【中編】蜘蛛屋敷~ボクとヤベぇ女の脱出夏休み戦争~ (影薄燕 / なろう大好き)
しおりを挟む

プロローグ 8月?日

 

 

「ハァ、ハァ……」

 

 自分の呼吸音がやけに大きく感じる。

 心臓がバクバクいって、中々落ち着いてくれない。

 

(ま、撒いた……か……?)

 

 確証は無い。

 相手は人外(・・)であり、この場所もまた普通ではないのだから。

 

(急いだらダメだ。それこそアイツの思うつぼだ)

 

 自分は今すぐこの場所――非常に広い屋敷から逃げ出さなければならない。

 が、そう簡単なことではないのだ。

 

 何せ屋敷の外観と違い、中は人が住むことを想定していないのではないかと思いたくなる程に入り組んだ作りとなっている。

 

 壁や廊下が斜めに設置されている。

 変な位置に窓がある。

 人が登ることを想定していない作りの階段がある。

 挙げ句の果てに、当たり前のように罠が存在する。

 

 

 ここ(・・)はそんな場所なのだ。

 

 

「……よし。こっちだ」

 

 皮肉な話だけど、何度もここから出ようとした経験から見覚えのある場所に限ってどこに行けばどこに出られるのかを把握している。

 

 建築法にケンカを売っているような作りの階段を静かに降りる。

 この階段から比較的出口に近い場所へ行くことができる。正直言って運の要素も高いけど、運さえ良ければ屋敷から出ることができる。

 

 

 

 ――が、今日は運が悪い日だったらしい。それも斜め上に。

 

 

 

 ガコッ!と、足下から音が鳴った。

 

「へ?」

 

 そして感じるのは一瞬の浮遊感。

 

 ……なんということだ。

 先程まで降りていた階段が(たくみ)(?)の技術によって滑り台のようになってるではないか……って、

 

「忍者屋敷かああああああああああああああああっっっ!!?」

 

 滑った。

 めっちゃ滑った。

 

 元々仕掛けが発動する位置が決まっていたのか、滑り台になった辺りから下の材質がいつの間にか滑りやすい素材になってるではないか。

 

 結果、ボクの体はおもしろいぐらい滑り台へと変貌した階段を滑っていく。

 止まりたいけど掴まることのできる箇所が無いし、ちょっと角度が急だからか勢いよく滑っているので体勢を変えるのも難しい。

 

 

 で、滑り台である以上は終着点も存在するわけで――

 

 

「ふぎゅっ!?」

 

 突然目の前に現れた柔らかい物体へと顔を突っ込んだ。

 

 それ(・・)は、ひっじょ~~~によく知った柔らかさであり、同時に、決死の逃走劇が終わったことを意味していた。

 

 

「 う ふ ふ ♡ 」

 

「あ、あ、あ゛あ ぁ……」

 

 

 絶望だ。

 そこに、絶望がいた。

 

 ボクよりずっと大きい大人の女性。

 黒をメインに所々白色のメッシュのようなものがある長い髪。

 そして獲物を捕まえたことに歓喜する、吸い込まれるかのような瞳。

 

 

 この屋敷の主が……そこにいた。

 

 

 そんな女性に、ボクはガッチリと捕まっていた。

 細長い腕が頭の後ろに回り込んでいて逃げられない。

 前は前で目のやり場に困るモノ(・・)があるので逃げられず。

 

 詰んだ。

 

「逃げるなんて悪い子ねー?」

 

「……自由への逃走だ」

 

「いつから、この私から逃げられると錯覚したのかしら?」

 

「やかましい! もうやだ! 家に帰るぅ!!」

 

「それはね? フラグって言うのよ?」

 

 捕まった状態で何処かへと運ばれる。

 十中八九あそこ(・・・)だ。

 地獄だと錯覚するようなもので溢れた“魔の部屋”だ。

 

「離せ! 離せぇえええええええええええ!!」

 

「ダ~メ♪」

 

 妖艶な笑みを浮かべる屋敷の主人。

 世の男のほとんどが振り向いてしまうだろうその表情。

 

 だが、ボクは騙されない。

 本来“笑う”という表情は、肉食獣が獲物を捕る際にするものであると知っているからだ。この女の笑みは……そういうことである。

 フラフラと引き寄せられれば、待っているのは生き地獄。終わりが見えず、逃げることも叶わない巨大な蜘蛛の巣。

 

 

 今日もまた、ボクの地獄が……始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日は“そ-くん”のためにぃ、スク水を用意したの~♪」

 

「ふざけるなあああああああああああ!!」

 

「他にもメイド服とかゴスロリ衣装も用意してみたよ♪」

 

「ボクは男だぞ!!」

 

「や~ん♡ 抵抗するそ-くんもカワイイ~~~♪」

 

「こんの、ショタコン女!!」

 

「そーくんが私をこんな風にしたんだよ? さあさあ、『ドキドキ♡衣装部屋』へレッツゴー!」

 

「あの『魔の部屋』を可愛らしく言うんじゃなーい!」

 

 

 

 

 何でこんなことになったのか。

 

 そうだ。あれは、夏休みが始まって何日かした頃のことだった。

 当時を思い出し、ボクは自分自身の好奇心を呪いたくなった。

 

 




 いろんな作品の要素がありますが、可能な限りオリジナリティーを出したいと思っています。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

7月31日 すべての始まり

「は? 父さんたちの会社が倒産した?」

 

 小学校最後の夏休み。

 7月31日。8月が迫り、本格的に暑くなってきた頃。

 家で夏休みの課題を片づけている最中、共働きしているはずの両親から告げられたのは予想外過ぎるカミングアウトであった。

 

「蒼太。オヤジギャグを言ってる場合じゃないんだ」

 

「そうよ、そーくん。ダジャレを言ってる場合じゃないの」

 

「そんなつもりはないから」

 

 

 

 高木蒼太(たかぎそうた)

 それがボクの名前だ。

 

 自分で言うのもなんだけど、年齢の割にはしっかりしている方だと思う。

 借金だけ残して死んだバカ祖父母の代わりに、両親はしっかり働いてお金を返しきった。幼い頃から自分たちの食事は手を抜くくせに、ボクの食事や学校で必要になるモノだけはちゃんと取らせる両親を少しでも楽させたくて、家の手伝いなどを積極的にしたのが原因だろう。

 

 で、そんな両親も借金を返済し終えたのを機に有名企業に2人揃って入社し、それに伴って都会のボロアパートから地方の小さい一軒家(ローンあり)へ引っ越したのが1月前のこと。

 

 本当なら母さんの方は仕事を辞めて家のことに集中してもらいたいところだったけど、ボクの高校や大学に行かせる分のお金が危ういんでこれまで同様働くことにしたそうだ。

 働き過ぎないか心配な面もあるが、是非がんばってほしい。

 さすがのボクも大学はまだしも、高校に通えないのは嫌だ。

 将来的な意味でも青春的な意味でも。

 

 新しい学校の生活は、あと少しで夏休みという半端な時期に転校したために仲の良いクラスメイトはまだいない。

 前の学校では普通に友達もいたし、残り半年の小学生ライフの間に仲良くなれそうな子を見つけて、中学校でしっかりとした友人関係を築きたい。

 

 

 閑話休題。

 

 

「まずは説明して。ボクでも分かるぐらい簡潔に」

 

「あぁ。……ぶっちゃけると、引っ越した数日後に会社が倒産したんだ」

 

「ぶっちゃけすぎでしょ!?」

 

 ほぼほぼ最初の方じゃないか!

 

「蒼太にこれ以上心配させたくないし、別に父さんたちは何もしていないとはいえ……引っ越してすぐに無職になったなんて……なぁ?」

 

「言えるわけないじゃない?」

 

「ごもっともで」

 

 これ、ボクだから一先ず冷静に話を聞いているけど、普通ボクぐらいの年齢でそんなこと聞かされたら軽くパニックになるだろうね。

 

 倒産の原因自体は、まぁ、良くあるタイプだ。

 汚職というか、脱税というか、情報流出というか……ようは会長・社長・幹部のほぼ全員で政治家たちがマジギレすることしていたと。

 酷すぎて会社の信用も地に落ちる――どころか地面に潜り込んだと。

 余りにも内容がアレ(・・)すぎて、国が介入したと。

 何にも関係ない社員たちを突然無職に追い込むわけだから、相応額の補助金や就労サービスもちゃんと両親は受け取ったそうだが……

 

「補助金のおかげで蒼太にはバレずにここ1ヶ月暮らすこともできたし、まだまだ余裕はあるんだけどな……」

 

「肝心の正社員採用の再就職先が見つからなくて……」

 

「マジか」

 

 今は臨時のバイト&パートで働いているけど、やはり正社員と比べると待遇やお給料が長期的に見てみると差が出てしまう。

 

 両親は何でもかんでもそつなくできるタイプじゃない。

 自分に合う仕事なら問題ないけど、合わない仕事だと精神的に参ってしまうタイプだ。実際、共働きの初期に母さんがそれで一時的にやつれてたし。

 

 それで自分たちに合った仕事を探そうと思うと中々上手くいかなかったと。

 

 都会と地方とじゃ単純に企業の数だけじゃなく求められるものも違ってくるだろうし、父さんと母さんは運悪く自分に合う仕事が見つけられなかった。

 

「そっかー。そうなると最悪、中学生になったらボクもバイトすることになっちゃうかも?って話になってくるの?」

 

 中学生でもやれるバイト……思いつかないけど、探せばあるはずだ。

 

「あ、そういうことじゃないんだ」

 

「……と言うと?」

 

「仕事の候補は見つかったの」

 

「……それ自体は良いことなんじゃ?」

 

 あとは面接するだけの状態ってことだろ?

 一発で採用してもらえればボクとしても嬉しいんだけど。

 

「あー、何と言うかその、ちゃんとした求人で見つけたわけじゃなくて、信用できる人を探していた人からのスカウトだったんだ」

 

「大丈夫なのそれ?」

 

 今の時代、そんなの怪しすぎない?

 

「いや、向こうも大分困ってるみたいでな。話を聞いた限りじゃ困ってる理由にも納得できるし、今の時点で信用できないんなら警察でも法律事務所でも好きに相談して保険を掛けといていいってことでな」

 

「労働条件的にも待遇含めて良い方だし、守秘義務がある代わりにお給金が倒産した例の会社よりもずっと良いのよ。これなら採用さえされれば、そーくんをちゃんとした大学に通わせることも夢じゃないって」

 

 両親は「不幸中の幸いだ」みたいに言ってるけど、こっちは不安すぎる。無計画ではないんだけど、どうもポジティブすぎるんだよな父さんと母さんって。

 ボクが遠くで友達と遊んでいた時も、連絡し忘れていたのを謝ったら「連絡がないのは元気でやってる証拠だ」って言う人たちだし。

 

「でだ。ここからが本題なんだが……」

 

「ここまでが前座だったの?」

 

 もうおなかいっぱいなんだけど。

 

「試験採用で1ヶ月間働くことになったんだが……」

 

「その間は住み込みで働くことになりそうなの」

 

「え? それって……」

 

 直後、両親が揃って土下座する。

 

「「お願い。8月中だけ1人で暮らしてください!」」

 

「……詳しいことを聞こうか」

 

 

 どうでもいいけど、両親揃っての土下座なんて見たくなかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8月1日(前編) ちょっとした好奇心

 

 1ヶ月。文字すればたったの3文字。

 たった1ヶ月、されど1ヶ月。小学生にとっては十分長い期間だ。

 

「それじゃ行ってくるぞ」

 

「何かあれば連絡するのよ? 繋がらないようならご近所さんや、ちょっと遠いけど交番に相談するようにね」

 

「分かったって」

 

 今日。8月1日から、8月30日まで父さんと母さんは試験採用ということで住み込みで働きに行く。

 せめてどこで何をするのかだけでも教えてほしかったけど、仕事先との約束で例え家族でも教えるわけにはいかないらしい。

 

 姿が見えなくなるまで両親の姿を見送ったボクは小さく息を吐く。

 

(保険は掛けていたみたいだけど……大丈夫だよね?)

 

 何日も前に父さんは法律事務所関係で、母さんは警察関係で、それぞれ期日までに帰って来れなかった場合の備えは一応してきたらしい。

 

 仕事先のことは怪しいことこのうえないけど、ちゃんと国に認められた企業だったようで、必用な資料として渡されたモノなども問題なかったらしい。

 

 帰ってくるのは8月31日。つまり夏休み最終日だ。

 

 もしもその日、夜になっても帰ってこないようなら交番に駆け込まなければならないなーなどと考えてみたり。

 

「さて……どうするかなー?」

 

 少し前までは共働きの両親のこともあって1人だけで過ごすことに何も思うことはなかったけど、夕方になっても戻ってこないなんてことはなかった。

 それが、これから1ヶ月も続くとなるとさすがに寂しくなる。

 

 だけど、これは重要なことだ。

 ボクの将来が掛かっているのだから。

 

 ボクだって両親と同じで何でもそつなくこなせるタイプではない。

 学校通って勉強しながらバイトとか正直言えばやりたくない。

 

 1ヶ月我慢すれば将来の心配事が大分減ると思えばポジティブになれる。

 

 夏休みの課題も、転校生とか関係なく普通に出されたので毎日少しずつやれば問題なく終わる。自由研究は――適当に何か植物でも育てれば良いだろう。

 

 

 そう。問題はそれ以外のことだ。

 

 

「な~んにもすることないな~」

 

 “何もすること・予定がない”!

 まさに、それにつきる。

 

 そもそもボクは夏休みの空いた時間は友達と遊んでばかりいた。

 

 たまに父さん、母さん、ボクと3人で海や遊園地に連れて行ってもらうこともあったけど、今年は望めない。

 

 そして、転校してきたばかりで友達と言えるような仲の同級生――0人。よく話すようになった子はいるけど、自分から遊びに誘う勇気はない。

 

 

(こんなことなら遊び道具の1つでもねだるんだったなー)

 

 

 おもちゃ?

 借金返済に奔走する両親を見て育ってねだれるか。

 

 ゲーム?

 借金返済に奔走する両親を見て(以下同文。

 

 マンガ?

 借金返済に(以下同文。

 

 

(これから買うか? いやいや、それは待った方が良い)

 

 買おうと思えば買える。

 両親と相談して決めておいた事前に使えるお金は、そういった娯楽品を買えるだけの余裕がある。

 

 だけど、なぁ?

 

(歯止めをかけることができるか……自信がないな)

 

 父さんや母さんがいれば何処かで止めてくれそうだけど、どっちもいないと「ついつい」で必要以上に買っちゃうかも。

 

 思い出せ。テレビで見た青いタヌキ型ロボットと一緒にいるメガネくんを。

 お金を貰ったらすぐにゲームやマンガにつぎ込んでいたじゃないか。

 で、何かあったら「ドラ〇もーん!」だ。ああはなりたくない。

 

 前の小学校でクラスメイトだった剣二くんを思い出せ。

 ゲームに嵌まって散財し、マンガの続きが読みたくて新刊を何度も買い、最終的に真っ白のボクサーみたいにになったあの後ろ姿を!

 両親が無事に帰ってきた時、息子が散財していたとか笑い話にもならない。

 

 

 そうなってくると、できそうなことは――

 

 

「やっぱり、周辺の探検かな?」

 

 簡単に言えば、自分の住んでいる町を見て回ろうってことだ。

 

 引っ越したばかりでできていなかったけど、前からやってみたいと思っていたんだ。もちろん、危なそうな裏路地とかは除外するけど。

 

「そうなると、そうだな……クラスでも噂になっていた屋敷か」

 

 この町には随分と古い大きな屋敷が存在するらしい。

 

 何でもお爺ちゃんお婆ちゃん世代――そのさらにお爺ちゃんお婆ちゃん世代からあるとされる屋敷で、人が住んでいるという話は聞かないのに人影を見たとか、土地の買取ができないかと複数の不動産屋が調べに行っては青白い顔で帰ってきたとか、そんな噂のある屋敷だ。

 

 それでいて、やけに警備が厳しいことでも有名という話。

 

 何年か前に肝試しの舞台として屋敷を探検しようとした連中がいたらしいけど、そもそも入るのが難しかった上に最新鋭の警報装置まであって、よく分からないけどヤバいかもと逃げ帰ってきた話が伝わっている。

 

「……話題作りにもいいし、試しに行ってみるか」

 

 夏休み明けに「あの屋敷に行ってみたんだ~」とか話のタネとしてあれば、そこから本格的な友達作りの切っ掛けになるかも知れない。

 ちょっと怖さもあるけど、今は好奇心の方が上だ。

 

 良し、決定。お昼食べたら早速行ってみよう。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8月1日(後編) 見えない糸(罠)に掛かりそうな蝶

 

「いや思ってた以上に大きいな……」

 

 例の屋敷は普段通っている学校のある道とは反対方向にあった。

 

 周囲に住宅が無い分、その存在感が増している。

 

「庭は……屋敷に対して面積が狭い。これ、本来庭に使うはずだった分の土地を屋敷の大きさにしてるのかな?」

 

 イメージだとこういう屋敷の庭って噴水やら花壇があって無駄に広い気がするけど、ここは必要最小限しかない。

 案の定手入れがされていないのか、雑草のパラダイスになっている。……なっているんだけど、やっぱりおかしいな。

 

(人が通る場所だけ草がほとんど無い……?)

 

 屋敷の外側を覆っている飾りっ気のある鉄格子みたいなの(名前は忘れた)の隙間から中の様子を見た時からあった違和感の正体が判明した。

 

 雑草の力ってすごいもので、隙間さえあれば意地でも生えようとしてくる。

 それこそ、普段から手入れをしてなければ庭の石畳の隙間からも生えてグングン成長していくんだ。それが、ここは不自然に少ない。

 周りの雑草の生長具合と合っていない。

 

「まさか、本当に誰か住んでる?」

 

 それにしては人の気配がないけど。

 

「うーん……中に入れないものか……」

 

 敷地内に入るための扉は硬く閉ざされてるんだっけ?

 しかも上の方をよじ登ろうとすると非常ベルみたいな音が鳴るって。

 

 まぁ、見るだけ見てみるかな。

 非常ベルみたいな音が鳴れば、その話は本当だったってことで。

 

 で、屋敷の外側を回り歩いている内に敷地内に入るための大きな扉を見つけたんだけど、

 

「あれ? 開いてる?」

 

 ボクの身長の何倍もあるような大きな扉は……半開きになっていた。

 

「………………」

 

 慎重に扉を潜る。

 

「……お邪魔しまーす」

 

 試しに声を掛けてみたけど――反応はなし。

 防犯装置の方も――それらしい音の1つも鳴らない。

 

 おかしいな? 聞いてた話と違う。

 普通に入れちゃったんだけど。

 

「誰かいますー? いないなら探検しちゃいますよー?」

 

 

――シーン。

 

 

 反応はない。怖いくらいに物音1つしない。

 

「……」

 

 恐怖心と好奇心が入り交じりながら敷地内を進んでいく。

 

 見渡す限りで雑草、雑草、また雑草。

 たまに何かの残骸らしき木片がある程度で面白みがない。

 

 そして、とうとう屋敷に入るための扉の前まで来てしまった。

 

「これで屋敷の中がもぬけの殻だったらバカみたいな話で終わっちゃうな」

 

 クラスに馴染むための話題作りどころか「え? オマエ本当に何も無いあの屋敷を探索したのか?」とか言われたらどうしよう?

 

「ここで引き返すのも1つの手か――『ポツ』――ん?」

 

 今、額に水が落ちてきたような……?

 

 

――ポツ、ポツ、ポツポツポツ、ザァアアアアアアアアアアッ!

 

 

「うぇ!? あ、雨!?」

 

 今日の予報じゃ晴れじゃなかったのか!?

 これゲリラ豪雨みたいになってるぞ!

 

 あああああ、ヤダヤダヤダ!

 ボクって昔から雨に直接濡れるの嫌いなんだよ!

 

 避難! 緊急避難!

 どこへ? 目の前の屋敷しかないじゃんか!!

 

「退避―!」

 

 雨を避けるため、勢いのまま屋敷の中へと入り込むボク。

 どういうわけか、ここも扉に鍵は掛かっていなかった。

 

 中は当然電気の類いは無く、雨を降らす雲のせいで薄暗かった。

 

 

――あとになって痛感したけど、暗い中で勢いよく走ったら危ないよね。

 

 

 走って屋敷に入り、よく周りを確認せずに突撃したボクは、

 

 

――ガンッ!!

 

 

「ぶっ!?」

 

 何か硬いものに正面から激突した。

 

(な、にが……?)

 

 相当強く頭をぶつけたのか意識が薄れてく。

 

 最後の気力を振り絞ってよく見る。

 

 扉から入って僅か数メートル先に何故か設置されていたもの。

 

 それは、

 

 蜘蛛の石像(・・・・・)を乗せた大きな台座だった。

 

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「ん……」

 

 頭がぼーっとする。

 

 自分がソファ(?)の上で寝かされてることだけ分かって、

 次にそれが自分の知るものと随分違うことに戸惑い、

 焦点が合ってきた目で天井を見て確信する。

 

「……絶対に知らない場所の天井だ」

 

 いや、どこなのここ?

 ボクの家のソファはこんなに大きくないしフカフカじゃない。

 さらに言えば、間違っても小さなシャンデリアみたいな照明なんてあるはずない。ボクの家にあるのは丸い照明だ。

 

「確か……」

 

 だんだん思い出してくる。

 

 両親が1ヶ月いないので、思いで作りを決めたこと。

 クラスでも有名だった人の住んでいない屋敷に探検しに来たこと。

 突然の大雨から逃れたくて、屋敷に入って、台座にぶつかって……

 

(あれ? じゃあ何でボク、こんな所に……?)

 

 

「ふふふ。そこは『知らない天井だ』って“ネタ”に走るのがお約束だって聞いてたのに、微妙に違う言い方になっちゃったか」

 

 

「――っ!?」

 

 突然の声にビクッとなる。

 

 体を起こし、恐る恐る声のした方向を見れば、

 

「だ、誰です、か?」

 

 10年ちょっとの人生で会った人の中で、間違いなく1番綺麗だと断言できる女性がコップを持って立っていた。

 

 年は20歳ぐらいかな?

 大学生のお姉さんのように見える。

 

 変わったところといえば、綺麗な長く艶のある髪に所々銀色が混じっているところか。あれって、“メッシュ”ってオシャレなんだっけ?

 テレビで紹介してたの見ただけだから、良くは知らないけど。

 

「誰って……むしろ、それはお姉さんのセリフだと思うよ? 家でくつろいでいたら突然何かがぶつかったような物音が響いて、様子を見に来たら可愛らしい男の子が倒れてるんだもん。それで放置するわけにもいかず休ませてたんだけど……」

 

「あぁ、それはご迷惑を――って待って? 『家でくつろいでいたら』?」

 

「えぇ、適当にテレビを見ていたんだけど」

 

「………………ここどこですか?」

 

「だーかーらー、私の今住んでいる家よ? まぁ、かなり大きいんだけど」

 

「…………ここ、もしかしなくても、あの(・・)屋敷ですか?」

 

あの(・・)が何を指しているのかは分からないけど、地元では1番の大きな屋敷だって管理人さんも言っていたかな?」

 

 ……えーっと、つまり、誰も住んでいないと思われていた屋敷にボクはいるわけで、目の前のお姉さんがその屋敷に住んでいて……

 

「不法侵入じゃん!!」

 

「あ、偉いねー。その年でもう難しい言葉知ってるんだ♪」

 

 何かお姉さんが「偉い偉い♪」って撫でてくれているけど、それどころじゃない! 人が住んでいる場所に入るのは不味いって!!

 

 ボクはソファの上で即土下座した。

 

「悪気は無かったんです! 見た目からしても人が住んでいるとは思わなかったんです! ちょっと出来心で探検したいと思ってすみません!!」

 

 だから、だから警察だけは!

 両親が家を出たその日に「実はお宅のお子さんが~」って警官から親に電話が掛かるとか一生もんの黒歴史だけは嫌だ!

 冗談抜きで顔向けできない!

 

「あー仕方ないかもねー。管理人さんから『庭は好きにしてくれても構いません』って言われてたけど、私ガーデニングとか全然興味ないし、そもそも何年も外に出ていないし、基本ほったらかしだったからね。人が住んでいないって思われてもしょうがないよ。だから、許してあげる」

 

「ありがとうございまーす!!」

 

 た、助かった~!

 小学校卒業前に前科が付かなくて良かったー。

 

 『何年も外に出ていない』とか聞こえた気がするけど、気のせいだろ。

 

「うーん? でも、おかしいな? 管理人さんが戸締まりとかしっかりしているって話だったけど、何でこの子は入って来れたんだろ? 何か言われていたような気がするんだけど――忘れちゃったしいいか♪」

 

「そういえば、管理人さんって?」

 

「代々この屋敷――というか、土地を管理している一族の人。私は特別に許可を貰って暮らしているんだ」

 

「そうだったんですか……」

 

 アパートみたいに部屋を借りて暮らしてるってことかな?

 外側は酷いけど、部屋の中は想像の中のお金持ちの部屋みたいだし。このお姉さんも良いところのお嬢様なのかも。

 

「じゃあ、お世話になったんでこの辺で」

 

「外、土砂降りだけど大丈夫? しかも今は夕方過ぎだよ?」

 

「あ」

 

 そう言われれば、随分と寝ていた気がする。

 何故か(・・・)部屋に窓が無いから外の様子は分からないけど、壁に掛かった時計の時刻は18時を過ぎていた。

 

「大丈夫だと思うけど頭も打っているし、もう今日はここに泊まっていった方が良いよ。この時間にキミを1人で帰らせるのも、ね?」

 

「いいんですか?」

 

 ボクにとってはありがたいけど……

 

「いいのいいの。気にしないで♪ ほら、スープでも飲んで寝ちゃったら? 子供は早く寝るものだぞ♪」

 

「ありがとうございます」

 

 お姉さんが持ってきたコップには確かにスープが入っていた。

 コンソメ味のソレは非常に美味しく、飲み終わったあとは緊張が解けたのかすぐに眠りについてしまのだった。

 

 

 

――この時の判断を、1ヶ月近く後悔するとも知らず。

 

 

 

 

 

 

「はぁん♡ 小さなカワイイ男の子なんていつぶりだろう? 昔と顔つきも違うし、もっとお世話したいなー♡」

 

 

 

 

――寝ている最中に寒気がした気がした。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8月2日 罠に掛かった蝶

 

 予想外にも人が住んでいた屋敷に泊まることになって、翌日。

 

 別室で寝ていたお姉さんも起きて「おはよう」と挨拶してすぐ、何処かへ行ったと思ったらキッチンワゴンに食べ物を乗せて戻ってきた。

 

 金持ちの朝食。

 そう聞いてイメージするのはどんなのだったか?

 

 その答えがボクの目の前に広がっている。

 

「本当にこれ、食べてもいいんですか?」

 

「当然だよ。正直に言うとね、1人で食べるのって寂しいしつまんないの。たまには、ね? 他の人が食べてるのを見ながら食事したかったんだー」

 

 ボクの家にある食卓を囲むためのテーブル(ギリギリ4人座れる狭さ)の倍近い大きさのテーブル中央に乗せられたクロワッサンやバターロールなど数種類のパンに加え、バター&マーガリン、各種ジャム、生野菜のサラダ、各種ドレッシング、デザートのアイスクリームなどが並べられていた。

 違いと言えばボクの側には牛乳が、向かい合って座っているお姉さんの側には紅茶が置かれてることぐらいだろう。

 

 カルチャーギャップがすぎる。

 

 数ヶ月前まで学校こそ通っていたもののボクは生まれてからずっと貧乏生活で(義務教育のため国から補助金が出ていた)、焼いた食パンにハムを乗せたのがスタンダードな朝食だった10年間を過ごした身としては、どれからどう手を付けて良いのか分からずただ見つめるだけの時間が続いていた。

 

(こっちに来てからようやく焼いた鮭&炊きたて御飯&味噌汁のセットが朝食として出てきたことに感動したのに、よりすごい朝食の風景を見せられたボクの心情よ……)

 

 これってマナーに従って食べなきゃいけないのかな?と、結局食べられずにいればお姉さんも疑問に思ったのか不思議そうに首を傾げる。

 

 ……小学生のボクが言うのもませているみたいでアレだけど、一々所作が色っぽいんだよなこのお姉さん。

 “ようえん”というか“いんび”というか……

 

「どうかした? もしかして、パン嫌いだった?」

 

 やめて。悲しそうな顔しないでください。

 「日本の子はやっぱり和食派なのかな?」と困った表情しないで。

 

「その、いつも食べている朝食と違って、あまりにも違いすぎて、どう食べて良いのか分からないといいますか……」

 

「あぁ! そういうことか! マナーとか気にしないで食べて良いよ。私だって普段は気にせず好きに食べてるんだし♪ それに昨日はスープを飲んでそのまま寝ちゃったでしょ? お腹が空いているんじゃない?」

 

「……はい」

 

 うん。実はお腹ペコペコなんだ。

 育ち盛りの年になってきたからかお腹が空きやすい。

 

 ……その割には身長の伸びが悪いんだよなー。

 顔つきも中性的なままで男らしくならないし。

 

「じゃあ、その、いただきます」

 

「いただきます♪」

 

 

 結論から言おう。

 初めて家族以外と食べた朝食は、いつものそれとは違った美味しさがあった。

 

 

 ――いや、本当に美味しいな!?

 

 何このパン!? ものすごくフワフワサクサクなんだけど!?

 え? 出来たて? お手伝いさんが毎回焼いてる? 野菜も取れたてを使ってる? 管理人さんが栄養バランス調整? ボクの分も昨日の夜の内に相談して特別に用意して貰った?

 

 やっぱここ、外見詐欺なだけでお金持ちの家じゃないの!?

 

 お姉さん絶対どこかのお嬢様とかだよね!?

 

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「ふ~ん、そんな事情があったんだね蒼太くんは」

 

 朝食を食べて、未だに自己紹介すらしていなかったことに気付いた。

 

 それで世話になったお姉さんには、家庭の事情からこの屋敷に来るまでの経緯を簡単に説明しておいた。

 お姉さんは許してくれたし事情の説明も素直に聞いてくれたけど、お姉さんの言う“管理人さん”がどう思ってしまうか分からないので素直に話すことにしたんだ。

 ケイサツ、ヤダ。

 ゼンカ、ヤダ。

 フホウシンニュウ、モウシマセン。

 

「小さいのに偉いな~。いい子いい子♡」

 

「あの、恥ずかしいからその辺で……」

 

 目のやり場に困る。

 

 前に座っていたお姉さんが乗り出して頭を撫でてくるから、どうしても目線の先に……揺れている大きな果実が意思表示してるというか。

 お姉さんが着ているのがシンプルなワンピースなせいで、がどれだけ大きいか理解してしまう。間違いなくお母さんの倍はあるだろうな。お母さんが小さいのか、お姉さんが大きすぎるのか。

 

 あ、そういえば……

 

「ボク、お姉さんの名前知らないや」

 

「……そういえば、言うの忘れてたね」

 

 お姉さんは目を瞑り、人差し指を唇に当てて「うーん」と可愛らしく唸る。

 

 いや、だから何でそんなに色っぽいのかと。

 

「私……本名って嫌いなの」

 

「そうなの?」

 

 自分の名前が嫌いだなんて人は初めてだ。

 

「誰が決めたんだか、すごく呼びづらいの。昔――生まれた頃は遠い海の向こうで暮らしていたから、洋風?で馴染みがないんだー」

 

 どうやらこのお姉さんは外国で生まれたらしい。

 あー、たまに聞くな日本人に発音が難しい名前の人って。よく見ればお姉さんって日本人に見えるけど外国の人の面影もある。もしかしたらハーフなのかもしれない。それでバリバリ名前が洋風で本名が発問しにくいってなると、自分の名前でも嫌いになったりするのかも。

 

「管理人さんとかはずっと“様”って付けるから余計にねー」

 

 様付けって、やっぱお嬢様じゃん。

 

「それじゃあ、愛称とかは?」

 

「愛称?」

 

「親しい人とかが良い意味で名前を略して呼ぶのをいうんだ。ボクの場合、名前が蒼太だからお母さんから“そーくん”って呼ばれてるよ?」

 

「“蒼太くん”だから“そーくん”かぁ……」

 

 お姉さんはしばらく悩み、

 

「じゃあじゃあ、私のこと“ナーさん”とか呼ぶのは……ダメ、かな?」

 

 わざわざ下から覗き込むように見てくる。

 この人、天然のたらしかな? 演技とは思えない。

 

(“ナーさん”とかだとどこか他人行儀かな?)

 

 

 自分の名前が嫌いな人なら、もっと親しみをもって……

 

 

「それだったらボクはお姉さんのこと“ナーねえ”って呼ぶのはどう?」

 

「………………“ナーねえ”……?」

 

 ボクの考えた愛称を聞き、石化したかのように動かなくなるお姉さん。

 あの? 大丈夫?

 

「“ナーさん”って呼ばれたいお姉さんだから“ナーねえ”って」

 

 ダメな愛称だったかな?

 ちょっと心配になっていたら、より自体が混沌になる。

 

 

「――ふぐぅっっっ!!」

 

 

 突然、胸を押えてテーブルに突っ伏したお姉さ――ってちょっと!?

 

「大丈夫!? 心臓が苦しいの!? それとも狙撃!?」

 

 お医者と狙撃手はどこ!?

 と、ちょっとバカな取り乱し方をしていたらお姉さんが復活した。

 

「ボソッ(これが、愛なのね……)」

 

「え?」

 

「ボソッ(もう無理。長い年月溜め込んでいた欲望が……)」

 

「お姉さん?」

 

「ボソッ(絶対、逃がさない。ウフフフフ♡)」

 

「ちょっとお姉さん!? 本当に大丈夫!?」

 

 ボソボソ小さい声で何か言ってるけど聞き取れない。

 気のせいかな? お姉さんから黒いオーラのようなものが……

 

「………………“そーくん”、私から今日から“ナーねえ”よ」

 

「えっと、気に入ったってことでいいのお姉さん――」

 

「ナーねえ」

 

「あの、お姉さ――」

 

「 ナ ― ね え 」

 

「気に入ってくれてありがとうナーねえ!!」

 

 お姉さん改めナーねえの笑顔が怖い。

 圧があるというか、逆らっちゃダメな空気を感じる。

 

「それでぇ? そーくんはこれからどうするのかな?」

 

「どうするって家に帰らないと」

 

 鍵は掛けてあるから大丈夫のはずだけど、やっぱり心配だ。小さいながらもローンで買った夢の一軒家だし、何かあるとマズい。

 

「そっかー家に帰っちゃうかーそうだよねーそれが普通なんだよねーでもここが家なら問題ないというかーずっと一緒に……うふふ♡

 

 何だろう一体?

 どんどんお姉さんが怪しくなってきている。

 何でボクの第六感はさっきから警報音を鳴らしてるんだ?

 

 ……とにかく、いったん家に戻ろう。そうしよう。

 

「大変ご迷惑をおかけしたんでこのへ――」

 

「全然迷惑じゃないよ!!」

 

「――この辺で失礼させていただきますね」

 

 言えた。よくぞお姉さんの圧に負けずに言った。

 偉いぞボク。

 

「ナーねえには玄関まで案内してほしいんだけど」

 

 靴を整えながら扉まで行き、

 

「…………そーくんの家は貧乏だったんだよね?」

 

「? うん。それが――」

 

「昼食はね、和牛が出るんだよ」

 

「!?」

 

 その足が止まった。

 

「管理人さんがね、言ってたの。いつも世話になってる業者から発注ミスで余っちゃった和牛を貰えたから、昼食は和牛のひつまぶし風にしましょうかって。各種薬味やシメ用の出汁も用意したって」

 

「………………」

 

「あと数時間ここにいてくれれば食べられるんだけどなー」

 

「………………和牛って、どんな?」

 

「確か、A5がどうこうって――」

 

「もうちょっとだけいてもいいかなナーねえ!!」

 

「もちろんだよそーくん!!」

 

 ゴメン。父さん、母さん。

 A5和牛の魅力には勝てなかったよ。

 

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 和牛美味しい。

 

 

 あのあと、お姉さんは管理人さんに話をすると言って出て行き、数分後にはとても良い笑顔で戻ってきた。

 部屋に設置されたテレビ(薄型ハイビジョン)で夏休みの期間特有の番組をお姉さんと見て過ごせば、ついに昼食の時間。

 キッチンワゴンを押して入室してきたお姉さんがテーブルに並べた高級感溢れるひつまぶしセットと――待望の和牛。

 

 ぼくの語彙力じゃこの美味しさを上手く表せないのが悔しい限りだ。

 

 食後に出されたリラックス効果のあるお茶も美味しかった。

 

 リラックス効果ってすごいな。

 

 だって、すごく、眠くなるんだから……

 

 こんなに眠くて、抗えなくて、横にされて……

 

 不自然なくらい意識が……

 

 ………………

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁん♡ 寝顔もやっぱりカワイイなそーくんは♡ それにしても、人間の作る薬ってこんなに効果があるんだー? ――っと、こうしちゃいられない。この屋敷を本格的に私とそーくんの愛の巣(意味深)にしなきゃ♪」

 

 

 

 

 

 




【部屋を出た数分の間の出来事】

ナーねえ「もしもし!」

管理人さん「どうされましたナ※※様?」

ナーねえ「今すぐ最高級の和牛を用意して!!」

管理人さん「最高級の和牛? 今は豚肉の方ばかりで――」

ナーねえ「お昼は和牛のひつまぶし風で決定なの!!」

管理人さん「え? 昼食はパスタの予定――」

ナーねえ「 い い か ら 早 く ! ! 」

管理人さん「か、かしこまりました!!」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8月3日 もう逃げられない蝶と捕まえた蜘蛛

 

「……う、う~ん?」

 

 頭がやけにボーッとする。

 まぶたも重く、体が凝り固まってるみたいだ。

 

 まるで、必要以上に睡眠を取っていた用で――

 

「あれ? また寝てた?」

 

 何だかんだで見知った天井を見て、まだここが例の屋敷であることを再認識し、何でまたもや大きなソファで寝ているのかを疑問に思う。

 

「確か、お昼に和牛を食べて……」

 

 人生初の和牛を食べたところまでは覚えてる。

 だけど、そこから先の記憶が無い。

 少なくともソファで横になっていないはず。

 なのに自分はここで寝ているという事実。

 

 部屋に設置された時計を見る。

 時間を見ればお昼前の時間帯。

 この時計はどうやら午前と午後で模様の一部が変わる仕様らしく、模様には午前中であることを指す『AM』の文字が輝いていた。

 

「はぁ、なーんだ。まだ午前か」

 

 随分と寝てしまったんだなーと思いきや、まだ午前中。

 午後だったら真夜中まで寝ていたことになるから一瞬だけ不安だったけど、午前ならまだいい。やけに寝ていたように感じたのは気のせいみたいだ。随分お腹が空いているけど、それも気のせいだろう。

 

「もう1回寝よう」

 

 掛けてあった大きめのタオルケットを掛け直して横になる。

 もう少しだけ寝てもバチは当たらないだろう。

 お休み。

 

 ……

 

 …………

 

 ………………

 

 

 

「いや、おかしいだろ!!!??」

 

 

 

 ボクがお昼に和牛を食べたのは12時を過ぎてからだぞ!?

 そもそも、その時に模様が変わる仕様をナーねえから教えてもらったんだ。

 

 一気に眠気が吹っ飛んだ。

 

 タオルケットを放り出し、もう1度時計を確認する。

 うん。何度見ても〈AM〉11:40となっている。

 

(落ち着け、落ち着くんだボク)

 

 あらゆる可能性を考えろ。

 ありそうにないことも含めて頭をフル回転させるんだ。

 

 

①単純に時計が壊れてる

 これがもっともありえる。

 あとでナーねえに知らさないといけない。

 

 

②実は丸1日寝続けただけ

 お腹と背中がくっつきそうなほど空腹な理由の説明になるけど、人って普通そんなに眠り続けられるのか? ボクは健康体のはずだし、ノンストップで睡眠を取る可能性は無いに等しいはずだけど……微かに和牛を食べたあとで眠気に襲われたような?

 

 

③中途半端にタイムスリップした

 可能性として考えててアレ(・・)だけど、ありえないよなー。

 ドラ〇もんじゃあるまいし、時を超えるなんて超体験を下らないことで使う原因も理由もどっちもない。いつだったかの放送で見た“未来の自分に宿題を手伝って貰う”の回はちょっとホラー要素が入ってたな。随分前のはずなのに未だに覚えてる。

 

 

「うん①だな。それしかない」

 

 恐らく和牛を食べて大満足したボクは眠ってしまい、今は夕飯を取るぐらいの時間帯なんだろう。ソファに寝かして起こさなかったのはナーねえ。親切心から起こさないようにした結果、何時間も眠ってしまったと。こうに違いない。

 長時間眠ったのも、おおよそ1ヶ月前にこっちの方に引っ越してきてからのあれやこれやの疲れが今になって表れたと考えれば納得――できなくもない。そうであってほしい。

 

「――って、普通にテレビ付けて確認すればいいんだ」

 

 隅っこの方に映る時間を見れば解決することだった。

 えーっと、リモコン……リモコン……

 

「そーくん? 何か捜し物?」

 

「あ、ナーねえ」

 

 リモコンを探していると、いつの間にかナーねえが来ていた。

 

「丁度よかった。ナーねえに報告することがあったんだ」

 

「私に? 私も報告することがあったんだ。丁度よかったよ♪」

 

「そうなの? まぁ、いいや。お昼に和牛食べて寝ちゃったみたいでしょボク? 起きたら時計が壊れてるみたいでさ」

 

「時計が? どこも変じゃないけど……」

 

「いやいや変だよ。12時過ぎにお昼ごはんを食べたのに、12時前になってるでしょ。和牛を食べ終わってのんびりしてた時は13時に近かったし」

 

「あー昨日(・・)のお昼のこと? 初めての和牛を美味しそうに食べるそ-くん可愛かったなー」

 

「そうそう昨日の――……昨日のお昼?」

 

「うん。昨日のお昼。和牛のひつまぶし風」

 

 ……?

 

「……ナーねえ。今日って8月2日だよね?」

 

「ぶっぶー! もう8月3日だよ、そ-くん」

 

 ? ? ?

 

 訳が分からない。

 和牛を食べたのが昨日の話?

 きっと今のボクは、突然宇宙に放り出された猫みたいな顔になっている。

 

「…………何で1日経ってるの?」

 

「私がそーくんの飲み物にとびっきり強力な睡眠薬を入れたからだね♪」

 

 

 

            

 

 

 

 さっきの考察、②が正解だったかぁ……――って!?

 

 

「何で!? 何で睡眠薬!? どうして!!?」

 

 ズザザッと、ナーねえから咄嗟に距離を取る。

 思いっきり壁にぶつかったけど、考えるよりも先に体が動きまくってさらに後ろに下がろうとする。

 

 そして、ゆっくり近づいてくるナーねえ。

 

「それはもちろん、この屋敷をリフォームしたからだよ」

 

「リ、リフォーム……?」

 

「正確にはぁ、元々私用に弄ってあった屋敷の内部にちょいちょいと罠とかを仕掛けたり、出入り口を分からなくさせたりしたの。大変だったんだよ? いろんなことを想定していたら、あっという間に1日が過ぎていたの♪」

 

 ゆっくり、ゆっくり、1歩ずつ距離が縮まる。

 

「何で、そんなこと」

 

「この屋敷を、私とそーくんの愛の巣にするためだよ♡」

 

 意味が分からない。

 ナーねえが――目の前の女性が、何を言っているのか本気で分からない。分かりたくない。

 

「ボク、家に帰らなきゃいけなくて」

 

「大丈夫」

 

 ボクにナーねえの影が差し込むほど近づかれる。

 

 

「そーくんがいけないんだよ」

 

 

「食べちゃいたいぐらいそーくんがカワイイから」

 

 

「身も、心も、ぜーんぶ、欲しいんだぁ」

 

 

「何も心配しなくて良いの」

 

 

「ずっと私に甘えてくれていいんだよ?」

 

 

「ちゃーんと責任もって」

 

 

 

「一生養ってあ・げ・る♡」

 

 

 ……逃げろ。

 

 逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ。

 

 逃げるんだ!!

 

「う、うわぁあああああああああああああああああっっ!!」

 

「あん♡」

 

 目の前に迫っていた2つの重そうな物体をはねのけて、扉へとダッシュする。

 

 扉の先はほとんど何も分からない。

 大抵のモノはこの大きな部屋のなかにあるから。

 さっき言っていたリフォームというのも気になる。

 

 でも、そんなことはあとでいい。

 とにかく、この部屋から出なければいけない。

 

 扉の前まで辿り着き、ドアを開けようと手を伸ばす。

 

 が、

 

「え?」

 

 手が、腕が、動かない。

 それどころか、体が動かない。

 

「な、なに、が……」

 

「いけない子ね。そーくんは」

 

 真後ろから声が聞こえる。

 女性特有のしなやかな腕が体を這うようにほっぺまで伸ばされる。

 

「逃がさないぞ♡」

 

 今、ボクはどんな顔をしている?

 心臓が変なリズムを刻んで体調がおかしくなる。

 

「体が動かなくてびっくりしてるのかな? じゃあ、種明かしだよ。ほ~ら、よーく見て。細いものがそーくんに絡まってるでしょ」

 

 視線を動けない箇所に向ける。

 そこには、良く目を凝らさないと見えない何かがあった。

 まるで、それは、

 

「糸……?」

 

「そう糸。私が自由自在に操ることが出来る神様の糸」

 

「神……様……?」

 

「そうね。本名は嫌いだけど、そーくんのために教えてあげるね」

 

 そう言って、ナーねえはボクの耳元で囁く。

 

 

「『アトラク=ナクア』。それが、私の名前。海の向こうで生まれ育った私が、最初から持っていた名。とある蜘蛛の神様の真名だよ」

 

 

 ナーねえは――人外の女性は、囁き続ける。

 

「蜘蛛はね、巣に掛かった蝶々を絶対に逃さないんだぞ♡」

 

 

 お父さん。お母さん。

 ボク、想像を絶するほどヤバい女に捕まったみたいです。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8月4日 確実に”G”以上はありました(蒼太:小学生)

 

 初めてこの屋敷で朝食を取ったのが2日前だっけ?

 その時は「パン美味しい!」ってはしゃいでいたなぁ……

 

 それが遠い思い出のようで、

 

 何を呑気にしていたんだと後悔していて、

 

「はい。そーくん、あ~ん♡」

 

「あ、あーん……」

 

 こんな状況でパンの味なんか分かるかということだ。

 

 

 

(どうすればいい……?)

 

 ボクは毎度おなじみのソファで頭を抱えていた。

 

 昨日、突然のナーねえからのカミングアウト後のことはほとんど記憶にない。

 

 たぶん、空想の中だけで存在しないと思っていた人外が普通の人と同じように暮らしていたことと、そんな人外に目を付けられてしまったことに対する現実逃避が理由の1つ。

 もう1つが目を付けられてしまった結果、甘やかされて可愛がられて……それが命とは別の危機を感じてイエスマンになったことだろう。

 

(そもそも、蜘蛛の神様って何!?)

 

 あの時、扉を開こうとしたボクの動きを止めたのが、トリックの類いだったらどんなに良かったか……

 証明するかのように、その細い指先からたくさんの糸が出た光景を見て「あ、これ手品でも何でもないや。マジで人体から糸出てる」と遠い目になった。

 

 

 ――なるほど。これが絶望か……

 

 

 何かもう色々諦めたよ。少なくともその時は。

 

 でも、何だかんだで1日経って復活したボク。

 マジメにこれからのことを考えることにした。

 

(まずは改めて状況整理だ)

 

 すでに3日はいるこの部屋を含めた生活スペースはかなり広い。

 外に続いていると思われる扉を覗いて部屋同士が繋がっていて、ボクが座っているソファとテレビや食事用のテーブルがあるスペースを除くと、それ以外のスペースがどうなっているのか不明のままだ。大体が今いる場所で完結しているから、わざわざ他のスペースに行く必用がないという意外にも、単純に今は人外の生活している場所とか何があるか恐ろしいと尻込みしている部分もある。

 

 唯一、ある程度判明してるのは……

 

「~♪ ~~~♪」

 

 絶賛ナーねえの鼻歌が聞こえてくる作業部屋(仮称)だ。

 

 実はナーねえってニートなんじゃと思っていたけど(すごく失礼)、実は自宅でできる系の仕事をしているらしい。

 何の仕事かは聞いていない。

 もう好奇心や興味で行動しないって誓ったんだ。

 

 今日の朝になって急に何かを思い出したかのように作業部屋で何かを作っている。

 

 え? 逃げるチャンス?

 昨日の今日で同じことして警戒心を上げてどうするんだよって話だ。

 これでも必死に件の扉に仕掛けが無いかちょっとずつ調べてるところだし、1度ナーねえの生活サイクルを把握しないとチャンスをモノに出来ないかもしれない。

 

(焦ったらダメだぞ蒼太。今のところナーねえ――もとい、あのヤバい女はボクの命を狙っている訳じゃない。時間はある。何とかこの屋敷から脱出する手段を考えるんだ)

 

 半端に脱出しようとしたら昨日の二の舞いになる。

 

(そもそも、ナーねえが望んでいることは何だ?)

 

 思い出せ。ナーねえが正体を現してからのことを!

 

 

 

『私が一生養ってあげるから♡』

 

 

『そーくんはぁ、もっと私に甘えていいんだよ?』

 

 

「はぁん♡ こうやって近くで見るとホントに可愛いなぁ~」

 

 

「お姉さんのコレ(・・)、気になる?(たぷんたぷん)」

 

 

「はい。そーくん、あ~~~ん♡」

 

 

 

 ………………

 

「……ダメだ。全く理解できない……!」

 

 その場に崩れ落ちそうになる。

 

 まるで、テレビで毎日のようにやっている政治のニュースでも見たかのような不明さだった。

 何となく「この人は悪いことをしたのか」とか「お金に困ってるんだ」ということまでは分かっても、それ以外がちんぷんかんぷんでよく分からない時に似ている。

 

 お母さんやお父さんが「そ-くんは頭が良いけど、まだちょっと早いかな」と言っていたように、小学生のボクでは理解するのがまだ早く、難しい世界なのかもしれない。学校の先生も「心と体の成長で分かるようになってくることもある」って授業で言っていたように、ナーねえの真意を理解するにはボクはまだ子供過ぎるのかもしれない。

 

 ……ナーねえのアレ(・・)は変な危機感が常に襲っているけど。

 

(とにかく、ご機嫌を損ねないようにしながら隙を見て――「でっきた~~~♪」――っ!?)

 

 突然のナーねえの声に、バッと顔を上げる。

 

 一体何だと声のした方を見れば、作業部屋からナーねえが何かを持ってスキップしながら出てきたところだった。

 

「ど、どうしたの」

 

「ふっふーん! ようやく完成したんだよ! ジャッジャーン!!」

 

 持っていたものを広げるナーねえ。

 

 えっと、コレってもしかして……

 

「パジャマ?」

 

「うん。パジャマ」

 

 いや、何故にパジャマ?

 

「ここ数日、私にとって運命的なアレコレがあったわけだけど」

 

「ボクにとっても忘れられないだろう数日だね」

 

 主にトラウマ&教訓と言う意味で。

 

「私は今朝になって、ものすごく大事なことを思い出したの」

 

「……それは」

 

 

 

「そ-くん、ずっとお風呂入ってないじゃない!!」

 

 

 

「………………あぁ!!」

 

 ポンッとてを叩いて納得する。

 

 そうだ、そうだった!

 何か気持ち悪いなーと思っていたけど、お風呂に入ってないんだ。

 

「最初の数日はそーくんも寝てばっかだったし」

 

「内1日は薬で眠らされていたけどね」

 

「昨日はようやく私のモノになったそーくんが愛おしくて、時間を忘れて接していたから私もお風呂に入るの忘れちゃってたし」

 

「誰がオマエのモノか」

 

 おっと、つい本音が。

 聞こえてないよね?

 

「それでさっきまでずーっと、そーくんのためにパジャマを作ってました!」

 

「これ手作りなの!?」

 

 ウソでしょ? パジャマって手作りで出来るものなの?

 うっわ、肌触り良すぎ。何を素材にしたらこんなシルクみたいな生地になるんだ? いや、そもそもボクはシルクに触れたことないからあくまで予想でしかないんだけども。

 しかも、パンツまで用意されてる。すごい複雑な気持ちだぁ。

 

「そういうわけだから……そーくん!」

 

「あ、はい」

 

「一緒にお風呂入ろう!!」

 

「………………へ?」

 

 どこか鼻息の荒いナーねえを目の前にしばらくフリーズする。

 

「お風呂に入るのは分かったけど」

 

「うん!」

 

「何でナーねえと?」

 

「そんなの……私がそーくんと入りたいからだよ!!」

 

 ………………

 

 自由への逃走!

 

「逃がさない♡」

 

「ぐわっ! また糸が!?」

 

「はぁはぁ……そーくん、一緒に洗いっこしよ♪」

 

「ちょっと待て! ボクはもう1人でお風呂に入れるぞ!」

 

 お母さんと最後に入ったのだってずっと前なのに!

 人外とはいえ、姿は綺麗なお姉さんのナーねえと一緒にお風呂に入るなんてさすがに恥ずかしいよ!

 

「恥ずかしがってるそーくん、良い!!」

 

「目が怖いんだよ!! ちょ、来るな。そのワキワキしたてを止めろ1人では入れるって言ってるだろうって服を脱ぎ出さないでこっちに来ないでってだから来るなってばああああああああああああああああああああ!!」

 

 

 

 そのあとのことは……記憶が曖昧だ。

 恥じらいがオーバーしてからは、されるがままだった気がする。

 

 唯一記憶に残ってること?

 ……ナーねえが肩にぶら下げていたのは、メロンと言うよりも小玉スイカだったってことだな。

 

 




【現在の逃走勝敗】
 2戦0勝2敗

 主人公はまだ性的なアレコレには目覚めてません。
 なので、恥ずかしさの方が勝ってます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8月5日 少年よ、これが真の絶望だ

 前半は思いついちゃった茶番です。


 

 ある日、買い物の帰り道でそれを見つけた。

 キレイな泉だ。

 

 まるで、おとぎ話にでも出てくるかのような……

 

『あ!』

 

 

――ボチャチャンッ!

 

 

 見とれていたせいか、お母さんに頼まれていた買い物の小玉スイカを2つとも落としちゃった。それも泉の中に。

 

『どうしよう……』

 

 小玉のスイカとはいえ2つ。それなりに高いのに……

 

 途方に暮れていると泉から光が溢れ出てくる。

 そして光と共に、美女がゆっくりと泉の中から現れた。

 

 黒い髪に銀のメッシュが入った、とても綺麗な女性だ。

 

『だ、誰!?』

 

『私は蜘蛛の神s――ゴホンッ! ……私はこの泉の精霊です』

 

 今、蜘蛛って聞こえたような……?

 関係ないよね。泉から出てきたんだし。

 

『アナタが落としたのはこちらの英知をもたらす神のリンゴ2つですか? それとも、こちらの1個数万円はくだらない超高級メロン2つですか?』

 

 泉の精霊様?の両手には、それぞれ籠の上に置かれたリンゴとメロンがそれぞれ2つずつある。どちらも高級感を感じさせるかのように光輝いている。……いや、比喩で思っただけだけど本当に輝いているような? 気のせいだよね?

 

 悩ましい。

 

 英知をもたらすリンゴなんて、どこかの神話みたいで気になる。

 これを逃せば2度と手に入らないだろう。

 

 しかし、高級メロンも捨てがたい。

 一般人じゃそもそも買うことすら出来ないものを食べてみたい。

 

 だけど、

 

『いえ、ボクが落としたのは普通の小玉スイカ2つです』

 

 お母さんからの買い物が優先だ。

 せっかく両親がお金を貯めて買うことが出来たんだ。英知のリンゴと高級メロンは欲しいけど、お買い物を任された者としてここは小玉スイカを優先する。それに不必要なウソは良くない。お母さんを悲しませることになる。

 

『アナタは正直者ですね。では、そんなアナタには――』

 

 リンゴとメロンをどこかへしまった泉の精霊様は、

 

 

『私自身をプレゼントしまーーーっす♪』

 

 

 思いっきりボクに抱きついてきた――って!

 

『何するんですか!?』

 

『だって正直な子供って可愛いんだもん! お姉さんがたーっくさんご奉仕しちゃうぞ♪ リンゴもメロンも両方食べさせてあげるね♪』

 

『いやボクは小玉スイカを――!!』

 

『スイカならお姉さんの胸に2つともあるじゃない♪』

 

『それ別のスイカ!!』

 

『我慢できない! このまま泉の中にお持ち帰りぃ~♡』

 

『誰か助けてー! 家に帰らせてー!!』

 

 

 

 

 

「――はっ!? ふゅ()ふめ(ゆめ)ふぁ()――ん?」

 

 自分が見ていたものが夢だった気付いて安心して、すぐに変な息苦しさを覚える。なんか、やけに柔らかいものが顔に押しつけられてるような?

 あれ? というか、体が動かない……?

 

 で、何とか首を動かして呼吸できるようにしてみれば、

 

 

「うへへ……そーくぅん♡」

 

「ナーねえ!?」

 

 

 なぜか目の前に寝間着姿のナーねえが!

 いつの間にボクの寝ていたソファに!? というか、ガッチリ抱きしめられて身動きがまともに取れないんだけど!?

 

 あー、思い出してきたぞ。

 確か昨日は数日ぶりにお風呂に入ったんだけど、ナーねえと強制的に入ることになって、体中を洗われて(下半身だけは死守した)、お風呂から出たあとは羞恥心が限界になったんでさっさっと寝ようとしたら、今度はやたらヒラヒラした薄い生地の寝間着を着たナーねえが「一緒に寝よ?」って言ってきたんだ。

 

 本当に寝間着なのかも怪しい薄さで、気のせいか一部が透けてるようなそれを見て断固拒否の姿勢を貫いたんだ。

 羞恥心がオーバーヒート寸前だったし。

 その時はすごすご退散したと思っていたのに……!

 

「ボクが寝たのを確認してからソファに潜り込んだな!」

 

 油断も隙もあったもんじゃないなコイツ……!!

 

「ちょ、いつまでくっついてんの! 離れて!」

 

「うみゅぅ、そーくんのそーくんもカワイイと思うのぉ……だからぁちょっとだけお姉さんに見せt――」

 

「さっさと起きろぉっっっ!!」

 

「やん♡」

 

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 朝食と簡単な歯磨きなどを終えたボク。

 正直2度寝したい。

 

「なんで朝からこんなに疲れなくちゃならないんだよ……」

 

 夢でも現実でもナーねえに襲われるとか。

 ボクに安息は無いのか?

 

 夢に関しては、アレだ。

 全部お風呂のナーねえが悪い。恥じらいが一切無いどころか見せつけてこっちの反応を楽しんで。下半身はどうにか守ったけど、頭と上半身は徹底的に洗われるし散々だった。

 

「……そろそろ行動したいところだけど、まだ早いかな?」

 

 ボクとしては今すぐにでもしたい屋敷からの脱出。

 家具や食事が一級品だから居心地はいいだろうけど、それは囚われの身で無かった時までだ。今はボクを誘惑するための罠にしか見えない――いや、食事は美味しく頂いてるけど。何? アクアパッツァって? すごい美味しかったんだけど? あんなのがあるって初めて知ったんだけど?

 

 ……食事事情はひとまず置いておこう。

 

 とにかく、脱出のためにはナーねえの油断と隙がなくてはいけない。

 脱出に使えそうなものを探すために他の部屋の探索もするべきだろうけど、ボクを捕らえてからは食事の時に使うキッチンワゴンの持ち込みと片付けぐらいしか部屋の外に出ない。それも1分未満だ。たぶん、部屋を出てすぐ側にキッチンワゴンの出し入れ用の通路かエレベーター的なモノがあるんだろう。

 その時に部屋を出ても、目視で見つかる危険の方が高い。

 

 ナーねえもいつまでも部屋の外に長時間出ないとは思えないんだけど……あれ? 何かしらの用事で出たりするよね? さすがに1週間以上部屋に籠もりっぱなしってことは――あるかも。だってナーねえ人外らしいし。その辺普通の人と違ってもおかしくないし。

 

 ダメだ。小学生のボクに引きこもり(仮定)なナーねえの行動予測は荷が重すぎる。地道に情報を集めるっていう最初の結論に戻っちゃう。

 そもそも人外の行動予測って無理じゃない?

 

 と、ここまでは自力での脱出云々について考えていたけど、外から脱出の手段が来る可能性の方が高い。

 考えればそんなにおかしくないことだったんだけど――

 

 

「ご近所さん、そろそろ異変に気付いたかなー?」

 

 

 そう、ご近所さん。

 引っ越してまだ間もないからそこまで深い繋がりは無いけど、小学校に行く時に出会ったら普通に挨拶し合うぐらいには両校の関係の近所の人たち。その人たちが両親だけでなくボクまでいなくなった無人の家に対し違和感を持ち、通報してくれる可能性がある。

 というか、お母さんとお父さんが近所の人に何かしらボクのことで頼んでいるかもしれない。それなら、もう異変に気付いてもおかしくない。

 

 そして、お母さんとお父さんの2人だ。

 あの2人なら住み込みの仕事をしていたとしても、数日ごとに電話をしてくるはず。というより“する”って行く前に言っていた。

 今日は8月5日。

 仕事に行ってから5日も経っていれば、電話の1本は掛けているはず。

 そこでいくら掛けても繋がらないとなれば“何かあった”と感づく。

 

 そう、これらのことから分かるのは、

 

(もうボクの捜索が始まっていてもおかしくない)

 

 もしかしたら捜索されるのは明日になるかもしれないけど、逆に昨日の時点で捜索が開始されてても不思議じゃない。

 本格的に警察の人たちが動けば、遅かれ早かれここ(・・)に気付く!

 

 つまり、無理に行動しなくても助かる可能性の方が高い!

 神様だか何だか知らないけど、住処を追われればどうしようもない!

 根っからの悪人じゃ無いからちょっと良心は痛むけど、小学生監禁事件を引き起しておいて甘い対応をボク自信取るわけにもいかない!

 

(勝った……!)

 

 突然の人外宣言や監禁で今まで考えなかったけど、ちょっと思い浮かべればすぐに分かることだった。

 ボクは“数日中に助かる可能性が高い”と、心の中で笑った。

 

 

 

 尚、それからしばらくしてのことだ。

 『フラグを立てる』という言葉を知ったのは。

 だけど、この直後にボクはその意味を知る羽目となる。

 

 

 

 

――カタカタ

 

 

「うん……?」

 

 あれ? 何か物音が。

 ナーねえ――じゃないよな。例の仕事する部屋にいるっぽいし。

 

 何だろうこの音?

 小さいモノが移動してるような……もしかして、ネズミ?

 

 音の発生源はどんどん近づいてるようで、さすがに気になってボクも近づいていくと小さな扉のようなモノに行き着いた。

 

「この小さな扉みたいなの、結局なんだろ?」

 

 脱出を決意した日に部屋中を見渡していく中で見つけた10センチ程度の使途不明の扉。最初は扉の形をした収納スペースかと思ったけど……

 

 

――カチャ

 

 

 ボクが扉の用途について考えていると、内側から鍵を開けたような音が聞こえ――って、え? 扉がゆっくり開いてるんだけど?

 もしかして本当にネズミ専用の扉だったりするの!?

 それどんなトムとジェ〇ー!?

 

 そうして、扉から出てきたものは、

 

 

 タランチュラぐらいの大きさの蜘蛛だった。

 

 

「へ?」

 

 蜘蛛が器用に前足を使って扉を開けた。

 その蜘蛛が完全に扉から出たかと思えば、2匹目、3匹目の蜘蛛が――

 

「」

 

 さらにさらに、4匹目5匹目とゾロゾロゾロゾロ――

 

「ギィヤァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!??」

 

 叫んだ。

 腹の底から叫んだ。

 

 考えてみてよ?

 小さな扉から何匹も手のひらサイズの蜘蛛が自分のいる部屋に侵入してくるんだ。同級生の女の子なら気絶してもおかしくない。

 

「そーくん、どうしたの!?」

 

 そしてボクの悲鳴を聞いて現れたナーねえ。

 人外とか監禁している本人とか関係なく助けを求める。

 

「ナーねえ!! 蜘蛛が、蜘蛛がぐわぁっ!!」

 

「蜘蛛がどうかし――あら?」

 

 そこでナーねえ自身も蜘蛛の群れを見つけ、

 

「あらー、お帰りなさいアナタたち。用事はもう済んだ?」

 

 普通に接し始めた。

 

「………………えっと」

 

「うん、うん、大体上手くいったと。良く出来ました♪」

 

 ……どうなってるの?

 蜘蛛の方がワシャワシャ動けば、ナーねえが頷く光景。

 

「あー、ナーねえ? この蜘蛛たちって……」

 

「うん? あ、そーくんは見るの初めてだよね。私の(しもべ)だよ」

 

「しもべ?」

 

「そう。私が産みだした、私に忠実な部下のことだと思えば良いよ♪」

 

「あー……」

 

 思い出した。

 そういえば、カミングアウト時に言っていたよな。

 自分は蜘蛛の神様(・・・・・)だって。

 

「心臓に悪い」

 

「憔悴してるそーくんもカワイイぞ♪」

 

「もう何でもいいんだろナーねえ……」

 

 神様だから部下みたいのがいても変じゃない。

 問題は、コイツらが何をしていたか。

 

 さっきから、すっっっごく嫌な予感がするんだ。

 

「それで、この蜘蛛たちはナーねえに何の用だったのさ?」

 

「大したことじゃないよ。ただ、そーくんのお家に送り込んで実際に生活しているように見せるアリバイ工作を頼んでおいただけ。で、それがひとまず上手くいったよって報告を受けていたんだ~」

 

「………………はい?」

 

 ボクの家? アリバイ工作?

 

「ナーねえ」

 

「なーに、そーくん♡」

 

「説明プリーズ」

 

「いいよ~♡」

 

 

 そこからの説明はボクを地の底に落とすには十分だった、とだけ言っておく。

 

 

「ほら~? そーくんを一生養うって決め手から色々と動いていたんだけど、その中の1つがそーくんのお家周りの事情だったの」

 

「そーくんがいきなりいなくなったら、周りの人も両親も心配して探しちゃうでしょ? それも数日中に」

 

「だ・か・ら~~~たくさんの技能を持つ蜘蛛たちを派遣することにしたの」

 

「事前にそーくんからこの辺りに引っ越してきたばかりって聞いていたから、管理人さんにも協力して貰って、家の特定はすぐだったの」

 

「で、人に見つからないようにそーくんのお家に侵入した蜘蛛たちには役割を与えて、そーくんが家にいるように見せかけたんだ♪」

 

「この子たちって本当に頭が良いし、いろんなことが出来るの。例えばテレビや照明を付けたり、適当に見繕ったゴミや――え~っと“かいらんばん”とかを人に見つからないように出したりできるのはもちろん♪ 特殊な技としてそーくんそっくりの幻影を作り出して窓際に立たせたり、電話があってもそーくんの声マネを出来るように仕込んだの」

 

「え? 蜘蛛は喋れない? やだな~ちゃんと出来るよ! ほらキミ~。『オカアサン、オトウサン。ボクハ、ゲンキダヨ!』……ほらね?」

 

「こうしとけば、いつか気付いたとしてもそーくんがどの時点からいなかったか分からないし、置き手紙とかで『家出します。探さないでください』って文章のを置けば向こうも混乱するし、そこまでしておけばこの屋敷に辿り着く可能性も低くなるでしょ? 管理人さんには情報規制の強化もお願いしといたからさらに安心!」

 

「だから……ね?」

 

 

 

「何も心配せず、ずっとここにいていいんだよ♡」

 

 

 

「」

 

 ボクは、膝から崩れ落ちた。

 これが絶望か!!

 




管理人「最近、ナクア様の無茶ぶりが酷い」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8月6日 状況整理

 

 孤立無援。

 夏休み前に覚えた四字熟語だ。

 意味はたった1人で助けが来ないこと。

 

 つまり、現在のボクのことである。

 

 

 

「本格的に作戦を考えよう」

 

 小学生なのに2、3回目の絶望を経験した翌日。

 何とか気持ちを立て直して脱出計画を考える。

 

(結局はタイミングなんだよな……)

 

 耳を澄ませば聞こえてくる、ナーねえの仕事場の音。

 それ以外は適当につけたテレビで午後のニュースをしている。これ以外は時間帯の問題で野球と旅番組だけだった。もしかしたら参考になるかもしれないし、どうせなら最近見かける脱出ゲームの番組でも流してくれたらいいのに。こんな時に限って放送しないんだから。

 

「でも、段々ナーねえの情報が集まってきたぞ」

 

 ボクはポケットからこの屋敷に来た時に持っていた数少ない私物――小さなメモ帳を取り出し、今日の日付の場所にナーねえの行動を書き込む。まだ3日分しか溜まっていないけど、おおよその生活サイクルは掴めてきた。

 

 

・午前7時~8時 起床(ナーねえが抱きつく可能性あり)

・起床~午前9時 朝食(パン多め)

・午前9時~午後12時 団欒(ボクを隣にソファでテレビか本)

・午後12時~13時 昼食(美味しい)

・午後13時~17時 お仕事?(行動するならここ)

・午後17時~19時 自由時間(その時で行動が変わる)

・午後19時~20時 夕食(美味しい)

・午後20時~21時 お風呂&歯磨き(ナーねえに強制連行)

・午後21時~22時 就寝(ボクの眠気の都合上)

 

 

「まとめると、こんなところか」

 

 分かったことは、ほぼずっと同じ空間にいるから隙が少ないこと。何か行動を起こすとしたら午後の4時間以内しかないことだった。

 

 4時間あれば脱出も難しくない余裕余裕♪――となる訳がない。

 ここが例の屋敷のどの辺かは分からないけど、ナーねえの言った『リフォーム』の一言が非常に気になる。嫌な予感がする。今までは予感とか滅多に信じなかったのに、ここ数日で直感・予感の類いには素直になろうと学んだ。

 

「ナーねえのことは……これ、対策のしようがあるのかな?」

 

 

・実は人外(見た目は大学生ぐらいの美女)

・蜘蛛の神様らしい(名前は忘れた)

・指から極細で丈夫な糸を出せる(一瞬で出すので見つかったらOUT)

・お母さんの倍以上※※があった(小玉スイカ)

・蜘蛛の部下が何匹も(変な能力を持っている)

・恥じらい無し(目の前で着替える&一緒にお風呂)

・欲望に素直で危険(現在、誘拐&監禁&情報操作の罪)

 

 

 ………………

 

 今更だけど、小学生が相手するのハードル高くない?

 

「……ナーねえも、普通に接していれば、こんなに悩まずに済んだのに」

 

 たらればの話だけど、もしも普通に家に帰して貰っていたら“不思議だけど優しいお姉さん”って印象だけで済んだかもしれない。

 夏休みの間、何度か屋敷に訪れて仲良く出来たかもしれない。

 人外だとカミングアウトされても、受け入れられたかもしれない。

 “子供の頃の良い夏休みの思い出”として心に残ったかもしれない

 

 なのに……何で監禁しちゃうかなぁナーねえはぁぁぁぁ。

 

 冷静に考えても酷すぎるだろ。

 人外だからか? それとも管理人さんなる人物が常識を教えていなかったからか? そもそも年の割に変に常識とかなくない? あれ? そもそもナーねえって歳いくつだ? 勝手に大学生ぐらいのお姉さんだと思っていたけど、神様云々が本当なら年を取らないよね? え? 何年前から日本にいるの? ……あ、これ余計なこと考えちゃダメな奴だ。お母さんも「女の人に歳の話はNG!」っていってたじゃないか。

 よし、これでこの話は終わり!!

 

「ちょっとはナーねえも油断してきたみたいだし、他の部屋もいい加減見るべきか……めっちゃ怖いけど」

 

 メモに書いた簡単な部屋割りの図に、ペンをコンコン叩いて考える。

 

 

・大部屋:ほとんどの時間を過ごすことになる部屋。テーブル、テレビ、ソファ、タンス、蜘蛛用扉、etc.……いろんなモノが揃ってる。この部屋だけでボクの家の敷地と同じくらいありそう。広すぎて落ち着かない。他の部屋とを繋ぐ中心地点。

・仕事部屋:ナーねえが午後に仕事(?)している場所。たぶん服飾関係。機械音はしないから手作業の可能性あり。

・トイレ:広いこと以外は普通。

・風呂場&洗面所:お風呂は大きいし、洗面台は横長の鏡が置いてあるし、すごいとしか言えない。洗濯機と乾燥機もある。

・図書室(?):未確認の部屋その1。ナーねえが本を読む時に毎回そこから持ってくるので、たくさんの本が置いてある可能性あり。大部屋からも本棚が見えたのでほぼ図書室で間違いなし。

・???:未確認の部屋その2。何が置いてあるのか情報が無い。時々ナーねえが仕事部屋から出たあとに入ることから、作ったモノを置いておくための部屋なのかも。

・???:未確認の部屋その3。カーテンに仕切られ、ナーねえが入ったところを見たことのない部屋。上手く言えないけど、本能が入ったらダメだと警告している。たぶん1番ヤバい。入るのは最後の手段にするべきかも?

 

 

「……」

 

 最後の、本能が入っちゃダメと言っている部屋を見る。

 長い、濃い赤色のカーテンが掛けられていて中を見ることが出来ない部屋だ。

 

 トイレとお風呂を除いて部屋同士を繋げる扉が無いこの場所。

 絶妙な角度で死角になっているから、意図して覗こうとしない限り見えない。が、逆に言うと覗こうと思えば普通に覗けてしまう。

 

 なのに、あの部屋だけが変に区切られている。

 一体あそこに何があるというのだろうか……

 見れば見るほど不安の感情が襲ってくるあの部屋に。

 

「……明日は図書室(仮)ともう1つの部屋を調べるか」

 

 もう同じ過ちは繰り返さない。

 興味本位は身を滅ぼす。

 

 それらを改めて意識するのだった。

 




 そろそろタイトル通り脱出戦争したいですね。
 あと2話ぐらいで始まる予定。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8月7日 魔の部屋

 

 1週間。

 長いようで短い7日間。

 

 大人になってくると時間の経過が早くなるとは聞いているが、ボクにはまだ分からない。もう少し大きくなれば分かるのかな?

 

 どちらにしろ8月最初の1週間が過ぎた訳だけど、間違いなく今までで1番長い1週間だったよ。普通に疲れた。

 

「だけど時間は待ってくれない」

 

 ボクには“8月31日”という明確なタイムリミットがある。

 あと3週間ちょっとで家に帰らないといけない。

 じゃないと『〇〇県で行方不明事件発生! 両親と住民はなぜ気付かなかったのか!?』みたいなテロップでニュースに流れちゃう。デカデカと顔写真付きで。ついでに取材陣に取り囲まれる両親の映像付きで。

 その時になって、死んだ魚のような目でこの部屋のテレビで流れるそのニュースを見る羽目になるかどうかは、ボクのがんばりに掛かってる。

 

 ……何度も思うけど、小学生が悩むことじゃないよな普通は。

 

『~~~♪』

 

「ナーねえは……仕事中だな」

 

 最近ずっとナーねえの動向を気にしていたからか、皮肉にも良くなっている聴覚で仕事場にいつも通りのナーねえがいることを確認。

 そして、時計の針が2時半を指したところで行動に移す。

 

「ではこれより、謎の部屋捜索を開始する」

 

 小声で宣言し、行動。

 

 本当は心の中だけが良いんだろうけど、やっぱ言いたくなる。クラスの男子はロマンがどうこう言ってたけど……今になって理解した。

 

(まずは安全そうな図書室(仮)から)

 

 テレビを点けっぱなしにしたまま、そろりそろりと目的の部屋に向かう。

 

 今回調査するのは仕事関係の部屋と図書室(仮)の二部屋だ。

 もう1つの本能が拒否する部屋を除いた部屋を確認。有益な情報があれば良し、そうでなくても明日には第1回脱出作戦を決行する予定だから、区切りとして丁度良いっていうのもある。これ以上時間を掛けても意味ないと心のどこかにあるストッパーを外すんだ。

 

「実際、図書室には期待してるんだよな」

 

 読んでる本からナーねえの傾向が分かるかもしれないし、もしかするとこの屋敷の内部を記した資料が置いてある可能性だってある。

 

 では、早速突撃!

 

「お邪魔しま~す?」

 

 ゆっくり、ゆっくりと、中を覗きながら入る。

 

 

 そこにあったのは――

 

 

「うん。図書室だ」

 

 どう見ても本がいっぱいの図書室だった。

 何もオチが無い。いや、いいんだけども。

 

「学校の図書室とはまた雰囲気が違うな」

 

 広さは小学校の図書室の半分程度だけど、ズラッと本が隙間無く本棚に収まっているせいで余計な圧迫感も感じる。

 

「本棚や本に違いがあるな……」

 

 入り口のすぐ側にあるいくつか本棚は比較的新しいというか、現代風のデザインで、並んでいる本を見ると午前中にナーねえが読んでいた本もあった(何を読んでいるのか気になったので覗いたことがある)。それ以外も知らない本ばかりだったけど、良く見ればテレビや本屋で宣伝していた有名な本ばかりが置かれた本棚がある。

 もしかしたら、何かの種類分けをしているのかも。

 

「この本も『管理人さん』が買っているのかな?」

 

 未だに姿を見ない謎の存在。

 その名の通り、恐らくはこの屋敷を管理してナーねえのお世話をしたり料理を作っている人物。ナーねえが本当に1歩も外に出ないのなら、外へ出る手がかりになりそうだと会える機会を狙っているけど、一向に姿を見せない。

 徹底的にナーねえの生活範囲に入らないようにしている。

 

「そもそもの話、何で外国の神様だとかいうナーねえが日本に来たんだ? そのナーねえの世話を影からしている管理人さんは一体何者なんだ?」

 

 初めて会ってから1週間しか経ってないとはいえ、ボクはナーねえのことも、管理人のことも、この屋敷のことも禄に知らない。

 いや、ボクがナーねえのことめちゃくちゃ警戒しているからなんだけど。

 

「こっちの本は……」

 

 次に重厚そうな本棚に近づく。

 置いてある本も年季が入ってそうなものばかりだ。

 

「……」

 

 適当に一冊を取って中を見てみるけど――

 

(な、何が書いてあるのか分からないー!?)

 

 日本語じゃなくて英語だったとかそんなレベルじゃなかった。

 全く知識にない謎言語で書かれて読めるわけがなかった。

 

 いや、あの、何?

 英語でも中国語でも韓国語でもないコレ? どこの国のもの? 本当に地球上にある言語なのかも怪しいんだけど。

 

 まさか神様特有の文字かと思ったけど、最後の方のページに見覚えのある言語があったから地球上のもので間違いないようだった。

 日本語で「訳:ヘブライ語」って書いてあったけど……全然聞き覚えがない。「ヘブライ」なんて国あったっけ?

 

「というか、ナーねえはコレ読めるの?」

 

 勉強しても読める気がしない。

 英語は難しいけど、コレに比べたら簡単に思えてきた。

 

 中学生になったら買って貰える予定のスマホの言語機能にもヘブライ語ってあるのかな? もしもイタズラで、知らない間に自分のスマホの文字がヘブライ語に変更されてたら……匙を投げるかも。どうやって調べろと?

 

 気を取り直して、そのあとも何冊かランダムに中を確認したけど有益そうな情報の書かれた本は無かった。――というより、どこで使われているのか分からない言語の本ばかりで、見ていて変に疲労が溜まる。最後のアレ何? エジプトの壁画みたいなの?

 

「もう疲れたし、もう1つの部屋を調べよ」

 

 ひとまず、ここは普通の図書室であることが確定した。

 謎言語の本以外は特段おかしい場所も確認できなかったし。

 

 境目から顔を出してチラッとリビングを確認。

 ……うん、いない。天井からこんにちはな展開も無い。

 

 足音を立てずに1度リビングまで戻り、2つ目の部屋を目指す。

 予想だと仕事で作った服飾品を置いておく部屋だと思うんだけど……

 

「お邪魔しま~す」

 

 意を決して、再び小声で侵入。

 

 そこで目にしたのは、

 

「クローゼット……やっぱ服関係か」

 

 服にシワができないよう、ハンガーに掛けた状態でしまうクローゼットだった。しかも、大きい。横幅だけでボクの家にあるモノの3倍はある。

 ……どうやって中に入れたんだろ?

 材料ごとにバラしたとしても引っ掛かりそうなんだけど?

 

「ナーねえが作ったモノを置いておく部屋で間違いなさそうだな。あとはタオル類やカーペットの置き場所も兼ねているのか」

 

 クローゼットの反対側にはいくつもの籠が置かれたスペースがあり、お風呂場やトイレで使うタオル類や、テーブルの下とかにひいてある何百万するのか分からないようなカーペットが折りたたまれて詰め込まれていた。

 

「ナーねえが作ったのか……パジャマ以外だと何だろ?」

 

 ボクが知っているのは今着ている服を洗濯機&乾燥機に掛けている間、つまりはお風呂に入ってから次の日の朝まで過ごすためのパジャマぐらいだけど、素人でも理解できるほど高級な生地を使った一品だった。

 いや、本当にあれだけは反則だ。

 パジャマも、枕も、タオルケットも、肌触りが良すぎて寝心地が良いのなんのって。毎回のことだけど、家にあるものと比べてしまう。

 

 ということで、確認。

 クローゼットを静かに開ける。

 

「おー……かなり色々な種類が入っているな」

 

 パッと見ただけでも様々な種類の服があることが分かった。

 スーツもあれば、着ぐるみパジャマなんて珍しいのもある。他にも、お巡りさんに看護師にフリフリエプロンに――って、ちょっと待て。

 

「………………ジャンルに統一感なさ過ぎじゃない?」

 

 おかしいよね?

 最初は一点モノでも作っているのかと思ったけど、職種関係のまであるのは変だし、需要があるとは思えない。

 

 何よりも、

 

「コレ、明らかに大人の人が着るには小さすぎるよね?」

 

 どっちかと言えば、子供用の服だ。

 大きさから考えるとボクぐらいの子が着るt――

 

 ………………

 

 

――ゾワッ!!

 

 

 背筋に悪寒がする。

 そこまで暑くないのに変な汗が全身から出る。

 

「ボクハ ナニモ ミテナイ」

 

 クローゼットの扉を閉める。

 

 

 早く ここから 離れないと。

 

 

 必死に脳みそを回転させて行動しようとするけど、中々体が動いてくれない。

 

 

 そして、今日のボクは運が無かったらしい。

 

 

「そーくん……ついに、見ちゃったんだね」

 

「――っ!?」

 

 ギギギと、振り向く。

 そこには、仕事部屋にいるはずのナーねえが。

 

「どう、して……?」

 

「今日は週に1度の納品日なの。だから、作ったモノを纏めるためにいつもより早めに作業を終わらせるんだ」

 

 いつもと違って俯いてるナーねえが怖い。

 まるで、爆弾が起爆する前のような……

 

 

「ホントは、もう少し溜めてからお披露目する予定だったんだ」

 

 

「そーくんと会った翌日から作り溜めしてきた、そーくんのためだけの一品たち」

 

 

「でも、見つかったならしょうがないね」

 

 

「私、欲望を解放します!!」

 

 

 そう言ったナーねえの手には何故かカメラが握られていて――

 

 

 

「“そーくん大コスプレ大会”開始を、宣言します!!」

 

 

 

 自由への逃走!

 考えるより先に体が動く!

 

「逃がさない♡」

 

 案の定というべきか、前回と同じく糸に囚われるボク。

 

「何も怖くないよ? 大丈夫。天井のシミでも見ていればすぐに終わるから。ね? まずは無難に動物パジャマから……」

 

 悪魔が近づく。

 手をワキワキさせながら。

 頬を赤く染めながら。

 

「や、やめろぉおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 

 ナーねえからは逃げられなかった。

 

 

 

 

 

 ちなみに、天井のシミなんて無かった。

 どこを見ても真っ白だったよチクショウ……

 

 




※ネタとして出したヘブライ語~は作者の好きなサイトにあった『地味に嫌な嫌がらせ』というお題から。
想像してみて、腹の底から笑いました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8月8日 蜘蛛屋敷脱出……失敗!

 

 

 拝啓、お父さんとお母さん。

 あなたたちの一人息子はこの世の理不尽やら何やらでキレています。

 キレる対象が人外なので、全く効果はありませんが。

 

 

 

「絶っっっ対に出ていってやる!!」

 

「きゃっ♪ 今日のそーくんったらワイルド!」

 

「うっさい!」

 

 はい。

 荒ぶってるワイルドなそーくんこと、絶賛監禁中の蒼太です。

 反抗期かなってぐらい荒い言葉遣いになる。

 ……口調が悪くなっている自覚はあるんだ。

 

 でもね?

 

 昨日、現在ボクを抱きしめているナーねえこと蜘蛛女に掴まってから数時間、ずぅ~~~っと着せ替え人形にさせられたんだぞ?

 

 男の子用の服はまだ分かる。

 どんなに可愛らしくてもまだ理解できる。

 

 だがしかし!

 

 OLの服とかナース服とかを強制的に着せられて、それをパシャパシャとカメラで撮られて、男子としての矜持を破壊つくされて冷静でいられるほどボクは大人じゃない!!

 こんなに感情が高ぶったのは初めてだよ。

 

 ちなみに、トドメとなったのはバニーって衣装だった。

 恥ずかしさで死ぬかと思った。

 ナーねえは鼻血を出して過呼吸気味になっていた。

 一体何の衣装かは知らないし、知りたくもない。

 

「いいか! 振りじゃないぞ! 本当に出て行くからな!」

 

「………………からの~?」

 

あぁあ゛あああぁああああああ゛っっ! 振りじゃないって言ってるだろぉ! 引き留めてほしいわけじゃないよ!!」

 

「今日の夕飯はパエリアだぞ♡」

 

「じゃあ夕方までには帰ってこないといね――って、だ~~~か~~~ら~~~!! 一時帰宅じゃないよ! 永久帰宅だよ! 昼食も夕飯もいらないよ! 今日でおさらばなんだよ!!」

 

 部屋から出て行ってもないのに疲れる……!

 

(そもそも「試しに出て行ってみる?」って、ボクの1週間は一体……!)

 

 結論から言うとボクがここから出るために、ナーねえの行動や部屋の構造を調べてたことはバレていた。

 ボクが必死になって調べたり誤魔化したりする姿が想像するだけで可愛くて、仕事部屋でずっとニヤニヤしてたとはナーねえ談。

 

 さらに言えば、

 

 

『ようやく年齢が二桁に達したそーくんと、とっくの昔に三桁に達している私とじゃ、文字通り生きてきた年月が違うのだよ? えっへん!』

 

 

 ――と、必要以上に胸を張ったドヤ顔のナーねえに言われてしまった。

 

 どうやら、ボクの演技なんてナーねえにとって子供だましにすらならなかったらしい。というか、敢えてその反応を見て楽しむって普通に性格が悪い。いや、ナーねえの場合はごく自然に無自覚でするから余計タチが悪いのか。

 

 どちらにしろ、こうなった以上やることは1つ。

 

(正面から堂々と出て行ってやる!)

 

 言質は取ったんだ。

 ならもう、何も怖くない。

 ああいいさ! 試しで出て行ってみるよ!

 

 

 唯一の懸念はナーねえの言っていた“リフォーム”って言葉だけど……

 掛けた時間は1日だけみたいだし、迷路とか視覚トリックを利用したものがあるぐらいだと信じたい。信じなきゃやってられない。

 

 

「じゃあねナーねえ! 二度とここには来ないから! せめてもの情けに警察へ訴えることだけは勘弁してあげる!」

 

「警察の人にお世話になるなら取り調べとか、テレビの取材もあるよね? いっそのこと、そこでそーくんと私の愛の生活を暴露するのも――」

 

「どこまでポジティブなんだよ!?」

 

 実現したら、ボクと過ごした1週間をあることないことで脚色するに決まってる! 

 ボクが表社会に2度と出れなくなる未来しか見えない!

 

「あーもう! さようなら!」

 

「いってらっしゃーい♪」

 

 最後まで締まらないな!

 

 バタン!とドアを閉めて、ようやく部屋の外に出れたボク。

 一旦呼吸を整えて辺りを見回す。

 

「……ここって、本当にあの屋敷の中?」

 

 扉の先は薄暗い廊下だった。

 ただし、さっきまでいた部屋と同じく窓は無い。

 

「……」

 

 まずは左側を進んでみる。

 少し進めばすぐ突き当たりにぶつかった。

 

 そこには小さめのエレベーターが設置されている。

 普通ならここで歓喜する場面だろうけど……

 

「あー、食事の乗ったキッチンワゴンはこのエレベーターで運ばれてたのかー。乗りたいなー。けど、どう見たって乗れそうにないなー」

 

 何と言うか、すっごい頑丈そうな鉄格子で覆われていた。

 

 作りを見るに遠隔操作で開く仕組みになってるみたい。

 こっち側から干渉できるようなカードをかざす場所や、番号を入力する機械がない。

 

 試しに鉄格子を引っ張ってみるけど……

 

「ぐぎぎぎ……! はぁはぁ、やっぱ無理か」

 

 ビクともしないな。

 ボクの力どうこうの問題じゃないぐらい頑丈だった。

 

 1番分かりやすい脱出口が目の前にあるって言うのに諦めるしかないなんて……まぁ、ナーねえも対策ぐらいするよな。

 1日でこんな鉄格子用意できるかは疑問だけど。

 

「よし! 次は右側だ!」

 

 今度は反対方向に向かう。

 元々こっちが本命だ。エレベーターなんて分かりやすい手段にナーねえが何もしていないなんてこと考えられなかったしね。

 

 

 で、右側に行ったら行ったで絶望しかなかった。

 

 

「…………な~にこれ~?」

 

 目の前にあるのはたくさんの階段だった。

 いや、それだけなら何も問題はなかったんだ。

 

 問題なのはその階段が……上下逆だったり、横方向に付いてたりと、メチャクチャな作りになっていることだった。

 

 いや、この、何?

 建築法に真っ向からケンカを売っている階段は?

 

「もしかしてこれ、屋敷全体がこうなってるんじゃ……?」

 

 念のために唯一普通に取り付けられた階段を使って下りて――下りてすぐの階段が横方向にねじ曲がってた。

 普通ならUの字に曲がってるはずの階段半ばが、見ていると不安になってくる程ねじ曲がった状態で続いている。人が歩けるかどうかとか関係ないし、重力のことも全く考慮されていない。

 

 階段の段を無視して本来なら壁(?)に当たる部分を歩いて行くことも考えたけど、ねじ曲がった階段の途中からその歩ける部分が無くなっている。底の方は見えるけど、重力に従って落ちると大変なことになること間違いなしだった。

 

「……何なんだよここはあああああああああああああ!!」

 

 叫ぶしかなかった。

 

 

 

~しばらくして~

 

 

 

「そーくん、おかえり~♡」

 

「……ただいま」

 

 そこそこ粘ってみたけど、隠し扉も発見できず、結局はナーねえの元に戻ってきてしまった。

 

 いろんな感情が渦巻いて、顔を手で覆う。

 多少の妨害はあると思っていたけど、アレ(・・)はそれ以前の問題だろうと!

 

「……ナーねえ。あの、重力と建築法にケンカ売ってる階段は何?」

 

「あーアレ? 今ははいてく(・・・・)になったから一々部屋から出なくても良かったんだけど、この屋敷を建ててもらった当時はあっちへこっちへ移動しててね、私専用にショートカットできる作りに改造して貰ったの! 知ってるそーくん? 昔はエレベーターなんて無かったし、お風呂や洗濯機も全然別物だったんだよ?」

 

「それは知ってるけど、あの階段ってまともに使えるの?」

 

「使えるよ? 私って平衡感覚から何まで人間とは違うし、重力なんてあってないようなものだから……ほら! こんなこともできちゃいまーっす!」

 

「マジか」

 

 ナーねえがおもむろに壁に足を付けると、そのまま壁に立った。

 目がおかしくなりそうな光景だ。

 何でナーねえのスカートまで重力に逆らって捲れないんだろ?

 

「……神様って、みんなこう(・・)なの?」

 

「少なくとも私のいた神話の同類はこれぐらい当たり前だよ?」

 

「そっかー」

 

 きっと今のボクは何度目か分からないけど、死んだ魚の目になってるだろうな。

 

 

 

 お父さん、お母さん。

 家に帰るのは結構時間が掛かるかもしれません。

 人の尺度で神様は測れなかったよ。

 

 




鬼滅〇刃に出てくるラスボスの住居「無限城」内部をイメージ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8月9日 無色の1日、悩みは晴れず

 

「はぁ~~~……」

 

 朝からため息しか出ない。

 燃え尽きたというか、燃えてる最中に強制鎮火されたというか、とにかく、今はやる気らしいやる気が出てこない。

 

「あれは卑怯でしょ」

 

 思い出すのは扉の先にあったメチャクチャな階段。

 やる気があるかないか以前の問題だ。

 残念なことに(?)ボクはいたって普通の小学生。重力・引力に逆らって歩くなんて芸当はできやしない。

 

 そりゃ、ナーねえも「行ってみる?」って軽く言うさ。

 行ったところでボクには何もできないんだから。

 

 お父さん、お母さん。

 本格的に夏休み終了までに変える目処が無くなりました。

 犯人は人外です。

 

 

 で、その人外といえば――

 

 

「!!? ぎゃ、逆バニー……! 何てモノを考えつくの外の人間は!? 随分前に人妻モノが流行りだした時も戦慄したけど、これはその比じゃないわ!! 何だかこの2、30年でやけに変な方向に進化してないかしら人間? ニャルちゃんやクーくんも恐れおののいたって聞いたけど……神様を怖がらせるなんて、数十年後が怖いわ……」

 

 

 ピンク色の雑誌(「そーくんは見ちゃダメよ!」と言われたの)を覗き込んで目を点にしてた。

 ナーねえをここまで驚かせる内容っていうのも気になるけど、さっき“バニー”って単語が聞こえたからなぁ……。碌な本じゃなさそう。もうバニー関連はこりごりだよ。

 

「……逆バニー。これをそーくんに――ってダメよナクア!! さすがにそれは踏み越えてはいけない一線よ! これはカワイイとかじゃなくて、ただただイヤらしいだけ! そーくんにはイヤらしくないけど胸の高鳴りが収まらない格好が1番良いもの!!」

 

 何だろう?

 ナーねえの言ってることがほとんど分からないのに、命の危機を脱したような謎の安心感がある。

 

「やっぱり普通のバニーがコスプレそーくんで1番よね♪」

 

 最下位だよバカヤロー。

 

「うーん、けどこの“ミニスカ和服キツネっ子”というのも中々……」

 

 ナーねえはボクに何を着せる気なんだ?

 

 しばらく「う~んう~ん……」と悩んだナーねえは何かを思いついたような顔をしてソファに寝転んだボクに視線を向けた。

 

 ……あぁ分かるよ。次に何を言うのか。

 1週間も監禁されつつ世話をされてればイヤでも分かるさ。

 

「ねえ、そーくん? ウサギとキツネ、どっちが好き?」

 

「どっちも嫌い」

 

 予想通り過ぎて半眼になってしまう。

 これ、あれだろ?

 どっちか答えていたら、バニーか、なんとかキツネかの訳分からん衣装を新しく作るんだろ?

 

「じゃ~あ、犬と猫じゃどっちが好きかな?」

 

「どっちも嫌い」

 

 ウソだ。

 実際はどっちも好き。

 ペット飼う余裕なんて家には無かったから飼えなかったけど、近所で見かけたら飼い主の人に触らせてもらってたぐらいには好きだった。

 

「それじゃそれじゃ、生き物だったら何が好きで何が嫌い?」

 

「さあね。何だって良いだろそんなの。強いて言うなら、今は蜘蛛が生き物の中で1番嫌いだ。死ぬほど嫌い」

 

 不動の1位だった台所のGが2位に転落して、今や蜘蛛が嫌いな生き物ナンバー1となっている。それもこれも、全部ナーねえのせいだ。

 

「ぶぅー! 今日のそーくん冷たーい!」

 

「……それくらいしか、仕返しできることがないからね」

 

 ボクはナーねえが飽きるまでの暇つぶしにされて生きていくことになるのかと思うと、どんどん色々なことがどうでもよくなる。

 事実、朝食も何食べたのかもう忘れた。

 

 もうこのまま寝てしまおうかと目を閉じる。

 

「むー……」

 

 どことなく不満そうな声を出しながら、ナーねえがボクの寝転ぶソファに近づくのが分かる。

 

「むむむむむ……」

 

 ナーねえがソファに座った。

 そのままゆっくりとボクに体を寄せてきて――って、

 

「いや近い近い。近過ぎるって」

 

 どんどん体重を掛けてくるからナーねえの柔らかい場所が全身に当たってる。

 こんなんじゃ眠れないって。

 

「何だよ一体……?」

 

 鬱陶しくなって目を開け、少し驚いてしまった。

 

 きっと目を開ければ「そーくん♡」とか満面の笑みで顔を覗き込んでいるとばかり思っていたのに、目の前にいるナーねえは――

 

「むぅうううううううううー!」

 

 プクーとほっぺを膨らませ、小さな子供みたいに怒っていた。

 

「え、えぇ……?」

 

 これはちょっと予想外だ。

 大穴で、人外としての本性を現してボクを食い物に(ガチで)って展開まで予想してたのに、全部外れた。

 

「……何なんだよ、その顔は?」

 

「だって、今日のそーくん。困ってもくれないし、怒ってもくれないし、恥ずかしがってもくれないし……つまんない!」

 

「はあ~~~?」

 

「もうもうもう! そーくんがそんな態度取るんなら、私だって禁断の逆バニーにそーくんを着替えさせちゃうぞ!!」

 

「それはやめろ」

 

 “逆バニー”って何?

 もしかして、さっき読んでた本の内容?

 詳細は分からないのに、絶対に禄でもないって第六感が告げてる。

 

「結局、ナーねえはボクにどうして欲しいのさ?」

 

「構って!」

 

「子供か。年齢不詳の神様じゃないのかよ」

 

「そーくんといる時は、何千歳も若返った気分なの!」

 

「若返った気分の桁が違う」

 

(本当にもう、何なんだこの人は)

 

 

 優しくて少しエッチなお姉さんだったり。

 

 人外で、常識の通用しない未知の恐怖を向けてきたり。

 

 つれない態度を取ったら子供っぽく怒り出す、構ってちゃんだったり。

 

 

(前にも思ったけど、結局ボクはナーねえのこと何にも知らないんだよな)

 

 聞けば大抵のことは答えてくれるだろう。

 ナーねえはそういう人(?)だ。

 

 

 だけど、ナーねえことをどんどん深く知った時、ボクは、果たして今までのように何が何でも家に帰りたいと思うようになるのか。それが、分からない。

 

 

 自分でも薄々気付いていることがあるかもしれなくて、もしかしたら、それを考えないようにしているのかもしれなくて……

 

 

「もー! そーくん聞いてる!?」

 

 目の前には、相変わらずプリプリしてるナーねえの姿。

 とてもじゃないけど、小学生を監禁した犯人には見えない。

 

「……もっと人外らしくしてれば悩まずに済んだのにな」

 

「? 何か言った?」

 

「何でもない」

 

 昨日と同じように、会話のない夕食はできるだろう。

 昨日と同じように、何も反応しないでお風呂に入れるだろう。

 

 だけど、明日も同じようにできるか……分からない。

 

 ナーねえはボクをどうしたくて、

 

 ボクはナーねえとどうしたいのか。

 

 その答えは、まだ出なかった。

 

 

 

 

 

「うぅ~寝ちゃった。寝顔はカワイイけど、反応の薄いそーくんはヤダよぅ……。こうなったら、絶対にそーくんが興味を引くものを用意してやるんだから! 明日を楽しみにしてるがいいよ!」

 

 




・初めて”逆バニー”の存在を知った時
作者「……天才か。いや変態か」
作者「だけどまぁ、日本人の業も来るところまで来たなー」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8月10日 娯楽には勝てなかったよ……

 

 何やかんやでこの屋敷に来てから10日が経ち、良くも悪くも生活に慣れてきた――いや、本当は慣れたらダメなんだけど。

 

 ただ……

 

「昨日に続いて寝覚めが悪いな」

 

 どうにも目覚めが良くない。

 最初の内は窓が無く、太陽の確認が取れなかったことで時間間隔がおかしかったことから目覚めがイマイチだったけど、それも初めの2、3日だけだ。そのあとは普通に起きることができた。

 

 なのに、2日連続で目が覚めてすぐは頭が重い。

 ソファから出たくない。

 そんな感じだった。

 

「……」

 

 隣を見るけど、そこに誰もいない。

 かなり高確率でソファに入り込んでいたナーねえの姿無し。

 ここ2日は空気でも読んでいるのか、潜り込んで来なかった。

 

「……はぁ」

 

 何でため息が出るのか分からない。

 年上(すぎる)お姉さんで、この屋敷の主で、人外で、ボクをここに監禁した張本人なのに、どうして朝起きた時にいないのがモヤモヤするんだろう? これまでが異常だったのに。気付かない内にボクまで変になってしまったのか。

 

「考えても仕方ないか」

 

 一先ず起きよう。

 

 適当にテレビを点け、今年の見所情報なんかをアナウンサーが紹介している番組を見ながら体をほぐしていく。

 体が適度に温まってきた頃には番組は変わって、子供向きの教育番組(?)になっていた。かなり長い間続いている玩具やゲームをよく紹介している番組で、クラスメイト曰く、声優でもある司会のメガネの男性は10年以上姿が変わってないそうだ。

 

「玩具やゲームは縁が無かったから、こういった番組の紹介だけで満足しちゃうんだよなぁ……いや、欲しいんだけど」

 

 貧乏を舐めてはいけない。

 去年まで本当に質素な生活を送ってきたんだ。ゲームを買うようなお金は全部ボクの教育費になっている。

 だから、学校でもクラスで玩具やゲームの話になるとまるで付いていくことができなかった。ボクに言えるのなんて「カッコイイよね」とか「やりたいなー」ぐらいだ。借金が無くなって落ち着いたら、お父さんやお母さんに玩具やゲームをねだると心に決めていた。

 

「誕生日にお願いする予定だったんだけど、な」

 

 ボクの誕生日は11月だ。

 その頃には新生活にも慣れてくるだろうと考えて――夏休みに監禁されるとは。状況次第じゃ誕生日を迎えられるかも怪しいよ。

 ナーねえに今のところボクを亡き者にしようとかそんな考えがないから希望が捨てきれないけど、状況次第じゃ一生ボクは玩具やゲームに触れることもできずに死ぬんだろうな-。ゲームだったら有名な『マ〇オ』とか1回ぐらいプレイしたかったなー。

 

 

 ――と、そこまで考えて気付いた。

 

 

「……あれ? ナーねえ起きてこないな」

 

 時計を見れば時刻はすでに7時半。

 某番組も終わってしまっている。

 

 いつもならとっくに起きている時間だけど……

 

 仕事部屋――いない。

 図書室――いない。

 魔の部屋――いない。

 トイレ&お風呂――いない。

 

 で、謎の部屋も入り口から声を掛けたけど――反応なし。

 

「??? え? どこ行ったのあの人?」

 

 監禁されてから初めてのことで少し不安になる。

 いつもなら食事が運ばれてきて、朝食を食べる時間なんだけど。

 

「もしかして、部屋の外?」

 

 朝からどこかへ出かけたのかとドアを開け――すぐに見つけた。

 

 

「うふ♪ うふふ、うふふふふふふ……」

 

 

 ゆっくりとキッチンワゴンを片手で押しながら、もう片方の手で大きな包みを持ち、それを見て薄ら笑い続けるナーねえを。

 

「……」

 

「うふふ――あ」

 

 目が合った。で、すぐに逸らした。

 ナーねえの目がすごい泳いでる。顔に「ヤッバイ。見つかっちゃった」と書いてある。

 

 原因は恐らく、手に持ってる大きな包み。

 大分大きいけど……何が入ってるんだアレ?

 

「……ナーねえ、それ――」

 

「ゴメンねそーくん! 朝から待ちきれなくてずっと廊下で待ってたんだ♪ もしかして、寂しかったのかな?」

 

「………………」

 

「? そーくん」

 

「……別に、寂しくなんか、ない」

 

 答えるまでに変に時間が掛かった。

 え? 寂しくなんかないよなボク?

 

「そう? それじゃ、遅くなったけど朝食にしようか♪」

 

 ナーねえは何もなかったかのように部屋に戻り、ボクもモヤッとした感情のままその後に続いた。

 

 ……ちなみに、朝食のパンはすっかり冷めていた。

 どれだけあの包みに興味津々だったんだ? ホント、興味以上に中身が怖くなってきたんだけど……

 

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「というわけで! 包みを開けてみたいと思いまーっす!」

 

「マジか」

 

 朝食後、また昨日みたいに冷めた対応をすることになっちゃうのかな?と思っていたところにこれだ。

 気にはなるけど、正体が怖いぞあの包み。

 

「うふふふ~♪ ねー、そーくん? こ・れ、何だと思う?」

 

「分からないし、場合によっては分かりたくもない」

 

 人外特有の正体不明な物質でないことだけを願ってる。

 

「それでは発表しまーっす!! ジャン、ジャカジャカジャカジャカ――」

 

 口でドラムロールの真似事をするナーねえ。

 一生懸命「ジャカジャカ」言ってる姿が不覚にもカワイイと思った。

 

「――ジャカジャカ……ジャーーーンッ!!」

 

 ドラムロールの真似事終了と共に包みを開けるナーねえ……って、思ったより丁寧に包まれていたのか中々入ってるものが出てこない。

 さっきまでのドラムロールの余韻がどんどん消えて……

 

「あんれー? えっと、んと……フガー!」

 

 

――ビリビリビリビリ!

 

 

 ……すごいな。

 最後は力尽くで包みを破いた。

 

 包んだのは管理人さんかな?

 大事なものなんだろうけど、ボクから見ても丁寧に包みすぎだったし、最終手段で破ることまで予測できなかったのか……

 

 そして、ようやく中身を取り出せたナーねえはソレ(・・)をボクの目の前に突き出した。

 

 ――っ!? こ、これは……!

 

「テレレテッテレ~! 最新型ゲーム機~!」

 

「何故にドラえ〇ん? というかそれ、ニンテンドース〇ッチ!?」

 

 今年の春に発売されたばかりの次世代ゲーム機がなぜ!?

 あ、一緒に入ってるのはまさか超有名シリーズの髭のオッサン!? 他にも見覚えのある名前のソフトが……!?

 

「今、子供も大人も関係なくこういったモノが流行ってるんだよね? 私、そーくんと一緒に遊んでみたいな~♪ この髭が生えたおじさんって対戦もできるんだよね? 一緒に遊ぶと白熱するだろうな~♪」

 

「な、何て手段を……!」

 

 やりたい! 遊び尽くしたい!

 夢にまで見た最新のゲームをプレイしてみたい……!

 

 だけど、

 

「ナーねえも一緒にするのか」

 

「最初はそーくんだけでいいよ? でもでも~、私ってば“すぽんさー”っていうのなんでしょ? 少しぐらいご利益が欲しいな~」

 

「やっぱりか!?」

 

 この人外、一緒にゲームすることでここ2日の微妙な空気をなぁなぁにしようと企んでる……!!

 

「こ、媚びないぞ。絶対に媚びるものか! そんな悲しそうな顔をしてもダメだからな! ソフトのパッケージ裏面を見せるな! スイ〇チ本体をチラ見せするな! 屈しない……ボクは、絶対、最新ゲーム機とソフトのコンボなんかに――

 

 

 

 

 

「いやー! そーくん、変な鎖に繋がれた丸いのがー!」

 

「逃げろ! ソイツは基本的に倒せない。早くその場から離れるんだ!」

 

「ちょ、この炎のグルグル通り抜けられないよー」

 

「こうやってタイミングを計って一気に突き抜けて――あぁ、イカが真下から現れてマ〇オがー!!」

 

「そーくーーーーーん!!」

 

 

 勝てなかったよ。ゲームの魅力に。

 ナーねえが「これが即堕ち2コマ……!」って目を見開いていたけど、何のことだろう? 禄でもないことなのは分かるんだけど。

 

「すごいよねー。明治辺りで私も含めて(・・・・・)いろんなものが外国からやって来た頃も日本が発展していったのは実感したけど、ゲームはその時の驚き以上にビックリだよ~」

 

「文字通り生きてきた時代が違う」

 

 うろ覚えだけど、明治って江戸時代の次ぐらいの年号だっけ? ペリーって外国人が来たのを切っ掛けに、本格的に海外との交流が深まったとか言ってた気が……

 ペリーさん。ペリーさんのせいで、ナーねえというどえらい存在が日本に来ちゃったんですが? 何てことしてくれたんですか?

 

「今の人がゲームに嵌まるのも分かるな~♪」

 

「そう?」

 

「……うん」

 

 

 その時見たナーねえの横顔は、少しだけ寂しそうだった。

 

 

「ずっと1人でいるより、誰かと一緒の方が、何百倍も幸せ」

 

「………………」

 

 ゲームに繋げたテレビの音だけがしばらく部屋に響く。

 

 ボクはナーねえの言葉に返すことができなかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8月11日 ナクア

 

 朝。

 珍しく、起きてすぐ体調が優れないという事態になっていた。

 

 何というか、疲れが抜けきれていないというか……

 どれぐらい疲れてるかって、当然のようにソファに潜り込んでいたナーねえを見ても、二度寝するぐらい。

 

「眠い」

 

「夜、盛り上がったからね♡」

 

 ゲームの夜更かしは良くないな。

 もう少し大きかったらまた違ってたんだろうけど、小学生が深夜0時過ぎてもゲームするのはやっぱり体に悪いみたい。

 

「体中の骨が鳴る」

 

「それだけ酷使したもんね♡」

 

 目を酷使すると体中に影響があるって本当だったんだ。

 ちょっと力を入れるだけで関節からポキポキ音が鳴る。

 

「ナーねえにも、何だかんだで付き合わせちゃったし」

 

「もうもう♡ そーくんたら初めてとでは思えないぐらい上手くなっていって、付き合ってた私も興奮でたくさん汗かいちゃった♡」

 

「……ねぇ、昨日遅くまでゲームしてたって話をボクたちはしているんだよね? 何かナーねえだけ別のこと考えてない?」

 

「そーくん……頭の中で妄想するだけなら、犯罪じゃないんだよ?」

 

「何の話!?」

 

「ようは自分の想像力。想像力があればどんな会話も、いくらだって頭の中で書き換えることが可能になるの♪」

 

「今の会話で何をどう書き換えたー!!」

 

「やん♪ 恥ずかしくて言えないよ……そーくんのエッチ♡」

 

「ナーねえの妄想の中のボクぅ……!」

 

 きっとナーねえの妄想内容は知らない方が良いんだろうな。

 知ったら立ち直れない気がするというか、背筋がゾゾッってなるんだ。ちょっと、やめてナーねえ。妄想を続けるの。見れば分かるよ。ねっとりした視線をボクに向けないで。さっさとよだれ拭いてよ汚いなぁ。

 

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「このエリア、いろんな種類がいるなぁ。低確率で出るのがいないか確認のためにも、歩き回ってみるか」

 

「ここ、そんなに歩き回らないとダメなの?」

 

「事前情報が無い分、自分で地道に探さないとダメだからね。クラスのやってた子が言うには、根気よく時間を掛けないと一向に現れないのもいるらしいよ。そういうのに限って強かったりするって」

 

「へー。……そういえば、さっき経験値で倒したのが他のと違う色だったけど、あれも低確率で現れるの?」

 

「まさかの色違い!? それ超・低確率だよ!!」

 

 今日もナーねえとゲームしてます。

 昨日とは違うソフトで、マ〇オと同じく超有名シリーズからポケットなモンスターのゲームを、ボクとナーねえがそれぞれプレイしている。

 

 育成バトルってピンと来なかったけど、やってみると納得のおもしろさだ。

 同じくピンと来なかったナーねえもハマったみたいだけど、ボク以上に事前情報が無かったせいで二度と会えるか分からない個体を普通に倒しちゃってた。

 少しは躊躇しようよ!

 色違い、見てみたかったなぁ……

 

「うんうん♪ 一喜一憂してるそーくんの笑顔プライスレス!」

 

「誰のせいだよ……」

 

「だってー、何の反応もしてくれなかったり、冷たかったりするそーくんと一緒にいてもつまらないもーん。前みたいに1人になった気がするもーん。せっかく最近はずっと昔みたいに楽しくなってきたのに。……やっぱり、1人は寂しいよ」

 

「……」

 

 何となしに言われたことが気になってナーねえの方を向く。

 

 不満そうに口をとがらせ、脚をブラブラと揺らすナーねえ。

 その顔はどこか子供っぽいけど、ほんの少し、寂しさが見えた。

 

「ん? あ、そーくん。バトル不利になってるよ?」

 

「え? あ、ヤバッ」

 

 ナーねえの方を向きながら適当なボタンを押したせいか、バトルのコマンドをミスってた。あぁ、せっかくのエースが瀕死に。

 

「………………」

 

 何とかバトルを立て直しながら考える。

 前から思っていた、ナーねえのことを何も知らないこと。

 それを、今の会話の流れなら聞けるんじゃないかって。

 

「……ふぅ」

 

 聞いたら、ここから出る気持ちが揺らぎそうだと思いながら、ずっと悩んでも何も進展しないと、ボクは覚悟を決めて口にする。

 

「……ナーねえは、さ?」

 

「うん?」

 

「外国の神様だったんだよね?」

 

「そうだよー。同じ神話の中じゃ知ってる人ほとんどいないけど」

 

 まぁ有名な子の名前が強すぎるからだけどーと、あっけらかんに言う。

 どうやらナーねえは“マイナー”な神様らしい。

 

「じゃあ、何で日本に?」

 

 その質問に、手を頭に置きながらナーねえは話す。

 

「うーん……昔すぎて思い出すの大変だけど……あぁ、そうそう。世界のいろんな神様が実際にいて、みんなに信じられて、自分たちのことを教えてる中で、私のいた体系の神たちは当時の人間に興味持ってなくて無視してたの。えーっと、大体の理由が『おもしろくない』だったかな」

 

「それは他の神たちのほとんどが人間に見切りをつけて、新天地に旅だったあとでも続いたの。かく言う私も興味が向かなかった」

 

「それからさらに年月が経って……ようやく人間たちがおもしろいモノを作り始めて、そこで私たちは興味を持った」

 

「でも、その頃には神様のこととか忘れられてて、変に出しゃばったら余計な混乱起こすだけだから昔のやり方はできない」

 

「で、リーダー格の神が提案したの。『人間になりすまさない?』って」

 

「まーそこから準備に準備を重ねて、元いた場所を捨てて人の世に飛び出したってわけ♪ そして私に割り当てられたのが日本だったの♪」

 

 ……か、軽ぅ。

 神様が人の世に出た理由、めっちゃ軽い。

 もっと壮大なスケールの話だと思ってたのに。

 

「というか、ナーねえみたいのが世界中に散らばってるって……」

 

「みんなそれぞれの生き方してるみたいだよ? さっき言った提案した神様なんか、100年ぐらい前に波長の合った人間に自分たちのことちょろっと教えて、小説にさせたんだー。私の名前も載ってるんだぞ♪」

 

「思いっきり人の世に干渉してる件」

 

「架空の神話扱いだったんだけど、独特の世界観が引き込まれるって話題になって、今じゃ結構有名になってるんだよ」

 

「そりゃ引き込まれるよ。本人――いや本神?が自分たちのこと教えているんだから。むしろ今の話で不安が的中した」

 

 架空じゃなくてマジだと知っているボクからすれば、徐々に自分たちの存在を世界に広げていってるようにしか思えない。

 ある意味、平和的な侵略というか……

 

「私も日本に来て管理人さん――あ、正確にはそのご先祖に支援してもらいながら、着物着てみたり、お美味しいものを食べたり、お祭りを楽しんだりして不自由なく暮らしていたの」

 

「そのまま今にいたると」

 

「……ううん。暮らしていた、だよ。つまり過去形」

 

 楽しそうに当時のことを語るナーねえ。

 だけど、急に暗い雰囲気になる。

 

「楽しい日々。そんな暮らしも、たった50年ちょっとで陰りが見えます」

 

「普通の人間からしたら十分な件」

 

 相変わらず時間間隔が違うなー。

 

「戦争が始まりました。しかも世界規模」

 

「あー……」

 

 歴史の授業で習ったな。

 そうか、その頃か。

 

「まず、戦争のドタバタで当時の管理人さんの家が衰退しました」

 

「思っていたより大事になってた」

 

 当時の管理人さんって、ようはナーねえを養っていた人でしょ?

 たぶん良い家の出だったんだろうし、影響が大きそうだなー。主に金銭面とか、権力的な面で。

 

「次に、当時住んでた屋敷に爆弾が落ちて木っ端微塵に」

 

「ナーねえ……!」

 

 同情案件だった。

 ぶわっと、涙が出そうになる。

 思わずゲーム機を手放して口元を手で覆う。

 

「何とか戦争を乗り越えて再出発しようとしたんだけど……人間の技術が一気に進んで情報のやり取りとか、価値観の変化だとかがあったことで、全く成長しない私は迂闊に外へ出ることが不可能になちゃった」

 

「人外が生きづらい世の中に……」

 

「そのあとも都市開発で立ち退き要求されたり、管理人さんの家の都合もあって人の目が少ない地方に飛ばされたり、お金が足りなくなってきたから私も洋服作りで働くことになちゃったんだよねー」

 

「うわぁ~~~」

 

 な、ナーねえの日本に来てからの人生が想像の数倍ハードだった。

 時代の流れでそうなったって言えばそれまでだけど、仮にも神様に対して酷すぎないかな? 家が木っ端微塵のくだりが特に。

 

「そこから何とか今いる屋敷での生活基盤が安定していったのだけど……時代的にも人の目に不用意に触れるのは不味いってことで、ず~っとこの屋敷から一歩も外に出れないの。管理人さんにお願いしてみても、『今のこの状態ですら氷上のうえで成り立っているのに、姿が変わらないナクア様のことが世間にバレれば、本当に暮らせなくなってしまいます』って言われたら、ね」

 

「……一歩も外に出ていないって、いつから?」

 

「もう40年ぐらい経つかなー。管理人さんとも基本的には電話越しばかりでね、ずっとこの部屋で1人だったの」

 

「だから、そーくんが屋敷に迷い込んだ時、ワクワクしたんだ♪」

 

「本当、久しぶりに子供とお話ができるって♪」

 

「まぁ数十年、下手したら100年ぶりぐらいに可愛らしい男の子と会話できたんで、ちょっと欲望が抑えられなかったんだけど♡」

 

「戦争のあとは、よそ者っぽい外見の私のこと警戒して誰も話し相手になってくれないまま屋敷に閉じ籠もっちゃったから……」

 

「何十年もほとんど1人で過ごしてきたから……」

 

「だから、そーくんと一緒の日々が楽しくて仕方ないの♪」

 

 

2人(・・)なら、寂しくないから」

 

 

「だから、そーくん……」

 

 

「私と――ううん、何でもない」

 

 

「さって! ゲームの続き続き~♪」

 

 




 クトゥルフ神話って、調べたら想像以上に近代生まれの架空神話だったんですよね。もっと前だと思ってましたよ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8月12日 いたずら電話?

 

「むぅ」

 

 昼食後から約1時間。

 昼間から昼寝というか、横になって考え事をしている蒼太です。

 ハンバーガーとフライドポテトを食べてすぐソファで横になったから、ちょっと胃が重い。

 

「ん~~~」

 

 ゴロゴロ……ゴロゴロ……

 

「むむむむむ」

 

 グイ~~~! ポキポキ……

 

 ………………

 

「あー! ダメだ! 考えが纏まらない!!」

 

 寝方を変えたり、伸びをしたり、関節を鳴らしたり、

 そんなぐーたらな時間を過ごしても頭の整理は付かなかった。

 

 

 原因は昨日のナーねえがした昔話(実話)。

 

 

 今まで謎だったナーねえのアレコレが分かったのは大きい――大きいけど……同時に、ナーねえが抱えるものまで分かってしまった。

 

 

「あーあ、昔いたっていう、鈍感系主人公だったらどんなに良かったか」

 

 流行り廃りの関係で今は数が少ないらしいけど、人の気持ち(特に女の子。ここ大事)に対して鈍い主人公をうらやむ日が来るなんて。

 悩み事とか少なそうだよね。

 同じ時期にいた暴力系ヒロインに絡まれる確率が高いみたいだけど。

 

 ちなみに、難聴系主人公なんてのも存在するらしい。

 登場人物の誰か、耳鼻科勧めてやりなよ……

 

「1人は寂しい……か」

 

 そんなの、ボクだって知ってる。

 

 借金を返済し終わるまで、お母さんもお父さんも働きづめだった。

 お母さんは小学生のボクがいるから早めに帰れるようにしてたけど、それでも「ただいま」って声が聞こえるのは夕方過ぎになって。

 

 それまでの2、3時間は誰もいない、テレビも玩具もない家で1人いた。

 宿題とか、予習とかしていた時期もあったけど、何も生活音がない、人のいる気配がない中でするのが苦痛だった。だからするのは決まって誰かが帰ってきたあとだ。

 まぁ、勉強以外することがなかったから学校での成績は良かったけど。

 すごい皮肉だよね。

 

 学校の友達と遊べる時はとにかくギリギリまで遊んだ。

 だけど、向こうも用事があったり別の友達と約束してたりで毎日遊べるわけじゃなかった。だから1人で家に帰るのが決まった日はトボトボと歩いて、できるだけ家に帰るまでの時間を稼いだりもした。

 

 これでおもしろい場所とか、歩いて行ける距離にあれば良かったんだけど。

 お金を使うゲームセンターは論外だったし、近所の公園も砂場と鉄棒だけという「子供を来させる気あるのかな?」といったチャチさだった。

 

 最初は砂の城とかを作ってみて――1人でする空しさを知った。

 というか、上手くできなかったボクの近くで公園のすぐ隣の家に住んでいるらしい年下の女の子がネズミの国のお城を作っているのを見て心が折れた。アレと比べてボクの城の歪さときたらね……

 

 次に鉄棒で遊んでみた。

 ……当たり前だけど、1人でずっとしてたら普通の練習になってたよ。

 大会に出る選手じゃないんだから、やれることなんてたかが知れてる。

 鉄棒の授業で苦労しなかったことは皮肉だったなー。先生が「やるな! まるで何度も基礎を練習したみたいにすごい自然体だ!」って。

 乾いた笑いが口から出たよ。

 

 こんなボクでも、まだ“マシ”なんだ。

 

 だって、ナーねえは外に出ることも誰かと会うこともできない。

 そんな時間を何十年も過ごしてきたんだ。

 

 ナーねえは人外だし、元の年齢からしたら1割にも満たないだろう時間のことなんて、ボクが考えているより気にしていないのかもしれない。

 でも、もしも大きな差が無かったら?

 本気で寂しいと感じていたら?

 

「どうすればいいんだよ……」

 

 脱出しようとして、あのメチャクチャな作りの屋敷に心が折れた。

 

 でもやっぱり、ボクは変わらず夏休み終了までに家に帰りたい。

 

 そこにきてナーねえの過去を、寂しさを知って、

 

 頭がグルグルしだした。

 

「誰でも、何でもいいから、何か切っ掛けが欲しいよ」

 

 割と切実な願いだった。

 

 いろんな障害や妨害があるせいで、道が通れなくなっている状態。それを改善してくれるものだったら何でもいい。脈絡無くゴ〇ラが現れて全部踏み潰していきました、といったようなメチャクチャな展開だってこの際構わない。

 

 とにかく、何かを――

 

 

――リリリリリリリリッ!!

 

 

「わっ!?」

 

 突然の音にビックリする。

 でも、この音って……

 

「電話?」

 

 それも随分昔のタイプの。

 テレビとかで紹介された黒電話みたいな音に近い。

 

「管理人さんからのじゃ……ないよね」

 

 管理人さんとナーねえを繋ぐ電話は別に置いてある。

 簡易な固定電話だ。

 監禁されたあと、隙を見て家や警察に掛からないかタメしてみたけど、ウンともスンともいわなかったっけ。

 

 その電話だって音はボクの家にあるのと似た『プルルルルル』って音だ。

 

 何よりの問題は音の発生源で――

 

 

――リリリリリリリリッ!!

 

 

「よりにもよって、あの(・・)部屋から音がする」

 

 魔の部屋(コスプレ室)とは違った意味でヤバそうな部屋。

 ボクが嫌な気配を感じて調べなかった唯一の部屋。

 その部屋から、電話の音がする。

 

「どうしよ……?」

 

 一向に電話の音は鳴り止まない。

 

 ちょっと、あの部屋に行くことだけは二の足を踏むし……

 

 というか、何でナーねえは電話に出ないんだよ。

 仕事場にいたって普通に聞こえるよね。

 

「ちょっとナーねえ? おーい!」

 

「はいはーい♡ 私を呼んだかな、そーくん♡」

 

 聞こえてないのかと大声で呼んだらすぐに来た。

 

「いや、呼んだも何も、さっきからずっと電話が鳴ってるじゃん」

 

「電話? 聞こえなかったけど……どこの?」

 

「聞こえてない? あの、部屋からずっとなって――あ」

 

 いつの間にか電話の音は鳴り止んでる。

 ナーねえと話している間に、いつの間にか静かになっていた。

 

「え? あの部屋から?」

 

 ナーねえは特に何も思うことはないように例の部屋へ入っていき――普段通りの様子で戻ってきた。

 

「特におかしな様子はなかったよ? 確かにあの部屋には電話があるけど、鳴った形跡もなかったし。そーくん寝ぼけてたの?」

 

「寝ぼけてって、そんなはず……あれー?」

 

 そんなはずないと言いたいのに、実際あれだけうるさかった電話の音はナーねえには一切聞こえておらず、ボクだけが聞いてたらしい。

 

 結局それ以降、電話が鳴ることもなく1日が終わってしまった。

 

 おっかしーなー?

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8月13日(前編) 電話越しの這い寄る混沌

 何度も言うけど、この作品って完結目指すことだけ考えた見切り発射作品なんですよ。


 

 どうも。朝からずっとノイローゼになりかけている蒼太です。

 

 起きてかれこれ数時間経ちますが、幻聴が耳から離れません。

 

 

――リリリリリリリリ! ――リリリリリリリリ!

 

 

「うっっっっっるさいなぁもぉぉぉ」

 

 昨日鳴り響いた謎の部屋から聞こえる電話の音。

 ナーねえには聞こえていなかったことからボクの勘違いなのか?と、当初は首を傾げながらも無理矢理納得させていたんだけど……

 

 朝食を食べ終えた辺りかな?

 それがずーーーーーーーっと鳴っているんだよね。

 

 で、昨日同様ナーねえには聞こえなかったと。

 眉1つ動かさないで「クロワッサン美味しかったね♡」って言ってたし、やっぱりボクにだけ聞こえる音らしい。

 

 昼食の時とか酷かった。

 まるで業を煮やしたみたいに「リ・リ・リ! リ・リ・リ! リ・リ・リ・リ・リ・リ・リ!!」と三三七拍子で鳴るんだもん。

 

 絶対、電話本体か電話先の相手……普通じゃない。

 

「やっぱ、別の神様か?」

 

 一昨日の話からナーねえの他に外国に移住した同じ神話の神様がいるらしいし、ナーねえより位が上の神様が多いのも知った。

 確証は無いけど、そんな相手からボクにだけ(・・・・・)用がある電話なんだろう。ナーねえには知られたくないような内容で。

 

 何でボクのことを知ってるの? なんて、聞く必要ない。

 どうせナーねえの子蜘蛛みたいに特殊な監視方法があるんだ。一般人の常識なんて人外に当て嵌めようとするだけ無駄だって、ここでの暮らしで学んだ。ああそうさ。毎回お風呂から逃げようとしても、蜘蛛の糸で拘束されて一緒に入っているんだ。人間諦めも肝心だって学んだ。……家への帰還は諦めきれないけど。

 

 

――リリリリリリリリッ!! ――リリリリリリリリッ!!

 

 

 心なしか電話の音が強くなった気がすr――いや、なったな。

 前よりも耳に響く。

 そろそろ出ないと本格的に頭がおかしくなりそうだ。

 

 もはや騒音となったこの音を納めるにはボクが受話器を取るしかない。

 どうせナーねえに頼んだら、その瞬間止まって、時間を置いてからまた鳴り出すに決まっている。ボク自身が動かざるを得ない。

 

「ということは……あの部屋に入るのか」

 

 仕事部屋でも、図書室でも、魔の部屋――もとい衣装部屋でも、脱衣所でもない。本能が入ることを拒否する謎の部屋へ。

 

(嫌だな~~~)

 

 正直全部忘れて寝たい気分だけど、電話の音でそれどころじゃない。

 

 頬をパチンッ!と両手で叩き、気合いを入れる。

 がんばれ蒼太! ナーねえの理不尽さに比べたら何てことないだろう! ……どうしよ。本当にナーねえに比べたら大した問題でもない気がしてきた。

 電話越しの相手も人外って意味じゃ何も変わらないもんね。

 

「……」

 

 意を決して謎の部屋へ足を踏み入れる。

 相変わらず本能が嫌がっているけど、強い意志で押さえ込む。

 

 そして、ボクが見たのは――

 

「うわ」

 

 思わず声が出た。

 

 部屋自体は狭く、中央に置いてあるモノ以外何もない。

 問題はその中央に置いてあるものなんだけど……

 

「見た目は黒電話だけど……」

 

 そこにあったのは小さくシンプルな机とその上にある電話本体。

 この電話がさっきから聞こえる音の発生源なのは間違いない。

 問題は、違和感がありすぎるってこと。

 

 まず、どこにもコードが繋がってない。

 黒電話の見た目なのにスマートフォンみたく充電式なんだろうか?

 

 そして、馴染みのない指でダイヤルを回す箇所――その中心。

 ヤケに生々しい眼球があった。

 作り物かと思ったけど、それにしては生々しすぎているし、気のせいかボクのことをずっと見つめているような錯覚が……

 

「なんだろう。心の中の大事なものがゴリゴリ削られていくような」

 

 ナーねえの僕だという大量の蜘蛛を見た影響か、どこかで「そんな気がしたよ」と言わんばかりに冷静な自分がいるけど、少し前のボクなら目玉に気付いた時点で奇声を上げながら逃げ出す。うん。間違いなく泣く。女の子なら漏らすんじゃない?

 

 

――リリリリリリリリリリリリリリリッ!!

 

 

 ボクの気持ちなんて知らないとばかりに鳴り続ける電話。

 受話器を取るべきなんだろうけど……大丈夫かなぁ? 取ろうとした瞬間に中心の目玉が襲い掛かってこないよね?

 ファンタジーな物語にはミミックって化け物がいるって聞くし。

 それの同類じゃないよね?

 

 ……

 

 こうなったら、バッと受話器を取るしかない。

 この目玉が変な行動する前に受話器だけ奪って、受話器と繋がってるコードが伸びる限界まで距離をとる。それが1番良い。

 

 さあいくぞ。

 1、2、3――はい!

 

 

――リリリリリ ――ガチャ!

 

 

 勢いよく受話器を取り、一気に部屋の隅まで避難!

 

 震える声で話かける。

 

「も、もしもし?」

 

 さぁ、鬼が出るか蛇が出るか……!

 

 

 

 

 

『初めまして! いつでもどこでもアナタの隣に這い寄る混沌! ニャル――』

 

 

 

 

 

 

――ガッシャーーーーーンッ!!

 

 

 ほとんど反射で受話器を放り投げた。

 

 




\(・ω・\)SAN値! (/・ω・)/ピンチ!
        \(・ω・\)SAN値! (/・ω・)/ピンチ!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8月13日(後編) 邪神の提案

 

「……すー……はぁー……」

 

 奇跡的に元あった場所に収まった受話器を見ながら、ボクは荒んだ心を落ち着かせるため、深呼吸を繰り返す。

 

 思い出すのは某有名アニメ。

 オープニングが非常に独特で1度聞くと中々頭から離れないアレ。

 

 前の学校の友達がそういった類いを好きで、見せてもらった記憶が蘇る。なんか“ぱろでぃ”?とかが多くて、元ネタをほとんど知らないボクは途中でついて行けなくなったけど、第1話とオープニングだけは忘れない。忘れられない。

 

 ……いや本当に忘れなくて困った。

 テストが近づいてきた日だったのに、寝たくても頭の中であの曲がリフレインし続けたせいで寝不足のままテストを受けたんだ。

 

 今までの人生で2番目にピンチだったよ。

 1番?

 今のこの状況そのものですが、何か?

 

 ともかく、意を決して出た電話先の相手がすごい聞き覚えのある名乗りを言ってきたんだ。受話器を乱暴に扱っても変じゃないでしょ?

 

 で、恐れてたことが。

 

 

――リリリリリリリリッ!!

 

 

「うっわ。また掛かってきた」

 

 性懲りもなく鳴り出す電話の音。

 

 もう勘弁して欲しい。

 ウザいし、ダルいし、めんどくさいよ……

 

 もう素直にナーねえに頼ろうかな?

 

「………………次、ふざけた対応で出たら即切って頼ろう」

 

 一先ず電話先の相手に最後のチャンス与えることにする。

 絶対普通の相手じゃない存在に対してすごく上から目線だけど、それぐらいボクの心は荒ぶっていたんだ。許して欲しい。

 

 今度は身構えずに受話器を取る。

 ここまで来たら1周回って怖くなくなるってば。

 

「――もしもし?」

 

『先程はマジすんません。ちょっと調子に乗りすぎました。ここ最近ワタクシめを題材にしたアニメが有名になって調子乗ってたと言いますか、会話の主導権握るために自分のペースに巻き込もうとしたと言いますか、とりま、どうか受話器を投げつけずにこちらの話を聞いていただけませんでしょうか候?』

 

「メッチャ低姿勢!」

 

 予想以上に謝られた。

 何でだろうな?

 電話の向こうで土下座している気配がするのは。

 

「えっと……何かその、大丈夫ですか?」

 

『ぶっちゃけ、あんな一方的に電話切られたの初めてで、ちょっとショックで泣きそうになっているって言いますか……』

 

「メンタルが豆腐……!」

 

 この人(?)、本当にナーねえと同じ人外か?

 実はボクと同じ立場の人間ってパターンじゃないよね?

 

「分かりました。分かりましたから。必要以上にふざけないでくれるなら先程のことは忘れますんで、改めて自己紹介からお願いします」

 

『何と! ……最近の少年はできてるな~。昔のクソガキと言ったらねー、私の心が広くなかったら生け贄エンドだってあり得てたぐらいクソだったんだよー。余所者だからっていきなり棒の先端に付けたウンコ投げつけてくるかね普通? アハハハハハ!』

 

 クソ違いでしょそれ。

 闇が見え隠れしてくるエピソードだな。

 

『改めて自己紹介するよ。と言っても、最初のふざけた自己紹介もウソは付いていなかったんだけどね。……いつでも、どこにだっているし、隣にいる誰かかもしれない。そんな奈落から這い出てきた混沌――ニャルラトホテプ。とある神話体系の邪神なんぞやってるものだよ』

 

「――っ!」

 

 急激にのどが渇く。

 そう錯覚するような、まるで初めてナーねえの正体を知った時のような、そんな人外と出会った際の反応とも言うべき感覚がボクを襲う。

 

 直接会ったわけでもないのに確信した。

 本人が言ったとおり、ボクが受話器を通して話しているのは人ならざるもの――本人の言う邪神とかだって。

 

『……フフフ。ちょっとマジメ過ぎたね。こういうのキャラじゃないんだけど、最初がふざけ過ぎたから、さ?』

 

「は、はい」

 

『うーん、キミは変なところで第六感が働いちゃうタイプだね。電話越しに何か(・・)を感じ取っちゃったか。失敬失敬』

 

「はぁ」

 

『ほら深呼吸して。落ち着いて話がしたいんだこっちは』

 

 言われたとおり、息を吸って吐くを繰り返す。

 ……うん。落ち着いた。

 

『やらせといてなんだけど、落ち着くの早くない? キミってばナクアとの生活に気付かないうちに慣れすぎて変な耐性付いてるよ?』

 

「マジで!?」

 

 いや、最近自分でも心臓に毛が生えてきたんじゃって思うぐらい慣れたけど。

 

 冷静になってきた頭で考える。

 ニャルラトホテプを名乗った電話向こうの相手の声は結構中性的。小学校の男子にも女子にも聞こえる声音。

 気を付けないとクラスメイトに話しかける時と同じように話してしまいそうになるうえに、フレンドリーな感じで話してくるから、勢いで揚げ足を取られないようにしないといけない。

 相手は仮にも自らを邪神と言っているわけだし。

 ナーねえと同じく独特の感性を持っていると考えるべきだ。

 

「それで、ニャルラトホテプさんは……」

 

『ニャルでいいよー』

 

「……ニャルさんは、どうしてナーねえに気付かれないようボクに?」

 

『へー? そこで疑問を置いて直で聞くんだ?』

 

「わざわざナーねえに聞こえないよう電話の音を細工して、ボクが出るように仕向けたのぐらいはさすがに分かりますって。ついでに、こっちの事情をある程度把握しているのも」

 

 もうピンポイントでボクを狙っているとしか思えない。

 情報だって、どうせ謎の人外パワーを使ったに決まっている。

 

『正解~! 今は自由気ままに暮らしているとはいえ、かつては皆のリーダー格だったからねー。仲間だった子たちの様子をたまに見たりするのだ! 月1で様子見するのを100年近く続けているんだよ』

 

「……そして、ナーねえの側にボクがいるのを知ったと」

 

『そういうこと』

 

「それで? ボクと何を話したいんですか?」

 

『うん? どうも行動方針がぶれてきて自分でもどうすればいいのか迷ってるみたいだからさ、背中を押してあげようかとね』

 

 今のセリフだけで確信した。

 この邪神、ボクの存在に気付いてから定期的に様子見しているな。

 

「なにを――」

 

『家に帰りたいんでしょ? その協力者になってあげてもいいよ?』

 

 

 その言葉に、ボクはすぐ返事を出せなかった。

 

 ただ、その時浮かんだものが1つ。

 

 ナーねえの悲しそうな顔だ。

 

 

 




 ぶっちゃけ、第三者を登場させないと蜘蛛屋敷の攻略とか小学生には無理だと気付いた作者の苦肉の策でニャル様IN。
 一発ネタならともかく、中編にするからこうなったのだと反省。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8月14日 家に帰ってから考えよう!

 

「ナーねえはさ、何考えてるの?」

 

「うーん? 何のこと?」

 

 朝食の席。

 フレンチトーストってオシャレなパンを食べながら、昨日からの疑問をナーねえに聞いてみた。

 ……いや、本当に美味しいな。メープルシロップとハチマツって似てるけど違う。バニラアイス乗せるのもアリだ。

 

「ナーねえは結構ボクのことを自由にさせているけど、本気でずっと屋敷に閉じ込めたままにしとくつもりがあるのかなって」

 

「もちろん♪ そのために元々あった屋敷の構造をさらに徹夜で改造したから♪ そーくんはまだ1%しか知らないのだ!」

 

「確かに、まともに階段の先に進むことはできなかったけど……」

 

「けど?」

 

「それでも、やけにボクに条件が良いんだよ」

 

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

『多分だけど、あの子はキミと一種のゲーム感覚で勝負を付けようって考えになっているんじゃないかなー?』

 

 昨日のニャルラトホテプを名乗る存在との電話。

 そこで提案された「協力」という言葉の真意を尋ねてみた結果、まさかの答えが返ってきた。

 

「しょ、勝負って……どゆこと?」

 

『ナクアから身の上話は聞いた?』

 

「う、うん」

 

 神様だった頃からこの屋敷に来るまでにあったナーねえからの話を思い出しながら話し、ニャルさんは『うん、うん』と相槌を打った。

 

『ま、概ねその通りだね。私たちはそれぞれのやり方で過ごしている。私のように人の世界に興味があって積極的に関わっている存在から、関わりを一切断って何もせずにいることを良しとする存在まで。ようは興味があって行動に移しているのと、興味が無くて行動しないの2パターン。ここまでいい?』

 

「うん」

 

 へー、全員が興味津々だったわけじゃないんだ。

 ……よくよく考えたらニャルさんがリーダーで言い出しっぺだとすると、仕方なく外へ出た神様もいたんじゃ?

 周りにすごい迷惑掛けるタイプなのかなぁ。

 そうなんだろうなぁ。

 

『何だかディスられた気配を感じたけど、一先ず置いとこう』

 

 さすが神様。電話越しでも鋭い。

 

『そんな中でナクアは“興味はあるけど行動に移すことができない”タイプ。日本での不幸に加えて、本人もほとんどの同族が持っている「人の意識に影響を与える術」を持ち合わせていなかった。結果が今現在の状況だよ。……ま、そもそも彼女の役割は深淵で“巣”を作り続けることだったからね。料理人が医師免許を持たないように、そもそも必用がない能力だったんだ』

 

「ちょっと待って。今聞き捨てならないこと言わなかった???」

 

 人の意識に影響を与える云々って……

 え? 大丈夫だよね?

 テレビで見た“知らない間にすでに地球は支配されていました”って映画と同じオチとかないよね?

 どうしよう、ナーねえを見てると否定が難しい。

 

『ま、そこは置いといて――』

 

「置いちゃダメ」

 

『ナクアはキミと出会ったことで溜め込んでいた鬱憤というか、ストレスというか、とにかく爆発して突拍子もないことし出したんだと私は睨んでる。いやー、私も爆発した時は火消しで忙しかったっけ♪』

 

「ナーねえが、ストレスぅ……?」

 

 またもや聞き捨てならないことが聞こえたけど無視する。

 

「ん~?」

 

 普段が普段だしな~。

 むしろストレスゼロで過ごしているとしか思えない。

 

『勘違いしているようだけど、今はキミがいてあらゆること全てが満たされているからストレスを感じてないだけだよ?』

 

「あ。そ、そうだよね」

 

『ナクアの様子を見るに、相当溜まってたものが一気に爆発して、その反動でキミのことやり過ぎなくらい可愛がってるんだね』

 

「可愛がる???」

 

 自覚はあるけど……

 ときどき思い出したように捕食者の目になっているのは一体?

 特にお風呂での頻度が高い。

 

『先に言うと、ナクアはキミが思っているよりずっと頭が良いよ』

 

「そうなの?」

 

『少なくとも爆発して一通り満足したあと冷静になるぐらいは』

 

「……」

 

 思えば、ボクが初めて廊下に出た日の前からナーねえはボクの行動をある程度把握していた。それだったらもっと前から「屋敷から出たいなら試してみる?」とでも言えばいいのに。心を折るのが目的ならもっと早く言えば、もっと諦めさせるようなことを言えばいいって判断してもおかしくないのに。

 

 もしかして、あの辺りで冷静になった?

 

「だったら普通に家に帰してよ……」

 

 力が抜けて床に腰を下ろす。

 素直に謝って帰してくれるなら許したのに。

 ここ数日のボクの悩みは一体……

 

『――とはいえ、自分の欲望に忠実なのが神の特徴でもあるんだなー』

 

「え? それって……」

 

『冷静になったともキミを監禁したい欲望もあるってこと』

 

「どうすれば良いって言うのさ……!」

 

 ナーねえのことがあっちへ行ったり、こっちへ行ったり。

 そろそろ本格的に精神が疲弊してきた。

 

『だからこそ勝負なんだよ』

 

「と、いうと?」

 

『勝負の結果次第でナクアも考えを決めようとしてるのさ。夏休みが終わるまでにキミがこの屋敷を自力で出ればキミの勝ち。ここでの生活に屈するか、夏休みまでに脱出できなければ自分の勝ちって具合にね』

 

 ナーねえなりの妥協点ってことか?

 でも、だけど、

 

『……キミがナクアに少なからず情が沸いているのは分かるよ?』

 

「そんなこと」

 

『誤魔化さない、誤魔化さない。キミが悩んでいることも理解できるけど、このままズルズル引きずる方がお互い良くないと思うんだけどなー』

 

「お互い、良くない……」

 

『ようは、難しいことは一旦家に帰ってから考えれば良いんだよ。ナクアはすぐにそこからいなくなるわけじゃないんだし』

 

「それでいいの?」

 

『いいのいいの。異常な状況に身を置いてるからか難しく考えすぎなんだよ。どういう結論を出すにしろ、選択肢の中には「普通の生活とナクアとの生活両方を取る」っていうのもあるんだし』

 

「そんなことできるの?」

 

『キミ次第だけど……可能だよ。そこだけはこの私、ニャルラトホテプの名において約束しようじゃないか!』

 

 両方とも取るなんて考えもしなかった。

 家に帰るか、ナーねえと一緒のままか。それだけだって。

 

 でも、もし可能なら――

 

「ありがとう。答えが見つかった気がする」

 

『どういたしまして。考える時間とか必要になってくるだろうし、次の連絡は明後日にしておくよ。具体的な協力の仕方についてとか、ね』

 

「分かった」

 

 ようやく心が晴れた気がする。

 そうだ、まずは家に帰ってそれから考えればいいんだ。

 

「はっ! そういえばボクが自暴自棄になった時ナーねえが子供みたいな不機嫌さになってたけど、あれは遠回しに発破をかけたんじゃ!?」

 

『あ。それは普通に素で拗ねてただけだね』

 

「やっぱり?」

 

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 そんなことがあった翌日、確かめたいことがあったので思い切ってナーねえに聞いてみたんだ。

 ずばり、この”勝負”は意識してしているのか、もしくは無意識の内にしているのか。

 

「うふふ♪ どうなんだろうね~♪」

 

 ナーねえにはいつも通りの笑みではぐらかされた。

 

 全く。

 こっちの気も知らないで。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8月15日 脱出アイテム~!(CV:大山〇ぶ代)

 

『――ということで始まりました、邪神ニャルラトホテプによるそーくん脱出アイテム販売テレフォンショッピング~! イエーーーッイ!! はい拍手! パチパチパチパチ!!』

 

「初っ端からテンション高いなー」

 

 昨日、考えに考えた結果“難しいことは家に帰ってから考える”というニャルさんの意見を採用したボクは、予定通りニャルさんに協力を頼んだ。

 

 まぁ、昨日の時点で盗み聞きしてたのは予想通りだった。

 どんな手段にしろこの神様ならボクとナーねえの会話を聞いて、事前に今日話すこととか準備とかしていそうだし。

 

 実際そのとおり。

 例の部屋に来たら、黒電話の横に大きなポストが設置してあったもん。

 外で見かけるようなのじゃなく、訳の分かんないアンテナが付いて下側が開く仕様になった、手作り感丸出しのポストが。

 

 この時点でツッコミどころ満載だよ。

 

 どうやってこの部屋に設置したの?とか。

 これって1日ちょっとで作ったの?とか。

 まさか何か(・・)がポストから出てくるの?とか。

 

 ツッコんだところで無駄だって分かるからしないけど、すごく精神的に疲れるのは間違いないから事前に説明が欲しかった。

 

『それではお客様のために改めてご説明しましょう~!』

 

「あー、よろしく?」

 

 電話の向こうでニャルさんがマイク片手にアゲアゲ状態になっている姿が想像できる。もしかしたら胡散臭いサングラスとかも掛けてるかも?

 

 ちなみに、受話器は取ってあるけど耳に当てていない。

 スピーカーモードにしたから適当に置いておけば良いとのことなので、受話器は机に置き、ボクは近くの床で胡座をかいている。

 

 

 ――見た目黒電話なのに何で“スピーカーモード”があるのかってツッコミはしない。したくてムズムズするけど絶対しない。

 

 

『……ちょっとはツッコんでも良いんだよ?』

 

「やっぱりツッコミ待ちだったのか」

 

 人生(神生?)全力で楽しんでるな。

 

『それでは早速1つ目のご紹介~!』

 

 電話の向こうからドラムロールの音が聞こえてくる。

 ……誰が鳴らしているんだろう?

 

『テレレッテッテレ~! 異次元ポーチ~!(裏声)』

 

 瞬間、ポストからガコン!という音がする。

 見れば、バッグの紐みたいのがはみ出していた。

 

 商品紹介と同時にポストへ次元を超えて届けられる仕組みなのか、とか。テレフォンショッピングって言った割にボクに選ぶ権利無いんだね、とか。言いたいことは色々あるけど、こればかりはツッコまざるを得ない。

 

「何その変な声?」

 

 ニャルさんの声が聞いたことない変な声になってた。

 

『やだなー。特別な道具を紹介する時はこの声って決まってるんだよ。ほらー、有名な国民的アニメの青いネコ型ロボットの声。そっくりだったでしょ? 私が本気になればドラ〇もんの声だろうが、フリーザ様の声だろうが完コピできるのさ!!』

 

「え? あの有名アニメのロボットの声とは全然違ってたけど……?」

 

『なん……だと……!

 

 「そんなバカな」とばかりの驚愕の声が聞こえたと思ったら、電話の向こう側でガタゴトと忙しない音が響く。

 

『――っ!? 声優総入れ替え……!? しかも数年前に!』

 

 よっぽど衝撃だったのか『これが時代の流れ……止められぬ世界の法則か……』なんて声が聞こえてくる。

 声優さんが変わったぐらいでそんな大げさな。

 

「どうでもいいから道具の説明してよ」

 

『私にとっては天地がひっくり返る程の衝撃なんだけど』

 

 声優が変わった程度で天地がひっくり返るなら、世界はとっくに滅んでいると思うんだけどなー。

 

『はぁ、分かったよ。説明に戻りまーっす。――とりあえずポストから引っ張り出して。出した? それ、見た目はごく普通のポーチなんだけど、中は某四次元ポケットと同じで何でも入れることができるんだ。入れる場所よりも大きなモノだって収納できる優れもの』

 

「へー」

 

 ポストの下にある開け口からポーチを引っ張り出してマジマジと見る。

 落ち着いたベージュ色のポーチで、中を除けば絵の具をいくつも混ぜたような不思議な空間が広がってた。

 ニャルさんからの追加説明によれば、手を突っ込んで何を出したいか思い出せばソレを引っ張り出すことができるらしい。

 

「すごいね。これってどうやって作られてるの?」

 

『暇を持て余した時期にちょいちょいと私が作ったのさ。キミが知らないだけで魔法だか魔術だかってものは一般人が知らないだけで存在するからね』

 

「まさかの衝撃事実」

 

『それでは2つ目いってみましょー!』

 

 そして再びドラムロール。

 

『テレレッテッテレ~! ペタリニャンコ~!(裏声)』

 

「結局その声は止めないんだ」

 

『神様にだって譲れないことがあるのだよ』

 

「じゃあ次からは省略で」

 

『酷い!?』

 

 抗議の声を無視してポストから届いたモノを取り出す。

 

「……ネコの手? それも4つ」

 

『手足に付ける道具だ。ソレがあれば壁でも天井でも移動できるよ。ナクアの屋敷攻略に欠かせない1番大事な品ってこと』

 

「おおっ!!」

 

 これだよこれ!

 あの建築法ガン無視の階段群相手でもこれなら戦える!

 

『で、ソレとセットで使ってもらいたいのがコレ』

 

 ポストから今度はカラランッ、と軽い音が響く。

 取り出してみれば金属でできた小さな2つの指輪だった。

 

「何これ?」

 

『姿勢制御系と平衡感覚系を制御するための指輪だよ。ペタリニャンコで壁や天井を移動できるからって、重力に逆らえる訳でも自分がどういう状態か正確に分かる訳でもないから』

 

「あー」

 

 すっかり忘れてた。

 そうだ。ボクはアスリートじゃない。

 どこにでもいる普通の小学生のスペックしか発揮できないんだ。

 危うく筋肉痛か頭に血が上りすぎるかで死ぬところだった。

 

『最後は万一のための安全装置だね。ベルト型だし、普段から腰に巻いておけば良いよ』

 

 ポストから出てきたのはズボンに巻くベルトだ。

 所々に宝石みたいのが嵌め込んである。

 

「安全装置って、具体的には?」

 

『それこそ本当に色々だよ。レア度で言えば異次元ポーチよりも上だね。おめでとう! ソレがある限りキミは事故・事件に巻き込まれても無敵さ!』

 

「わぁー、神様からのお墨付きってのが逆に怖いな……」

 

 もしかして、この宝石の数だけ安全装置があるってことかな?

 安心度が高すぎて逆に心配になるってあるんだな。

 

『今渡せるのはこんなものだね。あとは自分で脱出のための一歩を踏み出してから考えると良いよ。ゲームってのはどんなに難しくても挑戦者側に勝利の可能性がなきゃフェアじゃないのに。ナクアはその辺下手だったからねー。これでようやく盤面が動く。私もドキワクしながら楽しめるZE♪』

 

「あはは……結局は自分が楽しみたいんですねニャルさん」

 

『邪神ですから♪』

 

「うん、でも、これでようやく前に進める」

 

 ニャルさんから貰った道具を握りしめて、表情を引き締めた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8月16日 難易度設定間違えてない?

 

「今日から本気でこの屋敷からの脱出をする」

 

「――!? キリッとしたそーくんの表情も素敵……!」

 

「話の腰を折らないでよナーねえ」

 

 ニャルさんからの支援で脱出の目処が立ったボクは、改めてナーねえに決意表明したんだけど……相変わらずナーねえはナーねえだった。

 

 あーもう。

 そんなに目をキラキラさせないで。

 よだれよだれ。

 

「ボクは本気だ。難しいことは帰ってから考えることにしたんだよ」

 

「夕飯までには戻ってね♪ 今日は石焼きビビンバだよ♪」

 

「……ツッコまない。ツッコまないぞ」

 

 そりゃ数時間で初日脱出できるとは思わないけど、今から夕食のこと考えるのは負けた気がしてならない。

 

 脱出の件になるとナーねえは話しをはぐらかしたり、核心に触れるようなことは言わないでいる。それがどんな気持ちから来るものなのかは……今、どれだけ考えたって答えは出ないか。

 

「んー、でもそうだなー。夕飯まで戻って貰わないと美味しくなくなっちゃうし、時間になったら迎えに行かせる(・・・・・・・)ね♪」

 

「……分かった」

 

 なるほど。時間ギリギリまで粘るつもりだけど、タイムリミットが近づいたらどこからともなく屋敷の構造を把握してるだろうナーねえが迎えに来る――というか、強制的に連れ戻しにくるのか。そうなると早さも重要になるな。

 

 あれ? 迎えに行かせる(・・・・・・・)

 ナーねえが連れ戻しに来るなら迎えに行く(・・・・・)じゃ――

 

「せっかくだし、脱出に失敗するごとに色々と付き合って貰おうかなー? 具体的にはぁ、そーくんのコスプレ大会をもう1度開くとか♡」

 

「 ち ょ っ と 待 て 」

 

 全力で攻略しよう。

 

 1日でも早く脱出して見せよう。

 

 そう、心に硬く誓った。

 

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 ――硬く誓ったはいいけど、実際に行動として移した時に想定してた通りの結果が出せるかというと、それはまた別問題だ。

 

 

「ゼー、ハー……! き、きつい!」

 

 端的に言うと、自分の体力の無さを舐めてた。

 

 場所は例の建築法ガン無視階段地帯。

 初期位置の廊下からどれぐらい離れたか、かれこれ体内時計で2時間以上は格闘している。おやつの時間は過ぎてるはず。

 

(出だしは順調だったんだけどなー)

 

 ニャルさんから貰ったペタリニャンコ。

 手足に付けたそれは大変役立った。

 

 装備してみればペッタンペッタンと、真横に設置された階段でも移動することができた。ちょっぴり忍者の気持ちになった気分だ。

 魔法のアクセサリーの効果で重力に引っ張られる感覚も、頭に血が上るようなこともなかった。

 

 そうしてきの赴くまま探索することしばし……

 新たな問題点が発覚した。

 

 

 まず、この建築法ガン無視の空間が予想以上に広い!

 間違いなく外から見た屋敷の外見よりも広かった。

 ナーねえがどんな罠を仕掛けてるにしても、それにさえ気を付ければ2、3日で外に出られるかもと期待しただけに衝撃が大きい。

 

 正直言って、自分が今どこにいるのか把握できていない。

 広すぎて小学生が記憶できる範囲を余裕で超えるんだもん。

 

 ナーねえの言う“迎え”が無かったら遭難してもおかしくない。

 ……次回から紙とペンを持って地図作らなきゃ。それも2次元のじゃなくて3次元の地図。この年で脳の限界に挑戦することになるかも?

 

 

 次にボクの体力が想像以上に無かったこと。

 

 考えて欲しい。

 いくら親がボクのために食事を優先的に寄越してくれるからって、お腹いっぱいになるほどのごはんや肉料理――つまりはタンパク質のあるものを1日に必要な量取れると思う?

 答えはNo。

 

 借金返すまで肉料理とか最低限だったよ!

 ちゃんとした料理名のある肉料理なんて月1度だけだよ!

 お父さんやお母さんが肉団子みたいなサイズのハンバーグ食べている横で、普通サイズのハンバーグ食べるのが申し訳なかったよ!

 すき焼きとか今年になって初めて食べたわ!

 

 ぶっちゃけ家の食事より給食の方が基本豪華なんだよね。

 給食費払ってくれたことは本当に感謝している。

 

 そんな家庭環境だったんで、可能な限り体力を温存して過ごした。

 運動ばっかりしているとすぐお腹が減っちゃうから。

 具体的には体育の授業で手を抜いてたし、遊びも室内でできるの限定だ。

 持久走? 先生を泣き落として回避したよ。

 

 その結果がコレ。

 体力の無い子供――ボクのできあがり。

 

 引っ越したあとで変わってればなー。

 家で栄養のある食事を取れるようになったのもここ半年の話しだし、そんなすぐ外で思いっきり遊ぶのは難しいよ。

 体育の授業も動きすぎたら倒れるんじゃ……ってほどほどにしてたし。

 さすがに半年じゃ体力の無さはどうにもできなかったってこと。

 

 ペタリニャンコは性質上、両手足に4つ付けて四つん這いで使用するけど……

 何だかんだで真横や斜め、天井にある階段を四つん這いで慎重にペッタンペッタンしながら移動するのは体力が必要だった。

 

 平行な場所で休憩しながら息を整えないとやってられない。

 このい時間のせいで余計に脱出までの時間が削られている。

 

 

 そして、最後の問題。

 ナーねえによるDIYだ。

 

 

――ガコッ!

 

 

「あー、またかー」

 

 必死に移動していると、ここ数時間で聞き飽きた音が。

 諦めというか疲れ切った声がボクの口から出る。

 

 もはや身構える気力さえ無い。

 もうどうにでもなれ精神でいれば、ビヨーンッ!という音と共に前方に放り出されるボクの体。

 そのまま綺麗な放物線を描き――巨大な蜘蛛の巣に引っ掛かった。

 

 たまにあるんだ。こういうすごく大きな蜘蛛の巣が。

 今回はど真ん中にクリーンヒット。もう逃れられないなこれ。

 

「ナーねえが作った巣なのかなー……」

 

 巣を作った蜘蛛らしき存在は見当たらないし、クッションの役割をしたトラップ用の巣なんだろうなー。

 

 さっきから見事に掛かっているのは、ナーねえが作ったらしきトラップ。

 ボクのいた場所を見れば、床に仕込まれていたバネがビヨンビヨン鳴ってる。あれで前方に吹っ飛ばされたのかー。

 

 最初に掛かった回転する床とかは優しい方。鳥もちみたいな蜘蛛の巣を丸めた物体が上から落ちてきたり、横から発射されるトラップ。いきなり床が抜けるトラップ(下にはクッション)。順調に進んでいると壁とぶつかりそうになる騙し絵など。

 

 本当にナーねえが1人で作ったんだとしたら、日曜大工の才能があるよ。

 そういえばニャルさんも言ってたっけ。ナーねえが故郷でずっと巣を作ってたみたいなこと。納得だよ。

 騙し絵が日曜大工のカテゴリーに入るかは謎だけど。

 

「うん。見事に動けない」

 

 さっきからグイグイ引っ張ってみるけど、蜘蛛の巣から出れない。

 片腕だけなら引き剥がせた。だけど全身は無理だった。

 

「今日はボクの負けだとして……迎え、来るんだよね?」

 

 拉致監禁した側の助けを期待するって言うのもい変な話だけど、このまま迎えが来ないと死んでしまうのですごく困る。

 

 体感時間から、もうそろそろタイムリミットのはずだけど――

 

 

――カサカサカサカサカサ

 

 

「………………」

 

 いつか見たでっかい蜘蛛がそこら中から出てきた。

 ナーねえの生み出した僕とかってやつだ。

 

 それが、どんどんボクの周りに集まる。

 蜘蛛の巣に囚われ、身動きできないボクの所へ。

 

「え? 待って。待って待って待って待ってまって――!」

 

 まさか、そういうこと!?

 ボク、この蜘蛛たちのエサになる!?

 イヤアアアアアアアアッ!! 助けてナーねええええええええええ!!

 

 ボクの願いも空しく、ついに蜘蛛たちが行動に移す。

 数匹ずつで蜘蛛の巣を綺麗に折りたたんだ――ボクを巻く形で。

 

「ちょ、誰かああああああああアアア!!」

 

 訳が分からない内に器用に運ばれる。

 しかも予想外に速い!

 どこへ連れて気!? エサは嫌だあああああああああ!!

 

 

 そして数分後。

 

 

「おかえり、そーくん♡」

 

 ナーねえがいつもの部屋の前で出迎えてくれた。

 巻かれていた蜘蛛の巣も、ナーねえが触れただけで粘着性が無くなり、シルクのような手触りに変化している。

 くるくる回されて解放され、ナーねえの胸元に飛び込む形で受け止められた。

 

 ここでようやく事態を把握する。

 

「…………迎えって、あの蜘蛛たちのこと?」

 

「うん♪」

 

「そっかー」

 

 未だにエサにされるんじゃって恐怖で心臓がバクバクしている。

 

「……もう少しこのままでいい?」

 

「もっちろん!!」

 

 いつになく力強い肯定だった。

 

 今だけは顔を包む母性の塊が安心する。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8月17日 案外ストレッチは難しい

 

『みんな、集まれー!!』

 

『『『『『はーーーーーい!』』』』』

 

『はーい! みんな一緒にっ! 背伸びの運動からー!』

 

「せいのっ。1、2、3、4。2、2、3、4。――っと」

 

 

 本気の脱出1回目が失敗に終わった翌日の午前。

 ボクは体操服(ナーねえ作。薄いしズボンが短い)を着て、朝の教育番組を見ながらラジオ体操やストレッチの類いをしていた。

 

 というのも、昨日の探索でボク自身の体力の無さが目立ったからだ。

 

 あのどう考えても屋敷の外観に対して空間の広さがおかしい迷路――いやもう迷宮と言っていい空間を攻略するには、今のままでは先に時間制限の方が来ると分かった。

 

 出来れば、時間制限内で帰ってくるまでしたい。

 いや、うん、切実に。

 最終的には、絶対。

 

 大量の蜘蛛に運ばれるのと同時、心の中にある大事なモノがどんどん磨り減っていく音が聞こえたんだ。

 自由の身だったら、装備も何もかも放りだして異次元階段の空間に身を投げたかも知れない。

 やらないけど。

 冗談でも何でもなく死んじゃう。

 

 そういったことを回避し、改善するため、体操とストレッチによる室内でもできる体力作りの一環をしている最中だ。

 

「うみぃ~~~……結構疲れるな……」

 

 こういうのってバカにできない。

 普段使わない筋肉とかも使うから、マジメにやるとかなり疲れてくる。

 今も脇腹の筋肉を伸ばしている最中だけど、急がずゆっくりやらないと筋肉を痛めるって理由でテレビの見本より時間を掛けてしている。

 

 

 まぁ、それとは別に疲れる理由もあるんだけどね。

 

 

「ハァ、ハァ、そーくんのぉ……うなじぃ……」

 

 すぐ後ろでナーねえが見てくるんだよ。

 それも首とか、胸元とか、太ももとか……

 

「……ナーねえ。毎日お風呂で見ているでしょ?」

 

「それとこれとは別なの!」

 

 別らしい。

 

「露出度(?)はむしろ減ったと思うんだけど……」

 

「違うわそーくん! 見えないからこその素晴らしさがあるの! 汗をかきはじめて僅かに濡れた首筋、背を大きく逸らしたことで見えた服の中から覗ける胸元、普段意識しないからこそ見てしまう太ももとそのラインに沿ったお尻!! これだけでゴハンが何杯でもいけちゃう!」

 

「やめて」

 

 いつだかのコスプレ大会の時より興奮した様子のナーねえが人外云々関係無しに怖い。頬を赤らめないで。目をギラつかせないで。

 

 不味いな。

 常識が通用しないナーねえがナニをしでかすか予想付かない。

 ぶっちゃけ、いつも以上に身の危険を感じる。

 今日の所は何とか大人しくしてもらわないと。

 

「あの、ナーねぇ――」

 

「よーっし! せっかくだから私もそーくんと一緒に体操しよ!」

 

 間に合わなかった。

 ついでに言うと、嫌な予感しかしない。

 

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 案の定でした。

 

「こういう風に体伸ばすのなんて何十年ぶりかなー」

 

「さ、さあ……?」

 

 

 目 の や り 場 に 困 る !

 

 

 現在のナーねえは動きやすいよう――タンクトップ姿だ。

 しかも「思いっきり動きたいから」という理由でブラジャーを付けてない。

 

 つまり、

 

「おいっちにーさんしー、にーにーさんしー」

 

 何と言うか……すごい。

 胸にある2つの塊だけ別の生き物みたいだった。

 

 音で表わすなら「バルンッ! バルンッ!」って感じかな。

 “縦横無尽”って言葉の意味がよく分かる。

 

 ほぼ毎日思うことだけど、何食べたらああ(・・)なるんだろ?

 ナーねえと比べると世の中の女性がみんな貧乳に思えてきた。

 間違った認識のはずなのに「そうでもないかも」と思ってるボクがいる。これ家に帰れたとして治せるかな?

 

 どっち道ずっと見ていたら目の毒すぎるってことで、座った状態での前屈をし始める。こうでもしなきゃ目が離せなくなるもん。

 アレ(・・)はもう兵器だよ兵器。

 

 とにかく意識を切り替えようと硬い体をほぐしていると、

 

「ね、ね? そーくん、手伝ってあげようか?」

 

「手伝うって何を?」

 

「今そーくんがしてる前屈とか2人一組でやったりもするんでしょ? ちょうどテレビでやってるよ」

 

 ナーねえに言われてテレビに視線を戻すと、床に座って前屈している人の背中を後ろのもう1人が押している姿があった。

 

 ……ここで断っても良いけど、実害はなさそうだし、断ったあとが面倒な予感もするから背中を押してもらうぐらいいいか。

 

「いきなり強く押さないでね。徐々に、ゆっくりと、だよ?」

 

「はーい♡」

 

 ナーねえが後ろに回り込む。

 

 そして――

 

「はーいゆっくり体を前に倒して~♪」

 

「~~~~~!!?」

 

 背中に、やけに弾力のある物体を押しつけながらゆっくり倒れ込んできた!

 

「ちょ、ナーねえ何してるの!?」

 

「? そーくんが言った通りのことだけど?」

 

「だったら何でくっつくのさ!?」

 

 二人羽織みたいに抱きつく形でナーねえが密着してくる!

 

 服の生地が薄いからほとんどダイレクトに感触がぁっ!!

 うううううぅ、汗かいてるはずなのに何で良い匂いがするのさぁ……

 

「だって私とそーくんじゃ身長差があるし、これなら私も同時に運動ができるでしょ? なーんにも、問題ないよ♡ ……はぁん♡ そーくんの汗のにほい……スーハー」

 

「現在進行形で問題だらけ!!」

 

 結局こういう事態になるのか。

 

「押さないでっ! 押さないでってば!」

 

「うん、分かった。じゃあもっと押すね♪」

 

「ネタじゃないからあああああああああ!」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8月18日 脳の限界

 

 

――ガチャ。

 

 

「~♪ ~♪ あ、おかえりそーくん♡ 今日は自力で帰って来れたね♪」

 

「………………ただいま」

 

「ありゃ? そーくんったら随分お疲れみたいで」

 

「……うん。疲れたよ。………………ねえ、ナーねえ」

 

「なーに?」

 

「……あの異次元階段の空間だけどさ」

 

「うん」

 

「この際、どんなに広くても、難易度が高くても良いから…………階層ごとに分かれた空間にしてもらいたかったよガクッ」

 

「!? そ、そーくーーーーーん!」

 

 夕方。

 その日、本気の脱出2日目を終えたボクはゾンビのような足取りで何とかナーねえの待つ部屋に辿り着き、そこで1度ダウンした。

 

 原因?

 脳の限界だよ。

 主にマッピングでの。

 

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 以前から本気で脱出するためには――あの異様な階段いっぱいの空間を攻略するためには、自分で地図を作っていかないと無理なことは分かっていた。三次元構造を紙に書く苦労による一般人枠の小学生が負う苦労も。

 

 ボクの空間認識能力はお世辞にも高いとは言えない。

 何かの本で見たけど、そういう能力って子供の頃の外遊びとかで高くなるって話だ。しかし、ボクは必要以上に体力を消耗しないよう基本インドア派で過ごしていた。それが体力の無さに繋がったわけだけど。

 

 そんな中でのマッピング。

 

 最初は階層ごとに書いていけば何とかなると思っていた。

 どういう風に作ったにしても作りやすいよう、把握しやすいよう、“区切り”があるだろうからそこを基準にしようと。

 

 甘かったよ。

 

 無かったんだ。区切り。

 正確には区切りっぽいのはあるけど、高低差も広さもガン無視しているからどうやって紙に書けば良いのか分からない。

 

 建築法無視にしたってアレ(・・)はない。

 むしろ、どうやってあれだけの広範囲に異次元階段の空間を作ったのか聞きたかった。というか、昨日のお風呂タイムの時点で聞いた。

 

 

『時間だけは無駄にあったからね~。毎日ちょこちょこと自分で改造していったらああ(・・)なちゃった♪ 遊び心ってやつだね♪』

 

 そんな遊び心いらなかった。

 なんて無駄に卓越した無駄な技術の無駄使いなのだろう……

 

 ちなみに、あんな構造の空間を把握できるのかと聞けば、

 

 

『だって故郷じゃアレよりもっとも~~~っと複雑で巨大な“巣”を作ってたんだよ? それを全部把握していたんだよ? あのくらいなら目を瞑ってぇ、鼻歌を歌ってぇ、ラン♪ラン♪とスキップしながら踏破できるよ!』

 

 

 どうやらナーねえの故郷――神様の世界で作っていた“巣”とやらはこの世の魔境らしい。

 アマゾンの奥地完全制覇の方が遙かに簡単なのは間違いない。

 

 そんなナーねえがボクを逃がさないよう(ニャルさん曰く、「ゲーム」なので攻略は不可能ではない)大規模DIYにより各種トラップを設置したのがあの空間だ。

 改めて思う。

 鬼畜難易度だと。

 

 だけど、

 

 それでも、

 

 

「ボクは、諦めるわけにはいかないんだあああああああああああああああっ!!」

 

 

 寝かされていたソファーから勢いよく立ち上がる。

 

 さっきまで寝込んでいた。

 帰還して、倒れて、ナーねえに看病されていたんだ。

 

「キャ!? そーくんが、そーくんが立った!」

 

「やかましいよ!!」

 

 ナーねえが嬉しそうに手で口を覆いながらネタ(?)を言う。

 いや、もしかしたらネタとか関係なく普通に出た言葉なのかもしれないけど。

 

 ボクはすぐ机の上に紙とペンを用意してあの空間の地図を作る。

 途中まで書いてあったそれを、より分かりやすいように脳細胞を働かせる。

 

「そーくん! 病み上がりなんだからもう少し寝てなきゃ――」

 

「止めないでナーねえ。ボクは……ボクは……!」

 

「――せっかくの看病プレイがぁ!」

 

「何その嫌なワード!?」

 

 そんなこと言われたら余計に寝込む訳にはいかないよ!

 




~おまけ~

雪菜「むっ! どこかで誰かが『やかましい!』と叫んだ気がする!」
ステラ「ユキナ様、変な電波を受信しないでくださいとあれほど……」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8月19日 看病プレイ

 

 

 少し考えれば分かることだったんだ。

 

 

 体力に自信のないのに、その体で行う探索。

 

 不得意だけど、しなければいけない立体地図の作成。

 

 あとは夏場だったこととか、監禁に対するストレスとか。

 

 まあ、色々だよね。

 

 だから、考えれば分かったはずなんだ。

 

 

 こう(・・)なるってことぐらい。

 

 

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「はい、そーくん。あ~ん♡」

 

「ハァ、ハァ。あ、あーん……」

 

「フフフ♡ 美味しい?」

 

「……うん。リンゴの甘みが良いよ」

 

「ホント! じゃあもっとたくさん作るね!」

 

「ナーねえ、ボク病人。そんなに食べられないよ――けほっ」

 

 

 はい。風邪を引きました。

 

 38度だって。

 

 この熱いのか寒いのかよく分からない感覚、随分久しぶりだなー。

 

 

 そんなこんなで、朝から風邪の症状で苦しんでいたボクは半泣きのナーねえによって診察され、ただの風邪だと判明した今は、打って変わり上機嫌になったナーねえによる看病をされているわけだ。

 

 現在ボクはいつも寝ているソファじゃなく、ナーねえの仕事部屋――その奥にあった天蓋(?)とかいうヒラヒラなものが付いた大きなベッドで寝かされている。ビックリするぐらいフカフカだ。風邪を引いてなかったら2、3分で眠れていたと思う。

 

 朝ご飯代わりのすり潰したリンゴがやけに美味しく感じるなー。

 

「ふふふ♡ まさか本当に看病プレイができるなんて……日頃の行いが良かったのかな~? もうもう♪ いつも以上に世話焼いちゃうぞ♪」

 

「だかr――ゴッホゴホ! ……だから、何で上機嫌なの?」

 

「私がいつも寝ているベッドなの。今度からそ-くんもこっちに来て良いんだよ?」

 

「話を聞いて」

 

「意識が混濁しているそーくん。1人はヤダというワガママを聞いてあげて一緒に寝る私。夢と現実の境が曖昧になったそーくんは……きゃ♡」

 

「ナーねえにツッコミどころしかない件」

 

 もうね? 全てが疲れる。 ダルくてしかたない。

 

 

 “看病プレイ”って、ただの“看病”でいいでしょ。

 カタカナ3文字が付くだけで急にいかがわしくなる。

 

 日頃の行いが良いとか、ボクを監禁しておいてどの口が言うか。

 

 いつも以上に世話されるとか嫌な予感しかしないし。

 

 ほぼ毎朝ボクの寝ているソファに潜り込んでいるのに、今更ベッドで一緒に寝たって大した違いないだろって感じだし。

 

 最後には妄想の世界に入り込んじゃってるし。

 

 

 こんなのいちいち反応していたら切りがないよ。

 考え事するだけで疲れる。

 ナーねえはほっといて寝るに限るよ。

 明日までに治して、また探索を再開するんだ。

 

 ……あぁ、だけど、

 これだけはキチンと言っとかないとな。

 

「ナーねえ」

 

「なーに?」

 

「風邪を引いた子供相手の1番の看病が何か知っている?」

 

「世話する人の愛♡」

 

「そういうのいいから」

 

 ここら辺で現実を教えなきゃな。

 

「それは――」

 

「それは?」

 

「静かに寝かせることだよ。というわけでおやすみ」

 

「………………え? 本当に寝ちゃうの!?」

 

 布団をかぶり直して完全に寝る体勢に入れば、珍しく本心から焦った雰囲気のナーねえが「ウソでしょ!?」と驚いていた。

 

「看病のために、たくさんのプランも用意したのに!?」

 

「ゴッホ! ……ナーねえは風邪を何だと思ってるの? 下手に側で色々されると、むしろ悪化するって。何の病気でも病人用の食べ物をよく食べて、環境を整えてよく寝るのが1番効果がある治療法なんだから。……そもそも、そこに置いてある長ネギとかどうする気なの?」

 

「刻んで布に包んで首に巻くと良いって!」

 

「民間療法か」

 

「おしりに長ネギをブスッ!とすればすぐ治るって!」

 

「民間療法か」

 

 いや本当に民間療法かも怪しいな。

 どこの情報なんだか。

 

 ……それ以前に、あの立派なネギをボクのおしりに刺すつもりだったのかナーねえ。座薬じゃないんだよ?

 絶対大変なことになるところだった。

 理由は分からないけど、確実にボクの中にある大切なものを無くす危機だったに違いない。

 

「じゃ、昼食の時に起こして。おかゆでお願い」

 

「そ、そんな~~~」

 

「本当にボクのこと大切なら本気で静かにして」

 

「うぅ~……そーくんがいるのに何もしちゃいけないなんて。待っているだけだなんて。――はっ! まさか、これが世に聞く“放置プレイ”ってやつなのかしら!? そーくん、恐ろしい子!!」

 

 

 確信した。

 例えボクがいなくなっても、ナーねえなら逞しく生きていけるって。

 

 




 少なくとも、日本で最初におしりへ長ネギぶっ刺した人は頭がおかしい。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8月20日 ゲームで良く見る何かありそうな部屋

 男はそこに”ロマン”を求める。


 

「いい? 絶対に無理しないでよそーくん?」

 

「今日だけはそのつもりだけど、無理無謀しなきゃここから脱出できないんだよ。……なんなら難易度下げてくれてもいいんだけど」

 

「うぅ、ダメダメ! 私分かるもん! するつもりはないけど、あの空間の罠とか全部取っ払らおうと思ったら、無意識に罠とか増やしているに決まってるわ! 愛故に!!」

 

「うわっ、本当に想像できた」

 

 完全回復――とはいかないけど、何とか風邪からの復活を果たしたボク。

 

 正直ダルさは残っているし節々に痛みも感じているけど、今日も休む……というわけにはいかない。

 気付けばすでに8月20日。

 監禁されてから3週間近くが経ち、タイムリミットである30日までの期間が3分の2も過ぎてしまった。

 

 “まだ10日もある”ではなく“もう10日しかない”だ。

 探索し始めたことで明らかになった異常な広さの階段空間。あそこまで広いとどっちに向かっていいのかすら分からない。

 正直、帰れたとしてもギリギリになるんだろうなぁ……って。

 

「それじゃあ行ってくるね」

 

「やっぱり心配! 行かないでそーくんんんんんんんんっっっ!!」

 

「いや必要だから行くんだよ。そろそろ急がないと、お父さんとお母さんが帰ってきちゃうんだって」

 

「でも後遺症が!?」

 

「無理はしないから。ただの風邪を重病みたいに扱わないで」

 

「うううぅ、子供は生き急いじゃダメなんだよ?」

 

「生き急ぐ原因を作ったナーねえにだけは言われたくない」

 

 今すごい真顔になっていそうだな。

 アンタがボクを監禁したのが全ての始まりだろうに。

 

 ニャルさん曰くゲームらしいけど、それに本気で挑まなきゃならない身になってほしい。何度目の愚痴かは忘れた。それでも言わせて欲しい。――小学生がすることじゃないよ。

 

「だって……そーくんが可愛かったんだもの……!」

 

「ありがた迷惑」

 

「そーくんを心配する気持ちは本物なの!」

 

「心配しているなら1度家に帰らせてよ」

 

「それはそれ、これはこれ、というかー? テヘッ♪」

 

 …………時間の無駄だなこれ。

 

「行ってきます」

 

「あああああああああぁっ!!」

 

 手を伸ばすナーねえを振り切り、いざ探索へ。

 

 というか、茶番だったな今の。

 ナーねえも最後の方は演技じみてたし、口元の角度が僅かに上がっていたし。

 ま、そんな細かい部分に気付けるようになったボクも大概だけど。

 

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

――カチッ!

 

 

 足下から鳴るスイッチを押したような音。

 そして横から放たれる鳥もち爆弾。

 

「よっと」

 

 事前に来ることが分かっていたそれを余裕をもって躱す。

 頭を下げたあと、頭上で風切り音が聞こえる。大賞を外した鳥もち爆弾は何もない横方向の階段にベチャ!という音を立てぶつかった。

 

 ……さすがに同じ場所で3度目となれば避けるのも上手くなるな。

 

「それまでの2回は酷かったけど」

 

 ナーねえの糸ほどじゃないにしろ、すごくくっつくんだ。

 何とか取り外しても服や体がベタつくから一気にテンションが下がるし。

 

 1回目は初見だからまともに喰らった。

 2回目は避けるタイミングが合わなかった。

 

 罠のある位置と内容は自作の地図(紙同士を貼り合わせたり、注釈が多かったりでもうメチャクチャ)に毎回書き込んで覚えるようにしているから、わざと罠を発動させたうえで避けるか、そもそも発動させないよう回避するかのどちらかだ。

 

 大抵の場合は罠を無視するように立ち振る舞うけど、中には今回のようにルートの都合上発動させなきゃ通れないものもある。

 無駄に多い罠にウンザリする。

 

 ボクが眠っていたたった1日でこれだけ用意できるのか疑問だったけど、本人曰く「毎日深夜に出向いて増やし続けている」そうだ。

 

 ……ちょっと本気で寝ている間ずっとナーねえにくっついて、身動き取れないようにする作戦を実行に移すべきか考えるべきかも?

 

 ――と、目的の場所に到着。

 

「……うん。前回から変わりなし。つまり怪しい」

 

 目の前にあるのは“いかにも”な雰囲気の扉だった。

 

 場所は最初の階段空間をスタート地点とした際の左上側。

 この扉、一昨日の時点で発見したんだけど、中に何かありそうだからこそ慎重になったことと、立体地図の作成で精神がすり減っていたことなどもあって後回しにしていた場所だ。

 

 扉の中央には“いかにも”なギミックがあるし、もしかしたら脱出に必要なアイテムとかを敢えて置いてあるのかもしれない。

 何としても確認しなければ。

 

「で、このギミックだけど……すごい見覚えがあるな」

 

 正式名称は……なんだったけ?

 正方形の窪みの中にさらに小さな正方形の絵のついた板があって、それを、こう、シャカシャカ動かして絵柄が揃うようにする幼児向けの玩具。

 それを古代のパズル風に設置してある。

 

 いやナーねえ、どうやってこんなもの用意したんだ?

 日曜大工の意気を超えているんだけど?

 

「何にせよやるしかないか」

 

 照明(?)のおかげで、薄暗いけど何とか絵柄は分かる。

 たぶん何かの動物になるんだろう。

 5×5のマスだから幼児向けのそれより難易度は高いけど、不可能なほどじゃない。少しずつ繋がる絵柄に当たりを付けて組み上げる。

 

それからしばらく、

 

 

――ガチャ!

 

 

 絵柄が揃ったことで扉のロックが解除される音が聞こえた。

 これで中に入ることができる……と思いたい。

 

「これで当っている。当っている……はず、なんだけど」

 

 出来上がったのは四足の陸上生物――だと思いたい。

 

 いや、完成させといてアレなんだけど、すごく自信がない。

 何せ完成した生物が、その、不気味なんだ。

 まるで抽象画を得意とする人が狂気に取り憑かれて描いた作品だって言われても信じてしまいそうなくらい見ているだけで不安になる。

 

 ……これ以上この絵のことは考えない方がいいな。

 

 思考を切り替えて扉の中へと足を踏み入れる。

 

「おおぉ!」

 

 入った先は“いかにも”な部屋だ。

 

 そこまで広くない家のリビング程度の広さだけど、壁に暗号のようなものが描かれているし、何かを嵌め込む台座らしき物もある。

 男心をくすぐる作りだった。

 

「――はっ! そうだ。全部メモしなきゃ」

 

 一先ず描かれているものや台座の大きさなどを紙に写す。

 解くのは時間が掛かるだろうし、ナーねえんぼ所へ戻ってからでいいだろう。

 

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「うーん………………」

 

 夕食後。

 スキヤキを食べてお腹いっぱいになったところで例の“いかにも”な部屋に描かれていた暗号っぽいものを見ているけど、何を表わしているのか、どう解くのかこれぽっちも分からない。

 

 これ、謎々とかクイズ番組で出る暗号じゃなくてガチのものらしいしな~。

 もっとその手の本や番組も見るんだった。

 

「そーくん? 何を悩んでいるの?」

 

 頭を悩ませていたら悩みの種本人が来た。

 

「ナーねえが作った暗号っぽいのを必死に解いているんだよ」

 

「? 暗号? 何が?」

 

「いやだから、この紙に写したやつ」

 

「だから、それのどこが暗号なの?」

 

 ? ? ?

 

 あれ? 何か話が噛み合わないな。

 

「これ、ナーねえが作った何かの暗号でしょ?」

 

「やだー! 私がそーくんにそんな難しそうなモノ出すわけないでしょ♪」

 

「へ? じゃあ、あの“いかにも”な部屋は?」

 

 ボクは今日入ったあの部屋のことを話す。

 

 するとナーねえは「ああ!」と手をポンッと叩いた。

 

「せっかくだしと思って作ったあの部屋か~。そういえば適当に(・・・)それっぽい感じで部屋に絵を描いたり台座を設置したんだっけ♪」

 

「は?」

 

 え? いや、まさか……

 

「ナーねえ。あの部屋って……何か意味あるの?」

 

「な~~~んいも無いよ! ただそれっぽい雰囲気の部屋を作っただけ! 男の子ってああいうのに“ロマン”を感じるんでしょ? どうどう? “いかにも”な場所で楽しめた?」

 

「………………」

 

 

――ゴンッ!!

 

 

 無言で机に突っ伏した。

 

 作られたロマンほど空しいものはないっていうか。

 大真面目に脱出の糸口になる暗号かもと信じて、頭をひねっていたボクがバカみたいじゃないか。

 

 




 ポケモンのゲームで”いかにも”何かがありそうな場所だと探したけど何も見つからず、イベントも起きず、公式サイトや攻略本、果ては廃人プレイヤーの情報でも何も出なかったことに「何であんな場所出したんだよ! 何かあるって思うじゃん!」と叫んだ思い出。
 初代リメイクに出てくる「島」とかそういうの多いんだよ……

 今回出てきたシャカシャカするやつって、「スライドパズル」って言うんですね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8月21日 レッツ、クッキング!

 

「――というわけで! 今日はパンを作っていこうと思います!!」

 

「どういうわけ?」

 

「そーくんと私の初になる共同作業で、愛の結晶を作りたいと思います!」

 

「パンの話だよね?」

 

「レッツ、3時間クッキング♪」

 

「いつも通り何も聞いてないな」

 

 時刻は午前9時。

 この日はナーねえの思いつきでパン作りに付き合わされることになった。

 

 ホント唐突だな。

 探索は午後からだから別にパン作りぐらいならいいんだけど。

 

 テーブルの上には一通りの材料が揃っている。

 端っこにはレシピも置かれていた。

 朝食を食べ終えたら、入れ替わりで材料その他が送られてきたんだ。昨日の内に管理人さんに頼んだんだろうなぁ……

 ボクは何も聞かされていないけど。

 

「ナーねえ、これボクが断ったらどうする気だったの?」

 

「何が何でもそーくんと一緒に作るぅっっっ!」

 

「いや、だから……」

 

「泣き落としでも何でもやってやるもん!」

 

 ……今何でもするって言った?

 

「じゃあ、一時帰宅とか――」

 

「あ、それはダメ」

 

「そこだけは譲らないのね」

 

 一喜一憂してた表情からの真顔は怖い。

 前回もそうだけど、ボクの帰宅だけはナーねえの中で超えてはいけないラインらしい。「帰宅」の言葉だけで冷静になる。

 やっぱりここから脱出するしか方法はないみたいだ。

 

「で? 何作る予定なの?」

 

「白パンとウインナーロールとチョココロネだぞ♪」

 

「何故にそのラインナップ?」

 

 白パンは、まぁ分かる。

 ものすごくシンプルなパンだったはずだから。

 

 だけど、ウインナーロールとチョココロネをどうして加えたのか。

 

「白パンはすごく簡単だから。初心者のそーくんでも問題ないって」

 

「うん」

 

「あとの2つは~そーくんを見てたら作るべきだって♡」

 

「ちょっと待て」

 

 何でボクを見てそれを作ろうと思った!?

 何で材料のウインナーをナデナデしている!?

 

「それじゃあ始めましょうか!」

 

「もう好きにして」

 

 

 結論から言おう。

 本当に無事に終わるのかというボクの不安に反して、特にこれと言ったことなくパン作りは終了した、

 

 

 基本の白パンは何もかも始めてということで、手にくっつく生地と悪戦苦闘しつつも普通に楽しめた。生地が膨らんでいくのはおもしろかったな。

 

 ウインナーロールは……まぁ、無事には済んだ。

 ホットケーキミックスを使った簡単なモノで、ウインナーに生地を巻き付ける作業は新鮮だったけど……ナーねえ、頼むからウインナーとボクを交互に見ないでくれないかな? 「あと2年ぐらいかしら」って、本当何を想像してるのこの人外!?

 

 チョココロネは少し難しかったな。

 最期にチョコを入れるための空洞を作る作業とか。

 ちょっと歪だけど、なんとか成功した。

 

 そうやって発酵とかの工程を挟んで出来上がった生地を作業用エレベーターで管理人さんの所へ運び、少し遅めの昼食で焼かれたパンが出てきた。

 

 美味しかった。

 今までのパンも美味しかったけど、やっぱり自分たちで作ったものだったからか、そういったパンよりも美味しく感じたわけだ。

 

 ……叶うならまた作ってみたいけど、どうだろう?

 その時、ナーねえは隣にいるのかな。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8月22日 閑話.深夜のナクアと……

 

 

【side.アトラク=ナクア】

 

 

「全く、何で巨大な毛糸の塊が階段を転がってくるんだか……」

 

「がんばって作ったんだ♪」

 

「がんばりすぎだから。何で2メートル近い大きさの毛玉に追いかけ回されなきゃならないんだって話でさ」

 

「だって石の塊じゃ大変なことになっちゃうでしょ?」

 

「大変なこと――というか、ほぼ確実に死んじゃうね」

 

 今日も疲れた様子でそーくんが帰ってきて、いつものように愚痴を言いながらソファで休む。可愛い♡

 

 むー……

 そろそろ私のベッドに誘うべきかな?

 

 そーくんが寝静まった頃を見計らって、掛けてある大きなタオルケットの中に潜り込む作業。あれって地味に大変なんだよね。

 あぁ、でもダメダメ。絶対にダメ。

 そんなことしたら押さえが効かなくなくなっちゃう。

 

「……急に寒気が。ナーねえ、変なこと考えてるでしょ」

 

 そーくんがジト目で見上げてくる。

 食べちゃいたいぐらい可愛い♡

 

「考えてないよ~。ほら見てこの真剣な目を!」

 

「目は真剣だけど口元がだらけきってるから」

 

 おっと。

 ムニムニムニ――っと。これで良し!

 

「ほら見てこの真剣な目を!」

 

「もう遅いから。何を無かったことにしているのさ……」

 

 ダメだったかー。

 

 あー……呆れた顔のそーくんも良いなー。

 ずっと見てたいなー。

 

 

 だけど、難しいなー。

 

 

 夕飯を食べている時も、

 お風呂に一緒に入っている時も、

 最初に比べたら薄くなったとはいえ、やっぱり壁を感じる。

 

 そーくんにとって最初は意識してて、今は無意識で出してる壁。

 

 壊すのは簡単。

 薄い壁だし、どんな方法で壊せばいいのかも分かる。

 

 でもダメ。

 

 壊そうとする行動にストップが掛かる。

 それが私にも、そーくんにも、良い選択のはずなのに。

 壊すために腕を上げようとしても、意志に反して腕は上がらない。表面の問題じゃなく、もっと心の奥底にある意志がそれを拒む。

 

 最初にそーくんをずっと側に置きたいって、ちょっと、いやかなり、思考が暴走気味だったのは反省するけど、本当だったら3日目ぐらいで落ち着いたんだし、そこで謝れば良かったんだと思う。「好みだったし、人肌恋しくて暴走しちゃったの!」って頭を下げればまた違った展開になってたはず。

 

 だけど、私は――

 

「――っ!?」

 

「ナーねえ? どうかした?」

 

「……ううん。何でもないよ♡ そーくんの寝顔は今日も可愛いだろうなーって、楽しみなだけ♡」

 

「頼むから毎日潜り込むのやめてよ」

 

「それはできない相談だね♪」

 

「あーはいはい」

 

「おやすみ、そーくん」

 

「おやすみー」

 

 そーくんの側からゆっくり離れる。

 

 …………

 そーくんには、特別変な反応はなかった。

 なら、聞こえているのは私だけだ。

 

 

――ジリリリリリ! ジイリリリリリリ!

 

 

 黒電話の音(・・・・・)は、まだ鳴り続けている。

 

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 1時間後。

 そーくんが完全に寝た頃、気配も音も消してあの部屋(・・・・)へ向かう。

 

 変な黒電話しか置いてない部屋。

 昔の仲間たちと唯一繋がりのある部屋。

 

 その部屋にある黒電話は1時間ずっと鳴っている。

 

 

――ジリリリリリ! ジリリ“ガチャ”……

 

 

「もしもし?」

 

『やあやあ久しぶりナクアちゃん! みんな大好き世界の奈落から這い寄る混沌、ニャルさんとは私のことだあああああああ!!』

 

「切っていい?」

 

『わーーーーー!! 待って待ってそれやめて! 突然電話切られるのここ最近になって苦手になっちゃったんだよー』

 

「それで何の用事? 私にはこのあと、そーくんのソファに潜り込んで寝顔を見ながらドキドキして寝るって使命があるんだけど?」

 

『……気のせいかな? キミの使命って世界が終わる“その時”に備えて故郷で永遠に巣を作り続けることだったはず』

 

「アナタが『もうやらなくていい』って言ったんでしょ?」

 

『そうだったそうだった!』

 

 たはー!と、わざとらしい声が受話器越しに聞こえる。

 しばらく連絡を取らない内に随分ユーモア(?)を覚えたらしい。

 人間世界で上手く生きていけるのは、やっぱりニャルみたいな存在なのかな?

 ようは順応力というか、臨機応変力というか。

 私はそこまで器用じゃないから羨ましい。

 

「それで? 言ったい何の用なの?」

 

『つれないなー。もっと昔話に花咲かせようぜ!』

 

「そーくんと話している方が百倍楽しい」

 

『この私が、百分の一だと……!』

 

「けど、そうね。敢えて話に乗るなら……そーくんへの特別な道具の支給、助かったとだけ言おうかな」

 

『……やっぱり知っているじゃん。私が関わっていること』

 

 知っているも何も。

 ニャルが私を含めた“全員”を頻繁に覗いていることは昔から分かっていたことだし、今回の件も当然知っている体で話していた。

 ……そうじゃなきゃ、「そーくん、って誰?」と聞くはずだし。

 

 そもそも、そーくんからこの部屋の電話の音について聞かれた時も、私には聞かせたくない話をニャルがそーくんとする可能性が高いって予想は付いている。心の中でものすごく介入すべきか迷ったし、そーくんにもコズミックホラーを体験させることに対して隠れて謝罪したりもした。

 

『ナクアは変な所で抜けているからねー。彼も常々言っているけどさ、何も道具も知識も持っていない小学生のもやしっ子が攻略できる空間じゃないでしょ? 何あの最近見たアニメに出てきた無〇城の中みたいなの? 本当に攻略できると思ったの?』

 

「それは……」

 

 後になって、不味いと本気で汗を出したのは秘密。

 

『彼にもそれとなーく伝えたけどさ、ナクア……本当は分かってるんだろ? 冷静になって気付いてるんだろ? なのに何で……?』

 

「心配してるの?」

 

「今現在、私の仲間で幸福度が1番低いのはキミだよ」

 

「分かってるわよ。それぐらい」

 

 それぐらい、本当は分かってるの。

 私は、そーくんに――

 




ニャル( ^o^)「『鬼滅〇刃』おもしろいなー」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8月23日 何か違うプール開き

 大人になると周りの目を気にしてプールとか行かなくなるんですよね……
 ただでさえ小学生の頃、私物を盗まれた経験もありますし。


 

 ゆらゆらと揺れる。

 波に揺られているみたいに。

 

 青い空。白い雲。そして、青い海と白い砂浜。

 

 浮き輪みたいに膨らませる寝台っぽいものの上に寝そべって、ボ~~~っと太陽の光を浴び続ける。

 砂浜を見れば黒ビキニを身に付けたナーねえが手を振っている。

 

 ここまで来れば分かるというものだ。

 

「あ~……これ夢だな?」

 

 本当のボクはあの監禁部屋のソファで寝ているんだ。

 今年は何やかんやで結局海に行けなかったからこんな夢を見ているのかな?

 引っ越した当初は夏休みに海行くぞ!って父さんと意気込んだっけ。

 

「いや、問題はそこじゃない」

 

 聞いたことがある。

 寝ている最中に見る夢の内容が“水”に関係する内容だった時の注意点……もとい、悲劇を。

 

 

 ――“おねしょ”してたらどうしよう……

 

 

「うわー最悪だ。しかも海とか大洪水の可能性もあるよ」

 

 昨日そんなに飲み物飲んだっけ?

 寝る前に麦茶をコップ1杯だけだったはず。

 夕食後にトイレも行った。

 

 一体何で?

 単純に海への渇望が見せた夢ならまだしも、本当に漏らしていたらどうすればいいんだ。小6でやるとか恥ずかしすぎる。

 

 これで起きた後でバレるのが母さんとかだったらまだマシだ。

 死ぬほど恥ずかしいけどマシではある。

 

 だけど、ここにはナーねえがいる。

 もしもナーねえに漏らしているのがバレたら?

 

 うわ。

 赤ちゃんプレイとか言って迫る姿が想像できた。

 

 ――って、あぁこの感じ。夢から覚めるやつだ。

 

 頼む。おねしょだけは嫌だ。

 信じてるぞボクの尿意抑制器官!!

 

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「は?」

 

 目が覚める。

 そう、夢から目覚めたはずだ。

 そのはず、なのに……

 

 青い空!

 白い雲!

 青い海!

 白い砂浜!

 輝く太陽!

 ゴムボート的なものに乗ってプカプカ浮かぶボク!!

 

 そして、

 

「あ♡ そーくん、おはよー♪」

 

 黒いビキニで胸部装甲が主張しすぎなナーねえ!!

 

「………………」

 

 思考が纏まらない。

 それでも考えに考えて――

 

「な~んだ。まだ夢を見てるのか!」

 

 夢から覚めてまた夢だなんて本当にあるんだな~。

 

「えい♪」

 

「冷たっ!?」

 

 ナーねえから水鉄砲による冷水攻撃!

 

「目ぇ覚めた?」

 

「覚めたよ! ……あれ?」

 

 眠気が完全に無くなった頭でもう1度周りを見る。

 

 青い空と白い雲。

 良く見たら天井に貼られたポスターだ。

 太陽だと思っていたのも真ん丸のLED照明だし。

 

 白い砂浜だと思っていたのも防水用カーテンに描かれている柄だった。

 それが前後左右、部屋の全てに掛かっている。

 無駄にリアルなタッチの絵。

 

 というか、良く見たら家具がほとんど無い!?

 あるのは海の家やプールに置かれているような簡素な白いテーブルとイスだけだし、それも海――てか、プールに足下が使っている!?

 

 言ってて分かったけど、これプールだ!

 すっごく大きな膨らますプールがいつも寝ている部屋全体を占拠している!?

 

「ナーねえ、これいつの間に!?」

 

「朝早く起きて準備しました!」

 

「家具は!?」

 

「廊下に一時避難」

 

「何で急に部屋が海風のプールに!?」

 

「気付いたの。このままじゃそーくんは夏休みの期間なのに海に遊びに行くことができないって。そーくんぐらいの子は必ず夏にプールか、可能なら海に行くんでしょ? そんなのかわいそうじゃない!!」

 

「アナタのせいぞ」

 

 そりゃ都心で貧乏だった家の事情もあって1年に1回大きめのプール施設に行くのが限界だったけどさぁ?

 行けないのかわいそうって、アンタが原因だと言えればどんなにいいか。

 ナーねえは自分のせいだって自覚はあるのか本当に……

 

「フッフッフ! ということで今日の午前は海に来たと思って遊び尽くすよ♪」

 

「無駄に凝ってるなー」

 

「そーくんにコッソリ睡眠薬を飲ませて眠りを深くしている間に準備するのは骨だったよ。特に物音とか」

 

「待って???」

 

 さらりと、とんでもないこと言ったぞこの人。

 

「見て! 微弱ながらも波の発生を可能にする装置も開発しました!」

 

「……それって、壁際にいる板を装着した大量の蜘蛛たちのこと?」

 

 ナーねえの言う装置がある場所を指す。

 カーテンを被せてあるからシルエットだけだけど、間違いなく何度も見たナーねえの僕の蜘蛛たちだ。

 それが横一列に並んで水に半分程浸かった一枚の大きな板を装着して、上下に動かすことでかろうじて波っぽいものが生まれている。

 

 けどなー……

 

「すんごい、ひぃこら言っている気がするの気のせい?」

 

「気のせい気のせい♪」

 

 そっかー。気のせいかー。

 蜘蛛の内の1匹がすでにいつプールに落ちても不思議じゃないぐらいフラフラで、隣の仲間からエール(?)を送られているも気のせいかー。

 

 ……深く考えるのはやめよう。

 

「分かったよ。午前中は遊ぼう」

 

「やったー!」

 

 こらナーねえ、上下にピョンピョンしないで。

 布1枚隔てただけの胸部装甲がものすごいことになっているから。

 よく零れ落ちないなアレ。

 

「朝ご飯はパンケーキと南国フルーツの盛り合わせでしょ? お昼は焼きそばと海鮮ステーキの予定でーっす♪」

 

「それは普通に楽しみ」

 

 やっぱ美味しいものにだけは勝てないな。

 

 そうだ。

 ずっと言おうと思っていたことがあるんだ。

 

「ところでナーねえ」

 

「なーに?」

 

「ボク、起きた時には海パン姿だったんだけど」

 

「うん」

 

「まさか、寝ている間にナーねえが着替えさせたなんてことはないよね?」

 

「よーし! まずは泳ごう~!」

 

「聞けよ」

 

 ザバンッ!とナーねえが飛び込む音だけが響いた。

 

 その時の衝撃で例の蜘蛛が足を滑らせてプールに落ちていたけど……

 死にはしないだろ。たぶん。

 心の中でだけで無事を祈ろう。

 




【おまけ】

例の蜘蛛「ひー、ひー」

蜘蛛A「がんばれ兄弟!」

蜘蛛B「両隣のオレたちも協力するから耐えるんだ!」

例の蜘蛛「う、うん。ありg『ザバンッ!』――あ(つるっ……ドボン!)」

蜘蛛A&B「「兄者ぁああああああああああああああっっ!!」」

 こんな会話(?)があったとか無いとか。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8月24日 第壱話 担任、襲来

 

 その日は午前からやけに騒がしかった。

 

 

「1番から10番までは通常通り各所で待機! 11番から30番までは各自多少の危険を冒してでも全ての会話を拾うように! “外側”コードAからコードGまで、幻覚準備と精神・物理両方への干渉における準備の再確認を! “内側”コードHからコードUまで、生活感に違和感がないかを再確認して……あぁそうだった! ついでにお茶菓子に不備がないかすぐ見て! おせんべいとかある!? お茶の貯蔵は十分!? コードV、W、X、Y? アナタたちが要よ? 失敗は許されないわ。……コードZ、万が一の時は……頼むわよ……!」

 

 

 ナーねえが忙しない。

 

 番号とかコードとか、スパイ映画かってセリフで指示を出しているかと思えば、おせんべいやらお茶やら日常で使われる単語もチラホラ聞こえてくる。

 

 周りには僕の蜘蛛たちがこれまた忙しそうに動き回っている。

 何をしているんだろう?

 

 無線を使ってるでもないのに、ここにはいない僕に指示を出しているみたいで、時々頷いたりもしている。

 テレパシーとかそんなのかな?

 仮にも神様相手に能力を真面目に考察するとか無駄なんだろうけど。

 

 いや、だけど本当に気になるな。

 特にナーねえが鬼気迫る表情なのが特に。

 

「ナーねえ――」

 

「ちょっと待ってねそーくん今忙しいから!」

 

 あ、ダメだこれ。

 あの(・・)ナーねえがボクの呼びかけを後回しにするとか、夏場に大雪が降るほどの異常事態だ。

 現に僕の蜘蛛たちが一瞬動きを止めて一斉にナーねえの方を見てたからなぁ。

 蜘蛛の表情とか分からないはずなのに「え? マジっすかご主人様!?」って驚いているのが分かるもん。

 

 アレ? 多少の仕草で蜘蛛の感情を読み取れてるボクも相当ヤバいのでは?

 

 ……

 この件は保留にしよう。それがいい。

 始めは手の平サイズの蜘蛛にビビっていたはずなのに、いつの間にか慣れているとかボクの中の常識が崩壊していってる。

 

 ちょうど良いから午前中で脱出計画について見直しとこ。

 何度目かだけど――バカみたいに広いんだよあの空間!

 本来あるべき屋敷の内装なんて全体の100分の1も無いぞ絶対!!

 小学生に㎞単位で冒険させるな!

 足腰が鍛えられたよ全くもうもう!

 

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

【side.アトラク=ナクア】

 

 

「じゃあ行ってくるからー」

 

 いつものように、私の作った迷路を攻略するため出掛けるそーくんを見送る。

 ……まだ大丈夫よね?

 まだ、迷路の秘密(・・・・・)に気付いてないよね?

 

 さすがに全体を隅から隅まで探索されたらバレちゃうけど、残り6日で調べ尽くすのは難しいはず。

 このまま秘密に気付かず何事も無ければ――

 無ければ……

 

 ……ダメね。しっかりしなきゃ。

 頬を叩いて気合いを入れ直す。

 今はこの緊急事態に対処しないと。

 

「まさか、このタイミングで学校の先生がやってくるなんて……」

 

 完全に油断してたわ。気を抜きすぎた。

 

 そーくんのクラスの担任がやって来る。

 その情報を聞いたのは昨日の夜だった。

 

 そーくんの家周辺にある他の各家に1匹ずつ潜ませて、そこで交わされる会話を盗み聞くことを目的とした11~30番と名付けた僕。

 その中の1匹からもたらされたのは「明日の午後に“担任”って人が例の家に訪問かもー」というもの。

 実際、連絡を受けた直後に担任を名乗る人物がそーくん宅への訪問をお願いしてきた。そーくん本体の幻影&動作&会話を担当しているコードV、W、X、Yの4匹は最初断ろうとしたのを急いで割り込み、訪問の許可を取るよう指示を出した。

 

 初期のそーくんLove♡魂が暴走してた頃ならともかく、私との決着がまだ付いていない“今”、本物のそーくんが不在な件がバレるのはマズい。残り数日でバタバタするのは勘弁だった。

 

「やってみせるわよ。精神的な誘導も行って、10分以内でケリを付ける。これしかないわ。頼んだわよアナタたち……!」

 

 “パス”によって繋がった僕たちからの「アイアイサー!!」の返事を聞きつつ、最後の確認を行っていった。

 

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

【side.中林響子】

 

 私は中林響子(なかばやしきょうこ)。24歳。独身。

 年齢=彼氏いない歴……ではないものの、付き合った男性2名と結局分かれる羽目になった悲しき女。

 

 1人目の高校時代から2年に渡って付き合った彼氏には「オレ、他に好きな人ができたんだ」と切り出され涙を流し、大学生の頃に付き合った彼は初めてを経験して勝ち組だ!と浮かれた私が悪かったのか、そのままヤリ捨てされた。呪った。その後、別の二股を掛けた女に顔を斬られたそう。ザマぁ。

 

 そんな私も大学卒業後に晴れて小学校勤務が決まり、今年はクラスを1つ預かることになった。まあ、元から人手不足だったのはあるのだろうが。

 自分で言うのもアレだが、クラスは上手く回せていると思う。

 その中で気になっている子が存在いる。

 

 高木蒼太くん。

 

 今年になって転校してきた子で、ご両親ががんばって借金を返済したのを機に都会から地方と言っていいここへと転校してきた男の子。

 半端な時期での転校で友人と呼べる子も少なく、可能な限り気にかけていた。

 

 そんな蒼太くんについて予想外のことを耳にしたのはつい先日。

 母親と一緒に出かけていたクラスの子と町で偶然会い、世間話をしている時だ。

 

 

 ――高木の奴、今1人で家にいるんだってさー。

 

 

 大問題だった。

 まさか蒼太くんのご両親の務めていた会社がこちらに来て数日で不祥事を起こしていただなんて。

 新しい働き先候補に住み込みで働いているなんて!

 

 その子の家は蒼太くんの家から近く、件のご両親から1ヶ月だけ何かあれば力になってくれないか?と相談されていたらしい。

 幸いにも蒼太くんはしっかり生活できているらしく、数日ごとに確認しても洗濯物は干され、庭の手入れもされており、この前はベランダの方から会釈されたのだとか。

 

 無事に暮らせているのは安心だが、さすがに担任として1度本当に大丈夫なのか? 困ったことは無いのか? などといったことを確かめなければならない。夏休み終了まであと1週間となってから行くのもどうかと思ったが、逆にここを逃すとタイミングを無くしてしまう。

 

 そうと分かれば善は急げ。

 蒼太くんが確実にいるだろう夕食を食べ終えたぐらいの時間を見計らってお宅訪問の約束を取り付けた。

 

『エ? ソンナ急ニ言ワレテモ困r――少シダケナラ構イマセンヨ』

 

 なぜか電話越しの蒼太くんに違和感を感じたが、指定された時間に来れるよう準備をしてついに蒼太くん宅へとやって来た。

 

「見た目は普通だな」

 

 蒼太くんの家は至って普通だった。

 標準よりやや小さいかというぐらいで、作られたばかりの家のようだった。ローンで組んだのだろうか?

 

「さて、行くか――と言いたいが、何だ? 少し頭が重たいような……? 熱中症ではないはずなんだが……」

 

 チャイムを押すために敷地内に入った途端に不調となる。

 考えてみれば担任としてクラスの子の家に来るのはこれが始めてだったな。

 もしかしたら自分で思っているよりも緊張しているのかも知れない。蒼太くんとの話でもこの話題を振ってみるか。

 

 頭の妙な重さを気のせいだと判断し、チャイムを押す。

 ピンポーンと、聞き慣れた音が響いてから数秒。

 

「イラッシャイ先生」

 

 夏休み前、教室で別れた時から変わらない姿の蒼太くんが出迎えてくれた。

 

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「何この人!? 認識改変や意識誘導の効きが悪い! あぁあぁああっ……ちょっとのミスが響きそうだよ~。アナタたち! しっかりよ!」

 

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 玄関で出迎えてくれた蒼太くんに案内されたリビングで、出された煎餅とお茶に関心しながら先程から気になったことを聞いてみる。

 

「蒼太くん、髪型でも変えたか?」

 

『ソ、ソンナコトナイヨ? ドウシテ?』

 

「いや、気のせいのはずだが、以前と雰囲気が違うように思えてな」

 

『髪ガ伸ビタカラ、ソレジャナイカナ!?』

 

「そう、か」

 

 どうして私は目の前の蒼太くんに違和感を覚えるんだ?

 どこからどう見ても(・・・・・・・・・)、私が1学期分を担当のクラスの者として勉学を教えていた生徒だというのに?

 記憶力には自信があるから、他の生徒の顔と間違えているわけでもない。

 

『ソ、ソレデ! ボクノ様子ヲ聞キニ来タンデスヨネ!』

 

「ん? そうだ。夏休みも残り1週間となった時に――と思うかも知れないが、担任として蒼太くんの現状確認は必須だと思ってね」

 

『アリガトウゴザイマス』

 

「それで、半月余りを1人で暮らしているそうだが、困っていることなどは何かないか? ちょっとしたことでも構わないぞ?」

 

『ハイ。最初ハ大変デシタケド、今ハ慣レテ――』

 

 それから、ご両親と離れてから今日に至るまでのことを蒼太くんは話してくれた。特におかしいところは見受けられなかった。

 なのに、

 何で、違和感は強くなっていくんだ?

 

 話に整合性は取れている。矛盾も無いはず。

 

「………………」

 

『ア、アノ……』

 

 だが、私の直感は“何かがおかしい”と囁く。

 まるでタチの悪いトリックアートでも見せられている気分だ。

 

 何やら背筋に冷たいものが落ちるかのような錯覚を抱きながら、これ以上踏み込むのは危険だと心のどこかで警報が鳴っているのを自覚しながら、それでも、私は口を動かす。

 

キミ(・・)は――」

 

『ソウイエバ!!』

 

 ビクッ!と方を揺らす。

 いきなりの大声に驚いた。

 

『今度、先生ニ相談シヨウト思ッタコトガアッタンデス!』

 

「何を……?」

 

 圧を感じるほど真剣な目で見てきたうえに、テーブル越しに体までこちらに乗り出してくる。一体何なんだ。

 

『――恋愛相談ヲ!』

 

「ぶっ!?」

 

 恋愛相談んんんんんんんんん~~~!?

 

 こ、この子、この年で何を言い出すんだ!?

 蒼太くんキミ、今年で12歳かそこらだろ! 中学にも上がってないのに恋愛相談って、最近の子供は進んでいると聞いていたけど、ここまでか!

 

『恋愛経験ガ豊富ソウナ先生に是非!』

 

「いや私は……!」

 

『先生程ノ人物ナラ、今マデニ5人は恋人ハイマスヨネ!』

 

「いや、付き合ったのは2人で……(ゴニョゴニョ」」

 

『先生グライノ年齢ナラ当タリ前ダッテ、テレビデ言ッテイマシタヨ!!』

 

「………………ま、まぁ確かに5、6人は付き合ってたな~」

 

 見栄を張った。

 思いっきりウソを付いた。

 

 いや、違うんだ。

 蒼太くんが余りにも予想外のことを言い出すから頭の中がこんがらがって、気がついたら口から出任せを言っていたというか……

 

 その、何だ。

 最近のませてる子供だろうと私の恋愛経験(0勝2敗)を持ってすれば、最高の結果に導くことも可能なはずだ(1人目:NTR、2人目:ヤリ捨て)!

 

「それで? 蒼太くんは何を悩んでいるのかな?」

 

『ウワ、チョロイ……』

 

「ん?」

 

『ナンデモアリマセン。相談デスガ……マズ、片思イノ相手ガイマス』

 

「ほう! すでに思い人が!」

 

 こっちに来て半年ぐらいでもう気になる異性がね~。

 いや、都会に残してきたパターンもあり得るのか?

 

『実ハ、一目惚レデ』

 

「ほうほう……!」

 

 ませてる。ませているぞこの少年!

 

『結構年上デ……』

 

「何と」

 

 結構……ということは下手したら10歳以上年上か?

 言いたくないが脈はなさそうだな。

 

『優シクテ、頼リニナルオ姉サンデ……』

 

「ふんふん」

 

 まさしく私のようなタイプだな。

 

『ストレートノ黒髪ガ綺麗デ……』

 

「うんうん」

 

 ほとんど無意識に毛先を弄る。

 私も手入れを怠っていない長い黒髪の持ち主だ。

 

『チャント仕事モシテテ』

 

「うん」

 

『イツデモボクノコトヲ見守ッテイテ』

 

「う、ん……?」

 

『不器用ナリニボクノコトヲ考エテクレテ……』

 

「ちょっと待った」

 

今モ(・・)ハラハラシナガラ真摯ニ耳ヲカタムケテ……』

 

「待て待て待て待て待て!!? ちょっと待ってくれ! 蒼太くんちょっと待って!! まさかだと思うがキミは……!?」

 

 私!?

 まさかの私!?

 本当に待て。感情が追いつかん!

 

 あああああああ、何で顔を近づける目を潤ませるな頬を染めるなキリッとした眉をするな良く見たらカワイイ顔だなダメだダメだダメだダメだ……!!

 

『先生、ボクハ……!』

 

「私は教師なんだああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっ!!」

 

 マナーも減ったくりもなく、蒼太くんの家から飛び出す。

 

「こんな展開予想できるかああああああああああああああああ!!」

 

 私は走った。息が切れるその時まで走り続けた。

 蒼太くんに対する違和感など彼方へ吹き飛んでしまい、残ったのは小学生に一目惚れされて告白され掛けたのではないかという、どう心の整理を付けて良いのか分からない案件だけだった。

 

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「ただいまー」

 

 あ~あ、今日もめぼしい収穫無しだ。

 ちょっと脱出のアプローチを変えるべきなのかな――って、

 

「ナーねえ? どしたの?」

 

 ナーねえが机に突っぷしっていた。

 まるで燃え尽きたかのようだ。

 

「あ~~~おかえりそーくん……」

 

「本当にどうしたのさ?」

 

「火事を消すために辺り一面を爆風で消し飛ばしたというか……」

 

「?」

 

「咄嗟に思いついた相談、アレ、私がモデルなのに奇跡的に噛み合った結果、食い違いが起こるとか……」

 

「え? なんて?」

 

「ゴメンそーくん。アナタの将来に時限爆弾を残しちゃったかも?」

 

「どゆこと!?」

 

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「大将~ビールおかわり~!」

 

「もう止めときなって。アンタそれでも学校の先生でしょう?」

 

「飲まなきゃやってられないってんのよ~~~!!」

 

 




 ノリで書いてたら、何かおもしろい先生キャラが爆誕。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8月25日 【検索】タイラ〇ト 追いかけてくる

 

 

――本格的に急がなければ。

 

 

 そう思い始めるのも当然のことだった。

 何せ、ボクに残された時間は僅か5日。

 多少の無理をしてでも、脱出に力を注がないと間に合わないところまでタイムリミットが来ていた。

 

 初期のボクならもう無理だと諦めた可能性もある。

 けど、違う。

 今ここにいるのは、数週間の理不尽を耐え抜いてきたボクだ。

 

 もう体力がないとは言わせない!

 

「だりゃああああああああああああああああっ!!」

 

 無数の階段がひしめく空間。

 その中で重力通りに設置されている通路を走り抜ける。行き先は下が空洞となっている崖のような場所―つまり行き止まりだ。

 だけどボクは助走をつけてギリギリで……ジャンプした。

 

 目の前、跳んだ先にはただの柱。

 普通なら届いても掴まる場所も無く落ちる運命となるだろうがそうはいかない。

 ニャルさん特製のどこだろうとくっつく装備で柱に張り付く。

 

 ゴロゴロと何かを転がす(・・・・・・)音が聞こえて後ろを振り向けば、さっきからボクを追いかけてきた|巨大な毛玉(・・・・・)としか言えない物体がスピードを落とさないまま――止まることもできず、重力に従って落ちていった。

 

 見事な落ちっぷりだ。

 ポーンッ!て、擬音が似合う落ち方だ。

 ひとまず、お疲れ様とばかり巨大な毛玉を転がしていた僕の蜘蛛たちに会釈しておく。……向こうも会釈で返してきた。落ちながら。

 

 聞こえるはずのない蜘蛛たちの「ほな、さいなら~」「また明日~」という幻聴をバックに、ようやく一息ついた。

 

「……ふぅ~~~」

 

 くっついていた柱から比較的安全なセーフティーゾーン(ボク命名)へ移動し、腰を下ろす。

 

「は、ははは。今なら走り幅跳びでクラストップ狙えるわ」

 

 人間って本気になると何でもできるんだなー、と乾いた笑いが出てくる。

 自分でも危ないことをしている自覚はあるけど、残りの日数でこの広大すぎる空間を攻略するためには移動時間すら惜しいんだ。

 すでに掛かったことのある罠なら走りながら回避していないと、まともな調査すらできない。ここに休憩時間や慣れない地図作りの時間まで加わるんだから、1日が48時間だったらいいのにと本気で思わざるを得ない。

 

 だからこそ、ナーねえに直接交渉して時間を作り出したんだけど。

 

「ちょうど良いし、午前の探索(・・・・・)は終わりにして昼食にするか……」

 

 ボクが頼み込んで――それこそ、ナーねえをドン引きさせるつもりで土下座してまで頼み込んだのは、午後だけでなく午前も脱出するための探索時間にさけたいというものだった。

 

 最初は渋るかと思われたけど、意外にもすぐ了承したナーねえ。

 ボクからするとありがたかったけど……

 ちなみに、土下座している最中に聞こえた『ハァ、ハァ、めくれた服の隙間から覗くそーくんの腰……良い!』については忘れることにした。

 

「さて……ついにコレ(・・)と向き合うことになるのか」

 

 例のポーチから取り出した――2段重ねの重箱。

 それは、探索に出掛ける前にナーねえが渡してきたものだった。

 

 

「そーくんのために愛を込めて用意しました!!」

 

 

 とはナーねえ談。

 

 実際は、いつも食事を作ってくれている管理人さん側がすでに作られたものや材料を用意して、それをナーねえが盛り付けただけなんだけど……

 

 

「私の“愛”をたくさん詰め込んだから、それはもう私のお弁当と言っても過言じゃないんだよ! だから、たーっくさん食べてね♡」

 

 

 ともナーねえ談。

 

 過言だよ。

 作ってくれた料理人さんがかわいそうだよ。

 そんでナーねえの愛とか考えるだけで重そう。

 この重箱みたいにズッシリとしていそう。

 

「まあ食べるんだけどね」

 

 どんなに経緯がアレ(・・)でも弁当には違いない。

 さっそくフタを開けてみる。

 

「うわぁ……」

 

 何と言うか……想像通りすぎたというか……

 

 真っ先に目に飛びついたのは、美味しそうな唐揚げでもポテトサラダでもなく、ピンク色の……何だっけ? 伊達巻きとかに使われたりするのは知っているけど、名称は知らない。とにかく、着色料100%なものが大きなハート型でごはんの上に乗っている姿だった。

 

「想いが重い……!」

 

 ここまで来ると一周回って清々しいな。

 ある意味期待を裏切らないと言いますか……

 

「ま、いっか。……いただきます」

 

 いつも通りすぎて安心しているボクがいることを不思議に思いつつ、付属の箸でごはんを食べ進めた。

 ピンク色の謎材料は変わった味がしたけど、不思議と不味くなかった。

 

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「うぷ……苦しい……」

 

 食 べ 過 ぎ た

 

 完全にミスした。

 まさかナーねえはここまで考えて……!

 ないな。

 最初から多かったんだから、普通に残せば良いのになぜ完食したし。

 

「今日は上側を重点的に探索するんだ。がんばれボクの胃」

 

 普通に階段を登りながら、また建築法にケンカを売る階段をアイテム頼りにペッタンペッタンしながら、少しずつ上へ向かう。

 当然のように鳥もちや振り子のような毛玉が襲ってきたりするけど、難なく避ける。ここまで来るとさすがにトラップのバリエーションも尽きてくるのか、見知ったモノばかりで助かった。

 

 胃の調子が良ければもう少し早く進めたんだけど。

 

 

 ――で、そんな状況下でが現れた。

 

 

――ギシッ

 

 

「ん?」

 

 あれ? 一瞬物音が。

 気のせい――じゃないなこれ。

 この1ヶ月で無駄に鍛え上げられた気配センサーが反応している。

 

 あの、僕の蜘蛛たちにだって反応するんだ。

 間違いなく近くに何かがいる。

 

「………………」

 

 ジッと、物音がした方向を見つめる。

 すぐに動けるよう準備することも忘れない。

 

 ――で、そいつは現れた。

 

「ウッソー」

 

 大きな蜘蛛だ。

 とても大きな蜘蛛。

 

 いや、僕の蜘蛛たちも大分大きいけど、まだ常識的な大きさだった。

 

 なのにコイツは何だ?

 

 何で体長2メートルはありそうな蜘蛛が出てくるの???

 

 ソイツはゆっくり近づいてくる。

 ゆっくり、ゆっくりと、ボクの方に――って、

 

「いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっ!!?」

 

 全力で逃げた。

 脇目も振らず逃げた。

 胃の調子? そんなの逃げる時だけどこかへ吹っ飛んだよ。

 

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 何とか生きて帰れた。

 

「ナーねえぇええええええええええええええええええええっ!! アレはなんだああああああああああああああああっ!!」

 

「おかえりそーくん♡ それで? どうかしたのかな♪」

 

「あの! 2メートル越えの! ストーカー蜘蛛のことだよ!!」

 

 本当に怖かった。

 あの後、逃げたことで一安心したら時間経過でまたあの蜘蛛が近づいてきたんだよ! こっちに何かするわけでもなく、ただ近づいてくるだけ。だけど、それが恐ろしい。ゼロ距離になったら何されるか分からないし、蜘蛛に耐性ができたボクでも生理的な嫌悪が半端じゃないんだよ!!

しかも何が酷いって、あれからどれだけ突き放しても絶対に寄ってくること! おかげで今日探索予定だった場所に2度と近づけなかった。

 

「あ~あの子か。フッフフ、あれこそ私の切り札。偶然見たテレビで紹介されていたのを参考に新たに作った僕の蜘蛛。その名も――」

 

「その名も……?」

 

タイラントチュラ~~~!!

 

「……何それ?」

 

「有名なゲームに出てくる、主人公を追いかけ回し続けるつよ~いキャラの名前をもじってみました♪どう? カッコイイ?」

 

「勇気も元気も沸かない、怖さと恐さ100%の象徴だったよ」

 

 タランチュラと合わせているのか?

 たった2文字増えただけでああ(・・)なるなんて、どんな化け物だ。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8月26日 マッサージ(意味深)

 

「うーん……? 何か条件でもあるのかな?」

 

 さて、今日も今日とて理不尽な脱出ミッションを行い、数々の罠を潜り抜けて無事戻って来れたわけだけど……

 今日の探索で注意していた存在が出なかったのだ。

 

「大まかな距離は変わらないのに、何で現れなかったんだろ」

 

 ――タイラントチュラ。

 ナーねえが用意したマジ化け物。

 昨日の探索でトラウマになりかけた2メートル近い巨体の蜘蛛。

 それが今日の探索では出現しなかったのだ。

 すごいビクビクしながら進んでいったのに。

 

 ボクはあの空間を攻略するに当たって可能な限り均等に探索している。

 部屋を出てすぐの場所をスタート位置にして、上下左右・正面に延々と空間が広がっているから、その日の探索方向を先に決めておかないと中途半端な結果になる。行った場所から戻るのにも時間が掛かるから。

 

 今日は右方向とちょっとだけ空白地帯になっていた下方向を探索した。

 地図を見る限り、昨日行った上方向と距離は同じ――いや、その先にまで進んだはずだ。なのに、タイラントチュラは現れず。

 

 それどころか、、

 

「罠の数、いつもより少なかった気がs――『そーく~ん♡』わっ!」

 

 背中に覚えがありすぎる衝撃が。

 思考を中断して振り返れば、予想通り満面のエゴなのナーねえが。

 

「何だよ一体……」

 

「お風呂の時間だぞ♪ いつまで待ってもそーくん来ないんだから~」

 

「ああ、もうそんな時間か」

 

 明確にこの時間と決まっているわけではないけど、夕飯を食べて一息ついた辺りでナーねえが脱衣所に向かうから、その数分後にボクも脱衣所へ行く――という形が出来上がっていた。

 今回は考えに没頭しすぎて10分以上経っていたらしい。

 

「じゃあ早く来てねー♪」

 

 ナーねえはラン♪ラン♪とスキップしながら脱衣所に向かう。

 ……下着姿のまま。

 

「ふっ。ボクも動揺しなくなってきたものだなぁ」

 

 もうね?

 毎日、裸で一緒にお風呂に入れば悟りの境地にも入るってものだよ。

 あの2つの凶器()で押しつけられるのにはいつまで経っても慣れないけど、見るだけならアタフタすることは無くなった。

 

 最近は油断すると羞恥心以外の感情が見え隠れしだしているけど、それも問題ない。ボクはこの年で心を“無”にする術を獲得しだしている。お風呂場の天井にシミは1つも無いけれど、あると仮定して遠い目でソレを見ていると時間が経つのが早いんだ。2つの凶器()が目の前に来ようが無反応をギリギリ貫けるし、背中に押しつけられても無の境地に入っていれば最低限の冷静さでいられる。

 

 いわば、お風呂の時間だけ気分は仏教の門を叩いた修行僧。

 修行中は常に異教からの誘惑があるので耐えてくださいね、ってね。

 

 ……いや、ちょっと格好良く言ってみたけど、ぶっちゃけそういう風に思っていないと疲れるんだよ。色々と。あとは寝るだけだっていうのに、体力の疲れをお風呂で流しても、精神の疲れを持ってくるとかこれ如何に?って話で。

 

「そーくーーーーん!」

 

 ナーねえが呼んでる。

 いい加減行くか。

 

 スイッチを切り替えて脱衣所へ向かう。

 ……もうそろそろ、普通にお風呂に入れないもんかな~(切実)。

 

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「お客さん、こってますね~♡」

 

「分かるの?」

 

「何となくですが~♡」

 

「絶対に適当だってことは分かったよ」

 

「そ・れ・で・は~……もう少し腰の下を~♡」

 

「……ナーねえ。何度も言うけど、そこは腰じゃなくてお尻だから。境界線が分からないじゃないよ。お尻触りだした途端に手がワキワキ動き出しているんだからって擦るな! 揉むな!」

 

 高木蒼太、小学6年生。

 絶賛ナーねえにお風呂上がり後のマッサージ――という体でセクハラされています。しくしく。

 

 実はお風呂上がり後のマッサージって何だかんだで3度目。

 マッサージそのものは上手い。絶妙な力加減で押してくれるから体がほぐれるのは本当なんだ。……ただ、セクハラが酷いだけで。

 今日もボクのお尻は犠牲になったのだ。

 

 うつ伏せで寝ているからナーねえの顔は見えないけど、相当だらしない表情をしているのだけは分かる。

 時々、「合法、合法だから……!」と小さな声が聞こえてくるからね。主にボクのお尻を揉みしだいている時。

 

 どうして抵抗しないのか?

 1回目と2回目のマッサージの際に学んだんだ。

 どれだけ言っても意味ないって。

 お風呂場の時と似た感じだよ。言葉の抵抗こそするけど、実際に行動で抵抗しようとしても余計ナーねえを興奮させるだけだって。

 

 何があったって?

 察して(涙)。

 

 ちなみに、頭を悩ませる事態はもう1つ。

 

「ね~え~、そーくん。次は仰向けに寝そべってよ~」

 

「腰や肩を指圧するだけならうつ伏せで十分だって何度も――」

 

「でもでも! 仰向けじゃないと指圧しにくい所もあるかもだし!」

 

「無いよ」

 

 最後の方でなぜか仰向けにさせたがるんだ。

 嫌な予感しかしない。

 

「そもそも、仰向けになったとしてどこ押す気なの?」

 

「………………お腹?」

 

「必死になって絞り出したけど無理があった感が半端ないね」

 

「じゃあ肩!」

 

「絶対に嫌だ」

 

 位置的にナーねえの欲望丸出しの顔を拝むことになるじゃないか。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8月27日 積み上がる疑問

 

 もう時間が無く、なりふり構っていられない。

 試せることは全て試そう。

 その日のボクはそんな思いで行動していた。

 

 たぶん、この時はアドレナリンがたくさん出ていたんだろうね。

 たまに聞く、テンションが振り切れた人みたいに。

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 

 

――カサカサカサカサ!

 

 

 もうね? それぐらいじゃないとやってられないんだよ。

 

 ……ナーねえの最終兵器、タイラントンチュラと対峙するの。

 

「あっちへ行けよもぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっっ!!」

 

 

――カサカサカサカサ!

 

 

 秘密兵器として作った小麦&胡椒玉(パン作りの時にくすねた小麦粉と胡椒を混ぜて玉状に紙で包んだもの。簡単に閉じただけだから、強く当てるとすぐ中身が出るぞ!)をタイラントチュラへ投げる。

 思いっきり投げたソレはタイラントチュラに当たったあと、床に落ちて中身を吐き出す。効果があれば良いんだけど……

 

 結果、

 ものともせず一定の速度でこっちに近づいてくる。

 

「もうやだコイツぅうううううううううううううううう!!」

 

 分かってたよ!

 小麦粉で煙幕みたいの作れないかな~、上手い具合に紙で包み込めば何とかなるかな~、持ち運びは異次元ポーチがあるから形だけでも作れれば……やったできた! 胡椒も混ぜて足止め用にしよう!――って、作ってみたのはいいものの、作り終えてから「あれ? 蜘蛛にこういうの効くっけ?」と冷静になったからね!

 

 一先ず試してみようと投げてみたわけだけど、結果はご覧の通り。哺乳類だったらワンチャンあったかも知れないのが悔しい。

 

 そもそも!

 2メートルの巨大蜘蛛への正しい対処なんか知るわけがない!

 豆知識レベルでどうにかなるサイズ感じゃないっての!

 

 下方向へ行けばコイツから逃げられるけど、運の悪いことに今いる地点からじゃ下に向かえない。一度上へ行ってから別ルートで下へ行く必要がある。

 

 上へ向かう手近な階段――ただし、案の定登らせる気ゼロの階段――へペタリニャンコでくっつき、必死に登っていく。

 

 と、

 

 

――カサカサカサカサササササ!

 

 

 ある程度登ったところで、物陰から2匹目の(・・・・)タイラントチュラが。

 

「2体に増えた! しかも気持ち足が早くなってない!?」

 

 コイツ……!

 後ろから追い掛けている個体より気持ち足が早い。

 

 手元が狂って落ちないよう気を付けながら巨大蜘蛛たちから逃げ続ける。

 途中、合流した2匹が「よっ! 元気にやってる?」とばかりに足でハイタッチしている光景を見てイラつきが増してくる。

 

「くそっ、くそっ! 何でオマエら上に行く場所ばっかいるんだよ!」

 

 上方向の探索の優先順位は確かに高い。

 どんなに神様パワーで空間を広げているにしても、屋敷である以上は天井があるはずだから。かなり強引だけど、天井を破壊して脱出するプランもあるんだ。

 ……子供の力で壊せる場所があるかどうかって問題もあるけど。

 

 でも確かめる必要は出てくる。

 ナーねえの切り札がいるってことは、もしかしたら天井付近――屋根裏収納のような場所に小さな窓だってある可能性を。

 

「だとしてもこれはない!」

 

 袋小路に追い込まれる直前、足下のへこみを踏みつける。

 

 それは罠の中でも基本的なもの。

 わざと発動させた(・・・・・・・・)バネのトラップ。

 本来なら吹っ飛ぶ先にある蜘蛛の巣に引っ掛かる軌道になるところだけど、バネで飛ばされる瞬間に一緒にジャンプすれば、

 

「そいやー!」

 

 通常より大きく跳べる。

 それを利用したボクは大きく手を伸ばし、天井に張り付いた。

 

 

――カサカサ、カサ……

 

 

 タイラントチュラのテリトリーの範囲外に出たからか、天井に引っ付くボクを数秒眺めたあと体を反転させて奴らは帰っていった。

 

「……ふぅ~。人間、心の底から必死だと何でもできるよなー」

 

 毎回そうだけど、ボクってちょくちょく一般小学生の限界を超えるよね。何でバネが飛び出る瞬間を狙ってジャンプできたんだ? あの時だけはすごい集中できていたし、頭も冴えていたけども。我ながら不思議すぎる。

 

「それにしても、やっぱり変だよな」

 

 たぶん、というか確実にゴールとなる場所には近づいている。物理的に行けない距離ってことはないはず。

 

 なのに何で上にだけタイラントチュラがいるんだ。

 ああいうのってゴール付近に配置するものじゃないのか?

 

 普通に考えてゴールは初日に入った玄関がある場所だと仮定して行動していたんだけど、違う場所にあるのか?

 

 そうなってくると、別の疑問も覚えてくる。

 

 

「そもそも、ボクとナーねえがいつもいるのは……屋敷のどこに当たるんだ?」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8月28日 迷路の謎

 

「ナーねえ、今日はお弁当いらないよ」

 

「!? な、何で? 私のお弁当、美味しくなかった……?(涙目)」

 

「違うから泣くな。ただゆっくりしようってだけだよ」

 

「あれ? 今日は探索に行かないの?」

 

「うん。最後の追い上げだからこその休みにする」

 

「……そっかー。じゃあ今日は一緒にお昼だね♡」

 

「ちなみに、メニューは?」

 

「みんな大好きナポリタンだぞ♪」

 

「美味しそうだね」

 

 今日も含め残り時間は3日となった。

 焦る気持ちはあるけど、だからこそ休まなければいけない。実際問題として手足が疲れているのは本当だし。

 

 何よりも、だ。

 相談というか、確認しなきゃいけないことがある。

 

 ナーねえではない。

 

 じゃあ、誰かって?

 

 今も(・・)ボクの様子を謎パワーで見ている存在だよ。

 

 そう。奴の名は――

 

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

『いつでもどこでも這い寄る混沌! ニャルラトホテプ~~~!!』

 

「お久しぶりですニャルさん」

 

『超久しぶりだね~』

 

 お昼のナポリタンを食べ終わり、ナーねえが仕事部屋へ行ったのを見計らいやって来た元・謎の部屋。

 以前来た時と変わらず、精神の大事な部分が削れるデザインの黒電話と手作り感満載のポストが置いてある。

 

 大丈夫なはずだと半ば確信して入ったけど、予想通り入った瞬間黒電話が鳴り響いた。で、出れば前回同様のテンションなニャルさん登場だ。

 

「確かに久しぶりですけど、“超”っていう程じゃないでしょ? いろいろと道具を貰ったのが……15日だっけ。だから2週間ぐらいだよ」

 

『いやいや、私にとっては3ヶ月ぐらいキミとは話していない感覚なのよ』

 

「何でそんな中途半端な……」

 

『第4の壁を越えることぐらい簡単にできるからかな~?』

 

「? 意味が分からないんだけど」

 

『――意味が分かったらSAN値がピンチだからやめときな』

 

「ア、ハイ」

 

 怖っ。

 何が恐ろしいって、あのニャルさんが急にマジトーンになったとこだ。

 ボクの精神のためにもこれ以上は踏み込んではいけない。

 

『それで? 今回のお悩みは何かなぁ?』

 

「見ていたんなら分かるんじゃないの?」

 

『何のことかなー?』

 

 絶対分かってても聞いてくるよね神様って。

 そういう性分なのかな?

 あ、邪神だったか。

 

 

「……今までずっと疑問に思わなかった」

 

 

ここ(・・)が屋敷のどこかだって、漠然と考えてた」

 

 

「でも、日に日に違和感が強くなるばかりなんだ」

 

 

「ねぇ、ボクがいるのって……どこなの?」

 

 

『………………』

 

 ボクの質問に何も返さないニャルさん。

 数秒の沈黙のあと、答えは返ってきた。

 

『今のキミなら2つのヒントで答えが出るはずだから、それを贈ろうか』

 

「ヒント?」

 

『1つ目。前にナクアが自身の力で空間を拡張している――って話は聞いたでしょ。ようはキミを困らせる迷路を生み出した元』

 

「うん」

 

『あれって、確かに物理法則を無視して自分のテリトリーとしている空間を広げているんだけど、広げられる大きさは、元々の空間の大きさに比例するんだよ』

 

 えっと、つまりどういうことだ?

 

『要するに元々の広さが大したことなければ、どんなに拡張してもたかが知れているってこと。逆にそれ相応の広さがある空間を拡張すれば、途方もない広さとなる。……キミは随分と迷路を探検してきたけど、拡張されたとして行き帰りだけで数時間掛かる場所が、元は常識の範囲内で大きいだけの屋敷の中だって本気で思う?』

 

「それは……」

 

 あの日。8月1日。

 屋敷に入る前、軽く見た感じでは大きな屋敷であったけど、常識で測れる程度の大きさだった。普通の家数個分ぐらいだ。

 

 ナーねえの力が働いたとして、上下左右全てが平均に広がったあの空間になるとは思えない。そういうものだと納得してしまえばそれまでだけど、その力に“限度”が存在するなら屋敷の中があの空間になるなんて信じられない。

 

(じゃあここは……屋敷じゃない?)

 

 まさか、別の建物なんだろうか?

 でもナーねえはそういった露骨すぎるズルはしないと思う。ニャルさんも、これがボク対ナーねえのゲームである以上過度な介入はしないにしても、明確なルール違反があれば許さないだろう。

協力してもらってるから忘れがちだけど、ニャルさんはおもしろおかしく見る観客なんだ。気に入らなければブーイングぐらいする。

 

『2つ目のヒントは物資搬入用のエレベーターさ』

 

「え? 食事とかが乗ったカートが運ばれるアレ?」

 

 運ばれてくる瞬間は見ていないけど、いつもナーねえがキッチンカートを出し入れしている場所で、鉄格子に覆われているあの?

 

『エレベーターだから当然上下に移動するわけだけど、例のカートは“上の階”と“下の階”、どっちから来ていると思う』

 

「それは……」

 

 ……どっちなんだ?

 まあ普通に考えるなら、

 

「下の階でしょ。調理場とかは大体そこだし」

 

『そうだね。キミはずっと“屋敷”って言い続けているけど、正確にはナクアが住んでいるのは“洋館”と言われる建物だ。1階が他人と交流するスペースで2階がプライベートって感じでね。使用人がいるのは大抵の場合、人目につかない奥の部屋とかだ』

 

「じゃあ管理人さんもそこにいるのかな」

 

 ナーねえの無茶ぶりに答えている管理人さん。

 会ったら挨拶ぐらいはしないと。

 

『ここで問題になってくるのはキミが暮らしているその部屋にあるものさ』

 

「あるもの?」

 

お風呂(・・・)だよ』

 

「ふ、風呂ぉ?」

 

 毎日ナーねえと入っている風呂の何が問題なんだ?

 

『お風呂、大きいよね? シャワーのおまけで付く程度の大きさじゃないよね?』

 

「うん」

 

 お風呂は確かにデカい。

 温泉施設ほどじゃないけど、自宅の風呂の3倍以上はある。

 

『洋館でそういった大きなお風呂があるのは……1階なんだ』

 

 あ。

 

『少なくとも2階より上にはない。近年の高級マンションなら何階だろうがバカ広いお風呂ぐらい付いているだろうけど、その洋館が建てられたのは何十年も前。技術が発展した高度成長期を迎えるよりもさらに昔なんだよ』

 

 頭の中でピースが組み上がっていく。

 今までの疑問と、ニャルさんからのヒントで答えが見えてくる。

 

『せっかくだ。ダメ押しといこうか』

 

 受話器越しにニヤニヤしているのが分かる声色だった。

 

 

『何でキミのいる部屋には――1つも窓が無いんだろうね?』

 

 

 瞬間、

 ボクは謎の部屋を飛び出す。

 

 廊下へ続く部屋の扉を開け、鉄格子があるからと諦めていた場所――荷物搬入用のエレベーターに向かった。

 

「そうか。そうだったんだ……!」

 

 鉄格子の隙間から見えるエレベーターの操作スイッチ。

 構造は単純で開け閉めのボタンと荷物を運ぶボタンしかない。それ以外は稼働中であることを示すランプだけだ。

 

「ここは……この場所は……じゃあゴールって……!」

 

 その荷物を運ぶボタンはシンプルな三角形の形をしていた。

 上に上がることを表わす形だ。

 




※「なろう版」ではニャル様再登場まで現実時間三ヶ月かかっています。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8月29日 最後の夜

 

 覚悟を決めたからこそ、っていうのもある。

 

 泣いても笑っても、明日が最後だから。

 

 未来の人生含めて最も濃い1ヶ月だったのは間違いない。

 

 大変で、(肉体的に)疲れる日常で、毎日が忙しなかった。

 

 変態で、(精神的に)疲れる人で、毎日を楽しんでいた。

 

 監禁はさすがに遠慮したいけど、

 

 それでも、

 

 また1ヶ月前に戻るようなことがあったとして、

 

 ボクは、

 

 ナーねえに会いに行くんだろうな。

 

 

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「あ、これ……」

 

「えへへ♪ 本日の夕飯は和牛のひつまぶしで~す♪」

 

「懐かしいな。これ食べたさに居座って監禁されたんだよねー」

 

「私にとっても思い出の味になっているよ♪」

 

「思い出の味と言うには豪華すぎる気もするけど」

 

「ゆくゆくは2人の記念日に毎回食べるようにしたり……♡」

 

「はいはい。それじゃ、いただきます」

 

「………………ん?」

 

「あ~久々の柔らかさ~。さすが和牛」

 

「え? そーくん突っ込まなかったよね? 軽く流したけど否定しなかったよね!? そういうこと!? お姉さん期待して良い!?」

 

「ナーねえ、ごはんが冷めちゃうよ」

 

「お願いだから流さないで!」

 

 

 

 

 

「は~い背中流し終わったよ~♡」

 

「ありがと」

 

「それでは前の方も……ゴクリ」

 

「もう何度もこのやり取りしているけど、何度目か分からない同じセリフを贈るよ。もうとっくに自分で洗ったから」

 

「うううぅ、いつになったら洗わせてくれるの?」

 

「知らんがな」

 

「分かったよ。そーくんは先にお風呂に戻ってて……」

 

「いやいい。今日ぐらいはボクがナーねえの背中洗ってあげる」

 

「……!!? そーくんがデレた!?」

 

「違うから」

 

「そういうことなら私も覚悟を決めるよ。さあ! カモン!」

 

「背中だって言ってるだろ。後ろを向きなさい」

 

 

 

 

 

「じゃあ、そろそろ寝ようか」

 

「待ってそーくん。待って」

 

「どうしたのさ?」

 

「何でさも当然のように私のベッドに潜り込んでいるの!?」

 

「ほぼ毎日人の寝るソファとタオルケットの間に入り込んだ人が、今更何を」

 

「待ってちょうだい。今日だけで夢としか思えないような夢の出来事が連発してて、脳がそれを上手く処理できないというか。はっ! まさか、これは夢!? 私の願望がついに夢を限りなくリアルにするまで昇華させた!?」

 

「もうそういうのいいから、早く寝よ。眠気が限界なんだ」

 

「し、失礼しましゅ///」

 

「ん。いらっしゃい」

 

「ふ、ふつつか者ですが――」

 

「いやここ、ナーねえのベッドだから。正気に戻ってよ」

 

 

 

 

 

「…………ねえ、そーくん」

 

「何?」

 

「そーくんは……明日に全部掛けているんだね」

 

「目処が立ったからね」

 

「………………そう」

 

「ナーねえ」

 

「……ギュって、していい?」

 

「今日だけだよ」

 

「うん」

 

「……」

 

「……」

 

「おやすみナーねえ」

 

「おやすみそーくん」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8月30日(前編) 脱出

 

 最終日の朝は本当にありふれたモノだった。

 

 ベッドから起きて、ストレッチして、朝食を食べて、歯を磨く。

 そんな、言葉にすれば普通すぎるもの。

 

 だけどやっぱり、雰囲気というか、ボクとナーねえを包む空気だけが違ったんだ。

 

 ボクとナーねえの対決。

 この屋敷の迷路を今日までに攻略して脱出できれば晴れて自由の身。家に帰ることができる。脱出できなければ、ボクは行方不明扱いでこの屋敷から出られない。これはそういう対決でゲームだった。

 

 途中でナーねえが冷静になったらしいので、その時点でもっと穏便にできなかったのかとも考えていたけど……

 たぶんナーねえは……

 

 いや、よそう。

 とにもかくにも、ゴールに辿り着けなきゃ意味ないんだ。

 

「……忘れ物無し」

 

 異次元ポーチに入れ忘れたものがないかの作業が終わった。

 その様子を少し離れたイスから見ていたナーねえは何も言わない。

 ただ、どう表現して良いのか分からない表情で見ているだけだ。

 

「……じゃあ、行ってくる」

 

 部屋のドアを開ける前、そう呟く。

 

 今ボクはどんな顔をしているのか?

 自分でも分からない。

 

 何となく見せたくなくて、振り返ることだけはしなかった。

 今、ナーねえを直接見たら決心が揺らぎそうだったから。

 

 ほんの数秒の沈黙。

 どうしたのかと振り返りそうになった時、背中にナーねえの声が届く。

 

「……いってらっしゃい」

 

 探索に出掛ける際、何度も聞いたその言葉。

 ただ今日のそれは普段よりもずっと優しい声音のものだった。

 

「うん。行ってきます」

 

 それだけ言って、ドアを閉めた。

 

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 避ける。

 避けて避けて避けて、避けまくる。

 

 バネの罠も、鳥もちの罠も、回転床も、糸の大玉だって。

 何度も何度も引っ掛かったんだ。

 新しいのが出てこない以上、もうボクを止められるものは無い

 

(上へ、上へ、とにかく上へ)

 

 目指すのは上方向。

 ゴールである屋敷――その1階(・・)までもう半分は切っているはず。

 

(ずっと疑問だったことが一昨日判明した)

 

 

 結論から言えば、ボクらがいたのは――あの屋敷の地下だ。

 元々あった地下をナーねえが掘り進めて、能力で広くした場所だった。

 

 

『ナクアは蜘蛛の神様だからね。現存する蜘蛛にできることがナクアもできるのは当前のことなのさ。蜘蛛の仲間には穴掘りが得意な種もいるんだぞ』

 

 

 何ということだろうか。

 ナーねえは本当に建築基準法にケンカを売っていたらしい。

 

 あのデタラメな階段群はナーねえの神様としての能力の応用だと納得できたけど、ソレをする前から地下空間を勝手に広げていただなんて。

 地震が来たらこの辺一帯が大陥没するんじゃないだろうか?

 

 まぁ、そのための拡張された空間なんだろうけども。

 ニャルさん曰く、ナーねえの能力で拡張された空間は普通の方法じゃ破壊が不可能らしく、同じ神様相手なら弱いけど、人の技術や天災程度ではビクともしない鉄壁の要塞になり得るとのこと。

 神様としての格は低いらしいけど、人間がどうあっても敵わない相手という意味じゃ、やっぱりナーねえは規格外の存在だよ。

 

 

――カサカサカサ

 

 

「っ! 出たなタイラントチュラ!」

 

 ついに憎き巨大蜘蛛の登場だ。

 

 先日までは逃げるしかなかったが、今日は違う。

 とっておきの切り札があるからだ。

 

「おおおおおおおおおおっ!」

 

 ボクはタイラントチュラに自分から近づく。

 

 向こうもボクの行動は予想外だったのか歩みを止めたけど、すぐに「おうおう、掛かってくるなら相手になったるでー!」とばかり、威嚇のポーズをしだした――って、あ~あ。ついにタイラントチュラの気持ちまで分かるようになっちゃったよ。

 もう末期ってやつだね。

 いろんな意味で手遅れだ。

 

 そんな心の諦めを隅っこへ置き、ポーチっから取り出したソレ(・・)をタイラントチュラへ向け、引き金を引いた。

 

 

「喰らえ必殺……水鉄砲!!」

 

 

 発射された液体はギリギリの距離まで近づいたタイラントチュラの口へ一直線に進んで命中する。

 

 これに驚いたのは件のタイラントチュラの方だろう。

 なんせ、もったいぶって出したのがただの水鉄砲なんだから。

 

 読み取れる気持ちも「え? オマエ、マジか?」といった驚きから、「こんなもんでワイがどうにかなると思っとるんかい!」と荒ぶっている。

 ……どうでもいいけど、何でここの蜘蛛の気持ちを読み取るとエセ関西弁になるんだろ? 末期かな? 末期だな。

 

 そんなことを考えている内にタイラントチュラが「覚悟せー!」とすぐ側のボクに近づこうとして……足がもつれて倒れた。

 

 タイラントチュラはどうして倒れたのか分からないまま、何とか起き上がろうとするけど起き上がれず。

 しまいには動きがふにゃふにゃになっている。

 そう。まるで酔っ払いのように。

 

「……本当に効くんだ。蜘蛛にコーヒーって」

 

 それはニャルさんについでとばかり、タイラントチュラへの対抗手段がないか聞いた時のことだった。

 『私に良い考えがある!』と、ポストから出てきたのはただコーヒー。入れ物のオッサンが何とも言えない渋さを出していた。

 

 で、当然だけどポストを蹴った。

 ついで、受話器も放り投げようとした。

 巨大蜘蛛への対処を聞いているのに、何で有名メーカーのコーヒーを渡してくるのかと。これでも飲んで落ち着けってか、と。

 

 だけど、涙声で説明させて!というニャルさんによれば、蜘蛛はコーヒーを飲むとお酒を飲んだ下戸のごとく酔っ払うという話だった。

 

 半信半疑だったけど、ここでウソをいうとは思わないし、本当の話だと信じて実践した。結果はこの通りだ。

 少し前のナーねえが部屋の中をプールにした時に遊んだ水鉄砲が残っていて幸いだった。おかげで危険を最小限にタイラントチュラと向き合える。

 

「よし!」

 

 いつまでタイラントチュラが酔っ払っているか不明なので、すぐに上へ向かう。

 

 そして、行く手を塞ぐように現れるタイラントチュラたち。

 上下左右がメチャクチャな場所に苦戦しながらも、2匹目、3匹目とタイラントチュラをコーヒー水鉄砲で無力化していく。

 

 そして7匹目となる(多すぎるよナーねえ)一際大きなタイラントチュラを無力化し終えた所で、ついにそれを発見する。

 

 

 

「扉だ」

 

 

 

 普通に設置されている階段。

 その先に、扉があった。

 外の光が隙間から漏れ出す何の変哲も無いただの扉が。

 

「………………」

 

 罠は……無い。

 

 一歩一歩、階段を登る。

 扉の前に辿り着き、ゆっくりと、その扉を開いた。

 

「っ、眩し……!」

 

 ずっと日に当たっていなかったからか、窓から差した(・・・・・・)太陽の光が随分強烈に感じた。今だけは太陽に焼かれる吸血鬼の気分だ。

 

「ここは……」

 

 

 

「この屋敷のエントランスホール。つまり、ゴールだよ」

 

 

 

 声がした方を見れば、もうこの1ヶ月ずっと見続けた顔がそこにあった。

 

「ナーねえ……」

 

「おめでとう、そーくん。この勝負……キミの勝ちだよ」

 

 




次回、物語の結末。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8月30日(後編) オチ――彼方まで轟く叫び

 作者の作風?
 最後に”オチ”を付けたくなることかな。


 

 ナーねえはボクから一定距離を保ったまま話しかける。

 壁を背にして。

 まるで、それ以上近づかないように。

 

「というか、何でボクより先にいるのさ」

 

「秘密の道順があってねー。そこから大急ぎで駆けつけたからだよー」

 

「ボクが今日、あの迷路を攻略するって確信してたの?」

 

「そりゃあ、前日の覚悟が決まった凜々しいそーくんの姿を見れば『あ、攻略の目処が立ったんだな』って思うよ」

 

 ナーねえの表情はよく分からない。

 僅かに俯いているのと、窓から差す光がちょうど顔の辺りを隠しているから。

 

「本当にすごいよ。今だから言えるけど、難易度の設定完全に間違えちゃって。ニャルちゃんの道具込みでも誇って良いことだよ」

 

「ニャルさんのことも、知っていたんだね」

 

「そりゃもちろん。そーくんのことで分からないことはないんだぞ?」

 

「じゃあ……今、何を考えているか分かる?」

 

「……」

 

 ほんの一瞬だけ、辺りに静けさが戻った。

 ボクもナーねえも、一切の音を出さなかったから。

 

「……もちろん。『これでやっと家に帰れるぞー!』って、『ナーねえも潔く負けを認めるんだなー』っていうのの2つでしょ?」

 

「大ハズレ」

 

「――っ」

 

 もう見ていられないや。

 

 ゆっくりと、ナーねえに向かって足を進める。

 

「もう1ヶ月もナーねえと一緒にいたんだぞ」

 

「え、う……」

 

「そーくんの気持ちぐらい分かるって、それはボクだって同じことだ。大まかだけど、ナーねえの気持ちぐらい分かるって」

 

「ダ、ダメ。来ちゃいや」

 

「声にいつもの弾みが無いし」

 

「お願い、来ないで」

 

「何より声が微かにだけど震えてるじゃん」

 

 ナーねえの元まで辿り着く。

 

 ……全く、予想通りだよ。

 

 

 

「そんな泣き顔になって……心配するじゃないか」

 

 

 

 あ~あ、必死に隠そうとしているけど、涙でグシャグシャ。

 こんな状態でボクの気持ちなんか正確に分かるはずないよ。

 

「ううぅ、こ、これは……」

 

 しかたないなぁ、もう。

 

「……ボクのナーねえを初めて見た時の印象は、すごく綺麗な人だなーって、そんなありふれたものだったよ」

 

「そーくん?」

 

「そのあとナーねえの暴走で監禁されて“綺麗な大学生の優しいお姉さん”って評価が、“人外のヤベぇ女”に早変わりした」

 

「や、ヤベぇ女……!?」

 

 “ヤベぇ女”評価が初耳だったナーねえは足下が覚束なくなっている。

 いや、何と言うか、ゴメン。

 でも、したこと考えれば当然の評価だと思うんだ。

 

「まあ、それからはナーねえのことが分からなくて混乱したな。人外じみた力を発揮したかと思えば、ちょっとズレたことするただのお姉さんだったり、少しでもあの部屋での生活にボクが飽きさせないよう必死に考えて実行する変な人だったり」

 

 懐かしいよ。

 たったの1ヶ月なのに1年ぐらいに感じちゃうんだから、普段の生活の“濃さ”が表れているよね。

 

「大変だったし、家に帰りたいのも本当だったけどさ……」

 

 ニャルさんとの話し合いで決まった「難しいことは家に帰ってから考えれば良い」ってスタンス。そのおかげか、自分に正直な気持ちが吐けた。

 

 

 

「ナーねえと一緒にいられた時間は――楽しかったよ」

 

 

 

 ナーねえの目が大きく開いた。

 まるで予想もしていなかったことを言われたように。

 

「ボクの家、貧乏だったからさ。お父さんとお母さんも遅くまで仕事して、学校の友達も呼びたくてもな~んにも家に無いから呼べなくて、普段両親が帰るまでの間、家の中にいる時は1人ぼっちで……寂しかったんだ」

 

 だから、8月に入ってお父さんもお母さんも住み込みで働くって聞いた時、本当は嫌だった。まだ家に招けるような仲の友達もいなくて、ご近所さんにも家に上げられるほど信用できている人もいなくて、また……寂しい思いをするんじゃないかって、内心では不安に思っていた。

 

「でも、ナーねえが側にいてくれた。おかげで全然寂しくなかったよ」

 

「そー……くん」

 

「これが、ボクの正直な気持ち。……教えてナーねえ。ナーねえは今、何を考えてるの? ナーねえ自身の口から聞きたいんだ」

 

 ナーねえを見つめながら、その瞬間を待つ。

 

「……み……ぃ……よ」

 

 震える口でナーねえは本音を言ってくれた。

 

 

 

「私……さみしいよ……」

 

 

 

「うん」

 

「私は……半端なの。他のみんなは人間社会に完全に溶け込んで不自由なく暮らすか、誰とも関わらずヒッソリと暮らすか。神様としての“格”が低い子はほとんど苦に思うことなく、誰も近寄らない場所で暮らしている」

 

 でも――とナーねえは続ける。

 

「私は誰かと関わりたかった。中途半端にしか力もないのに、人間たちと関わって生活したかった。でも……ダメだったの。前に言ったよね。家に爆弾が落ちたり、見た目が変わらないことに違和感を覚える人が出てきたから、隠れるように住んだって」

 

「うん」

 

「ホントはね、当時の人達に自分が人じゃない存在だって、敢えて教えたの。知ってもらった上で、今までのように仲良くして欲しかったから」

 

「うん」

 

「でも、待っていたのは『この化け物め!』って、追い出そうとする人たちの怖い顔だった。数日前まで仲良くしていた子が怖がった目で見て、優しくしてくれたオバチャンがクワを持って向かってくる。そんな現実だった」

 

「うん」

 

「悲しかった。どうしようもなく寂しかった。でもね、やっぱり、誰かと仲良くしたいって気持ちだけはいつになっても無くらなかったの」

 

 それが正直に吐露したナーねえの気持ち。

 

 昔の人たちに怖がられて裏切られたけど、それでも1人は寂しくって誰かと一緒にいたい。そんな純粋な心をナーねえは持ち続けていたんだ。

 あの窓の無い部屋で。

 管理人さんともまともに会えない中で。

 

「何だ、そうだったんだ」

 

 ようやく分かった。

 ボクが、ナーねえのことを嫌いになれなかった理由。

 

 

「ボクら、似たもの同士だったんだ」

 

 

 寂しいのが嫌いで、誰かと一緒にいたい者同士。

 

 ボクは、膝をついて涙を流すナーねえをそっと抱きしめる。

 

「そーくん……?」

 

「ボクは……ナーねえのこと好きだよ」

 

「~~~!」

 

「そりゃ最初は驚いたけど、もう慣れたよ。いろいろあったけど、ナーねえのこと、嫌いになんてなれなかった」

 

「そーくぅん……」

 

「今生の別れじゃないよ。また、会うことだってできるんだよ。だから、もう、寂しくなんてないよ。ボクが会いに行くんだから」

 

「そーくん。そーくんそーくんそーくんそーくん!」

 

 ナーねえが抱き返してくる。

 ボクもそれに答えるよう強く抱きしめた。

 

 

 

 

 

 外と繋がっている扉までたったの数十メートルだけど、ボクとナーねえは手を繋いで歩いていた

 

「家まで送ってくれるの?」

 

「うん♡ そーくんがいるように見せかけていた僕の蜘蛛たちも回収しなきゃいけないし、1分1秒でも側にいたいからね♪」

 

「そういえばいたな、ボクの影武者代わりしているらしい蜘蛛」

 

 ついに扉の目の前まで来た。

 

「そーくん……」

 

「うん?」

 

「風邪、引いちゃダメだよ」

 

「ナーねえもね」

 

「神様は病気に掛かんないよー♪」

 

「それもそうか」

 

 お互いに笑い合う。

 監禁されたばかりの頃には考えられなかった光景だ。

 

 でも、今はその時間が幸せに感じた。

 

 何か言うでもなく、同時に扉を開ける。

 

 そこには、眩しく輝く太陽と――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱり見える範囲だけでも綺麗にするべきじゃ――んん? おぉ! 蒼太! どうしたんだこんなところで!」

 

「せめて何種類かカラフルな花が――あらぁ、そーくん久しぶりぃ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 な ぜ か 、

 お 父 さ ん と お 母 さ ん が ……

 

 

「は?」

 

 

 思考が止まる。

 目の前の現実を受け止めきれない。

 何で、ナーねえの屋敷の庭で、お父さんとお母さんが楽しく……?

 

「蒼太、隣の人は誰だ? もしかしてオマエの良い人か?(ニヤニヤ)」

 

「まあ! そーくんったら、いつの間に……!?」

 

 あー、このちょっとズレてる感じ、間違いなくボクの生みの親だ。

 

「……! そーくんのご両親! 何て挨拶すれば!? 息子さんを下さいとか?」

 

 ナーねえは放っておこう。

 

「2人とも、こんな所で、何を……?」

 

「何を、ってなー。管理人の手伝いとかをしてたんだが……」

 

「私は厨房で料理の練習ね! 前任のレシピはマスターしたわ!」

 

 

 

「は、は、はあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっっっぇええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええっっっ!!!!!???」

 

 

 

 魂からの叫びとはこのことか。

 

 ボクの絶叫が夏の空の下、町中に響き渡った。

 

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「疲れた。いろんな意味で……」

 

 ボクはついに帰って来れた家――その自室のベッドへ倒れ込んだ。

 

 ナーねえは僕の蜘蛛たちを回収したあと、放心状態のボクをひとしきりナデナデしてから「またね~♡」と帰って行った。

 気付いたら1時間ずっと撫でられてた。

 しかし、そこまでしなきゃ正気に戻らなかったボクの気持ちよ……

 

「まさか、お父さんとお母さんがずっとあの屋敷にいただなんて」

 

 

 速報。

 両親、ナーねえの屋敷で正式雇用が決まる。

 

 

 何を言っているのか自分でも半分くらい理解できていない。

 

 いや、事実だけは分かっているんだ。

 両親に声を掛けた人があの屋敷の管理人さんで、従業員が突然辞めた――という体で行政機関に謎のツテで取り計らったあと、ちょうど良さそうな人材をスカウトしていたのだと。

 

 住み込みが決まったあとは、お父さんは管理人さんから仕事の一部を、お母さんは高齢のシェフから料理を教わっていたらしい。料理士免許云々はどうにかなるそうだ。地味に怖い。

 さらに高齢の家政婦さんから屋敷の掃除に関しても2人は指導を受けていたらしく、ボクが出会った時は庭の本格的な手入れについて議論するよう言われて話し合っている最中だったもよう。

 

 さらに言えば、ボクが屋敷に迷い込んだあの日、敷地に入るための大きな門が僅かに開いたままだったのは両親の閉め忘れが原因らしい。ついでに、その両親を迎え入れるために警報装置も切ってあったという。

 もう、両親のせいであり両親のおかげでナーねえと出会ったことを考えると、いろんな感情がごちゃ混ぜになってしまう。

 

「ま、結果的には良かったのかな?」

 

 正気度がゼロになっている間にナーねえ両親は仲良くなっていた。

 それどころか、今後も良い関係を~とか和気藹々していた。

 それでいいのか!?

 

 両親的にも自分たちの働いている場所にボクがいる分にはむしろ安心できるんで、これからいつでも屋敷に行っても良いわよ~! いや、むしろナクアさんが家に遊びに来て下さいよハハハ! すばらしい意見ですね♪ みたいな会話が成されてた。自由か。

 

「ナーねえと自由に会えるようになったのは朗報だけど、もう今日明日は疲れたし何もしたく………………ん? 自由?」

 

 あれ? “自由”ってワードで何か引っ掛かるような……

 いや、本当は気付き掛けているんだけど気付きたくないだけだ。

 ロボットのようにカクカクした動きで勉強机へ向かい……固まった。

 

 

『小学6年生、夏休み自由研究について!』

 

『2XXX年度、夏期算数ドリル』

 

『2XXX年度、夏期国語ドリル』

 

『読書感想文(6年生用)』

 

『防災ポスター作成課題!』

 

 

 そんな、学校の宿題が出しっぱなしになっていた。

 

 脳をフル稼働させて思い出す。

 確かボクは算数と国語のドリルは途中までしたけど、他はどうだった?

 

 恐る恐る確認する。

 ほぼ真っ白だ。

 いつの間にか小人がしてくれていた、なんてファンタジーな展開もなかったのだ。頬を抓ってみるが痛いだけ。つまりは現実。

 

 

 悲報。

 夏休みの宿題、3分の2以上手つかず。

 タイムリミット約1日半。

 

 

 

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!?」

 

 

 

 本日2度目の魂からの叫びだった。

 後日、普通に近所迷惑だったので謝って回った。

 

 




 次回、エピローグ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8月31日 エピローグ

 実はプロローグと同じ日だったり。


 

 ボクは激怒した。

 かの悪意逆非道な蜘蛛の神に鉄槌を喰らわしたいと。

 

「ナーねえ」

 

「なーに、そーくん♡」

 

 カランッと、麦茶に入った氷が音を立てる。

 クーラーが涼しげな風を送り、夏の熱を冷ましてくれる。

 

「昨日の今日で緊急の連絡を受けて、夏休みの宿題を手伝ってくれているのは本当にありがたい。感謝している」

 

「そーくんのためなら例え火の中水の中だから♪」

 

「でもね……」

 

 机を叩き、立ち上がる。

 

「何でOLさんの格好をしなきゃいけないんだ!!」

 

「私のやる気に繋がるからだよ♪」

 

「頼むんじゃなかった!」

 

「頼まれて良かった♪」

 

 ボクは今、再びナーねえの屋敷――その地下にある部屋で夏休みの宿題を大急ぎで片付けていた。

 

 昨日の夜中までで防災ポスターを仕上げ、読書感想文用の本を読み終えたものの、そこで限界。そこで翌日、つまりは今日の朝方に貰ったナーねえの連絡先にヘルプを入れて今に至るわけだ。

 

 ただし、その代償は高かった。

 手伝う代わりにコスプレしてもらうと、しかも女装でと、言いやがあったのだ。

 

 ほぼ反射で逃げたね。

 最初にナーねえが見せてきたのなんてゴスロリとかって名前のものだったけど、間違ったって男が着るものじゃないもん。

 

 まあ、その逃げている途中で新たに加わった忍者屋敷みたいなトラップに引っ掛かって、ナーねえの胸へと飛び込み捕まった訳だけど。

 

「大体、何でカラクリ階段なんて仕掛けが……!」

 

「そーくんを飽きさせないため、今度はアスレチック風にしようと……」

 

「余計なお世話!」

 

 現在ボクはナーねえと共にドリルに挑んでいる。

 ナーねえとボクとじゃ字のクセが違うから、ナーねえには答えや式だけ解いてもらって、ボクが写すという作業をしているけど。

 

「これこそ、ある意味初めての共同作業だね♡」

 

「こんな共同作業とか嫌だ」

 

「夏休みの宿題のおかげでそーくんとすぐ会えたし感謝感謝♪」

 

「ナーねえが8月になってすぐボクを監禁したせいなんだけど!!」

 

 自分の所業を忘れるんじゃない!

 

「そーくん♡」

 

「何!?」

 

「これからもよろしくね♪」

 

「……うん」

 

 そう、ナーねえとボクの関係はまだまだ始まったばかりだ。

 これからどうなるか分からないけど……

 少なくとも、寂しい思いだけはしないで済みそうだ。

 

 

 

「あー自由研究はどうしよう……」

 

「絵画にするんだったら、私に良い考えがあるよ!」

 

「どんな?」

 

「私の……ヌードデッサン♡」

 

「却下で」

 

「何でよー!?」

 

「……ナーねえのそういう姿、絵でも人に見られたくない」

 

「え!? そ、そ、そ、それって……!」

 

 良い人(神様)だけど、変に抜けてるんだよな。

 ちょっとはボクの気持ちも気にしてほしい。

 

 

 そうやってボクの微妙な心の変化と共に夏休みは終わりを告げた。

 

 




 これで【中編】蜘蛛屋敷は完結です。
 ありがとうございました!
 完結に伴い、『感想』、『評価』、『お気に入り』をお願いします!


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。