贖罪 (英 詠歌)
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贖罪

百鬼夜行の後日譚。
捏造を多分に含みます。

※pixivにも同じものを投稿しております※


 いずれこうなるだろうと、分かっていた。

 

 あの日から——あの夏の日からずっと、こうなることは分かっていた。

 

 遠からずこの日は来ると、理解していた。

 

 

 いずれこうなるだろうと——頭では理解していた。

 

 

 五条は、自分の右手を見つめ、溜息をついた。

 

 もう何度、この行為を繰り返しただろう。

 

 この手に、あの日親友を殺めたこの手に、後悔の念がこびりついて離れない。

 

 どうしたらこんな未来にならなかっただろうかと何度も考えた。

 

 どうしたら夏油傑が、あの日離反せずに済んだだろうと。——どうしたらあの時までのように、肩を並べて笑っていられたのだろうと。

 

 考えるだけ無駄だということは分かっていた。過去を変えることなんて、誰にも出来ない。

 

 そんなのは子供でも分かることだと、彼も自覚していた。——だが、今日この日が来るまで、この後悔の気持ちが頭を離れることは一時もなかった。

 

 いつ、僕らは道を違えたのだろうか?

 

 いつ、()()は道を違えたのだろうか?

 

 五条はもう一度溜息をついて立ち上がると、医務室へと足を向けた。

 

「硝子、いる?」

 

 声をかけると、パソコンに向かっていた白衣姿の女性が五条の方を向いた。

 

「五条か。——おい、何だその顔は」

 

 女性——家入硝子は顔を顰めた。五条は「人の顔見るなり『何だ』は無くない?」と肩を竦めた。

 

「違う。お前、最近自分の顔見たのか? そこに鏡あるから、見てみろ」

 

 家入は呆れたように姿見を指差す。

 

 五条は首を傾げながら鏡の前に立ち、かけていたサングラスを少し下げた。

 

「うっわ、目の隈やっば。ウケる」

 

 自嘲するように云って家入の方を向いたが、彼女は何も云わず、鋭い目を向けていた。

 

 何秒かそうしていたが、やがて五条は根負けして溜息をつき、ははと弱々しく笑うと、

 

「……最強様がだらしねぇ」

 

 と、パイプ椅子を引っ張って来て家入の近くに座った。

 

「お前、最近寝てないだろ。それにまともに食事もしてない。——ふらついたり身体が重くなったりする事、増えたんじゃないか」

 

「——何で分かるの」

 

「当たり前じゃん」

 

 家入はパソコンの方に視線を戻し、デスクの上にあったコーヒーを口に含む。

 

「何年友達やってると思ってんの。それに、私は医者だ」

 

「……はは、そうだったな」

 

「五条、お前は考えすぎだ。いつものへらへらしたお前はどこに行った?」

 

 そう問われて、五条は押し黙った。

 

 家入は立ち上がり、薬品などが入った棚を漁ると、そこから一種類の薬を持って来た。錠剤を一錠出すと、その白い粒を五条の手の中に入れた。

 

「今、丁度ベッド空いてるから。これ、眠剤。そんなに作用は強くないが、寝れてないお前には丁度良いだろう。……これ飲んでしばらく寝な」

 

 五条は驚いたような顔をすると、手渡された錠剤を見つめる。

 

「——いくら最強様だって、人間である以上いつか壊れるんだよ」

 

 そう家入は静かにごちると、白湯の入ったコップを五条に手渡して、再びデスクに戻った。

 

 しばらく黙考するように目を閉じていた五条は、薬と白湯を一気に飲み干すと、俯いたまま少し微笑んで、

 

「ありがと」

 

 と、家入に聞こえないくらいの声で呟いた。

 

 のろのろと立ち上がり、ベッドの方へと消えた五条の背中を見ながら、家入はふっと頬を綻ばせて、

 

「……当然だ」

 

 と優しく零した。

 

 

 ✕ ✕ ✕

 

 

「よォ、久しぶり」

 

 ()は血塗れになった服のまま目の前の人物を睨み云う。

 

 眼前の相手——呪術師の枠に入ることの叶わなかった天与の暴君は、俺がここに立っていることが嘘だとでも云うように「マジか」と呟くように云った。

 

 それも当然だ。俺はさっきまで死にかけていたのだから。傍から見れば死んだと見えてもおかしくないだろう。

 

 その証拠に、今着ている学生服には失血死してもおかしくないほどに自分の血がついており、顔や髪などの他の場所にも血飛沫が飛び散っている。

 

 しかし俺は今この足で立って生きている。

 

 負った傷を、致命傷を、自ら治癒して、大地を踏みしめている。

 

 死に際に掴んだ、呪力の核心。

 

 やれる。今の俺なら。

 

 今までのどんな敵よりもアウトローで、例外的で、それでいて強力な目の前の男を、殺せる。

 

 俺は地を蹴り、飛んだ。

 

 ——天上天下唯我独尊。

 

 この地に在るということ、呼吸をするということ、そして生きるということ。これらがこんなにも心地よく感じたことはなかった。

 

 今この瞬間が、俺には途轍もない快楽になっていた。

 

 そして自らの手で放った、五条家の奥義。紫色に光る、膨大な架空の質量。

 

「虚式・(むらさき)

 

 

 場面が暗転し、俺はいつの間にか渋谷の雑踏の中にいた。

 

「君は五条悟だから最強なのか? 最強だから五条悟なのか?」

 

 耳慣れた声にはっと顔を上げると、そこには高専の制服を脱ぎ捨て呪詛師へと堕ちた親友がいた。

 

「殺したければ殺せ。それには意味がある」

 

 いつも隣で笑っていたその顔に笑顔はなく、ただ真っ直ぐ冷たい視線を向けていた傑は、夕方の帰宅ラッシュの人並みに紛れるようにして、俺に背を向けた。

 

 殺さないと。——殺さなければ。

 

 今アイツを止められるのは、俺しかいない。俺でないと、アイツは止められない。

 

 アイツを止めなければこれからどうなるかなんて、容易に想像がつく。——『呪術師だけの楽園をつくる』などという莫迦げた思想を掲げたアイツは、これからも一般人の殺害に手を染める。

 

 

『“弱者生存”、それがあるべき社会の姿さ。弱きを助け強きを挫く。——いいかい悟。呪術は非術師を守るためにある』

 

 

 あの時幼子に諭すように正論並べて、弱い奴の気持ちを知らない俺はそれにムキになって、その度に先生に叱られて。

 

 呪術という力を宿した人間は、それを持たない人たちを守るために。そんな大義の下で呪術師を志した傑は今は、守るべきと述べた非術師を皆殺しにして、自分たち呪術師だけが生存する世界を築こうと、これからも呪殺を繰り返す。

 

 撃て。撃つんだ。——この手で。

 

 アイツの手が、もうこれ以上殺戮に染まらないように。

 

 ——だが結局、構えただけの手は、そのまま重力に従って落ちた。

 

 殺せなかった。

 

 私情が勝ってしまった。

 

 もしかしたら更生してくれるかもなんて莫迦げた幻想が頭をよぎった。

 

 その期待が、その望みが、俺の使命を打ち砕いた。

 

 ——俺は雑踏の中を横道に逸れ、行き場を失った手を顔に当てて、人知れず涙を零した。

 

 

「誰が何と云おうと非術師(さるども)は嫌いだ。でも別に、高専の連中まで憎かった訳じゃない。——ただこの世界で、私は心の底から笑えなかった」

 

 再び視界が暗転した。

 

 目の前の、片腕を欠損した親友は、そう淋しそうに云った。

 

 アイツは、真っ直ぐすぎた。

 

 アイツは、正義感が強すぎた。

 

 そして誰よりも——優しすぎた。

 

 学生時代の離反も、非術師を憎む思想も、そしてこの日の反乱(クーデター)も、全部全部自分たち呪術師が人生を謳歌出来るように願った末の出来事だ。

 

 傑が思っている通り、呪術師が祓うべき呪いに果てはない。そのマラソンレースの果てにあるのは、アイツが考えた通り、仲間の屍の山である可能性も大いにある。

 

 それをやるせないと思うくらいには、それを変えたいと思うくらいには——アイツは、夏油傑という人間は、誰よりも真っ直ぐで、優しかった。

 

 だから、その後掲げた思想も、大それたものに見えた。イカれたものに見えた。

 

 ——呪術師は、頭のネジの二つや三つ外れたようなイカれた人間じゃないとやっていけない。

 

 そう思ったのは、一番近しい存在だった、同じ特級で、同じ学年で青い春を過ごした親友が、真面目な人間であったが故に壊れてしまったからこそだった。

 

「傑」

 

 もうこの名前を呼ぶのは、最後だ。

 

 今度こそは、自分でけりをつける。

 

「——」

 

 すると傑は呆気に取られたような顔をした。

 

 それから数秒、彼はハッと呆れたように笑うと、

 

「最期くらい呪いの言葉を吐けよ」

 

 そう云った。

 

 自分の手で殺した彼の身体は、血塗れになって、冷たくなった。

 

 殺されたというのに、その顔は余りに穏やかで、呼びかけたらごく普通に目を開けるんじゃないかと思えるくらいに、安らかだった。

 

 ——今この瞬間、傑は人生で背負っていたものから、その呪縛から解き放たれ、自由になった。

 

 自由になる事が自分が死んでからだなんて、何て皮肉な事だろうか。

 

 ()は空を仰いだ。

 

「——傑」

 

 もう届かないと知っていながら、僕はそう呼びかけずにはいられなかった。

 

「お帰り。——頑張ったね」

 

 

 ✕ ✕ ✕

 

 

「……じょう、……ごじょう、……おい、五条」

 

 家入の呼びかけに、はっとするように五条は目を開いた。

 

「硝子……」

 

「ざっと三時間くらいか。——すまない、眠剤には慣れてないと思って中毒性のないものをあげたんだが、副作用で悪夢を見たんだろ。魘されてると思ったら泣いてて、瞼は真っ赤になってた。……ごめん」

 

「——傑との夢を見た」

 

 五条が切り出すと、家入は一度彼の顔を見はったが、すぐに溜息をついて俯き、「無理に話さなくて良い」と弱々しく云った。

 

「五条、お前が最近体調が優れない理由が夏油にあるのは分かってる。まだ自分の中で気持ちが消化出来てないんだろ。——いつも頑張ってるよ、お前は」

 

「……俺は、何も知らなかった。傑は真面目で優しいから、どうすれば良いか悩んでいても誰にも打ち明けなかった。やつれたと思っても、またいつものように莫迦云ってはしゃぐ日々が戻るんだろうなんて勝手に思ってた。——でも違った。僕が思ってる以上に傑は思い詰めてた。僕は傑の事を分かってやれると思ってた。いつも傑がしてくれたみたいに、理解出来ると思ってた。でもその実全く理解してなかった。どんな思いを背負っていたかなんて、僕は何も知らなかった」

 

「五条、それ以上云うな」

 

 泣きながら訴えるように云う五条に、家入も泣きそうになりながら縋った。

 

「——傑は、傑は、一人で頑張ってたんだ。——たった一人で、全部を背負ってたんだ」

 

 この言葉に、家入の中の何かが切れた。いつもの大人びた様子からは想像もつかないくらいに、彼女は泣いた。今まで押し殺していた感情全てを爆発させるように、泣いた。

 

「だから——硝子」

 

 五条は涙を拭って、家入の顔を正面から見据えた。涙に濡れた彼女の顔をじっと見て、五条は覚悟を決めた。

 

「僕はこれからも高専で教鞭を取る。——同じ失敗は二度もしない。僕がいる限り、もう生徒に全部を背負わせたりしない。傑のような孤独な想いは、絶対させない。——僕は、生きられなかった傑の分まで地獄を見る。それが、僕に出来る傑への贖罪だ」

 

 銀河を閉じ込めた青い視線を受け止めて、家入は五条の肩を握り拳で軽く何度も叩くと、顔をうずめた。

 

「らしくない事云うなよ。こんなの五条じゃない。悲しくなるじゃないか……!」

 

 五条は驚いたように自分の胸の中に顔をうずめた同級生の姿を見ると、何をしたら良いのか分からず、取り敢えず空いた片手で、一回りも小さい家入の背中をトントンと叩いた。

 

「今休息が必要なのは硝子の方じゃないの? 僕はもう寝たから、硝子も寝なよ。ここの所缶詰めでしょ? こんな弱気な硝子、それこそらしくないよ」

 

「……そうか、そうかもしれないな」

 

 顔を上げた家入は自嘲するようにそう云った。

 

「ベッドありがとうね。休まないと倒れるよ」

 

 五条は立ち上がり、ひらひらと手を振りながら医務室を出て行った。

 

「——それはお互い様だよ」

 

 一しきり泣いて心が楽になったのか、家入は誰もいなくなった医務室でそう云って笑った。

 

 ふと窓の方を見ると、夜の空に綺麗な白い雪の花が舞っていた。

 

 2017年12月31日、新宿・京都百鬼夜行から一週間経った、夜遅くの高専での出来事だった。



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