捕食者系魔法少女 (バショウ科バショウ属)
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異端ノ魔女
異端


 作者は「魔法少女×蟲が見たかった」などと供述しており……


 草木も眠る丑三つアワー。

 ぺんぺん草も生えてない郊外の廃工場で、私は狭い夜空を見上げていた。

 

「ぶんぶんぶん、はちがとぶ」

 

 ふと脳裏を過った歌を口ずさむ。

 いまだに細い喉が奏でる声は違和感の塊なのだが、それも周囲の音に掻き消されて気にならなくなる。

 どんな音と聞かれたら──咀嚼音と答える。

 むしゃむしゃ、ぱきぱき、ぼりぼり、人によっては食欲減退待ったなし。

 

なぜボヘミア民謡を?

「いや、日本の歌だが?」

Summ,summ,summ……正確にはチェコ・ボヘミア地方で歌われていた民謡に、詩人ホフマンが詞を付けた歌です

「へぇ」

 

 割とどうでもいいから、おざなりな相槌を打つ。

 私の左肩を定位置とする自称マスコットのパートナー、拳大のハエトリグモは特に気にした様子もなく、黒曜石みたいな眼を向けて問う。

 

歌ほど和やかな光景ではないと思いますが?

「せっせとハチが働いてる」

 

 黄と黒の警告色が私の周囲で忙しなく動く。

 その正体は人間大のスズメバチ、数えて20体。

 顎と脚を器用に使って、せっせと肉団子を作っている。

 材料はインクブス(淫魔)の1種、通称ゴブリン。

 異世界からポータルを通って現実世界に現れた人類の、女の敵だ。下半身で思考する肉袋で、物量作戦が得意。

 そんな肉袋80体は5分足らずで20個の肉団子になった。

 

一般的なウィッチであれば忌避する光景でしょう

 

 慣れている私と違って、常人なら卒倒する光景だろう。

 一般的なウィッチは、きらきらを纏って、ふりふりしたの着て、ステッキやらソードやらを使って華やかに戦う。

 世間の言葉を借りるなら魔法少女。

 それと比べ、虫をけしかけてスプラッターな光景を生み出す私は──

 

「一般的ではないからな」

む……私が未熟なばかりに申し訳ありません

 

 表情は読めないが、声色から申し訳なく思ってるのは間違いない。

 同期のマスコット枠に落ちこぼれと言われたことを未だに気にしているらしい。

 思わず溜息が漏れ、腰を預けているオオムカデの頭部を静かに撫でた。

 

「問題ない」

 

 きらきらも、ふりふりも、戦いには全く寄与しないことが分かっている。

 私の格好はフードを目深に被った鼠色のてるてる坊主で、得物は無骨なククリナイフだけ。

 空は飛べず、派手な必殺技もない。

 ウィッチ(魔女)の所以であるマジック(魔法)も一つしか使えない。

 

「それで十分だ」

 

 肉団子を作るスズメバチも、気絶中の新米ウィッチを守るハンミョウも、私が腰を預けるオオムカデも、そのマジックで呼び出せる。

 華やかな衣装や装飾にエナを使っても、それは自尊心とインクブスの獣欲を高めるだけ。

 優れたアイテムやマジックがあっても、個であるウィッチには限界がある。

 だから、私は個ではなく群を率いて、個は圧殺し、群と相対する。

 

 ウィッチは負ければ、その場で凌辱され苗床にされる──思い出した。

 

 視線を投げた先には肉団子になっていない肉袋が1体。

 生意気にも王冠を被り、安っぽい鎧を身に着けている。

 キングを自称する肉袋の仲間で、そこそこ体格が良い。

 そんな肉袋には鮮やかなオレンジ色のコマユバチがのしかかり、腹に長い産卵管を差し込んでいた。

 

「そろそろか」

…おそらく

「不満そうだな」

インクブスを彷彿とさせますからね

 

 正義の味方は大変だな、などと他人事な感想を抱く。

 インクブスは若年女性を苗床に、豊かなエナを得て繁殖する。

 これを思いついた女神の死を願いつつ、私は一歩踏み込んで考えた。

 

 インクブスは生存にエナが必要──つまり、連中はエナを蓄える。

 

 マジックで呼び出すファミリア(使い魔)もエナを必要とする。

 その量次第で成長し、増殖し、進化するが、ウィッチ(わたし)のエナは上限がある。

 ならば、インクブスを捕食させ、苗床にすればいい。

 

「インクブスは死に、ファミリアは増える。一石二鳥だ」

 

 手段は似ているが、インクブスほど悪趣味じゃない。

 恐怖を感じる暇もなく顎で噛み砕き、咀嚼する。

 麻酔をぶち込んで昏倒しているうちに卵を産みつける。

 少女の悲鳴が嬌声に変わるのが楽しみと抜かした肉袋より良心的だと思うが?

 

むぅ……

 

 回数をこなし、効果があると分かっても納得できないらしい。

 左肩でまごまごするパートナー。

 そそくさと飛び去るコマユバチ、次いで重い羽音を響かせてスズメバチの群れが離陸する。

 肉袋は一つを残して肉団子にされ、持ち去られた。

 インクブスの死骸は処理を怠るとガスを発し、吸った男性を凶暴化させる。満身創痍で動けないウィッチが強姦されるケースは少なくない。

 

こ、ここは……

 

 ようやく麻酔が切れたらしい。

 完全には意識が覚醒していない肉袋が、のろのろと立ち上がった。

 多分、ククリナイフを力任せに振るしか能がない私でも頭を割れる。

 それくらい無防備だった。

 だが、()()()()

 

う、ウィッチ!

 

 私を見るなり、後ろへステップ──に失敗して転ぶ。

 麻酔の影響と重心の変化が原因だ。

 私はオオムカデの頭から薄い尻をどけ、肉袋を見下ろすように立つ。

 右肩にククリナイフを担ぎ、身長146cmの身体に少しでも威圧感をもたせる。

 

我輩に、我輩に何をした!

 

 そんなことをせずとも、肉袋の声には未知への恐怖が滲み出ていた。

 

 悪即斬が基本のウィッチが、こんなことをするはずがない──

 

 ()()インクブスと同じように、そう思っているようだ。

 ならば、言ってやることは決まっている。

 

「インクブスが()()()()()だ」 

好きなこと…?

 

 左肩のパートナーは片脚で頭を押さえて、やれやれと体を揺らす。

 嘘は言っていない。

 肉袋は理解できないという面で、ただ顔を顰めて睨んでくる。

 

 いや──わざと立ち上がらず、手を後ろに隠した。

 

 回復が早いな。

 何かを企むだけの思考力と体の自由を取り戻している。

 そうやってウィッチを不意打ちして、()()()()()してきたわけか。

 フードを取り払ってアイコンタクト、私を中心にオオムカデが()()()を巻く。

 

「抵抗するな」

…くっくっくっ甘いっ

 

 気色悪い笑いを漏らす肉袋は、後ろに隠していた手を前へ突き出す。

 

 インクブス御用達の痺れ薬か媚薬──ではなく、女体を模った悪趣味なオブジェだった。

 

 臨戦態勢のオオムカデの背を撫で、私を見下ろす黒い眼に待てと合図を送る。

 

ポータルです

「ああ」

 

 淡々とした報告に淡々と返す。

 反撃を警戒していただけに拍子抜けだった。

 

解除(リリース)

 

 掲げたオブジェが禍々しい紅の閃光を放ち、廃工場を紅一色に染め上げた。

 不気味な風切り音が反響し、突如として肉袋の背後に紅い渦が生じる。

 さっきの転倒が嘘のように、軽快に紅い渦へ駆け寄る肉袋。

 

甘いぞ、ウィッチ!

 

 紅い渦、インクブスの世界へ通じるポータルは周囲の空間を歪め、あらゆる攻撃を()()()()

 安全を確保した肉袋は振り向き、気色悪い笑みを浮かべる。

 

我輩を仕留めなかったこと必ず後悔させてやる。帰還した後、同志を集め、ここへ再び現れる!

 

 べらべらとよく喋る。

 早く逃げればいいものを。

 お望み通り、ハンミョウの顎で首と胴を泣き別れさせてやろうか?

 

次に会う時は、その面が快楽に染まるまでたっぷり犯してやるぞ!

「がんばれよ」

 

 私の声援を煽りと受け取ったらしい肉袋は顔を真っ赤にしてポータルの渦に飛び込む。

 お前には言ってない。

 お前の()()()()()()()()()()に言ってるんだ。

 すくすく育った暁には、お前の腹をぶち抜いて、新しいインクブスに卵を産みつけるコマユバチの。

 

二度目があったインクブスはいません

 

 パートナーの無慈悲な言葉が肉袋の耳に届くことはない。

 おそらくは二度と。

 ポータルは一瞬で消滅し、廃工場に色と夜の静寂が戻ってくる。

 

「今のところな」

 

 肉袋の捨て台詞を鼻で笑い、ククリナイフをシースへ差し込む。

 似たような捨て台詞を残したインクブスは四四体いるが、残らずコマユバチやコバチの餌となった。

 私はポータルを潜れないため、孵化した幼体の成長は見届けられないが、せっせと苗床を増やしていることは分かっている。

 このままインクブスの生存圏を脅かすまで増えてほしい。

 

「他のウィッチもやれば──」

一般的なファミリアはインクブスを苗床にしません

「…そうだな」

捕食もしません

 

 食い気味に否定するなよ。

 エナを自給自足して自らを強化するファミリアなんて画期的だ。

 ウィッチらしくないと毛嫌いせず、もっと誇ればいいと思う。

 それを言うと拗ねて面倒だから言わないが。

 

「引き上げる」

待ってください。まだ彼女が意識を取り戻していません

 

 ()()とは、言うまでもなく肉袋どもに輪姦されかかっていた新米ウィッチだ。

 忘れていたわけではない。

 わけではないが、進んで関わりたいものじゃない。

 

「……起こすか」

 

 あまり気は乗らないが。

 オオムカデに()()()を解かせ、気絶中の新米ウィッチへ足を向ける。

 身の丈ほどもある一振りのソード、ふんだんにフリルを使った蒼いドレス──初めて見るウィッチだ。

 暗所の戦いに慣れておらず、肉袋どもに翻弄されてたところから推測するに、おそらくは()()()()

 確証はないが。

 

純潔は守られたようです

 

 ウィッチの身体能力は高く、()()()怪我は問題視されない。

 それよりも心への負荷が問題だ。

 しかし、新米ウィッチのメンタルケアを担うパートナーの姿は、どこにも見当たらなかった。

 未成年を戦わせている自覚があるのか?

 

「パートナーは?」

残念ながら確認できません

 

 騎士の如く彼女を護っていたハンミョウの頭を撫で、苛立ちを紛らわす。

 その手触りは硬いが、不思議と安心する。

 それから、ゆっくりとしゃがみ込んで新米ウィッチの細い肩を軽く揺する。

 

「起きろ」

「う…うぅ……」

 

 眠り姫は目覚めない。

 後頭部を強打されて、気絶で済むのは幸か不幸か。私には分からない。

 しかし、睫毛長いな。

 整った目鼻立ち、髪も肌も艶やかで、インクブスでなくとも魅力的に思うだろう。

 ぺちぺちと頬を叩くと吸いついてくるような弾力があった。

 

「あ、あれ…ここは…」

 

 ようやく開かれた碧眼は、私を捉え、背後から覗き込むハンミョウを見て──凍りつく。

 

 悲鳴を上げる前に口を塞ぎ、ジェスチャーで沈黙を要求する。

 

「落ち着け」

 

 無理な話だとは思う。

 人間大の虫が目の前にいて平静でいられるか、という話だ。

 感謝の言葉は一度もなく、救出したウィッチから攻撃されたこともある。

 もう慣れたが、だからといって良いわけではない。

 

「後ろのはファミリア、敵じゃない」

 

 違和感しかないロリータボイスをできるだけ、聞き取りやすく、ゆっくりと発する。

 子どもを宥めるように──いや、子ども相手に違いはないが。

 ともかく、落ち着かせる。

 かちかちと顎を打ち鳴らすな、ハンミョウ。

 

「敵は倒した。ここは安全、いい?」

 

 必死の形相で頷く新米ウィッチ。

 本当に分かったのか?

 私は面倒が嫌いなんだ。

 ゆっくりと手を離──がっしり掴まれた!?

 

「あ、あなたは!」

 

 目を新星みたいに輝かせ、ひしと手を握って離さない新米ウィッチ。

 なんてパワーだ。逃げられない。

 相手がインクブスだったら、私はお終いだ。

 

「ウィッチナンバー13、シルバーロータス様ですか!?」

「そ、そうだが…」

 

 渋々肯定してみると、目の輝きが一層強くなったような気がする。

 ただでさえ小っ恥ずかしい名前に、様付けは勘弁してくれ。

 二度目の人生どころか一度目ですら、そこまで敬われたことはない。

 大きな碧眼に映る銀髪の少女、つまり私は困惑していた。

 こんな手合は初めてだ。

 次に何が飛び出すのか想像もつかない。

 

「私、ファンなんです!」

「は?」

なんと



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羽化

 閲覧注意(迫真)


マカロフが戻らない?

 

 木彫りの椅子に腰かけるライコフは、投げやりな態度で応じる。

 せっかくの楽しみに水を差すなと暗に示していた。

 

ポータルを解いたみたいなんだが…

 

 住処に招待された同志アキトフはボトルの口を舐めながら補足を加える。

 心配しているわけではない。

 同志マカロフの遠征が長引き、退屈しているのだ。

 早く新しい玩具が見たい、欲しい。

 ヒト()()()嗜好品として奪うインクブスゆえの退屈。 

 

 浅緑の肌で、尖った耳と鼻をもつ略奪者──ゴブリンとは、そういうものだ。

 

 両者の間にある洒落た机に広げられた肴を摘まんでライコフは言う。

 

久々にヒトの雌を捕らえて我慢できるか?

 

 口元に下品な笑みを浮かべ、無理だなとアキトフは笑った。

 奪ったモノが尽きる頃になって遠征へ繰り出すものだから、溜まりに溜まっているのだ。

 気にすることではない。そういう結論に至る。

 

待て

 

 新しいボトルの口に吸いつく直前で動きを止めたアキトフの警告。

 その声は、ウィッチと戦う時のように硬質なものだった。

 

どうした?

 

 耳を澄ますアキトフに声を潜めて問うライコフ。

 返答はなく、沈黙だけが返ってくる。

 この耳こそがウィッチを仕留めた同志の強みと知るライコフは、辛抱強く待った。

 

悲鳴だ

 

 ようやく口を開いたアキトフの言葉にライコフは若干気落ちする。

 そんなもの聞き慣れているだろう、と。

 マカロフは悲鳴よりもヒトの雌が出す媚びた声が好きだと言うが、そんなことはどうでもいい。

 

攫ってきたヒトの雌のか?

いや、違う

 

 では、なんだというのか?

 そんな非難めいた視線に首を横に振るアキトフ。

 要領を得ない回答を待つより先に、ライコフは立ち上がった。

 

見てきてやる

 

 ウィッチを捕らえた実力者が、このゴブリンの巣で、何を恐れるというのか?

 

 そんな心持ちで扉を潜った瞬間──異常を理解した。

 

 ヒトの街を襲った時に聞く悲鳴のコーラスが辺りを満たしている。

 異なるのは、悲鳴の主が()()()()()()()()()だ。

 

 まさか、襲撃されているのか──誰に?

 

 ライコフは力自慢の同志ヤコフが必死の形相で走ってくるのを見つけた。

 時折、背後を見ながら走る同志にライコフは見えていない。

 

ヤコフ、どうし──」

く、来るなぁ!

 

 後ろを振り返り、身構えたヤコフに空中より躍りかかる影。

 優れた体躯をもつ同志の2倍はある()()

 

な、なんだ…?

 

 6本の脚で地面と同志を捕らえる巨躯の化け物。

 漆黒の外骨格に覆われ、4枚の翅から重々しい羽音を奏でる。

 初めて見る異形の強襲を前にしてライコフは動けない。

 

やめっ

 

 腹に押し当てられた腹部の毒針が一瞬で同志の意識を奪う。

 毒薬に高い耐性をもつインクブスを昏倒させる毒。

 そんな劇物はライコフの知る限り存在しない。

 

なんだ、こいつ!?

 

 遅れて出てきたアキトフの声に反応し、長い触角が揺れた。

 深淵のように黒い複眼に映るゴブリン2体。

 獲物から脚を離し、翅を震わせる。

 そして、異様に発達した大顎を打ち鳴らした。

 コマユバチの似姿を捨て、潤沢なエナを糧に進化したインクブスを狩る者のウォークライ。

 

まさか、ファミリ──」

 

 黒い影が過った瞬間、すぐ隣から肉体の砕ける音を聞いた。

 見ずとも即死、振り返りもせずライコフは部屋へ逃げ込んだ。

 略奪品の家具で扉を塞ぎ、奥の部屋を目指して走る。

 ()()()であって()()()()()ではないゴブリンは、手元に武器を置かない。

 

くそっなんだってんだ!

 

 しかし、ライコフは例外だった。

 捕らえて、嬲って、孕ませてやったウィッチの武器をトロフィーとして飾っていた。

 それを使って、同志アキトフの敵を討ってやるのだ。

 

 最期は見届けられなかったが──アキトフは、ファミリアと言っていたか?

 

 目的の部屋へ辿り着いたライコフは、とある噂話を思い出す。

 馬鹿馬鹿しいと一蹴した噂話を。

 

ま、まさか

 

 曰くそのファミリアは、インクブスを食らう。

 曰くそのファミリアは、インクブスを苗床にする。

 曰くそのファミリアは、()()()()()()()()()()()()

 

ありえない、ありえない!

 

 質量物の体当たりで扉の粉砕される音が背後より響く。

 時間稼ぎにもならない。

 

 ──重い羽音。

 

 部屋の奥へ走り、壁に掛けた目当ての武器を掴む。

 簡単に心の折れてしまったウィッチの得物は、ひどく頼りない細身のソードだ。

 

 ──大顎を打ち鳴らす音。

 

 入口より覗く黒い眼、眼、眼。

 獲物を映していながら、何一つ感情が見えない。

 その無機質さは死が形を成したようだ。

 ライコフは恐怖に突き動かされ、一直線に挑みかかった。

 

化け物めぇぇぇ!

 

 力一杯に振るった刃は軽々と避けられ、体勢を崩したライコフに異形のファミリアが殺到する。

 声にならない悲鳴を喧しいほどの羽音が打ち消す。

 同志の血に染まった大顎は、頭蓋を一撃で噛み砕き、四肢を千切り──

 

 

 人気のない校舎3階、閉鎖された屋上へ向かう階段の端。

 私のランチタイムは、いつもここだ。

 

「コマユバチが羽化した、気がする」

 

 むしゃむしゃと惣菜パンを頬張っている最中、唐突にファミリアからのテレパシーを受信した。

 距離どころか次元すら超え、脳内に直接届く声のようなモノ。説明が非常に難しい。

 

昨晩のナイトストーカーですね

 

 実寸大のハエトリグモに扮したパートナーが私の頭の上から声を降らせてくる。

 ()()()()()()定位置の左肩にいると叩き落される危険があるのだ。

 彼女たち──複数形ならナイトストーカーズか──は夜以外でも活動しているが、野暮は言うまい。

 

「相変わらずの成長速度だな」

ファミリアですので

 

 現代の技術では解明できない異界の技術は、エナさえあれば大概の事象を可能にしてしまう。

 つくづくインクブスのためだけに用いられて良かったと思う。

 制約も多いが、人類の敵を滅ぼせる力は、人類も簡単に滅ぼせるだろう。

 そんなことを考えていると頭から飛び降りてきたパートナー。

 うきうきしてる。

 

昨晩といえば、東さん……とうとうファン第1号と会ったんですよ、私たち!

 

 両脚を上げて万歳をするハエトリグモに胡乱げな視線を向けてしまう。

 ただでさえ美味くない惣菜パンが不味くなる。

 

「…そうだな」

む……気乗りではありませんね

「ファンが欲しくてウィッチやってるんじゃない」

 

 世間的に周知されている魔法少女ことウィッチ。

 人類の敵と戦う美少女には当然のようにファンがつき、一部では宗教化していると聞く。

 

 負ければ苗床にされる年端もいかない少女をアイドル扱い──ふざけているのか?

 

 ファンなんて必要ない。

 そんなものより彼女らを守れる()()が必要だ。

 

それはそうですが……誰かに想っていただけるというのは喜ばしいことでは?

 

 そこに邪なものがなければな。

 惣菜パンを牛乳で流し込みながら、捻くれた考えを胸中に追いやる。

 少なくとも昨日の、なかなか手を離してくれなかった新米ウィッチに邪なものはなかった。

 困惑こそしたが、悪い気がしなかったのも認める。

 だが──

 

「興味ない」

むぅ……

 

 誰かに感謝されたくてやってるわけでもない。

 自称女神の悪趣味な世界に反抗してやりたくて、やっているのだ。

 そんなエゴは評価されるべきではない。

 

 ──テレパシーが届く。

 

 ここからでは見えない高度を滞空するオニヤンマからだ。

 その視力の良さを存分に発揮し、ポータルを潜ってきたインクブスの種類と数を伝えてくる。

 ライカンスロープ、数は3体。

 

「インクブスだ」

出ますか?

 

 緊迫した空気を醸すこぢんまりしたパートナーへ首を横に振る。

 空を飛べない私はファミリアを足代わりにするが、他のウィッチと違って一般人に見つかれば通報される。

 よって私は参戦できない。

 

「人気のないところへ入ったら仕掛けさせる」

では、近くで活動中のハントレスを?

「ああ」

 

 ライカンスロープが入り込んだ路地は、インクブスが逃げ込む候補の一つ。

 だから、ハリアリの巡回路にしていた。

 取り出したケータイの時間を見るに、2分後に接敵するだろう。

 空になった牛乳パックを持って、私は立ち上がる。

 

どちらへ?

「昼休みが終わる」

結果を待たれないのですか?

 

 高い身体能力と生命力があり、頭も切れるライカンスロープは手強い。

 だが、今から襲いかかるハリアリは19体を屠り、そのエナを取り込んだ一種のアンチユニット。

 取り逃がさないよう別のハリアリを向かわせるくらいで事足りる。

 

「無理ならスズメバチをぶつけるだけだ」

バタリオンですよ……分かりました

 

 スズメバチ──バタリオンは攻守に優れた飛行可能なファミリアで、()()()()()()()()最強格だ。

 投入すればインクブスは死ぬ、肉団子になる。

 おそらく出番はないが。

 

「それに学業は疎かにできない」

それは大変良い心がけとは思うのですが……

 

 歯切れが悪いな。

 前世では疎かにしてしまったが、純粋に学べるだけの時間は貴重だ。

 私の人生はウィッチ一筋で終わるわけではない。

 止めてくれるな。

 

私としては、ご学友を作られた方が──」

「余計なお世話だ」

 

 そんなことは分かってる。

 高校に進学しても私は、人との距離感を掴めないでいた。

 おかげで私の席には見えない壁があるように人が寄りつかない。

 あの女神、よくも性別を変えてくれたな。

 

そういえば東さん

 

 階段を降りようとする私の足を止めさせるパートナー。

 たった今、思い出したという声。

 嫌な予感がする。

 差し出した右手の甲に飛び乗らせ、続きを促す。

 

「どうした?」

ナンバーズよりお茶会のお誘いが来ていました

 

 ()()か。

 げんなりした気分になる。

 インクブスを見つけ次第ファミリアの血肉に変えていたら、いつの間にかナンバー13に指名され、頻繁にお誘いが来るようになった。

 

「パス」

そう言うと思っていましたよ……

 

 残念そうなパートナーには悪いが、私は行かない。

 ウィッチは実績に応じてナンバーがつけられ、上位者はナンバーズと呼称される。一度も会ったことはないが、パートナー曰く一騎当千のウィッチたちらしい。

 そんなところに私が出ても場違いなだけだ。

 意見交換が主と言うが、私の出せる意見といえばファミリアの集団運用、暗所での奇襲戦法、友釣り作戦、苗床の作り方、エトセトラ。

 

 ──論外である。

 

 それに出るくらいなら、5限目の微分積分に励んだ方が生産的だろう。



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空席

 文明の墓標が立ち並ぶグラウンドゼロ。

 日本国防軍とインクブスが初交戦した首都圏に人影は戻らず、強かな緑がコンクリートを侵食しつつあった。

 そんな禁足地の一角、比較的原型をとどめるビルディングに集う者たちがいた。

 

「昨日、鋭爪のニカノルが倒されたようです」

 

 天井の一部が抜け落ちた開放的なワンルームに、事務的な少女の声が響く。

 その姿は陰に隠れ、中央に置かれた円卓だけが射し込む夕陽を浴びて鈍く輝いている。

 

「それは願ったり叶ったりだね。誰がやったんだい?」

「ウィッチナンバー13です」

 

 どこか面白がるような問いに対し、やはり事務的な回答が返される。

 ウィッチナンバー、その名が示すように人類の守護者たるウィッチの序列。

 実績と実力に応じて授けられた()()を信奉する者もいれば、オールドウィッチの余興と唾棄する者もいる。

 そして、この場に集った上位者は、前者から憧憬を、後者から軽蔑を込め──ナンバーズと呼ばれる。

 

「マカロフの軍団に続いて? 圧倒的というか異常ですわね、彼女」

 

 ただ1人、律儀に円卓の席に座るウィッチは信じ難いという表情を隠さない。

 彼女の言うマカロフの軍団とは、神出鬼没に現れては市民を襲い、単独のウィッチだけを狙う狡猾なゴブリンの一団である。

 ナンバーズも手を焼かされた相手だが、ナンバー13のテリトリーに入ったが最後、二度と姿を見ることはなかった。

 キッチンの害虫に喩えられるゴブリンを、どうやって1体残らず駆逐したのか──

 

「手品の種を知りたいもんだ」

 

 ぶっきらぼうな言葉を投げるのは、崩落した壁面の頂点に腰かけるウィッチ。

 夕陽を一身に浴びてシルエットは掴めないが、馬の尻尾のような髪が風に靡いて黄金に輝く。

 

「ひと月の間にネームドを9体……とても1人の所業とは思えないよ」

「手札はファミリアだけって話だったか?」

「ファミリアは大勢お見かけしましたけど、ニカノルを仕留められるとは思えませんでしたわ」

 

 鋭爪のニカノル。

 4人のウィッチを返り討ちにしたライカンスロープであり、ネームドと呼ばれる強力なインクブスの1体である。

 上空1000m付近を飛び回るトンボやアブのファミリアでは、とても仕留められる相手ではなかった。

 しかし、ナンバー13が強力なファミリアを呼び出した形跡はない。エナの急激な増減は()()()()()()()()のだ。

 

「誰も会ったことがないから分からないね〜」

 

 円卓の隅に浮かぶ9つの蒼い焔、それに照らされる狐の耳と9つの尾。

 内包されたエナの性質と量で、ウィッチの形態は大きく変わるという好例は、緊張感のない声で一同に語りかける。

 それに対して、頷くなり、天を仰ぐなり、溜息を吐くなり、多様な反応ではあったが、お手上げという点は共通していた。

 

「彼女に救出されたウィッチも多くを語ろうとしません。情報が不足しています」

「やっぱり直接会うしかないんじゃないかな?」

「お会いしようにもツチノコみたいな方ですわ。どうしますの?」

「せめて、呼び出しに応じてくれればな……まったく」

 

 数々のネームドを打ち倒しながら、表舞台には決して現れない謎多きナンバー13。

 判明しているのは、インセクト・ファミリアを率いる異端のウィッチであるということ。

 ここに集ったナンバーズの興味は、ただ1人のウィッチに注がれている──

 

「あ〜そういえば」

 

 というわけでもない。

 のんびりとした口調で別の話題が振られる。それを遮ろうとする者はいない。

 ナンバー13の話題は堂々巡りして、結局進展しないからだ。

 せっかく集ったのだから、生産的な情報交換をしたいとも一同は考えている。

 

「ナンバー4が欠席って珍しいね?」

「確かに…珍しいですわね」

 

 身の丈ほどもあるソードを床に突き立て、背もたれの代わりにする彼女の定位置には、誰もいない。

 皆勤賞に近いナンバー4が欠席というのは珍しい話であった。

 ナンバーズ全員が揃うことは滅多にないが、5人で円卓を囲うのも久々である。

 

「何か聞いてないのかい?」

「蓮花を見つけた、そうです」

 

 ぽつりと告げられた蓮花という言葉に沈黙する一同。

 言葉を額面通り受け取って困惑しているわけではない。

 むしろ、ストレートな表現を好むナンバー4らしからぬ婉曲な表現に困惑していた。

 

「それって……もしかしなくても?」

「シルバーロータスを見つけたってか?」

 

 ナンバー13ことシルバーロータス。

 蓮花と言われれば、連想されるのは銀の蓮を意味する彼女だった。

 しかし、現状ナンバー4とナンバー13の関係性は不明である。

 

「分かりません。それ以上のことは何も」

「そこそこの付き合いになるけど、相変わらず読めないよね」

「あの方だけではありませんけどね」

「腕は確かなんだけどな、あいつ」

 

 実績と実力は確かだが、ナンバー4は連帯に難があった。

 残念ながら、ウィッチナンバーは人格面まで評価の対象にしていない。

 一癖も二癖もある者がナンバーズに名を連ねていることは多々ある。

 

「あのさ〜」

 

 一癖も二癖もある者、それに該当するであろうウィッチが口を開く。

 ナンバー4の話を振っておきながら、明後日の方角を向いていた狐耳のウィッチだ。

 

「ここよりも私の家に集まって話さない?」

 

 沈黙するナンバーズ。

 突拍子もない提案を受け、なんとも言えない空気が流れる。

 そんな空気を意にも介さず、蒼い焔を指先でくるくると回しながら狐耳のウィッチは言う。

 

「同級生しかいないしさ〜」

「……ナンバーズの自覚ありますの?」

 

 

 人との接点が少なくとも学校生活は、私を日常に戻してくれる場の一つだ。

 たとえ、どこそこでインクブスを捕捉し、捕食したというテレパシーを受信しても。

 ただ、今日はクラスの女子が5人も欠席していた。

 インクブスの仕業とするのは早計だが、穏やかな気分ではいられない。

 

東さんは良い主婦になれるでしょうね

 

 左肩に乗ったパートナーのお世辞に思わず脱力しかける。

 せっかく買った夕飯の材料を落とすところだった。

 特売日に買い物をする程度で良い主婦なら世は良妻で溢れているぞ?

 

「口説いてるのか」

事実を言っただけですよ!

 

 ぺちぺちと肩を叩いて抗議するハエトリグモのパートナーを傍目に、薄暗い路地へと入り込む。

 良い主婦は無駄な寄り道なんてしないだろう。

 私は随分と遠回りなコースで自宅を目指している。住宅街を散歩したいわけではない。

 夕闇が空を覆う頃、人気のない道を歩けば高確率で()()()のだ。

 インクブスが。

 

「かくれんぼは終わりだ」

 

 背後へ振り向き、誰もいないはずの空間へ言葉を投げた。

 隠れているつもりなのだろうが、赤外線を視認できるファミリアには丸見えだ。

 この夕陽が射し込まない路地の入口、まるで逃げ道を塞ぐように()()

 

おまえ、ウィッチか?

 

 案の定、電柱の影から姿を現したのは二足歩行のカエル。

 見たままのネーミングでフロッグマンと呼ばれるインクブス。体色を巧妙に変化させ、姿を隠して相手を背後から襲う。

 その性質ゆえ発見が遅れ、犠牲者が複数出てから存在を認識されることも多々ある。

 だから、時折こうして()()のだ。

 

「そうだ」

 

 虫とはまた違った無感情な目が私を凝視する。

 粘つくような視線が学生服の上を、チェック柄のスカートと太腿辺りを行き来しているのが分かる。

 気色悪い。

 鼠色のてるてる坊主に変身している時は一切浴びない視線だ。

 

弱そう……ちょうどいい

 

 フロッグマンは用心深く、勝てると踏んだ相手しか襲わない。

 ウィッチとの正面戦闘は確実に避けるインクブスだが、ちんちくりんの私はやれると思ったようだ。

 路地に脚を踏み入れ、じりじりと距離を縮めてくるフロッグマン。

 私との間にあるマンホールの蓋が揺れたことに気づく様子はない。

 

おまえ、孕ま──」

 

 前傾姿勢で飛び出す、その瞬間に黒い影が覆い被さった。

 ぶちりと肉体の裂ける嫌な音。

 それから、潰れたカエルみたいな声が聞こえてくる。

 

ば、ばかなっ

「残念だったな」

 

 フロッグマンを貫く鋭い鋏角。

 血を吐きながらも逃れようと足掻くも、パワーが段違いだ。

 8本の脚をもつ薄茶色のファミリア──ジグモは気にした様子もなくマンホールの中へ獲物を引きずり込む。

 

やめっ

 

 フロッグマンの伸ばした手はマンホールの縁を掴み損ねた。

 ぱたんと蓋が閉じられ、路地に静寂が戻ってくる。

 まるでモンスターパニック映画のワンシーンみたいな光景だった。

 

お疲れ様でした

「ああ」

 

 どうと言うことはない。

 それよりもクモ科のファミリアが活躍すると、機嫌が良くなる分かりやすいパートナー。

 ウィッチらしからぬアンブッシュだったが、それでいいのか?

 

「やはりアンブッシュへの警戒心が薄いな」

 

 虎の尾ならぬクモの糸、張り巡らされた受信糸に触れたが最後、そのインクブスはジグモの餌食になる。

 こういう路地に潜ませたジグモたちは、私が囮をせずとも結構な頻度で餌にありつく。

 

情報を持ち帰るインクブスがいないからでは?

 

 与えてよい情報、そうでない情報。

 ジグモのアンブッシュは後者に当たるため、目撃したインクブスは確実に息の根を止めている。

 対策されていないところを見るに、その効果が出ているのかもしれない。

 だが、今のフロッグマンが出方を窺うための捨石でないと誰が言える?

 

「だとしても、ここまで容易いと不安になる」

であるなら、安心できるまで策を考え続けるしかありませんね

 

 左肩に乗るパートナーは当然のように言い切った。

 この二度目の人生が終わるまで、あるいはインクブスが滅びる日まで、安心できる日は訪れないだろう。

 際限のない話だ。

 それでも考え続けなければならない。

 

「当然だ」

 

 私自身のために。

 世界のため、人々のため、ウィッチのため、などと大言壮語を言えるほど私は強くない。

 だからこそ、一切合切の躊躇なく、あらゆる手段を用いて、インクブスを屠る。

 

「手始めに、囮作戦は今後やめる」

誘引するまでに時間がかかりますからね……

 

 しゅんと縮こまるハエトリグモのパートナー。

 別にジグモをお払い箱にしようというわけではないのだが。

 

「別の作戦を考えればいい」

あっ…そうですね!

 

 溌剌とした声が返ってきて、思わず苦笑する。

 さて、次は誘い込みではなく、追い込んでみるか?

 アンブッシュが得意なファミリアは他に何がいただろうか?

 真っ先に思いつくのは、カマキリだが──

 夕飯の献立でも練るように新たな作戦を考えながら、私は自宅を目指す。

 

東さん

「ん?」

夕飯は何を作られる予定なのですか?

「肉じゃが」

家庭的ですね




 もってくれよ、オレの執筆意欲!


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遭遇

 ──どうしてこうなった?

 

 インクブス発見のテレパシーを受信した私は、深夜にも関わらず旧首都圏へと出向いていた。

 発見したインクブスはライカンスロープが14体。

 発見者のカマキリが反射的に捕食した結果、近場のショッピングモールへ逃げ込んだ。

 恐慌に陥って群れが散り散りにならなかっただけ良しとし、私はショッピングモールへと向かった。

 

 向かったのだが──その道中で思わぬ先客と遭遇したのだ。

 

「シルバーロータス様とご一緒できるなんて!」

 

 つい先日、出会ったばかりの蒼いウィッチが私の隣で目を輝かせて歩いている。

 彼女の名は、アズールノヴァ。

 パートナー不在という例外中の例外であり、シルバーロータスこと私のファンというウィッチだ。

 

「様付けはやめてくれ」

「では、なんとお呼びすれば……」

「そのまま呼べば──」

「それはできません!」

 

 様付けされるようなウィッチじゃないぞ、私は。

 肩書はナンバー13だが、自信があるのはインクブスを屠った数くらいだ。

 ネームドと呼ばれる強力なインクブスは仕留めたことがない。

 

ウィッチと肩を並べて戦う日が来ようとは……か、感無量です

 

 もしも涙腺があったなら感涙に咽いでいるであろうパートナー。

 ライカンスロープを追跡していたという彼女と出会ってから、ずっとはしゃいでいる。

 

「か、肩を並べるなんて、そんな!」

 

 私は別に手の届かないアイドルでも何でもないぞ。

 本当に、どうしてこうなった?

 経緯は分かっている。

 私の見立て通り先日が初戦闘だったアズールノヴァは、旧首都までインクブスを追う行動力の持ち主だった。

 そこで()()()()()無謀な行動を控えるように促したところ、いつの間にか同行する運びとなっていた。

 意味は分からないな。

 

胸を張ってください、アズールノヴァさん。あなたは立派なウィッチですよ!

 

 この事態を招いた主犯はうきうきで頭が痛くなってきた。

 新米が1人や2人いてもリカバリーできる重量級ファミリア──フタマタクワガタとヒラタクワガタ──を連れてきているが、こいつめ。

 

私が保証します!

「不安になるな」

な、なぜですか!?

 

 パートナーの情けない声に多少、溜飲が下がる。

 鈴を転がすような声で笑うアズールノヴァは、道路に穿たれたクレーターを軽やかに飛び越えた。

 そして、迂回する気だった私に差し出される細い手。

 

「どうぞ、シルバーロータス様」

 

 リードされるのは気恥ずかしいが、他人の善意を蔑ろにはできない。

 意を決して飛ぶと想像より強い力で抱きとめられる。

 

「ありがとう」

「はい!」

 

 眩しい笑顔だった。

 こんな場所には不釣り合いなくらいに。

 ウィッチの姿をしている時、ここまで純粋な善意を受けたことがない。

 慣れない感覚だ。

 

照れてますね?

「落とすぞ」

 

 わたわたと慌てて左肩にしがみつくハエトリグモを傍目に、再び足を前へ進める。

 日本国防軍とインクブスが熾烈な戦闘を行った痕跡が数多く残る旧首都圏は酷道しかない。

 世界各地の人口密集地に出現したインクブスの軍勢、これと各国の軍隊は交戦。

 身体能力が人間を上回るインクブスも戦車砲やスマート爆弾を前に消し炭となったが、それは人々の住まう街も破壊した。

 ウィッチが現れる前の話だ。

 

目的地が見えてきました

「ああ」

 

 戦いを前にして緊張感を帯びた声へ変わるパートナーへ頷く。

 酷道に面する件のショッピングモールは大きな破壊を免れて原形を留めていた。

 月光の射し込まない屋内は深い闇が支配し、私の目では見通せない。

 だが、放った斥候はインクブスどもを捉えている。

 問題ない。

 

「あのっ」

「どうした?」

「私、がんばります!」

 

 年端もいかない少女が、勇気を振り絞って戦う。

 それが私には、ひどく不健全に思えて仕方ない。

 この世界の常識は、私にとって非常識だ。

 

「……そんな肩肘を張らなくていい」

 

 気休めにしかならない台詞を吐きながら、私はシースからククリナイフを抜く。

 ()()()振ることはないが、それでも素振りして重心を確かめる。

 これは一種の儀式だ。

 そんなことをしている私の隣で、アズールノヴァは右手を夜空へ伸ばし──

 

リリース(解除)!」

 

 世界の色が反転したかと思えば、ウィッチの右手には当然のように得物が収まっている。

 主の息遣いに合わせて、ぼんやりと蒼く光る鋭い刃。

 その身の丈ほどもあるソードを振り下ろすと燐光が散り、風が頬を撫でる。

 

わぁぁ…

 

 戦闘態勢に入るウィッチ──私もウィッチだが──が見せるマジックに語彙力を失うパートナー。

 アズールノヴァ(蒼き新星)の名が示すように、蒼い輝きが灰色の旧首都を照らしている。

 隣に私がいると、より輝きが際立つ。

 

「奇襲は無理か……」

「え?」

「行くぞ」

行きましょう!

 

 正面から踏み込んで叩き潰す算段だったのだ。

 問題あるまい。

 1人と2体を引き連れ、閑散としたエントランスへ入る。

 

 見渡す限り広がる闇──踏んだガラス片の砕ける音が反響して聞こえる。

 

 ショッピングモール内に潜むライカンスロープの位置は斥候のゲジが正確に捕捉していた。

 私たちの接近を察知して店内へと散ったようだが、無意味だ。

 地に足をつき、大気を体で切れば、その微細な振動をゲジは捉える。

 逐一飛んでくるテレパシーに集中すれば、暗闇であってもインクブスは()()()

 

「来る」

「はい!」

 

 近づいてくる足音、荒々しい息遣い、風切り音。

 重量級ファミリアの床を踏む硬い音に混じって、かつりとヒールの立てる雅な音。

 左右の闇より現れるライカンスロープ。

 出迎えたのは、大顎と刃だった。

 

な、なに──」

 

 大顎が一息に閉じられ、筋繊維と骨の()()される音がエントランスに響き渡る。

 驚愕を滲ませた最期の言葉。

 おそらくはフタマタクワガタを鈍重なファミリアと侮ったのだろうが、見た目より機敏に動く。

 そして、長い大顎はインクブスを容易く両断できる。

 

アズールノヴァさん、お見事です!

 

 体を乗り出すパートナーを左手で支えつつ、転がってきた狼の頭を避ける。

 視線を向けた先では、蒼い燐光の舞う中でソードを振り抜いているアズールノヴァの後ろ姿。

 見事なものだ。

 これが二度目の戦いとは思えない太刀筋だった。

 隣でヒラタクワガタが所在なさげに大顎を開け閉めさせている。

 

む……打って出てくるようです

「手間が省けた」

 

 正面から4体、左右から7体。

 こちらを扇状に囲む形で近づいてくる。

 既に仲間を3体も殺した相手の前に、のこのこ出てくるとは驚いた。

 

ようやくウィッチが来たか。ニカノルをやった奴では……ないな

 

 正面にいるライカンスロープが聞き取り辛い声で喋る。

 体躯は平均的だが、最初に口を開いたところを見るに群れのボスと目星を付ける。

 最優先で潰すのは、こいつだ。

 それで群れは崩壊するだろう。

 

蒼いのは及第点といったところか

チビは若い奴の()()に使っていいだろ?

 

 並び立つライカンスロープがインクブスお得意の下品な口を披露してくれる。

 相変わらず品性下劣だな。

 思わず溜息が漏れる。

 

壊すなよ、ネス──」

 

 すべて言い切る前に、蒼い燐光が視界の端で舞った。

 次の瞬間、爆発音がショッピングモールを駆け抜け、遅れて粉塵が舞い上がる。

 音源はボスらしきライカンスロープがいた床面。

 突き立っているのは期待の新星、アズールノヴァの得物だった。

 

アズールノヴァさん!?

 

 無言で引き抜かれたソードは蒼い残像を残し、インクブスを追う。

 舞い散る燐光のおかげで軌跡を目で追えるが、その太刀筋は怒り狂ったとしか表現できない苛烈さ。

 並のインクブスならミンチになってる。

 インクブスの低俗な挨拶で頭に血が上ったのか?

 予想外だ。

 もう少し戦力を推し量ってから仕掛けるつもりだったが、予定を繰り上げる。

 

 手始めに──立ち塞がるライカンスロープどもを処理する。

 

お楽しみの邪魔すんなよ、虫けら…

 

 吐き捨てるように言い放った品性下劣なライカンスロープ。

 態度も大きいが、体躯も一回り大きく見える。

 それ以外、特筆する点はない。

 

虫けらとは……失礼なインクブスですね

「弁えたインクブスがいたか?」

 

 その()()()()仲間が食われたことを忘れる頭に何を期待する?

 そもそもインクブスに礼節など求めていない。

 求めるものがあるとすれば、その体に蓄えたエナくらいだ。

 

とっとと潰すか

「同感だな」

 

 激しく斬り結んでいるアズールノヴァの実力には舌を巻くが、いつ崩れるか分からない。

 予定を繰り上げて呼び寄せたゲジ7体は、もう目と鼻の先まで来ている。

 しかし、このライカンスロープども。

 狼の頭をしている割に鈍い鼻だ。

 

っ!? 背後に──」

 

 背後から迫るゲジに勘づいた左手側の1体は、突進してきたフタマタクワガタに両断される。

 

しまっうわぁぁぁ!

 

 長い大顎を避けるも、床に引き倒されて陳列棚の奥へ引きずられていくライカンスロープ。

 ゲジの顎肢に捕まれば、神経毒を注入されて抵抗もままならず捕食される。

 どちらに捕まっても等しく死が与えられるだろう。

 

くそが! ウィッチをやるぞ!

お、おう!

 

 その判断は正しいぞ、ビッグマウス(大口叩き)

 フードを取り払って、傍らに佇むヒラタクワガタへアイコンタクトを送る。

 獲物をアズールノヴァに斬り捨てられた漆黒のファミリアが動く。

 

はっ鈍いんだよ!

 

 それを見るなり猛進してきたビッグマウスの繰り出す拳は()()()()()()致死の一撃。

 だが、外骨格を砕くにも、その内を揺らすにも、威力不足だ。

 

 彼は歯牙にもかけていない──わけではない。

 

ネストル、下がれ!

「──ちっ!

 

 開かれた大顎を前に誘われたことを悟り、飛び退くビッグマウス。

 遅れて空間が切り裂かれる。

 獲物が下がるなり即座に突撃し、ヒラタクワガタは間合を詰める。

 その左右へ回り込もうとする2体のライカンスロープ。

 

こっちだ!

目を狙え!

 

 その一切を無視し、眼前の相手を追い立て──勢いを殺さず放たれる大顎のスイングが無作法者を狙う。

 

速いっ!?

 

 間一髪で後方へ身を投げ、質量攻撃を避けるライカンスロープ。

 

加勢は不要ですね

 

 インクブス3体が徒党を組んでも勝機はない。

 激しいようで冷静に戦いを進める生粋のインファイターに加勢は邪魔でしかないだろう。

 

「ああ」

 

 ゆっくりと後退る黒い巨躯。

 間合を仕切り直すような挙動にライカンスロープどもは息継ぎを合わせた。

 合わせて()()()()

 

フェイント!?

 

 刹那、唸るような風切り音が響き──漆黒の大顎はライカンスロープの1体を捕らえていた。

 

た、助けてくれ!

 

 仲間の声に釣られて不用意に飛び出したライカンスロープ。

 その眼前に飛んできたのは鋼鉄もかくやという漆黒の外骨格だ。

 振り抜かれた大顎の直撃で、くの字に折れた人影が陳列棚に突っ込む。

 

この虫けらめがぁ!

ぎゃぁあぁぁ──」

 

 勇ましく吠える狼の眼前で仲間は真っ二つにされた。

 一撃で終われるだけありがたいと思え。

 

また虫けらって言いましたよ、あのインクブス

 

 平静そうで多分に怒気を孕んだ声が左肩から聞こえた。

 ウィッチらしくないマジックを毛嫌いしながら、それで呼び出したファミリアまでは嫌いになれず、むしろ誇りにすら思っている私のパートナー。

 難儀な性格だ、まったく。

 虫けら呼ばわりが不愉快なのは私も同感だが。

 

「訂正が欲しい相手か?」

いいえ、まったく

 

 ぴしゃりと言い切る。

 なら、床にぶち撒けられた血と臓物の仲間に入れてやるとしよう。

 この場で生きているインクブスは、2体だけ。

 ゲジに囲われた一種のリングで、戦意旺盛なヒラタクワガタと相対するビッグマウスと──

 

な、なんだ…このエナは!?

 

 狼狽えるビッグマウス。

 期待の新星、アズールノヴァとボスらしきライカンスロープとの戦いも佳境を迎えつつあるようだ。

 彼女が迸らせる蒼い燐光の量は、まるで宇治川の蛍火のようになっている。

 あの燐光、マジックの副産物かと思ったが、可視化したエナだ。

 

「235番を限定解放──イグニッション(点火)

 

 囁くような声が耳を撫で、床へ這うように構えられた刃が蒼を超え、銀に輝き出す。

 生物に宿る21グラムの重みから溢れ出たエネルギー、本来は不可視であるはずのエナ。

 それが可視化するということは、相当な濃度で放射されている。

 

そのエナ……貴様っ!

 

 驚愕を敵愾心で塗り潰したライカンスロープは一陣の風となって突進する。

 それより速く振り抜かれたソード。

 放射されたエナが主の眼前に広がる空間を根こそぎ吹き飛ばす。

 

 回避不能の光帯に飛び込んだインクブスは──跡形も残らず消滅した。

 

 可視化するほどの濃度のエナの激流をインクブスに浴びせる。

 高圧洗浄機で豆腐を洗うようなものだ。

 

「必殺技か」

 

 そんな呟きは吹き荒れる暴風に飲み込まれる。

 必殺技の余波は凄まじく、ショッピングモール内は巻き上げられた粉塵で何も見えなくなる。

 このタイミングを見逃すインクブスは、いない。

 

こちらへ向かって来ます!

「分かってる」

 

 ファミリアのテレパシーに耳を傾け、それに応える。

 ただ斜め後ろへ3歩下がって()へ道を譲ってやるだけでいい。

 

 瞬く間に肉薄してきたライカンスロープは、間合に入った──舞う粉塵を切り裂き、フタマタクワガタの大顎がインクブスを両断せんと飛び出す。

 

ちぃっ!

 

 間一髪で拳を繰り出すのを中断し、低姿勢になって大顎から逃れる。

 四足歩行の姿勢でエントランスを飛び出していく様は、ただの狼だった。

 

む……逃げるようですね

「どうかな」

 

 尻尾を巻いて逃げるならポータルへ一直線のはず。

 あのビッグマウスは、わざわざ店外へ飛び出した。まだ戦意は失っていないと見るべきだ。

 月明かりを目指してエントランスより出る。

 

満月だったとはな……覚悟はいいか、ウィッチ!

 

 駐車場の真ん中に佇む影。

 両手を大きく広げ、天から射す月光を一身に浴びようとしている。

 ライカンスロープと呼ばれる所以、満月の下でエナを活性化させ、自身を強化する。

 それを披露しようというわけだ。

 

豪腕のネストルの真価を──」

「いや、終わりだ」

 

 呆気にとられるビッグマウス。

 その足下には、空から注ぐ月光によって奇妙な影が伸びていた。

 細長い棒と棒を組み合わせたアスレチック遊具のような影。

 

 ここに逃げ込む前は──()()()()()

 

 折れ曲がって交差する2本の照明灯、そこに4本の脚を引っかけ、微動だにしないカマキリ(死神)

 その存在を認識したビッグマウスは飛び退こうと足を曲げた。

 しかし、それでは遅い。

 

ぐぁっ!?

 

 私の目では追えない速度で振るわれた前脚は、一瞬で獲物を捕獲した。

 2m近いインクブスを子どものように軽々と持ち上げ、宵闇に染まった眼で無感動に見つめるカマキリ。

 

は、離せぇぇ!

 

 全身の毛を逆立てたビッグマウスは、でたらめに暴れようとするが逃れられない。

 虫けらと侮った代償は、その身で払え。

 

 ばきり──狼の牙が可愛く見える顎が断末魔ごと頭を齧った。

 

 頭を失ったインクブスの体は痙攣していたが、やがて動かなくなる。

 

お疲れ様でした

「ああ」

 

 咀嚼音だけが深夜のゴーストタウンに響き渡る。

 鼻どころか目まで悪かった狼の末路だ。

 見慣れた光景を視界に収めながら、ショッピングモールの床にぶち撒けた元インクブスの処理を考え──

 

「逃げたライカンスロープはっ……あ」

あ……

 

 息を切らして飛び出してきたアズールノヴァは、現在進行形で食事に勤しむカマキリを捉えて固まる。

 今日は同行者がいたことを失念していた。

 こんな食事風景、トラウマものだ。

 しかし、フォローの言葉が思いつかない。

 

「だ、大丈夫か…?」

「……すごい」

 

 大丈夫なわけが──なんだって?

 

「インクブスの逃走を先読みされていたんですね!?」

 

 ひしと手を掴んで、きらきらと目を輝かせるアズールノヴァ。

 予想外の反応に面食らう。

 いくらファンだと言っても、このスプラッターな光景を許容できるものなのか?

 それに、先読みなんて大層なことはしていない。

 私は堅実な作戦を選んだだけだ。

 

「そんな大層なものじゃない」

 

 なんとか手を解かせ、私はショッピングモールの外観へ視線を向ける。

 緑が侵食しつつある壁面や屋根を気ままに闊歩するカマキリ。

 ()()()()()()()4体。

 

「初めから包囲させてた」

「あ、そう、だったんですね……」

 

 初めからと聞いて、驚きの表情を浮かべたかと思うと長い睫毛が伏せられる。

 そこで私は気が付いた。

 具体的な作戦も戦術も彼女に教えていなかった。

 そんなこと考えもしなかった。

 

 今の今までファミリアと戦ってきて、ウィッチとの連帯など──それは言い訳だ。

 

 何も聞かされず戦いに飛び込まされるのが、どれだけ不安か私は知っているはずだ。

 今回が二度目の彼女なら猶更だろう。

 

「すまない」

「い、いえ! 私も1人で突っ走ってしまって……すみませんでした」

 

 頭を下げると相手も頭を下げて、気まずい空気が流れる。

 どうしろというのだ。

 傍らで月光を浴びる重量級ファミリアは無表情だが、嘆息しているように見えた。

 

そ、それにしてもアズールノヴァさん、見事な太刀筋でしたね!

 

 左肩で溌溂とした声を発したパートナーがちらちらと私を見てくる。

 強引な話題転換を試みようというのだ。

 できるハエトリグモの助け舟、乗らせてもらう。

 

「そうだな。助かった」

 

 嘘ではない。

 腕の立つライカンスロープを相手取る手間が省けたのは大きい。

 床下に潜伏させていたケラも、待機していたスズメバチも、どちらも出さずに済んだ。

 私を見る碧眼を真っすぐ見返して、はっきりと言う。

 アズールノヴァは──

 

「あ…」

 

 目を見開いてから、頬を微かに染めて破顔した。

 

「ありがとうございます」

 

 そんな純粋無垢の眩しい笑顔から逃げるようにフードを被る。

 私にアイドル(偶像)は到底、無理だ。




 ランキング二度見しました(震え声)


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普通

 Q:そうはならんやろ(感想未返信)
 A:なっとるやろがい!


 世で活躍するウィッチは年端もいかない少女たちだ。

 豊かなエナをもち、ある程度の自己判断ができ、インクブスを悪と断ずる常識がある。

 ()()()()()まだ義務教育の課程にいる者がほとんどだ。

 インクブスの脅威があったとしても、この国は教育を放棄していない。

 だから、深夜にインクブスを狩ろうとも授業はある。

 

東さん、大丈夫ですか?

 

 突っ伏した机の端に置かれたペンケースから顔を覗かせるパートナー。

 いかなる時もウィッチとして活動できるよう近くにいるのだ。

 だが、その声に答えることはできない。

 

「次の物理だりぃよぉ」

「宮野の授業は内職できねぇからな」

「そんなことより昨日の──」

 

 3限目の化学が終わり、訪れた休憩時間の今。

 ペンケースへ話しかける痛い人物にはなれない。

 だから、半眼を向けて睡眠不足を伝える。

 

昨夜は後始末に手間取りましたし……お疲れ様です

 

 床にぶち撒けた元インクブスが想像よりも散らばっており、回収に手間取った。

 加えて作業を手伝うと言い出したアズールノヴァの説得だ。

 応援で呼んだヤマアリの一団が困惑していたのを覚えている。

 自分の半身ほどもあるヤマアリを全く恐れず仕事を替わろうとするのだ、彼女。

 

「イレギュラーだな……」

なんです?

 

 きょとんと首を傾げるハエトリグモ。

 これくらいの大きさなら恐怖を感じない人も多いだろう。

 

「わ、おい!」

「ハチだ」

「え、やだやだ」

「ちょっ誰か追い払ってよ」

 

 しかし、私が連れているファミリアは一般人が見れば卒倒することもある大きさ。食事風景を見ようものならPTSD待ったなしだ。

 アズールノヴァはちょっと、かなり、変わった少女なのは間違いない。

 

なにやら騒がしいですね

 

 いつものことだろう。

 突っ伏したままで詳細は分からないが、芸能人──たまにウィッチ──の話や流行りのファッション、誰かの色恋沙汰と話題には事欠かないのだ。

 残念ながら私はついていけないが。

 

「スズメバチだぞ!」

「おーい、窓開けろ」

「刺激しないほうが……」

おや、コガタスズメバチがいらっしゃったようです

 

 オオスズメバチとそっくりなコガタスズメバチを一瞬で判別できるところに感心する。

 大きさ次第では見分けるのが難しいスズメバチだぞ。

 

現在、教室上空を旋回中。む……ほうきで撃退を試みる模様です

 

 突如、現場実況を始めたパートナー。

 教室の喧騒を聞き流しながら思うのは、やはり虫は一般的に嫌われ者であるということ。

 その理由は眼であったり、脚の数であったり、卵であったり、毒であったり、多種多様だ。

 

 だから、なんだという話だが──だめだ、思考がまとまらない。

 

 やはり、睡眠不足はまずい。

 ファミリアからのテレパシーに正しく応えられる自信がない。

 昼休みの時間は仮眠に充てよう。

 

あ! 東さん、こちらへ来ますよ

「は?」

 

 ちょっと待て。

 なんだと?

 ペンケースの中へ避難するパートナーは、実況を放棄した。

 隠せてない腹部を引っ張るぞ。

 

「お、おーい、東さん」

「東さん、逃げて逃げて」

 

 クラスメイトの遠慮がちな声が聞こえる。

 視線が集まっていると嫌でも分かった。

 普段聞いているファミリアのスズメバチとは比べ物にならないほど可愛らしい羽音。

 顔を上げると、ちょうど追い立てられてきたコガタスズメバチと対面する。

 

 ()()()()()()逃げる──までもないな。

 

 コガタスズメバチは大人しい性格で、巣を刺激さえしなければ積極的に攻撃してこない。

 なんとなく人差し指を伸ばしてみる。

 私のファミリアじゃない。

 ただの気まぐれだった。

 

「うそでしょ」

「スズメバチを止まらせちゃったよ…?」

 

 これ幸いと言わんばかりに指先で翅を休めるコガタスズメバチ。

 相変わらず表情は読めないが、安心しているように見えた。

 席を立ち、開けられた窓へ向かう。

 ほうきを持った男子を下がらせ、グラウンドが見える窓から手を出す。

 

「行け」

 

 言葉の分かるはずがないコガタスズメバチは、ふわりと浮き上がって青空へ飛び去った。

 寝不足の眼には厳しい陽光から目を逸らし、私は向けられた視線の多さに固まる。

 内訳は好奇が8割、嫌悪が2割。

 

「す、すげぇな」

 

 ほうきを握っていた男子が心底驚いた声色で言った。

 名前は小森、いや中森だったか。

 最も関わりのないクラスのムードメーカー的な男子だ。

 

「スズメバチは普通ビビるわ」

「風の谷だったぜ」

 

 野球部のエースが呟いた言葉に次々と頷くクラスメイトの男子たち。

 予想外に悪目立ちしている。

 好奇の視線、投げかけられる言葉。

 ほとんど会話したこともない相手に、どう切り返す?

 

「あのハチは大人しいから」

 

 さすがに何も言わないわけにはいかなかった。

 いつも通りのスタイル──無口な女子生徒──でいくしかない。

 間違いなく孤立の原因である。

 

「へぇ…そうなのか」

「いや、でもなぁ」

「スズメバチだしな」

「怖くないの?」

「特には」

 

 あえて言葉数を絞り、会話を膨らませない。

 今一歩踏み込めない様子の男子たちの横を通り過ぎ、席へ足を向ける。

 好奇の視線は残ったが、コガタスズメバチ騒動は幕を閉じて、クラスメイトは普段の定位置へ戻っていく。

 私も席へ戻って、物理の教材を──

 

「東さんは虫が怖くはないのですか?」

 

 まったく関わりがない女子に話しかけられ、私は一拍ほど固まった。

 顔を上げると薄茶の瞳とかち合う。

 好奇とは異なる別種の感情、何かを期待しているような、そんな眼差し。

 苦手だな。

 

「必要以上に怖がる必要がないと思うだけ」

「へぇ…」

 

 私の言葉を聞いた刹那、病欠しがちな大和撫子にしては──

 

「そうですか」

 

 好戦的な笑みを見た気がする。

 柔和な微笑みに隠されて、それを確かめる術はない。

 黒髪を靡かせ去っていく後ろ姿を見送りながら、脳裏の虫食いだらけな名簿から名前を引く。

 

 確か──金城静華だったか?

 

 

必要以上に怖がる必要はないと思うんです

 

 ぶちり、と筋繊維が引き裂かれる音を聞きながら、拳大のハエトリグモは言う。

 まだ終わっていないが、言わずにはいられなかったのだろう。

 

アズールノヴァさんは特別としても、ファミリアは正義の味方ですよ?

「そうだな」

 

 目の前でハリアリ2体がインクブスの肉を取り合っている。

 正義の味方とは一体?

 いや、今日の獲物がエナを豊富に蓄えたインクブスだから取り合いもやむを得ないのだ。

 

気絶されるのは心外です!

 

 ぺちぺちと左肩を叩くパートナーの抗議を受け、傍らで気絶しているウィッチに目を向ける。

 鏡の国から飛び出してきたようなメルヘンな格好で、得物は赤いリボンを巻いた金のステッキ。

 おそらくマジックによる砲戦を主とするウィッチ。

 マジックに耐性を有するインクブス、通称オークに追い回されていた。

 

「仕方ないって結論で納得しただろ」

そ、それは…そうなんですけど……

 

 一度でも()()を経験すると次も期待してしまうのは分かる。

 しかし、これが普通だ。

 まだファミリアが世代交代していなかった頃、死闘の末にオークの頭を割っても感謝の言葉はなかった。

 血塗れの私とファミリアに向けられた視線は、畏怖。

 

「感謝されるためにやってるわけじゃない」

むぅ……

 

 不満げなパートナーには悪いが、私と組んだ以上は諦めてくれ。

 近づいてくる羽音に対して右腕を伸ばすと、さっと黒い影が止まる。

 正体はファミリアの中では小柄なヤドリバエ。

 

…オークが苗床で大丈夫ですか?

「心配か」

当然です! ファミリアですから

 

 苗床は気に入らないが、ヤドリバエの卵は心配なパートナーに思わず苦笑する。

 どれだけタフなインクブスでも体内までは防御できない。

 逃してやったオークも例外ではないのだ。

 

「強かなヤドリバエのことだ。上手くやる」

 

 祈るように前脚を擦り合わせたヤドリバエの額を軽く撫でてやる。

 確かに()()()()での増殖に成功はしていない。

 帰還した先で切除され、羽化しても新たな苗床を捕らえるのに失敗し、苦難の連続だ。

 それでも新たなファミリアを送り込み、インクブスに負担を与え続ける。

 既に活動中のコマユバチやコバチも、いずれ対策が練られるだろう。

 だから、次の手を打ち続ける。

 

そうですね……あと、セイブルブリーズですよ

 

 真紅の眼に映る銀髪の少女が、同色の瞳を瞬かせた。

 私はファミリアの正式名称を覚えていない。

 だから、パートナーから訂正を受けることが多々ある。

 

「…あれ、私…なんで…?」

 

 額を押さえながら起き上がったメルヘンなウィッチ。

 まだ完全に覚醒していない様子だが、また気絶されると面倒だ。

 ヤドリバエを飛び立たせて、状況説明のため歩み寄る──

 

うぉぉぉぉぉ!!

 

 お呼びじゃないインクブスも起き上がって、大音量のウォークライを轟かせる。

 非常に喧しい。

 無駄にタフなオークだ。

 

「ひっ」

「まだ生きてたか」

 

 腹を開かれ、脚を千切られ、まだ動けるらしい。

 首が太いからと切断を諦めたのは浅慮だったか。

 解体を終えた血塗れのハリアリたちへ新たな獲物を指し示す。

 

やめ、てぐぅれぇぇぇ──」

 

 一斉に殺到する大顎は競い合うように、オークの肉を抉り、噛み千切った。

 気がつくと首と胴が泣き別れし、エナを多分に含んだ噴水が飛び散る。

 

「あ、あなたは……ウィッチなんですか?」

 

 背後から戦々恐々とした声をかけられる。

 衝撃的な光景に動揺し、不安と恐怖で揺れる瞳を見返す。

 私をウィッチ以外の()()と思い込みたいのだろう。

 しかし、事実だけは伝えておく。

 震える小動物みたいなウィッチを見下ろして、私たちは答える。

 

「ウィッチだ」

ウィッチです




 作者の引き出しは少ない(ネタ不足)


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捕捉

 インクブスが出現してから人類は、国家間戦争を休止している。

 官民の被害は大きく、割ける国のリソースは有限だ。

 そして、ウィッチなる超常の力を操る少女によって全てを相手取ることはないが、国軍もインクブスの脅威と戦わなければならない。

 戦争をしている暇がない。

 

≪ヴァイパー1、こちらACP、送れ≫

≪ACP、ヴァイパー1、送れ≫

 

 一切の光源がない闇夜を切り裂く影。

 魚を彷彿とさせるスリムなデザインの飛翔体は高速回転する羽をもち、時速200kmほどで山間部を進んでいた。

 数は4()

 知る人が見れば攻撃ヘリコプターと呼ぶ日本国防軍の軍馬は対戦車ミサイル8発を搭載し、目標を目指している。

 

≪ホールディングエリアにて待機、送れ≫

≪ヴァイパー1、了解≫

 

 夜間戦闘に対応した虎の子の攻撃ヘリコプターに与えられた任務は、当然のことながらインクブスの駆逐である。

 目標は山間部を活動拠点とし、周辺市街の市民を殺害、誘拐している()()だ。

 複数のウィッチが連れ去られたという未確認情報もある。

 

≪オメガ2、敵集団について報告せよ≫

≪数に変化なし、目下直進中、速度方位共に変化なし≫

 

 先行する観測ヘリコプターから最新の情報が提供される。

 今宵も人類の領域へ踏み入ろうとする魑魅魍魎の前へ立ち塞がる最後の壁。

 それはウィッチではなく、我々でなければならない。

 その自負を抱く隊員の駆る鋼の軍馬は、インクブスを1匹残らず駆逐するという強い闘志を宿している。

 

≪ACP、ヴァイパー1、敵集団との距離、約2000、送れ≫

≪了解、作戦を開始する。射撃開始、繰り返す、射撃開始、送れ≫

≪ACP、ヴァイパー1、了解、射撃する≫

 

 空中に静止する攻撃ヘリコプター、その電子の目が人類の敵を睨みつけた。

 

≪目標、敵集団≫

 

 細長い山道を下るインクブスは攻撃ヘリコプター4機の有する対戦車ミサイルと同数。

 しかもオークと呼称されるタフネスな相手だ。

 完全な駆逐は困難を極める。

 

≪発射用意──発射≫

 

 4機のランチャーが一斉に光り、ロケットモーターの噴き出す炎が闇に沈む山道へ吸い込まれていく。

 閃光、そして鈍い爆発音。

 オークのエナと肉厚な表皮の複合装甲を貫通し、頭が弾け、腕が吹き飛び、腹に風穴が穿たれる。

 次々とランチャーから飛び出す対戦車ミサイルは、狙い違わずオークに直撃した。

 爆発と共に血肉が撒き散らされ、インクブスの影は地へと沈む。

 

≪誘導弾、全弾命中。撃破11、大破8──敵に対空攻撃の意図を認める!≫

≪ヴァイパー1、退避せよ≫

 

 死屍累々の山道より直線軌道で放たれたのは、オークの頭部。

 恐るべき膂力で放たれた()()の直撃コースに攻撃ヘリコプターの1機が滞空していた。

 アウトレンジを想定していた隊員の反応は遅れる。

 眼前に迫る黒い影──

 

「まったく手癖の悪い奴らだ」

 

 形容しがたい肉の潰れる音。

 

 恐る恐る目を開けた隊員の眼前には──長方形の無骨な大楯あるいは装甲板が()()()()()()

 

 肉の破片がこびりつく前面には、金木犀の紋章。

 その外見に見合わぬ軽快さで主の元へと舞い戻る。

 

≪ウィッチ…!≫

 

 舞い戻った1枚を含め6枚の大楯、それを翼のように従える少女。

 聖職者を思わせる純白の衣装を身に纏い、鉛色のメイスを肩に担ぐウィッチは世の理が定めたように空中で静止していた。

 

≪ACP、ヴァイパー1、ウィッチが出現した。これより退避する、送れ≫

 

 一斉に退避する攻撃ヘリコプターの風圧を受け、馬の尾のように靡く長い金髪。

 

「あいつらには躾が必要だな」

 

 黄金の瞳が眼下のインクブスを見下ろし、嘲る。

 彼女こそナンバーズの一角、ウィッチナンバー8──ゴルトブルームである。

 

主よ、それは聡い獣にのみ有効ですよ

「インクブスは獣以下ってか?」

 

 好戦的な笑みを口元に浮かべるゴルトブルームは、メイスを指揮棒のごとく振るった。

 

アインス(1番)ツヴァイ(2番)ドライ(3番)

 

 世界の色が反転したかと思えば、彼女の背には3本の黒鉄が浮遊していた。

 攻撃ヘリコプターほどもある筒状の()()に装飾の類はなく、ただ機構だけが存在する。

 それは砲、大砲、カノン砲。

 照準は生き残ったオークの群れ。

 

 ──斉射。

 

 闇に包まれていた山間部を昼間同然に照らす砲火。

 着弾と同時に、世界が震えた。

 

「突っ込むぜ」

ご随意に

 

 発射と同時に自壊する黒鉄を背後に置き去り、煌々と燃え盛る山道へ流星が落ちる。

 マジックによる砲撃へ耐性を有する()()()()()()オークは、この大火力を受けても消滅しない。

 ゆえに、殴って潰す。

 

「おらぁ!」

 

 居並ぶオークを片端から殴る。

 消滅はせずとも瀕死のオークの脳天へメイスが唸り、醜悪な面を風船のように破裂させた。

 横より掴みかかろうとした太い腕を大楯が弾き、メイスの一撃が頭を吹き飛ばす。

 一振りで肉が弾け、一振りで骨が砕け、一振りで命が吹き飛ぶ。

 流れ作業のように振るわれたメイスは1分と経たずにオークの群れを屍に変えた。

 

「こんなもんか…ねっ!」

 

 フルスイングされた鉛色の凶器がオークの頭に殺人的な加速を加え、積み上げられた死骸の山に叩き込む。

 内包するエナへ干渉し、一種の爆薬とした砲弾。

 それは死骸のエナと連鎖反応し、極彩色の爆発となって辺りの木々を照らす。

 

「──ご挨拶だなぁ、おい

 

 その極彩色の光を背に着地したインクブスは溜息交じりに言う。

 爆発より逃れる影を正確に追尾していたゴルトブルームは、既にメイスを構えている。

 

まったくよぉ…この島だけ狩りが上手くいかねぇ

 

 既に()()内。

 黄金の瞳が推し量るのは、眼前で口を回すフロッグマンの力量。

 見慣れぬ真紅の表皮、鋭利な爪を備えた両腕、どこを見ているか定かではない眼。

 

強くもねぇウィッチを数匹ずつしか捕まえられねぇ…なぜだぁ?

 

 嘲りを多分に含んだ声を耳にして、ゴルトブルームのブーツが地に沈み込む。

 流麗に見える足へ蓄えられたエネルギーは──

 

「お前らが弱いからだろ」

 

 解放された。

 跳躍と同時に振り抜かれるメイスは音を置き去りにしていた。

 

 直撃──それを予期していたかのように真紅の影は跳んだ。

 

 地面を抉り飛ばす一撃を前に宙返りを見せ、見事な着地を披露してみせる。

 

あぁ違いねぇ…たかが虫けら相手に手こずるなんてなぁ

フィーア(4番)!」

 

 回避されるのは折り込み済。

 ゴルトブルームの周囲を一回転した大楯6枚の影より現れるカノン砲が業火を放つ。

 火箭が吸い込まれたフロッグマンの着地点は火山の噴火よろしく大爆発を起こす。

 

危ねぇじゃねぇか

 

 爆発の反対方向より現れたフロッグマンの右腕がゴルトブルームに迫る。

 両生類にはない鋭利な鉤爪。

 ()()の仕込まれたウィッチ殺し。

 それは柔肌を捉えることなく旋回してきた大楯に阻まれ、黄金の瞳がインクブスを睨む。

 

「潰れろ」

おっと!

 

 高速で旋回してきた2枚の大楯はカエルのミンチを作り損ね、火花を立てて打ち合う。

 目の痛くなる真紅の影は、一瞬で闇へと逃げ込んでいく。

 

「ちょこまかと鬱陶しい…フュンフ(5番)!」

 

 大楯の扉が開かれると同時に、カノン砲の業火がフロッグマンを照らし出す。

 周囲の木々が薙ぎ倒され、より強く燃え盛る山道。

 

 接近したところで攻守一体の大楯に退けられ、距離を離せば正確無比の大火力が投射される──そのスタイルを人々は、要塞と呼ぶ。

 

…ここだと面倒だなぁ

「お前がな」

 

 周囲で揺らめく紅蓮が闇を蝕む中、傷一つないフロッグマンは溜息を吐く。

 その実力は間違いなくネームド。生半可なウィッチでは返り討ちにされるだろう。

 睨み合うウィッチとインクブス──

 

邪魔者もいるしなぁ!

 

 フロッグマンが地面を蹴ると同時に地面が爆ぜる。

 まるで地面が沸騰したように土煙が次々と噴き上がり、飛び跳ねるインクブスを追う。

 闇夜より降り注ぐ攻撃ヘリコプターの掃射である。

 真紅の影は山道を大きく外れ、山林へと消えた。

 

逃走したようです

「ちっ…」

 

 引き際の良さに思わず舌打ちするゴルトブルーム。

 機関砲の咆哮は絶えず、木々を破砕して目標を追い続ける。

 しかし、大した効果はないだろう。

 

主よ、お行儀がよろしくありませんね

「余計なお世話だっての」

 

 十字架に扮したパートナーの言葉に鼻を鳴らし、ゴルトブルームは闇夜を見上げる。

 掃射を続ける攻撃ヘリコプターなど眼中にない。

 

 黄金の瞳に映るのは──上空を旋回する灰色の影。

 

「シルバーロータスのファミリアか」

 

 光を反射しないモスアイ構造の複眼で地上を睥睨するスズメガだった。

 

 

 インクブスの死骸の多くは現場で焼却される。

 危険なガスを生じさせるのだ。当然の判断と言える。

 しかし、私にとってはファミリアのエナ供給源。

 日本国防軍は確実に処理するが、ウィッチは不十分な場合が多く、利用させてもらっている。

 ここのところは見つからなかったが、久々に発見のテレパシーを受けた。

 

「どのファミリアを向かわせるか、だな」

残飯を漁らせるようで、なんとも……

 

 言いたいことは分かるが、活動中のファミリア全てがインクブスにありつけるわけではないのだ。

 ウィッチが激しく損壊させてもガス化するまではエナの塊。

 それを得てファミリアが成長するなら私は徹底的にやる。

 あと──

 

「残飯言うな。料理中だぞ」

す、すみませんでした

 

 換気扇のカバーに張り付いたパートナーが頭を下げる。

 そこの近くにいると豆腐ハンバーグの匂いが殺到するぞ。

 後2分ほどで蒸し焼きが終わるのだ。

 本日の献立は、この豆腐ハンバーグを主菜とし、副菜にトマトサラダ、主食は炊き立てご飯だ。

 

「…姉ちゃん」

 

 声のする方向へ振り向くと、リビングからキッチンを覗き込む無垢な瞳。

 私を姉ちゃんと呼ぶのは、この世界で1人しかいない。

 血の繋がった()の実妹だ。

 

「芙花…?」

「また、アンダーソンと話してた」

 

 とことこと駆け寄ってきた芙花は、どこか不満げな様子でハエトリグモを見上げる。

 びくりと反応するパートナーに一言も発するな、とアイコンタクト。

 今の私たちはウィッチとパートナーではないのだ。

 芙花が児童向けアニメを夢中で見ていたから油断していた。

 

「話してないよ。献立を確認してただけ」

「……アンダーソン、嫌い」

 

 虫だから嫌い、ではない。

 まるで殺虫剤でも噴射されたようにパートナーは硬直していた。

 嫌いという言葉を芙花がはっきり発するのは、かなり珍しい。

 火を止めて、芙花と向き合う。

 

「どうして?」

 

 クラスで身長が低い私よりも一回り小さい芙花の目線に合わせる。

 そうすると妹の大きな目が不安で揺れているのが、よく分かった。

 

「アンダーソンと話すとき……」

 

 いつもは天真爛漫といった言葉の似合う芙花が、今日は弱々しい。

 学校で何かあったのだろうか?

 いや、それよりも妹の話に集中すべきだ。

 

「姉ちゃん、すごく遠くを見てて」

 

 エプロンの裾をぎゅっと握った芙花は、ぽつりぽつりと言葉を続ける。

 ファミリアの目を通して遠くは見ているが、そういう意味ではない。

 

「知らない人みたいで、やだ」

 

 そこまで言うと抱きついて顔を私の胸に埋めてくる芙花。

 私とお揃いにしたいと伸ばした黒髪を手で解き、頭を撫でる。 

 

 知らない人──ファミリアと向き合う私は、別人に見えるだろう。

 

「…そう」

 

 父親は仕事で家に戻れず、母親は行方不明。

 頼りになる唯一の実姉が別人みたいになったら、まだ幼い芙花が不安になるのは当然だ。

 迂闊だった。

 

「ちょっと疲れてただけ…だから、大丈夫」

 

 そう言うと、より強く抱きつかれる。

 そんな芙花の頭を撫でながら、換気扇を見上げるとパートナーが頭を下げていた。

 気にするな、と言っても聞かないだろうな。

 ウィッチの活動が負担ではないと言ったら嘘だ。

 だが、それでパートナーや他のウィッチを責めようとは思わない。

 

「…姉ちゃん、聞いてくれる?」

「いいよ」

 

 しばらくして落ち着いた芙花は、幾分か持ち直した声で尋ねてきた。

 私は一度もダメと言ったことはない。

 

「学校でね…この頃、カエルのお化けが出るんだって…」

 

 元気がなかったのは、それも原因か。

 以前に喧嘩した男子が仕返しに怖い話を振ってきた、といったところか?

 芙花は私と違って活動的で、男子相手にも物怖じしない。

 ただ、怖い話が苦手で──

 

「カエル?」

 

 脳裏に過ぎるのは、あるフロッグマンだった。

 3日前、インクブスの群れを追尾していたスズメガより受信したテレパシー。

 ウィッチか日本国防軍──ファミリアは人間を判別できない──と交戦して群れは全滅したが、変種のフロッグマン3体は逃走に成功した、と。

 

「うん…真っ赤なカエルのお化け」

 

 抱きつく芙花の頭を撫でる手に力が入らないよう意識する。

 ここにいる時の私は、ウィッチではない。

 

「校舎の2階の窓からね、真っ赤なカエルがね、じっと下校する子を見てるって…男子が」

「それは、不気味ね」

 

 ()()怪談や噂の範疇だが、苗床を得て、姿を現した時には手遅れだ。

 おそらく周辺のウィッチは認知していない。

 犠牲者が出るまで彼女たちは気づけないだろう。

 どれだけ使命感があっても体は一つしかないからだ。

 ならば──

 

「芙花、安心して」

「姉ちゃん?」

 

 いつも通りの声は出せた。

 しかし、今の私は自然に笑えているだろうか。

 それだけが不安だった。

 

「お化けなんていないわ」

「ほんと?」

「ええ」

 

 ゆっくりと体を離し、小さく首を傾げる芙花へ頷いてみせる。

 お化け()いない。 

 この世界を跋扈する非科学的存在の一つに変身する私だが、お化けは見たことがない。

 いるのは、どうしようもないインクブス(淫魔)だ。

 

「きっと見間違いよ」

「…姉ちゃん、信じてないでしょ」

 

 私を半眼で見つめる芙花は不満げに頬を膨らませるが、愛おしさしか感じない。

 そんな妹の通う学校に、奴が、インクブスがいる。

 まだ体のできていない非力な子どもを狙うフロッグマンは少なくない。

 むしろ多い。

 同程度の体格は交尾相手に最適だ、と──その息の根、止めるしかあるまい。




 ハンバーグ(迫真)


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膳立

 アンダーソンではない(唐突)


 昨夜、即座に行動へ移すことはしなかった。

 情報が足りない状況で校舎へ突撃するわけにはいかない。

 本当にフロッグマンが潜伏しているか定かではないのだ。

 

東さん

 

 仮に潜伏していたとしても、招集するファミリアを選別しなければならない。

 屋内だからといって毒物の散布は当然ご法度だ。

 重量級ファミリアは校舎を破壊する危険があるため除外。

 大顎で解体するファミリアは死骸を四散させた結果、翌朝バイオハザードを引き起こす可能性があるため保留。

 

あ、あの東さん?

「どうした?」

 

 空の牛乳パックに乗るパートナーへ目を合わせる。

 持ち上げた前脚を彷徨わせ、まごまごとしていた。

 何度か名前を呼ばれていた、気がする。

 悪いことをした。

 

申し上げにくいのですが……報告を待つべきかと

「……焦れるな」

 

 パートナーの言うことは尤もだ。

 しかし、今すぐにでもフロッグマンを狩り出して、その息の根を止めてやりたい。

 身内贔屓と他人は言うのだろうが、知ったことではない。

 芙花に指一本触れてみろ。

 

 生きたまま解体してやるぞ──いつものことだな。

 

ご安心ください! 事を起こそうものなら、10秒未満でファミリアの一陣が突入します

「頼もしいな」

ふっふっふっ……でしょう?

「パニックが起きなければ、だが」

 

 沈黙したパートナーは気まずそうに視線を逸らす。

 間違いなくパニックは避けられない。下手をすればインクブスより二次被害の方を心配する事態になる。

 しかし、本当に事が起きれば、そうも言っていられない。

 

「……待つしかないか」 

 

 上空で滞空するオニヤンマも、小学校を囲うように配置したハマダラカも、今のところ真紅のフロッグマンを発見できていない。

 昼間から活動するインクブスは少数、別の場所に潜伏している可能性もある。

 今からでも捜索の範囲を──

 

ファミリアを信じてください

 

 初めてマジックを使った時、傍らから聞こえた真っすぐな声を再び耳にする。

 真実を語っているようで、祈っているような、そんな声だ。

 

 ──忘れていた。

 

 私自身に大した力はない。

 感情的になったところでファミリアの能率が上がるわけではない。

 ならば、私ができることは信じて()()()こと。

 

「ああ」

 

 黒曜石のような眼を真正面に見据えて頷く。

 実妹のことだからと平静を失っていたようだ。

 思わず溜息が出る。

 いつものように、確実に、インクブスどもを駆逐しなければならない。

 

「らしくなかったな」

なんのことでしょう?

 

 わざとらしく首を傾げるパートナーに苦笑する。

 できたハエトリグモだよ、まったく。

 頼りないようで、肝心なところは外さない。

 

そういえば東さん

 

 嫌な予感。

 こぢんまりとしたパートナーが改まって切り出す話題は良かった試しがない。

 特に、この人気がない校舎3階の階段にいるときは。

 

「どうした?」

 

 牛乳パックより跳ねてきたパートナーを左手に乗せ、続きを促す。

 そろそろ昼休みが終わるというタイミング。

 何を言い出すのかと身構える。

 

どうして芙花さんの誤解を解いて下さらないのですか!?

「……いや、何の話だ」

 

 嫌われるのはやむを得ないと納得してただろ。

 芙花の嫌いという言葉に対するフォローなら分かるが、誤解とは一体?

 

アダンソンハエトリそっくりですけど、名前がアンダーソンなのはあんまりです!

 

 前脚を振り上げて抗議するパートナーは、まくし立てるように言った。

 あんまり、とは世にいるアンダーソン氏へ失礼だぞ。

 それに芙花はハエトリグモの個体を判別して名前を呼んでいるわけではない。

 

「芙花にとってハエトリグモは全部アンダーソンだぞ」

お、横暴…!

「家にいるハエトリグモはアダンソンだと教えたからな」

東さんのせいじゃないですか!

 

 そうともいう。

 ぴょんぴょんと跳ね回るハエトリグモを連れて、教室へと足を向ける。

 訂正を要求するなら、まず芙花の日常を取り戻してからだ。

 インクブスどもは1体も逃さず、駆逐する──

 

「東さん」

 

 2階へ階段を下ろうとした足を止める。

 いや、止めざるを得なかった。

 

 踊り場から私を見上げる──金城静華がいたからだ。

 

 その視線から隠れるようにパートナーが私の後ろ髪に潜り込む。

 逃げたくなるのも分かる。

 

「探しましたよ」

 

 いつも周りにいる友達を連れず、関わりの薄いクラスメイトを()()

 大和撫子の浮かべる柔和な微笑みから感じる違和感。

 警戒心を抱くな、というのが無理な話だ。

 

「私を?」

「はい」

 

 問えば、淀みなく答える。

 階段を上ってくる金城は、背筋が真っすぐで重心も安定している。

 病欠しがちだが、武道の類でも嗜んでいるのだろうか。

 目の前に立たれると身長差で、少し視線を上へ向ける必要があった。

 

「お聞きしたいことがありまして」

 

 そう言ってチェック柄スカートのポケットから取り出した1枚のメモ用紙。

 丁寧に折りたたまれているところに性格を感じる。

 

「この虫について、何かご存知でしょうか?」

 

 開かれたメモ用紙には──シモフリスズメが描かれていた。

 

「これは……」

 

 上手い。

 スズメガ科に属するシモフリスズメだと一目で分かった。

 一見写実的だが、複眼や脚を違和感なくデフォルメして可愛く仕上げている。

 柔らかいタッチで私好みなイラストだ。

 

「上手く描けてる」

「え?」

 

 しかし、どうしてシモフリスズメなんだろう?

 灰色の翅は華やかさと無縁で、他のスズメガ科と比べると可愛いとは言いにくい。

 私は精悍な顔つきが好きだが。

 

「どうしてシモフリスズメを?」

「し、シモフリスズメ?」

 

 目を瞬かせる彼女にメモ用紙のシモフリスズメを指差してみせる。

 私が食いついてくると思っていなかったのか?

 確かに距離感が近かった、かもしれない。

 慣れないな。

 だが、金城のチョイスした理由に興味が湧いたのだ。

 

「この頃、()()見かける虫だったので」

 

 どこか困ったように微笑む大和撫子を見て、私は理解する。

 日陰を求めるシモフリスズメがベランダに寄ってきて困っているのだろう。

 鱗粉を落として洗濯物を汚すことがあるのだ。

 コガタスズメバチ騒動の私を見て、効果的な助言を求めに来たというところか。

 

 しかし、時期が時期だから──鳴り出す予鈴。

 

「季節だから仕方ない」

 

 無理やり話を切り上げて、私は行動に移る。

 5限目の化学を担当する教師は、遅刻すると長い説教を始めるご老体だ。

 それで時間を潰されては堪らない。

 

「行こう、金城さん」

「ええ……そうですね」

 

 名前を呼ばれたことに驚いたのか、反応に少し間があった。

 馴れ馴れしかっただろうか?

 分からない。

 距離感の難しさを感じながら、私たちは階段を早足に駆け下りた。

 

 

 フロッグマンは容易く発見された。罠を疑うほどに。

 いや、これは十中八九罠のつもりだろう。

 あからさまにポータルを開いて潜伏している場所を暴露したのだ。

 

では、正面から?

「ああ、潰すぞ」

 

 インクブスどもは待ち伏せていると思っている。

 ウィッチ単独なら袋叩きだろうが、包囲しているのは()()()だ。

 待ち伏せている位置は把握済、数はフロッグマン3体に加えて増援のゴブリンが24体。

 

 時刻は深夜0時を回ったところ──5時までに片付け、ここで芙花が食べる弁当を作らねばならない。

 

 いけるな。

 芙花の通う小学校は統廃合を繰り返し、この辺りでは最も規模が大きい。

 だが、インクブスどもは戦力を分散していなかった。

 そのまま一網打尽にする。

 

立派な学び舎ですね

「そうだな」

 

 運動場から見える学び舎は、まるで城のように立派な造りをしていた。

 我が国が未だに()()()()国でいられるのは意地でも教育を放棄しなかったから。

 いや、子どもの学べる環境を死守したというのが正確か。

 それを切り捨て国防に傾倒した国々は慢性的なウィッチ不足に苦しんでいるという。

 パートナー曰く健やかな心身がなければ、21グラムの魂から引き出せるエナは限られる──

 

「学び舎は、子どもの場所だ」

 

 ここは未来のウィッチを育てる場所ではない。

 

はい、インクブスには退場願いましょう

 

 その言葉に頷き、シースからククリナイフを抜き放ち、深夜の静寂に包まれた校舎へ向かう。

 校舎へ侵入したファミリアへ行動を始めるようテレパシーを発信。

 運動場にヤママユガで堂々と降り立った理由は一つ。

 インクブスどもをファミリアの()()へ誘き出す。

 

「へぇ……お前がシルバーロータスか」

 

 まさか、先客がいるとは思わなかった。

 

 ──音源は上空。

 

 視線を上げた先、夜風で黄金の髪を靡かせる少女。

 その背には成人男性を軽く隠せそうな長方形の装甲板が2枚、浮遊している。

 この世を席巻する非科学的存在の一つ。

 ウィッチだ。

 

「よっと」

 

 重力を感じさせない軽やかな着地を披露したウィッチは、私より身長が高かった。

 ウィッチに総じて言えることだが、理想を形にしたと言おうか。

 我が強そうな切れ長の目から逃れるため、フードを深めに被る。

 

「地味だな」

 

 歩み寄ってきたウィッチは聖職者を思わせる純白の衣装を纏っていた。

 鼠色のてるてる坊主と比較すれば、後者が地味なのは当然だろう。

 

主よ、それは失礼ですよ

「うっさい」

 

 胸元の喋る十字架に対して、ぶっきらぼうに答える純白のウィッチ。

 そのデザインの衣装とパートナーで、その口調なのか。

 ギャップを感じるな。

 そそくさと逃げようとする私のパートナーを左手で捕まえ、金色の瞳と相対する。

 

「初めまして、でもないか。私にとっちゃ初めましてなんだが──」

「いや、私も初対面だと思うが」

 

 どこか挑戦的な笑みを浮かべていた彼女は、私の一言で凍りつく。

 いや、そもそも場の空気が凍りついたような気がする。

 

 ──沈黙。

 

 それに耐えかねたパートナーがもぞもぞと動き、説明を試みようとする。

 

……あ、あのですね。彼女はナンバーズの──」

「お前、見てたよな!?」

 

 素っ頓狂な声を上げ、純白のウィッチが詰め寄ってくる。

 そう言われても見ていないし、会ってもいない。

 自意識過剰なのでは、と状況を悪化させかねない言葉を胸中に押し込む。

 

「この前、お前の()()()()()()観戦してたの知ってるんだぞ!」

 

 その言葉に左肩のパートナーと顔を見合わせる。

 なるほど、道理で知らないわけだ。

 

「私のファミリアはウィッチが判別できない」

「へ?」

 

 鳩が豆鉄砲を食ったような顔、それから意味を理解して肩を落とす純白のウィッチ。

 一人で盛り上がり、一人で落ち込んでいる。

 多少、申し訳ない気がしなくもない。

 

「すまない」

「いや、謝らなくていい……」

 

 別種の気まずい沈黙。

 意思疎通できるウィッチと会話を交えるたび、この空気を味わっている気がする。

 どうしろというのだ。

 

主よ、本来の使命を忘れておりますよ

「はぁ…そうだった」

 

 その空気を十字架のパートナーが切り捨て、純白のウィッチの声に張りが戻る。

 咳払いの後、その口元には好戦的な笑みが浮かんでいた。

 

「ここのインクブス、私が逃がしちまった奴なんだ」

「そうなのか」

 

 スズメガが追尾していた群れを全滅させたのは、ウィッチだったか。

 オークを主力とする群れだったが、それを短時間で全滅に追い込んでいた。

 実力の高さが窺える。

 

「おそらくネームドで、腕の立つインクブスだ。ここは私に任せてくれないか?」

 

 つまるところ、横取りするなと言いたいのだろう。

 だが、ネームドは背を向ける理由にはならないし、()()()()逃さないとも限らない。

 確実にインクブスどもの息の根を止めたいのだ。

 ここは──

 

「問題ない。私が──」

「へぇ……なら」

 

 問題ない、という言葉に笑みを強める純白のウィッチ。

 説得の通じる相手ではないと薄々気づいていたが、スイッチを入れてしまったらしい。

 嫌な予感がする。

 

「早い者勝ちだぜ、シルバーロータス!」

 

 世界の色が一瞬反転し、空中に現れる鉛色のメイス。

 その得物を掴むなり、純白のウィッチは振り返りもせず校舎へ飛ぶ。

 マジックによる重力を感じさせない飛翔だった。

 

行ってしまいましたね……

「ああ」

 

 言葉を額面通り受け取るなら、彼女はネームドを相手取る実力がある。

 それゆえに出た発言。

 パートナーが諫めないところを見るに、()()が彼女のスタイルなのだろう。

 だが、負ければ死よりも惨い未来がウィッチには待っている。

 これは遊びじゃない。

 

「面倒だな」

 

 イレギュラーに振り回されるのは、苦手だ。

 飛び込んでいった彼女はファミリアの狩場を知らない。

 待ち伏せしているインクブスに正面から当たる気だろう。

 作戦を変更せざるを得ない。

 

あの、東さん

 

 どういう作戦に変更すべきか考えていると左肩のパートナーが遠慮がちに声を出す。

 

「どうした?」 

 

 さっそくインクブスが動き出した旨のテレパシーを受信。

 あのウィッチ、誘蛾灯よろしくインクブスを引き寄せている。

 このままだと袋叩きだ。

 

彼女の実力は高いです……高いのですが、それはマジックの火力あってこそと聞きます

 

 多少の数的不利は火力を発揮()()()()問題ないということか──

 

「つまり、本領を発揮した場合」

校舎が破壊されかねません

 

 思わず溜息が出た。

 芙花の通う小学校を破壊されるわけにはいかない。




 蟲要素がヒロインしかない(震え声)


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刺突

 パートナー組のフォントを変更したゾ(小声)


 昼間は児童の活気に満ちている小学校も夜は別世界に思える静寂に包まれていた。

 月光が射し込む白い廊下を足音だけが反響する。

 

主よ

「なんだよ」

 

 足音の主であるウィッチとパートナーは普段通りの調子で言葉を交わす。

 一見無警戒のようだが、鉛色のメイスは暴力を行使した痕跡を廊下へ滴らせている。

 

よろしかったのですか、あのようなことを仰って

 

 十字架に扮したパートナーは問う。

 あのようなこと、とは先程のシルバーロータスに対する一件しかない。

 こちらに落ち度があるとしながら、横取りするなと牽制し、一方的に競争を持ちかけた。

 

「あれで乗ってくるなら面白かったんだけどな」

 

 退屈そうにメイスで肩を叩くゴルトブルーム。

 想定外のファーストコンタクトゆえのアドリブ(即興劇)に、シルバーロータスは大した反応を見せなかった。

 あからさまな挑発に対して、彼女は──

 

「問題ない、とか言う割にっ」

 

 扉の影から飛び出すゴブリンの頭が振り抜かれたメイスによって弾け飛ぶ。

 これで3体目を数える。

 劇薬を塗り込んだらしいナイフが床を滑り、毒々しい色彩を飛び散らせた。

 それを気にもせず、ゴルトブルームは足を進めていく。

 

「追ってこねぇし」

…ファミリアが召喚される様子もありません

 

 ウサギのように赤い瞳はインクブスを屠る意志だけがあった。

 しかし、それが実行される気配は今のところない。

 ゴルトブルームのメイスだけがインクブスの生命を砕いている。

 

「身体能力は平均以下、エナは微弱で、私の接近を察知できないし、ファミリアは1体だけ」

 

 ネームドを次々と屠ってきた実力を微塵も感じないウィッチ。

 ナンバー13に値するとは到底思えない。

 功績に誤りがあるのではないか、とオールドウィッチを疑ってしまうほどに。

 

「あーあ、期待外れだな」

だからこそ実力を見極める機会だったのでは?

「こそこそと見守れってか? 冗談じゃない」

 

 他の追随を許さない圧倒的な力でインクブスを駆逐する。

 それが序列上位者、ナンバーズである。

 監視するまでもなく、その実力は推し量れるもの。

 

主よ、協力という選択肢もありましたよ

 

 インクブスを効率よく駆逐し、シルバーロータスの実力も見定める。

 胸元より語りかけるパートナーの提案は、一般的なウィッチであれば採用率は高い。

 

「それこそ冗談じゃない」

 

 しかし、ゴルトブルームは一般的なウィッチではない。

 協力という言葉を耳にして顰められた眉、不愉快であると言外に語る口元──

 

「インクブスを逃したのは、私の責任だ」

ふむ……

 

 そんな口から紡がれた言葉には、ぶっきらぼうな口調からは想像もつかない重みがあった。

 雲が月を隠し、闇が訪れる。

 一定のリズムを刻んでいた足音が止まり、闇は静寂を得て廊下に満ちた。

 

「私の不手際は、私の手で片を付ける」

 

 絶大な能力を有するゴルトブルームである時、彼女は他者に頼らない。

 他者に譲らない。

 その強迫観念じみた考えは、連勝を続けるほど強まっている。

 望ましいとはパートナーも思っていないが、手詰まりは否めない──

 

「出てこいよ、カエル野郎」

 

 細められた黄金の瞳が廊下の奥を睨む。

 

へぇ……気づいてやがったのか

 

 闇の中で肩を揺らす影。

 人を小馬鹿にした耳障りな声が廊下を反響する。

 

「取り巻きを連れてお山の大将気取りかよ」

 

 息づく9つの気配。

 前衛に2体、中衛に4体、後衛に3体。

 インクブスの使い走りことゴブリン、そして件のフロッグマンだ。

 

ここで()()()のマジックは使えねぇだろうからな

 

 哀れむようで見下した声に取り巻きのゴブリンも揃って嘲笑う。

 しかし、ゴルトブルームは憤ることもなく聞き流す。

 確かに絶大な威力を誇る要塞の主砲は、容易く学び舎を破壊するだろう。

 

「あれが私の()()()と思ってんのか」

なに?

 

 その浅慮な考えを鼻で笑った。

 使用できないのではなく、使用する必要がない。

 エナを高純度に収束させ、加速、投射するマジック。

 それは遠距離からインクブスを駆逐するため獲得した()()()能力。

 

「やるぞ、カタリナ」

 

 ゴルトブルーム本来の戦闘距離は、インファイト(接近戦)である。

 

かしこまりました、主よ

 

 すぐ隣で静止した大楯へゴルトブルームは左手を伸ばす。

 金木犀の紋章が微かな光を放った後、マキナの駆動する音が廊下に響き渡った。

 

ブリュート(開花)

 

 冷たく鋭い金属音が耳を撫でる。

 無骨な大楯の背面より迫り出す4本のヒルト()

 その1本を一息に抜き放き、現れた刃は細く、長い。

 そのポイント(切先)がフロッグマンの喉元を狙う位置で静止する。

 

新しい玩具ねぇ…やっちまえ

 

 長い得物をフロッグマンは大した脅威と見做さなかった。

 閉所では()()()()()()と。

 ナイフ、スリングショット、原始的な得物を手にゴブリンが突撃する。

 

 まず、2体のゴブリンが間合に入り──黄金の刃が揺らぐ。

 

浅はかな

 

 仲間の放ったスリングショットの擲弾が無為に空を切る。

 ゴブリンが知覚できたのは、そこまでだった。

 

……やるじゃねぇか

 

 ほぼ同時に床面へ倒れ込む2体の影を見て、唸るフロッグマン。

 眼球から後頭部まで穿つ一撃、それが二度放たれただけ。

 しかし、その速度は驚異的なもの。

 

「ここでなら私に勝てると思ったんだろ?」

 

 軽やかなステップで左半身を前に、再び構えられるエストック(鎧通し)

 

 その刃が揺らいだ瞬間──スリングショットの斉射が殺到する。

 

 旋回してきた大楯2枚に阻まれ、擲弾が毒々しい噴煙となって視界を塞ぐ。

 それを好機と見たゴブリン2体、そして最後衛にいたフロッグマンが躍りかかる。

 

「逆だよ」

 

 大楯による突撃がゴブリンを撥ね飛ばし、天井へ逃れたフロッグマンをエストックが狙う。

 閉所では大火力を使えない。

 だが、閉所では機動力も活かせない。

 

ちっ!

 

 即座に黄金が瞬き、眼窩へ鋭い刺突が飛んでくる。

 廊下という限られた空間で黄金の刺突を躱すのは至難の業。

 間一髪のところを鉤爪で逸らし、後方へと跳ぶフロッグマン。

 

「逃げんなっ」

 

 大楯2枚を扉のごとく開け放ち、追撃するゴルトブルーム。

 飛来する擲弾を軽々と避けながら邪魔者の眼、眉間、喉を貫く。

 断末魔もなく倒れるゴブリンの小集団。

 

こりゃ面倒なウィッチだぜ

 

 それを傍目に着地、そして飛び退くフロッグマンへの追撃は、エストックの投擲。

 

危ねぇ──」

 

 直撃の寸前で体を捻り、これを回避──した先に、鉛色のメイスが唸り声を上げて迫る。

 

な!

 

 体の捻りを利用し、手に忍ばせた擲弾を放つフロッグマン。

 曲芸じみた空中からのカウンター。

 それをメイスのフルスイングが捉え、一撃で粉砕する。

 

「…取り巻きがいなくなったぞ?」

 

 廊下を舞う粉塵を薙ぎ払い、ゴルトブルームは涼しい顔で告げる。

 

はぁ…役に立たねぇ

 

 エストックに眼窩を貫かれたゴブリンの隣へ着地したフロッグマンは溜息を吐く。

 雲が流れ、月光が再び顔を出す。

 

「邪魔者はいなくなったし」

チェックといきましょう

 

 新たなエストックを大楯より抜くゴルトブルーム。

 迫る黄金の輝き、そして月光から逃れるように真紅のフロッグマンは影へ下がる。

 月光の射さない別棟に通じる渡り廊下入口まで。

 

気が早いんじゃねぇかぁ?

 

 逃げるだけの手合にも飽いた。

 虚勢に見える嘲りを二度とできなくなるよう次で貫く。

 

 その決意をもってゴルトブルームは踏み込み──渡り廊下から、天井から、正面から、鉤爪が迫る。

 

主よ!

「分かってる!」

 

 1体ではなく3体。

 予想外ではあったが、難攻不落の要塞は冷静だった。

 大楯を旋回させて一方を防御、正面は迎え撃ち、己のエナより大楯を頭上に形成。

 世界の色が反転する。

 

「っと…手緩いんだよ」

お見事です

 

 危なげなく同時迎撃。

 純白の装束に触れることは叶わない。

 

いやぁ……勝ったね

 

 奇襲を容易く退けられたトリオは一様に笑う。

 三方より攻め立てれば要塞を落とせるなど浅慮が過ぎる。

 そう眉を顰めるゴルトブルームを──

 

「な、なにっが?」

 

 異変が襲った。

 視界が歪み、手足が震え、汗が噴き出す。

 それはインクブスの薬物による症状と酷似していた。

 しかし、ゴルトブルームは一度も被弾しておらず、粉塵を吸い込んでもいない。

 

「くっ体、が…!?」

これは…主よ、エナに変調をきたしています! すぐ鎮静化を!

 

 異変の原因を即座に把握したパートナーの警告。

 ウィッチをウィッチたらしめるエナが制御できず荒れ狂っている。

 浮力を失って落下する大楯、取り落としたエストック、それらは砂のように崩れ去った。

 

マジックを使ってくれてありがとよぉ

 

 両手を大きく広げてから、拍手するフロッグマンを月光が照らした。

 辛うじて膝をつくゴルトブルームは顔を紅潮させ、荒い呼吸を繰り返す。

 勝敗は、決した。

 真紅のトリオは獲物へ悠然と近づく。

 

新薬はどうだ? 抜群だろ

体に効かねぇから、エナを通して湧泉を──」

「死ねっ」

 

 背後から近づく気配に振るったメイスは容易く受け止められる。

 それどころか手を掴んで引き寄せられ、抵抗できない姿を至近から観察される。

 弄ばれていると悟っても弱々しい蹴りを繰り出す。

 

元気そうだし、やっちまうか

久々の雌だなぁ!

 

 顔を見合わせる真紅のトリオは、もうウィッチを見ていない。

 獣欲を眼に浮かべ、どう雌を蹂躙するか思案している。

 敗北したウィッチの末路とは悲惨なものだ。

 

「この、離せっ!」

 

 その視線に怯まず、黄金の瞳は嫌悪感と憎悪を宿して睨み返す。

 鈍化した思考でも彼女の本能が、そうさせた。

 しかし、それは余興としてインクブスを喜ばせるだけであった。

 

主よ!

 

 喋る十字架ごと胸元の装束を引き裂くため、鉤爪が伸ばされる。

 

簡単に狂うなよぉ……あぁ?

 

 舌なめずりするフロッグマンは渡り廊下に矮躯の影を捉えた。

 浅緑の肌、尖った耳と鼻、言うまでもなくゴブリンである。

 物欲しそうな視線を受け、華奢な少女の手を掴むフロッグマンは下卑た笑みを浮かべる。

 

お前らも後で使わせてやるから待っ──」

 

 答えることなくゴブリンは、倒れた。

 丸々と膨らんだ黒褐色の風船を背負って。

 

「ふ、風船…?」

 

 否、それは風船などではない。

 ゴブリンの背中を掴む8本の()

 それは獲物の生命を吸い上げる吸血動物の脚だ。

 

 下卑た笑みは消え──ほぼ同時に飛び退くフロッグマンたち。

 

「…残り3体」

 

 幼げでありながら無邪気さの欠片もない声。

 影で妖しく光る赤い瞳はインクブスだけを見ていた。

 その場にいた者は、微かに放たれるエナから瞳の主がウィッチであると辛うじて認識する。

 

「な、なんだよ……こいつら」

 

 しかし、感覚は正常であっても眼前の光景は、その認識を拒絶したくなるもの。

 蠢くエナの群れ。

 100か、200か、それ以上。

 

主よ、これは()()ファミリアです…!

 

 ゴルトブルームの震える喉から出た問いへパートナーが答える。

 なぜ今まで感知できなかったのか、という驚愕を滲ませて。

 

 影から這い出てくる吸血動物の群れ──天井にはマダニ、床面にはノミ。

 

 個々は小さく貧弱だが、褐色に波打つ群れとなって迫ってくる光景は恐怖しかない。

 

お前ぇ……ウィッチか?

 

 その異様な光景を前にして真紅のフロッグマンは張り詰めた緊張感を纏って対峙する。

 さながら蛇に睨まれた蛙のように。

 

 インクブスの問いへ、影より歩み出てきた銀髪赤目のウィッチ──シルバーロータスは答える。

 

「そうだ」




 わからせ(キャンセル)


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私雨

 閉所の物量作戦(絶望)


 芙花の母校が未だ健在なのは、純白のウィッチことゴルトブルームが理性的に戦ったからだ。

 ゴブリンによる包囲を阻止していたとは言え、大火力の制限という足枷を自ら課して戦っていた。

 

 そして、現在──危機的な状況に陥っている。

 

 一度は逃走に成功し、増援を得た時点で対策を立てられていると睨んでいたが、やはり()()にやられたようだ。

 

ゴブリン共がいたはずだがなぁ?

 

 倒れたゴブリンを指差すと、表情の読みづらい面を歪めるフロッグマン。

 ゴルトブルームに集中するあまり後方確認不足のゴブリンを仕留めるのは容易だった。

 囮にする気はなかったが、結果的に手早く片付いた。

 

……役立たず寄越しやがって

 

 吐き捨てるように言うと真紅の姿は揺らぎ、月明かりに照らされた廊下と同化していく。

 既知のフロッグマンとの違いは色と鉤爪だけか。

 巧妙な擬態だが、視覚的に姿を隠蔽したところでファミリアには見える。

 

ゴルトブルームさんを狙っています

「ああ」

 

 私狙いのフロッグマン1体、ゴルトブルーム狙いのフロッグマン1体、ネームドと思しきフロッグマンは動かず。

 右手のククリナイフを真正面へ向け、視線を誘導する。

 

 それが合図──奇襲する心算だった2体のフロッグマンを褐色の一群が強襲した。

 

なっ!?

 

 二酸化炭素の代わりにエナを感知するファミリアに視覚的な小細工は通用しない。

 弾丸のごとく一直線に突進するノミ。

 擬態を過信していたフロッグマンは回避できない。

 

なんなんだこいつら!

くそっ剥がれねぇ!

 

 両腕を振り回し、引き剥がそうと無様に踊る2体の褐色の人型。

 お構いなしに次々と取り付くノミ、ノミ、ノミ。

 

ぎゃぁぁあぁ!!

 

 全身に口吻を突き立てられたインクブスの絶叫が廊下に響き渡る。

 変種でもネームドではないフロッグマン、対処は容易だ。

 ノミの腹部が赤々と染まるにつれ、じたばたしていた人型は床に倒れて動かなくなる。

 

なんの冗談だよ

 

 ノミの第一波を躱したネームドは、擬態が無意味と悟ったらしく再び姿を現す。

 位置は天井。

 逆さまの状態で私を観察している。

 

なんだ、そのファミリアは?

 

 インクブスはファミリアをウィッチより下位の存在と侮っている節がある。

 戦闘能力を有するファミリアは存在するが、それでも支援や補助が主な役割だからだ。

 侮っている手合は容易く屠れるが、こうも警戒されると面倒だった。

 

いや、まさか……お前か、お前だな?

 

 独り言を吐き続けるフロッグマンにノミの群れは照準を合わせた。

 四方八方で褐色の影が跳躍のため脚を折り曲げる。

 

()()虫けらを操ってるウィッチは!

 

 同時に跳躍。

 私の目では追いきれない速度で、褐色の弾丸と真紅の影が交錯した。

 ファミリアの気配が6体消え、白い床面にノミの亡骸が落ちてくる。

 すぐエナが崩れて消え去ってしまい、弔ってやることもできない。

 

思わぬ収穫……いや、そこの雌なんざ比べもんにならねぇ

 

 そこへ着地するフロッグマンは無傷だった。

 さすがネームドといったところか。

 

 だから──なんだというのだ。

 

 ぎらつく眼で私を見つめるフロッグマンは、背を向けて逃走の姿勢を見せる。

 脅威と認識した相手から即座に逃走する点は、ネームドも変わらない。

 その()()を持ち帰らせると思っているのか?

 

「逃すと思うか」

いいや、逃げるぜぇ!

 

 白い廊下を駆けていく真紅の影を目で追う。

 窓ではなく律儀に階段を選択したが、それでいいんだな?

 フロッグマンが階段前の防火シャッターを潜り──

 

なにっ!?

 

 響き渡る驚愕の声、ぼとぼとと()()が降る音。

 窓を開けながらゴルトブルームの横を通り過ぎ、階段へ足を向ける。

 

虫けらと侮った罰です

 

 左肩より聞こえるパートナーの冷ややかな声。

 防火シャッターの向こう側を覗けば、マダニの雨が降る中を跳ね回る真紅の影。

 見開かれた眼が、私を見る。

 

お前のようなウィッチが──」

 

 最後まで言い切ることなく、黒褐色に覆われる。

 雨粒全てを避けることは誰にもできない。

 一度、捕まってしまえばお終いだ。

 廊下に静寂が戻り、ゴルトブルームの荒い息遣いだけが聞こえた。

 

 これで──芙花の母校に潜むインクブスは全て処理した。

 

 風船のように膨れていくマダニは、最後の一滴までエナを吸おうとするため動かない。

 丸々とした一群は、キノコの栽培風景を彷彿とさせる。

 

移動が間に合って幸いでした

「五月雨式では振り切られていたな……よくやった」

 

 アンブッシュの位置を急遽変更したが、間に合わせたファミリアを労う。

 

「無事か」

 

 それから、モンスターパニックの世界に1人取り残されていた純白のウィッチへ声をかけた。

 すると、小さく万歳を披露していたパートナーが縮こまる。

 苦手なのか?

 

「なん、とかな……」

 

 上擦った声で答えるゴルトブルームに出会った時の威勢はない。

 薬物に侵されているのだから当然ではあるが。

 手負いの獣は過大、捨てられた猫が喩えとして妥当に思われた。

 

「これが、お前の…ファミリア、なのか?」

 

 恐怖の見え隠れする表情で、もぞもぞと動き回るノミを見遣るゴルトブルーム。

 インクブスだったモノには視線も合わせない。

 見慣れた反応だった。

 

「そうだ」

 

 当然、肯定する──背後より射し込む月明かりが遮られた。

 

 振り返って見ずとも分かる。

 校外を巡回させていたアシダカグモが、忘れるなと言わんばかりに窓枠から巨躯を覗かせていた。

 逃げ足の速いインクブスを屠る優れたファミリアだが、人によっては悪夢だろう。

 ゴルトブルームが恐怖で凍りついている。

 

「安心しろ。ファミリアだ」

「そ、そういう問題じゃ……」

 

 震える声はインクブスの薬物だけが原因ではない。

 フードを取り払って、アシダカグモへ定期巡回に戻るようアイコンタクト。

 

 鉄骨のように太い脚が去って一安心──とは、ならない。

 

「お、おい…な、なんだよ!?」

 

 今度はマダニの群れが前脚を上げてゴルトブルームへ詰め寄っていた。

 座り込んで動けない純白のウィッチは、まるでクモの巣に捕らわれたチョウのようだ。

 

「く、来る…な!」

 

 ゆっくりと包囲の輪が縮まるたび、荒い呼吸がより激しくなる。

 まずい。

 鈍感な私でもエナの流動が肌で分かる。

 

「落ち着け」

 

 ゴルトブルームへ声をかけながら、マダニの前進方向を妨げるよう手を差し出す。

 インクブスの薬物であれば、媚薬の類。

 つまり、状態が悪化すれば廃人になりかねない。

 

「インクブスじゃない」

 

 前脚を下ろし、動きを止めたマダニへ首を横に振る。

 マダニは眼が存在しない。

 前脚に備わるハラー氏器官が触角の代わりだ。

 つまり、前脚を上げているのは威嚇しているわけでも、ゴルトブルームを脅かそうとしているわけでもない。

 薬物に侵されてエナに変調をきたしたウィッチが何者か確認しようとしたのだ。

 だが、そんな事情を知らない少女には恐怖でしかない。

 

「すまない」

「……あ、ああ」

 

 解散するマダニを見送り、呆けているゴルトブルームの容態を診る。

 意識はある。

 瞬き、それと呼吸の回数が多い。

 頬が紅潮し、発汗あり。

 新薬と宣っても、やはり媚薬だ。

 つまり、私は何もできない。

 

「何も、言わない…のか?」

 

 私の視線を受け、居心地が悪そうに身じろぎするゴルトブルーム。

 

 金色の目は何かを恐れているような──喩えるなら、親に叱られる子どもの目をしていた。

 

 初めての反応だった。

 私は何を求められている?

 同情は論外。

 未熟だ浅慮だと責め立てることは、簡単だ。

 それこそ馬鹿でもできる。

 置物のようになっているパートナーから助け舟はない。

 私は──

 

「貸し一つだ」

「え?」

 

 逃げた。

 負ければ死より惨い未来が待っているウィッチに、次はない。

 ないのだ。

 だが、私は諭せる言葉を持っていない。

 連帯を拒み、一人で戦ってきたウィッチの言葉に、どれだけの説得力がある?

 今日()失敗しなかっただけだ。

 まるで言い訳のような言葉を胸中に並べ立て、私は見開かれた黄金の瞳から逃げた。

 

「解毒できそうか?」

 

 ククリナイフをシースへ戻し、私は問う。

 先程から沈黙している十字架へ。

 ウィッチの容態を外部から把握している存在はパートナーしかいない。

 

新たなマジックを使うと症状が悪化する可能性があります

「自然治癒は可能か?」

エナは鎮静化傾向にあるため、自然治癒は可能と考えます

 

 打てば響く受け答えに、心中で感心する。

 ウィッチの危機に取り乱すパートナーは少なくない。

 エナの影響を受けているはずだが、冷静に分析している。

 

「分かった」

……シルバーロータス殿、感謝いたします

 

 できたパートナーだ。

 安静が必要ということであれば、護衛を呼び寄せて後始末に入るとしよう。

 ゴルトブルームが屠った11体のゴブリン、それからインクブスの干物16体を処分しなくてはならないのだ。

 

「待っ…」

 

 踵を返した瞬間、伸ばされる細い手。

 無理に立ち上がろうとして体勢を崩す少女──私の方がちんちくりんだが──を咄嗟に抱き支える。

 

「んぅんっ!」

 

 華奢な体は小刻みに震え、悩ましい声が耳元で聞こえた。

 薬物に耐性をもつウィッチに通用するとなれば、相当に強力なものだ。

 荒い呼吸を繰り返すゴルトブルームは、私の背に回した手へ力を込めて必死に耐え忍んでいる。

 人間の尊厳を著しく損ねるインクブスの薬物には嫌悪しかない。

 

「無理に動くな」

「ひぁっ」

 

 声を発するだけでゴルトブルームの体が跳ねた。

 これ以上、刺激を与えるべきではない。

 不用意な介抱の結果、後遺症が残ったウィッチを私は知っている。もう二度と見たくはない。

 ゆっくりと時間をかけ、極力刺激を与えないように壁際へ座らせる。

 

「安静にしろ、分かったか?」

 

 返事はないが、弱々しく頷いた。

 熱を帯びた金色の目、荒い呼吸、汗で張り付いた純白の衣装、全てが背徳的な雰囲気を醸している。

 とても見ていられない。

 視線を逸らした私は、改めて後始末のためにヤマアリの一群を呼び出す。




 (「・ω・)「


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不明

 リリウムへ水やり(隠語)


 見目麗しいウィッチは一種のアイドルだ。

 悪を滅ぼし、人々を護る戦乙女たち。

 世間はインクブスの脅威が高まれば高まるほどウィッチへ注目し、神格化すらしている。

 私の内にある常識が認めない今世の常識。

 いや、()()()()()()()()()()()()私の常識が認めない今世の常識か。

 ウィッチが現れてから紆余曲折を経た世界が、今だった。

 

「本来のゴルトブルームはインファイターなんです!」

「は、はぁ……」

 

 要領の得ない相槌を気にした様子もなく語る男子。

 本来も何もメイスが得物ならインファイトが主眼ではないのだろうか?

 

 私は現在──認めたくない今世の常識と相対していた。

 

 このウィッチのファンを名乗るクラスメイトに捕まったのは、昼休憩に入った直後。

 授業が自習となり、予習も終えて時間を持て余していた私は、ゴルトブルームの大楯に描かれた花が何か気になった。

 

 ──それは、ゴルトブルームの紋章ですか?

 

 うろ覚えで描いた花の絵、それが自称ファンの男子──田中、いや中田だったか──に見つかった。

 聞こうと思っていたパートナーはペンケースから前脚を振るだけ。

 そのため、花の名前を聞くだけと話に乗った。

 

「メイスを持ってるし、元々インファイターじゃない?」

「要塞のスタイルが確立されてからメディアが特集を組んでいるので、インファイターって印象は薄い人が多いですね。ちなみに、初登場時はシールドに収納されているエストックやハルバードといったウェポンを駆使して戦っていたんですよ」

 

 遠い日々を懐かしむように中田は語る。

 よく覚えているものだ。

 話し始めてから彼の口から飛び出すウィッチへの知識量は圧巻の一言だった。

 しかし、あのゴブリンの眼窩を貫通していたのはエストックだったのか。

 貫通痕が炭化していたからマジックの一撃とばかり思っていた。

 

「旧首都で戦う時は見なくなりましたが、街中で戦う時は華麗な剣技を見ることができますよ」

「へぇ……」

 

 私を日常へ戻してくれる場でウィッチの話題は極力避けていたが、中々どうして興味深い。

 ファミリアはウィッチを基本的に無視するため、ウィッチを観測する第三者の意見は初めて聞いた。

 だが、禁足地での活動は見逃せない。

 あそこはファミリアの狩場、もといインクブスの()()出現地域だ。

 

「どうやって旧首都に?」

「ここだけの話なんですけど……ドローンで空撮しているんです。僕もバイト代を投資してますっ」

「ふむ」

 

 そう言って小さく胸を張る姿に、私は適当な相槌でやり過ごした。

 かつてドローン大国と呼ばれた中国が軍閥とインクブスの陣取りゲーム盤になってから、民生ドローンは高価な道具だ。

 それを駆り出してまでウィッチの姿を追いたいのか。

 

「望遠なので、判別くらいしかできませんけど」

 

 見ているだけで助けない──戦う力がない人々に何を求めている?

 

 そんな人々がウィッチを応援できる余裕があるだけ我が国は、恵まれている。

 正体に迫ろうとしてウィッチ本人を巻き込んでインクブスの餌食になった()()()()の事件から、無責任なファンも激減した。

 これでも弁えていると言うべきなのだろう。

 

「あの、東さん」

 

 申し訳なさそうな中田を見て、心のささくれが顔に出ていた可能性へ思い至る。

 私の表情筋は思ったより内心を反映すると芙花の一件で知った。

 フォローする心算で反応する。

 

「なに?」

「なんというか……僕が一方的に話してしまって申し訳ないな、と」

 

 そう言って頭を掻く彼に、私は軽く脱力した。

 あれだけ気持ちよさそうに語っておいて今更の話だろう。

 

「気にしないで……面白い話も聞けたし」

 

 ウィッチのファンという存在を私は快く思ってはいない。

 だが、それは私の内で処理すべき感情だ。

 わざわざ他人の趣味嗜好へ口を出し、非常識だと糾弾する権利はない。

 

 それに──ウィッチへの真剣な姿勢は、蛇蝎のごとく嫌うものではない。

 

 個人的に彼の話で感心したのは、ゴルトブルームの紋章に関する考察だった。

 花言葉からのアプローチは面白かったと思う。

 

「だから、ありがとう」

 

 真っすぐ見返して、礼を言う。

 困ったように頬を掻いて笑った彼は、どういたしまして、と小さな声で答えた。

 

 今、周囲から視線が殺到したような──自意識過剰だな。

 

 周囲のクラスメイトは普段通りの他愛ない会話をしていた。

 当然だ。

 

 自意識過剰と言えば──私は降って湧いた好奇心で更なる会話を試みる。

 

「中田くん」

「あ、田中です」

「……ごめん」

「き、気にしないでください!」

 

 すまない、田中くん。

 机に突っ伏したい気持ちを堪える。

 顔から火が出そうな気分を味わったが、気を取り直して聞く。

 

「他のウィッチについても分かる?」

「もちろんですよ!」

 

 自信がある様子だ。

 ウィッチに青春を懸けてしまうなよ。

 そんな心配を覚えながら、私は()について聞いてみた。

 

「シルバーロータスは?」

「けほっえっふ!」

「ちょっと、どうしたんですの!?」

「お〜わさび、多かったかな?」

 

 私の席から5席分ほど離れた場所で、誰かが盛大に咽せていた。

 相変わらず賑やかなクラスだ。

 

「シルバーロータス?」

 

 名前を反芻する田中くん。

 ふと思ったが、そもそも私はメディアに露出していない。

 映り込んだファミリアは、心外なことにインクブス扱いだ。

 つまり、一般人には名前すら知られていない可能性が──

 

「東さん、シルバーロータスに興味が?」

 

 なんだって?

 シルバーロータスと聞いて顔を出すパートナーをペンケースへ押し込む。

 

「ま、まぁ……?」

 

 思わず曖昧な返事で答えてしまう。

 わなわなと震える田中くん。

 なんだろう、厄介なスイッチを入れてしまった気がする。

 

「彼女は、一切が謎に包まれたミステリアスなウィッチなんですよ!」

「えぇ……」

 

 目を爛々と輝かせ、彼は恥ずかしげもなく言い切った。

 名乗った覚えがないのに、名前を知られている事に驚愕なんだが。

 

「唯一鮮明に撮れた写真は、これだけ!」

「うわぁ……」

 

 差し出されたケータイの画面には、銀髪赤目の少女が廃墟の中で佇んでいる写真。

 よく撮れている。

 フードを取り払った私の横顔が、相変わらず無愛想だと分かるほどに。

 どこで撮った!?

 

「これは?」

「有志が撮影したものです! 日時や場所が非開示なので、合成って言う仲間もいますけど、僕は本物だと思ってます」

 

 合成であってくれ。

 

 ここまで鮮明に撮れる距離で気がついていないとしたら──この廃墟、旧首都か?

 

 禁足地へ立ち入って私を追える存在は、ウィッチしかいない。

 まさか、いや、それはないと願いたい。

 

 アズールノヴァ──次に会うことがあれば聞いてみよう。

 

「見ての通りウェポンはククリナイフと分かっているんですが…それ以外は何もかも謎のウィッチなんです」

「そう」

 

 認知されていた事は予想外だったが、私のやっていることは把握されていない。

 一般人には、それでいい。

 そう思う。

 世には知らないままで良いこともある。

 

 

 見渡す限り草木のない不毛な土地が広がり、空には血のように赤い月が瞬く。

 ここはヒトを喰らう悪意の塊が跋扈する異界。

 

バルトロ、本当にここなのか?

ああ、ここだ

 

 そんな殺風景な景色から浮いた存在、厚い皮膚と筋肉に覆われた巨躯のインクブス──オーク。

 

 その一団を率いるバルトロは、静寂に満ちたゴブリンの巣を前にして頷く。

 無骨な得物を担ぎ、布を雑多に巻いたバーバリアンのような一団を同族は戦士と呼ぶ。

 彼らの目的は、連絡の途絶えたゴブリンの巣を調査することであった。

 

誰もいないな

いや、()()()()()()んだ

 

 足下から首飾りらしきものを掘り出したバルトロは厳かに告げる。

 巣を治めるゴブリンが身につける装飾品と気づいた戦士たちは一様に顔を顰めた。

 

ここも()()()仕業か

 

 断定的口調の仲間にバルトロは再び頷く。

 奴ら、とは近頃出没しているインクブスを捕食、苗床とする化け物のことだ。

 この異界に棲む数少ない原生生物でないことは明らか。

 仕留めた個体がエナとなって四散した点からウィッチのファミリアと断定されたが、いまだに侵入経路は不明のまま。

 

気を引き締めろ、お前ら

おう

 

 この周辺では最も規模の大きい巣の全滅に危機感を抱くバルトロに対し、幾度か襲撃を退けている一団との間には温度差があった。

 ()()()外れだろうという空気を隠しもしない。

 バルトロは天を仰ぐ。

 

生き残りは、いないな

 

 一つ一つ住処を覗き込み、異変の痕跡を探すオークたち。

 ゴブリンの住処は土を盛り固めた簡素な造りで、建築というより穴倉である。

 扉を破壊され、屋内は荒れ放題となっているが、これまで見てきたものと大差はない。

 

くそ…ウィッチ相手なら楽しみもあるってのに

 

 覗き込み、見回し、次へ向かう。

 その単純作業の繰り返しに思わず不平を漏らすオーク。

 

ファミリアよりウィッチの尻を叩きてぇよ!

まったくだぜ!

 

 過去7人のウィッチを倒し、犯し、孕ませた戦士たちは下品な笑い声を響かせた。

 仲間のストレスがピークに達しつつある、それを肌で感じるバルトロ。

 この調査を終え次第、すぐ遠征に出て発散させてやる必要があった。

 

奴らがファミリアなら、とっととウィッチをやっちまえばいいものを

 

 若いオークは血気盛んな様子で、アックスを振るってゴブリンの住処を叩き壊す。

 思わず天を仰ぐバルトロ。

 そんなことは腕に覚えのあるインクブスは皆、知っている。

 しかし、この異常事態を引き起こしているウィッチは姿どころか名前すら分かっていない。

 

肝心のウィッチが分からないという話だ

エリオットが行ったんだろ?

 

 大陸のヒトが興した国で、ウィッチを次々と手籠めにし、数多のインクブスに雌を提供した真紅のフロッグマン。

 その手腕を妬む者は多いと聞くが、エリオットの情報を当てにするインクブスも多い。

 彼は件のウィッチを探し、護りの堅い島国へ出向いた。

 

まだ、戻らんそうだ

つまみ食いでもしてんのかね

 

 そんな呑気な回答にバルトロは一抹の不安を覚えるも、探索に意識を戻す。

 

 そして──未探索の場所は、ゴブリンが余興で建設した祭祀場を残すところとなった。

 

 祀るのは、インクブスを生み出した神。

 しかし、略奪と繁殖しか能がないゴブリンは、生贄を捧げると称してウィッチを嬲る場にしている。

 

雌1匹くらい残ってねぇかな

 

 下卑た笑い、それから少しばかりの期待。

 そんな弛緩した空気を漂わせたまま一団は階段を下り、祭祀場の扉を潜る。

 扉より先には、天井から射す光以外に光源のない薄闇の広間。

 穴倉を好むゴブリンらしい造りだった。

 バルトロが指示を出さずとも、場内に散って探索を始めるオークたち。

 見渡す限りゴブリンが略奪した雑多な家財以外、目ぼしいものは見当たらない。

 ただ、僅かに饐えた臭いが──

 

止まれ、お前ら

 

 息苦しい緊張感を纏ったバルトロの声。

 周辺を調べていたオークの戦士たちは脚を止め、一斉に得物を構える。

 

……バルトロ?

 

 問うた戦士に沈黙のジェスチャーが返される。

 

 天井に設けられた8つの格子窓から射し込む光──それに照らされた床面を睨むバルトロ。

 

 床面の光と影との境目、そこで動く影に視線が集まる。

 一つ二つではない。

 気づけば、影の境目が蠢いていた。

 ゆっくりと天井を見上げた者たちは、その正体を知る。

 

奴らだ!!

 

 悲鳴じみた警告が広間に反響した瞬間──天井の闇から深い闇が次々と姿を現す。

 

固まれ!

おう!

 

 戦士の一団は得物を手に、近場の者と背中を合わせて天井を睨む。

 エナの塊のようなオークを黒い複眼に映し、打ち鳴らされる大顎、響く重々しい羽音。

 インクブスを狩る者たちが、動く。

 

ぎゃぁぁぁぁ!!

 

 最初に襲われたのは、隊列から離れて床を調べていた者だった。

 薄汚い床に叩きつけられ、太い首が大顎に噛み千切られる。

 いとも容易く戦士は、屠られた。

 

 ──今まで遭遇した個体が幼体に思えるファミリアに。

 

 エナを多分に含む()()を浴び、漆黒の外骨格が妖しく輝く。

 

ぶっ殺してやる!

おい、離れるな!

 

 激昂した若いオークはアックスを振りかぶって突進する。

 オークと同等の体躯でありながら軽々と飛び上がった漆黒のファミリア。

 渾身の一撃を躱した()コマユバチは、わざわざ孤立してくれた獲物に対して4体で襲いかかる。

 

な、ぐが、ぁぁぁ──」

 

 大顎が腕を、脚を、腹を、頭を挟み、噛み千切った。

 殺到する黒に若いオークは覆い隠され、断末魔も途絶える。

 

くそが!

 

 その場で解体ショーが開始され、戦士たちは士気どころか戦意喪失の危機に直面した。

 だが、背を向けることは死を意味する。

 接近してくる羽音に得物を振るうしかない。

 

何匹いるんだ!?

や、やめてくれぇぇ!!

 

 厚い皮膚を毒針に貫かれ、自由を奪われた者が連れ去られていく。

 その末路は苗床である。

 ウィッチには自慢のタフネスで優位に戦うオークだが、眼前を飛び回る漆黒のファミリアには通じない。

 大顎は骨ごと肉を噛み千切り、毒針は厚い皮膚を貫く。

 

退け! 退けぇ!

 

 このままでは全滅することを悟ったバルトロは撤退を指示する。

 しかし、それが困難であることは誰の眼にも明らかであった。

 出口は果てしなく遠くに見えた。

 

ボニート、後ろだ!

くそっ──」

 

 ボニートと呼ばれたオークの首を大顎が挟み、一息に噛み千切る。

 真っ赤な血飛沫が戦士と襲撃者を等しく彩った。

 

化け物が!

 

 すかさずバルトロの振るったクラブは漆黒の外骨格に直撃し、その巨躯を吹き飛ばす。

 ウィッチであれば戦闘不能の一撃。

 しかし、激突して柱を1本へし折った影は何事もなかったように飛び上がる。

 それを苦々しく見送り、バルトロは次なる羽音へクラブを振るう。

 

ぎゃぁぁあぁ!

 

 大顎の打ち鳴らす音、そしてオークの悲鳴が反響する祭祀場。

 一団は犠牲者を出しながら這うような速度で出口を目指す。

 

離れるなよ、お前ら!

おう!

 

 バルトロの声に応える戦士は半分以下にまで数を減じていた。

 出口へ下がるオークを無機質に、無感情に、ファミリアは殺戮する。

 それでも粘り強く抵抗した戦士たちは、出口へ辿り着く。

 

行け! 上れ!

 

 階段を駆け上がる仲間を横目に、迫る大顎を打ち払い、その勢いで出口の柱を叩き壊すバルトロ。

 少しでも時間を稼ぐため、出口を塞ぐのだ。

 重い羽音が遠のいたことを確認し、バルトロは一息に階段を上る。

 

よし、このまま──」

 

 命からがら場外へ飛び出した一団は、脚を止めた。

 否、止めざるを得なかった。

 

 ──静寂の支配するゴブリンの住処へ次々と降り立つ小さな影。

 

 その場にいる戦士の得物が小刻みに震える中、バルトロは憎悪を宿した眼で小さき者たちを睨む。

 

虫けらめ……

 

 祈るように手を擦り合わせる漆黒の暗殺者。

 最も多くのオークを屠ってきた()ヤドリバエ、その真紅の眼は新たな苗床を無機質に見下ろしていた。

 戦士たちの背後から迫る大顎の打ち鳴らす音。

 退路はない。

 

虫けらどもめぇぇぇ!!

 

 渾身のウォークライを上げ、オークの戦士は最後の戦いに挑む──




 これに魔法少女タグをつける度胸。


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疑義

 私はファミリアにエナの供給比率を傾けているため、ウィッチとしての能力は低い。

 新米ウィッチが容易く屠るゴブリンすら一対一は危険だった。

 そのため常日頃からファミリアと行動しているわけだが、それはインクブスにのみ有効だ。

 ファミリアは人間に無関心となるよう()()()

 私に悪意をもつ人間が現れた時、どこまで抵抗できるかは未知数だ。

 

 そして、おそらく悪意は欠片もないウィッチ──アズールノヴァとの再会は思ったより早く訪れた。

 

 遭遇するのは三度目になるが、今回は快晴の旧首都。

 インクブスを相手に大立ち回りを見せている最中だった。

 

す、すごいですね……ナンバーズに比肩するのではないでしょうか?

 

 宇治川の蛍火のように燐光が飛び交い、蒼い閃光がコンクリートジャングルで爆ぜる。

 無人の旧首都では制限する必要がないとは言え、とても新米ウィッチと思えない威力だ。

 高架を挟んだ向かいにあるマンションのベランダが余波で震え、酷道が粉塵に覆われる。

 

「天賦の才、か」

 

 その才は他人を救うが、本人は救わない。

 埋没すべき才だ。

 鬱屈とした気分になる。

 そんな胸中を表したような灰色の粉塵から飛び出す人影。

 ふんだんにフリルを使った蒼いドレスを翻し、軽やかに信号機へ着地する。

 

見えました、アズールノヴァさんです!

 

 思わず歓声を上げ、ぴょこぴょこ小さく跳ねるパートナー。

 嬉しいのは分かるが、やるべきことを忘れるなよ。

 私の目、パートナーの眼、上空の眼、それらで残存するインクブスを探す。

 

「想定より少ないな」

ほとんど倒されてしまったようですね

 

 粉塵の中より現れるインクブスどもは、捕捉した当初より相当数を減らしている。

 32体いたゴブリンは全滅。

 確認できる限り、ひらひらと宙を舞うインプ──端的に言えば羽と尻尾の生えたゴブリン──が3体。

 

おのれ、ウィッチめ!

 

 そして、咆哮を上げるオーガが1体。

 

……オーガは健在ですが

「あれはオークよりタフだ」

 

 筋肉隆々の巨躯は大質量を振り回すパワーとオーク以上のタフネス、そして当然のようにマジックへ耐性を備える。

 数こそ少ないが、非常に厄介なインクブスだ。

 

加勢しますか?

「しましょう、ではなく?」

それは……

 

 信号機の上に佇むアズールノヴァの姿が消え──蒼い光芒が駆ける。

 

 その進路上に立つオーガは鉄塊の如き得物で迎え撃った。

 迫る質量武器と激突し、それを正面から弾き返すアズールノヴァ。

 後退るオーガに対し、燐光を散らして二撃目が放たれる。

 

 両者は再び激突し──衝撃波で足場のベランダが震える。

 

 可視化したエナを纏うアズールノヴァは、3倍近い体格差のあるオーガを圧倒していた。

 新世代のウィッチというパートナーの推論は外れていないかもしれない。

 そう思えるほど、規格外だ。

 

あの間に割って入れるファミリアは限られますし……分かって聞いてますね?

「確認したかった」

 

 眉はないが訝しげな視線を向けてくるパートナー。

 あの空間に割って入れるファミリアが現状いないことを確認し、狙うべき目標を絞る。

 

 雷鳴が轟く──雲一つない快晴の旧首都に。

 

インプがマジックを使ったようです

「ああ」

 

 インプの指先から紫電が迸り、頭上よりアズールノヴァを襲う。

 無粋な横槍は直撃の瞬間、周囲の燐光と干渉し、大きく湾曲して酷道へと逸れる。

 インクブスの中にはウィッチと異なる体系のマジックを扱う者が存在する。

 その威力は世代交代が進んだファミリアにも脅威となるほど。

 圧倒的な身体能力によるインファイトを好むインクブスは()()だが、あの手合は優先して駆逐すべき()だ。

 

放出されるエナの量が多いですね……強力なインクブスのようです

「ネームドか」

分かりません。しかし、仮にそうだとして連続で現れるでしょうか?

 

 仮にネームドとすれば、戦力の逐次投入もいいところだ。

 戦力は集中した方がいい。

 分散すれば先日のフロッグマンのように各個撃破──

 

「いや、倒されたからこそか」

 

 先日のフロッグマンは、情報収集を目的としていた節がある。

 帰還しなかった時点で間違いなく戦力は増強される。

 あれは本腰を入れてきたインクブスの()()なのではないか?

 喩えるならゴブリンは歩兵、オーガは戦車、インプは砲兵。

 

どうしますか?

 

 パートナーの問いは、まず何を狙うかという意味だ。

 雑居ビルが蒼い閃光と共に爆ぜ、丸太のように太い物体が宙を舞う。

 あれは、オーガの左腕だ。

 オーガを相手取るアズールノヴァに援護が不要であるなら、私のすべきことは一つ。

 

「インプをやるぞ」

分かりました

 

 滞空するインプ3体を捉えたまま、テレパシーを発する。

 距離も次元も超える私の声は、遥か上空1000mのファミリアへ届く。

 アズールノヴァを一方的に攻撃するインプは、周辺警戒を怠っている。

 今こそ好機だ。

 

突入まで3秒……来ます!

 

 旧首都の青空を黒が横一文字に切り裂いた。

 ()()をファミリアと認識できた者はいなかっただろう。

 

 暴風が吹き抜け──インプは2体になっていた。

 

 慌てて散開するインプたち。

 その頭上より降ってきた物体は、驚愕を浮かべた仲間の頭。

 

「まず1体」

 

 インクブスの見上げた先には、咀嚼を終えたファミリアの巨影。

 縞模様柄の細長い体を2対の翅で空中に静止させる。

 インプたちが何かを喚きながら、不気味に光る指先を一斉に向けた。

 マジックを使用するぞ、という合図だ。

 

エナの放射量増加します

 

 グラウンドゼロを睥睨するエメラルドグリーンの複眼は、インプの微細な動作も見逃さない。

 私が与えるべき情報は、マジックの発動タイミングだけ。

 

 枯枝のような指先が光る──私の視覚情報を()()()()オニヤンマが、動く。

 

 人間の反射神経では回避できない速度。

 しかし、紫電は虚しく空を切って大気へと散る。

 

馬鹿な!?

 

 インプの驚愕する声が風に乗って聞こえてきた。

 動揺を隠さぬまま、インプは指先より紫電を連続で放つ。

 無意味だ。

 オニヤンマはエナが紫電に変換される刹那を観測し、事前に回避している。

 

攻撃速度を重視して威力が落ちていますね

 

 悪くない判断だが、手数で補おうと速度が足りていない。

 インプの視界から消える巨影。

 空を侵犯したインクブスを全て噛み砕き、飛行の原動力としてきたファミリア。

 いつからか飛行速度は、国防軍の制空戦闘機に迫るものとなっていた。

 

 つまり──()()()()()()

 

 瞬きの後、空中にいるインプは1体だけとなった。

 回避を思考する暇もなかっただろう。

 一撃離脱を終えたオニヤンマは、捕獲時の衝撃と殺人的加速で沈黙した獲物を丸齧りしている。

 

む…逃げるようです

 

 最後の1体が明後日の方向へ飛び去ろうとしていた。

 胴体を両断されるオーガを見限り、障害物の多い低空へ逃げ込んで。

 

「機動を制限する気か」

あるいはポータルを使用する気かもしれません

 

 その可能性もあるな。

 今度は頭まで噛み砕いたオニヤンマへテレパシーを発信し、追撃させる。

 信号機や電線程度の障害物で止められるファミリアではない。

 低空を滞留するアズールノヴァの蒼い残滓を散らす黒い風。

 

く、来るなぁぁ!

 

 雷鳴が一度だけ響き、それきり旧首都は沈黙した。

 

 ──オニヤンマ以外のファミリアからインクブス全滅のテレパシーを受信。

 

 ヤマアリの一群だけを呼び寄せ、私は肩から力を抜く。

 

お疲れ様でした

「想定より早く片付いた」

アズールノヴァさんのおかげですね!

「…そうだな」

 

 オーガを相手取る想定でファミリアを呼び寄せていたが、彼女のおかげで被害なくインクブスを駆逐できた。

 喜ぶべきなのだろう、本来は。

 ベランダから観戦していた私を発見したアズールノヴァが手を振っている。

 上半身の消失したオーガを背に。

 

本当に聞かれるんですか…?

 

 おずおずと尋ねてきたパートナーへ頷く。

 ()()()()を撮ったのが、誰であるか確かめる必要がある。

 

「ああ」

 

 私の存在が認知されようと知ったことではない。

 インクブスどもを駆逐することに変わりはないのだ。

 多少の情報をくれてやっても、その対策ごと踏み潰す戦力もある。

 だが、それだけで済まないこともある。

 

「エスカレートしない、とは言えない」

それは……そうですが

「プライベートまで及ぶ事態になれば、私は」

 

 私は、どうする?

 シースに収まるククリナイフの重みが、気分まで重くさせる。

 芙花や父、近しい人間を巻き込む惨事になった時、私は相手を──

 

「シルバーロータス様!」

 

 一度の跳躍で酷道より高架を越え、4階のベランダへ降り立つアズールノヴァ。

 緑に侵食された灰色の建築に溶け込まない蒼はよく目立つ。

 鼠色の私は、背景あるいは影だった。

 

「まさか、助けに来てくださるとは…ありがとうございます!」

「大したことはしてない」

「そんなことありません。シルバーロータス様のおかげで目の前のインクブスに集中できました!」

 

 飼主を前にした大型犬のように、はきはきと返事をするアズールノヴァ。

 並のウィッチならオーガ単体であっても危険なのだが。

 やはり、規格外だ。

 

 ──必要な言葉を吐き出す気力は、中々湧いてこない。

 

「そうか」

「はい!」

 

 こうも真っすぐな眼差し、純粋な好意を疑うのは、どうにも憚られる。

 だが、それでも私は聞かなくてはならない。

 そわそわとするパートナーに口を出さないようアイコンタクトを送る。

 

「アズールノヴァ」

「は、はい!」

 

 私が名前を口に出すと、その背筋が真っすぐ伸びた。

 改めて名前を呼んだのは初めてかもしれない。

 

「一つ聞きたい」

「はいっ」

 

 私は口下手だ。

 言葉は知っていても、それを上手く扱えない。

 だから、開き直って端的に言う。

 

「ここ最近、私を尾けていたか?」

 

 口から出た言葉には不快感しかない。

 自意識過剰かつ被害妄想の塊のような言葉だった。

 今か今かと言葉を待っていたアズールノヴァは、そんな私の問いに──

 

「いえ、そんなことはしていませんよ?」

 

 ただ不思議そうに首を傾げるだけだった。

 嫌疑をかけられ、取り乱すわけでも、悲しむわけでもない。

 無理に取り繕った様子はなかった。

 これで演技なら私は人間不信になるぞ。

 

「17日前にお会いしたきりですね」

 

 17日前と言えば、共同でライカンスロープに対処した日だ。

 それ以前について追及することもできる。

 だが、していないと言った相手を詰問したくはない。

 彼女を、信じてみようと思う。

 

「そうか」

やっぱり、そんな分別のつかない方じゃありま──むぎゅ

 

 囁くパートナーの鋏角を押さえて黙らせる。

 まだ何も解決していないというのに安堵を覚え、同時に押し寄せてくる罪悪感と自己嫌悪。

 肩は軽くなったが、苦々しい気分になる。

 

「どうして尾けられていると思われたのですか?」

 

 そんな私を見て、アズールノヴァは当然の質問を投げかけてきた。

 真っ先に疑ってきた相手を心配する視線が辛い。

 だが、答えないわけにはいかない。

 

「旧首都にいる私を盗撮した写真が出回っている、らしい」

 

 その一言で──アズールノヴァの纏う雰囲気が変質した。

 

 よく似た感覚を知っている。

 これは、インクブスを捕捉した時にファミリアが見せる無機質な敵意だ。

 

「なるほど、それで私ではないかと思われたのですね」

「…ああ」

 

 それを一瞬で霧散させ、眉を下げて困ったように微笑む少女。

 

 ライカンスロープへ刃を向けた時と同じ、制御不能な何か──どこか底知れないアズールノヴァに戸惑いつつも、まずは疑ったことを謝罪する。

 

「すまなかった」

「いえ、シルバーロータス様の危惧は理解できますので……盗撮するような輩は必ずエスカレートしていくでしょうから」

 

 輩と口にした時だけ温度が体感で2度ほど下がった気がする。

 敵と判断したものへの反応が極端だ。

 どこか危うい。

 

「旧首都で行動できるとなればウィッチですね。私以外に心当たりはありませんか?」

「ない」

ないですね

「そ、そうですか……」

 

 はっきり言い切るとアズールノヴァは、なんとも言えない複雑な表情を浮かべた。

 私と遭遇したウィッチは二度と会いたくないと思う経験をしている。

 わざわざ私に会いたいと思う候補者は、今のところ1人しか思いつかないのだ。

 

「でも、シルバーロータス様のファミリアが見逃すとは思えませんね」

ファミリアたちはウィッチを認識しても基本的に無視するので……

「え、そうなんですか!?」

 

 パートナーの補足に目を丸くして驚くアズールノヴァ。

 ファミリアの敵味方識別はインクブスか、それ以外にしている。

 複雑な判断基準を設け、()()を引き起こしたら目も当てられない。

 それに関して変える気はない。

 だが──

 

「プライベートまで追ってこられると厄介だ」

「そうですね」

むぅ……

 

 盗撮と尾行の対策をできないものか。

 変身のたびにいらぬ気苦労はしたくない。

 細い指先を頬に添えて考えるアズールノヴァ、頭を前脚で器用に撫でるパートナー。

 

 ──陽射しの射し込むベランダに沈黙が訪れる。

 

「よし、分かりました」

 

 テレパシーだけでファミリアを指揮する案を真面目に検討し始めた頃、アズールノヴァが意を決して口を開いた。

 

「シルバーロータス様、私に任せてもらえませんか?」

おぉ…!

 

 ぱくりと簡単に食いついてしまうパートナー。

 ここまで話しておいて今更ではあるが、安易に任せていい話ではない。

 インクブス以上に厄介な相手かもしれないのだ。

 

「いや、これは──」

「私、実は()()()が得意なんです」

 

 前屈みになって私の手を取る少女の目は、いつにも増して真剣だ。

 一切の打算を感じない真っすぐさに、おそらく私は弱い。

 彼女と相対するようになってから知った。

 拒みづらい。

 

「お願いします! お役に立ちたいんです!」

 

 時折、彼女の見せる危ういところが気がかりではある。

 だが、人探しだけなら断るような申し出ではない。

 ないはずだ。 

 

「……無理はしなくていい」

「はい!」

 

 蒼いウィッチの返事は、蒼穹のファミリアまで届きそうなほど活力に満ちていた。

 これで良かったのだろうか?




 安直に音速設定する作者。


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信心

 節足動物は全て蟲(錯乱)


 華々しく戦い、人々を救うウィッチに憧れる少女は多い。

 それは現実が周知されていないゆえの憧れだ。

 インクブスは悪辣な敵であり、敗北すれば凄惨な末路が待っている。

 しかし、その現実は実際に少女たちを襲うまで知られることはない。

 憧れが不変でなければ、いずれ人類は敗北する。

 

へっへっ……ヒトの雌だ!

 

 下卑た声が雨音の中、少女の耳まで届く。

 聞き慣れたインクブス、それもゴブリンの声であると判別できた。

 しかし、雨に打たれる制服姿の少女は無視して歩き続ける。

 

 少女は──ウィッチだった。

 

 パートナーも連れず旧首都郊外にある河川敷を歩く。

 行先はない。

 

若い雌だ!

 

 雑多な足音が近づいてくる。

 戦わなければならない。

 変質した本能は無意識に反応するが、少女の闘志は潰えていた。

 

このエナは…こいつ、ウィッチだっ

 

 ナンバーズに近いウィッチと噂される実力者は、期待に応えるように数多のインクブスを屠った。

 姉を、親友を、同期を失っても。

 しかし、インクブスとの戦いに終わりはなかった。

 

 ──少女に追いつく矮躯の影たち。

 

1人で何してんだぁ?

知るかよ、とっとと押さえろ

 

 無言のまま引き倒された少女の瞳は、ただ濁った空を無為に映す。

 ある日、無力感と絶望が許容を超えた。

 かつて見た憧れの後ろ姿は、虚構であると理解した。

 

泣き叫ばねぇし、つまらねぇな

ならば、泣かせてやろうか?

 

 ゴブリンの背より現れる影に一瞬、目を見開く。

 

 筋骨隆々の巨躯を誇るインクブス──オーガである。

 

 それに嬲られたウィッチの末路は輪をかけて悲惨とされる。

 体は強張るが、手足を押さえられた少女は何もかも諦めていた。

 

へっへっ……旦那がやったら一発で壊れちまうぜ

ふん、冗談だ。弱い雌に興味などない

 

 安堵するゴブリンたちは気を取り直し、少女の肢体へ手を伸ばす。

 ウィッチの最期とは、野鳥のように確認されることは滅多にない。

 嬲られた少女たちは異界へ連れ去られ、そこで苗床となって一生を終える。

 

さぁ、まずは俺からだぁ!

 

 絶望に心折れた少女も──そうなるはずだった。

 

 空より雨と共に降ってきた影。

 その場にいた者は、落下物の質量が跳ね飛ばした飛沫を全身に浴びる。

 

なんだ!?

 

 突然の襲撃に浮足立つインクブス。

 その中で、最も冷静であったオーガが落下物の正体を看破する。

 

ギレスっ!

 

 それは──あらぬ方向に胴体の折れ曲がった同族の骸。

 

 その腹部は大きく()()し、脊椎までを砕いていると一目で分かった。

 ゴブリンは抜け殻の少女にナイフを突きつけ、オーガは得物を握り直して周囲を見回す。

 

ウィッチか!

どこから来るっ

 

 視力の優れたインクブスとて雨天では視野が狭まる。

 雨音に増水した川の流れる音も加わって、周囲の音は輪郭がぼやける。

 しかし、確実に接近してくる足音。

 無意識のうちに方角を推し量ってしまう少女。

 

後ろか!

 

 雨の生み出す灰色の闇から現れた巨大な影へオーガは得物を振り抜いた。

 戦車の装甲すら破壊する必殺の一撃が雨粒を散らして迫る。

 オーガは勝利を確信した。

 

 だが──相手の一撃は雨粒を蒸発させる速度で放たれる。

 

 衝撃波が雨粒を吹き飛ばす。

 そして、破壊に耐えかねた鉄塊は金切り声を上げて破断する。

 

なんだと!?

 

 インクブスたちは驚愕する。

 馬鹿な、信じられない、と。

 自慢の鉄塊が宙を舞って、墓標のように河川敷へ突き立つ。

 それは1体のゴブリンを巻き込み、血の混じった泥水が少女を汚す。

 

こいつ──」

 

 ウィッチのように鮮やかな玉虫色の襲撃者は、巨体に見合わぬ速度でオーガに肉薄する。

 そして、腹部に格納された捕脚を解き放つ。

 本能的にオーガは両腕をクロスさせ、それを正面から受けた。

 受けてしまった。

 

ぐがぁっ!?

 

 両腕の骨が粉々に粉砕される異音が雨音に吸い込まれていく。

 だが、スマッシャー(打撃型)の襲撃者は一打で終わらない。

 腹部へ戻された捕脚は再び力を蓄え、オーガの胸部に向かって解放された。

 

 鈍い破裂音、そして──オーガは雨空を舞った。

 

 肉弾戦を得意とするインクブスの中ではトップクラスのオーガ。

 その巨躯は無惨に河川敷の緑へ叩きつけられ、沈黙した。

 

化け物だぁ!

に、逃げろ!!

 

 泡を食って逃げ出すゴブリンを、水晶のような眼が睥睨するも追撃はない。

 その堂々とした佇まいは、間違いなく上位者であった。

 ただただ、その姿に少女は圧倒され、鮮やかな触角鱗片の輝きに魅入られる。

 

ぎゃぁあぁ!!

 

 断末魔、続いて骨肉を噛み砕く咀嚼音が河川敷に響く。

 少女が振り向いた先では、逃げ出したゴブリンたちが貪られていた。

 人間大カマドウマの一群に。

 緑色の矮躯が斑模様の影に覆い隠され、長い触角が揺れる。

 

「すごい…」

 

 少女の声に嫌悪感は微塵もない。

 人類の敵であるインクブスを獲物と認識し捕食する姿は、まさに絶対強者。

 マジックを駆使し、撃滅を第一とするウィッチでは到達し得ない。

 雨に打たれながら座り込む少女は、その光景を眺めていた。

 

「無事か」

「え…?」

 

 背後から投げかけられた声は幼く、しかし無邪気さの欠片もないものだった。

 この人外魔境に人がいるものか、と振り向けば幽鬼のような人影。

 目深に被ったフードの奥で紅い目が瞬き、ようやく人と気づく。

 

「あなたは……」

 

 エナの塊のような極彩色のファミリア(使い魔)が首を垂れる者。

 聞くまでもない。

 だが、それでも問うてしまった。

 

「ウィッチだ」

 

 言うが早いか、羽織っていた鼠色のオーバーコートを外す。

 その下より現れたウィッチの風姿に、少女は思わず息を吞む。

 

 花──そうとしか形容できない。

 

 纏った白磁のポンチョ、ロングスカートは控えめな刺繍しか施されていない。

 しかし、それが大輪の花びらを思わせる。

 堅牢な作りのロングブーツは茎、ククリナイフを収める新緑のシースは葉のよう。

 

「被っていろ」

「え、あ…ありがとうございます……」

 

 見惚れていた少女にコートを被せたウィッチは、瞬く間に雨で濡れていく。

 雨水を受けてなお、静かな生命力を感じさせる装束。

 その首元にかかる銀髪から顔を覗かせる小さなハエトリグモ。

 エナの気配からウィッチのパートナーであると少女は直感的に理解した。

 

新手のオーガです……数は5体

「大盤振る舞いだな」

 

 淡々とした会話は、まるで世間話のように聞こえる。

 しかし、少女の体は無意識のうちに強張り、与えられたコートを握り締めていた。

 序列の高いウィッチでも死闘は免れない相手が5体。

 普通であれば逃げなくてはならない。

 

 いかに強力なファミリアがいようと数は力だ──勝機はない。

 

どうしますか?

「やるぞ」

 

 パートナーの問いへ当然のように答えるウィッチ。

 耳を疑う言葉に思わず顔を上げる少女。

 銀髪より覗く横顔は焦燥も悲観もなく、研ぎ澄まされた鋭利な刃のように美しい。

 

やれますか

「やるとも」

 

 静粛に満ちていながら雨音には吸い込まれない声。

 それに応え、濁流となった川より姿を現す玉虫色のファミリア。

 数にして4体。

 河川敷へ上陸を果たし、主の背後へ控える姿は王を守護する近衛のよう。

 それが当然とばかりに小柄なウィッチは振り向かない。

 

「どうして、ですか?」

 

 少女には、理解できなかった。

 ウィッチが内包するエナは微弱、もうファミリアを召喚する余力はない。

 しかし、まるで臆した様子がない。

 オーガが5体だけで行動するはずがないというのに。

 

「どうして戦えるんですか?」

 

 ゴブリンを片付けたカマドウマが跳躍して、灰色の闇へと消える。

 紅い瞳は闇の果てまで見通しているかのように、その姿を見送った。

 そして、やはり当然のようにウィッチは答える。

 

「インクブスどもがいるからだ」

「どれだけ……どれだけ倒しても終わらないのに?」

 

 目の前にいる脅威を退けたところでインクブスは再び現れる。

 今以上の数を引き連れて。

 いつかは敗北し、惨たらしい最期を迎えるに違いない。

 

「理由にならない」

 

 そんな悲観的な未来予想を斬り捨てる言葉。

 その切れ味に少女は耐えられず、腹の奥底から言葉を絞り出した。

 

「十分な理由じゃないですか!」

 

 痛々しい少女の叫びが雨に吸い込まれ、急速に散らばっていく。

 正面を見据えていたウィッチが、少女を真っすぐ見る。

 

 一切の迷いがなかった紅い瞳には──複雑な色が浮かんでいた。

 

 それから一呼吸ほど置いて、ウィッチは口を開く。

 

「ウィッチか」

「…はい」

 

 どうしようもない醜態を晒しながら、救出に現れたウィッチを惨めな会話へ付き合わせている。

 オーガという脅威が迫る中で。

 一呼吸の時間によって、それを冷静に認識できてしまった少女は顔を俯かせる。

 

「私にとって、それは理由にならない」

 

 改めてウィッチは言う。

 少女の心を折ってしまった絶望は、自分にとって絶望たりえないと。

 しかし、今度は続きがあった。

 

「インクブスどもが数を揃え、策を練ろうが正面から叩き潰す」

 

 声色に変化はなく、どこまでも淡々とした口調。

 その言葉一つ一つを少女の耳は確かに拾い上げる。

 雨音など些細なものだった。

 

「ウィッチの1人や2人、肩代わりできる戦力で」

 

 誇示するわけでもなく、驕るわけでもない。

 今まで実行してきたのだと思わせる語り。

 それを終えた小柄なウィッチは、しゃがみ込んで少女と目線を合わせる。

 どこか恐る恐る、しかし意を決して──

 

「今まで……よく、がんばったな」

 

 少女の頭を撫でた。

 壊れ物に触れるような手つきで。

 濡れた手から伝わる心地よい熱、そして口元に浮かべられた優しい笑み。

 

 頼られるだけだった少女は──初めて、救われた。

 

「あとは」

 

 無粋な足音を耳にしてウィッチは息を吐きながら立ち上がる。

 口元の笑みを消し、シースからククリナイフを抜く。

 やはり、その横顔は刃のように美しい。

 

「任せろ」

 

 そう言って背を向けるウィッチの姿は、かつて少女の憧れたウィッチそのものだった。

 

 

「こんばんは、アリスドール」

 

 鈴を転がすような声で淑やかに挨拶する少女。

 舞踏会にでも行くようなドレスを身に纏い、身の丈ほどもあるソードを片手で持つ姿は、紛うことなきウィッチ。

 パートナーが見当たらない点を除けば。

 

「ど、どうして?」

 

 エプロンドレス姿のメルヘンチックなウィッチ──アリスドールは震える喉から言葉を絞り出す。

 

 その問いを聞き、口角を上げる蒼いウィッチ。

 折れ曲がった街灯から見下ろす先には、蒼い焔に包まれる懐中時計があった。

 

「そうですね……白ウサギは遅刻してませんけど」

 

 やがてエナが揺らぎ始め、懐中時計は砂のように崩れ出す。

 パートナーだったモノが跡形も残らず消えて去っていく。

 

「アリスを導く仕事を果たさなかったので──」

 

 街灯より一歩踏み出して自由落下する蒼い影は、軽やかにアリスドールの眼前へ降り立つ。

 かつり、とヒールが雅な音を路地に響かせた。

 

「消えてもらいました」

 

 ウィッチをウィッチたらしめる存在、それを消滅させるなど聞いたことがない。

 しかし、蒼いウィッチは一切の躊躇も容赦もなく、アリスドールのパートナーを消滅させた。

 ひどく()()()()()()ように見えた凶行。

 だが、眼前のウィッチに恐怖する理由は、それだけではなかった。

 

「どうやって私を見つけたんですか…?」

 

 アリスドールはマジックによる砲撃を得意とするウィッチだが、彼女の真髄は()()ではない。

 

 不思議の国へ入り込むように──あらゆる知覚から消失する。

 

 人もインクブスも欺く能力こそがウィッチナンバー411、アリスドールの真骨頂。

 それが一切通用しなかったのだ。

 

「私、見えるんです」

「見え…る?」

 

 そう言って己の碧眼を指差す蒼いウィッチ。

 狭まった瞳孔の奥底には、すべてを吸い込む闇が滞留しているようだった。

 

「エナが透過する場所は全て」

 

 ウィッチが内包するエナの性質と量には個人差がある。

 今現在も放射され続けている彼女のエナは、高い直進性と透過性を有していた。

 障壁などは意味を成さない。

 その目はインクブスの潜伏場所を見つけ出し、急所を的確に見抜く。

 

「だから、()に逃げ込んでも見えるんですよ」

 

 そして、マジックで形成された別次元の穴さえ見通す。

 

「6割くらいしか感覚は戻せてませんけど」

 

 まだまだです、と淑やかに笑う相手からアリスドールは恐怖で後退った。

 手元にある金色のマレットを振るい、マジックで抵抗しようと無意味だ。

 隔絶した実力差が両者の間にはある。

 

「さて……私が来た理由は分かってますよね?」 

 

 声色は変わらずともインクブスを容易く両断する刃が月光を反射する。

 それだけでアリスドールは路地のアスファルトに恐怖で縫い付けられた。

 

「ご、ごめんなさいっ!」

 

 反射的に飛び出した謝罪の言葉に、蒼いウィッチはただ苦笑する。

 

「可愛い()()()なら見逃してあげたんですけど」

「とても綺麗な、ビスクドールみたいな人だったから……で、出来心だったんですっ」

 

 エナ不足でオークの追跡から逃れられないアリスドールを救った銀髪赤目のウィッチ。

 白磁のように白い肌、風に揺らぐ長い銀髪の輝き、そして無垢で汚れなきルビーの如き目。

 人形の蒐集癖があるアリスドールは、それに魅入られてしまった。

 

「あの方は優しいから許すでしょうね。でも、SNSで公開するなんて──」

 

 アリスドールの必死な独白を聞き、頷き、そうかの一言で許しかねない某ウィッチ。

 だが、1枚の写真でも存在が認知されることは、彼女のアドバンテージが一つ失われることを意味する。

 それを理解するがゆえに、蒼いウィッチは──

 

「殺されても文句は言えませんよね?」

 

 か細い喉元に鋭利な切先を突きつけ、花が咲くように微笑む。

 最大限の敵意を滲ませて。

 

「ひゅっ」

 

 敵意ある微笑みには、有言実行する迫力があった。

 インクブスの獣欲に満ちた視線ではなく、純粋に相手の殺害を考える視線に震えるしかない。

 

 突きつけられた切先は揺れ動かない──ただ一動作で血溜まりに沈むことになる。

 

 呼吸すら止めて、アリスドールは沈黙に耐える。

 永遠に思える沈黙があった。

 

「…あの方が助けたウィッチですし、()()は達したのでやりませんけど」

 

 大いに憂を滲ませる溜息を吐き、切先は下げられた。

 二度目のチャンスを与えないことは、生命の不可逆的な破壊以外でも達成できる。

 そして、それは成された。

 

 出回る写真は消せないが──その程度で足を掬われるほど脆弱な方ではない。

 

 であるならば、反抗しない限り命を奪う必要はない。

 ただインクブスを駆逐するウィッチとして機能すればいい。

 そう、判断する。

 

「次は、ないですよ?」

 

 それだけ告げて、軽やかに踵を返す蒼いウィッチ。

 蒼い燐光を微かに残し、路地の闇へ溶け込むように消える。

 遠ざかるヒールの刻む足音。

 月下には、鏡の国から飛び出してきたようなウィッチが1人取り残された。

 

「けほっ……はぁはぁ、かひゅっ…」

 

 アリスドールは咽せながらも押し止めていた呼吸を再開する。

 体の震えは収まらないが、それもまた自身が生存している事実。

 金色のマレットを抱きしめると、失われたパートナーの存在へ意識が向く。

 そして、堰き止めていた涙が溢れ──

 

「ああ、でも」

 

 足音が止まった。

 

「パートナーのいなくなったウィッチは」

 

 まるで言い聞かせるような調子で新たな言葉が紡がれる。

 可視化したエナが舞い、翻された蒼いドレスを照らす。

 

調()()()()()()()まで弱いですし」

 

 ヒールの刻む足音が戻ってくる。

 かつり、かつりと速足で。

 再び迫る死の恐怖を前にアリスドールは、震えるしかない。

 

「あいつらの苗床を増やすのは、だめですよね」

「ま、待ってっ!」

 

 パートナー消滅の原因が、理不尽な理由を並べながら迫る。

 無力なウィッチを見下ろす碧眼は人を映していなかった。

 無機質で、どこまでも冷徹な、かのファミリアたちを彷彿とさせる目。

 

「すみません」

「い、いや…やだっ…」

 

 アリスドールの周囲で燐光が溢れ、狂ったように踊る。

 眼前に現れたソードへエナが収束していき、煌々と蒼く輝き出す。

 

「やっぱり死んでくれますか?」

 

 そう一方的に宣告し、アズールノヴァを名乗るウィッチは──




 悲劇的ビフォーアフター!


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狐火

 殺伐イクナイ(元凶)


 インクブスどもの目的は人類を滅亡させることではない。

 その行動の全ては人類を害するものだが、イコールではない。

 最終的な目的、それは人類の家畜化だと私は考えている。

 その片鱗が見える例として、大陸では最低限の統治機関が生き残り、インクブスに人身御供している地域があるという。

 他にも人類に必要不可欠な物資やインフラを積極的に破壊しないなど、インクブスには明確な()()が見られる。

 ゆえに、食品や生活必需品といったものが普通に店頭へ並ぶ。

 前世とそう変わらない光景が、今世でも見られるのだ。

 

東さん、豚肉お好きなんですか?

「安いからな」

主婦してますね、東さん

 

 部活動に所属していない私は、放課後になるとスーパーへ足を運び、夕食の材料を買って帰る。

 

 本日のメニューは──豚肉とナスの野菜炒めだ。

 

 主婦の何気ない会話、食材の重みで揺れるエコバッグ、そして沈む夕陽。

 この世界は平和なのではないかと錯覚しそうになる。

 だが、いずれ鳴り響く外出禁止のサイレンで現実に引き戻されるのだ。

 

でも、たまには贅沢をされてもいいと思いますよ? 先程すれ違ったご婦人は、すき焼き鍋を作られるそうです!

 

 他所は他所。

 贅沢をできるだけの、何不自由しないだけの生活費を父は振り込んでくれている。

 だからと言って使い込んでいいわけではないのだ。

 そして、なにより私は──

 

「…牛肉の甘さが苦手なんだ」

東さん、苦手なものがあったんですね

「私をなんだと思ってるんだ?」

 

 心の底から意外そうな声を頭上から降らせてくるパートナー。

 私にだって苦手なものはあるぞ。

 芙花の前では()()()にも出さないが。

 

「あ〜東さんだ〜」

 

 私を呼ぶ声に振り向けば、見慣れたチェック柄のスカートが揺れる。

 私が出歩いているのだ。

 帰宅中の生徒、クラスメイトと出会うこともあるだろう。

 

 ただ──タイミングがよろしくなかった。

 

 パートナーとの会話が聞こえる距離ではない。

 しかし、そうなると私は独り言を呟く危うい女子生徒になるのだ。

 人通りが途絶えたからと油断していた。

 どう誤魔化す?

 

「こん、こん…こんにちは?」

 

 戦々恐々とする私に、脱力しそうな挨拶が投げかけられる。

 小さく首を傾げ、長い三つ編みを揺らすクラスメイト。

 なぜ疑問形なんだ。

 

「…こんにちは」

 

 小さく挨拶を返す私に歩み寄ってきたクラスメイトは、珍しく身長差がなかった。

 どこか眠そうな、目尻の下がった瞳が私の手元へ向けられる。

 

「お買い物?」

 

 視線の先には手元から提げたエコバッグ。

 それに対して思わず無言で頷いてしまう。

 口下手というより根本的なコミュニケーション能力に問題がある。

 これでは口が飾りだ。

 

「えっと……」

 

 加えて致命的なのは、名前を覚えることも苦手ということ。

 クラスメイトだった憶えはあるが、そこまでしか分からない。

 それを察したらしい彼女は、のんびりとした口調で名乗った。

 

「政木、政木律だよ〜」

 

 政木と聞いて、ようやく虫食いだらけな名簿から名前を引き当てる。

 シモフリスズメの絵が上手い金城と席が近かった女子だ。

 クラスメイトの名前を憶えていない自分に落胆しつつ次なる言葉を紡ぐ。

 

「政木さんも買い物に?」

 

 相手の手元にも手提げバッグ。

 可愛らしい狐の刺繍が施された()()は、そこそこ物が入っているように見受けられた。

 

「そうだよ〜奇遇だね」

 

 まったく予想外だったよ。

 いつから背後にいたのか聞きたいところだが、どう切り出したものか。

 

「東さん、自炊するんだ〜」

 

 のんびりとした口調で話題を振ってくる政木律。

 聞かれていない可能性を一瞬考えるが、やめておく。

 一思いに言ってくれないだろうか。

 

「意外?」

「うん」

 

 長い三つ編みが頷きに合わせて揺れる。

 心外だ、とは言えない。

 授業中を除いて活動的ではない私から俗に言う女子力など──

 

「いつも惣菜パンしか食べてないでしょ?」

 

 思わぬ不意打ちに固まる。

 いつも昼休憩になると姿を消す私など誰も気にしていないと思っていた。

 誰が見ているからといって何が変わるわけでもないが。

 

「…手軽だから」

「え~育ち盛りなのに…しっかり食べないとダメだよ〜」

 

 そう言って彼女がバッグから取り出したのは──お稲荷さん?

 

「これ、おすすめ~」

 

 半額シールの貼られたパックを差し出し、ふにゃと笑うクラスメイト。

 

「あ、ありがとう」

「うん」

 

 満足そうに頷く彼女を見て我に返る。

 何を普通に受け取っているんだ、私は!?

 邪気のない笑顔を前に断れなかったが、これは──

 

「あ…時間」

 

 お稲荷さんのパックを受け取る瞬間、腕時計が視界に入る。

 その使い込まれた()()()の腕時計を確認し、政木は一歩下がった。

 

「ごめん、そろそろ行くね」

「あ、うん」

 

 返品の交渉を始める前に、長い三つ編みが私の前を横切る。

 そして、小さく手を振るクラスメイトへ反射的に振り返してしまう。

 

「また来週~」

「……また、か」

 

 茜色に染まる夕刻の通りを小走りで去っていく背中を見送る。

 ぴょんぴょんと跳ねる三つ編みが見えなくなるまで。

 

 それからお稲荷さんをエコバッグへ入れ──率直な感想を口にする。

 

「なんだったんだ?」

政木さん、よくぞ言ってくれました……しっかりと昼食は食べましょう、東さん!

 

 それは百も承知だが、朝から弁当を2つ作るのは手間がかかるのだ。

 私の体は一つしかない。

 

 

 豚肉は好きと言ったが、オークの群れは求めていない。

 エナの総量から獲物として好むファミリアは多いが、インクブスなどいない方がいい。

 深夜の旧首都で相対するたび思う。

 

うわぁぁぁぁ!

 

 悲鳴が私の頭上を飛び越え、どんっと鈍い音が降ってくる。

 見上げればオフィスビルの外壁に突き刺さって沈黙するオーク。

 相当な重量のはずだが、体長と同寸の頭角を誇る重量級ファミリアには軽いものらしい。

 これで2体目だ。

 

ドナートっ

余所見するな! 来るぞ!

 

 頭角と胸角を開け、ゆっくりと前脚を進めるヘラクレスオオカブトを前に後退るオーク。

 喩えるなら大型トラックと軽自動車、その差は絶望的だ。

 戦士を自称するオークどもは重量級ファミリア8体と正面衝突し、文字通り轢殺されている。

 

化け物が──」

 

 交通事故を思わせる衝突音。

 視界の端でボールのように跳ねる影が路肩のガードレールを吹き飛ばす。

 ボールもといオークを撥ねたアトラスオオカブトは三本角からエナを滴らせ、次なる敵へ矛先を向けた。

 

くたばりやがれぇ!

 

 野太い雄叫び、そして重い風切り音を伴ってクラブが迫る。

 ウィッチ相手なら十二分な威力だろうが、厚い外骨格には痛痒たり得ない。

 ()()()()では闘争心の塊に火をつけるだけだ。

 骨肉の砕ける鈍い音を響かせ、オークは宙を舞った。

 

サンドロたちはまだか!?

くそっ撤退すべきだ!

 

 当初23体を数えたオークどもは今や7体。

 すっかり及び腰になっている。

 この場から抜け出せた伝令は、即応したスズメバチが肉団子に変えた。

 だが、現在進行形で発生している騒音は近隣まで聞こえているはず。

 ()()()()増援が来るのは時間の問題だろう。

 

なん…だと…!

 

 くるくると宙を舞う刃が月光で瞬いた。

 漆黒の外骨格と下手に打ち合えば、自慢の得物も容易く折れる。

 唖然とするオークの胴体に大顎が食い込み、その重量をものとせず持ち上げて──

 

くそっぎゃぁあぁぁ!!

 

 ぱん、という破裂音。

 夜空を真っ赤な飛沫が舞い、荒れ果てたアスファルトとヒラタクワガタを彩る。

 見慣れたスプラッターな光景だ。

 

 夜戦──それはファミリアとなっても夜行性らしい彼らの独壇場。

 

 この荒れ果てた酷道はインクブスどもが凱旋するための大通りではない。

 重量級ファミリアが存分に力を振るうためのフィールドだ。

 

「これを呼び出さなくてもやってくれないものか」

 

 彼らは強力なファミリアだが、その巨躯の維持に多くのエナを必要とする。

 しかし、食性の問題なのか、インクブスを捜索してまで攻撃しない。

 もっぱらスズメバチの加工した肉団子がエナの供給源である。

 こうして呼び出せば、他の追随を許さない活躍を見せてくれるのだが。

 

それは難しいかと……彼らもモチベーションがありますし

「私にアピールしても仕方ないだろ」

そ、そうですね──南東からオークが18体、接近中です

 

 歯切れの悪いパートナーは、一瞬でスイッチを切り替えて報告する。

 5体──訂正、1体になった──を残すところで増援は間に合ったようだ。

 

「仕掛けは?」

いつでも

 

 こちらへ向かってくる足音は重なり合って地鳴りのようだった。

 密集している証拠だ。

 

「やるぞ」

 

 酷道もとい元国道に現れるオークの一群。

 驚愕はすぐ憤怒の表情へ変わり、各々が得物を構えて突撃してくる。

 当然の話ではあるが、狭い道より広い道の方が数を生かしやすい。

 

 だが──その道は、いや旧首都は誰が作り出したモノか知るといい。

 

サンドロ!!

 

 喜色に満ちた声が上がった瞬間、オークの一群が視界から消える。

 

何だっ!?

じ、地面がっ!

 

 行先は、地面の下だ。

 アスファルトの大地が大口を開けてオークの一群を飲み込む。

 ここが旧首都となる前、かつて地下鉄が走っていた空間まで──

 

ぎゃぁあああ!

 

 そこでインクブスどもを出迎えるのは、ファミリアの大顎しかない。

 

囲まれてるぞっ

わ、罠だ!

ぐわぁぁぁぁ……

 

 地下の闇で反響する怒号、遠ざかっていく悲鳴。

 地下鉄を()()するシロアリ、そこを巡回するオオムカデとゲジ、そして崩落の主要因たるケラ。

 ここからでは見えないが、100体に及ぶファミリアが競い合ってオークを解体している。

 

成功ですね

「ああ」

 

 実のところ仕掛けというほどのものでもない。

 インクブスが通りかかる瞬間、()()()()国道を崩落させる一種の力業。

 周辺被害を考慮しなくていい旧首都限定の戦術で、手間の割に応用が利かない。

 しかし、奇襲効果は高く、誘引さえできれば大規模な群れも殲滅できる。

 

円陣を組っがは!?

 

 声を張り上げた隊長格と思しきオークの声が途絶え、ファミリアが崩落箇所の中心へ殺到する。

 まるで大波が小島を飲み込むように。

 

く、来るなぁぁぁぁ!

 

 耳障りなインクブスの絶叫は──ぴたりと止む。

 

 後には、肉を咀嚼する音だけが残った。

 1分と経たず解体を終え、戦利品を咥えたシロアリたちは早々に引き上げていく。

 すぐ崩落箇所の修復のための替わりが来るだろうが。

 

う、うそだろ…ぐぇ!?

 

 それを呆然と見下ろすオークを長大な頭角と胸角が上下から挟み、無造作に放り投げた。

 重力に囚われた者は等しく落ちる。

 

あぁああぁああ!!

 

 豚面のインクブスはアスファルトより下に広がる屠殺場へ落ちていった。

 

あれで最後のようですね

「この規模だ。まだ分からない」

 

 上空のスズメガが捕捉した群れは駆逐したが、オークだけとは限らない。

 ここ最近、旧首都に現れるインクブスの群れは規模が大きくなっている。

 原因は不明だが、警戒すべきだろう。

 ぐいぐいと頭を擦りつけてくるアトラスオオカブトを押し止めつつテレパシーを──

 

「あ〜本当にいた」

 

 ひどく場違いで緊張感のない声が頭上から降ってくる。

 見上げた夜空には、時代錯誤な紅の和装に身を包む人ならざる者が浮かんでいた。

 

 天を衝く狐の耳、揺れ動く九つの尻尾、ぼんやりと光る翠の目──妖ではない。

 

 ウィッチだ。

 ()()()()()()()ウィッチがいる。

 

「わ、大きなカブトムシ……かっこいい」

確かに…立派なファミリアじゃな

 

 男児のように目を輝かせる紅のウィッチ、そして胸元で明滅する勾玉のパートナー。

 両者から悪意は感じないが、意図も読めない。

 インクブスの最多出現地域、その中心部とはウィッチにとって敵地に等しい。

 私にとってはファミリアの狩場でも()()()ウィッチからは忌避される場所なのだ。

 

「何か用か」

 

 妖ではないと言ったが、妖しいのは間違いない。

 口から出る声は自然と硬質なものになる。

 しかし、紅のウィッチは気にした様子もない。ゆっくりと目を閉じ、両腕を組んで黙考の姿勢。

 いや、待て。

 考えるようなことなのか?

 

「用、用……」

悩むところかの?

 

 ウィッチの周囲を所在なさげに青白い狐火──マジックの一種と思われる──が回る。

 奇妙な沈黙があった。

 月光を背にスズメバチの群れが通り過ぎ、なお頭を擦りつけてくるアトラスオオカブトの頭を叩く。

 

 ぺちっと間抜けな音──狐耳が揺れ、翠の目が開かれる。

 

「お礼参り?」

うむ……うむ? 待つのじゃ、それは誤用じゃ!

「…報賽される覚えはないが」

稀有な返しじゃな!?




 いつか海外のウィッチも書きたいネ(小声)


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尻尾

 アトラスオオカブト君人気スギィ!


 ウィッチの装束は、己の意思を反映した形にできる。

 私の場合、ファミリアへエナを供給するため必要最低限のもの。

 装飾など不要だ。

 しかし、変身に伴う人体の変化は己の意思でどうにもならない。

 パートナー曰く髪や目の変色が多いというが──

 

「ほうさいって何?」

 

 頭上の尖った狐耳、毛玉の塊のような尻尾。

 首を小さく傾げる紅のウィッチは、人間の形態を逸脱しているように見えた。

 

願いが叶ったお礼に神仏に参拝することじゃな。つまりお礼参り──」

「ツチノコは神様だった…?」

ベニヒメや、話を聞いてくれんか?

 

 夜空で珍妙な問答を続けるウィッチとパートナー。

 演技をしているような不自然さはないが、平常運転とすればパートナーの苦労が偲ばれる。

 アトラスオオカブトの艶やかな頭に手を置きながら、そんなことを思う。

 

「ベニヒメ、か」

 

 とても旧首都とは思えない弛緩した空気の中、私は耳にした名を口に出す。

 芙花が好きな食べ物に、似た響きのものがあったような。

 

「うん、ベニヒメ」

 

 狐耳が私の言葉を拾って動き、紅のウィッチことベニヒメは夜空より旧首都へ降り立つ。

 荒れ果てたアスファルトの地を下駄が踏み、からんと音が鳴る。

 風に揺れる紅の和装を見て、脳裏に解が過った。

 

「さくらんぼか」

「おぉ〜私は、いちごだと思ったよ」

いや、思わんじゃろ

 

 どちらも気軽に手の出せない高級品となって久しい。

 この世からインクブスを1体残らず駆逐する日まで、芙花に振る舞うことはできないだろう。

 遥か未来を眺める己に蓋をして、紅のウィッチと相対する。

 

 聞く必要がある──私を探していた用件について。

 

「それで、用件はなんだ」

 

 ここはインクブスの最多出現地域。

 普通のウィッチであれば近寄らない。

 ここまで一切の悪意は感じなかったが、それでも警戒心を呼び戻す。

 

「今日はね〜お礼を言いに来たんだよ」

「お礼?」

 

 のんびりとした口調で告げられた用件に思わず眉を顰める。

 わざわざ礼を言うためだけに旧首都まで?

 まったく心当たりがない。

 

「この前、ナンバー8を助けてくれたでしょ?」

 

 私の訝しむ視線を受けようとベニヒメは穏やかな表情を崩さなかった。

 ナンバー8といえば芙花の母校で遭遇したゴルトブルームのこと。

 であるとすれば、ベニヒメはナンバーズに名を連ねるウィッチか。

 いや、それは早計だ。

 

「後遺症は…大丈夫か?」

 

 目の前に佇むウィッチがナンバーズか、近しい存在であれば答えられる問い。

 そして、私にとって最も気がかりだった事を聞く。

 

「大丈夫だよ。そろそろ復帰する予定だって〜」

 

 ベニヒメは一瞬だけ目を見開くが、すぐ目尻の下がった優しい表情に戻る。

 

「そうか」

 

 少し、ほんの少し肩の荷が下りた気が──錯覚だ。

 

 彼女の発言が真実とは限らない。

 真実であっても一人の少女がウィッチとして再び戦う現実があるだけ。

 何も変わっていない。

 

 視線を逸らした先には、月光浴中のヘラクレスオオカブト──私にはやるべきことがあるだろう?

 

「すまない、少し待ってくれ」

 

 翠の目を瞬かせながらベニヒメは頷く。

 仕事を終えたファミリアへ引き上げを指示し、22体分のオークを片付けるためシロアリを呼び出す。

 重量級ファミリア7体の厚い鞘翅が開かれ、現れた透明の後翅が振動を始める。

 

「おお、飛んだ~!」

 

 大型トラックばりの巨体が浮き上がり、重い羽音と共に夜空へと消えていく。

 それを見上げ、歓声を上げるベニヒメ。

 

「お前も行くんだ」

 

 最後まで残ろうと粘るアトラスオオカブトへ直々に声をかけ、スズメバチの待機する電波塔を指差す。

 ゆっくりと離れ、しかし鞘翅は開かず、とぼとぼと去っていく大きな影。

 それを見送って、ようやくベニヒメへ向き直る。

 

「待たせた」

「お母さんみたいだね~」

 

 翠の目を細め、柔らかな笑みを浮かべるベニヒメ。

 私のエナから生み出されたファミリアにとって私は母親に当たるのか?

 いや、そんなことはいい。

 

 それよりも──私は翠の目を正面から見据え、口を開く。

 

「礼なら必要ない。私はインクブスを屠った、それだけだ」

 

 謙遜ではない。

 突き放すように、ただ無感情に事実を告げる。

 そこにいるインクブスを屠っただけだと。

 

「そっか」

「ああ」

 

 ワンマンの気質があった彼女と連携は難しくとも支援の手段はあった。

 しかし、私は方針を変えることはなく、インクブスどもの駆逐に終始した。

 未成年が戦う現状を嫌っていながら、私は行動しなかった。

 だから、礼を言われるようなことは──

 

「ナンバーズも無敵じゃない…そんな当たり前のことを忘れてた」

 

 それでもベニヒメは私に語りかけてきた。

 のんびりとした口調は鳴りを潜め、一言一言を確かに紡ぐ。

 

「あの場に貴方がいなかったら、大切な友達を失ってた」

 

 そして、強い意志を宿した目で見返してくる。

 一歩も譲らないと、そういう目だ。

 

「だから……どう貴方が思っていても、感謝の言葉だけは伝えるよ」

 

 感謝されるためにやってるわけじゃない。

 正確には、感謝されるようなウィッチじゃない。

 

 感謝の一言もないのは当然──だと言うのに、最近はイレギュラー続きだ。

 

 どうにも調子が狂う。

 

「本人も連れてきたかったけど……断られちゃってね〜」

「だろうな」

 

 そう言ってベニヒメは困ったように笑う。

 己の実力に自信を持つゴルトブルームにとって()()()の出来事は忘れ去りたいものに違いない。

 なによりモンスターパニックのような世界を生み出す私に好んで会いたいと思う者は──いなくもないが、稀だ。

 予想通りの反応だった。

 

「だから、私だけでも…ね」

 

 しゃなりしゃなりと歩み寄ってきたベニヒメ。

 耳と尻尾で大きく見えたが、背丈は私と同程度。

 しかし、紅の和装を見事に着こなし、月光の下に佇む姿は比べられない。

 月と()()()()だ。

 

「改めまして──ありがとうございました」

 

 そう言ってベニヒメは深々と頭を下げる。

 誠心誠意という言葉が形を成したような美しい一礼だった。

 

「……そうか」

 

 この一言を伝えるためだけに旧首都へ赴くはずがない。

 何か打算があるに違いない。

 そんな疑心を封じ込めたくなる真摯なものだった。

 

「うん、伝えたいことは伝えたし…」

 

 頭を上げた紅のウィッチは、穏やかな微笑みを浮かべる。

 微かな差だったが、その微笑みは安らいで見えた。

 

「お暇しようかな〜」

いやいや、何を言っておるのじゃ!?

 

 踵を返そうとするベニヒメを勾玉のパートナーが慌てて止めに入る。

 

「えぇ…インクブスもいないし、何かあった?」

え、我言ってたはずじゃよな?

 

 両者が疑問符を浮かべる会話に脱力しそうになる。

 段取りぐらいはしておけよ。

 

数多のネームドを屠ってきた技を聞かんでどうするのじゃ!?

 

 数多というほどネームドを屠った覚えはなく、技というには単純。

 個を群で圧殺し、群に群で相対するだけ。

 その一部始終はゴルトブルームも見ただろうに、伝えていないのか?

 

「え〜今日じゃないとだめ?」

だめじゃろ……いつ会えるか分からんのじゃぞ?

 

 ちかちかと瞬く勾玉に語りかけるベニヒメは、駄々をこねる子どものようだった。

 いや、子どもであることに違いはないか。

 

「大丈夫、大丈夫、また会えるから~」

 

 私がウィッチとして活動する時間は不定期だ。

 ファミリアが主力であるため、必ず現地にいるとは限らない。

 そう出会えるウィッチではないと思っているのだが、ベニヒメの言葉には確信めいた響きがあった。

 

…仕方ないの

 

 渋々諦めた様子のパートナーに頷き、ベニヒメは私へ振り返った。

 九つの尻尾が微かに揺れ動く。

 

「またね~」

 

 ゆったりと手を振るベニヒメの体が音もなく浮き上がった。

 まるで透明の地面が迫り上がったかのように。

 物理法則の一切を無視するマジックならではの飛翔だ。

 

 風に紅を靡かせ、ナンバーズのウィッチは夜空の闇へと消えた──

 

い、行かれましたか…?

 

 ひょこりと私の左肩に登ってくるパートナー。

 挨拶の一つでもするものと思っていたが、フードの陰で息を潜めて置物に徹していた。

 

「ゴルトブルームの時といい、なぜ隠れる?」

 

 私に比べて社交的、お喋りなパートナーに沈黙されると場が持たないのだ。

 

お茶会を断った手前、どう格上の方々と話したものかと……

 

 それは、確かに顔を合わせづらい。

 私のせいだが。

 

「…挨拶はしろ。より話し辛くなるぞ」

そ、それは、その通りです……説得力がありますね

「おい、誰を見て言った?」

 

 

 そこには、円卓があった。

 一面の闇より浮かぶ白磁の円卓。

 石から削り出したような荒々しい質感の卓上には何もなく、ひどく殺風景なものだった。

 そこへ集う影は大小様々、形態すら異なる魑魅魍魎たち。

 ヒトの天敵たるインクブスである。

 

またか……次はどこだ?

 

 苛立ちを滲ませた溜息を受けて、矮躯のインクブスは眉を顰めた。

 しかし、それだけに止め、努めて平静に報告する。

 数多の同志を率いる立場にある以上、ヒトを狩り出していた頃のように感情任せとはいかない。

 

アニシンが治める巣だ

忌々しい

いまだ発生源は特定できないのか?

 

 その場に集った者たちは、憤りと微かな恐れを滲ませる。

 インクブスの支配する異界へ現れた別種の()()()

 ウィッチが生み出したはずのファミリアは予想された消滅時期を超え、活動している。

 その脅威は計り知れない。

 

これで72、羽虫どもを育てておるのか?

 

 最も被害を受けているゴブリンの長であるグリゴリーは、その嘲るような声色に拳を握り締めた。

 その腕には回収できた同志の首飾りが袖のように連なっている。

 

なんだと?

 

 グリゴリーが反応するより先に険しい表情を見せたのは、隣に座する屈強なオークであった。

 腕利きの戦士たちを巣の調査で失った長にとって侮辱に等しい言葉。

 背後に控える戦士も微かに殺気立っている。

 

よせ、サンチェス

 

 それを見ることで逆に冷静さを取り戻したグリゴリーはオークの長を諫めた。

 代わり映えしない大陸の戦況に加え、謎のファミリアによる侵略が始まり、募る苛立ちがインクブスに不和を広げている。

 これ以上、溝を深めるわけにはいかないのだ。

 

しかしだな…

 

 最も怒るべき者から諌められ、サンチェスは拳の振り下ろす先を見失う。

 

たかが羽虫に、これだけの失態を重ねておきながら何も言われんと思っておるのか

 

 グリゴリーの配慮など気にも留めず、小馬鹿にした態度で言葉を続けるのはインプの長。

 大陸にて安定した功績を上げるインクブスは、ヒトにも同胞にも悪辣であった。

 

あぁ? 言うじゃねぇか…口だけ達者なインプが

 

 ライカンスロープの一大派閥を束ねる若き長が灰色の毛並みを逆立て低い声で唸る。

 群れの者を失う痛みと苦しみを理解するライカンスロープには、我慢ならない言葉の連続であった。

 それゆえの怒り。

 

青二才は黙っておれ

なんだと、この腰抜け

 

 部外者としか見ていないインプの小馬鹿にした視線が神経を逆撫でする。

 

お、落ち着け、ラザロス

やめんか、シリアコ

 

 止めに入るグリゴリーへ続こうと動く者、円卓より一歩下がる者、それらを静観する者。

 

お前はいいのかよ、グリゴリー!

それは……

 

 灰色の毛並みを逆立てたままライカンスロープの長、ラザロスは吠える。

 

一番矢面に立ってんのはお前らだろうが! こんな後ろにいるだけの腰抜けに言われて悔しくねぇのか?

 

 インクブスの使い走り──そう揶揄する者もいる。

 

 しかし、数と器用さを生かして戦闘から補助、雑務を一手に引き受けるゴブリンをライカンスロープは認めていた。

 ヒトの雌を見ると節操がなくなる点を除いて。

 認めているからこそ、ファミリアの討伐をオークの戦士と共に買って出ている。

 いまだ名乗りを上げないインプは軽蔑の対象であった。

 

ふん、言わせておけば青二才が

 

 ゴブリンと大差ないインプの体躯が浮き上がり、禍々しいエナを放射し始める。

 

 一触即発──実力者である両者が激突すれば、たちまち円卓は崩壊するだろう。

 

図星か、腰抜けが

待て

 

 円卓を挟んで睨み合う両者の間に、鍛え上げられた鋼の刀身が割って入る。

 

ラザロス、インプの駆使するマジックは強力だ。そこは認めろ

 

 今度はサンチェスが諫める番であった。

 強力なウィッチやヒトの軍隊と相対した時、インプのマジックが戦場のイニシアチブを握るとオークの戦士は知っている。

 

ちっ…

 

 ライカンスロープの戦士とて理解していないわけではない。

 だが、納得できるかは別問題であった。

 冷笑を浮かべるインプの視線に、ラザロスの毛並みは逆立ったままだ。

 

だが……シリアコ、お前の発言は訂正する気にもならん──不快だ

 

 場を収めるように見えたサンチェスは、得物の切先を宙に浮かぶ影へと向ける。

 この場において無力なゴブリンの長は天を仰ぐ。

 悪化を続ける場の空気に嫌気が差したフロッグマンは、隣席するマーマンへ眼を向けた。

 

マーマンの長よ

なにか?

 

 機敏な動作で振り向くマーマンは、前回の会合に現れた者と異なっていた。

 全身を覆う鱗の色彩や装飾品が違うのだ。

 その原因が思い当たらなくもないフロッグマンの長は、問わずにはいられなかった。

 

見ない顔だが、代理か?

先代は戻らん

 

 突き放すような物言いがマーマンの特徴ゆえ気に留めることはない。

 それよりも先代という単語に頭痛を覚えるフロッグマン。

 ()()()()()長が交代するようになったのは、とある島国へ進出を始めてから。

 

…そうか

 

 ヒトの駆る軍船に後れを取るマーマンではない。

 そして、水上での戦いを得意とするウィッチは少数。

 河川へ配したフロッグマンも消息を絶っている現状、()()()()()()が水中に存在していることは間違いない──

 

静まれ

 

 重々しく、しかし明瞭な声が円卓の空気を震わせた。 

 

今宵集まってもらったのは、同胞の不和を生み出すためではないぞ

 

 その一声で睨み合う者も、雑談に興じる者も、円卓より離れた者も、一様に席へと戻って沈黙する。

 そして、円卓の一席に現れた影へ畏敬の念を込めた視線を送る。

 

サンチェス、派遣した戦士団から報告は?

 

 全てのインクブスを束ねる影は輪郭が不確かで、真の姿は見通せない。

 しかし、耳にした者が跪きたくなる厳かな声だけで十二分な存在感があった。

 

受けておりません

 

 それに対して、サンチェスは先ほどの怒気を微塵も感じさせない声で答える。

 

全滅か

そ、それは……早計ではありませんか?

サンチェスの選抜した者たちが報告を怠るとは思えん

 

 サンチェスの希望的観測を影は一言で退ける。

 インクブスの中でもオークの戦士は命令に忠実でありながら、ただ従うだけではない柔軟性がある。

 それを信頼しているからこそ、報告が途絶えた今、最悪の結果を想定しなければならない。

 

戦士団、選抜……何の話だよ?

 

 与り知らない話が進むことにライカンスロープの長は待ったをかけた。

 あえて会合の場で報告を求めた。つまり、集った者へ聞かせる意図がある。

 その意図を汲み、一同を代表してラザロスは影へ問うたのだ。

 

…皆、ニホンは知っているな?

 

 その名を聞いても円卓に集った者たちは、特に反応を示すことはない。

 脈絡もなく飛び出した島国の名に怪訝な表情を浮かべる程度だった。

 

結束はないが、個々は強いウィッチの護る島国

同族を助けねぇ腰抜けどもの国だ

 

 マーマンの長が言い放った言葉をラザロスが引き継ぐ。

 それに円卓へ集った長たちは皆、頷いてみせる。

 共通の認識であることを確認し、影は補足を加えた。

 

厄介ではあるが、良質な()。ゆえに腕に覚えのある者のみ赴くことを許した

 

 腕に覚えのある者──勘違いした愚者を含む──がポータルの使用を許された。

 帰らぬ者も当然いたが、それは許容の範疇。

 成果を持ち帰る者の方が多かったと記憶するインプの長、シリアコは問う。

 

それは先刻承知、なぜ今更になって戦士団を派遣したのだ?

 

 危険性が高い地域への斥候として、オークの戦士たちほど適任はいないだろう。

 しかし、厄介であっても脅威ではない島国へ派遣する意味は見出せない。

 

シリアコよ…先日、ニホンへ遣わせた同胞は戻ったか?

 

 シリアコの問いには答えず、影は逆に問い返す。

 ヒトの雌を辱め、弄んでいるのだろうと見当をつけていたシリアコは、その問いの意味を一瞬で理解した。

 

まさか、やられたと?

共に赴いたオーガの同胞も戻らぬ以上、な……ニホンより戻らぬ者、他にもおるだろう?

 

 ざわめきの広がる円卓。

 まさか、そんなはずが、と口々に言う。

 多くの者がインプの長と同様に、まったく問題視していなかった。

 

 腕利きのインクブスは報告を怠ろうと必ず成果は持ち帰ってくる──その確証は無い。

 

そこにつけ込まれ、我々は腕の立つ同胞……そして、眼と耳を失った

それゆえオークの戦士団を?

然り

 

 ニホンに関する情報の多くは、更新されていない。

 脅威ではないと見做した国ゆえ、それが問題視されることはなかった。

 しかし、更新しないのではなく、更新()()()()とすれば意味が変わってくる。

 

眼と耳を失ったゆえに災禍の侵入まで許した……事態は深刻だ

災禍……ファミリアどもの発生源が分かったのですか?

 

 脅威と認識するまで時を要した結果、甚大な被害をもたらした謎のファミリア。

 同胞を喰らって数を増やし、版図を広げる災禍の根源。

 それは何か、と円卓の片隅で蠢く不定形のインクブスは問う。

 

先日、調査の一つが実を結び、発生源が判明した

正確には、()()()()が妥当ですかな

 

 発生源ではなく侵入経路、そう訂正するグリゴリーに影は頷く。

 つまり、異界にて生じた存在ではない。

 数多のゴブリンとオークの戦士団という犠牲を払って得た情報、それは──

 

侵入経路は、ニホンより帰還したゴブリンの遠征隊だ

 

 グリゴリーとサンチェスを除いて、円卓に集った長たちは驚愕する。

 ファミリアがポータルを通過してきた事実に。

 ウィッチのエナで形成されるファミリアは()()()ポータルを通過できない。

 その常識が大きく揺らぐ。

 

ポータルを通過した手段は不明だが……ファミリアを生み出した元凶は明白だ

 

 重々しく、噛み締めるように、影は円卓に集った者たちへ語りかける。

 

すべての元凶たるウィッチは、あの島国にいる

 

 ざわめきは去り、円卓に敵意と憎悪が満ちる。

 ファミリアによる災禍、膠着した戦況、同胞の不和、それらを生み出した恐るべきウィッチ。

 どれだけのインクブスに害を為したか、定かではない。

 

 ただ辱め、蹂躙するだけでは収まらない──そんな気迫を手で制し、影は厳かに命ずる。

 

シリアコ、遣わせている同胞を呼び戻し、ファミリア討伐に当たれ

…致し方あるまいか

 

 ウィッチではなく、そのファミリア相手。

 優れたマジックの使い手であるインプの長は不服という態度を隠しもしなかったが、渋々承諾する。

 その様に鼻を鳴らすラザロス。

 

これより呼ぶ者には、()()()()を命ずる

 

 残る者たちは、黙して言葉を待つ。

 あわよくば件のウィッチを仕留める算段を脳裏に思い描きながら。

 

ウィッチの尻尾を掴むぞ




 インクブス視点楽しい(白目)


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黙過

 人物描写が上手くなりたい(届かぬ願い)


 私がウィッチに変身していない間もファミリアは活動している。

 インクブスを捕捉すれば、即座に反応し、攻撃あるいは情報収集を行う。

 それは昼夜を問わず行われ、テレパシーの形で報告される。

 

多いですね

「ああ、だが…」

 

 今日はテレパシーを受信する数が異常だ。

 たった今、隣町を哨戒しているオニヤンマからライカンスロープ3体出現のテレパシーを受信した。

 これで41件目だ。

 白昼堂々とインクブスがポータルより出現し、活動している。

 しているのだが──

 

「舐めているとしか思えん」

なぜ分散しているのでしょう?

 

 出現地点は広域かつ複数だが、インクブスの数自体は少数。

 即応したファミリア、主にスズメバチの一群が半数を()()し終えた。

 各個撃破されに来たのか?

 

目的が攻撃であれば無意味としか……

「最近の傾向と逆行しているな」

はい。ありがたい話ではありますが

 

 私を勉強机から見上げるパートナーの言葉には含みがあった。

 言いたいことは、おおよそ分かる。

 せっせと消しかすを丸めるハエトリグモは、インクブスに別の目的があると考えている。

 

「インクブスどもは馬鹿じゃない」

 

 これまでのインクブスとの明確な違いは、同時に複数の地点に出現したということ。

 しかし、数自体は少数となれば各個撃破は必至。

 その意図はなんだ?

 開けた予習用ノートの上を手から離れたシャーペンが転がる。

 

陽動の可能性はどうでしょう?

「こちらの手を飽和させるため、か」

もし、そうだとすれば本隊に備える必要があります

 

 ファミリアを振り分ければ当然、手薄となる地域が生まれる。

 そこに大規模なインクブスの群れが現れれば、対応は後手に回るだろう。

 今回、出現したインクブスは少数だが、腕は立つらしく処理に時間を食っている。

 厄介だ。

 

「ファミリアへの対処法を確立していない状態で来るか?」

むぅ……確かに

 

 厄介ではある。

 だが、最強の即応戦力を前にインクブスどもは肉団子にされている。

 世代交代によって得た強靭な大顎、強固な外骨格、そして致死の毒針。空中を飛翔し、集団戦闘を得意とするファミリアから逃れる術はない。

 捕捉したライカンスロープ3体は毒液の噴射を浴びた挙句、大顎に噛み砕かれたようだ。

 

「それに、インプがいない」

マジックを使うインクブスは1体も確認されていませんね

「陽動にしては火力が低い」

 

 マジックを使用するインクブスは、インプ以外にも複数確認されている。

 対ウィッチに特化したマジックはファミリアの脅威とはならないが、多くのインクブスは火力の高いマジックを使用する。

 ()()()()挑むのは危険な相手だ。

 

それは私たちだから言えることですよ、東さん

 

 圧倒的な身体能力に頼るインクブスは、インファイトが主眼のファミリアにとって間合へ飛び込んでくる獲物。

 しかし、エナで身体能力を強化しても少女であるウィッチたちは、そうもいかない。

 

戦っているウィッチの方々は苦戦しているように見受けられます

「……やはりか」

戦闘の経過時間とエナの放射量から見て、ですが

 

 ウィッチが交戦していると思われる地点は12。

 ファミリアは戦況を報告しないが、周辺の状態から推し量ることは可能だ。

 おそらく苦戦中だと。

 

 自らの能力に振り回されるウィッチは多く、腕の立つ相手だと策に弄されて敗北することも──

 

 年端もいかない少女たちが、戦いの術を心得ているものか。

 アズールノヴァやゴルトブルームがイレギュラー(例外)なのだ。

 

やはり、加勢はされないのですか?

 

 消しかすを丸め終えたパートナーの言葉に、私は頷く。

 ひとたび命じればファミリアは一切合切の躊躇なく、インクブスを駆逐するだろう。

 血肉とエナを周囲にぶちまけて。

 

「今は昼間だ」

 

 自室の窓より外へ目を向ければ、白い雲の流れる青空が広がっている。

 とても戦いの気配など感じない。

 穏やかな休日の午後、きっと泡沫の平和に浸る人々が多く出歩いているはずだ。

 

「インクブスと誤認されたくない。それにパニックの可能性も無視できない」

 

 旧首都か、近辺の無人地帯に出現したインクブスは逃さず潰す。

 だが、一般人の出歩く市街地は静観するしかない。

 パニックで二次被害を発生させてしまった苦い記憶が蘇る。

 二度とごめんだ。

 

「逃走したインクブスの対処は、やるぞ」

……分かりました

 

 あるいは、ウィッチが敗北する事態になれば──傍観者気取りの自分には嫌悪感しかない。

 

 一体、お前は何様のつもりなんだ?

 お前はファミリアの目を通じて見ているだけだろう?

 苛立ちの滲んだ溜息が漏れる。

 

い、インプが現れれば、()()がマジック対策として機能するか確認でき──あっ

 

 そんな私を見上げるパートナーは強引に話題を切り替えようとした。

 そして、せっかく丸めた消しかすを転がし、わたわたする。

 

「そうだな」

 

 勉強机より落ちる前に、消しかすの玉を指で止める。

 勢い余って指先に抱きつくハエトリグモの姿に、口元が少しばかり綻ぶ。

 

「久々に現れたインプでは確認できなかったからな」

あ、アズールノヴァさんを巻き込むわけにはいきませんでしたから

 

 消しかすを回収し、予習ノートの上に戻るパートナーは何事もなかったように続ける。

 

「いずれはインクブスだけを選定できるようになるのか?」

 

 インクブスどもはファミリアを効果的に撃破するためマジックを中心とした戦法を取ってくるのは確実だ。

 こちらも対策を立て、その確度を上げておく必要がある。

 

それは…なんとも言えません。ファミリアも万能ではありませんから

「いや、十分だ」

 

 手札は数があればあるだけ良い。

 どれだけの情報をインクブスが得ているか、それは分からない。

 とにかく新たな手を打ち続ける──

 

「そうか…偵察か」

 

 点と点が繋がり、一筋の線が描かれていく。

 複数の地点で少数精鋭を動かす理由が陽動とは限らない。

 

偵察……まさか、インクブスの目的ですか?

「ああ」

これほどの広域で何を…?

 

 偵察を行うということは、何かしらの情報を求めている。

 そして、広域に複数の手勢を放つということは、求める存在がどこにいるか把握していない。

 つまり、インクブスどもは初歩的な手探りの状態にあるのではないか?

 

「インクブスどもは情報を持ち帰れてない」

遭遇したインクブスは、ほぼ駆逐していますから……そのはずです

 

 苗床にするインクブス以外の帰還は可能な限り阻止してきた。

 戦いのイニシアチブを渡すわけにはいかなかったからだ。

 

「つまり、こちらの状況を把握できてない」

それを打開するために、こんな人海戦術を?

 

 パートナーの訝しむような声。

 帰還率を上げるため精鋭は送り込むが、少数ゆえに各個撃破されていては意味がない。

 情報を持ち帰らなければならない、と考えるなら。

 

「情報を()()()()()()ことも情報になる」

 

 黒曜石のような眼に映る私は、無愛想を通り越して無表情だった。

 吐いた言葉が非情なものと理解している。

 だが、腑に落ちる。

 

…被害も組み込んだ作戦ですか

「そうだ」

 

 被害すら糧として多くの情報を得たいという冷徹な意思。

 強い仲間意識を持つインクブスが、それを実行するということは──

 

「来るものが来た」

 

 仲間を捨石にしてでも、こちらを探りに来ている。

 私の取り越し苦労であればいい。

 だが、仮に読み通りとすれば、次の一手は痛打を加えに来るだろう。

 

「こちらも作戦を変える」

いよいよですか…!

 

 手札を、どこで切るか──旧首都上空のスズメバチからテレパシーを受信。

 

 新たに捕捉したインクブスを攻撃する旨の内容だ。

 その場所と近辺のファミリアを確認し、私は決断する。

 

む……中止されるのですか?

 

 集合を始めるスズメバチに攻撃を中断するようテレパシーを発す。

 それに首を傾げるパートナーへ私は作戦を告げる。

 

コルドロン(大鍋)だ」

 

 

 パートナーが存在のみを語るオールドウィッチの定める序列、ウィッチナンバーに何かしらの権限や拘束力は無い。

 余興と揶揄されるのは、そのためだ。

 しかし、序列の上位者が実力と実績を併せ持つことは事実。

 ゆえに彼女たちは自然とテリトリーを定め、戦力が重複しないよう行動してきた。

 

「見つけた〜」

「お見事ですわ、ベニヒメさん」

 

 旧首都上空に浮かぶ2つの人影。

 グラウンドゼロには不釣り合いな紅の和装、そして浅緑のサーコートが風に靡く。

 言わずと知れたウィッチである。

 

「あれで最後と願いますわ」

うむ! 頑張ろう、みんな!

「そうだね〜」

 

 意気軒昂なパートナーの声に対し、ウィッチたちの反応は鈍い。

 次々と現れるインクブスの迎撃に飛び回れば、いかにナンバーズと言えど疲弊する。

 たとえ、バディ制の復活で個人の負担が軽減されているとしても。

 

「先手は任せてもよろしくて?」

「任されたよ〜」

 

 翠と朱の双眸が見下ろす先には、荒れ果てたアスファルトの地を進むインクブスの一団。

 狐耳を立てたベニヒメの周囲に狐火が浮かび、旋回を開始する。

 急速に膨れ上がるエナの気配にオークは勘づく。

 

ウィッチだ!

 

 オークの戦士たちがウィッチの姿を認識した時──戦いの火蓋は切られる。

 

「じゃあ、燃やすね?」

 

 笑う妖狐は、そう一方的に宣告した。

 同時に狐火の1つが旋回軌道を外れ、インクブス目掛けて急加速する。

 問答無用の先制攻撃。

 

散れっ

 

 マジックに対して耐性があろうと直撃を受ける必要はない。

 6体のオークは外見に見合わぬ俊敏さで道路上を散開する。

 

 刹那──蒼き大火が旧首都の一角に溢れた。

 

 その焔に一切の熱量はなく、廃墟を煌々と照らすのみ。

 ただ一つの存在を除いて害することのないエナの大火である。

 

くそっ消えないぞっ

 

 蒼い焔に体の随所を蝕まれるオークは鎮火を図るも振り払うことは叶わない。

 その焔はインクブスを可燃物として燃え盛る。

 

ただの子供騙しだ! マジックを封じるぞ!

おう!

 

 しかし、屈強なオークには無視できる痛痒であった。

 腰より下げた武骨なボウガンを構え、擲弾が装填される。

 その充填物は新たなウィッチ殺しと目される劇物。

 

「お〜さっそくだね?」

感心しとる場合か!

 

 それを散布された領域に入ったが最後、マジックを使ったウィッチは()()

 前例を知るがゆえ警戒心を顕にする勾玉のパートナー。

 ベニヒメはマジックを主力とするウィッチなのだ。

 

「大丈夫、大丈夫〜」

 

 しかし、ベニヒメは相変わらずの調子だった。

 ただ細められた翠の目は、6つの標的を捕捉していたが。

 

 狐火が一際強く明滅し──赤熱するボウガン。

 

なっ!?

ボウは棄てろ! 投擲用意っ

 

 溶融したボウガンを躊躇なく投げ捨て、路上に散らばるコンクリート片や鉄屑を手に取るオーク。

 そこへ狐火が飛来し、一面を蒼い焔が舐める。

 

「参りますわ」

うむ! 参るとしよう!

 

 それを見届けたバディは、空中にて一歩踏み出す。

 フクロウのパートナーが肩より飛び立つが、ウィッチの体は重力に従って旧首都へ落下する。

 

 激突か──否、着地した。

 

 運動エネルギーが瞬時に失われ、爪先はアスファルトを小突くだけ。

 翻る浅緑のサーコート、覗く白磁の鎧に包まれた四肢。

 ウィッチでありながらナイトを彷彿とさせる姿。

 しかし、その手に得物は無い。

 

お前は…

 

 古傷を身に刻むオークがアックスを構え、鋭い眼光を向ける。

 そして、間髪容れずウィッチの正体を看破した。

 

プリマヴェルデ!

「あら、ご存じですの?」

 

 名を呼ばれたウィッチナンバー11、プリマヴェルデは脚を軽く開いて拳を構える。

 得物は己の拳、己の脚。

 未熟な少女の体躯には不適なインファイト一筋というスタイル。

 そんな特異なウィッチは、1人しかいないのだ。

 

囲め!

 

 わざわざ得物の届く間合に現れたプリマヴェルデを取り囲まんとするオークたち。

 

「させないよ」

ちぃっ!

 

 すかさず着弾する焔に行手を阻まれ、やむを得ず足を止めた。

 しかし、ただでは止まらず、コンクリート片や鉄屑をベニヒメ目掛けて投擲する。

 

こいつは俺に任せろ!

 

 降りかかる焔を払ったオークの戦士は、ベニヒメを迎撃する同族へと告げる。

 下手に密集すればマジックの標的にされる、そういう判断だ。

 

バルトロの敵を討つまでやられるなよ!

 

 同族の声へ当然だと言わんばかりにアックスを掲げて応える。

 それを低く構え直し、膂力を蓄えた脚がアスファルトを蹴った。

 

うぉぉぉぉ!!

 

 愚直に、ただ一直線の吶喊。

 鉛色の刃が地を舐めるように斜め下方より浅緑のウィッチを襲う。

 

 轟と低い風切り音──プリマヴェルデは臆さず踏み込む。

 

 結った長い後髪が残り香のように追従。

 その亜麻色の線は、鉛色の線と交わらない。

 

「まず一手!」

 

 アックスの質量が頭上を擦過する中、拳は隙を晒したオークの脇を打つ。

 しかし、あまりに軽い。

 

効かんわ!

 

 振り抜いた得物を返し、上段より振り下ろすオーク。

 拳の間合ゆえ殴打に等しいが、迷いはない。

 対してプリマヴェルデは、軽快な足運びで体を回転させ、回避と同時に蹴りを見舞う。

 

 二手、三手──絶望的な体格差がありながら迫る凶刃を躱し、拳と脚を打ち込む。

 

ええい、潰れろ!

 

 際限の見えない持久戦を予感したオークは吠える。

 打撃の軽さから脅威は低いと踏み、大胆にも両腕でアックスを振り上げた。

 

「できるものなら」

 

 風切り音を唸らせて質量物がプリマヴェルデへ振り下ろされた。

 単調な一撃、回避は容易。

 

 粉砕されたアスファルト片が四散し──浅緑のサーコートが空中で翻る。

 

 空中に身を躍らせるプリマヴェルデは、既にカウンターアタックの動作を終えていた。

 輝く朱の瞳より高く振り上げられた脚。 

 それは綺麗な円運動を描き、アスファルトへ突き立つアックスへ落つ。

 

「これで五手!」

 

 交通事故を思わせる重い打撃音。

 だが、体重を加えた一打もインクブスの得物を砕くには威力不足だった。

 

無駄だ!

 

 乱暴に引き抜かれるアックスの力を利用し、綺麗な宙返りを披露するプリマヴェルデ。

 両者が間合を仕切り直す間、背後で蒼い焔が炸裂する。

 

そんな攻撃で砕けるものかよ…!

 

 アックスの刃を地へと這わせ、腰を落として構えるオークの声には苛立ちが滲む。

 名の知られたウィッチゆえ警戒していたが、とても脅威とは思えない。

 ただの足止め、時間稼ぎを疑う。

 

「やはり、組成は鉄ではありませんのね」

 

 そんなオークは眼中にない朱色の視線は、武骨な得物へ向く。

 

なに?

「いえ……次で終わらせてあげますわ」

 

 口調こそ優雅だが、不動の構えはインファイターのそれ。

 しかし、決定打に欠くと知ったオークの眼には虚勢としか映らない。

 生意気なウィッチには躾が必要だ──

 

できるものならなぁ!

 

 殺人的速度で迫るアックスを前に、繰り出されるは裏拳。

 オークの眼は驚愕に見開かれる。

 先程とは打って変わり、質量と正面から打ち合う暴挙。

 

 驚愕は嘲笑へ──厚い刃は硝子細工のように砕け散った。

 

 無為に空を切る得物を横目にプリマヴェルデは間合の奥へ踏み込む。

 そして、オークの膝を鋭く蹴り打つ。

 

なっに!?

 

 その一打は皮膚も、筋肉も、骨も関係なく()()した。

 まるで豆腐を切るように。

 体勢を崩すオークの眼には、拳を固めたウィッチが映る。

 

「それでは、ごきげんよう!」

 

 放たれた正拳は、オークの顎より上を消滅させた。

 砕けた刃の破片が砂のように崩れ去り、そこへ意思を失った巨躯が倒れ込む。

 

アルミロ…!

 

 蒼白い炎が燻る同族の亡骸を盾にするオークは、苦々しい表情を浮かべるしかない。

 

「やっぱりタフだね」

 

 絶え間なく降り注ぐ焔のマジック。

 並のウィッチであれば昏倒するエナの消費量だが、ベニヒメは変わらぬ調子で身を浮かべている。

 非効率という言葉を鼻で笑う才能の暴威であった。

 ベニヒメに加え、歩を進めてくるプリマヴェルデも視界に認め、隊長格のオークは決断する。

 

発見した地下道まで行け、ピエトロ

 

 一団の中で最も若いオークへ反論を許さない鬼気迫る声で命じる。

 そして、同族の亡骸を苦渋の表情で放し、路肩の信号柱を掴む。

 

そして、長へ伝えるんだ

くっ…任された!

 

 駆け出す若き同族を護るため、2体のオークは動く。

 与えられた命令は情報を一つでも多く持ち帰ること。

 多くの同族を屠った忌まわしきウィッチを倒すために──

 

「お待ちなさい!」

 

 下賤な感情を欠片も見せないインクブスに妙な胸騒ぎを覚えたプリマヴェルデが駆ける。

 

行かせるかよ!

 

 その眼前に立ち塞がる隻眼のオーク。

 

 半身を焔に蝕まれながらクラブを横一文字に振り抜く──より速く正拳が打ち込まれ、指が弾ける。

 

 あらぬ方向へ遠心力に任せて飛ぶクラブ。

 それを片目で追ったオークは、白磁の踵落としに頭を消し飛ばされる。

 

「ベニヒメさん!」

「火力、上げるよ」

承知したのじゃ!

 

 バディの呼び声を拾った狐耳が立つ。

 旋回する狐火が1つに結合し、紅の袖より覗く細い指の先で静止する。

 ほぼ同時に、剛腕が信号柱を引き抜き、投槍よろしく構えた。

 

こっちだ、ウィッチ!!

 

 インクブスの咆哮、そして投擲──胸部を穿つ閃光。

 

 いかにタフネスを誇るインクブスも生命活動を停止せざるを得ない。

 しかし、放たれた渾身の一槍は止まらない。

 

「はっ!」

 

 飛来する浅緑の影、そして白磁の一閃。

 信号柱の軌道が大きく逸れ、商業ビルへ突入して轟音と共に粉塵を巻き上げる。

 その様子を横目で確認し、やはり軽やかに着地するプリマヴェルデ。

 

「ありがと~」

「当然ですわ」

 

 手を振るベニヒメへ軽く手を振り返し、視線をオークの屍が転がる路上の先、地下鉄駅出入口へ向ける。

 

「ベニヒメさん、追いますわよ」

「あ、待って」

 

 今にも駆け出そうとしていたバディの隣に降り立ち、ベニヒメは制止した。

 当然、怪訝そうな朱色の視線を受ける。

 

「どうして止めますの?」

「そこからね、ナンバー13の匂いがする」

「確かに、この辺りは彼女のテリトリーですけれど…」

 

 当人が姿を現していない以上、追撃は自分たちが行うべきと言外に語るプリマヴェルデ。

 対してベニヒメは口元に指先を当て、直近の記憶を辿っていた。

 

「ここ、この前に見たシロアリさんの巣なんじゃないかな?」

 

 そして、思い至る。

 20に及ぶオークを屠ったファミリアの大群が向かった先であると。

 

うむ…あれに囲まれれば命は無いじゃろうな

「うん、任せても良さそう~」

 

 追撃せずとも虎穴に飛び込んだインクブスの命運は決まったも同然。

 尻尾の1つに顔を埋めたベニヒメは、旋回する狐火の数を9つまで減らす。

 

「ファミリア任せというのは……ちょっと待ってくださいます? この前?」

 

 いまだ戦闘態勢を解かないプリマヴェルデは、バディの言葉を反芻して眉を顰める。

 

「あ」

 

 ウィッチとパートナーの声が綺麗に揃う。

 ツチノコことシルバーロータスと遭遇した事を伝えていなかった、と──

 

「忘れ」

忘れておったわけではないんじゃ!

 

 失言が飛び出す前に弁明を図る勾玉のパートナー。

 しかし、後の祭りである。

 

「シルバーロータスと会ったんですの!?」

さすがベニヒメ君だな!

 

 素っ頓狂な声を上げるプリマヴェルデ。

 その肩へ舞い戻ったフクロウは、眼を細めて朗らかに笑う。

 

 そして──地下鉄駅出入口より溢れ出す紅い閃光、禍々しい気配。

 

 こちらと()()()を繋げる扉、ポータルが開かれたのだ。

 それはインクブスが追撃不可能な異界へ逃れたことを意味している。

 

「あれ?」

 

 首を傾げるベニヒメ、それを半眼で睨むプリマヴェルデ。

 

「ベニヒメさん」

「おかしいね〜どうしたんだろ?」

 

 視線を泳がせる翠の目は──飛び去る影を追った。




 職業軍人ムーブすこ……でも蹂躙するね(予告)


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前夜

「行ってきます、姉ちゃん!」

「うん、車に気をつけてね」

 

 ぶんぶんと手を振って、友達のところへ駆けていく芙花。

 昨日は外出禁止のサイレンが鳴り響き、ご機嫌斜めだったが、すっかり元気一杯だ。

 引率の温和そうな女性に一礼し、芙花の小さな背中を見送る。

 

平和、ですね

 

 小学生は保護者同伴の集団登校が当たり前。

 保護者こそ同伴しないが、集団登校は高校生ですら推奨されている時勢。

 それもこれもインクブスという度し難い存在のせいだ。

 

「ああ」

 

 眩しいくらいの笑顔を浮かべ、友達と盛んに言葉を交える芙花。

 そんな平和で、愛おしい光景には指一本触れさせない。

 いつものように、確実に、インクブスどもを駆逐する。

 

「昨日のTL流れてきた動画、見た?」

「昨日?」

「唐突だなぁ」

 

 見送りを終え、いざ学校へ向かおうと振り向くと視界に入る3人組の男子。

 部活動に属していない生徒の登校時間は重複しやすい。

 私の場合、彼らの後ろが定位置になっている。

 

「あ、見た見た」

「ウィッチが街中で戦ってたやつ?」

「そうそう!」

 

 よく通る声で話す男子たち。

 その話題は、市街地に出現したインクブスとウィッチの戦闘についてだった。

 漏れかけた溜息を噛み殺し、無表情となるよう努める。

 

「すごかったよな~最近、無かったから驚いたわ」

「あのウィッチって誰?」

「可愛かったなぁ…」

 

 昨日、()()()()行われた戦闘は6件。

 内1件は介入を考える事態に陥ったが、辛くもインクブスの駆逐に成功。

 その一部始終は今朝のテレビでも見た。

 よく撮っている暇があったな、と冷めた気分になったのを覚えている。

 

「田中に聞いてみようぜ」

 

 信頼されてるな、田中くん。

 ファンとはいかなくともウィッチの華やかな姿に魅せられる男子は多い。

 だから、彼らがウィッチの話題で盛り上がる光景は見慣れたもの。

 

 ただ──今日は街中が落ち着かない空気に満ちている。

 

「まだ外出禁止の市もあるらしいわ」

「ここは大丈夫なのかしら……」

 

 子どもを学校に送り出した主婦の不安そうな会話を耳にする。

 その不安は尤もだ。

 近郊に出現したインクブスを駆逐したと私は知っているが、一般人は何も知らないのだから。

 ただ、不安そうでも他人事な声色に深刻さは感じられない。

 

「昨日な、国道を戦車が走ってるの見たんだよ! ほら!」

機動戦闘車(キドセン)ね?」

 

 バスを待つ大学生と思しき男女が、撮影した国防軍の車両をケータイで見ていた。

 やはり、昨日は国防軍も戦闘に参加していたらしい。

 エナの放射が観測できなかった地域でインクブスを屠ったのは、彼らなのだろう。

 

む……危ないですね

 

 手元のケータイから目を離さず歩くサラリーマンの男性とすれ違う。

 肩に触れても気がつかないほどの熱中ぶりだった。

 その画面には、淡い桃色の装束を纏って懸命に戦う少女の姿。

 

 誰も彼も昨日の戦い、その()()に夢中だった──冗談じゃない。

 

 彼女たちが敗北すれば、言葉にするのも悍ましい地獄が展開される紙一重の世界。

 誰もが当事者のはずだ。

 それでも小さな画面の向こう側に押し込み、他人事であろうとするか。

 

誰も……私たちの戦いは知らないんでしょうね

 

 肩にかかる髪の陰より囁くパートナーの声は、どこか寂しげだった。

 私たちの戦いが知られることはない。

 そうなるよう細心の注意を払って活動している。

 

「それでいい」

 

 雑踏の音に紛れる小声で、パートナーへ言葉を返す。

 一般人に広く知られるということは、インクブスにも観測されるということ。

 非常時を除いて、おいそれと手札を晒したくはない。

 

 それに──絶えない悲鳴、我先に逃げようと押し合う人々、絶望に染まったウィッチの表情。

 

 インクブスの()()()と大々的に報道された日、私は一つの教訓を得た。

 あの蜂の巣をつついたようなパニックは二度と繰り返すべきではない、と。

 

「おはよう~東さん」

 

 鬱屈とした気分で辿り着いた校門、そこで名を呼ばれた私は足を止める。

 この声は政木律だ。

 つい先週話したばかりで、さすがに忘れはしない。

 挨拶のために振り向くと視線は2対あった。

 

「おはようございます、東さん」

 

 シモフリスズメの絵が上手い金城が柔和な笑みを浮かべて一礼する。

 その隣で瞼が今に落ちそうな政木が小さく手を振っていた。

 

「おはよう」

 

 挨拶を返すのは最低限のマナーだ。

 

 ──視線が集まっているのは珍しい組み合わせだからか?

 

 それは同感だが、見世物じゃないぞ。

 居心地の悪さを覚えながらも私、いや()()()は校門を潜る。

 

「東さん、もっと早く来てると思ってたよ~」

「…どうして?」

「それは……いつも授業の準備が早いから?」

 

 なぜ疑問形なんだ。 

 確かに私は早め早めの行動を心掛けている。

 ただ朝は芙花を必ず見送るため、遅刻しない程度の時間帯になるのだ。

 

「律が遅いだけです」

 

 ぴしゃりと言い放つ金城。

 柔らかな雰囲気を纏う大和撫子にしては、歯に衣着せない直球だった。

 

「静ちゃんは手厳しいな~」

 

 眉を下げて困り顔となる政木に気を害した様子はない。

 予定調和、いや日常的なやりとりなのだろう。

 気心の知れた仲というやつか。

 

 しかし──なぜ、私は彼女たちと一緒に昇降口まで来ているのか。

 

 最近、顔を合わせただけの間柄で友達とは呼べないだろう。

 昇降口を出て、教室へ向かう道すがらに話を振られても反応に困る。

 私は人との接点が少ないのだ。

 共通の話題など──

 

「政木さん」

「うん?」

 

 あったな。

 友達でなくとも伝えておくべき最低限の言葉がある。

 いや、挨拶を返したときに言うべきことだった。

 並んで歩く政木の視線を真っすぐ見返す。

 

「先週はありがとう」

「先週……あ、おいしかった?」

「…うん」

 

 貰った日の夕食に急遽並んだお稲荷さんは芙花にも好評だった。

 今度、惣菜売場にあれば買って帰ろうと考えている。

 

「よかった~」

 

 ふにゃと笑うクラスメイトからは、やはり邪気というものを一切感じなかった。

 無償の善意に甘えて、ただ貰うだけというのは悪い。

 

「今度、何か──」

「あ~お返しは東さんのお弁当を見ることかな~」

 

 お弁当?

 微睡みに沈みかけていた政木の目が私の手元を見る。

 

「今日も惣菜パンでしょ?」

 

 当たりだ。

 なぜ分かった。

 鞄の中を見たわけでも──いや、想像はつくか。

 

「それは、あまり感心しませんね……栄養が偏ってしまいますよ、東さん」

 

 ぐうの音も出ない正論だ。

 美味くはないが手軽、しかし栄養のバランスは偏る。

 もし、体を資本とする父が見れば黙っていないだろう。

 

「…分かった」

 

 いい機会だ。

 多少の手間はかかるが、その分早く起きればいい。

 やりました、と微かに聞き取れるハエトリグモの声は聞き流す。

 

「金城さん」

「なんでしょう?」

 

 この機会に聞いておこうと金城に声をかける。

 以前に相談を受けたシモフリスズメの1件が、どういう結果となったか気になっていたのだ。

 

「シモフリスズメの件は大丈夫?」

「うぇ!?」

 

 大和撫子らしからぬ声を出して廊下で硬直する金城。

 鉄壁に見えた笑顔が一瞬で崩れるとは、一体何があったのだろう。

 

「ええっと…大丈夫です。何も、何も問題はありませんよ?」

 

 問題ないと言いながら、気まずそうに視線を下へと流していく。

 それに頬が、黒髪から覗く耳も赤いような気がする。

 

「静ちゃん、動揺──」

「していません」

 

 いや、どう見ても動揺していた。

 どこか凄みのある笑顔に圧される政木の隣で口には出さないが。

 しかし、顔に出ていたのか、切れ長の目が私にも向く。

 

「東さんもいいですね?」

 

 圧に対して黙って頷く。

 恐るべしシモフリスズメ、一体何をしたんだ。

 害虫と言えば害虫ではあるが、それは葉を食害する幼虫の時だけだ。

 やはり洗濯物を鱗粉で汚されたのだろうか?

 

 本人にとっては一大事だが──なんというか可愛らしい話だ。

 

「お〜微笑った」

 

 目を丸くする政木と金城を見た瞬間、口元が微かに上がっていることに気づく。

 無意識だった。

 指摘されると急に気恥ずかしくなってくる。

 慣れないな、本当に。

 

 最近、他人と話す機会が増えて──鳴り響く予鈴。

 

 きっと泡沫の平和は歪な姿をしているのだろう。

 しかし、それが私の日常だった。

 

 

 自称女神の鼻を明かしてやる、そんな醜いエゴが私の内にはある。

 

 その最短ルートであるインクブスの駆逐は──牛歩の進捗だ。

 

 私の力など底が知れている。

 それを理解していながら、わざわざ足枷を付けた。

 エナ確保のためファミリアを全国に分散させる、一般人のパニック回避のため市街地で交戦しない、エトセトラ。

 どうしようもない。

 

 やめてしまえ──できるものなら。

 

「……ままならないな」

どうかされましたか?

「なんでもない」

 

 ただ待つだけの時間は、余計なことに思考を割かれる。

 集中しろ。

 三日月が頭上に達し、朽ちたホテルの屋上より旧首都を見渡す。

 

…なかなか現れませんね

 

 パートナーの呟きに私は答えなかった。

 いや、答えられなかった。

 今回の作戦はインクブスの主力が現れるまで開始できない。

 ある意味、敵にイニシアチブを握られている状態か。

 

 私の読みが当たっていれば現れる──はずだ。

 

 ポータルについて判明している事は3つ。

 屋内や地下でも使用できる。

 ある程度の空間を要する。

 そして、同じ場所での再使用には24時間かかる。

 最後の使用から24時間が過ぎ、今はインクブスどもの活動する時間帯。

 だが──

 

「現れないかもしれん」

 

 ウィッチが昨日の今日で来ないと油断している間に、手薄な場所へ大規模な部隊を送り、侵攻へ転ずる。

 それが希望的観測を含んだ私の読み、いや筋書きか。

 

絶対に現れるとは言えないでしょうね

 

 私の言葉にパートナーは同意する。

 手薄を装った場所に現れないかもしれない。

 現れるのは明日、いや明後日かもしれない。

 確証は何一つないのだ。

 

それでも私は()()()()()戦略眼を信じますよ

「今日、現れると?」

 

 黒曜石のような眼に映る私の表情は渋いものだった。

 私は僅かな情報で全てを見通すような戦略家じゃない。

 

インクブスは性急に成果を求めているように見えました

 

 それは間違いない。

 その成果は攻撃無くして得られないことも。

 しかし、インクブスが今日現れる根拠としては弱い。

 だからこそ私は主力を叩くまで態勢を維持するつもりだった。

 少なくないファミリアを拘束されようと橋頭堡を築かせないために──

 

インクブスは馬鹿ではないでしょう。ですが、忍耐力もありません

 

 長期戦を考えている私にパートナーは語りかけてくる。

 インクブスの忍耐力の低さは、私たちの共通認識だった。

 よく知っているとも。

 

目先の獲物には、必ず食いつくはずです

 

 弱者を嬲らずにはいられない。

 愚者を嘲笑わずにはいられない。

 どれだけ知的に振舞おうが、我慢弱く、下半身で思考する肉袋ども。

 それがインクブスだ。

 

警戒すべきは()ですよ、シルバーロータス

 

 そこまで言われて、ようやく私は思い至る。

 

 ──ファミリアの配置は消極的で、包囲戦力より多い予備戦力、そして過剰なまでの索敵。

 

 ちぐはぐだ。

 長期戦を考えていながら、まるでエナの消費量が見合っていない。

 

違いますか?

「いや、その通りだ」

 

 無意識のうちに空回りしていたらしい。

 インクブスの本質は、明日よりも今日だ。

 今ここで叩き潰す気概でいなければ、肝心なところで取り逃すことになる。

 

「助かった」

パートナーですから

 

 打てば響く、そんな自信に満ちた返事だった。

 できたハエトリグモだよ、まったく。

 

「配置を変える」

分かりました

 

 より攻撃的な配置へ移動するようファミリアへ伝達──旧首都の空気が微かに震えた。

 

 テレパシーに応えたアシダカグモがホテルの屋上へと登ってくる。

 すぐ傍に置かれる脚は鉄骨のように太いが、弾き出す速度は新幹線並み。

 連戦のため休息中のスズメバチに代わり遊撃を担うファミリアの1体だ。

 

網の展張が完了しました

 

 続々とアンブッシュの態勢を整えるファミリアたち。

 インクブスに逃げ道などない。

 

準備万端ですっ

 

 ファミリアの活躍を今か今かと待つパートナー。

 最近、ウィッチらしくないと言わなくなったな。

 

「アズールノヴァのおかげか…?」

はい?

「気にするな」

とても気になるのですが…!?

 

 鍋は用意した。

 具材を投げ入れ、後は煮るだけ。

 どれほどのインクブスが現れるかは分からない。

 現れないかもしれない。

 それでも待つ。

 

 月光が暗雲に覆われ、闇が訪れる──反応あり。

 

 空気が変質する。

 無機質な敵意が旧首都に満ちる。

 

来ましたね

 

 脳内を覆い尽くす声のようなモノ。

 ()()()()()ファミリアから一斉に発されたテレパシーで、インクブスの編成は一瞬で明らかとなる。

 暗闇など関係ない。

 エナの反応に加え、振動、空気の流動、そして臭気で獲物を正確に把握する。

 

「ああ」

 

 来るものが来た。

 であれば、盛大に歓迎してやろう。

 同胞が糧になって育て上げた死の化身と対面だ。

 

「やるぞ」

はい、やってやりましょう

 

 ウィッチが現れる前、都市部の地下鉄をインクブスどもは拠点の一つにしていたと聞く。

 砲爆撃に耐えられ、防衛が容易な最前線基地だと。

 それがウィッチ相手でも通じると思っているのだろうが──

 

「殲滅戦だ」

 

 今宵、コルドロン(大鍋)は開かれた。




 予習には地球防衛軍2を使います(真顔)


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大鍋

 地下鉄ってガメラ2じゃん(トラウマ)


 かつて東洋でも有数の大都市圏を支えていた交通インフラ、その闇の中で魑魅魍魎どもは蠢いていた。

 その目的は、ただ一つ。

 数多の同胞の敵たる災厄のウィッチを打ち倒すこと。

 

まだ、こんな場所を残しているとは……愚かな連中だ

 

 寂れた地下鉄道のホームに拠点を築く同志たちを見遣りながらゴブリンの1体は嘆息する。

 戦士たちの尊い犠牲によって判明した暫定的な安全地帯。

 それは大陸でも有用な拠点となった地下構造物であり、残存しているとは誰も想像していなかった。

 

同志グリゴリーは地固めと言ってたが、まどろっこしいな

地上にはウィッチと奴らがいる。今は待て

 

 同志を諫める自身も今すぐ攻撃に移りたいと望んでいる。

 しかし、オークの戦士をはじめとする少数精鋭の偵察隊が、ほぼ帰還しなかった事実は重い。

 

いつになるやら……

ここが機能するまでの辛抱だ

 

 強力な攻撃に耐え得る地下構造、追撃を困難とする複雑な経路──ここは優れた拠点になる。

 

 破壊されず放棄されていると当初は予想されていなかったが、()()()偵察隊が安全を確認した。

 これを踏まえ、遠征軍の即時派遣が決定される。

 ウィッチやヒトの軍隊が対処する前に基盤を固めるべきという判断だ。

 ポータルが常時解除された暁には、大陸で猛威を振るったルナティック(狂奔)も可能となる。

 

この錚々たる顔触れで負けるとは思えんがな

 

 それを多くのインクブスは冗長だと考えている。

 大陸からも同胞を集めた遠征軍は件のウィッチが相手であろうと圧倒できる、と。

 

数多の同志を屠ってきた奴らを侮るなよ

…分かっている

 

 軽く手を振って受け流す同志は、気怠げに作業へ戻っていく。

 いかに対策と準備を進めていようと、総勢1000を数える遠征軍であろうと、全滅の危険がある限り慎重に行動する必要があった。

 

イーゴリ

 

 歯痒さを覚えるゴブリンの名を呼ぶのは、屈強な体躯をもつオークの戦士。

 纏う格の差は歴然としていたが、両者は対等に肩を並べた。

 

周辺の地形を把握するため偵察隊を出すが問題ないか?

こっちは大丈夫だ。よろしく頼む

 

 遠征軍を統率するイーゴリは頷き、首飾りが揺れる。

 ウィッチやファミリアの気配はないが、周辺の状況は未確認。

 拠点の構築と並行し、情報の収集を行う必要があった。

 

そうか、では選抜した戦士たちを出すぞ

 

 両者に認識の齟齬はなく、能率よく行動する。

 既に準備を終えていた偵察隊の各々は、合図を受けて一斉に動き出す。

 合戦前のような重装備のオークと軽装のライカンスロープが赤錆びた軌条を踏む。

 

 かつて無数のヒトが行き交った地下鉄道──文明の光が途絶えた道を魑魅魍魎が進んでいく。

 

そんなに荷物が必要なのか?

 

 崩れた壁面から溢れた土塊を跨いだ黒毛のライカンスロープは疑問を口にする。

 大陸より呼び出された者には、オークたちの装備が大袈裟に思えてならない。

 

虫けらどもはウィッチと違ってタフだ。なるべく距離を保ちたいのさ

 

 そう言って背負ったシールドを親指で差すオーク。

 腰から下げたボウガンを軽く叩いてみせる者もいる。

 それらは異界にてファミリアと戦った経験から揃えられた装備であった。

 

大陸のファミリア相手じゃ必要ないだろうが……

 

 奇怪な模様を刻んだローブを羽織るライカンスロープが付け加える。

 

奴らに爪と牙だけじゃ手数が足りん。下手をすれば相討ちだ

 

 群れの知識層に属し、マジックを使う術士は渋面で語る。

 異界におけるファミリアの討伐は犠牲なく終わったことがない。

 いかに優れた戦士と火力を投じても。

 

そんなもんか──止まれ

 

 最も感覚器官の優れる黒毛のライカンスロープが隊を制止する。

 そこはコンクリートの壁面が黒々とした土質へと変化する境界、洞穴の一歩手前。

 

これは……

奴らか…!

 

 反射的に得物を構えた各々も遅れて制止の意味を知る。

 

 ──暗順応した眼でも見通せない闇の奥底に()があった。

 

 この距離でも感知できる濃密なエナの壁。

 それが次第に、距離を縮めてくる。

 

ボウを構えろ、お前ら

おう!

 

 指示一つで2列横隊を組み、腰に下げていた武骨なボウガンを構える。

 ここは()()()()安全地帯に過ぎない。

 最悪の事態を想定し、オークの戦士は装備を揃えていたのだ。

 

カリアスは本隊まで走れ

 

 振り向くことなくライカンスロープの術士は同族の伝令へ命ずる。

 その表情は険しい。

 無数の足音が地を伝播し、接近してくる存在の数を嫌でも認識させてくる。

 

俺が戻るまでくたばるなよ!

言ってろ…さっさと行け!

 

 無意味な問答はしない。

 短く言葉を交え、カリアスは振り返ることなく駆け出す。

 逞しい四肢の生み出す加速によって影は瞬く間に小さくなる。

 

時間稼ぎ、なんて柄じゃねぇな

おうよ

 

 天井までを覆い尽くす影と相対して、戦士と術士は不敵に笑った。

 闇を睨むボウガンに劇物を充填した擲弾が装填される。

 

用意よし!

 

 影が確固たる輪郭を描く。

 そこに忌まわしき羽音を出す翅は無く、体色は薄い。

 しかし、異様に肥大化した頭部には凶悪な大顎が備わっている。

 

来い来い……

 

 シロアリのソルジャーに酷似したファミリア。

 その一群はウォークライ無き突撃を敢行する。

 

 トリガーを引き絞る──直前になってソルジャーの後方より飛来物。

 

 先制攻撃を想定していなかったインクブスの反応は遅い。

 

なっ!?

 

 ボウガンを構えていた前衛は防御もままならず飛来物の直撃を受けた。

 

な、なんだこれは…!?

ど、毒だっ

 

 強い悪臭を伴う粘液の直撃を受けた横隊は乱れ、ボウガンを取り落とす者すらいた。

 とても斉射を行える状態ではない。

 その隙を逃さず突進してくるシロアリのソルジャーたち。

 

させるかよ!

 

 悪臭に耐えながらライカンスロープの術士は、最大火力の行使を決断した。

 エナを一点に集約し、爆縮させるマジックだ。

 目標は眼前、照準など不要。

 

吹き飛べ!!

 

 強き言葉と共に地下鉄道へ──

 

なに…?

 

 マジックによる破壊が吹き荒れることはなかった。

 一切の抵抗を受けずソルジャーの群れは前衛に激突する。

 

ぎゃああああ!!

 

 横隊を崩したインクブスたちに逃れる術はない。

 凶悪な大顎が頭を、腕を、脚を挟む。

 

何をしているヒエラクス! 早く撃て!

 

 迫るソルジャーの頭部をクラブで叩き潰した戦士は吠える。

 それぞれが得物を手に絶望的な肉弾戦を展開していた。

 しかし、多勢に無勢。

 闇の奥底へ引きずられていく者の悲鳴が反響し、断末魔が場を満たす。

 

どうなってやがる!

 

 その渦中で爪を振るい、大顎を退ける術士は原因究明のため頭脳を回転させる。

 エナの集約は滞りなく行われた。

 爆縮だけが正常に行われず、エナが霧散した。

 

 普段と異なる点は、謎の粘液──ヒエラクスの視界に奇妙なファミリアが映り込む。

 

 頭部の肥大化したソルジャーと比して貧相な個体、その頭部には()が備わっていた。

 

まさかっ!?

 

 角ではなく粘液の発射機構か──ライカンスロープを背面より大顎が襲う。

 

 胴を挟み込むだけでは止まらず、ヒエラクスの全身は宙に浮く。

 そして、間髪容れず軌条へ叩きつけられる。

 

がぁ、くっそ、がっ

 

 何度も、何度も、持ち上げては軌条へ叩きつける。

 皮膚が裂け、骨が砕け、生命が尽きるまで。

 機械的な無機質さでファミリアは、それを遂行する──

 

敵襲! 敵襲!

や、奴らだ!

ぐわぁぁぁ!

 

 風となって闇を駆けるカリアスは地下鉄道内を反響する戦場音楽に顔を顰めた。

 背後に残してきた偵察隊以外も襲撃を受けている。

 混沌と恐怖の満ちた地下構造物に、安全地帯など存在しない。

 

おい、お前の隊はどうした!

 

 進行方向より現れるオークの一団、それを率いる戦士が問う。

 シールドとボウガンを携えた臨戦態勢、殺気立った視線が全周へ向けて放たれている。

 

奴らと戦ってる! そっちは?

地上へ通じる入口を警戒していた! 何が起きている!?

 

 シールドの内へと入ったカリアスは、一団が状況を把握していないと空気で察した。

 過剰な警戒心は敵を発見できていない不安ゆえの行動。

 しかし、カリアスとて一伝令に過ぎず、推測で物は言えない。

 

俺は伝令として走る! お前らはっ

 

 突如、崩落した壁面の土塊が弾け飛んだ。

 

 ボウガンが一斉に照準した先には──()があった。

 

 積層しているように見えて真新しい土、そして触角と太く発達した前脚が覗く。

 

虫けらどもだ!

 

 怒声に呼応し、天井や床面の土塊より開かれる穴、穴、穴。

 赤褐色のケラが開けた突入口よりファミリアが溢れ出す。

 そこは一瞬にして戦場へと変貌する。

 

応戦するぞ!

おう!

 

 戦士たちの反応は迅速かつ的確だった。

 すかさずトリガーを絞り、ボウガンから矢弾が発射される。

 これに対してシロアリが即応し、角先より粘液を発射。

 

 交錯──着弾。

 

くそっ

ひでぇ臭いだ!

怯むな、次弾を!

 

 シールドで阻んだ粘液の悪臭にオークは面食らうも辛うじて踏み止まる。

 威力は低い。

 次弾を手早く装填する戦士たちは、矢弾に貫かれたシロアリを無言で嘲笑う。

 

用意よし!

くたば、れ……なんだ、あれは

 

 粘液を発射するシロアリの背後で揺らぐ漆黒の巨影。

 オーガに等しい巨躯の存在を前にしたオークの一団に緊張が走る。

 隔絶した体格差の相手との正面衝突は避けなければならない。

 単純な突進でさえ質量は脅威──

 

擲弾を──」

 

 爆発を思わせる音が轟き、衝撃波が狭い空間を駆け抜けた。

 無残に粉砕されたシールド、そしてオークの戦士たちが宙を舞う。

 

くそが…!

 

 横隊を粉砕した漆黒の巨影。

 その足下、鋭い毛の生えた脚の間より這い出たカリアスは毒づく。

 初速が最高速としか思えない突進を回避できたのは運でしかない。

 光沢を帯びた漆黒のファミリアは長い触角を揺らし、その無様な姿を見下ろす。

 

この化けも」 

 

 得物を持ち替えたオークの首が消え、真っ赤な噴水が散る。

 それを一身に浴びるオオムカデの脇をゲジが駆け抜け、生存者へ襲いかかった。

 

固まれ!

や、やめろ! 俺は餌じゃっ

 

 神経毒を注入され、膝を折ったオークが穴へ引きずられていく。

 応戦の姿勢を見せた者には、無機質な殺意を迸らせるオオムカデが相対した。

 その光景を傍目に、掘削を終えたケラがエナを補給すべく骸を食む。

 

冗談じゃねぇ!

 

 インクブスを獲物として貪るファミリアから逃れんとライカンスロープは駆け出した。

 一度も振り返ることなく、一直線の地下鉄道を疾走する。

 

 追撃者は──小さな肉片を齧るゴキブリに酷似したファミリア。

 

 暗闇の中であっても長い触角と体毛が空気の振動を捉え、物体の位置を正確に把握する。

 巨影が、軌条を駆けた。

 

く、来るなっ

 

 黒毛のライカンスロープは迫る死の気配から逃れられない。

 漆黒の影は弾丸列車の速度をもって轢殺する──

 

そこら中にいるぞ!

数が多すぎる!

 

 全ての偵察隊が地下鉄道の闇へ消えた同時刻、インクブスの拠点にも等しく絶望が殺到していた。

 

 限られた地下空間を覆い尽くす濃密なエナの濁流──否、ファミリアの大群。

 

 それはオークの横隊を容易く圧殺し、準備不足で浮き足立つ有象無象を蹂躙する。

 

虫けらがぁっ!?

 

 スリングショットを構えた緑色の矮躯が宙を舞う。

 視界を埋め尽くすファミリアを前に抵抗など無意味。

 シロアリのソルジャーは玩具のようにゴブリンを振り回し、何度も地面へ叩きつける。

 その傍らでは、神経毒を注入した獲物を引きずるゲジが横穴へと消えていく。

 

う、上がぁっ

 

 天井の闇より現れた長大な影がライカンスロープを捕らえた。

 神経毒など不要と言わんばかりに、大顎で頭蓋を粉砕して喰らう。

 単行列車ほどもあるオオムカデは胴体だけを咀嚼し、振り落とされた腕や脚が辺りに残される。

 そして、ぶちまけられた血肉をゴキブリが懸命に食む。

 

 ()()()()()()()()()──捕食だ。

 

 血臭が闇の中に満ち、咀嚼音と悲鳴が狂気のコーラスを奏でる。

 インクブスの血肉をもって彼らの拠点は完成を迎えた。

 

なんだこれは!

 

 目を覆いたくなる惨禍の中、辛うじて地上へ通じる階段へ脱したイーゴリ。

 しかし、インクブスを1体も逃さない殺意の塊が階下より追ってくる。

 同志の血を浴びた顔に恐怖が滲む。

 逃げなければならない。

 そして、ここより離れた場所でポータルを解き、情報を持ち帰らなければならない。

 

必ず殺してやるぞ…!

 

 呪詛と麻痺毒の充填された擲弾を階下へ投げ捨て、イーゴリは駆け出す。

 忌々しいファミリアの足音を意識から締め出し、必死に階段を駆け登った。

 血臭が薄まり、コンクリートジャングルの乾いた臭いが強まってくる。

 

同志グリゴリーに…伝えなければっ

 

 夜空を視界の先に捉えたイーゴリは微かな希望を見出していた。

 偵察隊の帰還を許さなかったキルゾーン(地上)へ出ることも忘れて。

 

 そして──出入口の先に人影。

 

 小さく、華奢で、不気味なほど微弱なエナを纏う影。

 それは死神の衣のように鼠色のオーバーコートを靡かせ、生命を解体するククリナイフを手にした少女。

 

ウィッチ…!

 

 ただのウィッチではない。

 同胞たちの敵であり、災厄のウィッチであると本能的に察した。

 全身を駆け抜ける憤怒、憎悪、そして恐怖。

 

お前が!

 

 不倶戴天の敵を前にイーゴリは反射的に動いた。

 同志の中でも優れた体躯が生み出す膂力全てを投じ、加速する。

 

 ナイフの鋭利な切先を細い喉元へ──

 

な、に…?

 

 屋根の影より一歩先へ出た瞬間、ひび割れたタイルへ全身を打ちつけられる。

 一切の動作は封じられ、視線を動かすことしか叶わない。

 そして、己を捕らえた存在にイーゴリは眼を見開く。

 

 ──()だ。

 

 驚異的な伸縮性と粘着力をもつ網に全身を捕らわれていた。

 

「これで最後か」

はい

 

 鼠色のウィッチとパートナーは、フラットな視線を注ぐだけ。

 頭上より網を覆いかぶせたメダマグモの鋏角が迫る。

 大きく発達した後中眼に映るインクブスは脱出のため足掻く。

 しかし、身動き一つ許されない。

 

なんなんだ、お前は

 

 鋭い口器が皮膚を易々と貫通する。

 激痛に顔を顰めながらもイーゴリは、眼前に佇む災厄の元凶へ吠えた。

 

お前は…お前がウィッチだと言うのか!?

 

 恐怖と憎悪の入り混じった叫びが旧首都に虚しく響き渡った。

 一陣の風が駆け抜け、姿を現す三日月。

 月光を吸い込んで輝く銀の髪、そして宝石のように紅い瞳が妖しく光る。

 

「そうだ」

 

 その言葉が届くことはなかった。

 消化液に溶かされ、臓腑をエナの液状物にされたインクブスには。

 

 ──斯くしてインクブスの遠征軍は全滅した。




 糸に巻かれて死ぬんだよ!


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残響

 残業辛スギィ!


 インクブスどもは馬鹿じゃない。

 だが、昨夜の一戦は罠を疑うほど順調に推移し、最終的に1011もの屍が生み出された。

 想定していた以上の行動は見られず、ただただ鏖殺されたのだ。

 何か見落としているのではないかと不安になる。

 

「え、なにあれ…」

「作り物じゃないよね…?」

 

 黙々と肉団子を口に運びつつ、次の一手について思考を巡らす。

 昨夜の一戦で駆逐した数は最多記録だが、手放しに喜ぶことはできなかった。

 もう同じ手は通用しないからだ。

 ならば、インクブスどもは次に何をしてくるのか?

 

「す、すげぇ……」

「あの座ってる子、誰?」

「ご存じ、ないのですか!?」

「いや、誰だよ」

 

 昨日の今日で動きはない、はずだ。

 だからといって思考を止める理由にはならない。

 

 ──わざわざ学校に来てまで、と冷めた視線を送る自分がいた。

 

 インクブスどもは必ず来る。

 あの程度で諦めるなら世界の軍事大国が苦境に陥るものか。

 私にできることは考え続けることだ。

 

東さん……場所、変えませんか?

 

 頭の上でベニシジミと対峙するパートナーの困惑気味な声。

 現実に引き戻してくれるな。

 場所を変えたいのは山々だが、逃げる機会を逸したのだ。

 諦めてトマトを食む。

 

「きれい……」

「いや、気持ち悪いでしょ」

 

 周囲から注がれる好奇の視線に溜息が漏れそうになる。

 

 ──どうしてこうなった?

 

 肩に止まるアオスジアゲハは翅を揺らすだけで答えてくれない。

 

このままだと私が追い出されそうです…!

 

 弁当を作ってきたはいいが、見たがっていた相手は休み。

 無意識のうちに教室を出た私は、中庭にあるベンチで弁当を開けていた。

 某階段と同じくらい人気のない場所だが、その理由は背後のサクラに集まる虫たちによるもの。

 つまり、私にしてみれば、()()()ベンチ。

 だったのだが──

 

「あれって2年の……」

「平気なのかな?」

 

 朝方の雨が生み出した水たまりに集うジャコウアゲハ、クロアゲハ、ルリタテハ、エトセトラ。

 1匹、2匹ではない。

 眼前に色鮮やかな絨毯が広がり、ここはバタフライファームかと錯覚しそうになる。

 

そこは譲りませんよ!

 

 頭の上から肩まで降りてきたパートナーは、アオスジアゲハに前脚を上げて威嚇するも無視される。

 ハエトリグモの姿を模しているだけで実態は異なるモノと察しているらしい。

 しかし、花でもない私に止まる理由はなんだ?

 

むぅ……まるで私を脅威と思っていませんね

 

 吸水のため水たまりに集まるのは百歩譲って分かる──私の周囲に集まる必要は一切ないが。

 

 ファミリアではない、ただの昆虫にとって私は厄介な大型動物としか映っていないはず。

 空になった弁当箱の蓋を閉めると、膝元のキアゲハが驚いて飛び上がる。

 

「原因はなんだ?」

 

 手を合わせる動作と同時にパートナーへ短く問う。

 注目されている以上、堂々と話せないのだ。

 

…東さんの放つエナに引き寄せられたのではないでしょうか?

 

 ウィッチへ変身しているわけでもないのにエナを放つことがあるのか。

 

 私の場合は──ある。

 

 ファミリアとの交信で使用するテレパシーだ。

 極微弱なエナを発するマジックの一種。

 しかし、敏感であるはずのウィッチやインクブスにすら勘付かれたことはないぞ。

 

ここ最近、交信量が増えて、エナの放射量も微増していますよね?

 

 それはどうしようもない。

 出現するインクブスの数が増えれば、動くファミリアの数も増える。

 ファミリアへ指示を出すにはテレパシーが必要不可欠なのだ。

 しかし、生物が平等にエナを宿すとして、昆虫に知覚できるものなのか?

 アオスジアゲハと押し合うパートナーに視線で先を促す。

 

それが、彼らにとって最適なエナの滞留濃度を生み出しているのではないかと……それに──

 

 それに?

 

東さんのエナは、優しい香りがしますから

 

 それは精神的な表現なのか、物理的な現象なのか──いや、やめよう。

 

 どちらにしろ、私には不似合いな言葉だ。

 ともかく、昆虫はエナを知覚している可能性がある。

 エナの放射量は感覚的にしか把握できなかった。

 だが、昆虫を指標にすることで、ある程度推測できるかもしれない。

 

 種や分布の傾向からエナの滞留濃度を測る──それが可能となれば、情報収集の際に切れる手札が増える。

 

しかし、ここまで集まるとは…!

 

 視界の端でアオスジアゲハに押し負けるハエトリグモ。

 何をやっているんだ。

 ひとまず昆虫の指標化は後回しにして、そろそろバタフライファームを閉園しなければ昼休みが終わってしまう。

 しかし、どうやって頑なに離れないチョウたちに道を空けてもらうか。

 

 ──脳裏を過るコガタスズメバチ騒動。

 

 まさか、と内心は疑いながらも物は試しと口を開く。

 

「散れ」

 

 ただ一言、それは周囲の喧騒をすり抜けて中庭へ響き渡った。

 

 そして──色が躍る。

 

 羽音もなく、一斉に舞い上がったチョウ。

 ひらりひらりと羽ばたく翅が陽光を浴びて輝く。

 無秩序に見えて、意思を持っているかのように舞う色の螺旋。

 まるで、一陣の風に乗った花吹雪だ。

 その様を、通りすがりの男子生徒やケータイを構えた女子生徒、教材を抱えた教員までもが茫然と見送っている。

 

バタフライファームみたいです…!

「…そうだな」

 

 半ば諦めの境地にあった私は、投げやりに応じる。

 これで私が奇人変人の類で認知されてしまったのは間違いない。

 もう無口な女子生徒では通らないだろう。

 中庭を舞う色とりどりの翅を眺めながら、これからを憂いて溜息を漏らす。

 

 

 鉛色に濁った空が泣いている。

 雨粒の受け皿たるコンクリートジャングルは、ただ雨音だけが響く物寂しい世界だった。

 その一角、朽ちたホテルの屋上に佇む5つの人影。

 

「本当にインクブスが現れたんですの?」

 

 亜麻色の髪と浅緑のサーコートを等しく雨に濡らすウィッチは、地下鉄駅出入口を睨む。

 つい先日、オークを逃した場に再び足を運ぶ羽目となったウィッチナンバー11の視線は幾分か険しい。

 

「間違いありません」

 

 その隣に佇むウィッチは、事務的な口調で返す。

 金の装飾が施された紅白の軍装を纏い、クラウンを被った姿はトランプのキングを思わせる。

 その背後には無言で雨に打たれる機械仕掛けのロイヤルガード。

 

「私のファミリアが強い反応を捉えたのは、ここです」

 

 そう言ってウィッチナンバー10は周辺に放ったファミリアのテレパシーへ意識を傾ける。

 膨大に見えて精度の粗い情報から価値あるものを選別しなければならないのだ。

 

「でも、気配が一切しないね」

 

 とんがり帽子の端から雨水を滴らせながら現状を確認するのは、ウィッチナンバー6。

 その場にいる誰よりもウィッチ(魔女)らしい格好の黒いウィッチはスポッティングスコープを構えたまま動かない。

 

うむ! 800ものインクブスが一夜で消えてしまうとは驚きだ!

 

 プリマヴェルデの肩に止まるフクロウが雨音を打ち消す朗らかな声で言う。

 ナンバーズが()()()以外で集った理由を。

 

「初めからいなかった……わけないよね」

「はい」

 

 昨夜、推定800を超すインクブスの群れが旧首都の中心部に出現した。

 巧妙に気配を分散させていたが、ナンバー10が察知に成功し、ナンバーズ──いつもの5人──は群れを殲滅すべく集う。

 しかし、交戦どころか目視することなくインクブスは()()消失した。

 

逃げちまったのかもしれないにゃぁ

 

 無機物であるはずのスポッティングスコープからくぐもった笑い声が響く。

 人を食ったような、実に胡散臭い声色だった。

 

「誰から逃げるのさ」

そりゃ、怖い怖いナンバーズからだろうにゃぁ

 

 地下鉄構内に出現したインクブスがウィッチの接近を知る術はない。

 ナンバー10のファミリアが発見された可能性はある。

 しかし、小型ゆえに隠蔽性が高く、万に一つも発見されてナンバーズの存在が露呈するとは考えにくかった。

 

「戦いがあったのは間違いないよ〜」

ベニヒメや、大丈夫かえ?

「すごく臭いけど……まぁ、大丈夫?」

 

 紅の雅な和傘を差すウィッチナンバー9は狐耳を倒し、鼻を袖で隠す。

 コンクリートジャングルの下層より漂う臭気。

 それはインクブスを構成するエナが破壊され、無秩序に混ぜられた破滅的なもの。

 戦闘の痕跡である。

 

()()()以外いないだろ」

 

 各々の考えを一刀両断し、端的に述べられる結論。

 言い放ったのは、雨を遮る大楯の陰にて腕を組む純白のウィッチであった。

 

「ナンバー13だと?」

 

 ナンバー10から返される平坦な視線。

 それに対してウィッチナンバー8は不本意そうだが、確信した様子で頷く。

 ここはナンバー13のテリトリーであり、他のウィッチによる活動は確認されていない。

 消去法で彼女しか残らないのだ。

 しかし、ナンバーズであっても一夜で殲滅するには地形が悪く、非現実的に思われた。

 

「仮にそうだとして、あの数を一体どうやって…」

「まぁ、ファミリアだろうね〜」

 

 顎に手を当てて疑問を呈する浅緑のウィッチへの回答は、紅のウィッチから成された。

 

 ──雨音が満ち、5人は黙して灰色の世界を見下ろす。

 

 しばしの沈黙の後、情報の選別を終えた紅白のウィッチが口を開く。

 

「ファミリアですか」

 

 戦闘の補助的な存在という()()を覆し、単独戦闘可能なファミリアを召喚したとして、エナの消費量は生半可なものではない。

 しかし、召喚に伴うエナの急激な増減は観測されなかった。

 強力なファミリアの存在を疑うのも無理はない。

 

「信じられねぇと思うが……あいつはファミリアしか使ってない」

 

 それは百も承知。

 

「昨日も言ったけど〜大きなカブトムシとか、すごいんだよ〜」

 

 しかし、複雑な表情を浮かべるゴルトブルームは、男児のように目を輝かせるベニヒメは、見たのだ。

 たとえネームドであろうとファミリアの物量と多様性をもって駆逐するシルバーロータスを。

 

「2人が見てるわけだし、私たちが認識を改めるべきなんだろうね」

目撃者がいるわけだからにゃあ

 

 スポッティングスコープから目を離したナンバー6は、パートナーの言葉に頷く。

 今まで蓄積してきた情報をテンプレート(常識)としているだけ。

 それが不変とは限らない。

 そして、これまでシルバーロータスがインクブスを屠ってきた事実は揺るがないのだ。

 

「確かに、その通りです」

「…お二人が現に見ているわけですものね」

 

 常識に固執していても前進はない。

 完全に納得はしていなくとも、無意味な問答を繰り返すより生産的である。

 今は地下鉄構内のインクブスを一夜にて滅ぼすという常識の埒外を、いかに実行したか解き明かすべきだった。

 

しかし、あの群れを一夜で倒すことができるとはな!

閉所だからこそ可能と考えます。シルバーロータス殿のファミリアは接近戦を主眼としていました

ベニヒメと我が見ただけでも相当な数じゃ……逃げ場がなければ揉み潰されるじゃろな

おぉん、スチームローラーかにゃぁ?

 

 最終的な意思決定以外の場では、頻繁に言葉を交えるパートナーたち。

 簡易的な意思しか伝達できないテレパシーは用いない。

 ウィッチへ情報を共有しつつ、推察を行う。

 降雨の真っ只中でも。

 

……あれだけの数、どうやって維持しとるんじゃろな

「召喚時のエナを使い果たせば、通常は消滅するはずです」

 

 エナの変動を見るに召喚は行われていない。

 であれば、ファミリアは常時顕現しているということになる。

 少数ならエナの供給も可能だろうが、シルバーロータスの率いるファミリアを少数とは呼ぶまい。

 

「謎だね、やっぱり」

うむ! こればかりは本人に聞くしかあるまい!

「はい、本人に聞くべきでしょう」

 

 確実ではあるが、実現の難しい案に間髪入れず賛同するナンバー10。

 シルバーロータスの微弱なエナを探し出すことは難しい。

 そもそもウィッチは人探しに向いていないのだ。

 とんがり帽子を上げ、ナンバー6は困惑気味な視線を投げかける。

 

「また、お茶会に呼ぶのかい?」

「来ないと思うけどな」

 

 言葉を交え、彼女の為人を一部でも知ったゴルトブルームは、お茶会よりインクブス駆逐を優先するという確信があった。

 そもそも、今までの誘いを全て断ってきた相手なのだ。

 来るはずがない。

 

「来ないなら迎えに行くまでです──ナンバー9」

「うん?」

 

 狐耳が立ち、紅の傘から雨粒が落つ。

 例外的に人探し()できるウィッチはいる。

 断片的な情報だけでファミリアからシルバーロータスまでを辿ったベニヒメが、その例外であった。

 

「お願いできますか?」

 

 あくまで個人主義のナンバーズが、偶発遭遇や個人の気まぐれ以外でウィッチへ干渉する。

 バディ制の復活といい、今までからは考えられない変化であった。

 

「いいよ。でも──」

 

 翠の視線と紫の視線が交錯する。

 

「今日は帰ろうよ~風邪ひいちゃうよ?」

 

 インクブスの存在が確認できない以上、雨に打たれ続ける意味はない。

 まったくもって、その通りである。

 

 

 草木のない不毛な大地、血のように赤い月が瞬く空。

 彼らにとって不変の景色を無為に監視することは苦行に他ならない。

 

交代の時間だ

 

 急造の物見櫓へ風に吹かれながら登った矮躯のインクブスは、歩哨を務める同志へ交代を告げた。

 柱に背を預けて寛ぐ同志は、気怠げな欠伸を一つ。

 

ようやくかよ

 

 そう言って起き上がり、傍らに置いていた護身用のボウガンを拾い上げる。

 歩哨にあるまじき態度だと憤る者はいない。

 士気が奮わないのも無理はなかった。

 

…インプの機嫌を窺うより気楽だと思うがな

どうだか

 

 最近になって派遣されてきたインプたちは、安全にファミリアを討伐できる優れた術士である。

 その認識から特権意識が日に日に増しており、付き合わされるゴブリンたちは辟易としていた。

 ()()を独占される機会も増え、不満に拍車がかかっている。

 

こんなもん建てたところで無駄なのになぁ

ここは俺たちの巣だ。何もしないわけにはいかないだろ

 

 粗削りの柱を小突きながらゴブリンは鬱屈とした溜息を漏らす。

 歩哨は重要な役目()()()

 しかし、今やエナを感知する能力でゴブリンより優れるインプによって、歩哨に仕事は回ってこない。

 急造の物見櫓は我々も協力しているというポーズに過ぎなかった。

 

なぁ、あの噂聞いたか?

 

 噂好きの同志は物見櫓を下りず、その場に居座って問うた。

 出所が怪しい噂ばかりで真偽も二の次、ただの暇潰しでしかない。

 またか、と呆れながらゴブリンは求められた回答を返す。

 

遠征軍の話か?

 

 頷いてみせる同志は深刻そうな表情を見せ、幾分か声を潜めて言う。

 

全滅したらしいぜ

 

 それを耳にしてもゴブリンは大して動じなかった。

 まだ派遣されて時が経っていないからだ。

 総勢1000を数える遠征軍が早晩全滅するものか、と。

 

それの出所はインプだろ? いつもの出まかせだって

 

 そもそも全滅したという情報を()()伝えたというのだ。

 インクブスでも抜きん出て性格の悪いインプの虚言に違いなかった。

 付き合うだけ馬鹿馬鹿しい。

 

いや、違うぜ……第二陣が解散になったのさ。続々と同志が戻ってきてる

 

 物見櫓から同志を追い出す方法を考えていたゴブリンは、その言葉に動きを止める。

 遠征軍の第一陣が築いた拠点より展開する予定だった第二陣。

 それが解散されるということは、全滅の噂を虚言と切って捨てることが難しくなる。

 

……奴らがいない場所を選んだって話だろ?

 

 生還した偵察隊の証言から安全と判断された場所へ遠征軍は赴いた。

 そして、各地の偵察隊との戦いでウィッチが疲弊している間に拠点を築く手筈であった。

 

災厄のウィッチの罠だった…とかな

 

 かのウィッチはファミリアを駆り立て、確実に、そして徹底的に、インクブスを滅ぼす。

 偵察隊は()()()のではなく()()()()()可能性は否定できない。

 唯一異界に侵攻し、数多のインクブスを屠ったウィッチならば、あるいは──

 

それは考えたくねぇが……

 

 上から情報が下りてこないゴブリンは噂から連想するしかない。

 それが言い知れぬ不安を醸成し、物見櫓の空気は重いものとなる。

 ファミリアの脅威から解放されるためには、元凶たるウィッチを倒さなければならない。

 その未来が遠のいたのだ。

 

これからどうすんだろうな

 

 第二陣の解散とは、ウィッチ討伐の延期を意味する。

 遠征軍の第一陣が全滅したとすれば、その被害は甚大であり、回復には時間を要するだろう。

 インクブス全体から見れば一握りだが、数の問題ではない。

 第一陣および偵察隊を構成していた者は、群れを統率するような実力者ばかりだった。

 影響は計り知れない。

 

総長たちは次の手を打ってるらしいぜ!

 

 重くなる空気を振り払わんと噂好きの同志は努めて大きな声で話す。

 インクブスの各総長が連日会合を行い、対策を協議していたことは周知の事実であった。

 

次の手?

 

 久々に悲観的でない話題だが、真偽は二の次な噂に疑いの目を向けるゴブリン。

 その視線を受けようと自信ありげな態度を崩さない同志。

 

なんでも捕らえたウィッチを──」

 

 下卑た笑みを浮かべた口が、不意に止まる。

 表情を硬くする同志の視線の先には、赤き月の照らす夜空が広がっていた。

 

 不変の景色──否、月光を背負う漆黒の影があった。

 

 漆黒の外骨格に覆われ、4枚の翅で飛翔する異形。

 72に及ぶゴブリンの巣を滅ぼし、近辺のインクブスを全て駆逐した災厄。

 それが群れを成し、獲物と苗床を求めて()()襲来したのだ。

 

敵襲!!

くそっインプの奴ら昼寝でもしてんのか!

 

 ボウガンを手に取り、備えられた銅鑼を打ち鳴らす。

 腹底に響く銅鑼の音すら飲み込む重々しい羽音。

 インクブスを狩る者たちは疲労など存在しないかのように連日連夜、襲来する。

 その度に戦術を変化させながら──




 東パッパの話も書きたいネ(鬱回確定)


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魔女ト魔女
逐鹿


 友人「ダンゴムシだして、やくめでしょ」
 作者「えぇ…(困惑)」


 どんな優れた軍隊も餓えと渇きには勝てない。

 腹が減っては戦はできぬ、当然のことだ。

 それは私のファミリアも例外ではない。

 

 エナの供給が尽きた時──インクブスが出現しなくなった時──ファミリアは消滅する。

 

 先日の殲滅戦以来、めっきり出現数が減少したことで、それは現実的な問題となった。

 大陸側で供給を確保できるインクブスとの我慢比べは不利だ。

 今はファミリアを休眠させ、消費を抑えさせているが、それでは即応できない。

 

「見ないインクブスだな」

ケットシーですね……日本では目撃されていないはずです

 

 そういった事態を防ぐため、私は滅多に活動しない住宅街の一角まで足を運んでいた。

 今宵の獲物は、街灯の下で少女に覆いかぶさろうとしている直立歩行の猫。

 見慣れないインクブスだが、エナを含んでいるなら何でもいい。

 

「ライカンスロープの亜種か?」

に、似てますけど、マジックを使用する点で異なりますね

 

 マジックは厄介だが、私に見逃すという選択肢は存在しない。

 左肩のパートナーと視線を交え、再確認。

 

「周辺にウィッチはいないな?」

はい、間違いありません

「よし」

 

 追い詰められたウィッチと思しき少女の救出のため。

 そして、ファミリアの貴重なエナ供給源を得るため──

 

「やるぞ」

 

 インクブスを狩る。

 電柱の陰から一歩踏み出し、シースからククリナイフを抜く。

 

 それが合図──背後の路地裏からアスファルトを引っ掻く鋭い音。

 

 その音を拾って猫耳が立つ。

 ほぼ同時に私は街灯の下へ駆け出した。

 少女の胸元へ伸ばす手を止め、インクブスが振り向く。

 

誰だよ、お楽しみの邪魔する奴はぁ…

 

 微塵も可愛くない猫面は苛立ちを隠さない。

 そして、黄の双眸は、私を追い越す軽自動車ほどの影へと向く。

 

おっと!

 

 首が存在した空間を切断する濃紺の大顎。

 肝心の獲物は、ひらりと宙を舞う。

 ハンミョウやゴキブリほどではないが、あの速度に反応するか。

 

 街灯の下へ現れたファミリア──長大な6脚をもつベッコウバチは大顎を打ち鳴らす。

 

 その足下に座り込む少女の顔色が青ざめていく。

 無理もない。

 しかし、今は構っていられない。

 宙返りを披露しながら下がるケットシーの追撃が最優先だ。

 

虫けらぁ? お前っ

 

 ベッコウバチに遅れて街灯の下を駆け抜ける。

 そんな私を見たインクブスの反応は見慣れたもの。

 

 着地点へ濃紺の影が迫り──金属を金属で引っ掻いたような音。

 

 紙一重のところで大顎と爪で斬り結び、自身の軌道を逸らすケットシー。

 その勢いを殺さず距離を離してからアスファルトに爪を立て、制動を図る。

 ベッコウバチは左から、私は右から、それを追う。

 猫目が左右に泳ぐ。

 

小賢しいんだよっ──弾けろ!

 

 両手を頭上へ掲げ、ケットシーは吠える。

 鈍感な私でも感じ取れるエナの流動。

 マジックを使い、左右の脅威へ同時に対処する腹なのだろうが。

 

「馬鹿め」

 

 それは対策済だ。

 インクブスの頭上に収束したエナが、ぱっと泡が弾けるように霧散する。

 

なに!?

 

 久々に得物を振るう。

 貧相な体躯ゆえ全身を使い、遠心力を最大限利用。

 動揺を隠せない猫面目掛けてククリナイフを叩き込む。

 

ちぃ!

 

 私のへっぽこな攻撃を避けるためケットシーは飛ぶ──それに追従する濃紺の影。

 

 驚愕のあまり見開かれる猫目。

 カウンターを繰り出すには姿勢が悪い。

 鋭利な爪を振るうより先に、大顎がインクブスの首元を捕らえる。

 

がっ…!?

 

 絶妙な力加減で締め上げ、しかし切断はしない。

 獲物は必死に大顎から逃れようと足掻く。

 だから、()()()()()()()()()

 

ぐ、がぇっ…かっは…やめ──」

 

 視線を送るだけで意図を解したファミリアは、獲物を電柱へ打ちつけ、アスファルトに雑巾がけし、淡々と痛めつける。

 だが、生命までは砕かない。

 

「これで8体目」

 

 抵抗が弱まり次第、毒で昏倒させて運搬する。

 本来は苗床にするためだが、今回は保存食とするため。

 同じ保存食である肉団子は加工の過程で微量のエナを損失してしまう。

 今は、それすら惜しい。

 

……やはり、危険だと思うのです

 

 見慣れた作業風景を横目にパートナーは、歯切れが悪そうに告げる。

 ウィッチとしての能力が低い私にインファイトは危険だと。

 その通りだ。

 しかし、それは切れる手札がある時に限る。

 

「手札が限られる以上、やるしかない」

むぅ……あと一つマジックが使えれば

「無い袖は振れん」

私が未熟なばかりに申し訳ありません

 

 卑下することなど一つもない。

 ファミリアは単独でインクブスを屠れるほど強力な存在へ成長している。

 ()()頭数に入れた物量攻撃しかできなかった頃とは、雲泥の差だ。

 

「私たちは進歩している。囮をできるようになったのも、その一つだ」

 

 久々に振るったククリナイフをシースへ差し込み、肩に乗るパートナーの鋏角を軽くつまむ。

 

「安心しろ。無茶をするつもりはない」

ふぁい

 

 敗北とは即ち死を意味する。

 無茶も無謀も良い結果は引き寄せない。

 

 分かっている──つもりだ。

 

 鈍い打撃音を背に街灯の下へ視線を向ければ、恐怖に染まった視線とかち合う。

 暗闇にいる私を見ているわけではない。

 音源の方角を見ているだけだろう。

 小刻みに震える相手へ慎重に、ゆっくりと歩み寄る。

 

ウィッチではないようですね。しかし、こんな時間に何を…

 

 パートナーの疑問は尤もだった。

 変身前のウィッチという可能性もあるが、だとすれば徒歩で逃走する理由が分からない。

 紺のジーンズに白いシャツというラフな格好は一般人そのもの。

 しかし、近隣の住民であれば外出禁止を知らないはずが──

 

「いや、避難民という線もあるか」

 

 少女は、異邦人だった。

 明らかにコーカソイドと分かる顔立ち、染髪ではない金髪、そして大きな碧眼。

 今日常識となっている夜間の外出禁止を守らない者はウィッチか、()()()()()()()()異邦人だ。

 

そういえば……アメリカからの避難民を受け入れたニュースを見ましたね

「ああ」

 

 地図上から消滅する国やインクブスの傀儡と化す国は後を絶たない。

 しかし、他国の玄関口まで辿り着ける難民は少ない。

 多くは逃避行の道中でインクブスどもの餌食になるからだ。

 そんな情勢下でも比較的安全に国外へ国民を避難させているのが、かの国だった。

 

 ──足音一つ一つに震える少女を見て、溜息を噛み殺す。

 

 アスファルトを円形に照らす光の下へは踏み込まない。

 

「……日本語は分かるか?」

 

 闇から声を投げかければ頷きが返ってくる。

 もっと取り乱すものと身構えていたが、少女は破かれたシャツの胸元を押さえ、恐怖に耐えていた。

 胸中に燻る苛立ちが溜息として小さく漏れ出す。

 

「奴は倒した」

 

 場違いなロリータボイスをできるだけ、聞き取りやすく、ゆっくりと発する。

 その間にフードを取り払い、羽織っていたコートを外す。

 

「今すぐ」

 

 光の下へと入り、鼠色のコートを少女の足元へ投げる。

 大きく見開かれた碧眼には、飾り気のない白一色のウィッチが映っているのだろう。

 

「ここから立ち去れ」

 

 視線でコートを拾うよう促し、ロングスカートが翻らない程度の速さで踵を返す。

 すぐにもアスファルトを引っ搔く音、そして肉袋を引きずる音が追従してくる。

 月光すら覆い隠す雲のおかげで、面倒事が増えずに済んだ。

 私の隣に並ぶベッコウバチの作業風景を見てしまった暁には──

 

「は、はいっ」

 

 恐怖で震える声が、背後から聞こえた。

 よく返事をする気になったな。

 ぴくりとパートナーが反応する気配を闇の中で感じる。

 

周辺にインクブスはいませんが、大丈夫でしょうか?

「私は保護者でも、警察でもない」

 

 突き放すように、言い聞かせるように、私は宣う。

 インクブスが現れればファミリアをけしかけて駆逐する。

 だが、それ以外の面倒は見れない。

 

…そうですね

 

 そうとも。

 私は誰かのために自身を投げ出す献身的なウィッチではない。

 インクブスを屠る、それだけだ。

 

 今、意識を向けるべきは──矛であり盾であるファミリアへ如何にエナを供給するか。

 

 こういった事態は想定していた。

 次の段階に移るべきか、自問自答する。

 準備はできているが、それの及ぼす影響は未知数。

 一度始めてしまえば後戻りできない──

 

む……73番目の巣を落したようですよ

 

 不意に受信したテレパシーに反応するパートナー。

 2000ほどのゴブリンが生息する()を全滅させた旨の内容。

 淡々と、しかし事細かに戦果を告げる様はテストの点数を自慢する子どもみたいだ。

 最近は聞く頻度が低下していた。

 

「6度目の攻勢だったか」

はい

 

 6度の攻勢で失われたコマユバチは200に及ぶ。

 インクブスを駆逐し、その生存圏を脅かす作戦の雲行きは怪しい。

 

日に日に防衛戦力が強化されています

「必ず対策してくる。分かっていたことだ」

 

 インクブスどもは馬鹿じゃない。

 私たちが対策をするように連中も必ず手を打ってくる。

 確実に取ってくるであろう対策は一つ。

 

マジックですね

「ああ」

 

 異界の技術で生み出されるファミリアたちは、不思議なことに見慣れた節足動物の姿をしている。

 そのため、飛び道具の相手は苦手だ。

 射程と火力のあるマジックは特に。

 

インクブスは集中的に運用しているようです

「単純だが、強力だ」

はい

 

 おのずと指揮を執る私の役目は、いかにインファイトへ持ち込むかが焦点となるが、あちら側に私はいない。

 

群れごとに対策は打っていますが…芳しくありません

 

 だから、ある程度の裁量権をファミリアに与えた。

 現地を一切知らない私の指揮で混乱させないために。

 

 その結果、私の教えた戦術を基礎に独自の対抗策を編み出しているが──全滅した群れも少なくない。

 

 それを仕方のないことだと理解はしているが、私の中で消化しきれない感情がある。

 もっと上手くできなかったのか、と。

 

「…どうした」

 

 昏倒中の獲物を引きずるベッコウバチが不意に頭を寄せてくる。

 手柄を見せたがる猫みたいに。

 

 ──いや、違う。

 

 その大きな複眼には、ひどい仏頂面の私が映っていた。

 どうやら顔に出ていたらしい。

 

「大丈夫」

 

 言葉が話せなくともファミリアの思考は分かる。

 深淵のように暗く、しかし温かさを秘めた複眼へ小さく笑みを返す。

 

対抗策を纏めて全体で共有してみるのは、どうでしょう?

 

 ベッコウバチが離れるのを待ってパートナーは切り出す。

 

「ああ」

 

 マジックへの対策で効果的なものを全体へ伝達し、生存性を高める。

 嘆く暇があったら考え続けろ。

 

「そうだな」

 

 強かに生きるファミリアたちに甘えていた。

 まったく、母親失格だな。

 静寂に包まれた住宅街を歩きながら、無数のテレパシーへ耳を傾ける。

 

「…頭一つ抜けて大きな群れがあるな」

この群れは……最も交戦数が多い群れですね

 

 私の意識が向いた群れをパートナーも認識し、即座に他の群れと異なる点を抽出する。

 ほぼ毎日、インクブスへ襲撃を仕掛けていた好戦的な群れか。

 私が教えた戦術を改良し続けていたようだが、最近は伸び悩んでいたはず。

 だが──

 

「なるほど」

 

 生物は、捕食対象を効率よく狩るため進化する。

 進化には、()()()()が必要だ。

 交戦数の増加はストレスの増加を意味し、淘汰される個体が増えれば、進化のサイクルはより早まる。

 この群れは、このコマユバチは、もう本来の姿を留めていないだろう。

 

「目には目を、か」

 

 

 弱々しい街灯の明かりを浴びる少女は、灰色のオーバーコートを纏ったまま闇を見つめていた。

 その瞳に恐怖の色はなく、強い意志の輝きが宿っている。

 

『少尉、ご無事ですか?』

 

 流暢な()()と共に、街灯の光より外で人影が揺らぐ。

 目と鼻の先へ来るまで複数だと判別できないほど抑制された足音。

 それが少女の眼前で静止する。

 

『ええ、問題ありません』

 

 灰色の装具で全身を固めたサイボーグのような兵士へ少女──少尉は言葉を返す。

 インクブスとファミリアに震えていたティーンエイジャーは仮初の姿。

 差し出された手を制して立ち上がり、兵士たちと相対する姿は紛れもなく軍人の一人であった。

 

『心臓に悪かったっすよ……少尉』

『ああ、まったくだ』

『クソ猫野郎のケツにジャベリンを突っ込む秒読みしてましたよ』

 

 暗視ゴーグル越しの視線が住宅街を見下ろすマンションへ向く。

 インクブスの強靭な肉体を破壊できる火器が、その屋上には展開されている。

 

『真に迫る演技だったでしょう?』

『迫真でしたよ』

 

 ウィンクしてみせる年下の少尉に兵士たちは苦笑するしかない。

 それは戦場で見られるニヒルなものではなく、安堵が多分に混じった人間的なもの。

 彼らが()()()吐いて捨てるほど見てきた光景が回避されたことへの安堵だ。

 

『やはり、ここまで危険を冒す必要があったとは……』

 

 作戦とは言え、年端もいかない少女を()とすることに抵抗を覚えない者はいない。

 安堵したからこそ漏れてしまった苦言だった。

 

『ブリーフィングでも言いましたが、()()を捕捉できたのは私だけです』

 

 身を案じる声に少尉は気安げな態度を改め、軍人然とした声で応じる。

 現代の技術では探知できないエナ、その流動を視認できる目は微かに光を帯びていた。

 

『十二分のバックアップを受けられる上、私の実力であれば単独の離脱も可能です。危険は最小限に抑えられています』

 

 言葉の節々に自信を滲ませる少尉は、言うまでもなくウィッチである。

 ()()と接触するため、餌となるインクブスを引き寄せる囮に自ら志願した本国でも指折りの実力者。

 それが失われるような作戦を許可するHQではない。

 

『それに──』

 

 不満こそ漏らさないが納得はしていない兵士たちへ少尉は畳みかける。

 

『この作戦、失敗するわけにはいきません。打てる手は打つべきです』

 

 小さな大人であっても大人の庇護を受けるべき年齢の少女に、返す言葉を兵士たちは持たない。

 ウィッチとなった少女()()は大人に求められた役割を必死に演じている。

 だからこそ、返すべき言葉を持ち合わせていなかった。

 

『俺たち野郎じゃ、あのクソッタレを釣ることはできないからな。モーガン少尉の協力に感謝だ』

 

 兵士たちに代わって気安げに声をかけたのは、チームを統率するリーダー。

 暗視ゴーグルを跳ね上げ、色素の薄い目で兵士と少女を見遣る。

 

『大尉、作戦はどうなっていますか?』

『パッケージ13はデルタチームが追跡している』

 

 真率な声で問いかける少尉に、壮年の大尉はサムズアップと共に答える。

 

『順調だよ』

 

 少女が灰色のオーバーコート越しに胸を撫で下ろす。

 それを横目に、大尉は渋面を浮かべる兵士の肩を軽く叩き、無言で頷く。

 

『我々の任務は完了だ。日本政府の気が変わる前に撤収するとしよう』

『了解』

 

 マルチカムの戦闘服に身を包んだ兵士たちは、静寂の支配する深夜の住宅街へ駆ける。

 狭い路地を抜け、街灯の隙間を縫い、迷いなく目的地へ進む。

 この島国では未だ非日常とされる光景の目撃者はいない。 

 

 大尉が停止のハンドサインを出す──チームはプログラムされた機械のように停止する。

 

『こちらアルファ6』

 

 即座にHQからの通信へ応答する大尉。

 通信中も銃口と視線が周囲へ向けられ、物音一つ聞き逃すまいと兵士たちは耳をそばだてる。

 

『…ドローンを撃墜された?』

 

 だからこそ、聞き漏らさなかった。

 

 大尉の漏らした言葉──それは嫌な重みを伴って場に満ちる。

 

 ドローンの捕捉、撃墜は並のウィッチでも容易だが、それを行動へ移す者は少ない。

 民生ドローンの存在が許されている島国は、不思議とドローンに疎い。

 だが、今ここにはドローンを脅威と認識し、問答無用で撃墜する存在がいる。

 

『パッケージ13が? しかし、それでは…』

 

 ウィッチか、ウィッチ以外の何者か。

 脅威に即応すべく構える少尉を大尉は手で制止する。

 

『…了解』

 

 淡々と通信を終え、大尉は重々しい溜息を吐いた。

 しかし、それも一瞬のこと。

 待機している兵士たちへHQからの命令を厳かに告げる。

 

『作戦中止だ』

 

 不穏な気配は察していたが、まさかの命令に兵士たちは思わず硬直する。

 作戦中止を告げ、口を閉ざす大尉は言葉を探しているように見えた。

 無為に消費できる時間はない。

 いち早く硬直から立ち直った少尉が感情を抑えて問う。

 

『どういうことですか?』

『…何者かにドローンが撃墜され、その残骸を発見したパッケージ13のユニットが臨戦態勢へ移った』

 

 平静を装っているが、大尉の放つ緊迫感は一瞬でチーム内を伝播する。

 

『くそっ』

『冗談だろ…!』

 

 焦燥の色を隠せない兵士たち。

 推定大隊規模のインクブスを殲滅したインセクト・ファミリアの矛先を向けられたのだ。

 それは死と同義。

 街灯の光届かぬ暗闇の中、周囲へ油断なく視線が配られる。

 

『パッケージ13との交戦は絶対に回避する。ユニットと遭遇する前に離脱するぞ』

 

 大尉は努めて平静にブリーフィングの内容を反芻する。

 交戦すれば全滅は必至だが、それ以上に交戦してはならない理由があった。

 

 パッケージ13──シルバーロータスは、本国の現状を打破し得るシルバーバレット(特効薬)なのだ。

 

 少尉の握り締めるオーバーコートの輪郭が崩れ出し、徐々に大気へ溶けていく。

 そのエナの残滓は間違いなく希望の香りがした。

 

『ルートAは放棄、ルートCから離脱だ。急げ』

『了解』

 

 迅速に、しかし静粛性を保ちながら、()()()()の住宅街を駆ける兵士たち。

 その右腕には、オールドグローリー(合衆国旗)が縫い付けられていた。




 ダンゴムシ…(苦悶の声)


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変貌

 開けろ!アズールノヴァだ!(迫真)


 夜を乱す不届き者が跋扈しなくなった旧首都。

 人類の守護者たちも眠りにつき、今は静寂の支配する文明の墓標へと戻っていた。

 しかし、全ての闘争が去ったわけではない。

 

「何をしているんですか?」

 

 鈴を転がすような声が闇より響く。

 人工の光が途絶えたコンクリートジャングルは一寸先も見えぬ闇に包まれている。

 しかし、埃が積もった路地裏の奥で舞う蒼い燐光。

 不可視であるはずのエナを可視化する濃度で放つ者が、そこにいた。

 

「な、何って…」

 

 問われた者は答えに窮する。

 黒を基調とした装束に身を包み、華奢な体躯に見合わぬハルバードを携えたウィッチ。

 その視線は答えを求めて宙を泳ぎ、路地裏より見える雑居ビルの側壁で止まる。

 

「そこのインクブスを倒さなくちゃ──」

「面白いことを言いますね」

 

 有無を言わせぬ圧を伴ってウィッチの言葉を遮った。

 くすんだ銀のハルバードが指向する先には、乳白色のアブラゼミ。

 つまり、()()()ファミリアだ。

 

「あの方のファミリアが、インクブスに見える?」

 

 身の丈ほどもあるソードから蒼い燐光が放射され、夜のコンクリートジャングルを彩る。

 舞踏会にでも行くようなドレスが闇より浮かび上がり、ヒールの雅な音が鳴り響く。

 

「胎の中に()()の体液を詰めていると目が悪くなるんですか?」

 

 可愛らしく首を傾げるも、その声色は空恐ろしくなるほど無機質だった。

 狭まる瞳孔、隠蔽しようともしない殺意。

 明確な害意と相対したウィッチは──

 

「遅い」

 

 ハルバードを構えるより早く、蒼い閃光が空間ごと両断した。

 そして、断末魔すらも。

 

 首と胴が泣き別れした影が倒れ──蒼い焔が路地裏を照らす。

 

 微塵の躊躇もなくウィッチを屠った者は、振り向かない。

 

「おやすみなさい」

 

 ただ機械的に紡がれた言葉は空虚なもの。

 敵を追い立て、その命を刈り取る少女にとって意識を割く事象ではなかった。

 己を救った愛おしきウィッチを害する存在は、排除すべき有象無象としか映っていない。

 

「はぁ…困りますね」

 

 凶行の一部始終を静観していた乳白色のアブラゼミを見上げ、苦笑を浮かべる。

 

「連中は、あなた方を嫌っているようです」

 

 返答は当然ない。

 彼女のファミリアはインクブス相手でなければリアクションを見せないのだ。

 人類の守護者は強力無比だが、人間の善性や良心を過信したデザインが成されている。

 今までは、それで良かった。

 

 ()()()()()()()()敵として現れた時──あまりに脆い。

 

 しかし、知らぬはずもない。

 インクブスの策を正面から粉砕してきた彼女が。

 ゆえに、助勢など傲慢な宣誓は立てない。

 アズールノヴァ(蒼き新星)として再誕した少女は、ただ己を剣身あるいは弾丸と定めた。

 絶望に満たされた世界で咲く彼女の──

 

「あ、アズールノヴァさん」

 

 燐光が舞う路地裏に第三者の声が響く。

 あの日から変わらぬ決意を再確認するアズールノヴァへ声をかける者。

 蒼い瞳が路地裏を覗き込む人影を捉え、僅かに細められる。

 

「どうかしましたか、レッドクイーン?」

 

 名を呼ばれた()()()は、恐る恐る路地裏へ踏み込む。

 その影を蒼き焔が取り払えば、現れる真紅のウィッチ。

 腰まで伸びた髪、恐怖を滲ませる瞳、バラを思わせるドレス、その全てがワインレッドで染め上げられている。

 レッドクイーン(赤の女王)の名を冠しているが、当人は臆病な小動物を彷彿とさせた。

 

「さっきのウィッチは…」

 

 胸元で揺れる懐中時計を不安げに握り、路地裏を照らす蒼い焔について問う。

 心底どうでもいい質問にアズールノヴァは目を瞬かせ、どう回答したものかと沈黙する。

 

「あ…いえ、やっぱり」

「敗北したウィッチが幸か不幸か生かされた場合、どうなるかという一例です」

 

 委縮して小さくなるレッドクイーンへ、あえて要領を得ない回答を返す。

 ()()()()()()()ウィッチに想像させる時間を与える。

 漠然としか想像できない者は、呆気なく死に至るものだ。

 

「場所を変えましょう」

「は、はい」

 

 絶対順守の命令に背筋を伸ばし、レッドクイーンは首に掛けた懐中時計を握り締めた。

 秒針、分針、時針が回り出し、まるで法則性のない時間を指す。

 

 刹那、世界の色が反転──景色が埃の積もった路地裏から高層ホテルの屋上へ変わる。

 

 標識の消えかけたヘリポートの縁に佇む2人のウィッチ。

 夜風にドレスの裾を靡かせ、両者の瞳は旧首都を見下ろす。

 

「洗脳、隷属、人質……苗床以外にもウィッチは使われます」

 

 不意に口を開いたアズールノヴァの言葉にレッドクイーンは身を固くする。

 まるで夕食の食材を選ぶような気軽さで飛び出したウィッチの末路。

 誰もが忌避する現実であった。

 

()()()ウィッチは隷属したタイプになります」

 

 闇に沈む雑居ビルへ無機質な視線を投げる蒼い瞳。

 武力ではなく、人心を陥れる手管に長けたインクブスは厄介な存在だった。

 ウィッチを苗床ではなく、人類の敵へと変貌させるのだ。

 

 彼女のファミリアには通じず、一方的に駆逐されていたが──()()()()()()()()()となれば話が変わってくる。

 

 戦力温存のための捨て駒か、それともウィークポイントを認識したものか、判断はつかない。

 

「この前のウィッチも、ですか?」

「いえ、先日のウィッチは違います」

 

 先日のウィッチとは、ホテル屋上からも見える紅白の電波塔から旧首都の一帯を監視していたウィッチを指す。

 レッドクイーンのマジックを用いて強襲、問答無用で首を刎ね飛ばした。

 

「あれはインクブスではなく、国の組織に属するウィッチです」

「国…く、国の?」

 

 彼女に害を為す存在と聞き──拒否権は存在しないが──協力した真紅のウィッチは、告げられた新事実に蒼白となる。

 個人ではなく国家が相手とは夢にも思っていなかったのだ。

 

「はい、遠路はるばる海の向こうから」

 

 ()()胃の内容物を戻しそうな協力者から一歩離れる蒼いウィッチ。

 

「優れたウィッチを監視、あるいは懐柔するための工作員みたいなものですね」

 

 懐柔するだけでなく、時に拉致を強行しようとする者たち。

 その浅慮な行動の数々を思い出し、アズールノヴァは口角を上げる。

 

「監視ということは……あのドローンも?」

 

 比較的穏便に済んだ昨夜の一幕を思い出すレッドクイーン。

 一般的なウィッチにとってドローンとは熱心なファンが持つ高価な機材という認識。

 しかし、アズールノヴァは捕捉と同時に、これを破壊した。

 それが意味することは──

 

「別組織のようですけど、同類ですね」

 

 事もなげに肯定された事実に気弱な協力者は息を呑む。

 使用機種は民生ドローンだったが、アズールノヴァは運用者のユニフォームがマルチカムの戦闘服であると知っている。

 昨夜、住宅街で活動していたのは、()()()()()だ。

 

「国防軍とか…ですか?」

 

 別組織という単語を耳にしたレッドクイーンは願望に近い言葉を絞り出す。

 国民から愛される国防軍であればいい、と。

 

「あそこはウィッチの()()()()なんてしていませんよ」

 

 ウィッチを囲った各国軍とは対照的に国防軍は戦力化を一切行っていない。

 放任主義を疑問視する声は内外問わず存在した。

 しかし、能力に秀でたウィッチが次々と現れ、国内のインクブスを撃退したことで、これを封殺。

 以降も一貫してスタンスを変えていない。

 

「だとすれば……どこの組織なんですか?」

 

 不安で揺れる赤い瞳を退屈そうに見返す蒼い瞳。

 知ったところで取り巻く環境は変化しない。

 アズールノヴァにとって合法非合法関わらず国内で蠢動する組織の正体など細事だった。

 

「どこでも構いません。あの方の障害となるなら──」

 

 偶発遭遇ではない計画された追跡の目的は、定期的な情報収集ではない。

 彼女の確保を容易とするための一手。

 であれば、己が為すべきことは決まっている。

 

「斬るだけですから」

 

 殺意を宿す蒼い瞳に、懐中時計を抱いて震え上がるレッドクイーン。

 ()()()()()()()()ウィッチの声色は、本気だった。

 これまで敵と認めた者を躊躇なく排除してきたアズールノヴァに二言はない。

 たとえ、相手が国家の暴力装置であろうとも。

 

 

 草木のない不毛な大地を進む魑魅魍魎の群れ。

 ヒトの言葉を借りるならば、百鬼夜行。

 張り詰めた空気を纏って行進する彼らの目的地は、73番目に陥落した同胞の巣。

 蹂躙と略奪しか知らぬ侵略者にとって初の()()()()である。

 

巣まで、どれくらいだ?

まだ先さ……くそったれが

 

 ボウガンを担ぐ矮躯のゴブリンが険しい目つきで荒野の彼方を睨む。

 同志の巣がファミリアの巣へ変貌する前に攻撃しなければ、死闘は必至。

 時はインクブスに味方しない。

 

焦っても仕方ねぇよ

 

 隊列の側面で敵襲を警戒するライカンスロープが苛立つゴブリンたちを宥める。

 

俺たちは群れが乱れない速度で急いでる。ここらが限界だ

 

 こういった事態を想定していたからこそ早急に軍団を編成し、出撃できた。

 エナで肉体を構成するインクブスは、ただ生存するだけなら物資を必要としない。

 必要とされる物は、己の肉体と得物、そして()()()だけ。

 極めて身軽な軍勢は、今出せる速度を出して前進中だった。

 

それに…虫けらを殺る前に疲れてちゃ意味ねぇだろ?

 

 鋭利な牙を見せて低い声で笑うライカンスロープ、その言葉に頷くオークの戦士たち。

 最前列で戦う者は、ゴブリンたちの苛立ちを理解していた。

 時間的な制限に加え、同志の仇を討つ使命が彼らを突き動かしていると。

 

我々の同胞を一度は下した羽虫だ。容易と思ってくれるなよ

 

 隊列の中央を歩くオーガの肩より上を飛ぶインプが声を降らす。

 同胞が巣の防衛に失敗した事実は、彼らの特権意識を叩き折った。

 不機嫌な態度を隠しもしないが、伸びた鼻が折れて溜飲が下がった多くのインクブスは気にも留めない。

 それが気に喰わないインプは、全滅したであろう同胞へ毒づく。

 

羽虫ごときに何を──」

 

 刹那、荒野の彼方から閃光が走り、インプの頭部が弾け飛ぶ。

 

 攻撃──インクブスの軍勢は事態を呑み込めず、硬直した。

 

 着弾から数秒遅れて、雷鳴が轟く。

 マジックによる狙撃、それもインプを凌ぐ威力の。

 その事実を最初に理解したインクブスは、オークの戦士だった。

 

狙撃だ! 盾を構えろ!

 

 怒号に近い大声がインクブスの軍勢を硬直から立ち直らせた。

 しかし、行進するための細長い隊列は指示が行き届かない。

 ゆえに指示を飛ばす者は声を張り上げ、手を振り、忙しくなく動く。

 つまり、()()()()()

 

インプは頭を下げろ! 狙い撃ちさ──」

 

 オークの頭が風船のように弾け、次いで指示を聞き漏らしたインプの上半身が破裂する。

 指揮を執る者が次々と即死し、収束するはずだった混乱が拡大していく。

 

ウィッチか!?

 

 この異界に戦えるウィッチなど存在しない。

 馬鹿げた同胞の言葉にインプが吠える。

 

いるわけなかろうが! 反撃しろ!

 

 閃光、雷鳴。

 赤い月の下に浮かぶ灰色の影は全て上半身を砕かれ、墜落する。

 プライドゆえに反撃を選択したインプは()()された。

 瞬く間に反攻作戦の要たる術士が全滅し、混乱は加速する。

 

どこからの攻撃だ!?

知るか!

ぐおおぉぉぉ!

 

 次に必殺の雷の直撃を受けたのは、一際目立つ巨躯のオーガたち。

 マジックへの耐性を超過した集中砲火で皮膚を焼き、筋肉を爆ぜさせる。

 オーク以上のタフネスを備えたインクブスが膝を折り、次々と絶命していく。

 

敵襲!

 

 空を睨むゴブリンが悲鳴に近い声で叫ぶ。

 肉弾戦における()()が全滅する瞬間を見計らって、漆黒の大編隊は飛来した。

 重々しい羽音を奏でる4枚の翅。

 赤き月を映す漆黒の外骨格。

 

 忌々しき災厄──インセクト・ファミリア。

 

 雷鳴が止む。

 これ幸いとインクブスたちは得物を手に取り、盾と同胞の屍をもって即席の陣地を築く。

 士気は最低、されど逃走の選択肢はない。

 

急降下する瞬間まで引き付けろ!

おう!

隊列に突っ込んで来る奴は、逃さず得物を叩き込め!

 

 術士を失おうと無抵抗で餌食になるインクブスではなかった。

 

 膨大な犠牲を経て、対策を考案し続けてきた──闘争の過程で学習したのは、インクブスだけではない。

 

 蓄えた膨大な記録から()が雑音を削ぎ落し、抽出したノウハウ。

 最優先で駆逐すべき目標の設定。

 それの達成を容易とする個体の増殖。

 そして、既存戦術のアップデート。

 今、インクブスが相対しているファミリアは、殲滅戦に最適化されたシステムだった。

 

おい、あれって…!

 

 荒れ果てた大地を這うように飛行する集団をライカンスロープが捉える。

 上空の影より小型、されど漆黒の影は弾丸のごとく。

 目標は支援、攪乱、蹂躙。

 エナの放射を隠蔽し、インクブスをサイレントキルする小さき暗殺者のエントリーだ。

 

同時攻撃だと!?

上空の連中は囮だっ

 

 別種による同時攻撃という異常事態に動揺するインクブス。

 しかし、時もファミリアも止まらない。

 

来るぞ!

とにかく撃てっ

 

 動揺と混乱は収束せず、統制された射撃の機会は失われた。

 疎らな矢雨に無機質な敵意を制止する力はない。

 陣地に突進したファミリアは、侵略者たちを駆逐する。

 

 ──その日、人類の敵を駆逐せんと進化を重ねてきたファミリアの集大成が産声を上げた。




 次回は東パッパを出すネ(ニチャァ)


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齟齬

 更新遅スギィ!


「姉ちゃん……まもぅ……」

 

 私の膝の上で無防備な寝顔を見せる妹は、どんな夢を見ているのだろう。

 頬にかかった黒髪を耳元へ戻すと幸せそうな笑みを浮かべる。

 

よく寝ていますね

「ああ」

 

 夕飯を食べ、児童向けアニメを見終えるなり、電池が切れたように寝入ってしまった。

 後片付けは済んでいるし、せっかくの休日なのだから、ゆっくりしてもいい。

 この何気ない日常が、私を私たらしめるものなのだから──

 

疲れて寝てしまうほど夢中になるのも分かります

 

 実寸大のハエトリグモに扮したパートナーがダイニングテーブルの上で感慨深そうに宣う。

 どうした急に。

 

作画と演出、声優の方々の熱演……素晴らしかったですね

 

 物知りマスコットを目指していたパートナーはサブカルチャーにも造詣がある。

 芙花が最近夢中になって見ているアニメ──ナイトウィッチーズについても。

 騎士なのか、夜なのか、ともかくウィッチが主役のアニメ。

 芙花と見ることもあれば、()()のせいで見れないこともあり、いまいち内容を把握できていない。

 

アゲハさんの台詞には、こう、胸打たれるものがありましたね……

「そうか」

 

 おそらく、仲間たちを敵の洗脳から目覚めさせた主人公の台詞だろう。

 そのシーンは挿入歌も相まって印象に残っている。

 

東さん

「言わないぞ」

ま、まだ何も言ってませんよ?

「言わなくても分かる」

 

 冷静沈着に見える主人公が想いを熱く語る様に感銘を受けていたようだが、それを私に求めるなよ。

 あれは仲間との間に積み上げてきた信頼があるからこそ重みが伴う。

 インクブスの屍だけ積み上げてきた私の言葉では、救うどころか心を動かすこともできまい。

 

 そもそも、この世界で言葉は無力──創作に現実を持ち込むな。

 

 ウィッチが困難を打ち破って大団円を迎えるアニメ。

 それの何が悪い?

 創作物まで鬱屈とした現実が広がっていれば、この世は本当に救いがない。

 

……ドローンが気がかりですか?

 

 私の座るソファの背凭れへ移ったパートナーが真面目な声で問う。

 

 今、直面している問題について──私の気を紛らわせるため、わざと無関係な話題を振っていたな?

 

 そんな柔なウィッチじゃないのは知っているだろうに。

 芙花を起こさないよう声量を抑え、問いに答える。

 

「当然だ」

 

 先日遭遇したドローン、あれは私を追跡していた。

 一般に流通している機種だったが、熱心なファンの扱う機材ではない。

 

「あの場にいたのは、一般人じゃない」

はい

 

 休眠中のハマダラカを急遽起こし、周辺を探らせてみれば、どうだ。

 捕捉した複数の人影と自壊させた私のコートがあった地点は()()()()()だった。

 

偶然居合わせたとは考えにくいです

「ああ」

あれを演技とは思いたくありませんが……

「演技である必要はない」

 

 その場合、何も知らない被害者がいるだけだ。

 情報を得るためなら、目的を達成するためなら、手段を選ばない。

 まったく、反吐が出る。

 

難民に紛れ込んだ信奉派でしょうか?

 

 ウィッチを神格化する者がいれば、インクブスを信奉する者もいる。

 反国家、反社会的行動に傾倒する層が支持していたが、現在はテロリストとして一掃されたという。

 私も実物を見たことはない。

 

「もしくは、傀儡軍閥か」

 

 信奉派よりも現実的な脅威が、海を隔てた向こう側にはある。

 インクブスの傀儡軍閥を含む複数勢力の入り乱れる陣取りゲーム盤と化した大国。

 そこから()()()()を抽出したとしたら?

 最近、インクブスの出現数が減少した理由も説明がつく。

 

仮にそうだとすれば厄介ですよ、東さん

「問題はそれだけじゃない」

 

 人間を家畜として扱うなら、闘争の道具として扱うのは目に見えていた。

 

 ゆえにインクブスの傀儡となった人間を無力化する手段はある──使ったことはないが。

 

 懸念事項は、実戦経験の有無よりも現状の複雑さにある。

 

「件のウィッチだ」

 

 ドローンが墜落する瞬間、エナの流動を観測した。

 この世でマジックを使用できる存在はインクブスか、ウィッチだ。

 前者は捕捉次第駆逐しているとなれば、後者しか残らない。

 

何者なんでしょう?

「敵ではない…と願いたい」

 

 希望的観測だ。

 ドローンの破壊にマジックの使用を厭わないウィッチが交渉の通じる相手かどうか。

 旧首都で私を尾行していたウィッチの可能性もある。

 その場合、危険性は跳ね上がる。

 あれ以来会っていないアズールノヴァの安否が気がかりだった。

 

「万が一のときは……」

 

 後遺症──重度のPTSDは確実だ──は残っても、元凶を駆逐すれば解放できる()()()()()()()()()ウィッチとは根本的に異なる。

 自らの意思で行動しているウィッチが相手だ。

 交渉が通じなければ、残る手段は暴力による制圧しかない。

 セミ科に酷似したファミリアの奏でる()でマジックを無力化し、なおも抵抗する場合は──

 

「やるぞ」

…はい

 

 表情は読めずとも苦々しさを滲ませるパートナーの声。

 きっと私も似たようなものだろう。

 

インクブスを倒すだけ……とはいきませんね

「ああ」

 

 対処する手札はあるが、情報がない現状は受け身になる。

 巻き込まれているのか、それとも当事者なのか、私たちは分かっていない。

 インクブスの駆逐に先鋭化したファミリアには、対処能力に限界がある。

 そして、エナの供給が不安定なため活動に制約がついて回る。

 

「ままならないものだな」

東さん……

 

 もしも、芙花や近しい人々に害が及ぶなら、最悪の決断を下さなければならない。

 

 ──敵味方識別の改変。

 

 それが及ぼす影響や弊害は全くの未知数であり、一歩間違えれば人類の脅威となる諸刃の剣だ。

 ファミリアは人間を無視しているだけで、ひとたび命令を受ければ老若男女関係なく駆逐する。

 

ここは──」

 

 鳴り響く単調な着信音。

 胸元から取り出したケータイの画面には、よく知る名前が映っていた。

 前脚で鋏角を押さえ、沈黙のジェスチャーを見せるパートナーへアイコンタクトで応える。

 後で話そう。

 

「もしもし、父さん?」

 

 相手は、今世の父からだった。

 芙花を起こすべきか、迷う。

 

≪蓮花?≫

「うん」

 

 私を下の名前で呼ぶ声は優しく、いつものように温かかった。

 意識しなくても口元が綻んだ。

 

≪突然電話してごめんね≫

 

 父は、いつも電話の初めに謝る。

 なかなか時間が取れず、時間帯は不定期になりがちだ。

 しかし、それは父が国防の責務を全うしているからに他ならない。

 

「大丈夫だよ。父さんこそ最近忙しかったみたいだけど、大丈夫?」

≪大丈夫。父さんがタフガイなの知ってるでしょ?≫

 

 ケータイ越しに力こぶを披露している姿がありありと想像できた。 

 制空戦闘機のパイロット──イーグルドライバーと言うらしい──である父は、文句なしのタフガイだろう。

 日夜、インクブスや傀儡軍閥を撃退し続けている九州の防人、国防軍において()()()()()()()()()()()()()飛行隊。

 父は、そこに所属している。

 

≪蓮花、芙花はどうしてる?≫

 

 学校での武勇伝から今日の夕食に至るまで元気一杯に報告してくれる芙花は、膝の上で安らかな寝息を立てている。

 

「眠ってるよ。ちょっと疲れたみたい」

≪なら、起こさないようにしないとね≫

 

 小さく上下する肩へ伸ばした手を止める。

 よく遊び、よく学び、成長していく芙花と話せるのは今しかない。

 誰よりも傍で見届けたかったのは、父のはずだ。

 

 そして、芙花にとって──これが最後の会話になるかもしれない。

 

 明日が必ず訪れるとは限らない世界に父はいる。

 だから、起こしてやりたかった。

 

「父さん」

≪大丈夫。また、電話できるから≫

 

 そんな私の葛藤を見透かしたように父は言う。

 これまでも似たような言葉を返されたが、それを違えたことは一度もなかった。

 絶対はないが、それでも信じたくなる。

 この人には敵わない。

 

「分かった」

≪よし、今日は久々に蓮花の武勇伝を聞かせてもらおうかな≫

「私に何を期待してるの?」

≪冗談、冗談だよ……蓮花、学校はどう?≫

 

 勉学以外のことで話せることはない──と思っていたが、最近は小さな事件が色々とあった。

 シモフリスズメの絵が上手い金城、政木から貰った惣菜のお稲荷さん、エトセトラ。

 話題が尽きないことに我ながら驚いた。

 去年とは雲泥の差だ。

 

「──そんなところかな」

 

 適当なところで話を切り上げないと、いつまでも話し込んでしまいそうだ。

 父は合いの手を入れるタイミングが絶妙で、つい話したくなる。

 

≪そっか……ところで、蓮花≫

「なに?」

≪最近悩んでることはない?≫

 

 父は前触れもなく話を振ってきた。

 他愛ない会話を交えていた時とは異なる、生真面目な声で。

 

「悩んでるように聞こえた?」

≪そんな気がしてね≫

 

 気取られないよう胸中に押し込んでいたつもりだが、どこかで漏れ出していたのだろうか。

 それとも父が鋭いのか。

 こういう時、心配させまいと本心を欺瞞した言葉が通じた試しはない。

 

「父さんは──」

 

 父になら助言を求めてもいいと思った。

 私とパートナーは当事者ゆえに議論の方向性が定まっている。

 第三者の視点に事態打開のヒントがあるかもしれない。

 

「逆境を覆すには何をすべきだと思う?」

≪ふむ≫

 

 私がウィッチであることは明かしていないため、抽象的な問いかけになるが。

 しばし黙考してから口を開いた父の回答に耳を傾ける。

 

≪まず、第一に諦めないこと≫

「うん」

 

 第一前提は、当然の心構えだった。

 諦めた時点で敗北は確定し、その惨禍は私だけでなく芙花にも及ぶだろう。

 だから、諦める選択肢はない。

 

≪次に攻め続けること≫

「逆境なのに?」

 

 相手にイニシアチブを握らせないため、攻撃の手を緩めない。

 攻撃は最大の防御。

 私も大いに同意するところだが、不利な状況下では無謀な行いに聞こえる。

 

≪父さん流の答えになるけど、戦闘機は前にしか飛べないし、攻撃できない──必ず正面に敵を置く必要がある≫

 

 戦闘機という兵器の特性上、それは当然の話だ。

 だが、伝えたい本質は、そこではないだろう。

 

≪だから、待っていてもチャンスは訪れない。こちらから行動して、相手に対応させる≫

 

 これまでやってきたことだ。

 捕捉すれば逃さず駆逐し、安全地帯を叩き、負担を与え続ける。

 対応を遅らせるため情報を与えず、後手に回らせる。

 だが、それはインクブス相手だから有効であって──

 

≪どんな相手であっても目的や戦術が見えてくる≫

 

 いや、本質は変わらないのか?

 

≪そこからチャンスの欠片を集めて、ここぞという時に一番強力な手で叩く≫

 

 まったくの別世界で戦っている父の言葉は、私の方針そのものだった。

 相手がインクブスから人間へ変わっても本質は変わらない。

 次の手を打ち続け、待ちの手札を切るのはアンブッシュの瞬間だけ。

 警戒するあまり狭まっていた視野が開けたような気がした。

 

≪まぁ、言うは易く行うは難し、だけどね──≫

 

 自嘲気味に笑う父の声を遮り、耳をつんざくサイレンが鳴り響いた。

 

≪ごめん、蓮花。答えになったか分からないけど≫

 

 スクランブルだ。

 声色が歴戦のイーグルドライバーへ切り替わった父は、まるで別人だった。

 一刻の猶予もないが、まだ電話は切られていない。

 だから、手短に伝える。

 

「ううん、ありがとう。話せて良かった」

 

 母が行方不明になっても変わらず見守ってきてくれた父を送り出す。

 

「いってらっしゃい」

≪いってきます≫

 

 

 日本と大陸を隔てる海は、夜の闇を吸い込んで墨汁のように黒い。

 光源といえば、遥か彼方で瞬く星の輝き。

 しかし、人の営みから遠く離れた高空を飛ぶ鋼の翼に光の導は必要ない。

 電子の眼によって闇夜を見通す全天候型制空戦闘機4機は、その日も数多の人命が沈む海上を飛行していた。

 

「マンイータ1より各機、敵機が迎撃ラインに侵入、マスターアーム・オン(安全装置解除)

 

 虫の複眼を思わせるヘルメットを被ったパイロットが、コクピットパネル右側に位置するスイッチを倒す。

 単純作業として処理できるほど繰り返してきた一動作。

 それは、鋼の翼の抱く音速の矢が敵を滅ぼすため目覚めたことを意味する。

 インクブスの脅威と戦う国軍に国家間戦争をしている暇はない。

 

 ならば、現在も日本へ向けて飛行中の物体は──それを敵機と定めるマンイータの任務とは何か。

 

≪ナイトウィッチよりマンイータ、ヘディング(方位)270、エンジェル(高度)10、レンジ(距離)200よりターゲット6機≫

 

 その機影を正確に捕捉している早期警戒管制機より通信。

 飛来する方位を聞き、パイロットは酸素マスク越しに小さく溜息を漏らす。

 

「マンイータ1、コピー(了解)…各機、続け」

 

 操縦系統が入力された情報を翼に伝え、シャークマウスの描かれた機首が指示された方位へ向く。

 それを正確に追尾する僚機のターボファンエンジンの咆哮が夜空に虚しく木霊する。

 遥か昔に思える平時、彼らが不殺の防人であった日に培った技術は、遺憾なく編隊飛行で発揮されていた。

 

「レーダーコンタクト」

 

 機首を向けてから程なくして、電子の眼がターゲットを捕捉する。

 報告通りの機数を確認し、その位置と速度から機種の目星を付けていく。

 先行している4機はエスコート、後続の2機がメインターゲットであろうと。

 

≪ターゲット4機が変針、接近中≫

 

 通信を受けるまでもなく、機首のレーダーはターゲットの機動を捉えていた。

 この海域に到達するまでインクブスの傀儡軍閥から迎撃を受け、残燃料も残弾も心許ない中、最大の障害である国防軍を迎え撃とうとしている。

 戦闘機より低速で飛行する後続を逃すために。

 

「コピー、マンイータ1、エンゲージ(交戦)

 

 一切の同情も慈悲もなく、マンイータ1は宣言する。

 感情の摩耗した無機質な声で。

 

シーカーオープン(目標捜索装置作動)

≪マンイータ2、エンゲージ≫

≪マンイータ3──≫

 

 ディスプレイを操作し、最大射程の兵装を選択。

 ドッグファイトなど発生し得ない。

 制空戦闘機のハードポイントには視界外射程対空ミサイルが夜空を睨んでいる。

 勝敗は既に決していた。

 

 それを理解していながら彼らはマンイータと相対する──家族や恋人、親友を地獄と化した大陸から脱出させるために。

 

 夜の闇に隠れて飛行する敵影を電子の眼が捉え、ヘッドアップディスプレイに浮かぶ情報の中から回避不能距離を人の目が睨む。

 

「ロックオン」

 

 無慈悲な死の宣告が為された。

 

「FOX3」

≪FOX3、FOX3≫

 

 ハードポイントから切り離された対空ミサイルが紅蓮の焔を吐き出して夜を切り裂く。

 マッハ4に急加速した音速の矢は瞬く間に夜空の彼方へ消える。

 

 固体燃料の燃焼が完了し、慣性で飛翔を開始──敵機が散開する様をレーダーが捉え続けた。

 

 終端誘導に入った時点で生半可なジャミングは意味を成さない。

 

≪グッドキル≫

 

 レーダーから機影が消える。

 星の輝く夜空の下、命の灯が4つ消えた。

 

≪ターゲット2機、尚も変針せず≫

 

 エスコートを失おうと変針はできない、と誰もが知っている。

 理解している。

 難民を満載しているであろう輸送機は日本を目指すしかない。

 引き返せば傀儡軍閥の戦闘機が待ち構えているのだ。

 

≪迎撃せよ、マンイータ≫

 

 たとえ、子どもを含む罪のない人々が乗っていようとも撃墜する。

 それが国防軍、空の防人に課せられた使命。

 慈悲が存在してはならない。

 難民を受け入れた結果、インクブスの蹂躙を許した那覇の惨劇──沖縄県失陥の主因──を繰り返さないため、()()を撃墜することがマンイータの任務だ。

 

「マンイータ1、コピー」

 

 国民から愛される国防軍において()()()()()()()()()()()()()飛行隊のパイロットは、短く応答する。

 どこまでも機械的に、努めて感情を殺す。

 

「こちらとマンイータ2で対処する」

≪コピー、マンイータ1≫

 

 灰色の翼が夜風を切り、鋭利な牙を見せるシャークマウスの切先が敵へ向く。

 ヘッドアップディスプレイに表示される正方形のシンボル。

 その数が2つであることを確認。

 

≪マンイータ2、シーカーオープン≫

「シーカーオープン」

 

 シンボルの中心にいる輸送機には定員を超えた人数が詰め込まれているだろう。

 しかし、正確な人数が把握されることはない。

 海上に降り注いだ時、それらは把握できる形を留めていないからだ。

 

「ロックオン」

 

 その凄惨で、悲劇的な大量殺人は、ボタン一つで容易く実現される。

 誰もが忌避する()()をパイロットは躊躇なく押し込む。

 護るべき者へ降りかかる厄災の可能性を一つでも多く摘み取るため。

 

「FOX3」

≪FOX3≫

 

 鋼の翼を背後へ置き去りにして紅蓮の焔が夜空を疾駆する。

 低速かつ大型である輸送機に回避する術はない。

 

 命中の瞬間を知覚するは電子の眼だけ──最後の敵機がレーダーから消失する。

 

 二児の父親は、それを無感動に見届けた。




 おい、魔法少女しろよ(タグ詐称)


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蠢動

 ヒロイン(虫)未登場回。


 雲一つない蒼穹より降り注ぐ陽光は、象牙色の平坦な大地を照らす。

 

 ──大地は語弊がある。

 

 そこに自然物は一切なく、ただ質実剛健なコンクリートがあった。

 アフターバーナーの強烈な熱量に耐える()()で形成された3350mに及ぶ長大な滑走路。

 その陽炎揺らめく滑走路を眺める2対の視線。

 

『浮かない顔だな、少尉』

 

 鍛え上げられた太い腕を組む壮年の兵士。

 そのサングラスで隠された色素の薄い目は、隣に佇む少尉を盗み見る。

 

『不満か?』

 

 親子ほどの年齢差がある相手は、若干サイズの合っていないマルチカムの戦闘服を着た少女。

 軍用機を収容する格納庫前の日陰から滑走路へ向けられた視線は険しい。

 

『それは……そうですね』

 

 紡ぎかけた否定の言葉を飲み込み、素直に肯定した。

 ブリーフィングの際、胸中に押し殺した感情をモーガンは吐露する。

 昼下がりの格納庫で聞く者は、隣に立つ大人だけだ。

 

『理解は、しているつもりです……ですが、これ以上、本国から戦力を引き抜くわけにはいかないというのに』

 

 太平洋より飛来する戦術輸送機に乗っているウィッチ3名。

 親友であり、戦友であり、チームメイトである彼女たちを待つモーガンの表情は複雑なものであった。

 世界最強の軍隊は、世界最多のウィッチが所属する軍隊でもあるが、それでも国土の失陥を食い止められずにいる。

 そこから実力の高いチームを引き抜くことに危機感を抱かずにはいられないのだ。

 

『やむを得ないだろう』

 

 その危機感は共有しながら、壮年の大尉は空を見上げて溜息交じりに言う。

 人の営みが滅びに瀕しようと蒼穹は美しく晴れ渡っていた。

 

『推定される妨害勢力はウィッチだ』

 

 モーガン立会の下、ドローンの残骸を検分したところエナの残滓が観測された。 

 そこで敵対的なウィッチの存在が浮かび上がる。

 正体や目的は一切不明。

 損害こそドローンだが、予備機まで撃墜する徹底ぶりから敵対は避けられない。

 

『正直……認めたくはありませんが』

『そうだな』

 

 強大な力を扱うには未熟な少女たち。

 インクブスを屠る力とは、ベクトルを変えれば人類も容易く屠れる。

 だからこそ、制御された暴力装置である国軍に管理されなければならない。

 

 しかし、ここは法治国家ならぬ放置国家──ウィッチの倫理観に依存した危うい国防が行われている。

 

 個人が暴走しようと制止する手段を日本政府は持たない。

 想定される最悪の事態に直面すれば、天を仰ぎたくもなる。

 

『私単独では対処できない力量の……ウィッチです』

 

 大きな碧眼を細めて、苦々しく言葉を吐き出す。

 この特異な島国で活動するウィッチは、総じてウィッチナンバーの上位に位置する。

 隔絶した能力差は実戦経験だけで補えるものではない。

 

 ゆえに、本国はインクブスの次に想定される脅威──敵対的なウィッチ──にも対応できるチームを日本へ送った。

 

『そこに負い目を感じる必要はない。君らは4人で1人だ』

 

 モーガンは先行して現地に入っているが、本来はチームの目を務めるウィッチ。

 単独で対処できない敵が現れた場合、ここに彼女の属するチームが降り立つことは必定だった。

 

『それは──』

『少尉、状況は常に変化する。そして、最善手もな』

 

 貴重な戦力だからこそ必要な局面で投入し、確実に任務を達成する。

 それが犠牲を最小限とし、短期間で目標を達成する最善手だ。

 

『……そうですね』

 

 打てる手は打つべき、という己の言葉。

 それを反芻し、モーガンは静かに頷く

 本国の命運を左右する作戦が第一段階で躓き、想像以上に思考が硬直していたと悟る。

 

『そうとも。だから、負い目を感じる必要はない』

 

 厳しい状況であっても年長者の大尉は、力強く笑う。

 サングラスに隠された視線を追ってモーガンも蒼穹を見上げる。

 

『ありがとうございます』

『大したことは言ってないさ』

 

 蒼穹に飛行機雲を引く多用途戦闘機の機影を2対の視線が捉える。

 戦術輸送機の飛行経路を確保するため飛び立った当基地の所属機であった。

 ターボファンエンジンの生み出す轟音が遅れて降ってくる。

 

『俺としては、作戦の方が心配だよ』

 

 堅実な作りの腕時計を覗き込み、それから視線を空へ戻した大尉は苦笑を浮かべた。

 

『白馬の王子様……ですね?』

 

 作戦概要を記憶の片隅から引き出したモーガンは、どこか遠い目で空を見る。

 

 迂遠な表現を一切排せば──パッケージ13とインクブスの交戦に介入し、これを援護、その過程で友好関係を構築する。

 

 誰が言ったか、白馬の王子様作戦。

 

『作戦の主導権を奪い返したかと思えば、これだ』

『友好関係の構築こそCIAの本分と思っていましたが…』

 

 友好という単語の白々しさに2人は溜息を漏らす。

 畑違いの組織を追い出し、主導権は取り戻したが、作戦目的は不明瞭となった。

 妨害勢力への対処のため、ウィッチと海兵隊の攻撃ヘリコプターの迎撃体制が早急に構築されたのに対し、肝心のパッケージ13の確保は迷走している。

 

『強硬策よりはいいが、ドローンの存在が露見した今、不信感は拭えまいよ』

『手段を選ばない、と言っていた気概はどうしたのでしょうね』

 

 パッケージ13の情報を秘密裏に収集する目的で行われた先日の作戦。

 彼女を協力させるため情報は有意義に使用されるとCIAの局員は宣っていた。

 その言葉を信じ、モーガン含む作戦要員は愚直に行動したが──

 

『CIA含め上の連中、先日の1件で腰が引けたな』

『発見時の危険性も含めて作戦だったはずです。それを今更……』

 

 パッケージ13のユニットと交戦する事態は回避したが、危険性は常に指摘されていた。

 それでも最大限のバックアップ体制を構築し、決行に移した。

 しかし、ユニットの総数と展開速度、妨害勢力の存在を前にHQは二の足を踏んだ。

 若き少尉の瞳には、その姿が優柔不断に映る。

 

『まぁ…思うところはあるが、命令は命令だ』

 

 眉が八の字を描くモーガンを横目に、苦笑を浮かべつつ大尉は()()()で話を畳みにかかる。

 使命感や義務感で戦う軍人ゆえに組織へ不満を抱くことは多々ある。

 多くは愚痴として消化されるが、度が過ぎれば不信感に成長し、任務上の障害となる。

 大尉は嗜む適当な分量を心得ていた。

 

『はい、命令は命令です』

 

 フライト・プラン通りの方角に大型の機影を捉えたモーガンも復唱する。

 分別のない子供ではないと言い聞かせるように。

 数多の防衛戦を生還してきた少女もまた常套句で己を抑制できる軍人だった。

 

『ブライス大尉』

『うん?』

 

 地上要員が忙しなく動き出す姿を目で追いながら、モーガンは思い出したように大尉の名を呼ぶ。

 険のとれた普段通りの少女の声は、喧騒に満ちた格納庫内でも耳に届く。

 

『白馬の王子様は彼女の方ですよね』

『ははっ違いない』

 

 壮年の大尉は朗らかに笑った。

 

 

 波の打ち寄せる浜辺は、様々なモノが流れ着く。

 

 海藻や雑多な木片、空のペットボトル、黒ずんだ衣服、焼け焦げた靴、そして──人。

 

 それらを確認して回る人影が4つ。

 夜間に外出し、立ち入り禁止の浜辺を動き回っている者。

 時折、点灯させるハンディライトで浮かび上がる姿は、統一感のないラフな格好をした青年だった。

 

『無事か、黒狼(ヘイラン)?』

 

 ()()()を数多の残骸から見つけ出した細目の青年。

 その声を受けて浜辺の砂に半ば沈んでいた黒毛の塊から耳が立つ。

 

『うん、問題ない』

 

 ゆらりと立ち上がった者は、あどけなさの残る声で端的に答えた。

 

 その者は──細い体躯を包む装いまで黒一色で、夜と形容したくなる少女。

 

 砂の絡まった黒髪は腰まであり、その腰からは黒い尻尾が伸びている。

 人間の形態を逸脱した者、おそらくはウィッチ。

 

『そっちも無事に上陸できたみたいだね』

 

 狼を彷彿とさせる黄金の目が集まってきた青年たちを捉え、微かに安堵の色を浮かべる。

 その目尻には、泣き腫らした痕があった。

 

『……ああ、問題ない』

 

 それから目を背け、細目の青年は一拍置いてから答えた。

 平然を装うために必要な時間だったのかもしれない。

 その間がもつ意味を悟ってしまった異形のウィッチは口を閉ざし、悲痛な表情を浮かべる。

 

『気にすることはない。君の方こそ辛かっただろう』

 

 流れ着いた小さな靴を一瞥してから、ウィッチの視線と相対する。

 避難民401名と軍人14名、それらの最期を見届けた彼女と比べられるものではない。

 ()()便()であると国防軍の目を欺くために必要な犠牲だったとしても。 

 

『隊長、巡回が来る前に移動を』

 

 声を潜めた部下の言葉に頷き、一同は浜辺から擁壁へ足を向ける。

 擁壁の上には不法入国者を阻む有刺鉄線の巻かれたフェンス。

 屈んだ人が通れる程度の穴を開けたのは、部下の1人が持っているボルトクリッパーだろう。

 

陵魚(リンユィ)がいなかった。信じられない』

海上で姿を見ない日がくるとは思わなかった

 

 異形のウィッチは重苦しい空気を変えようと口を開き、それまで沈黙を貫いていたパートナーも同調する。

 沿岸部から海洋に出没するインクブスは、水中戦を行えるウィッチの希少性ゆえ跋扈を許していた。

 しかし、報告通り落着した海域で遭遇することはなかった。

 

『直接確認したわけではないが、(チョウ)の眷属が一掃したと我々は見ている』

 

 フェンスを潜り抜けた細目の青年は、周囲へ油断なく視線を飛ばしつつ言葉を返す。

 

 吉祥の象徴たる蝶の符号で呼ばれる者──この島国を守護する蟲の女王、規格外のウィッチ。

 

 数多の犠牲を出し、辿り着いた希望の全貌は未だ掴めていない。

 しかし、現状の情報だけでも大陸の趨勢を左右するという確信があった。

 髪飾りに扮したパートナーが黒の中で星のように瞬く。

 

そうであれば……いよいよ大陸最強の称号を譲れるな

『うん』

 

 声を潜めつつも穏やかで、希望に満ちた声。

 否応なく名乗ることとなった称号に一切の執着はない。

 むしろ、その未来だけを望む切実さに、青年たちは声もかけられず痛ましい表情を浮かべる。

 華奢な双肩にかかった重責を肩代わりできる者は、彼女しか──

 

「おい、そこで何をしている!」

 

 夜の静寂を打ち壊す無粋な怒声、そして一際強い光。

 青年たちの鋭い視線は、フェンス沿いの歩道を歩いてくる人影を数える。

 自然体を装って立ち位置を変え、異形のウィッチをハンディライトの光から隠す。 

 

『…予定より早い』

「夜間は外出禁止だぞ!」

 

 沿岸部全てを監視するリソースのない国防軍に代わって監視する者たち。

 不法入国者──大陸からの難民──の捕縛に邁進する自警団だ。

 その構成員4名の予定より早い登場に、青年は思わず舌打ちする。

 

「おい、聞こえないのか!」

『予定を繰り上げる』

『了解』

 

 人間を殺傷するための銃火器で武装した自警団員を前に、青年たちが臆した様子はない。

 暴力を生業とする()()の精鋭に属する彼らにとって、眼前の素人集団は屠殺前の家畜同然だった。

 

『彼らは民間人──』

『障害だ』

 

 黒狼の助命は無慈悲に切り捨てられた。

 多くを救うため、多くを捨て、なおも善性を失っていないウィッチに敬意は表する。

 しかし、任務遂行のためには排除すべき善性だった。

 

『排除するぞ』

『了解』

 

 下された冷酷な命令に顔を背けるウィッチ。

 不用意に接近してくる自警団員に対し、青年たちは微かに上体を落とし利き手を隠す。

 あくまで自然体に、違和感なく。

 

「何をこそこそと!」

「待て……中国語だ」

 

 相対している者たちの交えている言語を看破する自警団員。

 地理の関係上、大陸と繋がりのあった暴力団の出身者ゆえに聞き慣れていた。

 今は多くの不法入国者が話す言語だ。

 ショットガンの銃口を指向することに躊躇いはない。

 

「難民が──」

 

 声を遮って破裂音が2度響き、白いシャツの胸元と腹が赤く染まる。

 

 逃亡ではなく先制攻撃──自警団員の1人が膝から崩れ落ちた。

 

 これまでの難民は持っていなかった得物が抜かれ、黒々とした銃口を向けてくる。

 その現実を飲み込み、理解することに自警団員たちは時間を割いてしまった。

 

「こいつ、らぁがっ」

 

 その致命的な遅れが招いた結果は、銃声と共に訪れる。

 1人に対して2発あるいは3発の銃弾が発射され、確実に生命を砕いた。

 そして、薬莢がアスファルトの上で乾いた音を立てる。

 

『排除確認』

『確認、処理に移れ』

『了解』

 

 黒光りする銃口から硝煙を燻らせ、細目の青年は淡々と告げた。

 アスファルトを浸食していく血を見つめるウィッチだけが口元を強く引き結ぶ。

 不法入国者を目の敵にする自警団と交渉の余地はない。

 

 ゆえに、この結末は避けられなかった──共通の敵(インクブス)が現れようと人類は手を取り合えない。

 

 その不条理を許容した青年たちは自警団員の銃を手に取り、無造作にトリガーを引く。

 虫の鳴き声が満ちた夜に鈍い銃声が木霊する。

 

『移動する』

『了解』

 

 ()()の完了した自警団員の亡骸を捨て置き、次の行動に移る。

 ハンディライトの光に虫たちが集う中、人影は逃れるように闇へ消えていく。

 

 大陸最高戦力と合流した今、雌伏の時は終わりを告げた──犠牲を顧みない奪取作戦が始まる。




 ここにファン第1号とナンバーズが参戦します(予告)


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番犬

 みんな海外勢への当たりが強すぎるッピ!


 かつて旧首都より進出を図るインクブスとウィッチが激突した旧首都郊外。

 ポータルによる神出鬼没な戦法が主流となるまで()()に固執したインクブスの侵攻で、一帯は無人地帯となっている。

 主人を失った建築は緑に侵食され、静かに朽ちていく。

 その一つ、廃れた町工場より夜空へ伸びる煙突。

 墓標のように聳えるそれの頂点に、絢爛たる装いを身に纏う少女が2人。

 

「あの、アズールノヴァさん」

「なんですか?」

 

 アズールノヴァは振り返ることなく、蒼い瞳で眼下の街並みを観察する。

 エナの透過した場所は全て見える目だが、()()()()()()()()()

 つい最近、それを理解した協力者は恐る恐るという体で切り出す。

 

「さすがに今日は現れないと思うのですが……」

「それはインクブスにしか分かりませんよ」

 

 インクブスが激減したことで、多くのウィッチは束の間の平和を謳歌している。

 しかし、インクブスは侵略を諦めたわけではない。

 今宵も尖兵と化したウィッチが1人、蒼き焔によって処断されたばかり。

 そして、それが最後とは限らないのだ。

 

「連中以外にも警戒する必要があります」

 

 ドローンの運用者(アメリカ軍)は姿を見せていないが、ホームレスに扮した不審な人物を捕捉している。

 捕捉した場所が()()()ファミリアが交戦した地点となれば、限りなく黒だ。

 

「そ、それは…そうなんですけど……」

 

 月光を反射して瞬く刃に肩が跳ねるもレッドクイーンは弱々しく食い下がる。

 

「さすがに連日は、私、無理です……」

 

 両手で握り締めた懐中時計へ視線を落とすワインレッドの瞳は、瞼が微かに落ちかけていた。 

 睡魔に辛うじて抗っているが、そう限界は遠くない。

 連日連夜、生命の危機に晒され、時に殺人の片棒を担がされ、疲弊しないはずがなかった。

 

「……失念してましたね」

 

 アズールノヴァを名乗る以前、連戦に次ぐ連戦で鍛えられた自身を基準としていた。

 単独行動が常であったがゆえに。

 身の丈ほどもあるソードを一瞬で燐光へ変え、蒼いウィッチは小さく溜息を漏らす。

 

「ご、ごめんなさい…」

「いえ、倒れる前で良かったです」

 

 小さく縮こまるレッドクイーンを一瞥し、顎に手を当てて黙考する。

 

 アズールノヴァは言葉の通じぬ狂人ではない──()()()()()()()()()()

 

 敵と看做した者を平然と斬殺する狂気を、華奢な体の内に飼っている。

 それは間違いない。

 

「明日は私だけでやります」

 

 しかし、協力者と認めた()()()ウィッチを使い潰さない程度には理性的だった。

 

「え…?」

 

 簡単に解放された事実を呑み込めず、餌を取り上げられたハムスターのように硬直するレッドクイーン。

 それを横目にアズールノヴァは淡々と言葉を続ける。

 

「力を発揮できない状態で連れ回しても足手まといですから」

 

 ここまで強制的に連行してきた張本人の言葉は辛辣だったが、首と胴が泣き別れするより良い。

 

「ありがとうございますっ」

 

 頭を下げて感謝を口にする協力者から興味を失ったアズールノヴァは、眼下の街並みへ視線を戻す。

 感謝の言葉など不要。

 都合の良い協力者であれば、それ以上は求めない。

 

「…あ、あの」

 

 途切れるかに思われた会話は、継続された。

 闇の彼方を見通す蒼い瞳が真紅のウィッチへ向けられる。

 

「アズールノヴァさんは……学校とか無いんですか?」

 

 出会ってから抱いていた疑問を口にするレッドクイーン。

 例えるならアズールノヴァは恐ろしく斬れる業物だが、一度も鞘に収まったところを見たことがない。

 プライベートが存在しているのかと心配になるほど、連日活動しているのだ。

 

「あ……あ、えっと」

 

 ()()の写真をSNSで拡散した前科がある身で、それは不用意な詮索だったが。

 睡眠不足で思考の鈍っていたレッドクイーンは自身の言葉を反芻し、徐々に青ざめていく。

 取り繕う言葉を必死に探し──

 

「通ってますよ」

 

 まるで他人事、淡泊な返答に遮られた。

 天敵を前にした小動物のように縮こまる協力者を見て、アズールノヴァは鼻を鳴らす。

 

「意外でしたか?」

「い、いえ…」

 

 慌てて首を横に振るレッドクイーン。

 義務教育の課程にいる者が多くを占めるウィッチである以上、アズールノヴァも例外ではない。

 敵と認めれば躊躇なく凶刃を振るうウィッチも蒼き装いを纏っていない時は、学徒の1人である。

 

「たとえ薄氷の日常だとしても、約束したので」

 

 言い聞かせるように言葉を紡ぐ。

 アズールノヴァの月光を宿した瞳は、彼方を見ているようで、何も見ていない。

 まるで、抜け殻だ。

 その空虚な様に、誰との約束かと踏み込むことは憚られた。

 

「そういえば……最近は、興味深いこともありましたっけ」

 

 ふと、記憶の片隅にあった出来事を思い出し、独り言ちるアズールノヴァ。

 その口元には人間味のある笑みが浮かぶ。

 

 柔らかな表情を覗かせる少女の横顔は──非の打ち所がないほど完成されていた。

 

 敵へ向ける笑みは激しい攻撃性をマスキングするため。

 しかし、今の笑みは不純物のない感情の発露だった。

 それに見惚れていたレッドクイーンは、蒼い瞳が怪訝な色を宿したところで慌てて口を回す。

 

「私は成績が心配ですかねっ…さ、最近、授業中に意識が──」

「勉強なら教えましょうか?」

「はぇ?」

 

 まったく興味を示さないであろう話題を振ったはずが、アズールノヴァは乗ってきた。

 その現実を処理できず、再び硬直するレッドクイーン。

 

「どうかしましたか?」

「え、あの……どうやって?」

 

 混乱する頭が出力した言葉は、実現性について問うもの。

 しかし、聞くべきは実現性ではなく、前身の首を刎ねたウィッチの真意だ。

 

 額面通り善意を受け取って良いものか、そもそも善意なのか──

 

 様々な思考が衝突し、渋滞を起こし、睡眠不足のレッドクイーンは、やはりハムスターになる。

 

「一応、同級生ですからね」

「同級生……ふぁっ!?」

「制服と学年章」

「あ…」

 

 半眼のアズールノヴァに指摘され、レッドクイーンは自身が連行される時の格好を思い出す。

 そして、平穏と思われていた学校生活に凶刃の影があった事実に震える。

 

()()()のプライベートまで拘束するつもりはありません。だから、提案です」

 

 そんな協力者の内心に興味のないアズールノヴァは言葉を続ける。

 無償の善意ではなく、当然思惑はあるが、強制するほどの重要性はない。

 ゆえに、提案。

 

「どうして…ですか?」

「レッドクイーンは宣誓通り、私に協力しています」

 

 再誕した瞬間から生殺与奪の権利を握られていたイレギュラー(同類)は、己の生存のために協力を申し出る。

 それを承諾こそしたが、協力とは名ばかりの監視、敵対すれば処分するつもりだった。

 

「選択肢はなかったでしょうけど、おかげで私は多くの事が為せた」

 

 しかし、レッドクイーンは想像よりも有用で従順だった。

 特に空間を置換するマジックは、有象無象を駆逐する効率を大きく向上させた。

 エナを放射し続けているゆえに被発見率が高いアズールノヴァにとって、奇襲を可能とするアドバンテージは大きい。

 

「だから、報酬のようなものですね」

 

 本来は報酬などで縛られない両者の関係性。

 これはアズールノヴァの()()()()だが、感謝していないと言えば嘘になる。

 そんな胸中を知るはずもない協力者は、鈍った思考の中で次の言葉を慎重に選んでいた。

 

「あ、あの──」

「シルバーロータス様」

 

 それは中断を余儀なくされる。

 アズールノヴァは何事よりも優先される対象を捕捉した。

 飼い主を発見し、耳を立てる大型犬の姿をレッドクイーンは幻視する。

 

「行きますよ、レッドクイーン」

「あ、はい」

 

 拒否権はない。

 レッドクイーンは蒼い瞳の向けられた方角を確認し、懐中時計に視線を落とす。

 

()()は使わずに」

 

 しかし、細い指を重ねられ、マジックの発動は中断を余儀なくされる。

 アズールノヴァは流れるような所作でレッドクイーンの脇に右腕を通し、両膝の下に左腕を差し入れ──

 

「え、え?」

 

 状況を飲み込めず固まる協力者を軽々と抱き上げた。

 所謂お姫様抱っこ。

 マジックによる空間置換は彼女を警戒させると判断したため、あえて姿を晒すのだ。

 

「暴れたら落としますから」

「アズールノ──」

 

 聞く耳を持たないアズールノヴァは跳ぶ。

 マジックと脚力を織り交ぜた跳躍で重力を振り切って、夜を飛び越える。

 猛禽に捕獲された小動物のように身を固くするレッドクイーンを抱えて。

 

 電波塔、電柱、屋上の給水タンク、それらを足場に跳躍を繰り返し──前触れもなく重力に身を委ねて自由落下。

 

 アスファルトへ軽やかに降り立ったヒールが雅な音を奏で、燐光が舞う。

 

「もういいですよ」

「ひゃ、ひゃい」

 

 生まれたての小鹿よろしく立つ協力者から眼前の建築物へ蒼い瞳を向ける。

 降り立った場所は郊外にある廃工場前。

 外壁は緑に侵食されているが、赤錆びたシャッターは明らかに()()()()()()()()

 屋内は抜け落ちた天井より注ぐ月光以外に光源はなく、闇が滞留していた。

 

「ここに…?」

「はい」

 

 アズールノヴァはシャッターより上を一瞥してから足を進める。

 その背中に恐る恐る追従するレッドクイーンは、一歩進むごとに顔が引き攣っていく。

 

 ──足音だ。

 

 虫の鳴く夜であれば、耳を澄ましても聞こえない程度の。

 しかし、不気味な静寂の中、コンクリートの床面を叩く()()()()()は、廃工場内を反響して鼓膜を叩く。

 

 内と外の境界線で足を止める2人のウィッチ──その視線の先、月光の下に現れる影。

 

 鼠色の小柄な人影と周囲で蠢く長大な影。

 

「…アズールノヴァ?」

 

 紅い瞳を瞬かせるビスク・ドールの如きウィッチ。

 そして、主を守護するように()()()を巻く毒々しい紅色のヤスデが訪問者を出迎えた。




 番犬というより狂犬では(直球)


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召喚

 小噺より本編を進めろ(正論)


 3体のヤママユガを別の方角へ放つことで追跡を撹乱する試みは、エナの消費量に対して効果が見合っていない。

 あっさりと新米ウィッチ──新米の実力ではないが──に発見されるようでは有効と言えないだろう。

 まさか、ここで遭遇するとは。

 

「お久しぶりです、シルバーロータス様!」

 

 尻尾があれば扇風機のように振っている様が想像できるアズールノヴァは、ハマダラカの索敵網より外側から飛来していた。

 偶然、通りがかったわけではない。

 きらきらと碧眼を輝かせるファンとの再会を喜ぶべきか、それとも──

 

お久しぶ──むぎゅ

 

 反射的に答えようとしたパートナーの鋏角をつまむ。

 入口の上で網を張るメダマグモへ待機するようテレパシーを発する。

 腰に下げたククリナイフの重みを意識の片隅に置いて。

 

「後ろのウィッチは?」

 

 見慣れぬ同行者、アズールノヴァの背に隠れるウィッチについて問う。

 洗脳されたウィッチ特有の変調したエナは観測していないが、インクブス以外の脅威が明らかになった今、警戒せざるを得ない。

 

「あ、こちらは」

 

 笑みを浮かべたままアズールノヴァは流れるように背後のウィッチを前へ押し出した。

 バラの花びらを思わせる真紅の装いが、ふわりと舞う。

 廃工場には場違いなドレスに身を包むウィッチとは初対面のはずだが、妙な既視感があった。

 

「ひぇ」

 

 視線を合わせるなり、露骨に怯えられた。

 私は仏頂面かもしれないが、そこまでか?

 王侯貴族でも通りそうな容姿だが、肝心の本人は赤い瞳を忙しなく動かして落ち着きがない。

 

「一緒に活動しているバディの」

「れ、レッドクイーンれすっ」

 

 噛んだ。

 みるみる赤面していくレッドクイーンと笑顔に微かな困惑を滲ませるアズールノヴァ。

 

 演技にしては──そんな穿った見方を頭から追い出す。

 

 油断すべきではないと考える一方で、年端もいかない少女を疑う自身に辟易する私がいた。

 とぐろを巻くヤスデの頭を撫で、それから静かに息を吐き出す。

 

「そうか」

 

 2人の頭上で網を構えるメダマグモへ下がるようテレパシーを発する。

 

 甘いか──甘いな。

 

 だが、本来味方であるウィッチを頭ごなしに疑ってどうする?

 他者を疑い出せば、そこに際限などない。

 

「シルバーロータスだ」

 

 相変わらず慣れない名前だが、初対面の相手には名乗る。

 対話を行う上で最低限の礼儀。

 駆逐すべきはインクブスであって、ウィッチではない。

 私がすべきなのは思考停止ではなく行動すること。

 

「は、はい、よろしくお願いしますっ」

「そのままでいい」

 

 慌てて頭を下げようとするレッドクイーンを手で制する。

 メダマグモこそ下がらせたが、鉄骨の陰に紛れるカマキリや天井で粘液球を垂らすナゲナワグモは臨戦態勢のまま。

 そして、今も傍を離れない大蛇の如きヤスデが、私の猜疑心を表している。

 自己嫌悪が顔に出ないよう口を引き結ぶ。

 

改めまして…お久しぶりです、アズールノヴァさん! 初めまして、レッドクイーンさん!

「はい、お久しぶりです!」

「は、初めまして」

 

 肩の上で機会を伺っていたパートナーが挨拶する。

 途切れかけた流れを取り持つように、溌溂とした声で。

 

 ちらりと黒い眼が私を見る──疑っていた手前、次にかけるべき言葉を探していた私を。

 

 毎度、会話の場で頼るわけにはいかないと思っているが、助けられてばかりだ。

 苦手意識を払拭することは難しい。

 

あれからお会いする機会がなかったので心配しましたが、バディで活動されていたんですね

「はい」

 

 廃工場に足を踏み入れる2人の影をカマキリが闇より追う。

 ヒールの奏でる足音に反応し、ヤスデが微かに身を揺らす。

 

「レッドクイーンもシルバーロータス様のファンで、意気投合してから一緒に活動しているんです」

な、なんと、2人目のファンが!

 

 アイドル性の欠片もない私のファンが増えたことより、アズールノヴァがバディを組んだことの方が喜ばしい。

 端的に言えば、生還率が高まる。

 ただ──

 

「ね?」

「そ、そうなんですっ」

 

 バディに同意を求められて必死に頷くレッドクイーンは、()()()パートナーを連れていなかった。

 彼女も新世代のウィッチなのだろう。

 しかし、精神的な支えでもなるパートナーを連れていないウィッチは危うく見える。

 なぜ、オールドウィッチはパートナーを排した?

 

それで、お二人は何をされていたんですか?

「それについては今から説明しますね──シルバーロータス様」

 

 陰鬱な思考を断ち切り、笑みを消したアズールノヴァと視線を合わせる。

 淀みのない真っすぐな目だった。

 改まって切り出される本題は良かった試しがない。

 

「先日、お話しいただいた尾行の件、犯人を突き止めました」

 

 旧首都で活動する度、(シルバーロータス)の情報が増えていないか田中くんに確認したが、変化はなかった。

 ゆえに最低限の対策しか講じていなかったが、険しい声色から嫌な予感がした。

 

「犯人は、インクブスに操られたウィッチです」

 

 それを聞いた時、一瞬でも安心した私が、いた。

 躊躇なく駆逐できる明確な敵、問題解決の道筋が見えたと。

 そういう問題じゃない。

 

「そうか」

 

 年端もいかない少女が、インクブスに敗北したウィッチの()()を見たのだ。

 数ある凄惨な末路の中でも最悪に類されるものを。

 床へ視線を落とすレッドクイーンも、おそらく遭遇したのだろう。

 

インクブス……やはり、度し難いですね

 

 左肩から聞こえてくるパートナーの憤る声。

 その手の戦術を好むインクブスを屠り続けてきた私は、その声が出なかった。

 慣れてしまった己が嫌になる。

 

「…大丈夫か」

 

 口から出たのは、空虚な言葉だった。

 

「お気になさらないでください」

 

 ウィッチと戦うことは相当なストレスだったはずだ。

 しかし、力強く微笑むアズールノヴァに影は見えない。

 見せていないのか、上手くコントロールしているのか、私には判断できなかった。

 

「撃退には成功しましたが、まだ近隣に潜んでいるはずです」

それで捜索中に私たちを見つけた、と…

「はい」

 

 燻る感情を持て余す間も話は進む──頭を切り替えろ。

 

「ファミリアを狙っているように見受けられたので、急ぎお伝えしようと」

「ファミリアを?」

 

 私ではなく、ファミリアを狙う?

 根源を絶たない限り、ファミリアは補充されるものだ。

 労力に見合わない。

 同様の疑問に思い至ったパートナーと目が合う。

 

何が目的でしょう?

「ただ戦力を漸減するためとは考えにくい」

まさか、ファミリアの休眠中を狙って?

「なら、少数で行う必要がない」

 

 狡猾だが我慢弱いインクブスは迂遠な手段を好まない。

 休眠中のファミリアを叩くなら大規模な群れで徹底的にやるはずだ。

 

「ともかく、敵はインクブスだ。それが分かれば()()()()はある」

 

 インクブス共の意図を読み解くのは、今でなくともできる。

 それよりも厄介事に巻き込んでしまった2人に、これ以上関わらないよう言うべきだ。

 手遅れだとしても。

 

「アズールノヴァ」

「はいっ」

「レッドクイーン」

「え、あ、はい!?」

 

 新星のように輝く蒼い瞳と宝石のような真紅の瞳を、それぞれ見る。

 

「情報提供、助かった」

「当然のことをしただけです!」

「わ、私は特に何も…」

 

 私の目を担うファミリアは変調したエナを観測する精度が高くない。

 2人のおかげで対処すべき相手の1()()を明らかにできた。

 十分だ。

 

「後は、私たちで対処する」

「え?」

 

 アズールノヴァの笑顔が硬直し、レッドクイーンは困惑の表情を浮かべる。

 罪悪感を胸中に押し込んで、言葉を続ける。

 

「この件には、これ以上関わるな」

 

 有益な情報を得たから用済みだと放り出す──最悪の所業だ。

 

「えっと、それは…そう、ですよね」

 

 笑顔の抜け落ちた蒼いウィッチは、不安げに立ち尽くしていた。

 親とはぐれた迷子の子どもみたいに。

 酷い自己嫌悪に襲われるが、それでも。

 

「シルバーロータス様に、お力添えなんて必要ありませんよね……」

「違う、そうじゃない」

 

 個人には必ず限界がある。

 全てを自己完結できるなど思ってはいない。

 できる、できないは脇に置くとして、協力の申し出はありがたい。

 だが、今回は違う。

 

「ウィッチと戦うことになる」

 

 重々しく吐き出した()()が全てだった。

 受ける心的ストレスは、インクブスとの戦いの比ではないと私は感じている。

 特に事後処理、あんな光景は見ないに越したことはない。

 

「あ、アズールノヴァさんは覚悟した上で、ここに来てます」

 

 緊張で微かに震える声。

 消沈したアズールノヴァではなく、隣に立つレッドクイーンからだった。

 胸元の懐中時計を握り締め、強張った表情で私を見ている。

 

「覚悟」

 

 反芻した言葉を、あの時の私は持ち合わせていなかった。

 救助が間に合わず、凌辱されたウィッチ。

 旧首都の片隅で苗床にされていたウィッチ。

 洗脳から解放された瞬間、自害したウィッチ。

 凄惨な光景の数々を黙過し、順応しただけだ。

 

「まだ組んで間もないですけど……アズールノヴァさんは、私と違って迷いません。逃げません」

 

 私よりも近くでアズールノヴァを見てきたバディの言葉には、重みがあった。

 その真剣な声色から嘘ではないと分かる。

 

「だから、戦え…ると思います……」

「レッドクイーン…?」

 

 最後の言葉は尻すぼみとなり、徐々に不安の色が真紅の瞳に浮かんでくる。

 それでも撤回しなかった。

 そんなレッドクイーンの姿は初めて見たようで、アズールノヴァも驚きの表情を浮かべている。

 

 私が頼めば、彼女は戦う──自惚れに近いが、確信があった。

 

 だが、そうじゃない。

 

「戦意の問題じゃない。心を守るためだ」

 

 その重要性を説くウィッチはパートナーを連れておらず、メンタルケアも受けられない。

 一般的なウィッチよりも危ういのだ。

 せめて、自身の心は自衛してくれ。

 

「…辛い戦いだと分かってはいるつもりです」

 

 視線を落としてから、ゆっくりと私を見るアズールノヴァ。

 

「シルバーロータス様にとって、私たちは庇護の対象かもしれません」

「それは…」

 

 子どもは大人の庇護下で成長し、大人へなっていく。

 ウィッチをやっている年齢の少女とて、本来そうあるべきだ。

 あるべきだが、それを私が言うことは憚られた。

 

「でも、それでも、お力になりたいです」

 

 言い淀む私に対してアズールノヴァは迷わなかった。

 一切の打算を感じない真っすぐで、曇りのない目。

 私が強く拒めない、あの目だ。

 

「なぜ、そこまでする?」

 

 ファンという言葉だけでは片付けられない献身。

 ゆえに私は、問う。

 

「貴女に救われたからです」

 

 蒼いウィッチは、答える。

 両手を胸元で抱き、祈るように言う。

 1人の少女を救った事実は、きっと喜ばしいことだ。

 だが、その結果、ウィッチとして戦わせている。

 

 アズールノヴァの意志は強い──思いとどまらせるには、相応の言葉がいるだろう。

 

 やはり、ウィッチと関わるのは苦手だ。

 沈黙を貫くパートナーを一瞥すると、落ち着いた声が返ってくる。

 

私は()()()()()判断を尊重します

 

 パートナーは決断を下さない。

 助言する、諫めもする、相談にも乗る。

 だが、最終的な判断はウィッチに委ねる。

 

「ウィッチの、か」

はい

 

 私ではなく、この場にいるウィッチか。

 アズールノヴァも、レッドクイーンも、次の言葉を待っている。

 ここで彼女たちを拒めば、大人しく引き下がるかもしれない。

 しかし、仮に引き下がったとして、彼女たちの次の行動は読めなくなる。

 

 そこまで責任は持てない──納得できるか?

 

 ままならないな、まったく。

 選択肢があるようで、ない。

 

「はぁ……分かった。前言は撤回する」

 

 溜息を止める気にはならなかった。

 つくづく甘い。

 対する蒼いウィッチは目を新星みたいに輝かせ、真紅のウィッチは安堵の息を漏らしていた。

 

「ただし、二人とも無理はするな」

「はい」

「あと、連絡手段だ」

「はい!」

 

 完全に調子を取り戻したアズールノヴァは、飼主を前にした大型犬のようだった。

 パートナーを連れていない以上、連絡手段はケータイになるだろう。

 

 だが、音信不通となって気を揉むよりは──ヤママユガよりテレパシー。

 

「釣れたか」

おそらく

 

 パートナーと短く言葉を交える。

 別方角へ飛ばしたヤママユガがエナの放射を観測した。

 インクブスではない。

 つまり、私を追うウィッチがいたということだ。

 

「シルバーロータス様?」

「連絡手段については後だ。まず、予定を済ます」

 

 イレギュラーの訪問で多少予定は狂ったが、早々に片付けるとしよう。

 ファミリアへ配置を移動するようテレパシーで指示する。

 とぐろを解いたヤスデが月光を反射しながら闇へ潜り込み、私は踵を返す。

 

「ここでは何をされる予定だったんですか?」

新たなファミリアを迎えに来ました

 

 ヒールの雅な足音を背に、一切機材の置かれていない廃工場を進む。

 フードを目深に被った鼠色のてるてる坊主が、華やかなドレスに身を包む少女を月下より闇へ引き入れる。

 場違いなのは、どちらなのやら。

 

「新しいファミリアは──」

 

 この廃工場には、至る所に天井が抜け落ちた場所がある。

 その一つに、月光を浴びる奇妙な小山を発見したアズールノヴァは、足を止める。

 

「あれは…インクブスの武器ですか?」

「そうだ」

 

 乱雑に積まれているが、あれはインクブスの得物だ。

 ゴブリンやオークの得物は当然、ボウガンの矢弾、へし折ったオーガのメイス、マーマンのスピア、エトセトラ。

 目的地は、それらを一際高く積み上げた山だ。

 

「リサイクルごみ…?」

当たらずといえども遠からず、ですね

 

 レッドクイーンの呟きにパートナーが答える。

 現代の技術では解体できない代物を、何かに利用できないかと回収してきた。

 廃工場の中央付近に積まれたごみの山。

 今となっては宝の山だ。

 

 月光を浴びる黒い山を見上げ──ぶわりと青が噴き出す。

 

 積み重なったインクブスの得物、その隙間から次々と這い出てくる影。

 7対の脚を懸命に動かし、丸い背中が山を下ってくる。

 言わずと知れた私のファミリアだ。

 

「ひっ」

「わぁ」

 

 悲鳴と歓声が同時に上がる。

 隙間から這い出てきたファミリアは、ラピスラズリのように深い青色の背甲をもつダンゴムシ。

 その群れが一斉に私の下へ集まってくる。

 とことこ、という間の抜けた足音と共に床面を青が覆い尽くす。

 

「青いダンゴムシなんて初めて見ます!」

 

 ブーツの下に潜り込もうとするダンゴムシ、登ろうとするも失敗して横転するダンゴムシ、それに驚いて丸まるダンゴムシ──足の踏み場がない。

 しゃがみ込んで退くように手を出せば、たちまち群がってきて押し合う。

 戦闘を主眼とするファミリアとは異なり、ずいぶん人懐っこい。

 

「綺麗ですね!」

「あ、アズールノヴァさん…!?」

 

 足下に来たダンゴムシを抱き上げて目を輝かせるアズールノヴァ。

 バスケットボール大はある節足動物を前にして逃げるどころか頬ずりする勢いだった。

 

物怖じしませんね

「ああ」

 

 本当に物怖じしないな。

 捕まったダンゴムシも困惑気味に脚を動かす。

 

「私は何も見てません私は何も見てません私は何も見てません……」

 

 その傍ではレッドクイーンが懐中時計を握り締め、呪文を唱えている。

 あまりの必死さに気の毒になってきた。

 群がるダンゴムシを払い除け、時に転がしながらレッドクイーンの前へ立つ。

 

「レッドクイーン」

「へ、あ、ひゃい!?」

 

 目を開けるなり飛び上がって縮こまるレッドクイーン。

 私より身長は高いが、仕草の一つ一つが臆病な小動物を彷彿とさせる。

 

「無理に立ち会わなくていい。すぐ終わる」

 

 そう言って近場の出口──おそらく戦車砲の貫通痕──を指し示す。

 苦手なものに無理をしてまで立ち会う必要はない。

 

「あ、あの、それって1人で待つってことですか…?」

 

 指差す方向へ追従したレッドクイーンの視線は、出口付近で触覚を揺らすカマキリに固定される。

 私の視線に気がつき、前脚を舐めてみせることで存在感をアピール。

 よせ、今はよせ。

 

「む、むむ無理です!」

 

 そう思う。

 私のファミリアは優秀だが、万人受けしないビジュアルをしている。

 青ざめた真紅のウィッチは、間違いなく苦手そうだ。

 物怖じしないアズールノヴァが特別なだけで、その反応が普通だった。

 

「困らせてはいけませんよ、レッドクイーン?」

「ぴっ」

 

 私の頭越しにバディを見たレッドクイーンの肩が小さく跳ねる。

 背後から聞こえた声は調子こそ普段通りだったが、背筋の寒くなるような圧力があった。

 

「別に困っては──」

 

 振り向いたところには、不思議そうに首を傾げるアズールノヴァがいるだけ。

 そう、それだけだ。

 本当に()()()()か?

 

「それなら、いいのですが」

 

 そう言って青いダンゴムシを足元に放す蒼いウィッチは、曖昧に微笑む。

 アズールノヴァらしくない()()が違和感の正体か。

 目が笑っていなかった。

 

 彼女が見せる底知れない何か──追究は、やめておこう。

 

「苦手なものは誰にでもある」

「すみません…」

 

 ただ、萎縮しているレッドクイーンに落ち度がない点は強調しておく。

 

す、すぐ終わりますから

「それまで目を閉じていればいい」

「は、はい」

 

 不安で揺れる目を閉じ、懐中時計を胸元で握るレッドクイーン。

 それでいい。

 

 視界を遮るフードを取り払い──周囲に群れるファミリアへテレパシーを発する。

 

 それから壁面と支柱の位置関係を大まかに把握する。

 重量級ファミリアには、空間が必要だ。

 

「この子たちが新しいファミリアですか?」

「いや、今から呼び出す」

 

 アズールノヴァの問いへ端的な言葉で返す。

 表舞台へ滅多に現れないが、ダンゴムシはファミリアの中では古参だ。

 今回の主役は、別にいる。

 

「ここで召喚を? それだと、エナが……」

 

 その疑問は尤もだ。

 ファミリアにエナの供給比率を傾けているため、召喚を行えるだけのエナはない。

 だが──

 

「問題ない」

 

 だからこそ、ここに来た。

 目を閉じ、外界を遮断して暗闇に身を置く。

 

「二人とも動くな」

 

 夜風、足音、息を呑む声の全てを意識から追い出し、ただ集中する。

 周囲で燃ゆるファミリアの灯一つ一つを導き、地に紋様を描く。

 螺旋状の円網にも、大輪の花にも、見える。

 それはエナを効果的に伝播させるための回路。

 脳裏に浮かぶ膨大な情報を選別し、ファミリアの輪郭を形成──

 

リリース(解除)

 

 目を開き、久しぶりに唱える言の葉。

 そして、世界の色は反転する。

 紋様を形作るダンゴムシの群れへ微弱なエナの命令文を放った。

 ただ、それだけ。

 

 分解者としてダンゴムシは召喚したわけではない──本来はそうだったが、今は副次的なものだ。

 

 マジックと打ち合えるインクブスの得物は、エナに直接干渉する()()()の産出物だ。

 それを摂食した分解者たちは、性質を変化させて己の背甲に蓄積した。

 青き背甲は伝播するエナの命令文を加速し、増幅し、出力する。

 

……成功です

 

 出力された先には、1体のファミリアが顕現していた。

 不可視の糸が繋がれた瞬間、テレパシーが飛んでくる。

 ファミリアの産声だ。

 どこか甘えるような、くすぐったい感覚に頬が緩む。

 

立派な姿になりましたね

「ああ」

 

 感慨深げなパートナーの言葉に頷く。

 月光を吸い込む漆黒の外骨格は、()()()()マジックへの耐性を獲得している。

 巨体を空中へ飛び上がらせるため翅は大型化し、陸戦にも適応した脚は長大化。

 オークの頭蓋も粉砕する大顎は、オオスズメバチよりも凶悪な造形だ。

 

 そして、最も異質な進化を遂げた──マジックの発射機構と化した毒腺と毒針。

 

 飛び道具への対抗策として、苗床にしたインプのマジックを参考に再構築した紫電を放つ。

 この絶大な火力と引き換えに、苗床の生産には関与できなくなっている。

 進化というより変異が正確な表現か。

 

「シルバーロータス様、今のは一体何を?」

 

 漆黒のファミリアと私を交互に見てから、アズールノヴァは困惑気味に切り出す。

 私でも感じ取れる濃度に達したエナが、今は残滓すら感じ取れない。

 しかし、ファミリアは召喚されている。

 まるで、マジック(魔法)みたいな話だ。

 そのマジック(手品)の種は、足下に集まってくるダンゴムシにある。

 

「このダンゴムシ」

モノクロモスです

 

 間髪容れず訂正が飛んでくる。

 抜かりないな。

 

「…モノクロモスは、エナの出力を増幅させる物質を外殻に蓄積させている」

それに働きかけることでマジックを発動させたんです

 

 特性を完全に把握したわけではないため、未だ運用は手探りだ。

 それでも微量のエナで重量級ファミリアの召喚を行える点から、極めて強力な能力であることは疑いようがない。

 

「すごいですよ! それならエナの消費を抑えてマジックの連発が…いえ、より威力を向上させることも?」

 

 説明を聞いたアズールノヴァは、一瞬で有用性を理解したらしい。

 足下のダンゴムシもといモノクロモスを軽やかに抱き上げ、目を輝かせる。

 

「この子たちがいれば──」

「ただし」

 

 希望に満ちた言葉の続きを、私は遮った。

 思い描いた夢物語は多くのウィッチを救うかもしれないが、それは実現できない。

 一仕事終えたモノクロモスは、床面のコンクリートと大差ない体色になっている。

 これが本来の色、本来の姿。

 つまり、エナの増幅は行えない。

 

「一度の使用で背甲に蓄積された分は全て消費される」

再び蓄積されるまで使用はできません

 

 二度と使用できないわけではないが、それまでは無力なファミリアの群れだ。

 しかし、問題は再使用が可能となるまでの期間ではなく──

 

「そして、個体数が少ない」

 

 個体数を増やし、手数を補うという正攻法が使えない。

 十全な効果を発揮するために必要となるインクブスの得物が有限だからだ。

 先日の殲滅戦で得た備蓄はあるが、安易に切れない手札になっている。

 

「そう、ですか……」

 

 アズールノヴァは小さく肩を落とし、モノクロモスを下す。

 画期的なファミリアだと思うのも無理はない。

 単純な能力の強化だけでなく、戦術の幅を大きく広げることができるのだ。

 ファミリアを呼び出す以外のマジックを持たない私より彼女たちの方が恩恵は大きいだろう。

 

「召喚されたファミリアは、ハチですか?」

 

 陰りの見えた表情を打ち消し、蒼いウィッチは漆黒のファミリアを見上げた。

 この少女は失望しないのだろうか?

 ふと、そんなことを思う。

 

「そうだ」

ハチではありませんよ!

 

 三者の視線を受けた元コマユバチは首を傾げ、それから呑気に触角の掃除を始める。

 1週間足らずで5桁近いインクブスを屠った変異個体は辛うじて昆虫の形態を保っているが、コマユバチの原形は残っていない。

 しかし、何も知らない者からすれば巨大なハチに見えるだろう。

 

ふふふ、ナイトストーカー改めデスストーカー……とか、どうでしょう?

 

 最後まで自信を持って言い切れよ。

 ウィッチのファミリアらしからぬ剣呑な名前だが、代案もない。

 

「好きにすればいい」

むぅ……私たちのファミリアなんですよ?

 

 インクブスの駆逐を望むだけの私に名を授ける権利があるとは思えない。

 それよりもレッドクイーンを介抱すべきだろう。

 コンクリートの床面で眠るように気絶している。

 見てしまったのか。

 

「綺麗な黒色をしていますし、オニキスなんてどうでしょう?」

ブラックオニキスですか……なるほど、良いかもしれません

 

 パートナーとアズールノヴァが揃って私を見る。

 私に同意を求められても色よい返事は出てこないぞ?

 

「そんな目で見るな。いいんじゃないか?」

 

 期待に輝く視線へ月並みな言葉を返す。

 気絶したレッドクイーンの上を歩き回るダンゴムシを払い除けながら。

 

あ──れ、レッドクイーンさん!?




 ダンゴムシパイセン……


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烽火

 インクブス視点でしか摂れない栄養素がある(迫真)


虫けらどもが北の塔に取り付きやがった!

大陸帰りの持ち場だろ! くそっ口だけかよ!

増援が来るまで持たせるぞ!

 

 重厚な開き扉の向こう側を忙しない足音が駆けていく。

 その耳障りな雑音を聞き、黄金の眼は苛立ちで細められる。

 動揺して騒ぎ立てようが、有象無象が事態を好転させる可能性はない。

 無能を嫌うインプの総長は、忌々しげに溜息を吐く。

 

シリアコ卿、本当に救援はよろしいのですか?

 

 その様子を窺う漆黒のインクブスが恭しい口調でシリアコへ問う。

 傍に感情の抜け落ちたウィッチを6人も侍らせて。

 

誰に物申しておる。羽虫ごときに後れを取るものか

 

 静かな怒気が闇の満ちた室内へ広がる。

 己の実力を問う言葉は、侮辱に等しい。

 数日前の反抗作戦が失敗し、同胞の派遣された巣が次々と全滅したことでインプの権威は暴落した。

 同胞の慢心と実力不足は認めるが、総長の実力まで疑われることは我慢ならないのだ。

 

これは失礼しました

 

 恭しく頭を下げる漆黒のインクブス──ボギー。

 

 室内の闇と同化するような黒毛で全身を覆われたインクブス。

 ヒトの雌、特にウィッチを調教し、支配することに愉悦を覚える。

 精神性はインプに近いが、マジックによる洗脳は好まない。

 

貴重なウィッチを使わせてやるのだ。成果がなければ承知せんぞ

 

 シリアコは苛立ちを隠しもせず、異派のインクブスへ言葉を返す。

 インクブスにとってウィッチは貴重な苗床であり、壊れにくい嗜好品であった。

 天敵であると同時に極上の獲物なのだ。

 ()の命令がなければ、差し出すインクブスはいない。

 

既に3匹も失っておきながら、寛大なお言葉に感謝します

 

 シリアコの尊大な態度に対して、あくまで低頭の姿勢を崩さない。

 大陸にて同胞を率い、ウィッチを狩ってきた実力者に驕りは見られなかった。

 ゆえに、今回の作戦に選出されたのだろう。

 忌々しいファミリアが苗床()()を捕食しなければ発案されなかったであろう作戦に。

 

それは青二才めの()()()であろう?

 

 甚大な被害が癒えぬゴブリンやオークは苗床確保のため除外、大陸のインクブスは非協力的とあって、ウィッチを差し出せるインクブスは限られた。

 事あるごとに衝突するライカンスロープの渋面を思い出し、口角を上げるシリアコ。

 不快な出来事が続く中、久々に愉悦を覚えた光景だ。

 

 腹底まで響く重々しい雷鳴──倒壊する構造物の断末魔。

 

 室内が振動し、天井より微細な破片が零れ落ちる。

 天変地異の存在しない異界に轟く雷は、ウィッチのエナで形成された()()()()()()()()

 その不気味なマジックの気配を感じ取ったインプの総長は顔を顰める。

 

羽虫め……もう行け、カーティス

 

 ウィッチの補充を受け取ったカーティスが長居する必要はない。

 邪険な扱いを受けようとボギーのカーティスは今一度頭を下げる。

 

では…ご武運を、シリアコ卿

 

 ウィッチを率いる漆黒のインクブスは、女体を模ったオブジェを取り出す。

 ポータルの放つ禍々しき光を背にシリアコは踵を返し、重厚な開き扉へ足を向ける。 

 

…ふん

 

 ヒトの文化に気触(かぶ)れたインクブスからの激励を鼻で笑い、扉を開く。

 

総長!

 

 扉の両側に控えていたインプが総長を出迎える。

 深紫の戦装束と複雑な紋様を刻んだ鎧を纏い、天井を突かんばかりに長大なスピアを携えた同胞。

 滅多に見ることがない完全武装した姿に、シリアコは苦々しい表情を浮かべる。

 微かな光が射し込む回廊に同胞以外の姿はない。

 

狼狽えるでない。彼奴らの位置は分かっておろうな?

 

 インプの総長は迷いなく回廊を進み、追従する同胞へ問う。

 術を研鑽してきたインプにとって屈辱的な姿を強いる元凶の位置を。

 

群れの後方に最低でも8……ただ、観測したケットシーは──」

死んだか

 

 その末路は言わずとも想像がつく。

 エナの雷に打たれたインクブスは文字通り破裂する。

 

即死です

 

 マジックの性質は電撃による物理的破壊であり、発現する事象は焼殺。

 しかし、エナの放射流を含んだ一撃は、肉体を循環するエナを飽和させ、()()()()()

 インプの戦装束は放射流を拡散させ、威力を軽減するためにある。

 

やはり、眼と耳を狙ってきおるか

間違いなく

 

 シリアコは忌々しげに、しかし、冷静に分析を行う。

 ここ数日で21の巣を全滅させたファミリアには類似した習性が確認されていた。

 マジックを使用する術士、肉弾戦の脅威となる戦士、情報を収集する斥候、そして指揮を執る上位のインクブスを、徹底して狙う。

 インプの総長でありながら、同胞と差異がない戦装束を纏う理由である。

 

羽虫どもは500ほどの群れですが、相当に経験を積んでいるようです

怖気づいたか?

 

 雷鳴が轟き、石造の回廊が小刻みに震える。

 同胞のマジックを模倣しながら出力過多のため、過剰なエナの放射流が発生する不完全なマジック。

 エナを感知する能力に長けたインプは、その拙さを鼻で笑う。

 

まさか。羽虫どもに本物を見せてやりましょう

上等

 

 スピアに紫電を迸らせ、口角を上げる同胞。

 それを見て、満足げに笑う総長は回廊の先にある目的地へ足を踏み入れる。

 

総長!

とうとうか…!

 

 インクブスを生み出した神の絵画が見下ろす大広間。

 そこに集った完全武装のインプの一団はシリアコを見て、小さな歓声を上げた。

 弱者を嬲ることを是とする加虐者たちは、同格あるいは上位者には敬意をもって接する。

 総長へ上り詰めたシリアコを敬わないインプはいない。

 

行くぞ、お前たち

 

 脇に控える同胞から手渡されたスピアの石突で床を叩き、シリアコは厳かに告げる。

 大広間の一団が二手に分かれ、出口までの道を開く。

 その彼方からは戦闘音楽が漏れ聞こえる。

 

 影より任された己が領地、己が城に攻め寄せる敵──忌々しき災厄を打ち払うため、総長自ら戦場へ立つ。

 

 紅き月が煌々と輝く異界の空。

 その下へ現れたインプの一団を悲鳴と怒号が迎える。

 

ぎゃぁぁぁ!

左から4体、右から5体、来るぞ!

装填まだか!?

 

 インクブスの肉片が散乱する広場は急造の陣地が築かれ、オークとゴブリンが決死の応戦を試みている。

 広場を囲うように築造された塔は漆黒のファミリアが取り付き、激しい肉弾戦が繰り広げられていた。

 とてもインプの総長が治める城とは思えない。

 

大陸帰り、引き付けて撃て! 弾かれるぞ!

くそっ──」

 

 死角より飛来した襲撃者はゴブリンの首を紙細工のように易々と噛み千切る。

 そのまま陣地へ突入し、重々しい羽音を響かせながら、次なる獲物を──

 

羽虫が

 

 スピアの切先より放射された紫電が襲撃者に直撃する。

 一撃で翅と背甲が爆ぜ、首の脱落したファミリアは巨躯を陣地へ沈めた。

 その死骸は崩れていき、エナとなって大気へ溶け出す。

 マジックへの耐性は高まっているが、あれほどではない。

 

シリアコ様!

 

 救援が城の主と知ったオークの戦士は、ようやく事態が好転すると安堵の息を漏らす。

 しかし、雷が東に聳える塔の屋上を破壊し、苦悶の表情へ戻る。

 

アロルド、応援に行ってくれ。あそこは要だぞ!

了解した!

 

 シリアコより優先すべき事案の対処に奔走する。

 派遣されてきたオークの戦士は優秀だと、不本意ながら評価せざるを得ない。

 

 マジックの使えないインクブスは格下である──その固定観念は健在。

 

 しかし、もはやインプ単独で防衛できる戦況ではない。

 

あの羽虫は我らの手で叩き落してやろう。精々城を守っておれ

 

 上空を睨みながら指示を飛ばすオークの横を通り過ぎ、インプの一団は広場の中央にて足を止める。

 矮躯に見合わぬ大きさの羽を広げ、尻尾でバランスを取り、スピアの切先で天を衝く。

 それを見たオークの戦士は即座に決断を下す。

 

シリアコ様が出るぞ! 斉射で虫けらどもを近寄らせるな!

おう!

 

 術士のエナを浪費させないため、可能な限り障害を排除する。

 ボウガンを携えたオークとゴブリンが陣地より飛び出し、外周を固めた。

 

斉射!

 

 急降下で迫る漆黒の弾丸へ矢弾が殺到する。

 幾本かは弾き返されるが、複眼を貫徹し、体節を砕かれたファミリアは制御を失う。

 頑強な外骨格といえど、無敵ではない。

 墜落するファミリアを横目に、シリアコは飛翔する。

 

総長に続け!

 

 総長に続いて飛び立つインプの一団。

 一瞬で城の外郭を越え、草木のない不毛な大地へと出る。

 転がる岩々が見える低空を這うように、最大速力で飛翔するインプ。

 飛翔のマジックへエナの比率を傾けることで速度を得ている。

 

 紅き月の下、眩い閃光が瞬く──刹那、先鋒のインプが前触れなく破裂した。

 

これはっ

 

 戦慄、動揺。

 シリアコと同格か、それ以上の距離からの狙撃が同胞を肉塊へ変えた。

 付け焼き刃で仕立てた戦装束など無意味と言わんばかりに。

 

怯むでない

 

 正確な方位を記憶し、シリアコは飛翔を継続する。

 静止すれば一方的に射殺されるだけでなく、背後より迫るファミリアの群れに呑まれる。

 

…鬱陶しい

 

 眼下の大地が高速で擦過する速度でありながら、再収束するエナの流動は彼方。

 そして、シリアコは忌々しげに上空を睨む。

 紅き月を背に降下してくる漆黒の影、数は15。

 

羽虫が降ってくる!

アロンソ、アニセト、任せる

承知

 

 飛翔ではなく、紫電のマジックへエナを傾ければ、否応なしに静止する。

 それは死と同義ではあったが、総長の信頼に応えんと同胞は殿を引き受けた。

 

 模倣品ではない本物のマジック──眩い紫電が空を駆ける。

 

 翅を失って墜落するファミリアと殿の同胞を置き去り、インプの一団は前進する。

 

総長!

 

 視界の片隅、殿を務める同胞が紫電の瞬きと共に漆黒の影へ呑まれていく。

 断末魔がシリアコの耳へ届くことはなかった。

 総長は一団の最先鋒でスピアの切先を構える。

 

 紫電を纏うスピア──彼方で瞬く閃光、放たれるエナの放射流。

 

 鏃のように鋭角の隊形で前進する一団と激突し、紫電と打ち合って大きく湾曲する。

 雷に打たれた者はいない。

 飛翔の速度は落とさず、高威力のマジックを湾曲させる離れ業。

 それを単独で実行したシリアコは速度を維持したまま、紫電のマジックを形成し始める。

 

見えた…奴らだ!

 

 小高い丘に禍々しい影を落とす漆黒のファミリア。

 既存の個体を凌駕する巨躯を長大な翅で浮かせ、尻尾に膨大なエナを集中させる生きた大砲。

 ただ一つの目標、インクブスの駆逐に特化した変異種を視界に捉える。

 

 これに対して、シリアコの採った作戦──それは至極単純。

 

 ファミリアの前衛を可能な限り城へ誘引し、この変異種を全力で強襲する。

 射程を足で補い、最大火力で厚い外骨格を砕く。

 

取り巻きに構うでない。狙いを彼奴らに絞れ

承知!

 

 護衛を務める20近いファミリアが射線上に展開し、突進してくる。

 打ち鳴らされる大顎に眉を顰めるシリアコは、鼻で笑うだけ。

 背後で並ぶスピアの切先は変異種へ、己の切先は護衛へ。

 

失せろ

 

 放射された紫電が漆黒の外骨格を砕き、翅を焼き切る。

 シリアコは最低限のエナだけを消費し、正確に護衛の機動力を奪う。

 それを予見していたかのように、変異種は腹部の切先を敵へ指向していた。

 

速っ──」

 

 閃光、雷鳴。

 立て続けに放たれた雷がインクブスを穿つ。

 刹那、16ものインプが灰色の羽を焼かれ、高速で激突した地面で生命を砕かれる。

 ()()へ切り替えたのだ。

 恐るべき速度で放射される雷は、威力は低くとも致命に至る。

 

羽虫ども!

墜ちろ!

 

 憤るインプのマジックが変異種へ殺到し、爆ぜる。

 しかし、マジックへの耐性を備える漆黒の外骨格は容易く砕けない。

 

手緩い!

 

 シリアコの紫電が真正面から外骨格を砕き、腹部ごと吹き飛ばす。

 後続のインプもエナの比率を紫電へ傾け、マジックを放つ。

 

 マジックへの耐性も万能ではない──体節より脚が弾け、複眼を焼かれる。

 

 致命傷か、否。

 変異種は姿勢を立て直し、即座に反撃へ移る。

 無機質な敵意が漆黒の巨躯を動かす。

 

ぐわぁぁぁ!

レミヒオ! おのれぇ!

 

 閃光、雷鳴。

 両者間をマジックが飛び交い、断末魔が荒野に響き渡る。

 紅の空より大地に落ちた巨躯がエナへ還っていく。

 

う、腕がぁ!

 

 数を減じながらも変異種は、インプの頭や羽、スピアを持つ利き手を狙って焼く。

 戦う能力を喪失したインクブスは、既存種でも容易く駆逐できるという判断。

 

残り3体…こ、こいつ!

 

 腹部を損傷した変異種はインプの一団へ突進し、健在の大顎でインプを捕獲。

 

ぐえぇ!?

 

 問答無用で鎧ごと両断し、臓物を空へ撒く。

 血飛沫に彩られた漆黒は獲物を求め、大顎を打ち鳴らした。

 6体を物言わぬ肉塊へ変えるが、紫電の集中砲火を浴びて墜落していく。

 

 インプの肉薄を許した初めての戦闘──結果は、敗北。

 

 情報は逐次共有し、母へ伝達され、やがて最適化されるだろう。

 死する個体が果たすべきは、どれだけ損害を拡大させることが可能か()()()()()を最大限活用すること。

 全ては母の望む戦果を挙げるため行動する。

 

後方から羽虫どもが接近中!

 

 低空より這い寄る漆黒の影。

 変異種の意図を汲み、戦う能力を喪失したインプを狙う既存種の群れ。

 大顎を打ち鳴らし、ウォークライを荒野へ響かせる。

 

エクトル、ガスパル、フェリクス、合わせよ

承知!

 

 シリアコの命を受け、並び立つ腕利きのインプたち。

 スピアを半ばで折られ、エナの消耗も少なくないが、ここが正念場。

 

 エナの流動を感知──漆黒の影が広がり、密度を薄める。

 

 マジックの危険性を認識したゆえの退避。

 見事に統率された機動を睨みつけ、シリアコは口角を上げる。

 

愚か者め!

 

 天を衝くスピアが眩い閃光を放つ。

 放射された紫電が樹のように枝分かれし、ファミリアの群れを串刺しにする。

 外骨格の破片が大地へ降る。

 そして、翅の焼け落ちた怪物たちも大地へ墜つ。

 

…総長、一陣は退けたようです

 

 地に墜ちても戦意の衰えないファミリアを排除しながら、インプは暫定的な報告を行う。

 頷くシリアコは倒れた同胞たちを見下ろし、黄金の眼を細める。

 息絶えた者の隣で腕や羽を焼かれた者が痛みに悶える凄惨な光景。

 

手酷くやられたな。まったく忌々しい

 

 インプの一団は半数近くが戦闘不能となっていた。

 即死できた者は幸運と言える惨状を見渡し、シリアコは苛立ちと疲労を長い息で追い出す。

 ここから負傷者を率いて、帰還しなければならない。

 

 既存種の攻撃に曝される城まで──重々しい羽音が小高い丘を越え、インクブスへ降り注いだ。

 

 今しがた撃破した変異種は、既存種と比較して少数。

 しかし、500体の群れに対して8体は()()()()少ない。

 一陣が全滅する瞬間まで息を潜めていた冷徹なファミリアに、インプたちは表情を強張らせる。

 ただ、総長を除いて。

 

温存しておったわけか…小賢しい羽虫め

 

 スピアの切先を漆黒の怪物へと向け、不敵な笑みを浮かべて相対する。

 死闘の幕は切って落とされた。




 光線級吶喊かな(震え声)


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雁行

 (前話との)温度差ひどくない?


 複数の案件を同時進行するのが苦手だ。

 パートナーはオーバーワークの間違いだと言うが、それは一つの処理に手間取っているからだ。

 ぐっと溜息を胸中へ押し込み、昼休みの廊下を進む。

 校舎3階の平穏が愛おしくなる喧騒。

 これが学校といえば、そうなのだが。

 

「今のって…」

「え、なに?」

「ほら、2年の東先輩だよっ」

 

 すれ違った女子生徒たちの視線が背中に突き刺さる。

 ここは1年生の校舎のはずだが、有名になったものだ。

 悪い意味で。

 

「あ、知ってる。動画で見たわ」

「すごかったよね!」

 

 目的地が別棟2階にあるため、道中で否応なしに生徒と出会う。

 先日のバタフライファーム事件以来、有名人となってしまった私は注目の的だ。

 見世物じゃないぞ、まったく。

 

「虫姫って言うから、もっと華があるのかと思った」

「え、ひどくない?」

 

 窓に映る仏頂面の少女は、長い黒髪以外に特筆すべき個性がない。

 蓮花であっても華などない。

 それが私だ。

 期待されても困る。

 

失礼ですね!

 

 頭上から憤慨した声が降ってくる。

 気にするだけ労力の無駄と言っているが、私を貶める言葉が我慢ならないらしい。

 最近は、露骨に嫌悪感を剥き出しにした言葉も聞くようになって、より意固地になっている。

 学校という狭いコミュニティで異物は排除されがちだ。

 特に、私のように交友関係が希薄な、コミュニティに溶け込まない者は排除の対象となりやすい。

 

東さんはラブレターを受け取っているんですよ…!?

 

 やめろ。

 忘れようとしていたのに、思い出させるな。

 

 曰く──物静かでミステリアスな雰囲気だが、実は家庭的で、とても優しそうなところに惹かれた。

 

 この無愛想な私のどこから優しさを感じ取れたのだろう?

 必死に頭を捻って書いたであろう文面を思い出すと、なんとも言えない気分になる。

 青春だ、と傍観者気取りに笑っていられない。

 当事者は私だ。

 

ふっ…東さんの魅力に気づくとは見所が──むぎゃっ!?

 

 頭の埃を払うように見せかけて得意げなハエトリグモを叩く。

 田中くんと会話の頻度を増やしてから、男子に声をかけられる機会が増えてはいたが、それも他愛のない雑談に付き合った程度。

 これは、予想外だった。

 

「野球部の中森先輩が彼女と別れた理由、あの人らしいよ」

「それって本当なの?」

「別れたのは本当だって!」

 

 本人に聞こえないところで盛り上がればいいものを。

 うんざりする。

 

 勘違いだと言い聞かせてきたが──私に向けられる視線には、嫉妬が含まれている。

 

 話題性が風化するまでの辛抱という見通しは甘かったのだろう。

 にわかに信じられないが、私は私が思うより男子に意識されていたらしい。

 自意識過剰であってほしかった。

 これからを考えると気分が重くなる。

 

ヒラタグモになるところでした…

 

 人の髪に埋もれながら、しみじみと言うな。

 

「はぁ……」 

 

 階段前のシャッターを潜り、人目が途切れた瞬間に溜息を漏らす。

 私を日常に戻してくれる場は、非日常の場へ変貌しつつある。

 

 意識を切り替えよう──学校生活より優先しなければならない事案へ。

 

「…そろそろ見解を聞きたい」

今朝のネームドですね

「ああ」

 

 今朝、あちらで活動するファミリアから密度の濃い報告を受け取った。

 

 採用した戦術、事細かな戦闘の推移、駆逐したインクブスの総数、被った損害、そして──ネームドとの交戦記録。

 

 ネームドに分類されるべき強力なインクブス、それもインプだ。

 その脅威は前回遭遇した真紅のフロッグマンの比ではない。

 

マジックの同時使用を行える技量とエナの保有量が、第一に脅威ですね

「加えて、伏兵にも即応する判断力と統率力だ」

強襲は想定内でしたが、統率されたインプの戦力は想定以上です

「インプは72体中44体、こちらは伏兵まで全滅……厄介だな」

 

 変異種17体を含む532体のファミリアを一度に失った。

 常勝無敗の軍隊は存在しない。

 そう理解していても、胸中に燻る感情は持て余すものがある。

 最期の瞬間まで情報を送り続けたファミリアの働きに私は報いなければならない。

 

最優先で対処すべきです

 

 予定調和。

 結論は既に出ているが、認識の擦り合わせを行う。

 齟齬があれば修正し、作戦の確度を高め、脅威の芽を摘み取る。

 

 ──2階から下りてくる足音。

 

 ごく自然な体を装って階段を上る。

 階下に1人佇んでいる様を目撃されるのは、あらぬ噂に繋がりかねない。

 

「あの時、口を滑らせたら…どうしようかと」

「え、えっと……どうする気、だったんですか…?」

 

 不穏な空気を醸す女子生徒二人組とすれ違う。

 片方は制服を着こなすモデル体型の女子、もう片方は猫背気味の野暮ったい女子。

 対照的な両者、どこか既視感のある二人組だった。

 踊り場でケータイの時間を確認、足音が遠ざかってから改めて話を切り出す。

 

「小細工は無駄だな」

では、飽和攻撃を?

「ああ、秀でた個は群で圧殺する」

 

 ネームド駆逐のためファミリアは群れごとに戦術を考案中だが、あまり時間はない。

 主力たる元コマユバチと元ヤドリバエ、少数が活動中の元コバチ。

 ほぼ原型は残っていないが、その本質は変わっていない。

 

 獲物を狩り、喰らい、苗床を増やす──それを達成すべく強力な個体を生み出した。

 

 しかし、エナの消費量も増大した。

 巣を襲うため群れとなり、飛び道具へマジックで対抗し、得られる獲物は格段に増えたが、それでも供給が不足し始めている。

 インクブスを狩り続けなければならない。

 

集結に時間を要しそうですね……順次攻撃させますか?

「いや、逐次投入は愚策だ。集結まで待つ」

 

 ケータイのインカメラを起動させ、黒髪の中から頭を覗かせるハエトリグモと視線を合わせる。

 

戦力を補充される可能性があります

「時間を与えてもいい」

分かりました

 

 ファミリアが活動を開始してから旧首都圏の人口に匹敵するインクブスを駆逐した。

 それでもインクブスどもは戦力を()()()()()

 

 ──エナの供給源には苦慮しないと考えよう。

 

 画面に映る時間を確認し、再び足を進める。

 目的地である図書室へ。

 

その端末で()()()()の情報は得られたのではないですか?

 

 時折、私のケータイを使って情報収集していたパートナーは問う。

 決してインターネットの万能性を信じているわけではない。

 私たちの求める情報は一般に出回らないものばかりで、概要だけならインターネットで十分という意味だ。

 

ソース(引用元)から新たな視点が得られるかもしれん」

学び舎にあるような書籍ではなかったと思いますが…

「そうでもない」

 

 ここの蔵書量は目を見張るものがある。

 生徒に多くの可能性を提示するという理念の下、多種多様な書籍──教員の趣味としか思えない学術書を含む──が置かれている。

 目当ての専門書があるとは思わなかったが。

 

その…東さん、休息も必要ですよ?

 

 今日のパートナーが積極的ではない理由は、それだ。

 コマユバチもといオニキスを召喚してからも索敵網の再構築と情報収集で睡眠時間を切り詰めていた。

 効率は悪いと分かっているが、ウィッチになった頃から常習化している。

 悪い傾向だ。

 

「ああ」

 

 学校に通い、家事をこなし、ウィッチとして戦う。

 最低限の睡眠時間を確保しても限度があると()()()で知っている。

 ファミリアからのテレパシーで意識を保つ生活は、ごめんだ。

 

「分かってる」

 

 旧首都に巣食うインクブスを駆逐していた頃より負担は少なくなった。

 インクブスの活動は低調、洗脳されたウィッチも少数であれば現状のファミリアでも対処できる。

 第三勢力への対応を始めるまでは、安息日を設けてもいいだろう。

 

なら、いいのですが…

 

 不安げなパートナーの呟きへ答える前に、2階の廊下へ出る。

 すぐ左手側には図書室の扉。

 教室の前や窓際で雑談に興じる生徒たち、その一部から飛んでくる視線を無視して扉を潜る。

 

 見渡す限り利用者は疎ら──静寂が満ちている。

 

 整然と本の収められた棚が山のように連なる光景は、中々に壮観だった。

 ここから昼休みが終わる前に探し出さなければならない。

 

おお…本の虫になれそうです…!

 

 頭上から感嘆の声が降ってくる。

 きっと黒い眼を輝かせ、本棚の山脈を見渡しているのだろう。

 物知りマスコットを目指していたパートナーは、知識に対して貪欲だ。

 専門書の置かれたコーナーまで足を運び、背表紙へ視線を走らせる。

 日々、ファミリアのテレパシーを処理している要領で──

 

「…見つけた」

 

 反射的に手を伸ばし、それから自身の身長を思い出す。

 爪先で立って、ぎりぎり指先の触れる高さ。

 下手に抜き取ると重量を支えられない可能性があった。

 悩ましいな。

 

「これでいい?」

 

 爽やかな声が影と共に降ってくる。

 ずっしりとした重みが頭に乗り、柔軟剤の香りが仄かに漂う。

 

 この重量物は、もしかしなくとも──考えるな。

 

 ひとまず、手元に降りてきた専門書を保持。

 するりと相手が離れていく気配を察し、ゆっくりと背後へ振り返る。

 

「…ありがとう」

 

 感謝はするが、易々と体を密着させるものじゃないぞ。

 そんな非難めいた視線を向けた相手は、どこ吹く風といった体で微笑んだ。

 

「どういたしまして」

 

 アッシュグレイの長髪は染髪で、制服は着崩され、スカートの丈は短い。

 あまり詳しくはないが、所謂ギャルというやつか。

 接点はなかった、はずだ。

 

「ドローン情報戦ねぇ……難しそうな本を読んでるね、()()()

 

 いや、この爽やかな声には覚えがある。

 直近の記憶を辿り、1人のクラスメイトが浮かび上がった。

 クラスの多様なグループに関わる顔の広さを持ちながら、定位置は設けない気まぐれな女子生徒。

 

「何か用……黒澤さん?」

「あははは、そんなに身構えないでよ~」

 

 名前を呼ばれた女子生徒──黒澤牡丹は愛嬌のある人懐っこい笑みを浮かべた。

 突然、他人の頭に、その立派な胸を置く相手を警戒しないわけがないだろう。

 

「今、話題の同級生が何を読んでるのか気になってね」

 

 小さく、されど一歩踏み込んでくる。

 あのバタフライファーム事件を黒澤が知らないはずもない。

 興味を持つ理由は、分かる。

 分かるが、これが一切関わりのなかったクラスメイトとの距離感なのか?

 

「そう」

「わぁ、淡泊……東さんは国防軍を目指してるの?」

「どうして?」

 

 背表紙の堅苦しいタイトルは見るからに軍事関連と分かる。

 しかし、執筆者こそ同盟関係にある某国だが、()()()国防軍と無関係だ。

 

「学年10位内の子が軍事関連の専門書を前に気難しい顔してたら、ね」

「…ドローン関連なら工学系かもしれない」

 

 これから借りる書籍──理論電磁気学や電磁場セキュリティと社会インフラ──を見れば、その意見も変わるだろう。

 

「あ、確かに」

 

 そう言って無邪気に笑う少女の耳元で黒猫のイヤリングが揺れる。

 解放は、されそうにないか。

 無愛想な私と話して何が楽しいのだろう。

 雑談に生産性を求めるものではない。

 しかし、退屈ではないのか?

 

「牡丹さん、何をしているのですか?」

 

 現実逃避していた思考が新たに投げかけられた声で引き戻される。

 感情の起伏がない、どこか事務的な声だった。

 

「話題の同級生と立ち話を」

 

 声のする方角へ振り返る黒澤、その陰から通路に佇む女子生徒へ軽く会釈する。

 すると、抱えた本を落とさないよう目で会釈を返してきた。

 記憶を辿るまでもない。

 

 彼女の名は──白石胡桃。

 

 図書委員を選出する際、立候補していた唯一のクラスメイト。

 肩上にかかる長さの黒髪で、学年章の付ける位置やスカート丈は全て校則通り、黒澤とは対照的な模範生だ。

 

「探し物とやらは見つかりましたか?」

「まぁね」

「では、カウンターへ行きましょう」

「大丈夫、もう用は済んだから」

「そうですか」

 

 すたすたと歩み寄ってきた白石の質問に、漫然とした回答で返す黒澤。

 身長こそ同程度、しかし正反対に見える両者は、ごく自然な様子で言葉を交えている。

 交友関係とは分からないものだ。

 

「では、行きましょう」

 

 踵を返す白石の手元、抱えた本の背表紙に目を引かれる。

 厚い昆虫図鑑の上にファーブルの昆虫記、その上にクラウゼヴィッツの戦争論、そしてハイブリッド戦争時代が重ねられ、混沌としている。

 さっぱり関連性が分からない。

 私の視線に気づいた白石が踏み出した足を止める。

 

「どうかされましたか?」

「…昆虫記と戦争論の関連性が気になっただけ」

「どちらも参考文献です」

 

 きっぱりと言い切り、再び足を進め出す。

 その隣へ流れるように黒澤が並び、手を差し出した。

 

「胡桃、何冊か持つよ」

「問題ありません。それより菖さんと合流しましょう」

「了解──ということで、東さん。またね」

 

 振り返った黒澤が小さく手を振り、それへ手を振り返す。

 利用者の妨げにならないよう配慮した声量でも、不思議と耳に残る爽やかな声だった。

 

 それにしても──何の参考文献なんだ?

 

危うく潰されるところでしたよ、まったく!

「そうか」




 (作者に青春時代は)ないです。


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陰陽

 メンタルダウンする前に仕事辞めてきたゾ(近況報告)


 茜色に染まりつつある空を鳥の影が横切っていく。

 子どもの元気な笑い声を耳に、その影を目で追う。

 木製のベンチへ体重を預けながら。

 

 ソース(引用元)を見つけたはいいが──独学で読み解くには時間がいる。

 

 欲しい情報を探し出すだけでも一苦労、このままだと知恵熱が出そうだった。

 

東さん、大丈夫ですか?

「…無謀だったな」

基礎が必要でしたね……でも、爆薬発電機に辿り着けたのは幸運でした!

 

 こぢんまりとしたパートナーが前脚を上げて、喜びを表現する。

 辛うじて読み解けた部分に求める知識の一片があったのは、僥倖だった。

 しかし、それで今日はタイムアップだ。

 

道筋は見えていますし、焦らず進めましょう

 

 パートナーの言葉に頷いて返す。

 焦ったところで仕方がない。

 焦燥感を抑え込み、しばし日常の中で黄昏れる。

 

「そうだな」

 

 インクブス共をニュースで見かける頻度は激減し、人々──ウィッチも含めて──は泡沫の平和を謳歌している。

 街中に整備された公園には、子どもの笑顔が満ち、それを見守る大人の姿があった。

 いずれ外出禁止のサイレンが鳴るとしても、眼前に広がる日常は前世と変わらぬ姿をしている。

 

 ──巡回中の警察官が携行する銃器を除いて。

 

 視界の端、公園の出入口に佇む2人の警察官は武骨なライフルを肩から下げていた。

 インクブスから市民を護る身近な存在とは、ウィッチでも国防軍でもなく、彼らだ。

 本来、警察には不要とされる重武装は、その交戦頻度と殉職率の高さから許容されている。

 今では日常の一部となっていた。

 

どうかされましたか?

 

 私の視線を追ったパートナーも紺色の人影を捉え、頭を傾げる。

 公園を後にする子どもを見送り、時に寄り道をしないよう呼びかける姿は、良き()()()()()()だ。

 特筆すべき点はない。

 彼らだけなら。

 

「巡回の人数が多い」

そうですか?

 

 この公園へ来るまでに徒歩3組、車両2台を見ている。

 偶然と言うには頻度が多かった。

 不審者の出没情報は出ておらず、交通安全週間というわけでもない。

 

()()()より規模は小さいが、増員されてる」

 

 潜伏中の児童連続誘拐犯もといフロッグマンを捜索していた時よりは少ない。

 しかし、今回は様子が違う。

 

特に…警戒を呼びかけている様子はありませんね

 

 そこだ。

 警戒や注意の呼びかけを一切行っていない。

 普段通り市民へ接し、定時連絡を取る警察官に緊張の色は見られず、外出禁止を伝達する防災行政無線も沈黙したまま。

 

「インクブスではないな」

はい。索敵網は薄くなりましたが、市内の侵入は許していないはずです

 

 ファミリアの多くが休眠に入ったため、再構築した索敵網は層が薄い。

 しかし、これまでファミリアの集積してきた情報から最適化され、穴は少なくなっている。

 

「…だとすれば」

通常の警察活動ですね

 

 インクブスによる惨禍へ目が行きがちだが、この時世でも人の犯罪は絶えない。

 指名手配犯のポスターが貼られた駐在所を見たこともある。

 パートナーが言うように本来の警察活動に従事していても問題はない。

 

「通常…か」

 

 ただ、()()()警察活動ではないだろう。

 局所的であれ、増員を行う事態にありながら、市民へ情報開示がない。

 まるで、平穏を装っているような、言い知れぬ違和感があった。

 

…待機中のファミリアを呼び出しますか?

「いや、今はいい」

 

 その提案は、最終手段だ。

 相手がインクブスではない以上、安直にファミリアを投じる判断は慎まなくてはならない。

 現状、推測の域にすら達していないのだ。

 

「様子を見る」

分かりました

 

 とは言え、長居はできない。

 気まぐれで公園を訪れたが、そろそろ芙花が帰ってくる時間だ。

 押し付けと分かってはいるが、芙花にとって家は心安らぐ場所であってほしかった。

 

 不審に思われない程度に観察を──警察官の視線が一点で止まった。

 

む…東さんっ

 

 パートナーに促され、視線を追った先には、石畳の園路を歩く少女。

 長袖のブラウスにロングスカート、黒い手袋を右手に填め、サイズの大きいキャスケットを目深に被っている。

 その季節外れな格好、そして左目を隠す白い眼帯が目を引く。

 

「保護者がいない…」

 

 おぼつかない足取りを見て、思わずベンチから腰が浮いた。

 あの格好だと熱中症になってもおかしくない季節だ。

 

行きましょう!

「ああ」

 

 警察官が少女の保護に動く、あるいは周囲の大人が気が付くまで待っていられない。

 鞄に入れたボトルの重みを確認し、ふらつく少女へ駆け寄る。

 

「そこの、あなたっ」

 

 軽度の運動で上がる息を抑え、声をかけた瞬間、小さな肩が跳ねる。

 すぐさま振り向く少女の右目には、強い警戒心が浮かんでいた。

 

「なに?」

 

 微かに緊張を帯びた声は、幼さが残る。

 私の頭から爪先までを観察してから、幾分か警戒心が緩むのを感じた。

 見ず知らずの相手へ接する時だけは、性別が変わって良かったと思える。

 

「足、ふらついてたから…大丈夫?」

「問題ない──」

 

 なおも足を進めようとした少女の体が傾く。

 

 どこが問題ないものか──細い肩に手を回し、しっかりと体を支える。

 

 そう身長は変わらないはずだが、ひどく軽かった。

 

「そこで休憩しよう」

 

 気まずそうに目を伏せる少女を木陰にあるベンチへ座らせ、顔色や発汗の状態を確認する。

 衣服を緩めさせたいが、左手首から上を覆う包帯を見て、断念。

 この季節外れな格好は、()()ためのだろう。

 

「飲める?」

 

 鞄から取り出したボトルを差し出すと、目を逸らす少女。

 口はつけていないが、嫌なものは嫌か。

 しかし、今日に限って手持ちがない。

 弱った。

 

「……必要ない」

「水分補給しないと熱中症になるから」

 

 上手い言い回しが思いつかない私は、直接的な言い方になる。

 芙花と同年代の子なら、もう少し噛み砕いた表現にできるのだが。

 ただ、今回は正解だったのかもしれない。

 少女は渋々といった体で受け取り、ぎこちない所作でボトルのキャップを外す。

 

「誰か探してる?」

 

 一息ついて、幾分か顔色が良くなった少女に問いかける。

 詳しい事情は聞かないが、傷病者であることは間違いない。

 であれば、保護者が同伴しているはずだ。

 

「……うん」

 

 しばしの沈黙を経て、少女は頷いた。

 

「私()()を救ってくれる人」

 

 まるで祈るように少女は囁き、茜色に染まる空を見上げる。

 予想外の返答だった。

 

 救世主──名を安売りしながら、実の伴わない者が今世には溢れている。

 

 しかし、インクブスの襲来で蔓延した新興宗教の祀り上げた偶像とは違う。

 心の底から願う切実な響きからは、自暴自棄な狂気を感じない。

 

「見つかると…いいね」

 

 どう答えたものか悩んだ末、ありふれた言葉を吐き出す。

 安直な響きにうんざりする。

 

「ありがとう、お姉さん」

 

 そう言ってボトルを返し、少女は微笑む。

 今時の子どもは早熟というが、それを加味しても成熟された微笑み。

 どこか痛ましさを覚えるほど大人びていて──

 

「…来た」

 

 微笑みを消し、立ち上がった少女は出入口の方角を見つめる。

 そこには警察官へ頭を下げる壮年の男女がいた。

 おそらくは夫婦──なるほど、そういうことか。

 

「蘭!」

 

 こちらに気づいた2人は、居ても立っても居られないという様子で駆け寄ってくる。

 

「探したのよ!」

「ごめん…」

 

 ひしと娘を抱き締める母親。

 夕陽に照らされた横顔は、安堵に包まれた表情を浮かべている。

 これにて一件落着、心中で胸を撫で下ろす。

 

「娘を看ていてくれてありがとう」

「大したことはしていません」

 

 ボトルを鞄に入れる私に、少女の父親が頭を下げてきた。

 三白眼の鋭い視線に一瞬面食らうが、清潔感のある服装と穏やかな口調から人柄が分かる。

 

「手違いがあって、迎えが遅れてしまってね…」

「何事もなく良かったです」

 

 何事もなかった。

 インクブスという度し難い存在が跋扈する時世で、それは容易くない。

 平和に見える公園も一時は連中関連の失踪事件が多発していた。

 

「ありがとうございましたっ」

 

 深々と頭を下げる少女の母親。

 子どもを心配する母とは皆、同じ顔をするのだと他人事のように感慨を覚えた。

 

「何とお礼を申し上げればよいか」

「いえ、本当に大したことはしていませんから…」

 

 見返りを求めての行動じゃない。

 これは心の平穏を保つためにやったこと、自己満足だ。

 だから、お礼がしたいという申し出を失礼にならないよう穏便に断る。

 

「──本当に、ありがとうございましたっ」

 

 私の行動に甚く感動したらしい母親は何度も頭を下げ、その隣で父親が苦笑する。

 そんな二人に手を引かれる少女は、一度だけ私に振り向き、口を動かす。

 

 その声が届くことはなかったが──ごめんなさい、と言ったように見えた。

 

 違うかもしれない。

 しかし、仮にそうだとすれば、彼女は何に対して謝ったのだろう?

 

良かったですね…!

 

 しみじみ呟くパートナーと共に、公園を去る親子の背中を見送る。

 前世で()()()()()姿は、今世で見ることは少ない。

 肉親や血縁者を失った者──私を含めて──が、ありふれてしまった。

 泡沫の平和が訪れても、元通りになることはない。

 

「ああ、そうだな」

 

 小さく頭を下げる警察官に愛想笑いを返し、私たちも公園を後にする。

 

 

 夕闇に沈みつつある街で、帰るべき場所へ急ぐ人々。

 そこへ紛れ込む親子に不自然な点は見られない。

 娘の季節外れな格好は目を引くが、それも誤差の範囲に思われた。

 しかし、国防軍の検問を躱し、郊外の住宅街へ入る者が一般人のはずがない。

 

『合流が遅くなった、すまん』

 

 遠方から外出禁止のサイレンが鳴り響く中、父親()()()男は足を止めずに言う。

 ぶっきらぼうな声に頷きで応じる少女は、被ったキャスケットを指差す。

 

(ワン)上尉、もう取っても?』

『ああ、構わない』

 

 夕闇に沈みつつある郊外から住民の姿が失われて久しい。

 

『この一帯は無人だ』

『…そう』

 

 少女がキャスケットを取り去れば、狼を思わせる尖った黒い耳が天を衝く。

 次いで眼帯を外し、黄金の瞳で周囲を見渡す。

 

『暑かった』

 

 中途半端に異形と化した少女──黒狼(ヘイラン)はキャスケットを小脇に抱えて一息つく。

 

 右手の手袋を取れば、現れる鋭利な爪と黒い毛並み。

 ポケットに手袋を入れ、替わりに取り出した髪飾りを前髪へ挿す。

 

季節外れだったな

 

 髪飾りに扮したパートナーが主の言葉に同調する。

 初夏から中夏に差し掛かる時期の格好ではない。

 

『でも、必要なこと』

 

 しかし、変身に伴う人体の変化を()()()()()()()黒狼は市街地を通過する際、変装が必要だった。

 

『目まで戻らなくなったか』

『うん……前より目は良くなった』

 

 黒狼は虹彩異色症ではない。

 任務で再会する度、体が戻らなくなっていく様を見せられる王は、世を呪う言葉を飲み込んだ。

 

『お前は作戦の要だ。自身の状態は把握してるな?』

『問題ない』

 

 そう言って健気に微笑む異形のウィッチは、口元に鋭利な犬歯を覗かせる。

 

 ──今更、呪詛が一つ増えたところで現実は変わらないだろう。

 

 だが、これまでの犠牲、これからの犠牲へ唾を吐く気にはなれない。

 たとえ、畜生道に落ちようとも。

 

『仮設拠点へ到着次第、すぐ作戦の調整に入るぞ』

『その前に…』

 

 路地の前で不意に足を止め、首から下げていたチェーンを外す黒狼。

 

 長い黒髪と頭上の耳に苦労しながら少女が取り外した代物、それは──認識票の束。

 

 母親の仮面を取り払ってから無言を貫く女へ、そっと差し出す。

 感情に乏しい目が夕闇に照らされた刻印を見つめる。

 

(ヤン)中尉に()()を』

 

 血を拭った痕の残る認識票。

 黒狼の水先案内を務めた者たちの名を一つ一つ確かめ、目は閉じられる。

 

『弟は……少尉は、責務を果たしましたか?』

 

 かつてスパイ天国と揶揄された島国は、未曾有の危機に際して免疫を急速に回復させた。

 諸外国の工作員を掃討した免疫は、新たな芽が出る前に刈り取ってくる。

 ゆえに、これは()()()()()()()

 

『うん』

しかと見届けた

 

 問いかけに対し、ウィッチとパートナーは堂々と答える。

 

『感謝します、黒狼』

 

 小さな手に手を重ね、楊は祈るように囁く。

 肩を並べて戦った大陸最高戦力のウィッチに、多くを語らせる必要はなかった。

 看取る者がいた事実だけでも救いだった。

 

『必ず持ち帰る』

『お願いします』

 

 認識票を強く握る少女の決意に、その任を負うべき大人が首を垂れる。

 その歪な光景に王は口を引き結び、心中で世の不条理を呪った。

 

 戦闘技術を修めた軍人──否、軍隊を凌駕する力が少女に重責を背負わせる。

 

 かつて、アジア最強を自負した武装力量は見る影もないほど凋落していた。

 

『それにしても……2人が来るとは思わなかった』

 

 楊へキャスケットを手渡し、認識票を首にかけながら黒狼は感じ入るように呟く。

 いかに作戦要員が少人数とはいえ、作戦を主導する尉官が合流班にいると普通は思わない。

 王は鬱屈とした感情を鼻で笑い、ネクタイを正す。

 

『なかなか様になってたろう?』

 

 そう冗談めかして言うが、実際、既製服を着こなした2人は小洒落た夫婦にしか見えない。

 コーディネートを担当した隊員の目利きは鋭い。

 

『うん、似合ってる』

 

 軍服以外の衣服に袖を通した戦友に、ただ黒狼は微笑む。

 少女は、純粋だった。

 

『…そうか』

 

 気恥ずかしさを覚えた王は咳払いを一つ。

 逃げるように歩みを再開し、狭い路地へ足を踏み入る。

 足取りの軽い黒狼と半眼の楊を連れて。

 

『──合流の支援に加えて、装備の回収に人員を割かれてな』

 

 夜の訪れが早い路地を進みながら、王は合流班に参加していた理由を明かす。

 

『装備?』

そんな予定はなかったはずだが…

 

 作戦の要たる黒狼に重装備の支援は不要だった。

 むしろ、火力は過剰供給。

 細かな調整ができない()()()()()を補助することが、支援の目的だ。

 

『厄介な客人の歓待に急遽必要になってな』

 

 含みのある尉官の言葉に、黒狼は首を小さく傾げた。

 想定される妨害は日本国防軍だが、蝶の活動する旧首都圏で作戦行動は避けている。

 遭遇する可能性は低い。

 

『詳細に関しては後程説明します』

『分かった』

『黒狼の目的は当初と変わってない。心配するな』

 

 客人の歓待は俺たちの仕事だ、と王はニヒルに笑う。

 それから狭い路地を抜けて、車道に放置された車両を縫うように進む一行。

 

『到着だ』

 

 車道を渡った一行の前には、寂れたマンションが1棟。

 戦闘の余波を受けなかった幸運な建築からは人の営みを一切感じない。

 このマンションの地下駐車場に、仮設拠点はあった。

 

『隊長!』

 

 上空から死角となるピロティの下に立つ人影が一行の接近に気が付く。

 

『上士、2班は』

 

 音もなく駆け寄ってきた若い上士に上尉は問う。

 合流の支援に当たった2班も市街地を脱し、ここへ到着している時刻だった。

 

『まだ戻りません』

『そうか』

 

 2班の状況は無線封鎖下のため確認できない。

 パラ・ミリタリーまで動員し、警戒を強める国防軍は侮れない相手だった。

 健闘を祈るしかない。

 

『引き続き警戒しろ』

『了解』

 

 艶消しされたライフルを携えた若い上士は、黒狼を一瞥だけしてピロティの下へ戻っていく。

 

『王上尉』

 

 大口を開けた地下駐車場の入口で黒狼は改まった様子で切り出す。

 その視線は、生活の痕跡が微かに残されたマンションの上階に向けられていた。

 

『どうした?』

 

 地下駐車場内から漏れ出す光を目印にスロープを下る王は、その声に覚えがあった。

 手に余る人命を抱え込もうとする時、絞り出す硬い声だ。

 

『仮に……蝶を失ったら、この国は?』

 

 合流地点として市街地を選択せざるを得なかったとは言え、()()()()()()()()()()()

 そこで生きる人々を見て、言葉を交え、少女は作戦遂行上で無用な葛藤を抱くことになる。

 重い溜息を一つ吐き出し、王は傍らの楊へ目配せする。

 

『地方を放棄し、都市部へ人口を集めることで、ウィッチと軍の戦力を集中させています』

『それは臨沂(リンイー)でも、濰坊(ウェイファン)でも……やった』

 

 大陸では一般的な防衛体制であり、何一つ画期的な点はない。

 むしろ、苦々しい敗北の記憶を甦らせるものだ。

 大陸最高戦力の戦歴は無数の戦術的勝利、そして戦略的敗北が連なる。

 

『あれは急場凌ぎに過ぎない』

『そうだな』

 

 弾薬が尽き、戦意が挫け、嬲り殺される兵士。

 敗れた末に凌辱され、連れ去られる幼きウィッチ。

 

 そして、陥落した都市でインクブスの嘲笑が木霊する──それを繰り返させまいと旧北部戦区は戦ってきた。

 

 そう訴える真直な目と相対する王は努めて感情を殺す。

 

『ただ…未熟なウィッチが経験を積み、軍が持久戦に備える時間を蝶は与えた』

 

 その時間の価値は、黄金にも等しいだろう。

 しかし、蝶の庇護を失えば、この島国の平穏は容易く崩壊する。

 インクブスとの総力戦に耐え得る国家は、存在しない。

 

『十分だろう?』

 

 それを理解し、世の不条理を呪いながら、淡々と言葉を吐き出す。

 

『俺たちは瀕死の盗人だ……他者を気遣う余裕はない』

 

 黒狼の開きかけた口を閉じさせる弱者の言葉。

 際限なく救済の手を広げようとするウィッチに、現実を思い出させ、取捨選択させる。

 まず、優先すべきは旧北部戦区に生きる人々だ。

 

黒狼、私たちの両手で守れるものは少ない

『…分かってる』

 

 多くを救うため、多くを捨てたウィッチは俯くしかない。

 自己を犠牲にしようと、全てを救うなど傲慢だ。

 

 誰もが閉口する現実──重い沈黙が満ちる。

 

 光源に灯火管制の処置が施され、随所に闇の残る地下駐車場。

 そこで回収した重装備を黙々と点検する部下の影。

 手広く見えて小さく収まっている仮設拠点を見回し、王は再び足を──

 

『蝶との対話が()()()()()()、無力化に移る』

 

 その足を、黒狼の言葉が縫い留めた。

 強い意志を宿す黄金の視線と現実を諭す尉官の視線が交錯する。

 

『これに変更はない?』

『変更はない……成功の可能性は低いがな』

 

 黒狼の強い要請で残された対話というオプションは実現性が低い。

 既に接触を図った部下3名、情報収集中の諜報員2名が死亡している。

 人類の希望は、己の領域を侵す者全てに容赦がない。

 

 ゆえに、司令部が至った結論は──大陸最高戦力による無力化。

 

 無力化の後、()()し、戦力化する。

 傀儡軍閥の拠点を制圧した際、得られた外法の技術を用いて。

 

『誰も蝶と()()()()()()()()。試す価値はある』

うむ…インクブスの走狗と同列へ成り下がるのは、それからでも遅くはない

 

 パートナーの辛辣な言葉に王は口を噤む。

 旧北部戦区に手段を選ぶ余力などない。

 しかし、インクブスの傀儡を拒んだ人間として、捨ててはならない矜持がある。

 その葛藤を正面から揺さぶる言葉だった。

 

私たちは彼女が守ってきたものを見た

 

 インクブスの脅威、飢餓、貧困に怯える心配のない世界だった。

 正反対の世界に身を置く者ならば、不条理を呪う光景。

 しかし、誰もが渇望する平穏を()()は守ってきた。

 

『きっと目指すものは、同じ』

 

 その力を簒奪するのではなく、庇護を得るという夢想。

 戦場で無慈悲な決断を下しながら、理想は捨てなかったウィッチは現実に抗う。

 その代償が、さらに己の体を蝕む結果になろうとも。

 

協調も不可能ではない

 

 言葉を尽くし、ついに意志を変えること叶わなかったパートナーは、ただ背中を押す。

 願わくば、少女の双肩にかかった重責が減ずることを祈って。

 

『私は、蝶を信じる』

 

 ウィッチナンバー2──黒狼は、これまでの犠牲に恥じない選択を選び続ける。




 Q.救いはないんですか!?
 A.作者を信じろ(曇りなき眼)


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開幕

 Q.何が始まるんです?


 旧首都郊外の空軍基地に展開するアメリカ軍の行動は迅速だった。

 常時滞空する無人航空機がインクブスを捕捉した時点で、待機中の作戦要員は戦闘準備を終え、駐機場へ走っていた。

 赤い航空灯を瞬かせるティルトローター機が爆音を響かせ、次々と漆黒の夜空へ飛び立つ。

 鼠色の編隊が基地上空を通過した後、完全武装の攻撃ヘリコプターが順次離陸する。

 

『ブリーフィングで聞いていると思うが、再度確認するぞ』

 

 機外で唸り声を上げる2基のエンジンがキャビンを騒音で満たしている。

 

『30分前、第5空軍のリーパーが旧世田谷区でクソッタレを捕捉した』

 

 それを苦とせず、膝を突き合わせる兵士たちへ厳かな声を飛ばす壮年の大尉。

 

『洗脳されたと思しきウィッチ6名を侍らせる筋金入りのクソだ』

 

 キャビン内を支配する意志は一つ。

 人類の敵に対する敵意、憎悪、殺意。

 それらの発露を抑え込み、大尉の言葉へ耳を傾ける。

 

『日本のウィッチが交戦中だが、これには介入せず、逃走中のクソを追う』

『大尉、お姫様はまだ現れんのですか?』

『ユニットが追尾を開始している』

 

 ウィッチ2名に足止めさせ、人口密集地へ向かうインクブスを追尾する複数の影。

 攻撃こそ控えているが、威嚇することで進路を妨害し、誘導している。

 

『接敵は時間の問題だ』

 

 そこにはパッケージ13の意思が介在していると見て、間違いない。

 問題は接敵するポイントだが、そこを確認してからでは機を逸する。

 

『我々の任務はゴースト7の戦闘を支援し、クソに無断入国のツケを払わせることだ』

『難民申請をお忘れのクソに、ですか?』

『そうだ』

 

 居並ぶ兵士たちは殺意をニヒルな笑みで隠し、闇の中で静かに研ぐ。

 その様子を色素の薄い目で見渡してから大尉は、キャビン後方に座る主役へ声をかける。

 

『主役は君たちだ』

 

 あくまで戦闘を主導する者は、ウィッチ。

 灰色のロングコートを纏い、思い思いの姿勢で座席に腰かける4人の少女だ。

 全員が白化した髪で、ガラス玉を思わせる淡い青の瞳をしている。

 

『任せるぞ』

『了解』

 

 色彩を除いて、容姿も、声も、性格も異なるゴースト7の返答は見事に揃った。

 

 そして──訪れる沈黙。

 

 キャビン内はエンジンの騒音と風切り音で満たされる。

 コラテラル・ダメージ(巻き添え被害)の心配がなく、十二分な火力を投入可能な同盟国内における作戦。

 しかし、パッケージ13との対話に、妨害勢力の存在と不確定要素は少なくない。

 沈黙は、緊張を醸成する。

 

『モーガン』

 

 健康的な肉付きの足を組んで座席へ腰かけるウィッチが、その沈黙を破った。

 

『どうかしましたか?』

 

 伏せていた目を静かに開くモーガン。

 丁寧に編み込まれた白金の髪に、影のある表情も相まって薄幸の姫君のようだった。

 手元のアンチマテリアルライフルが放つ冷酷な輝きに目を瞑れば。

 

『ま~た、難しい顔してるわ』

『それは……』

『リラックス、リラックス~そんな顔じゃ、彼女に逃げられちゃうわよ?』

 

 対面に座るチームメイトは飾り気のないハンマーの柄に手と頬を乗せ、柔和な笑みを見せた。

 気まぐれな猫を思わせるが、モーガンと同じ淡い青の瞳は人の観察に長けている。

 これは彼女なりの調()()だった。

 

『あなたは緊張感を持つべきよ、シルビア』

 

 シルビアの左隣、装甲板を思わせるシールドに占有された座席を挟んだ先。

 両手で抱えるロングソード越しに、鋭い眼差しを飛ばすウィッチがいた。

 よく訓練された使役犬のような雰囲気を纏い、足を揃えて小さく座っている。

 

『そうかしら』

『そうよ』

 

 口元に指を当てて惚けるシルビアに、凛とした声が返される。

 一見、水と油のように対極的な二人だが、息の合った連携で敵を制圧するチームの矛と盾だ。

 普段通りに振る舞う対面のチームメイトを見て、モーガンは苦笑する。

 

『リーダー、洗脳されたウィッチは制圧でいいのか?』

 

 モーガンのすぐ隣に座るウィッチが、おもむろに口を開く。

 人形じみた無表情と癖毛が目を引くチームメイトの問いに、リーダーは自身の判断を伝える。

 

『はい、あくまで無力化です』

 

 敵対的なウィッチは()()も許可されていた。

 しかし、それは最終手段として脳裏の片隅に置かれている。

 

『骨が折れそうだな』

 

 小さく鼻を鳴らすも隣人の表情はフラットなまま。

 セミオートマチックのショットガンにシェルを装填する手は止めない。

 

『彼女の前で処理するわけにはいきませんから』

 

 両手の指では足りない数のウィッチを戦場で処理してきた。

 

 それが必要とされ、その必要性を理解したからこそ、後悔はない──否、捨て置いた。

 

 しかし、それを実行できる者が人間の信頼を得られるとは、到底考えられない。

 己の選択一つで本国の命運が左右される。

 今度こそ失敗できない。

 

『いずれは知られる』

『それは……いえ、不信感を与える行動は最低限に留めるべきです』

 

 その言葉は、己を納得させるため吐き出されていた。

 作戦遂行上の障害を増やし、作戦要員へ負担を強いる罪悪感に苦悩しながら。

 

『よし、分かった』

『クレア?』

 

 責任を背負い込みがちなリーダーを女房役が静かに見据える。

 フラットな表情は変わらず。

 

『それで行こう、リーダー』

 

 ただ、その目と声には明確な意志が宿っていた。

 

『任せてくれ』

 

 勇気づけるように、力強く肯定し、共に背負う。

 ゴースト7は4()()()1()()のウィッチ、その重責も分配されるべきなのだ。

 その短い言葉にはチームメイトだけでなく、キャビン内にいる全ての者が頷いていた。

 

『ありがとうございます』

 

 幾分か肩の力が抜けたモーガンは、年相応の柔らかな笑みを浮かべた。

 

『格好よく決めないとな』

『そうそう!』

 

 明るい声をキャビン内に響かせるシルビア。

 チームのムードメーカーは、あえて空気を読まない。

 

『まずは、この地味なコートより華やかなコスチュームにしてみない?』

 

 そう言って両手を組み、華やかな自身を夢想し、目を輝かせる。

 空気が弛緩し、相方が天を仰ぐ。

 ゴースト7は最低限のエナで構成した装束の上に、味気ない装具を着け、7の番号が描かれた灰色のロングコートを纏う。

 華やかさとは無縁だ。

 

『エナの無駄よ。大体、華やかさなんて──』

『あら、新しいイヤリング似合ってるわよ?』

『ちょっと…シルビア!』

 

 相方の変化を目敏く見つけ、素直に褒めつつ弄ってみせるシルビア。

 身体能力と攻撃力へ重点的にエナを振り分けるため、余剰はない。

 

 叶わぬ願いと理解していながら、わずかでも己を彩る──それを笑う者はいない。

 

 ただ、赤面する少女を微笑ましく見守る大人と親友がいた。

 

『このコート、私は気に入ってるんだが』

『嘘でしょ、クレアちゃん』

≪ええ、白馬より王子様一行へ≫

 

 ガールズトークに割り込むパイロットの声は、わざとらしい棒読みだった。

 自称白馬に王子様と呼ばれ、苦笑する兵士とウィッチは己の得物を改める。

 戦場は、すぐそこだ。

 

≪5分後にDZだ。準備してく──≫

 

 実直な軍人へ切り替わった声を、耳障りなアラートが遮る。

 作動する()()()()()ミサイル警報装置のアラートだった。

 

≪各機散開しろ!≫

≪了解!≫

 

 実戦慣れしたパイロットの判断は、迅速かつ的確だった。

 整然と組まれた編隊が解かれ、散らばる鼠色の機影。

 接近する脅威に対し、機外のディスペンサーから自動で高熱のフレアが発射される。

 

≪ACP、こちらブラボー・ノーベンバー、SAMによる攻撃を受けている!≫

 

 突如、開始された旋回機動にキャビン内の兵士とウィッチは座席へ身を押し付ける。

 一筋の白線が突き抜けていき、夜空の彼方で紅蓮の華を咲かす。

 

≪くそったれ≫

 

 地対空ミサイルの描く白い軌跡、フレアの眩い閃光、そして爆炎が夜空を彩る。

 

≪ヤンキー・ハットが被弾!≫

≪被弾した、被弾──≫

 

 至近で炸裂を受けた鼠色の機体が黒煙を吐き出し、闇に包まれた廃墟へ高度を落としていく。

 切迫したパイロットの声が無線越しに飛び交う。

 同盟国の上空は制空権下にあると疑わないアメリカ軍は混乱の渦中に叩き込まれていた。

 

 解析不能の超常現象──マジックを用いた攻撃ではない以上、敵からインクブスは除外される。

 

 無人航空機の熱線映像装置による監視を逃れ、地対空ミサイルの待ち伏せ攻撃を行える存在。

 それは、アメリカ軍と()()()()()しかありえない。

 

≪ACP、敵のSAMを黙らせ──くそっMANPADSだ!≫

 

 墓標のように突き立つ高層建築の屋上を睨み、パイロットの1人が吠えた。

 正解者へは地対空ミサイルによる返礼が飛来する。

 回避のため発射されるフレアの輝きが廃墟へ降り注ぐ。

 

『おいおい、冗談だろっ』

 

 ブラボー・ノーベンバーのキャビンで兵士たちは、ただ機動に耐え、被弾しないことを祈るしかない。

 

『モーガン、SAMを無力化すべきじゃない!?』

『降下しようにも、これでは──』

 

 降下中でも精密射撃を成功させるモーガンへ悲鳴に近い声でシルビアは提案する。

 キャビンの窓外で閃光が走り、遅れて鈍い衝撃。

 至近で炸裂した弾頭から放たれる破片が機体の外板を叩く。

 

『くそったれ、間一髪かよ!』

≪こちらズールー1、SAMを攻撃する≫

 

 誰もが待ち望んだ冷静な声が飛び込み、高層建築の屋上が爆炎に包まれる。

 地対空ミサイルの射点は粉塵を巻き上げ、崩れ落ちていく。

 攻撃ヘリコプターによる爆撃は正確に脅威を粉砕した。

 

≪SAMを破壊。周辺警戒に移る≫

≪了解。ゴースト7、SAMが沈黙している今がチャンスだ≫

 

 しかし、それは一時的な沈黙に過ぎない。

 敵が軍事組織に準ずる者である以上、確実に次の攻撃オプションを用意している。

 

 そして、アメリカ軍の作戦行動を妨害する目的は──シルバーロータスの確保。

 

≪降下を開始せよ。バックアップはズールー2と3だ≫

『了解』

 

 撤退の選択肢はない。

 灰色のウィッチたちは幾度と行ってきた敵前降下を決意する。

 空中で静止するホバリングは狙い撃ちされる危険性があるため、巡航中の機外へ身一つで飛び出す。

 

『少尉!』

 

 追従できない生身の兵士たちができることは一つ。

 視線だけ返す少女たちを敬礼で、サムズアップで、そして必ず後に続くという決意で、送り出す。

 キャビン後方の扉が開放され、吹き込む戦場の風が頬を撫でる。

 武骨な得物を力強く握り、4対の青目が機外の闇を睨む。

 

≪神のご加護を!≫ 

 

 祝詞が夜空に溶け、空中へ身を投じる4人のウィッチ。

 その影は、コンクリートジャングルの闇へ消えた。

 

 

 己は、剣身あるいは弾丸。

 いかなる状況でも、その覚悟は揺るがない。

 相対する敵がウィッチナンバーの()上位者であろうと、燐光を纏う刃が慈悲で鈍ることはない。

 輝きを失った桜色の刀身へ落下速度を加えた殺人的速度で振り下ろす。

 

「重い…!」

 

 衝撃に呻くウィッチの足を支えるアスファルトには細かな亀裂が走る。

 刀身の切断はおろか破砕にすら失敗し、蒼いウィッチは形の良い眉を顰めた。

 隷属したウィッチにしてはパートナー喪失に伴う能力の低下が見られない。

 

 純粋な戦力化──胎の中を見るに、それ以外も担っているようだが。

 

「そんな目で……見るなっ」

 

 人間味を欠いた無機質な殺意を宿す蒼い瞳。

 それを前にして敵意を露にする裏切者の反発力に逆らわず、空中へ身を投げ出す。

 絢爛たる蒼き装いを夜空に躍らせ、後方の錆びついた信号機に着地する。

 

「アズール、ひっ、ノヴァさん! た、助けてください!」

 

 悲鳴混じりの呼び声を受けて、アズールノヴァは小さく溜息を漏らす。

 平坦な視線を向けた先には、交差点の中央で凶刃に追い回されるバディ。

 反撃もできず、ただカットラスの輝きと踊るしかないように()()()

 

「ちょこまかと!」

 

 猫目のウィッチはカットラスと打ち合わない相手に対し、左手のピストルを突き付ける。

 

 マジックを射出する機構が作動──口径以上の破壊が轟音と共に発射された。

 

 しかし、着弾点に真紅の影はなく、無残に抉り取られたアスファルトが広がるだけ。

 

「レッドクイーン、反撃してください」

 

 信号機の下へ降り立つバディに見向きもせず、周囲へ視線を走らせるアズールノヴァは無慈悲に告げた。

 

「む、無理ですよ!」

 

 幽鬼のように歩み寄ってくる猫目のウィッチに声を震わすレッドクイーン。

 バラを思わせる絢爛なドレスに不釣り合いなバトルアクスは、飾り同然だった。

 

「ならさ……お前も仲間に入れてやるよ!」

「ひっ!」

 

 カットラスの刃が瞬き、レッドクイーンが情けない悲鳴を上げる。

 同時に、桜色のウィッチがアズールノヴァへ向かって跳躍。

 

「今度は余所見か!」

 

 左下段からの袈裟斬りを難なく躱し、車道へ降り立った蒼いウィッチを追撃が襲う。

 右肩を狙った刺突を下段から打ち上げ、迎撃。

 両者の刀身が頭上で切り返され、敵対者へ振り下ろされる。

 

「見るまでもありませんから」

「ちぃっ!」

 

 速度差から桜色のウィッチが、わずかに体勢不利。

 斬殺は容易、それよりも状況の推移が最大の懸案事項だった。

 迅速に処理しては、いらぬ誤解を()()に与えかねない。

 だからこそ、忌々しいインクブスの時間稼ぎに付き合っている。

 

「舐めるなっ」

 

 それを敏感に感じ取る桜色のウィッチはサーベルの刀身を滑らせ、圧力を受け流す。

 ウィッチ(魔女)らしからぬ袴に隠された足運びは悪くなかった。

 相対する刃を失い、アスファルトへ突き立つソードの切先。

 

「もらった!」

 

 致命的な隙を晒すアズールノヴァを()()()するため、腕を狙ってサーベルを横一文字に走らせる。

 

 インクブスに隷属した心が褒美を求めた結果──垂直に立つ剣身を捉えた。

 

 アズールノヴァは刃の推進力に抗わず、切先を起点に体を空中へ投げていたのだ。

 火花散らす衝撃を受け、アスファルトから刃が解放される。

 

「なに…!?」

 

 月光を一身に受ける蒼きドレスが、堕ちた桜に影を落とす。

 棒高跳びの要領で、間合の外へ軽やかに着地し、ヒールの雅な音を響かせる。

 

「終わりですか?」

 

 身の丈ほどもあるソードを体の一部のように扱う相手へ、無策な追撃は繰り出せない。

 それに落胆を覚えるアズールノヴァは、背中を向けたまま北の方角を見つめる。

 

「う、撃たないでください!」

「なら、逃げるな!」

「嫌です!」

 

 いまだ無傷で逃げ回るレッドクイーンを襲うマジックの砲声に混じって聞こえる戦場音楽。

 北の夜空から断続的に響く()()は、招かれざる者たちの場外乱闘が始まったことを意味する。

 自己保身を優先する大人の戦争が、全てを見通す目には映っていた。

 

「…お前、ナンバーズか」

 

 存外口の軽い桜色のウィッチは、問答による時間稼ぎに移った。

 

「はぁ……何を咥えていたかは聞きませんが」

 

 今度こそ落胆し、溜息を吐き出すアズールノヴァは問答無用の一閃で応じる。

 ウィッチナンバーの元上位者が見せた反応速度は想定内。

 

「臭いますよ?」

 

 それを上回る一撃は見事に首を捉え、()()()()()()()()()

 桜吹雪となって崩れる人影には、手応えがなかった。

 その背後には使用者を完全に再現したマジックの幻影が立ち並ぶ。

 

 細事なこと、些末なこと──全て斬る。

 

 蒼い風が桜を散らさんと吹く。

 

「無駄だ……お前に私は斬れない」

 

 敗北者の戯言など耳にも入らない。

 アズールノヴァの思考は、次なる標的の選考に割かれていた。

 

 インクブスに与する者は当然、彼女の力を求める大人、ウィッチ──彼女を手中に収めようなど、万死に値する。

 

 絶望に満たされた世界で咲く彼女は、誰のものでもない。

 

「聞いているのか!?」

 

 しかし、彼女に知られてはならない。

 彼女は盗人にすら救済の手を差し伸べるだろうから。

 

「何を笑っている…!」

 

 桜吹雪が舞う中、幻影が繰り出す技は精度が低い。

 連携の取れたオークの方が幾分か良い動きをするだろう。

 

 駆逐すべき対象を選定し──桜吹雪の彼方、旧首都郊外の闇を歩く人影を捕捉。

 

 全く予想していなかった人物の登場に、蒼い目が驚愕で見開かれる。

 

「これは、貴女のシナリオですか」

 

 彼女を取り巻く厄介事が線を結び出し、形を成す。

 背後から迫る幻影ごと桜吹雪を薙ぎ払い、アズールノヴァは忌々しげに吐き捨てた。

 

「レッドクイーン!」

「は、はひぃ!」

 

 有無を言わさぬ鋭い声に反応し、バトルアクスのスイングで凶刃を弾くレッドクイーン。

 

「なんだ……このエナは!?」

 

 不可視であるはずのエナが燐光となって舞い、廃墟を不気味に照らし出す。

 複数の幻影を操る桜色のウィッチは己の総量を軽々と超越され、ただ息を呑む。

 

「合図したら、私と()()()()()()()

 

 微かに涙で潤む真紅の目を見据え、アズールノヴァは命ずる。

 

「はい…!」

 

 その目に覚悟が宿ったと気が付かない猫目のウィッチだけが安直に襲いかかる。

 眼前の敵を優先する視野の狭さと観察眼の未熟さが、身を滅ぼした要因だろう。

 アズールノヴァは腰を低く落とし、煌々と輝く刃を地に寝かせて構えた。

 

「今です」

 

 ただ一声で、紅は蒼へと変わる。

 カットラスを振り下ろす先には、今まさに斬撃を放たんとするアズールノヴァがいた。

 回避不能、そこは必殺の間合。

 

「なに──」

 

 刃は音を置き去りにし、進路上に存在する大気を、エナを、ウィッチを両断する。

 エナで構成されたカットラスとピストルに、薄汚れた装束。

 インクブスに調教された少女の肢体。

 声なき悲鳴。

 それら全てを残らず、蒼い焔が焼き尽くす。

 

「ば、化け物か…?」

 

 斬撃は幻影まで蒸発させ、桜色のウィッチは本能的に一歩後退る。

 敗北し、隷属した身であるからこそ理解できた。

 世には抗ってはならない力が存在するのだ。

 

「次」

 

 斬撃の余波で交差点の信号機が次々と倒れ、巻き上がる粉塵と燐光。

 放射されるエナの濃度は、なお上昇を続けていた。

 燐光を反射して輝く蒼き瞳の奥には、闇が滞留する。

 

「シルバーロータス様、待っていてください」

 

 焔が遺骸を焼き尽くし、そのエナは主が握る長大な刀身へ還っていく。

 微かな月光が照らす旧首都の闇を蒼が侵食する。

 燐光が桜吹雪のごとく舞い、刃の放つ輝きは銀へと近づく。

 

「すぐ、行きます…!」

 

 それは、敵対者にとって死刑宣告に等しい。




 A.大惨事大戦だ。


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蝟集

 作者「タグ詐称いくない」
 兄者「魔法少女してるじゃん」


 橋脚に囲まれた交差点、空中で複雑に交差する高架橋の影が唯一落ちない月下の舞台。

 まるで、台風の目だ。

 

 ──夜空に鈍い爆発音が木霊する。

 

 ハマダラカから逐次送られてくるテレパシーは、爆発の原因を余すことなく伝えていた。

 所属不明の勢力、それも軍事組織に類する者同士が旧首都で戦闘を繰り広げている。

 さっぱり意味が分からない。

 一体、何が起こっている?

 

なるほど……誘い込まれたわけですか

 

 人類の敵は、今、目の前にいるインクブスだけだろうに。

 

「元より逃げる気はなかった……違うか?」

 

 高架橋の梁に留まった4体のカマドウマがエナに還り、夜空へ溶けていく。

 役目を果たした追跡者の最期は静かなものだった。

 その姿を見送り、交差点に脚を踏み入れる黒い毛玉へ視線を落とす。

 

おや、それを察していながら、貴女は出てきたのですか?

 

 黒い毛玉に手足が生えたようなインクブス──ボギーは首を傾げた。

 その傍らには、容姿も年齢も異なるウィッチを4人も侍らせている。

 アズールノヴァからの連絡では6人いるはずだが、捜索に割けるファミリアがいない。

 

「2人はどうした」

ここで他者の心配とは……やれやれ

 

 紳士然とした態度を取るが、その眼には嘲りが滲む。

 

つい先刻、新星の如きウィッチとお会いして、確信したのですが

 

 接敵している──つまり、アズールノヴァとレッドクイーンは残る2人のウィッチと対決している。

 無理だけはするなよ。

 

()()()ヒトを殺せない。あくまで、私たちだけを狙っている

 

 よく回る口だが、内容は聞き飽きたものだ。

 苗床の少女を盾にしたゴブリンも、子どもを人質にしたフロッグマンも、ウィッチを洗脳した同族も同じことを宣っていた。

 

さて、このウィッチたち、そちらでは腕っ扱きだったそうで……降伏されませんか、()()()()()()()

 

 失敗した前例と異なるのは、狙いを私に絞り、ウィッチの徒党で挑んできた点か。

 しかし、私のすべきことは変わらない。

 

「断る」

 

 シースからククリナイフを抜き放つ。

 併せて高架橋下に巣を展張したナゲナワグモが、せっせと粘液球を垂らし始める。

 原種と異なり、ファミリアが垂らす代物は誘引のフェロモンを放たない。

 むしろ、認知を阻害することで回避させない暗器の類だ。

 

残念です

……微塵も思っていませんね

 

 芝居がかった所作で首を横に振るボギーに、パートナーは露骨な嫌悪感を示す。

 

やはり、()()()()()災厄のウィッチが首を垂れるはずもありませんね

 

 戦力不足は織り込み済みとなれば、情報収集が目的か。

 ポータルを使用しての撤退を選択せず、あえて交戦の意思を見せている。

 つまり、これは威力偵察。

 まだ、こちらの戦力を評価できていない今、確実に駆逐する。

 

災厄のウィッチ、一つ質問しても?

 

 どうせ無視しても言葉を吐き出し続ける。

 

私たちはヒトを飼い、愛で、時に食す……()()を望んでいるのです

 

 インクブスの行動は人類を害するものだが、急所は外していた。

 ゆえに、人類の家畜化が最終目的と考えていたが、正解だったわけだ。

 反吐が出る。

 

その温情を拒み、貴女は私たちの絶滅を推し進めている──」

 

 人類を徹底的に見下した態度は変わらない。

 ただ、虫酸が走る被害者意識の塊みたいな言葉は、初めて聞いた。

 

なぜですか?

 

 救いようがない。

 被害者ぶるなよ、怪物どもが。

 

シルバーロータス、()()と対話は不可能です

 

 左肩より響くパートナーの冷静で、静かな怒気に満ちた声。

 それを耳にして、感情が無秩序に発露することを自重できた。

 雑音に惑わされて、本質を見失うな。

 いつものように、確実に、インクブスどもを駆逐しろ。

 

「ああ、よく知ってる」

 

 テレパシーを発した瞬間、ざわりと大気に敵意が満ちる。

 そして、高架橋下の影より続々とファミリアが姿を現す。

 

おお、この歓迎ぶり……光栄です

 

 とことこと軽快な足音をアスファルトに刻むヤスデの脚。

 視界の上で風に揺られるカマキリの触覚。

 打ち鳴らされるベッコウバチの大顎。

 すぐ傍に下ろされる灰青色の重厚なヤシガニの鋏。

 

初めてお目にかかるファミリアばかりですね?

 

 好奇に満ちたボギーの視線が、ミイデラゴミムシを彷彿とさせる派手な体色のファミリアへ向く。

 居並ぶファミリアの中では小柄だが、ウィッチを相手取る上で強力な武器を有している。

 情報を持ち帰れたインクブスがいないことを再確認。

 

配置が完了しました

「撃て」

 

 もう聞くべき言葉はない。

 

災厄のウィッチ、何か語ってくれま──」

 

 高架橋の隙間を縫って紫電が奔り、アスファルトが爆裂する。

 死角からの砲撃は狙い違わずボギーに命中した。

 

減衰を確認……健在です

 

 だが、巻き上がった粉塵にインクブスの肉片は見られない。

 

危ない危ない……

 

 粉塵が晴れ、黒い毛玉が神経を逆撫でする声と共に現れる。

 傍らに立つ巫女装束のウィッチを中心に展開されたエナの防壁が陽炎のように揺らぐ。

 破砕されたアスファルトとの境目を見るに、範囲は直径5mの円。

 

シリアコ卿に感謝しなければなりませんね

 

 隠蔽を徹底させたオニキスの不意打ちを防御した時点で常時展開されていると見るべきか。

 

強度が高いですね……突破は困難かと

「そうか」

 

 やはり、休眠中のミイデラゴミムシを起こして正解だった。

 ウィッチの防壁を突破するだけの火力はエナの消費が激しく、現状は投入できない。

 

 現状でも長期戦は難しい──目指すは、短期決戦。

 

 大顎を打ち鳴らす4体のベッコウバチが横に広がり、私の前に鎮座するヤシガニの背甲にミイデラゴミムシが上る。

 背の高い雑草に侵食された歩道へヤスデが入り込み、ナゲナワグモが粘液球を揺らし出す。

 そんなモンスターパニックさながらの光景を前に、ウィッチの虚ろな目が恐怖で揺れたように見えた。

 

次は、こちらの番です!

 

 両腕を大きく広げ、ボギーは高らかに宣言する──

 

「Tally Ho !」

 

 小気味よい掛け声が響き、高速の飛翔体が頭上を擦過。

 刹那、ボギーの立つ車道はエナの爆炎に包まれる。

 

「──It didn't work(効果認めず)

「Roger」

 

 交差点を右折した先へ降り立った4つの人影。

 爆風を受けて翻る灰色のコート越しに聞こえる言語は、英語だった。

 微量のエナを放つ者、おそらくはウィッチ。

 

このエナは……何者でしょう?

「分からん」

 

 ヤシガニの陰から様子を窺う私に、淡い青の瞳が向けられる。

 敵意は感じないが、無関心でもない。

 それを無害そうな笑みで隠す。

 

「間に合ってよかった」

 

 流暢な日本語に面食らう。

 武骨なライフルやシールド等を携えた彼女たちは、英語を交えていたはず。

 

 我が国では調達できない銃器に、統一された装備──軍属のウィッチだ。

 

 髪と目の色が全員同じため、まるで姉妹のように見える。

 変身に伴う人体の変化は千差万別だが、同一のウィッチが複数人もいるのか?

 

「…何者だ?」

 

 私の警戒心に反応し、ゆらりと傍らに立つカマキリ。

 夜に染まった眼が灰色の人影を睥睨する。

 

「け、警戒しないでください。私たちは敵ではありません」

 

 リーダーと思われるウィッチが慌てて左肩を指し示す。

 親近感を覚える灰色のコートには、星条旗が縫い付けられていた。

 

「アメリカ軍?」

「私たちはアメリカ陸軍危機即応部隊第7分遣隊です」

 

 そう名乗ったウィッチは繕った笑みを消し、鋭い視線をボギーがいた方角へ向ける。

 粉塵立ち込める交差点の奥を睨む鋭い眼光。

 アメリカ軍のウィッチは、年齢に見合わぬ凄みがあった。

 

「Hi honey~」

 

 私の視線に気づき、半身の隠れるシールドを構えたウィッチが小さく手を振る。

 

Hey, Silvia(ちょっとシルビア)… !」

 

 それを並び立つ小柄なウィッチが小声で窘めた。

 得物を見るに、その2人が前衛らしい。

 

なぜ、日本に…?

 

 パートナーの抱く疑問は、私の抱く疑問でもある。

 部隊名を聞くに国防軍の中央即応連隊に近い部隊のようだが、なぜ日本にいる?

 

やれやれ……無粋なお客様だ」 

 

 当然のようにエナの防壁から嘲りの眼差しを投げてくるインクブス。

 視界が回復するまで、その場を動かないとは大した余裕だ。

 

「私たちは日本政府から要請を受け、行動しています」

「組織的なウィッチの拉致から保護してほしい、とな」

 

 艶消しの施されたショットガンを構えるウィッチが、リーダーの発言を補足する。

 それが事実なら、日本政府は方針を転換したのか?

 組織的な拉致からの保護ということは、現在交戦中の勢力はアメリカ軍と──詮索は後回しだ。

 

保護なら私が引き受けましょう……貴女たちも含めて、ね

Fuck off(失せろ)

 

 侮蔑を込めた啖呵が切られ、対峙するウィッチが同時に地を蹴った。

 高架橋下を反響する重い銃声。

 鮮やかな色彩の影と灰色の影が交錯し、エナで構築された刃が火花を散らす。

 

どうしますか、シルバーロータス

 

 ウィッチがウィッチと戦う光景──それが私は気に食わない。

 

「決まってる」

 

 所属に関係なくウィッチ同士の戦いなど見たくもない。

 ありふれた悲劇など願い下げ。

 駆逐されるべきは、そこの怪物だけだ。

 

「インクブスを駆逐する」

計画に変更無し、ですね

「まずはウィッチを無力化するぞ」

 

 アメリカ軍のウィッチを誤って攻撃しないよう、テレパシーで対象を指定。

 ()によるマジックの無力化は、彼女たちを危険に晒す。

 よって、搦め手無しの正面対決になる。

 突入のタイミングが重要だ。

 

Laila(レイラ), now(今よ) !」

I got this(任せて) !」

 

 分厚いシールドで衝撃力を殺し、すかさず放たれる刺突。

 交差点の中心、灰色の影が交互に立ち位置を移し、二刀の白刃を迎撃している。

 エナの放射量を見るに、おそらく1対1は厳しい。

 2対1を徹底した立ち回りは、能力差を補うためか。

 

「Reload」

Claire(クレア), cover you(援護します)

 

 その均衡を守るため、もう1人の肉薄を銃撃で阻む。

 銃器でも大口径のものは、身体能力が向上したウィッチをノックアウトできると聞く。

 より強力なマジックを使用できるウィッチが持つ理由は不明だが。

 

これは、想定外ですね

 

 アメリカ軍のウィッチは能力差を数と連携で補い、優位に戦闘を進めている。

 しかし、彼女たちは4()()2()で優勢。

 

ふむ……矢を番えなさい

「…はい」

 

 ボギーの傍に立つウィッチは拘束されておらず、自由に火力を投じることができる。

 エナの放射量が急速に高まれば、最大の脅威である──

 

Watch out for enemy fire(敵砲火に注意) !」

「Roger !」

 

 マジックの砲撃が飛来する。

 パステルカラーの衣装を靡かせ、白金に輝く矢を番えたウィッチ。

 感情の死んだ虚ろな目は、私を照準している。

 

攻撃、来ます

「好都合だ」

 

 テレパシーは不要、言わずとも動く。

 

 閃光が走り──世界を純白が塗り潰す。

 

 灰青色の巨影が立ち塞がり、エナの激流を防波堤の如く遮り、四散させた。

 流星群あるいは玩具花火を思わせる軌跡が闇夜に描かれる。

 

ほう……あれを防ぎますか

「Wow」

That's awesome(すごいですね)……」

 

 高い強度を誇る積層構造の外殻は、一部の層を剥離させることでエナを放散させる。

 マジックを無力化する術がなかった頃、盾を務めたファミリアの実力は健在だった。

 

「仕掛けるぞ」

はい

 

 戻ってきた夜の闇へ一斉に吶喊するベッコウバチ。

 そして、エナの残滓を漂わせるヤシガニが悠然と続く。

 対策を講じる時間を与えず、一気にイニシアチブを握る。

 

「くっ…!」

 

 間合を仕切り直していた二刀流のウィッチを濃紺の大顎が襲う。

 体勢を整える前の強襲に、たまらず横へ跳躍。

 

Over here(こっちよ) !」

「こいつっ」

 

 着地を狙って捻じ込まれる灰色の刺突を、交差させた二刀で防御──衝撃を殺し切れず、後退。

 

「後ろっ!?」

 

 軽自動車ほどもある影が迫り、ウィッチは軽率にも上方へ跳んだ。

 洗脳されたウィッチは受動的な思考で、先読みができない。

 まず、1人──

 

Good night(おやすみ)~」

 

 灰色のコートが花びらのように風で膨らみ、頭上からハンマーが振り抜かれた。

 ごしゃり、と嫌な音が響く。

 ナゲナワグモが捕獲するはずだったウィッチは、アスファルトへ激突する。

 

Silvia(シルビア), take it easy(手加減して) !」

I didn't kill her(殺してないでしょ)

 

 痙攣する人影を見るに死んではいない。

 ウィッチを昏倒させるには、相応の威力がいる。

 やむを得ない。

 

き、気絶してますね……次の攻撃、来ます!

 

 パートナーの鋭い警告と同時にテレパシーを飛ばす。

 矢弾の射線へ巨躯に見合わぬ速度で立ち塞がるヤシガニに、ぎょっとする射手のウィッチ。

 全長の半分を占める脚は伊達ではない。

 

「ば、化け物…!」

 

 純白の光が闇夜に飛び散り、エナの残滓が高架橋の下を揺蕩う。

 

Laila(レイラ), Silvia(シルビア), Flanking attack(側面から攻撃を) !」

On my way(今行くわ) !」

 

 その下を灰色のウィッチたちは駆ける。

 重々しい銃声が鳴り響き、ヤシガニの脚を狙っていたウィッチが飛び退く。

 ベッコウバチの追撃も躱し、雑草の生い茂る歩道近くまで下がる。

 

「──Laila(レイラ), Silvia(シルビア), Get back(下がって) !」

「What !?」

 

 警告する前に、距離を取るアメリカ軍のウィッチたち。

 マジックの砲撃に逸早く反応した時といい、彼女たちのリーダーは目が良い。

 注意力が散漫なウィッチには()()()()()()

 

今です!

「なっ…に?」

 

 鼻を押さえた時点で、もう遅い。

 サーベルを取り落とし、膝を折り、やがてアスファルトに倒れ伏す。

 歩道に潜む紅色のヤスデが分泌する化合物は、インクブスを昏倒させる代物だ。

 これで2人。

 

ウィッチだけでは歯が立ちませんか

「用兵の問題だ」

 

 徒党を組んでも連携が取れていない。

 本来の能力を発揮できないウィッチの各個撃破は容易だ。

 嘗めてるのか?

 

これは手厳しい

 

 ヤシガニの背甲よりミイデラゴミムシが尾部をボギーに向ける。

 エナの防壁を随分と信頼しているようだが、それは過信というものだ。

 

それで、次は何を見せ──」

 

 爆轟を伴う音が大気を震撼させ、ミイデラゴミムシの尾部からガスが噴射される。

 凄まじい圧力で噴射されるガスはインクブスを焼殺する熱量を有す。

 それでもエナの防壁は破壊できない。

 

「これはっ!?」

 

 しかし、巫女装束のウィッチが異変を察した瞬間──ガスが防壁の内へ侵入する。

 

 ガスを構成する化合物が命中すれば、それでいい。

 ファミリアの生成した化合物は、エナに作用して本来の正常な挙動を阻害する。

 

おやおや……これは

 

 かくして防壁は音もなく崩れ去った。

 フードを取り払って、ナゲナワグモにアイコンタクト。

 すかさず粘液球が飛ぶ。

 

厄介ですねっ

 

 死角からの奇襲を容易く躱すボギーと巫女装束のウィッチ。

 空中に吊り上げられた獲物は、後方確認が疎かだった射手だけ。

 

「ひっ嫌、やだ、離してっ離して!」

 

 激しく暴れるほど粘液球がパステルカラーの衣装に絡みつき、自由を奪っていく。

 パニックに陥った少女の悲鳴が降り注ぎ、胸中に罪悪感が堆積する。

 毎度のことながら、最悪の気分だ。

 

「いぁ──かっは……」

 

 1発の銃声が響き、悲鳴は途絶えた。

 これ幸いとナゲナワグモは粘液球を巻き上げていく。

 ウィッチの意識を刈り取った慈悲の一撃に、心中で感謝する。

 

「……これで3人」

お見事です、災厄のウィッチ

 

 軽々しい称賛の声を聞き流し、ベッコウバチに半包囲させる。

 警戒すべきはインクブス御用達の薬物、そしてボギー自身のマジック。

 余裕を見せているインクブスは手札を隠し持っているものだ。

 

これは、是が非でも情報を持ち帰らなければなりませんね

 

 一切の嘲りを消した眼には、見慣れた狡猾な色が宿る。

 ポータルを開く暇など与えるものか。

 ククリナイフの切先で指し示す人類の敵へファミリア、そしてアメリカ軍のウィッチが肉薄する。

 

虫けらを全て潰せたら褒美をやります。励みなさい

「…はい」

 

 巫女装束のウィッチが手を掲げ、己のエナに働きかける言葉を──別の言葉が遮った。

 

破坏(潰れろ)

 

 高架橋より降り注ぐ冷徹な声。

 刹那、飛来した漆黒の弾丸がアスファルトを穿ち、暴風が吹き荒れる。

 

わわわっ!

 

 しっかりとパートナーの体を左手で押さえ、目を閉じる。

 塵と埃とアスファルト片が巻き上がり、周囲の光は閉ざされた。

 

「Shit !」

 

 ファミリアの感覚器官を頼りに周辺を索敵、脳裏に空間を描き、位置関係を把握する。

 インクブスの至近で急速に増大するエナの反応。

 これは、まるで、アズールノヴァ──

 

「……障碍(邪魔)

「がはっ!?」

 

 人体を強打する、あの嫌な音が闇の中で聞こえた。

 苦悶に満ちた掠れ声は、間違いなく巫女装束のウィッチだ。

 遅れて、ボールのように跳ね飛ばされる姿を高架橋下よりナゲナワグモが観測する。

 

今宵はお客様が多いですね

破坏(潰れろ)

 

 形容しがたい破壊の音が空気を震わす。

 振動と空気の流動を見るに、そのマジックは空間を()()()()()()()

 私でも感知できる膨大なエナを用いた力業だ。

 

まさか……貴様もいるとはな、黒狼(ヘイラン)

 

 なおも沈黙しない音源にベッコウバチを突撃させる。

 この状況は逃走に最適と思っているはずだ。

 

保持安静(黙っていろ)

 

 これは、中国語か?

 意味は分からない。

 ようやく視界が晴れ、闇より深い人影が明確な像を結び出す。

 

彼女は、まさか

It's a disaster(最悪ね)… !」

 

 頭上の尖った犬耳、濡れ烏のような黒髪と同化した尻尾、鋭利な爪の生えた黒い右腕。

 人間の形態を大きく逸脱した漆黒のウィッチ。

 その首元にはドッグタグが月光で瞬く。

 

「見つけた、蝶」

 

 狼を彷彿とさせる黄金の目は、明確に私を見据えていた。

 

ウィッチナンバー2…?

 

 ナンバーズの次席が一体何の用だ?

 いや、それより今はボギーを──

 

「危険です、退避してください!」

 

 ナンバー2の視線を遮るように、4人のウィッチが立ち塞がった。

 7の数字が描かれた灰色の背中からは強い警戒と緊張が感じ取れる。

 銃口こそ指向していないが、臨戦態勢だった。

 

「…蝶の危険因子は、お前たちだ」

 

 たどたどしい日本語だが、幼さの残る声には明確な敵意が宿っている。

 左肩に乗せていた長大なシミターの刃を地に寝かせ、一気に不穏な空気が漂い出す。

 おい、冗談じゃないぞ。

 

「蝶を覇権主義の道具にはさせない」

「我々は日本政府の要請を受け、ウィッチ保護のため行動している」

ウィッチナンバー3の代替品の確保だろう?

「黙れ。不法入国のテロリストと交渉することはない」

「……政治的要求なんてない」

蝶の庇護を求めるのみ

 

 わざわざ、日本語での応酬を繰り広げた両者は──無機質な銃口を、流麗なシミターの刃を、相手へ向ける。

 

 真偽はさておき、両者は敵対関係にあり、交戦中の軍事組織の関係者と見て間違いない。

 他所でやれ、と匙を投げたくなるが、問題の当事者は私らしかった。

 そして、現状を嘆く暇はない。

 手遅れだとしても衝突の拡大を阻止しなければ。

 

「落ち着け」

蝶、いや…ウィッチナンバー13、彼女らの言葉に耳を傾けないでくれ

「分かった。だから、まず──」

不好(だめ)…時間がない」

 

 当然、私の一声で収束する空気ではない。

 そもそも、私に決定権があるか疑わしかった。

 増援が到着するまで、私の武力は奇襲対策のカマキリだけなのだ。

 

「彼女たちは拉致の実行犯です。早く退避を!」

 

 視界の片隅では、エナで形成した結晶の刃とベッコウバチの大顎が切り結ぶ。

 その勢いを殺さず飛び退くボギーをヤシガニの鋏が追撃し、アスファルトを砕く。

 

どちらも嘘を吐いていますよ、災厄のウィッチ!

 

 お前は黙ってろ。

 私の言葉を代弁し、ミイデラゴミムシがガスを噴射するも後方へ跳ばれ、効果はない。

 威力は十分だが、射程の短さを見抜かれている。

 このボギー、今までの個体より明らかに手強い。

 

「HQ, Request fire support(火力支援を要請します) !」

来るぞ、黒狼!

 

 今、ボギーと鎬を削るファミリアは呼び戻せない。

 昏倒したウィッチを捕縛中のナゲナワグモも。

 ならば、ここでマジックを無力化すれば──狡猾なボギーは、その隙を見逃さないだろう。

 

い、一触即発です…!

 

 自ら付けた足枷で歩けなくなっている。

 問題の複合化を予想できても、発現されると対処が間に合わない。

 その光景が愉快で仕方がないインクブスの笑い声が木霊する。

 

災厄のウィッチ、この愚者たちは何も分かってっ!?

 

 突如、笑みを消したボギーが得物を頭上へ振り抜く。

 

 結晶の刃が粉砕され、エナの粒子へと還る──狙撃、しかも超高速のエナ。

 

 間髪容れず飛来する2発目に対し、ボギーは上体を捻ってヘッドショットを回避。

 3発目は躱しきれず、左側頭部を削ぎ落されてから飛び退く。

 

銃を捨てろぉ~手ぇ挙げにゃぁ

 

 人を食ったような、胡散臭い声が夜空から降ってくる。

 無秩序に溢れ返るエナの影響で、まったく接近を感知できなかった。

 

人気者は困りますね、まったく……姦しい

 

 苛立ちを滲ませるボギーの視線を追った先──高架橋の上、月光を背負う影が3つ。

 そこには、ウィッチがいた。

 

「彼女がシルバーロータスですね」

 

 エナで構成された近衛兵を背後に控えさせ、小さな王冠を戴く紅白のウィッチ。

 

()()()()追いかけた先に誰もいなかったらしいけど、今日は当たりだね」

 

 クラシカルな魔女の衣装を纏いながら、箒の代わりにメカニカルなライフルを構えるウィッチ。

 

「大当たりですわ…予想外の方々がいますもの」

うむ! 大漁だ!」 

 

 喋るフクロウを肩に乗せ、浅緑のサーコートに白磁の鎧という騎士然とした装いのウィッチ。

 それぞれの色鮮やかな3対の瞳は交差点を見渡してから、私に集まる。

 さらに混沌が加速する状況に、思考が停止しそうだ。

 

「これは、どういう状況ですの?」

三つ巴だな!

 

 頭が痛くなってきた。




 これが修羅場か(すっとぼけ)


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閉幕

 ステイッステイッまだだッまだだッ(狂犬を制止しながら)


 旧首都で戦闘を繰り広げていれば、異変に気が付く一般のウィッチも当然いる。

 むしろ、気が付かないはずがなかった。

 この収拾がつかない最悪のタイミングで来るとは。

 

「初対面ですが、あちらがナンバー2ですね」

「団体さんは、前に勧誘してた人たちの仲間かな?」

ありゃ勧誘って言うより懐柔だにゃぁ

 

 高架橋の上から降ってくる緊張感のない声は、よく響く。

 第三者の介入によって一時的に生まれた静寂。

 ファミリアたちは獲物との間合を見ているだけだが、対立する2勢力のウィッチは違った。

 睨み合って動けない。

 

「お二人とも、まずは──」

 

 その渦中へ一斉に降下してくるウィッチのトリオ。

 三者三様の衣装が風を孕んで翻り、軽やかに──侍従の近衛兵は重々しく──着地する。

 眼前に、勇ましいというには華奢な背中が並ぶ。

 

「そこのインクブスを消滅させてからにしませんこと?」

 

 そう言って脚を軽く開き、静かに拳を構える浅緑の騎士。

 

うむ! 悪即斬!

 

 頭痛の種かと思ったが、救世主だった。

 左肩で縮こまっているパートナーを見るに、お茶会のメンバーか?

 

「百害あって一利なし。殲滅しましょう」

 

 機械仕掛けのファミリアを従え、悠然と佇む紅白の王。

 世界の色が反転し、虚空より現れたサーベルを近衛兵が正中線上で握る。

 

「ネームドみたいだね」

とっとと絞めちまうかにゃぁ

 

 人語を喋るライフルが波打ち、プレス加工を多用した武骨なマシンガンへ変化する。

 それを軽々と構えるクラシカルな魔女。

 

飛び入り参加は、ご遠慮いただきたいですね

 

 苛立ちを隠さなくなったボギーもまた両脚に膂力を蓄える。

 

解除(リリース)

 

 インクブスのマジックが、世界の摂理を捻じ曲げた。

 

 交差点に出現するボギー23体──状況が一斉に動く。

 

 漆黒のウィッチを囲った9体が空間ごと歪曲され、消失。

 灰色のコートが翻り、シールドバッシュで打ち上げられた影をナイフが射抜いて爆ぜる。

 こちらへ投擲されたエナの結晶体を白磁の拳が弾き、2発目を砕き、残る6発は切断。

 舞踏を思わせる徒手空拳の間隙を縫い、布を切り裂くような音を伴う銃撃が8体の影を消し飛ばす。

 背後に現れた1体をカマキリが捕獲し、振り抜かれたサーベルが4体の首と胴を泣き別れさせる。

 

 以上が辛うじて認識できた──ファミリアの感覚器官を通じて。

 

 増援のファミリアを投じても、一瞬で殲滅するなど不可能。

 ウィッチとファミリアの隔絶した能力差だ。

 

お見事です

 

 それを見越していたボギーは、交差点から大きく離れた橋脚の影で嘲笑う。

 いちいち癪に障るインクブスだ。

 しかし、無秩序に溢れるエナで感知にタイムラグが生じる上、本体か判別できない。

 

まぁ、無意味ですが

去死(死ね)

 

 あくまで余裕の態度を崩さないボギー目掛けて、長大なシミターを振り抜く人影。

 刃が月光を反射した刹那、黒い毛玉が橋脚のコンクリートに叩き込まれる。

 霞のように四散するエナに質量はない。

 幻影だ。

 

貴様は学習しないな、黒狼

 

 虚空から響く嘲りの声。

 ファミリアが空気の振動から音源を追うも正確な位置が掴めない。

 マジックで物理法則を捻じ曲げているのか?

 これまでのインクブスと違って偽装が徹底している。

 

逃げられます…!

「分かってる」

 

 パートナーへ返す声が無意識に硬くなる。

 ()によるマジックの無力化は効果がない。

 あれは発動の阻害が目的で、発動中のマジックは阻害できない。

 

 インクブスが逃走の一手を打った時点で切るべき手札──すべてが後手、判断が遅い。

 

 ()()()()に備えるオニキスへテレパシーを飛ばす。

 増援のファミリアで周辺を捜索し、微細でも変異の観測された一帯を焼くしかない。

 

おさらばです、シルバーロータス! 精々、愚者の御守りを──」

 

 嘲るボギーは、最後まで言い切ることはできない──その影を蒼い光芒が捉えた。

 

 後退してきたヤシガニが私とウィッチのトリオを覆い、全景は見えない。

 ただ、世界を貫く必殺技が、影も闇も斬り払ったことは確かだ。

 

な、にっ!?

 

 燐光が舞い踊る中、左肩が消失したボギーは交差点を直進した先で膝をつく。

 姿を隠蔽するエナまで根こそぎ吹き飛ばされたらしい。

 

「このエナは、まさかナンバー4?」

「出鱈目ですわ…!」

うむ! バウンダリが機能していないな!

 

 インクブスの左腕から頭上の高架橋まで両断したエナの激流。

 滞留するナンバー2のエナと連鎖反応し、線香花火を思わせる爆発が交差点を断続的に照らす。

 

す、凄まじいですね

「…ああ」

 

 私のファンを自称するウィッチ、アズールノヴァだ。

 頭上を走る高速道路が向かう先、摩天楼の林立する旧首都からの参戦。

 濛々と土煙が立ち上る河川敷を見るに、あれも貫通してきたらしい。

 

 この威力と精度、ウィッチナンバーでも相当の上位に位置するのでは──いや、詮索は後だ。

 

 彼女のおかげでボギーの位置は露呈した。

 それが分かればいい。

 

馬鹿な…!

 

 エナの激流、その起点を睨むボギーは苦痛と憤怒を吐き出す。

 紳士を気取る余裕はないが、残る右手を腰の裏へ伸ばす思考力はある。

 この状況で使う代物など見当がつく。

 距離はあるが、ベッコウバチの脚なら間に合う。

 

そこを見逃すわけないんだよにゃぁ

 

 取り出された悪趣味なオブジェは、銃声と共に砕け散った。

 

「残念だったね」

 

 降り注ぐ燐光を遮る傘となった灰青色の影、その足元に寝そべる黒いガンスリンガー。

 ライフルのスコープから目を離し、冷ややかに笑う。

 ファミリアの反応速度より速い照準、射撃だった。

 

おのれ、家畜が──っ!?

逮住(捕まえた)

 

 口角泡を飛ばす勢いだった口を噤ませるエナの放射。

 陽炎のような空間の歪みが見えた時点で、ベッコウバチに待てを命じる。

 私でも知覚できるエナの囲いは獲物の座標を固定し、拘束した。

 

破坏(潰れろ)

 

 無慈悲な死刑宣告。

 インクブスへ向けられた漆黒の右手が一息に閉じられた。

 刹那、アスファルトが捲れ上がり、空間ごとボギーは捻じ切られ、ぎゅっと圧縮される。

 まるで雑巾を摺るように。

 

 エナの連鎖反応が収まり──痛いほどの静寂が訪れる。

 

やりました…!

 

 パートナーの絞り出した声を耳にして、どっと疲労感が押し寄せてくる。

 何もかもが悪い方向に作用し、危うくインクブスを逃すところだった。

 今回は、運が良かったとしか言えない。

 二度目はないと断言できる。

 

「ああ……だが、まだ終わってない」

 

 対策を考えるのは、火急の問題を収めてからだ。

 

()()()への追及は後に回すとして──今は、貴女たちですわ」

「待て」

 

 騎士然とした浅緑のウィッチが静寂を破る。

 交渉できる環境になった矢先にやめてくれ。

 

「安心してください、ナンバー13。事を荒立てるつもりはありません」

 

 そう言いながら近衛兵が戦闘態勢なのは、なぜだ?

 何一つ安心できない。

 

彼女たちがシルバーロータス君の拉致を画策していないのであればな!

 

 フクロウの果断的というより好戦的な物言いで、地に向いていた矛先が一斉に動く。

 

「彼女こそ拉致の実行犯であり、不法入国のテロリストです」

 

 大口径のライフルの照準に追従し、飾り気のない得物が漆黒のウィッチへ向けられる。

 私の目から見ても、エナの放射量だけで両者には絶望的な開きがあった。

 それを理解していないはずがない。

 勝算があるのか?

 

「そういう輩なら前からいるよ。どうして今になってアメリカ軍が動いてるのさ?」

「私たちは日本政府の要請を受け、行動しています」

国防軍を差し置いて要請するわけないんだよにゃぁ

 

 くつくつと笑う武骨なマシンガン、もといパートナーの指摘は尤もだ。

 交渉役を務めるリーダーがチームの面々と視線を交える。

 

「……それについては、調整済です」

 

 その不自然な間で、違和感が膨れ上がった。

 

 まるで台本がない即興劇のような──なぜ、強行している?

 

 一瞬、組織の意思が顔を覗かせたようで、胃に鉛でも流し込まれたような重みを覚える。

 大人の支援を受けて戦うウィッチは、大人の意思に左右されるか。

 

「退いて」

ナンバーズと言えど容赦はできない

 

 エナの放射量は健在だが、ナンバー2は交渉する余裕もなさそうだ。

 鋭く細められた黄金の目は、旧首都と障害となるウィッチを交互に見ている。

 不法入国を否定しなかった時点で、時間的な制約があるのだろう。

 

「……致し方ありませんわ」

「やむを得ません」

「仕方ないね」

 

 すでに交戦を決意したらしいナンバーズ。

 私は天を仰ぎ、夜を眼に宿したカマキリと目が合う。

 嘆息しているように見えた。

 

私たち…当事者なんですよね?

 

 フードの陰に寄り、こそこそと小声で囁くパートナー。

 インクブスを屠ってから思考が鈍化している。

 三つ巴の渦中に置かれ、脳内に届き続けるテレパシーの処理に加え、睡眠不足も原因か。

 思考が脇道に逸れる。

 

 逃げても状況は改善しない──そうとも。

 

 ウィッチがウィッチと戦う光景なんて冗談じゃない。

 

「やむを得ん……もう一仕事だ」

 

 この場にいるウィッチの戦意を砕く。

 ナンバーズという未知数の相手だが、エナの根源とマジックの発動原理は同じ。

 止められるはずだ。

 

オニキスはどうしますか?

「予定通り、撃たせる」

 

 旧首都で交戦中の軍事組織も同時に対処する。

 そのために増援を呼び出した時、ダンゴムシことモノクロモス含むファミリアを派遣した。

 これ以上の戦闘行為は見逃せない。

 それが私の醜い自己満足だとしても。

 

調整不足ですが…成功すると信じましょう

 

 パートナーの言葉に頷きで返す。

 成功しなかった場合、彼らにはPTSD待ったなしのモンスターパニックを体感してもらうことになる。

 

「撃て」

 

 ──雷鳴が轟き、稲妻が走る。

 

 台風の目から見上げた夜空を抜け、旧首都の摩天楼で一際強い光を放って枝分かれする。

 月光を霞ませる光量が降り注いだ交差点で、ウィッチたちは一様に硬直していた。

 

What's happened(何が起こったの)… !?」

「HQ, Do you copy(応答せよ)

 

 アメリカ軍のウィッチたちは臨戦態勢を保ったままだが、目に見えて動きが鈍い。

 通信を試み、それが不通に終わった時、淡い青の瞳が動揺で揺らぐ。

 

「今のは一体なんですの…?」

「不明です」

 

 油断なく構えながら状況把握に努める浅緑のウィッチに、紅白のウィッチが事務的に応じる。

 ()()()活動する日本のウィッチに効果はない。

 

「これは、もしかしなくても」

 

 とんがり帽子の下から覗く琥珀色の瞳には、発生した事象への理解が見えた。

 

「あれじゃないかな?」

「ナンバー6、あれとは?」

 

 その事象について、私も完全に把握できていない。

 調整不足というより知識不足。

 ゆえに、オニキスに最大出力で雷撃を放たせ、モノクロモスで増幅させる乱暴な運用になった。

 この雷撃の狙いは、地表面における局所的な──

 

EMPだにゃぁ

 

 アメリカ軍のウィッチの動揺を見るに、それは成功したと見ていい。

 現代戦において通信を落とせば、人間の軍事組織は行動を大きく制限されるはずだ。

 これをファミリアで包囲、威圧することで現場指揮官に撤退の決断を強いる。

 戦闘を続行する場合は頭から分泌物を浴びてもらう。

 

无法沟通(通信できない)

…どうする、黒狼

 

 漆黒のウィッチも動きを止め、髪飾りに扮したパートナーと言葉を交えている。

 彼女たちは状況に応じた判断を行える軍属のウィッチ。

 しかし、軍属である以上、その行動には制約があるはず。

 対応される前に、次の一手でウィッチの戦意を砕く。

 

「次、いけるな」

はい、準備万端ですっ

 

 打てば響くパートナーの返答。

 インクブスが消滅し、通信を麻痺させ、ファミリアは旧首都へ放った。

 ならば、一帯のマジックを無力化しても問題ない。

 

「──歌え」

 

 ただ一言、夜空を衝く摩天楼に留まったファミリアへ命じる。

 

 

 黒煙が立ち上る夜の廃墟から銃声と爆音が止んだ。

 否、奪い去られた。

 銃口が指向する先は闇に閉ざされ、敵の姿は影すら見えない。

 

『隊長、無線の復旧は絶望的です。完全に死んでます』

 

 無線の復旧が不可能であると誰もが悟っていた。

 文鎮と化した暗視ゴーグルを跳ね上げ、三白眼の鋭い眼差しを夜空へ向ける。

 弱々しい月光と闇の支配する世界へ目を順応させていく。

 

『…EMPとはな』

 

 月の輝く夜空を昼間同然に照らした空間放電。

 戦場を囲う摩天楼の頂で()()()()()雷は、旧北部戦区の誇る最新装備に痛撃を与えた。

 高エネルギーのサージ電流が電子機器を焼き切ったのだ。

 埒外の現象を引き起こす者はインクブスかウィッチだが、前者は迂遠な手段を好まない。

 必然的に後者、それも敵対的な。

 

『作戦を続行しますか?』

『──撤退するぞ』

 

 硝煙と埃で薄汚れた部下を正面から見据え、(ワン)上尉は決断を下す。

 そこに迷いはなかった。

 

『しかし…まだ、米帝の主力は健在です』

『作戦目的は遅滞だ』

 

 作戦目的はアメリカ軍の殲滅ではない。

 生還が絶望視される戦力差を承知で決行した作戦の目的は、遅滞である。

 アメリカ軍は不時着した輸送機の救出に部隊の多くを投入し、ウィッチの支援に回せていない。

 その対価は、34名に及ぶ優秀な部下だった。

 

『装備の大半が文鎮になった今、いたずらに損害は出せない』

 

 必要な犠牲と不必要な死は区別されなければならない。

 ランチャーを装備した四足歩行ロボットは沈黙し、エアバースト弾頭が荷物となった今、残された武器は小火器のみ。

 戦力差を補う装備もなく戦闘を続行しても、それは自殺と同義だ。

 

『連中も動けんはずだ。目的は達成してる』

 

 想定外のEMPを受け、アメリカ軍も同様の状況に陥っている。

 その証拠にティルトローター機の影から銃火が瞬くことはない。

 加えて、これまで被った人的被害を彼らは無視できないはずだ。

 

『後は……黒狼次第だ』

 

 玉砕が目的ではない以上、撤退が最良の選択。

 兵士たちの感情さえ置き去りにすれば、合理的な判断だった。

 

 少女に重責を負わせる罪悪感、異国で斃れた戦友の報復、アメリカ軍への敵愾心──

 

 ウィッチを()()し、覇権主義への回帰を目指す()()という幻影を司令部は生み出した。

 傀儡軍閥と同列の存在から蝶を保護するという名目を掲げるために。

 

(チョウ)中士、信号弾だ』

『……了解』

 

 インクブスの走狗という言葉を噛み締め、王は指示する。

 険しい表情を浮かべるも若き中士は簡素なピストルを抜いた。

 重荷となる装備を捨て、マガジンの残弾を確認し、移動に備える兵士たち。

 

 乾いた破裂音──闇を切り裂く紅の光弾が夜空へ伸びていく。

 

 夜の静寂を破る音と閃光が、埃臭い空気に緊張感を取り戻す。

 

『後方を警戒しつつ撤退する』

 

 信号を視認した別働班も行動を開始するだろう。

 優秀な兵士は、感情ではなく命令で行動する。

 

『了解』

 

 低姿勢で駆け出した兵士は月光を避け、コンクリートジャングルの生み出す闇へ滑り込む。

 暗順応した目は作戦前に記憶した地形情報を見逃さない。

 雑多な瓦礫の転がる歩道を曲がり、狭い路地裏を抜け、半壊したマンションの影へ。

 苛烈な戦闘の後とは思えないほど、粛々と戦場から離脱──

 

『っ!?』

 

 半壊したマンションの瓦礫、その下側より薄香色の巨影が突如現れた。

 反射的に指向されるライフルの銃口。

 

『撃つな!』

 

 怒号に近い命令が飛ぶ。

 兵士たちは危うく絞りかけたトリガーから指を外した。

 

『……蝶の眷属だ』

 

 眼前には、肥大化した頭部に大顎を備えるシロアリのソルジャー。

 ライフルの銃弾など通用しない。

 王がハンドサインで後退を指示し、猛獣を相手取るように緩慢な動作で後退する。

 

『刺激するな…』

 

 成人男性を超す体高のソルジャーは、特に反応を見せない。

 基本的に蝶の眷属は人間に対して無関心と報告されている。

 しかし、その情報を収集した諜報員の死亡原因は()()

 最大限の警戒が必要だった。

 

『な、なんだ?』

 

 細長い触角を小刻みに動かすソルジャーが不意に頭部を持ち上げた。

 その不審な行動に対し、人間の兵士は身構えるしかない。

 

 刹那──大顎がコンクリートを強かに打った。

 

 コンクリートの破片を何度も打ち、廃墟に響き渡る鈍い打音。

 予想だにしていなかった行動に兵士たちは硬直する。

 

『まさか…!』

 

 硬直は一瞬、王は事態の重大性を理解した。

 これは、群れへ外敵の到来を告げる社会性昆虫の()()であると。

 

『すぐ移動するぞ』

『了解っ』

 

 すぐさま指示を飛ばし、止まった足を進ませる。

 廃墟の壁面や陥没した車道から次々と姿を現すソルジャー。

 コンクリートを叩く鈍い打音が兵士たちの背後から迫る。

 

『…追ってくる!』

 

 焦燥を滲ませる言葉に頷く暇はない。

 追跡を避けるため、入り込もうとした路地裏には先客がいた。

 狭路に巨体を押し込んだ漆黒の影から伸びる触角が、空気の振動を拾って揺れる。

 

『次だ。止まるなっ』

 

 月光を反射する外骨格の輝き、ソルジャーの規則的な打音。

 コンクリートジャングルを進む兵士の行手に現れる蝶の眷属は数を増す一方だった。

 害意なき包囲網は狭まり、確実に退路は絞られつつある。

 

『位置を暴露されているぞ…!』

『黒狼は失敗したのか!?』

 

 攻撃こそないが、常に位置を喧伝される状況は、より致命的な結果を招く。

 いまだアメリカ軍の主力は健在なのだ。

 少人数の班では捕捉された場合、大火力で殲滅されるだろう。

 蝶の明確な利敵行為を受け、黒狼が対話に失敗したという最悪のシナリオを想定せざるを得ない。

 

『──止まれ』

 

 急く部下の足が止まり、即座に周囲の警戒へ移る。

 周囲で蠢く影を睨む視線が、次第に西の夜空へ向く。

 己の息遣い、大顎が地を打つ音、地を引っ掻く鋭い足音、それらの中に明らかな異音が混じる。

 

 大気を切り裂くローターの独特な()()──それも複数機。

 

 友軍の航空戦力など存在しない。

 しかし、アメリカ軍の飛来方向とも異なる。

 

『一時退避だ』

『了解』

 

 加速度的に悪化する状況でも諦めない。

 位置は暴露されているが、一縷の希望に賭けて道沿いの雑居ビル1階へ入る。

 天井が倒壊し、バックヤードまで踏み込むことはできない。

 散乱した陳列棚を盾にライフルを構え、息を潜めて通過を待つ。

 

『……接近してきます』

 

 月下のコンクリートジャングルに鳴り響く打音をブレードスラップが圧倒し、その音源は店内から視認できた。

 摩天楼を縫うように飛ぶ卵型の小型ヘリコプター、機数は4機。

 2機が編隊を離れ、一直線に雑居ビルへ接近してくる。

 

『隊長…!』

『…動くな』

 

 蝶の眷属が包囲する不審な雑居ビルを見逃すはずがない。

 しかし、既に退路は失われていた。

 ダウンウォッシュの巻き上げた塵が流入する店内を4門の機関砲が睨み──

 

『くそっ!』

 

 サーチライトの強烈な光が店内から闇を吹き飛ばした。

 その光量は暗順応した目に鋭く突き刺さり、兵士たちは堪らず顔を庇う。

 

≪武器を捨て、投降せよ!≫

 

 鼓膜に叩きつけられる雑音混じりの野太い声。

 ()()()の投降勧告を聞き取り、王は白光を手で遮って夜空を見上げる。

 

 頭上に現れる新たな機影──アメリカ軍の同盟国が採用する汎用ヘリコプターだ。

 

 それを日本国で運用する軍事組織は絞られる。

 

『日本国防陸軍…!』

 

 戦闘に介入せず、静観し続けてきた日本国の暴力装置。

 空中で静止する機体側面には、その名が刻まれていた。




 めっ!(EMP)


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折衝

 登場人物の書き分け辛スギィ!


 遠巻きにヘリコプターの空気を切る羽音が聞こえる。

 市街地側から旧首都の方角へ向かった編隊は、おそらく国防軍。

 

 この絶妙なタイミング、狙っていたか──穏便に制圧してくれよ。

 

 テレパシーを遮断している今、旧首都の状況を把握できない。

 把握できたところで、処理できるか怪しいが。

 

「協力の要請か……」

 

 それぞれの言い分を聞かされた私は、思わず天を仰いだ。

 

 漆黒のウィッチ曰く──青島(チンタオ)半島に追い込まれ、孤立無援で全滅を待つ人々を救ってほしい。

 

 灰色のウィッチ曰く──本国を侵略するインクブスの軍勢を撃退する作戦に協力してほしい。

 

 高架橋から私を見下ろすアシダカグモと目が合う。

 増援として呼び寄せたファミリアは、首を傾げるだけ。

 

「はい」

 

 モーガンと名乗ったアメリカ軍のウィッチは素直に頷く。

 少尉という肩書を背負うには、あまりに若い。

 しかし、無用な諍いを回避できたのは、彼女が肩書に見合う自制心を見せたからだ。

 

 彼女たちは戦闘を続行できる──マジックを無力化しても能力に差異が見られなかったのだ。

 

 心中では胸を撫で下ろしている。

 一時的とはいえ、共闘した相手と一戦交えたくはない。

 

「日本政府の協力が得られなかったため、やむを得ず接触を図った次第です」

 

 モーガンは言葉選びに苦慮しながらも、作戦目的について明かしてくれた。

 機密性の問題からチーム内で一悶着あったが。

 

「…違う」

 

 幼さの残る声が、無慈悲に切り捨てた。

 黒狼(ヘイラン)という名に違わぬ姿のウィッチ。

 軽々振り回していたシミターをアスファルトに突き立て、肩で息をしている。

 ただ無為にエナを放射し、霧散させ、自身は弱っていく。

 

「ドローンの尾行が失敗して…強硬策に切り替えた」

 

 それでもアメリカ軍への敵意を意固地になって保つ。

 手負いの獣が最期に見せる抵抗のようで、見ていられない。

 なぜ、エナの放射を抑えない?

 

「なぜそれを──やはり、ドローンを撃墜したのは…!」

撃墜…? こちらの存在を露呈する真似などするものか

 

 ひとまず矛は収めさせたが、それでも敵対関係にある彼女たちは衝突を繰り返す。

 言葉を交えるたび、敵意は増長する。

 大人の意思を子どもが代弁する不毛な光景。

 

「蝶との接触を…阻んできたのは…お前たちだ」

「先に奇襲を仕掛けておきながら被害者ぶる気か!」

「やめろ」

 

 射殺さんばかりの鋭い視線が交わる場へ割って入る。

 共通の敵を前に共闘など夢物語。

 最終目的がインクブスの打倒で共通していようと、立場が違えば相争う。

 世界は、単純な構造をしていない。

 分かっていても、うんざりする。

 

「懲りませんわね」

うむ、必死になる方向性を間違えているな

 

 浅緑のサーコートを夜風で揺らすウィッチ、プリマヴェルデとパートナーの言葉が交差点に響く。

 話に耳を傾けていた部外者の指摘に、2勢力のウィッチは苦々しい表情を浮かべる。

 自覚はあるのだろう。

 ただ、理解していても感情が追いつかない。

 

ラブコールが下手だにゃぁ

「お茶会に呼べなかった僕たちも他人のこと言えないよ?」

おぉん、耳が痛いにゃぁ…

 

 武骨なマシンガンに変化したパートナーと緊張感のない言葉を交えるウィッチ。

 ダリアノワールと名乗ったクラシカルな魔女はヤシガニの脚に背中を預け、推移を見守っている。

 

「どちらの主張が真実であるか、確認する手段はありません。それよりも──」

 

 事務的な口調で言葉を紡ぎながら紅白のウィッチ、ユグランスが私を見た。

 一見、感情が希薄そうな紫の瞳、その奥には求知の色。

 次の言葉は、予想できる。

 

「どうされるつもりですか、ナンバー13?」

 

 全員の視線が一斉に集まる。

 当事者である私に。

 

 ただ、インクブスを駆逐してきた──それが軍事大国も認めるウィッチ?

 

 笑えない冗談だった。

 今も後手に回り、次の一手に詰まっている凡人、それが私だ。

 

シルバーロータス、次の段階に進んでみませんか?

 

 左肩の定位置から為された提案は、劇薬だ。

 おいそれと頷けない。

 

懸念は理解しています

 

 効果は覿面だが、及ぼす影響は未知数。

 そして、ひとたび駒を進めてしまったら、後戻りできないのだ。

 

しかし、今が解き放つ時だと私は思います

「…なぜ、そう思う」

 

 私を見上げるパートナーに問う。

 黒曜石のような眼から感情は読み取れないが、自信に満ちているように見えた。

 

そこに救いを求める者がいて、滅ぼすべき敵がいます

「私に救世主をやれ、と?」

 

 世界には、きっと私より優れたウィッチがいる。

 そんな唾棄すべき甘ったれた幻想は、砕かれた。

 人類は私の想像よりも劣勢だ。

 

 インクブスどもが──駆逐すべき肉袋が跋扈している。

 

 駆逐すべきだ。

 しかし、そのために救世主を気取って人を救うなど傲慢にも程がある。

 そんな資格、ありはしない。

 

いいえ

 

 静かに、しかし確固たる意志で、それは否定された。

 

ただ利用するんです。私たちは救世主ではなくウィッチですから

 

 このハエトリグモに感情を表現する器官があったなら──

 

()()()()()()()如何でしょう?

 

 きっと良い笑顔をしていただろう。

 このパートナーは、本当に、上手く逃げ道を作るものだ。

 そう言われてしまえば、私は頷くことができてしまう。

 

「まったく……ああ、そうだな」

 

 世界のため、人々のため、ウィッチのため?

 違う。

 

 これは、私のエゴを達するため──誰かのためにウィッチをやってるんじゃない。

 

 世界は単純ではないが、私のやるべき事は、いつも単純明快だった。

 名前の付いた首輪は不要、狩場を与えるだけでいい。

 

「黒狼、そしてモーガン少尉」

 

 それぞれの名を呼び、緊張で強張る少女たちの姿を視界に収める。

 彼女たちの()()()と調整すべきなのだろうが、私の意志を通すことは、きっとできない。

 だから、一方的に宣告する。

 

「私は、どちらの手も取らない。協力も救援もしない」

 

 どちらでもない、それを額面通りに受け取った各々が絶望で凍りつく。

 気分の良いものではない。

 しかし、特定の陣営のためにファミリアを遣わせないと意思を示す。

 

「だが──」

 

 自称女神の鼻を明かしてやる。

 その醜いエゴを実現するために。

 

「インクブスは駆逐しよう」

 

 静寂の満ちた交差点に、私の声が響く。

 それに対して、静観していたナンバーズも含む全員が目を瞬かせていた。

 

 しばし──沈黙があった。

 

 高架橋が交差する台風の目、暇を持て余したファミリアたちが触角の掃除を始める。

 

「それは、一体どういうことでしょうか…?」

「救援、ではない?」

 

 ほぼ同時に沈黙を破ったのは、モーガンと黒狼だった。

 言ってから思い至ったが、まったく言葉が足りていない。

 

「ファミリアを派遣し、国外のインクブスどもを叩く」

「ナンバー13、召喚ではなく派遣ですか?」

「ああ、翅と脚を使って海を渡らせる」

 

 補足に対し、途中で質問を挟んだユグランス含む3人は再び沈黙する。

 今の私に新たなファミリアを召喚する余力はないし、必要もない。

 

ま、待ってほしい…海を渡るというが、どうやって──

問題ありません

「準備は終えている」

 

 黒狼の前髪を留める髪飾りのパートナーは、何度か瞬いてから沈黙する。

 休眠中のファミリアの7割は、この事態を想定して()()()()()()()

 あとは、解き放つだけ。

 

飛翔前にエナを補給すれば、一度の飛翔で届きます

「いや、朝鮮半島を経由したルートで行く」

分かりました

「海岸線の制圧と同時だ、やれるな」

はい

 

 休眠中とはいえ、相変異を終えているファミリアが内包するエナに余裕はない。

 ならば、エナの補給を兼ねてインクブスを駆逐していく。

 黒狼の話を聞く限り、朝鮮半島は連中の巣窟だ。

 

「これがウィッチとパートナーの会話ですの…!?」

うむ! 地下鉄駅の1件が細事に聞こえてくるな!

「私たちの想定は()()()()戦術級でしたが、それは誤りだったようですね」

ナンバー13の実力じゃねぇにゃぁ

「準備は終えている、か……」

 

 ナンバーズの見せる三者三様の反応は、ひとまず聞き流す。

 決断を下した今、行動は早ければ早いほど良い。

 すぐにでも話を畳み、海中のファミリアへテレパシーを飛ばしたいのだ。

 

「つまり、すぐ動けるってことかな?」

 

 ダリアノワールへ視線を向け、その問いには頷きで応じる。

 協力しないと言ったが、伝達すべき情報もある。

 

()1()()()明日だ」

「あ、明日…!?」

「それに第1陣ということは……まだ、戦力がある?」

 

 アメリカ軍のウィッチは、驚愕と困惑の入り混じった視線を交錯させる。

 彼女たちにとって、今日は想定外の連続だろう。

 上官へ指示を仰ぐこともできず、話を一方的に転がされているのだから。

 しかし、イニシアチブを渡す気はない。

 

「あ、明日にも…」

 

 細い喉を震わせる黒狼が一歩、また一歩と踏み出す。

 シミターの切先がアスファルトの表層を削る。

 左手に得物を保持するだけの力はない。

 

「みんなが…救われる…?」

 

 私に近づいてくる黒狼は、迷子の子どものようだった。

 そこに敵意はない。

 しかし、傍らに控えるベッコウバチが大顎を打ち鳴らし、その弱々しい足取りを止める。

 

「蝶……ううん、シルバーロータス、その…」

「どうした」

 

 私を見つめる黄金の瞳は、不安と警戒心で揺れていた。

 ボギーを捻じ切った時やモーガンたちと相対した時と、まるで別人だ。

 いや、今が年相応の姿なのかもしれない。

 

「私たちを……助けてくれる?」

 

 恐る恐る、まるで夢から醒めないように、少女は問うてきた。

 ナンバー2という肩書を背負ったために、背負わされてきたであろう呪いの言葉で。

 

 私は──私のファミリアは、誰も助けない。

 

 結果的に()()()だけで、そこに能動的なものはない。 

 だから、答えは一つだ。

 

「インクブスは駆逐する、それだけだ」

 

 その回答を、どのように彼女が受け取ったか、私には分からない。

 ただ、頬を伝う涙を見ないように、傍らのファミリアへ視線を流す。

 開かれた濃紺の大顎を撫で、夜を宿した複眼へ首を横に振る。

 

やったぞ、黒狼!

「うん…うんっ」

 

 何も終わってはいない、始まってすらいない。 

 想定される敵は、ナンバーズの次席が護る都市すら陥落させるインクブスども。

 一筋縄ではいかないだろう。

 

 ただ、喜びに満ちた少女の横顔は──悪いものではあるまい。

 

「問題は、太平洋の横断か」

はい

「さすがに西海岸は遠い」

諸島を制圧しながらの移動になると考えられます

「西海岸ということは…本国にも派遣していただけるのですか?」

 

 影のある不安げな表情で問うてくるモーガン。

 黒狼の取り繕わない姿を目の当たりにして、漏れ出した本音。

 

 実際は──協力の要請など言っていられる戦況ではないのだろう。

 

 大国の矜持か、大人の体面か、それは分からない。

 しかし、私の回答は決まっている。

 

「当然だ」

 

 4対の青い瞳に希望が満ち、それぞれが顔を見合わせる。

 

A true prince on a white horse(まさに白馬の王子様ね) !」

Hey, Silvia(ちょっとシルビア)… !」

 

 前衛の2人が戯れ合い、後衛の2人が胸を撫で下ろす。

 彼女たちは、確かに軍属のウィッチなのかもしれない。

 だが、それでも、やはり子どもなのだと思う。

 

目的は、インクブスの駆逐ですからね

 

 戦力の分散は愚策。

 しかし、橋頭堡さえ確保すれば殲滅戦を展開できるとコマユバチたちは実証している。

 地続きであるなら増援も容易、多方面作戦は可能だ。

 ゆえに、特定の陣営に属さない意思を示し、ただインクブスを駆逐すると宣った。

 その結果として、活動当初の混沌を再現するかもしれないが、そこは腹を括ってもらう──

 

「ま~た、そうやって安請け合いする」

 

 小さな歓声が満ちる交差点に響き渡るは、人を小馬鹿にした少女の声。

 今、ここで聞きたくなかった。

 振り向いた先、高架橋の落とす影でも一際深い場所より足音。

 

「なぜ、ここにいる」

 

 厄介な客人は、月下に姿を現す。

 携えたハルバードの石突で地を打ち、空色の戦装束が翻る。

 自称女神を彷彿とさせる金髪碧眼だが、決定的な違いは口元に浮かぶニヒルな笑み。

 

「…ラーズグリーズ」

 

 戦女神の名を戴く最強のウィッチが、舞台へ上がってきた。




 もうちっとだけ続くんじゃ(予定外)


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容喙

 一夜の出来事(5話)


 私に会いたがる者は、極少数派だ。

 人間大の虫を前にして平気なウィッチとばかり遭遇するため、つい忘れがちだが。

 そんな私に()()()会いに来る者が1人だけいる。

 

「久しぶりね、シルバーロータス」

 

 それが、ラーズグリーズというウィッチだった。

 戦女神の神々しさと魔法少女の華やかさを併せ持つが、いつも口元のニヒルな笑みで台無しだ。

 その笑みは高架橋の橋脚近くを見た瞬間、消える。

 

「糸で巻くの、やめろって言わなかったかしら?」

 

 ナゲナワグモの足元に転がる4人の少女──捕縛したウィッチたち──を眺め、溜息交じりに言う。

 

「必要な措置だ」

 

 絵面は最悪だが、意識を取り戻した彼女たちの行動が予測できないゆえの措置。

 ファミリアを見てパニックに陥るなら可愛いもので、洗脳の残滓による異常行動、最悪の場合は自害する。

 

「暴れた時は私が()()()()()から心配ないでしょ」

 

 自他共に認める最強のウィッチは、当然のように言い切った。

 心配しているのは、ぶちのめされた方だが?

 この戦女神は容赦がない。

 旧首都がファミリアの餌場となる前から変わらないスタンスだ。

 

「それより剥がす手間を考えなさい」

 

 クモ目のファミリアが形成する糸は原種の糸よりも強度に優れ、切断には相応の機材が必要になるそうだ。

 面倒をかけている、とは思う。

 

「はぁ…いいわ。今度やったら承知しないけど」

 

 漆黒の翼を広げて舞い降りたパートナーを左肩に留める戦女神。

 敵対しているわけでも、妨害を受けているわけでもない。

 むしろ、ウィッチの保護──本人は回収と言う──を引き受けてくれる彼女には、感謝している。

 だが、明らかに別件で現れたラーズグリーズは、この場に限って厄介な客人だった。

 

「中村さん、お願いするわ」

 

 彼女は、国防軍を()()()()()

 優美に靡く空色の戦装束の裏に現れる迷彩柄の人影、数にして10ほど。

 

「分かりました」

 

 中村と呼ばれた隊員を先頭にファミリアを避け、橋脚へ近寄る。

 そして、見慣れた折りたたみ式のストレッチャーを広げ、手際よく少女を乗せていく。

 

 ウィッチの支援は行わない──被害者の治療は行う。

 

 少女がウィッチである限り、一切の介入を行わない日本政府の方針。

 それを遂行する彼らは、暗視ゴーグルを装備していた。

 つまり、E()M()P()()()()()()()()()()()

 

ウィッチナンバー1のお出ましとはにゃぁ…

「こんなところで会うなんてね」

 

 背を預けていたヤシガニの脚から離れ、ベッコウバチの隣へ並び立つダリアノワール。

 一見、友好的な笑みを口元に浮かべているが、琥珀色の目は笑っていない。

 

「こんなところ? その言葉、そのまま返すわ」

 

 交差点の中央まで足を進めたラーズグリーズは、ニヒルな笑みを返すだけ。

 

()()()()()の次は探偵ごっこかしら? ほどほどにしなさいよ」

 

 とんがり帽子の魔女へ寄越す視線には嘲りが浮かぶ。

 

「言ってくれますわね」

優れた者に学ぼうとする姿勢を、揶揄されるのは心外だな!

「学んだところで使えないでしょ、ナンバー11さん?」

 

 人を小馬鹿にした声色に憐みが透けた。

 ナンバー1の歯に衣着せぬ言葉に対して、プリマヴェルデは拳を固く握る。

 

「貴女が情報を共有していれば、このような事態にはなっていません」

「共有ねぇ……私、忙しいの。ごめんなさいね~」

 

 あくまで事務的な口調で非難するユグランスを軽くあしらう。

 ナンバーズに含まれることを極端に嫌う空色の戦女神は、それを態度で示す。

 まさか、ここまで険悪な仲とは想像していなかった。

 

「我々は彼女たちを搬送します」

 

 刺すような視線を鼻で笑う戦女神の傍へライフルを携えた隊員が近づく。

 

「その巫女服の子、ヘリを呼んだ方がいいかもね」

「分かりました。よし、急ぐぞ」

 

 迷彩柄の人影は周囲を警戒しつつ、台風の目より撤収する。

 短い会話だったが、別人かと思うほどラーズグリーズの声は理性的だった。

 相変わらず極端な性格だ。

 

「さて……シルバーロータス」

 

 月光を蓄える金髪が揺れ、獲物を見定めるように目を細めるラーズグリーズ。

 

 仕事の時に見せる目──本題は、ここからだ。

 

 国防軍との仲介役を自称する彼女の目的は、ウィッチの保護ではない。

 この絶妙なタイミングに現れた時点で、おおよそ読めている。

 

「ファミリアの海外派遣、中止してもらえる?」

「断る」

 

 予想通りの要求へ間髪容れずに返答。

 

 時が止まった──そんな錯覚を抱く静寂。

 

 痛いほどの沈黙が満ちる交差点に、気怠げな溜息の音が響く。

 私の回答を予想していたラーズグリーズだけが平然としていた。

 

「即答ねぇ」

 

 当たり前だ。

 それは決して覆さない決定事項で、譲る気は毛頭ない。

 私はインクブスを駆逐する。

 

「あなたが国防の要になってるのは…分かってるわね?」

 

 これは彼女ではなく、国防軍の言葉だろう。

 しかし、国防の要と表現したのは初めてだった。

 過大評価が過ぎる。

 

「私のファミリアは守勢に向いていない。知ってるだろ」

 

 多くのファミリアは守勢時より攻勢時に真価を発揮するデザインだ。

 ラーズグリーズがファミリアの展開状況を確認に訪れる度、それは伝えてきた。

 

「戦力の空白地帯を埋めてるのは、あなたよ」

 

 ラーズグリーズの言葉を補足するなら国内に点在する無人地帯だ。

 人口密集地はウィッチと国防軍が必ず対応している。

 だが、この体制は限界に近かった。

 

「遊兵化してる。それにエナの供給が間に合っていない」

 

 始まりは、旧首都の制圧に際し、飽和したファミリアにエナを供給するため。

 

 戦力を維持しつつ、国内のインクブスを駆逐できる──それは、浅慮だった。

 

 捕食し、増殖し、進化したファミリアたちは、より多くのエナを必要とするようになっていた。

 空白を埋めているのではなく、()()()()()

 

「不要な時は休眠させてるんでしょ?」

「限度がある」

 

 海外派遣を見越した7割は私のエナで保っているが、残り3割は徐々に数を減じている。

 ()()()()での活動が軌道に乗ってから、一時的にインクブスの出現数が増え、多少の備蓄はできたが、厳しい状況は変わらない。

 それに、休眠させられないファミリアもいる。

 

「備蓄が切れる前に、次の段階へ移行する」

 

 黒狼とモーガンの要請は渡りに船だった。

 最低限でも情報の伝達を行い、交渉の窓口を設けた今、この機会を利用しない手はない。

 

やはり、不完全だな

「黙りなさい、レーヴァン」

 

 左肩に止まるパートナーを即座に黙らせ、ラーズグリーズは目を閉じて黙考する。

 一拍置いて、再び開かれた目に鋭さはなかった。

 

「なら、空白地帯は空っぽね?」

「穴は開けない。哨戒網を変更して対処する」

 

 さすがに即応は難しいが、哨戒に穴を開けるつもりはない。

 大陸でファミリアの活動が本格化すれば、維持に使っていたエナが浮く。

 それを割り振れば──なぜ、半眼で私を見る。

 

「はぁ……あなたねぇ…」

 

 額に手を当て、長い息を吐くラーズグリーズ。

 さすがに、これ以上の代案はないぞ。

 ない袖は振れない。

 

「ああ、もう分かったわ」

 

 それを伝えるより先に、ひらひらと左手を振って戦女神は話を打ち切った。

 

「ずいぶん、簡単に引き下がるな」

「代案はあるみたいだし、いいんじゃない?」

 

 急速に興味を失った様子のラーズグリーズは、人を小馬鹿にした声で投げやりに応じる。

 国防軍からは戦力の流出を引き留めるように言われているはず。

 私としては手間が省けて良いが、それでいいのか?

 

「それに──」

 

 口元にニヒルな笑みが復活し、嫌な予感を抱く。

 台風の目に集ったウィッチたちを見遣る碧眼。

 

「今日は()()で来たの」

 

 それは、月下に一人佇む漆黒のウィッチを捉える。

 

「黒狼」

 

 尖った犬耳が立ち、鋭く細められる黄金の瞳。

 まさか、初めから目的は──

 

「あなたの身柄、拘束させてもらうわ」

 

 孤立し、マジックを無力化された絶妙なタイミング。

 ナンバー2に対処できる切札を召喚した時点で、これは偶発的事件ではない。

 アメリカ軍と交戦できる国外の軍事組織、それに属するウィッチを狙っていたか。

 

「私は帰る」

 

 黒狼が長大なシミターの刀身を肩に担ぎ、体勢を低く構える。

 

「帰らないといけない」

 

 エナとは、生物に宿る21グラムの重みから溢れ出たエネルギー。

 それを無為に放射し続けた負荷は、相当なものだろう。

 己の得物に潰されそうな細い肩が呼吸と共に上下する。

 

「蝶の庇護を…遠くまで広げるために…!」

 

 希望を見出した黄金の瞳が煌々と輝く。

 弱々しかった少女を押し殺し、黒狼は最強に挑まんとしていた。

 

「あら、私と戦う気?」

 

 対するラーズグリーズは、ただ目を細めるだけ。

 ここでマジックの無力化を解けば、黒狼は離脱できるかもしれない。

 しかし、彼女は本来()()()()()()()者だ。

 安易な行動は控えるべきか、それとも──

 

ウィッチナンバーが全てではないぞっ

 

 漆黒の中で星のように瞬く髪飾りから発される勇ましい言葉。

 

「戦ってあげてもいいけど」

 

 空色の戦女神はハルバートの切先を天へ向けたまま。

 勝負にならない、と言外に語っていた。

 

「仮に私から逃げられたとして、お迎えは来ないわよ」

 

 緊迫した空気に生まれる一拍の間。

 眉を顰めていた黒狼は、言葉の意味に思い至る。

 

「417を、どうした…!」

「太平洋の漁礁になってるでしょうね」

 

 犬歯を覗かせて唸る黒狼へ、ラーズグリーズは淡々と答える。

 

 お迎え、漁礁──黒狼たちを回収する艦の末路。

 

 国防軍の監視を掻い潜り、近海で行動できるとすれば、潜水艦か。

 傀儡軍閥の人間が敵になるとは覚悟していた。

 しかし、世界は単純にできていない。

 

「さて、黒狼……28名の捕虜は、どうしてほしい?」

 

 冷徹な響きによって旧首都へ向かったヘリコプターの編隊、その任務を知る。

 あれは制圧ではなく、()()を確保するためか。

 

致命的な結果を招きたくなければ止まれ

「国防軍の死神…!」

 

 戦女神の左肩に止まるカラスの忠告に、尖った犬耳が前を向き、瞳孔が狭まる。

 シミターの刀身が震え、月光が瞬く。

 

 黒狼は──踏み出せない。

 

 黄金の瞳には怒り、そして迷いと恐れが入り混じり、震えている。

 彼女は自己を顧みないが、生者を切り捨てられない善良な少女。

 だからこそ、人類の守護者足り得る。

 

「賢明な判断ね」

 

 一歩も動けない黒狼を静かに見据えるラーズグリーズ。

 

「黒狼をどうするつもりだ」

 

 意識せずとも硬質な声が出ていた。

 

「言葉を返すようで悪いけど、それを知ってどうするつもり?」

 

 ニヒルな笑みは浮かべているが空虚な仮面だ。

 どこまでも冷徹な声が、沈黙の支配する交差点に響く。

 

「それは…」

 

 外患の排除を担う国防軍が、殲滅も可能な切札を持ちながら、最大限の譲歩を見せている。

 私が口を挟む余地はない。

 だから、感情的で無責任な言葉は飲み込め。

 

「日本国防軍は、テロリストの存在を把握していたのですか?」

 

 敵と相対した時の威圧感を纏うモーガンの声が横から割り込む。

 言い淀んだ私から視線を外し、戦女神は同盟国のウィッチと相対する。

 

「ええ、把握していたわ」

「把握していながら……なぜ、警告しなかったのですか…!」

 

 あっさりと肯定したラーズグリーズをモーガンは鋭く睨みつける。

 

 日本政府の協力は得られなかった──それどころか利用された。

 

 彼女たちの黒狼に対する敵愾心を見れば、被った損害が小さくないと分かる。

 私に政治は分からないが、同盟国に対する扱いではない。

 

「まさか、作戦行動中とは──」

「それが通るとでも!」

 

 怒気を滲ませるモーガンの肩に、チームの1人が手を置く。

 

「日本国防軍は我々を囮にした、その認識で間違いないか?」

 

 度々、モーガンの発言を補足していた仏頂面のウィッチだ。

 肩を並べる灰色の人影、その4対の青い瞳には怒りが浮かぶ。

 

「不干渉の国防軍が作戦計画を知るはずないでしょ? どうやって囮にするのかしら」

 

 面倒だと言外に語る表情のラーズグリーズは、変わらぬ調子で冷ややかな言葉を返す。

 それがウィークポイントだったのか、アメリカ軍のウィッチは押し黙る。

 

「まぁ、私は仲介役だから詳しいことは国防省に問い合わせてちょうだい」

 

 その沈黙を受けて、人を小馬鹿にした声へ戻ったラーズグリーズは背後へ視線を流す。

 空気を切るヘリコプターの羽音が遠方より向かってくる。

 

「さて、お暇させてもらうわ……怖い番犬も見張ってるみたいだし」

 

 旧首都へ一度だけ視線を向け、交差点の中央より去るラーズグリーズ。

 

「付いてきなさい、黒狼」

 

 名だけを呼び、見向きもしない戦女神の行先には、迷彩柄の人影が2つ。

 周囲から放たれる鋭い視線など意にも介さない。

 

「死神」

「なにかしら」

 

 苦渋に満ちた少女の声に、ウィッチは足を止める。

 ハルバードの石突がアスファルトを打ち、金色の髪が夜風に揺らぐ。

 

「私が従えば……捕虜の生命は保障するか?」

黒狼…!

 

 パートナーの声には応えず、真っすぐラーズグリーズを見つめる黒狼。

 絶望的な戦局で、彼女は人質を取るインクブスとも戦ってきたはずだ。

 傀儡軍閥も跋扈しているとなれば、より悪辣な戦術もあっただろう。

 

「ここは法治国家よ。然るべき処罰が下るでしょうね」

 

 国際社会というものが崩壊し、戦時国際法など機能していない時勢。

 それを律儀に守っている国防軍になら、生殺与奪の権を渡せると?

 しかし、それは──

 

「あなたの行動次第では、情状酌量の余地があるかもしれないわ」

「…分かった」

 

 ナンバー2は、決断した。

 左手に握るシミターが砂のように崩れ出し、夜の空気に溶けて消える。

 

「いい子ね」

 

 戦女神の導きに従って、重い足を進め、闇へと向かう黒狼。

 人間の形態を逸脱していようと、もはや彼女はウィッチではない。

 痛ましさを覚える大人びた仮面は崩れ、そこにいるのは年相応の無力な少女だ。

 

「黒狼」

 

 気が付いた時には、彼女を呼び止めていた。

 続く言葉は言うべきではない。

 軽々しく希望を与えてはならない。

 

「インクブスは必ず駆逐する……心配するな」

 

 だが、それでも唾棄すべき自己満足の言葉が口から飛び出していた。

 

「ありがとう」

 

 狼を思わせる黄金の瞳が見開かれ、それから少女は弱々しく微笑んだ。

 

 毒にも薬にもならぬ言葉で、彼女は──救われたのか?

 

 当然、答えはない。

 迷彩柄の人影に挟まれた小さな影は、高架橋の落とす影へ静かに消える。

 

「シルバーロータス、英雄の死因って何か知ってる?」

 

 影に入る直前、足を止めた戦女神が背中越しに問いかけてきた。

 今に始まったことではないし、大した意味もない。

 腹の底に滞留する苛立ちを押し込め、答える。

 

「過労だ」

「ご名答」

 

 そう言いながら、なぜかラーズグリーズの声色は不機嫌そうだった。

 私に粋な回答を求めるなよ。

 

「分かってるなら……安請け合いはやめなさいよ」

 

 それだけ言い残し、ラーズグリーズは高架橋の影へと消えた。

 

「安請け合いなものか」

 

 すべては私自身のためにやっている。

 過労気味な点は認めるが、私は英雄じゃない。

 交差点に張り詰めていた緊張の糸は切れ、誰かが重い息を吐く。

 

 夜空を衝く旧首都の摩天楼へ目を向け──ククリナイフをシースへ叩き込む。

 

 白銀の刃が収まる、それが合図。

 マジックの発動を阻害する周波数が止み、一斉にテレパシーが届いて、脳内で渋滞を起こす。

 

大丈夫ですか、シルバーロータス

「……ああ」

 

 一瞬、意識は落ちかけたが、この程度なら問題ない。

 

「ちょっと、本当に大丈夫ですの?」

うむ、顔色が蒼白だぞ!

「問題ない。それよりマジックは使用できるか?」

 

 宝石を思わせる朱色の瞳から逃れるように顔を逸らし、確認を取る。

 マジックの無力化による影響は、未知数なところがあった。

 黒狼のようにならないとも限らない。

 

「問題ないって、あなた──」

「トム、変身」

 

 プリマヴェルデの言葉を遮り、ダリアノワールはパートナーへ命じる。

 

トランスフォームって言って欲しいにゃぁ

 

 両腕で抱えていた武骨なマシンガンは、瞬きの後には1匹の黒猫へと姿を変えていた。

 

「大丈夫みたいだね。それにしても、どうやって阻害してたのかな」

さてにゃぁ…

 

 魔女の腕の中で黒猫は眼を細め、半眼の騎士を見て申し訳なさそうに笑う。

 自らを武器へ変化させるパートナーは初めて見た──

 

「シルバーロータス様」

「様付けはやめてくれ」

「す、すみません」

 

 改まって私を呼ぶモーガンに対して、反射的に答えてしまった。

 そんなことはどうでもいい。

 重要なのは、国防軍へ不信感を抱いた彼女らが次に何を考えるか、だ。

 視線で続きを促すと、小さく咳払いしてモーガンは言葉を紡ぐ。

 

「太平洋上の移動に関して、こちらで解決策を用意できるかもしれません」

 

 まさかの提案だった。

 協力しない云々は脇に置いて、ファミリアの移送は推奨できない。

 私が送り込むファミリアは、すぐ隣で触角を掃除しているベッコウバチか、それ以上の体長があるのだ。

 

「協力はしないと言ったはずだが」

 

 そもそも、少尉の持つ権限で交渉していいことなのか。

 チームの面々も驚いた表情で固まっているが、大丈夫か?

 

「ええ、一方的に利用していただくだけですから」

 

 詭弁だ。

 それを理解していながら、あえて少尉は堂々と宣った。

 

「……考えておく」

 

 今の彼女たちは部隊から断絶されている。

 ここでの提案が実現するかは不透明、よって保留。

 もし、重量級ファミリアの移動にも使えるのであれば、利用したいところだが。

 

「感謝します」

 

 決して()()()()()()ではなく、理性の光を宿した青い瞳。

 想定外の連続に晒されても思考停止していない。

 

「ただ、そうなると……問題は、連絡手段になりますね」

「パートナー間のテレパシーを用いれば問題ないと考えます」

 

 悩む素振りを見せたモーガンに、すかさず事務的な口調で解決策が示される。

 

 ──盲点だった。

 

 多用している割に、ファミリア以外の交信手段に使える認識が欠けていた。

 左肩で縮こまっているパートナーに視線を投げる。

 

「できるか」

できるとは思いますが、モーガンさんのパートナーはどちらに…?

 

 言われてみれば、アメリカ軍のウィッチはパートナーを連れていない。

 しかし、新世代のウィッチとも異なるように思われた。

 

「…そちらに関しては調整します」

 

 モーガンの返答には、間があった。

 髪と目の色が全員同じ、まるで姉妹のような容姿。

 そして、黒狼のパートナーが口走ったウィッチナンバー3の代替品という言葉。

 特殊な事情があると見て間違いないだろう。

 

「そうか」

 

 しかし、藪をつついて蛇を出したくはない。

 相手はアメリカ軍という世界有数の組織だ。

 私の追及がないことに安堵した様子のモーガンは背後へ目配せし、チームを整列させる。

 

「それでは、私たちは失礼します」

「ああ」

 

 素人目でも綺麗と分かる敬礼を見せ、4人は交差点を後にする。

 ()()()()行動していた彼女らも本来、居てはならない者なのだろう。

 

Have a nice dreams(良い夢を)~」

 

 シールドを背負ったウィッチが小さく手を振り、それを相方が黙って小突く。

 EMPを放った手前で聞けなかったが、彼女たちは合流できるだろうのか。

 旧首都へ走り去っていく灰色の人影を見て、そんなことを思う。

 

「今夜は、私たちも引き上げます」

 

 灰色の人影が橋脚の影へ消えたのを見届けてから、紅白のウィッチは口を開く。

 ラーズグリーズが登場してから蚊帳の外に置かれていたナンバーズ。

 彼女たちの現れた目的は一体──

 

「ナンバー13、後日改めてお話したいことがあります」

 

 あくまで提案だが、紫色の瞳には有無を言わさぬ圧力があった。

 なるほど、目的は()()()()か。

 

「お時間いただけますか」

 

 私がお茶会を欠席し続けた結果、彼女たちは直接会いに来る選択肢を取った。

 一線で戦うウィッチであれば、貪欲に情報を求めるのは当然のこと。

 必要最低限の情報すら共有しなかったことは、責められても仕方がない。

 

「分かった」

 

 ウィッチとの関りを断つなど不可能、腹を括るべき時だ。

 

「ありがとうございます」

 

 そう言って頭の王冠に気を付け、頭を下げるユグランス。

 私以上に無表情な、どこか人形めいた少女だが、今は達成感に包まれているように見えた。

 

「ナンバー6、ナンバー11、引き上げましょう」

 

 私たちの会話に耳を傾けていたナンバーズの2人は手を振って、あるいは頷きで返す。

 

「今日は大当たりだったね」

ありゃ、スカもスカ。大外れだにゃぁ

 

 黒猫の影が波打ち、延伸し、一瞬で2m長のライフルに変形する。

 その物干し竿のような1丁に腰かけ、ふわりと魔女は浮き上がった。

 

「本当に……まさか、ナンバー1と会うなんて最悪ですわ」

オールドウィッチは人格を見ない。実に嘆かわしいがな!

 

 その隣には浅緑のサーコートを靡かせる騎士とフクロウ。

 さすがはナンバーズ、マジックによる飛翔はデフォルトか。

 しかし、彼女たちが飛び去る前に言うことがあった。

 

「ユグランス、プリマヴェルデ、ダリアノワール」

 

 紫、朱、琥珀、鮮やかな3対の視線を真正面から受け、私は頭を下げる。

 

「今日は……助かった。感謝する」

 

 打算があったにしろ、彼女たちの介入によって方向性をインクブスの駆逐へ向けられた。

 一番の功労者はアズールノヴァかもしれないが、それはそれだ。

 

「…お互い様、じゃないよね?」

「ええ、何もできていませんもの」

 

 ダリアノワールは頬を掻きながら視線を泳がせ、プリマヴェルデは苦々しい表情で拳を見つめる。

 ナンバーズに属する者としては、不完全燃焼の結果だったのだろう。

 

「むしろ、感謝すべきは私たちです」

マスター、それは機会を改めるべきと愚考

 

 ユグランスの脇に控える機械仕掛けの近衛兵が、4つの単眼を紫に点滅させる。

 

「分かっています」

 

 膝をつく紅白の巨躯に手をかけ、ウィッチは頷く。

 ただのファミリアではないと思っていたが、まさかパートナーだったとは。

 

「それでは、ナンバー13」

 

 マッシブな機械仕掛けの腕に抱えられたユグランスは王冠を押さえ、小さく一礼。

 次の瞬間、近衛兵は膂力を解放し、高架橋を軽々と飛び越して視界から消える。

 

「おやすみなさい、シルバーロータスさん」

うむ! 今日は早く休んだほうがいい!

「また、今度だね──行くよ、トム」

おぉん、飛ばすにゃぁ!

 

 それを追って騎士とフクロウ、そして魔女が飛び去り、台風の目には私とファミリアが残される。

 

 どっと押し寄せる疲労感──気を抜くと瞼が落ちそうだ。

 

 傍らで丸くなるヤスデの背中に腰を預け、テレパシーに意識を割く。

 滞留していた無数の声を聞き、それぞれに対処を命じる。

 

シルバーロータス

「どうした」

 

 神妙な声で私を呼ぶパートナーへ視線を落とす。

 ラーズグリーズが現れてから存在感を消し、ハエトリグモの置物に徹していた。

 

お疲れ様でした!

「…まだ終わってないがな」

 

 私を見上げる黒曜石のような目に感情は見えないが、何を言いたいかは分かる。

 テレパシーの処理中に意識が落ちそうな私に必要なのは、睡眠だ。

 だが、それは為すべきことを為してからでも遅くない。

 

「第1陣の準備を済ませる」

分かりました。早く終わらせましょう!

 

 パートナーに一部の指示を任せ、第1陣を務めるファミリアを呼び起こしていく。

 今までの備蓄を与え、明日の飛翔に備えさせる。

 そして、海岸線の制圧と飛来が同時となるよう、海底へテレパシーを飛ばす。

 

 今まで腹を満たしてきたマーマンの巣を──その根源を断て、と。




 予習にはパシフィック・リムを使います(真顔)


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魔女ノ眷属
強襲


 閲覧注意(迫真)


 シーレーンの防衛とは、海洋国家にとって死活問題である。

 しかし、神出鬼没の敵から防衛できるほどの戦力は捻出できず、水生のインクブスに艦艇は脆弱だった。

 積極的な襲撃が行われていないのは、インクブスの目的が()()()()()()()()()だからだ。

 彼らは、家畜を餓死させない。

 

≪1班から現場指揮へ、船長の身柄を拘束した≫

 

 蛍光灯の白い光が照らす通路を複数の人影が進む。

 顔まで隠す黒一色の装具を纏った一団。

 微かに揺動する世界で、姿勢を一定に保ち、整然とライフルを構えている。

 

≪現場指揮、了解≫

≪3班から現場指揮へ、船員への聴取の結果、カエルは3体と判明≫

 

 時に無線へ耳を傾けつつ、天井や背後を警戒して前進する。

 彼らの任務はケミカルタンカーに潜伏するインクブスの排除であった。

 

 薄氷の上にある生命線は──インクブスの侵入経路となる。 

 

 既に船橋で1体、船長室で1体を排除している。

 拘束した船員の供述に偽りがなければ、残りは1体だ。

 

「2班より関空981へ、位置に変わりないか」

 

 隊列中央に位置する班長が胸元のスイッチユニットを操作し、外部の目へ通信を繋げる。

 

≪関空981より2班へ、左舷後方から変化なし。ぴったりです≫

 

 停船させたケミカルタンカーの周囲を旋回する汎用ヘリコプターは、停船の()()を観測し続けていた。

 

 左舷後方の海面下に見える巨大な影──インクブスを捕食する巨大海洋生物だ。

 

 ウィッチが召喚した新種の生命体と推測されているが、詳細は不明。

 船上に潜むインクブスを驚異的な精度で探知し、臨検部隊より早く船舶を取り囲んでいる。

 

「2班、了解」

 

 インクブスの存在を喧伝するアラーム兼()()()()()()()を隊員たちは信頼している。

 人類の味方ではないとしても、彼らの貢献は大きい。

 この奇妙な共同戦線によって日本国防軍の負担は大幅に軽減されているのだ。

 

≪現場指揮から1班へ──≫

「音量を下げろ」

 

 無線の音量を絞る隊員たちの視線は、無機質な床面を睨む。

 靴を履く文化のない怪物は、黒い足跡を残していた。

 おそらくは、機械油。

 

 それは奥まで一直線に続く──先頭の隊員が右手を上げ、制止のハンドサイン。

 

 暗視スコープを跳ね上げ、前方の天井を一瞥してから後方へ振り向く。

 それに対して頷く班長はハンドサインで、()()を指示する。

 先頭より二番目の隊員がポーチよりハンドボールほどの球体を取り出し、巻かれた導線を外す。

 

 容疑船舶を着色する警告弾──すかさず前方へ投擲し、身構える。

 

 乾いた音を立てて炸裂した警告弾は、通路の床から天井までを鮮烈なピンクで彩った。

 

やってくれたなぁぁ…!

 

 悍ましい声を響かせ、天井から降り立つ者。

 ピンク一色に染め上げられた二足歩行のカエルをライフルの銃口が睨む。

 

覚悟はいいかぁ、おい?

 

 眼まで着色され、視覚を失おうとインクブスは獲物を捕捉できる。

 しかし、格下と侮っているヒトの小細工を真正面から受けた。

 奇襲に失敗した挙句、無様な醜態を晒した事実にフロッグマンは激昂する。

 

 突撃のため、膂力を蓄える刹那──銃声と弾丸が殺到した。

 

 すかさず両腕を交差させ、これを防御。

 肉を殴打する鈍い音が響き、潰れた弾体が転がる。

 

…無駄だっ

 

 生物とは思えぬ強度、柔軟性に富むフロッグマンの外皮は弾丸の貫通を許さない。

 表面上のエナが剥離するまでは。

 

「撃ち続けろ」

 

 それを心得ている元特殊警備隊の隊員たちは、跳弾を恐れず弾丸を叩き込む。

 エナによる防護が弱い頭部を重点的に狙う。

 銃声が通路を満たし、銃火の瞬きは絶えることがない。

 

弱ぇヒトがよぉ…!

 

 貫通は許さずとも直撃のエネルギーは逃せず、脚が止まる。

 加えて、跳ね回るには狭い通路で機動力を生かせない。

 ゆえに、フロッグマンは待つ。

 銃火の間隙を。

 

調子にぃ──っ!?

 

 先頭の隊員が姿勢を下げた瞬間、膂力を蓄えていたフロッグマンの右太股が爆ぜる。

 床面に倒れ伏す怪物が顔を上げた先には、硝煙を燻らすショットガンの銃口。

 装甲車を破壊できる特殊弾頭の一撃が、表面のエナを完全に剥離させたのだ。

 

がっごぁっくぞがぁ

 

 怪物を指向する銃口の全てが火を噴く。

 カエルを模した頭部を引き裂き、関節を砕き、生命活動を止める。

 

「撃ち方やめ」

 

 銃声が止み、静寂の戻る通路。

 人間であれば原形をとどめない破壊力を行使して、ようやく1体を排除できる現実。

 隊員の生命を護るために弾薬の消費量は許容されているが、その現実は防人たちに暗い影を落とす。

 

「移送用意」

「了解」

 

 床面に散らばる薬莢を足で払い、フロッグマンに接近。

 硬いブーツの爪先を一度叩き込み、死骸であることを確認。

 それから隊員の1人が手際よくワイヤーを掛け、()()の準備を終える。

 

「用意よし」

「行け」

 

 2人の隊員がワイヤーを引き、物言わぬフロッグマンを引き摺る。

 残る隊員は周辺へ視線を走らせながら追従。

 生命活動を停止したインクブスは、20分ほどで人体に有害なガスを放出し始める。

 迅速に処理する必要があった。

 

「2班より現場指揮へ、カエルの排除完了。これより処理に移る」

≪現場指揮、了解≫

 

 段差や階段へ死骸を打ち付けるが、欠損しなければ構いもしない。

 長い通路を息も切らさず駆け、船外へ達する。

 

 早朝の空、見渡す限りの大海原──リノリウムの甲板を踏み、一直線に海へ向かう。

 

 波の砕ける音を汎用ヘリコプターの羽音が打ち消す中、死骸からワイヤーを外す。

 引き摺られてきたフロッグマンはピンクに着色された雑巾のようだった。

 

「よし、行くぞ…3、2、1」

 

 そんな死骸を二人掛で持ち上げ、躊躇なく海へ投げ落とす。

 

 鈍い着水音──広がる白い波紋へ灰色の闇が集う。

 

 ピンクの影は、瞬きの後には消えている。

 海洋投棄が迅速かつ確実な処理方法となってから、幾度と見てきた光景だった。

 

「……あれで最後か」

「ああ、任務完了だ」

 

 それを無感動に見届けた隊員の呟きに、班長もまた無感動に頷く。

 残る密入国者の捜索という任務は、後続部隊が行う手筈となっている。

 東の水平線から顔を見せる朝日がリノリウムの甲板を照らす。

 

「班長……海を見てください」

 

 不意に、大海原へ視線を向けていた隊員が声を上げる。

 その険しい声色に隊員たちはライフルのトリガーへ指を伸ばす。

 

「どうした──」

 

 眼前の光景に、班長を含む隊員たちは硬直し、目出し帽の裏側で驚愕の表情を浮かべるしかなかった。

 

「これは一体…?」

 

 ケミカルタンカーの船底を潜って西を目指す影は、確かな輪郭を描く。

 

 水生昆虫あるいは甲殻類──それが1体、また1体と数を増やし、群れを成す。

 

 仄かな闇が波間に見られる朝の大海原を、巨大海洋生物が侵食する。

 前例を見ない規模の群れに、誰もが圧倒され、言葉を失う。

 

≪1班より現場──おい、船長を黙らせろ!≫

≪3班より現場指揮へ、後続部隊の接近は危険と思われ──≫

≪うわっ──くそっ!≫

 

 ケミカルタンカーの長大な船体を、衝撃が襲った。

 宙に浮くような錯覚の後、船上の者は等しく床や壁に打ち付けられる。

 しかし、衝突した巨大海洋生物は、それらに微塵の興味もない。

 ただ、西へ針路を取る。

 

≪関空981より船隊指揮へ、接近中の雲海──いや、違うぞ…これは≫

≪船隊指揮より関空981へ、退避せよ。繰り返す──≫

 

 飛び交う無線の混沌が最高潮に達した時、曙光に染まる空を羽音が覆った。

 

 

 黒煙が立ち上る港湾の一角。

 連なる赤褐色の山々の間を、1人の少女が駆けていた。

 酸化した鉄鉱石の欠片へ汗が滴り落ち、荒い息遣いは砲声と爆発音に掻き消される。

 

(チェン)少尉はっ』

 

 死臭を運ぶ風で青い髪が靡く。

 背後に視線を投げる少女の両手には、血塗れの刃と灰色のライフル。

 刺繍の美しい翡翠の装束は迷彩柄のベストで隠れ、血と煤で見る影もない。

 その腰からは竜を彷彿とさせる長い尾──ウィッチだ。

 

少尉より自分の心配をしろ! まだ、エナは制御できるか?

『なんとか、ね…!』

 

 紅玉の耳飾りに扮したパートナーの鋭い一声。

 ウィッチは険しい表情で右腹のポーチに滲む赤を睨んだ。

 人間離れした身体能力は、矢弾による銃創を塞いでいる。

 しかし、体内に侵入した劇物は解毒できていない。

 

『──後ろから来るぞ!

 

 積み上げられた鉄鉱石の山、その陰から現れる矮躯の影。

 下卑た笑いを浮かべたインクブスの雑兵を捉え、ウィッチは口を引き結ぶ。

 左脇にライフルのストックを挟み、振り向き様に射撃を浴びせる。

 

おっと危ねぇ

 

 高初速の弾丸が数発直撃するも、インクブスは難なくダンプトラックの陰へ走り込む。

 一瞬でマガジンの弾丸を撃ち尽くし、手負いのウィッチは再び逃走に移る。

 

そんな玩具で何をするんだぁ?

 

 その背中を嘲笑う矮躯のインクブス。

 あえて、ボウガンを使わず、脚を使って追ってくる。

 

『追い込まれてるっ』

 

 赤褐色の山を通り過ぎるたび、インクブスの獣欲に満ちた目と目が合う。

 己は獲物だと嫌でも理解させられる。

 理解していながらインクブスに制圧された港湾地区を走るしかない。

 

元気なウィッチだなぁ…へっへっへっ

 

 女性らしさの出てきたウィッチの肢体を嘗め回すような視線が追う。

 インクブスの魔手に捕まれば、死より凄惨な末路が待つ。

 半月に及ぶ防衛戦の末、蹂躙を許した市街地では、その地獄が繰り広げられている。

 

『どうすれば…!』

マジックさえ使えればな!

 

 劇物に侵され、マジックの使えないウィッチに包囲を破る力はない。

 背後から迫る絶望から、ただ逃れるため駆ける。

 次第に鉄鉱石の山が姿を消し始め、破壊されたガントリークレーンやコンテナが姿を現す。

 

 黒煙が空を覆う岸壁──そこが終点だった。

 

 陵魚(リンユィ)の名で呼ばれるインクブス、マーマンの群れが待ち構えていたのだ。

 

網に掛かった

 

 鮮やかな色彩の鱗と装飾品を纏う人型の魚が跋扈する岸壁。

 その内の8体がトライデントの鋭い切先を向けて、ウィッチを取り囲む。

 

フェドセイ、感謝する

後で俺たちにも使わせてくれよ?

 

 追い込み猟に成功したインクブスは、緊張感のない会話を交える。

 ウィッチに包囲を脱する力がないと理解しているからだ。

 

 エナが鎮静化する気配はない──あるのは、絶望。

 

 全身を蝕む恐怖で刀身が震え、思わず取り落としそうになる。

 しかし、それでも、少女は膝を折らない。

 

『……まだ、負けてない』

 

 残弾の切れたライフルを捨て、深いスリットの入ったスカートを捲る。

 口笛を吹く下劣な怪物は無視。

 太股のホルスターよりサイドアームを抜き、抗戦の意志を示す。

 

ああ、そうだ!

 

 少女の気高い意志を、パートナーは最期まで鼓舞し、見届けるものだ。

 弱々しいエナを振り絞り、ウィッチは敵と相対する。

 

『お前たちの好きにはさせない!』

はははっ! こりゃ傑作だ!

 

 醜悪な笑みを浮かべ、手負いのウィッチを嘲るゴブリン。

 

もう好き放題させてもらってるんだけどなぁ!

 

 矮躯の略奪者は奪い、犯し、貪る。

 そのサイクルが永遠に続くと信じて疑わない。

 

愚かなウィッチだ

これで6匹

苗床になるがよい

 

 表情の読めない眼でウィッチを観察するマーマン。

 眼前の雌は、同胞を増やす道具としか見ていない。

 

 冒涜的な怪物は蹂躙への一歩を──重々しい()()が制止する。

 

 それは黒煙が立ち込める港湾を超え、黒々とした海の底より轟く。

 

こいつは何の音だ?

不明だ

 

 聞き慣れない異音にゴブリンが眉を顰め、機敏な動作でマーマンは振り向く。

 海を、インクブスたちは睨む。

 奇妙な沈黙に包まれる包囲下、ウィッチもまた視線を海へ向ける。

 

『これは…?』

 

 そこには、白濁に染まった海面。

 港湾内を汚す白濁の正体は、微細な気泡だった。

 まるで沸騰したような海面には、身動ぎ一つしない無数の影が浮かぶ。

 それは白い腹を見せる大小の魚であり、白目を剥いたマーマンだ。

 

敵襲…!

 

 絶命した同胞の亡骸を目視し、マーマンはトライデントの切先を海へと向ける。

 弛緩した空気は消え去り、瞬時に臨戦態勢へ移行。

 

おいおい、新手か?

 

 インクブスの興味が港湾内へ注がれている。

 その千載一遇の好機を見逃すわけにはいかなかった。

 ウィッチは細い足に膂力を蓄え、手薄な面へ視線を走らせる。

 

左が手薄だな……

『うん、左なら──っ!』

 

 パートナーの助言に小さく頷いた瞬間、ボウガンの弦が空気を切った。

 

 飛来する矢弾は9本──回避の困難な十字砲火。

 

 右手が振り抜かれ、刃に付着した血ごと脅威を斬り払う。

 背面から飛来した矢弾は硬質な鱗に覆われた尾で叩き折った。

 それでも2本が迎撃を抜け、右肩と頬に擦過傷を残す。

 

動くんじゃねぇ

『くっ…!』

 

 あくまでゴブリンの対処は的確だった。

 獲物を嬲っている余裕がある、つまり頭が回っているのだ。

 

こっちは任せて行ってくれ

言われずとも

 

 ウィッチをボウガンで牽制しつつ、海面を油断なく監視するゴブリンたち。

 それらを一瞥もせず、マーマンは格の高い者を先頭に海へ駆ける。

 

吶喊──っ!?

 

 岸壁より飛び出した刹那、海中より伸びた影がマーマンを()()した。

 

な、に……!?

 

 カマキリの鎌に鋭利な棘を生やしたような捕脚。

 それに貫かれたマーマンは、血の泡を吹きながら海中へ引き込まれる。

 インクブスの反射神経を上回る早業に同胞は動けない。

 

おのれ!

襲撃者に死をっ

殺せ!

 

 硬直から回復したマーマンは激昂し、威勢のいい言葉で自己を奮い立たす。

 トライデントを低く構え、スピアラー(刺撃型)の襲撃者を仕留めんと後を追う──

 

待て!

 

 更なる異変をマーマンは察知した。

 気泡が四散し、黒を取り戻した港湾内に侵入者。

 海水を押し退けて進む()()()は、高濃度のエナを放射していた。

 ウィッチに匹敵するが、少女の体躯に大波を引き起こす大質量などあるはずがない。

 

迎撃する

応!

 

 同胞ではない。

 ならば、敵であることは明白。

 襲撃者を警戒し、海面から距離を取って得物を一斉に構えるマーマン。

 港湾地区の異変を察知した同胞が続々と戦列へ加わる。

 手負いのウィッチなど眼中にない。

 マジックによって大気が流動し、トライデントの切先より風が吹く。

 

投擲!!

 

 最も近い大質量に対し、必殺のトライデントが放たれる。

 その弾道は直線軌道に近い。

 切先に真空を形成し、殺人的な速度を以て獲物へ飛翔する。

 海中で真価を発揮するが、大気中でも十二分な威力。

 

 それらは海水を貫き、外殻へ──甲高い音と共に()()()()()()

 

何!?

 

 ほとんどが粉砕され、幾本かは入射角の甘さゆえ跳弾。

 一撃必殺を信条とするマーマンは、その事実に驚愕する。

 ウィッチやヒトの駆る軍船とは比にならない異次元の強度。

 

次弾急げ!

ケットシーの術士がいたはずだ! 呼び戻せ!

間に合わん!

 

 浮足立つインクブスの眼前に、海面を引き裂いて現れる巨影。

 押し寄せる海水が岸壁上を洗う中、4対の巨大な脚がコンクリートに突き立つ。

 その巨躯は進路上にあったガントリークレーンを倒壊させ、粉塵を舞い上がらせる。

 

『え…?』

 

 天を遮る灰色の甲殻より海水が滴り、呆然と見上げるウィッチの青髪を濡らす。

 されど、岸壁を睥睨する漆黒の眼には映っていない。

 映っているのは──

 

う、撃てぇ!

うわぁぁぁ!!

 

 獲物のみ。

 恐慌に陥ったゴブリンたちは、闇雲にボウガンの矢弾を浴びせた。

 そして、全てを無慈悲に跳ね返された。

 脆弱なはずの関節部すら貫徹を許されず、完全に戦意は砕け散る。

 

逃げ──」

 

 その頭上へ巨人のハンマーを思わせる鋏脚が振り下ろされ、コンクリートへ悪趣味な染みが生み出される。

 飛び散ったエナの飛沫がウィッチの白い頬を汚す。

 

状況は!

不めえぁぁぁ!?

 

 粉塵に巻かれ、視界を失っていたマーマンの一群を鋏脚が薙ぎ払い、魚肉のペーストに変えた。

 その巨躯は動作一つが凶器足り得る。

 しかし、己の陰に座り込む少女を潰す愚鈍さはない。

 細やかに動く2本の触角は、大気中でも獲物を正確に嗅ぎ分ける。

 

敵襲!

ぎゃぁあぁぁ!

 

 続々と岸壁へ上陸した巨影が至近のインクブスを轢殺していく。

 暗赤色、青紫色、灰色と統一性のない体色だが、それはロブスターの似姿をしていた。

 

まさか、ファミリアなのか?

 

 最初の衝撃から回復したパートナーは認識する。

 インクブスを血煙へ変える存在は、ウィッチのエナで形成されていると。

 そして、その正体に思い至る。

 

そうか…これが、蝶の眷属か

 

 人類の活動領域より外、海面下にて活動するため、これまで捕捉されなかった未知。

 侵略者を鏖殺し、捕食し、際限なく肥大化してきた。

 唯一、休眠を命じる()()()()()()()彼女のファミリア。

 

だめだ! ポータルを解くぞ!

ここを捨てるのか!?

勝算があるように見えるかよ!

 

 毛を逆立てたケットシーたちが鬼気迫る形相で怒鳴り合う。

 

 敵前逃亡は許されない──海より天を衝くように飛び出す紅の鋏脚。

 

 ガントリークレーンを超える長大な影は、遠方の市街地から目視できた。

 それが黒煙を切り裂き、円陣を組むケットシーへ振り下ろされる。

 重力加速度を加えた質量が衝突し、粉塵を巻き上げた。

 

なんなんだよ、これは!?

黙ってエナを注げ! 死にたいのか!!

 

 陽炎のように揺らめくエナの防壁が、辛うじて破滅を退ける。

 しかし、コンクリートを抉る巨大な鋏の圧力は強まり──

 

くそがぁぁぁ!

 

 人間の歯を思わせる鋏は、いとも容易く不可視の防壁を磨り潰した。

 防壁の内にいたケットシーも含めて。

 

化け物っがぁは!?

 

 防壁の外へ逃れた者は、手足より太い棘に腹を貫通される。

 マジックに思考を割く時間すら与えない。

 刺撃型の捕脚が収納された先で、己の血に溺れるケットシーは一生を終えるのだ。

 エナの塊を丸齧りし、虎縞模様のファミリアは細長い複眼で次なる獲物を探す。

 

『……うっ、おぇ…ぁぇ』

 

 見渡す限りの地獄に打ちのめされ、ウィッチは胃からの逆流物と対面していた。

 ファミリアが肉片を器用に集め、咀嚼する音からは逃れられない。

 

大丈夫、じゃないよな……

 

 鮮烈な色が、強烈な悪臭が、咀嚼音が精神を苛む。

 不倶戴天の敵を襲う死は、あまりにグロテスクだった。

 

…耐えてくれ

 

 パートナーの言葉に頷く余裕もない。

 そんなウィッチの傍へ異様に発達した鋏脚を備えるテッポウエビが上陸する。

 港湾内に浮かぶ()()を引き寄せ、筆舌し難い解体作業を開始して、少女の精神へ追撃を加えた。

 

に、逃げろ!

おい、置いていくな!

 

 港湾地区が失陥する原因となった鉱石運搬船──傀儡軍閥の工作船──へフロッグマンたちが逃げ込んでいく。

 その無様な姿をファミリアは無視し、ただ咀嚼を続ける。

 退()()()()()()()()()

 工作船の至近に姿を現した玉虫色の甲殻が天光を受けて輝く。

 

く、くそっ化け物しかいねぇ!

 

 海水のシャワーが注ぐ船橋のインクブスを観察する水晶のような眼。

 眼前に浮かぶ構造物の内で震える獲物を叩き出す。

 そのために、スマッシャー(打撃型)が為すべきことは至極単純。

 殴打だ。

 

 腹部より捕脚を発射──衝撃波が大気を駆け抜ける。

 

 二発目は不要。

 鋼構造物を破断させ、竜骨を破壊し、船を()()()

 マジックによる物理法則の超越ではなく、純粋な質量と強度、機構によって真正面から破壊したのだ。

 船内から生じた火災が、漏れ出した重油を糧に大火と化す。

 

あ、あぢぃいぃぃ

たすげぇてくでぇぇ

 

 魔女の鍋のように煮える黒い海面で断末魔が木霊する。

 

『あなたは……蝶の眷属なの?』

 

 肌を焼く熱量を受けながら、憔悴したウィッチは問う。

 絶対強者は、焔に照らされる触角鱗片を静かに揺らすだけ。

 見上げる者無き空を漆黒の天蓋が覆い、風雨の如く()()が降り注ぐ。

 

 この日、大陸を跋扈する人類の天敵は──捕食者と遭遇した。




 ASMR(咀嚼音)


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蝗災

 執筆中の作業BGMは、大切断です(ニッコリ)


 一面の闇より浮かぶ白磁の円卓。

 石から削り出したような荒々しい質感の卓に集う魑魅魍魎たち。

 ある者は檄を飛ばし、ある者は沈黙し、ある者は天を仰ぐ。

 

打って出るべきだ! そうだろ!

 

 灰色の毛並みをもつライカンスロープの若き長が円卓を叩き、周囲に訴えかけた。

 

そうだ!

然り! 然り!

 

 それに同調する総長たちが拳を上げ、声高に支持する。

 円卓が形成されて以来、ここまでの熱狂はなかった。

 ファミリアの侵略という空前絶後の脅威を前に、彼らは種の垣根を越えて団結していた。

 

落ち着け、青二才が

 

 その熱狂に冷水を浴びせる声。

 声の主は、深紫の戦装束を纏ったインプの長だった。

 

虫籠へ飛び込んで餌になるつもりか

その虫籠ごと壊せばいい!

ふん……虫籠の広さも知らずに壊すとな? 滑稽な話よ

 

 ファミリアとの死闘を経て、インプの長は変わった。

 変異種の波状攻撃から生還した術士の目に、居並ぶ総長を嘲る色はない。

 知性を宿した鋭い眼光で、浅慮な者たちを睨む。

 

しかし、シリアコよ。このままでは虫けらの餌にされるぞ

 

 小山のような体躯を丸め、悲観的な言葉を円卓に響かせるはケットシーの長。

 お気に入りのウィッチを着飾り、円卓で見せびらかす変物だが、マジックの腕前はシリアコも認める者。

 

それがケットシーの長ともあろう者の言葉か?

我を愚弄する気か、シリアコよ…

シリアコ卿、変異種による被害が甚大なのは事実だ……卿には説明するまでもないだろうが

 

 黒毛で全身を覆われたボギーの長が、睨み合う両者の間に割って入る。

 これまでは調()()()と侮られていたが、ウィッチの戦力化を提案し、発言権を得たインクブスだ。

 

 変異種による被害──シリアコの視線が微かに険しくなる。

 

 反攻作戦時に現れた変異種の砲撃は脅威であり、その被害は既存の個体の比ではない。

 説明不要、既知の事実だ。

 

奴らは戦列を組む上、知恵が回る。それが同数以上で攻め寄せてくるとなれば……

 

 折れた左角を撫で、オーガに匹敵する巨躯を卓に寄せるミノタウロスの長は、天を睨んで重々しい息を吐く。

 防衛戦に立った所感は、ウィッチとの戦いが遊戯に思える死闘。

 精鋭と共に行った突撃は十字砲火で粉砕され、彼自身も負傷していた。

 

最近は、小隊で襲撃を繰り返し、僅かな休息も奪ってくる! 連中は疲労を知らんのか!

 

 その隣に座するバーゲストの長は気を昂らせ、円卓に拳を打ち付ける。

 鋭利な鉤爪を持ちながら、肉弾戦よりもマジックを得意とする術士は、連日連夜の戦闘で精神が摩耗していた。

 優秀な術士への負担は重く、交代制にも限界がある。

 

()()を1つ潰されてから、明らかに狙われてるわ……このままじゃ薬の供給が滞るわよ

 

 皺だらけの醜悪な顔を上下に裂く大口より発される甲高い声。

 頭に深緑の葉を揺らすマンドレイクの長は、根を絡み合わせて形作った()を震わせる。

 ウィッチを打ち倒す劇物を日々生み出している工房とは、インクブスの生命線。

 その1つを潰してから工房を狙ったファミリアの攻撃は激化していた。

 

我々も武具の工廠は死守しているが、厳しい状況だ…

 

 同志の首飾りを握り締め、ゴブリンの長が苦々しく現状を吐露する。

 円卓において中立の立場に身を置くが、内心では攻勢に賛同しているがゆえに出た言葉。

 兵站を担い、雑兵として戦線を支える同志の被害は、インクブスでも群を抜いて高い。

 

それで、姿も見えぬ相手と決戦か? 短絡が過ぎるわ

 

 総長たちの悲鳴に近い言葉の数々を受け、それでもシリアコは己の意思を曲げようとはしなかった。

 災厄のウィッチとの()()という不確実な作戦を否定する。

 遠征軍と同じ轍を踏むわけにはいかないのだ。

 

あれだけ同胞をやられて、お前は悔しくねぇのか、シリアコ!

 

 ライカンスロープの長は以前のようにインプの長を見下すことはしなかった。

 戦装束を纏う術士が率いた精鋭は、総長を逃すため荒野に散ったのだ。

 その無念を想像し、共感できるからこそ、ラザロスは吠えた。

 

黙れ……分かっておるわ

 

 それを真正面から受け、シリアコは平静に、されど激情を抑え込んで答える。

 士気を奮い立たすラザロスのような長は必要だが、冷静に俯瞰した者もいなければならない。

 ゆえに、己を殺す。

 

災厄めを滅ぼすのであれば、確実でなければならん

 

 すべては荒野でエナの雷に打たれ、災厄に飲まれた同胞たちのために。

 

それが最大の弔いであろうが……違うか?

 

 円卓に集ったインクブスの各総長は、その言葉に沈黙する。

 

 静寂を取り戻す円卓の間──インプの長が鼻を鳴らす音だけが響く。

 

 厳しい戦況と夥しい犠牲が、思考力を奪っていた。

 長という立場にありながら冷静さを欠く言動を各々は恥じた。

 

よくぞ言った、シリアコよ

 

 重々しく、しかし明瞭な声が耳に届く。

 高濃度のエナによって輪郭を歪めた影が、円卓の一席に現れた。

 全てのインクブスを束ねる影へ、一同は畏敬の念を込めた視線を送る。

 

今宵は…ずいぶんと遅かったな

 

 シリアコだけは眼を細め、抗議の視線を送っていたが。

 

少々手間取った…許せ

 

 対する影は厳かだが、どこか親しみのある声を返す。

 円卓の間に満ちる緊張を少しばかり緩め、あえて遊びを持たせる。

 

さて、まずは──クラレンスよ。カーティスから報告はあったか

 

 手を組んだ不定形の影は、ボギーの長であるクラレンスに報告を求めた。

 優先されるのは積み上がった難題の根源、災厄のウィッチについてだ。

 インプの所有する強力なウィッチを連れ、偵察に赴いた同胞への期待は大きい。

 

いえ、一切の報告は受けておりません

 

 しかし、クラレンスの報告は芳しいものではなかった。

 取り繕わず、淡々と、されど無念が滲む声。

 

そうか

 

 真紅のエリオットや遠征軍の第一陣が未帰還であった時と同質の重い空気が立ち込める。

 ボギーでも一二を争う実力者が報告を怠るはずがない。

 彼もまた敗れたのだ。

 

防衛戦のウィッチは有効に機能しております。カーティスはファミリア以外と交戦したのではないかと…

 

 苗床となっていない雌を無視するファミリアは、隷属させたウィッチの攻撃で容易く撃破できた。

 その弱点に着目し、ウィッチを斥候に放つも、単独では()()()()()()()に太刀打ちできなかった。

 ゆえに、複数のウィッチと指揮者を送り込んだが、それすら失敗した。

 災厄を守護する障壁の厚さにクラレンスは歯噛みする。

 

ふむ……遠征軍とカーティスを遣わせた地は近傍であったな?

そのはずですな

 

 遠征軍の編成に携わったゴブリンの長、グリゴリーが影の問いに答える。

 

偵察隊が遭遇したウィッチについて情報は残しているな?

残してはおりますが、十分とは言えませぬ……新たに斥候を放ちますか?

これ以上、斥候で同胞を失うわけにはいかん

 

 グリゴリーの提言に対し、影は円卓に集う者が求める言葉を返した。

 災厄のウィッチとの決戦は、早計であろう。

 しかし、情報収集のため送り出した同胞が戻らず、こちらの戦況が悪化する中、次なる一手が必要だった。

 

これより呼ぶ者は──」

失礼します!

 

 開け放たれた大扉より差し込む光が、円卓の闇を侵食する。

 光の中心には、薄茶色の毛並みをもつ細身のライカンスロープが立つ。

 

よせ!

会合中だぞ!

 

 大扉を守護するオークの戦士が遅れて捕縛にかかり、円卓の間に喧噪が響く。

 

緊急だ、通せ!

 

 両腕を捕らえられ、身動きを封じられたライカンスロープは地に伏す。

 彼らを率いるラザロスは地に伏した者の正体を見抜いた。

 

…伝令か

「──よい、通せ

 

 影より命令を受け、オークの戦士は即座に伝令を解放し、後方へ下がる。

 

報告します!

 

 飛び込むように円卓の間へと入った伝令は、声を張り上げた。

 会合を中断させてでも報告せねばならない緊急事態。

 インクブスの長たちは耳を傾け、次の言葉を待つ。

 

大陸に、ファミリアの大群が襲来しました!!

 

 円卓に緊張が走る。

 眼を見開き、拳を握り、立ち上がる者すらいた。

 

静まれ

 

 長たちが口を開くより先に、影が手で制し、一瞬で場を収めた。

 インクブスが順調に版図を広げてきた大陸に、災厄が及ぼうとしている。

 雑音による遅延は不要、情報の収集が第一優先。

 

それじゃ、戦場も規模も分からねぇ……伝令なら務めを果たせ

 

 その意思を汲み、席を立ったラザロスが歩み寄り、正確な報告を促す。

 しかし、伝令は眼を伏せ、言葉に詰まる。

 

それは……

 

 インクブスの長たちを前に、緊張で言葉が出ないわけではない。

 そんな無能をライカンスロープは伝令に選ばないのだ。

 伝達すべき情報を信じられないゆえの躊躇だった。

 

どうした、はっきり言え

 

 ライカンスロープの若き長に促され、伝令は脚色をせず、事実だけを報告する。

 

戦場は沿岸から内陸に及び、敵の総数は不明…いえ、計測不能とのことです…

 

 痛いほどの静寂が、円卓を支配した。

 

 

 世界の終末を思わせる暗黒の空。

 太陽を遮り、大地に影を落とす()()()は、群体であり、捕食者であった。

 豪雨の如き羽音を降らせ、人類の天敵に死を馳走する者。

 朝鮮半島のインクブスを絶滅させ、倍に膨れ上がった()()は、黄海を越えた。

 

くそっくそっなんなんだ!

 

 精神を蝕む羽音が止まない。

 それを打ち消さんと矮躯のインクブスは悪態を吐く。

 つい1時間前まで、街の支配者であった被食者は薄汚れた路地を駆ける。

 

あいつらっ…なんで俺たちを襲うんだ!?

 

 血塗れの同志の問いに答える者はいない。

 ウィッチのエナを放っていた時点で、襲来した怪物はファミリアだ。

 問答をする意味がなかった。

 同志は、オークの戦士を眼前で惨殺された時から平静ではない。

 

く、来るなぁぁ……

ぎゃぁあぁぁ──」

 

 羽音と悲鳴、断末魔、そして咀嚼音が絶えることはない。

 路地の上をファミリアの重い羽音が通り過ぎ、赤い血が壁面を流れ落ちてくる。

 

 ヒトの言葉を借りるならば──ここは、地獄であった。

 

 お気に入りの()()すら投げ出し、ただ生存のために駆ける。

 しかし、路地の出口が近づくにつれ、4体のゴブリンは速度を落とす。

 頼りないボウガンを構え、息を殺して路地の壁に張り付く。

 大通りに出てインクブスが生存していられる時間は、瞬きより短い。

 

ばっ化けも──」

 

 それは眼前で実演された。

 大通りの反対側で不用意に飛び出したケットシーが飛来した影に覆われる。

 

 消炭色の外骨格、斑模様の翅、長く強靭な後脚──それは群生相のトノサマバッタに酷似していた。

 

 1体、2体、3体と集まり、毛の生えた外皮を引き剥がし、肉と臓物を噛み千切る。

 エナの飛沫が路面を汚し、リードを握る手が転がった。

 

今だ…!

 

 それを好機と見たゴブリンたちは壁沿いに進む。

 通りに散乱する遮蔽の陰に身を隠し、ファミリアに気取られぬよう慎重に。

 

お、終わりだ

黙れっ

 

 血塗れの同志を黙らせ、軽自動車の横を通り過ぎる。

 目的地は、同志グリゴリーの命により整備された緊急時の仮設拠点だ。

 

……術士が全滅か

 

 絶望的な状況が、無意識のうちに言葉を紡がせる。

 咀嚼音と羽音に満たされた大通りには、エナを貪る消炭色の塊が幾つも蠢いていた。

 ケットシーが多く棲む一帯だったらしく、リードに繋がれたヒトの雌が至る所に放置されている。

 

あの数では、ひとたまりも──」

 

 声を潜めて応じる殿のゴブリンが頭上にボウガンを向けた。

 大通りに面した高層建築の窓は割られるか、血痕で彩られている。

 その一つからトノサマバッタが頭を出し、インクブスを無機質な眼で睥睨していた。

 

見つかった!!

 

 危機を察した殿の鋭い警告が、開幕の合図。

 まるで水が溢れるように消炭色の影が窓や屋上から姿を現す。

 

走れぇぇ!

 

 ゴブリンたちは得物を構えることなく全力で逃走に移った。

 捕捉とは、すなわち死を意味する。

 大顎より血を滴らせるトノサマバッタが降り立ち、傍らの軽自動車を圧潰させた。

 

くそっ! くそっ!

 

 壁沿いであったことが幸いし、ゴブリンたちは難を逃れるも、すぐ後続が降ってくる。

 漆黒の天蓋から離れた一群も加わって、大通りは消炭色に覆われようとしていた。

 

横か──」

 

 大通りの反対から跳躍してきた質量が殿のゴブリンを捉えた。

 コンクリートの壁面と外骨格の間で、同志の生命が砕ける。

 それでも脚は止めない。

 

死ね、化け物が!

 

 否応なしに次の殿となったゴブリンは、照準も合わせず背後へボウガンを放つ。

 矢弾は消炭色の壁に飲み込まれ、効果など確かめようもない。

 どこまでも平坦で、無機質な敵意がインクブスを圧殺せんと迫る。

 

見えた!

 

 横転したトラックの脇を抜け、先頭のゴブリンは吠える。

 距離にして30mもない逃避行の末、目的地である地下駐車場の入口を捉えたのだ。

 

急げ!

もう無りぁがぼぁ

 

 最後尾の者は死に追いつかれ、血飛沫がトラックのボディを汚す。

 そして、正面からも消炭色の壁が迫る。

 

 それでも地下駐車場の闇へ──矮躯の影は飛び込んだ。

 

止まるな、走り続けろ!

 

 闇の中、同志へ叫び、スロープを転がるように前へ進む。

 止まぬ羽音に、外骨格と外骨格が擦れ合う音が加わり、それは死神の笑い声を思わせた。

 

待てっ

どうした!

 

 脚を止めた同志の視線を追った先には、入口の壁面や天井に張り付くトノサマバッタ。

 触角を揺らし、複眼は獲物を捉えたまま。

 

……追ってこない?

 

 しかし、地下駐車場内へ突入してくることはなかった。

 まるで不可視の壁でもあるかのように。

 それどころか1体、また1体と離れていく。

 

 その不気味な行動が何を意味するか──判断できる情報はない。

 

くそっ…考えても仕方ねぇ、行くぞ

 

 襲撃時に得物を持ち出す幸運はあっても高位のインクブスとは遭遇できなかった。

 情報どころか命令もない。

 地下駐車場に滞留する闇のように、彼らの行先は見通すことができなかった。

 安全地帯である仮設拠点を目指し、ただ前進するしかない。

 

……歩哨がいねぇ

 

 スロープを下った先には、歩哨どころか侵入を防ぐバリケードすらない。

 それどころか無秩序に資材が積まれ、混沌とした地下駐車場内には不穏な空気が漂う。

 

ここで合ってるのか…?

前に確認しただろっ

 

 外界の羽音に怯える同志の発言を否定するため、語気を強めた。

 周囲に満ちるエナで感覚器官が飽和し、暗順応した眼と鼻で探索を続ける。

 

止まれ…!

 

 そして、地下駐車場の半ばに到達した時、彼らは見た。

 地に倒れ伏すインクブスたち、その異様な姿を。

 

おい……なんだよ、これ

 

 黒褐色の球体を全身から生やし、身動ぎ一つしない。

 攻撃を受けたことは明白だった。

 しかし、まったく前例のない攻撃手段に、ゴブリンは思考が停止していた。

 恐慌を抑え込み、ただボウガンを構えるだけ。

 

ま、まさか、こいつ──」

 

 音もなく闇より飛来する弾丸。

 肉を抉る鈍い音。

 同志の体躯が吹き飛び、背後のコンクリート柱に激突する。

 

おいっ大丈夫、か…っ!?

 

 飛来物の正体を見たゴブリンは言葉を失う。 

 

 同志の腹に突き刺さる褐色の弾丸──3対の脚をもつ吸血動物だ。

 

 驚愕は一瞬、ノミに類似したファミリアへボウガンを向ける。

 この悍ましい怪物が同志に口吻を突き立てる前に排除しなければならない。

 

くたばれ、化け物!

 

 その判断は、浅慮だった。

 今まで自身を襲っていたファミリアと同質のエナを放つ存在が、単独行動しているはずがない。

 地下駐車場の天井より()()()()

 

ぐわっがぁっなんだ!?

 

 闇と同化する黒褐色の雨粒は、ゴブリンの頭ほどもあり、8本の脚があった。

 瞬く間に全身を覆われ、ボウガンを取り落とす。

 

やめろ! 離せっくそ!

 

 力の限り手足を振り回し、地へと倒れ、惨めに転げ回る。

 しかし、無数の歩脚による拘束は剥がれない。

 

ぎゃぁあぁぁ!

 

 一斉に口器を突き刺され、地下駐車場に響き渡る絶叫。

 それは外界の羽音を圧倒していたが、徐々に弱まり、前触れもなく止まる。

 

 斯くして仮設拠点の制圧は完了した──命令通りに。

 

 ()はインクブスが地下へ退避し、再起を図ると予想して、トノサマバッタに別働戦力を付けた。

 小型で軽量、増殖速度に優れ、閉所の戦闘を得意とする彼彼女らを。

 

 ──地上を殺戮の嵐が吹き荒れ、地下では死の雨が降る。

 

 そうして、確実に、一都市のインクブスを駆逐するのだ。




 さっきまで命だったものが辺り一面に転がる(直球)


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光彩

 まだ俺のバトルフェイズは終了してないぜ!


 断続的に砲声と爆音が響き、閃光が曇天に走った。

 傀儡となったヒトの駆る兵器──自走対空砲──が畑の畦道より砲火を絶え間なく空へ放つ。

 紅蓮に包まれた消炭色の影が次々と畑に墜落し、エナとなって霧散する。

 泥水のように濁った大河の対岸では、災厄の先鋒と交戦が開始されていた。

 

頭、敵の群れが現れた!

 

 岸辺の打ち捨てられた倉庫の屋根に座る深緑の影は、同胞の報告を受けて立ち上がる。

 頭と呼ばれたフロッグマンの長、エルドレッドは眼を回して下流へ視線を向けた。

 

来たか……災厄め

 

 河川へ配した同胞が消息を絶った元凶を睨み、怨嗟の声を漏らす。

 茶色に染まった水面を滑走する複数の高速移動体。

 

 忌々しいウィッチのエナを宿すファミリア──長い4本の脚で水面を移動するアメンボ。

 

 水面下にもエナの反応が犇めき、川底の土砂を巻き上げて全速で突進してくる。

 

数は300ほど……後ろに大きなエナの気配がある

よし、戦士団へ伝えろ

 

 敵を観測していた同胞を防衛線の中核たるケルピーの戦士団の下へ走らせる。

 この防衛線においてフロッグマンは眼であり、脚だった。

 

頭、俺らはどうする?

 

 大群との正面衝突は不得意とするフロッグマンに為せることは少ない。

 ゆえに、影よりエルドレッドへ下された命は、支援だった。

 

 彼らの背後──ヒトの架けた長大な鉄橋を渡るインクブスたちの支援だ。

 

 無秩序にポータルを解いた結果、広域で空間の歪みが生じ、自ら退路を潰してしまった者たち。

 しかし、戦意を失おうと生き残った数多のインクブスを見捨てることはできない。

 

まだ動くな……まだ、な

 

 絶望的な状況下で逃亡しない同胞たちを見遣り、エルドレッドは冷静な頭領として振舞った。

 偵察、伝令の他、川に転落したインクブスの救出、場合によっては遊撃にも出る。

 空中に浮かぶ4つの影、ウィッチがエナ不足で墜落した際は、それの回収もフロッグマンの役目だった。

 今に忙殺されることになるだろう。

 

戦士団は、正面から迎え撃つか

 

 エルドレッドの視線の先、鉄橋の橋脚部より大河に飛び込む複数の影。

 馬に似た頭をもち、脚の水掻きと尾びれで水中を自在に動き回るケルピーの戦士たちだ。

 沿岸部のマーマンが次々と全滅し、近辺で戦える者は彼らしかいない。

 

豪胆だな、ラナルド

 

 先陣を切って敵へ向かうケルピーの長が、水面近くにてランスを構える。

 それに後続が続き、鏃のような隊形でファミリアの一群と相対。

 

 鉄橋の上空で閃光が瞬く──刹那、水面を滑走するアメンボが四散した。

 

 色彩豊かなエナの光弾は、ウィッチが放つマジックだ。

 かつての輝きを失い、淀んだ色となってもファミリアは敵と認識しない。

 一方的に穿たれ、エナの粒子となって散る。

 

愚かな虫けらどもだ

しかし、このままでは終わるまい

 

 屋根の上より戦場を睥睨するエルドレッドは、楽観視していなかった。

 距離が縮まるにつれ、水中のファミリアが2つの梯団に分かれていると気付く。

 先頭は発達した2本の後脚で高速移動する流線型のファミリアに対し、後続は鎌状の前脚を有する扁平なファミリア。

 災厄のウィッチは、無意味な布陣を取らせない。

 

戦士団が攻撃を始めるぞ!

やっちまえ!

 

 長の懸念など露知らず同胞たちは声援を飛ばす。

 ケルピーの戦士団が構えたランスの切先へ収束するエナ。

 頭上を通過するアメンボの一群には目もくれず、戦士団は進路上のファミリアに照準を合わせる。

 

 エナで圧縮された高圧水流が放たれ──先頭の梯団を貫く。

 

おお!

さすが、ケルピーの戦士だ!

 

 四散するエナの反応を感知し、同胞たちは歓声を上げる。

 濁った大河の水面に外骨格の破片や遊泳毛の生えた脚が浮き、下流へ流されていく。

 

妙だな

ああ、威力が出てない

 

 先頭の梯団で高圧水流が止まっている。

 エルドレッドや古参の同胞が知るケルピーのマジックとは、この程度ではない。

 水面に浮かぶ白濁したファミリアの体液が怪しいと睨むが──

 

…優位は揺らぐまい

 

 威力を減じたところで、ケルピーの戦士団は一方的にファミリアを穿つだけ。

 いかに高速で移動しようと容易に距離を縮めさせはしない。

 対岸の状況や空中のウィッチを注視しつつ、フロッグマンの長は戦況の推移を見守る。

 

頭ぁ!!

 

 己を呼ぶ声にエルドレッドが振り向けば、下流部の街へ偵察に向かわせた同胞の姿があった。

 その生還を喜ぶ暇はない。

 倉庫の下へ辿り着き、長を見上げる同胞には鬼気迫るものがあった。

 

どうした!

撤退を急がせてくれ! 遡上してくるファミリアに──」

 

 すべての言葉が紡がれる前に、大河の下流にて太陽が爆発した。

 

何の光だ!?

くそっ

 

 青みを帯びた紫の閃光、絶大な熱量、そして戦場に轟く()()

 

 大河を遡上したプラズマの光芒──それは万物を溶融させ、破壊した。

 

 瞬きよりも短い刹那、それだけで戦局は覆る。

 

なん…だと…?

 

 再び眼を開けた時、エルドレッドは状況を飲み込めず、硬直した。

 ()()()に存在したケルピーの戦士団、ラナルドを含む中核は蒸発。

 そして、撤退中のインクブスが殺到する鉄橋が溶断されていた。

 マジックに精通した一握りの術士が再現できるか、という破壊の行使。

 

何がどうなっぎゃぁぁぁ!!

団長はどうした! くっ虫けらがぁぁ!?

 

 生き残ったケルピーが水面に顔を出した瞬間、アメンボの口吻が串刺しにする。

 その近くでは4対の脚に捕獲され、川底へ引き摺り込まれる影。

 孤立した戦士は次々と包囲され、口吻を突き立てられ、大顎で腸を食い千切られた。

 

うわぁぁぁ! 目がぁぁぁ!

あぢぃいぃぃ!

だすけでくぇぇ……

 

 熱量の直撃を受けた鉄橋上は地獄絵図と化していた。

 蒸発してエナの粒子となった者は幸運。

 身体の一部が炭化しながら生き残った者は、全身を激痛に苛まれる。

 それから逃れんと大河へ飛び込んだ者は、二度と浮き上がることはない。

 

頭…俺たちは、どうすれば──」

遡上中のファミリアに、この元凶がいるのだな?

 

 絶望を隠せない同胞の声を遮り、フロッグマンの長は生還した俊足の同胞に問う。

 硬直から立ち直ったエルドレッドは、意識を切り替えていた。

 絶望の底は更新を続けているが、大人しく全滅を待つことを長は是としない。

 

あ、ああ! 前脚が異様に大きい…下流部の街を襲ったファミリアがいた!

よし

 

 貴重な情報を得たエルドレッドは思考を加速させ、最適解を探る。

 捕食されるケルピーの断末魔が絶えず響き、空中のウィッチだけが反撃で水柱と四散したエナを生み出す。

 思考に多くの時間は割けない戦況、決断しなければならない。

 

アーネストたちは可能な限り救出に当たれ。撤退の時を見誤るなよ

分かった

デズモンド、お前は脚が速い。必ず情報を持ち帰れ

おう

 

 下された命を受け、同胞たちは一斉に動く。

 群れを率いる才のある大柄なアーネストに場を委ね、俊足のデズモンドを伝令として後方へ走らせる。

 決断を下した長は屋根より飛び降り、残る古参たちを見遣った。

 

ジャレッドたちは俺に続け!

おう!

 

 少数精鋭を率い、エルドレッドは件のファミリアを捕捉すべく駆ける。

 生還できる()()()()()()者が、より正確な情報を得るために、脅威へ肉薄しなければならない。

 

頭、虫けらが寄ってくる!

 

 濁った大河より迫る鎌状の前脚をもつ扁平な影。

 しかし、後続の梯団に属するファミリアは機動性に難がある。

 接近まで時間があった。

 

脚を止めるな! 駆け抜けるぞ!

おう!

 

 エルドレッドは脚を止めることなく、岸辺より離れ、荒れ果てた畑の中を疾駆する。

 体色を順応させ、周辺の色に溶け込む。

 残るは泥土に刻まれた足跡のみ。

 

 紫の閃光が走り──対岸で爆炎が上がる。

 

 次なる犠牲者は、鉄橋の前で立ち往生するインクブスの集団だった。

 弾幕を張る自走対空砲も巻き込み、一帯は焔と死が支配する灼熱地獄と化す。

 

後列は全滅かよ…!

災厄めっ

 

 古参のフロッグマンたちも動揺を隠せない凄惨な光景。

 防衛線は崩壊し、鉄橋が落ちた今、もはや戦闘と呼べるものではない。

 空中のウィッチだけが機械的にマジックを放っているが、戦力外となるのも時間の問題だった。

 

……許せよ

 

 同胞の犠牲を無駄にしないために、災厄の情報を可能な限り収集する。

 エルドレッドは畦道を飛び越え、2回目の砲撃で得られた情報を脳内に広げた。

 

 この砲撃は──マジックではない。

 

 大気中のエナが微量に変動するだけで、マジックの発動による急激な増減を感知できなかったのだ。

 ゆえに、フロッグマンたちは残る感覚器官に意識を集中する。

 

頭ぁ、見つけた!

 

 同胞の鋭い声に反応し、エルドレッドは畑の窪みに身を投げた。

 それに倣って後続も泥土に塗れて、眼だけを大河へ向ける。

 一切の遮蔽がない最悪の立地で、せめてもの偽装だ。

 

沿岸部を襲った個体に似てるぞ……

 

 恐怖が滲む視線の先には、小山のような緑褐色の影があった。

 大河の中央、砂州に4対の脚を突き立て、巨大な鋏脚を構えている。

 甲殻類に造詣のある者ならば、テッポウエビと呼ぶであろう姿。

 

…前脚が()()か?

 

 エルドレッドの分析へ応えるように、エナを帯びた鋏脚が鉄橋へ向けられる。

 その射線上にファミリアはいない。

 

 超高速で閉じられる鋏──衝撃波が土を巻き上げ、プラズマの光芒が大河を駆けた。

 

 大気中に満ちるエナを水中と見立て、()()()()()プラズマを生成。

 本来は、霧散する膨大なエネルギーをエナで封じ込め、一方向へ直進させた結果、それが光芒の正体。

 

これがファミリアと言うのか…!

 

 その原理を知る由もないエルドレッドは、災厄の底知れなさに恐怖した。

 恐怖しながら、そのままで終わらせまいと情報収集に思考を回す。

 しかし、いかに体色を視覚的に隠蔽しようと、ファミリアの眼からは逃れられない。

 空から、陸から、河から、彼彼女らは見ているのだ。

 

頭、捕捉された!!

なにっ!?

 

 胸甲に覆われた漆黒の眼に、無機質な敵意が宿る。

 巨大な鋏脚が土煙を切り裂き、再びエナを帯び始めた。

 その照準は、己を盗み見るフロッグマンの一群へと向く。

 

散れぇぇぇ!

 

 長の警告より速く動いた者も逃れることは叶わない。

 撃鉄が落ち、エナが弾ける。

 

 刹那──青みを帯びた紫のプラズマが視界を覆い尽くす。

 

 それがエルドレッドの見た最期の景色だった。

 

 

 世界は白一色だった──そんなはずがない。

 

 一瞬ではあったが、世界の色が反転していたような気がする。

 いや、大丈夫だ。

 目の前の地図帳が何色か判別できている。

 

「──ぁさん、東さん?

 

 脇のテーブルで前脚を上げるハエトリグモは、私のパートナーだ。

 実寸大の小さな体を精一杯使って存在をアピールしている。

 それが微笑ましく──

 

東さん、大丈夫ですかっ

 

 視界が開け、ようやく己の座っている場所を正確に()()()()

 私は新しいケータイを購入するためキャリアショップに来ていた。

 

「…ああ」

 

 EMPによる影響を失念し、アズールノヴァと連絡を取ろうとした時、ケータイが破損したことに気が付いた。

 そして、父との連絡手段だけは早急に復旧しなければと6限目が終わり次第、ここを訪ねるも利用客が多く、席が空くのを待っていたのだ。

 

本当に大丈夫ですか?

 

 パートナーへ視線だけ返し、小さく頷く。

 それから開けている地図帳のページ、中国大陸の一角を見る。

 黄河を遡上するファミリアが交戦に入った瞬間、テレパシーが一気に増加し、処理に手間取った。

 

 常にメールの通知が鳴っているような状態──飽和している。

 

 現在進行形でインクブスを駆逐し続けているファミリアから届く声は、今までの比じゃない。

 パートナーと分担し、ある程度の裁量をファミリアに与え、それでも飽和中だ。

 己の想定の甘さに嫌気が差す。

 

「そんなに落ち込むことですか?」

「落ち込みますよ……」

 

 そう離れていない席から女子生徒の声が漏れ聞こえた。

 放課後とはいえ、利用客に生徒が多いような気がする。

 見慣れた制服をよく見るのだ。

 

「今まで収めてきたウィッチの写真が全部消えてしまうなんて…」

 

 女子でも、いや女子だからこそウィッチのファンとなる。

 悪を打ち払い、人々を救う華々しい姿に憧れて。

 彼女たちの現実を知っても、その憧れは続くのだろうか。

 

「まさか消していなかったとは……驚きました。次からは確認しましょうか」

「そ、そんな!? もうSNSに上げたりは──」

「なら、後ろめたいことはありませんね?」

「うっ……いえ、その…それだけは……」

 

 会話の雲行きが怪しくなってきたぞ。

 ちらりと地図帳の陰から女子生徒の姿を盗み見ると、どこかで見た二人組の姿。

 制服を着こなすモデル体型の女子、もう片方は猫背気味の野暮ったい女子。

 どういう関係性なんだ──

 

「おやおや?」

 

 耳に残る爽やかな声、肩に置かれる細い指、背後から微かに漂う柔軟剤の香り。

 

「こんなところで会うなんて奇遇だねぇ、東さん?」

 

 この馴れ馴れしいスキンシップは、もしかしなくとも、黒澤牡丹だ。

 相変わらずの距離感の近さだが、彼女のコミュニティでは普通なのか?

 

「黒澤さんもケータイの買い替え?」

「黒澤さん()ね…」

 

 黒澤は、私の言葉を反復する。

 その表情を見ることはできないが、妙な間が気になった。

 

「うん、そうだよ」

 

 アッシュグレイの髪が視界の端で揺れ、一歩下がったクラスメイトに振り向く。

 しかし、愛嬌のある人懐っこい笑みを浮かべる黒澤から()()を読み取ることはできない。

 

「今は友達を待ってるんだ」

 

 そう言って、料金プランについてキャリアショップの店員と話す女子生徒2人を見遣る。

 1人は模範生の白石胡桃だと声で分かった。

 揃って買い替えとは、珍しいこともあるものだ。

 

「…そう」

「東さんは地理の勉強?」

 

 反応の鈍い私の手元を覗き込み、興味津々に目を光らせる黒澤。

 警戒心が薄れた瞬間、懐へ入ってくる。

 ギャルというより、猫でも相手にしているような。

 

 耳元のイヤリングは彼女を表して──今日は黒猫ではなく、黒い蝶だった。

 

「そんなところ」

 

 じろじろと見るわけにもいかず、適当な相槌で返す。

 すると、黒澤は好奇の色を宿す目を閉じ、人懐っこい笑みを浮かべた。

 

「でも、そこって今の試験範囲と関係ないよね?」

 

 よく覚えていたな、という驚愕と同時に欠落していた警戒心を呼び起こす。

 他愛ない会話のはずだ。

 しかし、クラスメイトに対する興味の示し方とは違う。

 追及を避ける題材がないかと無為に視線を泳がせ、ふとテレビが目に入った。

 

「…()()の行先」

 

 黒澤が私の視線を追った先には、夕方のバラエティ番組。

 人々が日常を噛み締めるための番組は、とある映像について熱く論じていた。

 

 テロップは日本海に謎の暗雲──どう見ても私のファミリアだ。

 

 深夜帯に飛翔させたが、羽音で目を覚ます人々がいたらしい。

 人間を超す体長のトノサマバッタとまでは分かっていないようだが、憶測が憶測を呼び、相当な騒ぎになっていた。

 

「新種のインクブスとか言われてる、あの雲の?」

 

 物申したげなハエトリグモの前脚を指先に置かせ、宥める。

 流行に敏感そうな黒澤は、雲の正体はインクブスだという説を推しているらしい。

 

「うん」

 

 真実を知らない人々には恐怖か、好奇の対象でしかない。

 インクブスが数を減じた今、話題性に飢えたメディアが飛び付くのも無理はなかった。

 不快ではない、と言えば嘘になるが、利用させてもらう。

 

「さすが、国防軍志望ってことかな?」

 

 元国防軍の肩書を持つ専門家の解説を眺め、黒澤は独り言のように呟く。

 朝鮮半島へインクブス撤退か、という無責任なテロップが画面で踊る。

 

「ただの好奇心……国防軍は関係ない」

 

 図書室で似たような問答をした気がする。

 ただ、以前とは異なり、傍から聞いても険がある声で返してしまった。

 

「ごめんごめん。お邪魔だったね」

 

 するりと相手が離れていく気配を察し、私は失敗したことに気が付く。

 

 体調が優れない上、テレビの内容に不快感を覚え──それは他人には関係ない。

 

 自身の体調で態度を変えるなど情けない話だ。

 人に当たるなよ。

 

「私こそ…ごめん」

「うん? 気にしてないよ」

 

 振り向いた先に佇むクラスメイトは、何に対する謝罪なのかと首を傾げる。

 彼女にとっては気にするほどでもない細事なのか、それとも。

 

「あ、そうそう」

 

 何かを思い出したらしい黒澤は、前屈みになって私の顔を覗き込む。

 真っすぐな、人を思い遣る眼差しだった。

 それが私の内にある罪悪感を抉る。

 

「静華と律が心配してたよ。最近、顔色が悪いって」

 

 金城と政木の名前が彼女の口から飛び出すとは思っていなかった。

 芙花や近所の人から心配され、ついにクラスメイトからも。

 ファミリアの活動が軌道に乗るまで、化粧で顔色を誤魔化す案を採用すべきかもしれない。

 

「私も、その通りだと思うから無理しないようにね~」

「…善処する」

 

 小さく手を振って立ち去る黒澤を、頼りない言葉と共に見送った。

 

 無理しない──どうやって善処する?

 

 新しいケータイを手に帰路へ就き、誤魔化すという()()()()()を私は笑った。

 まずは、案件を割り振って負担を減らすべきだろう。

 まったく頭が働いていない。

 茜色に染まる夕刻の通りで、無意識のうちに溜息が出る。

 

東さんっ

 

 定位置の左肩から聞こえてきた声へ返答しかけて、周囲を見回す。

 大学生らしき男女やサラリーマンの男性とすれ違う。

 人通りのない路地の陰に入り込み、改めて問う。

 

「どうした」

 

 すぐ傍のマンホールから頭を覗かすジグモには何もないから帰るよう手で促す。

 緊迫した空気を醸すパートナーは、私を見上げて答えた。

 

ウィッチナンバー3のパートナーからテレパシーが届きました…!

 

 ナンバー3、つまり──アメリカ軍からのコンタクトだ。




 指パッチン(相手は死ぬ)


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馳駆

 エイプリルフールネタの反響に困惑する作者。


 青空の下、鼠色のコート姿でいるのは久々だ。

 陽炎が揺らめくコンクリートの滑走路近くで、じりじりと太陽に焼かれる。

 せめて風通しを良くするためフードを取るべきか、それとも頭を擦りつけるアトラスオオカブトを退けるか。

 そんな下らないことで悩む私の頭上をアメリカ軍の輸送機が通り過ぎる。

 

 ──脳を揺さぶるエンジンの騒音は、今の私には堪えるものがあった。

 

 平然と作業を続けている職業軍人の方々には敬意を抱く。

 エプロンに駐機する鋼の巨鳥たちを飛び立たせるため、彼らは忙しなく動き回っていた。

 

「シルバーロータスさんっ」

 

 迷彩服を着た金髪碧眼の少女──モーガン少尉が小走りで近寄ってくる。

 

 先程まで貨物の積込を指揮するロードマスターへ私が伝えた注意点を説明していた。

 しかし、別の問題が発生したらしく、大きな碧眼には困惑の色が浮かぶ。

 面識のある彼女を窓口としたアメリカ軍には感謝するが、余計な手間がかかっていないか?

 

「どうした?」

「あちらのファミリア──」

ノーチェイサーですね!

「えっと…ノーチェイサーなのですが、本当に重心が移動しないか再度確認したいと……」

 

 ぽっかりと口を開けた輸送機の貨物室には、ノーチェイサーことアシダカグモが窮屈そうに身を押し込んでいる。

 一切微動だにしない姿を見ても、周囲に立つ兵士の表情は不安げだった。

 固定されていない、それも意思疎通のできない相手となれば無理もない。

 

「降り立つまで動かないよう指示してあるが……」

 

 私の平坦な胸に頭を擦りつける大型犬みたいなファミリアを見ても説得力はないかもしれないが。

 信じろ、としか言えなかった。

 

「不安なら中止するか?」

 

 その道のプロフェッショナルが不安視するなら中止も仕方がない。

 既に飛び立った輸送機に載るファミリアでも戦力の代替は十分に可能だ。

 

「……いえ、信じます」

 

 しばしの沈黙の後、モーガン少尉は力強く頷いた。

 インカムに手を当て、流暢な英語を話す少女は年齢よりも大人びて見える。

 

 身元不明の部外者を信頼しなければならない──そこからアメリカ軍の苦境が垣間見えた。

 

 あの台風の目で、モーガン少尉が提案した()()()

 それは、ファミリアの空輸作戦だった。

 テレパシーで提案を受け、調整を行い、実行するまでに2日。

 事前に手筈は整えていたのかもしれないが、それでも相当な強行軍だったはずだ。

 重量級ファミリアは是が非でも空輸するという意志を感じる。

 

大丈夫でしょうか…

「心配か?」

新しい試みは……いつも不安になります

 

 貨物室の扉が完全に閉じられるまで、アシダカグモの姿を見送る。

 パートナーは言葉を濁したが、私たちは基本的に()()()ことが苦手だ。

 私のファミリアはインクブスがいる限り、捕食と増殖、世代交代を行って存在し続ける。

 つまり、自己完結能力が高い。

 その結果、他者に任せる機会が極めて少ない。

 

「安心してください。私たちの命に代えても必ず送り届けます」

 

 通信を終えたモーガン少尉は胸元に手を当て、真率な声で宣言する。

 インクブスに襲われる()()へ自ら志願した彼女なら、本当に命を擲ちそうだ。

 

 あの難民の少女は──何も知らない被害者はいなかった。

 

 その事実には安堵したが、同時にアメリカ軍という軍事組織が信用できないことも悟った。

 隠蔽ではなく釈明を行った点を加味しても、だ。

 

「ああ、任せる」

 

 ただ、アメリカ軍属の人々は信頼してみようと思う。

 ここ横田基地に降り立った時、彼らは重量級ファミリアの群れを見て、恐怖で凍りついていた。

 それでも理性的に振る舞い、責務を全うせんと動き出したのだ。

 その一点で信頼できる。

 

「感謝します、シルバーロータスさん」

 

 エナによる変質ではなく本物の碧眼に使命感を宿すモーガン少尉は、恭しく頭を下げた。

 まだ、感謝されることは、一つもしていない。

 それに──

 

「私は利用する……それだけだ」

 

 私とアメリカ軍の関係性は、協力でも、救済でもない。

 一方的な利用関係だ。

 

「はい!」

 

 だと言うのに、エンジンの騒音に打ち勝つ力強い声が返ってきた。

 希望に満ちた目と向き合わないようフードを深く被る。

 

 感謝は不要──提示された()()()()()報酬を受け取ることも未来永劫ない。

 

 私は正義の味方じゃない。

 ただ、インクブスを駆逐するだけだ。

 

素直じゃな──むぎゅ

 

 ()()言おうとしたハエトリグモの鋏角をつまむ。

 それを見て苦笑するモーガン少尉がインカムに手を当て、流れるように英語へ切り替えて話し出す。

 才女、という言葉が脳裏を過る。

 

 インクブスが存在しなければ──彼女は、どんな人生を送れたのだろうか?

 

「…シルバーロータスさん、次が最後になります。よろしくお願いします」

「分かった」

 

 アシダカグモを載せた機の隣に駐機する機が()()()最終便だった。

 休眠中のファミリアを一気に送り込みたいが、一度に投入できる機材には限りがある。

 仕方がない。

 

「よし、お前の番だ」

 

 アトラスオオカブトの艶やかな頭を撫でると、力強く擦りつけてくる。

 角を当てないよう注意して。

 他の重量級ファミリアたちも多かれ少なかれ似た反応を示した。

 

「だめだ、行け」

 

 強めに押すと、アトラスオオカブトは渋々といった体で離れる。

 今、中国大陸で活動中のトノサマバッタは淡々としていたが、巨躯のファミリアは我が強い。

 とぼとぼと輸送機へ向かう姿に、誘導の兵士が得も言われぬ表情を浮かべていた。

 

シルバーロータス

「どうした」

 

 鋏角を解放されたパートナーは、改まって私の名を呼ぶ。

 最近よく聞くようになった声色で。

 

お茶会のお誘い、先延ばしにしてもよかったのでは?

 

 日中はアメリカ軍にファミリアを預け、夜からはナンバーズと()()()

 このスケジュールに対してパートナーは度々、苦言を呈していた。

 過密という自覚はあるが、取り下げる気はない。

 

「いや──」

 

 アメリカ軍との調整が重なり、一度延期してもらっているのだ。

 拍子抜けするほど簡単に受け入れてもらったが、幾度と欠席してきた身で心苦しい。

 

「今日で片を付ける」

 

 眠気覚ましに私は、晴れ渡った青空を見上げる。

 陽を遮る右手の隙間からは、東へ飛ぶアキアカネの大編隊が見えた。

 

 

 体調不良を理由に学校を休みながら、自宅療養もせず深夜まで動き回っている。

 前世なら不良少女と呼ばれていただろう。

 今世で深夜に、それも旧首都を歩き回る未成年はウィッチ以外にいないが。

 

これが終わったら夜の活動は控えましょう!

「ああ」

これを機に新しい趣味を開拓してみるとか──」

「そうだな」

……本当に大丈夫ですか?

 

 私を心配するパートナーの声に反応し、近寄ってきたハンミョウの頭を撫でる。

 

「大丈夫だ」

 

 甘えん坊な芙花を寝かしつけ、1時間は仮眠も取れた。

 あとは、ここで後顧の憂いを断つだけだ。

 

「それより場所は、ここで合ってるのか?」

はい、ここのはずです

 

 パートナーの指示通り訪れた場所は、鬱蒼と緑が生い茂る公園の残骸だった。

 管理者のいない園内は、動植物の王国になっている。

 いつかのバタフライファームのように、周囲の虫が集まってくる気配があった。

 

 一斉に虫たちが奏で出す美しい歌声──聞き入っていたら寝落ちするな。

 

 邪魔しないよう静かに足を踏み入れ、園内を進む。

 コートを登ってきたカマキリを右手に乗せ、ここを選んだナンバーズの意図を考える。

 カマキリは私の掌で首を傾げ、長い触覚を揺らす。

 嫌いな空間ではないが──

 

シルバーロータス、お迎えが来ました

「なに?」

足下を見てください

 

 パートナーが前脚を指した先には、私を見上げるハツカネズミがいた。

 鈍感な私ではエナを感じ取れないが、まさかファミリアなのか?

 かさかさと雑草を分けて、細い獣道を引き返していく。

 

行きましょう

「…ああ」

 

 微かに緊張感を帯びたパートナーの声に頷き、ハツカネズミの後を追う。

 木々の陰から射す月光によって、その道筋は辛うじて見える。

 時折、ハツカネズミは立ち止まり、私が追いつくのを待つ。

 急かすような気配はなく、こちらを気遣う優秀な案内役だった。

 

 次第に公園の中央へ近づき、微かな水音──そして、人の声が聞こえた。

 

 園内に造成された池の方角からだ。

 木々の陰から見える一帯は雑草が刈られ、小綺麗に整えられている。

 

「やっぱり迎えに行こうよ~」

「ですから、それは変に気を遣わせるからやめましょうと──」

「もういい、私が行く」

()()抜け駆けかい?」

「ぬ、抜け駆けじゃねぇよ…!」

 

 聞き覚えのある少女たちの声は、場所が場所だけに浮いて聞こえる。

 女三人寄れば姦しい、というが宜なるかな。

 ウィッチナンバーの上位者というより友人のような気軽い会話だった。

 

「ナンバー13が到着されました」

 

 事務的な口調で私の到着が告げられ、水を打ったような静けさが場に満ちる。

 夜の園内に虫の歌声が響き渡る中、私は掌のカマキリを草の陰へと返す。

 

「それって公園前かな?」

「いえ、既に案内は終えています」

「つまり……今までの会話は」

おぉん、聞かれてるにゃぁ!

 

 けたけたと笑う声が鈍い打音と共に沈黙する。

 聞かれて問題がある内容だったか?

 

 内心で首を傾げながら、一歩踏み込めば──そこは、月光が照らす池の畔。

 

 宝石のように色鮮やかな5対の瞳が、一斉に私を見る。

 途中から聞いた限りで会話の問題点は分からないが、ここはフォローしておくべきか。

 

「私は、何も聞いていない」

「それは聞いてるって白状してんだよ……」

 

 聖職者を思わせる純白の衣装を纏うウィッチ、ゴルトブルームが額を押さえて唸っている。

 小学校の1件以来、姿を見ていなかったが、壮健そうで何よりだ。

 

「そうなのか」

「そうだよ…!」

 

 そう言って黄金の瞳を見返すと、ふいと顔を逸らされた。

 私の背後にいる人間大のハンミョウが視界に入ったからか。

 あの1件で彼女は、大の虫嫌いになっていても仕方がない。

 

「こんばんは~」

 

 声のする方角には、緑の絨毯に腰を下ろす紅のウィッチ。

 毛玉の塊のような九つの尻尾を揺らし、のんびりと手を振るベニヒメがいた。

 

「ああ…こんばんは」

 

 最低限の礼儀として挨拶を返せば、柔らかな笑みが返ってくる。

 旧首都で会った以来だが、変わらず邪気のない笑顔だった。

 私は彼女の実力を知らないが、この穏やかな少女がナンバーズの1人とは──

 

「こんばんは、シルバーロータス。調子は大丈夫かい?」

「今日は……前より顔色は良いみたいですわね」

 

 黒猫を摘み上げる魔女と肩にフクロウを留める騎士。

 月光を反射する池を背にする彼女たちは、ファンタジーの世界から飛び出してきたような華がある。

 そんな2人が鼠色のてるてる坊主みたいな私を真っすぐ見ていた。

 

「仮眠を取ってきた」

「……それを聞いて、少し安心しましたわ」

うむ、体調が万全でない時に無理をさせたくはないからな!

 

 腕を組んで小さく安堵の息を吐くプリマヴェルデ。

 先日、初めて顔を合わせた時、私の顔色は相当悪かったのだろう。

 まともな質疑応答ができるか不安に思うのも無理はない。

 

「時間に問題はありませんでしたか、ナンバー13?」

「ああ、問題ない」

 

 近衛兵を脇に控えさせるユグランスが、切株の椅子から音もなく立ち上がった。

 その紫色の瞳は無感情だが、じっと私を見つめている。

 むしろ、時間については私の方が謝罪することだと思うのだが。

 私に気を遣っている?

 

「とりあえず、座ろうよ~ほら、こっちこっち」

 

 クッションのように敷いた自身の尻尾を優しく叩いてみせるベニヒメ。

 

 エナで構成された毛玉としても、その手触りには興味が──落ち着け。

 

 一瞬でも魅力的だと思った私を叩きたい。

 

「いや、大丈夫だ」

「そっかぁ……」

 

 理性的な回答を返すと、ベニヒメの頭上にある耳が小さく垂れる。

 彼女には悪いが、越えてはならない一線があった。

 

 ナンバーズに気を遣われている──それは自意識過剰だ、と言い切れない。

 

 今までと明らかに接する態度に差があった。

 彼女たちはウィッチでも一握りの上位者で、矜持も持ち合わせているはずだ。

 対等な相手であっても、予定を先延ばしにさせた相手に、()()()()は妙だ。 

 落ち着かない。

 

「立ったままで構わない」

 

 違和感の正体を追及するより、早々に用件を済ませる。

 その方が面倒が少ない、お互いに。

 

「…始めてくれ」

 

 フードを取り払い、可能な限りロリータボイスに厳かさを持たせて告げる。

 私より序列の高いウィッチは12人いるはずだが、黒狼のように国外のウィッチがいる以上、全員揃うことはないはず。

 おそらく、今がお茶会の()()に近い人数だろう。

 

「分かりました、ナンバー13」

 

 虫の奏でる歌声の流れる夜の公園に、ユグランスの平静な声が響く。

 

「始めましょう」




 欠席のナンバーズ多スギィ!


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転換

 友人「カミキリムシだして、やくめでしょ」
 作者「えぇ…(デジャブ)」


 虫たちの歌声が響く夜の公園にて、紅白のウィッチは事務的な口調で目的を告げた。

 

「今日集まっていただいたのは、ナンバー13と情報の擦り合わせを行うためです」

 

 予想通りの題目だ。

 まさか、本当に()()()を開くわけがない。

 

「ナンバー13…ファミリアの運用方法について、お聞きしても──」

「何が聞きたい?」

 

 これも予想通りの質問だが、まだ抽象的に過ぎる。

 彼女たちはナンバーズなのだ。

 ファミリアの初歩的な知識は当然備えているはず。

 

 聞きたいのは運用、それも戦術面と見るが──ウィッチたちが目を瞬かせ、固まっている。

 

「どうした」

「いえ、あれほど情報を秘匿してきたのに……いいんですの?」

 

 朱色の瞳に困惑を浮かべるプリマヴェルデへ頷きを返す。

 既にラーズグリーズへ情報を提供している。

 私が些細な情報でも秘匿してアドバンテージを得たい相手は、インクブスだ。

 ウィッチではない。

 

「構わない」

 

 ただ、与えてよい情報、そうでない情報の取捨選択はする。

 非常に不快な想定だが、ウィッチから()()()()()()可能性は捨て切れない。

 

「じゃあ、何から聞こうか」

あの数のファミリアを()()()()()()()()、じゃないかにゃぁ?

「……まずは、それでいい?」

 

 ダリアノワールは胸に抱く黒猫と同じ角度に首を傾げ、それから一同に問いかける。

 反対の声は上がらなかった。

 

 ファミリアの維持について──これは問題ない。

 

 インクブスも嫌というほど知っているだろう。

 私と連中の()()()()だ。

 

「インクブスを捕食させている」

 

 空気が凍る、とでも言おうか。

 虫の歌声がなければ、その沈黙は長く感じただろう。

 私の言葉が理解できず、ナンバーズは動きを止めていた。

 もぞもぞと左肩のパートナーが動き、フードの影に隠れる。

 

「今、なんて言った…?」

「えぇ……インクブスを食べちゃうの?」

 

 当然だが、私とウィッチの共通認識ではない。

 彼女たちはインクブスを滅ぼすべき敵と見ている。

 

「インクブスを形成しているのはエナだ。それを取り込ませ、自給自足している」

 

 それは私も同じだが、インクブスはエナの供給源でもある。

 連中は駆逐すべき人類の天敵であり、被食者だ。

 

なるほど、あれは攻撃ではなく吸血を行っていたと?

「そうだ」

 

 ゴルトブルームの胸元、十字架に扮したパートナーの言葉を肯定する。

 施設を損壊させないため投入したマダニとノミの()()は、攻撃ではなく捕食だ。

 その光景を思い出したらしい主人は、切れ長の目を伏せて口を強く引き結ぶ。

 

「大丈夫か」

「大丈夫……そんな目で見るな、大丈夫だ!」

 

 ぶっきらぼうに答えるが、ゴルトブルームの組んだ腕は微かに震えている。

 彼女にとって忘れ去りたい出来事のはずだ。

 PTSDを発症していても不思議ではない。

 不用意な発言だった。

 

「インクブスを捕食って正気ですの…?」

 

 聞き慣れた、少しばかり懐かしい問い。

 救出したウィッチが恐怖に染まった声で、幾度と私に投げてきたものだ。

 正気を捨てるだけで、連中を駆逐できるなら安い──

 

「いえ、極めて合理的です」

 

 なんだって?

 

「攻撃とエナの供給を両立でき、死骸の焼却も必要ありません。なぜ、今まで思い至らなかったのでしょう」

 

 口元に手を当て、誰に聞かせるわけでもなく言葉を紡ぐユグランス。

 今まで遭遇したウィッチで()()()()分析をする者などいなかった。

 初めて見る反応に面食らう。

 

「肉片であっても、私のファミリアなら十分に賄えます……マイヤーも──」

マスター、当機に摂食機能はないと進言

 

 脇に控える近衛兵の頭部で、4つの単眼が忙しなく点滅する。

 進言を受けて沈黙する紅白の王。

 その足下には、案内役を務めたハツカネズミが抗議するように歩き回っていた。

 

「トム、真似できそう?」

勘弁してくれねぇか…?

 

 魔女の黒猫も普段の軽薄さが消え、恐ろしく冷静な声だった。

 インクブスを強く敵視するパートナーたちは、基本的に拒絶するだろう。

 それが見慣れた反応だった。

 

「シルバーロータスさん、群れの維持に()()()()()インクブスを…?」

 

 プリマヴェルデが戦々恐々といった体で問う。

 

 ──空気が緊張感を帯びる。

 

 ファミリアの海外派遣を知る彼女たちは、思い至ったのだろう。

 あの大群を維持するエナがインクブスであるなら、どれだけの()が必要か?

 

「日本人口の3分の2ほどだ」

 

 私がウィッチとなって、今まで積み上げてきたインクブスの屍。

 それを告げられた池の畔に、沈黙が満ちる。

 

 正確な数は──言わなくてもいいだろう。

 

 私のハードディスクを担うミツバチは、現在進行形で集計を続けている。

 口に出した瞬間から過去になる殺人的な増加速度で。

 

「すごいね~」

 

 ぱちぱちと可愛らしい拍手が沈黙を破り、虫の歌声と同期する。

 翠の瞳を輝かせる紅のウィッチは、純粋に褒めてくれている様子だった。

 

ベニヒメや、今は自重せんか…?

「えぇ~私たちが束になってもできないことだよ?」

 

 屠った数に自信はあるが、それを誇示しようとは思わない。

 ナンバーズは哨戒網を突破した個体や人口密集地に出現したインクブスを相手取っている。

 高脅威のネームドを屠った数は、ナンバーズの方が圧倒的に多い。

 お互い様だ。

 

「あはは、まったくもって……本当にナンバー13?」

「オールドウィッチの決めたことだ」

 

 私の投げやりな回答に対して、ダリアノワールは苦笑を浮かべた。

 すべては会ったこともないオールドウィッチの胸三寸だ。

 実力も実績も明確な条件は示されていない。

 

「つまり、それだけのファミリアが活動してるってことか…」

 

 月光の映る池にゴルトブルームの呟きが吸い込まれる。

 ファミリアの個体数は、そこまで多くない。

 エナの供給には限りがある。

 

「それだけの数、召喚が大変じゃなかった?」

そう、それじゃ! 召喚に用いるエナはどうしたのじゃ?

 

 ベニヒメの疑問は尤もだ。

 彼女たちの目に映る私は、それだけのエナを内包しているように見えないだろう。

 

「召喚した個体もいるが、多くは増殖した個体だ」

 

 私の回答を耳にしたウィッチたちは一様に困惑の表情を浮かべ、顔を見合わせる。

 一般的なファミリアは増殖しない。

 その必要がないからだ。

 ()()()()戦闘の補助を担う場合、それは不要の機構だろう。

 

「インクブスを捕食し、それを糧に数を増やしたということですか?」

「そうだ」

 

 ユグランスの問いは、確認というより補足のように聞こえた。

 

「今もファミリアは増殖を?」

「当然だ」

「増殖とは、雌雄による繁殖ですか?」

()()()()()そうだ」

 

 増殖の原理は、他者のエナで幼体を構築するインクブスに近い。

 それを繁殖と呼称するか、私は判断しかねる。

 雌雄異体のように振舞っているが、実際はエナの再構築を行う形態に過ぎない──

 

「繁殖……社会性昆虫を模したファミリアの場合は女王が担いますの?」

 

 白磁のガントレットを外した両腕を組むプリマヴェルデ。

 その宝石を思わせる朱色の瞳には、困惑と好奇の色が入り混じっていた。

 

「生態を模倣する必要はないのでは?」

「ファミリアを実在の生物に近づけることで、存在の強度を補強しているという仮説の延長ですわ」

「しかし、脆弱性まで再現する必要性が──」

「二人とも落ち着いて…今は、そこじゃないよ」

 

 王と騎士の議論が白熱する前に、魔女が制止に入る。

 不思議な構図だった。

 

「そう…ですわね」

「失礼しました」

 

 なぜファミリアが見慣れた節足動物の姿をしているか、という疑問へのアプローチ。

 興味深そうな話だったが、それは機会を改めて聞くとしよう。

 

自己増殖とは、たまげたにゃぁ……

うむ…眷属の召喚というより生命の創造だ

 

 それぞれの定位置で、黒猫とフクロウは真率な口調で言う。

 エナさえあれば、ウィッチは大概の事象を可能とする。

 しかし、生命の創造か。

 

「模倣は不可能ですわね」

「ああ…無理だな」

 

 プリマヴェルデとゴルトブルームの言葉にウィッチたちは頷く。

 

「模倣できない?」

 

 エナの比率をファミリアへ傾ける私と異なり、一般的なウィッチは複数のマジックを使用する。

 その多くは後天的に獲得するものと聞く。

 ファミリアの大規模な運用は無理だとしても、戦術の模倣ならば──

 

「それが君の()()だからだよ」

 

 とんがり帽子の下から紡がれた単語は、初めて聞くものだった。

 虫たちが一時休憩に入り、辺りに静寂が訪れる。

 

「権能?」

 

 オールドウィッチが新たに作り出したシステムか、それともナンバーズが用いる符号か。

 

ご存知ありませんか、シルバーロータス殿

 

 十字架より響く声に対し、私は首を横に振る。

 

「初耳だ」

 

 聞いたことがない。

 

情報共有できてなかったかもにゃぁ

うむ。周知はしてきたが……なかなか話す機会がなかったからな!

 

 パートナー間での情報共有。

 対話の機会を絞っていたのは、私だけではなかったわけか。

 左肩へ視線を向ければ、ひっそりと頭を覗かせるパートナー。

 

す、すみません……

謝ることはない。これからは、ぜひ参加してくれ!

 

 気にした様子がないフクロウの朗らかな声でも、パートナーは小さく縮こまる。

 最近は自身を卑下しなくなったと思っていたが、苦手意識は抜けないか。

 なら、前に出るべきは私だ。

 

「権能とはなんだ?」

「便宜上、そう呼んでいます」

 

 便宜上というユグランスの言葉に思わず眉を顰める。

 まだ解明されていない、おそらくは彼女たちが発見した事象らしい。

 

「ウィッチ一人一人に備わる個性のようなもの、と私たちは考えていますわ」

うむ。模倣することのできない…概念に近いな!

 

 己の意思を反映できる得物や装束といった感性の発露ではない。

 

 変身に伴う人体の変化のように意思の介在しない部分──心当たりはある。

 

 今まで見てきたウィッチは、使用するマジックに偏りが見られた。

 いや、偏りは正確な表現ではない。

 ()()()とでも言うべきか。

 

「私の権能はね、加速だよ~」

 

 のんびりとした口調で、まったく正反対の言葉が紡がれた。

 視界の端で揺れる九つの尻尾、翻る紅の和装。

 

「加速?」

「うん」

 

 ゆったりとした所作で立ち上がったベニヒメは、肯定する。

 方向性を明確に認識し、言語化できるものとは思わなかった。

 

ベニヒメや、そう易々と手の内を明かさんでくれんか…?

 

 勾玉に扮したパートナーの言葉の通り、易々と明かしてよい秘密ではない。

 

「教えてもらうだけなのは不公平だよ~」

 

 しかし、ベニヒメは変わらぬ調子だった。

 少女の純粋な善意が、罪悪感を抉る。

 

「私は細かいのが苦手だから──」

 

 ベニヒメが掌を差し出し──焔が生じた。

 

「エナもマジックも()()()()投げつけるんだよ~」

 

 青白い狐火が掌より離れ、周囲を旋回し始める。

 その速度は瞬きするたびに加速し、青い線を描き出す。

 まるで、円形加速器だ。

 

「こんな感じでね」

 

 紅の袖から覗く細い指が月を指した時、狐火は軌道を外れ、解き放たれる。

 

 それは一瞬で月下に消え──青白い華が夜空を彩った。

 

 青い光が降る池の畔。

 思い出したように虫たちが歌い出し、その瞬間だけは夏を先取りしていた。

 

「ただのマジックと違って、これは真似できないよね」

マジックも我流に()()()してるから厳密には真似じゃねぇけどにゃぁ

 

 夜空を見上げる魔女と黒猫が独り言のように呟く。

 

「私の権能…か」

 

 基本的な戦術を広め、インクブスの駆逐を加速できるのではないか。

 そんな打算もあった。

 しかし、それは呆気なく崩れ去った。

 自己評価を誤っていたのは、私自身か。

 誰にも模倣できない戦術とすれば、過大評価などではない。

 

「増殖、それとも創造か。まぁ、何にしても──」

 

 権能の候補を並べるゴルトブルームの声は、物静かなものだった。

 

「敵わねぇな」

 

 初めて会った時、黄金の瞳は自信に満ちていた。

 しかし、今、私を映す彼女の瞳は、どこか遠くを見ている。

 諦観の中に混じる羨望と言い知れぬ闇。

 

「僕たちは逆立ちしたって()()だからね」

 

 自嘲気味に笑うダリアノワールは、とんがり帽子を深く被る。

 

軍勢には敵わねぇにゃぁ…オールドウィッチ、何見て13なんて決めやがった?

 

 彼女たちはナンバーズと呼ばれるまでに、数多の戦いを経験したはずだ。

 その過程で実力と実績に見合った矜持も生まれただろう。

 それを、私は砕いてしまったのではないか?

 

「頼もしいよね~」

それは、そうじゃが……

 

 きらきらと翠の瞳を輝かせるベニヒメは、それに頓着している様子はない。

 ただ純粋な期待を抱き、希望を私に見出している。

 羨望と期待。

 慣れない眼差し。

 

 ()()()()()()()()()──重い。

 

 私は救世主などではない。

 ただインクブスを駆逐する。

 それだけのはずだった。

 

「今や国外のインクブスまで……悔しいですけど、()()()()()と言われても認めざるを得ませんわ」

 

 プリマヴェルデが溜息と共に言葉を漏らし、あの場に居合わせたウィッチは苦々しい表情で押し黙る。

 確かにインクブスを駆逐した数で、ナンバーズは私に及ばないのだろう。

 

 だが──おままごと、だと?

 

 その言葉は、否定させてもらう。

 

それは違うぞ、プリマヴェルデ君──」 

「おままごとなんかじゃないよ」

「遊戯なものか」

 

 パートナーとウィッチと、ほぼ同時に切り出した。

 視線を交えて、その場を譲ろうと一歩下がる。

 しかし、フクロウは静かに嘴を閉じ、ベニヒメは柔らかな笑みを浮かべて手を振るだけ。

 

 ここは部外者の私よりも──譲り合いの時間が無駄か。

 

 彼女たちには伝えておきたいことが、前からあったのだ。

 言葉を繕うのは得意じゃない。

 池の畔に集うウィッチたちを見回し、端的に言う。

 

「私のファミリアは…この外見だ。一般人が見ればパニックは必至だ」

 

 そう言って、背後で待つハンミョウを見遣る。

 鋭い大顎を備え、美しい模様の入った外骨格を月光で輝かせる甲虫目。

 私には頼もしく見える姿も、一般人の目には脅威としか映らない。

 

「だから、街中に現れたインクブスは静観する他ない」

ふぁ、ファミリアの哨戒網も完璧じゃありません……見逃すインクブスもいます

 

 左肩から弱々しくも確固たる意志をもった言葉が聞こえてきた。

 ウィッチを信じ、その行いを尊ぶ者にも、聞き捨てならない言葉だったのだろう。

 パートナーの補足に頷き、言葉を続ける。

 

「その時、頼りになるのはウィッチだった」

 

 虫の歌声が止み、月光に照らされた池の畔に声が響く。

 

 守られるべき少女を頼りにする──この世界の唾棄すべき()()

 

 それを口にして、胃に鉛でも流し込まれたような重みを覚える。

 だが、どれだけ私が世界の()()()を呪っても変わらぬ事実。

 

常に誰かを救ってきたのは、ウィッチです

 

 それだけは不変だ。

 救った人間の数に優劣などない。

 ナンバー1であろうと、それを覆すことはできない。

 だから──

 

「卑下することは何一つない」

 

 言葉足らずで、傲慢な上位者の言葉にも聞こえる。

 それでもウィッチたちは何も言わず、静かに耳を傾けていた。

 しばし、沈黙。

 

「感謝します、シルバーロータス」

 

 王冠を胸元に抱き、噛み締めるようにユグランスは言う。

 感謝されるようなことは言っていない。

 

「適材適所だ──これからも、よろしく頼む」

「はい」

 

 意気消沈していたウィッチたちの眼差しに、意思の光が戻っていた。

 それでいい。

 インクブスと戦い、多くの人を救ってきた事実を卑下する必要はない。

 この先の戦いを生き残るためにも──

 

「私たちの為すべきことは、決まりました」

 

 事務的な口調に戻った紅白の王が、私を真っすぐ見据えて宣言する。

 適材適所とは言ったが、さすがに決定が早急に過ぎないか?

 

「ええ、もうテリトリーを定める必要はありませんわ」

うむ! 戦力の分散は愚策だ!

ナンバーズって言うより親衛隊だにゃぁ

「いっそ名乗ってみる?」

 

 騎士の言葉にフクロウが頷き、魔女と黒猫は笑う。

 どうにも話が見えない。

 

「借りが……あるからな」

主よ、素直になってもよろしいのでは?

()()()で返すね~」

ベニヒメや、10日で1割じゃぞ? 分かっておるのか?

 

 ぶっきらぼうな友の声を聞き、穏やかに微笑む妖狐。

 苦し紛れに口走った言葉を覚えているとは、ゴルトブルームも律儀なウィッチだ。

 取り立てる気などないぞ。

 

「ユグランス、何をする気だ?」

 

 おそらく、私が関わっていることは間違いない。

 ナンバーズ内の意思疎通は済んでいるようだが、部外者の私には見当がつかない。

 

「ナンバー13、あなたの護衛と補助です」




 カミキリムシは伝染病の媒介者らしいゾ(独白)


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粉砕

 そろそろ捕食寄生、見たいネ(唐突)


 ポータルによる神出鬼没な攻撃ではなく、領土獲得を主目的とする侵略に移行したインクブスにアメリカ軍は敗退を続けていた。

 熱核兵器による攻撃が国土を荒廃させるだけで侵略者を一掃できず、世界の警察は持てる通常戦力で対決する道を選んだ。

 これは、()()()()()()()

 

『こちらゴースト34よりゴルフ中隊へ、現在急行中! 現在地を教えてください!』

≪助かった! 現在、中隊はオレンジ・ストリートを北上中──≫

 

 無線越しに爆音が響き、声が途絶える。

 歯噛みする少女の淡い青の瞳は濛々と黒煙の立ち込める住宅街の果てを睨む。

 銃声、砲声、そして爆音が絶え間なく響く。

 

≪くそ、敵の数が多い! 急いでくれ!≫

 

 息を吹き返した無線からは銃声が漏れ聞こえ、切迫した状況を伝えてくる。

 ゴルフ中隊の位置がオレンジ・ストリートと把握した今、()()()()の行先は決定した。

 

『了解! 行くよ、皆!』

 

 物理法則を無視して空中を飛翔する少女は、手を繋ぐ左右の戦友に勇ましく告げる。

 

『了解!』

 

 打てば響く返答。

 34の番号が描かれた灰色のロングコートを纏う4人のウィッチは、エナの残量に注意しつつ加速する。

 後ろで結った白い髪が戦場の風を受けて靡く。

 4対の青い瞳が忙しなく動き、戦場の情報を収集する。

 

 そして、活発に動く敵集団を捕捉──空中にてエナの収束を探知。

 

『散開っ』

 

 一斉に手を離し、空中へ散らばることで生まれた間隙を紫電が走る。

 エナを糧に発動したインプのマジックだ。

 回避に成功したウィッチの1人が背負ったアンチマテリアルライフルを構え、躊躇なく発砲する。

 

『後方にインプ型8体! 地上戦力は……とにかく多い!』

 

 敵情を報告しながらマガジンを空にしたウィッチは、命中を確認できず舌打ちする。

 物理法則に則った火器は、いかに身体能力が優れていようと簡単には命中しない。

 散開したことで飛翔のマジックが弱まったゴースト34は、地面へ向かって落ちていく。

 

 急速に迫るアスファルトの黒──マジックが墜落を着地に変える。

 

 衝撃を殺し、即座にストリート上を一直線に疾走する。

 スピアとメイスを携えた2人が前衛、トマホークを肩に担ぐ1人が砲手、そしてリーダーが観測手。

 ゴーストで呼称されるチームの基本編成だ。

 

『連中にマジックを叩き込むっ』

『12時方向、800m先、趣味の悪い冠を被ったオーク型を狙って!』

『了解!』

 

 観測手の目を信頼する砲手は、綺麗なフォームでトマホークを投擲。

 回転する刀身が灰色の装具を纏った兵士の頭上を飛び越し、スカルの冠を被ったオークの頭蓋へ突き刺さる。

 

 閃光──焔と衝撃波が周囲のインクブスを吹き飛ばす。

 

 しかし、意図的に密度を下げている群れへの被害は少ない。

 効果の薄さにウィッチたちの表情は険しくなる。

 エナで形成されたトマホークは残り3本、使用のタイミングを見極める必要があった。

 

『ウィッチが来たぞ!』

『おお!』

 

 交差点近くで主力戦車2両を盾に応戦していた兵士たちは歓声を上げる。

 それにウィンクで応える前衛のウィッチが、ゴブリンの先鋒へ切り込む。

 

『遅くなりました!』

『来てくれたか』

 

 ゴースト34のリーダーは、通信兵の隣で指揮を執る士官の下へ飛び込む。

 着剣したライフルを携える中尉は、険しい表情を微かに和らげた。

 

『これより後退を支援しま──』

『新たな敵集団が接近中! 数は60!』

 

 少女の声を遮る兵士の野太い声。

 けたたましい銃声を分隊支援火器が奏で、至近に矢弾の風切り音が降る。

 

『後退しようにも連中が離してくれなくてな……』

 

 戦闘続きで疲労は隠し切れないが、肩を竦めてみせる中尉。

 それに対して、ウィッチは口元に味のある笑みを浮かべる。

 戦場で見られるニヒルな笑みだ。

 

『前へ出ます!』

『頼む!』

 

 両者は弾かれたように動き出し、ウィッチと兵士は敵と相対する。

 リーダーが矢弾を躱してチームに合流、ゴースト34は本来の戦力でインクブスを迎え撃つ。

 

『火力をオーク型に集中しろ! 接近させるな!』

 

 無数の矢弾を受けていた主力戦車が砲塔を旋回させ、住宅沿いに接近を図るオークを狙う。

 長大な主砲が照準を終え、強烈な衝撃波と共に砲弾を吐き出す。

 

 着弾、炸裂──オークの上半身が捩じ切れ、後方のゴブリンまでを挽肉に変える。

 

 供給の限られる貴重な砲弾を出し惜しむ暇などない。

 オークの高い身体能力は脅威であり、投擲物を手にした個体は最優先で撃破する。

 

『敵弾来る!』

『うわっくそっ!』

 

 矢弾の雨が飛来し、被弾した兵士が路上に倒れ込む。

 原始的な構造の飛び道具だが、その矢弾は易々と人体を貫通する。

 

『3名負傷!』

『いてぇ、いてぇよ!』

『くそっ出血が…! 後送しないとまずいぞ!』

『小隊規模がチャーチ・ストリートから迂回中!』

 

 怒号が飛び交い、すかさずライフルの銃声が響く。

 しかし、矮躯のゴブリンであっても数発の被弾では倒れず、嘲りと共に矢弾を放ってくる。

 消耗戦は不利、頼りは矢面に立つゴースト34の4人だけ。

 

『CASの要請は?』

『さっきから呼び続けてます! しかし、制空権がないの一点張りで』

『呼び続けろ! もう国際空港まで距離がない!』

 

 その防衛線の危うさを理解している中尉は、打開策である空軍の支援を要請し続けていた。

 いかにエナによる防壁があろうとスマート爆弾の前では無力だ。

 しかし、それを搭載する航空機はマジックの攻撃に脆弱。

 焦燥感に苛まれながら、中尉は口を強く引き結ぶ──

 

≪こちらHQより全部隊へ! 増援は2分後に到着予定、繰り返す増援は2分後に到着予定!≫

 

 全周波数帯で一方的に告げられる増援到着の一報。

 その福音を耳にした兵士たちは、喜びより困惑が先行した。

 警官すら総動員した防衛戦の最中に捻出できる予備戦力などあるのか、と。

 

『くそったれ! あの野郎ども、肉の盾を押し出してきたぞ!』

 

 降って湧いた希望を打ち砕く最悪の報告に、ウィッチも兵士も表情が強張る。

 

 険しい視線の先、ストリートの中央で──4体のオークが盾の如く掲げる4名の女性。

 

 人間を肉の盾とするインクブスの常套戦術。

 それは理性的な軍隊を相手にする時、絶大な効果を発揮する。

 

『救出へ向かいます!』

『無理だ! くそったれ…軍曹、援護射撃だ!』

『了解!』

 

 凌辱の限りを尽くされたとしても息がある女性たちを、ウィッチは決して見捨てない。

 迷わず駆け出す少女たちの背を護らんと兵士が銃火を放つ。

 しかし、弾薬の不足した中隊の射撃は、威嚇以上の効果を生まない。

 

愚かなウィッチが出てきたぞ!

助けられるかなぁ? へっへっへっ

 

 突出してきた果敢なウィッチたちを下劣な怪物たちが囲う。

 汚らわしい略奪者の手が、得物が、伸びてくる。

 

『マジックを両翼に投げるっ』

『1本は離脱のために残して!』

『了解!』

 

 躊躇なく投擲された2本のトマホークが空を裂き、オークとゴブリンの小集団を爆破。

 それに憤りつつも下卑た笑みを隠さないゴブリンが、爆炎の影より肉薄する。

 

『死ね、化け物が!』

 

 敵を焼き尽くさんばかりの憤怒。

 振り抜かれたメイスがゴブリンの頭蓋を変形させ、弾き飛ばす。

 飛び跳ねる矮躯の影をスピアが貫き、アンチマテリアルライフルの重々しい銃声が響く。

 

すごいすごい……弱いウィッチのくせによぉ

 

 ゴブリンの屍を築きながら前進する人類の守護者たち。

 それを睥睨するオークの戦士は、時間と共に弱まるエナの気配を見て口角を上げる。

 多少の犠牲を許容すれば、彼女たちを打ち倒すことは容易だ。

 

ほら、返してやる!

『なっ!?』

 

 機は熟した、そう判断したオークたちは盾の女性たちを乱雑に放り投げる。

 戦闘の最中であってもウィッチたちは、救出に動いた。

 チームの陣形が崩れることも構わず、身を投じて受け止める。

 前衛の1人に至ってはスピアを投げ捨て、空中で2人を受け止めていた。

 

『た…たすけっ……て……』

 

 筆舌しがたい状態の女性が弱々しく言葉を紡ぐ。

 まだ意識があるという安堵、そして絶望。

 少女たちは、()()()()()()()()()()()

 

こういうのキャッチアンドリリースって言うんだろ?

 

 言語ではなく人間に理解可能な音源を発するオークは、あえて英語を使って嘲笑う。

 女性を見事に受け止めた姿へ喝采を送る者すらいた。

 エナは残り少なく、手元には非力な人間を抱える状態のウィッチなど脅威ではない。

 それゆえの余裕。

 

『もう大丈夫です。私たちが付いてます…!』

 

 絶望的な状況下、されどウィッチは恐怖を押し殺し、気丈に笑ってみせる。

 軍人として、人類の守護者として、ウィッチナンバー3の()()()()()()として──

 

あははは! 大丈夫だってよ!

お前らも昨日のウィッチみたいになるんだよ!

 

 その覚悟を嘲笑う醜悪な怪物たち。

 勝利を確信した下劣な笑い声がストリートに響き渡る。

 

 これより始まるは蹂躙か、それとも──立ち上る黒煙を大翼が切り裂く。

 

 空を見上げた兵士が、ウィッチが、インクブスが、己の目を疑った。

 主翼に輝かしい星を描く大型機は、見紛うことなく空軍の戦略輸送機だったのだ。

 

『ギャラクシーだと!? 迎撃されるぞ!』

 

 制空権が確保されていない空域に低空で侵入した鋼の大鳥。

 しかし、それを迎撃する紫電は一筋もなく、代わりに2対の翅をもつ紅蓮の影が上空を通過。

 

 そして、新たなターボファンエンジンの咆哮が頭上を通過──後部の開かれた貨物室から漆黒の影が落ちる。

 

 まるで爆弾のようだった。

 しかし、黒光りする鞘翅が戦塵を切り裂き、透明の後翅が飛び出した時、それは明確な意思をもつ。

 

なんだ、こいつ──」

 

 減速どころか加速した影は、ゴブリンの小集団を頭上より圧殺した。

 戦塵が舞い上がり、黒煙を吹き散らす。

 

『虫…?』

 

 血飛沫で舗装を彩った漆黒の巨躯は、ウィッチたちを背に隠した。

 人間より太い3対の脚、あらゆる敵を破砕する長大な大顎、そして無機質な敵意を宿した眼。

 ギラファノコギリクワガタの名で知られる甲虫目に酷似したファミリアが、インクブスと相対する。

 

ファミリぁっ!?

 

 漆黒の巨影は、外見より俊敏。

 反応の遅れたオークの頭を大顎の鋭利な歯が捉え、首を引き抜く勢いで天へと投げる。

 そのまま長大な大顎で傍らのゴブリン4体を払う。

 

ぎゃあぁぁぁぁ──」

 

 骨を粉砕された矮躯の影が住宅の壁を突き破り、断末魔は沈黙する。

 暴力の化身を前にして、思わず後退るインクブスの群れ。

 それを漆黒のインファイターは許さない。

 脚に備わる鋭利な爪が、前進のたびにアスファルトへ傷を刻み込む。

 

くたばぁぇがぁっ!?

 

 不用意に間合へ踏み込んだオークはクラブを振り下ろすより早く、胴体を内歯に挟まれる。

 長大な大顎の内歯は、構造上、最も挟力が強い。

 一息でエナの皮膚を裂き、骨肉は両断された。

 

う、うわぁぁぁ…ば、化け物!!

撃て撃て!

 

 飛び散る血飛沫を前に恐慌状態となったゴブリンの射撃。

 すべての矢弾は漆黒の外骨格に弾かれ、小雨ほどの衝撃も与えることができない。

 反撃は、大顎のスイングだった。

 

『無事か!』

 

 断末魔のバックミュージックを聞き流し、ゴルフ中隊の兵士はウィッチの下へ駆け寄った。

 周辺に散らばるインクブスの残骸を警戒しつつ、膝をつく少女たちの顔を覗き込む。

 

『おい、しっかりしろ!』

 

 衝撃的な増援の登場に、4人は言葉を失っていた。

 空を舞うゴブリンの姿を目で追うリーダーの頬を、強面な軍曹が小さく叩く。

 

『え、あ……な、なんとか』

 

 ようやく現実に意識が戻ってきた灰色のウィッチは青い瞳を瞬かせる。

 各々が得物を握り直し、周辺の索敵と救出した民間人に意識を割こうとした。

 しかし、どうしても視線は漆黒のファミリアへと流れていく。

 

『あれは一体……』

『ファミリア…だよね?』

 

 今もオークを傍らの消防署に叩き込み、ゴブリンの挽肉を製造するギラファノコギリクワガタ。

 圧倒的な暴力の化身、マジックも砲弾も必要としない()()の存在を、ゴースト34は聞かされていなかった。

 

『それよりも民間人を後送するぞ。やれることをやるんだ!』

 

 忌々しい人類の敵を滅ぼす存在なら巨大生物とて許容するのが軍人だ。

 叩き上げの軍曹の懸念事項は、増援の正体よりも衰弱した民間人の容態だった。

 

『りょ、了解!』

 

 力強い言葉に自身の任務を思い出した少女たちは、まず身に纏っていた灰色のロングコートで女性を包んだ。

 それから優れた身体能力で軽々と抱き上げ、兵士と共に下がる。

 周辺の警戒に移った主力戦車の影まで──

 

『中尉! こ、後方からアリの大群が接近中!』

 

 後方を振り返った兵士の切迫した声に、無線機から耳を離した中尉は振り向く。

 

『なんだと!?』

 

 険しい眼差しの先には、国際空港へ続く道路橋を一色に染める黒い波。

 それは道路橋を渡った瞬間、住宅街を覆うように広がり、ゴルフ中隊の眼前まで迫る。

 

『おいおい……こっちに来るぞ!』

『冗談だろ…!』

 

 迫り来る凶悪な造形の大顎の戦列が、本能的な恐怖を呼び起こす。

 兵士たちは反射的に銃口を向け──

 

『撃つな! 撃つな!』

 

 中尉が持てる理性を動員し、あらん限りの声で部下へ命じた。

 対話不可能な外見でも、それらは()()()()()()()()()増援の一派だと判断したがゆえに。

 

『戦車の影に隠れろ! 君らも早く!』

『了解っ』

 

 理性で恐怖を捻じ伏せ、主力戦車の影へ飛び込む兵士たち。

 追従するウィッチはガスタービンエンジンの唸り声を耳に、衰弱した女性の頭を胸に抱く。

 

『くそったれ!』

『おお、神よ…!』

 

 大柄の兵士たちはウィッチと民間人へ躊躇なく覆い被さり、衝撃に備える。

 被食者の如く、ただ捕食者の通過を待つ。

 

 地鳴りのような足音──それが人間の上へ降り注ぐことはない。

 

 まるで水が隆起を避けるように、アリの軍隊はゴルフ中隊の周囲を駆け抜けていく。 

 状況を飲み込めない兵士たちは、それを呆然と見送った。

 

『どういうことだ…?』

 

 進路上のアメリカ軍を地形情報の一部と見做すアリ──グンタイアリ──の戦列は、前進を続ける。

 国際空港に降り立ち、解き放たれた彼女らは、殲滅を母より命じられていた。

 

 その戦術は単純明快──()()()()敵全てを、体長の半分もある大顎で引き裂く。

 

 臭いと微細な振動を捉え、住宅の扉や窓を突き破って獲物を目指す。

 

なんなんだ、こいつら!

 

 埃の積るランドリールームに息を潜めていたゴブリンは、恐怖に凍り付く。

 眼前の退路を塞ぐ異形たちは、獲物の息遣いに触覚を揺らす。

 すかさず、殺到する凶悪な大顎。

 

や、やめ…ぉがばぁ…

 

 喉を裂き、手足を千切り、臓腑を散らす。

 白い壁のランドリールームは前衛芸術のキャンバスとなった。

 グンタイアリは住宅に潜むインクブスを1体も逃さず肉片に変えていく。

 まだ少数の軍勢ゆえ、殲滅には時を要する。

 しかし、活動が本格化すれば、彼女らは()()()()()()()キリングマシンとなる。

 

ええい、何がどうなっている!?

エッカルトの戦士団が全滅!

ぐわぁぁぁぁ!

 

 ライカンスロープの斥候を住宅ごと叩き潰し、バーゲストの術士を一区画彼方のドラッグストアへ叩き込む。

 住宅街の至る所で、降下した重量級ファミリアが暴れ回っていた。

 

敵はなんだ!?

ファミリアだ!

 

 呼び声に応え、交差点に陣取るインクブスへ三方向より同胞が投げ込まれた。

 絶命したオークの砲弾を前に散開する暇もなく、巻き込まれたゴブリンが圧死する。

 

おのれ、虫けらがぁぁ!

 

 勝利者の如く悠然と三方向より迫る巨影の1体に、激昂したオーガは突進する。

 巨人の疾走で大地が揺れ、振り下ろされるは戦車すら破壊する必殺の一撃。

 

なに!?

 

 それを──ヒラタクワガタの大顎は正面から捉えた。

 

 火花が散り、アスファルトに亀裂が走る。

 振り下ろす体勢のオーガが有利、されど強靭な大顎は異界の金属を徐々に歪ませる。

 自慢の得物が聞いたことのない悲鳴を上げ出す。

 

くっぐぅ…おのれ──」

 

 鉄塊が捩じ切れる寸前、躊躇が生まれる瞬間を、生粋のインファイターは見逃さない。

 すかさず鉄塊を投げ飛ばし、体勢の崩れたオーガの左脚を挟む。

 

撃て、撃てぇ!

く、来るなぁぁぁ!!

 

 鉄塊が落ちた先、交差点へ突進するアトラスオオカブトがゴブリンをボウリングピンよろしく撥ねる。

 ()()()質量ならば生存の見込みもあるが、エナの構成した質量には無力。

 衝突によって矮躯の骨肉は完膚なきまで破壊される。

 

うわぁあぁぁぁ!?」 

 

 交差点の反対側では、ヘラクレスオオカブトが長大な頭角と胸角でオークを挟み、天高く投げ飛ばす。

 

化け物がぁ…ぁぇ

 

 左脚を失い、膝を折ったオーガの首を飛ばし、ヒラタクワガタは満足げに大顎を開け閉めする。

 交差点に積み上がるは、インクブスの屍、屍、屍。

 

 唯一の不満は、最上の雌──否、母の御前ではない一点のみ。

 

 重量級ファミリアの軍団は、立ち塞がるインクブスの全てを粉砕した。

 敵前逃亡を試みた者はグンタイアリが追撃し、これを殲滅。

 上空は戦略輸送機に()()()()()()アキアカネの梯団が制圧した。

 しかし、これは前哨戦に過ぎない。

 

 貨物室の奥に、そして北太平洋の彼方に──主役が控えているのだから。




 空挺降下って浪漫だと思うんですよね(ろくろを回しながら)


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限界

 彼女に拘束は不要だった。

 ウィッチの身体能力を発揮すれば、生半可な拘束具は破断する。

 堅牢なコンクリート構造物も彼女の権能を前にすれば、()()()()()()だろう。

 

「…死神」

 

 犬歯を覗かせて唸る姿は、頭上の尖った耳も相まって手負いの狼を思わせた。

 大陸最高戦力にしてウィッチナンバー2、黒狼の名で知られるウィッチ。

 本名不詳の相手を前にして、制服姿の少女は笑う。

 

「あら、改めて自己紹介する必要はなさそうね」

 

 人を小馬鹿にした声が、ホテルのスイートルームに響く。

 

「何の用だ」

 

 変身前の姿であってもウィッチナンバー1のニヒルな笑みを忘れるはずがない。

 理性の首輪で己を板座椅子に縛る黒狼は、睨むように少女を見上げる。

 

私たちの処分が決まったか?

「違うわよ。悲観的ね」

 

 髪飾りに扮したパートナーの言葉を鼻で笑い、黒狼の前に立つ。

 そして、携えていた封筒を差し出す。

 

「…何?」

「救世主、もといシルバーロータスの戦果…その()()報告よ」

 

 さも退屈そうにナンバー1は告げた。

 それを聞いて黒い耳は立ち、無意識のうちに尻尾まで揺れる。

 しかし、人肌の残る手は受け取ることを躊躇した。

 

「安心しなさい、ちゃんと中国語──北京語だったかしら? ほら」

 

 ナンバー1は投げやりに、まるで押し付けるように渡す。

 強引に渡された封筒を胸に抱き、黒狼は思わず問う。

 

「なぜ、これを…?」

「大人しくしてた()()()よ」

 

 胡乱げに手を振りながら背を向ける少女。

 大窓から射し込む陽光が届かぬ場所まで歩き、思い出したように振り向く。

 

「ああ、感謝はいらないわ」

よく機密文書の開示が許されたな

 

 今日まで国家を守護してきた軍事組織が、そう易々と隙を見せるはずがない。

 その猜疑心を黒狼たちは隠さなかった。

 

「大戦果で気を良くしたんじゃない?」

 

 冗談が通じない相手に溜息を漏らしながら、少女は投げやりな回答を返す。

 

「制海権の奪還、資源国への圧力も大幅に減って、文句をつける方が難しいわよね」

 

 東南アジア諸国から水生のインクブスは姿を消し、人類の生命線である資源国を圧迫するインクブスは別方面へ()()

 激変する世界情勢を雑談の要領で聞かされ、喜びと困惑の境で揺れるナンバー2。

 その姿を尻目にナンバー1は笑う。

 ニヒルな笑みではなく、微かに憂いを含んだ笑み。

 

「まぁ、詳しくは知らないけど」

 

 真意を問う前に、それは消え失せた。

 少女の足は、陽光から最も遠いドアへと向かう。

 

「……私に何を()()()つもりだ」

 

 その背中に純粋な疑問が投げかけられた。

 捕虜と思えぬ待遇は、何かしらの対価を求めて為されている。

 善意ではない。

 

「その時が来たら──」

 

 不敵に笑うナンバー1は、振り向かなかった。

 ホテルの廊下へ一歩踏み出し、後ろ手にドアを閉める。

 

「教えてあげるわ」

 

 黄金の瞳が遮られる瞬間まで、不敵な笑みを貼り付けたまま。

 ドアが閉じられ、廊下に静寂が満ちていく。

 

 胸元で揺れる携帯端末──少女の表情が抜け落ちる。

 

 スイートルームの前に立つ2人の守衛へ会釈し、少女はヘリポートを目指して歩き出す。

 足早に、されど余裕をもって。

 

「もしもし」

≪本田です。NORADから緊急電が入りました≫

 

 黒い携帯端末を手にした少女は、眉一つ動かさない。

 現在も本来の任務を果たすNORAD(北アメリカ航空宇宙防衛司令部)からの緊急電が、終末時計のスタートを意味するとしても。

 

()()傀儡軍閥が癇癪でも起こした?」

≪今回は本腰を入れてきたようです。旧南部戦区より弾道弾が複数発射されたと≫

「そう…それは、大変ね」

 

 屋上に出た少女は蒼穹を見上げ、胡乱げに溜息を吐く。

 その瞳は黒から青に染まり、長い黒髪は輝く金色となる。

 制服の上を空色のエナが撫で、音もなく戦装束を編み上げていく。

 

「分かったわ。全部叩き落しておくから、そっちは勘定お願い」

≪ありがとうございます……では、ご武運を≫

 

 感情を殺した激励の言葉を鼻で笑い、ヘリポートに至る階段を上る。

 

「傀儡軍閥も必死ねぇ…」

 

 支給品の携帯端末をヘリポートの脇へ投げ、ラーズグリーズは口角を上げた。

 ヘリポート上を風が吹き抜け、戦乙女の頬を撫でる。

 その頭上で黒き翼が舞い、携帯端末の近くに降り立つ。

 

衆愚は大局を見極められない、ゆえに衆愚

 

 戦乙女に仕える漆黒のカラスは、嘲りも憤りもなく淡々と語る。

 

「私も衆愚の1人かもしれないわよ」

汝は格外であろう

「あっそ」

 

 空を映す碧眼が、人間には視認できない成層圏の目標を()()

 エナで形成された流麗なスピアがヘリポートに突き立つ。

 数にして41本。

 

「よく隠してたものね……発射台から潰そうかしら」

 

 インクブスの支配下で生存を許される傀儡軍閥は、主人と自己保身のため切札を切った。

 蝗災の根源ごと一国家を滅却する。

 これまでの威嚇と異なり、飽和攻撃も辞さないだろう。

 ならば、こちらも根源を破壊すべきか──

 

汝の力は舞台装置(デア・エクス・マキナ)、過度の干渉は危険だ

「はいはい、分かってるわよ」

 

 パートナーの忠告を聞き流し、最強のウィッチは1本目のスピアを掴む。

 その切先が天を衝き、空色の戦装束が風に靡く。

 

「まず、1つ──」

 

 その日、旧南部戦区を前身とする傀儡軍閥の熱核兵器は、全て迎撃された。

 

 

 どこを歩いているのか。

 誰と話しているのか。

 意識しなければ、情報の海に埋もれてしまう。

 私は芙花の登校を見送ったか、弁当を用意したか、朝食を食べたか?

 

「──東さん!」

 

 意識が現実に戻ってくる。

 心配そうに私の顔を覗き込む政木が、いた。

 いつも眠そうな目が開かれ、不安の色を浮かべている。

 

「…大丈夫」

「そうは見えませんよ……保健室で休みませんか?」

 

 隣に立つ金城も同様の眼差しで私を見ていた。

 コンディションが最悪なのは自覚している。

 海外派遣のファミリアが本格活動を開始し、負荷は過去最大。

 しかし、今の私から()を奪わないでほしい。

 

「立眩みしただけ…行こう」

 

 教室へ向かう廊下が、微かに歪んで見える。

 それでも活気に満ちた学校生活の中に身を置けば、気が紛れる。

 

 療養に努めたとして──今の私に静寂はなかった。

 

 インクブスが毎秒駆逐され、その情報は事細かに報告される。

 そこに戦闘の問題点や戦術の効果など膨大な情報が加わり、記憶を行うミツバチも飽和寸前だった。

 

「辛かったら、いつでも言ってね?」

 

 のんびりとした口調は鳴りを潜め、政木は真剣な表情で言う。

 頷きだけを返し、ようやく足を前へ出す。

 

「せめて、鞄は持たせてください」

「いや、それは…」

 

 金城に鞄を軽々と取り上げられ、空いた手を政木が握る。

 

 まるで、子どもみたいな──子どもか。

 

 中国大陸に展開するファミリアの対応はパートナーへ一任した。

 つまり、負担は軽減されている。

 この膨大なテレパシーは一過性、グンタイアリが残党を殲滅するまでの辛抱だ。

 

 もし、インクブスの反攻戦力をアメリカ軍の爆撃が漸減していなければ──考えたくない。

 

 ナンバーズの()()が形となるまで、まだ時間を要するだろう。

 ファミリアに与える裁量を、より増やすべきか。

 

「あれ、金城さん……東さん、どうかしたの?」

「少し体調が優れないようなんです」

「え、大丈夫? 保健室、行ったほうがよくない?」

 

 教室前にいたクラスメイトの1人が、興味津々といった様子で覗き込んでくる。

 名前が思い出せない。

 名簿が思い出せない。

 

「…大丈夫」

 

 微かな恐怖を気恥ずかしさで覆って、私は短く言葉を返した。

 それから政木の手を離し、教室に入る。

 

 視線を感じた──神経が過敏になっているからだ。

 

「鞄、ありがとう」

 

 すぐ後ろに立つ金城へ手を差し出し、鞄を返してもらう。

 至れり尽くせりだった。

 クラスメイトにさせることじゃない。

 

「どういたしまして…無理は禁物で──」

 

 最後まで言葉を紡ぐことなく、大和撫子の目に困惑が浮かぶ。

 彼女の指が指し示す先を目で追えば、そこには私の机があった。

 

「東さん、それは…?」

 

 机の上に、虫がいた。

 昆虫だ。

 大きな複眼、3対の脚、2対の長い翅、細長い腹部。

 もう生命のない()へ歩み寄る。

 

 その骸を掌に乗せ──教室の誰かが声を潜めて笑う。

 

 悪意を秘めた女子の笑いだ。

 これは()()()()のつもりか?

 

「…っ! 誰ですか、これを置いたのは!」

 

 怒気を孕んだ声、誰かに似ている。

 

 そう、ゴルトブルームだ──怒る必要はない。

 

 1対の翅は折れ、脚も1本欠けているが、彼は悪意に殺されたわけではない。

 外傷がなかった。

 力尽きたところを拾ってきたのだろう。

 可愛らしい。

 所詮は子どもの行いだ。

 

「大丈夫、東さん?」

 

 この私を心配する優しげな声は、誰だったか。

 世界の色が、反転する。

 ファミリアから届くテレパシーの量が倍に膨れ上がった。

 薄ら寒くなるほどの敵意。

 

「っ!? しっかりしてください、東さん──」

 

 それを誰に向ける?

 敵はインクブスであって()()()()()()

 足下が揺れた。

 違う、私自身が揺れている。

 

「聞こえ──顔色が──」

 

 掌に留まる彼の複眼に、無数の私が映っている。

 赤い目に、銀の髪?

 そんなはずがない。

 ここにいるのは、東蓮花であってシルバーロータスではない。

 本当にそうか?

 

「あずま──」

 

 世界が、暗転した。




 次回、東パッパ再登場(ニッコリ)


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撃墜

 ヒロイン(虫)未登場回。


 空が狭い。

 鋼の翼が蒼穹を切り裂く。

 音速の矢が交差し、焔と共に命を火葬する。

 日本と大陸を隔てる海は、鉄量の投射で雌雄を決す古来の戦場へ回帰していた。

 

 甲高いブザー音──ヘッドアップディスプレイに表示されたシンボルをシーカーが捉える。

 

 シンボルの中央には、左旋回を続ける濃灰色の艦上戦闘機。

 主翼の先端からは白いヴェイパーを引く。

 機首にシャークマウスを描かれた制空戦闘機が、それを追う。

 

「ロックオン、FOX2!」

 

 赤外線誘導の対空ミサイルが翼下より発射される。

 固体燃料を燃やし、ターゲットへ突進する音速の矢。

 

 敵機の後部から放たれる高熱のフレア──眩い閃光が空を彩る。

 

 同時に大型の機体を素早く反転させ、右旋回。

 対空ミサイルはフレアを追い、敵機は難を逃れる──

 

「もらった…!」

 

 その背後で、シャークマウスは獰猛に笑う。

 あらかじめ機動を予測し、追従する鋼の翼。

 主翼付根から敵機を睨む機関砲が、ボタンと連動して火を噴く。

 紅蓮の曳光弾が空を切り、濃灰色の機体へ吸い込まれる。

 

 刹那──エンジンから炎と黒煙を吐き出す。

 

 破片を空中に四散させ、制御不能に陥った敵機は海面へ向かう。

 

≪グッドキル、グッドキル!≫

≪マンイータ1、後方より敵機、ブレイク!≫

 

 見届ける暇もなく、コクピットに鳴り響くミサイル警報装置のアラート。

 すぐさま機体を反転させ、高温のフレアを射出。

 その残弾は心許ない。

 急旋回中でもパイロットは背後へ首を回し、敵機を捉える。

 

 対空ミサイルの回避に成功──至近を敵の機関砲弾が掠めた。

 

 それでも冷静に機体を操り、理想の位置へ己を導く。

 まるで()()()をなぞるように、美しい螺旋が空中に描かれる。

 高速で迫っていた敵機は追従できず、オーバーシュート。

 

シーカーオープン(目標捜索装置作動)

 

 目の前へ飛び出した敵機をシーカーが捉える。

 鳴り響く甲高いブザー音、発射ボタンは無慈悲に押された。

 

「マンイータ1、FOX2!」

 

 蒼穹を駆ける音速の矢。

 それに狙われる敵機のパイロットは、状況把握に時間を費してしまった。

 

 フレアによる欺瞞が通用しない距離まで──弾頭が炸裂。

 

 主翼が千切れ、焔に包まれる傀儡軍閥の艦上戦闘機。

 視界外戦闘を含め、5機目の撃墜を確認する。

 旧東部戦区の航空戦力は、この数時間で壊滅的な損失を被っていた。

 それでも波状攻撃が止む気配はない。

 

「…スプラッシュ1」

≪グッドキル、マンイータ1≫

 

 疲労の滲む声で健闘を称える僚機、その数は2()()

 国防軍が被った損失も無視できるものではなかった。

 視界外射程対空ミサイルの応酬、そして熾烈なドッグファイトで防人は数を大きく減じている。

 今も鋼の翼は無慈悲に砕かれ、断末魔と共に海へ没していく。

 

「マンイータ1より各機へ、損害報告」

 

 僚機を確認しつつ、ディスプレイを操作、レーダーのモードを切替。

 ディスプレイには敵味方入り乱れた混沌が表示される。

 制空権は劣勢であり、護衛艦隊が巡航ミサイルと爆撃機を迎撃している状態だった。

 

≪ナイトウィッチよりマンイータ、ヘディング(方位)274より敵機接近中、機数3。既にプリーストが墜とされている≫

 

 早期警戒管制機より無慈悲な通信が入った。

 支配体制の崩壊が迫った傀儡軍閥は、総戦力を投じて九州の制圧を目指している。

 彼らは()()()()()()()()()

 帰るべき場所は、巨大生物の大群に呑み込まれてしまったからだ。

 

「こちらマンイータ1、増援はまだか…!」

 

 心許ない残燃料と残弾が生む焦燥感を押し殺し、努めて冷静に問う。

 九州に展開する飛行隊は全力出撃中。

 彼らが待ち望む増援とは、アメリカ海軍第7艦隊であった。

 

≪イーグルスが急行中、到着まで4分…空域を、死守せよ…!≫

 

 戦闘攻撃飛行隊(イーグルス)の到着は間に合わない。

 レーダーの捉えた3つの機影は、それまでの艦上戦闘機や爆撃機より速かった。

 ゆえに、下された命令は酷薄。

 

「マンイータ1、コピー」

 

 命令の意味を理解し、パイロットは了解した。

 護るべき者へ降りかかる厄災の可能性を一つでも多く摘み取るために。

 

「各機、続け!」

 

 空と海の狭間で鋼の翼が翻る。

 ターボファンエンジンの咆哮が轟き、制空戦闘機の鋭利なシルエットが大空を舞う。

 

「マンイータ1、エンゲージ(交戦)

≪マンイータ2、エンゲージ≫

≪マンイータ4、エンゲージ!≫

 

 同高度、音速の防人たちは敵機──クロースカップルドデルタ翼の扁平な戦闘機と相対する。

 

 その機体は、旧東部戦区に配備されていた第5世代戦闘機。

 ロックオンを意味するブザー音とミサイル警報装置のアラートは同時。

 

「マンイータ1、FOX2」

≪FOX2!≫

 

 対空ミサイルが白煙を引きながら、翼下から飛び出す。

 発射と同時に回避機動へ移り、フレアとチャフの残弾が0へと近づく。

 空に眩い光が飛び散った。

 まるで鏡のように両者は振舞いながら、その距離を縮める。

 

≪ブレイク! ブレイ──≫

 

 回避機動に移った僚機の通信が途絶え、蒼穹に閃光が瞬く。

 散開した敵影の1つも焔の塊と化し、海上へ破片を散らす。

 

≪マンイータ4、ロスト≫

 

 後悔する時間はない。

 アラートの音が途切れた時、墜とすべき敵機は眼前にいる。

 

 音速の矢を躱した4対の翼──超音速で交錯し、震撼する大気。

 

 灰色の敵影を追い、エアブレーキを展開しながら制空戦闘機は急旋回する。

 ここは、()()()()()()()()()()だ。

 

「マンイータ2は下へ逃れた敵を追えっ」

≪了解!≫

 

 降下する僚機を確認しつつ、正確無比なインメルマンターンを披露する敵機へ吶喊。

 残燃料を考慮した戦闘機動では敵わない。

 双発のターボファンエンジンが紫焔を吐き、機体が急加速。

 彼我の距離が一瞬で縮まる。

 

 両者の機関砲が火を噴き、同時にマニューバ──バレルロールの中心を曳光弾が通過。

 

 再び交錯する2機の鋭利なシルエット。

 傀儡軍閥のパイロット、その技量は高い。

 そして、第5世代戦闘機は恐るべき機動性で、それに応える。

 白いヴェイパーを翼に纏い、マンイータ1の背面へ切り込む。

 

「くっ…!」

 

 旋回による重力加速度が全身を圧迫し、アラートが鼓膜を叩く。

 

 フレアとチャフを射出し、機体を反転──防護手段の残弾が0を示す。

 

 急旋回の連続、それでも背後へ目を向ける。

 虫の複眼を思わせるヘルメットに、殺意を迸らせる敵機が映った。

 主翼付根の機関砲が砲火を放つ。

 

「…まだ、だっ」

 

 エアブレーキを展開、機首を立てて急減速。

 

 曳光弾の輝きが空を裂き──扁平な機影が主翼の端を掠めた。

 

 機首が戻され、ヘッドアップディスプレイに収まる敵機の背面。

 すぐさま射撃の位置を取らせまいと鋭く旋回する。

 対するマンイータ1は上昇旋回し、速度を高度へ変換。

 

 蒼穹の頂から敵機を見下ろす──ハイ・ヨー・ヨー。

 

 意図を解した灰色の機影は翻って、まったくの逆方向へ逃走を図る。

 

「ロックオン──」

 

 回避機動を予測し、既に機体を回していたマンイータ1。

 そのコクピットを甲高いブザー音が満たす。

 

「マンイータ1、FOX2!」

 

 刹那、ハードポイントに残る最後の対空ミサイルが放たれる。

 一筋の白い軌跡が青を切り裂く。

 

 射出されるフレアとチャフ──再び反転し、逆方向へ旋回する敵機。

 

 その機動を追尾できず、無為に空を切る対空ミサイル。

 しかし、敵機の背後にはシャークマウスの獰猛な笑みがあった。

 

「逃がす…か!」

 

 第5世代戦闘機の機動に追従する制空戦闘機。

 性能の差は、技量と矜持で補う。

 両者はヴェイパーを纏い、蒼穹のキャンバスに白の螺旋模様を殴り描いた。

 防人と傀儡、初めに過ちを犯した者は──

 

「そこだっ」

 

 後者だった。

 状況を打破するため、急上昇を選択した第5世代戦闘機。

 重力加速度で狭まる視界の中、そのシルエットは照準の中心に収まった。

 分間6000発の機関砲が咆哮を上げ、曳光弾の軌跡が走る。

 

 エンジンから主翼までを撫で切り──破片と焔が空中に四散した。

 

 黒煙の断末魔を引き、傀儡軍閥の戦闘機は空から海へと墜ちていく。

 

「スプラッシュ1…!」

 

 日章旗を背負う翼が、滞留する黒煙を切り裂いた。

 そのコクピットで荒い呼吸を繰り返すパイロットの視線は、レーダーと己の背面へ向く。

 

≪マンイータ1、ミサイルだ! ブレイク!≫

 

 僚機からの警告、そしてミサイル警報装置のアラートが鳴る。

 

 ──急上昇によって速力を失い、防護手段はない。

 

 二児の父親を見つめる赤外線センサーの眼は、無機質な死を内包していた。




 快進撃の裏側(無慈悲)


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露顕

 閲覧注意(迫真)


 夕陽が地平線へ近づき、街並みの影は深まる。

 その光景を橋上より眺める少女たちの表情は暗い。

 

「よろしくないですわ…非常に」

 

 後ろで結った黒髪を風に揺らす少女は、制服の袖を強く握る。

 

「はい。現在、入院中の彼女が──」

 

 その右隣に佇む人形めいた少女が頷きを返し、淡々と言葉を紡ぐ。

 

「ナンバー13であった場合」

「もう疑いようがないよ」

 

 仮定を切り捨て、断定する。

 橋の欄干に体を預ける猫のような少女は、鋭い眼差しを夕陽へ向けた。

 

「東さんが…シルバーロータスだ」

 

 通行人どころか車すら通らない閑散とした橋上。

 そこで、黒澤牡丹は己へ言い聞かせるように呟いた。

 普段の愛嬌ある表情ではなく、静かな怒りを秘めた表情で。

 

「睡眠不足の原因、どう考えてもテレパシーだよね」

 

 本来であれば感知できないテレパシー。

 しかし、東蓮花が意識を失う瞬間、彼女たちはテレパシーによるエナの流動を感知した。

 

エナを感知できる量となりゃ、想像を絶する負荷だにゃぁ

 

 黒澤の耳元で揺れる黒猫のイヤリングが、低い声を響かせた。

 事態の深刻性を理解するが故、おどけた態度は鳴りを潜めている。

 橋上に満ちる重い沈黙。

 

 ファミリアの集団運用──それに伴うテレパシーの負荷。

 

 ナンバー13の桁違いな力を目の当たりにし、少女たちは失念していた。

 弱音を吐かず、堂々と振舞う彼女へ掛かる負荷を。

 

「その負荷を与えるだけの大群が統制されていない……危険です」

 

 あくまで淡々と告げるが、白石胡桃の表情は微かに強張っている。

 統制を外れたファミリアの挙動は、生み出したウィッチしか知らない。

 インクブスの駆逐まで活動を続けるのか、停止するのか、それとも暴走するのか──

 

「私たちにはどうしようもありませんわ……今は、東さんが目を覚ますことを祈るしか」

 

 無力感を噛み締める少女、御剣菖の結った黒髪が風に靡く。

 痛ましげな眼差しは、()()()()()()の入院する軍病院に固定されている。

 

「探りなんか入れずに踏み込むべきだった」

 

 欄干の陰から同じく軍病院を見つめ、黒澤は言葉を漏らす。

 金城静華に端を発する東蓮花への探りは、実を結ぶことはなかった。

 昆虫に造詣があり、勉強熱心で、大人のようで子ども、そんな放っておけないクラスメイト。

 それが彼女の総評。

 

「学校での不調と海外派遣の時期は同じ……節穴ですね、まったく」

「まったく…嫌になるよ」

 

 正反対の性格に見える白石と黒澤は揃って自己嫌悪を露にする。

 その怒りの矛先は、自身へ向けられていた。

 

「それは結果論ですわ。私たちも互いの正体を知ったのは、ただの偶然ですのよ?」

 

 宥めに入る御剣も、己の無知に憤りがないわけではない。

 しかし、そう簡単に正体を明かすわけにはいかない理由もある。

 

「あの事件の二の舞はごめんですもの……慎重になるのは当然ですわ」

「それで、()()手遅れになるところだったけどね」

 

 御剣の独白めいた言葉。

 それに対し、黒澤は噛みつくような言葉を吐く。

 

 立ち込める重苦しい空気──口を噤む2人は、同時に溜息をつく。

 

「ごめん」

「いえ、私も思慮に欠けていましたわ。ごめんなさい」

 

 忌々しい記憶を忘却するかのように、謝罪の言葉が交わされた。

 

「……東さんも背負い込むタイプみたいだね」

 

 夕闇に染まった空を見上げる黒澤。

 その目は、誰かを思い起こすようで何も映していない。

 

「しかし、それも限界です。このままでは命に関わります」

 

 事務的な口調で事実を述べる白石。

 失神の原因は、睡眠不足と診断されていた。

 海外派遣の結果、昼夜を問わず届くテレパシーが休息の時間を奪ったのだ。

 

 英雄の死因は──過労。

 

 あの夜の問答を思い起こし、3人は苦々しい表情となる。

 

「静華は…律のところだよね?」

「ええ、政木さんを看てくれていますわ。しばらくは動けないでしょうね…」

 

 ナンバーズが提案した()()の一案、テレパシーの負荷軽減。

 その中心を担うウィッチは動けない。

 しかし、近しい人物の喪失に過敏な友人を捨て置くこともできない。

 

「そっか」

 

 誰も彼女を責めることなどできなかった。

 この事態を招いた原因は、一個人への負担を軽減できなかった環境。

 つまり、ナンバーズを含む周囲の無理解、そして無知だ。

 非難されるべきは、個人ではない。

 

 ただ、引金を引いた者──無知な愚者は、別に存在する。

 

 欄干に預けていた体を起こす黒澤。

 その口元には自嘲が浮かぶ。

 

「黒澤さん、何をなさるつもりですの?」

 

 その行手に立ち塞がる御剣。

 一瞬でも剣呑な空気を感じ取れば、無視などできない。

 

「分かってるでしょ?」

()()はウィッチ……貴方がすべきことではないはずですわ」

 

 鋭い眼差しを正面から受け、されど黒澤の足は止まらない。

 

「菖は、きっと正しい」

 

 ナンバーズになる前からの付き合いだ。

 言葉を多く交えずとも主張は伝わる。

 そして、意志を変えることが叶わないことも。

 

「でもね、僕は決めたんだ」

 

 友人の影を踏み、前へ進む。

 多様なグループに関わりながら、定位置を設けない気まぐれな少女。

 その虚像を演じ、人間関係をコントロールしてきた目的は、ただ一つ。

 

「僕の日常を守るためなら、誰であろうと容赦しない」

 

 ()()()()を画策した女子生徒たちは、指導を受けている。

 しかし、過保護な教育者たちの言葉が届くことはない。

 今度は表に出ない場所で行われるだけだ。

 

 痛みの伴わない教訓に意味はない──ならば、痛みを与えるまで。

 

「牡丹さん──」

 

 去り行く背中を見つめる白石が、制止すべきか葛藤しながら友人の名を呼ぶ。

 

「安心してよ、胡桃」

 

 普段通りの爽やかな声。

 振り向いた黒澤は人懐っこい笑みを浮かべる。

 

「今度は力加減を誤ったりしないからさ」

 

 夕陽に照らされたアッシュグレイの長髪が輝く。

 しかし、細められた少女の目には、薄暗い闇が宿っていた。

 

 

 閑散としたストリートを塞ぐ高層建築の残骸。

 散乱する瓦礫を8輪のタイヤで踏み砕き、2両の装甲車は停車した。

 

『これ以上は前進できそうにない』

『…俺たちの仕事だな』

 

 車体上面に搭載された機関砲が廃墟の一角を睨み、兵員室のハッチが開放される。

 

『行け、行け!』

 

 重々しい足音を響かせ、飛び出す灰色の人影。

 

 装具で全身を固めたサイボーグのような兵士たち──その表情はガスマスクに隠されている。

 

 ここは人類の領域ではない。

 怪物たちの支配する敵地であり死地。

 ライフルの銃口を瓦礫の陰へ向け、装甲車の周囲を警戒する。

 

『奴らの姿は見えません』

『よし、移動するぞ』

 

 指示に従い、兵士たちは高層建築の残骸を潜って進む。

 異形の怪物たちに()()()()()()都市、その中央部に向かって。

 

 現在の支配者は──瓦礫の上で廃墟を睥睨する巨大生物。

 

 グンタイアリを模したウィッチ(魔女)ファミリア(眷属)

 

『見ろよ、マーカス。SFの世界だぜ』

 

 銃口の先を睨む兵士たちの視線が頭上へ泳ぐ。

 その視線を浴びようとグンタイアリは、彼らに一切の興味を示さない。

 触角を小刻みに動かし、眼下の同族を見下ろすだけ。

 

『ありゃ、メジャーって奴だな……指揮官だ』

 

 ()()のファミリアは原種と似た生態を有するという。

 そのデザインは、見る者に己が小人になったような錯覚を与える。

 

『2人とも勉強会は後にしろ』

『了解』

 

 死角を補い合って進む彼らに一切の油断はなかった。

 ガスマスクによって狭まった視界でも隊列を崩さない。

 先頭の兵士が停止のハンドサインを出す。

 

『少尉、奴らの巣まで残り600mほどです』

 

 瓦礫の陰から目的地までの距離を概算し、報告。

 

 彼らに与えられた任務──それは生存者の救出。

 

 西海岸から開始された反攻作戦によって、インクブスの本隊は潰走した。

 しかし、市街地に潜伏する勢力は健在、加えて生存者の存在が確認されたのだ。

 

『ここまでは順調か…』

 

 廃墟の随所で蠢く影を横目に、壮年の少尉は言葉を漏らす。

 掃討戦の主力はアメリカ軍ではなく、彼女のファミリアが担っていた。

 その能力は極めて高いと評価できる。

 

『奴らに遭ってませんからね』

 

 兵士たちは未だに接敵していない。

 ファミリアは昼夜を問わず捜索を行い、着実にインクブスを駆逐していた。

 ゲリラ戦術を想定した()()()()()の戦果とも噂されている。

 

『大きなお友達に感謝だ』

 

 その言葉を最後に兵士たちは口を閉じ、前進を再開する。

 荒れ果てたアスファルトを踏む乾いた足音。

 倒壊したビルディングを迂回し、瓦礫の隙間を縫うように歩く。

 

『巣を目視』

『…全員、警戒しろ』

『了解』

 

 目的地である映画館を捉え、前進の速度を落とす。

 兵士たちは油断なく視線を走らせ、駐車場に進入。

 

 停止のハンドサイン──放置された車両の陰へ身を隠す。

 

 駐車場から映画館までの道中にファミリアの姿はなく、遮蔽物もない。

 狙撃には絶好の地形だった。

 

『既に制圧してるって可能性は……』

『それなら空軍州兵から報告があるはずだ』

 

 空軍州兵の運用する無人機は、今も頭上にある。

 制圧の報告はない。

 つまり、インクブスは健在だ。

 ファミリアとは情報共有ができない以上、アメリカ軍が対処する他ない。

 

『煙幕を張って一気に抜ける。ビルとクリフは援護だ』

 

 不気味な静寂の中、少尉は映画館の入口と2階の窓へ視線を向ける。

 それぞれにライフルの照準を合わせ、兵士たちは小さく頷いた。

 

『よし──』

おーい

 

 静寂の支配するコンクリートジャングルに、()が響き渡った。

 

おーい

 

 まったく緊張感のない、弛緩した声。

 ライフルの銃口が一斉に音源へと向けられる。

 

 映画館と駐車場の空白地帯──そこを歩く矮躯のインクブス。

 

 浅緑の肌に、尖った耳と鼻をもつゴブリンだ。

 迷いなくトリガーに指が置かれる。

 

『待て、撃つな』

『少尉…?』

 

 制止を受け、兵士たちは怪訝な表情を浮かべる。

 首を揺らすゴブリンに照準を合わせたまま。

 

『…妙だ』

おーい!

 

 先程より大きな声で、()()を呼ぶゴブリン。

 その異常性に言い知れぬ悪寒を覚える。

 天敵たるファミリアが闊歩する屋外で、自ら位置を露呈させるなど自殺行為だ。

 

おーい

 

 壊れたテープレコーダーのように繰り返される声。

 映画館の入口で、影が動いた。

 

何やってんだ、お前!

 

 ゴブリンの呼び声を聞き、飛び出す二足歩行の狼。

 ライカンスロープは優れた脚力で、彼我の距離を一気に縮める。

 群れを形成するインクブスゆえの行動だ。

 

 斯くして──()()()()()()()()()

 

おーい! おーい!

 

 狂ったように大声を上げるゴブリンの眼に生気はない。

 その声量は羽音を隠すため、影へ気を配らせないため。

 

おい、大丈夫か──」

 

 ライカンスロープの頭上より青緑の影が舞い降りる。

 

ぐぁっ!? なんぁ…が……

 

 3対の脚で獲物を路上へ押さえつけ、腹部の毒針が自由を奪う。

 一瞬でライカンスロープは無力化された。

 

 驚くべき早業──ここからが本番。

 

 青緑の金属光沢を放つファミリアは、大きな複眼で獲物を観察。

 狙いを定め、毒針を獲物の脊椎近くに打ち込む。

 

あ、ぁ…ぁ……ぃ

 

 言語を形作ることはない。

 頭部に何かしらの処置を施し、ファミリアは悠々と飛び去っていく。

 

『今、何をした…?』

『そもそも……なぜ、ゴブリン型を襲わない』

 

 息を潜めて観察していた兵士たちは、意図が読めず困惑した。

 無反応のゴブリンと痙攣を起こすライカンスロープに、ライフルの照準は合わせている。

 

 射殺すべきか、判断に迷う──その必要は、無くなった。

 

 前触れもなくライカンスロープが立ち上がる。

 その眼に生気はなく、口からは涎が滴り落ちていた。

 

おい、大丈夫か

 

 そして、何事もなかったように言葉を発する。

 緊張感のない弛緩した声で。

 

おーい

おい、大丈夫か

 

 同じ言葉を繰り返す2体のインクブス。

 その脚は映画館に向き、頭を揺らしながら歩き出す。

 まるで帰巣本能でもあるかのように。

 

『まさか、ゾンビ…』

『あれが…ウィッチの力というのか?』

 

 無意識に銃口を下げ、歴戦の兵士すら恐怖を覚える。

 彼女が()()と定めたファミリアの所業に。

 

 友釣り作戦──生餌で獲物を釣り、巣の位置を露呈させ、一挙に殲滅する。

 

 旧首都圏におけるインクブスの駆逐で最も効果があった作戦。

 

『少尉、後方よりファミリアが接近中、総数不明!』

 

 その最終段階を担う者が、四方から集結する。

 

『くそっ…全員、動くな!』

 

 車両に身を寄せ、衝撃に備える兵士たち。

 生殺与奪の権を奪われた2体のインクブス。

 それらと衝突することなくグンタイアリの一群は、映画館の入口へ突進する。

 

て、敵しゅ!?

 

 入口に現れたゴブリンが見た最期の光景は、開かれた大顎。

 悲鳴が足音に飲み込まれ、彼女らが過ぎた後に血痕だけが残る。

 

 キリングマシンのエントリーだ──映画館から悲鳴と怒号が響く。

 

 非現実的な光景に誰もが言葉を失っていた。

 しかし、アメリカ軍が為すべきことは変わっていない。

 

『……全員、聞け! 我々は生存者の救出のため突入する』

 

 戦意を奮い立たせる声が、四肢に力を与える。

 己に課された使命を思い出させ、戦場へ意識を戻す。

 

『海兵隊員の誇りを見せろ!』

『了解!』

 

 意を決して兵士たちは、一斉に車両の陰から駆け出した。

 彼らを狙撃するインクブスはいない。

 ガスマスクの中で荒い呼吸をしながら、映画館の入口を潜る。

 

ぎゃぁぁぁ……

く、来ぁえがぼぉ……

 

 インクブスの断末魔が反響する館内。

 照明の落ちた館内の薄闇は、視界の悪さに拍車をかける。

 しかし、灰色の人影はライトを点灯させて臆せず進む。

 

『まず、シアターへ向かうぞ』

『了解』

 

 断末魔が絶え間なく流れる館内を、迅速にクリアリングしていく。

 インクブスの存在した痕跡は、床面の血痕だけ。

 時折、視界の端に血塗れの装飾品が入り込む。

 

化け物を呼び寄せやがったな…!

 

 廊下の角から現れる異形の影──ライトを一身に浴びる手負いのライカンスロープ。

 

 右腕が引き裂かれ、左眼は潰れている。

 それでも右眼に憎悪を漲らせ、兵士たちを睨む。

 

『撃て!』

 

 低姿勢で吶喊するライカンスロープへ弾丸が殺到する。

 それらをエナの防壁は阻んだ。

 しかし、手負いでは回避もままならず、その屈強な脚は前進を止める。

 

『くたばれ、化け物がっ』

 

 その硬直を見逃さない。

 ライフルに装着されたグレネードランチャーが軽快な発射音を放つ。

 

死ぇ──」

 

 直撃した弾頭が炸裂。

 暗い廊下を衝撃波が駆け抜ける。

 天井の一部が崩れ、黒煙と埃が視界を覆う。

 

『よし、1体始末した』

 

 視界が晴れた時、ライカンスロープは赤い前衛芸術を壁面に描き、沈黙していた。

 空のマガジンが床面の薬莢を弾き、兵士たちは前進を再開する。

 

『シアターは2階です』

『どこから敵が現れるか分からない。警戒しろ』

『了解』

 

 血痕が続く階段を上り、開け放たれたシアターの扉に銃口を指向。

 奇襲を警戒し、壁面沿いに接近する。

 先頭の兵士がハンドサインで突入のタイミングを指示。

 

『行け…!』

 

 シアターに突入──ライトの光が闇を切り裂く。

 

 座席には手形の血痕、床には千切れた毛皮。

 より深い闇からは咀嚼音が響く。

 インクブスの仕業でないことが救いだった。

 

『少尉、生存者を発見っ』

『本当か!』

 

 ライトの眩い光がスクリーンに人影を照らし出す。

 複数名、それも女性だった。

 兵士たちは逸る気を抑え、慎重にシアターを下る。

 そして──

 

『おい、大丈夫、か?』

 

 彼らは目撃する。

 

『……なんだよ、これ』

 

 衣類を身に着けていない女性たち。

 その腹部は引き裂かれ、足元には致死量の血が流れている。

 生存者はいない。

 

 彷徨うライトの光が──殺人者の残した血痕を追う。

 

 それは咀嚼音の響く方角へ向き、巨大な影をシアターの壁面に映す。

 

『冗談だろ…?』

 

 そこには、肉塊を食むファミリアの血塗られた姿があった。




 ホラーのタグが必要では…(白目)


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淵源

 活動報告にて備忘録を公開してるゾ(誘導)


 これが夢だと、私は認識している。

 眼前の光景は見覚えがあった。

 心地の良い陽光が射す自宅のリビングだ。

 少し椅子や机が高く見えるが、今と配置は変わらない。

 

 ただ──椅子に座る1人の女性を除いて。

 

 今世の母だ。

 私と幼い芙花を残して二度と帰ってこなかった母。

 その顔も、声も、今は思い出せない。

 輪郭すらも。

 ただ、優しい人だったとは思う。

 それだけしか覚えていない薄情さに嫌悪を通り越して殺意を覚える。

 

 これは夢だ──私の無力を糾弾するための。

 

 見上げる私の頬を撫でる手の温もりは、虚しさを増長するだけ。

 平穏が不変と信じて疑わなかった愚鈍な私が、失ったもの。

 

 視界が暗転──父の書斎をドアの隙間から覗いている。

 

 微かな明かりが照らす父の背中は、小さく震えていた。

 押し殺した嗚咽が聞こえる。

 いつも優しく、そして強かった今世の父。

 その弱々しい後ろ姿に、私は声をかけることができない。

 森で迷子になったような気分。

 母が必ず帰ってくると力強く笑った父の横顔。

 それを否定することが怖かった。

 

 本当は分かっていた──母が戻らないと。

 

 それでも、父の前では分からない子どもを演じた。

 いや、演じ続けている。

 そして、気付かれてはいないと言い聞かせている。

 

 芙花の泣き声が聞こえた──リビングへ戻る視界。

 

 今よりも幼い芙花が膝を抱えて泣いていた。

 歩み寄って背中を撫でても泣き止む気配はない。

 母が戻らない理由を私と父に求め、納得できず、泣くしかない今世の妹。

 奪われた日常を受け入れろなど言えるはずがない。

 しかし、芙花は賢い子だった。

 無意識に母の話題を避けるようになり、我儘も言わなくなった。

 純粋さの中に垣間見える歪み。

 

 この歪みは誰のせいだ──ぐるりと視界が回転。

 

 コンクリートの床面から視線を上げる。

 そこは月光の射し込む廃工場。

 月下に佇む少女が私を見ている。

 その紅の目には、深い絶望が浮かぶ。

 銀の髪に月光を蓄える少女は、善良で心優しいウィッチだった。

 浅緑の肌をもつゴブリンに囲まれても逃げない。

 人質を取られた彼女は、たった今から無抵抗で凌辱されるのだ。

 

 人質とは誰か──私しかいない。

 

 首元に押し付けられたナイフの輝きが、私の無力を嘲笑う。

 げらげらと下卑た笑いを響かせるインクブス、ゴブリン、肉袋。

 不快な雑音だ。

 冒涜的で、存在価値の欠片もない。

 なぜ、命を奪う?

 なぜ、虐げる?

 なぜ、嗤っている?

 なぜ、生きている?

 死ね。

 

「死ね」

 

 父に使ってはならないと言い聞かされてきた言葉。

 それを私の細い喉が奏でた。

 

 刹那──頭上から降る黒い影。

 

 少女を囲う肉袋どもが8本の脚に圧し潰され、世界を赤で彩る。

 私の足元にナイフが転がり、慌ただしく足音が去っていく。

 

「殺せ」

 

 黒い風が吹き抜け、私の黒髪を弄ぶ。

 逃げる矮躯の背中へ鋏角を突き刺し、引き裂く。

 肉袋の断末魔は聞こえず、床面を覆わんばかりの血が飛び散る。

 

 インクブスは屠った──()()()()()()()

 

 赤い足跡をコンクリートへ刻む8本の脚が、月下に現れた。

 私を見下ろす黒曜石のような眼に正面から相対する。

 

東さん、まだ続けますか?

 

 聞き慣れたパートナーの声だった。

 音源は眼前になく、廃工場内を反響している。

 

「当然だ。インクブスどもが生きている」

 

 ()()()とは違う問答。

 やはり、これは夢だ。

 

もう体は限界です。これ以上は──」

「インクブスどもは駆逐する…そう言ったはずだ」

ここまでの負荷と分かっていれば、止めていました

 

 微塵の感情も感じさせない複眼。

 しかし、そこには私を心配そうに見守る色があった。

 

ファミリアの進化速度は日進月歩などではありません。秒間です

「情報の集積が増えれば、還元も早まるか」

…もう全て任せても良いのではないでしょうか?

「それは駄目だ」

 

 インクブスどもを1体残らず駆逐する。

 世界のため、人々のため、ウィッチのため、などと語る気はない。

 

 私は──それを語っていい人間じゃない。

 

 己の無力と愚鈍を棚に上げ、母の仇を滅ぼすという厚顔無恥。

 それを低俗なエゴで隠蔽して、罪悪感から逃れる臆病者。

 ここでファミリアに全て明け渡せば、今度こそ私は私を殺す。

 

「インクブスも進歩する。次の手を打ち続ける必要がある」

だから……情報の海に身を置き続けると?

「それだけじゃない」

 

 心中は決して明かさず、別の言葉で取り繕う。

 

「ファミリアは()()()()()が──」

 

 途中まで言葉を紡ぎ、テレパシーが聞こえないことに思い至る。

 違和感、そして恐怖。

 ファミリアはインクブスの駆逐という命令を絶対順守する。

 それは()()()()()であろうと有効だ。

 だからこそ、海外派遣に際しては救出の可能性を考慮し、逐一判断を仰がせていた。

 しかし、今は違う。

 ()()()()()()()()()()

 

守れるものには限りがありますよ、東さん……

 

 痛ましげな声が闇に溶け、視界を焔が覆い尽くす。

 火花の散った後には、まったく別の景色があった。

 

 燃え落ちる紅の国旗、荒廃した市街地──そして、無様に喚き散らすインクブス。

 

 それを守るように立ち塞がる人影。

 恐怖と絶望に染まった表情で私を見る者たち。

 濁ったエナの矛先を向けるウィッチ、あるいはライフルを構えた兵士だ。

 敵意に反応し、翅を震わせ、大顎を打ち鳴らすファミリア。

 トノサマバッタの群体が人影を呑み込み、その生命を噛み砕いた。

 

 絶望に染まった少女の臓物を貪る──そんなはずがない。

 

 微量のエナを求めて人体を食む──あってはならない。

 

 私のファミリアが人間を()()()()()()()()()

 これは夢だ。

 

 本当に──これは夢か?

 

 

 最悪の夢から目が覚める。

 まず、見覚えのない天井が目に入った。

 窓から射し込む夕陽で、白がベージュ色に染まっている。

 ここは保健室ではない。

 左腕に異物が突き刺さっている感触。

 視線を向ければ、点滴針が見えた。

 

「姉ちゃん……行かないで……」

 

 そして──私の左手を握り締めて眠る芙花の姿も。

 

 その頬を涙が伝い、胸が締め付けられる。

 病室のベッドに寝ていたということは、ずいぶん長く眠っていたのだろう。

 心配をかけまいと普段通りに振舞っても、結局これでは本末転倒だ。

 

「…大丈夫」

 

 実姉である私が倒れたら、芙花は一人になってしまう。

 それを理解していて、限界を見誤った。

 自嘲を噛み殺し、芙花の頭に右手を伸ばす──

 

「どこにも行かない、から…?」

 

 それは途中で止めざるを得なかった。

 

 芙花のためだけに思考できる──()()()()()()()()()()

 

 濁流の如く押し寄せていたテレパシーが聞こえない。

 夢の中で覚えた恐怖が蘇る。

 患者衣の下を冷たい汗が伝う。

 視線を病室内に走らせ、パートナーの小さな影を見つけた。

 

あ、東さん…やっと起きられましたね…!

 

 天井に張り付いていたハエトリグモが、ぽすりと私の腹上に降り立つ。

 感極まった様子だが、私の心中は全く逆だった。

 

「心配をかけた。状況は?」

え、いや、芙花さんを起こされては…?

 

 上げていた前脚を下げ、おずおずとパートナーは問いかけてくる。

 芙花のことになると私は強く出られない。

 しかし、今は家族よりも優先しなければならないこともある。

 罪悪感を押し殺し、言葉を返す。

 

「……今は、寝かせておく」

分かりました

 

 廊下では忙しなく行き交う人の気配があった。

 人を呼び寄せないように、芙花を起こさないように、声量を絞る。

 

「ファミリアの状態は?」

異常はありません。現在は独自判断で行動させていますが、順調にインクブスを駆逐しています

「独自判断…か」

私だけでは処理できなかったので……申し訳ありません

「いや、それでいい。情報の集積は?」

ミンストレルの個体数が増加するまで、各自が取捨選択しています

 

 ミンストレルとは、私のハードディスクを担うミツバチの名前だ。

 やはり、飽和してしまったか。

 

「痛いな」

 

 情報は、私たちの武器だ。

 情報伝達の速度と精度でインクブスに対して絶対的な優位性を得ている。

 それが滞っているのは、痛手だった。

 

今後は情報を選別すべきかと

「ああ」

 

 改善点は多い。

 すぐ取り掛かりたいところではある。

 

 だが、目下の問題は──独自判断だ。

 

 私の負荷が減って万々歳ではない。

 ファミリアの敵味方識別、正確にはインクブスかの可否を問う単純なルーチン。

 あれには()()()が存在する。

 私の意識が存在している時は、障害の排除について判断を仰ぐ。

 しかし、独自判断となった場合、ファミリアは解釈次第で障害を排除できてしまう。

 ()()()()()()()()()()

 全ての裁量を与えなかった最大の理由が、それだった。

 

「インクブス以外の被害は、どうなっている?」

 

 私の問いに対し、初めて沈黙が返ってきた。

 震える右手を握り締め、言葉を待つ。

 

…被害はありません

 

 長い沈黙を破ったパートナーの言葉には、葛藤が感じ取れた。

 それで私が納得するはずがないことも分かっている。

 

「何人、殺した」

 

 言葉を取り繕う気はない。

 途中経過は聞かずとも最終的な報告は受けているはず。

 

ご自身を救世主ではない、そう言われましたよね?

「そうだ」

 

 パートナーの確認に是と返す。

 

なら……敵対的な人間なんて捨て置けばいいんです

 

 絞り出すように、言い聞かせるように、その言葉を吐き出した。

 人類の守護者たるウィッチに憧れてきたパートナーの言葉とは、とても思えない。

 いや、思いたくなかった。

 

 致命的な人数を手にかけた──その瞬間を、見たのだろう。

 

 夕陽が照らす私の手は赤い。

 どうしようもないほど、この手は血に塗れている。

 

「それでいいのか?」

 

 平静を装って口から出た問いは、パートナーには残酷なものだった。

 縮こまった小さな影が、より一層小さく見える。

 

確かにウィッチの所業ではないでしょう……でも、それでも…

 

 言わせてしまったことに後悔した。

 私のパートナーとなった以上、憧れのウィッチからは遠ざかる。

 だが、インクブスを駆逐する者として最低限の矜持はあった。

 それすら失った今の私たちは分別のない殺戮者だ。

 

東さんの心身が第一優先です。背負う必要のないものは──」

「分かった…もういい」

 

 全てはコントロールできなかった私の責任だ。

 奥歯を噛み締め、遠のく意識を痛みで繋ぐ。

 

「酷なことを聞いた」

いえ…

 

 パートナーから天井へ視線を移し、深く息を吐き出す。

 苗床の状態で救出され、回復できた人を、私は知っている。

 薬物中毒から復帰を試みている人を、私は知っている。

 インクブスが駆逐された世界で、社会復帰できたかもしれない人を、()()()()()

 

浅慮でした…ここまでの負荷と分かっていれば……

 

 未来が分かれば苦労はない。

 今は、被害の拡大を阻止すること、そして体制の改善が最優先だ。

 

「いずれは通る道だった。それより再接続を──」

テレパシーの使用は控えてください

 

 確固たる意志で否定され、思わず硬直する。

 しかし、現在もファミリアが殺人を実行している可能性がある。

 それだけは阻止しなければならない。

 

「だが」

今度こそ起き上がれなくなります

 

 有無を言わせぬ圧力を放つパートナーを前に口を閉じる。

 ここで再び昏倒すれば、それこそ収拾がつかない。

 

 限界を見極められなかった私に──反論する資格はなかった。

 

 ならば、せめてマジックを使用しない方面の問題に対処する。

 そうしなければ、静寂に耐えられない。

 

「…ナンバー3のパートナーからテレパシーはあったか?」

苦情を受けましたが、突き返しました

 

 耳を疑う言葉が飛び出し、私は思わず目を瞬かせる。

 ここまで強気に振舞っているパートナーは初めて見た。 

 

本来、一方通行の利用関係です。苦情を言われる筋合はありません

 

 私を思っての行動とは理解できる。

 だが、アメリカ軍は個人的な事情で蔑ろにしていい相手ではない。

 まだ状況は分かっていないが、最低限の説明は──

 

「芙花ちゃん、そろそろお迎えの人が……」

 

 病室のドアが開き、入ってきた看護師の女性と目が合う。

 見覚えのある人だ。

 何度かお世話になったことがある。

 

「蓮花さん、目を覚ましたんですね…!」

 

 看護師の女性が安堵の表情を浮かべ、歩み寄ってくる。

 その胸元には、階級と名前の書かれた名札。

 

 軍属あるいは軍人──ここは国防軍病院だ。

 

 つまり、社会復帰した人々が傷を癒していた場所。

 表情が引き攣らないよう愛想笑いを浮かべ、私は感情に蓋をする。

 

「はい、ご迷惑を──」

「うぅ……姉ちゃん…?」

 

 人の話し声で目を覚ました芙花。

 赤くなった目元を擦りながら、ゆっくりと私の姿を捉える。

 愛おしい家族のはずだ。

 だが、今は無性に怖い。

 

「姉ちゃん!」

 

 私の胸元へ一直線に飛び込んでくる芙花。

 看護師の女性は困り顔だが、それでも止めようとはしない。

 

 患者衣の上から伝わる温もり──罪悪感と安堵が渦巻く。

 

 私に抱き着く芙花の頭へ手を伸ばしかけ、止まる。

 夕陽の照らす手は赤い。

 その穢れた手は、この純粋無垢なものを壊してしまわないか?

 

「心配、したんだよっ」

 

 頭を押し付け、涙声で訴える芙花の肩に、右手を恐る恐る置く。

 大丈夫、誰も気が付いていない。

 

「ごめんね…もう、大丈夫だから」

 

 芙花の肩に添えた右手の震えを抑え込み、努めて穏やかな声を絞り出す。

 私が殺戮者と悟られないように。




 作者はハッピーエンドが好きだゾ(曇りなき眼)


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凶兆

 疑心暗鬼な感想欄を、ニチャァって顔で見てました(独白)


 乾いた銃声が夕闇に染まる空へ響き渡った。

 

 カラスの群れが飛び立つ羽音──それを最後に静寂が訪れる。

 

 夕陽を浴びて燃えるように輝く真紅のドレス、剣呑な光を宿すバトルアクスの刃。

 それを睨む琥珀色の瞳には、警戒と困惑が同居している。

 

「ちょっと待ってくれないかな?」

 

 とんがり帽子を被った黒き魔女は、アスファルトに穿った弾痕の上に立つ。

 オートマチックのハンドガンを正面に構えて。

 

「待て、と言われましても…」

 

 異様な静寂に包まれた人通りのない路地。

 そこに響き渡る声は、困惑と不安に満ちた少女のもの。

 

「こ、困りました」

 

 バトルアクスを胸元で抱え、視線を彷徨わせる真紅のウィッチ。

 とても()()を為そうとしたウィッチには思えない。

 

 だが、ダリアノワールの背後で昏倒する女子生徒3名──その首を狙ったのは間違いない。

 

 弾痕の近くにはバトルアクスの刃による亀裂が走っている。

 人体に直撃すれば命はない。

 

「せ、説明したら分かってもらえますか?」

「説明しても、ここは引かないよ」

 

 痛みの伴わない教訓に意味はない──ならば、痛みを与えるまで。

 

 それを実行すべく黒澤牡丹は、騒動の主犯たるクラスメイトたちを尾行していた。

 ()()()()反省の色が見られず、私刑に躊躇などない。

 しかし、それはダリアノワールとしてではなく、黒澤牡丹として行う予定だった。

 

「ウィッチなら、当然ですよね……」

 

 そこに現れたのが、眼前に佇む真紅のウィッチ。

 次の嫌がらせを考案するクラスメイトの前へ現れ、有無を言わさずバトルアクスを振り抜いた。

 まったく出現が察知できず、危うく女子生徒の首が宙を舞うところだった。

 

「ウィッチじゃなくても人殺しは見逃せないかな」

 

 道徳心に則った発言だが、その真意は暴力に()()があるというだけだ。

 無知とは罪だが、死は教訓足りえない。

 子どもだから庇護されるのではなく、清算の機会を与えるために生かす。

 

「ここを通りたくば、僕を倒していけ…なんてね」

 

 付け加えるなら、()()()()()()もある。

 まったく予想外の展開ではあるが、ダリアノワールは応戦すべく姿勢を落とす。

 黒塗りのハンドガンが波打ち、プレス加工を多用した武骨なマシンガンへ変形。

 コッキングの鈍い音が路地を反響する。

 

「う、ウィッチナンバー6、ダリアノワールさんと戦うなんて、そんな…!」

 

 銃口こそ指向していないが、臨戦態勢の魔女を前にして真紅のウィッチは震え上がった。

 脅威に感じない姿こそ脅威そのもの。

 真紅のウィッチが使用したマジックは不明、そして──

 

気を付けろ……あのウィッチ、パートナーを連れてねぇ

 

 構えた武骨なマシンガンより響く警告。

 

 人を食ったような胡散臭い声色ではない──未知に対する警戒心を醸す。

 

 パートナーを連れていないウィッチとは、インクブスに洗脳されたウィッチだ。

 しかし、真紅のウィッチは常識的な対話が可能な相手だった。

 

「…分かってるよ」

 

 その言葉に小さく頷き、とんがり帽子の下から相手を観察する。

 敵意は一切感じない。

 むしろ、敬慕の眼差しすら感じていた。

 ウィッチナンバーまで把握している時点で、熱心なファンに類する者か。

 しかし、女子生徒を狙った理由だけが読めない。

 

「僕も戦いたくはないかな」

 

 断片的な推測から交戦ではなく、説得を選択するダリアノワール。

 

「どうして、こんなことをするんだい?」

 

 相手を刺激しないよう柔らかな声で問いかけた。

 友好的にすら聞こえる普段通りの調子で。

 

 問いを耳にした真紅のウィッチは──不思議そうに首を傾げた。

 

 緊迫感の欠片もない所作は、ひどく場違いな印象を与える。

 そんなウィッチの長い髪が風で靡き、ワインレッドが夕闇の空に広がった。

 

「…だって()()は、シルバーロータスさんを傷つけましたよね?」

 

 平静な声が路地に響く。

 その真紅の目は、()()()()()()()()()()

 まったく狂気に染まっていない。

 ごく平凡な少女の輝きが宿っている。

 

「傷つけた…?」

 

 だからこそ、一種の狂気を覚える。

 

それを知ってるってことは……

 

 そして、シルバーロータス──つまり、東蓮花──を背後のクラスメイトたちが害したと()()()()()

 己が守ろうとする日常の傍らに存在する何者か。

 

「あんな綺麗な人を…ウィッチを傷つけようなんて、首を刎ねられても仕方ないですよね」

 

 警戒心を跳ね上げたダリアノワールを前に、真紅のウィッチは言葉を続ける。

 宝物でも語るように嬉々とした声で、最後だけ自嘲気味に。

 

「もう()()()信奉派と同じですよね? 殺しちゃってもいいですよね?」

 

 バトルアクスの刃がアスファルトに落ち、重い金属音を路地に響かせた。

 

 真紅の目に敵意はない──害虫に殺虫剤を吹きかける程度の関心しかない。

 

 インクブスを崇拝する信奉派と呼ばれる集団は、人知れず国内から一掃されたという。

 もし、それに関与した者であれば、眼前のウィッチは()()()()()()()

 ダリアノワールは相手の評価を改める。

 熱心なファン、それも不倶戴天の敵と言うべき類の。

 

「それは……飛躍が過ぎるんじゃないかな?」

 

 ナンバーズに属するウィッチは、説得という甘い考えを捨てた。

 夕陽を反射する銃口が上がり、バトルアクスの柄を照準。

 

「飛躍…してますか…?」

 

 同意を求めていた真紅のウィッチは受けた回答を吟味し、動かない。

 次の行動が読めず、まるで時限爆弾のよう──

 

「銃声がしたのは、この方角だな?」

「間違いありません!」

 

 路地の角から響く若い男性の声、雑多な足音。

 人数にして4人。

 

「銃声…あ、そっか」

 

 真紅の瞳が銃口を見つめ、呼び寄せた理由を悟る。

 奇襲を阻止するため放ったダリアノワールの初弾、その銃声は広域に響いた。

 どれだけ閑散とした路地でも警察官が殺到するだろう。

 

 それは──()()()()()()が増えたことを意味する。

 

 咄嗟の即応射撃で、銃声の軽減まで意識が回らなかったことにダリアノワールは歯噛みした。

 

「どうする?」

 

 それを悟らせまいと、とんがり帽子の下で不敵に笑う。

 無差別攻撃に踏み切る狂人ではないと祈るしかない。

 

「やっぱり…私、上手くいきませんね……」

 

 頬を掻く真紅のウィッチは苦笑を浮かべ、胸元の懐中時計を握る。

 まるで緊張感がなかった。

 両者の間にある温度差は埋まらない。

 

 魔女はトリガーに指をかけ──刹那、真紅の影は消える。

 

おいおい、冗談だろ?

 

 初めから誰もいなかったように、夕陽に照らされた路地だけがあった。

 物体の加速ではなく、空間に干渉した転移の一種。

 ウィッチの五感はエナの流動を感知したものの、追跡までは難しい。

 

「初めて見るマジック…いや、権能なのかな」

 

 緊張を解き、ダリアノワールは夕陽の光に目を細める。

 それから銃口を上げ、武骨なマシンガンを細い肩に担ぐ。

 

何にせよ…厄介なのに目を付けられたにゃぁ

 

 パートナーの言葉に黙って頷く。

 足音が迫り、魔女はアスファルトの路面を蹴る。

 

「ここの角を左に…っ!」

 

 入れ替わりに路地の角から現れた警察官たちは、倒れ伏す女子生徒たちを発見。

 

「大丈夫か、君たち!」

 

 周囲に視線とライフルの銃口を走らせつつ、迅速に駆け寄る。

 容態を確認し、ひとまず異常がないことに胸を撫で下ろす。

 

「ここで一体何が…?」

 

 アスファルトに刻まれた弾痕と亀裂を目にした警察官が言葉を漏らす。

 ライフルの使用も覚悟していたが、現場には当事者がいない。

 不可解な状況に警察官たちは首を傾げた。

 

「──インクブスは倒したから安心して」

 

 街路灯よりも高い位置から響く声。

 警察官たちが慌てて見上げた先には、物干し竿のようなアンチマテリアルライフルに腰かけた魔女。

 

「その子たちの事、お願いするね」

 

 それだけ言い残し、ダリアノワールは夕陽の沈む空へ飛び去る。

 瞳に宿る険しい色を誰にも悟らせずに──




 次回は、ラーズグリーズの憂鬱でお送り致します。


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所懐

 この間もインクブスの皆さんはモグモグされています。


 昼下がりの陽光が射し込む旧首都。

 疎らに雑草の生えた交差点で気怠げな溜息をつく空色の戦女神。

 

「私に言われても困るんだけど?」

 

 錆びついた信号機に腰かけ、見下ろすは漆黒の大型犬。

 どこか鋭利な印象を与える顔立ちの獣は、理知を宿した目で見上げる。

 

我々が知る限り、彼女に最も近いのは君だ

「それで国防軍に圧力をかけた、と」

 

 国防軍に圧力をかけられる呼出人などアメリカ軍しかいない。

 対等な同盟国となってからも大国は交渉のカードを多く持っている。

 

「あなたが出てくるなんて、切羽詰まってるわねぇ」

 

 ウィッチナンバー3に名を連ねるヘカテイアのパートナー。

 アメリカ軍の要石と言える存在へ、ラーズグリーズは人を小馬鹿にしたような声を降らせる。

 

ああ、彼女とコンタクトを取るために必死さ

 

 それを軽く受け流し、整然と言葉を返すパートナー。

 その背後には、直立不動の姿勢で待機している灰色の人影。

 

 先日の国防軍の作戦行動に憤っていたウィッチたち──酷な人選をするものだ。

 

 最強のウィッチを前に武力の威圧など無意味。

 単純に()()()()の中で実力があるため、護衛に選抜されたのだろう。

 

「はぁ……」

 

 面倒事の気配を察したラーズグリーズは、再び溜息をつく。

 

 交渉役の目的、それは──仲介。

 

 国防軍も()()で忙殺されるほどの快進撃を続けるシルバーロータス。

 人類にとっての福音、インクブスにとっての災厄。

 そんな彼女が交渉を拒否し、沈黙した──

 

「まったく…何を言って怒らせたの?」

 

 それはアメリカ軍にとって死活問題。

 今度こそシルバーロータスの()()に動くと見ていた。

 ひとまず、理性的な行動を評価し、ラーズグリーズは話に耳を傾ける。

 

怒らせるつもりはなかった。ただ、負担を軽減するため、戦域の縮小を──」

「本当のこと言いなさい、帰るわよ」

 

 体面を取り繕った言葉に価値はない。

 渋い表情を浮かべる漆黒の犬は、静かに頭を下げる。

 次に戦女神を見上げた時、眼差しには真摯な色が戻っていた。

 

彼女には感謝しても感謝しきれない。それは、我々の総意だ

 

 その謝意に嘘偽りはないだろう。

 

しかし、我々は土地を取り返せばよい、というわけではない

「まぁ、そうでしょうね」

 

 パートナーの言葉には含みがあった。

 それだけで、ラーズグリーズは面倒事の全てを悟った。

 危惧していた事態が発生した、と。

 

彼女には、拉致被害者への傷害を思い止まってほしいんだ

 

 重々しく告げられた言葉に、ラーズグリーズは目を細めるだけ。

 拉致被害者とは、インクブスの苗床となった女性と置き換えることができる。

 

知っているとは思うが、我々は治療法を確立している。救える人命は救いたい

「無闇に人間の腹を捌くような趣味はないはずよ。何か聞いてないの?」

 

 苗床の状態次第では、ファミリアは攻撃の対象とするだろう。

 しかし、それを主たるシルバーロータスは絶対に是としない。

 その善性を知る戦女神は、ある可能性を既に導き出していた。

 

可能な限り回避すると通告は受けていたが、現在は皆無と言っていい

「現在は、ということは最初は回避できていたのね」

ああ、気遣いすら見えたよ。だが、数日前から突然の方針転換だ……異常の報告もない

 

 報告がないのではなく、()()()()()()問題が生じた。

 

 ファミリアが枷を取り払った──つまり、シルバーロータスが意識を喪失したのだ。

 

「あの馬鹿……」

 

 思わず眉間を押さえ、漏れ出す悪態。

 彼女の生活圏と思しき一帯を管轄する国防軍も一生徒の体調不良までは気が回るまい。

 過度の干渉を許されないが故に、忠告しかできない己を呪う。

 

…何か?

「何でもないわ、続けてちょうだい」

 

 怪訝そうな表情を浮かべる漆黒の犬に、手を振って続きを促す。

 アメリカ軍が強硬策を選択していない時点で、軍属への直接的な被害は無い。

 交渉を試みていることが、その証左だ。

 

コラテラル・ダメージ(巻き添え被害)は我々も覚悟していたが、彼女のファミリアは徹底的で、その──」

「インクブスを彷彿とさせる……まさか言ってないでしょうね」

言うはずがないだろう…

 

 さすがに抗議の色を滲ませ、反論するパートナー。

 国防軍の兵士もファミリアと遭遇した際、同種の報告を挙げていた。

 彼彼女たちの()()()()は、万国共通で恐怖の対象だ。

 

……ここ数日で、兵士のPTSDが増加している

「たった数日で?」

劇的だよ

 

 眼前で、救うべき人々の腹を引き裂き、肉塊を食む巨大生物。

 その言葉の一切通じない存在を、味方であると言い聞かせ続ける。

 前線の兵士は、黙示録の目撃者だ。

 そのストレスは想像を絶する。

 

総軍の士気や国民感情に深刻な影響が出ている

「だから、やめてくださいって? シルバーロータスは()()()()インクブスを殺してるだけよ?」

 

 国軍には許容しがたいと理解しながら、酷薄な言葉を戦女神は叩きつけた。

 インクブスを駆逐するだけ、その宣誓を了解したアメリカ軍の代弁者へ。

 

それは…重々承知している

 

 喉の奥から絞り出すようなパートナーの声。

 そして、唇を強く引き結ぶ灰色のウィッチたちを見下ろし、戦女神は鼻を鳴らす。

 

しかし……人とは群れを成す生命だ。同胞の死に無頓着ではいられない

「そうね」

 

 アメリカ軍は合理的な取捨選択を行い、時には非情な判断も辞さない。

 だが、その総体を支えるのはアメリカ国民だ。

 

 救世主が与える犠牲の全てを許容せよ──そんな戯言を唱える者に国防は務まらない。

 

だから……せめて、巣が確認された市街地の制圧だけは任せてもらえないか、と提案した

 

 野戦をファミリアの軍勢に一任すれば、アメリカ軍は対テロ戦争から注力してきた市街戦にリソースを集中できる。

 独力の国防は不可能、ゆえに妥協の提案。

 その言葉は苦渋に満ちていたが、それでもアメリカ軍の意地が垣間見えた。

 

「結果は?」

 

 無慈悲な問い、一拍の間。

 

沈黙だったよ

 

 アメリカ軍の()()が彼女に届くことはなかった。

 否、届く前に彼女のパートナーが止めたのだ。

 

……正直、途方に暮れていてね。君の助力を求めたい

 

 ヘカテイアのパートナーは、心底申し訳なさそうに頭を下げる。

 その背後、直立不動のウィッチたちも祈るように目を伏せていた。

 

「なるほどねぇ…」

 

 個人の善性に期待した()()()対応。

 それはシルバーロータスの状態を把握し切れていないが故に。

 

 彼女の状態を把握した場合──あらゆる手段を講じて保護に動くだろう。

 

 そして、万全のバックアップ体制で彼女を出迎える。

 管理下に置くことは諦めても、戦力の安定化に最善を尽くす。

 そういう国家だ。

 

「私から言えることはないわね」

 

 残念ながら、それを舞台装置(デア・エクス・マキナ)が許すことはない。

 この理想の箱庭から彼女を出すわけにはいかないのだ。

 

「聞いてもらえるまで下手に出るしかないわ」

 

 毒にも薬にもならぬ助言を口走り、その間にも事態を収拾するため、思考を巡らせる。

 

 問題は単純化できる──ファミリアの総数に対する処理能力不足だ。

 

 時間経過で事態は改善せず、悪化する。

 打開策は単純明快、シルバーロータスの負担軽減だが──

 

あれ以来、沈黙されてね……打つ手がない

 

 眼を伏せ、首を横に振る漆黒の獣。

 空色の戦女神は喉まで上がってきた悪態を呑み込み、蒼天を仰ぐ。

 シルバーロータスのパートナーが選択した沈黙は、悪手だ。

 相手に状況を推察させ、予期せぬ行動を誘発する。

 

やはり……()()()()()

 

 淡々とした口調、されど落胆の色が滲む声が響く。

 黒い羽根が舞い落ち、信号機の端にはカラスが留まっていた。

 

「黙りなさい、レーヴァン」

 

 半眼で睨みつけられた戦女神のパートナーは嘴を閉じる。

 ラーズグリーズは信号機の上に立ち、おもむろに一歩前へ踏み出す。

 

 交渉役の眼前へ落下──音もなく着地。

 

 黄金の髪と空色の戦装束が、風を孕んで靡く。

 それを前にしてヘカテイアのパートナーは、臨戦態勢に移ったゴースト7を眼で制止する。

 

「私もビジネスパートナーみたいなものよ」

 

 そんな細事には興味もないラーズグリーズは、口角を上げて不敵に笑う。

 戦女神の回答は、依頼の受諾であった。

 

「期待しないでちょうだい」

いや、感謝する

 

 深々と一礼する交渉役。

 武骨な得物を下ろし、それに倣う灰色のウィッチたち。

 

「貸し一つよ」

 

 未来永劫使うことのない貸しをつけ、その場を後にするラーズグリーズ。

 人を小馬鹿にした声とは裏腹に、表情には邪気がない。

 

 アスファルトを叩く雅な足音──頭上より響く漆黒の羽音。

 

 それ以外は静寂の支配する旧首都で、空色の戦女神は思考を巡らす。

 猶予は短く、切れる手札は少ない。

 しかし、ここでナンバー3と対立することは望ましくなかった。

 前倒しで進行中の計画を停滞させるわけにもいかない── 

 

「……あら、怖い番犬さん」

 

 不意に足を止め、高層マンションの残骸を見上げるラーズグリーズ。

 一瞬だけ口元に微笑みを浮かべ、すぐ打ち消す。

 

「誰が犬ですか」

 

 鈴を転がすような声が響き、頭上より舞い降りる蒼い影。

 可視化したエナの燐光が漂い、蒼いドレスが翻る。

 この容姿端麗なウィッチは、彼女の前では別人のように振舞う。

 例えるなら、大型犬。

 

「あなた、自覚──悪かったわよ」

 

 言語化する前に、鋭利な刃物のような視線に晒され、ラーズグリーズは降参だと手を挙げる。

 

「それで、何か用?」

 

 そして、単刀直入に問うた。

 眼前の蒼いウィッチ、アズールノヴァは無駄な前置きを嫌う。

 ラーズグリーズとしても時間の浪費は望んでいない。

 

「あの時、貴女なら計画を覆すと思っていました」

 

 アメリカ軍が指定した交渉の舞台を、蒼い瞳が鋭く睨む。

 

「何のことかしら?」

 

 惚けた振りをするラーズグリーズだが、心中では困惑があった。

 

 敬慕する者の全てを肯定してきた少女──それが初めて見せた不従順な反応。

 

 その原因は、シルバーロータスの意識喪失しか考えられない。

 

「ファミリアの海外派遣は負担が大きいと気付いていたはずです」

 

 非生産的な過失の追及。

 蒼い瞳は、自己嫌悪あるいは罪悪感で揺れていた。

 自身の無力を知りながら、それでも言葉を吐き出してしまった者の目だ。

 

「忠告はしたわ」

「忠告を聞くような方じゃないです」

 

 落ち着いているように見えるが、言葉は感情的だ。

 身の丈ほどもあるソードを振り抜く時の冷徹なウィッチはいない。

 

「知ってるわよ。なら武力行使でもすればよかったかしら?」

「それは……」

 

 これは()()()()()だ。

 地獄を生き延び、一度は折れた少女が見せる懐かしい感情の発露。

 無意識に緩んだ口元を不敵な笑みで覆う。

 

「その時は全力で止めに来るでしょ? 嫌よ、面倒くさい」

 

 図星だったらしく、渋面のアズールノヴァは口を噤む。

 絶大な力を御す聡い少女だが、敬慕する相手には盲目となる。

 そこが玉に瑕だった。

 

「……あの方にしか出来ないことでした」

「そうね」

 

 罪を告白するように呟かれた言葉。

 それに頷きを返し、戦女神は棄てられた軽自動車に腰かける。

 日陰より蒼いウィッチを見つめ、言葉を続けた。

 

「あれは誰にも真似できないわ」

「だから、私は……偉業を見届けようとしました」

 

 まるで自身を群衆の1人のように語るアズールノヴァ。

 シルバーロータスの心労の種であり、()()()()()()()()()()()()()()()()

 それを理解しているラーズグリーズは溜息を吐く。

 

「あの方も私と同じ人の心と体しかないのに…!」

 

 感情の昂りによって放射されるエナ。

 それが蒼い燐光となって可視化され、灰色の廃墟を照らす。

 彼女の状態が()()()()()()からこその狼狽。

 

 どれだけ業物でも諸刃の剣──未成熟の少女。

 

 他人には見せない迷いを吐き出す様に、亡き友の横顔を幻視する。

 

「私が忌避したことを、私は──」

「人には得手不得手があるのよ」

 

 自責の言葉を遮り、ラーズグリーズは静かに告げた。

 アズールノヴァと目を合わさないよう、顔を逸らして。

 

「あなたは、よくやってるわ」

 

 ほぼ単独でシルバーロータスの不得手とする敵を排除し続けている。

 その勤勉さが事態を複雑化させることもあったが、それでも優秀な役者だ。

 

「すみません」

 

 視界の端で舞い踊っていた燐光が沈静化し、蒼いウィッチは覇気のない言葉を紡ぐ。

 

「調子狂うわね」

 

 そう口にしながら、空色の戦女神の声色に負の感情はなかった。

 奇妙な沈黙が、両者の間に訪れる。

 示し合わせたように溜息を漏らし、交差する視線。

 

「……本題に入りましょう」

 

 軟弱な己と決別し、アズールノヴァは為すべきことへ意識を向ける。

 

「そうしてちょうだい」

 

 名残惜しさを覚えつつ、ラーズグリーズもまた思考を切り替える。

 

「2日前、信奉派を4人斬りました」

 

 普段の平静を取り戻したアズールノヴァは、端的に報告する。

 人類の守護者たるウィッチは、まるで殺人を忌避した様子がない。

 

「面倒な名前が聞こえたわねぇ」

 

 そして、ウィッチナンバーの最上位者もまた顔色一つ変えなかった。

 駆逐すべき敵とは、インクブスであり、その隷属者である。

 ゆえに獅子身中の虫たる信奉派に人権などない。

 

「まったく……仕事を増やさないでほしいわ」

 

 蒼いウィッチへ気怠げな視線を投げる戦女神は、可愛くない仏頂面を思い出して自嘲気味に笑う。

 

 英雄の死因は過労──鏡を見よ、と。




 君もワーカホリック!


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頽廃

 暗黒の影を大陸に落とす蝗災は、インクブスを殲滅せんと前進を続けている。

 しかし、その速度は鈍化し、顎から逃れる者が増えていた。

 情報の集積が途絶え、情報の共有は遅延し、最適化は望めない。

 

 数の暴力は健在──されど効果的とは言い難い。

 

 ()()()()()()を、際限なく増やせば時を要するのは当然の帰結だった。

 ただ、顎に捕らえられた者たちは、地獄の渦中にいる。

 

総長! このままでは最後列が全滅します!

 

 屈強な肉体を持つオークの戦士が叫ぶ。

 その足元に転がるトノサマバッタの頭がエナへ還っていく。

 

ここは任せるぞ、お前たち!

 

 オークの戦士を束ねる長、サンチェスは背後で死闘を続ける同胞たちへ吠える。

 真昼の世界は、闇に覆われつつあった。

 しかし、彼らは抗うしかない。

 

任されました!

行ってください、総長!

 

 戦意に満ちた応答を受け、サンチェスは口角を上げる。

 鉛色の鎧を全身に纏いながら、軽々と身を翻す。

 

行くぞ、アマデオ!

了解!

 

 大振りのソードを右手に握り直し、同胞と共に荒野へ飛び出した。

 断続的にマジックの輝きが空を走って爆ぜるが、闇は晴れない。

 

 行先は闇が一層深い地──撤退中のインクブスたち、その最後列。

 

 行手を阻むように突進してきた消炭色の壁。

 止まない羽音、大顎を打ち鳴らすファミリア。

 

甘い!

 

 それを一振りで打ち砕けば、周囲に翅や脚が四散する。

 エナの輝きを踏み締め、サンチェスはトノサマバッタを次々と両断する。

 同胞の屍はあっても、憎き敵の屍は残らない。

 

アマデオ、後ろだ!

 

 背後に迫る消炭色の巨影。

 総長の警告を疑うことなく、アマデオはアックスを振り抜く。

 

はぁぁぁ!

 

 肉厚の刀身が大顎を砕き、巨体を引き裂いた。

 死骸が大地を転がっていき、すぐさまエナヘ還る。

 災厄のファミリアは初めて目撃された時より大型化していた。

 大顎は鋭利さを増し、外骨格は堅牢となり、原種の面影は薄い。

 

助かりました、総長!

よい、行くぞ

 

 頷く同胞を連れ、死地を駆ける。

 断末魔を羽音が打ち消し、エナと血臭が漂う。

 撤退中のインクブスは長い列となり、防衛は困難を極める。

 瞬きする間に同胞が異形に喰われていく。

 

 絶望的な戦況下、サンチェスは闇へと肉薄し──閃光が走った。

 

 それはインクブスには無い兵器。

 ヒトの操る自走対空砲の砲火が闇を切り裂く。

 

近いぞ…!

 

 ソードで翅を斬り飛ばし、なおも迫る大顎を左の拳で砕く。

 エナの残滓を浴びるサンチェスは、曳光弾の光を眼で追う。

 玩具と嘲笑っていた自走対空砲も今や貴重な戦力だ。

 

 その至近まで接近した刹那──22tの鉄塊が宙に浮く。

 

 オークの戦士は咄嗟に姿勢を落とし、これを潜る。

 その速度を殺さず、元凶に向かって得物を振り抜いた。

 

ぬぉぉぉ!!

 

 渾身の一撃が堅牢な外骨格を打ち砕く。

 消炭色の巨体が倒れ伏し、戦士たちの背後で自走対空砲が大地に激突する。

 

くっ…化け物め!

 

 眼前の死骸を前にアマデオは吐き捨てるように言う。

 頭部を喪失したファミリアは、最早トノサマバッタの姿をしていなかった。

 最適解を見出せないならば、大型化を続け、ただ質量と攻撃性を増す。

 単純であり、最も凶悪な進化であった。

 

急ぐぞ!

 

 脚を止めれば、ファミリアに包囲される。

 四方から襲い来る影を斬り捨て、背中を合わせるオークの戦士。

 

了解!

 

 脇目も振らずに駆け出し、得物を持たないゴブリンの一団と交差。

 そして、一団を追う巨躯のトノサマバッタを上段から斬って捨てる。

 散らばる肉片を踏み越え、消炭色の闇へ飛び込む。

 

ぎゃぁぁぁ!!

や、やめ──」

 

 上半身を噛み千切られ、鮮やかな血の噴水を散らすゴブリン。

 倒れた者に無数のファミリアが群がり、エナの血肉を貪る。

 

ぐぁぁぁぁ!

 

 消炭色で覆われた巨大な人影は、ファミリアに全身を食まれるオーガ。

 咀嚼音と羽音が響き、断末魔が絶えず鼓膜を叩く。

 絶望的な戦況であった。

 

くっ…遅かったか!

 

 災厄から逃れんとするインクブスが、次々と喰われていく。

 血飛沫が散り、一面は赤く染まる。

 そして、新たな獲物を発見した消炭色の闇は膨張する。

 

これ以上は──」

 

 世界を覆わんとする闇に、サンチェスは下段より得物を振り抜く。

 その速度は音速に至る。

 

させん!!

 

 エナを纏った斬撃は空間を歪め──ファミリアの一群を爆砕する。

 

 弾け飛んだ破片が周囲に降り注ぎ、エナが舞う。

 それでも世界は闇の只中にある。

 油断なく視線を走らせ、サンチェスの視線は擱座した主力戦車で止まる。

 

フィリベルト!

 

 主力戦車を背にシールドを構え、陣を組む同胞たちの姿を捉えたからだ。

 

総長…!

 

 名を呼ばれたオークの戦士は険しい表情を微かに緩めた。

 それは一瞬、すぐ口元は引き結ばれ、迫り来る災厄と相対する。

 

付いてこい、アマデオ!

了解!

 

 頭上より降る巨影を一振りで両断、次いで横合から迫るトノサマバッタの頭部を裏拳で砕く。

 舞い散るエナの中、同胞たちの下へ駆け込む。

 その背中に迫るファミリアは矢弾が射抜く。

 

生き残っている者は?

 

 シールドの内に飛び込んだサンチェスは、フィリベルトと彼の率いる戦士たちを見る。

 

我々以外は分かりません…

 

 苦々しい報告を受けても、総長は表情を崩さなかった。

 上に立つ者まで絶望に囚われてはならない。

 むしろ、サンチェスは同胞たちが()()()()()()を見て、不敵に笑ってみせた。

 

いや、よくやったぞ

 

 戦士たちが陣を組み、護っていたのは、小柄なヒトの雌3匹。

 

 淀んだ色彩の装束を身に纏う者──ウィッチだ。

 

 エナを消耗し、意識を喪失している。

 ファミリアが敵対的なウィッチを捕食の対象とした今、一方的な攻撃は行えなくなった。

 しかし、強力なマジックは災厄の迎撃に必要不可欠。

 戦士たちはエナの回復まで時を稼いでいたのだ。

 

よし……出来得る限り同胞を救出し、ここを脱出する

 

 サンチェスは微かな希望を拾い、一面に広がる消炭色の闇を見渡す。

 

総長、それでは全滅します!

 

 総長の言葉に眼を見開くオークの戦士。

 その間にもボウガンが矢弾を放ち、突進してくるトノサマバッタを射抜いた。

 突進の衝撃を受け止め、軋むシールド。

 しかし、意思を失った質量は一瞬でエナへ還り、眼前に新たな闇が現れる。

 

見捨てるわけにはいかん……下された命は全うする

 

 消炭色の闇に抗う者たちを視界に捉え、ソードを肩に担ぐサンチェス。

 影より下された命は、インクブスを1体でも多く連れ帰ることであった。

 

敗残兵に何ができましょう! 連中など見捨ててしまえばいい!

 

 オークの戦士はボウガンに矢弾を番えながら、荒々しい言葉を吐き出す。

 我が身可愛さで言っているわけではない。

 同胞の眼には、無数の傷を刻まれた長の鎧が映っている。

 戦意を失った敗残兵よりもオークの総長こそ必要な存在と言外に語っていた。

 

命あれば再起もできよう。絶望は災厄を利するだけだ

 

 サンチェスは首を横へ振り、同胞たちを静かに見遣る。

 戦士の頂にあるオークは戦況を悲観せず、力強く言い聞かせた。

 

決して諦めるな

 

 その言葉は戦士たちの眼に、再び戦意を宿す。

 シールドの内より堂々と歩み出たサンチェスの背中は、何者よりも大きい。

 両脚を肩幅ほどに開き、得物を斜め上段に構える。

 

俺が活路を開こう…!

 

 漲るエナの気配に、消炭色の闇が無機質な敵意を放つ。

 

 羽音が豪雨の如く降り注ぎ、両者は激突する──

 

 中国大陸におけるインクブスの版図は失われ、ポータルまでの撤退戦は膨大な犠牲を強いた。

 しかし、遣わされた総長たちの奮戦は、確実に災厄の暴威を削いでいた。

 

 

 堤防敷の階段に腰かけ、茫然と鉛色の空を見上げる。

 今にも泣き出しそうな空模様だった。

 

 私は何をしている──なぜ、ここにいる?

 

 特に問題もなく退院した私は、翌日には通学の準備を整えていた。

 心配する芙花や近所の人へ大丈夫だと笑って。

 

「はぁ……」

 

 その気遣いを裏切り、私は人通りのない堤防敷で黄昏ていた。

 学業は疎かにできない、などと宣っていた口から溜息が漏れる。

 

東さん、帰りませんか?

「どこへ?」

どこって……ここだと雨に降られますよ

「…そうだな」

 

 パートナーの提案は尤もだ。

 わざわざ制服を濡らす必要もない。

 ここで曇天を見上げていても、状況は変わらないのだ。

 

東さん

「どうした」

 

 膝上に飛び乗ったパートナーが、私を見上げる。

 次の言葉は予想できた。

 言い聞かせるように、何度も繰り返されてきた。

 

ご自身を責めないでください

 

 ファミリアを生み出した者は私だ。

 そこに私の意思が介在しなくとも殺人の責は負わねばならない。

 どれだけ成果は積み上げようと罪は残る。

 だが、今すべきは──

 

「責めている暇はない」

 

 ファミリアの統制を取り戻すことだ。

 テレパシーが聞こえない日々は、空恐ろしくなるほどの平穏だった。

 のうのうと息をしている間も誰かの命を奪っているというのに。

 

新たなミンストレルの群体を形成するまでは……

「テレパシーの選別くらいはできる」

……今の東さんは、体を顧みる気がないでしょう…?

 

 心配そうに見上げるパートナーから視線を外し、水量の増してきた川を見下ろす。

 これ以上、他人に迷惑をかけるわけにはいかない。

 次こそは失敗しないよう上手く処理する。

 

「ファミリアの運用に集中する。それで問題ないはずだ」

学校は……どうされる気ですか?

 

 私を日常へ戻してくれる場所に、存在してはならない非日常。

 それは私自身だ。

 

 ウィッチを──子どもを手にかけた身で何を学ぶ気だ?

 

 教育とは、ただ知識を与えることではない。

 倫理観や道徳観、そして人間性を育むことだと私は思う。

 私は、その倫理や道徳の埒外に立っている。

 

「もう、必要ない」

 

 それを口にした瞬間、芙花や父さんの悲しむ表情を幻視した。

 胸に走る痛みを無視し、漂う雨の香りに空を見上げた。

 

 享受する資格などない──芙花に触れることも本来は許されない。

 

 正体を知られていないからこそ、存在を許されている。

 

「私は、インクブスを駆逐する。それだけだ」

 

 そのためにウィッチになった。

 しかし、全てを捧げたわけではない。

 私は、罪悪感と憎悪を醜いエゴで偽装しただけの半端者だ。

 だから、殺戮などを引き起こす。

 

東さんは、機械じゃないんですよ…!

 

 私の膝上で小さな体を揺らして怒るパートナー。

 すぐ横に雨粒が落ちて、ぱっと弾ける。

 

 雨が降ってきた──それでもパートナーは左肩へ飛び移らない。

 

 じっと黒曜石みたいな眼で、私を見つめていた。

 

「機械に徹しなかった…それが私の失敗だ」

 

 歯軋りしたくなる衝動を押し殺し、私は返答する。

 

 インクブス()()を駆逐する──その一点に集中しなかった結果。

 

 頬を掠め、肩を打つ雨粒。

 初夏から中夏に差し掛かる時期でも雨は冷たい。

 

どうして、そこまで……東さんは、多くの人を救ってきたじゃないですか!

「多くの人を殺してきた」

 

 決定的な殺人は、今回が初めてだろう。

 だが、私は今まで多くの人を見殺しにしてきた。

 

 ()()()()に連れ去られた女性、凌辱で正気を失ったウィッチ──私が目を背けてきた人々。

 

 殺すしか能がない私に救済など不可能だ。

 その発想自体が自惚れと分かっている。

 

東さんは、神様じゃないんです……

 

 知っているとも。

 それを理解していながら、今回の失態だ。

 己を捨てる覚悟が足りない。

 

全てを背負う必要なんて──」

「レギ」

 

 久しぶりにパートナーの名前を、はっきりと口に出した。

 明確な意志を伝えるために。

 

 硬直する小さな影──アダンソンハエトリの似姿。

 

 オールドウィッチの与えし名というのが、どうにも私は好きになれなかった。

 だから、滅多に呼ぶことはない。

 

「私の願いは、インクブスの駆逐だ」

 

 願いなどと卑怯な言葉を用い、パートナーの口を噤ませた。

 

 助言する、諫めもする、相談にも乗る──判断はウィッチに委ねる。

 

 オールドウィッチから遣わされた人類、いや主人を最終的に肯定する者。

 それがパートナーという存在だった。

 

……分かりました、シルバーロータス

 

 左手にパートナーが飛び乗ったことを確認し、ゆっくりと立ち上がる。

 

 そうとも──これでいい。

 

 制服は雨で濡れ、長い黒髪は背中に張り付いていた。

 全身を包む冷たさで意識が冴えていく。

 

「障害の排除に関する判断だけを私に送れるか?」

 

 増水した川と雨の音が響く堤防敷で、私はパートナーへ尋ねた。

 まずは、懸案事項を第一に潰す。

 

可能ですが…

「よし」

 

 歯切れが悪い理由は分かっている。

 ファミリアが判断を仰ぐ時、そこには悲惨な状態の人々が必ずいる。

 だから、見慣れたと言ってもパートナーは常に難色を示してきた。

 

「情報の取捨選択は、まだ保留でいい」

…分かりました

「ネームドの情報について、ミンストレルを経由せずに共有できるか?」

 

 左手から肩に飛び移ったパートナーへ矢継ぎ早に指示を出す。

 気遣いは不要だ。

 

可能です。各個撃破に切り替えるのですか?

「篩に残った礫は砕くに限る」

 

 連中の領域を大々的に脅かしている。

 インクブスもネームドを投入し、対抗するはずだ。

 ここで可能な限り潰しておきたい。

 

「それと……アメリカ軍とコンタクトを取れるか?」

 

 前髪から滴る雨を払い、来た道を引き返す。

 

東さん、彼らは…!

「利用関係だとしても、説明責任はある」

 

 ファミリアは誰も助けない。

 結果的に助かるだけで、そこに能動的なものはない。 

 それは、私だけに通用する方便だ。

 こちらの不手際で無用な犠牲者が出た以上、説明する責任がある。

 

「それに…抗議じゃないんだろ?」

 

 左肩のパートナーを見れば、前脚を宙に彷徨わせていた。

 

どうして……そう思われたんですか?

「ただ救世主を待つ軍隊じゃない、そう思っただけだ」

 

 苦々しい声色で問うパートナーへ率直な感想を述べる。

 被害に対する賠償や追及ではなく、抗議という言葉に違和感があった。

 そんな非生産的な行動を大国の軍隊が安直に実行するだろうか、と。

 

「その様子なら正解か」

……はい

 

 落ち込んだ様子のハエトリグモを指先で撫でる。

 全ては私が背負い込まないための行動だ。

 分かっている。

 己の不甲斐なさが、ただ腹立たしい。

 

「使われてやるつもりはない。心配するな」

 

 指先に触れる小さな脚。

 その感触は、体を打つ雨よりも鮮明に感じられた。

 

…分かりました。後でコンタクトを取ります

 

 渋々といった体で前脚を離し、パートナーは小さく頭を下げた。

 周囲を覆う雨のベールは灰色で、世界は薄暗い。

 だが、道筋は見えている。

 

「よし、テレパシーの再接続──」

「待って!」

 

 明瞭な声が、耳に届く。

 まったく足音に気が付かなかった。

 

「待ってください…!」

 

 警戒しつつ振り向いた先には、傘を差した2人の少女。

 金城静華と政木律だ。

 見知ったクラスメイトが息を切らし、立っていた。

 

「……探しましたよ」

 

 普段からは想像もつかない険しい表情の金城。

 この雨中を走ってきたらしく私と大差ない格好だった。

 

「東さん…ううん──」

 

 そして、()()()()()を揺らす政木が、じっと私を見つめる。

 

「シルバーロータス」

 

 雨脚が強まり、世界は灰色に霞む。




 覚悟が足りない(当社比)


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涙雨

 登場人物の掘り下げって難しいネ(小声)


 その少女は男勝り──腕白と称すべき子どもだった。

 

 異性に交じり、外で遊び回ることに疑問を抱かない。

 しかし、少女の家柄は、それを是としなかった。

 淑やかであれと矯正され、やがて少女は両親の望む姿を()()()ようになっていく。

 それでも武道を嗜んでいたのは、ささやかな反抗だったのかもしれない。

 

 多少の不満はあっても両親や友人に恵まれた半生──どこか窮屈さを覚える世界。

 

 それは、インクブスの出現によって前触れもなく崩壊を迎えた。

 人類の天敵は瞬く間に多くの人命と尊厳を奪い去る。

 その惨禍は、少女の友人たちにも及んだ。

 

 幸運にも少女自身が失うことはなかった──その幸運こそが暗い影を落とす。

 

 失わなかった者と失った者の差。

 かつて窮屈さを覚えた日常は二度と戻らない。

 心に生じた罪悪感と復讐心に似た義憤、それが少女を運命に引き合わせた。

 オールドウィッチの遣わした()()()()()に。

 

救済の力を授けましょう、我が主よ

 

 ウィッチへと変身する異界の技術。

 それを得た少女は感情の赴くままに力を振るう。

 絶大な力でインクブスを屠り、全能感と達成感に酔いしれた。

 しかし、少女の一部を形成した教育は、力に対する重い責任感を芽生えさせた。

 そこに失わなかった者という罪悪感が加わり、少女を()()()()()()()

 

 結果として──重責に喘ぎながら、それを悟らせまいと傍若無人に振舞う魔女が生まれた。

 

 他者に頼らない。

 他者に譲らない。

 守るべき人々からの期待、ナンバーズという階級、それらが()を補強する。

 同年代の子どもには無い力が、誰にも代わりは務まらないという強迫観念じみた考えを植え付けた。

 テリトリーを定めてインクブスを屠る、日常と非日常の反復。

 

 演じる役に飲まれつつあった時──少女を敗北が襲った。

 

 一瞬の油断で、死より惨い末路を迎える。

 それがインクブスと戦うウィッチの宿命であった。

 

「無事か」

 

 そんな宿命を軽々と蹂躙した異端のウィッチ。

 赤い瞳に失望の色はない。

 ただ少女を案じる安堵の色があった。

 責任を果たせなかった自身には、不釣り合いなもの。

 

「貸し一つだ」

 

 糾弾を待つ少女に、期待した言葉は与えられなかった。 

 

 ありきたりな言葉──その一言が、呪いを打ち払う。

 

 自身を救った上位の存在によって、自縄自縛の強迫観念は打ち砕かれる。

 ナンバーズ以外に対等の存在がいなかった少女は、こうして()()()()

 

 それを為したウィッチの名は──シルバーロータス。

 

 ごく最近になってウィッチナンバー13となったウィッチ。

 されど、その実力は未知数、実績は天文学的なもの。

 より上位であっても不思議ではない。

 しかし、真意はオールドウィッチのみぞ知る。

 

 最強の軍団を率いる魔女に助力など不要に思われた──その小さな体が限界を迎えるまでは。

 

 変わらぬ日常風景、泡沫の平穏を護ってきたシルバーロータス。

 想像を絶する重責と負荷が一個人に集中していた。

 箱庭の中で戦っていた魔女と箱庭を形作っていた守護者では比較にならない。

 誰にも代わりが務まらない者は誰か。

 

「……探しましたよ」

 

 それは眼前で雨に濡れる、今にも消え失せてしまいそうなクラスメイトだった。

 

 昆虫に造詣があり、勉強熱心で、放っておけない友人──東蓮花だ。

 

 重責を肩代わりする、など口が裂けても言えない。

 これ以上、厚顔無恥にはなれない。

 ただ、己の()()で負荷を軽減することはできる。

 

 今こそ借りを返す時だと、少女は──金城静華は思ったのだ。

 

 

 聞き間違いではない。

 私を見て、シルバーロータスと政木は確かに言った。

 開かれた翠の瞳が次第に薄茶へ()()()()()

 

 エナへと還る狐耳を見るに、彼女は、政木律は──ベニヒメだ。

 

 身体の一部が変化する友人の隣で、まったく動じていない金城もナンバーズの1人か。

 切れ長の目が真っすぐ私を見据えていた。

 無意識のうちに一歩下がる。

 

「……何のこと?」

 

 白を切っても無駄だろう。

 彼女たちは確信を持っている。

 だからこそ、遠ざけたい。

 私は、()()()()の人間じゃない。

 

「ひとまず、雨風を凌げる場所へ行きましょう」

「うん、家は……ちょっとまずいかな」

 

 雨に濡れた私の格好を見て、金城と政木は眉を顰める。

 退院したばかりで馬鹿なことをしているとは思うが、ここで手を取るわけには──

 

「行きますよ、東さん」

 

 下がるより早く、歩み寄ってきた金城に手を掴まれていた。

 柔らかな手だったが、想像よりも力が強い。

 

「…分かった」

 

 手の震えを抑え込み、渋々といった体で了承する。

 すぐさま両脇を2人に固められ、私は傘の下に入れられた。

 

 連行される被疑者の気分──2人の目的は何だ?

 

 私の正体が露呈したのは、意識を失った瞬間だろう。

 目的は、ファミリアの運用に支障が出ていないかの確認が濃厚か。

 実績を誇示──傍から見れば──したウィッチは自己管理ができないとなれば、不安になるのも無理はない。

 

「なぜ、ここにいると?」

「私、鼻と耳が良いんだ」

 

 そう言って政木は鼻と頭上を指す。

 露呈の危険を顧みず、ウィッチの能力を駆使して探しに来た。

 

 私は()()()()()()()()()──彼女たちは理解している。

 

 自覚も覚悟も甘いのは、私だけだ。

 強まる自己嫌悪。

 川を横断する橋梁の下へ入り、不意に腕が解放される。

 

「…病み上がりに何してるの?」

 

 のんびりとした口調は鳴りを潜め、声に怒りを滲ませる政木。

 傘を置き、鞄から白いタオルを取り出す。

 

「それは…」

 

 タオルを私の頭に被せ、濡れた髪の水分を吸わせていく。

 手の動きに合わせて、長い三つ編みが揺れる。

 

 されるがまま──今の彼女は梃子でも動かない気がした。

 

「確実に風邪を引きますよ…まったく」

 

 政木の物を含め、2本の傘から水を切る金城。

 私の体調を気遣った真っすぐな眼差しに、居心地の悪さを覚える。

 気まずい。

 

「…すまない」

 

 反論の余地はない。

 だが、想像と違う反応に内心では困惑していた。

 シルバーロータスではなく、東蓮花として心配されている?

 

「心配、したんだよ…!」

 

 次第に声が震え、そっと頭を抱かれる。

 駄目だ。

 そんな気遣いを受ける資格、私にはない。

 

 視界の端で揺れる白に真っ赤な血──弾かれたように後退る。

 

 血など見慣れたはずだ。

 インクブスの臓物を浴びたこともある。

 だが、何かが決定的に違った。

 

「あ、東さん?」

「迷惑をかけた」

 

 不安げな表情の政木が握るタオルは、白いまま。

 錯覚だ。

 それに、ひとまず安堵の息をつく。

 

「…迷惑ではありませんよ。むしろ、協力を申し出ておきながら」

 

 首を横に振る金城は、そこで言葉を区切る。

 2本の傘を橋脚に立て掛け、立ち竦む政木の頭にタオルを被せる。

 

「東さんが倒れる瞬間まで気付けなかった……それに不甲斐なさを覚えています」

 

 不甲斐なさを覚える必要などない。

 確かにナンバーズは護衛や補助といった協力を申し出てくれた。

 だからと言って、私の自己管理が疎かな点にまで責任を感じるのは違う。

 

シルバーロータス殿の限界が近いと分かっていれば……

 

 金城の首から下がる小さな十字架から声が響く。

 その冷静な声には聞き覚えがあった。

 

何を言っても言い訳にしかならんじゃろ

 

 政木の鞄に括り付けられた勾玉のストラップが瞬く。

 彼女たちのパートナーも責任を感じてか、苦々しい声だ。

 

「落ち度は私にある」

東さん…!

 

 抗議の声を上げる左肩のパートナーを一瞥して黙らせる。

 私の過ちは私だけのものだ。

 他者の責任にはさせない。

 

「これからは運用に集中し、再発防止に努める」

 

 我ながら信用のない言葉だ。

 

「集中って……それが原因で倒れたんでしょ…?」

「さすがに、同じ轍は踏まないでしょうけど…」

 

 自嘲を奥歯で噛み殺し、心配そうに私を見つめる少女たちと相対する。

 

「ファミリアに裁量を与え、簡易な判断は任せるつもりだ。それで負荷は減る」

 

 意識を失う以前から行っていたが、これに加えて情報量も絞るつもりだった。

 

 捕食や苗床とする判断、採用する戦術などを一任する──その結果は確認しなければならない。

 

 蓄積した情報から最善手を選択できる者は、私しかいないのだ。

 ここに()()の排除についての判断が入れば、飽和するのは必然だった。

 ファミリアは情報の取捨選択が不得意で、全てを伝達しようと試みる。

 ならば、制限を与えることで、情報量を減ずる。

 最善手の質は落ちるが、背に腹は代えられない。

 

「裁量…つまり、自己で判断できる?」

ファミリアの指揮系統はトップダウン方式と聞きますが…

 

 首を傾げる金城、疑問を言葉にする十字架のパートナー。

 私のファミリアもトップダウン方式を踏襲している。

 ただ、長時間顕在して活動するため、思考に()()があると私は見ていた。

 

「それなら、全部任せちゃえばいいんじゃない?」

 

 頭に被ったタオルを取り、名案だと目を輝かす政木。

 

「ファミリアの判断にも限界がある」

 

 今は情報を隠蔽してきた奇襲効果と数的優位がある。

 だが、対策を講じられ、反撃を受けた時に同様の優位性があるかは分からない。

 方向性を示し、進化を促すことで、インクブスを駆逐し続ける。

 そして、ファミリアを無自覚な殺人者とさせないために、全てを明け渡すことはできなかった。

 

「あくまで手綱は握っておきたい、ということですね」

 

 金城の言葉に頷きで応じる。

 現状、敵味方識別は正常に機能し、ファミリアはインクブスだけを駆逐している。

 しかし、それを実行する上で障害となれば、人間を排除できる。

 一刻も早く統制を取り戻さなければ──

 

「シルバーロータス」

 

 切れ長の目が私を真っすぐ見据える。

 背筋を伸ばし、相対する大和撫子からは並々ならぬ決意を感じた。

 

「私にも手綱を持たせてはいただけませんか?」

 

 手綱を持たせる──ファミリアの運用に携わると?

 

 いや、これは戦術や作戦といったソフトウェアを指していない。

 彼女の言う手綱は、ハードウェアを指している。

 

「まさか、補助というのは…」

「テレパシーの一部を私が引き受けます」

 

 金城は胸に手を当て、静かに、しかし力強く言った。

 

 私を探していたのは──あの夜の約束を果たすため。

 

 しかし、私のマジックは模倣できないと言っていなかったか?

 左肩のパートナーも同様の疑問を抱いたらしく、頭を傾げていた。

 

そんなことが可能なのですか…?

()()()()()()()にはできないでしょう。専用回線に割り込むようなものですから」

 

 パートナー間やファミリア間で混線しないために必要な措置だろう。

 一度だけ、他者のファミリアとテレパシーを試みたが、規格の合わない違和感と共に弾かれた記憶がある。

 しかし、金城の言葉には確かな自信があった。

 

「でも、静ちゃんの()()ならできる」

 

 政木の言葉に、金城は静かに頷く。

 なるほど、権能か。

 

「ファミリアは模倣できずとも、テレパシー単体であれば抽出できます」

 

 私を見る目には、金色の輝きが宿っていた。

 

 真っすぐな眼差し──穢してはならない不可侵なもの。

 

 協力者であっても、ナンバーズであっても、年端もいかない少女。

 塗れるなら血よりも名誉であるべきだ。

 どれだけ歪であっても人類の守護者なら、まだ救いがある。

 

「要領さえ教えていただければ、今からでも──」

「それは、できない」

 

 絞り出した声は掠れ、最後は雨音に飲み込まれて消えた。

 

 ──沈黙が満ちる。

 

 灰色のベールに囲われた橋梁の下、雨音だけが響く。

 

「なぜ、ですか?」

「そ、そうだよ……どうして?」

 

 困惑の表情を見せる金城と政木。

 当然の反応だった。

 他者の善意を蔑ろにし、胸中を抉られるような痛みを覚える。

 

主は複雑なマジックを同時に複数扱える稀有なウィッチです。お力になれるはずです

 

 金城、いや()()()()()()()はナンバーズに名を連ねるウィッチだ。

 初動こそ混乱するかもしれないが、ファミリアの運用を大きく向上させるだろう。

 

 懸念は運用じゃない──殺戮者の協力者となることだ。

 

 年端もいかない少女に、それは背負わせるわけにはいかなかった。

 

「実力は疑っていない」

「なら!」

「私は」

 

 次の言葉を紡ぐのに、躊躇が生まれた。

 何を躊躇している?

 

 殺戮者と知られる──それで彼女たちを遠ざけられる。

 

 これ以上、踏み込ませるな。

 意を決して引き結びかけた口を開く。

 

「私は、人間を殺している」

 

 絞り出せた言葉は震えていなかったか?

 冷酷な響きはあったか?

 この細い喉が恨めしい。

 

「え?」

 

 守護者の側に立つ少女たちは、目を見開いて凍りつく。

 その驚愕が恐怖と嫌悪に変わることを祈る。

 

「私は、一般的な…いや、普通のウィッチじゃない」

 

 ここにいるのは、人類の守護者たるウィッチではない。

 私は──

 

()()()だ」

 

 吐き捨てるように宣った言葉が、耳に残る。 




 大胆な告白は女の子の特権(白目)


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真言

 強まる雨音が橋梁の下を反響していた。

 そこで次の言葉を紡げず、立ち竦む2人のクラスメイト。

 もう会うことはないだろう。

 降り頻る雨中へ足を向け──

 

「それは、自分の意志で…命じたのですか?」

 

 金城が努めて平静な声で問う。

 

 回答は──できなかった。

 

 彼女たちを遠ざけるなら最後まで非道な殺戮者に徹するべきだ。

 だが、それは、今までファミリアと為してきたことの否定。

 これが快楽的殺人ではないと私は知っている。

 

まさか、ファミリアが独断で…?

 

 十字架のパートナーが告げた言葉で、少女たちの目に光が戻る。

 沈黙は語るよりも明確な解だった。

 

 ヒントを与えたのは私か──つくづく詰めが甘い。

 

「結局は、私が殺したようなものだ」

 

 隠すまでもない。

 最終的な元凶は私であり、覆しようがないのだ。

 ファミリアの責任にして逃れることなど許されない。

 

「もう私に関わるな」

 

 東蓮花に、シルバーロータスに、関わるな。

 そう確固たる拒絶の意志を示す。

 これは理屈じゃない。

 

「おかしいよ…!」

 

 今にも泣き出しそうな政木の声。

 その痛々しさが、私の罪悪感を深く抉る。

 彼女の善意を踏み躙ろうとしている事実が、ただただ苦痛だ。

 

「今まで皆を守ってきたのに…そんなのって…」

 

 政木は胸元でタオルを握り締め、感情の発露を必死に抑えている。

 今の私は、彼女へ苦痛しか与えない。

 それを安直な同情心で撤回することもできない。

 

政木や、気を強く持つのじゃ

 

 ちかりと瞬く勾玉から水滴が流れ落ちた。

 その声には、先程までの苦渋に満ちたものがない。

 

殺めたという者たち……手を下さなければ命があったのかや?

 

 主人の平穏のために、状況を打開すべく言葉を紡ぐ。

 それがパートナーだ。

 政木の鞄に括り付けられた勾玉のストラップへ視線を向ける。

 

「生存の可能性を摘んだのは間違いない」

 

 苗床となった女性、洗脳されたウィッチ、傀儡軍閥の軍人。

 全員が五体満足で戻れるなどと思ってはいない。

 ただ、インクブスが駆逐された世界で、社会復帰できたかもしれないのだ。

 その可能性を私が摘み取った。

 

シルバーロータス殿、我々も全ての者を救えたわけではありません

そんなことができるのは架空の神だけじゃ

 

 救われなかった命は許容されていい犠牲なのか?

 いや、違うな──

 

()()()()()()()()()

 

 救う、救わない、というのは救済者の視点だ。

 そこに私は立っていない。

 

「救えなかったのではなく、殺した」

 

 そこには致命的な差がある。

 一般的なウィッチとの線引きは、そこだ。

 私の言葉にパートナーたちも閉口し、雨音が場を満たす。

 

「いずれ罪過は償う。だが、今は──」

「ふざけるな」

 

 初め、その言葉を誰が紡いだか、理解するのに時間を要した。

 それほど力強く、ぶっきらぼうな口調だった。

 

 声を発した者は──金城静華だ。

 

 切れ長の目が吊り上がり、微かに黄金の輝きが宿る。

 大和撫子の面を捨てたゴルトブルームこそが本来の彼女。

 そう思わせるほど、堂々と立っていた。

 

「どうして救ったものを見ない!」

 

 憤りを隠しもせず、金城は歩み寄ってくる。

 救ったわけじゃない。

 インクブスを駆逐する過程で救われた命があるのは認める。

 だが、そこに能動的な意思はない。

 

「お前が救ったものを見ろ…!」

 

 そう言って胸元に手を押し当てる金城。

 芙花の母校で、確かに私はゴルトブルームを救った。

 

 ただ、インクブスを駆逐しただけだ──私は何に弁明している?

 

 年端もいかない少女が、嬲られるのを黙って見過ごせない?

 それは人として当然の行動だ。

 その行いによって罪は薄まらない──

 

「それで、人殺しは正当化されない」

 

 1人救えば1人殺すことが許容される、そんな妄言を語る馬鹿はいない。

 歴史に名を連ねる英雄は、積み上げた屍を肯定されている。

 だが、それは必要に迫られて行った殺人の咎を、英雄に負わせないためだ。

 私は英雄でも、救世主でもない。

 

「ああ、そうだ…正当化なんてできやしない」

 

 肯定する。

 しかし、目を逸らそうとはしない。

 私の苦手な、真っすぐな眼差し。

 

「静ちゃん…!」

 

 政木が次の言葉を紡ぐ前に、それを手で制する金城。

 私の発言を肯定しながら、まだ言葉を重ねるのか?

 

「でも、それはお前だけの責任じゃない」

「何…?」

 

 今まで己に言い聞かせてきた言葉に、正面から切り込んでくる。

 胸中が騒めく。

 私以外に誰が責任を取るというのだ。

 全ての発端はインクブスとでも言うつもりか?

 

 諸悪の根源は連中だ──だから、駆逐する。

 

 いや、絶滅させる。

 それは当然のことだ。

 

()()()()を誰が守ってるか、私たちは何も知らず過ごしてきた」

 

 その論理を持ち出せば、ウィッチの庇護を受ける人々すら咎人になる。

 世には知らないままで良いこともあるだろう。

 無知は罪か、と問われれば、私は否と答える。

 

「お前の言う罪は、その皺寄せの結果だ」

 

 人々を守り、社会を守ってきたのは、ウィッチである金城や政木たちだ。

 年端もいかない少女たちだ。

 それ以上の皺寄せがあるのか? 

 

「ちが──」

「違わない!」

 

 否定を、否定する。

 橋梁の下を反響する金城の声は、必死だった。

 切実だった。

 

「お前の代わりは誰にも務まらない…でも、そうさせたのは私たちなんだ…!」

 

 この歪で、どうしようもない世界を、今まで生き残ってきた。

 それに加えて、余計な重責を背負いたいだと?

 馬鹿げている。

 

「もう1人で背負わせないぞ」

 

 黄金の瞳には、揺るぎない意志が宿っていた。

 現実を知らない、と拒絶することもできる。

 だが、それは()()()()()()()()()

 

 何が、そこまで──責任など誰も背負いたくないはずだ。

 

 目を背けたとして、誰も責めない。

 いや、そもそも目を向ける必要もないはずだ。

 

「…なぜだ?」

 

 ついに口から疑問が漏れ出した。

 

 金城に対して──自分自身に対して、だ。

 

 眼前のウィッチを遠ざける言葉が浮かんでこない。

 こんなにも私の覚悟は、軟弱だったか?

 

「私は人殺しだぞ」

 

 馬鹿の一つ覚えに唱える。

 鋭利さの欠片もない。

 まるで、()()()()だ。

 

「違うよ」

 

 そう告げるのは、金城の隣に並び立つ政木。

 苦痛を呑み込んで、凛とした表情をしている。

 

「東さんは、ウィッチで──私の友達だよ」

 

 決意に満ちた表情には、恐怖も嫌悪も浮かんでいなかった。

 殺人への忌避はあっても引き下がろうとはしない。

 

 友達か──私は、彼女たちを、どう見ていた?

 

 子ども、つまり庇護の対象だ。

 対等とは見ていなかった。

 

「何を言われても、私は関わるぞ」

「私も、力になるよ」

 

 ここまでの信頼を受けるに値する人間か、私は?

 分からない。

 

 沈黙──コンクリートを打つ雨音、増水した川の唸り声。

 

東さんの恐れていることは、分かります

 

 左肩の定位置から私を見上げるパートナー。

 黒曜石のような眼に映った私は、険しい表情をしていた。

 

分かった上で、言います……誰かを頼ってみませんか?

「利用ではなくか?」

…今までなら、そう言っていました

 

 パートナーが言葉を選んでいることには、気が付いていた。

 私の望む逃げ道を提示するための言葉遊び。

 それでも、ずいぶんと救われたものだ。

 

でも、その結果が今だとすれば、変わらなければならない

 

 これまでは、私とファミリアで自己完結しても失敗しなかった。

 しかし、今は違う。

 明らかにリソースが不足している。

 

 個人には限界がある──当然の話だ。

 

 パートナーの提案は理解できる。

 本当は分かっているのだ。

 今後、助力は必要になると。

 

だから、私は提案します

「…そうか」

 

 後は、覚悟があるか。

 今まで庇護の対象と見てきた彼女たちに、地獄を見せる覚悟が。

 

「……地獄を、何度も目にすることになる」

 

 私の細い喉から出る言葉は、ひどく安直に聞こえる。

 だが、地獄に語弊はない。

 二度と見たくない光景の数々を、多角的に見つめ、判断を下す。

 私が発狂していないのは、人間性に欠陥があるのか、それとも狂人なのか──

 

「なおさら、1人で背負わせるわけにはいかねぇよ」

 

 あの夜を思い出させる挑戦的な笑みを、金城は浮かべていた。

 腕を組んで、仁王立ちするクラスメイトに大和撫子の面影はない。

 

「絶対に借りを返してやるから覚悟しろ」

 

 梃子でも動かないとは、今の彼女を指す言葉に思える。

 その隣で頷く政木もまた退きそうにない。

 

どうしますか、東さん

 

 それでも最後に決断するのは、私だ。

 本来、ここまで話を拗らせる必要はなかった。

 

 ファミリアの運用が大きく向上する──喜ばしいことだ。

 

 それを妨げていたのは、私の自己満足でしかない。

 今は、犠牲を低減し、インクブスを駆逐すること。

 それだけに集中すべきだ。

 

「…分かった」

 

 彼女たちは覚悟を決めている。

 なら、私は──

 

「力を、借りるぞ」

 

 

 一面の闇より浮かぶ白磁の円卓。

 その卓に集う影は疎らで、最盛期を知る者が見れば目を疑う光景であった。

 

グリゴリー、同胞の帰還はどうなっている?

 

 全てのインクブスを束ねる影は、重々しい声を響かせる。

 同胞の屍を数えることはなかった。

 災厄の腹に収まった者の数より生き延びた者へ目を向けねばならない。

 

…サンチェス、ラザロスを筆頭とする救援が到着し、帰還を支援しております

うむ……それで帰還できる同胞は、どれほどになる?

 

 ゴブリンを率いる長は、同志の首飾りを握り締め、苦悶の表情を浮かべた。

 現在、インクブスが直面している災厄は、最悪の記録を更新し続けている。

 状況は絶望的であった。

 

5割……いえ、4割を切るかと

 

 災厄のウィッチによる惨禍は、過去最大の損失をインクブスに強いていた。

 

……そうか

 

 寒々しい円卓に、重い沈黙が満ちる。

 一族を率いる総長の多くが大陸で命を散らした。

 今、円卓には、繰り上げで総長となった者が集っている。

 

今は同胞が多く戻ると信じるしか

 

 インクブスを生み出した神を信奉する者は、円卓にいない。

 彼らが信じるは、エナの肉体に宿る可能性のみ──

 

鬱陶しい羽虫どもめ!

 

 円卓を打つ巨大な拳。

 それは空気を震わせ、重い沈黙を打ち破った。

 

なんたる有様だ、これは! たかが脆弱な羽虫に!

 

 発言者は筋骨隆々の巨躯を誇るインクブス、オーガを束ねる長。

 大陸に版図を持ち、徹底抗戦を訴えていたが、勅命により帰還した。

 つまり、脅威を目の当たりにしていない。

 

落ち着け、ギルマン

 

 明らかに体躯に差のあるゴブリンの長、グリゴリーが諫める。

 

落ち着け、だと? グリゴリー、貴様の配下が羽虫を持ち込んだという話ではないか!

ヒトの雌以外も拾ってくるからだ!

エリオットの奴も、頭も死んじまった…! どうしてくれんだよ!

 

 大陸から帰還した者、総長を失った者、彼らの不満と怒りが爆発した。

 オーガという強力な一族を率いるギルマンに便乗し、グリゴリーを糾弾する。

 

今、それを追及している場合ではないだろう!

 

 最も多くの同志を失い、なおも戦線を支え続ける功労者への言葉ではない。

 しかし、グリゴリーは無益な反論を試みようとはしなかった。

 共に災厄と相対してきた同胞たち、最前線で戦う彼らに恥じないために。

 

静まれ

 

 怒気を含んだ影の一声が、円卓に集った者たちを沈黙させる。

 

不和を生み出すことこそ災厄を利すると知れ

 

 高濃度のエナによって輪郭を歪めた影。

 それは重々しく、しかし明瞭な声で集った魑魅魍魎を諭す。

 

次なる手は打ち、今は仕込みの時…耐えるのだ

 

 名も知らぬウィッチにインクブスは敗北を続け、苦渋を味わってきた。

 しかし、影は災厄を仕留めるため、次の手を打ち続けている。

 

 その力強い言葉に、皆が耳を傾け──否、オーガのギルマンだけは違った。

 

 苛立ちを隠しもせず、乱雑な所作で円卓の席を立つ。

 その不遜な態度に動揺と騒めきが広がる。

 

仕込み? 悠長にも程がある!

 

 己と同じ丈ほどもある鉄塊を担ぎ、ギルマンは影へと吠えた。

 

その災厄とやらが現れる地は分かっているのだろう?

 

 そして、苦々しげな表情を浮かべるグリゴリーへ問う。

 言葉の節々に滲む自信から、問いではなく確認の意味合いが強かった。

 

まだ推測の域を出ん…早まるな、ギルマン

その弱腰が、この惨状を招いた! 違うか?

 

 円卓に集う者たちへ語りかけるように両手を広げ、声を張り上げる。

 

災厄とてヒトの雌…その地に住むヒトを鏖殺すれば、いずれ現れる!

 

 自身が絶対的な上位者であると信じて疑わない。

 大陸において彼を窮地に陥らせた者は存在しなかった。

 そんなオーガの戦士にしてみれば、ファミリアなど塵芥同然。

 

我々には、勝利が、蹂躙が必要なのだ!

 

 自信に満ち溢れた声が、円卓を囲う闇に反響する。

 オークの戦士とは異なる狂戦士は、不満を抱く者たちを巧みに煽った。

 

…然り

蹂躙こそ本懐、久しく忘れていたな

ああ、俺たちは奪う側、狩る側だ…!

 

 勅命に従って大陸より帰還した者。

 繰り上げで総長となった若き者。

 明確な敗北を知らぬ彼らは、怒りと獣欲を滾らせて立ち上がる。

 

 ギルマンの口角が上がる──堂々と円卓を後にし、大扉へ向かう。

 

 賛同する総長たちが席を立ち、その後を追った。

 音を立て、開け放たれる大扉。

 

朗報を期待しているがいい!

 

 その勇ましい言葉を残し、ギルマン一行は去っていく。

 困惑の表情を浮かべるオークの衛兵へ、首を横に振るグリゴリー。

 

これで、本当によろしかったのですか?

 

 同情的な視線を大扉の彼方へと向け、グリゴリーは影へ問う。

 円卓に残った者は、影の言葉に理解を示した者たち。

 既に動揺は沈静化し、次の言葉を待つ。

 

こうも大胆に賛同者を募るとは思わなかったが……良い

 

 配下であるギルマンの独断に、影は全く動じていない。

 むしろ、予定調和に安堵している節すらあった。

 

シリアコが見れば、露骨だと笑うでしょうな

で、あろうな

 

 疲れたような笑みを浮かべ、ゴブリンの総長は空席を見遣った。

 影の嘆息に合わせ、円卓に集った者も苦笑を浮かべる。

 

大局の読めぬ者には──せいぜい()()()()()()()




 インクブスは死ぬ(予言)


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挺身

 ヒロイン(蟲)成分を補給しなくちゃ(使命感)


 不純物のない空で太陽が煌々と輝く。

 2対の翅を震わせる赤い編隊が、蒼穹を切り裂いた。

 

くそ! 何匹いるんだ!

セサル、避けぇぎゃぁぁぁ──」

 

 怒号が飛び交い、断末魔の声が響く。

 魑魅魍魎たちは食物連鎖の頂点が違うことを知った。

 

正面の軍団は推定3000!

 

 丘陵の頂より悲鳴に近い声で報告するゴブリン。

 

 背を向けて逃走に移る矮躯の影は──無数の大顎に食まれ、引き裂かれた。

 

 血飛沫を砂に散らし、グンタイアリの戦列が頂より駆け下る。

 

アンセルモの戦士団はどこだ!?

や、やめぇぉ!?

ぐぁぁあぁ!

 

 漆黒の軍団がインクブスの小集団を次々と呑み込んでいく。

 彼らの末路は、分解されて肉片も残らない。

 

陣を組め!

逃げるな! ここを突破されたら後がないぞ!

 

 迫り来る災厄を睨み、オークの戦士たちは敗走する同胞へ怒号を飛ばす。

 シールドを大地に突き立て、ボウガンに矢弾を番える。

 しかし、数にして100にも満たない。

 

戦力が足りん! ラザロス殿は!?

遊撃に…来るぞ!

 

 鋭い眼光を黒で染まった頂へ向ける。

 

 攻撃ヘリコプターの如き重い羽音──漆黒の軍団を越え、現れる巨影。

 

 恐るべき強度を誇る外骨格が、陽光を浴びて鈍く光る。

 彼の者は、防衛線を一撃で粉砕した重量級ファミリア。

 

撃て!

 

 号令と同時に空を切る矢弾。

 その全てを外骨格は弾き、あるいは砕く。

 3本の角を向け、全力で突進するアトラスオオカブトは意にも介さない。

 

くそっ衝撃に──」

 

 身構えるオークの戦士団を大質量の衝突が襲った。

 それは一種の爆発に近く、丘陵で土煙が舞う。

 

ぎゃぁぁぁ!

く、来るぁがばぁ!?

 

 土煙を突き破り、丘を転がり落ちていくオーク。

 シールドが紙細工のように舞い、振り抜かれた角がオークの四肢を粉砕する。

 戦意を喪失し、戦士たちは我先に逃げ出す。

 掃討は後続のグンタイアリが行うだろう。

 

 ()の声に耳を傾ける──鞘翅を開き、伸びた後翅が振動する。

 

 重量級ファミリアは母の声に応えるため、次なる敵へ向かう。

 漆黒が覆う丘陵をインクブスの断末魔が満たす。

 

総長、西から食い破られます!

 

 緩やかな丘陵を四足で駆け下る白毛のライカンスロープが吠えた。

 その背後には、凶悪な大顎の戦列が迫る。

 丘陵は災厄の色に染まっていく。

 

アンセルモはどうしたっ

 

 灰色の毛並みをもつ若き長、ラザロスは振り向かずに問う。

 全身に浴びた返り血は、エナへと還った。

 残されたのは、激闘の傷跡。

 

先程、災厄に飲み込まれました!

 

 その報告にラザロスは憎悪と苦悶で顔を歪める。

 貴重なオークの戦士を次々と喰われ、指揮を執れる者がいない。

 

おのれ、災厄め!

 

 北アメリカ大陸のインクブスは、絶望的な戦況に置かれていた。

 

 精彩を欠いていた災厄の軍勢──それが統制を取り戻したのだ。

 

 大陸の北部で活動していた同胞は、()()に飲み込まれて全滅。

 残された南部のインクブスは、ポータルの防衛戦で夥しい死を積み上げていた。

 

このまま下って合流しましょうっ

 

 配下の進言を受け、ラザロスは視線を麓へ向ける。

 辛うじて災厄から逃れた者を捌きつつ、防衛線を構築する同胞たち。

 そこにはオーガやミノタウロスといった戦士の顔触れも見えた。

 

いや、大型種を潰すぞ!

 

 最強の遊撃手である己の為すべきことは何か。

 脅威となる大型のファミリアが防衛線へ肉薄する前に撃破することだ。

 戦場は総長ではなく、戦士を求めていた。

 

続け!

承知!

 

 乾いた砂を弾き、四足で地を駆ける。

 災厄のウィッチが何を為そうとしているか、それは読めていた。

 3方向から襲来したファミリアの機動は露骨に過ぎた。

 

 目的、それは──この一帯に存在するインクブスの()()()()

 

 インプの援護を受けられない戦況で、防衛線は崩壊の危機に直面している。

 丘陵から平野へと徐々に後退し、包囲の輪は完成しつつあった。

 

総長、見えました! 新手の大型種です!

 

 西の丘陵、雑草のように同胞を薙ぎ払う漆黒の大顎。

 オークが小指ほどに見える距離で、ヒラタクワガタと判別できる巨躯だった。

 

行くぞ──っ!?

 

 視界の端、残像を伴って現れる長大な脚。

 ラザロスは後脚の膂力を解き放ち、その場から大きく距離を取る。

 思考より反射による動作だった。

 

コスタス!

 

 その背中に配下のライカンスロープは追従していない。

 漆黒の蠢く丘陵で、白い毛並みを赤く染めて脚を宙に揺らす。

 彼の横腹は太い鋏角に貫通されていた。

 

そ、総長…がはぁっ!?

 

 アシダカグモに類似したファミリアは、機械的に消化液を注入。

 血泡を吹いて絶命する獲物を棄て、新たな獲物の着地点へ疾駆する。

 その速度は新幹線に匹敵していた。

 

殺してやるぞ、虫けらぁ!!

 

 着地と同時に、ラザロスは咆哮を上げて吶喊。

 その姿は灰色の突風であった。

 無機質な黒い眼は、その挙動を最後まで正確に追尾。

 

 高速で交差する両者──1本の脚が宙を舞った。

 

 ライカンスロープの鋭利な爪がエナの残滓を引く。

 転がるように着地したラザロスは、すぐさま四足で地を蹴る。

 眼前に迫るグンタイアリとの肉弾戦は分が悪い。

 

ちっ…やりやがったな…!

 

 丘陵の砂に吸い込まれていく血。

 ラザロスの右後脚に走る傷は、背後より追尾するアシダカグモが刻んだ。

 脚を1本失おうと7本の脚を用い、獲物を追う。

 

 しかし──その巨躯は次第に離されていく。

 

 原種と同様に持久力は乏しい。

 しかし、それを好機と反撃に移れば、()()も相手取ることになる。

 高位のインクブスを抹殺するため、災厄のウィッチは徹底的だった。

 

……災厄め

 

 距離を離すラザロスは、犬歯の奥から唸り声を漏らす。

 見渡す限りの丘陵にファミリアが犇めいていた。

 包囲の輪が狭まり、麓の平野部へ同胞が集う。

 黒で縁取られた麓は、()()()()()()()()──

 

大鍋…?

 

 胸中に降って湧いた不穏な言葉。

 それは円卓にて、遠征軍全滅の報を受けた際、耳にした記憶があった。

 

 包囲殲滅──災厄は凡庸な戦術に終始するものか。

 

 若き長の抱いた焦燥に、大地は鳴動で応えた。

 

なんだ!?

 

 地鳴りが轟き、麓の平野部に穴が生じた。

 そこから亀裂が走り、支えを失った大地が崩壊を始める。

 土煙が舞い、崩壊の音が丘陵を伝播していく。

 

だ、大地がっ!?

うわぁぁぁぁ!

助けてくれぇぇぇ──」

 

 足場を失った全ての同胞が、奈落へと吸い込まれる。

 

 奈落の底より響く歓喜の歌──無数の足音と大顎を打ち鳴らす音だ。

 

 この丘陵帯は、世界有数の洞窟がある国立公園の近傍にあった。

 その地下空間を利用、改修を加え、罠として機能させる。

 防衛戦の地に()()()()()時点で、インクブスの全滅は必至。

 

こんな、ことが……

 

 目撃者にして生存者は、ライカンスロープの長を残して存在しない。

 北アメリカ大陸の南部を支配していたインクブスの一群は、斯くして駆逐された。

 

 

 最近、味を感じられるようになった。

 国防軍病院では病院食だから薄味なのだと思っていたが、私の体には相当な負荷がかかっていたらしい。

 

 気にする余裕はなかった──その時点で限界だったのだろう。

 

 口にした卵焼きの出汁が濃いことに気付ける。

 それを認識できるだけの余裕が、ようやく持てるようになった。

 

「金城さん、大丈夫?」

「ええ…大丈夫です」

 

 隣に座る金城は、明らかに箸の進みが遅い。

 彼女のおかげで私の負荷は大きく軽減されている。

 しかし、それは彼女が軽減された分を引き受けているからだ。

 

「やはり、負荷が…」

 

 金城に処理を依頼しているテレパシーは、情報の取捨選択や戦術の効果確認など多岐に渡る。

 負荷にならないはずがない。

 

「それについては心配いりません」

 

 私を見る目は、真っすぐだった。

 大和撫子を演じる金城だが、その目だけは嘘偽りがない。

 

 強がり、ではないのだろう──彼女の処理速度は私の比ではなかった。

 

 ゴルトブルームの権能は()()

 複雑なマジックを容易く行使し、他者のマジックにすら干渉可能。

 その権能は情報の濁流すらも制御していた。

 

「ただ──」

 

 長い黒髪に留まったアオスジアゲハを払い、金城は言葉を続ける。 

 

「この蝶の群れが気になって仕方がありません…!」

 

 そう言って肩を震わす金城の膝で、ルリタテハが翅を休める。

 人気のない中庭には、再びバタフライファームが現出していた。

 色鮮やかな絨毯がベンチの周囲を覆っている。

 

「…そうか」

 

 もう諦めの境地にある私は、虫たちの好きにさせていた。

 しかし、初めての体験だった金城は違う。

 つい最近、虫嫌いではないと知ったが、さすがに限度があるか。

 

「えぇ~私は一面、花畑みたいで好きだよ?」

 

 金城と反対側に座る政木は、のんびりとした口調で言う。

 普段通りの調子を取り戻した少女の頭には、花冠のように蝶が留まる。

 ただ、腕時計に留まろうとしたジャコウアゲハだけは、そっと払う。

 

「さすがに限度があるでしょう?」

「あ~確かに、ちょっと食べにくいかな~」

「私に付き合わなければ──」

「それはだめ」

「駄目です」

 

 即答する政木と金城。

 この2人の説得を受け、まだ私は学校に通っている。

 しかし、私への気遣いで満ちた教室は息が詰まりそうだった。

 

 だから、昼休憩は中庭へ足を運ぶ──そこに2人が現れたのだ。

 

「一緒にいるのが友達じゃないけど…」

「今の東さんは、なるべく1人にしたくありません」

 

 金城のおかげで状態は改善しているが、倒れた手前、何も言えない。

 彼女たちは私を心配し、純粋な善意で行動している。

 それを()()()などと言う人間になりたくはなかった。

 

「戦場の景色は、全て貴女が見ている……東さんこそ無理をしていませんか?」

「慣れている。問題ない」

「慣れの問題では……」

 

 表情を曇らせる金城には悪いが、そこで妥協する気はない。

 彼女の優れた権能により、テレパシーを細かく分別して受け取ることができるようになった。

 

 ならば、戦場は私の領域──死を直視するのは私だけでいい。

 

 そこに心の平穏はないが、戦闘に集中すれば、より多くのインクブスを駆逐できる。

 昨日はアメリカ軍と調整を重ねた坑道戦で、18312体を一挙に殲滅できた──

 

「お昼なんだから、そこから離れようよ…」

 

 そう言って口を尖らす政木は、水筒からカップに茶を注ぐ。

 常在戦場と言えば、聞こえはいい。

 だが、それで自らを潰したのは、私だ。

 

「はい、お茶をどうぞ~」

 

 差し出されたカップを受け取り、茶色の液面に映る仏頂面を睨む。

 ここは学校で、非日常を持ち込むべき場所ではない。

 切替が重要なのだと思う。

 

「…ありがとう」

 

 ふにゃと笑う政木を見ると、肩から程よく力が抜ける。

 不思議なものだった。

 

「律の言う通りですね…今は、ひとまず置きましょう」

 

 同様にカップを受け取り、静かに茶を口にする金城。

 その周囲でアオスジアゲハが優雅に舞う。

 

 花のない中庭に集う蝶たち──いや、私は()()()()か?

 

 そんな妄言を頭から蹴り出し、烏龍茶を味わう。

 中庭の周囲から注がれる好奇の視線も、今は不思議と気にならない。

 色鮮やかなバタフライファームの中心で、ゆっくりと時間が流れる。

 

「なんか不思議な気分だね~」

 

 不意に、空を見上げた政木が口を開く。

 白い雲が疎らに流れていく空模様は、どこか牧歌的に感じる。

 

「こうしてる今も、ちょっとずつ世界が良くなってるなんて」

 

 ファミリアは派遣された2大陸で、今もインクブスを駆逐し続けている。

 統制を取り戻してからは、巻き添えとなる人間もいない。

 きっと、世界は良くなっているのだろう。

 

「……東さんのおかげで漫然とした希望が、確信に変わりました」

 

 金城の言葉を肯定できるほど、私は私を許していない。

 罪過は一生消えることはないのだ。

 ただ、それは否定する理由にもならない。

 誰かの希望なのは、事実なのだろう。

 

「希望、か…」

 

 インクブスの駆逐は牛歩の進捗で、とても希望など持てなかった。

 しかし、ここ数か月で急速に事態は転がり出し、大陸のインクブスに王手をかけている。

 明日はアメリカ軍に希望の()2()()を届ける予定だ。

 

 苦慮しながら調整を行ったパートナーは──左肩の上でベニシジミに押し負けていた。

 

 私は見なかったことにした。




 三人称RTS vs 一人称ACT


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出廬

 体が分裂して小噺書いてくれないかな(プラナリア並感)


まずは、こちらの要請に応じてくれたことに感謝を

 

 そう言って黒い毛並みをもつ大型犬が、恭しく頭を下げる。

 陽炎が揺らめくコンクリートの滑走路では、ひどく熱を蓄えそうな色だ。

 

「そちらには私を非難する権利がある」

助力を乞うている我々に非難する権利はないよ

 

 この喋る大型犬こそが灰色のウィッチたちのパートナー。

 背後に控えるモーガン少尉に代わるアメリカ軍の窓口だ。

 

…確かに犠牲はあった

 

 私が奪ったものは、誰かの未来だ。

 

 犠牲──その言葉の持つ意味は重い。

 

 輸送機の傍らで待機する兵士から向けられる視線を、直視できなかった。

 私は彼らの家族や友人、親しい誰かの命を奪ったかもしれない。

 胃に鉛を流し込まれたような錯覚に陥る。

 

しかし、それは悲しい事故だった

「…それでいいのか」

人命の価値に大小はないが、あえて言おう

 

 左肩のパートナーを見遣ってから、理性的な眼が私を見つめた。

 

()()()()の犠牲で済んだ、我々は…そう考えている

 

 人命を数として捉えた冷酷な言葉。

 しかし、それを口にした代弁者と言葉を耳にした兵士たちは、一様に険しい表情をしていた。

 

 理解はしている──納得はしていない。

 

 アメリカ軍は危険な市街戦を買って出ても、国民の救出に尽力している。

 彼らの言葉を額面通りに受け取ってはならない。

 

これからが重要だ。そうだろう?

「…そうだな」

 

 安直に糾弾を求めるなど浅慮だ。

 国軍である彼らは、そんなことをしないと分かって甘えていた。

 大人に甘えるな。

 

「感謝する」

 

 彼らへの謝意を以て、思考を切り替える。

 今やるべきことをやれ。

 

それはこちらの台詞だよ──ありがとう、シルバーロータス

 

 小さく尻尾を振り、大型犬は深々と頭を下げた。

 私もフードを取り払って、頭を下げる。

 

ところで…

 

 頭を上げた黒毛のパートナーは首を傾げ、私の背後を窺う。

 

後ろの5人は、監視かな?

 

 今日の私はファミリア以外の()()()を連れていた。

 5人ほど。

 

 言わずと知れたナンバーズの5人──和傘を差したベニヒメが小さく手を振る。

 

 ここへ1人で向かう旨を伝えたら、彼女たちに猛反対された。

 心配なのは理解できるが、こそばゆい。

 

「…護衛だ」

 

 ベニヒメに手を振り返す。

 すると、少女たちの背後に控えるファミリアの一群が触角を揺らす。

 

ウィッチナンバーの上位者が護衛か…それは心強い

「ああ」

 

 感慨深そうな声に頷きで応じる。

 どれだけ華奢に見えても、彼女たちはウィッチでも一握りの強者だ。

 打倒できるとすれば、あの戦女神くらいか?

 

よし…第2陣の移送準備に移ろう

 

 黒毛のパートナーが背後に目配せし、兵士たちが一斉に動き出す。

 

「分かった」

 

 私もテレパシーを発し、誘導に従ってファミリアを移動させる。

 ゴルトブルームが再構築してくれたおかげで、情報のロスが少ない。

 より正確に指示が飛ばせる。

 

シルバーロータス、一つ質問してもよろしいかな?

 

 移動を開始したファミリアを眺めながら、黒毛のパートナーは控えめに聞いてくる。

 

「何が聞きたい」

感謝する…それで、あのロングホーン・ビートル

ボーゲンローアです

 

 間髪容れずに左肩のパートナーが名前を訂正する。

 

 ロングホーン・ビートル(長い角の甲虫)──つまり、カミキリムシのことだ。

 

 触角を手入れするハンミョウの後方で、より長い触角が揺れていた。

 

「ちょっと、ベニヒメさん…!」

「大丈夫、大丈夫~」

 

 今、ベニヒメに触角を撫でられているファミリアは、ヒゲナガカミキリに酷似していた。

 大顎は強力だが、小柄で攻撃性は低そうに見える。

 

 その評価は正しい──戦闘が目的ではないのだ。

 

「先日、確保したポータルに対して投入する」

 

 目標は、大陸で度々目撃している大規模なポータルだ。

 中国大陸では破壊を許したが、アメリカ大陸では確保に成功していた。

 

あれは、我々の攻撃が通用しないぞ?

 

 インクブスのエナを有する者しか通過できない異界への扉。

 それは、あらゆる物理攻撃やマジックを受け流す。

 この場にいる者が共有する()()だ。

 

「破壊はしない」

なんだって?

 

 仮に破壊できたとしても、別の場所にポータルを開放されるだけだ。

 なら、()()()()してやった方が良い。

 

「マツノザイセンチュウを知っているか?」

 

 無関係に思える話題に、黒毛の大型犬は困惑の表情を浮かべる。

 当然の反応だった。

 己のコミュニケーション能力の低さに自己嫌悪を覚える。

 

「マツ科樹木を枯死させる感染症の原因ですわ」

「そうだ。管類を閉塞させ、樹液の流れを妨げることで樹木を枯死させる病原体だ」

 

 飛び入り参加したプリマヴェルデの説明に補足を加える。

 感染症の正式名称は、マツ材線虫病と言う。

 マツノザイセンチュウとは、その病害の原因となる病原体だ。

 

「それが、どう関係するんですの?」

 

 私を見かねた助け舟──ではなく、朱の瞳は純粋に好奇心で輝いていた。

 

 その背後には、同様に私の言葉を待つユグランスの姿。

 ナンバーズでも2人は知識に貪欲のようだった。

 

「ボーゲンローアは、そのマツノザイセンチュウのベクター(媒介者)を模したファミリアだ」

万物のエナを侵食、干渉し、その流動を制御できます

 

 左肩でパートナーが能力を説明する。

 本来は、エナの性質を知るために呼び出した個体だった。

 

「ポータルは特定のエナを通過させるだけの単純な構造、と私たちは考えている」

 

 凌辱した女性──体内にエナを有する存在──をインクブスは連れ帰る。

 しかし、徹底的にエナへ()()()()仲間の亡骸を連中は持ち帰れなかった。

 

 インクブスのエナだけを通過させている──異種のエナは、ただ受け流しているだけ。

 

 防御機構があるわけではない。

 しかし、通常のポータルは瞬時に消失するため、今まで検証が不可能だった。

 

「そこに干渉することで、ファミリアを通過可能なポータルに改造する」

まさか、そんなことが…?

 

 今こそ絶好の機会だ。

 ポータルを形成するエナに干渉し、通過可能なエナを切り替えられるか試す。

 

「可能なのですか、シルバーロータス?」

「分からん。だが、試す価値はある」

 

 ユグランスの問いには、まだ答えられない。

 何もかもが未知の領域だ。

 ポータルへの接触は、インクブスの血液を多量に被れば可能という結果を得ていた。

 後は、ベニヒメに触角で遊ばれているボーゲンローア次第だ。

 

「ポータルから増援を派遣できれば、より多くのインクブスを駆逐できる」

 

 重量級ファミリアを筆頭とする戦力を送り込めば、より多くのインクブスを駆逐できるだろう。

 希望的な観測をすれば、救出作戦も射程に入る。

 

ま、待ってくれ……少し、いいだろうか

 

 言葉を探すように、黒毛のパートナーは慎重に尋ねてきた。

 そこまで恐る恐る聞かなくてもいいのだが。

 

君は、今…()()と言ったか?

「ああ、言った。今は優勢を保っているが、限界が訪れる前に……」

 

 言い切る前に、私は異変に気が付く。

 大型犬も、耳を傾けていたナンバーズも、灰色のウィッチたちも、一様に固まっていた。

 

「…増援を送りたい」

 

 そして、私は思い至る──あちら側の展開状況について、初めて口にしたと。

 

 陽炎揺らめくコンクリートの上に沈黙が降ってくる。

 エプロンで忙しなく動き回る兵士の声が、よく響いた。

 

どうやってポータルを?

 

 黒毛のパートナーは懐疑的な声色だった。

 信じられない、と顔に書いてある。

 

「インクブスの体内に……ファミリアの卵を産み付けて、送り返した」

 

 誤魔化すことも考えたが、それでは不信感を与えるだけだ。

 だから、素直に答える。

 

卵を、産み付ける…?

「そうだ」

 

 ポータルの除外基準は甘い。

 捕獲したインクブスのエナを弄り回している時に、その穴に気が付いた。

 何度も試行し、それを確かめ、私は確信した。

 これは使えると。

 

「ま、まさか…それは捕食寄生ですの?」

 

 朱色の瞳を不安で揺らすプリマヴェルデに、頷きを返す。

 

「死骸から得るよりエナの質がいい」

 

 捕食寄生は、画期的な増殖方法だった。

 インクブスの体内を循環するエナを摂取したファミリアは、恐るべき速度で進化する。

 オニキスが良い例だろう。

 

「シルバーロータス、それは初耳なのですが」

「ああ……言っていなかった」

 

 じっと見つめてくるユグランスから目を逸らす。

 言ってないのではなく、言えなかったが正解だ。

 インクブスを苗床とする作戦は、一般的な感性では理解されない。

 

「はいはい、ちょっと待って…」

 

 私とユグランスの間に割って入るダリアノワール。

 とんがり帽子の下から琥珀色の瞳を向け、魔女は問う。

 

「つまり…その、逆侵攻してるってこと…だよね?」

「そうだ」

 

 その確認に対し、私は肯定を返す。

 つい最近、軌道に乗ったばかりだが、着実にインクブスどもの生存圏を脅かしているのだ。

 逆侵攻と言ってもいいのだろう。

 

こ、こいつはたまげたにゃぁ

「もう驚くことはないと思ったけど、さすがに予想外だよ」

 

 肩から下げた武骨なマシンガンから感嘆の声が発され、それにダリアノワールも頷く。

 逆侵攻を考案する者が私以外にいなかったとは思えない。

 しかし、今のところ他者のファミリアと遭遇した事例は皆無だ。

 私は初の成功事例なのかもしれない。

 

凄まじいな

 

 黒毛のパートナーは懐疑的な色を取り払い、私を見上げる。

 

 羨望と後悔が複雑に入り混じった──哀愁を覚える眼差し。

 

 そんな眼差しを向けられたのは、初めてだった。

 

…君は、世界を相手にしていたのか

 

 紡いだ言葉には、何かが削ぎ落されたような違和感があった。

 何か、は分からないが。

 

「連中の全貌は見えない。世界というには、限定的だ」

 

 インクブスという悪辣な生命の全貌は、底が知れない。

 種族や総数は不明、為政者に該当する頂点が存在するかも不明。

 絶滅は容易ではない。

 

「…道理でテレパシーの距離感に狂いがあったわけだ」

 

 誘導に従って動き出したボーゲンローアの足元。

 両腕を組んだゴルトブルームが半眼で私を見据えていた。

 その隣には苦笑を浮かべるベニヒメが佇む。

 

「すまん」

 

 これまで誰かと情報を共有する機会などなかった。

 しかし、それでは円滑な協力などできるはずがない。

 忌避される結果となっても情報を共有していくべきだろう。

 

「気を遣ってくれたんだろ? まったく、せめて私には──っ!」

 

 最後まで言葉が紡がれることはなかった。

 

 ここより遥か彼方の空──オニヤンマがエナの流動を捉える。

 

 同時に金色の瞳が見開かれ、あるいは狐耳が立ち、少女たちの纏う気配が変質する。

 

「この気配は…!」

「ああ、インクブスだ」

 

 テレパシーを共有するゴルトブルームへ頷きを返す。

 上空のオニヤンマが続々とテレパシーを飛ばしてくる。

 既存の種、未確認の種、それらの数を事細かに。

 

 出現位置は市街中央、つまり──人口密集地だ。

 

 これまでの小規模な襲撃じゃない。

 駆逐に必要となる数のファミリアを投じれば、広域のパニックは必至という規模だった。 

 

「ここは、いつもの3人かな?」

 

 物干し竿のようなライフルに腰かけるダリアノワールは、既に地から足が離れている。

 

「ええ、市街地なら私たちが適任ですわ」

 

 拳を固めたプリマヴェルデが宙へ浮き上がり、魔女の隣に並ぶ。

 そこに焦燥はなく、ただただ冷静だった。

 

「ナンバー8とナンバー9は引き続き、護衛をお願いします」

 

 機械仕掛けの近衛兵に抱えられたユグランスもまた平静に振舞う。

 

「分かった」

「3人とも気を付けてね」

 

 それに対し、ゴルトブルームとベニヒメも力強く頷き、友を見送る。

 彼女たちは、ただの少女ではない。

 ナンバーズに名を連ねるウィッチなのだ。

 

「…任せる」

 

 宝石のように色鮮やかな3対の瞳が輝く。

 これまで人口密集地で戦ってきた彼女たちに一日の長がある。

 

 だから、大人しく見送る──芙花の事が脳裏を過る。

 

 今日は、あの辺りに外出していなかった。

 焦って事態を悪化させるな。

 

「お任せください」

「ええ、行ってきますわ」

「たまには良いところも見せないとね」

 

 紅白の近衛兵が滑走路を蹴って、市街地へと跳ぶ。

 その影を追って魔女と騎士が一斉に飛び去る。

 

我々も即応態勢に移行する。移送作業はまた後日に

「ああ」

 

 足早に立ち去る軍属のウィッチとパートナーの後ろ姿を見送り、ファミリアに中止を命じる。

 銃器を携えた兵士たちが格納庫へ走っていき、空気が緊張感を帯びていく。

 アメリカ軍も情報を得たらしい。

 

シルバーロータス、これは今までと規模が異なります

「突入の準備はしておくぞ」

分かりました

 

 偵察とは明らかに違う本格的な攻撃だ。

 国防軍やウィッチを総動員した激しい戦闘になるのは間違いない。

 ()()を想定し、すぐ市街地へ突入できるよう戦力の集結は進める。

 

「……待つって、もどかしいね」

 

 物々しい雰囲気に包まれる基地で、ベニヒメは紅の和傘を回して市街地の方角を眺めた。

 テレパシーの管理を担うゴルトブルームと違って、私の護衛とは基本的に待機だ。

 

こればかりは仕方ないの

「うん、これも大切なことだから」

 

 彼女たちの判断は尊重すべきだが、ナンバーズを遊兵化するのは得策か?

 ベニヒメを含む4人であれば、2組のバディが組めるはずだ。

 それは戦闘効率の向上だけでなく、生還率も高める。

 今から追っても──

 

「いや、できることなら……あるぞ」

 

 滑走路を吹き抜ける風が純白の装束を揺らす。

 私が口を開くより先に、傍らのゴルトブルームが動く。

 

「シルバーロータス、試してみたいことがある」

 

 銀髪赤目のウィッチを映す金色の瞳には、並々ならぬ戦意が宿っていた。




 兄者「東パッパ、故人にされてるで」
 作者「ほーん」


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冀望

 泡沫の平和は崩壊し、目を覆う惨禍が市街地で繰り広げられていた。

 助けを求めて逃げ惑う人々を、牙が、爪が、刃が襲う。

 醜悪な笑い声を響かせ、怪物どもが我が物顔で街中を闊歩する。

 

「やってくれますわね…!」

 

 遠方からでも視認できる地獄に、浅緑の騎士は朱の瞳を怒りに染める。

 どれだけ死地を潜ろうと、その光景に慣れることはない。

 胸中に渦巻く強烈な敵愾心、そして人々を救う絶対的な善性がウィッチに力を与える。

 

うむ! その代価、必ずや命で支払わせてやろう!」 

 

 風に靡く亜麻色の髪を追って、パートナーのフクロウが意気軒昂に宣う。

 インクブスとは絶滅すべき存在、それは必定である。

 

「国防軍が展開してるけど……避難する人に阻まれてるか」

 

 隣を飛翔する魔女は狙撃に用いる視力を生かし、より詳細に戦場を観測していた。

 

よくやってる方だが、長くは持たねぇにゃぁ……

 

 展開した国防軍は逃げ惑う群衆を縫って、インクブスへ果敢に反撃を浴びせている。

 しかし、その効果は薄く、損害が拡大していた。

 市街地の至る所から黒煙が上り、爆音が鳴り響く。

 

「小集団に散って、対処を飽和させる気のようですわ」

 

 現場に駆け付けたウィッチは少数、ゆえに対処できていない。

 未確認のインクブスに翻弄されている者も見受けられる。

 プリマヴェルデは口を強く引き結ぶ。

 

「なら、僕たちはネームドを優先して潰すべきだね」

 

 最も脅威となるインクブスに最高戦力が当たる常識的判断。

 今、惨禍に襲われる者の全てを救うことなどできはしない。

 だからこそ、彼女たちは()()()()()()

 

「ネームドの位置は分かりますの?」

うむ! レギ君とカタリナ君のおかげで仔細把握しているぞ!

 

 パートナー間のテレパシーで伝達される情報の密度は、ユグランスのファミリアの比ではない。

 インクブスの種別、位置や高度、エナの総量といった情報が逐次更新される。

 ネームドの特定は容易だった。

 

「よし、そいつらから潰そう」

頭を潰せば体も死ぬ……連中、ぶっ殺してやろうぜ

 

 人を食ったような声色は鳴りを潜め、底冷えするような敵意だけがあった。

 魔女は漆黒のライフルを撫で、力強く頷いてみせる。

 

「グリム、ユグランスに伝えてくださる?」

うむ! 任せたまえ!

 

 プリマヴェルデの命を受けたパートナーが高く舞い上がる。

 その眼下を跳ねる紅白の人影が()()し、市街地へ散っていく。

 

ユグランス君は国防軍の支援と避難する人々を守るそうだ!

「分かりましたわ」

 

 ユグランスの権能であれば、確実に成し遂げることができるだろう。

 

 魔女と騎士は、ただ強大な悪を粉砕すればよい──市街上空にて静止。

 

 最も苛烈な戦闘の行われている一帯だ。

 戦車砲の咆哮が轟き、インクブスの雄叫びが鳴り響く。

 

「行くよ」

「ええ」

 

 短い応答の後、一斉に落下を開始する2人のウィッチ。

 黒煙を潜った先、交差点にインクブスが群れている。

 風で孕む装束を翻し、ダリアノワールは2m長のライフルを下方へ構えた。

 

「トム」

おう、ぶちかませ!

 

 落下中という非常識な射撃コンディション、されど躊躇なくトリガーを引いた。

 マズルから紅蓮の炎が瞬き、衝撃で少女の体が浮く。

 

 着弾点は眼下の交差点──二足歩行のワニを貫き、その体躯を吹き飛ばす。

 

 2射、3射と立て続けに銃声が響き、インクブスの生命を粉砕する。

 百発百中にして一撃必殺、彼女が放つ弾丸は魔弾であった。

 

新手のウィッチ!?

 

 鉄と火薬ではなく、エナの弾丸に感づいたインクブスは天を仰ぐ。

 その隙を見せた横顔に対戦車ミサイルが直撃し、半身を粉砕する。

 

 交差点よりインクブスを排除──軽やかな足音が鳴り響く。

 

 降り立った騎士と魔女は、後続の怪物たちを睨む。

 

へっ…弱い雌じゃ満足できなかったところ──」

 

 銃声の後、下劣なワニの頭部は消し飛ぶ。

 アスファルトへ巨躯が倒れ込み、血に飢えた怪物たちは一斉に地を蹴った。

 

口動かすより体を動かせよ、害獣どもが

 

 そう吐き捨てるライフルの体表が波打ち、武骨なマシンガンへ変形する。

 それを構えるダリアノワールの隣で、プリマヴェルデは一直線に駆け出す。

 

「参りますわ!」

「援護するよっ」

 

 けたたましい銃声が鳴り響き、エナの弾丸がインクブスの前衛を襲う。

 エナの防壁を貫通し、腕や脚を穿って機動力を奪っていく。

 

ぐぁ!?

お、俺の脚が!

 

 騎士は疾駆を止めず、混乱の渦中へ突進する。

 その頭上を対戦車ミサイルが通過し、眼前の爬虫類を吹き飛ばす。

 視界を黒煙が覆い、千切れた四肢が舞う。

 

「──小癪なヒトどもが!

 

 黒煙を凶刃が切り裂き、オーガに迫る巨躯が姿を現す。

 

 人型の上半身と四足の下半身をもつ異形──ケンタウロスである。

 

 大陸でしか存在が確認されていないインクブス。

 情報が少ない敵は、脅威そのものである。

 

「手間が省けましたわ」

 

 だからこそ、()()()()ネームドと思しきケンタウロスを狙っていた。

 プリマヴェルデは足を止め、異形と正面から相対する。

 

脆弱なウィッチが無手だとぉ?

 

 対するケンタウロスは髭面を歪め、怒気を放つ。

 四足に膂力を蓄え、右腕の握る長大なソードが路面を削る。

 

嘗めるな!

 

 刹那、アスファルトが陥没し、巨躯が消える。

 

 ケンタウロスの突進──それは暴風の如く。

 

 音速を超えた下段からの斬撃は、常人には回避不能。

 しかし、亜麻色の線は死角となる左手へ潜り、凶刃と交わらない。

 

ちっ

 

 空振りしようと四足で駆け抜けるケンタウロス。

 その背に二足で追従するプリマヴェルデ。

 包囲を試みる無作法者は、魔女の弾丸に穿たれる。

 

小賢しい!

 

 急停止と同時に背後へ繰り出される後脚。

 追撃してきた数多のウィッチを打倒してきた必殺の一撃だ。

 

 眼前に迫る蹄──騎士は足を止めない。

 

 紙一重で頭を逸らし、伸び切った関節へ右の裏拳を打ち込む。

 しかし、体勢の悪さも相まって威力はない。

 

「一手っ」

 

 これは布石──プリマヴェルデの権能が発動する。

 

 打ち込んだ場所からインクブスの体表が()()されていく。

 

「二手!」

 

 ケンタウロスの左半身側へ踏み込んで、左のガントレットを腹へ叩き込む。

 そこからインクブスの体内が可視化される。

 

 筋肉の躍動を視認、動作を予測──ケンタウロスの巨影がプリマヴェルデを覆う。

 

痛くも痒くもないぞ!

 

 接地した後脚で半身を持ち上げ、ウィッチの頭上より前脚を落とす。

 それを最小限のステップで躱し、路面だけが砕かれる。

 四散するアスファルト片を白磁の鎧が弾き、即座に騎士は踏み込む。

 

「三手っ」

 

 快音が響く。

 腰を入れた鋭い打撃が前脚の関節を微かに歪めた。

 致命傷からは遠い。

 しかし、朱色の瞳には体内を巡るエナの循環が映る。

 

このっ!

 

 反射的な前脚の振り上げは予測済み。

 その打撃を正面から受けず、風車のように回転の力へ変換する。

 

「大振りが多いですわね──四手!」

 

 舞踊のように軽やかに回り、上段蹴りを左前脚へ打ち込む。

 ケンタウロスの半端に浮かせた上体が揺れる。

 

ぐっ…おのれ!

 

 怒気に呼応し、循環するエナに毒々しい赤紫が浮かぶ。

 その流動を目で追い、浅緑の騎士は自然体で構えた。

 赤紫のエナは右腕へ集中し──

 

これは避けられるか!

 

 前脚が接地した瞬間、エナを纏ったソードが振り抜かれる。

 それは斬撃ではない。

 

 エナと熱量の暴威──衝撃波で路面が抉れ、射線上の雑居ビルが粉砕される。

 

 しかし、倒れたウィッチの姿はない。

 コンクリート片の粉塵が舞い、四散したガラスが世界に降る。

 そこで白磁の鎧が陽光を浴びて瞬く。

 

「それは甘いのではなくて?」

 

 声の源は、空中にあった。

 人馬の異形を見下ろし、朱の瞳より高く振り上げられた脚。

 

「五手!」

 

 その一撃は、ケンタウロスの頭頂部へ振り下ろされる。

 

ぐぁっ!?

 

 体重と重力を合わせた強打に頭蓋が震えた。

 

 それでも巨躯は倒れない──その頭頂部を蹴って、背後へ跳び下りる。

 

 亜麻色の髪を捕らえんとした左腕が空を切った。

 軽やかに着地し、プリマヴェルデはステップで間合を仕切り直す。

 

おのれぇ…!

 

 怒髪天を衝く。

 髭面を憤怒に染めたケンタウロスの双眸が、ウィッチを睨む。

 四足に再び膂力を蓄え、突進の構えを見せる。

 

「……終わりですわ」

 

 鋭く息を吐き、プリマヴェルデは脚を軽く開いて拳を構える。

 ケンタウロスを構成する全ての要素は解析された。

 ならば、障害は存在しない。

 

抜かせ!!

 

 急加速する大質量に、ウィッチは真正面から吶喊する。

 激昂したケンタウロスは、その異常性を理解できない。

 

 少女の拳が前胸へ入り──下半身を粉砕されるまで。

 

 馬体の血肉が弾け、エナの飛沫が打撃方向へ散る。

 

な、にが…!?

 

 四足が失われ、空中へ放り出された上半身。

 驚愕で固まる髭面は、己の血で染まった路面を捉え──

 

「ごきげんようっ」

 

 脚を振り抜くプリマヴェルデを最後に、永遠の闇へ還った。

 荒れ果てた路面に骸が落下し、鮮血を散らした浅緑のサーコートが風に揺れる。

 

馬鹿な!

一体、何を…?

 

 上位者を七手で屠ったウィッチが何者であるか、インクブスは知らない。

 情報を記憶する者は、災厄の軍勢に飲まれてしまった。

 

「次は、どちらが──」

よくもベルナールを!

 

 死角より繰り出されたスピアを裏拳で逸らし、もう一手で馬体の前胸を貫く。

 

 ウィッチナンバー11の殺法──体内のエナへ方向性を与え、脆弱部から破断させる。

 

 エナの性質を把握した彼女に、防壁は機能しない。

 ケンタウロスの下半身は、水風船のように破裂した。

 

な、なぜぇぉがっ

 

 物理的に下がった頭部へ肘を叩き込み、四散させる。

 その拳が触れたインクブスは、()()()()()()()()()()()()

 

「お相手してくださるのかしら」

 

 浅緑のサーコートを赤く染め、騎士はガントレットを構えた。

 

 

 永遠の平和など存在しない。

 人々は己の命を代価に、それを思い出す。

 赤い火の手が上がり、赤い血が路面を流れる。

 耳を塞ぎたくなる悲鳴が響き、心身を震わす爆発音が轟く。

 

 見知った街──そこは戦場へと姿を変えた。

 

「芙花ちゃん…待って…」

「あそこまでがんばろう!」

 

 その渦中を、東芙花は親友の手を引いて駆けていた。

 周囲に大人はおらず、目に入るのは倒れ伏した姿だけだ。

 歩道へ乗り上げて横転したバスの陰へ走り込む。

 

「はぁ…はぁ…」

「ど、どうして…こんな…」

 

 バスの窓から生えた手を見ないよう涙目の親友を抱く。

 退院祝いのプレゼントを選ぶため、付き合わせた親友を見捨てはしない。

 肺は痛みを訴え、心も溢れそうだった。

 

「泣いちゃだめ…!」

 

 それでも不安と恐怖で上がってくる涙を堪え、芙花は交差点を見つめる。 

 泣きつける最愛の姉は、いないのだ。

 ()()()外出してきた以上、居場所を知るはずもない。

 

「警察の人を見つけないと…」

 

 非常事態に遭遇した時、姉は警察官を探すよう妹へ何度も言い聞かせていた。

 自身がいない時を見越し、備えてきたのだ。

 それが、芙花を無力な子どもにしなかった。

 

「また、走るよ…!」

「…うん」

 

 必死に息を整え、震える手と手を握り合わせた。

 悲鳴を聞き、2人の少女はバスの陰で縮こまる。

 

 怪物に捕まってはならない──この短時間で、芙花は姉の言葉の意味を知った。

 

 いつまでも縮こまってはいられない。

 姉と同じ長い黒髪に触れ、芙花は勇気を振り絞る。

 

「行こう!」

 

 バスの陰から飛び出し、交差点を目指す。

 そこを右折し、直進すれば駅と駐在所があると芙花は記憶していた。

 機能しているはずもないが、持てる知恵で必死に思考を回す。

 

「ここを曲がれば──っ!」

 

 コンビニエンスストアを曲がった先、歩道が円状に陥没していた。

 その中心には、1人の少女が倒れ込んでいる。

 

 淡い桃色の装束を纏った傷だらけの少女──ウィッチだ。

 

 激しい戦闘の痕跡が残る以上、襲撃者の存在は近い。

 

「助けなくちゃ…!」

 

 しかし、傷ついた少女を見捨てる選択肢はなかった。

 心優しい姉を見て、健やかに育ってきた芙花には。

 

「ごめん…先に逃げて!」

「芙花ちゃん!?」

 

 親友の手を離し、芙花はウィッチに駆け寄る。

 己の能力を自覚して優先順位を定めることは、まだ難しい年齢だ。

 芙花の行動は、間違いなく失敗だった。

 

「大丈夫ですか!」

 

 意識を喪失したウィッチが、声に反応することはない。

 ただ、破れたリボンの残る胸元は上下している。

 近くにしゃがみ込んだ芙花は、授業で学んだ応急手当を──

 

なんだぁ? 雌が増えてやがる

 

 悍ましい声が、至近から聞こえた。

 人間ではない異形の発する言語ではない音。

 全身を悪寒が駆け抜け、芙花は()()を認識する。

 

まぁ、いいか……皆殺しにしろ、なんて勿体ねぇよな?

 

 すぐ背後から注がれる視線は、芙花の四肢を舐め回すようだった。

 恐怖で悲鳴を上げることもできず、ただ振り返るしかない。

 

 黒い外衣が揺れ──鉤鼻の異形が邪悪な笑みを浮かべる。

 

 少女の力では抵抗など不可能な存在、人類の天敵たるインクブスだ。

 

ちょうど、手頃な雌がいるってのによぉ…!

 

 それも大陸で数多の少女を誘拐してきた最悪の手合。

 ボガートと呼称される異形は下劣な笑いを浮かべ、芙花へ手を伸ばす──

 

「伏せなさい!」

 

 ()()()()()声を耳にし、芙花は迷わず頭を抱えて伏せる。

 

 汚らわしい手を止めるボガート──その顔面に音速の弾丸が直撃した。

 

 エナの防壁は貫けない。

 それは百も承知、連続で銃声が鳴り響き、銃弾が頭部を強打する。

 たまらず防御の体勢を取るインクブス。

 

ちっ鬱陶しい──かはぁ!?

 

 脚を止めたボガートが仰け反り、宙に浮き上がる。

 アンチマテリアルライフルの弾丸は、貫通せずとも軽量な体躯を弾き飛ばした。

 

 近づいてくる足音──丸まっていた芙花は、恐る恐る顔を上げる。

 

 まず、見慣れた国防軍の制服と武骨なライフルが目に入った。

 それから視線を上げ、背後へハンドサインを送る男の横顔を見る。

 目と目が合う。

 

「待たせたね、芙花!」

 

 この世で最も頼もしい家族の声。

 

 国防軍の制服に身を包んだ男──東恭輔は、愛娘に笑ってみせた。

 

 頬に新しい傷が増えた以外、何一つ変わらない父の笑顔だ。

 絶望を吹き飛ばす希望を前に、芙花の目からは涙が溢れ出す。

 

「父ちゃん!!」

 

 白い制服は赤く染まっていたが、それは救護の際に付着した血であった。

 確かに二足で立ち、逞しい腕で娘を抱く。

 

「もう大丈夫、父ちゃんが来たぞ…!」

 

 この場に恭輔が居合わせたのは、ただの偶然でしかなかった。

 

 失敗に終わった傀儡軍閥の九州侵攻──その際に初のベイルアウトを経験した恭輔は、戦傷を負った。

 

 それを理由に防人の任を解かれ、家族の元へ戻る途中で、襲撃に遭遇。

 駅で下ろされた恭輔は、孤立中の警察官を率いて市民の救助に奔走していたのだ。

 

「君、大丈夫か!」

「ウィッチ1名を保護!」

 

 警察官2名が座り込んだ芙花の親友とウィッチの容体を確認する。

 

 残る警察官は──不倶戴天の敵へライフルの銃口を向けていた。

 

 戦車砲や対戦車ミサイルでなければ、一撃でインクブスを屠ることはできない。

 

やってくれるなぁ…餌の分際で!

 

 当然のように立ち上がり、表情を歪めるボガート。

 憎悪に濁った双眸は、駅に近い駐在所2階の狙撃手を睨む。

 

遊んでるなよ、おい

 

 その背後に黒い影が降り立つ。

 

まだ生き残りがいたか

雄ばかりかと思ったが、いい雌がいるじゃねぇか

 

 嘲笑を浮かべ、車道一帯を見遣る新手のボガートは3体。

 恭輔と数名の警察官が下劣な視線から少女たちを隠す。

 

「…まずい」

 

 一瞬で状況が悪化し、警察官の額を汗が流れる。

 複数体のインクブスを制止できる打撃力はない。

 防人は、自身の得物が怪物に非力であることを知っている。

 

「ウィッチおよび民間人の退避を優先しろ」

「了解」

 

 臨時の上官に当たる恭輔の命令に、警察官たちが異を唱えることはない。

 否、命令されるまでもなく、己の責務が何であるかを理解していた。

 

「あの子たちと一緒に行きなさい」

 

 愛娘の頭を力強く撫でた父は立ち上がり、視線だけで道を指し示す。

 大きな両手は、敵を退ける武骨なライフルを握った。

 

「父ちゃんは…?」

 

 再会を果たした父が戦士の顔となっても、芙花は離れることができない。

 聡い少女は、最悪の結末が予期できてしまった。

 

「悪い奴をやっつける──大丈夫、すぐ行くよ」

 

 わずかに見せた横顔には、いつもの笑顔が浮かぶ。

 警察官に手を引かれ、頼もしい父の背中が離れていく。

 

すぐ八つ裂きにしてやるよ!

 

 その光景に苛立ちの限界を迎えたボガートが地を蹴った。

 腕で頭部だけ防御した、回避を考えない突進。

 しかし、その速度は人間を軽々と凌駕する。

 

「撃て! 接近させるな!」

 

 一斉に銃口が火を噴き、弾丸がインクブスに殺到した。

 1体に対して2名1組で銃撃を浴びせるも、その脚は止まらない。

 

「いきなさい、芙花!」

「父ちゃん!」

 

 駆け出す警察官に引かれながら、芙花は遠ざかる父を見つめ続けた。

 

 銃声が間延びして聞こえ──少女は呼吸を忘れる。

 

 父を、東恭輔を、切り裂かんと異形が腕を振り上げた。

 

死ねっ

 

 閃光が走る。

 肉が焼け、爆ぜる音。

 

 異形の腕が振り抜かれることはない──その半身は二つに裂けていた。

 

 骸は()()()によって滅却される。

 何が起こったか、誰一人理解できず、動きを止めた。

 驚異的な身体能力を有するインクブスすら知覚できていない。

 

なにが

 

 驚愕に染まる醜悪な顔が蒸発し、残された下半身も焼け焦げる。

 エナの残滓が舞って、ようやくウィッチの()()であるとインクブスは知覚した。

 

逃げっ

 

 天から降った眩い光が、残るボガードを連続で射抜く。

 

 断末魔もなく消滅する怪物ども──歴戦のエースパイロットは思わず天を仰ぐ。

 

 そして、父を救った光を確かめようと、幼き少女も蒼穹を見上げた。

 

「流れ星…?」

 

 夜の訪れていない空を星が流れる。

 瞬きより早いエナの輝きは、光速に匹敵していた。

 それら全ては、悪辣なる怪物を滅却せんと降り注ぐ──




 父の日に投稿できなかったゾ(痛恨のミス)


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奇術

 番犬(狂犬)は別件対応中だゾ。


 私が1人で出来ることなど底が知れている。

 どれだけ多種多様なファミリアを率いても限界がある。

 今までの私なら、また傍観者で終わっていただろう。

 

「次は南西へ移動中の群れだ。進行方向に避難所がある」

 

 ファミリアは獲物であるインクブスだけを追尾する。

 逃げ惑う人々は認識しても、それは障害物だ。

 だから、市街地の状況を想像し、標的を()()しなければならない。

 

「見えた」

 

 私とテレパシーを共有するゴルトブルームは、素早く位置を把握する。

 黄金の瞳は虚ろだが、それはファミリアと視覚情報を共有しているからだ。

 

 指揮者の如く右手を振るえば──長大な砲身が鎌首を擡げる。

 

 滑走路横の芝地、6枚の大楯で囲ったカノン砲が天を睨む。

 そこは即席の()()()()だ。

 

「近づかせるかよ…ベニヒメ!」

 

 エナの砲弾が装填──正確には充填か──され、砲身を軸にして狐火が回り出す。

 

「任せて~」

 

 紅の和装を靡かせ、ベニヒメが左手を横へ振るう。

 それに呼応して速度を増す9つの狐火は、やがて青き光輪となる。

 

 光輪を纏った砲身が、角度を微調整──これにて発射態勢は完了。

 

「撃て」

 

 衝撃で土埃が舞い、髪が暴風に弄ばれる。

 頭上に広がる空を見上げれば、エナの輝きが通過。

 複数の子弾へ分離して()()()()()光景は、流星群に見えなくもない。

 

 最終調整──テレパシーへ集中、標的の位置を再確認。

 

 そして、天から星が落ちる。

 

着弾を確認…全弾命中です!

 

 標的の完全な消滅を上空のハマダラカが視認。

 制御された子弾は、恐るべき精度でインクブスに命中した。

 ベニヒメのエナによって死骸は骨まで焼却され、バイオハザードを防止する。

 

「逃走方向に伏兵を回せ」

既に待機中です

 

 泡を食って逃走する残党は、フロッグマン2体だ。

 姿を隠しても逃げられると思うなよ。

 市街地に潜伏するファミリアは、お前の()()にいるぞ。

 

処理しました

 

 フロッグマンは逃げ込んだ路地で、マンホールから現れたジグモと対面。

 鋏角で貫かれ、すぐ地下へ引きずり込まれる。

 アンブッシュで屠ったインクブスは、これで39体目だ。

 

「よし」

 

 表立って戦闘へ参加できないが、連中の退路は確実に潰す。

 1体も逃すものか。

 人の目が届かない場所へ逃げたインクブスは即座に駆逐する。

 

すごいですね、この体制は…

「ああ」

 

 左肩で感慨深げな声を出すパートナーへ頷きを返す。

 

 今までは想像もつかなかった──ファミリアを用いた弾着観測射撃など。

 

 飛び道具を有するファミリアも存在するが、この距離と精度は望めない。

 私だけでは不可能だった。

 ただ──

 

「大丈夫か」

「大丈夫…って言いたいけど、さすがに精度が落ちるな…」

 

 ゴルトブルームへの負荷が凄まじい。

 眉を顰める彼女は、テレパシーを確認しつつ、砲撃と子弾の姿勢制御を行っている。

 一度の発射で自壊するマジックの大砲を、連続発射できるよう再構築する等の調整も見逃せない。

 ファミリアの統制を私が引き受けても、その負荷は重いはずだ。

 

「ちょっと休憩しない?」

「いや、まだいける」

 

 心配するベニヒメへ気丈に笑ってみせるが、顔色は優れない。

 つい最近、()()を見たばかりだろうに。

 

「小休止だ」

 

 次弾を装填する前に制止し、テレパシーの共有を解く。

 

「無理をしても最大限のパフォーマンスは発揮できない」

 

 そう言って、不満の色を浮かべる黄金の瞳を見返す。

 半数のインクブスを消滅させた今、ウィッチと国防軍の対応が間に合いつつある。

 ここで負荷を強いても仕方がない。

 

私も同意見です、主よ

 

 胸元で揺れる十字架より響く声を受け、ゴルトブルームは渋面となる。

 それでも光の戻った瞳を閉じ、小さく頷いた。

 

「……分かった」

 

 ベニヒメが紅の和傘を差して、腕を組んだゴルトブルームを日陰に入れた。

 私たちの格好は、今の季節では厚着だ。

 身体能力の優れたウィッチだから暑くないわけじゃない。

 

頭数は減りましたが、まだネームドと思しき個体は健在ですね

 

 フードを被って日光を遮りながら、エナの増減を注視する。

 市街地の中央が最も激しく、戦闘の苛烈さを物語っていた。

 

「信じるだけだ」

 

 任せると言った。

 なら、彼女たちの手腕を信じ、出来ることをする。

 

そうですね、信じましょう

「ああ」

 

 黒曜石のような眼に映る私は、悪くない顔をしていた。

 傍らで命令を待つハンミョウの頭を撫で、基地に展開するアメリカ軍を見遣る。

 厳戒態勢にある彼らは、歩兵が主体らしく車両は見当たらない。

 たった今、攻撃ヘリコプターが格納庫から姿を現したところだ。

 

「アメリカ軍も参戦するのかな?」

なら、ウィッチを先行させるじゃろうな

 

 頭上の耳を動かすベニヒメが兵士たちの動向を目で追う。

 ()()1()()で国防軍へ不信感を抱いたアメリカ軍が動くか、それは分からない。

 灰色のコートを纏ったモーガン少尉たちは格納庫の前で待機したままだ。

 

「要請を待ってるのかもしれん」

 

 軍隊という大所帯の組織である以上、感情論とは無縁だろう。

 ファミリアは一切の()()()()がない。

 私が判断を誤れば最悪の結果を齎すが、フットワークは非常に軽い。

 

 戦力の集結と展開は完了しつつ──突如、大気中のエナが膨れ上がった。

 

 その感覚を、私たちは知っている。

 和傘が空を舞い、地面から引き抜かれる6枚の大楯。

 

「これって…」

「ああ、ポータルだ」

 

 異界への扉が開かれる兆候。

 それは至近、陽炎揺らぐ滑走路の中央から発されていた。

 不気味な風切り音が響き、紅の閃光が走った瞬間、空間が歪む。

 

「…偶然じゃねぇな」

偶然とは思えません

 

 世界の色が反転。

 大楯を翼のように従えたゴルトブルームは、鉛色のメイスを握る。

 視界の端で、モーガン少尉と兵士たちが一斉に動き出す。

 

「ここで叩くぞ」

「言われなくても」

 

 腰のククリナイフを抜き、軽く振って重心を確認。

 同時にハンミョウとハリアリの一群を、ポータルの周囲へ走らせる。

 

「とりあえず──」

 

 紅い渦へ指先を向けたベニヒメの周囲に狐火が浮かぶ。

 射線上のハリアリを退避させ、翠の瞳へ頷きを返す。

 その間にもポータルの奥底から筋骨隆々の腕が伸びる。

 

「燃やすね」

 

 赤い渦より現れた巨躯へ青い軌跡が走った。

 数にして18条。

 

 それは火球というより光線──着弾と同時に、爆炎が滑走路を照らす。

 

 しかし、インクブスの肉体は消滅していない。

 青い焔に焼かれながらコンクリートの大地に立ち、悠々と周囲を見渡す。

 

ご挨拶だなぁ……ええ?

 

 大気を震わせる野太い声には、喜色が浮かぶ。

 まるで、エナの焔を脅威と思っていない。

 ポータルを円状に囲い、大顎を打ち鳴らすファミリアを見て、インクブスは鼻を鳴らす。

 

 ()()()()嘲り──今回は連中の評価も外れではないか。

 

 現状のファミリアでは、戦力不足が否めない。

 

「……オーガか」

 

 大質量を振り回すパワーとオーク以上のタフネスを備え、肉弾戦で最も強力とされるインクブス。

 これまでの個体に比べ、明らかに体躯とエナの総量が違う。

 後続も含め、その数は6体。

 

見つけたぞ、災厄のウィッチ…!

 

 身の丈ほどもある鉄塊を担ぐオーガが私を睨みつけ、口角を上げた。

 

 

「新手ですか」

 

 紅白の軍装を翻し、ウィッチナンバー10は市街地の彼方へ視線を向ける。

 傍らには8本のサーベルに貫かれ、息絶えたボガートの姿。

 

マスター、現状の作戦を続行すべきと進言

 

 機械仕掛けの近衛兵は4つの単眼を点滅させ、王へと進言する。

 それと並行し、ボガートの口からサーベルを抜き、刀身を振るって血を払う。

 

「そのつもりです」

 

 パートナーの進言に頷き、ユグランスは背後へ振り返った。

 そこには国防軍の車両が護る道路上を横断する群衆。

 老若男女関係なく恐怖と不安に苛まれた表情を浮かべ、ただ前へ進んでいる。

 

「私が注力すべきなのは、護衛と支援です」

 

 アメジストを思わせる紫の瞳が、すぐ脇にある歩道の花壇を映す。

 刹那、紅白の軍装が弾けて蜃気楼のように消え失せる。

 

なにっ!?

 

 幻を突き破って路面へ着地したフロッグマンは、周囲に視線を走らせた。

 奇襲に失敗、すぐ離脱せねば、反撃が殺到する。

 跳躍して、信号機の上まで退避──

 

ぐぇあっ

 

 フロッグマンの頭蓋を白刃が刺し貫く。

 驚愕で見開かれた眼は、重力を無視して()()()()()()()()近衛兵を捉えた。

 

処理します

 

 四方から殺到したサーベルに貫かれ、フロッグマンは確実に絶命する。

 まったく同じ場所に佇むユグランスは1歩前へ踏み出し、流れ落ちる血を躱す。

 

 王の頭上で刃を交える6体の近衛兵は、瞬きの後──1体を残して姿を消した。

 

 残る1体はサーベルを振り抜き、死骸を斬り捨てる。

 それに見向きもせず、ユグランスは交差点の中心へ歩いていく。

 

「ナンバー13には驚かされてばかりです」

肯定。インクブスの奇襲は不可能と推察

 

 シルバーロータスとの邂逅は、驚愕の連続だった。

 彼女のファミリアは驚異的な精度でインクブスを捕捉し、その情報を更新し続ける。

 索敵用のファミリアを召喚する必要がない。

 

「マイヤー、より広域をシアター(劇場)に組み込めますか?」

 

 つまり、全てのエナを戦闘へ傾けることができる。

 

半径3kmまで拡張が可能

 

 背後に控えるパートナーは、淡々と事実だけを述べた。

 半径3kmとは、同心円状に拡張した場合である。

 それは極めて効率が悪い。

 

「分かりました」

 

 当然、マスターたるユグランスは理解している。

 限界を把握できなければ、標的の()()()を把握できない。

 それだけの話だ。

 

「では、始めましょう」

 

 交差点の中心に佇む紅白の王は、目を閉じる。

 

了解──駆逐対象を共有

 

 機械仕掛けの近衛兵が跪き、4つの単眼を点滅させる。

 駆逐対象とは、ゴルトブルームの砲撃から逃れた有象無象だ。

 

権能を限定解放

 

 再び開かれたユグランスの瞳はエナを帯び、宝石のように輝く。

 世界の色が反転、手元に純白のバトンが現れる。

 指揮者の如く振るい、紅白の王は言の葉を紡いだ。

 

カーテン(開演)

 

 不可視の波が音もなく広がり、世界に浸透する。

 しかし、特筆すべき変化は見られない。

 人々が逃げ出し、混乱の痕跡だけが残された市街のままだ。

 交差点の中心で佇むウィッチも動かない。

 

 そこへ三方から迫る微細な足音──姿形は不可視、フロッグマンだ。

 

 正面戦闘は必ず回避する狡猾なインクブスは、一瞬の隙を逃さない。

 劇薬を忍ばせた鉤爪が、少女の首筋へ──

 

がはぁ!?

 

 触れることはなかった。

 代わりに3体のインクブスを出迎えたのは、無数の白刃。

 刃は全身を貫通し、自由を奪い、死を与える。

 

ぃにが…!

 

 即死を免れたフロッグマンは眼を見開く。

 エナの滴が流れ落ちた先に人間はいなかった。

 

 頭や腕からサーベルの刀身が生えた姿──まるでアザミの花のよう。

 

 視界の端で白刃が瞬き、フロッグマンの意識は消滅する。

 

「まず、南東の群れから駆逐します」

 

 血飛沫の飛び散った路面を踏み、五体満足のユグランスは淡々と告げた。

 

了解

 

 フロッグマンの首を刎ねたパートナーもまた淡々と応じる。

 交差点の中心にあった異形の花は、姿を消していた。

 

 ──初めから無かったように。

 

 ウィッチナンバー10の権能を認識できる者は少ない。

 その領域に立ち入った敵意ある者は、例外なく()()に惑う。

 

ど、どうなってやがる…?

 

 同胞の腹を切り裂く紅白の影に、ボガートは後退る。

 国防軍の兵士を追って踏み込んだマンションの4階は、異界と化していた。

 影まで鮮烈な原色で彩られ、血飛沫の赤が霞んで見える。

 

まさか、ウィッチのファ──」

 

 口からサーベルの刀身が飛び出し、遅れて黒い外衣から白刃が生えた。

 ボガートの背後に立つ者たちは、紅白の軍装を纏った兵隊。

 白い歯を見せて笑う()()()()()()()だ。

 

ぎゃああぁ!

ぐぁぁぁ!

 

 市街地の随所で、インクブスの断末魔が響き渡る。

 避難する人々を追っていた二足歩行のワニは、それを聞き逃してしまった。

 そして、横断歩道という境界を跨いだ瞬間、世界は原色へ塗り替わる。

 

何が──かはっ!?

 

 突如、四方からサーベルを捻じ込まれ、血泡を吹いた。

 スコスと呼称されるインクブスの鱗を深々と貫く者は、大口を開けて笑う。

 

なんなんだ、こいつら…!

 

 信号機や花壇の影から紅白の人形が這い出てくる。

 その異様な敵を前に、後続の一団は思わず脚を止めた。

 

構うな、薙ぎ払え!

 

 されど大陸より帰還した少数精鋭は冷静に距離を取り、両腕を突き出す。

 

 高濃度のエナを収束、解放──虚空より高圧水流が放射される。

 

 直撃の衝撃で人形の戦列は、簡単に弾け飛んだ。

 その手応えの薄さに眉を顰めるインクブスたち。

 

……やった、か!?

 

 原色の世界を転がっていた四肢が、時を巻き戻すように結合する。

 再び組み直された人形の戦列は、サーベルではなく前装式のライフルを携えていた。

 インクブスを睨む銃口が一斉に火を噴く。

 

ぐがぇ!

がぁっ

 

 エナの防壁も鱗も弾幕の前では砕け散るだけ。

 四肢を撃ち抜かれたスコスの一団を見下ろす人形は声もなく笑う。

 路面を這うインクブスにバヨネットが殺到した。

 

くそっ…!

 

 飛び込んだ路地裏で、災厄の眷属を幸運にも躱せたフロッグマンは悪態を吐く。

 影すら着色された異界は、ウィッチの見せる幻影だ。

 路地を曲がり、領域から脱出せんと駆ける。

 

……ヒトの雌?

 

 その視線の先、路地の入口で縮こまる少女の姿があった。

 小さな体躯は非力で、交尾相手に最適。

 フロッグマンは警戒しつつも、理想的な雌を前に口角を上げた。

 

 足音を殺して忍び寄り──少女の顔が、フロッグマンへ向く。

 

 耳まで裂けた口は笑みを浮かべ、紫の瞳は大きく見開かれていた。

 そして、体の軋む異音が路地を反響する。

 

なっ!?

 

 少女の体は3倍へ膨張し、毛が生え、鼻が伸び、爪が伸びる。

 

 悪夢のような光景──フロッグマンの眼前に出現した齧歯類の怪物は笑う。

 

 無邪気に笑いながら、鎌の如き鋭利な爪を振るった。

 

ぎゃあぁあぁ!

 

 インクブスは狂気の世界で無様に踊り、その命を散らす。

 しかし、正常な人々の目には、機械仕掛けの近衛兵が人類の天敵を滅ぼす様が映っている。

 どちらが真実であるか、それは重要ではない。

 インクブスの死が確約されている事実があれば、視覚情報は誤差である。

 

領域内のインクブスを駆逐

 

 4つの単眼を点滅させ、パートナーは淡々と報告する。

 屈強な機械の腕に抱えられたユグランスは、小さく頷きを返す。

 強力ゆえに消費するエナも桁違いであり、連続の使用はできない。

 

「……後は頼みますよ」

 

 ユグランスは小さな王冠を手で支え、黒煙で狭まった蒼穹を見上げる。

 出現したインクブスは、過半数を駆逐した。

 残す脅威は、友人たちが相対するネームドである。




 作者「これもう魔女では?」
 兄者「魔(法少)女じゃん」


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激発

 作者の性癖詰め合わせ(グルグル目)


 最も激しい戦闘の繰り広げられている市街地中央。

 国道に面する商業ビルの壁面が弾け、3階フロア部分から水が噴き出した。

 瓦礫や日用品を含んだ濁流が国道へ降り注ぎ、放置された車を吹き飛ばす。

 粉塵が巻き上がる中、2人のウィッチが横転したトラックの上へ降り立った。

 

「やってくれるね」

「威力は大したことありませんけど、厄介ですわね」

 

 黒い魔女と浅緑の騎士は、装束から水を滴らせる。

 そして、壁面が崩壊したことで露出した3階フロアのインクブスを睨む。

 

許さんぞ、ウィッチ!!

 

 二足歩行するワニの姿をしたインクブス、その一党を率いるネームドの声は怒りに満ちている。

 射殺され、破裂させられた同胞の仇を討たんと憤怒で身を焦がす。

 自身が相対する者たちを虐げた事実など考慮せずに。

 

「どの口が言ってるのかな」

被害者ぶるなよ、害獣が

 

 大口径のハンドガンを構え、ダリアノワールとパートナーは最大限の侮蔑を向ける。

 次いで琥珀色の瞳は、国道を覆う水面に刻まれる()()を映す。

 それは車両と車両の間を縫い、横倒しになったトレーラーの陰へ消える。

 

 3体のフロッグマンが死角より強襲を狙う──ハンドガンの銃口が火を噴く。

 

 無造作に発射された3発の弾丸は、軽自動車のボンネットで跳弾した。

 次はトラックのミラーで跳弾、そしてトレーラーの背面へ飛び込み──

 

ぐべがぁ!?

 

 息を潜めるインクブスの後頭部を吹き飛ばす。

 まるでマジック(魔法)のように。

 

やりやがったな!

 

 トレーラーの陰より偽装を排したフロッグマンが跳躍。

 鮮やかな黄の影が、上方よりウィッチを強襲する。

 

「ダリアノワールさん」

「はいはい」

 

 浅緑のサーコートが翻り、立ち位置を入れ替えたプリマヴェルデが拳を構える。

 同時に、ダリアノワールの足元に伸びる影が盛り上がって弾けた。

 

もらったぞ!

 

 漆黒の外衣が大きく開かれ、醜悪な顔には勝利への確信が滲む。

 ボガートの鋭利な鉤爪が怪しく光った。

 

「やぁ、待ってたよ」

っ!? こいつ──」

 

 魔女は胸元で抱えるようにハンドガンを構え、至近距離で連続射撃を浴びせる。

 全弾が直撃した漆黒の影は吹き飛び、無様にアスファルトを転がった。

 

く、そがぁ!

 

 それでもネームドのボガートは即死せず、軽自動車の陰へ滑り込む。

 

ちぃ!

 

 プリマヴェルデとの拳闘は自殺行為。

 ゆえに空中のフロッグマンは鉤爪を見せながら、左手に握る擲弾を投擲する。

 

 それはウィッチ殺しと目された劇物──朱色の瞳が飛来物を正確に追尾。

 

 拳は繰り出されず、一歩前に出たプリマヴェルデは擲弾を()()()

 

なにっ!?

 

 その勢いを殺さず、体を回転させて商業ビル3階へと剛速球を放つ。

 そして、迫る鉤爪に対して銃口が火を噴く。

 

ぐぎゃぁ!

 

 エナの弾丸が鉤爪と眼球を粉砕し、フロッグマンは路面へ墜落してトラックに激突。

 擲弾の剛速球が炸裂した商業ビル3階では、毒々しい煙が舞う。

 

ええい、小賢しい真似を!

 

 水球の輝きが弾けて消え、術士が慌てて飛び出す。

 着地を狙って飛来したエナの弾丸は、不可視の防壁に阻まれて弾ける。

 

お前らの玩具だろうが…害獣は頭が悪いのかにゃぁ?

 

 銃口から硝煙を燻らすハンドガンは、心底軽蔑した声色で嘲る。

 とんがり帽子の位置を調節し、ダリアノワールはパートナーの形状を変化させた。

 

「それで……逃げないのかい?」

 

 ボルトアクション式のアンティーク(古風)なライフルを携え、インクブスたちを睥睨する魔女。

 

ヒトの雌風情が!

 

 ()()()恐れられたインクブスの上位者が後れを取っている。

 圧倒的な戦闘能力を前に、相対するスコスの総長も、様子を窺うボガートも、下手に動けない。

 

 メインローターが空気を叩く音──国道上空に姿を現す国防軍の攻撃ヘリコプター。

 

 発射された対戦車ミサイルが頭上を越え、国道の彼方で爆発を引き起こす。

 爆炎より現れるは、魑魅魍魎の残党。

 

()()少ないぜ

 

 エナの残量が、残弾を意味する。

 ナンバーズでも特に短期決戦の傾向が強いダリアノワールは、国防軍の部隊を視界の端に捉えた。

 

「大丈夫、弾ならあるさ」

 

 否応なしに決戦の舞台となった国道で魔女は小さく笑う。

 それを挑発と見た眼前のインクブスはエナを放射。

 周囲に6つの水球を形成し、両腕を突き出す。

 

嘗めるなぁ!

 

 放たれた高圧縮の水流は音の壁を越えてウィッチを襲う。

 冷静さを失おうと高い技量から放たれるマジックは、一撃必殺。

 

 しかし、トラックの上に2人の姿はない──魔女と騎士は、空中に身を躍らせる。

 

 水流は刃の如く振舞い、車両やコンクリートを切断しながらウィッチを追う。

 

「後ろが御留守だよ」

 

 スコスの()()に向けたライフルの引金を絞る。

 次の瞬間、横転していたタンクローリーが爆裂し、インクブスを焔が覆う。

 衝撃波が駆け抜け、国道沿いの建築からガラスが降り注ぐ。

 

……連中から殺してやるっ

 

 2人の眼下では、影へ沈み込んだボガートが国防軍へ向かっていた。

 空中より降り立つウィッチの目には、不審な影が映っている。

 しかし、ドーザーを装備した主力戦車を先頭に前進する国防軍は、接近を探知できない。

 

「トム」

野郎を確実に殺すなら1発

「上等」

 

 スポーツカーのルーフへ着地し、古風なライフルを立ったまま構える。

 全身のエナを集中し、ダリアノワールは権能の及ぶ範囲を拡張した。

 

権能を限定解放

 

 標的は影の中、遮蔽物は多く、姿を捉えることは不可能だ。

 しかし、ダリアノワールは引金を躊躇なく引いた。

 

 発射された弾丸は虚空を切り、命中しない──それを否定する。

 

 弾丸の軌道は物理法則を無視して曲がり、路面の影へ着弾。

 

 しかし、影を貫くことはできない──それを否定する。

 

 影を貫通し、エナで形成された別次元に侵入した弾丸は、ボガートの左胸部を貫く。

 

 たった1発の弾丸では生命を砕けない──それを否定する。

 

な、に…!?

 

 外界からの狙撃に急所を貫かれ、ボガートは意味も分からず絶命した。

 崩壊する狭い世界に骸が取り残され、その存在は完全に消失する。

 

「お見事ですわ!」

「これで弾切れだけどね」

 

 駆け寄ってくるプリマヴェルデに、ダリアノワールは銃口を下ろして人懐っこい笑みを返す。

 その頭上を対戦車ミサイルの軌跡が走り、主力戦車の主砲が猛然と火を噴いた。

 国防軍の猛撃を浴び、魑魅魍魎の残党は鉄火の中へと消える。

 

調子に乗るなぁ!

 

 黒煙より飛び出し、国道に面した建築の壁面を疾走するケンタウロス。

 それに対して攻撃ヘリコプターが機関砲を掃射するも、照準が間に合っていない。

 しかし、魔女が手を振るえば、曳光弾の輝きは()()()()()()

 

ぐわあぁぁぁ!

 

 全身を強打され、人馬の怪物は国道へ落下して粉塵を巻き上げる。

 

おのれ、家畜風情が──」

 

 悪態を吐いて上体を起こした時、彼の目が捉えたのは、主力戦車の砲口だった。

 鋼鉄の獣が咆哮を上げ、紅蓮の焔が瞬く。

 

 国道を一瞬で通過する対戦車榴弾──ケンタウロスの上半身が宙を舞った。

 

 インクブスの骸だけが燃え、砲声と爆発音が止む。

 

まだ終わっていないぞ、2人とも!

 

 上空を舞うフクロウより降ってくる鋭い警告。

 呼応するように放出される膨大なエナ、轟音を立てて水流が渦巻く。

 

これで終わるものか!

 

 焔を消し去り、なお勢いを増す水流。

 全身を黒く焦がされたスコスは、両腕を掲げて巨大な渦を天まで伸ばす。

 

この一帯ごと消し去ってくれる!

 

 自身を形成するエナすら消費した捨て身のマジックは、言葉通りの破壊を齎すだろう。

 それを阻止せんと国防軍の砲火が殺到する。

 兵士の携行する無反動砲、戦車の主砲、攻撃ヘリコプターのロケット弾──

 

「派手だねぇ」

 

 まるで火山の噴火のようだった。

 

「止めますわよ!」

 

 しかし、攻守一体の激流が鉄火の洗礼を一切通さない。

 肥大化する渦は、蒼穹を覆わんばかりだ。

 プリマヴェルデは亜麻色の髪を風に靡かせ、インクブスへ最大速度で吶喊する。

 

「大丈夫」

 

 それとは逆方向にダリアノワールは足を向け、スポーツカーから主力戦車へ飛び移る。

 担いだライフルに弾丸は装填されていない。

 しかし、()()()()()()問題はない。

 

 突然の来訪者──ウィッチを捉える砲塔上部の赤外線カメラには、困惑が滲んでいた。

 

 黒い魔女はウィンクとサムズアップで応じ、敵を指向する。

 意図は不明だが、その標的は既に照準していた。

 徹甲弾を装填した主砲が微かに上下動。

 

「これで終わりだよ」

 

 発砲の衝撃波がウィッチの全身を強かに打った。

 しかし、微動だにしないダリアノワールの目が煌々と輝く。

 装弾筒が分離し、飛び出す弾体にウィッチナンバー6の権能が作用する。

 

死ねぇ──」

 

 両腕を振り下ろさんとするインクブスに、音速の弾体が接触。

 

 エナで生み出した水流は攻撃を通さない──それを否定する。

 

 徹甲弾は一切の干渉を受けず、標的に突入。

 運動エネルギーの暴威に、脆弱化したスコスの肉体は弾けた。

 水風船のように。

 

汚ねぇ花火だぜ

 

 肩に担いだライフルから決め台詞が響き、ダリアノワールは肩の力を抜く。

 市街地に出現したインクブスは、斯くして全滅した。

 

「飛んで帰れるかな?」

それくらいなら大丈夫じゃないかにゃぁ?

 

 普段通りの胡散臭い声色に戻ったパートナーが、適当に応じた。

 

 とんがり帽子を雨粒が打つ──太陽輝く蒼穹より雨が降る。

 

 狐の嫁入りではない。

 制御を失ったエナの水流が四散し、市街地へ降り注いでいるのだ。

 

「残りはオーガが6体か……」

「あの3人なら大丈夫ですわ」

 

 浅緑の騎士は兵士に小さく会釈しながら、魔女の下まで歩み寄ってくる。

 

「むしろ、相手に同情しますわね」

「違いない」

 

 互いに表情を微かに緩め、空を見上げる。

 虚構の雨が、天に虹の橋を架けていた。




 次回「オーガ死す」デュエルスタンバイ!


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蟲毒

 ヒロイン活躍回だゾ!(クソデカボイス)


 コンクリート製の滑走路は、見るも無残な姿となっていた。

 ウィッチとインクブスが全力で激突しているのだから、当然の結果だ。

 

 揺らめく陽炎すら飲み込む大爆発──それは蒼穹のように青かった。

 

 鈍感な私でも荒れ狂うエナを感じ取れる。

 

無駄と言っただろうが!

 

 全身を焼かれたオーガが鉄塊を振り下ろし、コンクリートごと焔を吹き飛ばす。

 衝撃波が駆け抜け、四散するコンクリート片。

 外骨格の強靭なハンミョウ3体が私の前に立ち、それらを防ぐ。

 

「う~ん、タフ……というより治ってる?」

 

 上空から見下ろすベニヒメは、のんびりとした声を降らせる。

 その周囲を旋回する青い狐火は18を数えた。

 マジックの連発で相当なエナを消費しているはずだが、特に変化はない。

 

再生じゃな、間違いなく

 

 焼かれたオーガの皮膚も再生し、全ては振出に戻る。

 ただでさえ高いタフネスが補強され、生半可な攻撃では致命傷にすらならない。

 

雑兵が!

 

 格納庫を背にするモーガン少尉たちは、2体のオーガと交戦中だった。

 激昂したオーガが上段より鉄塊を振り下ろす。

 

ぬっ!?

 

 その右眼をナイフが貫き、灰色の影がエプロン上を疾駆する。

 

In coming(来るわ) !」

I got this(任せて) !」

 

 分厚いシールドを傾け、振り下ろされた質量を流す。

 前傾姿勢となったオーガの懐へ相方とハンミョウが飛び込み、脚に刃と大顎を突き立てる。

 

 しかし、傷が浅い──2体目の反撃が来る。

 

潰れ、ちぃ!

 

 オーガの上半身を爆炎が覆い、鉄塊は虚空を切った。

 その隙に前衛の2人と、肉を千切ったハンミョウは離脱する。

 攻撃ヘリコプターが地上で大破したため、アメリカ軍の援護は兵士の携行する対戦車火器だ。

 

外皮の強度は平均的ですが、再生能力が厄介です

 

 左肩から聞こえるパートナーの冷静な考察に頷く。

 これまでのオーガであれば駆逐しているだろうが、驚異的な再生能力に阻まれている。

 確かに厄介だ。

 だが、()()()()()()()()()()()()

 

 滑走路の外れで轟音と共に土煙が上がる──そこから純白の人影と6枚の大楯が飛び出す。

 

 芝を散らして地を滑るゴルトブルームは、大楯から新たな得物を抜く。

 右手に鉛色のメイス、左手にエストック。

 

逃すな!

必ず仕留めてやるぞ、ウィッチ!

 

 土煙より現れた3体のオーガは、顔面を憤怒に染めている。

 腕や肩にエストックが突き刺さり、どれも手負いだ。

 

「一昨日っ」

 

 正面の1体を睨むゴルトブルームは、滑走の終了と同時に──

 

「来やがれ!」

 

 綺麗なフォームでエストックを投擲した。

 陽光を浴びて瞬く刃が、反射的に上半身を守ったオーガの右脚を貫く。

 

ぬおっ!?

ちっ! 盾を潰せ!

 

 転倒する1体を躱し、左右より迫る2体が得物を振り上げた。

 

 6枚の大楯が前面に回り、防御の態勢に──入らない。

 

 地面と平行に旋回した大楯は、振り下ろされたオーガの指先を正確に打った。

 骨肉の砕ける異音が響き、得物が宙を舞う。

 

おのれっ

 

 一歩も動かないゴルトブルームを前に、オーガたちは距離を取った。

 遅れて鉄塊が滑走路へ落下し、粉塵を巻き上げる。

 

凄まじいですね……

「ああ」

 

 感嘆の声を漏らすパートナーには同意せざるを得ない。

 重量級ファミリアが同数は欲しい相手に、ほぼ単独で対処している。

 ハリアリ12体を援護に振り分けているが、()()()遊兵に近い。

 

「ナンバーズか」

 

 実力の片鱗は見ていたが、改めて実感する。

 身体能力やエナの総量、マジックの精度、それらを組み合わせる戦いの才能、全てが並外れている。

 

 同じ齢の少女とは思えない力──頼もしい、と言うべきなのだろう。

 

 だが、それで背負わされた重責を思うと、素直に頷けない私がいた。

 彼女の才は他人を救うが、自身は救わない。

 

「増援の到着は」

1分です

「急げ」

 

 空輸予定だったファミリアの多くは正面切っての戦闘が不得意だ。

 ナンバーズの実力は認めるが、オーガの駆逐には一手足りない。

 だからこそ、その一手を私は呼び寄せていた。

 

「ちっ…しぶといな」

もうしばらくの辛抱です、主よ

 

 確認の視線を肩越しに投げてくるゴルトブルームへ頷きを返す。

 一瞬だけ小さく笑みを浮かべ、すぐさま表情を引き締める。

 

「私が辛そうに見えんのか?」

まさか

 

 間合を仕切り直し、人類と怪物が睨み合う。

 皮膚が再生したオーガどもは苛立ちつつも、未だに余裕を滲ませていた。

 ここが敵地と忘れていないか?

 

この程度とは、恐れるほどもないな

 

 青い焔を鬱陶しげに払い、鼻を鳴らすネームド。

 身の丈ほどもある鉄塊を担ぎ、空を仰いで不敵に笑う。

 

「ふ~ん、それで?」

 

 18条の青い光線が返答として放たれ、オーガの皮膚を焔が蝕む。

 好機と判断した4体のハリアリが()()()()()左脚に毒針を突き立てた。

 

期待外れだ……これが災厄とは笑わせる

 

 それを見下ろすインクブスの眼には、嘲りの色が浮かぶ。

 鉄塊が振り下ろされ、漆黒の外骨格が砕け散る。

 

ただの虫けら、ただの雌……何を恐れる?

 

 その姿から決して目を逸らさない。

 砕け散ったハリアリは役目を果たし、私に()()を抱かせた。

 それを理解できないインクブスなど──

 

「話にならん」

 

 場違いなロリータボイスから感情を削ぎ落し、吐き捨てるように言い放つ。

 そして、沈黙が陽光と一緒に降ってくる。

 

なんだと?

 

 眉間に深い皺を刻んだネームドが、じろりと私を睨む。

 獣欲ではなく、殺意に近い敵意。

 よく回る口の割に、沸点は低いらしい。

 

「ボギーの方が幾分か利口だった」

ほぅ……調教師風情に劣ると?

「ああ」

 

 あのボギーの方が厄介だったのは、事実だ。

 だから、ごく自然な調子で無駄に高いプライドを逆撫でしてやれた。

 滑走路に突き立てた鉄塊が小刻みに震える。

 

この臆病者が……何を見せてくれるのだ?

 

 なるほど、殺意の根源が見えた。

 確かに私自身は戦わないが、ファミリアを虫けらと嘲った無礼者が何を言う?

 インクブスどもへの回答は一つだけだ。

 

「お前たちを──」

 

 ククリナイフの切先を、インクブスの()()へ向けて静止。

 そして、羽音も足音にも気付かない獲物へ宣告する。

 

「駆逐するだけだ」

 

 視界で閃光が明滅──ネームドの左脚が水風船のように弾けた。

 

……なに?

 

 間抜けなネームドの声に遅れて、空の彼方で雷鳴が轟く。

 姿勢を辛うじて保つが、吹き飛んだ左脚の再生は遅い。

 

増援が到着しました

 

 低空より侵入してきた無数の羽音が滑走路の上空を覆う。

 

「ああ、見えてる」

 

 上空に占位する黄と黒の警告色が、一斉に大顎を打ち鳴らし始める。

 左手を上げれば小柄なヌカカが3体留まり、首を傾げて私を見た。

 ククリナイフの切先を下げ、傍らに降り立った8体のベッコウバチが抱えたものを見遣る。

 

 とことこと足音が近寄ってくる──深い青色の背甲をもつダンゴムシの群れだ。

 

主よ、ご覧ください。壮観ですよ

「……背筋が寒くなってきた」

「まだ来るよ~」

 

 基地周辺のフェンスを乗り越え、無数の足音がインクブスたちを取り囲む。

 全身を細かな毛で覆われたシボグモの群れが前脚を上げ、鋭利な鋏角を見せた。

 そして、長大な体躯で滑走路を囲うオオムカデが曳航肢を揺らし、威嚇する。

 

「Wow」

You're kidding(冗談でしょ)…?」

 

 ファミリアたちは駆逐すべき獲物へ無機質な敵意を向けるだけ。

 足元から見上げてくるウィッチや兵士は、ただの障害物だ。

 

な、なんだ…この数は?

これが災厄の本気か…!

 

 オーガたちは目に見えて狼狽し、周囲へ忙しなく視線を走らせる。

 味方が全滅し、敵地で孤立した者が辿る末路とは悲惨だ。

 能力を過信したな、オーガども。

 

いつ召喚した…?

 

 ようやく左脚が再生したネームドは忌々しげに問うが、答える義理などない。

 ダンゴムシの群れを導き、地に紋様を描かせる。

 脳裏に浮かぶ膨大な情報を選別し、ファミリアの輪郭を形成──

 

リリース(解除)

 

 世界の色が反転し、ダンゴムシの背甲から青が剥離していく。

 紙吹雪のように青が舞う中、鋏型の触肢が空を切った。

 4対の脚が地を捉え、鉤状の毒針を備えた尾節が天を衝く。

 

 召喚は完了──後は命令を下すだけだ。

 

 新たに接続されたテレパシーを含め、ファミリアたちへ命じる。

 インクブスを駆逐せよ、と。

 

ギルマン!

狼狽えるな! ただの虫けら──」

 

 頭上よりスズメバチの軍勢が降り、ヌカカが黒い風となって吹く。

 一斉にファミリアが動き、巨躯のインクブスも迎撃のため姿勢を落とす。

 

 激突──その直前にスズメバチがカウンターの毒液を噴射。

 

 オーガの頭部を狙い、感覚器官を潰しにかかる。

 

ぐっ!

ええい、鬱陶しい!

 

 堪らず顔面を防御するオーガたち。

 原種の毒液はアミノ酸をベースとする化合物を複数混合し、様々な炎症を引き起こす。

 それをエナは正確に再現していた。

 

 発痛作用、細胞破壊、毒液の浸透促進等──放置すれば顔面が壊死するだろう。

 

 脚を止めた獲物へヌカカが群がり、背中や首に吻を突き刺す。

 吸血の際、注入する唾液はインクブスにとって毒だ。

 

この程度で!

 

 小型ゆえに脅威とはならず、オーガは叩き潰そうと腕を振るった。

 その滑稽なダンスを披露した個体を、ファミリアは見逃さない。

 軽自動車ほどもある濃紺の影が群がり、毒針を突き立てた。

 

くそっが、ぐあぁぁ!

 

 ベッコウバチが備える大型の毒針は、激痛と共に獲物を麻痺させていく。

 

死ねっ死ぃがぁ!

 

 四肢の動きが鈍化して転倒するも、再生能力の恩恵によって暴れる元気があった。

 だから、ベッコウバチは何度も刺突し、ヌカカは黙々と吸血を続ける。

 

武器を取っぎゃぁぁぁ!

くそがぁ!

 

 無手のオーガ2体は、黄色と黒の警告色に覆われていた。

 スズメバチは毒液が尽きるまで刺突でき、獲物が昏倒せずとも()()を開始する。

 2体の得物を叩き落したゴルトブルームは口が引き攣っていた。

 罪悪感は、脇に置く。

 

叩き潰しぃがは!?

 

 モーガン少尉たちと相対していたオーガの1体は、シボグモに背面から強襲されて転倒。

 鋭利な鋏角で皮膚を貫通され、神経毒が注入される。

 続々とシボグモが集り、巨躯は灰色の毛に覆われた。

 

が…かはっあぁぇ……

 

 オーガを凌駕する巨躯のオオムカデは、ヌカカの集る獲物を引き倒して息絶えるのを待つ。

 アメリカ軍の眼前で、獲物の首元に顎肢を突き立て、神経毒を流し込む。

 再生能力があろうと21対の脚が抵抗を許さない。

 

やはり、ネームドは一筋縄ではいきませんね

「楽に終われば苦労はない」

 

 パートナーが言うように、残るはネームドだけ。

 身の丈ほどもある鉄塊で空気ごと薙ぎ払い、ヌカカどころかスズメバチも近寄れない。

 生み出される暴風が毒液を払い、飛行中の姿勢を乱してくるのだ。

 

わわっ

 

 余波で飛び立ちかけたパートナーを左手で押さえ、召喚したファミリアを見遣る。

 オブトサソリに類似した黄緑色の捕食者は、獲物を見据えて動かない。

 

何をやっているのだ、虫けら如きに!

 

 あらん限りの怒気を込めてネームドが吠えた。

 大質量を軽々と振り回すパワーとスタミナは、確かにファミリアを凌駕しているだろう。

 疲弊するまで待つのは愚策だ。

 

「ゴルトブルーム、ベニヒメ」

 

 だから、最も強力な手札を切る。

 

「あいつをやれって話だな」

「脚を潰すだけでいい」

 

 メイスを肩に担ぎ、音もなく降り立ったゴルトブルームへ必要事項を伝える。

 

「なら、私に任せてほしいな」

 

 荒れ果てたコンクリートの地を下駄が踏み、からんと音が鳴る。

 紅の和装が靡き、翠の瞳が私を真っすぐ見た。

 ナンバーズの実力を知った今、拒む理由はない。

 

「任せる」

「うん、任せて」

 

 いつもの柔らかな笑みを浮かべ、ベニヒメは軽やかな足取りで歩き出した。

 荒ぶるオーガを見据え、首から下げた勾玉を外す。

 

()()をやるよ」

 

 足を止め、勾玉を両手で包み込んで目を閉じる。

 暴風が吹き荒れようと、その空間だけは静謐があった。

 

うむ、心得た

 

 パートナーが応答し、指の隙間から青い焔が溢れ出す。

 その焔を広げるように、両手を水平に滑らせる。

 

 瞬きの後、ベニヒメの眼前には──打刀が出現していた。

 

 紅に染まった鞘を左手で握り、右半身を前にして構える。

 鋭く細められた目、堂々とした所作、まるで別人だ。

 

権能を解放、強制終了まで6秒

 

 頭上の耳が立ち、翠の瞳がエナを宿して輝く。

 音もなく左足を引き、反った刀身が地面と水平になる。

 抜刀してもオーガまでは届かない距離で、それは無意味に思える。

 

「行くよ」

 

 だが、そんな常識を覆す存在がウィッチだ。

 彼女の権能は、加速。

 

 鯉口を切る──それが私の認識できた限界。

 

 ベニヒメは納刀に移り、雅な鍔音が鳴った。

 オーガの太い両脚に一筋の線が走る。

 

な、に!?

 

 血飛沫が舞い、脚を失った巨躯がコンクリートの地へ落下する。

 

おのれ、災厄のウィッチぃぃ!

 

 驚愕を憤怒に変え、オーガは咆哮を上げた。

 上半身を捻って前傾姿勢で倒れ込み、右腕を振り抜く。

 鉄塊が、眼前に飛び込んでくる。

 

 その光景を6枚の大楯が隠し──激突。

 

 質量が弾き飛ばされると同時にオブトサソリは疾駆し、転倒したネームドの両腕を捕縛する。

 

「はっ……大人しく死ね」

 

 ゴルトブルームの言葉に呼応し、黄緑色の尾節が首を狙って振り下ろされる。

 

がはっ、くそ!

 

 毒針より注入される神経毒は体を麻痺させ、やがて呼吸困難に陥らせる代物だ。

 それでもオーガは触肢から逃れんと両腕の筋肉を膨張させた。

 

 無駄な抵抗だ──ファミリアの影が殺到する。

 

 全身に毒針が突き立てられ、巨躯が何度も痙攣した。

 すぐ目の前まで歩み寄り、今までの獲物と経過に差異がないか観察する。

 

おのれおのれ! 傷さえ癒えれば──」

「無駄だ」

 

 ぎゅうぎゅうと押し合うファミリアの隙間から覗く顔を見下ろし、事実だけを述べる。

 お前たちに希望などない。

 

毒など我らぃ効ぅもぉ…?

 

 オーガの呂律は一気に怪しくなり、呼吸が浅くなっていく。

 並のインクブスであれば致死量の毒が注入されているのだから、当然だ。

 

 毒物を扱うから耐性がある──それは正確ではない。

 

 遭遇した数多のインクブスで実験し、私は一つの知見を得た。

 

()()()が通用しないだけだ」

 

 インクブスの体を形成するエナには、エナで干渉すればいい。

 そして、ファミリアとはエナで形成された存在、毒物もエナだ。

 波長さえ合ってしまえば、インクブスは中毒に陥る。

 そして──

 

「再生は厄介だが、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 両脚の断面をハリアリが抉り、背中の肉をスズメバチが食む。

 その傷口が再生する速度は鈍い。

 しかし、まだ新鮮な血肉が形成されている。

 

「お前は…仲間より優れているらしい」

 

 他のオーガは既に物言わぬ肉塊になり、解体が始まっていた。

 このネームドは、より多くの血肉を供給してくれる。

 ありがたい話だ。

 

「せいぜい足掻け」

あああぁぁぁ!

 

 絶叫を上げるオーガの顔面をヌカカが覆い、吻を突き立てる。

 傍のハンミョウにも解体へ参加するよう目で指示し、私はインクブスから興味を失う。

 関心事があるとすれば、得られるエナの量だけだ。

 それよりも被害の確認を──

 

「あのさ、お前って結構……その」

 

 何とも言えない表情のゴルトブルームが視線を泳がせ、次の言葉を探していた。

 彼女が言い淀んでいることは分かる。

 血肉とエナを周囲にぶちまけるファミリアの作業風景についてだろう。

 

「なるべく手早く終わらせるつもりだ」

「そこじゃなくて……いや、いい」

 

 そう言って天を仰ぐゴルトブルーム。

 他の問題点が思い付かず、隣のベニヒメを見れば困ったような笑顔を返された。

 本当に分からない。

 

えっと……ひとまず、お疲れ様でした!

 

 左肩のパートナーが気持ち大きな声で、終わりを告げる。

 ともかく出現したインクブスは、駆逐されたのだ。

 視覚的な問題は脇に置いて。




 毒虫オールスターズ!


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条播

 そろそろ1周年ですネ(小声)


 私は息を切らして住宅街を駆けていた。

 とにかく、我が家へと急ぐ。

 西へ傾いた太陽が、遠方で立ち上る黒煙を赤く染めていた。

 

 小さな歩幅と貧弱な体力に苛立つ──いっそウィッチに変身してしまうか?

 

 下らない思考をしている暇はない。

 とにかく足を前へ進めろ。

 

「そこの君、大丈夫か?」

 

 横合から声をかけられ、否応なしに足を止める。

 

 声は曲がり角の方向から──防刃ベストを着込み、ライフルを保持した警察官の2人組がいた。

 

 インクブスを駆逐したとしても残党の警戒と治安維持のため、彼らは市内を巡回している。

 1人で突っ走っている制服姿の生徒を見れば、止めもするだろう。

 

「…大丈夫、です」

「とても、そうは……」

 

 息も絶え絶えな私を見て、痛ましげな表情を浮かべる警察官を相方が肘で突く。

 どこか悟った表情で私を見つめ、努めて平静に言葉を述べた。

 

「家族の人を探しているなら、市の対策本部へ行くといいよ」

 

 心臓を鷲掴みにされたような気分になるが、()()世話になる必要はない。

 大丈夫、大丈夫だ。

 でも、背を伝う汗は止まらない。

 

「ありがとう…ございます」

 

 失礼にならないよう一礼して、すぐさま私は駆け出す。

 足を止めている暇はない。

 一刻も早く、芙花の下へ行かなければならない。

 

「安全は確認されているけど、注意するんだよ!」

 

 もう警察官の言葉は耳に入らなかった。

 今は外出禁止となっているはずだが、野次馬や私と似たような通行人と何度もすれ違う。

 

あ、東さん、落ち着いてくださいっ

 

 人通りが切れ、左肩にしがみつくパートナーが悲鳴に近い声を上げる。

 

 落ち着いていられるか──家族が、あの地獄にいたんだぞ?

 

 ()()()()父から安否を確認する電話を受け、私は失敗を知った。

 電話の先から芙花の泣き声が聞こえ、足元が崩れるような気分だった。

 

「危機感が、鈍っていた……馬鹿か、私は…!」

 

 肺が痛んでも、吐き出さずにはいられない。

 外出の予定はない、という先入観で危うく実妹を失うところだった。

 自己嫌悪で今すぐ頭を叩き割りたくなる。

 

芙花さんは、無事、なんですよねっ

「無事なものか…!」

 

 インクブスが暴虐の限りを尽くした場に、芙花は居合わせたのだ。

 心に負った傷は深い。

 

 パニックなど顧みず鏖殺すれば──短絡的になるな。

 

 ファミリアは芙花を認識して護衛できない。

 住宅街や小学校の一帯を防御する方式に限界があるのは、分かり切っていた。

 後悔が胸中で渦を巻く。

 

東さんは、最善を、尽くしましたよっ

 

 風に揉みくちゃにされながら、それでもパートナーは私を肯定しようとする。

 いざという時、妹の傍にいてやれない姉が最善なものか。

 路地を抜け、変わらぬ我が家が目に入る──

 

「芙花!」

 

 玄関の前で、父の手を引く妹の姿を見つけ、思わず大声が出た。

 振り向いた芙花の大きな瞳が私を映し、じわりと涙が浮かぶ。

 お気に入りの私服は汚れているが、五体満足だ。

 その隣に立つ父も。

 

「姉ちゃん!」

 

 安堵か疲労か、足の力が抜けて座り込んだところへ芙花が飛び込んでくる。

 しっかりと両腕で受け止め、抱き締めた。

 

 子ども特有の高い体温に、確かな鼓動の音──生きている。

 

 諸々の心配が吹き飛び、安堵だけが胸中に溢れた。

 

「姉ちゃんぅ…!」

「心配かけて、ごめんね」

 

 顔を押し付けて泣く芙花の背中を撫でようと──その血塗れの手で?

 

 こびりついた恐怖で手が止まり、視界が揺れる。

 感情を押し殺すべきか、何度も逡巡する。

 

「おかえり、蓮花」

 

 そんな私と芙花を逞しい腕が優しく抱き締めた。

 父の声と熱が、じわりと体に浸透し、少しだけ気分が和らぐ。

 この人には敵わない。

 

「…ただいま」

 

 溢れかけた涙を堪え、尊敬する父へ辛うじて言葉を返す。

 出迎えの言葉は父にこそ送られるべきだ。

 国防軍において、最も多くの人命を救ってきた九州の防人に。

 

「おかえり、父さん」

「うん、ただいま!」

 

 頬に傷の増えた父は、家を発つ前と変わらぬ笑みを浮かべた。

 それを見た私の奥底で、罪悪感と自己嫌悪が金切り声を上げている。

 血塗れの、殺戮者の私が、この安堵を噛み締めてもいいものか?

 

 罪過は償う、だから──今だけは許してほしい。

 

 

 夕陽が射し込む港湾は赤く染まり、不気味な静寂に包まれている。

 インクブスの侵攻によって放棄され、赤錆びた倉庫群や伸びた雑草が時間の経過を感じさせた。

 各地に同様の景色が存在する今日の日本国。

 そこは国防軍の監視が行き届かない()()地帯だ。

 

「なぜウィッチが…!」

 

 1人の少女が夕陽を避けるように倉庫の陰まで駆けた。

 纏う装束の色彩は黒ずみ、得物のウィップは元来の輝きを失っている。

 忙しなく周囲を睨む鋭い視線から善性は見出せない。

 されど、間違いなくウィッチであった。

 

「まさか……裏切者が?」

 

 息こそ切れていないが、背を伝う汗は止まらない。

 ()に国防軍の注意が向いている今、存在を気取られるはずがない、そう考えていた。

 その考えを嘲笑うように協力者たちは惨殺された。

 ウィッチは襲撃者を探し、倉庫の陰より周囲を窺う。

 

「残念」

「っ!?」

 

 鈴を転がすような声が響き渡った。

 眼前の倉庫、その反対側で膨れ上がるエナの気配。

 蒼い燐光が舞い、赤錆びた壁面が爆ぜる。

 

「かはっ!」

 

 ウィップを振るうより早く、細い腹に突き刺さる刃。

 そのまま背後の倉庫へ打ち付けられ、ウィッチは壁面に縫い付けられた。

 

「不正解です」

 

 眼前の倉庫に穿たれた風穴からヒールの奏でる雅な音が響く。

 苦痛に歪むウィッチの表情に恐怖が加わる。

 腹に突き刺さったソードを抜こうと必死に足掻くが、全ては手遅れだ。

 

「貴女のお友達は悪くありません」

 

 倉庫2棟を貫通して獲物を射止めた者は、舞踏会にでも行くようなドレスを身に纏っていた。

 その口は緩やかな三日月を描く。

 

「私の視界に入ったことが失敗ですね」

 

 そう言って己の碧眼を指差す襲撃者。

 瞳孔の奥底には、すべてを吸い込む闇が滞留していた。

 相手の殺害を考えながら笑う狂人に、ウィッチの表情は引き攣る。

 

「お、お前は……ウィッチなのか…?」

 

 震える声で発された問いに、襲撃者は笑みを深めた。

 善性を喪失しているのは、お互い様。

 すぐ眼前まで歩み寄り、腹に突き刺さったソードの柄を握る。

 

「ええ、ウィッチです」

 

 微かに刃を捻り、手応えを確かめながら両手を添えた。

 そして、体を密着させるようにソードを深く刺し込む。

 

「あ、がっ…!」

 

 反撃のため収束していたエナが霧散し、思考を痛みが支配する。

 抵抗など無意味だ。

 蒼きウィッチに捕捉された時点で、敵対者に生命はない。

 

「それでは、さようなら」

 

 呼吸が乱れるウィッチの耳元に顔を近づけ、アズールノヴァは囁く。

 

「まっ──」

 

 燐光が舞い、蒼き刀身より焔が溢れ出した。

 穢れた胎内から断末魔までが焼却され、倉庫群を蒼く照らす。

 塵すら残らず、壁面には人型に燃ゆる焔だけが残された。

 

「扇動者か」

 

 アズールノヴァは引き抜いたソードを燐光に変え、揺らぐエナの焔を眺める。

 これまでの尖兵と異なり、今回のウィッチは一般人の集団を扇動していた。

 インクブスの戦術は変化し続けている。

 

「レッドクイーン」

 

 痕跡が燐光となって空へ消え去り、蒼き瞳を背後へ向けた。

 視線の先には、倉庫の陰に佇む真紅の人影。

 

「は、はい、なんでしょう…?」

 

 音もなく空間を移動してきたウィッチは、恐る恐るといった体で応じる。

 

「他の信奉派はどうしましたか?」

「あ、安心してください! 全て()()しておきました」

 

 様々な要因の中で最も他愛なかった作業について聞かれ、レッドクイーンは胸を撫で下ろす。

 ワインレッドのドレスやバトルアクスの刃から滴る粘度の高い赤を見れば、おおよその成果は分かる。

 その姿を観察するアズールノヴァは何も語らない。

 

「あ、えっと、もしかして……情報を得るために数匹は残すべきでしたか…?」

 

 アズールノヴァの様子を上目遣いに窺うレッドクイーン。

 つい数分前、鏖殺した者たちは全体の一部でしかない。

 全体像を知るために情報を得る必要があったのではないか、と思考を回す。

 

「いえ、上出来です。どうせ彼らは情報を持っていないでしょうから」

 

 至って平常な状態のバディを確認し、アズールノヴァは携帯端末を取り出す。

 ()()()()血痕が残る画面に躊躇なく触れ、SNSのアプリを起動させる。

 彼らの表面的な情報は、それだけで把握できた。

 

「……ふふっ」

「なんですか、急に」

 

 不意に血塗れのウィッチが笑みを浮かべ、怪訝な光を宿した蒼い瞳が向けられる。

 

「あ、すみません…! 褒めてもらったのが嬉しくて……」

 

 慌てて表情を取り繕い、小さく縮こまるレッドクイーン。

 彼女の前身であったウィッチは、一般的な道徳観を持つパートナーと行動を共にしていたはず。

 

 臆病な性格に対して殺人への忌避が薄い──どこで決定的に歪んだのか。

 

 その経緯に興味が無いアズールノヴァは、ただ有用とだけ判断した。

 ウィッチへの信奉が玉に瑕だが。

 

「はぁ……この様子だと、まだいますね」

 

 半眼で画面を睨むアズールノヴァは溜息を漏らす。

 コミュニティに所属しているアカウントの数は、とても両手では足りなかった。

 一般人を装っているが、節々の発言でインクブスを崇拝する者の判別は容易だ。

 

「1匹いたら100匹はいるので……でも、いつ増えたんでしょう?」

 

 隣から覗き込むレッドクイーンは、心底不思議そうに首を傾げた。

 海風で靡く真紅の髪が夕陽を受けて光り、血生臭さが漂う。

 

「ここ最近になって活発化しているようです」

「あ、本当ですね」

 

 それを気にも留めず、アズールノヴァはコミュニティの結成された日付に指を沿わせる。

 類似のコミュニティも複数見られたが、どれも最近になって結成されていた。

 

「真実を隠蔽する国防軍、アメリカ軍の自作自演、ウィッチは非人道的実験の成果……()()()()()ですね」

 

 コミュニティ内の会話に目を通し、レッドクイーンは蔑みの眼差しを落とす。

 信奉派であることを隠すためインクブスを話題に出すことはないが、毎日のように体制の陰謀論を繰り返す。

 現体制に不信感を抱かせ、同胞を増やそうとしているのだ。

 

「興味もありません。全て斬るだけです」

 

 己が慕う存在を害する者は、たとえ人間であろうと斬殺する。

 否、インクブスを崇拝した時点で、それは人間ではない。

 国防軍の()()()()だ。

 

「お、お手伝いします…!」

 

 血を滴らせる赤き女王が同調し、ワインレッドの瞳を輝かせる。

 彼女にとってもウィッチを害する者は人間ではない。

 バトルアクスで四肢を破壊しようが、害虫を踏み潰した程度の不快感しかない。

 

「では、次のウィッチは任せますね?」

「そ、それは……」

 

 レッドクイーンは目を泳がせ、アズールノヴァは小さく溜息を吐く。

 そんな会話を交えつつ、2人の魔女は血で染まった倉庫群を後にする。

 ここは無人地帯、目撃者はいない。

 

 

ギルマンは斃れたか

 

 高濃度のエナによって輪郭を歪めた影は、厳かな声で同胞に問うた。

 一面の闇より浮かぶ白磁の円卓を静寂が支配する。

 

ラタトスクの報告では、間違いないと

そうか

 

 ゴブリンの長、グリゴリーの報告を受けて、影は変わらぬ調子で頷いた。

 しかし、空席の増えた円卓には消沈した空気が漂う。

 

 あれだけの啖呵を切ったのだから、あるいは──そういう期待があった。

 

 ()()()()ギルマンに追従したインクブスも実力者揃いだったにも関わらず、何の成果もなく全滅したのだ。

 

愚か者め……やはり、長の器ではなかったな

 

 深紫の戦装束を纏ったインプの長は、落胆の表情を隠しもしない。

 災厄との激戦が続き、疲労の滲む眼には怒りすら浮かぶ。

 

然り。短絡的にも程がある

 

 同意するオークの長、サンチェスは片耳を失い、纏った鎧には無数の傷が刻まれている。

 歴戦の戦士にして指揮官も、この日ばかりは苛立っていた。

 大陸での絶望的な撤退戦を生還してから初の会合で、愚者の末路を聞かされたのだ。

 当然の反応と言える。

 

落ち着け。確かにギルマンは浅慮だったが──」

よい、グリゴリー

 

 卓上の険悪な空気を感じ、諫めに入ったグリゴリーを手で制する影。

 

ギルマンは拙速に事を運び、独断専行も多かった。隷属した国のヒトを虐殺した件で、処罰も検討していた

 

 ギルマンは大陸の北方を治める国にて暴虐の限りを尽くした。

 隷属したヒトは、雌と()()を供する家畜。

 それを軟弱だと虐殺し、ウィッチの誕生は見逃すという利敵行為を行っていた。

 

ふん……ヒトを飼うなどオーガには無理な話だ

 

 その所業を知るシリアコは、マジックの才どころか長の才もない低能と見下す。

 

戦士としては、優秀だったがな

 

 戦場を共にしたサンチェスは、そう言って重い溜息を吐いた。

 不死身と呼ばれるオーガの長が打倒したウィッチは、難敵と認識されていた手合ばかり。

 その実力は認めなければならない。

 

優秀であっても過失は覆せん……が、ギルマンは見事に()()を全うした。素晴らしい働きであった

 

 災厄のウィッチが潜む地へ赴いた戦士を称える──否、影の厳かな声には感情が乗っていない。

 

……ほう

 

 半眼となったシリアコは影の意図を完全に理解し、次の言葉を待つ。

 

それでは、ついに仕込みが終わったと?

ギルマンの献身も無駄ではなかったか…

先のラタトスクと関係が?

 

 円卓に集った魑魅魍魎は、口々に言葉を交える。

 

 絶望的な防衛戦、大陸からの撤退開始──敗戦続きの戦局に皆が辟易していた。

 

 インクブスとは総じて我慢弱い。

 影の策動が実を結ぶまで待てた者も、好転の兆しが見えれば口も軽くなろう。

 

ヒトの集団に浸透し、不和を引き起こす任をラタトスクには与えていた

あの小物に、そんな迂遠な事をさせておったのか

 

 何者にも低頭で応じる軟弱なインクブスへの評価は高くない。

 巧言を弄して自身を取り繕う様を、多くのインクブスは唾棄していた。

 

時間は要したが、成果は得た

成果…?

 

 ラタトスクを信頼しない者からは懐疑的な声が漏れ聞こえた。

 その一切を聞き流し、影は厳かに告げる。

 

ヒトの交信手段だ

 

 生命体としてヒトを凌駕するインクブスの多くは、文化や技術に無関心だ。

 影とラタトスクはヒトの構築したインフラストラクチャー(社会基盤)の一つに着目した。

 

情報収集に有用であり、駒を動かす媒体にもなる

 

 それは慧眼であったと言わざるを得ない。

 彼らは眼と耳、そして腹の痛まぬ駒を手に入れた。

 

貧弱なウィッチでも、ラタトスク卿の使用する道具を扱えるのは僥倖でした

うむ……思わぬ価値が眠っているものだ

 

 黒い体毛に覆われたボギーの長は影の言葉を聞き、感慨深げに頷く。

 戦力外のウィッチは洗脳や調教を行わず、苗床として使い潰されていた。

 新たな使()()()を見出した結果、影の策動は大きく進行する。

 

災厄の全貌は見えぬが、ウィッチの住まう地は確定できた

ついに虫籠を叩くか…

 

 シリアコの問いに影は重々しく頷き、卓上で手を組む。

 

情報収集を行いつつ、ルナティック(狂奔)の準備に入る

 

 円卓の空気が緊張を帯び、待望の命を聞いた総長たちは口角を上げる。

 贄となったギルマン一行を憂い、守勢の終わりを歓迎した。

 

おお、いよいよか…!

ラザロス殿を呼び戻さねば!

 

 帰還した同胞は4割に満たないが、狭隘な島国を3度は滅ぼす戦力。

 狂乱の濁流となれば、災厄も粉砕できよう。

 

準備が整うまでは、ウィッチの漸減を行う

…如何に災厄を躱して漸減を?

 

 生半可な戦力を投じたところで殲滅される現状、漸減など望めない。

 それを理解しているオークの長は、言外に戦力の喪失を避けるべきと眼で語っていた。

 当然、影も理解している。

 ゆえに──

 

ギルマンの献身に乗じ、ラタトスクの下へパックルを送った

 

 厳かな声で告げられた名に、総長たちは一様に顔を顰めた。

 滅多に会合へ現れず、席だけは残しているピスキーの長。

 その身勝手な振舞いを嫌うインクブスは多い。

 

確かに駒も贄もあれば、彼奴は無類の術士となろう……しかし、良いのか?

 

 パックルの使うマジックを知るシリアコは、別の意味で眉間に皺を寄せていた。

 ピスキーが極少数派となった原因は、そのマジックにあるのだ。

 

畑は諦めよ。災厄は確実に滅ぼさねばならん

 

 己が口にした言葉を返され、シリアコは疲労の残る眼を閉じて沈黙した。

 災厄を守護する障壁を崩すためならば、あらゆる手段を用いる。

 良質な畑を失う結果になろうとも。




 ハッピーエンドには早いゾ(ニチャァ)


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小噺集
凄然


 1周年記念に小噺を公開するゾ(奇襲)

 第1弾は、アンケート結果1位「旧首都攻略戦シルバーロータス視点」


 コンクリートで形作られた長大なトンネルに灯る人工の光は疎らだ。

 利用者も管理者もおらず、朽ちるのを待つ。

 東洋有数の大都市圏を支える交通インフラは、誰に知られることもなく息絶えるのだ。

 

連絡が遅れたくらいで大袈裟だっての…!

 

 そう言って苛立ちを露にする者は、裸足で線路上を歩く魑魅魍魎。

 

 浅緑の肌で、尖った耳と鼻をもつ略奪者──ゴブリンである。

 

 右手には鋭利なナイフを握り、闇の中であっても迷うことなく脚を進めている。

 しかし、その表情は気怠げだ。

 

伝令のボイコが戻ってねぇんだ……異常があったのかもしれねぇ

 

 隣を歩くゴブリンも言葉だけなら勤勉に聞こえるが、心配している様子はない。

 周囲に注意を払うこともなく、欠伸を漏らす。

 2体のゴブリンは、隣の地下鉄駅に構えた巣へ向かっていた。

 

新しいウィッチを捕らえたって聞くし、()()()()やってんだろ?

 

 下卑た笑みを浮かべ、舌なめずりするゴブリン。

 インクブスはヒトの雌を苗床にして繁殖する下劣な生命体である。

 ()()あまりに、連絡が遅れることは多々あるのだ。

 

この国も大したウィッチがいねぇから大変だよなぁ

 

 地下鉄道の新たな主たるゴブリンは、我が物顔で線路上を歩き、下品な笑い声を闇に響かせた。

 最近は、人類の激しい抵抗で土地を奪えずにいるが、ウィッチの捕獲は順調。

 人類の守護者は強大な力を持つが、幼く脆い。

 インクブスにとって獣欲を滾らせる獲物でしかなかった。

 

違いねぇ──あぁ?

 

 相方に釣られて笑うゴブリンの眼が、弱々しい照明の光が降る線路上で止まる。

 

 そこには──床面を覆わんばかりの血痕。

 

 スリングショットと擲弾が投げ捨てられ、赤に塗れている。

 2体のゴブリンは下品な笑みを消し、得物を構えた。

 

敵襲か?

 

 周囲を用心深く観察するも、コンクリートの壁面しか見えない。

 点滅する照明の下へ慎重に歩み寄り、血痕を確認する。

 触れた血は粘度があり、ゴブリンは顔を顰めた。

 

まだ新しい

ウィッチじゃねぇ……一体何が

 

 何度かウィッチと相対した経験があるゴブリンは、異常な光景に警戒を強める。

 血痕は、人工の光が届かぬ闇へと続く。

 

どうする?

 

 闇を見通す眼は、床面を引っ掻く何かの痕跡を捉えている。

 それが()()であることを確認し、次の判断を問うた。

 

確認しねぇことには何も分からねぇだろ

 

 相方はナイフを腰に下げ、スリングショットを抜く。

 一切の情報がなければ、対応策を練ることはできないだろう。

 ウィッチに対して数の利で戦うゴブリンだが、無策で戦うほど愚かではない。

 

いざって時は、こいつを使おう

おう

 

 劇物を充填した擲弾を携え、ゴブリンたちは血痕を辿り始める。

 照明が途切れ、闇と静寂が支配する地下鉄道。

 常に奪う側であるインクブスは不安に駆られることなく脚を進めた。

 

 闇の奥底──壁面沿いで煌々と輝く緑の光。

 

 非常口を示す光を視認し、ゴブリンたちは半分の距離まで来たと知る。

 普段なら何も考えず、通過する地点を前に脚を止めた。

 

なんだ、ありゃ…?

 

 脚を止めざるを得ない。

 2対の視線の先には、小さな人影があった。

 武骨なククリナイフを右手に持ち、鼠色のオーバーコートを緑に染める何者か。

 

 おそらくはウィッチ──されど放つエナは微量、絢爛とは無縁。

 

 雌の匂いを感じ取るも、異常を察したゴブリンは動けない。

 闇を映す赤い目が、不気味に光る。

 

っ!?

 

 突如、増大するエナの気配にインクブスは気圧された。

 ウィッチの背後より黒き影が現れ、コンクリートを引っ掻く足音が反響する。

 

く、くそっ

 

 人工の光を覆い隠す闇へスリングショットを構え──漆黒の大顎が、殺到した。

 

う、うわぁがっ!?

 

 一瞬で四肢を拘束され、全身を抉られる。

 取り囲む影はゴブリンの矮躯より小さいが、大顎の挟力が尋常ではない。

 

ぎゃぁぁぁ!

 

 そして、体を引き裂かんと四方へ引っ張る力も。

 絶叫など意にも介さず、ただインクブスを破壊すべく小さな影は動く。

 無数の触角が揺れ、無機質な眼が獲物を映す。

 

ああぁぁぁ──がっぐぁ

 

 骨肉を砕く鈍い音が混じり、相方が沈黙する。

 

ぐぁっぁがぁぁ…っ!

 

 激痛で悲鳴を上げながら、ゴブリンは眼を動かす。

 そこにはククリナイフから血を滴らせ、蠢く影を見下ろすウィッチの姿があった。

 

 フードの奥で光る赤い目──それがゴブリンの首を照準する。

 

 その者が一歩踏み出せば、周囲で蠢く影は道を開けた。

 振り上げられた刃が緑の光を浴びて瞬く。

 

「これで74体目」

 

 発された声は幼く、しかし無邪気さの欠片もなかった。

 

 

 ククリナイフの刀身から血を舐め取るヤマアリを眺めつつ、私は思考を回す。

 肉袋どもの斥候は全て挽肉に変えたが、巣は健在だ。

 放棄された地下鉄は漏れなく連中が巣食い、人々を襲う前線基地にしていた。

 虫唾が走る。

 

「全て潰してやる」

 

 冷静な思考の片隅で、激しく凌辱された少女たちの姿が脳裏を過る。

 ここから生きて出られると思うなよ、肉袋ども。

 

…配置が完了しました

 

 左肩から控えめに声をかけてくるパートナーを一瞥し、私はテレパシーに耳を傾けた。

 この先にある地下鉄駅の出入口に()が張られたことを確認、加えて別方面で活動するファミリアの様子も確認しておく。

 

 ──北部を担当するグンタイアリとスズメバチの戦果が著しいか。

 

「行くぞ」

はい

 

 視界の端、ぬっと闇から現れる灰青色の重厚な鋏。

 大型トラックほどもあるヤシガニを前面に出し、私たちは前進を再開する。

 ヤマアリの戦闘能力は高くないため、主力は別のファミリアが担う。

 

また……ウィッチが囚われているのでしょうか?

「ウィッチだけとは限らん」

 

 苦々しい声色で問うパートナーへ感情を殺して応答する。

 1時間前、全滅させた71体の小規模な巣には、3人のウィッチが囚われていた。

 だが、次もウィッチがいるとは限らない。

 一般人の可能性も大いにある。

 

 ファミリアが一斉に触角を上げ──コンクリートの天井が小刻みに震えた。

 

 地震ではない。

 国防軍あるいはアメリカ軍の爆撃だろう。

 首都圏を取り戻すため、彼らは大火力を投じて都市ごとインクブスを粉砕する。

 

定期便ですね

「ああ」

 

 その効果は芳しくない。

 インクブスは大陸における戦いで、重火器が脅威であると認識していた。

 そして、弾薬に限りがあることも。

 ゆえに囮や人質を用い、非効率な運用で消耗を強いている。

 

む……動きがあったようです

 

 先行しているゲジが巣の動向をテレパシーで伝達してきた。

 私の目は足元しか見えていないが、状況は手に取るように分かる。

 

 爆撃の影響を確認する気か──罠へ飛び出す前に奇襲を仕掛けたい。

 

 前進の速度を上げ、闇の中を進む。

 反対側から駅へ接近するファミリアの一群も速度を上げ、歩哨と接敵する。

 

……なにぃ…ぎゃぁ……

 

 断末魔が小さく響き、後には沈黙が残された。

 歩哨は今頃、オオムカデの腹を満たしているだろう。

 点滅する照明の下を抜け、駅の乗降場とインクブスの影を目視する。

 

…なんだっ!?

 

 ヤシガニを発見し、歩哨は慌ててスリングショットを構えた。

 弾体は対人に特化した劇物、無視して突っ込む。

 

 投射される擲弾──毒々しい粉塵が鋏で弾けるも、重量級ファミリアは止まらない。

 

 重厚な鋏の奏でる風切り音が、地下を反響する。

 

く、来ぐがぁぁぁぁ!

 

 後退った肉袋を挟み、乗降場から線路へ叩きつけて両断。

 血飛沫を浴びるヤシガニの背甲を伝い、乗降場へ降り立つ。

 

て、敵襲!

 

 無人の乗降場には魑魅魍魎どもが犇めく。

 ククリナイフを握り直し、最優先で駆逐する個体を探す。

 一斉にヤマアリが乗降場に雪崩れ込み、視界を艶やかな黒が覆う。

 

な、なんだこいつら!?

ぎゃぁあぁぁ!

 

 四方から迫る大顎を躱すことは困難だ。

 捕まった者から引き倒され、黒の中に埋もれる。

 

21体、増援も来ます…!

「殲滅するぞ」

 

 点字ブロックを粉砕し、傍に立つヤシガニ。

 その重厚な鋏を軽く叩いて、私は渦中へ突っ込む。

 乗降場は乱戦状態だが、円陣を組んでヤマアリを迎撃する集団がいた。

 指揮を執っている個体がいるのだ。

 

右から来るぞ──ウィッチだ!

 

 乱戦の中から飛び出した私を捉え、それから背後のヤシガニへ視線が向く。

 

 伝播する驚愕と恐怖──得物の切先が揃っていない。

 

 どれを狙うか、迷ったな?

 姿勢を落とし、斜め左へ逸れて駆け抜ける。

 

う、撃ぎゃぁ

 

 大質量の一撃が飛び、円陣を根こそぎ刈り取った。

 指揮を執っていた個体だけは鋏に両断され、血飛沫を降らせる。

 落ちてきた下半身を跳ねて躱す。

 

や、やめてくぇぇ!

 

 残る肉袋はヤマアリの大顎に四肢を引っ張られ、生きたまま解体される。

 階段から増援が下ってくるのと乗降場を長大な影が走るのは、ほぼ同時。

 

何が起こってる!

とにかく急──」

 

 先頭の肉袋は、最後まで言葉を紡ぐことなく姿を消した。

 21対の脚が刻む足音、そして骨の砕ける音が頭上から響く。

 

ば、化けも

 

 鎌首を擡げるオオムカデが、後退る獲物たちへ突進した。

 タイル張りの階段を赤で彩り、肉片を飛び散らせて上階へ向かう。

 私もヤマアリを引き連れ、臓物の転がる1段目へ足を掛ける。

 

…が、はぁ…くそっ

 

 階段に寄り掛かるインクブスが、悪態と血泡を吐く。

 両脚を失い、神経毒で呼吸が浅い。

 

 いずれ力尽きるだろうが──ククリナイフで頭を叩き割っておく。

 

 この世に1秒でも長く存在できると思うな。

 

「残りは?」

53…50、いえ49体です!

 

 上階で断末魔が絶えず聞こえ、オオムカデの活躍が目で見ずとも分かる。

 階段を上がり、息のある肉袋の頭を潰す。

 

大丈夫ですか?

 

 重労働の連続で、さすがに息が続かない。

 

「問題ない」

 

 パートナーの心配を軽く流し、階段の踊り場で深呼吸する。

 麻痺した嗅覚でも血の臭いが分かった。

 あの饐えた臭いよりは良い。

 

「逃走した個体は?」

3体を処理しました

 

 1区画先のインクブスへ救援を要請すると見ていたが、案の定だ。

 地上で張っていたメダマグモは、見事に責務を果たした。

 

「よし…仕上げだ」

 

 ヤマアリを率いて階段を駆け上がり、薄暗い構内を見渡す。

 乗降場に通じるエスカレーターやエレベーターから黒が溢れ、至る所で断末魔が聞こえる。

 包囲を脱する頭数はない。

 このまま殲滅する──

 

来るな! こ、こいつが死ぬぞ!

 

 聞き慣れた無様な脅迫が耳に届く。

 振り向けば、トイレを背にして()()を取る肉袋の姿。

 周囲で大顎を鳴らすファミリアではなく、私に向かって吠えていた。

 

「し、死にたく…ない……」

 

 恐怖と絶望に染まった目が私を見る。

 ナイフの切先を首に当てられた女性は成人したばかりに見えるが、その腹部は大きく膨らんでいた。

 

 もう見慣れた──この世で最悪の光景だ。

 

 闇の濃い天井を一度だけ見遣り、肉袋へ死を宣告する。

 

「死ぬのは、お前だ」

な、何を言って…あぁ?

 

 インクブスの腕に、肩に、頭に、野球ボールほどの物体が落ちた。

 8本の脚で皮膚を掴み、一斉に突き立てられる吻。

 

は、離せぇ!

「きゃぁっ」

 

 女性を突き飛ばし、肉袋は吸血動物を引き剥がそうと踊った。

 駄目押しにマダニの雨が降り注ぎ、緑の矮躯は全身を覆われる。

 顔面まで隈なく串刺しにされ、断末魔を上げることもなく絶命した。

 

 耳障りな断末魔が減り──咀嚼音が構内を満たすようになる。

 

 そして、か細い命乞いの声が耳に届く。

 生存者8人の声を一切無視し、ファミリアは咀嚼を続ける。

 

「こ、殺さないで…助けて……殺さないで……」

 

 目の前で、小刻みに震える女性は壊れたように同じ言葉を唱える。

 血肉をぶちまけるファミリアの姿を間近で見て、正気でいられる人間は稀だ。

 

 半狂乱になって取り乱すか、現実逃避に入って思考を止めるか──今日は後者だ。

 

 ここから国防軍に引き継ぐまでの時間が、いつも長い。

 

「敵は倒した……大丈夫だから」

 

 ククリナイフをシースに叩き込み、甘ったるい声の抑揚を殺して話しかける。

 インクブスを屠る術しか知らない私には、苦渋に満ちた時間だ。

 メンタルケアの心得などないというのに。




 いつもの風景じゃん(錯覚)


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狂濤

 1周年記念の第2弾は、アンケート結果2位「領海侵犯マーマン視点」


 難民を受け入れた結果、インクブスの侵略を許した那覇の惨劇は、国防軍の対外姿勢を決定づける契機となった。

 新たに大陸から日本国を目指す人々への回答は、鉄火の一撃だ。

 そこに一切の容赦はない。

 

≪──戦闘用意≫

 

 号令が下され、灰色の艦体が重々しい緊張感を纏う。

 海原の波濤を切り裂いて進む戦闘艦の任務とは、()()の排除であった。

 175名の乗員が歯車の如く動き、艦は一瞬で戦闘態勢へ移行する。 

 

≪右砲戦≫

 

 艦首方向を睨んでいた主砲が、右舷の海へと向く。

 長大な砲身が微動し、小刻みに目標を追尾する。

 

≪CIC指示の目標≫

 

 目標とは、砲口の彼方──蒼天の下、海原を疾走する漁船だ。

 

 南西諸島が壊滅的な被害を受けてから、近海の漁場に立ち入る者はいなくなった。

 そんな海域に現れた漁船は漁具を搭載しておらず、同型の漁船より高速。

 その存在は、黒だ。

 

≪主砲、打方始め!≫

 

 躊躇なく号令が下される。

 発砲の衝撃波に艦橋が震え、甲板を薬莢が跳ねた。

 大気を切り裂いて飛翔する多目的弾は、恐るべき精度で目標の至近に着弾。

 水柱が上がり、漁船の船体を海水が洗う。

 

 かつて汎用護衛艦と呼ばれた戦闘艦の主砲は、速射砲──毎分45発の速度で砲弾を発射する。

 

 砲煙と冷却水を吐き出して、矢継ぎ早に放たれる多目的弾。

 それらは正確に目標を捉えた。

 船首で炸裂し、次いで船橋、船尾で閃光が瞬く。

 

≪…主砲、打方止め≫

 

 砲声が止んだ時、海原に浮かぶ漁船は廃船となっていた。

 火災が生じる暇もなく、波濤の下へと消える。

 浮かび上がる漂流物から生存者の姿は確認できない。

 それが最前線の日常であった──

 

他愛ない

 

 海の奈落へ引き込まれる()()()の陰で、異形が悍ましい声を響かせた。

 その者は、鮮やかな色彩の鱗と装飾品を纏う人型の魚。

 

 人類から自由な海を奪ったインクブス──マーマンだ。

 

 脚の水掻きと尾びれで推進力を生み出し、彼らは海中を進む。

 目的は、未だ帰らぬ総長の捜索だ。

 

肉を無駄にした

インプの余興は理解できぬ

 

 隷属するヒトから船員を無作為に選び、戦闘艦より逃れて上陸できるか──見世物の一種だ。

 

 恐怖を流布することで支配体制を盤石とする意味もあるが、娯楽の側面が強かった。

 悪辣な余興を催すインプを、マーマンたちは理解できない。

 

ヒトは容易く増やせる。苗床を分ければ良い

 

 人類を苗床あるいは食料としか認識しておらず、支配に興味などなかった。

 海中を高速で進むマーマンは、本能に忠実だからこそゴブリンに次ぐ個体数を誇る。

 それで問題がない以上、現体制の改善などしない。

 

撃沈する

 

 海水を切り裂くトライデントの切先を戦闘艦へ向け、高位のマーマンは告げる。

 捜索を行う上で不要な交戦だが、撃沈しても問題はない。

 

 

 同胞たちは短く応答し、30に及ぶトライデントが獲物を睨む。

 その切先を海水が避けて流れ、真空が形成される。

 マーマンはマジックによって水の抵抗を無くし、脅威的な速度を得た投槍で獲物を貫く。

 

疑問

…何?

 

 戦闘艦を指向するマーマンの1体が言葉を漏らす。

 勝利が必定である以上、同胞たちは余裕を持って次を促した。

 

なぜ単独なのだ?

 

 その疑問は、瞬時に理解された。

 人類の保有する艦艇は、マーマンに対して無力と言っていい。

 小型かつ高速であり、対潜兵器の一撃もマジックで軽減されるのだから当然だ。

 多くは逆襲を恐れて港に繋がれ、船団護衛の際に姿を現すのみ。

 

理解できぬ

 

 しかし、工作船を撃沈した戦闘艦は堂々と海原を進んでいる。

 海洋の覇者たるマーマンの存在を知らぬはずがない。

 水上の戦いを得意とするウィッチが乗艦していようと、この海原で勝機はない。

 

構わぬ、細事だ

 

 高位のマーマンは細事と言って取り合わず、投擲の姿勢に移った。

 獲物は必殺の射程内にある。

 

 蛮勇の代償は高いと知らしめる──そこへ()()が鳴り響く。

 

 その音は眼下に広がる闇より放たれた。

 

なに──」

 

 海底で、紫の閃光が瞬く。

 次の瞬間、沸騰した海水の奔流が群れの先頭に直撃した。

 白濁が海面まで覆い、海水の蒸発する音が断末魔を掻き消す。

 

散開!

 

 マーマンの群れが四方へ散った瞬間、再び海底が光る。

 奈落より放射された衝撃波と熱は、群れの一部を削ぎ落す。

 マジックによる対流も、エナの防壁も通用しない。

 直撃を受けた者は全身を焼かれ、衝撃で内臓を破壊された。

 

狙撃、狙撃だ!

潜航せよ!

 

 水面より注ぐ陽光によってマーマンの影は、下方から容易に発見できる。

 闇に紛れんと海底へ向け、急速潜航。

 

姿を現せ、卑怯も──」

 

 海底からの狙撃は、威勢の良い言葉ごと同胞を吹き飛ばした。

 水圧が上昇し、光の届かぬ闇がマーマンたちを包む。

 そして、急激に増大するウィッチのエナ。

 

な、何事…だ?

 

 周囲を()()するエナの気配に、マーマンは驚愕する。

 暗闇の支配する世界は、ウィッチの領域ではない。

 その異常事態を前にインクブスは対処すべき敵を見誤った。

 

 突如、眼前に現れる鮮やかな玉虫色──それが最期に見た景色。

 

 高速で放たれた捕脚は圧力差で海水を沸騰させ、キャビテーションを生み出す。

 打撃とキャビテーション、二度の衝撃がマーマンの生命を完全に粉砕する。

 

おのれ!

投擲っ

 

 仇を討たんと息巻き、真空を纏ったトライデントが放たれた。

 しかし、体色鮮やかなスマッシャー(打撃型)は一瞬で暗闇の奥底へと消える。

 恐るべき反応速度、そして機動性であった。

 

速い…!

 

 必殺の投槍は、辛うじて皮で繋がっていた同胞の骸を切り裂くだけ。

 その間もエナの気配は増大を続ける。

 

次弾を…ぬっ!?

 

 否応なしに密集隊形となる群れへ()()()()質量が振り下ろされた。

 回避に失敗した3体のマーマンを巻き込み、海底へ突き立つ。

 その巨塔の如き紅い鋏脚は、間違いなくウィッチのエナを内包している。

 

ファミリアと言うか!

 

 群れの1体が腰に下げたカットラスを抜き、眼前の外骨格へ斬撃を放った。

 マジックで対流を操り、高速で振り抜かれる刃は鋼鉄すら切り裂く──

 

馬鹿な…!

 

 刃は鈍い打音を響かせ、表層を削って止まる。

 膨大なエナを蓄え、進化したファミリアとは、インクブスを超越する生命体であった。

 それを理解させてから、獲物を刈り取るべく周囲の闇より鋏脚が伸ばされる。

 

離ぁっがぁ!

や、やめぐげえぁ!?

ぐわっぁあぁ……

 

 暗赤色、青紫色、灰色の様々な体色の鋏脚がマーマンを挟み、闇へと連れ去った。

 海中を反響する悲鳴は、やがて骨肉を砕く咀嚼音に変わる。

 

くっ!

 

 迫る巨大な鋏脚に対し、カットラスを打ち付けて自身の体を下方へ逸らす。

 そのまま海底に向かって潜り、最後のマーマンは地獄からの脱出を図る。

 沈没したコンテナ船の陰へ──

 

がぇぐっ!?

 

 衝撃が腹部に走り、海水に朱が混じる。

 歪む視界には、船体の破孔から伸びる死神の鎌が映っていた。

 

な、にが……

 

 虎縞模様の巨躯が破孔より現れ、細長い複眼がマーマンを無機質に観察する。

 スピアラー(刺撃型)は悠々と捕脚を収納し、最後の獲物を噛み砕く。

 

 その咀嚼音も止み──海底に静寂が戻る。

 

 何事もなかったように魚が泳ぎ、一面の闇は平穏を装う。

 日本近海から生還した水生インクブスは存在しない。

 

 

 屋上へ向かう階段の端に座り、私は天井を見上げていた。

 ランチタイムを終えた生徒たちの声が遠巻きに聞こえる。

 

東さん、今日は魚が半額らしいですよ!

「…魚か」

 

 ケータイの上で機嫌よく体を揺らすハエトリグモ。

 画面には、贔屓にしているスーパーの広告が映っている。

 パートナーはウィッチを補助する存在だが、私生活も範囲に入っているのだろうか?

 

今はカンパチが旬と……何が美味しいのでしょうか?

 

 前脚で画面を操作し、レシピを調べ始めるパートナーは平均的なハエトリグモより大きい。

 アシダカグモ程度の体長が最も操作に向いているらしい。

 

 カンパチ──今日、店頭に並ぶ魚介類の多くは養殖だ。

 

 インクブスの侵略によって我が国の漁業は大打撃を被った。

 一時期は食卓から魚──ほとんどの生鮮食品──が消えた。

 それでも前世と変わらぬ景色が戻ってきたのは、様々な人々の努力があったからだ。

 感謝しかない。

 

ふむ…東さん、照り焼きというのがオススメらしいです!

「ほう」

 

 その感謝を噛み締めつつ、家計と相談しながら今夜の献立を考える。

 照り焼きには挑戦したことがなかったな──

 

む……

 

 遥か彼方の海底より届いた声に、意識を集中させる。

 海中で活動する重量級ファミリアたちの報告は、いつも質素なもの。

 採用戦術、戦闘結果、駆逐したインクブスの個体数の3点だ。

 

「31体…偵察と見るべきか」

200近い損害を出して慎重になったのでしょうか?

「オホーツク海の連中は、毎週100単位の損害を出している」

 

 日本の四方を囲む海からインクブスは絶えず襲来する。

 対する国防軍は水際作戦が基本であり、ウィッチも同様のスタンスだ。

 しかし、私はヤシガニを召喚した時、大型水生甲殻類に可能性を見出し、海中でのアンブッシュを選択した。

 

損害が把握できていないのかもしれません

「そう願う…が、連中も馬鹿じゃない」

 

 切札の一つを()()()()()()、捕捉したインクブスは全て駆逐させている。

 活動中の大型水生甲殻類は度重なる戦闘で急速に世代交代を繰り返し、強力な個体へと進化した。

 それはネームドを駆逐し、逆侵攻の要となる存在。

 

どうされますか?

 

 エナは供給しつつ、その存在を秘匿しなければならない。

 インクブスも損害が重なれば、戦術を変えてくるだろうが──

 

()()()()()()()()()()現状を維持」

供給が途絶えた場合は、休眠に移行させますか?

「いや、計画を前倒しにする」

分かりました

 

 ケータイの上で前脚を上げるパートナーに頷きを返す。

 現状維持は停滞、いずれは打破されるだろう。

 だから、それまでに次の一手を打ち、イニシアチブを握る。

 

 次の一手は──ふさふさの脚が踏む画面に、クルマエビが映った。

 

 なかなか良心的な値段に目を引かれる。

 今夜の献立、芙花が好きな一品を加えても悪くないな。

 

「……エビフライもいいかもしれん」

あ、東さん…?




 時系列は本編開始直前(補足)


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恐怖

 1周年記念の第3弾は、アンケート結果3位「某市街戦参加ウィッチ視点」


 首都圏がインクブスの手中に落ちようと、日本という国家は続いている。

 人々の営みが続く限り終わりはない。

 たとえ神出鬼没の侵略者に脅かされようと。

 

雌は20匹ってところですぜ

 

 昼下がりの市街地に出現したインクブスは、下卑た笑みを浮かべる。

 

 浅緑の肌に、尖った耳と鼻をもつ略奪者──ゴブリンだ。

 

 その視線の先には、恐怖で縮こまった人々が身を寄せ合っている。

 ほとんどが昼食を済ませた会社員や飲食店の店員だ。

 

まぁまぁ、だな

 

 血の滴るクラブを担いだ巨躯のインクブス、オークは鼻を鳴らす。

 勇敢にも立ち向かった男性2名を撲殺した邪悪は、()()を市街の一角に追い込むことに成功し、上機嫌だった。

 

足りない分は……お前に補ってもらうぜ?

 

 上機嫌な理由は、もう一つある。

 哀れな人々を護るため現れた人類の守護者が、眼前で膝を突いていたからだ。

 

ルゼニクス、立て!

 

 首から下げるペンダントに扮したパートナーから叱咤が飛ぶ。

 しかし、青紫色の装束を纏うウィッチは顔を上げられない。

 彼女にとって二度目の戦いは、絶望的なものとなった。

 

「こ、こんなの…無理だよ…」

 

 スピアの石突で上体を支えているが、エナの底は見えていた。

 オークとゴブリンの連携攻撃によって平静を失い、マジックを連発した結果である。

 何もかも未熟な少女が、闘争を心得たインクブスに勝利を収めることは難しい。

 

 ウィッチの直面する現実は悪辣だ──メディアの映すウィッチは、全貌を映していない。

 

 勝利は目撃者がいるからこそ成り立つ。

 敗北すればウィッチも目撃者も、()()()()()()()

 

諦めるな! もうすぐ救援が──」

そんなもん来るわけねぇだろ

 

 パートナーの言葉を打ち消し、オークは口角を上げる。

 国防軍は首都圏に戦力を集中させ、腕の立つウィッチは少数。

 ありふれた悲劇のために、現れる救援など存在しない。

 

馬鹿な連中だぜ

大変だなぁ、ウィッチってのは!

 

 取り囲むインクブスたちの耳障りな笑い声が響き渡る。

 しかし、心折れたウィッチは恐怖と不安で顔を歪めるだけ。

 

せいぜい楽しませて……おい、どうした?

 

 人々を蹂躙せんと構えていたオークは、敏感に異変を感じ取る。

 戦士の優れた勘を信じるゴブリンたちも、その視線を追う。

 

 視線の先には、雑居ビルの路地──獲物の退路を塞ぐ同胞の姿。

 

あ、え、あぁ…

 

 口から泡を吹き、眼の焦点が合っていない。

 意思を失った矮躯が持ち上がり、手にしたナイフが滑り落ちる。

 路面を叩く金属音に、思わず顔を上げるウィッチ。

 

「え…?」

 

 次の瞬間、ゴブリンの首は噛み千切られた。

 血飛沫を浴びる大顎、そして美しい金属光沢を放つ外骨格が路地より現れる。

 突然の事態に、誰も反応できない。

 

「きゃぁぁぁ!」

 

 タイトスカートに飛んだ血で、現実を認識する女性の悲鳴。

 それが合図だった。

 側溝のグレーチング、マンホールの蓋が弾け飛び、漆黒の外骨格が天日を浴びる。

 

なんだこいつら!?

 

 誰もが一度は見たことがある姿、ヤマアリ科に属する昆虫。

 しかし、その体長はゴブリンほどもあった。

 彼女たちは大顎を開き、近場のゴブリンへ一斉に襲いかかる。

 

ぎゃぁあぁ!

 

 市街地に響き渡るインクブスの悲鳴。

 群がるヤマアリに全身を噛まれ、皮膚ごと肉を千切られる。

 生命力の高さは苦痛の時間を引き延ばすだけだ。

 

そこら中にいっぐぇ!?

 

 次々と地上に姿を現す黒、その間を縫って金属光沢の輝きがゴブリンに躍りかかる。

 3対の長い脚で地を駆けるハンミョウだ。

 数は4体と少ないが、確実にゴブリンの生命を噛み砕いていく。

 

孤立するな!

 

 迫り来る敵を一振りのクラブで迎え撃つオーク。

 恐るべき膂力が繰り出す一撃は、漆黒の群れを容易く粉砕した。

 それを潜り抜けたヤマアリの大顎は、厚い皮膚に阻まれる。

 

く、くそがぁはっ

 

 ヤマアリと力比べを試みていたゴブリンの首に凶刃が叩き込まれ、血飛沫が舞う。

 崩れ落ちる骸に群がる黒、それを見下ろす小柄な人影。

 その者は鼠色のオーバーコートに身を包み、フードで顔を隠す。

 

お前……何者だ!

 

 周囲の虫と同じエナを感じ取り、オークは険しい表情で問う。

 モンスターパニックの渦中に置かれた人々も否応なしに注目する。

 

 回答はない──血の滴るククリナイフが向けられるだけ。

 

 それは宣戦布告だ。

 ゴブリンの骸を投げ捨て、4体のハンミョウが疾駆する。

 捕食者に追随し、ヤマアリの群れがオークへ殺到した。

 

援護を…くそがぁ!

 

 率いていたゴブリンは漆黒に埋もれ、無為に揺れる手足が見えた。

 

 勝者は転じて被食者となった──断じて認めぬ。

 

 オークは幾度もクラブを振るい、押し寄せる漆黒を薙ぎ払う。

 弾けた外骨格や脚が散り、一瞬でエナへと還る。

 

ちっ!

 

 俊敏なハンミョウは大振りを躱し、オークの両脚に大顎を突き立てた。

 挟力は強くないが、無視もできない。

 しかし、対処に手間取れば、ヤマアリに集られる。

 

 持久戦は不利──ならば、指揮官を叩く。

 

 オークの優れた感覚器官は、死角へ回り込もうと駆ける人影を捕捉した。

 微弱なエナであっても逃しはしない。

 

遅いんだよ!

 

 集るヤマアリを振り飛ばし、あらん限りの膂力を込めて踏み込む。

 放たれた渾身の一撃は、鼠色の人影を捉える。

 

 ククリナイフの刀身を間に割り込ませるも衝撃は殺せない──小柄な体躯は、ボールのように飛んだ。

 

 道路に面したカフェの窓を突き破り、ガラス片が四散する。

 常人であれば即死、ウィッチであっても致命傷は免れない。

 

ふん、そこで寝てい…くそ、鬱陶しい!

 

 脛に噛みつくハンミョウを睨み、叩き潰さんと拳を繰り出す。

 粉砕されるアスファルト片を弾きながら、鮮やかな甲虫は離脱する。

 その間もオークの脚を漆黒が登り、大顎を突き立てた。

 

この虫けらども、が…?

 

 それを振り払わんと暴れるオークの頭上より重々しい羽音が降る。

 

 見上げた先には、黄と黒の警告色──凶悪な大顎が打ち鳴らされた。

 

 腹部の先端、毒針を獲物に指向する巨大昆虫。

 スズメバチの名で知られる彼女たちは、一斉に毒液を噴射した。

 

ぎゃぁぁぁ!?

 

 オークの顔面に直撃した毒液は、効果覿面であった。

 路上を絶叫が満たす中、カフェの入口より飛び出す小柄な影。

 

くそっ何も見えん! ぐぁっ!?

 

 ハンミョウとヤマアリが連携し、オークの体勢を崩す。

 路面へ激突する巨躯、その腹上に小柄な人影が飛び乗る。

 

 銀の髪が風に弄ばれ──紅い瞳が眼下の敵を鋭く睨む。

 

 その横顔は幼く、体躯は華奢。

 白磁のポンチョとロングスカートを纏い、武骨なククリナイフを握るのは、()()()()()()()()()だった。

 

離せ、虫けらどもぉぉ!

 

 暴れるオークの両脚を4体のハンミョウが、両腕を6体のスズメバチが抑え込む。

 ヤマアリの群れは全身に大顎を突き立てるも、頑強な筋肉に阻まれる。

 だが、完全に獲物の動きは拘束された。

 

ぐがっ!?

 

 胸板に膝をついた少女が、ククリナイフをオークの眉間へ叩き込む。

 眉間を割れず、滑った刃が眼球を潰す。

 

ぐぎゃぁぁあぁ!

 

 ヤマアリに耳や首を挟まれ、身動きの取れないオークの絶叫。

 それを聞いた人々は反射的に身を竦ませた。

 少女だけが機械的にククリナイフを振り上げる。

 

がっ…このぉっがげぇっ

 

 何度も頭へ叩き込み、血と肉が白磁の装束を汚す。

 重心が安定せず、同じ点に振り下ろせない。

 

くぞぉ、やめ、ぐおっ

 

 何度も、何度も、肉の潰れる音が響く。

 

 殺意の限り刃を振るい──ついに、頭蓋は叩き割られた。

 

 屈強な四肢から力が抜け、静寂が訪れる。

 オークの顔面は無惨に破壊され、原型を留めていない。

 血塗れの少女は、肩で息をしながら立ち上がる。

 

「やった、のか…?」

 

 観衆の誰かが引き攣ったような声を漏らす。

 安堵の色はなく、恐怖は継続していた。

 

 少女の周囲にスズメバチが集う、そして──大顎を皮膚へ突き立てる。

 

 皮膚を引き裂き、血肉を食む。

 すぐさまスズメバチの頭は皮膚より下へ潜り、溢れ出た血が一帯を汚す。

 

「ひぃ!」

「嘘でしょ…?」

「く、食ってるぞ!」

 

 悲鳴が上がろうと、咀嚼音が止むことはない。

 執拗にオークの脛を噛んでいたハンミョウは、既に骨まで肉を削ぎ落していた。

 ヤマアリの一群はゴブリンの頭や腕を咥え、側溝へ戻っていく。

 

「まさか…と、共喰い?」

 

 呆然と佇んでいたウィッチはエナの流動を感じ取り、見当違いな結論に至る。

 

いや、共喰いではない……ないが、あり得るのか?

 

 否定しながらも、明確な回答は返せないパートナー。

 思考が停止した両者の眼前へ少女が降り立つ。

 ククリナイフの刀身、白磁の装束、そして左腕から血が滴り落ちる。

 

「は、ひぃ…!」

 

 恐怖に蝕まれた頭が理解を拒み、ウィッチは体を硬直させた。

 

 少女の左腕が振り子のように揺れる──骨が折れているのだ。

 

 重傷のはずだが、少女の開かれた右目は何かを探す。

 その敵意を宿す目に、ウィッチは思わず後退った。

 

「…ゴブリンは?」

 

 血を垂れ流すオークの腹から頭を出し、大顎を打ち鳴らす虫たち。

 それを率いる主は、敵の姿を探し求めている。

 

左腕の心配をしてください!

「まだ2体、いたはず」

 

 左肩で跳ねるハエトリグモの言葉を無視し、少女はウィッチへ問う。

 しかし、今にも得物を構えんとする姿を見て視線を外す。

 血塗れの虫たちが忙しなく触角を揺らし、周囲を探る。

 

「ば、化け物だ」

「おい、こっちを見たぞ…!」

 

 ウィッチの背後で身を寄せ合う人々は、その光景を前にして動けない。

 たとえ、オークを打倒した存在であっても、その姿形と所業は恐怖の対象だった。

 一般人の認識は、脅威がオークから虫に移り変わっただけ──

 

「そこか」

 

 微細な臭いとエナの反応を捉え、人々が集まる方角へ一斉に頭を向ける。

 

 正確には、その背後──雑居ビルの間にある路地の奥。

 

 そこへ駆け込む矮躯の影を捉えたのだ。

 

「こ、こっちに来るわ!」

「逃げろぉぉ!」

 

 しかし、それを知る由もない人々は一瞬でパニックに陥る。

 形振り構わず走り出し、我先に逃げ出す。

 巨大昆虫とは、インクブス以上の恐怖と嫌悪の対象だった。

 

「と、止まってください…!」

 

 虫を操る主の眼前に、人類の守護者が立ち塞がった。

 祈るような声も、握る得物も、細い足も震えている。

 それでも勇気を振り絞り、銀髪赤目の少女と相対する。

 

ルゼニクス、彼女はウィッチ──」

「なぜ?」

 

 スピアの切先には目もくれず、少女は足だけを止めて問う。

 同じく脚を止めようとしたハンミョウに鋭い視線を向け、前進を続けさせる。

 逃げ遅れた人々を追い越し、路地へ突入していく。

 

「助けてぇぇ!」

「軍は何やってんだよ、おい!」

「し、死にたくないっ」

 

 巨大昆虫が至近を通過するだけで、人々は恐れ慄いた。

 悲鳴と怒号が市街地を満たし、絶望に囚われたウィッチの思考は際限なく鈍化する。

 眼前の少女を退ける言葉が紡がれることはない。

 本能的な恐怖に抗うだけで精一杯だった。

 

や、やめっぎゃあぁぁぁ!

「ひっ」

 

 ゴブリンの断末魔が響き渡った瞬間、ウィッチは弾かれたように踏み込む。

 未熟であっても繰り出す一撃は、人体を貫くのに十二分な威力だ──

 

よせ、ルゼニクス!

 

 疾風が吹き抜け、銀の髪が舞う。

 

 少女の頬に赤い線が走る──スピアの槍頭は、辛うじて頭を外していた。

 

 パートナーの制止で正気を取り戻し、切先を逸らさなければ右目は穿たれていただろう。

 その目は頬を掠めた刃を一瞥して、青紫のウィッチへ視線を戻す。

 

シルバーロータスっ

「騒ぐな」

 

 左肩で狼狽える()()()()()に対し、銀髪赤目の()()()()は意にも介さない。

 護るべき人々の悲鳴を耳にして、ただ口を強く引き結ぶ。

 

「あ、あ…私は……」

 

 青紫のウィッチは己の過ちを認識し、無意識のうちに後退った。

 命の恩人を危うく刺殺するところだったのだ。

 未熟は免罪の理由とはならない。

 

落ち着け、落ち着くんだ…!

 

 ペンダントから響く声は届かず、主はスピアを取り落として小さく震える。

 その姿を映す紅い瞳に怒りはなく、ただ悲痛な色が宿っていた。

 幼い容姿に見合わぬ複雑な表情を浮かべ、銀のウィッチは踵を返す。

 

「…引き上げるぞ」

自己治癒を優先してください!

 

 血塗れの銀髪を引っ張るハエトリグモを無視し、シースにククリナイフを収める。

 刀身に付着した血が一気に溢れ、アスファルトに血痕を残す。

 

 行かせてはならない──未熟な、それでも善なる少女は手を伸ばす。

 

 己をウィッチたらしめる善性に突き動かされ、震える喉で言葉を紡ぐ。

 

「ま、待って…待ってください!」

 

 しかし、異端のウィッチが振り向くことはない。

 謝罪も懺悔も不要だと、華奢な背中は言外に語っていた。

 国防軍の汎用ヘリコプターが頭上に現れ、強烈なダウンウォッシュによって戦塵が巻き上がる。

 灰色に染まる視界の中、肉片を咥えた虫たちも去っていく。

 

 彼女たちへ感謝の言葉はなかった──誰一人として。




 捕食者系魔法少女・イヤーワンだゾ(白目)


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畏敬

 1周年記念の第4弾は、アンケート結果4位「国防軍一般兵士視点」


 夜を切り裂く汎用ヘリコプターのブレードスラップが静まり返った市街地に響き渡る。

 しかし、騒音被害の苦情が国防省へ届くことはない。

 侵略者によって、首都近郊の街から人影は消えた。

 

「DZまで残り3分!」

 

 機外の音に負けぬ分隊長の声を聞き、隊員たちは表情を引き締める。

 眼下を睨むドアガンに初弾が送り込まれ、機内の緊張が急速に高まっていく。

 既にスライド式の大型ドアは開かれており、編隊を組む僚機の姿が見える。

 

「政木!」

 

 それを横目に白髪交じりの分隊長は、隣に座る若い隊員の名を呼ぶ。

 親子ほど離れている年齢の両者。

 並び座る彼らは、人材が不足している国防軍を象徴する存在だった。

 

「な、なんですか?」

 

 分隊が有する無反動砲の1本を抱え、隊員は目を瞬かせる。

 緊張で瞬きの回数が多く、革手袋をした左手は微かに震えていた。

 

「気張るな、訓練通りにやればいい!」

 

 肩を力強く叩き、分隊長は朗らかに笑ってみせた。

 分隊内で実戦経験のある隊員は少なく、訓練期間は短い。

 それでも国防軍は投入せざるを得ない。

 

 国民と国土を害する怨敵──インクブス(淫魔)を駆逐するために。

 

「はい!」

 

 威勢の良い返事に、他の隊員たちも頷く。

 険しい表情が変わることはないが、適度に肩の力は抜けた。

 それを見届けた分隊長は通信に耳を傾け、パイロットと短く言葉を交える。

 

「──了解。よし、降下準備!」

 

 武骨なライフルを握り、ヘルメットの暗視ゴーグルを下ろす。

 若き隊員は質素な腕時計を撫で、鋭い視線を機外へ向ける。

 

 静寂に包まれた市街地の一角──()ショッピングセンターが視界に入った。

 

 スマート爆弾が命中した屋上駐車場には巨大な穴が穿たれ、火災の痕跡が残る。

 その上空には、卵型の小型ヘリコプター1機が旋回していた。

 

「我々は屋上から進入し、上階から捜索する!」

 

 機内を見回し、老年の分隊長は隊員たちへ告げる。

 2機の僚機が次第に離れていき、ドアガンの銃口が下方へ向く。

 

「敵を発見したら迷わず撃て、躊躇するな!」

「了解!」

 

 分隊は無反動砲を3本も装備しているが、それでも対等とは言えない。

 インクブスの外皮は銃弾を物ともせず、対戦車榴弾の直撃に耐える場合もある。

 その上、鉄板を素手で引き裂き、自動車並みの速度で走るのだ。

 対等なはずがない。

 

 月光に照らされた屋上駐車場が迫る──接地と同時に、隊員たちは機外へ飛び出す。

 

 ダウンウォッシュが吹き荒れる中、乗機の離脱まで四方を警戒。

 汎用ヘリコプターが離脱し、迷彩柄の人影は移動を開始する。

 

「足元に注意しろ」

 

 分隊長は声量を抑え、隊員たちへ注意を促す。

 5日前の爆撃で大穴の空いた屋上駐車場は、一部が崩落していた。

 横転した車両の脇を抜け、屋内へ通じる非常口へ到着。

 

 分隊長がハンドサインで突入を指示──訓練通りに、隊員は非常口へ突入した。

 

 各々の銃口が向ける先に敵の姿はない。

 分隊は非常階段へ進み、暗視ゴーグルで得られる視覚情報を頼りに階下を目指す。

 

≪10、こちら02、バックヤードに目標は確認できず、送れ≫

≪10、了解。捜索を続行せよ、送れ≫

≪02、了解、終わり≫

 

 突入した分隊の通信が流れる中、3階へ踏み込む。

 天井に穿たれた大穴から射し込む月光以外に光源の無い世界。

 瓦礫や倒れた陳列棚等、至る所に死角があった。

 

「10、こちら03、3階の捜索を開始する、送れ」

≪10、了解、終わり≫

 

 死角を注視しつつ、分隊は慎重に歩みを進める。

 本来、インクブスとの近接戦闘は回避し、火力で粉砕すべきだ。

 しかし、ここへ逃走を図ったインクブスは単独であり、2時間前の交戦で負傷している。

 国防軍の保有する火力に限りがある以上、掃討戦は歩兵が担う。

 

 コンクリートが剥き出しになった柱を横切り──重々しい足音が響く。

 

 一斉にライフルの銃口が向き、()を捕捉する。

 そこには、射し込む月光を背にして陳列棚を踏む異形の姿。

 

けっ…雄ばっかりかよ

 

 そう吐き捨てる口には犬歯が生え、眼には落胆が浮かんでいた。

 肩口の裂傷は塞がり、風で赤い毛並みが揺れる。

 

 その容姿は、まさに狼男──NATO報告名では、ライカンスロープと呼ぶ。

 

 駆逐すべきインクブスを睨み、隊員たちはトリガーを絞る。

 戦いの火蓋は切られた。

 

「こちら03、接敵!」

 

 鉄火の光が闇を切り裂き、階下まで銃声が反響する。

 

 ライフルの弾丸が破壊したのは──粉塵を被った陳列棚だけ。

 

 赤毛はフロア内を駆け、柱や瓦礫を盾にして分隊へ接近を図る。

 数発が直撃するも、その程度では怯みもしない。

 

「田井は閃光弾、吉田はパンツァーファウストを!」

 

 分隊は後退しつつ、弾幕でライカンスロープの接近を遅らせる。

 

「了解!」

 

 そして、隊員の1人が閃光弾の安全ピンを抜く。

 赤毛がタイルの剥げた柱へ飛び込んだ瞬間、すかさず投擲。

 

あぁ?

 

 足元へ転がってきた物体をライカンスロープは直視した。

 隊員たちは暗視ゴーグルを跳ね上げ、次の行動へ移る。

 

 炸裂──閃光と音が世界に溢れた。

 

 1秒に満たない刹那、それでもインクブスの脚が完全に止まる。

 その貴重な時間を無駄にはしない。

 

「後方の安全確認!」

 

 弾頭先端の信管を伸ばし、無反動砲を肩に担ぐ隊員。

 後方に障害がないことを確認し、照準を合わせる。

 

くそが!

 

 照準は、顔面を押さえた赤毛のライカンスロープ。

 

 トリガーを引く──後方に猛烈な爆風を噴き出し、弾頭が飛び出す。

 

 直撃の瞬間、ライカンスロープは飛翔物に反応した。

 しかし、その姿は爆炎に飲み込まれて消える。

 

「やったか…?」

 

 黒煙と粉塵が立ち込める様を見て、隊員の1人が訝しむような声を漏らす。

 対戦車火器の直撃、地球上の生物であれば即死だ。

 役目を終えた無反動砲が投棄され、鈍い音がフロアを反響する。

 

「まだだ、油断するな!」

 

 そう言って老年の分隊長はヘルメットの暗視ゴーグルを下ろす。

 銃口は依然として敵を指向したままだ。

 隊員たちもマガジンを交換し、ライフルを構え直す。

 

「──やってくれるぜ

 

 黒煙を突き破って現れた影へ、すぐさま銃火が放たれる。

 しかし、その全てを振り切ってライカンスロープはエスカレーターより階下へ飛び降りた。

 

「10、こちら03、敵は2階へ逃走、送れ」

 

 分隊長が状況を報告しながら、エスカレーターへ駆け寄る。

 階下を見下ろせば、血痕がフロアの奥へと続いていた。

 手負いのインクブスらしからぬ逃走に、老年の分隊長は眉を顰める。

 

≪10、攻撃を続行せよ、送れ≫

「03、了解、終わり」

 

 最大限の注意を払って、分隊は停止したエスカレーターを下っていく。

 人類とインクブスでは機動力に隔絶した差がある。

 しかし、ショッピングモールという閉鎖空間を選択したインクブスに退路はない。

 

≪03、こちら02、2階へ到達した、送れ≫

 

 バックヤードを捜索していた分隊が非常口より姿を現す。

 その位置は大穴を挟んだ反対側、されど援護を受けるには距離があった。

 

「03、了解、誤射に注意せよ、送れ」

≪02、了か──≫

 

 通信が途中で切れ、ライフルの銃声が響き渡る。

 

 目標と接敵したか──否、それは目標ではない。

 

 暗視ゴーグル越しの視界には、異形の影が()()()映っていた。

 柱や瓦礫の陰より四足で駆け出すライカンスロープ、数は3体。

 

皆殺しだ!

「応戦しろ!」

 

 分隊長の鋭い一声が、隊員の筋肉を硬直させなかった。

 即席で円陣を組み、1体に対して3門の銃口が火を噴く。

 頭部の被弾を嫌った2体は、距離を取る。

 

 なおも止まらない黒毛のライカンスロープ──銃弾を弾き、肉薄する。

 

 不気味な風切り音を響かせ、鋭利な爪が脆弱な人間を襲う。

 

肉に用はねぇんだよ!

「ぐぁっ!?」

「うわっ!」

 

 盾にしたライフルを両断し、ヘルメットや防弾ベストを切り裂いた。

 一撃で3人の隊員が倒れ、次の一撃が分隊長の顔面を抉る。

 赤い血が飛び散り、薬莢の転がる床面を汚す。

 

「分隊長!」

「このっ化け物が!」

 

 もう一撃を繰り出される前に、若き隊員は至近距離で連射を浴びせた。

 マガジンの残弾を全て黒毛へ叩き込む。

 

おっと!

 

 さすがのインクブスも一点を集中されれば、無傷では済まない。

 余裕の表情を見せながら、ライカンスロープは後方へ飛び退く。

 

 対する分隊の被害は甚大──分隊長含む4人が重傷。

 

 動揺を抑えるように、マガジンを交換。

 重度の裂傷を負った隊員と嗤う怪物どもを交互に見遣った。

 

「10、こちら03、敵増援と遭遇、分隊長含む4名が負傷、送れ!」

 

 分隊長の次に階級の高い隊員が、絶望的な状況を報告する。

 大穴の反対側では、非常口まで負傷者を引っ張る人影が見えた。

 分隊は完全に孤立し、魑魅魍魎に包囲されている。

 

≪03、こちら10──≫

たかが数匹で何をする気だ、おい?

 

 通信に耳を傾ける余裕はない。

 赤毛のライカンスロープが瓦礫の陰より現れ、月光を右半身に浴びる。

 

 失われた右腕の空間が歪む──骨が生え、肉が生まれ、腕を形作る。

 

 ライカンスロープと呼称される所以は姿形だけでなく、月下において身体能力が増大する特性にあった。

 非科学的存在に常識は通用しない。

 それでも1()()()()()()十二分に勝機があった。

 

敵うわけないってのにな

 

 しかし、実際には9体のライカンスロープが潜んでいた。

 今もブレードスラップを響かせる上空の眼から逃れ、増援を呼び出していたのだ。

 隊員たちの表情は険しく、避けられぬ死を直視する。

 

手傷を負わせたことは褒めてやるよ……無駄だったけどな

命乞いしたら助けてやるかぁ?

 

 しかし、恐怖に駆られ、醜態を晒す者は1人もいない。

 眼前の怪物どもに大切な者を奪われ、これ以上の暴虐は許さぬと国防軍の門を叩いたのだ。

 回答は、眉間へライフルの銃口を照準してやることだった。

 

はっ…馬鹿が

 

 ライカンスロープたちは姿勢を低く落とし、四足に膂力を蓄える。

 一度の突撃で決着するだろう。

 雲が月光を遮り、一面を暗闇が覆った。

 

 狼の頭は獰猛な笑みを浮かべ──鋭い風切り音が大気を震わす。

 

 不意に2体のライカンスロープが動きを止める。

 

あ?

 

 その首が落ち、綺麗な断面から赤い噴水が飛び散る。

 再生能力があろうとも即死。

 

 奇襲、それも()()()ではない──蒼い閃光が2階フロアの壁を貫通した。

 

 轟音を立てて吹き飛ぶ壁、巻き上がる粉塵。

 そして、ヒールの奏でる雅な足音がインクブスへ急速に近づく。

 

ウィッチだと…!

 

 劣悪な視界の中、甲高い金属の悲鳴が響き、火花が舞う。

 状況を飲み込めない隊員たちの耳に切迫した声が届く。

 

≪10、こちら01、ウィッチの突入を確認、送れ!≫

 

 その者たちは、インクブスに対抗する一縷の希望。

 物理法則を無視する非科学的存在にして、防人にとって許容しがたいファンタジー(非常識)

 

 人類の守護者──ウィッチのダイナミック・エントリーであった。

 

 重々しい風切り音の後、骨肉の断裂する異音が響く。

 再び顔を出した月光は立ち込める白、そして宙を舞うインクブスの腕を照らす。

 

「もう大丈夫ですよ」

 

 鈴を転がすような声が隊員の耳を撫でた。

 

「うぉっ」

 

 慌てて振り向けば、大きな蒼い瞳に己の姿が映る。

 音もなく佇んでいたのは、1人の少女。

 翠を基調とし、金の刺繍が施された装束を纏った姿は、まるで女神のよう。

 芸術品のように美しく、見る者を圧倒する。

 

「い、いつの間に…」

「あちらの方々は治療しました」

 

 非常口の方角を指し、少女は柔らかく微笑む。

 その際、細い左腕に通した円盤状の刃が月光を反射して輝く。

 現実離れした容姿、そして時代錯誤な()()を携えた少女もまたウィッチ。

 

「そちらの方も診せてください」

 

 重傷の隊員を見遣り、真剣な表情で告げるウィッチに隊員たちは場を譲った。

 綺麗な所作で傍に座り込み、しなやかな右手を床面に置く。

 

 不可視の波が広がる──周囲を翠の燐光が舞う。

 

 変化は一瞬で、劇的だった。

 裂傷が逆再生のように塞がり、重傷を負っていた隊員の呼吸が安定していく。

 魔法でなければ奇跡だ。

 

まずは、お前だ!

 

 赤毛を逆立てたライカンスロープの咆哮が轟く。

 背後に迫る蒼き斬撃を紙一重で躱し、翠のウィッチ目掛けて吶喊する。

 

「しまった!」

「畜生っ」

 

 奇跡に気を取られていた隊員は反応できない。

 

 ライフルの銃口が指向するより早く──世界の色が反転。

 

 白刃が空を斬り、血飛沫と異形の右腕が天井まで飛ぶ。

 

な、にぃ!?

 

 驚愕するライカンスロープの眼前には、シミターを下段から振り抜いたウィッチの姿。

 翠の装束を花びらの如く靡かせ、左腕に通したチャクラムを手まで滑らせる。

 

「逃がしませんよ」

 

 着地と同時に後方へ跳ぶインクブスへ投擲。

 月光を帯びる刃は、鋭い風切り音を纏って敵へ追い縋る。

 

当たるものか!

 

 迎撃は予想外、されど今宵のライカンスロープは塵芥と違う。

 人口密集地を強襲し、2人のウィッチを返り討ちにした強者。

 

 空中で半身を捻り、チャクラムを回避する──はずだった。

 

 瞬きの後、眼前には高速回転する白刃があった。

 

あ?

 

 その事象を理解する間もなく、首と胴は泣き別れる。

 月下に鮮血が舞う。

 落下していく己の半身を眺めながら、インクブスの意識は消失した。

 

「す、すごい…」

「圧倒的だ…!」

 

 全てのライカンスロープが骸へ変わり、隊員の口からは率直な言葉が漏れた。

 その中心で蒼いドレスを纏ったウィッチが、身の丈ほどもあるソードを軽々と振るう。

 

 刃から散った血が床面を彩り──骸が一斉に発火する。

 

 蒼き焔は、人体に有害なガスを生じるインクブスの死骸を焼き払う。

 事後処理まで行うウィッチは、稀だ。

 

「私の治療は完全ではないので、必ず衛生の方に診てもらってください」

 

 鋭い風切り音と共に戻るチャクラムを指で捕まえる翠のウィッチ。

 一面の蒼に照らされた少女の横顔は、驚くほど大人びていた。

 

「感謝します…」

 

 敬礼で応じる隊員たちへ微笑み、ウィッチは相方と共に床を蹴る。

 華奢な体躯からは想像もつかない跳躍。

 瓦礫や鉄骨を足場に、2人は天井に穿たれた大穴から夜空へ消えた。

 

「……あれがウィッチか」

 

 その姿を最後まで見送り、隊員たちは複雑な表情を浮かべる。

 戦死者を出すことなく、絶望的な状況を脱した安堵。

 庇護すべき少女と知りながら、その力に頼らざるを得ない失望。

 防人の名が泣いている。

 

「10、こちら03、送れ」

 

 小さくない無力感を噛み締めながら、隊員たちは次の行動へ移った。

 

 国防軍の方針は、静観──干渉せず、要求せず、命令せず。

 

 国家存亡の危機に悠長だ、と国内外で非難された。

 しかし、()()()()()()()()ウィッチが次々と現れ、第2の防人となった今日。

 ウィッチを軍属とした国家が敗北し、その声は黙殺されつつある。

 誰もが最善策を選択するものだ。




 小噺が戦闘回しかない不具合……ユルシテ…ユルシテ…
 日常回が見たい…見たくない?


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禁秘

 (第4弾にヒロインが登場できなかったので)初投稿です。


 かつて首都上空とは、自由のない空だった。

 アメリカ軍が航空管制する横田空域が広がり、見えない壁があったのだ。

 しかし、現在は別の障害が存在している。

 不倶戴天の敵、インクブスだ。

 

「ああ、くそ……痛てぇ」

 

 微かな月光、そして背後で炎上中の乗機に照らされる男は毒づいた。

 迷彩柄の戦闘服は、彼が国防陸軍の所属であることを示す。

 窓が割れたコンビニエンスストアの店内で、左腕の応急手当に悪戦苦闘している。

 

 弾着観測の任務中、彼の乗機は撃墜された──新種のインクブスが放った雷撃によって。

 

 幸運にも愛すべきフライングエッグ(空飛ぶ卵)ごと火葬されることはなかった。

 しかし、幸運が続くとは限らない。

 

「あいつがいる限り、救助は……くそっ」

 

 辛うじて応急手当を終え、痛む身体に鞭打って立ち上がる。

 首都を占領するインクブスの数は減少傾向にあるが、ここは()()だ。

 悍ましい怪物どもは、地に落ちたパイロットを逃しはしないだろう。

 

 信号筒を使用したが最期だ──遠方で雷鳴が轟く。

 

 生還を諦めないパイロットは、サバイバルキットを携えて歩道を進む。

 墜落地点は危険という判断だった。

 

ぐあぁぁぁぁ……

 

 断末魔が響き、思わず姿勢を落とす。

 声の主は人間のものではない。

 夜空より月光の注ぐ街もとい廃墟は、何事もなかったように沈黙する。

 

「畜生……」

 

 歩道の陰で、肺の濁った空気を悪態と共に吐き捨てる。

 孤立無援の敵地で左腕を負傷し、生還は困難を極めるだろう。

 温もりのない廃墟を見渡し、パイロットは口を引き結ぶ。

 

 怪物の跋扈する夜の世界とは恐ろしい──路地裏で紅い目が瞬いた。

 

 人影を認めた国防軍のパイロットは弾かれたように動く。

 サバイバルキットを足元に捨て、自衛用のハンドガンを構える。

 

「誰だ…!」

 

 恐怖を精神力で抑えつけ、誰何した。

 この破壊された街に人間などいるはずがないと知りながら──

 

「私は……敵ではありません」

 

 路地裏から現れたのは、鼠色のオーバーコートを纏った小柄な少女だった。

 月光を蓄えた長い銀髪、そして人形のように整った容貌は現実感を失わせる。

 

 この立入禁止区域を出歩く少女──それは、ウィッチ以外にあり得ない。

 

 パイロットは硬直しながらも、頭の片隅で結論を導き出していた。

 

「…大丈夫ですか?」

 

 紅い瞳を瞬かせる少女は、容姿に違わぬ幼い声を発した。

 無邪気さは欠片もなかったが。

 

「あ、ああ…すまない」

 

 慌てて銃口を下ろし、国防軍のパイロットは謝罪する。

 罪悪感と安堵が入り混じり、左腕の刺すような痛みに顔を顰めた。

 少女の、ウィッチの平坦な視線が痛みの原因へ注がれる。

 

「左腕が…」

「大丈夫だよ。応急手当は済んでいるから」

 

 人類の守護者とは言え、まだ幼い少女を前に軍人として振る舞う。

 それを見たウィッチは口を開きかけ、言葉を飲み込んで沈黙する。

 

「……ここで何を?」

 

 改めてウィッチは問うた。

 立ち上る黒煙を一瞥してから、紅い瞳が国防軍のパイロットを映す。

 おおよそ状況は把握している様子だった。

 

「救助を呼ぶために、安全な場所を探しているんだ」

 

 ウィッチへの干渉は避けるべきだが、この状況下で背に腹は代えられなかった。

 任務の詳細だけは口外せず、自身の現状を伝える。

 協力が得られるかはウィッチ次第であり、要請はできない。

 銀髪赤目のウィッチは黙考し──

 

「この一帯のインクブスは駆逐しました」

 

 淡々と、驚愕の事実を告げた。

 

「な、なんだって?」

 

 ウィッチとは、無限の可能性に満ちた存在だ。

 しかし、行使できる能力は有限で、大規模な群れを制圧することは困難と推定されていた。

 付け加えるなら、今宵は新種のインクブスも確認されている。

 

「君、1人が?」

 

 外見通りの実力ではないと理解していても、疑問が口から出た。

 静かに目を伏せ、少女は言葉を探す。

 その所作が幼い容貌に見合わぬ色香を醸し出させる。

 

1()()ではないです」

 

 複数のウィッチが協同してインクブスの群れを撃破した。

 そう理解した国防軍のパイロットは、娘より幼い少女たちの戦う姿を想像し、口を強く引き結んだ。

 

「そうか……君たちの健闘に敬意を」

 

 相応の報酬もなく戦う少女たちへ、せめて賞賛の言葉だけは送る。

 あくまでも静観という方針は守らねばならない。

 大人の庇護がウィッチの力を弱め、結果的に命を散らせるとヨーロッパ各国が証明してしまった以上は。

 

「いえ」

 

 謙遜ではなく否定。

 ウィッチの声は感情を削ぎ落とし、冷淡さすら感じるものだった。

 

 微かな違和感──深入りすべきではなかった。

 

 しかし、喫緊の問題が解決し、幾分か余裕を取り戻したパイロットは抱いた疑問を口にする。

 

「君は帰らないのか?」

 

 インクブスを駆逐したならば、ここに留まる必要はない。

 負傷者の救助に奔走するウィッチもいるが、眼前に立つ少女は異なるように思われた。

 

「…墜落地点の確認に」

 

 紅い瞳が黒煙の立ち上る方角へ向き、細められる。

 ヘリコプターの墜落地点は立体駐車場の手前で、当然ながら無人地帯だ。

 火災は生じているが、自然鎮火を待っても問題はない。

 

「あそこには何もなかったが──」

 

 途中まで言葉を紡ぎ、中断を余儀なくされる。

 緊張で体を強張らすパイロットは、ハンドガンのトリガーに指を置く。

 

 耳に届く大気を震わす音──羽音だ。

 

 夜の静寂を乱し、無数の羽音が次第に接近してくる。

 乗機の墜落した方角を睨めば、コンクリートジャングルを縫って飛ぶ影。

 月光を浴びる橙と黒の縞模様の体躯には、2対の翅と3対の脚があった。

 

「なぜ、巨大生物が…!」

 

 中型犬ほどの体長をもつミツバチの群れを見て、パイロットは顔を引き攣らせた。

 最近、目撃数が増加している正体不明の巨大生物。

 形態は様々だが、インクブス()()を攻撃するという共通点がある。

 

 国防軍の対応は、ウィッチと同様に静観──ミツバチは明らかに少女を目指していた。

 

 細かな毛の生えた脚を前に出し、捕獲の姿勢を見せる。

 

「嘘だろっ」

 

 ウィッチは抵抗することなく、体当たりを正面から受けて倒れ込む。

 続々とミツバチが降り立ち、長い銀髪も鼠色のオーバーコートも見えなくなる。

 熱殺(ねっさつ)蜂球(ほうきゅう)だ。

 

「人間は襲わないんじゃなかったのか!」

 

 一刻の猶予もない。

 国防軍のパイロットは蠢く毛玉の塊へ銃口を向け──

 

「待って」

 

 羽音と外骨格の擦れる音の中、確かに少女の声が聞こえた。

 

「おい、大丈夫か!?」

 

 トリガーに置いた指を止めて安否を確かめると、毛玉の塊から手が出される。

 ミツバチの1体を抱え、上体を起こす少女。

 自身を取り巻く群れを見て、困ったように笑う横顔は慈愛に満ちていた。

 

「大丈夫です。敵ではありません」

 

 理解を超えた状況にパイロットは困惑するしかない。

 

「ど、どういうことなんだ?」

 

 どう説明すべきか、ウィッチは迷っている様子だった。

 その周囲で、身体を揺らして踊り、オーバーコートの裾を食み、少女の指先を舐めるミツバチたち。

 

「このミツバチは──」

ミンストレルです

 

 ウィッチの左肩、銀髪の影から訂正が飛ぶ。

 思わぬ第三者の声にパイロットは身構えるも、気にせずウィッチは話を続ける。

 

「ミンストレルは、ファミリア(使い魔)です」

 

 少女に大人しく抱えられたミツバチは、迷彩柄の人影など眼中にない。

 主の手に掴まり、触角を揺らすだけ。

 

 familiar(使い魔)というよりfamilia(家族)だ──現実逃避する思考を引き戻す。

 

 インクブスを攻撃の対象とする点で、ウィッチに関連する存在と見られていた。

 しかし、異質な造形と攻撃手段から関連を疑問視する声も同時に聞かれた。

 

「ウィッチが……いや、君が率いていたのか」

 

 1人ではない、その意味を知る。

 頭上から降り注ぐ攻撃ヘリコプターさながらの()()

 夜空を見上げれば、ミツバチの天敵とされるスズメバチの一群が降下してくる。

 材料不詳の肉団子を抱え、車道へ降り立つ捕食者たち。

 

「ほら、行け」

 

 主に腹部を押され、ミツバチたちは無警戒に天敵へ近寄っていく。

 食性が吸蜜である昆虫が肉団子に集り、それを獲物とする昆虫が微塵の興味も示さない。

 足元に毛玉の塊が生まれようとスズメバチは呑気に触角を掃除している。

 別種の生命体だと実感させる光景だった。

 

 交差点に立つ信号機が倒れる──月光を帯びた外骨格が闇より姿を現す。

 

 大型トラックほどもある巨躯が、荒れ果てたアスファルトの上を悠然と進む。

 頭部から立派な角が伸びる甲虫の隊列は、戦車連隊の如く勇壮だった。

 

「は、ははは……ここは腐海か?」

 

 威嚇にもならない得物を下ろし、乾いた笑い声を漏らす。

 巨大生物とインクブスの目撃数が逆転しつつある理由は単純だった。

 このコンクリートジャングルを支配する捕食者は、彼彼女らなのだ。

 

 人間ではない者たち──その一群を従えるは、1人の少女。

 

 昆虫を模した巨大生物に囲まれ、慈母のように微笑むウィッチだ。

 ()()()()()()()()()()()()、それが国防軍の真意なのだろう。

 

「すげぇ……アトラスオオカブト、なのか」

 

 それを理解したパイロットは、縁石に腰を下ろして傍観するしかない。

 少女の胸へ頭を押し付ける甲虫は、幼少期の記憶に残る姿を拡大したようだった。

 溜息交じりに叩かれ、渋々下がるも触角を動かして抗議する様は、大型犬を思わせる。

 

ウィリーウォーと言い──むごっ

 

 銀髪の陰から頭を出したハエトリグモの鋏角を、細い指が押さえる。

 半眼で睨み、少女は小さく溜息を吐いた。

 

「無闇に喋るな」

ふぁい

 

 拳大のハエトリグモと慣れた様子で会話するウィッチ。

 呆気に取られていたパイロットだが、今更だと開き直って苦笑する。

 彼女たちは現代科学で解明できない存在なのだ。

 

「…今夜は安全のはずです」

 

 紅い瞳が迷彩柄の人影を映し、幼い声で淡々と告げる。

 その背後では、アトラスオオカブトを始めとする甲虫たちが肉団子を食む。

 

「ああ……そうらしい」

 

 防人の1人である国防軍のパイロットは肯定する。

 眼前の光景を見れば、敵対する意志すら瞬時に粉砕されるだろう。

 肉団子の()()()でさえ例外ではないはずだ。

 

 ──翌朝、パイロットは無事救助された。

 

 救難ヘリコプターから見下ろす廃墟に巨大生物の姿はなく、インクブスの全滅という結果だけが残された。

 しかし、遭遇したウィッチに関しては厳重な緘口令が敷かれ、今現在に至るまで解かれていない。




 作者はマルハナバチ推しです(大胆な告白)


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番外

 馬鹿な、これが1周年記念の最後と言うか!


 血のように赤い月が空に浮かぶ異界。

 

 見渡す限り不毛な大地が広がり、生命の息吹は感じられません。

 

 しかし、ここには恐るべき捕食者がいます。

 

 ファミリア──ウィッチが使役する擬似生命体の1種。

 

 ナイトストーカーです。

 

 見た目は地球に生息する昆虫そっくりですが、その体長はアメリカバイソンに匹敵します。

 

 エナで形成された外骨格は堅牢でありながら軽量。

 

 加えて大気中の微細なエナを翅が捉えることで、高い機動性を実現しています。

 

 今日もナイトストーカーの群れは獲物を求めて飛び立ちます。

 

 獲物は様々──ゴブリン、オーク、インプ、時にはオーガも。

 

 ナイトストーカーは偏食家で知られています。

 

 この群れはゴブリンが大好物。

 

 ゴブリンの利用する頻度が多い道を上空から監視して回ります。

 

 しかし、大きな複眼の視力は見た目ほど良くありません。

 

 代わりに獲物が発する臭いを触角で敏感に感じ取ります。

 

 ゴブリンを発見しました。

 

 生意気にも徒党を組み、武器を持っています。

 

 しかし、日々洗練されていく戦術の前には無力です。

 

 まず、囮が大顎を打ち鳴らして注意を頭上へ引きます。

 

で、出やがった!

撃て、撃てぇ!

 

 おっと、危うく翅を傷つけられるところでした。

 

 ゴブリンの持つ武器は強力です。

 

 しかし、その構造から連射はできません。

 

 囮が注意を引いている間に群れが低空から襲撃します。

 

ぎゃぁあぁぁ!

お、囮ぁぉ!?

 

 切断工具のような大顎を前に肉も骨も関係ありません。

 

 ナイトストーカーは健啖家で、ゴブリンを頭から噛み砕いて食べます。

 

 パニックに陥ったゴブリンは武器を捨てて逃げ出すようです。

 

 残念ながら、それが叶うことはありません。

 

逃げえがっ……

 

 尾部の毒針から神経毒を注入され、ゴブリンの意識は瞬く間に薄れていきます。

 

 それは彼にとって幸運かもしれません。

 

 獲物は空腹を満たすだけでなく、捕食者の群れを増やす苗床になります。

 

 昏倒した獲物の体内に卵を産み込めば完了。

 

 ゴブリンの命運は決まりました。

 

 翌日には40体ほどの幼虫に体内を食い荒らされ、絶命するのです。

 

 この生態はナイトストーカーの参考となった生物、ハチ目コマユバチ科の特徴が色濃く表れています。

 

 異なる点は卵を宿主の生体防御から守る方法。

 

 コマユバチ科は共生関係にある特殊なウィルスの働きで宿主の生体防御を無力化します。

 

 一方、ナイトストーカーは卵に宿主と同種のエナを纏わせることで同様の効果を得ています。

 

 まだ空腹の満たされない捕食者の群れは、新たな獲物を求めて飛び立ちます。

 

 

 現代の技術では解明できない異界の技術は、エナさえあれば大概の事象を可能にしてしまう。

 まさか、()()()()で活躍するファミリアの姿を見ることができるとは思わなかった。

 しかし──

 

「ナレーションは必要だったか?」

 

 ファミリアの様子を確認できれば満足だったのだが、ドキュメンタリー番組を思わせるナレーションまで付いてきた。

 

初見の方には必要かと思いまして……

 

 定位置の左肩から私を見上げるパートナーは、申し訳なさそうに縮こまる。

 

「…そうか」

 

 ナレーションが必要と思う理由は、分からなくもない。

 初めてファミリアの生態を見る()()()には、誤解を与えないように確かな情報を伝えたかったのだろう。

 

「…きょ、強烈ですわね……うっ」

 

 ガントレットを外した細い手で私の左手を握るプリマヴェルデは、もう一方の手で口を覆う。

 権能以外のマジックを上手く扱えない彼女は、私と接触することでテレパシーを接続していた。

 

 接続を断った今、手を離してもいいのだが──しばらくは動けないか。

 

「スプラッタは慣れてたつもりなんだけど……トライポフォビア(集合体恐怖症)になりそう」

 

 荒れ果てた部屋の中央に置かれた円卓へ腰かけ、ダリアノワールは天を仰いだ。

 抜け落ちた天井の彼方、夕闇の滲む空を映す瞳には生気がない。

 

うむ、幼虫が腹から現れるシーンは──」

おい、馬鹿やめろ

 

 いつにも増して真剣なフクロウの嘴を押さえんと黒猫が円卓を駆ける。

 そして、私の左手を握る力が、ぐっと強まる。

 肉袋の皮膚を幼虫が食い破る瞬間は、絶対に見せる必要がなかった。

 誰が得をするんだ、あのモンスターパニック映画のワンシーン。

 

「アメリカバイソンって、どれくらい大きいの〜?」

 

 私の前に座るベニヒメだけは、のんびりとした態度を崩さない。

 ふさふさのミツバチを両腕で抱え、九つの尻尾で4体のミツバチを()()()()()

 

 その毛玉の塊に触れてみたい──強い意志で衝動を抑え込む。

 

 そんなことより事態の収拾だ。

 ここで羽を伸ばしているミツバチも戻らせなければなるまい。

 原種の高い記憶、学習能力を向上させたミツバチは、ファミリアの大脳を司っているのだ。

 

「アメリカバイソンの雄は300cmから350cmほどになるが、ナイトストーカーは平均280cmだから雌と同程度だ」

「お~大きいね~」

「お前、虫以外も詳しいのか……」

 

 憔悴したゴルトブルームの声が耳に届く。

 私の右手をしっかりと握る彼女が、今回の()()()()を可能にした立役者だ。

 テレパシーの改変は高度な技術を必要とするらしいが、彼女は30分ほどで仕上げてきた。

 素晴らしい手腕だと思う。

 

「な、なんだよ…!」

「なんでもない」

 

 しかし、その結果は見ての通り。

 後悔すると忠告したが、無知は許されないと言い張る協力者たちは止められず、この有様だ。

 私にとっての常識は、彼女たちにとっての非常識。

 世には知らないままで良いこともある。

 

ま、マスコット()で中和すべきでしたか…!?

「そういう問題じゃない」

 

 まだ物知りマスコットを諦めてなかったのか、このハエトリグモ。

 対象年齢を下げても映像が()()では意味がないだろ。

 ふと、円卓に座ったまま沈黙するナンバーズの1人を見遣る。

 

「…大丈夫か、ユグランス」

 

 射し込む夕陽に照らされたユグランスの顔色は、よろしくない。

 傍らに控える近衛兵と卓上のハツカネズミが心配そうに主を見守っている。

 

「はい、問題はありません」

「そうは見えないが……」

「大丈夫です」

 

 どう見ても大丈夫ではない。

 ウィッチやナンバーズといった肩書は関係なく、大多数の人間は忌避する光景だったはず。

 別に否定しなくとも──

 

「シルバーロータス」

「どうした?」

「生体防御を無力化する方法は召喚した時から備わっていたのですか?」

 

 明らかに顔色は悪いが、それでもユグランスは貪欲に知識を求める。

 殊勝な心掛け、なのだろうか?

 

「いや、進化によって得た後天的なものだ。初期は失敗も多かった」

「…模倣は難しいでしょうか」

マスター、その思考実験は極めて危険と判断

 

 4つの単眼を点滅させ、機械仕掛けの近衛兵が身を乗り出す。

 既視感のある光景だった。

 

「それは全力で止めさせてもらうよ」

「ユグランスさん、それだけは…!」

「やるならインクブス相手の幻影だけにしろよ……頼むから」

 

 しかし、今回はベニヒメを除くナンバーズも目の色を変えて止めに入った。

 普段、私のファミリアを恐れない彼女たちも許容できないものはある。

 

一般的なファミリアはインクブスを苗床にしませんよね……

「画期的とは思うが、やはり視覚が課題か」

()()()()みたいで美味しそうだったね~」

 

 驚愕の回答が飛び出し、私とパートナーは思わず顔を見合わせた。

 確かにハチの幼虫は栄養価が高く、一時期は高級品として市場に流通したこともある。

 しかし、肉袋の腹をぶち抜いた()()が食用に見えるだと?

 あり得るのか、そんなことが。

 

…ベニヒメや、ファミリアは食べられんぞ?

「それくらい知ってるよ~」

 

 機嫌よく尻尾を揺らすベニヒメは、ふにゃと邪気のない笑みを浮かべる。

 

「残念だよね~」

 

 その腕に抱えられたミツバチは、ただ首を傾げるだけ。

 おい、危機感を持て。




 兄者「ダーウィンが来た?」
 作者「ナショナルジオグラフィック(迫真)」


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蝉脱

 UA200万突破記念に小噺を投稿するゾ(唐突)


 古代中国では俑と呼ばれる冥器を死者の墓に副葬していた。

 最も著名な俑とは、始皇帝が建設した陵墓の兵馬俑であろう。

 8000体近くの兵士や馬を模した俑が並ぶ光景は壮観だ。

 現在のモンゴル高原には、それを彷彿とさせる景色が広がっていた。

 

 ただし──俑は、全て消炭色のトノサマバッタだったが。

 

 刺々しい外骨格、斑模様の翅、長く強靭な後脚、それらが地平線まで連なっている。

 彼彼女らは侵略者を絶滅させたウィッチ(魔女)ファミリア(眷属)だ。

 

『休眠じゃない?』

 

 猛禽類の目を思わせる金色の瞳が、路肩から先に広がる異界を映す。

 紡いだ疑問の言葉は、ガソリンエンジンの唸り声に掻き消される。

 

ああ、休息を取っているわけではないようだ

 

 しかし、彼女のパートナーは言葉が無くとも意思疎通が可能だ。

 水色の流麗な装束を纏い、艶やかな黒髪を靡かせる少女は、ただの子どもではない。

 モンゴル高原の魔女と呼ばれた一騎当千のウィッチだ。

 

ここで停止しているファミリアは、内包するエナの減少が見られる

『じゃあ、ただ活動限界ってだけじゃないの?』

 

 背負うアサルトライフルのベルトによって強調された胸元。

 そこに乗る鏃のペンダントから淡々とした言葉が紡がれる。

 

それにしては速度が劇的だ。これは別の活動に消費していると見るべきだろう

『別の活動、ね──っと』

 

 腰を預けるソビエト連邦製の装甲車が小さく跳ねた。

 その振動を難なく受け流し、少女は未舗装路の先へ視線を投げる。

 唯一、消炭色に侵食されていない道の路肩には、侵略者の走狗が屍を晒していた。

 

『…ったく、後片付けしていきなさいよね』

『ああ、礼儀のなってない連中だ』

『礼儀を学ぶ前に土に還ったみたいだがな』

 

 装甲車に便乗する兵士たちは、勝利の女神たるウィッチの言葉に頷く。

 路肩で擱座した主力戦車や自走砲は、かつてロシア連邦と呼ばれた国家の誇る最新鋭兵器だ。

 今は焔に焼かれて、赤錆びた鉄塊となっている。

 優れた兵器を有していようと崩壊した傀儡政権の軍に扱い切れるはずもなかった。

 

『村まであと何kmなの?』

『2kmほど、もう見えてくる頃だ』

 

 何度目かになるウィッチの問いに、ヘルメットを被った壮年の兵士が答える。

 少女は小さく溜息を漏らし、膝を抱えて消炭色の草原へ視線を戻す。

 それまでは、この異界の景色が続くのだ。

 大地を覆う体長3m強の節足動物たちは、救世主というには禍々しい。

 

『退屈か?』

『さすがに飽きた。これじゃスラムと変わらないわ』

 

 モンゴル高原の魔女と呼ばれる前、少女を取り巻く世界の色は貧しかった。

 薄汚れたゲル──遊牧民が使用する伝統的な住居だ──と粗末な小屋が連なり、調理と暖房に使用した石炭の煙が空を灰色に染める。

 インクブスが現れてからは、そこに鮮やかな血の色が混じった。

 その陰鬱とした世界を穿ち、少女は()へ出た。

 

『ウランバートルより空は青いだろう?』

『こいつらが飛んだら同じよ』

 

 路肩の自走砲を踏みつけるトノサマバッタへ胡乱げな視線を投げ、鼻を鳴らす。

 蒼穹を覆い、豪雨の如き羽音を降らせる異形たちは、インクブスにとって滅びの象徴だ。

 その光景を見て神の御使いと崇める者もいるが、多くの者は外見から存在を忌避する。

 

 感謝はしている──しかし、理解できない。

 

 意思の疎通は一切できず、ただインクブスだけを抹殺する存在。

 救世主というより天災だ。

 

スカビオサ、先程の話だが……

『その名前で呼ぶなって言ってるでしょ』

 

 形の良い眉を顰め、胸元のペンダントへ視線を落とす。

 オールドウィッチから授けられた名を少女は嫌っていた。

 その理由を知るパートナーは無意味と知りながらも形だけのフォローに入る。

 

…ツェレン、スカビオサは国花じゃないか

『いやよ。未亡人なんてごめんだわ』

 

 そう言って口を尖らせるツェレンに、車上の兵士たちは忍び笑いを漏らす。

 雪の結晶を彷彿とさせる花姿のスカビオサは、不幸な恋や未亡人といった花言葉が託されている。

 スカビオサの咲く高原に屍の山を築いてきた魔女も年頃の少女だ。

 今のところ想い人は未定だが、それでも好んで使いたくはない。

 

花言葉など迷信──』

 

 ツェレンの胸元で揺れるペンダントは、途中まで紡いだ禁句を止める。

 兵士たちも口元から笑みを消し、ガソリンエンジンの唸り声だけが鳴り響く。

 車上に座る者の視線は、消炭色の草原へ向いていた。

 

 無風の草原が波打つ──金属を引き裂くような異音が響き渡る。

 

 身動ぎ一つしなかったトノサマバッタの背面に亀裂が入っていた。

 その異変は次々と伝播していき、異形たちの影が揺らぐ。

 

『なんだ…こりゃ…』

『な、何が始まるんだ?』

 

 初めて遭遇する事態を前に、車上の兵士たちは手元のライフルを握る。

 敵ではないが、味方でもないファミリアは謎多き存在だ。

 心の隅に置いていた警戒心を呼び起こす。

 

『全隊、止まれ!』

 

 壮年の兵士は無線で指示を飛ばし、車列を停止させる。

 その間にも周囲の景色は変貌していく。

 消炭色の外骨格より徐々に迫り出す半透明な翅、そして──

 

これは、脱皮か…!

 

 古き衣を大地へ脱ぎ捨て、白銀の姿を蒼穹の下に晒す。

 草原は一斉に銀世界へ変わり、陽光を反射して輝く。

 頭部が外気に触れ、触角が草葉の如く揺れる。

 

 銀に真紅が混じる──それは眼だ。

 

 無機質な輝きを宿し、まるで宝石のような真紅の複眼が外界を映す。

 

『そう…みたいね』

 

 眼前に広がる非現実的な景色に、ツェレンは思わず見入っていた。

 彼女だけではない。

 屈強な兵士たちも言葉を忘れ、ただ茫然と銀世界を見渡す。

 忌避すべき外見の異形が、その時だけは純銀の細工物に見えた。

 

不完全変態……まさか、成長するファミリアとはな

 

 脱皮を終えたファミリアの群体を前にして、パートナーは微かに驚愕を滲ませる。

 一夜で消滅する儚き存在が、インクブスを捕食して成長するなど前代未聞だ。

 脱ぎ捨てられた古い外骨格が崩れ出し、エナへと還る。

 その煌めきは夏風に吹かれて蒼穹へと舞い上がった。

 

『すげぇ……こんなの初めて見た』

『誰か、カメラ持ってないか!』

 

 まるで流星が空へ戻っていくような光景に、誰もが歓声を上げる。

 歓声を聞く異形たちの外骨格は急速に硬化し、表面の金属光沢が消えていく。

 

 そして、銀色は鉛色へ──否、暗い灰色に変質する。

 

 半透明の翅が大きく広げられ、見慣れた斑模様が浮かび出す。

 より強く、より硬く、より遠くで戦うために彼彼女らは進化する。

 

『おい、飛ぶぞ!』

 

 トノサマバッタたちは翅を震わせ、一斉に大地を蹴る。

 飛び立つ異形の風圧が土と草を巻き上げ、エナの輝きを吹き散らす。

 異形の影が太陽どころか蒼穹すら覆い隠し、昼の世界を夜へと変える。

 

『悪くないと思ったけど……』

 

 銀世界を前に輝いていた金色の瞳は曇り、消炭色の闇を無為に映す。

 豪雨の渦中にいるような羽音が降り注ぐ中、ツェレンは溜息交じりに呟く。

 

『やっぱり好きになれないわ』

そうか

 

 その呟きはパートナー以外に届くことはなく、無数の羽音に掻き消される。

 夜は、車列が村に到着するまで続いた。

 

 

 ツェレンに与えられた任務は、傀儡政権の部隊を追撃することだった。

 インクブスという支配者から解放された走狗たちは、本国へ逃れるために手段を選ばない。

 秩序を失った軍隊など盗賊と相違なかった。

 だからこそ、徹底的に叩く必要がある。

 

『物に、人に……奪えるなら何でもって感じね』

 

 猛禽類を思わせる金色の瞳を鋭く細め、ツェレンは吐き捨てるように言う。

 馬上の少女は草原よりも蒼穹に少し近い場所から敵の動向を窺っていた。

 

 山谷風に吹かれて黒髪が靡く──ここはモンゴル高原とシベリアの地を隔てるサヤン山脈の一角だ。

 

 夏季であっても周囲の気温は低く、澄んだ空気は遠くまで見通せる。

 

まさしく盗賊だな

 

 ツェレンの首から下がる鏃のペンダントは、眼下の敵を端的に評した。

 谷底の川に沿って造成された山道を、主力戦車を殿とする車列が進んでいた。

 兵士を車上に乗せた装甲車の他に、()()()を載せたトラックも確認できる。

 

『何がしたいのかしらね、あいつら』

人質を取れば追撃はないと考えているのだろう

『はぁ……最悪』

 

 そう言って背後を振り返り、山の麓近くへ視線を落とす。

 視線の先には、針葉樹と岩々に囲まれた小さな村が見える。

 

 傀儡政権に占領され、魑魅魍魎の暴虐が吹き荒れた──ありふれた悲劇の村。

 

 ()()()によって解放された村は、軍服を着た盗賊の略奪に遭った。

 無力な村人に抵抗などできるはずもない。

 

『インクブスの狗ども……逃がすわけないじゃない』

 

 山谷風を受けても冷めぬ闘志を宿す少女は、エナで形成されたコンパウンドボウを強く握る。

 

ああ、拉致された人々を必ず取り戻そう

 

 パートナーの言葉には頷かず、麓より彼方へ視線を向ける。

 青々とした緑が波打つ草原に消炭色の影は一つも見当たらない。

 異形の救世主たちは、異界からの侵略者を滅ぼすべく飛び立った。

 

『サハル』

どうした?

 

 その光景を思い起こしながら、ウィッチはパートナーに問う。

 

『あのファミリアは、どうして悪人を殺してくれないのかしら?』

 

 希望と嫉妬と怨嗟の入り混じった複雑な声色で紡がれた問い。

 あれほどの圧倒的な戦力があれば、傀儡政権を滅ぼすことは容易いだろう。

 しかし、インセクト・ファミリアは人間に一切の興味を示さない。

 

ファミリアは善人と悪人を区別できない

『ウィッチが決めればいいじゃない』

それが現実的でないと分かっているだろう

 

 パートナーの指摘に対し、ツェレンは口を噤んで押し黙る。

 彼女が跨る美しい青鹿毛の軍馬もファミリアだ。

 細かな指示も聞く良き戦友だが、テレパシーによる意思の疎通は未だに慣れない。

 

 だからこそ理解できる──あれほどの大群を操れば、どれほどの負荷に襲われるか。

 

 インクブス()()()敵味方を判別する、そんな煩雑な作業が加われば負荷は際限なく上昇するだろう。

 

『……はいはい、悪人を殺すのは魔女の仕事ですよ~』

 

 それを理解しているツェレンは自嘲気味に笑い、コンパウンドボウの機械仕掛けを撫でる。

 インクブスという外敵が取り除かれた今、この地に生きるウィッチが為すべきことは()()()()()()()だ。

 

『私にはお似合いか』

 

 年端もいかない少女の顔から笑みが消え、暗い影だけが残る。

 高山植物が疎らに生える山肌を、寒々しい山谷風が撫でた。

 それは華奢な体躯に宿る闘志以外の感情を削ぎ落していく。

 

君がやっている事は人助けだ

『どうだか』

 

 猛禽類の如き鋭い眼差しが眼下の敵へと向く。

 右手でコンパウンドボウを構え、左手は無為に空を掴む。

 

 指先より流れ出すエナが収束──刹那、漆黒の矢弾が虚空より現れる。

 

 金色の瞳がエナの輝きを纏い、傀儡政権の兵器を照準する。

 

『始めるよ』

 

 そして、モンゴル高原の魔女──ウィッチナンバー7、スカビオサは矢を番えた。

 

ああ、始めよう

 

 小さく息を吸い、止め、矢を放つ。

 風切り音が鳴り響き、蒼穹に放物線を描く漆黒の影。

 

 その影は12の矢弾に分裂し──音速にまで加速、車両の天板へ突き立つ。

 

 鋼鉄の装甲を穿ち、内部で熱量が弾けた。

 インクブスを打ち滅ぼすマジックは、人間の生命を容易く蒸発させる。

 自身の最期を知覚することなく乗員は焼死した。

 

全弾命中を確認

 

 大気が衝撃波で震え、焔を纏った主力戦車の砲塔が宙に舞う。

 

 次いで爆発、爆発、爆発──戦果が黒煙となって立ち上る。

 

 山道は焔と黒煙に覆われ、停止した車列を隠す。

 しかし、金色の瞳は人質を乗せたトラック2両と護衛の装甲車を捕捉している。

 

『派手に燃えたわね』

拉致された人々に危険が及ぶかもしれない。急ごう

 

 細い左手で手綱を引けば馬蹄が岩肌を蹴り、水色の装束が風で靡く。

 蒼穹が遠ざかっていき、谷底に向かって青鹿毛の軍馬が駆ける。

 

 黒煙の中で動く人影──装甲車から降車した傀儡政権の兵士だ。

 

 ライフルを構えながら、恐怖と憎悪に染まった怒声を響かせている。

 その無様な姿を視界に収めながら、スカビオサは手綱から左手を離す。

 

BMPが出てくるぞ

 

 青鹿毛の軍馬は針葉樹の影を縫い、張り出した岩の先端を蹴って飛ぶ。

 景色が背後へと飛び去る中、ウィッチの左手には新たな矢弾。

 それを番えたコンパウンドボウの滑車が回転し、弦が引かれる。

 

『無駄よ』

 

 幽鬼を思わせる冷酷な声は、風切り音に掻き消された。

 

 大気を引き裂く悲鳴が鳴り響き──金属を穿つ異音が大気を震わす。

 

 燻る黒煙を突き破り、山道から川へ落とされる鉄屑。

 低平なデザインの装甲車、その残骸だ。

 

Ведьмы(魔女だ)!」

Пошел ты(くそったれ)!」

 

 山道で銃火が疎らに瞬き、至近を銃弾が擦過する。

 しかし、ウィッチの駆るファミリアは恐れることなく斜面に着地し、再び地を蹴る。

 軽々と巨体が跳び、不埒な賊を眼下に置く。

 

Монстр(化け物が)!?」

 

 馬蹄が断末魔ごと人体を破砕し、山道に鮮烈な赤を散らす。

 着地の足跡を刻みながら、青鹿毛の馬は背後へ視線を走らせる。

 そこには後退る不埒な賊。

 

Без шуток(冗談じゃねぇ)──」

 

 圧殺されなかった不運な兵士が最期に見たのは、残像を纏う後脚だった。

 水風船の弾けるような快音が響き渡る。

 

『あと何人?』

4人だ

 

 鉄と油、そして血で染められた山道にスカビオサは降り立つ。

 燃え盛る車両から吐き出される黒煙で、周囲の視界は劣悪だ。

 それでもモンゴル高原の魔女は迷いなく2両のトラックへ向かう。

 

 咳き込む声、泣き声、母親を呼ぶ声──人質となった子どもの声だ。

 

 コンパウンドボウが燐光となって消え、背負っていたアサルトライフルを手に取る。

 安全装置を解除し、視線をトラックの陰へ向ける。

 

『こ、降伏する…!』

『許して、くれ!』

 

 モンゴル高原の魔女に睨まれ、トラックの陰から両手を上げた兵士が現れる。

 拙いモンゴル語で話す兵士たちは恐怖に駆られ、手足が小刻みに震えていた。

 

『攫った子どもは?』

『う、後ろだ……』

 

 銃口を向けるウィッチの瞳には冷徹な光が宿っていた。

 トラックの荷台へ視線を向け、それから兵士の人数を確認する。

 

『そう』

 

 人数の確認を終えた瞬間、躊躇なくトリガーを引く。

 

 乾いた銃声が響き渡る──物言わぬ屍が4体、増えた。

 

 かつて傀儡政権の兵士たちが行ってきた()()を、スカビオサは彼らにも味わわせた。

 罪なき人々を一方的に嬲ってきた者へ最大限の返礼だ。

 

スカビオサ──』

『その名前で呼ばないで』

 

 スカビオサは苛立ちを滲ませる声でパートナーの言葉を遮った。

 雪の結晶を彷彿とさせる花には似つかわしくない己を、少女は心の底から嫌悪している。

 硝煙を燻らす銃口を下げ、肺から濁った空気を吐き出す。

 熱せられた鉄の弾ける音だけが虚しく響いていた。

 

……拉致された人々が待っている

『ええ』

 

 道徳を説くよりも優先すべきは、拉致された子どもの生命だ。

 青鹿毛の軍馬が主人に寄り添い、少女の横顔を澄んだ瞳に映す。

 スカビオサは顔を寄せるファミリアの鼻先を撫で、再び歩みを進める──

 

残念だったなぁ

 

 それを嘲る者がトラックの荷台に姿を現す。

 アサルトライフルの銃口が指向する先で、薄汚れた黒い外衣が風に靡く。

 

『た、たすけて……』

 

 黒衣の内より伸びる鋭利な爪が、恐怖に歪む少女の首筋に食い込む。

 人質を前面に押し出す異形は邪悪な笑みを浮かべていた。

 

ボガート、隠れていたか

『ちっ…しぶといわね』

 

 舌打ちするスカビオサはアサルトライフルの銃口を下ろし、傍らに投げ捨てる。

 勝利を確信するボガートは笑みを強めた。

 足下の影に潜み、少女を拐すインクブスは正面からウィッチに挑まない。

 

まったく役に立たねぇ屑どもだ。時間稼ぎも出来やしない

 

 ボガートは鉤鼻の醜悪な顔を歪め、周囲の鉄屑と亡骸を嘲った。

 インクブスにとって傀儡とは家畜であり、道具だ。

 決して労うことはない。

 

だが、この雌どもを見繕ったことは褒めてやる

 

 そう言って少女の首筋から頬までを爪で撫で、下卑た笑みを浮かべる。

 黒煙が空を覆い、黎明のように薄暗い世界。

 恐怖で泣く子どもの声が響き、熱せられた鉄が弾ける。

 背後から迫る新手の気配を捉え、スカビオサは小さく溜息を吐く。

 

後は、お前も手土産に──」

『いちいち話が長いのよ、鉤鼻野郎』

 

 モンゴル高原の魔女は、そう言って嗤った。

 刹那、美しい青鹿毛の馬は強烈なキックを背後へ放つ。

 影より這い出たボガートの頭部が吹き飛び、エナの飛沫を散らした。

 

 そして、世界の色が反転──背後へ伸ばしたスカビオサの左手が握るは鎖。

 

 遠心力で張った鎖の先端には、六角錐の錘があった。

 それを全力で、前方へ振り抜く。

 

このっ!?

 

 少女の首を裂くよりも速く、錘がボガートの顔面を打ち抜いた。

 快音が鳴り響き、黒い外衣を纏った影が荷台から弾き飛ばされる。

 

おのれぇぇ!

 

 ボガートは悍ましい叫び声を上げながら、山道を外れて川へと落下していく。

 致命傷は与えたが、生命まで砕くことはできなかった。

 この期に及んで生き残っている時点で、並のインクブスではない。

 

『ちっ…まだ生きてる』

 

 水面を叩く音の軽さに、スカビオサは思わず舌打ちした。

 引き戻した鎖をエナへ還し、コンパウンドボウを再形成。

 エナの燐光を纏いながらトラックの荷台へ乗り、怯える少女たちを見下ろす。

 

『頭を下げて、なるべく煙を吸わないようにしなさい!』

 

 声を張り上げて指示し、荷台を蹴って路肩へ降り立つ。

 眼下を流れる川は幅も深度もない。

 ゆえに落水したインクブスの黒い影は、すぐ捕捉できた。

 

くそっ…ウィッチめ!

 

 叩き折られた鉤鼻を押さえ、ボガートは呪詛の言葉を吐き出す。

 黒い外衣が水面で揺蕩っているが、脚は川底に届いている。

 

追撃の必要はないかもしれないな

『…そうみたいね』

 

 矢を番えようとした左手を止め、半眼のスカビオサはパートナーの言葉に同意する。

 金色の瞳は、醜悪な顔を歪めて吠えるボガートを映していない。

 彼女が見ているのは、水面だった。

 

よくもやってくれたな!

 

 濁った水面に現れる楕円形の影、その全長は4mに匹敵する。

 大魚ではない。

 インクブスの足元へ近づく巨影には、死神の如き鎌があった。

 

お前は袋に詰めてから嬲って辱め──がぁは!?

 

 白い水飛沫が舞い、黒い外衣を挟み込む2本の大鎌。

 ウィッチの追撃を警戒し、己の影へ逃げ込む準備は整えていた。

 しかし、ボガートは水中からの奇襲を想定していなかった。

 

 骨格を砕かんばかりの拘束──灰褐色の太い捕獲脚は、驚異的な膂力を誇る。

 

 捕獲脚の先端にある爪が両肩を貫き、ボガートの逃走は絶望的だ。

 それでも足掻く獲物へ捕食者は口吻を突き立てる。

 

ぎゃぁぁがばっぐぼぁ……

 

 水中に引き摺り込まれ、その断末魔は無意味な泡へと変換された。

 タガメ亜科に属する水生昆虫は、黙々と消化液を注入する。

 獲物の抵抗は弱まり、やがて水流に揺られるだけとなった。

 

インクブスの体組織をエナに分解して吸引しているのか

『うわぁ……』

 

 パートナーの冷静な分析を聞き、ウィッチは顔を引き攣らせた。

 体内を消化され、液状化したエナを吸引されるボガートが徐々に萎びていく。

 

『趣味が悪い』

否定はしない

 

 インクブスの死を見届けたスカビオサは、踵を返して路肩より立ち去る。

 微かに疲労の滲む足取りでトラックへ向かう。

 今は生態観察より人命救助だ。

 指示を守らず、顔を覗かせる子どもたちを連れ帰らねばならない。

 

『まったく……どんなウィッチが呼び出したのかしら』

 

 去り際に呟いた言葉は、黒煙と共に風で流されて消えた。




 水生カメムシ類が出したかっただけ(真顔)


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聖夜

 クリスマスプレゼントだろ!!(衝動的投稿)


 人影の消えた灰色のコンクリートジャングルを、その日は白が覆っていた。

 崩れ落ちた摩天楼も、折れ曲がった電柱も、舗装の剥がれた道路も、全てが白い。

 

 雪──首都圏では滅多に見られない降雪量だ。

 

 侵略者に人類が滅ぼされようと四季は巡る。

 春が訪れるまで文明の残骸は、夜の静寂に沈む──

 

「…はぁっ…はぁ…!」

 

 口から白い息を吐き出し、サイハイブーツを履いた流麗な足が新雪を踏み散らす。

 華やかな青紫の装束を纏う少女は駆けていた。

 その右手にはショートスピア、左手にはダガーが握られている。

 

 彼女こそ人類の守護者──ウィッチだ。

 

 背後より迫る足音に意識を配りつつ、白一色の幹線道路を駆ける。

 凍てつく風が吹けば、新雪が舞い上がって視界を塞ぐ。

 

ルゼニクス、左だ!

 

 首から下げたペンダントが警告を発し、白に染まった視界を凶悪な爪が切り裂く。

 

「くっ!」

 

 左手のダガーを軌道上に沿わせるように振り抜き、間一髪で斬撃を逸らす。

 微かに体勢が崩れるも足は止めず、駆け抜ける。

 

ちぇっ…外れか

 

 その姿を悠然と見送る襲撃者は、白い毛並みをもつライカンスロープだ。

 すぐさま白い闇に消え、足音となって追ってくる。

 

このまま逃避行を続けるのは無理だぞ!

「分かってる…!」

 

 足音は大きさを増すばかり、対するルゼニクスは体力とエナを消耗する一方だった。

 ライカンスロープは群れで行動し、時に腕利きのウィッチも仕留めてしまう。

 今のルゼニクスには荷が重い相手だ。

 

追いつかれちゃうぞ~

もうお終いかぁ?

 

 インクブスの嘲笑が響き渡り、ルゼニクスは口を引き結ぶ。

 彼らはウィッチを引き倒し、凌辱するまでの余興を楽しんでいるだけなのだ。

 

 失敗した──聖夜を乱す不埒者を逃すまいと旧首都まで追ったのが、失敗だった。

 

 幼馴染とバディを組んでから順調に勝利を重ねてきたウィッチは、自身の実力を見誤ったのだ。

 初めて敗北した日、自身の無力を悟ったにも関わらず。

 

「閉所で、迎え撃つ!」

 

 しかし、膝を突く軟弱な己とは、あの日に決別した。

 絶望の打破を諦め、誰かの救いを待つわけにはいかない。

 生きて帰るために、己を救ったウィッチに胸を張って向き合えるように、戦う。

 

よし、分かった!

 

 その決意を知るパートナーは意志を尊重し、支援する。

 エナの総量に注意を払い、全力が発揮できるチャンスを待つ。

 

 疾走するルゼニクスの眼前に現れる構造物──国道に沿って架けられた高架橋だ。

 

 大型トラックも通過できる高架橋は、ライカンスロープの機動力を封じられる閉所とは言い難い。

 しかし、ルゼニクスの碧眼には転機として映った。

 

そろそろ狩るか!

もう少し遊ぼうぜ~久しぶりの狩りなんだからよ

 

 獲物に生じた微細な変化にライカンスロープは気付かない。

 ウィッチの命運を握っていると信じて疑わない。

 

俺の番にしていいか?

好きにしろよ

 

 白い闇の中、開かれた赤い口が下卑た笑みを浮かべる。

 1人のウィッチを追い込まんと群れの速度が上がり、距離が縮まる。

 両者の影は、高架橋の下へ踏み込む。

 

「高架橋を抜けたら──っ!?」

 

 影に足を踏み入れた瞬間、より深い奈落が口を開けていた。

 ルゼニクスは反射的に雪路を蹴り抜く。

 高架橋の影を踏まず、月光の射す雪路まで身を投げる。

 

な、にっ!?

 

 その判断は正解だ。

 

うわぁぁぁ!

 

 判断を誤った愚者は奈落へと落ちる。

 無様な悲鳴が響く中、転がるように着地したルゼニクスは思わず背後を振り返った。

 

ディゲニス!

 

 ルゼニクスと同様に飛び越えたライカンスロープたちは、滑り落ちた同族の姿を探す。

 

 高架橋の下には──擂鉢状の雪穴が築かれていた。

 

 影に隠れる巧妙な位置を見るに、自然発生した陥没ではない。

 そこには明確な意思が介在する。

 

く、くそっ…なにがばぁっ!?

 

 穴の中腹で辛うじて踏み止まっていたライカンスロープを白が襲う。

 ロータリー除雪車を思わせる雪の投射、質量による打撃。

 それは獲物を滑落させんと穴底より行われていた。

 

ぐぁっぎゃぁぁぁ……がっ…ぐぁ……

 

 雪を散らして転がり落ちる白毛のライカンスロープ。

 その最期は、同族の眼でも見通せない闇が覆い隠す。

 

おい……おい、ありゃなんだ?

俺が知るかよ!

 

 正体不明の雪穴から後退り、ライカンスロープの群れは警戒心を露にする。

 背後のウィッチなど眼中にない。

 穴底で同胞を貪る者は、インクブスの天敵であると直感が告げていた。

 

「今しかない…!」

ああ!

 

 ウィッチとパートナーは、穴底の主よりも正面の敵だけを見ていた。

 高架橋を抜け、幹線道路上に望んだ閉所はない。

 しかし、この好機を逃すわけにはいかなかった。 

 ルゼニクスは持ち得るエナをショートスピアに注ぎ込み、雪上を駆ける。

 

おいおい、ウィッチが飛び込んできたぜ

 

 エナを纏った極上の雌が自ら向かってくる光景に、ライカンスロープたちは無意識のうちに口角を上げた。

 余力のないウィッチなど脅威ではない。

 

待ち切れなかったのかぁ?

 

 群れで最も若いライカンスロープが獣欲のままに駆け出す。

 嬲るだけなら番を求める若き同族だけで事足りるだろう。

 その姿を正面に捉え、ルゼニクスは雪路を蹴り抜く。

 青紫の装束が靡き、月光の空を舞う。

 

地を穿て!

 

 ショートスピアを担ぐように構えたウィッチは、パートナーの言葉に応えた。

 

「はぁっ!」

 

 投擲。

 同時に地を蹴ったライカンスロープと刃が交わることはない。

 微かに逸らせた白い毛並みを風が撫でる。

 

 刹那、世界の色が反転──ショートスピアの影は8つに分かれ、()()()穿()()

 

 それはライカンスロープの群れを囲うように突き立っていた。

 

それで終わりかぁ!

 

 殺人的な速度で拳が振り抜かれ、投擲で姿勢の崩れたルゼニクスを襲う。

 

「まだっ」

 

 逆手に握り直したダガーを間に割り込ませる。

 苦し紛れに繰り出した死に体の防御。

 

 月光が瞬く──視界の端で、折れた刃が回転する。

 

 一切の減速なくライカンスロープの拳が細い左腕を捉えた。

 エナの防壁でも減衰できない衝撃に、華奢な身体が軋む。

 

「いぁ──」

 

 空中から叩き落され、幹線道路に墜落するルゼニクス。

 新雪に覆われた路上を何度も跳ね、歩道の標識に直撃して止まる。

 常人であれば即死、ウィッチでも致命となる一撃だ。

 

何がしてぇんだ、このウィッチは?

 

 白毛のライカンスロープは軽やかに着地し、獲物の抵抗を嘲った。

 頬が触れる路面は冷たく、全身が鈍痛を訴えている。

 

ルゼニクス!

 

 首から下げたペンダントが煌々と輝き、主の名を叫ぶ。

 朦朧とする意識を覚醒させ、ウィッチは右手を路面に這わす。

 

 指向──ショートスピアの囲いより脱していないライカンスロープの群れ、その()()

 

 路面に触れる右手よりエナの紫電が走る。

 起死回生の一撃──

 

リリース(解除)!」

 

 ショートスピアにエナが伝播し、マジックが発動する。

 

なにっ!?

 

 純白の大地を貫き、現出する青紫の棘。

 まるでルリタマアザミの蕾のように鋭くも美しいマジックが咲き誇る。

 余力がないと踏んでいたライカンスロープに回避は不可能。

 白毛を棘が刺し貫く。

 

がはぁっ!

ぐぁぁぁぁ!

 

 鋭利な棘は屈強な脚を貫通し、腰にまで達した。

 筋線維を引き裂かれ、骨まで砕かれたライカンスロープたちは一歩も動けない。

 しかし、まだ生命は尽きていない。

 悪を砕く一撃が必要だった。

 

ルゼニクス、あと一押しだ!

 

 しかし、焦燥を滲ませるパートナーの声が、ウィッチに届くことはない。

 

 エナで形成された青紫の棘が揺らぐ──ルゼニクスは限界を迎えていた。

 

 制御を失ったエナが霧散し、棘は砂塵のように崩れ出す。

 路面に触れる右手から力が抜けていく。

 

やってくれたな…!

くそが…脅かしやがって!

 

 月光を浴びて傷口の再生を始めるライカンスロープが、怒気を孕んだ眼でウィッチを睨む。

 ルゼニクスは辛うじてウィッチの姿を保っているが、凄惨な凌辱に抵抗するだけの余力はない。

 消耗した少女の意識は朧気で、今に吹き消えてしまいそうだった。

 

傷が癒えたら、たっぷり可愛がってや──」

 

 インクブスの下劣な口を、甲高い金属音が噤ませる。

 

……あ?

 

 ライカンスロープの至近に突き立った()()()は、頭上より落下してきた。

 戦闘の余波が原因、とは考えない。

 エナの流動を感知したインクブスたちは、一斉に高架橋を見上げる。

 

なっ!?

 

 高架橋に設けられた遮音壁は、別次元の存在に破壊されていた。

 

 視線の先には──遮音壁を突き破る巨大な雪球。

 

 雪上を幾度と転がされ、締め固められ、肥大化した大質量。

 それは()()()()()()()()()()()()によって空中へ押し出される。

 

よ、避けろぉぉぉ!

 

 どれだけ叫ぼうと脚の再生は間に合わない。

 ルゼニクスの放った一撃は、彼らを死地に縫い付けていた。

 

うわぁぁぁぁぁ──」

 

 重力加速度に従って落下した雪球は、ライカンスロープの群れを断末魔ごと圧殺した。

 大質量の激突は路面を陥没させ、旧首都を震わせる。

 

「さむい……」

 

 雪と風が吹き荒れ、ルゼニクスは小さく身体を丸めるしかない。

 刺すような冷気に少女の意識は急速に薄れていく。

 

あ、あし、脚がぁぁぁ!

 

 それを辛うじて繋ぎ止めたのは、四肢を砕かれたライカンスロープの絶叫。

 鉛のように重い身体は動かず、音だけが無為に聞こえる。

 

 新雪を踏む音に意識が向く──高架橋の下で、宝石のように紅い瞳が妖しく光る。

 

 霞む視界の中、影より歩み出た人影には見覚えがあった。

 鼠色のオーバーコートを纏っていようと分かる。

 犯した過ちへの謝罪、それ以上に感謝を伝えたかった相手。

 あの日から探し続けてきた恩人(ウィッチ)だ。

 

「ありが…とう……」

ルゼニクス、しっかり……ルゼニ…!

 

 パートナーの声が遠のき、少女の意識は安堵と共に闇へ沈む。

 抜き放たれた刃の風切り音が耳を撫でる。

 

「これで11体」

 

 かつて少女を救ったウィッチの声は冬将軍のように冷徹で、刃のように鋭かった。

 

 

 インクブスが出現してから4度目の冬、4度目の雪。

 肌を刺すような冷気は、ウィッチの身体であっても堪えるものがある。

 それでもインクブスは現れ、嬉々として人を犯し、喰らい、殺す。

 

くそ…!

 

 白毛を赤く染めたライカンスロープが潰れた左腕と両脚を引き摺り、雪上を無様に這う。

 いかに月光で身体の活性を強化しようと、再生に時間を要する損傷だ。

 雪路に残された血痕を踏み、一歩一歩確実に距離を縮める。

 

なんなんだよ!

 

 陥没した交差点の手前で止まり、手負いの狼は逃げ道を探して視線を彷徨わせた。

 

ひっ!

 

 ククリナイフの刃が月光を反射して瞬き、ライカンスロープが慌てて振り向く。

 眼に宿る感情は、恐怖と絶望。

 

来るなっ

 

 白毛のライカンスロープは頭上の耳を倒し、無様に喚く。

 命乞いをしないのは、連中なりの矜持らしい。 

 

 だが、死を恐れる視線は、私と──背後のファミリアを何度も往復する。

 

 もさもさと雪の落ちる音が、吐息を掻き消す。

 私の背後には、ライカンスロープの群れを一網打尽にしたスカラベが触角から雪を振るい落としている。

 

来るんじゃねぇ!

 

 一歩踏み込めば、手負いの狼は雪を散らして後退る。

 ()()()()()()()()()()と思ったか?

 

うっ──」

 

 白が舞う。

 軽く踏み固めただけの雪路が崩れ落ち、ライカンスロープの影が消える。

 

うわぁぁぁぁぁ!

 

 悲鳴が擂鉢状の穴を反響し、旧首都に木霊する。

 ライカンスロープは地獄まで一直線に転がり落ちていく。

 終着点には、この大仕掛けを()()()()()ファミリアが大顎を開けて待っている。

 

やめ、いぎぃ、あがぁ…

 

 鋭利な大顎が白毛を貫き、白を赤が彩る。

 新雪の積もる穴底で消化液を注入され、ライカンスロープは口と鼻から血泡を吹き出す。

 確実に息絶えるのを見届けてから、私は静かに息を吐く。

 

「これで12体」

 

 雪のように白い息が揺蕩う中、ファミリアの食事風景を眺める。

 

 アリジゴク──ウスバカゲロウの幼体は、黙々とエナの吸引を開始した。

 

 コンクリートとアスファルトの地では基本的に活動できない局地戦用のファミリアだ。

 冬季だけは巣穴を形成する()()が手に入るため、休眠から目覚める。

 原種と同様に長期間の絶食に耐えるからこそ可能な運用だが、変態するだけのエナは得られない。

 

「あれで最後か?」

はい、全滅を確認しました

 

 定位置の左肩でパートナーは前脚を上げて、報告する。

 本来、ハエトリグモに冬毛などないが、ふさふさの毛並みが視界の隅で揺れていた。

 

「増援はないか?」

新たなポータルは確認できません。これで終わりですね

「そうか」

 

 ククリナイフをシースに差し込み、私は踵を返す。

 インクブスの死骸を処理し、早々に引き上げるとしよう。

 雪に覆われた旧首都での狩りの目撃者は月だけ──

 

シルバーロータス、彼女はどうしますか?

 

 ではなかったな。

 微かに緊張した声色で問うてくるパートナーを見遣り、溜息を漏らす。

 彼女とは、先程までライカンスロープと戦っていたウィッチだ。

 私にとっては狩場でも多くのウィッチは忌避する旧首都に、なぜ踏み入ったのか?

 

「パートナーは?」

近くで呼びかけているようですが……

 

 高架橋沿いの雑居ビルに視線を向ければ、歩道に横たわるウィッチの姿が見えた。

 その付近には雪で白く着飾ったカマキリが、護衛を兼ねて電柱と同化している。

 

意識を取り戻していません

 

 パートナーの黒曜石のような眼に仏頂面の私が映る。

 救出したウィッチから感謝の言葉はなく、逆に攻撃されることもあった。

 進んで関わりたくはない。

 私は面倒が嫌いなんだ。

 

「はぁ……分かった」

 

 いかにウィッチの身体能力が高いとは言え、限度はある。

 そして、纏う装束は肌を露出させており、防寒性は期待できない。

 

 ──凍死の危険は、ある。

 

 身に纏っている鼠色のロングコートを外し、ウィッチの下へ近づく。

 雪像のようになってもカマキリは平然と動き出し、三角形の頭を私に向ける。

 

「容態は?」

 

 それを手で制し、ウィッチのパートナーへ端的に問う。

 細い首から下がる水滴型のペンダントが弱々しく光った。

 

君は、先程の…

 

 気絶するほどの打撃を受けたようだが、酷い怪我は確認できない。

 ただ、少し呼吸が浅いか?

 

 回復体位にすべきか──沈黙するペンダントに視線で次の言葉を促す。

 

 容態を正確に把握している存在はパートナーだけだ。

 危機的状況に取り乱すパートナーは少なくないが──

 

…傷は治癒しつつあるが、体温が下がってきている

 

 冷静に分析できている点で、今日は当たりだ。

 寒々しい風が吹き、高架橋の下で砕けた雪球から白が舞い上がる。

 

「風を凌げる場所へ移動する」

 

 不用意に動かすことは望ましくないが、体温の低下も無視できない。

 華奢な身体をロングコートで包み、起こさないよう静かに抱え上げる。

 目を覚ましてパニックを起こされたら面倒だ。

 

感謝する

 

 ウィッチにしては貧弱な私でも短距離であれば人を運ぶことは可能だった。

 月光の射し込む屋外から落雪の危険がない雑居ビルの1階へ入る。

 荒れ果てたフロアの空気は刺すように冷たい。

 

普段はバディと行動しているのだが──」

「呼び続けろ。凍死するぞ」

 

 後悔の言葉を聞く気はない。

 パートナーが己の行動を後悔する時、ウィッチの生命と尊厳は蹂躙されている。

 室内の温度と比例するように思考が冷めていく。

 今はやるべきことをやれ。

 

そう、だな……すまない

 

 爆風が吹き抜けたと思しきフロアを見渡し、まだ形の残っているカウンターが目に入る。

 あそこなら多少強い風雪でも防げるだろう。

 ゆっくりと少女を下ろし、足音に気を配って離れる。

 カウンターの陰に隠れる少女の横顔は、どこか安らいで──

 

「私は行く」

 

 錯覚だ。

 1階の出口から内を覗くカマキリと視線を交え、周囲の警戒へ戻るようアイコンタクト。

 

最後に、君の名を伺ってもいいだろうか?

 

 背中に投げかけられる言葉に、足を止める。 

 私の名前を知ったところで意味はない。

 そんなものよりも少女の容態に気を配れ。

 

「凍傷に注意しろ」

 

 名も知らぬパートナーの問いに答えず、雑居ビルから立ち去る。

 友好的に振舞えば、協力関係を築けたのかもしれない。

 だが、私には分不相応なものだ。

 

 さくさく、と新雪を踏む音が響く──次第に波立つ感情が静まる。

 

 夜に沈む旧首都は雪が音を吸収し、痛いほどの静寂が支配していた。

 ファミリアの存在すら隠してしまう白い闇が、どこまでも続く。

 

シルバーロータス

「どうした?」

 

 ふさふさのパートナーが私の名を呼ぶ。

 刺すような冷気に負けじと明るい声色で。

 

今日はクリスマスですねっ

「ああ」

 

 今宵は聖夜、どれだけの苦境に陥ろうと根強く残る文化の残滓。

 我が国ではイエス・キリストの降誕祭というよりサンタクロースの飛来日だが、子どもに小さな幸福の訪れる日だ。

 

 足を止め、背後を振り返る──ウィッチも、その恩恵を受ける子どもだ。

 

 命を賭して戦った彼女にも幸福が訪れることを願う。

 

今年は欲しいプレゼント、決まりましたか?

 

 芙花に渡すクリスマスプレゼントは既に用意してある。

 インクブスが出現してからサンタクロースは休業中のため、私が代理を務めていた。

 だから、何を要望しようと揃えるのは私だ。

 

「去年と同じ──」

インクブスの駆逐以外で、です!

 

 それでもパートナーは、私に難題を投げかけてくる。

 日常生活に不便を感じたことはなく、趣味という趣味もない。

 常に不足を感じているとすれば、インクブスを駆逐する手段だけ。

 

「それ以外で、か」

はい!

 

 私たちの言葉は雪に吸い込まれ、廃墟の闇へ溶けていく。

 高架橋の下、雪球で圧殺したインクブスを掘り出すスカラベを眺めながら、しばし黙考する。

 赤黒い雪が飛び散り、頭を突っ込んだスカラベが尾部を微かに揺らす。

 この質量攻撃は死骸の回収が手間だな、と思考が脱線する。

 

「……難題だな」

そこまで悩まれることですか…?

 

 聖夜の問答は、後始末を終えて帰路に就くまで続いた。

 

 問答の結果、クリスマスプレゼントは──料理に使う香辛料のセットになった。




 騙して悪いが、小噺(本編開始前)なんでな。


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夢寐

 4月1日だよ!(錯乱)


 意識が覚醒した時、私は青空を見上げていた。

 今まで何をしていたのか、鮮明に思い出せる。

 夜を徹してファミリアから送られてくるテレパシーを処理していた、はずだ。

 まさか意識を失ったのか?

 

「ここは…?」

 

 返答はない。

 微かに固い地面が震え、上空を報道ヘリコプターが通り過ぎていく。

 

 いつも行動を共にしてきたパートナーの気配が──いや、ファミリアの気配も感じない。

 

 テレパシーすら受信しないのは、異常だ。

 状況を確認するために上体を起こすと、まず給水タンクが目に入った。

 両手が撫でる地面はコンクリート、周囲には転落防止柵が設置されている。

 どうやら屋上らしい──

 

その程度か、エージェント!

 

 午後の市街地に響き渡る大声には、聞き慣れた雑音が混じる。

 どこにでも湧くな、インクブスども。

 鼠色のコートを翻して転落防止柵へ駆け寄り、眼下の道路を睨む。

 

温い、温いぞ!

 

 灰色の粉塵を切り裂き、白刃が瞬く。

 鋭い風切り音を響かせる一振りのブレードは目算で2m近い。

 

 それを振るう者は真紅の甲冑で身を固め──本当にインクブスか?

 

 初めて見る個体だ。

 3階建ての屋上からではエナが全く感知できなかった。

 私が鈍感なせいもあるが、全身を隠されると遠目では人間と判別できない。

 

「ひ、ひぃ…!」

 

 甲冑武者と相対する少女は、長大なチェーンソーを振るって白刃を辛うじて退ける。

 間違いなくウィッチだ。

 しかし、どこか近未来的な印象を受ける。

 紺色のボディスーツに身を包み、身体の各所を灰色のプロテクターで護っている。

 

甘いっ!

 

 甲冑武者の放った一撃がウィッチの右肩を掠め、背後にあった街路樹を両断する。

 

「うぅっ…!」

 

 得物のリーチは互角だが、技量の差は歴然。

 薄緑の髪から覗く瞳は恐怖で潤み、彼女が膝を屈するのは時間の問題だった。

 

ぶら下げてるもんが重いからだろ

 

 戦いを周囲から観戦する黒い人影が、耳障りな声で嘲笑う。

 ウィッチの身長は私と同程度に見えるが、大人顔負けの豊満な体形をしている。

 なるほど、着眼点がインクブスだ。

 これで躊躇なく潰せる。

 

犯罪的だぜ

あの身長だと、より際立つよな

 

 数は8体。

 全身を黒一色で覆われ、プロテクターで胸と関節を保護している。

 やはり見慣れない姿だった。

 

 既視感──芙花が観ているアニメの戦闘員(やられ役)みたいだ。

 

 見間違えでなければ、3体はライフルの類を装備している。

 原始的な飛び道具しか持たないインクブスが火器を?

 

トランジスタグラマーって言うらしいぜ

 

 トランジスタグラマーは和製英語だ。

 俗世に染まっているインクブスだな。

 

「どうして、私ばっかり、こんな目にぃ…!」

 

 息も絶え絶えになりながら、チェーンソーを必死に振るうウィッチ。

 あのままではインクブスの餌食だ。

 眼下に逃げ遅れた一般人の姿は確認できない。

 

 パニックの危険性は低い──ならば、私の為すべきことは一つだ。

 

 転落防止柵から下がり、ゆっくりと目を閉じる。

 今、私の持てるエナで召喚できるファミリアは、おそらく1体。

 市街地を構成する全ての音を意識から締め出す。

 脳裏に浮かぶ膨大な情報を選別、ファミリアの輪郭を形成。

 

「…リリース(解除)

 

 目を開き、唱える言の葉。

 そして、世界の色は反転する。

 スズメバチを1体召喚するだけで、私のエナは底を突いてしまう。

 

 全身に倦怠感が押し寄せ、揺れる視界──私の肩を()()()()()

 

 しなやかな指先は、明らかに少女のもの。

 屋上には私以外に誰もいなかったはずだ。

 

…母様

 

 あどけない少女の声が耳元で聞こえた。

 パートナーではない。

 

 恐る恐る振り向くと──スズメバチを召喚した場所に、少女が立っていた。

 

 私を映す大きな黒い瞳、蜜柑のような橙色の髪。

 黒を基調とした服装に身を包み、腰にククリナイフとアトラトル(投槍器)を下げている。

 それだけなら武装した()()()()()だ。

 

母様?

 

 硬直している私を覗き込み、()()()()()は小さく首を傾げた。

 口内には鋭利な牙が見え、癖毛に紛れた触角が風に揺れる。

 

 黒いスカートから伸びる脚は4本──ロングブーツを履いた人間の脚と外骨格に覆われた昆虫の脚。

 

 背中には4枚の翅が見え、腰からはスズメバチの腹部が生えている。

 ギリシア神話のアラクネーもかくやという姿。

 予想外の事態に理解が追い付かない。

 

何か変…?

 

 170cmは確実にある異形の少女は頬を微かに染め、視線を泳がせた。

 そして、髪を梳かすように触角を丁寧に撫でる。

 

 グルーミングだ──観察している場合か。

 

 微塵も理解したくないが、私のエナを宿していることは紛れもない事実。

 彼女こそがファミリアだった。

 

時間稼ぎは終わりだ

「す、救いは、ないのでっ…あぅ!」

 

 原因の究明は後だ。

 今は、切れる手札でインクブスを駆逐する。

 吸い込まれそうになる黒い瞳を見据え、意を決して問う。

 

「ここから狙えるか」

できる

 

 打てば響く返答。

 私の意図を瞬時に理解したファミリアは、腰に下げたアトラトルを左手に持つ。

 転落防止柵に4本の脚を引っ掛けて立ち、眼下の敵を無表情で見下ろす。

 

「奴から仕留めろ」

分かった

 

 その隣に立ち、シースから抜き放ったククリナイフで標的を指向。

 

 標的は路上、ウィッチの眼前──勝利を確信して悠々と構える甲冑武者だ。

 

 少女はアトラトルにスピアを番え、華奢な上半身を捻って投擲の姿勢を取る。

 獲物を狙って静止する姿はスズメバチというよりカマキリだ。

 そして、鋭い風切り音が耳を撫でた。

 

な、にぃっ!?

 

 快音が響き渡り、真紅の影をアスファルトへ縫い付ける。

 スピアは容易く甲冑武者の兜を貫き、そのまま面頬まで吹き飛ばしていた。

 威力は十二分、確実に生命を砕ける。

 まずは1体。

 

「行くぞ」

うん

 

 異形の少女は両手で私を軽々と抱え、そのまま屋上から空中へ身を躍らせる。

 

 急速に近づくアスファルトの地面──空気を高速で叩く羽音。

 

 世界が減速し、4本の脚で軽やかに着地する。

 ウィッチを取り囲んでいた戦闘員が一拍遅れて振り向く。

 

新手だと!?

どこのエージェン──」

 

 遅い。

 私が指示するより早く、肉厚な刃が戦闘員の首を刎ね飛ばす。

 見慣れた赤が散ることはなかった。

 

 金属片、配線、機械油──インクブスどころか生物ですらない。

 

 知ったことか。

 その内に秘めた精神性に大した差はあるまい。

 

「殲滅しろ」

分かった

 

 ブーツの底が路面を砕き、加速を得た少女は反応の遅れた獲物へ刃を振り抜く。

 宙を舞うライフルを横目に私も駆け出す。

 羽織っていた鼠色のコートを外し──

 

くそったれ!

 

 私たちを指向する銃口の前で大きく翻して、視界を塞ぐ。

 弾丸を浴びたコートが飛ばされた瞬間、背後で鋭い風切り音が鳴り響く。

 

がはぁっ

 

 ライフルを構えた戦闘員の腹に風穴を穿ち、内容物を路面に四散させる。

 アトラトルによって投擲されたスピアの一撃。

 スズメバチは毒がある限り()()()()()()ものだ。

 

お団子には

 

 投擲を終えた少女の影は空中にあった。

 高速で振動する翅、そして右手に握ったククリナイフが陽光を反射する。

 

できないね

 

 落下速度を加えた一撃が頭から戦闘員を両断し、機械油が路面を汚す。

 交差させた両腕のトンファーなど障害にもならない。

 ゆらりと立ち上がった異形の少女は、次なる獲物へ吶喊する。

 

なんなんだ、こいつは!?

囲んでぐばぎゃっ

 

 表情を一切変えずに、浮足立った戦闘員を次々とスクラップへ変えていく。

 彼女の見せる無機質な敵意は、私の知るファミリアのものだった。

 しかし、なぜ少女の姿になってしまったのか──

 

「きゅ、救援感謝しますぅ!」

 

 脱力感を誘う声に振り向けば、満身創痍のウィッチが駆け寄ってくる。

 大きな瞳を潤ませながら、両手を胸の前で組む。

 ボディスーツの胸元が裂けそうなほど張っている。

 

「本当に助かりましたぁ……この恩は一生忘れません!」

「…そうか」

 

 この肉感的な体を惜しげもなく晒しながら、単独行動の未熟なウィッチ。

 ネギを背負って鍋に飛び込むカモだ。

 迂闊にも程がある。

 インクブスの苗床にされていないのが不思議だった。

 

「あ、あれ…?」

 

 注意すべきか思案していると、不意に眼前のウィッチが困惑気味な声を漏らす。

 

「データベースにエラー…該当ナンバー欠損って、えぇ…?」

 

 私を見ているようで見ていない。

 困惑の色を浮かべる瞳の中には、無機質な青い光が瞬いていた。

 エナの可視化現象ではなく、人工的な発光に見える。

 

「えっと……あなたは、どちらのエージェント様でしょうか?」

「エージェント…?」

 

 エージェントとは、代理人や代行者を意味する言葉だ。

 しかし、私は誰の代理人でもない。

 ただインクブスを屠るために戦うウィッチだ。

 

「ま、まさか非登録…ですか?」

 

 路面に転がったチェーンソーまで後退るウィッチは見るからに挙動不審だ。

 ウィッチナンバーは登録制ではない。

 これは話が噛み合っていないか、誤解されている。

 

「通報すれば謝礼金が……いや、でも、恩人を売るなんて──」

母様

「ひぇっ…嘘ですぅ! 傷病手当に収まるくらいで許してくらさぃ!」

 

 背後に現れた第三者に対し、図太い命乞いを始めるウィッチ。

 誤解を解くどころか、悪化している。

 頭が痛い。

 

終わった

 

 異形の少女は命乞いに耳を貸すことなく、私の下まで小走りで近寄ってきた。

 ファミリアはウィッチを認識しても基本的に無視する。

 

「よくやった」

 

 いつものようにファミリアを労い、ククリナイフをシースへ戻す。

 無残に破壊されたスクラップが転がる路上に、新たな敵の姿は見えない。

 

()()()()()

 

 戦闘後のファミリアはエナを消耗しているため、外部から取り入れる必要がある。

 しかし、獲物がエナで構成されていなかった以上、供給源は私だ。

 

 ひとまずエナの比率を傾けて──人影が私を隠す。

 

 少女の端整な顔が至近距離にあった。

 じっと私を見つめ、微かに開いた口から赤い舌が覗く。

 

「まさか……」

 

 原種のスズメバチは成虫になると食性が変化する。

 彼女たちは体型の関係上、固形物を摂食できなくなる。

 ファミリアは関係なくインクブスを噛み砕いてしまうが、本来は幼虫の分泌液や樹液等を主食にしているのだ。

 そして、幼虫の分泌液は口移し──

 

「待て」

うん

 

 大人しく待つ少女から一歩下がり、もう一歩下がってから思考を整理する。

 スズメバチを模したファミリアたちも口移しによるエナの補給を行っていた。

 知っているとも。

 だが、ウィッチである私と物理的な接触でエナを補給する必要はない。

 そのはずだ。

 

もういい?

 

 物欲しそうな視線を私に注ぐ異形の少女が、開いた距離を縮めてきた。

 まさか空腹で気が立っているのか?

 しなやかな指を絡め、がっしりと両手を握ってくる。

 当然だが、膂力で勝ち目はない。

 

 スズメバチの複眼を思わせる黒い目が細まり──少女は、無邪気に笑った。

 

 私のエナで形成された彼女は、間違いなくファミリアだ。

 だが、この言い知れぬ危機感は──

 

まだ終わらぬ…!

 

 仕留めたはずの甲冑武者が立ち上がり、兜を貫くスピアを一息に引き抜いた。

 ほぼ同時に両手を解放され、私は腰のククリナイフを抜き放つ。

 これほど敵対者に感謝したこともない。

 

「そんなぁ……」

 

 私たちを傍から固唾を飲んで見守っていたウィッチが、残念そうに呟く。

 見世物じゃないぞ。

 

結社の力、とくと見よ!

「こ、この高エネルギー反応はっ」

 

 甲冑武者の砕けた面頬、その奥に赤き光が宿った。

 エナの反応はないが、マジックの類と見るべきか。

 ともかく阻止、あるいは牽制する。

 

 アトラトルが振り抜かれた瞬間──甲冑武者の全身が禍々しい紅の光に包まれる。

 

 それはスピアの一投すら吸い込み、空へ向かって一直線に伸びていく。

 この感覚はインクブスのポータルに近い。

 接近は危険と判断し、ひとまず距離を取る。

 

先の投槍は見事…

 

 禍々しい光が霧散した時、そこにはオフィスビルと肩を並べる甲冑武者が佇んでいた。

 スピアの貫通痕は修復され、真紅の甲冑には傷一つない。

 

…しかし、これまで!

 

 大型化したブレードの刀身が大気を切り裂いて唸る。

 全長が10m以上もある個体、いや巨大化する個体など聞いたことがなかった。

 薄々察していたが、敵はインクブスではない。

 

「形態変化なんて……報告と違うじゃないですかぁ!」

 

 傍らで泣き言を漏らすウィッチは情報を持っていたようだが、この様子だと役には立たない。

 敵の情報は不足し、予備の戦力はない。

 

「責任問題ですぅ!」

「そんなことを言ってる場合か」

 

 あの巨体が張子の虎でなければ、重量級ファミリアを複数体呼び出す必要があった。

 しかし、そんな余力もない。

 

 もし、重量級ファミリアも少女になっていた場合──それは考えるな。

 

 とにかく情報が不足している状況で、交戦は自殺行為。

 ここは撤退すべきか。

 

そこまでだ!

 

 蒼穹より響き渡る勇ましい声。

 そして、落下してきた高速飛翔体が甲冑武者の頭部に着弾する。

 

 閃光──遅れて爆轟。

 

 真紅の巨体を爆炎が包み、黒煙が市街地を駆け抜ける。

 この威力、まさか国防空軍の爆撃?

 

何奴っ!

 

 無傷の甲冑武者が右手に握るブレードで黒煙を払い、空を見上げた。

 

「あ、あれは……まさか!」

 

 そこには、蒼い光を纏って飛行する4つのシルエット。

 先頭を国防空軍の制空戦闘機が務め、その後方にティルトローター機が続く。

 そして、見間違えでなければ、さらに後方を国防陸軍の主力戦車と装輪戦車が並んで飛行していた。

 まったく意味が分からない。

 

「国防軍所属A級エージェント、スサノオさん…!」

 

 目を輝かせるウィッチの呼び声に応え、強まる蒼い光。

 先頭を飛ぶ制空戦闘機が真っ二つに分離、複雑な変形を経て()()()()()()()()

 

「は?」

 

 唖然とする私を置き去りにして、ティルトローター機が胴体に、主力戦車と装輪戦車が脚へ変形する。

 それらが火花を散らしながら空中で合体し、胴体からデュアルアイの頭部が現れる。

 

 どこに頭部を格納する空間が──いや、そもそも変形から無理だろう。

 

 桜吹雪が吹き荒れ、白を基調としたカラーリングへ変化する鋼の巨人。

 非科学的存在であるウィッチよりも荒唐無稽な、冗談みたいな存在だった。

 馬鹿げている。

 

額に輝く平和を守る桜星!

 

 鋼の巨人が市街地へ降り立ち、巻き上がる粉塵。

 100t近い重量のはずだが、アスファルトの路面は辛うじて耐え抜いた。

 

我は悪を断つ強靭なる剣なり──」

 

 灰色に染まる世界を逞しい腕が切り開き、緑の双眸が光り輝く。

 

スサノオ、ただいま推参!

 

 国防軍謹製合体ロボットは爽やかな声で前口上を言い放った。

 

現れたな、スサノオ!

 

 合体中の無防備な瞬間を見逃し、前口上まで聞いてやる真紅の甲冑武者。

 混沌とした状況に、私は理解を諦めつつあった。

 もう勝手にしてくれ。

 

国防剣──抜剣!

 

 国防軍謹製合体ロボットが掛け声と共に、胸部から迫り出した柄を抜く。

 当然のように質量保存の法則を無視し、現れる長大な刀身。

 

これ以上の破壊活動は許さないぞ、秘密結社ペイガン!

 

 大きく両脚を広げ、ソードの切先を敵へ向けて勇ましく宣告する。

 

返り討ちにしてくれる!

 

 それと相対する真紅の甲冑武者は、逃げも隠れもしない。

 ブレードの刃を大地に這わせ、左半身を前にして構える。

 両者は同時に地を蹴り、真正面から切り結ぶ。

 

はぁぁぁぁ!

ぬぉぉぉぉ!

 

 重量に屈したアスファルトが陥没し、衝撃波がオフィスビルの窓を粉砕する。

 巻き上げられた粉塵によって灰色に染まる世界。

 

「ひぇぇぇ……こんなの労災ですよぉ…!」

 

 腰に抱き着いたウィッチの情けない声を聞き流し、私は一つの結論を導き出す。

 ()()()()()

 

 

 重い瞼を上げ、白い紙面に記された文字の羅列を目で追う。

 頭痛と疲労感に苛まれる最悪の目覚めだった。

 滞っていたテレパシーが一斉に届き出し、情報が駆け巡る。

 

東さん!

 

 突っ伏していた予習用ノートから顔を上げ、ダイニングテーブルを見渡す。

 声のする方向には、シャーペンの落下を阻止せんと粘るハエトリグモの姿。

 言わずと知れたパートナーだ。

 

「すまん」

 

 シャーペンを回収し、手元まで跳ねてきたパートナーに謝罪する。

 ここが旧首都ならインクブスの餌食になっていたかもしれない。

 自宅だからと気が緩んでいた。

 

大丈夫ですか…?

 

 頭を小さく傾げるハエトリグモに頷きで応じ、壁に掛かった時計を睨む。

 時刻は、草木も眠る丑三つアワー。

 悪夢を見るわけだ。

 

「どれくらい気を失ってた?」

3分ほどです

「そうか……」

 

 椅子に体重を預け、ゆっくりと息を吐き出す。

 たった3分の夢だが、私を疲弊させるには十分だった。

 疲れているのか?

 いや、間違いなく疲れているんだろう。

 そうであってくれ。

 

…今日は切り上げませんか?

 

 黒曜石のような眼に映る私は、やはり疲れ切った顔をしていた。

 パートナーの提案は尤もだ。

 ファミリアからのテレパシーは絶えず受信しているが、可及的速やかに対処すべき案件は全て処理した。

 起きている必要性は薄い。

 

「…そうだな」

 

 欠伸を噛み殺して席を立ち、照明スイッチまで重い足を進ませる。

 照明スイッチへ伸ばした右手には、まだ触感が残っているような気がした。

 

 あのまま目が覚めなかったら──考えるな。

 

 下らない妄想を頭から叩き出す。

 そして、常夜灯の下で前脚を揺らすパートナーへ声をかける。

 

「おやすみ」

おやすみなさい、東さん

 

 最低限の睡眠時間を確保する。

 そう心に誓って、私は暗転したリビングを後にした。




 こんな性癖過積載、4月1日にしかできないぜ(グルグル目)


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魔女ノ記憶
変移


 新章開幕!


 新緑の生える草原に真夏の日差しが降り注いでいる。

 風が吹くたびに背の低い草が揺れ、息遣いのように一面が波打つ。

 

 そこへ落ちる黒い影は、空を流れる雲か──否、それは重々しい羽音を纏っている。

 

 雲一つない蒼穹を侵食する暗黒。

 消炭色の外骨格は戦車の装甲に匹敵し、斑模様の翅は旅客機と同等の速度を生み出す。

 群生相のトノサマバッタを模した姿は過去となり、凶暴性を増したデザインは殺意を迸らせている。

 

『信じられん……』

 

 デジタルフローラ迷彩の戦闘服に身を包んだ兵士たちは、暗黒に染まる空を見上げた。

 対空ミサイルの描く白い軌跡が幾本も伸び、眩い閃光が走る。

 かつてNATOと相対した防空システムは果敢に迎撃を試みているが、その効果は薄い。

 

『まるで黙示録だ』

 

 草原を見渡せる高地に陣地を築き、敵を待ち構える彼らは傀儡政権の走狗だ。

 人類の天敵へ平伏した家畜、あるいは奴隷。

 

『偵察班から報告!』

 

 通信兵の報告に耳を傾けつつ、塹壕内から草原を睨む。

 彼らは妻や子を贄としないために最前線に立っている。

 

『敵はT-72を有する機械化部隊、先頭には魔女を確認したと…!』

 

 敵は堂々と草原を前進し、土煙を巻き上げて高地へ迫る。

 旧式の主力戦車など脅威ではないが、魔女は違う。

 

 あれは人知を越えた存在──文字通り一騎当千の怪物なのだ。

 

 頭上を覆う異形の軍勢と併せ、戦力差は絶望的であった。

 太陽が姿を隠し、塹壕内の影が強まる。

 

『くそっ…魔女め! 配置に就け!』

『大隊に砲撃を要請しろ!』

 

 指示を受けた兵士たちが塹壕内を行き交い、配置に就いていく。

 空では絶えず対空ミサイルが炸裂し、焔に包まれた異形が地へと墜ちる。

 

『534号車と537号車のエンジンを始動、迎撃するぞ!』

『了解!』

 

 ガスタービンエンジンが唸り声を上げ、掩体壕より覗く長大な砲身が草原を睨む。

 瓦のような反応装甲で砲塔を覆う主力戦車は、魔女を相手取るには非力だ。

 ()()()()()防衛戦では、それで問題が無かった。

 不死身を誇る巨躯のインクブスが去った今、戦局は逆転する。

 

『勝てるはずがない……お終いだ』

 

 精神を蝕む羽音を聞きながら、兵士の1人が本心を吐露した。

 それは塹壕内に潜む全員が抱く絶望だ。

 暴虐の限りを尽くした傀儡政権、その走狗の降伏を()()()()は許しはしないだろう。

 

『黙れ。聞かれるぞ』

 

 そう言って壮年の兵士が背後へ視線を走らせる。

 彼らが配置に就く陣地の後方には、督戦を行う魑魅魍魎がいるのだ。

 

『戦うなら連中とだろ』

 

 逃亡する兵士がいれば、物理法則を無視した焔で焼殺する。

 領土の簒奪を良しとせず、徹底抗戦を選んだインクブスこそ真の敵だった。

 

『今更、遅えんだよ──っ!』

 

 豪雨の如き羽音が増大する。

 頭上より迫り来る圧力に、兵士たちは思わず息を呑む。

 

 それは壁だ──死という概念だ。

 

 空を暗黒に染めていた消炭色の闇が降ってくる。

 聴覚と視覚は、覆せない絶望を出力していた。

 

『撃て!』

『近づけるな!』

 

 頭上へ向けられる火器の全てが火を噴いた。

 対空ミサイルの白い軌跡も、鮮やかな曳光弾も、際限なく闇へ吸い込まれていく。

 まるで痛痒を感じていない節足動物は一直線に降下を続ける。

 

『くそっ化け物め!』

 

 外骨格は小口径の弾丸を弾き、細かな穴を穿っても翅は揚力を失わない。

 陣地の後方より紅蓮の焔が放たれ、一際大きな爆炎が闇を照らす。

 インクブスがマジックを使用したのだ。

 

『撃ち続けろ!』

『弾切れだ!』

『に、逃げろ!』

 

 しかし、事態は好転しない。

 兵士たちは複眼に映った己の姿を認識し、開かれた大顎に恐怖した。

 

 それは焔を放つ魑魅魍魎へ殺到──消炭色の小山が出来上がる。

 

 断末魔まで噛み砕き、色鮮やかな赤が視界の端に映る。

 督戦を担っていたインクブスは残らず咀嚼された。

 

『ひっ…ひぃ!』

『黙れ…!』

 

 3対の脚に備わる爪が至近を擦過し、兵士たちは息を殺して縮こまる。

 最早、誰も抵抗を試みようとはしなかった。

 

 捕食者と被食者──決して覆せない世の理だ。

 

 異形は主力戦車の砲塔や塹壕の上を歩き回り、それから悠々と飛び立つ。

 人類など眼中になかった。

 

『た、助かったのか…?』

 

 踏み荒らされた塹壕から頭を出し、消炭色の異形を見送る。

 己が被食者でなかったことに安堵しながら。

 

 ここが戦場であると忘れてはならない──金属を穿つ硬質な音が響く。

 

 次の瞬間、掩体壕に身を隠す主力戦車が爆発した。

 砲塔が天高く舞い、周囲の空気を衝撃波が一掃する。

 

『くそっ……な、なんだ!?』

 

 残された車体から炎と黒煙が上り、砲塔が大地に突き刺さった。

 弾薬が誘爆しなければ起こり得ない爆発。

 土や破片が降り注ぐ中、状況を把握せんと兵士たちは周囲を見渡す。

 

『これは…!』

 

 そして、彼らは()()射程に入ったと悟る。

 陣地を防御する兵器の全てが鉄屑となり、黒煙を上げていた。

 

 多目標同時攻撃──魔女の仕業だ。

 

 鋼鉄の獣たちを従え、草原を疾駆する青鹿毛の軍馬。

 その馬上にて、細身の少女が鮮やかな水色の装束を靡かせる。

 エナで形成されたコンパウンドボウを持ち、華奢な背中には武骨なアサルトライフルを背負う。

 

『ま、魔女だ!』

 

 その姿を視認し、瞬く間に恐怖が伝播していく。

 インクブスと傀儡政権の攻勢を撃退し続け、草原に数多の亡骸を積み上げたモンゴル高原の魔女。

 彼女は守護者にして殺戮者だ。

 

『おい、降伏し──』

 

 無慈悲な砲声が轟き、塹壕ごと兵士の命を吹き飛ばす。

 旧式の主力戦車とは言え、その主砲が放つ榴弾の威力は絶大だ。

 白い砲煙を背景に、魔女が矢を番えた。

 その瞳に宿るは、烈火の如き敵意。

 

『くそっ』

『攻撃、来るぞ!』

 

 馬上より放たれた漆黒の矢弾は、音の壁を貫通する。

 その放物線が描く先には、最後方に展開している自走榴弾砲大隊。

 しかし、彼らの末路を塹壕の兵士が知ることはない。

 

『魔女め…!』

 

 横隊で進む主力戦車の砲口が火を噴き、呆気なく人命は砕け散った。

 

 人類の反撃が開始された──それは犠牲を伴うものだ。

 

 中国大陸のインクブスを絶滅させた捕食者は、獲物を求めて多方へと散った。

 北はモンゴル高原を抜けてシベリアへ、南はヒマラヤ山脈を越えてガンジス川に至る。

 悪辣な支配者を失い、残されたのは哀れな傀儡たち。

 人類の反撃とは、彼らとの戦いを意味した。

 

 

 インクブスの襲撃事件から1週間が過ぎた。

 市街地の至る所に戦闘の傷痕が残り、今も行方不明者の捜索が続いている。

 瓦礫の下に埋もれているか、それとも異界に連れ去られたか。

 今回に限っては前者だと私は見ている。

 

 インクブスの目的は略奪ではない──殺戮だ。

 

 老若男女に関係なく無差別な攻撃が行われ、夥しい数の死傷者が出ていた。

 かつて首都圏を襲った惨禍とは毛色が違う。

 

東さん、パセリを忘れていますよっ

 

 その理由に考えを巡らせた結果、留守になった手元でパートナーが小さく跳ねる。

 このままだと夕食であるボロネーゼ風パスタが冷めてしまう。

 

「ああ」

 

 香辛料を入れるパントリーからパセリの瓶を抜き取る。

 フリーズドライの安物だが、香りと色が良い。

 それを皿に盛ったパスタへ振りかけていく。

 

 2皿目にも同じように──あれだけの惨劇があっても日常生活は続いている。

 

 決して他人事じゃない。

 父も芙花も運が悪ければ犠牲者の名簿に名を連ねていた。

 それに安堵を覚えながら、言い知れぬ罪悪感が胸中を渦巻く。

 

やはり、彩りは大事ですね……

 

 前脚を揺らし、感慨深そうに宣うハエトリグモ。

 あくまで普段通りに振舞うパートナーに、私は救われている。

 自責も自粛も、犠牲となった人々の慰めにはならない。

 そんな自己満足よりも生産的な事柄に頭を使うべきだ。

 

「少し多かったか…?」

 

 皿に盛ったパスタの分量を見て、静かに首を捻る。

 1週間は経つが、私は3人分を作っていた時の勘を取り戻せずにいた。

 

いえ! 明日から学校ですし、しっかり英気を養ってください

 

 襲撃事件の影響で、近隣の教育機関は臨時休業となっていた。

 児童生徒や教員の犠牲者もいた中、よく再開を決断したものだと思う。

 戦時下であっても社会は回り、日常を取り戻していく。

 

「…そうだな」

 

 鬱屈とした溜息を噛み殺し、皿に盛ったパスタの小山を見下ろす。

 そこまで私の胃は大きくないが、いけるか?

 木製のトレイに2皿を載せ、リビングへ足を向ける。

 

≪未曾有の犠牲者を出しながら──損失は軽微であったことから──≫

 

 リビングから聞こえる音声は、国防軍の防衛体制を追及するデモのニュースだった。

 

≪──何のための国防軍なんですか!≫

≪ウィッチがいれば不要な──ですよね≫

 

 薄氷の上にあった日常を崩され、憤りを露にした人々。

 喉元過ぎれば熱さを忘れる、随分と都合の良い記憶力だ。

 海を隔てた先には、地獄が広がっていると忘れたか?

 

≪これに対し国防省は──≫

「手伝うよ、蓮花」

「私も手伝う!」

 

 夕食を待つ父と芙花がリビングからキッチンを覗き込んでくる。

 心配させてしまったらしい。

 考え事も大概にすべきだ。

 

「お願いしてもいい?」

 

 捻くれた思考を胸中に押し込め、父へトレイを差し出す。

 大丈夫、自然に笑えているはずだ。

 

「もちろん」

 

 それを受け取った父は穏やかな笑みを浮かべる。

 戦傷を負ったと聞いて心配したが、日常生活に支障は無いらしい。

 

「姉ちゃん、私は?」

「これを並べてくれる?」

 

 上目遣いで見上げ、ぎゅっとエプロンを握ってくる芙花には、3本のフォークを手渡す。

 大事な仕事だ。

 

「分かった!」

 

 ぱっと目を輝かせる姿が微笑ましい。

 その笑顔が無理をしていないか、よく注意して見守る。

 芙花はPTSDを発症しても不思議ではない場所にいたのだ。

 最後の1皿を取って、リビングへ向かう小さな背中を追う。

 

 リビングからは不快な雑音と化したニュースが──不意に途絶えた。

 

 テレビの画面が暗転し、静寂が戻ってくる。

 ダイニングテーブルに2皿を並べ終えた父が、画面へリモコンを向けていた。

 

「…いいの?」

「蓮花が作ってくれた料理を美味しく食べたいからね」

 

 振り返った父はソファにリモコンを置き、困ったように笑う。

 微かな苛立ちを覚える。

 命を賭して戦った防人が、なぜ糾弾されなければならない?

 諸悪の根源を間違えるなよ。

 

「父ちゃん、あの人たちは何をしてたの?」

 

 ニュースの内容を理解していない芙花の素朴な疑問。

 父に言わせたくなかったが、大丈夫だと視線で制される。

 

()()()がんばれって父ちゃんたちを応援してくれてるのさ」

 

 父は最大限の好意的な解釈を行い、優しい言葉で並べ替えた。

 己の無力を棚に上げた無責任な言葉の数々を。

 

「……がんばってるのに」

 

 それを聞いた芙花は不服そうな表情を浮かべ、テレビへ視線を向けた。

 芙花は、戦場に立った父を見ている。

 今まで知らなかった防人の側面を知った今、思うところがあるのだろう。

 

「ありがとう、芙花。そう言ってくれるだけで十分だよ」

 

 いつもと変わらぬ穏やかで、真摯な声だった。

 そこに無粋な言葉を挟む余地などなく、私たちは口を閉じる。

 父は誰かの評価を求めて、防人になったわけじゃない。

 力を持たない()()()()()になったのだ。

 

「さぁ、冷める前に食べよう!」

 

 力強く背中を押され、私たちは席に着く。

 貴重な家族団欒の時間を、苦々しいものにしたくない。

 釈然としない表情の芙花はボロネーゼ風パスタを前に、一転して瞳を輝かせる。

 それを見られただけでも作った甲斐があるように思えた。

 

「…いただきます」

 

 3人揃って手を合わせ、フォークを取る。

 鋭いフォークの切先でパスタを崩し、ソースに絡めていく。

 2つの大陸、そして異界のインクブスも同様に切り崩し、駆逐できている。

 計略を疑うほどに順調だった。

 

 惨劇こそあったが、大局は好転しつつある──そう、信じている。




 本章はヒロイン(虫)の要素が少ない……(´・ω・`)


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寧静

 日常回を書くの難しいネ(吐血)


 久しぶりの学校生活は驚くほど平穏に過ぎていった。

 いや、語弊がある。

 様々な感情を抑え込み、自然を装おうとする空気が教室には満ちていた。

 非日常が日常の皮を被っているだけだ。

 

 教室には空いた席が5つ──2つの机には花瓶が置かれていた。

 

 あの事件当日、あそこに居合わせたクラスメイトが2人()()

 国防軍もウィッチも最善を尽くし、インクブスと戦った。

 それでも犠牲者は出る酷薄な現実に気が滅入る。

 

「田中、どうした?」

「今日も元気なかったよな…大丈夫か?」

 

 鞄へ教材を戻す私の前で、男子生徒が3人ほど集まっていた。

 久しぶりの学校とあって放課後の教室には多くのクラスメイトが残っている。

 

「……実は、()()粘着されててね」

 

 その中心にいる田中くんは頭を掻きながら困ったように笑う。

 朝方に漏れ聞こえた会話から、ウィッチのファンを自称する彼はSNS上で嫌がらせを受けているらしい。

 

「ウィッチを信奉するな…だっけ? 信奉とか意味不明だわ」

「最近多いよなぁ」

「デモの連中と言い、もう非国民だろ」

 

 嫌悪感を露にする男子たち。

 世論はウィッチや国防軍を糾弾する者を白眼視し、一部では排斥運動も行われている。

 

 その風潮に安心している私がいた──それが、ひどく醜い存在に思えた。

 

 彼らの糾弾には何一つ同意できる点が無い。

 しかし、共感できないマイノリティ(少数派)なら石を投げて良いのか?

 インクブス以外の敵を見出す必要性は無いはずだ。

 

「東さん~」

 

 私を呼ぶ声に振り向けば、視界の端で長い三つ編みが揺れた。

 そして、目尻の下がった眠そうな瞳に私が映る。

 

 きっと仏頂面なのだろう──非生産的な思考を胸中に押し込める。

 

 個人に過ぎない私が、世論など気にしても仕方がない。

 

「何?」

「また難しそうな顔してるよ~ほら、笑って?」

 

 そう言って政木律は、邪気のない笑顔を浮かべた。

 作り笑いすら怪しい私には、ハードルの高い要求だ。

 

「無理に笑っても仕方ないでしょう」

 

 政木の背後に立つ金城静華が、額を押さえて首を小さく振った。

 コミュニケーションを円滑に進める上で、この仏頂面は改善すべきと思っている。

 しかし、自然を装えば不自然な表情になるのが私だった。

 

「微笑った東さん、可愛かったよね~」

「それはそう、ですけど」

 

 そんな期待の眼差しで見られても応えられないぞ。

 机の上で前脚を振って応援するパートナーは視界から外す。

 

「おーい、まだかい?」

 

 ひょっこりと教室の出入口から顔を覗かせるのは、黒澤牡丹だ。

 アッシュグレイに染めた長髪が目を引く彼女は、いつものように人懐っこい笑みを浮かべている。

 

「ちょっと待ってね~」

 

 のんびりと手を振って応じる政木。

 歩み寄ってきた金城を見上げれば、小さく頷きが返ってくる。

 左手を机に置き、右手で鞄を掴む。

 パートナーが机から左手に飛び移るのを確認し、私は席を立つ。

 

東さんが、ご学友と一緒に……感無量です

 

 髪の隙間から頭を覗かせるパートナーの言葉に思わず苦笑する。

 放課後に買い物以外の所用があるのは、久々だ。

 

「ほら、早く早くっ」

 

 手招きする黒澤に急かされ、私たちは教室を出る。

 

「黒澤さん、フラッペは逃げませんわ」

「いえ、南国フラッペは人気の模様……迅速に行動すべきです」

 

 教室の前には、やんわりと腕を組む御剣菖とケータイの画面を眺める白石胡桃が待っていた。

 最近、交流を持つようになった5人が本日の同伴者だ。

 

 共通事項はクラスメイトであること──そして、お茶会に参加するナンバーズであること。

 

 世間とは狭いものだ。

 欠席しがちなクラスメイトが羨望を集める人類の守護者とは思うまい。

 今日、欠席している3人もウィッチなのだろうか?

 

「それで……どこへ行くの?」

 

 所用について、私は聞かされていない。

 情報の共有、戦況の確認、それとも協力体制に関する提案か。

 ()()に会ってから帰ると父には偽ったが、本当の目的は──

 

「ここです」

 

 白石が手に持っていたケータイを差し出す。

 その画面には、かき氷と涼しげな青いカップが映っていた。

 

「南国フラッペ…?」

「はい」

 

 思わず首を傾げる私に、白石は頷いてみせた。

 心做しか自信に満ちた雰囲気で画面をスライドさせる。

 

 練乳かき氷にフルーツと小豆をトッピングした人気作──随分と優しい値段設定だ。

 

 販売者は復興支援という名目で訪れているらしい。

 生活が精一杯という人も少なくない時勢に、殊勝な人もいるものだ。

 いや、そこが問題じゃない。

 

「ここに…?」

 

 一体何が──いや、南国フラッペがあるのだが、そういう話ではなく。

 

「東さん、これは経済への貢献を考えると極めて生産的な行為です」

 

 困惑気味な私の視線を受け、弁明を図る白石。

 いつも通りの事務的な声だが、節々から強い意志を感じる。

 経済の貢献は分かるが、私を呼ぶ必要は無いだろう。

 

「胡桃、待った……歩きながら話そう、東さん」

 

 背後に回っていた黒澤に押され、放課後の廊下を進む。

 すれ違う生徒の視線は、5人のクラスメイトから必ず私に集約する。

 どうにも落ち着かない。

 

「東さん、甘いものは苦手だったり?」

「…特には」

 

 苦手ではないが、好んで食べることもない。

 食べる機会があるとすれば、駄菓子や氷菓を芙花に買ってあげた時くらいか。

 優しい芙花は一緒に食べたいと言って、必ず菓子を等分にするのだ。

 

「なぜ、私を?」

 

 壊れ物を扱うように背中を押してくる黒澤に問う。

 お茶会の様子を見るに、5人は昔から交流があったと分かる。

 

 放課後、南国フラッペを食べに行くのは交友の一環だろう──そこに異物()が混じっている。

 

 場違いだ。

 何とも言えない表情の5人を見て、その直感は補強される。

 

「…英気を養うためですわ」

「休みなら1週間あった」

 

 人差し指を立てて硬直した御剣は、天井へ視線を泳がせる。

 学校生活では言い淀むことが滅多にない文武両道のクラスメイト。

 そんな彼女が次の言葉を探していた。

 

「その期間中に休めていれば、ですが…」

 

 言葉を引き継いだ白石も、どこか歯切れが悪い。

 事後処理や情報共有で厳密に休んだとは言えないが、インクブス自体は出現していない。

 それぞれの負担は減っているはずだ。

 

「素直に言った方が良くない?」

「うんうん…ね、静ちゃん」

 

 黒澤の率直な提案に対して頷く政木は、すかさず友人へ話を回す。

 

「どうして、ここで私に振るのですか?」

 

 傍らで推移を見守っていた金城が、ゆっくりと振り向く。

 その険しい横顔からはゴルトブルームの片鱗が垣間見える。

 

「う~ん、言い出しっぺだから?」

「うっ…それは……」

 

 首を傾げる政木は怯んだ様子が無く、逆に金城が押し黙る。

 薄茶の瞳は私を見てから気まずそうに閉じられた。

 

 しばしの沈黙──通り過ぎた教室から笑い声が聞こえてくる。

 

 それが止むのを待って、金城は意を決して口を開く。

 

「せっかくの機会ですし、東さんと交流を深めたいと思っただけです」

「交流」

「…はい」

 

 微かに赤面する金城を見て、己の鈍さに呆れ果てる。

 コミュニケーションを半ば放棄した私と、彼女たちは距離を縮めようとしていたのだ。

 どこまでも利害や打算の介在した思考が抜けない。

 

「…分かった」

 

 もし、友人を求めているなら、私は候補から外した方が良い。

 付き合ったところで楽しくないだろう。

 

 何より稀代の殺戮者だ──それでも、他者からの善意には応えられる人でありたい。

 

 それすら捨て去った時、私は本当の()()()()だ。

 反応を待つクラスメイトたちの顔を見てから口を開く。

 

「行こう」

 

 5人の少女は花が咲くような笑顔を浮かべた。

 

 その姿は年相応に見え──なぜか、安堵を覚える。

 

 心配事があるとすれば、私の胃が小さいくらいだろう。

 間食のせいで夕食が食べられないなど、芙花には見せられない。

 

「そうと決まれば善は急げ、だね」

「だからと言って走ってはいけませんよ、牡丹さん」

 

 するりと先頭へ抜け出した黒澤は、白石の注意を受けて階段の前で振り返った。

 

「間に合いそう?」

 

 頭の後ろで手を組み、意地の悪そうな笑みを浮かべる。

 

「それは……致し方ありません」

「ちょっと、白石さん…? ああ、もう!」

 

 黒澤を追って足早に階段を下りる白石、そして呆れ顔の御剣が続く。

 忙しない彼女たちの後ろ姿に微笑ましさを覚える。

 

 それは泡沫の夢のようで──右手に触れる誰かの手。

 

 隣を見れば、ふにゃと笑う政木が手を握った。

 私を繋ぎ止めるように。

 

「私たちも行きましょうか」

 

 階段の前で振り返った金城が告げる。

 切れ長の目を微かに下げ、彼女もまた穏やかに微笑む。

 

「出発だ~」

 

 友人に手を引かれ、階段を駆け下りていく。

 犠牲者が出た後で不謹慎だと忌避し、殺戮者である己を糾弾する私が、心の片隅にいる。

 

 同時に──この平穏な日々が心地良いと感じる私がいた。

 

 

 インクブスによる襲撃事件は深い傷跡を残していった。

 戦闘の余波で破壊された商業ビルなどが良い例だろう。

 国道に面する3階フロアの壁面が失われ、無惨な有様の内装が見える。

 現在は立入禁止のテープが張られ、そこに人気は無い──

 

この国は玩具が簡単に手に入って良いねぇ

 

 否、夜の帳が下りた街を見渡す者がいた。

 白昼の街中であれば、見向きもされない平凡な風貌の青年だ。

 しかし、崩れた壁面に腰かける姿は、どこか浮世離れしていた。

 

そ、そうですかね……恐ろしいウィッチばかりでは…?

 

 壁面の下、深い闇に隠れる矮躯の影から言葉が返される。

 相手の顔色を窺うような、恐る恐るという声色だった。

 

恐ろしい、ねぇ……

 

 青年は右膝を抱え、受けた言葉を反芻する。

 この島国を護るウィッチは粒揃いであり、大陸とは比較にならない脅威だ。

 

 そして、何よりも──災厄の存在がある。

 

 異形のファミリアを従え、数多の同胞を捕食してきた不俱戴天のウィッチ。

 しかし、青年は彼女を特に脅威と見ていなかった。

 

何が災厄やら……僕を呼べば醜態を晒す事もなかったのにね

 

 準備運動に数名のウィッチを()()()彼は、後手に回り続けた者たちを嘲る。

 下半身で思考する同胞は嘲笑の対象だった。

 亡骸の山が築かれようと、いつでも覆せる茶番劇だ。

 

おっと、不敬だったかな?

 

 そう言って口元を押える青年は、明らかに笑っていた。

 唯一従属している者にすら形ばかりの敬意も示さない無礼者。

 しかし、矮躯の影には咎めるだけの実力も胆力も無かった。

 

それにしても、()()は面白いや

 

 取り上げた携帯端末を揺らし、興味深そうに覗き込む。 

 口喧しいインプの長がいなければ、より傍若無人に振舞う。

 

きょ、恐縮です

 

 矮躯の影は縮こまり、嵐が過ぎ去るのを待つ。

 眼前の相手は気変わりが早く、同胞の抹殺を厭わない異端のインクブスだ。

 

大陸だと役に立たない板だったからねぇ

 

 青年は携帯端末を小突き、光の灯った画面を眺める。

 活動を許された国では早急に規制が行われ、触れたところで役に立たなかった。

 

()に使わせている器は私の力を介在させていますので、無力化の心配はないかと…

 

 矮躯の影は早口で説明し、青年の顔色を窺いながら沈黙する。

 ヒトの構築したインフラストラクチャー(社会基盤)を利用するだけでは、容易く無力化されるだろう。

 ゆえに、マジックで交信手段を模倣し、全く独自の基盤を築いて運用している。

 

へぇ……まぁ、どうでもいいけどね

 

 すぐ興味を失った青年は、眼下の影へ携帯端末を投げて返す。

 彼にとっては混乱を引き起こし、玩具を集める手段でしかない。

 

さっそく使わせてもらうよ、ラタトスク

は、はい……

 

 同格であるインクブスを見下ろし、朗らかに笑う青年。

 己の作戦が成功すると信じて疑わない、そんな自信に満ちた表情だった。

 

 ──事実、疑っていないのだ。

 

 懸念事項は、ルナティック(狂奔)の準備が無駄となった未来だけ。

 

……それにしても、低能だよね

 

 視界の端に映った人影を見て、青年は笑みを消す。

 

 フロアで揺れる人影──()()を施された13名の男女は、一切の反応を見せない。

 

 空虚な瞳を天井へ向け、微かに体を揺らすだけだ。

 3階フロアへ集められた時の興奮状態が嘘のようだった。

 

ちょっと囁いただけで妄信するなんてねぇ

 

 玩具の調達に、特別なマジックは必要なかった。

 先行きの見えぬ社会に不満を抱く衆愚に、攻撃しやすい敵を提示してやる。

 

 政府、国軍、ウィッチ──常識的に考えて味方である存在。

 

 真実を隠蔽している、歪曲している、そう嘯けば衆愚は簡単に転ぶ。

 低俗なゴシップを真実と流布し、その認識を歪めていく。

 妄信する声が増えれば、盲目的な奴隷が出来上がる。

 

家畜どもが

 

 心の底から見下した声色で吐き捨て、居並ぶ玩具から夜の街へ視線を向けた。

 縮こまるラタトスクも眼中に無く、これから嬲る獲物へ思いを馳せる。

 

さて……

 

 弱々しい文明の光を眼に映し、青年は口角を上げる。

 その背中からは羽虫の如き2対の翅が伸びていた。

 

ここのウィッチは、僕の()()を気に入ってくれるかな?

 

 青年の皮を被った魑魅魍魎、ピスキーの長──パックルは邪悪な笑みを浮かべた。




 日常回とは(哲学)


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発火

 作者「ハッピーエンドは救済だと思うんですよね(ろくろを回しながら)」
 兄者「最近観たアニメは?」
 作者「アークナイツ


 蒼天より日差しが降り注ぎ、熱せられた滑走路で陽炎が揺らぐ。

 本格的な夏季に入り、横田基地周辺では夏虫の合唱が鳴り響き、空は純白の入道雲が占有している。

 その光景を格納庫前の日陰から眺める4人の少女。

 

『暑くないの、レイラ?』

 

 マルチカムの戦闘服を着崩し、褐色の肌を晒す少女は、隣の相方へ胡乱な視線を投げる。

 汗で張り付くシャツを摘む細い指は、とても武骨なハンマーを握っているとは思えない。

 

『暑いって言うから暑いのよ……日本の夏なんて()()()()()よ』

 

 腕捲りはしても肌を大きく晒さないレイラは、腕を組んだまま目を閉じた。

 常在戦場をモットーとし、腰からはエナで形成されたロングソードを下げている。

 息の合った連携で敵を制圧する2人だが、その性格は正反対だ。

 

『シントウメッキャク、だっけ?』

『そんなところ…シルビアも実践してみたら?』

 

 そう言ってレイラは小さく笑う。

 後ろで結った淡い金色の髪が風に揺れ、色白な首筋を撫でた。

 

『ただの痩せ我慢じゃない……』

 

 滑走路で熱せられた生温い風に眉を顰め、シルビアは視線を滑走路へ戻す。

 その黒い瞳には、先日の戦闘で損傷したエプロンが映る。 

 大破した海兵隊の攻撃ヘリコプターは撤去されたが、刻まれた裂傷は修繕できていない。

 

 ウィッチ、インクブス、そして──インセクト・ファミリアが刻んだ爪痕だ。

 

 1個戦車小隊に匹敵すると言われるオーガ型6体による強襲。

 基地の放棄も想定される緊急事態は、3人のウィッチによって覆された。

 ゴースト(亡霊)には到底、真似できない。

 

『モーガン、せっかくの休暇に…どうしてここ?』

 

 シルビアは額から流れる汗を拭い、危機即応部隊第7分遣隊のリーダーたる戦友に問う。

 日本国におけるアメリカ軍の活動拠点は、1つの街と言っていい。

 兵士が不自由なく生活するため、病院やショッピングモールは無論、娯楽施設や教会まである。

 羽を伸ばす場所は他にあるのだ。

 

『…分かりません』

 

 モーガンは蒼穹を映していた碧眼を閉じる。

 丁寧に編み込まれた金髪を野戦帽の下に仕舞い、この暑さでも戦闘服を着崩していない。

 真面目な性格が見て取れる少女は、独白するように言葉を続けた。

 

『気が付いたら、ここに足を運んでいました』

 

 戦う術しか知らないウィッチが滑走路を眺めたところで、修繕作業が進むわけでもない。

 ただ無為に時を過ごしている。

 

『シルビアだって、ここに来てるじゃない』

『それは……そうなんだけど』

 

 相方の指摘に渋々頷くシルビア。

 戦局が好転したことで、ゴースト7は初めて本当の休息を得た。

 しかし、その時間を持て余した少女たちは、着慣れた戦闘服に身を包み、格納庫の下に集っていた。

 

『実感が欲しかったのかもしれない』

『クレア?』

 

 野戦帽を目深に被ったクレアは、癖毛の先を弄りながら3人を見遣る。

 チームの最大火力であり、リーダーを補助する女房役は、相変わらずの無表情だ。

 しかし、黒い瞳には微かに迷いの色が滲む。

 

『世界は変わった、劇的に……あの地獄が過去になった』

 

 夢でないと確かめるように言葉を紡ぐ。

 アメリカ軍は膨大な人材と資源を投じ、それでも魑魅魍魎の跋扈を阻止できなかった。

 そんな本国の戦局は、シルバーロータスという個人によって逆転した。

 

 彼女のファミリアは敵を捕食し、増殖する──補給も休息も必要としない理想のキリングマシンだ。

 

 それは驚異的な速度で北アメリカ大陸からインクブスを駆逐し、南アメリカ大陸への南下を開始している。

 同時に北大西洋上でも活動が確認されており、水棲インクブスは急速に数を減じていた。

 

『実感か……確かに、そうかも』

 

 クレアの言葉に頷くレイラは、滑走路の反対側に広がる住宅地区へ視線を投げた。

 最近まで閑散としていた一帯には活気が満ち、軍属でない人々が一時的に生活している。

 

 本国から日本国へ避難してきた人々──近日中に本国へ帰還する予定の人々だ。

 

 時期尚早という声も聞かれるが、少なくとも検討が可能な段階に入っていた。

 数多の犠牲を払っても打破できなかった地獄は過去となったのだ。

 

『圧倒的だったものね~白馬の王子様なんて目じゃないわ』

『救世主とでも言うべきだろうな』

 

 シルバーロータスはユーラシア大陸の解放も同時に進め、インクブスと傀儡政権を駆逐している。

 救世主というには些か血生臭いが、彼女は()()()()()()()()()()()個人となるだろう。

 

『本人は称賛すら不要って感じだったけど……あの功績に見合った報酬なんて用意できないでしょうね』

 

 本国が提示した報酬は天文学的な額だったが、レイラが言うように相応とは言い難い。

 しかし、シルバーロータスは先日の防衛戦すら一切の対価を求めず、事後処理を済ませるだけだった。

 

 彼女は無欲が過ぎる──否、彼女たちと言うべきか。

 

 日本国内で活動するウィッチたちは無償の奉仕者であり、当人たちも疑問に思っていない。

 本来、対価があって然るべきなのだ。

 

『これで良かったのでしょうか……』

 

 モーガンの呟きは夏の青空に吸い込まれ、格納庫前の日陰に沈黙が満ちる。

 暑さに負けず夏虫が鳴き声を響かせ、純白の入道雲が蒼天に広がっていく。

 世界は、夏の輝きに満ち満ちていた。

 

『あ~もう、やめやめ!』

 

 鬱屈とした空気を吹き飛ばすように声を張り上げるシルビア。

 

『ここで悩んでも仕方ないし、モーガンにリベンジと行かない?』

 

 日陰から一歩出たムードメーカーの少女は不敵な笑みを浮かべ、チームメイトへ提案する。

 親指を向ける方角には、娯楽施設の一つであるボウリング場があった。

 

『…そうだな。そろそろモーガンの連覇を阻止しよう』

 

 微かに口角を上げ、野戦帽を被り直したクレアは陽光の下へ踏み出す。

 ここで時を過ごしても感情は燻るだけで、何も解決はすまい。

 

『モーガンの得意分野で挑むのは愚策じゃない?』

 

 その意図を汲んだレイラは組んだ腕を解き、相方の隣に並ぶ。

 

『だからこそ意味がある』

 

 風に揺れる淡い金髪を横目に、クレアは当然のように言い切った。

 そして、日陰に残されたモーガンに向けて頷いてみせる。

 

『レイラはガターを何とかすべきでしょ』

『う、うるさい!』

 

 歯に衣着せぬ一言を放つシルビアに、眉を吊り上げたレイラが詰め寄る。

 そんな普段通りのチームメイトを見て、モーガンの口元には自然と笑みが浮かぶ。

 今、チームに必要なのは休息なのだろう。

 

『そうですね……せっかくの休暇ですし──』

 

 その想いを込めた言葉は、最後まで紡がれることはなかった。

 

 夏虫の合唱が止まり──重々しい爆発音が響き渡る。

 

 遅れてコンクリートの大地が揺れ、住宅地区より禍々しい黒煙が立ち上る。

 平穏は、終わりを告げた。

 

 

 コンクリートの壁面を緑が覆い、アスファルトを雑草が侵食している。

 山沿いに造成された住宅団地に人影はなく、背の高い雑草が時間の経過を感じさせた。

 インクブスが出現したことで住民も管理者も退去し、ただ朽ちるのを待つだけ。

 

 そこに一陣の風が吹き抜け──住宅団地の一角が爆ぜた。

 

 土煙が上がり、根から掘り返された雑草が青空に舞う。

 その頂に、バトルアクスを両手で抱えた少女が何の前触れもなく現れる。

 

「ええっと……」

 

 風に煽られて靡く長い髪、困惑を滲ませる大きな瞳、纏う絢爛華麗なドレス。

 その全てがワインレッドに染め上げられたウィッチは、眼下に広がる土煙を見下ろす。

 

「人間…でしたよね?」

 

 そこには住宅団地の駐車場を抉った者の影が揺らぐ。

 成人男性を優に超える体躯は筋肉質に見えるが、その黒ずんだ外皮は樹皮のように硬い。

 ウィッチを見上げる頭部に眼はなく、環状にキノコが生えている。

 ()()()()()()()と同一の存在と言われても信じる者はいないだろう。

 

「レッドクイーン」

 

 困惑するウィッチの名を呼ぶのは、バディの蒼きウィッチ。

 マンション屋上にある折れた給水塔を足場に、眼下の敵を冷ややかに睥睨する。

 

「予定に変更はありません」

 

 変異は予想外であったが、予定に変更はない。

 駐車場へ拳を振り抜いた魑魅魍魎を残し、信奉派は殲滅した。

 

 妄言を吐く有象無象に存在価値などない──変異した者に至っては体内にインクブスのエナが()()()

 

 ならば、一切の躊躇は不要。

 身の丈ほどもあるソードの切先を向け、アズールノヴァは淡々と告げる。

 

「殲滅します」

「わ、分かりました…!」

 

 眼下の土煙が薄れる中、バディの頼りない返事が響く。

 レッドクイーンはバトルアクスから左手を離し、胸から下げた懐中時計を握った。

 エナが急速に流動を始め、世界の理へ干渉する。

 

 魑魅魍魎は両脚に膂力を蓄え、ウィッチを狙う──突如、真紅の影が消失した。

 

「えいっ」

 

 軽々しい掛け声と共に、肉体の裂ける異音を聞く。

 キノコの生えた頭部を音源へ向ける前に、半身を浮遊感が襲った。

 

 大地を踏み締める脚と切り離されたのだ──()()()()振り抜かれたバトルアクスによって。

 

 ワインレッドのドレスが花びらの如く舞い、黒光りする凶刃が大気を切り裂く。

 その不気味な風切り音を背に、魑魅魍魎は地面に打ち付けられた。

 

「あ、脆いんですね」

 

 敵を映す真紅の瞳は、微塵の興味も抱いていない。

 得物を振り抜いたレッドクイーンは、瞬きの後には消失する。

 理解不能の現象を前に、魑魅魍魎が抱いた感情は間違いなく驚愕だったろう。

 

「好都合です」

 

 鈴を転がすような声を鋭利な風切り音が掻き消す。

 砂利の上へ両手を突き、天を仰ぐ魑魅魍魎。

 その姿は、まるで死刑執行を待つ罪人のようだ。

 

 そこへ振り下ろされる超音速の斬撃──異形の首が宙を舞う。

 

 蒼いドレスが風を孕んで大きく翻り、それを燐光が華やかに彩る。

 返す刃が瞬き、筋肉質な胴体を易々と斬り飛ばした。

 反撃もままならず解体された魑魅魍魎は、駐車場に濁った血を散らす。

 

「…終わりです」

 

 アズールノヴァは刀身の血を払って飛ばし、()人間の残骸を見遣る。

 切断面は歪んだ骨と膨張した筋肉が見え、臓器の類は見られない。

 とても生物とは言い難い形態だ。

 

「さすがです、アズールノヴァさんっ」

「お疲れ様です、レッドクイーン」

 

 傍らに降り立ったレッドクイーンを一瞥し、アズールノヴァは視線を残骸へ戻す。

 奇襲こそ許したが、戦闘力は脅威足り得ない。

 しかし、変異するまではヒステリックに叫ぶ主婦でしかなかった。

 

「人間を素体とするインクブスの兵器、初めて見る手口ですね」

 

 残留するエナを見るに、インクブスがマジックを用いたのは疑いようがない。

 ただ、これまでの隷属や洗脳とは異なる()()()に警戒心が高まる。

 未知とは脅威だ。

 

「これが街中に入り込んだらと思うと……ぞっとします」

 

 信奉派の関係者とあってレッドクイーンは嫌悪感を露にする。

 一般的なウィッチは、人間が怪物と化す光景に遭遇すれば衝撃を受けるだろう。

 しかし、2人は例外(イレギュラー)だ。

 蒼い瞳は冷徹に、紅い瞳は平常に、ただ脅威を推し量っていた。

 現状は、人口密集地で同種が暴れることがあれば厄介という認識しかない。

 

「ええ、爆弾のようなもので──」

 

 そこまで言葉を紡ぎ、アズールノヴァは異変を察知した。

 全てを見通す蒼き瞳が、死骸の内で荒れ狂うエナの流動を捉える。

 理性と本能の両方で危険と判断、即座に行動へ移す。

 

「レッドクイーン、退避を!」

「ひゃい!?」

 

 鋭い一声を浴びて硬直しなかったレッドクイーンは、瞬時に懐中時計を握る。

 その間に死骸の体表は泡立ち、膨れ上がり、不気味な紋が浮かび上がる。

 

 膨張が臨界に達した瞬間──禍々しい漆黒のエナが弾けた。

 

 それは黒い波となって住宅団地を駆け抜け、世界の色彩を奪っていく。

 淀んだエナの滞留する地表部だけに夜の帳が下りる。

 

「まさか本当に爆発するなんて……」

「物理的な破壊が目的、では無さそうですね」

 

 その様子を上空から見下ろすレッドクイーンとアズールノヴァ。

 空間を瞬時に入れ替える置換のマジックは、不測の事態にも即応できる。

 彼女たちに奇襲は、まず通用しない。

 

「毒……とも違う」

 

 黒く淀んだエナを映すアズールノヴァの瞳が、微かに蒼い光を帯びた。

 身体から発されたエナが万物を透過し、真の姿を主へ見せる。

 

「これは汚染…?」

 

 しかし、その成果は芳しいものではなかった。

 形の良い眉を顰め、アズールノヴァは目を閉じる。

 蒼き瞳を前に隠蔽は通用しないが、露出した情報が()()()()()とは限らない。

 

「レッドクイーン、あれには触れないように」

「は、はい」

 

 誰も触れてみようとは思うまい。

 住宅団地に滞留する黒は、生物が忌避する禍々しさに満ちていた。

 生物に及ぼす影響は不明だが、触れてはならぬ物という確信を見る者に抱かせる。

 

「インクブスは社会を混乱させ、情報を集めるために信奉派を利用している……そう考えていました」

 

 アズールノヴァが静かに紡いだ言葉は、認識の再確認だ。

 その言葉に同意するレッドクイーンは黙って頷き、次の言葉を待つ。

 防人に名を連ねる者はインクブスの思惑を打ち砕くため、現実とサイバーの両方で信奉派を排除してきた。

 それは効果を上げているように()()()

 

「読みが外れたかもしれません」

 

 蒼い瞳を鋭く細め、爆心地を睨むアズールノヴァの横顔は険しい。

 SNS上で踊る愚者は早期に姿を消したが、2人が相手取る信奉派の数は減る気配がなかった。

 独自の連絡手段を確立したと見るべきだが、今は脇に置く。

 

「インクブスの目的は──」

 

 その手段を用いてインクブスが目論んでいるのは、社会の混乱や情報の収集などではない。

 下劣な怪物たちは総じて我慢弱く、速効性を求める。

 

「材料の収集」

 

 眼下で炸裂した爆弾の存在が確信させた。

 張り巡らされたファミリアの索敵網を掻い潜り、愚かな隷属者たちを武器に変えるインクブス。

 これまで悪辣なインクブスは数多いたが、明らかに毛色が違う。

 

 苗床でも餌でもない──()()()()を道具として消費する。

 

 洗脳したウィッチより性能は遥かに劣るが、簡単に補充できる消耗品。

 変装することなく一般人に紛れ込み、いざ爆発すれば広範囲を危険物で汚染する。

 その脅威は傀儡軍閥の比ではなく、事態は深刻だった。

 

「連絡を取ります」

 

 アズールノヴァは身の丈ほどもあるソードをエナに還し、小さく溜息を吐く。

 先日の襲撃事件など霞むような被害と混乱が齎されるだろう。

 ただ平穏を享受するだけの衆愚が、どれだけ犠牲になろうと興味はなかった。

 しかし、それでは()()の献身が報われない──

 

「え、誰とですか?」

 

 間の抜けた少女の声に思考を中断される。

 連絡を取り合う相手がいることに真紅のウィッチは驚いている様子だった。

 存外図太いバディを半眼で見遣り、アズールノヴァは質問に答える。

 

「ラーズグリーズに」

 

 姉の親友であり、戦友であり、()()()()()()()()()

 自他共に認める最強のウィッチ、ウィッチナンバー1の名を。

 

「はぇ?」

 

 レッドクイーンは、餌を取り上げられたハムスターのように硬直した。




 自爆するしかねぇ(迫真)


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怪事

 人間爆弾…ウッ…頭が…


 あの襲撃事件以来、日常は平穏に過ぎていた。

 しかし、インクブスを完全に駆逐したわけではない。

 だからこそ、緩んだ気持ちを引き締めるのも兼ねて、郊外に展開するファミリアの下に訪れていた。

 最近、全く獲物を引掛けることのなかったヒメグモが()()を引掛けたのだ。

 

一体、何者でしょう?

 

 定位置の左肩に乗るパートナーは、不思議そうに頭を傾げる。

 ミンミンゼミの鳴き声を聞きながら折れた電柱を跨ぎ、路上に散乱したコンクリート片を弾く。

 

 そして、眼前には巨大な壁──道路を塞ぐように倒れたマンションの残骸。

 

 迂回する必要はない。

 コンクリートの壁面に穿たれた穴から触角を揺らすヤマアリの姿が見えたからだ。

 

「インクブスではないんだな?」

 

 背の高い雑草をククリナイフで払い、ヤマアリの下へ向かう。

 国防軍の検問より外にある市街は、旧首都と大差はない。

 インクブスが姿を消しても人は戻らず、荒れ果て、朽ちていく。

 

微量のエナを感知していますが……判断が難しいです

 

 直接確認しなければ判断は難しいか。

 今回、テレパシーを伝達してきたヒメグモは珍しい反応を示した。

 

 端的に言えば困惑──敵味方識別の判断に迷っている。

 

 ヒメグモの張った不規則網から脱出できない時点で、ファミリアの脅威ではない。

 しかし、エナを感知している以上、放置するわけにはいかなかった。

 

「シルバーロータスさん」

 

 声のする方向に振り向けば、浅緑のサーコートを纏った騎士が1人。

 白磁のガントレットを胸に当て、凛とした表情で私を見据えている。

 

 プリマヴェルデ──グラジオラスの1種である花の名を戴くウィッチ。

 

 今日の同行者は、彼女だけだ。

 

「やはり、私が先行して確認を…」

「その必要はない」

 

 先を急いだところで到着までの時間は変わらない。

 最短コースを知っているのは、もちょもちょと私の指先を舐めるヤマアリだけだ。

 少しくすぐったい。

 

理由を伺っても良いかな、シルバーロータス君!

 

 騎士の肩に降り立ったフクロウが、真率な声で問いかけてきた。

 そこで、言葉の選択を誤ったと気付く。

 頭を傾げるヤマアリから視線を戻すと、消沈した様子のプリマヴェルデと目が合う。

 

プリマヴェルデ君の権能は、未知を解明する際に力となるはずだ

「実力を疑っているわけではない」

 

 いい加減、この端折る癖を直さなければならない。

 言葉足らずにも程がある。

 2対の視線を正面から受け止め、慎重に言葉を選ぶ。

 

「ただ……道案内に従った方が手間が少ない、という話だ」

ふむ

「手間ですか?」

 

 首を傾げるウィッチとパートナーの前で、手頃な大きさのコンクリート片を拾う。

 

 それを青空に向かって投げる──かつり、と硬質な音が響き渡った。

 

 ()()()()()()()コンクリート片は、あらぬ方向へ落ちる。

 律儀に回収へ向かわんとするヤマアリは制止しておく。

 

「これは……糸?」

 

 朱色の瞳を瞬かせ、プリマヴェルデは正解を言い当てた。

 

この一帯にはファミリアの張った巣が残ってまして……捕まると中々抜け出せないんです

 

 パートナーが指揮棒のように前脚を振るい、補足の説明を行う。

 今、コンクリート片を弾いたのは巣を固定する係留糸だが、少し辿れば獲物を捕らえる粘液球が連なっている。

 この地域はインクブスの出現頻度が高かったため、クモ目のファミリアに巣を張らせていた。

 頭上の糸は、その名残だ。

 

「言葉足らずだった。すまない」

「い、いえ……お気になさらないでくださいまし」

早とちりだったか! こちらこそすまない!

 

 浅緑の騎士は慌てて手を振り、気まずそうに目を逸らす。

 

 彼女との付き合いは長くないが──今のプリマヴェルデは、()()()()()

 

 いつものメンバーが所用で来られないためか、必要以上に気負っている。

 そして、それは空回りしているように見えた。

 

「…行くぞ」

 

 気負うな、などと安直な言葉を彼女が欲しているはずもない。

 だから、私から言えることは何もなかった。

 ヤマアリの黒い腹部を追って、廃れたコンクリートジャングルの中を進む。

 時折、頭上に張られた糸が陽光を反射して、きらきらと瞬いた。

 

「シルバーロータスさん」

「どうした?」

 

 成長した低木をククリナイフで叩き折り、背後のプリマヴェルデへ振り返る。

 

「先程はファミリアと何をしていらしたのですか?」

 

 私を映す宝石みたいな朱色の瞳には、躊躇と求知の色が同居していた。

 気まずい空気を続けられるよりは良い。

 ヤマアリに舐められていた指先を見せ、プリマヴェルデの質問に答える。

 

「ケミカルコミュニケーションの一種だ」

「コミュニケーション?」

 

 人間のコミュニケーションは言語を主とするが、言語を持たない虫は別の手段でコミュニケーションを取る。

 触角や脚の接触、鳴き声や打音、そして化学物質だ。

 嗅覚や味覚に関わる化学的信号もコミュニケーションのツールとなる。

 

「アリは集合や分散、警告といった意思疎通をフェロモンで行っている。それをファミリアにも模倣させた」

 

 ヤマアリが私の指先を舐めたのは、敵味方識別のためだ。

 放射されるエナを感知すれば敵味方識別は可能なため、フェロモンの確認は必要ない。

 しかし、なぜかヤマアリはグルーミングを好んで行う。

 

こうして道案内ができるのは、道標フェロモンのおかげなんですよ!

 

 うきうきで解説するパートナーに苦笑しつつ、前を歩くヤマアリを見遣る。

 道標フェロモンはウィッチにも感知できない。

 だから、最短コースは彼女しか()()()()

 

なるほど、それならばインクブスに解読される心配もない!

「汎用性は高くない」

テレパシーがありますからね

 

 パートナーが言うように、テレパシーの汎用性が高いため使う機会は少ない。

 最初の想定はマジックを無力化した際の伝達手段だったが、速度に難がある。

 手札は多いに越したことはない。

 しかし、全てを使いこなせるわけではなかった。

 

「本当に、底の見えない方ですわね」

 

 眩しいものを見るような視線から目を逸らし、ヤマアリの影を追う。

 底が見えないのではなく、手札の多さで底の浅さを誤魔化している。

 

「試行錯誤する時間があっただけだ」

 

 年端もいかない少女たちが骨身を削って生み出した時間を、私は試行錯誤に費やした。

 その成果は、確かに快進撃を支えている。

 だが、それは準備の時間があれば誰でも出来ることだ。

 

「その時間を有効に使える方は、そう多くありませんわ」

 

 買い被りが過ぎる。

 

「他者を頼れば、より多くのインクブスどもを駆逐できたはずだ」

「それはっ…そうですけど…」

 

 折れた電柱から下がる蔦をククリナイフで払い、晴れ渡った青空を見上げる。

 

「私は、自己を中心にして考える凡俗に過ぎない」

 

 何かと理由を付けて、協力を模索してこなかった。

 その下らない自己満足で破綻し、手遅れになってから他者に頼る。

 つまるところ、先見性が無い。

 

「貴女が、凡俗なら……」

 

 足音が止まり、聞こえてきた声に微かな違和感を覚える。

 抑え込んでも滲み出た感情の揺らぎ、とでも言おうか。

 

 背後へ振り返る──廃墟の中で、ウィッチが立ち竦んでいた。

 

 俯いた彼女は両手を強く握り、絞り出すように言葉を放つ。

 

「私たちは、何ですの…?」

 

 鋭い眼差しを向けられ、口を閉ざすしかなかった。

 謙遜も過ぎれば嫌味と言うが、私にとってシルバーロータスとは謙遜する価値もないと思っている。

 だが、他者にとっては違う。

 そんな簡単な想像力が働かないから、無自覚な言葉が飛び出す。

 

 うんざりする──自己嫌悪ばかり積み上がっていく。

 

 ミンミンゼミの鳴き声が辺りに満ち、握ったククリナイフの刃が陽光を反射する。

 今の私に必要なのは、自覚だ。

 

「失礼、少々…取り乱しましたわ」

 

 ゆっくりと腕を組み、プリマヴェルデは静かに目を閉じた。

 感情を抑え込んでしまう姿に、どこか危うさを覚える。

 

「忘れてくださると──」

 

 言葉を途中で切り、眉を顰めたプリマヴェルデは周囲を見渡す。

 

「この臭いは…?」

 

 遅れて私も異変を察する。

 周囲を取り巻く青臭さの中に混じる異臭。

 

「…腐敗臭か」

 

 インクブスどもの巣で嗅ぎ慣れた、蛋白質の腐敗した独特の臭いだ。

 プリマヴェルデと視線を交え、私たちは一斉に駆け出す。

 

「シルバーロータスさん、野生動物の可能性は?」

「無いとは言えん」

 

 ヤマアリの腹部を小突いて急かし、腐敗臭の発生源まで駆ける。

 接近するにつれて臭気が強まっていく。

 住宅のブロック塀を飛び越え、マンションの駐車場に降り立つ──

 

これは…!

 

 雑草に侵食されていないアスファルトの地に、肉塊があった。

 四散した欠片を含めて、()()()()6体。

 

 人間だ──衣服の残骸から辛うじて判別できる。

 

 夏場だけに腐敗が早く、臭いを嗅ぎつけたハエが集り、ぶんぶんと羽音が聞こえてくる。

 心を凍らせ、怒りを締め出す。

 

酷いものだな

「ああ」

 

 憤りを滲ませるフクロウの言葉に頷きだけ返す。

 一斉に道を開けるクロバエのアーチを潜り、ゆっくりと遺体へ近づく。

 激しく損壊した遺体は、まるで絞られた雑巾のようだった。

 インクブス以外に、こんな芸当ができる者は──

 

「先を急ぐぞ」

「ええ」

 

 情報が不足している以上、確認してからでも判断は遅くないはずだ。

 不用意に遺体を動かさないよう注意し、マンションへ足を向ける。

 

 ヒメグモの巣は既に目視できている──上階から周囲の住宅に伸ばされた係留糸が目印だ。

 

 立体的に糸が張り巡らされ、上階近くは籠のようになっている。

 不規則網と言われる形態だ。

 

「糸には触れるな」

「分かりましたわ」

 

 プリマヴェルデに注意を促しておく。

 巣の下方、地面近くは糸が疎らになるが、その糸には粘液球が数条連なる。

 これに捕まると糸の固定が切れ、上方へ吊り上げられる仕組みだ。

 

「あれか」

 

 それを実演した存在が巣の上方に吊り下がっていた。

 捕まった際に暴れたらしく、周囲の粘液球を巻き込んで繭のようになっている。

 迷惑そうに見下ろすヒメグモと比較して、体長は2mほどか。

 

確かにインクブスではないようだが…実に奇怪だな!

 

 糸の隙間から見える外皮は黒く、筋肉質な隆起が見える。

 フードを取り払い、ヒメグモへ()()を下ろすようアイコンタクト。

 

「ここからは私に」

「任せる」

 

 プリマヴェルデの本領は、ここからだ。

 一歩前に出た騎士の横顔に陰りはない。

 

 彼女の権能は解析──私には真似できない、彼女だけの力だ。

 

 ヒメグモはマンションの玄関近くに異物を下ろす。

 その周囲にはヤマアリが集合し、即応できるよう待機する。

 

これが犯人でしょうか?

 

 パートナーと見下ろす先で、白磁のガントレットが黒い外皮に触れた。

 窒息しても不思議ではない拘束の状態だが、微かに身動ぎする。

 油断ならない。

 

「だとすれば、脱出できない理由が分からん」

 

 人体を雑巾のように絞るには、オーガほどの膂力か、マジックが必要となる。

 しかし、拘束から脱出できない時点で、どちらも持ち合わせていない。

 

「…解析が終わりましたわ」

「どうだ?」

 

 プリマヴェルデは怒気を滲ませた険しい表情で振り返る。

 嫌な予感がした。

 

プリマヴェルデ君

「大丈夫ですわ、グリム」

 

 エナの光が瞳から霧散し、プリマヴェルデは長い溜息を吐く。

 どう言葉にすべきか、感情を整理しているように見えた。

 実に1分ほどの沈黙の後、彼女は口を開く。

 

「信じ難いことですが、これは……いえ、()()()()人間ですわ」

 

 予想はしていた。

 微量のエナを含んでいると聞いた時点で。

 外れてほしい最悪の予想だったが、それでも対処は可能だ。

 ウィッチを無力化してきた手段が通じるか、早速──

 

「変形した体内のエナと刻まれたマジックの性質から推測するに、おそらく…」

 

 プリマヴェルデの言葉には続きがあった。

 

「爆弾になっていますわ」

 

 この世界は、どこまでも悪辣らしい。

 

 

 薄闇の支配する回廊の空気が微かに震え、天井から埃が落ちる。

 地震という事象とは無縁の異界で、この振動を生み出すのは()()以外にあり得ない。

 

またかよ……これで何回目だ?

 

 天井を見上げる矮躯の略奪者、ゴブリンは忌々しげに目を細める。

 雑務の多くを担う彼らは、インクブスの軍勢に欠かせない存在だ。

 軍事的才覚に長けたオークの造った要塞も、ゴブリンの助力が無ければ運用は覚束ない。

 災厄の侵略は確実にインクブスの数を減じていた。

 

懲りない連中だぜ

ああ、諦めが悪い

 

 武骨な開き扉を守るゴブリンは、隣に立つ同志の言葉に頷く。

 大陸から帰還した同胞も加わり、守備隊の増強された要塞は難攻不落だ。

 それを脅威と見なした災厄は連日、激しい攻撃を行っているが、その全てが退けられている。

 

これなら玩具を見繕っても──」

巻き添えはごめんだぞ?

 

 開き扉に振り返って下卑た笑みを浮かべる同志に、胡乱げな視線を返す。

 彼らが守っているのは、ヒトの雌を飼う部屋の一つだ。

 雌の供給が激減してから()()()()()は許されなくなり、こうして守衛が立つようになった。

 

けっ…冗談だよ

 

 下卑た笑みを消し、鼻を鳴らすゴブリンは肩を竦める。

 しかし、これまでの鬱屈とした空気は纏っていない。

 敗北を続けてきたインクブスにとって、防衛戦の勝利は大きな意味を持っていた。

 士気を持ち直させ、彼らの自尊心を幾許か取り戻したのだ。

 

ここの()()に挨拶ぐらいしても──おい

 

 ゴブリンは得物のクラブを持ち直し、真率な声で同志に呼びかけた。

 

どうした?

 

 その緊張感を帯びた声に、同志は怪訝な表情を浮かべる。

 先程までの冗談を言うような空気ではない。

 

妙な音がしねぇか?

 

 ゴブリンは尖った耳に手を当て、回廊を反響する音を聞く。

 

 己の息遣い、風の抜ける音、扉の奥にいる雌の呻き声、そして──頭上より響く戦場音楽。

 

 全ては聞き慣れたものだ。

 神経を尖らせるような音ではない。

 

上の音が反響してるだけだろ

いや、引っ掻くみたいな音が聞こえる

 

 しかし、注意深く周囲を見回すゴブリンの表情は硬いままだ。

 さすがの同志も取り合わざるを得ない。

 

引っ掻くって……まさか、最奥のウィッチか?

動かねぇって話だろ

 

 回廊の奥、その突き当りにある重厚な扉へ2対の視線が注がれる。

 そこには、かのシリアコ卿すら打破できないマジックで己を封じたウィッチが()()()()()()()

 

 彼女の時間が動くことは二度とない──ならば、回廊を反響する音は何か。

 

 環境音に掻き消されていた異音が、同志の耳にも届き出す。

 

くそっ…どこからだ?

 

 雌たちを飼っている部屋に異常はない。

 音源の位置を探り当てんと扉の前から離れる。

 ゴブリンたちは顔を見合わせ、数歩進んだ先の壁に尖った耳を付けた。

 

…壁か?

 

 精神を蝕む音は石造の壁面より奥、土中から響いていた。

 土を()()()()鋭い音が連なり、神経を逆撫でする不協和音となって聴覚を侵す。

 

拡張の予定なんてあったか?

 

 要塞の通路を拡張しているのではないか、と一縷の望みをかけて同志へ問う。

 しかし、手に握ったクラブの切先は石造の壁へ向いている。

 

いや、聞いてねぇ…

 

 異常事態が進行中と判断し、ゴブリンたちはクラブを構える。

 伝令に走る判断を下すより早く音源は石造の壁面と接触した。

 硬質な音が反響し──

 

冗談だろ…!

 

 要塞の回廊に振動が走り、並びの歪んだ石の隙間から埃が噴き出す。

 ()()が壁面を突き破らんとしている。

 

伝令に…うわ!?

 

 後退るゴブリンの前で壁面が崩れ、床面で石が砕け散った。

 一気に破孔は拡大し、全てを呑み込む奈落が口を開ける。

 

 その奥底で影が──無数の黒が蠢く。

 

 それは無機質な複眼であり、強固な外骨格であり、閉じられた2対の翅だった。

 インクブスを狩る者たちが穴より溢れる。

 

こ、こいつらはっ

 

 立ち尽くすゴブリンの眼前で、漆黒の大顎が開かれた。

 

ぎゃぁぁぁぁ!

 

 薄闇に満たされた回廊を断末魔が木霊する。

 咀嚼音と外骨格の擦れる音が響き、闇より深い黒が横穴から回廊を侵していく。

 黒の正体は、インセクト・ファミリア。

 大顎と爪から赤茶けた土を落とし、触角を掃除する()コマユバチだ。

 

 初期形態の参考となったコマユバチに穴を掘る生態などない──これは進化の一樹形だ。

 

 母の下で活動するベッコウバチやジガバチといった狩蜂に倣い、異界の土に爪を立てた。

 しかし、飛行に適した体は掘削に向かない。

 ゆえに身体を最適化し、長い脚と強靭な爪を備えるようになった。

 

おい、何があった!

 

 回廊に響き渡る野太い声は、潤沢なエナの塊から発されていた。

 断末魔を聞き、駆け付けたオークの戦士だ。

 

 感情の無い複眼が獲物を観察する──群れは軽度の飢餓状態にあった。

 

 狩りの成功率が下がれば、エナの供給が減り、ファミリアは飢餓に直面する。

 命令の不履行と淘汰の危機は進化を促し、変異種と新戦術を生み出す。

 インクブスが抵抗する限り進化は止まらない。

 

答えろ、バザロフ…なっ!?

 

 驚愕で見開かれるオークの眼には、一寸先も見えない闇が映る。

 

 床、壁面、天井──回廊を覆う漆黒が大顎を打ち鳴す。

 

 難攻不落と謳われた要塞の内より死の宣告は為された。

 外骨格の擦れる音がオークに殺到する。

 

なぜ、ここに──」

 

 驚愕で立ち竦む獲物を無数の大顎が襲い、表皮と筋肉を引き裂く。

 解体作業は一瞬で完了した。

 血飛沫に彩られたファミリアは肉片を取り合い、指の1本まで残さず喰らう。

 しかし、空腹は癒えない。

 

敵しゅぅぁ腕がぁぁ!

助けてくぇぁぎぃ!?

 

 前進を開始した漆黒の軍勢は道中のインクブスを次々と肉片に変え、薄闇を赤で彩っていく。

 行軍の足音が回廊を反響し、獲物の断末魔を踏み潰す。

 

なぜファミリアが…!

早く横隊を組め!

 

 緊急事態に即応したのは、要塞内を巡回するオークの戦士団だった。

 苛烈な防衛戦が続く中、秩序の維持を任された彼らは精強な戦士だ。

 楕円形のシールドを一列に並べ、上層へ続く回廊を物理的に遮断する。

 災厄が溢れ出せば、要塞の失陥は免れないだろう。

 

バーゲストの術士が来るまで時間をっがっぐぁ

どうした、リザンドロ!

 

 戦士団を指揮するオークが得物を取り落とす。

 口から泡を吹きながら揺れる巨躯は、重力に屈して床面に倒れる。

 

 その背中には穴が穿たれていた──毒液を滴らせる針が穿った穴だ。

 

 痙攣する戦士を踏みつけ、悍ましき天敵が大顎を打ち鳴らす。

 上層まで通じる回廊は、壁面に開かれた穴より溢れる漆黒に覆われていく。

 

背後からだと!?

よ、横穴を掘って…ぐあぁぁぁ!

 

 挟撃された戦士団は抵抗もままならず蹂躙された。

 精強な戦士であっても己の腕より多い大顎は避けられない。

 毒針に自由を奪われ、生きたまま全身の肉を噛み千切られる。

 被食者の末路は食料か、苗床だ。

 

ば、化けもぉがあぁぁ!

俺の脚が! やめっう、腕ぁがぇ!?

 

 断末魔を残して同胞たちは闇に消える。

 蠢く漆黒の影から咀嚼音だけが響き、回廊を血臭が満たしていく。

 手負いのオークは諦観し、引き攣った口から言葉を漏らす。

 

そうか……災厄の目的は()()──」

 

 回答は、同胞の血に塗れた大顎だった。




 コード991かな?(すっとぼけ)


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耳目

 書籍化が決定しても更新はやめないゾ(小声)


 コンクリートを打つ雨音が反響していた。

 大穴を穿たれた天井から階下へ降り注ぐ雨が、微かな光を帯びて光る。

 埃の積もった車両が並ぶ立体駐車場は、静かな雨音が支配していた。

 

「ご苦労様」

 

 その静寂を破る少女の声。

 照明の消えた立体駐車場を映す碧眼が客人の姿を捉える。

 

 客人は蒼と真紅──舞踏会にでも行くようなドレスを身に纏った2人のウィッチだ。

 

 ヒールの雅な足音を響かせ、蒼いウィッチが堂々と呼出人の前に立つ。

 その背後に恐る恐るといった体で真紅のウィッチが続く。

 

「ほ、ほほほ、本物だ…!」

 

 空色の戦女神を前にして、真紅のウィッチは感極まった声を漏らす。

 

 最初期からウィッチナンバー1であり続ける常勝無敗のウィッチ──ラーズグリーズ。

 

 情勢の安定化に伴い表舞台から姿を消し、現在はウィッチナンバーのみで知られる存在。

 国防軍に所属して特殊作戦に従事している、国外の危険なインクブスを討伐している等々、様々な憶測が今も飛び交っている。

 

「あなたがレッドクイーンね?」

 

 そんな都市伝説の一種と化した戦女神が、興味深そうにレッドクイーンの顔を覗き込む。

 

「ひゃ、ひゃい。お初にお目にかかりますっ」

「あら、緊張してるの?」

 

 緊張のあまり挙動不審となる姿に、ラーズグリーズは目を細めて小さく笑う。

 最近は初対面でも顔色一つ変えないウィッチばかりで、こういった反応は珍しい。

 

「アズールノヴァから話は聞いてるわ。信奉派の掃除で大活躍してるそうね?」

「え、え?」

 

 気難しいバディに評価されているとは夢にも思っていなかった。

 レッドクイーンが思わず視線を向ければ、感情を削ぎ落した人形のような横顔。

 煌々と輝く蒼い瞳には、無機質な敵意だけが宿る。

 

「ラーズグリーズ」

「何かしら?」

 

 アズールノヴァの視線は場内の一点に固定されていた。

 

「なぜ、その駄犬を連れているんですか?」

 

 ラーズグリーズの背後、立体駐車場を支える柱の陰に佇む人影。

 黒髪を腰まで伸ばし、黒い尻尾を微かに揺らす。

 細い体躯を包む装いまでが黒一色、夜と形容したくなる異形のウィッチ。

 

 次席、ウィッチナンバー2──黒狼(ヘイラン)だ。

 

 透過の権能を用いずとも位置の特定は容易。

 今も絶えず放射されるエナが、可視化した蒼いエナと鬩ぎ合っている。

 

「協力者よ」

「死神の狗になったつもりはない」

 

 間髪容れずに返される非協力的な発言にラーズグリーズは天を仰いだ。

 すかさず世界の色が反転し、風切り音が鳴る。

 蒼き刃を目で追い、黒狼は長大なシミターの刃を左肩に担ぐ。

 

「あの時は見逃しましたが、次はありませんよ」

「私を狙ってたくせに…よく言う──」

「落ち着きなさい」

 

 臨戦態勢に入ったアズールノヴァと黒狼の間で空色の戦装束が揺れる。

 鬩ぎ合うエナが断絶され、立体駐車場に1本の線が引かれた。

 

「まったく……行儀よくしてちょうだい」

犬は犬でも狂犬だな

「黙りなさい、レーヴァン」

 

 天井を走る配管に止まる漆黒のカラスを睨み、その嘴を噤ませる。

 

「不本意なのは分かるけど今は協力しなさい」

「私が戦うのは、シルバーロータスと王上尉たちのため」

 

 狼を彷彿とさせる黄金の目がラーズグリーズを鋭く睨む。

 とても協力関係にあるとは言い難い空気だった。

 

「路傍の石が何か勘違いしていませんか?」

 

 アズールノヴァが左足を引き、身の丈ほどもあるソードを下段に構える。

 纏う雰囲気こそ静謐だが、それは激情を押し止めているに過ぎない。

 

「自己保身しか考えていなかった盗人が協力? 酷い冗談ですね、笑えませんけど」

 

 溢れ出た燐光が揺蕩い、灰色の立体駐車場にプラネタリウムを生み出す。

 レッドクイーンが慌てて背後の支柱まで退避する。

 

「あの時は……あれしか方法がなかった」

 

 黒狼の口から吐き出される言葉は苦々しかった。

 旧北部戦区が実行した作戦は決して許されるものではない。

 

 自己の生存のため他者から奪う──インクブスの走狗と同列の所業だ。

 

 それを理解しているがゆえに反論できない。

 聞き飽きた弱者の弁明をアズールノヴァは鼻で笑う。

 

「助力を乞うなら首を垂れよ。常識のない頭は私が落としてあげましょうか?」

 

 有用なウィッチであろうと弁えない愚者は万死に値する。

 ボギーの逃走を阻止した一撃と異なり、今度は真正面から黒狼の首を狙う。

 

言わせておけば……シルバーロータスの庇護下にあったウィッチが何を言う!

 

 髪飾りに扮した黒狼のパートナーは怒りを露にする。

 倫理の欠落は自覚しているが、眼前のウィッチが宣う言葉は聞き捨てならなかった。

 蝶と共に虫籠で暮らす者は、倫理が紙屑ほどの価値になる世界を知らない。

 シルバーロータスの存在が無ければ、アズールノヴァの語る常識は別物になっていただろう。

 

「酷い境遇であれば全てが正当化されるとでも?」

「何も背負っていないお前には分からない」

 

 犬歯を覗かせて唸る黒狼に対し、アズールノヴァは絶対零度の視線で応じた。

 両者の得物が燐光を反射して妖しく光る。

 一触即発。

 

「話になりません」

「同感──」

 

 刹那、アスファルトの地が揺れ、重々しい打音が立体駐車場を反響する。

 

 音源は、空色の戦女神──右手に持つハルバードの石突だ。

 

 ハルバードの石突はアスファルトを穿ち、立体駐車場の端まで亀裂を走らせる。

 

「あのね、敵を間違えないでくれるかしら」

 

 目を細めて笑うラーズグリーズが放射するエナが、一瞬で立体駐車場の支配者を塗り替える。

 エナの過剰な放射を防ぐバウンダリが外れた2人を圧倒していた。

 睨み合うアズールノヴァと黒狼は沈黙を貫く。

 

賢明な判断だ

 

 渋々構えを解いた両者を見下ろし、戦女神のパートナーは淡々と告げる。

 自他共に認める最強のウィッチに敵う者は存在しない。

 それは世界規模でインクブスと戦っているシルバーロータスさえ例外ではない。

 

「その駄犬が敵でないと?」

「現状の目的は共通してるはずよ」

 

 なおも敵意を黒狼へ向けるアズールノヴァを半眼で見遣り、ラーズグリーズは気怠げな溜息を吐く。

 

「心配しなくても()()は掛けてあるわ」

 

 黒狼に同行する監督者は、最強のウィッチだ。

 そして、王上尉を含む同胞が捕虜となっている以上、反抗は不可能と言っていい。

 

「まぁ、使う機会はないと思ってるけど──そうよね、黒狼?」

 

 あくまで確認の体だが、それは脅迫だ。

 しかし、碧眼に映る異形のウィッチは力強い眼差しを返すだけ。

 

「…ここにいるのは、私の意志」

 

 黒狼は2対の視線と相対し、噛み締めるように言葉を紡ぐ。

 

「シルバーロータスは宣告通り、インクブスを駆逐した」

 

 同情を極限まで殺し、それでも優しさの滲む声で為された宣告を忘れた日はない。

 本人は決して認めないだろうが、シルバーロータスは間違いなく救世主だった。

 

「大勢の犠牲を積み上げて、それでも出来なかったこと」

 

 熱核兵器を投じ、人民の屍と不毛な大地を生み出してもインクブスは殲滅できなかった。

 ウィッチへ変身できる少女を次々と徴用したが、侵略の遅延もままならない。

 そんな絶望的な戦況を彼女は、ただ一人で覆したのだ。

 

「だから、報いたい」

 

 護りたかった人々を脅かすインクブスが駆逐された今、大陸最高戦力の使い道は()()()()

 仮に故郷へ帰還できたとしても、黒狼には血塗られた道しか残されていない。

 ならば、せめて恩人のために力を振るう──

 

「残された時間を使って」

 

 国防軍の死神が書いた筋書通りだとしても、彼女は己の意志で立っていた。

 

「はぁ……そうですか」

 

 エナの輝きを帯びた蒼い瞳を閉じ、アズールノヴァは小さく溜息を吐く。

 黒狼に残された時間は長くない。

 常に限界を超えたエナの放射とマジックの使用は、肉体どころか魂すら歪める。

 手を下すまでもなく、いずれは自滅するだろう。

 

「邪魔をすれば斬ります」

 

 そう一方的に宣告し、凶刃をエナへと還す。

 アズールノヴァの目的は、手負いの獣の処分ではなく、新たな脅威への対応だった。

 そのためにラーズグリーズの呼出に応じたのだ。

 

「物騒ねぇ…」

 

 緊迫した空気こそ霧散したが、両者の間には重い沈黙が横たわる。

 煩わしそうに首を振るラーズグリーズは、支柱の陰から顔を覗かせるレッドクイーンへ手招きした。

 

「さて……本題に入りましょうか」

 

 恐る恐るバディの隣に立つレッドクイーンを確認してから、ラーズグリーズは話を切り出す。

 

「まず、あなたたちが遭遇した人間爆弾──仮称フェアリーリングは国防軍も把握しているわ」

「フェアリーリング?」

「頭にキノコの輪があったでしょ。あれよ」

 

 フェアリーリングとは、キノコが地面に環状となって発生する現象であり、菌輪と呼ばれる。

 欧州の民話では妖精や魔女の仕業とされ、毒を撒くカエルの椅子とする伝承もある。

 

「現在、確認されている個体は6体。1体を除いて排除……自爆を排除と言うべきか、悩むところね」

 

 数日前、出現したインクブスの生体兵器と複数の部隊が交戦していた。

 奇襲こそ許したものの、接敵したフェアリーリングは全て戦闘不能に追い込んだ。

 1体を除いて──

 

「取り逃したんですか?」

 

 険しい表情で問うアズールノヴァに対し、ラーズグリーズは背後に佇む人影を見遣る。

 

「シルバーロータスの眷属が捕獲した」

 

 黒狼がシルバーロータスの名前を口にした瞬間、微かに蒼い燐光が舞う。

 

「クモの巣に飛び込んで雁字搦めになったそうよ。間抜けよね」

「…そうですか」

 

 ラーズグリーズの大雑把な補足を受け、淡白な反応を返すアズールノヴァ。

 目を閉じて無関心を装っているが、周囲を舞う燐光は隠せない。

 尻尾があれば機嫌よく揺れていることだろう。

 

「いずれ検体として貰えないか交渉するつもりだけど……それは、ひとまず置いといて」

 

 話が脇道に逸れる前に修正し、口元に浮かんだ笑みを消す。

 

「現状、判明しているフェアリーリングの特性は2つ」

 

 空色の戦女神は左手をアズールノヴァとレッドクイーンへ向け、しなやかな指を2本立てた。

 

「変異するまで人間と判別がつかないこと、自爆時にエナの霧を周囲に散布すること」

 

 傀儡軍閥の兵士や洗脳されたウィッチなど、一般人に紛れ込む尖兵の存在は度々確認されていた。

 しかし、人間を自爆攻撃に用いる例は初めて確認された。

 

 人間を狩り、犯し、喰らう──それがインクブスだ。

 

 一方的な蹂躙を好むが、殺戮は嫌う。

 人類を家畜と見下す彼らに生産性は皆無だ。

 その性質ゆえに、採用されない戦術と思われていた。

 

「あのエナの霧って…どんな影響を及ぼすんでしょう…?」

 

 不安そうに懐中時計を握るレッドクイーンを見遣り、ラーズグリーズは顔色ひとつ変えずに答える。

 

「霧に触れた者は、ウィッチを含めて脳死状態になったわ。外傷は無し、おそらくは精神に干渉するマジックね」

 

 雨音の反響する立体駐車場に、少女の理知的な声が沁み込んでいく。

 エナの霧をBC兵器と判断した国防軍は化学防護隊の投入を検討しているが、おそらくは無意味。

 あれはマジックを用いた非科学的な攻撃だ。

 

「そんなの街中で使われたら……」

「不愉快なことになるでしょうね」

 

 現状、人口密集地で自爆した個体は、横田基地の住宅地区に出現した1体のみ。

 本国へ帰還予定だった避難民が犠牲となった惨事は、決して他人事ではない。

 市街地で同様の事態が発生した場合、その被害は横田基地の比ではないだろう。

 

「製作者を潰すか、材料の供給を断ちたいところだけど…」

「前者は当然として、後者は具体的に何を?」

 

 フェアリーリングの材料とは、人間だ。

 遭遇した個体は全て信奉派だったが、信奉派を殲滅すれば終わるとは思えない。

 そもそも信奉派の早期殲滅が現実的か、アズールノヴァは疑っていた。

 

「SNSを凍結されても増えてますからね…1匹いたら100匹はいます」

 

 信奉派が存在し続けている現実に、レッドクイーンは嫌悪感を示す。

 SNSで活動する自称信奉派や愉快犯は、良識ある人々によって排斥された。

 しかし、啓蒙に熱心な愚者は後を絶たず、今も妄言を撒き散らしている。

 

「泳がせて集まったところを一網打尽に、とか色々試してるけど……まぁ、効果は今ひとつねぇ」

 

 日本国に備わる免疫は、信奉派に関連する危険因子を的確に摘み取っていた。

 それでも信奉派という病巣は消えない。

 社会不安を感じる人々を引き込み、癌細胞の如く増殖する。

 

「ネットを遮断すればいい。連絡手段が無くなる」

 

 情報統制に長けた大陸の出身である黒狼は、当然のように宣う。

 早期にインターネットの接続を遮断した旧北部戦区で信奉派の妄言を聞くことはなかった。

 少なくとも彼女の周囲では。

 

「無駄よ。連中にとってSNSは入口、独自の連絡手段があると見るべきね」

ならば根源を叩く他ないぞ

 

 黒狼のパートナーから欲しい言葉を引き出し、戦女神はニヒルな笑みを浮かべる。

 

「ええ、だから囮作戦を──」

やぁ、こんにちは

 

 第三者の声が、ラーズグリーズの提案を遮る。

 雨音の隙間を縫うような、場違いなほどに爽やかな声だった。

 4対の双眸が車両の並ぶ立体駐車場の奥へ向く。

 

君らが()()()()()()()()かな?

 

 ウィッチたちの前へ姿を現したのは、1人の青年。

 小山のような影を複数体引き連れ、歩みを進めるたび革靴が乾いた足音を奏でる。

 口元に浮かぶ軽薄な笑みがなければ、好青年と言える風貌だ。

 

「さっそく釣れましたよ」

 

 しかし、その内面はインクブスのエナが循環していた。

 小賢しい擬態を鼻で笑い、アズールノヴァは揺蕩う燐光を握る。

 世界の色が反転し、長大な刀身が闇を切り払った。

 

「そうみたいね」

 

 ラーズグリーズは一歩も動かない。

 乱入者の引き連れたフェアリーリングの数を確認し、碧眼を閉じた。

 

「え、えっと…駆除すればいいんですか?」

「お願いしてもいいかしら?」

 

 蒼い燐光を纏うバディの背後で、絢爛豪華な真紅のドレスが揺れる。

 アスファルトにバトルアクスの斧頭が落ち、重々しい音が響き渡った。

 敵対者がウィッチでなければ、レッドクイーンは暴力を振るうことに躊躇がない。

 

驚かないんだ。製作者を探してたんじゃないの?

 

 背後に並ぶフェアリーリングを指し、首を傾げる青年。

 この場に集ったウィッチは有象無象と異なり、相当な実力者だ。

 そんな彼女たちの眼前に、あえて姿を晒してみせた。

 

 感知の遅れに驚くか、露骨な挑発に怒るか──何かしらの反応を得られるはずだった。

 

 しかし、全く動揺しない一行を見て、青年は鼻白んだ表情を浮かべる。

 

まぁ、いいけど……君らも壊して──」

「レッドクイーン」

「え、あ、はい!」

 

 目線で天井を指すバディの意図を理解し、懐中時計を握るレッドクイーン。

 

 秒針、分針、時針が回り、法則性のない時間を指す──刹那、2人の姿は立体駐車場から消失した。

 

 2人の立っていたアスファルトの地が雨水に濡れる。

 視覚の存在しないフェアリーリングはエナの反応を追い、天井へ頭部を向けた。

 

おっと、危ない

 

 青年が一歩下がった瞬間、眼球を焼かんばかりの光が天より降る。

 

 立体駐車場を蒼に染め上げる光芒──天井から床面までをエナの奔流が貫通していた。

 

 それはバターを切るようにコンクリートを、立体駐車場を切断する。

 虚を突かれた異形たちは、粉塵を巻き上げて崩壊する床と共に落下していく。

 

「待ちなさい、黒狼」

「なぜ」

 

 粉塵が世界を灰色に染める中、ハルバードの斧頭が眼前に突き出された。

 シミターを左肩に担ぎ、跳躍の予備動作を取っていた黒狼は眉を顰める。

 

「今日は顔合わせって言ったはずよ。抑えなさい」

 

 崩落する天井の残骸を足場に階下へ降りる蒼い影。

 今は亡き友の妹を目で追いながら、ラーズグリーズはハルバードを水平に振り抜いた。

 それは粉塵ごと大気を一掃し、灰色に閉ざされた視界に色を取り戻す。

 

協力しないのかい? 薄情なんだねぇ

 

 他者を嘲る軽薄な声が立体駐車場に響き渡り、開かれた碧眼が音源を映す。

 

「あら、死んでなかったの?」

 

 先程とは反対方向の位置、横転した軽自動車の上に人影。

 羽虫の如き2対の翅を揺らし、悠然と佇む青年だった。

 

あの程度じゃ殺せないかなぁ

「そう」

 

 安い挑発には一切反応せず、戦女神は亀裂の走った天井を見上げる。

 衝撃で固定が外れ、垂れ下がった配管に漆黒のカラスが止まっていた。

 

「レーヴァン、許容範囲は?」

1割未満と言ったところか

「冗談でしょ?」

()()()()ではな

 

 パートナーは淡々と告げ、不安定な足場より音もなく飛び立つ。

 それを半眼で見送る戦女神は、ハルバードの石突で床を小突いた。

 

「相変わらず面倒ねぇ…」

何の話をしているんだい?

 

 怪訝そうな表情を浮かべる青年に、ラーズグリーズはニヒルな笑みで応じた。

 崩れ落ちた天井から雨が降り、濡れたコンクリートの臭いが漂う。

 

「力加減の話よ」

加減だって? 全力で来ないと駄目じゃないか

 

 青年は軽薄な笑みを浮かべ、両手を大きく広げて無防備な姿を晒した。

 その姿を横目にラーズグリーズは、退屈そうに鼻を鳴らす。

 左手を上げれば、不可視のエナが大気に満ちて色を持つ。

 

「問題ないわ」

うん?

 

 空色のエナが糸のように絡み合い、やがて流麗なエストックを形成する。

 それは重力に逆らって浮遊し、首を傾げる青年へ切先を向けた。 

 

「だって、あなた」

 

 青年の体内を循環するエナが膨張し、溢れ出す──目的は自爆だ。

 

「弱いもの」

 

 予想通りの攻撃に失笑し、空色の戦女神は左手を下ろす。

 

 刹那、エストックが消失──立体駐車場の壁面に、真円の風穴を穿つ。

 

 そこからは雨止まぬ灰色の旧首都が見えた。

 遅れて射線上の真空化した空間へ大気が吸い込まれ、埃が舞い上がる。

 

「やっぱり…本体じゃない」

 

 頭上の耳を小刻みに動かす黒狼は鋭い眼差しを旧首都へ向ける。

 首魁と思しきインクブスは消滅したが、階下の戦闘が停止する気配はない。

 

「分かってるわ」

 

 立体駐車場を走る蒼い閃光を横目に、ラーズグリーズは気怠げな溜息を漏らした。

 

「…傀儡(パペット)というより(スキン)かしら」

 

 人の姿を模倣するインクブスとの遭遇例は極めて少ない。

 インクブスは格下と侮る存在の姿を模して戦おうとはしなかった。

 あくまで己の能力を以て相手を屈服させようとする。

 

 しかし、例外(イレギュラー)は存在する──欲求を満たすため、手段を選ばないインクブスが。

 

 例外とは、得てして厄介な存在だ。

 それはインクブスであっても変わらない。

 

「面倒ね」

 

 倒壊する支柱が埃を巻き上げ、世界を不明瞭な灰色に染めていく。




 消えろイレギュラー!(幻聴)


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面影

 伏線(地雷)


 校舎3階の窓から見える世界は灰色だった。

 降りしきる雨が全ての色を吸い取ってしまったような錯覚。

 放課後となって校舎内の喧騒は小さくなり、廊下には雨音だけが響いている。

 この独特の空気感が私は嫌いではない。

 

打ちひしがれていましたね

「ああ」

 

 ただ、今は憂鬱な気分だった。

 窓に映り込んだパートナーが、何か言いたげに前脚を彷徨わせている。

 小さく溜息を漏らし、次の言葉を視線で促す。

 

もう少し手心を加えても──」

「それは彼に対して不誠実だ」

 

 つい先程、私はクラスメイトの男子から告白を受け、これを断った。

 去っていく丸まった背中を見て、思うところがないわけではない。

 しかし、言葉を尽くす彼の誠実な想いを、憐みで蔑ろにしたくはなかった。

 

それはそうですけど……あなたのことを知らない、は酷かと

「体調不良の時、保健室へ連れて行った以外に接点が──」

それ以降も何かとお話してたじゃないですか!

 

 一言二言、他愛ない会話だったと記憶している。

 しかし、私には世間話でも彼にとっては違った、そういう話なのだろう。

 父や芙花から向けられる親愛は理解できても他者からの好意には疎い。

 

「何に惹かれたんだろうな」

 

 窓に映る少女は仏頂面で、長い黒髪以外に特筆すべき個性がない。

 容姿が全てではないと分かっている。

 しかし、彼らも私の正体を知れば、幻滅するどころか忌避するだろう。

 

「その実直な性格ではないでしょうか」

 

 閑散とした廊下に聞き覚えのある第三者の声が響き、しばし硬直する。

 

「…見てたのか?」

「いいえ、消沈した新谷さんとすれ違っただけです」

 

 ほぼ答え合わせは終わってるようなものだ。

 私は見られて困らないが、彼──新谷くん──は違うだろう。

 少しばかり抗議の意を込め、廊下に佇む女子生徒を見遣る。

 

「すみません。2人が3階へ上がっていくのが見えたもので」

「心配するようなことはない」

 

 肩上にかかる長さの黒髪で、学年章の付ける位置やスカート丈が全て校則通り。

 模範生の図書委員、白石胡桃だ。

 照明の点いていない廊下で、その表情に差す影は深く見えた。

 

「先日の事件以来、強引に交際を迫る生徒が増えたと聞きます」

「…意味が分からない」

 

 何の因果関係がある?

 先日の襲撃事件が多くの人々に傷痕を残したことは確かだ。

 しかし、それが色恋沙汰に影響を及ぼすとは思えない。

 

「おそらくですが……ある日、前触れもなく隣人が消える恐怖を思い出したから、ではないかと」

 

 ゆっくりと歩み寄ってきた白石が、私の疑問に答える。

 

 教室の空いた席、机に置かれた花瓶──日常の中に混じる非日常。

 

 この世界は呆気なく命を落とす悪辣さに満ちている。

 どれだけインクブスの屍を築こうと連中の脅威は健在だ。

 薄氷の上にある日常が視覚化され、自棄になる者が現れたというところか。

 

「今更だ」

「私もそう思います」

 

 私たち(ウィッチ)にとっての日常。

 インクブスが出現した5年前から何も変わっていない。

 

 本当に今更の話だ──彼彼女らが悪意と無縁であることは喜ばしいことだろう?

 

 戦時下の日常という歪みが悲鳴を上げているのかもしれない。

 苛立ちよりも虚しさを覚え、無意識に溜息が漏れた。

 

「…静華さんと律さんが教室で待っていましたよ」

「分かった」

 

 わずかに声色を和らげた白石へ頷きを返す。

 2人とは、今日一緒に帰ると約束していたのだ。

 約束した以上、違えるわけにはいかない。

 

「恋などに現を抜かすべきではないと思いますか?」

 

 意外な言葉を背中から投げかけられ、階段へ向かう足を止める。

 足音が途絶え、雨音が廊下に満ちていく。

 

 これまで聞かれたことのない問い──意図的に外した主語はウィッチだろうか。

 

 極論、インクブスを駆逐するだけなら不要な感情だ。

 余計な感情の起伏が増え、致命的な弱点となるかもしれない。

 だが、それでも──

 

「思わない」

 

 ウィッチは兵器じゃない。

 様々な経験を経て成長していく子どもだ。

 だから、恋慕とて切り捨てるべき感情ではない。

 理想論だとしても、彼女たちが人並みの幸せを得る機会はあっていいはずだ。

 

「意外ですね」

 

 ついさっき、告白を断っておいて──そもそも普段の私を見れば、そう思うのも無理はないか。

 

「東さんは好きな方がいるのですか?」

「いない」

 

 東蓮花という少女になって16年、心身ともに女性と言っていいだろう。

 男性が同性という認識は喪失しているが、未だに付き合ったことはない。

 クラスメイトの男子を見ていると、微笑ましいという印象が先に来てしまうのだ。

 

「だからと言って否定する気はない。今しかできない経験もある」

「今しかできない経験、ですか」

「恋愛に限らず、立場も視点も固まってない今だからこそ貴重なものは多い……と思う」

 

 そう言って横目で背後を窺えば、無表情とも違う神妙な顔をした白石が見えた。

 願わくば全てのウィッチから機会が奪われないことを祈る。

 

 私の場合は──人並みの幸せを手にすることが許されると思っているのか?

 

 本来、この場にいることさえ許されない。

 この泡沫の夢を見ているだけで過分というものだ。

 

「以前から思っていましたが、東さんは達観していますね」

 

 達観とは、全体の情勢を広く見渡すこと、または遠い将来の情勢まで見通すことを言う。

 そんな立派なものかよ。

 

「…買い被りだ」

 

 私の人生はウィッチ一筋で終わるわけではない。

 そんな甘ったれた見通しの結果が、無為な犠牲を生み出した。

 傲慢だと理解していても許せないのだ。

 一瞬でも喪失の痛みを忘れていた私自身が。

 

「過大評価ではないと私は思っています」

 

 そんな心中を知る由もない白石は、眩しいものを見るように目を細める。

 

 一昨日のプリマヴェルデと同じ──これは、おそらく羨望の眼差しなのだ。

 

 最近、自他評価の一致しないことが増えた。

 恐怖と嫌悪の視線に慣れた身で、彼女たちの眼差しは異質に感じる。

 

「あのナンバー1とも対等に渡り合っています。私たちは……()()()()()()()()

 

 そこまで言葉を紡ぎ、口を閉ざす白石の表情に影が差す。

 

 苦手や嫌悪といった単純なものには見えない──より複雑に入り組んだ感情の発露。

 

 あの夜の邂逅を見る限りナンバーズとラーズグリーズの関係は険悪だった。

 しかし、横柄な立ち振る舞いを嫌って、という話ではなさそうだ。

 

「…2人を待たせていましたね」

 

 一瞬だけ私の姿を映した目を閉じ、小さく吐息を漏らす。

 再び目を開いた時、白石は人形めいた無表情に戻っていた。

 

「行きましょう」

 

 当事者でもない私が踏み込むところではない。

 これは彼女たちの問題だ。

 だから、私は頷きだけを返し、階段へ歩みを進める。

 

「東さん、教室へ戻る前に一つ確認を」

「どうした?」

 

 不意に階段の踊り場で振り返った白石が真率な声で問うてきた。

 

「一昨日の件ですが、本当に1人で解剖を行われるのですか?」

 

 一昨日の件とは、鹵獲した()()のことだ。

 現在、プリマヴェルデの解析を参考に、より詳細な情報を得るため様々な実験を行っていた。

 ただ身体を破壊すればいいインクブスとは異なり、あれは未知の兵器だ。

 運動能力の限界やエナの探知手段、精度などは知っておきたい。

 

「そのつもりだ」

 

 今夜行う制御権の奪取、そして解剖には私も立ち会う予定だった。

 だが、ナンバーズの同行は断っている。

 それが白石は、いや彼女たちは不満らしかった。

 

「1人では不測の事態に──」

「巻き込む危険性がある以上、私だけの方が対処しやすい」

 

 心配の色を滲ませる白石の言葉を遮り、淡々と()()を口にする。

 直接作業を行うのはファミリアで、同行者がいようと危険はない。

 だが、私は彼女たちの同行を許す気はなかった。

 

「…無理はしないでください」

「ああ」

 

 渋々引き下がる白石を見て、微かに安堵を覚える。

 それでいい。

 必要に駆られたから、()()()()()()()()()から、元人間を解剖する。

 そんな悍ましい行為を行うのは、私だけで十分だ。

 

 

 下校する生徒たちの後ろ姿は傘で隠れ、その上から雨のベールに覆われる。

 雨音が会話を包み隠し、彼彼女らが何に一喜一憂しているか、ここからでは分からない。

 

「雨が降る前に飛んでる虫って何なんだろ?」

 

 正門を出て開口一番、政木は何のことはない疑問を口にした。

 

「あれはユスリカやアカイエカ」

 

 雨音に負けないよう少しばかり声量を上げて答える。

 細い喉が奏でる声は、どうしても甘ったるい響きになる。

 

「…蚊柱ということですか?」

 

 ユスリカやヌカカ、ガガンボなど双翅(そうし)目長角群の昆虫が、空中で柱状に群集する現象を蚊柱と言う。

 しかし、そういう細かな話は脇に置く。

 

「そう」

 

 わずかに傘を上げ、政木の隣を歩く金城へ頷きを返す。

 私の身長だと差した傘で金城の顔が隠れて見えないのだ。

 その拍子に跳ねた雨粒が制服を濡らし、冷たさが肌に沁みる。

 

「雨で生じた水溜まりへ産卵するために降雨の前日に繁殖活動を行ってる」

 

 双翅目長角群の感覚器官は気温や湿度を検知し、降雨の兆候を捉える。

 そして、雄が蚊柱を形成し、そこへ飛来した少数の雌が交尾を行う。

 あれは強い子孫を残すための生存戦略だ。

 

「だから、雨が降る前は蚊柱が立つ」

蚊柱立てば雨という諺にもなっていますね!

 

 頭に乗った水滴を払い除けず、うきうきで解説するハエトリグモもといパートナー。

 

「へぇ~」

 

 私たちの解説を聞き、目を輝かせる政木は年齢よりも幼く見えた。

 芙花を見ているような、そんな微笑ましい気分になる。

 

田圃や湿地といった水溜まりが常にある場所では、雨に関係なく見られるそうですよ

詳しいのじゃな

 

 政木が手に下げる鞄に括り付けられた勾玉が、ちかりと瞬く。

 

いや、その……物知りマスコットを目指してたもので……

 

 おずおずと頭に乗った水滴を下ろし、パートナーは私の左肩で小さくなる。

 最近、交流の時間を増やしているようだが、それでも苦手意識が治る気配はない。

 

そこまで恐縮することかや?

「うちのタマがごめんね~」

我は悪くなかろ…!?

 

 明滅する勾玉に対し、人差し指を頬に当て、視線を彷徨わせる政木。 

 

「疑わしきは……罰せよ?」

罰せずじゃ!

 

 裁判において、事実の存否が明確にならない時、被告人にとって有利に扱わなければならないとする法諺だ。

 少なくとも下校中に聞くような諺ではない。

 

疑わしきは被告人の利益に、とも言います

 

 金城の首から下がる十字架が補足を付け加えた。

 オールドウィッチから遣わされたパートナーたちの出自は不明な点が多いが、これだけは言える。

 一般的な社会人よりも教養がある。

 

 そんな益体のない思考を回していると、傘越しに視線を感じ──薄茶の瞳と目が合う。

 

 憂の表情を浮かべる大和撫子とは、雨の中でも絵になるものだ。

 

「どうした?」

 

 聞かれることの予想は付いているが、あえて金城に声を掛ける。

 

「本当に同行する必要はありませんか?」

 

 金城の放った言葉は、傘を叩く雨音に負けず耳に届いた。

 まるで質量を持ったような、重々しい空気に包まれる。

 やはり、彼女たちの心配事は()()か。

 

「必要な時は頼る。今は時機じゃない」

「無理してない?」

 

 政木が前に立ち、正面から目を見据えてくる。

 無理をしているのは、強張った表情を浮かべる政木たちだ。

 実際に爆弾の解析を行ったプリマヴェルデ、もとい御剣菖は大きく動揺していた。

 

「ああ」

 

 私も衝撃は受けたが、憎悪の次に思い浮かんだのは対応策だった。

 やはり、人間性に欠陥があるのだろう。

 だが、今は都合が良い。

 

「無理をして有効な対応策が──」

 

 艶消しを施された濃緑色の車両を視界に捉える。

 そして、進行方向に広がる水溜まりも。

 

「下がれ」

「え?」

 

 咄嗟に傘を盾にし、政木と金城を背にする。

 

 刹那、視界が白く染まる──夏場とは言え、雨水は冷たい。

 

 大して傘が役に立たなかった。

 頬に跳ねた泥を手で拭い、遠ざかっていく()()()()の車両を見遣る。

 雨で霞んでいたが、幌に覆われた荷台には武装した隊員の姿が見えた。

 

「わわっ…東さん、大丈夫!?」

 

 背後へ振り返れば、政木が鞄からタオルを取り出すところだった。

 私が上手く壁になったようで、飛沫を浴びた様子はない。

 

「問題ない」

あれは避けようがありませんね……お互いに

 

 車両も水溜まりを回避しようとしていたが、無理な時はある。

 それよりも車道側を歩いていたのが私で正解だった。

 習慣づいた癖も役に立つものだ。

 

「問題ない、ではないでしょう」

 

 呆れ顔の金城に頬を拭った手を掴まれ、近くの喫茶店へ引き込まれた。

 庇の下に入ると影が深まり、互いの表情が見辛くなる。

 

「風邪を引きますよ……それと、ありがとうございます」

 

 小声で感謝を口にして、金城はスカートのポケットからハンカチを取り出す。

 

「東さんのおかげで濡れずに済んだね──あ、動かないで」

「いや、大丈夫…むぐ」

 

 並び立った2人を制止する間もなく、金城に頬を拭われ、政木に髪を拭かれる。

 通行人からの視線が気になって仕方がないが、どうしようもない。

 そのまま大人しくしていると、視界の端で鈍い輝きが瞬く。

 

「…その腕時計」

 

 政木が身に着けている男性用の腕時計だ。

 その質素なデザインには見覚えがあった。

 

「これ?」

 

 手を止めた政木は慈しむように、そっとガラスを撫でる。

 ステンレス製のケースには微細な傷が走り、僅かな光を反射していた。

 

「変、かな」

「いや…父が同じ物を持っていた」

 

 父が友人から譲り受けた手巻き式の軍用時計。

 ウィッチもインクブスも存在しない日常で見た平和の断片だ。

 

「大事に使ってるんだな」

 

 随所に擦り傷はあるが、よく手入れされているように見える。

 父が使っていた物は修理に出し、それきり戻ってこなかった。

 インクブスの出現に伴い、メーカーも修理どころではなくなったのだろう。

 それでも共有できる話題を見出し、私は──

 

「お兄ちゃんの……忘れ物だから」

 

 心の底から後悔した。

 この最悪の時世に、兄の忘れ物を身に着けている妹は弱々しく微笑んだ。

 まるで痛みを誤魔化すように。

 

 彼女の兄は──その腕時計を()()()()()()()()()()

 

 沈痛な面持ちで私を見つめる金城に、目線で肯定を示す。

 これ以上の言及は誰も望んでいない。

 

「…そうか」

「うん」

 

 そこから一切の会話はなく、雨音だけが響いていた。

 ありふれた悲劇だ。

 だからこそ、この世界を呪いたくなる。




 兄の腕時計:飾ると部屋の雰囲気を良くする。


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斟酌

 蓮の花言葉には「救ってください」もあるそうで(小声)


 夥しい量の血が飛び散ったコンクリートの床面から視線を上げる。

 青い月光の射し込む廃工場、何度も夢で見てきた場所だ。

 ただ、()()()悪趣味な装飾が施されるようになった。

 

 血と肉と臓物と──それらが誰のものか、私は知らない。

 

 履き慣れたロングブーツが()()を踏みつけている。

 ぶよぶよした紐状の、本来は踏みつけてはならないもの。

 

「…赤子か」

 

 血に塗れた臍の緒がコンクリートの床面を這って、月光の届かぬ闇まで伸びていた。

 母体へ振り向くことなく、私は歩みを進める。

 闇で蠢く存在は、尊ぶべき新たな生命に違いない。

 

「違う」

 

 この世に存在してはならない冒涜的な、駆逐すべき化物であるという直感。

 右手には扱い慣れたククリナイフが握られていた。

 この飾り気のない凶器で、何度も頭蓋を叩き割ってきた。

 

やめろ

 

 魑魅魍魎の悍ましい声が闇より響く。

 黙っておけばいいものを、わざわざ私に醜悪な存在を教えるか。

 誰の胎から出てきたか知らないが、この世に1秒でも存在できると思うなよ。

 

くるなっ

 

 軽く素振りをして、重心を確かめる。

 月光を反射して刃が瞬き、不気味な風切り音が耳を撫でた。

 

 一般的なウィッチが──否、誰もが忌避し、目を瞑りたくなる所業。

 

 それを私は旧首都の闇で何度も行ってきた。

 血と汚物に塗れても、怪物を殺す。

 闇の中で小刻みに震える影を見下ろし、ククリナイフを振り上げる。

 

いやだ

 

 罪のない人々の命乞いを嘲笑い、蹂躙してきた怪物が口を開くな。

 迸る憎悪を刃に乗せ、怪物の頭へ振り下ろす。

 

「ころさないで」

 

 声色が、変わった。

 脆弱な頭蓋を砕く手応えを確かに感じる。

 血飛沫が散り、脳漿が床面を汚す。

 

 致命的なものを砕いた気がした──本当にインクブスだったのか?

 

 いや、これはインクブスだ。

 血と脳漿のこびりついたククリナイフは敵だけを屠ってきた。

 なら、なぜ右手の震えが止まらない?

 

「なぜだ?」

 

 背後から声が聞こえた。

 

 聞き覚えのある少女の──私の声だ。

 

 ゆっくりと振り返り、月下に佇む人影を捉える。

 純銀を思わせる長髪と白磁の装束が青を帯び、瞳だけが紅く光っていた。

 

「なぜ殺した?」

 

 シルバーロータスは問う。

 深い絶望と憎悪を浮かべる瞳には、血塗れの私が映っている。

 私の姿をしているくせに、殺す理由を問うのか?

 

「インクブスを殺した」

()()()()()()()()()()()

 

 なるほど、その通りだ。

 震える右腕を左手で押さえると、生温い血の感触がした。

 眼前のシルバーロータス()が何を言うか、分かっている。

 

「なぜ、罪のない人を殺した?」

 

 顔色一つ変えず、それは冷酷に言い放った。

 右腕の袖を握って、震えを止めんと力を込める。

 

 甘んじて受け入れろ──何度も言い聞かせてきた言葉だろうが。

 

 私を鋭く睨むウィッチの背後に人影が現れる。

 ほとんど身長は変わらない。

 

「殺戮者め」

 

 その者は私を指差し、生気のない声で指弾する。

 月光のカーテンを潜った人影は、淀んだ色彩の装束を纏うウィッチだった。

 

「お前はウィッチではない」

「ただの人殺しだ」

「化け物だ」

 

 廃工場内に次々と人影が現れ、私を指差して責め立てる。

 人種や性別、年齢、服装の全てに規則性がない集団。

 

 唯一の共通点は、顔が無い──当然だ。

 

 私は、殺した人々の()()()()()()

 ファミリアは障害となる人々を問答無用で引き裂き、叩き潰した。

 苗床となった女性、人質となった子ども、洗脳されたウィッチ、傀儡軍閥の兵士──

 

「人殺し」

「許さない」

「許されると思うな」

 

 気の遠くなる数の人命を奪ったのは間違いなかった。

 だが、ファミリアは排除した障害の個々を判別しない。

 

 誰を殺したか、私にも分からない──だから、顔が無い。

 

 罪過はあっても償うべき相手が分からない。

 ゆえに私が醜い自己満足を満たすため、この亡霊たちを生み出した。

 

「罪を償え」

 

 誰に?

 私は誰に許しを乞い、償いをすればいい?

 責め立て、罰を求めるのは、私だけだ。

 

「お前に平穏はない」

「お前に居場所はない」

 

 強く口を引き結び、胸を焼くような吐き気を堪える。

 あの優しく、心地の良い日々に浸ることが許されないなど分かっている。

 だが、誰も私の罪過を認めない。

 私を否定しても、それ以上の称賛と羨望で絞め殺されそうになる。

 

「なぜ生きている?」

 

 まだインクブスを駆逐していない。

 無力で愚鈍な私を生かしている理由は、それだけだ。

 これ以上、無為な犠牲を増やさないために、自称女神の悪意は絶滅させなければならない。

 不可侵であるべき少女たちに助力を求めてでも。

 

「あれだけ殺しておいて」

「化け物め」

 

 さも被害者の声を代弁するように亡霊たちが口々に宣う。

 そこに()()()()()()()()()をした人物を見つける。

 迷彩柄の戦闘服を纏った中肉中背の、若い男性だ。

 

「……傲慢だな」

 

 反吐が出る。

 私の下らない自己満足に、友人の兄を勝手に加えるな。

 

 自他の線引きも出来ないのか──お前()は何様なんだ?

 

 もういい、望み通りにしてやろう。

 これ以上、醜悪な自己満足が増殖する前にお前()を殺してやる。

 ククリナイフを握り直し、一歩踏み出す──

 

死者が生者の足を掴んではいけませんよ

 

 場違いに明るいパートナーの声が響き渡り、眼前を漆黒の巨影が覆う。

 荒々しい風が頬を撫で、血の絡んだ銀髪を弄ぶ。

 

足を止めてはいけません、東さん

 

 8本の脚をもつ節足動物は、私の視界から月光と亡霊を隠した。

 そして、背後の闇よりコンクリートを引っ掻く足音が迫る。

 視界の端に映る鉤爪のような大顎、長い3対の脚、薄茶色の外骨格。

 

 慈悲なきキリングマシン──グンタイアリの群れだ。

 

 彼女たちは戦列を組み、眼前の敵に向かって突撃する。

 ()()()の号令を受けていないにも関わらず。

 

私たちはインクブスを喰らい、人々を救わなければならない

 

 悲鳴は聞こえず、ただ人体を破壊する音だけが響く。

 顔の無い亡霊たちは物言わぬ肉塊となってコンクリートの床面にぶちまけられる。

 

そうでしょう?

 

 凄惨な虐殺が繰り広げられる中、パートナーの声色に変化はない。

 眼前の光景に一切の興味を示さず、ただ眺めているだけ。

 

「……誰だ」

 

 いつも私の夢に現れるパートナーとは思えない。

 いや、思いたくなかった。

 ()()()()()()()

 

誰だ、なんて酷いじゃないですか

 

 ぐにゃりと視界が歪み、一寸先も見えない闇へ放り出された。

 周囲からは外骨格の擦れる音、そして無数の足音が響く。

 

 かさかさ、こそこそ──居心地の良さを覚え、瞼が重くなる。

 

 それでも絶対に目は閉じない。

 闇の奥底に潜む者を確かめるまでは意識を保て。

 

レギですよ、東さん

 

 声の主は間違いなくパートナーだ。

 しかし、この渦巻く禍々しいエナは、まるで──

 

 

最近、また睡眠時間が短くなっていませんか?

 

 左肩から問い掛けるパートナーは、小さく頭を傾げた。

 当然だが、拳大のハエトリグモからは一片の禍々しさも感じない。

 あれは夢だ。

 

「気のせいだ」

 

 そう言って腕を組み、晴れ渡った夜空を見上げた。

 陰鬱とした雨を降らす雲は去り、星の絨毯が一面に広がっている。

 人工の光が絶えた旧首都から見える星の数は、両の手では足りない。

 

そうですか…?

「ああ」

 

 無惨に突き破られた空気膜構造の屋根から人工芝のフィールドへ視線を移す。

 数多の野球選手たちが駆けた芝地は、スマート爆弾で掘り返されていた。

 

 ここはインクブスの巣だった──今は私のファミリアが支配する領域だ。

 

 フィールドを巨大な節足動物たちが闊歩し、粛々と作業を進めている。

 スタンドの座席は埃を被り、照明の残骸が夜風で虚しく揺れた。

 この球場に活気が戻る日は来るのだろうか?

 

「──相変わらず不景気そうな面ねぇ」

 

 無人の球場に響き渡る少女の声。

 視線を走らせれば、スタンドのゲートから現れる人影を捉えた。

 

「ラーズグリーズ」

 

 星明かりに照らされた空色の戦装束が靡き、ハルバードの石突がコンクリートを打つ。

 

 自称女神を彷彿とさせる金髪碧眼のウィッチ──自他共に認める最強のウィッチ。

 

 ナンバーズと行動していない今だからこそ接触してきたか。

 フィールドを見下ろす私の隣まで歩いてきた彼女は、微かに足取りが重い。

 

「…疲れているようだな」

 

 目を丸くするラーズグリーズはニヒルな笑みではなく、困ったように笑う。

 

「そう見える?」

「ああ」

 

 スタンドに姿を現した時から普段の切れがなかった。

 いつも横柄に振る舞い、弱味を見せないラーズグリーズにしては珍しい。

 まだ旧首都がインクブスの巣窟だった頃、一度見たきりだ。

 

「まぁ……色々あるのよ」

 

 ラーズグリーズは気怠げな溜息を漏らし、比較的汚れていない座席に腰かける。

 手を離れたハルバードは倒れず、直立したままだ。

 

「そうか」

「どっかの誰かさんがリードを握ってくれればね~」

 

 口を尖らせる金髪碧眼の戦女神は、抗議の眼差しを送ってくる。

 自称女神と瓜二つの姿だが、その立ち振る舞いは似ても似つかない。

 いや、そんなことよりもリード?

 

「犬のか?」

 

 聞き返す私から視線を外し、ラーズグリーズは不機嫌そうに鼻を鳴らす。

 いつも以上に気難しいな。

 リードが何を揶揄しているか、さっぱり分からんぞ。

 

「それで──()()をどうするつもりなの?」

 

 獲物を見定めるように細められた碧眼に映るもの。

 それは眼下のフィールドに穿たれた爆撃の痕、その中心にあった。

 

 訪ねてきた理由──糸で厳重に拘束されたインクブスの兵器だ。

 

 ゴブリンと同程度の身体能力──膂力に関してはオークと同等か──に加え、自爆能力を備えた歩く爆弾。

 人間を素体とする最悪の生体兵器だ。

 

「制御権を奪えないか試す」

 

 鹵獲されても自爆せず、外部からの刺激に反応するだけ。

 これが感覚器官をエナの糸で遮蔽された結果なのか、単純に指示を待っている状態なのか、判断は付かない。

 だが、インクブスが遠隔操作にエナを用いているのは疑いようがなかった。

 であれば、干渉は可能だ。

 

「とんでもないこと思い付くわね」

 

 奪還も自爆もせず、放置したことを後悔させてやらねばなるまい。

 フィールドから少し視線を上げれば、美しい青緑の外骨格が星明かりを吸い込んで瞬く。

 外野スタンドで出番を待つファミリアが私の視線に気が付き、触角を揺らす。

 

「そうか」

「そうよ」

 

 座席に腰かけたラーズグリーズは頬杖をつきながら呆れ顔で言う。

 齢は離れていないはずだが、彼女だけは未成年に思えない。

 

「作業中にどかんってなるかもよ?」

 

 防爆用の土堤を作り、実験場を構築中のファミリアたちを見下ろす。

 

「最大限の注意は払っているつもりだ」

 

 自爆の危険性がある以上、作業を行うファミリアは頑強な個体が選ばれる。

 中でもハキリアリは今回の作業に適任だ。

 原種は炭酸カルシウムを多量に含んだ鎧を外骨格の上に纏うことで、高い防御力を有しているという。

 これを模倣したファミリアはエナを板状結晶に組み上げた鎧を有する。

 

「アリにテントウムシ、ゴキブリ……共通点は?」

「抗菌性だ」

 

 頭部に生えたキノコから菌類の存在を疑い、ここには抗菌性があると()()()()ファミリアを配置している。

 これまで遭遇したインクブスが微生物を認識している様子はなかったが、想定しない選択肢はなかった。

 

「あれが菌類であった場合を想定している」

 

 土木作業を行っているハキリアリは共生関係の菌類に該当するものが存在しないため、原種が備える有害菌へ耐性があるかは未知数。

 キノコの摂食を行う予定のキイロテントウムシも菌類の摂食は今回が初めて。

 自爆に対する耐久実験を行うゴキブリは原種と同様に高い抗菌性を備えている、はずだ。

 

「インクブス菌?」

「あるかは知らん。鹵獲した際、私もファミリアも異常はなかったが、警戒すべきだろう」

 

 この球場を選んだのは、菌類が飛散する危険性を最小限に抑えるためだ。

 実験時は屋外へ退避してから観測を行う。

 

「霧と思ってたけど、菌という線もあるわね……BC兵器の判断も間違いではない、か」

 

 独り言ちるラーズグリーズの言葉に気になる単語があった。

 

「霧」

「自爆した際に霧状のエナを放出するのよ、あれ」

 

 その口振りから国防軍は複数体と交戦し、ある程度の情報を得ているらしい。

 

「触れた人間は例外なく脳死状態に陥る……おそらくは精神に干渉するマジックと私は見てるわ」

 

 ラーズグリーズは口元で指を組み、淡々と語る。

 ただの爆弾ではないと思っていたが、想像以上に厄介な性質を有しているらしい。

 不用意に解剖していれば、どんな惨事になっていたか。

 

「厄介だな」

「ええ」

 

 防爆用の土堤だけでは不完全だ。

 密閉すべきか、それとも霧の飛散範囲を確認すべきか。

 ひとまずハキリアリに土木作業の停止をテレパシーで伝達する。

 

「シルバーロータス」

「どうした?」

「あれ、検体として譲ってもらえない?」

 

 飲食店で注文を出すような気軽さで言ってくれるな。

 より多角的な情報を得るなら、国防軍へ引き渡すのが正解だろう。

 そうなれば、自爆する危険性が高い実験は中止か。

 しかし、私が欲する情報の多くは、そこから得られるものばかりだ。

 

「実験で喪失しなければ……で構わないか?」

「勿論よ。話が通じるって素晴らしいわね」

 

 穏やかな笑みを零すラーズグリーズは年相応に見えた。

 ここまで感情を表に出すのは珍しい。

 国防軍との仲介役を自称する彼女ならではの心労があるのだろう。

 同情的な私の視線に気が付いた少女は、鋭く目を細めた。

 

「何よ」

 

 戦女神の機嫌を損ねる前に、私も情報を聞き出すとしよう。

 

「1つ聞きたい」

 

 私の問い掛けに対し、ラーズグリーズは視線だけで次の言葉を促してくる。

 

「あれはインクブスのエナを微量に放出する。ファミリアでも察知可能だ」

 

 明確にインクブスと認識できないため、発見次第即応は難しい。

 しかし、ファミリアは微量のエナがあれば存在を察知できる。

 だからこそ、1つの疑問が生まれた。

 

「だが、鹵獲した個体は()()出現した。ポータルも無しに」

 

 眼下のフィールドに安置されている個体は前触れもなく出現し、ヒメグモの巣へ飛び込んだ。

 移動してきた痕跡がなく、出現地点には殺害された人間の遺体があった。

 そこから予想される事象は多くない。

 

「あれは人間に擬態できるのか」

 

 まだ推定の域を出ないが、確信している。

 先日の襲撃事件からインクブスの戦略は明確に変化した。

 

 略奪から殺戮へ──効果的に死と恐怖を振り撒くため、連中は手段は選ばない。

 

 碧眼を閉じたラーズグリーズは静かに吐息を漏らす。

 

「人間が変異する、が正確ね」

 

 ラーズグリーズは、あえて変異と称した。

 

「そうか」

 

 つまり、あれは()()()()()()()()()()()()()()()だ。

 国防軍が市街地に展開していた時点で、ほぼ答え合わせは終わっていた。

 最悪は更新されたが、まだ切れる手札はある。

 

「ラーズグリーズ」

「だめよ」

「まだ何も言ってない」

「言わなくても分かるわ」

 

 金髪碧眼の戦女神は片目だけを開け、私の仏頂面を映す。

 

「あなたのファミリアが捕獲作戦なんて始めたら、さすがの国防軍も静観できないわ」

 

 図星でしょ、と目で笑ってみせるラーズグリーズ。

 

「被害は最小限に抑えられる」

 

 モンスターパニックさながらの光景になるのは間違いないが、もう状況は──

 

「得意分野で活躍してちょうだい。適材適所、でしょ?」

 

 ナンバーズの少女たちへ送った言葉が、そっくりそのまま返ってきた。

 多様性に富むファミリアにも不得手がある。

 それは市街地で、一般人の目がある環境下での戦闘だ。

 適材適所と言い難いからこそ、私は黙らざるを得ない。

 

「インクブスは舐め腐った態度を捨てて、ようやく()()()()に上がってきた」

 

 口を噤む私を見遣り、いつになく真面目な表情でラーズグリーズは告げる。

 

「ここまで連中を追い詰めただけでも大手柄よ」

 

 大手柄だと?

 また、()()か。

 インクブスの駆逐は当然であって評価されることじゃない。

 むしろ、私は膨大な人命を奪った殺戮者だ。

 

「…そんな立派なものか」

 

 気付けば、心中に留めるべき言葉が無人のスタンドに響いていた。

 それから遅れて痛いほどの沈黙が満ちる。

 

 完全に無意識だった──軽率としか言いようがない。

 

 謙遜も過ぎれば嫌味、本心であっても言葉を慎めと自省したばかりだろうが。

 同情の言葉を引き出したいのか?

 醜い。

 

「立派よ」

 

 ラーズグリーズは断言した。

 それが世の理とでも言うように。

 

「数字が証明してるもの」

 

 駆逐したインクブスの数しか知らない私と違い、ラーズグリーズは多くを知っている。

 国防軍を通し、救った人々や国々の情勢を把握しているのだろう。

 

「その結果……多くの人間を殺してもか」

 

 当然、私が奪った人命も。

 コラテラル・ダメージ(巻き添え被害)では済まされない惨禍を知らないはずがない。

 

シルバーロータス、それはもう…!

「終わってない」

 

 苦々しい声で語りかけてくるパートナーを睨み、次の言葉を堰き止める。

 私の罪過は消えない。

 どんな理由があろうと消えるはずがない。

 

「馬鹿ね」

 

 組んだ足を所在なげに揺らす戦女神は鼻で笑い、冷淡な声で切り捨てる。

 

「インクブスのせいで死んだ、それだけの話よ」

 

 極論だが、間違いとも言えない。

 だが、ラーズグリーズが口にした()()は、ただの免罪符だ。

 全ての罪過を連中に押し付けて、目を背けているだけ。

 

 私が殺した人間はインクブスに殺されました──そんなはずがあるものか。

 

 顔も名前も知らない人々を殺したのは、私だ。

 それ以上でも、それ以下でもない。

 

「…そうだな」

 

 だが、それを声高に訴えたところで意味はない。

 平行線を辿ると分かっているなら、自己満足など捨て置け。

 今は有用な情報を得ることに頭を回すべき──

 

「分かってないでしょ、あなた」

 

 不意に立ち上がったラーズグリーズが傍らのハルバードを手に取る。

 無人のスタンドに満ちる空気が変わった。

 

 肌を刺すような──殺意とでも言うべき圧迫感。

 

 視界の端で空色の戦装束が揺れ、鋭利な風切り音が耳元に届く。

 

「…前から言いたいことがあったのよね」

 

 一切の感情を殺した少女の声。

 喉元に触れる冷たい刃が、私の熱を少しずつ奪う。

 

「そんなに罰が欲しいのかって」

 

 私を映す宝石のような青い瞳には、怒りの炎が宿っていた。



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服膺

 どうしてこんなになるまで放っておいたんだ(白目)


 星明かりの注ぐスタンドに静かな怒気が満ちる。

 眼前の戦女神は見たことのない表情で私を見つめていた。

 敵意を察知したハキリアリがゲートから姿を現し、座席を踏み越えて近づいてくる。

 

「今、ここで首を刎ねたら満足する?」

 

 硬質な足音が迫ろうと、ラーズグリーズはハルバードを下ろさない。

 私の喉元に刃を当て、冷ややかに問う。

 

 肯定すれば実行してくれるだろう──他者に私の罪を裁かせる?

 

 冗談じゃない。

 一瞬でも魅力的な提案と思った己を張り倒したくなる。

 ラーズグリーズに何を背負わせる気だ。

 

「ごめんだな」

 

 ハルバードの柄を左手で掴み、臨戦態勢のハキリアリを視線で制す。

 かちかちと大顎の打ち鳴らされる音が響く中、戦女神を見据える。

 

「他人の手なんて借りたくない?」

 

 碧眼に宿る感情は、少女が本来持ち得ないはずの理性的な殺意だ。

 ファミリアが見せる無機質な敵意に近かった。

 

「この首を掻き切るのは、私だ」

 

 口は勇ましい言葉を吐くが、刃を逸らす膂力もない。

 無様で滑稽、無力な己を呪いたくなる。

 

今まで…そんなことを考えていたんですか…?

 

 戦女神の凶行を前に硬直していたパートナーが私を見上げる。

 ハエトリグモの姿で表情を出力することはできない。

 だが、抱く感情なら分かる。

 

 パートナーには──レギには怒る権利がある。

 

 憧れのウィッチとは程遠い存在に仕え、称賛は無く、ただ忌避されてきた。

 その挙句に()()だ。

 

「すまん」

謝ってほしくありません…

 

 そう言って縮こまるパートナーは、いつもより小さく見えた。

 散々頼っておきながら、期待を裏切ってばかりだ。

 

救ってきたもの、守ってきたものを見ても……まだ許せませんか?

「見てきたからこそだ」

 

 何の変哲もない平穏な日常とは愛おしく、尊いものだ。

 だからこそ、そこに私が居ることは許されない。

 いつか取り戻せたかもしれない()()()日常を奪った私には。

 

 強まる自己嫌悪──首元に当たる刃は、それに終止符を打てる。

 

 インクブスを駆逐する日までは、まだ有効に活用すべき命だ。

 

「はぁ……」

 

 苛立ちの滲む溜息がスタンドに響く。

 怒りの気配は消えず、されど肌を刺すような殺意は消えた。

 

()()()()()と会って少しは変わったかと思ったけど」

 

 あの子たち──ナンバーズに名を連ねるウィッチたちか、それともアズールノヴァとレッドクイーンか。

 

「変わってないどころか悪化してる」

 

 左手で掴んでいたハルバードの柄がエナの粒子へ還り、星空へ立ち上っていく。

 私を映す碧眼には、苛立ちと失望が入り混じる。

 

「余計な事を抱え込んで……馬鹿なの?」

 

 ラーズグリーズは乱雑に腕を組み、吐き捨てるように言う。

 抱え込んだつもりはない。

 これは初めから私の罪だ。

 

そうですよ! 力を借りるという言葉は何だったんですか?

 

 ウィッチの少女たちは協力者として申し分ない実力を持つ。

 頼るべきところは頼り、庇護の対象とは見ていない。

 だからこそ、越えてはならない一線がある。

 

「助力を得る事と私の罪は関係がない」

 

 彼女たちは人々を護るため戦い、多くを救ってきた。

 インクブスを駆逐するため戦い、人々を殺してきた私とは違う。

 

「本来、隣に立つことも許されない」

 

 私は結果的に救っただけだ。

 そんな半端者が人類の守護者など厚顔無恥にも程がある。

 

「英雄様の隣には相応しくないって?」

 

 嫌味たっぷりに言うラーズグリーズは、人を小馬鹿にした笑みを浮かべる。

 見慣れた冷笑、いつもなら聞き流す戦女神の戯言だ──

 

「…死神の間違いだろ」

 

 今日は聞き流せなかった。

 胸中で渦巻く苛立ちが口から出ていた。

 英雄なら全てを救ってみせろと亡霊が吠えている。

 黙れ、虚無め。

 

 唾棄すべき理想論──できるはずのない絵空事を唱えるな。

 

 己の醜さに耐えられず、思わずフィールドへ目を逸らす。

 そこからスタンドを見上げるハキリアリたちは、いつまでも指示を待っている。

 

「死神と英雄は紙一重よ」

 

 視界の端で黄金の髪が靡き、空色の戦装束が揺れた。

 無人のスタンドに満ちていた敵意が足音と共に引いていく。

 

「どうして黒狼が私を死神って呼ぶか、知ってる?」

 

 今日の彼女は、いつものように冷笑するだけで終わらなかった。

 さっきまでの声色と打って変わり、囁くように問う。

 

「……いや」

 

 薄々気付いていながら、私は気付かない振りをした。

 崩れた天井の陰に立つ戦女神の後ろ姿は、ひどく儚げに見える。

 

「なら、教えてあげる」

 

 ただ利害関係が一致しているだけの私に、彼女は一歩踏み込んできた。

 これ以上、語らせてはいけない。

 同様の罰を求めなければ、私の道理が通らなくなる。

 

「この国に近づく()を片端から海の藻屑にしたからよ」

 

 握り締めた拳が痛みを訴える。

 それでも耳を塞ぐわけにはいかない。

 

「諸外国の主要艦艇、避難民を乗せた船艇や航空機、ウィッチ……厄介事を持ち込むモノは全て」

 

 戦女神は淡々と、無感情のまま語る。

 今まで私が、国内のウィッチが、一般の人々が、()()と戦う必要がなかった理由を。

 

「今は国防軍に任せてるけど、大多数は私がやったわ」

 

 彼女が言及しないからこそ追究せず、目を逸らしていた。

 自衛隊を前身とする国防軍の戦力は限られている。

 ウィッチを戦力化せず、現有の戦力だけで国防は不可能に近かっただろう。

 

 それを覆したのが──眼前に立つ最強のウィッチナンバー1。

 

 インクブスを駆逐するだけで歪な日常を守れるはずがない。

 この悪辣な世界で、薄氷の上に築かれた平穏を守る者は血塗れだ。

 

「だから、死神か」

「そう」

 

 ラーズグリーズは振り返らない。

 自他共に認める最強、横柄なようで理性的なウィッチ。

 私は彼女の多くを知らないが、嘘だけは吐かないと知っている。

 

「私は罪人かしら?」

 

 そして、最悪のタイミングでカードを切ってくることも。 

 

「それとも英雄?」

 

 夜風が吹き、黄金の髪が微かに揺れる。

 

 振り向いた戦女神は挑むようで──寂しげな笑みを浮かべる。

 

 その瞳に映る銀髪赤目のウィッチは、苦虫を噛み潰したような表情をしていた。

 

「……最悪の二者択一だ」

「ええ、そうね」

 

 罪人とすれば、彼女が手を汚して守った全てを否定する。

 だが、そうさせまいと英雄に仕立て上げることもできない。

 殺人の咎を負わせないために、屍の数で称賛したくなかった。

 

「あなたと私の違いは何?」 

 

 回答を返せない私を真っすぐ見据え、ラーズグリーズは改めて問う。

 人殺しという本質に違いはないのだろう。

 そこに一切の違いはないが──

 

「私は……」

 

 強迫観念にも近い感情に突き動かされ、喉を震わせる。

 ラーズグリーズとは違う、そう主張しなければならなかった。

 

「覚悟も葛藤もなく、無自覚に命を奪った」

 

 コンクリートの床面を見つめ、空虚な言葉を積み上げる。

 ファミリアの自己裁量に一任した時、私は数え切れない人命を奪った。

 だが、殺した相手の名前も顔も知らない。

 

 殺戮の過程には一切の痛み──罪悪感がなかった。

 

 そんな無責任な殺人を犯した者が許されていいはずがない。

 平然と日常を過ごしていいはずがない。

 

「だから──」

間違ってます!

 

 驚くほど真っすぐな声が、耳元で響く。

 紡ぎかけた言葉を呑み込む。

 

自覚があれば許されるんですか

 

 喧しく吠えていた亡霊が口を噤む。

 

覚悟があれば罪は軽くなるんですか!?

 

 その道理が通るなら世には殺人犯が溢れるだろう。

 馬鹿げた妄言だ。

 私は何を口走っていた?

 

違うでしょう?

「そう…だな」

 

 己を罰するために、悍ましい道理すら通そうとした。

 どこまでも自己本位で、パートナーに合わす顔がない。

 テレパシーの負荷が減って思考に余裕ができたと思っていたが、とんだ勘違いだ。

 

 右手で左肩に触れる──パートナーの前脚が、そっと指先に触れる。

 

 温もりは感じないが、確かに優しさを感じる。

 

これ以上の罰が必要なんですか?

 

 どんな時でもパートナーは、私の味方だった。

 だからこそ、私の自傷に付き合わせたくなかった。

 

ずっと罪の痛みに苛まれて……もう十分でしょう

 

 指先を撫でるパートナーは、ただただ痛ましげに言葉を紡ぐ。

 

 本当は分かっている──自傷に意味などない。

 

 どれだけ自身を責め、蔑もうと死者は甦らない。

 自ら心を殺し、壊れようと誰も救われない。

 

「それが罰で……いいのか」

 

 そう割り切れれば、どれほど楽だったろう。

 過去を思い出すたび、怒りが胸中から湧き上がる。

 無力で、愚鈍な己が許せなかった。

 

「世界は、あなたを罰さない」

 

 酷薄な宣告を受け、ゆっくりと顔を上げる。

 視線の先で、宣告者は大穴の穿たれた天井から注ぐ星明かりを纏う。

 

「あなたはね、もう私と同類なのよ」

 

 夜であろうと昼の如き神々しさを宿すラーズグリーズは、神託を下す女神のようだった。

 

「だから、自罰なんて自己満足でしかないの」

 

 その通りだ。

 私に罰を与えるとすれば、それは犠牲となった人々しかいない。

 しかし、それが叶わない今、私には──

 

「それでも、それしか救いがないのなら」

 

 しなやかな指先を突き付け、ラーズグリーズは宣告する。

 

「生きている限り、罰を科し続けなさい」

 

 それは詭弁だと亡霊が喧しく叫んでいる。

 

 ──お前が生きている限り、それは罰ではない。

 ──殺戮者に救いがあってはならない。

 

 足元の影から亡霊が這い上がり、手を伸ばしてくる。

 哀れなものだ。

 

()()()()()()()で償えるものではないんでしょう?」

 

 その一切合切を散らし、戦女神の声が響き渡る。

 雑音が消え、私の安否を確認するテレパシーが鮮明に聞こえ出す。

 

 悪夢から覚めたような──いや、この世は終わりのない悪夢か。

 

 手の平を返したようにシルバーロータスを称賛する世界は、背負った罪には見向きもしない。

 だから、自らの手で罰するしかないと思い込んだ。

 

「…その一度の罰に、私は逃げようとした」

 

 インクブスを駆逐すれば全てを投げ捨てていい、など甘ったれだ。

 罪と向き合っていないどころか、失敗を顧みていない。

 遠くない未来に同じ失敗を繰り返していただろう。

 

「また逃げるかもしれないぞ」

 

 本当は降りかかる責任から目を背け、逃れようとしていた。

 私は、臆病者だ。

 

シルバーロータスは一度も逃げたことはありません

 

 指先と触れ合うパートナーが間髪容れず言葉を返してきた。

 自信に満ち溢れた声は、私が逃げないと確信している。

 この信頼に応えることができるか?

 

「──そうだな」

 

 いや、応えなければならない。

 どれだけ称賛され、平穏を享受できたとしても、背負った罪を忘れない。

 自他の評価が乖離している苦痛も、日常から排斥されるべき異物という自覚も、罰だ。

 それを命が尽きる瞬間まで科し続ける。

 

はいっ

 

 きっと正解ではない。

 いや、正解などないのかもしれない。

 

 だが──今は、これでいいのだと思う。

 

 小さく吐息を漏らし、今日も私を助けてくれたパートナーの頭を撫でる。

 

「ま、インクブスが万に一つでも勝てたなら私たちは大罪人ね」

 

 冗談めかして言うラーズグリーズは肩を竦め、ニヒルな笑みを口元に浮かべた。

 連中の勝利など微塵も信じていない。

 当然、私の返す言葉は一つだ。

 

「そんな未来はない」

 

 インクブスどもに未来などない。

 ただファミリアに噛み砕かれ、苗床となるだけ。

 私の為すべきことは変わらない。

 

「あら、頼もしい」

 

 それを聞き、愉快そうに口角を上げるラーズグリーズは──

 

甘いのだな

 

 降ってきた黒い羽根を掴み、頭上を睨む。

 

「文句ある?」

汝の選択だ。尊重しよう

 

 天井から下がる照明の残骸に止まっていたカラスが音もなく飛び立つ。

 ラーズグリーズは忌々しそうに飛び去る影を見送る。

 漆黒の翼が球場の外へ消え、それから咳払いを一つ。

 

「作業止めて悪かったわね、続けてちょうだい」

 

 追い払うように手を振り、ラーズグリーズは静かに腕を組んだ。

 すっかり普段の調子に戻ったが、心なしか満足そうに見える。

 ラーズグリーズとの問答で解決とは言えないが、一つの道筋は得た。

 感謝しなければならない。

 

「いや、助かった」

「高いわよ」

 

 そう言って意地の悪そうな笑みを見せるラーズグリーズは、無人のスタンドからフィールドを見下ろす。

 彼女が何を要求してくるのか、それは分からない。

 なるべく実現可能なことであると願う。

 

「シルバーロータス」

「どうした?」

 

 さっそく来たかと身構える私の前で、戦女神は組んでいた腕を解き、眼下へ右手を向ける。

 その先にはフィールドの中心に安置されたインクブスの生体兵器があった。

 

「あれって()()()()()?」

 

 あれの全身を拘束している糸は、ヒメグモが形成したエナの糸だ。

 原種の糸よりも強度に優れ、並大抵の膂力では断ち切れない。

 オーガに匹敵する膂力か、マジックが必要だ。

 

「ファミリアの種類は違うが、材質は大きく変わらないはずだ」

「ふ~ん」

 

 ウィッチの拘束にも使用しているが、切断に相応の機材が必要となるため、ラーズグリーズは嫌っていたはず。

 何に興味を引かれた?

 

「あれ、何本か貰ってもいい?」

 

 戦女神の横顔は、悪戯を企む童のように不敵な笑みを湛えていた。

 

 

 夜の帳が下りた市街地は静寂に包まれ、人工の光は弱々しい。

 夜間の外出は禁じられているはずだが、今宵は複数の人影が見られた。

 

 迷彩柄の戦闘服を纏い、武骨なライフルを携えた兵士──国防軍陸軍の防人たち。

 

 人間に擬態したインクブスの生体兵器(フェアリーリング)を警戒しているのだ。

 

あれで守ってるつもりなのかな?

 

 その姿を雑居ビルの一室から見下ろす者がいた。

 テナントが入っておらず、コンクリートが剥き出しの殺風景な部屋。

 窓際に置かれたパイプ椅子に座る少年は鼻を鳴らす。

 

こっちは挨拶も終わって、仕上げの段階なのに……馬鹿だなぁ

 

 背中より伸びる2対の翅を揺らし、心の底から嘲った笑みを浮かべる。

 ここにいるのは、邪悪なるピスキーだ。

 

 少年の心は永遠に戻らない──インクブスへ差し出された時点で。

 

 息子を差し出した愚かな母親は廃れた住宅団地でウィッチの凶刃に斃れた。

 悲しむ者は誰もいない。

 

災厄とやらは姿を見せないし、とんだ拍子抜けだよ

 

 足を揺らす少年は夜空へ視線を向け、微かに響く羽音に眉を顰めた。

 異形のファミリアたちは昼の市街地に姿を見せず、夜でさえ闇に潜む。

 ヒトを守護する絶対強者でありながら、ヒトの目から逃れんとする。

 理解不能だ。

 

ウィッチどもに姿を晒して良かったのですか…?

 

 殺風景な部屋の隅、陰に潜むインクブスは恐る恐る尋ねた。

 傀儡となったヒトを躊躇なく斬殺できるウィッチについて。

 

 正義や良心があるからこそ脆い──それを切り捨てたウィッチは脅威だ。

 

 小細工無しの勝負となれば、厳しい戦いを強いられる。

 わざわざ存在を露顕させることは自殺行為に他ならないのだ。

 

大丈夫、大丈夫。僕は倒せないから

 

 そんな退屈な問いをパックルは鼻で笑い、軽く手を振って応じる。

 どれだけ腕利きのウィッチを揃えても彼を滅ぼすことは不可能。

 この小さな島国に降り立ち、()()()()()時点で手遅れだ。

 

傀儡が1体……追えなくなりましたが…?

 

 しかし、落ち着かない様子で手を擦り合わせるインクブスは、なお食い下がる。

 パックルの操る傀儡の1体が支配を外れ、行方知れずとなっていたのだ。

 役目を果たしたわけではない。

 明らかに異常が生じていた。

 

はぁ…その程度で騒ぐなよ、ラタトスク

 

 足を組み、頬杖をつくパックルは微かに苛立ちを滲ませた。

 悪戯を邪魔された童子のような態度だが、その足元に滞留するエナは闇より暗い。

 

も、申し訳ありません

 

 ラタトスクは部屋の陰に矮躯を押し込み、小さく縮こまる。

 何者にも低頭に応じる、それが彼の生存戦略だ。

 

玩具の一つや二つ壊れたところで結果は変わらないよ。いくらでも替わりはあるし

 

 夜の市街地を横目にパックルは、ラタトスクの心配事を細事とばかりに一蹴する。

 ヒトを素体とする傀儡は作戦の要だが、1体や2体が役目を果たさずとも問題ない。

 その程度は想定の範囲内であり、予備を投じれば修正は容易だ。

 

それに()()()()()

 

 幼い少年の口元が三日月のように上がり、邪悪な笑みを形作る。

 傀儡が撒き散らした汚染は、ヒトの内へ入り込む。

 そして、身体の節々まで邪悪が根を張る。

 

本当に低能だよね、こいつら

 

 国防軍の兵士たちを見下ろし、少年の皮を被った怪物は嘲笑う。

 

病に侵された家畜は潰すのに、同族にはできないとかね

 

 外見の損傷がなく、呼吸しているだけの肉塊をヒトは見捨てられない。

 種が芽吹けば、()()は同族から怪物へ成り下がるというのに。

 

 災厄もインクブスの体内に卵を産み込む──存外、似ているのかもしれない。

 

 本来、相容れないはずのウィッチに親近感を覚える。

 災厄のウィッチへ送る言葉が増えた、とパックルは笑みを深めた。

 

……どうしたのさ、ラタトスク

 

 そして、部屋の片隅を見遣り、口元の笑みを一瞬で消し去る。

 陰に潜むラタトスクは頭を下げたまま、頻りにパックルの顔色を窺っていた。

 

い、いえ…その…

何が心配なのかな?

 

 歯切れの悪いラタトスクに対し、パックルは不快感を露にして問う。

 より小さく縮こまる影は辛うじて声を絞り出した。

 

さ、災厄のウィッチの気勢を殺げ、と新たに仰せつかっております…!

 

 こちらの作戦は順調に進んでいるが、あちらの戦況は芳しくない。

 災厄の攻撃は激化する一方であり、ルナティック(狂奔)に投じる戦力の抽出も検討されている。

 それを知らされている以上、ラタトスクが焦燥に駆られるのも無理はない。

 

はぁ……素直に苦戦してますって言えばいいのにさ

 

 それを理解していながら、苦境の同胞たちをパックルは鼻で笑う。

 己より劣る者たちが災厄に喰われたところで興味もない。

 同胞にも悪辣とされるインプと異なり、ピスキーは()()()だ。

 前者は危機を前に協働できる柔軟性を持つが、後者には期待できない。

 

プライドが高いと大変だねぇ

 

 他者との結束を必要とせず、他者の姿を借りて生きる怪物。

 長という肩書が形骸化したインクブスは、組んだ足を解いて立ち上がる。

 さも退屈そうに、仕方がなくという体で。

 

ま、いいけど……仕上げに取り掛かろうかな

 

 己を抹殺できる唯一の存在に()()は従う。




 その程度(致命的)


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打通

 我慢弱い作者で、すまない(澄んだ瞳)


 見渡す限り不毛な荒野が続き、空には赤い月が瞬く異界。

 不毛な大地に生命の息吹は感じられない。

 

 そこに佇む者は──ヒトを喰らう悪意の塊、インクブスだ。

 

 緩やかな丘陵の頂から麓を見下ろす表情は険しい。

 

ラザロスよ

 

 灰色の毛並みをもつライカンスロープは耳を立て、背後へ振り返る。

 彼を呼ぶ者は、小山の如き体躯のケットシーであった。

 奇怪な模様を刻んだローブを纏い、恰幅と相まって貫禄を感じさせる。

 

マルクトか……お気に入りが恋しくなったのか?

 

 ライカンスロープの長は表情を緩めることなく、同格の長と相対した。

 円卓でも変物と評されるケットシーは露骨に顔を顰める。

 いかにウィッチを着飾り、円卓で見せびらかすマルクトも死地で連れ歩くことはない。

 これ以上、()()()()()を失うわけにはいかないのだ。

 

ここまで警戒する必要があるのか?

 

 彼の心配は別件だ。

 ラザロスの隣に並び立ち、麓を見下ろす。

 麓には、かつて大陸へ数多の同胞を送り出してきたポータルを囲う砦が()()()

 

災厄がポータルを解けば、奴らの本隊が来る

 

 その懐疑的な問いに対し、ラザロスは一切の迷いなく答えた。

 

ここで止めなくちゃならねぇ

 

 ポータルを破壊し、砦を崩落させることで物理的には封鎖している。

 それでも大陸から帰還したインクブスたちは、包囲の必要性を訴えた。

 

 大陸に残したポータルは閉じられていない──鍵を解けば、道が繋がる。

 

 その危険性を理解した影は、扉と道の両方を打ち壊す腕利きの術士を遣わせた。

 

我らとてポータルの理を全て解しているわけではないが、虫けら如きに解けるとは思えぬ

 

 インプの長に匹敵する術士は、常識的な見解を述べた。

 これまでインクブス以外に扱うことのできなかったオーパーツ。

 捕食し、増殖するしか能がない怪物に解せるはずがない。

 

そもそも解けたとして通ることは叶うまい

 

 加えて、ポータルは物理的干渉や異種のエナを阻む機構が存在する。

 ポータルが異界を侵す災厄の橋頭堡になるとは思えない。

 

リベラートの治める要塞が陥落した今、戦力を遊ばせておく暇はないぞ

 

 そう言って、マルクトは砦を三方から包囲する軍勢を見遣る。

 災厄を幾度も退けてきた要塞が陥落し、最奥で封印していたウィッチを奪還された。

 それこそ脅威と認めるマルクトは、包囲軍の必要性に疑念を抱いていた。

 大陸から帰還した敗残兵でも貴重な戦力に違いはない。

 

俺たちの想定を超えてくるのが、災厄だ

 

 ラザロスは脚を進め、堂々とした足取りで丘陵を下る。

 目指す先は、包囲軍の後衛だ。

 

 彼には──否、彼らには確信があった。

 

 小休止を取る包囲軍の中で、油断なく砦を睨むインクブスたち。 

 彼らが大陸で戦った災厄に常識は通用しなかった。

 遭遇するたび殺戮の精度を洗練し、新たなファミリアと戦術で襲い掛かってくる。

 

奴は、化け物だ──」

 

 その言葉に呼応するように、大地が鳴動する。

 

なんだ…?

おい、揺れてるぞ

 

 異変を察したインクブスたちは手元の得物を取り、砦の様子を窺う。

 足元の礫が小さく跳ね、次いで蹴り上げるような震動が大地を駆け抜けた。

 

敵襲だっ

来やがった…!

 

 ウィッチとの戦いでは不要とされる隊列を組み、インクブスの軍勢は瞬く間に臨戦態勢へ移行した。

 その間にも震動は続き、瓦礫の山と化した砦が一際大きく揺れる。

 

「──来る

 

 ラザロスの耳が微細な音を捉え、災厄の息吹を聞く。

 

 刹那──大地が爆ぜた。

 

 土煙が噴き上がり、大地を伝播する激震がインクブスを足元から震わす。

 その噴火の如き威力は、積み上がった瓦礫を天高く打ち上げる。

 

くそっ!

うわっ…

 

 周囲へ四散した瓦礫の破片が包囲軍へと降る。

 小さな破片では痛痒も与えられない。

 しかし、災厄の声無きウォークライを聞き、士気が微かに揺らぐ。

 

狼狽えるな!

 

 ラザロスの鋭い一声が後衛から前衛まで届き、戦士たちは得物を握り直す。

 円形のシールドを整然と並べ立て、隙間からボウガンを覗かせる。

 

マルクト、頼むぞ

……是が非でも、災厄を食い止めねばならぬな

 

 ケットシーの長は重々しく頷き、配下の術士を呼び寄せる。

 作戦の要は、マルクト率いる術士たちだ。

 解除した直後の不安定なポータルに最大火力のマジックを放ち、エナの暴走を引き起こすことで消滅させる。

 

陣を組め

応っ

 

 己の責務を理解している術士たちは、詳細な指示を受けずとも動く。

 ポータルが安定化すれば消滅は不可能、災厄の猛攻で全滅しても結果は同じだ。

 時間との勝負になるだろう。

 

構え!

 

 前衛の指揮を命じられたオークの戦士が声を張り上げ、号令を飛ばす。

 砦を包囲する前衛がボウガンの照準を土煙の下方に合わせる。

 災厄の姿は土煙に覆い隠され、影も形も見えない。

 

来やがれ…!

 

 しかし、確実に存在する。

 外骨格を擦り合わせ、大顎を打ち鳴らし、無数の足音を刻む異形の軍勢が。

 

 赤茶けた土煙の中で影が揺れ──巨大な頭角が、異界の大気を切り裂く。

 

 血のように赤き月光を浴び、漆黒の外骨格が妖しく光る。

 巨躯を支える脚が荒野を爪で穿つ。

 

撃てぇぇ!

 

 ボウガンの弦が鋭い音を響かせ、矢弾を打ち出す。

 包囲軍から一斉に放たれた死の雨が、土煙より現れた災厄の一番槍に降り注ぐ──

 

くそっ!

なんて強度だ…!

 

 その全ては強固な外骨格に弾き返され、砕け散った。

 甲虫目に分類されるファミリアの外骨格は、矢弾如きでは貫けない。

 分厚い鞘翅が開かれ、伸ばされた後翅が土煙を吹き散らす。

 

次弾急げ! 擲弾を用意しろ!

おう!

 

 一瞬で動揺を抑え込み、オークの戦士は矢継ぎ早に指示を出す。

 冷静に、されど急いでボウガンに矢弾を番える。

 ファミリアの突進を許せば、並大抵のインクブスは轢殺されるだろう。

 

俺たちが前へ出る!

 

 前衛より先行したオーガの一団が災厄を迎え撃たんと得物を構える。

 大質量を食い止められる者は、彼らを措いて他にいない。

 

 それをファミリアも認めた──母の敵を打ち砕かんと巨躯を加速させる。

 

 矢弾を弾き飛ばしながら、重量級ファミリアは敵へと突進した。

 包囲など目に入らぬと言わんばかりに。

 

うぉぉぉぉぉ!!

 

 意気衝天。

 オーガは咆哮と共に得物を振り抜き、頑強な外骨格を破砕する──

 

ぐっ!?

 

 そのはずだった。

 必殺の一撃は重量級ファミリアの頭角、あるいは大顎に易々と受け止められていた。

 それどころか慣性のままにオーガを轢殺せんと押し進む。

 

な、めるなぁぁ!

叩き落して、くれるわ!

 

 両手で得物を支え、全身の筋肉が膨張する。

 あらん限りの力で後退を止めたオーガは、重量級ファミリアの巨躯を大地へ落とす。

 

 彼らの脚が接地した──大地こそ彼らの主戦場。

 

 3対の脚が荒野に爪痕を刻み、己を押さえ付ける敵を複眼に映す。

 大陸で()()()()()()()()相手だ。

 

ぬ、ぬおっ!

 

 怒れるアトラスオオカブトは得物ごとオーガを大地から徐々に引き剥がしていく。

 壮絶な形相で己を睨む下等な雄は、二足しか持たない。

 

馬鹿なっ…こんなことが…!

 

 ギラファノコギリクワガタと対峙するオーガは、自慢の得物が軋む音に目を見開く。

 膂力に優れようと得物を失えば、外骨格は砕けない。

 ヒトの脆弱さを嘲笑うインクブスだが、彼らも人型を模してしまった生命体だ。

 

 破断の音が響き渡る──捩じ切られた鉄塊が大地に突き立つ。

 

 クワガタムシ科を模した重量級ファミリアたちは、すかさずオーガの胴体を大顎で挟む。

 両断せん勢いで締め上げ、その巨躯を易々と持ち上げる。

 

ぐ、くそっ!

あぐぁが!?

 

 無様に腕を振り回し、脚で蹴りつけようと漆黒の外骨格は微動だにしなかった。

 体格的に劣るウィッチを嬲ってきたオーガに身体能力の差を埋める()()はない。

 勝敗は決した。

 

まずいっ

くそっ撃て!

 

 誤射を避けるため、射撃を控えていた前衛がボウガンを構える。

 

目をねら──」

 

 大気を引き裂く風切り音、そして眼前を覆う影。

 矢弾の返礼は、オーガの巨体だった。

 

うわぁぁあがぁ!?

ぎゃぁぁぁ!

 

 それは砲爆撃に近かった。

 オーガの質量はゴブリンを圧殺し、オークの戦士を後衛まで吹き飛ばす。

 悲鳴と怒号が飛び交い、包囲軍に混乱が広がっていく。

 

固まってたら潰されるぞ!

だめだ、身動ぃがぁっ

 

 追撃のように次々と質量が投射され、荒野を赤黒い染みで彩る。

 頭角で捕らえたオーガをヘラクレスオオカブトが空高く投げ、ヒラタクワガタが巨躯を器用に振るって水平に投げた。

 

散れ、散れぇ!

避けっぐべがぁ!?

 

 肉と骨の砕ける異音が届き、赤を帯びた土煙に混じってボウガンが宙を舞う。

 

隊列を組み直せ!

擲弾を装填、あの化け物を殺るぞ!

 

 混乱の渦中にありながらオークの戦士は、前衛のインクブスたちへ的確に指示を飛ばす。

 投擲物(オーガ)が途絶えた今、重量級ファミリアの攻撃手段は突進しかないのだ。

 射程ではインクブスに分がある──

 

増援が出現!

なに!?

 

 立ち上る土煙を突き破り、上空に現れる黄と黒の警告色。

 そして、崩落した砦より溢れ出す黒い波。

 

 あの島で、大陸で、数多の同胞を喰らってきた災厄の本隊──それは()()()()だ。

 

 大顎が打ち鳴らされ、地響きの如き行進曲(マーチ)が迫る。

 

違う、本隊だ!

 

 スズメバチの梯団とグンタイアリの軍団が、包囲軍への突撃を開始した。

 

コスタス!

お前ら、続け!

 

 指揮を執るオークの戦士が名を呼べば、一陣の風が吹く。

 混乱から立ち直れていない前衛の隙間を縫い、ライカンスロープの群れが駆け抜ける。

 高い機動力を誇る彼らは優れた遊撃手だ。

 

生き残りたけりゃ脚を止めるな!

おう!

 

 前衛が立て直す時間を捻出するための機動防御。

 全力で攪乱し、軍団の突撃を遅滞させなければならない。

 荒野を四足で駆ける彼らの眼前に、重量級ファミリアが立ち塞がる。

 

散れ!

 

 地を這うように姿勢を低く、あるいは地を蹴って宙に身を躍らせ、漆黒の大顎を躱す。

 

くっ──ごはぁっ!?

 

 しかし、フタマタクワガタは巨躯に見合わぬ俊敏性で、最も体躯に優れたライカンスロープを捉えた。

 長大な大顎に挟まれたが最期、オーガも敵わぬ膂力で両断される。

 

や、やめぇぎゃぁぁぁ!

 

 断末魔、そして筋繊維と骨の断裂する音。

 同胞の死に憎悪を迸らせながらもライカンスロープたちは脚を止めない。

 背負ったゴブリン謹製のバッグに手を入れ、迫り来る黒い波を睨む。

 

放てぇ!

 

 激突の寸前で方向転換、それと同時に擲弾を投擲する。

 充填された劇物はウィッチの捕獲には使用できない()()()

 

 災厄のファミリアであろうと致死の一撃──炸裂、四散。

 

 毒々しい粉塵が舞い、周囲を通過したグンタイアリが次々と横転していく。

 後続と衝突し、砕けた外骨格がエナへと還る。

 効果あり、されどライカンスロープの表情は焦燥が支配する。

 

効いてねぇのか…!?

 

 軍団は停止せず。

 たかが数体が活動を停止した程度でグンタイアリの行進は止まらない。

 汚染された一帯を迂回し、突撃を続行する。

 

しまっがぁぐがぁぁ……

い、いやだぁぎぇぇ……

 

 方向転換の遅れたライカンスロープが黒い波に飲まれた。

 断末魔は無数の足音に踏み潰され、血痕すら残らない。

 

ロマノス!

くそっくそっ!

 

 悪態を吐きながらライカンスロープたちは、背後から迫る絶望の遅滞を試みる。

 その頭上を重々しい羽音を響かせ、スズメバチの梯団が通過。

 目標は、インクブスの前衛だ。

 

翅に当たればいい、撃て!

 

 辛うじて隊列を組み直した前衛は、これを弾幕で迎え撃つ。

 

 風切り音を纏う矢弾の雨、それは──硬質な音と共に砕け散った。

 

 世代交代を重ねたコマユバチとて無事では済まない斉射。

 しかし、その情報を共有し、進化してきたスズメバチには通用しない。

 

くそっ弾きやがったぞ!?

アモソフたちは次弾を!

 

 強靭な外骨格に加え、大気中のエナを纏って振動する翅は矢弾を弾く。

 彼女たちは空を飛ぶ戦車に等しい。

 コマユバチの比ではない絶対強者の羽音が戦場を支配する。

 

ベネデット、羽虫どもが突っ込んで来るぞ!

ああ、嫌でも見えてる!

 

 オーガは戦闘不能に陥り、矮躯のゴブリンは肉弾戦において不利。

 上空から襲い来るスズメバチはオークの戦士が迎え撃たねばならない。

 

急降下する瞬間まで引き付けろ!

 

 各々がボウガンから武骨な得物に持ち替え、異形を睨みつける。

 数的には互角、されど体格差は絶望的。

 

 黄と黒の警告色が頭上を覆う──突如、静止するスズメバチの梯団。

 

 身構えていたオークの戦士たちは見事に出鼻を挫かれる。

 その姿を映す複眼に一切の感情はない。

 ただ腹部に備わる毒針を向けるだけだ。

 

まさか──」

 

 エナの放射流という脅威に思い至った戦士たちへ毒のカクテルが馳走された。

 

ぎゃぁぁぁぁ!?

目が、めがぁぁぁ!

 

 顔面を押さえ、悶え苦しむオークの戦士たち。

 矢弾を装填するゴブリンにまで被害は及び、混乱は際限なく拡大する。

 頭部を狙って噴射された毒液は、原種と同様に様々な炎症を引き起こす。

 

毒、毒だぁげぇがばっ

 

 卵の殻を割るようにオークの頭蓋が砕け、鮮やかな赤が警告色の上に散る。

 捕食者が被食者たちを無慈悲に齧り取っていく。

 

来るなぁぁぁぎえぁ

やめっげぇぁ

 

 逃げ惑うゴブリンの腹部を両断し、弱々しく抵抗するオークの四肢を千切る。

 大地へ降り立ったスズメバチは、手当たり次第に肉塊を生み出す。

 

腕が、腕が、うでがぁ…!

 

 両腕を切断されたオークの眼前で、ゴブリンの肉団子へ腕を混ぜ込むスズメバチ。

 悲鳴も断末魔も無視し、黙々と噛み砕いて丸める。

 その無機質な複眼はインクブスを敵と認めていない。

 

俺は、餌じゃな──」

 

 絶句する彼が最期に見たのは、同胞の肉団子を抱えるスズメバチの大顎だった。

 至近に迫るグンタイアリが通過すれば、進路上のインクブスは()()してしまう。

 可能な限り保存食を確保すべく、スズメバチは迅速に作業を進める。

 

ば、化け物だ

こんなの勝てるわけが……

何言ってやがる…!

 

 遠くない未来の姿を見せつけられ、後衛を務めるインクブスの間に恐怖が広がっていく。

 前衛の救援を名乗り出る者は現れない。

 

 彼らは理解していなかった──これは戦争ではない。

 

 必死に得物を振るって退けた相手には、敵意があると信じていた。

 しかし、実際には餌か障害物としか見ていない。

 そうでなければ、後衛を無視して堂々と解体ショーを始めるはずがなかった。

 

に、逃げようぜ!

どこに逃げるってんだ…!

 

 いかに仲間意識が高くとも無惨な死を前に、インクブスたちの士気は崩壊寸前だった。

 背を向けた瞬間、災厄に噛み砕かれるという恐怖だけが逃走を抑止している。

 突撃を受ければ容易く壊乱するだろう。

 

くそっ……俺も出る!

 

 ラザロスは敗北の気配を肌で感じ、状況を打開せんと駆け出す。

 オークの戦士すら怖気づく戦況では、指揮の混乱よりも士気の向上が最優先だ。

 ゆえに、彼は地獄に身を投じる。

 

マルクト、急げよ!

 

 作戦の要たる術師たちの守備を手薄にしてでも災厄を食い止める。

 目的を達せず、全滅など許されない。

 灰色の毛並みを靡かせ、ラザロスは地獄へ向かって駆ける。

 その背後を配下のライカンスロープたちが即座に追う。

 

分かっておる…!

 

 振り向きもせず、マルクトは苦々しく告げる。

 ケットシーの長は術士たちに陣を組ませ、その中心でエナの制御に集中していた。

 マジックに精通した彼が投射可能な最大火力、それの構築には時間を要する。

 

エナの収束が遅い…ボス、妙だ!

奴原め、何か細工をしておるな

 

 明らかに普段よりも構築が遅い。

 マルクトも異変を早期に察していたが、原因までは把握できていない。

 少なくとも()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

まさか、奴原にも術士が──むっ!

 

 戦場を睥睨していたマルクトの耳が立ち、唐突に大地を蹴り抜く。

 小山のような体躯が宙を舞い、奇怪な模様を刻んだローブが翻る。

 

 彼の立っていた場所には──奈落が口を開けていた。

 

 闇の奥底から伸びる褐色の太い前脚が土を掻き分け、瞬く間に穴を広げる。

 そして、入れ替わるように薄香色の影が地中より姿を現す。

 

地中からぶばぁっ!?

 

 反応が遅れたケットシーの顔面に、強烈な悪臭を伴う粘液が直撃した。

 地中より現れたファミリアは、頭部に角──発射機構──を有するテングシロアリだ。

 術士たちは陣を解き、粘液の射程外まで飛び退く。

 

敵襲!

 

 至る所に突入口が開かれ、異形が這い出てくる。

 ファミリアは後衛を無視していたわけではない。

 戦場音楽に聴覚を乱され、掘削音の探知が遅れた後衛を地中から強襲する。

 

いつから掘ってやがった!?

ぎゃぁぁぁ!

 

 シロアリのソルジャーが浮足立つ後衛のインクブスを蹂躙する。

 恐怖が飽和し、反撃もままならずに彼らは大顎に捕獲された。

 

げぇ、うぎぃ、や、ごはっ!?

 

 ソルジャーは大顎で挟んだゴブリンを大地に何度も叩きつける。

 四肢の骨が砕け、生命が尽きる瞬間まで──

 

虫けらどもがっ

 

 一閃。

 灰色の風が吹き抜け、ソルジャーの肥大化した頭部が大地に落ちる。

 エナの残滓が舞う荒野にライカンスロープの長が降り立つ。

 

油断せず1匹ずつ潰せ!

 

 犬歯を剥き出しにするラザロスは異形を睨みつけ、同胞たちへ告げた。

 前衛の救援を諦め、後衛の脅威を排除する。

 苦渋の決断だ。

 だからこそ、完遂しなければならない。

 

おう!

切り刻んでやる!

 

 風の如く駆けるライカンスロープたち、その眼前に立ち塞がる薄香色の影。

 迫る大顎を易々と躱し、鋭利な爪が外骨格を引き裂く。

 

 ファミリアが倒れ、エナが虚しく舞う──統率されたインクブスの群れとは脅威だ。

 

 しかし、ソルジャーに撤退の二文字はない。

 己の生命か、眼前の脅威を粉砕するまで戦い続ける。

 

ひでぇ臭いだ…だが!

怯むな、撃てぇ!

 

 ソルジャーを援護するテングシロアリの粘液は毒物ではない、そう判断したオークが叫ぶ。

 恐怖を憎悪に変えた者がボウガンを手に取った。

 

 混沌とした戦場を矢弾が擦過──己の頭部を盾に、ソルジャーが射線を遮る。

 

 外骨格を貫かれ、活動を停止した姉妹の亡骸が荒野に伏す。

 それがエナへ還ろうと、ファミリアは悲嘆しない。

 全ては次への一手だ。

 

虫けらが調子に乗るなよ!

このまま押しつぶ──」

 

 ソルジャーの頭部を落とし、口角を上げたライカンスロープの影が掻き消える。

 混沌とする戦場を恐るべき速度で疾駆する巨影。

 

出やがったな…!

 

 ラザロスは襲撃者を確かに捉えていた。

 長大な脚で巨躯を支え、戦場を睥睨する捕食者。

 胸部を貫いたライカンスロープに消化液を注入し、次なる獲物の前へ投げ捨てる。

 

 交戦中もケラが拡大し続けた突入口より現れた重量級ファミリア──アシダカグモだ。

 

 数にして13体、派手な体色のファミリアを背面に載せた珍妙な姿。

 だが、ライカンスロープを容易に捕獲してみせた。

 時に卵嚢を抱えて移動する彼女らにとって()()は大した重量ではない。

 

ラザロスよ、下がれ!

 

 振り向きもせず後方へ跳ぶラザロスの眼前に、矢弾の如き火球が降り注ぐ。

 同胞を躱し、災厄だけを焦がす。

 優れた術士の扱うマジックとは強力無比──

 

何をやってやがる、マルクト!

 

 本来であれば。

 直撃を受けたファミリアの過半数が生存し、アシダカグモに至っては命中すらしていない。

 前代未聞の事態にラザロスは怒気を滲ませる。

 

この状況では陣も組めぬっ…早く奴原を仕留めるのだ!

 

 怒声をローブごと払い除け、ケットシーの長は異形たちを睨みつけた。

 マジックの火力は安定せず、追尾も覚束ない。

 エナの収束は遅く、テングシロアリが粘液を散布してからは()()()()()()()

 状況は最悪だ。

 

そちらへ向かったぞ、クルト!

 

 13体のアシダカグモはケットシーの術士に狙いを変え、混沌の戦場を再び駆け出す。

 

化け物が!

弾けろぉぉぉ!

 

 鬼気迫る雄叫びを上げるケットシーたち。

 悪臭と不調に苦しみながら、数倍の労力を掛けてエナの焔を生み出す。

 

 その頭上に巨影が落ちる──既にアシダカグモは()()に移動していた。

 

 アシダカグモの背面でミイデラゴミムシが尾部を持ち上げ、粘液に塗れたインクブスへ照準を合わせる。

 

くそっ──」

 

 爆轟を伴う音が大気を震撼させ、無慈悲にガスが噴射された。

 

ぎゃぁぁぁぁ!

 

 刹那、ケットシーはエナの焔に包まれた。

 身体を構成するエナ、そして大気に満ちるエナを糧に燃え盛る。

 地を転げ回っても消えず、断末魔を上げる喉が焼け、四肢が強張っていく。

 

 まるで踊りだ──ヒトの雄を余興に焼いた同胞の言葉。

 

 それを朧げに思い出しながら、次なる犠牲者のケットシーはガスを浴びた。

 テングシロアリの粘液にガスの化合物が反応し、一瞬で全身を焼き焦がされる。

 

あつぃあついぃぃぃ!

あぁぁぁぁ!

 

 ガスが噴射された後には、人型の火柱が林立する地獄絵図。

 ケットシーの術士を重点的に、後衛のインクブスが次々と焼殺されていく。

 アシダカグモという移動手段を得たミイデラゴミムシは、射程という弱点がない。

 

おのれ、虫けらめ!

これ以上やらせるか!

 

 マルクトとラザロスは同時に地を蹴り、同胞たちの下へ駆けた。

 軍団の足音が大地を揺らし、重々しい羽音が空より降る。

 もはやポータルの閉鎖は不可能だ。

 ここからは、より多くの同胞を救出すべく奔走しなければならない。

 

ちぃっ!

 

 視界の端、残像を伴って現れる長大な脚。

 

 後脚の膂力を解放──赤き月光を背負い、ラザロスは空中より着地点を睨む。

 

 着地と同時に横へ跳び、異形の突進を紙一重で躱す。

 今度こそ右後脚を鋏角に貫かれるところだった。

 

俺を追ってきたってか…?

 

 7()()()()で巨躯を支えるアシダカグモを睨み、ラザロスは乾いた笑みを漏らす。

 ライカンスロープの長を見下ろす8つの眼は、どこまでも無機質で感情が読めない。

 絶望的な状況下、雪辱戦の幕は切られた。




 (理不尽に)生きて、抗え──


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索敵

 (虫歯になったので)初投稿です。


 最近、昼食以外で校舎3階に訪れることが増えた。

 窓の向こうには澄み渡った青空、そして白い積乱雲が見える。

 ミンミンゼミの合唱が遠巻きに聞こえ、風鈴でもあれば趣のある景色だ。

 

「つまり、今は待機ってことかな?」

 

 窓から流れ込む風がアッシュグレイに染めた髪を弄び、黒猫のイヤリングが揺れる。

 

「そうなる」

 

 黒澤の問いに対し、私は静かに頷く。

 既にパートナー経由で情報は共有しているが、彼女たちには直接話しておこうと思った。

 ラーズグリーズから得た情報とインクブスの新兵器──フェアリーリング──の実験結果から立案した作戦について。

 

「連中が動くまで待つ」

 

 人の姿に擬態し、ファミリアの索敵網を潜り抜けるインクブス。

 捕捉は困難かと思われたが、フェアリーリングとの交信手段に活路があった。

 頭部にあるキノコを解剖した結果、あれは感覚器の一種であると判明したのだ。

 

 エナに変換した情報を受け取る受容体――つまり、ファミリアの触角に近い。

 

 インクブスはテレパシーに類する手段を用いている。

 そして、受容体に残されたエナの残滓から波長は特定済みだ。

 

まさかインクブスも逆探知されるとは思うまいにゃぁ

 

 黒猫のイヤリングから忍び笑いが漏れ聞こえた。

 

「本当に逆探知が可能なのですか?」

 

 黒澤の隣に佇む白石が、じっと私の顔を見つめてくる。

 その心配は尤もだ。

 テレパシーの発するエナは微弱であり、捕捉できない可能性は誰でも思い付く。

 

問題ありません

 

 だが、その可能性をパートナーは否定した。

 窓枠に置いた私の右手へ飛び移り、前脚を振って周囲の視線を集める。

 

あの受容体で受け取れる情報密度は、私たちが使うテレパシーより劣るので捕捉は容易です

 

 微細なエナの感知に御誂向なヤママユガは、交代で常時滞空させている。

 チョウ目の雄は触角の表面積が大きくなっており、雌のフェロモンを高精度で感知する。

 それを模した重量級ファミリアであれば、確実に捕捉できるはずだ。

 

あれなら平文同然、内容まで読み取れますよ!

「おお~」

 

 誇らしげに語るハエトリグモと目線の高さを合わせた政木が小さく拍手する。

 張り詰めていた空気が微かに緩むのを感じた。

 

「さすがですね」

「エニグマの解読みたいだ」

おぉん、現代のULTRAかにゃぁ?

 

 頷きを返してくる白石の隣で、窓枠へ猫のように凭れかかった黒澤が苦笑する。

 エニグマとは、第二次世界大戦でナチス・ドイツが用いた暗号機のことだ。

 黒澤は容姿こそギャルだが、知識に()()があるような――

 

「歯痒いですわね…」

 

 無人の教室を背に、気難しい表情を浮かべる御剣。

 苛立ちを抑え込むように腕を組み、窓外に広がる夏空を睨む。

 

「…()()()()()が潜んでいるかもしれないというのに」

 

 フェアリーリングを実際に解析した彼女(プリマヴェルデ)は、より強い危機感を覚えるのだろう。

 救いがあるとすれば、あれは()()()()()()()兵器ということだ。

 汚染された爆心地へゴキブリを突入させた結果、一切の異常が認められなかった。

 

「可能な限りの対策は講じている」

 

 次の出現地点は市内である可能性が高い。

 これまでの出現地点は全て郊外だが、市街を円状に囲っている時点で、意図があるのは明白だ。

 

 おそらくは大規模なマジックを発動する準備――爆心地の調査を終えるまで憶測は危険か。

 

 フェアリーリングの無力化については目途が立っている。

 最悪の事態を想定し、国防軍には市内への一部展開を了解してもらった。

 

「ただ、どうしても受動的な対応にはなる」

 

 変異するまで敵は人間であり、戦場が人口密集地という条件から迂闊に投入はできない。

 それでも初動の早さは段違いだが。

 

「あ、その、責めているわけでは……」

 

 謝罪を口にしようとする御剣を手で制し、大丈夫だと頷いてみせる。

 私も気が逸らないわけではない。

 インクブスどもが標的とする人々の中には、私の家族も当然含まれる。

 

 父や芙花に再び危険が及ぶ――今すぐインクブスを狩り出し、息の根を止めてやりたい。

 

 しかし、全力で活動中のファミリアを急かしたところで結果は出ない。

 ここは軒下に巣を張ったクモのように、ただ待つ。

 

「気負う必要はない」

 

 安直な言葉しか出てこないが、それでも言う。

 今、この場にいるウィッチたちは()()()だ。

 窓際から離れ、ミンミンゼミの合唱が響く廊下で御剣と相対する。

 

「私たちはインクブスを捕捉次第、駆逐する」

 

 フェアリーリングへ変異する人間への対処は国防軍が担う。

 ならば、インクブスを駆逐することが私たちの仕事だ。

 

「いつも通りにな」

 

 為すべきことは一見複雑だが、今までと何ら変わらない。

 どれだけインクブスが策を練ろうと正面から叩き潰す。

 

「……ええ、そうですわね」

 

 御剣は不安に揺らぐ瞳を閉じ、迷いを断つように頷いた。

 周囲を見渡せば、彼女の友人たちも同様に頷きを返す。

 頼もしい限りだ。

 

「いつも通り…といえば、東さん」

 

 ずっと会話に耳を傾けていた金城が、切れ長の目を私に向けた。

 夏空を背景に佇む大和撫子も絵になる。

 ファミリアの移動に際し、作戦を伝達した時の動転が嘘のようだ。

 

「どうした?」

「その、ですね…」

 

 歯切れが悪い金城は視線を泳がせ、ちらりと私の顔を窺う。

 それから一拍置いて、観念したように口を開く。

 

「昨夜の逆侵攻について、お聞きしたいことがあります」

 

 昨夜、アメリカ大陸にあるポータルを掌握し、あちら側へファミリアを派遣することに成功した。

 その進撃は順調だ、罠を疑うほどに。

 ファミリアからのテレパシーを共に処理している金城が異変を察したなら、それは早急に対処すべきだ。

 

「世界を揺るがす偉業が、いつも通りかぁ……」

「慣れって怖いね~」

 

 黒澤は偉業と言ったが、まだ予防的に配置された()()()()を殲滅したに過ぎない。

 橋頭堡を確固たるものにするまで油断は禁物だった。

 渋い表情を浮かべる金城へ質問の続きを促し――

 

「先鋒を務める一部ファミリアの反応が鈍い…いえ、少々辛辣なのですが……心当たりはありますか?」

「あるはずがないだろう」

 

 即座に回答した。

 

「気のせいじゃないのか」

「明らかにテレパシーの質が違います」

 

 そんな違いまで分かるのか。

 しかし、ファミリアが相手によって反応を変えるとは思えない。

 

えっと、その…ファミリアにとって東さんは母親と言いますか……

 

 右手から肩に移っていたパートナーが、私の髪に隠れながら囁くように言う。

 ミンミンゼミの合唱が止み、寂れた廊下に静寂が訪れる。

 

部外者である主は警戒されていると?

 

 金城の首から下がる十字架から発された言葉が廊下に満ちる。

 

 ――沈黙が回答だった。

 

 我が強くないか、私のファミリア?

 

「部外者って…あの邪険な態度はそういうことですか…!」

 

 パートナーたちの見解を聞き、金城は胸の前で拳を震わせる。

 ファミリアごとにテレパシーの分量は異なるが、邪険な態度というのが想像できなかった。

 

「あの強面でお母さんが好きって…可愛いところあるんだね?」

「そんな目で私を見るな」

 

 生暖かい視線を向けてくる黒澤は、玩具を見つけた猫みたいに生き生きしていた。

 その隣で黙考する白石は、見当違いなことを考えている気がする。

 

「雌雄の繁殖活動によって増殖した個体は、東さんを母親と認識しているのでしょうか?」

「ふむ……つまり、おばあちゃん子ってことか」

「違う」

 

 神妙な表情を浮かべた白石と黒澤の問答に思わず合の手を入れてしまい、脱力感に襲われる。

 

「静ちゃんがお父さんになれば一石二鳥ってこと?」

 

 そして、政木の口から飛び出した突飛な発言に硬直する。

 目尻の下がった眠そうな瞳が私と金城を見遣り、微笑ましげに細められた。

 その発想は一体どこから出てきた?

 

政木や、何が一石二鳥なんじゃ…?

「えぇ、だって静ちゃんは――」

「律!」

 

 切れ長の目を吊り上げた金城が、首を傾げる政木へと振り返る。

 風に揺れる茶髪の隙間から見えた彼女の耳は微かに赤かった。

 たしかに年頃の乙女に言うものじゃないな。

 

「金城さん、落ち着いてくださいまし!」

 

 般若と化した金城を御剣が押し止めんと立ち塞がった。

 身長差があっても辛うじて拮抗している。

 両者は本気のようだが、傍から見る分には微笑ましい。

 

 今は緊迫した情勢だ――だからこそ、必要な時間だ。

 

 インクブスの攻撃が始まれば、彼女たちは人類の守護者として戦いに身を投じる。

 青春の1ページにも満たない時間くらい年相応に振舞っても許されるはずだ。

 

「う~ん、お父さんがだめなら……お婿さん?」

「このっ…同じ意味でしょう!?」

 

 ゴルトブルームの片鱗が垣間見える金城を前に、あくまでマイペースな政木。

 その横顔には無邪気な笑みが浮かび――

 

「……家族かぁ」

 

 少女たちの姦しい声に満たされた廊下で、その寂しげな呟きは妙に耳に残った。

 

 

 首都圏が無人地帯と化してから5年、地方都市の人口密度は高まる一方だ。

 国防軍の戦力には限りがあり、人類の守護者たるウィッチが少数である以上、庇護を受けられる地域は限定される。

 今でこそ鎮静化しているが、都市部から離れた地域はインクブスの跋扈する危険地帯だった。

 そこから逃れてきた人々を収容するため建築は高層化し、かつての首都圏と大差ない景色が地方都市にも形成されつつある。

 

「あの……」

 

 人々が忙しなく行き交う雑踏で、辺りを憚るように小さな声で呼びかける少女。

 胸を庇うように背を丸め、体の線が分かり辛い暗色の服装から野暮ったい印象を受ける。

 

「なんですか?」

 

 その前を歩く少女が被ったキャスケットを上げ、流し目で背後を見遣る。

 蒼穹に映える白いシャツと紺のジーンズを着こなし、まるでファッションモデルのようだ。

 

「…どこへ向かってるんですか?」

 

 堂々とした背中を長い黒髪の隙間から窺い、恐る恐る問う。

 正反対に見える2人の関係性は不明、共通点は学校に通う年齢であるという点だけ。

 

「今日は掃除、じゃないですよね…?」

 

 立入禁止のテープが張られた商業ビルの横を過ぎ、横断歩道の前で立ち止まる2人。

 

 掃除──その言葉の真意を解する者はいない。

 

 無数の擦過痕が刻まれた歩行者用信号機が弱々しく点滅する。

 

「ええ、そうです」

 

 周囲の通行人から注がれる好奇の視線など気にも留めず、少女は頷きを返す。

 現在、2人は()()()()()()()と逆方向にある市街中央を目指していた。

 歩行者用信号機を見つめる瞳に青い光が映り込む。

 

「今日はショッピングに行きます」

「そ、そうですか──はぇ?」

 

 普段通りの声色だが、紡がれた言葉は全くの予想外。

 野暮ったい格好の少女は、餌を取り上げられたハムスターのように硬直する。

 

「…冗談です」

 

 そんな()()()の右手を掴み、白線の薄れた横断歩道を渡る。

 けたたましいブレードスラップ音が頭上を通り過ぎ、摩天楼の隙間を風が吹き抜けていく。

 

 商業ビルの壁面を走る機影は、タンデムローター機──国防陸軍の輸送ヘリコプターだ。

 

 復興支援を名目に市街上空を飛行しているが、そのキャビンに物資は載っていない。

 

「あなたの格好について思うところはありますけど」

 

 風に弄ばれる黒髪を片手で押さえ、傍らの少女へ冷ややかな眼差しを向ける。

 その所作の一つ一つが端正で、否応なしに人目を引く。

 

「あ、はい…」

 

 長い黒髪で目を隠し、協力者の少女は視線から逃げるように俯いた。

 格好を改善すれば()()()素質はあるが、この性格では難しいだろう。

 

 似合うコーディネートに目星は付けているが──その必要はない。

 

 いかに従順な協力者でも首を刎ね飛ばした相手なのだ。

 馴れ合いがしたいわけではない。

 甘ったれた過去の己が顔を覗かせ、少女は行き場のない怒りを覚える。

 

「妙だと思いませんでしたか?」

 

 その感情を一切表に出さず、消沈した様子の協力者へ問い返す。

 2人の少女は人の流れに乗って路肩に停まる国防陸軍の車両の横を通り抜ける。

 傍らに立つ隊員の任務は治安維持とされているが、完全装備だった。

 

「…掃除しても数が減らないところ、ですか?」

「いいえ」

 

 少女は首を横に振り、肩に掛けたポーチから携帯端末を抜く。

 目下の敵であるインクブスを信奉する者たちは、未だに活動を続けている。

 しかし、懸念事項は()()ではない。

 

「あれの出現地点をプロットしてみました」

 

 差し出した携帯端末の画面には、旧首都圏の地図が映っていた。

 黒いピンの打たれた場所は、インクブスの生体兵器──フェアリーリング──の出現地点。

 パニック抑制のため、一般には開示されていない情報だ。

 

「円形…?」

 

 黒いピンは都市を取り囲むように打たれている。

 その囲いは綺麗な円を描き、ちょうど市街中央が中点となっていた。

 2人の視線が摩天楼の彼方へ向く。

 

「市街中央に何か仕込んでいると私は睨んでいます」

「でも、今は国防軍が封鎖してますよ…?」

 

 インクブスによる襲撃で甚大な被害を受けた市街中央は、国防軍が封鎖している。

 信奉派が侵入しても即座に捕捉、殲滅されるだろう。

 だが、その首魁たるインクブスはインセクト・ファミリアの索敵網を潜り抜けているのだ。

 油断はできない。

 

「まぁ、余計な心配かもしれませんが……」

 

 そう言って見上げた空を国防陸軍の輸送ヘリコプターが通過していく。

 蒼い光を微かに帯びた瞳は、キャビンに収まる()()を捉えていた。

 それは丸みを帯びた可愛らしいデザインで──

 

「おい、待て!」

「止まれ!」

 

 雑踏に野太い怒声が響き渡り、騒めきが波の如く伝播する。

 

「な、なんでしょう?」

「さぁ…」

 

 暴力の気配を察した人々が道端へ逃れ、少女たちも倣う。

 折れた街路樹を囲うコーンバーに手を置き、雑多な足音に耳を傾ける。

 

「捕まって堪るか!」

 

 足音の主は、頭髪を金に染めた小汚い男だった。

 追手を振り切るため、あえて通行人を巻き込んでいく。

 男を追う国防軍の隊員たちは距離を縮められず、射線も確保できずにいた。

 

「退けぇぇ!」

「うわぁっ!?」

 

 押し除けられた会社員が転倒し、手に持っていたアイスコーヒーが混乱を黒く彩る。

 混乱は際限なく広がり、男の逃走は成功するかに見えた。

 

 キャスケットが宙を舞う──長い黒髪が夏空の下に翻り、厚底のサンダルがタイル舗装を叩く。

 

 ウィッチの権能が無くとも開かれた瞳は、標的を照準している。

 

「ふっ!」

 

 鋭い吐息と共に右腕を振り抜いた。

 放たれたコーンバーが綺麗な放物線を描き、混乱に満ちた往来を切り裂く。

 

「ぐわぁっ!?」

 

 警告色の投槍が右膝に直撃し、姿勢を崩した男はタイル舗装へ顔から突っ込んだ。

 それを見届け、少女は落ちたキャスケットを拾い上げる。

 

「当たったよ!」

「今のすごくない!?」

「すげぇ…当てたよ…!」

 

 少女の鮮やかな手並みを目撃した通行人たちが歓声を上げる。

 

「わぁぁ…!」

 

 そこには目を輝かせる協力者の姿もあり、思わず苦笑してしまう。

 キャスケットを被り直し、背後から迫る足音に道を譲る──

 

「行け、近藤っ」

「了解!」

 

 すぐ傍を迷彩柄の人影が駆け抜け、小汚い男を背中から押さえ込む。

 男の腕を背中へ引き、捻り上げることで自由を奪う。

 

「協力、感謝します」

「いえ」

 

 国防軍の隊員は功労者の少女に頭を下げ、それから周囲の状況を確認する。

 幸い怪我人は出ておらず、年嵩の隊員は安堵の息を漏らす。

 そして、取り押さえられた男を鋭く睨みつける。

 

「離せ、アメリカの手先め!」

 

 腕と肩の関節が極まり、激痛に苛まれているはずだが、男は怯まない。

 金髪を振り乱し、拘束から脱出せんと足掻く。

 

「暴れるなっ」

 

 屈強な隊員は拘束を強め、身動ぎ一つ許さない。

 

「ぐっ…愚かな奴ら…国防軍を牛耳るアメリカに利用されていると分からないのか!?」

 

 タイル舗装に唾を飛ばし、周囲に敵意を振り撒く中年の男。

 気圧された通行人たちは一歩下がるも、携帯端末のカメラを向ける。

 

「離れてください」

「危ないので、離れて!」

 

 ライフルを携えた隊員たちが野次馬と化した通行人たちへ呼びかける。

 それを好機と見た男は、より大きな声で叫ぶ。

 

「インクブスという幻影を生み出し、兵器を生産することで軍産複合体を潤わせっがっ!」

「黙れ」

 

 小汚い男をタイル舗装へ強く押しつけ、低い声で警告する。

 信奉派が好んで使う妄言を垂れ流す相手はテロリストと大差ない。

 男が懐に忍ばせている物によっては射殺も選択肢に入る。

 

「10、こちら02、不審者1名を拘束した、送れ」

「目を…目を、覚ませ!」

 

 フェアリーリングへ変異しない以上、無様に喚く中年の男は道化でしかない。

 通信を終え、隊員たちは冷徹な視線で男を見下ろす。

 

「国防軍は人身売買した女児に改造を施し、恐るべき兵器に仕立て上げているんだ!」

「何言ってんだ、あいつ」

「信奉派ってやつだろ……本当にいるんだな」

 

 支離滅裂な妄言を聞き、通行人たちは侮蔑の視線を向ける。

 国民の過半数は、信奉派の唱える世迷言などに耳を傾けない。

 

「掃除しておきますか?」

 

 その光景を見据える瞳が紅を帯び、大気のエナが流動を始める。

 

 数多の信奉派を屠ってきた協力者──レッドクイーンが敵を捕捉した。

 

 空間を置換するマジックは、短距離であればウィッチへ変身せずとも使用できる。

 信奉派の男を()()()()()()()など容易い──

 

「必要ありません」

 

 協力者への返答は淡白なものだった。

 往来で喚く男は人目を引き、携帯端末を構えた野次馬が集まり出す。

 それとは逆方向へ歩き出す少女は、一切の興味を失っていた。

 

「いいんですか…?」

 

 その背中へ投げかけられた問いには、困惑の色が滲む。

 あらゆる敵を問答無用で斬り捨ててきた者の判断とは思えない、そういう困惑だった。

 

「国防軍でも対処できる塵芥に、わざわざ手を下す必要がありますか?」

「そ、それは……」

 

 今も喚き散らす男に変異の兆候は確認できなかった。

 不愉快な存在ではあるが、信奉派の悪評を広める以上の影響力はない。

 

 フェアリーリングへ変異しない信奉派──ただの道化だ。

 

 ()()への中傷であれば、有無を言わさず首を刎ねていたかもしれない。

 しかし、喚き散らした内容は下らぬ妄言だった。

 

「私たちにしか出来ないことをやる……適材適所ですよ」

 

 この手の言葉を好んで使う戦女神の顔が脳裏を過り、わずかに眉を顰める。

 しかし、力は適切に使わねばならないのは事実だ。

 いかに業物でも無闇に振り回せば(なまくら)へ成り下がる。

 

「は、はいっ」

 

 疑いもせず頷く協力者の姿を瞳に映す。

 暗い灰色のスカートには黒い染みが広がり、奇妙な斑模様になっていた。

 先程の騒動でアイスコーヒーを浴びせられたことに、本人は気が付いていない。

 

「はぁ……替えの服を買いに行きますよ、赤坂さん」

「へ?」

 

 間の抜けた返事を聞き流し、ポーチから携帯端末を取り出す。

 

 協力者の少女にして同級生──赤坂美兎は目を瞬かせている。

 

 その緊張感のない顔を横目に、近隣のアパレルショップを確認する。

 これは必要な投資だと己に言い聞かせながら。

 

「あ、待ってください、久遠さん…!」

 

 アズールノヴァこと久遠天峯は同級生を連れ、アパレルショップへ足を向けた。




 書籍版の発売日が3月29日に決定したゾ!


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墜子

 活動報告にてカバーイラスト公開中だゾ(露骨な誘導)


 夕刻になっても足元のアスファルトは熱を放ち、吹き抜ける風は暑い。

 それでも今年の夏は、まだ過ごしやすかった。

 地球温暖化の原因が減ったからだと宣う者もいるが、真相は誰も知らない。

 

やはり、落ち着きませんか?

 

 定位置の左肩から頭の上に移動したパートナーが、そわそわと動く。

 今の私は険しい表情をしているのだろう。

 

 私たちは健常な人間と敵を区別できない──どうやっても対応が後手に回る。

 

 行き交う人々の中にフェアリーリングが潜んでいるかもしれない。

 必要最低限の外出でも神経を尖らせる必要があった。

 歩道の隅に寄り、電柱の陰でケータイのインカメラを起動させる。

 

「連中に動きはないか」

はい

 

 画面を確認するように振舞い、パートナーと視線を合わせる。

 いちいち私を見ている通行人もいないだろうが、注意するに越したことはない。

 

テレパシーに類するエナの流動は確認できません

 

 私の黒髪に埋もれたハエトリグモがインカメラ越しに真っすぐ見返してきた。

 インクブスは攻撃の時間と場所を自由に選定できるが、こちらの条件は逆だ。

 どうしてもイニシアチブを握られてしまう。

 

「……そうか」

 

 連中に動きがない以上、私に出来ることはない。

 夕飯の材料を入れたエコバッグを左肩に掛け、来た道を振り返る。

 

 見慣れた道、家へ急ぐ人々、そして沈む夕陽──何の変哲もない日常だ。

 

 誰もインクブスの脅威が身近にあるとは思っていない。

 先日の襲撃によって停滞することはなく、恐怖も不安も呑み込んで社会は回っていく。

 私だけが足元の影のように取り残されている。

 

どうして外出の自粛なのでしょう?

 

 インカメラ越しに私を見つめるパートナーが疑問を呈する。

 行政は外出自粛を求めているが、その語調は強くなかった。

 インクブスの再襲撃に対する警戒だけで、フェアリーリングに関する情報は開示されていない。

 

外出を禁止した方が被害を抑制できますし、信奉派を発見しやすいと思うのですが……

 

 それは私も同意見だ。

 フェアリーリングは群衆を狙う際に最も効果を発揮する。

 群衆が多ければ多いほど、フェアリーリングの隠密性と得られる戦果は高まるだろう。

 しかし、外出禁止という対応は難しい。

 

「外出禁止が強いる負担は大きい。特に期間が定かでない場合な」

 

 インクブスは今日明日に攻撃してくるとは限らない。

 つまり、外出禁止の期間は未定だ。

 これが長期となれば生活への影響は無視できないものとなる。

 

しかし、あの襲撃があったばかりです

 

 目の前を通り過ぎる男子生徒たちの影が、私の影を上書きする。

 

 3人の視線が手に持つ駄菓子から私へ向く──目が合った瞬間、慌てて逸らされる。

 

 小走りで駆けていく彼らの後ろ姿は、ありふれた日常だ。

 我が国は戦時下でありながら、泡沫の平穏を演出してきた。

 

多少の不便は許容されませんか?

「問題は、それだけじゃない」

 

 いざ外出禁止が命じられれば、人々は粛々と従うだろう。

 決してインクブスの脅威を忘れたわけではない。

 ただ、これまでとは明確に異なる点が1つある。

 

「……隣人を疑わなければならない」

 

 ラーズグリーズ曰く変異する人間はインクブスを信奉する信奉派(テロリスト)だ。

 しかし、フェアリーリングは変異するまで一般人と見分けがつかない。

 それを知った人々は、どんな反応を起こすか?

 

「外部との交流が限定される状況で」

 

 外出禁止によって情報を制限され、人々の視野は狭まる。

 恐怖と不安に駆られ、無関係な人間を信奉派に仕立て上げ、私刑を行うかもしれない。

 それに対する報復が始まれば、収拾がつかなくなる。

 

「場合によっては自滅しかねん」

それは……

 

 さすがに極論だが、間違いなく社会は混乱するだろう。

 ()()()()()は存在を認知された瞬間、社会を脅かす毒となる。

 社会という複雑な構造から毒を排出するのは困難だ。

 

厄介ですね

「ああ」

 

 パートナーの呟きに頷き、何も知らない男子生徒たちの背中を見送る。

 その進行方向にあるマンホールの蓋が微かに上がり、ちらりとジグモが眼を覗かせた。

 

 視線で隠れるよう指示──そっと音もなく蓋は閉じられる。

 

 会話に夢中な男子生徒たちは全く気が付かない。

 いや、足下に人間大のジグモがいるとは思わないか。

 

「被害の完全な抑制は不可能だ」

だから、あえて伝えないと…?

 

 どれだけ対策を講じても、フェアリーリングの攻撃による被害は免れない。

 ならば、多少の被害は許容して日常を続けさせる。

 首魁たるインクブスを仕留めるまで──

 

「あくまで推測だがな」

 

 所詮は素人の妄言に過ぎない。

 私は政治家でもなければ、軍人でもないのだ。

 

「私たちの目的は変わらない」

インクブスを駆逐するだけ、ですね

「そうだ」

 

 首魁を仕留めない限り、この状況は続く。

 被害を抑えるために、初動で位置を逆探知して確実に息の根を止める。

 パートナーと目的を再確認し、ケータイのインカメラを停止。

 

「あれ~東さん?」

 

 私を呼ぶ声に視線を上げると、長い三つ編みが目に入る。

 見慣れたチェック柄スカートが風に揺れ、微かに甘い香りが漂う。

 

「かくれんぼ~?」

 

 どこか眠そうな、目尻の下がった瞳が私を映す。

 

 クラスメイトにしてナンバーズの一角──政木律は小さく首を傾げた。

 

 その手元には可愛らしい狐の刺繍が施された手提げバッグ。

 既視感のある光景だった。

 

「…そんなところ」

 

 当たらずといえども遠からず、と言ったところか。

 鬼は私で、子がインクブスだ。

 ケータイをスカートのポケットへ入れ、電柱の陰から抜け出す。

 

「根を詰めすぎちゃだめだよ~」

 

 そう言って小さく笑う政木が自然と隣に並び、車道側を私が歩く。

 下校時と全く同じ並びだ。

 

「善処する」

「善処じゃなくて約束してほしいなぁ」

 

 のんびりとした口調は普段通りだ。

 しかし、クラスメイトの横顔に微かな違和感を覚える。

 

「本当に、ね……」

 

 普段の柔らかな雰囲気はなく、硬い笑顔には影が差していた。

 

 夕陽の射す道から人通りが途絶える──アオマツムシの歌声だけが残される。

 

 私が何を探しているか、政木は知っている。

 そして、その方面で力になれないことも。

 

「頼りにしてる」

 

 政木の瞳を真っすぐ見据え、私の意思を言葉にする。

 正面戦闘においてナンバーズは他の追随を許さない。

 首魁の位置さえ捕捉してしまえば、そこからは彼女たちの独壇場。

 つまり、適材適所だ。

 

ふむ……政木や、まだ心配かや?

 

 政木の手元、手提げバッグに付けた勾玉のストラップから声が響く。

 

「…ううん、大丈夫」

 

 政木は首を小さく横に振り、長い三つ編みが揺れる。

 複雑な感情を呑み込んで、ひどく弱々しい笑みを浮かべた。

 

「ごめんね」

 

 似ている。

 不安を誤魔化し、私を心配させまいと笑う芙花に。

 

 不安か──当然だろう。

 

 人間を素体とした歩く爆弾が日常に紛れ、無差別殺戮の機会を窺っている。

 心穏やかでいられるはずがない。

 

「誰だって不安になる」

 

 考え無しに開いた口からは、ひどく陳腐な言葉しか出なかった。

 

「東さんも?」

 

 目を丸くする政木に、頷きで応じる。

 インクブスが滅びる日まで、安心できる日は訪れない。

 それを表へ出さないよう努めているだけで、私は疑い続けている。

 これまでの判断は正しかったか、これからの判断は誤っていないか、と。

 

「どれだけ手札を増やして、策を講じても」

 

 考えられる不確定要素を潰しても──

 

「結果は最後まで分からなかった」

 

 そこまで口走って、ふと気付く。

 不安を抱いている相手に何を吐露している?

 政木は同調してほしいわけじゃない。

 しかし、吐いた言葉は飲み込めず、私は茜色の空を仰いだ。

 

「……そうだよね」

 

 政木も空を見上げ、独り言のように呟く。

 

 その呟きは、アオマツムシの涼しげな鳴き声と──けたたましい羽音に遮られた。

 

 頭上を通り過ぎていく迷彩柄の機影は、国防軍の輸送ヘリコプターだ。

 もう()()は載っていない。

 それを見送った私たちは示し合わせたように視線を交える。

 

「ちょっと気が軽くなった、かな」

 

 そう言って政木は微笑んだ。

 夕陽を浴びる穏やかな笑みに影はなかった。

 

「…私は何もしてない」

 

 それでも一助になったのなら幸いか。

 私たちの脇をクロスバイクが風と共に通り過ぎていく。

 颯爽と走るサラリーマンは、いつも政木と別れる交差点を右折する。

 

「政木さんも買い出し?」

 

 当たり障りのない話題を振ることで日常へ意識を戻す。

 別れ際まで非日常の影を追わなくてもいいだろう──

 

「そろそろ律って呼んでほしいなぁ」

 

 突如、投げかけられた要望に思考が停止する。

 アオマツムシの涼しげな鳴き声が、よく聞こえた。

 聞き間違いではない。

 

「試しに言ってみてよ~」

「む……」

 

 冗談めかしに言ってるが、じっと私を見つめる瞳は期待で輝いていた。

 何を期待しているんだ。

 ええい、儘よ。

 

「律、さん……」

 

 私たちの間柄は友人といっていいかもしれないが、馴れ馴れしくないか?

 

「じゃあ、私も蓮ちゃんって呼ぶね~」

 

 しかし、ふにゃと笑う政木を見ると何も言えなくなる。

 もう好きにしてくれ。

 ずり落ちかけたエコバッグを辛うじて支え、ぐっと溜息を飲み込む。

 

「蓮ちゃんも買い出し、だよね」

 

 左肩に掛けたエコバッグを見遣り、政木は小さく首を傾げた。

 

「ちょっと前より量が多い?」

 

 よく覚えてるな。

 今日は帰ってきた父の分に加えて、普段より多めに買い込んでいる。

 フェアリーリングとの偶発的遭遇は可能な限り回避すべきだ。

 なるべく外出の回数を減らしておきたい。

 

「それは……」

 

 交差点に入る直前で足を止め、周囲の通行人を見遣る。

 

 鈍感な私でも分かる──視線を感じた。

 

 獣欲を剥き出しにしたインクブスの粘つくような視線とは違う。

 これは敵意だ。

 

「蓮ちゃん?」

 

 まだ気付いてない政木を背に隠し、視線の主を睨む。

 

「なぁに見てんだぁ、おい!」

 

 対面に設置された一時停止の標識、その陰に立つ男が怒鳴り声を上げる。

 

「人を犯罪者みたいに見やがって!」

 

 野太い怒鳴り声に通行人たちも何事かと振り向く。

 父よりも年上に見えるが、浮浪者のような格好で実年齢は分からない。

 敵視される理由も分からない。

 ただ、嫌な予感がする。

 

「どうせお前らも魔女なんだろ!?」

「えぇ、何言ってるの…?」

 

 支離滅裂な言動に困惑する政木の手を握り、ゆっくりと後退る。

 ウィッチに変身していない私たちは、ただの女子生徒に過ぎない。

 視界の端で、ケータイを取り出す大学生の姿を捉える。

 通報してくれるらしい。

 

「人の皮を被ったセイラムの、ま、魔女めっ」

 

 ぎらぎらと輝く目は、私たちを照準していた。

 ()()()()()()目だ。

 

 臍の緒が繋がるゴブリンを我が子と言った被害者の──狂人の目。

 

 信奉派という単語が脳裏を過り、口を強く引き結ぶ。

 背筋を流れる汗は、夏の暑さが原因じゃない。

 

「お、お前たちこそ排除されぅべきっ!」

「政木、走るぞ」

「う、うん」

 

 ぬるりと標識の陰から出てきた男が、交差点に影を伸ばしてくる。

 千鳥足とも違う不自然な歩行、夕陽を浴びても小さくならない瞳孔、そして一部が黒化した肌。

 ()()()()()()()()()

 

「排除はい除排じょはいじょぉぉぉ

 

 嫌な予感は的中した。

 野太い声が咆哮へと変わり、前触れもなく途絶える。

 

 次の瞬間──男の身体が膨れ上がる。

 

 全身の筋肉が泡立つように膨張し、黒化した肌が衣服を引き裂く。

 そして、人体の壊れる音がした。

 

「見るな」

「え?」

 

 肩に掛けたエコバッグを落とし、政木を抱き寄せて視線を遮る。

 身長差のない華奢な少女は、死地を駆けてきたウィッチだ。

 それを理解していながら、無意識のうちに身体が動いていた。

 

「ひぃっ!?」

「うわぁぁぁ!」

「ば、化け物!」

 

 夕陽で赤く染まる交差点に、黒い人型が姿を現した。

 周囲には悲鳴を上げて逃げ惑う一般人しか見えない。

 市内全域を補える人員が国防軍にいるものかよ。

 

 急行まで何分だ──それまでに何人が死ぬ?

 

 許容できる犠牲などあるものか。

 ここでフェアリーリングは無力化する。

 

「やるぞ」

はい!

 

 打てば響くパートナーの反応。

 衆人環視で変身が出来ない以上、即応可能なファミリアで頭を潰す。

 

「うわぁ!」

「マンホールがっ!?」

 

 跳ね上がった金属製の蓋がアスファルトを叩く。

 マンホールから飛び出した影が路上を駆け、硬質な足音を刻む。

 フェアリーリングは四肢に膂力を蓄え、跳躍の姿勢を取る。

 

「潰せ」

 

 そこへ薄茶色の影が躍りかかり、漆黒の巨躯をアスファルトへ引き倒した。

 

受容体を破壊しますっ

 

 滅多に全身を見せないジグモが夕陽を浴び、長大な鋏角を振り下ろす。

 一撃で頭部を削ぎ、キノコの破片が路面に四散する。

 

 全身を痙攣させるフェアリーリングは──自爆できない。

 

 キノコを模した受容体は、中枢であり信管だ。

 そこさえ潰せば──

 

「お、お母さん!」

 

 交差点を反響する子どもの悲鳴。

 逃げ遅れた親子連れが、ジグモの前脚近くで縮こまっていた。

 辛うじて動く右腕を伸ばし、握り潰さんとするフェアリーリング。

 

いかん!

「危ないっ!」

 

 ジグモが引導を渡すより先に、政木は親子連れの下へ駆け出していた。

 

 自身より他者のために動ける──さすがウィッチだ。

 

 だが、この状況下では悪手だった。

 テレパシーを発した首魁の位置は、まだ探知できていない。

 

「待て、政木!」

 

 鋏角の切先がフェアリーリングの頭部を貫通し、完全な停止を確認。

 同時に、上空のヤママユガが発信源を逆探知する。

 発信源は──

 

政木さん、離れてください!

 

 ()()()()()()()()()()()()()

 

あはっ

 

 少女の口が三日月のように裂け、吐き気を催す邪悪なエナが溢れ出す。

 エナの感知に長けた政木すら欺く擬態は、間違いなくネームドの技。

 最悪だ。

 

「っ!?」

 

 政木が手を振り払うのとジグモの疾駆は、ほぼ同時。

 躊躇している暇はない。

 

見つけぁぇあがっ

 

 鋭利な鋏角が華奢な体躯を貫き、血飛沫がアスファルトの路面に散った。

 胸を貫通した鋏角から血が滴り、夕陽を反射して瞬く。

 芙花ほどの小さな、子どもの影が路面から剥がれる。

 

「…仕留めたか」

 

 エナの放射が絶え、インクブスは物言わぬ屍となった。

 肺の濁った空気を吐き捨て、しっかりと奥歯を噛み締める。

 政木は無事、死傷者も今のところ見当たらない。

 

おそらくは──

 

 滞空中のヤママユガが()()()()()()を探知する。

 その距離は目と鼻の先。

 

失礼な奴らだなぁ

 

 我が子を刺殺されても無反応だった母親と目が合う。

 ガラス玉みたいな目に、見慣れた悪意が宿る。

 

傀儡!?

残念、不正解!

 

 薄気味悪い笑みを浮かべる女の背中から()()()()()

 同時に放射されるエナの濃度が急激に上昇。

 間に合わない。

 

遅いよ

 

 ジグモの鋏角が首筋を捉えるより早く、高濃度のエナが弾けた。

 それは夕陽を吸い込む暗黒の霧となって世界を覆う。

 

 ──触れた人間は例外なく脳死状態に陥る。

 ──おそらくは精神に干渉するマジックと私は見てるわ。

 

 脳裏に過るラーズグリーズの言葉、これから訪れる最悪の結末。

 

「逃げて!」

 

 政木は助けを求めず、ただ力の限り声を上げる。

 暗黒の霧へ呑み込まれる瞬間まで、その瞳は私を見ていた。

 迫る死よりも他人の心配だった。

 

会ったこともない神に感謝したいね!

 

 耳障りな笑い声が反響し、世界が暗黒に包まれていく。

 私も死から逃れることは不可能だろう。

 だから、どうした。

 

 死は決断より早く訪れる──知ったことか。

 

 暗黒の霧は影すら呑み込み、全ての境界が曖昧になっていく。

 だが、この意識が消滅しようとインクブスは絶滅させる。

 

「レギ!」

はい!

 

 口と鼻を腕で覆い、テレパシーの伝達へ意識を集中。

 暗黒の霧も、次元も、距離も超え、記憶を司るミンストレル(吟遊詩人)へ接続──

 

終わりだ、災厄のウィッチ

 

 そして、世界から音が死に絶えた。




 やったか!?(フラグ建築)


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惑乱

 夕闇が侵食する空の下、影の深い住宅街には混沌が満ちていた。

 先日の襲撃事件とは様相が異なり、襲撃者はインクブスではない。

 人々を襲う漆黒の異形は()()()だった。

 

「母さん、大丈夫!?」

 

 電柱に凭れ掛かった母親の下まで駆ける少年。

 周囲に人影はなく、荷物が散乱した路面には血痕が残されていた。

 

「逃げて、早く…逃げなさい!」

 

 この過酷な世界でも健やかに育った息子へ母親は声の限り叫ぶ。

 その左足には痛々しい打撲痕があり、彼女は逃げられないと悟っていた。

 

「いやだっ」

 

 それでも少年は母親の手を力強く握る。

 恐怖に震えながら、ただ一人の家族を救わんと思考を回す。

 

「お、俺が背負って──」

 

 言葉を途中まで紡ぎ、少年は自身を覆う影に気が付く。

 背後へ振り向くと、そこには異形の人型が立っていた。

 

「ぁ…」

 

 夕陽を背負う人型に顔はなく、黒い外皮は樹皮のよう。

 かつて人間だった者、フェアリーリングだ。

 

「逃げて!」

 

 母親の声は届かない。

 具現化した死を前に動けない少年は、恐怖に顔を歪める。

 

 黒化した異形の手が迫り──重機関銃の咆哮が轟く。

 

 夕闇を切り裂く曳光弾の輝き。

 その光芒はフェアリーリングの上半身に命中し、漆黒の外皮が弾け飛ぶ。

 

「きゃぁぁ!」

「母さん!」

 

 母親を庇う少年へ伸ばされた魔手が完全に動きを止める。

 先日の襲撃事件と異なる点が、もう一つあった。

 それは──

 

「奴にキャリバーを撃ち続けろ!」

 

 ()()()()()()()()()()()()

 

「了解!」

 

 ライトアーマーの愛称で知られる装輪装甲車が住宅街を疾駆する。

 その車上では重機関銃が火を噴き、薬莢をアスファルトの上へ撒き散らす。

 

「吉田、アクセル!」

「了解っ」

 

 運転席の隊員は躊躇なくアクセルを踏み抜き、世界が加速する。

 彼らの目的地は眼前。

 重機関銃の射撃を受け、脚の止まったフェアリーリングだ。

 

「落ちるなよっ田井!」

「構わず行ってください!」

 

 彼我の距離は目と鼻の先、隊員たちは衝撃に備える。

 異形の影が2分割されたフロントガラスを覆う。

 

 衝撃──それは想像よりも軽い。

 

 吹き飛ばされた人型は、路面を何度も跳ねてから住宅の塀に激突する。

 2mを超える筋肉質な体躯を持ちながら、フェアリーリングの質量は変異前の人間と変わらない。

 

「橋本、熊谷、行くぞ!」

 

 すぐ衝撃から立ち直った国防軍の隊員は車外へ飛び出す。

 電柱の傍で縮こまる親子を救出するために。

 

「よく頑張ったな、坊や!」

「お母さん、もう大丈夫です!」

 

 生存者である親子を労わり、隊員の1人が母親を軽々と背負う。

 国防軍とは、国民を守護する最後の盾だ。

 誰一人見捨てはしない。

 

「分隊長、奴が動き出しました!」

 

 フェアリーリングの動向を注視していた車上の若い隊員が声を張り上げる。

 破壊された塀から姿を見せる怪物に目立った外傷はなかった。

 

「射撃を頭部に集中!」

「了解!」

 

 日本国の防人たちは怯まない。

 フェアリーリングの頭部へ銃口を指向し、躊躇なく発砲した。

 

 頭部に生えたキノコ──それは通信機であり、信管だ。

 

 ()()()()によって国防軍は敵の能力を詳細に把握していた。 

 急所に射撃を集中され、フェアリーリングは堪らず右腕で防御する。

 

「MCVが来る前に退避する」

「了解っ」

 

 しかし、現状の火力で撃破は困難だ。

 あくまで牽制であり、車外の隊員たちは装輪装甲車まで駆ける。

 

「そのまま大人しく──っ!?」

 

 上体を沈め、跳躍の姿勢に移るフェアリーリング。

 脚の筋肉が膨張し、蓄えた膂力を解き放つ。

 

 刹那、影が消えた──異形は夕闇を背負って頭上より迫る。

 

 風切り音を纏い、装輪装甲車へ振り下ろされる左腕。

 後退は間に合わない。

 

「うわっ!?」

「ぐぁっ」

 

 甲高い金属の悲鳴が響き、車内の隊員を衝撃が襲う。

 衝撃を吸収できず、車体のサスペンションが悲鳴を上げて軋む。

 

「なんて馬鹿力だよ…!」

 

 フェアリーリングの拳は装甲を易々と貫き、エンジンを破壊していた。

 2人の隊員はドアを蹴り開け、車外へ脱出する。

 

「LAVは放棄、走れ!」

 

 老年の分隊長は即座に決断を下し、脱出を援護するためライフルを構える。

 

 住宅街を反響する重々しい銃声──それを遮るようにフェアリーリングは拳を振るう。

 

 大破した装輪装甲車のフロントを繰り返し殴打する。

 感情を出力する器官がない怪物が、憤怒を露にしていた。

 

「先に行け!」

 

 親子を背負わせた隊員2人を先に行かせ、分隊長は残る隊員と殿に立つ。

 下手に刺激せず、フェアリーリングと距離を取る。

 だが、顔のない怪物は不意に殴打を止め、獲物を()()

 

「おい、冗談だろ…!?」

 

 フェアリーリングは原形を留める装輪装甲車の下部を掴み、軽々と持ち上げてみせた。

 わずかに上半身を反らした姿勢は、投擲の予備動作だ。

 5t近い重量物の投擲とは、砲爆撃に等しい。

 

「牽制しろ!」

 

 死を覚悟した隊員たちは交差点手前で足を止め、蟷螂の斧のようなライフルを構えた。

 残弾を考えずトリガーを絞る。

 しかし、頭部を弾丸で穿たれようとフェアリーリングは止まらない。

 

「撃ち続け──」

 

 投擲の瞬間、人々は大気の悲鳴を聞く。

 

「っ!?」

 

 突如、フェアリーリングの立つ路面が爆発した。

 アスファルトの破片が四散し、荒れ狂う風が粉塵を散らす。

 視界を遮られた隊員たちは思わず顔を覆う。

 

「何が起こった…!」

 

 粉塵が晴れてもフェアリーリングからの投擲はない。

 

 当然だ──胸部をスピアが貫通しているのだから。

 

 怪物をアスファルトへ縫い付ける長大な一条は、まるで神器のよう。

 その柄に巻かれた()()()()が夕陽を反射して瞬く。

 

「ウィッチ…」

「分隊長、この音は!」

 

 ディーゼルエンジンの咆哮が交差点に鳴り響き、隊員たちの眼前へ飛び出す迷彩柄の車両。

 8輪のタイヤで慣性を殺し、停止と同時に鋭利なデザインの砲塔が旋回する。

 

「MCV!」

 

 高い路上機動性で迅速に展開する即応戦力の筆頭──国防陸軍の装輪戦車だ。

 

「射線上から退避!」

「了解!」

 

 隊員たちは射線上から素早く退避し、親子を庇いながら衝撃に備える。

 夕陽を浴びて輝く砲口が、フェアリーリングの頭部を照準。

 

 発射──砲火が夕闇を打ち消す。

 

 アスファルトに縫い付けられた怪物に対戦車榴弾を回避する術などない。

 炸裂と同時に、鈍い爆発音が大気を震わせる。

 

「やったのか?」

 

 酷い耳鳴りに顔を顰める若年の隊員は、油断なくライフルの銃口を向けた。

 その心配は杞憂だ。

 頭部を爆砕された今、フェアリーリングが動き出すことはない。

 意思を失った両手から装輪装甲車の残骸が滑り落ちる。

 

「ああ」

 

 甲高い金属の悲鳴を聞き流し、老年の分隊長は天を仰ぐ。

 

 彼らを救った人物──夕闇に染まる空より大地を睥睨する戦乙女。

 

 人類の守護者たるウィッチは降り立つことなく飛び去る。

 言葉など不要だと言わんばかりに──

 

「これで9体目……案外少ないわね」

 

 夜が忍び寄る茜色の空で、ラーズグリーズは独り言ちる。

 住宅街に出現したフェアリーリングの過半数を撃破した功労者は、微塵の疲労も感じさせない。

 

汝の力を用いず、封殺できるとはな

 

 黒き翼を広げて飛ぶパートナーが、戦乙女の持つスピアを見遣る。

 柄に巻かれた純白の糸は、シルバーロータスのファミリアが紡いだもの。

 

驚嘆に値する模倣品だ

 

 敵対者の拘束に使用されるクモ目の糸は、ただ強靭なだけではない。

 原種を高度に模倣するファミリアは、糸の微小繊維まで再現していた。

 蛋白質が高濃度に凝集することで生み出される繊維をエナに置き換えた時、1本の糸を形成するエナは驚異的な密度となる。

 それは他者のエナに干渉し、時にマジックの発動すら阻害する。

 

「首輪を付ける相手、見誤ったんじゃない?」

 

 舞台を整えることに夢中で、演者が見えていない。

 自他共に認める最強のウィッチは、己に首輪を付けた上位存在を嘲笑う。

 

堤は蟻の一穴で崩れるやもしれんが、天には到底届かぬ

 

 その遣いである漆黒のカラスは淡々と応じ、世の理を埒外の存在に説く。

 

 傲慢な言葉だ──天に蟻塚が届かぬと誰が決めたのか。

 

 ラーズグリーズは退屈そうに鼻を鳴らし、夕闇に沈む市街地を見遣る。

 その碧眼はエナの微細な流動を捉えていた。

 

新たな手勢のようだ

 

 国防軍が封鎖している市街中央に8体。

 しかし、戦乙女は高等学校近くの住宅街へ飛翔を続ける。

 

本隊と見るが?

「問題ないわ」

 

 市街中央にはシルバーロータスの()()に加え、飛び入り参加の番犬がいた。

 過剰戦力と言っていい。

 ならば、住宅街に出現したフェアリーリングの無力化を優先する。

 

 市民への被害を可能な限り軽減する──それが国防軍からの要請だった。

 

 市民には軍属でないウィッチも含まれている。

 つまり、彼女たちが現れる前に無力化しなければならない。

 

「シルバーロータスから連絡は?」

依然として無い

 

 フェアリーリングは国防軍でも対処可能だが、首魁のインクブスは彼女しか捕捉できない。

 舞台装置が盤面を覆すことは許されなかったのだ。

 

……遮断が正確やもしれん

 

 これだけ大々的に戦闘が行われている中、シルバーロータスが反応しない。

 何重にも策を巡らせ、インクブスを駆逐する彼女が。

 

()()に巻き込まれてる、と見るべきかしら?」

 

 目的地の周辺を捉え、鋭く細められる碧眼。

 

その可能性が高い

 

 主の問いに対し、あくまで平静に応じる漆黒のカラス。

 ウィッチとパートナーの目には、住宅街を侵食する暗黒の霧が映っていた。

 

「運が良いのか、悪いのか……」

 

 最悪の事態を前に、苦笑を浮かべるしかない。

 戦乙女は空色の戦装束を靡かせ、広がる暗黒の頂へ飛翔する。

 

 

 インクブスと国防軍が大規模に交戦した市街中央は復興が進んでいない。

 積み上がった瓦礫の山、解体を待つビルディングの残骸、放棄された車両の数々。

 旧首都を彷彿とさせる景色だった。

 

 そこで爆発音が轟き、巻き上がる粉塵──絢爛豪華なドレスが花びらのように舞う。

 

 ワインレッドの長い髪を風に靡かせ、茜色の空より市街地へ落下するウィッチ。

 華奢な体躯に見合わぬバトルアクスを大きく振り上げる。

 

「てぇいっ」

 

 落下速度を加味した一撃が敵を両断し、路面のアスファルトまで砕く。

 四散する血と塵が混じ合い、夕陽の下で瞬いた。

 右肩を失った人型の歩く爆弾、フェアリーリングは無様に転倒する。

 

「うんしょっ……あとは」

 

 得物を路面から引き抜くレッドクイーン。

 フェアリーリングが自爆する危険性を理解していながら、彼女は退避しない。

 

 周囲から殺到する足音──瓦礫の山より現れる異形の影。

 

 エナを板状結晶に組み上げた鎧を纏うハキリアリの群れだ。

 シルバーロータスの遣わせた爆発物処理班がインクブスの生体兵器へ殺到する。

 

「ひっ……うぅぅ……」

 

 大小に関係なく昆虫を苦手とするレッドクイーンはバトルアクスを握り締め、目を閉じる。

 その間にもハキリアリは抵抗するフェアリーリングを押さえ付け、四肢の靭帯を切断。

 環状に生えた頭部のキノコを引き抜き、捕食する。

 

「何をしているんですか?」

 

 鈴を転がすような声が響き、レッドクイーンは恐る恐る声の主を見上げた。

 舞踏会にでも行くようなドレスが風に揺れ、身の丈ほどもあるソードが夕陽を反射する。

 

「あ、アズールノヴァさん……」

 

 横転した大型トラックの上に佇むアズールノヴァは、平坦な視線でバディを見下ろしていた。

 

「交代しましょうか?」

 

 そう言って小さく首を傾げ、蒼を帯びる刃の切先で敵を指し示す。

 

 灰色の粉塵が舞う国道──そこから現れる人影は小さい。

 

 悠然と歩みを進める華奢な体躯は少女のそれ。

 軍服に似た深緑の装束を纏い、背中には羽虫の如き翅が生えている。

 

「だ、大丈夫です…!」

 

 レッドクイーンは必死に首を横に振り、道路に面する商業ビルへ駆けていく。

 ウィッチとの交戦を極端に避ける彼女の線引きがアズールノヴァは理解できない。

 眼前の敵は姿形こそウィッチだが、その内面はインクブスだ。

 

もしかして、僕って舐められてる?

 

 軍装のウィッチが首を傾げ、銀のツインテールが揺れる。

 所作こそ可愛らしいが、響く声は邪悪そのもの。

 

君ら、前もいたよねぇ

 

 以前、ラーズグリーズが消滅させたインクブスと同一個体だ。

 軍装のウィッチはインクブスの傀儡になっているわけではない。

 

 内面を侵食され、完全に置換されている──まるで冬虫夏草だ。

 

 ウィッチどころか人間ですらない。

 エナの輝きを帯びる蒼い瞳は、その悍ましい状態が見えていた。

 

もしかして僕のファンだったり──」

 

 大型トラックのフレームが歪み、蒼き光芒が国道を駆ける。

 戯言を紡ぐ口は強制的に閉じられた。

 

 凶刃が頭上より迫る──それを白刃が迎え撃つ。

 

 エナで形成された刃が打ち合う。

 衝撃波が粉塵を一掃し、アスファルトの路面に亀裂が走る。

 

図星、かなっ

 

 一撃の重みに軍装のウィッチは表情を歪め、全身を使ってサーベルを振り抜く。

 鮮やかな朱の火花が散り、弾き飛ばされる蒼き影。

 アズールノヴァは難なく姿勢を立て直し、軽やかに着地──

 

邪魔な上にっ

 

 瞬きの後には、再び眼前に凶刃の輝きが迫る。

 首を狙った一撃が銀髪を散らし、返す刃が深緑のスカートを掠めた。

 

話が通じないなぁ

 

 アズールノヴァは沈黙を守ったまま、ただ斬撃を繰り出す。

 対する軍装のウィッチは重い一撃を小手先で受け流し、カウンターを狙う。

 風に靡く蒼と銀が交差する様は、まるで舞踊のようだった。

 

ああ、鬱陶しい!

 

 力量差から不利を悟った軍装のウィッチが大きく距離を取り、左手にエナを収束させる。

 虚空より現れるボルトアクション式のカービンを握り、間髪容れずに発砲。

 

「ちっ…」

 

 弾丸を目視したアズールノヴァは迎撃せず、路面を蹴って射線から逃れる。

 

邪魔だよ、虫けら

 

 軍装のウィッチは苛立ちを隠さず、背後から迫る3体のハキリアリへ弾丸を撃ち込む。

 

 エナの弾丸はハキリアリの鎧を貫通できない──貫通する必要がない。

 

 着弾の衝撃を受けた鎧の表面が一瞬にして凍結する。

 節足動物の所以たる節まで凍りつき、ハキリアリは氷像と化す。

 

なんでも喰う悪食には驚いたけど、頭が悪いんだよねぇ

 

 カービンの銃口を上げ、捕食者たちの氷像を退屈そうに見遣る。

 フェアリーリングの受容体を捕食すれば、一時的な無力化は可能だろう。

 しかし、それは自身が新たな媒介者になることを意味する。

 下位の原生生物を模したファミリアは知性が低いのか、それとも──

 

……理解できないのも無理ないか

 

 軍装のウィッチは口角を上げ、住宅街のある方角へ視線を向ける。

 前座に過ぎなかった戯れで()()が釣れてしまった。

 

簡単に捕まっちゃう間抜けの眷属だからねぇ!

 

 翅の生えた少女は、心の底から愉快そうに嗤う。

 仕上げの邪魔をされた苛立ちも今は愉悦の糧となっていた。

 

おやおや、どうしたことかな?

 

 急速にエナの放射量が上昇し、周囲を漂う燐光の輝きが増す。

 それは眼前のウィッチに大きな感情の起伏があったことを意味する。

 

 彼女の場合は憤怒か──邪悪は新たな玩具を見つけた。

 

 目的を達成した今、ここからは戯れの時間だ。

 

エナが乱れてるみたいだけど

 

 無機質な殺意を宿した蒼い瞳が、悪辣なる怪物を映す。

 

「乱れている?」

 

 アズールノヴァは言葉を反芻し、静かに息を吐く。

 この世で最も敬愛するウィッチにインクブスの小細工など通用しない。

 小細工を正面から捻じ伏せ、ただ殲滅する。

 それは確信であり、不変の事実だ。

 

「ああ、なるほど……」

 

 されど、彼女への侮辱は万死に値する。

 己に求められる役割とは、迅速な殺菌である。

 アズールノヴァは微かに足を開き、長大な刃を地に這わせるように構えた。 

 

「菌類に目はありませんでしたね」

 

 嘲笑ではなく確認。

 眼前のインクブスを如何に抹殺するか、それだけに思考を絞る。

 ()()調()()()()()()だ。

 

「お望み通り、殺菌してあげましょう」

 

 絢爛豪華なドレスの裾が靡き、可視化されたエナが光り輝く。

 夕闇に沈む灰色の市街地が満天のプラネタリウムへ変貌する。

 

はははっ!

 

 アズールノヴァの宣言を受け、軍装のウィッチは声を出して笑う。

 愉快そうに見えるが、眼には苛立ちが宿っていた。

 

 菌類、殺菌──下等な存在から下等に扱われる。

 

 矜持など不要と同胞を嘲笑っているが、その本質に大した差はない。

 どれだけ知的に振舞おうと()()はインクブスだ。

 

やってみろよ!

 

 両者は同時に地を蹴った。




 パックル君を喋らせるの楽しい……線香花火みたいだぁ(曇りなき眼)


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領域

 東ちゃん、人気高スギィ!(アンケートを見ながら)


 光のない暗闇を意識だけが漂っていた。

 ここが死後の世界なのか、それは分からない。

 致命的な状況に陥ったことは間違いない。

 

 だが、ファミリアの根源には深く刻み込んである──インクブスを駆逐せよ、と。

 

 群れや巣という一単位ではない。

 この世からインクブスを残らず駆逐するまで活動し続ける。

 主を必要としないスタンドアロン兵器として。

 

おいおい……

 

 そして、被食者を絶滅させた時、役目を終えた捕食者は自然に消滅する。

 シルバーロータスの痕跡は何も残らない。

 唯一の心残りがあるとすれば、父と芙花に──

 

どういうことだよっ

 

 喧しい。

 ひどく狼狽えた様子のインクブスが喚いている。

 聞きたくもない声を死後も聞かされるとは、最悪の気分だ。

 自称女神の差し金なら悪趣味が過ぎるぞ。

 

虫けらがぁ!?」 

 

 いや、これは違う。

 インクブスの断末魔、そして骨肉の砕ける音が明瞭に聞こえた。

 億劫になるほど長い時間をかけ、重い瞼を上げる。

 

 見慣れた天井──夜空が見える廃工場の天井があった。

 

 何度も夢で見てきた私の根源、シルバーロータスが生まれた場所だ。

 酷い倦怠感に襲われ、すぐには起き上がれない。

 

なぜ、動け…かひゅっ

 

 雑音が途絶え、周囲から聞こえる音は硬質な足音だけになる。

 そして、視界の端に映り込む漆黒の外骨格。

 鋭利な()()()から滴り落ちた血が頬で跳ね、生暖かい感触が流れていく。

 

 黒い複眼に私が映る──まるで磨き上げた黒曜石みたいだ。

 

 もちょもちょとブラシ状の口器で頬を舐められ、くすぐったい。

 最近、金城に邪険な態度を取っているというアトラスオオカブトだ。

 

「私はクヌギじゃないぞ……」

 

 艶やかな頭を撫でてやると、力強く擦り付けてくる。

 原種は気性が荒いことで有名だが、こちらは妙に甘えん坊だ。

 もう二度と会えないと思っていた。

 

東さん、目が覚めたんですね!

 

 顔を少し横へ傾け、冷たいコンクリートの床面を見遣る。

 そこには前脚を上げて喜びを表現する拳大のハエトリグモ。

 死後の世界でもなければ、夢でもない。

 

「状況は?」

え、あの

「私は大丈夫だ」

 

 まだ終わってない。

 とにかく、今は状況の把握だ。

 

……東さんの()()が当たりました

 

 ゆっくりと上体を起こし、全身を確認する。

 シャツからスカートまで満遍なく血が散っている以外、特に異常はない。

 

 この血痕、洗濯して落ちるといいが──もう生還した後のことを考えている。

 

 そんな楽観的な己に苦笑しつつ、スカートの血痕を食むアトラスオオカブトの頭を叩く。

 スカートの裾が伸びるからやめろ。

 

「ここはマジックの領域内か」

 

 場内を見渡せば、至る所に赤黒い血痕と肉片が残されていた。

 この廃工場は爆撃によって倒壊し、現在は残っていない。

 読みが当たったということは──

 

はい

 

 これは第三者が生み出した幻影だ。

 

対象を引き込み、精神を支配するマジックのようです

「やはり目的は殺戮ではなく、傀儡の量産だったか」

 

 精神に干渉するマジックと聞いた時から妙だと思っていた。

 殺戮が目的なら毒物や劇物を広域に散布するだけでも容易に達成できるはずだ。

 

 あえてマジックを使用する──そこには別の意図がある。

 

 傀儡となった人間をフェアリーリングに変異させ、人口密集地で自爆させる。

 犠牲者が増えれば、被害が拡大していく最悪の倍々ゲーム。

 だが、付け入る隙はある。

 

…増殖が正しいかもしれません

「増殖?」

 

 スカートの上に飛び乗ったパートナーが前脚を上げ、廃工場の一角を指す。

 そこには、鉄骨の陰で()()を齧るカマキリの細長いシルエットが見えた。

 丁寧に獲物を噛み砕き、床面には残骸の翅しか落ちていない。

 

他者のエナを利用し、体内で増殖する……菌類に近い生態ですね

 

 インクブスは女性を苗床にして繁殖する、それが常識だった。

 しかし、連中にも多様な生態があるらしい。

 フェアリーリングの自爆は胞子の拡散が目的で、マジックは発芽の補助。

 

 インクブス菌──というより、インクブス真菌か。

 

 それをカマキリは黙々と齧っているわけだが。

 

「捕食して問題ないのか?」

この場にいるファミリアは、東さんの記憶からミンストレルが生成した防壁の一種です

 

 食事を終えて前脚を掃除するカマキリも、私の指先を舐めるアトラスオオカブトも見知ったファミリアだが、テレパシーを発していない。

 私が認識できるテレパシーは、高速で演算を続けるミンストレルだけだ。

 

あれは白血球の殺菌を視覚化したものと思っていただければ

「ふむ……」

 

 ひとまず、状況は理解した。

 ミンストレルと接続したことで最悪の事態は回避できたらしい。

 物理的な攻撃であれば、ウィッチに変身していない私は死亡していた可能性が高い。

 

 だが、非物理的な攻撃──エナを介した精神干渉なら対抗手段がある。

 

 それは、ファミリアの大脳を司るミンストレルだ。

 金城もといゴルトブルーム曰く膨大な記憶を蓄積、処理する能力はエナの制御にも応用できるという。

 ならば、彼女のように他者のマジックに介入できるのではないかと考えたのだ。

 

「現状は侵食の阻止か」

いえ、領域の掌握も並行で進めています

 

 コンクリートの床面に散らばる肉片が塵となって月光の下で舞い上がった。

 塵は銀の輝きを放つ粒子へ変わり、静寂に満ちた場内を廻る。

 既にパートナーは反撃を試みていたらしい。

 

初めての試みなので手間取っていますが……

 

 定位置の左肩へ登ってきたパートナーは苦々しい声色だった。

 銀の輝きが渦となって龍の如き長大な身体を形作り、翡翠色の外骨格と20対の脚が月下に現れる。

 

 インクブスのエナを変換し、生み出したリュウジンオオムカデ──そのサイズは通常の半分にも満たない。

 

 掌握が不完全といえば、そうなのだろう。

 だが、その状態で戦うことを強いているのは私だ。

 

「いや、よくやった」

 

 本来の目的とは違う運用に加え、今回は試行できる時間も少なかった。

 それでも侵食を阻止し、逆にインクブスの領域を掌握するミンストレルは予想以上の働きを見せている。

 

「分の悪い賭けだった」

 

 インクブスが使用するマジックに介入できるか、それは賭けだった。

 様々な作戦を行ってきたファミリアの多様性にも限界はある。

 

一時は駄目かと思いました……

 

 重い身体を引き摺るように立ち上がり、近寄ってきたリュウジンオオムカデの頭部に触れる。

 もし私が傀儡となった場合、即座に殺害するようファミリアには厳命してあった。

 パートナーには最後まで反対されたが、そこだけは譲れなかった。

 

でも、東さんが目覚めた今、反撃に移れます!

「ああ」

 

 左肩へ手を寄せ、パートナーの前脚に軽く触れた。

 この身体が動く限り、思考が続く限り、インクブスを屠る。

 私を仕留め損ねたことを後悔させてやる。

 

「外部とテレパシーを繋ぐことは可能か?」

ミンストレルのリソースを割けば可能かと

「ラーズグリーズとナンバーズに現状を伝達、それ以降は領域の掌握に全力を注ぐ」

分かりました

 

 ミンストレルの別群体を増援に呼ぶことも考えたが、通常運用中の群体を引き抜くべきではない。

 単純に数が増えて解決する問題なら私のパートナーは実行しているだろう。

 今はノウハウが蓄積されるまで無用な混乱は避ける。

 

「領域内に巻き込まれた一般人は──」

 

 そこまで口走って、私は気が付く。

 一瞬で体の芯まで冷え、奥底から静かに怒りが湧いてくる。

 なぜ、今まで気が付かなかった?

 巻き込まれた友人が、すぐ傍にいただろうが。

 

「政木は、どうした?」

 

 今更になって問う薄情な己を縊り殺したくなる。

 左肩で縮こまるパートナーは、すぐ答えなかった。

 もう予想はできている。

 廃工場の奥に広がる闇を睨み、口を強く引き結ぶ。

 口内に広がる苦味は無視し、ただ感情の起伏を抑え込む。

 

…分かりません

 

 絞り出した短い返答には不甲斐ない己への憤り、そして後悔の感情が渦巻いていた。

 責めるつもりなど毛頭ない。

 自己嫌悪も今は必要ない。

 

少なくとも掌握できた領域では……確認していません

 

 政木はウィッチナンバー9のベニヒメだ。

 指折りの実力者である彼女なら抵抗できているかもしれない──

 

「インクブスの本体は捕捉しているな」

 

 そんな希望的観測を抱けるほど私は楽天家じゃない。

 この世界は、どこまでも悪辣だ。

 

エナの気配から方角は割り出せていますが……

「本体を直接叩く」

 

 何を為すべきか、考えるまでもない。

 

危険です!

 

 百も承知だ。

 私の前に立ち塞がるアトラスオオカブトの角に触れ、左肩のパートナーを見遣る。

 

「こちらを堕とせない以上、インクブスは確実に標的を変える」

 

 言葉にせずとも私たちは共通の解に辿り着いている。

 幾度と対峙してきた悪辣な怪物どもは決して愚かではなかった。

 孤立したウィッチから狙うのは連中の十八番だ。

 

「リソースを分散している今、仕掛ける」

罠の可能性があります…!

 

 この状況で罠を仕掛けないインクブスなど存在しないだろう。

 それを加味しても打って出るつもりだ。

 

()()()()()支配下に置かれた場合、対抗できるか?」

そ、それは……

 

 パートナーは鋏角を擦り合わせて言い淀む。

 想定される最悪の事態は、ベニヒメがインクブスの傀儡となることだ。

 ウィッチナンバーの上位者とは一騎当千の実力者。

 能力を十全に発揮できない傀儡であっても現状の戦力では勝負にならない。

 

「守りに入れば、インクブスに時間を与える」

 

 領域を完全に掌握するまで動かない消極的選択もある。

 だが、それで事態は好転しない。

 

 攻め続けること──今までと変わらない。

 

 次の手を打ち続け、待ちの手札を切るのはアンブッシュの瞬間だけ。

 それが私たちだ。

 

「罠は正面から潰し、ベニヒメを救出する」

 

 彼女の手を掴むことも、共に逃げることもしなかった私に、友人を名乗る資格はない。

 私はインクブスを駆逐する者として、協力者であるウィッチを救う。

 

…救出が間に合わない可能性も、あります

 

 絞り出すように告げられた言葉が、月下の廃工場を反響する。

 ウィッチになった日から今日まで幾度と目の当たりにしてきた地獄。 

 常に最悪を想定しても何かを取り零す。

 

「それは諦める理由になるか?」

 

 努めて平静に、感情を殺し、パートナーへ問う。

 沈黙するハエトリグモの無機質な眼が私を映す。

 いつもと変わらぬ仏頂面が映っている。

 

 東蓮花ではなく、シルバーロータスとして振舞えている──はずだ。

 

 感情的になったところでファミリアの能率が上がるわけではない。

 あくまで冷静に、インクブスを屠れ。

 

……分かりました

 

 助言する、諫めもする、相談にも乗る。

 しかし、最終的な判断は主人に委ねるのが、ウィッチのパートナーだった。

 拒否権を与えられていない相手に、私は何を言わせているのか。

 

「すまん」

いえ、こちらこそ申し訳ありません

 

 私の横顔を見つめるパートナーは逆に頭を下げ、それから言葉を続ける。

 

…本当は、諦めたくなかったんです

 

 知っているとも。

 誰かを見捨てることを是とするはずがない。

 しかし、私を危険に晒すこともできなかった。

 

不確定要素に怯えていたら何も救えません

 

 どれだけ策を講じても絶対などない。

 ならば一歩も踏み出さないのか?

 答えは否である。

 

政木さんを助けに行きましょう!

 

 義務感から言い出せなかった言葉を、パートナーは力強く紡いだ。

 

「ああ」

 

 その言葉に頷きを返せば、アトラスオオカブトが後退って道を空ける。

 

 そして、月光の射し込む天井から6体のミツバチ──ミンストレルが降り立つ。

 

 くるくると私の周囲を歩き回り、翅を小刻みに震わせる。

 するとシャツやスカートに散った血痕が銀の輝きとなって剥離し、舞い上がる。

 それは私の全身を覆い、見慣れたシルバーロータスの装束を形作っていく。

 

「これは…?」

 

 着慣れた鼠色のコートが無かった。

 白いポンチョやロングスカートには見慣れぬ装飾が施され、ロングブーツのヒールは若干高い。

 

 まるで魔法少女のような──ウィッチではあるが、私が着飾る必要はない。

 

 ファミリアに少しでもエナの比率を傾けるべきだ。

 目を楽しませる刺繍やフリルは何の役にも立たない。

 

仰りたいことは分かります……しかし、身を護るために必要と判断しました

 

 パートナーの判断は正しい。

 敵地へ乗り込む以上、生存性を高めるために自衛手段は必要だろう。

 今、纏っている装束は普段よりもエナの使用量が多く、防御力は高いはずだ。

 

 しかし、装飾を増やす必要は──いや、問答の時間も惜しい。

 

 現実へ帰還する際に戻せば問題あるまい。

 腰のシースからククリナイフを抜き、軽く振るって重心を確認。

 

「行くぞ」

はい!

 

 ヒールで若干高くなった視界に戸惑いつつ、足下のミンストレルにアイコンタクトで道案内を促す。

 ふわりと飛び上がる6体のミンストレル。

 その群れを追って、廃工場の奥に広がる闇へ踏み込む。

 

 廃工場から外へ出たことはない──ここからは未知の世界だ。

 

 周囲へ注意を払いつつミンストレルの羽音を追う。

 私の背後からはコンクリートを叩く無数の足音が続く。

 

領域に侵入します

 

 瞬きの後には暗闇は消え失せ、沈む夕陽が世界を赤く染める。

 地面はコンクリートから土と砂利へ変わり、雑草の生えた畦道となっていた。

 周囲を見渡せば、草原のように稲の緑が揺れている。

 

 虫たちの合唱が響く夕刻の田園──私の知らない世界。

 

 廃工場とは打って変わって開放感のある風景だった。

 視界を遮るものといえば、道端に突き立つ案山子くらいだ。

 

「ここは、政木の心象風景か」

 

 確証はない。

 だが、廃工場の再現から推測するに、インクブスは対象の記憶から領域を構築している。

 誰かの記憶から構築した世界であることは間違いない。

 

エナの痕跡から、おそらくは……

 

 畦道に降り立ったミンストレルが、触角を動かして手掛かりを探す。

 その間にリュウジンオオムカデを道端の農業用水路へ飛び込ませておく。

 原種と同様に半水棲の重量級ファミリアは、薄暗い水路の陰へと消えた。

 

「政木の位置は分かるか?」

 

 廃工場に比べて牧歌的ではあるが、誰もいない田園は物寂しい。

 

…インクブスの本体と同じ方角へ続いています

 

 情報の収集を終えたミンストレルが8の字を描くように歩き回っている。

 これはミツバチのコミュニケーションの一つだ。

 太陽の位置を基準とし、そこからの角度で方角を、腹部を揺らす回数で距離を示す。

 ほぼ道形、距離は2km未満か。

 

「この領域の掌握は?」

既に始めています

「よし」

 

 そう言って一歩踏み出した瞬間、道端の案山子が不意に震え出す。

 露骨に怪しかった長身の案山子が二つに裂け──

 

あはははっ

 

 黒化した肌が現れ、背から翅が飛び出す。

 フェアリーリングの筋肉を削ぎ落したような人型だが、頭部には口があった。

 醜悪な笑みを受かべる異形は、人でも蟲でもない。

 

のこのこ入ってきぃ──」

 

 水飛沫を散らし、農業用水路から躍り出た翡翠色の長大な体躯。

 リュウジンオオムカデの顎肢が異形の黒い脚を易々と貫く。

 

また、虫けらっかょ……

 

 現実とは勝手が違う世界でも、神経毒を注入された獲物は沈黙する。

 そのまま畦道へ引き倒し、リュウジンオオムカデは躊躇なく獲物を大顎で噛み砕く。

 意味もなく半水棲のファミリアを農業用水路へ入れるわけがないだろう。

 

まだ対処法を確立されてませんね

 

 おそらく、インクブス真菌は領域を奪われ、反撃される事態を想定していない。

 常に奪う側であった連中は、いつも防御が脆弱だ。

 このままリソースを消耗させ続け、少しでも政木への侵食を弱める。

 

「確立される前に潰すぞ」

はい!

 

 8の字ダンスを終えたミンストレルが飛び立つ。

 夕陽を反射して瞬く翅の輝きを追い、止まっていた足を踏み出す。

 

 虫たちの歌声に、風に揺れる稲の音──雑草を分ける足音だけが異物のように思われた。

 

 騎士の如く随行するアトラスオオカブトとカマキリを連れて、無人の畦道を進む。

 この物寂しい田園風景は、政木の故郷なのだろうか?

 

エナの放射量が増加……近いです

 

 不意に、風景が一変する。

 鬱蒼とした雑木林が現れ、温かな夕陽の光を隠す。

 まるで初めからあったような雑木林の中、ヒグラシの鳴き声が耳を撫でる。

 目の前には、見上げるほど立派な鳥居と──

 

「今日は来客が多い日だね」

 

 迷彩柄の戦闘服を身に纏う青年が1人佇んでいた。

 傍らに控えるファミリアは触角を揺らすだけで動かない。

 それでもククリナイフの柄を握り直し、刃を隠すように左半身を前にする。

 

「君は、ウィッチかな…?」

 

 その動きを目で追い、青年は眉を下げて困ったように笑う。

 初対面のはずだが、既視感のある笑み。

 

 似ている──政木律に。

 

 そして、理解する。

 国防陸軍の隊員であり、おそらくは政木律に関連する人物となれば、嫌でも理解できる。

 

「……どう見る」

 

 ゆっくりと肺から空気を吐き出し、青年を観察する。

 武装は、肩から下げた国防陸軍が採用しているライフルのみ。

 肌が黒化している様子もなく、ごく普通の人間に見えた。

 

彼は…インクブスではありません

 

 微かに驚愕を滲ませた声でパートナーは告げる。

 眼前の()()が何者であるか。

 

政木さんのエナで構成されています…!




 シルバーロータスSpecⅡ(小声)


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遡及

 書籍版1巻本日発売!(クソデカボイス)


 鈴の音色を思わせるヒグラシの鳴き声が響く雑木林。

 真っ赤な夕陽は木々に遮られ、心地良い暗がりが広がっている。

 その暗がりで存在感を放つ鳥居の下に佇む青年は、どう見ても人間だった。

 しかし、エナで形成されている以上、彼はファミリアに近しい存在だ。

 

「たしかに僕は政木だけど……」

 

 そう言って頬を掻く青年からは敵意を感じなかった。

 

 インクブスの巧妙な擬態か──その可能性は低い。

 

 連中はウィッチのエナを模倣できない。

 どれだけ姿形を模倣しても悪性が滲み出るのがインクブスだ。

 頬を掻く指を止め、青年の目が銀髪赤目のウィッチを映す。

 

「あ……もしかして、律の友達かい?」

 

 そう言って期待に目を輝かせる姿は、政木そっくりだった。

 友達という言葉に頷くべきか、逡巡する。

 ここに立っている私は東蓮花ではなく、シルバーロータスだ。

 決して友達と呼べるものではない──

 

「…はい」

 

 しかし、開いた口は全く別の言葉を紡ぐ。

 本心では相応しくないと理解していても、返答を心待ちにする相手へ吐露することは憚られた。

 

「嬉しいな」

 

 自己嫌悪を噛み殺す私に対し、青年は安堵した様子で微笑む。

 温かみのある微笑みが彼の人柄を感じさせた。

 だからこそ、罪悪感が胸中で渦巻く。

 

「律は人見知りだったから、疎開先でも友達ができるか心配だったんだ」

 

 楽しげに語られる言葉の節々から妹への思い遣りが感じ取れた。

 今世で長女となった私も、彼の気持ちは痛いほど分かる。

 仲の良い兄妹だったのだろう。

 

「まさかウィッチの友達とは思わなかったけどね」

 

 それが何を意味するか、彼は知っている。

 国防陸軍の戦闘服を着ている以上、目を背けることのできない現実がある。

 だからこそ、浮かべた微笑みには影があった。

 

「…あなたは?」

 

 左腕に着けた質素な腕時計が答えだ。

 しかし、それでも礼儀として尋ねる。

 

「自己紹介がまだだったね」

 

 歩み寄ってきた青年が右手を差し出す。

 国防陸軍の隊員にしては細身だが、差し出された掌は大きい。

 

「僕の名前は政木優二、律の兄です」

 

 ククリナイフを左手に持ち替え、右手で握り返す。

 

「シルバーロータス…です」

 

 今、私は故人と握手を交わしている。

 エナさえあれば大概の事象を可能とするマジックも回生だけは不可能だ。

 

 おそらく、目の前にいる優二さんは幻影──政木の記憶が生み出した()()なのだろう。

 

 だが、彼の存在は一つの確信を私に与えた。

 まだ政木はインクブスの傀儡になっていない、と。

 

「さて、律について色々と聞かせてほしいところだけど……」

 

 苦笑を浮かべる優二さんは一歩下がり、左肩から下げたライフルを両手で保持する。

 そして、鋭い視線を周囲へ走らせた。

 

「そうもいかない」

 

 雑木林の影より迫る無粋な足音。

 ライフルの銃口が鈍く輝き、漆黒の外骨格が夕陽を反射して瞬く。

 

はははっ

こんな抜け道があるとはねぇ!

 

 インクブスの嘲笑を銃声と風切り音が出迎えた。

 頭部を吹き飛ばされた異形の影が雑木林に消え、薬莢の輝きが宙を舞う。

 左手から飛び出してきた1体はアトラスオオカブトの胸角に腹を貫かれ、黒い体液を撒き散らす。

 

「時間がない。来てくれ」

 

 ライフルの銃口を下げた優二さんは鳥居の下を潜り、真率な表情で手招きする。

 時間がないのは、事実だ。

 翅の生えた異形どもが続々と現れ、こちらを包囲せんとしていた。

 異形はインクブス真菌の一部だが、全てを相手取っている時間はない。

 

「ここを死守しろ。1体も通すな」

 

 ゆっくりと巨躯を寄せてきたアトラスオオカブトの頭に触れ、その滑らかな外骨格を撫でる。

 そして、静かに私を見下ろすカマキリへ頷きを返す。

 記憶から生み出された幻影だろうと関係ない。

 私のファミリアはインクブスを滅ぼす矛であり盾だ。

 

「任せるぞ」

 

 呼応するように異形の残骸がエナとなって舞い、ファミリアを包み込む。

 銀の輝きが加速度的に増し、雑木林の薄闇を打ち払う。

 

 そして──2体の重量級ファミリアが姿を現す。

 

 3本の長い角に加え、短い角を1本備えるアジア最大種のコーカサスオオカブト。

 湾曲した長大な体躯からドラゴンマンティス(龍蟷螂)の名で呼ばれるオオカレエダカマキリ。

 この空間でしか顕現できない燃費を度外視した2体だ。

 

行かせるわけないだろ!

たかが2匹で足止め──」

 

 コーカサス(白雪)の由来である金属光沢を帯びた外骨格が風を吹き散らす。

 遅れて爆発音が轟き、雑木林に四散する異形の四肢。

 任せると言った以上、振り向かない。

 鳥居の下を抜け、迷彩柄の戦闘服を追って石階を駆け上がる。

 

「すごいね、子どもの頃なら観戦してたかもっ」

 

 数歩先を進む優二さんは振り向いて、朗らかに笑いかけてきた。

 観戦したいと宣う人物は初めてだ。

 私には見慣れた光景も他人からは忌避されてきた。

 政木がファミリアに苦手意識を抱かなかった理由が少し分かった気がする。

 

「…この先に政木さんが?」

 

 もはや聞くまでもないが、水先案内人に問う。

 私たちを包むヒグラシの合唱にインクブスの断末魔が混じり、樹木の裂ける嫌な音が響く。

 戦意旺盛なコーカサスオオカブトを止める術はない。

 

「うん」

 

 それを気にも留めず、優二さんは静かに頷いた。

 崩れかけた石階を飛び越えて、すぐさま後ろの私に右手を差し出す。

 

「律は()()()()()()()

 

 差し出された右手を掴むと力強く引かれ、軽々と石階を越える。

 

 私を待っている──助けを待っている、ではない?

 

 この状況を打破できる者は、おそらくミンストレルだけだ。

 だから、私を待っているという表現に間違いはない。

 

「私を?」

 

 だが、彼の言葉からは、それ以外の意図を感じた。

 ウィッチという記号ではなく、私という個人を見ている。

 

「そんな気がするんだ」

 

 婉曲な返答だったが、私を見据える瞳は確信しているようだった。

 その確信を抱かせるものは一体何なのか?

 喉元まで上がってきた疑問を飲み込み、石階を一歩上る。

 今は政木の救出が最優先だ。

 

 視界の端で青が瞬く──モールス信号のように。

 

 木々の切れ間に青白い世界が見えた。

 インクブス真菌の干渉を疑ったが、どうにも違う。

 青が次第に薄れていき、白に黒が混じって小さな人影となる。

 

「律の時間は、あの日から止まったままだ」

 

 何もない殺風景な場所で、1人の少女が2つの黒い袋の前に座り込んでいる。

 俯く顔は見えないが、長い三つ編みには見覚えがある。

 そして、()()()()()()()()()黒い袋は遺体収納袋──

 

「ご両親ですか」

 

 ありふれた悲劇。

 寒々しい遺体安置所で母を探して回った日、嫌というほど目にした光景。

 言い知れぬ感情が腹の底に重く滞留する。

 

「……5年前の京都侵攻でね」

 

 小さな妹の姿を寂しげに眺める兄は足を止めない。

 インクブスは日本各地の都市を強襲し、数多の人命を奪い去っていった。

 当時、被害者じゃない人間などいなかった。

 そして、今も。

 

「あの日、律は両親を喪った」

 

 座り込んだ政木は俯いたまま動かない。

 彼女の周囲を輪郭の不確かな人影が何度も通り過ぎるが、優二さんの姿だけはなかった。

 

「静華ちゃんや菖ちゃんは、きっと寄り添ってくれる」

 

 政木が顔を上げ、背に手を添える2人の少女へ振り向く。

 身長や髪の長さこそ今と違うが、金城静華と御剣菖と一目で分かる。

 

 ただ──涙は涸れ、疲れ果てた姿は、ひどく痛々しい。

 

 視線を落とし、苔の生えた石階を睨む。

 私が覗き見ていい記憶じゃない。

 

「でも、前へ進むことはできない」

 

 あまりに無慈悲で、残酷な言葉だった。

 インクブスを駆逐する上で、停滞は敵だ。

 

 だから、私は歩みを止めなかった──止まれなかった。

 

 だが、政木は違う。

 いつ歩き出すか、決めるのは彼女のはずだ。

 

「手を引いてくれる人がいて、踏み出せる一歩もある」

「それが私だと…?」

 

 買い被りだ。

 物理的に手を引くことはできても、心を動かすことはできない。

 今の今まで他人と向き合ってこなかった私に──

 

「どんな時でも君は前を見ていた」

 

 そうしなければインクブスは駆逐できない。

 連中を屠る術を考え、実行し、屍の山を築く。

 それしか能がなかった。

 

「どれだけ傷ついても君は誰も見捨てなかった」

 

 感謝の言葉はなく、向けられる視線には恐怖が満ちていた。

 だが、それは他人を見捨てる理由にはならない。

 当たり前のことだ。

 

「だから、君にしかできないんだ」

 

 そう言って天を仰ぐ優二さんは両手を強く握り締める。

 その左腕には()()()()()()()()()()()()

 

「僕にはできない」

 

 政木に最も近しいはずの人物は、断言する。

 心の底から不本意であると感情を滲ませながら。

 

「肝心な時に居てやれなかった……今だってそうだ」

 

 絞り出すように言葉を紡ぐ。

 インクブスの跋扈する悪辣な世界に、妹を一人残して逝ってしまう。

 悔やんでも悔やみ切れないはずだ。

 その全てを飲み込んで、優二さんは静かに息を吐き出す。

 

「だめな兄だよ、本当に」

 

 苦悶に満ちた彼の横顔は、他人に思えなかった。

 きっと慰めなど求めていない。

 分かっているとも。

 どれだけ言葉を尽くそうと結末が変わることはない。

 

「ここを護っていたのは、他の誰でもない」

 

 だから、これは私の()()()()だ。

 

「あなたです」

 

 エナで構成された幻影に何を語ったところで意味などない。

 それでも記憶の中で生きる彼を否定したくなかった。

 

「胸を張ってください」

 

 政木律の防人に、それだけは告げる。

 あなたが残していった記憶の足跡が妹を護ったのだと。

 

「……ありがとう」

 

 毒にも薬にもならない言葉を聞き、優二さんは困ったように──少しだけ嬉しそうに笑った。

 

「僕は、ここまでみたいだ」

 

 そして、その足が縫い付けられたように止まる。

 もう石階の終わりは見えていた。

 

「君と話せて良かった」

 

 彼は水先案内人であり、それ以上進むことはない。

 足下の影が消え、爪先から徐々にエナの輝きへ還っていく。

 

「律を頼みます」

 

 その言葉を受けるに相応しいか、まだ分からない。

 だが、故人への返答は決まっている。

 

「分かりました」

 

 優二さんは安らかな表情を浮かべ、ゆっくりと頷いた。

 そのまま全身がエナへと還り、後には何も残らなかった。

 

 彼は責務を全うした──私も為すべきことを為す。

 

 ミンストレルの小さな羽音が頭上を通り過ぎていく。

 崩れかけた石階を上った先に、小さな社が姿を見せる。

 

「この先か」

 

 ヒグラシの鳴き声が響く境内に人影はなく、物寂しいものだった。

 砂利を敷き均した参道を進み、倒れた灯籠の残骸を跨ぐ。

 

間違いありません

 

 長らく沈黙を守っていたパートナーが応じる。

 手水舎の水は枯れ果てて、屋根を苔の緑が覆っていた。

 随分と長い間、放置されていた場所らしい。

 

「領域の掌握はどうなってる?」

 

 年季の入った社を見上げ、それから左肩のパートナーを見遣る。

 

少々、手を焼いていますが……

 

 パートナーが見上げた茜色の空より小さな影が次々と降り立つ。

 ミンストレルの群体は苔むした社の屋根に集まり、小刻みに翅を振動させる。

 まるで分蜂するミツバチのようだった。

 

間に合わせます

「任せる」

 

 私はファミリアを信じ、ただ己の為すべきことに集中する。

 それだけだ。

 いつでもククリナイフを振り抜けるよう左半身を前に構え、社の階段に足を掛ける。

 踏板の軋む音を聞き流し、観音開きの扉の前に立つ。

 

「行くぞ」

 

 押し開けた扉の先には、雨音が満ちていた。

 

 屋内なのに雨──空間の歪みなど今更だが、視界が悪い。

 

 靄のように灰色の闇が広がり、奥行きが分からない。

 一歩踏み込めば、雨に濡れた砂利が音を立てて私の存在を刻む。

 そして、背後の扉は初めから無かったように消失する。

 

「……墓地か」

 

 何も刻まれていない墓石が整然と並び、雨に打たれている。

 この気の滅入りそうな世界に、政木律はいるのだ。

 生物の気配が一切しない無人の墓地を慎重に進む。

 

近づいています

 

 パートナーの報告に耳を傾けつつ、周囲の物陰に注意を払う。

 墓石が果てなく並び、砂利を踏む音が虚しく響く。

 鉛色の水溜まりに映り込む私は仄かに白く光り、まるで幽世の亡霊のようだった。 

 

 気配を感じ、視線を戻す──光を吸い込む黒き影を正面に捉える。

 

 インクブスではない。

 ()()()の文字が刻まれた墓石の前に佇む人影は、微弱なエナを放っていた。

 

「誰…?」

 

 その頭上にある()が天を衝く。

 喪服のような黒一色の和装を雨中に翻し、下駄が水溜まりを散らす。

 

ベニヒメさん…!

 

 呼び声を聞いた瞬間、九つの尻尾が微かに震える。

 そして、青白い狐火が雨を溶かして揺蕩う。

 

 政木律──否、ベニヒメが私の姿を捉える。

 

 狐火に照らされた目には、底なし沼のような虚無が満ちていた。




 獣狩りの夜が始まる(錯乱)


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同類

 ヒャア、がまんできねぇ!


 ピスキーの長を名乗っているパックルは、敗北を知らないインクブスだった。

 マジックの領域に引き込んだ獲物の精神を蝕み、エナを喰らって糧とする。

 脆弱なヒトの精神で抵抗は不可能、ウィッチも例外ではない。

 勝利とは必至であり、敗北という概念がなかった。

 

おかしい……

 

 だからこそ、パックルは苛立ちを覚える。

 遅々として侵食が進まない現状に。

 常に他者を嘲ってきた口を引き結び、雑木林の陰より邪魔者を睨む。

 

 その者は破壊者──否、災厄を守護する最強の騎士だ。

 

 漆黒の外骨格が夕陽を帯び、独特の金属光沢を放つ。

 3対の長大な脚が巨躯を加速させ、外敵に向かって突進する。

 

こいつっぎぇ!?

 

 重々しい爆発音が響き、樹木ごと砕かれた分身の四肢が宙を舞う。

 たかが1体や2体を破壊されたところで問題はない。

 ヒトに例えるなら毛や爪のようなものだ。

 

背中が……

 

 巨躯ゆえの死角となっているファミリアの背面を3体の分身が強襲する。

 

お留守だぞぉ!

虫けらぁ──」

 

 大気を引き裂く重低音、そして乾いた破裂音。

 腰から上を失った2体の分身が転がり、砕けた翅が舞う。

 旋回と同時に繰り出される胸角のスイングは、あらゆるインクブスを粉砕する。

 

くそっ……

 

 即死は辛うじて免れた分身が地を這う。

 その姿を巨影が覆い隠し、無慈悲に振り下ろされる脚。

 樹皮のような黒い外皮が軋み、紙細工のように翅が潰れる。

 

はな、せよっ

 

 その重量を前に抵抗もままならない。

 鋭利な爪は異形を地へ縫い付け、もう片方の脚が腹部に爪を突き立てた。

 そして──

 

ぶぇぁっ

 

 圧倒的な膂力によって二つに引き裂く。

 飛び散る体液が地に吸い込まれ、草木を黒く汚す。

 原種と同様に極めて気性の荒いコーカサスオオカブトは、敵と認識した存在を徹底的に破壊する。

 周囲に散乱する分身の残骸は、どれも原形を留めていなかった。

 

…どうなってる?

 

 眼前のファミリアは侵食など存在しないかのように暴れ回っている。

 それが理解できない。

 

 ウィッチの生み出したファミリアなど餌でしかない──はずだった。

 

 漆黒の外骨格はエナを侵食する体液を浴びようと変質せず、種が芽吹くこともない。

 彼女なら抗菌性タンパク質による防御と推察しただろう。

 しかし、この領域に()()()()()()()()()()()()

 ここではパックルが法であり、理なのだ。

 

そんなに遊び相手が欲しいのかよ?

 

 無機質な敵意を宿した複眼を前に、パックルは苛立ちを嘲りで隠す。

 雑木林の陰で腕を振るえば、立ち並ぶ分身の影が揺らぐ。

 インクブスのエナが音もなく世界へ浸透していく。

 

仕方ないなぁ……合わせてやるよ

 

 分身の黒き外皮が泡立ち、四方へ腕を伸ばして他の分身と結合する。

 そして、一塊となった7体の分身は粘菌のように姿形を変えていく。

 筋肉質な手足が生え、4枚の翅が背中から飛び出す。

 

 重量級ファミリアを見下ろす影──異形の巨人。

 

 新たな敵を視認したコーカサスオオカブトは怯まない。

 厚い鞘翅を開き、後翅を広げて小刻みに震わす。

 肉弾戦ではなく突撃によって破砕するのだ。

 

そういうの……猪突猛進って言うんだっけ?

 

 対するパックルは口角を吊り上げ、傍らの樹木に手を置く。

 

させるわけねぇだろぉ!

 

 突如、コーカサスオオカブトの影より無数の仮足が伸び、3対の脚を包み込んで硬化する。

 機動力を封じられ、重量級ファミリアは触角を忙しなく動かす。

 常にインクブスの想定を凌駕してきた災厄の眷属が、初めて見せる動揺。

 

虫けらが…

 

 それを見下ろす異形の巨人は、悠然と左腕を振り上げた。

 

調子にっ

 

 左拳が風切り音を伴って胸角の付け根を打つ。

 側面から痛烈な一打を受けるも漆黒の巨躯は動かない。

 

乗ってんじゃ!

 

 間髪を容れずに右拳を繰り出し、開かれた鞘翅を強制的に閉じさせる。 

 そして、両手を頭上で組んで槌とし、胸角の1本を照準。

 

ねぇよ!

 

 跳躍、そして打擲。

 雑木林の影が震え、大樹を叩いたような鈍い打音が響く。

 

 戦果は如何に──長大な胸角は健在だった。

 

 それどころか打撃を加えた外骨格も傷一つない。

 パックルの分身たる巨人の浮かべる嘲笑が、微かに引き攣る。

 

その堅い殻、引き剥がしてやる

 

 しかし、防御の脆弱な部位を発見したパックルは、すぐ邪悪な笑みを浮かべる。

 コーカサスオオカブトの胸部と翅にある()()へ手を伸ばす。

 厚い外骨格も内側からの攻撃は想定していない、そう考えたのだ。

 異形の巨人は前胸背板と鞘翅の間に指を差し込み──

 

は?

 

 甲高い金属音が雑木林を反響し、嘲笑が消え失せる。

 

 転がり落ちる巨人の五指──前胸背板と鞘翅の隙間は閉じられていた。

 

 コーカサスオオカブトの武器は角と爪だけではない。

 前胸背板の後縁は刃物状になっており、鞘翅と挟み込むことで敵対者の手足を切断する。

 弱点などではない。

 

何なんだよっ

 

 口元から嘲笑の消えた巨人が後退った瞬間、パックルの生成した足枷が弾け飛ぶ。

 あらゆる存在を束縛する破壊できぬ足枷。

 そう定めた理を災厄の眷属は覆し、無機質な敵意を迸らせる。

 

この虫け──がはっ!?

 

 4本の角が雑言ごと大気を切り裂き、外敵を天高く打ち上げる。

 3度の打擲に対する返礼は、これまでで最も重い一撃だった。

 

 翅があろうと空は舞えない──夕陽を飛び越した巨人は、重力に捕まる。

 

 墜落の衝撃は砲爆撃に等しい。

 巻き上がった土煙が夕刻の雑木林に夜を招く。

 その夜の訪れた世界でコーカサスオオカブトは悠然と佇む。

 

ちっ……

 

 またしても分身を破壊されたパックルは忌々しげに舌打ちする。

 周囲に転がる残骸が崩れ、銀の輝きとなって漆黒の外骨格へ吸い込まれていく。

 その瞬間だけヒグラシの鳴く夏の薄明が、細氷の舞う冬の夜となる。

 

またかよ

 

 パックルは分身の残骸に残るエナを回収できずにいた。

 霧散したエナは災厄に制御を奪われ、逐次ファミリアの糧となって消える。

 その速度は驚異的であり、対応が間に合わない。

 

 群体であるパックル──ピスキーの演算を上回るウィッチなど存在しなかった。

 

 まだ2匹のウィッチを嬲って遊ぶだけの余力はあった。

 しかし、時間的余裕がないことに苛立ちを覚える。

 

上等だよ、災厄のウィッチ

 

 眼前のファミリアを下し、如何にして災厄へ報復するか。

 ただ嬲るだけでは気が済まない。

 盛大に歓迎し、徹底的に痛めつけ、それから傀儡として侍らせる。

 パックルは初めて一個体に対して強い執着心を抱いていた。

 

いや……待てよ

 

 次なる手を考えていたパックルは、違和感を覚える。

 鳥居の前で構えるコーカサスオオカブトを取り囲む分身の数が少ない。

 

 敵は騎士だけか──否、龍がいない。

 

 重量級ファミリアは2体、存在したはずだ。

 しかし、先程から大立ち回りを演じるコーカサスオオカブトしか認識できていない。

 

もう1匹は……

 

 視覚の存在しないピスキーは、エナの感知に意識を集中する。

 しかし、感知できたのは、風に揺れる木々の陰に転がる分身の残骸だけ。

 どれも潜伏位置から動かず、警告を発することなく頭部を噛み砕かれていた。

 

なぜ認識できない?

 

 ここが己の領域だと信じて疑わないパックルは、認識できない敵など想像できなかった。

 ゆえに、異常への反応が遅れる。

 

 背後へ落下する人影──それは頭部を失った分身の骸。

 

 そして、木々と同化していた捕食者がパックルを睥睨する。

 龍の如く長大な身体は枯れた大樹のようだが、大鎌は獲物の体液に塗れて生気を放つ。

 

虫けらどもが!

 

 後方へ跳躍と同時に、パックルは理を書き換える。

 近傍の木々から無数のキノコが飛び出し、毒々しい胞子が視界を覆う。

 回避の困難な面制圧、呼吸器を狙った侵食。

 

 対するオオカレエダカマキリは風に合わせて揺れるだけ──否、それは()()()()()()()()だった。

 

 ピスキーに視覚があれば、風に揺れる龍を捕捉できたかもしれない。

 しかし、分身の残骸がエナの粒子となって舞う中、索敵は困難だった。

 エナの感知に頼り切った弊害だ。

 

はははっ

 

 乾いた笑いが虚しく反響する。

 的確に目鼻を潰す判断も異常だが、最も異常なのはエナを変換する速度。

 もはや変換ではなく、再利用とでも呼ぶべき速度だ。

 

災厄のウィッチだって?

 

 異種であるインクブスを捕食し、苗床に変え、増殖するファミリアの女王。

 本来、相容れないエナを取り入れ、己の支配下に置く異端(イレギュラー)

 

 彼女は他者のエナを変質させる──本当にそうか?

 

 災厄が築いた生態系は()()()()()()()()()()()()()()()()

 ただ循環しているだけで、変換など行っていないとすれば、災厄はウィッチなどではない──

 

本当に同類じゃないか

 

 一つの解を導き出したパックルは、分身から意識を徐々に剥離させる。

 ファミリアと戯れている場合ではない。

 そして、背後から音もなく振り下ろされる大鎌。

 

お前も僕も…ぁがっ

 

 捕獲した獲物の真言を、龍の大顎が齧る。




 (「・ω・)「


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糾明

 作者「俺は全力でハッピーエンドを遂行する!」


 曇った翠の瞳は、私を見ているようで見ていなかった。

 ベニヒメを支配しているのは虚無だが、インクブスの傀儡になったわけではない。

 黒に染まった和装の胸元で光を放つ勾玉が侵食に抗っている。

 まだ、彼女の自我は消滅していない。

 

「助けに来た」

 

 そう言って一歩踏み出せば、濡れた砂利が音を立てる。

 ベニヒメの狐耳が立ち、ゆらゆらと漂っていた狐火が静止する。

 口から零れた白い息が雨中に流れていく。

 

「助け…?」

「そうだ」

 

 雨が静かに降り注ぐ墓地には、私とベニヒメしかいない。

 だが、周囲にはインクブスのエナが満ちていた。

 エナの感知に鈍い私でも察することができる。

 

 墓石の影で蠢く者、鉛色の水溜まりに映る影──インクブス真菌の一部だ。

 

 この墓地はベニヒメを閉じ込める牢獄であり菌類の繁殖場。

 道案内がなければ立ち入るのも骨が折れたはずだ。

 

「……いらない」

 

 弱々しくも確かに紡がれた拒絶の言葉に、足を止める。

 

「私は、ここに残る…」

 

 政木家の文字が刻まれた墓石の前に座り込み、顔を俯かせるベニヒメ。

 その横顔を隠す髪から雫が滴り落ち、水溜まりに波紋を広げる。

 

「どこにも、行きたくない」

 

 自らの肩を抱き、小さく震える姿は痛々しい。

 いつから雨に打たれていたのだろう。

 既視感を覚える光景。

 

「みんなと一緒にいたい……」

 

 水溜まりに浸かった和装の黒が淀みのように水底へ滞留する。

 その周囲を漂う青い狐火は、まるで鬼火のように見えた。 

 

 遺体収納袋の前に座り込んでいた時と同じ──あの日から根源は変わっていないのだろう。

 

 政木律という少女の最も脆弱な一面が、インクブスの侵食で露になっている。

 時間がない。

 

「ベニヒメ」

 

 あくまで普段通りに、ベニヒメへ呼びかける。

 下手な同情心で寄り添っても、彼女と一緒に沈むだけだ。

 

「ここにいたら風邪を引く」

 

 だからといって、救済の言葉など思いつくはずもない。

 口下手らしくやるしかない。

 腹を括れ。

 

「晴れた日に、また来ればいい」

 

 進むにも逃げるにも歩き出さなければ始まらない。

 まずはベニヒメを立ち上がらせる。

 

 声を拾って狐耳が動く──私の声は届いている。

 

 弱った心に命令しても人は動けない。

 だから、提案する。

 

「帰ろう」

 

 周囲に注意を払いながら、ククリナイフをシースへ戻す。

 互いの表情が辛うじて分かる距離だ。

 手を繋ぐには遠い。

 それでも右手を差し出して、ベニヒメを待つ。

 

「…やっぱり、強いね」

 

 紡がれた弱々しい声は、今にも消え失せてしまいそうだった。

 だが、言葉の芯には拒絶があった。

 

()()()

 

 壁だ。

 目には見えない壁を築き、私を遠ざけようとしている。

 

「私は、そんなに強くなれない……」

 

 ベニヒメは身を守るように九つの尻尾を纏い、小さく縮こまってしまう。

 

 勾玉の放つ光が弱まる──インクブスのエナが徐々に濃度を増す。

 

 いつもの私なら引き下がっているところだ。

 他人の心に土足で踏み込みたくはない。

 だが、ここで踏み込まなければ、確実に彼女の心は喰われる。

 

「傷つきたくない…誰かが傷つくのも見たくない」

 

 親しい人間が傷つく辛さは、私も知っている。

 たとえ、顔が思い出せなくとも痛みを覚えている。

 だが、両親と兄を喪った彼女の心境は察するに余りある。

 

「それを繰り返さないために戦っている」

 

 この悪辣な世界は、簡単に人の生命と尊厳を奪っていく。

 奪われないためには戦うしかない、と宣う。

 本来、そんな世界と無縁だった少女に。

 

「私には無理だよ……辛い…怖い」

 

 ベニヒメは悪意の塊のようなインクブスと戦ってきた。

 ウィッチナンバー9という序列は、才能や運では与えられない。

 成し遂げるには、強い意志が必要だ。

 

「なら、私が手を引く」

 

 俯いていた顔を上げ、微かに光の戻った翠の瞳が私を捉えた。

 それを真っすぐ見返す。

 

「歩けるようになるまで」

 

 立ち上がることさえできれば、自らの足で歩いていける。

 私は()()()()になるだけでいい。

 可能性を閉ざさせないために、この灰色の墓地から連れ出す──

 

ひどい()()もいたものだねぇ

 

 雨音に雑音が混じり、連なる墓石の影が歪む。

 

こんなこと言って、律を置いていくんだよ?

「え…?」

 

 ベニヒメの足下まで黒い影が伸び、水溜まりの淀みと混じり合う。

 インクブス真菌が一気に活性化し始めた。

 案の定、抵抗力が落ちたところを狙ってきたな、菌類め。

 

「耳を貸すな」

 

 ククリナイフを抜き、ミンストレルのテレパシーに意識を割く。

 今も高速で演算を続けているが、まだファミリアは展開できない。

 ベニヒメの下まで駆けるか?

 

律は鈍いからなぁ

律を置いていっちゃう

律はひとりぼっち

 

 一瞬で3体に増えた黒い影は、聞くに堪えない雑音を発する。

 おそらくは記憶から抽出した誰かの声。

 取るに足らない雑言だが、今のベニヒメには──

 

「ひとり、ぼっち…?」

 

 効果を発揮する。

 翠の瞳から光が消え、虚ろな闇に支配される。

 同時に胸元の勾玉も輝きを失い、周囲に禍々しいエナが放射され始める。

 まずい。

 

「ベニヒメ!」

「い、いや……」

 

 顔を両手で覆うベニヒメに、声は届かない。

 9つの狐火が旋回を始め、速度を増していく。

 

「ひとりぼっちは──」

 

 権能による加速。

 青き光輪となった狐火は、触れた雨粒を一瞬で蒸発させる。

 

「いや!」

 

 そして、ベニヒメはマジックを発動させた。

 ろくに照準もしていない、穴だらけの面制圧。

 だが、私の身体能力では躱せない──

 

下がってください、シルバーロータス!

 

 灰青色の巨躯が立ち塞がり、青が爆ぜた。 

 積層構造の外殻が一部の層を剥離させ、エナを放散させる。

 それでも衝撃を減衰できず、重量級ファミリアの巨躯が宙に浮く。

 

「くっ…!」

 

 熱波が肌を撫で、私は姿勢を落とす。

 そのまま吹き飛ばされるヤシガニの下を潜って、墓石の陰へ滑り込む。

 

 質量が落下し、墓地が揺れる──追撃はない。

 

 高熱のマジックが炸裂したことで、水蒸気が立ち上っている。

 そこに口から漏れた白い息が混じる。

 

「……領域の掌握は?」

 

 口を強く引き結び、墓石の陰からインクブスの様子を窺う。

 黒い影は徐々に人型へ近づき、色を帯び始める。

 

順調です。ただ──」

 

 それは迷彩柄の戦闘服となり、手に持つライフルを私へ向けた。

 

わわっ!?

 

 重々しい銃声が響き、墓石の上面が吹き飛ぶ。

 左肩にしがみつくパートナーを確認し、砂利を蹴る。

 分かっていたが、ライフルの威力じゃない。

 

ベニヒメさんの侵食が想定よりも深刻です…!

 

 鳴り響く銃声。

 墓石が砕け散り、跳ねてきた砂利が背中を叩く。

 想定外は今に始まったことじゃないが、芳しくない。

 

律、心配しないで

僕が守ってあげよう

 

 ベニヒメを取り囲む迷彩柄の人影が不規則に揺れ動く。

 そのヘルメットの下は()()()()()()だ。

 しかし、甘言を囁くインクブスは最後の一歩が踏み込めない。

 燈火のように燃ゆる狐火が接近を阻んでいる。

 

「本体を潰すだけでは──ちっ!」

 

 墓石の陰から生えた腕へククリナイフを振り抜く。

 枯れ枝のような腕が宙を舞う中、なおも健在の片腕を伸ばす異形。

 

 返す刃を顎に叩き込む──二つに割れた頭頂部から体液が噴き出す。

 

 この異形、軽量型フェアリーリングの目的は足止めだ。

 追撃が来る前に、左肩のパートナーと視線を交える。

 

惜しかったねぇ、ご同類!

 

 墓石を踏み台に跳躍した異形が頭上より迫る。

 その場で膝を突き、白磁の装束が映る水溜まりに左手を置く。

 

ほら、逃げないとぉ──」

 

 白い水面が弾け、私の髪を風が弄ぶ。

 

 そして、雨が止む──頭上で静止する異形の影。

 

 その腹を貫く黒褐色の下唇(かし)は、足下の水溜まりから伸びていた。

 私の姿を映す水溜まりには、オニヤンマの幼虫が全身を沈めている。

 物理法則の歪んだ世界ならではのアンブッシュだ。

 

このまま本体を消滅させると……ベニヒメさんの自我が()()()()()()()

 

 軽量型フェアリーリングの死骸が水溜まりに沈んでいき、再び銃声が響く。

 砕かれた墓石の破片を左腕で防ぎつつ、次の遮蔽まで駆ける。

 

「切り離す必要があるわけか」

はい

 

 インクブスのエナを除去して解決、とはならない。

 ラーズグリーズ曰く苗床となった者の治療が難航する要因の一つ。

 異物であっても体を巡っていた代物は心身と強く結び付いてしまっている。

 それを強制的に除去すると致命的な結果を招く。

 

釣れないねぇ…!

 

 連なる墓石を蹴り、雨の中を跳ねる軽量型フェアリーリングの影。

 そして、その後方から砂利を踏み砕く足音が迫る。

 

仲良くしよぅがぁ!?

 

 灰青色の巨躯が墓石を吹き飛ばし、重厚な鋏が雨を切り裂く。

 

 一刀両断──異形の上半身が無様に転がる。

 

 ようやく復帰したヤシガニは積層構造の外殻が焼け、第二触角が1本失われていた。

 それでも私の盾として立つ。

 

ベニヒメさんのエナに働きかけることさえできれば、排除できるはずです

 

 私には知覚の難しい領域だ。

 パートナーによる言語化がなければ、理解に手間取っていただろう。

 身に纏った白磁の装束を撫で、その恩恵を噛み締める。

 

ただ、全てを拒絶している今の状態では……

 

 銃声が絶えず響き、背を預けるヤシガニの外殻で火花が弾けた。

 雨に吸い込まれる火花の間隙から敵陣を睨む。

 

「説得か」

あるいは接触してエナを通わせるしかありません

 

 6体に増えた幻影は弾幕を形成することで接近を阻む心算らしい。

 国防軍の真似事をしてでも私を近づけたくないと見える。

 

 だが、突破は不可能じゃない──問題は突破した後だ。

 

 耳を塞いで縮こまるベニヒメの周囲を旋回する狐火。

 あれは彼女を守るための迎撃機構であり、重量級ファミリアすら退ける。

 私の身体能力では、まず回避は不可能だ。

 つまり、説得しかない。

 

「よし……やるぞ」

 

 迷っている時間はなかった。

 ベニヒメを正気に戻し、インクブス真菌を駆逐する。

 言葉を尽くしても彼女に届くか、それは分からない。

 だが、ここには私しかいないのだ。

 

「まず、取り巻きを潰すぞ」

 

 ゆっくりと立ち上がり、ミンストレルのテレパシーに集中する。

 掌握した領域のエナを変換、攻撃に転用。

 

はい!

 

 パートナーの声が雨音に溶けていく。

 降り注いだ雨水が飽和し、砂利を覆い隠して鉛色の水面を形成する。

 

 雨音と銃声──そこに水を弾く微かな音。

 

 視界の端、鉛色の水面に覆われた墓地を高速で滑走する影。

 数にして6体。

 

なんだ、また虫けら…か?

 

 それは体長を超える長さの中脚と後脚を使い、水面を滑走するアメンボだ。

 褐色の影を追うライフルの銃口が火を噴く。

 マジックの一つでも使えばいいものを。 

 

ちっ……無駄、無駄だよ!

 

 弾丸は全て水柱となり、アメンボが水面に残した波紋を乱す。

 1ストロークの生み出す速度がゴキブリの3倍とされるアメンボに、人間の形態で追従できるものかよ。

 ヤシガニの背甲を軽く叩き、前進を開始する。

 

何をやっても無駄、もう諦めろって!

 

 インクブスは苛立ちを嘲りで覆い隠す。

 呼応するように、軽量型フェアリーリング4体が雨のベールを突き破って現れる。

 私を狙う判断は悪くない。

 だが──

 

「馬鹿の一つ覚えだ」

 

 異形たちが水面を踏んだ瞬間、白い水飛沫に覆い隠される。

 枯れ枝のような脚を刈り、獲物を水底へ引き込む灰褐色の大鎌。

 タガメの捕獲脚から逃れることは不可能。

 

 墓地ではなくビオトープ(生物生息空間)と化した世界──ここは、もう()()()()だ。

 

 インクブス真菌は、損失を挽回するためにリソースを逐次投入している。

 それが失敗だと感づく前に叩き潰す。

 

噛みつくしか能がないんだろぉ?

 

 ベニヒメを中心に大きな円陣を組む幻影。

 アメンボの接近を阻む連中は、やはり足下が見えていない。

 

ほらほ──がぁっ!?

 

 龍の如き長大な身体が水面より飛び出し、円陣の1体を強襲する。

 雨空へ向いたライフルが銃火を放ち、翡翠色の外骨格を照らした。

 そのまま獲物を引き摺り、リュウジンオオムカデは水面へ沈み込む。

 

鬱陶しい!

 

 身体をくねらせて優雅に泳ぐ影は、墓石の下を潜って銃撃を躱す。

 

いちいち喧しいインクブスですね…!

 

 弱者を嬲らずにはいられない。

 愚者を嘲笑わずにはいられない。

 多少生態が異なったところでインクブスだ。

 

「いつもと変わらん」

 

 ククリナイフを低く構え、一気に距離を縮めんと駆ける。

 その姿を捉えたヤシガニも同時に動く。

 全長の半分を占める脚が水面を叩き、水飛沫を纏って巨躯を加速させる。

 

消えろ、虫けら!

 

 灰青色の外殻で銃火が弾けた。

 ヤシガニはオカヤドカリ科の甲殻類であって虫ではない。

 円陣の半分を一撃で削り取り、鋏を閉じる音が雨中に響き渡った。

 黒い体液を散らす人型の残骸が雨と共に降る。

 

くそが──」

 

 それらを躱し、鋏を逃れた人影へククリナイフを振り抜く。

 斬るというより叩きつける乱暴な一打。

 腐ってもウィッチの膂力でヘルメットごと首を折り、のっぺらぼうを沈黙させる。

 

ぐぁがっごはっ……

 

 残る1体は殺到したアメンボに引き倒され、全身を口器で貫かれる。

 それを確認してから、ククリナイフを振って黒い体液を飛ばす。

 

 黒い波紋が広がる鉛色の水面──そこには迷彩柄の戦闘服が浮かぶ。

 

 幻影と分かっていても、気分の良い光景じゃない。

 肺から濁った息を吐き出し、彼女と相対する。

 

「ベニヒメ……いや、政木」

 

 エナの感知に鈍い私でも、その華奢な身体からインクブスのエナを感じ取れた。

 

 黒い和装に浮かぶ白い模様は──菌糸だ。

 

 視覚化された侵食。

 今は止まっているが、いつ再開されても不思議ではない。

 

「金城たちが待ってる」

 

 金城の名前を聞いた瞬間、肩が小さく跳ねた。

 

「誰も置いて行ったりしない」

 

 しかし、狐火は外敵を威嚇するように旋回を続けている。

 本人以外が語ったところで響くはずもないか。

 とにかく話しかけ続け、彼女の反応を窺う。

 

「私も待ってる」

 

 口から出たのは、責任感のない言葉。

 受動的で、他者に便乗しているだけの軽率な同調。

 自己嫌悪に襲われるが、今は無視する。

 

「約束しただろう?」

 

 私の力になる、と政木は約束してくれた。

 本当は約束なんて守らなくてもいい。

 こちらへ戻ってきてくれれば──

 

「…ごめん、なさい」

 

 蚊の鳴くような声だった。

 

「……せっかく、友達になれたのに」

 

 頭の狐耳を押さえて座り込む少女は、ぽつりぽつりと語り出す。

 その声は、降り注ぐ雨音に負けてしまうほど弱々しい。 

 

「傷つくのが、見てられなくて……」

 

 黙って耳を傾け、口を強く引き結ぶ。

 あの無意味な自傷が及ぼす影響を甘く見ていた。

 私を友達だと言ってくれる少女が何も思わないはずがないだろうに。

 

「全部、全部……私のためだった」

「それの何がいけない」

 

 人々のために戦うウィッチが、自分を優先して何が悪い。

 そもそも、他者の痛みに敏感な政木が自己中心的とは思わない。

 自罰思考の私よりも周囲を見て、思い悩んでいる。

 否定させるものか。

 

そうだね

 

 至近にインクブスの影が生えた。

 

 ククリナイフを真正面に構え、盾に──眼前で狐火が爆ぜる。

 

 青白い火花が散り、衝撃で足が宙に浮く。

 そのまま背後に向かって吹き飛ばされ、水溜まりの上を無様に転がる。

 

「東さんっ」

「ちっ…!」

 

 すぐさま身体を起こし、後退してきたヤシガニを盾にする。

 積層構造の外殻が弾く狐火は、政木が放っているわけではない。

 

 

 狐火の制御を握ったインクブスが声を発する。

 雑音は混じっているが、聞き間違えようがない。

 彼の声だ。

 

「お兄ちゃん…?」

そうだよ

 

 迷彩柄の人影を見上げる政木は、虚ろな瞳を大きく見開く。

 

ただいま、律

 

 政木優二の姿を模した化け物が笑う。

 その微笑みは空虚で、私を見遣る目には嘲笑が浮かぶ。

 

 なぜ、今まで使ってこなかったのか──どうでもいい。

 

 眼前の存在は、確実に滅ぼさなければならない。

 誰の許しを得て、その姿を模した?

 故人の記憶を汚すなよ、菌類が。

 軽くなった右手を見遣れば、ククリナイフの刀身が大きく欠けていた。

 知ったことか──

 

シルバーロータス!

 

 焦燥感に満ちたパートナーの声で、我に返る。

 怒りに身を任せたところで得られる成果はない。

 一呼吸置く。

 

「すまん」

 

 あれは政木の兄じゃない。

 この世界から駆逐すべきインクブスだ。

 思考を切り替え、把握できている情報から戦術を練る。

 

「奴は、エナの消耗を恐れている」

それは間違いありませんが…

 

 インクブス真菌は侵食にもエナを用いている。

 ファミリアと交戦し、消耗するたびに侵食の速度は鈍り、領域の掌握が加速した。

 リソースが共通なのだ。

 

こちらの掌握より供給の方が早いです…!

 

 政木の纏う和装に食い込んだ菌糸は、今になって仮足を伸ばし始めている。

 だが、その速度は恐ろしく鈍い。

 勝機はある。

 

「供給を消耗で上回ればいい」

 

 投射される狐火はインクブスのエナを帯びていた。

 ウィッチとインクブスの境界線が曖昧になっているのだ。

 

そんなことが……

「できる」

 

 攪乱目的のアメンボに対する迎撃は最低限、こちらへの攻撃は止んだ。

 狐火の多くは政木の周囲に滞空している。

 インクブス真菌は完全にマジックの主導権を握れていない。

 ならば──

 

「マジックを誘発して、エナを消耗させる」

 

 マジックを使用させることで、瞬間的にエナを消耗させる。

 政木がインクブスの傀儡となる前に。

 正直、分の悪い賭けだ。

 

分かりました。やりましょう!

「ああ、やるぞ」

 

 それでも快諾してくれたパートナーへ頷きを返す。

 静かに目を閉じて、テレパシーへ集中する。

 ミンストレルへ掌握した領域のエナをヤシガニの外殻へ集めるよう指示。

 盾は生命線だ。

 

「…仕掛ける」

 

 エナを消耗させるためには、高威力のマジックを誘発する必要がある。

 深く息を吸い、欠けたククリナイフに代わる刃を研ぐ。

 そして、標的を見据える。

 

もう僕がいるから心配いらな──」

「政木優二は死んだ」

 

 白々しい言葉を遮り、ただ事実を突きつける。

 眉を顰めるもインクブスは口を噤むだけ。

 それでいい。

 

「え?」

 

 初めから狙いは、政木だ。

 

「何を、言ってるの…?」

 

 故人と再会し、一縷の望みを見出していた少女は狼狽える。

 本当に彼が帰ってきたと信じ切れていない。

 そこを狙う。

 

「お兄ちゃんなら、ここに…!」

「なら、そこに刻まれている名前はなんだ」

 

 欠けたククリナイフの切先を墓石へ向ける。

 幻影に縋りつこうとする彼女に、事実という刃を振るう。

 萎びていた狐耳が立ち、瞳孔が細く狭まる。

 

「死者は絶対に甦らない」

 

 そこへ無慈悲に言い放つ。

 

 溢れ出す膨大なエナ──妖狐が目を覚ます。

 

 アズールノヴァや黒狼を凌駕するエナの放射。

 それはインクブスのエナを巻き込み、禍々しい狐火を形成する。

 

「どうして…?」

律、落ち着いて

 

 感情を制御できなくなった妖狐は、虚無から狐火を次々と生み出す。

 想定通り、とは言えない。

 あらゆるマジックから私を護ってきたヤシガニも、この規模は初めてだ。

 額を伝う雫は雨じゃない。

 

「ひどいよ……どうして」

 

 無数の狐火が螺旋を描いて雨空を覆う。

 ヤシガニの足下から見える空は、まるで星空のようだった。

 

「そんなこと言うの!?」

 

 悲鳴のような叫びに呼応し、その全てが弾ける。

 

効力射が来ます!

 

 国防軍の空爆など可愛いものだ。 

 マジックによる効力射とは、天変地異に近い。

 

 星空が降ってくる──その言葉に語弊はない。

 

 着弾と同時に視界が青一色に染まる。



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首肯

 耳鳴りが止み、周囲の音を拾う。

 ぱちぱち、と火花の弾ける音。

 水蒸気の立ち上る水面を叩く雨の音。

 

「──無事ですか、シルバーロータス!

 

 そして、パートナーの声が耳に届く。

 政木家の1基を残して墓石は破砕され、視界を遮るものはない。

 ヤシガニを含むファミリアは水蒸気と共に消えた。

 

「…ああ」

 

 記憶から出力された幻影とはいえ、ヤシガニを跡形もなく消滅させるか。

 さすがはナンバーズの一角。

 

 消費したエナも膨大だ──インクブスのエナが激減している。

 

 ベニヒメとエナを混交した結果、インクブス真菌はリソースを大幅に失った。

 だが、私もファミリアを失い、条件は五分五分。

 

「お兄ちゃんは、ここにいる」

 

 視界の端で、ゆらりと狐火が揺れる。

 両手で顔を覆った政木は、言い聞かせるように言葉を紡ぐ。

 

「…ここにいるよ」

 

 それ以外を認めないと言わんばかりに、九つの尻尾で世界を閉ざしている。

 

「帰ってきたんだよ……」

 

 それは願望だ。

 二度と叶わないと理解しながら縋っている。

 いつ歩き出すか、決めるのは政木だ。

 だが──

 

「違う」

 

 空虚な幻影に縋ることだけは否定しなければならない。

 エナの感知に優れる政木は、傍らの存在がインクブスだと理解しているはずだ。

 

「それはインクブスだ」

 

 何度でも言う。

 傍らに立つ幻影の内には邪悪が犇めき、蠢いている。

 それが政木優二なものか。

 刀身の欠けたククリナイフを握り直し、今一度インクブスを観察する。

 

ひどいなぁ、蓮花ちゃん

 

 立ち上る水蒸気の影から現れる幻影。

 迷彩柄の戦闘服を纏い、ライフルを携えた青年の姿。

 彼とは似ても似つかない醜悪な笑みを浮かべ、当然のように墓石の隣に立つ。

 

僕は政木優二だよ

 

 反吐が出る。

 故人の記憶を汚すなよ、インクブスが。

 

「お前は表面的にしか人間を理解できない」

 

 記憶とは曖昧で、時に願望も混じり、欠けた部位を補う。

 現実との齟齬が生じることも、よくある。

 人間を見下すインクブスには、その機微が理解できない。

 

「だから、初歩的なミスを犯す」

ミス?

 

 私の前に現れた彼との違いは、ただ一つ。

 静かに息を吸い、短絡的な感情を沈降させていく。

 今、必要なのは言葉だ。

 

「律」

 

 はっきりと彼女の名を呼び、閉じた世界を開かせる。

 一瞬でいい。

 彼女の顔を上げさせ、翠の瞳を真っすぐ見据える。

 

「どうして腕時計が2つある?」

 

 ただいま、と傍らの存在は言った。

 ならば、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 しかし、その左腕には質素な腕時計──あの手巻き式の軍用時計があった。

 

 傷の位置まで覚えてはいない。

 だが、雨の中であっても見逃すものか。

 

「腕、時計……」

 

 政木の細い喉が震える。

 開かれた翠の瞳に頷きを返す。

 視線が手元に落とされ、それから傍らの幻影へ向けられる。

 

これが一体、どうしたんだい?

 

 その意味が理解できないインクブスは、苦笑を浮かべた。

 ただ、腕時計を隠すように袖を下ろす。

 

「分かるものかよ、お前に」

 

 腰から下げたシースを外し、左半身を隠すように構える。

 彼我の距離は30mほど、狙うは短期決戦。

 左肩のパートナーと視線を交え、小さく息を吸う。

 

「出来の悪い模造品め」

 

 ただ淡々と、最大限の侮蔑を込めて挑発する。

 それだけで露骨に表情を歪めるインクブス。

 

 ライフルの銃口が真円を描く──好都合だ。

 

 白磁の装束が映り込む水面を蹴り、水蒸気の揺蕩う墓地を駆ける。

 銃口を突きつけられるのは、一度や二度ではない。

 恐れず前へ踏み込む。

 

模造品か…確かめてみるかい!

 

 銃口で炎が瞬く。

 構えたシースから衝撃が伝わり、硬質な音が鼓膜を叩いた。

 頬を弾丸が擦過し、銀の髪を弄ぶ。

 

「ぐっ…!」

 

 脇腹に強い衝撃が走り、息が詰まる。

 防御力を高めた装束でも衝撃を殺せない一撃。

 

 致命傷か──今は捨て置け。

 

 ただ、囮の役目は果たせばいい。

 

「東さんっ」

 

 絶望に染まる政木へ笑ってみせる。

 痛みで揺れる視線をインクブスの足下へ移せば、迫る影。

 揺蕩う紐は蛇となり、やがて龍へと変化する。

 

今です!

 

 盛り上がった水面が割れ、白い水飛沫を散らす。

 青き炎に照らされた翡翠色の外骨格が光り輝く。

 

こいつ、生き──」

 

 慌てて振り向くインクブスの脆弱な横腹を龍の顎が捉えた。

 ライフルが空中に放り投げられ、骨の砕ける嫌な音が響き渡る。

 

ぐぁぁぁぁぁ!

 

 くの字に折れ曲がった迷彩柄の人影が、鉛色の水面へ叩き込まれる。

 水飛沫が舞い、音もなく広がる波紋。

 リュウジンオオムカデは獲物を咥えたまま墓石の下まで潜航していく。

 

 インクブスのエナが霧散する──リソースを食い潰したか。

 

 血の滲む頬を右手で拭い、左手に視線を落とす。

 弾痕の穿たれたシースは見事に役目を果たし、パートナーと私の頭を護った。

 そこに刀身の欠けたククリナイフを差し込む。

 

シルバーロータスっ

「問題ない」

 

 切迫した声を出すパートナーへ小さく口元を緩めてみせる。

 脇腹に広がる鈍痛で引き攣りそうになるが、奥歯を噛んで誤魔化す。

 それよりも政木だ。

 

「東さん!」

 

 駆け寄ってくる少女は喪服のように黒い和装を纏ったまま。

 しかし、今にも涙の溢れそうな瞳には生気が戻っていた。

 

 シースを手放す──飛び込んできた政木を両手で受け止める。

 

 私の貧弱な力でも辛うじて踏み止まれた。

 軽いものだ。

 

「よかった……ほんとうに……」

 

 ようやく接触できた。

 その身体は冷え切っていたが、しっかりと心音が聞こえる。

 安堵の息を吐き、左肩のパートナーへアイコンタクト。

 

「あ、さっき撃たれて…!」

「大した怪我じゃない」

 

 慌てて離れようとする政木を抱き留める。

 まだ、措置が終わっていない。

 脇腹の焼けるような痛みは罰の一つと思って受け入れる。

 それよりも、政木に謝らなければならない。

 

「お兄さんのこと…すまなかった」

 

 マジックを誘発するために、私は彼女を傷つけた。

 必要なことだから、何を言っても許されるわけではない。

 最低な友達もいたものだ。

 

「……謝るのは、私の方だよ」

 

 自嘲する私の背中を撫でる手は、まるで壊れ物でも扱うようだった。

 

「お兄ちゃんが帰ってくるはずないのに……東さんを傷つけて……」

 

 インクブスに侵食された状態で、正常な判断を下せるはずがない。

 しかし、それで納得はしないだろう。

 自罰的な思考になりがちな点は、私と似ているのかもしれない。

 

「本当に、私は──」

「律は、自分のためだと言ったな」

 

 だが、それ以上は言わせない。

 痛みと疲労で思考が止まる前に、伝えたい事を吐き出させてもらう。

 

「私もだ」

「え…?」

 

 そう言って苦笑を漏らす私に、律は困惑する。

 いつの間にか雨は上がり、灰色の空が茜色に染まっていく。

 

「こうして助けに来たのは、私のためだ」

 

 政木律だけの専売特許じゃない。

 私も大概だ。

 視界の端に見える和装から黒が剥離し、美しい紅が顔を覗かせる。

 順調にインクブスのエナを排除できている。

 

「私は口下手で、あの身なりだから友達がいなかった」

 

 コミュニケーション能力は低く、常に仏頂面で、長い黒髪以外に特筆すべき個性がない。

 

「だからと言って行動もしない。当然の孤立だ」

 

 他者との交流を避け、それを改善しようとしなかった。

 日常でも、非日常でも。

 アズールノヴァやラーズグリーズが例外だった。

 

「でも、律たちは踏み込んできてくれた」

 

 あの雨の降る河川敷で、その例外が変わった。

 

 私の力になる──そう宣った少女を受け入れてしまった。

 

 本来、庇護されるべき子どもを引き込んだことを後悔した。

 殺戮者のくせに平穏な日常を送れることに罪悪感を覚えた。

 

「おかげで、私は居場所を見失わず立っていられる」

 

 だが、それ以上に救われていた。

 頼もしい協力者であり、私を日常へ連れ戻してくれる彼女たちに。

 

「ありがとう」

 

 改めて感謝を口にする。

 平穏な日常があったおかげで、私は私で在り続けられた。

 

「だから……」

 

 細い肩に手を添え、そっと体を離す。

 それから改めて律の顔を見据える。

 涙を湛える瞳は翡翠のように美しく、輝いて見えた。

 

「帰ってきてくれないか?」

 

 それが酷な願いだと分かっている。

 だが、それでも律には微笑んでいてほしい。

 そう願う。

 

 回答は──頬を伝う涙だった。

 

 それは茜色に染まった水面へと落ちた。

 静かに波紋が広がり、紅の装いを纏ったウィッチの姿が揺れる。

 

「うん…うんっ」

 

 何度も頷く律は流れる涙を袖で拭うが、止まる気配はない。

 細い肩から手を放し、そっと頭に手を置く。

 

 ──芙花を宥める時のように、優しく撫でる。

 

 嗚咽が安らかな寝息に変わるまで。

 

…エナの安定を確認しました

 

 パートナーの穏やかな声に頷きで応じる。

 勾玉に宿る光が静まり、夕陽の光だけが私たちを照らす。

 悪くない気分だ。

 残す問題は──

 

はいはい、良かったね

 

 声の方角へ振り向けば、当然のようにインクブスが立っていた。

 そろそろ見飽きた面だ。

 

友達ごっこは終わりかな、蓮花ちゃん?

 

 枯れ枝のような身体を軋ませ、インクブス真菌は問う。

 余裕があるように振る舞っているが、私では感じ取れないほどエナが微弱だ。

 焦燥が手に取るように分かる。

 

僕たちと同じ()()()のくせに

「それがどうした?」

 

 英雄と死神は紙一重だ。

 そして、死神と怪物は置換できる。

 あれだけ同胞の屍を積み上げても、目の前にいるウィッチが理解できないのか?

 おめでたい連中だ。

 

まぁ、いいか

 

 悠長に近寄ってくるインクブスは、口元に邪悪な笑みを浮かべている。

 その姿が滑稽でならない。

 

ようやく…

 

 鈍痛と熱を発していた脇腹の感覚が急速に薄れていく。

 耳鳴りが酷い。

 それでも政木の身体を抱き留め、しっかりと支える。

 

種が食い込んだ

 

 それで勝利を確信か。

 このインクブスは一度も敗北したことがないのだろう。

 だからこそ、詰めが甘い。

 

 

 パックルは勝利を確信した。

 幾度と阻まれてきた攻撃が、ついに獲物の腹を貫いたのだ。

 己のエナを奪われ、定めた理を覆された時は敗北を予感した。

 しかし、領域外のピスキーからエナの供給を受けてでも、攻撃を続けた甲斐があった。

 

よくも手こずらせてくれたねぇ?

 

 敗者であることを獲物に認識させるため、パックルは悠然と歩み寄る。

 

 そして、シルバーロータス──東蓮花を見下ろす。

 

 用済みとなったウィッチ(政木律)を庇うように抱き、今も敵意を放っている。

 しかし、白い肌は血色を失い、脇腹から滲む血が白磁の装束を侵す。

 彼女の意識は限界が近い。

 

でも、今度こそ終わり

 

 種が食い込んだ点は致命的だが、実のところ彼女の肉体は損傷していない。

 パックルの領域内で生じた事象は、現実に作用しないのだ。

 

玩具にしてやるよ

 

 ゆえに、負傷を誤認している今、傀儡とする必要があった。

 逸る気を抑えて、エナの不足によって軋む右腕を向け──

 

「レギ」

 

 インクブスの姿を映す紅い目に恐怖や後悔はなかった。

 ただ純粋な敵意だけが宿っていた。

 幾度と分身を粉砕してきたファミリアを彷彿とさせる目に、パックルは一歩後退る。

 それは本能的な忌避だった。

 

「奴を滅ぼせ」

 

 東蓮花は一切の感情を排した声で告げる。

 死の宣告を。

 

分かりました

 

 対する左肩のパートナーは、主の命に了承で応じる。

 

 言葉は不要──ただ為すべきことを為す。

 

 それを聞き届けた東蓮花は目を閉じ、全身から力が抜けていく。

 同時に敵意も霧散し、夕陽に照らされる少女は沈黙した。

 

僕を滅ぼすだってぇ…?

 

 無防備な獲物を前にして、パックルは口元を大きく歪める。

 

はははっ! 傑作だ!

 

 この世界で自ら意識を手放すなど抵抗を諦めたも同然。

 種の発芽はより容易となるだろう。

 しかし、パックルとしては強制的に覚醒させ、徹底的に可愛がる心算だった。

 それを邪魔できる者はいない──

 

ウィッチの小間使いに何が

 

 はずだった。

 刹那、世界の色が反転する。

 

口を慎め、痴れ者が

 

 聞く者を平伏させる厳かな声。

 そして、夕陽を遮る巨影。

 

っ!?

 

 突如、現れた怪物を前にパックルは後方へ飛び退く。

 茜色の空を映す水面に波紋が広がる。

 

…誰だよ、お前

 

 獲物を前にして、一歩も踏み出すことができない。

 安らかな寝息を立てる少女たちを囲う8本の脚は、一瞬で彼我の距離を縮めることができる。

 擦り合わされる鋏角は、一太刀でパックルを四散させるだろう。

 

名乗る舌を持たん

 

 クモ目を模した漆黒の怪物は、当然のように言葉を発した。

 

 水面の波紋が消え失せ──花びらへ変質する。

 

 茜色に染まっていた水面が、朱を吸い込む銀の花びらに埋め尽くされる。

 それは少女たちを中心に際限なく広がっていく。

 

根を断つには足りぬか……まぁ、よい

 

 足下を満たす銀の花びらは、ウィッチのエナが可視化したもの。

 それを操る存在は、東蓮花のパートナー以外に考えられない。

 

へぇ……

 

 発芽に必要なエナまで奪い取られ、勝利の機会は失われた。

 しかし、パックルにとって初めての敗北など些細な事象へ成り下がっていた。

 強い執着心を抱かせた一個体の異常性に惹きつけられる。

 

 災厄──東蓮花の根源はインクブス、あるいは()()()()に近い。

 

 その性質ゆえにインクブスを喰らい、苗床とし、眷属を増やすことが可能。

 しかし、それではウィッチから同族と認識されず、排除の対象となるだろう。

 

同類と思ってたけど……

 

 枯れ枝のような手が空を掴み、1枚の花びらを握り潰す。

 インクブスを拒むエナは指の隙間から逃げていく。

 しかし、エナの感知に長けたピスキーの長は、その刹那に揺らぎを捉える。

 

 揺らぎの裏に流れる異種のエナ──それはインクブスと同質だった。

 

 ウィッチやパートナーを欺くエナを纏い、さも同族のように振舞う。

 巧妙な擬態だ。

 

なるほどねぇ

 

 握り締めた手を開き、虚無を確かめたパックルは嗤う。

 他者との結束を必要としない怪物は、その擬態の意味を理解した。

 

お前、小間使いじゃないな?

 

 漆黒の外骨格が波打ち、禍々しいエナが微かに漏れ出す。

 その気配はウィッチのパートナーなどではない。

 

同類は訂正するよ

 

 ヒトを喰らい、ヒトの雌を苗床にして増殖するインクブス。

 その生態やエナの性質は似通っているかもしれない。

 しかし、災厄に()()は存在しない。

 

とんだ化け物だ

 

 天敵と成り得るウィッチに擬態し、安定的にインクブスを捕食し続ける。

 淘汰の恐れがない捕食者、それも生態系を滅ぼす頂点捕食者。

 その歪な存在は、明らかに世界の理から外れている。

 

餌が喋るな

 

 花びらが舞い上がり、茜色の空を銀世界へ変える。

 そして、真の姿を現した大地が震え出す。

 

 橙色の大地──否、それは無数の翅だ。

 

 高速で振動する翅が大気を震撼させ、耳障りな高音を発する。

 それは、母を害する存在に対する最後通牒。

 

潰せ

 

 ミツバチの群体は外敵目掛けて一斉に突進する。

 世界は橙と黒の縞模様に覆われ、パックルに退けるだけのエナはない。

 無数の脚が伸ばされ、黒い外皮に爪を立てる。

 

今回は──」

 

 全方向からの圧迫。

 枯れ枝のような身体が軋み、悲鳴を上げる。

 

…勝ぃ…ぁ譲ってやる…ょ

 

 それでも圧死しなかったパックルが口を開く。

 ミツバチもといミンストレルは小型に分類されるファミリアであり、基本的に戦闘は不得手。

 しかし、例外がある。

 

 それはニホンミツバチの防衛行動──熱殺蜂球を模倣する時だ。

 

 天敵のオオスズメバチを球状に囲んで蒸し殺す戦法は、インクブスに対しても猛威を振るう。

 ファミリアの耐熱温度は原種の比ではない。

 

…次にぃ……会う…時がぁ…

 

 圧迫を続けるミンストレルは、腹部の筋肉と翅を振動させて熱量を生み出す。 

 エナを媒介に熱量を転移させ、中心部の温度を瞬く間に上昇させる。

 まるで溶鉱炉のようだ。

 高温に曝されたパックルは外皮が弾け、体液が一瞬で蒸発する。

 

たの…しみだ…ぁぁ…!

 

 そして、ついには発火した。

 自然現象とは異なり、消火は不可能。

 全身のエナを焼べて燃え盛る様は、文字通り命を燃やしている。

 やがて、赤い炎は青へと色を変え──

 

次などない

 

 線香花火のように一瞬で消え失せる。

 エナを燃やし尽くし、後には残滓も残らない。

 その無価値な顛末を見届けた黒曜石の眼は、小さき主の寝顔を映す。

 

そうでしょう、東さん?




 熱殺蜂球ってモフモフしてそうだよね(焼死)


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