが経験しているのだろうか。

本作はスイカ割りをするまでの流れ。
だいたい三千文字ぐらいを目安に書いているのですが、五千文字を超えたら収束させるようにしています。
スイカ喰うところまで書くとさらに倍ぐらいかかりそうなので。


7月29日(金)夏休み6日目

 

「あ゛あ゛ぁ~~~~」

 

 暑さで気でも狂ったか、英梨々が扇風機に発声して遊んでいる。いやいや、ここは彼氏としてしかるべきツッコミをいれてフォローするのが優しさだろう。

 

「何、小学生みたいなことしてんだよ!」

「冴えないツッコミよね」

「っ!!」

 

 そして優しさを見せれば、この言いようである。別にツッコミの才能があるわけでもないし、ここは大人の対応で、スルーしよう。

 英梨々がうちに来て、課題もやらずにぼんやりと過ごしている。大きめのだぶだぶの白いTシャツには英語のロゴが入っていて、どこかオシャレだ。薄っすらと透けて見えるインナーは紺色かな。下はベージュの短パンを履いているが、立ち上がると膝上まで長いTシャツで隠れてしまう。これはこれでなかなかセクシーだ。水鉄砲で濡らしたい衝動が沸き起こる。俺が変態なんじゃない。環境が俺を変態にさせるんだ。

 

「ねぇ、倫也。夏の果物といえば?」

「スイカ」

「スイカといえば?」

「う~ん。志村けん?」

「・・・そうね。スイカといえば?」

 

 あっ、強引に同じ質問をしてきた。これはRPGでよくあるタイプの質問パターンだ。こうなったら、とことんボケるか、正解をさっさと出すか。それにしても冷房の効いてない部屋は暑い。窓は全開だけど、風があまり入ってこない。

 

「スイカといえば、夏だな」

「なによ、そのトートロジー」

「別にトートロジーじゃないぞ?おまえ、トートロジーの使い方わかってないだろ」

「えっ、間違ってたかしら・・・」

「トートロジーは同一の文だろ。A=Aがトートロジーだよ」

「あんたって、小難しいわよね。例えば?」

「そうだなぁ・・・スイカは夏に喰うのが旨いよな!」

「そうね、なんでかしら?」

「夏だからだろ」

「はぁ?あんたバカなの?それ解答になってないじゃない」

「だから、これがトートロジーなんだって」

「ふーん。一言言っていいかしら?」

「どうぞ」

「どうでもいい」

「だなっ!」

 

 まったくもって暑い上にさらに窓を開けているのでセミの声がうるさい。やっぱり窓を閉めて冷房をつけるか迷う。英梨々はあまり冷房が好きでない。

 

「ねぇ、倫也。スイカといえば?」

「壊れたラジオかよ・・・スイカといえば、スイカ割りかな」

「そう!それよ。とっとと答えなさいよ」

「周り道がいいんだろ。人生なんてのんびり過ごして、いかに楽しく暇つぶしをするかなんだから」

「それ、負け組のもっともらしい言い訳だから気を付けないさいよ」

「・・・。で?スイカ割りがどうした?」

「やりましょ。スイカ割り」

「どこで?」

「う~ん、倫也の庭でもいいけど、あたしの庭の方がいいかしらね。人目に付かないし」

「そうだな」

 

 俺の家の庭もなかなか広いが道路に面していて丸見えだ。英梨々の家の庭は芝生な上に、塀で囲まれている。まぁ、スイカ割りって普通は海辺でするものだと思うが。

 

「じゃ、買いに行きましょ」

「いいけど、用意してるんじゃないんだな。英梨々の家だと高級なスイカがありそうだけど」

「スイカ割りのスイカなんて安物でいいのよ。あれって割れた時に中がぐっしゃっりするし、汁がけっこう流れてしまうし」

「ふむ」

 

 確かにスイカ割りは娯楽であって、スイカをおいしく食べるための作業ではない。食べ物を粗末するなと目くじら立てるほどではないが、無駄は無駄である。

 そういうわけで、俺と英梨々は駅前のスーパーまでスイカを買いに行くことになった。

 

※※※

 

 近所スーパーにスイカが丸ごと並んでいる。価格帯はだいたい2~3000円。この時期は近場の三浦や千葉産のものが出回っている。

 

「一番の大きいのがいいわよね」

「よくわからんが、好きなのでいいと思うぞ」

「好きも何も、どれもスイカじゃないの」

「まぁそうだけどさ」

「すみませーん。スイカ買いたいんですけど、選んでもらっていいですかぁ?」

 

 英梨々が野菜売り場のお兄さんに声をかけた。振り返ったお兄さんは一瞬固まって、英梨々を上から下まで見て、それから気を取り直して、スイカを選び始めた。

 

「どれも、甘いっすよ」

「スイカ割りしようと思って」

「なら、大きいコレがいいんじゃないっすかね」

「じゃあ、それで。レジまでお願いできますか?」

「はい」

 

 もはや、すべての若い男性は英梨々の奴隷なのである。NOはありえない。もちろんこの程度ならどの人が頼んでも同じ結果だろうけど。お兄さんはその後、俺の方をみて値踏みした。ふふふっ、お前が俺に対してどう思うが、俺が英梨々の彼氏なのだよ。っと、妙な優越感を表に出さないように、俺はさっと目をそらした。いらぬ誤解と反感は買いたくない。

 

 会計を終えてスイカを持って帰る。これがなかなか大変そうだ。一応専用のダンボールに入っていて、持ち手もある。とりあえず俺が両手で持って歩いた。が、いかんせん重い。

 

「英梨々、これ一人じゃ無理だわ」

「ジャンケンしましょうか。電信柱三本分」

「おう」

 

 かくして、ジャンケンをしながら、俺と英梨々は勝ったり負けたり、連続して負けたら距離を短くしたりして、運んだ。途中で飽きたのと手が痛くなったので、2人で持つことにしたら、けっこう楽になった。

 

「最初からこうすればよかったな」

「けど、これも手が痛くなりそうよ」

「スイカ、重いんだな」

「配送してもらえばよかったかしら?」

「近所だしなぁ・・・」

 

 疲れたら一度スイカを下ろして、左右を入れ替えてまた持ち上げた。なんとか英梨々の家まで運び終わり、庭先に回り込んだ。

 

「スイカってやっぱり冷やすわよね?」

「たぶん、その方が旨いんじゃないか」

「じゃあ、冷水に当てましょうか」

「こんなでかいタライあるか?」

「プールでいいわよ。空気を入れるの手伝いなさいよ」

 

 英梨々が倉庫からビニールプールと、足で踏む空気ポンプを持ってきた。ずいぶんと懐かしい、家庭用子供プールであるが・・・俺の記憶が正しければ、これはとてもでかかった気がする。

 

「あたしは、何か飲物持ってくるから、空気頼むわね」

「あいよ」

 

 英梨々が家の中にはいったので、俺はたたんであるビニールプールを広げた。そうそうでっかいんだよ。5メートルぐらいある。幅は2メートルぐらいか。付属品でビニールの滑り台もできる。こちらは後回しでいいだろう。俺はとりあえず空気穴にホースを差し込み、足で踏み始める。空気を入れるところが何カ所かあって、一か所ぐらいがパンクしても使えるしろものだ。

 

 太陽がまだまだ高い位置にあって眩しい。塀の上では、「また何かやっている」とばかりに野良ネコがアクビをしながらこっちを見ていた。

 俺はせっせと足で踏んで空気を入れていく。膨らんでくると、改めてそのでかさにため息がでる。底に近い方から膨らませて、こんどは水をいれていく。水をいれながら膨らませないと、水もなかなか溜まらない。

 

「倫也、ファンタグレープとファンタメロンソーダのどっちがいい?」

「メロン」

「はい。代わるわよ」

「頼む」

 

 英梨々も当然この作業が大変なことを知っている。水が少し溜まってきたのでスイカを投入した。俺は日陰で缶を開けて、メロンソーダをひと口飲む。炭酸は心地いいが妙に甘ったるい。ただの炭酸水の方がよかったかもしれない。

 

 英梨々が一段分膨らませたので交代する。英梨々が缶を開けてグレープ味を飲んだ。それから缶を眺めて、「こんな味だったかしら?」と言った。

「妙に甘いよな」

「そうね。もう少し、爽やかかと思ったけど、これなら炭酸水にレモンでもそえればよかったかしらね」

「俺もそう思った」

 

 その後も足で一生懸命に踏む。リズムが大事だ。急いで踏むよりも、空気をたくさん送りこむようにしっかりと戻してから踏む。また一段分膨らんだ。そして英梨々に代わる。「人間は暇だなぁ」とバカにして、ネコはどこかに行ってしまった。周りのセミが何かを訴えかけるように盛んに鳴いていた。

 

時が止まったかのように、同じ時間が繰り返される。

 

「せっかくプール膨らませるし、倫也も入る?」

「そうだなぁ。水着ねぇな。とってくるか」

「別に誰もみてないし、下着でいいわよ」

「お前が見てるだろ」

「なら、裸でいいわよ」

「よくねぇよ!」

「ケチ」

「それ、女の子のセリフじゃないよねぇ!?」

「ほら、代わりなさいよ」

 

 プールはだいぶ膨らんできた。あと一段で一応完成だ。滑り台はいらないだろうが。一応聞いてみる。

 

「英梨々、滑り台の方は膨らますか?」

「倫也が滑りたいなら膨らませば?」

「もう大きいし無理だろ・・・」

「滑りたいことは否定しないのね」

「懐かしいからなぁ・・・」

 

 英梨々は靴を脱いで、短い靴下を器用に立ったまま脱いで靴の中にしまった。芝生の上を歩いて、プールの中に入っていく。パシャパシャと水の音が涼しい。

 

「あ~、冷たくていい感じよ。倫也も入ったら?」

「これが終わったらな」

「よいっしょっと」

 

 足でバシャバシャと水を蹴っている英梨々を眺めた。陽光の中、ツインテールも水面と同じように輝いている。夏と太陽がよく似合っていた。

 英梨々が立ち土まって、Tシャツを少しまくると、短パンのボタンに手をかけてはずした。それから短パンを下ろして、立ったまま足を抜いて脱いだ。

 

「おいおい・・・英梨々!自宅とはいえ、まずいだろ」

「あらやだ、倫也のえっちぃ~」

「あのなぁ・・・」

「大丈夫よ。ほら」

 

 英梨々がTシャツをまくった。紺色の下着・・・じゃない、これは・・・水着か?

 

「ふふふっ」と英梨々が笑って、プールの中に横たわっていった。白いTシャツがみるみる濡れて、英梨々の身体にぴったりと貼りついた。下に着ていた紺色の布がはっきりと浮かび上がる。

 

「おまえ、水着着てたのか」

「そうよ。いいでしょ?」

「水着着たまま、街中にスイカ買いに行くとか、ちょっとした変態だな!」

「バカね。さっきそこで着替えたのよ」

「いや、変態は変態だろ」

「なによ~」

「普通、旧スク水なんて着ないからね!?」

「サービスよ、サービス」

 

 そう、Tシャツを着ているので、ちょっとわかりにくかったが、英梨々が着ているのは旧型のスクール水着だ。今時は同人誌や、エロマンガ、AVなどのエロ方面でしかみかけなくなってしまった。昔はクラスメートの女子がこれを着て、一緒にプールの授業していた。信じがたい。

 

 ・・・そして、俺は悲しいかな、股間が少し熱くなった。年頃の青年なんで勘弁してください・・・

 

 英梨々がスイカを中で転がしている。Tシャツまで脱がないのは、どこかやっぱり恥ずかしいからだろうか。脱がない方が逆にエロいのは、わざとなのか、無自覚なのか・・・

 

空気をやっと入れ終わった。俺もこのクソ暑い状況から解放されたい。

 

「終わったぞ」

「ありがとう。倫也も入ったら?気持ちいいわよ」

「そうだなぁ・・・」

「ブリーフかしら?」

「トランクスだよ」

「なら、別にいいじゃない」

「そういう問題なのか?」

 

 不思議とブリーフ一枚でプールだと怪しい人だが、トランクスなら柄によってはセーフらしい。とはいえだ。今の俺はズボンを脱ぐわけにはいかない。しょうがないので、ズボンを無理やり折りたたんで短くした。後ろを向いて、ポジションを少し直した。上のシャツだけを脱ぐ。

 

「この暑さだし、ズボンを濡らしてもすぐに乾くよな」

「そうね。別に乾かなくても濡れたまま帰ったらいいじゃない?誰も気づきやしないわよ」

「だな」

 

 俺もプールに入った。英梨々が水を俺にかけた。ひんやりとした水が気持ちいいが、英梨々の透けたTシャツが気になって仕方ない。ペタンコかと思った胸のふくらみが多少ある。その微妙な膨らみが妙にエッチィ。

 

 プールに水はまだ15cmぐらいしか溜まっていない。スイカが完全に浸るのには40cmぐらい必要か。まだまだ時間がかかりそうだし、冷たくなるのには、さらに時間がかかるだろう。

 でも時間はある。時間だけが2人にはある。どうしようもない焦燥感を抱えながら、俺も英梨々も水が溜まっていくのを待つだけだ。

 

 英梨々が盛大に俺に水をかけてきた。髪まで濡れてくる。

 

「コノヤローヤッタナー」と俺は、この使い古されたセリフを選ぶ。海辺で恋人たちが戯れシーンだ。そして、英梨々に水をかけた。両手いっぱいに水をすくって、英梨々の髪が濡れるぐらい盛大に、必死に水をかけた。

 

「キャハハッ」と英梨々が笑ったから、俺は「うふふっ」と言った。

 

「もう!バッカじゃないの!やめてよ、倫也!」

 

 英梨々が腹を抱えて笑いだした。よし、俺の勝ちだな。何に勝ったかわからないけど、俺は勝ち誇った気になる。英梨々はもう笑い転げて、八重歯どころか歯が見えているから、笑い方としてはお嬢様からは、かけ離れて下品ぐらいだけど、まぁ最高に可愛かった。

 

 腹を抱えて屈んだ英梨々は、俺から見るとTシャツの隙間から胸元が見えた。それはピッチリとしたスク水で谷間なんてぜんぜんないけど、やっぱりドキリとした。

 

 俺は座って、下半身をズボンごと水に濡らした。冷たいのでちょうどいい。少し冷めるぐらいでいい。静まってくれればいい。このバカで小学生みたいな英梨々が、今を笑ってくれるなら。それでいい。

 

(了)




よくない。


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08 イカ焼き食べたいだけなのに!

全40話の中では自分はこれが一番好き。


7月30日(土)夏休み7日目

 

「倫也ぁ~。イカ焼き食べにいくわよ」

 

 気のせいだろうか。英梨々が玄関先の第一声がこれだった。午前10時。俺は未だに目が覚めず頭がぼんやりとしている。とはいえ、何かをツッコミを入れてあげないと・・・だめだ・・・つまらない下ネタしか思い浮かばない。

 

「とりあえず、上がれよ」

「うん」

 

 英梨々が白い厚底のスニーカーを脱いで、家に入ってきた。今日の英梨々はなんていうか、カワイイ。いや、いつもだいたい容姿は可愛いが、なんだろう。小悪魔風?

いや、俺や英梨々の中で小悪魔風だと、悪魔コスプレそのものになるから、表現がわからない。

 

「麦茶飲む?」

「うん」

 

 英梨々がリビングのソファーに座った。グラスに氷を入れ麦茶を注いだ。テーブルにグラスを置き、俺もソファーに座る。

 英梨々がピンク色のチビTを着ている。胸にはプリンアラモードのプリントがしてある。下は緩めの白いスラックスを履いている。特筆すべき点は・・・

 

「へそ、出てるぞ」

「出てるんじゃないわよ。出しているのよ」

「風邪ひきそうだな」

「変なフラグはいらないわよ。少しは褒めなさいよ」

「カワイイヨ エリリ カワイイヨ」

「でしょ~」

 

 目を細めて、英梨々が微笑む。いやいや、カワイイヨ?確かにカワイイ。でも、わざわざこっちは声色を使って褒めたのだから、そこは何かツッコミを入れて欲しい。まぁ、いいか。

 

「で、イカがどうしたって?」

「それよ。倫也。イカ。夏といえばイカでしょ」

「イカソーメン?」

「なんでイカソーメンを食べなきゃいけないのよ」

「いや、お前がイカ、イカ言ってたよねぇ!?」

「って、倫也。九官鳥みたいに褒めないでよ」

「・・・タイミング遅いわ!驚くわ!」

「またまたぁ~、照れ隠しでしょ?そうでしょ?」

 

 あ~。そうですとも。照れ隠しですとも。

ん・・・英梨々もそうかな。まぁいいや。会話の間合いがつかめないな。やっぱりテンポがわかりやすい方がいい。なんの話だっけ。午前中はダメだな。血糖値を上げたい。

 

「で、イカって何のことだよ」

「だから、夏のイカよ。海辺の」

「イカ焼き?」

「最初にそう言ったわよね?」

「いや、イカしかインパクトが残っていないんだが」

「いったわよ。イカ焼き。食べに行きましょ!」

「どっかで、イカ焼き祭りでもやっているのか?」

「そんなの知らないわよ。海に行けばイカぐらい焼いているでしょ」

「海の家の話か?」

「それよ。せっかく夏だし、行くわよ」

「海に行きたいんだな?」

「海はどうでもいいわよ。だいたい、水着もってきてないし」

「昨日みたいに下に着ているんだろ?」

「確認してみる?」

 

 英梨々がチビTシャツをまくって脱ごうとする。

 

「まて、英梨々。早まるな。そんなに自慢できるものは・・・」

 

ペシッ

 

と、英梨々が俺の頭を叩いた。ふむ。まぁこんなもんだろ。目の前で脱がれても困る。頭が冴えてきた。

 

「ほら、行くわよ」

「でも、英梨々、荷物少ないな?」

「なんでイカ焼き食べに行くのに、そんなに荷物が必要なのよ」

「イカ焼きが喰いたいだけなら、スーパーでもいいんじゃね?」

「はぁ?あんたバカなの?死ぬの?」

「よし、お約束のセリフが出たとこで、行くか!」

 

 そういうわけで、海までイカ焼きを食べに行くらしい。土曜日だし人混みになってそうだが、まぁいいだろう。どこに行くべきか。湘南か九十九里浜か。近場だとお台場があるが・・・あそこに海の家はあるのか?屋台ぐらい並んでいるのかな。

 

 俺はリュックにバスタオルと日焼け止めクリームと水着をいれた。替えのTシャツもいれて置く。使うかどうかはわからないが、海にいったら入りたくなるかもしれないし。

 英梨々の荷物は小さな白いショルダーバックだけだ。スパイアニメのアーニャンのキーホルダーがついている。可愛い。

 

 外は日差しが強い。英梨々がニューヨークヤンキースのキャップを斜めにかぶっているので、俺はヤクルトのキャップをかぶる。同じ野球帽なのに、俺のほうがダサいのは、モデルの差であって帽子のデザインの差ではないだろう。俺だと『中島君』みたくなるのに、英梨々だとファッションモデルの表紙みたいになる。いや、でも、もしかしたら、足し算に足し算なのかもしれない。俺がニューヨークヤンキースの帽子をかぶったら、かっこよくなるかも。

 

 駅に向かって歩きながら、俺は英梨々に帽子を交換してもらうようお願いした。英梨々は別に何も言わずに交換してくれる。かぶってみたが小さい。後ろのバンドを調整する。さすが小顔だ。脳みそも小さいに違いない。

 

「どうだ?」俺はポーズをとる。

「どうって言われても、中島君にしか見えないわよ」

「だよなっ!」

 

自覚してた。

 

「せめて、メガネをやめたら?」

「そうか・・・ふふふっ、見せてやろう、俺の邪神眼の力を!」

「すべってるわよ」

 

 メガネを外した。そろそろコンタクトもいいかなぁと思うが、面倒くさい。

 

「どうよ?」

「そうね・・・『磯野~野球やろうぜぇ』って感じかしらね」

「かわんねぇなっ!」

「似合ってるわよ」

「そりゃどうも」

 

 次に英梨々がヤクルトの帽子をかぶった。ふむ、これがなかなか。やっぱり素質が違うんだな。神宮球場にいたら真っ先にカメラが見つけて映すに違いない。それにしても、チビTのせいで目のやり場に困る。元々スタイルは悪くないのだ。手足は細くて長い。ヘソなど出されると、こっちが落ち着かない。さっきから通る人が英梨々をいつも以上に凝視していて怖いぐらいだ。

 

「で、どうかしら?」

「カワイイヨ エリリ カワイイヨ」

「九官鳥みたいってツッコンで欲しいんだったかしら?」

「いえ。別にいいです。同じボケをした俺が悪かった」

「そう」

「でさ、英梨々、どこに行く?お台場だと近いけど」

「そうね、あんまり遠くまで行きたくないから、葛西臨海公園でいいわよ」

「・・・そうだな。この時期だと家族連れで混んでるかもよ」

「東京近郊なんてどこも同じようなものでしょ」

 

 駅までの道のりが暑い、コンビニでガリガリ君を食べ、ペットボトルのスポーツドリンクを二本買っておく。熱中症対策は必須だ。だいたいこの暑いのに海に行くとか、リア充のやることは理解しがたい。そして、リア充にならんとしている俺らも、またバカなのだろう。

 

 ローカル線からJRに乗り換える。電車は空いていたので並んで座れた。冷房が効いているので英梨々が少し寒そうにしている。しょうないがないので、リュックからバスタオルを出して、英梨々の肩にかけた。大きめのバスタオルなので十分に英梨々を包むが、見た目は怪しくなる。何しろアニメヒロインプリントだ。裏地なら目だたない。

 

「ダサい・・・」

「風邪を引くよりいいだろ。フラグ通りになるぞ」

「そうね」

 

 英梨々がバスタオルにくるまった。お腹も冷えていたらしい。やれやれ難儀なことで。

英梨々がバスタオルの中でゴソゴソしている。それから俺にアメちゃんを1つくれた。塩分補給用のレモン味だった。どうやら熱中症対策キャンディーらしい。俺はそれを口にいれると、英梨々がゴミを回収し、バスタオルの中でゴソゴソしている。たぶんショルダーバックにしまっているだけなのだろうが、見た目が怪しくて笑える。実に英梨々っぽい。

 

「なんでこう、夏は冷房をこんなに効かせるのかしら?」

「夏だからだろうな」

「それ、トポロジーだっけ?」

「トートロジー。トポロジーはドーナッツとマグカップが同じ形ってやつだな」

「ああ。あれね。ほんと、バカなこと考えるものよね」

「そうだな」

「あたし、ポンデリング食べたい」

「ほんと、バカなことを考えるもんだよな」

「倫也」

「どうした?」

「寒い」

「確か、弱冷房車両があるはずだから、移動するか」

「うん」

 

 英梨々が立ち上がった。バスタオルに包まったまま車両を移動した。

 

※ ※ ※

 

 やっとの思いで臨海公園に到着した。俺はバスタオルを回収してリュックにしまう。やれやれ世話が焼ける。まるで子供だな。

 

「イカ焼きあるかしら?ここって海水浴場とは違うのよね」

「いや、確か海で遊べるところがあったはずだぞ」

 

「地図みてよ」

「見てるよ」

 

 大きな看板の地図を確認する。確認といっても海の方へ歩けば着くのが道理だ。他には観覧車と、少し離れた場所には水族館もある。売店は観覧車のそばだから、そこにイカ焼きあるかどうか。あとは海水浴場に臨時営業している店があるかもしれない。

 

 冷房で体が冷えたので、外の暑さが最初は心地よかった。

天気は晴れ。白い大きな雲が流れていて、海の方には入道雲が見えている。英梨々はそれを写メで記録に残した。ついでに2人で自撮りをする。修正なんかしなくても英梨々は可愛く撮れる。英梨々が画像をいじるときは、変なメイクをしたり、猫耳をつけたりして遊ぶだけだ。目をパッチリにしたり、肌を修正したりすると、逆に変になる。完成度がAI以上なのだろう。まぁ主観なんで。

 

 海の方へ歩いていくと潮風の匂いがする。どちらともなく手を伸ばして握った。華奢な指を少しだけ絡めて、それからすぐに普通に手をつなぐ。

ツインテールが海風に良くなびいて輝いていた。夏らしい空の下だと、英梨々のチビTは良く映える。ヘソがキュートで、締まったウエストが実にいい。ああ触りたい。ギュッてしたい。

 

「海だぁ~」

「海だな」

「倫也ぁ~。海に入りたい」

「そうだな。俺は水着もってきたけどなっ!」

「ずるい。なんで、あたしのはないのよぉ」

「お前のも持っていたら変態だよねぇ!?」

「どこかに売ってるかしら」

「金で解決するなよ」

「欲しい時に欲しいものを買うのが一番いいお金の使い方なのよ?」

「ほうぉ。金持ちの言うことは説得力がありますなぁ」

「倫也だって一か月分の食費で最初にゲームやフィギュア買うじゃない」

「反省する日々だけどな」

 

 砂浜に着いた。多くの来場者が来ていて、沖ではセーリングをしているヨットも見える。子供連れが多く、子供の甲高い声がよく響いている。ハンギングパラソルは有料で、シート付きの場所ごと貸し出しているようだ。

 

 英梨々はスニーカーを脱いで、靴下を靴の中にしまう。それから砂浜に一歩踏みいれて、

「熱っ!」と言った。俺も手で触ってみたが、砂浜が熱い。あと砂利に近くてあまりサラサラしていない。素足だと少し痛いかもしれなかった。

 

「ぶぅー」と英梨々が口を膨らませている。無計画すぎると思う。

「パラソル借りるか?」

「とりあえず・・・水着買いに行く」

「どこに売ってんだろ?」

「駅の近くなら何かしらお店あるでしょ」

「あるかなぁ」

 

 英梨々が水で砂を流して、バスタオルで足をふき、靴下をまた履いた。何もかもが思い通りにいくわけではない。世の中はそんなに甘くない。

 

「その前に、あっちの売店でイカ焼きがあるか、確認してから帰るか」

「うん」

「観覧車の方だから、わかりやすい」

 

 観覧車がゆっくり回っているのが見える。英梨々と俺はゆっくりと歩く。公園は広いのであまり人とはすれ違わない。ベンチがあったのでそこで座って、買ってあったペットボトルで水分を補給する。暑いので口数が少なくなってきた。

 

「ポンデリング」英梨々がつぶやいた。文脈がわからない。

「ああ、ポンデリングもいいな。俺はオールドファッション派だが」

「オールドファッションって冬って感じがしない?」

「そうか?だからって、ポンデリングは夏じゃないだろ」

「別にあたしはポンデリングが夏だなんて一言も言ってないわよね」

「そうだな」

 

 ペットボトルのキャップを閉めて、歩き始める。暑くて頭が上手く回転していないのかもしれない。観覧車のそばにきた。のぼり旗にはかき氷と書いてある。ソフトクリームとタコ焼きも売っていた。

 

「ねぇな」

「どうしてくれるのよ」

「俺のせい!?」

「じゃ、誰のせいよ?葛西臨海公園って言ったあたしのせいだっていうの?」

「別におまえのせいだなんて言ってないよな」

 

 なんで、こんなケンカっぽくなってんだろ。暑くてイライラしているのかな。そんなつもりはないのに。英梨々はこんなにも可愛いのに不機嫌で、俺にはどうしていいかわからない。

 

「海に入りたいし、水着ないし、ポンデリングもないし、イカ焼きもないし、倫也、あたしってそんなに悪い事したかしら?」

「無計画なだけだよねぇ!?」

「もういい。そうよ、全部あたしが悪いんだわ」

「観覧車ならすいてて、今ならすぐに乗れそうだぞ?」

「観覧車に乗りたくて、ここにきたんじゃない!倫也、何もわかってない!」

 

 なんだ!?このわがままモード。ここは大人に、俺が大人になってだな。口論はダメだ。くだらない。後で振り返ったらきっとすごくくだらないって思える。いや、理由なんて思い出せないに違いない。ソフトクリームでも食べれば機嫌が直る。そんな幼児みたいなわがままだ。

 

「英梨々、落ち着け。とにかくだ。ここには水着もないし、イカ焼きもないし、ポンデリングだってない。ソフトクリームならあるぞ。どうする?」

「チューする」

「はい?」

「チューする」

 

 英梨々が俺のシャツをギュッと掴んで、おでこを俺の身体にくっつけた。えっと、英梨々?

 

 英梨々は顔を上げると、サファイヤブルーの瞳が涙で潤んでいる。そんなに泣くほどイカ焼きが喰いたかったのか?そんな日もあるのか?いやいや、違うだろ。よくわかんねぇな。セミがしきりに鳴いている!うるさいぐらいだった。さっきまで気にならなかったのに。暑いし!太陽が真上でギラギラしている。子供がソフトクリーム食べてこちらを見ていた。

 

 英梨々が目をつぶったので、俺も目をつぶって英梨々に、チューした。

それはもう唇を突きだすような。チューだ。キスなんて甘いもんじゃない。そんな生易しいものじゃない。

 

 英梨々が一度離れて、俺の目をじっとのぞき込み、それから俺の頭の後ろに腕を回して、抱きしめるように俺を引き寄せて、それでまたチューをした。俺はもう、暑いし、どさくさに紛れて、さっきから気になって気になってしかたない英梨々のおへそのでているウエストにそっと触れた。英梨々は何も言わない。抵抗もしない。息が苦しくなるほど、胸が苦しくなるほど、俺たちは人目も気にせず、売店の近くのなんでもない広場でチューをし続けた。

 

 夏だし!バカだし!

 

(了)




ちゅー


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09 ラブホテルにて

R15分岐点。

ボツにしようかと思ったけど、せっかくなので残してみた。
倫也と英梨々もこういう関係性になってきたのね。

知識があれば実戦で何もかも上手くいくわけではない。
だからといって、まったく役立たないわけでもない。

英梨々にあるのはエロさでなく、優しさなのかもしれない。


7月31日(日)夏休み8日目

 

7月の最後の日。夏休みが始まって、もう一週間が過ぎた。

俺は課題がまったく進まない。

俺の部屋のテーブルの上で英梨々が原稿を描いていた。今は下書きの段階なので、俺が手伝うことは特にない。

 

「ねぇ、倫也」

「どうした?」

「ラブホ行ったことある?」

 

 何を聞かれるかと思ったら、この質問である。もちろん行ったことなどない。とはいえ、そんなことは英梨々だって知っているはずだ。いや、むしろ『ある』と答えた方が、話が発展するだろうか。

 

「あるぞ」

「つまらない嘘はいらないから、話を先に進めていいかしら?」

「冷たいなっ!」

「それでね、ちょっと今、原稿に詰まっているんだけど・・・」

「・・・んで、何に詰まってるんだ?」

「背景描写。ラブホテルが舞台の連続監禁凌辱もの描いているんだけど」

 

 内容が意味不明だがそこに反応してもしょうがない。この顔でエロ同人作家という腐女子だ。エロ同人作家にも得意分野があって、英梨々の場合は凌辱物が得意だ。それが本人の願望なのかどうかは知らない。歪んだ性癖など真剣に分析したいとは思わない。

 

「それで?背景の資料が足らないのか?」

「そうなのよ。やっぱりネットで拾った情報だけじゃ、実感がわかないじゃない」

「俺は、お前の同人の内容の方が、実感わかないけどな」

「それはファンタジーなんだから問題ないでしょ?あたしが悩んでいるのはリアリズムのところなのよ」

「ファンタジーもジャンルが広いんだな・・・ で、要するにラブホに取材に行きたいと?」

「そうよ」

「いってきたら?」

「はぁ?あんたバカなの?死ぬの?一人で行けるわけないじゃない」

「よし。お約束のセリフがでたところで行くか」

 

 ラブホ見学か、上等じゃないか。今日で俺も童貞を卒業だな。部屋でずっと2人なのに、未だに結ばれてない方がおかしいが、あまりにも日常的すぎるのが原因かもしれない。場所を変えれば、さすがに事は成就するに違いない。

 

「じゃあ、いったん着替えてくるから、倫也はできるだけ大人っぽい恰好してらっしゃいよ」

「どうして?」

「高校生がラブホ入ったら補導対象なのよ?あんたそんなことも知らないの」

「知らねぇな・・・シャツにサマージャケットでいいよな?」

「それでいいわよ。じゃ、また後でね」

「お・・・おう」

 

 こいつの頭の中が心配だが、もしかしたら英梨々がものすごく発情したのかもしれない。

英梨々を家から送り出して、俺は自転車に乗って普段はいかない遠くのコンビニまで走った。そこでコンドーム(6個入り)を一箱と、いらない雑誌と、いらないお菓子と、いらないドリンクを一緒に購入して戻ってきた。普段、新聞配達をしている成果がこんなところで役立つとは。はぁはぁ。

 汗を少しかいたがシャワーは現地で浴びればいいだろう。サマージャケットを着て、英梨々が戻ってくるのをリビングで待つ。なんだかそわそわして落ち着かない。やばい、英梨々とラブホテルとかもう想像しただけで興奮する。

 

 チャイムが鳴ったので扉を開けた。英梨々が立っている。

ふむ。怪しい。

黒のサングラスにマスク。髪型はツインテールだが、帽子をかぶっている。それだけでもう不審者そのものだ。服は黒いワンピース。肩がでていて、胸元もV字なので鎖骨がはっきと見える。丈は膝上で短い。黒いパンストを履いていて、靴も黒のヒールだった。デザインが洒落ているので喪服には見えないが、いささか黒すぎの気もする。

 

「で、どこまで行くんだ?」

「池袋は学校の子に合う可能性が高いから、沿線の駅までいくわ」

「わかった。おまえラブホの場所は知っているのか?」

「知らないけど、繁華街ならあちこちにあるじゃない」

「まぁそうだな。でも、いろんなタイプがあるみたいだぞ?」

「うん・・・でも、どこでもいいのよ。新しくて一番高い所に行きましょ」

「どこでもよくねぇじゃねーか」

 

 スマホでサクッと検索して、タクシーをつかまえた。奥に英梨々を座ってもらい、俺も乗り込む。運転手にホテルの近くの場所を指定する。さすがに直接ホテルの名前は出せなかった。英梨々はタクシーが走っている間、黙っていた。こうして顔を隠しているとアイドルに見えなくもない。俺はさしずめマネージャーといったところか。

 

 タクシーは英梨々が清算した。どこにでもある繁華街で、見慣れたチェーン店が並んでいる。少し中心部から離れたらラブホ街に出た。昼間の料金は3800円からと安いようだ。2時間休憩のところもあり、サービスタイムで4時間のところもある。システムがいまいちわからない。

 検索で見つけたラブホを発見する。確かに新しい気がする。チープな作りの入り口の方が入りやすそうだが、ここは重厚な入口があった。

 

「ほら、倫也。入るわよ」

「お前、大丈夫なのか?」

「大丈夫よ。まさか、倫也・・・変な事考えてないでしょうね?」

「考えてるが?」

「帰ろうかしら・・・」

「えっ・・・お前、もしかして、そのつもりないの」

「ないわよ。いやよ、こんなラブホで初体験なんて」

「あ~そうですかぁ・・・で、何しに来たんだっけ」

「取材よ、取材。わかった?」

「お・・・おう」

 

 生殺しだな。けれど、本音はわからない。部屋にはいったら英梨々の気も変わるかもしれない。そもそもラブホに入った時点で合意だろう。もうすでに、俺のはポジションが悪くて気になる。落ち着け。俺。

 

「行くわよ」

 

 そういって、英梨々が俺の手をとった。恋人として入る。まぁ不倫関係には見えないだろう。中のロビーは意外と広かった。正面に、部屋の写真とボタンがある。明るいパネルの部屋と、暗くなっているパネルの部屋があるから、暗いところは使用中なのだろう。日曜の昼間なのに、半分ぐらいが暗い。料金にはクラスがあって、一番上のSクラスは11800円だった。昼間のサービスタイムなので午後5時まで使用可能。あと3時間近くあった。

 

「高くね・・・?」

「一番下のでも、5800円じゃない。そんなかわらないわよ」

「倍違うよねぇ!?」

「ほら、エスコートしなさいよ。いつまでもこんなところにいたら恥ずかしいでしょ」

 

 俺はボタンを押した。カードキーが出てきた。受付の人は一応いるようだが、こちらからは顔が見えない。インターホンを押すと出てくるようだ。とりあえず今は必要ない。俺はカードキーを受け取って、奥のエレベーターに向かった。観葉植物がやたら多い。

 

「なんか、ドキドキするわね」

「そりゃあ、そうだろうよ」

 

 エレベーターが無駄に金色で装飾されている。センスがいまいちわからない。最上階の5階のボタンを押す。

だいたい各フロアに6つの部屋があったが、最上階は3つの部屋だ。俺たちの501号室は、廊下を隔てた半分がすべてそうだった。スイートルームということなのだろうか。

 

 カードキーで扉を開ける。中は思ったよりも広かったし清潔感があった。大きなテレビ、カラオケ設備、キングサイズのベッド。ガラス張りのバスルーム。テーブルとイスもちゃんとあった。絨毯が分厚い。

 

「あら、いいところね。ラブホテルって感じはしないけど、何がちがうのかしら?」

「そのバスルームが透明なガラス張りのところじゃね?」

「ほんと。でも、それだけよね?」

「とりあえず、色々調べてみたら?俺、何か飲んでいい?」

「好きにしなさいよ」

 

 備え付けの冷蔵庫を開けると、プラスチックのケースで仕切られていた。ボタン押すと開けることができる。俺はコーラを買った。瓶のコーラが少し高い。備え付けのグラス2つに注ぎ入れる。

 英梨々はスマホを使って、さっそくあちこちを写真に撮っている。仕事熱心なんだな。

 

「とりあえず、飲んだら?」

「なんだか、時間がもったいないわね。やっぱり泊まりじゃないと落ち着かないわ」

「3時間もあれば十分なんじゃねーの」

「そうでしょうけど、別にあたしが言いたいのはそういうことじゃないのよ」

「マスク外せば?」

「うん」

 

 英梨々がマスクとサングラスを外してバッグにしまった。イスに座ってコーラを手に持った。なんとなくグラスをぶつけて乾杯をして、それから飲んだ。美味いコーラだった。喉がずいぶんと乾いていたようだ。

 英梨々はコーラを飲み干すと、バスルームの方へ移動した。こちらからはバスルームで写真撮影をしている英梨々が丸見えだったが、お湯を張ったら湯気で見えにくくなるのかもしれない。

 

 俺はベッド周りをチェックする。あちこちのスイッチを押して照明を確認。頭のところではオーディオなどもいじることができる。気が付かなかったが、さっきまでクラシックが流れていた。有線のパンフレットがあり、チャンネルをアニソンに合わせてみたが、子供向けの曲が流れてしまったのでポップスに変えた。

 

 ベッドの上はフカフカで上等なのがわかる。ブランケットもいいものを使っている。ラブホでもけっこうコストをかけていることに驚いた。さすがに評判のいいところは違うのかもしれない。

 バスルームの方から水を出す音が聴こえた。シャワーを英梨々がいじっている。俺はベッドに仰向けになった。どうにも体が落ち着かない。トイレにいって賢者タイムになった方がいいかもしれない。英梨々にまったくその気ないならしょうがない。でも、それはそれで問題な気もする。やっぱり俺がリードすべきなのだろう。

 

「ねぇねぇ、倫也~」

「どうしたぁ?」俺は顔だけあげて、バスルームの方をみた。

「せっかくだしお風呂はいるぅ?」

「お前と?」

「はぁ?なんであたしが倫也と一緒にお風呂入らないといけないのよ」

「なんでって言われてもな・・・」

 

 恋人だから。かな?

俺、おかしいこといったかな。やっぱり一緒にお風呂に入るのは、一線を超えてからだろうか。そりゃあそうだよな。そうなのか?

 

「とりあえずお湯を張っておくから考えておきなさいよ。泡風呂にできるわよ。ジェットついてるから」

「ほぉ・・・泡風呂か・・・」

 

 だめだ。悶々とする。風呂に入ってスッキリしようか。いやいや、スッキリして外に出たら、英梨々がその気だったりして・・・そうなるともったいない。

とりあえず自制心を総動員して、様子をみる。

 

「あとね、ガウンもあるわよ。品物はまぁまぁね。バスタオルもそこそこいいもの使っているし」

「それじゃあ、せっかくだし使わないともったいねぇよな」

「そうね。あたしは入れないけど・・・」

「なんで?」

「だって、ガラス張りじゃない」

「それがいいんじゃねーの?」

「あんたねぇ・・・見たいのかしら?」

「さぁ~て、風呂はいってくるかな」

「誤魔化したわね」

 

 そんなの見たいに決まっている。変態と言われようとも、ガラスに顔をくっつけてガン見したいのをどれだけ我慢できるかでしかない。マジックミラーなら我慢しない。そんなもんだろう。

 英梨々がバスルームを一通り点検が終わったようで、歯を磨きながら出てきた。

 

「なんで、歯を磨いてるんだよ」

「アメニテふぃーふぁもったいふぁいじゃふぁい」

泡のせいで活舌が悪い。

「せこいな」

「もってかえりゅようなせこいふぁねふぁしたくふぁいのよ」

口をゆすいでからしゃべれ。

 

 英梨々がベッドに腰を掛けた。リモコンでテレビをつけ、それからチャンネルを変えた。有料回線とも契約していて見放題になっていた。英梨々がAVに切り替える。いきなり行為中の場面が大きく映し出されたが英梨々は別に動じない。

 

「おいおい・・・」

「モザイクでかいわね」

「おやじか!」

「なんで、ネットに無修正が溢れているのに、いまだにモザイクがかかっているのかしらね?」

「さぁな」

 

 なにしろエロ同人作家なので資料としてエロビデオも見る。お気に入りの場面で一時停止を押してデッサンに起こすなど日常茶飯事なのだ。おまけにネットの無修正サイトでみているから、この程度ではまったく動じなくなってしまった。この性的な歪みをどうしてくれようか?

 

「ほら、お湯が溢れる前に入ってらっしゃいよ」

「覗くなよ」

「覗くわよ」

「はい!?」

「なによ。せっかくの資料集めなんだから当然でしょ」

「まじかっ!」

「前ぐらい隠しなさいよ」といいながら、英梨々が笑っている。

 

 俺はジャケットをイスの上にかけ、シャツを脱ぐ。バスルームでズボンを脱ぎ、タオルで巻いてからトランクスも脱いだ。

英梨々が両手を広げてガラスにひっついている。健気なボケにツッコムべきだろうか。俺は英梨々の前に立った。ガラスの向うに英梨々がいる。こちらは裸で英梨々は服を着ている。タオルで隠しているとはいえ、すでに若干膨れている。ガラス越しに英梨々のおでこにデコピンをした。英梨々がニヤニヤ笑っている。ほんと、どうしようもない変態である。おまけにスマホを構えて撮影をはじめた。

 

 俺はシャワーを浴び、体を洗う。バスタブには泡がすでに張っていた。その中に浸かると湯加減がなかなかいい。というか、俺の入浴シーンなんて何が楽しいんだ?こういうのは英梨々がするからいいんだろうに。

 

 英梨々がバスルームに入ってきた。

 

「おまえなぁ・・・」

「だって、曇りはじめたんだからしょうがないでしょ」

「俺にもプライバシーがあるんだからね?」

「そんな人間みたいなこといわないでよ」

「人間なんだが・・・」

 

 英梨々が気にせずにスマホのカメラで俺を撮影している。泡から片足を出したら、笑い転げていた。

 

「ガラスが曇ったなら、お前もあとで入れば?」

「そうねぇ・・・でも、倫也が覗いてきそうだし」

「せっかくだから撮影してやるよ」

「それ、犯罪だから」

「犯罪者がいっても説得ないんですけど!?」

 

 英梨々が笑いながらシャッターを切る。BL向けなら、むしろ正しい撮影資料なのだろうか・・・

 

「そろそろ、のぼせるから俺は出たいんだが」

「出たらいいじゃない」

「それがな。英梨々・・・」

「なによ」

「こう見えて、興奮をしててだな」

「はぁ?あんた変態なの?あたしに見られて立っちゃったわけ?」

「そうだよ!」

「ふーん」

 

 そういいながら英梨々がスマホを構えている。俺はお湯を手で掬って英梨々にかけた。

 

「ちょっとやめてよ。着替えないんだから」

「そこにバスローブがあるんだろ?」

「バスローブで帰れないでしょうが」

「ほら、とにかく出ろよ・・・」

「もうしょうがないわね」

 

 英梨々がバスルームから出ていった。まったく、立場が逆ならセクハラもいいところだ。シャワーで泡を落として、俺は外に出た。

 

 ドライヤーで乾かし、バスローブを着る。一応、歯も磨き、マウスウォッシュで口もすすいだ。あれ、準備万端じゃね?下の息子も準備万端だった。

 俺が戻ると、英梨々がベッドのスイッチをあちこちいじっている。今は演歌が流れていた。冷蔵庫をもう一度開けて天然水を買った。料金は後払いのようだ。これを開けて飲む。体の火照りが少し冷めるが、下は落ち着かなかった。

 

「英梨々。風呂あいたぞ」

「あたしは入らないわよ」

「えっ?」

「入りたくないの」

「どうして?」

「どうしてもよ。いいたくない理由だってあるのよ」

「ふーん」

 

 英梨々がベッドの上で足を崩している。ワンピースの裾が短いので下着が見えてしまいそうだった。ストッキングも妙にエロい。

 俺もベッドの上に乗る。2人が乗ってもまだ十分に広い。

 

「なぁ英梨々・・・」

「倫也、近い!近い!あと、鼻息が荒すぎ」

 

 俺は英梨々の肩を持って、押した。英梨々がベッドの上に仰向けになった。スカートがまくれ上がっているせいで、パンストが透けて下着が見えた。

 

「いたい」と英梨々は棒読みした。そんなに強くは押していない。

 

 俺はかまわず、英梨々の上に覆いかぶさるように近寄った。英梨々が目を横にそらした。ツインテールの髪は乱れてベッドに広がっている。

 白いうなじも、鎖骨の凹みも、少し汗ばんで光っているように見えた。

 

 その首筋にキスをした。英梨々の匂いがする。自分の鼻息が荒いのがわかる。俺は興奮していて、英梨々がシャワーを浴びないことなど、どうでもよくなっていた。

 

「ううぅ・・・」と英梨々が呻き声をあげた。「ヒック」と息を吸った時の奇妙な音をだす。英梨々の瞳を見ると、涙がこぼれていた。

 

「えっ、英梨々。えっと、ごめん」

「ど・・・どきなさいよ」

「ああ、うん」

 

 俺は慌てて英梨々の上からどいた。英梨々が体を転げてから、枕元のティッシュを数枚とった。それから涙を吹き、鼻をかんで、ゴミ箱に捨てた。

 

「・・・ごめん」

「倫也。あたし、しないっていったわよね」

「いった」

「どうして、こんなことするのよ」

「だってさ、英梨々。ここはそういうことをする場所だし・・・誘われていると思った」

 

 英梨々がマクラをもって、俺に投げつけた。さらにもう一つの枕で、俺を叩いてくる。ヒステリックだった。

 

「バカッ!そんなつもりじゃないのに!信用してたのに!」

「だから、ごめんって」

「もういい」

 

 俺は頭をポリポリとかく。俺は英梨々にひどいことをしたかもしれないけど、英梨々だってずいぶんと子供っぽいことをしている。俺たちは年頃の男で、恋人なはずだ。キスだってなんどかしている。そろそろそういうタイミングだって思っていた。俺が間違っていたのだろうか。

 流れている演歌が状況にぜんぜん合わない。夏なのに冬景色を歌っている。

 

「今日はね。倫也。できないの。生理なのよ。だからお風呂も入りたくないし」

「・・・そっか。そりゃあ、悪かったな」

 

 女の事情もある。そもそも生理だとなぜできないか俺はよくわかっていない。血がずっとでているのだろうか?女性の身体がどうなっていて、どんな問題があるのかを、保健体育の教科書程度のことしか知らなかった。

 

 英梨々に申し訳ないと思いながら、どうにもこうにも収まらない。しょうがないのでトイレに行こう。

 

「ごめん。ちょっとトイレいって反省してくる」

 

 俺はベッドから立ち上がった。裸にバスローブ姿である。自分でも膨らんでいるのがわかる。こればかりは自分の心ではどうしようもない。「ダメだってよ」「そうですか」みたいにはならない。俺は女性の身体について疎かったが、英梨々だって男性の身体に疎いと思う。もちろん責められないけど・・・

 

「ま・・・まちなさいよ。倫也」

 

 そういいながら、英梨々が俺のバスローブの後ろを引っ張った。振り返ると、英梨々はペタンと正座を崩して座っていた。顔は耳まで真っ赤で下を向いている。目元のまつ毛がまだ少し濡れていた。

 

「倫也。そこに寝なさいよ」

「なんだよ?」 つい、乱暴な口調になってしまった。なんでこんなにイライラするのだろう。頭がむしゃくしゃする。

「いいから、寝て・・・よ・・・」 英梨々の声が消え入るように細い。

 

俺はベッドに戻って仰向けに横になった。英梨々がブランケットをかけた。俺の左側に英梨々がいる。いつも英梨々は俺の右側にいる。なぜかと言うと、手をつなぐときに英梨々は左手で手をつなぎたがるからだ。それが暗黙の了解だった。英梨々の右手はペンダコがあって、それを気にしていた。

 

「これから、することは忘れなさいよね」

「何が・・・」

 

 そういうと英梨々はブランケットの中に潜っていった。

 

※ ※ ※

 

 英梨々の指は細くて、そして、冷たかった。俺のよりはずっと冷たい。その手の感触は優しかった。俺はすぐにそんなバカなことをはやめさせようとしたけれど、何も抵抗することができなかった。そして、それは唐突のおとずれ、あっという間に絶頂を迎えてしまった。

 自分でもこんなに早く達してしまったことに驚いた。気持ちがいいと思う間もなかった気がする。

 バスローブとブランケットが汚れたかもしれない。英梨々の手は大丈夫だろうか。

 

 英梨々はブランケットから顔を出すと、何も言わずに天井を見ている。

 

 俺は横になって、英梨々の方をみた。まだ触りたかった。興奮は収まったようで収まっていない気がする。自分でもよくわからない。ただ、英梨々は満足気な顔をしていた。今はそれで十分な気がした。

 

「英梨々・・・」と俺は声をかけた。

 

 英梨々は俺の方に体を向けた。まっすぐと俺を見つめている。サファイヤブルーの瞳に吸い込まれそうだ。大きな目で、少し濡れた長いまつげ。金色の髪が乱れている。

 

「今日は、これで我慢しなさいよねっ」

「ああ。ありがとう。英梨々」

「別に、お礼なんていらないわよ。あたしも悪かったわよ。倫也をバカにしてた」

「バカにしてたのかよ・・・」

「ううん。ごめん。信用してた。倫也はそんなことをしないって。でもちゃんと男の子なのよね」

「当たり前だろ」

「ふふっ」と英梨々が笑った。

 

 部屋の音楽が演歌のままだった。ズンコド節が流れ始めた。俺と英梨々はそれに気が付いて、ベッドで横になって見つめ合ったまま、笑ってしまった。

 はにかんだ笑顔に八重歯が見える。

 

 笑うのが収まってから、どちらともなく口を近づけてキスをした。甘い香りに包まれる。

それから俺と英梨々は、残りの時間を何もせずに、ベッド上でただ何もしない時間を過ごした。

 

(了)

 




ふぅ・・・


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10 アニメ鑑賞②騎士は姫の手にキスをする

今回はオリジナルキャラが入っています。
 
原作にはサイドストーリーがあるらしいのですが未読です。
英梨々の生い立ちを考えた時、凌辱エロ同人作家にしてしまう両親がいることを踏まえると、英梨々に対して良識を教える人や、間違ったら叱る人が必要なのかなっと。
本作ではなんどか登場します。


8月1日(月)夏休み9日目

 

 目が覚めた後、俺は天井をぼんやりと眺めたまま余韻に浸っていた。さっきまで見ていた夢の内容は思い出せないが、それも甘い夢だった気がする。

昨日のあれは嘘のだった気もする。英梨々とラブホテル取材の名目で結局は戯れてしまった。最後の一線は超えられていないけれど・・・その日がいつであってもおかしくなかった。

 

 今日という一日が始まる。

 

 英梨々はだいたい午前中に遊びに来ていた。そしてランチを一緒に食べることが多い。ランチを家で食べてくる時は連絡がLINEにくる。

 

 英梨々が来るまでの間、俺はあんまりやる気が起きない。英梨々が来ると一緒に遊んでしまうから、少しでも課題用テキストを進めないといけないのはわかっているが、ついつい無駄に時間を使って過ごしてしまう。ラノベを読み返し、マンガを読み返し、アニメをつけっぱなしにする。

時計を確認する。もうすぐ12時なのに、今日は英梨々が来なかったし、連絡もなかった。

 

 俺は英梨々にLINEでメッセージを送ったが既読がつかない。こちらに向かっているのだろうか。ランチをどうしようかと迷っているうちに時間だけが過ぎていく。別に12時にランチを取らなくても問題ない。ただ英梨々のことが気になった。

 昨日の事を・・・英梨々は気にしているのかもしれない。口数が少なかった。ホテルを出た後はすぐに家に帰ってしまった。2人の関係は大きく発展したけれど、もしかしたら英梨々と俺で認識が違うのかもしれない。

 

 俺は外出する準備をして外に出た。英梨々の家の方まで歩いていく。途中で英梨々がこちらに歩いてくるのではないかと期待していたが、英梨々と出会わなかった。そして、LINEを確認するが既読もまだついていない。結局、英梨々の家の前まできてしまった。大きな洋風の門がある。その脇のインターホンを鳴らすか迷う。何もせずに帰っても家で悶々とするだけだろう。問題があるなら解決したい。俺はインターホンを鳴らした。なんだか謝罪に来たような気分になる。

 

 インターホンに出たのは、澤村家に仕える執事の方だった。名前は細川さんという年配の男性で、英梨々が産まれるよりも前から澤村家に仕えている。ご結婚はされているが子供には恵まれなかったらしく、英梨々を子供か孫のように可愛がっている。英梨々からもおじいちゃんのような気がしているに違いない。俺も小さい頃から知っている。優しい紳士で怒っているのをみたことがない。

 

 門の横の勝手口のオートロックの開く音がした。俺はそこから中へと入った。玄関先に細川さんが迎えにきてくれた。いつもなら英梨々が出てくるはずだ。スリッパに履き替え応接間に案内された。応接間・・・?

 

 そこでしばらく待たされる。バイトのメイドさんがアイスティーとクッキー缶をもってきくれた。そして、俺の耳元で、「いったい、何をしでかしたのです?」と聞いてきた。「えっ、何も・・・」と俺は曖昧に答えた。メイドさんは笑いながら部屋の外に出ていった。可愛らしい女性だ。名前はわからない。

 

 どうやら、昨日のことがバレているらしい。とはいえ、どこまでバレているのやら・・・

 

 さらに時間が経った。時計を見る。1時を回っている。こんなことならランチを何か食べてくればよかった。高級そうなクッキーなので、ボリボリと全部喰うわけにはいかなそうだ。いや、別に喰ってもなんの問題もないけれど、もう高校生なので節度を示したい。あっ、昨日は分別を超えてしまったか・・・

 

 俺は考える。英梨々から話をするとは思えないので、スマホのGPS追跡ではないだろうか。お嬢様の英梨々に専属の護衛が付いているわけではないが、それなりに管理されているのかもしれない。だとするとラブホテルにいったことは絶対にバレる。

 

 ドアが開いた。細川さんが入ってきた。身なりはいつも整っていて清潔だ。白髪のまじった髪が渋い。枯れた男性の鑑みたいな人だ。

 

「お嬢様はお会いになりません」

「はい!?なぜですか?」

「なぜ?なぜとおっしゃいましたか。ご自身でおわかりになりませんか?」

 

 語気が強いわけではない。穏やかな口調だが断固たる意志がある。これは手ごわいどころか、俺がどうこうできるものではなさそうだ。ただ、事情がわからない以上は、認めるわけにはいかない。英梨々のためにも。

 

「ええ、わかりません。英梨々がどうかしました?」

「そうですか。では、昨日、お二人がお出かけになられた、ホテル〇〇について、ご存じないと?」

「記憶にありません」

「監視カメラに映像が残っております。501号室に入られたことも」

「ぶぅー」と俺はお茶を吹き出してしまった。もう勝てない。なんてプライバシーのなさ。

「とにかくですね。俺は何もしてないですから・・・」

「そのようなことを申し上げたいわけではないのです」

 

 俺を諭すように話す細川さんだったが、扉の奥が何やら騒がしい、英梨々の声が聴こえる。

 

バタンッ!と大きな音で扉が開いた。

英梨々がかっこよく登場といいたいところだったが、パンダの着ぐるみみたいなパジャマ?を着ている。おまけにフードまでかぶっている。もうちょいマシな恰好はないのかよ、と心のなかでツッコミつつ、様子を見守る。

 

「細川さん!昨日から話した通り、あたしとこいつでは何もなかったから!」

「お嬢様。そこにお座りください」

「いやよっ!」

「英梨々、そんなに困らすなよ。ほらほら、隣座って」

「もう、しょうがないわね」

「はぁ・・・」

 

俺はため息をつく。

 

「よいですか、お二人とも。わたくしが申し上げたいのは、何もお二人の関係性について言及しているのではありません。あのようないかがわしい場所に行ったことに、軽率な行動だとご指摘申し上げているのです」

「ごもっとです」と俺は全面的に相槌を打つ。全面降伏。これが最良。

「だから、いかがわしい行為なんて、こいつとはしてないですから。ね?倫也」

「ソウダネ シテナイネ」

「なんで、そうやって含みを持たすのよ!あんたバカなの?」英梨々が俺の首をしめて揺らす。

 

 これでも細川さんは笑ったりしない。俺は困った。ただ言いたいことはわかった。高校生同士でラブホに行ったことを懸念しているであって、英梨々と俺の関係を怒っているわけではないようだ。だいたい、英梨々が俺の家に入り浸ったり、泊まったりしている時もあるのだから、そこは黙認なのだろう。何事ないが。

 

「でもね、倫也。そのせいであたしが倫也と会うのは当分の間は禁止っていうのよ。今日だって軟禁されていたし、スマホは没収されるし」

「ほうぅ。で、ふて寝してその恰好なわけだな?」

「そうよ。これ、カワイイでしょ」

「ああ、パンダはカワイイよな。バカっぽく見えるが」

「なによ」

「コホンッ」と細川さんが咳払いした。ほんとこんな真面目な方に申し訳ない。

「わかりました。お嬢様。今回の件は無かったことに致しましょう。ですが、くれぐれも今後はお気をつけください」

「わかったわよ。ほんと、細川さんも気苦労が絶えないわね」

「おまえのせいだよねぇ!?」と俺がツッコンでおく。

「というか英梨々。このペナルティーを決めたのって、細川さんなのか?」

「そうよ。あたしの両親がこんなことで干渉してくるわけがないじゃない」

「こんなことってお前・・・一応、バレたら学校停学だからね!?」

「あたしの両親は、あたしに凌辱同人マンガを描くように育てたような人なのよ?あたしと倫也が結ばれたら喜ぶだけよ。ラブホぐらいでガタガタいうわけないの」

「ほぉー」

 

 英梨々の周りでは、まともなのが細川さんだけというわけだな。澤村家の良心といったところか。英梨々が辛うじてまともに育ったのは、細川さんのおかげなのかもしれない。ありがとう細川さん。もう手遅れですが、立派な腐女子に育ちましたよ。ああ、なんだか細川さんが不憫に思えてきた。

 

「それではお嬢さま、わたくしはこれで失礼をさせていただきます」

そう言って、細川さんが応接室から出ていった。扉の向うにはメイドさんが聞き耳を立てていた。

 

「ほんと、倫也が来てくれて助かったわ」

「そりゃどうも。けっこう大変なことになってたんだな」

「まぁね、大騒ぎしすぎなのよ」

「お前のスマホにGPSでもついているのか?」

「スマホにGPSはついてるでしょ普通。別に家の人に追跡されたわけじゃないのよ」

「じゃあ、どうしてバレたんだ?」

「たまたま、あのホテルがうちの系列だったらしくて、ちょっと気付かれちゃったのよね」

「せっかく変装してたのにな」

「あんたも変装させればよかったわね。あたしらしき人で確認されたようだけど、あんたが映っていたことが決定的だったのよ」

「恥ずかしい・・・というか、普通はああいう場所のプライバシーって極秘じゃないの?」

「受付にいたのが、親族だったのよ」

「はぁ・・・まぁしゃあないな」

「ほんとよね。何もなかったのに」

「ナニモ ナカッタノニ」

「ぷっ」といって英梨々が笑った。やっと明るい笑顔で八重歯見える。

 

「倫也、部屋いきましょうよ」

「それはいいけど、ランチ喰ってなくてさ」

「あら、あたしのこと待っていたのかしら?」

「そうだよ」

「悪かったわね。じゃあ、部屋に運ばせるわよ。何がいいかしら?」

「なんでもいい」

「そういうのが一番困るのよ。ピザでいい?」

「頼む」

 

 俺たちは二階の英梨々の部屋に移動した。英梨々の部屋だけでも普通の家ぐらい広い。天蓋付きのベッド、大きなクローゼットは壁一面に並んでいるし、鏡も大きい。モニターも大きく、ゲーム機も各種そろっている。勉強机とマンガ制作用の机が別々にある。最近買ったゲーミングチェアが二つあって、一つは俺用のだ。

 

俺はそのイスに座りながら、アニメを再生した。

 

 『彗星のさみだれ』

今放送中の最新作で、特殊能力を持った騎士(ナイト)が姫を守る話だ。守るといっても、姫もものすごく強い。だんだんと敵が強くなっていき、こちらも戦力が向上するが、だんだんと追い込まれる。そんな話だ。

 

 俺は届いたピザを齧り、ウーロン茶で流し込む。やっと食事ができて落ち着いてきた。英梨々はイスを左右に揺らしたり、イスの上で体育座りしたりして、アニメを観ている。ナイト物語なので英梨々好みなのだろう。いつもはもっと、「こんな展開あるわけないじゃない」とか、「そうはならんやろ(なってるやろがいと俺が相槌を打つ)」とか、「これ、〇〇フラグよね」とか、文句や感想をいいながら観るが、今日は無口で静かに観ている。

 

「ああ~倫也ぁ、あたしもやってみたい」

「何を?」

「この跪いた騎士が、姫の手にとって騎士の忠誠を受けるやつ」

「キザなやつだと、キスするよな」

「それそれ。やってよ」

「おう、なら立て」

 

 英梨々姫が立った。パンダの着ぐるみを着た我が姫は、わがままで、自由奔放で、ちょっとエッチで、腐女子のオタクだ。忠誠を誓う気にはなれないが、まぁ一緒にいて楽しい。

 

 俺は跪いて、英梨々姫の差し出した右手を手にとった。そして、思い出した。この細い指と俺より少し冷たい。なによりも英梨々の右手はタコでゴツゴツしている。

 俺は手に手をとったまま英梨々の方を見上げた。

 

「なぁ英梨々・・・」

「なによ?」

「昨日のアレ・・・左手だったろ?」

 

 英梨々の顔がみるみる赤くなった。口を波にして、もごもご動かしている。

 

「ほんとバカ!早く忘れなさいよ!」

 

 怒ったふりして、英梨々の顔もにやけている。片側の口角だけを上げて、八重歯がちらりと見えた。

 

もちろん。『やなこった』と俺は思った。

 

(了)




以下、前回と今回の話の余談です。

R15描写とR18描写の差は、直接的な性的表現にあるようです。
今回、わざわざ『左手』を言及した理由は、性的描写の補足になります。

倫也の左側に英梨々が寝ていた場合、英梨々が倫也の方に体を傾けると、左腕が上になります。右手の自由は利きにくいので、左で持つことになるわけです。
もともと、作品上で手をつなぐときに右てのペンダコを気にすることを何度も言及していますので、この『左手』というのは自然ですね。

身長差があると、女の手は『逆手』になります。(根本が親指)
英梨々にブランケットに潜らせた理由は、距離が近いと『順手』(上が親指)で持つことができ、左手に右手を添えることも可能になり、行動の選択肢が増えるわけです。

繊細な指使いを含めて描写するとR18になるので、サラリと流しました。
好評ならR18版で書いてみようかなと思いまふ。


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11 染色工房体験レポ

去年の夏イチャでは恵が浴衣を買いに行ってましたが、英梨々なので自作してもらいます。

染色なんて縁のない人は関わることもないし、知らない人も多いと思います。
伝統工芸が失われつつあるのは寂しいことです。


8月2日(火)夏休み10日目

 

 今日は曇りで暑さが一段落。俺は英梨々と一緒に染色工房に来ている。

 

ここは、かつては30名以上の職人が在籍していた会社だったが、今では老夫婦の2人で細々と経営をしていた。その技術は高く評価され、数々の賞を受賞。製品というよりは作品に近く、その価格は数十万円。

 伝統工芸品に近いが、後継者不足が深刻な分野の一つだそうだ。

 

 英梨々が人脈を使って、この老夫婦のところに染色の体験教室をしてもらうことになった。俺はその付き添いといったところだ。

 

「よろしくお願いします」と英梨々が深々と頭を下げ、手土産の和菓子セットを渡した。普通の体験教室とは違って、俺たちはお客様というよりは、押し入り弟子といった感じらしい。老夫婦は師匠ということになるのかな

とはいえ、奥様の方は、「いいのよぉ~ゆっくりしてらして」と、とても優しい。旦那は小柄だがいかにも職人と言った感じで無口だった。俺は邪魔だけはしないようにおとなしく過ごそうと思っている。

 

 挨拶が終わったら、さっそく作業場の方へ案内された。部屋が縦に長いのは、一枚の帯を真っ直ぐに伸ばして染色するためだ。帯の長さは、だいたい4m半ぐらいあるそうだ。

 

 今日の英梨々は、白い長袖シャツにデニムのオーバオールだ。所々が油絵具で汚れていて、いわば英梨々の美術用作業着で、英梨々にしてみれば一番の正装といえるかもしれない。もっとも動きやすく作業がしやすい。

 

 作業場の照明は明るかった。扇風機が何台もある。木製の棚にはさまざまな道具屋や染料が並んでいた。古めかしい雰囲気なのは壁紙がなく、木の壁がむき出しだからだろうか。

 

 まずは正絹をまっすぐに伸ばす作業から始まった。専用の竹ひごの先端に針があり、それをセットしながら広げる。奥様が手本をみせ、英梨々が真似をしていく。英梨々の表情が真剣で遊びでないのが伝わった。俺は端でその作業を見ていた。立っているのも変なので、木製の丸椅子に座った。誰も気にも留めない。

 

 帯の正面に出る部分、結び目になるところなどの説明を受けた。

英梨々は持参したスケッチブックを見せながら相談を始める。下準備をして、どのような作品にするかを考えていたよ。染色の段取りや技法も、動画を何度か再生して予習していた。

 予定される作業は細かく、本格的な手染め工房なのだ。筆もろくに使えない俺の出る幕はない。

 

 糊とよばれるもので絵を描く。するとそこだけが白抜きになり染まらない。糊のない所を様々な色で染色していくことができる。塗り絵やステンドグラスを思い浮かべるとわかりやすいかもしれない。

 

「あら、この薔薇は素敵ねぇ」

「できますか?」

「細かいのは難しいけど、やっぱり若い子は斬新なデザインねぇ。ねぇあなたはどうかしら?」

「これは細かいな。最初なんだろ?」

 

 英梨々のことがどの程度伝わっているのかわからないけれど、染色に関してはド素人なので職人さんの意見は大事だ。

 

「次がこれで」

「これも素敵ねぇ。プリンアラモード?」

「はい」

 

 奥様は乗り気だが、旦那はそれを見て、「俺はもう頭が固いよ」と言って苦笑いしていた。和装という常識にとらわれていると捉えるか、伝統を守ると考えるか。英梨々はずいぶんと和装関係のデザインもみていたから、自分のデザインが奇抜なことは自覚しているだろう。どの辺で折り合いがつくか楽しみになってきた。

 

「で、最後がこれなんですけど・・・ふざけすぎていますか?」

「あらやだ・・・」

奥様が笑っている。旦那ものぞき込んで笑っていた。英梨々が最後に描いたのはぬいぐるみの熊の親子だ。テディーベアよりももっと丸くディフォルメされている。最初に描いたときは茶色の熊だったけれど、それでは染色で映えないからと、パッチワークのぬいぐるみにしていた。

クレヨンで画用紙に描いたら、最高にカワイイデザインだとは思うが、はたして浴衣の帯に合うかどうか・・・しかも素材は高級な絹である。

 

「倫也~、どれがいいと思う?」

 

 俺に話を振ってきた。好きにしろと言いたいが、「熊で」と即答した。

 

「あらそう?熊でお願いできますか?」と英梨々が言った。奥様はうなずき、次に糊の準備をはじめた。旦那さんはスケッチブックをみながら、染色の顔料をテーブルの上に並べ始めた。もう少しお堅い伝統があって、和装のデザインになるかと思ったが、どうやら新しいことを取り入れることに抵抗がないようだ。

 頭が柔軟で、作ることに生き生きとし、瞳を輝かせていて楽しそうに見える。仕事と趣味の堺がないのかもしれない。後継者がいないのが不思議だったが、商売としては難しいのだろう。

 

※ ※ ※

 

 英梨々が糊を使って絵を描き始めた。ろ紙を三角に丸めて、その中に糊が入っている。先端を切って、そこから搾りだしていく。チョコペンで描くケーキのネームプレートと似ている。

 作業が集中し始めたので、俺はアクビを1つして、作業場の外にでた。周囲を少し散歩して時間をつぶす。まだ古い民家もあって、開発があまり進んでいない地域のようだった。野良ネコも多い。駄菓子屋を発見したので、そこで小学生と一緒に長椅子に座った。しょうがないので駄菓子を買ってやった。街が長閑だと、子供たちもゆとりがあるように見える。

 

 ぼちぼちと工場に戻った。糊の作業が一段落したようで、英梨々は居間のほうで休憩していた。もってきた水ようかんを一緒に食べている。

 

「どこ行ってたのよ」

「散歩。駄菓子屋があってさ、ちょっと遊んできた」

「もう、勝手にいなくならないでよ。異世界に迷い込んだと思ったじゃない」

「確かにちょっと昭和に迷いこんだ気がしたけどな」

「イセカイってなんですか?」

 

 くだらない会話に奥様がのってきた。英梨々と俺の目が合う。2人とも笑ってしまった。真面目に説明するようなものでもない。

 

「えっと、昔風に言うと神隠しみたいなものです」と俺が説明すると、奥様は「そう」と納得したのか、しないのか、英梨々の顔をみていた。

残念ながら目の前にいる美少女はがっかり美人で、中身は腐女子なのだ。すぐにその認識をもてるはずもなく、きっと美術に真面目な少女に映っていることだろう。まぁそれも間違っていないが。

 

「糊が渇くまで時間がかかるらしいのよ。それで、次は浴衣生地の染色をしようってことになったのだけど」

「へぇー」としか言いようがない。

「折りたたまれた綿があってね、これを染色液につけると、幾何学模様になるのよね」

「動画で見ていたやつか?」これなら俺でもできそうと思ったやつだ。

「うん。それで、デザインの一覧をみていたのだけど、どれがいいかしら?」

 

 今度は流石に折り方があるので、幾何学模様のパターンはある程度決まっている。どこをどう染色すると広げたときにどうなるか、そんな専門のデザインブックを見ていた。

 

「熊がこったデザインだから、シンプルな方がいいと思うぞ」

「そうよねぇ」

「白地に、淡い色でいいんじゃないか?」

「あら、彼氏さんも芸術にお詳しいの?」

「いえ、俺はただの『知ったか』です」そう、それっぽいことを言うだけで、詳細なことはわからない。

「シッタカ?」

 

 言葉に多少のジェネレーションギャップがあるようだ。わからない言葉を流さずに、聞いてくるあたりが奥様の若い証拠で、勉強熱心な性格なのだろう。俺は、「知ったかぶりをしているだけで、本当はぜんぜんわからないです」と改めて素直に答えた。

 

 英梨々達の休憩が終わって、別の作業場に入っていった。帯の制作と浴衣用の生地の制作では違うようだ。俺は出された麦茶を飲みながら和室を満喫していた。古風な部屋で落ち着きがあった。ブラウン管のテレビがあった方が似合いそうだが、テレビだけは薄型の最新型でミスマッチだったのが残念だ。

 旦那が見当たらないが、きっと間がもたないので仕事でもしているのだろう。英梨々は別に社交力があるわけではないが、奥様にも旦那にも気に入られているのはわかる。英梨々が2人を尊敬した眼差しでみていて、いつもと違って素直でおとなしいからだろうか。

 

※ ※ ※

 

 浴衣の生地作りが終わった頃には、16時を過ぎていた。俺は作業場の横の方でぼんやりと見ていたが、暇そうな俺を見かねてか、それともただの労働力と思われたのか、洗い場の掃除を頼まれた。染色用の洗い場で道具なども汚れている。たわしなどの道具も各種あり、中性洗剤とクレンザーがある。俺は喜んでその作業にあたった。この洗い場をピカピカにしてやろうと思って、丁寧に磨いたら褒めてくれた。

 

 また休憩に入った。それからいよいよ、帯の染色を始める。英梨々の集中力が切れない。ところで何時頃までやるのか不思議だった。普通は仕事って17時までだろうが、英梨々の作業があと1時間で終わるとは思えない。時間を聞くのも失礼かと思い、俺は居間の方でスマホをいじって時間をつぶす。旦那はサポートに周っていて、特に何も口を出さないようだ。奥様も最初は教えていたが、そのあとは英梨々の作業を見守っている。実践でしか覚えられないこともあるだろう。

 

 英梨々が器用だからか、センスがあるからだか、わからないけれど、作業は順調に進んでいた。

 

 18時を回った頃に旦那から出前のメニューを渡された。近所のそば屋のものだ。どうやら夕食をはさんで作業が続くらしい。えっ、そんなに時間がかかるの?と思ったが、しょうがない。

 旦那が天セイロで、奥様が親子丼セットだった。英梨々は奥様に合わせて親子丼セットを選び、俺はカツ丼セットにする。奥様が電話をかけた、横から旦那が口をだして、俺と英梨々のセットは大盛りになった。そういう優しさなのだろう。

 

 出前を頼んでからは、奥様は台所にいき何やら作業をしている。その間も旦那は英梨々のそばにいるが、別に何を教えるでもない。英梨々は真剣に集中して筆で染色液を塗っていた。旦那はハンカチサイズの同じ布を手にもって、時々染色液を塗って、英梨々に色を確認してもらっている。英梨々はその旦那の数少ない言葉に耳を傾けうなずいていた。いい弟子じゃないか。

 

 30分もすると出前が届いた。奥様が自家製の糠漬け野菜を切ってくれた。ナスがつやつやと輝いている。

 

「先にいただきましょう。ああなると一段落するのに時間がかかるから」

「はい。いただきます」

 

 俺は手を合わせて食べ始めた。糠漬けがおいしい。奥様との会話に困るかと思ったが、よくしゃべる方なので、こっちは相槌をうっているだけで大丈夫だった。しきりに英梨々のことを褒めている。ずいぶんと気に入ってくれたようだ。曰く、旦那はすでに英梨々にメロメロらしい。俺が作業場をみている限りではよくわからないが、まぁ奥様がそういうならそうなのだろう。

 普段は頑固で口から出る言葉は文句が多いらしい。業者とも喧嘩するらしいから、ある意味で俺のもっている職人のイメージ通りだ。そんな話をしながら奥様は笑って楽しそうにしていた。2人とも仲がいいのだろう。ただ、俺達がきて嬉しいのは伝わってきた。

 

 俺は食べ終わったので作業場をのぞく、英梨々が真剣に作品と向き合っている。同じものを作っても、俺ならすぐに終わりそうだが、色作りからして大変らしい。今塗った色と、蒸して色を固定させた後では風合いが変わる。だから、旦那が出来上がった作品などを見せながら、一つ一つ丁寧に進めていた。熊は半分も塗られていない、もはや気が遠くなるレベルだ。

 

「英梨々、食事~」と声をかけた。これで2度目だ。名前を呼ばれた英梨々は顔をあげて俺の方を見た。そして、何も目には映ってないかのように作業に戻った。旦那なんて顔も上げない。

 

 英梨々達が戻ってきたのは20時を回ったあたりだった、奥さんがレンジでチンをしていた。そばを一度冷水にさらしてザルに盛り直すなど気を使っている。旦那にビールを飲むか聞いたら、いらないと答えていた。作業はまだ続くようだ。

 

 英梨々が食事している間、俺が作業場に入って作品を見る。親熊が完成していたが、子熊と小物がまだ塗られていなかった。背景もまだだ。一体どれだけかかるのか気になるが長期戦になるのは間違いない。

 奥様もやってきて、周りを片付けていた。片付けていいものと、悪いものがありそうなので、俺は手だしができない。説明用の作品が散乱していたので、そのあたりを整理している。

 英梨々と旦那は黙々と食事を摂っていたが雰囲気は悪くない。テレビもつけていない。英梨々が一生懸命ガツガツと食べている。大盛なのでちょっと大変そうだ。おまけに、旦那が海老天を英梨々の丼の上に置いている。どうして年配の方は若い人に食べさせたいのかわからないけれど、英梨々は黙って食べていたが、ソバの方は手をつけていない。奥様に声をかけてラップしてもらっていた。さすがに食べすぎのようだ。

 

 夕食休憩を30分ほどとったら、2人はまた作業場に戻っていった。外はすっかり暗い。英梨々の体力と集中力が心配だったが、それはいらぬ心配だったようだ。作品と向き合えば真摯に取り組む。旦那がなんでそんなに付きっ切りなのかわからないが、ときどき英梨々が質問しているところを見ると、やはり大事なのだろう。会話にでてくる単語がだんだん専門的になり、俺が聞いていてもわからなくなる。

 

 22時を過ぎた。奥さんはテレビを見ている。こんな遅くまでいいのか心配だったが、奥様は作業場の方へ声をいっさいかけず、時々お茶を交換するぐらいだった。英梨々はずっと立ったまま作業をしていて、気が付くと旦那の作品がまた周りに散乱していた。

 

 23時半を過ぎた。終電の心配をする時間だ。奥様もしゃべり疲れたようで、もう話をしない。そろそろ寝る時間なんじゃないかとか、いろいろ心配になった。

 

「終わったわよ」と英梨々が今に戻ってきた。

「お疲れ」としか言いようがない。旦那には「すみません」と謝ったが、笑っている。ずいぶんと楽しかったのだろう。奥様が黙って立ち上がって、ビールを用意していた。

 

「あとは蒸すだけね」

「まだあるのぉ!?」と俺は驚く。染色の工程は終わったが、この後は乾かしてから蒸す作業がある。さすがに今日は無理だろう。

 

「あとの工程は誰がやっても同じだから、今日はこの辺にしておきましょう」と奥様が言った。

「はい」と英梨々は素直に答える。時計を見て、首をかしげていた。それからスマホの時刻を確認している。

「倫也、今何時?」

「23時半すぎたところ」と俺は答えた。

「あらやだ・・・」

「集中しすぎだろ」

「・・・そうねぇ。そろそろ帰ろうかしら」

「その方がいいと思うぞ」

 

 英梨々が老夫婦に頭を下げて謝っている。一体何時頃までの契約だったのだろうか。そもそも染色がこんなに時間かかるものなのかどうか。俺にはよくわからない。

 旦那は満足そうにグラスを空にした。英梨々が瓶ビールを持って注ぎいれると、嬉しそうにしていた。なるほど、こりゃメロメロになっているなと俺もわかった。

 

 俺たちは改めてお礼をいって、工房を後にした。

 

 英梨々はアクビを1つして、大きな通りに出るとタクシーを止めた。終電はまだ走っているが、まぁ気持ちはわからないでもない。タクシーに乗ると英梨々は深々と座り、ぐったりと憔悴している。

 

「張り切りすぎだろ」

「こんなに時間が経つのが早いなんて思わなかったわよ」

 

 こっちまで疲れた。家ならゴロゴロしたり、テレビのチャンネルを変えたり、冷蔵庫を用事もないのに開けたりできるが、人の家だったから気を使っていた。

 

「そうだ、見て見て」

 

 英梨々が、左腕を前に出した。俺は何かと思ったが、左腕の白いシャツが染色されている。

 

「なんだそれ」

「筆の先を整えたり、色を確認したりするのに、ちょうどよかったのよ」

「はははっ」と俺は乾いた笑いをしてしまった。やっていることが職人なんだよなぁ。

 

 英梨々はその汚れた服を見て、満足そうに笑って八重歯が少し零れ落ちた。

 

 窓から入る街並みの光が英梨々を時々照らして髪が少し輝いていた。

 

(了)




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12 焼きトウモロコシのために火を灯せ

水曜日の英梨々は、少し子供っぽいことをしている。

今回のテーマは火遊びだったが、ろくなアイデアが浮かばないので、この話に落ち着いた。


8月3日(水)夏休み11日目

 

 快晴。もううんざりするぐらい空が蒼い。その上、雲がない。辛うじて飛行機雲の消えかかっているのが見えるだけだ。そして、例にもれず暑い。セミがまだまだがんばって鳴いている。

 こんな日は冷蔵の効いた部屋で、ダラダラと過ごしたいと思うが、朝から英梨々に呼び出されてしまった。できるだけ早く来て欲しいという。俺は朝の身支度をして、9時前に英梨々の家に到着した。チャイムを鳴らすと、英梨々が玄関から出てきた。

 

「倫也ぁ~。これ、食べてみなさいよ」

 

 英梨々が手にトウモロコシを持っている。葉っぱもついた状態だった。

 

「なんぞ?」

「いいから、食べてみなさいよ。朝採れを空輸してきたのよ。鮮度落ちる前に食べてみて」

「トウモロコシって空輸するものなの!?」

「ほら、早く早く!」

 

 そのために呼び出されたらしい。俺は空輸された朝採れのトウモロコシの葉を剥いた。

 

「英梨々、これ、生じゃねーか」

「そうよ?」

「いやいや、トウモロコシは生じゃ食えねーだろ」

「はぁ?あんたバカなの?貧乏なの?トウモロコシは生で食べれるわよ」

「貧乏関係ねぇだろ。親をディするなよ」

 

 どうやら、俺の知らない間に世間ではトウモロコシは生で喰うようになったらしい。

 しょうがないので半信半疑で、トウモロコシを齧る。カシュリと歯がすんなり通って皮が柔らかい。すぐにジュワァ~と汁が溢れてできて、これがなんというか、すっごく甘い。

 

「甘いなっ!」

「でしょ。なんと、糖度が驚きの20度」

「いや、よくわかんねぇ」

「もう・・・苺の高級品がだいたい15度ぐらいなのよ。20度はバナナぐらいの甘さね」

「すげぇなそれ・・・もう果物じゃん」

「そうよ。ねっ、美味しかったでしょ?」

「そうだな・・・」

「不満?」

「いや、でもさ、やっぱり生で全部喰うよりは、茹でたり焼いたりしたいかな」

「まぁ、そうよね」

「納得なのかいっ」

「うん。そういうわけで作るわよ」

「何を?」

「トウモロコシ焼き装置」

「なんだそれ?」

「とにかく、中に入りなさいよ」

 

 俺たちは玄関先で会話していた。そんなにトウモロコシが食べてもらいたかったのか。家の中に入りそのまま英梨々の部屋にあがる。朝から英梨々はいい香りがする。日向の優しい香りだ。

 

 今日の英梨々は、ゆったり目のベージュのサロペットを着ている。肩のサスペンダーのところに、猫のキーホルダーみたいなアクセサリーが揺れていた。それにオレンジと黄色のチェックの長袖を着ている。すごくオシャレな感じの田舎の農家風ファッションということらしい。確かにトウモロコシ畑の農家はこんな感じのイメージだ。大きな麦わら帽子でもかぶれば完璧だろう。

もちろんトウモロコシからの連想であって、普通の人が街で英梨々をみかけても、カワイイファッションの女の子にしか見えないだろう。

 

「で、これが設計図ね」

 

 俺は英梨々から画用紙を受け取った。クレヨンで描いてある。中央に火が燃えていて、レンガの上に金網がのっているようだ。両脇には子供の俺と英梨々が平面的に描かれている。幼稚園児が描く画風だが、俺の知る限りでは、幼稚園の頃の英梨々はこれよりも絵が上手かった。

 設計図といいながら、なんの設計もされていないがイメージはわかった。俺が確認したいのはただ一つ。

 

「バーベキューの器械でいいんじゃね?あれでよくトウモロコシ焼いているのをテレビで見かけるけど」

「・・・」

 

 英梨々が天井を見上げている。きっと素で忘れていたのだろう。俺としてはわざわざ素人が火遊びをする必要はないと思っている。

 

「却下ね。それじゃつまらないじゃない」

「誰が」

「あたしが」

「なら、しょうがないな。じゃあとりあえず消防庁に連絡をしれて許可申請でも出すか」

「はぁ?あんたバカなの?死ぬの?」

「っと、お決まりのセリフが出たところで、やるか」

 

 まったくもって、英梨々の考えていることがわからない。俺たちは受験生で勉強をしないといけないのに、毎日遊び呆けている。なんと夏休みの4分の1が終わってしまった。早い。課題が1ページも終わってない件について、俺は英梨々に質問する気にもなれない。

 

 庭に出てスコップで少し穴を掘った。そこに丸めた新聞紙と練炭をいれる。花壇の横に重ねてあったレンガを運んで、その周りを囲んだ。そして、英梨々が用意していた金網をかぶせると、あら不思議。意外といい感じのトウモロコシ焼き装置なるものができた。俺、天才かもしれん。

 英梨々が満足そうに見ている。屋敷から執事の細川さんが出てきて、俺と目があってから軽く会釈していた。手には消火器をもっていて、外に1つ置いてくれた。まったく気苦労の多い方で頭が下がる。こんなおてんば娘の執事など大変だと思う。

 

「よし、じゃあ英梨々。ライター貸してくれ」

「ない」

「ないなら、キッチンから持って来いよ」

「いやよ」

「なんでだよっ!」

「あんた、ここまで手製で作ったんだから、火ぐらい起こしなさいよ」

「ほう・・・」

 

 英梨々がわけのわからないことを言い始めた。何か?トウモロコシを焼くのに、火はライターでつけるのと、火を起こすのでは違うのか?オリンピックの聖火みたいなものか?

 

「じゃあ、虫メガネを貸してくれ」

「それ、不正よね」

「ルールを知らされてないよねぇ!?」

「あんたねぇ。火を起こすって言ったら、板と棒でしょ」

「ほうぅ・・・」

「だいたい、火も起こせないで、あんた。無人島に漂着した時に困るでしょ」

 

 よしわかった。英梨々がその気ならこっちも考えがある。

 ・・・とりあえず、動画を見よう。きっと火を一生懸命起こしている人がたくさんいるに違いない。

 

「はい。これ、板と棒。枯れ葉もサービスしておくわよ」

「そりゃどうも」

「あと倫也。ここだと風が強いから、あっちの家と壁の間あたりがいいと思うわよ」

「そうだな・・・」

「それと、勇者倫也にこれを授けよう」

 

 英梨々の口調が変わったので、何かと思ってみたら、松明だった。木の棒に布が被せてあって麻ひもで結んで留めてある。灯油の匂いがする。もしかしてものすごく燃えるんじゃないだろうか。それにしても見事な出来栄えだ。

 

「それ、どうしたんだ?」

「そりゃあ、8ゴールドで買ったに決まってるでしょ」

「あっそ」

 

 まぁたぶんディテールが細かいことから、英梨々の手製だろう。ちなみにこの二重表現は慣用句化してOKらしい。「ディテールに凝っている」の方がいいかもしれない。

 

 俺は道具を運び、壁際の風のないところで火起こしに奮闘した。グルグルと手で回すのはNGらしい。手の皮がすぐに破れて危険だ。板の上に石ころで溝を掘る。そこに落ち葉をいれて、あとは力をいれて素早く棒をこするだけだ。

 

 ・・・

 

 ・・・

 

 ・・・ うん。知ってた。まったく火が起こらない。ただ、ちょっと焦げた匂いや、焼け跡ができた。コツをつかめば火が起きるかもしれない。もう少し努力を重ねてみるが手が痛い。軍手でもあればもう少しチャレンジできそうだが、この辺でギブアップしようか迷う。

しかし、これもトウモロコシのためだ、もう一度だけ太陽神アポロンに祈りを捧げる。

 

 落ち葉がけっこう粉々になっていい感じではある。最後にヤケになってガァーと強くこすったら、煙が出てきた。ふぅーふぅーと息を吹きかけて、もう一度こすると火が灯った。おおぉ。ちょっと感動。

 俺は原始人から文明人になった気がする。時代が違えば英雄に違いない。火が燃えたので松明を近づけた。

 

ボッ! と音が鳴ったわけではないが、一気に燃え上がった。さすが松明である。

 

 俺は松明を掲げ、何やら怪しい原住民のように、変な踊りを踊りながらテンションMAXで英梨々の元に戻っていった。何やらいい香りが漂っている。

 

 香ばしい香りは、醤油の焼けた匂いだと思う。英梨々が焼きトウモロコシ装置、いや間違えた。トウモロコシ焼き装置の前でトウモロコシを焼いていた。傍らには細川さんがいる。過保護だな。

 

「英梨々、火が付いたぞ」

「あら、本当に火を起こせたのね。すごいじゃない」

 

 英梨々の言葉には感情がこもっていない。こいつ・・・

 

「そこのバケツに水が張ってあるから、そこで消してくれるかしら」

「おう・・・」

 

 俺は苦心して灯した火を消した。アポロンの祝福はアクア様に捧げられたのだ。これで良しとしよう。妙に達成感があって満足した。

 俺が戻ってくると細川さんは屋敷の中に戻っていった。

 

 英梨々が長いトングでトウモロコシをつかんで皿の上に置いた。

 

「はい、倫也」

「ありがと」と素直にお礼を言う。トウモロコシの柄の部分を持つが熱かった。割りばしの先をナイフで尖らせたものが用意してあって、英梨々がトウモロコシをトングで支え、俺が割りばしを刺した。

 

 それを二つ作った。

 

「いただきます」と2人で言った。熱いトウモロコシをふーふーと息を吹きかけながら齧った。これがまた香りがあって美味い。暑いのに焼きトウモロコシは合う。

 

 氷水に冷やした瓶コーラを英梨々が取り出すと、栓抜きで開けから俺に差し出す。

 俺はそれを受け取って、喉の奥に流しこむ。キンキンに冷えていた。炭酸がシュワシュワと心地よく跳ねる。

 

「夏だな!」

「夏よねぇ~」といいながら英梨々もコーラを飲んで、それから焼きたてのトウモロコシを齧った。

 

 英梨々が楽しそうに笑ったが、残念なことに歯にトウモコロシが挟まっている。

 

「やれやれ」といった風に、塀の上の野良猫がシッポを垂らして振っていた。

 

(了)




評価・感想をもらう難しさ。


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13 マンガ喫茶バイト②新しいメガネ

英梨々と一緒にバイト。第二話。
マンガ喫茶という舞台が意外とはまる。



8月4日(木)夏休み12日目

 

 英梨々が賢くなった。

 先週はお金を払い8時間コースでマンガを読み続けた英梨々だったが、今日の英梨々はお金を払わない。なぜならば、俺と同じバイトをする側になったからだ。

 

 世の中はおかしい。日中にはほとんど客は来ない。ゆえに高校生の俺一人がワンオペをして十分だった。それでも俺の人件費で店の収支はほぼ赤字だった。英梨々が一緒の時間帯にバイトを始めたら確実に赤字になる。普通は絶対に雇わない。

 

「いいのよ。税金対策なんだから」とか、

「実は表に出せない金をここでマネーロンダリングしているのよ」とか、

「貸しビルなんてテナントが入らないと傷んでいくから、家賃が格安のよ」とか、

適当なことを言っているが、本当のところはわからない。

 

 俺の時給は1200円で、英梨々も同じらしい。1時間に2400円かかる。

 この店は1時間で600円の料金なので、4人はこないと赤字になるが、客は0人の時もある。経営に関して俺に責任はないし、あんまり深く考えると頭が痛くなるのでこの辺でやめておく。

 

「まずは掃除からだ」

「じゃあ、あたしが布巾でテーブル拭いてくるから、倫也は掃除機かけなさいよ」

「俺が先輩なんだから、俺の話ぐらい聞けよぉ・・・」

「あたしがオーナーの親族で、あんたを雇うように言ったんだから、あたしの方が立場上だと思うけど」

 

 なんだその論理は。まぁいいや、ここで英梨々と言い争ってもしょうがない。俺は掃除機のコンセントをさして、掃除を始めた。まだ客は0人だった。

 掃除が終わった頃に常連さんが1人くるはずだ。

 

「倫也。終わったわよ。他は?」

「本棚の整理ぐらいだな。けっこうバラバラだから直してくれ。あと抜けている巻があったらチェックして」

「はーい」

 

 俺が掃除機をかけている間、英梨々が本棚を端からチェックし始めた。けっこう真面目に働いているように見えるが、自分で読むものを物色しているだけかもしれない。

 

 今日の英梨々は、ベージュのチノパンに蛍光色の黄緑のシャツを着ていた。その上に店のピンクエプロンをしている。髪型はツインテールでリボンの色は赤。いつも通り可愛いわけだが、コンタクトをやめてメガネをかけている。このメガネは新品で、この店で働くためだけに買ったのを俺は知っている。ピンクゴールドの細いフレームは円に近いような五角形をしていた。サイドのところにテントウムシがあしらわれている。

 ちょっとしたオシャレな書店の店員さんといった感じだ。

 ズボンのせいでエプロンの後ろ姿はエロくない。スカートだと視界にはいって落ち着かない。

 

 掃除が終わるとやることがなくなる。

 

「そういえば、ドリンクコーナーが変わったんだな」

「ええ、ファミレスみたいにしたのよ」

「お前が?」

「あたしが」

「あと、この受付横のラックはなんだ?」

「そこに新刊を集めて、見やすいようにしようと思って」

「この受付にある駄菓子コーナーは」

「あたしの趣味のラインナップ」

「なぁ英梨々。お前がオーナーじゃないよな?」

「勘のいい子は嫌いだよ」

 

 うーん。冗談だと思いたい。だとすると放漫経営もいいところで、将来が不安だ。

 

「とにかく倫也。この店をなんとかしないと、あたし達の将来が真っ暗よ」

「マジかっ!」

「冗談よ、冗談。ただの親族経営だから、適当でいいわよ」

「頼むよ・・・」

 

 英梨々が新刊を集めてきてラックに並べ始めたころ、チャイムが鳴って客が来たことを知らせる。ガラスの扉が開いて、いつもの常連さんが来た。英梨々が舌打ちをする。やめてくれ。貴重なお客様だからね?

 

「英梨々、受付のやりかた教えるから」

「あんたねぇ、公私混同やめなさいよ。ここでは澤村様とお呼びなさい」

「では、澤村様、受付のやりかた教えろくださいするから、早く来い」

「いつもので」と常連客が俺らのやり取りをスルーして言った。なるほど、話のわかる人だ。

 

 英梨々が時刻の書き入れた札を渡した。

 

「いつも、ご利用ありがとうございます。ドリンクコーナーを変更いたしましたので、もしわからない場合は御声掛けください」

「ああどうも」

「それと、駄菓子をお一つ無料サービス中ですので、おひとついかがですか?」

「では、この『きのこ棒』をもらおうかな」

「ありがとうございます。ごゆっくりお楽しみください」

 

 英梨々が深々と頭を下げた。なんて立派な接客だろう。さっきまで真面目なおっさんの顔が少し赤くなっている。常連がさらにパワーアップすると何になるのだろう?昼間から個室とか利用してくれるようになるのだろうか。

 

「なんか、英梨々すごいな・・・」

「あんたねぇ、接客業なんだからこれくらい当然でしょ」

「おっ・・・おう」

「あと、『きなこ棒』の在庫は裏にあるから、一個ちゃんと補充しておきなさいよ」

「おっ・・・おう」

 

 そっか、お客様が言い間違えたのも訂正しなかったんだな。素晴らしい接客で参考になった。マンガ喫茶でも頭をつかう余地があるんだなぁと感心する。まぁ俺は気楽に働くだけだが。

 

「あと、英梨々。巻抜けは発見できた?」

「ああ、それね。えっと・・・」

 

 英梨々がメモ帳を取り出した。メモをしながらするほどのバイトでもないと思ったが、真面目なやつだと違うんだな。

 

「倫也。『戦国妖狐伝説』がところどころ抜けているわ。7巻と12巻」

「そっかぁ・・・まただな」

「また?」

「ああ、それ万引きしているやつがいるらしいんだけどな」

「あらやだ」

「問題は万引きされたことだけでなくってだな・・・」

「何かあったの?」

「発注できないんだ」

「どういうこと」

「その出版社がもう重版をかけていないし、在庫もない」

「それで?」

「だから、補充ができない」

「はぁ?あんたバカなの?どうするのよ」

「俺の頭の出来は関係ないよねぇ!?」

 

 チャイムが鳴った。客が来る。英梨々がまた舌打ちをした。客に来て欲しいのか、来て欲しくないのかいまいちわからない。

 

「いらっしゃいませ♪」と、英梨々が満面の作り笑顔で迎えた。

 

 入ってきた小太りのオタク男性は一歩下がった。周りをキョロキョロと見回して、店から一度出て看板を確認していた。「安心してください。別にぼったくりバーじゃないですよー」と声をかけてあげたい。もちろんメイド喫茶でもない。

 それからもう一度入ってきた。英梨々がさきほどのお客様と同じように笑顔で接客する。駄菓子を選ぶところで、客はオーバーヒートしたらしく、選べずに固まってしまった。あ~あ、美少女に慣れていないオタクにそんなに笑顔を振りまくから、そういうことになるんだ。俺が適当にシガレットを選んで、お客様に手渡した。ぎこちない仕草で頭を下げ奥へと入っていった。かわいそうに。

 

「あのな、英梨々。みんながみんな、英梨々の可愛さを歓迎しているわけじゃないんだぞ?」

「えっ、なによ突然。もう一度言ってみてくれる?」

 

可愛さのところに反応するな。

 

「・・・いいか、平穏に過ごしたいお客様もいるんだよ」

「なによそれ」

「だからだなぁ・・・あんまりキラキラと接客するなよ。キャバクラじゃないんだから」

「失礼ね」

「いや、割と真面目にいっているんだが・・・」

 

 英梨々は非モテ系のオタクメンタリディーを理解していないわけがないのに。どうしたんだろう。

 

「・・・もういい。倫也、何もわかってない!」

「えっ?」

 

 お客様がいるのに大きな声を出したので、来ていた人がこちらをふり返った。俺はペコペコと頭を下げる。

 

「どうしたんだよ。落ち着けよ」

 

 俺は英梨々をなだめた。何か気に障るようなことを言ったかな。平穏な俺のマンガ喫茶バイト生活に暗雲が立ち込めようとしていた。

 英梨々は着ていたエプロンをとると、クルクルと丸めるようにたたんで、受付のイスに置いた。

 

「帰る」

「ちょっ・・・英梨々!?」

 

 英梨々がつかつかと怒ったように歩いて、出入り口に向かった。俺は慌ててその後追いかける。店の外のエレベーター前の踊り場で、英梨々の腕を捕まえた。英梨々は振り返りもせずに、手を伸ばしてエレベーターの下り行きのボタンを押した。

 

「何、突然怒ってんだよ。今、仕事中だろ」

「あたしがいなくても全然問題ないわよね?倫也みたいに受付にぼぅーと座って、マンガ読むだけならいてもいなくても同じじゃない」

「それは、否定せんが・・・」

 

そもそも英梨々まで雇った理由がわからない。階段のある踊り場なので声がよく響く。

 英梨々が強引に手を振りほどいた。俺の握ったところが赤くなっていた。

 

「倫也は少し、本気を出しなさいよ」

「なんのことだよ」

「なんでもよ。なんでもいいの。ゲーム作りでも、シナリオ作成でも、オタク活動でも、バイトでも、もちろん受験勉強だって、遊びでもいい。何かをもっと一生懸命やんなさいよ!」

「そんなこと、今言われてもだなぁ・・・」

「マンガが好きなのよね?だったら、もう少しこの店をよくしたいと思わないの?自分の好きなマンガをもっと知ってもらいたいと思わないのかしら」

「いや、英梨々・・・今時のマンガ喫茶はそういう場所じゃねーから」

「なにがよ」

「マンガファンが目を輝かせて、マンガを読みにくるような場所じゃねーんだって」

 

 英梨々が振り向いて、俺の方をみた。瞳には涙がたまって潤んでいる。真新しいメガネのレンズが蛍光灯に照らされて光っている。

 

「とにかく、一度戻れよ。お前の言いたいことはわかったから。もう少しだけ真面目にやるにしても、お前の勘違いは正してやらないとな」

「勘違い?」

「そうだよ」

 

 俺は腕を伸ばして、英梨々の涙をそっと指でぬぐってやった。まったく世話が焼ける。こんな激情興奮型の性格だったっけ?演技過剰じゃね?

 英梨々の左手を握って店舗に連れて戻り、ピンクエプロンを広げて英梨々に着せてやった。

 

「とりあえず、落ち着くために何か飲むか」

「メロンソーダのアンバサ割りで」

「好きにしろよ・・・」

 

 英梨々がドリンクコーナーでジュースをブレンドしている。やっていることは子供だ。俺はウーロン茶をいれた。

 2人で受付に戻って並んで座る。英梨々にどこから説明すべきか、考えがまとまらない。英梨々の思っているマンガ喫茶の理想は、なんとなくわかる。

 マンガ喫茶にマンガファンが集まって、わいわいとにぎやかにマンガを読んでいる。そんなお店だろう。確かにマンガ喫茶の黎明期には、マンガファンがマンガを読みに店舗に通っていた。もちろん、今でもそういう人はいるだろう。しかし、現在はそれでは成り立たない。

 

「いいか英梨々。マンガ喫茶の一番の収益は、泊り客だ。この間の英梨々の8時間コースがまさにそれだ。終電が終わってから、始発までの時間を利用する。これが第一ターゲットだ。カプセルホテルよりも安いというのが、一番の売りだ。次に、その個室だ」

「個室って、1人でゆっくりマンガを読みたいわけよね?」

「いや、単純にレンタルルームなんだよ。敷金も礼金もいらない。一週間単位で借り切ることもできる。この店舗にはいないけど、住んでいる人がいる場合がある」

「そうなの?」

「ホームレスよりマシだけど、賃貸暮らしよりはひどい生活だな。マンガ喫茶だと基本料金の電気、ガス、水道代もかからないだろ」

「そうね」

「ネットも使えるしな。日雇い労働者や非正規社員などの下層階級で、賃貸契約ができない人が利用しているんだ。言い換えれば貧困ビジネスの一端を担っているんだよ」

「・・・ちょっと待ちなさいよ。じゃあ、マンガファンはいないの?」

「マンガファンはいるさ。けれど、マンガファンじゃない人もいるということだ」

「なによそれ」

「これが現実なんだよ。それでな、英梨々の理想とするようなマンガをもっと好きになってもらいたいって、ファアをしているお店もあるにはある。様々な工夫をいろんな店舗で開催している。だから、英梨々もそういう風なことをしたいと思ったんだろ?」

「ええ、そうよ。どうせなら楽しい店にしたいし、その方がバイトだってやりがいがあるでしょ」

「そうかもしれないが、バイトがあまり店舗運営に口出すのもどうかと思うぞ」

「帰る」

「まてまてまて・・・わかったから、何か考えるから」

 

 やれやれ、今時のマンガ喫茶の経営なんて非常に難しい。英梨々には言わなかったが、売春宿のようになっているところもあり、時々摘発されている。この店でそのようなことが行われているのかは、俺は把握していない。日中は個室の利用もほとんどないからだ。

 

 チャイムが鳴った。まもなく、また新しい客がはいってくる。

 

「いらっしゃいませ」と少し拗ねている英梨々に代わって俺が受付をする。

 

 利用経験のあるお客様だったので説明は省く。前金で1時間分の料金をもらう。札に時間を描き込み、お客様に渡した。

 英梨々がそれをつまらなそうに見ていた。

 

「駄菓子渡しなさいよ」

「ああ、忘れてた。ちょっと渡してくる」

 

 余計な仕事が増えた。俺は籠ごと駄菓子を持って、お客様に説明をして駄菓子のうまい棒(たこ焼き味)を受け取ってもらった。

 スナック菓子はマンガ本が汚れるのでよくないと思う。このサービスを続けるなら駄菓子の選別が必要かもしれない。

 

※ ※ ※

 

 俺と英梨々がいるので昼の休憩は別の時間でとった。他のフロアにいる店長はあがってこない。別の時間といってもバックヤードの狭い空間で冷凍食品をチンして食べるだけだ。外にでてハンバーガーセットでも買ってきた方がよかったかもしれない。

 英梨々は受付にいる間はマンガ本を読んでいない。別に本を読んでいようが、スマホでゲームしてようが、愛嬌を振りまこうが、売り上げには関係ない。いや、英梨々が愛嬌を振りまいたら、英梨々の人気でお客が集まるかもしれない。でも、それは英梨々の理想的なマンガ喫茶とは違うはずだ。

 

 そういうわけで、俺もマンガが読めなかった。ふたりで無口なまま店番をする。まったくの無意味だ。

 

「そうだ英梨々。とりあえずそのラックに、ラノベコーナーでも作るか?」

「別にいいけど」

「それとも、同人誌でも置くかな」

「同人誌ってみかけないけど、なんでかしら?18禁の本は本棚の隅の方においてあったから、それがいけないわけじゃないわよね?」

「著作権の問題だな。この業態って、レンタルビデオと同じで許可制なんだよ。使用承諾がなく勝手に商売したらダメなんだ。買ったDVDで上映会して儲けたらいけないのと同じだな」

「ふーん。著作権ねぇ・・・」

「あっ」

 

 俺は閃いた。著作権を気にせずに扱える同人誌を俺は知っている。

 

「とりあえず、来週は英梨々の本を置いてみるか」

「はぁ?あんたバカなの?死ぬの?」

「いや、割と真面目だよ。うんいいかもしれない、ただ問題があってだな」

「何よ」

「作者の許可が必要なんだよ」

「べ・・・別にいいわよ・・・あんたの好きにしなさいよ」

 

 とかいいながら英梨々が喜んでいる。凌辱系の18禁エロマンガ。そんなものを堂々とあつかってくれるかどうか。ここは英梨々の親族経営らしいから、たぶん許可がでるだろう。

 

「あとさ、英梨々」

「なによ?」

 

 俺はじぃーと英梨々を見つめた。メガネ姿がこれまたカワイイ。さっきまでツンケンしていたから、機嫌を直した英梨々が余計に可愛くみえるのかもしれない。

 

「キスしていいか」

「バカ。仕事中だからダメに決まってんでしょ!」

「あんまり、大きな声は出すなって」

俺はあたりを見回す。

「ほんと、何考えているのよ」

「まったくだ。仕事が終わったらいいんだな?」

「・・・ほんと、バカ」

 

 こうやって、ご機嫌をとりつつ、まぁなんとか英梨々とうまくバイト時間をすごす。

 

※ ※ ※

 

 仕事らしい仕事はほとんどない。英梨々と店について思いついたことを話しつつ時間をつぶした。自分達の店だと思って経営を真剣に考えると、確かにいろいろなアイデアは浮かぶ。

 新しいメガネをかけた英梨々は真面目に見える。ときどきじぃーと見惚れてしまう。さっき冗談でキスがしたいといったせいか、本当にしたくなってくる。なんだか悶々とする。

 

 18時になり店長が戻ってきて仕事が終わった。エプロンを元の位置に戻し挨拶をして店を出た。なんだか、2人してすごく我慢をしていた気がする。

 

 エレベーターの下りボタンを押した。

 

 エレベーターがゆっくり上がってくるのが待ち遠しかった。

 エレベーターの扉が開くと、俺も英梨々も中にそそくさと入って、閉めるボタンを連打する。扉がしまりかけたら、俺も英梨々もすぐに向かいあって目を閉じた。

 

 エレベーターが下っている間、ずっとキスをしていた。

 

 チンッと音がなってエレベーターの扉が開いた。ムワッとした外の暖かい空気が入ってくる。外の喧噪が聴こえた。

 

 外の現実が始まって、俺と英梨々は何事もなかったかのように、帰り道に手をつないで歩いた。

 

(了)




Q 彼女ができたらしたいことは?

A 裸エプロン
B 手つないで歩く
C ディズニーランド
D エレベーターの中でチュー

Aは笑わせる自信があればOK 引かれる可能性もあり諸刃
Bは本音が見えない 話に発展性がない×
Cは女に媚びすぎ
Dが相手の顔を色を見て、納得しているようなら落とせる

質問されている時点で脈が少しある。ここはギリギリを攻めたい。

↑ デートハウツー本に書いてありそうだが、今テキトーに考えた。



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14 別荘旅行・星降る夜に

さぁ、いよいよお泊りデートだ。


8月5日(金)夏休み13日目

 

「倫也、この映画つまらない」

「そうだな。でも、もう少し言葉を選ぼうか。これを楽しいって人もいるかもしれないし」

「でも、評判は悪いし、観客動員数は爆死しているし、フォローすべきところがないわよ」

「う~ん。映像が斬新でカメラワークが面白い・・・とか」

「消していいかしら」

「一応、最後までみたら?」

 

『バブリー』という、90年代の日本の経済アニメかと思ったらぜんぜん違った。ストリートランの近代SFファンタジーということになるのだろうか。ぼんやりとみていたがストーリーが頭にはいってこない。

 

 英梨々が頬杖をつきながらつまらなそうに見ている。俺は睡魔に負けてウトウトしはじめた。那須までは車で4時間以上かかる。渋滞にはまれば6時間を超える長丁場だ。まだ常磐高速道にすら入っていない。

 

 運転をしているのは澤村家執事の細川さん。助手席には奥様が同席されている。いつもようにビシッと決めたフォーマルではなくラフな格好をしていた。白髪に原色の青いポロシャツが似合っていた。

 細川さんは定年を過ぎても嘱託として勤めていたがついに引退を決意されたらしい。その功労賞として東北の旅行がプレゼントされた、その道中に那須があるので俺達は車に乗せてもらっている。

 公私混同しているが、英梨々にしてみれば「公」の部分がむしろ納得いっていないようだ。

 

※ ※ ※

 

「倫也。インター着いたわよ。トイレぐらい行ったほうがいいわよ」

 

 俺はアクビを1つして車を降りた。高速のインターチェンジだった。ずいぶんと進んでいる。

 トイレはガラガラだったので道路は順調なのだろう。トイレをすませる。英梨々と一緒に売店を見て回った。ご当地コラボ系が英梨々は好みだった。でっかいポッキーを買っている。

 

 俺と英梨々は後部座席に戻る。細川さん夫妻はのんびり喫茶店でお茶を飲んでいるらしい。ゆっくりと休憩し安全運転を心がける。大事なことだと思う。そういう焦らないところは見習いたい。

 

 遅くなった昼食は那須の温泉街にある有名な手打ち蕎麦で、水がいいせいかとても美味いことで有名だ。

 

 細川さん夫妻と一緒のテーブルを囲う。掘りごたつのある上品な和室で居心地がとても良い。俺も英梨々も天セイロ大盛を頼んだ。細川さん夫妻はザル蕎麦と、だし巻き卵を頼んでいた。夫妻は寡黙で無駄なことはしゃべらない。俺と英梨々は周りの景色や、メニューのことや、お土産売り場のめずらしい野菜について話をした。それを2人はニコニコして聞いていた。

 

 蕎麦がやがてくる。俺も英梨々も腹が減っていた。「いただきます」をしてから、天セイロをガツガツと食べる。お米も頼めばよかったかなと思うが、せっかくの蕎麦なので、蕎麦を心ゆくまで堪能した。何度来ても期待を裏切らない。

 

 この後、細川さんに別荘まで届けてもらい。お礼をいってここでお別れをした。時刻は16時を過ぎていた。

 

 俺と英梨々は2人きりで別荘に泊まる。信頼されているのはいいが、それでいいのか澤村家。

 

※ ※ ※

 

まずは別荘の掃除をする。布団を干したかったが、布団乾燥機で代用する。もう少し早ければ庭の雑草をとったり、コケを削ったりと施設管理もしたかった。もう夕方で虫がでている。外はヒグラシが鳴いていた。

 

「倫也、明日の予定はわかってるわよね?」

「ああ、大丈夫だ」

「6時に起きるから、今日は早く寝るわよ」

「ああ。わかっている」

 

 明日は山登りの予定だ。今日のうちに準備を整えておく。ここから最寄りのバス停まで徒歩で40分はかかる。それからバスにのって登山道入り口まで移動する。始発が早く6時にはバスが出ている。

 

英梨々が『早く寝る』ことを強調していることから、夜遊びはしないのだろう。実際問題として、アレをするとどれくらい疲れるのか俺はよくわからない。英梨々だってわからないだろう。初めての後の女子は股関節が痛くなって歩くのが辛いとかいう噂も聞く。登山前にはできないだろうなっと、バカなことを考えた。

 英梨々が怪しい笑顔で俺を見ている。さては心の中を見抜いているようだ。

 

 片付けと準備が終わった。英梨々がお風呂を沸かす。俺はローカル番組を見てすごす。ローカルニュースがなかなか面白い。

 晩御飯を食べるには早すぎる。まだぜんぜんお腹が空かない。とはいえ食べずに寝るわけにもいかない。明日の朝はおにぎりを持っていきたい。朝は忙しいだろうから今のうちにご飯を炊いておこうか。おにぎり作って冷蔵しておこう。冷凍も用意しておけば保冷になる。キッチンで米を水に浸した。水が冷たい。

 

 英梨々がお風呂からでてきた。昼は黄色いワンピースを着ていたが、パジャマ姿に着替えている。セクシーなネグリジェなんかではもちろんなくて、蛍光色のケロケロケロッピのパジャマだった。フード付きでかぶるとケロッピになれる。これが英梨々なりの距離の置き方なのかもしれない。ただ、髪は濡れていて、バスタオルで拭いている姿は、それなりに・・・綺麗で大人の感じがする。

 

 続いて俺が風呂に入った。バスタブには泡がたっている。俺は体と頭を洗い、最後には風呂のお湯を流しながら浴室の掃除もした。さんざんヌくべきか、ヌかざるべきかを悩んだ末、明日に体力を残しておくことにする。

更衣室には着替えが用意してあった。大人サイズのパジャマで、水色のプラレールだった。しかも夜に光る部分がある。N100系から700系まで描かれた新幹線バージョンにちょっとテンションがあがる・・・わけがない。

 

 風呂場から出ると、英梨々がハト麦茶を用意してくれた。一気に飲み干す。英梨々の髪は乾いていて、ケロッピのフードをかぶっていた。うんうんカワイイよ。それはわかる。

 

「あら、倫也。似合ってるじゃない」と口に手を当てて笑っている。バカにしたような言い方をわざとしているのは英梨々なりの気づかいか。

「お前ほどじゃねーよっ」と俺は言ってやった。高校三年生にもなって、ケロケロケロッピのパジャマを着こなせるのは英梨々ぐらいのものだろう。

 

 英梨々がTVをつけた。最近はメガネにも凝っているらしい。今日はフチのないメガネだが、ほぼ真ん丸なのでインテリっぽい雰囲気にはならない。牛乳瓶メガネをイメージしているのかもしれないが、それにしては可愛い。ぜんぜんメガネで美少女感を隠せていなかった。

 

 俺が英梨々をじぃーと見惚れていると、英梨々はそれに気が付いたらしく顔が赤くなっている。昨日のエレベーターのキスを思い出した。

 俺は英梨々に手を伸ばすと、英梨々は、サササッ!と距離をとって逃げた。

 

「倫也。今、キスしようとしたでしょ?」

「・・・」

 

 わかってるじゃん。ケロケロケロッピ程度には負けない。小学生モードっぽい英梨々でも、可愛いのは可愛いのだ。キスぐらいしたくなる。

 

「ダメだからねっ!」

「なんでだよ」

「今、キスしたら・・・もう、バカ!」

 

といって、座布団を投げてきた。

 

「とにかく、倫也はそこのロフトで寝なさいよね!あたしは下のベッドで寝てくるから」

「あいよぉ」

 

 俺は生返事をした。ちなみに英梨々の別荘は二階建てでリビングは二階にあり、寝室が一階だ。

 

 英梨々が階段を降りて下へ行ってしまった。時刻はまだ20時だ。いくらなんでも寝るには早いだろうに・・・寝室にテレビはなかったはずだ。慌てて降りたせいでスマホをテーブルの上に忘れている。

 俺は英梨々と自分のスマホを充電器に接続し照明を消した。部屋が真っ暗になる。びっくりするぐらい暗かったので、もう一度照明を付けて、ロフトへ上がってスタンドランプを灯した。それからまた降りて電気を消した。

 

さっきほど布団乾燥機で乾かしたので布団はフカフカしていた。ロフトのスタンドランプを消すと、部屋が真っ暗になった。

 

布団に横になって上を見ると、天窓があって、そこからは夜空が見える。目が暗さに慣れてくると星がだんだんと増えてくる。ロフトの隅には立派な天体望遠鏡もある。調整すれば、土星の輪や木星の衛星も見えるが、俺はぼんやりと全景を観る方が好きだ。

 

※ ※ ※

 

 考え事をする。さっきからエロいことしか思い浮かばない。やっぱり風呂場で落ち着かせるべきだったかもしれない。トイレで済ませるか・・・ああ悶々とする。そりゃそうだ。高校生なのだ。

 

 下の寝室にいる英梨々に会いにいったら、やっぱり自制心は働かないのだろうか。俺の童貞力ってそんなに弱いのかな。トランプでもしたかった。もしくは見飽きたヂブリアニメでいい。あるいはザマーウォーズとか・・・

 もう少し英梨々と一緒にいたかった。

 

 20時過ぎなんて、東京では一番賑わう頃だ。でも、この那須の別荘では深夜の様に静かで闇に沈んでいた。

 

 俺は立ち上がって天窓を開けた。星空が綺麗だった。雲が少ない。東京では見えない天の川が見える。夏の大三角形は星が多すぎてすぐには見つけられない。ああ、英梨々にも見せてやりたいなぁと思う。でもこの小さな天窓から、2人でのぞき込んだら、体が密着してしまう。きっとキスをして、英梨々の言う様に止まらないかもしれない。

 

 俺と英梨々は距離が縮まって、昔のようにただ無邪気には過ごせなくなっている。どんなに幼いパジャマで隠しても、その下は成熟した男女なのだから。どんな時も頭の隅でそんなことばかり考えるようになってしまった。

 

 その時、綺麗な流れ星が見えた。「あっ」すごいと感動する。また流れ星が落ちた。目が慣れてくると流れ星がよく見えた。

 どうやら今日は天体観測にちょうどいい夜空らしい。

 

改めて英梨々にみせてやりたいと俺は思った。下にいって呼んでこよう。自制心をフル稼働して、子供を演じよう。

 俺は天窓を一度閉めて、スタンドランプをつけた。はしごを降りようと下を覗きこむと・・・

 

 英梨々が昇ってくる途中で驚いた。暗い部屋に英梨々の金髪だけが微かなランプに照らされて光っている。

 

そういえば晩御飯もまだ食べていないし、歯も磨いていない。水に浸したご飯も炊いて、おにぎりも作らないと・・・1人で悶々とエロいことばかり考えている場合じゃなかった。

 

「ねぇ、星空が見えるんじゃない?さっき下の窓から空をみたら雲がなかったように見えたけど」

「ああ、よく見えるぞ。俺も今、お前を呼びに行こうとしたところだ」

「そう」

 

英梨々が梯子を上り終えた。ロフトは天井が低くて立つことはできない。天窓を開ければ屋根が見えるぐらいの高さだ。

 英梨々はフードをかぶっていなかった。金色の髪は自由に広がってキラキラしている。

 

 俺は天窓を開けてやる。英梨々がそこに立った。俺も小さな天窓のところで英梨々の後ろに一緒に立つ。英梨々の洗い立てのシャンプーの香りが鼻をくすぐる。

 

「流れ星がさ、さっき見えた」

「うそ」

「ほんと。目が慣れたら見えると思うぞ」

「うん・・・」

 

 英梨々の返事がなんだか小さな声で弱々しい。こうして改めてみると小柄で華奢だった。

 

「倫也、夏の大三角形わかる?」

「ああ、えっとな、真東にある。あそこにミルキーウェイがみえるだろ?」

「うん」

「だから、上にあるのが琴座のベガだ。織姫様だな」

「で、右下のあれが、鷲座のアルタイル」

「ピコ太郎ね」

「あのなぁ・・・そこでボケる!?」

「だって、倫也の手がいやらしいんだもん」

「・・・バレたか」

 

 右手で星を示しながら、俺は左手を英梨々の前に回して抱き寄せていた。英梨々の背中が俺に密着している。

 

「で、あの彦星の左にあるのが、白鳥座のデネブだな」

「よくできました」

 

 俺は右手も英梨々の前にして両手を組んで、英梨々を抱き寄せた。後ろから英梨々の頬にキスをした。英梨々は抵抗をしない。クラクラとするような香りがする。

 唇にふれた英梨々の頬はすべすべで柔らかい。

 

 英梨々は星空をみたまま目線を動かさない。

 

「なぁ英梨々・・・エリリ・・・」

 

 俺は耳元で囁く。あと一言、『君が抱きたい』とはっきり言ったら、もう英梨々は断れないはずだ。言葉もいらないかもしれない。

 英梨々の息遣いを感じる。もふもふとしたパジャマの生地。英梨々は細くて華奢だった。

 

 

 その時、充電中のケータイ電話がけたたましくなった。緊急地震警報だった。

 

「・・・お約束だな!」

「お約束よね」

 

 俺と英梨々はしゃがんで、地震に備えた。別荘がガタガタと揺れる。震度3ぐらいかもしれない。揺れが収まってから俺は下に降りて電気をつけた。英梨々も降りてきて、それから2人でご飯を炊き、おにぎりを作った。

 

 少しご飯を食べ、歯を磨き、俺と英梨々は理性を総動員して別々に寝た。

 

 なんとか、『倫理君』の名を守ったのだ。誰も得をしないのに!

 

(了)




「このまま巨大地震が来て、別荘がつぶれたらいいんじゃないかな?」
(匿名希望)


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15 別荘旅行・登山イベントといえば遭難ですか

何話かに分けてもう少し作り込んでも良かったかもしれない。
読み終えるとどっと疲れが出る。


8月6日(土)夏休み14日目

 

「ずいぶんおっ立てているわね」

「むにゃ?」

 

 目が覚めると、そこは澤村家の別荘のロフトだった。俺は下半身を確認する。濡れてない大丈夫だ。昨日はギリギリだったので夢精するかと思った。よくがんばった俺の無意識。

 ・・・朝からバカなことを考えたが、さっき声をかけられていた気がする。俺は上半身を起こした。英梨々が梯子のところから顔をだけ出して覗いている。なんて変態行為が似合う女の子なのだろう。すでにツインテールになっていて、緑色のリボンで結んでいた。

 

「これ、ただの生理現象だから」

「しんどい?」

「秘密」

「そう。朝食できてるわよ」

「あいよ」

 

 俺もリビングまで降りる。トイレを済ませ、洗面所で手と顔を洗う。水が冷たい。歯をみがき、櫛で髪型を整えて、リビングに行った。時刻はまだ早朝の5時半。外はすでに明るい。

 テーブルの上にはバナナと、コンフレークと、牛乳パックが置いてある。さすが英梨々が用意してくれた朝食だけある。洋風だがハムエッグすらない。

 いや、今時だと女の子ならハムエッグぐらい用意して当たり前という思考は古臭いだろう。ここはコンフレークのトラに感謝をささげて、文句を言わずに食べ始める。

 

「ねぇ、倫也」

「どうした?」

「さっき、トイレいったわよね」

「トイレいったな」

「それって、やっぱり出すの?」

「トイレは入れるとこじゃないからな」

「はぁ?あんたバカ?」

「いや、たぶん、朝からバカな質問しているのはお前の方だと思う」

「なによ・・・教えてくれたっていいじゃない」

「何をだよ・・・」

「だから、出したか出さないかでしょ」

「ほうぉ・・・もう一度聞くが、何を出すんだ?」

「・・・」

 

 コンフレークだけだとおいしくない。バナナを齧る。もうちょいまともなものを食べたいがしょうがない。メロンパンぐらい買っておけばよかった。

 

「だって、あんなになっていたら、出さないと落ち着かないでしょ」

「何がだ・・・」

 

 なんでこれから山登りをしようとする爽快な朝に、俺は下ネタに付き合わされているのだろう。興味津々の英梨々はきっと常識が壊れているのだろう。何しろエロ同人漫画を描くために、無修正動画を見る変態少女なのだ。目の前の俺のふくらみをみて、何かのスイッチが入ったのかもしれない。とはいえ、こちらはスルーしかない。

 

「もういいいわよ」

 

 顔を真っ赤にしていうセリフか。女には女の秘密があるように、男には男の秘密がある。男の朝立ちは悶々としない。気が付くと収まっている。これも考えてみると不思議かもしれない。

 

 朝食を終えて、昨日のうちに冷やして凍らせたおにぎりをリュックに詰めた。スマホはとりあえず俺の方の電源を切った。非常時に両方のバッテリーがなくなると困るからだ。これで準備万端だった。

 

 英梨々も俺も上下のウインドブレイカーを着ている。真夏でも早朝は寒いぐらいだ。玄関で登山用の靴に履き替えた。ドア開けるとひんやりとした空気が心地よかった。さすが避暑地である。この快適さになれると東京のコンクリート砂漠は辛い。

 

「体調は大丈夫か?」

「ええ、万全よ」

「無理するなよ」

「ええ」

「じゃあ、いくか」

 

 英梨々の別荘から、さらに道なりに上に進んでいき、大きな道路まで出るのに40分かかる。途中で人に出会わなかった。熊に出くわすこともあるらしく、警戒してしゃべりながら歩く。音を出してこちらがいることを示していれば、熊も人間が怖いので近寄って来ないらしい。

 

 緩やか山道は緑が多くて気持ちが良かった。40分も歩くのは大変だけど、意外と楽しくて時間が経つのは早い。

バス停の時刻表では次のバスが来るまで、まだ20分ほどあった。

 自販機でペットボトルの水を1本買って2人で飲んだ。リュックのペットボトルはできるだけ取っておきたい。間接キスになってしまうけど、あまり気にならなかった。

 

 ベンチ座ってバスが来るのを待つ。他にも登山の恰好をしている人が2人いた。誰もいなかったら、キスをしていたと思う。静かな朝でときどき鳥が鳴いていた。しゃべると自分達の声だけが響くので、俺も英梨々も静かに過ごす。

 

 バスが来た。すでに何組か乗っている。急な上り坂をエンジン音立てて登っていく。車内放送で天気が崩れる予報だと教えてくれた。確かに少し曇り空だが、まだまだ雲は分厚くない。山の天気は変わりやすいので防水グッズのカッパは用意している。

 20分ほど走るとバスはロープウェイ乗り場に到着した。ここが終点だ。みんな降りていく。どの客も登山の準備をしていた。俺たち以外の客はロープウェイ乗り場に歩いて行った。

ロープウェイで登った先から、山頂を目指すルートもあるが、俺たちが行く場所はそことは違った。

 

 車道の横の歩道をさらに上へ進んでいく。まだまだ道は補装されていて、遊歩道のようになっている。やがて山門に到着した。登山道入り口と書いてあった。俺と英梨々の他には人がいなかった。ここで一度地図を広げて確認する。大丈夫。合っている。ベンチがあったので座って水を飲んだ。午前8時前だ。なんて健康的な朝なのだろう。

 

 山門を超えたあたりから、道路の舗装がなくなる。それでも道はしっかりしていて石畳がある。茶屋跡があり、そこに無人の入山手続きする場所があった。ここで名前と住所を書いて投函しておく。何かあった時に役立つらしい。詳しい仕組みはわからない。

 

 日がだいぶ昇ってきて熱くなってきた。俺はウインドブレイカーの上を脱いでたたんでリュックにしまった。英梨々もピンクのウインドブレイカー脱いだ。下に黄色いメッシュの長袖を着ていた。フード付きだ。薄っすらと透けて下の白いTシャツが見える。

 爽やかな気分なので健康的な美しさを感じてもエロさは感じない。そこまで俺もいつも発情しているわけじゃない。たぶん。

 

「暑いわね。今、どの辺かしら」

「まだまだ入り口だよ」

「まぁ、そうよね。ここから次のポイントまで何分ぐらい?」

「一応2時間の予定だ。休憩を挟めばもう少しかかるのかな」

「天気は平気かしら?」

「無理しないで引き返す手もあるぞ」

「雨が降ってきたら、考えましょ」

「それじゃ、遅いんだけどな」

「雨具ももってきたわよね?」

「そうだけど」

「なら平気でしょ」

「たぶんな」

 

 何しろ観光地の整備された山道なのだ。遭難することもないだろう。一本道だし崖があるわけでもない。熊はちょっと怖いが、この道は登山者も多く熊も近寄らないらしい。

 

 日がどんどん高くなってくると、雲が多いとはいえ直射日光が熱かった。英梨々はフードをかぶっている。俺は帽子をもってきていないことに気が付いた。ウインドブレイカーにはフードが付いているが着るには暑い。

 

「あんた帽子もってこなかったの?」

「ああ、すまん」

「別にあたしに謝る事ないけど、熱中症とか大変よ」

「だよな、こんなに暑くなるんだな」

「夏だもん当然でしょ。タオルでも巻いて起きなさいよ」

「ああ、そうだな。そうする」

 

 リュックからタオルを出した。残っていたペットボトルの水を頭にかけた。タオルを巻くとだいぶ涼しい。無理やりあごのあたりで結んだ。ペットボトルはつぶしてリュックにしまう。当然だがゴミは持ち帰る。

 

「ドジョウ掬いの芸人みたいになってるわよ」

「ほっかむりっていうんだっけ?」

「知らないけど。とにかくダサいわね」とバッサリだ。

「俺は容姿にはとらわれない主義なのさ」

「かっこよくいっても無駄よ。ほらこっち向きなさいよ」

「記録に残すのかよぉ・・・」

 

 英梨々がスマホカメラをこちらに向けて笑っている。フードからでたツインテールが風で揺れていた。

 それからお菓子の飴ちゃんを一粒くれた。チェルシーのヨーグルト味だ。ゴミを回収しリュックにしまっていた。

 

 けっこう歩いたが、俺たちはぜんぜん疲れていなかった。10時を回った。雲がどんどん分厚くなっていて、灰色がかってきた。雨は降っていない。その分、温度は下がる。

 

「英梨々。天気がやばくね?」

「次の目的地までどれくらい」

「あと1時間もないとおもうけれど」

「小屋があるのよね?」

「そこが分岐点だから、小屋はあるみたいだぞ」

「じゃあ、そこまで行ってから引き返すか検討しましょうよ」

「そうだな」

 

 さらに30分ほど歩いた。高校生の足なので、たぶんそろそろ着いてもおかしくないはずだ。

 

ポツンッ と雨粒が地面を濡らした。

 

「降ってきたな」

「涼しくてちょうどいいじゃない」

 

 あたりが少し暗い気がした。太陽はもう見えない。直射日光がなくて確かに助かる。とはいえ少し急ぎたい。小屋まで進めば、一息つける。

 

雨粒は徐々に多くなってきた。英梨々の服に雨粒が落ち、それが吸収され黄色いメッシュに広がって消える。だんだんと雨が強くなると、英梨々はリュックからウインドブレイカーを取り出して着た。こちらはナイロン素材で水を多少は弾く。体が濡れる前にウインドブレイカーを着たのは正解だと思う。俺も同じようにウインドブレイカーを着た。

 

 あたりがすごく暗くなっていることに気が付いた。夕方とは違う暗さで不気味だった。

 

ザァー!!と激しい音と共に、ドシャ降りの雨が降ってきた。東京でときどき降るゲリラ豪雨みたいだ。すぐに通りすぎるかと思ったが、雨脚がさらに強くなっていく。

 山の天気は変わりやすいというが、さっきまでは暑いぐらいだったのだ。

 

「倫也ぁ」と英梨々がか細い声を出す。

英梨々はリックリック足取りも軽く少し離れて歩いていたが、今は近くに寄り添っている。手をつないでやりたいが山道なのでそれは危ない。

 

「大丈夫だよ、もうすぐ着く」たぶんそのはずだ。道は一本だし、迷うような場所はなかった。このまま進めば問題ないはずだ。それでも不安になってあたりを見回したら、高山植物を説明する看板があった。

「ほら、人工物があるし、道はまちがっていない、心配するな」

「うん」

 

 正直、山を舐めていたのだと思う。どの時点で引き返すべきかわからなかった。反省は後でいい。視界がすごく悪くなった。こんなに雨雲で暗くなるのを俺も英梨々も知らなかった。東京はどこかしらで電気がついているが、ここに人工的な光はまったくなかった。

 

「懐中電灯があったよな」

「うん」

「どっちのリュックだ?」

「あたしの方だと思う」

「出せるか」

「うん」

 

 英梨々が大雨の中でしゃがんだ。リュックを広げて、中から懐中電灯を出した。小さなランプだが、LEDなので力強く明るい。しかし足元を照らすには、光量が足らない気がする。でも、光があるだけで安心できた。

 

「やばいかも」

「もう少しそばにいろよ」

 

 足元の土がぬかるんできて、一歩歩くごとに少し沈みこんだ。俺も英梨々も登山靴を履いていたので、滑ることはなかったが、すごく怖かった。

 俺が心配なのは時間だ。歩く速度が遅くなれば、自分達がどの程度なのか検討が付かない。英梨々がスマホでMAPを開いたがGPSは機能しなかったし、携帯はどこにも通じていない。電波などないのだ。

 

「できるだけ足元を照らして、慎重に歩けよ」

「わかってるわよ。でも・・・」

 

 雨脚が強くて視界が数メートルしかない。自分達が正しい道を歩いているのかわからなくなる。

 

「レインコートを着た方がよかったかしら?」

「もう手遅れだよな。一応ウインドブレイカーも水を弾いているから大丈夫だと思うけど・・・」

 

 初動で間違えたか、雨が降った時にレインコートをしっかりと着るべきだった。ウインドブレイカーも防水で多少の水が防げただけに判断に迷った。

 

「うん・・・あっ、倫也、あれ」

 

 英梨々が指を指した先に、赤いランプが点灯している。

 

「小屋かしら?」

「たぶんそうだろう。とにかく慌てるなよ。小屋に到着すれば大丈夫なんだから」

「うん。ついたらおにぎり食べる?」

「ああ、そうしよう」

 

 今、おにぎりのことを考えるなんて、英梨々はまだ余裕があるようだ。道が少し迂回していて、進む先に赤いランプがないのは不安になった。それでもだんだんとランプが近づいて見えた、小屋も見え始めた。

 ピカッと空が光った。

 

ゴロゴロゴロッ、ダーンッ!と雷鳴が鳴り響いた。

 

「きゃああぁ」と英梨々が、けっこうカワイイ悲鳴を上げた。俺も「おおぅりょ」とわけのわからない言葉でてしまった。

 でももう小屋が見える。とはいえ、あたりに高いものが何もないし、雷の音はだいぶ近かったので、危ないかもしれない。ぬかるんだ足元に気を付けながらも、俺も英梨々も少し急いで歩いた。

 

※ ※ ※

 

 小屋に無事についた。木の引き戸を開けて中にはいる。中は広かった。非常用と書いてあるボタンで電気をつけた。6畳が二間ぐらいある。災害時用のヘルメットがプラスチックケースの中に無数に入っていた。壁際はベンチになっていて木のテーブルがある。

 

「これで、安心よね」

「ああ、さすがに熊は出てこないだろう」

「いやなフラグ立てないでよ」

 

 英梨々がウインドブレイカーの上を脱いだ。その下のメッシュの服もだいぶ濡れていた。

 俺はリュックから新しいタオルを出した。これは濡れていなかったので英梨々に渡す。

日光がなくなると山のせいか涼しい。俺は濡れたTシャツを脱いで、新しいTシャツに着替えた。

 英梨々の白いTシャツは体にぴったりとくっついていて、下着が浮き出ている。本来ならエロい容姿にドキッとすべきなのかもしれないが、今は風邪が心配だ。

 

「英梨々、Tシャツも着替えちゃえよ」

「うん。あんた後ろ向いてなさいよ」

「もちろんだよ」

「覗かないでよ」

「覗かねぇよ。ほら、早くしないとだれか来ちまうかもしれないだろ」

「少しは覗きたいとか思わないのかしら」

「いいから早く着替えろ!」

 

 ・・・まったくのん気というか、危機感がないというか。とりあえずこの雨脚では当分は帰れない。雨がやんでも夕方を過ぎたら下山は無理だろう。バスが出ているかもわからない。さすがに夜に別荘までは帰れそうにない。道路沿いはいいが、バス停から英梨々の別荘までの道はおそらく漆黒に沈むはずだ。英梨々の家の前ですら、道路がみえなくなるぐらい暗いのだから。

 

「着替えたわよ~」

「OK振り向くぞ」

「もういいわよ」

 

 俺が振り返った。英梨々が頭をタオルで拭いている。黄色いTシャツには英語でロゴがはいっていた。あれ・・・

 

「あの、英梨々・・・」

「なによ?」

「一応、確認しておくが・・・お前、ブラはずしてね?」

「いや~んエッチィ!ってやっぱりわかる?」

「わかるよ!」

「しょうないでしょ。濡れてるんだから!ブラの替えなんて持ってきてないわよ」

「おぉ・・・」

「いいわよ。見ても」

「はぁ・・・」俺はため息をついた。

 

 こう見ると英梨々もなかなか胸がある。乳首っぽいところもなんとなくわかる。Tシャツは緩めなのではっきりとしたラインはでない。英梨々が腕を上にあげて背伸びでもしたら、膨らみがはっきり見えるだろうけど・・・

 

「あんたねぇ・・・そんな凝視しないでよ」

「いやいやいや、そんな気はないのだけど、本能がな」

「さっ、おにぎり食べましょ」

 

 冷蔵しておいた方のおにぎりを取り出した。俺はそれを受け取って食べ始める。

 

「確か、携帯コンロを持ってきていたよな」

「あるわよ。お湯を沸かしてカップ麺も食べられるわよ。そうする?」

「いや、カップ麺はいいけど、それで乾かしたほうがいいんじゃないか?」

「そうねぇ」

 

 英梨々が動くたびに、Tシャツのふくらみとボッチのところが気になる。裸も見続けるとなれるというが、これも慣れるのだろうか。

 

 英梨々がリュックの中のものを全部テーブルに広げた。カセットコンロは俺の方にあるらしい。俺もリュックの中のものを広げた。カセットコンロにガスボンベをはめ込み、スイッチを回す。カチカチカチッという音の後に火が付いた。

 

「なんだか、ほっとするなぁ」

「そうね。やっぱり文明って火なのよ」

 

 直火は危ないので、そこに小さいポットをかける。新しいペットボトルを開けて中に水をいれた。弱火にしておく。

 

「しょうがないから手で持つわよ」

「ああ、実にシュールな構図だよ」

 

 英梨々がコンロの前でブラジャー広げている。

 

「白いレースの飾りのついたオシャレなブラだな」

「真ん中の小さなリボンが可愛のよね」

「そうだな」

「触りたい?」

「どっちを?」

「どっちって?」

「いや、なんでもねぇよ」

「あんた何考えているのよ。この非常事態に」

「まったくだよ!この非常事態にノーブラの美少女がブラを乾かすなんてな」

「倫也がもって乾かしてくれてもいいわよ」

「だが、断る」

 

 英梨々がブラを持つのに飽きたようで、ブーブー言い始めた。まったくわがままだよ。しょうがないのでペットボトルを二本立てて、そこにブラをかける。もうセクシーさのかけらもない洗濯物がそこにはあった。

 

 手の空いた英梨々もおにぎりを1つ食べ始めた。

 お湯が沸いてきた。もったいないので相談した結果、カップヌードルを1つ食べることにする。時刻はまだ12時よりも前だった。運動したせいかお腹は空いていた。朝食をもっとしっかりと摂るべきだったと思う。

 

 その他にも食糧はまだある。冷凍しておいたおにぎりが二つ。これはまだ凍っている。カップヌードルのシーフド味が1つ。カロリーメイトが2箱。チェルシーの飴。ガム。ラムネ。さくらんぼが書いてある四角形のピンク餅の駄菓子。ベビースター。スポーツドリンクが2本 水があと1本

 これだけあれば、明日の朝までは余裕だろう。

 

 沸いたお湯をカップヌードルに注ぐ、割り箸は一組だけ使うことにした。蓋の上に、英梨々が食べかけのおにぎりをラップにくるみ直して置いた。少しでも温かくしたいのだろう。気持ちはわかる。俺はもう食べてしまった。

 

「長丁場になるかもしれないから、お菓子とかは我慢しような」

「うん」

 

 カップヌードルが出来上がった。先に英梨々に食べてもらう。「熱っ」と言いながら、笑っている。フーフーしながら食べている姿がカワイイ。ノーブラTシャツ姿にも少し慣れてきた。はっきりボッチ見えないので気にしなければ問題なかった。そういうことにしておこう。

 俺もカップヌードルを食べる。非常時の特別感のせいか美味しかった。雨で冷えた身体も温まる。

 

 外はときどき雷が鳴っている。雨の音も聞こえる。

 

 俺がカップヌードルを食べていると、英梨々が油断したのか、大きくアクビをしながら腕を大きく上にあげて伸びをした。Tシャツが胸に張り付いて、はっきりと形が浮き上がった。乳首の突起がしっかり確認できる。

 

「英梨々。見えてるよ!」

「なんで、怒り口調なのよ。そこは感謝するべきでしょ」

「そうだな」

 

 ごもっともだと納得してしまった。ありがたや、ありがたや。いやいや、そうじゃない。

 

「ねぇ、どんな気分?」

「何が?」

「あたしのノーブラの乳首みて」

「そこまではっきり言うなよ、聞いててこっちが恥ずかしくなるだろ」

「ねぇ、ねぇ、今、どんな気分?」

「煽るなっ」

「割と真面目に感想聞きたいんだけど」

「そうだなぁ・・・ピンポンダッシュしたくなる気分?あるいは、ステレオの音量を微調整したい感じだな」

「わかりやすいわね」

「そりゃどうも」

 

 英梨々にカップヌードルを渡した。フーフーしながら汁を飲んでいる。しかしまぁ、こんな非常時でも人間は発情するもので、むしろ非常時だからこそ発情しているのかもしれない。くだらないことばかり考えてしまう。

 

※※※

 

 午後の3時に近くなった頃、雨はだいぶ弱くなったようだ。ただ、地面はぬかるんでいる。下りだと滑って危ないかもしれない。でも、帰るならこの時間が限界だろう。空もだいぶ明るくなってきている。これ以上遅くなると帰るのは無理になる。

 

 英梨々は乾いたブラを、Tシャツを着たまま身につけた。器用だなぁと眺めてしまった。

 

「エッチ」と英梨々がこっちを見て、舌を出している。いやいや、お前がカワイイの十分承知しているから、あざとい仕草はやめてくれ。こっちも理性と煩悩で揺れ動いているのだから。

 

 外で大きな音がした。何の音かわからなかったので、俺も英梨々も身構えた。

 

コンコン。と扉がノックされた。俺は一応、内側から鍵をかけていた。熊がきたら怖いと思ったからだ。他の避難者だろうか?

 

「どちら様ですか?」と声をかけた。

「山岳救助隊のものです」と返事があった。俺は扉をあけた。

 

ヘルメットをかぶった救助隊が3名ほどいた。

 

 話によると、細川さんから連絡があったらしい。連絡のつかない俺らが山に登ったと思ったのだろう。

 バス運行会社で乗車人数を確認し、ロープウェイ乗り場の人数と合わないので、こちらのルートを通る登山者と判断したらしい。そこで地元の山岳救助隊が入山手続きのところに俺たちの名前を発見。確認のためここまで来たらしい。流石、登山観光の町。対応も手慣れえている。感謝すべきは細川さんの機転か。

 

 無線でやりとりがあった。ヘリが近くに停まっていた。ヘリが出動する事態だったことに驚く。

山岳救助隊がいるとはいね、天気の変わりやすい山道を雨の中下るのは危険なのだろう。

大勢の人に迷惑をかけたことを反省する。救助ヘリの要請ってすごく高いんじゃ・・・そんなことが頭によぎる。

 

 ヘリでロープウェイ乗り場まで一気に降りる。すぐに到着した。産まれて初めてのヘリに乗る体験は恐縮のしっぱなしだった。

 そこで取り調べようにいくつかの質問を受け、何カ所かサインをした。何しろロープウェイ乗り場にはパトカーと救急車も来ていた。

 関係者には心配はされたが怒られるようなことはなかった。途中で引き返さずに小屋で待機していたのは良い判断だったらしい。

 

 あとは車で送ってもらった。

 

※ ※ ※

 

 別荘には細川さんの夫妻が旅行を切り上げて待機していた。申し訳ない。俺も英梨々も謝る。

 

 お風呂がすでに沸いていて、英梨々が先に入った。その後に俺が入る。

 

 細川夫人が手料理を作ってくれた。それは普通の和食だった。ご飯があって、味噌汁があって、豚肉の生姜焼きがあって、カボチャの煮物があって、漬物があった。

 

 英梨々が食べながら、途中でボロボロと大粒の涙を流して泣いた。

 

 細川さんは一言も怒らなかったのに。非難めいた言葉も、なにか教訓じみたことも言わなかったのに。

 

 まだ17時頃だったけれど、英梨々はベッドに潜るとすぐに寝てしまった。俺は細川夫人に英梨々の横のベッドを使用するように言われて横になり、同じくすぐに寝てしまった。どっと疲れが出た。

 

 夜中にトイレで目が覚めた。夜は静かでとても暗い。細川さん夫妻は隣の部屋で寝ているようだ。せっかくのご旅行を台無しにしてしまって本当に申し訳ない。

 

 俺は部屋に戻るとベッドサイドランプをつけて、英梨々の寝顔をみた。子供みたいにスヤスヤと寝息を立ててまだ眠っている。金色の髪が広がっていて、どこぞの童話のお姫様みたいだ。俺は守ってやれなかった。守ったのはもっと大きな力と先を読む賢明さだった。俺は無理をさせて深みにはまってしまったのだ。

 

 英梨々の寝顔の頬にそっとキスをする。眠り姫は起きずに寝たままだった。

 

 だから、きっと俺は王子様でないのだろう。

 

(了)




おやすみ


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16 別荘旅行・電車の中の美術展

今日は帰り道のお話。


8月7日(日)夏休み15日目

 

 昨日とはうって変わって快晴だった。緑美しい那須連峰と蒼い空。こんなに晴れていたら、きっと素晴らしい登山になったのに。

 俺は朝から細川さんと一緒に庭の手入れをしている。人の住んでいない家はすぐに荒れてしまう。細川さんが草刈り機を動かし、俺はその草を道路の反対側の山林に捨てに行く。それはやがて土に還る。

 伸び放題の木は、枝鋏やノコギリで切っていく。けっこう大胆に切るぐらいでちょうどいいらしい。英梨々が産まれた時に植えたクヌギは、今では庭の真ん中で立派になっている。

 その間、英梨々は婦人と家の掃除をしていた。布団やシーツがたくさん干してあり、風になびいている。

 

 お昼は有名なイタリアンレストランに行った。英梨々はペスカトーレを頼み、俺はボロネーズを頼んだ。マルゲリータのピザや、オリジナルサラダも頼む。細川さん夫妻は、和風パスタと、ボンゴレビアンコ。まぁあっさりめだ。

 お腹いっぱいなのに、英梨々がティラミスを食べ、俺は焼きプリンを食べる。

 

 帰りがてらホームセンターに行ってペンキを買い、デッキの塗装をした。

 梯子を使っての雨どいの掃除。レンガの隙間に生えたコケの除去。やることはたくさんあった。俺はその一つ一つを細川さんに教えてもらいながら作業を進めた。普段やらないことなので、肉体労働かもしれなかったけど楽しかった。

 午後は英梨々も外に出て細かい作業をしていた。散水栓の周りのサビを磨いたり、傷んだ郵便受けの補修をしたり、草刈り機では届かないところを、軍手をして雑草を抜いている。

 

 15時を周ったところでおやつの時間。デッキでアフタヌーンティータイム。綺麗な二段の皿にサンドイッチとお菓子が少量乗っている。淹れたての紅茶のいい香りがする。細川さん夫妻は、家の中で日本茶を飲んでいるようだ。

 

「あのさ英梨々。細川さん夫妻は休暇中だろ?」

「そうね」

「なんで働いているんだよ・・・」

「だって、昨日は旅館をキャンセルしてしまったし、今更、那須を観光したいとも思わなかったからじゃないかしら?」

「そういう問題なのか・・・奥さんは、普段は那須に来ていないんだろ?」

「うん。でも、こうやって過ごすのが楽しいのだから、それはそれでいいじゃない?倫也は楽しくない?」

「うーん。そりゃあ、乗馬するとか、カートするとか、遊びはいろいろあるだろうけどなぁ。これはこれでありだとは思うよ」

「ならいいのよ。うちの両親がもうすぐお盆休みで利用するから、その前にどの道仕事で掃除しないといけないし、そもそも倫也がただ働きしてくれて助かっているわけだし」

「・・・そういや、俺も働いているのおかしいよな」

「今更でしょ」

 

 別荘を無料で利用するかわりに別荘で仕事する。あんまり考えてもしょうがないが、いろいろ学べてよかったと前向きにとらえよう。なんでも屋みたいな仕事も世の中あるしな。

 

「そろそろ帰ろうかしら」

「そうだな」

 

 運動したせいか、おやつも全部食べてしまった。果物が新鮮でおいしい。他の車が通らない場所なので空気もおいしいし、避暑地でのんびりと過ごせた気がする。

 

 

※ ※ ※

 

 細川さんに駅まで送ってもらった。

 

「では、お嬢様をお任せしました」

 

 そう言いながら細川さんが俺に頭を下げた。いやいや。任せるって?それでも俺は、「はい」と返事をした。細川さんが少し笑っている。何を任されたのか自分ではわからないが、電車で東京まで帰るぐらいはさすがに大丈夫だろう。

細川さん夫妻はもう一泊するらしい。これは英梨々が旅行を台無しにしてしまったことからの提案だった。さらに振り回されている気がしなくもない。

 

 まずはローカル線で宇都宮まで出る。ローカル線には地域の学校とコラボして、小学生たちの絵が飾ってあった。コンクール作品でなく、全生徒参加型のものなので基本的には、あまり絵が上手くない。

 そんな絵でも英梨々は興味があるらしく、電車を端から端まで往復した。乗客が少ないので、別に迷惑にはならないが、こんなに熱心に見るような作品でもない気がする。

 

「中には上手い子もいるな」

「うん、まぁ、そうね・・・」

「なんだ、歯にものがつまったような言い方して」

「上手下手の視点でみたら、年齢と作品を技術的に比較して、飛びぬけた子はいないわよ」

「だよな」

「この年齢なら丁寧に描いた子は上手く見えるし、やる気のない子の作品も分かりやすいわよね。図工室で騒いでいる姿が目にうかぶような作品」

「あるな。白い紙の部分も多くのこって、乱雑な作品がちらほらある」

「だからね、そういう視点でみないで、子供の柔軟性をみたらいいのよ。発想の柔らかさ」

「なんか餃子が多いな」

「栃木県アピールがテーマだからじゃないかしら?宇都宮からの連想よね」

「ああ、なるほど」

「おいしそうな餃子でなくて、餃子を大きくしてその周りで遊んでいるような作品や、大きな餃子をかじっているような作品があるじゃない?子供っぽい発想よね」

「微笑ましい感じはするな」

「でも、どこか見た感じがするわよね」

「そうだなぁ」

「だから、発想が柔らかそうでも、すでに子供も子供の発想に毒されているのよ」

「そっか?」

「これだけ子供でも、自由に発想して描くって難しいんだわ。すでに『それらしい作品』になってしまっているの。見本があったのかもしれないけど」

「う~ん。なら尚のこと、そんなに熱心に見なくていいだろ」

「でも、これだけの作品数だから、アート・ブリュットに近いものあるかもしれないじゃない?」

「アート・・・なんだ?フランスのプリンか?」

「違うよ。ほら、障がい者アートって日本では訳されるわね。本来は違う意味なのだけど」

「えっとね・・・こっちね」

 

 英梨々が歩いて戻った。見えているものが違うのだろう。俺からすると下手くそな絵にすでに辟易していた。真面目に全作品を見るだけでも大変だろう。

 

「この作品なんだけど、何を描いているかわかるかしら?」

「なんだろ、ぐっちゃりしているけど、トマトの断面か?」

「そうね。ヘタもあるし、色もトマト。光も描いてある。あまり上手くないけれど、伝えたいものがわかるじゃない。倫也には何が伝わる?」

「鮮度かな。新しいトマトの瑞々しさみたいなものか」

「うん。それにね、背景は色鉛筆で薄いけれど、丁寧に描き込まれているの」

 

 何気なくカラフルに塗られていると思った背景は、枝にトマトがなっていて、葉も描かれていた。ただ、そのトマトも、葉っぱも、カラフルだった。英梨々に言われた通り、真剣に見てみると、すごく細かく描き込まれていた。

 

「なんだ、これ・・・」

「トマトの葉っぱってこんな形なのかしらね?よく観察して描いた感じがするじゃない。でも、ギッシリと描いてあるから、パッと見ただけではわからないのよ。色もトマトのではないし」

「すごいな」

「詳細はわからないわよ。でも、トマトが好きなのよね。トマト農家の子かしら?トマトのおいしさを伝えようとして断面図を描き、後ろには理想的なトマトの妄想でも描いたのだと思うわよ」

「なるほどなぁ」

「こう・・・内から湧き上がるような感情というか、衝動に近いものを感じるでしょ?」

「そこまでいわれたら、そうかなって気になる」

「あんたねぇ・・・」

 

 英梨々がスマホで作品を撮った。俺にはわからん。

 

「倫也だと、芸術してより二次元作品として見たら、わかるわよ」

「どういうこと?」

「ほら、女の子の絵もたくさんあるわよね。両手を下に伸ばして平面的に描いてある絵」

「ああ、いかにも小学生が描いた絵な」

「でも、中にはポーズをとっている作品もあるけど、どこか模写的でしょ」

「そうだな。丁寧だけどな。マンガ好きなんだろうなって思う」

「そして、飛びぬけた作品はなかったわよね?」

「あまり記憶に残ってないな」

「それだけ個性を出すのが難しいのよ。二次元の方が」

「マンガっぽいという先入観がすでにあるのか」

「美術館に通う子は少なくても、マンガは身近にあるでしょ?それだけマンガの概念に毒されてしまうのね」

「毒されるって・・・」

「だからね。マンガの方は描いて、描いて、描いて、個性を出して行くしかないの。出発点が自由じゃないのよ。きっと」

「そうかもなぁ」

 

 相槌をうつものの、英梨々が何を言っているのか正確にはわからなかった。ただ、別の視点をもってもう一度女の子の絵を見て回ったら、別な感想を持つかもしれない。けれど俺にその情熱はなかった。ネットではプロやセミプロが切磋琢磨しながら、次々と新しい二次元アートが生み出され、オタク向けの女の子の絵は年々可愛く進化している。

 

 英梨々が空いている席に座ったので俺も隣に座った。バッグからチェルシーを出し、一粒くれた。それを口に放り込む。バター味だ。ひどく懐かしい気持ちになる。包装のゴミを英梨々は回収しバッグにしまった。

 

 それから、英梨々はポケェーとして、あまりしゃべらなかった。何かがたくさん入ってきて、頭の中で整理しているのかもしれない。そんな時は俺も静かに隣で過ごす。

 

 今日の英梨々は、来た時と同じ黄色のワンピースを着ている。ノースリーブの夏らしいデザインで、ボタンが少し大きくて凝っている。遠目で見るとわかりにくいが、黄色の生地に黄色の刺繍が施されていた。猫が毛糸の玉を追いかけている。デザイン的にはよく見かけるが、目立たないのように同色にしているのは、なぜだろう。俺にファッションなどわかるはずもない。誰かがそれを作り、英梨々がそれを気にいって買ったのだ。

 

 電車の中は省エネで冷房がついていない。窓が開いたままで、扇風機が回っていた。窓からは夏らしい空と白い雲が見える。田園風景もときどき見える。

 

※ ※ ※

 

 地元の駅に着いた時は夜の9時を過ぎていた。なのに東京の夜は蒸し暑かった。晩御飯を食べるか相談したが、あまりお腹が空いていないのと、疲れてしまったのでどこにも寄らず家に帰る事にした。

 

 俺の家の玄関に荷物を置いてから、英梨々を送っていく。

 

「別にいいわよ」と英梨々が言ったが、夜も遅い。

 

 英梨々の家の門まで送った。「お疲れさま」と英梨々が言った。「おう、お疲れ」と俺が言う。それから名残り惜しくて、英梨々を見ていた。英梨々も俺を見る。

 

「もう、しょうがないわね!」と英梨々が近寄ってきた。

「何もいってないだろ・・・」

「ほら、目を瞑りなさいよ」

 

 英梨々が踵を上げて俺にキスをした。チャルシーの香りがする。

 

 

 電線の間に見えるあの星の名前がわからない。まるで迷子の星みたいだった。

 

 

(了)




読者から支持を得ることは大変ですのぉ・・・


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17 アニメ鑑賞③ドクペが欲しければ裸になりな

毎回思うのだけど、サブタイトルにセンスを感じない。


8月8日(月)夏休み16日目

 

 東京は暑い。何もやる気がでない。玄関前に水をホースでまいたが、すぐに乾燥してしまう。あのまま那須に引き籠っていても良かった気がする。

 鉢植えの植物に水をあげていると、英梨々がやってきた。

 

「倫也、これお土産ね」

「どうも。って、これ那須の和菓子屋のじゃねーか」

「そうよ」

「あれ、細川さんもう帰ってきたの?」

「違うわよ。ネットで注文したものが届いたのよ」

「へぇ・・・」

 

 昔は那須の和菓子屋に行きお土産を買い持って帰ってきた。

そのうち荷物になるので、和菓子を選び配送手続きをするようになった。

今ではあらかじめネットで注文し配送日を指定できるようになった。

お土産とは何かを哲学する時代が到来している。

 

 本日の英梨々は、足元の裾が広がっているジーンズに、ピンクのミュール。上は真っ赤なキャミソールを着ていた。俺の千里眼がすぐさま英梨々のブラが同じ赤系統であることを見抜いた。ふぅ・・・

 

 英梨々と部屋に戻る。部屋は弱くエアコンが付いている。さすがにエアコンなしは辛い。テーブルにグラスにはいった麦茶を置く。すでに結露がついていて、氷がカロンと音を立てて崩れる。

 

「あとね、もう一つお土産があるのよ」

「ほうぅ?」

「欲しいかしら?」

「もらえるものならもらいたいけど、なんだ?」

「そうねぇ・・・ちょっと倫也、そのベッドで裸になって四つん這いになりなさいよ」

「はっ?おまえどうした?頭でもやられたか」

「ちがうわよ。マンガの資料。いい感じの四つん這いが見つからないのよね。その系統のAV見るのも気持ち悪し」

「だったら気持ち悪いものを描くなよ・・・」

「BLものだと、必要なのよ。割と真面目に言ってるんだけど」

 

 どうやら、割と真面目に言われているらしい。が、断固断るとかいうレベルではない。

 

「で、お土産ってなんだ?」

「だから、四つん這いにならないとあげないわよ」

「その前に何をもらえるかぐらい教えろよ」

「だったら、服を着たままでいいから、ベッドの上で四つん這いになりなさいよ」

「はぁ~?だったら、お前もやれよ」

「いいわよ」

「いいのかよっ!」

 

 英梨々がベッド上に上がって、後ろ向きので四つん這いになった。割とマジマジ見ると恥ずかしい恰好だったけど、スカートじゃないし、英梨々としては問題ないのかもしれない。せっかくなんてケツをしっかり目に焼き付けておこう。あんまりでかくないが、それでも女性らしい丸みを帯びている。

 あれ、今、誘われているのかな?

 

「はい次。倫也ね。約束は守りなさいよ」

 

 どうして、こう変態少女なのだろう。この顔で変態とか、ちょっと考えさせられる。とはいえ絵の資料ならしかたない。彼氏として協力してやろう。

 俺はベッドにあがって、さっき英梨々がした格好をする。棚で何かを探しているならいざ知らず、ベッドの上でこの格好は恥ずかしかった。

 

カシャッ

 

 シャッター音がした。英梨々がスマホで画像を撮っている。聞いてないぞ。

 

「おい、英梨々、こんな恥ずかしい姿で写真とるなよ・・・」

「絵の資料なんだからしょうがないでしょう。それに顔も映ってないし、恥ずかしがることないじゃない」

「だったら、お前のも写真に撮らせろよ!」

「はぁ?あんたバカなの?死ぬの?捕まるわよ、この変態!」

「そっくりそのままお前にそのセリフを返すわ!」

 

 疲れた。まったく・・・変態レベルに合わせて会話とか無理がある。俺は麦茶を飲んで頭を冷やす。ああ、英梨々を写真撮影とか楽しそうだ。今度提案してみるかな。

 

「はい。これ。見せてあげる」

「なんだこれ・・・あっ!」

 

 俺が英梨々から受け取ったのは、瓶だった。黒い液体が入っている。ラベルがすべて英語なので一瞬わからなかったが、レトロなドクターペッパーだった。

 

「瓶入りのドクペ」

「こんなの売っているんだな」

「もう売ってないわよ。瓶を落札したの」

「へぇ・・・えっ、中身は?」

「頼んで詰めてもらったのよ。ちゃんとドクペよ」

 

 無駄にコストかかってそうだなぁ・・・

 どうしてこういう無駄使いをしてしまうか、しかし、この魅力!なかなかツボをおさえた道楽じゃないか。

 

「それ、欲しいなら裸になりなさいよ」

「ちょっとまて、考える」

 

 裸はただだ。俺は精神的に英梨々に凌辱されるが、目的のものは手にはいる。悩ましい。いやいや、何かの性癖が目覚めそうなので、ここは男らしく断るべきだろう。

 

「こ・・・断る」

「あっそ」

「俺はこうみえて、パンピーだからな」

「オタクでしょ」

「オタクのパンピー」

「もうそれ、矛盾しているわよ」

 

 一応、解説しておくと、パンピーとは一般ピープルの略であり、オタクがそうでない人をそう呼ぶのが語源である。

 

「なら、倫也。交換条件でどうかしら?」

「交換条件?」

「あたしも脱ぐわ」

「はいぃぃぃ!?」

 

 あらやだ、この子ったら、何言っているのかしら。俺は頭が混乱する。

 

「さっきと同じよ。あたしも脱いでそこで四つん這いになるから、あんたも同じことしなさいよ」

 

 えっと。英梨々が裸になり、ベッド上で四つん這いになるっと。ふむふむ。なぜか妄想上では巨大なモザイクが見えるが、これはなかなかどうして・・・いやいや。ここはちゃんとツッコもう。それはもう、全力でバックからツッコミたい!

 

「ドヘンタイがっ!」

「倫也。間が悪いわよ。間が」

「そ・・・そう?」

「何妄想してんだか。ほら、さっさと脱ぎなさいよ」

「脱がねぇよ」

 

 俺はそういつつ立った。勃ったから立った。

 

「ちょっと・・・トイレいってくる」

「あんたねぇ。どんだけ妄想たくましいのよ」

「英梨々が悪いだろ?」

「もういいわよ。ほんとつかえないわね」

「普通だと思うぞ」

「で、今日の予定はなんだっけ」

 

 あっ、こいつ強引に話題変えやがった。だいたい前振りが長いんだよ。ノリノリじゃねーか。

 

「ああ、アニメ鑑賞か。倫也、何見るのよ?」

「えっと、そうだな・・・」

 

 俺も忘れちゃったよ。ほんと準備しておいたのに。なんのアニメだっけ。

 

「えっとだな。『アイの歌声を聴かせておくんなまし』だ」

「タイトルがえらく和風ね」

「これがさ、最初はつまらなぁと思って観てたんだが、途中からツッコミどころ満載でなかなか面白かったんだよ」

「もう見たのね」

「ああ、でも二度見ようと思ってさ」

 

 俺はネットにアクセスしてアニメを上映した。ジャンルはSF学園ラブコメになるのだろうか。

 部屋の遮光カーテンを閉める。

 

「倫也。FC2動画とかみない?」

「なんで、昼間からAVみないといけないんだよ」

「別にFC2ってエロ以外もあるわよ」

「知らん」

「ちなみにこれは、どんなアニメなのかしら?」

「一応、幼馴染が勝つアニメでランキングされてたぞ」

「ふーん」

「仲のこじれた主人公と幼馴染ヒロインの間を、AIロボットが仲裁する話かな」

「あんまりネタバレしないでよね」

「お前が聞いてきたよねぇ!?」

 

 わがままだなぁ・・・

 お土産の和菓子の箱を開けて、俺は大福を選んだ。英梨々はクリーム餡の洋風の物を選ぶ。せっかくなのでドクペを冷やしてこようと立ち上がった。

 

「どこいくのよ。もう始まっているのに落ち着かないわね」

「ドクペ冷蔵庫に冷やしてくるだけだよ」

「あんたまさか、トイレいくんじゃないでしょうね」

「トイレぐらい自由にいかせてください」

「変態」

「お前にだけは言われたくねぇわ!」

 

 やれやれ、俺は下に降りて冷蔵庫にドクペをしまった。コーラの瓶よりも太い。レトロなデザインが秀逸だった。

トイレを済ませて、手を洗い上に戻る。別に賢者タイムにはなっていない。

 

 薄暗い部屋で、英梨々がモニター見つめている。ツインテールはライトグリーンのふわふわしたリボンで結ばれている。その分だけ余計に幼く見える。

 こうしておとなしくしゃべらずに、モニターの明かりに照らされた英梨々はひたすら可愛い。なぜ、この顔でこの性格になったのか・・・

 両手で和菓子を手に持ってハムスターみたいに食べている。仕草もカワイイ。うーん。

 

 けっこう真面目に見始めているので、俺も隣に座った。

 

「あんまりギャグシーンは面白くないわね」

「お約束なんだろう。天然暴力女的な」

「まだあんまり面白くないわよ」

「だよな。俺もそう思いながら見てたよ」

 

※ ※ ※

 

 見終わった。英梨々がティッシュで目頭を抑えて涙をふいている。感動してちょっと涙を流している姿は、可憐な美少女といった具合で絵になる。しかし、その後に鼻をチーンと高らかにかんだところで台無しだ。

 そりゃね?美少女だって、鼻もかめば、鼻くそだってほじることもあるだろう。問題は人前でどの程度自分を隠せるかだ。もっとも、英梨々は学校では可憐な少女を演じ切るので、俺の前だと油断しているのかもしれない。

 

「なかなか、良かったわよ」

「だよな、伏線の置き方と、回収の仕方にぜんぜん気が付けなかった」

「多少強引よね」

「そうだなぁSFなんてツッコミどころ満載のご都合主義だからな。どれだけ目をつぶって見るかは大事だと思うぞ」

「それにしても、そういうことだったのね」

「もう少し評価されてもいいと思うけど、一般向けは難しいのかもな」

「なんでかしらね」

「ベースがオタクアニメだからじゃないか?狙いすぎているというか」

「構成も複雑かしらね」

「本筋を隠しているのかもしれないけどな。アイデアに対して、脚本が追いついていない感じがする」

「そうよねぇ」

 

 俺は立ち上がって遮光カーテンを開けた。日差しが眩しい。夏の真っ盛りにエアコンのある部屋でアニメを観る。なかなかの贅沢である。しかも美少女付き。

 

「でな。このアニメとは少し話が違うんだけどさ・・・」

「倫也。話はいいけど、外に出ましょうか。ランチがてら」

「ああ、そうだな」

 

エアコンを消して、俺と英梨々は外に出た。ムワッとした空気と、地面がユラユラと蜃気楼のように揺れる暑さ。強い日差し。

 

「外、暑いぞ」

「いいのよ。あんまり家の中にいると、倫也が襲ってきそうだし」

「オソワナイヨ?」

「だんだん自信なくなってきてるでしょ」

「おまえもな」

 

 別に無理して貞操を守る必要もないのかもしれない。『倫理君』なんてあだ名は返上して、とりあえず英梨々と会ったら一発ヤッて、それから次のことを考える方が、高校生として健全な気もする。

 

「ほら、また変なこと考えてる」

「英梨々。今日のブラって赤色だよな」

「あんたねぇ・・・ほんと、バカよね」

 

 英梨々が、あきれた顔でニヒッと笑った。少し見える八重歯が小悪魔風の英梨々にはぴったりだ。

 

 上空の高くに飛行機が飛んでいて、その後ろに飛行機雲ができていく。

 

(了)




感想。評価。いただけると英梨々が喜びます。


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18 エッチなポスター制作

今回はノリノリな英梨々です。

体張ってる売れないタレントみたいになってますが、同意なら問題なしです。たぶん。


8月9日(火)夏休み17日目

 

今日は英梨々の部屋でポスターや看板製作を手伝っている。週末の『夏コミュ』に出品する同人本はすでに刷り上がっていて、ダンボールの中に納まっている。

 

 英梨々のもう一つの顔が、「エゴスティック・リリィ」で、人気エロ同人作家だ。もちろんこのことはトップシークレットで一部の関係者しか知らない。学校の誰もがこの可憐なお嬢様キャラを演じる美少女と、腐女子向け凌辱マンガを描くエロ同人作家を結び付けることはできない。

 

 美術部の後輩は、英梨々が二次元のイラストもプロ並みに上手いことを知っているし、油絵でアニメ的な絵を描いていることも知っている。英梨々にオタク要素があることは公然の秘密だが、あまりにも後輩からは神格化されすぎて、本質は見抜かれていない。

 

「こいつは腐女子ですよぉ!騙されてはいけません!」と、真実を報告してやりたい衝動にかられる時もあるが、小学生の時のいじめ経験もあり、もちろんそんなことはしない。

 

 だだっ広い英梨々の部屋の床に巨大なイラストボードを置いて絵を描いている。あたりには水彩絵の具、アクリル絵の具、カラーマジック、色鉛筆などの各種塗料が散乱していて、パッと見たところでは実にアーティスティックなわけだが、いろいろ問題がある。

 

 第一に、英梨々がコスプレをしている。これがもう古典的にコスプレの殿堂とでもいうか、某有名格闘ゲームのチャイナ服である。基本色は青色に黄色のラインであるが、白基調に金色のラインの衣装であるあたり、実によくわかっている。色違いが実装された時はときめいたものだ。えっ?俺、今の高校三年生だよ?

 

 なぜこんな格好をしているかというと、時は少し遡る。

 

 英梨々が膝を床につけて絵を描いていた。最初はいつもの芸術用正装というべき、白い長袖シャツにデニムのオーバーオールだったわけだが、ツインテールが非常に邪魔になってしまった。テーブルで描く時は後ろに結わきなおせばいいが、床で描く場合は長い髪がどうしても邪魔になる。

 そういうわけで、英梨々はツインテールを三つ編みに直し、それからクルクルと頭の上に巻き付け、お団子を二つ作った。そこまで髪型が完成したところで、俺が「チュンリンみたいだな」と指摘すると、「それなら、コスプレグッズがあるわよ?」と、何かのスイッチが入った。

 

 頭のお団子にお団子カバーをつけ、英梨々が着替えた。もちろん俺は後ろに向いて、ガラス窓に映る英梨々の姿を盗み見るぐらいしかできなかったわけだが、シンプルな白い下着を着けていたことだけはわかった。この辺の集中力と想像力はやっぱり、日ごろの訓練のたまものだろうと思う。ふぅ・・・

 

 そういうわけで英梨々がチャイナ服に着替えた。これがなかなか特注品だけあって、体にぴったりしている。キャラクターと一番違う点は、胸だ。これはもうどうしようもないらしく、分厚くパットをいれるよりも、やや幼いチュンリンといったコンセプトでまとめあげているのは、自分の可愛さを知っているからだろう。

 

「ほっほぅ・・・」と俺は感心する。

「あんたねぇ。せっかく期待に答えてコスプレしたんだから、感想ぐらいちゃんといいなさいよ」

「カワイイヨ エリリ カワイイヨ」

「どうして、九官鳥モードなのよ!」

「照れくさいからさ。英梨々が可愛すぎて」

「やんっ」

 

 って、なんだその声。英梨々の顔が赤くなっている。一度ふざけて、真面目な言葉をかける。このギャップ。ほんと最近2人ともバカになってきた気がする。元々バカか。

 

「その下って、どうなってるんだ?」

「ふふっ、見たいかしら?」

 

 英梨々が身体を横に傾け、片足を上げた。特徴的なのは大きなスリットで、チュンリンが蹴りをいれたり、ジャンプしたりするたびに、下着が見える。このチラリズムに当時の思春期の男子はメロメロになったものだ。(あっ、俺高校三年生(ry

 

「チラッ」

 

 英梨々がわざとらしく声をだして、スリットを少しめくった。白い下着が見える。光沢があるがまさか流石にシルクではないだろう。ポリエステルであると思いたい。

 

「見えちゃうんだな」

「これ、アンダースコートと同じで見せパンだから」

「へぇ・・・」

 

 そう、男子が理解できない女子七不思議のひとつ、見せパン。下着は見られたら事件だが、見せパンならOK。いまいちわからない。下着同然のビキニもよくわからん。あっちは夏の水辺だから解放感と勢いがあるのかしれないが、見せパンはなぁ・・・

 

 コホンと俺は咳払いで誤魔化して、話を現在に戻そう。

 

 そういうわけで(どういうわけだよ・・・)、英梨々はチャンリンコスプレをしていて、俺はさっきからスリットからチラチラ見えるアンスコを拝みながら作業をしている。

 大きな絵を描いている英梨々に対して、俺の作業は地味だ。まずは生原稿のラミネート。生原稿には小さなエゴスティック・リリィのサインもしてある。コアファンにはプレミア価格で売れる。しかもネットオークションでさらに高騰する。それからサイン色紙のペン入れ。こちらは若干雑な方がそれっぽくなる。英梨々の下絵を俺はなぞるが、顔はいじらない。顔と瞳は英梨々がちゃんと描く。先着様用と、複数購入者への特典となっている。商魂たくましいのか、ファンサービスがいいのかは意見が分かれるところだ。

 

 でもって、問題点その②について、話をしておこうと思う。

 

 実に英梨々が艶めかしいアーティスティックなわけであるが、その二つを台無しにする大問題が目の前で起こっている。

 

 俺の絵だ。そう、四つん這いで裸になっている俺の絵を英梨々が制作していた。実に見事な構図で、見えそうなところはちゃんと薔薇のオブジェによって隠され、振り向いている顔は恍惚としている。どうみても俺に見えるのは、俺が先入観をもっているからだろう。そう信じたい。そうでないと俺は数万の来場者に恥をさらすことになる。全国区でケツの穴を晒したくない。

 

 だから、俺は絵に没頭する英梨々に尊敬の念を抱くこともできず、さっきからセクシーな英梨々に欲情を抱くこともできず、げんなりとした気分になっていた。英梨々のスリットがはだけるたびに、俺はため息がでる。

 

 英梨々の彼氏であることは嬉しいし、毎日楽しく過ごしているわけだが、こういう事態になると考えさせられるものもある。だいたい俺は英梨々の前で、裸の四つん這いになどなっていないのに、どうしてこう再現度が高いのか。

 

 俺が想像するよりも、ずっと妄想が得意なのだろう。受け入れる寛容さが欲しい。

 

※ ※ ※

 

 英梨々が描き終えた。俺も作業が一段落。

 

「どうかしら?」

 

 無邪気な笑顔を添えて、英梨々に聞かれた。さぞかし満足のいく作品に仕上がったのだろう。でも、俺は未熟な人間で、自分の四つん這いの裸の絵を見せられて、気の利いたことの一つも言えなかった。

 

「どうって言われてもなぁ・・・げんなりするよ」

「なによ。ケツの穴の小さい男ねっ!」

「うまいな」

 

 英梨々が笑って八重歯が見える。白いチャイナドレスは所々がカラフルに色が着いてしまっていた。チャイナ少女が悪戯を終えて満足しているようにしか見えない。

 

「少し休憩しましょうか」

「そうだな」

「おやつに何か食べたいものあるかしら?」

「食欲は失せてるなぁ・・・」

「じゃあ、あたしだけドーナッツ頼むわよ」

「適当に頼んでくれ・・・あとで喰うかもしれないし」

 

 英梨々がスマホをいじってミズドのドーナッツを注文する。配達の人がもってきてくれるのだ。便利な世の中になったのか、それとも貧富の差が激しくなったのか。いや、そんなことはどうでもいい。今大事なのは俺の性欲の回復だ。性欲じゃない食欲か。似たようなもんだ。だいたい高校三年生の健康な男子が食欲ないのは、健康が損なわれているか、心に病を患っているかのどちらかだ。

俺はいたって健康であることと、心の病の原因が目の前にあることを鑑みて、この治療に専念せねばならない。(大正義)

 

 ゆえに。俺は英梨々に頼むことにした。こんなことを本当は言いたくないが、やむを得ない。

 

「なぁ英梨々。せっかくだから、スッピンバードキックしてくれよ」

「なにそれ?」

「そのキャラクターの必殺技だよ」

「そのキャラクター?」

「お前のコスプレ」

「ああ、これ?」

 

 コスプレしていることを忘れていたらしい。たいした集中力だよ、ほんと脱帽する。どうりでときどき後ろに回り込んでガン見していても気づかないはずだ。

 

「チュンリンの必殺技」

「えっ、倫也を蹴り続ければいいの?あんたそんなに変態だったっけ?」

「確かにそれは有名だけどな」

 

 どうせなら踵で踏まれたい。いや、違う。

 

「逆立ちして、クルクル周る技だよ。カポエラみたいに」

「ああ、あったわねぇ・・・できるわけないでしょ!」

「やっぱ、恥ずかしいか。一流のコスプレーヤーに恥じらいは不要だぞ?」よくわからんがとりあえず煽ってみる。

「普通できないでしょ。技術的に。倫也できるの?」

「そうだよな・・・じゃあ、側転でいいからしてみろよ」

「側転ねぇ・・・」

 

 英梨々が立ったまま前屈して固まっている。ああ、これだけの行動でこいつが運動音痴だとわかる。つま先がかろうじて床につくぐらい身体が固い。これに匹敵するのはでんぐり返しのできないぼのぼのぐらいか。

 

「じゃあ、やるわよ。見てなさいよ」

「ああ、見届けてやろう」

 

 英梨々が広いスペースを見つけて、勢いよく両足を交互にあげた。とてもじゃないが側転とは言い難い。まぬけなポーズだった。滑稽ですらある。だが、それで十分だった。さすが英梨々だ。よくポイントを抑え、需要を把握している。

 

 衣装がめくれあがり、テカテカと光る生地のアンスコが包み隠さず見える。若干食い込んでいて筋が見えそうでみえない。丸みをおびた女性らしい尻のライン。そこから惜し気もなくでている長い生足。

 

「できたかしら?」と英梨々が振り向いた。照れながら笑っている。まったくノリのいいやつ。

 

 これでポンデリングがおいしく食べられそうだ。

 

(了)




性ホルモンの動的平衡を科学的に分析。実に知的な作品に仕上がって満足。


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19 焼肉で精をつけたし水着を買いに行く

水着回の布石。

水着回。場所が大事だ。
夏だ!海だ!白い砂浜だ!
と、はしゃぎたいわけです。オイルとか塗りたいじゃん。

英梨々としては、湘南や九十九里浜は嫌で、ハワイかモルディブあたりを計画していたが、これは棄却された。妥協の沖縄旅行が防衛ラインとして係争中。
そんな裏の話はどうでもいいけれど、そういうわけで機嫌が悪い。


8月10日(水)夏休み18日目

 

 信じられないことに夏休みが半分すぎた。課題は1ページたりとも終わっていない。おかしい。けっこう毎日楽しく遊んでいたのに、小人さんが来ないなんて。

 

 俺と英梨々は焼き肉屋で冷麺を食べた。何かの本でカップルは焼き肉屋に行くようになると一人前だと読んだ。なぜだろう。うぶな俺たちにはわからなかった。

サービスランチはなかなかお得で、肉が3種類もついて、お1人様3千円だった。

 

 上質の肉は表面を炭火で軽く炙るだけで十分で、口に入れたら溶ける。味は申し分ない。贅沢なものを口にした満足感がある。厚切りタンがこれまた柔らかく旨かった。

 

「冷麺ってどこで食べても冷麺よね」

「お前、なにいってんだ?」

 

 英梨々が冷麺を口にほおばり、固い麺を噛みながら眉間に皺を寄せている。

 

「だから、高級店だろうが、安かろうが、そんなに変わらないじゃない」

「そうかもしれないな。あんまり食わないのでよくわからんが」

「3千円もするのに期待はずれだったわ」

「それ、肉の値段のせいだよねぇ!?」

 

 麺が柔らかければ、それはそれで問題な気がする。

黒を基調にした高級感溢れる内装の店だ、それなりの値段をとるのも分る。

 英梨々はデザートのカシスシャーベットを食べ不服そうにし、俺の方のユズシャーベットを一口食べ、また不服そうにした。そりゃあ、アイスなんてどの店もそうかわらないって。果汁から手作りしている店なら別だが。

 

「ほんとがっかりよね」

「店の人に聞こえるから、文句は店をでてから言えよな。でも、肉は美味しかったろ?」

「焼肉屋の肉がおいしいのは当たり前じゃないの?どうしたら生の肉を客に焼かせて不味くなるのよ?」

「おおぅ・・・」

 

 でた。天然お嬢様発言。

庶民がたべる480円カルビをこいつに食わせてやりたい。形成肉の恐ろしい不味さと、焼きすぎるとソーセージみたいになる固い肉。タン塩だって豚だ。小さな字で(豚)って書いてあるのを、庶民は見ないふりをして、「タン塩おいしぃ~」と自分をいつわりながら、焼肉を楽しむのだ。英梨々は何もわかっていない。

 

だいたい、今日は朝から機嫌が少し悪い。俺には原因がわからないが、当の本人もわかっていないだろう。そういう日もある。

英梨々が会計を済ませ、レジ横のガムを一枚取る。俺ももらった。懐かしい板ガムだった。エレベーターを降りつつガムを食べる。でたゴミは英梨々が回収しバッグにしまっていた。

 

外は暑い。もうそれはうんざりするぐらい暑かった。景色が少し揺らめいている。太陽がアスファルトを照らし、その反射熱でさらに暑い。

 

「・・・倫也。海行こうか」

「今から?」

「ううん。今度」

「それはいいけど」

「だから、水着でも買いに行こうかしら?」

「水着?」

「まさか、旧スク水で行けって言うの?」

「いや、去年のとかあるだろ」

「なんであたしが流行遅れの水着を着なきゃならないのよ。恥ずかしいでしょ」

「流行なんて今時あるのか?」

「あるわよ。タブン・・・」

「自信ねぇんじゃねーか」

 

流行とか誰が作っていたのだろう。多様性の社会になり、もはや共通の流行を持つことは無くなった気がする。それがいいことなのか、悪い事なのかわからない。

 

「ほら、買いに行くわよ」

 

英梨々が白い日傘をさした。レース模様のUVカット仕様。柄のところが金色で持ち手もスケルトンになっていて、中に花が細工されている。まったく手が込んでいる。

 

 さて、今日の英梨々。黒のチューブワンピースだ。胸元のところはレースになっている。スカートの丈は短く、走ったらめくれてしまうだろう。肩がでていて、英梨々の白いうなじがお日様の元でよく映える。ブラ紐が見えないところから、同じくチューブブラをしているのだろう。薄い黒生地のくせに、俺の千里眼をもってしても、下着の色はわからない。まぁ同系色だろうな。

 スカートが短いので、何かの拍子に下着が見えるかもしれない。フラグを立てて期待しておこう。

 

 英梨々の黒い靴は少しヒールが高い。英梨々にしては珍しいのだが、ファッションの統一感はある。

セクシーなお姉さま風をイメージしているのだろう。しかし、暑さのせいでダレている英梨々は、夜の街で余った女に見えなくもない。ツインテールも心持ち元気がないように見える。黒いリボンが垂れているせいだろうか。

 

※ ※ ※

 

 駅ビルにあるテナントに来た。英梨々は水着を見て回っている。俺は目のやり場に困る。下着売り場と同じで男性には居心地が悪い場所だ。店員のお姉さんと目が合っても、相手は表情一つ変えない。

 

 英梨々は店内を一通り見終わったあと、気になったものを手にとって眺めては戻し、別のものを手にとっては眺めている。

そしたら普通は鏡の前で自分に合わせたり、「ねぇ、倫也。これどうかしら?」と可愛く言ったりするものじゃないだろうか?

 今の英梨々はただの絵の資料として脳内にインプットしているようにしか見えないし、実際そうなのだろう。水着売り場は資料置き場じゃねーぞ、と心で呟いておく。

 

 だいたいもって、女性の買い物など無駄に長い。フロアのエスカレーター横のベンチに座って、スマホでもいじっていたいのが本音だ。最初はドキドキしていた水着にも目が慣れる。マネキンなどまじまじと見てしまうが、別にエロく感じない。

 

 よし、暇だし、ここで水着に関する基礎知識を披露しよう。そもそも水着の歴史は・・・

 

「倫也ぁ」

「なんだよっ」

 

 もう、これからだったのに。うんちくさせろ、うんちく。

 

「あんた、ワンピースタイプとビキニタイプのどっちが好み?」

「へそがでてればどっちでもいいぞ」

「なによそれ。ビキニってことね」

 

 ふふふ。ワンピースタイプもバリエーションが豊富だ。へそのところがカットされていて見えるものもある。体型を隠せるのはワンピースタイプが多いが、エロいのもまたワンピースタイプなのである。もちろん圧倒的に布の面積が小さいのはビキニだ。だが、裸以上にエロくなるのが着衣の魔力である。布の面積は関係ない。

 ハイレグ好きなら圧倒的にワンピースだろう。ビニール素材のブーツと合わせたい。背の低い英梨々には似合わないだろうから、英梨々にはやっぱり少しフェミニンな感じがいいだろうか。

 

「じゃあ、色は?」

「そうだなぁ・・・」

 

 色は難しい。英梨々のイメージカラーは黄色だが、水着に関していうと、青系統がやはり夏らしい爽やかさでいい。

黒も捨てがたい。今の黒のワンピースだって似合うのだ。黒い水着を着ればさらに可愛くなるのは間違いないだろう。

赤、緑の原色二つはここでは諦めよう。水玉模様や、セパレートカラーもちょっと除外したい。シンプルな中にワンポイント加えるのが英梨々だ。

ピンク系は捨てがたい。ピンクのパレオなどはツインテールにぴったりあってカワイイと思うが、少し幼すぎるか。ということを一瞬で妄想し、俺の出した結論は。

 

「白」

「冒険しないわね」

「白が一番デザイン豊富だろ」

 

 昔の素材の白い水着は赤外線カメラで透過していたらしい。今は改良されているようだ。白い水着は無難なようでなかなか難しい。白は対比的に肌の色を強調する。肌が汚いと観ていられない状態になる。白はその時点で完璧な無垢であり、人間の存在が邪魔になりがちなのだ。それに膨張色であり黒よりも太って見える。

まぁ英梨々まったく関係ない話で、白い水着も着こなすに違いない。

 

「すみませ~ん。あの変態が言ったような、白くてへその見える水着探してもらえますかぁ~?」

「エリリッ!?」

 

 びっくりした。店員が笑っている。俺は目があってバカですみませんと謝る。店員は何も感想を言わず、白くてヘソの見える水着をピックアップしだした。すごいやっぱりどの道にもプロがいるもんだ。

 

 用意された水着は3種類だった。

 

 一つはワンピースタイプもので、大きく布がカットされている。左の胸の部分だけが下とつながっていて、前からみるとワンピースっぽいが、後ろからだとビキニに見える。曲線にカットされていて、いわゆる悩殺系だな。黒髪ロングのナイスバディーのお姉さんが着たら似合うだろうが、胸の小さな英梨々では、水着に負けるかもしれない。

 

 二つ目はタンキニだ。これがなかなかどうして・・・素晴らしい仕上がり。布面積も大きく、体型を隠せるわけだが、上のタンクトップはゆったりしていて、胸の形が強調されず、下もショートパンツっぽい形をして、男がついつい見つめてしまう股下のラインがまったくでない。こんなの水着じゃねーよと言いたいが、たった一点すばらしい所がある。上下がつながって見えるが、上の布をめくるとへそが見える。

 『めくるとヘソが見える』これ。チラリズムのなんたるかをわかっているデザインは秀逸だ。何もかも最初に見せずに、特定の状況下で見える。考えた人は天才か変態か、もしくは天才の変態ではなかろうか。

 

 最後の物が、ワンショルダービキニだ。もうこれはデザイナーの執念が生んだような傑作だった。水着にも関わらずドレスのようでもある。右肩が出るデザインで、チューブタイプのシンプルな胸を、ひらひらとした布で肩から隠している。これにより、デコルテラインが強調され、うなじから鎖骨にかけて彫刻のような美しさの英梨々にはちょうど良さそうだ。大き目のTシャツを着た時にずり落ちて肩が出ているのに近いかもしれない。お腹は完全にでているので、体型に自信のない人には無理だろう。胸が強調されないところもポイントが高そうだ。さらに、このひらひらしたデザインが下のパンツ部分にもあり、パレオのようになっている。しかしラインがしっかりでる小さめのデザインなので、太ももの細い英梨々にはデルタスポット・・・そう絶対領域が確認できるに違いない!

 神様どうもありがとう。人類は天才だよ。裸よりもエロいなんてどうかしている。

 

「よし、英梨々。試着してみよう」

「倫也。これあげる」

 

 俺は英梨々から100円玉を二枚受け取った。

 

「ん?」

「あんた、ちょっとそれでジュースでも飲んでらっしゃいよ」

「俺は子供かっ」

「ほらほら、はやくいって、へんたーいって叫ぶわよ?」

「・・・えっ、お前まさか、俺に試着を見せないわけ?」

「当たり前じゃない」

「・・・」

 

 俺はテナントから追放された。エスカレーター脇のベンチでスマホをいじって過ごす。やったぁ、願いがかなった。あれ、なんだろう目から鼻水が。

 

※ ※ ※

 

 ソシャゲ3つのデイリーミッションが終わり、ペットボトルのアクエリアスが半分ほど減った頃、英梨々が買い物袋をもって戻ってきた。

 

「決まった?」

「うん」

「どれ」

「秘密」

「だよなぁ・・・」

「なんで、そんなにがっかりしてんのよ」

「想像には限界があるからだろうなぁ」

「ほんと、バカよね」

 

 英梨々があきれて、俺を見下ろしている。そうはいってもさっきまでの俺のテンションはどうなる?英梨々によって直接悩殺されるから、オチになるんだろうに。

 英梨々が手を出すので、俺はペットボトルを渡した。英梨々は黒いワンピースを着ている。スカートの丈は短い。俺の目の前でペットボトルのキャップをクルクルと回し、アクエリアスを飲んでいる。

 

 俺としては、もう世界が終わってしまうような絶望感しかなかった。水着を彼女と買いに来て、試着を見られないとかある?ありえないよね?俺は悪くないよね?

 

 そう俺は悪くない。悪いのは神様で、人類に天才的なデザインをさせて、いたいけな少年に妙な性癖とリビドーを植え付けるのが悪い。俺はさっきまでは平凡なただの男だった。

 

 目の前に英梨々が立っている。

 

 俺はそのスカートの丈を、えいやぁ!!!!!とめくった。

 

「ぶはっ」と英梨々がアクエリアスを吐いた。その後、固まって俺を蔑んだ目で見降ろしたまま、俺にドボドボとアクエリアスを頭からかけている。

 

 ふふふっ、好きにするがいい。俺は悪魔にもう魂を売ったのさ。そして、一瞬を見逃さず、俺の脳裏には英梨々のパンティーがばっちりと残った。

 

 色?想像に任せる。

 

 店内アナウンスが夏のバーゲンを宣伝していたが、俺には何をいっているかわからなかった。

 

(了)




うん。ただの変質者。


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20 マンガ喫茶バイト③女教師風

バイト編はけっこう毎回楽しく書けている。

他のバイト編も全5話ぐらいで作ったらいいのかもしれない


8月11日(木)夏休み19日目

 

 今日はマンガ喫茶でのバイトの日である。お盆休みが始まったからなのか、今日が休日だからなのかわからないが、客の数がいつもより多かった。そして常連さんが来店されていない。

 

 英梨々は受付横のラックに自分の同人誌を並べレイアウトしていた。ポップアップを作り、サイン色紙を置き、大きめのポスターまで自作している。ちょっとした同人誌サイン即売会みたいになっているが、もちろん誰も、「エゴスティック・リリィ」なる変態凌辱同人作家が、この可憐な美少女だなんて微塵も思わないに違いない。

 

「それは、や・め・ろ」

「うるさいわね、変態」

「お前にだけはいわれたくねぇわ!」

 

 やれやれ、昨日のスカートめくりの事をまだ根に持っている。

俺がやめるように指示したのは、英梨々が作ったでかいポスターの縮小コピーだった。題材は俺をモデルにした四つん這いの裸だ。さすがに縮小コピーなら、俺がモデルとまではわからないだろうが、飾られていい気分のものではない。断固反対する。

 だが、英梨々はラック前面の空白部分にそのポスターを貼りつけた。

 

「剥がしたら訴えるから」

「何を?」

「あんたの変態行為をよ」

「あれはちょっとした出来心だろ・・・」

「出来心でスカートめくりが許されたら警察いらないわよ」

「英梨々、声でかい・・・」

 

 そして、俺は肩身が狭い。彼氏特権とか、イケメン無罪とかないのだろうか。後者は俺には当てはまらないか。しかしどうなんだろうか。

 

「陪審員が同年齢の男だったら、俺の主張が通ると思うぞ?」

「どんな主張よ」

「彼女と水着を買いに行って、いざ選ぶ時に試着を見せてもらえず、お店から追放されました」

「それで?」

「それで、つい彼女のスカートをめくってしまいました」

「前半の事が、後半の動機につながらないわよね?ましてや正当な理由にならないわよ?」

「だから、同年代の・・・」

「はぁ?あんたバカなの?死ぬわよ?」といって、英梨々はメガネをクイッとあげた。

「えっ死ぬの?」

「同年代の男の子が陪審員なのよね?」

「そうだよ。俺に同情が100%集まるだろ」

「あたしが泣いたら、あんたが100%悪で死刑判決間違いないと思うわよ」

「・・・」

 

 うーん。ごもっともかもしれない。

 

「じゃあ、同年代の女の子なら俺の無罪が証明されるってことだな?」

「審議される前に死刑判決が下るでしょうね」といって、メガネをクイッとあげる。

「ですよねぇ・・・」

「あんたねぇ、ほんと真剣に謝ったほうがいいわよ?」

「そうだな。ちょっとバックヤードでいいか?」

「いいわよ」

 

 俺と英梨々はバックヤードにいった。狭い3畳ぐらいの部屋にロッカーと、冷蔵庫と、電子レンジがある。

 

 今日の英梨々は、一言で言うなら女教師風の衣装だ。実にテンプレ的な衣装にしてしまったために、胸にパットを盛っているのが痛々しいのは指摘しないでおこう。丸い大きな襟のブラウスに、黒のタイトスカート。すらりと伸びたあしは当然黒いパンストを履いている。

四角い細長い銀縁メガネまで新調している。ことあるごとに、メガネをクイッとあげているのが今日の英梨々のお気に入りの仕草だ。芸が細かい。ベージュのエプロンに、カメのワンポイント刺繍がされていた。ここらへんに妥協はない。

 

 俺はさっさと英梨々との関係が修復したかったので、何のためらいも見せず土下座をする。

 

「ごめん。英梨々。俺が悪かった」

「もういいわよ。ほんとバカなことやめなさいよね」

「わかった。もう二度とあんなバカなマネはしないと、お前のそのカメの刺繍に誓う」

「それって守る気ないわよね」

「守れない嘘はつかないだけだ!」

「かっこよく変態アピールしないでよ」

 

 ふぅ。これ一段落。俺は土下座した顔をあげて、ついでに英梨々のスカートをのぞき込む。

 

「ぐっじょぶ!・・・グフゥ・・・」

 

 うん、見事なパンストだった。下着の色は白かな。はっきり見えないのでわからなかった。でもって、英梨々は俺を容赦なく顔を踏んづけた。さすが英梨々だ、お約束のなんたるかを心得ている。

 

 英梨々は何も言わずに、受付にもどった。来客のチャイムが鳴ったのだ。「チッ」と舌打ちをするあたり、英梨々もそれなりに楽しんでいるようだ。よかった。本気で怒っていたらどうしようかと思っていた。忘れないうちにトイレ行きたい。

 

※ ※ ※

 

 来る客がほとんどが受付横の同人誌を手に取り、パラパラとめくり、そしてひきつった顔をしてラックに本を戻した。英梨々はそれを横目でみている。

 

「人気ないわね」

「まだ昼間だしな。軽いテロ行為に近いと思うぞ」

「そう?」

「一般人からすれば、見開きで男の裸とか、あるいは凌辱されている女の子みたらヒくのは当然だろ・・・」

「了見が狭いのよ」

「どうだかな」

「夜だと違うのかしら?」

「ああ、夜だとちょっと事情が変わるからな」

「なんでよ」

「なんでもだよ」

 

 説明できるか!何のために個室が用意されていると思ってるんだ。トイレに篭られないためだぞ?まったく、トイレをトイレ目的以外で使用するやつの顔がみていたい。迷惑だよね、ほんと。ああ、個室行きたい。すっきりしたい。

 

「あとさ、英梨々。言いにくいけど、俺、お前のこと好きだし・・・」

「なによ、突然告白してきて。仕事中はキスしないわよ?」

「そうでなくってだな。その盛りすぎた胸パットはやめた方がいいと思うぞ?」

「やっぱり?」

「コスプレ的に気持ちはわからなくはねぇんだけどな」

「でしょ」

「でも、バレバレなのはよくないだろ」

「それって、あんたが元の大きさを知ってるからじゃないかしら?」

「元の大きさも俺は知らんぞ?触ったこともねぇし」

「変態」

「ちょっとまって、そういう流れだったか?」

「いいわよ。ちょっと外してくる」

 

 英梨々が立ち上がってバックヤードに下がった。今、裏では英梨々がブラウスのボタンをはずし、胸元をいじっているわけだが、まったくエロさなどなく、まぬけ極まりない。

 しかし、果たしてどうだろうか。英梨々は本当に胸がペタンコだろうか。あの日・・・山で遭難しかけたあの時に、Tシャツに透けてはっきりとそれなりの膨らみと小さな乳首が浮きあがっていた。あのエロさ・・・

 

 あっ、いかん。思い出したらいよいよやばい。なんで朝から発情してるかなぁ。大丈夫か俺?しかたない。トイレで落ち着ける前に、俺はラックの前にたって俺の裸の絵を見る。このド変態彼女が描いた、俺の四つん這いの後ろ姿を見れば、なるほど、げんなりとする。あいつバカなんじゃないだろうか?やっぱり剥がそう。

 ペリペリと両面テープをはがした。ご丁寧にラミネートされているから、絵は傷つかない。

 

「倫也ぁ・・・あっ、あんた何剥がしているのよ!訴えるわよ」

「英梨々。声でかいって・・・」

「・・・もう、やめてよね」

 

 お客様の視線が気になる。まったく、仕事中にどうして俺と英梨々は騒いでしまうのか。普通のバイトだったら首になるところだが、ここは澤村家の系列店だから問題なし。

 

「で、何かいいかけてたけど」

「うん。これでどう?」

 

 英梨々が体をくねらせ、片足をあげてポーズをとっている。この変なポーズって、まいっちんぐマチコ先生あたりが元祖なのかな。ついでに舌を出してテヘペロしてあざとい。ツインテールが揺れている。ああ、可愛いよ、ほんと英梨々は可愛い。これで変態でなければなぁ。惜しい。

 

「いいんじゃね?」

「あんた、もう少しまともな感想いいなさいよ」

「まともな感想は独白しているからいいんだよ」

「なによそれ」

 

 英梨々が受付に座った。白いブラウスからブラジャーが透けてみえる。英梨々にしては珍しく、ライトグリーンのブラで目立つ。衣装とはちょっと合ってない気がした。

 

「いや、英梨々。そのライトグリーンの艶やかさはなかなかいいと思うぞ」

「あんたって、ほんとバカよね。どうしてこう男の子ってバカなのかしら?」

「年頃だからな」

「たまってんでしょ」

「おかげさまでな」

「はぁ?あたしが悪いっていうの?」

「だから、声でかいって・・・」

 

 俺は客の方へ向いて頭を下げた。お客様の来るチャイムが鳴った。英梨々が「ちっ」と舌打ちをする。

お前はそんなに客が来るのが嫌なのか?

 

 今日はお客が多い、店内はたえず10名ほどいる。受付の前を通りドリンクバーを利用する人の数も当然増えるので、俺も英梨々も今日はできるだけおとなしく仕事をしたい。といってもやることもないが。

 

「ねぇ、倫也」英梨々が俺の方へ寄ってきて、

 

『また、してあげてもいいわよ』と耳元で囁いた。

 

 英梨々の吐息で耳がくすぐったかった。『また?』またってなんだ・・・

 俺が英梨々の方をみると、英梨々はすぐ近くで俺のほうをのぞき込むようにしてみている。レンズ越しにサファイヤブルーの瞳が見える。その時、英梨々がメガネをクイッと直した。

 

「それ、やめろよw」と思わず、笑ってしまった。

「ふふふっ」と英梨々も笑っている。

 

 まったく。くだらない。真面目なんだか、不真面目なんだか。笑ってしまってなんだか負けた気がする。

 

 そして俺たちは沈黙した。何食わぬ顔で受付に並んで座り、前を不自然に向いて固まる。

 

 なぜなら、客の1人が英梨々の同人誌ラックの前に来て、手にとって見ているからだ。しかもこの20代前半の少し小太りの男性は、ラックの前で物色すること3度目である。水色のTシャツを着ていて、腹が少しでている。メガネはセロテーブで補修されていて、ずいぶんと使い込まれていた。

 そう。俺たちと同類のはずである。オタク。パンピーとは違う怪しい世界の住人の気配がする。周りが見えず、自分の世界に篭りながらも、世間の目をそれなりに気にして生きている。空気が読めず、ちょっと変わった人といわれても、自分ではなぜかわからない。そんな人達の仲間だ。

 

 ゴクリッ 

 

 英梨々がツバを飲んだ。こいつ、少し興奮しているかもしれない。英梨々の耳が赤くなっている。そういえば英梨々は同人誌を描くが、販売は担当していない。自分の作品を客が手にとるのをみるのは初めてかもしれなかった。ネットで何度もエゴサーチをする性格である。これは気になるだろう。

 

 そして、チラッチラッとお客様が俺の方を見てくる。ふむ。わかった。俺はうなずいた。

 

「英梨々、ちょっとバックヤードで隠れてろ」

「なんでよ」

「いいから」

 

 英梨々が不服そうに立ち上がって、バックヤードに消えた。こちらに聞き耳は立てているだろう。そもそも英梨々が受付をやっていることが問題なのだ。初日に愛嬌を振りまきすぎるなと注意したが、それにはちゃんと理由があるのだ。男性には男性の世界がある。

 

「個室、空いてます?」

「空いています」

「一時間で」

「かしこまりました」

 

 俺は鍵を渡した。余計な会話はしない。ここはマンガ喫茶で、マンガを読むためのフリースペースだ。それ以上でもそれ以下でもない。それをどう利用するかは、客の自由である。そして、需要と供給がある。ここは風俗店ではない。堂々と18禁のエロ同人誌などレジ横においてはいけないのだ。クレーム、あるいは通報されるかもしれない。エロ漫画はどこか隅の棚にこっそりとあればいいのである。節度が大事。法律はグレーには寛容なのだ。

 

「倫也~」と英梨々が声をかけてきた。「もういいぞ」と俺は答える。

「もう、いったいなんなのよぉ~」

「なんでもねぇよ」

「あの人、あたしの本借りていったかしら?」

「ああそうだな。ところで英梨々、今日のランチは何食べようか?」

「えっ?そうねぇ・・・」

 

 俺は話題を変える。そして、さりげなく手元にあった漫画本を監視カメラのモニターの前に置いた。英梨々には悟られないように話題を変え、さっきの男性のことは忘れさせる。

 

「手作りのハンバーガー屋があったわよね」

「あるな。ちょっと高いけどな」

「あそこがいいかしら」

「そうだな」

 

 そう、どうでもいい会話をする。また来客があってチャイムが鳴った。英梨々が「ちっ」と舌打ちをする。

 その後は英梨々が適度な笑顔を作りつつ受付を済ませた。

 

「よし。じゃあ、そろそろ英梨々は休憩でいいぞ。ついでに俺のハンバーガーセットも適当に買ってきてくれ」

「はぁ?なんであたしがあんたのパシリをしないといけないのよ」

「頼むよ。俺さ、どーしてもハンバーガーを喰いたくなったんだよ。なっ?」

「そう・・・いいけど」

 

 英梨々が不審そうに俺をみたが、俺はニコニコと作り笑顔をする。英梨々が店の外に出ていった。

「ふぅー」と俺は大きなため息をついた。これで当分はばれない。

 

 監視カメラのモニターは個室の中も映す。それを知った時はショックだった。俺のバイトしている日中にはいなかったが、当然予想できることなのである。

 英梨々は気が付いていないようだった。性に対するアートの部分で知識があっても、こういう世俗的な知識は人並みのJKと同じぐらいしかない。自分のエロ同人誌がどのように使われるかを知っていても、想像が結びつかず、ましてやこの日中に個室を借りることに発展するなど、考えもしないだろう。

 

 英梨々は女の子で、変態、いやド変態美少女だが、やっぱりウブな処女でもあるのだ。

 

 また来客のチャイムが鳴った。今日は忙しい。

接客を終えてから、俺は問題に発展する前にラックの同人誌を片付け始めた。マンガ喫茶の昼は暇人が集まって、マンガ読みながらのんびりすごせばいいのだ。

 

 やがて英梨々が戻ってきて、バックヤードで食事を始めた。ハンバーガーのいい香りがする。

 

 その間に男性が個室からでてきて、ラックに同人本を戻そうとしたが、すでに他の本はない。どうするか迷っていた。

 

「よろしければ、それ、あげます」と俺は言った。

「えっ、いいの?」と聞き返してきたが、俺はうなずいただけで答える。

 

 男性は清算をすませ、同人本をもって帰っていった。

 

「ねぇねぇ、倫也~」

「なんだよ」

「さっきの人、個室利用したわよね?」

「・・・そうだな」

「やっぱり、抜いたのよねぇ~きゃぁ~」

「・・・」

 

 ああ、訂正する。ウブな処女はどこにもいなかった。童貞の俺の幻想だったわ。英梨々の脳みそは芯まで腐っていた。期待した俺が悪かった。可憐なのは見た目だけのようだ。これだけ一緒にいて、俺は見抜けなった。

 

 バックヤードで、嬉しそうにハンバーガを齧りながら、英梨々がニヤニヤ笑っていた。その笑顔が同人作家の歪んだプライドなのか、ハンバーガーがおいしいだけなのか・・・いや、歪んでいるだけだな。

 

 そんな笑顔でも、八重歯がちょっとこぼれて可愛かった。

 

 また来客のチャイムが鳴った。今日は忙しい。

 

(了)




倫也の気づかいを台無しにするスタイル。


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21 夏コミュ・前夜 『ちょっ・・・ノーブラだとぉぉ!?』の巻

さぁ、いよいよ週末はお泊りなのですよ・・・


8月12日(金)夏休み20日目

 

 さてさて、この週末。いよいよオタクの祭典『夏コミュ』が東京ビックラサイトで開催される。残念ながら俺は不参加だが、英梨々の同人誌即売会は行われる。

 夏コミュといえば来場者数が9万に迫り、当日は駅から改札の外に出ることさえ大変で、会場への入場には長い間炎天下で待たされることでも有名だ。ちゃんと整列し、係員の支持に従って動く日本人を映した動画は、規律の正しい軍隊の様であり、海外の人に驚かれていた。

 俺ももちろん、そうした前哨戦を戦いぬき会場入りしてきたわけだが、英梨々は違う。そう、庶民と上流階級では違うのだ。

 

 というわけで俺たちは前日から前のりして、近くのホテルに泊まることになった。ちなみにこの夏コミュ開催時に近隣のホテルを予約するのは大変だが、もちろんそれは庶民の話だ。庶民がネットの予約開始時にサイトを開き、クリックの早さ勝負をしている時には、すでに部屋の多くは予約で埋まっている。世の中とはそういうものだ。

 

 電車での移動中、英梨々が何やらずっとスマホで検索している。いつもなら何か飴ちゃんをくれるはずだが、それを忘れるぐらい集中している。

 

「さっきから、何を調べているんだ?」

「理由よ」

「理由?なんの?」

「いいわけっていったらいいのかしらね。理由は理由よ。あんたに話してもしかたないでしょ」

「俺も検索しようか?」

「いいわよ。ほっときなさいよ」

「そうかよ・・・」

 

 英梨々がナイーブになっている。明日から夏コミュだし、いろいろあるのだろう。

 

 ホテルに到着し、英梨々がチェックインの手続きを済ませた。ホテルマンが英梨々のキャリーバックを持って、部屋まで案内してくれた。それからバスルームの使用方法や、ルームサービスなどの説明を受けた。

 英梨々はホテルマンの会話をまったく聞いてないでソファーに腰をかけていた。ホテルマンが部屋を出た後も物思いに沈んでいた。ちょっと心配になる。

 

 部屋は広く、二部屋ある。ベッドルームとリビングルームだ。どちらも東京湾を見下ろせる。遠くには工業地帯も見える。船があちこちに浮かんでいた。

 階層も高くオーシャンビューの上等な良い部屋だった。

 

 とりあえず、お湯を沸かしコーヒーを淹れる。

 

「ほら、コーヒー淹れたぞ」 窓辺のテーブルの上に置く。

「ありがと」

「大丈夫かよ、具合悪いなら無理して参加しない方がいいぞ」

「平気よ。あんまり考えても仕方ないのよね」

「だから、何が」

 

 英梨々がぼんやりと外を見ている。このオーシャンビューでテンション上がらないとか、どんだけ贅沢なんだ。

 

「ねぇ、倫也。寝室見た?」

「見たよ」

「どう?」

「どうって言われてもな・・・高そうなベッドだったよ」

「はぁ・・・あんたねぇ・・・」

 

 英梨々が立ち上がって寝室に向かった。俺もついていく。寝室も広いがそこには大きなダブルベッドがある。もちろん窓も大きい。壁の半分ぐらいが窓だ。絨毯もふかふかしている。

 

「ねぇ、倫也。どう?」

「俺・・・ソファーで寝ようか。ソファーでも俺のベッドより寝心地良さそうだし」

「はぁ・・・あんたバカなの・・・死ぬの・・・」と言ったいつものセリフも切れがない

 

 ふぅ・・・しょうがないなぁ。

 

「ってゆうかさぁ!お前の親、何考えてんだよ!!」

「まったくよねぇ・・・」

 

 やっと英梨々が笑った。

 

いや、まぁね?ツインルームでも問題だと思うよ。建前を無視するなら、彼氏の家に入り浸りの娘の貞操なんて、いまさら心配してもしょうがないこともわかる。

 でも、ダブルベットルームに娘と彼氏を泊めるってどうなのよ。しかも、かなり上等な部屋で、値段は知りたくもない。

 

「とりあえず問題は先送りにして、倫也。ケーキバイキング行きましょ」

「お・・・おぅ」

 

 ホテルのケーキバイキングがあるらしい。そのため昼食は軽めに済ませていた。今は午後3時だ。夜までは時間があった。

 

 さてさて、今日の英梨々なんだけど、ゆったりとした白いTシャツに、こちらもゆったりとした緑と白のチェックのパンツ。それに薄いグレーのサマージャケットを着ている。カジュアルなスタイルだ。ツインテールには細いネイビーブルーのリボンをつけていて、これは以前、俺が贈ったものだ。

 

※ ※ ※

 

「うぅ・・・」

「あぁ・・・」

 

 俺も英梨々もソファーにうなだれている。喰いすぎた。わかっていたけど、喰いすぎた。ケーキバイキングに行けば結果なんてわかっているのに、未だに学習ができない。ケーキは全部で16種類あった。そのすべてを制覇した。1人8個の計算である。

ケーキバイキングのケーキは軽めで小さくカットされた専用のものが多いが、ここは違った。一つ一つがテイクアウト販売されている商品で、大きく食べ応えもあった。カスタードクリームは濃厚で一つ食べれば十分な重さだ。

 俺はまずは美味しく食べたいからと、モンブランとガトーショコラを食べた。それでもう満足した。それ以上は喰いたいと思わなかった。

 英梨々はショートケーキとチーズスフレと軽めの物からスタートしていた。たぶん、それで満足していた。

 別に元を取ろうみたいな貧乏性だったわけではない。とりあえず負けてはならないと妙な責任感をもって、続く四品を選んだ。イチゴのミルフィーユ、プリン、メロンケーキ、サヴァラン。プリンも普通のカスタードプリンでなくて、クリームブリュレだった。腹の空いた状態で最初の一口を食べれば、さぞかし美味かっただろうが、俺が抱いた印象は「これも重い」だった。英梨々がフォークで果物だけ先に食べていく。その後は2人でお茶を飲んで考えていた。8個食べれば十分だろう。

 英梨々が立ち上がって、さらに4つを持ってきた。何のケーキだったかもう覚えていないが、その中に「レアチーズケーキ」があった。見ているだけで酔う。しかも、英梨々は一口喰って手を付けない。4つを食べ終わった頃には血糖値が気になる。健康とか絶対に損なわれている。若さで乗り切れるだろうか。

 だが、その時点で残りの食べていないケーキは4つだった。潮時である。バイキングで残してはいけない。それは鉄則だ。

 それにも関わらず英梨々は、その4つを持ってきた。タルトシリーズだ。タルトタタン、洋ナシのタルト、フルーツタルト、栗のタルト。重たくて無理なので敬遠していた。

 

 飽食は大罪である。

 

 かくして俺と英梨々は自らの限界を超えこのありさまである。バカなのはわかっている。バカなのはわかっていても、バカをやりたい。それがきっと青春なんだ・・・

 

 一時間ほど身動きがとれなかった。午後の18時を過ぎた頃、英梨々が、

 

「さぁ、晩御飯に中華バイキングいくわよ」と言った。

「いってらっしゃい」

「せっかくボケたんだから、ちゃんとつっこみないよ」

「夜にな!」

「・・・ほんと、バカ」

 

 やれやれ、下ネタが多い気がする。

俺たちは休憩したら動けるようになったので、外に出て散歩をした。遊歩道が整備されていて、潮風にあたると気持ちがよかった。やっと体調が戻ってくる。

 

「倫也、夕食の件なんだけどね」

「いや、俺はいいよ・・・ソバぐらいなら食えるかもしれないけど」

「フレンチが予約済なのよ」

「それ、先に言うべきだよねぇ!?」

「ほんとよね」

「で、何時から?」

「19時」

「もうすぐじゃねーか。戻るか」

「いくの?」

「エスカルゴだけつまむとかできるかな」

「フルコース予約済よ」

「おうぅ・・・」

 

 人生には計画性が大事である。例えばケーキバイキングのために昼飯を軽くすることがそれである。なんだって、こんなにイベントをぎっしりいれているのかわからない。

 

「えっ、誰の誕生日でもないよな」

「そうね。まぁ年に1度の夏コミュだし。ほら、うちの両親は夏コミュで出会ったわけだし、ある意味で結婚記念日みたいなものなんでしょ」

「へぇ・・・」

 

 そう。英梨々のお父さん。レナード・スペンサーが元々夏コミュでサークル活動をしていた、そこで売り子を担当していた澤村百合子が英梨々の母親である。(原作設定)

 生粋のオタクファミリーであり、両親とも同人活動をしている英梨々はオタクのエリートサラブレットなのだ。

 

※ ※ ※

 

「ううぅ・・・」

「あ゛ぁ・・・」

 

 俺と英梨々はソファーに倒れ込む。英梨々に至っては座らずに、絨毯にへたりこみ、ソファーにもたれかかっていた。時刻は10時手前だ。

 

 フレンチのコースは重い。が、パンを食べなければなんとかなる。炭酸水のペリエがこれほど美味いとは思わなかった。ソースまで食べる必要もない。一皿の量としては大したことはないのだ。子羊のローストはさすがの美味しさだった。空腹で挑みたかった。デザートはバイキングのように選べるので俺は断った。英梨々は悩んだ末にカスタードプリンを食べていた。さすが女子。

 フラフラしながら、なんとか部屋に戻ってきて、今にいたる。

 

 窓から見える夜景は綺麗だった。都心の方の明かりも見える。ライトの着いた船が綺麗だ。本当ならロマンティックな夜のはずだ。ムードもある。

 

「明日の予定は?」

「早めにいくわよ。現地入りが8時ね」

「早いなっ」

「しょうがないのよ。準備もあるし、運営側なんてそんなもんよ、徹夜で働いている人もいるわ」

「そっかぁ・・・」

 

 東京ビックラサイトに入る方法は大きくわけて3つある。1つは客として、もう1つはサークルの出店者側として。こちらの方がもちろん早く入場できる。これも世間で少し問題になった。出店者側が開幕よりも先に商品を購入できてしまうからだ。仲間内でレア商品や限定品を買ってしまい、徹夜で並んだ一般客が買えないことがあった。なかなか闇が深い。

 その出店者よりも早く入場というか出勤できるのが運営側だ。東京ビックラサイトの人と夏コミュの運営者がこれにあたる。英梨々のお父さんは運営者側でもあり出店者でもある。俺たちはそれに便乗しているわけだ。

 

「倫也、先に風呂はいってらっしゃいよ」

「英梨々先でいいぞ」

「あたしはまだ無理」

「じゃ、先にいってくる」

「うん。ゆっくりでいいわよ」

「おぅ」

 

 俺はバスルームに移動し風呂を済ませた。上等なパジャマがいくつか用意してあった。下着を履き、ガウンを着て出た。なんかデジャブーがする。あの時はラブホの取材名目だった。今日は・・・泊まりだ。

 当然、俺は期待する。英梨々だってそのつもりだろう。泊まりのダブルルームで恋人同士、親公認。これでコトが成就しなかったら、『倫理君』とか揶揄されている場合ではない。男の沽券に関わる。

 

 リビングの方に英梨々がいなくなっていた。ソファーには誰も座っていない。俺が寝室を開けると英梨々がベッドに座っていた。部屋の明かりは暗い。窓からの光が英梨々を照らしていた。ツインテールが解かれていて、長い髪はベッドまで届いて広がっていた。少し妖しい雰囲気すらある。

 

「出たぞ」

「うん」

「バスタブはお湯を張ったままだけど、気になったら流してくれ」

 

 英梨々は何も返事をせずに、部屋を出ていった。

 さて、俺はどこで待つべきか?ベッドで?それとも、リビングで?なんだかすでに胸はドキドキする。お腹は膨れている・・・食べ過ぎだろう。

 

 リビングのソファーに座りテレビをつける。ニュース番組に変え音量を小さくした。別に見たいわけじゃない。冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、ペットボトルのまま口をつけた。

 バスルームはもちろんガラス張りなんかでないし、それどころか中の水の音もほとんど聞こえない。更衣室も広々としていてイスまで置いてあった。鏡台も大きく、人によってはあそこで長々と化粧でもするのだろうか。

 

 時刻は11時を過ぎたところだ。一日が早い。今日は喰ってグッタリしていただけだ。もちろん英梨々と食事をするのは楽しい。今日のケーキバイキングだってバカなことをしているなとお互いに思いながら笑っていたし、フレンチの時だって英梨々は笑顔を絶やさなかった。英梨々がニコニコしているとそれだけ俺は幸せになれる。だから、逆に英梨々がさっきみたいに悩んでいる風だと、俺は心配になるし不安にもなる。

 

 英梨々とエッチがしたいかと言われたら、俺はよくわからない。何しろエッチをしたことがないのだから。エッチがしてみたいか?と問われたら、それは当然で、俺は健全な高校三年生で煩悩の塊みたいな存在だった。二次元にしか興味がないオタクであることをいばっていても、内心は違った。もちろん純粋に二次元キャラは好きだし、三次元化されたフィギュアも好きだ。でも、それはそれだ。

 現実に存在する英梨々の魅力はまったく別なものだった。

 

 じゃあ、英梨々がエッチなのかというと、そうでもない。ここがちょっと問題を複雑にしている気がする。子供っぽいというか・・・幼馴染でずっとそばにいるから、いつから英梨々が大人の女性になっていたのか、俺はわからない。今でも遊んでいると子供の時と変わらない気がする。

 俺と英梨々は男女だけど、同時にずっとただの仲のいい親友でもある。

 

 きっと・・・いや、今思い出すべき相手ではないが、あの去年に一緒にゲームを作った『あの子』には・・・俺は性的な幻想をずっと抱いていたような気がする。ドキドキしていた。それが恋愛感情なのかどうかよくわらないけど。

 

それは今の俺が英梨々に対して思う感情にも言えるかもしれない。恋愛感情なんだろうか。

 

ガチャ。

 

 扉が開いた。なぜだか俺はとっさにTVを消した。

英梨々は薄いピンクの・・・ほとんど肌色やオレンジに近いような淡いピンク色のパジャマを着ていた。ロングシャツタイプのもので、前にボタンが並んでいる。だぶだぶのワンピースみたいなものだ。

 髪は完全に乾かしてきたようだ。タオルで拭いたままでてこない。長い髪は自然に揺れていた。前髪だけがきっちりと整っていた。床屋に行きたての幼稚園児じゃないんだから、そこまできっちりそろえなくてもいいのに、と思うほどそろっている。パッツンだ。

 

「いい湯だったろ」

「うん」

「水でも飲むか?」

「うん」

 

 冷蔵庫からミネラルウォーターを出して、キャップを緩めてから英梨々に渡した。英梨々は何も言わずにそれを受け取り、キャップを開けて一口飲んだ。それを手にもったまま寝室の方へ進み、そして扉を閉めた。

 

 俺だけがあっという間にリビングに残された。

 

 寝室の扉が重くのしかかる。俺は扉の前で呆然とする。英梨々の気持ちがわからない。いつもみたいにニコニコト笑っていたり、怒っていたりするような感じで話しかけてくれれば、俺もいつものように反応ができるのに。

 

 しおらしく、「うん」と頷くだけである。そんなリアクションだとただの可愛いお人形みたいになる。見た目の完璧さにおいて、英梨々にケチのつけようはない。英梨々は性格が腐女子で内向的だからこそ、俺と合うのだ。

 俺はオタクのあいつをいじれるし、バカなことがお互いに言える。

 こうやって可愛さ全振りの英梨々だと、俺はあがってしまい何もできない。

 

 扉がある。

 

 中で英梨々は俺を待っているのだろうか?俺はどうしたらいい?それともソファーで寝ろと暗に行っているのだろうか。俺はトイレにいってヌき、賢者タイムになればいいのか。

 

 扉がある。壁一枚の先に英梨々がいる。風呂上りの英梨々。これから抱かれる女の子。

 

『理由』だ。俺は頭の中でぐるぐると理由を探す。何の理由だ?扉を開ける理由?英梨々を抱く理由?それとも逃げる理由?一人ソファーで寝る理由?

 検索しても見つからない回答を俺は探す。電車の中で英梨々も探していた『理由』であり、あるいは『いいわけ』だ。あいつは結局みつけられなかった。考えたても仕方がないと結論を夜に先送りにした。その夜が今だ。

 

 扉がある・・・

 

ガチャと開いた。

 

「もう!倫也!遅いわよ!この意気地なし!とっと入りなさいよ!」

「あっ。はい」

「ほんと、チキンとうか、ヘタレとうか、倫也というか」

「最後の悪口じゃないよぇ!?」

「明日、早いんだからねっ!」

「そだよな」

「とっと寝るわよ」

「ですよねぇ・・・」

 

 ほら、救いの女神。俺の方が受動的なんだな。ヘタレか・・・

 

 英梨々がベッドの右側でブランケットの中に潜った。

 俺もベッドにのぼり、ブランケットの中に入った。

 

 英梨々はこちらに背中を向けているようだ。頭までブランケットをかぶっているから、表情はわからない。

 この状況で眠れるかな?

 

「おやすみ、英梨々」

 

 俺は声をかけて、枕の位置を直す。ちょっと大きめでフカフカしすぎている気がする。ベッドも柔らかいし、シーツも含めて、すべてのリネンが上質なものを使っているのはわかる。綿のいい香りがする。

 

「あんたねぇ・・・」

「ん?」

 

「バカなの?死ぬの?」

「どした?」

「どした?じゃないでしょーが」

 

 英梨々が顔を出した。

 

「電気ぐらい消しなさいよ」

「おおぉ・・・カーテンも閉めてくる」

「そ・・・そうね」

 

 俺は立ちあがって、窓辺のカーテンを閉めた。

 

「なぁ英梨々。夜景が綺麗だ」

「そう。ただの東京湾よ」

「普通、この夜景を見て、うっとりするんじゃねーの?」

「なによそれ、それで女が『きれい・・・』ってつぶやくわけね?」

「そう、それだよ!そしたら、後ろから少し抱きかかえて、『君のほうぎゃ、きれ・・・』・・・かみまみた」

「はいはい、バカはいいから、寝なさいよ」

「・・・」

 

 電気を消したらけっこうな暗さだった。ベッドサイドランプを弱くつける。

 英梨々が顔をだして、ブランケットの縁を両手でもっていて、捨て猫みたいになっている。

 

 俺は隣で横になった。英梨々は隣で天井を見つめている。

 

「べ・・・べべべべ・・・べつに」

「もちつけ英梨々」

「ふぅ・・・。べつに、倫也がしたいんだったら、してあげてもいいんだからねっ」

「ツンデレ乙」

「あんたねぇ」

「無理することもねぇよ」

「したくないのかしら?」

「よくわからん。めちゃめちゃしたいと思う。でもさ・・・」

「でも、何よ」

「こうして、英梨々がそばにいてくれるだけで、十分で、けっこういっぱいいっぱいなんだよ」

「うん」

「ヘタレだよな」

「うん。もう男やめたら?倫也は顔もいいし、可愛いと思うわよ」

「そりゃどうも」

「あたしね、今日、ずっと考えていたのよ」

「何を?」

「断る『理由』よ。わかるでしょ?」

「よくわかんねぇなぁ」

「ちょっと、右腕貸しなさいよ」

 

 英梨々がもぞもぞと動いて、俺の右腕を腕枕にした。英梨々が動くだけでいい香りが散っていく。サイドランプの微かな光に髪が輝く。妖精みたいな子だ。

 

「重い?」

「そうだな」

「そこは嘘をつきなさいよ」

「別にいいよ。それで『理由』はみつかったのか?」

「同じよ。よくわかんない。でもね、こうしているのは幸せだし。それに、倫也がしたいならやっぱり受け入れてあげたいし、あとね。一番嫌なのが、『ヤらせない女』みたいになることなのよ」

「そんなの気にすることねーよ」

 

 英梨々が俺の方を向いて、俺の顔を見ている。俺は顔を上に向けて、時々横目で英梨々を見るのが精一杯だった。蒼い瞳に吸い込まれそうになる。

 

「明日早いし」

「そだな」

「あとね、やっぱりなんだか怖い」

「そういうもんらしいよな」

「それがあたしの『理由』なの。でもね、断りたいわけじゃないのよ」

「わかってる。だからさ英梨々。考え方を変えたらどうだろうか?」

「何を?」

「断る理由なんていらない」

「うん」

「おまえがさ、したい理由がいっぱい溜まったら、すればいいんじゃね?」

「いっぱい溜まってるの倫也よね」

「別に理由はたまってねぇよ」

 

 英梨々がため息をついた。やっぱり俺のせいの気がする。男がリードすべきだよな。でも、この間のラブホテルの時には英梨々に泣かれてしまった。無理やりはできない。加減がわからない。

 

「苦しい?」

「ああ、腹がいっぱいだな」

「バカ」

「そして腹が膨れたから、けっこう眠かったりする」

「そうね」

 

 どちらともなくアクビをした。英梨々がこちらに体を向けて寄せてきた。近い。近いってば。

英梨々の声はだんだんと弱々しくなっていた。眠いのだろう。

 

「こっち向きなさいよ」

 

 英梨々の方を向いた。英梨々が俺を見つめる。さっきまでそろっていた前髪は乱れている。英梨々が目を瞑ったので、俺は彼女にキスをした。甘いキスだ。唇が柔らかい。

 どうする、俺。

 

「おやすみ。倫也」

 

 どうする、俺。一歩さきに踏み出せ。

『沽券』がなんだかわかならいなからって、wikiで調べてネットサーフィンの渦に巻き込まれている場合じゃない。

 

 俺も英梨々の方に身体を傾け、自由な方の腕・・・左手で英梨々の、英梨々のぉぉぉぉ。

 

 ・・・胸を触ってみた。

 

「っ!!」

 

 英梨々のパジャマの生地は思ったよりもずっと柔らかかかった。しかも夏らしく薄い。俺が触った英梨々の右胸は・・・思ったよりもずっと大きかった。ペタンコでまな板だとよくからかっていたけれど、ちゃんと手に収まる・・・そして、大問題なことに・・・

 

「ノーブラかよっ!」

 

 と、大きな声がでてしまった。左手の手のひらに、英梨々の柔らかい胸の突起を感じた。胸も乳首もとてもやわらかいのが布越しにはっきりと分かった。羨ましいな俺の左手!もういっそ何も考えずに左手になりたい。

 

 英梨々は為すがまま、何も言わなかった。これはOKなのだろう。このまま、揉むか?揉むよな?先につまむの?どっち、ねぇどっち?

 

「すーすー」と、英梨々の呼吸の音が聴こえる。

 

 あれ、寝た?興奮しているのは俺だけ?

 英梨々が俺の右腕を枕にして、安心した表情で寝息を立てていた・・・

 

 まじかよっ!と思いながらも、俺は英梨々が狸寝入りをしているのではないかと考えている。それでも左手を離した。本当なら前のボタンを少し外すか、服の隙間から指を淹れて、英梨々がノーブラなのを直接確認したかった。

 でも、英梨々が狸寝入りをしている。それを尊重しよう。

 

「好きだよ。英梨々」

 

 俺は彼女の耳元で囁いた。それだけは伝えておきたかった。

 狸寝入りをしているはずの英梨々は、俺の胸におでこをくっつけて、そのまま動かなくなった。

 

 空調の音もしないような静寂の中で、君の鼓動だけが聴こえてくるような気がした。

 

(了)




評価と感想をですね・・・


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22 夏コミュ・コスプレ 『なんでブラつけてんだよ!?』の巻

※ 原作のサイドストーリーは未読。英梨々のパパ&ママの性格や口調は知りません。
今回は英梨々の両親が登場します。ちょびっと登場させる予定が以外と主軸になってしまいました。そういうわけで原作とはキャラが違いますが、ご了承ください。


8月13日(土)夏休み21日目

 

 早朝。俺が目を覚ました時、英梨々はすでにベッドの上にいなかった。俺はまた『倫理君』の名の防衛に成功し、『脱童貞』に失敗した。このシチュエーションで成就しないとなると、いよいよ一生童貞かもしれない。が、あきらめるにはまだ早い。『夏コミュ』イベントは土日で開催される。従って、俺と英梨々は今夜もここに泊まるのだ。

 

 俺がリビングに入った時、英梨々はすでに着替えが終わっていて、今はヘアメイクをしている。今日の英梨々は一味違う。本格的に全力でコスプレをしている。けっこう悩んでいた。コスプレするか、お忍びをするか。どうせコスプレをするなら、金髪を生かさない手もないと思うのだが、素性がばれるのが嫌なのだそうだ。オタクであることを隠している英梨々にしてみれば、露出はさけたいのもわかる。

 そういうわけで選んだコスプレが、ピンク色の髪のヒロイン、アーニャンだった。スパイ家族もので、今年のアニメではもっともブレイクしている。コスプレ競合率も高そうだ。しかし、このアーニャンコスプレには超えられない大きな壁がある。年齢が小学生入学時程度の6~7歳なのだ。これを高校生や大人がコスプレをすると、その時点で劣化していることは否めない。

 それでも英梨々がこれを選んだのは、それなりに勝算があるからなのか、ただ単にこのアニメが好きだからなのかはわからない。

 

「どうかしら?」

「衣装すげぇな・・・それ、もうコスプレ用の布じゃねぇだろ」

「ブランドの特注品よ」

「無駄な金かけやがって・・・」

 

 アーニャンの正装は、その名門学校の制服だ。作中の中でもその服が高価で仕立てのいいことが触れられている。コスプレ用のペラペラのポリエステルでは再現が厳しい。

 

「ただ、あれは本来冬服なのよね・・・そこで、夏の生地で仕立ててもらったのだけど、どう?」

「いいと思うぞ。コスプレ感とリアリティのバランスがいいと思う」

「そう、よかった」

 

 そして、頭にウィッグをかぶった。ピンク髪のかつらである。英梨々の長い髪は先ほど編み込まれて、ネットによってまとめられている。ウィッグにはすでに、アーニャンのトレードマークである三角の飾りがつけてあった、巨大なアポロチョコみたいなヘア飾りである。

 

「おおっ、可愛いよ!すげぇ再現率」

「そう?」

「何かしゃべってみ」

「アーニャン。マカデミアナッツが。好きー」

「ぐはっ」

 

 さすがだよ。英梨々。やる時はやるんだな。こんなできる子だなんて思わなかった。これで今年のコスプレ大賞はいただきだな。

 俺はさっそくスマホで写真を撮った。すでにいろいろとサイト上の下準備はできている。ネット上ではフライングで発表しているコスプレーヤーもいる。

 俺も英梨々の画像をリークする。この可愛さなら勝手に拡散されていくだろう。コスプレをしてコミケに参加する以上は画像の拡散は止められない。自己責任で参加するしかないのだが、それに対しても手をうってある。

 

 準備が整ったので、俺と英梨々はルームサービスで朝食をとり、少し早いが会場にタクシーで向かった。

 

※※※

 

 英梨々のパパ、スペンサーのおじさんがすでに会場に来ていた。案内されて俺と英梨々は通用口から入って、警備室で手続きを済ませた。首からは渡されたセキュリティーカードをぶら下げている。これで普通は開かない扉が開く。

英梨々とスペンサーのおじさんは会場へ先に向かい、俺は警備室内に入り、まずは無線の説明を受けた。なぜかというと俺は運営側のスタッフとして臨時登録されているからだ。それから警備員の1人に案内されて、救護室に行った。

そこには年配のナースがいた。コスプレでないナース衣装だが、どこかコスプレっぽくもある。場所のせいだろうか。

今日は来場者も多く、熱中症患者が例年でると言っていた。そこで簡単な応急処置を学び、歩ける人はここに連れて来て、無理そうなら無線で呼ぶように言われた。あくまでも具合の悪そうな人を見つけた場合のみで、俺の行動範囲は自由だ。建前上のスタッフということらしい。セキュリティーカードを持っているので、不適切な行動はとらないようにとだけ注意を受けた。なんてゆるいのだろう。

 

仕事の内容がわかったので俺は会場に向かった。まだ人は少なく、スタッフが設営の確認をしているところだった。英梨々の出店場所は、第二会場の奥で、壁際の一角、かなり広大なスペースが確保されていた。10ぐらいのサークルが販売できそうだ。

 

「ありがとうございます」俺はスペンサーおじさんにお礼を言った。

「いやいや、気楽にやりなさい。めんどうだったら、開場後にそれ、返しちゃっていいから」

「はい」

 

 こんないい加減なことでいいのかと思うが、中のスタッフでうろうろしているだけの人や、たむろして話こんでいる人もいるから、それなりに紛れ込んでいるのだろう。どれが本物のスタッフでどれが特権階級の人か見分けがつかない。

 

 それにしても、スペンサーのおじさんの恰好・・・どっかで見たことある気がする。スーツを着たイギリス人の紳士で、金色の髪がかっこいいイケメンのおっさんである。

 

「倫也君おはよう~」と陽気な声をかけてきたのが、英梨々のママ。普段は和装の美人で気が強い。この人も英梨々と同じくマンガが描ける。名前は澤村小百合をいう。小百合の百合からとってリリィ。サークル『エゴスティク・リリィ』の創始メンバーである。この一角にある店舗すべてが、『エゴスティック・リリィ』関連であり、英梨々のマンガはそのメインの一つである。

 

 そして俺はこの小百合さんの恰好をみて、やっと思い出した。スペンサーのおじさんがしているのは、このスパイ家族アニメの主人公ロアドであり、小百合さんはその伴侶役のヨルンである。これが偶然の一致なのかわからないけれど、アーニャンの両親であるから、澤村一家は家族で家族のコスプレをしていることになる。全体的には年齢が高めだが、とても似合っていた。

 

「倫也君。昨晩はどうだったかしら?うちの娘は無事に女になれたかしら?」

 

 どういう親なのだろうか。思考回路が普通でないので、俺はいつもついていけない。ダブルベッドをセッティングした張本人がこの人だ。

 

「ええ、無事に何事なく、娘さんはぐっすり寝ていました」

「あら~、あれでダメならどうしたらいいのかしら?」

「ほっといてあげてください」

「まずは、倫也君を脱童貞させた方がはやいかしらね?あたしでいい?」

「どー考えてもダメですよねぇ!?」

「あら、もうウブなんだから~」と言いながら笑って去っていた。

 

 俺は頭が痛い。スペンサーのおじさんが笑っている。英梨々は顔が真っ赤だ。

 

 こうして、開場に向けて準備がはじまった。その後、出店者の人がぞくぞくと入ってくると、会場内はだいぶ賑わってきた。

 

『エゴスティック・リリィ』のブースも完成し、英梨々の用意した、俺の裸のポスターがすご~く目立つ。これ、俺がそばにいたらばれるかもしれないので、できるだけブースに近づくのをやめておこう。

 

 出店者の人が増えてくると、スタッフカードをぶら下げている俺はよく声をかけられるようになった。出店が初めての人達からトイレの場所、ちょっとしたルールなどを質問される。俺は経験もあり、会場についても詳しいのでだいたい答えることができた。

 このあたりは腐女子向けのコーナーなので、BL物も多い。初出店の人は用意された長テーブルの上に本を置き、値段を描いた紙を置いているだけである。見るにみかねてしまう。

 声をかけてきたのが女性の場合、俺はついでに販売方法などを解説してあげた。紙やマジックを用意している人もいたが、何も持ってきてない人もいる。英梨々のところから、紙とマジックを借りてきて、簡易ポスターの作り方を教え、長テーブルに飾り付けを手伝ってあげた。余計なお世話かもしれないが・・・

 

「あら、ずいぶんと女の子にやさしいのね~。倫也」

「つい、見かねてな・・・」

「ふーん、で、彼女のブースのことはほっとくのね?もうあたしことあきたのかしら、一晩一緒に寝たら、もう餌をあげないと?」

「一緒に寝ただけだよねぇ!?って、お前のところはプロフェッショナルすぎて、俺の出る幕ねーじゃねーか」

 

 何しろ『エゴスティク・リリィ』は夏コミュ黎明期からの老舗である。俺や英梨々が産まれるよりも前からある同人サークルであり、売り方に俺がどうこう言えるわけがない。盛者必衰の激しい人気サークルのガレージとも違うのである。この会場の奥を陣取り、場に緊張と安定と調和をもたらしている。

 

 開場まであと30分ほどである。俺は目立たないようにスタッフカードを胸ポケットにいれ、会場内を歩き、コスプレしている人をチェックする。出品者でもコスプレしている人はちらほらいる。アーニャンを見つけたら、声かけして撮影させてもらった。これもすべて英梨々のためである。

 

 コスプレサイトは幾多もあり、俺がいまさら出る幕はない。狙うはもっとニッチなところだ。俺はアーニャンコスプレ専用サイト作り、すでに有名コスプレサイトからもリンクで飛べるようになっている。何しろトップ画面が英梨々なので、一度踏んでもらえれば登録してくれる。これを各種SNSと、『エゴスティク・リリィ』と、俺のラノベ紹介サイト、そして今は休止中のブレッシング・ソフトとも連携させておいた。

 

 検索で『夏コミュ・アーニャン』とか、『コスプレ・アーニャン』とかで、検索上位になれば勝ちだ。あとは鼠算で増えていく。『夏コミュ・コスプレ』で上位なるのは難しい。それはやっぱり専門サイトが優位だろう。

 

 英梨々を撮影して、そこにアップしていく。どうも『エゴスティック・リリィ』のあたりにいるらしいとリークしておく。すでに『いいね』が3桁を超え、アクセスカウンターも順調に増えていた。

 

※ ※ ※

 

 開場した。

人が次々と入ってくる。人気の商品は争奪戦だ。それにゲストイベントなども場所取りが激しい。少し離れて見守っていたが、俺が心配する必要などなく、『エゴスティック・リリィ』のブースにも人が大量にやってきていた。アーニャン英梨々も売り子をしていて、列ができている。

 

「アーニャン。お買い上げ。ありがとー」と、しっくりこないセリフを成りきりながらしゃべっている。しかし、売っているのはエロ凌辱同人マンガである。ギャップがおそろい。

 

 英梨々の両親のロアドさんとヨルンさんは売り子はやらないが、ブース内で活動している。関連スタッフを10名以上いて何かと忙しいのだろう。それでも写真を求められれば応じていたし、ロアドさんに至ってはだんだんと人気になってきて、ひっぱりだこだ。

俺はあまりに好評なので壁際を整理して写真撮影ブースを即席で作った。そうなると、声かけできない人も自然と並ぶようになり、夫妻で撮影に応じている。ヨルンさんもノリノリである。

 売り子の英梨々アーニャンも人気で、行列ができ抜け出すタイミングをすでに失っているようだ。

 

 俺は会場内を移動して、見回りをかねつつアーニャンコスプレを探し、お願いして撮影した。やっぱり元が少女なだけあって小柄な女性が多い。ただ中には明らかに体育会系のマッチョ男子がアーニャンコスプレをしている。これはもう狙っての行動で、それはそれでウケていた。俺もお願いして撮影し、サイトにアップしていく。

 

 俺がサイトをチェックするとすでに4桁に到達していて、他の会場にいるアーニャンコスプレの人などもアップされていた。人気のものが上位に表示されるようになっていて、未だに最初にアップした英梨々のものが一番だが、序列は入れ替わりつつある。受付をやっている英梨々アーニャンも誰かがアップして、そちらの人気も高い。俺のスマホカメラと、プロやセミプロがそれなりの機材で撮影したものは画質が違うのだ。

 

 アーニャンコスプレサイトでは、俺のサイトがどうやら覇権をとったようだ。安定しているし、いろんな人がアップしている。SNSとの連携も順調に増えていた。

 

 外にあるコスプレ会場もそろそろ賑わってきていた。こちらはプロの方も多い。有名コスプレーが登場すれば歓声もあがる。夏コミュをテレビニュースでやるときは、ここの方がむしろ本番といわんばかりに映像で使われている。それぞれのコスプレーヤーが万を超えるファンを抱えている。SNS上のトレンドワードも入れ替わりが激しい。

 

 外はクソ暑かった。何しろ会場はコンクリートである。ものすごいカメコの数がいる。セキュリティースタッフも多い。俺がぐるりと回ると、チラホラとアーニャンコスプレーヤーがいる。ここならもう許可を得なくても撮影できる。撮影NGや、SNSアップ禁止などのポップを立てている人がいる。もちろんそれに従う。ルールは大事だ。

 俺も撮影OKの人を探してサイトにアップしておいた。所詮スマホ画質であるがサイトはこうして賑わっていく。

 

 外に具合の悪そうな女性を見つけたので声をかけた。用意していた経口水分補給用の水で給水してもらい、歩けるか訪ねた。無理そうというので、無線を使って本部に連絡をする。すぐに近くの警備員もきた。救護室から担架と車イスが運ばれ、女性は車イスにのった。

 俺が押して救護室まで運び年配のナースに診てもらう。簡易ベッドで横にして、しばらく様子をみる。軽い熱中症のようだ。俺はお礼を言われナースには褒めてもらった。よし、一応はスタッフとしての仕事をした。

 

 一段落したところで『エゴスティック・リリィ』のブースに戻った。ますます賑わっていた。英梨々アーニャンの顔も疲れてきている。作り笑顔の限界か。とはいえ、ファンが並んでいるのだ、切り上げどきが難しいのだろう。

 

 俺はブース内にはいって、英梨々の前に、『お花積み』の手製のポップを置いた。

 

「トモヤ。アーニャン。疲れた」と言っている。みりゃわかる。

とりあえず売り子スタッフを変わってもらい、英梨々を連れ出しトイレでまで案内した。どこも人が多い。セキュリティーカードを使ってバックヤードに退避して英梨々を休ませる。

 

「倫也、忙しすぎよ・・・」

「完売までは止まらないだろうな。何部刷ったんだよ?」

「今年は3000」

「ガレージ規模じゃねーか!」

「余ったら余ったでいいのよ。500ぐらいが無難なのにね」

「500でもすげぇよなぁ・・・」

 

 伊達に『エゴスティック・リリィ』の看板をしょってないのだ。

 

「それで英梨々、これみてくれ」

 

 俺はアーニャンサイトを見せる。

 

「どうだ、お前がナンバーワンだ」

「1位と違うわよ?」

「えっ?」

 

 俺が確認すると1位が入れ替わっていた。人気コスプレーヤーのアーニャンになっていて、画像は高画質。このカウンターのあがり具合からして組織表が入ったか。無名の英梨々ではやはり分悪いのと、なによりも画質が悪い。誰かが後からとった受付をしているアーニャンの方が人気で、これと俺の撮影したのが入れ替わりそうだ。

 

「すまん」

「別に謝ることないわよ。それにしてもいつのまにこんなもん作ったのよ」

「性分でな」

 

 英梨々がスマホをいじって、画像を眺めている。

 

「あたしの方がカワイイわよね?」

「自分でいうか、それ」

「似てると思うけどなぁ・・・」

「いろいろなファクターがあって、総合力が違うんだよ。お前もコスプレ会場にいったら?」

「いやよ、恥ずかしい」

「なら、しゃーねーな。さっきから呼び方が『受付アーニャン』で定着しているぞ」

「それもいやね」

 

 英梨々がドリンクで水分を補給して、ブースに戻った。よほど悔しいのだろう、英梨々がスマホを両親に見せている。

 

「屋内と屋外で照明がちがうんだよねぇ・・・」

「あっスペンサーのおじさん」

「やぁ倫也君。これは負けられない戦いに参戦したものだね」

 

 参戦というか、戦場作ったのが俺だとは言い出しにくかった。この人が親バカなのを俺はよく知っている。すでに目つきが鋭くなっている。

 

「これは負けられないわね。あなた」

「あまりプロの方に迷惑かけたくないんだが・・・」

 

 両親そろって何か相談を始めた、スペンサーのおじさんはどこかに連絡をとっている。さっきから若い女の子に囲まれてニコニコした腑抜けたおっさんだったが、仕事をはじめると真剣である。この方がロアドのキャラに近い。

 

※ ※ ※

 

 しばらくすると撮影スタッフがやって来た。当然プロのカメラマンもいる。それから自分達のブースを後にして、コスプレ会場に3人は向かった。英梨々アーニャンがすでに不安そうにしているが、それがまんまキャラクターにあっていたので、その姿も撮影されている。がんばれ英梨々。

 

俺は『エゴスティック・リリィ』のブースに留まる。何しろ所帯が大きいのだ。中心になる人がいなくなると混乱する。お客の要望やトラブルもあるからだ。一応、撮影会は一段したようだが、さっきから英梨々アーニャンを待っているファンもいる。並んだままだった。

 俺はコスプレ会場に移動したことを伝え、そこへの行き方を案内した。何人かはそっちに移動していった。それでも英梨々アーニャンと握手ができると並んでいる人は不平を述べている。気持ちはわかる。商品が売り切れなわけじゃないのだ。

 俺は即席で握手券をつくり、『エゴスティック・リリィ』のスタンプを押す。番号と日付もいれる。購入者特典にした。時間は16時~17時。この頃にはこのペースなら本は売り切れていて、ここも暇なはずだ。

 現在は13時。昼食もとらずに英梨々は働き続けていた。

 コスプレ会場がどうなっているか気になったが何かと忙しい。そろそろ休憩も回さないといけない。簡易シフトを即席で作ってスタッフに休憩をとってもらう。俺と同じように会場内を歩きたい人達なのだ。

 売り切れの商品もでてきたので販売窓口を少なくし、さらに休憩に向かってもらう。現金の管理は大変で専門のスタッフがいる。札がある程度たまるとATMに入金しに行く。金額が半端ないのだ無用なトラブルを避けるノウハウは培われていた。

 

※ ※ ※

 

「ナンバー13、ナンバー13、応答せよ」

「こちら、13番。どうぞ」

「至急、救護室に向かってください。どうぞ」

「13番了解」

 

 無線でなんどか呼ばれていたが、13番であること忘れていた。他のスタッフに声をかけてから救護室に向かった。救護室なので何事かと心配になり早足で移動する。

 

 ヨルンさん。・・・小百合さんがベッドで俯せになって寝ていた。おまけに服がめくれあがって腰から背中まで丸見えだった。

 

「どうしたんですか」

「張りきすぎちゃったのよ」

「なにしたんです?」

「ほら、このキャラってアクション得意じゃない?」

「まぁそうですね、暗殺者ですから」

「それで、旦那のナイフジャグリングを足で受けたのよ」

「なにしてるんですか!?」

 

 ナイフジャグリングでまずはツッコミたい。あのおっさん器用だな。俺がスマホで検索するとすでに動画がアップされていた。まんまロアドである。器用に三つのナイフを操ってお手玉をしていた。歓声が聴こえる。まったく謎のスキルである。外交官ってこうなんだろうか。

 

「で、英梨々とスペンサーのおじさんはどこへ?」

「先にお昼休憩してもらってるわ」

「のんきですね・・・」

 

 なぜ俺が至急呼び出されて、当の親子は平然と飯を食っているのだか・・・

 

「それで、『エゴスティック・リリィ』の方はどうなったかしら?」

「問題ありません」

 

 俺は簡潔に経緯と握手券のことを説明した。売り上げも順調である。

 

「倫也君ってほんと優秀よねぇ」

「いえ、見様見真似です」

「ねぇ、あたしの失敗も動画で上がっているのかしら?」

「ええっ、あがってますね。ばっちりと。ただ、その後の動画がバズってます」

「どんな?」

「これです」

 

 寝ながら腰を抑えている、けっこういい歳のおばさんに俺は動画を見せる。まぁおばさんといっても、確かこの人アラフォーのお姉さんだけど。美人で見た目年齢はそれよいも若く、美魔女ってことになるんだろうか。

 年配ナースがサロンパスを小百合さんの腰に貼っている。

 

「あらやだ、恥ずかしいわね」

「俺からは何もいえません」

 

 動画には、ナイフを器用に蹴り、赤いハイヒールで受けているヨルンさんが映っている。黒いワンピースのスリットから出る生足がセクシーで、見ている人をさぞかし悩殺したことだろう。この曲芸はどこで身に着けたのだろう。ナイフはもちろん偽物だろうが、大道芸時代でもあったのだろうか。足で受けて地面に落とし、三本目でバランスを崩して、したたかに地面に尻餅をついていた。

 

「で、バズっているのが、この動画です」

「あらあら、これはまぁ旦那に惚れ直すわよね」

「ええ、狙ってないとしたら、相当ですよ」

「残念だけど、狙ってるわね」

「流石です」

 

 尻餅をついたヨルンさんをロアドがお姫様抱っこしている。この持ち上げるところで悲鳴に近い歓声が動画から聞き取れる。ついてきた女性ファンだろう。もうこういうのに弱いわけである、腐女子なら特に。

 別な動画では英梨々アーニャンが目を大きくして心配そうにしていて可愛い。こっちは天然だろう。

 

「そういうわけで、ここでゆっくり休憩してください」

「何かお昼を買ってくれるかしら?」

「ええ、いいですよ。何がいいですか?」

「ポンデリング」

「かしこまりました。適当に買ってきます」

 

 俺は笑いをこらえるのが大変だった。親子で同じようなことを言っている。ミズドまでいって、俺は並んでドーナッツを適当に20個買った。ドリンクもアイスコーヒーとアイスティー買っておく。

 救護室に戻り、小百合さんに選んでもらって皿の上に並べて置いた。ドリンクはコーヒーで、俺は言われるままにガムシロップとミルクをいれた。

 

「では、これでブースに戻りますね」

「ええ、ありがとう。あとはよろしくね。あたし、ここでしばらく休んでから戻るわ」

「はい」

 

 ブースに戻って、スタッフに残りのドーナッツを届ける。もうだいぶ売り切れが出ていて、スタッフに余裕がでてきていた順番にドーナッツを食べている。スペンサーのおっさんと英梨々も戻っていて、英梨々は忙しそうに握手に応じて、握手券を消化しつつ同人本をまだ売っている。

 

「やぁ、どうだった?うちのおてんば姫は」

「大丈夫そうです。今、救護室でドーナッツ食べています」

「そうかい。ありがとう。ところで見たかい?ボクの動画」

「ええ、見ました。さすがです」

「はっはっはっ、そうだろう?ツボを抑えているだろ」

 

 うん。わざとだった。さすがとしか言いようがない。

 

「トモヤ。アーニャンも。ドーナッツたべるー」

「おまえは、さっきランチたべんだろ」

「アーニャン。あとで。ドーナッツたべるー」

「で、何がいいんだよ」

「アーニャン。ポンデリング。すきー」

「さすがだよ!」

 

 俺はポンデリングを小分けしておく。さっきの動画でバズったせいか、『エゴスティック・リリィ』のブースにだいぶ人が集まっていた。この分だとそろそろ完売である。英梨々アーニャンも全員と握手しているわけでないが手が辛そうだ。笑顔は固まったままだ。

 

※ ※ ※

 

 ヨルンさん・・・じゃない小百合さんが戻ってきた。ブース内の商品も売り切れが目立ち始めていて、2000部刷った商品もあとダンボール人箱分もない。1人1冊にして、逆算しながら、列の人に伝えていく。残念ながら購入できない人も出てしまった。

 

 俺は撤収作業が始まる前に、警備室にいって無線とセキュリティーカードを返した。警備スタッフにお礼の挨拶をする。

 

 ブースに戻った頃に、ちょうど完売して拍手が沸き起こった。英梨々の握手券だけ数えると、来てない人が2名ほどいた。英梨々はほっとしたように背伸びをして、ポンデリングを口にした。俺はペットボトルのお茶を渡した。

 撤収作業をしながらも、家族で撮影に応じていた。実質、スタッフと俺だけで片付けている。俺はスタッフに、「このポスターのモデルの方ですよね?」と言われたが、まったくの風評被害です。と答えておいた。

 

 16時になると、握手券を持った方が2名とも早々と来てくれて、無事に回収できた。英梨々も笑顔で握手している。どこかのアイドルみたいになっていて笑える。まぁ、1日アイドル体験みたいな感じだろう。たぶん、英梨々には向いてない職業だ。

 

「もう、お2人は自由行動でいいわよ」

「はい」

「倫也君の謝礼は全部清算してからするから、少し待っててね」

「いえいえ、十分受け取っていますから」

 

 高級ホテルに泊まり、ケーキバイキングとフレンチを食べれば十分だ。10万を下ることはないだろう。日当で1万出ても、到底届かない。

 

「倫也、少しいいかしら?」

「どうした」

「疲れたのよ。どこか静かな場所ない?」

「あるぞ」

 

 俺は英梨々を連れて行ったが、すでにセキュリティーカードを返却しているのでバックヤードにはいれなくなっていた。

 

「すまん」

「あんたって、ほんと使えないわよね」

「まったくだ。あっちの上の方が静かかな?」

「そうね」

 

 上のフロアにあがり、端のほうの長椅子に座った。ここは人があまり通らない。ただ午前中には人気で、窓からは行列を作って外に並んでいる人を見下ろせる。

 

「ここがかの有名な『はっはっはっー、人がゴミのようだ!』とムズカごっこができる場所だよ」

「もう、人いないじゃない」

「この時間じゃな。まだまだ賑わっている会場もあるし」

「あたしも、終わったら見て回ろうと思ったのに・・・今日はもう無理」

 

 英梨々が眠たそうに目をこすっている。早起きしすぎなのか、あまり眠れなかったのか。

 

「倫也。膝借りるわよ」

「どうぞ」

 

 英梨々が横になって俺の膝で甘えている。普通は逆だろうに。

 

「ねぇ、倫也は今日楽しかった?」

「そうだな。まぁ楽しかったよ。いろんな経験できたし」

「そう良かった」

「英梨々は?ずっと笑顔だったようだけど」

「まぁ楽しかったわよ。一生分働いた気分ね」

「お前の一生短くていいなっ」

 

 英梨々が少し目を閉じた。俺はスマホをいじってサイトをチェックする。1位のコスプレーヤーに万を超える「いいね」がついている。このサイトもずいぶんと人がおとずれてくれたようだ。

 

 サイトの下にスクロールすると、英梨々アーニャンがちらほらとある。俺の最初に投稿したものはもうずっと下になった。プロが撮影したものはやはり映りがいい。本来は雑誌や新聞用なのだろうが、このサイトにもアップしてくれたようだ。満面の笑みの英梨々アーニャンはカワイイ。あと、困った顔の英梨々アーニャンもカワイイ。けれど、今急上昇中で、見ているそばからカウンターがあがっているのが、家族写真のものだった。3人で手をつないで、3人とも弾けるように笑っている。もうしばらくすると、カウンターの伸びから1位になるかもしれない。

 

 通りがかった人が、「撮影していいですか?」と声をかけてきた。俺はうなずく。英梨々の寝顔を撮影している。俺からは良く見えないので、サイトにアップするように頼んでおいた。

 

 それから、俺には最後にもう一つだけ大きな仕事がある。それが、コメント欄にある、「このコスプレーヤーは誰か?」という詮索だ。プロ顔負けの可愛さなのである。多少のメイクはしてあっても、英梨々にたどり着かれるかもしれない。

 そのための準備はすでにしてある。俺はコメントを見つけるたびに、「チェコ人のコスプレーヤーらしい」「日本に遊びにきているらしい」「サイトで確認できるぞ」などのコメントと一緒に偽サイトに誘導する。それ以上は詮索ができまい。しかも、そのチェコ人英梨々のサイトは俺によって運営されるから更新もされる。偽物でもあり、本物でもあるのだ。

 

※ ※ ※

 

 やっとホテルに戻ってきた。会場付近ではタクシーが捕まえられなかった。しょうがないで歩いて帰ってきた。

英梨々はホテルに戻ると、ベッドの上に倒れ込んだ。疲れたのだろう。

 

「倫也~。あたしの代わりにお風呂はいってきて」

「俺はお前の代わりじゃなくて、俺のために風呂にはいるよ」

「ケチ」

「すまんな」

「今、何時~」

「19時を過ぎたとこ」

「倫也、どうしよう」

「どうした?」

「予約が20時」

「キャンセルしたら?」

「ドタキャンはキャンセル料かかるわよ。別にいいけど」

「どこの店?」

「ここの日本料理の会席コース」

「そりゃあ豪華だな!」

「倫也~。服脱がせて」

「それ、割と真面目にいってるだろ?」

「あたりまえでしょ」

「だが、断る」

「ヘタレ」

「とりあえず、俺が先にシャワー浴びてくる」

「うん」

 

 俺はバスルームにはいってシャワーを浴びる。着替えはトランクの中だが、それは明日の衣装だ。備え付けのパジャマでいくわけにはいかないし、俺はもう一度同じ服を着た。

 シャワーから出ると、髪がぼっさぼっさの英梨々が立っていた。すでにカツラとネットをはずしている。おまけにコンタクも外していて、目つきが悪い。俺の好きなダメな方の英梨々で安心感がある。

 頭をガシガシとかいている。かいた指の匂いを嗅いで「くさぁ~」とか言っている。この残念美人感がたまらない!

 

 英梨々がバスルームに入っていった。俺もやっとほっとしてソファーにぐったりと座る。何も豪華な食事とかいらないから、簡単なものが何でもいいから食べたかった。というか俺はドーナツを1個食べただけと今気が付いた。ゆっくりランチを食べる時間がなかった。

 バスルームへの扉が開いて、英梨々が顔をだしている。頭にはタオルを巻いていた。

 

「倫也、あたしの服と下着なんでもいいから、とってくれるかしら?」

「準備してはいれよ」

「なによ~。じゃ、あたしが裸のまま出て、そこに取りにいけとでもいうのかしら?あたしはそれでもいいけど」

「バスタオルぐらい巻け」

 

 本当に英梨々がバスタオルを巻いてでてきた。目のやり場に困る。しかもかなりバスタオルが高い位置に撒かれていて、生足が見える。つか、見えそう。俺は目をそらす。

 英梨々はそんな俺を気にせずにキャリーバックを開けて、がさごそと服をいじっている音がする。

 

「ヘタレ」

 

 捨て台詞のようなものを残してバスルームに戻っていった。いったい、俺が何をしたというのだろう。いや、何もしてないから言われるのか・・・

 

 扉を開けっぱなしなので、ドライヤーの音が鳴り響く。やがて、白いノースリーブのロングワンピースを着た英梨々がでてきた。髪はストレートのままだ。目つきが悪いので、俺はメガネケースからメガネを出して渡した。

 

「この服に、メガネで合うかしら?」

「服に合わせてメガネ新調していたら大変だろ」

「そんなこと聞いてないわよ」

「カワイイヨ エリリ カワイイヨ」

「もう、それいいわよ」

 

 けっこう時間が迫っていた。英梨々をつれて日本料理屋に急いだ。

 

個室に案内され、俺たちはアイス緑茶を頼む。わざわざ有料の飲物など頼みたくないが、お酒も飲まないで利用するのはお店の人にも悪い。

会席膳は次々と料理が運ばれてくるが、いかんせん量が少ない。今はがっつりと食べたかった。

 

「倫也、お腹空いてるでしょ」

「ああ、何しろドーナッツ一個しか喰ってないからな」

「忙しかったのね、オーダーするわよ」

 

 英梨々が店員を呼んで、お任せ寿司1.5人前を注文した。「急ぎで!」の一言も添える。

 

 石焼きで牛肉を焼いている頃に寿司が来た。実に鮮度の良い豪華なネタが並んでいる。それを適当にわいわいといいながら英梨々と食べた。

 会席の終わりにでてくる、ご飯とみそ汁も綺麗に平らげ、上品なマスクメロンも完食して、俺も英梨々も満足した。やっと人心地が付く。

 

 昨日とちがって、すべておいしく食べることができた。空腹は最大の調味料である。

 

※ ※ ※

 

 夜、9時を周ったころに部屋に戻ってきた。英梨々がいきなり服を脱ぎ捨てた。

 

「ちょっ、お前っ!」

「少しは慣れなさいよ!」

「慣れるか!」

 

 白い下着姿だった。下着はレースだろうか、透けて見えた気がしなくもない。

英梨々は更衣室から取り出したロングシャツのパジャマに着替えている。

 

 今日は俺も同じものをきた。下がスースーする。2人で並んで歯を磨き、一緒にマウスウォッシュをして、それから目があったので、一度キスした。英梨々の耳が赤くなる。それからもう一度キスをした時、英梨々は俺の唇をあまがみした。俺も英梨々の下唇を少し吸うようにキスをした。

 

 英梨々が下を向いた。

 

「倫也、寝ましょ」

「少し早いけどな」

「眠いし、明日も早いし」

「あれ、明日も出店するんだっけ?」

「しないわよ。でも通用口から入るのは時間が決まっているから」

「わかった」

 

 寝室に移動した。今日は扉が閉まらないように一緒に部屋に入った。いそいそと英梨々がカーテンを閉めたから、俺は部屋の電気を調整した。薄暗くてちょうどいい。今日はするな?さすがにするよな。英梨々もそれっぽい雰囲気だったしな!

 

 ベッドの上で2人は横になる。俺が左で英梨々が右。手をちょっと伸ばすと、英梨々の手とぶつかって、ブランケットの中で指をからめる。英梨々が軽くアクビをしている。

 

「今日はもう疲れたから、あたし寝るから」

「そうだな」

「手をだしたら承知しないんだからね」

「説得力ねぇな」

「おやすみ!」

「ああ、おやすみ」

「ちょっと、右腕貸しなさいよ」

「いやだよ」

 

 英梨々が俺の右手を持って、また枕にした。そして今日は俺に背中を向けている。俺の右手に両手を絡めて遊びながら、俺の指にキスをしている。

 

「あんた、昨日。・・・あたしの寝ている間にエッチなことしたでしょ?」

「シラナイヨ シテナイヨ」

「それ、認めてるのと変わらないわよねぇ?」

「お前、なんで寝ている時ノーブラだったんだよ」

「デリカシーのない質問ね」

「誘ってるんじゃ・・・グフッ」

 

 英梨々が俺に肘打ちをしやがった。ところで今日はどっちなのだろう?さっきの感じだと外す時間はなさそうだったけど。

 

「あたしは寝るときは付けない派なのよ」

「必要ない派だろ・・・ゴフゥ」

 

 英梨々が肘撃ちを(ry

 俺は英梨々に方へ身体を向けて、左腕を抱きかかえるようにした。英梨々がその手を握る。そしてアクビをする。俺もつられてアクビをした。疲れた。

 

「今日はどっちだと思う?」

「何が?」

「はぁ?あんたバカなの?死ぬの?」

「付けてる」

「・・・バカじゃないじゃない」

「で、どっちだ?」

「確かめてみなさいよ」

 

 英梨々が俺の左手を自分の胸のところに押し当てた。柔らかな感触が伝わる。そして服の下の布の厚みも確認できた。

 

「正解だろ」

「倫也って、バカよね」

「なにがだよ」

「バーカ、バーカ」

「どういうこと??」

 

 英梨々がギュと押し当てていく。俺は右手も使って英梨々を抱きしめる。後ろからぎゅぅーって抱きしめた。英梨々の背中は俺の胸にぴったりとくっついた。英梨々のいい香りする。クラクラする。

 

「あたしね・・・寝る時はノーブラ派なのよ」

「・・・」

「三度は言わないわよ」

 

 隣のリビングでケータイ電話の鳴っている音がする。俺も英梨々も気が付かない振りをした。

 

「どうやって外すんだ?」

「後ろのホックを外すんだけど、たぶん、脱ぐのにはこの服を一度脱がないと無理ね」

「この服はどうやって脱がすんだ?」

「前のボタンを全部はずして・・・って、倫也、何もかもあたしに説明させないでよ」

「すまん」

「あと、ちょっと強く抱きしめすぎよ」

 

 ケータイは鳴りやまない。いつだって、いい時にジャマがはいる。英梨々がまた大きくアクビをしている。

 指を使って、英梨々のボタンをはずそうとしたけれど、英梨々はその指に指を絡めてきて邪魔をする。

 

「そろそろ、寝ましょ倫也」

 

 俺はおやすみを言えずに、もう少しボタンをはずそうと試行錯誤していた。体勢が悪い気がする。腕が自由に動かない。ケータイが鳴りやんだ。

 やっとの思いでボタンを1つだけ外した。ボタンは全部でいくつあるのだろう?

 

「すぴー、すぴー」

「狸寝入りにもほどがあるなっ」

 

 次のボタンを探して、腕を動かす。英梨々が邪魔をする力が弱くなっていた。その下のボタンをなんとか外した時に、英梨々はもう俺の邪魔をせずに、静かにしていた。

 あれ?俺が興奮しているのに、英梨々は寝たかもしれない。もうアクビもしない。

 

「英梨々、寝たのかよ・・・」

 

 小さな小さな寝息が聴こえるけど、それが狸寝入りなのかよくわからない。このまま続けるべきなのだろうか?俺のこの性欲をぶつける方が男らしくって、ヘタレでなくなるのか。

 でも、俺はそんな風に英梨々を扱いたくはなかったし、自分の欲望に葛藤しながらも、結局はボタンをはずすことができなかった。

 

 英梨々を腕枕している右腕の痺れを感じながら、目を閉じて時間と嵐のような欲情が通り過ぎるのをまった。

 

(了)




倫理君・・・


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23 夏コミュ・出海ちゃんと後輩美術部員

今回は夏コミュにてプライベートの英梨々。


8月14日(日)夏休み22日目

 

 俺が目を覚ました時、英梨々はベッドに腰をかけて歯を磨いていた。

 

「おはよ。英梨々」

「おふぁよう」

「口をすすいでからしゃべれ」

 

 英梨々が立ちあがって洗面所に向かった。俺はその後ろ姿をぼんやりと目で追った。英梨々は昨日と同じロングシャツのパジャマを着ている。俺が昨晩、苦心してボタンを2つ外したパジャマだ。

 

「ほら、そろそろ起きなさいよ」と英梨々が戻ってきていった。俺は英梨々を上から下まで見る。髪はまだ結っていないが、櫛は通されていて、窓から入る朝の光に煌めいていた。俺は英梨々の胸に目が釘付けになる。俺の感性が間違っていないなら、胸のふくらみに、さらに小さな膨らみがあるような気がする。そこまではっきりはしていない。

 

「なぁ英梨々」

「なによ?」

「ちょっと、こっち来てくれる?」

 

 俺はベッドで上半身を起こした。英梨々が近寄ってくる。

 

「もうちょい」

「なんなのよ」

「もうちょっとだけ」

「もう・・・」

「えいっ!」

 

 近づいてきた英梨々の右胸に、俺の右手を伸ばしてつかんだ。ジャストフィット!

 

「あんたねぇ・・・」

 

 怒りもせず、逃げもせず。英梨々が俺に胸を触らしている。俺がちょっと揉むと。離れていった。

 

「バカなことしてないで、起きなさいよ。朝からバカじゃないの?」

「いや、大事なことだから、確認しただけだ。他意はない。というか英梨々。お前、胸を触られてノンリアクションなのもどうかと思うぞ?」

「低血圧だからそんなに朝からテンション高く行動できないのよ」

「う~ん」

「ルームサービス頼んでおいたから、そろそろ来るわよ」

「ノーブラだよな?」

「あたしは、寝るときはそうだと言ったでしょ」

「いつのまに!?」

 

 英梨々はため息をついて、リビング方へ向かった。俺もそろそろ起きる。元気な息子が今日も無事に朝を迎えてほっとするよ・・・情けない。

 

※ ※ ※

 

 『夏コミュ』の2日目。出店している同人のジャンルが変わる。

 

 朝、英梨々はコスプレをして参加するか、お忍びでいくかを迷っていた。今日はのんびり夏コミュを楽しみたかったようだ。ご自慢の金髪ツインテールを封印し、髪をこじんまりとまとめ上げ、大きい茶色のベレー帽の中に隠した。大きな黒ぶちメガネをかけ、黄色と茶色のチェック柄の長袖に、赤茶色のデニムズボンと、上から下まで地味だ。競馬新聞でも持たせたいが、本人的にはキセルをもった探偵風のイメージらしい。怪しいという点では共通しているし、俺はまぁ特に言うことはなかった。

 

 昨日と同じ通用口から入った。俺も英梨々もセキュリーカードも無線も渡されずに、今日は取材の腕章を渡された。これが一番気楽に自由に動けるらしい。所属は出資している新聞社のバイト扱い。一応、原稿3つが提出ノルマとなった。テーマは自由で、この夏コミュに関するものならなんでもいいらしい。

 

 開場まではまだ1時間以上もある。外は行列がすでにできている。俺と英梨々は例の高い所まであがって、「はっはっはっ、人がゴミのようだ!」とセリフ付きで動画をお互いに撮った。やっと夏コミュに参加した実感がわく。他の人も順番に並んで同じことをしていた。

 

 英梨々が上のフロアから会場の設営をぼんやりと眺めている間。俺は原稿を書いていく。

 

「あんた、まだ始まってないのに、なんで原稿を書けるのよ」

「昨日も来てたからな。簡単な仕事は先に済ませておく方がゆっくり楽しめるだろ」

「別に建前のバイトなんだから、やらなくてもいいわよ」

「できるだけ迷惑かけたくないんだよ。これで結果がでれば、来年だって来やすいだろ」

「まぁ好きにしなさいよ。で、何を書くのかしら?」

「テーマは3つ。過去、現在、未来だな。『老舗同人サークルの役割と意義』、『進化し続けるコスプレーヤーと観客のマナー』、『悪役令嬢ブームに続く、次の流行の兆し』で、書いてみようと思う」

「まじめよね」

「手の抜きようもないだろ」

「じゃあ、ついでにあたしの分も書きなさいよ」

「自分でやれよ」

「あたしはやらないわよ」

「せめて、テーマぐらい考えろ」

「そうねぇ・・・『同人作家の節税方法』、『並べるだけでは売れない、新しい販売テクニック』、『侵害され続ける表現の自由』でいいわ」

「まじめかっ!」

 

 英梨々は欄干の上で腕を組み、その上に顎をのせて退屈そうに下を眺めていた。昨日の様に忙しすぎるのも嫌だが、やることがないのもまた嫌なようだ。女心は難しい。

 

※ ※ ※

 

 開場した。にぎやかになってきたら、英梨々の調子も出てきた。俺は英梨々について周り、荷物持ちをする。英梨々は同人誌の見本を手にとってパラパラとめくり、少しでも気になったら買っていく。流行や人気作家を追いかけるようなことはしない。そのような作品は欲しくなったら、後からネットでも購入がしやすい。価値があるのは将来目がでそうな作家の同人誌である。販売部数も50部程度の人もいて希少性が高い。

 

「重いんだが・・・」

「あら、けっこうな量ね」

「一度配送手続きしてくる」

「そう、お願い。あたしはこのあたりのブースにいるわ」

 

 リュックがいっぱいになり、二重にした紙袋もいっぱいになってきた。紙なので密度が高く重い。配送センターまでいって、ダンボールに詰めて手続きをする。これで一度身軽になった。この日に何万と費やす人は多く、英梨々のように目についたものを次々買っていくお客も少なくはない。自販機でナタデココ入り乳酸菌飲料を買って、ベンチに座って一息つく。

 

「倫也先輩」

 

 少し甲高い声が聴こえた。あたりを見回すと、出海ちゃんが手を振っている。2つ下の後輩で、赤毛の可愛い女の子だ。絵も上手いが、運動も得意で溌剌として明るい。おまけに出るところは出て、女性らしい体型をしている。白いシャツに短いネクタイをして、ギンガムチェックのスカートをはいている。何かのコスプレなのか、そういうファッションなのか判断が微妙だ。

 

「ああ、出海ちゃんも来てたんだ」

「わたしは今年も出店しているんですよ。あとで来てください」場所を教えてもらった。

「それで、倫也先輩はお1人ですか?」

「いや、英梨々・・・澤村と一緒だよ」

「ああ、澤村先輩は今日も来てるんですね」

「あれ、昨日も会ってる?」

「会ってますよ。倫也先輩とは会ってませんが、アーニャンコスして売り子してましたよね」

「そうそう。バレたか」

 

 どうやら、出海ちゃんは『エゴスティク・リリィ』の同人本を買いに来ていたようだ。ファンなので当然か。英梨々は忙しすぎて気が付かなったようだ。俺もぜんぜん気が付かなかったから、いない時に買いきていたのだろうか。まぁそこを詮索してもしょうがない。

 

「わたしは今年、美術部の有志で参加しているんです」

「へぇー」

「うちの学校って漫研ないじゃないですか。作ればそれなりに需要があると思うんですよね。美術の中でこっそり活動してて、肩身が狭いんですよ」

「あれ、漫研って許可下りないんだっけ?」

「そうですよ。進学校だからですかね?頭固いですよね」

「そうだなぁ」

 

 いつの間にか出海ちゃんが隣に座った。距離が近い。女の子の匂いがする。あと、近くで見ると胸の膨らみに迫力があって、これがなかなか・・・

 

「出海ちゃんも何か飲む?俺が先輩風を吹かせて、ジュースをおごってやろう」

「なら、せっかくですから・・・同じものお願いします」

「よし」

 

 俺は自販機で同じものを買って、ペットボトルのキャップを少し緩めてから、出海ちゃんに渡した。

 

「・・・こういうとこ、優しいですよね」

「どこ?」

「いえ、気が付いてないならいいんです」

 

 出海ちゃんがペットボトルに口をつけて、一口飲んだ。

 

「ところで倫也先輩、恵先輩はどうしたんですか?」

「ぶはっ」

 

 俺は思いかけない剛速球に飲んでいるドリンクを吹いた。慌ててタオルで拭く。加藤恵。俺の同級生で去年は一緒に夏コミュに来た。ゲーム作りの長い時間を共に過ごした。年末に英梨々と付き合いはじめからは、距離をとられて、口をほとんど聞いていない。俺にはどうしようもできない。

 

「加藤は・・・どうしているんだろうな」

「本当に別れちゃったんですね」

「ぶはっ」

 

 ダメだ。出海ちゃんの前で何かを飲むのは危険だ。飲物が気管支に入って俺は咳こんだ。

 

「大丈夫ですか?」

「あまり、大丈夫じゃないよ・・・とにかく、加藤とは付き合ってもないし、何もないから」

「まぁ噂ですから」

「どんな?」

「だから、倫也先輩が加藤先輩を捨てて、澤村さんを恐喝して奴隷にしているって噂ですよ」

「なんか、俺が腐れ外道になってない!?」

「わたしは倫也先輩がそんな人じゃないって信じていますけどね」

「出海ちゃん・・・」

「ただのヘタレ童貞の先輩って知っていますから」

「出海ちゃん!?」

 

 ふぅ、ドリンクを飲んでなくてよかった。言いたいこと言われている気がするが、まぁ伊織の妹だし、口が悪いのだろう・・・

 

「じゃあ、わたしはそろそろみんなのところに戻りますね」

「ああ、うん。あとで行くよ」

「澤村先輩も連れて来てくれますか?」

「ああわかった」

「みんな喜ぶと思いますので」

「そうなの?」

「ああ見えて、後輩思いで慕われていますから。今回のコミュケも誘ったんですけどね」

「へぇ・・・」

 

 出海ちゃんが戻っていった。俺はどっと疲れた。

加藤のことを思い出した。去年はなんだかんだと楽しんでくれたのだろうか、楽しかったらまたここに来てもよさそうだが、1人では来られないだろう。でも、誰かが誘って加藤がここに来ていても嫌だな。今、何をしているのか確認してみるか?確認してどうする?どうしようもない。以前に送ったLINEのメッセージは既読が付かないままだ。もう何ヶ月もたつ。

 加藤とも楽しく遊びたかった。一緒にここにきて今年はコスプレデビューでもさせてみたかった。リアクションが薄いがああ見えてノリのいいところもある。

 俺が英梨々と付き合ってから、加藤は距離をとった。俺と遊ぶことはなくなった。それは当然なことなのだろう。

 加藤のことを思い出すと、胸がチクリと痛い。

 

 俺はそれを気が付かないことにして、英梨々のところに戻った。英梨々はまた多くの同人誌を買って重たそうな荷物を持っていたので、俺が代わってもってやった。

 

※ ※ ※

 

「わぁ~澤村先輩だぁ~」

「本物だ~」

 

 なぜか、英梨々が黄色い歓声を浴びている。出海ちゃんが主催のサークルだった。メンバーは美術部員なので、全員が英梨々の後輩になる。出海ちゃんの服装と同じ格好をしているのは、コスプレするほどふっきれず、一応みんなで合わせた結果なのだろう。みんな可愛くてよく似合っている。

 

 最初は嫌がっていた英梨々だが、いざ連れて来てみると、まんざらでもないようだった。先輩、先輩と慕われるのは気分が悪くないのだろう。学校の時のお嬢様モードになっている。自分の服装が怪しいことを忘れているようだ。俺は英梨々の帽子を取り、黒ぶちメガネを外して、オシャレなピンクゴールドのメガネに変えてやった。

 

「ほら、彼氏が無理やり連れて来たから」

「そうなんですかー」

 

 英梨々がオタクであることは秘密だ。ましてや『エゴスティク・リリィ』のエロ凌辱漫画の同人作家であることはトップシークレットである。出海ちゃんもそのことはわきまえている。出海ちゃんはBL漫画を描き、こちらも秘密だ。お互いに一般人には知られたくない秘密の趣味である。それに、出海ちゃんは英梨々の漫画の才能を尊敬している。女としては小馬鹿にしている気がしなくもないが・・・

 

 この美術部の同人サークルは、エロ漫画ではなかった。一般向けの二次創作でそれぞれが描いた作品をまとめたものを販売している。俺も5部ほど買って、売り上げに貢献する。

 

「出海ちゃん、何部刷ったの?」

「200です」

「けっこう張り切ってるね・・・」

「余ったら学校で配りますから。それに・・・」

「それに?」

「倫也先輩がまた売ってくれると思って」

 

 あら、嬉しい事いってくれるわ。表紙が出海ちゃんの絵なので、手には取りやすい。アマチュアというよりはセミプロレベルで、大手サークルの『ルーランルージュ』の看板作家になり損ねている。あちらは紅坂朱音という有名クリエイターが主催しているサークルでガーレジ売りをしている。

 

「波島ちゃんって、この先輩と仲がいいの?」出海ちゃんの友達がいった。

「うん。倫也先輩とは小学生の時からの関係をもっていて」

「その怪しい言い方やめてね!?」

「へぇ・・・でも、どうして出海ちゃん呼びなの?」

「それは、わたしと倫也先輩が特別な関係だからです」

「わぁ・・・」

「いや、ただ出海ちゃんの兄と知り合いというだけだから」

 

 知り合いということころがミソ。兄の伊織とは中学生の時に同級生だった。オタク趣味が一緒だったが、あいつとは方向性がちがって仲違いした。

 

さっきから英梨々が聞き耳を立てていて、何かをツッコミたいのを我慢してうずうずしていた。とはいえ、後輩の手前、お嬢様モードを崩さない。それが笑える。

 

英梨々がブース内で手伝い始めた。だんだんと熱がこもってきて、というか地が出てきて、ブースの中で絵を描き始めている。販売方法が気になるのだろう。ポスターやポップアップなどのアイテムが大事だ。俺が協力しなくても、英梨々がいれば十分だろう。

それに、英梨々もこのぐらいのサークルでのんびりと出店した方が楽しいかもしれない。

 

「そういうわけで出海ちゃん。売り方に関してはそこの優しい先輩がアイデアを出してくれると思うから、俺はちょっと別のブースにいってくる」

「そうですか・・・残念です。でも、倫也先輩も男ですものね、エロコーナーに行きたいのを引き留めるわけにはいきません」

「いや、ただの巨大ロボットコーナーに行くだけだからね?」

 

 後ろで女子生徒が俺の顔を見てひそひそ話している。噂の英梨々を脅迫している変態さんの誤解は、もしかしたらこの出海ちゃんのせいなのでは・・・

 まぁいいや。

 

※ ※ ※

 

 俺は1人で自由に見て回った。オタクといってもジャンルは広い。俺と英梨々の共通のところもあれば、違うところもある。巨大ロボットなどがそれだ。一通りぐるりと見て回り、気に入ったものをいくつか選んで購入した。

 他のブースも見て回り、英梨々の好きそうなものを見つけたら適当に購入しておいた。

ランチの時間に出海ちゃんのサークルにドーナッツを10個ほど届けた。英梨々も笑顔でだいぶ溶け込んでいた。あんまりキラキラ輝いている英梨々よりも、今日みたいなお忍びの恰好の方が後輩も話しかけやすいのかもしれない。英梨々は後輩のリクエストに応えて絵を描いていて、描いたものは、ペタペタと長テーブルに貼っている。様々なマンガのキャラクターがテーブルを彩っている。

 

 販売ペースから逆算して、夕方ぐらいまでかかるかもしれないが完売するだろう。英梨々が楽しく過ごしている以上は、俺の方に気を使ってもらいたくない。俺は英梨々をサークルに預けたまま、他のブースを見て回って過ごした。1人は1人で気が楽だった。加藤のことを思い出してはかき消した。

 

 時々、上のフロアからサークルの状況を確認して、完売が近くなったころに戻った。完売するとみんなで喜んでいた。英梨々の面目も立っただろう。片付けを手伝う。

 

「英梨々、打ち上げやるのか?」

「さぁ?」

「出海ちゃん、打ち上げやるの?」

「あんまり考えていませんでした。売れ残ると思っていましたし、最後までいると遅くなりますし・・・」

「ほら、英梨々、誘ってやれよ」

「なんで、あたしが」

「先輩だからだろ」

「断わられたらどうするのよ」

「断らんだろ、時間も余裕あるし」

「そう?」

 

 俺と英梨々の会話は小声である。

 英梨々が緊張しながらみんなを打ち上げに誘った。もちろん喜んで承諾されていた。

 さっそくスマホで店に予約をいれる。後輩が5名なので、俺をいれたら7名になる。俺が参加すべきかどうか迷うが、先に帰っても感じが悪かろう。隅でおとなしくしよう。

 ちなみに売り上げは500円×200部で10万ほどある。高校生としてはおいしい金額だろう。諸経費を差し引いても十分な利益だ。

 

 みんなで歩きながら会場をあとにする。しばらく歩くと賑やかな場所になる。そこのショッピングモールに入る。選んだ店は中堅の焼き肉屋である。英梨々に比べたら庶民とはいえ、進学校の私立である。みんなそれなりにお嬢様なので問題はない。

 

 焼肉のコースをオーダーする。お昼がドーナッツだけと軽かったので、まだ17時だったが、みんなお腹がすいていたようだ。

 俺は英梨々の隣で口数少なく過ごす。会話を回しているのは出海ちゃんで、みんなの笑顔が絶えない。英梨々もお嬢様らしく口を抑えて笑っている。

 

 英梨々が大切に育てたタン塩を俺は横取りをして喰う。

 

「ちょっとあんな、何してんのよ・・・」

「ほら、お嬢様モード、お嬢様モード」

 

 俺は何食わぬ顔で英梨々の横で、小声でつぶやいた。英梨々が苦笑いしている。これは楽しいかもしれない。

 

 英梨々が育てたカルビを俺はもちろん横取りをする。

 

「あんたねぇ・・・」

「ほら、顔が引きっつってるぞ、みんな見てる」

「覚えておきなさいよ」

 

 英梨々が作り笑顔をしている。お嬢様モードといっても、実はそれも英梨々の素なのだろう。そんなに違和感がない。むしろ、俺といる時のツンケンしている時の方が、自分を作っているのかもしれなかった。

 

 もちろん、英梨々がまた育て始めたタン塩を俺は横取りをしようとする。

 

ガッ!

 

 英梨々が箸で、タン塩を抑えた。

 

「ちょっとねぇ!倫也。あんた、バカなの?死ぬの?」

 

 英梨々が我慢できなくなって、大きな声を出した。

 出海ちゃんが下を向いて笑っている。後輩は呆然としている。

 

「しょうがない、英梨々。このタン塩はお前に捧げよう」

「元々、あたしのでしょーが!」

 

 後輩も笑い始めている。これも英梨々の一面なのだと、俺は無言で教えてやったのだ。

 英梨々は我に返って、顔を赤らめている。それもまたカワイイ。

 

※ ※ ※

 

 英梨々がカードで会計を済ませた。全額をおごるのは別にいいが、一応あんまり上からでもよろしくないので、1000円ずつ後輩から徴収させた。英梨々としても今日は昨日よりも楽しかったのかもしれない。だいぶご機嫌である。

 

 駅でみんなを見送った。俺たちは少し時間をずらしてから電車に乗った。疲れたようで口数は少ない。何度か電車を乗り換え、地元のローカル線に乗った。この電車に乗るとほっとする。もうすぐ我が家だ。

 

「はい。これ」

「どうも」

 

 英梨々が飴ちゃんをくれた。スイカ味だ。俺はそれを口に含んだ。英梨々は包装のゴミを回収しバッグにしまった。

 

「悪かったわね」

「何が?」

「一人でほっといて」

「いや、ぜんぜん。一人で過ごせる場所だったから」

「むしろ、あたしがいない方がよかったかしら?」

「そこまでは言わねぇよ。でもさ」

「でもなによ?」

「一緒にいなくても、お前がいるような気がしたよ。だからいろいろ買っておいたから」

「ふーん。どうだか」

「えっ、俺、今いい事言わなかった?なんでそんな訝し気なんだよ」

「ふん」

 

 女心がわからない。

 いや、確かにさ、1人でいた時に、ふと加藤のことも考えていたよ。でもそれは出海ちゃんが話題を振ったからであって・・・ それに、そんなことを俺が考えていたことを英梨々が知るはずもないし・・・

 

 駅から家の帰り道、別に英梨々は機嫌が悪くなかった。いない間に俺が何をしていたとか、サークル内で起きた些細なトラブルとか、そんな話をしてよく笑っていた。

 だから、さっきのことも英梨々なりの冗談か何かなのだろう。もう少し後で考えてみたらわかるのかもしれない。時々鈍い自分が嫌になる。

 

 家の前まできた。荷物は送ってしまったので家に置く荷物もない。

 

「送ってくよ」

「いいわよ、ここで、すぐそこでしょ。そんなに遅くもないし」

「そうだな」

「じゃ、また明日ね」

「なぁ、英梨々」

「なによ?」

「ごめん。さっき・・・電車で」

「うん?ああ、別に、そんなこと気にしてたの?あんたが鈍感なのっていつものことじゃない」

「そう?」

「自覚ないのよね。あんたバカだから教えておいてあげるけど」

「うん」

「一人にして悪かったって言ってるのに、平気だって言われたら、そりゃ頭にくるでしょ」

「ああ、そういうことか。それだけ?」

「それだけよ。それとも何か、倫也にやましいことでもあったわけ?」

「ねぇよ」

 

 そっか。それだけか。俺の勘違いだった。だいたい英梨々が正しい。俺は自分で勝手に自分を責めていた。

 

「俺はさ、今が寂しい」

「何言ってんのよ」

「今、こうやって英梨々と離れるのが寂しい」

「はぁ?あんたバカじゃないの?あたしはべつに寂しくないわよ。早く、家帰って風呂入って、熱い梅こぶ茶でも飲んでほっとしたいだけ」

「そっか」

「じゃあね」

 

 英梨々が離れていった。俺はその後ろ姿を少し見ていた。英梨々が振り返って、アカンベーをしながら、俺に

「バーカ」って言った。それから、くるっと回って、歩いていった。その姿を見送る。

 

 俺は鈍いのだろう。ツンデレしている英梨々に振り回される。今日も英梨々を美術部サークルに任せるよりも、俺と一緒に周った方がよかったのかな。わかんねぇな。

 

 離れていく英梨々は、もう振り返らない。

 

 俺はやっぱり、送っていくことにした。英梨々に追いつくために少し走る。

 

「英梨々」

「なに?忘れ物かしら」

「送ってくよ」

「送ってくもなにも、すぐそこよ」

 

 坂の上に英梨々の屋敷の門が見える。英梨々が道路の左側を歩いているから、俺は英梨々の右側にいた。歩いている英梨々の右手を左手で掴んで手をつないだ。英梨々が驚いたような目で俺を見ている。

 

「やめなさいよ」

 

 英梨々の右手。ペンダコができていてゴツゴツした部分がある。完璧な造形の英梨々にあって、一番歪で不釣り合いな場所だ。英梨々のコンプレックスでもある。だから、英梨々はこっちの手ではつながない。

 

「今日だけは。こっちの手がいいんだ」

「あたしが嫌なんだけど?」

「我慢しろ、我慢」

 

 そういいながらも、英梨々は手を離さずに、俺の手を握り返した。左手よりもちょっと力が強いかな。

 少しの間だけ右手をつないで歩いた。すぐに到着して手を離す。空は曇っていて、今日はそんなには暑くなかった。

 

「ああ、倫也。あんた、わざわざキスしにきたんでしょ?」

「ちげぇよ」

「あら、否定するのね」

「あのなぁ・・・」

 

 そうなのかな?無意識でそうだったのかもしれない。でも、なんか認めたくないな。

 俺は英梨々の腰に右手を当てて、抱き寄せた。今日の英梨々は帽子をかぶっていて、あまり目立たない。メガネだってしている。それでも英梨々は英梨々だ。

 

 左手で英梨々の前髪をあげて、そのおでこにそっとキスをした。

 英梨々がもじもじしている。でも、俺は気が付かないふりをして、「じゃあな」といって、振り返って歩く。

 

 後ろから、「バーカ」という声が聴こえた。ふふん。いつも俺をバカにするからだ。

 

 俺も家に帰ったら、熱い梅昆布茶でも飲むとするか。

 

(了)




原作だと出海ちゃんの友達は2人いて、ちゃんと名前があるようだ。
本作では掘り下げない。


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24 アニメ鑑賞③鋼のなんちゃら

月曜の英梨々はダラダラモード。


8月15日(月)夏休み23日目

 

 オタクの祭典『夏コミュ』が終わると、俺と英梨々の中では夏が終わった気分になる。

外はまだまだ暑いが、蝉の鳴く声は減ってきているように思う。

 

 今日の英梨々は白い無地のTシャツに下は緑ジャージ姿。実におしゃれをする気がない。髪を後ろで結って黒いヘアゴムで留めている。そして、俺のベッドで何をするでもなくゴロゴロしていた。

 

「何かアニメでも見るか?」

「何があるのよ」

「鋼のなんちゃら」

「なんか、どーでもいいわね」

 

 鋼のなんちゃらは、ずいぶん前に流行したアニメだ。錬金術師が活躍する。金髪の幼馴染ヒロインが主人公と結ばれるせいか、英梨々もこのアニメが好きだった

 

「えっ?みない」

「もう、セリフを覚えたぐらい見たわよ。なんで今更それを見ようなんて思ったのよ」

「ほら、実写化されるみたいだし」

「ほんと、どーでもいいわよね。倫也だって実写なんてみないでしょ」

「まぁそうなんだけどさ・・・話題として」

 

 英梨々は手を伸ばし大きなアクビをしている。まだ午前中だ。ラノベを読むでも、マンガを読むでもなく、ぼっーとしている。

 曰く、これぞ夏休みということらしい。当然、テーブルにはカルピスの入ったグラスが置かれていて、結露で下が濡れている。その景観がいいらしいのだ。

 俺はというと、まったく課題に手が付かない。さすがに受験生なのでそこまで量は多くないし、気合を入れれば一日で解答を写し終えるだろう。まともに解いたらどれくらいかかるかは知らないが。

 

「ぜんぜん、勉強してねぇな・・・」

「ほんと、倫也どうすんのよ?このままじゃ大学落ちるわよ」

「いや、そうなんだが・・・それ、お前もだよな」

「あたしは美大の推薦もらってるし、実技の提出物だけ作ればいいもん」

「才能あるやつはいいな」

「その、人が努力していないみたいに言うのやめてくれるかしら?」

「すまん」

 

 この夏なんども繰り返してきた話題だ。進路。考えただけでうんざりする。

 才能かぁ。何事も努力が大事だと思う。でも、努力することも才能じゃないか?好きなことに没頭する才能。俺にも欲しい。去年のゲーム作りはずいぶんと真剣に取り組んだ気がする。今年も、こんな風にダラダラと過ごすなら、ゲームを作った方がよかっただろうか。

 でも、英梨々と付き合って、加藤が口を聞かなくなって・・・美智留は順調に地下アイドルで活躍しはじめていて、詩羽先輩は大学に行ってしまった。改めてまとめる気力は俺にはなかった。あの坂の上で見かけた桜の女の子。俺はあの子・・・加藤恵に対する第一印象をゲームにしたかった。でも、それはもう叶わない。

 

 家のチャイムが鳴った。

 

「きたわね」英梨々の声が少し高くなった。

 

 英梨々が跳ね起きた。俺は窓を開けて配達員さんに降りていく事を伝えた。

 玄関を開ける。台車にはダンボール3箱が乗っていた。それを玄関においてもらい、サインをした。

 

「ああ、けっこうな量だな・・・」

「倫也の部屋に運ぶかしら?」

「英梨々の家に運ぶものを、上にもっていく必要もないしなぁ」

「じゃあ、リビングで分けましょ」

 

 届いたのは夏コミュで買った同人誌やグッズである。小さいダンボールとはいえ、中は紙なので持ち上げると重い。英梨々と一緒に運びガムテームをはがして開けていく。

 英梨々は一冊ずつ取り出しながら、パラパラとめくり、テーブルの上に重ねていく。

 

「あの場所では魅力に思えても、冷静になるとそうでもないのよね」

「まぁそんなもんだろ、テンションもあがってるしな」

「このダンボールはあたしのよね?」

「だな」

「こっちが、倫也の選んでくれたものよね」

「ああ、なかなか光る才能の子もいて、気になったのは買ってきた」

 

 新人の発掘。これは同人ファンの醍醐味である。

 テーブルの上に同人本が散らばってく。うちの親がみたらいくら寛容でも怒るか悩みそうである。R18同人は、18歳以下への販売が禁止なのだから。

 

 俺は自分の巨大ロボット系や少年雑誌のものを部屋に運ぶ。ついでに氷の溶けたカルピスを下に運んだ。テーブルの上は邪魔なので、キッチンのカウンターに置いといた。

 

 英梨々はある程度仕分けを終え、またダンボールにしまっている。

 

「倫也、これは上にお願い。こっちは玄関に。あとで家に運ぶわ」

「あいよ」

 

 こうして、俺の部屋にまた英梨々の荷物が増えていく。俺の部屋よりは英梨々の部屋の方が4倍以上広い。あまり荷物が増えても困るのだが、英梨々がここにいる時間も長いのでしょうがない。拠点を英梨々の部屋にすればいいのだろうが、あっちはメイドさんが誰かしらいて落ち着かないようだ。

 

 俺はダンボールを再び玄関に運び、もう一つを上に運んだ。英梨々はキッチンでカルピスを飲み終えて、グラスを洗っている。

 そろそろお昼なので、何か考えないといけない。何も考えずにいるとまたカップ焼きそばになってしまう。

 

「英梨々、そろそろ何か喰いにいく?」

「いかない」

「何か作ろうか?」

「カップ焼きそばでいい」

「あっそ・・・」

 

 無駄だった。せめて、野菜ぐらい付け足したいが冷蔵庫にろくなものがはいっていない。

 

 英梨々は俺の部屋に運んだダンボールを壁際におき、中から一冊を取り出してベッドの上で寝転がりながら読み始めた。鼻歌まで歌っているところから、かなり上機嫌になってきたらしい。

 これで、見ているものが女性用ファッション誌なら、年頃だしわからなくもないが、見ているのはBLものである。俺が覗いてみるが、イケメンの裸ばかりだ。同人誌にもよるが、どちらかというとストーリーよりも、絵の表現が重視されているのが多い。散文的なのだ。だいたい少年漫画よりも少女漫画の方が、コマ割りが複雑でどういう順番で読むか迷う時があるものだ。

 

「セクシーさのかけらもねぇな・・・」

「あんた何言ってんのよ」

「見たまんまの感想だよ」

「はぁ?なんでエロ同人読むのに、あたしがセクシーにならなきゃならいのよ」

「ごもっとだけどな」

 

 俺は英梨々の姿をスマホに収めて、見せた。

 

「これが、今のお前だ。だらしないにも程があるだろ?」

「・・・なに、あんた?じゃあ、あたしが正座でもして、読経でもするかのようにこの凌辱マンガ読めとでもいうのかしら?」

「そうじゃねぇけど」

「なによ、文句あるならいいなさいよ」

「ないない。俺が悪かったよ。ゆっくり楽しんでくれ。俺、カップ焼きそば作ってくるから」

「あっそ。じゃあ、あたしはイカ入り大盛りで」

「あいよ」

 

 やれやれ、大事な時間を邪魔してしまったらしい。まぁこういう一日も悪くないけれど、一日中BLマンガなど読んだら、気が変になりそうだけどな。男と女で違うか。いや、男でもエロ本などずっと読まないはずだ。

 

 カップ焼きそばを作った。お湯を切り、ソースを混ぜる。それだけだ。それを二階に持っていく。

 

 扉が閉まっていた。開けようとしたら鍵がかかっている。

 

「おい、英梨々。カップ麺できたぞ」

 

 部屋の鍵が開き、扉が少し開いた。俺は扉を開けて中に入った。英梨々はベッドの上に戻っている。

 

「おい英梨々!?なんてかっこしてんだ・・・」

「はぁ?あんたバカなの?あんたが言ったんでしょうーが」

「いやいやそういう意味じゃねーぞ?」

「じゃあ、どういう意味よ」

 

 英梨々が下のジャージを脱いでいた。上のTシャツは俺のものだ。大き目でだぶついている。だから、英梨々の下着はTシャツに隠れて、かろうじて見えない。が、スラリと長い細い生足は丸見えである。お尻の膨らみもはっきりとでていて、角度によってはパンツが丸見えだろう。

 

「あのなぁ・・・」

「ふふん。目のやり場に困るでしょ」

「困るよ!」

「サービス、サービス♪」

「そういう問題じゃねーだろ」

「ほら、早くテーブルに置きなさいよ、伸びちゃうでしょ」

 

 俺はため息をついて、カップ焼きそばをテーブルに置き、英梨々に割りばしを渡した。英梨々はベッドから降りてきて、あぐらをかいて座った。英梨々は行儀悪く同人本を手に取りながら、いただきますも言わずに焼きそばを口にしている。

 

 俺はこいつの母ちゃんではないので、叱る気も起きない。

だぶついた俺のTシャツの柄はアニメプリントで、でかでかとラブコメのヒロインがプリントされている。英梨々が立ち上がったり、ベッド上で寝転んだりしない限りは、まぁ大丈夫だろう。胸の膨らみが気になる・・・

 

「倫也、これ面白かったわよ」 英梨々が俺に一冊の同人本を渡す。

「ジャンルは?」

「BL」

「けっこうです」

「食わず嫌いもよくないわよ」

「あいにく俺は偏食なんでな」

「つまんない男よね」

 

 英梨々が本を置いて、焼きそばをまじめに食べ始めた。Tシャツが大きいせいか、英梨々の右肩が少しはだけてでている。うなじから鎖骨のラインがとてもキレイだ。水色のブラヒモも見えた。

 ・・・こいつ、さては誘っているな。

 

「倫也、いやらしい目線のところで悪いんだけど」

「なんだよ・・・」

「あたし、絶対に倫也の部屋でなんか、ヤらないわよ」

「だぁ~」

「なによ」

「だったら、そんな恰好するなよ」

「はぁ?あんたでしょ。あたしの憩いの時間を突然ディスってきたのは!」

「ああ、そうだよ。俺だよ。見るに見かねてな!」

「だから、ご要望通りセクシーにしてやったんだから、それでいいでしょう?」

「よくねぇわ」

「あんた、カップ焼きそばは温かいうちに食べなさいよ!」

「ああああああっ、もう。わかったよ」

 

 俺はカップ焼きそばを急いで喰った。なんで、自分の部屋で生殺しにされなきゃならないんだ?この女・・・襲ってやろうか。ほんとに。そんな度胸ねぇけど。

 

「ごちそうさま」

 

 英梨々が手を合わせて言った。

 

「いただきますもいえよ・・・」

「あら、言わなかったかしら?」

「言ってねぇよ」

「あんたって細かいわよね。言ってほしいならそういいなさいよ」

「ああ、そうだよ。思ったよ。『いただきます』ぐらい言えってな。でもそれ指摘したらどうなる?」

「『やだ、倫也、お母さんみたい』って言うわよ。」

「だから、言わなかったんだよ・・・」

「あんた、さっきいったじゃない」

「・・・」

「あらやだ、倫也、お母さんみたい。ぷぷぷっ」

 

 英梨々がわざと俺を挑発している。

 

 それで満面の笑顔になって八重歯が見えた。あっ、こいつ・・・!

 

「青のり八重歯についてるよ!!」

 

 さっきまで自信満々だった英梨々は、顔を急に赤らめて、何も言わずに部屋を出て言った。飲物ぐらいもってきてやればよかったかな。

 

 つーかさ。恥じらうとこ違うだろ・・・

 

 横を走り去った時の生足のエロさと、お尻の膨らみが俺の目には焼き付いていた。なんだから英梨々の日向の匂いが濃い気がした。

 

(了)




これは我慢するの無理だろ・・・


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25 うちわ制作体験教室レポ

今回の団扇(うちわ)制作は前回の染色に比べて軽め。


8月16日(火)夏休み24日目

 

 今日も暑い。あちこちで打ち水をしている人を見かけたり、玄関前が濡れていたりするのは、ここが下町だからだろう。俺と英梨々は団扇工房へ来ている。

 

「おまえさぁ・・・」

「いいじゃない、やって見たかったんだから」

「それは体験教室でできる範囲にしておけよ」

「その程度なら、材料買ってきたら自分でできるじゃないの」

「そうだけど、相手にも迷惑だろうし」

「そうでもないわよ」

 

 今日の英梨々。白い長袖シャツにデニムのオーバーオール。芸術用の英梨々の正装だ。白いシャツは染色されて袖のところは鮮やかなカラーになっている。髪型はツインテールでリボンの色は白。いつもより高い位置でリボンを結んでいるせいか、幼く見える。

 

 そして、英梨々の言った通り、とても歓迎された。まぁおっさん共で英梨々を歓迎しない人がいないのはわかるが、おばちゃん、あるいはおばあちゃん連中からも大人気なのはなぜだ。年寄りキラーなのだろうか。

 

 ここ団扇工房では、総手作りの団扇を生産している。伝統工芸品だ。竹を細く割いて広げ、そこに和紙を貼りつけ加工する。出来上がった品は美しく、見た目も涼やかだ。今や夏に繁華街を歩けば、広告入りのプラスチック団扇が手に入る時代だが、この団扇は万を超える金額のものありデパートなどで扱われている。

 

 そんな団扇を英梨々は作りたかったらしい。

 

「竹は無理だろ」

「大丈夫よ、そこは倫也が担当するから」

「はい!?」

「あたしは、和紙の絵付け作業と、糊付け作業をするの」

「あの、聞いてないけど」

「今いったでしょ。じゃ、がんばってね」

 

 工房に挨拶をして英梨々はお土産の和菓子を渡した。その後は俺と英梨々は別々の作業場へ向かった。職人は4名ほどいた。

 俺は竹を割いている強面の爺さん職人のところへきた。やる以上は、真面目にやらないと失礼になる。まずは、黙って近くで正座をしてその作業を見ていた。

 相手も説明する気があまりないらしい。それは当たり前で、体験教室の先生でなく仕事をしている人なのだ。説明をするプロではない。

 

 そして俺はその作業を見てすぐに分かったことがある。俺がちょっと習って作るのは無理である。

 想像以上に繊細な作業で、薄く削りだされた竹に、切れ目を入れ、割いていく。薄い。実に薄い。

 

 だから、俺は黙ってみていた。まずはこの割く作業だけをしているようだ。おいてあるものを手に触ってみてみようと思ったら、「触るな」と一声言われた。それが第一声である。

 俺はもう余計なことはしない。相手から「ぼうず、やってみるか?」と声でもかけられない限り、気配を消してじっと時間が過ぎていくのを待つ。

 

 黙々と作業が続き、団扇らしい形が1つできあがった。どうも、わざと一つだけ完成させたようだ。作業の流れが違う。「休憩だ」の一言で爺さんは立ち上がった。俺は足が痺れた。

 休憩室で爺さんは、「こんな仕事はやめておけ」と言った。俺は何を言われているのかわからず、少し考えた。職人見習いみたいに思われたのかもしれない。俺はうなずくしかなかった。別にそのつもりで来たわけじゃない。彼女の連れとして来ただけだ。職人希望でないどころか、熱心に学ぶつもりもなかった。

 爺さんが戻っても、俺は休憩室に残った。

 

「辛気くさっ!」

「あっ、英梨々」

「なに、そんなところで暗い顔して1人でいるのよ。あんたモテないからってまだ人生を諦めるには早いわよ」

「えっ、そんなに暗い顔してた?」

「もう、やめてよ。そんなことより、倫也」

「そんなことってお前・・・まぁいいや。どうした?」

「見て、見て」

 

 英梨々が和紙を広げた。藤の絵が描いてある。いや、もう毎度のことながら流石の出来栄えである。俺は立ち上がってお茶をいれた。全部陶器の器なのだが、マイカップとかあるのだろうか。それを英梨々に渡す。

 

「で、あんたの方はどうだった?一つぐらいできた?」

「あのな、英梨々・・・無理なものは無理だから」

「諦めるのが早いわねぇ。どこまで作業進んだのよ」

「見てただけで、何もしてねぇよ」

「はぁ?あんたバカなの?ここまで来て何してんのよ。時間の無駄ね」

「まず、最初の工程からして無理だからな?」

「そう。じゃあ、あたしがやってこようかしら」

「やめとけって」

「いいわよ。倫也やらないなら、もったいないじゃない」

「何が?」

「体験料がよ」

「金払ってるんだな・・・」

「当たり前でしょ、あたしたちがいることで作業が遅れるんだから」

「手、怪我するなよ」

「あたし、器用だから平気よ」

 

 英梨々が温いお茶を飲み終えてから立ち上がった。俺の見ていた爺さんのところに向かっている。怖いもの知らずというか、好奇心が強いというか。

 イスにおいてあった英梨々が描いた絵を、どうしたものかと眺めていた。

 

 そのあと、他のおばちゃんが休憩室にきて、しきりに英梨々を褒めている。この藤以外にもいくつか描いていて、どうやら商品になるらしい。英梨々はどうやら、邪魔になるどころか頼もしいスケットとして活躍していた。

 このおばちゃんは愛想もよくニコニコしていた。ノリ付け作業を見るか聞かれてので、「見たいです」と答えてついていった。

 

 出来上がった骨組みに、和紙を糊付けしていく。こちらはできそうだった。やはり刃物を扱う作業とは違う。あっちは気後れしてしまった。というか、怖すぎて声がかけられなかった。英梨々は無事だろうか。

 

 それで、俺はノリ付け作業をやってみて、絵の描いてあった和紙を一枚無駄にし、おばさんにため息をつかれ、「あっちの子とは出来が違うのね」と、はっきりと嫌味を言われた。世間は厳しい。

 俺は謝って、隅のほうで作業を見学していた。こっちのおばちゃんはパートなのか、本職なのか知らない。作業が早くて丁寧だった。俺など出る幕もない。どの世界もプロはいるものだ。

 

※ ※ ※

 

 さっきの爺さんがニコニコして英梨々と戻ってきた。英梨々も骨組みの団扇をくるくるとしながらご機嫌そうだった。恐るべし爺さんキラー。あの不愛想な爺さんをここまで笑顔にするか。

 

「見て、見て~倫也」 英梨々が骨組みの団扇を俺に見せる。

「すげぇな・・・」

「だいぶ手伝ってもらっちゃったけど」

「ほんと、すげぇな」

「センスはいいらしいわよ、いい職人さんになれるって」

「さっきと言ってること違うな爺さん!?」

 

 やれやれ、もう好きにしてくれ。英梨々は自分で作った骨組みをもって糊付け作業に向かった。きっとあっちでも褒められるのだろう。

 やっぱり笑顔が大事なのだろうか?それともやる気?受け身な俺はダメなのか。いまいち、職人さん達への関わり方がわからない。

 

※ ※ ※

 

 また夜までかかるのかと思ったら、17時にきっかり終わった。お礼をいって工房を後にした。

 英梨々は紙袋を持っていて、今日作った団扇の他に、骨組みのままの団扇もいくつか入っている。

 

「どうだった?」

「楽しかったわよ。倫也はつまらなかったようね」

「そうだな、うまく溶け込めなかった」

「倫也は得意な事は得意なのにね」

「なんだそれ?」

「褒めているつもりなんだけど」

「そうかよ。そりゃどうも。それにしても英梨々はずいぶんと社交的になったな」

「そうでもないのよ。職人さんはほら、やっぱり通じるものがあるからなんでしょ」

 

通じるものか。そうかもしれない。英梨々の絵をみたら素人でも上手いのがわかる。同じ絵付けの人なら会話よりもお互いのことがわかるのかもしれない。

 

「お前って、年配にモテるよな」

「失礼ね。ちゃんと同年代にもモテるわよ」

「ん、そうだな」

 

 告白された回数が3桁らしい。まぁ要するに見た目も含めて魅力なのだろう。腐女子であることを学校で隠しているが、今ならそれはそれで受けいれてもらえるかもしれない。小学生の頃の英梨々に対するイジメは、男子の屈折した気持ちの現われでもあったはずだ。

 

「年配といえば、細川さんが辞めてしまって大変なのよ」

「そうかぁ。しょうがないだろ・・・」

「あたしは納得してないけど」

 

 細川さんは澤村家の年配の執事だ。英梨々の産まれる前から澤村家に仕えている。60歳で定年だったが、現在の65歳まで延長して嘱託として勤務していた。澤村家としてはいなくては困る存在で、英梨々にとっては頼れて甘えることもできる、おじいちゃんみたいな人だ。

 

「でも、しょうがないだろ?病気だろ」

「病気っていっても奥さんが入院しただけなのよ?それも大事には至ってないし・・・」

「入院しただけって・・・。子供もいないし、夫婦の時間が欲しいんだろ。気持ちはくんでやれよ」

「理屈でわかっても、感情が追いつかないの」

 

 最近の英梨々の悩みはこれだった。那須に行った時には、すでに辞める旨は伝えられていた。別に待遇に不満あるわけではないのだ。

 直接話しているわけでないから、俺には詳しい理由はわからない。65歳なら、引退してしかるべき年齢だ。

 

「ならさ、細川さんに英梨々が直接もう一度話をしてみたら?」

「それでも断られたらどうするのよ」

「それはしょうがないことだからさ。でも、問題なのは英梨々の気持ちだろ?」

「・・・」

 

 改札を抜けて俺たちは電車に乗った。暗い話題になってしまったかもしれない。英梨々は団扇の時は機嫌がよかったけれど、今は気分が沈んでいる。この問題にもう少し踏み込むかもしれないから、あとで1人になった時に考えてみるか。

 

「ところで英梨々、骨組みの団扇もらってきてどうするんだよ?」

「ああ、これ?あたしのオリジナルを作ろうと思って」

「向うで作れただろ?」

「そういうのでなくて、もっと二次元よりの・・・」

「同人誌的な?」

「そそ。さすがにあそこで描いたら、ひかれちゃうじゃない」

「それはまぁそうだな」

「骨組みさえできれば、あとは自分でなんとかなりそうだし」

「こういう伝統工芸品でもアニメとコラボしているのあるけどなぁ」

「それはプリントアウトの紙を貼っているのよ。でも和紙に直接描いたものは風合いが違うでしょ。あたしは本物が欲しいのよ。わかるかしら?」

「わかるような、わからんような」

 

 まぁようするに英梨々はこだわりの逸品が作りたいのだろう。世の中にはフィギュアやプラモも自分で作る人もいるしな。

 

「そしたら、倫也専用の団扇もつくれるじゃない」

「俺専用?」

「ほら、裸の・・・」

「いらんわ!」

「あら、ああ見えてあのポスターも高値で売れたのよ?」

「どこに需要があるんだ・・・」

 

 俺をモデルにした裸で四つん這いになっているポスターだ。BL向けだが、男性には理解がしがたい。ましてや自分の顔をとなると気分もよくないわけで。どこかの部屋にあれが飾ってあるかと思うとぞっとする。

 

「骨組みが3つあるから、倫也のリクエストも答えてあげるわよ」

「ああ、オリジナルが作れるのか・・・」

「さっき、あたしそう言ったわよね」

「そうだな。改めて自分が選べるとなると考えさせられるな」

「でしょ」

「なら、俺は・・・」

 

 英梨々の絵なら何でもいい気がした。いや、俺の裸以外なら何でもいい気がした。いやいや、男の裸以外ならなら・・・しかし、英梨々はド変態なので、何か変な方向で作ってくるかもしれない。素直にリクエストしておこう。

 

「英梨々の団扇がいいな」

「あたしの団扇?」

「そそ、英梨々が描いた金髪ツインテール。これぞ、ヒロインって感じで描いてくれれば」

「ふーん」

「なんだその反応?」

「目の前の三次元彼女よりも二次元化した方が興奮するとか、ほんとド変態よね」

「そう受け取る!?」

「じゃあ、どう受け取ればいいのよ」

「『団扇の柄にしてまで、あたしと一緒にいたいのね♪』って受け取らない?」

「はぁ?あんたバカじゃないの?そんなの写真でも飾っておけばいいじゃないの」

「そんなにおかしいかよ・・・そうですかー。俺が悪ぅございましたー」

「一緒にいたいかぁ・・・こんなに毎日一緒に過ごしていて、そんな風に思うものかしら?」

「英梨々はそう思わないのかよ」

「あたしは1人でいるのも好きなのよ。倫也だってそうでしょ?」

「まぁ、そうだな」

「そういう時は、嘘でも否定しなさいよ!」

「地雷女かよ」

「倫也が単純に踏みすぎなのよ。バカ」

「くぅ・・・」

 

 英梨々に口論で負けてしまった。何の話をしていたんだっけ?まぁいいや。ローカル線はエアコンが弱くて、暑かった。少し興奮した俺は手で自分を扇ぐ。

 

「暑いなら、ちょうどいいのあるわよ」

「おい、骨組みの団扇を渡すな」

「もうちょい、ちゃんとしたツッコミしなさいよ。せっかく小ボケしてあげてんだから」

「もうガス欠なんだよ」

 

 英梨々は今日作った藤の団扇を取り出して、笑いながら俺を扇いでくれた。

 

 まだ乾かない糊の懐かしい匂いがした。

 

(了)



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26 駄菓子といえばアレだな

駄菓子で昔を思い出せば、自分達がずっと大人に成長していることに気が付く。
それでも、まだまだ子供でいたい時もある。そんな話。


8月17日(水)夏休み25日目

 

 今日は暑い。再び真夏が戻ってきたように太陽はギラギラと中天に輝いていた。

 

 俺と英梨々は駄菓子屋にいる。染色工房近くの駄菓子屋だ。なんでも、英梨々の発注した浴衣が仕上がったので直接取りに来たのだ。別に配送でもいいと思うのだが、あの染色職人の老夫婦に呼ばれたようだ。

 

 約束の時間までまだあったので、俺はあの時に見つけた駄菓子屋に英梨々を案内した。古き良き時代の佇まいを残した駄菓子屋で、発泡スチロールの薄い組み立て飛行機や、プラスチック製の飛ばすヘリなども売っている。

 中年になりかけているお姉さん?が1人で店番をしていた。店内に座れるスペースがあり、ベーゴマなどでも遊べるようになっていた。

 客の子供の数は5名。小学生高学年ぐらいの男子で、そこでカードバトルをして遊んでいた。

 

「倫也、駄菓子と言えば何が好き?」

「好きなのは、コーンシュガーかな」

「あれも美味しいわよねぇ」

 

 英梨々は人の話を聞いているのか、聞いていないのか。片っ端から籠にいれている。大人買い。

 ちなみに今日の英梨々は、モスグリーンのオシャレなポンチョを着ている。透けるような薄い生地で、下は白のワンピース。全体としてなんだかふわふわした印象を受ける。およそ、駄菓子屋とは不釣り合いでセレブっぽい。

 

「あたしはこのビニールチューブに入ったブドウ糖が好きなのよね」

「それ、最後までは食べにくいよな」

「そうね、でもカッターで切ると綺麗に食べられるのよ」

「なんか邪道だな」

「スモモも食べる?」

「少しもらえれば十分かな・・・一つはきついかも」

「そう?そうね」

「あと、その桜餅のシリーズも頼むよ」

「これも、ずいぶんと種類が増えたわよね。内容量減っているけど」

「原価があがっているからなぁ。昔の大きさで値上げして欲しいよな」

「ほんとよね。子供には買いにくくなるでしょうけど」

 

 英梨々が一通り駄菓子をえらび小さな籠いっぱいにした。スナック系は0だ。会計をしても千円にもならない。小さいころに100円玉でお菓子を選ぶ様な楽しさは失われていた。

 

 そこから英梨々はさらに選んで鞄に入れた、残りを遊んでいた子供にあげようとした。

 

「知らない人はお菓子もらってはいけないで」 と、あっさり断られている。

 

 世知辛い世の中である。だいたい、もう少し仲良くなってから買ってやるものだろう。例えばカードゲームをしばらく眺めるとか。

 

「なら、捨てなさいよ」

「おいおい、子供相手にムキになるなよ・・・」

「それにどうせならこのカード付のお菓子が欲しいよなー」子供は素直だ。

「・・・このガキ」その子供相手にさらにムキなる英梨々。

「そういうことだ英梨々。こちらが良かれと思ったことが、相手にとって良いとは限らないだろ」

「あっ、ボクは食べます。ありがとー」空気を読む子供もいる。

「あっ、そう?じゃ、君に全部あげるわ」

「ありがとうございますー」

 

 子供も人それぞれ。こういうところで遊んでいれば、英梨々みたいな大人が時々はいるだろう。実は子供たちは駄菓子屋のサクラだったりして・・・

 

「なんで、君が食べるよのー」

 

 さっき英梨々を断った上に、カード付きがいいと言い放った子供が、友達がもらった駄菓子を食べている。

 

「これは友達からのものなので、知らない人でないし」

「・・・こいつ」

「はははっ、英梨々帰るぞ」

「腑に落ちないわ」

 

 英梨々が機嫌を損ねて駄菓子屋を後にした。俺としてはちょっと面白い。子供に一本取られている気がする。

 

「なんなのかしら、ほんと頭くるわよね。素直じゃないというか」

「でも間違ったこと言っていないだろ。頭のいい子なんよきっと」

「そうかしら?」

「だいたい、もう俺らも小学生と感覚がずれているんだよな。勉強になった」

「カード付きがいいか・・・言われてみると確かにそうよね」

「今はカードもBOXで大人買いしてそろえる時代だからな。持っていない子からすると案外切実かもしれんぞ?」

「そういうのって、結局は販売者側に踊らされているわよね」

「オタクグッズを買い漁っている俺らが言えた義理でもないだろ」

「・・・そうね」

 

 蝉の鳴いている道を歩き、染色工房に向かう。打ち水をしている人に軽く会釈をした。

 

※ ※ ※ 

 

「わぁ、すごい。倫也、見て、見て」

「見てるよ。これは驚きだな」

 

 和室に通されて、英梨々は出来上がった浴衣と帯を確認している。老夫婦も満足気にしている。

 

「こんな感じだけど、大丈夫かしら?」奥さんが英梨々に尋ねた。

「ええ、もちろんです。ありがとうございました」英梨々もご満悦。

「うん。いい仕上がりだ」旦那さんも目元が優しくなっていた。

 

 浴衣は白地に黄色と青の模様だ。ピンクが少しアクセントになっていて、朝顔の柄に見えなくもない。全体的にシンプルで夏らしい涼しさがある。

 帯は英梨々デザインの親子熊で、パッチワークのぬいぐるみ風だ。こちらは手が込んでいて、とても染色とは思えないほど多数の色が使われている。細部まで手が込んでいる。

 

「うん。色も思ってた通り。ううん。それ以上ね」

「色?」

「染色は蒸して定着させた時に色が変わるのよ。鮮やかになるのもあれば、くすむ色もあるの」

「へぇ」

「だから、出来上がるまでは不安だったけれど・・・」

「良かったな」

「うん」

 

 英梨々はニコニコと満面の笑みを浮かべている。

 

「一度着てみるかしら?」

「えっと・・・」

 

 奥さんに言われて、英梨々が迷っている。俺の方を見たということは助け船が欲しいのか、決断がつかないのか。

 

「せっかくだし、着てみたらいいと思うぞ」

「そうよねぇ・・・」

「どうした?何か問題があるのか」

「そうじゃないけど、じゃあ倫也はちょっとその辺散歩してらっしゃいよ」

「なんで!?」

「そりゃあ、いろいろあるわよ。あんた女心わからないんだから、ほら、さっさと行きなさいよ」

「ええっ」

 

 俺は追放された。試着の時には追放されるルールでもあるのか?外はまだまだ暑かった。さっきの駄菓子屋に戻る気も起きないし、駅前のスターマックスで時間をつぶす。もうあそこに戻らなくてもいいだろうか。どうせ、英梨々は駅に向かってくるわけだし。

 

 一人でスマホをして過ごす。時間をつぶす分には何の問題もない。老夫婦も英梨々の浴衣姿が見たかったのかもしれない。あの夫婦に子供や孫がいるのか聞いていないのでわからないけれど、まぁ孫みたいなもので可愛いのだろう。

 

 1時間ほどして、英梨々からLINEで連絡があり、「戻ってきていいわよ」という。俺は駅前で待っていると返事したら、「戻ってきていいわよ」と同じ文章だった。日本語が通じない場合はしょうがない。俺は暑い中また歩いて工房へ向かった。

 帰りの支度が終わっていて、英梨々はお礼をいって工房を後にした。手にはけっこうな量の荷物になっていたので、俺が半分をもってやる。

 

「どうだった?」

「そうね。やっぱりコミカル過ぎたわね。子供っぽいのはしょうがないのでしょうけど」

「まぁ、熊だしな」

「帯の正面に親子熊というのがいけないのよね。ちょっとずらして、子熊を前面、親熊を横にしたら多少は印象がかわるでしょうけど」

「難しいもんだな」

「浴衣の方がシンプルな純和風でしょ?やっぱり、そういうのって調和が大事なのよね。そこまで考えていなかったから、ちょっと後悔するわね」

「それはしょうがないだろ。浴衣の方も手で描けば別かもしれないが」

「どういえばいいのかしらね。『作品』として見て、美術館に展示されるならとてもいいと思うのよ。でも、実際に着たら浮くわよね。ファッションショーみたいな感じになるの」

「ああ、それはわかる気がする」

 

 ましてや英梨々は金髪で、和服を着るだけで違和感があるのは否めない。だからこそ、純和風よりも俺はいいと思うが、まぁ見てないのでなんとも言えない。案外、こういう和風ものだと金髪がコンプレックスになっていたりして。

 

※ ※ ※

 

 ローカル電車の中で、俺と英梨々は並んで座る。まだ夕方になっていないので外は明るい。英梨々はバッグから、『モロッコヨーグルト』を取り出して、ちいさな木のヘラと一緒に俺に渡した。プラスチックの容器に少量の白い謎のクリームが入っていて、ねっとり感と爽やかさが味わえる。駄菓子の定番の一つだろう。

 

「これも、良く食ったなぁ」

「謎よね。」

「ショートニングなんだろ?」

「そうらしいわね。でも、知らないままの方が幸せよね。この謎さが一番いいのよ」

 

 俺はクリームをすくって食べる。英梨々も食べる。飴ちゃんなら口にいれて終わるが、ちまちまと食べなければならない。空いている電車なので別にいいが、電車で食べていい食べ物のギリギリのラインではなかろうか。

 

「この、最後まで食べれないところがいいのよねぇ」 英梨々が容器の中をヘラですくっている。気持ちはわかる。

「それは、子供が長い時間をかけて食べられる楽しさがあるから、いいんだってさ」

「へぇー、そうなの?」

「子供の頃って、「食べで」が大事だろ。少ない金額でどれだけ食べられるか、長持ちするか」

「よくわかんないけど、楽しいってだけではダメなのかしらね?」

「いや、別にいいと思う」

 

 そもそも少ない金額で楽しむというところが、英梨々は共感しにくいのだろう。大量に買って友達から反感を買って、友達に配っても嫉妬を受ける。とかく子供社会でも難しい。

 そういえば英梨々の家に行った時は、箱のままのこのお菓子があった。食べ放題になって嬉しいものでないが、羨ましかったのを覚えている。

 

 食べ終わったゴミを英梨々は回収し、ビニール袋にいれてからバッグにしまった。

 

 荷物が多いのでガリガリ君を食べ歩きすることを断念し、暑い中を英梨々の家まで荷物を届けた。

 英梨々に誘われたので、少しだけお邪魔をして上がらせてもらった。執事の細川さんの代わりに、すでに新しいメイドさんが入っている。メイドといっても、お決まりのメイド服でなく、しっかりとしたスーツを着た女性だった。

 俺は軽く会釈をする。英梨々は無視をしていた。新しいメイドさんは俺が英梨々の部屋に入るのを怪訝そうに見ていた。新しい職場で慣れるまでは大変だろう。

 

 英梨々は部屋で荷物を整理する。それから部屋から出ていって、お茶と梨を持って戻ってきた。俺としてはさっきのメイドさんへの態度が気になっていたが、小言をいう必要もなさそうだ。英梨々だってもう子供でないから、自分が子供っぽい態度をとっている自覚ぐらいあるだろう。

 

「この梨なんだけど」

「さては高いな」

「どうなのかしらね?」

「非売品か」

「うん、開発中の新種らしいのだけど、梨は梨よね。皮まで食べられるらしいのだけど」

「確かに皮が薄くて食べやすいな。近年の果物の流れだよな。皮まで食べられるのって」

「若者の果物離れが進んでいるんですって」

「単に果物が高いだけだよな。あれってさ。バナナは売れているし」

「どうなのかしらね?アンケートでもしているんじゃないの。それに、自宅に包丁もない一人暮らしは増えているらしいわよ。たぶん、あたしもそうなるわね」

「うーん・・・時代だな」

 

 梨は瑞々しく美味しかった。やっと一息付けた。でも贅沢をしている気分にはならない。この梨が一個何千円、あるいは万を超える金額でも、俺はモロッコヨーグルトを箱買いする方が贅沢な気がする。今となっては、そんなには食べたくないけど。

 

※ ※ ※

 

 英梨々は体育座りをして、身体を小さく丸め、膝に顎を乗せていた。つまらなそうに録画しているアニメを観ている。その姿は何かにじっと耐えているようにも見える。

 部屋の中に、執事とかメイドさんがいるわけではない。彼らは英梨々の部屋の外で屋敷の仕事をしている。大きな屋敷だから、掃除や庭の手入れだけでも大変だろう。いないわけにはいかないのだ。

 

「慣れるしかないだろ」

 

 俺はつい口に出してしまった。そんな風にいじけてみせたって解決はしない。うまくやっていくしかないのだ。

 細川さんという長年勤めてくれた執事がいなくなって、英梨々の情操は少し不安定だった。

 

 英梨々は顔を上げて、俺の方をみた。それからまた目線をテレビにうつし、

「わかってるわよ、そんなこと」と小さな声で言った。

 

 俺はゲーミングチェアから降りて、英梨々の左に体育座りをした。同じような恰好をしてみる。

 

「なにしてんのよ。あんた」

「寄り添ってんだよ」

「・・・そう」

「そこは『はぁ?あんたバカなの?』っていうとこだろ」

「ううん」

 

 英梨々が俺の方に腕がくっつくぐらい寄ってきて、俺の右肩に頭を軽く乗せた。

 

 外の音もエアコンの音も聞こえない。静かな部屋にアニメの場違いな笑い声だけが響いていた。俺も英梨々も少しも笑わずに、ぼんやりと画面の光を眺めていた。

 

 英梨々の日向の匂いがする。子供のままの君がいる。子供のままの俺がいる。

 

(了)




今回は蛇足のような後書き。(読まなくて大丈夫です)

英梨々を書くにあたって、細川さんというオリキャラを登場させた。
英梨々の精神的な依存を担う人が必要だった。
倫也と英梨々が結ばれるということは、肉体的にではなく、精神的にすべてを受け入れることが必要で、その一つとして細川さんから倫也へと精神的依存が移っていく。
自立というのは、まずは経済的自立が大変なのだが、英梨々はすでにお金を稼いでいる。あとは精神的な自立が必要でそこにお嬢様としての甘さがある。

細川さんが辞めることで、英梨々の心にはぽっかりと穴が開き、そこに不安な感情が流れ込む。倫也はその一部を埋めようと寄り添うが、倫也では埋められない。
大人になるというのは、そのぽっかりと開いた穴を自覚しつつも、なんとか踏ん張って歩くことなのだろう。だから自立だ。倫也は英梨々が1人で立てるまで側にいることしかできない。そっと支えるだけだ。

こういう倫也の優しさは、「俺についてこい」というような強いものでないから、英梨々を抱けない。

これは倫也と英梨々が共依存の関係にあると言えるだろう。

英梨々は倫也と仲良くなると絵が描けなくなったが、倫也もまた英梨々ルートではゲームを作れない。子供の頃夢みたゲーム会社の社長にはなれない。
2人は内在的に補完し合ってしまうから、外部の世界に発信する必要がなくなってしまう。
英梨々が資産を受け継ぎ家賃収入で細々と生きても、倫也と2人なら穏やかで静かな暮らしができてしまうだろう。栄達とは無縁でいられる。

対比的に恵がいて、彼女の場合は倫也を出世させることができる。倫也は恵との関係性を外部に求めた。恵と過ごすための口実としてのゲーム作りが必要だった。
外界を必要としない英梨々とは本質的に真逆の存在だ。

さて、物語はいよいよ後半戦。倫也と英梨々の距離はますます近くなっていく。今日という二度と戻らない時間を駆け抜けていく・・・



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27 マンガ喫茶バイト④のぞき

さぁて今日も楽しくバイトするか~


8月18日(木)夏休み26日目

 

 久しぶりに外は強く雨が降っている。夏の厳しい暑さは一段落。

 木曜日の俺と英梨々はマンガ喫茶で仲良くバイト中だ。お昼休憩を終えて、2人して受付でマンガを読んでいる。あんなに真面目に働けと言っていた英梨々もバイト三回目でやることがないことに気が付いたようだ。

 それでもチラシを配った効果がでている。30分無料延長券の使用が目立つし、学生半額もなかなか好評で高校生らしい人もちらほらと来ていて、店はなかなか繁盛していた。

 

「ねぇ倫也、つづき持ってきてぇ~」

「自分でやれ」

 

 英梨々は3冊ずつマンガを持ってきて読んでいる。今読んでいるのはチェンソーウーマン。話題作で完結もした。俺は新刊のラノベを読みつつ、運営サイトに感想を書いていた。こちらは鮮度が大事で発行から早く更新しないとサイト利用者が減る。例えアフィーカスと罵られようと大切なお金である。そのお金でまたラノベを買い、俺はサイトを更新しているのだ。

 

「倫也、それどう?面白い?」

「そうだな。なんか、異世界転生ものも食傷気味だったが、この食堂経営は面白いぞ」

「ふーん。あたしも読もうかしら」

「いいんじゃね」

「じゃあ、これが読み終わったら貸しなさいよ」

「いいぞ」

「読み終わるために、つづきもってきぇ~」

 

 来客を知らせるチャイムが鳴った。英梨々が舌打ちをする。そして受付でしっかりと座り直す。もはや四六時中緊張して働いていた英梨々は無理で気をぬくようになった。

 俺が客に対応する。

 

「高校生です」

「学生証の提示をお願いします・・・はい、確認しました」

「えっと、個室って空いてますか?」

「空いています。ただ個室の利用料は半額対象外ですが」

「構わないのでお願いします」

「お時間はいかほどになさいますか?」

「えっと・・・2時間ぐらいで」

「かしこまりました」

 

 俺は手続きして、その高校生に鍵を渡した。

 

「ねぇねぇ、倫也。今の高校生、ちょっとイケてたわね」

「そうか?顔は見てなかった」

「あんた、どんだけ興味ないのよ。お客様の顔を覚えるのも大事でしょ」

 

 そうは言われても男の顔なぞ興味はもてない。言われてみれば、ちょっとオシャレそうな男だった気がする。俺よりちょっと背が高くて、髪も少し色を抜いていて・・・

 

 英梨々は立ち上がってマンガを取りに行った。ついでに本棚を見て回り軽く整理している。客の中には棚には戻すが順番を気にしない人もいるのだ。そろえる人からすると信じられないだろうが、それなりのお客さんがバラバラのまま棚に戻す。

 最初はブツブツ文句をいっていたが、それが仕事だと諭すと納得し定期的に直している。その間に俺はドリンクコーナーを少し掃除して、バックヤードでグラスを洗った。

 

 そんなにたくさん仕事があるわけじゃない。緊張するのは清算時の計算とお金を扱う時ぐらいだ。万引き防止のために見回りをしたりしないし、監視カメラもそんなに一生懸命見ない。録画はされているから何かあれば警察へ渡す証拠になる。

 騒がしい客がいたら注意をするべきだが、そんな客もいない。いたって平和だった。

 

 英梨々がまたマンガを3冊ほど持って戻ってきた。コーラとアンバサのまぜたドリンクを用意し、またマンガを読みはじめている。

 俺は監視カメラを見ると、さっきの高校生は寝そべりながら退屈そうに雑誌を読んでいる。ぐーたらしたいだけだったようだ。

 

 チャイムが鳴った。客がもうすぐ入ってくることを知らせてくれる。英梨々はマンガを読むのをやめて、客の対応をする。俺とはだいたい交互に接客していた。

 

 その女の子は小柄な子で、髪の片側だけヘアゴムで留めていた。服装は黒にラメの着いた派手なミニTを着ていて、ファンシーなファッションだった。顔立ちもまぁまぁ可愛いが、つけまつげがあり、化粧も濃かった。あと貴金属がジャラジャラとあちこちに着いていた。俺の苦手なタイプだ。

 あまりマンガ喫茶に縁のなさそうな子に見えたが、マンガを嫌いな子もいないし暇なのかもしれない。

 

「英梨々。今の子、可愛かった」

「はぁ?」

「見たろ、なかなかマンガ喫茶にはみかけないタイプだぞ」

「あんたバカなの?死ぬの?なんで彼女の前で堂々と浮気しようとしてんのよ」

「してねぇよ!お前だって、さっきの高校生男子にイケメンとかいって浮かれていたろ」

「別に浮かれてないわよ。あたしは事実をいっただけでしょ」

「俺のも事実だろ」

「あんたのは下心でしょうが。どうせミニTの下のヘソのあたりをじっと見てたんでしょ」

「・・・するどいな」

「お見通しよ」

 

 あっ、今日の英梨々ね。胸パットをいれている。うん。

 髪型は2つに分けた三つ編みで、丸い大きなメガネをかけている。服装は黒のゴスロリだ。ドジッ子メイドをイメージしているようだ。大変グッドである。が、胸パットをいれている。そこまで胸を強調したデザインでもないと思うのだが、本人は思うところがあるのだろう。そこはそっとしておいてやる。

 

 ふぅ・・・。さて、本題だ。先ほどのファンシーちゃん(仮名)だが、すでに俺の視界から消えている。そして監視カメラを見て発見した。そう、個室に先ほどの高校生と一緒にいる。

 

 

 これは始まる予感

 

 

 もちろん、注意書きがあり淫らな行為は禁止されている。監視カメラがついていることも貼り紙でそれとなく知らせてある。しかし、お金がなくラブホに行けないカップルが、カラオケBOXやマンガ喫茶の個室を利用するのは公然の秘密だ。某お笑い芸人みたいに多目的トイレを使用しないだけ偉いとすら思う。大人の俺としては、ここはノックをして邪魔をしにいくよりも、黙って静観してあげたい。全力で総理大臣みたいに注視したい。

 

 問題は英梨々に気付かれないことだ。英梨々はこう見えて仕事にお堅い時がある。この千載一遇のチャンスをバカ正直に邪魔しかねない。まずは気付かれないように、俺はなにげなくマンガを読み始めた。

 

「倫也」

「どうした?」

「さっきの女の子いないわよ」

「トイレじゃねーか?」

「倫也、マンガ本が逆」

「何ぃ」

「『お前、知ってたな』という」

「お前、知ってたな・・・はっ!」

「って、ほら、バカなことしてないで、注意しにいくわよ」

「まてまて、英梨々。早まるな。ここで注意して誰が得をする?よく考えろ」

「ルールでしょうが。怪しい噂がたっても困るのよ」

「いやいや、そういう場所だから。半ば公然の秘密だから」

「そんなこと知らないわよ」

 

 英梨々が漫画本を置いて立ち上がった。クソォ、この女、いつもは変態のくせにバイトの時だけ真面目ぶりやがって。俺は慌てて英梨々の右の手首をにぎって、行くのを阻止した。

 

「まぁ、まて、まだ始まると決まったわけじゃない。ここは大人になってだな」

「大人になっているのは、あの子達であって、あんたは子供でしょ」

「お前もな」

「そうよ?だから何?ヘタレ彼氏のせいでしょうが」

「その話はとりあえず置いといてだな・・・」

 

 俺はチラリと監視カメラを見る。ほら、早く始まれ。始まったら英梨々だって声をかけにくくなるはずだ。おっ、寄り添い始めている。これはヤる。絶対にヤる。

 

「あんた、本気で言ってるの?」

「ああ、ほんき・・・」

 

 英梨々の俺を蔑む瞳にハイライトが入っていない。あれ、けっこう真面目に軽蔑されてる?俺の主張ってそんなにおかしい?高校生カップルの愛の営みを見守ることがそんなにいけないかな。俺が監視カメラに気が付いてないだけって、別に問題ないよね。

 

バシッ

 

 英梨々が俺の腕を振りほどいた。勢いで俺の手が受付台に当たってしまった。もう、英梨々ったらお堅いんだから。さて、どうしたものか。

 俺はメイド服のスカートの裾をもった。このままめくり上げたい衝動を抑え、再度英梨々を説得しようとした時に来客を知らせるチャイムが鳴った。

今日は忙しい。席も半分以上埋まっていた。こんなバカなことをしている場合じゃない。

 

「チッ!」と、英梨々が大きな舌打ちをした。お前はパブロフの犬か?チャイムを聞くと舌打ちせずにはいられないのか?とにかくこのスカートの手を離したら、英梨々が1人で個室に行ってしまうかもしれない。が、もったまま接客はできない。

 

 悩んだが、俺は手を離して仕事を優先した。客に利用予定時間を聞き、先に会計を済ませる。それから時間の書いた札を渡す。

 この中年のおじさんは常連客の一人で、たぶん英梨々ファンだ。しかし、声はかけられない内向的なマンガ好きのおじさんであり、いたって無害。英梨々のゴスロリ姿を拝むようにして、中へ入っていった。

 

 英梨々は立って待っていた。

 

「ほら、早くしなさいよ」

「何を!?」

「ちゃ・・・ちゃんと持ちなさいよ」

「お・・・おう」

 

 うん。こいつ、さすが俺の彼女だよ。大事な事をわかっている。俺はまたスカートの裾をもった。なんならバックヤードに連れ込んで、スカートの中にもぐりたい。いやいや、今はそんなバカなことを考えている場合じゃない。

 

「ほら、早く、説得して」

「おう・・・」

 

 なるほど。こいつはやっぱり変態少女で、こいつもどうやら覗きたいらしい。さすが英梨々だ。俺の期待を裏切らない。とはいえ、自分を偽る建前が必要だ。偽るというか正直になる理由だ。

 

「英梨々。こう考えてみてはどうだろう?神様がくれた同人漫画のリアルな資料」

「ふーん。それで?」

「リアリティーの追及だよ。作り物でない、生の吐息が聴こえて来るような作品が作りたいだろ?当然、人気凌辱同人作家として、さらなる高みをめざすよな?それが英梨々だ。そうだろう?」

 

『ぴんぽーん』と能天気な音のチャイムがなった。これはエレベーターから出て、店に近づくとセンサーが反応して鳴る仕組みだ。扉が開く前に俺らは客がくることがわかる。

 

「倫也。ちょっとあんた、店閉めてきなさいよ」

「できるかっ!」

「ほんと、じゃま・・・いらっしゃいませ~♪」

 

 女は怖い。豹変した。英梨々が接客をしたので、俺は監視カメラを見るベストポジションをとる。よし、キスシーンから男の手がファンシーちゃんの胸を触っている。もう止められまい。

 

ゴクリッ

 

 英梨々の生唾を飲む音がする。いつの間にか真横にいた。

 

「近い」

「だったら、場所を替わりなさいよ」

「ここは、特等の有料席だからな。早いもの勝ちなんだ」

「早い者勝ちなのか、お金なのか、はっきりしなさいよ」

「しっ。英梨々。始まりそうだぞ」

「あら、ほんと始まるのね。これ、扉の外に立っていたら音聞こえるんじゃないの?」

「まぁ、トイレにいく通路の横だしな、多少は声が漏れても問題ないだろ。一応防音仕様だしな」

 

 英梨々がガン見している。元々FC2の無修正すら映像を止めながらデッサンする英梨々だ。これぐらいの映像では驚かないはず・・・だが、生放送は(放送じゃねー)初めてらしく、耳まですでに赤い。

 うんうん。もう人前に出せない英梨々になっている。このマンガに囲まれた環境が英梨々を油断させたな。

 

「場所を替わってやろうか?」

「ほんとっ」

 

 声が少し上がってカワイイ。そしてこの腐女子の鑑のような英梨々は、そわそわしはじめた。ここまで釣れるなら、せっかくだ何か条件を出しておこう。

 

「ただし、条件がある」

「いいわよ。何でもいうことをきいてあげるわ」

「よし、言ったな」

 

『ピンポーン』チャイムが鳴った。

 

「チッ」「チッ」と、俺と英梨々が同時に舌打ちをする。英梨々は、姿勢を正してお客様を迎える。俺は店内をぐるりと周って、棚の整理をし、ドリンクバーの零れたジューズをふいて掃除をした。

『なんでもいうことをきく』この魔法の言葉には、暗黙のルールがある。常識内で可能なものだ。王様ゲームの指示に似ている。まぁ、ストレートに『一発やらせろ』は意味がないんだよな。だいたい拒否されてないし。俺がヘタレなだけだ。

 

「よし、英梨々。おっぱい揉ませろ」

「いいわよ」

「あっさりだなっ!」

 

 すでに英梨々は監視モニターの前に陣取っていた。

 

「そんなことより倫也。このモニターって白黒なの?あと、画面が切り替わるのが気になるのよね」

「まぁしょうがないだろ。白黒の方が録画時間長いんだよ」

「画面が切り替わるのは?」

「そこの操作で固定できるけど、そこに映っている映像がそのまま録画に残るから、お前が覗いているのがバレるぞ」

「・・・もう。使えないわね」

 

 べぇー。俺は舌を出す。本当は個別に映像がそれぞれ録画されている。HDDで保存しているバックヤードのノートPCなら、カラーでチェックもできる。が、それは秘密だ。英梨々がバックヤードで、フルカラーのタイムリーなものを見るのは、さすがに変態すぎる。あいつを犯罪の道に(すでに手遅れかもしれないが)、進むのを少しは遅らせたい。

 

「あんまり進展しないわね。生乳は揉んでそうだけど」

「もうけっこう時間が経つよな」

「ほんと、何イチャイチャしてんのかしらね。ほんとにこれ最後までヤるの?」

「俺に聞かれても知らん」

「ちょっと、倫也、扉の前で見てらっしゃいよ。何か聞こえるかもしれないし」

「あのなぁ・・・」

 

 それはいいアイデアだな。ついでにトイレにいって掃除もしてこよう。個室の前に移動して中の様子を伺ったが、声は聴こえなかった。まぁ当然か。仮にヤるにしても、声は押し殺すに違いない。

 

ガチャ その時、扉が開いた。

 

「あっ」ファンシーちゃん(仮名)と目が合った。服装は乱れていないが・・・貴金属の装飾品はとれている。ヘソが眩しい。

「あの、すみません、この辺に薬局ありますか?」

「薬局なら、駅ビルに大手のドラックストアがあります。そこが一番わかりやすいと思います」

「あっありがとうございます」

「お客様。すみませんが」

「はい?」

「個室の利用はお1人様のみとなっておりますので、ルールをお守りいただきますようお願いします」

「はっ・・・はい。すみませんでした!」

 

 さっきまでクールな感じのファンシーちゃんは、顔を真っ赤にして店を出ていった。俺はつい、仕事モードで対応してしまった。さすがに個室の前で同伴を認めるわけにはいかなかった。

 いや、英梨々に・・・あんまり見て欲しくなかっただけかもしれない。同世代の高校生男子の裸を・・・

 

 受付に戻った。英梨々には注意したことを伝えなかった。英梨々はファンシーちゃんの帰りを健気にそわそわしながら待っていたが、結局、個室の時間終了までに戻ってはこなくて、高校生男子は清算して帰っていった。

 

 それから何事もなく時間が過ぎバイト終了の時間になった。店長がやってきて、俺と英梨々は傘を持って店を出た。

 

※ ※ ※

 

 エレベーターの中で、俺は下へのボタンを押さなかった。扉の閉まったまま、俺と英梨々はじっとしていた。

 

「英梨々」

「なによ」

「約束覚えているな?」

「覚えているわよ。ちょっとあんた、後ろ向いてなさいよ」

「ああ、わかった」

 

 なぜ、後ろを向く必要があるのか問い詰めない。エレベーターが動き出した。どこかの階で誰かがボタンを押したのだろう。止まったらそこで降りて、1階でなかったら階段を使って降りるだけだ。

 もそもそと後ろで英梨々が服を擦る音がした。

 

「いいわよ」

「ん」

「はい。約束だから」

「おうっ・・・って、おい!」

 

 エレベーターの扉が開いた。俺は慌てて受け取ったものを後ろに隠しもった。分厚い白い布パット。

 

「約束だから触らしてあげるわよ。胸」

「パットじゃん!」

「おあとがよろしいようで」

「オチいらんわ!」

 

 きも~ちこの胸パットが生暖かい気がする。が、これをもらって妥協するわけにはいかない。俺はこれを男らしく突き返した。英梨々は何もいわず、それをバックにしまった。英梨々のゴスロリファッションの胸がペタンコになった。まぁ、そこまでペタンコじゃないけど。

 

 雨はまだ降っていた。

 

「ねぇ倫也。せっかくの雨だし、相合傘してあげてもいいわよ」

「そうだな。せっかくの雨だし、相合傘してみるか」

「ふふっ」

 

 俺は紺色の傘を右手で差した。雨がポツポツと当たる音がする。英梨々が傘の中に入った。雨の中を2人で歩いていく、英梨々は歩きながら髪のリボンをほどき、三つ編みを解いた。首を振ると髪がバサァ~と広がった。クルクルと癖がついている。それを手櫛で整えている。メガネを外してバッグにしまう。目つきが少し悪くなる。

 英梨々はニヤニヤと笑っている。何がそんなに楽しいんだか・・・

 

「こうしてみると、やっぱり恋人みたいよね」

「何を今さら?」

「だって、倫也、ぜんぜん手を出してこないんだもん」

「そうでもなくね?」

「そうねぇ・・・」

 

 俺達はなんどか一線を超えるかもしれない状況になっている。その都度、いろいろあって未だに成し得ていないが・・・それでも、けっこう満足していた。

 

 英梨々は俺にピッタリとくっつき甘えてくる。水たまりも気にせずに靴を濡らしながら歩いた。

その後の英梨々は特に何もしゃべらずに静かに歩いて、傘にあたる雨の音を楽しんでいた。

 

※ ※ ※

 

 俺の家の前に着いた。

 

「ねぇ、倫也」

 

 英梨々が俺の前に立った。それから潤んだ瞳を閉じた。

左手で英梨々の頭をなでて、乱れた髪を直してやる。それから、そっとキスをする。道路から見えないように傘で2人の顔を隠した。

 唇を離す。ちょっとしたキスを別れ際にする。キスをそこまでドキドキしないでできるようになって、ずいぶんとたった気がする。

 

「倫也ぁ~」甘えたネコナデ声。

「ん?」

「ヘタレなんだからっ」

 

 英梨々はそう言って、俺の左手をとって、そのペタンコの・・・ペタンコの胸に押し当てた。それは柔らかい膨らみで、ゴスロリの複雑な布上からでも、はっきりと手に感触が残った。

 

 外だからこれ以上は発展のしようがない。今の俺たちにはそれがちょうどよかった。

 

 もう一度唇を重ねたまま、左手に幸せな感触を感じ、ただ傘に当たる優しい雨の音を聴いていた。

 

(了)




以下、更新に日時は12時05分固定になります。


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28 旅行・夜行列車

二泊三日の旅行編スタート。


8月19日(金)夏休み27日目

 

 今日は昨日と一転して晴れていた。そして湿度が高く蒸し暑かった。こんな日こそ、那須の避暑地で過ごしたいものだ。もう何もやる気が起きない。課題を開く気もしない。

 

バンッ!と勢いよく、部屋のドアが開いた。

 

 英梨々が立っていて、左手を腰に当ててポーズをとっている。大きなサングラスをかけて、そのサングラスにもう片方の手でクイッとした。

 

「倫也!さぁ上野行くわよ!」

「上野?パンダ?」

「パンダも悪くないけど、上野と言えば」

「ああ、美術館か」

「それもあるけど、上野と言えば上野駅よ」

「はっ?でもって、その恰好なんだよ」

「見りゃわかるでしょーよ」

「ミニスカポリスか?」

「あんたって、ときどきオヤジよね・・・今時、ミニスカポリスなんて古典でしか扱わないわよ。だいたい生地の質感が違うでしょ」

「なんだろ。プラレールの衣装だよな」

「・・・まぁそうね」

「で、その車掌さんコスプレがどうした?」

「ふふふっ、倫也。甘いわね。これがコスプレに見えて?」

「コスプレ以外の何物でもないよねぇ!?」

「さぁいくわよ」

「ああ、上野だっけ・・・」

 

 下に降りると玄関に大きなキャリーバックが置いてある。どんだけ荷物あるんだよ。うちの前に澤村家の黒い高級車が止まっていた。

 

「いらないって言ってるのに、きかないのよね」

「いらないってどういうこと?」

「タクシーで行くっていったのよ」

「荷物大きいし電車じゃ、しんどいか」

「もう・・・」

 

 英梨々が車の方に近づくと運転席から女性が出てきた。澤村家の新しいメイドさんでメイド長をしている、執事の細川さんの後任だ。黒いスーツを着て髪を後ろに束ねている。できる女性の印象で年齢は30歳前後だろうか。眉目秀麗と言った感じで男装の麗人を思わせる。しかも巨乳。これはもう完璧にスペンサーおじさんの趣味だな。枯れ専うけの良さそうな細川さんとは対照的で、英梨々と相性が悪そうなのもわかる。

 名前は海部(かいふ)さん。英梨々が何やらやりとりしながら顔が赤くなって興奮してきている。そんなに拒絶しなくても、相手にも予定と仕事があるだろうに。

 

「どうした?」

「倫也も何かいってやってよ」

「こんにちは」

「こんにちは、安芸さん」

「ちょっと、人の彼氏をなれなれしく呼ばないでよ」

「馴れ馴れしくはないだろ・・・というか、英梨々はややこしくなるから少し黙っとれ」

「なによ。倫也どっちの味方なのよ」

 

 俺は英梨々を無視して、とりあえず海部さんと会話を進める。上野で手続きもあるらしいので送るそうだ。ならしょうがない。

 とりあえず、英梨々を車に押しこんで、荷物をトランクにしまって出発した。

 

 ・・・そして、海部さんはエンストをした。

 

「すみません。不慣れなもので」

「下手よね」

「英梨々そういうなよ。もしかしてマニュアル車は普段乗られていませんでしたか?」

「はい。すみません」

 

 そう、この高級車はマニュアル車なのだ。この車は細川さんの趣味を兼ねている。乗り心地抜群の車だと思っていたが、申し訳ないが海部さんが運転していると車酔いをしそうだった。また、エンストをしている。

 

「すみません」

「謝ってすむなら、警察いらないわよ。いてててっ。ちょっと倫也なにすんのよ!」

 

 俺は英梨々のほっぺたをつねった。いくらなんでも失礼だ。だいたいなんでもかんでも噛みつきすぎ。このやりとりを見て、海部さんがやっとクスッと笑った。

 

 上野駅に着いた。駐車場から駅まで少し歩く。もう英梨々は大人しくなっていた。ここで駄々こねてもめんどうなだけと悟ったのだろう。海部さんは窓口で手続きを済ませた。というか、俺たちはどこへ行くのだろう?

 

 係員が1人付き、ホームへと案内された。見慣れない緑色の新しい車両が止まっている。先頭車両は流線形でガラス面が大きい。英梨々はそこに乗り込んだ。

 

「海部さん、これはなんですか」

「今日、英梨々お嬢様は一日車掌をされます」

「そのためのコスプレですか」

「コスプレではありません。これは本物です」

「いやいや・・・まぁいいや」

 

 海部さんは大きなストロボのついたカメラを構えた。他にも撮り鉄や鉄道ファンが集まっている。取材クルーも来ていた。係員から合図あると、英梨々は安全確認をしてから笛を吹いた。それから元気よく笑顔で、

 

「出発進行~!!」と言った。

 

 カメラが一斉にシャッターを押した。なんだこの茶番・・・とか、俺は冷めた目で思ったが、けっこうな盛り上がりをみせている。

出発進行を指示したのに車両は出発せず、車両から降りてきた英梨々は撮影に気持ちよく応じている。こうなると英梨々のコスプレもなかなか様になってきて、よく似合っていた。帽子をとってツインテールを見せると、これがまた写真映えするのでフラッシュが一斉にたかれていた。

 

何名かの他の乗客が乗りこみ、俺もキャリーバックを持って乗り込んだ。中はいままでの電車の車両のイメージとは大幅に違っていた。俺は係員に案内されて、一番後方の車両に案内された。そこは、まるまる一両が寝台車両に改装された豪華な部屋になっていた。

 

「まじっすか?」

「はい。まもなくお連れの方もいらっしゃると思いますので、ここでお待ちください」

 

 頭を下げて係員が出ていくと、俺は広い車両に一人残された。

 それからしばらくして、英梨々が撮影スタッフを連れて、この部屋に入ってきた。俺は横の方にどいて、撮影の邪魔をしないようにする。

 風呂やリビング、ベッドなどの撮影も終わり、撮影スタッフがお礼をいって、降りていった。そこまで海部さんが見届けて、「では、お嬢様を頼みます」と言って頭を下げた。「俺、どこにいくのでしょうか・・・?」と聞いたら、笑っていた。

 

 扉が閉まり電車が出発した。上野発だから、たぶん北だろう。そしてこれが寝台車である以上は北海道あたりまでいくのかもしれない。

 

「疲れたわね」

「お疲れ。って、お前どこのタレントだよ」

「たまたまよ。この新型寝台車の一日車掌をパパがもらってきたの。撮影が盛り上がったのはまぁ、成り行きね」

「なんかすげぇんだが・・・」

 

 英梨々はあたりをキョロキョロ見回して、「そうね」と何事もないかのように言った。

 

 この寝台車両。内装はオシャレな和風であり、木でできている。部屋の中の写真だけ見せられても、それが電車の中だとは誰も思わないだろう。ベッドは二つで、清潔な白いシーツが部屋によく合っていた。お風呂も備えつけてあって総ヒノキ作りである。天窓もあり眺めに申し分はない。さらに、後方が開いて外にでることができる。柵があるが、線路を走っていくのを見ることができた。

 一番後ろでこうやって眺めていると、海賊の車に追いかけられそうである。なかなかできない体験だった。

 

「他もなかなかすごいのよ。食堂車も豪華だし、展望車両もあるけど、ここがあるから関係ないかしらね。あとね、先頭車両も行けるのよ。あたし車掌だし」

「いくいく」

「じゃ、案内するわよ」

 

 俺は英梨々についていく。俺たちの寝台車両の隣が車掌室。そこを通って食堂車だ。二階がレストラン、一階が厨房と通路になっている。その先は、寝台車が続き1つの車両に3部屋の扉があった。途中にトイレやロビー、自販機コーナーなどもある。

 先頭車両とその後ろが展望車になっていて、ほとんどがガラス張りになり、青い座席も窓の方を向いていてオシャレなデザインだ。床は絨毯になっていた。まだ真新しいのでフカフカで土足のまま歩くのは気が引けた。

 

何組かの上品な乗客がいて、英梨々をみると「一緒に記念撮影をお願いします」と言ってきた。俺がカメラやスマホで写真を撮ってあげる。英梨々をアイドルか何かと間違えているのだろう。さしずめ俺はマネージャと思われているらしい。英梨々がコスプレをしていなければ、一応カップルに見えるみたいなんだけどな・・・

先頭車両にもう一つの車掌室があり、その先は二階建てになり、一階が運転席で、二階からは外が望める。俺と英梨々はそこに座って、窓から外を見ていた。視点が高いので眺望がいい。まだまだ都心だったが、もう少し田舎になって高い建物がなくなってくるとさらに見晴らしが良くなると思う。

 

「なかなかいいわね」

「そうだな。日頃できない体験をしている気がするよ」

「来てよかったでしょ」

「ああ。もう少し事前に教えてくれてもいいと思うが?」

「別にいいじゃない。知らない方が面白いこともあるわよ」

「まぁいいけどな。で、英梨々は今日ずっとその恰好で働くのか?」

「もうおしまいよ。あの撮影で役目は終わりなの」

「そっか。お疲れ」

「ありがと」

 

 電車に揺られながらコンクリートの街並みを眺めていた。夕焼けが見たいがまだまだ日が沈みそうにないので、一度自分達の部屋に戻る。すれ違った乗客とまた撮影に応じていた。

 

 部屋に戻ると英梨々は服を脱いで着替え始めた。俺は窓の外を見ていた。窓から見える景色は普通の電車でも変わらないはずだが、なんだか良い景色を見ているような気分になるのは不思議だ。

 英梨々は白いワンピースに着替えていた。胸元にはラピスラズリの猫のブローチがついている。

 

「まだ、夕食には早いわよね」

 

 時刻は16時を過ぎたころだ。なんというか・・・やることがない。テレビとブルーレイが用意されているが、まだつける気がしなかった。

 

「お茶でも飲みに行きましょうか」

「そうだな」

 

 食堂車に移動すると何人かの乗客もいた。俺と英梨々はケーキセットを頼んだ。英梨々がイチゴのミルフィーユで、俺がモンブラン。ケーキを適当に2人で分けて食べる。コーヒーも香りが高く美味しかった。外の景色に田園などの風景がちらほらと混じるようになった。それにしても、いけどもいけども家が建っていて、人類はよく増えたものだ。

 

「鉄道ファンの子ならわからないけど、若いあたし達にはいささか退屈ね」

「だんだん慣れてくるしな。でも、俺はけっこう楽しいけど」

「そう?なら良かった」

 

 英梨々が微笑む。ゆっくりとした時間、綺麗な景色、美味しいコーヒーとケーキ。その上、可愛い彼女が目の前にいる。不服を述べたら神様も怒るだろう。オタクメディアから遠ざければ、英梨々は飛び切り上品なお嬢様にもなれるのだ。

 

 部屋に戻って、俺は何度も風呂場を見に行く。ヒノキ作りで匂いがいいのだ。もう入ってしまいたいが、お湯の量も限界があるだろし、そうなんどもはいるものではないだろう。食事が終わった後に入りたい。

 

「そんなに気になるなら、入ってくればいいじゃない」

「まぁそうなんだがな・・・」

「別にお湯なんてなくなりはしないわよ」

「いや、でもやっぱり気になるだろ・・・」

 

 風呂釜はそこまで大きくないのだ。やはり水が貴重だと思われる。英梨々はベッドの上に横たわり、備え付けの雑誌を読んでいた。観光案内のものが多い。俺はこの鉄道について書いてある本を読んだ。

 

「倫也。ツインベッドでがっかりでしょ?」

「いや?なんでだ?」

「だって、ツインベッドじゃできないじゃない」

「何が?」

「えっち」

 

 わざと言っている、「えっち」の発音がいやらしい。そりゃ、意識するけど、別にツインベッドでもできるだろうに。牽制してきているのか。

 

「う~ん。今のセリフもう一度」

「えっち。・・・って、あんたねぇ・・・」

「いやいや、お前がふってきた話題だからな」

「お泊りデートはその度に考えちゃうのよね」

「そりゃ、そうだろうな・・・」

「夏コミュの時は忙しいし、疲れてしまってそれどころじゃなかったけど」

「けっこう優先度は高いと思うけどな・・・」

「そんなのあたしに言わないでよ。肝心なところでヘタレるあんたが悪いんでしょ」

「そうだな」

「今日はゆっくりだし、夜も長いし、ちゃんとご飯食べれば、できると思ったのに」

「思ったのになんだよ」

「ツインベッドじゃできないじゃない」

「わざとだろ」

 

 英梨々がおかしそうに笑っている。しかしまぁ、どうなんだろう。ダブルベッドならできるのか?この環境はロマンチックだとは思うけれど、なんか監視されているような気がしなくもない。カメラはないが。カーテンが閉まるとはいえ、ガラス面が多いからだろうか。

 

 雑誌を読みながらのんびりと過ごし、窓の外が暗くなってきたので、また先頭車両まで移動して夕日を見つけに行った。だいぶ景観が変わってきた。一面に田園風景などが広がっているし、遠くに山脈も見えた。俺らは左側をみて夕日を探したが、太陽はすでに山の中に隠れていた。ただ、真っ赤な夕焼けが田園を染めて綺麗で、英梨々はスマホで写真を撮っていた。

 

 そこで夜まで待てずにキスをした。

 

※ ※ ※

 

 夕食の時間になり俺と英梨々は食堂車に移動した。豪華な造りの高級なレストランだ。

 

「あらやだ。美味しいわね」

「ん?どういうこと?」

 

 おすすめのコースを頼んだ。英梨々は魚で、俺は肉をメインにした。酒は飲めないが、マスカットの炭酸ジュースがあったのでそれを飲んでいる。シャンパングラスにはいっていて雰囲気が出る。

 

 俺はずっと美味しく食べていたが、英梨々は半信半疑で食べていた。パンフレットには☆付きレストランの方が監修をしていることが謳われていた。普通の人なら期待しそうなものだが、英梨々によると違った。

 

「食堂車の食事って温め直しが多いから、そこまで質は高くないのよね。お寿司なんかはパックにできているものをお皿に盛り直したりするし、冷凍食品も多用するし」

「へぇー。俺、食堂車初めてだけど、これ旨いぞ?」

「美味しいわよね」

 

 英梨々はメインの白身魚をナイフとフォークを上手に使って食べる。その食事マナーにおかしい所はなく、育ちの良さがうかがえる。一方で俺としては箸が欲しいぐらいだ。

 

「あのね、フォークとナイフを持ったままのテーブルマナーってあるじゃない?」

「ああ、フォークの背にご飯のせてたべるやつだろ?」

「あれ、間違ってるのよ。ナイフなんて、切り終わったら、テーブルに置けばいいのよ。で、右手にフォークもって食べれば」

「そうなの?」

「何かで、日本独特のマナーに発展したのよね。特に年配の方なんて、そうやって食べるわよね。ずっとナイフをもったまま」

「じゃあ、俺もそうしよ」

 

 メインの肉を適当な大きさにカットしたらナイフを置いて、俺はフォーク一本で食べた。確かに食べやすい。

 

 英梨々はギャルソンを呼び、料理がおいしいことを褒めた。俺にはそんな上目線なことはできない。

 

「昔に比べて、各段と調理方法が進歩しているわよね?」

「はい。一番の理由は火を使わなくなったことです。以前は火を使っても弱火まででしたので、料理できるものが限られていました」

「それで?」

「今はぜんぶ電気で作っておりますので、普通の厨房と変わらないのです」

「ああ、なるほど。ほんと、美味しかったわ。シェフによろしく伝えておいて」

「かしこまりました」

 

 ギャルソンが下がっていった。俺としては英梨々が大人と対等に話をしていることに驚いた。

 

「なんかすげぇな」

「何がよ」

「いや、会話の内容がさ。普通はおいしいって伝えるぐらいだろ」

「そう?でも、意見なんてたくさん言った方がいいのよ。悪い所は遠慮なくダメ出ししたほうが改善できるじゃないの」

「そりゃ、そうだがな」

「でもほんと、各段の進歩よね」

「そっか。良かったな」

 

 俺としては正直そこまでわからない。だいたい鹿肉が本来どんな味なのか知らないのだ。「まぁ、こういう味なのかな?」という感想しかできない。ややこしいメニューもよくわかない。お茶碗にご飯を盛って、その上に肉をのせてガツガツ食べたかった。

 

 デザートは選べた。ここまで食事が進むと、お腹が膨れてしまってデザートを食べられなくなる人もいる。そういう人はソルベを少量食べるといいらしい。俺らみたいに若くてまだ食べられる人は、ケーキとフルーツの盛り合わせが選べた。飲物はアイスティーにした。

 

 運ばれてきたデザートは綺麗に装飾された皿に盛り付けてあって、いわゆるインスタ映えしそうだった。細いチョコレートや飴細工で彩られている。

 英梨々はデザートナイフで適当にケーキをカットしてから、フォークを持ち替えて食べ始めた。俺もマネをする。フルーツはどれも鮮度もよく甘い。何もいれないアイスティーがよく合う。

 

「ごちそうさまでした」

「ごちそうさま」

「いやいや、英梨々。これは美味しかったよ。夜景も綺麗だしな」

「そうね。期待以上だったわ」

「食器も凝ってるよな」

「それ、車内の売店で買えるわよ」

「そうなの?」

「ちゃんと銘入りの逸品物なのよね。風合いがあったでしょ」

「いい食器だなぁと思ったけど、そうなんだ・・・」

「手抜きがないのね。食事はほんと驚きだったわ」

「ほんとに期待してなかったんだな・・・」

 

 窓からは見える景色はすっかり夕闇に沈んでいて、所々、民家の明かりが見えるだけになっていた。ずいぶんとゆっくりと食事をしたようだ。

 

 いい気分で部屋に戻る。

次は風呂だな。総ヒノキ風呂で豪華なのだ。外をみることもできる。来た時から楽しみにしていた。風呂を楽しみにするとか、俺ってけっこうジジ臭いだろうか。

 

「倫也、先でいいわよ」

「えっ、そう?お前先でもいいぞ」

「別に譲らなくていいわよ。あと、そういう時は『一緒に入らないか。ハァハァ』って言うべきでしょ」

「おう・・・そうだな。余裕なくてごめん」

「余裕の問題ないのかしら?」

「じゃ、そういうわけで、俺からいってくるわ」

「誘わないのね」

 

 やれやれ、英梨々のボケを無視して、俺は風呂場に向かった。

 ヒノキ風呂は香りもよく気持ちがよかった。

 前振りもあったし、英梨々がもしかして水着でも着て入ってくるかと心配したが自重したようだ。

 パジャマは浴衣だ。すべて新品なのがわかる。

 

「出たぞ~」

「は~い」 英梨々はベッドでスマホをいじっている。

「風呂に蓋ないぞ」

「は~い」

「早くしないと冷めるぞ」

「は~い」

「返事はいいから早くはいれ」

「は~い」

 

 俺はペットボトルの水を飲む。英梨々はベッドから動く気配がない。

 

「おい」

「もう、うるさいわね。あんたパパじゃないだから」

「じゃあ、もう好きにしろよ」

 

 俺はベッドに倒れ込んだ。フカフカの良いベッドだった。俺は少しの間、目を瞑った。静かにしていると、車両の走る音が聴こえてきて、電車が揺れているのが分かった。ヒノキの香りがまだ鼻に残っている気がする。アクビを1つした。

21時を回っている。寝るにはまだまだ早いが、窓の外の暗さを見ていたせいか、いつもより眠い。

 

 少しの間うとうとしていたようだ。部屋は薄暗くなっている。起き上がってみたが英梨々はベッドにいない。風呂に入っているのだろう。立ち上がって、バスルームの前を通ると、ドライヤーの音がする。

 

 俺はそのまま、後方のドアから外に出てみた。線路は数メートル先から闇に飲まれて消えていく。民家もだいぶ少なくなってきて、遠くの景色はほとんど何も見えない。南の夜空が見えて射手座が正面にあった。アルタイルは見えるが夏の大三角形は全部見えない。

 

 夜風が心地よく吹いている。

 

「なに物思いにふけているのよ」

「おっ、出たか」

「いい湯だったわね」

「ああ、やっぱりヒノキ風呂はテンションあがるよな」

「うん、そうね」

 

 英梨々も出てきて欄干につかまった。夜風で金色髪が後ろになびいていく。シャンプーの香りがあたりに漂う。

 

「何か見えるのかしら?」

「星座ぐらいだな」

「何座?」

「射手座」

「アイオリア」

「アイオロスの方だよ」

「どれ」

「あの辺」

「ぜんぜんわかんないわね」

「あれが頭で、あの辺が足」

「ふーん。倫也には馬人間にみえるの?」

「馬人間って・・・ケンタウロスな。ケイローン」

「ケイローン?」

「射手座の神様の名前」

「倫也、そんなスマホみながら無理しなくていいわよ」

「見てないだろ・・・」

「ふーん」

 

 俺は英梨々の後ろに立って、抱きしめた。髪がたなびいて邪魔なので、英梨々は髪をまとめ着ている浴衣の中にしまった。浴衣白地に青い格子模様で清潔感のあるシンプルなデザインだ。

ただ英梨々はきっちりとは着ていなくて、どこか着崩している。サイズがでかいのかもしれない。左の肩が見えそうだった。そのせいでうなじのラインが綺麗で艶めかしい。

 

 俺は後ろのから首元にキスをした。細い首は、暗い夜には白く光って妖しくみえた。

 

「んっ・・・」と英梨々が、少しえっちぃ声を漏らした。

「もう、倫也、そういうのはダメ」

 

 俺はこっそり抱きしめていた手を上にして、胸に当てた。英梨々は何も文句を言わない。柔らかい。そして、こいつは・・・

 

「寝るときは下着つけないんだっけか」

「そうよ。でも下はちゃんと履いてるわよ?」

「下まで履かなかったら変態だろ」

「でも、本来の浴衣は履かないのよね」

「さぁ・・・」

 

 それから、するすると浴衣の隙間から右手を英梨々の胸に滑り込ませた。生のおっぱいが右手に触れる。

 

「倫也?調子に・・・あんっ」

 

 俺は我慢できずに、すべすべの肌と柔らかさを手のひらで堪能しつつ、指でつまんでしまった。それは小さな突起で、やっぱり思ったよりもずっと柔らかった。

 

ガブッ

 

 と音が聴こえてきそうというか、「がぶっ」と英梨々が発音して、俺に右腕を軽く噛んだ。俺は諦めて右手を撤退させた。

 

 それでも、英梨々を抱きしめたまま、射手座にかかる薄い雲をぼんやりと眺めていた。

 

(了)




R17,5ぐらいで書きたい。


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29 旅行・浴衣で花火大会

今夜はできる(確信)


8月20日(土)夏休み28日目

 

 湖を望めるテラスで、俺は1人で朝絞りミルクを飲みながらクッキーをつまんでいた。北海道の夏は思ったよりもずっと暑かったが、それでも東京のコンクリートとは比べ物にならない快適さだ。空が広い。雲も近くの雲と、遠くの山にある雲と形が違っていた。

 

 湖の畔のホテルにチェックインをした。英梨々は着替えるからといって先に部屋に行った。

俺はここで待つように言われたので、こうしてのんびりとした時間を過ごしている。貸しボートもあるし、遊覧船もある。パンフレットを見ると、近くには遊べる牧場や商店街もある。湖を中心とした観光地のようだ。どうやって過ごすかは英梨々次第だが、一応計画は練っておく。

 餌を欲しがる鳥が足元に来たがハトではない。見慣れない小さな綺麗な鳥だった。俺はクッキー砕いて投げてやると、仲間の鳥たちも集まってきた。ずいぶんと人になついているようだ。

 俺は英梨々を1時間以上待った。着替えに何をそんなに戸惑っているのか。

 

※ ※ ※

 

「倫也」

 

 俺を呼ぶ声がする。振り返ると・・・英梨々がいた。陽光に輝く金髪ツインテールはネービーブルーの細いリボンで結わかれていた。顔を斜めに伏せて紅潮させている。手を前に組んでモジモジしている。

 

「ど・・・どうかしら?」

 

 英梨々は・・・浴衣を着ていた。自分で作った特注品だ。白をベースにした朝顔が咲いたような模様は涼し気で、この広い北海道の緑によく調和している。辛子色の帯も、その中に描かれたカラフルな熊の親子も可愛い。思ったよりもぜんぜんおかしくなくて、童顔の英梨々によく似合っている。こんなにコミカルなデザインなのに、安っぽい印象はなく気品のある仕上がりになっていた。

 

「いいと思います」

「あんたねぇ、たまにはちゃんと褒めなさいよ?」

「そうだな。その浴衣と帯は可愛いよ。例えるなら、英梨々ぐらいカワイイ」

「もう、なによそれ」

 

 英梨々がはにかんで笑ったから八重歯少し見えた。左手に大き目のバッグを、右手には団扇を持っていた。竹でできた高級団扇には、英梨々の好きなゲームキャラのセルビスが描かれている。絵柄も浮かないように少し和風に寄せているあたりが英梨々らしいこだわりだ。バッグは不釣り合いなので、まぁ俺が持つのだろう。俺は白いTシャツにデニムの短パンを履いていた。ソシャゲ主人公のデフォルトみたいな恰好をしていて、なんのこだわりない。

 

「ミルク美味かったけど、お前も飲む?」

「どうせならソフトクリームがいい」

「だよな。ちょっと買ってくる」

 

 木製のイスを引いて英梨々に座ってもらい。それから注文をしにいった。ウエイトレスは店内にいるが、外まではあまり見回りにこない。ソフトクリームを買って、皿とスプーンも受け取った。

 英梨々にコーンのソフトクリームを渡し、俺は開いた皿をテーブルに置いておく。

 

「ほらよ」

「ありがと」

「こぼすなよ」

「うん。でも、あんまり汚さないように気をつかうのも好きじゃないのよ。洗えば落ちるし」

「それでも、汚さないほうがいいだろ。せっかく綺麗なんだし」

「浴衣がね?」

「おまえと同じぐらいに」

「ぷっ」

 

 英梨々が吹き出して笑って、ソフトクリームを一口食べた。唇の周りを舐める舌が艶めかしい。わざとだな。

 

「それで、今日の予定は?」

「特にないわよ。そこに一応スケッチブックは入っているから、少しは絵を描きたいわね」

「なら、遊覧船がいいか?ボートもあるみたいだけど」

 

 広い湖にボートが一艘浮かんでいる。遠くにブイが見えるから、あのたりまでは行っていいのかもしれない。遊覧船は停泊中だ。2時間おきに出ている。

 

「そうねぇ、せっかくだし、恋人らしく・・・」

「ボートにするか」

「ベ・・・別に倫也が乗りたいなら乗ってあげてもいいんだからねっ」

「ツンデレ下手かっ」

「そんな張り切るようなものでないでしょ・・・」

 

 クスクス笑いながら、英梨々が皿に半分ほどソフトクリームをのせた。俺の方にコーンを渡す。このコーンは市販のモナカ生地なので、英梨々はあまり好きでないのだろう。

 ソフトクリームは文句なしに美味しい。

 

 それから、英梨々の手をとってボート乗り場に向かった。

 

 ボートをゆっくりと浮かべながら、水鳥が遊びにきたのを英梨々がスケッチしている。足をそろえて、少し横に傾ける座り方が実に浴衣にあって上品だ。涼しい風にツインテールや揺らめいている。

 太陽が真上に近くなってくると、北海道といえども暑い。バッグに入っていた折り畳みの日傘を取り出すと、英梨々はスケッチをやめて白い日傘を手に持った。

 

 絵を描いている時の英梨々は寡黙になるが、こうして絵を描くのをやめるとよくしゃべる。だいたい文句が多い。性分だろうか?

特に遊覧船の華美な装飾が気に入らないらしく、デザイナーをこき下ろし、自然との調和がうんたらかんたらいいはじめている。俺はそれに適当に相槌を打ちながらボートをのんびり漕いだ。木々の香りがする。

 

 ブイの近くまできて、あたりを眺めると一面に湖が広がった。東京の池なんかと違ってとにかくでかいのだ。もう岸辺も遠くの方に見える。

 何もない場所で浮かぶボートの上だから、しょうがないのでキスをした。ボートが転覆しないように気をつけながら、お互いに前かがみになって顔を近づけてするキスは少し間抜けに思えた。英梨々のリップクリームが少しくっついた。英梨々も終わってから笑っていた。

 

 水鳥がバシャバシャと音を立てて飛び立っていった。

 

※ ※ ※

 

「倫也、やっぱりランチはジンギスカンよね」

「それはいいけど、焼きながら食ったら油跳ねるだろ」

「細かい事気にしないでいいわよ」

 

 せっかくの北海道だからランチにジンギスカンのお店に入った。皿に盛られたラム肉を焼いていく。形が違っても焼肉は焼肉である。時々油がバチリッと跳ねる。

 

「倫也、油、跳ねさせないでよ!」

「無茶言うな」

「浴衣汚れちゃうじゃない」

「あのなぁ・・・」

 

 ラム肉は油が少ないから跳ねないと思っていたらしい。煙だってすごい。

 

「もう、あたし離れているから倫也焼きなさいよ」

「それは構わんが」

 

 俺が焼いて英梨々の皿に肉を盛ってやった。英梨々は肉がもう焼けているとか、早くひっくり返せとか、カボチャ焼きすぎとか、喉かわいたとか、だんだんわがままになっていく。鍋奉行ならぬ焼肉奉行なのだが、俺はあまり気にせずマイペースに焼いて食べた。だいたい英梨々もはしゃぎ過ぎなのを自覚している。でもまぁ、にぎやかに食事ができたし、英梨々が上機嫌に笑っているので大目に見よう。

 

※ ※ ※

 

 食事を終えて一段落したので一度部屋に戻った。ホテルの一番上は展望レストランだが、俺たちの部屋はその下だった。事実上客室で一番上にあるロイヤルスイートルームだった。

 

 特筆すべきは一つ。部屋の中に総ヒノキの広い露店風呂がある。もはや意味がわからない。しかもでかい。寝台車両の風呂の5倍以上は浴槽が広く、英梨々と2人ではいっても十分な大きさだろう。テラスには藤を編んだ揺り椅子も置いてある。

 

 寝室はダブルベッドで、おそらくキングサイズでこれまたでかい。調度品は木製のもので統一されていて、落ち着きがある。天井のシャンデリアも和風のもので洒落ていた。オーディオのスピーカーもでかく音質も申し分なかった。

 

「今日はお湯の量を気にしないでいいわね」

「そうだな。それにても、風呂場に部屋が付いている感じだな」

「そうね」

「よし、じゃあ、一風呂浴びるか」

「ダメよ」

「ダメなの?」

「ダメよ。1人じゃ着付けできないもん」

「おおっ・・・」

「別に倫也だけはいってもいいけど。あたし見てるから」

「見なくていいからね!?でも、それなら夜まで待つか」

「そうよ。夜まで待たないと、倫也がこのまま襲ってきそうだし」

 

 英梨々がそういって舌を少し出した。

 そう、俺は焦れていた。さっきから、英梨々の髪や手に少し触れていた。そして腰に手を回し、首元にキスをする。これがどうにも英梨々には弱点らしい。

正直別に夜までまたなくてもいい気がしたが、英梨々は浴衣をせっかく着付けたし、まぁ脱ぐわけにもいかないのかもしれない。

 それに夕方からは屋台も少し並び、夏祭りのようになるらしい。夜には湖で花火があがる。ここの正面にあがるはずで、その時まで浴衣を着ていたいのは女心として当然かもしれない。

 夜まで我慢我慢と思いつつ、さっきから英梨々とキスをして、胸を触ろうとしては英梨々に弾かれていた。

 

 夜の行動をシミュレートする。食事を終えた後、花火をみながら英梨々を抱き寄せ、花火が終わる頃には帯を解き、浴衣を脱がせて、そのままお風呂に入るか。いやいやいや。無理だな。一緒に風呂は無理だから、脱がせたあたりで、いったん英梨々に風呂にはいってもらって、それからかな。

 

 さすがに、今日こそヤれそうだ。絶対ヤる。俺は心に決意する。もう邪魔する要素はなかった。ダブルベッドだし、英梨々は疲れていないし、明日も特に予定はなくて、朝はゆっくりできる!朝までゆっくりできるかな・・・

 

「あの、倫也」

「はいっ!?」

「妄想中のところ申し訳ないんだけど」

「ベツニ モウソウ シテナイヨ?」

「見ればわかるのよ」

 

 俺が妄想に浸っている間、英梨々は藤の揺り椅子に座って、団扇を扇いでいた。実に絵になる。日当たりもよく、英梨々が輝いている。和風天使だ。

 

「何が見えるんだよ」

「それよ、それ」

 

 やれやれ、男というのは不便な生き物だ。ジーンズの上からでも下心がわかってしまう。いやいや、そんなに目立つほどでかくないんだがな。

 

「英梨々」

「なによ」

「今夜は、邪魔するものはないよな」

「さぁ?知らないわよ未来の事なんか」

「あの、ほら、アレとか・・・そういうこともないよな」

「倫也、サイテー」

「しょうがないじゃん・・・」

「そういうことを女の子に聞くのは、いかがなものかと思うわよ?」

「すまん」

「ほんと変態。幻滅した」

「うそ、そんなに?」

「当然でしょ」

「ごめん」

「大丈夫よ」

「へ?」

「安心しなさいよ。あたしは大丈夫」

「そう・・・」

 

 良し。大丈夫だ。もう隔てるものはないな。スマホが鳴ったら、このまま湖に放り投げてしまえばいいな。今日こそできるよな。

 

 それから、大画面で地方のローカルニュースをつけた、熊が住宅街に出没したニュースをみて、英梨々が、「今度は熊肉でも食べようかしら?」と言った。どんな感想だよ・・・と思いながら、俺も鹿による農作物被害ニュースをみて、似たようなことを思った。

 

「今度、ジビエ行ってみる?」

「そうだな」

 

 俺と英梨々はフカフカのベッドの端に並んで座っていた。さっきからニュースを見ながら、俺の右手と英梨々の左手は指を絡めている。それから目が合うたびにキスを重ねていた。

 

夜まで待てるかな・・・

 

「ふふっ、あの高校生みたい」

「どの高校生?」

「ほら、個室を借りてたカップルよ」

「ああ、そうだな・・・でも、あいつらはもっとイチャイチャしてたよな」

「どんな風に?」

「えっとだな・・・」

 

 俺はあいている左手を、英梨々の浴衣の中に滑り込ませた。和装用のインナーをつけていて構造がよくわからない・・・

 

「倫也。あんたねぇ・・・んぐっ」

 

 そのまま唇を押し当てると、英梨々は後ろに倒れた。俺も倒れながら英梨々に覆いかぶさった。

 

「はぁはぁはぁ・・・」と俺の呼吸が荒い。英梨々は顔が真っ赤だ。強引だと英梨々は怒るよりも瞳に涙をためる。確かあれは・・・ラブホの時だった。

 唇を離して英梨々を見ると、サファイヤーブルーの瞳が潤んでいる。やっぱり強引すぎた。反省しなきゃ。

「ごめん・・・」

「いいの」

 俺が話した手を英梨々はもう一度握って、自分の胸に押し当てている。

 

「いいのぉぉぉ!?」

 

「って、驚きすぎよ。もう、笑わせなないでよ」

英梨々が俺を見つめて八重歯を見せながら笑っている。いやいや、良くないでしょ。英梨々が拒絶しないと、止められない。

 

「でもね、屋台だって見に行きたいし、花火だって見たいの。さっきもいったわよね・・・」

「そう・・・だな」

「今、してもいいけど・・・我慢、できるかしら?」

「できない」

「もう・・・ねぇ、あの高校生」

「ん?」

「あの高校生の彼女、途中で出て言ったじゃない?なんでかしら?あのまましても良かったわよね」

「ああ、あれか・・・」

「倫也、揉みすぎ」

「えっ、いや、すまん」

 

 ちょっと会話に集中できない。俺は柔らかさを感じながら胸を揺らして楽しんでいた。いかん止まらん。

 

「あの女の子がな。『薬局はどこですか?』って聞いてきたぞ」

「薬局?」

「コンビニでも売ってるけどな」

「何をよ」

「あれだろうな。あそこで続けるために必要なものを2人共持っていなかったんだろ」

「ああ、コンドームね」

「はっきり言うなよ。照れるから!」

「倫也が照れてどうすんのよ。あと、右ばかりやめて」

「あっ、ごめん・・・って、えっ?」

「もう、ほんとバカ。変態。えっち」

 

 昔、偉い人がいった。『右の胸を揉んだら、左の胸も揉みなさい』

 そんなことをすっかり忘れていた俺は、英梨々に諭されるまで気が付かなかった。

 

 英梨々がもぞもぞ動きながら、ベットの中央に進んだ。俺は英梨々にキスをしてから、ルパンみたいに両手の指をワキワキとして動かした。英梨々がそれを見て笑い転げている。それから、大きく息を吐き出して、覚悟をして、両方の胸を掴もうとしたら、

 

「ねぇ倫也。ここまでしたなら、あんたちゃんと持ってるんでしょうね?」

「何を?」

「はぁ?あんたバカ?死ぬの?孕ませるの?」

「いやいやいや、もってねぇな・・・あれだろ、キャラメル」

「キャラメル?」

「いや、なんでもないです。ゴム、もってないです」

「あんたねぇ、女の子と外泊してゴムもってないとか、頭おかしいんじゃないの?そういうのって男の嗜みでしょ?」

「ごめん」

「ほんと、つかえないわね」

「あのさ・・・英梨々はもってたりぃ・・・しないよな」

「持ってるわけないでしょーが!」

「そんな怒るなよ」

 コンドーム。持ってこなかった。俺、もしかしてバカかもしれない。北海道でもゴムぐらいコンビニでも売っているだろう・・・あとで買いにいかなきゃ。

 

「あたし、初めては生って決めてるから」

 

 いつのまにかテレビは消されていた。どうりで静かなわけだ。広い窓から爽やかな風が部屋にまで入ってきて、火照った俺たちには心地いい。

 

「おい・・・今、なんて言った」

「だから、気にしなくていいわよ。そんなつまらないこと」

「・・・なぁ、英梨々」

「屋台も見たいし、花火だって浴衣で見たいのよ」

「どうしろってんだよ・・・」

 

 頭が回らない。たぶん、血が別なところに行っているんだな。俺はよくわからないから、両手で胸を包むように揉んでみた。こいつ・・・ペタンコキャラで売ってるわりに、けっこうちゃんと膨らんでいるな。それともパットかな。あれ、なんか、英梨々が大事なことを言った気がする。

 

「もう、倫也。ちょっと、ストップ。ストープ!」

「はい」

「わかったわよ。そこに横になりなさいよ」

「なんで?」

「バカ!!」

 

 俺は横になった。

 

我慢できない俺に英梨々がしたことは、あのラブホで暴走した時にしてくれたことよりも過激だった。ちょっとここでは諸事情により説明できない。

 

※ ※ ※

 

夕方から屋台がオープンして、観光客と地元の人で賑わい始めていた。屋台の数はそれほど多くないが、どれも少し凝っていた。地元の品を使っていて、例えばジャガバターはそこのジャガイモと、近くの牧場のバターを使っていた、どちらも個別にお土産として買うこともできた。

 

 英梨々はスティックに刺さったカットマスクメロンを食べている。俺は英梨々がメロンを齧る口元をじぃー見てしまう。唇は薄いのでセクシーではないかもしれないが、形がとてもいい。こうしてニコニコしながらメロンなどを歩きながら食べていると、どこかまだ子供っぽいのに。

 

 あ ん な こ と を す る な ん て

 

 ふぅ。世界が平和になるといいな。

 

「何、さっきからじろじろ見てるのよ?欲しいの?」

「ああ、うん、そうだな」

 

 英梨々がスティックメロンを俺に差し出したから、それを一口齧って食べた。

 

「あらいやだ、今度BLの資料に使おうかしら」

「俺にしゃぶらせるのはやめろぉ」

「いいじゃない、倫也がメロン咥えているとこ、なかなかセクシーよ」

「お前がいうなっ」

 

 もう確信犯だな。まぁ今の俺は穏やかな賢者だから許してやろう。

 

「倫也、焼きそば、焼きそばがあるわよ」

「あるな、焼きそば。しかもすげぇいい匂いなんだが・・・これソース焼きそばじゃないよな」

「海鮮塩焼きそばだって、さすが北海道よねぇ」

「値もなかなかはるな」

「ケチくさいこと言わないでよ。ああ、どうしようかしら」

「喰えばいいだろ」

「予約しているのよ」

「レストランか」

「うん・・・」

「何料理?」

「北海道だし、寿司よ。でも座席予約だけだけど」

「寿司ならいくらでも入るだろ。食おうぜ」

 

 英梨々がいそいそと列に並んだ。英梨々は時々声をかけられて撮影に応じている。もはや地元アイドルか何かと勘違いされているのだろうか。男性からの誘いは断っている。可愛いと言われることは慣れていて、愛想笑いでやり過ごしているが、浴衣や帯を褒められている時は顔が崩れて満面の笑みだった。年配の女性の方が和装に詳しいようだ。

 

 海鮮焼きそばは不公平にならないように、有頭海老とホタテは一個ずつ入っている。具はイカとタコとキャベツだ。これがなかなかどうして、想像以上に美味しかった。英梨々に到っては感激している。

 もうひと皿を頼むべきか迷った末に、2人は我慢した。

 

※ ※ ※

 

 夕食はホテル内の寿司屋に入って、隅の方の席に案内されて座った。

 

 寿司はもちろん文句なしで、具材もケチ臭くなかった。こぼれウニやこぼれイクラなどは軍艦からあふれた盛り付けだった。マグロ、サーモン、そのほか貝類など、どの品も新鮮なだけでなく、量も厚切りで大きい。ご飯は小さ目に握ってあったが、けっこう濃厚な食材が多く、食べていて飽きてくる。

 

「あたしは、イワシやコハダみたいな光物が好きなのよね。江戸前寿司っていうのかしら?」

「ああ、わかるよ、アナゴとかな。一品ずつ丁寧な仕事の寿司だろ」

「そそ。もちろんこれも美味しいけど」

「さっき、焼きそば喰っちまったからな」

「うん。焼きそばもう一枚の方がよかったかしらね」

 

 高価なものだからといって満足度が高いわけでもない。好きなものを好きな時に食べる方がいいだろう。焼きそば好きの英梨々に、あの海鮮焼きそばは衝撃的だったのかもしれない。

 濃い緑茶を飲んで食事を終えた。俺としてはすごく満足で北海道まで来たという感じだったが、英梨々はそうでもないらしい。人それぞれだ。

 英梨々には贅沢をする楽しさみたいのがないのかもしれない。

 

※ ※ ※

 

 遂に2人きりの夜が来た。俺達が大人の階段を上る夜になるはずだ。

 

 部屋に戻った頃、花火が打ちあがり始めた。

 

ドーン!

 

 部屋が揺れるぐらい響いている。

 

「近すぎだろ・・・」

「いいわねぇ」

 

 花火は湖の上から打ちあがっていた。舟から打ち上げているのかな。俺たちの位置よりも高い位置ではじけているが、見上げるというほど高くもない。真横ではじけている印象を受け、本当に怖いぐらいだ。

 英梨々はベランダに立った。英梨々の浴衣の後ろ姿がこれまたいいのだ。適度な尻の膨らみがある。とはいえ、今は自重しよう。焦ってもだめだ。英梨々はご機嫌で団扇をパタパタと扇いでいる。

 英梨々の横に立って欄干につかまった。英梨々がこっちを見る。花火の音がうるさいぐらいだ。あと、焼けた紙屑が部屋にときどき降り落ちてくる。焦げ臭い匂いもする。

 

「なんか怖いぐらいだな」

「そう?迫力あって楽しいけど。ここなら立たなくてもよく見えるわよね」

「そうだな」

 

 英梨々が藤の揺り椅子に座って行儀悪く足を組んだ。膝から下の生足が浴衣からこぼれて見えた。

 

「英梨々、行儀悪いぞ」

「倫也って、そういうとこ細かいわよね。いいじゃない、もう浴衣が乱れても」

「・・・そ、そうだな」

 

 やばい、さっきのことがあってから、英梨々に逆らえないかもしれない。こうして男は尻にしかれていくんだろうか。英梨々のわがままさに振り回されるのは嫌いじゃないが・・・男の威厳はさらに損なわれそうだ。残っていればだが。

 

 花火の色に英梨々の金色の髪は染まる。赤だったり、青だったり、花火が打ちあがるたびに、英梨々がキラキラしていた。

 

「そうそう、倫也。この部屋の特徴わかるかしら?」

「この露店風呂があることだろ」

「そうね。で、いつ入るの」

「あっ」

「やっとわかった?」

「花火を見ながら露天風呂に入れるのか!」

「そうよ。ほらさっさとお湯を張りなさいよ」

「おう」

「あと、ぬるま湯がいいわよ。夏だし、冷たい水じゃないぐらいでいいのよ。のぼせても大変でしょ」

「わかった」

 

 俺はさっそくヒノキでできた浴槽にお湯をいれていく。広いけれど浅いのはそういう理由だったのか。英梨々は花火を眺めている。

 

「ほらほら、脱いで入りなさいよ」

「いやぁ・・・」

「今更照れることもないじゃない。クスクス」と英梨々が笑っている。

「照れるだろ・・・普通に」

「ほら、時間なくなるわよ」

「英梨々は?」

「あたしは入れないでしょ。倫也襲ってきそうだもん」

「襲わねぇーよ」

「どうだか。あたしはベッドの上でちゃんと処女喪失するから」

「自分でそのワード使うなよぉ・・・ひくわ」

「ふーん。まっ、とにかくお風呂場で失いたくはないわね」

「そりゃそうだろうけど、俺ってそんなにけだものか!?」

「自分のその下半身にきいてみたら?」

「・・・説得力あるな」

 

 やれやれ、高三の賢者タイムとか短いな。俺は英梨々に従って、シャツとズボンを脱いで裸になった。それからタオルを巻いてお湯に浸かった。お湯は温泉ではない。ヒノキ風呂なのでいい香りがする。

 確かに湯舟に浸かりながら、夜空に輝く花火を眺めるのは格別であった。視界に入る楽しそうな英梨々も花火とよく調和していた。金髪だけどぜんぜん和装でおかしくなんてなかった。とても綺麗だ。優雅に団扇を扇ぐ姿が様になる。

 

「いい湯だぞ~」

「良かったわね」

「英梨々もはいればいいのに」

「水着もってこなかったのよ」

「残念だったな」

「倫也が出て、倫也が寝室にでも移動してくれたら、1人で入るわよ?」

「その手があったか」

「当たり前でしょ」

 

 まぁそうだよな。英梨々の裸なんて見たことない。時々、服の隙間からチラチラと見える程度だ。それでも十分にエロいし、俺を悩ませてきたが。

 

「浴衣のまま、入るわけにはいかないもんな」

「当たり前でしょ。バカ」

「じゃ、俺はでるから代わるよ」

「頭ぐらい洗ってよね。もう」

 

 俺は急いで頭をガシガシ洗い、体もゴシゴシ洗った。人前で風呂に入るのは初めてだ。親と入った子供時代は、親も裸だった。他の人と入った事は・・・ああ、美智留がいたな。

 従姉妹の美智留は産まれた時から一緒で、兄妹のように育った。だから年頃になるまでは一緒にお風呂に入っていたが、それはノーカンだろう。

 

「じゃ、でるぞ」

「いいわよ。そこにいなさいよ」

 

 外の花火は盛り上がってきていて、単発ではなくなり、いろんな花火が次々と打ちあがっていた。空には風が適度に吹いているらしく、花火の後に煙がなびいているのが見えた。

 

「バカよね。あたし」

「どうした?」

 

 英梨々が立ち上がった。藤の揺り椅子がキィキィと揺れている。そこに団扇を置いた。後ろ手にして浴衣を解こうとしていたが、やっぱり躊躇いがあるのか脱がなかった。

 

「ねぇ、倫也ぁ~」 甘えた声。

「どうした?」

「どうしたらいい?あたしも入りたいんだけど」

「だから、俺、出るから」

「はぁ?あんたバカなの?死ぬの?」

「なんだよ」

「一緒に入りたいに決まってんじゃない」

 

 落差が激しいなぁ。と思いつつ、英梨々だってエッチな気分なのかもしれない。ここで脱いだら。ベッドまで待てないかな?俺ってそんなに器用に風呂で初体験を迎えられるだろうか。やり方もよくわからんし。

 

 英梨々が浴衣のまま、ザバザバと入ってきた。

 

「おい、英梨々!?」

「もう、これしかないのよ。ほっときなさいよ」

 

 浴衣はすぐに濡れて、水がしみわたっていった。英梨々は膝をつき俺にキスをする。濃厚なキスだ。英梨々の後ろで花火が次々と弾けている。音がうるさいぐらいで2人の会話はかき消されていく。

 

 英梨々がびしょ濡れになったので、白い浴衣は張り付いて透けている。インナーは英梨々の肌の色に近い明るいクリーム色かな。暗くてよくは見えない。和装用の何かを下に着ていて、ブラをしているわけではないようだ。

 

「はぁ・・・はぁ・・・はぁ・・・」

 

どちらも息が荒い。なんかずっと我慢してきた気がする。

 

「倫也。脱がせて・・・」

「いいのかよ」

「・・・うん」

 

 英梨々が後ろ向いた。浴槽のふちに腕をのせて、花火を見ている。花火が弾けるたびに、英梨々の髪も輝いている。俺は英梨々の帯に手をかけた。解き方はよくわからない。いろいろ引っ張ってみたが、帯は動かなかった。

 

「英梨々、これ、帯がほどけないけど、どうやるんだ?」

「普通の蝶々結びなんかと同じよ。引っ張ればほどけるでしょ?」

「いや?」

 

 英梨々が後ろに手を回して、帯をいじるが、帯はほどけなかった。

 

「これ倫也。布が濡れて膨らんでしまったんじゃないかしら?」

「ああ、なるほど」

「まっ、がんばりなさいよ」

「他人事だな!」

「あたしは花火見てるから」

「へいへいっと」

 

 俺は花火が打ちあがっている間、帯をほどこうと必死だった。けっこうがんばった。爪を立てて少しでも動かそうとしたが、無理だった。帯は固まっていた。

 

「英梨々。これ、無理だぞ・・・」

「そう?なら、ハサミかナイフで切れば?」

「あのなぁ・・・」

 

 もちろん冗談で言っているのだろう。英梨々があれだけ時間をかけた大作だ。とうぜん切る事なんてできるわけがない。だとすると・・・ほどかないといけないわけだが、一度乾燥させればいいのだろうか。ドライヤーを使う?とりあえず、力技では無理だ。そもそも浴衣姿のまま湯に浸かるのが悪いと思う。

 

「はやくぅ~」

「ああ、ちょっと考える」

 

 大きな花火が打ちあがって夜空一面に広がった。階下からは拍手の音が聴こえた。どうやら花火が終わったらしい。部屋は元々薄暗かったが、花火が終わるとだいぶ暗くなってしまって、もう手元がよく見えない。

 英梨々はそのまま浴槽に浸かっている。ぬるま湯なのでのぼせることはないだろうが・・・

 俺は帯をほどこうと頭をひねり、必死にがんばったが何も進展しなかった。気持ちがあせるばかりだ。

 

 今夜は月が出ていない。

 

 目が慣れてくると、夜空に星が瞬き始め次々と増えていくように見える。星座は俺に方向を教えてくれたが、帯の解き方は教えてくれなかった。

 

 そんな俺の焦りとは別に、英梨々は楽しそうに鼻歌を歌っていた。

 

(了)



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30 旅行・蛍鑑賞したいの蛍いないってよ

プロットが蛍鑑賞の三文字だけで書けってどういうことですか(困惑)
いざ書き始める前にググったら、もう蛍飛んでないじゃないですか(怒)

そういうわけで新しいプロットを考える気にもなれず、作中人物に丸投げしたのがこの話。


8月21日(日)夏休み29日目

 

 夏らしい爽やかな天気だった。

俺と英梨々は荷物とお土産を東京に送り、できるだけ軽装で旅を続けていた。英梨々は白い大きな帽子に、ノースリーブの白いロングワンピース。これぞ夏のヒロインといった正統な衣装を着ていた。手にはピンクゴールドのクラシックな腕時計をしている。

 

 俺たちはローカル線に乗って揺られている。英梨々は北海道ミルクキャラメルを俺に一粒くれた。俺はそれを口に放り込んだ。甘い香りが口いっぱいに広がって美味しい。英梨々はゴミを回収しポシェットにしまった。

 

「倫也。大変」

「どうした?」

「蛍。もう飛んでないみたい」

「えっ・・・」

「北海道の蛍は7月の下旬がピークで8月の中旬にはいなくなるって」

「そっかぁ」

「どうしましょ」

「どうしましょ」

 

 英梨々の夏休みの予定表には、今日は『蛍鑑賞』とだけ書いてあった。そういうわけで朝から何も考えずに電車に乗っているわけだが、すでに目的を失っている。こうなったら蛍の養殖場でも見学にいくか考えたが、ここは潔く無計画を反省し進路を変更すべきだろう。

 

「倫也。大変」

「どうした?」

「スマホ。つながらなくなった」

「あうち」

 

 そして、さすが北海道である。あたり一面何もないところを電車は走っている。電波が届かないようだ。こうなったら、アナログで目的地を探すしかないわけだが、車内広告も少ない。地元企業の宣伝と、雑誌の宣伝ぐらいしかなかった。

 

「倫也。北海道と言えば?」

「カニ」

「じゃあ、カニ漁船乗ってらっしゃいよ」

「いきなり彼氏を売るなよ・・・カニは獲りにいくものじゃなくて、普通は喰うものだろ」

「海鮮は昨日食べたじゃない」

「肉もくったけどな」

「他には?」

「札幌ラーメン?」

「麺類は昨日食べたわね」

「クラーク」

「あれは男女不平等よね」

「どうだろ・・・あとは、小樽のガラス細工とか、函館の五稜郭とか」

「観光かぁ」

「不服?」

「行ったことあるのよね。あたし」

「ふむ。あとは向日葵畑とか、ラベンダー畑なんかも有名だよな。ラベンダーがいつ咲くか知らないけど、向日葵は今頃咲いているんじゃないか?」

「それいいわね」

 

 俺は立ち上がって、壁に貼ってある電車の路線図を見上げる。

 

「で、英梨々。向日葵畑ってどこにあるんだ?」

「そんなの知るわけないじゃない。あんた調べたなさいよ」

「わかったよ・・・スマホつながってねぇな」

「はぁ・・・」 英梨々が深くため息をついた。

 

 とりあえず進路的には空港に近づいている。蛍鑑賞を終えたらそのまま飛行機で帰る予定だった。

 

「なぁ、小樽でガラス細工を体験するとかどうだ?」

「あたしの芸術的創造性は火曜日に発揮されるのよ。絵ならいつでも描けるけど」

「難儀な能力だな・・・ガラス細工綺麗だけどな」

「地方にあって、東京にないものを探す方が大変よ?確かに小樽は観光地でガラス細工のお店が多いけど、だからといって、東京やネットで手に入らないわけじゃないわよね」

「それをいっちゃあ・・・」

「とにかく、あたしは街の観光なんてする気分じゃないのよ」

「だったら、あのまま湖の周りを散策しても良かったと思うが」

「昨日したでしょ。牧場は那須で飽きるほどいったわよ。今更、牛の乳しぼり体験だとか、乗馬だとか、うさぎ抱っこコーナーだのできると思う?もう高校三年生なのよ」

「普通の高校生なら楽しく遊ぶだろ。お前が観光しすぎなんだよ」

「とにかく、向日葵畑って決めたんだから、あんたなんとかしなさいよ」

「車掌さんに聞くか」

「そうね。それしかないわよね。倫也が聞いてらっしゃいよ」

「そういうのは英梨々の方が親切に教えてもらえると思うぞ」

「もう、しょうがないわね」

 

 英梨々が先頭車両にいって、運転手のいるドアをノックした。ローカル線でのんびりしているせいか、それとも英梨々だからなのかは分らないけど、英梨々はそのまま運転室に入って車掌とお話をしている。

 

 ローカル線は2両編成。型はかなり古い。床が木製で、座椅子は緑色の布だがあちこちがすれて色が変色している。古いのは否めないが、だからといって不衛生な印象は受けない。レトロ車両として大切にされてきたのだろう。ガタガタとよく揺れて、昭和の情緒が残っている。扇風機が動いていて冷房はないようだ。

 

 しばらくして英梨々が戻ってきた。

 

「わかったわよ。向日葵畑」

「ここから近かった?」

「あっち」

 

 英梨々が示した方向は、列車の進行方向と反対だった。

 

「じゃあ、反対車線に乗り換えないといけないのか」

「一番早くても、3時間後だってさ」

「無理だな」

「本数が少なすぎるのよね。赤字路線なんでしょけど。それでね、このまま行った先に何かないか聞いてきたのよ」

「それで」

「蛍鑑賞ができる公園があるって」

「それ、俺らが目指してた場所じゃね?」

「そうなのよ。『蛍はもう飛んでないみたいなんですけど』って言ったら、『そうなんですか?』ですって」

「そっか。案内の人じゃないし・・・しょうがないな」

「それでね、このまま終点まで行って、本線に乗り換えてから空港に向かいましょ」

「帰るのか?」

「うん。もういいわよ。倫也がど~しても、どぉ~しても、小樽に行きたいなら、寄ってもいいけど」

「いや、いいよ。帰ろ」

「うん」

 

 向日葵畑見学に修正できなかった。この車両には俺と英梨々しか乗っていない。もう一つの車両には2人ほどおじさんとおばさんが乗っていた。

 電車は広いところを走っているせいか、ゆっくりに感じる。長閑な田園風景が広がっていた。稲作じゃないかもしれない。コーンかな?

 

「倫也、牛がいるわよ。牛」

「どこ?」

「ほら、あそこらへん。放牧しているのかしらね?」

「個人の敷地なのかな、柵の範囲がえらく広いな」

「こういう自然な感じの牛はいいわね。触りたいとは思わないけど」

「喰いたいとかは?」

「ぜんぜん。だいたいあれは乳牛でしょ」

 

 小さな川が流れている。付近では子供たちが遊んでいた。近くに民家がないので、ずいぶんと遠くまで自転車で来ているようだ。行動半径が都会の子供よりも各段に広いのかもしれない。熊とか出ないんだろうか?

 

 英梨々は白いミュールを脱いで、長椅子に反対方向に正座して座った。

 

「おまえなぁ・・・小学生じゃないんだから」

「いいじゃない。誰も見てないし」

「そんなに景色面白いか?」

「だって、どこまで人間が開発して、どこから自然なのかよくわからないじゃない。ほら、鹿も見えるし」

「嘘?」

「ほら」

 

 確かに遠くに鹿らしきものが見える。ということは、この辺りはもう人がいないのかもしれない。草原が広がっている。民家も見つからない。どんだけ広いんだ北海道。

 

「鹿はどう?喰いたいとか思う?」

「思わないわよ。小さい鹿なら飼ってみたいとは思うけど」

「またまた、そんなあざとい発言しなくていいぞ」

「べ・・・別に、あざとくなんかないわよ!ほら、可愛いしデッサンにちょうどいいじゃない」

「よくわかんねぇなぁ」

 

 たわいもないどうでもいい話をしながら時間をつぶす。外を見るのが飽きたのか、英梨々が正面に座り直した。ミュールは履かずに、足をぶらんぶらんとさせている。

 

「暇ね」

「暇だな」

「やっぱり、ホテルの周辺で時間をつぶした方がよかったかしら?」

「そしたら、もう一度あの海鮮焼きそば食べられたかもな」

「あら、そうね・・・」

「過ぎたこと言ってもしょうがねぇけどさ」

 

 隣に英梨々がいる。それだけで十分な気もする。よし、しょうがないから彼氏らしいところを見せつけてやろう。

 俺は右腕を英梨々の右肩にまわした。

 

「なにしてんのよ」

「ちょっとワイルドなイメージで」

「暑いのよね」

「だなぁ」

 

 エアコンが付いてない。窓はどこも10センチ程度開いていて、扇風機だけは回っていた。風が通るのでそこまで蒸し暑くはない。不快ではない夏らしい暑さだ。だからといってベタベタと触れ合う気になれないのはわかる。

 

 英梨々は俺の左肩に頭を傾けて、ちょこんと乗せた。英梨々の日向の匂いがする。

 

「他にすることもないのよね。スマホも通じないし」

「だな。こういうのもけっこう楽しいけどな」

「別に楽しくはないわよ?」

「そっか」

 

 今がどの辺なのかよくわからない場所で、俺も英梨々も退屈しながら、目的も持たずに2人で電車に揺れている。

 

 2人で過ごす夏休みだから、俺は英梨々にそっとキスをした。英梨々は何も言わず瞳を閉じていた。

 

 電車は心地よくガタガタ揺れていて、ときどき土と草の匂いが窓から風と一緒にはいってきた。

 

(了)




いかなる状況でも対応する、万能英梨々オチ。


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31 アニメ鑑賞⑤音楽で下ネタ

今回は由緒正しき下ネタオチ。


8月22日(月)夏休み30日目

 

 今日は曇り空。夜には一雨降るかもしれない。旅から帰ってきた俺は課題などやる気が起きず、今日もダラダラと夏休みを過ごしている。

 

 昼過ぎから英梨々が来ていて一緒に部屋でアニメを観ている。タイトルは『四月は君の虚実』だ。音楽物アニメのジャンルでは有名な作品で完成度も高い。一応、幼馴染ヒロインエンドの作品であるが、そこはあまり重要ではないかもしれない。

 

「で、なんで氷堂美智留がいるのよ」

「さぁ・・・」

「そこ。2人でコソコソ話しない。感じ悪ぅー」

 

 俺と英梨々は床の上のクッションに座って、並んでアニメを観ていた。美智留はベッドの上であぐらをかいて、スナック菓子を食べながら観ている。白いタンクトップはピッチリしていて体のラインを隠さない。ご自慢の大きな胸はたわわに膨らんでいる。下につけたスポーツブラが透けて見えるが、同じ白でセクシーさとは程遠い。むしろ下がやばい。紺色の短めのデニムパンツをはいているが、こちらはアグラをかいた隙間から下着がチラチラ見える。色は白で視界に入るのは目に毒だ。美智留のとはいえ、悶々とする。

 本人は挑発しているつもりはなく、あっけらかんとして健康的なエロさを振りまいていた。

 

「あれ、それってカールだよな?」

「うん。トモも食べる?」

「もらおうかな」

 

 美智留がカールの入った袋を俺に傾けた。俺は一つをつまんで口に入れる。チーズ味だ。最近では関東では扱わなくなってしまいネットで取り寄せるしかないスナック菓子だ。カレー味も人気で、昔はときどき食べていた。スナック菓子の定番だと思っていたが、それでも撤退するのだから、やはり競争の厳しい時代なのだろう。

 

「澤村ちゃんは?」

「いらない」

 

 英梨々はばっさりと断った。どうにも機嫌が悪い。今日の髪型はストレートのままで、オシャレなシルバーイエローのメガネをかけている。服装はピンクのキャミソールに白いタイトスカート。こちらも露出が高い。黒いインナーを身に着けていて隠すつもりはないらしい。俺、なんで下着の色までチェックしてんだろ・・・病気かな。

 

「やっぱり、音楽がテーマのマンガはアニメ化するといいよな」

「知らない」

「・・・」

 

 うん。英梨々はムスッとしたのを崩さない。子供か。まぁずっと2人で過ごしてきたししょうがないかもしれない。オフモードでは人見知りなのだ。それにしてもタイトスカートから伸びた足がエロい。足を崩して座っているが、時々体育座りにしている。正面なら丸見えだろうなぁと思いつつ、あまり見ないようにしておく。

 

「こういうアニメだとさー、ストーリーとは別にコンサートシーンなんかは、それだけで感動できるよねー」

「そうなんだよな。音楽が持つ力そのものが伝わるからな」

 

 そうそう、こういう会話のキャッチボールを自然にしてだな。作品批評で終わらせずに次につなげたいのだが。

 

「何その浅っさいコメント」

 

 英梨々がブーブー文句を言ってる。もう、俺と美智留が会話しているだけ嫌なのだろうか。が、美智留は英梨々程度ではマイペースを崩さない。そこがまた英梨々には面白くないらしい。

 

「でねトモ。そのコンサートなんだけどさー」

「ああ、お前ってオタクの夏フェスに参加したんだろ?」

「そそ。トモはこなかったね」

「いろいろ忙しくてな・・・」

 

 オタクの祭典といえば俺たちの参加した『夏コミュ』だが、音楽業界で盛り上がるのは朝まで演奏を続ける夏フェスだ。そこに近年はアニソン歌手などが参加していたが、それがさらに独立して、アニソンや地下アイドルの夏フェスが開催されるようになった。こちらも大いに盛り上がっている。有名声優陣も参加し、そっち方向のアニメファンだと、むしろ夏コミュよりも大事なイベントだろう。

 

「波島兄ちゃんがさ、トモにこれを頼んできてくれって言っててさー」

「なんだこのUSBメモリは」

「そこにあたし達の演奏が複数録画されているから」

「ほう?」

「編集して欲しいってさ」

「俺が?」

「じゃ、トモ頼んだ」

「伊織は?」

「メンバーの野暮用もあって、忙しいんだってさー」

 

 波島伊織。出海ちゃんの兄だ。去年は俺が美智留のマネージャーをやっていたが、いろいろあって今は伊織に引き継いでいる。プロデューサーの才覚があるらしく、美智留たちの『icy-tail』は順調に支持を伸ばし売れてきている。夏フェスに参加していることからも、成長著しい注目株だ。

 

「プロモーションみたいな感じでいいのか?」

「あたし達の公式ホームページに載せるってー、トモのセンスで適当に頼むよ」

「なるほど。で、費用は?」

「あたしの身体で」

「わかった」

「倫也!?」 英梨々が反応する。

「あはははっ」 美智留は動じない。

 

 美智留は能天気に笑っている。俺としても冗談と言いたいが、掃除も最近していないし、洗濯も溜まっている。金を払わないなら実働で返すのは当たり前だ。もちろん、好きなだけそのでっかいおっぱいを揉ませろといような要求はしない。そんなことをしたら美智留の思うつぼだ。

 

「そういうわけで美智留。風呂場掃除と、掃除機かけを頼む。あとついでに晩飯の支度もお願いしたい」

「トモのシモの世話は?」

「俺はまだオムツを必要としてないから、大丈夫だ」

「ふーん。まっ、澤村ちゃんいるしね」

「・・・」

「・・・」

「トモ。2人で黙るとリアリティー増すから、なんか適当に流してくれる?」

「ああ、そうだな。・・・だそうだ、英梨々頼む」

「えっ?あ、うん」

 

 英梨々は顔を伏せて顔を真っ赤にして耳まで赤い。こいつ、絶対にポーカー下手だよな。

 

「トモ。まさか・・・澤村ちゃんのこの反応。手を出したの!?」

「いや・・・そうだ、美智留はコーラ飲むか?」

「飲むー」

「英梨々は?」

「・・・ノム」

 

 俺は空のグラスを回収して階段を降りる。やれやれ・・・危うく詮索に落ちるところだった。別に隠すことでもないかもしれないが、美智留に話すことでもないだろう。

 俺としては、今日という二度とこない夏の日を平穏に過ごしたい。美智留がきて騒がしいのはいつものことだが、英梨々の機嫌がこんなに悪くなるとは思わなかった。

 トイレを済ませてから手を洗い。俺はグラスに氷を入れる。

 

 正直危うかったのは詮索のことではない。俺と英梨々の関係だ。今回の旅も未遂で終わった俺と英梨々の関係だが、仲は急速に縮まっていて一線を超えそうになっている。

 俺の部屋では絶対にヤらないといっている英梨々だが、アニメを再生していたら、ぴったりくっついてくるし、もじもじするし、目が合ったら瞳を閉じてくるし、ついついキスをしてイチャイチャしてまった。アニメはすでに見た作品だし、それはまぁいいんだが・・・

 そうやってイチャイチャしていると、ついつい手が伸びてしまって、英梨々がそれを拒絶せずに受けいれちゃうものだから、俺らはその発展を止めることできずに、お互いに困っていた。

 

 そのタイミングで来たのが美智留だった。天の采配を感じずにはいられない。

 

「やれやれ・・・」

 

 俺はため息まじりに独り言をつぶやく。グラスにコーラをいれ上に戻った。

 

 美智留は胡坐をかいたままベッドに座っている。英梨々もベッドに腰を掛けていた。2人で談笑している。さっきまで険悪そうに見えたのは、こちらの気のせいだったか。

 

「ほら、コーラな」

「サンキュー。トモ」

「倫也。レモンぐらい入れてきなさいよ」

「あいにく、冷蔵庫の中はほぼ空だからな」

 

 それぞれがグラスを手に取りコーラをグイッと飲む。夏に飲むコーラは美味い。楽しみにとってあるのは瓶のドクペだ。夏休みの最後にでも名残惜しく飲もうと思っている。

 

「トモ、さっき澤村ちゃんから聞いたんだけど、あんた、澤村ちゃんにフェ・・・」

「ちょっと!?氷堂美智留!」

 

 英梨々が美智留の口を塞いだ、その拍子に2人でベッドに倒れ込んだ。一体なんだ?百合展開が見られるのか?

 俺は2人がもつれ合うのを眺めていた。ベッドの上で美少女が2人イチャついているのはなかなかの僥倖である。英梨々は自分が短いタイトスカートを履いていること忘れているらしく、下着が丸見えになっている。黒のレース付きパンティーで、パンチラというよりは、すでにパンモロである。足を動かすからスカートがめくれ上がっていた。

 

「・・・」 俺の息子が即座に反応した。俺はばれないようにすぐに胡坐をかいて座り、テーブルの下でポジションを修正する。

 

「ふぅ・・・もう、なに言い出すのよ。美智留」

「ごめんごめん。いやいや、2人がそんなに発展していると思ってなくてさ、こう見えて心配してたんだよー」

「おい英梨々。美智留に何を話していたんだよ。さっき、笛がどうのこうのと」

「べ・・・別になんでもないわよ。あんたには関係ないでしょ」

「そだぞー。トモ。この果報者。スケベ。加藤ちゃんにいいつけてやる」

「最後の関係ないないよね!?」

「あら倫也。そこには反応するのね」

 

 英梨々が座り直して、スカートを直している。いきなり冷静モードやめてください。加藤問題は話題によくない。これは経験上俺の第六感が告げている。

 

「ああ、俺はお前の黒に反応したさ」

「はぁ?あんたバカなの?死ぬの?この変態!」

 

 英梨々がマクラを投げつけていた。ここは手で防いだりせず、潔く顔面ブロックで応じる。グラスを手でおさえ、コーラがこぼれないようにするのが男の嗜みだ。

 

「別にフエの話なんてしてないわよ。ね?氷堂美智留」

「えっと。そだねー」

 

 3人なので今日はエアコンが付いている。さすがに窓を開けて扇風機だけでは暑苦しい。エアコンがガァ~と音を立てて、また冷風を吹き出し始めている。

 

「強いて言うなら笛というか、尺八の話?」

 

ブハッ!

 

 すっとぼけた美智留の発言に、俺と英梨々はコーラを吹きだした。

 

 英梨々と目が合うと聴こえない声で、「バカ」と口を動かしていた。

 

(了)




というわけで、美智留回終わり。
出海ちゃんの登場済みで詩羽はしないので、あとは恵回だけ・・・


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32 究極にして至高の海鮮塩焼きそば

英梨々は焼きそば好きなので、今回は焼きそばを作るお話。


8月23日(火)夏休み31日目

 

 今日は暑さが一段落して過ごしやすい陽気だった。日が傾き始めた午後の3時頃、俺は英梨々の家にお邪魔している。

 庭ではパラソルが開かれ、白い丸テーブルとイスが並べてあり、そこには細川さん夫妻が私服で座っていた。

 

「さぁ、やるわよ。倫也」

「これは・・・」

「海鮮焼きそばの完全再現に決まってるでしょ」

「ほうぅ・・・」

 

 今日はガラス細工か何かをするのだと思っていた。英梨々の芸術的創造性は火曜日に発揮されるのではなかったか。なぜに海鮮焼きそば。よほど気に入っていたらしい。見渡すと準備だけはだいぶできていた。

 バーベキュー台には鉄板が敷かれている。長テーブルには氷の上に海鮮食材が並び、野菜、麺、調味料がある。

 

 とりあえずTVの料理対決にでてきそうな豪華な海鮮に目を見張る。殻付きのホタテと牡蠣。有頭海老はたぶんブラックタイガーで大型だ。イカもいて透き通るぐらい鮮度がいい、というかうねうねと動いていて気持ち悪い。タコは足だけだったがでかい。これだけ集めるのにどれくらいの費用がかかるのか検討がつかない。

 

「いい?倫也。妥協は許さないわよ。究極にして至高の海鮮焼きそばを作るから」

「そっか、楽しみにしとく」

「はぁ?あんたバカじゃないの?死ぬの?倫也が作るに決まってるでしょーが」

「無理」

「諦めたらそこで試合は終了よ」

「始まってすらいないけどな」

「検索ぐらいしなさいよ」

「しょうがねぇなぁ・・・ホタテの殻の剥き方っと」

「そこから!?」

「あたりまえだろ、英梨々知ってるのかよ」

「知ってるわよ。隙間にナイフをいれて貝柱を切るのよ。しゃっしゃっとね」

「ほうぅ、やって見ろよ」

 

 ちなみにホタテも海老も生きています。イカは・・・死んでて欲しいが元気だ。バットの上から逃げようとしている。海老が時々ピクンッと動いている。

 英梨々がホタテを1つ手にもってナイフを滑り込ませると、貝殻が閉じてナイフが挟まった。もうナイフは動かない。

 

「・・・倫也」

「な?だから、素人には無理だから」

 

 俺と英梨々が食材と格闘している時、若いメイドさんが皿に何やら盛り付けたものを、細川さんのテーブルに置いている。グラスにはビールが注がれていた。どうやらつまみを提供してくれたらしい。

 

「なぁ英梨々。厨房にはもしかしてコックさんがいるのか?」

「今日はパーティーじゃないからいないわよ」

「誰が作ったんだ?」

「海部さんじゃないかしら」

「じゃあ、手伝ってもらおうか」

「嫌よ」

「・・・小百合さんって料理は」

「人並みね。でも、こういう生の食材は扱えないわよ」

「なら、潔く細川さんに頼もうか」

「なんで、ゲストに頼まないといけないのよ」

「だって、このままじゃ進展しないぞ」

「・・・」

 

 英梨々は細川さんのところへ行きニコニコしながらお願いしていた。そもそも細川さんができるか謎だったが、たぶんマルチな才能の持ち主だから可能だろう。執事は万能と相場が決まっている。

 

 細川さんがこちらにきてペティーナイフを選ぶと、素早くホタテと牡蠣を処理し全部の貝が開いた。それからイカを取り出し、まな板の上でさばいていく。皮を器用に剥くあたりの手つきがプロだ。

 イカを細くきって、一部を皿に盛り付け、ホタテの一つから貝柱を取り、それもスライスして盛り付けた。牡蠣はレモンと塩を振っている。それらをもって自分の席に戻った。うん。「生で喰うんかい!」と心でツッコミをいれておく。海老は処理していないから、このままでいいのだろうか。

 

「これで下準備はだいたいできたわね」

「野菜があるだろ」

「一応、キャベツと人参と玉葱をいれようと持っているけど、倫也、切れるかしら?」

「玉葱の皮ぐらいなら剥けるけど・・・」

「ほんと役立たずよね」

 

 英梨々が今度は細川夫人を連れてきてお願いをしている。こちらは主婦らしい手つきで野菜を切っていった。その間に英梨々は炭に火をつけた。ニンニクみじん切りの瓶をあける。鉄板が温まったら調理開始だ。

 

「倫也、炒める手順は覚えた?」

「ああ、まずは野菜をよく炒めて水分を飛ばす。次に海鮮と麺を入れ、酒で少し蒸し焼きにする。その後に合わせ調味料で味付けをする」

「そうね。言うのは簡単よ」

「それにしても麺が多い気がするけど、何人前あるんだ?」

「10人前よ」

「そんなに?」

「一応、まかない飯を兼ねるから」

 

 澤村家4人、細川夫妻、メイド長の海部さんと、さっきのメイドさん1名。あと俺か。ふむふむ、10人前でちょうどいいかもしれない。

 

「お嬢様。野菜はこのくらいでよろしいかしら?」

「はい。ありがとうございました」

「いいのよぉ。楽しそうで何よりだわ」

 

 手には、ついでに作ったサラダスティックを持っている。ディップソースまで作っているから、かなり手早い。それをもって夫人もテーブルに戻った。

 夫妻の座っているテーブルの足元に、いつのまにかノラ猫が来ている。どうやらこの猫はパーティーのたびにおこぼれをもらいに来る猫のようだ。ホタテをもらってムニャムニャいいながら食べている。さぞかし美味かろう。

 

「じゃあ、倫也。そろそろ行くわよ」

「おう」

「まずは油ね」 英梨々が油を鉄板に流し込む。

「そんなもんじゃね?」

「次は?」

「野菜とニンニク」

「ニンニクはこんなもんかしら?」

「もうちょい多くていいんじゃね。だれか監修ついてもらったほうがいいかも」

「・・・いいわよこれで」

 

 英梨々がスプーンで二杯分のニンニクのみじん切りを淹れた。油で焼けていい香りがする。キャベツ、ニンジン、玉ねぎを投入。俺が右手に菜箸、左手にフライ返しもって炒めていく。火力もなかなかでている。

 

「こんなもんでいいか?」

「いいんじゃないかしら」

「じゃ次だ」

「次なによ」

「なんだっけ?そろそろ麺じゃないか?」

「じゃあ、麺の投入いくわよ~」

 

 鉄板に麺が投入された。最初は固まっているので炒めにくい。

 

「お嬢様」

「うわっ」俺は驚いた。いつの間にか海部さんが後ろに立っていた。 

「なにかしら?」英梨々はちょっと不機嫌になる。そろそろお世話になっているのだから慣れろ。

「いったんは酒か水をいれて麺を蒸しましょう。魚介も投入した方がよい出汁がでます」

「わ・・・わかってるわよ」

「よし、じゃあ英梨々、魚介もいれちゃえ」

「ちょっと倫也。イカが気持ち悪くて触れないんだけど」

「じゃ、かわれ」

 

 俺と英梨々がドタバタとし始める。

 

「失礼!」

 

海部さんがまな板ごと持ち上げ魚介を投入し、酒を手早く振りかけて蓋をした。手早い。あっという間の早業だ。

 

「ちょっと、邪魔しないでよ、海部さん!」

「これも究極にして至高の海鮮焼きそばのため」海部さんは真顔だ。

「・・・」

「クスクスッ」

「ちょっと、倫也!?なんで笑ってるのよ」

「いやいや、なんだかんだ仲良くなっているなと思って」

「なってないわよ!」

 

 喧噪に我関せず、海部さんは腕時計の針を見つめ、しゃがんでは炭の火力を見ていた。凝り性な性格と見た。

 

「そろそろです」

「了解」海部さんの合図で俺は蓋を開けた。磯のいい香りが広がった。

俺は手早く炒めていく。全体的にまざったら、ここで調味料の投入だ。

 

「よし、英梨々。合わせ調味料の投入だ!」

「どこにあるのよ?」

「あれ?」用意してなかった。塩と胡椒。あとは鶏ガラスープの素だっけ。どれくらい入れるのだろう。検索しないと・・・

「倫也。炒めないと焦げるわよ」

「そろそろ、調味料いれないと」俺は慌てた。

 

「失礼!」

 

再び海部さんが身を乗り出してきて、塩、胡椒、鶏ガラスープの素を適当に入れている。加減は大丈夫だろうか。

 

「ここで良く炒めてください。特に魚介は鮮度がいいですが、焼きムラのないように・・・」

「はい」

「倫也、次は?」

「なんだっけ?」

「ちょっと、あんた何忘れているの。これで完成?」

 

 俺は一生懸命炒めている。けっこう暑い。暑い上に熱い。もう一人のメイドさんが氷水のはいったグラスを渡してくれた。俺はそれを一口飲む。なかなか気が利く子だ。名前なんていうんだろう。20代前半で童顔だった。

バイトのメイドは何人かいて、入れ替わりもあるので、なかなか覚えられない。

 

「ゴマ油ではありませんか?」海部さんが指摘した。

「それだ。英梨々、ごま油で仕上げて終わりだ」

「OK.これね」英梨々がゴマ油をドボドボとかけていく。

「お嬢さま、かけすぎです」

「あら、そう?サービスよ」

「よし、完成だな!」

「いえ、味を確認なさってください」

「あっはい」

 

 俺は菜箸で少しつまみ、英梨々が構えた皿にのせた。海部さんにも少し味を見てもらう。俺も食べたがこれがなかなかどうして、美味しかった。

 

「いいんじゃないかしら?」

「だよな」

「もうひと塩でしょうか、なにか足らないです」

「そう?」

 

 俺は手が空いたのでレシピを確認した。

 

「レモンを絞るってさ」

「なるほど」

 

 それぞれの皿に焼きそばを盛り付け、カットレモンを添えた。英梨々が細川さんのところへ運ぶ。小百合さんもいつの間にかきていて、一緒にビールを飲んでいた。

 

「パパはまだ帰ってこないから、取り合分けてラップしておくわ」

「こんなもんでいいか?」

「うん」

 

 英梨々がラップをかけると、メイドさんが屋敷の中へ持っていった。

 

 テーブルは二つあったので、俺たちとメイドさん達の席かな?と思ったが、海部さんは2皿分を持って屋敷の中へと運ぶ。戻ってきたところで一緒に食べましょうと誘ったら、それはできないという。まぁ、そういうものなのだろう。彼女らは仕事中だ。合間か休憩時間に食べてもらえればいい。公私のけじめは難しい。

 

 俺と英梨々はテーブルに座ると、メイドさんがグラスに入った麦茶をもってきた。俺はお礼をいうと、笑っていた。今日の童顔のメイドさんは愛嬌があって可愛い。

 

「いただきます!」と、英梨々が言った。俺も手を合わせる。

 

 食べてみると、これがまぁほんと美味い。

 

「これは英梨々、究極かもしれん」

「あら、やだ。美味しいわね」

「自信なかったのかよ」

「あるわけないでしょ。まぁだいたいは海部さんのお陰よね」

「味付けしてもらったしな」

 

 今はメイドさんが全体を見ている。調理台の片づけもはじめていて仕事にぬかりがない。温かいうちに食べればと思うがしょうがない。ときどきこちらを見ている。裏に下がるとグラスのビールを新しくもってきて、細川さんの空いたグラスを下げた。手慣れたものだ。

 

「英梨々。美味しいわよ。ほんと旅をさせたかいがあったわ」

 

 小百合さんもご満悦である。そして発言が若干親バカである。細川さんからも褒めてもらった。

 海部さんが戻ってきて、英梨々に「美味しかったです。ごちそうさまでした」といった。どうやら屋敷の方で食べてきたらしい。やはり、熱いうちに食べるのも礼儀だろう。いつのまにかメイドさんは屋敷に戻っている。今頃たべているに違いない。

 

「青のり入ってないのは気楽でいいわね」

 

 英梨々はつまらないことをいって、満足気に笑っていた。

 

 塀の上では猫が毛づくろいしていた。猫のお腹もふくれたらしい。

 

(了)




ニンニクをちょこっといれ、ゴマ油をどぼどぼかけただけで、焼きそばを作った気になっている英梨々がほんとカワイイ。


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33 秘密基地でイケナイ遊びをする

ほぼ、エロで構成される話


8月24日(水)夏休み32日目

 

「倫也~、秘密基地つくろ~」

 

 あっ、すみません。俺の彼女なんですけど、時々おつむが緩くなるようです。

 夏休みがあと1週間で終わる。えっ?あと1週間・・・嘘だろ。課題がぜんぜん終わっていないどころか、1ページもやってない。そのほかに自分で買ったテキストもあるのに。袋から開けてもいない。

 

「ほら、早くいくわよ」

「ちょっと待て、英梨々・・・もうすぐ夏休みが終わるぞ」

「それがどうしたのよ?そりゃあ当たり前でしょ。夏休みですもの、冬まであったらおかしいでしょ」

「いやいや、そういう話でなくってだな」

「ほら、支度して」

 

 もはや彼女とは何か?俺は哲学したい。この大切な高校三年の夏を毎日無為に過ごしている。それでいいのだろうか。受験生である。彼女だったら普通は応援するのではなかろうか・・・

 とかなんとかいいながらも、俺と英梨々は外に出た。天気は晴れ。残暑の厳しい真夏日である。ただ蝉は鳴かなくなっている。

 

 今日の英梨々は、白いシャツにジーンズを履いて、サスペンダーで留めている。小さな麦わら帽子をかぶっていて、髪は後ろで三つ編みにしていた。冒頭の秘密基地発言から察するに、トムソーヤでもイメージしているのかもしれない。

 

「で、英梨々。秘密基地ってなんだ?」

「そんなの秘密の基地に決まっているでしょ」

「いや、俺が聞きたいのは、そういうトートロジーじゃなくてだな・・・どこに作るんだ?」

「いろいろ考えたのだけど、うちの庭が無難でしょうけどね。思ったよりもまだまだ暑いし、あたしの部屋に作ろうかな」

「はい?秘密基地をお前部屋に作るの?」

「そうよ。悪い?」

「えっ、英梨々、もしかして暑さで頭おかしくなったじゃねーの?」

「なんでよ」

 

 俺は心配になって英梨々のおでこに手を当てる。別に問題はなさそうだ。英梨々はおでこに触った時に瞳を閉じた。せっかくなので、キスする。チュッと。

 

「倫也」

「はい」

「あんたね、そんなにいつでもキスできると思わないでくれる?あたし、そんな軽い女じゃないから」

「ごめん。つい。しない方がよかった?」

「べ・・・別にそんなこといってないわよ」

「英梨々がほら・・・」

「ほら、なによ?」

「可愛かったからつい」

「もう、ほんとバカ」

 

 英梨々が立ちどまって、また瞳を閉じたから、英梨々は軽い女じゃないと思ったけど、もう一度キスをした。もう一度怒れるなら、した後に怒られたい。

 英梨々がニヤニヤしている。こいつ可愛いな。

 

 俺の家と英梨々の家の間にある小さな公園の前だった。子供たちが遊んでいた。俺たちはところかまわずキスをするバカップルになっているかもしれない。かもじゃない、そうなのだ。もっと自覚をもって行動すべきだろう・・・

 

「もう、ほんと・・・バカよね」

「どっちもな」

「それでいいわよ」

 

 英梨々も認めた。

 

※ ※ ※

 

 英梨々の部屋。よく片付けてあった。部屋の片側は何も置いていない。

 壁際にはダンボールの束が立てかけてあり、水彩のペンキも用意されている。

 

「もしかして、秘密基地って、ダンボールハウス?」

「そうよ。将来のあなたのおうち」

「やめてぇ」

「勉強しないで大学なんていってもろくな未来にならないわよ」

「勉強したいのに邪魔してるのって、お前だよねぇ!?」

「そうやって、もういい大人なのに人のせいにするのはよくないわね」

「・・・」

「成人年齢も引き下げられて、倫也はあと数ヶ月で大人でしょ」

「まぁそうだが」

 

 俺の誕生日は、えっと・・・12月18日だ。従姉妹の美智留と同じ誕生日である。

 

「それでね。これが設計図よ」

「ほう・・・って、けっこう細かいな。つか、これは・・・デフォルトなのか?」

「正解。あたしが設計したものでなくて、最初から組み立てるだけの、簡易ハウスなのよ」

「どこに需要があるんだ?」

「例えば自分の部屋をもてない兄弟なんかは、部屋の中に部屋を作りたいわけね」

「なるほど・・・」

「倫也やあたしみたいに一人っ子で、自分の部屋が持てる人は少ないのよ」

 

 納得いった。そういうわけで、ダンボールハウスを組み立て始める。型抜きみたいになっていて、まずは各パーツをそろえていく、ダンボールと一言にいっても、けっこう硬い。最近ではテーブルやベッドにも使われるらしい。

 英梨々は設計図を見ながら、水彩のペンキでダンボールを塗っていく。俺としてはこのダンボールそのままの色の方が雰囲気でていいと思うのだが、英梨々にはこだわりがあるのだろう。

 

1時間ほどで完成した。時刻は午後の3時を回った。

家のデザインはシンプルだった。英梨々の塗った色は原色に近くて北欧の建物を彷彿とさせた。とんがり屋根なので、そういうイメージなのだろう。

 

 中の広さはちょっと広い押し入れといったところだ。高さはそんなにない。屋根の一番高いところで、1,5mぐらい。大人だと座って入るのがやっとだ。

 

「あとは、これを敷き詰めてくれるかしら」

「パネル絨毯か」俺は受け取って並べていった。

「考えてみると、外側を塗るよりも、中を塗った方がよかったわね」

「そうかもしれないが、俺はこのダンボールの風合いが好きだよ」

「なら別にいいわね。じゃあ、完成ということで、乾杯しましょうか」

「ジュースないぞ」

「持ってくるから、待ってなさいよ」

 

 英梨々が家から出て、そして部屋から出ていった。

 

テントに感覚が近いかもしれない。あちこちに窓があり、光が入ってくる。それでも屋内だと薄暗い。スタンドランプを引っ張ってきて灯すと、ちょうどよい明るさになった。狭いところなので妙に落ちつく。

 秘密基地か・・・普通は公園の円筒状の遊具の中とか、家と家の狭い路地とか、あるいはどこか人のこない地下室とか・・・

 こんな風に部屋の中に作るものではないだろう。

 

 部屋の扉が開いて、英梨々が戻ってきた。ガチャリと部屋の鍵をかける音がした。

秘密基地の入り口をくぐって中へ入ってくる。手にはラムネの瓶を2本持っていた。

 

「サンキュ」

「やっぱり、秘密基地といったらラムネでしょ」

「そうか?」

「じゃあ、あんたの中の秘密基地ってどんなのよ?」

「そうだなぁ・・・缶にみんなの大事なもの・・・メンコとかベーゴマとかカードなんかが入っているイメージだな」

「発想が昭和よねぇ」

「今も昔も変わらねぇよ。子供でも手に入り、大人にとってガラクタなのが宝物だろ」

「うん。まぁそうね」

 

 英梨々がタオルで抑えながらラムネのビー玉を落とした。俺もラムネを開けて一口飲む。この爽やかな甘さは夏に飲むとうまい。

 

「やっぱり何か違うわよね?」

「何が?」

「ラムネよ。もっと美味しく飲めると思ったのに」

「外じゃないからだろ」

「そうよねぇ・・・今から庭に運ぶ?」

「いや、もういいだろ。それに俺たちは大きくなり過ぎたんだよ」

「大人になった?」

「まぁ、なりかけているんだな」

 

 ラムネを飲む。英梨々は隣に座って、瓶を揺らしながらビー玉を鳴らしていた。カランコロンと音が鳴る。

秘密基地の中は、大きくなった俺たちにはもう狭い。

 

「それにね、ドキドキ感も足らないのよ」

「バレようがない秘密基地だからだろうな」

「あたしはもっとこう、わくわくすると思ったのに」

「そりゃー残念だったな」

 

 工作なんてせずに公園の土管の遊具の中でも良かったと思う。その方がもっとノスタルジックな気分になったかもしれない。こんな風に大人になったことを感じたくはなかった。心はずっとガキのままなのに、いつのまにか高校生になって受験を迫られている。誰もが自分のペースで歩めない。右を見て、左を見て、自分がどの位置にいるのかを気にしながら生きているのだろう。俺も。英梨々だってそうだろう。

 

「ごちそうさん」

「お粗末さま」

 

 ラムネの瓶を端の方に置いた。英梨々も飲み終わって瓶を置いた。ビー玉が瓶の中で揺れていた。

 

「いいわよ」

「ん?」

「・・・始まっちゃったから。最後までできないけど」

 

 英梨々は隣で体育座りをしながら、物思いに更けているようにダンボールの壁を見ていた。どんなに取り繕っても、俺も英梨々も2人きりになれば、頭のことはエッチなことでいっぱいだ。この秘密基地には他になにもない。アニメも、マンガも、ラノベもなかった。

 始まったというのは・・・アレだな。しょうがない。英梨々はこの狭い空間でするつもりだったのだろうか?英梨々の天蓋付きの大きなベッドなく、この狭い場所で。

 

 しかしまぁ、いざ、許可をもらってもどうしていいかわからない。

 

「英梨々。こっち向いて」

 

 大きなサファイヤブルーの瞳が俺をのぞき込むようにじっと見つめた。よし、まずはキスをしよう、どこまでできるかわからないけど、できるとこまでしよう。せっかく用意してくれた2人だけの空間だ。

 

「目、閉じてくれよ」

「いやよ。倫也がどんなエッチな顔でキスするのか見てるわ」

 

 どうやってキスしていたっけ?

最近はよくキスするようになって慣れたと思っていたのに・・・

こうして英梨々に見つめられると・・・手が震えた。英梨々の肩に手を当て、俺が目を閉じる。それから英梨々の形のよい唇にキスをした。唇を重ねたまま呼吸を止める。

 英梨々から舌をいれてきた。ラムネの匂いがする。目を開けると英梨々はもう目を閉じていた。わざと絡みつく唾液の音をだし、耳を赤くして聴いているようにみえる。

 

 こうやって少しずつエスカレートしていく。ジーパンは英梨々に似合っていても、セクシーにはみえなかったし、今日の英梨々の拒絶の意思表示にも思えた。デニム生地の上に手を這わせても英梨々を感じることはできない。

 

 唇を離すと、英梨々は蕩けるような瞳で俺を見つめている。コクンとうなずく。意味がよくわからないが、ここからの発展となると、どうなのだろう?まず、邪魔なのは・・・

 

「サスペンダー、外していい?」

「す・・・好きにしなさいよ。そういうことでいちいち許可を得ないでよ」

「じゃあ」

 

 もぞもぞと、両手でサスペンダー外した。英梨々は俺から離れて横になった。両手を胸の前で握っている。顔は横を向いていて紅潮していた。英梨々の足にぶつかってラムネの瓶が倒れた。ビー玉のガラスにぶつかる甲高い音が静かな秘密基地の中に響いた。

 

 自分の息が荒くなるのがわかる。エアコンがもう少し強い方がいい気がした。汗をかいているのがわかった。

 

 じっと横になっている英梨々を見ていると、ゆったりとした白いシャツからみえる胸の膨らみは小さかった。そのシャツの小さなボタンに手をかけて、襟の近くのボタンを外した。英梨々は手を胸の前で祈るような形でギュと握ったままだ。

 

 その手に手を添えて、指を絡めながらほぐすようにはずすと、英梨々は諦めたように腕を上にあげ、赤ちゃんみたいな万歳をする格好をした。その時にもう一つのラムネ瓶が倒れて、またビー玉がカラコロと鳴った

 

 狭いので、俺は英梨々にまたがるように乗り、両手で英梨々のボタンをはずし始めた。何か邪魔が入るのではないかと思っていた。電話がなったり、メイドさんが部屋をノックしたり、あるいは地震が起きたり・・・

 でも何も起こらなかった。

 一番下のボタンまで全部を外した。英梨々はジーパンの中にシャツをいれていたので、俺はそれを引っ張って外に出した。ジーパンのボタンまで外す勇気はなかったし、まかりなりにも英梨々が「始まった」と言っている以上は、このガードの固い下半身には触れるべきではないのだろう。

 

 ・・・シャツがはだけ、英梨々の胸元が見える。ブラジャーは淡いピンク色の柔らかそうな生地で、縁にはレースがあしらわれている。胸の全部を隠さずに下から支えるようにカップがあって、谷間と言えないけど胸の上は露わになっている。英梨々は細いので、あばらが少し浮き出ていた。俺はそれを指でなぞるように触った。英梨々は何もいわず、横を向いたまま息を殺している。そして、少し震えていた。

 

 明るくてバカをいっている英梨々はそこにはいなくて、緊張して固まった少女がいた。その仕草が愛らしい。

 

 興奮している。自分を抑えなければダメなのはわかる。英梨々はまだOKのようだ。とりあえず熱くなった下半身の膨らみが邪魔なので、俺はポジションを直した。いっそ、ズボンを脱いでしまった方が楽かもしれないけど、英梨々の部屋でそれはまずいだろう。誰かが入ってきた時に言い訳ができない。

 あっ、鍵はかかっているのか・・・

 英梨々だってそのことを知っているのだ。今はいけない遊びをしている。その自覚があって、2人はドキドキとした気分を共有していた。

 

「英梨々・・・」

「なにかしら?」という声が弱々しい。英梨々は流し目で俺を見ている。まつ毛が長い。

「まだいいのかよ」と質問すると、「もういいのかしら?」と質問に質問を返してきた。

 

 中には時計もないし、スマホもないので時間がどれくらいたったのかわからない。

 英梨々の首筋にキスをして、それから舌でいやらしく舐めた。そのまま耳たぶを甘噛みする。

 

「あんっ」と英梨々の吐息が漏れた。

「いやらしい声だな」と耳元で囁いた。羞恥プレイは英梨々のマンガの十八番だ。嫌いなわけがない。

 

 シャツを横に広げてブラジャーに右手を重ねた。横になっているせいか、そこまで大きなふくらみは感じられなかったが、それでも柔らかい。できるだけ優しく揉むと、

 

「あんっ」と、英梨々がまた甘えた声を出した。

 

 それはもう、わざとなのか、そういう声が出てしまうものなのか俺にはわからなかったけれど、俺は興奮しているし、もうどっちでも良かった。カワイイ声を聴かせてくれればそれでいい。

 胸を触りながら、人差し指でそっとブラの上の部分から侵入した。英梨々の小さな突起を指の先が確認をする。それから、指でめくりあげると、英梨々の可愛い小さな乳首が露わになった。

 

「英梨々、やばい・・・」

「どうしたのよ?」

「暴発しそう」

「・・・もう、バカ!」

「いや、けっこう切実で、ちょっとズボン脱いでいいか」

「やめときなさいよ・・・」

「だよな・・・」

「もう、とにかく我慢できなくなったら言いなさいよ。楽にしてあげるから」

 

 2人の呼吸が荒い。俺たちはイケナイ遊びをそのまま続けた。もう2人で止めることができなかった。5時のチャイムが鳴らなければいいのにと思いながら、秘密基地の中で、2人だけの秘密のことをして過ごした。

 

 時々、身体に当たって倒れているラムネ瓶が転がり、ビー玉が心地いい音をたてた。それを聴いた英梨々が「クスッ」と上半身裸のまま子供のように八重歯を見せて笑っていた。

 

(了)




おかしい。ラムネを飲む爽やかな話になるはずだったのに。
おいしく飲めるように、そうだ秘密基地でも作らせようと思ったら、この流れですよ・・・


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34 マンガ喫茶バイト⑤ナースコスプレ

夏休みバイト最終回。

バイト先でバカップル化した2人です。


8月25日(木)夏休み33日目

 

 朝から良く晴れていて残暑が厳しい。

 隣を歩く英梨々は、白いシャツにモスグリーンのサロペットを着ている。髪型は後部でお団子を作っていた。手には紙袋を持っていて、そこには衣類が入っている。

 

 出勤してタイムカードを押し、夜勤から業務を引き継いだ。まずは掃除からなのだが、英梨々は夜勤が帰るのを待ってから、「着替えてきていいかしら?」といった。これは俺が拒否をしても罵られるだけなので、俺としては「早くしろよ」としか言えない。

 

 英梨々は個室の鍵を持ち出して奥の部屋へ入っていった。お客様は現在のところ0人だ。このまま1人で掃除を始めてもいいが、ここは彼氏らしく監視カメラで部屋を覗くべきか迷う。別にどうしても覗きたいわけじゃない。今日の俺は若干賢者タイム中なのだ。

 というのは昨日、英梨々とじゃれている時に1回。夜に英梨々を思い出してもう1回。そして英梨々の夢を見て朝に下着を汚し、都合3回ほど・・・まぁアレなわけだが。高校生らしく体調は万全、いたって健康である。

 

 しょうがないので、俺はバックヤードのノートPCにアクセスをし、英梨々の着替えている個室を覗いた。カメラは固定で上から見ている。フルカラーで画質もいい。この映像をPCに保存しないようにそこだけをオフにする。これは初日に英梨々が個室に入った時にも慌ててした作業だ。

 何かあった時に監視カメラをチェックされても大丈夫なように、英梨々の着替えのデータを残すわけにはいかなかった。

 

 英梨々は俺が監視カメラを見ていると確信しているようで、カメラに向かって仕切りに何かをアピールしている。わざとモジモジしたり、「バーカ」と口を動かしたり、踊りながら脱いだりと、実にバカだ。俺は苦笑いをしつつ、誰もお客がこないことを願っていた。

 英梨々が着替え終わってでてきたので、また録画を開始する。

 

「ねぇねぇ変態倫也~どうかしら?」

「ああ、実になんていうか・・・まぁ、そのあれだ。似合ってるよ!」

「でしょでしょ」

「さて、掃除始めるか」

「掃除する時間あったでしょうよ。何してたのかしらね。この変態は」

「お前の想像通りのことだよ!」

「ふふふっ」

 

 英梨々が笑っている。俺は録画を停止していることなど英梨々には恩着せがましく言わない。2人でくだらないエッチな遊びを朝からしただけの話だ。

 

 フロアに掃除機をかけ、ドリンクバーの掃除し、グラスを洗ってセットする。英梨々はマンガの整理をして、テーブルを拭き、リクライニングシートを元に戻す。

 掃除は30分もかからずに終わる。その頃に、最初の常連さんがやってくる。

 いつも通りのバイトの日常に戻った。英梨々以外は。

 

 さて、本日の英梨々の衣装だがナースコスプレをしている。しかも、ナースコスプレっぽいナースコスプレであって、ナースの恰好をしているわけではない。ここがポイントだ。

 

 ナース用の白いミニスカワンピース。ちょっと厚手の生地がポイントだ。胸ポケットもあり、ペンが刺さっている。首には聴診器をかけ小道具も万全。髪にはナースキャップをセットしている。後部にお団子を作った髪型なのはこのためだったようだ。そこに白のハイニーソをはいている。しかも靴はなぜか先端が赤の上履きだ。

 

 別にマンガ喫茶はコスプレをする場所ではないと思うのだが、本人はノリノリであり、俺としては別に文句はない。英梨々のナースコスプレは実によく似合っている。ドジッ娘ナースではなく、小悪魔的である。

 

 掃除が終わったころに、チャイムがなって最初の常連客がやってきた。その後も次々と来客がある。

 

 木曜の客が多いのはたぶん英梨々がいるからだろう。手元のデータで曜日別にみても、木曜日の客だけが増えている。英梨々目当ての客といっても、英梨々に話しかける人はいない。

 やっぱりマンガ喫茶まできてマンガを読むような層は内向的なのかもしれなかった。

 

 英梨々はマンガを1冊読み終わるごとに、聴診器を俺の腕とかおでことかに当ててくる。俺はそれを無視したいのを我慢して、「どうですか?」と相手をしてやると、「あんた、死ぬわよ」とか、「末期で、あと一ヵ月の命です」とか、不吉な事ばかりいう。英梨々も別に面白いことを言っているつもりはないらしく、またマンガ本を読みはじめる。

 

※ ※ ※

 

 お昼休みはバックヤードで交互に休憩をとり、たいして旨くもない店の冷凍食品を電子レンジでチンして食べた。客はちらほらと来店してくる。

 

 客はドリンクバーにいくたびに受付の前を通るのだが、みんなが英梨々を横目で盗み見している。英梨々は目が合うと手を小さくふって愛嬌を振りまいていた。

 

「ねぇねぇ、倫也」

「どうした?」

「お医者ごっこしたい」

「してんじゃーねか」

「じゃあ、お医者さんごっこ・・・したい?」

 

 ナースコスプレの英梨々を見る。英梨々はちょっと顔を赤らめて、俺をじっと見ている。吸い込まれそうな大きな瞳がシャープなデザインのメガネから見えている。右手には聴診器を持って、悪戯っぽくこちらに向けていた。

 

「そりゃ、まぁそうだよな・・・」

 

 夢である。男のロマンだ。まぁ、俺は経験があるけどな。美智留とよくやった。あいつはノリが良かった。胸が膨らみ始めてからも聴診器当ててたからな・・・

 英梨々はもちろんそのことを知らない。

 

「でも、ここじゃできないわよね」

「当たり前だろ・・・仕事中だぞ」

「お医者さんごっこって、何するの?」

「それはだな・・・」

 

 チャイムが鳴った。英梨々が舌打ちをする。それでも客がくると笑顔で迎えて接客をする。まさかのナースコスプレ美少女に、すべての男性客は戸惑いを覚える。中には清算時にチップを置いて行ったり、おつりを俺たちにくれたりする時があった。

 

「基本はやっぱり・・・聴診器を胸に当ててだな」

「その前に服を脱がさいとダメじゃない?」

「服は脱がすものじゃない。軽くまくれば十分だ」

「それから?」

「喉を見たり、注射するフリをしたり・・・」

「浣腸したり、拘束してアソコの中みたり」

「するかぁ!」

「倫也、声でかい」

 

 あっ、すみません。俺は客のいるフロアに向かって頭を下げる。

 

 英梨々の胸に聴診器を当てるか。ふむふむ。俺は昨日の英梨々を思い出す。彫刻のような綺麗な白い体。控え目な胸の膨らみは形がよかった、上をツンと向いている小さな乳首。色は鮮やかなピンクじゃなくて、肌色に近くて・・・

 

「はっ」

「倫也。何妄想してんのよ」

「いやいや、英梨々・・・やっぱり、診察した後は適当な病名をつけて、それからお薬を処方しなきゃな」

「どーでもいいわよ・・・」

 

 英梨々が体をこちらに向けて、足を組み替えた。ミニスカなので組み替えると見えそうになる。俺は太ももに目が釘づけになってしまった。白いニーソも良く似合っている。

 

「倫也、目が血走ってるわよ」

「ああ、そうだよな・・・すまん」 

「昨日、ヌいてあげたでしょ・・・」 英梨々が耳元で囁いたあと、耳に息を吹きかけてきた。

 

 英梨々は知らないのだろうか。高校三年生の健全な男子がどの程度の頻度でマスターベーションをしているのか。それどころか、昨日は英梨々をオカズにさらに二回ほど俺は出している。ここ数日・・・性欲の塊みたいになってきている。だいたいすべて英梨々のせいだ。英梨々にはもちろん言わないが、知られたらこいつの場合は喜ぶのだろうか。

 

「仕事中にあまり挑発しないでくれ・・・」

「あんたが勝手に欲情しているだけでしょ」

 

 チャイムが鳴った。英梨々が舌打ちをする。

客を迎え入れ、受付業務を笑顔で済ませる。慣れた様子だ。

 

「はぁ・・・」 俺は大きくため息をついた。

「ねぇねぇ倫也」

「なんだよ」

「何がしたい?」

「何が?」

「このコスプレみて」

「ああ、そうだな。ガーってして、ガーして、ガァァアってしたいよ」

「バカ」

「言語化できるかバカ!」

「ふーん」

 

 こいつ、さっきからエロトークしかしてねぇな。勤務中のまだ日中である。バイトが終わるまであと2時間以上あった。冷静にならないと体がもたない。

 英梨々が足を崩して、前でピッチリと閉じる。膝が当たっても、太ももは細いのでそこに空間ができる。

 

「挟みたいかなぁ」

「倫也、どうしたの?」

「いや、なんでもねぇよ」

 

 俺は前を向いた。なんか、さっきから息子が元気だ。朝は賢者タイムの名残りがあったのに、今じゃもう・・・

 穏やかなバイト生活がしたかった。いっそ店を閉めて、英梨々とバックヤードで昨日の続きがしたい。まぁ、まだ最後までできないだろうけど。

 

「はっくしゅん」

「ん?大丈夫か英梨々?」

「平気よ」

 

 そういえば少し顔が赤い気がするのは、もしかして風邪かな?

 

「無理すんなよ。1人で平気だから、帰ってもいいからな」

「なんでクシャミひとつでそこまで心配されなきゃならないのよ」

 

 それから、自分達を落ち着けようと並んで受付台に座って前を向いた。英梨々がマンガをまた読み始めた。あと2時間の辛抱である。

 

 俺は前を向いたまま、こっそりと左手を伸ばし、英梨々の右の太ももの上に手を置いた。

 

「倫也、それ、完全にセクハラ」

「蚊がいたんだよ」

「ならしょうがないわね」

 

 許容された。しかし、勤務中にこのタッチは背徳感がやばい。もうこれはAVみたいなもんで、よろしくない。やめておこう。

 

「倫也、蚊がニーソの中に入っていったわよ」

「んなわけあるかい」

 

 とかいいつつ、指でニーソを弾いてみた。英梨々の太ももが柔らかく肌がすべすべしている。あとニーソの肌触りもいい。というかすごくいい。

 

「なぁ英梨々。この白ニーソって、もしかしてシルク?」

「当たり前でしょ」

「シルクの白ニーソなんてあるんだな」

「なにいってんのよ?」

「いや、普通はコスプレ用って安物のナイロン使うだろ」

「さぁ?」

「まぁ、俺もよくわかんねぇけど」

「なんなのよ」

「顔をすりすり擦りつけたい」

「はぁ?あんたバカなの?死ぬの?変態」

 

 チャイムが鳴った。英梨々は顔を赤らめて妄想に浸っている。しかたないので俺が代わりに舌打ちをしておいた。

 

※ ※ ※

 

 仕事が終わった。引継ぎをしエプロンをしまう。

 

 エレベーターの中で俺たちはキスを重ねる。俺としてはそのまましゃがんで、英梨々の足にすりすりしたいが、もちろんそこまで変態ではない。キスをしたところで性欲が収まるわけでないし、むしろ高まる。

 

 外にでて夕暮れの街を歩きながら、手をつないで仲良く帰った。

 

 家の前でいつものようにもう一度キスをする。

 

「じゃ、倫也、また明日ね」

「明日は週末だけど、またどこか行くのか?」

「うん。明日はね。豪華クルーズ旅行よ」

「ほう・・・」

 

 どこにそんな金があるんだかわからないが船旅らしい。特等室あたりで過ごすのだろうか。楽しみではあるが、俺としてはもうどこもいかず、英梨々と部屋で過ごしていたかった。

 

「コホンッ」と英梨々が咳をした。

「大丈夫か?」

「うん。平気よ。倫也の変態の願望は、また考えておいてあげるわよ」

 

 そういって、英梨々は俺を少しバカにして、口角を片方あげて小悪魔のように笑った。

 

 ひぐらしが遠くで鳴いている。もうそろそろ夏が終わろうとしていた。

 

(了)




裸でイチャイチャしてたせいだな・・・


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35 風邪・入院

メインヒロインには『転』がある。

夏だ!海だ!水着だ!
そんな明るい週末が風邪で中止に。それでもこの危機を英梨々は切り抜ける。



8月26日(金)夏休み34日目

 

 晴天。今日も暑くなりそうだった。

 白地に水色の水玉模様のワンピースを着た英梨々が、大きなキャリーバックを片手に玄関先に立っている。

 

「説得をお願いします」

 

 その隣は澤村家に仕えるメイド長の海部さんが立っている。今日も黒いスーツ姿がかっこいい女性の方だ。英梨々を心配そうに見ている姿は、仕事だけの関係というほどドライでもなく、こうしてここまで車で連れてきたことからも優しさが伺える。

 

「倫也ぁ、ゴホッ」

「もう、しゃべるな。で、熱は何度だった?」

「大丈夫よ、ゴホッ、これくらい・・・」

「38.5度です。早く病院へ連れていくべきと考えます」

「まったくだ。英梨々。フラフラじゃねーか。とりあえず病院いってこいよ」

「嫌。ゴホッ。今日はクルーザーゴホッ、乗るの」

「どうみても無理だろ。ほらほら」

 

 俺は英梨々を急き立てるように車へ追いやった。しょうがないので後部座席の隣に乗って付き添う。なんで高校三年生にもなって病院嫌いなのか。

 

 車に乗り込むと英梨々はぐったりしている。もはや執念だけでうちまで来たようだ。

 今日の予定はクルーザー旅行だったらしい。しかし、そんなことは健康な時にするもので風邪をひいたら無理に決まっている。

 

 診察を受け処方箋をもらったら薬を飲み、家でのんびりと過ごせばいいと思っていた。フラフラと診察室から出てきた英梨々は、次はレントゲンだという。レントゲン?付き添いは海部さんに任せて、俺は待合室で待つ。

英梨々の診察が終わるまで、棚に置いてあった雑誌や漫画を手にとって眺める。もちろん頭には何もはいってこなかった。

 

 ここは大きな大学病院の本館で、1~4階までが外来用の診察室になっている。1階は大きなロビーで会計スペースが広い。他にはコーヒーショップとコンビニもある。自販機の品ぞろえも豊富だった。5階よりも上は入院棟になっている。パジャマ姿の患者もいた。

 渡り廊下を通じて隣が新館と呼ばれる入院専用のビルで16階まである。ちなみに最上階は展望レストランだ。

 戻ってきた英梨々はすでに車イスに乗っていて、海部さんが押している。ぐったりとした様子で顔も赤い。急速に症状が悪化しているようだ。

 

「入院が決まりました」

「重い病気ですか?」

「いえ、風邪をこじらせた軽い肺炎です。自宅療養でもいいのですが、点滴をしてくれるそうです」

「そうですか・・・」

 

 海部さんの説明は簡単に説明をしてくれた。そうなると入院の準備もあって大変だ。俺も何か手伝おうと思ったけれど、手伝えることはなく帰るように促された。

 

「ごめん、ゴホッ。ともや。ゴホッゴホッ」

「もう、しゃべるなよ。お大事にな」

 

 俺は大きなため息をついた。やれやれ・・・どこで無理をさせてしまったか。英梨々がエレベーターに乗るのを見送ってから、俺は電車で家に帰った。

 

※ ※ ※

 

 平穏でも暇でもなかった。何もやる気が起きない。今日は1人なので課題を終わらせてしまおう。頭ではわかっているが何も手つかずなまま時間が過ぎていく。ベッドの上でゴロゴロしながらソシャゲのデイリーミッションをこなしているうちに、イライラしてきてキャラを売却した上でアンインストールをした。何か食べようと冷蔵庫みたがろくなものがなく、1人でカップ焼きそばを食べる気もしない。

 外に買い物をする気にもなれず、コンフレークに牛乳とハチミツをかけて、口に押し込んだ。

 

 夕方過ぎに、英梨々からLINEが入った。

 

> 今日はごめん

< しょうがないだろ

> 点滴打って、寝たらだいぶマシになったわよ

< そりゃなにより

> あんた暇でしょ

< おかげさまで

> ramune1218

< なんだこれ?

 

 その後、返信はいくら待っても来なかった。ラムネの後の番号は俺の誕生日だ。何かのパスワードっぽい。

 

 俺と英梨々が共有していて、英梨々がパスワードをかけているもの・・・クラウド上のデータしか思い浮かばない。昨年、サークルでゲームを作った時に立ちあげたものだ。共有の素材やデータなども入っている。英梨々がそれを流用し、同人漫画の下書きを俺に見せる時に使用していた。

 

 そこに鍵のかけられたフォルダがいくつかあった。おそらく素材だろうと思っていた。凌辱同人漫画のための素材だから、かなり際どい18禁画像もある。

 ここは加藤や美智留とも共有している。パンピーの彼女たちが間違ってアクセスしてショックを与えないための英梨々なりの配慮だろう。普通の人は、男性同士でつながっているBL画像や、SM画像などは軽くトラウマになりかねない。

 

 ノートPCを立ち上げて、クラウドデータにアクセスをする。鍵のかかったフォルダにアクセスをしたが開かないものが多い。そのうちの一つ『summer』のフォルダにパスワードを入力すると、鍵が解除された。BINGOだ。

 

 3桁以上の数の画像ファイルだった。この夏休み専用フォルダらしい。写真の多くに俺が1人で映っていた。風景もあり、一緒に撮った写真もあり、英梨々が1人で自撮りしたものもある。

 俺も英梨々も、そんなにはスマホで写真を撮らなかったつもりだ。写真を撮る事ばかりに気をとられるのがいやだったからだ。それでもこの枚数だ。いや、たぶんこれはセレクトされている。もっと膨大な数があったと思う。

 

 いつのまに撮ったのだろう。画質の良いものはスマホでなくて、デジカメのものかもしれない。英梨々の撮影したものが多いが、それ以外のものあるのだろう。

 

 俺が竹と格闘している流し素麺台から始まり、風鈴、マンガ喫茶でさぼっているところ、スイカ割り、海浜公園・・・ずいぶんと前な気がする。

 ラブホテル内での映像は消し去りたい。アソコ見えているものはせめて加工してくれ・・・

 染色工房の作品も多い、焼きとうもろこし、別荘で過ごした時間。

庭のプールで水遊びをした時に英梨々はスク水を着ていて、これは胸を強調しながら自撮りしている。夏の光の中でウインクしながらポーズをとって、髪は輝いて白く見えるぐらいだ。

 夏コミの写真ではコスプレ関連が多い。綺麗に英梨々アーニャが撮れていた。俺も見覚えがあるのでネットで集めたのかもしれない。澤村家の家族写真が微笑ましい。美術部の後輩も映っていた。集合写真では英梨々のすました笑顔がちょっと面白い。

 うちわ制作をした。それから、夜行列車で旅をした。花火は綺麗で英梨々はエロかった。

帰りの電車では何もないところでキスをした。それを綺麗に自撮りしている。俺は気がつきもしなかった。窓辺に幸せそうなバカップルがいる。

究極の焼きそばを作り、秘密基地を作り、昨日はナースコスプレをしている。英梨々は挑発的にミニスカに手をかけて少しめくって自撮りしていた。

 

 この夏の思い出がぎっしり残っていた。遊びに遊んだといった感じだ。もう懐かしくすらある。

 

 最後にテキストファイルが置いてあった。

 

・メモ①クルーズ船。特等室はツインベットだからセーフ。セーラーコスプレ。倫也が暴走したら鎮めてあげる頃

・メモ②釣り。天気が良ければ磯釣り、釣り人コスプレ。釣れなかったら、倫也のせい。釣れすぎたら重いから倫也のせい。夜は民宿で和室なのでセーフ。

・メモ③浜辺デート。水着。倫也にどこまで許してあげようか。帰りは飛行機で帰る。

 

「なんだよ、このメモ・・・」

 

 俺は笑ってしまった。どうやら英梨々は俺と最後までエッチをする気はなかったようだ。まぁそれはそれでいい。それでも男の事を少しは理解していて、どうやらまたエッチなことはしてくれるらしい。

 あの綺麗な英梨々の身体を触りながら、英梨々はその繊細な指や、あるいは形のいい小さな口で・・・

 思い出したら、もぞもぞしてきた。ただここにある画像で、英梨々をオカズにしてはダメだろう。その辺のエロ画像はしっかりと別に管理しているようだ。

 

 ゆっくりと見ていたので、ずいぶんと時間がたってしまった。気を取り直してコンビニまで行き、適当なお弁当を買ってきて食べた。

 

 それから俺は自分のスマホの画像を同じクラウド上にアップをした。フォルダ名は「summer2」がわかりやすいだろう。俺も何かメモを残すか。テキストファイルを作る。

 

 さて、なんとメッセージを残すか。ああ見えて英梨々は変態だが繊細でもある。露骨な要求はよくないだろう・・・

 

『海じゃなくても英梨々の水着姿が見たい。早く退院してこい』と書いた。

 

『はぁ?あんたバカなの?死ぬの?』

 

 英梨々のいつものセリフが聴こえてきそうだ。ちょっと困ったあとに笑うと八重歯がこぼれる。目に浮かぶような光景だ。

 

 フォルダに鍵をかけて、クラウドからログアウトする。

 スマホで、英梨々のLINEに、

 

< 『yakisoba0320』

 

と打ち込んで送信した。

 

 すぐに既読がついた。

 

(了)




まぁお休み回は総集編と決まっているので。


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36 風邪・怪談

今回は実話を元に作った怪談です。
苦手な方はスルー推奨。


8月27日(土)夏休み35日目

 

 快晴。残暑厳しいが空気は乾燥していて過ごしやすかった。英梨々の容体が落ち着いたらしいので、午後に少しだけお見舞いにいくことにする。

 手土産に昨日の画像から何枚かをセレクトしてプリントアウトし、ミニアルバムを作った。

 

 英梨々が入院していたのは、展望レストランの下の階。特別病棟だった。特別病棟が何かよくわからなかったが、どうやら政治家や芸能人が入院するところで、フロアがすべて個室だった。世の中には贅沢なものがあるもので特権階級の存在を隠そうともしない。実際には金さえ払えば泊まれるらしいのと、英梨々のような感染症だと隔離する必要があり、大部屋が無理というのもある。

 

「よぉ!」

 

 俺が元気よく挨拶すると、英梨々は右手をあげて手を小さく振った。弱々しいことこの上ない。

 ベッドを傾けて背もたれを作り座っていた。ピンクのパジャマを着ていて、左手に点滴をしていた。髪はもちろんストレートのままだ。

 

「どうだ調子は?」

「ぼちぼち」

 

 その声は枯れていた。喉がずいぶんとやられたらしい。

 

「なら、無理してしゃべらない方がいいな。これ、お土産」

「ありがど」

 

 ミニアルバムを渡した。英梨々がそれを受け取り横の棚に置いた。

 午後の3時を過ぎているので、サイドテーブルにはおやつが置かれている。市販の瓶詰ヨーグルトだ。

 

「ずいぶんと、いい景色だな」

「う゛ん」

 

 なにしろ地上15階。ちょっとしたホテルなんかよりも高い。個室利用が一泊いくら聞く気も起きない。

 

「富士山見えるじゃん!」

「う゛ん」

「相槌いらないぞ」

「う゛ん」

「なんか、お見舞いしちゃいけないらしくてさ、頼みこんで届けてきただけだからさ、すぐに帰らないといけないんだ。ごめんな」

「いやだ」

「そういわれてもな。とにかく早く治してさ、月曜には退院できそうって言ってたぞ」

「う゛ん」

「じゃあ、そういわけで、お大事にな」

「う゛ん」

 

 何しろ、部屋の入口にナースが待機している。俺はいそいそと部屋をあとにした。昨日よりはだいぶ顔色がよくなっている。峠を越したのだろう。もう少し一緒にいて、ヨーグルトぐらいスプーンで食べさせて甘えさせてやりたがったが仕方ない。

 ナースにお礼をいって、俺はエレベーターを降りた。

 

※ ※ ※

 

エレベーターで降りている途中、英梨々からLINEがはいった。

 

> 2階で降りて、渡り廊下渡って

< なんだ?

 

 言われた通り2階で降りた。コンビニがあった。病院内なので扱っているものが違う。飲食物の他には、医療品や着替えなども多い。

 

< 降りたぞ。コンビニがある

> 渡り廊下を渡って、本館に向かって

 

 俺は渡り廊下を渡った。コンビニのあたりには看護師がいたが、渡り廊下には人がいなかった。本館の1~4階は外来の診察室になっていて、吹き抜けの場所もあり広い。

 土曜日なので、すでに患者もスタッフもほとんどいなかった。1階の会計だけ電気がついていて、あとは少し薄暗い。

 

< 本館ついたぞ

> 3階の小児科外来に向かって

< なんだよそれ

 

 返信がないので、俺は従うことにする。英梨々の暇つぶしなのだろう。エスカレータが止まっていた。止まったエスカレータを上るマナー違反をするわけにもいかず、本館のエレベーターを待った。

本館のエレベーアーはガラス張りだった。一つ上の三階に上がった。

 案内板にしたがって、小児外来に向かう。誰もいない受付があった。ピンクに黒文字で小児外来と書いてある。

 

< 受付ついたぞ

> 奥の診察行くところに、トイレあるかしら?

 

 受付の横の通路にトイレがあった。男女ともにある。ついでだから、俺はそこでおしっこをする。

 

< あるぞ。ついでだからすませた。

> そのまま進むとT字路で、左右に診察室があると思うの

< ああ、そうなってるな

> そこ、小児外来だから、棚のところにいっぱいマンガあるでしょ?

 

 なんだ、マンガの催促かよ。俺は棚を探した。診察室は多く、右側は4部屋あった。ただ、照明が薄暗いので気分がいいものではない。窓からの調光がなければ怖いと思う。

 

< マンガ本あったぞ

> なにか面白そうなのあるかしら

< 特にないな。子供用の絵本が多い

> そう ありがとう

< もういいのか?退屈なら何かラノベ買っていこうか?

> 平気よ スマホで十分

< なんなんだよ

> あとで教えるから、家についたら連絡頂戴

< わかった

 

 俺はそこを後にした。本館のエレベーターで1階まで降りたが、出入り口は開かなかった。しょうがないのでまた2階に戻って、渡り廊下を進み、入院棟から外に出た。とんだ手間だった。

 

※ ※ ※

 

 帰りにコンビニ弁当と栄養ドリンクを買う。実は俺も喉が少し痛くて、咳がさっきから時々出る。もしかしたら風邪がうつったか、もしくは2人とも風邪になっていて、俺の方が症状の出るのが遅かっただけかもしれない。あれだけチュッチュしてれば、そりゃ風邪の菌だかウイルスだかも、共有するだろうさ・・・

 

 自宅についたら、英梨々に言われた通りにLINEで連絡をいれた。

 

< 自宅についたぞ なんだったのさっきの

> 夏と言えば?

< なんだ?スイカ?

> はぁ?あん(ry

< 略すなよ

> 夏と言えば、怪談よ、怪談

< ああ、怖い話だろ?でも、英梨々は苦手だろ

> そうよ。苦手よ。だから、こんな日が沈む前にやってるんじゃないの

< それで?

> 実はね、ロビーで知り合った人に聞いちゃったのよ

< なにを?

> 怪談

< よほど暇だっただな

> だって、怪談されるなんて思わなかったのよ。ちょっとした噂話というか、ここでの実話らしいのだけど

< 実話ねぇ・・・怪談で作り話ですっていうのもな

> それでね、もう、倫也に話すしかないのよ

< 面白かった?

> 面白くないわよ!

< まぁいいや、聞くよ

 

 暇そうな英梨々の相手をしてやる。本当なら会って話したかったのだろう。俺はペットボトルのスポーツドリンクを飲む。

 

> ここで入院していた患者さんがね、夜に暇だったから日中に倫也の行った小児科外来のところに行ったんですって。食事が終わった8時過ぎ頃

< まだまだ宵の口だな

> そうよね。普通の都会生活なら8時なんて一番活動しているわよね。でも、ここは病院なのよ。食事終わったら予約したお風呂に順番に入って、9時には消灯なの

< なるほど、夜はちゃんと夜なんだな?

> そうよ 夜勤さんと日勤さんが交替するのね。夜は〇〇が担当しますって挨拶にも来るわ

< ほー 夜勤さんカワイイ?」

> バカ

< いや、あんまり怖い話もさ・・・

> それでね、その場でマンガ本を読んでいたらしいのよ

< けっこう薄暗かったけど、確かにマンガぐらいなら読めそうだったな

> 音がしたんですって

< なんの?

> わからないけど、機械音。通路の反対側の方から

< ほう

> で、ポーン。ポーン。って。定期的になる信号みたいな合図だったらしいのよね

< ふーん?心電図とかかな?

> さぁ?それで、そうなると突然、怖くなったんですって

< それはわかるよ。さっきも日中だったのに怖かったし

> そうよね。だいたい夜の病院を1人で歩ける?どんな神経なのよ

< 長期入院だと慣れるらしいぞ

> うん。それでね、怖くなったその人はマンガ本を数冊選んで、戻ろうとしたんですって

< マンガ本は持つんだ

> そりゃあ、退屈だったからでしょうけど。それでね、角曲がってトイレの前に

< ああ、さっきのトイレな

> 車イスがあったんですって

< ん?誰の?

> わからないわよ

< 状況がよくわかんないな

> その人もわからなかったけれど、『やばい』って思ったらしい

< 気のせいだろ

> そうよ。何の根拠もないの。でも、もう診察時間の終わった小児外来に、なんで車イスがあったのかしらね

< 誰かが利用したんだろ。もしくは置きっぱなしだったか

> そうやって、みんな何かしら合理的な理由を見つけるのね。どんなに不自然でも。

< 病院だし、車イスはあちこちにあるだろ

> いいのよ。そこに怪奇現象なんてないの。この怪談はね、何一つ怪奇現象なんてないのよ

< よし、進めてくれ

 

 俺はスポーツドリンクをゴクリと飲んだ。家の中に一人だ。咳払いをひとつする。

 

> 来た時には車イスなんてなかったのに、おかしいなと思いながら、エレベーターのところに行き、上の階へいくボタンを押したんですって

< 入院していた部屋は本館だったんだな?

> そうね。待っている時に、『後ろを振り向いちゃダメだ』って思ったんですって

< 根拠ねぇな

> でしょ?でも、わかるのよのね。後ろを振り向くって、なかなかないじゃない?『呼ばれでもしない限り』

< まぁそうだな。呼ばれている気がしたのかな

> そう。だから、絶対に振り向かなかったの。そういうのって怪談にありがちでしょ。ギリシア神話でもそんな話あるわよね

< 冥界から戻ってくる話な

> エレベーターが到着して、中に乗ったんですって。ここのエレベーターってガラス張りで外が見えるじゃない?

< ああ、新しかったな

> 夜だからガラスに映ったのよ

< えっ?幽霊?

> 自分が

< それは、当たり前だろ

> そうよ。だからね。自分しか映らなかったから、ほっとして、振り返ってボタンを押したのよ

< 普通のことだな

> あったの

< 何が

> 車いす

< どこに

> すぐ後ろによ

< いやいや、それは作り話だろ 誰が押したんだよ

> 合理的に考えるなら、誰かが押して、そこまで持ってきた?あるいは元々そこにあった?変よね

< だから、作り話なんだろ

> そうよねぇ。そう思うわよねぇ

< まだ続きあるのかよ

> そうよ。閉めるボタンを連打して、8階の自分のフロアまで上がったのね。エレベーターの前ってナースセンターよね

< さぁ?本館の作りはわからないけど。だいたいがそういう作りじゃないか?

> うん。それでね、その患者さんは怖かったからナースセンターに入って、その話をしたんですって

< 車イスがついてきた話?

> そうよ。そしたらね、若いナースが少し悲鳴をあげて、年配のナースさんが、その人に言った言葉が『看護師の中にもそういう話を信じている人と、いない人がいて、怖がる人もいるのでやめてください』ってはっきり怒られたらしいのよ

< だいたい病棟から抜け出すことも怒られるべきだよな

> そう。それも怒られたらしいけど、やっぱり病院内ではよくない行動だって、オカルト的にも危険だって言われたらしいわ

< まじか。でも、そんなの迷信だろ

> そしたらね、エレベーダーがチンと鳴ったのよ

< ?

> ナースセンターの前で話していたらしいのだけど、エレベーターが開いたの

< ほう

> 誰も乗ってなかったの。でもね、あったのよ・・・

< 車イスか!

> うん

< まじか。やばくね?

> 合理的に考えてみてよ

< ん。そうだな。誰かが車イスを乗せて、8階のボタンを押し、乗らずに出た。

> そうよね。実際に可能なのよね。手の込んだ悪戯をするならね・・・

< でも、そんなやついないだろ?夜の病院だもんな

> うん。だからね。信じるか、信じないかなのよ

< やっぱ、俺は怖いな

> みんな怖がっていたらしいわ。年配のナースはその車イスをエレベーターから降ろしてチェックしたの

< チェック?何を?

> どこに所属の車イスなのかよ。病院のものだと、どこの所属か書いてあるのね

< なるほど、で、どこのだった?

 

 俺はまたスポーツドリンクを飲み、咳をした。どうも調子が悪い。今日は早く寝よう

 

> 『小児病棟 入院棟12階03』って書いてあったの。入院棟だからあたしがいる方ね

< じゃあ、やっぱり紛れこんだのか

> さぁ?ナースで涙ぐむ人もいたらしいのと、何よりもすごいのは、『塩』が用意されていたことなの

< へぇ・・・

> 車イスと、エレベーターに塩をまいて、小さな盛塩をエレベーターの扉前にしたらしいわ

< うへ。じゃ、やっぱりナースさんでも信じている人がいるんだな

> そういうことって時々起こるらしいわよ

< 怪奇現象じゃん

> でも、一応合理的な再現も可能でしょ?

< そうだけどさ

> でね

< まだ続きあるのかよ!

 

 あんまり食欲はなかったが、コンビニで買ってきた生姜焼き弁当を開けて食べ始める。ラインの小さな画面を眺め、英梨々の話の続きをまった。

 

> ナースが電話して、小児病棟の人に取りに来てもらったの。そしたら男性ヘルパーさんがすぐに来てくれて、その車イスを見たんですって

< ほう。男性がいると安心だな

> そうしたらね、『ああ、この子ですか』って

< どういうこと?

> マンガ好きで亡くなったばかりなんですって

< ヤメテクレ

> 怖かった?

< そうだな。あまり気分のいい話じゃねーな

> この話を聞いたら、誰かに話すまで憑りつかれるらしいわよ

< もう、そういうのはやめておけよ

> ごめん。倫也。あとはお願い。

< あのなー

> 無事だったら、いいことして、あ、げ、る(ハート)」

< 期待しとくよ!

 

 そこで、いったん返信が止まった。

暗くなってきたので窓ガラスに部屋が映り込むから、ベッドにあがってカーテンを閉めようした。ふと下を見ると小さな女の子がこちらを見上げている。え?だれ?何?俺は見なかったことにして、カーテンを閉めた。

 

「やばいやばいやばい。合理的に考えろ・・・ありえない」

 

 そうだ。俺はスマホを取り出し、電話帳を調べる。加藤は冷静に説教されそうだ。だいたい電話にでてくれるか怪しい。美智留は怖い話が大の苦手だ。出海ちゃん・・・は先輩の威厳が損なわれる。こうなったら、背に腹は変えられない。俺は伊織に電話をした。

 

「やぁ、倫也君なんだい?」

「伊織、頼む。ちょっと聞いて欲しい話があるんだが・・・」

 

 俺はさっきの話を伊織にした。すまん、これで友達失っても伊織なら問題ない。

 

「ふーん?それで、倫也君はこの話が怖いのかい?」

「怖いだろ・・・だいたい、家の前に女の子がいたんだぞ?」

「それは偶然だろうね。まぁいいさ。僕には何が怖いのかわからないし」

「お前、怪談平気なんだな・・・」

「倫也君が話下手というのもあるかもよ?それに、マンガ好きの少女の幽霊なんて僕らにとっては最高じゃないか?憑りつかれて何が困るんだい?」

「お前に話して良かったよ!」

 

 まったく、どういう感性しているだか。やはり信じない人にはぜんぜん怖くないらしい。

 

「以上で用事はおしまいかい?」

「この話を聞いた人に憑りつくらしいぞ。でな、誰かに話すと」

「ふーん。要するに倫也君は僕に友達じゃなくなってもいいということだね?」

「いや・・・お前ならなんとかしてくれると思って」

「いいさ。その子をあずからせてもらうさ」

「すまん」

「僕に万が一の時があったら、倫也君もちろん責任はとってくれるのだろうね?」

「何の責任だよ」

「出海の事は任せたよ」

「・・・」

 

 電話が切れた。怖かったがカーテンを開けて外を確認する。もちろん女の子はもういなかった。近所の子か何かだったのだろう。

 俺は1人でモソモソと弁当を食べて、英梨々に報告をした。「適任ね」と返信があり、なんだか英梨々が笑っている気がした。

 

※ ※ ※

 

 夜の9時過ぎ、俺の体調はだいぶ悪くなっていた。咳がひどい。

 インターホンが鳴った。こんな夜更けに誰かと思ったら、美智留が立っている。しかも枕持参。

 何があったか聞くまでもない気がしたが、一応聞いてやる。たぶん原因が俺にもある。

 

「どうしたこんな夜更けに」

「トモ。きいてよ。波島兄ちゃんがさー」

「怖い話でもしてきたか?」

「そう!なんでわかったの」

「まぁ、あがれよ。ゴホッ」

「トモ、咳でてるけど、風邪?」

「ああ、風邪っぽい」

 

 美智留は手洗いを済ませてマスクをした。俺はリビングで美智留の話を聞いた。内容は改変されていて、最後が男の子になっていた。

 どうやら、伊織は約束を守って、あの女の子の霊と暮らすようだ。もちろん、信じてなどいないのだろう。

 

「美智留。安心しろ」

「トモ、この話知ってるの?」

「ああ、俺の作り話だからな」

「もう!ほんと焦ったよ。あたしは嫌いだからさー、こういう怪談?みたいの」

「知ってるさ。悪かったな、とばっちりかけて。ゴホッ」

「トモ、大丈夫?」

「いや、今日は早く寝るよ。お前も泊まってくか?」

「そのつもりだけどさー」

「風邪をうつしても悪いし、帰った方がいいかもな」

「看病してあげようか?明日はいないけど」

「明日、日曜日か。ライブか?」

「うん。小さなステージだけどね」

「順調でなによりだよ、じゃあな」

 

 俺は部屋に戻って布団を敷いた。美智留がベッドを使うだろう。

 美智留が来た理由が面白かったので、英梨々にLINEで報告をしておいた。

 

 着信がある。英梨々からだ。

 

「もしもし、倫也?」

「どうした?お前、病院だろ」

「個室だから誰にも迷惑かけないわよ」

「そっか。お前、もしかして病院に1人なのか、ゴホッ」

「大丈夫?」

「ああ、どうだろう。だいぶ体調崩したみたいだ。ゴホン」

「もう、早く寝なさいよね」

「そうする。何か ゴホッ 用事があったんだろ?」

「別にたいした用事じゃないわよ。氷堂美智留は泊まるのね?」

「ああ」

「その様子なら心配なさそうね」

「英梨々。ゴホッゴホッ・・・お前はだいぶ喉も治ってきたようだな」

「おかげさまで。明日には退院したいけど、念のためもう一泊していくわよ」

「そっか、お大事に」

「それ、あたしのセリフじゃないかしら?お大事に」

「おやすみ」

「おやすみ」

 

 電話を切った。英梨々の声が聴こえてよかったと思う。だいぶ声も軽くなっていた。

 布団に横になると、シャワーを浴び終わった美智留が部屋に入ってきた。長いロングTシャツ姿一枚だった。ムッチリした生足がエロい。胸はほんとに立派に膨らんでいて重そうだ。これに比べたらやっぱり英梨々はペタンコと言われてもしかたないかもしれない。

 

「トモ~。大丈夫?ほら、体温計」

「さっき栄養ドリンク飲んだから平気だろ」

「あと、冷えピタね」

 

 体温計を脇にはさみ、美智留はおでこに冷えピタを貼ってくれた。ずいぶんとひんやりして気持ちがいい。

 ピピッとなって、体温計を取り出すと、37,8度ある。熱も出てきたようだ。

 

「あー、これは完全に風邪だねー」

「だな。じゃお休み。遊んでやれなくてごめん」

「あと、トモがベッドで寝たほうがいいと思う」

「いや、いいよ。おやすみ」

「おやすみ」

 

 部屋の明かりが消えた。下からは見えないが、美智留はベッドの上で足でも組んでいるに違いない。下着丸見えでも俺に対しては気にしない。まったく困ったやつだ。

 

 本当なら今日は、英梨々と民宿で泊まっていたらしい。和室に布団。隣で浴衣を着た英梨々が寝ていたはずだ。寝ている時はノーブラ派だっけ・・・いやいや、こんなこと考えている場合じゃない。

 結局、なにもいやらしい事はこの週末はできなかったな。

 俺はうとうとしながら、英梨々のことをぼんやりと考えていた。

 

 美智留はイヤホンで音楽を聴いているらしく、音が少し漏れていた。

 

(了)




なんやかんやと、ミッチーは倫也に少し過保護なのです。


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37 風邪・恵のお見舞い

友情出演

まだ未練たらたらの倫也と、サブヒロインとして仕事をこなす恵。
恵の心情に関しては、チラ裏まで読んできた読者にはわかるかもしれない。


8月27日(日)夏休み36日目

 

 翌朝。俺の体調は最悪だった。頭が痛い。喉が痛い。咳が出る。

 

「39.5度。トモ死ぬかも」

「おう・・・そんなことよりもだな・・・ゴホッ、ゲホォ。美智留はライブ行け」

「言われなくても行くけど、ちょっと心配だなー」

 

 ちょっとだけかよ!?ここは、「ライブどこじゃないよ!」って優しく俺を看病するところじゃないの?何39.5度って、死ぬの?

 

「お前に風邪うつしたら、ゲホゲホッ、ごめんな」

「ああ、大丈夫、あたしは風邪ひかないから、ほら、美少女は風邪ひかないっていうし」

「バカの自覚あるんだな・・・」

「もう、無理してツッコミしなくていいから、トモはベッドで寝なよ、布団は干しておくから」

「頼む」

 

 ベッドの方に移動した。時刻は7時。とてもこのまま起きられそうにない。今日は一日寝るしかなさそうだ。

 美智留が近所の自販機でスポーツドリンクを何本か買ってきてくれた。枕元に並べる。

 

「誰か看病頼もうか?」

「平気・・・ゴホッ」

「平気じゃなそうだけど、まぁいいや。死ぬ前にあたしともう一発やっとく?」

「あのなぁ・・・」

「なんてね。今はもう澤村ちゃんいるもんね」

 

 美智留が部屋から出ていった。俺はスポーツドリンクを飲み横になって目を瞑った。だいたいなんだよ『もう一発』って、まるで昨晩もやったみたいな言い方しやがって・・・

 

 ふらふらしてて、頭が回らない。

 

 誰か看病か・・・詩羽先輩じゃ足でまといで悪化しそうだ。出海ちゃんははりきってくれそうだが、こちらが逆に疲れるかもしれない。適任なのは1人いるわけだが・・・連絡する勇気もなければ、頼れる義理もなし・・・

 

※ ※ ※

 

 頭の上がひんやりとして気持ちいい。

 

 俺が目を開ける。俺の部屋の天井が見える。遮光カーテンから漏れる光と、デスクの明かりだけが部屋を薄っすらと照らしていた。

 

「あっ、ごめん。起こしちゃったかな」

 

 少し高く澄んだ声がした。声のした方に顔を向けると、おでこの上のタオルが落ちた。体を動かそうとしたが重くてだるい。

 

 視線の先に加藤がいた。

 

 優しい目元で無表情。眉はしっかり手入れがされていて、オシャレで可愛いのに目立たない。ボブカットの髪に赤いピンをさして左耳を見せていた。一言でいうと可憐。こんなに体調がひどくたって胸がドキドキする。

 

「加藤・・・」

「ほら、上を向かないとタオルが落ちちゃうから」

 

 俺は上を向いた。隣で氷水のカランカランという音がする。それから、またひんやりとした感触がおでこにのった。どうやら、そこにタライの氷水を用意したらしい。冷えピタよりもずっとひんやりしていて気持ちがいい。

 

「起きたついでに、薬も飲んだ方いいんじゃないかな」

「ごめん。ゴホッ・・・来てくれたんだな・・・ゴホッ」

「あんまりしゃべらない方がいいよ。声も枯れているし」

「ああ、すまん」

「安芸くんのご両親は?今日は日曜日だよね」

「週末は法事でな・・・ゲホッ」

「また、それ」

 

 頭の上のタオルをひっくり返した。ずいぶんと熱があるようですぐにタオルが温くなる。

 

「39.5度。救急病院に行った方がいいかも」

「平気。ゲホッ」

「薬飲む?」

「飲む」

「何か食べる?空腹よりも何か食べてからの方がいいと思うけど」

「食欲ない」

「お粥は?」

「わから ゴホッゲホッ ・・・ない」

「うーん」

 

 加藤の声だけが聴こえる。とても耳に心地いい声で囁くように話している。この声だけを聴いても俺は幸せな気分になる。風邪をひいて良かった・・・

 

「なぁ、加藤」 

 

俺は右手をブランケットから出して、おでこのタオルを抑えた。もう温かい。それを抑えて落ちないようにして、加藤の方を見た。

 加藤はマスクをしていなかった。無表情なのに可愛い。笑うともっと可愛いのに加藤はあまり笑わない。しばらく加藤の笑った顔を見ていなかった。最後に笑った顔を見たのはいつだろう。

 

「マスクした方がいいぞ」

「そうだね」

 

 本当はマスクなんてして欲しくなかったけど、そうは言ってはられない。加藤はバッグからマスクを取り出すと、俺の顔にマスクをした。

 

「加藤!?」

「じゃ、とりあえず作ってくるから」

「ああ、ゴホッ。頼む」

 

 ふぅ・・・、マスクが暑いのでずらした。加藤もけっこうお茶目なところはあるが、真顔なので冗談なのか本気なのかいまいちわからない。俺はそのまま目を閉じて、ゆっくりと体を休めた。頭のタオルがもう熱い。

 

 加藤がタオルをまた交換してくれた。ひんやりとして気持ちがいい。音を聞くとそのあと部屋から出ていったようだ。

 

 俺はまた、眠りに落ちた。

 

※ ※ ※

 

 カラコロと心地良い音がしている。

 また頭がひんやりとした。目を開けると、加藤がタオルを取り換えてくれていた。

 

「安芸くん。できたよ」

「ああ、悪いな」

「起き上がれる?」

「大丈夫」

 

 足をおろして一度ベッドに座った。頭がクラクラする。加藤の作ってくれたお粥はテーブルの上に置いてあった。俺は下のクッションに座ろうと、一度立ち上がろうとしたら、ふらついて足がもつれ、加藤の方へ倒れてしまった。

 

 

 ガタンッ

 

 しばし静寂。

 

「あの、安芸くん・・・」

「ごめん・・・加藤」

「こんなラノベ主人公のお約束みたいなことはいいから、どいてくれるかな」

 

 俺は加藤に覆いかぶさるようになってしまった。体の一部が加藤の胸の膨らみを感じていた。・・・でかい・・・

 とりあえず横に倒れて、加藤から離れた。

 

「ねぇ、ほんとに大丈夫?救急車呼ぼうか?」

「平気。ゴホッ。加藤のお粥を喰うまでは死にきれん」

「お米を茹でただけだよ」

「それでもだ」

 

 俺は立ち上がってテーブルの前に座った。お粥の他に梅干しが用意されていた。頭がズキズキと痛い。

 起きたせいかトイレに行きたくなったので、もう一度立ってトイレに行こうとした。

 

「トイレ行ってくる」

「大丈夫?」

「もし、大丈夫じゃないっていったら?」

「いってらっしゃい」

「だろ」

 

 ふらつきながらも、壁をつたって下に降りた。トイレをすませ、手を洗い、ついでに歯も磨いておいた。加藤もいることだし口臭も気になったので、口臭予防薬で口もすすぐ。

 

 別にキスするわけでもないのに。

 

 階段を這うように上りなんとか部屋に戻るが本当に辛い。寝ていた方が良さそうだ。

 

「加藤、ごめん。やっぱり寝るよ」

「だから、薬を飲んだ方がいいよ」

「そうだな」

「そのためには、一口二口でいいから、何かお腹に入れた方がいいよ」

 

 加藤の言い分はわかるけれど、いかんせん辛いのだ。俺はベッドに倒れ込む。

 

「安芸くん。横向いて」

「どうした?ゴホッ」

「口開けて」

 

 加藤がスプーンにお粥をすくっている。

 

「あーん」

「だいたい甘えすぎだし、そういうのは彼女にしてもらうものじゃないかな」

 

 なんだかんだいって、加藤が一口食べさせてくれた。このシチュエーションを全力で楽しモウ・・・

 

「あーん」

「・・・もう」

 

 俺はまた口を開けた。雛鳥にでもなった気分だ。加藤がまた食べさせてくれる。

 

「あのさ、安芸くん・・・」

「あーん」

「甘えすぎじゃないかな?本当は起きて食べられるでしょ?」

「あーん」

「ずるいなぁ」

 

 なんだかんだで、加藤は俺にお粥を食べさせてくれた。そのあと、渡された薬を飲み、コップの水で流し込む。。

 

「残りはラップして冷蔵庫いれて置くから、また後で食べられたら食べて」

「うい」

「あと、冷蔵庫にあったジュース飲んでいいかな?」

「そりゃ、どうぞ適当に飲んでください」

 

 俺は寝がえりをうって上を向いた。加藤がまたタオルを替えてくれた。

ひんやりして心地いい。目を閉じる。

 

 だめだ、本当に辛い。泣きたい。

 

※ ※ ※

 

 ふと目が覚める。部屋はだいぶ暗くなっていた。どうやら外は日が沈んだらしい。 

 

 俺のデスクに明かりがついていて加藤が座っていた。本でも読んでいるのかな。

 ベッドから起き上がりペットボトルで水分を補給する。さっきよりはだいぶ体が楽になってきた気がする。トイレに行こうと立ち上がった。

 

「安芸くん、起きた?」

「ああ、ちょっとトイレいってくる」

「気を付けてね」

 

 下に降りてトイレをしませ、手と顔を軽く洗う。小腹が空いたので冷蔵庫を開けてお粥を取り出し、レンジで少し温めた。上にもっていくのもだるいので、リビングのテーブルに座って食事を済ませる。なんでもないただのお粥だったが美味しかった。 

 もう座って自力で食べられるぐらいまで回復した。

 

「安芸くん、ご飯食べたいなら運んであげたのに」

「ありがとう。でもここで食べれたから。うまかったよ。ごちそうさま」

「ただのお粥だってば。どう体調は?」

 

 加藤が上から降りてきて、様子をみにきたようだ。食事して戻るのが遅くなり、心配をかけてしまったかもしれない。

 

「だいぶよくなったよ。もう一度薬を飲んで寝れば大丈夫そう」

「そう良かった」

「こんな遅くまでごめんな」

「しょうがないよ」

 

 夜の7時を過ぎていた。そろそろ夕食の時間だろうに。

 

「加藤。もし何か食べていくようなら、出前でもとってな」

「ううん。そろそろ帰るよ」

「駅まで・・・送ってやれないけど」

「うん。平気だよ。・・・通いなれた場所だし」

 

 ズキッとその言葉に胸が痛んだ。

 

 そうだ。去年までは加藤は何度もうちにきていて、何度か泊まっていった。ゲーム作りの名目で俺たちはとても仲が良かった。

 英梨々と付き合ってからは距離ができてしまった。それはしょうがないことなのはわかっているつもりだ。

 今は出会った頃以上に2人の間は距離がある。加藤が意図的にとっている距離で、俺が縮めることのできない距離。こんなにそばにいるのにとても遠い。

 

 俺は食べ終わった器を運ぼうとしたら、加藤が洗い物まで全部してくれた。

 

「さてと。じゃあ、また学校でね」

「ああ、うん。ありがとうな」

「咳も止まったみたいだし、良かった」

「そういえば、そうだな。喉もそんなに痛くないかも」

 

 上へ戻った加藤がバッグを持って降りて来た。今日の加藤は実に加藤らしいピンクと白の装いだった。玄関まで送る。

 

「あとさ、あんまりこんなこと言いたくないけど」

「ん?」

「ちゃんとしたもの食べた方がいいよ?冷蔵庫に野菜がはいってないし、ゴミはコンビニ弁当のものばかりだし」

「はははっ、よくみてるな。大丈夫、ちゃんと外食もしているから」

「それ、ぜんぜん大丈夫じゃないから」

 

 名残惜しい。加藤には帰って欲しくなかった。もちろん、そんなことは口にだして言えない。

 

「帰らないでくれ」と頼んだら、朝までそばにいてくれるかな・・・

 

 加藤が玄関の扉をあけて、「バイバイ」といって出ていった。手もふらないし、愛想もなかった。

 

 結局加藤の笑顔は見ることができなかった。

 

※ ※ ※

 

 洗面所で歯を磨き、キッチンで薬を水で飲んだ。

 

「あっ!ああ~、加藤ぅぅ・・・!」

 

 キッチンにガラスビンが洗って伏せてあった。

 ドクペの瓶だ。英梨々にもらったレトロなドクペの瓶。夏の最後に飲もうと思ってとっていたのに、どうやら加藤が飲んでしまったらしい。

 

 ・・・しょうがないか。文句を言える道理もなし。

 

 部屋に戻った。まずはスマホを探した。デスクで充電してあった。電源が落ちている。加藤が電源を切ったのかな。着信等で音が鳴る時があるし、気をつかってくれたのかも。

 

 ベッドで横になって、スマホのスイッチを入れる。暗い部屋にスマホの明かりが広がる。LINEにはメッセージがたくさん入っていた。ほとんどが英梨々のもので、内容は暇をうったえるものが多かったが、こちらの心配もしているようだった。英梨々からの着信履歴も多数あった。

 

< ごめん英梨々 寝てた

> そうどう具合は?

< だいぶ良くなった気がする でも明日も寝てないと無理そうだな

> なら無理しないで寝てなさいよ

< そうする 英梨々の方はどうだ?

> 平気よ 元気で暇なぐらい 明日退院するから お見舞いにいってあげるわよ

< まぁお前も無理するなよ

> うん でも倫也そういう時は『はやく会いたい』って言うべきじゃないかしら?

< そうだな。じゃあ、また明日な

> また明日

< はやく君に会いたい

> べ・・・別にあたしは倫也になんて会いたいわけじゃないんだからね。ふん!

 

 英梨々のテンプレのようなツンに俺は笑ってしまった。そういえば加藤は笑わなかったが、俺も笑う余裕がなかったな。

 俺がこうやって笑ってるぐらいだから、英梨々も今、笑っているのかな?

 

< ツンはわかった。デレは?

> バカ。とにかく倫也も早く風邪直しなさいよね

< そうだな

> 風邪だと・・・キスできないでしょ

< ナイスデレ

> バーカ

 

 なかなかチャットが辞められなくて、それから少しくだらない時間を2人で過ごした。

 

 英梨々の笑顔が見えてくるようだった。

 

 

 君に会いたい。

 

 

(了)

 




美智留はマイペース。
出海ちゃんは軽い。
加藤はこの重さが。


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38 アニメ鑑賞⑥アニメ観ない

退院してきた英梨々と、まだ全快していない倫也のお話。


8月29日(月)夏休み37日目

 

 朝に目が覚めた時、頭はまだぼんやりとしていたが痛みはない。だいぶ体調は戻っていた。手元の体温計で測ると37.2度の微熱で、体感とだいたいあっている。

 

 俺は起き上がって、トイレに行き、顔を洗い、空腹だったので何かを食べようとキッチンに向かった。

 冷蔵庫の中には、透明なグラスに入ったプリンが3つほどあった。カラメルソースとのセパレートが美しく涼やかだ。加藤が昨日作ってくれたのだろう。

他にはすぐ食べられそうなものはなかった。俺はプリンを1つと、牛乳を出して皿に盛ったシリアルにかける。あとはバナナが一本とオレンジが1つ。

 

 それをテーブル上に並べ、1人なのに「いただきます」をして、まずはプリンから食べた。卵の旨味のする素朴な味で甘さは控えめだ。カラメルソースのほろ苦い甘さと相性がいい。去年に比べてだいぶ上達していて、プリンは滑らかで気泡が入っていないから、舌触りも固さも心地よかった。束の間の至福の時間を味わう。

 

 あとはシリアルを牛乳で胃に流し込み、バナナをかじり、オレンジを手で剥きながら食べた。なんだか意識高い系みたいな食事だが、まともな食べ物はこれぐらいで、他にはカップ麺ぐらいしかなかった。

 

 胃が落ち着いたところで英梨々に連絡を取った。

英梨々は体調が完全回復して絶好調らしい。まだ退院手続きが終わってないので、午後にはこちらに顔を出すと言っていた。俺の具合はまだ本調子でないと伝えると、何か欲しいものはないかと聞かれたので、野菜がとれそうな食事と答えておいた。

 

 それから加藤にもお礼のLINEを送ったが、既読はつかない。電話を鳴らしてみても出なかった。これだけ徹底して俺を避けるのに、昨日はなぜ来てくれたのだろう?このプリンはいったいなんなのだろう?

加藤の気持ちはよくわからなかった。

 

 英梨々が来るまでは時間がありそうなので、リビングのソファーに座ってのんびりとしていた。そういえばシャワーを浴びていないことに気が付き、少し怠かったがシャワーを浴びてさっぱりする。

活動したら頭がまたぼんやりとしてきたので、ベッドに横になった。体温は少し上がってしまっていた。

 

 目を閉じる。もう冷たいタオルをのせてくれる人はいない。

 

※ ※ ※

 

 頭の上がひんやりとする。目を開けると、カーテンが風で大きく揺れていた。新しい空気が気持ちいい。外はそこまで暑くはないようだった。頭の上に手やると、凍らしたチューペットがタオルで巻いてあった。そういえば子供の頃によく食べたなぁ。

 

「倫也。起きた?」

「ああ、英梨々か。来てたのか」

「なによ、その言い方。来ちゃ悪いのかしら?」

「退院おめでと」

「ありがと。倫也も早く良くなるといいわね」

「いや、もうほとんど大丈夫だよ」

 

 俺は体を起こして体温計で測る。36.8度。平熱より少し高い程度だろうか。

 

「いいのよ。無理せず寝てても」

「そうだな。それにしてもその恰好は・・・」

「ふふふ。可愛いでしょ」

「カワイイ・・・のかな」

「なによ」

「いや、うん。可愛いと思うぞ」

 

 英梨々は白地に青いラインのセーラー服を着ていた。学校の制服のようなセーラー服とは違う。前面の左右には金色のボタンが縦に並んでいた。形もどうやらワンピースのようで、下はプリーツスカートになっていた。全体的に夏らしい爽やかな印象をあたえる。

 英梨々の金髪ツインテールともよく似合っている。カワイイというよりは綺麗というか、凛々しい?感じがする。でも、英梨々がこうやって笑ってみると、カワイイ制服姿ということでいいだろう。

 

「それは、用意していた衣装がもったいないから着てきたのか?」

「・・・倫也」

「どうした?」

「なんでその事知っているのよ」

「どのこと?」

「あたしがこの衣装を用意していたことよ」

「ん?だって、お前が教えてくれただろ?」

「いつ」

「パスワード」

「あれは暇そうな倫也の為に、提供した写真でしょ?」

「そこにあったぞ?」

「なにがよ」

「だから、お前のメモが」

 

 英梨々が口を開けて固まった。顔がみるみる赤くなる。あっ、さてはあれは秘密だったか。人に見せるような内容じゃなかったもんな。

 

「ちょっと倫也。あんた何みてんのよ?この変態」

「いやいや、普通に確認するだろ」

「はぁ?あんたバカなの?死ぬの?あんな内容、人に見せるわけないじゃない」

「現に見せただろ・・・」

「見せたつもりはないわよ。百歩譲ってみたらいけない内容ってことぐらいわかるわよね!?」

「あー。そうかもしれない。エロかったし」

「かぁー」

 

 英梨々が本気で照れているようで、両手で顔を隠している。このあざとい仕草が白のセーラー服とあいまって、なかなかカワイイじゃないか。

 

「もう・・・お嫁にいけない・・・」

 

 なんかしおらしいこといい始めた。ベッドに顔をうずめている。やばい笑ってしまいそうだ。およそ英梨々らしくない。

 俺は、ポンッと英梨々の肩を叩いた。

 

「大丈夫だ。凌辱エロ同人作家の時点で、嫁になる夢は両立できない。キリッ」

「あんたね、ほんと泣くわよ?」

 

 なんか物凄い目で睨まれた。言い過ぎたか。

 

「まぁあれだな。嫁の行きてがないようなら、俺のとこにこいよ」

「だが、断る」

「断るのかい!」

 

 せっかく優しくしてやったのにネタで返しやがった。そろそろ話題をかえよう。

 

「そろそろ昼食か?」

「もう2時を回ってるわよ」

「そっか、なら英梨々は食べたんだな?」

「うん。済ませてから来たから」

「俺、どうしようかなぁ」

「買ってきたわよ。あんた頼んだわよね?野菜食べたいって」

「まさか、まるごと野菜を・・・」

「バカ、リンガーバットの皿うどんをテイクアウトしてきたわよ」

「おおっ」

 

 英梨々。なかなか使える子。そうそう、そういう野菜が食べたかった。うまいよね。ときどき無性に食べたくなる。

 

「下にあるから取ってきてあげるわよ」

「いや、トイレに行きたいから俺が下にいくよ」

 

 俺は立ち上がった。英梨々も立ち上がる。英梨々は白いストッキングを履いていて、白で統一されていた。リボンやスカーフが水色に近い青。英梨々の足取りは軽くて、階段を降りる時には鼻歌を歌っていた。何かそんなにいいことでもあったのだろうか。

 

 俺がトイレに行っている間、英梨々が皿うどんをテーブルに用意してくれた。まだ温かい。パリパリの細い揚げ麺に野菜あんかけをかける。

 

「いただきます」

「感謝しなさいよね」

「感謝。感謝」

 

 箸を使って食べ始める。この絶妙に甘い餡がたまらない。野菜をたくさん食べている感じがする。英梨々が麦茶をいれてくれて、それをグビグビと飲んだ。なんだかんだガツガツ食べてしまう。

 

「ずいぶんとお腹が空いてたのね」

「ああ、昨日は喉も痛くて、あまり食べれなかったし、今朝もコーンフレークと果物とプリンだけだ」

「恵が作ってくれなかったのね」

「いや、加藤は頼めば作ってくれたと思うが・・・というか、お前、加藤が来ていること知ってたんだな」

「知ってたも何も、あたしが頼んだのよ。昨日の朝に氷堂美智留から助けを求められてね、でもあたしは入院中だったし」

「よく承諾したな」

「別に、友達が困ってたらお見舞いぐらいは来るんじゃないかしら」

「友達か・・・」

「あんた達、まだケンカしてんの?」

「半年すぎたら、ケンカというよりは疎遠だな」

「まっ、しょうがないのかしらね」

「・・・。そうだ、プリンがあるぞ」

「もらうわ」

 

 英梨々がキッチンに向かって冷蔵庫を開けた。後ろ姿を目で追ってしまう。白いプリーツスカートが揺れていて、生足がちらちらと見える。かなり短いスカートなので、少し覗き込めば見えそうだ。

 

 もし、二人とも風邪なんかひかずに旅行にいってれば、英梨々のメモ帳通りにエッチな展開もあったのだろうか。って、ついつい邪な事を考えてしまった。週末は寝ているだけだったから溜まったのかも・・・

 

「ごちそうさま」手を合わせる。

「足らなかったかしらね?」

「いや、これぐらいで十分だよ。夜にまた何か喰えばいいし」

 

 英梨々がプリンを一口食べている。舌の肥えた英梨々でも美味しいらしく、満足そうに食べていた。

 

「あと一個あったわよ」

「そうだな。今日は一個食べたし、明日にでも喰うよ。もしかしたら美智留が来るかもしれないし」

「氷堂美智留?昨日はライブだったのよね。顔ぐらい出してあげたかったけど」

「また次もあるさ」

 

 俺は皿うどんの入っていた発泡スチロールの容器を軽く洗って伏せておいた。それから歯を磨く。

 英梨々はプリンを食べ終わって、洗い物を済ませていた。

 

 リビングのソファーに移動して並んで座った。今日は月曜日で何かアニメを一緒に見る日だ。

 

「倫也、体温測って」

「俺の?」

「・・・そうね」

「体温計は上だな」

「ならいい」

「いいのかよ」

「風邪っぽい?」

「そうだな」

「そういう時は治ったって言いなさいよ」

「そうもいかないだろう」

 

 リモコンを動かして、アニメの動画を再生させる。今日は「この中に妹が1人おりゅ」だ。内容は置いといて、DVD版では修正がなく乳首がみえるアニメである。かといってそんなにエロが全開でもない。

 

 今の俺たちはアニメの内容が頭にぜんぜん入ってこなかった。

 

「倫也」

「ん?」

「体温測ってあげる」

「やめとけって」

「いいの。目を瞑りなさいよ」

 

 俺はあきらめて目を瞑った。英梨々がおでこにおでこを当ててきた。英梨々の吐息がする。甘い香りがするのはプリンのバニラエッセンスの香りだろうか。

 

 キスをするのを2人でグッと我慢した。

 

「早く治しなさいよ」

「だな」

「夏休みが終わってしまうわよ」

「ほんと、振り返ってみると今年もあっという間だったな」

「まったくね。こんなに遊んだのに、倫也は童貞のままなんてね」

「しょうがないだろ。誰かさんが何かしら理由をつけて、今日もセーフなんていうから」

「それに、今日はアレがまだ完全に終わってないし」

「・・・生々しいな」

「あんたには風邪とダブルで重なった時の悲壮感はわからないでしょうね」

「わからんなぁ」

 

 英梨々は俺にべったりと引っ付いている。少し熱いぐらいだ。

 

「アニメ。消して」

「ん?・・・わかった」

 

 リモコンでTV画面を消した。英梨々は俺の右肩に寄りかかっている。俺は腕を回して英梨々を抱き寄せた。キスもできないし、それ以上のこともたぶん今日はできない。

 

「あした以降なら大丈夫だと思うの」

「何が?」

「あんたねぇ、バカはほどほどにしときなさいよ」

「でも、英梨々としては、旅行先のダブルベッドがいいんだろ」

「倫也、何を妄想してるのよ」

「えっ?アレだろ・・・」

「アレって?」

「ほら、英梨々とその・・・」

「はっきりいいなさいよ」

「エッチする話だな」

「そんなはっきり言わないでよ。バカ」

「どっちだよ」

「バカ」

 

 英梨々が俺をじっと見ている。サファイヤーブルーの透き通った瞳。白皙の肌に金色の髪。真顔だと可愛いというよりは美人になって、少しツンとした感じになる。少し間抜けに笑って、八重歯が見えているぐらいの方が俺は好き。

 

「はやく風邪治しなさいよ。バカ」

 

 今日は、このセリフを何度もいっている。それが俺の身を案じてのことなのか、自分がキスをしたいからなのかはわからない。

 

 ときどき、おでこを当ててじゃれてくる。

 

 何もせずに時間ばかりが過ぎていった。部屋がとても静かなので、外でリーンリーンと鈴虫が鳴いていることにやっと気がついた。

 

 もうすぐ夏休みが終わる。

 

(了)




もう余計なものがいらないかな。

評価と感想をですね・・・


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39 水着回

さぁいよいよ水着回。
倫也の力が試される時。


8月30日(火)夏休み38日目

 

 今日は気持ちの良い陽気だ。暑さが一段落して風が吹いている。

 

 風邪の治った俺は、英梨々の家に遊びに来ている。

 大きなビニールプールに腰をかけて足だけをプールにつけ、おもちゃの釣竿を垂らし。おもちゃの魚を釣っている。子供なら夢中になって遊べるだろうが、俺は熱中するに留まる。なにしろ高校生だからな。

 

「あの沈んでいるアンコウって釣れるのか?」

「さっきからチャレンジしているけど、難しいわね」

「俺もアンコウやってみるかなぁ」

 

 魚の顔先に輪っかが付いていて、それを餌のついていない釣り針でひっかけて釣る。それだけの遊びだ。

 

 隣に座る今日の英梨々は、釣り人の恰好をしている。いやいや、こんなゲームにそのファッションはいらないだろうと思ったが、せっかく用意したので着てみたいのだろう。

 ツインテールには黒いサングラスを乗せている。インナーは上下とも黒で体にフィットし、日焼け対策はばっちりだ。夏には暑そうだが、素材があたらしく冷感接触らしい。水をかけるとさらに冷たくなる。その上にTシャツ、そして明るいオレンジのライフジャケットはオシャレでポケットも多い。

 

「じゃあ、賭けましょうか。倫也」

「何を?」

「そうね、あたしが勝ったら、倫也は裸に四つん這いで、あたしがデッサンするわ」

「それ前も言ってたけど、やらなくても描けてるじゃねーか」

「あれは妄想なのよ、リアルティーとは違うの。倫也にはわかんないわよ」

「わかりたくもねーな」

「で、倫也が勝ったらどうして欲しい?」

「ん・・・そうだな」

 

 やっぱりちょいエロがいいなぁ。かといって露骨な要求もしたくない。ここは中間をとって本能に従い・・・

 

「水着」

「水着がなによ?」

「おまえ水着を買っただろ。あれ、着ろよ」

「ふーん」

 

 英梨々が俺を見下すようにみている。でもそのあと口角が上がり、にやりと笑っている。そりゃそうだ本人だって着てみたいだろう。せっかくプールがあるのに、ここでもいいような気がしたけど・・・ビニールプールには合わないのかもしれない。

 

 アンコウはなかなか釣れなかった。釣り針が軽すぎて上手く沈まない。水の中ではコントロールが難しく、アンコウの先にある小さな輪に引っ掛けることができなかった。

 

「釣れないわね。倫也、このおもちゃ欠陥なんじゃないの」

「作った奴の顔が見てみたいものだな」

「どーいう意味よ。設計がおかしかったかしら?」

 

 そう、このおもちゃの魚は英梨々の自家製だ。木に塗装がしてある。観ている分には綺麗にできているが、実用に耐えるものではなかったらしい。浮いている魚なら問題なかっただけに残念だ。

 

「英梨々。これはもう無効勝負として、お前が水着になるってことで良くないか」

「じゃあ、あんたがプール代出しなさいよね」

「ここで着ないの!?」

「いやよ。だいたい自宅だと倫也がすぐにエッチなことしてくるじゃない」

「いやぁ・・・心当たりねぇな」

 

 英梨々が立ち上がって、竿を片付けだした。

 

「じゃあ、倫也。あたしは準備してくるから、ここ片付けといてくれるかしら」

「あいよ」

 

 英梨々が屋敷の中にはいっていった。俺はバケツですくって水をある程度まで捨てて、それからプールを傾けて水を全部捨てた。その後に空気を抜いていく。これがけっこうな大きさなのでなかなか大変だった。

 

 空気を抜き終わったプールを物干しにかけて干しておく。たたんで物置に片付けるのは乾いたあとでいいだろう。魚のおもちゃをまとめてバケツにしまい、だいたい片付いたところで英梨々が出てきた。

 インナーはそのままで、黄色いTシャツに、白いキュロットスカートに履き替えていた。

 

「じゃ、行くわよ」

「俺も準備しないと」

「倫也の家に寄っていけばいいのよね」

「そうだな」

 

 2人でを手をつないで通いなれた道を歩く。英梨々は玄関先で待っていて、俺は慌てて準備をする。行き当たりばったりで相変わらず振り回される。

 

※※※

 

 とある都内の高級ホテル。ここには室内プールがある。いざ英梨々とここに来てみると、宿泊客かスパ会員以外は利用ができないらしい。

 

「じゃ、宿泊で」

「かしこまりました。お部屋の方はいかがしましょうか?」

「ダブルルームならどこでもいいわよ」

 

 英梨々がロビーで手続きをしている。プール代をおごると言ったが1人5000円だった。痛い出費だ。宿泊ともなれば、相応の金額が必要になる。というか、宿泊って英梨々・・・?

 

 8階の中層階の一室に案内された。スイートルームと違ってそこまで広くはないが、上品な作りで申し分ない。東京の街並みを見下ろすことができた。

 

「じゃ倫也。いくわよ」

「無駄使いすぎねぇか・・・」

「はぁ?あんたバカなの?死ぬの?」

「それひさびさに聞いたな。」

「だいたい、あんたが水着を見たいって言ったのよね。何が不服なのかしら」

「水着は家でも着れるだろ・・・

「倫也は部屋で水着プレイがしたかったってことかしら?」

「ぜんぜんそんなこと言ってないよねぇ!?」

「プールのないところで水着なんて着てどうすんのよ」

「いや、まぁそうなだけどさ」

「ほら、いくわよ。それとも帰る?」

「いきまふ」

 

 やれやれ金銭感覚が狂う。どうしてプールにはいるために数万を出費しなければならないのか。夏のバイト代がぜんぶ飛ぶ。とはいえ、英梨々の目的がプールなのか、それとも・・・ここに宿泊することなのかは、俺には測りかねる。

 

 エレベーターに乗り、受付を済ませてプールに行く。更衣室で別々に別れた。ささっと着替えて、シャワーを浴びてプールへと向かう。これがなかなか豪華だった。天井はガラスになっていて、採光は明るい。

 

 広いプールに10人もいない。平日だからだろう。貸し切りみたいだった。とりあえず場所取りをする。タオルなどもすべて備え付けてあった。手ぶらで来ても大丈夫な仕様になっている。テーブルの上のメニューを開くと、各種ジュースやアルコール、軽食などもあった。やっぱり、この2000円以上するトロピカルドリンクを頼むと、アニメみたいなフルーツの飾られたドリンクが来るのだろうか。英梨々が来るまで待とう。

 

「倫也ぁ~」

 

 英梨々の声で俺は振り返る。やっと拝める英梨々の水着姿だ。髪はリボンを外してストレートになっていた。シャワー浴びた後なので髪は濡れてまとまっている。

 

「白じゃないだとぉ!?」

「そんなに驚くことでもないでしょ」

「いや、まぁそうなんだが」

「どうかしら?」

 

 英梨々がポーズをとる。色はピンク系だけど、薄くて白に近い。ベビーピンクかカーネーションカラーだ。胸はかなり寄せたと見えるが、自然な膨らみで無理にパットを盛っていないのがわかる。フリルが付いていて谷間は強調されていない。自分をよくわかっているデザインだ。うん。

 下はシンプルな形に見えるが、透けるピンクのパレオがまかれていて、はっきりとは見えない。この恥じらい加減。実にフェミニンな水着で、ちょっと英梨々っぽくはないなと思ってしまった。

 

「いいんじゃないでしょうか」

「なによそれ」

「いやいや、可愛いと思う。なんか、こう・・・可愛いと思う」

「あんたねぇ・・・ボキャブラリーなさすぎよ」

「ごめん。でも英梨々。ほんと、可愛いと思う」

「もう」

 

 英梨々が隣に座った。メニューをパラパラとめくり、スタッフを呼び寄せる。スタッフはとても綺麗なお姉さんで白いブラウスにリボンをつけ、下は黒のロングスカート。水着ではないが、濡れても大丈夫そうな素材にみえる。

 

「このカップル用のトロピカルジュースください」

「かしこまりました」

「あと、このおすすめドルチェも」

「かしこまりました」

 

 スタッフが頭を下げて去っていった。やはりホテルのスタッフは品がいい。

 

「倫也、何スタッフに見惚れているのよ」

「そんなことねぇよ。ちょっと変わった服だなと思っただけだよ」

 

「ふーん、どうだか」

「それに、こんなカワイイ彼女がいるのに、よしょみなんか・・・かみまみた」

「無理するからよ」

 

 実際わざと噛んだわけだが、どうも可愛い英梨々が目の前にいるのは照れる。水着は肌の露出も多く、英梨々の綺麗な白い肌が透けるように眩しい。あのビキニの下を触ったことがある俺の手は幸せだなぁ。その内、あんなことやこんなことを・・・ってまた、妄想してしまった。

 

「少しプールに入りましょ」

「ああ、せっかくだしな」

「場所的にはあんまりはしゃぐとこでもないのでしょうけど」

「気にすることないだろ」

 

 温水プールなのでそこまで冷たくはなかった。端まで泳いでから戻ってくると、ドリンクとお菓子がテーブルに置いてあった。

 

「おおっ、ほんとにこういう飲物ってあるんだな」

「当たり前じゃないの」

 

 行儀悪く英梨々は立ったままグラスに飾られていたスイカのカットを手にとって食べた。俺は座ってから、ストローでジュースを飲む。ハート型に曲がったストローで飲み口が二つついている。ジュースは南国系のフルーツが混ざったもので、ドロリとしてやたら甘い。個人的には爽やかなコーラがいい。

 英梨々も同じようで、座って一口飲むと、舌を出して「甘すぎよね」と顔をしかめていた。

 

 ドルチェの方は、丸いプチショートケーキにフルーツとクッキーが添えてあった。英梨々はフォークで味をみて納得していた。さすがにこんなホテルのケーキで不味いわけがなかろう。

 

「倫也、せっかくだからやるわよ」

「何を」

「このジュースをみたら、やることは一つでしょ。すみませーん」

「・・・?」

 

 英梨々がスタッフを呼んで、スマホを渡した。写真をとってくれるように頼んでいる。

 

「さぁ、倫也やるわよ?」

「だから、何を・・・」

 

 英梨々がテーブルに両肘をついて、手の上に顎を乗せながら、ストローを咥えている。・・・なるほど、恋人が対になって一緒にジュースを飲む、あのバッカプルのシーンがやりたいらしい。いいだろう。ここは彼氏として英梨々の希望を叶えてやろう。

 多少恥ずかしいが我慢する。

 俺も英梨々と同じ格好をする。英梨々が必死に笑いをこらえているのがわかる。

 

 シャッター音がして撮影された。

 

「もう、倫也、笑わせないでよ!」

「別に笑わせるつもりはないが?」

「なに言ってんのよ。なんで、倫也まで女の子のポーズなのよ。普通男は両肘つかないでしょ」

「そうなのか?」

「もう、ほんと恥ずかしい」

 

 英梨々がケラケラと笑い転げながら、スタッフにお礼をいって画像を確認し、さらに爆笑している。俺としては英梨々がそこまで喜んでくれるなら満足だ。

 

 それから食事は途中にして、またプールで遊んだ。泳いで追いかけっこしたり、「きゃはは」「ウフフ」と水をかけあったりした。それから氷が解けて薄くなったトロピカルドリンクを2人でなんとか飲み終えて、お菓子も全部食べた。

 

「サンオイルだけが残念だったわね、倫也」

「ああ~。確かにカップルイベント言えば、サンオイルだよな」

「もう日焼けする時間じゃないけど、塗るだけ塗ってみるかしら?」

「周りの目が怖えよ」

「塗りたいことは塗りたいのね」

「・・・やぶさかではないがな」

「エッチ」と小さな声で、耳元で囁いた。

 

 英梨々が近い。大きな瞳に俺が映っている。濡れた英梨々の髪を少しどかし、頬に手を当てた。

 

「周りが見てるわよ」

「・・・そうだな」

「別にあたしは構わないけどね」

「残念だが、俺は構うんだな」

「ヘタレ」

「紳士と呼べ。紳士と」

 

 英梨々が俺の手を握って、プールの方へ向かった。2人でまたプールにドボンッと入った。

 

「なんだよ?」

「ほら。見えないわよ」

 

 英梨々がプールに潜った。俺も一緒に潜る。英梨々の長い髪は水の中で大きく広がっている。プールキャップをかぶった方がよかったかもしれない。

 

 息を止めながら水の中でキスをそっとした。

 

 感触はよくわからなかった。

 

※ ※ ※

 

 着替えて部屋に戻った頃、時刻はもう17時を回っていた。そろそろ家に帰らないといけない。夕食のこともある。今日は英梨々と泊まるわけにはいかない。それでは無断外泊になってしまう。食事を作り、俺たちの帰りを待つ人がいる。

 

「けっこう疲れたわね」

「意外と、はしゃいでしまったな」

「結局、倫也はまだまだ子供なのよ、ホテルのプールではしゃぐまで遊ぶなんて」

「なぜ自分のことは棚にあげる」

「ふふふっ」

 

 英梨々がダブルベッドに腰をかけた。

 

 英梨々は黒いインナーは脱いでいて、今はキュロットスカートに生足が伸びている、上は黄色のロゴのはいったTシャツ姿だ。

 英梨々の隣に俺も座った。ベッドは柔らかく沈み込む。少しの時間沈黙が続き、英梨々はぼんやりと壁の絵画を眺めていた。

 

 誰の作品で、これがレプリカなのか本物なのか俺にはわからない。何か話題を探すならこれがいいだろう。英梨々がこれについて解説してくれるはずだ。でも、そんな聞いたそばから忘れてしまうようなことはどうでもよかった。

 

 部屋はとても静かで、空調の音すらしない。窓の外の景色は赤くなりつつある。日の沈むのがだいぶはやくなってきた。

 

 英梨々の左手に手を重ねた。英梨々は抵抗もせず何も言わない。でも指を絡めたり、握り返したりしなかった。英梨々も迷っているのだろう。

 ホテルのダブルベッドだ。英梨々的には条件が整っている・・・のだろうか。でも、今日はプールに遊びにきただけだし、そんなつもりはないのかもしれない。

 

「倫也。またエッチなこと考えているでしょ」

 

 まったく図星なわけだが、それは英梨々だって同じだろう。だから、そんなことを言うのだ。

 

「ああ。ずっとだ」

「ずっとって、あんたねぇ。いつからよ」

「わかんね。お前が水着着るって言いだした時から」

「それ、まだ日中よね」

「そうだな」

「ずぅ~とエッチなこと考えていたのかしら。この変態は」

「そうだな」

「そんな素直に認めないでしょ。気持ち悪っ」

「悪かったな。そうだよ。俺はずっと考えてた」

「プールに入りにきただけなのよ」

「わかってる」

「ぜんぜんわかってないわよね」

 

 英梨々がボスッとベッドに倒れ込んだ。それから俺の方に背中を向け、足をくの字にした。

 俺もそこに横になる。

 

「なぁ英梨々」

「いいわよ」

「・・・っ!」

 

 許可がでた。いやいや、喜んでいいのか。もう妨げるものはないか。

 

「スマホの電源切るか」

「そ・・・そうね。よく気が付いたわね。倫也」

 

 俺は立ち上がって、スマホを鞄から取り出して電源を切った。英梨々のスマホも渡すと、英梨々はそれを操作して電源を切った。

 

「ふわぁ~あ」

「なんて、大きなアクビだよ」

「ちょっと、ひさびさに運動しすぎて疲れたのよ。少し寝ましょ」

「帰らなくていいのかよ」

「もう、ほんとヘタレよね。何もかもあたしが教えないとダメなのかしら?」

「何がだ?」

「そこは、『帰したくない』って、倫也があたしをここに引き留めるとこでしょ」

「あっ、そうだな。うん。英梨々、帰したくない」

「ちゃんと帰るわよ。みんな心配するでしょ」

「帰るのかよ」

 

 英梨々がベッドの上でブランケットをめくって、中にはいっていった。俺も中に一緒にはいる。時間はまだあるのだろうか。どれくらいここで過ごせる?泊まるわけにはいかないよな。

 

「ほら、ちゃんと貸しなさいよ」

「ああ、腕か」

「うん」

 

 英梨々が俺の右腕を引っ張って、頭の下に置いた。髪がまだ少し濡れていてひんやりと冷たい。

 英梨々こちらに体を向け、甘えるように満足そうな顔をして、じぃーと俺を見ている。口元がニヤついている。

 

 俺の右手は英梨々の頭によって拘束され、自由が利かない。左手をもぞもぞと動かして、英梨々のTシャツの中に滑り込ませた。

 

「ねぇ、倫也って、いつも胸しか触らないわよね」

「・・・柔らかいし」

「バカ。真面目に答えないでよ。そんなに自信ないんだからねっ」

「そりゃあ、英梨々の胸が大きくはないかもしれないけど、綺麗な形をしていると思うぞ」

 

 英梨々が目を閉じて、唇を重ねてきた。歯を磨いておけばよかったかな。フルーツの香りがした。

 

 左手を英梨々の背中に回して、ホックを探す。けれど、ホックは見当たらなかった。英梨々がクスクスと笑っている。

 手を前に回し、英梨々の胸をちょこちょこと少し揉むと、英梨々は赤くなった顔を伏せた。ブラの上から指を折り曲げて縁をそうように動かした。ブラのどこにもホックを見つけることができなかった。なんだこれ。

 

「バカ」英梨々が小さく呟やいた。右手で俺の迷っている左手をTシャツの外に追い出した。それから、中でモゾモゾと動いている。その間、英梨々のオデコにキスをして、頭を撫でた。右手の位置をちょっとずらして、しびれを解消する。

 

「ほら、いいわよ」

「ん・・・」

 

 英梨々が、俺の左手をTシャツの上に押し当てた。ブラは上にずれていて、英梨々の胸の膨らみがTシャツの布越しにはっきりとわかり、小さな突起を手のひらで感じた。英梨々がまた俺の口にキスをする。ゆっくりとTシャツの上から、英梨々の乳首をつまんで軽く引っ張った。

 

 英梨々の吐息が漏れた。

 

 もう少し進めて大丈夫かな。英梨々の胸の柔らかさを堪能した俺は、右腕を英梨々の頭の下から抜いた。そしてブランケットの中に潜って、英梨々の右胸にTシャツの上から・・・キスをした。

 

「クゥ・・・」

 

 と、英梨々の声が聴こえる。

 

 布先とはいえ唇の先に乳首の膨らみがあたる。舐めるべきか、吸うべきか迷う。唇で乳首を甘噛みする。英梨々が俺の頭を強く抱きかかえた。

 俺は息が苦しくなるほど、英梨々の胸に顔を押し付けられた。

 

「倫也。そろそろ、・・・帰ろ」

 

 ・・・いやいやいやいやいやいや。英梨々?ここで?

 

 何いってんの?バカなの?ここで辞められるわけないよね?ダブルベッドだよ?スマホも切ったよね?えっ?どういうこと?

 このまま続けたらもしかして泣くの?俺が辞めたらヘタレって言わない?言うよね?

 

 ちょっと?俺すげぇ溜まってんだけど。もう暴発しそうなんだけどっ!

 

 

※ ※ ※

 

 ・・・この後、めちゃくちゃ倫理君した。

 

(了)




倫理君しちゃらめぇー


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40 最終話 朝チュン

そして、いよいよ最終日。
壮大な伏線の回収がっ(ない)


8月31日(水)夏休み 最終日

 

 気が付けば夏休み最後の一日になっていた。

 

 おかしい・・・俺は受験生で毎日勉強をするはずだったのに、学校の課題が1ページも終わっていない。

 進学校とはいえ、受験生に課題など出さないと思うが、これを休み明けに提出し損ねると内申書に響くだけでなく、俺の卒業が危ぶまれる。

 だから答えを丸写しにしてでも、課題を終わらせなければならない。学力の向上や受験対策よりも優先順位が高い。留年だけは勘弁してくれ。

 

 そういうわけで今日こそ英梨々にビシッと言って、勉強に専念するつもりだ。英梨々が俺の家に遊びに来るのはだいたい午後だから、午前中に進めるだけは進めておきたい。

 

ピンポーン。

 

 呼び鈴が鳴った。窓から外を見ると人影はない、階段を駆け上がってくる音がする。この足音は英梨々だ。扉がバンッと開いた。

 

「倫也ぁ~」

「どした?そんなに慌てて」

「課題よ。課題。やらないとまずいのよ」

「奇遇だな。俺もだ」

「あんたの課題なんて、どうでいいわよ」

「俺にはよくないんだが?」

 

 英梨々が俺の机の課題用テキストを見た。英梨々にも同じものが配られている。当然、英梨々もこれをやらないと問題が起こるはずだ。

 

「まさか、あんた、それまだ終わってないの?」

「ああ、1ページたりともな」

「えっ?でも、それ提出しないと倫也じゃ卒業できないわよ」

「ああ。だから、今日こそ課題をやるからな」

「安心しなさいよ。倫也が例えダブっても、一年ぐらいじゃ見捨てないから」

「卒業させてねぇ!?」

「いいのよ、あんたのことは。ほら、いくわよ」

「どこに」

「あたしの家よ。わざわざ迎えに来たんだから、感謝しなさいよ」

「俺、断ったよねぇ!?」

 

 朝に英梨々からLINEで連絡があった。俺は課題があるからとちゃんと断っている。

 

「はぁ・・・。もう、そんなのちゃっちゃっと終わらせておきなさいよ」

「英梨々は終わったのかよ」

「あたしは宿題代行業者にちゃんと頼んで、もう準備できているわよ。倫也、わかってるの?提出は明日よ」

「わかってるから、焦ってんだろうが!」

 

 俺はテキストをめくった。あれ・・・解答欄が埋まっている。パラパラとめくると最後のページまで埋まっていた。

 

「なぁ英梨々」

「なによ」

「小人さんが俺の代わりに仕事してくれたみたいだ」

「はぁ?あんたバカなの?そんなことあるわけないでしょ」

「それが、実際終わってるんだからしょうがないだろ。事実は受け入れないと」

「どれ」

 

 英梨々がパラパラとめくる。

 

「あら、ほんとね。良かったじゃない。じゃ、行くわよ」

「しょうがねぇーな」

 

 まぁ、小人さんなんているわけがない。この字からして、おそらくは加藤の仕業だ。俺が高熱を出して寝込んでいる時に、机に向かって何やら作業をしていた。見かねて俺の課題を終わらせてくれたのだろう。あとで確認してお礼をいわなきゃ。そういえばプリンのお礼もまだだったな。

 

 とにかく最低限のノルマが終わった以上は英梨々の要望にも応えないといけない。これでも一応彼氏だからな。

 

※ ※ ※

 

 英梨々の部屋にやってきた。俺は窓際で英梨々に言われるがままモデルをやっている。

 

「ほら、脱ぎなさいよ」

「いやだよ!」

 

 そして、さっきから脱げとうるさい。

 英梨々の課題というのは、美大推薦用の提出課題だ。締め切りはまだ先だが、休み明けに美術の先生に下描きを提出する必要があるらしい。実技試験というやつだ。

 

「で、どんなの描くつもりなんだよ」

「いくつか草案を描いてから、美術の先生と相談するつもりだけど、倫也を描くわよ」

「俺なんて描いて大丈夫なのか」

「別にそのままの人物画なんて描かないわよ。この夏の体験を生かして、『暑さ』みたいのを描きたいのよね」

「ほう・・・」

「だから、さっさと脱ぎなさいよ」

「ぜんぜん、話がつながらないんだが!?」

「まずは裸の男性がいるのよ。そして、そこにはマンガだの、ラノベだの、フィギュアだの囲まれ、性的倒錯の中に自己を失う現在のなんちゃらかんちゃらを描くのよ」

「最後、言葉になってねぇじゃーねか」

「あんたねぇ?協力する気あるのかしら?」

「あんまねぇな・・・」

 

 英梨々が頬を膨らませて口を尖らせた。これはあざといな。

 今日の英梨々芸術用の衣装で、袖が染色された白いシャツにデニムのサロペットだ。髪型はツインテールでリボンの色はネイビーブルー。まぁ要するに英梨々だ。

 

「しょうがないわね、この変態。あたしのいうこと聞いてくれたら、何かこちらも要求をのむわよ」

「ほう・・・」

 

 どうやら本気で裸の俺を描くつもりらしい。要求といってもお金をせびるわけにもいかない。こういうのは難しいよな。

 

「じゃあ、俺も脱ぐから、お前も脱げよ」

「あんたねぇ・・・もう発言がただの変態だって自覚してるのかしら?」

「そのセリフをそのままお前に返すよ」

「あたしは芸術のためにお願いしているのよ」

「そうかよ。それは高尚ですな」

「ほら、さっさと脱ぎなさいよ」

「俺の要求はどうなった!?」

「・・・いいわよ。それで」

「いいのかよっ」

 

 ふぅ。冗談にせよ言ってみるものだ。この夏になんどか英梨々のセミヌードはみているけどな。はっきり全身は見ていないし、明るい所でも見ていない。まぁ当然だろう。

 俺はとりあえずTシャツを脱いだ。

 

「下も」

「下もかよ・・・嘘だろ」

「ヌードモデルなんだから当然でしょ。ハァハァ」

「荒い息を音声で読むな」

「そんなに恥ずかしいものが付いているのかしら?」

「あのなぁ・・・」

 

 もういいや。脱ごう。夏休みの最後の思い出作りとして、変態彼女の要望に応えてあげよう。俺はズボンを下ろし、トランクスを脱いだ・・・

 

ガコンッ

 

 俺の頭に、ティッシュボックスが当たった。解せぬ。

 

「なんだよ」

「前ぐらい手か、何かで隠しなさいよ。ハァハァ」

「バカだろ、お前」

 

 俺が座り直すと、英梨々がポーズの指定を言ってきたので、そのポーズをとる。裸でいるのもすぐに慣れるものだ。英梨々ともう少しくだらないやりとりをするのかと思ったら、けっこう真剣な目つきでデッサンをはじめている。

 

 俺は退屈だったが、英梨々は興に乗ってきたようで動かす腕が早い。俺が多少動いたり、アクビをしたりしていても怒らなかった。床に座ったり、立って後ろを向いたり、英梨々に言われるがままポージングをする。まぁこうしてやってみると、ちゃんと役に立っている気がする。

 

「次。ベッドの上で四つん這いになって」

「嫌だよ」

「はぁ?あんた今更恥ずかしがってどうすんのよ」

「恥ずかしいもんは恥ずかしいわ!俺にだってささやかなプライドがあるんだからな」

「そんなつまらないプライドよりも、ポーズとって写生が終わったら、その姿のまま後ろから射精に導びいてあげるわよ?」

「どんな羞恥プレイだよ・・・」

「もう、ほんと使えないわね」

 

 俺は辛うじて一線を守った。羞恥プレイを楽しめるほど、まだ性的に開放されていない。童貞だからな。

 

※ ※ ※

 

 英梨々は下書きが終わると、油絵でキャンバスに描き始めた。俺は暇になったのでゲーミングチェアに座ってゲームをする。何か大事なことを確認し忘れている気がするが、それが何かわからない。まぁ課題は終わっているのだ。いまさらジタバタしても仕方ない。

 

「ねぇ、倫也。また裸になって欲しいけど、やっぱり寒いかしら?」

「いや平気だよ。冷房ついてねぇし」

 

 窓は開いたままで爽やかな風が入ってきている。まだまだ残暑が厳しく、裸でも別に問題はない。

 

「じゃあ、そんなに脱ぎたいなら脱いでもいいわよ」

「あのなぁ・・・」

「肌の色のとか、影の具合を確認したいのよね」

「ちゃんと頼め」

「お願い倫也。後でいいことして、あ、げ、る」

「はいはいっと」

 

 俺はまた脱いだ。下も脱ごうと思ったら、今度は下を脱がなくていいと言われた。

 

 ・・・解せぬ。

 

 制作を開始すると英梨々は没頭するので、一時間ぐらいはすぐにたってしまう。ランチで宅配ピザを食べ、その後も制作を続けた。

 俺は服を着たり、脱いだり、やっぱり下も脱いだり、ときどき四つん這いを要求されて断ったりした。

 

 まぁ役にたっているのか、ただの英梨々の趣味なのか測りかねる。何枚かのキャンパスに絵が次々と描かれていくのは見ていて気持ちがいい。いったいどこにこんなに創作意欲があるのか不思議なぐらいだ。

 

 壁に立てかけられていくつかの絵をみると、俺が確かにいる。それが体の一部だったり、背景の一部だったり、あるいは真剣な横顔だったり(実に美化されている)、おどろおどろしいほど多数の裸が描かれていたりした。

 

 やがて窓の外が暗くなり始めた。少し涼しくなってきたので俺は服を着た。もう英梨々も脱ぐようには言わなかった。

 

「倫也、今日は晩御飯どうするの?」

「家に帰って何か適当なものを喰うよ。もしくはコンビニ弁当」

「また親いないの?」

「出張だってさ」

「そう・・・、ねぇうちで食べていきなさいよ」

「それは構わんが・・・」

「そ、ならちょっと頼んでくるわね」

 

 英梨々が部屋から出ていった。あまり英梨々の家で晩御飯を食べることはない。ケジメというわけでもないが、夕食は別々にしている。だから、英梨々が家で普通の食事をしているのが想像しにくい。

 スペンサーのおじさんや小百合さんと食事するのは、気を使うなぁっと思っていたら、英梨々が戻ってきた。

 

「別に余計な心配はいらないわよ。部屋に運ばせるから」

「そうか」

「うちは食事の時はバラバラなのよ。みんな忙しいのよね」

 

 しばらくして食事をメイドさんがワゴンで運んできてくれた。トレイの上に料理が乗っている。

 定食屋みたいだなと思った。料理の完成度が高い。ご飯。味噌汁。香の物。メインにチキンカツ。小鉢はモズク。内容は普通に思える。この鶏肉が特殊なものかどうか、いちいち確認する必要もないだろう。

 

 英梨々に言われて、俺は先に机で食事をする。どれも美味しい。感動するほどではないが、良い食材を無駄に加工せずにそのまま味わえる。そんな家庭料理だった。

 

 英梨々は作業を一段落するまで続け、それから食事を摂った。わざわざ俺を食事に誘ったのだから、何かあると思ったけど、特に何もなかった。

 

「ねぇ倫也。夏休みの最後の思い出作りしてあげるわよ」

「なんだそれ」

「『せ』のつく、いいことよ」

「セ・・・?」

 

 20時を回り、外が暗くなっていた。そろそろ家に帰ろうかと思ったが、英梨々が『セ』のつくことをやりたいという・・・

 

 夏休み最後だし、しょうがねぇな。何度もヤリそこねているし。

 

※ ※ ※

 

「キレイだな」

「でしょ。これ、高級なのよ」

 

 しゃがんだ英梨々の手元には、花火が綺麗に咲いている。

 

「セ・・・線香花火ですか、そうですかー」

「当たり前じゃない、あんた、なんだと思ったのよ?」

 

 そういう英梨々は俺を小馬鹿にした笑いをした。もちろん俺だって、『セ』のつくものに期待したわけじゃない・・・どうせ、こんなオチだと思っていた。

 

「倫也もしたら?これ、日本産の高級線香花火なのよ」

「ほう・・・確かに、さっきからぜんぜん消えないな」

「でしょ。玉を落とさないように持つと、最後まで楽しめるわよ」

 

 俺も一本とって火をつけた。英梨々との花火は久しぶりだ。昔はネズミ花火を投げつけられたり、ロケット花火で狙撃されたり、散々だった。

 

 英梨々の家の庭は広いので照明を消すとかなり暗くなり、線香花火の繊細な光がよく映える。パチパチという小さな音もあって、しんみりとした気分になった。

 気が付くと近所のノラ猫がそばに来て見ていた。まさか花火を鑑賞しているわけもないだろう。猫用のカリカリを英梨々が用意して餌をあげていた。

 

 スマホに着信が鳴った。画面を見ると加藤からだ・・・

 

「もしもし」

「あっ安芸くん?わたし加藤だけど、今大丈夫かな?」

「大丈夫だけど、どうした?」

「実は今、明日の準備をしていたのだけど、課題のテキストブックが見当たらなくって、もしかしたら安芸くんの家に忘れてしまったかなと思って」

「えっと・・・」

 

 まさか。いやいや、そうかそういうことか。嫌な予感がする。

 

「安芸くんのお見舞いの時に、終わらせたのだけど、持って帰るのを忘れてしまったみたいで」

「ああ、たぶん、あると思うぞ」

「良かった。教えてくれたらよかったのに」

「だって、加藤・・・俺のLINEスルーするじゃん」

「ん・・・それは・・・。とにかく明日学校に持ってきてくれるかな?」

「嫌だと言ったら?」

「言うの?」

「言わないけど」

「じゃあ、お願いね」

「わかった」

「おやすみ。安芸くん」

「ちょっとまって、加藤」

「どうしたの?」

「プリン。ありがとな」

「ああ、うん?食べてくれた?」

「うん。久しぶりで美味かったよ」

「そう、良かった。風邪も良くなった?」

「おかげさまで。加藤に風邪をうつさなかった?」

 

 加藤との会話が続きそうだったけれど、俺の視界には英梨々が1人で座って線香花火をしている。早く戻ってあげないと、心なしか背中が寂しく見える。背中で演技するな。

 

「うん。平気・・・」

「良かった。じゃ、また明日学校でな」

「うん」

「おやすみ。加藤」

「おやすみ。安芸くん」

 

 名残惜しいが電話を切った。

 

「恵から?どうしたのよ?」

「なぁ、英梨々。重大な問題が発生した」

「そう」

「そうって、お前なぁ・・・あの俺の小人さんが終わらせてくれた課題だけどな」

「恵の課題だったんでしょ?」

「そう!なんでわかったんだ」

「むしろ、なんでわからなかったのか聞きたいわよ」

「いや、困った俺に加藤が課題を代わりにやってくれたのかと・・・」

「倫也、頭がお花畑なのは前から知ってたけど、いくらなんでもそれって無理があるわよね」

「・・・だよな」

「しょうがないから、あたしも手伝ってあげるわよ」

 

 英梨々が終わった線香花火をバケツに入れた。シュッと消える時に音がする。火薬の匂いが広がる。

 

 周りからはコオロギだか鈴虫だかが鳴いている。もう、秋がそこまできていた。

 

 

※ ※ ※

 

 

 自分の部屋に戻った。課題用テキストは確かに「加藤恵」と後ろにはっきりと書いてあった。これに気が付かない俺がバカなのか、無意識に現実から逃げたのかわからない。

 俺の課題用テキストは机の棚にちゃんと収まったままだった。毎日やろうと出しっぱなしだったから、加藤が来たときに片付けられたのだろう。本棚の中も整理されている。

 

「だいたい、倫也は無計画すぎるのよ」

 

 俺が課題の解答を丸写ししている時に、英梨々はシャワー浴びて、今は扇風機で髪を乾かしていた。夏用の黄色いネグリジェを着ている。一応、俺の課題を手伝う名目でここに来ているが、手伝いようもないのだ。

 

「お前だって、昔はそうだったろ」

「いつの話しているのよ。宿題を最終日までやらなかったのは、小学生までよ」

「だいたい宿題代行業者に頼むとかずるいだろ」

「別にいいじゃない。需要があるから供給もあるんだし、自分で稼いだお金を何に使うかは自由でしょ」

 

 ああ、言い争っている場合じゃない。だいたい口じゃ勝てない。俺は必死に書き込んでいく。さすがに朝まではかからないだろう。

 

「倫也もシャワー浴びてきたら」

「全部終わったら入るよ」

「それじゃ、嫌なんだけど」

「なんでだよ」

「汗臭いじゃない」

「俺、匂う?」

「そこまでひどくはないけど、一日の最後ぐらいシャワー浴びてきなさいよ」

「わかったよ。一段落するまでな」

 

 英梨々は髪を乾かし終えると麦茶を飲み、マンガ本を読みはじめた。手伝うという名目はいったいなんだったのか。

 メガネはオシャレなピンクゴールドのものを付けていて、こうみるとなかなかカワイイ。ネグリジェの生地が気持ち薄く透けているように見えて、なんかエロい。そういえば昨日も未遂だった。しかも英梨々には何もしてもらっていない・・・いやいや、そんなこと考えている場合じゃなかった。課題をしなきゃ・・・

 

 でも、風邪をひいてから溜まったままだ・・・やばい、なんでもいいからヌきたくなってきた。

 

「ねぇ倫也」

「なんだよ」

「あたし、約束はいつ果たせばいいのかしら?」

「約束?なんの?」

「あんたねぇ・・・普通忘れるかしら」

 

 どうにも、俺に課題を進ませる気がないらしい。約束?なんだっけ。約束、約束・・・ああ、俺がヌードになった見返りのことか。冗談かと思っていて、忘れていた。

 

「もしかして、ヌードのことか」

「バカ、はっきり言わないでよ」

「あのなぁ・・・」

「しなくていいなら、しないわよ」

「それ、俺が決める権利があるわけ?」

「なによ権利って、約束は約束でしょ。別にいいならいいんだからねっ。ふん」

「いやいやいや、まって。じゃあお願いしたいけど、とりあえず課題がだなぁ」

「あんた、課題とあたしのどっちが大事なのよ」

「今は課題だな」

 

 ボスッ

 

 枕を投げてきた。こいつ、絶対に俺の課題をさせないつもりらしい。とりあえず・・・シャワー浴びてこよう。俺は立ちあがって部屋からでていった。

 

 シャワーをすませ、キッチンで水を飲み、俺が部屋に戻ると部屋は薄暗くなっていた。部屋にエアコンはついていなかったが、ちょっと暑いぐらいで温度はちょうどよかった。扇風機が回っている。カーテンも閉めてあった。

 英梨々は俺のベッドで寝ているようで、そこだけ膨らんでいた。ブランケットを頭までかぶっている。

 

「とりあえず、課題終わらせるぞ」

 

 英梨々から返事はなかった。俺はクッションに座ると、隣に衣類がたたまれて置かれていた。さっきまで英梨々が来ていた黄色いネグリジェと下着だ。

 

「ゴクリッ」

 

 俺は唾を飲み込み、冷静になって事態を把握しようと努めた。

 とりあえず下着を手にもって広げてみる。白いパンティーで中央にはピンクのリボン。フチにはフリルも着いていて、タグの素材は綿とシルクを示していた。俺には知らないブランド名だった。触り心地がいい・・・

 匂いを嗅ぎたい衝動は全力で抑える。俺は英梨々みたいに変態ではない。

 

 英梨々はもしかして、今日こそヤるつもりなのだろうか。もう明日は学校である。時刻はすでに22時を回っていた。

 いやいや、そうみせかけて罠かもしれない。でも、今日は一日中一緒に過ごしたしなぁ。確認してみるか。

 

「おい、英梨々」

 

 ベッドの横に立って、上から見下ろすように声をかけた。

 英梨々が顔だけブランケットから出した。目つきが悪いのはメガネもコンタクトもしていないからだ。

 

「なによ。課題おわった?」

「いや、ぜんぜん・・・」

「はやく終わらせてきなさいよ」

「その前に、確認したいことがあってだな・・・」

「なによ、早く言いなさいよ」

「もしかして、裸?」

「それこそ、確認すればいいじゃない。スケベ。変態」

 

 俺はブランケットに手をかけた。そろりとめくっていく。英梨々の細い首から鎖骨、そして胸の膨らみが見えた。もう少しめくると乳首も見えそうだったが、とにかくブラはつけていないことはわかった。

 

「なぁなぁ、英梨々。もしかして、下も履いてないのか?」

「あんたねぇ・・・同じこと言わせないでよ」

「・・・と・・・とりあえず、課題終わらせてくるからっ」

「ヘタレ」

 

 よしわかった。英梨々がそのつもりならしょうがない。俺は机に向かって課題をやり始めた。まったく何も頭に入ってこないが、解答を写していく。悶々とする。いっそうのこと、一発ヌいた方が集中できる気がしたが、ここでするわけにもいかない。もう5日ぐらい我慢しているのだ。英梨々の中にぶちまけたい。途中で炭酸飲料を飲みながら作業をすすめた。

 

 がんばれ俺。

 

 

※ ※ ※

 

 

 0時を過ぎた。

 

「倫也、終わった?」

「3分の1ぐらい終わった・・・」

「あんたねぇ・・・もう夏休み終わったわよ」

「すまん」

 

 振り返ると英梨々がいた。体に大きなバスタオルを巻きつけている。もういっそうのこと、俺を楽にしてくれ。

 

「はやく終わらせなさいよね」

「ああわかってる・・・」

 

 棚からラノベを数冊持っていった。

 俺が課題と向き合っている間、後ろのベッドで英梨々が本を読んでいる音がする。

 

 2時を過ぎた。

 

 課題の半分が終わった。けっこうなボリュームでびっくりする。丸写しするにしても、国語も社会も論文がある。数学に到っては類似問題の作成まである。解答は例文しかないから丸写しはできない。

 

 完全に写すわけにはいかないし、先生もこういうこところはチェックするに違いない。どうしたって、すぐには終わらなかった。

 トイレを済ませ、コーヒーをいれて戻ってきた。眠気がする。最近はけっこう規則正しく生活していた。たまの徹夜は辛い。

 今日は学校に行った後は、午後にバイトがある。少しは眠っておきたい。アクビを1つして、また課題に向き合った。

 

 英梨々はすでに撃沈していて眠っている。小さないびきが時々聞こえる。

 

 4時。

 

 課題の3分の2が終わった。見通しが悪かった。こんなに時間がかかると思わなかった。

 英梨々はすでに熟睡していて寝相が悪い。俯せで寝ていて、片足を曲げている。辛うじてブランケットで大事なポイントを隠しているとはいえ、こりゃ、完全に裸なのがわかる。半ケツがでていて生足がすらりと伸びている。少しでもブランケットをめくりあげるか、俺の見る角度を変えれば、アソコがばっちり見えそうだ。

 また風邪を引かないようにブランケットを時々直してやる。めくって下の毛の色ぐらい確認したいが自重した。煩悩に負けたら止められそうにない。

 

 6時。

 

 課題がもうすぐ終わりそうだ。英梨々のスマホのタイマーが鳴った。窓の外は白み始めている。

 

 元気よく雀が鳴いている。

 

 

 ・・・無事に朝チュンを迎える。

 

 

「英梨々。朝だぞ」

「んにゃ」

 

 英梨々の髪は乱れている。まったくもって俺はダメ人間だ。裸で寝て待っている英梨々を前にしても、ヘタレ根性が炸裂して、まったく手が出せなかった。

 

「俺、課題がもう少しで終わるから。お前は一度家に戻るんだよな」

「ああ、うん?倫也課題終わったの?」

「終わりそうだよ。もうすぐだ」

「あっそう、良かったわね」

「わっわっ、突然起き上がるなよ」

 

 俺は慌てて英梨々にブランケットをかけてやる。英梨々が急に上半身を起こしたので、朝日に照らされた綺麗な英梨々の裸が見えてしまった。白皙の肌は透き通っていて、乳首がほんのり淡い。ツンと上を向いている。固そうにみえるのに触ると柔らかいのだ。ああ、触りたい。つまみたい。ひっぱりたい。

 

「倫也」

「どうした?」

「服、とってくれるかしら」

「ああ、これな」

 

 俺はたたんであるネグリジェと下着を渡した。

 

「あんた、あたしのパンツ、頭にかぶったでしょ?」

「かぶってねぇーわ!」

「怪しいわね。たたみ方違っているけど」

「・・・かぶってないです。ちょっと見ただけです」

「変態。ついでにヘタレ」

「なんとでもいえよ・・・」

 

 英梨々がブランケットの中で下着を着始めたので、俺は机にもどって残りの課題と向き合った。6時半には終わりそうだ。

 

「あたし、先に下に降りて朝食食べてくるから、倫也も終わったら降りてらっしゃいよ」

「わかった。でもすぐに帰らなくて平気か?」

「だから、早くしなさいよ」

「まったくだ」

 

 英梨々は私服に着替えていた。昨日と同じ黄色いシャツとサロペットだ。部屋からアクビをしながら下に降りていく。俺もつられてアクビをした。

 

「終わった!!」

 

 やっと課題を終えて下に降りていく。英梨々は洗面所で身支度をしていた。

 

 テーブルの上のコンフレークを牛乳で胃に流し込む。バナナを齧る。眠い。

 

 英梨々が洗面所からでてきた、髪はツインテールに綺麗に結っている。今日は白いリボンだ。

 

「おはよう。倫也」

「おはよう」

「あんた、けっきょく寝なかったのね」

「おかげさまで、眠れずに課題ができたよ」

「ふふっ。ほんと、バカよね」

 

 英梨々が笑って八重歯少し見えた。

 リビングから出て、玄関に英梨々が向かったので、俺はそれを見送る。

 

「じゃ、また後でね」

「ああ、またな」

 

 英梨々が玄関から出ていった。それは気持ちいい早朝で外の天気は晴れていた。

 あとで制服に着替えた英梨々が一緒に登校するために、またここに迎えに来る。

 俺もそれまでに準備を終えて待つ。

 

 楽しい夏休みが終わってしまった。

 

 

 そして日常が始まる。英梨々がそばにいつもいてくれる平凡な日常が。

 

 

(了)




最終日にヤると思っていた方には、ごめんなさい。
それでも、R18進めや!という方はコメントに要望をどうぞ。

さて、これで40話に及ぶ夏休みの物語は終わりです。去年の恵の夏イチャよりも進歩している気が自分ではしています。いかがだったでしょうか?

40話のすべて読み終えた方には深く感謝を申し上げたい。
そして、是非評価をしていただきたく思います。
またコメント欄に面白かった話数だけでも教えていただけると、今後の参考にさせていただきます。
英梨々へのメッセージも喜ぶかと思います。

チラ裏まで英梨々を辛抱強く支えてくれた方には深く感謝を申し上げます。


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