進藤ヒカルと藤崎あかりの逆行物語 (藤嶺芳樹)
しおりを挟む

現代編
プロローグ


亀更新です。
よかったらお付き合いください。


 

2022年某日ーー

 

「……ありません」

「っ! ありがとう、ございましたっ!」

 

幽玄の間において、本因坊戦第七局が執り行われていた。

三勝三敗で迎えた本局、投了の声をあげたのは緒方精次本因坊。いや、元本因坊というべきか。悔しさを顔に滲ませ、頭を下げる。

そして、たった今本因坊の座を奪取した挑戦者ーー

 

 

「うっ……ぐっ……!」

 

 

進藤ヒカルは涙をこらえきれず、嗚咽を洩らした。

 

 

(やっと。……やっとだ佐為。お前の、お前と虎次郎のタイトルを。オレはついに取ったんだ……。随分待たせちまったけどな)

 

 

心の中で、己の碁の師匠にそう報告をする。

そしてその瞬間、二人を眩いフラッシュが襲った。

 

 

「進藤先生、おめでとうございます」

「緒方先生、今の一局を振り返られてどうですか?」

 

 

新本因坊の誕生に報道陣は沸き、各々言葉を口にする。

 

 

「進藤プロに粘られ、押し切られましたね。特に中盤ではーー」

 

 

緒方も悔しさを浮かべながら、先の一局の感想を述べ始めた。それに合わせて、ヒカルと緒方で碁石を並べ始める。

戦いが始まったところからお互いの好手、妙手、勝負手、最後のヨセまで。関係者を交えて検討をする。

異様な高揚感に包まれながら検討をしているヒカルだったが、実はある一つのことが頭の中を占めていた。

 

 

(佐為にはもう報告した。だから、早く。今はただ、早くあかりに会って報告したい)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ただいま、あかりっ!」

「おかえりなさい、あなたっ!」

 

 

玄関の扉を開け、その場で抱き合いクルクルと回る進藤ヒカル35歳と藤崎あかり36歳。完全にバカップルである。

ヒカルとあかりは、お互いが20歳のときに籍を入れた。幼稚園からの幼なじみで、互いに憎からず想っていたこともある。そんなわけで、あかりが高校を卒業するときにヒカルが告白し、そこから2年の交際を経てゴールインしたのだった。

ちなみに『あかりが高校生のときに囲碁部に入り、そこにヒカルが何度も教えに行っていたこと』や『ヒカルが大一番の手合いの前に、緊張をほぐすためにあかりを家に誘って碁を打っていたこと』もあり、親含め周囲からは公認バカップルとなっていた。知らぬは本人たちばかりである。

 

「おめでとう、あなた。ついにやったのね」

「あぁ! ありがとう、あかりっ!」

 

 

そう言って、あかりを強く抱きしめるヒカル。

結婚して長い年月を共にしたあかりには、本因坊にかける想い、そして今は亡き彼のことを話していた。

 

 

「佐為さんには報告できた?」

「……できたよ。きっとどこかで見守ってくれてると思うしな」

 

 

小学六年生の頃から始まった、嘘のような不思議な話。変に思われてもおかしくないヒカルの独白を、あかりは微笑みながら聞きーー

 

 

「私は信じるよ。そして感謝してる。あなたに佐為さんが碁を教えたから私も碁に興味を持つようになった。そして、あなたとーーヒカルと今もこうしていられるのも、佐為さんのおかげだと思うから」

 

 

照れながらそう語るあかりを見て、ヒカルはあかりへの愛情をさらに深めたのだった。

 

話は戻り現在ーー。

ヒカルとあかりは二人で小さな祝勝会を開いた。普段はあまり飲まないお酒を飲み、あかりの作った料理に舌鼓を打つ。

そして日が変わりそうな時間に二人でベッドに入った。結婚当時から変わらず、手を繋いだままである。普段飲まないお酒を飲んだあかりは、すでに眠りに就いているようだった。

そんなあかりを愛おしく想いながら、ヒカルも目を瞑る。

 

 

(オレは今、幸せだ。愛している人がそばにいてくれて。約束のタイトルを手に入れて)

 

 

意識が遠くなりながら、いろいろな想いが溢れてくる。そしてその中に、ほんの少しだけ、小さな願いが。

 

 

(でも、できればーー)

「佐為……」

 

 

ヒカルのその言葉は、誰に聞かれることもなく、届くこともなかった……はずだった。

 

 

 

 

ーー物語はここから始まる。

 

 

 

 

 

 




ここまでプロローグです。
……文章書ける人本当にすごいと思います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

逆行 小学生編
第一話


 

「んっ……」

 

 

陽の眩しさに顔を顰めつつ、ヒカルは瞼を薄く開ける。

あかりの手を握って寝たはずだったが、すでに右手にその感触はなかった。いつもあかりの方が早く起き、自分のために朝食の準備などしてくれているので、そこに違和感はない。ただーー

 

 

(あれ? うちの天井こんなんだったっけ?)

 

 

知らない天井ではない。ただ、違和感を覚える。

寝ぼけ眼を擦り、体を起こす。そこで部屋の様子が目に入った。

勉強机、マンガ、サッカーボール、ランドセルーー

 

 

「はぁ?……っ!」

 

 

いつもあかりと寝ている寝室とのあまりの違いに、思わず声を洩らした。そして自分のものとは思えない子ども特有の高い声を聞き、絶句する。

 

 

(いや、待ってくれよ。ここって……子ども部屋、だよな。俺の実家の。……はぁっ? 待て、待ってくれ、意味がわかんねぇ)

 

 

ベッドから抜け出し、立ち上がる。そしていつもとは異なる自分の視線の低さに、再び言葉を失くす。

 

 

(……いや、流石に夢だろ? 夢でしかないだろ、こんなの。そんな、ありえないって)

 

 

部屋のドアノブに手をかけ、部屋の外に出る。

少しひんやりとしたノブの感触、まるで新築のような実家の様子に、ヒカルは自分の動悸が速くなるのを感じた。

 

 

(ありえねぇ! こんなん、ありえっ!)

 

 

思わず駆け始めたヒカルだったが、2、3歩したところでうまく走れずにその場で転んだ。まるで、自分ではない体で走っているような感覚。そしてーー

 

 

(い、痛ぇ。……。……夢なのに痛い? んなバカなことあるわけっ!)

 

 

頭を振り、ヒカルはありえない考えを吹き飛ばす。

今度は転ばないように、階段を一段一段とゆっくり降り始めた。そして一番下まで降りたところで、ある人物と邂逅する。

 

 

「あら、おはようヒカル。自分でこんな早く起きてくるなんて珍しいわね?」

「……」

 

 

そこにいたのは、ヒカルの母である美津子だった。

ヒカルは目を見開き、自分の母の姿を見つめる。

 

 

「それより、さっき二階から結構大きな音がしたけれど、何かあったの?」

「……」

 

 

美津子の問いに無言で答えるヒカル。

最近白髪が増えてきて嫌になっちゃうわ、と美津子から愚痴を聞いていたヒカルだったが、目の前のその人にそんな様子は見受けられない。というよりもーー

 

 

「……若ぇ。時を駆けちゃった母、ってか?」

「えっ?」

「いや、何でもない。……顔洗ってくるわ」

 

 

怪訝そうな顔の美津子を残し、その場を後にするヒカル。

洗面所へと入り、すぐに鏡を確認した。そこに映りこんでいるのは、間違いなく自分の姿のはずである。

 

 

「……は。……はは。マジ、かよ」

 

 

おじさんになってからは染めてしまった前髪は、なぜか立派な金に輝いている。目はくりっとしていて大きく、身長の低さも相まってお世辞にもその姿は青年と言えないだろう。

ここまでくれば、ヒカルもこの不可解な現実を受け入れざるをえなかった。

 

 

「……。まさかオレ、過去に来ちまった、のか?」

 

 

その言葉を肯定してくれる者は、誰もいなかった。

 

 

 

 

 

 




あかりの家族の名前が誰一人としてわからない……。
父、母、姉、犬の家族構成ではあるらしいんですが。

どなたかご存知ですか?


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二話

 

洗面所からフラフラと出てきたヒカルを、再び美津子が呼び止めた。ヒカルの様子を見て、慌てて駆け寄ってくる。

 

 

「ちょっとヒカル、どうしたの? ……顔色悪いわよ? 体調悪いの?」

「……」

 

 

いつもとは違う様子の息子に、美津子は戸惑った。元気が取り柄のようなヒカルのこんな姿を見たのは、初めてだったのだ。

そんな美津子に、ヒカルは声を震わせながら小さく呟く。

 

 

「悪ぃ、母さん。今日学校休んでいい?」

「休むって……熱でもあるの? それともお腹が痛いとか?」

「……」

 

 

無言で頭を振るヒカル。美津子は困ったようにヒカルを見た。

調子に乗りやすく、人様に迷惑をかけることも多々ある息子。だが、嘘だけはつかない息子だ。

熱でも腹痛でもないと言っているが、何かもっと深刻なことがあるのだろう。美津子はそう判断し、ヒカルを不安にさせないように微笑んだ。

 

 

「わかったわ。学校には連絡しておくから、ヒカルは上で休んでなさい」

「……ありがと、母さん」

 

 

一言お礼を口にし、部屋に戻っていくヒカル。

そんな姿を見送り、今日はやけに素直ねぇ、と感じながら受話器を手にする美津子。

学校への欠席の電話を済ませた美津子は、もう一度受話器を手に取った。いつも一緒に小学校に通っている、ヒカルの幼馴染の家に電話をするために。

 

 

「もしもし、藤崎さんのお宅ですか? そうです、進藤です。朝早くにごめんなさいね。えぇ。えぇ。実はうちのヒカルがですね、体調を崩しまして。今日は一緒に登校できなさそうで。……はい。……えぇ。……えっ!? あかりちゃんも!? 体調は? ……そうですか、熱とかじゃないんですね、良かった。……元気がなさそう、ですか。えぇ、うちのヒカルも似たような感じでーー」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これからどうすんだ?」

 

 

ベッドに横になり、一人呟くヒカル。

朝起きたら過去の自分になってました、なんて言われても困ってしまうだけである。理由も理屈も、何をすればいいかもわからない。第一その前にーー

 

 

「前と同じように生きないとマズいのか?」

 

 

逆に前と違うように生きたらマズいのか? とも自問する。答えは出るはずもなかったが。

部屋に戻ったヒカルは、まず現在がいつなのか確認した。

1998年12月ーー

 

 

藤原佐為と出会った季節である。

 

 

それに気がついたとき、沈んだ心に光が差した気がした。同時に天命を受けたようにも感じたのだ。もしかしたらオレは佐為と再び会うために過去に来たのではないか、と。

だがーー

 

 

「……。あかり……」

 

 

自分が消えてしまったであろう現代に、何も言えずに残してきてしまった最愛の妻を想うと喜ぶことはできなかった。

何時しか佐為を超え、ヒカルの心の大部分を占めるようになったあかり。楽しいことも、嬉しいことも、悲しいことも、苦しいことも。そのすべて二人で乗りこえてきたのだ。その喪失感は計り知れない。

 

 

(……。もちろん、この世界にもオレと同い年のあかりはいるはずだけどーー)

 

 

それはヒカルの知ってるあかりではない。

共に愛を育んできた、最愛の妻でもない。

 

その事実が、ヒカルの気持ちを更に沈ませるのだった。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三話

 

「ヒカル、入るわよ?」

 

 

部屋にノックの音が響き、次いで美津子の声が部屋の外から聞こえた。ヒカルの返事を待たず、ドアが開かれる。

 

 

「学校には連絡しておいたからね。それと、リンゴ剥いてきたから食べなさい。まぁ、食欲はないかもしれないけどね」

「……。ありがと」

 

 

近くの机の上に、リンゴの載った皿とお茶の入ったコップを置く美津子。ヒカルはベッドの上で微動だにせず、お礼を口にした。

そんなヒカルの様子を特に気にすることもなく、世間話をするように美津子は言葉を続ける。

 

「それと、あかりちゃんーー」

「っ!?」

 

 

先ほどまで考えていた少女の名前を聞き、ビクッとなるヒカル。

幸いにも、その様子を美津子に見られることはなかった。

 

 

「ーーのお母さんにも、今日はヒカルが一緒に学校に行けないって伝えておいたわよ」

「……。そっか、ありがと」

 

 

美津子の言葉に、そう返すヒカル。

そういえばこの時期はあかりと登校してたんだっけ、とヒカルは思い出した。明日から学校に行くなら、この時代のあかりと一緒にということになるだろう。

 

 

(かたや、幼馴染みと結婚した記憶のある、中身35歳のおっさん小学生。かたや、そんな記憶が全くない純真な小学生。……うまく振る舞える自信ねぇな。だいたい、小学生の頃って何の話してたっけ?)

「でもね……」

 

 

複雑な心境で考え事をしていたヒカルだったがーー

 

 

「あかりちゃんも、今日学校休むそうなのよ」

「……えっ?」

 

 

美津子の言葉に、ヒカルの思考が止まる。

先ほど電話で聞いた内容を、美津子は続けて話した。

 

 

「なんでも体調が良くないんですって。昨日までは普通だったそうなんだけれど、急に。あかりちゃんのお母さんも心配してたわ。熱もないそうなのだけど。……ヒカルの症状と似てるのかもしれないわね」

 

 

美津子は何ともなしにしゃべっているが、その一方でヒカルは自分の動悸が再び速くなっていくのを感じた。

 

 

(あかりも休み? オレと同じ、このタイミングで? 熱とかじゃなく? ……。……いや。いやいや。そんな都合のいい展開、あるわけないだろ普通。そんな……)

「ねぇ、母さん。その……あかりのお母さん、他に何かあかりのこと言ってなかった?」

 

 

急にベッドから起き上がって尋ねてくるヒカルに、美津子は一瞬きょとんとした。それから少し考えるようにしーー

 

 

「えっと。学校を休むって言い出す前はかなり慌ててたみたいで、落ち着かない様子だったみたい。あかりちゃんらしくないというか。それと……」

 

 

言おうか言わまいか迷っている様子の美津子だったが、ヒカルの真剣な表情を見て先を続けた。

 

 

「その、かなり泣いたみたいなの。理由はわからないけど、あなたの名前を呼びながら。……ねぇ、ヒカル。何か心当たりないの?」

 

 

前の世界で、あかりが泣いている姿をヒカルはほとんど見たことがなかった。結婚する前もした後も、辛いこと悲しいことがあっても。気丈に振る舞い、笑顔で励ましてくれる女性だった。

そんな、自分の愛した女性が泣いたのだという。

 

 

「ーーねぇ、母さん」

 

 

自分と同じように、過去に来たあかりかもしれない。そんなことはなく、何の記憶もないこの世界のあかりかもしれない。そうかもしれないという希望も、違うかもしれないという恐怖もある。

けれどーー

 

 

「……ちょっと今から、出かけてきてもいい?」

 

 

今すぐあかりに会いに行く、という選択肢以外、ヒカルにはなかった。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四話

 

複雑そうな顔をしながらも、行ってらっしゃいと美津子に送り出されたヒカルは、あかりの家の前にいた。急いで走ってきたために呼吸が乱れていたが、深呼吸をしてそれを調える。

よし、と一言つぶやき、ヒカルはインターフォンを押した。ピンポーンという無機質な音が響き、その後少ししてからインターフォン越しに反応が返ってくる。

 

 

『ーーはい』

「あっ、えっと。進藤、ですけど」

『……えっ。ヒカルくん?』

「はい」

 

 

あかりの母から戸惑いの声が洩れる。

それはそうだろう。今朝の電話で、あかりの母はヒカルの体調が悪いことを美津子から聞いている。お互いの子どもたちの元気がなく、心配していたのだ。

そんなヒカルが今家の前にいるのだから、戸惑わないわけがない。

 

 

『……ちょっと待ってて』

 

 

あかりの母はインターフォンを切ると、玄関へと向かった。

そしてドアを開けると、娘の幼馴染の少年の姿を捉える。

 

 

「えっと、おはようヒカルくん」

「……おはようございます、おかーーおばさん」

 

 

あかりの母もここにいるヒカルを見て驚いていたが、ヒカルもまた、あかりの母を見て驚いていた。

 

 

(やっぱお義母さんも若くなってる……)

 

 

そうなんだろうな、とは予想していたヒカルだったが、実際を見ると驚きを隠せない。しばしお互い見つめ合う形になったが、あかりの母から話を振った。

 

 

「それで、えっと。どうしたのかしら? もしかして……あかりに用事?」

「いや、用事というか、その……。あかりも体調が悪いって母さんから聞いて、気になったというか、心配で」

「そうなのね……。ありがとう、ヒカルくん。ヒカルくんも体調悪いってお母さんから聞いたけど、大丈夫なの?」

「えっと、オレは大丈夫です。大丈夫になりました」

「……」

 

 

あまり要領を得ないような答え方をするヒカル。体調不良に関しても、ふわふわとした説明である。それでもこの子はあかりのことを本当に心配してくれているのだと、あかりの母は感じた。

昨日までは、特に何も変わった様子がなかった娘。小学校での話を楽しそうに話していたのだ。それがいきなり今朝ーー

 

 

(部屋から慌てて出てきたと思ったら、私を見て何かショックを受けたような顔をして。テレビとカレンダーを見て、急に泣き始めちゃったのよね)

 

 

今まであかりが急に泣き出したことなどなく、家族全員それはとても慌てた。宥めながらどうしたの? と理由を聞くも、あかりは何も答えない。ただ、ヒカルくんの名前を呼ぶだけだった。

あかりの父は、あのガキに何かされたのか!? とヒートアップしていたが、あかりの母は全く違うものを感じてた。

 

 

(あかり……。まるでヒカルくんに助けを求めてるみたいだった)

 

 

チラッとヒカルを見るあかりの母。

娘が急にどうしてしまったのか、何に悩んでいるのかわからない。だが、この少年の力が必要なのは直感で理解していた。だったらーー

 

 

「ねぇ、ヒカルくん。体調が大丈夫なら、良かったら上がっていって。……あかりも、喜ぶと思うから」

「っ! はい、お邪魔します!」

 

 

あかりの母に言われ、ヒカルはそう返事をする。

今まで感じたことのないほどの大きな緊張感を持ちながら、ヒカルはあかりの家へと足を踏み入れたのだった。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五話

 

話はヒカルがあかりの家を訪れる少し前に遡る。

あかりは自分の部屋に引きこもり、ベッドの上で体育座りをしていた。膝を自分の顔に当て、現状について考え込む。

 

 

(一体何が起きたんだろう? どうしてこうなっちゃったの?)

 

 

考えてみるが、答えがわかるわけもなかった。

今朝あかりが眠りから目を覚ますと、いつもの日常と異なっていることにすぐに気がついた。

 

 

(ヒカル……?)

 

 

左手にいつもの感触を感じなかった。ヒカルが自分より早く起きることは滅多にない。不思議に思いながらも体を起こしーー

 

 

「えっ……」

 

 

意識が一気に覚醒するのを感じた。

見覚えのある、懐かしい自分の部屋。しかしなぜこんな所にいるかは覚えがなかった。

慌てて起き上がり、そしていつもとは違う視線の高さに混乱する。あかりはテーブルの上に置いてあった手鏡を急いで取り、それを覗き見てーー

 

 

「う、嘘……。これ、ゆ、夢だよね……?」

 

 

鏡に映る自分の姿を見て、愕然とした。若い、というよりも幼い姿。少なくとも、36歳の自分ではないのは確かである。悲鳴をあげなかったのは奇跡と言えるだろう。

 

 

(何? 何これ、どういうこと!? わけがわからないよ!?)

 

 

フラフラした足取りであかりが一階に下りると、そこにはあかりの家族が全員いた。父と母と姉が、全員が昔の若い姿のままで。少し前に老衰で亡くなった愛犬の姿さえそこにある。

あまりにありえない光景に、あかりはショックを受けた。

 

 

(いやっ! いやっ!)

 

 

挨拶をする余裕もなく。

壁にかけられているカレンダーを見て。朝の情報が流れてくるテレビを見て。

そこでようやく、あかりは自分が過去に来てしまったのだということを理解することができた。いや、理解させられたというべきか。

 

 

(……。あぁ……っ)

 

 

あかりの瞳から、勝手に涙があふれてくる。

前の世界であかりが最後に泣いたのは、飼っていた愛犬が亡くなったときだった。その愛犬は今、あかりの足元をフラフラしている。

唐突に泣き出したあかりを見て、慌てたのは家族だ。特に父親が。

どうした、と聞いてくる家族に、あかりは泣きながら首をフルフルと振って応える。そうすることしかできなかった。

 

 

(あぁ……。ヒカルぅ……ヒカルぅっ!)

「ヒカルぅ……。ヒカルぅ……」

 

 

心の中で、愛する人の名前を叫ぶ。それが現実の声として、嗚咽と共に溢れた。

もう二度と、一緒に時間を過ごしてきた彼に会えないのだと思うと涙が止まらない。

 

 

(会いたい! 会いたいよぉ、ヒカル……っ!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(はぁ、これからどうしよう)

 

 

場面は戻ってあかりの部屋。

しばらく取り乱していたあかりだったが、多少は落ち着きを取り戻していた。もちろん、ショックは完全に抜けてはいないが。

相変わらず体育座りをしたまま、これからのことを考える。

 

 

(何もする気が起きないけど、流石に明日から学校は休めないよね。それに……。それに、この世界のヒカルとも向き合わなくちゃ、ね。……。うぅ……)

 

 

心の中で決心しつつも、また涙がじわりと溢れてくる。精神が若干、小学生に引っ張られているのかもしれない。

さらに落ち込んだ様子のあかりに、階下にいる彼女の母から声がかけられた。

 

 

「あかりー!」

(お母さん……?)

 

 

今日は休みなさい、と温かく声をかけてくれた母。そんな母が自分を呼んでいることを不思議に思いつつ、部屋の扉を少し開けた。

先ほどよりも鮮明に、母の声が聞こえる。

 

 

「ヒカルくん、来てくれたから上がってもらうわねー!」

「ふぇっ!?」

 

 

あかりから変な声が洩れた。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六話

 

あかりの母に家に通されたヒカルは、あかりの部屋の前で扉が開くのを待っていた。部屋の前まで来たときに、あかりからストップがかかったのだ。

 

 

『ちょ、ちょっと待ってて!』

 

 

聞こえてきたあかりの声に、ヒカルの動きが止まる。

昨日まで聞いていた前の世界のあかりよりも、若干高い声。だが、懐かしさを感じる声だった。

 

 

(この時代のあかりと向き合うって決めてきたけど、オレもやっぱりもう少し時間が欲しい。……ちょうどいいかもな)

 

 

わかった、とヒカルは呟き、心の準備を改めて始める。

一方、あかりはというとーー

 

 

(あわ、あわわっ。な、何でこの時代のヒカルが!? 何でここに!?)

 

 

とてもテンパっていた。

母からの言葉に変な声を出したあかりだったが、誰かが階段を上がってくる足音を聞いて急いでドアを閉めた。ついでに鍵を掛ける。

チラッと金髪が見えた気がする。だとしたら、その姿は十中八九ヒカルで間違いないだろう。

ちょっと待っててと外の人物に声をかけて、あかりは部屋を見渡した。

 

 

(部屋はきれいに片づいてる。偉いぞ、昨日の私!)

 

 

その次に今朝も使った手鏡を見て、自分の状態を確認する。髪がボサボサなのを見つけ、慌ててあかりは櫛を取り出した。

後は泣きすぎたせいで目が少し腫れていたが、こちらはどうしようもないので諦める。

 

 

(私が好きになったのは前の世界のヒカル……。だけど。でもきっと、昨日までこの世界にいた藤崎あかりも、この世界の進藤ヒカルが好きだったはず)

 

 

何となく、そんな気がしていた。

というよりも、過去の自分だったら間違いなくそうである。幼稚園からの初恋は、結婚して結ばれるまで続いたのだから。

 

 

「だったら、みっともない姿は見せられない。見せたくない、よね」

 

 

好きな人には絶対にーー。

髪を整え終えたあかりは、今度は自分の服を確認する。

 

 

(うっ。ピンクの花柄のパジャマ……。かわいいけど、精神年齢36歳の私にはキツい、かも)

 

 

だが着替えるわけにはいかない。

母には体調不良と伝えてあるのだ。……何となくそれは嘘とバレていそうではあるのだが、今さら自分から嘘でしたとアピールするわけにはいかない。

 

 

(これは布団で隠そう。ベッドから出なければ、バレないよね?)

 

 

結局、あかりは着ている服を見せない方向で動くことにした。

その後も準備を終えたあかりは、部屋の鍵をそっと開ける。そして急ぐようにベッドに入った。

布団で首もとまで隠したあかりは、一つ息を吐く。

 

 

(正直、ヒカルに会って何を話せばいいのかわからない。向き合うって決めたけど、どう動けばいいのかわからない。不安だらけ。でもーー)

「ヒカル? 入って大丈夫だよ?」

 

 

あかりの声が室内に響き、扉がガチャっと開かれる。

過去に戻った二人は、こうして邂逅することになった。

 

 

 

 

 




やっと二人が出会えました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七話

 

あかりから部屋に入る許可をもらったヒカルは扉を開け、あかりの姿を探す。そこで、ベッドの上で布団からちょこんと顔を出しているあかりを見つけた。

 

 

(か、可愛ぇぇっ!)

 

 

一瞬で、ヒカルのテンションが振り切れる。

前の世界の自分が小学生の頃は、もちろん精神も小学生なのでそこまで明確に意識していなかった。しかし精神年齢35歳の今のヒカルにとって、まっすぐにこちらを見てくるあかりはーー

 

 

(えっ、もしかしてあかりって天使なんじゃ……)

 

 

まるで親バカである。直前まで考えてたこと、悩んでいたことなど吹き飛び、ヒカルはまじまじとあかりを見つめる。

対してあかりはというとーー

 

 

(ヒカルちっちゃい! 可愛い!)

 

 

ヒカルと同じようなことを考えていた。似た者夫婦、ここにあり。落ち込んでいたことなど忘れたかのように、ヒカルを見つめる。

 

 

(そういえば小学生のときは私の方が身長高かったんだよね)

 

 

中学生のときの下校中に、自分の身長が縮んだと言われたのは良い思い出である。

その後しばらくお互いを見つめ合っていた二人だが、やがて図ったかのように同じタイミングでハッとし、お互い恥ずかしげに目線を逸らした。部屋に甘酸っぱい雰囲気が流れる。

 

 

「あー、えっと、座っていい?」

「う、うん。どうぞ」

 

 

近くのクッションに座るヒカル。

お互いにチラチラと見て、会話のタイミングを掴もうとする。

 

 

(落ち着け、オレ。もしかしたらあかりもオレと同じ状況かもしれないけど、あくまで可能性であって確証はない。焦らずに、本題に行こう)

(そういえば……。ヒカルってば今日学校はどうしたんだろう? 来てくれたのが嬉しくて考えてなかったけど)

 

 

ヒカルは美津子を通してあかりの様子を聞き、もしやの可能性を考えていた。あかりの方はもちろんそんな考えになるわけもなく、純粋にヒカルがここにいる理由を考える。

内容の話しやすさもあり、先に口を開いたのはあかりだった。

 

 

「えっと……。ヒカル、今日学校は?」

「あー。学校は、その……休んだ。あかりが体調崩したって聞いて、心配になって」

「えっ……」

「そんで居ても立ってもいられなくなってさ、来ちった」

「っ!」

 

 

ヒカルの言葉を聞き、あかりは慌てて口元まで布団を覆った。布団で隠したが、心配してくれたことへの嬉しさで自分の口がにんまりとするのを抑えられない。

ちなみに、ヒカルは学校を休んでからあかりの体調のことを知ったので、順番は逆である。だが心配であかりの家まで来たのは事実なので、その部分に関しては言わぬが華だろう。

 

 

「そ、そうなんだ。ありがとね、ヒカル」

「おぅ。それで、あかり。体調は大丈夫なのか?」

「うん、大丈夫。ヒカルの顔見たからかな。元気になった、かも」

(うっ……)

 

 

あかりの真っ直ぐな言葉とベッドの上からの上目遣いに、今度はヒカルが赤面した。またしても、思わず目を逸らす。

 

 

(何照れてんだよ、オレっ! いや、めちゃくちゃあかりが可愛いんだけどさ! それは置いといて、今はちゃんと話をしないとだろ!)

 

 

コホン、と一つ咳払いをして、ヒカルは再びあかりの方へ視線を向けた。あかりはきょとんとした顔でヒカルを見つめる。

 

 

(単刀直入に、あかりも過去に来た? なんて聞けない。違ったら頭おかしいやつ認定されちまうし、即座に否定されたらめっちゃ凹むだろうし、オレ。だからーー)

「なぁ、あかり?」

 

 

ヒカルはまるで世間話をするかのように。

 

 

「あかりってさ。囲碁って、知ってる?」

 

 

そう、話を切り出した。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八話

 

ヒカルの質問に、あかりの瞳が揺れる。

もちろん知らないわけがない。あかりが愛した人の、かけがえのないものだ。自分自身も囲碁部に在籍していたし、ヒカルと打つことも多かったため腕前もそれなりに上がったと自負している。

 

 

(ヒカルが囲碁を始めたのは、ヒカルのおじいちゃんの蔵で佐為さんと会ってからだよね? 確か小六の12月。私も一緒に行ったから覚えてる。……もしかして、もうこの時代のヒカルは佐為さんと出会ってる、のかな?)

「……知ってるよ。陣地取りのゲームだよね?」

 

 

あかりの言葉に、ヒカルは一つうなずく。

 

 

「そう、それ。最近オレ、それにハマっててさ」

「そう、なんだ……」

「あぁ。めっちゃおもしろいんだぜ!」

「知ーー」

 

 

知ってるよ、と思わず口に出しそうになり、あかりは慌てて口を閉ざす。

少なくとも、小六のときの自分は囲碁をやっていなかった。話を合わせて過去の流れがおかしくなるのは避けたい、とあかりは考えたのだった。

 

 

「それでさ」

 

 

だがーー

 

 

「もしかしてあかりって……囲碁、打てたりしない?」

「えっーー」

 

 

ヒカルの言葉に、思わずあかりは言葉を詰まらせる。

ヒカルの方をまじまじと見つめ、そしてヒカルの瞳があまりに真剣味を帯びていることに気づいた。

 

 

「いや、違ったらあれなんだけど」

「……」

「何となくそんな気がしてさ。どう?」

「……」

 

 

ヒカルの問いに、あかりはすぐに答えることができない。

 

 

(打てる、って正直に答えていいのかな? それともやっぱり誤魔化して、前と同じようにした方がいいの?)

(……。当時小六のあかりは、石の逃げ方だって知らなかったはずだ。なのに打てないって即答できないなら……やっぱり、そっちの可能性が高いってことなのか? ……。ホントに? そんな奇跡みたいなことがあるのか?)

 

 

考え込むあかりに、ヒカルはじっと答えを待つ。ただ、ヒカルの内心は期待で溢れ、徐々に鼓動が速くなっていた。

そんなヒカルの様子に気づくこともなく、あかりはさらに思考を巡らせる。

 

 

(でも、ヒカルの聞き方。……まるで、私が囲碁を打てることを確信しているようだった。昨日までの私はもちろん打てないし、囲碁ができるイメージなんてないはずなのに。たまたま今日から、私の中身が替わったから打てるようになった、だけ、で……)

 

 

そこまで考えたとき、あかりにある一つの可能性が浮かんだ。それは、自分にとってあまりに都合の良い可能性。この世界に来てから初めて感じる、プラスの可能性。

そう考えると、ヒカルの向けてくる真剣な眼差しにもそういう意味があるのではないか。

 

 

(そ、そんなことってあるの? ……でも。でも、私が囲碁を打てることを知ってる人なんて、前の世界の人じゃなきゃわからないはず)

「ね、ねぇ、ヒカル?」

 

 

先ほどのヒカルの質問への返答など忘れて。

あかりはヒカルに震える声で尋ねた。

 

 

「ヒカルは、いつから、囲碁、やってるの?」

 

 

途切れ途切れの言葉。あかりはドキドキする胸を押さえ、答えを待つ。

それを聞いたヒカルは考えるような素振りをしーー

 

 

「千年」

 

 

右手でサムズアップをした。

 

 

「っ!?」

「嘘。23年くらーー」

「あなたっ!」

 

 

ベッドから抜け出し、あかりはヒカルへと飛び付くように抱きついた。座ったままで、なおかつ現状ヒカルの方が身長が低いが、そこは男を見せて飛び込んできたあかりを支える。

二度と会えないと思っていた人との再会。涙を流し、お互いに力強く抱きしめ合った。もう離さないぞ、とばかりに強く、強く。

しばらくその状態が続き、ヒカルはもう一度あかりに質問した。

 

 

「なぁ、あかり?」

「……何?」

「あかりって、囲碁打てる?」

「……打てるよ。だって、あなたが教えてくれたんじゃない」

 

 

あかりは涙を浮かべながら、ヒカルに笑ってそう答えた。

 

 

 

 

 




ようやくスタートラインまできました。
プロットもなして書き始めてるんでおかしなところがあるかもしれませんが、そのときはぜひ教えて下さい。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九話

 

お互いに少し落ち着いたところで、二人は今後どのようにするかを相談し始めた。

ちなみに二人は隣同士で座っており、あかりはヒカルの肩に首を預けている。もちろん手はつないでおり、完全にバカップルの光景であった。

 

 

「それでヒカル? やっぱりヒカルはこの世界でも囲碁のプロになるの?」

「まぁ、なりたいはなりたいかな」

 

 

あかりはヒカルの呼び方を昔に戻した。流石に小六であなた呼びはなしということで。

ヒカルはあかりの問いにそう答える。だが、一つ気になることがあった。それは一人で家にいたときも考えていたこと。

 

 

「なぁ、あかり? やっぱり前と同じように生きていかないとマズいかな?」

「うーん……」

 

 

ヒカルの言葉に、あかりは悩ましげに声を出した。

正直に言えば、すべて同じように生きるのは無理だろう。いつ何をしたなんて、一日一日覚えているわけもない。しかも見た目は小学生でも、二人とも精神年齢は二回りも上の大人だ。厳しいものがある。

 

 

(それにーー)

 

 

前と同じように生きた場合、ヒカルは中一で院生になり、その後プロの道を歩くことになる。つまり中学生になってからはヒカルと離ればなれになってしまうのだ。それがあかりにとって、一番嫌なことだった。

あかりはヒカルの肩から頭を上げると、ヒカルの方を真剣な目で見つめる。ヒカルもまたあかりを見つめ、その答えを待った。

 

 

(すごいワガママだけど、私はヒカルのそばにいたい。だからーー)

「たぶんだけど……。前と同じようにした方が、いいとは思う」

「あぁ」

「でも私、ヒカルといたい」

「!」

 

 

あかりは想いを込めて、言葉を続ける。

 

 

「ヒカルが院生になるなら、私も院生になりたい。プロになるなら、私も同じ世界に行きたい」

「……」

 

 

前の世界では考えることもなかった選択肢。

でも今なら。長い間ヒカルと打ってきた今のあかりなら、それだけの実力があった。

 

 

「重い女って思うかもしれないけどーー」

 

 

ヒカルの側にいさせてください。

そう言ったあかりを、再びヒカルは抱きしめた。

 

 

「良いに決まってるだろ? あかりがオレと一緒に院生になってプロを目指してくれるなんて、すげー嬉しい」

「ヒカル……」

「前と違う流れでもいいじゃん。オレは、あかりと一緒に過ごせる時間の方が大事だよ」

「……」

 

 

ヒカルの言葉に頬を赤く染めるあかり。何度も言うが、バカップルである。

その後二人は、これからどう過ごしていくかを大まかに決めた。前の世界との変更点は『あかりも院生になること』と『小六の1月に二人とも院生試験を受けること』の二つ。ヒカルとあかり二人が一緒にいたいという願望と、ヒカルが塔矢アキラと同期のプロになりたいという願望から生まれたものである。

 

 

「やりたいことも、やらなくちゃいけないこともどっちも多いんだよな」

「そうだね。それに、会っておきたい人もいっぱいいるんだよね」

「……あぁ、そうだな」

 

 

指を折りながら名前を挙げていくあかりを横目に、ヒカルは目を閉じた。

 

 

(塔矢、筒井さん、三谷、和谷、伊角さん……。会いたい人はたくさんいる。でもオレが、今一番会いたいのはーー)

「……あかり。次の日曜日、時間ある?」

 

 

ヒカルの言葉にあかりは動きを止め、ヒカルの方を向いた。

そしてすぐに理解し、ヒカルを安心させるように微笑む。

 

 

「大丈夫だと思うよ。一緒に行こうね?」

「うん、頼む。……まぁ、いるか、わかんないけどな」

 

 

そう言って、ヒカルは寂しそうに笑みを浮かべた。

言葉にしてはいないが、日曜日に二人で行く場所。そこはもちろん、ヒカルの祖父の家にある蔵。

 

ヒカルが藤原佐為と初めて出会った場所である。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十話

 

そして日曜日。

ヒカルとあかりの姿が、ヒカルの祖父である進藤平八の家の前にあった。ヒカルは一つ深呼吸をして、あかりの手を引き敷地内に入っていく。

 

 

「来たぜ、じいちゃん」

「お邪魔します」

 

 

縁側で碁盤の前に座り、詰碁を解いている平八の姿を見つけた二人は声をかけた。平八はその声を聞くと目線を碁盤の上から二人に向け、そしてにっこりと笑う。

 

 

「よく来たな、ヒカル。それにあかりちゃんも。久しぶりだね」

「お久しぶりです」

「じいちゃん。電話で母さんから聞いてはいると思うんだけどーー」

「わかっておる。蔵の中に入りたいんだろ?」

 

 

平八の言葉に、ヒカルは大きくうなずいた。

そんなヒカルに、平八は不思議そうな顔をする。

 

 

「別に構わんが、おもしろいものも高価なものも特にないぞ?」

「うん、わかってる」

「わかってる、って。じゃあ何のために入りたいんだ?」

「……」

「まぁ、いいがな。蔵の中は暗いし、高くはないが皿などの割れ物も多い。気をつけるんだぞ?」

「うん、ありがとう」

 

 

ヒカルがお礼を告げると、平八は腰をあげた。

そんな平八に、ヒカルはもう一つのお願いをする。

 

 

「それとじいちゃん。もう一つお願いがあって……」

「何だ? 小遣いならやれんぞ?」

「ちげーよ。この前の社会の小テストだって良かったし、小遣い増えたぐらいなんだぜ。いや、そうじゃなくて……。実はオレとあかり、囲碁を始めたんだ」

 

 

平八が目を見開く。あかりはともかく、ヒカルは勉強や頭を使うことなどが嫌いなはずだ。そんなヒカルが囲碁など、信じられなかった。

 

 

「ホントか、ヒカル? 正夫はやらなかったからな、もしそうならとても嬉しいが……」

「ホントだよホント。じいちゃんが解いていた詰碁なら、たぶん二人とも解けるぜ」

「……。バカを言うな、ヒカル。これが五分で解けたら、アマ三段の棋力はある。始めたばかりの二人に解けるわけがーー」

「ねぇ、ヒカル? これの答えって、ここで合ってる?」

 

 

そのとき、平八の耳にあかりの声が届いた。

そちらを見ると、あかりが碁盤の上の一ヶ所を指で指している。そしてあかりの指している場所を見て、平八は再び目を見開いた。

 

 

(バ、バカな。ワシがさっきまでずっと考えていて、ようやく導き出した答えと一緒だと? ……偶然か? だが、あかりちゃんはかなり確信を持ってヒカルに聞いたような……)

 

 

平八が呆然としている間に、ヒカルも碁盤の前へと動く。そして盤面をチラッと見てーー

 

 

「あぁ、そこで良いと思うぜ」

「!?」

「ホント? 良かったー」

「まぁ、一応並べるか」

 

 

驚く平八を余所に、ヒカルはあかりに一つ一つ尋ねていく。

 

 

「ここでこっちからアテたらどうする?」

「こう、かな?」

「うん。んじゃ、こっちにノビたら?」

「こう、だよね」

「合ってる合ってる。じゃあーー」

(これは、夢か……?)

 

 

目の前の光景に平八は衝撃を受け、感動を覚えた。

平八は近所では有名な囲碁好きで、町内大会では敵なしのかなり強い碁打ちである。それこそ周囲には『クツワ町の井上さんに勝てたのはワシだけ』と言って、自慢したものだ。

だが囲碁を始めたばかりだというこの二人は、そんな自分と同じーーいや、あかりに教えてるヒカルに関しては確実に自分よりも上の実力を持っている。この事実に、平八が興奮しないわけがなかった。

 

 

「……ヒカル。もう一つの願いってのは何だ? 囲碁関係の何かなんだろう?」

 

 

先の問題についての解説が終わったところて、平八はヒカルにそう確認した。ヒカルはうなずきーー

 

 

「オレとあかり、二人で相談したんだけどさ。オレ達院生になって、囲碁のプロになりたいんだ」

「!」

「もちろん、大変な道ってのはわかってる。それに囲碁を知らない父さんと母さんは反対すると思う。でも、二人で目指したいんだ」

「……」

「だからじいちゃんに、オレとあかりがプロを目指すだけの力があるってことがわかるじいちゃんに。一緒に説得して欲しいんだ。……お願いします」

 

 

ヒカルが頭を下げるのと同時に、あかりも頭を下げた。

それを見て、平八はやれやれと首を振った。その口元に、笑みを浮かべながら。

 

 

(この子達には才能がある。とんでもない囲碁の才能が。……これを摘んでしまうのは、あまりに惜しい。本来なら孫とその幼馴染の将来、あまり口出しなんていけないんだろうがーー)

「まぁ、そのときは口添えくらいしてやるさ。二人の夢、ワシは応援するよ」

 

 

自分の言葉に喜ぶ二人を見つめながら、平八は思う。きっとこの二人はプロになってくれるだろう、と。

それが今から楽しみで、しょうがなかった。

 

 

 

 

 




おかしい。
ヒカルのじいちゃんが出てきて終わってしまった。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十一話

 

平八に蔵の鍵を開けてもらったヒカルとあかりは、そのまま例の碁盤を見つけるために二階を目指した。蔵の中は薄暗く、埃っぽい。その上、独特な匂いがする。

前の世界のあかりはこの蔵の雰囲気を不気味に思い、ビクビクとしていた。が、そこは人生二週目のあかり。そんな様子は微塵も感じられない。

 

 

「確かこの箱のなかだったと思う……」

「手伝うよ、ヒカル」

 

 

記憶を呼び覚ましながら、ヒカルは二階の奥で大きな箱を見つけた。碁盤はこの中に保管されていたはずである。

 

 

(……碁盤を見るのが、正直怖い)

 

 

箱を開けようとして、ヒカルは心の中でそう溢した。

 

 

(碁盤についてた血を、オレはまた見れるのか? ホントにもう一度、佐為と会えるのか? ……佐為が消えちまった理由も、結局よくわからなかった。神の一手なんか、極めてないはずなのに)

 

 

前の世界の佐為自身は、自分が蘇った理由を何となしに理解していた。それは塔矢行洋との名局を、進藤ヒカルに見せるため、だと。

だが、ヒカルにそれを伝える間もなく佐為はいなくなってしまった。残されたヒカルがそんな理由を知る由もない。思考はネガティブな方向へと進んでしまう。

 

 

(もしかして……。もしかして佐為は、ずっとオレの近くにいたんじゃないか? オレが他の皆と同じように、佐為のことを見えなくなってしまっただけで……。だとしたらオレはーー)

「ヒカル」

 

 

途中で手が止まってしまったヒカルを見て、あかりは自分の手をヒカルのそれに重ねた。ハッとして、ヒカルはあかりを見る。あかりは微笑んでいた。

 

 

「大丈夫だよ、ヒカル」

「あかり……」

「大丈夫だから。私も一緒にいるから。だから、勇気を出して」

 

 

あかりの言葉がヒカルの胸にスッと入ってくる。

そしてヒカルはぎこちないながらも笑みを浮かべてーー

 

 

「じゃあ、開けるぞ?」

「うん」

 

 

二人は一緒に箱を開ける。

中には皿や花器、巻物などか入っていた。そしてそれらと一緒に、無造作に入っていた年代物の碁盤。

 

 

(血の跡は……っ! 見えるっ!)

 

 

碁盤の角に何かついているのを確認できたヒカルは、急いで碁盤を引っ張り出した。そして少し広い空間に持ってくると、再度確認する。

 

 

(見える。見ることが、できた。この黒いシミを……)

 

 

安心感とともに、涙が溢れてくる。

別れを告げることもできなかった。後悔ばかりして、一時は囲碁を止めることも考えた。伊角さんと対局をし、自分を納得させて再び歩き始めたが、それでも心の中で何かしこりのようなものが残っていた。二度とそんな思いはしたくない。する気もない。

 

 

(今度は絶対に、同じ間違いはしない)

 

 

そう決意したヒカルは、そこでようやく後ろから碁盤を覗きこんでいる幼馴染の存在に気づいた。

そのあかりは眉を下げ、困惑した様子でヒカルに声をかける。

 

 

「ねぇ、ヒカル? その……。私にも、見える」

「えっ……」

「碁盤のシミ……。ここら辺にあるのが、私にも見える」

「っ!?」

 

 

あかりの言葉に衝撃を受けるヒカル。あかりが指した場所は、間違いなくヒカルにもシミが見えている場所であった。

 

 

(どういうことだ? なんであかりにもシミが見えてるんだ?)

(これがヒカルの言ってたシミ? でも何で? 何で私にも見えているの?)

 

 

動揺する二人。

そしてついに、そんな二人に声がかけられた。

 

 

(ーー見えるのですか?)

「「っ!?」」

 

 

急に聞こえてきた謎の声。

だが、片方にとっては待ち望んでいた声でもあった。

 

 

(ーー私の声が聞こえるのですか?)

「ヒカル……。これって……」

「あぁ、そうだよ」

(ーー私の声が聞こえるのですね)

 

 

不安げなあかりに、ヒカルはうなずく。鼓動が速くなっていくのを、自分でも感じていた。

 

 

(ーーいた。いた。あまねく神よ、感謝します)

(それは、こっちのセリフだよ)

 

 

ヒカルがそう思うのと同時、突如として碁盤から美しい男性が現れた。烏帽子をかぶり、和服姿。その手には扇子が握られている。

その光景にあかりは目を見開き、ヒカルは涙を流した。

 

 

(ーー私は今一度……。今一度……、現世に戻るーー)

(おかえり、佐為ーー)

 

 

その直後、ヒカルとあかりは倒れる。

逆行した二人と平安の碁打ち藤原佐為。三人はこのようにして出会ったのだった。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十二話

 

前回は倒れた直後のヒカルをあかりが発見し、救急車騒ぎとなった佐為との遭遇。だが今回はあかりも倒れた上に逆行しているため、そういった事態にはならなかった。

倒れてから五分。

二人はほぼ同時に呻き声をあげながら、重たくなった頭を上げる。

 

 

「ってぇ。……大丈夫か、あかり」

「うぅ。……大丈夫、だと思う」

(ーーすみません。あなた方二人の意識の中に入らせていただきました)

 

 

突如として頭の中に直接話しかけてくる佐為の声に、慣れないあかりは体をビクッとさせる。前世で経験済みのヒカルは、痛みに頭を押さえながらも佐為に問いかけた。

 

 

「佐為……だよな?」

(ーー! 確かに私は藤原佐為ですが。……あなたはなぜ、私の名を知っているのですか?)

 

 

ヒカルの言葉に、警戒心を顕にする佐為。

そんな佐為の様子に、ヒカルはほんの少しだけ落胆した。淡い期待ではあったのだが、もしかしたら佐為も自分達と同様に過去に戻ってきたのではないかと考えていたのだ。そうしたら、いろいろ尋ねることも、謝ることもできたのに、と。

 

 

(でも、そんなこと言ってちゃバチが当たるな)

 

 

再び佐為と会えただけでも奇跡なのだ。これ以上望むのは贅沢である。

 

 

「なんでオレが佐為の名前を知っているのか、だよな?」

(ーーはい)

「それはな。……オレと佐為は、すでに過去に出会っているからなんだぜ!」

(ーーはい?)

 

 

ニカリと笑うヒカルに、きょとんとした顔の佐為。そんな佐為に、ヒカルは今日までのことを簡単に話した。

ヒカルとあかりが過去の世界に逆行してきたこと。もとの世界では三十歳を過ぎており、その世界で佐為と出会っていたこと。そのときも佐為が自分の意識の中に入り、囲碁を教えてもらったこと、など。所々あかりもフォローを入れて、説明する。

 

 

(ーーそうですか)

「……。信じられないかもしれないけどな」

 

 

ヒカルの言葉を否定するように、佐為は首を横に振った。

 

 

(ーーいえ、信じますよ。嘘を言うような方達には見えませんからね)

「佐為……」

(ーーそれに。千年も前の者が碁盤に取り憑き、現代に蘇るのです。過去に戻るなんてことも、ありえなくないでしょう?)

 

 

そう言って、佐為はお茶目に笑った。

その懐かしい笑みに、もう何度目かわからない涙がヒカルの目から溢れる。

 

 

(ーーえぇ!? ど、どうしたのですか、ヒカル? ヒカル!?)

(……。あぁ、いつもこんな感じだったなぁ……)

 

 

自分の名前を呼ぶ彼の声に懐かしさを感じ、涙が止まらない。拭っても拭っても、どんどん溢れてくる。

 

 

(ーーあかり? あかり!? ヒカルはどうしてしまったのですか!? どこか体調が悪いのでは!?)

「ふふっ。大丈夫だよ、佐為さん。……良かったね、ヒカル」

 

 

あたふたとする佐為に、あかりは優しく微笑みかけた。そして誰に聞こえないような小さな声で、そう呟く。

端から見たら、泣いている少年とそれを見て微笑んでいる少女という、不思議というよりは不可解な光景。

だが……。

だが当人達にとっては間違いなく、それはとても幸せな光景であった。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十三話

 

蔵から出てきた三人は、再び平八に会うために縁側へと向かう。

平八は先ほどと同じように詰碁を解いていたようで、二人に気がつくと再びにっこりと笑った。

 

 

「ヒカル、用事は済んだのか?」

「うん。ありがと、じいちゃん」

(ーーヒカル! あかり! この者、囲碁をしておりますよ!)

 

 

ヒカルとあかりの頭の中で、佐為が喧しく騒ぐ。相変わらずの碁バカっぷりに、ヒカルは苦笑した。

そんなヒカルの様子に平八は不思議に思いながらも、用件を口にする。

 

 

「ヒカル。それにあかりちゃん。二人ともこの後時間はあるのか?」

「? オレは用事も済んだし、特にこの後は何もないけど」

「私もです。今日はヒカルに着いてきただけなので」

「そうかそうか。ならこの後、ワシと碁でも打っていかないか?」

(ーー打ちたいです!)

 

 

平八の言葉に、佐為が食い気味に食いついた。全身を使って打ちたいアピールをする。

 

 

(ーーヒカル! あかり! 私打ちたいです! あぁ。現代に蘇り、こんなに早く碁を打てるなんて……)

 

 

感動に打ち震えてる佐為に、ヒカルは再度苦笑した。

 

 

「じゃあ、打っていこうかな。あかり、いいか?」

「うん、もちろん。私は見学するね」

「そうかそうか! だったら二人とも、上がりなさい!」

(佐為。お前に打たせてやるよ)

(ーーありがとう、ヒカル!)

 

 

抱きついてくる佐為に、ヒカルは現代の囲碁の説明をする。

 

 

(佐為。平安、江戸、そして現代に碁は受け継がれてきているが、ルールに一つ変更があるんだ)

(ーールール? ルールとは何ですか?)

(ルールってのは……。えっと……。まぁ、碁を打つ上での守りごと、というか規則みたいなもんかな)

(ーーなるほど。それに変更があるというのですね?)

(あぁ。現代の囲碁にはコミというものが存在している)

(ーーコミ、ですか。それはいったい?)

(簡単に言うと、先手のハンデみたいなものかな。囲碁は先手が有利なようにできているから、後手は最初から五目半の貯金があるんだ)

(ーーそんなものが。確かに私は黒石を持って負けたことはありませんでしたが)

(この時代は五目半だけど、先の未来では六目半になるんだぜ)

(ーーなるほど。それは確かに、いろいろ考える必要がありそうですね)

 

 

ヒカルは碁盤の前に座ると、白石を握った。平八は黒石を握る。

 

 

「ヒカル、正座じゃなくてもいいぞ?」

「いや、大丈夫。こっちの方が身が入るし。……六、八。オレが先手だね」

 

 

碁笥を互いに交換し、頭を下げる。

 

 

「「お願いします」」

(さて。佐為、初手は? ……。……? 佐為?)

 

 

ヒカルが後ろを振り向くと、目を瞑り、涙を流す佐為の姿が。

 

 

「……。じいちゃん、ちょっと待ってて。ちょっと深呼吸」

「? まぁ、構わんが」

(ここにいる佐為も、140年ぶりの碁だもんな。そりゃ、嬉しいに決まってるよな)

 

 

ヒカルがわざとらしく深呼吸をしていると、頭の中で声が響く。

 

 

(ーーありがとう、ヒカル。もう大丈夫です)

(わかった。じゃあ、初手は?)

(ーーえぇ、では。右上スミ小目)

(ははっ。だと思ったぜ!)

 

 

ヒカルは碁笥から黒石を一つつまみ、盤上へと打った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ありません」

「ありがとうございました」

 

 

結果は黒の中押し勝ちだった。あまりのヒカルの強さ。これには、自分よりも棋力が上だと予想はしていた平八も驚きを隠せない。

 

 

「ヒカル。お前、天才なんじゃ……」

「天才なんかじゃねぇよ。オレよりすごいやつなんて、いっぱいいるさ」

 

 

思い出すのは前世のおかっぱライバル。あれこそ天才だろう、とヒカルは思っている。

 

 

「いやいや。始めたばかりでこれは、正直ありえないくらいだ。ヒカルは碁に愛されているのかもしれないな」

「……どうだろうね」

(オレより愛しているヤツがいるのは確かだろうけど)

 

 

満足げな表情の佐為をチラッと見るヒカル。そんなヒカルに平八はさらに質問を投げかけた。

 

 

「普段はどうやって碁を勉強しているんだ?」

「勉強……というか。いつもオレの部屋であかりと打ってるくらいだけど」

「それだけか? というかヒカル、お前碁盤なんか持っとったのか?」

「それだけだよ。持ってるのは碁盤というか、小遣いで買った小さい折りたたみのやつだけど。なぁ、あかり?」

「うん、そうだね。あとは詰碁をたまにやるくらい?」

 

 

二人の言葉に、今日何度目かわからない衝撃を受ける平八。

それだけのことでこの二人はここまで強くなったのか、と。

 

 

(まったく。将来がホントに楽しみになる二人だな。……小遣いはやれんが、餞別でも送るかの)

 

 

後日、足つきの二桁万円の碁盤が進藤家に送られ、進藤一家とあかりの度肝を抜くことになる。

だがそれは、祖父の期待の表れでもあった。

 

 

 

 

 




小遣いはやれなくても、お高い碁盤は買ってあげちゃうおじいちゃん。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十四話

おかっぱライバル、ようやく登場。


 

佐為と出会ってから一週間経ち、再び日曜日。

ヒカルはあかりを連れて、駅前のとある碁会所を訪れていた。

 

 

(ーーここにヒカルの言ってた碁の強い少年がいるのですか?)

「あぁ、そうだぜ。今はまだ迫力に欠けるかもしれないけど、将来すげぇ化けるヤツがな」

 

 

言わずもがな、塔矢アキラのことである。

この世界でもアキラには会っておきたいと思い、ヒカル達は今日ここまで足を運んだのであった。

 

 

(ーーでも、良いのですか? そのような者と、私が打ってしまっても)

「良いに決まってるじゃん。アイツは、佐為の碁に魅せられてあそこまで強くなったんだ。この世界でもそうなってくれないと困るしな」

「あはは……。一時の塔矢くん、すごかったもんね」

 

 

正直、その部分はヒカルも悩んだところではある。というよりも、アキラとは自分が打ちたいという思いがあった。

だが、指導碁という観点において佐為の右に出るものはいないという判断だ。

 

 

(確かに俺も指導碁を打てるは打てるけど、佐為の方が導き方が段違いで上手いんだよな。あかりとの対局を見てても、そう思うし……)

 

 

佐為が来てから、ほぼ毎日のように放課後は三人で順番に碁を打っている。途中で足つきの盤になってからは佐為のテンションがおかしなことになっていたが、碁に関してはまさに一流。あかりに対しての指導碁は、ヒカルも勉強になる部分が多々あった。

ちなみに、ヒカルと佐為の対局に関しては今のところヒカルが勝ち越している。現代の定石、どころか未来の定石さえ知っているヒカルの方に軍配があがっていた。ただしこれには今のところ、という注釈がつくが。

 

 

「まぁ、行こうぜ」

 

ヒカルは二人にそう言うと、『囲碁サロン』の扉を開けた。

 

 

「あら。こんにちは、どうぞ」

(っ! 市河さん、若えぇ!)

(ーーヒカル! あかり! こんなにたくさん、囲碁を打ってる人がいますよ! スゴいですね!)

(ふふっ。そうだね、佐為さん)

「……。……えっと? ここは初めてよね?」

 

 

市河はこちらを見てくる少年とニコニコ笑顔の少女に、そう問いかけた。ヒカルはハッとし、市河に答える。

 

 

「あっ、そうです。二人とも初めてで」

「そう。じゃあ、ここに名前を書いてね。棋力はどれくらいなの?」

「碁を始めたのは二人とも一年くらい前からで、棋力はちょっとわからないです。いつも二人で打っていて、他の人と打ったことがないので。今日は違う人とも打ってみたいと思ってここに来ました」

「そうなの。……あっ、ここは子供一人五百円ね」

 

 

ヒカルは自分とあかりの名前を書くと、市河に千円札を渡す。あかりが慌てて自分の分を払おうとしていたが、ヒカルはそれを手で押さえてニコリと笑った。

 

 

(あらら、初々しい。カップルかしら? 彼女さんの分まで払うなんて。偉いぞ、男の子!)

 

 

市河が二人を微笑ましく思っていると、あかりを納得させたヒカルが、今度はその場で辺りを見渡す。そしてわざとらしく声をあげて、奥に座っている人物を指さした。

 

 

「あ、なんだ。子供いるじゃん!」

「……。え……、ボク?」

 

 

ヒカルの声を聞き、おかっぱ頭の少年がこちらを見る。

急に敬語ではなく、年相応の言葉遣いになったヒカルに一瞬きょとんとした市河だったが、彼が指を指している少年を見てマズいと思った。流石に、一年前から囲碁を始めた彼らと二歳から囲碁を勉強している少年とでは、棋力があまりに違いすぎる。

 

 

「あの子と打てます?」

「あ、うーん。あの子は……」

 

 

困った様子の市河の方に、少年が歩いてくる。そしてヒカルとあかりの方を向いてーー

 

 

「対局相手を探してるの?」

「……あぁ、そうなんだ。できれば子供と打ちたいと思ってて」

「そうなんだ。いいよ、ボク打つよ」

 

 

塔矢アキラは二人に、そう笑いかけた。

 

 

 

 

 




ただし、登場のみである。
対局シーンまではいかなかった模様。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十五話

 

「奥へ行こうか。ボクは塔矢アキラ」

「オレは進藤ヒカル。六年生だ」

「私は藤崎あかり。六年生だよ、よろしくね」

「あっ、ボクも六年だよ」

 

 

アキラに奥へ案内されながら、自己紹介をする三人。

アキラが座ったのを見てーー

 

 

「塔矢。悪いけど、二局打ってもらっていいか?」

「もちろん、構わないよ」

「サンキュー。ならあかり、先に打っていいぜ」

「えっ?」

 

 

ヒカルの言葉に、あかりはきょとんとした顔をした。

あかりは今日も付き添いで、てっきり佐為が打つだけだと思っていたからだ。

 

 

「えっと……。いいの、ヒカル?」

「良いに決まってるじゃん。勉強になると思うぜ」

「……。じゃあ、打とうかな。よろしくね、塔矢くん」

「うん、よろしく」

 

 

あかりが、アキラの前に座る。

碁笥の蓋を開けながら、アキラは問いかけた。

 

 

「二人とも棋力はどれくらい?」

「ずっと二人で打ってたから、よくわからないな。でも同じ小六だし、置き石とかはいらないぜ」

「えっ。……うん、わかった」

「『塔矢アキラ』に置き石なし? とんでもないボウズ達だな……」

 

 

少し困った表情のアキラに、周囲の客から笑いがおきた。

 

 

(まぁ、普通そう思うよな)

 

 

塔矢アキラを知っている人達からすれば、当然の反応である。

だがこの二人、もちろん普通ではない。

 

 

(今のあかりの実力は、院生でも上位に入る力はある。ただ、残念だけど塔矢には勝つのは厳しいだろう)

 

 

この時期のアキラは、すでにプロになる力を持っていた。あかりもだいぶ強くなってはいるが、実力差はまだある。

 

 

(だけど、この対局はあかりにとって必ずプラスになるはずだ)

 

 

あの日。初めてこの世界であかりと会った日、あかりはヒカルにこう言っていた。

自分もプロを目指したいと。ヒカルと同じ道を歩きたいと。

だったら、それに応えるのが自分の役目である。というか応えたい。

 

 

(塔矢に佐為との対局が必要なように、たくさんの強いヤツとの対局が、経験値があかりには必要だ。無断で悪いが、塔矢の力を貸してもらうぜ!)

(ーーヒカル、あかりのためにそこまで考えて……。これも愛ゆえに、ですかね)

 

 

そんなヒカルの思惑を佐為以外知ることもなく、二人は対局に移ろうとしていた。先手はアキラが譲ったらしく、お互いに頭を下げる。

 

 

「「よろしくお願いします」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

打ち始めて数十手。

アキラは内心驚愕し、そして歓喜に打ち震えていた。

 

 

(スゴい! 同年代、しかも同い年でここまで強い子は初めてだ! とても楽しい!)

 

 

石の筋はしっかりとしており、こちらの打ち込みにも的確に切り返してくる。プロを除けば、最近打った人の中では一番強いと感じられた。

アキラには長年、ライバルといえるような人物がいなかった。他の子の妨げになってはいけないとアマの大会に出ることもできず、打つのは父である名人とその門下生達。当然そこに子供がいるわけもない。相手に不満などもちろんなかったが、寂しさを感じてたのは確かである。

だが、そんな自分の前に現れた少女。

 

 

(もしかしたら彼女が。藤崎さんが、ボクのライバルになるのかもしれないな)

 

 

アキラがそんなことを考えながら、盤面は終局を迎えた。

コミを入れて白の、アキラの9目半勝ちだが、あかりにとっては大健闘といえるだろう。

 

 

「ありがとうございました」

「ありがとうございました。……強いんだね、藤崎さん。良い碁だった」

「確かに。良い碁だったと思うぜ、あかり」

「あはは、負けちゃったけどね。でも、とっても勉強になったよ。ありがとね、塔矢くん」

 

 

ヒカルとアキラが褒めると、照れたように笑うあかり。そしてアキラにお礼を言い、席を立つ。

代わるように、今度はそこにヒカルが座った。

 

 

「塔矢、連戦だけど大丈夫か?」

「うん、大丈夫だよ。進藤くんも、黒どうぞ」

「……。じゃあ、遠慮なく」

 

 

先ほどまで使ってた碁石を碁笥に戻すと、アキラはヒカルに黒石を渡す。ヒカルはそれを受け取り、お互いに頭を下げた。

 

 

「「お願いします」」

(……。っ!)

 

 

アキラが頭を上げ、ヒカルを見る。そして息を呑んだ。

 

 

(さっきまでと表情が全然違う! それにこの、のしかかるような重たい空気……。まるで父や緒方さんと打つときのような……そんな感覚!?)

 

 

盤面を見つめるヒカルには、小学生らしさの欠片もない。

そして佐為の指示に従い、ヒカルが黒石を力強く打ちつけた。

 

 

(彼はいったい!?)

 

 

アキラにとって忘れることのできない一局は、こうして始まった。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十六話

 

ヒカルから重いプレッシャーを感じたアキラだが、盤面は比較的穏やかに進んでいた。もっと力碁で押してくるのではと考えていたアキラは、少し拍子抜けである。

 

 

(この子も、進藤くんも石の筋がしっかりしている。同じ人に教わっているのかな?)

 

 

考えつつも、アキラは石を打つ手を止めない。こちらが打つとノータイムで返してくる少年に、自分も早碁になっているのを感じた。

 

 

(藤崎さんはこちらの打ち込みに、的確に切り返してきてた。でも進藤くんは。ボクの打ち込みに全く動じない……どころか、軽やかにかわしていく? 局面をずっと彼がリードしている!?)

 

 

ここにきて、ようやくアキラは気づいた。

プレッシャーを感じるのに、打ちやすいと感じている対局。自分は上手く打てているはずなのに、縮まらない差。

 

 

(まさかこれは……指導碁!?)

 

 

その考えに辿り着いたアキラに、ヒカルが黒石を強く打ち込んだ。その一手を見て、アキラの手が止まる。

 

 

(これは……。これは最善の一手ではない。最強の一手でもない……。ボクがどう打ってくるか試している一手だ! ボクの力量を計っている!)

 

 

アキラの額から、汗が一つ流れ落ちる。

 

 

(遥かな高みから……)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ありません」

「ありがとうございました」

 

 

終局を迎え、結果はコミを入れてヒカルの2目半勝ちだった。目の前で静かに碁石を片付け始めるヒカルに、アキラは呆然とした表情を浮かべる。

聞きたいことはたくさんあった。どうしてこんなに強いのか、キミはいったい何者なのか、など挙げればキリがない。だが、口が思うように動いてくれなかった。

 

 

「なぁ、塔矢」

「っ!」

 

 

ヒカルの言葉にアキラが一瞬ビクッとしたが、ヒカルは気にせず

続ける。

 

 

「オレら、来年のプロ試験受けようと思ってるんだ」

「えっ……」

「オマエは受けないの?」

「っ!」

 

 

それはアキラにとって、予想外の言葉。そしてドキリとしてしまう言葉だった。

今まで何となく不満で、もっと力をつけてからと受けるのを控えていたプロ試験。そしてようやく、今朝父にほめられてプロを目指そうと決心がついたのだ。その不満と感じる心に蓋をして。

そんな特別な日に、アキラは二人と出会ったのである。

 

 

「……。……今度のプロ試験、ボクも受けるつもりだよ」

「そっか」

 

 

ようやくそれだけアキラが絞り出すと、ヒカルは薄く笑って席を立つ。

 

 

「んじゃ、再戦はそのときで。待ってるぜ」

「っ!」

「帰ろうぜ、あかり」

「うん。またね、塔矢くん」

 

 

ヒカルはそう言って、あかりを連れて出口の方へと向かった。アキラは言葉をかけられず、それを見送ることしかできない。

だがーー

 

 

(彼らが受けるなら、もっと強くならないと。特に進藤くんにはリベンジしないとね)

 

 

闘志を胸に宿らせるアキラ。

漠然と感じていた不満は、すでに消えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみにこれは余談だが。

今日の出来事をアキラは父である行洋に全てを話し、そのとき打った二つの碁を並べた。プロへの意気込みを熱く語る息子の話を聞きながら、行洋は考える。特に、アキラに指導碁をした少年のことを。

 

 

(ふむ。にわかには信じがたいが、アキラに指導碁か……。それほどの打ち手なら遅かれ早かれいずれは我々棋士の前に現れることになるだろう。だが……)

 

 

「……」

「お父さん?」

「……。いや、何でもない」

 

 

一度、会ってみたい。行洋はそう思う。

ヒカルの知らないところで、また運命の輪が回り始めようとしていた。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十七話

 

「はぁ。どうすっかな……」

「困ったね……」

 

 

日本棋院会館の中で、ヒカルとあかりはため息をついた。

事の発端は、ヒカルとあかりが院生試験の申し込みに来たところから始まる。意気揚々とやってきた二人だったがーー

 

 

「12月の院生試験? あぁ、今度の日曜にあるけど、あれはもう申し込み〆切っちゃったよ」

 

 

棋院の職員にそう言われ、目が点になってしまった。聞くと11月には〆切ってしまったようで、次の試験は4月になってしまうとのことである。

ちなみに院生試験を受けること自体は、ヒカルとあかりの家族両方とも平八が説得してくれた。『二人とも囲碁の才能があること』と『やる気もあるので塾のような場所に通わせたいこと』を力説してくれたのだ。なおかつヒカルとあかりの強い要望もあり、最終的には二人の母親が折れ、父親は母親の決定に従うしかなく、院生試験を受けることを勝ち取ったのである。

それなのに、いきなり頓挫してしまった。

 

 

「どうする、ヒカル?」

「……」

 

 

あかりの問いに黙りこむヒカル。

前の世界では職員にしつこくお願いしているときに緒方がやってきて、そのときに推薦してくれたのだと思い出した。

 

 

(でも今回は、まだ緒方さんに会ってすらいない。知り合いのプロなんていないし、口添えしてもらうのは絶望的、だよなぁ……)

(ーーヒカル。あかり)

 

 

ヒカルが諦めて4月に受けようかと考えていると、佐為から声がかけられる。

 

 

(何だよ、佐為?)

(ーーあの者が先ほどからこちらを見ているのですが、知り合いですか?)

(誰だよ、あの者ってーー)

 

 

ヒカルは佐為の言う方に目を向け、そして息を呑んだ。同じく、隣にいるあかりからも息を呑んだのがわかった。

そこにいたのは、和服を纏った一人の男性。神の一手に一番近い人物でもあり、塔矢アキラの父。

塔矢行洋が、こちらを見ていた。

 

 

(って、何で塔矢名人がこっち見てんだ!?)

 

 

ヒカルの困惑を余所に、行洋は先ほどヒカル達の対応をしていた職員に話しかける。

 

 

「彼らは? どうされたのですか?」

「これは、塔矢先生。いえ、あの子達は1月期の院生試験を受けたかったらしいのですが、どうやら先月が〆切りだったことを知らなかったようで」

「……なるほど」

 

 

それだけ聞くと、今度は二人に行洋が問いかける。

 

 

「君達は、院生試験を受けたいのかね?」

「……。はい」

「ふむ。……すまないが、君達の名前は?」

「えっと……。藤崎と言います。藤崎あかり」

「……。進藤ヒカルです」

 

 

二人の名前を聞き、再度行洋が問いかけた。

 

 

「君達は……この前アキラと打った二人かな?」

「「っ!」」

「いや、アキラが言ってた二人組に似ていたのでね。前だけ金髪の少年に、ツインテールのかわいらしいお嬢さん。まさに君達のようだが、どうかね?」

「……。塔矢、アキラくんとは、確かにこの前打たせてもらいました」

「ふむ。やはり君たちだったか」

 

 

行洋は一つうなずくと、先ほどの職員にーー

 

 

「すまないが、彼らは私の知ってる子達でね。私が推薦するので、受けさせてやってもらえないだろうか」

「「っ!」」

「えっ!? え、えぇ、それなら」

「すまないが、よろしく頼むよ」

 

 

驚きの表情を浮かべるヒカルとあかり。

そんな二人に行洋は近づくと、話しかける。

 

 

「君たち二人は、この後時間を取れるかな?」

「は、はい」

「……。大丈夫です」

「よろしい。では職員の方から院生試験の説明を聞いたら、一般対局室に来なさい。確認したいことがあるのでね」

 

 

行洋はそう言い残し、その場から去っていく。

あかりは呆然とした表情で、ヒカルは何か考えるような表情で、そして佐為は鋭い目付きで、彼を見送っていた。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十八話

 

(ーーヒカル、あかり。あの者はいったい何者なのですか?)

 

 

職員から院生志願書をもらった二人は説明を聞き、一般対局室を目指し歩いていた。道中、佐為が二人に問いかける。

 

 

(そっか。前の世界の佐為は囲碁教室に通ってるときにテレビで天元戦を見たし、1月の囲碁大会にも見学に行ったから会ったことがあるけど、この世界の佐為は名人を見たことすらなかったっけ……)

「あの人は塔矢行洋名人。塔矢の親父さんで、今日本で一番碁の強い人だな」

「神の一手に一番近い人、とも言われているよね」

(ーー! 確かにあの者、気迫が本因坊秀策であった私に挑んできた数多の好敵手達と同じ気迫でした!)

「まぁ、ただ者ではないことは確かだな」

 

 

ヒカル達が対局室に入ると、行洋は座って二人を待っていた。中にいた人数はそれほど多くなかったが、周りの人は行洋の方をチラチラと見て様子をうかがっている様子である。

 

 

(うわぁ、行きたくねぇ)

 

 

もちろん、そんなことはできないが。

二人は視線を感じながらも、行洋の前に腰を下ろす。

 

 

「お待たせしました」

「いや、急に時間をくれと言ったのはこちらだ。すまないね」

 

 

行洋は腕を組みながら、二人を見据える。

 

 

「話というのは、先日アキラと二人が打った碁についてだ。実に興味深かったよ。片やアキラの手に負けじと切り返し、片やアキラの手を軽やかにかわしリードを奪う。まさかそんな子供達がいるとはな」

 

 

行洋は碁笥の蓋を開けるとあかりの前に置いてあった碁盤に四つ黒石を置き、そのまま碁笥をあかりの方へと渡した。

 

 

「キミ達の実力が知りたい。お嬢さんは石を四つ置きなさい。そしてキミは……互先で打とうか」

「っ!」

(ーーヒカル! この者と打たせてください!)

(……。言うと思った)

 

 

行洋の申し出に、佐為が食い付く。

ヒカルは諦めたようにため息をつくと、佐為に心の中で語りかけた。

 

 

(いいぜ、佐為。お前に任せるよ)

(ーー本当ですか!?)

(あぁ。でも塔矢の親父さんはマジで強いぜ?)

(ーーえぇ。それはわかっていますとも)

 

 

闘志を漲らせる佐為を横目に、ヒカルは石を握った。合わせて行洋も石を握る。

 

 

「オレが先番ですね」

「……本当は一人ずつ打ちたいのだが、今日は二面打ちで許してほしい」

「いえ、そんな」

「こちらこそ、胸を借りさせていただきます」

 

 

こうして二面打ちではあるが、この世界での佐為と行洋の対局は、こうして始まったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結論から言ってしまえば。

あかりは四子置き、行洋に勝利した。途中貯金をほぼ使い果たしたのだがそのまま粘り、どうにか2目残った形である。

逆に佐為の方はというとーー

 

 

(ーーありません)

「……。ありません」

 

 

佐為の言葉に合わせ、ヒカルも頭を下げる。こちらは行洋相手に黒星だった。

佐為が悔しそうに唇を噛むが、これは残念ながら当然の結果と言えた。なぜなら佐為は現代の碁に触れてからまだ日が浅く、この世界のヒカルに負け越している状態である。前の世界ではネット碁を通じて強くなり、それでようやく行洋と互角だったのだ。勝てる道理がなかった。

 

 

「……。キミは……。進藤くんは、随分古い定石で打つんだね」

「え? えぇ、まぁ。秀策の棋譜は好きで、よく並べるんです。今回も、秀策っぽく打ってみました」

(ーー古い……)

(だ、大丈夫だよ、佐為さん。昔の定石にも、たくさんいいのがあるんだから!)

(ーー昔……)

 

 

行洋の言葉にショックを受けた佐為を、あかりが慰める。そして失敗していた。

もちろん行洋に心の声は届いていないので、ヒカルの言葉に反応する。

 

 

「秀策っぽく、打つ?」

「はい。えっと、院生試験を受けれるように働きかけてくれた塔矢名人には言っておこうと思うんですが、実はオレ、今二種類の打ち方で碁を打っています」

「二種類?」

「はい。とは言っても、一つは普通の打ち方です。今時というか、現代っぽいというか、そんな感じの打ち方です。……そしてもう一つが、昔の秀策っぽい打ち方です」

「……」

 

 

行洋は驚きに目を見開く。この少年はそんな器用なことができるのか、と。

 

 

「では先ほどのものは……」

「はい。現代の最強棋士である塔矢先生に、江戸時代の天才棋士がどれだけ通じるのか試したくなりまして。……すみません」

「……」

 

 

ヒカルの言葉に、今度こそ行洋は言葉を失った。だがそれも束の間、すぐに笑いが汲み上げてくる。

 

 

(まさか。まさかこちらがこの少年を試そうとしていたのに、逆にこちらが試されているとはな!)

 

 

ポーカーフェイスで笑みこそ隠したが、興奮と期待は隠せそうになかった。すぐにこの少年はこちらに、プロの世界にやって来るだろう。

だからこそ、疑問に思ったことがある。

 

 

「進藤くん、キミは強い。すぐにでもプロの世界でやっていけるだろう。だから不思議だ。キミはなぜ、院生になりたいんだい?」

「……」

 

 

行洋の問いに、しばらくヒカルは無言だったが、その後困ったように笑った。それを見て行洋も、ふっと笑う。

 

 

(答えてはくれなかったが、まぁいいだろう。彼は間違いなくプロになり、新しい波としてやって来る。彼女もきっとそうだ。すぐに頭角を表してくるのはアキラくらいだと思っていたがーー)

 

 

囲碁界の未来は明るい。

行洋は、そう確信した。

 

 

 

 

 




どうでもいいんですが。
最近ヒカルの碁のアニメのオープニングを久しぶりに見まして。
3期opのあかりちゃん、まじで可愛すぎません?


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十九話

 

「お義父さんが言ってたけど、簡単に言えば碁の塾なんでしょ?」

「そこの入る試験を受けるだけで1万3650円もいるなんて、すごい世界なのね」

 

 

院生試験当日。

ヒカルとあかりは二人の母親を連れて日本棋院を訪れていた。

 

 

「強いヤツばっかりがいる、入るのも難しいとこだからなぁ」

「近所の囲碁教室とは全然違うしね」

「まぁ、お義父さんも強く薦めてたからいいけどね。勉強も最近は熱心にやってるみたいだし」

「私もあかりだけだと心配だったけど、ヒカルくんがいるなら安心だわ。面倒みてあげてね、ヒカルくん」

「逆ですよ! あかりちゃん、ヒカルのことよろしくお願いね!」

「あはは……」

「……」

 

 

二人の母親の言い様に、困ったように笑うあかりと無言で頬を掻くヒカル。そんな母親達をヒカルは先導し、受付へ。

そこでは職員がすでに待っていた。

 

 

「あぁ。進藤くんと藤崎さんだったね。今案内するよ」

 

 

四人は六階へと案内される。途中、碁の打つ音が部屋から聞こえてきた。佐為の目がキラキラ光り出す。

 

 

(ーーヒカル、あかり! あちらで碁を打ってる者達が!)

(はいはい。でも今日は試験だからお預けな)

(ーーそんなご無体な!?)

 

 

ヒカルが一刀両断した。ヒカルの声はあかりに聞こえなかったが、何となく状況を察して苦笑する。

奥の部屋へと向かうと、そこにはすでに篠田の姿があった。

 

 

「先生、最後の子達がみえてます」

「あぁ、ハイハイ。どうぞ」

 

 

篠田に案内された四人は中に入る。

 

 

「先に……女の子の方から始めようか。どうぞそっちに座って。志願書と棋譜を見せてください」

 

 

あかりは篠田の正面に座ると、言われたものを手渡す。

そのときヒカルも正座をしたことに美津子は驚いた様子だったが、今回は割愛。

 

 

「棋譜は……と」

(……。うん、とても丁寧な打ち方だ。相手もそれなりに強い。すでに1組の力はありそうだな)

 

 

一枚目を見てあかりの力に感心する篠田だったが、二枚目の棋譜を読み進めていくうちにそれは驚きに変わっていく。

 

 

(これだけの力があるのに、二枚目は負けの棋譜!? というか、相手はあの塔矢アキラだと。あの塔矢アキラに、これだけの碁を打ったというのか?)

 

 

ちなみにアキラ自身に使用許可をとってはいないが、その親父さんと打ったときに親父さんから許可をもらっている。ゆえにセーフである。

篠田は棋譜を読みながら、あかりに問いかけた。

 

 

「この塔矢アキラというのは……名人の息子さんの?」

「はい、そうです」

 

 

(……。だとしたら、この子の実力は申し分ない。流石、塔矢名人が推薦するだけはある)

 

 

そして三枚目。その三枚目の棋譜を見た篠田は言葉を失った。

 

 

(……。三枚目も、負けの棋譜……。だが、これは……)

「……。藤崎さん。この三枚目の、進藤ヒカルという人は?」

「進藤はオレです」

 

 

もう一人の受験者である少年がそう答える。再度、篠田は絶句した。

 

 

(バカな……。これほどの打ち手が、この少年だと? この三枚目は間違いなく指導碁だ。この少女の力を存分に出しきらせる棋力、間違いなくプロの高段者の実力があると言っても過言ではない。だとしたら、この少年はーー)

 

 

ゴクリと唾を飲み込む篠田。震える声で、ヒカルに尋ねる。

 

 

「藤崎さんと打つ前に、先に進藤くんの棋譜を確認していいかい?」

「? どうぞ」

 

 

ヒカルが不思議そうにしながらも渡した棋譜を、急いで確認する篠田。

 

 

(……バカ、な)

 

 

三枚とも指導碁である。しかも一つは、塔矢アキラに対して。

とんでもない力を持った受験者の出現に、思わず乾いた笑いが洩れてしまった。

 

 

「とりあえず、一人ずつ打とうか」

(これは大変なことになったかもしれない)

 

 

塔矢名人の推薦というともあり、期待はあった。

だが、そのうちの一つが特大の爆弾であることに篠田は頭を悩ませることになるのであった。

 

 

 

 

 




次回で院生試験終了です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十話

 

「ヒカル。お母さん達一階の喫茶店でお茶飲んでるから、終わったら呼びに来て」

「頑張るのよ、二人とも」

「うん、わかった」

「また後でね」

 

 

篠田から小一時間試験がかかると聞いた母二人は、ヒカルとあかり二人を残して部屋を後にした。そしておしゃべりをしながらエレベーターに乗り、一階へ。

その様子を、二人の少年が見ていた。

 

 

「あぁ、今日院生試験やってたんだ」

「みたいだな。二人同時……ってのも珍しいけど」

「二人同時なのか?」

「今母親っぽい人が二人出てきたからな。たぶんだけど」

「なるほど。どんなヤツが受けてんだろうな?」

「わかんねぇけど……」

「ん?」

「たぶん、二人とも受かる気がするぜ」

「なんだよ、それ。勘か?」

「勘だよ」

 

 

一人の少年は、ニヤリとそう笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(やはり、強い。1組上位の力は、すでにある)

 

 

三子を置いて始まったあかりの試験。

篠田はそのあかりの実力に舌を巻いていた。

 

 

(こちらが厳しい手を指しても、しっかり打ち返してくる。被害を最低限に抑えるように、冷静に。無理をしようとせず、手に焦りも感じられない。到底、子どもの打ち方とは思えない)

「このくらいにしとこうか」

「……」

 

 

篠田がそう声をかけるが、あかりの視線は盤上に向いたまま。こちらの声が聞こえていないようだった。

 

 

(すごい集中力だ)

「キミ」

「っ! あっ、はい」

「このくらいにしとこうか」

「えっ。わ、わかりました」

 

 

先ほどより強く呼びかけると、今度は反応があった。

対局について簡単に触れながら、篠田は志願書を確認する。そしてそこでまた驚愕。

 

 

(碁を始めて一年!? 倉田四段を思わせる素晴らしい成長ぶりだ。しかもーー)

「キミ、師匠がいないって本当かね?」

「えっ。はい、そうですね。強いて言えば、そこにいるヒカル……くんが師匠みたいなものです」

「っ!」

(だから彼は何者なんだ!?)

 

 

師匠なしでこれだけの力をつけたとしたら、この少女はすごい素質の持ち主だと考える篠田。……逆に、この少年の異様さが際立ってしまったが。

ヒカルの対局前に、篠田はヒカルの志願書を確認した。

 

 

(……。……少女と同じく、囲碁歴一年。師匠もいない。……最早、素質があるとかの次元ではない。これは異常だ)

 

 

冷や汗を流す篠田。そんな篠田に、ヒカルが問いかける。

 

 

「あの、置き石は?」

「……互先でやろうか。キミが先番で」

(石なんて置かせられるか!?)

 

 

心の中で絶叫する篠田。そして対局が始まるとーー

 

 

(っ! この気迫! 間違いなくプロの、しかも高段者のものだ! 私が30年前にプロになり、そこで闘い続けて受けてきたもの。院生師範となってからは感じることがなくなったものだ。本当に、彼はいったい何者なんだ!)

 

 

「……このくらいにしとこう」

「えっ」

 

 

あかりの時よりもさらに短い、数十手のところで篠田は試験を終了させた。困惑を隠せないヒカルに、篠田は真剣な目でヒカルを見つめる。

 

 

「対局はキミ達の力を見るためのものだから。キミにはこれ以上いらないだろう」

「……」

「正直に言おう。キミは強い。すぐにプロになれるだろうし、瞬く間に活躍もするだろうね。だからこそ、院生になる必要なんて感じられない。逆にキミが院生になることで傷つくことがあるかもしれない」

「っ!」

「それはキミもわかっているだろう。なのになぜ、キミは院生になりたいんだい?」

 

 

ヒカルは恐る恐る篠田の顔を見る。篠田は真剣な目をしていたが、前の世界と同じ優しい目をしていた。

だからこそ、今の心情をそのまま口にした。

 

 

「……。先生。オレとあかりは、ずっと二人で碁を打っていました。打っているうちにどんどん碁を好きになって、そしてプロになりたいと思うようになったんです」

「……」

「それと同時に、こう思うようにもなりました。『同年代の仲間と碁を極めたい』って」

「……。なるほど」

 

 

篠田は納得した。

簡単に言うと、同年代の碁打仲間を見つけたいのだろう。彼らと一緒に碁を打つ者を求めて、やってきたわけだ。

 

 

「先生。囲碁は二人で打つものです。でも、囲碁は皆でつくるものだとも考えています」

「!」

「先人達が定石をつくり、そこから多くの人達が研究して手を加えてきた。そしてそれが現代に繋がっている。『神の一手』は、多くの人達の手によって成り立つものなんです。オレは、仲間とともに『神の一手』を極めたい」

「……」

「オレを、ここに入れていただけませんか?」

 

 

頭を下げるヒカル。

それを見て篠田は、一つ息を吐いた。

 

 

(藤崎さんは合格でいい。問題は進藤くん。これだけの強さを持った者を入れたらどうなるか)

 

 

簡単に予想できる。毒にも薬にもなるだろう。

 

 

(藤崎さんをここまで強くしたのが進藤くんならば、彼の碁に触れて成長する者も多いはずだ。だけど逆に不貞腐れて……最悪、碁を辞めてしまう者も出てくるかもしれない)

 

 

いろいろなことを天秤にかけ、そして最後に篠田は一つの結論を出す。

 

 

(……何かあったら責任を取ろう。彼が入ることで子ども達が成長するなら、そして何より彼自身が目的を持ってそれを求めているなら、私が反対することではない)

 

 

篠田はニコリと笑うと、緊張している二人に合格の声をかけた。

 

 

 

 

 




すいません、院生試験終わりませんでした。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十一話

 

「月末に組み合わせ表やお知らせをお送りします」

「はぁ」

「わかりました」

 

 

合格を告げられたヒカルとあかりは、喫茶店にいる母親二人を呼びに行った。その二人は現在、篠田から説明を受けている。

 

 

「ちょっと研修部屋を覗かれますか? もうだいぶ、対局も終わったんじゃないかな」

 

 

そして最後に、四人を大部屋へと案内する。

そこには、碁を勉強するたくさんの少年少女達の姿が。

 

 

(ヒカルより小さい子もいるじゃない)

(これならあかりも合格するわね)

 

 

同じ年齢の子ども達がいることにホッとする二人。

そして目をキラキラ輝かせる霊が一人。

 

 

(ーーヒカル、あかり! あそこ! あそこを覗いてみましょう!)

(はいはい)

(佐為さん、ずっと我慢してたもんね)

 

 

二人は苦笑すると篠田と母親二人から離れ、感想戦らしきものを行っている少年達のもとへ向かった。

 

 

(どれどれ……って和谷と伊角さんじゃん!)

(わぁ、二人とも若い!)

(ーーお二人の知り合いですか?)

(前の世界で世話になった二人だよ。二人ともプロになるんだぜ!)

 

 

あまりの懐かしさに、ついまじまじと見てしまうヒカルとあかり。流石に感想戦途中の二人も視線に気づいたようで、顔を上げた。

 

 

「えっと。……誰だ?」

「……もしかしてさっき試験受けてたのって、キミ達?」

「え? うん、そうだよ」

「へぇ。二人一緒なんて珍しいよな。二人とも受かった?」

「うん。二人とも合格って言われた」

「おっ、勘が当たったな!」

「じゃあ、来月からはここで碁を打つんだ。よろしく」

 

 

和谷と伊角の質問にヒカルが答えていると、周りに人が集まってきた。終局している者が多いこともあるが、皆来月から増えるライバルに興味津々なのである。

 

 

「二人とも歳はいくつなの?」

「両方とも小六で12歳だよ」

「……もしかして、二人って知り合いだったりする?」

「えっと。私達、実は幼馴染でーー」

「「「幼馴染だと!?」」」

「ひぅっ!?」

 

 

二人の関係を聞いて、周囲から驚きの声が上がる。そのボリュームにあかりが変な声を出すが、周囲の少年達はそれどころではなかった。

 

 

(碁を打てる、しかも女子の幼馴染だと!? そんなものがこの世に存在するのか!?)

(オレの周りには碁を打てるのじいちゃんくらいしかいなかったのに!)

(こんなに可愛い幼馴染がいるとか、コイツ恵まれ過ぎだろ!)

 

 

嫉妬の感情が少年達に宿る。

だが少女達は興味の方が勝ったようで、あかりに質問を続けていた。それに一つずつ、あかりは律儀に返していく。

曰く、基本的に毎日二人だけで碁を打っている。

曰く、場所はヒカルの部屋で行っている。

曰く、今は彼氏彼女の関係ではなく、まだ幼馴染である。(大嘘)

 

 

(……忘れてた。あかりって、少し天然だったわ)

 

 

キャイキャイ騒ぐ少女達を見て、遠い目をするヒカル。

そう、あかりは真面目に考えて答えているのである。自分の答えがいかに恋バナ好きの少女達を喜ばせ、いかに碁だけに時間を費やしてきた少年達のボルテージを上げているのかに気づいていないのだ。

少女達の会話は、ヒカルとあかりの母親が二人を迎えに来るまで続いた。

 

 

「あかり、ヒカルくん。帰るわよ?」

 

 

その声を聞き、あかりは少女達に手を振りながら母のもとへ。ヒカルも背中に視線を感じながら、無言でそちらに向かった。

そして最後に美津子が一言。

 

 

「来月からこの子達来ますから、皆さんよろしくね」

「「「えぇ、よろしくお願いします」」」

(((ボコボコにしてやる!)))

 

 

なぜか、少年達の声だけが重なって聞こえた。

ついでに心の中の声まで、重なって聞こえるようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その夜、ある一室での会話。

 

 

「ーー以上が今回の試験結果で、二人を合格としました」

「ふむ。……しかしこの少年、本当に入れて大丈夫ですかね?」

「何かあったら私が責任を持ちますよ」

「……。まぁ、先生がそこまで仰るなら」

「それにですね」

「?」

「合格を伝えるときは葛藤があったんですが、今考えるとあまり心配しなくても大丈夫ではないかと思ってます」

「ほぉ、それはまたどうして?」

「……。私は数十手しか彼と打っていませんし、棋譜も三枚しか見ていません。でも、そこから伝わってくるものもあります」

「?」

「彼の碁はとても真摯で、そして丁寧なんです。強大な力を感じて、気づくのが遅くなってしまいましたが」

「……」

「だから、大丈夫です。彼と、彼と闘うことになる彼らを信じましょう」

 

 

 

 

 




嫉妬してない人達
伊角さん……困ったように笑うだけ。大人。
和谷くん……しげ子ちゃんがいる。勝ち組。
フクくん……嫉妬感情がない。お子ちゃま。
奈瀬さん……あかりに質問攻め。かわいい。

越智くん……まだ院生になっていない模様。出番ある?


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十二話

 

1月最初の日曜日ーー

 

 

「んじゃ行くか」

「うん」

 

 

初手合いを迎えたヒカルとあかりの姿が、日本棋院にあった。

二人が六階で降りると、周囲からの視線に晒される。

 

 

(やっぱり二人一緒に来やがったぜ)

(本当に碁の勉強をする気があるのかよ)

(ここはデートスポットじゃねぇぞ)

 

「……。何か、すごい見られてる気がする。やっぱり知らない子が来ると気になるのかな?」

(絶対そうじゃねぇけどな……)

「あっ!」

 

 

少しズレた考えをしていたあかりは、対局室の入り口近くに少女の姿を見つけて声をあげた。試験を受けに来たときに仲良くなった少女、奈瀬である。

あかりがそちらに向かうのに合わせて、ヒカルも奈瀬のもとへ。

 

 

「おはようございます、明日美さん!」

「おはよう、あかりちゃん。それと幼馴染くん。私は奈瀬明日美。よろしくね」

「おはよう。オレは進藤ヒカル。えっと、奈瀬って呼んでいい?」

「いいよ。私も進藤って呼ぶね」

 

 

明日美はニコッと笑った。

一緒に対局室へと入っていく。

 

「あかりちゃん、進藤。大丈夫? 緊張してない?」

「……実はちょっと緊張してて」

「まぁ、それなりかな」

「初めてだとそうだよね! 大丈夫だよ、段々と慣れてくるからね」

「はい! ありがとうございます」

「おぅ、サンキュー」

「2組はこっちだよ。私は向こうだから、また後でね」

 

 

明日美はそう言うと、自分の場所へと向かっていく。

それを見送り、ヒカルとあかりも自分の対戦相手を探し始めた。

 

 

「えっと、内田って……」

「あっ、私」

「あの、今西くん? 今西さんは……」

「今西はオレだよ」

 

 

ポニーテールの少女と眼鏡をかけた少年が声を上げる。二人に誘導されるようにそれぞれの碁盤の場所まで移動し、ヒカルとあかりは座布団の上に腰を下ろした。

やがて全員が指定された場所に座り、部屋に入ってきた篠田が挨拶をする。

 

 

「おはようございます。今日から皆の仲間が増えました。進藤ヒカルくんと藤崎あかりさんです。よろしくお願いします。……では始めてください」

「「「よろしくお願いします」」」

 

 

至るところで挨拶の声がかかり、二人のデビュー戦が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(この子、すごく強い!)

 

 

ヒカルと打ち始めて数十手、内田は目の前の少年の強さに興奮していた。

 

 

(私の手に全く動じない。どころか厳しい手をこれでもかと返してくる。でも楽しい! そして、すごく勉強になる! ……指導碁だよね、これ?)

 

 

2組とはいえ、流石に気がついた。

彼の実力なら、もっと圧倒的に大差で自分に勝てたはずである。だが実際はそうなっておらず、逆に自分の実力をしっかり発揮できるように勝負は展開されている。

負けてはいるが、ここまで気持ちよく打てた碁は久しぶりと言っていいほどだ。

 

 

(彼と最初に打てたのはラッキーだったかも。彼はすぐに1組に上がっちゃうだろうから。でも、私だって上がりたい。だから今、この対局で学べることは学ばないと!)

 

 

内田はそう考え、目の前の対局により一層集中し始めた。

一方、今西。こちらは冷や汗を流していた。

 

 

(な、なんだこの強さは。オレじゃ歯がたたない)

 

 

あかりが打つ一手一手は厳しく、今西の地は減らされていく。

 

 

(ちょっと強いからって二人で何となく来たんじゃないのかよ!? 少し現実を見せてやろうと思ったのに、これじゃ……)

 

 

動揺したこともあったのだろう、そこで今西はポカをする。完全な見損じだ。

今のあかりがそれを見逃すはずもない。放たれた手に、今西は思考が真っ白になりーー

 

 

「……っ!」

 

 

今西は石をぐしゃぐしゃにして、驚くあかりを背に席を立つ。そして篠田の言葉にも止まらず、部屋から出ていってしまった。

 

こうしてあかりの方は少しハプニングもあったが、ヒカルとあかりは白星でデビュー戦を終える。そしてこの白星が途絶えることもなく、この先も続いていくと確信しているのは一部の人間だけであった。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十三話

独自設定入りますが、ご容赦ください。


 

1月末の日曜日、葉瀬中では創立祭が執り行われていた。

多くの屋台が並ぶ中、ヒカルとあかりはある人物を連れてこれに参加している。その人物とはーー

 

 

「なぁ。マジでお前らバカップルと一緒に創立祭を回んないといけないわけ?」

「そりゃそうだろ。何てったって、お前は賭け碁でオレに負けたんだからな、三谷」

 

 

三谷祐輝であった。

……話は、冬休み明けの小学校にまで遡る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ヒカル! 私、見ちゃった!」

 

 

給食終わりの昼休み。

周りの男子達は校庭に走っていく中、図書館から借りてきた碁の定石本をペラペラめくるヒカルにあかりは興奮したように話しかけた。

ちなみにこれはヒカルが読んでいるわけではない。後ろの方のためのものである。

 

 

「見ちゃったって……何を? 幽霊?」

「ううん、違うよ!」

(まぁ、犬コロみたいなのはすでに見えてるけど)

(ーーなに!? 何みたいなやつ!? ヒカル!)

 

 

定石本を読みながらも抗議してくる霊を無視し、ヒカルはあかりの話を聞く。

 

 

「んで? 何を見たんだよ、あかり?」

「三谷くん」

「っ!」

 

 

あかりの言葉に、ヒカルは動きを止めた。

 

 

「三谷って……あの三谷?」

「うん。あの三谷くん」

 

 

三谷祐輝。

前世では囲碁部で共に時間を過ごした、大切な仲間であった。……ただ、自分勝手な都合で仲違いをし、最後は疎遠になってしまったが。

 

 

「へぇ。同じ小学校だったんだな。知らなかったわ」

「私も」

 

 

そうすると、あかりは何か言いたげにこっちを見てくる。それだけで何が言いたいのか、だいたいわかった。

 

 

「まぁ、今回は最後まで仲良くしたいよな。アイツ、いいやつだし」

「! うん!」

 

 

あかりはヒカルの言葉に満面の笑みを浮かべた。というわけで、早速作戦を考える二人。

 

 

「もうこの時期って、三谷は賭け碁やってんのかな? できればやらせたくないけど」

「どうだろう……。直接聞いてみるしかないかな」

「正直に答えてくれるかわかんねぇけどな。とりあえずコンタクト取らないと始まらないし、今日の放課後にでも声かけてみるか」

「うん、そうだね!」

 

 

最早作戦ではなかったが。

そして時は流れ放課後、二人は廊下を歩いてる三谷に声をかけた。

 

 

「こんにちは、三谷くん」

「? えっと……。あんたら誰?」

「私は1組の藤崎あかり。それでこっちがーー」

「同じ1組の進藤ヒカル。よろしく」

「……。あぁ! 冬休み前くらいから噂になっている1組のバカップル二人か!」

「バカップルか……」

「えへへ……」

 

 

自分の言葉に照れくさそうに笑う二人を見て、めんどくさいやつらに絡まれたと三谷は思った。

すぐに切り上げようと話を振る。

 

 

「そんで、そんな二人がオレに何の用?」

「あぁ。オマエって碁を打てるんだって?」

「……碁?」

「囲碁だよ、囲碁!」

 

 

思ってもなかった言葉に、三谷はキョトンとした。

 

 

「まぁ、打てるけど……。誰に聞いたんだよ、それ」

「三谷の姉ちゃんの友達の弟の友達の姉の友達の妹の友達」

「いや、誰だよそれ!?」

「まぁまぁ。んじゃ強いんだ?」

「……。まぁ、そこら辺のヤツよりは強いと思うぜ」

 

 

三谷の言葉にニンマリ笑うヒカル。三谷はなんだか嫌な予感がした。

 

 

「へぇ……。実はオレも碁は少し自信があるんだよね。時間があるなら勝負しようぜ」

「はぁ? 今から? ここでか?」

「あぁ。マグネット盤ならここにあるし」

 

 

ランドセルから取り出して見せると、三谷はあきれたように笑った。

 

 

「随分準備がいいんだな」

「まぁね。……それと、どうせなら賭け碁にしないか?」

「賭け碁?」

 

 

再びキョトンとする三谷。

どうやら小六の三谷は、まだ賭け碁の存在を知らなかったらしい。

 

 

「賭け碁ってのは……まぁ、碁の勝った方に負けた方がお金を払うみたいなもんかな」

「……へぇ」

「まぁ、お金だと不健全だし。今回は勝った方の言うことを一つ聞くとか、そんなんでどう? あまりにも突拍子もないものはなしにして」

「……いいんじゃねぇの。オレ、負けるつもりなんてないし」

 

 

三谷は不敵に笑うと、闘志を燃やしてヒカルを見つめるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして見事に中押し負けを喫した三谷は、ヒカルに言われて冒頭のように二人の創立祭デートに連行されることになったのである。

 

 

(くそっ、マジで地獄じゃねぇかっ!)

 

 

彼の忘れられない一日は、こうして始まったのであった。

 

 

 

 

 




同中の人は同小って、わりとありますよね。というか普通。
……だと思いたいです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十四話

 

「はい、ヒカル! ちょっと持ってて!」

「おぅ、ありがと!」

「はい、三谷くん。どうぞ」

「……。あぁ、ありがと」

 

 

チケット二枚をたこやきに換えたあかりは、内一つをヒカルに、もう一つを三谷に渡した。そしてヒカルが持っているたこ焼きの一つに楊枝を刺すとーー

 

 

「はい、ヒカル。あーん」

「……あーん」

「えへへ。美味しい?」

「めっちゃ美味い」

「……」

 

 

日曜の朝っぱらから何を見せられているのかと思う。まぁ、賭け碁に負けた自分のせいなのだが。

 

 

(何がちょっと自信あるだよ。そんなレベルじゃなかったじゃねぇか)

 

 

自分より遥かに強かったヒカルを憎たらしげに見つめる三谷。たこ焼きには罪はないのでそれを頬張りながら、ヒカルに問いかけた。

 

 

「それで、何が目的なんだよ?」

「ん?」

「いや、バカップルぶりを見せつけたいがために今日オレを誘ったわけじゃないだろ?」

「「……」」

「……。……おい? おい、冗談だろ!? 」

「まぁ、冗談だよ。あそこに三人で行きたかったんだ」

 

 

怒りで震え出した三谷に、ヒカルは種明かしをした。

三谷がヒカルの指さした方向に目を向けるとーー

 

 

「碁? へぇ、葉瀬中って囲碁部あったんだ。……にしてもオマエ、本当に碁が好きなんだな」

「まぁね」

「詰碁やってるみたい! ねぇねぇ、覗いてみようよ!」

「……。まぁ、いいけど」

 

 

三人が近寄っていくと、前の人は間違えてしまったらしい。難しいなと言いながら、立ち去ってしまった。

ちょうど席が空いたので、そこに三谷を座らせる。

 

 

「オレがやんのかよ」

「キミが挑戦するの? じゃ、いくよ?」

((うわぁ、筒井さんだぁ!!))

 

 

詰碁を並べていく少年、筒井公宏の姿を見て、ヒカルとあかりはニヤニヤしてしまう。幸いなことに、盤面を見てる筒井と三谷にはバレなかった。

 

 

(ーー二人の知り合いですか?)

(あぁ、めちゃくちゃお世話になった人だよ)

(優しい先輩で、囲碁のいろはを教わったんだ)

(ーーほぅ! ではとても強いのですね!)

((……まぁ))

(ーーあれぇ!?)

 

 

頭の中で漫才をしている間にも、三谷は問題を解いている。その手にはすでに缶ジュースがあった。

 

 

「わぁ、キミ強いね」

「……それなりには。まぁ、この前まではもっと自信があったんだけどさ。……それより一番難しいの出してよ」

「一番難しい……って、こんなの解けたら塔矢アキラレベルだよ」

「へぇ、塔矢アキラね。……おもしろいじゃん、出してよ」

 

 

三谷にせっつかれ、碁石を並べる筒井。

そしてそこに近寄る影に、ヒカルは気がついた。

 

 

(こっちも懐かしい顔だなぁ)

 

 

そこにいたのは将棋の駒を散りばめた柄の和服を纏った少年。頼れる兄貴分で、最終的に自分の背中を押してくれた存在である。

ただ、この後の行動はいただけないので阻止させてもらおう。

 

 

「第一手はーー」

「あっ、カツマタ先生だ!」

「いっ!?」

 

 

碁盤にタバコを押し付けようとした加賀鉄男は文字通り飛び上がると、慌てて辺りを見渡した。そしてそこにカツマタの姿がなく、目の前の少年の嘘だとわかると青筋を額に浮かべながらヒカルに詰め寄る。

 

 

「おぅ、オマエ……。いい度胸してんじゃねぇか!」

「いやぁ、流石に碁盤にタバコは許せなくて……」

「はっ! 塔矢アキラの名前が聞こえてイライラしてたからしょうがねぇだろうが!」

 

 

加賀はそう言うと筒井をどかした。そして乱雑に座るとヒカルを睨み付ける。

 

 

「その上カツマタの名前を出されてビビらされちまって、オレはもうカンカンよ。オマエ、責任取ってオレと打てよ」

「責任?」

「あぁ。オマエ、少しは碁が打てるんだろ? 碁盤が大事なくらいなんだからな。そんなオマエを派手にぶちのめしたら、少しはイライラが治まんだろ!」

「……」

 

 

ヒカルは無言で三谷の横へ。三谷が席を立とうとすると、その両肩を押さえて再び座らせた。

そして一言。

 

 

「オレと闘いたいなら、まずはこの三谷を倒してもらおうか」

「……あぁ?」

「……。……はぁ!?」

 

 

ヒカルの言葉を理解しギョッとする三谷に、加賀は視線をさらに鋭くしーー

 

 

「ふざけんな。なんでオレがコイツとーー」

「怖いの?」

「……あぁ?」

「オレより弱い三谷に負けるのが、怖いの?」

「……。は、はは。上等だよ、てめぇら。ここまでコケにされたのは、塔矢アキラとの対局以来だぜ……」

 

 

鋭い視線が三谷をとらえる。とても中二とは思えない眼力だった。

 

 

「そこまで言うなら小僧共! オレの実力を見せてやる! オレが負けたら土下座でもなんでもしてやらあ! その代わり、オマエらが負けたら冬のプールにでも飛びこみやがれ!」

「言ったな!」

(ふざけんな! 完全にとばっちりじゃねぇか!)

 

 

いつの間にかヒカルと加賀の争いに巻き込まれている三谷。無言で右隣に立つヒカルを見ると、ウインクとサムズアップをしてきた。

 

 

(絶対許さねぇぞ、てめぇ!)

 

 

加賀はすでに第一手を放っていた。流石に無関係です、と言って退けるような雰囲気ではない。

 

 

(くそっ。今日は厄日だ……)

 

 

心の中で悪態をつきながら、三谷は白石を握る。

三谷の受難は、始まったばかりだった。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十五話

いつもよりちょっと長いです。


 

(くそっ……。コイツも強いっ!)

 

 

打ち始めて数十手であるが、三谷は加賀の強さを痛感していた。少なくとも、自分よりは高みにいるのは確かである。

三谷の手に、加賀はノータイムで石を打ち込んだ。

 

 

(ぐっ。痛いところに打たれたっ!)

 

 

思わず、三谷の手が止まる。悪くなってしまった状況に対してどうにか活路を見出だそうと長考するがーー

 

 

「考えたって、無駄無駄! さっさと打てよ!」

「くそっ!」

 

 

急かされるようにして打った手が好手になることはない。相手のペースにはまり、確実に差が広がっていく。

 

 

(オレより強いヤツがこの先間違えるとは思えない……。ここまでか……)

「負け、ました……」

「ふんっ! 次はてめぇだな」

 

 

結果は中押し。三谷の投了の言葉を聞き、加賀は扇子を開いてヒカルを再び睨み付けた。

端から自分など眼中になかったことに、三谷は悔しさで唇を噛む。

 

 

(くそ……。オレだって、碁には少し自信があったのに……。チクショウが……)

 

 

ヒカルと場所を代わるために、三谷は席を立つ。その肩に、ポンっと手を置かれた。

 

 

「三谷」

「……何だよ?」

「オマエ、強くなるよ」

「あぁ?」

 

 

ふざけてんのか、と言いたくなる。この前ヒカルに負け、たった今目の前の男に負けたのだ。何の嫌味だろうか。

 

 

「少し荒いけど、下地はできてる。あとは強いヤツと打って、勉強すればいいとこいくと思うぜ?」

「……」

「まぁ、見とけよ」

 

 

そう言うと、ヒカルは椅子に腰を下ろす。そして加賀が碁石を片付けようとする前に、碁笥から白石を一つつまみ、盤面に打ちつけた。

 

 

「……。何の冗談だ?」

「……。そっちの番だぜ?」

「っ! オマエ! さっきソイツが投了したこの盤面から始めようっていうのか!?」

 

 

加賀が驚きの声をあげる。三谷も、筒井も、驚きで目を丸くした。唯一普段通りなのはあかりくらいである。

 

 

「そんな無茶な!? キミ、加賀の強さは今の対局でわかったろ!?」

「ははっ、こりゃ傑作だ! まさか自分から真冬のプールに飛び込みたいヤツがいるなんてな!」

 

 

加賀は黒石を握ると、先程よりも強く盤面に打ち付ける。

 

 

「一度言った言葉は取り消せねぇぞ、小僧!」

「……」

 

 

加賀の言葉に、ヒカルは無言で返す。否、集中しているのだ。

白の反撃が始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(なんだ、コイツは!?)

 

 

打ち始めてすぐは加賀にも余裕があり、軽口を叩くなどしていた。だが、最早そんな余裕などない。

まず第一に、碁を打つ雰囲気が違った。小憎らしい小学生は鳴りを潜め、悠然としている。こちらが煽っても睨み付けても全く動じない。いや。動じないからこそ、その落ち着きがかえって恐ろしかった。

そして第二にーー

 

 

(ぐっ、踏み込んできた石を利用されて黒地が減っちまった)

 

 

ありえないほど強かった。

加賀自身、碁よりも将棋が好きで得意な部分もあるが、これでもかなりの実力はあると自負している。塔矢アキラにこそ敵わなかったが、その囲碁教室では二番を常に取り続けていたのだから。

 

 

(くそっ、そっちの白石にも逃げだされたか!)

 

 

だが、この少年の力はそれを遥かに凌駕していた。塔矢アキラがかわいいと思えてしまうほどに。

先程まで持っていた貯金は、すでに使い果たしてしまった。というよりもーー

 

 

(ダメ、だな。完全に捲られちまった……)

「……。ありません」

「ありがとうございました」

 

 

対局が終了する。

その対局を、筒井は信じられないような目で、あかりはニコニコ笑顔で見ていた。そして三谷はーー

 

 

(すげぇ……)

 

 

目を輝かせていた。

自分では思いもつかなかった手の数々。それらを駆使しての華麗な逆転劇に、興奮するなという方が無理があった。

 

 

(もうダメだと思ってた碁がこんな形で甦るなんて……。オレも、進藤みたいに強くなればこんな風に……。強くなりたいっ! いや、なるんだ!)

「筒井、学ラン脱げ」

「えっ?」

 

 

三谷が新たに決意を立てていると、加賀が落ち着いた声で筒井に話しかけた。というか、脱がせた。

それをヒカルに投げ渡す。

 

 

「筒井。団体戦のメンバーが決まったぜ」

「えっ」

「オレに、オマエに、コイーー」

「オレはパス」

 

 

加賀の言葉をヒカルが遮る。加賀は頬を引きつらせた。

しかしこれには正当な理由がある。

 

 

「実はオレ院生なんだよね。だから大会とか出れないんだ」

「キミ院生なんだ! 道理で強いわけだ!」

(いや、院生レベルじゃなかったと思うが……)

「だからさーー」

 

 

筒井に心の中でツッコミをいれる加賀の前で、ヒカルは渡された学ランを三谷に渡した。

 

 

「最後のメンバーは三谷で」

「……。はぁ!?」

 

 

一瞬、三谷の時が止まった。そしてすぐにすっとんきょうな声を出す。机の向こうで、加賀も微妙そうな顔をした。

 

 

「オレはオマエの実力をもっと見たいから、団体戦出ようと思ったんだがな。オマエが出ないならオレもーー」

「先輩。集団の目に晒されながら土下座、やります?」

「よっしゃ、筒井! 大将は任せろ!」

 

 

加賀が筒井の肩を組む。そこに待ったをかけたのは筒井と三谷。

 

 

「待てよ、加賀!小学生を参加させるなんてーー」

「どうせ部員なんか一人も集まってないんだろ? よかったな。大会参加で部ができるぜ!」

「……」

「いや、待てって! オレはまだやるなんてーー」

「あ? オマエはオレに負けたよな? 冬のプールとどっちがいいんだ?」

「……」

 

 

一瞬で二人は黙らされた。

そして加賀に押しきられるようにして、三谷の大会参加が決まったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてこれは、とある小学校の廊下での会話。

 

 

「おはよう、三谷」

「げっ。進藤」

「なんだよ、げって。……そういえばこの前どうだったんだ? 応援行きたかったんだけど、流石に小学生じゃ中学の大会は行けないと思ってさ。教えてくれよ」

「……。まぁ、初戦は全勝して」

「うんうん」

「二戦目はまぁ、筒井さんだけ負けて」

「うん」

「決勝は筒井さんだけ勝った」

「えっ。決勝ってきっと海王だろ? すげーな」

「そうだな。俺なんて全然歯が立たなかったし……。でも……」

「?」

「いや、すごく楽しかったんだよな」

「へぇ」

「部活って……。団体戦っていいもんだな」

「……」

「オレ、葉瀬中行ったら囲碁部入るわ。んでまた大会に出る」

「!」

「進藤は部活入れても大会には出れないんだろ? かわいそうなヤツ」

「うっせぇ!……オレも葉瀬中だし、たまには打ちに行ってやろうか?」

「! いいのかよ?」

「まぁ、時間が合えばな。指導碁でも、何だったら賭け碁でもいいぜ」

「ざけんな。二度と賭け碁なんてやるかよ。碌なことになりゃしねぇ」

 

 

 

 

 




修さんファン、ダケさんファンの皆さん、ごめんなさい。
彼らは出番がありません。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十六話

 

2月終わりの土曜日ーー

 

 

「まさかこんなに早く上がって来るなんてな……」

「そりゃあ、手合い全て勝ってたらそうなるけどさ」

「前代未聞のスピード昇級でしょ、こんなの」

「それがしかも二人もだぜ」

「……まじでとんでもないヤツらだな。特にーー」

 

 

日本棋院の六階で、1組の院生達がある二人のことを噂していた。そしてちょうど、その噂の二人がエレベーターか下りてくる。

無論、ヒカルとあかりである。

向けられた視線に、それが1組のメンバーのものだとわかった二人は笑顔で返した。

 

 

「今日から1組なんで、よろしく」

「よろしくお願いします」

「……ようこそ1組へ」

 

 

伊角が代表して、笑顔でそう告げる。他の1組メンバーも笑顔で、しかし気持ちは引き締めた。

彼らにも意地がある。2組で全勝したからなんだというのだ。これからの相手は自分達1組なのだ、と。

この二人に初黒星をつけてやると皆が意気込む中、一人の人物があかりへと抱きついた。

 

 

「待ってたよ、あかりちゃん! 一緒に頑張ろうね!」

「明日美さん! はい、よろしくお願いします!」

 

 

奈瀬である。奈瀬は最初に二人が来たときからあかりを気に入っており、それ以降もあかり、ついでにヒカルによく絡んでいたのだ。なので、ヒカルとあかりは多少1組メンバーと面識がある。

話は戻るが、院生の中で女子の比率は非常に少なく、ましてや1組は奈瀬しかいなかったのだ。そこにライバルではあるが、あかりが上がってきたのである。奈瀬は嬉しさを爆発させていた。

そんな二人のやり取りをヒカルがほっこり見ていると、奈瀬はからかうようにヒカルを見てくる。

 

 

「なになに? 進藤もハグされたいの? してあげようか?」

「……奈瀬にハグされてもなぁ」

「はぁ!? なによそれ!? なんの不満があるのよ!?」

「ヒカル、ひどーい」

「いや、そんなこと言われても……」

「やっぱりあかりちゃんのハグじゃないとダメなんだ! うわーん!」

「よしよし、明日美さん。泣かないで」

「いや、嘘泣きすんなし。あかりも乗るなよ」

「えへへ」

 

 

三人のやり取りを見て聞いて、1組のメンバーの表情が和らぐ。

ちなみに、ヒカルに対して未だに嫉妬の感情を持っている者は、この場にはほとんどいなかった。

確かにヒカルとあかりは一緒にやって来るし、一緒に帰っていく。昼飯も二人で一緒に食べている。これだけ見ればムカつくだろう。

だが二人が打つ碁を見れば、そこに確かに感じるものがあるのだ。この二人は自分達と同じで、本当に囲碁が好きで。そしてプロ棋士を目指しているのだな、と。

少なくとも碁に対して真摯であるならば、彼らはライバルであり仲間である。それがほとんどの者の共通認識であった。

 

 

「じゃあ、部屋に入るか。藤崎は今日オレとだよな。よろしく」

「あっ、はい! よろしくお願いします、伊角さん!」

「オレは和谷だな。よろしく、先輩」

「……ノヤロォ。先輩なんだからさんをつけろ、さんを」

「んー。和谷は和谷って感じなんだよなぁ」

「……上等だ。初黒星をつけて、呼び方変えさせてやる!」

「じゃあ、オレに勝つまでは和谷って呼ぶからね」

 

 

この日。

無敗を続けていた少女は、1組1位の前に初黒星を喫した。

そしてもう一人の少年は、無敗の記録をさらに塗り替えていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

帰り道。

 

 

「あー、悔しい! やっぱり伊角さんって強いなぁ」

(ーーですね。あの者、かなりの実力者に思えました)

「でも、その伊角さんに一目半差。しかも午後の相手には勝ってたし。あかり、かなり強くなってるよ」

「……そうかな?」

(ーーそうですよ! あかり、自信を持ってください!)

「……。ありがとう、佐為さん」

「あかり、今日もウチで検討していく?」

「うん! 行きたい!」

「じゃあ、決まりだな。佐為もよろしく」

(ーーえぇ、もちろんです。あのような面白い碁の検討、胸が躍りますよ!)

「あと私、検討の後に佐為さんに打ってもらいたいかな」

(ーーわーい、対局対局!)

「……。……そっちもそろそろ動き始めないとなんだよなぁ」

「?」

(ーー?)

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十七話

小学生編最後の話です。(前編)


 

「ヒカルって……私服ダサいよね」

「うっ……」

 

 

小学校生活ももう少しで終わり。春休みを間近に控えた、3月のとある平日の昼休み。あかりのど直球な言葉に、ヒカルは顔をしかめた。

 

 

「仕方ねーだろ。オレの服は全部、母さんが買ってきてるんだから」

「……」

「いや、オレもセンスいいとは思ってないけどさ」

 

 

ヒカルは今日着てきた、数字の5が前面プリントされている黄色の服を見下ろしながらそう答える。実際、他にヒカルが持っている服も55の数字がプリントされているものだったり、デフォルメされた熊が描かれているものだったりとお世辞にもオシャレとは言えないものばかりであった。

そんなヒカルの言葉を聞いて、あかりは目を輝かせる。

 

 

「じゃあさ、今度の日曜日一緒に服を見に行かない?」

「あかりと?」

「うん!」

「……。つまりデート?」

「うん!!」

 

 

あかりの言葉に、教室にいた周囲の女子達がキャーと声をあげる。ヒカルはそれを聞きながらも、特に考えることなく返答した。

 

 

「もちろんいいぜ。10時にあかりの家に迎えに行けばいいか?」

「それで大丈夫だよ!」

「了解」

 

 

デートの約束を取り付けたあかりは、女子の集団の方へ戻っていく。あかりちゃん大胆、などの声も聞こえるが、前の世界を経験している二人からすれば特に照れるようなことでもない。

そんなことないよ、と答えてるあかりをヒカルが横目で見ていると、同じクラスの男子から声がかかった。

 

 

「進藤。オマエ、また女子と遊ぶのかよ」

「女子っつーか、あかりとだけどな」

「おんなじだろ。前は一緒にサッカーとかして遊んでたのに、最近は全然じゃん」

「まぁ、オレにもいろいろあるんだよ」

 

 

男子の言葉を軽く流す。

ちなみに、逆行した最初の頃は急に仲良くなったあかりとのことを男子共に囃し立てられたが、あまりにも堂々とした振る舞いに最近はそういうことがなくなった。代わりにバカップル呼ばわりをされているが。

 

 

「まぁ、いいけどさ。せめて卒業前に一回くらい、またサッカーしようぜ」

「あぁ」

 

 

男子の言葉に、ヒカルは一つうなずいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてデート当日、藤崎家。

洗面所であかりの姉が歯を磨いていると、あかりが二階から降りてきた。その姿を見て、姉は一瞬目を見開く。

 

 

「おはよう、お姉ちゃん」

「……。おはよう、あかり。なんか、その……。随分気合い入ってるわね」

「そりゃあ、デートだからね」

 

 

ふふっと笑ってデートと言い切るあかりに、姉は妹に女を感じた。真っ白なワンピースは清楚な印象を醸し出し、それがあかりによく合っている。また、普段はしてない化粧を今日は薄く施していた。母にやってもらったのだろうか、自然な仕上がりになっている。

まだ小六ではあるが、女子である。デート相手によく見られたいというオーラをこれでもかと感じた。

 

 

「まぁ、楽しんできなさい」

「もちろん」

 

 

幸せそうに笑ったあかりはそう言うと、玄関へと向かった。ヒカルくんが迎えに来たらすぐに出られるようにそこで待つらしい。

健気だな、と思いながらリビングに入ると、そこには黒いオーラを纏った父の姿があった。

 

 

「なに? お父さん、どうかしたの?」

「あかりがデートに行くからいじけてるのよ」

 

 

姉の疑問に母が答える。

 

 

「ほら。あかりって今院生だから、毎週土曜日は一日中いないでしょ? 昨日もそうだったし。だからお父さん、今日はあかりと一緒に過ごそうと思ってたらしいの。でも……」

「ヒカルくんに取られちゃったと」

「あのガキが……。二日もあかりを一人占めしやがって……」

 

 

呪詛を吐くかのように呟く父。

そんな父を見て、母と姉ははやれやれと首を振った。

 

 

(ヒカルくんも大変だなぁ)

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十八話

 

デート当日、進藤家。

ヒカルは持っている服の中でもマシだと思われる服を着ると、下へ降りていく。そこにはニンマリと笑う美津子の姿があった。テーブルでは、父親の正夫が新聞を読んでいる。

 

 

「あらヒカル、もう出るの?」

「うん、そろそろ行くよ。早く行きすぎても迷惑だろうから、もうちょっとだけしたらね」

「そう。まぁ、楽しんできなさいな!」

 

 

それだけ言うと、美津子は洗濯物を持って二階へと上がっていった。その足取りは軽い。

前の世界含め、昔から美津子はあかりのことを娘のように可愛がっていた。そんなあかりが自分の息子とデートをするのが、おそらく嬉しいのだろう。

 

 

(オレよりテンション高いじゃん)

(ーーまぁまぁ。嫁姑の仲が悪いより良いではありませんか)

(……そりゃ、そうだけどさ)

「ヒカル」

 

 

ヒカルが佐為と話していると、正夫から声をかけられた。手招きもされたので、そちらに近づく。

 

 

「どうしたの、父さん?」

「これからあかりちゃんとデートなんだろ?」

「え? まぁ、そうだけど……」

「これを使いなさい。軍資金だ」

「!」

 

 

小声とともに渡されたユッキーの紙を見て、ヒカルは目を見開く。そして正夫は、再び新聞を広げながらつぶやいた。

 

 

「母さんからは服のお金しかもらってないだろ。それで、あかりちゃんとご飯を食べたり、好きなものを買ってあげなさい」

「父さん……」

「しっかりエスコートするように」

「……うん、ありがとう。行ってきます」

 

 

お礼を言って家から出ていくヒカルを、正夫はにこやかに見送った。

 

 

「……見てたわよ。かっこつけちゃって」

「いやぁ。最近のヒカルは急に大人びてきたしね。そういうのも必要かと思ったんだよ」

「……まぁ、わかるわよ」

「小学生とはいえ、買い物デートだ。かっこ悪いところは見せられないしね」

「ふふっ、確かにそうね」

「だろ? ……それより母さん、一つ相談があるんだが」

「なによ」

「その……。お小遣いを前借りしたいんだけど」

「……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「楽しかったー!」

 

 

時刻は夕暮れ。土手沿いの帰り道。

右手は服が入った袋を持ち、左手はヒカルの右手とつないでいるあかりは満足そうに声をあげた。

午前の服屋での服選びから始まったデートは、昼食でラーメンを食べ、午後はウィンドウショッピングを楽しみ、そして今帰宅の運びとなっている。

正夫のアドバイス通り、服屋では自分のもの以外にあかりのものも買った。最初は遠慮して断っていたあかりだったが、ヒカルがプレゼントしたいと言うと、最終的には嬉しそうに笑って受け取ってくれた。その笑顔だけで、渡した価値があるというものである。

 

 

「ヒカルはどうだった?」

「楽しかったに決まってるだろ」

「なら良かった!」

 

 

ヒカルの答えにご満悦なあかり。

そんなあかりの様子を見て、ヒカルは歩みを止めた。あかりが不思議そうにこちらを見つめてくる。

 

 

「どうしたの、ヒカル?」

「……実はあかりに渡したいものがあって」

 

 

つないでいた手を放すと、左手に持っていた袋の中から目的のものを探す。そしてそれを見つけると、あかりへと差し出した。

それはペアリング。千円ちょっとで買えるような、安物である。それを見たあかりは、大きく目を開いた。

 

 

「オレ達がこの世界に来てから三ヶ月。いろいろあって、こんな風なデートとかもあんまりなかったしさ」

「……」

「周りからはバカップルって言われてるけど、この世界では告白なんてまだしてなかったし」

「……」

「あかりがオレのことを好いてくれてるのはわかるし、オレもあかりのことを好いてるけど、ちゃんと言葉にしなくちゃなって。形にしなくちゃなって、そう思ってさ。まぁ、指輪なんてまだ買えないから、ペアリングになっちまったわけだけど」

「……」

「あかり」

 

 

ヒカルがあかりの名前を呼ぶ。

 

 

「進藤ヒカルは藤崎あかりが好きです」

「!」

「この世界でも、オレのパートナーになってください」

「……はいっ!」

 

 

あかりはペアリングを受け取ると、そのままヒカルに抱きつく。

そうしてここに正真正銘の碁バカップル、碁夫婦が生まれたのであった。

 

 

 

 

 




本当は。
家に帰ってペアリングを見てニヤニヤしているあかりちゃんとか。
二人の邪魔をしないように、わざと土手の草むらを歩いている佐為とか。
そんなのも書きたかったんですが、こんな形になりました。

これで小学生編は終了です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

逆行 中学生編
第一話


 

小学校を無事卒業し、葉瀬中へと入学したヒカルとあかり。

とは言っても二人の生活はあまり変わることもなく、研修会に出ては白星を積み上げていく。4月の終わりにはヒカルは1組1位の座を伊角から勝ち取っており、あかりも4位の位置にいた。

 

 

「マジでオマエら強えな。あっという間に抜かしやがって」

 

 

研修会も終わり、後は帰るだけという時間。

和谷がヒカルとあかりにそう声をかけると、二人は照れたように笑う。ここだけ見たら全然強そうに見えないのに、とは多くの人が思っていることだった。

 

 

「オマエら、毎日の碁の勉強どうしてる?」

「どうしてるって?」

「例えばオレは九星会っていう囲碁の塾に通ってるんだよ」

 

 

ヒカルの疑問に、伊角が答えた。

 

 

「オレ以外にも結構通ってるヤツはいるかな。たまに九星会出身のプロも来るから勉強になるし、レベルも高いと思う」

「へぇ。……和谷は?」

「オレは森下九段の弟子にしてもらってる。学校終わったら師匠んち行って、ちょっと碁をみてもらうんだ」

(まぁ、そういう感じで勉強するのが普通だよな)

 

 

ヒカルがそう考えていると、和谷がさらに続ける。

 

 

「オマエら師匠いないって聞いたし、どうしてんのかなと思ってさ」

「えぇっ? あかりちゃんと進藤って、師匠いないの?」

「わわっ」

 

 

そこに奈瀬も話に入ってきた。

もちろん、あかりに抱きつきながらだが。

 

 

「えっと。私にとってはヒカルが師匠なんだけどね」

「あー、わかるわ。進藤、超強いもんね」

「それに碁の勉強も、毎日ヒカルと打ってるくらいだよよ。ねぇ、ヒカル?」

「まぁ、そうだな」

「確か藤崎、前もそんなことを言ってたな」

 

 

伊角の言葉に、うんと頷くあかり。それを聞いて、和谷は考え込む。

 

 

(上にいこうと思ったら、才能より努力より、とにかく強い人に一局でも多く打ってもらうこと。これが一番だ)

 

 

そしてヒカルの方をチラッと見た。

 

 

(進藤ははっきり言って異常なほどに強い。オレとの最初の対局も、この前の伊角さんとの対局も指導碁だった。藤崎はそんな強い進藤と毎日打っている……)

 

 

思わず唾を飲み込む和谷。

あかりは1組に来たばかりよりも、確実に強くなっていた。1組4位という結果を残しており、プロ試験では間違いなく強敵になるだろうと予想される。ヒカルに至っては、敵になれるのかも怪しい。

だからこそ、迷いが生じた。

 

 

(……この二人を師匠の研究会に誘うべきか?)

 

 

森下の研究会に顔を出している院生は、現在和谷のみ。これは強力なアドバンテージである。

これをヒカルに、特にあかりに差し出すのは躊躇われた。

 

 

(……)

 

 

和谷が葛藤している間も、時間は待ってくれない。

結局その日は、声にして誘うことができなかった。

 

 

(……次の研修日までに考えておこう)

 

 

和谷はホッとする一方で、胸をチクッと刺すような痛みを感じるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

森下の研究会にて。

 

 

「……」

「どうしたんだよ、和谷? 元気ないじゃん」

「冴木さん。……いや、なんでもないです」

「ふーん。まぁ、いいけどさ。それよりも来月の若獅子戦、和谷も出るんだよな?」

「まぁ、そうっすね」

「じゃあ、当たるかもしれないな。そんときはよろしくな」

「冴木! 塔矢門下には絶対負けるなよ!」

「いや、師匠。芦原さんはそんな楽には勝たせてくれないですよ」

「そこを何とかせい!」

「……トホホ」

「……」

「和谷くん、本当にどうしたんだい? 調子でも悪いの?」

「……。いえ。白川さん、大丈夫です。……あの、冴木さん」

「? 何だ、和谷?」

 

「院生で、とんでもなく強いヤツがいます。若獅子戦の優勝候補筆頭の、化物みたいなヤツが」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同時刻、塔矢家にて。

 

 

「ふむ。確か芦原くんは、今年の若獅子戦に出るのだったね?」

「? えぇ、出ますよ。ライバルは同期の倉田さんと、あとは冴木くんくらいかと思いますけど」

「ふっ、そうかね」

「? 名人、随分と楽しそう……というか、おもしろそうですね」

「……確か緒方くんは、若獅子戦の日に手合いはなかったかな?」

「まぁ、その日は特に何もありませんが」

「ふむ。なら、その日は芦原くんの激励に行くといい」

「えっ!? いや、それは勘弁して欲しいんですけど」

「ほぅ。それはどういう意味だ、芦原?」

「いや、緒方さんに来られたら緊張しちゃいますって!」

「……本来なら私が行きたいところなのだが、生憎手合いでね」

「!? いや、塔矢先生に来られたら卒倒しますよ!」

「もちろん芦原くんの応援もあるが、もう一つ目的がある」

「ほぅ。名人が行きたいほどの何かが、そこにあると?」

「……え?」

 

「院生の中に、台風の目どころか台風そのものみたいな少年がいるはずだ。二人で見てくるといい」

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二話

 

若獅子戦。

5月終わりの日曜日から3日かけて行われる、院生16人と若手棋士16人、合わせて32人のトーナメント戦である。若手棋士の中には倉田、芦原、冴木と実力のある者達が揃っており、今年も院生側は厳しい闘いを強いられる……はずであった。

 

 

「全く……。名人も何を考えているのやら……」

「あはは。でも、それでしっかり来ちゃうのが緒方さんですよね」

 

 

出場する芦原はもちろん、先日行洋から話を聞いていた緒方も若獅子戦の会場に訪れていた。そして、篠田のもとに集まっている院生達を見て、つぶやく。

 

 

「今のところ、台風みたいなオーラを醸し出しているヤツはいなさそうだが」

「なんですか、台風みたいなオーラって」

「いや、なに。みんなあどけない子供達だと思ってね。とても名人が言ってたような少年がいるとは思えない」

「……緒方さん、なんかジジクサイですよ」

 

 

芦原が呆れていると、向こうから歩いてくる知った顔を見つけた。冴木である。

 

 

「冴木くーん! おはよー!」

 

 

急に芦原の口調が軽くなった。緒方相手にはもちろんできないが、この馴れ馴れしい感じが芦原の通常状態であった。

そんな芦原に苦手意識を持っている冴木が、引きつったように笑う。

 

 

「芦原さん、おはようございます」

「なになにー? 緊張してるのー?」

「はは、まぁ、そんな感ーー」

 

 

乾いた笑いは、芦原の隣にいる人物を見て止まる。

 

 

「えっ。何でここに緒方九段が……?」

「あぁ。なに、コイツの激励だよ」

 

 

緒方が芦原の肩をポンと叩くと、芦原はビクッとした。

なるほど、と冴木は頷く。そこに芦原は待ったをかけた。

 

 

「いやいや、緒方さん。もう一つ目的がありますよね?」

「目的?」

「……まぁ、そうだが」

「冴木くん冴木くん。実はねー、この前名人から言われたんだけどー」

「?」

「どうやら院生の中に、台風みたいな少年がいるらしいんだよー」

「っ!」

 

 

芦原の言葉に冴木の表情が固まる。当然のように、緒方と芦原は冴木の変化に気がついた。

 

 

「冴木くんー?」

「何か知ってるのかい?」

「……。……実は」

 

 

二人の質問に対して少し迷いながらも、冴木は言葉にする。先日同じ研究会に通う院生からもたらされた、バカげたようなありえない話を。

 

 

「院生の中に、化物みたいに強いヤツがいるみたいです。院生になってから一度も負けず、しかも常に院生相手に指導碁を打つようなヤバいやつが」

「「……」」

 

 

あまりにもあり得ない話に、二人はポカンとした表情を見せる。

しばらく無言であったが、芦原が急に笑いだした。

 

 

「あははー! もう、冴木くんは冗談がうまいなー!」

「……」

「いくらうちのアキラでも、そんな芸当できないよー! それにもし仮にそんな子がいたとして、それだけ強かったら院生にならないでプロになってるでしょ! ねぇ、緒方さんもそう思いますよね?」

「まぁ、にわかには信じられない話ではあるな」

「……。オレも実際、和谷……森下師匠の研究会に通う院生の子が打ったっていう碁を見せられるまで、信じられなかったんですけどね」

「……。えっ。マジ?」

「……。その子の名前は?」

 

 

緒方が冴木に尋ねる。

 

 

「……進藤ヒカルというそうです。一回戦は確か、倉田さんが当たるはずですよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「キミも運がないな! 一回戦からオレと当たるなんて!」

 

 

ヒカルが指定された席に着くと、目の前の大きな体の男から声をかけられた。

倉田厚である。

 

 

「……今日は勉強させてもらいます」

「うん、存分に勉強してくれていいから! 厳しい手をいっぱい打つと思うけど、これからのキミの糧にしてくれ!」

 

 

自分が負けるなど、倉田は微塵も思ってない。

なぜなら倉田は碁を覚えて2年でプロになった、まさに天才なのである。現在は四段であり、院生に負けるなど普通に考えてあり得ないのだ。……普通であれば。

 

 

(完全に油断してるなぁ。大丈夫か?)

(ーーこの者、随分と自信家ですね。強いのですか?)

(今日の参加者の中では一番強いと思うぜ。次点で冴木さんと芦原さんって人が強いかな)

(ーーふむ、ワクワクしますね)

(今日は普段よりレベルの高い対局が他でも見れるだろうから、見て回るといいと思うぜ)

(ーーわーい!)

 

 

心の中ではしゃいでいる佐為に苦笑しているとーー

 

 

「互先ですが、院生が黒を持ちます」

 

 

全員が席に着いたのだろう、運営から開始の合図があった。

 

 

「始めて下さい」

「「お願いします」」

 

 

 

 

 





完全に勘違いしている部分があったので、こちらで。

院生の研修日をこの作品では毎週土曜日と第2日曜日で設定していた……というか、そう思っていたんですが。
原作では研修日は毎週日曜日と第2土曜日でした。
訂正しようとも思ったんですが、そうすると葉瀬中創立祭も買い物デートも日曜日なのでいろいろおかしくなりそうで。
なので申し訳ないんですが、この作品では研修日は毎週土曜日と第2日曜日ということにします。

よろしくお願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三話

 

16箇所で一斉に闘いの火蓋が切られた若獅子戦一回戦。

始まる前に冴木から気になる情報を手に入れた緒方であるが、まずは同じ門下の芦原の碁を見ていた。相手はツインテールの少女ーーあかりである。

 

 

(この少女、なかなか打てるな。相手が芦原でなければ、勝ち進むこともできただろうに)

 

 

緒方が碁から感じたあかりの印象は、他のプロの低段者くらいの力はありそうというものである。今年のプロ試験では上がってくるかもしれないな、と思いながら次の対局へ目を移す。

 

 

(……これも院生側が善戦している。というより押してるか?)

 

 

院生である黒髪の少年ーー伊角の対局を見て、緒方は感心した。

 

 

(今年はアキラくんがプロ試験を受けると言っていた。正直な話、アキラくんの相手になる者はいないと思っていたが……。なるほど、院生にもおもしろそうなヤツらがいるみたいだな)

 

 

その後も緒方は他の対局をチラッと見ながら、もう一つの目的の場所へと移動していった。進藤ヒカルはわからないが、倉田ならどこにいるかわかる。というか、一目瞭然であった。

一番奥の席に、例の巨体の背中が見えた。ついでに院生だろうか、少年少女達がギャラリーとして集まっている。その中には、週刊碁の記者である天野の姿もあった。

 

 

(天野さんが対局を?)

 

 

不審に思いながら、緒方は近づく。そして近づくと、天野が食い入るように対局を見ているのがわかった。

 

 

(いったい何が……?)

 

 

釣られるように、緒方も盤面を見る。

そして絶句した。絶句するしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

対局開始前。

勉強させてくれと目の前の少年に言われた倉田は、一瞬で機嫌が良くなった。厳しい手を打つというのも、倉田からしたらサービスの意味合いが強い。しっかり勉強させてやるということなのだから。

さて。そんな倉田であるが、ヒカルの挨拶と打たれた第一手を見てそんな甘い考えを吹き飛ばした。自分の勝負勘が警鐘を鳴らしている。コイツはヤバいヤツだと。

倉田は碁を打つとき、何よりも勝負勘というものを大切にしている。勝負所、攻め所。大事な場面での決め手はそれに従って打ち、そしてこれだけの成績を残してきたのだ。

 

 

(……進藤ヒカル、ね)

 

 

運営からもらったトーナメント表を見て、自分の前に座る少年の名前を確認する。そして、自分の頭の中の要注意人物のリストにその名前を書き入れた。

 

 

(全力で打たせてもらう!)

 

 

倉田は碁笥から白石を摘まむと、盤面へ打ち付けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

話は戻り、緒方がヒカルと倉田の碁を覗いた場面。

 

 

(こんなことがっ……!)

 

 

緒方は局面を見て絶句した。

緒方は倉田の力を認めている。まだ自分には及ばないが、若手棋士の中なら実力はトップであろう。自分を追いかけてくる者の中では、一番怖い存在であった。

そんな倉田が。盤面の白が。

 

 

(白がこんな一方的に攻められるとはっ……!)

 

 

苦しそうに打つ倉田に対して、前髪が特徴的な少年はノータイムで、だが的確に打ち込んでいる。

緒方も、対局者の二人も、周りのギャラリーもわかっている。中央の白には、もう生きがない。数手後には倉田から投了の言葉がかかるだろう。

 

 

(これが……。これが進藤ヒカル……。これで院生とは、いったい何の冗談なんだ?)

 

 

緒方から乾いた笑いが溢れる。

アキラを間近で見てきて、囲碁界に新しい波が来ることはなんとなく予感はしていた。それがまさか、自分達を簡単に飲み込むかもしれないほどの大きな波とは予測していなかったが。

 

 

「……ありません」

「ありがとうございました」

 

 

倉田の投了の言葉は、静かな会場によく響いた。その声を聞き、他で対局中のプロ達の動きが止まる。

15人のプロ達の視線が、一斉に同じ方向を向いた。そして、多くのプロ達が驚きで目を見開く。それはそうであろう。倉田は今回参加のプロの中では、一番の実力者である。そんな彼が負け、一回戦で姿を消したのだから。心中穏やかではいられない。動揺を隠せない。

逆に院生側は落ち着いたものだった。ヒカルならそれくらいやるかもしれないという予感があった。そして彼が倉田に勝ったとわかり、自分もそれに続いてやると静かに闘志を燃やす。やる気を漲らせる。

それが、その後の対局に影響した。

 

その日。

一回戦を突破した院生は、16名中8名。

これは、若獅子戦が始まって以来の快挙であった。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四話

 

午後に行われる若獅子戦第二戦。

ヒカルの正面に座るプロの村上は周りを囲むギャラリーの数に驚き、また、その面子に恐れ戦いていた。

 

 

(なんでこんなにギャラリーがいるんだ!? しかも緒方九段や倉田四段もいるし!?)

 

 

始まる前から嫌な汗をかき、着ていたスーツの上を机に置く村上。そして村上は、この雰囲気の中でも落ち着いて座っているヒカルを見た。

 

 

(一回戦は倉田四段と当たって勝ち上がってきた……。間違いなく俺より強い倉田四段を……)

 

 

村上は倉田に一回戦の内容を聞いてみたが、はぐらかされてしまっていた。ただ一言、やってみればわかると。

始まる前から緊張しているプロと悠然としている院生。端から見たら、逆だと思うことだろう。

 

 

「「よろしくお願いします」」

 

 

そしてヒカルが再び黒を持ち、対局が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それにしてもこの前の若獅子戦、今年はかなり大健闘だったよね!」

 

 

いつも通りの院生研修日。

某ファーストフード店にて院生仲間で昼飯を食べているとき、奈瀬がこの前を思い出すように話題に出す。

ちなみにメンバーはヒカルとあかり、奈瀬、伊角、和谷、本田、フク、そして1組16位にまで登り詰めた内田の8人である。かなりの大所帯であった。

ちなみに1組に上がってきた内田をやはり奈瀬が歓迎し、いつものメンバーに入ってきたという経緯がある。

 

 

「まぁ、一回戦は8人も勝ったしな」

「二回戦も勝って進んだのは伊角さんに本田さん、それに進藤の3人かぁ。……今年は院生側の逆襲もあるんじゃない?」

 

 

チラッとヒカルを見る奈瀬。

その視線に気づき、ハンバーガーを頬張っていたヒカルはにかっと笑った。

 

 

「おぅ。優勝は任せとけ」

「……倉田四段に中押し勝ちしたヤツが言うと、説得力が違うわ」

「ははは。まぁ、進藤だからな。……ただ、オレも本田も簡単に負けるつもりはないから、当たったときはよろしくな」

 

 

呆れたように奈瀬が声を出す。それを聞き、伊角と本田は苦笑しながらも、優勝宣言したヒカルに闘志を燃やした。

 

 

「でも私、この前の対局でかなり強くなった気がする……」

「私も。院生の皆との対局も勉強になるけど、プロとの対局はまた違うんだなって思った」

 

 

また、芦原と村上にそれぞれ負けたあかりと内田も、この前の対局を思い出してやる気を漲らせていた。だが、その一方で意気消沈している者もいる。和谷であった。

 

 

(結局オレは、去年まで院生だった中山さんに勝てなかった。手応えはあるにはあったけど……)

 

 

一緒に食事をしているメンバーを見る。

 

 

(一回戦負けのオレと比べて、伊角さんと本田さんは三回戦まで進んでいる。奈瀬も一回戦を突破しているし、藤崎は一回戦負けだが相手が悪かった。そして何よりもーー)

 

 

進藤ヒカル。

倉田四段と村上初段に、危なげなく中押し勝ち。間違いなく、今年プロになることが予想される少年。

 

 

(プロが……遠い……)

「和谷くん、大丈夫? 調子悪いの?」

「……。いや、何でもねぇ」

 

 

こちらの表情を心配そうに覗いてくるフクにそう答えると、和谷は食べかけのハンバーガーを齧った。

心にもやもやするものを、残しながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

塔矢家にて。

 

 

「どうだったかね、彼は?」

「……。いや、どうもこうも……」

「名人もお人が悪い。何者なんですか、彼は?」

「……。私もあまり詳しくは知らないが、アキラ相手に指導碁をしたと聞いている」

「えぇっ! アキラ相手にですか!?」

「それはまた……」

「それと私も彼と対局をしたのだが。まぁ、彼が私と渡り合える力を持っているのは確かだ」

「「!?」」

「芦原くんは次、彼と当たるらしいね。頑張りたまえ」

「くくっ。頑張れよ、芦原。また応援に行ってやる」

「……。いや、洒落にならないですよ、ホントに……」

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五話

一度、若獅子戦から離れます。


 

その後ヒカルは、若獅子戦2日目でも旋風を巻き起こしていた。プロの芦原と落合に両方中押し勝ちで勝利し、決勝進出を決める。そしてその決勝の相手は冴木であった。

さて、そんな対局を次の日曜日に控えた平日。すべての授業が終わった放課後の時間。葉瀬中の理科室にヒカルとあかり、そして三谷と筒井の姿があった。

 

 

「……負けました」

「ありがとうございました」

「……本当に進藤くん強いね! 五子置いても全然歯が立たないや」

 

 

ヒカルと対局して負けた筒井は、悔しそうにしながらも笑顔でヒカルを褒め称える。力を出しきることができて、満足げではあった。

 

 

「……ありません」

「ありがとうございました」

「……藤崎、また強くなってね?」

「えへへ、そうかな?」

 

 

そしてもう一つの対局、あかりと三谷の対局も終わる。

三谷の言葉に、あかりは素直に嬉しそうに微笑んだ。

 

 

「くそっ。藤崎、もう一回だ!」

「うん、いいよ!」

「じゃあ、筒井さん。オレらももう一局打つ?」

「そうだね。また五子でお願いできるかな?」

「了解」

 

 

小学生のときの宣言通り、三谷は葉瀬中囲碁部へと入部した。そしてヒカルとあかりもそれぞれの事情は筒井に伝え、それに続くように入部した。筒井はそれでも大層喜んでいたが、三谷には一つ不満がある。

 

 

「やっぱりあと1人、部員が欲しいよな」

「……そうだね。6月の大会、フルメンバーで出れればいいんだけど」

 

 

団体戦。

現状、大会に出れる面子は三谷と筒井のみ。三将を不戦敗という形で出ようと思えば出れるが、三谷はそれも何か違う気がしていた。

 

 

(3人で共通の敵に向かって挑んでいく、あの感じ。緊張感、高揚感……。やっぱ3人で、やりたいよなぁ)

 

 

三谷はそう思い、ため息をつく。

そんな三谷に、何とはなしにヒカルが話題を振った。

 

 

「そういや三谷」

「何だよ?」

「オレ、風の噂でオマエのクラスに碁に興味を持ってるヤツがいるって聞いたぜ」

「本当か!?」

 

 

ヒカルの言葉に、思いっきり食いつく三谷。筒井も目を丸くしていた。

 

 

「まぁ、噂だけどな」

「誰だ!? その興味のあるヤツってのは!?」

 

 

今にも掴みかかりそうな三谷に、ヒカルはその名前を告げる。その名前を聞いて、あかりはとても懐かしい気持ちになっていた。

前世でヒカルと三谷が喧嘩別れをしたその日に三谷に連れて来られたその少年は、2人が部からいなくなってしまった後も部を辞めることなく3年まで頑張っていた。碁がよくわからなかった自分や久美子にも根気よく、丁寧に教えてくれた少年である。そんな彼が囲碁部に来てくれるのは、とても嬉しいことだと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日の三谷の教室。朝の会が始まる前。

三谷は、緊張しながらもすでに登校していた少年、夏目洋介に話しかける。

 

 

「えっと。夏目だよな? ちょっと時間いいか?」

「? 三谷くんだよね? どうしたの?」

 

 

今まであまり話したことのない人物から話しかけられ、夏目は不思議そうな顔をした。

 

 

「実は夏目が碁に興味があるって聞いたんだけど」

「えっ? ……えっと、確かに夏休みに少し勉強してみようかとは思ってたけど。誰がそんなことを?」

「例のバカップルから」

「……いや、何で? ボクその人達と面識ないんだけど」

 

 

怪訝そうな夏目だが、三谷は別のことに気を取られていた。それは夏目の言葉に出てきた、碁を勉強してみようという一言。

 

 

(情報源は相変わらず不明だが、夏目が碁に興味を持っているのは本当だった! これを逃す手はない!)

「あのさ、夏目。一つ頼みというか、相談なんだけどさ」

「?」

「実はーー」

 

 

その日。初心者ではあるが、5人目の部員が囲碁部に入った。部員達のあまりの歓迎ぶりに、夏目の方が目を白黒させていたが。

こうして葉瀬中囲碁部は、6月の大会に向けて始動していくのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

帰り道。

 

 

「……あかりは良かったのか?」

「良かったって何が?」

「ほら。前と同じように夏目は囲碁部に入ったわけじゃん?」

「うん! 嬉しいよね!」

「だからその……。前と同じように津田とか誘わなくていいのかなって?」

「……。うーん。でも、大会に出れないのに誘うのはちょっと……」

「そっか」

「でも心配しなくて大丈夫だよ! 部活は違くても久美子とは仲良くやってるし」

「うん」

「それにこの前、金子さんとも話したんだから!」

「へぇ、何の話をしたんだよ?」

「えっと。ヒカルのどこが好きなのか? とか。いつから付き合ってるのか? とか」

(恋バナかよ!? 意外!)

 

 

 

 

 





金子さんは恋バナを聞くけど興味なさげに「ふーん」とか言って、でも実際はかなりそういう話に興味があると勝手に思ってます。

それと津田さんファン、金子さんファンの皆さん、ごめんなさい。
たぶん出番、ないです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六話

 

迎えた若獅子戦3日目。決勝戦。

例年の決勝はほとんどプロ同士の対決となるため、基本的に院生の応援はない。だが、今年は違う。ヒカルの大躍進により、例年以上の賑わいが会場にあった。

そんなたくさんの院生達に加えて、緒方や倉田といったプロ達に見守られる中、ヒカルと冴木は座って対峙していた。

対局開始前、冴木の方からヒカルに話を振る。

 

 

「……和谷から聞いているよ。院生では負け知らず……どころか指導碁を打ってるって」

「……」

「多くのプロを破って決勝まで来てるんだ、今さら実力を疑うこともない。今日はこちらが胸を借りる気持ちで打たせてもらうよ」

「……こちらこそ。よろしくお願いします」

 

 

プロ対院生なので、もちろん黒をヒカルが持つ。

多くの人達に注目され、闘いが始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(これは大変なことになるかもしれない……!)

 

 

ヒカルと冴木の対局が始まり10分ちょっと。

白の形勢が徐々に悪くなるのを見て、天野は自分がいつになく興奮していることに気づいた。ペンを強く握りしめ、盤上を真剣に見つめる。

 

 

(過去の若獅子戦。院生が優勝することはおろか、決勝に来ることすらなかった。もし彼が優勝したら……歴史が変わるぞ!)

 

 

天野はヒカルと倉田の対局を見たその日の内に、進藤ヒカルについて調べてみた。普通であればどこかの子供大会で優勝しただとか、師匠が誰だとかわかるものである。だが、この少年からはそういった情報が一切出てこなかった。

また、天野は篠田にもそれとなくヒカルのことを聞いてみた。だが、返ってきた答えは曖昧なもの。とりあえず、碁を始めてまだ2年も経ってないと聞いたときは度肝を抜かれたが。

 

 

(若獅子戦で院生初の優勝。それが碁を始めてまだちょっとの天才少年。これは記事になる! ぜひインタビューしなくては!)

 

 

対局終了後のことを考え、張り切る天野。

また、そんな天野と同じように盤面を食い入るように見つめ、内心興奮を隠せていない人物がいた。緒方である。

 

 

(……本当に素晴らしい打ち回しだ。冴木くんも若手のプロの中では芦原と同様、少し抜けている。が、そんな彼がこうも手玉に取られるとはな)

 

 

不利を悟り、果敢に攻め込む白。黒はそれに付き合わず守ればいいだけなのに、さらに反撃して白地を減らしていく。反撃の手が、豪腕で捩じ伏せられていく。

 

 

(恐ろしいヤツだ。冴木くんが言ってた通り、まさに化物だな。……だが、同時に対局してみたくもある。コイツにオレの本気をぶつけてみたくもある)

 

 

緒方はニヤリと笑った。

決勝戦が終わったらコイツに声をかけよう。自宅で一局打たないか、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

帰り道。

 

 

「おめでとう、ヒカル」

(ーーおめでとうございます、ヒカル!)

「サンキュー」

「でも良かったの? 緒方さんの誘い断って……」

「いや、断るだろ。いきなりオレの家に来いなんてさ。怖いわ」

「ふふっ。何か前もそんなこと話してたね」

「あの人見た目クールなのに、めっちゃしつこいんだよな。前の世界でも佐為のこと結構聞かれたし」

(ーーなんか、やだ)

「でも、それだけヒカルの碁が魅力的だったんじゃないの?」

「それでもいきなり家に来いはないだろ。天野さんなんて、目が点になってたぜ?」

「ヒカルにインタビューしようと思ったら、出鼻をくじかれちゃったんだろうね」

「芦原さんが止めてなかったら危なかったな」

「ふふっ!」

「……でも。これでようやく母さん達に話ができる」

「? 話って?」

「まぁ。話というよりは交渉、かな」

「交渉?」

「若獅子戦優勝したからさ、高いけど、あるものをねだろうと思って」

(ーー?)

 

 

ヒカルは佐為の方を向くと、一つウィンクをした。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七話

 

若獅子戦優勝。

それがどれだけすごいことなのかを、もちろん美津子と正夫は正しく理解していなかった。だが、若手のプロにも勝ったというヒカルの話を聞いて驚き、目を白黒させてはいたが。

そしてその報告を受けた平八はというと。大きくあんぐりと口を開け、しばらく放心状態であった。だが、その意味を徐々に理解すると喜びを爆発させる。

そんな平八の案で、土曜の夜にささやかなお祝いの場が設けられることとなった。

 

 

「しかし、本当にヒカルは碁の天才だな!」

 

 

お酒が良い感じで入った平八は、上機嫌で寿司を口にするヒカルを見てそう言った。同じくほろ酔い状態の正夫と美津子も、ヒカルに声をかける。

 

 

「そうだな。プロに勝つくらいなんだから、才能があるんだろう」

「だいぶ熱心にやってるなとは私も思ってたけど、まさかそんなに強いなんてね」

「まぁね!」

 

 

三者に褒められてヒカルは自信ありげにそう返した。そして今に至るまでに計画し、考えてきたことを口にする。

 

 

「それはそうと、父さん。実は前からずっと欲しかったものがあって、優勝祝いに買ってもらえたらって思うんだけど……」

「? 何が欲しいんだい、ヒカル?」

「……パソコン」

「「「パソコン!?」」」

 

 

ヒカルの答えに、3人が驚きの声をあげた。

それはそうであろう。この時代のパソコンは高級品であり、20万は軽く超える代物である。小学生に与えるには過ぎたオモチャだ。

 

 

「パソコンが欲しいって……いったい何に使うのよ?」

「まずは棋譜をまとめたいかな。あかりと指した対局とかすげぇあるんだけどさ、それを後で見返すときに紙でまとめるよりパソコンでまとめた方が良いんだよね」

 

 

美津子の問いに、ヒカルは答える。

 

 

「あと、インターネットを使って世界中の人と碁が打ちたいなって」

「世界中のって……今はそんなことができるのか?」

「うん。ワールド囲碁ネットっていうのがあって、そこにアクセスすれば打てるって聞いた。絶対勉強になると思うんだ」

「……」

 

 

ヒカルの言葉に、正夫は考える。思ったよりもしっかりとした理由であった。

 

 

(確かにすごい大会で優勝したみたいだし、ヒカルには何かお祝いの物を買ってはあげたい。……けど、20万円かぁ)

「なんだ、正夫。買ってやればいいじゃないか」

 

 

考え込んでいる様子の正夫に、平八がヒカルにとっての援護射撃を放つ。

 

 

「いや、父さん。そうは言ってもパソコンなんて高価な物だしーー」

「値段なんて気にしとるのか? ならワシが買ってやろうか?」

 

 

何気ない平八の言葉。

それに焦ったのは、美津子であった。

 

 

「待ってください、お義父さん! お義父さんにはこの前も高価な碁盤を買ってもらったばかりですし、そこまでしてもらうわけには……!」

「いや、美津子さん。ワシはヒカルに期待をしてるんだ。そういったことをしたいんだよ」

 

 

平八としてはかわいい孫に期待をかけている分、そういったことをしたいのだ。しかし、美津子としては義父にまた安くないお金を使わせてしまうのは恐縮ものである。

 

 

「でもーー」

「だがーー」

「……。はぁ……。いいよ、父さん。ウチで出すから」

 

 

平八と美津子が押し問答をしていると、ようやく正夫が言葉を遮った。そしてヒカルの方を向き、再度確認する。

 

 

「ヒカルはパソコンで、さらに碁の勉強をしたいんだね?」

「うん」

「パソコンは勉強する上で、必要なんだよね?」

「うん。絶対必要」

「……なら、しょうがないか。母さん、いいよね?」

「……あかりちゃんのためにもなるなら、良いんじゃない?」

「っ!」

 

 

キラキラした目をするヒカルに、正夫は少し困ったように笑いながらーー

 

 

「ヒカル。オレと母さんからの、お祝いだ。今度一緒に買いに行こう、大切に使えよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヒカルの部屋。

 

 

「やった。これで……」

(ーーヒカル? ご両親に何を頼まれたのですか?)

「えっ? ……そりゃあ、良いものだよ」

(ーー良いもの? 具体的にはどういった?)

「……秘密」

(ーーえぇ!? なぜ!? なぜですか、ヒカル!?)

「うるさいなぁ。それより今日は対局しないのか?」

(ーーわーい、するー!)

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八話

 

「うん。部屋にパソコンがあるのもいいもんだな」

 

 

業者の人が設置していったパソコンを見て、ヒカルは満足げに頷いた。買ってくれた親に感謝である。

 

 

(ーーヒカル? これは何ですか? ぱそこ?)

 

 

目の前に置かれた箱のような物を撫でながら、佐為は不思議そうな顔でヒカルに尋ねる。そんな佐為に、ヒカルはどや顔でネタバラシをした。

 

 

「ほら、今まで佐為ってオレとあかりとしかほとんど打ってないじゃん? だから佐為に、いろんな人と好きなだけ打たせてやろうと思ってさ」

(ーーえっ。……。えっ? えっ!?)

 

 

慌てふためく佐為を横目に、ヒカルはパソコンの電源を入れた。前世でよく見たロゴが画面に映し出され、少し懐かしい気持ちになる。

少し長いローディングの時間を待ち、インターネットを立ち上げてワールド囲碁ネットへとアクセスした。

 

 

(ーーヒカル! 今なんと!?)

「えっと、まずは名前を入力だな」

(ーーヒカル! ねえ、ねぇってば! 好きなだけ!? ホントに!?)

「やかましい! ホントだから、少し待ってろ!」

(ーーっ! ヒカル、大好き!)

 

 

引っ付いてくる佐為を無視して、ヒカルは名前を入力した。前の世界でも碁界を揺るがした、その人物の名前を。

『sai』と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アメリカ。

国際アマチュア囲碁カップのアメリカ代表に選ばれた青年は、パソコンの画面に映っている先ほどまで打っていた碁を見て、ただただ呆然としていた。

自分は厳しい予選を勝ち抜いて、1名しかなれないアメリカ代表になったのだ。それなりどころか、かなり打てると自負している。ところがーー

 

 

「信じられない。なんて強さだ……」

 

 

結果は中押し負け。しかも、かなり力に差があると感じさせられる内容であった。

多少プライドは傷ついたが、それよりも興味が勝った。相手のハンドルネームを見る。『sai』。そして出身は『JPN』。

 

 

「……初めて見る名だな。日本か」

 

 

チャットを送ろうとしたところで、リストから名前が消えてしまった。

 

 

「消えてしまったか。……いや、あれだけの強さだ。誰か知ってるかもしれない」

 

 

青年はネットの碁仲間達に、チャットを送りはじめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オランダ。

大学教授の助手であるフランクは、パソコンを前に急に立ち上がった。その様子に、生徒達は目を見開く。

 

 

「どうしたんです、師匠?」

 

 

生徒の1人がフランクに尋ねるが、フランクはパソコンの画面をじっと見ているだけだ。もう一度生徒がフランクの名前を呼ぼうと思ったとき、ようやくフランクが動いた。乾いた笑いつきで。

 

 

「そうか! プロだ、プロなんだ!」

 

 

参ったという様子で、フランクは額に手を押しつける。

 

 

「あはは、そうだそうだ。インターネットは顔も名前もわからないから。プロが時々おふざけでアマチュアに交じって打つというのを聞いたことがある!」

「師匠?」

「負けたんですか?」

「あはは、大敗だよ。あまりの強さに心臓が破裂しそうだった!」

 

 

フランクは生徒達にそう説明すると、ハンドルネームを確認する。『sai』。

 

 

(初めて見る名だ。……saiが何者か、誰も知るまいな)

 

 

そう考えながら、フランクは生徒達の指導に当たり始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

韓国。

プロ棋士の兪は、投了ボタンを押すとすぐ対戦相手にチャットを送った。相手が何者かを知るために。

だがチャットに返事が来ることもなく、その相手である『sai』はリストから名前が消えてしまった。

 

 

「くそっ」

 

 

兪はそう声をもらす。

完敗であった。プロ棋士である自分が、完全に力で捩じ伏せられた。

 

 

「日本人だったな。日本のプロか?」

 

 

いや、そうとしか考えられなかった。あんな強いアマチュアなんていない。いるはずがない。

兪は、友人の金のもとへと電話をかける。

 

 

「あぁ、金か。確かオマエ、8月の国際アマチュア囲碁カップの代表だったよな? 少し頼みがあるんだが……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こうして。

こうして、世界中の碁打ち達から、『sai』の名が認知され始めた。ネット碁の中の最強の棋士として。

 

 

 

 

 





前話にて、若獅子戦の優勝賞金を使うのはどうかというアドバイスをいただきました。ありがとうございます!
実はそれも考えてはいたのですが、そもそも若獅子戦に賞金が出るのかもわからず、また、結局インターネットに繋ぐなら両親に話さないとダメだよなと思い、あのような流れになりました。
また何かお気づきのことありましたら、よろしくお願いします!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九話

 

6月の海王中にて。第4回北区中学夏期囲碁大会が行われていた。

葉瀬中のメンバーは筒井に三谷、そして夏目である。

 

 

「うぅ。緊張するなぁ」

「大丈夫だよ、夏目くん。落ち着いて打とうね。それと、まずは碁を楽しむことが大切だから」

 

 

夏目を励ます筒井の声を聞きながら、三谷は1人拳を握りしめた。そして4ヶ月前を思い出す。

 

 

(4ヶ月前のオレは、海王の三将相手に手も足も出なかった。力が足りなかった)

 

 

正直、悔しかった。相手は三歳上だとしても、やはり負けるのは心にくるものがある。

そして、もう一つ悔しかったこと。それは副将戦。

副将の筒井は海王相手に終盤まで粘り、相手のポカではあるがミスを誘って勝ちを収めていた。どうしてそれを、そのときの自分はできなかったのだろうかと。

大将の加賀よりも、少ない石数で投げてしまった。強いヤツには勝てないと、早々に諦めてしまった。後悔したのは、自分の対局が終わって筒井の闘いを見たとき。筒井が勝ちを収めたとき。

 

 

(……あんな思い、二度としてたまるか。今度は最後まで食らいついてやる)

 

 

奥の席で最終確認であろうか、部員達と碁を打っている海王の生徒達を見つめて、闘志を燃やす。心を奮い立たせる。

 

 

(短い期間だが、やることはやってきた。棋力もだいぶ上がった)

 

 

ヒカルにボコボコにされ続け。

あかりにも軽くボコボコにされ。

正直涙が出そうになったが、それでもそれらは決して無駄ではなかった。

前日には、あの加賀に互先で勝ちを収めたのだから。

 

 

(海王と当たるのは二回戦。まずは一回戦、しっかり勝つ。そしてその次に……。待ってろよ、海王……)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

海王中囲碁部顧問の尹は、二回戦の相手である葉瀬中のメンバーの二人を覚えていた。副将に座る黒髪の少年は、前回の冬期大会でこちらが負けた少年。そして大将戦に座る少年は、前回は三将戦に座っていた少年のはずである。

実力に関して言えば2人には悪いが、海王の生徒の方が何枚も上手という印象であった。だが、その印象は2人の打ち始めの碁を見てガラリと変わる。

 

 

(……この2人、前回より遥かに強くなっている!?)

 

 

三将の子は初心者なのであろう。青木が厳しく攻めると、慌てたように手拍子で受けてしまっている。碁の始めたてによくあるヤツだ。

問題は大将と副将の2人。まずは副将。

 

 

(久野の相手……筒井くんといったか。ヨセはうまいが、序盤中盤が甘いという感じだった。だが、ここまで久野相手に我慢して、離されずについていっている。これは油断すると、終盤にひっくり返されるぞ)

 

 

久野は余裕を持って打っているが、相手の本領は終盤なハズだ。前回の二の舞にならないことを祈りたい。

そして大将。

 

 

(岸本の相手……三谷くん。負けていると手に元気がなくなって崩れていく、まさに子どものような碁という印象を受けたがーー)

 

 

もはや、そんな印象はない。

まず気迫が違う。どんな相手にも食らいついていってやるといった気概を感じる。

そして、間違いなく腕も上がっていた。元院生の岸本にはまだまだ及ばないが、久野とは良い勝負をするかもしれない。

 

 

(まさか4ヶ月でここまで成長するとは。これだから、子どもというのは侮れない)

 

 

中学囲碁部で、現在最強は海王とされていた。

部員、設備、環境。確かにどれをとっても一流の自負がある。

 

 

(だが、それも変わっていくかもしれない。新しい波が、もしかしたら来るのかもしれないな)

 

 

まぁ、今日は勝ちをもらうけれどね。

そう心の中で宣言して、尹は2つの対局に目を落とすのだった。

 

 

 

 

 





上で触れていませんが、一応3ー0で海王勝ちの予定です。
三谷くんは、さらに燃えていくことでしょう。

あと勝手な都合なのですが、明日の投稿を持って更新頻度が下がると思います。
それでもよろしければ、またこれからもお付き合いください。
よろしくお願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十話

 

7月。院生達はもちろん、碁のプロ棋士を目指す者達にとって一番大切な時期。

棋士採用試験の予選が始まった。

院生上位の8人は、予選免除となる。ヒカルとあかりはこれに該当しているため、参加していなかった。

 

 

(……)

 

 

惜しくも9位で免除を逃した和谷は、昼の食事の時間になっても不機嫌そうな顔をしている。そんな和谷に、同じく予選から参加のフクが声をかけた。

 

 

「和谷くんってば」

「ん……あ?」

「何考えてんの? 前半にポカでもやった?」

「やってねーよ」

 

 

フクの問いにも素っ気なく答え、また考え込んでしまう。そこに奈瀬と内田も近づいてきた。

 

 

「そんなに眉間にシワ寄せて……。大丈夫なの?」

「……大丈夫だよ。ちょっとイライラしてただけだ」

「イライラ? なんで?」

「昨日、ネット碁で負けたんだよ。それも圧倒的大差でな」

「えぇ!?」

「大差で? 和谷くんが?」

「……信じられない。相手がプロだったとか?」

「としか思えねぇよ。くそっ、ネット碁で勝って弾みをつけようと思ったのに、逆効果だったぜ」

 

 

驚く奈瀬とフク、内田を見て、和谷はため息をついた。

そして自分の心を落ち着かせながら、周りのライバル達の様子を見渡す。

その中に、見覚えのあるオカッパ頭の少年を見つけた。最後に見たのは遥か昔であったが、そのときの面影がある。自然と、声が洩れた。

 

 

「……塔矢、アキラ?」

「はい?」

 

 

名前を呼ばれたアキラは、解いていた詰碁集から顔を上げて和谷を見つめた。それと同時に、周りがざわつく。

 

 

「アイツが?」

「塔矢名人の息子が今年受けるのは知ってたけど」

「あんまり顔知られてないんだよな」

 

 

思わぬ形で注目が集まる。そんな中、フクはマイペースに話を続けた。

 

 

「ボク知ってたよ。塔矢くんだって。今日のボクの相手だもん」

「うわぁ。それはなんと言うか……」

「フクくんも、初日から運がないね」

「もう、全然かなわないよ」

 

 

奈瀬と内田が御愁傷様と言いたげに見つめる一方、和谷は泣き言を言うなとヘッドロックをフクにかける。それを見て、アキラはクスッと笑った。

 

 

「皆さんは院生ですか?」

「うん。ボクは今年が初めての受験なんだ」

「私も!」

「同じくです」

「和谷くんは3回目なんだって。ね?」

「ね? じゃねぇよ!」

 

 

再び絡む2人を見て、アキラは嬉しそうに話す。

 

 

「そうなんですね。ボクも今年が初めてで……」

「嫌みか、こんにゃろ! 最初で最後だろ、オマエの場合!」

 

 

ガルルと敵意を剥き出しにする和谷。それを奈瀬がなだめた。

 

 

「和谷、カリカリしすぎよ、いくらネット碁で負けたからって」

「ネット碁?」

「えぇ。どうやら昨日、大差で負けてしまったらしくて」

「へぇ。院生相手にそれは、かなりお強い方だったんですね」

「……。間違いなくプロだと思った……んだけどさ」

「? どうしたの?」

 

 

歯に物が挟まったような言い方の和谷に、フクが尋ねる。塔矢の前で言うことでもないことだったが、話を聞いてるのはいつものメンバーの内の3人である。自分が感じたことをそのまま話した。

 

 

「いや、何というか。……やけに定石が古いな、って思ったんだよ。今流行りの手とか打つんじゃなくて、昔からある手を打つみたいな。秀策みたいな棋風だった」

「っ!」

「へぇ。珍しいわね」

「そうなると、桑原本因坊とか?」

「いや、あの人はネットとかしないだろ」

「和谷くん、偏見ー」

 

 

和谷の言葉にアキラ以外の3人は感心するだけだが、ただ1人アキラだけが息を呑んだ。

約半年前。いつもの碁会所で出会った、2人組の少年と少女。

その内の1人の、彼の姿が脳裏に浮かんだ。

 

 

「……」

「? どうしたの、塔矢くん?」

「いや、何でもないよ」

「何だよ。変なヤツだな」

「ちょっと、和谷!」

「ご、ごめんね、塔矢くん」

 

 

和谷の態度に内田が謝るという不思議な状況だったが、午後が始まるということで話はそこで打ち切られた。

だが、アキラの中で先ほどの話はすでに確信に変わっている。

 

 

(院生相手に大差で勝利。そして秀策の棋風。……きっと君なんだろうね、進藤くん)

 

 

彼とは今年のプロ試験での再戦を約束している。

父から聞いた話ではなぜか院生になったということなので、おそらく予選免除でこの場にいないのだろう。

 

 

(本選で彼と再び闘うのが楽しみだ。自分がどれだけ成長したのかを、全力をぶつけてやる!)

 

 

そう、アキラは強く思った。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。