ウマ娘に転生したらパクパク……してなくて、むしろツンツンしてるお嬢様のお目付役になった件について。 (流星の民)
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#1 「あのような方に務まるとは到底……」

しんしん、と。

 

窓の際にふりつむ雪を眺めながら、少女はただ呆けていた。

薄くみぞれの張り付いた窓の向こうには幾人かのはしゃぐ少女たち。

 

「……つまらないです」

 

昨晩から降り続いていた雪はやがて屋敷の庭をも白一色に染め、雪遊びをするには絶好の環境にしてくれていた。

 

——明日は何をして遊びましょう?

 

従姉妹と言葉を交わし合い、久々の雪に対する期待を膨らませていく中、夜もなかなか眠れずに迎えた朝。

 

——頭がぼぅっと…… 風邪……? いえ、きっと……寝不足のせいにきまっていますわ……。

 

足元がおぼつかない中で外に出ようとした彼女は、結局直前で倒れてしまった。

原因は語るまでもなく、額に貼られた冷却シートが示していて。

 

こんな時に熱を出してしまうなんて、と彼女は一つため息を吐いた。

元々、はしゃぎすぎてはよく体調を崩してしまう性質(たち)だったのだ。

 

それを理解していながらもこうして体調を崩してしまうなんて。

 

——おばあさまに、また怒られてしまいますわね……。

 

どこか羨むように窓の外を見つめる彼女の視線なんか気にせずに、時間はどんどんと過ぎていく。

しかし、そんなことをしていても退屈さは増していき、羨ましさが勝つばかり。

やがて、こんなことをしていても何にもならないと、彼女は再びベッドに戻って目を瞑る。

 

「きっと、起きた頃にはもう雪は溶けてしまっている……のでしょうね?」

 

自嘲するようにそっと、枕に向かってそう呟くと、今度こそ彼女の意識は闇へと落ちていった。

 

◇ ◇ ◇

 

◇ ◇

 

 

「——嬢様」

 

——私は今、雪遊びをしているのです。 邪魔をしないでいただけますこと?

 

一面に広がる雪、こしらえられたかまくらに、雪だるま。今から始まろうとしているのは雪合戦だろうか?

ここまで、楽しい思いをするのも久しぶりだと。

高鳴る胸の鼓動はもう抑えられない。

 

向こうで手を振る従姉妹たちの所へ走って行こうとした時、

 

「——マックイーンお嬢様」

 

ノックと共に聞こえたその声のせいで、一気に思考が現実へと引き戻された。

 

——まったく、じいやったら。夢の中でくらい遊ばせてくれても……。

 

心の中で一人愚痴りながらも、結局は夢だったのかとため息をまた一つ。そして渋々といった具合で彼女はその声に答える。

 

「どうぞ」

 

待っていた返答が来たためか、カチャリと小さく音を立ててドアが開き、見慣れたじいやが姿を現すと思い込んでいた彼女は次の瞬間、

 

「……っ」

 

その表情に驚愕の色を滲ませた。

 

「お嬢様、こちらは私の親戚の子供でして……。先日、大奥様の話に挙がっていました貴女の——お目付役でございます」

 

見慣れたじいやは確かにそこに立っていたが、その隣に立っていたのは初めてみる娘だった。

腰まで伸びた長い白毛に、透き通るように白い肌。腰から生えた尻尾は自分と同じウマ娘だという証明。

そして何より彼女の目を引いたのはその表情だった。

長く伸びた白いまつ毛の下からのぞいていた双眸は色素の薄い彼女の中では唯一際立つ紅だったが、それが......目一杯まで見開かれていたのだ。

 

まるで自分——メジロマックイーンの姿を見て驚いているかのように。

そうして目と目が合うこと数秒、段々と気まずくなってくる空気感に、マックイーンはなかなか口を開くタイミングが掴めず少しばかり思案していた。

 

『マックイーン、貴女には少々……自己管理が甘い部分があるようですね』

 

以前体調を崩した時、おばあさまから切り出されたのはそんな話だったはず。

 

『体調や体重の管理。メジロ家のウマ娘としては大切なことです。そして数年後にトゥインクル・シリーズで走っていく以上には、今からでもそれらを徹底していかなければなりません。よって貴女に、目付役が必要だと考えたのです』

 

そんなモノが付くのであれば、厳しい人物であることには違いないだろうとマックイーンは身構えていた。

 

何才年上の人なのだろう? 容姿は強面だろうか?

 

そんな想像をしているうちに時は流れ、いつしか数ヶ月ほどが経とうとしていた最早忘れかけていたタイミング、それもよりによって体調を崩している日に、ソレは姿を現した。

……想像とは、かなりかけ離れたモノではあったが。

 

背丈は恐らく同じくらい、顔にもまだあどけなさが残っていて、いつの間にやら視線は泳いでいる。

とてもじゃないが、イメージしていた“厳しいお目付役“ではなさそうだった。

 

「“ミゾレ“。お嬢様にご挨拶を」

 

「……は、はい。お嬢様、初めまして……。“ミゾレヒガン“と……申します。以後、お見知りおきを……」

 

言葉づかいは丁寧だが、発された声はあまりにもか細い。

ウマ娘の聴力を持ってしてなんとか聞き取ることはできたが、普通は聞こえたものではないだろう。

 

「あの……じいや、本当にこの方が私のお目付役ですの……?」

「え……ええ。その通りですが」

 

——普通はもっとハキハキと話して……厳しく接してくるモノではありませんの?

 

マックイーンの瞳には、彼女の姿があまりにも情けなく映っていた。

 

「……あ、の。マック……さん、……い……」

 

声は段々と小さくなっていくために、今やもう聞き取れないほど。

増してくる頭痛は風邪のせいか、それともこの小さなお目付役に対するものだろうか?

 

「今日は……もう結構ですわ。私もあまり調子が良くありませんもの」

 

頭痛を誤魔化すように吐いた一言に込められていたのは拒絶。

 

「ですから、お帰りください」

 

最後に一言そう口にして、マックイーンは再び床につく。

結局、じいやも困っていたが最終的には彼女を連れ立って部屋を出ていったようだ。

 

「……まったく、あのような方に務まるとは到底……」

 

失望に近い感情の混じった、三度目のため息を吐くと、彼女は再び深い眠りへと落ちていった。

 

◆ ◆ ◆

 

「なんで……なんで、お嬢様の前だとあんなに萎縮しちゃうのっ!?」

 

充てがわれた部屋に荷物を置いて少し経ち、ミゾレは、不意に叫び始めた。

 

「……ってそんな答えもう決まってるよねっ!? お嬢様が尊すぎるんだもんっ!」

 

先ほど『マックイーンさん、尊い』と不意に口にしそうになった時にはなんとか堪えられたものだったが、ここでは一人、防音もバッチリ。

 

彼女、いや元々は彼だったモノを止める者はもうどこにもいなかった。

何の因果か転生したらウマ娘、おまけに親戚にはじいやさん、前世では所謂マックイーン担当、推し活に類するものに精を出していた青年にとってその転生先は完璧と言って差し支えがなかった。

 

修めた学も、ブラックな社会で培ってきた礼儀も、転生ガチャという運ですらも。

 

全ての要素を武器にした彼——彼女にとって、もう敵はないと言っても差し支えがなかったのかもしれない。

 

......誤算はいくつもあったが。

 

身体に引っ張られて退行した精神年齢に加えて、思いの外ツンツンしてて尊みに溢れたお嬢様——赤ランプを灯すには十分すぎる要素。

結果、お嬢様の前に立った時、彼女は声すらもろくに出せず、木偶の棒と化してしまった。

 

しかし、彼女の辞書に諦めの文字はない。

別にツンツンしていようがそれも可愛いもの。むしろ知らなかった彼女の一面を知れて得した気分。

 

最後の『お帰りください』には少し鳥肌が立ったものだし。

 

ただ、拒絶されるのは避けたい。ここでお嬢様との間に溝を作りたくはない。

 

折角手に入れたこの立場を手放したくなんかない。

 

冷めた最後の一言はきっと……放っておいては不味いものだったはず。

 

だからこそ、とにかく彼女に認めてもらえるウマ娘にならなくては。

 

「かっとばせー! ミ・ゾ・レ!」

 

まだこんなことも言わなそうなお嬢様に想いを馳せつつ。

 

距離を縮めるためにミゾレは、思索を巡らせるのだった。




三人称の練習がしたかったのと、マックイーンを推したい衝動が止まらなくなったので初投稿です。


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#2 「わたしは、お嬢様と仲良くしたいのです」

「……もう、溶けてしまいますのね……?」

 

物憂げな表情で一つ、少女はため息を吐いた。

視線の先には、積もった雪も溶けまばらに芝生が見える中庭。

未だ体は熱く、思考もまとまらない。

一度ベッドに座り込み、体温を測る。

ピピッと、短く音をたてて、体温計が示したのはむしろ昨日より高くなった体温だった。

 

——結局……今日も私はここで一人、ですか。

 

風邪が感染るとよくないために、従姉妹たちは部屋に立ち入ることを許可されていない。

そろそろじいやが来るとしても、どうせ一緒にいてくれるのは彼だけだろうと考えた時、

 

『……まったく、あのような方に務まるとは到底……』

 

ふと、昨日拒絶した少女の姿が脳裏をよぎった。

 

——あの方が来てくれたり……するわけがありませんわね。

 

しかし、確かに昨日帰ってくれ、と言ってしまったはずだった。

普通ならばもう帰っているだろうし、仮にまだこの屋敷に残っていたとして……彼女を拒絶したのはその情けなさに失望したからだ。

だから、自分が弱っているからといって、他人に縋ろうとすることなどあり得ない。

 

しかし、一瞬でもそんな事を考えたのも事実。

滲み出てくる情けなさに歯を食いしばり、強く戒める。

 

——私は……メジロ家のウマ娘なのです。強くあらねば……ならないのです。

 

メジロ家のウマ娘であること——それは誇りでありながらも、同時に強く彼女を縛り付ける呪縛に近いモノだった。

将来背負わねばならないのは、あまりに大きな家名と使命。

だからこそ、熱を出した程度で項垂れるなど許されない。

 

できることはただ一つ、治すことに専念するのみ。

じいやが来るまでまだ寝ていようと思い、再び横になろうとした時だった。

外から騒めきが聞こえ、窓の外へと目をやると、中庭のテーブルを囲んだ従姉妹たちが何やら談笑しているようだった。

そして、そんな中でも際立つ白毛が一つ。

 

見間違えることがないであろうその姿は、ミゾレヒガンのものだった。

 

「……ぁぁ……」

 

思わず漏れた声は自分でも驚くくらいに情けないもので。

混ざっていたのは羨望感……だったのだろうか?

 

皆と談笑するミゾレの姿は昨日、あそこまで情けない態度をとっていた娘と同一人物だとは思えないくらいに、楽しげなものだった。

 

「……貴女は、私の……お目付役だと……」

 

ちょっとしたやきもちのせいか、段々と憂鬱な気持ちになっていく。

 

——昨日の彼女の態度は……私がいけ好かなかったせいではないでしょうか……?

 

マックイーンは親族以外の他者への態度が少し尖ってしまっていることを、確かに認識していた。

だからと言ってソレをどうすればいいのか、彼女にはまたわからないことでもあった。

いくら名家の生まれ、将来を期待されたウマ娘だと言ってもまだ八歳の少女。

 

自分がどんな気持ちでいるかも完全には理解できていないし、弱っていたら心細くもなる。

何かが込み上げてきそうになるのを、拳を握って誤魔化して。

 

横になり、熱くなってきた瞼を閉じて。彼女はただ自分を戒めるように眠りについた。

 

◇ ◇ ◇

 

◇ ◇

 

 

小さなテーブルを囲む数人のウマ娘。

うららかな陽に照らされた心地の良い場の中、盛り上がっていく会話。

クッキーをひとつ頬張り、その甘さに目を細めながら、紅茶を口にする。

幸せな時間だった。

 

 

ガシャン!

 

 

唐突に何かが降りる音が聞こえ、気づいたら彼女はまた部屋の中に戻っていた。

ただ一つ違うのは、窓枠には格子がかかっていたこと。

外の様子は見えないのに、楽し気な会話だけは聞こえてくる。

 

——なんで……。

 

格子を強く握るも全く動く気配はない。

 

——なんで……っ!?

 

部屋中に絶叫が響いた時だった。

 

「——お嬢様っ!」

 

突如聞こえてきた声に、意識が引き戻された。

荒くなった息を整えながら、彼女は状況を確認する。

氷枕がひんやりとしていているのは、寝ている間にじいやが替えてくれたからだろうか。

それに、隣からカチャカチャと物音が聞こえるとともに、良い香りもする。

 

整った環境からか、段々と先ほどまでの恐怖も消えていき。

そういえば朝食もまだだった、と。

マックイーンは腹の虫が鳴りそうになるのをグッと堪えた。

 

「……良かった……。もううなされてないみたい……。今、お昼ごはんを用意していますから。……本当に、早く具合が良くなると……」

 

そして、それと一緒に聞こえてくるのは落ち着いた声のおかげか、次第に安心感が増していく。

 

——やはり一人じゃない、というだけでも随分と変わりますのね。

 

安心からか、思わずほぅと息を吐いた時、唐突に彼女は強い違和感を感じた。

 

——じいやと口調が違う……? それによく考えてみたら声も、随分とあどけないもの……。

 

いくら熱に浮かされていたとしてもわかる程度には、浮き彫りになっていく違和感に思わず瞼を開いた時、そこにあったのは——

 

「……嬉しいのですが……ってひょわあっ!?」

 

見覚えのある、というよりも……昨日見た紅い瞳だった。

 

「お……お嬢様……わ、わたしは……」

「……看病を、してくれていたのですよね? ところでじいやは……?」

「い、今は……主治医さんを呼びに行ってくれてて……」

 

先ほどまでの落ち着いた態度とは一転、彼女——ミゾレは随分と動転しているように見えた。

頬は紅潮していて、視点は一つに定まらない。

 

——これでは、どちらが病人かわかりませんわね……

 

一つ、ため息をつくとマックイーンは口を開いた。

 

「あの……もう少し落ち着いてくださりませんこと……?」

「そ、そう……ですよね……。わたし、迷惑で……。あの……不躾ですがこれを……失礼しましたっ!」

 

最後に折り畳まれた小さな紙を手渡すと、彼女は足早に部屋を出て行ってしまった。

 

「何なのでしょう……? これ……」

 

小首を傾げながら折り畳まれた紙を広げると、可愛らしい雪だるまが飛び出してきた。

いわゆる、飛び出す手紙というものだろうか。

話には聞いていたが初めてもらうそれに、少し感心しながら、文章に目を通す。

 

『みんな、マックイーンが元気になるのを待っています。だからクリスマスパーティーで元気な姿を見せてね!』

 

目を滑らせると、ずらりと並んだ従姉妹の名前。筆跡が全て違うのを見るに、きっとみんなで書いてくれたのだろう。

 

そして、最後の方に小さく“ミゾレヒガン”と、彼女の名前も記してあった。

 

その下には、これまた目を凝らさねば見えないような字で、『昨日は緊張から無礼を働いてしまい失礼いたしました。それでもわたしは、お嬢様と仲良くしたいのです』と記されている。

 

「そういうこと……ですか」

 

ふっと表情が綻ぶのが自分でもわかった。

そして、未だに体調は良いとはいえないけれど、胸の中だけは満たされていた。

 

「今度……謝らないといけませんわね」

 

その言葉を届けるべき相手は今ここにはいなかったが、口にするだけでも幾分か楽になる。

 

温もりを確かめるように、そっと胸に手紙を抱くこと数秒、満足したのか彼女はベッドにそれを置くと、お粥に手をつけ始めた。

 

◆ ◆ ◆

 

◆ ◆

 

 

「マックイーン、喜んでくれたかな?」

「……ごめんなさいっ! わたし、緊張しちゃって確かめることができなくてっ!」

 

気さくに話しかけてくるメジロライアンに多少ペコペコしながらもミゾレは、先ほど渡した手紙をマックイーンがどう受け止めたのかを、ずっと考えていた。

 

——字が小さすぎたかな? 文章に失礼はないかな?

 

いくら転生者といえども、今のミゾレは体に引っ張られて容姿に違わぬぐらい精神年齢が退行した状態。

不安は募るばかりだった。

 

「いいよ、そんなにかしこまらなくって。……あの子、少し人見知りだからツンツンしてるように捉えられちゃうことが多いんだ。それに、お目付役がつくだなんて初めてだっただろうから……ちょっと緊張してただけだと思う。だから、大丈夫——きっと、すぐに仲良くなれるよ」

 

「ホント……ですか?」

 

「うん、ホントホント、大丈夫だって!」

 

 

その言葉を聞いてお礼を言いながら「……よかったぁ」と呟き去っていく彼女を見て一言、ライアンは呟いた。

 

 

「……何だか、また一人妹が増えたみたい。それにしても……」

 

 

そこで少し濁る言葉。

 

 

「……明日のパーティー、マックイーン……大丈夫かな……?」

 

 

一抹の不安がよぎりつつも、きっと大丈夫だと自分に言い聞かせながら、彼女も自室へと戻るのだった。



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#3 「私も彼女と話してみたいの、で……」

「主治医によりますと、この具合なら明日下がるかどうか……と」

 

じいやの話を聞きながら、座り込んだベッドの上でマックイーンは、一人の少女の姿を回想していた。

 

『それでもわたしは、お嬢様と仲良くしたいのです』

 

招待状と銘打たれた一通の手紙に記されていた一節。

それは最後の方に、目を凝らさねばならないほどに小さく書かれた字面ではあったが、不思議と胸の中から離れないモノだった。

 

——初めてなのです。

 

一度突き放してもなお、そんな事を言う同世代の娘など、彼女の短い人生の中で出会ったことがなかった。

それどころか彼女は、積極的に自分に関わろうとする素振りまで見せているわけでもあったわけだ。

だからこそ一度、けじめをつけておきたかった。

 

『今度……謝らなければなりませんわね』

 

手紙をもらった直後に、ポツリと出てきた言葉。

きっとあれはうわべだけのものじゃなくて、衝動的に漏れた本音だったはず。

一人で口にするだけじゃ足りない。

 

本人に届けたい。

 

そんな気持ちからか思わずじいやに問いかけてしまう。

 

「そういえば……ミゾレさんの様子は今、どうなっていますの?」

 

「え、ええ……ミゾレ……ですか……?」

 

昨日の今日だ。お嬢様の心変わりに対して、彼は少し驚いているかのような素振りを見せたが、すぐにいつもの落ち着きを取り戻し返答した。

 

「彼女の様子は……特に変わりありません。強いていうならば、明日のクリスマスパーティーを楽しみにしていたこと、くらいでしょうか」

 

——クリスマスパーティー……ですか。

 

メジロ家のクリスマスパーティーは、大規模なものだ。

純粋に楽しみにしていたという点であればマックイーン自身も変わらなかったが、ここに来たばかりで参加するのが初めてである彼女が、自分よりも楽しみにしている姿は容易に想像できた。

 

であれば謝るタイミングとしては適しているだろうと、マックイーンは軽く頷いた。

きっと、そんな場であればミゾレも今日みたいにすぐに逃げてしまうということはないだろうし、何よりも——

 

招待されたからには、必ず参加せねば、と。

 

従姉妹やミゾレたちの気持ちを想像すると、居ても立ってもいられなくなる。

 

「それでも、治してみせますわ。明日までに、必ず」

 

そう口にしたのは決意の証明。

 

決め手になったのはきっと、メジロ家のウマ娘としての誇り——だけではなかった。

 

「——私も彼女と話してみたいの、で……」

 

普段からはっきりと話す彼女の歯切れの悪い物言いに、一瞬じいやは疑問を持ったが、彼女の紅潮した頬を見て、納得したように頷いた。

 

「……では、もうお休みになった方がいいかと。まだ熱は下がりきっておりませんので」

 

熱を測ってもらった後、取り替えられた氷枕に頭を預けて、マックイーンは目を瞑る。

胸の中でモヤモヤと渦巻く感情がどういうものか、まだ幼い彼女にはわからなかったけれど。

何をするべきかは既に理解できていた。

 

——風邪を治して……そしてお話するのです。きっと彼女は逃げなくて……初めてしっかりとお話できるはずです。だって、楽しいパーティーになりますもの。

 

楽しい催しは頭から離れず、瞼の裏から彼女の姿は消えない。

 

ゆらゆらと尻尾は揺れ、耳はピンと立ち、心臓の拍動は収まらず、緊張のせいか、熱のせいか——体は熱い。

 

そうしてちょっぴり不安を抱えながらも期待を膨らませていく彼女の姿は、メジロ家のウマ娘としてのものではなく、年相応の八歳の少女のものだった。

 

やがて、彼女が寝息を立て始めたのを確認して消灯した後、部屋を立ち去る前にじいやは一つ、呟いた。

 

「……きっと、良くなります。お嬢様」

 

夢の中で何か良いことでもあったのか、それとも声が届いたのか、ドアが閉まる直前、彼女は薄く微笑んだ。



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#4 「一緒に、この時間を過ごしたい、です」

「……どうして、でしょう」

 

一度も踏まないまま、雪は溶け切った。

昨日までは白一面に染まっていたその庭は、今や剥き出しになった芝生によって緑一色に染まっていて。

代わりに庭に飾られた一本のクリスマスツリーと、自身のいる部屋より少し下に据え付けられた星飾りが、遂にその日が来たのだと告げていた。

けれど、未だに額は熱く、倦怠感も消え去らない。

 

『……お嬢様。まだ、お熱が……』

 

当然だった。

まだ熱は下がり切っていなかったのだから。

 

「……ほんとうに」

 

『——ですから、今日も安静に……』

 

朝方、じいやが口にした言葉が脳裏をよぎったせいか彼女は独りごちるも、その続きが紡がれることはない。

代わりに震えた手が、手に持った紙にくしゃりと、シワを作ってしまう。

招待状と銘打たれたその一枚の手紙が昨日、彼女に元気を与えたのは確かだった。

だからこそ、もうパーティーへと参加できない今日、それを目にしていると、まるで胸が締め付けられるようで。

そのはずなのに、最後の一節からはどうしても目を離すことができなくて。

 

——“それでも、わたしはお嬢様と仲良くしたいのです“

 

こぼれ落ちた一滴の雫によってインクは滲む。

じいやも今日は忙しくしており、なかなか来てくれない。

忙しなく響く、足音も、部屋の外から聞こえる話し声も。

むしろ、中途半端に治りかかっている分、以前ほどずっとは構ってくれないのだ。

だったら、まだ前の方が良かったのかもしれない、だなんて。

考えてしまう自分にもまた、嫌気が差してくる。

 

「……私は、メジロ家の……ウマ娘、なのです」

 

ソレは、今までずっと自分を奮起させる時にも、強がる時ですらも、口にしてきた言葉。

だからこそ、だった。

 

——強く、あらねばなりません。

 

ずっと、己に命じてきて、律してきたのだ。

弱音など吐いてはならない。

 

——私は、気高くあらねばならないのです。

 

ましてや、先ほどのように一滴の雫すら、瞳からこぼすことは許されるはずもなくて。

 

「……っ」

 

強く唇を噛み締めて、込み上げてくるものを我慢しようとした、というのに。

 

「……っ……うぇ……っ」

 

一滴、二滴、と次々にそれが手紙を濡らすとともに、小さく嗚咽が漏れて。

きっと表情はひどく歪んでいたのだろう。

そんなもの、誰にも見せたくなかったからこそ、マックイーンは枕元に置いてあったぬいぐるみへと顔をうずめた。

 

“みんな、マックイーンが元気になるのを待っています。“

 

けれど、視界を塞いでしまえば、なおさら気が紛れなくなる。

 

“だから、クリスマスパーティーで元気な姿を見せてね!“

 

脳裏をよぎったのは、手紙に記された文字。

 

——これでは、ライアンにも、ドーベルにも、他の……みんなにも……。

 

主治医にも、じいやにも、従姉妹たちにも、自分を気遣ってくれた皆に、これでは申し訳ない。

 

——そして、彼女に、も……。

 

そして、何よりずっと強く残っていたのは、なぜか一番一緒にいた時間が短いはずの少女の姿だった。

いや、むしろ一番短かったからこそ、なのだろう。

 

一点に定まらなかったその瞳と途切れ途切れになっていた声にも、うなされていた時に自身を呼んだ声にも、手紙の最後に小さく書かれた字面にも。

まだ一度も、何か返すことすらできていないのだ。

 

「……の……そ……んな、の……」

 

枕を通してくぐもった声が反響する。

 

『強いていうならば、明日のクリスマスパーティーを楽しみにしていたこと、くらいでしょうか』

 

それでも、彼女の様子が容易に想像できてしまうからこそ、来てほしいと彼女に頼むことはできなかった。

ただ、鬱屈とした気持ちは消えることがなく。

 

誰にも見せたくないその顔と、誰にも聞かれたくない掠れた声を隠すように、更に深く、マックイーンは顔をうずめる。

 

けれど、目元に滲んでは、布へと染み込んでいくその雫だけは——止めることができなかった。

 

◇ ◇ ◇

 

◇ ◇

 

 

「……んぅ……」

 

コンコン、と。

響いたノック音は、今日も彼女の意識を引き戻した。

ほのかに香るのは、昨日と似たものでも、少し冷めたお粥の香り。

少しばかり顔に触れている不快な塊を引き剥がして瞼を開けてみると、それはぐっしょりと濡れたぬいぐるみだった。

そして、差し込む光は既に濃い橙色になっていて。

 

「……もう……始まる時間、でしょうか」

 

時計を見てみると、それが指していたのは既にパーティーの始まる時間。

そして、今回はもう、夢を見ることすらなくて。

せめて、寝ている時くらいは幸せに過ごさせて欲しかったものだと、彼女は一度、ため息を吐く。

その時、コンコン、と。

もう一度、ノック音が響いた。

 

——一体、誰なのでしょう?

 

確かに気になるものだ。皆は、準備やらで忙しくしているはずなのに……。

そんなことを考えながら、ドアを開けると、そこに立っていたのは——

 

「お嬢、様……その、お休みのところ、大変……もうしわけ、ありませんが……その……」

 

頭の動きに合わせて揺れる白毛と、真っ直ぐこちらを見つめておらず、多少逸れた紅い瞳。

間違いなく、マックイーンが話したいと願っていた、少女の姿だった。

 

「……な……ぜ、ですか……? 貴女は、パーティーを楽しみにしていると……」

 

しかし、真っ先に口を突いて出たのは、そんな疑問だった。

それで言葉を遮られたせいか、少しばかり彼女は目を見開いて、口をぱくぱくさせたのちに、一度、つぐんで自身を落ち着かせるように深呼吸をすると……もう一度、声を発した。

 

「……いえ。もうお手伝いは大丈夫と、じいやさんに言われましたから……。だから……だから——今は、もう一度お嬢様と話したくって……もし、許されるのなら……一緒に、過ごしたいのです」

「けれど……貴女はそれで良いのですか? こんな大切な時間を、私と……過ごして」

「……むしろ、大切な時間だからこそ、です」

「気を……使わなくても良いのですよ? ずうっと、私は、貴女を……はねのけて……きた、のに……」

 

——違います。

 

決して、彼女をもう一度拒絶したいわけではなくて。

 

——もっと、素直に……。

 

なりたい自分とは裏腹、気が強くって、中々素直になれない今の自分が、たった一つの願いすらも塗り潰そうとする。

 

「ですから……貴女は、パーティーを楽しんできてください。私は大丈夫……ですから」

 

そして、そんな自分が嫌になってきて、こう口にしていると、胸が締め付けられるよう。

少しばかり滲んできた視界のせいで、次第に彼女の姿は、ぼんやりとしてくる。

そして、熱い雫が一滴頬を伝った時、そっと伸びた白い輪郭が、それを拭き取った。

 

「……いい、え。わたしは——ここに……います」

 

まだ少し滲んでいたけれど、先ほどよりはっきりとした視界の中で映ったのは——ずっと真っ直ぐに見つめることのなかった、鮮やかな紅だった。

それが湛える光は決して、今までのようには揺れず、真っ直ぐに自分の瞳を捉えて離さない。

そして、今までとは違ってはっきりと口にされた意思を曲げて解釈することは、今のマックイーンにはできないことだった。

 

——私は、気高くあらねばなりません。一人でも、強くあらなければ、ならないのです。

 

それは、メジロ家のウマ娘である自分へと、課せられた使命だった。

 

——けれど、今は、この手を取りたい。……触れたい。たとえ、使命に反していたとしても。

 

きっと、今、自分の意思に正直になれなければ、もう機会は訪れない。

 

僅か、半身分の距離だった。

それでも、なぜだか、それはたまらなく遠くって。

 

——もどかしい、もどかしいです。

 

伸ばしても、中々辿り着けなくて。

 

だからこそ、少し冷たいその手に触れた時、彼女は決して離さぬように、と。

強く、ぎゅっと握った。

 

それに対して、ミゾレがいつものように上ずった声を発することはなかった。

ただ、受け入れるように。

握られた手は、やさしくマックイーンの手を握り返す。

それは、柔らかで、あたたかで。

自分を、受け入れてくれているようで。

そのせいで、きっと彼女は一つ、口にできたのだろう。

 

「……私も、です。貴女と、話したい。一緒に、この時間を……過ごしたい、です」

 

——自分の、意思を。

 

「もちろんです。……お嬢様と、この時間を過ごせるのは、わたしにとって、たまらなく嬉しいもの、ですから」

 

その返答に対して、少しだけマックイーンの瞳が濡れた意味はきっと、先ほどまでとは全く違うものだった。

 

◇ ◇ ◇

 

◇ ◇

 

 

「……その……つまらないものかも……しれないですけどっ……お嬢様、最後に……これ……どうぞ……っ」

 

時折、じいやが持ってきてくれたケーキを食べたり、少し枯れた声だったけれど、クリスマスソングを歌ってみたり。

まだ、小さくて、か細い声ではあったけれど、ミゾレと談笑する時間は、マックイーンが望んでいたもので、今まで経験したクリスマスパーティーと比べても、楽しい時間だったことに違いはない。

 

だからこそ、あっという間に時間は過ぎていって。

辺りも暗くなり、階下から聞こえていた話し声も消えて、片付けのために外を忙しなく動く足音の聞こえる頃合い。

もう寝る時間の直前、その時間が終わりを告げる直前に、ミゾレが差し出してきたのは、折り紙で作られた、小さなクリスマスツリーだった。

器用に切り抜かれた折り紙を組み合わせて、頂点に星を据え付けたそれは、今まで貰ってきたプレゼントの中でも、一番安価なものであったのは確かだった。

しかし、じいやが持ってきてくれた、従姉妹や他の親族からの豪華にラッピングされたプレゼントの中にあっても、今のマックイーンにしてみれば、少しも見劣りしないものでもあった。

 

「……いえ。つまらないものなんかじゃ、ありません。とても……嬉しいもの、ですわ。この、プレゼントも。貴女のくれた、この時間も。ですから、そんなに遠慮しなくても構いません。……貴女は、私のお目付役、ですから……っ」

 

——明日からも、一緒に。

 

もしかしたら今日、この場をもって、彼女と会うのは最後かもしれない。

今までとってきた態度があるからこそ、そんな考えが一瞬浮かんで。

ちょっと、虫がいいかもしれない、だなんて。

その言葉は、紡がれることなく、消えゆく。

 

「……お嬢様が、構わなければ」

 

そんな意思を、汲んだのかはわからない。

 

「……明日からも、ずっと、一緒、です」

 

けれど、部屋を後にする直前、柔らかい微笑みと共にミゾレが口にした言葉は、今、彼女の一番望んでいたものだった。

 

「……そう、ですね。……そうです。よろしく、お願いいたします……ミゾレさん」

 

「……ええ。こちらの方こそ、です。よろしくお願いいたします。マックイーンお嬢様」

 

交わされた言葉と握手は、一つの約束。

幼い少女が求めてやまなかった関係。

 

ぎゅっと握ったその手は、離れるまでの間しばし、温もりを伝え続けてくれていた。

 

◆ ◆ ◆

 

◆ ◆

 

 

「——大奥様、そろそろお休みになられてはいかがでしょうか」

 

僅かな暖色が灯る部屋の中で、じいやは自身の仕える相手へと一つ、声をかけた。

 

「そう、ですね。そろそろ……そういえば、マックイーンの具合はいかがですか?」

 

「マックイーンお嬢様、ですか。風邪の方はもう、治りかかっています。あとは……本日のパーティーに参加できなくて落ち込んでいる様子でしたので

、手が離せなかった私の代わりにミゾレを。お休みになる直前にはもう、普段とあまり変わらない様子……むしろ、上機嫌でした」

 

「そう、ですか。では、良い相手、だったのでしょう。……あの娘は、閉ざされた環境で育ってきました。だからこそ、少しばかり、親族以外の他者に抵抗を覚えてしまっていて、人見知りゆえの尖った態度を、他者に向かって取ることも少なくはありませんでしたね」

 

彼女は、語りかけるように、けれども、どこか自分で懐かしむように、話し続ける。

 

「——だからこそ、それを解してくれる相手が必要だったのです。言ってしまえば、目付け役、というよりも……友人になってくれるような、相手が」

 

「それが、ミゾレである……と?」

 

「ええ。彼女に接しようとする意思のある娘であれば、誰でも構いませんから。別に特別でなくても……いえ、ある意味では、それは特別、なのかもしれません」

 

最後の言葉は、まるで呟くように発された。

それは、普段よりもどこか柔らかいもので。

聞いたのちにじいやは、そっと頷いた。

 

◆ ◆ ◆

 

◆ ◆

 

 

「……今日は、ずっと……ずうっと前から想っていた相手と、仲良くなれました。……わたしは今日も元気です……このこと、伝えたらお母さん、喜んでくれるかな?」

 

先ほどまで手紙に記していた内容を復唱して封筒に入れると、ミゾレは今日の出来事を思い出したせいか、一つ、微笑みを浮かべると、ベッドに入り、瞼を閉じた。




ごめんなさい、大分空きました。


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#5 「けれど、今のままで構いません」

「……ありません」

 

たった一度、発した声。

それは、部屋中に響き渡り。

かと言って、望んでいたものが帰ってくるわけではなく。

マックイーンは、ベッドに座り込みながらも、隣にそれがないことへの不安を感じていた。

 

「お嬢様、ぬいぐるみについて、ですが……」

 

その時、ノックと共に部屋に入ってきた相手を見て、彼女の尻尾は左右に触れた。

 

「……じいや。もう、帰ってきますの?」

「……いえ、大変申し訳ありませんが、明日まではかかると……」

 

けれど、その答えが帰ってきた途端に、尻尾と耳が垂れ、彼女は目を伏せる。

昨日、眠っている間に顔を埋めてしまったがために涙で濡らしてしまったぬいぐるみ。

明日までには乾くだろうとマックイーンは考えていたのだが、結局湿った毛並みは変わらずに。

結局は今朝、洗濯と乾燥をすることになってしまったものだった。

 

——流石に、こんなに早く乾くわけがありませんもの……。

 

ぬいぐるみの状態を保つためならば、仕方がない。

ある意味分かりきっていて……割り切っていたことではあったが、だとしても、普段から一緒に寝ていたぬいぐるみが今日はいない、というのは彼女にとっては中々に堪えるもの。

じいやが部屋を出たのちに、思わず一度ため息を吐いた時だった。

 

「……マックイーンお嬢様、今……よろしいでしょうか……?」

 

控えめなノックと共にドア越しなせいか、多少くぐもった声が聞こえてきて、彼女の耳は一瞬ピクリ、と震えて。

そのまま——あくまでも所作は崩さないようにしながらも——少々駆け足で向かうと、彼女はすぐにドアを開けた。

 

◆ ◆ ◆

 

◆ ◆

 

 

「……こんばんは、マックイーンお嬢様」

「……ええ。こんばんは、ミゾレさん」

 

ささやかなクリスマスパーティーを部屋で開いてから一日。

すっかり今日はお嬢様の熱も下がったがために、初めて二人連れ立って部屋を出て、屋敷を巡ることができた。

途中で道に迷った時は、お嬢様も知らずとあって、随分と困ったものだったが……それも含めて、楽しい時間だったことには違いない。

そんな、初めてお嬢様のお目付役と過ごした一日を回想しながらも、ミゾレは手に持っていた衣服を持ち直して、要件を口にした。

 

「……これ、お洋服、です。洗濯、終わりましたので」

 

それを目にして、マックイーンは少々、視線を巡らせて……その後、一つ口にした。

 

「……ぬいぐるみは、ありませんの?」

「……ぬいぐるみ、ですか……?」

 

特に、洗濯物の中には混ざっていなかったはず……。

けれど確かに今日、お嬢様が大事にしているという、ぬいぐるみの話は聞いていた。

そして、それが洗濯に出されている、というのも。

確かに、隣に誰もいない夜中、寂しさをぬいぐるみが紛らわせてくれた、という経験はミゾレにもあったものだったため、理解できる話だった。

 

「……申し訳ありません……。特に、それは……渡されていなくって……」

「……そう……ですの……」

 

だからこそ、それを口にするのは中々に躊躇われたし、だんだんと垂れていくお嬢様の耳は、尚更に……罪悪感を刺激してくるものだった。

 

「……でしたら、私が寝るまで、少しだけ……その……話し相手に、なってくれませんか?」

 

そんな状況下だったから、だろうか。

少し、上の空のまま頷いて。

頷いたのちに、ミゾレは言葉の意味を反芻して……

 

「……え?」

 

ピンと耳を立て、一瞬にして頬を紅潮させた。

 

◆ ◆ ◆

 

◆ ◆

 

 

「……しつれい、します……」

 

寝る支度をするから、と。

部屋を離れたのち、十数分して戻ってきたミゾレの声を耳にして。

少しばかり揺れる耳と尻尾があまり見えないように……なるべく抑えながら、マックイーンはドアを開けて。

 

「……へ?」

 

少しばかり、頓狂な声をあげてしまった。

 

「……どう……しましたの……? その……パジャマ……」

 

と言うのも、ミゾレが普段身につけている服に対して、

 

「……ご、ごめんなさい……もしかして……あまり、お好きではありませんか? ……うさぎ」

「……いえ。そんなことはありませんが……足りていないではありませんか。袖丈も、ズボンの裾も……」

 

うさぎが目一杯に刺繍された彼女の着ているパジャマが、おおよそサイズが合っているとは思えないものだったからだった。

 

「……昔、お母さんにねだって買ってもらったので、どうしても……その、愛着があって……」

「他には……持っていませんの?」

「……いえ……お母さんが買ってくれたのは、これが最後、でしたので……」

 

別に、彼女としてはミゾレの趣味にあれこれと口出しをするつもりはなかったものの、あまりサイズが合っていない服を着続けることがあまり良いことだとは、マックイーンには思えなかった。

 

「……そう、ですわね。……少し、待っていてくれませんこと?」

 

彼女は少し考えたのち、ミゾレを部屋に招き入れると、衣服棚からなるべく色合いの似た自身のネグリジェを取り出して。

 

「……きっと、無理に着ていたら、パジャマの方も傷んでしまいますわ。私の使っていたものではありますが……しばらく、こちらをお貸ししましょうか?」

 

そう提案して、広げてみせた。

 

「……わ、わたしに……ですか……? ……で、でもっ……わたしなんかが借りたら、迷惑じゃ……」

 

対して、ミゾレは動揺しているかのように目を白黒させると、おおよそ急だったせいか激しく首を振る。

 

「いいえ、構いませんわ。それに——貴女は、私のお目付役、なのでしょう? ……であれば寝る時でも、身だしなみを整えるのが、女の子のたしなみではありませんの?」

「そ……そう、でしょうか……」

 

そう口にしたのちに、未だに多少震えている指先を顎に当てながら、少しばかり思案する素振りを見せて。

 

「……本当に、わたしなんかがお借りしても……よろしいのですか……?」

「もちろんです。むしろ、勧めているのは私の方、なのですから」

 

そこでようやく頷くと、彼女はマックイーンの手元にあったネグリジェを手に取った。

 

◆ ◆ ◆

 

◆ ◆

 

 

「これで、大丈夫……でしょうか……? 着方の方って……わたし、初めてで……こんなにフリフリしたお洋服……」

「ええ。問題ありません。しっかりと似合っていますわ」

 

白いネグリジェとカーティガン。それに加えて、さらりと流れる白い髪。

マックイーンとしては、元々着ていたパジャマと似ていると言うことで選んだものだったが、想像以上にそれが似合っていたせいか、思わず彼女は一度息を吐いた。

 

「……それにしても、随分と遅くなってしまいましたわね……。眠くは、ありませんか?」

「……いえ、そんなこと……むしろ、お嬢様が、お洋服を選んでくれたおかげで……この時間に……」

「そう、ですか……。であれば、お互い眠くなるまでお話しませんこと?」

「……喜んで。お嬢様が眠くなるまで、お付き合いいたします」

「そんな肩に力を入れなくてもよろしいのですよ? パジャマパーティー、というものは……もう少し、気楽なものでしょう?」

 

何度か従姉妹たちと開いてきたものではあったが、親族以外の相手と過ごす時間にその催しの名前を付けるのは、マックイーンにとっては初めてだった。

そのせいか、尻尾は揺れて、耳はピンと立ったまま。

それは、楽しい催しが待っている時のサインだった。

 

「……パジャマパーティー……ですか……。わたし、初めてです。……そういうの」

「何事も経験ですわ。さあ、話題はどちらから?」

「……じゃ、じゃあ……この間見たスポーツの——その、野球の試合の話、でも……」

「野球……ですか……っ!? その……どこのチームをひいきに……?」

「え、ええっと……」

 

——本当に、お目付役のイメージとはかけ離れた方、です。

 

頬を紅潮させながら、楽しそうにスポーツの話をする姿も、パジャマの件で、慌てる姿も。

お目付役というよりも、むしろ友人だとか、もっと言うのであれば、年下の姉妹だとか。

 

——けれど、今のままで構いません。

 

口に出しては伝えなかったけれど、その言葉を、そっと心の隅に留めておいて。

 

じいやが部屋の外へと漏れる灯りに気づくまで。

 

その時間は続いた。




P.S.3人ライブでのテイマクネイチャの並びは至高。Day2、楽しみです。


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#6 「……やはり、届きたいのです」

「「——よーい、どんっ!」」

 

うららかな日差しと、青々とした芝。

年も暮れ、冬だというのに差し込む木漏れ日は暖かく。

 

「ふわぁ……」

 

宙を舞う芝と、芝生に刻まれる跡。

走り出す従姉妹たちの姿を横目に、思わずマックイーンは一度、欠伸をしてしまった。

 

「お嬢様……? もしかして……寝不足、ですか……? ……ごめんなさい、わたしが……」

「……いえ、問題ありません。楽しい時間でしたもの。貴女が気に病む必要はありませんわ。……さて、読書に戻りましょう?」

 

耳を垂れて、恐々と問うてくるミゾレに対し、彼女は普段より少々柔らかくした声音で返答して、再びページを捲る。

 

「『レース理論』……ですか……?」

「ええ、まだ病み上がりだから走らないようにと、おばあさまや、主治医から注意されてしまいましたので。けれど、あまり遅れをとるわけにはいきませんもの」

 

ページを捲る音と、風が葉で擦れる音、興味深げに本を覗き込んでくるミゾレの吐息、聞こえてくるのはそんな音くらいのもの。

遠ざかって行く足音をどこか名残惜しげに感じながらも、細かい字へと目を通し……時折、欠伸を一つ。

 

木漏れ日の中でゆったりと時間は流れ、背中合わせで触れるミゾレの体温も心地よい。

そんな環境下、だったからだろうか。次第に、二度、三度と頭が揺れ、視界は朧げに。

最後に大きく振れ、こてん、と思わずマックイーンが前向きに倒れ込みそうになった時だった。

 

「……間に合って、よかったです……」

 

方向転換したミゾレが体を支えたことにより、なんとか彼女がその場に倒れ込むことだけは回避されて。

 

「……ごめんなさい。つい、うつら、うつら、と」

 

思わず目を見開き、自分がどのような姿勢にあったかを確認したのち、彼女は安堵の息を吐いた。

柔らかい芝生とはいえ、このままの勢いで倒れ込んでしまえば、かなり強く体を打っていたはずだ。

 

——これでは、示しがつきませんわね。先程、あまり遅れをとるわけにはいかないと口にしたはずでしたのに……。

 

それに、手元の本へと視線を落としてみると既に見覚えのないページになってしまっている。

きっと——いつからかは定かではないが——うつらうつらとしながらでも、ページだけは捲ってしまっていたのだろう。

見覚えのあるところまでページを巻き戻し、読み進めること少し。

 

「お、お嬢様っ!?」

 

再びの慌てたミゾレの声によって、マックイーンの意識は引き戻された。

 

——また、居眠りしそうになっていましたのね……。

 

こんな体たらくでは、とため息を吐いてなんとか目を覚まそうとするも、中々集中力が働かず、細かい文字列を見ているとすぐに欠伸が出てくる。

 

「……お嬢様、いっそのこと、お昼寝されても……」

「……いえ……」

 

——私は、遅れを取り戻さなければ。

 

答えははっきりと決まっていたはずなのに、遠くで走る従姉妹たちの姿をちらと見て、その後にミゾレの瞳を見てしまったせいか、思わずマックイーンは口ごもってしまった。

焦燥感は確かにあったけれど、それとは別にこの心地よさにこのまま身を預けたくなる気持ちも少なからずあって。

魅力的にも映るミゾレの提案に対し、どう返答するべきか、彼女が視線を彷徨わせていた時だった。

 

「……でしたら……あんまり、退屈じゃないもの……レースの記録ビデオの視聴、とか……どうでしょうか……?」

 

◇ ◇ ◇

 

◇ ◇

 

 

『——各ウマ娘が最終直線に差し掛かりました。ここで四番抜け出した——一気に先頭へと立ちます!』

 

記録映像が古いせいか、少々音割れした実況の声が部屋中に響き渡る。

けれど、熱気だけは褪せておらず、映像を見ている二人の少女にも届いていた。

 

「そこです、そこですわ……っ!」

「が、頑張れー……頑張ってください……っ!」

 

片や先、程までの眠気は隅へ置き、拳を握り締めたまま画面をじっと見つめ、片や、いつもはか細い声をできるだけ絞り出して。

 

テープが擦り切れるほど、じいやから借りて、何度も、何度もその舞台は目にしたものだというのに。

 

——それでも、いつも、()()の辺りが熱くなって……。

 

それは、幾度となく彼女が聞かされてきた悲願だったからか、それとも——

 

どこから来た感情なのかはわからずとも、マックイーンはさらに声を張り上げ、合わせるように、ミゾレも精一杯声を絞り出す。

 

『—— 3分17秒9——日本レコードです——!』

 

そして、迎える結末もまた、幾度となく目にしてきたものだったというのに、変わらず熱くなった胸をぎゅっと抑えて。

 

「……やはり、届きたいのです」

 

そののち、彼女は真っ直ぐにその景色へ、手を伸ばした。

 

「これが、お嬢様の目標……なのですか……?」

「……ええ」

 

——これは、確かにメジロ家の悲願で、それでも——

 

「……私の、目標です」

 

——私のもの、でもあります。

 

画面から目を離し、こちらを向くミゾレの瞳を見据え、彼女はそう答える。

 

 

「……お嬢様はご立派な方です。こんなに、大きな目標を持って。……それに向かって一生懸命で……」

 

そしてぽつり、と。

呟いたのちに逆にこちらを捉えたのは、瞳の奥に湛えられた紅い輝きだった。

 

「……でも、頑張りすぎもきっと、大変です。……だから、少しでも支えさせてください。……わたしは……お嬢様の、お目付役……ですから」

 

相変わらず、萎んだり、途切れ途切れになってしまう声ではあった。

 

「……そう、ですわね。……貴女は、私のお目付役……ですもの」

 

けれど、マックイーンはそばに置かれていた白い指に自身の指を絡ませ、隣に座る少女の肩へともたれかかると、

 

「……です、から……しっかり……手を……繋いでいて、貰わないと……困ります……わ……」

 

最後にそう小さく口にして。

そのまま少女の膝へと頭を預けるようにして——横になった。

 

——お疲れになってしまった……のでしょうか……?

 

いつも引き締められている唇は、柔らかく弧を描いていて。

綻んだ表情で静かに寝息を立てる姿は、おおよそいつもの彼女からは想像し難い。

 

——目標は大事です。頑張ることも、大事です。……けど、お休みもまた、今は大事なはずです。

 

それは、悲願か、それとも宿命か。

天皇賞と名を冠する舞台を見つめる瞳は、今は閉じている。

 

だからこそ、今はそのままでいて欲しくて。

 

さらりと流れる髪をそっと掻き分け、額の辺りを少女は撫ぜた。




P.S.従姉妹の皆さんは次回辺りかな、と。


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