ヒーローと亜人 (ガジャピン)
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第1話 ゲームスタート

 二人の人間が水中を漂っている。

 一人は高校生くらいの男子で、名前を永井圭。もう一人は中年の男で、名前をサミュエル・T・オーウェンというが、佐藤と自ら名乗っている。

 佐藤は気を失っていて、まるで反応が無い。永井はそんな佐藤をジッと眺めていたが、突如として水中に飛び込んできたモノに気付くと、視線をそちらに向けた。

 水中に現れたそれは、一言で言えば異形であった。黒い包帯で全身を覆われたその姿はミイラ男のようだが、決して人間の形ではない。もっともそれは全身があった時の話であり、今の姿は頭と上半身の僅かしか残っておらず、現在進行系で崩壊していっている。

 そんな異形から、永井は声を聴いた。

 

「いやぁ……楽しかったね」

 

 それからすぐ、異形は水中に溶けるように消えていった。

 永井は意識の沈下を感じつつも、この異形を作り出した元である佐藤がこの日本でこれまで何をやってきたか思い返す。

 政府に捕らわれた者の救助。旅客機を強奪し目標物に墜落。警視庁SpecialAssaultTeam──通称SATの殲滅。邪魔者の暗殺。航空自衛隊基地の一つを制圧。戦闘機の自爆特攻による日本重要施設破壊作戦。どの行動を取り上げても、その結果には大量の犠牲者が生まれた。

 だが、そんな悪夢も終わる。今なら佐藤を拘束して、二度と身動きができない状態までもっていくことができる。

 そんな永井の思考を嘲笑うかのように、水中に再び異変が起きた。

 

 ──……は?

 

 閉じかけていた永井の目が一気に見開かれる。佐藤のすぐ後ろに渦潮のような渦が出現した。佐藤の体はその渦の中にどんどん飲み込まれていく。

 

 ──なんだよ、これ!? 僕たちが落ちたのは川だぞ! 渦なんてできるわけがない!

 

 永井が驚いたのはそれだけではない。半分以上飲み込まれているにも関わらず、佐藤の周囲に血は全くと言っていいほど出ていない。つまり、あの渦は殺傷力を全く持っていないのに、佐藤の体半分を消している。

 

 ──IBM(Invisible Black Matter)の新たな使用法? いや、あの渦に黒い粒子は一切無い。第一、水中じゃIBMの制御は鈍る。あの渦にIBMは関係無い。けど、だとしたら……この渦はなんだ!?

 

 永井は反射的に、少しでも佐藤のところに近付こうと水中を泳ぎ始めた。このまま渦に佐藤が飲み込まれ、渦が消失した後に佐藤の体が消えていたとしたら、不死身の体を持つ佐藤がどこか予測のつかない場所へ逃走したことになる。それだけは避けなければならないシナリオであり、そのシナリオを回避するためならば佐藤と共に渦に飲み込まれてやってもいいとさえ、永井は思考し、覚悟した。

 

 ──みんなと協力し掴んだ、千載一遇のチャンスなんだ! 逃がしてたまるかよ! 佐藤!

 

 しかし、そんな永井の思いを踏み躙るかのように、永井の手が佐藤の体に触れる直前、佐藤の体は完全に渦に飲み込まれ、渦が消えるのと同時に佐藤も消えた。

 永井は唖然とした表情で数秒間、伸ばした手の先を見ていたが、すぐに現状を把握し、心底悔しげな表情になった。

 永井が水面に浮上すると、彼の仲間たちが川辺にちょうど駆けつけたところだった。

 

「永井! 佐藤は!?」

 

 永井と同い年くらいの男子が叫ぶ。

 

「逃げられた!」

「……はぁ!? 逃げられた? ヘリがそこにあんのに、どうやって逃げんだよ!?」

「それは分からない! だが、何かしらの方法で逃げた! これが結果だ! クソったれがッ! なんだよあの渦……亜人にアレはできないだろ……。ましてや体を消すなんて……。一体どうなってる?」

 

 永井は疲労のあまり意識が一瞬飛びかけつつも、川辺に辿り着いた。

 

 ──なんにせよ、明白なことがある。佐藤にはまだ味方がいる。それも亜人以外の能力を持つかもしれない人間が。

 

 なんせ不死身の人間が十七年前に存在が確認されたばかりだ。人や物質をワープさせる能力者が生まれる可能性はゼロではない。

 永井が川辺に上がりつつ、右手で頭をゴシゴシとかく。疲労で思考に集中できない。

 永井が銃を持つフル装備をした人間たちの方に顔を向けた。

 

「すいません。疲れたのでリフレッシュしたいです」

「ああ」

 

 その中のリーダーらしき人物が躊躇う様子を見せず、銃口を即永井の額に向け、発砲。永井の額は撃ち抜かれ、そのまま仰向けに倒れる。血が辺りに飛び散った。

 だが、永井から黒い粒子が発生し、すぐさま額の傷が修復され、即死だった永井が目を開く。

 

「佐藤、どんな手で逃げたか知らないが、次は必ず決着をつけてやる」

 

 永井は上半身だけ起こし、決意の表情で両手を握りしめる。握りしめた両手からは砂と小石がこぼれ落ちていった。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

「だ……で……か!」

 

 途切れ途切れに知らない声が聞こえる。その声は緊張感を持っていた。

 

「大丈夫ですか!?」

 

 途切れ途切れだった声がはっきりと聞こえるようになった。意識の回復。

 佐藤は意識が戻っても、すぐに反応しない。自分が今置かれている状況を把握しなければ、一つの行動が墓穴を掘ることになることを、長く戦場にいた佐藤はよく理解していた。

 佐藤は体を極力動かさないようにしつつ、指と腕を僅かに動かし、自分の体が拘束されていないことを確かめる。永井圭に捕まったのなら、こんなヌルいやり方を彼はしない。それに声の主は自分の安否を気遣っているようだ。

 佐藤は亜人である。亜人とは死んでもすぐ全快の状態で自身を再生できる不死身の人間であり、また佐藤は隠れていた亜人ではない。更に悪いことに、今の服装はハンチング帽にミリタリーベスト。報道されている通りの服装。

 この声の主は日本語を話す。日本人ならば、テレビもネットも使えないようなとんでもない田舎に住んでいない限り、佐藤が亜人であることは周知の事実であり、佐藤の容姿もこれでもかというほど報道されている。安否を確かめようなどする筈がない。死なないのだから。

 なら、今の状況はなんなのか。一つ確かなのは、永井圭側である政府の人間に捕まっていないことだ。それに加え、服は水でビチャビチャのままのため、自分が意識を失っていた時間はそんなに長くない。

 

「反応が無い……! 救急車を呼ばなきゃ!」

 

 そう言いつつ携帯電話を慌てて取り出した腕を、佐藤は俊敏な動きで掴んだ。何故掴んだか。この助けを呼ぼうとする人間が佐藤を知らないのは確実なのと、救急車で来る人間は佐藤を知ってる可能性があるからだ。救急車を呼ばせないのがこの場合の最善。たとえ意識があることを気付かれたとしても。

 

「え……!?」

「どうやら助けていただいたようで……ありがとうございます」

 

 佐藤は起き上がりながら、掴んだ腕の主を観察する。中肉中背。学生服、おそらく高校生。短い黒髪で人の良さそうな顔。武器らしき物は無く、この場所は公園にある広い芝生。周囲に人無し。なるほど、一瞬でこの相手を無力化もしくは殺せる。

 

「溺れているのが見えて……それはともかく、ご無事なようで本当に良かったです」

「私自身が溺れていたのは覚えてるけど、何故ここにいて君に助けられたのか、分からない。教えてもらってもいいかな?」

「僕の『個性』ですよ!」

 

 目の前の少年の表情は照れくさそうだが、誇らしさも滲ませている。

 一方、頭の上にクエスチョンマークを浮かべたのは佐藤。

 今の少年の佐藤に対する回答は支離滅裂で、全く関係性が無い。だが佐藤は、違和感を自分が今いる日本らしき国に感じていたため、話を合わせることで更に情報を引き出すという冷静な判断ができた。

 

「なるほど、すごい個性だ。具体的にどんな個性で君に助けられたのかな?」

「僕の個性は『異門(ミックスゲート)』で、ここと離れた空間を繋ぐ渦状の門を作ることができるんです。その離れた空間からこちらに物質や生物も持ってこれるし、逆もできます。ただし、両手または片手で掴み、かつ持てる重量または大きさまでですけどね」

「……それを今見せてもらっても?」

「はい、いいですよ!」

 

 少年は得意気に両手を前に突き出す。

 佐藤は少年の両手を突き出した位置の真横に視線を合わせたまま移動。

 最初は黒い小さな点だった。それが回転を始めながら大きくなり、すぐに二人の身長ほどの渦となる。佐藤は横から見て、渦というよりは空間に穴を開けるドリルのようだという感想を持った。

 少年はそのまま前進し、その中に両手を突っ込んだ。佐藤は少年の背後に移動。

 その渦の中心から見えるものは確かに、ここの場所から見える場所じゃない。おそらく砂漠。砂丘と砂の地面が延々と連なる景色。

 少年はしゃがみ、その地面の砂を両手いっぱいに握りしめた。そして、渦から両手を引き抜く。両手が渦から抜けた瞬間、渦は消失した。

 少年は佐藤に振り返り、握りしめた両手を開く。そこには砂があった。少年は笑顔だ。

 

「素晴らしい個性だね!」

 

 佐藤は笑みを浮かべて拍手した。内心でこの能力に困惑しながら。

 だが、この少年は嘘をついていないのは間違いない。永井圭と落ちた川の中を少年はあの渦で見た。おそらく後ろ姿の自分を。そして服を着たままなのと動きが無かったから溺れていると判断し、両手で私の服を掴み、渦の中に引きこんだ。水中にいたため、実際に持てる重量を超えていてもこちらに引き込めたのだろう。

 

「じゃあ、私は行くよ。改めて、助けてくれてありがとね」

「はい! お気をつけて!」

 

 佐藤は少年に背を向け、歩き出す。

 

「あ、そうそう」

 

 佐藤はハンチング帽を被り直しつつ、肩越しに少年を振り返る。

 

「はい?」

「今、『何月』だっけ?」

「え? 八月ですけど……」

「ああ、そうだった。ありがとう」

 

 佐藤は歩みを再開し、今度こそ歩みを止めなかった。

 その後ろ姿を少年──開世遊矢は見送っている。彼はこの時、気付いていなかった。目の前の人の好さそうな人物が、遠くない将来、大波乱を起こす人物だということに。

 

 

 

 佐藤は公園から建物が見えている方に歩き、今は町中を歩いている。

 歩きながらも、佐藤の思考は止まらない。

 

 ──八月、そしてあの子の能力、面白いね。もしかしたら永井君も呼んでくれるかな?

 

 佐藤が知ってる日本の日付は十一月三日。だがあの少年も、気候も、町中にチラチラある電光板も八月と伝えている。

 故に佐藤は、どんなに現実的な判断で無かったとしても、ここの日本は自分の知ってる日本とは別の日本と断ずる。いや、現実的な判断をすればそう断じざるを得ない。

 ならば、まず最初に確かめるのは一つ。

 佐藤はキョロキョロ辺りを見渡し、コンビニを見つけた。

 コンビニに入り、トイレに直行。鍵をかけ、舌を噛み切った。噛み切った舌が喉にいくように上を向き、窒息死するようにする。血の味と激痛が佐藤を襲うが、佐藤は痛みに慣れているため、平然とした表情を崩さない。むしろ笑みさえ浮かべている。

 佐藤の思惑通り、噛み切った舌が喉に詰まり、佐藤は窒息死した。

 瞬間、佐藤の体が黒い粒子に包まれ、喉に詰まっていた舌は元の位置に移動し、佐藤は意識を取り戻す。その時間、おそらく数秒。

 この日本でも、自身が亜人であることに変わりはないようだ。IBMの使用による分身を出せるかも試したいが、それは元いた日本でちょっと前に使用してしまっているため、明日にならないとどちらにせよ出せない。

 佐藤はトイレから出て、しばらくの間コンビニにある雑誌を立ち読みする。

 それらを読み、理解したことは、あの少年の言う『個性』は様々な能力や特徴を言うのであり、『個性』は少数派ではなく雑誌に当たり前のように紹介されるくらいには世間に浸透しているということ。

 そして、この日本には『ヒーロー』という職業があり、老若男女問わず絶大な人気がある。

 

 ──やっぱり、あれだけ暴れた私の情報が出ていないのはあり得ないね。それにしても『ヒーロー』かぁ……そそるねぇ。

 

 佐藤はコンビニを出て、歩く。

 町中を歩いていると、人々が足を止め、少し頭上に設置されているモニターに釘付けになっている。

 佐藤も人々と同じように足を止め、頭上のモニターを見た。

 モニターはニュースを流しているらしく、マイクの前で頭を下げている男を映しながら女アナウンサーが悲壮な声で話している。

 

『不動のナンバーワンがまさかの! 日本のみならずヒーローの本場アメリカも騒然! オールマイト本当の姿! 体力の限界! 事実上のヒーロー活動引退を表明! 神野の悪夢が奪っていったものは私たちにとってとても大きな柱でした! 平和の象徴が今! この日本からいなくなってしまったのです! だからこそ、これからのヒーローの更なる頑張りが期待されます! では次にお天気のニュースを──』

 

 佐藤は歩みを再開し、その場から離れた。

 佐藤は自分が亜人だと知らない頃、自分の技術と頭脳をフルに使ってどれだけ人を殺せるかという犯罪(ゲーム)に没頭していた。結局捕まったが、おそらく世界で一番人を殺してスコアを稼いだと思ったから、殺される直前の言葉は『ハイスコアは出せたかな』にした。人生に満足し、ゲームオーバーを受け入れた。だが『誰か』が、もしくは『神』が、私にコインを入れた。残機が無限に有り、無限にコンティニューができるようになった。

 永井圭との勝負に負けたあの時もそうだ。自分はこれまでの人生に満足しつつもゲームオーバーを受け入れた。だが、今度はあの少年が、私にコインを入れた。

 佐藤の脳内にゲーム画面が浮かび上がる。

 

『新ステージをプレイしますか?』

 

 ──イエスだ!

 

 佐藤は心底楽しそうに、脳内に響く音声に脳内で力強く答えた。




人物詳細。

開世遊矢。

佐藤をヒロアカの世界に連れてくるためだけに生まれたオリキャラ。いわゆる舞台装置。
個性は並行世界の内の一つと自身のいる世界を繋げて両手または片手で持てるものを移動させる『異門(ミックスゲート)』だが、本人は並行世界のどれかに繋いでいるという自覚は無く、ただ単にどこか知らない遠くの場所をランダムに繋げる個性だと思っている。


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第2話 準備運動

 佐藤は考えた。この日本でゲームするのはいいが、ゲームするためには当然クリア条件がなければならない。佐藤はゲームのクリアはどうでもよく、過程さえ楽しめればいいタイプだが、目的の存在がゲームをより真剣にする要因になる。

 しばらくクリア条件を考えていたが、佐藤はまだ自分はゲームをスタートする段階にすら立っていないことに気付いた。永井圭と共に川に落ちた時、武器は全て使いきっていて、この日本に来たときに使える武器といえばベルトくらいだった。

 それに加え、佐藤はまだこの日本のウィークポイントというか、革命を起こすための大義名分を掲げられるほど、この日本をよく知らない。ゲームのクリア条件はやはり崇高な目的の方がやりがいがあるし、障害も多いから、よりゲームを楽しめる。それが分かっているからこそ、クリア条件は雑に決めたくない。

 故に佐藤は今後の行動方針として、まず武器と拠点の確保を第一にし、同時にこの日本についての情報収集をしていくことに決めた。

 大前提として、佐藤はこの日本で住民登録をしていないから、まともな働き口は全滅と言っていいだろう。更に、佐藤は一文無しだ。

 かと言って、このまま何も食べずに餓死したとしても、亜人である佐藤は問題ない。むしろ餓死した方が空腹感が無くなる分お得だ。肉体も本来の状態で復活するから、身体能力の低下を気にする必要もない。

 

 ──さて、拠点探しと行こうか。(ヴィラン)とやらがいてくれる拠点なら、ボーナスチャンスかなぁ……。

 

 佐藤は公園に戻り、他のホームレスと似たような状態で一夜を過ごした。昨日の日中は町中を歩き回りつつ、最低限武器として使えてかつ怪しまれない物を集めた。リサイクルボックスからはみ出していた大きなカバンを取り、スーパーの空き瓶を四本取り、川原に落ちている大きめな石を十個拾った。

 佐藤はカバンに空き瓶と石を入れ、町中にある廃工場へ向かう。目星は昨日の内に付けてある。監視カメラや厳重な封鎖がされてなく、かつ人の出入りの痕跡が微かに残っているところ。こういう物件は表を歩けない人間たちの溜まり場になってることが多い。

 

 ──最初は武器も弱いし、この世界でのIBMがどれくらいの性能か確かめたいから、IBMはガンガン使っちゃおう。

 

 佐藤は人の出入りがある痕跡の場所から入る。

 工場内の通路をちょっと歩いたところで、ゴツい男が横から飛び出してきて、佐藤の体を壁に思いっ切りぶつけた。佐藤は壁に押しつけられる。

 

「てめぇ、何モンだ!?」

「私は会社にリストラされて……」

「はっ、ただの負け犬かよ」

 

 佐藤の身長より頭一つ分抜けているゴツい茶髪の男が、佐藤の体格と怯えている表情を見て、嘲りの表情を浮かべた。佐藤がわざと弱そうな振りをしていることにも気付かずに。

 佐藤はカバンに手を伸ばし、石を掴む。そして押し付けている腕に力強く振り下ろした。

 

「がっ! てめぇ……!」

 

 腕を押さえながらゴツい男が佐藤を睨む。その顔に躊躇無く、佐藤は石を握りしめた拳を叩きつけた。ゴツい男は顔を押さえてよろめく。その間にゴツい男のズボンにあるナイフホルダーからナイフを引き抜き、男の首を切った。

 

「ごぼッ……」

「まず一人……かな!」

 

 佐藤は更に首にナイフを振るい、トドメをさす。その後、男の服でナイフの返り血を拭った。

 絶命した男の体を漁り、ナイフホルダーと財布と携帯電話を奪う。

 佐藤はナイフホルダーをズボンに取り付け、そこにナイフを戻した。

 

「ナイフが手に入ったのは良いね。()りやすくなった」

 

 今倒したのは見張りだろう。

 そして、さっき壁に押し付けられた時の音で、この工場にいる奴らに存在がバレたと考えるのが自然。だが動きが無いということは、おそらく待ち伏せをしている。

 

 ──亜人に待ち伏せはあんま意味ないけどね。まぁ、一面は簡単じゃないと。

 

 佐藤は倉庫へ続く扉を僅かに開けた。佐藤の体から黒い粒子が溢れ、扉の向こうで人型の異形を形作る。

 佐藤は細目を閉じ、異形の視界をジャックした。鉄の廃材に座っているリーダーらしき男、その周辺に立つ四人の男、そこから広がるように左右に二人ずつ、男女。リーダーらしき男以外、息を呑み、いつ来てもいいように構えている。

 佐藤は扉を開け放ち、両手を挙げた。その間にIBMで作った異形は右にゆっくり動き、右の奥に控えている女の背後に回る。誰もその異形の動きを目で追わない。ということは、前の日本にいた通り、IBMは亜人にしか見えない。

 

「通路にいた奴……は、その様子じゃ生きてねぇな」

 

 リーダーの男は、佐藤の上半身に返り血が付いているのを見て、頭を掻いた。

 

「いきなり襲われたんです! 私は争うつもりは──」

 

 両手を挙げながらそう言った佐藤の左から、何かが伸びてきて、佐藤の左腕を切り落とした。左腕が切り落とされた瞬間、右腕を下げたため、右腕は切り落とされずに済んだ。

 

「え?」

 

 佐藤は伸びてきた何かを凝視する。それは左にいる女の手に戻っていった。

 

「あたしの個性『伸縮爪(バンジーエッジ)』の切れ味はどうよ、おっさん」

「ははッ、安心しろよ。すぐ死んじまうんだから、片腕の弊害は少しの間だぜ!」

 

 そう言った男の言葉に、倉庫内が爆笑の渦に包まれた。佐藤は痛そうに左腕を押さえていて、血が溢れていく。その姿に、倉庫内のヴィランたちは勝ちを確信している。俯く佐藤の唇の端が上がっていることに気付いていない。

 佐藤は異形に脳内で指示を出した。異形は佐藤の脳内の指示をテレパシーのごとく受信し、右奥にいる女の首をねじ切った。頭を無くした首から血が噴き出し、そのまま倒れる。

 

「……は?」

 

 突如として起きた惨劇。ヴィランの彼らが驚いているのは、倒れた胴体だけではない。ねじ切られた頭が浮かんでいるという現実の不可解さ。それが一瞬にして彼らに恐怖を植えつけた。

 佐藤はその反応を予想していたため、残っている右手をカバンに突っ込み、石を手にとって左にダッシュ。女の死体に気を取られている左手前の男の顔面に石を掴んだ拳で殴る。その打撃音で佐藤が動いたことに倉庫内のヴィランたちが気付く。

 佐藤は殴った男を左の爪女への盾にしつつ、中央にいるヴィランに向かって石を投げた。石は綺麗に頭に当たる。

 そうして佐藤に意識が向いた時、異形が次の行動を起こした。持っている女の首を中央に投げつつ、右にいた残り一人の胸部を異形の左腕が抉り貫く。貫かれたヴィランは空中に浮かび上がり、血が異形の左腕を伝っていく。佐藤の目にはその光景が見えている。だが、ヴィランたちの目には何故か空中に浮かんでいるヴィランと、何もない筈の空間を規則的に伝っていく血しか見えない。

 

「これ、こいつの個性だぞ!」

「サイコキネシスか、透明になれる味方がいるぞ!」

「早くそいつを殺せ!」

 

 ヴィランたちの叫びが倉庫に響く。

 佐藤は空き瓶を一本取り出し、盾にしている男の脳天に叩きつける。パリンと割れる派手な音で再び注意を引き付けつつ、割れたビンですかさず男の首をどつく。割れて鋭くなったビンは簡単に男の首にめり込み、男の首を穴だらけにした。

 

「死ね!」

 

 男の死を確信した爪女は、佐藤が盾にしている男ごと爪を伸ばして八つ裂きにした。男と共に佐藤の体もぶつ切りにされる。二人の血が倉庫の床にぶち撒けられた。

 生き残ったヴィランたちはホッと息をつく。そして、浮かんでいるヴィランに目を向けた。きっともうすぐ個性が消えて床に落ちる。そう考えながら。

 だが、浮かんでいるヴィランの死体が彼らの方に投げつけられ、血の雨が降り注ぐ。

 

「うわッ!」

「やっぱり仲間がいるのか!?」

「このッ、調子に乗るな!」

 

 リーダー格の男が鉄の廃材を一本足元に転がし、浮かんでいたヴィランがいたところに蹴った。蹴られた鉄材は凄まじい速度で飛んでいき、IBMの異形の腹部を粉々にしつつ後方の壁にめり込んだ。このリーダー格の男の個性は『バネ』であり、今のは蹴る瞬間に蹴り足をバネにして反発力を最大にした。

 相手が透明人間であれば、今の攻撃は効果的な攻撃だったといえよう。鉄材の広範囲高速攻撃は透明程度の個性で避けられるものではない。だが、この場合の相手はIBMという透明な物質の集合体。感覚器官となっている頭部であれば、それでIBMは統制を失い異形の形を保てなくなるが、今破壊されたのは腹部。IBMの維持には何も問題ない。

 腹部を粉々にされた異形だが、すぐに腹部が修復された。そんなことが見えてない残りのヴィラン六人は鉄材がめり込んでいる周辺を凝視している。

 それらのやり取りの最中、佐藤の体が黒い粒子に包まれ、バラバラになった体が集まって再生していく。佐藤の光景に誰も気付かない。

 佐藤が復活し意識を取り戻した瞬間、異形もまた動く。リーダー格の男に一直線に迫り、先程の女と同じように頭をねじ切った。

 

「えっ、死ん、死んだ……?」

「まだ透明人間が生きてたの!?」

「はぁぁぁぁッ!? 死んでなかっ──」

 

 リーダー格の男が血飛沫をあげ倒れたことに驚いたヴィランの面々が狼狽え、そして気付いた。バラバラになった筈の佐藤が傷一つない状態で立っているのを。

 

「やぁ、おはよう」

 

 佐藤は笑みを浮かべ、気軽に右手を挙げる。隠している左手にはナイフを握りしめながら。

 ヴィランたちは目の前の光景が信じられないといった表情で佐藤を見ている。

 

「か、確実に殺した! あたしの爪で!」

「私の個性を教えよう。私の個性は『復活』でね、死んだら全快の状態に肉体が再生される。つまり不死身ってことだよ」

「不死身……だと? そんなのにどうやって勝てば……」

「信じるな! 沙紀(さき)、また殺せ!」

 

 中央にいるヴィランの指示で、沙紀と呼ばれた爪女は爪を高速で伸ばす。その爪の伸ばす速さは個性の鍛錬をしっかりやっている者ならではの速さ。佐藤はハァと小さくため息を吐く。

 佐藤は避けれたが、わざとその爪を受け、上下に真っ二つにされた。臓物をこぼしながら崩れ落ちる佐藤の体。ヴィランたちは真っ二つになった佐藤の体を息を呑んで見つめる。

 変化はすぐに訪れた。ヴィランたちには見えないが、佐藤の体が黒い粒子に包まれ、まず臓物が動いて体に戻り、次に離れた上半身と下半身がくっつく。その間、およそ三秒。

 復活した佐藤は平然と立ち上がった。ヴィランたちは再び目の前の光景が信じられずに絶句している。

 佐藤はにこやかにそんなヴィランたちを見た。

 

「これで分かったかな? それに、私には透明の個性を持つ味方がいる。君たちに勝ちはないよ。私が指示を出せば、また君たちの中の一人を殺す」

 

 佐藤の言葉に、ヴィランたちが周囲を慌てて見渡した。彼らのすぐそばに異形はそっと佇んでいる。当然彼らにその異形は見えない。

 

「……何が目的ですか?」

 

 ボサボサな黒の長髪をしたメガネをかけた痩せこけた男が、佐藤に問いかける。

 佐藤は右手を握手を求めるように彼らに向けて差し出した。お互いに距離はとっているため、握手はできないが。ヴィランたちの中にも佐藤と握手しようと近付いた者は一人もいない。

 

「君たちと手を組みたい。自分で言うのもなんだけど、何かやる時、私は君たちにとって強い味方になるよ」

「僕たちの味方になりたい……と? なるほど、僕たちのメリットは分かりました。ですが、あなたのメリットは?」

「私は孤児でね、幼い頃は孤児院で暮らしていた。そんなある日、遊具から足を滑らせて頭から落ちた。即死だったよ。その時初めて無個性だと思われていた私の個性が分かった。私の個性はすぐさま市役所に伝えられ、その次の日には国のお偉いさんが孤児院にやってきて、私を引き取りたいと言った。もちろん大金を携えてね。貧しかった孤児院の院長はすぐにその話に飛びついたよ。そして私は国のお偉いさんに引き取られた」

「おいおい、なんだよ、自慢か?」

 

 話を聞いていたヴィランたちの一人がうんざりしたように口を挟む。

 

「自慢じゃないよ。むしろトラウマだ。私にとって」

 

 佐藤はここで、涙を流した。佐藤は感情のコントロールに長けているため、いつでも涙を流したい時に流せる。たとえ作り話であっても。

 

「不死身の体を持つ私は、人体実験のモルモットにされた。四十年間、毎日毎日人体実験される日々だ。透明になれる味方が助けてくれなければ、私は今も非道な実験を受けていただろう」

 

 ヴィランたちはばつが悪そうに各々視線を泳がす。彼らは想像したのだ。不死身という個性を持つ人間がモルモットにされた場合、どんな実験になるのかを。

 

「政府から逃げた私だ。戸籍が無い。そのせいで働き口すら得られないからこうして奪うしかないが、そこら中にヒーローがいる。連中に目を付けられるから、あまり盗みや殺しはしたくない。君たちのようなヴィラン社会と繋がっている人間と手を組めば、戸籍が無くても稼げる仕事ができると考えてね」

「……あなたの言い分は分かりました。ただ、もし仮にノーと言ったら、どうします?」

 

 佐藤は笑みを深くした。

 

「その時は残念だが、君たちを皆殺しにして、この廃工場とここにある物資をもらう。私は別にどっちでもいいよ。あまり殺したくないけど、殺し自体はけっこう好きなんだ」

 

 佐藤から凄まじい殺気が放たれる。

 佐藤の言葉に、ヴィランの面々は顔を青ざめた。彼らは理解したのだ。この人物を敵に回したら圧倒的にヤバいと。

 佐藤にしても、ここで彼らを皆殺しにするのは容易いが、皆殺しにするよりはこのヴィランたちの情報網や取引先、ヴィラン社会との繋がりを手に入れた方がもっと面白いゲームを始められる。このヴィランたちはおそらく個性持ちだろうから、彼らの個性を聞き出し、理解を深め、彼らを手駒にすれば、前の世界ではできない作戦ができるかもしれない。それを考えると、佐藤の心は躍った。

 メガネの痩せ男は気圧されながらも、佐藤に及び腰で歩み寄る。そして、佐藤の差し出していた右手と握手した。

 

「これからよろしくね」

「はい……よろしくおねがいします……」

 

 佐藤は拠点と味方を手に入れた。ゲームを始めるための準備は着実とできつつある。



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第3話 リベンジエッジ

 

「本当にこれだけのモンをまた集めたのですか?」

 

 明らかにカタギではない、黒服を着た男がソファに座り、紙製のリストと目の前のアイスボックスを交互に見ている。アイスボックスは全部で三箱置いてあった。

 

「中を確認してもいいですよ」

 

 対面の椅子に佐藤が座っている。当然武装しているが、銃器はまだ手に入れていない。サバイバルナイフや包丁、飛び道具として投げる用のナイフが十本、体中にくくりつけてあるホルダーに収まっている。

 ここは湾岸にある使われていない倉庫で、ヴィラン間の取引でよく使用される場所の一つだ。当然のごとく、そこの取引場所を仕切っているヴィランのチームが見張りと警護を担当し、取引が警察やヒーローにバレた場合に備えての逃亡手段用のボートと車も用意されている。

 だが、自分の身を自分で守るために自前の護衛を取引場所に連れて来ることが普通で、佐藤は三人護衛を連れてきている。

 一人目は個性『伸縮爪(バンジーエッジ)』の二十前半の女、鎌井沙紀(かまいさき)。沙紀は派手な赤色のショートヘアに白のメッシュが入っていて、服装は露出度の高いクロップド丈のコンパクトな黒のカーディガンにハイウエストの青色デニムショーツ。両耳とヘソにピアスを付けている。

 二人目は個性『硬毛(スパイクヘア)』の三十後半の男、針間剛(はりまたけし)。短髪黒髪の強面の男で、黒のタンクトップに半ズボン。個性を活かすため、生まれてから一度も体毛を剃っておらず、腕と足と胸は毛に覆われている。

 三人目は個性『雷刃(サンダーブレイド)』の十代後半の男、稲穂怜(いなほさとし)。肩でザンバラに切られた金髪に整った顔立ちだが、その目はどこまでも冷めきっている。服装は黒のジーパンに白Tシャツ。

 対して、相手の黒服の護衛は十人。それもそれぞれヒーローが使うようなスーツやアイテムを身に付けているため、個性持ちであることは確実。

 黒服の男は手に持つリストを横にいる護衛に預け、目の前のアイスボックスの内の一つを開ける。その中には保存液に浸された心臓や肝臓、肺といった臓器の数々がびっしりと入っていた。

 

「うわッ……」

 

 黒服の男の横でその光景を見た護衛が声をあげ、吐き気を堪える。黒服の男も顔をしかめつつ、顔をアイスボックスに近付け、上下左右に動かして本物であることを確かめる。そして、アイスボックスを閉じた。

 

「なるほど、確かに揃っているようですな」

「騙すような愚かなマネはしませんよ。で、そちらの品は?」

 

 黒服の男が後ろの護衛に指示を出し、アタッシュケースと大きなバッグを二つずつ持ってこさせた。

 佐藤はまずアタッシュケースを開ける。そこには札束が所狭しと入っていた。ダミーが入っていないか札束の中を確認し、もう一方のアタッシュケースも同様に札束のダミーが入ってないか確認する。

 次に大きなバッグを開けると、そこにはヒーローに使われている補助スーツや補助パーツ、補助アイテムがたんまりと入っていて、もう一つのバッグの中はバラされた様々な銃と弾薬が入っている。手榴弾といった投げ物や爆発物は今回は手に入れられなかった。

 この取引相手はこれで三度目の取引で、ようやくこうした武器を回してくれることを承諾してくれた。

 

「さ、帰ろうか」

「おう」

 

 佐藤は銃器が入っているバッグを担ぎながら立ち上がり、体格の良い針間がもう一つのバッグを担ぐ。

 

「おっ金だ、おっ金だ、嬉しいな〜っと!」

 

 沙紀がアタッシュケースを両手で持ち、スキップしながら即興の歌を口ずさんだ。

 

「ほら、(さとし)も持つ!」

「わぁったよ」

 

 (さとし)はダルそうにもう一つのアタッシュケースを持つ。

 

「またよろしくお願いします」

 

 佐藤は黒服の男に向かって頭を下げる。

 

「いえいえ、あなた方との取引はとても貴重で有意義なものです。こちらこそまたよろしくお願いしますよ、佐藤さん。いや、確かチーム名がおありでしたよね?」

「リベンジエッジ!!」

 

 その言葉を待ってましたと言わんばかりに沙紀が勢いよく振り返り、得意気に叫んだ。

 佐藤は苦笑するが、(さとし)は小さくため息をつく。

 

「……絶妙にダッセんだよなぁ」

「はあ!? カッコいいチーム名じゃん! ね、佐藤さん! カッコいいよね!?」

「私は良いと思うよ」

 

 どうでも、と佐藤は心の内で付け加える。佐藤にとってチーム名はただの記号に過ぎないため、別にどんなチーム名でも気にしない。

 遠ざかっていく佐藤ら四人の後ろ姿を見送りながら、黒服の男はタバコを口にくわえる。傍にいた護衛がすかさずライターを近付け、タバコに火をつけた。

 

「新入り」

「はい」

「臓器売買のメリットは?」

「儲けがでかい……ですかね」

 

 若い男が自信無さげに答えた。

 黒服の男はタバコの煙をゆっくり吐き出す。

 

「確かに間違っちゃねえが、そこは別に臓器である必然性はねえ。臓器売買のメリットってのはな、売れ残りが存在しねえことだ。移植待ちの顧客は腐るほどいて、顧客の欲しい部位だけ用意してくるんだからよ。実物が用意できりゃ売買契約は成立したも同然。今回の取引じゃ俺らの売り上げは十億、その内リベンジエッジとの取引額が四億。内二億分はヒーローアイテムと銃器。それらの用意に使用したのが一億。そこから足がつかねえよう根回しする費用が一億五千万。しめて俺らの手元に残る予定の儲けは三億五千万。ボロい商売だろ?」

「はぁ」

「何より連中との臓器売買のメリットは、サンプルが一つで事足りることだ。全ての臓器が同じDNA。顧客との相性確認の費用が毎回最小限で済む」

「どういうことでしょう?」

「連中の仲間におそらく『複製(コピー)』の個性を持ってるヤツがいる。それもコピーしたモンが半永久的に残るような、強力な個性をな。今回の取引で確信した」

「じゃあ、そいつを生け捕りにすれば……」

 

 黒服の男はニヤリと笑う。

 

「まさに金のなる木、ってな。ただ、踏んじゃいけねえ尻尾もある。佐藤がそうだ」

「どういうことです?」

「金よりとにかく武器を要求してきやがる。あれだけの武器で何するか、考えただけで恐ろしいぜ。佐藤とはこのままお得意さんとして取引しておけばいい。敵に回すな。尾行もつけるなよ」

「は、はい」

 

 黒服の男の有無を言わさぬ威圧感に、新入りは萎縮し力のない返事をした。そこから数秒の沈黙の後、新入りは何かに気付いたようにあっと声を出す。

 

「そこまでヤバいと思ってるなら、何故リベンジエッジに武器を?」

「……はぁ」

 

 黒服の男は深くため息を吐く。

 

「武器を調達できる能力がねえって判断されて、他のヴィランと取引するようになったら大損だろうが。それに、敵に回すとヤバいは味方なら文句無しって言葉と同義なんだよ。よく覚えとけ、バカヤロー」

 

 黒服の男は顔を上げ、タバコの煙を吐き出した。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 金髪の痩せ男と黒髪短髪の男が車を運転している。

 

「で、どうだった? オール・フォー・ワンとのやり取りは?」

「情報は得られたのかという意味なら、すまない。何も得られなかった。ただ(ヴィラン)連合は潜伏しつつ勢力拡大をしていくだろうと、奴は言っていた」

 

 この金髪の男はオールマイトというヒーロー名で活動していた男であり、不動のナンバーワンヒーローだった。しかしつい二週間ほど前の『神野の悪夢』でオール・フォー・ワンと死闘を繰り広げた後、辛くも勝利したが、ヒーロー生命を断たれてしまう。何故ヒーロー生命が断たれてしまったかについては複雑な事情が絡んで長くなってしまうため、ここでは割愛する。

 車を運転する黒髪の男は塚内警部といい、オールマイトとは旧知の仲であり、オールマイトの秘密を知る数少ない一人でもある。

 話題になったオール・フォー・ワンはヴィラン連合の師のような存在であり、個性を奪って自分の個性とし、また奪った個性を与えることができる個性──通称オール・フォー・ワンと呼ばれる個性の持ち主。個性名がそのまま名前となっている。オールマイトに負けた後は『タルタロス』と呼ばれる最も警備が厳重な刑事施設に収監。牢獄内ですら椅子に固定され、更に個性を使用しようとする脳波を感知するとすぐさま発砲段階へ移行する銃器の設置と、これでもかというほどの念の入れようとなっている。

 

「君という平和の象徴が無くなり、ヴィラン全体の動きが活発化している」

「……すまない」

「別に責めているわけじゃない。押さえつける力が強ければ強いほど、それが無くなった時の反動はデカい。仕方がないことさ。かと言って、ヴィランに好き勝手やらせるつもりもないけど」

「ヴィラン連合だけに気を取られてちゃ駄目ってことだね」

「……少し気になってるヤマがある。神奈川、東京の病院が同日に襲撃され、大量の医薬品と医療機器が奪われた。神奈川は早朝、東京は深夜。目撃者はゼロ」

「ゼロ?」

「一人残らず殺されたよ、目撃したと思われる人物は。ただ、どちらの病院でも壁に血で『リベンジエッジ』と書かれていた」

「リベンジエッジ……和訳すると復讐の刃かな。物騒なヴィラン名、あるいはチーム名だ」

「奪われた医薬品と医療機器はとても一人じゃ持っていけない量だった。間違いなくチームさ」

「しかし、それほどの事件なのに、ニュースでは取り上げてなかった気がする」

「あまり大事にしてほしくなかった。『神野の悪夢』直後の事件だったから、こういうショッキングな事件は国民の不安をより煽ってヒーロー批判に繋がりかねない。今の世情ではヴィラン連合に匹敵する劇薬だよ。だから新聞の隅とか、大衆の目に入りにくいところに情報を出してもらうようマスコミに頼んだ」

「……ヒーローにとって踏ん張りどころだね」

 

 そこでオールマイトの携帯の通知音が鳴った。

 オールマイトが携帯を見ると、画像が添付されたメールだった。その画像はそばかすのある緑髪の少年の顔写真と、緑谷出久という名前が入った『ヒーロー活動許可仮免許証』の画像。これが無いと個性の使用が認められないため、ヒーローを志す者には必須の免許証なのだ。

 

「今の事件は一例だ。ヴィランの動きが活発化しているかつチームを組んで組織だった動きをするようになってきたっていう現状の。こういう厄介なヴィランのチームがこれからどんどん増え、それらのチームがヴィラン連合に加わるようになっていくだろうというのが警察の見解だ」

 

 車内に重苦しい空気が流れる。

 ヴィランが優勢になりつつあるのが痛いほど理解でき、そのきっかけが自分の引退に起因していると考えると、オールマイトの気は沈んだ。だが、できる限りヒーローとヒーローの卵たちをサポートしようと改めて決意した。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 茶髪の男がタバコを吹かしながら窓から外を眺めている。

 

 ──ただ悪さする。そんなヴィランは求めちゃいねえ。

 

 コンビニ強盗をして逃げていくヴィランを視界に捉えながら、茶髪の男は紫煙を吐き出す。

 この男はヴィラン連合のトゥワイス。個性は二倍であり、個性の使用には正確なイメージが必要で、人間を倍にする場合は身長体重胸囲胴囲といった正確なデータが必要になる。

 

 ──ヴィラン連合(俺ら)が求めてんのは、俺らと同じ、イカれ野郎だ。世界に居場所を無くし、それでも居場所を追い求めるイカれ野郎。

 

 トゥワイスの携帯が鳴る。トゥワイスは携帯を手に取り、電話に出た。

 

義爛(ギラン)、どうした? さっき電話したばっかだろ」

 

 義爛は裏社会では大物ブローカーと呼ばれており、ヴィラン連合への人材斡旋やサポートアイテムの提供をしている。ついさっき、義爛はここ一、二週間の間にヴィラン社会の市場が活性化していて売り上げが倍増しているというのと、ヴィラン連合の頭である死柄木が一度集まりたがっているということと、同じくヴィラン連合の一人である茶毘(だび)と連絡がとれるかどうかということを伝えてきた。

 

『さっき伝え忘れたことがあってな、もしかしたらヴィラン連合にとって良い人材かもしれねえヤツの情報だ』

「……へぇ、まぁ期待しねえけど。期待大だな、うるせえ!」

 

 トゥワイスは頭を片手で押さえた。

 トゥワイスは自身を増やしすぎたせいで自分が本物かどうか確信が持てず、精神が不安定になっている。

 

『ほんの二週間前まではヴィラン社会の塵みたいなチームとも呼べない集まりが、今は四億の商売をする臓器ブローカーになりやがった。たった一人の加入でだ』

「四億売るだけの臓器だと……確かにイカれてやがる。イカれてねえよ、勝手に喋んな!」

『いや、それだけの人を殺したんじゃねえ。DNA、大きさは全て同じ……つまりコピー持ちの個性である可能性が高え』

「コピー……だァ?」

 

 ──俺と似た個性持ち……。

 

『こっちの調べじゃ、そいつは加入時、そこの集まりの五人を殺した。そして、ヒーローのパトロールスケジュール、パトロール範囲を調べ上げ、病院を二件選択。それも県を跨いで目撃者の少ない時間帯に襲撃。少ない目撃者は皆殺し。臓器売買するための器具や保存液だけでなく、貴重な医薬品と医療機器を大量に強奪。壁には殺したヤツの血で《リベンジエッジ》と書かれていた。字体から判断するに女が書いたモンだ。分かるか? たった一人の加入で、ヴィラン社会の塵に過ぎなかった連中がヴィランの大物チームに成長しつつあるんだぞ。伝えたかったのはそのことだけだ』

「……加入したヤツの名と場所は? 名前と場所なんざどうでもいいぜ、喋んなっつってんだろ!」

『名前は分からんが名字は佐藤で、場所は東京都にある廃工場。ちなみにそいつは四億の売り上げの内の二億を銃器やサポートスーツ、サポートアイテムに変更した。元々は三億変更したかったらしいが、相手の都合で二億になったようだ。金より殺し、そういうタイプだっての忘れんなよ』

 

 電話が切れた。

 トゥワイスは新しいタバコを口にくわえ、火をつける。

 

 ──俺と同じ増やす個性……訊いてみてえ。臓器にしろ何にしろ、自分をコピーするヤツの気持ちってのを。

 

 トゥワイスはタバコを吸い終わると、ヴィランチームのリベンジエッジに会いに行く準備を始めた。



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第4話 クリア条件

 佐藤はジェットパックを背負い、倉庫を飛び回っていた。五分ほど飛んでいると警告音が鳴り始め、『あと一分で飛べなくなります。着地してください』と抑揚の無い女の大声がスピーカーで流れ出す。はっきり言ってめちゃくちゃうるさい。だが、安全性を考えればこういう機能を付けるのは合理的だ。

 佐藤は噴射の方向を制御するハンドルを制御し、倉庫の床に着地。

 

「こんな小型のジェットパックがあるなんて、凄い技術力だなぁ。ただ、飛行時間は短いけど」

 

 ジェットパックを外し、次に胴体を覆うアーマーを装着。

 

「針間君、思いっきりやっちゃって」

「いいのかよ」 

「うん」

 

 針間は右腕の毛を『個性』で硬化させる。ハリネズミのような、無数の硬いトゲに覆われた右腕になり、そのまま佐藤の胴体にラリアット。佐藤は吹っ飛び、壁に叩きつけられる。

 佐藤は起き上がろうとしたが、衝撃で肋骨を骨折し、上手く起き上がれない。アーマーを見ると、傷一つ付いていなかった。どうやら防御力は最高級だが、衝撃の吸収力は全く考慮されていない。

 佐藤は腰から拳銃を抜き、こめかみに発砲。黒い粒子に包まれながら復活。平然と起き上がり、アーマーを外した。

 

「これは私には合わないな」

 

 佐藤はこのように、片っ端からヒーロースーツに使用されているアーマーやアイテムを試し、役に立ちそうかどうか熟考していた。それをする佐藤の表情は愉しげで、まるでおもちゃを与えられた子どものように上機嫌。

 

「佐藤さんさぁ、そろそろ紹介してくれてもいいんじゃない? 佐藤さんを助けた透明になれる味方」

 

 近くでそんな佐藤の様子を見ていた沙紀が言った。

 

「彼はシャイでね、無口なんだ。筆談しかできない」

 

 佐藤はIBMを使用して異形を傍に作りつつ、メモ用紙とペンをその異形に渡した。異形はメモ用紙とペンを受け取り、『よろしくおねがいします』と少し汚い字で書いた後、ペンを佐藤に投げ、メモ用紙を真っ二つに破った。異形が見えない彼女らの目には、浮いているペンがメモ用紙に文字を書いた後、いきなり佐藤にペンを投げたうえに、書いたメモ用紙を破るという攻撃的な態度に映り、困惑した。友好的なのか、反抗的なのか、判断がつかない。とりあえず傍にはいるようだという認識だけが確たる事実として彼女らの中に残った。佐藤はペンをキャッチし、やれやれという風に首を横に振った。これは佐藤の一人劇場であるが、透明の味方が扱いの難しい人物だと思わせておけば、藪蛇をつつこうとする人間はいなくなる。

 佐藤の狙い通り、沙紀とその周囲の者たちは透明の味方について、それ以上触れようとはしなかった。

 

「佐藤さんって銃を使うけど、珍しいね」

「ん?」

「ヴィランは基本的に自分の『個性』を活かす形で戦うから、そんな『個性』の介入しようもない銃を使うのは恥なんだよ。それに佐藤さんの『個性』、めっちゃ強い『個性』じゃん。銃なんか要らないって」

「いや、使うけど」

「なんで銃にこだわるの?」

「別にこだわってないよ。殺しやすいから使う。もっと殺しやすい武器や道具があったら、そっちを使う。状況、目的に応じてね、使う武器と道具を選ぶんだよ。普通でしょ」

「いやいやいや、ヤバいってぇ……それはヴィランの枠飛び出ちゃってるよぉ……」

 

 沙紀は顔を引きつらせている。他の者たちも同様の表情。

 佐藤は首を傾げた。彼らが何故こんな当たり前の話にショックを受けているのか、理解できない。

 

「そういえば、君たちはどうしてヴィランに?」

「この『個性』がヒーロー向きだと思うわけ?」

 

 沙紀が佐藤の目の前で爪を伸ばしてみせる。

 

「ヴィランを殺せる良い個性だよ」

「佐藤さんはずっと捕まってたから知らないだろうけど、ヒーローはヴィランを殺しちゃダメなんだよ。基本的には無力化。どうしても殺すしかない、または人の命を救うためやむを得なく……とか、必ず理由が必要になる」

「つまり……ヒーローになれなかったからヴィランになったの?」

「……そうよ。てか、ヴィランになるヤツは大抵そうだし」

「ヒーローだけが『個性』を心置きなく使えんだよ。不公平だよなァ」

 

 金髪の少年(さとし)が不機嫌そうに口を挟んだ。

 

「君はまだまだこれからだろう。ヒーローになれるチャンスはまだまだあるよ」

「……アンタからそんなこと言われるなんざ考えなかったぜ。あんなこと平然とするアンタから」

「一体どれのことかな」

「自分を解体して臓器売ってることだよ。あんなモン、『個性』を研究し、突き詰めていかねェと思いつかねェよ」

「まぁ、私は政府に実際に研究されてたし、研究成果も見せられたからね」

「それと自由になった後で同じことをするのは別の話さ。強制的にやられたんじゃなく、自分の意思で『個性』を私的な理由で使った。俺も同じさ。『個性』を制限せず、『個性』を誰よりも磨きたい。そのためなら、人死になんざ気にしてられるか」

「なるほど。じゃあ、これからも『個性』のためにガンガン()ろうね!」

「お、おう……」

 

 (さとし)は困惑した。(さとし)はこの話を初めてしたわけではなく、むしろ自分にヒーローにならない理由を尋ねる人間に得意気に話していたが、いつも否定的な反応をするか、曖昧な反応をするかで、佐藤のような肯定的かつ積極的な反応をする相手は初めてだったからだ。

 

 ──実に面白い。

 

 その一方で、佐藤は彼らの思考を興味深く考えていた。彼らがヴィランになった理由はヒーローになれなかったから。彼らがヒーローになりたかった理由は『個性』を心置きなく使うため。これらから推理するに、ヒーロー以外で『個性』を私的使用するためには複雑な手続きが必要か、最低限の『個性』使用は違法だけど黙認されているというかなりグレーな状況にあるか、あるいはそのどちらもか。

 

 ──私をここに連れてきた少年も、人気(ひとけ)が全くないところで『個性』を使ってたなぁ。

 

 つまり、答えは明らかだ。『個性』は政府によって厳しくルール化され、抑圧されている。だからこそ、『個性』を好きに使えるヒーローが人気なのであり、ヒーローになりそこねた者はヴィランに堕ちやすくなる。

 佐藤は笑みを浮かべた。この日本を理解したからだ。そしてその弱点(ウィークポイント)も。

 

 

 

 佐藤は倉庫から事務室へと移動した。元は工場のため、事務室も設置されている。

 事務室では、佐藤と組むことを決めた痩せた長髪の男がパソコンで動画を観ていた。ヒーローが人命救助している動画。佐藤が来たことに気付くと慌てて動画を閉じ、前に開いていたヴィランのニュースサイトが出てきた。

 彼は猿石誠といい、この廃工場は彼の叔父から売り手が見つかるまで貸されている、つまりは管理人としてこの廃工場を使用することを許されている立場だ。だからこそ廃工場であっても電気、水道、ガスが使用できる。そして、彼は『無個性』だ。そこは正直期待外れだった。

 

「あ、佐藤さん、あの、どうしたんですか?」

 

 彼は目を見て話さない。そして、私を恐れている。

 

「いや、用ってほどでもないけど、お礼が言いたくてね」

「いえいえいえ! とんでもありません! むしろ佐藤さんのおかげでお金がどんどん増えて……。前の二億も僕たち五人で分けていいって言ってくれて、みんなとても喜んでましたよ! でも、ホントに佐藤さんは報酬無しで良かったんですか? あんなに何度も痛い思いをしたのに」

「気にしなくていいよ。むしろ銃器全部とヒーローアイテムの優先的選択権利を貰ったから、私の方が得してる」

「そんなことありません! でも、そう言っていただけると気が楽になります。佐藤さんはすごいです。あんなスゴい『個性』をあんな風に使える覚悟と勇気。僕には『個性』が無いし、『個性』があっても佐藤さんみたいな使い方はできません」

 

 ちなみに佐藤がどうやって『臓器』のコピーをやっていたかといえば、『亜人』の特性である『復活時回収範囲外にある部分は新しく作られる』というものを利用したためだ。つまり死ぬ直前に取り出した臓器を回収範囲外まで移動させることで、臓器のコピーを作っていた。

 

「そんなことないよ。猿石君だってパソコンにすごく詳しいし、ハッキングやプログラミングの腕もすごいじゃないか。君がいたから短時間でヒーローのスケジュールやパトロール範囲が分かった」

「僕は『無個性』だから、こんなことしかできないんですよ」

「…………」

「『個性』持ちの人だって、勉強すれば僕と同じことができます。でも僕は、誰もができることしかできないんです」

「……それは違うんじゃないかな」

「……え?」

「確かに私は『個性』持ちだよ。でもただの死なない能力だ。もっと言えば、幼い頃に死ななければ私はずっと『無個性』だ。私が思うに、『個性』には二タイプあると思う」

「二タイプ?」

 

 猿石は首を傾げた。

 佐藤は頷く。

 

「そう、先天タイプと後天タイプの二タイプだ。これで分類するなら、私は死んで『個性』が発現したんだから、後天タイプ。逆に鎌井君や針間君は先天タイプ。何が言いたいかといえば、生まれた時に『個性』を持っていなくても、生きていく間に『個性』を手に入れることができる。君は確かに生まれた時は『無個性』だった。でもそれに腐らず努力して、高いプログラミング能力を身に付けた。このプログラミング能力はもう『個性』と言っても遜色ないと私は思うな」

「佐藤さん……」

 

 佐藤は猿石の顔を見ると、猿石の頰に涙が伝っていた。

 

「僕、僕、今までそんな風に言ってもらえたこと無くて……。ずっと『無個性』の悪あがきだって言われてたから」

「上辺しか見ない人たちの言葉なんて気にしなくていいよ。これから一緒に見返そう!」

「はい!」

 

 猿石は初めて佐藤と視線を合わせ、笑みを浮かべた。

 佐藤は猿石の肩を軽く叩く。これで彼は私を信用した。駒として使いやすくなる。

 佐藤は典型的なサイコパスだ。佐藤にとって会話は他人をコントロールし自分の支配下に置く手段の一つのため、相手が気に入る言葉を平然と、時には感情を込めて言う。これも彼のゲームだ。

 

「さ、佐藤さーん!」

 

 そこで沙紀が慌てた様子で佐藤に駆け寄ってきた。

 

「何?」

「あ、あの、あのあの、ヴィ! ヴィラン! ヴィラン連合の人が! さ、さささ、佐藤さんに会いたいって、こ、ここここここに!」

「……私に会いたいって?」

 

 コクコクコクと壊れたおもちゃのように頷き続ける沙紀。

 佐藤は猿石に手を振って別れを告げた後、ヴィラン連合の人間が待っている場所に向かった。

 ヴィラン連合の訪問者はマスク男だった。誇張ではない。顔の上半分がグレー、下半分が黒のマスク。ちなみに着ている服はタイツのようなピッチリとした黒のラバースーツ。両腕に腕輪のようなものを付けている。

 そんな男が倉庫に急遽持ってきた椅子に座りつつ、倉庫内をキョロキョロ見渡していた。

 佐藤は倉庫への扉を開け、マスク男に軽く頭を下げる。

 

「どうも、私が佐藤です」

「めっちゃ普通! 全然イメージとちげえ!」

 

 腹を抱えて笑うマスク男。それを周りにいるリベンジエッジの面々が緊張した様子で見ている。それは当然で、このマスク男は一人でここに来た。護衛を連れずに。それは襲われても一人でなんとかできる自信の現れか、ただの能天気か、そのどちらかしかない。もちろんリベンジエッジの面々は前者だと考えている。

 

「俺はトゥワイスってんだ! 早速訊きたいんだが、自分をコピーするのってどんな気分だ?」

 

 ──コピー? なるほど、やはり臓器売買のカラクリをそう考えたか。計算通りだね。

 

 佐藤はトゥワイスの向かいに置いてある椅子に座った。そして、リベンジエッジの面々に向かってハンチング帽のツバを軽く右手で触る。これは佐藤の『個性』を不死身だと言わないようにという指示だ。リベンジエッジの面々は微かに頷いた。

 

「別に何も思わないよ」

「そんなわけねぇだろ! だって自分だぜ! 自分が目の前に出てきて、何とも思わねえのか!?」

「思わない」

「だから、なんで!?」

「それは自分じゃないからね」

「いやいや、そんな話してんじゃねえよ。その自分だって実は自分が生み出したコピーの一人かもしんねえっていう話をしてんだよ!」

「それも含めて、だよ。自分がコピーだったとしても、自分は自分。自分の意思で動ける。それだけで自分以外は他人である根拠になる」

「オリジナルは興味無いと?」

「コピーした一人一人がオリジナルだよ。だから、コピーする場合は責任を持たないとね。新たな命を生み出した責任を」

「責任……」

 

 トゥワイスが呼吸を整え、顎に手を当てる。トゥワイスは倍にする責任など考えたこともない。何故なら、自分が創造主だからだ。倍にしたモノは『個性』の力によるものだから、自分と同等はあり得ない。だからこそ、自分と同等になろうとするコピーが許せず、自分がオリジナルだと思う自分も実はコピーなのではないかと不安になっている。

 その点、佐藤は明確な意見を持っている。すなわち、自分は自分。それ以外はコピーであろうと他人。だからこそ、迷わない。

 トゥワイスは個人的に訊きたかったことが訊けたため、訪ねた目的の半分は果たした。後は残りの半分の目的である、ヴィラン連合の味方にするメリットがあるかどうか判断し、メリットがあるならヴィラン連合への引き込みをすること。

 

「なぁ、佐藤。何が目的でヴィランになった? こんなに武器や金を集めて、何がしてえ?」

 

 トゥワイスの言葉に、リベンジエッジの面々も息を呑む。彼らは信じている。佐藤は四十年間政府に人体実験されてきたと。そんな佐藤の目的が気にならないわけがないし、実際にこれだけの武器と金を文字通り自分を削って手に入れている。ささやかな目的なわけがない。

 佐藤は微笑を浮かべる。

 

「ついさっき決めたよ。この国からヒーローを一人残らず消す」

「「「「「「……え?」」」」」」

 

 奇しくも、六人分の困惑した声がハモった。

 

「今、なんて言いやがった?」

 

 トゥワイスが驚愕の目で佐藤を見ている。

 

「トゥワイス君、この国の現状を見よう。『個性』の恩恵をヒーローが独占している現状を。今や総人口の八割はなにかしらの『個性』を持っている。そして、この割合は時が経つごとにどんどん増えていくだろう。もはやヒーローの受け皿だけでは保たなくなってきている。私はヒーローに縛られたこの国を開放したい」

 

 拳を握りしめ、力説する佐藤。

 

「……ヒーローを消したら、どうする?」

「その時は……アメリカにでも行こうかな」

「はぁ!?」

 

 理解できないという目を向けてくるトゥワイス。だが、理解できなくて当然だ。

 だから、佐藤は理解できるように教えてやろうと思った。

 

「トゥワイス君はゲームをプレイしたことはあるかな?」

「は? なんだよいきなり。ねえけど、知ってはいる」

「私はね、クリアしたステージは基本的に遊ばないんだ。最近はボスを倒したら裏ボスがいるみたいな構成があるみたいだけど、大体クリア済みのステージって簡単になってるからさ」

「……ゲームだって言いてえのか? この国からヒーローを一人残らず消すのが、ゲームだと」

「それがこの(ステージ)のクリア条件だよ」

 

 佐藤がそこで愉しげな笑みをする。

 トゥワイスは耐え切れず、椅子を立った。

 

「俺らはな! 遊びでやってんじゃねえんだよ! 本気で俺らの居場所を作ろうとしてんだ!」

「そう。まぁ、考えといてよ」

「……何をだ?」

「私のゲームをプレイするかどうか。ただし、プレイする場合でもコントローラーは私が持つ。これが条件。ゲーム名は、そうだな……『ヒーロースレイヤー』だ」

 

 トゥワイスは舌打ちし、倉庫から出ていく。

 

「また会おう、トゥワイス君。今度はゲームで」

 

 トゥワイスの背後に佐藤がそんな言葉を投げかけたが、トゥワイスは無視した。

 佐藤がこの国でするゲームは決まった。明確な目的ができた佐藤は、これからこのゲームのクリア条件を満たすため、より一層奔走することになる。




読者さまにお知らせ。

『原作キャラ死亡するかも』という曖昧なタグを今まで使用してきましたが、この先の構想を考えると死亡が確定しているキャラがいることに気付いたので、タグを『原作キャラ死亡』に変更します。
佐藤相手なら仕方ないと思ってくださる方は、引き続き読んでもらえると嬉しいです。


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第5話 テスト

 トゥワイスは不機嫌そうに通りを歩く。携帯電話を取り出し、義爛(ギラン)に電話。数コール後、相手が出た。

 

『ああ、どうだった? 佐藤は』

「どうもこうもねぇ! ヤツは不合格だ!」

『おやおや、随分荒れてんな。何があった?』

「話してて分かった。ヤツは居場所なんざどうでもいい。遊び場さえありゃいいんだ。ヤツがヴィラン連合に入ったらメリットどころか死柄木に悪影響を与える可能性がある」

『なるほど。嫌悪しつつも惹かれちまったか、佐藤の人間性に』

「はぁ!? んなわけねえだろ! ただただムカつくヤツだったぜ!」

『けど、自分じゃ考えられねえ思考をしてたんだろ? そういう自分にねえモンは嫌ってても惹かれちまうことがある。死柄木に会わせるのが危険だと判断したのがその証拠だ。死柄木が佐藤の思考に染まるかもしれねえと考えたんだろ? 居場所なんざどうでもよく、遊び場さえありゃいいってなったら困るもんな、お前は。で、その生粋の遊び人の佐藤は何で遊ぶって言ってたんだ?』

「……この国からヒーローを一人残らず消すってよ」

『……は?』

 

 あの義爛が絶句し、二の句が継げなくなっている。それだけでトゥワイスはスカッとした気分になり、多少機嫌が良くなった。

 

『で、佐藤はどういう表情でその言葉を言った?』

「笑ってたよ、ずっと。へらへら笑いながら言いやがったんだ、その言葉を」

『笑顔……ね。トゥワイス、よく覚えときな。笑顔ってのは本来攻撃的な表情なんだぜ。獣が牙を剥く表情と似てるだろ?』

「佐藤は獣か。ちげえねえや」

『ヤベえことを笑顔で言うヤツにマトモなヤツはいねえ。ヴィラン連合に引き入れないまでも、友好関係は保っておくべきだと俺は思うね』

「……肝に銘じとくぜ」

 

 トゥワイスは電話を切る。

 確かに義爛の言うことも一理あると思った。佐藤が怖いとか、そんな理由ではない。佐藤のヒーローを全て消すという目的は、ヒーロー中心の社会を破壊し自分たちにとって都合の良い社会にするというヴィラン連合の目的と重なる。佐藤を利用するだけ利用すればいいじゃないか。トゥワイスはそう考えられるくらいには冷静になっていた。

 トゥワイスはヴィラン連合の拠点に戻るため、歩き続ける。すでに陽は傾き、夕方に近付いていた。そんな時、トゥワイスはヴィランたちを襲うヴィラン集団を目撃したのだ。

 燃える車の前に立つのは、クチバシを模したマスクを付けている黒髪の男。彼は死穢八斎會(しえはっさいかい)というグループの実質の頭領である。死穢八斎會は(ヴィラン)予備軍と呼ばれている、佐藤のいた日本でいうところのヤクザみたいなものだ。

 

「それだけのヴィランが集まって小さいコンビニのレジを盗むだけ……? 病気だよお前ら。病気は治さなきゃあ」

「金は頂いたんで、ヒーロー来る前にずらかりやしょーや、『オーバーホール』」

「病人ばっっかりだ……どいつもこいつも」

 

 トゥワイスは直感で、こいつらは良い具合にイカれてると考えた。故に、トゥワイスは彼らの後を尾行し、目立たない場所に行ったら話をしてみて、手応えがあれば交渉することにした。

 ちなみに『オーバーホール』は今、あるヒーロー事務所の監視対象であり、警戒されている。理由は不穏な動きをしているから。ヒーローたちはまだ『オーバーホール』の尻尾を掴めてないが、『オーバーホール』の野望はある少女の個性を利用して開発している『個性を消す弾』とそれを治す『血清』で裏社会を牛耳ることである。

 この『オーバーホール』の騒動は後にヴィラン連合も巻き込んだ大事件となるが、佐藤はこの間完全に準備期間で裏方に徹していたため、割愛する。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 トゥワイスが来た日の翌日、佐藤は携帯で動画を流しながら『ヒーロー大集合 最新版』を倉庫で読んでいる。ヒーローの容姿、身長、体重(女性は無し)、個性、ヒーローの一言アピールなどが載っている。個性は発動条件とか詳しいことは書かれていないが、どういう個性かは書かれているので、まぁ合格点。

 佐藤はこの本を書店で見つけた時、目を疑った。子どもがちょっと背伸びするような値段で全ヒーローの大まかな情報が手に入る。それがどれだけヒーローにとって不利なのか、分からないわけがない。つまりは、そういうことだ。ヒーローはヴィランに対策されて当然で、ヴィランに対策されたうえで勝つのがヒーローには求められている。ヒーローの戦闘はエンターテイメントでなければならないのだ。ただの勝利を民衆は求めていない。

 

 ──なんていうか、ヒーローもかわいそうだね。

 

 ヒーロー飽和社会と言われるだけあり、ヒーローが腐るほどいるからこそこういうフザけたことができるのだ。

 

 ──それにしても……。

 

 佐藤が見ている動画はオールマイトとオール・フォー・ワンの戦闘の中継映像だ。周囲の建物やコンクリの地面を素手で破壊しながら戦っている。

 

 ──ん〜……私、勝てる気しないんだが。乗り物無しじゃ。

 

 なんにせよ、一つ確かめなければならないことがある。

 ヒーローアイテムを厳選している時、針間に耐久テストの相手をさせた。針間の個性は『硬毛(スパイクヘア)』で身体能力強化系の個性ではない。にも関わらず、佐藤の体を壁まで腕力だけで吹っ飛ばしたのだ。それと動画の戦闘を考慮した仮説が佐藤の中で組み上がっている。

 佐藤は二度手を叩く。その音で倉庫にいた猿石以外の面々が佐藤の方を向く。

 

「ちょっと確かめたいことがあるから、君たち一列に並んでくれない?」

 

 面々は佐藤の言葉に戸惑いながらも、一列に並ぶ。その間に佐藤は携帯を録画状態にして彼らの正面に置いた。

 

「君たちにはこれから全力でジャンプしてもらう」

「……その携帯は?」

「録画用」

「あ! そんなこと言って佐藤さん! あたしのパンツ見るつもりでしょ! ムッツリだねぇ!」

 

 沙紀が体を抱き寄せながらキャーと黄色い声を出す。佐藤は無表情。

 

「ズボン穿いていいよ」

「胸の揺れの方だったかなこれは」

「稲穂君、鎌井君に上のジャージを貸してあげて」

「ちょ、佐藤さん! ちょっとくらいあたしの体に興味をもっても……」

「鎌井君、キミは魅力的な女性だよ。ただ、私はそういうつもりでジャンプしてくれと言ってるわけじゃない。ただの身体能力のテストだ。だから、全力でやらないなら殺すよ?」

 

 佐藤の最後の一言で、ふざけていた沙紀の顔が一瞬で青ざめた。他の面々も同様だ。

 佐藤は笑みを浮かべる。

 

「冗談だよ」

 

 いやいや、笑えないんですけど! とその場にいた面々は思ったが、口には出さなかった。

 佐藤も列に入り、合図を出してジャンプする。沙紀、(さとし)は佐藤の四倍、針間に至っては五倍は跳んでいる。最後の一人である丸井は太りぎみなせいか、佐藤の半分くらいしか跳んでない。

 

 ──わッ、すごい!

 

 佐藤は思わず上を見た。沙紀、(さとし)、針間が見える。ちなみに視界には沙紀の水色のパンツがあったが、佐藤は視点を一瞬すら合わせなかった。

 丸井、佐藤、沙紀、(さとし)、針間の順番で着地。

 沙紀がニヤニヤしながら佐藤に歩み寄る。

 

「あっれー? 佐藤さん! 今、真面目に跳びました? 全然低いじゃないですか!」

 

 佐藤は沙紀の言葉など聞いていなかった。ただこのテストの結果が興味深く面白かったという感情が佐藤の体を駆け巡っている。

 佐藤は更に笑みを深くした。

 沙紀がズザザザと後ずさり、(さとし)に抱きつく。

 

「ひぃぃぃぃ! こわぁ……」

「そんな怖がんなら煽んなよ、バカか。あと離れろ、今すぐに」

「だってぇ……佐藤さんつまんないから」

「あの人に面白さを求めんな」

 

 そんな二人のやり取りをBGMに、佐藤は思考の海に沈んでいく。

 どうやらこの日本の人間は自分がいた日本の人間より身体的限界が遠い。限界拡張のきっかけはおそらく『個性』の発現による適応からきているのだろうが、それはそれで疑問が残る。『無個性』の人間の限界はどのくらいなのか、『無個性』の人間は自分と同じくらいの限界なのか、はてさて『個性』によってそれぞれ限界が違うのか。もし時間があって目的も決まってなかったら、佐藤は暇潰しにこれらの検証(人体実験)をやっていたかもしれない。だが今の佐藤は目的があるし、時間を悠長に使っている余裕も無い。

 

 ──ただ……絶対に検証しなければならないことが一つできたかな。

 

 佐藤は録画モードになっている携帯を取り、倉庫を出て猿石がいる事務室へ向かう。

 猿石は相変わらずパソコンでヒーローの動画を見ていた。佐藤が入ってきたことに気付くと画面を切り替えヴィランのニュースサイトにする。もう毎度のことなので、佐藤は全くツッコまない。猿石にはヒーロー願望がある。それだけ頭に入れておけばいい。

 

「猿石君、一つ頼みたいことがあるんだけど、いいかな」

「はい、なんでしょう?」

「人口密度が五百人以下の市町村を縄張りにしている、いわゆるマイナーヒーローのリストが欲しいんだけど、作れるかな」

「それなら人口密度のデータとヒーロー事務所の住所を照合して所属ヒーローを抽出するだけでできますよ。五分いただけますか?」

「ありがとう、助かるよ」

 

 三分後、猿石が作成したリストを佐藤に渡した。

 佐藤はパラパラとリストをめくる。

 

「結構いるね。このヒーローの順番は人口密度が低い順かな?」

「はい。人口密度を基準にしたということは、低ければ低いほど要望に近くなるってことだと思いましたから」

「やっぱりキミは優秀だよ、猿石くん」

「そ、そうですかね」

 

 猿石は俯くが、その顔は満更でもないようだ。

 佐藤はリストを片手にヒーローの本をめくっている。

 

「今度は何をするつもりなんですか?」

「ちょっとした実験がしたくてね……ん、このヒーローにしようかな」

 

 佐藤の本をめくる手が止まった。そこにはヒーロースーツを着た筋肉隆々の男が笑顔でポーズを決めている写真とプロフィールがある。

 佐藤は赤ペンを取りそのヒーローの顔にバツ印を付けてから、ページの端を折りたたみマークした。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 筋肉隆々の大男が走っている。いや、走っているという表現は間違っているかもしれない。何故なら、彼は足は動いているが、主な推進力は肘から噴射されているエネルギーから得ているからだ。彼の個性は『噴射』で、肘と手の平にある噴射口から高エネルギーを噴射することができる。ちなみに噴射口は自由意思で開閉可能。

 そんな彼の名は回天(かける)。ヒーロー名は『ジェットルメン』。茶髪の短髪とヒーロースーツに装着されている飛行機めいた塗装のアーマーがトレードマーク。今年で三二歳の独身。この村で育ち、ヒーローになるために雄英に入学し、卒業時はプロヒーローたちから引く手数多だったにも関わらず全てのオファーを断り、故郷に戻ってヒーロー事務所を始めた変わり者。彼がヒーロー事務所を故郷で始めたのは理由がある。それは、この村にヒーロー事務所が一つもないからだ。小さな交番が一つだけある。

 そんな彼は確信していることがある。この区画は二十年後は無人になると。

 回天は周囲を見渡す。田んぼと畑と林と山が視界を埋め尽くし、その中にポツポツと木造の古びた家が建っている。住んでいるのは老人ばかりだ。

 この辺は特に人が少ない。無人駅前の方に行かなければスーパーもコンビニもガソリンスタンドも無い。バスは三時間に一回という田舎も田舎。無人駅までは数キロ。

 

 ──ヴィランどころか、些細な問題も起きそうにないな。

 

 いつも通りだ。いつも通りの平和な一日。仕事が無くて稼げない日。

 

 ──また一樹に頼んで、無理やり警察の仕事分けてもらおう。じゃないと生活が……。

 

 回天は一本道を噴射で移動し続けている。

 

「かけちゃん! いつものパトロールかい? 悪いねぇ」

 

 腰を曲げた白髪のおばあちゃんが回天に声をかけた。回天は逆噴射し、おばあちゃんの正面に戻ってくる。

 

「こんにちは、ハツばあ。けど謝んなくていい」

「何言ってんだい! かけちゃんは優秀なヒーローなのに、こんな何も起きない場所でヒーローやってる理由はあたしらのためだろう! 小さい頃、言ってたもんね。ヒーローになってこの町を自分がずっと守るんだって」

「……」

「けど、その気持ちだけであたしらは充分だよ。あたしらはもっとかけちゃんが活躍できる場所で多くの人を救けてほしいってずっと思ってるんだから、今からでも……」

「ハツばあ、いいんだよ。俺は好きでこの村(ここ)のヒーローやってんだ。守るモンがこの村から無くなったら、そん時は別の場所でヒーローやるからさ。心配しなくていいよ」

 

 回天は移動を再開する。この村は面積だけはあるが、人は駅前にほとんど集中していて、そこから少し離れるとパタリと人がいなくなる。そんな人の少ない村だからこそ、村のみんなが家族のようなものであり、万が一ヴィランが現れた時に備えてこの村でヒーロー事務所を始めた。それから十四年。毎日毎日鍛錬とパトロールの繰り返し。事件らしい事件は起きない。

 彼にとって不幸だったのは、初めて起きたこの村での事件が極めて悪質だったことだろう。

 彼の不幸は、見慣れない金髪の少年と帽子の男が二人してこちらに走ってきたところから始まった。回天は知らないが、この二人は佐藤と(さとし)である。彼らはまず一駅前で降り、そこからレンタカーを借りてこのヒーローがパトロールする時間になる前にこの場所に移動。それからこのヒーローのパトロールスケジュールに合わせてパトロールルートに飛び出す。計画通りの展開。

 

「ヒーロー! 助けてくれ!」

「どうしました!?」

「あっちの……あっちの林で、女が暴れてるんだ! 爪をぶんぶん振り回して、木を切り倒してんだよ!」

「なんだと!? すぐ行く! あなたたちはここで待っててください!」

 

 回天は肘から噴射するエネルギーを増加させ、凄まじい速度で(さとし)が指さした方の林に向かっていった。

 

「まるで人型飛行機だ。面白いなぁ」

「……佐藤さん、やるんだな?」

「うん、ヒーロー狩りさ。手筈通りいこう」

 

 佐藤と(さとし)はバッグから脚部のアーマーを取り出し、装着。脚力強化によるスピードアップで回天が向かった方に駆け出した。その速度は通常の二倍。回天の速度にはほど遠いが、距離が近い分、時間差はあまり生まれない。それを考慮しての場所指定だった。

 

 

 回天はすぐに現場が分かった。あの金髪の少年の言った通り、女が伸ばした爪を振り回して木を切り倒していたからだ。

 

「何をやっている!?」

「うっさいなぁ!! ストレス解消だよ! 誰にも迷惑かけてないんだから良いでしょ!」

 

 雄英にいた時のインターンで、プロ事務所のお世話になっていた頃、そこのプロヒーローに聞いたことがある。『個性』を思う存分使うため、人のいない場所や時間で暴れるヴィランがいると。

 

 ──そういう条件ならうってつけだよ、この村は! ただこの村にはモノ好きなヒーローがいた! それがお前の敗因だ! ヴィラン!

 

 回天は肘の噴射で一気に沙紀に接近。沙紀は手を回天に向ける。回天は手の平の噴射口を開き、噴射。急上昇しつつ、肘の噴射で横移動。すぐさま沙紀の上を取る。

 

「えッ、はやッ!」

 

 そこから逆噴射による急降下で驚いている沙紀の隙をつき、一気に組み伏せた。

 

「うぐぅ!」

「ヴィラン確保」

 

 沙紀はもがくが、組み技のエキスパートでもあり腕力も強い回天の前ではビクともしない。

 

「暴れんな、無駄だ」

「ぐッ……無駄ァ? 違うね、大ハズレさ」

「あ?」

 

 二人の頭上から球体が落ちてきた。その球体は丸井である。彼の個性は『球体』で、自身か自身が触った物を一時的に球体にできる。丸井は直径六十センチの球体のまま、木の上に待機していた。沙紀はその真下で一歩も動かず、周囲の木を切り倒していたのだ。そしてもがくという一動作で、回天の意識を沙紀に集中させ続けた。

 回天は地面に引き倒される。その球体が人型に戻り、その体重と重力に任せて回天を掴んだ結果だ。

 

 ──仲間がいたのか!?

 

 組み技が崩れたため、沙紀は転がりながら回天の手から抜け出した。

 回天は肘の噴射で丸井の手を振り払おうとする。その頃には佐藤と(さとし)が追いついた。

 

「あんたら、来るなって言っただろう!」

 

 回天の言葉に反応せず、(さとし)は手に十センチほどの鉄棒を持ち、接近。回天の首すじに鉄棒を当てつつ、個性を発動。鉄棒に電気が流れ、回天はスタンガンを浴びたように体をビクッと一瞬強張らせて倒れる。倒れた回天の首すじに再び鉄棒を当てて電気を浴びせると、回天は完全に気を失った。

 倒れた回天を囲むように見下ろす四人の男女。

 

「さて、まずは拘束しよう。次に掃除だね」

 

 佐藤の言葉に、三人は静かに頷いた。

 

 

 真っ暗闇の中、回天は目を覚ました。

 

 ──ここは……? 俺は一体なんでこんなところに……。

 

 回天は動こうとしたが、動けない。木に固定されている。

 

「気がついたかね」

 

 回天の正面、およそ十メートル離れたところでパイプ椅子に腰掛ける人影に回天は気付いた。ぼんやりとした頭のまま、その人影をジッと見続ける。やがて目が慣れてくると、それは昼間にヴィランのことを知らせてきた帽子を被った男だと分かった。分かった瞬間、回天は気を失う前の記憶を全て思い出した。

 

「あんたら、ヴィランとグルだったのか!?」

「残念ながらそうなんだ、ごめんね。私は佐藤」

 

 回天はもがき、個性を使って拘束から逃れようとする。しかし、個性を発動させようとする瞬間、強烈な違和感を感じた。

 

「『個性』は使わない方がいい。キミの噴射口に小石を詰め込めるだけ詰め込み、そのうえでヒーローアイテムの一つであるヴィラン拘束用の粘着テープで噴射口を塞いでるからね。多分このまま『個性』を発動したらキミの腕は肩から吹き飛ぶと思うよ」

「ぐッ……! お前ら、何が目的だ!? なんでこの村に来た!」

 

 そう言いつつ、回天は慣れた目で自分の体を見る。拘束具は一つで、腹の辺りの小さい球状の物体から蜘蛛の糸のような形状の合金製の特殊布が放出され、木の幹を巻き込んで固定されている。これはヒーローアイテムの一つで、ヴィランを拘束する『個性』の無いヒーローがよく使用する拘束用アイテムだ。この球状の物体の真ん中にあるボタンを押してヴィランに当てたら、拘束具が飛び出してヴィランを拘束する。解除する場合も球状の物体の真ん中のボタンを押せば、拘束具は球状の物体の中に引っ込む。使いやすいヒーローアイテムのため、使うヒーローは多い。

 

 ──ヒーローがヒーローアイテムで捕まるって、情けないにも程があるぞ……。クソッ、あの時だ。あの時助けを求めてきた二人に違和感を感じながらも、ヒーローの仕事がようやくできそうだという期待から見慣れない人間がいることに対して警戒心が薄れていた。

 

 佐藤はパイプ椅子に座ったまま、笑顔を崩さない。回天は薄ら寒さをこの男から感じ始めた。ヒーローを捕まえたのに、冷静そのもので、これから何をするつもりか予想がつかない。

 回天は周囲を見渡す。木が乱立しているところから見て、林の中。だが、気を失った林ではない。切られた木が見当たらないからだ。

 

「お前ら、この村で何をしでかすつもりだ!?」

「村に何かする気はないんだ」

「何!? ならなんのために俺を……!」

「キミが目的なんだよ。より正確に言うなら、キミの鍛え抜かれた体が目的なんだ」

「は? 意味が分からんぞ」

「今から分かる」

 

 佐藤は拳銃を回天に向ける。その照準は胸。そして、引き金を引いた。乾いた音とともに、回天の胸に銃弾が吸い込まれる。だが、銃弾は筋肉の壁に阻まれ、銃弾の半ばまでしか入らない。

 

「ッつぅ!」

「へぇ〜、十メートルは拳銃の有効射程距離内だけど、弾が体内にすらいかないんだ。硬いねえ」

 

 佐藤は立ち上がり、パイプ椅子を掴む。そして地面にマークされている場所にパイプ椅子を置く。およそ九メートル。回天は同じマークが等間隔でされていることに気付いた。その数、八。だいたい十メートルの位置。等間隔のマーク。そして拳銃の射撃。

 

「これはまさか……射撃テスト!?」

「正解。これからキミの体に拳銃で射撃し続ける。キミの体を銃弾が貫通するまで、撃つのを止めない」

 

 それからは回天にとって地獄のような時間だった。佐藤は発砲するたび、回天の肉体的損傷を確認し、肉体の硬さにテンションをあげる。すごい、素晴らしい、面白いというフレーズがひっきりなしに飛び続け、周囲にいる他のヴィランたちをドン引きさせていた。その内の一人がビデオカメラでこの射撃テストを録画していることも、途中で気付いた。

 佐藤はすでに四メートルまで迫ってきている。銃弾はまだ筋肉の壁を破れていない。

 回天はグッと声を出さないよう堪え続けていた。撃たれるたび、情けなく声をあげていてはヒーローの名折れだ。

 

「……いいのか、こんな悠長なことしてて」

「ん? なにか問題?」

「ここは田舎だ。車も滅多に通らない。それに見たところ深夜。銃声は遠くまで響く。近隣住民が銃声に気付いてきっと今頃警察に連絡してるぞ」

「うん、だからね、この射撃テストする前にこの場所から二百メートル以内の円に入っている住民は全員掃除しといたよ。まあ、田舎だから、十三人しかいなかったけどね」

「掃除……? まさか、皆殺しにしたのか!?」

「回天くん、キミはとても慕われている良いヒーローだったみたいだね。キミの名を出してキミが『個性』で事故したとドアを叩いたら、全員が慌てて外に飛び出してきたよ。お年寄りなのに随分と機敏でさ、私は感動しちゃった」

「……ウソだ。そんなの、やる人間がこの世にいるわけない。俺を騙そうとしてるんだろ……」

「そこからは簡単だったよ。君同様、稲穂君に気を失わせて、鎌井君の爪に引っ掛けて林に運んだ。君から見て、右奥の地面さ」

 

 回天はガチガチと震える体を必死に抑えつけ、ゆっくりと頭を動かし右奥の地面を凝視する。ずっと凝視していると、確かに人の足が見えた。

 佐藤が立ち上がり、右奥に行って二人の体を引きずりながら戻って来る。回天の目から思わず涙がこぼれた。

 

「ハツばあ……タケじい……うわああああああッ!!」

 

 俺のせいだ。この村は滅多に問題が起きないって分かっていたのに、ヒーローらしい活躍ができそうだという誘惑に負け、外からの人間を警戒しなかった。

 

「謝らなければ……」

「ん?」

「二人に、みんなに、謝らなければ……」

「何を言ってるんだ、回天君。君が謝るべき人間はみんな死んでるじゃないか」

 

 佐藤はにこやかな顔で、無慈悲な事実を回天に突きつける。ショックに打ちひしがれる回天の前で、佐藤はグッとガッツポーズを作った。

 

「良かったね、謝らずに済んで! キミはラッキーだ!」

 

 ──ラッキー……だと? 謝れないことをラッキーだなんて言うゴミクズに、俺の守りたい人たちは……。

 

「あああああああッ!」

 

 回天は『個性』を無理やり発動させた。膨大なエネルギーが噴射されようとするが、噴射口は塞がっている。行き場の無くしたエネルギーは回天の肩で暴れまわり、回天の両腕を吹き飛ばした。そのエネルギーは拘束具を焼き切り、回天は両腕を失ったまま怒りに任せて佐藤へ突進。そのまま佐藤の首に噛みつき、肉を噛み切った。と同時に発砲音。回天は噛み切った肉を地面に吐き捨てつつ、自分の体を見る。佐藤の拳銃が胸に押しつけられていた。ゼロ距離で発砲したらしい。

 ゴブッ……と口から血を吐き出し、回天は倒れる。どうやら肺に当たったようだ。回天はそれから数十秒後、出血多量で死亡。

 首の肉を抉られた佐藤はすぐに復活して、首も元通りになった。

 佐藤はパイプ椅子を木の幹に置く。それから死んだ回天の体を担ぎ、パイプ椅子に座らせた。佐藤は四メートルでマークされた場所に立ち、拳銃を構える。そして、発砲。

 

「佐藤さん。あんた何やって……?」

「何って、射撃テストだよ。まだ途中だったでしょ。死んでも体は使えるんだから、使わないともったいない。彼の死が無駄になる」

 

 そして、佐藤は楽しそうに射撃テストを再開した。

 この射撃テストで分かったことは、拳銃の有効射程距離は二メートル以内という事実であり、拳銃を使用する場合はかなり引き付けなければ肉体派のヒーローには効果が無いということだった。



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第6話 目標設定

 佐藤たちは拠点である廃工場へタクシーと徒歩で帰ってきた。近場までタクシーで移動し、そこからは徒歩で拠点に向かう意図は拠点の露呈と顔を覚えられないようにするためだ。佐藤は大きなショルダーバッグを背負い、佐藤の後ろに続く丸井、沙紀、(さとし)の三人は最低限の手荷物しか持っていない。時刻は午前三時で、廃工場ということになっているこの拠点は夜間の電灯を一切使用していない。それでも真っ暗闇とならず、それなりの明るさが保たれているのは、この廃工場のある場所が都会に位置している証明でもあった。

 

「お疲れさん。明日もやるから、今は充分に休息をとってほしい」

 

 表情を緩ませてそう言うと、佐藤は自室として使っている応接室の方へ歩いていった。

 その姿を緊張しながら見つめる三人は、佐藤の姿が視界から消えると解き放たれたように深く息を吐いた。

 

「佐藤さんって超ヤバいのでは?」

 

 そんな言葉を吐く丸井に対し、沙紀と(さとし)の二人は何を今更……という視線を送る。丸井はその『個性』の性質から、攻撃ではなく逃走向きだと佐藤に評価され、また自身も逃走にしか使い道の無い『個性』だと痛感していたため、佐藤と行動を共にしたのは今回の実験が初めてである。丸井の個性である『球体』は自分だけでなく、自分以外の物質や生物すら球体にできるが、手を離したら五秒で元に戻るし、質量は変化しないため、人間を球体にしても質量の密度が高くなることによる硬化が発生する。そのため、球体で無力化した相手に危害を加えるのも難しい。更に球体化の条件も厳しいとなれば、攻撃の駒としてカウントしないのはむしろ当然といえた。

 

「俺は考えつかなかった……俺の『個性』で人間を地の底に埋められるなんて」

 

 その時のことを思い出したのか、丸井はブルッと体を震わせた。佐藤は丸井に地面に手を付くよう指示し、そこから『個性』を発動させた。半径三メートルになる巨大なクレーターがそこに一瞬で生まれ、その中心には直径六十センチほどの土塊に手を置いた丸井がいた。佐藤はその穴に死体を次々放り込み、全員放り込み終わったら、丸井がその死体を階段にして一気に穴の外へ走る。丸井が肩で息をしながら穴の外に出て一秒後、穴の中心にあった球体は元に戻り、死体の分だけ盛り上がった地面になった。後はその盛り上がった地面をならすだけ。それだけで死体は三メートルの地の底に埋まり、極めて発見しづらい死体処分となった。丸井の『個性』に穴掘りと穴埋めの代役をさせたこの策は、見事に死体処分の時間を大幅に短縮させたのだ。

 丸井の言葉に込められた思いと二人も同じだった。

 沙紀にしても、爪を伸ばして相手を切り裂くしか使い道が無いと思っていた。だが佐藤はその伸縮性に注目し、爪に引っ掛けて運搬するという使い道を思い付いた。

 (さとし)にしても、金属を媒体とし電気を固定化する過程の段階であればスタンガンのような使い方ができるのではないか、と佐藤に教えられた時、自分の『個性』の可能性が拡げられた気がしたのだ。

 三人とも『個性』がヒーロー向きではないというだけで、他のヒーロー志望の同級生に散々バカにされてきた過去がある。だが佐藤は、決して彼らの『個性』を馬鹿にしない。むしろ褒め称え、一緒になって『個性』の幅を広げようとし、全面的に『個性』を認める。そこにヒーロー向きなどといった穿った見方は存在せず、ただ人間に与えられた恩恵と真摯に向き合う。そんなことさえ、彼らは佐藤の姿勢から感じたのだ。だからこそ、彼らは佐藤とその行動に強烈な恐怖と畏怖を抱きながらも、佐藤の手足となって動いた。大金を気前良く分け与えてくれるのも、彼らの罪悪感を緩和し正当化させる助けになっていた。

 だが今回の実験については、それを上回る罪悪感とリスクがのしかかってきた。

 

「俺たち……このまま佐藤さんに付いてって大丈夫かなぁ」

 

 丸井の呟きに二人は答えず、その声は廃工場の闇に吸い込まれていった。

 

 

 それから三日が瞬く間に過ぎた。銃種ごとの射撃テストはショットガン、リボルバー、アサルトライフルでも行われた。その度に哀れなヒーローとその近隣住民が佐藤の毒牙にかかって命を弄ばれ、そしてその命を散らしていく。掃除の範囲は後の日になるほど広がり、最終日のアサルトライフルに至ってはその射程の長さから一キロにも及ぶ歪な円となり、その円に入っている住民を皆殺しにした。もちろん佐藤はアサルトライフルの射撃テストで使う土地は最も人口密度が低い場所に設定し、極力殺さない方向でやった。だが、それでも肉体派のヒーローがいる場所は限られる。結局四十九人が犠牲となり、それらの死体は丸井の『個性』で作った四つの穴に分散して埋められた。

 顔面を蒼白にしていた丸井に近付き、佐藤は笑顔で肩を叩いてグッと親指を立ててみせたところを見て、さすがの(さとし)も佐藤は人の皮を被った悪魔なのでは……と未知数の恐怖に身震いした。そして、佐藤は恐怖と罪悪感で震える(さとし)の肩を丸井同様に笑顔で叩き、言ったのだ。「キミがいてくれて助かったよ」と。

 その言葉は(さとし)にとって魔法に似た力を持っていた。(さとし)の個性である『雷刃(サンダーブレイド)』は自分の体に触れている金属に電気を流し、その電気を金属に留めることができる個性であり、金属に留めて凝縮された電気はありとあらゆる物を切り裂く高熱の刃となる。無論金属には融点があり、ある一定の温度を超えると形を保てなくなるため、この刃は金属ごとに持続可能時間があるし、その時間も周囲にあるようなありふれた金属では短い。かと言ってその刃を維持できている間はどんな武器にも勝る強個性だと、(さとし)は自身の個性が明らかになった幼少時からそう思ってきた。

 しかし、発動するまでのタイムラグ。間合いの短さ。金属を持ち歩かなければならない不便さ。刃化した金属を投擲できないという遠距離攻撃への対応力の無さ。ヴィランは殺してはならず、無力化しなければならないというヒーローの制限。それらの短所が中学生の頃に一気に噴出した結果、(さとし)の同級生は没個性の無能という烙印を彼に押し、多感な時期である中高生のストレスの捌け口として使われる結果となった。

 何かにつけて罵られるのは当たり前、顔が良かったがために女受けする(さとし)を、その女たちの目の前で罵倒し、暴行して屈伏させようとした。(さとし)は罵声は無視の一点張りだったが、暴力には暴力で応じた。だが結局数で負け、より強烈な暴力と罵声となって返ってくる現実から、彼はとうとう不登校となり、学校に行く時間に家から出はするが、学校には行かずに公園に行ってひたすら鍛錬するようになった。そんな状態がいつまでも続く筈が無く、(さとし)は高校を中退し、両親からも顔を会わせる度に罵倒されるようになった。

 それに嫌気が差し、家出をして生きるためにヴィランの集まりになんとなく加入して今に至る。未だに自分で大騒ぎされていないのは、両親が警察に捜索願いを出していないからなのは明白だった。やはり自分のことを必要としている人間は誰もいないのか、いや誰も俺は必要としない。俺は俺の『個性』を否定し踏み躙った者を許しはしない。どんな手を使っても必ず俺の『個性』の方が上だと思い知らせてやる。

 そんな(さとし)にとって、佐藤の生き方はとても眩しいものに映った。他者の意思と尊厳を、自分の目的のために躊躇なく踏みつけていく……それこそが俺の理想像だ。

 (さとし)は倉庫の廃材に座りながら、チラリと佐藤の方を見た。佐藤のすぐ横にはラジオが置かれていて、肝心の佐藤は楽しそうに実験に使用したアサルトライフルを分解し、部品一つ一つを丁寧に手入れしているところだった。

 (さとし)は佐藤の方に歩み寄る。

 佐藤は気付き、軽く手をあげた。

 

「やあ。どうしたのかな、稲穂君」

「ちょっと頼みがあってさ……」

 

 そう言いつつ、(さとし)は照れくさそうに頭を掻いた。こういうのはこっちから言い出すようなもんじゃないと思いつつも、言わなければズルズルと言うタイミングを無くすだろうという予感がある。

 

「俺のことは名前で呼んでくれよ。稲穂って呼ばれるの、女の名前みたいで嫌いなんだ」

「そうだったのか。知らなかったとはいえ、不愉快な気分にさせてたようだ。ごめんね」

「いや……それじゃあ」

 

 (さとし)はこの気まずさと羞恥心が入り混じった空気から逃れるように、くるりと佐藤に背を向け、立ち去ろうとした。そんな(さとし)の耳に、ラジオの音声が入ってくる。

 

『たった今入ってきました情報によりますと、今朝またヒーローとそこの住民が多数行方不明となる事件が発生しました。四日前から各地で起こるこの大量行方不明事件は、未だに誰一人として行方不明者を見つけることができていません。また過疎化が進む地方で起きたこの四件の事件は、同じく過疎化が進んでいる地方とヒーローを恐怖と不安のどん底に叩き落としています。地元民は警察に押しかけ、警備を強化しろと怒鳴り込む場面もいくつか確認されております。警察はヒーローに応援を要請し、行方不明者を全員救出すると同時に、この事件の解決に全力を尽くすと発表しました。明日もまた多数の行方不明者が出てしまうのでしょうか。このラジオをお聴きの皆さまは、夜間の外出を自粛し、鍵をかけて迂闊に扉を開けないようお願いいたします……では次に! 今週もっとも話題となったミュージックを──』

 

「こういうのは時間を空けるとやりにくくなるからねぇ」

 

 (さとし)の背中に、佐藤の呟きが聞こえた。(さとし)は顔だけ振り返り、銃を楽しそうにいじっている佐藤を見る。

 

「ここ四日間はハードスケジュールで疲れたでしょ。もう実験する必要はなくなったから、今日と明日は休みだよ」

「スナイパーライフルは確かめなくていいのかよ」

「……そんなに殺したい?」

 

 佐藤が手元の銃から(さとし)の方に顔を向け、見る者を凍らせるような殺気を滲ませた笑みを浮かべる。(さとし)の背中をゾクッとしたものが這い上がり、ゆっくりと撫でていく。

 佐藤の言う通り、長距離から射撃するスナイパーライフルは、その分多くの円をとらなければならない。アサルトライフルですら一キロという範囲になったのだから、スナイパーライフルともなれば二キロ、下手したら三キロの範囲を掃除しなくてはいけなくなる。それくらいこの有効射程距離を気付かれずに検証する実験は面倒くさい実験だった。

 佐藤が殺気を和らげ、再び銃の手入れに戻る。

 

「私はね、スナイパーライフルが嫌いなんだ。作戦で誰かに使ってもらうことはあるかもしれないけど、私は使いたくない」

「なんで?」

「安全な場所から一方的に撃って何が楽しいんだい? そんなもの、別に人じゃなくても、空き缶でも撃ってればいいよ」

 

 微かな不愉快さを滲ませた佐藤に対し、(さとし)は足早にその場から離れた。触らぬ神に祟りなしと思ったからだった。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 実験終了から約二週間後、武器やら弾薬やら爆弾やらが大量に置かれるようになった倉庫。それらの影に隠れるようにして置いてある鉄の廃材だけが、佐藤が来る以前の倉庫と同じだと主張していた。

 佐藤の取引は臓器売買から輸血用血液、不要と判断したヒーローアーマーやヒーローアイテムの売買、病院から強奪した医療機器に医薬品と、その幅を広げている。それによって大金が毎日廃工場に舞い、闇ブローカーやヴィランとの取引にリベンジエッジの面々が駆けずり回るという少し前では考えられなかった現実が今ここにあった。もちろん取引の場所に拠点を選ぶなどという馬鹿な真似はしない。ヒーローと警察の目が届きにくく、かつ逃走しやすい取引地点を十ヶ所準備し、その内のどこかをランダムに選んで取引する。連絡に関してはあらかじめキーワードのリストを渡し、傍受されてもすぐにはこちらの動きを悟られないような体制も整えた。

 そうなってくると、当然仲間に加入したいヴィランが大量に出てくるわけだが、佐藤は彼らをこの拠点の仲間には加えなかった。彼らには連絡用の携帯を渡し、金と引き換えに全国へ散らばらせた。連絡用の携帯はダミー会社で使用する目的として携帯会社から大量に買い付け、後はそれを売り捌くも連絡手段として使うも自由。そういう携帯は腐るほど裏社会に出回っており、佐藤は労せずしてその大量の携帯を買ったのだった。

 こうして佐藤は警察とヒーローたちが『オーバーホール』の一件と自分たちが起こした事件の解決に追われる水面下で、着実にその勢力を全国へと広げていった。

 『オーバーホール』の一件が片付いた現在では、その数は約三百人に迫る勢いで、ヴィラン社会の中でカリスマとなっているヴィラン連合との二大勢力となりつつある。

 佐藤はそろそろいいかと思い始めた。ゲームメイクに必要な物資と駒は揃えた。後はゲームをクリアできるようなゲームメイクをしなければならない。ここを疎かにすると、バグだらけでクリアどころか全く進まない、ゴミのようなゲームとなる。

 佐藤はゲームを始めたら遊び倒すが、だからこそゲームメイクは真剣に取り組み、しっかりとしたクリアプランを立てる。

 その中で、どうしても自分の姿を晒さなければならない目標が生まれた。

 佐藤は猿石に連絡を取り、リベンジエッジの全員を倉庫に集めるよう指示を出す。猿石は快く了承した。

 佐藤は倉庫に集まったリベンジエッジの面々を見る。どの顔も不安そうだ。まあ当然かと思う。馬車馬のごとく彼らにはあちこちで働かせてきた。そんな彼らが昨日から急に拠点に留まるようになり、今まで落ち着いた日を過ごせたということは、必ず何か理由があるに違いないと彼らは考えた筈だ。それだけの思考能力ができるくらいには、彼らを育てたつもりでいる。

 

「これから我々の当面の目標をキミたちに伝えたいと思う。その目標は刑務所、目的は刑務官の殲滅及び捕まっているヴィランの解放。狙う刑務所に関してはこれから猿石君と協議し、決めていきたいと思っている。全員、そのつもりでこれからを過ごしてもらいたい」

 

 そう言いきった佐藤の体から狂気と殺気が立ち昇っていくのを、リベンジエッジの面々は確かに感じた。



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第7話 情報収集

 佐藤と猿石は幾つかパソコンが並んでいる事務室に、隣合わせに座っていた。パソコンの画面には日本地図が表示され、全ての刑務所の位置が赤点でマークされている。

 二人はこれから襲撃する刑務所を協議するところだ。狙うのは拠点から離れた刑務所で、それ以外の条件は無かった。

 

「関東地方以外ならどこでもいいんだが、猿石君はどこがいいと思う?」

「佐藤さんが刑務所を襲う目的はなんです?」

 

 猿石は僅かに疑惑の視線を佐藤に向けた。以前の彼ならば、佐藤と目を合わすのも怖がり、俯くばかりだっただろうが、今は怯えの光はない。彼はその質問で佐藤の気分を害さないと確信しているようだ。

 

「目的ならさっき倉庫で言ったよ」

「刑務官なんて殺してなんの意味が? ヴィランを解放して仲間にするつもりかもしれませんが、所詮は捕まったヴィラン。それに加え、今の僕たちは向こうから活きの良いヴィランが寄ってくる。わざわざそんな劣悪品を奪いに行く必然性を感じられません」

「フフッ、面白いことを言うね。捕まったヴィランは劣悪品か。確かにその通り。リスクを冒して取りにいくもんじゃないよね」

「刑務所の場所がどこでもいいというのも、捕まっているヴィランに興味が無い証になります」

「やっぱかしこいね、猿石君」

「分かりますよ、理論立てて考えれば。倉庫で言った刑務所を襲う目的が嘘だって」

「う〜ん、やっぱバレちゃうか。なかなかそれっぽい理由だったと思ったんだけど」

「佐藤さん……なんでそんな嘘を?」

 

 佐藤はしばらく無言で猿石の顔を見つめた。数秒もたたない内に、猿石の視線が忙しなく動き始める。恐怖と不安に襲われている証拠。佐藤はそんな彼の反応をしばらく楽しんだ後、猿石に笑いかけた。

 

「ヒーローをこの国から無くすためには、国民からのヒーローの信用を落とさなくちゃならない。この刑務所襲撃の本当の目的はそこにある。ただ、ヒーローの土台を崩すのが目的と言ったら、ヒーローに憧れる君やヒーローを怖れる彼らたちが尻込みするかもしれないと思ってね。君たちのことを信用しなさすぎだったかな?」

 

 佐藤の言葉に、猿石は目を見開いた。

 

「いえ、そんなことは……」

「もう適当に場所決めちゃおうか。静岡刑務所にしよう。猿石君はどう思う?」

「あ、そこでいいと思います。ただ刑務所なんで、中の見取り図とかはその刑務所を設計した建築会社にデータが残ってないと入手は難しそうです」

「なら、足で情報を集めるしかないね。まぁ、今はヒーローからノーマークだし、準備の時間もあるから、なんとかなるよ」

「足で情報を集めるにしても、どうやってです?」

「刑務所は閉鎖的空間と考える人は大勢いるが、そんなことはない。毎日のように出入りしている人間だっている。彼らを狙うのさ」

 

 佐藤は立ち上がった。事務室から出て、彼らがいる倉庫に向かう。これからの段取りを説明するためだ。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 沙紀は今できる限りのオシャレをして、静岡刑務所の門から出入りする人を向かいの喫茶店から見ていた。夕方のため、空は朱色から夜の色へと変化している。沙紀はこの周辺のテイクアウトOKの飲食店で二時間ほど刑務所を監視していた。それが今日で四日目になるところだ。

 沙紀はお目当ての人物が刑務所から出てきたのを確認し、他にも刑務所を見張っている仲間に携帯で連絡した。無線機も持っているが、それをギャル丸出しの自分が使えば違和感を与える。そう佐藤に言われ、沙紀は無線機の使用を現段階では禁止されていた。

 

「目標(チャーリー)、今出てきた」

『こっちも確認した。ナビは任せてくれ』

「オッケー。じゃ、行ってくる」

 

 沙紀はレジに向かい、会計を済ませる前に店員に声をかけた。

 

「すいません。追加注文してもいいですか? テイクアウトで」

「もちろん大丈夫です」

「じゃあアイスコーヒーのブラック、この大きいサイズをお願いします」

 

 テイクアウト用のメニューのコーヒーのところを、沙紀は指さした。店員は頭を下げる。

 

「かしこまりました。少々お待ちください」

 

 そう店員に言われ、二、三分後、コーヒーの容器を渡された。上に透明の蓋がしてあり、ストローが刺さっている。

 沙紀は会計を済ませ、仲間から入ってくる無線を頼りに早歩きで目標の人物を追いかける。

 沙紀が通りを曲がると、目標の人物が遠く離れたところからこっちに歩いてきているところだった。沙紀は自分の衣服に乱れが無いかサッと確認する。青色ハーフパンツに、胸の谷間を強調するかのように胸元が空いている白のシャツ。

 沙紀の役割は簡単だった。俗に言うハニートラップである。

 沙紀は物珍しそうに周囲を見ながら歩く。目標の人物は沙紀に気付き、避けようとした。そこを狙ったかのように、沙紀が動きぶつかる。ぶつかる直前、蓋を外れやすくしていたコーヒーを目標の人物のスーツに盛大にぶっかけ、沙紀と目標の人物は尻もちをつく。

 

「おいおい、勘弁してくれよ!」

 

 中年の男がスーツにできた黒いシミをハンカチでゴシゴシ拭きながら叫んだ。

 

「ごめんなさい〜! あたしよそ見しちゃって……大丈夫ですかぁ」

 

 ウルウルと目を潤ませて上目遣いをする沙紀。男は沙紀の顔と胸の谷間に一瞬目がいくが、すぐに目線を逸らす。

 

「まったく……気をつけてくれよ!」

「本当にすいませんでしたぁ」

 

 沙紀は深々と頭を下げた。胸の谷間をアピールすることも忘れない。

 男は沙紀の姿をまじまじと見ていた。男の足が動かないことから、沙紀は第一段階成功と見えないところでほくそ笑む。もし脈無しだったら、とっととこの場から立ち去った筈だ。こうして足を止めた時点で、自分と会話するのを期待しているのは手に取るように分かった。

 

「あの……もしよろしければ、大事なスーツを汚しちゃったお詫びをさせていただけませんか……?」

「えっ!? お詫び?」

「はい。お酒とか飲まれますぅ? お代は出しますから、どうですかぁ?」

 

 これはただ声をかけるより成功率の高いナンパ方法でもある。わざと女の子がぶつかったり飲み物をかけるなどして加害者となり、お詫びと称してデートに誘うのである。脈有りならその誘いに乗ってくるし、脈無しなら怒鳴られて終わりだろう。全面的に非を認め、謝罪している女の子に警察を呼ぶ相手はそういない。やられたことは腹立つが警察を呼ぶほどでもないという絶妙なラインを攻める。それがこのナンパ方法における肝である。

 男は少し考える素振りをする。この後の予定を思い出し、女の誘いに乗っていいか迷っているようだ。

 沙紀はこの男がもし自分の誘いを断ったら殺そうと考えていた。こんなオヤジが自分の誘いを拒否するなど、万死に値する。目標はまだ二人いるから、一人死んでも問題ない。むしろ自分のことを周りに話されるリスクを回避すべき。沙紀の頭の中で男を殺すロジックが組み上がっていく。

 

「良いバーを知ってるんだろうね?」

「はぁい、もちろんですぅ。じゃあ行きましょお」

 

 沙紀は男の二、三歩前を歩き、事前にリストアップしていたバーへ向かった。

 

 

 バーは全体的に薄暗いが、テーブルやカウンターは照明で浮かび上がるようにくっきりと視界に映る。客はカウンター席に二人、テーブル席に五、六人いるようだ。

 店員が沙紀たちに気付き、こちらに近付いてきた。

 

「何名様ですか?」

「二人ですぅ」

「カウンター席かテーブル席か、ご希望はありますか?」

「テーブル席でお願いしますぅ」

「かしこまりました。こちらへどうぞ」

 

 店員に案内されたテーブルに、二人は対面で座った。テーブルの周囲には仕切りがしてあり、他の客からは見えないようになっている。

 しばらくは他愛もない話をし、男が酔ってきたところで沙紀は男の隣に座り、体をグイッと寄せた。男がそんな沙紀の体の感触に夢中になっている間に、沙紀は店員に酒の注文をした。

 店員が酒を持ってくると、沙紀はそのグラスを体で見えないようにしつつ、酒に隠し持っていた自白剤を入れる。酒はカクテルなので、自白剤が入っていることは見ても分からない。

 それから五分くらい、男に体を触らせながらまたどうでもいい話をした。

 そろそろ頃合いかと思った沙紀は、自白剤を入れた酒のグラスに手を伸ばし、男の前のカラになったグラスを下げつつ、自白剤の入った酒を男の前に置いた。

 

「お酒どうぞぉ」

「おっ、悪いね〜」

 

 男は何の疑いもせずにその酒のグラスを手に取り、一気に飲み干した。

 沙紀はポケットに入っている携帯を手に取り、男に見えない位置で操作。録音モードにする。

 それから十分後、男の目の焦点が定まらなくなった。泥酔しているようにしか見えない。

 

「あのぉ、どういったお仕事をされてるんですかぁ?」

「刑務所の社会不適合者どもをマトモにするための分析を行うカウンセラーみたいなことだよ」

「わぁ、すごく立派なお仕事じゃないですかぁ! 刑務所ってどんなところなんです!? ヴィランってやっぱり怖いですよね!?」

「いやいや、けっこう素直なもんだぜ。捕まった連中も反抗的な態度や行動をしたらムショ暮らしが長くなるって理解してるしな」

 

 よく勘違いしている人がいるが、刑務所は罪を償う場所ではない。刑務所は罪を犯した人間が刑務所を出た後、再犯しないよう教育、指導する更生施設である。だから無期懲役と判決が下された囚人も、更生したと判断されれば刑務所から解放される。

 

「刑務所って中はどんな感じになってるんですかぁ?」

「ああ、それはだな──」

「待ってください。あたしバカなんでぇ、このメモ用紙に書きながら教えてもらえますぅ?」

 

 沙紀はハンドバッグからメモ帳とペンを取り出し、男の前に置いた。

 

「準備良いじゃん! さてはだらしないように見えて仕事できるタイプだな?」

「えへへ、ご想像にお任せしますぅ」

 

 それから男はメモに刑務所の見取り図を書きながら、色々説明した。沙紀は話半分に聞きながら、自分の酒を暇潰しにちびちび飲む。

 刑務所の大体の見取り図が完成したら、そのメモを受け取り、それからまたしばらく男の酒に付き合った。

 男はとうとう限界にきたのか、テーブルに突っ伏して寝てしまった。

 沙紀は店員を呼ぶ。もう客も少なくなっていたため、店員はすぐに来た。

 

「お会計いいですかぁ?」

「はい、こちらになります。あの、お連れ様はどういたしましょう?」

 

 店員がテーブルに突っ伏している男に視線を送る。

 

「あたし、実はこの人にコーヒーをかけちゃって、そのお詫びでお酒を奢る約束をしただけなんですぅ。起きるまでこのままにしてもらえませんかぁ? 閉店まで起きなかったらタクシーを呼んで、強引にでもタクシーに乗せちゃってくださぁい」

「ええ!? ですが……」

「駄目ですかぁ?」

 

 沙紀は胸の谷間を腕で寄せつつ、店員の胸を掴み、そのまま火照った顔で見上げる。

 

「あッ、んんッ、仕方ありませんね。お連れ様は責任をもってご対応させていただきます!」

「ふふッ、ありがとお、男前の店員さん」

 

 その店員の頬に軽くキスした後、沙紀は会計を済まし、店員に軽く手を振って店を立ち去った。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 刑務所の情報は続々と集まっていた。

 今、佐藤たちは静岡で新しく作った仮拠点に集合し、情報交換をおこなっている。この仮拠点も元々は他のヴィランの拠点だが、そのヴィランから金でこの拠点を買った。銃や弾薬などといった物資も着実に準備できている。この場には猿石だけがいない。猿石は本拠点で留守番だ。

 ミーティング室の大テーブルに、沙紀が手に入れた刑務所の見取り図のメモを録音された男の音声を元に修正して作成し直した見取り図が広げられている。

 

「この刑務所は幾つかの運送業者に外部との輸送を任せている。搬入時間も毎日同じ時間になるよう決められている。私はこの運送業者のどれか一つをターゲットにし、刑務所の中に入る足掛かりとしたいと思うんだが、何か意見はあるかな?」

 

 佐藤は周囲の面々を見渡す。誰もが沈黙を選択し、手を挙げる気配も無い。

 質問無しと判断した佐藤は話を再開する。

 

「当然この運送業者にはそれぞれヒーローの護衛が付いている。襲撃タイミングは朝方の時間にしたい。搬入前のトラックと従業員の制服と社員証を奪い、成りすます」

「けど、そう上手くいくか?」

 

 (さとし)が口を挟む。

 

「おそらく向こうはヒーローで判断している筈だ。ヒーローが無事なら、問題無い。逆にヒーローの姿が見えなかったら問題発生。そんなところだろう。重要なのはヒーローで、トラックの運転手の顔じゃない。だからヒーローは生け捕りにして、助手席に置いておく。狙う運送業者はここ」

 

 佐藤が大テーブルに広げてある地図の一部分を指さす。

 佐藤以外の面々は佐藤が指をさした位置を見ている。刑務所からは一番近い位置にある運送業者だ。

 

「今回、刑務所内部への襲撃は私とリベンジエッジが担当し、外の見張りや外からの援護で十人ほどヴィランを動かすつもりだ。私の計算通りなら、必ずヒーローが現場に駆けつける。外に配置する彼らにはヒーローの数、情報を私たちに伝える役割の他に、ヒーローたちの挟撃と、対ヒーローとして活躍してもらう」

 

 佐藤は外に配置するヴィランの情報が書かれた紙を大テーブルに並べた。

 

「決行は明日の朝方。それまでにこの見取り図と味方として使うヴィランの情報を頭に叩きこんでほしい。いいね?」

「アッハイ」

 

 佐藤にそう言われたら、そう答えるしかない。ここで無理とか言えば、おそらく佐藤は笑みを浮かべて言うだろう。「なら私が覚えるまで教えてあげるよ」と。それがどれほどのプレッシャーになるのか、想像もしたくないというのがリベンジエッジの面々の心情だ。

 決行日は決まった。ならば、もうそれに向かって最大限の努力をするしかない。佐藤の計画通りになるように。



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第8話 刑務所襲撃

 空が徐々に白みはじめ、太陽が僅かに顔を出している。今は夜明けの時間帯。

 刑務所へ搬入するトラックに運転手とヒーローの男が歩いて近づいていく。彼らは事務所から出てきたところで、今までちょっとした雑談を事務所でしていた。

 トラックにはすでに刑務所に搬入する物資が載せてある。夜勤の運転手の最後の仕事が、朝方の搬入のための物資を載せるという仕事だからだ。それから朝勤の運転手が積み置きされたトラックを運転し、刑務所に搬入するという流れになっている。

 佐藤が朝方の時間帯を選んだ理由は人目に付きにくくするためという理由だけでなく、朝方の搬入だけは事務所から直接刑務所に向かうからという理由もあった。さらに午前五時ちょっと過ぎという今の時間帯だけは事務所に事務員がおらず、運転手とヒーローだけという制圧するのが比較的楽な状況。佐藤がこの時間帯に目を付けないわけがない。

 運転手とヒーローは駐車場に入ってくる女らしき影に気付いた。薄暗くて顔が見えないが、こんなところに迷って入ってくる女がいるわけがない。つまり、トラックを奪うか破壊するのが目的。

 そう判断した運転手とヒーローはトラックに駆け寄って、運転手はトラックの鍵を開けつつ運転席側に乗り込もうとし、ヒーローはトラックを女から守るためにトラックの正面に立つ。

 その時、トラックの車体の下に隠れていた(さとし)と針間が飛び出し、針間は運転席に乗ろうとしている運転手を引きずり下ろし、(さとし)は背後からヒーローの背に三十センチ程の鉄棒を押し付けながら、『個性』の発動による電撃を浴びせた。周囲が一瞬青白い光に包まれ、ヒーローは短い悲鳴とともに地面に倒れる。倒れたヒーローの首に再び鉄棒を当て、雷撃。ヒーローは完全に気を失った。

 

「な、なんじゃお前ら!?」

「リベンジエッジよ」

 

 地面に這いつくばる運転手の背後まで近付いていた沙紀はそう口にしつつ、指先を下に向けた。『伸縮爪(バンジーエッジ)』により爪が伸び、運転手の背中から胸部を貫く。運転手は口から血を吐きながら死んだ。死んだ運転手のいる地面に血溜まりが生まれていく。沙紀は爪を戻し、血濡れた爪を運転手の服で拭いた。

 その後、沙紀は持っていたペンライトを点け、背後に向かって二回振る。佐藤と丸井がその光を合図に足早にトラックに近付く。

 佐藤は大きなリュックサックと両手にそれぞれバックを持ち、上半身はいつものミリタリーベスト、ベルト付近に弾薬入れポーチ、脚部には脚力を強化するアーマー、右耳には超小型録画用カメラ付きヘッドセットを付けている。

 丸井は真っ直ぐトラックの背後に回り、リアドアを開けた。七割ほどの高さで九割くらい積まれている。積荷は食品、菓子類、日用品など。丸井は荷台に乗り込み、積荷のダンボールに右手を当て『個性』を発動。たちまち積荷が二メートル分消失し、丸井の右手に六十センチの球体が握られる。が、質量は変わらないので片手で持てるような重量ではなく、球体は荷台に鈍い音を出して落下。丸井は慌ててかがみ、球体の上から右手を当てた。トラックの積荷だけで車体まで『個性』で巻き込まなかったのは、直前までやっていた練習の成果である。丸井は佐藤から積荷だけを球体にするよう指示を出され、佐藤にトラックの荷台と車高の寸法を教えられた後、その寸法以内に『個性』の効果範囲を絞る練習を数えきれないくらいやり続けた。

 丸井が球体を転がしながら奥にいく。荷台は死体を埋める穴を作った時と違い平らだ。だから、どれだけ重くても転がして移動させることができる。

 その間に、佐藤、沙紀、(さとし)の三人が荷台に乗り込む。針間がトラックの背後にやってきた。針間は運転手の制服を着て、運転手の社員証を首から下げている。

 

「ライト、点けるぞ」

「うん。ヒーローは?」

「あんたの言った通り、拘束して水をぶっかけて起こした後、家族が捕まっている画像を見せた。助手席で守衛にいつも通りのことをやるとさ」

 

 佐藤はリベンジエッジ以外のヴィランに、このヒーローの家族の誘拐を依頼した。このヒーローの家族愛は本でエピソードを紹介されているほどに有名だった。そこに佐藤は付け込んだ。この運送業者を選んだ理由は近いからという理由だけでなく、付け入りやすそうなヒーローだったというのもある。

 針間は運転席に座り、荷台のライトを付けるスイッチを入れた。荷台に付いているライトが点灯し、薄暗かった荷台が白光で照らされる。

 ヒーローは蒼白の顔で助手席に座らされていた。針間は一瞬ヒーローの方に顔を向け、見下すような笑みを浮かべる。ヒーローはただ奥歯を噛みしめるしかない。ここで針間を倒すことができたとしても、その間に荷台を一度でも叩かれたら、荷台に乗っている仲間が異常に気付いて家族を誘拐したヴィランに連絡するだろう。殺すために。

 針間がトラックのエンジンをかけ、トラックを発進させた。

 佐藤は荷台の中でトラックが動き出したのを感じながら、荷台に置いたリュックサックと両手に持っていたバックのチャックを開けた。

 リュックサックから出てきたのはバラバラにされたアサルトライフル。佐藤はそれを瞬く間に組み立てた。完成したのは二脚付きフルオートアサルトライフル──八九式五.五六ミリ小銃。重量は弾倉含め約四キロ。装弾数三十発。有効射程距離は屈強なヒーローの場合は百五十メートル。落下防止のため、銃床とアイアンサイトの根元にベルトが通してあり、銃をたすき掛けできるようになっている。

 その他に、五丁の拳銃。その内の二丁の拳銃を佐藤は両太もものホルスターに入れる。残りの三丁の拳銃はそれぞれ沙紀、丸井、(さとし)が持つ。彼らも射撃訓練して、拳銃くらいなら扱える技術が身についた。最初は拳銃を使うことを渋っていたが、だんだん彼らは『個性』にこだわらなくなってきている。ちなみに拳銃は九ミリ拳銃。重量は約九百グラム。装弾数七発。有効射程距離は屈強なヒーローの場合は二メートル。

 それから、佐藤はバッグからM六七破片手榴弾とM八四スタングレネードを取り出し、手榴弾は二個、スタングレネードは三個ミリタリーベストのポーチに入れた。

 M六七破片手榴弾の重量は約四百グラム。信管に点火後約五秒で爆発。 五メートル範囲以内の人間は致命傷を受け、十五メートル範囲に殺傷能力のある破片が飛散するようになっている。

 M八四スタングレネードの重量は約二百四十グラム。起爆と同時に百七十デシベルの爆発音と十五メートルの範囲で百万カンデラ以上の閃光を放ち、突発的な目の眩み、難聴、耳鳴りを発生させる。

 佐藤はアサルトライフルの弾倉を六、ベルトの弾薬入れポーチに三ずつ分けて入れた。一弾倉の重量は五百九十グラム。つまり六で約三.五キロ。佐藤が刑務所襲撃に携行する弾薬数は元々の弾倉を含め二百十発となる。ちなみに拳銃の弾薬は持たない。拳銃の有効射程距離が二メートルという短さのため、拳銃はどうしても非常時用と『リセット』用になる。刑務所程度なら十四発あれば十分、というのが佐藤の判断だ。

 これだけで佐藤の装備重量は約十二キロであり、服やアーマー、ヘッドセット、サバイバルナイフの重量も含めれば約十六キロになる。だが元軍人の佐藤にとって、これくらい背負って移動するのは日常であったし、もっと言えば軍人の時は携行食糧や水筒、ヘルメット、医療キット、防弾チョッキも装備していたから、十六キロ程度じゃすまない重量を常に背負っていた。だから、佐藤はこれだけの装備でも普段通りに動ける。

 丸井、沙紀、(さとし)はバッグからそれぞれ自分にあったヒーローアイテムを取り出し、身に付けていた。

 そうこうしている間に、トラックが刑務所に到着した。搬入ゲートにいる守衛に向かってヒーローが引きつっている笑顔を見せつつ手を振ると、守衛も応えて手を振った後、ゲートの管理所にいる相手にゲートを開けるよう指示。搬入ゲートが開いていく。

 トラックが搬入ゲートを通り、搬入場所に着いたらバックで搬入ホームに停車。

 いつも通りの仕事が始まると考えている作業服の男二人が無警戒にトラックのリアドアに近付き、リアドアを開ける。彼らはそこから突き出されてきたモノが理解できなかった。そして、その困惑が二人の最期の感情となった。要するに片方は佐藤のサバイバルナイフで喉を突かれ、もう片方は沙紀の爪で首をはねられた。

 佐藤はヘッドセットの録画用カメラのスイッチを右手で入れつつ、周囲で棒立ちしてこちらを凝視している内の一人に向かってナイフ片手に駆ける。佐藤は逃げようと背を向けた男の首を後ろからナイフで刺し貫いた。アサルトライフルの弾を一発でも節約するため、佐藤はなるべくアサルトライフルは使うべき相手にしか使わないよう決めている。

 他の面々もすぐさま周囲の作業員に襲いかかり、瞬く間に制圧した。

 ヒーローは助手席から降り、自分が助力した『結果』を目の当たりにした。搬入ホームは血の池が至るところにできている。

 

「こんなの、ヒドすぎる……!」

 

 ヒーローが青い顔を右手で覆う。

 

「随分調子良いこと言うじゃねえか。てめえも加担したってのに」

「ここまでヒドいことをするとは思わなか──」

 

 ヒーローの言葉は、針間が右腕の毛を『個性』にして硬化させたラリアットで頭をトラックに叩きつけられて潰されたことによって途切れた。ずり落ちるヒーローの頭はまるでそこだけアイアンメイデンに入れられたように穴だらけになっていて、トラックの側面には血がべったりと付着している。

 

「もうてめえに用はねえよ」

 

 針間はヒーローに唾を吐き捨て、佐藤のいる方に歩く。

 

「佐藤さん、ヒーローは始末した。人質にした家族はどうする?」

「捕まえたヴィランの好きにしていいって伝えといて」

「了解」

 

 針間は携帯電話を取り出し電話している。

 さて、と佐藤はこれから始まる戦闘に向けて思案を巡らせた。この搬入ホームは監視カメラが見当たらないため、まだこの刑務所の人間にバレていない。だが、扉付近と扉を出た通路には監視カメラがあるだろう。沙紀がここのカウンセラーから聞き出した情報と見取り図を信用するなら、監視カメラを管理している警備室は通路を真っ直ぐ行き右に曲がった先の扉にある。そしてヴィランたちを閉じ込めている電子ロックも、そこで解除できる。

 

「ここからはスピード勝負になる。(さとし)君、頼んだよ。万が一の時は丸井君、よろしく」

 

 佐藤にそう言われた(さとし)は、佐藤からは見えない位置でガッツポーズを作る。だが、あくまで表面上は素っ気なく「ああ」と返事をした。丸井は固い表情で頷いただけ。

 もし監視カメラを監視する仕事を怠けずやっていて、扉を飛び出した瞬間、緊急警報を鳴らして警備室を厳重にロックされたとしても、(さとし)の『個性』の前では豆腐を切るように扉を融解させられる。それで万が一切れなかったら、丸井が扉を『個性』で球体にすればいい。

 佐藤は自分より速く走れる針間と(さとし)に扉を開けるよう指示を出し、走り出した二人の後ろに佐藤が続く。佐藤の後ろは沙紀と丸井が周囲を警戒しつつ付いてくる。

 針間が右扉、(さとし)が左扉を勢いよく開けた。バンという音とともに通路の光景が飛び込んでくる。通路にいる人数は六人。音で顔をこちらに向けた。扉を開ける前から八九式五.五六ミリ小銃を構えていた佐藤は走る速度を少し緩め、恐るべき照準の速さで六人の頭を次々に撃ち抜く。通路に赤い血の噴水が六つ生まれ、通路の床と壁を血で彩った。

 

「えっぐ……」

 

 沙紀が思わず言葉を漏らした。そんな沙紀の言葉を意にも介さず、沙紀の前にいる三人は死体のある通路を全速力で駆けていく。

 

「私が左を掃討する! 君たちは警備室に!」

 

 佐藤が指示を出しつつ、下げていたアサルトライフルの銃口を上げる。

 およそ五十メートル先にある通路の突き当たり。銃声を聞きつけ、何事かとやってきた人間の頭を佐藤は撃ち抜き続ける。たちまち悲鳴と絶叫が通路を埋め、安易に通路に顔を出す人間はいなくなった。

 通路の突き当たりはT字となっており、佐藤たちはそこで足を止め、佐藤は左、それ以外は右を僅かに顔を出して確認。

 佐藤の目に背中を向けて逃げていく五人の姿が見えた。佐藤は素早く体を出し、アサルトライフルで四人の後頭部を撃ち、一人は右太ももを撃ち抜く。その一人は一番後続の人間であり、右太ももを撃たれたせいで目の前で折り重なっていく四人の死体の上に前のめりで倒れた。

 佐藤はちらりと背後を見る。背後では沙紀が爪で、針間が腕や足で、(さとし)が九ミリ拳銃で右の通路にいる者を殺戮していた。丸井だけは殺戮に加わらず、周囲をキョロキョロ不安そうに見ている。だからこそ佐藤と視線がかち合い、丸井は居心地の悪い気分を味わいながら、佐藤の視線を振り払うように三人のすぐ背後に一目散に駆け寄った。

 佐藤は軽く笑みを浮かべると、足を撃たれて死体の上でもがいている男に歩いて近付いていく。

 男はもう助からないと考えたのか携帯電話を取り出し、佐藤を怯える目で見ながら携帯電話を耳に当てた。

 

「緊急要請! 緊急要請! 静岡刑務所がヴィラン五名に襲撃された! 近場にいるヒーローはすぐ現場に急行されたし! 繰り返す! 静岡刑務所がヴィラン五名に襲撃された! 近場にいるヒーローはすぐ現場に急行されたし!」

 

 男は必死に携帯電話に怒鳴りながら、帽子の男が血に濡れたサバイバルナイフを抜き、笑みを浮かべながら近付いてくる様を目でしっかり捉えている。

 

「頼む、助けて──」

 

 佐藤は来るなと言っているかのような男の伸ばした腕を掴み、ぐいッと引き寄せながら仰向けの男の首にナイフを刺し込む。「がッ」と短い絶叫の後、男の目から生気が消えた。ナイフを抜くと、こぽッという排水口が詰まった時に出るような音をさせつつ、首から血が溢れ出す。

 もう刑務所の人間はパニック状態であった。襲撃してきた相手に一切立ち向かうことをせず、悲鳴をあげて逃げ惑うばかり。だが、それは仕方ない。彼らはこんな日が来るとは夢にも思っていなかったし、何より刑務所内にはヴィランと闘うべきヒーローがそれなりにいた。にも関わらず応援を要請したのは、それだけではヤバいと直感したからだろう。

 佐藤は正面にアサルトライフルを構えながら、後ずさる。警備室にいるであろう四人と合流するためだ。

 

 ──ライフルの残弾は十四。まだ再装填(リロード)はしなくていいかな。

 

 佐藤が後ろ足で左を警戒しながらT字路のところまで戻ってきた時、けたたましい警報音が刑務所中に響き渡った。おそらく逃げていった者の内の誰かが非常警報のボタンを押したのだろう。警備室であっても、そこまでは制御できない。

 警備室から四人が出てきて、佐藤と合流した。

 

「佐藤さん、捕まってるヴィランたちの電子ロック、全部解除したよ」

「じゃ、帰ろうか」

「えッ!?」

 

 沙紀が戸惑いの声をあげた。他の三人も困惑した表情で佐藤の顔を見ている。

 

「さっきヒーローの応援を要請された。長くここに留まれば留まるほど、脱出は困難になる」

「けど、刑務員の殲滅はどうすんだよ? 解放したヴィランどもは? 全然目的を達成できてねえじゃねえか」

「いいんだよ、もう。目的は達成したんだ。これで国民からのヒーローの信用は落ちるんだから。それに、まだ『スタートボタン』を押す気はないからね」

「……は?」

 

 困惑する四人の横を通り過ぎ、佐藤は侵入した搬入ホームの方へ歩き出した。首を傾げながら、四人がその後ろに続く。彼らはその先に何が待ち受けているか、この段階ではまだ考えもしていなかった。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 小麦色の肌をした白髪の女性の携帯電話に通知が入った。それはヒーローだけが使えるネットサービス『HN(ヒーローネットワーク)』からの通知だ。

 HNは全国のヒーローの活動報告が見れたり、ヒーローに協力を要請することができる。ヒーロー以外は警察や消防署、あるいは刑務所といったヴィランに遭遇する確率が高かったり、あるいは早急に対処しなければならない施設の人間だけがHNに緊急要請できる番号を知っている。特定の番号で電話をかけた後、電話で話した言葉は一字一句文字に置き換えられ、HNの依頼欄に緊急としてメールが入る。その緊急要請に応えられるヒーローはその依頼に了承の返事をすれば、依頼成立。緊急事態が片付いた後、返事があるヒーローの人数と貢献度で報酬を振り分けることになる。

 

「ん〜なになに、静岡刑務所にヴィラン襲撃? そいつらツイてねえな! この私が静岡にいる時に大それたことするなんざ!」

 

 兎のような耳をゆらゆら動かしながら、白髪赤目の女性は緊急依頼に返事を入れた。

 女性は携帯電話をしまい、勝ち気な笑みを浮かべて跳躍。コンクリートの地面を抉りながら跳んだ女性の姿は一瞬で朝焼けの空へ消えていった。




HNに公的機関が緊急時に応援要請の依頼ができるというのは私の独自設定となります。緊急要請できた方がリアリティが増すと思ったので。


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第9話 ミルコVS佐藤

 刑務所搬入ゲート向かいの建物の屋上。二人のヴィランが刑務所の方を双眼鏡で監視している。彼らは二人一組(ツーマンセル)のチームであり、他の四棟の屋上からもそれぞれ二人一組(ツーマンセル)のヴィランが同様に監視している。

 彼ら十人は佐藤から応援に来たヒーローの監視とヒーローの対処を依頼されたヴィランたちだ。佐藤は金払いがいいため、彼らは真面目に依頼をこなしている。

 そんな彼らの頭上を一瞬で通り過ぎ、十五メートルの高さがある刑務所の外壁に人影が着地。その人影を双眼鏡で見て、双眼鏡を構えたヴィランの顔から血の気が引いていく。

 双眼鏡から手を放し、すぐさま携帯を取り出して電話。もちろんその相手は依頼主である佐藤だった。

 

 

 佐藤が搬入ホームへ続く通路を歩き、その後ろに丸井、沙紀、(さとし)、針間の四人が続く。そこで、佐藤の携帯が鳴った。佐藤は携帯を取り出し、電話に出る。

 

『佐藤さん! ヒーローの応援が来た! あのミルコだ! ミルコが来たぞ!』

「ミルコ……上位プロヒーローだったね。たしか個性は『兎』だったかな」

『佐藤さん! 俺たちの援護は!?』

「君たちはバイクと車が用意してある場所までの退路確保を頼む。次連絡した時が合図だ」

『分かった!』

 

 佐藤は電話を切り、アサルトライフルを迷わず再装填(リロード)。十三発しか残ってない弾倉は弾薬入れポーチではなく、ミリタリーベストのポケットに入れた。

 

「ミルコってマジ……?」

 

 沙紀が不安そうに訊いてきた。佐藤は頷く。沙紀は頭を抱えた。

 

「ガチヤバいってぇ……。あたしたちオシマイかも……」

「ならここで縮こまって、ヒーローに捕まるのを待つかい? 別に私はそれでも構わない。囮がいた方がチームの生存率は高まるからね」

 

 ゾワッとしたものが沙紀のつま先から頭まで駆け抜けていく。それはついて来れない者を平然と切り捨てる佐藤への恐怖と、自分を侮られたことへの怒りだ。

 

「あたしをナメんなよ、おっさん! 上位プロヒーローだろうが知るか! 絶対逃げてやる!」

「その意気だよ」

 

 佐藤は沙紀の悪口を軽く流し、笑みを浮かべる。てっきり口論になるかと思っていた沙紀は拍子抜けして息をついた。

 

「体験版ってあるよねぇ。本編のゲーム発売前に過程をすっ飛ばして本編のボスと戦えたりするヤツ」

「え? なんの話?」

 

 急に話題を変えた佐藤に、沙紀は訊き返す。

 

「本編のゲームの前に、ちょっとだけ体験版を遊んでみようかなって思ったんだよ」

 

 佐藤の言葉で、佐藤の後ろを付いて歩いている他の四人は直感した。佐藤はミルコと戦う気だと。

 

「さて、兎狩りといこうか。ただし、この場からの撤退が最優先なのは忘れずにね」

 

 佐藤はアサルトライフルを構え直した。

 

 

 ミルコは刑務所の外壁の上から、刑務所全体を見下ろす。ミルコが探しているのはヴィランの侵入ルートである。慌ただしく建物から出てくる人々。反対にヒーロースーツを着たヒーローたちが建物に入っていく。刑務所の外壁に損壊は見られなかったから、どこかに侵入の形跡がある筈。ミルコは一瞥でそこまで思考し、搬入ホームのトラックの側で倒れている人に気付くと、そこ目掛けて一気に跳躍。

 ミルコは一目でトラックの横に倒れているヒーローが手遅れと分かり、舌打ちする。そこでほんの微かな足音を聞き、ミルコは反射的にその場から跳びずさった。その一瞬後、ミルコの頭があったところを銃弾が通り過ぎ、トラックのサイドミラーを破壊。

 ミルコがトラックを遮蔽物にし、トラックの残っているサイドミラーをもぎ取る。そのサイドミラーで銃声がした方を映し見た。帽子の男が扉付近で銃を構え、他にも四人が搬入ホームの柱に隠れてこちらを窺っている。ミルコは彼らの名前など知る由もないが、佐藤たちの五人である。

 

 ──襲撃してきたのは五人っつってたな。てことは、あいつらがそうか。

 

 ヴィランの位置を全て把握したミルコは即行動を起こした。まず斜め前に跳び、柱を遮蔽にしつつ柱を蹴って壁に行き、そこから佐藤に一気に突っ込んだ。そのまま蹴り飛ばす。佐藤は通路の方に転がっていく。そこで、ミルコは横腹に痛みを感じた。佐藤がいつの間にか拳銃を握っていることに気付く。どうやら蹴られる瞬間、相打ち覚悟で拳銃を撃ったようだ。だが、胸の骨を折った感触が足に残っている。もう動くことも辛い筈だ。

 

 ──あと四人!

 

 ミルコは近くにいる針間にターゲットを変更し、蹴りかかった。そこで、通路から銃声が聞こえた。

 

 

 佐藤は倒れたまま、握っている拳銃をこめかみに当て、発砲。黒い粒子に包まれつつ、立ち上がる。

 

 ──速いね。よけるのは難しいな。

 

 佐藤はアサルトライフルを構え、針間に蹴りを入れて壁に打ち付けているミルコに撃つ。が、ミルコは撃たれる直前、針間に追撃せずにその場から遮蔽がある場所へ移動した。

 

 ──あの位置から私が扉のところまで来た足音が聞こえたのか。兎なだけあって、耳が良いのかな。

 

 一方、ミルコは佐藤が平然と動いていることに驚いたが、個性が『再生』だと直感した。そして、だからこそ銃という武器を使っているのだと納得。しかし、だとしたら『再生』が早すぎる。まるで『超再生』の個性を持っていた脳無という怪物のようだ。

 ちなみに脳無とは、オール・フォー・ワンのヴィラン連合が作り出した改造人間であり、オール・フォー・ワンに個性を複数与えられた反面、死体を元にしているため自我が乏しい。

 ミルコの右横にいた沙紀が指先を向け、爪を伸ばす。ミルコはそれを完全に見切り、紙一重で避けながら沙紀との距離を一瞬で詰めた。

 

「ひえっ……」

 

 恐怖の表情に歪む沙紀。だがミルコは攻撃を止め、そこから退避した。瞬間、銃弾が目の前を通り過ぎる。ミルコはトラックの上に着地し、表情に不機嫌さを滲ませた。

 

 ──ウッゼェな。

 

 もし今女を攻撃していたら、その一瞬の隙で撃ち抜かれていただろう。射撃そのものは銃口の向きに気を付けておけば脅威でもなんでもないが、横やりが鬱陶しい。かといって、銃持ちの帽子男はほぼ確定で個性が『超再生』。起き上がれないくらいのダメージを与えたところで無駄に終わる。

 

「針間君、大丈夫かい?」

「ああ。けど、やっぱつえーぜ」

「ダメージは通るから狩れるよ」

 

 佐藤は扉の前から柱まで移動し、携帯の発信ボタンをタップ。画面が発信中になったことを確認すると、携帯をしまう。後方の増援に気を取られて銃口から一瞬でも気を抜いたら、ミルコの頭を撃ち抜く。そういう計算である。

 

「私を狩るだと……? 随分とナメたこと言うじゃねえか!」

 

 佐藤たちの会話が聞こえたミルコは怒りで顔を赤くした。ミルコの横腹からは血が滲み出ているが、そんなもの気にも留めてない。

 そこでミルコは後方から複数の足音を聞いた。ここからの判断力はミルコが上位プロヒーローでいられる一つの強みであることは間違いない。ミルコは足音を聞いた瞬間に後ろを確認せず、前方の扉目掛けて跳んだ。跳んだ衝撃でトラック上部が潰れる。ミルコはどちらにせよ最前線に行けば、ヒーロー側なら挟み撃ちにできるし、ヴィラン側でも挟み撃ちされるリスクを無くせると足音を聞いた一瞬で判断したのだ。ただ一つ誤算がその判断にあったとするなら、佐藤がわざと通路前から柱に移動して通路に逃げやすいようにしていたことに思い至らなかったことだ。

 ミルコは通路に体を滑りこませると、通路の扉を遮蔽にしつつ、手に持つサイドミラーで後方からの増援がヒーロー側かヴィラン側か確認しようとする。が、そのサイドミラーは佐藤の銃撃により破壊され、サイドミラーを銃の衝撃で落とした。ミルコは舌打ちする。

 佐藤は他の四人に逃げろとハンドサインで指示しつつ、佐藤自身は通路の方にアサルトライフルを構えたまま近付く。佐藤はミルコの耳の良さを逆手に取り、ミルコほどのプロヒーローならばあの場で残って戦うという愚を犯さないと予想し、通路という狭所に押しやってミルコの驚異的な機動力を封じようと考えた。味方の退路を確保しつつ、こういったことを狙えるのは佐藤の冷静な判断力のおかげだ。

 ミルコは近づいてくる足音と逆に遠ざかっていく足音を聞き分け、直感で連中はもう刑務所に用は無いと分かった。

 佐藤は通路の扉に向かって、アサルトライフルを連射。銃弾は刑務所の扉なだけあって貫通はしなかったが、扉にめり込んだ。

 ミルコはその挑発的な行動にイラつき、銃撃が止んだ瞬間に扉から身を乗り出し、リロードしようとしている佐藤に襲いかかる。だが、それは佐藤の罠だった。リロード動作はミスディレクション。そちらに注目させつつ、死角となっている手にはM八四スタングレネードが握られており、ミルコが飛び出したと判断した時にはスタングレネードは床に投げられていた。ミルコは途中で自分の体の勢いを殺すこともできず、スタングレネードを蹴り飛ばす余裕も無い。

 そこからはミルコにとってスローモーションに見えた。スタングレネードを投げた佐藤はそのまま拳銃を抜く。その銃口をこっちに向けられるかと思いきや、ミルコの予想に反して拳銃は佐藤の顎の下に突きつけられた。

 

 ──なんだコイツ……!?

 

 ミルコが真っ白な閃光ととてつもない轟音で包まれる瞬間の最後の記憶は、凄絶な笑みを浮かべながら拳銃の引き金を引き、頭がのけぞった佐藤の姿だった。

 

「がッ、耳が……!?」

 

 至近距離でスタングレネードをくらったことによる視覚と聴覚の一時的な喪失。とりわけ聴覚の喪失はミルコにとって初のことだった。そしてここでも、ミルコの動物的な危険予知が冴える。普通に考えれば、帽子の男は死んだ。だが、死ぬ直前に個性の『超再生』が発動するのだとしたら、帽子の男はまだ生きているかもしれない。ミルコは常に最悪な状況を想像し、それに対して的確な行動を取り続けてきた。だからこそ、上位プロヒーローに君臨することができる。

 ミルコは視覚と聴覚を失った状態で、思いっきり後方斜めに跳んだ。体がぶつかったら方向を変え、また全力で後方に跳ぶ。そうやって通路のそこら中に体をぶつけながら、射線を絞らせないようにしつつ、通路の奥に逃げた。

 一方、佐藤はスタングレネードの爆発と同時に拳銃で死ぬことにより、亜人の能力でスタングレネードの効果を無力化。アサルトライフルのリロード動作を改めて挟み、通路を猛スピードで逃げるミルコに向かって連射。ミルコが速すぎて照準が追いつかないため、弾幕を張ることで少しでもダメージを与えることを重点に置いた。無論佐藤は棒立ちして撃ったわけではなく、ミルコを走って追いかけながら撃っている。

 ミルコは腕、脚、肩に被弾しつつも、通路の突き当たりまで辿りつき、そこから右に跳んで部屋に跳び込んだ。手探りで金属製のデスクを見つけ、それを遮蔽物にして体を隠す。そこから数秒後、ようやく視覚が戻りはじめ、同時に自分が跳び込んだ部屋の中で四人の人間が床に倒れて死んでいるのも見えてきた。

 

「クソどもが……ッてててッ!」

 

 ミルコは怒りつつ、被弾箇所を確認。右肩、左太もも、右腕、右横腹の四箇所。致命傷ではないから、まだまだ戦える。少なくとも、この時はそう思っていた。

 ミルコが遮蔽物に隠れつつ通路を覗いた時、佐藤が何かを部屋に向かって投げていた。

 佐藤は通路の突き当たりに近付くと、M六七破片手榴弾をポーチから取り出し、通路の右を覗き見した時に特徴的な耳が警備室の中から見えたことで、手榴弾のピンを抜き、警備室目掛けて投げた。投げた瞬間、佐藤は更にミルコを追撃するためIBMを使用。佐藤から溢れた黒い粒子が異形を形作り、手榴弾が投げこまれた警備室に向かって駆け出す。そのIBMの動きに反して、佐藤は通路を引き返し、搬入ホームに向かって走り出した。後の戦闘はIBMに任せ、本来の目的の刑務所から脱出することを重視したからだ。

 佐藤は走りながら、アサルトライフルをリロード。佐藤の表情はとてもにこやかであった。

 

 

 ミルコは佐藤が投げてきた物体が爆発物であると理解した瞬間、行動。手榴弾が室内に入ってきた時、ミルコは天井を蹴りで破壊し、室内から抜け出した。同時に手榴弾の爆発が室内を吹き飛ばし、天井すらも破壊した。ミルコは二階に逃げた後も移動し続けたため、間一髪で手榴弾の爆発から逃れることができた。

 

「あの帽子男、ふざけやがって! あー、あー……耳も大分回復してきたな」

 

 自分の声が聞こえることを確かめ、ミルコはひとまずホッと息を吐いた。聴覚があるのとないのでは、安心感が違う。

 ミルコは崩れた天井の端から顔を出し、佐藤がいないかどうか確認。いないことが分かると、再び室内に下りた。床にあった四人の死体は爆発で見る影もないほどグチャグチャになっている。

 

 ──あの帽子男、ぜってぇ許さねえ!

 

 ミルコは通路に向かって歩き出そうとするが、微かな音に耳が反応し、足を止める。微かな音の出処は室内の右端からで、音が鳴りそうな物は何も無い。にも関わらず、微かな音が規則的に鳴り、そして近付いてくる。

 

 ──なんかいやがるな。

 

 『個性』が当たり前の能力社会で生きてきたミルコにとって、違和感をそのまま放置するなんてことは有り得ない。ミルコは注意深く音が鳴った方を凝視し、五感を研ぎ澄ませる。唐突に微かな音が足音になり、凄まじい速度で接近してきた。視界には何も映ってない。だが、音は近づいてくる。ミルコは音がする方に向かって思いっきり蹴りを入れた。それは聴覚が優れたミルコだからこそできた反応だったのだろう。ミルコは何かを粉々にしたような感触を足で感じ、そのまま突き抜けた。ミルコには見えないが、ミルコの蹴りはIBMの腹部を破壊し、IBMを貫くようにミルコの体は抜けたのだ。

 ただそこでも、ミルコの驚異的な危険予知能力が冴える。ミルコは粉々にした感触というのがどうにも引っかかった。明らかに人間を蹴った感触ではなかったからだ。

 故に腹部を復活させ、ミルコの背後から鋭い爪がある手を振るうIBMの攻撃を、ミルコは跳ぶことで回避。爪が背中を僅かに抉りはしたが、重傷にはならなかった。ミルコはそのまま空中で回転し、踵落とし。その攻撃はIBMの頭部から腹部まで真っ二つにした。感覚器官の役割を担っている頭部の喪失により、異形は形が保てなくなり、黒い粒子に戻って空気中に溶けるように消えていった。

 一切の音が聞こえなくなった室内。ミルコは聴覚を研ぎ澄ませて、何かしらの動きがあるか注意する。しばらく何も音が無かったことで、あの透明な何かは消えたと判断。

 

「どいつの『個性』だよ、今の。どっかに他のヴィランが隠れてるのか?」

 

 だが耳を澄ませても、遠くの方の音しか聴こえない。それとも遠く離れていても問題無い能力なのか?

 ミルコが今の透明の個性について思考を巡らせていると遠くの音が近付いてくるのが分かり、通路の向こうからヴィランたちが大勢駆けて来ているのが見えた。これを見てしまったら、帽子の男の追跡など考えず、あのヴィランの集団を捕まえなければならない。

 ミルコは体から血を流しつつも獰猛な笑みを浮かべ、ヴィランの集団の中に跳び込んだ。

 

 

 佐藤はIBMのリンクが切れたのを、バイクのエンジンをかけようとしている時に感じた。この時点で佐藤は武器をバッグにしまっている。

 

 ──狩りきれなかったか。さすが上位プロヒーロー。ゲームスタートがより楽しみになってきたよ。

 

 佐藤は逃走用のバイクに乗り、静岡の仮拠点ではなく、東京の拠点を目指して走らせた。



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第10話 個性分析

 ──相変わらず、よく食うヤツだ。

 

 ミルコは目の前に座る同年代の女性を呆れた目で見ている。女性はナース服のような衣服にナース帽を被っているが、れっきとしたヒーローだ。名を燃輪(ねんりん)(めぐみ)といい、燃えるような長い赤髪を首の後ろで束ね、明るい赤の瞳のつり目をしている。ヒーロー名は『カロリーメイカー』。彼女の前の大テーブルには大量の惣菜弁当が置かれており、この大テーブルしかない室内の床は弁当やおにぎり、サンドイッチの山がそこら中にできあがっていた。

 彼女はそんな光景が見えていないかのように、恐るべき早さで次々に大テーブルの弁当を片付けている。食べる表情はとても幸せそうだ。

 

「その傷で今までヴィランを捕まえていたのは、流石としか言えませんよ」

「大した傷じゃねえよ、こんなモン。メシ食ってりゃ治らぁ」

「それは私の台詞(セリフ)です。右腕をこちらに」

 

 ミルコは床の弁当類を踏まないよう注意しながら、食事を再開した燃輪の隣に行き、右腕を出す。血は止まっているが、銃弾は貫通しているため、見た目ほど軽い傷じゃない。

 燃輪は箸を置き、座ったまま左手の人差し指に付けているキャップを外した。それから消毒液を染み込ませた布で指先を拭き、拭いた人差し指をミルコの右腕の銃創に近付ける。人差し指の先から透明の液体が垂れ、その液体が銃創に当たると銃創はみるみる治っていく。完治まで十秒程度しかかからなかった。

 燃輪は超一流のヒーロー高校雄英で看護教諭をしているリカバリーガールと同じ、『治癒』系統の個性の持ち主である。彼女の個性は『回復食(カロリーヒール)』。摂取したカロリーを治癒液に変換し、指先の蛇口から出すことができる。ただし、治癒液を体内に貯めることはできず、摂取したカロリーも時間が経つにつれ消化で他の栄養素となっていくため、食事しながら治癒液に変換するのが最も効率の良いやり方だった。

 

「ミルコさんにこれだけ傷を与えるなんて、一体何人のヴィランを相手にしてたんです? カロリー換算で八千キロカロリーですよ、この傷は」

「五人──いや、一人か。他の四人はその辺のヴィランと同レベルに感じた。あー、思い出しただけで腹が立ってきたぜ!」

 

 燃輪から右肩の治癒を受けながら、ミルコは歯ぎしりした。本当に忌々しいヴィランだった。

 

「その一人はそんなに強かったですか?」

「個性が『超再生』だったから、仲間がいたあの状況じゃ無力化が無理だった。『再生』じゃなかったら蹴って終わりなのにめんどくせぇ」

 

 ──拘束用ヒーローアイテム、これからは持っといた方がいいのか?

 

 ミルコが思案していると、燃輪は右肩の治癒が終わったらしく、今度は横腹の方に指先をもっていく。

 

「よければそのヴィランとの戦闘がどんな感じだったか、私に聞かせてもらえません? 私と似た個性なら、何かお役に立てるかもしれませんし」

「いいぜ。他に話すこともあんまないし」

 

 ミルコは帽子男との戦闘を最初から燃輪に話した。話している間にミルコの治癒は完了した。五箇所あったミルコの傷は跡も遺っていない。

 

「やっぱりあの帽子のヴィランを逃がした一番の失態は、リロードに釣られて突っ込んじまったことだな。あの帽子ヴィラン、私の耳の良さを逆手に取って、わざとマガジンを抜く音を聞かせたに決まってる。その一方、帽子ヴィランはちゃっかり銃声に紛れてスタングレネードの準備を完了させていた。完全にヤツの作戦勝ちだよ。思い出す度に腹立つぜ!」

「でも、仮にミルコさんがそのリロードの誘いに乗らなかったとしても、その場合は通路にスタングレネードを投げ込まれて終わりなのでは? 多分ですけど、その帽子ヴィランはミルコさんを通路に押しやることを第一に考えていたような気がしますね。ミルコさん、速いですから、広まった場所じゃ分が悪いと判断したんでしょう」

 

 そこでミルコは帽子ヴィランが増援が来る直前に、通路から柱に移動していたのを思い出した。確かに言われてみれば、帽子ヴィランは私が通路に逃げやすいような動きをしていた。

 

「あと、一つミルコさんの話で気になったところがあるんですけど、スタングレネードが爆発する直前、何故帽子ヴィランは自分の頭を撃ち抜いたのでしょう? そのダメージ、カロリー換算で三千キロカロリー以上ですよ」

 

 燃輪はその『個性』からか、傷のレベルをカロリーに換算して話すクセがある。それ故、燃輪のことを知っている現場では患者も燃輪も傷のことを全てカロリーで話すという、知らない人が聞いたら理解不能なカオス空間が構築される場合が度々あるのだ。ミルコも現場に居合わせたことがあるが『右腕! 千二百キロカロリー! 腹! 二千三百キロカロリー!』『了解しました! そこの焼肉弁当四つとサンドイッチ一つお願いします!』『へいお待ちィ!』というどっかの変な弁当屋さんか? と思うようなやり取りが繰り広げられていたりした。

 

「何故ってそりゃあ……」

 

 理由を言おうとしたが、ミルコは何も思い付かなかった。

 

「個性が『超再生』に近いものなのは間違いないのでしょう。ですが、再生できるからといって自傷行為をするものでしょうか? それと、ミルコさんが最初そのヴィランを蹴った時、そのヴィランはどうやって『再生』しました?」

「いや、『再生』するとこは見てねェが……待てよ、思い出したぜ! あの帽子ヴィランを通路に蹴っ飛ばした後、通路から一発銃声がした! それから、何食わぬ顔で扉前に立ってたんだ! てこたぁ、まさかヤツの『再生』には条件があるのか?」

「おそらくですが、ある一定以上のダメージを負ったら『超再生』以上の速度で再生する個性なのではないでしょうか?」

「『再生』の個性で条件があるのは聞いたことねェな。なんにせよ、お前に話して良かったよ。あの帽子ヴィランについて、頭の整理ができた」

「私もミルコさんに傷を与えたヴィランが気になったので訊いただけですから、お互い様です」

 

 そこで扉が開き、パンパンに入った幾つものビニール袋を抱えた男女が入ってきた。二人は燃輪が雇っているサイドキックである。サイドキックとは、ヒーローと一緒に行動する相棒や親友のことをいい、ヒーロー事務所を持たないヒーローと考えても大体は当てはまる。ちなみにミルコは他のヒーローの力を借りることを前提とするサイドキックが気に入らず、サイドキックを雇っていない。

 

「やっぱこの時間は大漁、大漁〜! ここらのスーパーとコンビニ、総ナメしてやったわ!」

「戻ってきたヒールボトルの洗浄、完了。五十三本ある」

「二人とも、ありがとうございます」

「おいおい、いつまで食う気だよ」

「ヒールボトルが無くなるか、眠くなるまでです」

 

 ミルコが口を挟むと、燃輪はしれっとそう言い切った。

 そこでミルコは、追加された弁当に寿司が入っていることを見つけた。

 

「おい、寿司が入ってるぞ」

「入ってますね」

「ここにある弁当やおにぎり、サンドイッチは全部廃棄するヤツを貰ってきてるんだよな?」

「そうです」

「じゃあナマモノはマズいだろ。腹壊すぞ」

「お腹壊したら、これ飲みますから大丈夫です」

 

 燃輪は今しがた作った治癒液を入れたボトルを、ミルコに見せる。

 ミルコは呆気に取られた後、笑った。燃輪らしい言葉だったからだ。以前、ミルコはなんで食べ物を廃棄品だけにするのか、と燃輪に訊いてみたことがある。その問いに対する燃輪の答えは、カロリーは変わらないのだから古くても問題ありません、だった。その言葉の裏に廃棄される食べ物への悲しみがあることは、ミルコに痛いほど伝わっていた。

 ミルコは立ち上がり、部屋の扉を開けた。

 

「世話んなったな、カロリーメイカー」

「いえいえ、あと三日くらいはこのヒーロー事務所をお借りしてるので、また怪我をしたら来てください」

「私は簡単に怪我しねぇよ」

「あ、そうだ。これ、持っててください。六千キロカロリーまでの傷を治せます」

 

 燃輪はヒールボトルをミルコに向かって投げる。ミルコの身体能力を信頼しているからだ。ミルコは期待を裏切らず、投げられたボトルをたやすくキャッチした。

 

「ありがとよ」

 

 ミルコがヒーロー事務所を出ると、携帯からHNに入り、全ヒーローに向けて、こう発信した。『帽子にミリタリーベスト、武器に銃を使い、《再生》する個性のヴィランを見かけたら、ミルコまで連絡よこせ。そのヴィランは私の獲物だ』と。もちろんそのヴィランの情報項目を新たに作成し、そのヴィランが静岡刑務所を襲ったヴィランであることや、再生には一定以上のダメージが必要等の情報も公開した。ここで初めて、ヒーロー側に佐藤の情報が朧げではあるが伝わった。だが、今後のことを踏まえれば、この時点での佐藤の情報共有はあまりにも遅すぎた。

 

 ──しばらくは静岡でその辺のヴィラン狩りながら、帽子ヴィランを探すか。借りは必ず返してやる。

 

 ミルコは携帯をしまい、新たなヴィランを探して跳躍した。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆   

 

 

 

 テレビからニュース番組が流れている。

 

※ ニューススタジオの全景から女性アナウンサーとスーツの男のバストショットへ。女性アナウンサーの一礼と同時に『澤田舞』のテロップが胸に重なる。

 

『先日の早朝に起きた静岡刑務所のヴィラン襲撃。そのヴィランにより囚人七百三十二名が解放され、刑務所から脱走しましたが、本日の午前七時四十三分、警視総監が会見を開き、脱走したヴィラン七百三十二名全員の収容を確認したが、襲撃してきたヴィラングループは未だ確保できておらず、警察とヒーローが連携を密にし、ヴィラングループ確保に向けて全力を尽くすと発表しました。襲撃してきたヴィラングループは一体何が目的だったのでしょうか。

襲撃してきたヴィラングループの目的について、ヴィラン心理研究家の❲剣頭治嵬(けんとうちがい)❳さんをスタジオに招いています。剣頭さん、本日はよろしくお願いします』

『よろしくお願いします』

 

※ 一礼しあう澤田アナウンサーとスーツの男。そのスーツの男の胸に『剣頭治嵬』のテロップが重なる。

 

『剣頭さん、早速なのですが、今回のヴィラングループは一体何が目的で刑務所を襲撃したのでしょう? 警視総監の会見では、襲撃したヴィラングループは脱走した囚人の援護や誘導を一切していなかったと発表していました』

『私はヴィランの心理研究を始めて二十三年です。書籍も多数出しており、どれも読者から好評だと聞いております。その私が考えるに、これは本命のためのリハーサルなのではないか、ということです』

『つまり……狙いの刑務所があるということですか』

『私はそう考えます。静岡刑務所はそこそこ大きい刑務所ですが、凶悪なヴィランは収容していませんから。静岡刑務所を襲撃することで、刑務所の構造や警察とヒーローの対応を試したのではないでしょうか。研究歴二十三年の私はそう確信しています。他刑務所の警備を厳重にするのが今警察とヒーローがやるべき最良の対応だと思いますけどねぇ』

『なるほど。ちなみに情報によりますと、襲撃してきたヴィランの一人は帽子とミリタリーベストを身に付け、銃を使用していました。このヴィランはどのような心理状態なのでしょう?』

『研究歴二十三年の私が分析するに、典型的な懐古主義者ですね。今の個性社会を妬み、以前の社会に憧れを持っているのでしょう。こういったヴィランは個性やヒーローアイテムに頼らず、以前の社会で重宝されていた武器を使用する傾向があります』

 

※ 剣頭の書籍にあるグラフがバックスクリーンに表示され、澤田アナウンサーと剣頭が後ろを向いてグラフに注目。澤田アナウンサーがグラフを右手で示す。

 

『このように、剣頭さんのグラフによれば、ヴィランの装備と思想は密接しているとのデータが出ています。実際ヴィランの装備は何らかのモチーフや思想が色濃く出ている場合が多々あり──』

 

 そこで、青白の髪をした痩身の青年がリモコンでテレビを消した。

 

「くだらねぇ」

 

 その少年を見た目の印象だけで言うならば、異様だった。全身に人の手を身に付けているからだ。その数、七対十四本。だが、この異様な容姿の青年こそ、(ヴィラン)連合のリーダー格であり、オール・フォー・ワンが自身の後継と認めるほど、その思想は悪に染まり、破壊衝動に満ちている。名を死柄木(しがらき)(とむら)という。

 

「こいつだろ、トゥワイス。お前が会ってきて、俺たちに相応しくないって不合格にした奴。名前は確か……なんつったっけな」

「佐藤だ」

「そう、そんな感じの名前だった。こいつに会いたいんだけど、案内できる?」

「こいつに会う? やめとけやめとけ! 会ったって気分悪くなるだけだぜ!」

 

 トゥワイスの言葉に、死柄木は微かに笑った。だがその笑みは見る者の気分が沈むような、歪んだ笑みだった。

 

「今より気分が悪くなるなんてことはない。こいつが余計なことしたせいで、『先生』の救出の難易度が上がったらどうするんだ? 文句の一つでも言ってそいつに償わさなきゃいけないよなァ?」

 

 死柄木は自身の育ての親でもあるオール・フォー・ワンを先生と慕っている。彼は『オーバーホール』から個性消失弾の完成品を奪い、量産の準備をさせている最中であり、今は仲間を増やしつつ力を蓄える時期だと割り切っていた。

 

「『帽子』とコンタクトを取ってくれ」

 

 それは有無を言わさない、実質的な命令の威を言葉に宿していた。

 トゥワイスは諦めたようにため息を一つつき、「分かった」と半ば投げやりに言った。




人物詳細。

燃輪(ねんりん) (めぐみ)

ヒーロー側の回復役がリカバリーガール一人じゃ少なくね? と思ったため生まれた回復役その二。回復役が増えるよ! やったねヒーロー!
彼女は元々少食だったが、個性のため食べ続けるという苦行を中学生から始めており、今では食べた端からカロリーを治癒液に変換できるようになっている。彼女は患者や同業者のヒーローには人気がある一方、医療関係者からはその個性への妬みから嫌われていることが多く、嫌味や皮肉をよく言われる。


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第11話 ヴィラン連合

 死柄木ら(ヴィラン)連合は佐藤が指定した廃倉庫に到着した。佐藤が自身の拠点ではなく他の場所を指定したのは、万が一ヒーローに勘付かれた場合の拠点バレを防ぐためだ。以前トゥワイスが来た時と今では、佐藤のヴィランとしての規模と知名度が違う。

 死柄木が倉庫を覗くと、佐藤がすでにパイプ椅子に座っていた。いつもの帽子にミリタリーベスト。たすき掛けになっているアサルトライフル。佐藤の体が膨らんでみえるのはミリタリーベストに色々入れているからだろう。佐藤のパイプ椅子の後ろにはデカいバッグが置かれている。佐藤から二メートルほど離れた位置に同じようにパイプ椅子が置かれていた。

 死柄木はそのパイプ椅子にドカッと座った。死柄木の他に来ていたヴィラン連合の面々が左右に立つ。トゥワイス、コンプレス、トガヒミコの三人である。コンプレスは黒マスクの上に白の仮面を被り、丈の長いトレンチコートと羽飾りのついたシルクハットを身に付けた男。トガヒミコは黄色い瞳に犬歯、明るい茶髪を両サイドでお団子の形にまとめていて、女子高生のような制服を着ている少女。

 

「まだパイプ椅子あるけど、使う?」

 

 佐藤が問いかけた。ヴィラン連合の面々は顔を見合わせる。トゥワイスは佐藤に指を不機嫌そうに突きつけた。

 

「おい、俺たちはお前に何人で来るか伝えた筈だぜ! 人数分準備しとくのが普通だろ!」

「言われた人数通り来るかは分からなかったし、こういう場ではリーダーを立てて取り巻きは立ったままとかあるからね。必要な数だけ準備でいいかなって」

「取り巻きだぁ? 相変わらずムカつく野郎だ!」

「トゥワイス、静かにしろ」

 

 死柄木が佐藤を見据えたまま、トゥワイスに言った。トゥワイスは腕組みしてそっぽを向く。

 

「椅子なんかどうでもいい。お前が刑務所を襲ったせいで刑務所の警備がこれから厳しくなる。俺たちはその償いをお前にさせるために来た」

「そっか。ごめんね、刑務所の警備厳しくしちゃって。でもやりたかったからさ、しょうがないよねぇ。で、その償いってのは何かな?」

「んなもん決まってる。俺たちが刑務所を襲う時に手伝え」

「いいよ」

 

 佐藤は笑みを崩さず、気楽にオーケーサインをした。その気楽な返答に、死柄木たちの方が動揺した。そんな簡単に話が進むなんて想定していなかったのだ。

 

「君たちの話はそれで終わりでいいのかな? じゃあ、次はこっちの番。死柄木君……でよかったよね? キミの名前」

「……そうだ」

「なんでキミって頭や体に手をくっつけてるの? その手、本物? 『個性』と関係ある?」

「……は?」

 

 死柄木の目が鋭さを増す。それは佐藤を初めて一個人として認識した瞬間であり、同時に心が溢れた瞬間でもあった。つまりは不機嫌になったのだ。

 

「関係ないだろ、お前には」

「うん、まあそうだね。大切な物なのかな?」

「……さぁな」

 

 死柄木はなおも止まらない佐藤の質問に嫌気が差し、強引に話を切り上げた。

 

「ふぅん、別に大切じゃないんだ。なら、大丈夫かな」

「まだ手の話するのか?」

「いや、もういいよ。あと一つキミたちに言いたいことは──」

 

 佐藤は瞬く間に拳銃を抜き、死柄木に向けて即撃った。死柄木の頭にあった手が銃弾で後ろに弾き飛んでいく。その手には赤い管のようなものが付け根部分についており、弾かれた衝撃でそれが途中で千切れた。

 死柄木が振り向いて後ろに飛んだ手を見る。トゥワイス、コンプレス、トガヒミコはそれぞれ臨戦態勢に入り、佐藤との距離を詰めようとした。

 

「動くな!」

 

 佐藤の唐突な怒声。と同時に佐藤はミリタリーベストのチャックを開けた。

 それだけで、三人は動きを止める。何故なら、佐藤の体に爆弾が巻きつけられていたからだ。ミリタリーベストに物を入れているから佐藤の体が少し膨らんでいるように見えた、と考えていたヴィラン連合の面々は完全に意表を突かれた。

 佐藤はすでに起爆スイッチを拳銃を持っていない左手に握り、いつでもスイッチを押せる位置に指がある。

 

「私がその気なら死柄木君は死んでたよ? キミたちは少し危機意識が足りないんじゃないかな? あと、動いたら私は躊躇なくこの起爆スイッチを押す。これがルールだ。嘘だと思うなら、動いてみればいい」

「……ルール変更しようぜ? 動くなではなく、これ以上お前に近付かない。この体勢でこのままこうしてるのはツラいからな」

 

 コンプレスがそう提案した。佐藤は起爆スイッチに指を置いたまま、拳銃を膝のホルスターにしまう。

 

「そのルールに追加で、私に攻撃する素振りをしたらアウト。これにしよう。どうかな?」

「なら、そうしよう」

 

 両者の合意が取れたところで、コンプレスは臨戦態勢からさっきまでの自然体に戻った。それを横目で見ていたトゥワイスとトガヒミコも同様に自然体に戻る。ただ一つ、すぐに武器を取り出せる位置に手を持ってきたこと以外は。

 

「てめえ! 佐藤! いきなり銃ぶっ放すとはどういう了見だ!」

「私、この人大嫌いです」

 

 トゥワイス、トガヒミコが佐藤に辛辣な言葉を放つも、佐藤の表情に変化は無い。いつもの笑みのままだ。

 

「だって、撃たなきゃ分からないでしょ。殺せたかどうかなんて。だから撃ったんだよ。殺せたって分からせるために。結果は見ての通り。君たちはリーダーへの攻撃を防げなかった」

「……俺がこの手を大切なものだと言ったら、どこを撃った?」

「同じ手を撃ったよ、謝りながらね」

「じゃあ、撃つ前の会話は?」

「謝るべきかどうかの確認さ。でも、本当に大切だったんだね。謝るよ。すまないことをした」

 

 佐藤は起爆スイッチを膝の下にやり、膝を動かせばスイッチを押せるよう調整すると、パイプ椅子の後ろにある大きなリュックサックに右手を入れた。当然目はヴィラン連合の面々を見据えたまま。ヴィラン連合の面々は敵意の目で佐藤の行動を見守っている。

 佐藤はお目当ての物を手探りで見つけると、ソレをバッグから抜き取る。刃渡りおよそ七十センチのマチェットナイフだ。主に庭の手入れや草刈りなどに使用する。

 マチェットナイフを見たヴィラン連合の反応は困惑と好奇心が入り混じったような反応だ。確かにマチェットナイフは殺傷力があるが、銃に比べれば脅威度は下がる。たすき掛けされているアサルトライフルではなく、わざわざマチェットを手に取った。その意図を、ヴィラン連合の面々は掴めずにいたのだ。

 

「死柄木君、私は本当に反省してるんだ」

「言葉ならなんとでも言える」

「そうだね。だから、お詫びといってはなんだが──」

 

 佐藤は笑みを浮かべたまま、マチェットを自身の左肘の部分に躊躇なく振り下ろした。よく研がれたマチェットは佐藤の左肘をきれいに切断。左肘から先がパイプ椅子の横に落ち、切り口から血が大量に流れる。佐藤はマチェットナイフをバッグに戻し、血にまみれた左腕を右手で拾い上げて、死柄木の方に突き出した。

 

「キミに私の左手をあげるよ。その手の代わりにするといい」

 

 ヴィラン連合の面々は言葉も無く、ただ佐藤の狂行を見ていた。死柄木ですら、佐藤の常軌を逸した行動にドン引きしている。他の三人も、佐藤に視線を釘付けにされていた。それほどまでに、今の一連の行動はインパクトがあった。

 

「……お前の手に価値があると思うのか。いらねえよ、そんなモン。気持ちわりぃ」

「そう、分かった」

 

 佐藤は自身の左手だったモノをまるでゴミでも捨てるように、無造作に倉庫の左奥に放り投げた。そして、空いた右手を膝に持っていき、再び起爆スイッチを握る。

 ヴィラン連合の面々にとって腕を無造作に捨てる行動はただのイカれた行動だが、佐藤にとっては違う。亜人の復活は『一番大きな肉片を核に行われる』ため、もし仮に今爆発させた場合、肉体は粉々に吹き飛び、一番大きな肉片は今しがた放り投げた左腕となる。佐藤は即席の再生場所をパフォーマンスに隠して作っていたのだ。もちろん死柄木が腕を受け取らないであろうことも計算済み。その辺の手で良いなら、わざわざ頭や体に身につける必要はない。何かしらの思い入れがあるからこそ、身に付ける。それを死柄木との会話で確信した。

 

「これでこの騒動はおあいこってことにしないかい?」

「あいこも何も、テメェが勝手に撃って勝手に腕を切ったんじゃねェか! 全部テメェの一人相撲なんだよ!」

「トゥワイス君、それは違う。私は君のリーダーの大事な『手』の一つを撃ち、私はそのお詫びに左腕を切った。死柄木君がこの流れに関わってるんだ。私だけの判断で終わりと決めつけるわけにもいかないでしょ?」

「ぬけぬけとよくもそんな言葉──」

「もういい、トゥワイス。そいつの言う通り、これでこの件は終わりだ」

 

 死柄木が立ち上がり、後方の地面に転がっている手を拾いながら言った。汚れを払ってから、再び頭に付ける。その手の付け根部分には赤い管のようなものに追加で銃弾の跡がある。あの一瞬の照準で、もしもこの付け根部分を狙って撃ち抜いたのだとすれば、とてつもない銃の腕前だ。それくらいの分析は、銃を使用しない死柄木でもできた。

 

 ──なんでこいつはわざわざ険悪な雰囲気にしたんだ?

 

 死柄木にはそれが分からない。護衛がなってないなんて話、雰囲気を悪くしてまでする必要のない話だ。

 

「俺たちは穏便に話し合いをしようとしたんだけどな」

「穏便なんて、ヴィランのカリスマと言われているヴィラン連合に似合わないよ。話し合いも緊張感がないとらしくない」

「だから銃をぶっ放したのか。緊張感を出す、ただそれだけのために? 頭イカれてんぜ」

「よく言われる。そんな話はさておき、私とキミたちは刑務所をいつか共に襲うチームになる。そうだね?」

「今の時点でもう不安しかないな」

「私もそうだ。だから、親睦を深めようじゃないか」

 

 佐藤は起爆スイッチを握った手で後ろのリュックサックを取り、リュックサックの中に手を入れた。ヴィラン連合の面々はこの時点で嫌な予感がビンビンに伝わっている。

 佐藤はリュックサックから手を抜くと、その手には同じ起爆スイッチが三つ握られていた。佐藤の方から見ると、その起爆スイッチの横にそれぞれマジックで『右』、『左』と書かれていて、最後の一つは何も書かれていない。

 佐藤は『右』と書かれた起爆スイッチをヴィラン連合の面々に見せつけるようにしつつ、スイッチを押す。瞬間、ヴィラン連合から見て佐藤の左奥が爆発。倉庫の左奥に穴が空き、熱混じりの爆風が佐藤とヴィラン連合の面々を撫でていく。ヴィラン連合の面々は顔の前に手をかざし、熱風を防いでいる。佐藤は起爆スイッチを全てリュックサックに入れ、アサルトライフルをその手に握った。

 

「プレイボール」

 

 佐藤は満面の笑みでそう言った。トゥワイスが佐藤に向かって指を突きつける。

 

「テメェ! さっきからどういうつもりだ!?」

「だから、君たちと親睦を深めるんだよ。分からない? 今の爆発でここにヒーローが駆けつけてくる。駆けつけてくるヒーローは三十分以内なら最大四十人。これを私たちで殲滅しつつ、この場から逃げる。逃走用の車なら準備してあるよ。さあ、やろう! 大丈夫! 私たちならできる!」

 

 そんなやり取りをしている間に、ヒーローが三人倉庫に飛び込んできた。

 

「まさかこいつ、死柄木!? 応援を──」

 

 携帯を取り出そうとしたヒーローの額を、佐藤が片手で照準を合わせて撃ち抜く。

 

「貴様! 刑務所を襲ったヴィランか!?」

 

 そんなことを言っているヒーローに死柄木が一気に接近。ヒーローの腹部に左手を押し付ける。すると、ヒーローの腹部がボロボロと崩れ、最終的にヒーローの体全体にヒビが入り、砕けた。

 最後の一人もいつの間にか近くに移動していたトガヒミコがナイフで首を切り裂き、殺した。

 

「さあ、倉庫から出て移動しよう」

「クソッ、仕切んなよ」

 

 トゥワイスが悪態をつきつつ、倉庫から出た。他の面々も周囲を警戒しつつ出ていく。佐藤はリュックサックから『左』と書かれた起爆スイッチを取り出してから、リュックサックを背負う。そして、全員が倉庫から出たのを見計らってから、佐藤は起爆スイッチを押した。倉庫の右奥が爆発し、その付近に放り投げられた佐藤の左腕も爆風に巻き込まれて消し炭となった。さらに、その二つの爆発が倉庫の支柱を破壊したため、倉庫が倒壊。倉庫が崩れていく様子を、ヴィラン連合の面々は走りながらも振り向いて見ていた。

 

「なんで倉庫を破壊した?」

「私の痕跡を残したくなくてね、今のところはヒーローに私の身体情報を調べられたくない」

 

 コンプレスが佐藤に訊き、佐藤は押した起爆スイッチをリュックサックに入れつつ答えた。佐藤はアサルトライフルに右手をかけている。

 廃倉庫のあった場所は町の外れであり、一本舗装された道が通っている左右は林で囲まれている。必然的にその道がヒーローとの交戦場所となった。

 佐藤は次々に現れるヒーローたちに笑いながらアサルトライフルを撃ち続け、リロードする場合はアサルトライフルを腕で挟んで固定してリロード。ヴィラン連合の面々は不思議と、そのアサルトライフルがこちらに向けられることはないと確信していた。それどころか、佐藤の射撃は彼らに襲いかかってきたヒーローを退け、彼らの攻撃に対して適切な援護をしている。

 ヴィラン連合の面々も暴れまくった。元々佐藤のせいでフラストレーションは溜まりに溜まりまくっている。ヒーローが固まってこず、バラバラに集まってきていたのも、彼らの快進撃に拍車をかけた。

 彼らが林を抜けた時、その一本道はヒーローの死体が累々と並んでいた。

 佐藤はアサルトライフルをリロードし、顔に浮かぶ汗を拭う。

 

「今ので三十八人目。いやー、いい汗かいた! スッキリしたよ! ほら、あそこ! 車あるでしょ。あれ使っていいから。もちろん車は返さなくていいよ」

「……疲れた、帰るぞ」

 

 死柄木が車の方に向かい、その後にトガヒミコ、コンプレス、トゥワイスが続く。彼らはもう佐藤に対して何か言っても無駄どころか気分が悪くなる分マイナスだと思っている。佐藤はとにかく人の神経を逆撫でしてくるのである。

 

「死柄木君」

 

 そんな彼らの心情など歯牙にもかけず、佐藤は声をかけた。死柄木は無言でダルそうに振り返る。

 

「ヒーロー殺すの、楽しかった?」

「あ? 楽しいわけねェだろ、こんなん」

「え!? こういうことがしたいんじゃないの? ヒーロー社会をぶっ壊したいんでしょ?」

「こんなヒーロー何人殺そうが変わんねェよ」

「なるほど、まあ分かるよ。難易度高い方が楽しいよね」

「楽しいとかそういう問題じゃねェ」

「あ、そうなんだ。じゃあ、もうやめたら?」

 

 佐藤の言葉に、死柄木が一気に不愉快になった。

 

「はぁ? 誰に向かって言ってんだ?」

「だって、キミはヴィランなんでしょ? 誰にも、何にも縛られず、好きに生きる。何事も楽しんでやってこそ、ヴィランらしい。キミはね、その付けてる手のせいかもしれないけど、とても窮屈そうに見える。もっと楽しんでヒーロー社会を破壊していこう! ヴィランなんだからさ! それじゃあ、また一緒にやろうね!」

 

 佐藤はそれだけ言うと、もう一台の車に駆け寄った。運転席には針間がいる。

 佐藤は車に乗り込むと、針間の席の後ろをトントンと叩いた。これが出発の合図である。針間はアクセルを踏み、車を出した。佐藤が車の窓からヴィラン連合の面々に向かって手を振る。ヴィラン連合の中で手を振っている者はいない。

 

「佐藤さん、どうだった? ヴィラン連合は」

「んー、ちょっと期待外れだったかな? まぁ、これから面白くなるかもしれないし、様子見しよう。あと、爆弾の威力テストと『個性』の確認ができたのは良かったね。猿石君からもらった情報通りだったよ」

「ほんと恐ろしいぜ、佐藤さんは」

 

 佐藤は拳銃を抜き、こめかみを撃つ。車内に血が飛び散った。それから二秒後、佐藤は復活。切り落とした左腕も再生し、佐藤は感覚を確かめるようにグッグッと何回か左手を握った。

 

 

 

 コンプレスが運転席に座り、助手席に死柄木、後部座席にトガヒミコとトゥワイスが座っている。

 

「多分、あの佐藤は『コピー』だぜ。でなきゃ、簡単に左腕を切り落とすわけねぇし、爆弾だって身に付けねぇよ」

「トゥワイス、お前が言ってたことは正しかった。あの時より気分が悪くなった。佐藤は不快にさせる天才だ」

 

 正面を向いたまま、死柄木は頰杖をついている。

 

「だが、なんだろうな、あいつが楽しそうにヒーローを撃ち殺しているのを見て、羨ましいって思った。俺もああやってヒーローどもを壊してェって、そう思ったんだ」

 

 それっきり、車内には沈黙が訪れた。




今更ですが、この作品にヒロインはいません。


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第12話 革命の日

 佐藤はいくつものバッグを抱えながら、拠点の倉庫に帰ってきた。その後ろには(さとし)、針間、丸井が続き、彼らも佐藤同様にいくつものバッグをかついでいる。

 

「いやー、今回の取引はとても良かったよ。唯一足りてなかった爆発物だけで取引をまとめられたからね」

 

 佐藤は抱えていたバッグを床に下ろした。後ろに続いていた三人も佐藤が下ろしたバッグの近くに、自分たちの持っていたバッグを下ろす。

 

「よく言うぜ。爆発物を用意できなかったら他のブローカーを優先して取引相手に選ぶって、半ば脅迫してたくせに」

「ほんと、最初取引してた頃と立場が逆転したよな。今じゃこっちが選ぶ側だ」

 

 佐藤がそれぞれのバッグを開けているなかで、(さとし)が佐藤の言葉に反応し、針間が会話に加わる。

 佐藤がヴィラン連合と会ってから一週間が経過していた。その間、佐藤とリベンジエッジは以前と同じように取引をやり続け、物資をそこら中のブローカーから集めていた。

 佐藤は種類ごとに分けられたバッグの爆発物を、用意していた他のバッグに振り分ける。

 

「そろそろ始めようと思うんだけど、どう?」

「始めるって、何をですか?」

「ヒーローをこの国から消す計画を、だよ」

 

 丸井の言葉に対し、佐藤は振り分ける手を止めず答えた。周囲にいた面々に緊張が走る。彼らは佐藤からヒーローを消すための計画がどういう計画なのか、一切知らされていない。故に、どんなことをするのか、不安と好奇心が渦巻いている。

 

「じゃあ、携帯を渡したヴィランを呼び寄せよう。明日までに全員」

「全国各地に散らばってるから、明日までにこれない奴がいるかもしれねえぜ?」

「それは仕方ないよ。間に合ったヴィランだけでやろう」

 

 佐藤は事務室に行き、猿石からヴィランに渡した携帯番号の一覧表を貰うと、それを四等分にして(さとし)、針間、丸井に渡した。

 三人は佐藤から一覧表を貰うと、上から順番に電話をかけて集合するよう伝えていった。佐藤も同様に電話をかけていく。電話をかけた番号は赤ペンで印を付けた。四等分したといっても一人当たり約八十人いるため、そこそこ時間がかかった。

 佐藤は電話のノルマが終わったら、大きなバッグを背負い、倉庫の外へ向かう。

 

「佐藤さん、どこに行くんだ?」

「ちょっと下準備をやりにね」

「俺も一緒に行くよ」

「大丈夫だよ、(さとし)君。明日から忙しくなるから、今日はゆっくり休んでくれ」

 

 佐藤が外に出ていく後ろ姿を見て腰を浮かしていた(さとし)が、佐藤の言葉に渋々ながら従い、腰を再び下ろした。

 

 

 佐藤は真っ暗闇の中、笑みを浮かべた。

 背負っていたバッグの中身は空になり、今の佐藤は隠し持っている拳銃とサバイバルナイフ以外武器が無い。

 佐藤はサバイバルナイフを抜いた。眼前にある木に向かってサバイバルナイフを五回振るい、木の幹に傷を付ける。

 

「これでよし、と」

 

 佐藤の周囲は林で囲まれており、ここだけ見れば都会の中心にいるとは夢にも思えない。

 佐藤はやることが終わると、林を抜け、自然公園から出ていった。

 

 

 次の日の昼間、佐藤は車に乗り、コインパーキングに駐車する。それをしたら、次はそこから五分ほど歩いたところに停車していた針間の車に乗り込み、拠点近くまで戻った。

 そこから車が隠してある場所まで歩き、また同じように車に乗って別のコインパーキングに駐車する。そして、そこから十分ほど歩き、バイクを停車させている(さとし)のところまで向かう。

 (さとし)は停めたバイクにもたれるようにして立っていた。フェイスフルヘルメットを脇に抱えて立つその姿は、美少年だけを集めた雑誌に掲載されている一ページのようで、周囲の──特に女性の目を惹いていた。ちょくちょく話しかけにいく女子もおり、(さとし)は彼女らの言葉を全て『連れを待ってるんで』の一言で封殺している。待ってる相手を女だと勘違いした彼女たちは、残念そうに(さとし)から離れていく。ずっとそれの繰り返しだったため、佐藤が合流した時の(さとし)はイラついていた。

 (さとし)は佐藤に向かって脇に抱えるヘルメットを放り投げる。佐藤はそのヘルメットを受け止め、バイクの後部に乗る。

 

「もう俺にこんなことやらせないでくれ。ウザいんだよ、周囲の目が」

「分かった、もう君に待たせるような役割はあげないよ。ごめんね?」

「……分かりゃいいんだよ」

 

 (さとし)はバイクのハンドルに掛けてあったフェイスフルヘルメットを被り、バイクに跨がる。そして、針間の時と同様に拠点まで帰ってきた。

 佐藤はこの流れをあと四回繰り返し、車を計六台各所に放置してきた。

 佐藤はそれが終わると、倉庫で『ヒーロー大集合 最新版』を読んで、全国のヴィランたちが集まってくるのを待つことにした。

 佐藤が今読んでいるページはMt(マウント).レディのページである。彼女の個性は『巨大化』であり、約二十.五メートルまで巨大化できる。

 佐藤はこのヒーローの『個性』が一番強いのではないか、と考えていた。まあ『個性』の強さは本人の努力次第で変わるようだから、このヒーローがこの『個性』に慢心して努力不足なら、大したことはないかもしれない。

 

 ──なんにせよ、次のターゲットはこのヒーローにしよう。

 

 佐藤にとって期待外れかどうかはやってみれば分かることであり、大事なのは自分が面白そうだと思う相手と戦うこと。その点でみれば、彼女は魅力的な攻略相手である。

 佐藤はしばらく頭の中でこのヒーローを攻略するシミュレーションをやって時間を潰した。

 

 

 今の時刻は午後十時。集まったヴィランは二百七十四名。

 佐藤は集まったヴィランたちの前に立ち、向き直る。

 

「ヴィランの諸君。これから私は、この国に革命を起こす。その開始点となるのはここだ」

 

 佐藤は壁に貼り付けてある拡大させた地図を指さした。指さした先には『TKテレビ』というテレビ局がある。

 

「我々はこのテレビ局を制圧、その後この国の歪んだ思想を矯正し、この国の未来を創る」

 

 集まったヴィランの面々は何言ってんだコイツという目で佐藤を見ていた。彼らは佐藤が金を持ってるから集まったのであり、この国の未来とか革命とかはどうでもいいのだ。

 そんな彼らの思考を当然佐藤は理解しており、彼らの白けた視線にも佐藤は動じない。というより、佐藤も自分で言っておきながら目的なんてどうでもよく、過程さえ楽しめればいいのだ。

 佐藤は笑った。

 

「まぁ、建前はここまでにして、好きにやろう」

 

 その言葉を合図に、集まったヴィランたちはTKテレビに向かってバラバラに移動開始。その中の一部のヴィランは佐藤から用意された車で目的地に向かう。

 

 

 ヴィランの面々がTKテレビ周辺に集まったのは次の日の午前二時。針間は『個性』で硬化させた毛をビルの外壁に突き刺しながらビルを登り、沙紀は伸ばした爪を引っかけながらビルを登った。他にも登りやすい『個性』を持つヴィランはビルを登り、最終的に屋上まで登ったヴィランは四十六人。

 屋上には報道用のヘリが二機置いてある。

 

「……針間さん、今どういう気持ち?」

「よく分かんねえ」

「は?」

「……けど、佐藤に逆らうなんざ有り得ねえ。お前もそうだろ? だから、俺たちはあいつの言う通り動いてきた」

「……」

 

 沙紀は顔を俯けた。

 沙紀も針間同様、漠然とした直感がある。すなわち、佐藤に逆らったら即殺されるだろうという恐怖。二人の頭には、佐藤が初めて姿を見せた時の殺戮劇がこべりついている。

 

「ま、佐藤は大金をくれるし、ヒーロー社会から弾かれた俺たちが国を揺さぶるってのも面白そうだ」

「やるなら楽しく、だよね! 今さら怖気づいてちゃ駄目だもん!」

 

 針間と沙紀は顔を見合わせ、お互いに拳を作ってコツンと拳を合わせた。

 

 

 佐藤はTKテレビの前で、中の様子を窺っている。深夜だというのに、テレビ局は明かりが付いているところがそれなりにあった。

 佐藤の近くには(さとし)、丸井、猿石がいて、佐藤と同じようにテレビ局を見ている。

 

「猿石君。君は真っ先にセキュリティルームに行き、テレビ局内のセキュリティを掌握。いいね?」

「は、はい。やってみます」

 

 猿石は緊張した面持ちで返事をした。

 佐藤は無線機を口に近付ける。この襲撃に参加したヴィラン全員に無線機は持たせてあった。

 

「君たちも分かってるだろうけど、計画実行前にヒーローに襲撃がバレたら、逃げることは困難になるだろう。サイレントキルでテレビ局の人間に悟られず、携帯電話で警察を呼ばせないようにしなければならない。生かす人間は最低限の各階二名。それじゃあ、作戦開始」

 

 佐藤ら二百三十四人のヴィランが様々な場所から一斉にテレビ局内に侵入。

 テレビ局内は阿鼻叫喚の地獄絵図となる。眼前の殺戮に逃げることばかり考え、まず携帯で警察を呼ぼうと冷静な判断ができる者は少なかった。

 猿石がセキュリティルームからシステムをハッキングし、屋上の扉を開けたら、後はもうテレビ局の人間に打つ手はなかった。そもそもヴィランがテレビ局を襲うなどという前例は一切無かったため、こういう場合の対応が確立されていない。

 一時間が過ぎる頃にはもうテレビ局の人間で生きている者は二十四人になっており、全員拘束具で拘束されている。窓を割るなど外部から見て明らかな異常だと分かるような行為は極力排除して襲撃したため、制圧が完了した段階でテレビ局がヴィランに乗っ取られていることなど誰も気付けなかった。

 その後、佐藤は移動に使った車を七台テレビ局に入れ、車に載せていた大量のバッグをヴィランたちとともに取り出す。中身は全てC4と呼ばれるプラスチック爆弾。

 佐藤は猿石に出させたこの建物の設計図を見ながら、ヴィラン一人一人に指示を出す。ヴィランたちは佐藤に言われるがまま、C4を佐藤の指示通りの場所に設置していく。

 そうした作業はそこそこ時間を要し、全ての作業をやり終えた時には朝六時となっていた。無論、その間全くテレビ局を訪ねてくる者がいないわけではないため、テレビ局の入口を通った者は全員即拘束され、テレビ局の拘束された者と同じように各階の窓際に固定されて身動きを取れなくされた。

 佐藤は無線機を口に当てる。

 

「ありがとう。君たちのおかげで万事滞りなく、テレビ局を制圧し、やるべきこともやれた。後は私がやるから、君たちはここで解散とする。ただし私からこの後の指示を受けている者は、その指示通り動いてもらいたい」

 

 その無線を聞き、ヴィランたちが一斉にテレビ局から飛び出し、薄暗い中を疾走して消えていく。

 佐藤はIBMを使用。テレビ局入口付近に黒い異形を配置し、侵入者に対処できるようにする。

 そうしておいて、佐藤は最上階である十二階に向かった。十二階からは東京都の町並みを一望することができ、朝日とともに色付いていく町並みは見る者に美しさを感じさせる景色である。が、佐藤にとってはただの景色であり、その光景に何も感じない。

 佐藤が窓からスタジオに振り向くと、二人の男女が怯えた目で佐藤をジッと見ている。二人の目は涙で赤くなっており、両手足は拘束され、口には布で猿轡がしてある。

 佐藤は二人の前で、拳銃とサバイバルナイフを抜いた。二人の目が見開かれる。

 

「分かるかな? 私の言うことを聞けば、この場から解放する。言うことを聞かないなら、その時はその辺に転がっている人と同じ末路を辿ってもらう」

 

 二人は頭をブンブンと振って、言うことを聞くことに同意した。

 佐藤は笑みを深くし、サバイバルナイフで男の猿轡を切る。

 

「キミにはカメラ係をやってもらうよ。朝七時のニュースのね」

「わ、分かりました……やりますから……お願いします、殺さないでくれ……!」

 

 佐藤は男の言葉に耳を貸さず、再び窓から東京都を見下ろす。しばらくそのまま眺めていると、遠くの方で小規模な爆発が起きた。その爆発は佐藤がコインパーキングに停めた車に積んであった爆弾が爆発したものである。遠くの方で微かに黒い煙と火の手があがっている。

 佐藤は腕時計で時間を確認。午前六時半。ちゃんと指示通り、車を起爆スイッチで爆発させたようだ。

 ヒーロースーツを着た者たちが次々と爆発現場に駆けつけていくのを、佐藤は双眼鏡を通して見る。

 

「まだ終わらないよ、ヒーロー諸君」

 

 佐藤の言葉通り、そこから四分置きに次々と至るところで爆発が発生し、最後に爆発した時刻は午前六時五十分。さっきの美しかった景色は、一気に凄惨な景色へと様変わりした。黒い煙が六ヶ所であがり、火が建物をなめていく。これでヒーローを爆発現場に誘導することができた。あの位置からこの場所まで来るには早くとも五分はかかるはずだ。

 佐藤はスタジオに戻り、女の猿轡をサバイバルナイフで切り、男をカメラの後ろに座らせた。女はスタジオ席に座らせる。

 

「ニュースを始めてもらおうか」

 

 佐藤は男の拘束具を切り、男は怯えた表情をしながらも放送の準備を開始した。佐藤の構える拳銃は男の頭部にピタリと照準されている。

 

「さぁ、ショータイムといこう! はははははは!」

 

 佐藤の笑い声がフロアに響き渡る。佐藤は脳内でゲームのスタートボタンを押した。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 雄英高校敷地内。校舎から徒歩五分の場所にそれはあった。『ハイツアライアンス』と名付けられた集合住宅。そこにはヒーローの卵である雄英高校1―A生徒全員が住んでいる。

 午前七時ちょっと前。その集合住宅のロビーに、続々と1―Aの生徒たちが集まってきていた。このクラスは、一人部屋でジッと過ごすよりはクラスメイトと話していた方が楽しいと考える人が多数派なのだ。それに、だいたい二週間後に文化祭があることもあり、話のタネはどこまでも尽きない。

 そばかすのある緑髪の少年──緑谷出久は今日もクラスメイトと雑談しながら朝食をとる、そんな朝が始まるんだと思っていた。何気なくつけていたテレビのニュース番組の異変に気付くまでは。

 

『ご、午前、七時と、な、なな、なりました、朝のニュ、ニュースをおつ、お伝えします』

 

 スタジオ席に座っている女アナウンサーが、震える声でそう言った。その女アナウンサーの前にあるデスクには『澤田舞』というプレートが立ててある。

 緑谷はテレビに引き付けられるように近付いた。そんな彼の行動につられるように、その場にいた1―A生徒の面々もテレビ付近に集まっていく。

 そこでテレビ画面は、乾いた銃声とともに頭を撃ち抜かれて椅子ごと後ろに倒れる澤田アナウンサーを映した。

 

「きゃああああ!」

 

 その場にいた女子たちが、その光景を観て悲鳴をあげた。緑谷や他の男子も、叫びたい気持ちを必死に堪えて、テレビ画面にかじりつくように視線を縫い付ける。

 

『ま、舞ちゃ……うわああああ!』

 

 テレビから男の悲痛な絶叫が響き、同時にパンッと乾いた銃声がもう一発。絶叫が唐突に止んだ。画面には映っていないが、その男がおそらく殺されたであろうことは、この場の誰もに想像がついた。

 銃声がしてすぐ、帽子を被りミリタリーベストを着て、アサルトライフルをたすき掛けしている中年の男がスタジオのデスクにもたれるようにして映った。

 

『国民の皆さん、おはよう』

 

 虫も殺さないような笑顔で、帽子の男はそう言った。

 緑谷は青ざめた顔で帽子の男を凝視している。

 物語の主役をヒーローとヴィラン連合が熾烈に争っている中、何食わぬ顔で現れて主役をかっ攫っていったような、そんな唐突な出現であった。

 でも、と緑谷は思う。僕はいきなり舞台に上がったこの帽子の男との戦いを一生忘れないだろう。今日、この国で革命が起きたのだ。オールマイトやこれまで必死に戦ってきたヒーローが積み上げ守ってきた現社会を、躊躇なく粉々に叩き壊す革命が。



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第13話 覚醒

 ミルコは街頭テレビで帽子の男を観た瞬間、思わず拳を握りしめた。

 

 ──拠点は静岡じゃないのかよ……!

 

 今から東京都に向かっても何時間もかかる。それに加えかなりの体力も消耗する。だが、ミルコは帽子ヴィランを捕まえるため、今まで静岡でヒーロー活動していたのだ。東京都に着いた時にはもう決着がついているだろうが、向かわないという選択肢はない。

 ミルコは東京都方面に向かって跳躍。空中で携帯を取り出し、HNにアクセス。駄目元で『自分が来るまで帽子ヴィランとの戦闘を引き延ばせ』と全体チャットに書き込もうかとすら考えたが、現状の全体チャットを見て舌打ちした。『自分は帽子のヴィランを捕まえに行くから爆発の被害に遭った負傷者の救助は任せた』という意味合いのチャットがズラッと爆速で流れていっている。なかには『お互い連携をとって協力し合い、負傷者の救助をすべし』という意味合いのチャットもあったが、圧倒的少数派であった。

 ヒーローは本来の仕事と人気商売の両立が必要な過酷な職業である。普通の格好で平凡に助けたり倒したりしても、国民からは見向きもされない。オリジナリティ溢れる衣装で派手な必殺技や決め台詞(ゼリフ)をビシッとキメるくらいでないと、国民の支持は集められない。この場合で言うならば、爆発の被害にあった負傷者を救助したところで周りからのささやかな感謝があるだけだが、テレビ局を占拠した帽子ヴィランを捕まえれば多数の国民が好印象をもつ。更に言えば、ヒーローは救助より戦闘に向いてる『個性』の方が多数である。彼らは、負傷者救助をしたくないわけではない。そういうのは得意なヒーローに任せて、一刻でも早く元凶を捕縛する方が良いと判断しているだけ。こういう理屈で自己弁護、あるいは自身の行動を正当化させ、合理的思考だと思い込む。これこそ、ヒーロー同士の競争で生まれた弊害である。

 ミルコは結局チャットを打たず、携帯をしまった。自身の醜い部分を見せられたようで、不愉快な気分になったからだ。

 東京都に辿り着いた時には戦闘は終わっていて、おそらく救助がメインとなるであろう。それでもいい。その時は救助活動を全力でやる。

 ミルコは心の内でそう誓い、燃輪からもらったヒールボトルをチラリと目線で確認してから、再び正面に目を据えた。

 

 

 そのテレビは職員室にあるテレビだった。

 テレビに映る帽子の男は挨拶した後、タブレットを取り出し操作。

 

『私は職業ヒーローが悪だと思っている。早速だけど、この映像を観てほしい』

 

 帽子の男はタブレットをカメラに近づけ、タブレットの動画再生ボタンを押す。

 動画は殺風景な廊下に倒れている五人の人間の映像から始まった。その内の一人はまだ生きていて、携帯電話を取り出す。そして電話を開始。

 

《緊急要請! 緊急要請! 静岡刑務所がヴィラン五名に襲撃された! 近場にいるヒーローはすぐ現場に急行されたし! 繰り返す! 静岡刑務所がヴィラン五名に襲撃された! 近場にいるヒーローはすぐ現場に急行されたし!》

 

 その電話をしている間も、映像はその相手にゆっくりと近付く。電話が終わった相手は怯えた目でカメラに向かって手を伸ばした。

 

《頼む、助けて──》

 

 その伸ばした手をカメラ側から伸びてきた手が掴み、一気に引き寄せた。相手の顔がアップになり、その首にナイフが差し込まれた。画面いっぱいに広がる殺人の瞬間。相手の目から光が消える。そこで動画は終わった。

 タブレットがカメラから離れ、再び帽子の男がテレビ画面に映る。

 

『今のは静岡刑務所を襲撃した時の映像だ。この国の実情を知ってもらうため、仕方なく襲撃した。この施設は国の刑事施設であり、重要な情報も多数保管している。にも関わらず、このような緊急事態に民間企業と同類のヒーローに助けを求めている。これが一つ目、助けに来たヒーローがその気なら、いくらでも重要施設から情報を抜き取れるということだ。国の管理する施設は国の管理する武力で守るべきだと、私は刑務所を襲撃した時つくづくそう感じた。

二つ目、ヒーローが競争の激しい職業であるため、ヒーローの活動場所に偏りがあり、人の少ない地域はヒーローの数が激減している。

三つ目、ヒーローが民間企業であるため、全面的なヒーロー同士の協力や連携が難しい。

四つ目、ヴィランという悪を相手にするのに、自らの《個性》を公開し、ヴィランに対策の余地を与えている。

五つ目、見栄えを重視し、合理性を追求しない装備』

 

 帽子の男は真剣な表情で話していた。

 

『それから、ヒーローは国民から絶大な支持を集める。例えば最近引退したナンバーワンヒーローのオールマイトが選挙活動を始めたとしよう。そうなれば、必ず国民はオールマイトに投票し、オールマイトは政治家として国の中枢に食い込むことになるだろう。つまり、やろうと思えば、ヒーローがこの国の政治を支配し、今よりヒーロー中心の国にできる。またヒーローは日本人しかなれないわけではなく、様々な国の人間が日本でヒーロー活動をしている。ということは、母国の人間が日本で活動している自国のヒーローに指示を出し、国籍を取らせて日本の政治界に参入させることもできる。これが六つ目、ヒーローはこの国の構造そのものを揺るがす危険性を秘めていると私は思う』

 

 帽子の男の言葉を、テレビ画面の正面に座る金髪の痩せ男が呆然と聞いていた。彼はオールマイトであり、今は諸事情により力を失っている。

 オールマイトの脳内には今、電流が走っていた。もうアドバイザーとしてヒーローの卵たちをサポートしていくしかないと思っていた。だが、選挙で政治家になれば、この国の根幹から変えていき、ヒーローに貢献することができるかもしれない。

 

「オールマイト、まさかとは思うけど、このヴィランの言うこと、本気にしてないよね?」

 

 スーツを着ているネズミが話しかけた。ネズミなのに二足歩行している。このネズミは根津という名であり、雄英高校の校長である。

 オールマイトはテレビから根津に視線を移した。

 

「ヒーロー活動ができなくなったとはいえ、(ヴィラン)連合がキミを狙わなくなったとは断言できない。そんなキミが政界に入ったら、ヴィラン連合がこの国そのものを標的にするかもしれない。リスクが大き過ぎるよ」

「……分かってます。しかし──」

「校長の言う通りですよ」

 

 長い黒髪を後ろで結んだ無精ひげの男がオールマイトのそばに来た。彼は名を相澤消太と言い、1―Aクラスの担任をしている。

 

「あなたは大人しくしといた方がいい。その方が合理的だ。あなた一人が政界に行ったところで、すぐにこの国が変わるわけでもない」

「相澤クン……」

「焦る気持ちは分かりますよ。ヒーローとしての力を失い、無力感に(さいな)まれていることも理解できるつもりです。ですが、だからこそ、あなたは他の人に頼ることを覚えるべきじゃないですか?」

「……その通りかもしれない」

 

 だが、オールマイトは自身の心に宿った灯火を完全に無視することはできなかった。ヴィラン連合との戦いが終わったその時は、政治家として国の平和を守る選択肢も有りじゃないか。その誘惑にとても魅力を感じてしまっているのも事実なのだ。

 オールマイトは静かに拳を握りしめた。

 

 

 

   ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 テレビ画面の佐藤の話は続いている。

 ヴィラン連合の面々もテレビを拠点で見ていた。テレビの正面には死柄木がいて、回転する椅子に座っている。

 

『そして七つ目、私はこの七つ目が職業ヒーローとして一番悪い部分だと思っている。それは困っている人間に手を差し伸べるという行為を、ヒーローという仕事に当てはめてしまったことだ。これが国民全員が持つべきささやかな勇気と良心を奪い、目の前の困っている人を見かけても《ヒーローを呼んでくるから》、《ヒーローがいるから》と他人任せにしてしまう逃げ道を作ってしまっている。そうじゃない筈だ。この国を、今住む場所を、家族を、自分を守るのはヒーローも大事だが、それ以上に我々国民全員が守ろうとしなければならないのではないか。正義とは、ヒーローだけが持つものではない。我々一人一人の心の内に正義を掲げ、犯罪を許さない心と犯罪をさせない強さを持ち続け、お互いを尊重する努力をし続けることが、この国からヴィランの脅威を一掃できる力となる。私はそう信じている』

 

 佐藤がテレビの向こうでグッと握り拳を作る。

 その時、死柄木の脳裏に幼い日の記憶がフラッシュバックした。死柄木が頭を右手の平で押さえる。

 目の前で崩れていく華ちゃん、お母さん、お父さん。逃げ出した崩壊する家。当てもなく歩く町中。痒くて仕方ない首元。俺を見て見ぬ振りする周りの人々。助けようと近付いてきたおばちゃんが、俺の顔を見て怯えながら言った言葉。

 

《すぐヒーローか警察か……誰か来るからね》

 

 そのおばちゃんは逃げるように俺の前から消えていった。

 何故俺は、オールマイトが憎かったのだろう?

 

 ──そうだ。

 

 何故俺は、オールマイトを中心としたヒーロー社会が許せなかったのだろう?

 

 ──そうだよ。

 

 ヒーローなんてのが蔓延(はびこ)ってるから、陰で苦しんでいる人間に救いの手が届かないんだ。

 死柄木は椅子の肘掛けを握りしめる。すると、肘掛けにヒビが入り、椅子が壊れた。死柄木は尻もちをつく。

 

「死柄木! 大丈夫かよ!」

 

 トゥワイスは死柄木に慌てて近寄り、声をかけた。その時、椅子の置かれていた床までヒビ割れていることに気付く。

 

「死柄木……?」

「クククッ、ハハハハハ!」

 

 死柄木は尻もちをついた姿勢のまま、右手の平で頭を押さえながら笑った。

 

 ──ヒーローがこの国から一人もいなくなりゃあ、嫌でも苦しんでる人間に手を差し伸べるようになるよなァ!

 

 だから、ヒーローは一人残らず壊すんだ。

 死柄木の脳裏に、『先生』の姿が現れる。そのイメージに、死柄木は脳内で話しかけた。

 

 ──俺をここまで育ててくれたあんたには感謝してるよ。けど、俺はあんたと同じ理由でヒーローを壊さない。俺は俺だけの理由で、ヒーローを壊す。

 

 佐藤と初めて会い、別れる前に言われた言葉が脳内再生される。

 

《ヒーロー殺すの、楽しかった?》

 

 あの時の俺は、ザコヒーローを殺すのに何の感情も抱かなかった。だが、今は違う。

 

 ──佐藤……今なら俺は、どんなヒーローも楽しんで壊せるぜ。

 

 何故なら、壊す目的ができたから。

 テレビの中の、当の本人である佐藤は真剣な表情で力強く言葉を紡いでいる。

 

『以上七つの点から、私はヒーローは悪であるという結論に達し、この現状を変えるべく、このような強硬手段を決行した。

さて、経緯を知ってもらったところで、これから本題に入りたい。私からキミたちへの要求の話だ』

 

 佐藤の話は大詰めの段階に入ろうとしていた。




佐藤によるヒーロー駄目出し回。この回での経過時間は実質三分くらいです。
オールマイトはともかく、死柄木のこの変化に関しては独自解釈です。こういう理由でヒーロー社会を憎んでたら共感できそうだと私は思いました。


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第14話 ジャイアントキリング

 佐藤が要求の話をする段階になる頃には、佐藤が占拠したテレビ局以外の全てのテレビ局が流していた番組を中断し、佐藤の放送を中継していた。

 各テレビ局の判断が間違っているとは言い切れない。テレビ局をヴィランが乗っ取り思想や要求を国民に対して伝えてくるなど、前代未聞の出来事だったからだ。だが結果として、その判断がほぼ全ての国民に佐藤の言葉が伝えられてしまうという、佐藤の発信ツールとして機能してしまったのも事実である。佐藤は実質テレビ局一つ掌握しただけで、全テレビ局を掌握したのと同等の効果が得られたのだ。

 

「篠田ちゃん、現場行ける!?」

「はい! 今から行きます!」

 

 プロデューサーの男が若い女アナウンサーにそう叫び、そのアナウンサーはヘリの操縦担当とカメラ担当を引き連れて慌ただしく部屋を飛び出していった。

 今のプロデューサーの頭の中は、テレビ局を占拠した前代未聞の帽子ヴィランとヒーローの激しい戦闘、そこからの逮捕劇をヘリから中継して視聴率を爆稼ぎするというプランがあった。このテレビ局が占拠されているテレビ局に一番近いというのもちゃんとプロデューサーの計算に入っており、独占中継になるだろうと確信している。

 この判断が後の悲劇の一つを生み出すとは、この時のプロデューサーは思いもしていなかった。ただ一つ、この時点で悲劇となる要素をあげるなら、このプロデューサーは失念していたのだ。この帽子ヴィランは前代未聞のことをやったヴィランであり、今までのヴィランとは毛色が全く違うということに。

 

 

 

   ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 佐藤はカメラを見つつも、窓から見える建物と同レベルの大きさがある女がこちらに向かってきているのが微かに見えた。まだかなり距離はある。ちゃんと最後まで放送できそうだ。佐藤は笑いそうになるのを堪えて、真剣な表情を崩さないように心掛ける。ゲームは本気で楽しまなければ意味が無い。本気で、この国からヒーローを消し去るつもりでやる。

 

「ヴィランが組織化している傾向にある以上、ヒーローも団結しなければこの変化に対応できない。では、ヒーローは何を元に団結するべきか。もちろんこの国を守る職業なのだから、国を中心に団結するべきだ。それを踏まえたうえで要求一、現段階でヒーロー活動している者は三日以内に日の丸の鉢巻(はちまき)を付け、『国のために戦います』と書いたたすきを掛けること。鉢巻とたすきの材質は布でも紙でもなんでもいい。また、これからヒーロー活動する者は活動開始時に身に付けること。もし三日経過しても身に付けていなかったヒーロー及び駆け出しのヒーローは、ヒーローの身でありながら私欲を優先する利己的主義者として、制裁を加える。なお制裁時はヒーローだけに留まらず、周囲の者にも被害が及ぶ可能性も否定できないが、この国からヴィランを一掃するという大義のためだと理解してほしい。

次に要求二、ヴィランがここまで増長したのはヒーローの責任でもあるが、それ以上にヒーロー公安委員会の無能さが原因である。よって、七日以内に現委員全員を罷免し、より優秀な人材でヒーロー公安委員会を再構成すること。罷免しなかった場合、ヒーロー公安委員会の全委員を殺害する。ここにその公安委員全員が載ってるリストがある」

 

 佐藤は用意していたリストをカメラの前に見せた。このリストには全委員の顔写真と名前と住所と簡単な経歴が書かれている。一秒後、リストをカメラの前から離し、リストを片付けた。

 佐藤は再び、カメラに向き直る。

 

「要求三、十四日以内に政府は新たに《国土防衛軍》を創設し、全ヒーローを公務員として国が雇用すること。これはヒーローに割り振っている予算をそのまま使えば不可能ではない筈だ。国土には当然その上にいる国民の命と財産も含まれる。

要求四、創設した《国土防衛軍》の総帥に私を任命すること。もちろん任命した際は私が今まで犯した罪を全て不問。総帥の権限は人事権と指揮権を内包するものとする。

もし要求三、四どちらか片方でも要求が通らなかった場合、現政府は国民がヴィランに脅かされることをなんとも思っていない親ヴィラン政権として、国会議員全員を殺害する。そして、新たな政府には再び二週間の猶予を与える。私を任命するまで、これを繰り返す。だが私を任命した暁には、この国から一人残らずヴィランを排除することを誓う。私はヴィランとして今まで行動することで、ほぼ全てのヴィランの情報を握っている。だから、全ヒーローを統率して動かせば、必ずヴィランの大元を潰し、この国に平和を取り戻せる。私は全国民にそう約束する。

これら全ての要求が通った時、この国からヒーローという職業は消える。だが私はヒーロー諸君の正義を信じている。君たちヒーローはヒーローと呼ばれたくてヒーローになったのではない。人を助けたくてヒーローになったのだと。一致団結してヴィランを一掃するために、ヒーローであることを捨てよう。それと、これは個人的な意見だけど、ヒーローって自分で名乗るのダサくないかな?」

 

 佐藤はそこでようやく笑みを浮かべた。

 笑みを浮かべたまま、カメラに近付く。テレビ画面全体に佐藤の顔がアップになった。

 

「もしかしたらこれを冗談で言ってるなんて、勘違いする人が出てくるかもしれない。だから私はどれだけの覚悟をもって立ち上がったのか、その本気をこの後見てほしい」

 

 佐藤はカメラに向かって手を振る。

 

「では国民の皆さん、良い一日を」

 

 そこで佐藤はカメラを掴み、思いっ切り床に叩きつけてカメラを破壊した。

 佐藤が窓から外を見ると、巨人女がもう間近まで迫ってきていた。長い金髪に紫の瞳、黒のアイマスク、青と白のヒーロースーツ。ヒーローの『Mt(マウント).レディ』である。闘志に燃えた瞳が佐藤を捉えていた。

 佐藤はMt.レディと合っていた目線を下に向ける。ヒーローたちが次々にこのテレビ局へと突入している姿が見えた。建物の外壁を登ってくるヒーローもいる。

 佐藤は全てが計算通りに進行していることを確信し、獰猛な笑みを浮かべる。このテレビ局を選んだ一番の理由は、Mt.レディの活動範囲だったからだ。

 

「『大物食い(ジャイアントキリング)』といこうか」

 

 佐藤はアサルトライフルのトリガーに指をかけつつ、屋上まで全速力で走った。

 

 

 

   ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 TKテレビ局に突入した大勢のヒーローは、ヴィランの待ち伏せを警戒しつつも先に進む。

 彼らはヴィランがテレビ局を固めていると当然のように考えていたため、こんなにもあっさりテレビ局に入れたことに拍子抜けした。

 テレビ局内はシンと静まり返り、あるのは大量の血溜まりと死体。周囲のほぼ荒れていない状態が戦闘ではなく虐殺が行われたことを物語っている。

 

「ヒデェことしやがる」

 

 ヒーローの内の一人が不快そうに吐き捨てた。

 

「おい、こっちに生存者がいるぞ!」

 

 フロアに響き渡ったその叫びは、たちまちバラバラに行動していたヒーローを集合させた。無論突入した全員が集まったのではなく、早く帽子ヴィランを捕まえたいと考えているヒーローはどんどん上階に行っている。

 生存者の女性は目に目隠し、口に猿轡(さるぐつわ)をされ、手足を拘束された状態で窓付近にヒーロー用拘束アイテムでくっつけられて身動きが取れなくされている。

 

「こっちにも生存者がいるぞ!」

 

 全く同じ状態で窓付近に固定されている男が少し離れたところにいた。

 そっちにもここに集まったヒーローの内の半分が移動する。彼らが移動している間、固定されている女性の一番楽に外せる目隠しと猿轡を外した。

 

「もう大丈夫ですよ」

 

 ヒーローが極力明るい声で涙を流す女性に声を掛けた。だが、ヒーローの声を聞いても女性の表情は一向に良くならない。

 

「あ、あの、あ、ば、ばばばく、ばく──」

「落ち着いてください! もう大丈夫ですから!」

 

 女性は涙で顔をくしゃくしゃにしながら、ヒーローたちに縋りつくような目線を送る。

 

「ばく、爆弾が私の体に! 早く! 外してください!」

「えッ!? 爆弾が!?」

「そうです! でも私の心音と連動してて、爆弾のセンサーを止めずに外すと爆発するってヴィランが言ってて……!」

「なんてことだ……」

「こっちの男性もそうらしいぞ!」

 

 もう一方の生存者の方に向かったヒーローたちも、その生存者から爆弾が体に巻きつけられていることを教えられた。無理に引き剥がしたら爆発するというところも同じらしい。

 ヒーローたちはその場で立ち竦んだ。爆弾を解除する知識を持っていないため、下手に動かせば爆発するんじゃないかと不安になっているのだ。かと言って、見捨てることもできない。

 

「爆弾をどうにかしてよ! ヒーローでしょ!? あなた達の仕事は人を助けることじゃないの!? 早く助けてよぉ!」

 

 生存者の女性は恐怖と不安を怒りと憎悪に変化させ、周りのヒーローに怒鳴り散らした。

 そんなやり取りをしている中で、木で覆われたような姿をしているヒーロー『シンリンカムイ』は別行動をとっていた。彼の個性は『樹木』。彼は上階にも生存者がいる可能性を考慮し、生存者を見つけることを優先して行動していた。

 彼は生存者を探して三階のフロアを歩き回っている最中、不自然に壁際に移動された死体を見つけた。その死体は男であり、うつ伏せの状態で倒れている。

 シンリンカムイは死体の肩を掴み、起こそうとした。瞬間、死体に仕掛けられていたブービートラップが発動。死体が動かされたことによってM六七破片手榴弾のピンが抜け、カンッと床に手榴弾が落ちた音が響く。

 

「まずッ──」

 

 シンリンカムイは咄嗟に自分の体から樹木を伸ばし、鎧と盾を創りだす。だが、一瞬の時間では気休め程度の効果しかなく、シンリンカムイの盾と鎧は爆風とそこに含まれる大量の破片によって吹き飛ばされ、シンリンカムイの体は破片にズタズタにされながら壁に叩きつけられた。

 シンリンカムイが薄れゆく視界で見えたのは、手榴弾に巻き込まれて倒れ伏す他のヒーローたち。その光景がシンリンカムイが見た最期の光景となった。

 

 

 

 佐藤が屋上のヘリに到達する頃には、建物内で爆発が継続的に起こっていた。その爆発が自分の仕掛けたブービートラップの数々であろうことも、佐藤は察しがついている。

 佐藤は外壁を登ってきたヒーローたちの頭をアサルトライフルで撃ち抜き、屋上から身を乗り出して登っている最中のヒーローに連射。外壁を登っていたヒーローたちが次々と落下していく。

 佐藤はアサルトライフルをリロードしながら、IBMを使用。黒い粒子が異形となり、そのまま異形はヘリに乗り込んで操縦席に座った。ヘリのメインローターが回転を始める。

 佐藤もヘリに乗り込み、アサルトライフルから手を離して起爆装置を二つ、それぞれの手に持つ。

 

「いけるかい?」

 

 佐藤が異形に話しかけると、異形は佐藤に向けて親指を立てた。

 

「よし、ゴー! ゴー!」

 

 ヘリはゆっくりと上昇し、建物の上空を飛び始めた。Mt.レディが顔を上げてヘリを睨みつけている。

 

「逃げてんじゃないわよ!」

 

 佐藤はヘリの窓からMt.レディを見下ろしつつ、右手に持つ起爆装置のスイッチを押した。

 すると、三階までの生存者がいた近くに隠すように仕掛けられていた爆弾が爆発。生存者とその付近で救助活動しようとしていたヒーローがまとめて爆発に巻き込まれた。これらの爆発は全て片側に集中していたため、建物がゆっくりとMt.レディの方に傾いていく。四階から十二階までの質量がMt.レディにのしかかろうとしている。

 Mt.レディはその脅威から逃げようと思えば簡単に逃げることができた。だが、逃げれば建物のドミノ倒しが始まり、尋常ではない被害が出る。今この瞬間、その悲劇を止められるのは彼女だけであり、彼女はヒーローだった。

 

「このクソ野郎が!」

 

 Mt.レディが傾いてくる建物を両手で押さえつけ、建物を崩れないよう支えた。建物の傾きが止まる。

 

「うぎぎ……!」

 

 Mt.レディは両足を踏ん張り、必死にこれ以上傾かないようにしている。

 佐藤はその光景を楽しそうに見ていた。Mt.レディのヒーロー精神をピンポイントに狙った作戦が順調に進行している。

 

「この質量で潰せないんだ。じゃあ次はどうかな?」

 

 佐藤は左手の起爆装置のスイッチを押す。四階から十二階まであらゆる場所に隠して仕掛けられていた爆弾が爆発し、Mt.レディの上半身が爆発に飲み込まれた。

 爆発でバラバラになった建物の破片が地上に降り注ぎ、広範囲に渡って破壊をもたらそうとしている。Mt.レディは最期の力を振り絞り、自らの体を破片から守る盾とした。Mt.レディの背中に次々と破片が突き刺さっていく。爆発が終わった頃、Mt.レディの背中には大量の破片が刺さっていた。

 Mt.レディが元のサイズに戻っていく。体に刺さっている破片も小さくなり、Mt.レディはうつ伏せで地面に横たわった。上半身は見るも無惨な姿になっている。

 

 ──ヒーロー……ナメんじゃないわよ……。

 

 その意識を最後に、Mt.レディの視界は真っ暗になった。周囲に破壊の跡が刻まれている中、Mt.レディが守った一区画だけは傘で守られていたかのようにいつも通りの景色だった。

 

 

 

 佐藤はMt.レディの行動に拍手を送った。

 

「なかなかのショーだった! 迫力満点! ……ん?」

 

 佐藤は別のヘリがこちらに近付いてきているのに気付いた。カメラマンとアナウンサーらしき人物が乗っているのが見える。

 佐藤は用済みになった起爆装置で思い切り窓を殴り、ヘリの窓を割った。そこからアサルトライフルを突き出し、正面から来るヘリに向かって撃った。防弾加工のされていない報道ヘリの装甲はアサルトライフルの弾で簡単に突き破られ、操縦士の命を奪った。操縦士がいなくなったヘリはコントロールを失い、その場をフラフラとし始める。佐藤は殺人欲を満たすと、ヘリのメインローターに向けて撃った。メインローターの付け根部分を正確に捉えた射撃はプロペラを吹き飛ばす。吹き飛んだプロペラは地上に落ちるギロチンとなり、地上の人たちをズタズタにしていった。

 落ちていくヘリの中で必死に泣き叫ぶアナウンサーとカメラマン。彼らは建物に突っ込んだヘリの衝撃と爆発により命を散らしていった。

 佐藤が報道ヘリを落とした理由は、佐藤の乗っているヘリの操縦席を撮ってほしくなかったからだが、撮っていたらそれはそれで面白くなりそうだとも佐藤は思った。

 阿鼻叫喚に包まれ、虫のように小さく見える人々が逃げ惑う地上。その中で、ヘリを追いかけてくるヒーローたちがいるのも見える。

 佐藤は笑みを深くし、アサルトライフルをリロードした。




この回でシンリンカムイさんとマウントレディさんが退場となります。決めていたことでしたが、いざとなったら文字を打つ指が震えました。これだけ投稿が遅くなったのも、覚悟決めるのに手間取ってしまったからです。二人のファンの方々には申し訳ない気持ちでいっぱいですが、この物語は推しのロシアンルーレットが行われる物語だと納得のうえで楽しんでください。よろしくお願いいたします。


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第15話 それぞれの思惑

 テレビ画面が真っ暗になり、テレビの前で呆然とする1―A生徒たち。佐藤の放送が終わった頃には、1―A生徒全員がテレビの前に集まっていた。

 

「おいおい……ヤベェよ、これ」

 

 立たせた赤髪と朱色の瞳の男子、切島が呟いた。誰もその呟きに反応しない。この場にいる誰もが事の重大さを理解しているため、どう言葉を返していいか分からないのだ。

 それから数分後、エントランスの扉が開き、ヒーロースーツに着替えている1―A担任の相澤がやってきた。相澤はテレビ画面をチラリと見ると小さく息をつき、1―A生徒たちを見据える。

 

「揃ってるな。テレビを見る限り、何があったか理解していると思うが、TKテレビ局が帽子のヴィランに占拠された。俺たち教師も全員、帽子ヴィラン確保に動く。だから、俺たちが戻ってくるまで、お前らは個性伸ばしの自主トレやってろ。いいな?」

 

 相澤がそう言って外に出ようと後ろを向けた時、相澤の携帯に電話がかかってきた。

 ほんの十秒程度の電話だったが、相澤は血相を変え、テレビまで走った。テレビのチャンネルを掴み、チャンネルを変える。

 テレビ画面にMt.レディとTKテレビ局を上空から撮っている映像が映った。それらはまだまだ遠く離れている。その映像に女アナウンサーの声が乗っていた。

 

『見えておりますでしょうか! 今Mt.レディと大勢のヒーローが帽子のヴィラン確保に動いています! 今、建物の中で爆発が見え──ああ! 帽子のヴィランが屋上でヒーローを射殺しました! なんて恐ろしいのでしょう!』

 

 まだ遠方だが、屋上のヘリのメインローターが回り出し、浮かび上がる。そして、TKテレビ局の一階から三階が爆発し、建物がMt.レディの方に倒れていく映像をカメラはしっかり捉えている。

 

『TKテレビ局が倒れています! あのヴィランによって! Mt.レディが建物が倒れないよう必死に支えて──きゃあ! なんてことでしょう! 支えた部分が爆発し、Mt.レディが巻き込まれました! 破片が地上に降り注いで……えっ? Mt.レディです! Mt.レディがその身を盾に破片を防いでくれています! ですが広範囲すぎて、カバーしきれていません! 地上では次々に破片が町を破壊し、火の手がそこら中で上がっています! そしてMt.レディが! その身を盾とし一部でも町を守ってくれた守護者が! 小さくなっていきます! ピクリとも動きません! こんなことが許されていいのでしょうか!』 

 

 カメラが動き、佐藤の乗るヘリを正面から映した。遠くからでも、銃口がこちらにむけて突き出されるのが見える。そして、目の前の正面ガラスは叩くような音とともに穴が空き、ガラスに飛び散る操縦士の血痕を映した。

 

『きゃああああああッ! 狙われています! 私たちはあのヴィランに狙われています! 操縦士が撃たれました! ああ……プロペラが……プロペラが落ちていきます……嫌! 死にたくない! 死にたくない! 助けて……助けて……誰か、ヒーロー……』

 

 揺れ動く画面が建物にどんどん近付き、衝撃音とともに画面が真っ暗になった。

 相澤も、生徒たちも声が出てこなかった。それは生々しい死の実況だった。特に最期の言葉はこの場にいる者の心を鎖で雁字搦(がんじがら)めにしたような重さがあった。

 緑谷は顔を俯けつつ、拳を握りしめる。これ以上、犠牲者は出しちゃいけない。

 

「あ、相澤先生。僕ら仮免もありますし、自主トレより救助の手伝いを──」

「駄目だ!」

 

 相澤は緑谷の言葉を遮り、一喝した。緑谷だけでなく、生徒全員が相澤の声に含まれる怒気を感じ取り、息を呑む。

 

「いいか、よく聞け。この帽子ヴィランと戦闘して生き残れたヒーローは今のところ、上位プロヒーローのミルコだけだ。それ以外のヒーローは全員確殺されている。そして今のテレビ、Mt.レディの殺され方を観ただろ? 倒れる建物にも爆弾が仕掛けられていた。最初からMt.レディにぶつけて爆発させるつもりだったのは明白だ。そこまでしてヒーロー殺そうとするヤツだぞ。お前らが軽々しく行っていい現場じゃねえ」

「Mt.レディはやっぱ……死んじゃったのかよ……」

 

 ブドウのような頭をした男子、峰田が涙を流しながら顔を俯けている。

 相澤は峰田に一瞬気遣わし気な視線を向けるが、すぐに普段の鋭い目付きに戻った。

 

「お前らはとにかく、個性を少しでも磨くことを考えろ。ヤツを捕まえるのは俺たちプロヒーローの仕事だ。それに、さっきHNを見たが、帽子ヴィランを捕まえるのに最適なヒーローが動いている」

 

 相澤の言葉にピンと来てない生徒の面々がぽかんと口を開けていた。相澤は微笑し、生徒たちが少しでも安心するよう心掛けて、次の言葉を紡ぐ。

 

「暫定ナンバーワンプロヒーロー、エンデヴァーだ」

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 M字ハゲのスーツを着た中年男がワイングラスでワインを飲みながら、報道ヘリが墜落して真っ暗になったモニターを観ている。彼は四ツ橋力也と言い、サポート企業デトネラット代表取締役社長だ。だがそれは表の顔であり、裏の顔は異能解放軍最高指導者『リ・デストロ』である。

 室内に着信音が響き渡り、四ツ橋はワイングラスを持っていない手で携帯電話を取り出し、電話に出た。

 

『テレビをご覧になりましたか?』

 

 電話から響くは女の声。

 

「ああ、見たよ。実に興味深い。と同時に妬ましい。我々が長い時間をかけて準備してきたのに、それを嘲笑うように軽く社会を壊しにきた」

『私からすればなかなか楽しそうな取材対象(ネタ)ですが』

「だろうね、そうだろうとも。我々はそもそもヒーロー社会という土台の上で戦おうとしてきた。だがこの男は土台そのもの──すなわち政府、ヒーロー、ヴィランそれらを全て一纏めにして戦おうとしている。彼にとって、ヒーローかヴィランかはそんなに重要ではない。重要なのは、自らの意志を通すこと。素質があるよ、指導者としての」

 

 四ツ橋はワイングラスを傾け、ワインを一口飲む。

 

『どうなさいます? この男の起こした出来事に対する我らの行動と今後の方針は?』

「それはあの男が多数のヒーローに狙われている状況を切り抜けられるかどうかによると私は考えている。静観し、見極めるのさ。この男の一手に国が! ヒーローが! どう動くのかを! そしてもしこの男が現状を切り抜けられたその時、彼を利用するか、はたまた目障りな邪魔者として葬り去るか決めようじゃないか!」

 

 電話越しに女がクスリと笑った。

 

『素晴らしい方針ですわ』

 

 通話が終了した電話を、四ツ橋はスーツにしまった。

 

「待つばかりでは何も変わらない、か。感謝しよう、この男に。我々に行動する勇気と素晴らしさを教えてくれたことに。だからこそ我々の引き立て役として、思う存分踊ってくれたまえ」

 

 四ツ橋はグラスのワインを飲み干した。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

「ハハハハハ! 佐藤はおもしれェな」

 

 真っ暗になったテレビの前で、死柄木が顔を手で押さえながら笑っていた。

 

「笑ってる場合かよ。もし佐藤の要求が全部通っちまったら、ヒーローを佐藤が指揮することになるんだぞ。その時はこの国からヴィランを一掃するとか言ってたし」

 

 トゥワイスが呆れたように言った。

 死柄木はそんなことかと言う目でトゥワイスの方を見る。

 

「そん時は佐藤にヒーローとして雇ってもらおうぜ。人事権も佐藤が持つんだろ? てか、あんな要求通るかよ」

「そりゃそうだ。あんな要求通ったらこの国は終わりだもんな」

「案外、終わらせる気かもしれねェぜ」

 

 顔や腕を火傷している黒髪の男が口を挟む。名を荼毘(だび)と言う。

 死柄木とトゥワイスが荼毘に視線を移した。

 

「ヒーローをこの国から一人残らず消すことをゲームっつってたんだろ、この佐藤っていうイカレ野郎は。この国終わらせることになんの躊躇いもねェんじゃねェか?」

「俺も荼毘に同意だな。一回会っただけだが、佐藤はヤバすぎる。マジで遊び感覚で国を滅ぼしかねない」

 

 コンプレスがそう言った。

 トガヒミコは興味無さそうに椅子に座っている。トガヒミコにとって佐藤はどうでもいい存在のため、会話する気にすらならない。

 死柄木は立ち上がり、上着を羽織る。

 

「好都合だろ。滅びんなら滅びればいいさ。国なんざ無くったって、俺たちは好き勝手生きていける」

「で、どうすんだよ? これから俺たちは」

「決まってんだろ」

 

 トゥワイスの言葉に、死柄木は唇を吊り上げた。

 

「佐藤のゲームをプレイしてやるのさ。ところでトゥワイス、プレイする場合の条件ってなんだったっけ?」

「佐藤がゲームのコントローラーを持つ」

「そりゃ無理な話だ。だってそうだろ? コントローラー持ってる方がゲームは楽しいもんな」

 

 それはつまり、佐藤の戦略や戦術、指示といったゲームのサポートを受けず、佐藤など関係なく佐藤の起こした出来事に便乗するということだ。

 だが、彼らは気付いていない。佐藤からすれば、彼らの判断は(ヴィラン)連合を殺す大義名分を得ることができるのだと。

 この瞬間、彼らは佐藤の気分次第で殺される存在になったのだ。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 佐藤はヘリにあらかじめ用意しておいた爆弾詰めのミリタリーベストに着替え、爆弾の入ったポーチをミリタリーパンツの上から取り付ける。その作業が終わったら、佐藤は異形の方に顔を向け、左肩を向けた。

 

「左腕を切って」

「分かった……」

 

 異形が操作スティックから片手を離し、異形は鋭い爪を振り下ろす。爪は佐藤の左肩からキレイに左腕を切り落とし、左腕はドサッと床に落ちた。

 佐藤はその左腕を黒い袋に入れて床に置き、バッグを右手で引き寄せる。バッグを漁り、そこから左腕を取り出す。今切り落とした左腕とは別の左腕。事前に作っておいた左腕だ。この左腕の付け根部分には接着用ヒーローアイテムがすでに埋め込まれている。

 佐藤は左腕の付け根にある接着用ヒーローアイテムのボタンを押し、左肩に押し付けた。強力な接着アイテムにより、ぱっと見は左腕があるように見える。服ごと切り落としたため左腕部分が無くなって妙なファッションになっているが、片手でミリタリーベストを着るのは手間がかかる。くっつけた左腕をミリタリーベストに入れようとして変な向きになるのも避けたかった。そして、ヒーローがこの違和感の意味が理解できるか、興味がある。

 佐藤は楽しければ多少不利な材料があろうとも許せる性分だった。

 佐藤のヘリは事前に決めた進路コースを進む。後方の地上は多数のヒーローが駆けている。

 佐藤のヘリは高層ビルの屋上に触れそうなほど近付いた。この場所は地上のヒーローからは死角となる。その屋上には沙紀が待っていた。佐藤から事前に指示を受けていた沙紀は、テレビ局を出た後、この高層ビルに向かい、爪で屋上まで登っていたのだ。

 佐藤はヘリから左腕の入った黒袋を落とす。屋上に落ちた黒袋に沙紀は駆け寄り、黒袋を両手で持った。

 佐藤はヘリから沙紀に向かって、二本指でサインを送る。沙紀も右手で黒袋を抱えながら、左手を大きく振った。

 ヘリの速度はその間全く落ちなかった。故に、ヒーローたちは通過した高層ビルの屋上でそんなやり取りがされているとは夢にも思わなかった。

 佐藤の乗るヘリは自然公園がある方向に進んでいく。佐藤はヘリに備え付けられているパラシュートを身に付け、ヘリのドアを右手で開ける。

 ヘリが自然公園の上空を通過。眼下には豊かな緑と僅かに赤く色付いた林が生い茂っている。

 

「行ってくるよ」

「オッケイ……こっちも……行く」

「お互い派手にやろうぜ」

 

 異形はコクリと頷いた。

 佐藤はヘリから飛び降りる。ヘリは進路を変えず、直進をやめない。

 佐藤はギリギリのところでパラシュートを開き、落ちる速度を緩める。佐藤がパラシュートで林に入っていく姿は、追いかけているヒーローたちからも見えた。

 佐藤は林に突入して着地。着地した時、ビリビリに破れたパラシュートが頭上から覆い被さってきたため、佐藤はパラシュートのベルトを服から取り外しつつ、覆い被さったパラシュートを頭上からどかした。

 佐藤はそこからしばらく林を歩き、ナイフの切り傷が入った木に辿り着く。その木の下を軽く掘り、佐藤はバッグを取り出した。バッグを開けると、番号の振られた起爆スイッチと拳銃二丁、手榴弾、閃光手榴弾、アサルトライフルと拳銃の弾薬などといった物資が入っている。

 佐藤は二丁の拳銃を腰のホルスターにしまい、アサルトライフルのマガジン、閃光手榴弾、手榴弾をミリタリーベストのポーチに入れた。そして、起爆スイッチを二つずつ腰のポーチにしまう。これで元々持っている起爆スイッチと合わせて五つの起爆スイッチを持ったことになる。

 

「左手を使わない縛りプレイでどこまでスコアが出るか、ちょっと楽しみだね」

 

 それっきり佐藤は息を潜め、木に隠れた。ヒーローが来るであろう方向から注意を逸らさない。

 佐藤は今、完全に林と一体化していた。

 

 

 佐藤がいなくなり、異形だけが乗る報道ヘリ。異形は上空から地上を見渡し、混乱で車が渋滞しているところを見つけた。

 異形は操作スティックを動かし、ヘリをその渋滞している場所に急降下させる。どんどん迫ってくるヘリを茫然と見ていた運転手や乗員は、ハッと我に返ると慌てて車から降りて逃げようとしたが、もう遅かった。

 異形は車の群れにヘリがぶつかる瞬間、起爆装置を押す。すると、ヘリに積まれていた爆弾が爆発し、その影響で周囲の車も誘爆。大勢の人々がその爆発と誘爆に巻き込まれ、炎渦に呑まれて消えていった。




書きたい視点多すぎ問題。


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第16話 縛りプレイ

 ヒーローたちはこの時ばかりはスタンドプレーに走らず、急場ゆえの協力をしていた。帽子ヴィランが逃げた先の自然公園を包囲し、ジワジワと包囲網を狭める。テレビ局を占拠した挙げ句、テレビ局を爆破し、大量のヒーローと国民を殺害した凶悪ヴィランを逃がさぬように。こんなヴィランを逃がしたら、国民からのヒーローの信用が更に失墜してしまう。

 林の外のヒーローがそんな思いで包囲していることなど全く意に介さず、佐藤は呼吸を最低限にし、ヒーローの突入に備えていた。呼吸する度に感じる草と土の混じった独特な匂い。それは佐藤が軍人だった頃を思い出させる。

 

 ──懐かしいね。

 

 佐藤はアサルトライフルのアイアンサイトをジッと見る。そのサイト内に人影を確認し、トリガーを引こうとした。が、その人影に違和感を感じ、引くのをやめた。なんというか、人間的な動きではなく、機械的な動きなのだ。まるで何かに操られているようであり、それに加え無防備で、明らかに攻撃を誘っている。

 

 ──なるほど、ヒーローもただ突っ込んでくるだけの能無しじゃなくなったか。

 

 佐藤が遠距離から一瞬で殺してくるという情報をヒーローたちはテレビ局の出来事から得た。誰だって死にたくないのだから、このやり方になるのは至極当然の帰結だった。佐藤がこれから最優先でやるべきなのは、囮役をこなせる個性を持つヒーローを無力化していくことである。

 佐藤はリスクとリターンを秤にかけた。その機械的な集団をアイアンサイト越しに見つつ、佐藤は僅かに笑みを浮かべる。こうでなければ刺激的じゃない。リスクあってこその戦場であり、佐藤はリスクがあること自体に楽しみを感じるタイプなのだ。でなければ、わざわざテレビ局を占拠し、あらゆる勢力を敵に回すなどやるわけがない。

 佐藤は位置バレを気にせず、アサルトライフルのトリガーを引いた。銃弾は集団の一人の頭を撃ち抜き、撃ち抜かれた人は風船のようにパンという音とともに弾ける。

 

 ──あれは全部風船ってことかな? 最優先でこの個性のヒーローを処理しないと。

 

 佐藤の体から黒い粒子が溢れ出し、黒い粒子が異形を形作る。これで、佐藤は今日三体目の異形を出したことになる。そして、佐藤は自身の経験から、一日に出せる異形は三体までだと知っている。今生み出した異形が消えれば、佐藤は明日になるまで異形を出すことができない。

 異形は木を一気に登り、木の頂点に立つ。その異形の視界越しに、佐藤は周囲を包囲しているヒーローたちを見る。彼らは佐藤に見られているなど思いもしていないから、個性の発動や人型の風船を操るプロセスを隠したりしていない。

 

「帽子ヴィランを見つけた! 正面ちょっと右!」

 

 林の外から叫び声が聞こえる。

 佐藤は木から飛び出し前進。片手でアサルトライフルを支え、囮の集団を撃つ。囮の集団はあっという間に弾けて消えた。この囮の中にヒーローが何人か入っていたなら、佐藤は前進なんて選択は選ばなかっただろう。結局、ヒーローの戦法は消極的戦法だ。一発で消えるような戦力にならない囮を使い、佐藤の出方の見極めと心理的圧力をかける。だが、佐藤に心理的圧力なんてものは無意味だ。彼には恐怖心がないのだから。

 佐藤は木があるギリギリまで近付き、素早くアサルトライフルを人型の風船を生み出し続けているヒーローに連射。そのヒーローは佐藤の銃口が向けられていることに気付き、自身の正面に人型の風船を何体か配置したが、複数の銃弾を防ぐ能力は無かった。そのヒーローの胴体に三つ穴が空き、ヒーローはそのまま倒れ伏す。

 ヒーローたちの凄まじい怒号。それを受け流しながら、佐藤は素早く身を翻した。さっきまで自分が隠れていた木のところに駆け込み、滑り込みながらアサルトライフルの弾倉をポーチから取り出す。そして、アサルトライフルを木と体で固定しつつリロード。

 佐藤は木に背中を合わせた状態で、辺りを覗き込む。佐藤が想像していたヒーローの反撃がなかなかこない。まさかとは思うが、自然公園だから自然を巻き込んだ攻撃はできないなんてヌルい考えをヒーローはしているのだろうか。だとしたら拍子抜けだ。

 確かにヒーローについて集めた情報では、ヒーローは極力周囲の被害を抑えなければならないという決め事があった。しかしそんなもの、凶悪なヴィランを逃がすリスクに比べれば大したことない。おそらくそれは彼らも理解している。ならば、なんで彼らはこの自然公園ごと吹き飛ばすことをしないのか。答えは簡単だ。彼らが集団で来たからだ。もしこれが数人だけだったならば、誰かが先陣を切って攻撃してきた筈だ。だが集団になっている今の状況は、誰かが先陣を切るという貧乏くじを引くのを待っている。そうやって自然を破壊したという汚名を被らず、美味しいところを持っていこうとしているのではないか。

 結局のところ、彼らには覚悟が足りない。人気商売の宿命か、ヒーローは非難を恐れる。国民から見放されたら居場所を失うからだ。それに加え、ヒーローは死を恐怖する。ヒーローは死と密接な関係にあることを理解せず、その世界に飛び込むからだ。

 はっきりと言ってしまえば、そんなヒーローが何人集まったところで、佐藤からすれば紙束も同然。

 佐藤は再び木から飛び出し、異形の視界をジャックしつつヒーローの配置を把握。すかさず木々の間から射線を作り、次々とヒーローの胴体を撃ち抜いた。片手でアサルトライフルの照準をつけている以上、両手より精度が落ちる。だから佐藤は、頭より的の大きい胴体を狙っている。

 その後、佐藤はまた後退。ヒットアンドアウェイ。前とは違い、一人のヒーローが林に踏み込んできた。佐藤の誘いの動きに釣られ、爆破地帯に来た哀れな生け贄。黒髪をオールバックにし、両目の周辺を眼鏡のフレームのようにペイント。マントを羽織り、腰と胸を覆うアーマー以外の部分は肌が露出していた。その男の正面には小さな盾が幾つも組み合わさった大きい盾が展開している。そのヒーローはシールドヒーロー『クラスト』。上位プロヒーローであり、個性は『盾』。盾を生成できるというシンプルだが使いやすい個性である。

 

 ──覚悟ができているヒーローもいるみたいだね。

 

 クラストは正面に盾を展開しながらも、手の平の先で丸い盾を創り、佐藤目掛けて投げた。中々の速さだが、佐藤は紙一重でかわし、木の後ろに隠れる。そこからアサルトライフルの銃口を突き出し、クラストに向けて連射。銃弾は全て正面に展開されている盾に防がれる。だが、銃弾の衝撃は殺せず、クラストの前進は止められた。止められつつも、クラストはまた手の平に盾を創り、アサルトライフルの銃口目掛けて投げた。それをアサルトライフルを引くことで回避。外れた盾はそのまま木の一つに突き刺さった。

 佐藤は突き刺さった盾を観察しながら、素早くリロード。その間にクラストは三歩近付いていた。リロードが終わった佐藤は再度クラストに連射。クラストの足が止まる。銃弾は盾に防がれ続ける。

 

 ──この生成される盾、一体何から創っている?

 

 佐藤は盾が生成されるところを二回、この目で見た。何も無い空間に盾が創られていくところを。この世界は質量保存の法則に支配されている。核反応などの原子崩壊を伴う化学変化は例外だが。盾を創るためには、空間に盾の素材が無ければ、理論的には生成できない筈だ。にも関わらず、このヒーローは盾を生成できている。しかも、おそらく無限に生成できるのだろう。それは物理法則を無視している。

 だがそれを言うのであれば、佐藤も物理法則を無視している。彼は何も無い空間に自らの肉体を創り出すことができるからだ。それは亜人の持つ特別な粒子を肉体に変換しているため、無から有を生み出しているわけではない。が、亜人でない者にその粒子は見えないため、無から有を生み出しているように見えるのだ。

 

 ──なるほど。『個性』とはそういう類いの能力か。

 

 佐藤はそう『個性』を結論づけた。つまり亜人と同じ、それぞれの個体がそれぞれのルールに従って世界に干渉する力。この盾の生成も、おそらくはこの男の個性因子とやらの何かしらの反応がもたらす力だ。他人にその法則が見えないだけで、能力を使う本人だけがその法則を直感的に理解できる。

 佐藤は頭の回転が早い。佐藤にとってこの分析で重要な部分は、持久戦はこの男との戦いにおいて意味が無いと理解した部分だ。

 銃撃でクラストの足を止めている間も、続々と他のヒーローたちがクラストの背後から接近してくる。クラストの勇気に呼応したのだ。一人が飛び込むと、それに感化されるように追従するのは世の常である。佐藤からすれば、それを待っていたのだが。

 佐藤が撃っているアサルトライフルが弾切れになった。ここぞとばかりにクラストや他のヒーローが佐藤に駆け寄ろうとする。

 佐藤は腰のポーチから素早く①の起爆装置を取り出し、スイッチを押す。瞬間、クラストたちのいる地面が一気に爆発した。何故銃撃が無駄なのに、クラストへの銃撃を止めなかったか。答えは爆破地帯からクラストを逃さないためだ。

 爆風が佐藤の隠れる木を震わした。佐藤は戦果を確認すべく、アサルトライフルをリロードした後に木から顔を出す。

 

「……あら?」

 

 佐藤の正面に広がるのは爆発によって抉れた地面。根元から折れて積み重なる木々。肉片と化したヒーローの残骸。それらの中で膝を折り、荒く息をしているクラスト。クラストの目からは涙が溢れていた。

 

「大切な仲間たちよ! すまぬ! 私は守れなかったァァァ!」

 

 佐藤はクラストの両足を確認。焼け焦げて潰れているが、無くしてはいない。これらの状況から導き出される結論。クラストはずっと全身を盾の鎧で覆っていたのだ。不意打ちされても死なないように。今の爆破は地面の下に埋めていたため、本来の威力の半分程度ではあった。だが、生き残っていたのは彼一人だった。

 佐藤はクラストの状態を確認し機動力を失ったと理解した瞬間、ミリタリーベストのポーチから手榴弾を取り出し、ピンを抜いて二秒待った後、クラスト目掛けて投げた。投げたら佐藤は後退し、木々の生い茂る中へ駆け込む。

 クラストは正面に手をかざし、瞬く間に盾を創造。手榴弾はその盾にぶつかり弾かれる瞬間、爆発。クラストのところに破片はいかなかったが、クラストの体は爆風と衝撃で数メートル後方に吹き飛んだ。倒れた木にぶつかり、木にめり込んだ状態でクラストは意識を失う。死んではいない。この爆発でも、彼は全身に盾の鎧を纏っていたのだ。

 クラストの行動は、良くも悪くも硬直状態を脱する起爆剤になったのは事実だった。何故なら、ヒーローは全方位から林に突入し、佐藤に迫っていたからだ。

 佐藤は②の起爆装置を取り出し、スイッチを押す。佐藤の右方向が爆発し、ヒーローたちが肉片となった。

 その間に、左方向から佐藤に凄まじい速度で迫る二人のヒーロー。距離はあと三歩。佐藤は起爆装置を離し、迫ってくるヒーローの拳をよけた。直線的な動きであれば、先読みすれば対応できる。佐藤は肉体戦においても軍人として超一流。生死のやり取りの中で熟成された技術は、『個性』に頼り体術の基礎すら知らないヒーローに遅れを取らない。

 佐藤は伸びた腕を掴みつつ、二人目の間に今掴んでいるヒーローが壁になるよう一歩踏み込んだ。二人目のヒーローは方向転換しようと風を噴射している足をその場で踏み込む。その時には、佐藤は掴んでいるヒーローの腕を捻り、体重移動で二人目のヒーローの方に投げ飛ばしていた。その場で方向転換しようとしていたヒーローは投げ飛ばされたヒーローに巻き込まれる形となり、足が止まる。佐藤はすかさず腰のホルスターから拳銃を引き抜き、まず投げ飛ばしたヒーローの顎下から至近距離で撃ち抜く。飛び散る血痕と脳漿。青ざめる二人目のヒーローの顔。肉塊となったヒーローを体でどかしつつ放たれた二発目の銃弾。その銃弾は青ざめたヒーローの額に風穴を作った。

 佐藤は拳銃をホルスターにしまいつつ、③の起爆装置を取り出す。それをヒーローの一人が見た。そのヒーローと佐藤の視線がかち合う。その瞬間、そのヒーローは直感で理解し、声の限り叫ぶ。

 

「爆発するぞ! 逃げろォ!」

「俺が止めてみせる!」

 

 別のヒーローが地面に手をついた。佐藤はそのヒーローの行動を気にも留めず、スイッチを押す。左方向の爆破。だが、地面に手をつくヒーローの周辺は僅かに地面が盛り上がっただけだった。周辺以外は爆発し、木々が薙ぎ倒されて地面が抉られている。

 地面に手をついたヒーローとその周囲に集まったヒーローたちが、地面を見ながらホッと息をつく。その視界にカンッという音とともに飛び込んできた丸い物体。M六七破片手榴弾である。

 佐藤は爆発を抑えた個性を『手に触れている物体を硬化する個性』と判断。更に言えば、ヒーローが爆発を止めるという声を聞いている。故に、スイッチを押したらすぐ起爆装置をポーチにしまい、手榴弾のピンを抜いて投擲したのだ。佐藤との戦闘は、思考を止めた者から死ぬ。

 集まっていたヒーローたちは爆風とそこに含まれる破片でズタズタにされ、バラバラになった。無事だった木も幹が抉られ、ゆっくりと折れていく。そんな中で幸運があったとすれば、木が遮蔽になっていた二人のヒーローだけは傷を負いつつもまだ息があることだった。

 佐藤は木の上を移動する異形に意識を移す。異形は佐藤の目としての役割で出しているため、戦闘に参加させるつもりはない。常に異形は俯瞰できる位置を選んで移動している。

 佐藤はその異形の視界を一瞬ジャックし、背後のヒーローたちの状況を確認。数メートル近くまで接近している。 

 佐藤は振り向きざまに起爆装置を突き出した。背後にいたヒーローたちの顔色が変わる。

 

「ここから離れろ!」

 

 必死の形相で先頭のヒーローが後方に指示を出しつつ、その場から思いっ切り横に跳んだ。後方のヒーローたちも同様に散開。佐藤は起爆装置のスイッチを押さず、その起爆装置を手放し、アサルトライフルに持ち替えた。その起爆装置はすでに爆破したスイッチであり、ブラフ。

 佐藤は先頭のヒーローと同じ方向に移動しつつ、アサルトライフルを跳んだ先頭のヒーローに向けて連射。五発の銃弾がそのヒーローの胴体を食い破った。起爆装置に気を取られた一瞬の隙が生死を分けたのだ。

 集団戦において、各個撃破は基本。起爆装置のブラフで散らしておいてから順番に叩く。

 佐藤はアサルトライフルを撃ち続け、他にも五人のヒーローを射殺。撃ち続けている最中、唐突に弾が出なくなった。弾切れ。その隙を突き、一人のヒーローが佐藤に肉薄。佐藤はアサルトライフルのマガジンを抜き、そのマガジンでそのヒーローの目の部分をめり込むほどに突く。ヒーローは顔を手で押さえながら呻いた。佐藤はマガジンを捨て、アサルトライフルを掴んで銃身をそのヒーローの首に引っ掛ける。そのまま銃身を利用。そのヒーローの体勢を崩し、銃身ごと地面に叩きつける。

 

「ぐえッ」

 

 倒れたヒーローに佐藤がのしかかり、ヒーローの体を固定しつつ拳銃をホルスターから抜き、倒れたヒーローの頭を撃ち抜く。

 ヒーローはまだまだ襲いかかってきていた。それは異形の視界で見えている。

 佐藤は拳銃をそのヒーローたちに向け、驚異的な照準能力と早撃ちで六人撃ち殺す。アサルトライフルとは違い、拳銃は片手で使う武器のため、反動が少ない。だから、正確に急所を撃ち抜ける。拳銃もこれで弾切れになった。

 

「はぁ、はぁ……きっつい……」

 

 佐藤は息が上がっている。片手だけの戦闘に加え、爆弾詰めされて重くなっている装備を背負いつづけているのだ。通常より当然負荷がかかっている。

 ただ、そんなのはヒーローには関係ない。林の中を佐藤目掛けて駆けてくる。

 佐藤は④の起爆装置を取り出し、スイッチを押した。林が爆破され、多数のヒーローが肉塊と化す。

 佐藤は休む間もなく、ミリタリーベストのポーチから閃光手榴弾を取り出し、別方向から接近しているヒーローたちに向けて放り投げた。凄まじい閃光と轟音。屋外のため音の効果はそれほど期待できなかったが、視覚への影響は絶大である。

 佐藤は二丁目の拳銃を抜き、弾切れになるまで撃つ。その銃弾は視覚を奪われ平衡感覚を失っているヒーローを四人撃ち殺し、五人を負傷させた。

 

「なんなんだよ……コイツ」

 

 ヒーローたちの足が止まる。残っている林を遮蔽物にして、彼らは隠れた。佐藤の大量殺戮を間近で見て、恐怖で心を折られたのだ。今の彼らの頭に佐藤を捕まえようなどという考えは無い。あるのはどうやって生きのびるか。ただそれだけしかない。

 そんなヒーローたちを視界に入れつつ、佐藤はアサルトライフルを固定しリロード。二丁の拳銃もリロードする。

 佐藤は異形の視界をまた数瞬ジャックした後、ため息をつく。

 

「来ちゃったかぁ……」

 

 佐藤の呟きが終わると同時に凄まじい熱風が吹き抜け、視界に炎を纏う男が現れた。

 

「随分と好き放題やってくれたな」

「ちょっと休憩してからやろうよ。さすがに疲れた」

 

 佐藤の言葉に対し、その男は返事をしなかった。ただ、纏う炎を更に激しくしている。

 佐藤は汗を拭いながら、ゆっくりと深呼吸した。



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第17話 エンデヴァーVS佐藤

 佐藤は息を整えつつ、自分の戦闘力をこれまでの戦闘を思い返しつつチェックしていく。それにより現在自分にどれだけの物資が残っているか分かった。残りの物資はアサルトライフルの弾倉一つに閃光手榴弾一つ、自身の体を爆破するための起爆装置一つ。これだけである。最後は自分を爆破して終わらせる予定のため、佐藤は物資を渋らず、どんどん物資を消費していったのだ。それに加え、IBM(異形)は戦闘に参加させないと決めている。これで、佐藤の戦闘力が算出される。アサルトライフル六十発、拳銃二丁の九発ずつ、閃光手榴弾一つ、自爆。要するに、この四択が佐藤の取れる攻撃手段だ。

 

 ──さて、どうしようか。最初はアサルトライフルを中心に戦闘を組み立てる。それが通用しなかったら、次は自爆に巻き込むのが確実かなぁ。

 

 あの炎のヒーローを佐藤はもちろん知っている。ナンバーツーのヒーローであり、ナンバーワンのオールマイトがいなくなった今は次期ナンバーワンヒーローの呼び声が高い。そして、接近戦を好む。

 オールマイトは己の身体能力だけで長い間ナンバーワンの座を死守していた。そんなオールマイトを超えようとした結果、接近戦の方に戦い方が寄ってしまったのかもしれない。

 佐藤にとって、炎のヒーローが何故そうなったかの事情はどうでもいい。自分に都合が良い。それさえ分かっていればいい。

 

 

 

 佐藤から少し離れたところに立つ炎を纏う男。ナンバーツーヒーロー『エンデヴァー』は視線を落とし、自分が踏みしめている荒れた地面に肉片が散らばっているのを見た。次に周囲を見渡す。倒れた木々とボコボコになっている木々、飛び散る血と肉塊の川。大量の臓物がこぼれ、異臭を放っている。そして、激痛に声をあげている負傷したヒーローたち。

 エンデヴァーの顔が険しくなり、両拳を握りしめる。

 

「エンデヴァー、来てくれたのか」

 

 木々に隠れ、佐藤の方を窺っていたヒーローたちの一人が、エンデヴァーの姿を見てホッと息をついた。

 

「ここは俺に任せろ」

「……分かった。ここは任せる」

 

 ヒーローたちが木々から飛び出し、佐藤に背を向けて後退していく。

 佐藤はアサルトライフルを彼らの背に向け、撃った。背中を撃たれたヒーロー二人がうつ伏せで倒れ、他に逃走していたヒーローたちは慌てて遮蔽物に隠れる。

 うつ伏せに倒れたヒーローから血が溢れ、血溜まりとなっている。ピクリとも動かない。

 エンデヴァーの握る拳に更に力が入る。佐藤を睨んだ。

 

「何故撃った?」

「倒すべき悪が目の前にいるのに逃げる。そんなヒーローに何の価値が?」

 

 その声が聞こえていた逃げようとしたヒーローたちは、そんな言葉を他ならぬ悪に言われ、悔しさと情けなさで奥歯を噛みしめる。

 佐藤はアサルトライフルから右手を離し、そのままエンデヴァーに人差し指を突きつける。

 

「キミもキミだよ。まだこれだけのヒーローが生きているのに、ここは任せろなんて自己中心的な意見だ。もっと指示するべきことはあるでしょ。負傷者を救出しろとか、この方向から攻撃しろとか、敵の情報を教えろとか。この場から退避させるより有意義な人の使い方が」

「……」

 

 エンデヴァーは無言で佐藤の言葉を聞いている。エンデヴァーはこの現場の惨状に内心ショックを受けていた。だからこれ以上被害者を出したくないという一心で、自分以外のヒーローをこの場から退避させたかった。だが、それは同時に他のヒーローを軽んじる行為だとも分かっていた。分かっていて、暗にこの場から逃げたかったら逃げていいと彼らに逃げ道を作った。

 

「確かキミってずっとナンバーツーのヒーローだったよね。不動のナンバーワンヒーローのオールマイトが引退した今、やっとナンバーワンになれるチャンスが巡ってきたんでしょ。ヒーローの本でキミのことはいっぱい書いてあった。その情報とキミの今の行動を見てると納得できる」

「俺がオールマイトを超えられないことに納得できるだと? 貴様……」

「じゃあ訊くけど、なんでヒーローやってるの? 人助けしたいとか、たくさんの人を笑顔にしたいとか、そんな理由なわけないよねぇ。だってそんな話どこにも書いてなかったし。ナンバーワンになりたかったのも、自分の力を国民に見せつけたいからみたいな、そんな私的な理由なんでしょ?」

 

 エンデヴァーの表情が曇る。エンデヴァーがナンバーワンヒーローに拘るのは、ナンバーワンになりたいというよりはオールマイトに勝ちたいという気持ちが強かったからだ。だからオールマイトが引退するという話を聞いた時、エンデヴァーに宿った感情は喜びではなく怒りだった。勝ち逃げされたような気さえした。オールマイトに勝ってナンバーワンになりたかった。だが他人から見れば、ただナンバーワンになりたいだけの人間に見えるかもしれない。

 

「英雄に自尊心(エゴ)は必要だけど、救世主(ヒーロー)利己主義(エゴイスト)は必要ない」

 

 佐藤は唐突にアサルトライフルのグリップを右手で握り、銃口をエンデヴァーに向ける。佐藤は休憩するために話し続けていただけであって、話の内容に興味は無い。一方、佐藤の話に動揺しつつも、佐藤の一挙一動を注視していたエンデヴァーはその佐藤の動きに対応できた。

 エンデヴァーは前面に炎の壁を創り出す。佐藤はその炎の壁越しにアサルトライフルを撃った。放たれた銃弾は炎の壁に突入した瞬間、高熱で溶けながら軌道が変わり、エンデヴァーの放出し続けている炎に最後は消えた。

 佐藤はその一連の変化を見た。炎に銃弾が突入した瞬間に溶けて無くなった訳では無い。ということは、溶けるまでに猶予があるということだ。どれくらいの距離なら放出し続ける炎の壁を貫けるか、検証する必要がある。

 佐藤がアサルトライフルのトリガーを再び引こうとする。エンデヴァーの背後に炎の噴射がチラリと見えた。佐藤はアサルトライフルから手を放しつつ、木から横っ飛びをした。エンデヴァーが瞬く間に佐藤が隠れていた木に接近している。炎は自身の体に纏っているだけで、周辺の林への炎の影響はほとんど無い。炎を完全にコントロールしている。これほど燃えやすい物が多いところに入ってきてもほとんど燃やしていないのは、凄まじい練度と言わざるを得ない。

 佐藤は横っ飛びしつつも拳銃を抜き、エンデヴァーに銃口を向ける。その銃口を向ける前にエンデヴァーは佐藤にギリギリ届く距離の炎を噴射していた。拳銃はその炎に包まれそうになる。佐藤は拳銃をエンデヴァーに向かって放り投げた。拳銃は噴射され続ける炎に包まれ、溶けてドロドロの物体になった。

 

 ──これは……相性最悪かな!?

 

 遠距離は炎の噴射で防がれ、近距離は熱で銃そのものが駄目になる。これは佐藤にとって最も優れた戦術の一つが封じ込められたと言っていい。

 それを理解した時、佐藤がとった行動はある意味明白だった。彼は突如エンデヴァーに背を向け、エンデヴァーに起爆装置を見せないようにしつつ、いつでもスイッチを押せる位置に指を持ってきたのだ。

 エンデヴァーはその佐藤の行動を見て、次の武器を取り出すための動作であり、背を向けた理由は取り出す武器を隠すためだと考えた。

 エンデヴァーは以前ミルコがHNに書いた佐藤の情報を知っている。個性が『超再生』であり、その条件が致命傷レベルの損傷であり、その条件を満たすため自傷行為をする場合があると。それを踏まえれば、エンデヴァーは炎撃で佐藤を動けない程度に火傷させる方法は使えず、自傷できないよう手足を拘束するしかない。

 故に、佐藤が背中を向けた瞬間、エンデヴァーは距離を詰めた。背中を向けつつエンデヴァーから視線を逸らさなかった佐藤と目が合う。その口元が歪んでいる。笑み……? とまず認識した。ゾクッと背中を悪寒が走る。紛れもない、それは死の恐怖。

 そこからはコマ送りの世界に、エンデヴァーは放り込まれる。エンデヴァーは反射的に佐藤から炎の噴射で離れる。佐藤がスイッチを押した。佐藤の体が爆発に包まれる。エンデヴァーは後退しつつ、爆風を炎で相殺しようとした。無意味だった。瞬間的な爆風はエンデヴァーの扱える瞬間的な炎の噴射を超えていた。多少爆風の威力を軽減する程度の効果はあったが、気休めレベルだった。

 エンデヴァーは爆風から完全に逃げることはできず、爆風に呑み込まれて吹き飛ばされた。体のところどころに傷を負いつつ、地面に背中から叩きつけられそうになる。エンデヴァーは背中から炎を噴射し、衝撃を和らげた。

 エンデヴァーはすぐに起き上がる。エンデヴァーはそもそも移動速度が速いため、爆風も直撃では無かった。

 エンデヴァーは佐藤が爆発した辺りを見る。もしかしたら再生するのかもしれないと考えたからだ。しかしいつまで待っても、再生はしなかった。佐藤の爆発地点に残っているものは、荒れ果てた林と佐藤の一部と思われるボロボロの左腕。

 隠れていたヒーローたちが次々エンデヴァーに寄ってくる。

 

「さすがだぜエンデヴァー! あのイカれ野郎にあっという間に負けを認めさせて自爆させるなんて! これでこの騒ぎも収束していくな!」

「……」

 

 エンデヴァーは返事をせず、佐藤の自爆地点に近付き、ボロボロになった佐藤の左腕を手に取った。

 再生はしていない。これであの帽子ヴィランは死んだ筈だ。そう思いながらも、エンデヴァーは自爆直前の佐藤の笑みが頭から離れない。

 エンデヴァーからモヤモヤとした嫌な気分はいつまでも消えなかった。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 薄暗い室内。ポツンと一つだけ置かれた机。その机はかなりの高さがあり、その机には左腕が置かれている。突如、その左腕から黒い粒子が溢れ、その黒い粒子は人型を作り、粒子は血・臓器・骨・肉・皮となり、やがて裸の中年男を形作った。

 その部屋の隅に沙紀、針間、丸井がいる。針間は復活した佐藤を見ると、着替えと武器が入ったバッグを足元に置いた。沙紀は佐藤の方を見ないよう、スマホ画面を見ながら操作している。

 佐藤の左腕が渡されてから自爆するまで八分三十秒あった。その間に沙紀は左腕の入った黒袋を肩にかけて、日陰になる方から高層ビルを一気に地上まで下り、あらかじめ丸井と針間が確保しておいた近場の建物内に移動。この建物は朝は無人のため、余計な殺人はしないで済んだ。

 佐藤はシャツとズボンに着替え、拳銃とサバイバルナイフを隠し持つ。

 佐藤は扉に近付く。沙紀と丸井がいる方に。沙紀はスマホをしまい、いつも佐藤が被っているハンチング帽を渡した。

 佐藤はハンチング帽を笑みを浮かべて被る。佐藤の頭の中はさっきのエンデヴァー戦でいっぱいになっていた。

 

 ──もしあの爆発で生きていたら、今度はガチでやりたいなぁ。

 

 そんな佐藤の思考をよそに、沙紀は佐藤のハンチング帽への愛着に少し興味を持った。このハンチング帽にしても、佐藤は同じ物をいくつも持っている。

 

「佐藤さん、ハンチング帽に何か思い入れがあるの? それとも単純に好きだから?」

「えっ、どうしたの急に」

「なんとなく気になったから。いつも佐藤さん、その帽子を被ってるし」

「私が帽子を被る理由は、主人公(プレイヤー)にはトレードマークが必要だからさ。マリオだっていつも帽子を被ってるでしょ」

「マリオ? 有名な人?」

「あぁ、そっか。マリオ無いんだったね……」

 

 佐藤は少し残念そうに呟いた。

 佐藤たちはそこから少し歩き、針間が置いといた車に乗り込んだ。

 

「これからヒーローはどう出てくるかなぁ。出方によってはエンデヴァーくんのヒーロー人生を終わらせてしまうかもしれない」

「えっ、なんで?」

 

 佐藤の独り言に、沙紀が食いついた。沙紀は話好きのため、面白そうな話ならなんでも話に加わる。

 

「本当の悪というのは、ヴィランのような分かりやすいものじゃない。例えば正当性という名の盾を手にした国民とかね。彼らの攻撃性は目を見張るものがある。これからどうなっていくか愉しみだねぇ」

 

 その日の午後には、帽子ヴィランはヒーローとの激闘の末に自爆して死亡というニュースが溢れた。




これでプロローグは終わりです。
これからは佐藤サイドの描写は最小限にして、ヒーローサイドや他サイドの描写を増やしていく予定です。


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第18話 ()びついた正義

 テレビ画面からニュースが流れている。

 

※ 女性アナウンサーと男性アナウンサーのバストショット。二人の前のデスクには『坂田愛里沙』と『大口拓実』のネームプレート。下部にはテロップで『神野の悪夢以来の大事件 死傷者負傷者合わせて千人以上』と出ている。

 

『TKテレビ局を占拠し、政府とヒーローに無謀な要求を突きつけ、さらにはテレビ局を爆破した凶悪(ヴィラン)。このヴィランの一連の行動で出た死者は分かっているだけで二百人を超えており、行方不明者も五十人以上となっています。負傷者はその三倍の八百人にものぼり、これは《神野の悪夢》に次ぐ大事件となりました。いえ、人口密集地帯で起きたこの事件の被害者が《神野の悪夢》より多いことや、政府やヒーローに要求を突きつけてきたという特殊性から、この事件の方が凶悪さなら《神野の悪夢》より上と言う有識者も多いようです。この帽子ヴィランはヒーローに包囲されても抵抗を続け、ヒーローを四十人以上殺害しましたが、最後はエンデヴァーに追いつめられ、死亡。その場にいたヒーローたちは《エンデヴァーに勝てないと悟り、エンデヴァーもろとも自爆に巻き込んで殺そうとした。これは避けようのない結末だった》とコメント。エンデヴァーは我々の取材に対しただ一言《目の前で爆発したところは見た》と言っただけで、これからのヒーローの中心となる人物にしては随分と歯切れの悪い──』

 

 チャンネルが切り替わった。

 

※ 深刻そうな表情をして話す男性アナウンサー。前にあるデスクには『今永裕人』と書かれたプレート。下のテロップには『ヒーロー社会に激震走る!? 一人のヴィランがヒーロー大量虐殺!』と出ている。

 

『たった一人のヴィランにここまで好き勝手させたヒーローに対し、国民からは不満の声があがっています。特に問題視されているのは、このヴィランは目立った《個性》を使用せず、誰もが使用できる銃火器だけでヒーローを抑えこんでいたことです。これなら《個性》を重要視せず、警察に銃火器を装備させて訓練させた方がヴィランに対し有効なのではないかという声もあり、これからのヒーローと警察の対応が待たれま──』

 

 チャンネルが切り替わった。

 

※ 荒れ果てた自然公園をバックに映っている五十代の男と女性アナウンサー。画面の左側には『自然公園管理者 眉月重蔵さん(53)』とテロップが出ている。右上には『凶悪ヴィランにより荒らされた自然公園』と赤文字で書かれている。女性アナウンサーが男にマイクを向けた。

 

『こんなことになって、悔しさと悲しさが溢れてくるよ』

『そうですよね。私も東京都民として、同じ気持ちです。国民の一部には、警備が杜撰だったのではないかという声があがっていますが、それについてはどうお考えですか?』

 

※ 不機嫌そうにムッとする男。

 

『まったくもって心外な話だ。どれだけ広大な敷地があると思っている。この敷地と二十四時間の警備時間をカバーできる警備員の雇用と防犯機器を導入するための警備費はどこから捻出されるんだ。それに警備員を雇ったとしても、警備員がいたテレビ局はどうだった? 皆殺しにされ、結局テレビ局もヴィランの手に落ちた。ここも同じだよ。もしおれがヴィランが爆弾を仕掛けた日に見回りで鉢合わせていたら、確実に殺されてた。そういう意味じゃ、見回りしていなくて本当に良かったと思うよ。国民は関係ないからそんな無責任なことが言えるんだ』

『は、はい! その通りですね! 専門家の話では、この自然公園を復興させるためには莫大な費用が必要になるとのことです。この痛ましい事態に心を痛めた各団体が募金活動を始めており、一日も早く緑に溢れたお馴染みの景色が戻ってくると良いですね』

 

 チャンネルが切り替わった。

 

※ 若い男への街頭インタビュー。画面の左側からマイクを持つ腕が突き出され、右上に『若者たちのリアルなヒーロー印象』とテロップが出ている。

 

『最近のヒーローについてどう思いますか?』

『う〜ん……あんま言いたくないっすけど、ヴィランに最近やられっぱなしじゃないっすか。もっとしっかりしてほしいなって思いますね』

 

※ 場面が切り替わり、今度は若い女性の二人組にマイクが向けられた。

 

『最近のヒーローについてどう思いますか?』

『オールマイトが引退してからどんどん怖いヴィランが出てきているので、ヒーローの人たちには頑張ってほしいです』

 

※ 場面が切り替わり、帽子を被った男と茶髪の女のカップルにマイクが向けられた。

 

『最近のヒーローについてどう思いますか?』

『どうって、ちょっと頼りなさすぎだぜ。朝の事件にしたって銃と爆弾だけで、《個性》らしきものを使っているところは確認できなかったって話じゃないか。無個性同然の相手にここまで言いようにされるなんて、ヒーローの質が低下しすぎだろ』

『そうそう、ぶっちゃけ弱すぎっしょ、最近のヒーローって。あははははは!』  

 

※ 笑い合うカップル。

 

 チャンネルが切り替わった。

 

※ 六人の男がテーブルを囲み、口論している。左上には『帽子ヴィランの真意とは』と赤文字で表示され、右上には『専門家たちがガチ討論』と番組名が黒文字で表示されている。

 

『帽子ヴィランが最低の悪人であるという事実はまず脇に置き、帽子ヴィランの要求について純粋に話し合いたい。要求は概ね正しいと言わねばならないと私は考える。

第一にヒーローが国の管理下に入ることについては、全くその通りだ。ヴィランが勢力を増している今、ヒーローの人気取りやパフォーマンスに関して、それよりもヴィラン逮捕に力を注げと言いたくなる国民は大勢いるだろう』

『その場合、ヒーローの公平性が失われる可能性があるぞ。国の管理下にヒーローが入ったら、政府の汚職を見逃すようになるかもしれん。そうなった時も、彼らをヒーローと呼んでいいのか』

『今はそんなことはないと? 何故言い切れる? どのヒーローも清廉潔白だと信じているのかね? このヒーロー飽和社会で。バカバカしい。皆、心の内じゃ分かってる。ヒーローに相応しくないヒーローは山ほどいるとね』

『それは……良くないぞ。今あなたはとんでもないことを口にしている。この番組を観ているヒーローや国民が、あなたを非難するだろう』

『ヒーローと国民の非難? ははははは! そんなものを恐れてこの場にいるのかね、キミは! なら、このままずっと黙っていたまえ! 議論の邪魔だ!』

『なんだと!? あんたが黙れ! この反ヒーロー主義者が!』

 

※ テーブルに座る内の一人が勢いよく立ち上がり、座っている内の一人に掴みかかる。そこでテレビ画面は空から見た海の映像と『調整中です。しばらくお待ちください』という文字だけになった。

 

 テレビ画面が暗転する。テレビの電源を切ったからだ。

 テレビしか光源が無かった部屋が暗闇に包まれた。黒が基調のカーテンで窓は覆われている。

 その闇を、新たな光源が押しのけていく。スマホのバックライトだ。指が画面をタッチし、次々に画面が変化する。その画面はニュースサイトの『帽子ヴィランとヘリを操縦したヴィラン、最後は自爆。被害者千人以上の凶悪テロ』というタイトルのニュース画面で止まった。左上にコメント数があり、2317件と表示されている。

 指が画面をスワイプ。ニュースを読み、コメント欄に目を通す。

 

『神野の悪夢以上の大事件。これから日本がどうなってしまうのか、考えるだけで怖い』『本当に最悪なヴィランだった。人間としてこんな言葉を言うべきではないと思うが、死んで清々した。神野の悪夢を起こしたヴィランも早く死刑にしてほしい』『マジムカついた。自爆するくらいなら最初からやるなよ』『お亡くなりになった方へご冥福をお祈りします。酷い事件だった』『ヒーローの対応が遅い。ヒーローがもっと早くこのヴィランに対応できていたら、こんなに被害者は出なかった。これからのヴィラン確保について、真剣に考えた方がいい』『二人で誰にも悟られずテレビ局を占拠したとは考えにくいです。きっと仲間がたくさんいると思います。ヒーローと警察はこれで事件が終わったと思わず、仲間の捜索と確保に力を注いでほしいです』『何がヤバいって、個性を使わずに銃と爆弾だけでここまでやったことがヤバい。これから銃や爆弾を使用するヴィランが増えそう』『エンデヴァーさぁ、ヒーローなのに最後自爆を許したって、それでランキング2位ってマジ? 引退した方がいいよ』

 

 コメント欄に溢れるのは、帽子ヴィランとヘリを操縦していたヴィランに向けられる怒り、二人のヴィランが死んだことによる安堵、被害になった人への同情、これからの日本への不安、ここまでヴィランに好き勝手させたヒーローと警察の批難。特にエンデヴァーなど関わった上位プロヒーローへの当たりが強い。

 

「遊矢! 夜ご飯できたわよ! 遊矢!」

 

 その声で、開世遊矢は現実に引き戻された。一階から母親が呼んでいる。しかし、遊矢はベッドに座る体を動かす気にならなかった。スマホの画面に表示されているコメント欄を虚ろな目で眺めている。

 何の反応も無いため、母親が階段を上ってくる音が響く。煩わしい気分になる。僕のことは放っておいてくれ。

 そんな願いも虚しく、部屋の扉が開けられた。部屋の外の光が部屋を侵食する。

 

「あんた……こんな真っ暗で。電気くらい点けなさいよ。ご飯できたわよ」

「いらない。食欲ないから」

 

 母親がため息をつく。

 

「朝からどうしたの? 学校も休むの一点張りで、結局休んじゃって。起きた時は元気そうだったのに、朝ご飯食べ終わってから急に休むなんて言い出したから、お母さんびっくりしたのよ。部屋にもずっとこもりきりで──」

「僕は大丈夫だから、もうどっかいってくれ! 一人になりたいんだ!」

 

 母親はビクリと体を震わせた。反抗期らしい反抗期が無かった僕がこんなことを声を荒らげて言っているのだ。ビックリするのも無理は無い。

 

「なんなのよ一体……」

 

 母親はブツブツ言いながら扉を閉め、階段を下りていった。

 遊矢は途端に恐怖に襲われた。歯が噛み合わなくなり、ガチガチと歯同士がぶつかり合う音が部屋に響く。

 ニュースの帽子ヴィラン。僕は知っている。何故なら、三ヶ月前に溺れているところを助けたから。

 感情が暴れ狂う。ヒーローにこのヴィランを助けたことを言うべきか、それともこのまま黙っておくべきか。

 しかしこれだけの悲劇を生み出したヴィランを助けた人間を、ヒーローは受け入れてくれるだろうか。ヒーローだってたくさん殺された。ヒーローの反感を引き出すだけじゃないか。ヒーローだけならまだいい。国民にこの情報が漏れたら、帽子ヴィランが死んだ今、怒りの矛先は僕の方に来るだろう。考えるだけで震えが加速する。歯同士がぶつかり合う音が鳴り止まない。

 

 ──そうだよ。あの人は死んだんだ。だったら、わざわざヒーローに助けたことを言ったって波風立てるだけじゃないか。言わなくていいんだ。言わなくて……。

 

 だが自分の中の良心が、言え! 逃げるな! と叫び続けている。このジレンマが、遊矢の心を擦り減らしていく。

 結局、遊矢は良心に苛まれつつも黙秘を選んだ。彼は気付いていない。彼の持つ情報こそ、佐藤という人物を解明するための重大なピースとなっていることに。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 ミルコは東京都に昼頃到着し、そこから救助活動をした。

 今は救助活動が一段落した深夜。負傷したヒーローたちが搬送された病院に救助活動に参加したヒーローたちが集まって、お見舞いをしたり雑談したりしていた。

 この病院には燃輪も夕方頃に到着し、未だに食べては治癒液を生成し、治癒を続けている。空のヒールボトルが燃輪の背後に積み重なっているところから判断すると、備蓄していた治癒液を使い切ってしまったようだ。ミルコが持っていたヒールボトルも救助の時に一般人の負傷者たちに使い切り、今は燃輪の後ろに積み上がるヒールボトルの一部となっている。

 治癒している燃輪と目が合った。ミルコは手をあげて無言の挨拶をし、燃輪はそれを見て僅かに頭を下げて返す。食べる動作は全く止めない。

 

「俺はもうヒーローを辞める」

 

 そんな声をミルコはその優れた聴力で聞いた。ミルコが声が聞こえてきた方に目を向ける。辞めると言ったヒーローはたった今燃輪による治癒が終わったばかりだ。知り合いらしきヒーローがその言葉を聞き、驚いている。

 

「そんな……なんで!?」

「割に合わねぇからだよ。こっちは命張って守ってやってんだぜ。弱個性と無個性の能無しどもを。なのに、ニュースやSNSを見てみろよ。奴らは俺たちに感謝せず、批難してくるんだ。守られんのを当たり前のことだと思ってんだ。やってらんねえよ!」

「そんな言い方ないだろう!」

「あっちがボロクソ言ってんだから、こっちだって別にいいだろ! それと、今日だけで何人のヒーローが死んだ!? 帽子ヴィランみたいなのはこれからきっと増えてくる。俺はな、死にたくねぇんだ。わりぃな」

 

 辞めると言ったヒーローはそう吐き捨てて、この場から出ていった。唖然としていた知り合いらしきヒーローが、数秒遅れてそのヒーローの後を追いかける。

 二人が去った場に、気まずい沈黙が訪れた。誰もが視線を落とし、目を合わせようとしない。辞めると言ったヒーローの言葉が、沈んだ気分のヒーローたちの心に刺さったのだろう。

 

 ──腰抜けどもが。

 

 ミルコは不愉快な気分になり、舌打ちした。燃輪の方に視線を戻す。シールドヒーロークラストの潰れた両足を治癒しているところだ。原形を留めていない両足を治癒液を貯めた大きい容器の中に入れ、両足全体を治癒液につけている。すると、潰れていた両足に治癒液が絡みつき、巻き戻し映像を観ているかのように両足が元の状態へと戻っていく。そのかわり、両足が完全に治った頃には、たっぷりと容器にあった治癒液が四分の一まで減っていた。

 燃輪は雄英高校のリカバリーガールと決定的に違う部分がある。それは、リカバリーガールが治療者の自然治癒力を高めて治療する、いわば患者の自然治癒力を補助する能力であるが故の欠点である、自然治癒力じゃ治せない肉体と臓器の欠損ですら燃輪は治せてしまう点だ。治癒液が欠損した部分の代替となり、欠損した部分を創り出す。そのかわり、燃輪の治癒液は骨折や内臓損傷といった内部だけが傷を負っている部分を治す時はあまり機能しない。内部に治癒液を浸透させられないからだ。逆にリカバリーガールは内部だろうが外部だろうが治癒の速度に違いはない。こう考えると、二人の治癒能力は差別化ができている。

 

「うおおおおおお! ありがとうカロリーメイカー! ありがとう! これで私はまだまだたくさんの人を守れるぞ!」

「治癒できて良かったです。私は傷ついた人にしかお役に立てませんから、傷つく前に守れるヒーローの皆さんを羨ましく感じることもあります。これからも一緒に頑張っていきましょう」

「うむ! 共に力を尽くそう! ははははは!」

 

 クラストは豪快に笑いながら、この場から去っていった。陰鬱としていた場の空気が少しだけ和む。

 燃輪は治癒した相手にいつも励ましの言葉をかけていた。こういう気遣いが、燃輪が同業のヒーローや患者から人気がある理由の一つだ。

 場がざわついた。エンデヴァーが入ってきたからだ。エンデヴァーはいつも通り体に威圧的な炎を纏わせている。腕や足には帽子ヴィランの自爆の影響でできた傷を負っていた。

 エンデヴァーは場を見渡し、ミルコを見つけるとミルコの方に近付いてきた。

 

「話がある。俺の治癒が終わるまで帰るな」

「帰らねえよ。私も話があるし」

 

 エンデヴァーは燃輪の方に向き、燃輪の前に並ぶ患者の列に加わった。

 それから二十分後、エンデヴァーは治癒を終え、ミルコのところに戻ってきた。腕と足にあった傷はすっかり消えている。

 

「俺が訊きたいことは一つだ。静岡刑務所で帽子のヴィランと戦闘した時、本当に再生したのか?」

 

 ミルコはムッとした。

 

「私が適当書いたと思ってんのか? 私の蹴りで吹き飛んだのに、すぐに反撃した。閃光手榴弾で視界が潰される直前、拳銃で頭を撃った。だが私が逃げる時、銃撃された。他にそいつの仲間はいなかった。再生能力だと考えるのが普通だろ」

「何故逃げた?」

「自分の頭を拳銃で撃ったのを見た時、嫌な予感がしたからだ」

 

 エンデヴァーは黙った。ミルコは知る由もないが、エンデヴァー自身も嫌な予感を信じ逃げたことで、佐藤の自爆に巻き込まれなかったという経験がある。それをエンデヴァーは思い出していた。

 

「質問を変えよう。帽子ヴィランが再生したところをその目で見たのか?」

「それは……見てねえよ。そのことで私も話があったんだ。帽子ヴィランは自爆した後、本当に再生しなかったのか?」

「ああ。その場に残ったのは左腕だけで、そこから何分待っても再生しなかった。今、その左腕は分析班のところにあり、分析している最中だ」

「そうか」

 

 ミルコはため息をついた。

 

「さっきな、ヒーローを辞めると言った奴がいた。割に合わねぇって。いつから……掲げた正義がこんなにも()びついちまったんだろうな。錆びつきすぎて、何の役にも立ちゃしねェ」

「あんたらと一緒にしないでくれます?」

 

 唐突に割って入った男の声。ミルコとエンデヴァーは声が聞こえた方に顔を向ける。両翼を持つ男が入口にもたれ掛かっていた。

 

「俺の正義は常に研ぎ澄ませてある」

 

 その男のことを、人は速すぎる男と呼ぶ。



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第19話 快楽殺人者(サイコパス)

 両翼を持つ青年はミルコとエンデヴァーの方に近付いた。

 彼の本名は鷹見啓悟(たかみけいご)と言い、ヒーロー名はウイングヒーロー『ホークス』。十八歳でヒーロー事務所を立ち上げ、その下半期にはヒーロービルボードチャートというランキングのトップテン入りを果たしている。十代でトップテン入りしたヒーローは史上初であり、そこからもホークスのポテンシャルの高さを窺わせる。

 

「お前……ホークスだな? お前の事務所って確か福岡だろ。なんでこんなトコにいるんだよ」

「福岡とかそんなこと言ってる状況ですか。あなた方はあの帽子ヴィランがやったことの重大さが分かってない」

「……なんだと?」

 

 エンデヴァーとミルコがホークスの顔を見る。ホークスの顔から笑みは消えていた。

 

「いいですか、帽子ヴィランは『個性』らしきものを使わず、これだけのことをしでかしたんですよ。そりゃテレビ局を占拠する時には仲間がいたでしょうし、彼らが無個性である可能性は低い。でもね、テレビ局から逃走して最期に自爆するまでの間のことは『個性』を使用してなかった。国民の一番目に触れる部分でそれをやった。それが問題なんですよ」

「……模倣犯が大量に生まれると考えているのか」

「それで終わるならかわいいモンですね。俺が危惧しているのはその先です」

「その先ってのはまさか……無個性や弱個性と言われて差別されていた連中の武装蜂起か」

「それも危惧している内の一つです。それだけじゃないパターンがいくつも考えられるし、それらのパターンの複合もしくは同時発生なんかも考えられる。なんにせよ、これからの展開がどうなるか読みづらいんすよ。だったら少しでも読みやすい場所にいなきゃ置いてかれちまう」

 

 そう言った後に、ホークスは二人に向けて笑った。

 

「てなわけで、これからこっちでしばらくはやらせてもらいます。情報共有お願いしますね、お二人さん。俺も何か分かったらお伝えしますから」

 

 ホークスは窓に近付き、窓を開けた。両翼が広がる。

 ホークスは振り向き、ミルコとエンデヴァーに向かって右手の指先で軽く挨拶をした後、窓から飛び出して真っ暗な空へと飛び立った。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

「お、俺はぬ、抜けるッ!」

 

 丸井は声を震わせ、どもりながらもそう叫んだ。拠点の倉庫である。今や銃器、弾薬、爆発物、ヒーローアイテムの保管場所であり、半分メンバーたちのロビーとなっているような場所だ。つい三ヶ月前まで廃材が放置してあった場所とは思えない。

 丸井は顔面を蒼白にし、俯きながらも、佐藤と対峙していた。

 佐藤は丸井の言葉に対し、反応一つしない。表情すら変化しなかった。

 丸井は佐藤の返事を待たなかった。そもそも抜けることに同意を求めておらず、抜けるという決定事項がまずあり、そこを踏まえて自分の本心をぶつけようと考えていた彼にとって、佐藤の返事は不協和音に等しい。

 

「さ、佐藤さん、あ、ああ、あんたはやり過ぎだ! こんなのに付き合ってたら命が、いい、幾つあったって足りやしない!」

 

 周囲には他のリベンジエッジのメンバーも勢揃いしていた。彼らは佐藤の方を緊張感を持って窺っている。佐藤の性格を考えれば、即拳銃を抜いて撃ち殺すことは容易にあり得る展開だからだ。

 が、彼らのそんな懸念に反し、佐藤は穏やかな笑みを浮かべる。

 

「そう、ノリが合わなくなったなら仕方ないね。ちょっと待っててよ。今まで頑張ってくれたお礼を渡すから」

「え、あっ……」

 

 丸井が佐藤の予想外の反応に戸惑い、言葉が出てこなくなっている中、佐藤は平然と倉庫から出ていく。その場に残された面々は困惑しながら無言で顔を見合わせた。

 十分ほど経った後、佐藤はミリタリー色のバッグを右手に持って戻ってきた。左手は握りしめられている。

 

「これ、新たな旅立ちの餞別に」

 

 そう言って、佐藤は丸井にバッグを渡した。丸井はおそるおそるバッグを受け取り、バッグのチャックを開ける。

 チャックを開けると、百枚で一束になっている一万円札が大量に顔を出した。丸井は顔を上げ、困惑顔で佐藤を見る。

 

「こ、こんなに……良いんですか?」

「うん、いいよ」

「あ、ありがとうございます!」

 

 丸井はようやくホッとした表情になる。

 それから丸井は私物と全財産と今佐藤から貰った金を持った。バッグ四つ分の荷物である。それらを抱えながら、丸井は拠点の入口まで移動した。

 見送りに佐藤が来ている。佐藤が丸井の背中を左手で軽く叩いた。

 

「バイバイ、丸井君。これからも頑張ってね」

「は、はい。佐藤さん、その……やったことはともかく、佐藤さんが体を張ってくれたことで、俺はこれだけの大金を手に入れることができました。それだけはホントに、ありがとうございます」

「いいよいいよ。全然気にしてないから」

 

 佐藤の左手が丸井の背中から離れ、佐藤は丸井に向けて手を振った。丸井は両手がバッグで塞がっていたため、手を振れなかった。それ故に、丸井は軽く頭を下げることで佐藤に返した。

 丸井の後ろ姿はすぐに消えていった。

 

 

 ついさっきまで丸井がいた倉庫。そこで沙紀、(さとし)、針間が手近な箱に腰掛けている。佐藤と猿石の二人はいない。

 

「佐藤さんって今何してるの?」

「テレビゲーム。ここにモニターはないから」

 

 沙紀の何気ない問いに、怜が答える。

 

「佐藤さんってよくゲームで例えたりするからゲーム好きだと思ってたけど、今までゲーム買うばっかで全然やってなかったから、そんなにやるのは好きじゃないのかもとか思っちゃった」

「今までゲームよりやることがあっただけだ。けど、今はテレビゲームやるだけ。もう準備は全部終わった証拠さ」

 

 針間は言い終えると、両手で顔を覆った。

 

「……正直、俺は佐藤さんが昨日やったことを見て、佐藤さんの恐ろしさに肝が冷えてる。丸井が抜けたくなる気持ちも分かる」

「……みんなで抜けちゃう?」

 

 ボソッと沙紀が言った。場に沈黙が訪れる。

 

「……俺は抜けない。抜けたいヤツは抜けろよ。佐藤さんの邪魔になる」

「怜、お前……」

 

 針間が驚いた表情で怜の顔を見つめる。

 

「佐藤さんのしたことは確かに恐ろしいよ。けど、俺はそれ以上にスカッとしたんだ。あんなことをしようと計画を立てて、実際にやった(ヴィラン)は今までいない。佐藤さんに付いていけば、俺ももっと上に行ける気がする」

「じょ、冗談! 冗談だって! 言ってみただけ!」

 

 沙紀が作り笑いを浮かべ、両手を前に出してぶんぶんと振った。沙紀の本音は今すぐ抜けたいが、沙紀にとって佐藤はリベンジエッジをここまで大きくしてくれた恩人であり、大金を与えてくれた相手であり、同じ苦楽を共にした仲間でもあった。佐藤が人体実験をしたこの国そのものに復讐したいと願うなら、その復讐に手を貸すことは佐藤への恩返しになる。それが沙紀のヴィランとしてのプライドであった。

 

「けど、案外佐藤さんって優しいんだね。丸井さんが抜けるって言った瞬間、殺しちゃうと思った」

「そこはスジ通してりゃ寛大なのかもな。何も言わずに消えたら、きっと容赦しなかっただろう」

 

 そこで丸井の話は終わり、それぞれ自分なりの暇潰しをやり始めた。

 そして、その日の深夜、佐藤が怜たち三人の前にやってきた。笑みを浮かべている。

 

「ちょっと散歩してくるよ」

 

 それだけ言って、佐藤は出ていった。いつものハンチング帽にミリタリーベスト。右手にはバッグを持っている。

 残された三人は声が出てこなかった。佐藤から言い知れぬ殺気が放たれているのを敏感に感じとってしまったからだ。

 何か恐ろしいことが起こる。そんな予感を三人はひしひしと感じていた。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 佐藤は深夜の暗闇を歩く。ずっと歩いていたわけではない。タクシーに乗り、目的地の近くで降りた。そこから人気(ひとけ)がないところをなるべく選んで歩いた。監視カメラがある場所はあらかじめ猿石に頼んで調べてある。猿石は怪訝そうな顔をしながらも、監視カメラがある場所をマッピングした地図データを渡してくれた。

 歩いていると、ときおりヒソヒソ声が聞こえる。「あの人ってあのテレビ局を占拠したヴィランじゃ……」「まさか。死んだはずだよそのヴィランは。ただの似てる人だって」みたいな会話だ。そういう会話をしている人たちに佐藤が視線を向けて目を意図的に合わせると、彼らはサッと視線を外して足早に佐藤から離れていった。人違いだと分かっていても、あんな凶悪テロを起こしたヴィランに似ている人間に近付きたくないのだろう。

 佐藤はやがて立ち止まった。ビジネスホテルだ。携帯に表示されている点はこの建物と重なっている。携帯のアプリを切り替えた。そのアプリの点もこの建物と重なっている。それぞれアプリの表示を変更し、反応のある地点の高さを出した。二階に反応がある。どちらの表示もだいたい同じ場所だ。この照合で、ほぼ決定的な情報が入手できた。

 

 ──二階か。ならアレでいけるかな。

 

「さて、と……」

 

 佐藤はビジネスホテルの裏に回った。人通りの全くない路地裏のようなところで、電灯すら小さいものが一つしかない。

 佐藤の全身から黒い粒子が溢れ出す。それらは二階の換気のために僅かに開かれている窓から中へと入っていった。

 黒い粒子をしばらく出したら、佐藤は黒い粒子を出すのをやめ、近くの地面に座ってバッグから携帯ゲーム機を取り出す。そして、そこで携帯ゲーム機の電源を入れ、ゲームを始めた。

 

 

 

 丸井はビジネスホテルの202号室にいた。風呂に入ったり、荷物を置いてビジネスホテルと併設されているレストランで夕食を取ったりしている内に夜になり、今はベッドに座ってくつろいでいる。

 丸井はやる事がないため、暇潰しに拠点を出ていく時に佐藤がどれくらい金を渡してくれたか数えてみることにした。

 バッグをベッドの脇に置き、バッグに入っている札束を次々に取り出していく。とりあえず中身を全部出して、バッグに仕舞いながら数えるスタイルである。

 

「……ん? スマホ……?」

 

 溢れんばかりに入っていた札束の山を全て取り除いた底には、白色のスマホがあった。電源は入っている。そして、位置情報サービスはオン。

 丸井の顔から血の気が引いた。その間に、丸井の部屋のバスルームの空調設備から黒い粒子がジワジワと溢れ、ゆっくりと異形の姿を創り出していく。丸井は知る由もないが、換気のための窓から二階の通路に侵入した黒い粒子は、そこから廊下にある空調設備を経由し、丸井の部屋の空調設備のあるバスルームに辿り着いたのだ。これは佐藤が位置情報を正確に把握しているからこそできる芸当。

 丸井はハッとした表情で慌てて上着を脱ぎ、佐藤が触れていた辺りを右手で(こす)る。すると、極小の毛玉のような形の機械が取り付けられていることに気付く。上着と同じ色をしたその機械を掌に乗せると、数秒後に掌と同じ色になった。周囲の色彩情報を読み取り、表面のホログラムを同化させる迷彩能力を持つ発信機だ。

 丸井の体が震え始める。ガチガチと歯を打ち鳴らし、汗が噴き出す。その背後に、異形が揺らぎ立つ。異形はゆっくりと腕を振り上げ、丸井の体を引き裂かんと振り下ろす。が、丸井はその殺気を感じ取ったのか、もしくは今すぐにこの場所から逃げなければという逃走意識か、そのどちらにせよ切り裂かれる寸前に動き、即死を免れた。異形の爪は丸井の背中を深く抉り、鮮血が室内にパッと散る。

 丸井は転がりながら壁際に背を合わせ、顔を上げた。空中に浮かぶ赤色の血。それが徐々に輪郭を得て、黒い包帯をグルグル巻きにしたような人型の化け物が出現する。

 

「なんだよ……このバケモノ……」

「見えるのかい、丸井君。コレが」

 

 異形が喋った。佐藤の声ではない。回線の悪い通話のような、ザラついていてくぐもった声。だが、口調は佐藤だ。

 丸井は逃げられないか、必死に思考を巡らす。今球体になったところで、加速のしようのない平面の部屋であり、密室でもあるこの部屋から逃げられる可能性は無い。壁を球体にしたところで、それをやっている間に殺される。

 

「人間にも、この異形が見える場合がある。感受性が高かったり、極限状態だったり、強い感情──例えば強烈な殺意とかを向けられた時だったり、あるいはそれらの条件が重なり合った時にね」

 

 佐藤はその間も携帯ゲームの画面を見て、2Dスクロールゲームをプレイしている。しながらも、異形とのリンクにより丸井のことは見えているし、思ったことを異形に喋らせることもできる。

 

「透明の『個性』の味方はいなかった……? 全部アンタの自作自演だったってことか!? ていうか、人間には見えるってどういう──」

 

 異形が動き、とてつもない速さで丸井の首を右手で押さえつける。丸井は壁に頭を打ち、ガッと小さな呻きが漏れた。

 

「私たちの全ての拠点を知っていて、メンバーや協力者の顔も知っていて、私やメンバーの『個性』も知っていて、武器の隠し場所も知っている。そんなキミが口封じされず、安穏とこれから生きていけると本気で思っていたのかな?」

 

 異形の右手の爪が丸井の首に食い込み、丸井の首から血が流れていく。その痛みで、丸井はさらなるパニック状態へと陥った。

 

「佐藤さん! 俺が浅はかだった! だから見逃してくれ! 誰にも情報は漏らさないから!」

「……ごめんね、丸井君。言わなかったっけ? 私はけっこう殺すのは好きなんだ」

 

 異形は左腕を引き、勢いよく突き出す。その左手は丸井の腹部を貫いた。その間も佐藤は何事も無いように携帯ゲームをプレイしている。

 

「ごぶッ!」

 

 左腕が丸井の腹部から抜かれ、丸井はその場に崩れ落ちた。血溜まりが床に生まれていく。薄れゆく意識。その中で丸井は悟った。自分に逃げ道など存在しなかったのだと。佐藤に出会ったあの日から、俺たちは佐藤の駒として壊れるまで佐藤のゲームをプレイするか、佐藤のゲームのスコアになるか、その二択しかない底無し沼へと落ちていた。

 丸井は霞む視界で自分の前に悠然と立つ異形を見上げる。

 

 ──そうか……このバケモノが佐藤の本体なんだ。いつも見ている佐藤はこのバケモノを入れるための単なる容れ物にすぎない。本体じゃないから、佐藤は死なないんだ。

 

 容れ物がどれだけ壊れようと、このバケモノが容れ物を何度でも創り出す。このバケモノを殺さない限り、佐藤は復活し続ける。故に、佐藤は人の形をしたバケモノ。

 丸井の思考はそこで途切れ、視界が暗転した。目を見開いたまま、うつ伏せで倒れている。

 異形は丸井の体を踏みつけながら窓に近付き、窓を開ける。転落防止のため、窓は少ししか開けない。

 

 

 佐藤は窓が開いたのを見ると、携帯ゲームのポーズボタンを押し、携帯ゲームをバッグにしまった。そして路地裏を歩き回り、数分間人が来ないか確認する。人影は無い。

 佐藤は窓が開いた真下に行き、バッグからロープを取り出して窓の隙間目掛けて投げる。纏まったロープは窓の中に入り、異形が受け止めた。

 異形はロープをほどき、窓から下に垂らす。佐藤はその垂れてきたロープを掴み、両手で登り始めた。バッグは肩に掛けてある。窓付近まで登ると、佐藤は片手で自身の体を支えつつ、バッグをもう片方の手で(あさ)った。そして、まず手榴弾を部屋に投げ入れ、次にガソリンの入った携行缶を窓までもっていく。異形は足でロープを踏みつつ、窓下の携行缶を受け取って中に引き込んだ。

 佐藤はそれを見届けると、ロープを滑り落ちていく。地面に着いたら、異形が室内のロープを窓から投げ捨てた。そのロープを回収しつつ、佐藤はその場から離れていく。

 異形は窓を閉め、丸井の荷物を丸井の周囲に集め出した。集め終わると、携行缶からガソリンを出し、丸井とその荷物にかけていく。余ったガソリンは部屋全体に撒き散らした。

 最後に異形の爪が丸井の口をこじ開け、もう片方の手が手榴弾のピンを抜く。手榴弾が丸井の口に突っ込まれる。手榴弾が爆発。丸井だったモノはその爆発とともに粉々になり、その火種がガソリンに着火して部屋全体が火炎に包まれた。丸井の痕跡は何もかも燃やし尽くされ、蹂躙された。その爆発が周囲の部屋にいた人も巻き込む。上の部屋にいた人は唐突な床の崩壊に飲み込まれ、そのまま火炎に呑み込まれる。左右の部屋にいた人は部屋が爆発した時の破片に貫かれた。

 そんな光景をバックに、佐藤は去ってゆく。その光に僅かに照らされた佐藤の顔は満足気な笑みを浮かべていた。




丸井君はこのタイミングで退場させるためだけに生まれたキャラだったので、予定通り退場させることができて良かったです。
原作キャラに関してはかけられるだけの情けをかけていますが、オリキャラに関してはそんなものありません。容赦なく退場させていきます。


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第20話 個性因子

 佐藤が丸井を始末したその日の朝。佐藤はリベンジエッジの面々をこの工場にある応接室に集合させた。応接室といっても豪華な家具が置かれているわけではなく、安っぽいソファ二つに木製テーブル、テレビのモニターとそれを置く木製の台があるくらいだ。台の中にはゲーム機が収納されている。

 

「今から動画を撮りたいと思う」

 

 佐藤は開口一番でそう言った。リベンジエッジの面々は何故いきなりそんな話になるか分からず、困惑の表情を浮かべる。

 そんな彼らの反応を気にもせず、佐藤はテレビモニターのチャンネルを手に取り、モニターの電源を入れた。そこからチャンネルを次々に切り替え、ニュース番組にする。女性アナウンサーの声が聞こえてきた。

 

『──次のニュースです。昨夜一時頃、東京都内のビジネスホテルで爆発がありました。この爆発で四名が死亡、三名が負傷しました。この爆発の原因は破片手榴弾であると思われ、爆発元となる202号室にいた人物の身元確認、この爆発の目的、一昨日のテレビ局を占拠した事件との関係性について、警察とヒーローの捜査が今後も続けられる方針です』

「ちょうど良いニュースがあるね」

 

 爆発により一部が崩れたビジネスホテルと、その下に『ビジネスホテル爆発。死者四名負傷者三名』のテロップが流れている画面を観ながら、佐藤は頬を緩ませた。

 リベンジエッジの面々はこの事件を起こしたのが佐藤だと薄々勘付いているが、それを言った時の佐藤の反応が怖いため、何も言えなかった。

 その中で猿石だけは一人青ざめた顔をしている。猿石はそのホテル周辺の監視カメラの位置データを調べたため、リベンジエッジの面々の中でただ一人この事件の犯人が佐藤だと確信している人物であり、この被害者が丸井だろうと目星がついている人物である。

 佐藤は猿石が丸井を殺したと気付く可能性が一番高いことを当然分かっているため、猿石の方に意図的に目を向けている。猿石は佐藤と目が合うと慌てて視線を下に向けた。

 その反応に佐藤は満足すると、佐藤は一度両手を叩いた。

 

「さぁ、動画作成しよう」

 

 そして、動画の撮影が始まった。

 

 

 動画撮影終了後、猿石はパソコンに向かって作業していた。そこに佐藤が顔を出す。

 

「どう? 進んでる?」

「あ……はい、言われたものは大体完成しました」

 

 猿石は佐藤に視線を合わせず、パソコンのモニターを注視したまま言った。

 

「仕事早くて助かるよ。本当にキミは優秀だ」

「あ、ありがとうございます」

 

 それからしばらく沈黙が訪れた。

 猿石は佐藤の方をチラチラ見ると、意を決したかのように口を開く。

 

「あの……ビジネスホテルの爆破事件を起こしたのは佐藤さんですか?」

「うん」

「……丸井さんを殺すために?」

「そうだよ」

 

 あまりにも佐藤が普通に答えるため、猿石は言葉が出てこなくなった。

 佐藤は猿石の肩に手を置く。

 

「何故我々はヒーロー相手に先手を取り続けられるか。それは我々の情報をヒーローに与えず、我々がヒーローの情報を得ているからだ。だからこそ我々は効果的な作戦を立てることができる。丸井君は我々の情報を知り過ぎていた。我々のアドバンテージを守るためには、万が一を無くす必要があった。丸井君にその気は無くてもね。彼の犠牲は必要な犠牲だったんだ」

「……丸井さんはきっと情報を漏らさなかったです」

「かもしれない。だが、『個性』で心を読めるヒーローがいるかもしれないし、操ったりできる『個性』があるかもしれない。そう言うのを考えれば、丸井君の意思は重要じゃないんだよ。存在自体がリスクなんだ」

「……でも……」

「いや、分かるよ。彼は仲間だった。私も辛かったよ」

 

 佐藤の表情が沈痛な表情になる。だが、猿石は佐藤という人物を理解している。きっと楽しそうに丸井を殺したのだろう、と猿石は思った。だからといって、それを表に出さないのが猿石の処世術であり、防衛方法だった。

 そして、佐藤はその猿石の心を読んでいるが、それを口にしたりしない。お互い本音を分かっていながら、それに気付いていないような白々しいやり取りを続けている。

 そんな二人の会話を、部屋の外で聞いていた人物がいた。沙紀である。彼女は佐藤から命じられた役割を果たしたことを佐藤に報告しようと、この部屋に来ていた。沙紀は両手を口に当て、目を見開きながら扉の横の壁に背を当てていた。

 そんな状態だったため、佐藤が扉を開けて出てきた時、沙紀は逃げようとして逃げられなかった。佐藤と沙紀の視線がかち合い、お互いに「あ」という声を漏らす。

 

「その、佐藤さん、アレ渡してきました! それじゃあ……」

 

 沙紀は口早にそう言うと、逃げるようにその場から離れていく。

 そんな彼女の後ろ姿を見ながら、佐藤はため息をついた。

 

 ──ノリ悪い人、もう一人増えちゃうかな。ま、いいけど。

 

 そんな佐藤の後ろで、猿石は恐怖で体を震わせていた。彼は予感しているのだ。佐藤の銃口がいつかこちらに向く日が来ることを。

 

 

 沙紀は走っていた。倉庫にいるであろう(さとし)と針間のところを目指して。

 

 ──針間さん、やっぱり佐藤さんに優しさなんて無かったよ。

 

 だが、沙紀は佐藤の言い分も理解できた。情報が自分たちにとって生命線であることは、佐藤が来る前から分かっていたことだからだ。

 とにかく、自分たちに逃げ道など無い。それが分かれば、沙紀はただ眼前のことを楽しもうとする才能があった。佐藤の予想に反して、今の彼女は佐藤を裏切るなど考えてもいなかったのだ。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 その日の十八時半、怯えきった顔をした女性がテレビ局に駆け込んできた。

 当然テレビ局は佐藤が起こしたテレビ局占拠事件の影響で警備が厳重になっており、その女性は入口の警備員に止められ中に入ることはできなかった。

 女性は自分を止めた警備員に対し、涙を浮かべながら懇願する。

 

「お願いします! 中に入れてください! 私はプロデューサーにこの紙を渡さないといけないんです! じゃないと、私の子どもがヴィランに……!」

「お、落ち着いてください! お子様がどうされたんですか!?」

「だから! ヴィランに子どもが誘拐されて……! 言われた通りにしないと子どもが殺されちゃうんです! この紙をプロデューサーさんに渡してください!」

 

 女性は手に持つ紙を警備員に差し出す。

 警備員は反射的にその紙を受け取り、折り畳まれたその紙を広げた。近くにいた他の警備員三人も覗き込むようにして、紙に何が書かれているか確認する。

 その書かれた内容を要約するとこうなる。『十九時からの番組を中断し、動画を放送すること。しなかった場合、このテレビ局に関わる者及び近しい者たちを殺す』

 これを読み終わった警備員たちはお互いに顔を見合わせ、その内の一人が腕時計で時間を確認。あまり残された時間がないことを悟ると慌ててテレビ局の受付に行き、事情を伝えた。

 外にいる紙を渡した女性はその場でへたり込み、顔を両手で覆って嗚咽を漏らしている。

 結局その紙はプロデューサーのところまで届き、プロデューサーは警察を呼びつつも、その紙の要求に従うことを決めた。従う一番の理由は、ただ動画を流せばいいという彼らにとっては軽い要求だからだ。だが、従わなかった場合の制裁は重すぎる。プロデューサーにとって、テレビ局員全員とその親しい者たちの命と要求を天秤にかけた時、要求を受け入れた方が圧倒的にマシだったのだ。

 この一連の騒動はこのテレビ局だけの話では無かった。チャンネルを持つテレビ局のほぼ全てがこの騒動に巻き込まれていた。そして、その中のほとんどが要求を呑むことを選択した。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 テレビ局の騒動の少し後。警視庁にある会議室の一室。部屋の内装は机と椅子、壁の一面に設置された巨大モニター以外はほぼ何も無いシンプルな空間。ちなみに巨大モニターはパソコンの画面を出力することもできるし、場合によってはテレビも観れるし、録画された映像記録媒体を再生することもできる。

 その会議室に今、多数のヒーローと警視総監と副総監が座っている。来ているヒーローの中で目立つヒーローはエンデヴァー、ミルコ、ホークス、クラスト、リューキュウ、エッジショット、ギャングオルカ、グラントリノ、イレイザーヘッド、ミッドナイト、プレゼント・マイクあたり。この中で事務所を持っているヒーローはサイドキックに事務所を任せていた。

 彼らの前に白衣を着た初老の男が立つ。彼は落ち着きが無く、俯きながらも視線をあちこちに動かしている。

 

「あ、あの、予定していたもう一人がまだ到着していないようで……」

「それはつまり、遅刻していると?」

 

 警視総監が微かにイラつきを滲ませながらそう言った。そもそも帽子ヴィランについて重要なことが分かったと招集をかけたのは彼らの方なのだ。呼び出した張本人が遅刻とはジョークにもならない。

 白衣の男はますます狼狽(うろた)える。

 

「もうすぐ! もうすぐ来ますので! あとほんの少しだけ時間をいただいてもよろしいでしょうか……?」

「……キミが説明することはできんのかね?」

「私など、彼の理解力の半分にも達していません! 彼は……オグリ博士は生物物理学者の天才です! 特に個性研究の分野では他の追随を許さないほどの成果をあげています!」

「オグリ博士のことは当然知っている。だが、認識にはズレがあるようだ。彼は七十年も前の論文を支持し、固執して周りの学者から嘲笑を浴びた変人だ。あの論文は何と言ったか……」

「超常特異点」

 

 警視総監が思い出そうと額に手を当てた時、入口方向から男の声が割り込んだ。室内の全員が入口に注目する。割り込んだ中年の男は携帯灰皿を手に持ち、その中にタバコの灰を落としつつ、再びタバコを咥えた。もちろん室内は禁煙である。

 警視総監と副総監はその男に対し、怒りで頭に血が上った。

 

「貴様、オグリィ! 遅れてきた挙げ句に喫煙か! どこまでふざければ気が済む! 我々は貴様の狂言に付き合ってやれる時間など無いのだ!」

「すみません! 本当に申し訳ありません!」

 

 謝罪は張本人ではなく、最初からいた白衣の男がした。ペコペコと何度も頭を下げている。オグリと呼ばれた男は白衣の男に感謝の一つも示さず、口から紫煙を吐き出した。

 この男はオグリイキヤと言い、黒の短髪に無精ひげ。服装は柄付きのジーパンに柄シャツ、黒のジャケットを羽織っていて、学者とは思えない服装をしている。

 

「タバコには文句を言うのに、そこの炎男には何も言わないのか?」

 

 オグリはエンデヴァーを指差した。エンデヴァーは無反応。ただオグリに視線を向けている。

 

「タバコとエンデヴァーの炎を一緒にするな! エンデヴァーの炎は別に他人に迷惑をかけていない!」

 

 副総監が怒鳴る。

 

「なら俺も他人に迷惑をかけていない。扉を開けて通路に煙がいくようにしている」

「遅刻しているだろうが! 何が迷惑をかけていないだ!」

「……副総監、今はタバコの話をしているんだ。流れが読めないのかね? 遅刻に関しては、まぁそうした方がいいと思った。俺がいないと始まらないだろうと予想したが、予想通りの対応をしたようだね、荒井博士」

「オ、オグリ君! 頼むよホントに!」

「分かってる。え〜、集まってもらったのは他でもない。帽子ヴィランの左腕の分析結果を伝えたかった。あまりにも面白くてね」

「面白い?」

 

 全身肌色のタイツで包み、目を縁だけのマスクで覆っている黒髪長髪の女性ヒーロー『ミッドナイト』が反応した。

 

「そうとも。分析した結果、個性因子は一切確認できなかった」

「あの帽子は『無個性』だったっつーのか!? そんな馬鹿な!?」

 

 ミルコは思わず立ち上がった。

 オグリはタバコを吸い、紫煙を吐き出す。

 

「兎のお嬢ちゃん、言葉は正確に言おう。帽子ヴィランは『無個性』じゃない。……そうか、君か。この帽子ヴィランと戦闘して生き残ったヒーローは。君がこの帽子ヴィランの能力を確認し、条件付きの再生能力と断定したんだったな」

「そうだ。そう考えないと説明がつかねえ。てか、『無個性』じゃないってどういう意味だ? テメエが個性因子が無いって言ったんじゃねェか!」

「はぁ……『無個性』の定義も知らないのか、ここの連中は」

 

 オグリはため息をついた後、室内に集まった顔を見渡す。その中の誰からも声はあがらなかった。

 

「『無個性』とは、個性因子を持ちつつも何らかの特徴、能力が発現しない生物をさす。これで理解したかね? 個性因子そのものが無いということと、個性因子がありつつも個性が無いことの違いが」

「……どっちも大して違わねえじゃねェか」

 

 ミルコがボソッと呟く。

 

「ラビットヒーロー……バカかね、君は」

「あぁ!?」

 

 ミルコがドスの利いた声を出してオグリを睨む。

 オグリは携帯灰皿にタバコを押し付け、吸い殻を携帯灰皿に捨てた。そして、その携帯灰皿をポケットにしまう。その後、オグリは入口から荒井博士のいる隣まで歩き、その前の机に置かれている水の入ったコップを手に取る。

 

「個性因子をこのコップで例えるなら、このコップが個性因子であり、コップの中に入っている水が能力にあたる」

 

 オグリはコップの水を一気に飲み干した。空になったコップを机に置く。そんなオグリの隣で荒井博士が「私の水ぅ……」と呟いていたが、オグリは一切反応しなかった。

 

「この空のコップの状態こそ、無個性だ。つまり何らかの手段によりこのコップの中に個性という名の飲み物を注げるなら、無個性は個性を手に入れることができる。脳無が何故複数の個性を持っていたかはこれで説明できる。オール・フォー・ワンの個性こそ個性因子に個性を与える能力だからだ。そして個性因子そのものが無いということは、この個性という名の飲み物を注ぐ器そのものが無いということであり、オール・フォー・ワンだろうがこの生物に個性を与えることはできない。個性が発現する余地が全く無いのだよ、個性因子が無いということは。ここが一番の違いだ」

 

 いつの間にか話が本題に入っているため、室内の面々は自然と黙っていた。ミルコも舌打ちした後、静かに席につく。

 

「個性因子には容量(キャパシティ)が存在する。大量の個性を与えられてキャパシティを超えた場合、その生物は廃人となったり肉体が大量の個性に適応できず崩壊する。キャパシティには個体差があり、一つしか個性が使えない者もいれば大量に使える者もいる。これはオール・フォー・ワンの限界が分からない以上、キャパシティの最大値は出すことができない」

 

 オグリは警視総監と副総監の方に視線を向ける。

 

「そういえばさっき超常特異点の話をしていたな。最近は個性特異点なんて言うみたいだが。俺を異端呼ばわりする奴らはその暴論を支持しているからなんてよく言うが、あれは暴論じゃないよ。現実を見たまえ。世代を経るごとに強力かつ複雑になっていく個性を。個性は遺伝的情報と本人の素質によるものだと判明している。なら、話は単純だ。さっきのコップの話で例えるなら、どんどん混ざりあい濃厚になっていく個性のミックスジュースが世代を通して作られているってわけだ。まあ、相性が悪くて上手く混ざらない場合もあるがね。そこの炎男の息子がそのパターンだ。半身ずつに別々の個性なんて、いかにも分かりやすい」

 

 エンデヴァーは露骨に顔をしかめた。エンデヴァーには焦凍(しょうと)という名前の息子がいて、今は雄英高校の1―Aに在席している。焦凍の個性は半冷半燃であり、右半身が氷を操る個性で、左半身が炎を操る個性となっている。

 エンデヴァーは不機嫌そうに口を開く。

 

「とっとと次の話に行け。個性因子が無いから帽子ヴィランは個性そのものが無い。それで終わりの話だろう」

「そう、帽子ヴィランは個性因子による個性を持っていないという話だ。だが、ラビットヒーローは『再生』らしき能力を確認した。そうだな?」

「あ、ああ」

 

 ミルコは戸惑いつつ応えた。

 

「なら、答えは一つだろう! その帽子ヴィランは個性因子とは別の要因で『再生能力』を発現させたのだ! 新たな人類の可能性を感じるだろう! それと、だ。これを観たまえ」

 

 オグリは机に置いてあるパソコンを操作し、壁一面のモニターにパソコンの画面を出力した。画面には報道ヘリが帽子ヴィランの報道ヘリを撮っている映像が出されている。

 

「いいか、ここだ」

 

 オグリは帽子ヴィランの報道ヘリの操縦席をズーム。画質は荒くなるが、操縦士らしき人物は影も形もない。室内にざわめきが起きた。

 

「どういう原理かは分からないが、人ではない何かで操縦している。これもこの帽子ヴィランの能力かもしれない。個性因子とは違う要因なら、能力に制限は無いかもしれないし」

「そういえば……私透明なヤツと闘ったな。帽子ヴィランとの戦闘後に」

 

 ミルコが静岡刑務所で帽子ヴィランと戦闘した時のことを思い出しつつ呟いた。室内の視線がミルコに集中する。

 

「何故そんな重要な情報を黙っていた!?」

 

 エンデヴァーがミルコに怒鳴る。

 

「何故って、帽子ヴィランの能力じゃねえって決めつけてたんだよ! あの時は状況が混乱してたから、帽子ヴィランの仲間が近くにいたか、脱走したヴィランの個性かと思ったし」

「脱走したヴィランは全員確保したが、その中に透明になれる個性を持つ者はいなかった」

 

 警視総監が口を挟む。

 

「人じゃねえよ、私が闘った透明なヤツは。人ってよりはなんかコンクリブロックを蹴った時みたいな感触だったからな」

「ということは、とりあえずこの帽子ヴィランは透明な何かを操れる個性も使用できるという認識でよろしいかしら? というより、そもそも帽子ヴィランは死んだのでは? 死んだならこの話し合いに何の意味があるのでしょう?」

 

 金髪のショートヘアで金色の瞳の女性──リューキュウが言った。彼女は暗めの赤いチャイナドレスのような服を着ている。そんな彼女の個性は『ドラゴン』であり、その名の通りドラゴンに変身できる。

 オグリは腕時計を見た。モニターのリモコンを操作し、テレビのチャンネルに合わせる。途端に室内がテレビの音で騒々しくなった。

 警視総監が怒りの眼差しをオグリに向ける。

 

「おいオグリィ! ここは貴様の家ではないぞ! どれだけ好き勝手──」

『十八時三十分頃、帽子ヴィランの仲間を騙るヴィランが子どもを誘拐し、その母親を通じて我々に要求をしてきました。要求内容はあるサイトの動画を流すことであり、流さなければ我々と我々の親しい相手を殺すと伝えてきました』

 

 モニターに女性アナウンサーが映り、原稿を読み上げている。その内容に警視総監は黙り、室内はシンと静かになった。モニターから流れる声だけが室内に響いている。

 

『私たちは苦渋の決断を迫られ、最終的に動画を流すという要求を呑むことにしました。視聴される国民の皆さまには、私たちに選択肢が無かったことをご理解していただきたく存じます。それでは、動画を流します』

 

 モニターはまず『PATPIOTS(パトリオッツ).com』というサイトが映り、次にそのサイトをクリックしたトップページに貼られている動画の再生ボタンをクリックした。すぐに動画は全画面再生となる。

 その動画は、ハンチング帽にミリタリーベストを着た中年男がカメラに向けて手を振るシーンから始まった。

 

『国民の皆さん、また会ったね。こんばんは』

 

 帽子の男からそんな和やかな言葉が飛び出した。それが日本国内を更なる混沌(カオス)に叩き落とす始まりとなることを、この時この場にいた者たちはひしひしと感じていた。




今回の個性因子の説明はかなり独自解釈が含まれていると思います。
あと、この回に出てくるオグリ博士は亜人のオグラ博士のパラレルワールド的存在として出しています。いわゆるゲストキャラというのでしょうか。
ただ、書いてて分かりましたが、原作のオグラ博士のセンス溢れる独特な言い回しは私には無理でした。そこは温かい目で見てもらえると助かります。ちなみに亜人原作のオグラ博士で一番好きなシーンは中指立てながら「コレが見えるか?」と言ったシーンです。あの憎たらしい顔といい、亜人を読み直すたびに笑ってしまうポイントです。


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第21話 愛国者集団(パトリオッツ)

 モニターに映る帽子ヴィランはフルオートアサルトライフルである八九式五.五六ミリ小銃をたすき掛けしていた。

 

『さて、これを観ている人たちはまずこう思うのかな? 《帽子ヴィランは死んだはず……ということは、これはテレビ局襲撃前にあらかじめ撮っていた動画なんじゃないか》とね。まずはその疑念を晴らそうか。ニュースを読み上げよう。昨夜一時頃、東京都内のビジネスホテルで爆発がありました。え〜……この爆発で四名が死亡、三名が負傷しました。この爆発の原因は破片手榴弾であると思われ、爆発元は202号室です。いや〜怖い事件だねぇ。この事件は私のテレビ局占拠後の事件だ。私の死後に場所と時間を指定して事件を起こすよう仲間に指示することはできるが、ニュースで伝えられる死亡者と負傷者の数を当てるのはなかなか厳しいんじゃないかな? まあ死亡者と負傷者を総当たりで撮っていて、ニュースで伝えられた死亡者と負傷者の動画を選んでとか、考えれば当てる方法が無いこともないけど。これで信じてもらえないなら、もっと悲惨で被害者が出る事件を次選ぶとするよ。

さて、まずは自己紹介をしよう。テレビ局の時は生放送だったから邪魔されない内に要点を伝える必要があった。余計な部分は省いたんだ。でもこれは動画だから、そんなことは気にしなくていい。私は佐藤だ。う〜ん……あとは特に言うことないや。

本題に入ろう。そもそも私は何故上手く死を偽装して逃げたのに、こうして姿を現したのか。単純な話だ。私は君たちに要求を突きつけた。覚えているかな? その要求には時間制限があった。その要求を《お前が死んだから無効だと思った》なんていう言い訳で有耶無耶(うやむや)にさせないためさ。ヒーロー諸君。明後日(あさって)から頭に日の丸の鉢巻(はちまき)を巻かず、《国のために戦います》の文字の入ったたすきを掛けていないヒーローとヒーロー活動時にその二つをしていないヒーローはヒーローに相応しくないとして粛清していく。周囲の被害を(かえり)みずにね』

 

 会議室にいる全員が絶句していた。帽子ヴィラン──佐藤と名乗る男の言う通り、この瞬間まで要求のことなど一切考えていなかったのだ。佐藤の言う周囲の被害とは、民間人のことを指している。つまり佐藤の要求を呑まないヒーローは自分のことしか考えず、民間人の被害なんて全く気にしない最低なヒーローという烙印を押されるというわけだ。だが要求を呑めば、ヴィランの言いなりになったヒーローとして悪く言われるのも目に見えている。どっちを選んでも非難されるのだ、この要求は。唯一の最適解は要求の日が来る前に佐藤を捕まえることだが、今日含めて二日しか猶予が無い。居場所すら分かっていない今の状況では望み薄である。

 

『分かっていると思うけど、ヒーローだけじゃない。ヒーロー公安委員会と政府への要求も有効だ。無視した場合も要求拒否として、制裁する。要求を呑むまたは交渉する気があるのなら、今開いているこのウェブサイトに専用の回線コードを送ってきたまえ』

 

 会議室の面々はこの時、通信回線を準備すること以上に気になった部分があった。交渉という部分である。彼らはこの瞬間まで百かゼロかの二つしかないと思っていた。相手の要求を全て受け入れるか全て拒否するか、そのどちらにするかという選択のみだと。お互いの希望を交渉という手段で擦り合わせていくという選択肢が出てくるとは思いもしなかった。

 モニターの佐藤は顎に右手を当てる。

 

『本題はここまでなんだけど、せっかくこうして国民に発信できる機会を貰えたんだから、もう少し話を続けようか。親愛なる国民の皆さん、個性についてどう思っているかな? 個人の価値を決めるものだと考えている人も多いと思う。だが、それは間違いだ。例えば私はテレビ局からの逃亡時、多数のヒーローを相手にしていたわけだが、その時に個性は一回も使用していない。代わりにコレを使ったけどね』

 

 佐藤はたすき掛けしているアサルトライフルのグリップを握り、顔の隣にもってきた。

 

『ただの銃なんて時代遅れの武器だと考える人はいると思う。じゃあ、この銃の性能を君たちの個性風に説明してみようか。これは鉛玉を秒速約九百メートルの速度で叩き込む力で、照準を合わせてトリガーを引くだけで使える。三十発分は連続して使えるが、その後は弾倉を交換する必要がある。交換に使う時間は約二秒。用意した弾倉の数だけこの力を使用することができる。どうだい? この力を弱個性と考える人は少ないだろう。

君たちは思い違いをしている。人間にとっての一番の武器は個々で違う能力や特徴ではない。誰でも知識があれば使える力を様々な素材を駆使して創造する頭脳こそ、我々人間が生態系の頂点に立つことができた一番の要因だ。その頭脳に比べれば、ほんの一握りの個性を除いた個性はどれも劣る。だというのに、君たちはまるで自分がスーパーマンにでもなったかのようにチンケな力をひけらかし、優劣をつけたがる。その結果があの逃亡戦だ。個性を手段の一つとして考えず、個性で勝つことだけを考えて視野を狭めている。いい加減個性があるというだけで舞い上がるのを止めて、冷静に個性という力を見つめ直すべきだ。それをしなければ、この国はこのまま個性至上主義の道を突き進み、生まれた時点でヒエラルキーが決まる差別社会となっていってしまうだろう。自分たちに与えられた個性という力を今一度、考えてみてほしい』

 

 佐藤はアサルトライフルを元の位置に戻した。

 

『我々は《愛国者集団(パトリオッツ)》。国を憂い、立ち上がった勇士である。この国を正しい道へ導くために、如何なる手段も厭わない気高き英雄の集まりである。政府、ヒーロー、そして国民の皆さんとは、より良い関係を築いていきたいと考えている。だが必要とあれば、我々はこの国そのものをぶち壊す覚悟がある。救急車がサイレンを鳴らしながら信号無視して走っていくところを見たことはあるかな? 緊急事態においては法やルールを破ってもいいことを国は認めている。何故なら、法律や規則は現状維持するための力であり、現状打破する力は持たないからだ。我々はその境地に立っていることを頭に入れておいてほしい。

まずはヒーローだ。良い返答(リアクション)を期待して待っている。政府の上層部は回線の件、忘れずにね。こっちはオープンでやってもいいけど、そっちは都合悪いでしょ』

 

 佐藤はそう言った後、右手の人差し指を二回、クイクイと自分の方に動かした。カメラがズームされ、モニターいっぱいに佐藤の姿が映る。

 

『それじゃあ、バイバイ』

 

 佐藤は笑顔で手を振り、そこで動画は終わった。

 モニターは再びテレビスタジオへと切り替わる。そこでオグリはモニターをパソコンの画面へと変更した。

 途端に会議室中に張り詰めていた緊張の糸が切れ、あちこちで伸びをしたり、軽く息を整える人が続出。そして、今の佐藤の動画について小声で周りの人と言い合いを始めた。

 ざわめきに支配された会議室で、オグリが二回両手を叩く。ざわめきが収まり、室内の面々はオグリに注目した。

 

「リューキュウ。君は今の動画が始まる前、死んだ帽子ヴィランについて話すのに意味は無いと言ったな?」

「そこまでは言ってませんが……」

「観たか。さっきまでの話は無駄でなくなった。佐藤と名乗った帽子ヴィランは生きていたからだ。これでようやく話は次のステップに進める。分析した左腕の新たな情報だ」

 

 室内に驚きの声が漏れる。

 

「さっきの個性因子が無いということ以外の情報があるのかね?」

 

 警視総監が半信半疑でオグリに問いかけた。オグリは頷く。

 

「佐藤がどうやってエンデヴァーやヒーローたちの目を欺き、あの場から逃げ延びたか、その答えに迫るものだ。あくまで予想であって確定ではないが」

 

 会議室にいるヒーローたちの目の色が変わった。オグリの言葉を一字一句聞き逃さないよう、全神経を向けている。

 

「分析した左腕はエンデヴァーの前で爆発した時間より少なくとも三時間は前のものである可能性が高い。腐敗の進行度から六時間かそれより前の可能性がある」

「ちょっと待て」

 

 エンデヴァーがオグリの話を遮った。オグリは嫌な顔をせず、無表情でエンデヴァーの方に視線を向けた。

 

「つまり、その左腕は(ダミー)だったと言いたいのか。わざとあの佐藤という男はその左腕を現場に残したと」

「その思考は正解といえるだろう。佐藤が左腕を故意に残したのは確かだ。その必要があったと俺は思うね」

「どういうことだ?」

 

 オグリはニヤリと唇を歪めた。

 

「ラビットヒーローの情報を正しいと仮定した場合の仮説を今から言う。佐藤の『再生』は核を持たない再生の可能性がある。脳無という生物は『超再生』という個性を持ち、傷ついた瞬間にとてつもない速度で再生したが、脳を破壊すれば再生しなくなった。つまり脳が核となっている。佐藤の再生は違うのだろう。より正確な言い方をすれば、核が無いのではなく、どの部分も核になり得る。核の条件は一定以上のサイズが必要とかだろうな」

「要すんに頭破壊しても他のところが核の条件を満たしてたらそっから再生するってことかよ!?」

 

 ミルコが目を見開いた。

 

「今の仮説はそういうことだ。ここからはエンデヴァーとヒーローの目を欺いたプロセスを話そう。まず核の条件を満たすサイズを持つように左腕を切断」

「左腕を切断……!?」

 

 会議室内のざわめきが大きくなる。

 

「その切断した左腕を安全な場所に隠し、本体は体に爆弾を巻きつける。爆弾を巻きつける理由は核を作らないためだろう。そして、事前に前の再生の時に作っておいた左腕を切り落とした左腕のところに接着。その後、テレビ局から逃走し、ヒーローに追い詰められて万事休すとなったところで自爆。自爆により体が粉々になるため核は作られないが、安全な場所には核となる左腕がある。その核から再生が始まったとすれば、佐藤は擬似的なワープを使ったことになり、追い詰めたヒーローからすれば死んだように見えるというわけだ」

 

 その仮説を聞いた会議室の面々はあんぐりと口を開けていた。そんな馬鹿な……と言いたそうにしている顔もチラチラある。

 

「……ワープの能力もあるのか」

 

 副総監が呟いた。オグリが不愉快そうに副総監を睨む。

 

「副総監、俺の話を聞いてなかったのか? ワープの能力ではない。再生の副次的効果の産物だ。この仮説に関しては全て再生の能力で筋を通せる」

「だがその仮説を正しいとするなら、佐藤は新しい頭を作っていることになる。合理的に考えれば、その新しく作られた頭は前の頭とは別物となり、再生前と再生後の佐藤は別人という話になるが、その辺りはどう考えている?」

 

 相澤が口を挟んだ。オグリはそんな話かと言わんばかりの視線を相澤に送る。

 

「そんなことは気にしないタイプなんだろう。どちらにせよ、俺たちが考えるべきところじゃないな。次にラビットヒーローの情報を無視した場合の仮説を話そう。この場合の佐藤の能力は『再生』ではなく(ヴィラン)連合のトゥワイスのような個性……仮に『分身』能力とする。このタイプの能力なら単純なプロセスとなる。自分の分身に爆弾を巻き付けて暴れさせた後、自爆させることで分身の痕跡を消す。これならオリジナルの佐藤はそもそも表に出てきていないから、簡単にヒーローの目を欺ける」

「『分身』なわけあるかよ……私が蹴ったのに平然と動いてたんだぞ」

 

 ミルコがふてくされた表情で吐き捨てた。

 相澤が右手を上げる。

 

「俺の『抹消』は佐藤に通用するのか?」

「通用しないよ。君の『抹消』は個性因子に働きかけて反応を妨害することで個性を発動できないようにする能力だ。例えるなら個性というスイッチを強制的にオフにする能力であり、元々スイッチのオンオフが無いような能力や特徴──そこのラビットヒーローがそうだな、君の『抹消』でラビットヒーローの『兎』の特徴を消すことはできない。その特徴にスイッチは存在せず、常にオンの状態だからだ。君自身よく分かっている筈だろう」

「……佐藤に通用しないと分かればいい」

 

 オグリはタバコを一本取り出し、ライターでタバコに火を点けた。タバコを口に咥え、思いっきり吸った後、紫煙を吐き出す。

 

「最後にこの佐藤という人物に対し、俺の見解を言おう。はっきり言うが、佐藤はこの状況を楽しんでいる。何故なら、俺の仮説が正しいなら、左腕を残す必要性などないからだ。佐藤はわざとこちらに自分の情報を漏らしている。そうすることでよりレベルの高い対応を自分に対してしてくるよう仕向けているように見えるね。つまり、目的よりも戦闘が楽しい方が重要なんだ。そこ、頭入れといた方がいいんじゃないかな。単なる俺の意見だけどね。じゃ、言いたいこと言ったし帰るよ。荒井博士、あとよろしく」

 

 オグリは紫煙を吹かしながら会議室から出ていく。後に残ったのは、アタフタする荒井博士とそれに呆れる会議室の面々だった。

 その後、会議が終わり解散した彼らの心には、オグリの言った様々な言葉がしこりのように残ることとなった。




今さらですが、お気に入り登録数二千人ありがとうございます。二百人いけばいいかなくらいの気持ちで好き勝手書いていたので、正直驚きを隠せません。これからもこの作品を楽しんでもらえるよう頑張っていきますので、よろしくお願いします。


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第22話 それぞれの道

 警視庁での会議の終わり、屋台の焼き鳥を食べているホークスの携帯に電話がかかってきた。焼き鳥の串を皿に置きながら携帯を取り出す。電話の相手を見て、ホークスは席を立ち、会計を済ませた。

 屋台の暖簾(のれん)をくぐりつつ、ホークスは電話に出る。相手はヒーロー公安委員会の会長だ。電話の向こうから女性の声が聞こえてきた。

 

『ホークス、総理からあるプロジェクトの提案があったわ。私はあなたこそ、そのプロジェクトのリーダーに相応しいと考え、こうして連絡を取らせてもらったのよ』

「……俺ヒーローやってんですけど」

『しばらくヒーロー業は休業してもらうことになるわね』

「拒否権、無いんスか?」

『拒否してもいいけど、とりあえず内容を聞いてから判断してもいいじゃない?』

 

 その意見に対してホークスは異論が無かったため、無言で肯定の意を電話先に伝える。相手もホークスとの付き合いが長い故の理解でその意を察し、話が進んでいく。

 プロジェクト内容を全て聞き終えたホークスは、深く息をつく。それほど、今聞いたプロジェクト内容は衝撃的だった。

 

「……つまり、政府も対ヴィランに乗り出すってことですか?」

『これだけヴィランが暴れているのにヒーローだけに任せていたら、政府にも国民の不満がぶつけられるようになる可能性がある。ヒーロー公安委員会があることにはあるけど、具体的な行動はあまり表に出してこなかったし』

 

 単なる政治パフォーマンスの一環か、とホークスは思った。本気でこの国からヴィランの脅威を一掃したいと考えているなら、もっと早く行動に移した筈だ。

 しかし、オール・フォー・ワンや死柄木、佐藤というヴィランを見てきたホークスにとって、ヒーローがどれだけ不利な状況で戦わされているかということも痛いほど理解できている。ヒーローに変化が必要だとしたら、このプロジェクトはそのきっかけになるかもしれない。

 ホークスは目的を達成する際、常に最速最短の行動を考える。そんな彼だからこそ、セオリーにとらわれず、柔軟な思考で物事を解決する。

 

 ──このままじゃ、ヒーローは後手後手に回る。時代に取り残されるのは、俺の主義じゃない。

 

 ヒーローが変わらなければならない転機にきているのだとしたら、その先駆けとなる。そんな決意のようなものが、ホークスはこの電話での会話で芽生え始めていた。

 

『それで、どう? 引き受けてくれる?』

「引き受けなかったら、他の人になるだけなんですよね?」

『そうなるでしょうね。私としては一番優秀なあなたに引き受けてもらうと助かりますけど』

「……はぁ、しゃーないっスね。やりますよ」

『ありがとう。明日総理が記者会見を開くから、そこでこのプロジェクトは発表される予定になっているわ。あなたも登場してもらうから、身だしなみはしっかり整えて会見場所に来なさい』

「りょ〜かいです」

 

 そして、電話が切れた。

 ホークスはしばらくスマホの画面を見つめる。だが、画面を見ているわけではなく、今の話を思い返して思考を巡らせているだけだ。

 良くも悪くも状況が動き出している。この変化を上手くヒーローの追い風にしていけるか。それが重要であり、これからの役割となるだろう。ホークスはそのことをよく理解していた。

 ホークスはふと、このプロジェクトの前にあるヒーローに会いたくなった。この時のホークスは何故会いたくなったか分からなかったが、後々理由が分かった。自分は自分が思っていた以上にいきなりのことに動揺していて、心の整理をそのヒーローと話してつけたかったのだ。

 ホークスは翼を広げ、そのヒーローのところに飛び立った。

 

 

 

   ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 佐藤の動画がテレビ局から流された後、エンデヴァーのヒーロー事務所は電話が鳴り止まない状態になっていた。クレー厶といえば聞こえは多少良いが、実際は罵詈雑言の嵐である。その内容は佐藤が生きていたことに対する非難と罵倒がほとんど。

 エンデヴァーが事務所に来た途端、事務所にいたサイドキックたちは気まずそうな視線を向けた。エンデヴァーは視線を巡らし、電話対応しているサイドキックを見る。

 

「それに関しましては、エンデヴァーは死んだと言ってはおらず、爆発したところを見たと言ってまして……はい、勝手にマスメディアが勘違いしてそういう意味合いの報道をしただけでして……」

 

 そういう取り繕う言葉が至るところから聞こえてくる。

 エンデヴァーは一番近い電話に近づき、電話対応をしているサイドキックに右手を差し出した。サイドキックは驚いた顔をしつつも、受話器を渡す。エンデヴァーは耳元に受話器を持っていく。男の怒鳴り声が響いてきた。

 

『エンデヴァーに会見開いて謝罪するよう伝えろ! 適当言って俺たち国民をぬか喜びさせやがって! それでも暫定ナンバーワンヒーローかよ!? ヒーローの恥晒しがァ!』

「俺は事実しか伝えていない。貴様が勝手に勘違いしただけだ」

『その声……エンデヴァー!? ふ、ふん! よくそんな口叩けるなァ! 国民が今不安と恐怖に叩き落とされているのに、言う言葉がそれか! 万年ナンバーツーらしい態度だぜ!』

「…………」

『どうした!? 言葉も出てこねえか! 自分のことしか考えねぇカスが! ヒーローなんざ名乗んじゃねえ!』 

 

 エンデヴァーの受話器を握る手は震えていた。怒りの感情からだ。この受話器が事務所の備品でなければ、今頃消し炭になっているかもしれない。

 そんなエンデヴァーの様子を、受話器を渡したサイドキックや周囲のサイドキックが息を呑んで窺っている。怒り心頭のエンデヴァーがどう返すのか、気になっているのだ。

 エンデヴァーは電話に向かって怒鳴り返そうとしたが、寸前のところで思い留まった。フラッシュバックしたからだ。引退したオールマイトと息子の焦凍(しょうと)の仮免補習の会場で話した内容が。

 

 

『先月の犯罪発生率が、例年に比べ三パーセント増加だそうだ。俺は……誰よりも多く事件を解決に導いてきた。今も今まで以上に解決している。にも関わらず、聞こえてくる。お前が築き上げてきた何かが崩壊していく音が。

元ナンバーワンヒーロー、平和の象徴とはなんだ?』

 

 俺はその時、一度もオールマイトの顔を見なかった。顔を突き合わせて話せるほど、俺はオールマイトが好きじゃなかった。むしろ憎んでいたとすら言える。俺の前を常に走るオールマイトが目障りで仕方無かった。だが、実質的なヒーローナンバーワンになって気付いた。ナンバーワンの重圧はとてつもないものなのだと。そして、それを一切感じさせなかったオールマイトの凄さを多少は認められるようになった。だからこうしてオールマイトと会場で会った時、話したいと思ったのだろう。世間話じゃない。もっと踏み込んだ話を。

 

『俺は別にナンバーワンになりたかったんじゃない。ただナンバーワンになりたいだけなら、いくらだって貴様のようにヘラヘラ愛想を振りまいただろう。俺は誰よりも強くなりたかった』

『……君らしくないな』

『いいから答えろ!』

『……私がヒーローになった頃、街行くみんなが不安そうな顔をしていた。どれだけヒーローがいても犯罪は減らなかったし、今よりずっと怯えていた。だから、私はこの国に象徴が必要だと信じ、その道をひた走ってきた。希望でもあり、警鐘でもある強い光……そういう存在になると誓って走り続けた。

私と君を比較する声が世間から多く出ているのは知っている。でも、君と私は違う。エンデヴァー、君は私の道を行こうとしなくていい。君は君の思うやり方で、この国の人々を守ってほしい。何故君は強く在ろうとするのか、その答えはきっとシンプルだ』

 

 

 エンデヴァーはそのやり取りを一瞬で回想し、自制心が働いた。ここで怒鳴ったら今までの俺と同じだ。俺は息子に、焦凍に誓った。焦凍が胸を張れるような最も偉大なヒーローになると。

 受話器を握る手の震えが止まった。深呼吸して精神を落ち着かせ、受話器を握り直して耳に当てる。

 

「……俺はそう言われても仕方が無いことをしてきた。だから、俺が言えることは一つだけだ。必ず帽子ヴィラン──佐藤を捕まえる。ヒーロー(おれたち)を信じてほしい」

『はぁ? 信じる? 信じてほしいなら結果出せよ! やられっぱなしのくせに偉そうに!』

 

 それからも男の罵倒が続き、満足したら電話を一方的に切った。

 エンデヴァーは周囲のサイドキックと視線を合わせ、肩をすくめた。まだまだ様々な電話のコール音は鳴り続けている。その電話一つ一つにエンデヴァーは今言った言葉を伝えた。反応もだいたいは前と同じ。そもそも事務所まで怒鳴り込んでくるような輩は怒鳴りたくて電話してくるのであり、真摯な態度をどれだけしようが自身の態度を改めることはしない。

 エンデヴァーは結局サイドキックから「もう俺たちに任せて休んでください」と言われるまで電話対応をし続けた。現場に出ず事務仕事をこれだけ長い時間やったのは、おそらくヒーローになってから初めてのことだっただろう。そのエンデヴァーの変化に、サイドキックたちは気付いていた。

 エンデヴァーは自宅までの道を歩く。もう深夜で、街灯や建物の明かりだけが闇を照らす光だった。道行く人々はエンデヴァーに対しあからさまな敵意を向けはしなかったが、睨んだり遠くで舌打ちしたりといった陰湿なやり方をやってきた。

 そういった人々に対し、エンデヴァーは笑顔を振りまくことはしなかった。ただ前を見据え、歩き続けた。下手(したて)に出るなど考えなかったし、そもそもヒーローが一般人より下だという認識もない。

 自宅に着くと、自宅の前にホークスがいた。ホークスはエンデヴァーに気付くと、気軽に右手を上げて挨拶してきた。

 

「エンデヴァーさん、こんばんは」

「貴様か。ここで何をしている?」

「エンデヴァーさんを待ってたんですよ。ちょっと話したくて」

 

 エンデヴァーの背筋にゾワッと悪寒が走り抜けた。ホークスの言葉が気色悪いと感じたからだ。エンデヴァーが想像したことに察しがついたホークスは笑い声をあげる。

 

「やだな〜。エンデヴァーさんと雑談したくてこんな夜中に自宅前で待つなんてするわけないじゃないですか。それなりに重要な話ですよ」

「さっさと要件を話せ」

「俺、ヒーロー辞めることになったんで、挨拶に来たんスよ」

 

 エンデヴァーは思わずホークスの顔を凝視する。ホークスは笑みを浮かべつつも、目は決意の光を宿していた。

 

「……何?」

「いやいや、だってキツいですよ、ヒーロー。制約は山ほどあるし、周りの目も気にしないといけないのに、ヴィランはそんなことお構いなしですからね〜。やってるだけ命を無駄にするだけかなって」

「貴様……病院で言った言葉は噓だったのか? 自分の正義は研ぎ澄ませてあるとか言ってたが」

「だからこそっスよ。ジレンマってヤツですかね」

「なるほど。結局貴様は逃げた臆病者だったということか。二度と俺の前に現れるな」

 

 エンデヴァーはホークスの横を通り過ぎ、玄関の扉に手をかける。

 

「エンデヴァーさん。エンデヴァーさんにとって、ヒーローってなんです? ドロップアウトする俺に教えてくださいよ」

 

 エンデヴァーはホークスを怒鳴ろうと振り向いたが、そこで止まった。ヘラヘラしていた顔が引き締まっていたからだ。これはヒーローを諦めた顔じゃない、とエンデヴァーは一瞥で見抜いた。だから、答えるつもりも無かった問いに答えてやるつもりになった。

 

「そんなの決まってる。ヴィランを倒し人々を助ける仕事であり、人々をあらゆる脅威から守る仕事だ。それ以外に何がある?」

 

 その言葉を聞いて、ホークスは笑った。寂し気な笑みにエンデヴァーは感じた。

 

「そうっすよね。俺もそう思います。けど、ヒーローには贅肉(ぜいにく)がくっついてる。だから遅い。だから届かない。もっと削ぎ落とさなきゃ駄目だ」

「貴様……一体どうしたのだ?」

 

 エンデヴァーの問いに答えず、ホークスは両翼を広げる。

 

「もう俺行きますよ。ただ一つ最後にアドバイスさせてもらいますけど、明後日から鉢巻(はちまき)とたすき付けるか、今の内に考えといた方がいいっスよ。絶対明日マスコミが訊きに来ると思うんで」

 

 ホークスは暗闇へと飛び立ち、消えていった。エンデヴァーはその姿を追い、漆黒の空を見上げていた。

 

 

 ホークスは暗闇を翔けていた。

 ホークスは幼少の頃の記憶を思い出している。エンデヴァーの人形を抱えながら、公安の人間に訊いたのだ。

 

『俺もこの人みたく、悪い奴をやっつけるヒーローになれますか? 俺を救ってくれたみたく、みんなを明るく照らせますか?』

 

 ホークスはさっき見たばかりのエンデヴァーの顔を頭に描きながら、気分が落ちていくのを感じた。

 エンデヴァーはホークスにとって目標のヒーローであり、ヒーローというものにも特別な感情を抱いている。そして、自分の選択はそういったモノに泥をかける行為になりかねないことを理解してしまっている。

 だがこれから先、同じやり方じゃ未来は無いとホークスは判断した。その先にみんなを明るく照らす未来は無いと。

 

 ──だからエンデヴァーさん、これから見せてください。俺が捨てた選択の先にも光があることを。俺が失敗した時のために。

 

 ホークスは信じている。エンデヴァーは最高のヒーローだと。だからこそ、自分じゃ辿り着けない未来を切り拓く筈だと。そういうヒーローをこれから支えるのが、明日からの俺の仕事だ。

 ホークスは闇を翔け続けた。




もしかしたらお気づきの読者もいるかもしれませんが、ヒーローで好きなキャラトップスリーがエンデヴァー、ホークス、ミルコなんですよね。三人ともカッコいいので好きです。


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第23話 HUNT(ハント)

 結局ホークスのアドバイス通りの展開となった。

 次の日の早朝、自分の事務所に行ってヒーロー活動をしようと玄関の扉を開けて敷地の外に出たエンデヴァーは、そこで出待ちしていた多数の記者に取り囲まれてしまい、至るところからカメラが構えられ、マイクもいくつも突き出された。

 その内の一人の若い女性記者が他の人たちを押しのけ、エンデヴァーの前に立つ。マイクを握りしめていた。その背後にはカメラを構えるカメラマンもいる。

 その女性記者がマイクを自分の口に近づけた。

 

「明日は帽子ヴィラン佐藤のヒーローへの要求がある日ですが、エンデヴァーはどうするおつもりですか!?」

 

 周りの記者たちの声に呑まれないよう声を張り上げた後、女性記者はマイクをエンデヴァーの方に向けた。

 エンデヴァーは事前に用意していた回答を口にする。

 

鉢巻(はちまき)とたすきは身に付けるつもりだ」

 

 その言葉を聞き、若い女性記者は目を輝かせる。

 

「つまり……今日中に佐藤を逮捕する自信が無いということですか!?」

「……は?」

「現在のヒーロー社会を牽引するリーダー的存在であるにも関わらず、佐藤の逮捕に消極的なのは、佐藤の残虐さに恐れをなしていると考えてよろしいですか!?」

「……」

 

 まるで鬼の首を取ったように興奮している女性記者に反して、エンデヴァーは冷静に相手の狙いを見極めている。

 この女性記者にとって、エンデヴァーの本心や意思はどうでもいい。この女性記者はエンデヴァーの弱気な発言や消極的な発言を引き出し、それを利用してエンデヴァーの印象を悪化させることで、国民の興味を引いて視聴率を稼ごうという魂胆なのだ。それで国民によるエンデヴァー叩きに発展しようが、この記者はそれを深刻なことだと思っていない。

 人間は良いニュースより悪いニュースの方が惹かれる。そのメカニズムは生存本能によって不安を感じやすい性質からきているのであり、意識的に悪いニュースを回避しようとしなければいつまでも悪いニュースばかり観てしまう。マスメディアはそのことをよく理解しているからこそ、国民の不安や恐怖心を煽るようなニュースばかりを選択して報道し、チャンネルを変えさせないようにしているのだ。

 

「当然今日一日、帽子ヴィラン佐藤の捜索はする。ただ万が一の可能性として、今日中に佐藤を捕まえられない場合もある。その場合、俺の私心で民間人を危険に晒すわけにはいかない。俺が恥を晒して佐藤のテロ行為を止められるなら、俺は要求を呑むという、ただそれだけの話だ」

「実質的なナンバーワンヒーローがヴィランに屈するつもりだと判断してもよろしいですか!?」

 

 もはや女性記者はエンデヴァーの話の内容を一ミリも理解しようとしていなかった。女性記者の頭の中は、どうやってエンデヴァーを貶めるか、そのことばかりにリソースを割いていた。

 エンデヴァーはその記者の姿勢に呆れ、これ以上記者たちに付き合うのは時間の無駄どころか自分にとってデメリットしかないと判断。正面にいる女性記者とその他の記者たちを押しのけつつ、事務所に向かう道を行く。

 

「エンデヴァー! 私の質問に答えてください! エンデヴァー!」

 

 エンデヴァーの背に、女性記者の声が虚しくぶつけられ続けた。

 

 

 

   ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 記者会見の会場は立派な場所だった。それでいて豪華に見えないような配慮が随所にされている。記者会見を開く理由が理由なだけに、無駄に国税を使うなと言われないようにしていると感じた。

 ホークスは会場に用意されているマイク台の前に立つ初老の男を端から横目で見ていた。ヒーロー公安委員長や警視総監、各大臣も、その男の後ろに用意してある机を前にした椅子に座っている。

 初老の男──総理はマイクに口を近付けた。総理の前には置かれた椅子に座った多数の記者がいる。彼らはボイスレコーダーを持っていたり、メモ帳とペンを用意していたりしていた。

 

「本日は急な会見であったにも関わらず、お集まりいただきありがとうございます。私はこの場をお借りして、国民にある重大な政策をお伝えします。

皆さんもご存知の通り、今の日本は個性犯罪者──通称ヴィランの脅威が日を経る毎に増しているような状況であり、皆さんが言われているようなヒーロー飽和社会であっても、このヴィラン優勢の現状に歯止めが利かない状態となっています。

このヴィラン優勢の根本的な原因はなんでしょうか? 一番の原因となるのはずっとナンバーワンヒーローで在り続けたオールマイトの引退でしょう。彼の圧倒的な強さは、ヴィランの犯罪に走ろうとする心を事前に(くじ)きました。

しかし、オールマイトと相打ちとなるほどの力を持っていたオール・フォー・ワンの出現、ヴィラン連合と呼ばれる組織的な犯罪集団の台頭、より強力になっていく個性特異点と呼ばれる現象により、ヒーローが対応できない、あるいは対応できても犠牲が出て今後のヒーロー活動に支障が出るような消耗戦となってしまっています。

ヒーローは元々民間企業と同じ立場であり、中には警察の下部組織と揶揄する人がいることも存じています。何を言いたいかと言えば、彼らは国民の支持を得られないと収入が得られず、困窮した生活を送らざるを得ない現状にあるということです。そういう事情のため、ヒーローは人口の多い都市に流れやすく、人口の少ない地域はヴィランの温床となるという悪循環が起きています。

そこで私はこのヴィラン優勢の現状を打破するため、対凶悪犯罪者制圧部隊──通称HUNT(ハント)の創設を決定いたしました」

 

 総理が僅かに頷く。正面に用意されていたプロジェクターの担当者が電源を入れた。総理と奥に座っている人々の後方のスクリーンに画面が出力され、

 

eroic(ヒロイック)(英雄的な行動で)

phold(アップホールド)(人々を支える)

ational(ナショナル)(国家による)

eam(チーム)(部隊)

 

 と映った。

 ホークスは部隊名をこの瞬間まで知らなかった。ヒーローの形容詞であるヒロイックを入れたり、攻撃的な単語を入れていないことから、政府が頭をひねってなるべく穏便な単語を選ぼうとしたのは想像に(かた)くない。あまり攻撃的な単語を選ぶと非難の的になるのを懸念してのことだろう。だが、それらの頭文字を合わせたHUNTは狩猟という意味がある。穏便な単語を合わせたにしては物騒な部隊名だ。つまり、この部隊名はヴィランに対して向けられた政府からのメッセージに他ならない。

 

「この部隊はスクリーンの通り、我が国の防衛費を使用します。つまり国家が運営する部隊です。そして、この部隊がヒーローと違う決定的な点は、いついかなる場合も国民の命を何よりも優先する点です。そして、国民の命を助けるあるいは守る場合、犯罪者の生死を問いません」

 

 会場内がざわついた。それはそうだろう。国が国民を助けるためなら犯罪者を殺すことを認めると暗に言っているようなものだ。

 

「ショックを受けるのは当然でしょう。これまで我が国ではヒーローが主体的にヴィランを捕まえていたため、ヒーローの理念である不殺が一般的になっていました。どれだけヴィランが凶悪であっても、ヒーローはそのヴィランを基本殺すことができませんでした。しかし、考えてみてほしいのです。命は平等なのは私も同感ですが、民間人の命と犯罪者の命、どちらかしか助けられないのなら、民間人の命を優先すべきではないでしょうか? 犯罪者に対する人道が、時に本当に救うべき命を失うという悲しい結果になってしまうこともしばしばありました。私たちは覚悟を決めなければならない段階に来てしまったのです。断固とした態度で犯罪者を許さず、国民の命と財産を私たちは守らなければなりません。それが国の使命であります。

勘違いしないでいただきたいのですが、犯罪者の命を軽視しているわけではありませんし、命を奪うことを前提にHUNTが行動することは有り得ません。あくまでも最終手段ということをご理解していただきたい」

 

 総理はそこで言葉を区切り、ペットボトルの水を飲んで喉を潤した。

 

「このHUNTの創設につきましては、各大臣とヒーロー公安委員会としか協議していませんので、三日後に臨時国会を召集し、具体的な予算の審議と、我が国で増加しているヴィランによる犯罪行為に対して、他にどのような政策が必要か国会議員全員で考えていくつもりです。

では、ここからは質疑応答の時間となります。質問のある方は手を挙げてください」

 

 記者たちが一斉に挙手を始める。記者たちは首から大きなナンバープレートを下げており、ナンバーで当てる相手を選ぶやり方になっていた。挙手の際にはそのナンバープレートを握り、総理が見やすいようにすること、と会見前に周知が徹底されている。

 

「では、四十八番の方」

 

 総理が四十八番を手に持つ中年の男に向かって、右手の平を上に向けて差し出した。

 中年の男は立ち上がり、同時にマイクを持ったスタッフがその男にマイクを渡す。中年の男はマイクを渡された後、スタッフに無言で軽く礼をして、マイクを口元に持っていく。

 

「対凶悪犯罪者制圧部隊という名前なのですが、対凶悪(ヴィラン)の間違いではないのですか?」

「そこは意図的に凶悪犯罪者という名前にしています。何故なら、テレビ局を占拠した帽子ヴィランに見られるように、もはや凶悪犯罪は『個性』に限らなくなる可能性があるからです。発達した技術や道具を利用しての犯罪者はヴィランの定義に含まれず、対ヴィランとしてしまうとそういう相手への出動ができなくなってしまうため、犯罪者という言葉を使用しています」

「回答ありがとうございました」

 

 中年の男はマイクをスタッフに返し、着席する。

 再び記者たちの手が挙がった。

 

「六十三番の方」

 

 中年の女が立ち上がり、マイクを持ったスタッフがマイクを渡す。中年の女は小声でスタッフに「ありがとうございます」と言った後、マイクを口に持ってきた。

 

「このHUNTという部隊の存在目的は帽子ヴィランが要求として突きつけていた『国土防衛軍』と似通っているように感じるのですが、HUNTはその前身的な立ち位置なのでしょうか?」

「そのようなことは決してございません。HUNTの立ち位置は警察の中の精鋭部隊のようなものをイメージしていただければ分かりやすいです。軍隊としての運用は想定していません」

「回答ありがとうございます」

 

 中年の女がマイクをスタッフに返し、着席。

 記者たちの挙手が相次ぐ。

 

「二十九番の方」

 

 若い女はガッツポーズした後、立ち上がる。スタッフからマイクを受け取り、口元に持っていく。

 

「HUNTは最終的にどれほどの規模の運用を想定していますか?」

「一都道府県最低一部隊を直近の目標としています。日本は四十七都道府県ありますので、最低でも四十七部隊は運用していきたいですね。この辺りの予算は慎重に決めなければならないので、臨時国会で審議します」

「回答ありがとうございまーす」

 

 若い女はマイクをスタッフに返し、着席。

 記者たちの手が挙がる。総理はチラリと腕時計を確認。

 

「次の方で最後にします。十三番の方」

 

 若い男が立ち上がり、スタッフからマイクを受け取る。

 

「帽子ヴィランの佐藤から国土防衛軍の創設とその総帥に任命しろという内容の要求が政府にありましたが、この要求に対し政府はどうお考えですか?」

「そのような要求を呑むつもりは一切ありません! 政府がテロリストの言いなりになるなど有り得ない!」

 

 マイク台を叩きかねない総理の激情に、若い男はたじろいだ。

 総理の後方で座っている各大臣たちの顔からは血の気が引き、その内の一人が「総理! 総理!」と小声で総理を呼んだ。総理はその微かな声に反応し、大臣の方に歩いて近付く。

 

「なんだね?」

「佐藤は頭のネジが飛んでいるイカれたヴィランですよ!? まだ要求の期日まで十日ほどあるのに、早々に答えを出さなくてもよかったでしょうに! あんな質問は適当にはぐらかしとけばいいんですよ!」

「何を馬鹿な! HUNTという強気な政策を打ち出しておいて、ヴィランの要求を断固とした態度で拒否しなければ、国民は結局上辺だけかとガッカリしてしまい、国民の不安を取り除けないではないか! この場ではっきりと我々政府の方向性を伝えることは、きっと正しい! 支持率も明日以降アップ間違い無しだ」

 

 総理はマイク台に戻り、ゴホンと咳払いする。今の質問をした若い男はすでに着席していた。

 

「これで質疑応答を終了させていただきます。最後に、HUNTの部隊長を紹介します」

 

 そこでホークスは端から出てマイク台の前に向かう。実はホークスの前には仕切りがあり、ずっと仕切りに隠れていた。

 ホークスが出てきた途端、会場がざわついた。それは当然で、ホークスは上位プロヒーローに加え、若くして事務所を立ち上げてすぐさま上位に食い込むといった話題性と人気のあるヒーローだからだ。会場のあちこちから「ホークス……?」「ホークスだぞ!」「ホークス!」といった声があがる。

 ホークスは珍しく正装でこの場に来ていた。ヒーロー公安委員長の身だしなみを整えて来いという命令に素直に従った結果である。

 ホークスは一礼した後、マイク台の前に立つ。

 

「どうも! HUNTの部隊長やることになりました! 元ヒーローのホークスです! え〜と、皆さん驚いてますよね? けど、多分俺が一番驚いてますよ! こういうスピーチって意気込みみたいなのを言えばいいんスかね? あ! あと、意気込みの前に、隊員は常に募集してるんで、ヒーロー活動している人とかガンガン入隊してもらえると助かります! ただ、入隊する前にちゃんと犯罪者殺す覚悟は決めてきてください。生温い部隊としてやってくつもりないんで」

 

 会場がシンと静まり返った。ホークスから普段とは考えられないピリピリとした空気が、会場を支配している。

 

「今から意気込みを言います。俺たちはあらゆる手段を用いて、この国に平和を取り戻す」

 

 ホークスの目が会場にある報道カメラを捉える。

 

「ヴィラン連合の死柄木、帽子ヴィラン佐藤、この会見観てるか? お前らと同じところまで堕ちてやったんだ。今まで通り好き勝手できると思うな。これからはこっちが狩る番だ……以上です! ありがとうございました!」

 

 ホークスは頭を下げ、さっきと同じところに引っ込む。

 ホークスの殺気にも似た気迫を浴びせられた会場は、会見が終わるまでずっと静かなままだった。

 

 

 

   ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 佐藤とリベンジエッジの面々は応接室で総理とホークスの会見を観ていた。

 ホークスの言葉を聞いた時、リベンジエッジの面々は恐る恐る佐藤の顔を窺った。そこで恐ろしいものを彼らは見てしまう。佐藤が愉しげに笑ったのだ。

 

「イベント盛り沢山でいいねぇ……ますます楽しくなってきたよ」

 

 佐藤はヒーローの情報が載っている本でホークスのページを開く。

 

 ──次のターゲットは彼にしようかな。()りがいがありそうだ。

 

 佐藤は脳内でホークスを攻略するための作戦を考え始めた。



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第24話 悪には悪をぶつけんだよ!

 会見が終わった後、ホークスはヒーロー公安委員会のあるビルにヒーロー公安委員長と共に来ていた。

 ホークスが通路にいる職員の横を通過する度、職員から奇怪なモノでも見るような視線を投げられる。そのことでホークスが不愉快な気分になることは無かった。あんな派手な会見をやればそういう視線になるわな、と半ば客観的に考えていた。

 そういう通路を通り過ぎた先にヒーロー公安委員会のオフィスがある。そのオフィスに二人が入室し、扉が閉められて完全防音になってようやく、ヒーロー公安委員長は口を開いた。

 

「悪いわね、ホークス」

「……何がっスか?」

「あなたに悪役を押し付けたことよ。心にも無いこと言わせてごめんなさいね」

「ああ……あの会見のことっスか? いいですよ別に。慣れてますし」

 

 それに結構本心に近い内容だったし、とホークスは思った。

 あの会見でヴィランに狙われやすくなるリスクがあるにも関わらず、HUNTの隊長を大々的に紹介した理由は、ホークスのヒーロー人気によるHUNT政策の民意を集めるという理由ももちろんあったが、それに加えてヒーロー公安委員会はヴィランの注意を引き付ける撒き餌としてその紹介を使うことにした。

 情報収集能力の高いホークスに対し、特にヴィラン連合と佐藤の注目を集めさせる。そうすることで動きを読みやすくし、満足な情報を得られていない現状を打開しようという狙いだ。事前に襲撃計画情報を手に入れて備えるか、あわよくばアジトを特定して先手を打つ。それがヒーロー公安委員会が考えた作戦である。

 ヒーロー公安委員長はオフィスにあるエレベーターのところまで移動し、ボタンを押した。エレベーターが開く。二人はエレベーターに乗り、ヒーロー公安委員長が『B2』のボタンを押す。エレベーターの扉が閉まり、移動を知らせる微かな振動が足に伝わった。

 

「あなたの情報収集能力があれば、あなた自身に向けられたどんな些細な情報も見逃さないと信じている」

「買いかぶり過ぎっスよ。俺のできることといえば、俺の羽で音の振動を感知して会話を盗み聞いたり、衣擦れの音を感知して人のいる場所を特定したりできる程度なんで」

「……あなたの羽一枚一枚に小型のカメラを仕掛け、常にモニタリングするチームを作り、あなたの眼の代わりにする。これならどう?」

 

 ホークスはそのことに対し、返事をしなかった。ヒーロー公安委員会の本気を感じられたからだ。そこまでやるつもりなら、自分が口を挟む余地は無い。ただベストを尽くすだけだ。

 

「俺を連れて行きたい場所ってトレーニングルームですか?」

 

 ホークスはヒーロー公安委員会と関係を持っているため、エレベーターの行き先に何があるか分かる。ヒーロー公安委員会のオフィスにあるエレベーターから行ける地下二階はトレーニング関連のフロアだ。

 

「そうよ。あなたはそこでHUNTの戦い方を学びなさい」

 

 ──HUNTの戦い方?

 

 ホークスは疑問符が頭に浮かんだ。今までの戦い方と根本的な部分で何か違ってくるのか。 

 エレベーターの振動が一瞬浮遊感に変わり、停止。エレベーターの扉が開く。純白の通路を歩き、幾つかの扉を通り過ぎた先。正面に一際でかい扉がある。その横の認証パネルにヒーロー公安委員長が右手を置き、認証が通るとでかい扉が開いた。

 トレーニングルームの中を見ると、ホークスは言葉を失った。自分の知っているトレーニングルームとは様変わりしていたからだ。

 トレーニングルームは地下一階と地下二階をぶち抜いて作られた部屋であり、地下一階の高さには強化ガラスが張り巡らされて見学ができるようになっている。

 以前は何も無い空間で、地下三階に用意されている障害物をギミックの操作でこのトレーニングルームに出現させられる程度の機能しか無かった。

 だが今は銃器らしき物が入っている大量のガンケースと爆発物が入っているケース、あらゆるヒーローアイテムが端の方に積み上げられている。

 

 ──いくらなんでもこれだけの物質を昨日今日で集められるわけがない。HUNTの創設案はかなり前から水面下で進んでたっぽいな。それが佐藤によって最高の創設タイミングが得られたってことか。

 

 そして、そのトレーニングルームには先客が三人いた。全身アーマーの人間。金髪をミディアムヘア、眼は琥珀色の瞳で、服装は黒のショートパンツと豊満な胸を強調するかのような胸元の開いたグレーのTシャツ、その上から黄色が基調のパーカーを羽織っている少女。黒髪をロングウルフ、眼はアメジストのような紫色の瞳、服装は上半身は黒を基調にしたYシャツに黒のレザージャケットを羽織り、下半身は青のジーパンの女。この三人。

 その中の金髪の少女がホークスたちに気付いた。

 

「あ、来たみたいだよ〜」

 

 その声に残りの二人もホークスたちの方に顔を向けた。まあその片方は全身アーマーのフルフェイスヘルメット人間のため、おそらくそうであろうという予想だが。

 座っていた黒髪の女が立ち上がる。次にホークスの方に悠然と歩き、ホークスの前に来ると止まった。

 

「問おう。私の上に立とうとする不届き者は貴様か?」

「……えーと、どう答えりゃいいんスか?」

 

 ホークスが隣のヒーロー公安委員長の方に視線を送る。ヒーロー公安委員長は呆れ半分といった表情で静かに首を振った。

 

「私は私が認めた者としか組まないし、命令も聞かない。私に認められる方法はただ一つ。私と握手しろ」

「……はい?」

「だ・か・ら! 握手だ! 私と一緒に戦いたいだろ!?」

「あーあ、そんな言い方じゃしてくれるわけないじゃん。ごめんね、隊長殿。この人あなたのファンらしくてね」

 

 ホークスは金髪の少女の言葉を聞き、正面に立つ黒髪の女の顔を改めて見る。そう言われると、微かに頬が赤みがかっている気がする。

 

「で、できれば、サインも頼む……そしたら、共に戦うだけでなく、隊長として尊敬してやってもいいぞ。お得だろ!?」

「あーはいはい、そのくらいなら」

 

 ホークスが右手を差し出すと、黒髪の女は喜々としてその手と握手し、事前に準備していたらしいサイン用の色紙と黒ペンをホークスに渡す。ホークスはそれを受け取り、慣れた動きで色紙のサインを書いて黒髪の女に色紙を返した。

 黒髪の女はそれを受け取ると、満面の笑みになる。

 

「感謝する! これで貴様は私の戦友であり、隊長だ! 共にヴィランを殲滅しようではないか! ハハハハハ!」

 

 高笑いしだした黒髪の女に対し、ホークスは若干引いた。比喩ではなく物理的に距離を少し取った。同時に大丈夫か……? という不安でヒーロー公安委員長の方を見る。

 

「安心しなさい。確かにちょっとアレなところはあるけど、実力はちゃんとあるから。はい、それぞれ自己紹介」

 

 その一言で三人が横一列に並ぶ。左から全身アーマの人間、金髪の少女、黒髪の女の順番。

 

豪武蔵(ごうむさし)。個性は『剛力』。ヒーロー名は『ゴウ』だった。よろしく頼む」

 

 全身アーマーから低い男の声が響いた。ヒーローのゴウならホークスも知っている。ヒーロービルボードチャートは百位台だった気がする。

 

創壁守里(そうへきまもり)でーす。個性は『障壁』。まあバリアみたいなヤツかな。ヒーロー名は『バリアエンジェル』だったよ」

 

 このヒーローについて、ホークスはどこかで名前を見たことがあるかな、くらいの認識しかない。ホークスはスマホを取り出し『バリアエンジェル』と調べると、上の方にヒーロービルボードチャート二百九位という情報が出てきた。

 

念道千切(ねんどうちぎり)だ。個性は『念力』。いわゆるサイコキネシスだァ。ただし生物は操作できない。ヒーロー名は『サイコブレイカー』だったぞ。ヴィランを血祭りにしてやろう」

 

 ホークスはサイコブレイカーというヒーロー名を聞き、サイコブレイカーのことを思い出した。ヒーロービルボードチャートは七十四位で、黒マントと黒レザースーツに悪魔を模したような赤黒の仮面を付けた見た目、厨二的な話し方をするヒーローだった筈だ。だから、ヒーロースーツじゃない彼女を見ても誰か分からなかった。

 

「今は三人しか集められなかったけど、いずれはあと五人の戦闘員と一人のオペレーターをこのチームに入れるつもり」

「最終的には三人一組での行動を予定してます?」

「そうよホークス。あなたはやっぱり察しが良いのね。三人一組の小隊を三小隊作り、合同で作戦をやらせるかそれぞれで別の作戦をさせるか、状況次第で決めていけるようにしたいの。でも、その中の総隊長はあなた。あなたが小隊をどう動かすか最後の判断を決定することには変わりない」

「それは理解してますよ。けど、このメンバーを見る限り、ヒーローの延長線上のチームって印象を拭えないんスよ。俺はこれでも結構気合い入れてこの仕事を引き受けたんスけど」

 

 ホークスの言葉に、ヒーロー公安委員長は動じなかった。念道の方に視線を向けて、口を開く。

 

「サイコブレイカー、佐藤が使ってた銃を」

「了解」

 

 念道の個性が発動し、ガンケースがひとりでに開いて、アサルトライフルの部品が宙に浮かんだと思うと、それらは空中で組み立てられ、完成品となったアサルトライフルがサイコブレイカーの横に移動。そのまま空中で静止し、銃口は床を向けている。

 

「この銃は佐藤があの動画で説明してた八九式五.五六ミリ小銃。サイコブレイカー、限界まで操る銃を増やしなさい」

 

 サイコブレイカーは真横に銃を浮かしたまま、他のガンケースをサイコキネシスで操作。次々にガンケースが開き、銃の部品が舞い上がる。それらがさっきと同じように空中で組み立てられていく。二挺、三挺、四挺、五挺目を組み立てようとしたところで念力がキャパオーバーしたらしく、五挺目の銃の部品と宙に浮かぶ四挺の銃が床に鈍い音を立てて落ちた。

 

「ああッ、クソ! この私がなんたる醜態……!」

 

 念道が痛そうに頭を抑えている。どうやら操る対象が増えれば増えるほど、頭痛という形で負荷がかかっていくようだ。

 

「サイコブレイカー、組み立てはもういいわ。次は四挺の銃を同時に操作し、対象に射撃。的は……ゴウ。あなたが受けなさい」

「分かった」

 

 念道が再び個性を発動。四挺の銃が飛び回り、念道の右横、右上、左横、左上の空中で静止。そこから安全装置が解除され、銃口が全てゴウの方に向けられる。

 

「バリアエンジェルは跳弾がこちらに当たらないよう障壁を展開」

「オッケ〜」

 

 創壁が個性を発動。ヒーロー公安委員長、ホークス、自身の周囲を包むようにバリアが展開。

 

「射撃開始」

射撃します(我が業火に呑まれよ)!」

 

 宙に浮かぶ四挺のアサルトライフルのトリガーが念力によって引かれ、豪に向かって集中砲火。それら全ての銃弾を豪のアーマーが受け止め、その衝撃に後退せずその場で踏み止まっている。

 

「ゴウが身に付けているフルアーマーとヘルメットは性能は申し分ないけど、見栄えと重量の問題でヒーロースーツとしては失敗作だったの。そういう性能が良くてもヒーローには不向きと判断され、それでも廃棄するにはもったいないと捨てられずにいたヒーローアイテムを格安で掻き集めた。これからもこういう装備は増えていく予定」

 

 佐藤がよく使用しているアサルトライフル。しかも四挺同時で距離は三メートルほど。この条件でも無事なら、佐藤の銃撃に対して完璧な防御力を持っていることになる。

 

「バリアエンジェルにもやらせていることがある。というのも、彼女の個性の『障壁』は範囲型と座標型に切り替えることができるの。範囲型で発動すれば、さっきみたいに彼女を中心としたバリアが張られ、指定した距離内を守れる。座標型は指定した座標にバリアを張れる。ただし範囲型とは違って円形ではなく正方形の板みたいなヤツになるけど」

「わ〜お、私のセリフ全部言うじゃん。委員長、ヒーローの素質あるよ」

 

 創壁のその言葉が褒め言葉ではなく皮肉であることは、その場の誰もが察しがついた。創壁は委員長に向かって暗に出しゃばんなと言っているのだ。

 

「創壁、失礼だぞ」

 

 ゴウが創壁をたしなめる。創壁はゴウの方を棘のある笑みで睨む。

 

「本人を差し置いて『個性』を説明するのは失礼じゃないのね。無知でごめーん」

「創壁」

「分かった分かった。もう黙るって」

 

 創壁は念道の方に右手を伸ばす。念道は四挺の内の一つを念力で操作し、創壁の右手に銃身がくるようにした。創壁が両手で銃を持ち、構える。

 ヒーロー公安委員長はトレーニングルームにスイッチを押した。床から大きなブロックが出てくる。そのブロックには人型をした的のシートが貼り付けてあった。その位置は創壁から見て側面の位置で、創壁の位置からは絶対に当てられない場所である。

 創壁の両目が細められた。ブロックの側面のすぐ横の空中に斜めになったバリアが現れる。創壁はそのバリアに照準を合わせ、射撃。バリアに当たった銃弾は跳ね返り、側面の人型の的の右胸を撃ち抜いた。

 

「バリアエンジェルには跳弾のスペシャリストになってもらおうと考えている。チームを守りつつも予想のつかない攻撃で敵をかく乱する役割よ。

ホークス。あなたに関してはまず銃の扱い方を学んでもらう。パワー不足を気にしてたあなたにとって、銃のパワーは喉から手が出るほど欲しいでしょ」

「……敵の無力化は難しくなりそうですけどね」

 

 ホークスは複雑な気持ちでヒーロー公安委員長の言葉を聞いていた。確かにある一定以上の防御力や回復力のある相手に対し、ホークスの個性は無力に等しい。しかし殺し特化の武器を進んで手にするのは、覚悟を決めているとはいえ良い気分ではない。

 

「それと、あなたにはもう一つの戦術を身に付けてほしい」

「どういう戦術っスか?」

「あなたの羽って一枚で成人男性の重量を持ち上げて移動させられるわよね?」

「平均的な体重なら、ですけど」

「だったらその羽一枚一枚に、例えば吸着爆弾とかくっつけてヴィランの拠点内を一斉爆破とかできるわよね?」

「羽一枚一枚にカメラとかモニタリングチームを作るって話は、その戦術のためってわけっスね。なんだか薄ら寒くなってきましたよ」

 

 あまりにも殺意の高すぎる戦術に、ホークスは気が滅入りそうになる。そして、このトレーニングルーム内にある物資の豊富さの意味に気付く。

 

「ああ、なるほど。俺たちは戦争始めるつもりなんスね」

「よく言うでしょ。目には目を、歯には歯を、悪には悪を。これまでの悪行の対価を払わせてやるのよ。あなたがヴィランの目を引き付け、ヴィランを捕縛。拷問して死柄木か佐藤の拠点情報を得られたら、プランAの拠点一斉爆破作戦、通称流星雨作戦(オペレーション・メテオシャワー)を発動する」

「……プランBは?」

「プランBは高度な柔軟性を維持しつつ、臨機応変に対応」

「ゴリ押しですか?」

「違うわ、戦略的ゴリ押しよ。あなたの指揮ならそれができると期待している」

「期待に応えられるよう、精一杯頑張らせてもらいます」

 

 ホークスはヒーロー公安委員長に向かって、仰々しく一礼した。

 もはや滅ぼした方が正義という泥沼へと状況は推移しつつある。だがHUNTが暴走したその時、ヒーローがきっと止めてくれるだろう。それを信じて、ホークスは突き進むことを改めて心に誓った。



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第25話 Plus Ultra

 トゥワイスと義爛(ギラン)はあるバーのカウンターに座っている。トゥワイスは何も飲んでいないが、義爛は酒を飲んでいた。

 このバーは地下にあり、地上にあるバーが一般人向けとするならば、この地下のバーは裏社会向けと言えるだろう。当然入店どころか存在すら分からない人が多数であり、ある意味選ばれた者しか入れないバーなのだ。だから、この場での話は外に漏れる心配をせず、心置きなく好きに会話を楽しめる。

 

「昨日今日と、銃器や爆発物の取引が過去最高だ。あまりにも需要があり過ぎて、値段を五倍にしてもすぐに在庫が無くなっちまう」

 

 義爛がグラスの酒を飲み干した後、タバコに火を点ける。

 

「佐藤の影響だな。少し前まで全くの無名だったのが、今はテレビ点けたら佐藤の話題ばっかだ。信じられねえよ」

 

 ラバータイツのマスク男──トゥワイスは椅子に座りながら体を反らしたり動かしたりして、とにかく落ち着きが無かった。

 

「見向きもされてなかったんだぜ。それどころか『銃なんか使うヤツは自分は無個性だと言ってるようなもの』とか言われるくらいには軽蔑されていたくせに、今のこの状況だ。市場ってのがどれだけ世間に流されてるか、改めて肌で感じたぜ」

「佐藤はお前から銃器や爆発物を買ったのか?」

「俺からは直接買ってねえな。俺が売った相手からはよく買ってたようだが」

 

 義爛は口から紫煙を吐き出しつつ、灰皿にタバコを押し付けた。

 

「言っとくけどな、佐藤はテレビ局襲撃前に銃器と爆発物をかき集めてた。この国にある銃器と爆発物の三割は佐藤の手の中にあると考えていい。賢いヤツなら、ここでかき集めた銃器と爆発物を売り払ってぼろ儲けするだろう。きっと一生遊んで暮らせるどころか人生数回やり直せるくらいの儲けになるだろうさ」

「佐藤は売らねえ。あいつにとっては金なんて蛇口捻れば出てくる水程度にしか思ってねえよ」

「まあ儲け目当てなら売らねえだろうな。だが、多数のヴィランにばら撒いた方が面白そうだと思ったら売る可能性はあるぜ」

 

 義爛の言葉を聞き、トゥワイスはしばらく無言で両手を頭の後ろで組んで目を閉じた。佐藤との今までの記憶、それから佐藤がこれまでにやらかした事をまぶたの裏で思い返している。そして、結論は出た。面白そうならやるわ、アイツなら。

 

「否定はできねえな。なんたってクソ野郎だ」

「そうとも、人間のクズさ。だが、死柄木はずいぶん気に入ってるようだな。お前の落ち着きの無さでなんとなく察せられるぜ。俺と会うよう指示した理由は他の連中と同じでアレだろ。銃器と爆発物を回してくれっていう話なんだろ?」

 

 トゥワイスは気まずそうに頭を掻く。落ち着きの無さの原因を言い当てられたからだ。いつその取引の話をしようか考えていたところで、義爛の先制パンチを食らった。それなりに付き合いが長いと、言わなくても相手に伝わることがある。

 

「死柄木が気に入ってるって根拠は、佐藤の武器を使おうとしているところからか?」

「まあな。その感じだと、俺の読みはいい線いってたようだ。まだまだブローカーとして現役でいられるぜ」

「……ふぅ、お前の言う通りだよ。死柄木のヤツから佐藤が使ってるような武器やアイテムを流すようせっついてこいって言われてよォ、自分は銃なんざ持てねえだろうに」

 

 死柄木は五指が触れたら生物だろうが物体だろうが崩壊させる『個性』持ちだ。強弱はコントロールできるかもしれないが、オンオフは無理だった気がする。つまり確実に五指が触れる銃を死柄木は使えないのだ。なのに、そういう武器やアイテムを集める。俺たちに使わせるために。

 

「……ははーん、なるほど。読めてきたぜ死柄木の狙いが」

「俺たちが使う羽目になるって話だろ」

「そうだろうな、そうなるぜ。俺が言いたいのはその意味さ。ヴィラン連合が銃なんざ使って佐藤が言ってた制裁を実行したら、ヒーローや国民はどう思う?」

「…………あっ」

 

 トゥワイスはなんとも間抜けな声をあげた。そこまで死柄木から話を聞かされて無かったのだ。義爛はそんなトゥワイスの反応をクックッと笑いながら、再びタバコに火を点けた。

 

「ヴィラン連合が佐藤と、『愛国者たち(パトリオッツ)』と手を組んだように見えるだろうな。ヴィラン連合の一番のウィークポイントであるあやふやな目的を、佐藤を利用することではっきりさせる。そういう腹だろうぜ、死柄木は」

 

 トゥワイスはため息をつく。

 

「……マジで死柄木は佐藤のゲームをプレイするつもりってことか。この国からヒーローを一人残らず消すっていうイカれたゲームを」

「さっきは在庫切れって言ったが、実は少しだけなら銃と弾が残ってるんだ。お前らには期待してるし、後で俺のとこに来い。くれてやるよ、在庫全部。その代わり、俺らみたいなモンが生きやすい国にしてくれよ。代金はそれでチャラにしてやる」

「義爛、ありがとよ」

 

 こうして二人のバーでの話は終わり、その後は義爛のアジトに行き、そこで目的のブツをトゥワイスは受け取った。

 

 

 

   ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 雄英高校1―Aの教室。朝のホームルームが始まる時間。その時間ちょうどに、教室のくそデカい扉が開けられた。長い黒髪を後ろで縛り無精ひげを生やした男──担任の相澤がダルそうに教室に入ってくる。

 1―Aの生徒たちはポカンと口を開けていた。確かに先生ならばもっと身だしなみをちゃんとしろと授業参観に来た親が言いそうな身だしなみだ。だが、そんな相澤の身だしなみに慣れている生徒たちはもちろんそんな部分に驚きはしない。

 

「ブッ、ガハハ! なんだよ相澤センセー、そのカッコ!」

 

 金髪のツンツン頭をしたツリ目の男子生徒が相澤を指差して爆笑した。彼の名は爆豪勝己と言う。

 相澤は頭に日の丸の鉢巻を巻き、『国のために戦います』と書かれたたすきを掛けている。

 相澤はひとしきり笑う爆豪が収まるのを無言で待った。最初は腹を抱えて笑っていた爆豪だが、相澤の無言の圧を感じると笑うのを止め、舌打ちしてそっぽを向く。

 

「……そんなに面白い格好だったか、爆豪? なら良かったよ。笑われた方が気を使われるより気が楽になる」

 

 その相澤の一言が、爆豪以外の気を使って言葉が出てこなかった生徒たちを気まずくさせた。

 

「傍から見たらそりゃ俺の格好は面白いよな? だが、ここで考えなくちゃならないのは、自分がヒーローだったらどういう選択をするか、だ。爆豪、お前が今ヒーローだったらどうする? 俺みたいにヒーローのプライドを捨てて佐藤が約束を守るのを祈るか? それともヒーローのプライドを優先して自分の周囲に危害を加えられそうになっても守り切ろうとするか? 言っとくが、この場合どっちが正しいとかは無い。どっちも間違ってる選択だ。この選択肢は、どっちがマシかを決めるものでしかない。そりゃ当然だ。ヴィランの要求に対する選択肢なんだからな。正しいわけないんだよ」

 

 教室内は静まり返った。相澤の悔しさが言葉の一つ一つから伝わってきたからだ。

 そっぽを向いたまま、爆豪は口を開く。

 

「……俺は、そんなダッセェカッコはぜってぇしねぇぞ……してたまるか、俺にとってそれは敗北宣言以外の何物でもねえ! いいぜ! 狙ってくるってんなら人のいない場所に行って返り討ちにしてやらあ!」

「お前らしい答えだな、爆豪。だがヒーローとは別にここの教員である俺は、人のいない場所には行けない。必ず人目のある場所を行く。それで襲撃されて民間人に被害が出たら、それは俺のせいになるんだ。ヴィランが悪い筈なのに、ちゃんとその程度の要求呑んどけばこんなことにはならなかったってな。

……お前らに現実ってやつを教えてやろう。今だけ特別に携帯の使用を許可する。その携帯のSNSでヒーローという単語を検索してみろ」

「えっ」

 

 生徒たちが驚きの声をあげて相澤を見る。相澤は無言で頷いた。生徒たちは制服のポケットから携帯を取り出し、人気SNSでヒーローという単語を検索。ズラッと並んだヒーローに関する投稿。それらは最新の投稿から順番に表示される。

 ヒーローで絞り込まれた多数の投稿の内容。それらを読む生徒たちの表情はどんどん曇っていく。

 ここで投稿されている内容を一部抜粋しよう。『〇〇ヒーロー事務所のヒーローヤバすぎ! 誰も鉢巻とたすきしてない! この事務所とここのヒーローには絶対近付かない!』『会うヒーローみんな鉢巻とたすき付けてて草。情けなさすぎだろw』『ヴィランの言う事こんなにたくさんのヒーローが聞いてるとか日本終わったな』『まあこれはしゃあない。ヒーローを責められないよ』『エンデヴァー事務所のヒーローはみんなしてるな。やっぱトップ走ってる自覚はあるか』『ミルコが鉢巻とたすきしてないんだけどふざけんなよマジで。周りが被害にあっても関係ねぇってか。大したヒーローだな!』等々……。内容の九割はヒーローに対する批判、嘲笑、怒り、悲観などネガティブなものであり、ヒーローへの応援などというポジティブなものは一割にも満たない比率である。そのヒーローが総叩きされている状況が、ヒーローを夢見る少年少女の心を深く傷付け絶望の淵へと誘った。

 

「よし、もういい時間だ。携帯をしまえ」

 

 相澤の言葉で、生徒たちは携帯を次々にしまい、相澤の方を見る。

 

「これで世間が今ヒーローをどんな目で見ているか、少しは理解できただろう。ヴィラン連合を未だに解体できず、次々に現れるヴィランに後手後手に回り、極めつけは佐藤と名乗るヴィランがリーダーの『愛国者たち(パトリオッツ)』の台頭を防げず、佐藤の要求を呑んでいるヒーローへの失望。そんな国民の負の感情がヒーローを包んでいる。それが今のヒーロー社会だ。

特に今回のこの件はヒーローにとって、そしてヴィランにとっても衝撃を与えた一件だ。要求の内容は大したことないが、要求の大小はこの際問題じゃない。問題なのは、民間人を人質にすればヴィランはヒーローに要求を呑ますことができる。そうヴィランの連中が理解した部分だ。今までは民間人を積極的に狙うヴィランはいなかった。強盗や個性の解放などで傷付ける場合はあっても、それは目的ではなく目的を果たすために生まれた副次的被害だった。だが、これからは積極的に民間人を脅し、ヒーローに何らかの要求をしてくるヴィランが増えてくる可能性がある。俺たちヒーローは弱点を晒しちまったわけだ。守らなければならないものが多いって弱点をな」

 

 相澤は生徒たちの顔を一人一人順番に見ていく。ほとんどの生徒は不安そうにしている。中には泣き出しそうにしている顔もある。しかし、その目にある希望の光は死んでない。

 

「他のヒーローはどう思ってるか知らないが、俺は佐藤をヴィランだとは思ってない。勘違いするなよ。別にヤツが正しいなんて微塵も思っちゃいない。佐藤はヴィランというよりは、扇動家に近い気がするってだけだ。『個性』がこれだけ世界に浸透する前。歴史の教科書にも度々出てくる扇動家は世論をコントロールして支持を集め、国に多大な影響を与えた。その力を有用に使えば良いが、お前らが知っての通り佐藤はその力を悪用することしか考えていない。本当に最悪な相手だ。特にこれから、佐藤の要求に従っていないヒーローが制裁されるようになったら、佐藤の影響力は更に増していくことになるだろう。

……これだけお前らの不安を煽っといて、あえて問う。それでも、お前らはヒーローを目指すか? それとも、政府が創設するHUNTに入りたくなったか?」

 

 生徒たちの表情が強張る。

 

 ──意地の悪い言い方だったか?

 

 教室の雰囲気が暗くなっていることに多少の罪悪感を覚えた相澤だったが、何も誇張したことは言っていないと開き直る。これがヒーローの現実。これがこれからヒーローになる者の前に立ちはだかる壁。この逆境に屈するようなら、そもそもヒーローとしての素質は無い。

 そして重苦しい沈黙。おそらく十数秒の沈黙だっただろうが、この教室に居た者には数分の長さに感じただろう。その沈黙を破ったのはそばかすのある緑髪の少年──緑谷出久だった。緑谷は俯いていた顔をあげて、力強く右手を真っ直ぐ上に伸ばしたのだ。

 

「相澤先生! 僕はそれでもヒーローになります! どんなに困ってる人がいても笑顔で助ける! そんなヒーローになりたくて、僕は雄英に入学したんです!」

 

 重苦しかった教室の空気が霧散していくのを、おそらく緑谷以外の者が肌で感じただろう。

 

「緑谷……良い答えだ」

 

 相澤は下を向き、笑みを浮かべる自分の顔を生徒に見られないようにした。

 そうとも。ヒーローは逆境だからと言って諦めない。むしろ逆境だからこそ燃え上がる。そんな心を持つ者がヒーローに相応しい。

 

「デク! テメェ出しゃばんじゃねえ! ナンバーワンヒーローになってヴィランどもをぶっ潰すのは俺だ!」

「かっちゃん……ナンバーワンヒーローは僕の目標でもあるから、一緒に頑張ろうね」

「あぁ!? テメェ耳ちゃんと聴こえてるか!? テメェの出る幕はねえって言ってんだよ!」

「いや、だから、ええと……かっちゃんに任せきりは嫌だし、かっちゃんだって一人だとシンドいと思うから……」

「コイツ……! ナメてっと爆死させっぞ!」

 

 緑谷と爆豪のやり取りを周りの生徒たちは笑って見ていた。ついさっきまでの暗い顔は誰もしていない。

 やがて生徒たちは次々と手を上げ、ヒーローになることを希望を持って宣言した。

 

 ──こいつらはよく分かってる。ヒーローとはなんなのかを、感覚的に。

 

 理不尽(ピンチ)に立ち向かう。それこそがヒーロー。そして雄英高校はヤワなヒーローに育てはしない。Plus Ultra(プルスウルトラ)。苦難を乗り越えろ。それが雄英高校(ここ)の校訓だ。

 

「少し時間を食ったが、これからホームルーム始めるぞ」

「はい!」

 

 相澤の言葉に、生徒たちが元気よく返事をした。相澤は思った。こいつらは最高のヒーローにきっとなるだろう、と。



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第26話 裁き

 東京都にヒーロー事務所を構えるあるヒーローは、佐藤の要求日を過ぎても鉢巻とたすきを付けなかった。平和の象徴と呼ばれたオールマイトに憧れ、自身のヒーロー名は全ての障害から人々を守るという意味でオールセーファーと名乗った。そんな彼の名は岩山信司(がんざんしんじ)

 彼は正義心が強かった。不純な動機ではなく純粋に正義のためにヒーローになった。だからこそ、佐藤の要求に従うことはできなかった。それは守るべき人々に弱さを見せることになるからだ。結局のところ、その思想が彼の命と名声を失う結果となる。佐藤のターゲットに選ばれたことが彼の不運だった。

 佐藤は事前にこのヒーローのスケジュールを猿石に調べさせ、その情報を元に行動を開始した。もちろん狙うのは彼が事務所にいる時間帯。つまりは仕事が始まる早朝である。事務所にいる時を狙う理由は単純に事務所を破壊し、国民にインパクトと恐怖を与えることを目的としている。針間に車を運転させ、東京都の中で比較的人口の少ない地域で車を降りてから、そこそこ混んでいる電車に乗り込んだ。佐藤の格好はハンチング帽はいつもと同じだが、服装は黒のシャツの上から茶色のジャケットを羽織り、深い緑色のズボン。ジャケットで隠れた部分に拳銃やサバイバルナイフが入ったホルダーを付けている。ジャケットの右袖には右腕が通っているが、左袖には左腕は通っていない。

 佐藤はそこから狙いのヒーローがいる近くまで電車で向かうのだが、ここであれ? と疑問を感じる人がいるだろう。なんで顔が知れ渡っている佐藤が何事も無く目的地にたどり着けるのかと。では、その時の佐藤の周囲にいた人間は佐藤に気付いていなかったのか? いや、薄々は気付いていた。気付いていて、彼らは助けを求めなかったし通報もしなかった。考えてみてほしい。ヒーロー飽和社会と言われる現在、助けを求めればそこからは数分あれば誰かしらヒーローが飛んでくるような状態だ。つまり助けを求めることは佐藤とヒーローの戦闘が行なわれることを意味する。そして、佐藤の周囲の被害を顧みない戦い方は自身の被害だけでなく、周囲の人々全ての命を脅かすことに繋がる。自身の命は脅かされなくても、自身の通報が周囲の命を奪う結果に繋がるかもしれない。そういった不安を天秤にかけ、なお正義を貫ける国民は残念ながらいなかった。これがもしオールマイトがいた状況ならば、彼らは進んで通報したかもしれない。この結果はヒーローに対する不信も十分な要因である。彼らができたのは佐藤から離れた後にSNSで『佐藤らしき人が〇〇にいたから行かない方がいいかも』というような発信だけだった。

 佐藤は岩山のヒーロー事務所の前まで来た。二階建てであり、一階は車を止められる駐車スペースがある。今は車が二台停まっている。

 そこでタイミング良く二階の事務所の扉が開き、筋肉隆々で金髪の角刈りをした男が出てきた。佐藤とその男との目が合う。途端に男は目に見えて狼狽(うろた)えた。事務所を構えるこの場所は住宅街であり、一戸建てやマンション、アパートがそれなりに密集している場所だ。この場所での戦闘は周囲に被害が出やすい。そう考えたのだろう。もちろん佐藤はそういった情報もターゲットに選んだ理由に入っている。ヒーローだけを殺すのはあまりにもつまらない。ヒーローもろとも周囲の民間人を殺した方が今後の展開は面白い。

 男は自身の体から岩を出現させ、岩を全身に纏う。そのまま階段を駆け下り、佐藤に突進。この辺りはしっかりとヒーローとしての危機意識と対応力を持っている。凡庸なヒーローであったなら、佐藤と確信できない間に佐藤から先手を打たれ、何もできぬままに命を落としていただろう。

 佐藤はジャケットの中に右手を入れ拳銃を抜いた。同時にIBMを使用。黒い粒子が異形を形作り、異形は岩山の右側面に向かう。その異形の動きを、岩山は一切目で追わなかった。佐藤は微かに唇を歪める。

 岩山は前面に集中して岩を纏っていたため、背中は無防備と言わないまでも隙だらけだった。異形は岩山の後ろに音も無く回り込み、佐藤の拳銃に気を取られていた岩山を、鋭い爪がある右手で背後から貫いた。岩山は大きく目を見開いた後、絶命した。

 その時、事務所にいたもう一人のヒーローが外に出てきた。そのヒーローは背中を抉られている岩山を見て「あっ」と小さく声を出した。彼に異形は見えないため、背後から見た岩山の背中からは、抉られているという情報しか得られなかった。

 佐藤は戸惑っているそのヒーローが冷静さを取り戻す前に走り、有効射程距離に踏み込んだ瞬間、拳銃をヒーローに向かって発砲。その銃弾はヒーローの頭を正確に撃ち抜き、彼は仰向けで後ろに倒れてゆく。その体は腰ほどの高さしかない手すりと壁を乗り越え、頭から地面に落下。その銃声と落下音が、ヒーローの殺戮劇に震えていた周囲の人々に、強烈な生存本能を呼び覚ました。彼らはこのハンチング帽を被る男が佐藤だと確信し、悲鳴をあげながら逃げ散っていった。もちろんこういう事が起こった場合、通報しないという選択肢に意味は無いため、逃げながらヒーロー事務所や警察に携帯電話で通報。

 佐藤は殺した二人のヒーローをその場に放置して、事務所の中に入る。そして、岩山が座っていたであろうデスクの椅子に座った。異形は佐藤の向かい側で待機。救援に来たヒーローが佐藤に飛びかかれば、異形は背後からそのヒーローを狩ることができる。つまりは挟み打ちの配置。佐藤はヒーローが来るまでの間、拳銃を異形の頭に照準して外す。外したらまた異形の頭に照準。という暇潰しをしていた。

 約三分後、複数の足音が近付いてくるのが聞こえた。佐藤は照準合わせゲームを止め、立ち上がって窓から外を見る。死んでいる二人のヒーローに四人のヒーローが集まり、携帯で増援を呼んだり周囲を見渡している。後者は佐藤の姿を探しているのだろう。逃げずにヒーローの事務所に留まっているとは思いもしていないようだ。

 佐藤は事務所の窓を開け、拳銃を構えてヒーローたちに照準を合わせ、早撃ち。残弾の六発全て撃ち切る。不意を突かれた四人のヒーローは三人が死亡。残りの一人も銃弾を二発撃ち込まれており、その場から動けないほどの重傷を負った。

 佐藤は窓を閉めた後、事務所から出た。ゆっくりと瀕死のヒーローに近付く。四人のヒーローたちは日の丸の鉢巻とたすきをかけている。そんな姿で自分を捕まえようとしていることを滑稽に思った佐藤は、クスリと笑った。

 

「く、来るなぁ……ゴブッ」

 

 瀕死のヒーローが血を吐き出す。銃弾が肺を傷付けていたようだ。放っといても死ぬが、自分の手で殺せるのに殺さない理由も無い。佐藤は拳銃をホルダーに収めた後、ジャケットの中に右手を入れ、サバイバルナイフを抜いた。

 

「や、やめッ……」

 

 佐藤は瀕死のヒーローの首にサバイバルナイフを突き立てた。ヒーローの目から光が消える。佐藤はサバイバルナイフの柄から右手を離す。サバイバルナイフはヒーローの首に突き立てられたまま、そこに残った。

 佐藤は転がっている六人の死体を眺め、次に遠くから続々と集まってきているヒーローたちが建物の陰に隠れる姿を見て、ため息をついた。

 

「馬鹿の一つ覚えで退屈だなぁ。もういいや」

 

 佐藤は事務所の中に再び入り、デスクの椅子に座った。ジャケットの中から起爆装置を取り出し、右手に握る。実は佐藤の左腕は切断されており、今までずっと片腕だったし、ズボンの中やジャケットの中は爆弾が取り付けてある。ちゃんと肉体が粉々になるよう、爆弾の威力は高めだ。最初から自爆する予定のため、武器も最低限しか持ってきていない。アサルトライフルがあれば遠距離のヒーローたちと戦うやる気も湧いたかもしれないが、近距離に特化した装備で隠れながら距離を取ってくる相手と戦うのはダルいだけだ。

 佐藤は起爆装置のボタンをすぐ押せる位置に指を置きながら、向かいにいる異形を眺める。その異形がやがて原形を保てなくなり、崩壊して消滅するまでずっと。おそらく十分から十五分の間。それまで建物の周囲が騒がしくなっていたが、建物内にヒーローが踏み込んでくることはなかった。事務所の出入り口が一つで待ち伏せに適している場所。銃火器等手段を選ばない相手。窓が全て閉め切られていて、出入り口以外で突入するためには事務所を破壊しなくてはならない。ヒーローはヴィランと繋がりのある物以外に対しては極力破壊を避けなければならないという制約がその選択肢を選び難くしている。

 そういったヒーローの選択を、佐藤は責めない。だが、佐藤はゲームがつまらなかったり飽きた場合、プレイヤーにはそのゲームをやめる権利があると思っている。そして、佐藤はただヒーローが来るのを待つだけの現状に飽きた。

 佐藤の指が起爆装置のスイッチを押す。佐藤の体が爆炎に包まれる。その爆発は事務所の二階部分を吹き飛ばし、建物の破片が周囲の住宅やマンションに直撃。ある住宅は火の手があがり、マンションの一室は破片で潰れる。その地獄絵図が、間近で爆発が起きて意識が混濁としていたヒーローたちを正気に戻した。阿鼻叫喚の中、ヒーローたちはお互いに叫び合いながら、消火と救助を始める。彼らは今複雑な感情だった。事務所に突入しなくて助かったという気持ちと、ただ爆発するのを見ていることしかできなかった気持ち。

 そんな彼らの気持ちなど露知らず、助かった周囲の人々は遠巻きからヒーローを怒りや悲しみのはけ口にし、罵声を浴びせ続けた。

 

 

 佐藤は左腕を保管していた拠点で復活した。佐藤は今日を含めた二日間であと四回、東京都の鉢巻とたすきを付けなかったヒーロー事務所を襲撃することとなる。それにより民間人や建造物は多大な被害に遭った。鉢巻とたすきを付けていないヒーローに対しての暴言や批判は日を経つにつれ比例して増加し、中には事務所に石を投げ込んだりといった凶行に及ぶ者も現れるようになっていた。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 ここで時間を佐藤が初めてヒーロー事務所を襲撃していた時間に戻したい。この時、同様の目的でヒーロー事務所を襲撃していたヴィランたちがいた。死柄木ら(ヴィラン)連合の面々である。

 死柄木、トゥワイス、トガヒミコ、コンプレス、スピナーの五人の内、羽飾りがあるシルクハットを被った男のコンプレスと、緑色の皮膚と逆立たせた紫の髪をした個性が『ヤモリ』の男スピナーがアサルトライフルをその手に握っている。

 まず死柄木がヒーロー事務所に左手をつくことで、ヒーロー事務所に個性の『崩壊』が発動。死柄木の左手からヒビが走り、事務所全体にヒビが入ったかと思うとヒーロー事務所は煙を巻き上げながら倒壊。中にいたヒーローたちが建物の破片から這い出てきたところをコンプレスとスピナーが至近距離からアサルトライフルを撃って殺した。

 

「……確かに楽だな。覚えちまえば簡単だし」

 

 コンプレスが手に持つアサルトライフルをしげしげと見ながら呟いた。あまりにも呆気なく命を奪う威力に感心しているようだ。

 

「私欲にまみれたヒーロー失格者め! これが裁きだ!」

 

 スピナーは興奮気味に声を出した。彼は自分の個性にコンプレックスを抱いており、優秀な個性の証明でもあるヒーローとその根幹を成す歪んだヒーロー社会を正すという目的と行為が、幼い頃から個性で差別され続けた彼なりの自己肯定感の高め方だった。ただし、この思想はステインという一時期話題の絶頂であったヴィランに感化され、衝動的に生まれた目的であり、彼自身の本当の願いや目的は分からないままである。

 彼らは目的を達成すると、応援に駆けつけたヒーローたちを銃で撃ち殺しながら(すみ)やかに撤退した。

 この出来事は、ヒーローのみならず国民全員に衝撃を与えた。何故なら、銃を使用し鉢巻とたすきを付けていないヒーローをヴィラン連合が襲撃することは、それすなわち佐藤率いる愛国者集団(パトリオッツ)と手を組んだことを証明する大事件だったからだ。




今のところこの作品のエンディングは4つ頭に浮かんでいるのですが、この作品をどう締めようか迷っています。過去作のように自分の決めたエンディングを軸にしつつも他のエンディングのフラグも全て作中にぶちこみ、あっさりでも全てのエンディングを書いて読者の気に入ったエンディングでこの作品を締めてもらうか、それとも一つのエンディングに絞って作品自体のテンポを良くするか。自分の中では書きたいもの書いたらさっさと完結させようと思って書き始めた作品なので、サクッと完結させたい気持ちと、こんなにも多くの人に読んでもらえているのでテンポ悪くなっても丁寧に書いて完結させたい気持ちがぶつかりあって、執筆に迷いが出ちゃってます。ここ最近投稿が遅くなって申し訳ありません。


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第27話 予告

 拠点の応接室。佐藤とリベンジエッジの面々が集まっている。いつも通り佐藤が唐突にメンバーを集めたため、リベンジエッジの面々は呼び出された理由を知らない。

 佐藤はそこで今後の計画を彼らに話した。計画内容を聞き終えたリベンジエッジの面々は唖然とする。彼らは佐藤という人間のヤバさを理解したつもりでいた。だが、その認識は間違っていた。彼らの予想を上回る狂気が佐藤にあった。

 

「佐藤さん、それは流石にヤバいよ……」

 

 沙紀が青ざめた顔で言った。

 

「沙紀君はいつもヤバいって言ってるなぁ」

 

 佐藤は微笑する。

 いやいや実際ヤバいことやってるだろ、と沙紀は思ったが、口には出さない。佐藤にとって一般人のヤバいは普通のことであり、何も感じないのだろう。

 

「あの……」

 

 猿石が右手を挙げる。佐藤は猿石の方に視線をやり、無言で先を促した。猿石は頷き、口を再び開く。

 

「別の拠点を任せているヴィランから連絡がありました。どうやら僕たちが置いていた武器を僕たちの許可なく売り捌いているようです。密告してきたヴィランはこの情報と引き換えに見逃してほしいと懇願してきました」

 

 佐藤は今いる拠点の他にも全国各地に拠点を持っていて、そこの運用と守りを金銭と引き換えに他のヴィランに任せている。銃や爆発物、ヒーローアイテムも各拠点に量は違えど保管してある。今の銃器の市場価値を考えたら、魔が差して売っ払うというのは全然有り得る話だ。

 

「いいよいいよ。元々ばらまいてもらうためにわざと他のヴィランに銃器の保管を任せていたとこもあるから。けど、ある程度ばらまいてもらったら見せしめと制裁を与える必要はあるかもね」

「この後の計画のために……ですか?」

「その通り。とりあえずこれからの動きとしては、携帯を渡してあるヴィランを、可能な限り明日の計画実行時間までに指定の場所に集合させるのと、愛国者集団(パトリオッツ)の動画を撮る。この二つをやろう。その後の指示は今の二つが終わってから改めて伝えるよ」

 

 佐藤の言葉に、リベンジエッジの面々は緊張感を持って頷いた。今佐藤が話した計画が、テレビ局襲撃以来の重要度の高い計画だと理解していたからだ。

 そんな空気の中、佐藤はこれから良い事があるかのように口元を綻ばせ、新たなゲームの始まりへの期待に胸を躍らせていた。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 ヒーローたちは佐藤ら愛国者集団とヴィラン連合によるヒーロー狩りが頻発化したことで、その対応に奔走していた。その二つの勢力はヒーローだけをターゲットにするのではなく、その周辺にある建造物や人々を巻き込むように襲撃してくるため、必然的にヒーローがやらなければならない仕事が増える。負傷者の対応、二次被害の防止、建造物の応急的な修復、愛国者集団やヴィラン連合のヴィラン捕縛とその襲撃に乗じたその他のヴィランの捕縛等々。それに加え、増加し続けているヴィラン犯罪への対応もあり、ヒーローの負担過多になってきている。

 そんな状況の中、エンデヴァーやクラスト、リューキュウといった上位ヒーローに警視総監から連絡があった。午後の八時半という時間に。電話の内容を聞いた彼らは現場をサイドキックや他のヒーローに任せ、慌てて警視庁の会議室に向かった。

 

 

 午後九時半。警視庁の会議室。警視総監から連絡を受けたヒーローが集まっている。警察側は警視総監、副総監、オールマイトの友人でもある塚内警部、ホークスの四人。ヒーロー側で目立つヒーローはエンデヴァー、リューキュウ、クラスト、エッジショット、ギャングオルカ、グラントリノ、イレイザーヘッド、ミッドナイト、プレゼント・マイクあたりか。今挙げたヒーローの他にも多数のヒーローが会議室におり、会議室はぎゅうぎゅう詰めの状態である。

 

「……ミルコは来ないのですか?」

 

 リューキュウが警視総監に問いかけた。警視総監は「うむ」と頷き、言葉を続ける。

 

「ミルコはたすきと鉢巻をしなかったからな。佐藤ら愛国者集団とヴィラン連合のメンバーの場所がはっきり分かるまでは、襲撃対策のために人がいる場所に出てこられんらしい。一応ここにミルコと通話が繋がっている電話があるから、ここでの会話はミルコに伝わるだろうがね」

 

 警視総監は自分の前の机にある携帯を指差した。

 

「そういうことですか。分かりました」

 

 リューキュウは納得した様子で言った。

 

「いない奴の話をしても仕方ないだろう。それより、そろそろ始めないか? 俺たちだって一分一秒が惜しい中で時間を割いてここに来ている。早く終わらせるに越したことはない」

 

 エンデヴァーが口を開いた。

 警視総監はエンデヴァーの方を見た後、副総監と塚内警部に視線を移し、その二人がエンデヴァーに同意するように頷くのを見て、会議を始めることを決めた。

 

「そうだな、エンデヴァーの言う通りだ。では、始めよう。まずは忙しい中、こうして多数の人が集まってくれたことを感謝したい。今回の会議の目的は明日起こるであろう出来事への対策である。その対策を話し合う前に、今一度あの動画をここにいる全員と観たいと考えている」

「テレビが取り上げた愛国者集団の動画ね」

 

 ホークスが呟いた。その言葉で、その場にいる全員の顔から血の気が引いた。そうである。その動画を観るのが初見の人間はこの場にいない。何故なら、各テレビ局がこぞってその動画を流したからだ。コメンテーターや専門家を呼んで特番を組んだテレビ局もあった。

 佐藤ら愛国者集団が運営している『PATRIOTS.com』というサイトは、今やあらゆるメディアの監視下にある。それは当然の話で、こんな上等なネタはそうそう無い。国民が関心を寄せている愛国者集団の情報をより早く取得し伝えることで、高い視聴率が期待できるのだ。

 佐藤はそういったマスメディアの対応を読んでいた。だからこそ、今回はただ動画をサイトに載せただけで何もしなかった。最初はテレビ局そのものを占拠し、次は人質を取って脅迫した。これらは佐藤という情報価値を無理やり高める手段であり、その状態で情報を開示する場所を伝えれば、後は荒々しい手段はいらない。そこに広めたい情報を載せるだけで、マスメディアは勝手に全国に情報を発信するようになった。

 会議室の前半分の電気が消え、スクリーンに『PATPIOTS.com』のサイトが映し出される。そのスクリーンに映っている画面は副総監の前にあるノートパソコンの画面である。副総監はマウスカーソルを操作し、最新の動画のフルスクリーンボタンをクリック。スクリーンいっぱいにハンチング帽とミリタリーベストを着て、アサルトライフルをたすき掛けしている中年男──佐藤の姿が映る。

 副総監は警視総監の方に視線を送り、警視総監がその視線に気付いて頷く。動画再生の許可を無言のやり取りで済ませた副総監は、動画再生の再生ボタンをクリックする。動画が始まった。

 

『私は愛国者集団の佐藤だ。私がこんな動画を撮った理由はきっと皆さんも察しがついていると思う。我々は今、私の要求を拒否したヒーローを、ヒーローに相応しくない私利私欲にまみれたエゴイストとして粛清している最中だ。だが現在、我々と同じことをしている勢力がある。国民の皆さんも知っての通り、ヴィラン連合だ。ヴィラン連合が我々の粛清対象を襲撃し、更には襲撃の際に銃器を使用しているということで、我々とヴィラン連合が手を組んだと考えている人が多いようだ。私が動画を撮った理由はこのことについて真実を伝えるためだ。

まず結論から言わせてもらおう。我々はヴィラン連合と協力関係ではない。我々から見ればヴィラン連合は許しがたい巨悪であり、愛する日本に恐怖を振り撒いている元凶でもある。ヒーローもどき同様、粛清対象だ。ただ、こうは言っても信じない人は大勢いるだろう。何故なら今日(こんにち)、我々をヴィラン連合と同一視している人間は掃いて捨てるほどいるからだ。本当に残念なことにね。だから我々は考えた。どうすれば我々はヴィランではなく、この国からヴィランを一掃するために立ち上がった勇士であると国民に認めてもらえるかと。そして、我々は決断した。我々はヴィランと関係を持たない潔白なる組織であると証明するため、明日午後一時、場所は国立劇場入口。そこにヴィラン連合のメンバー最低一人以上の首を投げ込みたいと考えている。

さて、これで我々が一番伝えたいことを伝えたわけだが、もう一つだけ言っておきたいことがある。今から言う言葉はヒーローへのメッセージだ。

私がヒーローもどきのエゴイストを粛清している時、ヒーローたちが応援で駆けつけてくる。見栄えの良いヒーロースーツを身に纏ってね。私はそれを見る度に怒りが込み上げてくるようになった。これだけ私が警鐘を鳴らしているのに、ヒーロー諸君は未だに機能性や防御力を重視せず、見栄えばかりを気にしている。ヒーロー諸君、未だに君たちの立つ場所は現場だと考えているのかい? まあそれも間違ってはいないけど。ただ違う。君たちは意識するべきだ。君たちの立つ場所は命を失う危険のある戦場であると。君たちがヴィランに負けたら、国民がヴィランの被害に遭うと』

 

 スクリーンに映る佐藤の表情が険しくなり、声に怒気が加わっていく。

 そんな佐藤の怒気を、会議室にいる皆が感じ取って緊張感が高まる。初見でないにも関わらず、佐藤の見せる怒りは彼らを萎縮、あるいは緊張を与えるに充分な効果があった。

 

『まあいいよ。君たちの意識が変わらないのなら、それでもいい。ただこれだけは覚えておけ。今後私の前にふざけた格好で立ったヒーローは優先的にぶち殺す。それも考えられる限りの苦痛を与えて。……伝えたいことは以上だ。また会おう』

 

 そして、動画は終了した。

 初めて見せた佐藤の剥き出しの怒りで終了した動画は、その場のヒーローに再び大なり小なりの恐怖心を与えた。

 ちなみにネタばらしをしてしまうと、この佐藤の怒りは演技だ。佐藤は別に本気で怒っていたわけではない。怒っている振りをすることでヒーローがちゃんとした装備をしてきたら、よりゲームが楽しくなりそうだという自身の楽しみのためだけに芝居を打ったのだ。

 静寂の中、警視総監が咳払いをした。警視総監に注目が集まる。

 

「見ての通りだ。愛国者集団が明日の午後一時、国立劇場の入口にヴィラン連合のメンバー一人以上の首を投げ込むと予告してきた。この事態に対応するためには個々でそれぞれ動くのではなく、警察とヒーローを含めた大規模な連携が必要になると考えたため、こうして集合してもらい、会議の場を設けた。これから皆には警備する場所やスケジュール、事が起こった場合の作戦、緊急時の応援体制と連絡体制を決めていきたい」

 

 そこからの会議は二時間近い長丁場となり、会議は白熱した。話している内容は議事録に全て記載され、会議終了後に会議参加者全員にその議事録が渡された。そして、その会議で決まった警備の場所やスケジュール、作戦、緊急時の応援体制と連絡体制をまとめたデータを午前八時までに関係者全員に送ると決めて、集まった者たちは解散した。

 この時の彼らはまだ知る由もなかった。明日起こる出来事はテレビ局襲撃以上の衝撃を与える大事件となることを。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 死柄木らヴィラン連合の面々が、アジトで佐藤の動画を観ていた。彼らの緊張感は半端なものではない。ヴィランたちからヴィランのカリスマと言われているヴィラン連合だが、そんな彼らも佐藤の恐ろしさは十分に理解している。

 死柄木が思い出しているのは、佐藤と初めて会った時、死柄木の頭に付けていた手の付け根を正確に撃ち抜いた射撃。あの正確無比な射撃とあらゆる手段を用いる柔軟性と残虐性。それらが自分に、ヴィラン連合に向けられた。これは佐藤からのメッセージでもある。以前、佐藤はトゥワイスを通じてヴィラン連合に伝えた。『自分のゲームに参加する場合、コントローラーは自分が持つことが条件』と。だが死柄木はその条件を無視し、佐藤の指示を聞かずに佐藤のゲームに参加した。

 死柄木の読みでは、たとえ佐藤の指示を聞かずに佐藤のゲームに参加しても、ヒーローと全面的に対立している中でヴィラン連合をも敵に回す筈が無いと考えていた。お互いがお互いを利用する関係になると予想したが、その予想は外れた。佐藤は自分が考えている以上の狂人だった。

 

「やってくれるぜ、佐藤のヤツ。全面戦争ってわけか。いいぜ、返り討ちにしてやるよ」

 

 死柄木がそう言うと、ヴィラン連合の面々はそれぞれに返事をした。その返事に悲壮感は無い。死柄木は何故か気分が良くなった。俺たちはあの佐藤が相手でも逃げないし、立ち向かう気概がある。それを確信できたことが、死柄木にとって価値あるものだったのだ。

 死柄木とヴィラン連合の面々は今いるアジトを引き払う準備を始める。明日の佐藤との戦闘に備えて。



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第28話 嵐の前

 エンデヴァー、リューキュウ、エッジショットの三人はそれぞれヒーローを三、四人連れて国立劇場付近を分担して警備していた。前日の会議により警備を任されたヒーロー及び関係者は全員片耳型のヘッドセットが支給され、全員と相互通信ができるインカムを装着している。

 今の時刻は十一時。佐藤から予告があった時間の二時間前で人通りは激減しているだろう、とこの警備に関わっている人たちは事前予想していたが、実際はいつもより人通りは多くなっていた。おそらく午後からこの辺りの通行が規制されることが目に見えているから、そうなる前に外出して用事を済まそうと考えた人が大勢いたらしい。国立劇場やその付近の店は十二時からの営業停止を告知している。午後一時になっても営業しようなんて考えている店は佐藤の残虐性を理解している今、一つも無い。営業を強行したところで人は来ないだろうし、国民にも叩かれるだろうから、メリットも無い。だからこそのこの午前の人の混みようなのだろう。

 警備する側にとっては、この人の多さは厄介な問題である。この人混みに紛れられたら、よっぽどの運の良さがないとヴィランを見分けられない。予告までしているということは、佐藤は警備が厳重になっても突破できる方法があるということであり、更には佐藤が単騎で来る可能性は低く、仲間と共に突破してくる可能性が高い。だから警備する側は佐藤の愛国者集団(パトリオッツ)メンバーをこの機会に一網打尽にする好機と考え、気合いの入りようも尋常なものではない。使えるだけの人的資源とインカムやヒーローアイテムなどの物的資源をこの警備に投入している。

 

「エッジショット、リューキュウ、どうだ? 佐藤か怪しいヤツはいるか?」

 

 エンデヴァーが人混みの中を見渡しながら、インカムに右手を当てて喋る。ヘッドセットの側面にボタンが付いており、発信する時はボタンを押せば発信できるのだ。

 

『いえ、こちらは見当たりませんね』

『こっちもヴィランらしき人物はいないな』

 

 リューキュウ、エッジショットからインカムが入った。それは至極当然の結果とも言える。ヴィラン側からすれば、国立劇場周辺の警備が厳重になるだろうというのはあまりにも安易に予想できた。そんな中で何か犯罪行為をしようなんて酔狂もとい度胸のあるヴィランは希少だ。

 だが、逆に国立劇場から離れた場所ではヴィランの犯罪行為は増加している。ここに警備が集中しているなら、他の場所なら暴れやすいだろうと考えるヴィランも大勢いるということだ。故に、この警備に参加していないからといって、暇なヒーローなんていない。参加していないヒーローはそういったヴィランの対処にてんやわんやなのだ。この警備に参加していないヒーローの増援は望み薄と考えていてよいだろう。

 エンデヴァーと一緒に警備しているのはエンデヴァーのサイドキックでもあるバーニンとキドウだ。バーニンは二十半ばの女性で、白基調の制服と腰の後ろに消火器のような物を付けている。バーニンの個性は『炎髪』で、常に長髪が黄緑に発光しているため目立つ。キドウはミイラ男のように白い布で顔をぐるぐる巻きにした男で、赤色の分厚い袖無しのジャケットのような物を着ている。

 この警備の全体像や配置、佐藤が現れた場合の作戦等の情報は警備する各リーダーや一定以上の立場のある人間だけが持っていた。こうして最小限の人間だけに情報を渡し、部下たちは自分の警備のところしか分からないという構図を作ることで、情報漏洩を防ぐ。それをやるくらい、この警備に関わっている人間はこの警備と作戦に賭けているということだ。

 

「バーニン、キドウ。お前らはどこか異常が見えるか?」

「見えないね!」

「俺の目にも異常そうなヤツの姿は無い。サインを書いてもらうタイミングを窺っているらしいヤツらならそこら中にいるが」

 

 確かにキドウの言う通り、メモ帳とペン、あるいは色紙とペンを用意してこっちを見ている人は大勢いる。あらかじめ色紙を準備してきている連中は、この警備を有名なヒーローに会えるイベント程度にしか考えていない、危機感のない連中だ。もちろんそんな奴らにサインなどするつもりはない。それでファンサービスがなってないと叩かれようと、サインをしている間は周りの警戒を緩めることになるため、断固として拒否する覚悟だ。バーニンとキドウにそういう事情を伝えたら、二人は快くエンデヴァーの指示に従った。これまでにサインは一度も応じていない。

 

「二人とも、些細な異常も見逃すな。それと、常に臨戦態勢を維持しろ。佐藤相手に一瞬の隙は致命傷になるのをよく頭に入れておけ」

「了解!」

「分かった」

 

 バーニンとキドウがエンデヴァーの言葉に頷いた。二人の顔はやや緊張で強張っている。エンデヴァーがここまで言うヴィランはそういない。それだけ佐藤が脅威だということであり、二人はそのことをよく理解していた。

 三人はパトロールを続ける。事が起きるその時まで。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 イレイザーヘッドはあるビルの屋上を借り、そこから双眼鏡を覗いて怪しいヤツがいないか監視している。イレイザーヘッドの他にもマニュアルという水を操る個性を持つヒーローとプレゼント・マイクの二人もいる。二人とも双眼鏡でそれぞれ違う場所を監視していた。

 イレイザーヘッドは視界に入れてさえいれば個性を抹消することができるため、この双眼鏡で佐藤の仲間を見つけた時は個性の『抹消』を行使するつもりだ。ただし『抹消』の個性は視界に入れ続けなければならないかつ瞬きで解除される仕様のため、マニュアルはイレイザーヘッドに瞬きさせないよう水で補助する役割が与えられている。

 プレゼント・マイクの個性は『ヴォイス』であり、音で広範囲を攻撃できる反面、敵味方見境無く攻撃してしまう弱点があるため、彼はもしイレイザーヘッドを潰しに来たヴィランがいた場合の護衛としてこの場に立っている。

 

「何か見えるか、イレイザーヘッド」

「いや、平穏そのものだよ。あと二時間後に起こるであろう悲劇なんて知らないみたいに、活気に溢れてる」

「国民はきっと他人事なんですよ。ヒーローとヴィランの戦い。その程度の認識しかないんでしょう。あの佐藤が来ると言っているのに、来る前にその場から離れれば大丈夫だっていう謎の理屈で自分を安心させてるんじゃないですかね」

「困ったものです。やりづらくて仕方無い。特に佐藤に対して俺は無力みたいなモンだ。奴の仲間に対して俺の『抹消』が通じることを祈るしかない」

 

 マニュアルの言葉に、イレイザーヘッドは気怠げにため息をつく。実際、無関係の人間が増えれば増えるほど異物を見つけるのが困難になる。

 

「大丈夫だって! この作戦にどれだけのヒーローが参加してると思ってんだ! 銃と爆弾しか能が無いヤツなんざ、あっという間に捕まえられるさ!」

 

 プレゼント・マイクはそんな濁った空気を吹き飛ばすように笑顔で明るく言った。だが、イレイザーヘッドはそんなプレゼント・マイクを咎めるような視線を送る。

 

「そう思って死んでいったヒーローがこれまでに何人いる? あの動画をお前も見た筈だ。ヤツはヒーローを殺すことに躊躇しないどころか、むしろどんな手段を使っても殺そうとしてくるぞ。Mt(マウント).レディの死をもう忘れたか?」

 

 イレイザーヘッドの言葉で、三人の脳裏にビルを倒壊させつつビルそのものを爆弾として使用しMt.レディを爆炎に包んだ光景がフラッシュバックする。

 プレゼント・マイクは申し訳無さそうに右手で頭を掻いた。

 

「いや、わりぃ。空気が重かったからよ、場を和まそうと思って言ったんだ。ちょっと無神経過ぎた」

「いいさ、その気持ちは嬉しいからな。ただ一応釘刺しとこうと思っただけだ」

「……佐藤の姿を見つけ次第、作戦開始でしたっけ? 佐藤包囲網作戦」

 

 気まずくなった空気を紛らわすように、マニュアルが別の話題を振った。イレイザーヘッドとプレゼント・マイクは数秒顔を見合わせてから、マニュアルの振った話題に応じる。

 

「作戦自体は単純だよな。見つけた場所によって動きが変わるだけだし。特に俺たちは遠距離からの援護だからなおさら簡単だ」

 

 ここのグループはイレイザーヘッドの『抹消』を最大限に活かすグループのため、見つけたヴィランの位置を把握してそのヴィランを視界に入れるように動けばいい。イレイザーヘッドは個性の訓練により、『抹消』の効果範囲は視界に映っていてかつ視点を合わせている相手に絞られてはいるが、距離の制限は無い。つまり、双眼鏡や望遠鏡といったズームアイテムを使用すれば、何百、何千メートルと離れた位置からでも対象の『個性』を抹消できる。

 

「情報によると、佐藤は個性因子を持っていないから『抹消』が効かないらしい。それを置いても、ヤツは銃火器をメインで使用する。俺たちは佐藤が仲間を引き連れてポイントに現れる前提での小隊だ。あれだけ大々的な予告をしてきたのなら、それ相応の準備をしてくるだろうと予想しての、この配置だ。もし佐藤が単独でヴィラン連合の首を持ってくるなら、俺たちの役目は何も無い」

「そのことだけど、マジでヴィラン連合のヤツを一人以上殺してその頭を持ってくんのかな? 俺たちゃ佐藤におちょくられてるだけじゃねぇか?」

「今のところヴィラン連合と佐藤が戦闘したという情報は入って来ていませんが」

 

 マニュアルが携帯を取り出し、HN(ヒーローネットワーク)の情報を確認する。そこにはあちこちでヴィランが暴れているというような情報は多々あれど、ヴィラン連合と佐藤の情報は出てきていない。

 

「マイクの言う通り、確かにブラフの可能性はある。むしろそっちの可能性の方が高いかもしれない。だが、それでも俺たちヒーローに何もしないという選択肢は無い。特に佐藤という凶悪ヴィランが関わっているならな。何かあった時に『ブラフかと思いました』じゃ通らないのがヒーローの辛いところだ」

「何事も無いのが一番ですけどね。この警備を恐れて佐藤が動けなかったら、実質ヒーロー側の勝利です」

 

 イレイザーヘッドはこれまでの佐藤の悪行を思い返す。刑務所襲撃、テレビ局の人間皆殺し及び占拠。その撤退に際しヒーローと民間人合わせて何百人と殺害。そのどれもが簡単なことではない。どれも失敗するリスクは高かった筈だ。それは行動を起こす前から理解していただろう。それでも、佐藤は行動した。

 

「佐藤が捕まるのが怖いってタイプなら、あんな大事件をいくつも起こせませんよ。リスクがあるからこそ、きっと面白がって飛び込んでくる。そんな頭のネジが全部飛んでるような相手に、一般的な分析は通用しません。今はこの作戦が上手くいくように精いっぱい頑張りましょう」

「はい。この作戦、ヴィランを見つけた時点からHUNT(ハント)主導になるんでしたよね?」

「ええ、そうです」

 

 マニュアルの言葉に、イレイザーヘッドが頷いた。

 プレゼント・マイクは軽くため息をつく。

 

「HUNTねぇ、HUNT。名前もだけど、なんか気に入らねぇんだよな。確かにこういう部隊ってのは最近の状況からしたら必要なんだろうけど、元ヒーローってのが個人的になんかな。やっぱヒーローの掲げる信念みたいなモンは簡単に変えてほしくねえよ」

「だが、そういう信念、体裁、ジレンマなどを全部、ヴィランをどんな手段使ってでも止めてやるという覚悟に変えた奴らだ。そういうヤツは強いぞ」

「……分かってんよ、そんなこたぁ。けど、気に入らねえ。それが個人的な意見だ」

 

 そこから会話は無くなり、それぞれの役割に集中した。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 ホークスらHUNTも、イレイザーヘッドの部隊と同じように高所からの索敵をしていた。場所はちょうどヒーローたちの警備の中心あたりで、どのヒーローから発見報告が入ってもすぐさま中心部隊として行動を開始できる位置にいる。

 今この場にいるのはホークスの他に創設時メンバーであるサイコブレイカー、バリアエンジェル、ゴウの三人。

 ホークスは羽根十枚に小型のカメラを取り付け、各所に配置。そのカメラの映像は警視庁にある一室──モニター室に改装した──にそれぞれ映し出され、それぞれのカメラに対応したオペレーターが不審人物がいるかどうか常にチェックしている。そのため、彼ら四人は索敵といっても実質的には待機状態のようなもの。

 

「暇ぁぁぁぁ!」

 

 バリアエンジェルが突然叫んだ。他の三人が一斉にバリアエンジェルの方に視線を向ける。バリアエンジェルは退屈すぎて我慢の限界に来てしまったのだ。そもそもヒーローはパトロールやヴィランへの対応で動き回るのが普通の職業のため、それに慣れていてかつ落ち着きの無いヒーローにとって、ただ待つというのは拷問に近い。

 バリアエンジェルはスマホを取り出し、操作。大音量で音楽を流し始める。女性アーティストのポップで明るい歌だ。

 

「浄化されそう……」

「バリアエンジェル、サイコブレイカーが頭を抑えて苦しそうにしてる。ラジオにしろ」

「え? 誰かお喋りになりましたぁ?」

「ラジオにしろ!」

「あー……はいはい。良い曲なのになぁ」

 

 ゴウの張り上げた声がバリアエンジェルに届き、バリアエンジェルは歌からラジオに変更。女の声が様々なニュースを読んでいる。バリアエンジェルはゴウをまじまじと見た。

 

「すごいじゃん、ゴウのゴウ音。ゴウだけに」

「「「………」」」

 

 バリアエンジェル渾身のギャグが三人に炸裂! 三人はしばらく言葉が出てこなくなった! その間もラジオはニュースを読む!

 

『今日の午前十時からは臨時国会が開かれ、猛威を振るうヴィランについての対策やそれに関する法案、計画が話し合われています。この話し合いがこれからの日本をより良くしていけたらいいですね。それでは次のニュースに──』

「そうか。今日は臨時国会の日だったな」

 

 ゴウが思い出したように呟いた。

 

 ──……臨時国会?

 

 ホークスは顎を指でさする。それから携帯を取り出し、この周辺のマップを表示。国会議事堂と国立劇場の距離を算出。それによると、約一.五キロメートル。

 ホークスは胸騒ぎを覚えた。すぐさまヒーロー公安委員長に電話。コール音が二回鳴った瞬間、ヒーロー公安委員長は電話に出た。

 

『ホークス、どうしたの?』

「委員長、今は臨時国会の時間です。臨時国会は休憩を挟んで夕方までやります」

『そうね。それが?』

「佐藤は要求を呑まなかった場合の報復として、国会議員全員を殺害すると言っていました。これは絶好の機会です。そんな日に、わざわざ犯行予告をしてきた。しかも近場で。偶然だと思いますか?」

『……ちょっと待ちなさい。あなたは国会議事堂が午後一時に襲撃されると考えているってこと?』

「可能性として、の話です。予告時間通りに襲撃してくるとも思いませんが、襲撃してくる可能性がある以上、臨時国会を今すぐ中止し、避難するべきでは?」

『……伝えるだけ伝えてみるけど、きっと無駄でしょうね。ヴィランを恐れて国会を中止するなんて政府としての威信に関わる。そう思うなら国会議事堂の警備を強化しろとか言ってくるわよ』

「……そう、でしょうね。なんとなく分かります」

 

 ヒーロー公安委員長の言葉は正論だった。犯罪者を恐れて国政を放棄しては、国の根幹から揺らぐ。何故なら、その行為は自国は犯罪者に好き勝手される国ですと公言するような恥ずべき行為だからだ。

 

『それに、もし国会議事堂を佐藤たちが襲撃するつもりなら、何故国立劇場なんて近場を犯罪予告場所として選んだの? もっと遠くの場所を選べば確実なのに。理屈に合わないわ』

「その通りです。ただの俺の考え過ぎなのかもしれません。でも、嫌な予感がしてしょうがない」

 

 電話の向こうで、ヒーロー公安委員長が息をつく音がした。

 

『……ホークス、今警備に注ぎ込んでいるリソースで動かせるリソースは全部よ。国会議事堂を警備するのなら、国立劇場の警備のリソースを移動させるしかない。今ならまだ間に合う。あなたが決断しなさい。あなたがこの作戦の現場責任者なのですから』

「分かりました。今から警備と作戦を見直し、再配置を考えます。十分後までに決めて再度連絡します」

『頼んだわよ、ホークス』

 

 電話が切れた。

 ホークスは携帯のメモ帳アプリを起動。携帯にメモ帳の画面が浮かぶ。その横にいたサイコブレイカーが気を利かせて、自分の携帯に送られていた警備の配置と作戦内容を画面に表示させてホークスの見える位置に置いた。

 ホークスはそれを見ながら警備と作戦の見直しを始める。絶対に死者や負傷者を出さない。そう心に誓いながら。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆  

 

 

 同時刻。中部国際空港。そのチェックインカウンターに、佐藤はいた。いつものハンチング帽とミリタリーベストの姿で。



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第29話 エースコンバット

 チェックインカウンターにはいつもたくさんの人がいる。そしてヒーローが二人、受付員たちの側で警備。それが通常だった。

 だが今、そのヒーロー二人は佐藤の前に立ち、剣呑な顔つきをしている。平日だがそこそこ混んでいるチェックインカウンター前ではあるが、佐藤の周囲はぽっかりと穴が空いたように人がいない。佐藤を遠巻きから見ている周囲の人々は、不安そうな顔でヒソヒソと小声で話していた。

 

「あれ、佐藤じゃない?」「逃げた方が……」「いや多分人違いだろ、本物だったら今頃エラいことになってる」「佐藤は国立劇場にいる筈よねぇ」「あわわわわ、かみ、神さまどうかお助けぇ!」

 

 こんな感じの声が微かに佐藤の耳に入っている。一部大音量で聞こえてくる声という例外もあるが。

 何故この人混みの中で、ヒーロー二人は佐藤を見つけることができたのか。その理由は佐藤の存在が周囲から浮いていたからだ。どれだけ混み合っていても、佐藤の近くには行きたくないという周囲の人間の思いが、佐藤の周囲に空間を作った。だが、同時にこの話を聞いた人間はこう思うだろう。佐藤だと思い、近付きたくないほど怖がっているなら、なぜみんな逃げないのかと。

 

「人違いなんです」

 

 佐藤は怯えた表情でそう言った。茶色のハンドバッグを右手に持っている。

 これが周囲の人間がパニックになって逃げない答えだ。その佐藤と思われる男は、呆れるほどに無害だったのだ。

 もちろん、無害だと言って佐藤にそっくりな人間を「はいどうぞ」と通すヒーローなどいる筈もない。

 

「いや、佐藤だろ?」

 

 とヒーローが言えば、

 

「本当に人違いなんですって!」

 

 と佐藤が言う。その繰り返しはすでに三度目に突入していた。

 ヒーロー二人は判断に困り、顔を見合わせる。

 

「僕の荷物はさっき全部見せたじゃないですかぁ! その中に武器となりそうな物はありましたか!? 無かったでしょう! それが僕が佐藤じゃない一番の根拠にならないんですか!?」

「……」

 

 佐藤は怯えた表情に焦りを加えた。

 ヒーロー二人は沈黙して、佐藤の言葉を聞いている。

 確かにヒーロー二人が真っ先に佐藤にしたことは、拘束ではなく荷物検査である。佐藤が銃器や爆発物の使い手であることは疑いようの無い事実であり、何か危険物を持っていないか確かめたこのヒーロー二人の判断は正しい。

 佐藤は悲しそうに顔を歪める。

 

「僕は自動車の部品工場で三十年やってきました。出世とは無縁でしたが、勤勉に責任を持ってやってきたつもりです。自動車の故障は乗っている方だけでなく、それが事故に繋がればたくさんの人の命を奪ってしまう危険があると重々承知していたからです。僕の工場の部品が原因で自動車が故障したことが一度も無いというのは、会社だけでなく僕自身の誇りでもありました。会社で三度表彰されたことは、平凡な僕の唯一と言ってもいい自慢できることでした」

 

 ヒーロー二人は困惑した表情で佐藤の話を聞いていた。周囲の人々も息を呑んで佐藤の話に耳を傾けている。

 佐藤の表情が更に沈んだ。

 

「なのに、僕は三日前にその工場をクビにされました。何故だと思います……? 佐藤のせいですよ。あの男が、僕の人生を台無しにしたんです! 付近の住民から『佐藤が工場に入っていくのを見た』『佐藤を匿っている』『ヴィランに協力的な工場だ』……そんな苦情がたくさん来て、僕の上司は『会社のイメージダウンは避けなければならない。佐藤と別人なのは分かっているが、申し訳ない。クビにするように上から言われた。できれば自主退職がありがたい』と言いました」

 

 佐藤の両目から涙が溢れる。

 

「あの男は僕から仕事を、生き甲斐を奪ったんですよ! それから三日間、僕は何もする気にならず、ずっと家でぼーっとしていました。でもこれじゃ駄目だと思って! ちょっと旅行で気分転換でもしてからまた頑張ろうと思って! それで飛行機に乗ろうと思ったら……! ここでもまた佐藤に似てると言われて! あの男はどれだけ僕の人生を奪えば気が済むんですか! 凶悪ヴィランに似てる……ただそれだけで、ちょっとした旅行もさせてもらえないんですか!? そうやって決めつけて、国民の自由を奪うのがヒーローのやることなんですか!? 早くチェックインしないと飛行機に間に合わないんです!」

 

 涙を流しながら話す佐藤。

 その佐藤の言葉は、この場の空気をいつの間にか塗り替えていた。佐藤に似てるんだから当然という視線から、佐藤に似てるだけなのにこの仕打ちは可哀想という視線に。

 

「あの人泣いてる……」「やっぱりあの人佐藤じゃないよ」「危険物持って無かったんだよね? じゃあ大丈夫じゃないの?」「いやでもあれは演技で本物かも……」「涙が流れてるのに演技なわけ……」「あわわわわ、かみ、神さまどうかお助けぇ!」

 

 そんな雰囲気の中、受付員の女性がヒーロー二人に近付いてきた。

 

「あの、パスポートは本物でした」

 

 佐藤の方をチラチラ見ながら、女性はそう言った。

 ヒーロー二人はうーんと唸る。危険物は持っていない。パスポートも本物。話に嘘は無さそう。

 やがてヒーロー二人は心を決めた。万一この佐藤が本物だと仮定しても、佐藤の戦闘能力になりそうな物は無い。暴れても拘束できる。

 ヒーローの一人が笑みを浮かべ、佐藤にパスポートを返す。佐藤はパスポートの中を確認。佐藤の顔写真に『田中 功次』の名前。

 

「申し訳ありませんでした、田中さん。どうぞお通りください」

「あ、ありがとうございます!」

 

 佐藤は頭を下げて礼を言い、四輪の付いた黒のスーツケースを床に滑らせながら、セキュリティチェックをパス。そのまま消えていく。

 その後ろ姿を見ながら、ヒーローの一人がインカムを使用。

 

「こちらチェックインカウンター前。国内線。ゲート102。仙台着の便に佐藤似の男性が搭乗する。別人だと思うが、一応警戒してくれ」

『ゲート102担当ヒーロー五名、全員了解した。いきなり彼が爆発して飛行機が花火にならないよう、しっかり見張っておく』

 

 インカムから返ってきた言葉を聞いて、その場のヒーロー二人はクスリと笑った。

 

「さて、と」

 

 ヒーロー二人は頭を切り替え、再び警備に集中する。しかし、その頃にはもう事態は取り返しのつかないところまで来ていた。

 

 

 佐藤は搭乗前の通路にあるトイレに入っていた。洋式トイレのある個室の中に、佐藤の持つハンドバッグと全く同じハンドバッグが置かれている。そして、異形が立っていた。

 佐藤はそのハンドバッグの中を確認すると、拳銃やサバイバルナイフ、閃光手榴弾、マガジン、電動ノコギリが入っている。実はこのハンドバッグは佐藤のあの騒動の時に、天井を這って進んでいた異形が持ってきていた物だった。異形は天井と同じ模様のホロシートを背中に貼り付け、ハンドバッグを抱えながら目立たずにこのトイレまで辿り着いたのだ。佐藤のあの騒動は自身に注目を集めることで天井に視線がいかないようにするという目的があった。

 佐藤はハンドバッグを入れ替え、元々持っていたハンドバッグを異形に渡す。異形はそのハンドバッグを爪で切り裂き、細かくなったそれらの残骸をトイレに流した。次使えば詰まるかもしれないが、その時にはもう遅い。それに、詰まった物を取り出せたところでそれが佐藤の持つハンドバッグだったなどと分かる筈も無い。

 異形の姿がポロポロと崩れ、崩壊していく。時間切れ。異形の姿で留めていられるのは十分が目安。そのタイムリミットをオーバーした。

 異形が消えると、佐藤は何食わぬ顔でトイレを出て、搭乗口へと向かう。

 搭乗口にはヒーローがいた。ヒーロースーツを身に纏い、笑顔を絶やさずに挨拶をしている青年。

 そのヒーローは佐藤に気付くと、笑みを消した。佐藤はさっきの演技みたく、緊張した表情を作り、ヒーローに向かって頭を軽く下げる。たったそれだけ。たったそれだけのことで、そのヒーローは再び笑顔になる。あの凶悪ヴィランに容姿は似てても、雰囲気や態度は似ても似つかない。そう思ったのだ。さっきのインカムで聞いた話もその判断に影響しているだろう。

 

「こんにちは! どうぞ楽しい空の旅を!」

「こんにちは! ありがとうございます! 楽しい空の旅ができそうで、今からワクワクしてますよ!」

「ははははは! ハメを外しすぎて怪我なさらないでくださいね! フライトアテンダントの言うことをよく聞いて、指示にちゃんと従ってください!」

「もちろんですとも」

 

 佐藤はスーツケースを預け、ハンドバッグを持ちながら旅客機に搭乗する。そこから機内の通路を歩き、指定の座席に移動。座席に座り、フライトの時を静かに待つ。

 そんな佐藤のことを遠くから三人のヒーローが見張っていた。『個性』という特殊な力や特徴が当たり前になった時代。この時代において、セキュリティチェックは難しい。丸腰であっても、その力や特徴だけでハイジャックしようと思えばできるからだ。だからこそ、セキュリティは時代と逆行の道を辿ることになる。すなわち、力には力。機械によるセキュリティチェックに重きを置くのではなく、個人の能力による安全確保。故にフライトの際は航空会社より依頼を受けたヒーローが警備員となって目を光らせる。それが今できる最善のセキュリティだった。

 佐藤の乗る旅客機が滑走路に移動し、離陸。それから何も起こらない。佐藤はずっと座ったまま、静かにしている。たまに腕時計を見ていた。

 そんな佐藤の様子に、旅客機に乗るヒーロー五人は自然と警戒を緩めていく。ヒーロー五人は目配せしあい、互いに小さく頷いた。通常の警備配置へと戻っていく。佐藤の近くに一人、少し離れた場所に一人。そのヒーロー二人が残り、他のヒーロー三人は後方の方へ行ってしまった。

 それから時間が経つこと五分。佐藤が動く。ハンドバッグを持ち、操縦席のある前方へと歩いていく。佐藤の動きに、ヒーロー二人の視線と若い女性のフライトアテンダントの視線が集中する。

 

「お、お客様? トイレでしたらあちらに……」

 

 当たり前の話だが、操縦室の通路沿いにトイレは無い。向かいの通路にトイレはある。

 そんなフライトアテンダントの声を無視し、佐藤は操縦室に行く通路を歩く。この時点で、何やら異変に気付いたヒーロー二人が座席用ベルトを外した。慌てて操縦室の前に立つ佐藤の背後に迫り、その肩を掴む。

 

「一体どうされたんです!? 座席に戻ってください!」

 

 そう怒鳴ったヒーローの目に、銀色の光が飛び込んだ。ナイフ。それを理解した時には、佐藤がいつの間にかハンドバッグから取り出していたサバイバルナイフにより、首を貫かれていた。

 

「……え? 刃物? なんで……」

 

 状況に頭が追いつかない。おそらくそのヒーローの硬直時間は一秒にも満たない時間だっただろう。だが、殺人のエキスパートでもある佐藤に、その隙は致命的だ。すぐさま抜かれたナイフがそのヒーローの首横に突き立てられ、そのまま切り裂かれる。ヒーロー二人は首から大量に出血しながら、その場に崩れ落ちた。

 

「きゃああああああ!」

 

 フライトアテンダントの悲鳴。その悲鳴に他の乗客が何事かと顔を座席から出す。そして状況を理解すると、乗客の悲鳴がフライトアテンダントの悲鳴と重なった。

 中央、後方の警備を担当していたヒーロー三人は慌てて座席のベルトを外し、佐藤のところに走る。

 その間、佐藤は電動ノコギリをハンドバッグから取り出し、自身の左腕を切断。切断した左腕を後方に放り投げ、切断面を扉のロック部分に押し付ける。その状態で、今度はハンドバッグから拳銃を取り出し、右のこめかみに拳銃を当てて発砲。佐藤は即死。そして、復活が始まる。

 亜人の特性による損失部分の修復は、修復時に障害物があった場合、どんな物質であれ分解しそこに損失部分を作るようにできている。つまり左腕の修復時、切断面を押し付けられたロック部分は分解され、左腕がそこに作られることになる。佐藤は復活した左腕をロック部分から抜き、左手に床に置いた電動ノコギリを握る。

 ロック部分が無くなった操縦室は簡単に開いた。佐藤はハンドバッグを操縦室の中に蹴り入れつつ、驚いた表情で背後を振り返っている操縦士と副操縦士に駆け寄った。まずは操縦士の頭を拳銃の銃身で殴りつつ、副操縦士の首を電動ノコギリで切り裂く。と同時に殴られて頭を押さえている操縦士の頭も電動ノコギリで切り裂いた。大量の血が操縦室にぶち撒けられる。

 佐藤はすぐさま振り返って扉の方を見た。ヒーローが一人、フライトアテンダントの隣まで来ている。その後方二、三メートル辺りにもヒーローが二人。

 佐藤は電動ノコギリを捨て、ハンドバッグから閃光手榴弾を取り出す。閃光手榴弾をフライトアテンダントの前に落ちるよう投げ込んだ。投げ込む瞬間、佐藤はすぐ近くの扉を閉めて閃光手榴弾に対応できるようにする。閃光と轟音。すぐに扉を開け、佐藤は前進。まずは一番影響のあった近くのヒーローの顎を左拳で殴りつつ、影響の少ないちょっと離れた二人のヒーローを射撃。その射撃は目が眩んでいるヒーロー二人の頭を正確に撃ち抜き、二人はそのまま前に倒れた。次に顎を殴ったヒーローの頭に至近距離から銃口を向け、発砲。最後のヒーローも力なく床に倒れた。

 

「ふぅ……オールクリア、かな!」

 

 佐藤は拳銃をミリタリーベストの中にしまいつつ、操縦室に戻る。戻る際、ヒーロー二人の死体を掴んで操縦室の中に入れた。操縦室の扉を閉める。その後、四人の死体──操縦士、副操縦士、ヒーロー二人──を扉の前に積み上げた。扉は操縦室に向かって開くため、こちら側から重い物でバリケードを作れば、そう簡単には開けられない。

 佐藤は操縦席に座る。

 

「さて、エースコンバット(エスコン)でもやるとしよう。戦闘機ではないけどね」

 

 佐藤の乗る旅客機が進路を変え、東京へと向かった。



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第30話 鬼畜ゲー

記念すべき30話にして、お気に入り登録三千人ありがとうございます。前も言いましたが、こんなにも人気が出るとは思っていなかったので、本当にびっくりしています。自分しか需要が無いと思っていたことは、この作品のタイトルがくっそ適当なタイトルであることからも察することができると思います。もっと良いタイトルを思いついたら変更したいとか考えています。
最後になりますが、お気に入り登録、評価、誤字報告、感想毎回ありがとうございます。特に感想はめちゃくちゃ嬉しいので感謝感謝です。


 古びた建物内。

 針間と五人のヴィランがアサルトライフルを組み立て、猿石から入る合図を今か今かと待っている。

 五人のヴィランの内の一人が、針間のアサルトライフルを持つ手が震えていることに気付き、顔をにやけさせた。

 

「ビビってんのかぁ? なっさけね!」

 

 針間はムッとして、からかったヴィランを睨んだ。

 

「今から起きることがどれだけ恐ろしいか、理解もできねえのか。羨ましいぜ。佐藤さんと気が合うかもな」

「ははは! 佐藤は気前がいいし、礼儀もなってる! それにやることが面白え! だから俺らは佐藤に従う! そうだろ!? お前ら!」

「おう!」「イェーイ!」「フゥー!」「佐藤バンザーイ!」

 

 ヴィランの言葉に、他の四人のヴィランが拳を突き上げ、歓声をあげた。針間はため息をつく。

 

「まるでお祭り気分だな」

「気分じゃねえよ。正真正銘お祭りだろうがよ。派手にぶちかまそうぜ! ヒーローどもに!」

 

 テンションの高いヴィラン五人を見ていると、針間の手の震えはいつの間にか止まっていた。

 

 ──これからやることの重圧で縮こまってるよりはマシか。

 

 ここまで来たら、佐藤の指示通りやるしかない。そして、そうすることで佐藤を助けられるなら、それも有りかと思う。佐藤はただのごろつき同然のヴィランだった俺たちに大金を与え、物資を与え、何よりも俺たちに意味を与えた。だから俺たちは、佐藤と共に戦える。

 針間は猿石の合図が来るまで、アサルトライフルの点検を続けた。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 警察とヒーローが佐藤のハイジャックを知ったのは、幸か不幸か墜落する前だった。理由は飛行計画によって決められていた飛行ルートを大幅に外れたこと。それにより、事前に飛行計画を受け取っていた航空管制機関が不審に思い、無線による通信を試みる。しかし、応答無し。旅客機は操縦士と副操縦士の二人で操縦を担当しているため、二人とも無線に出れないほどの体調不良になるとは考えにくい。となると考えられるのは……。

 管制官が思考を巡らしている間も、飛行機は予定ルートからどんどん外れていく。自動操縦(オートパイロット)にしているなら、なおさら有り得ない。自動操縦にしたら、予定ルートに戻るように操縦するからだ。つまり、誰かがこの飛行機を操縦している……。

 なんにせよ、飛行機は仙台に向かうルートから東京に向かうルートに変更しており、最悪の可能性を考えればこの飛行機はハイジャックされている。

 だから、管制官はまず警察、それも最終的に警視総監まで繋がる緊急の連絡先に連絡。その連絡からハイジャックの情報を知った警視総監は、すぐさま非番も含めた警察官全員へハイジャックの情報がいくよう指示を出し、さらにヒーローのHN(ヒーローネットワーク)の緊急通知にハイジャックの情報を入れた。もちろん優先度は最高のレッドライン。それと同時にマスメディアへ情報を流した。それにより、ハイジャックの情報はヒーローのみならずマスメディアにも伝わることとなる。

 

 

 雄英高校。1―A教室。今は昼休み前の授業中であり、ミッドナイトが担当していた。そんな中、ミッドナイトの持つ携帯がアラーム音を鳴らす。HNの緊急通知。それも重要度が最大の場合のアラームの鳴り方に、ミッドナイトは授業中であるにも関わらず、携帯を取り出して通知を見る。通知を見た途端、ミッドナイトの顔が青ざめていく。

 生徒たちはそんなミッドナイトの様子を不安気に見守っている。ミッドナイトは迷った。しかし、ハイジャックの情報はマスメディアにも知らせてあると補足に書かれていたため、生徒たちに教えても問題は無い。

 

「今、警視総監からHNに情報が流れてきたわ。仙台着の旅客機が……ハイジャックされたって」

「ハイジャック!?」「え!? 誰がやったんだ!?「目的は!?」「どこに向かってるの!?」「やべぇよやべぇよ……」

 

 教室が生徒たちの困惑と絶望の声で埋め尽くされた。

 

「ハイジャックされた旅客機はルートを東京に変更したみたい。つまりこっちに向かって来てるってわけ」

「だ、誰がハイジャックを……?」

 

 緑谷の問いに、ミッドナイトは再び携帯を見る。

 

「さっきの情報に、中部国際空港のヒーローが情報を追加したわ。佐藤似の男性が仙台着の旅客機に搭乗したと。おそらくだけど、佐藤がハイジャックしたようね」

「はぁ!? 佐藤そっくりなヤツを通したのかよ! そこのヒーロー佐藤と裏で繋がってんじゃねえか!?」

 

 爆豪がそう言った。言葉にありったけのトゲがある。暗にヒーローに仕事しろやと言っているのだ。

 

「そのことだけど、そこのヒーローも最初は佐藤だと疑ってたみたいよ? ただ、話を聞いていく内に別人にしか思えなくなったって、その情報のついでに弁解してるわね」

 

 ミッドナイトはどんな理由を並べても、ヒーローは結果が全てだと理解している。だからこそ、弁解なんて言葉を使った。

 

「別人にしか思えなかったって、どういうことですの?」

 

 長い黒髪をポニーテールにしている少女──八百万百(やおよろずもも)が呟いた。

 

「その時のヒーローと佐藤の動画を撮影してSNSにあげてる人がいるみたいだから、気になるならその動画を見てみればいいんじゃない? それより……もう授業どころじゃないわよね」

 

 ミッドナイトの最後の呟きに、生徒たちは何も言わなかった。だが、生徒たちの落ち着きが無くなっていることを、ミッドナイトは見抜いていた。生徒たちはハイジャックの情報と、それに対するヒーローの対応を知りたくて仕方無いのだ。

 ミッドナイトは手に持つ携帯で校長に電話。携帯を自身の耳に当てる。その姿を生徒たちは不思議そうに見ていた。

 ミッドナイトの電話が繋がる。

 

「あ、校長先生、お疲れ様です。一つ確認したいことが……」

『授業を終了して、昼休みに入ってもいいかっていう提案でしょ? 例のハイジャックの報道を観れるように』

「は、はい! その通りですが……」

 

 ミッドナイトは校長の言葉に驚いた。だが、冷静に考えればミッドナイトと似たような提案を先にした他の先生がいたのだろう。他の先生がミッドナイトと同様の行動をしても何ら不思議ではない。

 

『もちろんいいよ。授業より、そっちの方が生徒たちにとって得るものは多いだろう。たとえどんな結果で終わろうとも……ね』

 

 ミッドナイトは校長の言葉に隠されている意図を察する。ヒーロー側が何もできず、今より世間からのヒーローへの目が冷たくなる可能性は十分にある。というより、ハイジャックを防げなかった時点でヒーローに対する批判は避けられない。それでも、そんな立場に置かれているプロヒーローがどんな選択をするか、その姿を見ることは必ずヒーローの卵たちのプラスになる。校長はそう信じているのだ。

 

「分かりました、ありがとうございます。では、失礼します」

 

 ミッドナイトは電話を切り、携帯をしまった。生徒たちに向き直る。

 

「授業はここまでとし、今から昼休みに入るわ! 当然携帯でテレビを観てもオッケー! というより、観なさい。あなたたちに大事なことをきっと教えてくれる筈よ」

 

 ミッドナイトはそれだけ言うと、さっさと教卓の上の教材を片付け、駆け足で教室から出ていった。おそらくミッドナイトも職員室のテレビでハイジャックがどうなるか観るつもりなのだろう。

 ミッドナイトが居なくなった教室。数秒生徒たちはミッドナイトの慌ただしさに面食らって呆然としていたが、ハッと我に返るとそれぞれ携帯を取り出しニュースのチャンネルにする。携帯でテレビが観れない生徒たちは、テレビが観れる生徒に一言言って一緒にテレビを観始めた。

 緑谷も携帯を操作し、国立劇場周辺を報道ヘリでライブ中継しているニュースのチャンネルに合わせる。

 

「緑谷、一緒に観てもいいか?」

 

 左半分が赤髪、右半分が白髪の少年──轟焦凍(しょうと)が緑谷の席に来て言った。その右手には椅子を持っている。彼はエンデヴァーの息子である。

 

「もちろんだよ」

 

 緑谷は笑顔で応え、体を少しだけ右に動かした。轟が緑谷の横に座る。

 同じニュースを全員観ているため、教室中に女性アナウンサーの声が響き始めた。

 

『たった今入ってきました情報によりますと、仙台着の旅客機を佐藤と思われるヴィランにハイジャックされたようです。ハイジャックされた旅客機は東京へとルートを変え、真っ直ぐ向かって来ています。それと今、国会議事堂では臨時国会が開かれており、多数の国会議員が参加されています。これは偶然なのでしょうか? もしかしたら……もしかしたら……この予想は私の間違いであってほしいと心から願うのですが、ハイジャック犯は、佐藤は旅客機を国会議事堂に突っ込ませるつもりかもしれません! 国会議事堂にいる方及び周辺にいる方は早く国会議事堂から避難されますようお願いします! もう一刻の猶予もありません! ああ、神さま……どうかお助けを……』

 

 悲痛そうに顔を伏せる女性アナウンサー。彼女はアナウンサーとして最高のパフォーマンスをした。観る人間の大部分が望むものを提供している。

 緑谷は国会議事堂に旅客機を突っ込ませるかもしれないという言葉を聞き、確かにそうかもしれないとショックを受けた。だが、続くアナウンサーの言葉には少しムッとする。

 今信じるべきはヒーローや警察といった治安を守る職業の人々であり、その人たちを差し置いて神さまへ祈るとは一体何を考えているのか。おそらくそっちの方が悲劇のニュースとして相応しいと判断してだろう。緑谷は周囲を見渡すと、他のクラスメイトも同様の感情を抱いているようで、少しホッとした。

 緑谷がふと轟の方を見ると、轟は握り拳をもう片方の手で包みながら、テレビを食い入るように観ている。そこで思い出した。国立劇場周辺の警備にはエンデヴァーがいると。SNSでついさっき話題になっていた。

 

「こいつらを見返してやれよ……!」

 

 轟が祈るように、だが力強く呟いた。

 緑谷は視線をテレビに戻す。

 

 ──皆さん、頑張ってください。

 

 緑谷も内心でヒーローと警察にエールを送った。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 国立劇場周辺の警備チームにハイジャックの情報が入ってきたのは、ミッドナイトといった現場にいないヒーローたちより少し早い。

 ホークスはこの情報を入手した時、やられたと思った。要求に従わなかったヒーローへの報復を東京に限定し、佐藤が積極的に姿を見せていた理由。つまり、ヒーロー側に『佐藤の行動範囲は東京』だと誤認させるためのブラフであり、ここ一番の時の東京以外での作戦を確実に成功させるための布石だったのだ。

 次にホークスが考えたのは、ハイジャックした目的である。これまでの佐藤の情報と戦闘スタイルを踏まえつつ、ハイジャックした旅客機で何をするつもりか。

 

「……マジかよ」

 

 数秒考え、ある結論に達したホークスの顔から、血の気が引いていく。

 ホークスの達した結論。それは、国会議事堂に旅客機を突っ込ませるという奇しくも女性アナウンサーと同様の結論だった。

 その結論に達したホークスの判断は早かった。

 

「皆さん! この作戦の現場責任者は俺です! 俺の指示に従ってください!」

 

 インカムに飛び交う戸惑いの声と怒号。ホークスはそこに割り込み、怒鳴り声に近い音量で声を出した。うるさかったインカムが静かになる。ホークスはその結果に少し満足し、少し冷静さを取り戻した。

 

『……で、現場責任者どの、この後の指示は?』

 

 エンデヴァーの声。若干皮肉っぽく響いた。かといってホークスはイラつかなかったし、むしろ感謝した。素直に従ったらヒーローとしてのプライドが傷つくが、反発していても何の得も無い。そんな空気の中、実質的なナンバーワンヒーローであるエンデヴァーが渋々ながらもホークスの指示を仰ぐという行動は、他のヒーローたちにとっては気が楽になるし、エンデヴァーがホークスを立てることでホークスの指示にヒーロー側が従いやすくなる。エンデヴァーはそこまで計算してそう言ったに違いなく、やっぱりずっとオールマイトを追いかけ続けたヒーローだけはあると、ホークスは改めて認識した。

 

「まずは今後の佐藤のプランについて、俺の予想を言います。と言っても、単純です。ハイジャックした旅客機を国会議事堂にぶつける。それだけです」

 

 ホークスの言葉を聞いた後、インカムには唸り声に似た音がいくつも入った。確かに単純だが、かと言って阻止する難易度は最難関だろう。あまりにも絶望的な佐藤のプラン。

 

『クソったれ! 早く国会議事堂に向かわねえと!』

 

 そんなインカムの声と共に、ホークスの視界に国会議事堂方面に駆けていく三人のヒーローの姿が映った。ホークスはその姿を目で追い、冷や汗が出た。

 その三人のヒーローの行く先の建造物。少し古びた建物からいきなり六人飛び出し、その三人のヒーローを銃で射殺したのだ。ヒーローを射殺したら、すぐさまその六人は国会議事堂の方に走り去っていった。

 

 ──待ち伏せ……だと……!? てことは……。

 

 ホークスの頭の回転の早さが、出した結論を凄まじい速さで修正していく。犯行予告。午後一時という犯行時間。国立劇場という場所の指定。国立劇場から国会議事堂の間に伏兵の配置。そして、わざわざ早めに予定ルートを逸れた理由。もし佐藤が本気で旅客機による国会議事堂への攻撃を成功させるつもりなら、ぎりぎりまで予定ルートを守り、そこから一気にルート変更して国会議事堂に突っ込めば、情報が駆け巡って混乱している隙をつけただろう。だが、佐藤はわざわざ早めに予定ルートを逸れて、早めにハイジャックした情報がヒーロー側にいくようにした。

 ホークスは奥歯を噛みしめる。佐藤に対しての怒りだ。国立劇場にヒーローを集め、国会議事堂方向に待ち伏せを配置する。つまり、佐藤は暗にこう言っている。『自分を捕まえるために集めた人的資源(リソース)の全てを使って、国会議事堂に旅客機が突っ込むのを止めてみろ』と。

 これは佐藤がヒーロー側に強要したゲーム。ヤツにとっては、こんな大掛かりな作戦も単なる遊びに過ぎない。そして、このゲームのクリア条件は、あと七、八分の間に犠牲者ゼロで旅客機が国会議事堂に突っ込むのを防ぐこと。

 

 ──鬼畜ゲー過ぎるだろ!

 

 ホークスは近くに立て掛けていたアサルトライフルを掴み、思わず舌打ちした。




当初の構想では、ヒーロー側が抵抗する間もなく飛行機を突っ込ませる予定でしたが、私の内なる佐藤さんが『こっちの方が面白いよ』と囁いたため、ヒーロー側に僅かな希望を残しました。


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第31話 熱狂

 M字ハゲのスーツ男──四ツ橋はワインを飲むのも忘れ、社長室でテレビに見入っている。

 そんな時、三人の男女が社長室の扉を開け、室内に入ってきた。

 黒髪をオールバックにして口髭を生やし、紫色のサングラスをした男。黒の長髪で両目が隠れたおかっぱの痩せ男。薄紫色のロングヘアーに青い肌をし、白目と黒目が反転した目の女性。この三人だ。サングラスの男の名は花畑孔腔(はなばたこうくう)、通称はトランペット、おかっぱの痩せ男の名は近属友保(ちかぞくともやす)、通称はスケプティック、青肌の女の名は気月置歳(きづきちとせ)、通称はキュリオスだ。彼らは『異能解放軍』の幹部であり、最高指導者である四ツ橋(リ・デストロ)に忠誠を誓っている。

 

「リ・デストロ、どうなさいました?」

 

 花畑が四ツ橋に声を掛けた。だが、四ツ橋は反応せず、変わらずにテレビを見ている。

 

「リ・デストロ? リ・デストロ!」

「……ああ、トランペット、なんだ?」

 

 花畑が何度も声を掛けてようやく、四ツ橋は花畑の声に反応し、テレビから花畑の方に顔を向けた。

 

「何をそんなに熱心に観てるんです? ニュースの中継のようですが」

「君たちは佐藤を覚えているかな?」

「佐藤ってあの愛国者集団(パトリオッツ)とかいう胡散臭い集団のボスで、テレビ局襲撃だのヒーロー事務所爆破だの過激な思想の動画を撮ってサイトに投稿してる、毎日世間を騒がしているやりたい放題の男のことですよね? 当然私は知っています。他の二人はどうか知りませんがね」

 

 スケプティックが四ツ橋の問いに得意気に答えた。

 

「その佐藤が今、旅客機をハイジャックして、国会議事堂に突っ込もうとしている」

「「「はぁ!?」」」

 

 三人の驚愕の声が重なった。四ツ橋はトランペットに向けて、ニヤリと笑う。

 

「臨時国会を欠席して命拾いしたね」

「うっ……」

 

 トランペットは国会議員であり、『心求党』という政党の党首である。ヴィラン側にいながら、彼は佐藤のターゲットの一人なのだ。

 

「はぁ、どういう過去(ストーリー)があったら、そんなこと思い付いて、なおかつ実行しようとするのかしら? 興味深い、取材したい、きっと最高の記事になるわ!」

 

 キュリオスが恍惚といっていい表情でテレビに視線を向けている。

 四ツ橋も再びテレビに視線を戻した。

 

「我々異能解放軍の目的は『個性』の解放。異能を抑圧し続ける政府を打倒し、誰もが異能を自由に使える世界を創造する。その崇高な目的からしたら、ヴィラン連合など愚連隊(チンピラ)の集まりに過ぎない。

だが、佐藤の行動を見ていると、何故かワクワクしてくるんだ。彼のことは以前、指導者としての素質があると評したが、今は見方が変わった。彼は自由なのだ。どんな障害があろうとも、彼は自分の好きなように生きている。それにひきかえ、我々はどうだ? 絶対に目的を達成する。そのために水面下で力を付け続け、雌伏の時を過ごしている。やりたくもない作り笑いで世間を欺き、壊すべき世間の中で目立たぬよう振る舞っている。超人社会で生きているのに、我々は『個性(自分)』を出さないよう抑え続けている。

佐藤がハイジャックしたとニュースで知った時、私は思った。『個性』の解放という目的を掲げながら、私はその異能に囚われていたのではないかと。『個性』はその人の側面に過ぎず、その人が自由に生きる道具(ツール)の一つであって、こうして特別視すること自体が間違っているのではないかと」

「リ・デストロ……」

 

 花畑の呟きは、その場にいる幹部三人の心情を代弁したものだった。

 異能解放軍初代指導者『デストロ』の実の息子である四ツ橋が、自らの思想と目的を揺さぶられるなど今まで一度として無かった。それはつまり佐藤がそれだけ強烈な存在感を放っている証明であり、ある種の魅力(カリスマ)を備えていることになる。特に抑圧されている人間に対して有効な魅力を。

 

「君たち。仮定の話になるが、解放戦士十一万六千五百十六人を抱える異能解放軍の指導者を佐藤に任せるとしたら、一体彼はどんなことをすると思うかね?」

 

 四ツ橋の言葉に、三人の幹部は言葉を失う。だが、ショックだけでなく、三人の中には期待感も芽生えていた。旅客機を国会議事堂にぶつけるなんて考えるヤツが、それだけの戦力を手にしたら何をやらかすか。

 

「想像するだけでワクワクするだろ?」

 

 続く四ツ橋の言葉に、幹部三人は気分を高揚させ、笑みを浮かべて身震いした。

 四ツ橋はそれにしてもと佐藤について考えを巡らす。これだけのことをしでかす男が、一週間前まで無名であることなど有り得るのか。しかもあの年齢になるまで。どう見ても佐藤は四十から五十代の筈だ。あの性格であの年齢まで隠れて生きられるわけがない。

 

 ──何か、佐藤には秘密が隠されているようだ。

 

 その秘密を暴くことにメリットは一つも無いかもしれないが、異能解放軍を任せられると確信できる根拠の一つにはなるかもしれない。そして確信できたその時は……。

 

 ──『個性』に囚われず、自由に生きる。真の自由実現のための旗印として、働いてもらうことになるかもしれないな。

 

 四ツ橋はニュースを観ながら、唇の端を吊り上げた。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 (ヴィラン)連合は佐藤の襲撃に備えて、義爛(ギラン)が用意した裏社会の人間がよく使用するバーで待ち伏せしていた。そして現在、彼らは佐藤に騙されたことを悟る。

 きっかけは外でさりげなく見張っていた義爛がバーに慌てて飛び込んできたところから始まった。

 

「死柄木! こりゃヤベェぞ!」

「あ?」

 

 ダルそうにバーの椅子に座っている死柄木に、義爛が携帯画面を突きつける。携帯画面は報道ヘリから国立劇場周辺を撮りながら、女性アナウンサーが話しているニュースが流れていた。

 

「ハイジャックだよ! ハイジャック! 佐藤の野郎が旅客機をハイジャックして東京に向かってやがんだ! このアナウンサーはこのまま国会議事堂に突っ込むんじゃねえかと予想していたが、俺もそう思う。臨時国会が開かれている日時にハイジャック……ぜってえ偶然じゃねえ」

 

 死柄木は画面を凝視した後、また椅子に座り直す。顔を俯けているため、表情は分からない。

 死柄木以外のヴィラン連合の面々が次々に義爛の周りに集まる。

 

「佐藤のヤツ……そこまでイカれてんのかよ!」

 

 ラバースーツのマスク男──トゥワイスが言った。目が驚愕で見開かれている。

 

「俺ら、上手いこと佐藤に使われたってことか。にしても……ヒーローどもが慌てふためく様は痛快だぜ」

 

 荼毘(だび)は歪んだ笑みを浮かべた。彼のヒーローに対する穿った価値観はヒーローへの嗜虐癖(しぎゃくへき)を助長する一因となっている。

 

「やるスケールでかすぎてよぉ、映画の話かよって思っちまうな、はは……」

 

 コンプレスが乾いた笑い声をあげた。佐藤のイカれっぷりに驚愕を通り越して呆れている。

 

「えっ!? 私たち、死なないのです!? あの人と戦わなくて済むのです!? やったー!」

 

 他の面々と違い、トガヒミコは純粋に佐藤と戦闘にならなかったことを喜び、ぴょんぴょんとその場で飛び跳ねた。トガヒミコにとっては死や恐怖を与えてくる相手と関わり合いにならないことこそが大事なのだ。佐藤が何をやらかそうが興味は無い。

 死柄木は未だに顔を伏せている。

 

「……死柄木?」

 

 トゥワイスがそんな死柄木の様子を気にかけ、声を掛けた。

 死柄木はその声に反応しない。死柄木は今、様々な感情が渦巻いていて、その感情を処理する必要があった。

 死柄木が佐藤のハイジャックの話を聞いた時、まず感じたのは悔しさだ。死柄木はヴィラン連合と佐藤が手を組んでいるよう見せかけるため、佐藤の制裁をあえて手伝った。そうすることで佐藤のネームバリューをヴィラン連合で最大限利用してやろうと考えてのことだ。だが、佐藤はそんなヴィラン連合の思惑すら利用し、ヴィラン連合を餌にヒーローたちを望みの場所に誘い出した。佐藤はヴィラン連合すら掌の上で転がし、自らの戦略に組み込んだのだ。死柄木にとってこれは屈辱であり、敗北感を感じさせるには充分だった。更に、佐藤との戦闘があると思い込み、その戦闘に備えて今まで緊張していた自分たちのバカバカしさと言ったら、佐藤のニヤけ面が見えるようで余計に腹立たしい。

 しかし、そんな負の感情ばかりが死柄木を支配していたわけではない。ハイジャックした旅客機を国会議事堂という国の中心にぶつけるという話は、想像するだけで気分が高揚してきた。ヒーロー社会とまで言われるようになった一番の原因と言ってもいい政治家、ムカつく偽善者のヒーローども、そんなヒーローを信じ、頼り続けた国民。そいつらの絶望に歪む姿を想像するだけで愉しくて、その表情を引き出す最適解を選んでみせた佐藤は、やっぱり面白いヤツだという印象が死柄木の中から消えない。どうしようもないほどムカつくのに、何故か嫌いにはなれない。そんな不思議な魅力が、佐藤にはある。その魅力に取り憑かれた連中が、佐藤に従い、佐藤の手足となって戦うのだろう。

 死柄木の体が小刻みに震える。

 そんな死柄木の様子を、ヴィラン連合の面々は各々の思いを胸に秘めながら見ている。トゥワイスとスピナーは心配そうに、義爛と荼毘は興味深そうに、コンプレスとトガヒミコは嫌そうに。コンプレスとトガヒミコに関しては、死柄木がこの後取る行動に察しがついているため、嫌な気分になっている。義爛と荼毘に関しては、この後の行動を察して楽しそうだから、コンプレスとトガヒミコと真逆の感情を抱いている。彼らの面白いところは、どちらも同じ予想をしつつも抱く感情は真逆というところだろう。

 やがて、死柄木は体を()()って笑い始めた。

 

「クッ、ハハハ! ハハハハハ! ムカつく! ムカつくぜ佐藤! 俺たちをコケにしやがって! 許せねえ! ハハハハハハ!」

 

 言葉とは裏腹に、死柄木の表情はどこまでも愉しそうだ。そのアンバランスさが、他のヴィラン連合の面々の言葉を封殺する。静観し、死柄木が最終的に何を選択するか見極めようとする。

 

「けど、ムカつくのに、ヤツのやってることがおもしろそうだと思っちまった! 俺もやりてえって思っちまった! じゃあ、しょうがねえよな! 佐藤の仕掛けたゲームをプレイしても! それがヤツを助けることになっちまってもよ!」

 

 佐藤のゲームに参加するだろうと予想していたトガヒミコ、コンプレス、荼毘、義爛は互いに顔を見合わせ、トガヒミコはため息をつき、コンプレスは帽子を被り直し、荼毘と義爛は笑みを浮かべた。

 

「おい、死柄木! 正気か!? ヒーローがアホほど集まってる場所に行こうなんざ、リスクが高すぎるぜ!」

「トゥワイス、ビビんなよ。リスクを恐れてやりてえことやらねえのは、ヴィラン失格だぜ?」

「別にビビってねえよ! 俺らはこんなとこで終わるわけにはいかねえだろ! もっと準備してからデケえことやるべきじゃねえかって思っただけだ!」

「私も仁くんと同意見です。あの人は助けたくありません。ああいう気まぐれで殺してくる人は大っ嫌いです」

 

 トガヒミコがトゥワイスの横に立つ。

 

「トガちゃん……ありがとう」

「え? はい、どういたしまして」

 

 トゥワイスはトガヒミコが自分を庇ってくれたと感激したが、トガヒミコは別にトゥワイスを庇うために口を挟んだわけではないため、温度差が二人の間に生まれた。

 

「いいぜ、やりたくねえなら付いてこなくて。やりてえ奴だけが行けばいい。元々俺たちってそういう集まりだろ? 俺はやりてえからやる。お前らは好きにしろ」

 

 それだけ言うと、死柄木は立ち上がり、バーの扉を開けて外に出ていった。続いて荼毘、スピナー、コンプレスが出ていく。

 バーには義爛、トゥワイス、トガヒミコの三人が残された。

 

「あー! 死柄木のヤツ、行っちまった! はぁ、俺も行くしかねえよな……」

「私も行きます。あの人助けるのはイヤですけど、弔くんたちがヒーローにやられるのはもっとイヤですから」

 

 トゥワイスとトガヒミコは渋々バーの外に出ていこうとする。その後ろ姿に、義爛が声をかけた。

 

「頑張ってヒーローに泡吹かせてやれよ! 俺はテレビで見物してるぜ! 最高のショーをよ!」

 

 トゥワイスは振り返らず、義爛の言葉に手を振って応えてから、トガヒミコと共にバーの外へ出ていった。

 

 

 

 ヴィラン連合が佐藤の行動に当てられて行動を開始したように、どこにも属していないヴィランたちも行動を開始し、国会議事堂へ向かう。ヴィランと呼ばれる者たちはみな、佐藤の行動に大なり小なり惹かれていた。国やヒーローを恐れず、あまつさえ国会議事堂に旅客機を落とそうとするその挑発的な行動が、ヒーローの台頭によって抑え続けられていたヴィランの欲望を膨らまし、ヴィランの思考を保守的思考から刹那的楽観思考へと塗り替えていたのだ。

 今、佐藤の一手により、ヒーローとヴィランは総力戦となりつつある。なお、当の本人である佐藤はそこまで深く考えていない。



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第32話 一番マシなバッドエンド

 燃輪は今、大慌てで外出する準備をしている。HN(ヒーローネットワーク)でハイジャックの情報を知ったからだ。

 元々佐藤ら愛国者集団(パトリオッツ)との大規模な戦闘に備えて、医療拠点的なものを治癒系個性のヒーローが中心となって即興で作っていた。

 だが、燃輪はここじゃ間に合わないと思った。この場所は戦場になると考えられている国立劇場から少し離れた位置にある。つまり佐藤たちとの戦闘後の治癒を目的としている拠点なのだ。しかし、国会議事堂となるとこの拠点から距離がありすぎて、医療拠点の意味がほとんどなくなる。

 だからこそ燃輪は、もっと戦場に近付いて手遅れになる前にヒールボトルを戦場に届けなければ、と考えた。

 ただでさえ佐藤を相手にしたヒーローの死亡率は高い。それに加え、仲間も連れてくると仮定したら、ヒーローたちの危険度は遥かに高くなる。

 燃輪は名残惜しそうに自分の周囲に用意された食べ物の数々を見る。これらは昨日の夜の佐藤の動画を観てから、燃輪のサイドキックである二人がそこら中のコンビニやスーパーを回って集めた食べ物だ。だが、この食べ物を持って移動することは無理なため、ここに一旦置いていくことになる。

 

「用意できたよ〜」

 

 燃輪が雇っているサイドキックの女ヒーローがスーパーのデカい袋を両手に持って入って来た。持っている袋は全てパンパンに膨らんでいる。

 

「では、行きましょうか」

「はい!」

 

 燃輪は拠点の外に出た。サイドキックの女ヒーローはすぐ後ろに付いてくる。

 拠点の外に出ると、レンタカーを借りたサイドキックの男ヒーローが待っていた。燃輪は助手席に乗り込み、女ヒーローは後部座席にスーパーの袋を置きながら座った。背後のラゲッジルームには空のヒールボトルが山ほど置かれている。中身の入ったヒールボトルは後部座席の足元のところに乱雑に置かれていた。

 

「ボトルとカロリーメイトをください」

 

 燃輪がそう言うと、後部座席の女ヒーローは空のヒールボトルとカロリーメイト五本を手に取り、燃輪に渡した。

 燃輪にはポリシーがある。廃棄される食べ物を治癒液として利用することで、少しでもフードロスを減らしていくというものだ。だから、余裕のある普段は賞味期限を過ぎていない食べ物や飲み物は一切口にしない。しかし、今はそんなことに拘っている場合ではない。カロリーが無ければ燃輪は無個性の人と同じであり、カロリーをとにかく摂取できるようにしなければならない。そんな時、ポリシーには反するが、カロリーメイトは最高のカロリー摂取食品だ。多く持ち運べて、食べやすく、カロリーも高い。燃輪にとってこれほどぴったりな食品は他にないだろう。これにエネルギー飲料を組み合わせることが、今のところ燃輪が最大限に個性を活かせる組み合わせである。

 

 ──『カロリーメイカー』の本領発揮といきましょうか。

 

 燃輪はカロリーメイトの包装を開け、カロリーメイトをかじった。

 この彼女らの選択が、あるヒーローの命運を変えることになるとは、この時の彼女らは思いもしていなかった。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆   

 

 

 

 ハイジャックした佐藤が国会議事堂に向かっているという情報が入ってきた今、臨時国会は中断されていた。国会議員の顔からは血の気が引き、今すぐにも避難しようとパニック状態になっている。

 そんな中、総理大臣は議事堂内にいた国会中継をしている報道メンバーに自分を撮るよう、大臣たちに言い、大臣たちは報道メンバーのところに駆け寄っていった。国会の様子はテレビで中継されていて、国民に対し政治を公開している。そうすることで審議を活性化すると共に、国民が政治に興味を持つようにする狙いだ。だが、今はハイジャックという緊張事態ということで中継は中断されていて、テレビ画面上は『しばらくお待ちください』の文字と美しい花畑の背景で止まっている。

 大臣たちが報道メンバーを連れて戻ってきた。

 

「総理、連れてきましたよ」

「ああ、ありがとう。では、早速で悪いが、報道を再開してもらうか」

「ええ!? この状況で!?」

 

 大臣たちと報道メンバーが総理大臣の言葉に驚いた。総理大臣はそんな彼らを無視して自身の身だしなみをチェックし、軽く手で直している。

 

「この状況だからこそ、だ。国民は今、飛行機が国会議事堂に突っ込もうとしていると知ってショックを受けているだろう。我々が元気づけなければ……!」

「あー……そうですか……」

 

 大臣たちは諦めた。総理は国民に良いカッコしようとするところがある。そのことを大臣たちはよく知っている。

 報道メンバーは総理と大臣たちの両方の顔を交互に見ながら困惑していたが、大臣たちが折れたのを察して中継再開の準備を始めた。

 報道メンバーは総理の前にカメラをセットし、中継の準備が完了したら、カメラマンが三本指を立てた。

 

「中継入ります! 五秒前、四、三……」

 

 カメラマンの声が消え、カメラマンが立てた指がどんどん折れていく。二本、一本、そして総理の方に『どうぞ』と言うように手を向けた。

 総理は小さく「んんッ」と咳払いしてから、カメラを真っ直ぐ見る。

 

「国民の皆さん、こんにちは。今、国会議事堂に旅客機が向かってきているようです。皆さんご存知の通り、国会議事堂では臨時国会が開かれており、国会議員の大多数が中にいます。もし国会議事堂に旅客機が墜落したら、我々は誰一人助からないでしょう。

国民の大多数はこのニュースを知って、『この国はもう終わりだ』と絶望に打ちひしがれているかもしれません。ですが、我々は違います! 我が国は優秀なヒーローと行政機関を抱えています! 彼らなら、必ず旅客機を止めてくれると我々は信じています! なので、我々は国会議事堂から逃げません!」

 

 総理の話を聞いていた周りの大臣たち、国会議員、ついでに報道メンバーがどよめきの声をあげる。総理は彼らの同意なく、この場から逃げることを禁止した。

 

「ヴィランと呼ばれる犯罪者たちはこの状況に歓喜しているのかもしれません! ですが、その期待をヒーローたちが粉々に打ち砕くでしょう! 国民の皆さん! 今日は日本史上最悪の日ではありません! むしろオールマイトがいた頃の希望に溢れた日本を取り戻す、始まりの日となるのです!」

 

 総理がカメラの前でグッと握り拳を作る。

 

「付き合ってられん!」

 

 国会議員の一人がそう怒鳴り、議事堂の外に出る扉に走って向かう。その後ろに五人の国会議員が同じく走って付いていった。

 

「総理!」

「放っておけ! 覚悟のない者はこの場に相応しくない!」

「何を熱くなってるんですか! 冷静になってください!」

「私は冷静だ!」

「どこがですか……」

 

 大臣たちはハァとため息をつく。この総理はいつもこうして後先考えず、国民が好感を覚えるようなことばかり言おうとする。今こうしてハイジャックした旅客機が向かってきているのも、きっかけはHUNT創設の時の記者会見で佐藤の要求を勢いで拒否すると言ってしまったところから始まっている。

 

「総理はいつもそうですよね! 支持率と歴史に名を残すことしか考えてないじゃないですか! 今の話だって国民に好印象与えることしか頭に無かったでしょ!」

「そうだ! 悪いか!? 支持率は国民の声だ! 功名心は己を律する規範だ! やましいところなど何一つとしてないわ!」

「あの〜……」

 

 総理と大臣たちが言い争っている中、カメラマンが申し訳無さそうに割り込む。

 

「今までのやり取り……全部撮ってます……」

「ええ!? 最初からかね!?」

「もちろんです。プロですから」

「今のところ、どうにかカットできないのか……?」

「やましいところは何一つないんじゃなかったんですか、総理……」

「黙れ!!!!」

 

 そんな総理の怒声を最後に、テレビ画面は再び『しばらくお待ちください』の文字と、美しい花畑の背景になった。

 

 

 

 一方その頃、議事堂から逃げ出した国会議員たちは車のあるところまで全速力で走っていた。

 車に到達すると、慌ててドアを開け、後部座席に乗り込む。

 

「早く出してくれ!」

 

 国会議員の急かす声とともに、運転手が車を発進させ、国会議事堂の外ヘと車を走らせる。

 車は国会議事堂の敷地外に出た。瞬間、車が銃撃される。多数の銃弾が車体を叩く音。防弾加工の窓が銃弾を受け止め、衝突音とともに真っ白にひび割れていく窓。

 

「うわああああ!」

 

 後部座席に座る国会議員は情けない声をあげ、どこに隠れようかあたふたしている間に、銃弾が窓を破る。そして、国会議員の体を三発の銃弾が食い破った。

 後ろから続く車は先頭車両の惨事を見て、車を止める。そのままUターンして国会議事堂に戻っていった。

 

 

 

 国会議事堂前は穴だらけになった車が横向きで動けなくなっている。

 

「銃撃止めろ!」

 

 それをスコープ越しに見た(さとし)は、すかさず射撃停止の命令を出した。それを聞いた周囲のヴィランたちは銃撃を止める。だが、スコープを覗くのは止めていない。

 国会議事堂は数百メートルの距離を置いて佐藤たちに包囲されている。これも佐藤が国立劇場にヒーローや警察の目を引き付けたからできたことだ。早朝から彼らは行動を開始し、包囲している場所は人気(ひとけ)の無い建物やホテルを利用。射撃ポイントに到着してからカモフラージュしているバッグから分解された銃の部品を取り出し、組み立てる。そうすることで、ヒーローや警察から怪しまれずに済んだ。

 国会議事堂から出てきたものは人だろうが乗り物だろうが撃てと佐藤から指示を受けている。佐藤が国から人体実験されたことへの復讐なのだから、逃がさないようにするのは当然。それくらい、佐藤さんの受けた傷は深い。怜はそう思っている。

 だが、実際は大した理由は無い。強いて言うなら、ゲームクリア時の戦利品程度の価値だろう。

 佐藤とそれ以外の温度差は広がるばかりだ。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆   

 

 

 

 ホークスはどうすれば旅客機が国会議事堂に墜落するのを止められるか、作戦を考えていた。それと、墜落後の佐藤を確実に確保する作戦も同時に考えている。

 

 ──問題は、佐藤が飛行機に乗っていることだ。

 

 飛行機の速度に、ヒーローは付いていけない。世の中は広いから、もしかしたら飛行機に付いていける『個性』を持つ者がいるかもしれない。だが、少なくともこの場にいる者には誰もいない。

 

 ──それを考えると、墜落する場所が分かっているのはかなりのアドバンテージになる。

 

 もちろん佐藤は墜落場所を言ってはいないから、国会議事堂が目標じゃない場合も考えられる。だが、ほぼ百パーセントの確率で、国会議事堂が目標だとホークスは確信していた。そうでなければ、ゲームにならない。

 ホークスは佐藤の遊ぶ思考を読めるようになりつつあった。

 

 ──あえて旅客機を止めず、国会議事堂に墜落させれば、佐藤への包囲網を張りやすい。佐藤を確保できる確率は上がる。

 

 国会議事堂の周辺の制圧を目標にすれば、ヒーローの犠牲を最低限にしながら着実に佐藤の仲間を確保していける筈だ。旅客機を止めることに力を注げば、佐藤の仲間の恰好の的になるだろう。

 

『旅客機の乗客と国会議事堂にいる人たち、両方を助けられる作戦がある者はいるか?』

 

 インカムから、イレイザーヘッドの声が聞こえた。

 

 ──待て。俺は今、一体何を考えていた?

 

 イレイザーヘッドの声が聞こえた瞬間、ホークスは自分の思考を恥じた。自分はたくさんの人々を守るため、卑劣なヴィランをどんな手段を使っても止めるという覚悟でHUNTの隊長を引き受けた。それなのに、自分は今、ヴィランを止めるために旅客機の乗客と国会議事堂の人々の命を度外視して作戦を考えていた。目的と手段が逆になってしまっていたのだ。そして、だからこそ、目的を見失わないためにも、HUNTはヒーローと共に行動する必要があることを痛感した。

 

『……一つだけ、ある。旅客機の乗客と国会議事堂の人々の命を救える作戦が』

 

 エンデヴァーの声がインカムに響く。途端にインカムが多数のヒーローの声で混線しだした。

 

『皆さん、静かに! エンデヴァーさん、作戦を言ってください』

 

 ホークスがインカムを入れ、混線状態のインカムを一旦仕切り直した。インカムが無音になり、エンデヴァーの言葉を待つ。

 

『じゃあ、言うぞ。俺の考えた作戦は──』

 

 エンデヴァーが作戦の内容をインカムで話し出した。

 作戦内容を全て聞き終えた後、インカムは再び無音になっている。だが、さっきの無音とは意味が違う。さっきの無音は期待からの無音だったが、この無音は絶句による無音だ。

 

『……エンデヴァー……いいのかよ、その作戦。だってその作戦じゃキドウが……』

 

 プレゼント・マイクの気遣わし気な声がインカムに響く。

 そう。今エンデヴァーが話した作戦はキドウの死前提の作戦だった。だからこそ、作戦を聞いたヒーローたちは絶句したのだ。

 

『なら、他にあるのか? 旅客機の乗客と国会議事堂の人々を救えて、キドウを犠牲にしない作戦が。あるなら早く教えてくれ』

 

 エンデヴァーのインカムの声に、誰も言葉を発せない。実際問題、それしか旅客機の乗客と国会議事堂にいる人々を救える作戦は思い付かないのだ。

 誰からもインカムの返事が来ないため、エンデヴァーは再びインカムに声を入れる。

 

『誰だって大団円のハッピーエンドが好きさ! だが、現実は違う! 限られた時間、限られた戦力で最善と思われる行動をしなければならない!

……俺たちはみな、奇跡のような大団円のハッピーエンドばかりをし続けたヒーローを知っている。だが、そんな夢のようなヒーローは引退してしまった。俺たちの力はまだ、そのヒーローには届いていないだろう。

それでも、俺たちは足掻き続けるしか道は無い。ハッピーエンドにはできなくても、一番マシなバッドエンドにするためにな』

 

 エンデヴァーの静かだが、覚悟の込もった言葉を聞き、ホークスの胸は熱くなった。おそらく他のヒーローたちもそうだろう。

 そこでインカムにエンデヴァーじゃない女の声が入る。ヒーロー公安委員長の声だ。

 

『ヒーローたち、たった今入ってきた情報を伝える。総理大臣や国会議員は国会議事堂から避難しない。総理はこう仰っていたわ。〔我々はヒーローを信じる。今日は希望の始まりの日になるだろう〕とね。あなたたちにこの日本の希望を託す。ヒーローの信頼回復とはいかないかもしれないけど、ヒーローの底力を国民に見せる時よ。しっかり結果を残しなさい』

 

 ホークスとHUNTの面々はお互い顔を見合わせ、頷く。

 エンデヴァーの作戦を成功させるため、彼らは動き出した。

 

 

 

 キドウの前を歩くエンデヴァーがキドウの方に振り返る。

 

「キドウ……お前の命、俺に使わせてくれ」

 

 エンデヴァーの言葉を聞いて、キドウの身体は震えた。

 

「キドウ……」

 

 横にいるバーニンが心配そうな顔で見つめてくる。

 キドウはエンデヴァーに親指を立てた。

 

「もちろんいいに決まってる! 俺はあんたのサイドキックだからな!」

「……感謝する」

 

 エンデヴァーはそう言うと、すぐに正面に向き直った。

 キドウの体の震えはまだ止まらない。

 

「おい、大丈夫か……?」

 

 バーニンが体の震えに気付き、キドウに声をかける。

 

「大丈夫に決まってるだろ! 心配すんな!」

 

 そう元気に言ってみても、キドウの体の震えは収まらなかった。



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第33話 覚悟

 作戦が決まった今、ヒーローたちはそれぞれ動き出す。

 ここで問題となるのは、作戦を成功させるためには国会議事堂に接近しなければならないことだ。佐藤が仕掛けた罠の網の中に。更に悪いことに、制限時間はあと六分ほど。ここから国立劇場までの距離は千五百メートルから二千メートル。罠を潰しながら進む時間は無い。罠の中を突っ切って行くしかないのだ。

 ヒーローたちは国会議事堂から二百メートル近くに合流地点を決めた。作戦の第一段階はまずそこにヒーローたちが辿り着くこと。

 イレイザーヘッド、プレゼント・マイク、マニュアルの三人は急いで建物の外に出て、国会議事堂方面の合流地点に走った。

 当たり前の話になるが、今の付近の状況は最悪に近い。午後一時から本格的な戦闘になると考えていた民間人は、今の時間がピークと言っていいほど大量にいた。しかもハイジャックの情報がネット上に溢れまくり、国会議事堂に飛行機を墜落させようとしていることはこの場の誰もが知っている。となると、墜落地点と思われる場所からそこそこ近いが、安全が確保できそうなこの辺りの場所は野次馬が集まるにはもってこいの場所だ。誰もが国会議事堂の方向を見つつ、携帯のカメラ画面を空に向けて撮影している。

 

「人が多すぎる! 掻き分けて進むしかねえぞ!」

「だが、銃を持ってるヴィランが待ち伏せしているかもしれないと、さっきホークスがインカムで伝えていたから、気をつけろ!」

 

 プレゼント・マイクの言葉に、イレイザーヘッドが周囲を見渡しながら応えた。

 ホークスは作戦を始めた時、インカムで皆に銃で撃ってきたヴィランがいると情報を伝えてきた。その際にヒーローが犠牲になったことも。

 しかし、周囲を見渡しても撮影している人で覆い尽くされ、待ち伏せしているヴィランの姿を見つけることはできなかった。

 だが、その異様な光景が更なる異様に飲み込まれる。撮影していた人々の一部が悲鳴をあげた。人混みで溢れている中の一方向だけの人たちが左右に逃げ、人混みが割れていく。

 

「あ、イレイザーヘッド! プレゼント・マイクまで!」

 

 逃げている内の一人がそこで初めてイレイザーヘッドたちに気付き、ホッとしたような表情でこっちを見た。イレイザーヘッドやプレゼント・マイクはヒーローだけでなく、雄英高校の教師も兼任しているため、露出が多くて知名度も高い。マニュアルは二人に比べるとヒーローランキングも露出も低いため、まだまだ国民から認知されていない。

 そこでマニュアルはその人の後ろ、建物の陰から銃をこちらに向けている五人のヴィランに気付く。一気に血の気が引いた。そして、逃げている理由に合点がいく。

 

「みんな、逃げ──」

 

 マニュアルが声をあげた瞬間、銃口が火を噴いた。

 

「伏せろ!」

 

 イレイザーヘッドは叫びつつ、ヴィラン拘束で使う捕縛布をマニュアルとプレゼント・マイクに巻き付け、自分も伏せながら二人を無理やり引っ張って伏せさせた。

 マニュアルは引っ張られて地面へと視線が移動していく。その途中、声をかけてきた人にイレイザーヘッドの捕縛布が間に合わず、銃弾がその人の体に吸い込まれていくところを見た。血の赤が視界に広がる。飛び散った肉片の一つがマニュアルの顔に当たり、マニュアルの顔半分が赤く染まった。

 

「……えッ? これ……」

 

 マニュアルは地面に伏せながら、顔に付いたモノを手で触り、それを見た。この時にマニュアルはそれが肉片だと理解した。

 途端にマニュアルの体が震えだす。震えながら周囲を見渡した。銃声と悲鳴の中、声をかけてきた人同様に撃たれて倒れている数人、血まみれの道路、撮影を止めて逃げ惑う人々。

 銃を撃っていた五人のヴィランは弾切れになったら迷いなく国会議事堂の方へ逃走した。逃走方面の人々は当然悲鳴をあげてヴィランから離れようとするため、自然にヴィランの逃走経路が作られてしまった。

 

「あ……ああッ……!」

「マニュアルさん!」

 

 呆然自失のマニュアルに、イレイザーヘッドは体を低くしながら声をかけた。が、マニュアルはその声に反応しない。

 

「……あの人、僕らを見て安心した表情してたのに……こんな……酷い……」

「マニュアルさん! しっかり!」

 

 イレイザーヘッドがマニュアルの体を揺さぶる。何度も揺さぶってようやく、マニュアルの目の焦点がイレイザーヘッドに合った。

 

「早く合流地点に行かなければなりません! 特にマイクはこの作戦の要です! 走らなければ間に合わ──」

「この場はどうするんです!?」

 

 マニュアルが半ば錯乱状態になりながら叫んだ。マニュアルの視界では逃げ惑う人々がそれぞれの持つ『個性』を発動あるいは使用し、とにかくこの場から逃げようとしている。それが地獄絵図だった。ありとあらゆる能力や特徴が規則性無く周囲に影響を及ぼしたらどうなるか、想像してみてほしい。マニュアルは見た。脚力に関する『個性』や特徴を持つ者たちが一斉に使用し、ぶつかりあって周囲の人々を巻き込み吹き飛んでいく姿。それが連鎖し更なる『個性』の使用を誘発。身を守るために周辺の物質を操ったり、物体を創造したり、身体強化をする。それがまた悲劇の引き金となり、より多くの『個性』使用を誘発し、被害がどんどん広がっていく。

 ありとあらゆる人間が『個性』を使用し無秩序状態になっている現場を()ったらかして、合流地点に向かうことが本当にヒーローとしてあるべき姿なのか。マニュアルの中に葛藤が渦巻いている。

 一方、イレイザーヘッドもマニュアルと同じ光景を目にしていた。イレイザーヘッドの『個性』は個性抹消であり、視界に入っている人間の『個性』を見てから瞬きするまでの間、発動できなくする。その個性抹消を使用し、目線にいる集団の『個性』を順番に消していくが、使える時間が瞬きの間しかないのと、視界に映る全ての『個性』を消すことができないため、状況の収拾どころかより混乱に拍車をかける一因となっている。

 

 ──クソッ! 目線にいる集団の『個性』を消したところで何も解決しない!

 

 どれだけ個性抹消を使っても、抹消した以外の『個性』が暴れる。それが混乱をより大きくし、火に油を注ぐ結果となる。

 

 ──俺の『個性』はこんなにも無力なのか……。

 

 個性因子を持たない佐藤や異形型の『個性』には通用せず、同時に多くの『個性』を使用されただけで対応が追い付かない。これがヴィランであれば、自分や周りに影響を及ぼす『個性』を選択して抹消することで対応できる。だが民間人はただただ逃げたいがために『個性』を使用するため、『個性』が抹消されたら更にパニック状態になり、次『個性』を使用した時は抹消前より強力に『個性』を発動する。まさに悪循環。

 ありとあらゆる『個性』が使用されて傷付いていく大量の人々。血が舞い、人々が怒声や悲鳴をあげている。

 

 ──いや、諦めるな! 俺の『個性』しかこの場を収拾できない! なら、俺の『個性』を信じろ! 俺がこの人たちの危険要素を消してやる!

 

 イレイザーヘッドの両目が見開き、瞳が光を放つ。その表情には決意が表れている。マニュアルがイレイザーヘッドの覚悟を察し、イレイザーヘッドの両目に水をやることで両目を潤し、瞬きしないようにした。

 

 ──全部消えろ!

 

 イレイザーヘッドの瞳がより光を放つ。

 すると、イレイザーヘッドの視界にいる全員の『個性』が消え異形型の『個性』だけが残る。だが、それも想定済み。イレイザーヘッドは異形型の人間に絞り、補縛布を『個性』と同時に使うことで、異形型の暴走も封じた。

 

「イ、イレイザーヘッドさん……? 今……あんなにたくさんの人の『個性』を同時に──」

「マイク」

 

 マニュアルの言葉に反応せず、イレイザーヘッドはプレゼント・マイクを呼んだ。

 

「……ああ」

 

 プレゼント・マイクは一度頷き、『個性』を使えなくなって混乱している人々と補縛されつつも暴れようとしている異形型の人々を睨む。そして、深く息を吸い込んだ。

 

「お前ら!! 落ち着けええええ!!!!」

「うッ……」

「耳が……」

 

 プレゼント・マイクが大音量で民間人に呼びかけた。彼らは耳を咄嗟に塞ぎ、騒音の原因であるプレゼント・マイクに注目する。

 注目が集まったところで、プレゼント・マイクはまた息を吸い込んだ。

 

「銃を持ってたヴィランはこの場から逃げたぜ!! お前らは安全だ!! 落ち着いてこの場からさっさと離れろ!!」

「は、はい」

 

 民間人は冷静さを取り戻し、『個性』を使用せずに逃げていく。

 そのやり取りの間に、イレイザーヘッドは携帯電話で救急車を呼びつつ、合流地点の方向へ駆けていた。その後ろをマニュアルとプレゼント・マイクが付いていく。

 

「プレゼント・マイクさん。今あんなにたくさんの『個性』を同時に抹消してましたよね?」

「ああ、俺も見たぜ。どうやらあいつ、自分の殻を突き破ったな。ブレイクスルーってやつだ」

「そこはプルスウルトラじゃないんですか? なんと言うか、雄英教師的に」

「そうとも言うぜ。あいつは良くも悪くも思い込み激しいからな。こうだと思い込んだらなかなかその認識を改めれねえ。特に自分のことは」

 

 おそらくイレイザーヘッドは今まで自分の『個性』は目線をやった相手だけのものだと自分の中で決めつけていた。だから『個性』伸ばしで有効範囲は広げられても、目線ではなく視界で対象を取る方向に『個性』を強化できなかった。いや、しようともしなかったと言うべきか。しかし、今回の状況は目線だけを対象にしたところでどうしようもなかった。それがイレイザーヘッドの『個性』の方向性に変化を与え、結果的に個性覚醒へと繋がった。

 プレゼント・マイクとマニュアルはイレイザーヘッドに追いつき、三人が並んで駆ける。

 

「今のでハッキリした。薄々感じてはいたが」

「何がだ?」

 

 イレイザーヘッドの言葉に、プレゼント・マイクが応える。イレイザーヘッドはプレゼント・マイクの方に顔を向けた。

 

「俺たちヒーローは国民からの信頼を失った。国民はヒーロー(俺たち)を頼らず、自衛の名目で積極的に『個性』を行使するようになるだろう。さっきのような『事故』が多発するようになる」

 

 それはプレゼント・マイクとマニュアル二人も感じていたことだ。これからヴィランが佐藤に影響されて殺傷力の高い武器と『個性』を組み合わせていけば、嫌でもその流れになっていくだろう。

 マニュアルは『個性』同士がぶつかりあって地獄絵図を作り出していたさっきの光景を思い出して寒気がした。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 ホークスらHUNT部隊は合流地点へと駆けている。

 

『前方の建物の陰、銃を構えたヴィランが三人!』

 

 ホークスの羽根に付けたカメラをそれぞれ監視しているオペレーターの内の一人が、HUNT専用のインカムに通信を入れた。

 ホークスはその通信を聞いた瞬間、両翼を広げ、飛ぶ。前方の人混みを飛ぶことで回避し、一気にヴィランがいるところに接近しようとする。が、ヴィランもただの能無しでは無かった。

 

『ホークス! 気を付けて!』

 

 インカムに怒声で通信が入る。

 だが、その通信が入る頃にはホークスが人混みを抜けてヴィランの頭上に飛び出していた。ヴィランたちは空中から接近してくるのを予知していたかのように、銃口を頭上に向けている。

 

 ──くっ! 俺の動きが読まれてる!?

 

 何故俺たちの動きが読まれる? 何か見落としてるのか?

 それらホークスの思考を断ち切るように三つの銃口が火を噴く。が、それらの銃弾はホークスの前に創造された不可視の壁によって弾かれる。創壁のバリアが間一髪間に合った。

 ホークスは創壁がいる方向をチラリと見る。創壁はゴウに肩車されることで視界を確保し、ホークスの前にバリアを張ったようだ。

 ホークスは再び三人のヴィランに視線を戻す。三人のヴィランは銃弾が弾かれたことに困惑していた。だが気を取り直し、彼らはまた引き金を引き、射撃を再開。

 しかし、ホークスにとって見えている射線を回避することは容易い。銃撃を掻い潜ってホークスは三人のヴィランに肉薄。すぐさま羽根を組み合わせて双剣にし、三人のヴィランを双剣で斬りつける。

 

 ──ん、この手応え……。

 

 ホークスは斬りつけた感触に疑問を抱く。今まで斬りつけたヴィランより硬い感触なのだ。斬りつけた時の音も鈍い。

 斬りつけられた三人のヴィランは吹き飛んだ。が、すぐに起き上がり、建物の陰から飛び出して人混みの中に逃げようとする。その時、斬りつけて破れた服の下が見えた。黒いアーマーを着ている。

 

 ──こいつら、全員防具着てんのかよ!

 

 ホークスはそのことに斬りつけるまで気付かなかった。何故なら、防具を身に付けるのなら急所をまず守るのがセオリーであり、一番の急所であり簡単に防具を付けられる頭に一切防具を付けていなかったからだ。フルフェイスヘルメットくらい胴体のアーマーより簡単に準備できる。なら、これはどういうことなのか。佐藤の性格が遊び人だと仮定するなら、簡単な話だ。頭まで防具で固めたら、ヒーロー側はヴィランを倒すことの難易度が格段に上がる。それでは面白くない。ヴィラン側も弱点の一つくらい晒しているのがゲームとして面白い。そういう考えなのだろう。

 

 ──佐藤……マジのクズ野郎か。

 

 それより、今は人混みに逃げようとしているヴィラン三人をどう止めるか、考えなければならない。いや、答えは分かり切っている。胴体にアーマーを付けているということは、おそらく手足にもアーマーを付けている可能性がある。となると、防御のしようがない頭を狙うのが確実。だから、この場合必要なのは答えではなく覚悟。命を奪ってでも国民の命を守るという強い意志。

 

 ──狙うのは頭。俺の『剛翼』じゃ殺さず気を失わせるのは難しい。特に動いている相手に対しては。

 

 確実にこの場の脅威を取り除くのであれば、殺すしかない。気を失わせても、ヴィランを拘束して連行する時間が無い。

 

 ──俺はヒーローじゃない、HUNTだ。緊急時、ヴィランを殺したとしても、罪には問われない。

 

 殺す。現実味を帯びてきた考えが、ホークスの体を震わす。体が震えて初めて、ホークスは自分が躊躇っていることに気付いた。

 

「Bの排除失敗! これより撤退する!」

 

 三人のヴィランの内の一人がそうインカムに言った。走りながら銃を前方の人混みに向けようとする。

 ホークスの体の震えは止まらない。三つの銃口の先が目に入る。銃に気付き、表情を歪ませて悲鳴をあげ、逃げようとする人たち。

 ホークスはグッと拳を握った。『剛翼』の羽根を操り、三人の頭部に飛ばす。羽根は三人の頭に突き刺さり、三人のヴィランは前のめりに倒れた。

 

「……はぁッ……はぁッ……!」

 

 ホークスは荒く息を吐き、倒れた三人のヴィランを見る。ピクリとも動かない。俺が殺した。

 

「うッ……!」

 

 事実を受け入れた途端、吐き気が込み上げてきた。体がまた震え出す。

 ホークスは倒れた三人を見ないようにしつつ、全体のインカムで通信を始める。

 

「ヴィラン三人、無力化。すぐに警察を急行させて彼らの装備回収を」

 

 全体インカムでの通信を終えると、次はHUNTでのインカムに切り替える。

 

「委員長」

『ホークス、どうしたの?』

 

 インカムからヒーロー公安委員長の声が聴こえた。

 

「連中、俺のことを『B』と呼びました」

『B? 奴らはただ無差別にヒーローを殺すのではなく、ヒーローの中で優先的に殺すべきヒーローを決めているってこと?』

「多分。この呼び名がアルファベット順に基づいているなら、俺を殺す優先度は二番目ということになります」

『なるほど。飛行機の墜落を防ぐための(かなめ)の一人はあなたになると、佐藤側は考えているようね』

「それと、俺の動きが読まれました。おそらく、どこかから俺たちを見て行動を監視し、情報を送っているヴィランがいる筈です。人数は分かりませんが」

『なんですって!? 分かったわ。すぐに周囲を警察とヒーローで索敵させる』

「お願いします」

『ええ、任せて。それから、バリアエンジェル。あなたはホークスを全力で守りなさい』

『私の命に代えても?』

『……そうよ、大事な役目があるから』

『あー、そうね。私なんかより隊長殿の命の方が重いわよね。はいはい、守る守る。通信終わり』

 

 創壁が一方的に通信を切った。

 ホークスの後方から三人分の足音が聞こえる。ホークスは振り返った。ゴウ、創壁、念道の三人。

 

「いくぞ。時間が無い」

 

 ホークスの言葉に、三人は頷いた。

 ホークスは合流地点に向かって走る。だが、体が重い。まだ三人のヴィランを殺したことが吹っ切れない。

 そんなホークスの背中を、三人の手が叩く。よく頑張ったと言うように。HUNTは必要とあらばヴィランを殺してでも止めなければならない。その苦しみは同じHUNTとしか分かち合えないのだ。

 それまで小刻みに震えていたホークスの体の震えが止まった。重い体が少しだけ軽くなった。

 

「ねぇ」

 

 創壁が、ホークスに向かって声を掛けた。ホークスは顔だけ振り返って創壁の顔を見る。

 

「私が死んでも、ずっと覚えていてくれる?」

 

 いきなりの重い言葉に、ホークスはぎょっとした。が、創壁の表情は真剣で冗談を言っているようには見えない。

 だから、ホークスも真剣に返事をした。

 

「ああ、覚えてるよ。絶対」

「…………そっか」

 

 創壁は顔を伏せた。それから二、三秒後に顔をあげる。その顔にはいつもの笑顔があった。

 

「絶対、隊長殿のこと、守るから! だから、作戦成功させてよね! 今日の夜は美味しいもの皆で食べに行こー!」

 

 創壁は右手を突き上げた。しかし、誰も創壁に続いて『おー』と言わない。

 創壁は「ノリ悪いなぁ」と微笑しつつ呟いた。




イレイザーヘッドの個性覚醒。
この作品で彼は活躍の場が無さすぎるので、これくらいの強化は許されるかなと、自分の中で判断しました。なんなら原作でもこれくらい強化してほしいですが、絵面的に難しそう。


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第34話 夢の先

 猿石は六つのモニターの前に座っていた。それらのモニターはそれぞれ四分割され、国会議事堂とその周辺を映し出している。これらの映像は各所で稼働しているドローンからのリアルタイム送信を取得したもので、実際の現場とのタイムラグは本当に僅かな差でしかなく、だからこそ猿石はこの場所で指揮官としての役割を果たせる。

 この場所はある意味隠れ家と言っていい場所だ。いつもいる拠点からではドローンの電波は届かないため、この作戦のためのアジトを作っておくことは必然であった。ここをアジトにする過程において、多少の悲劇があったことは認めざるを得ない。インフラの整っているアジトを作るなら、一からインフラを構築するよりインフラが整っている場所を奪った方が安上がりで時短にもなる。

 猿石は視界の端に映る死体の山を意識的に見ないようにしながら、モニターに集中する。この部屋にいるのは猿石だけでなく、猿石同様にモニターをチェックしヒーローたちの動きを監視するヴィランが五人、猿石の指示を聞きすぐさま現場のヴィランチームに伝えるオペレーターが八人と、かなりの人数がこの部屋に詰めている。それ以外にも、作戦区域のドローンを操作しているヴィランが一台につき一人で二十四人。彼らはそれぞれ離れた場所に潜伏している。

 猿石は佐藤がこれだけ高いレベルの集団戦をやっていることに対して、意外に思った。猿石にとって佐藤のイメージは、自分さえ楽しければいい、仲間は添え物程度としか思っていない自分至上主義の人間というイメージである。いつも一番危険な部分は佐藤が担当し、自分たちはそのフォローをする。そのバランスは今まで変わっていなかった。

 猿石はモニターを見つつ、携帯からHN(ヒーローネットワーク)にログインする。HNのログインIDとパスワードは、これまで捕まえてきたヒーローの何人かが拷問に耐えきれず白状した。

 猿石はHNの掲示板やヒーローの活動記録、ヴィランの情報ページをサッサッと見ていく。もちろん携帯を見ていても視界は常にモニターを捉えている。

 ヴィランの一人が、HNを見ている猿石に気付いた。

 

「HNのハッキングもするんだよな? いつするんだ?」

「佐藤さんの指示があったらやりますよ」

「ヒーローどももまさかHNがハッキングされるたぁ微塵も考えちゃいねえだろうな。ハッキングしてHNを乗っ取るのか?」

「乗っ取るというよりは、HNにある情報を全て吸い上げたうえで、HNのサイトを開いたヒーローの持つ携帯にウイルスを仕込む感じですかね」

 

 猿石の説明を聞いたその場のヴィランたちは「おお〜」と歓声をあげた。

 猿石の近くにいた強面のヴィランが猿石の肩を軽く叩く。

 

「やるじゃねえか! マジで凄え奴だなお前! なぁ、みんな!?」

 

 強面のヴィランが周りのヴィランに同意を求め、周りのヴィランは強面のヴィランに同意するようにうんうん頷いた。

 

「そんな、僕なんて大したことないですよ」

 

 猿石は照れて顔を赤くしながら、首を振った。その背を強面のヴィランが笑いながらバンバンと叩く。

 

「ガハハハハ! そんな謙遜すんなよ!」

「は、はい……すいません」

 

 猿石は頭を軽く下げる。

 そんな猿石の態度に、周囲のヴィランたちは笑い声を大きくした。

 笑い声に包まれている中、猿石はふといつも観ているオールマイトが炎の中で人命救助をしている動画を思い出す。その動画のオールマイトは猿石の夢の具現化であった。猿石はずっとこうなりたいと思って、今日まで生きてきた。

 

 ──あれ? なんで僕はああなりたかったんだっけ?

 

 猿石は今更ながら、夢の根本的な部分を見つめ直す。自分はオールマイトのように、たくさんの人の命を救いたいと思っているのだろうか?

 

 ──……いや、違う、違うよ。だって、ずっと前から僕は分かってた。たとえ逆立ちしたって、オールマイトのようにたくさんの人の命を救うことはできないって。

 

 じゃあ、なんであの動画が自分の夢なのか? 何百何千と再生してきた動画を一から思い返す。そして、はたと気付いた。あの動画で一番好きなシーンはオールマイトが人を助けているところではない。撮影者含め、周りの人間がオールマイトを凄えと称賛しているところが好きなのだ。

 

 ──ああ、そうか。やっと分かった。僕は別にヒーローになりたかったんじゃない。僕はただ、周りから凄い奴だと、お前は特別なんだと言ってもらいたかっただけなんだ。

 

 『無個性』が何をバカな夢を見ているんだと、周りの人間は嘲笑(わら)うだろう。何の能力も特徴も持たない人間のどこが『特別』なんだと、彼らは侮蔑するだろう。

 しかし、そんなバカな夢を叶えてくれる場所があった。猿石という人間を『無個性』というだけで見下し、バカにしてくる奴がいない場所。『個性』とかに拘らず、純粋に能力を評価してくれる場所。

 この場所で、猿石を『無個性』だからと軽んじる者はいない。佐藤のチームメンバーというだけで、ヴィランの中では猿石は一目置かれた存在となっている。

 いつも猿石は自分のことが不思議だった。何故佐藤のことをめちゃくちゃ怖がっているのに、自分は逃げようとせず協力的なのか。その答えも今出た。佐藤は猿石のことを一度たりとも見下したり、軽んじたりしなかった。猿石が『無個性』だと知っても、猿石のできる部分を認め、いつも褒めてくれた。その瞬間がとても心地良くて、自分の心が満たされているのを実感できた。

 猿石は悟る。自分は今、幼い頃から夢見ていた先に立っていると。

 

 ──僕はヒーローになれなくていい。僕の居場所はヴィラン(ここ)なんだ。

 

 猿石は微かに笑う。その目には活き活きとした光が宿っていた。

 猿石は自分を見つめ直したうえで、改めてHNのハッキングを考える。すると、ゾクゾクとした快感に似たものが自身の内から溢れるのを感じた。

 

 ──佐藤さんの気持ち、ちょっと分かった気がする。

 

 己の能力を制約無く解放できる快感。自分の能力で何がやれるのか確かめられる充実感。普通に生きてきたらまず経験できないであろう非日常。

 

 ──僕もなんだか楽しくなってきた。

 

 おそらくこの時、本当の意味で猿石は佐藤の仲間となった。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 エンデヴァー、キドウ、バーニンの三人も、他の班と違わず合流ポイント目指して走っている。人混みを縫うように駆け、走るスピードをなるべく落とさない。

 そんな彼らの耳が、大勢の悲鳴を聞いた。右奥。人混みの割れた先。アサルトライフルを構えるヴィランが四人。

 エンデヴァーは舌打ちした。この人混みでは、熱による銃弾の無力化はリスクがある。かといってキドウで銃弾の軌道を変える余裕も無い。

 四人のヴィランのアサルトライフルが一斉に火を噴く。瞬間、エンデヴァーら三人の前に巨体が飛び込んできた。

 巨体はアサルトライフルの銃弾を弾切れになるまで受け止め続け、銃声が鳴り止むとともに受け止めた銃弾が地面に落ちた。銃弾が地面に落ちた時に鳴るキンという澄んだ音が連鎖する。

 

「ああ! お腹一瞬でペコペコォなってもうた! はよ終わらせてたらふく食わな!」

 

 黄色のパーカーとフードを被った巨体がお腹を擦りながら言った。彼のヒーロー名は『ファットガム』。個性は『脂肪吸着』。大阪を中心に活躍するヒーローで、ヒーロービルボードチャートは二桁の人気ヒーローである。

 四人のヴィランは弾切れになった瞬間、周囲を威圧しながら人混みの中へと逃げていく。

 ファットガムはそれを見て舌打ちする。

 

「チッ、退く判断早すぎや。ヴィランっちゅうより兵隊やな。徹底しとるわ」

 

 民間人の中に逃げ込んでいくところといい、ヴィランの戦い方というよりはゲリラ戦である。この場にいる民衆も、まさか日本でゲリラ戦が繰り広げられることになるとは夢にも思わなかっただろう。

 

「お前、どこかで見た顔だな。関西弁を喋るということは、関西のヒーローか?」

「せやねん。自分ファットガム言います。よろしゅう頼んますわ、エンデヴァー」

「ああ。何はともあれ、助かったぞ。礼を言う」

「今、昨日の佐藤の動画を観た地方のヒーローがどんどん此処に集まってんですわ、俺みたいに。だからええで!」

「……は?」

 

 エンデヴァーの後ろにいたバーニンが、話の流れが分からず首を傾げた。

 ファットガムはそんなバーニンに親指を立て、笑みを浮かべる。

 

「あんたらはあの飛行機止めなアカンやろ! せやから、この辺で暴れとるヴィランは地方組に任せィ言うとんねん!」

「私らがどうやって止めるつもりか分かってんのか!?」

 

 バーニンが怒気を纏わせてファットガムに詰め寄る。

 作戦に含まれていない筈のファットガムが作戦を知っているとしたら、それは作戦が外に漏れている証明となる。それはつまり、考え方によっては作戦を話した人間の中に佐藤側の裏切り者がいる可能性もあるのだ。

 そんな懸念からバーニンは感情的になってしまったわけだが、ファットガムはそんなバーニンの感情に呑まれることもなく、冷静を保った。

 

「あんたらの作戦は知らんよ」

「ならなんで私らが止めるって分かる!?」

「エンデヴァーがおるからに決まっとるやないか」

「……え?」

「まだヒーロービルボードチャートは出てへんけどな、誰が見たってエンデヴァーが今のナンバーワンヒーローや。せやから、あんたが作戦の要にならへんわけないやん」

 

 ファットガムは極めて短絡的な思考回路によって、エンデヴァーが作戦の要だと当ててしまった。それを理解した時のバーニンら三人の疲労感は筆舌に尽くし難い。

 疲労感と戦いながら、エンデヴァーはファットガムから合流場所の方向へと視線を転じた。

 

「作戦の要は俺だけではないし、ある意味ではお前も作戦の要だ。この作戦に関わる者みなが重要な役割を持ち、一人一人がベストを尽くしている。ナンバーワンヒーローとかそんなものは関係ない話だ」

 

 エンデヴァーの言葉を聞いたファットガムは目を見開いてエンデヴァーを凝視。

 妙な沈黙に居心地の悪くなったエンデヴァーは再びファットガムに視線を向ける。

 

「なんやイメージとちゃうなぁ。エンデヴァーはもっと俺が俺がって手柄を追い求めるタイプや思っとったわ。まあ、テレビとか雑誌のイメージやけどね。俺、全然あんたと仕事してへんから」

「……俺も大人にならなければならなくなったというだけだ」

 

 エンデヴァーはばつが悪そうにあらぬ方向に顔を向けた。

 ファットガムの言うようなエンデヴァーのイメージは、確かに正しい。オールマイトがいた時のエンデヴァーは正にそういうヒーローだった。ファンサービスなど実力の無いヒーローが(すが)りつくものであり、そんな部分で自分を評価されたくないという気持ちがあった。ヒーローとは悪を倒す者だ。悪を倒せる実力があってこそ、ヒーローはヒーローたりえる。ファンサービスなどという要素は、エンデヴァーの考えるヒーロー像の中では純度を低くする不純物である。そんなものに頼らずとも、誰よりもヴィランを捕まえて、誰よりも人を助ければ、ナンバーワンに届く時が来るとずっと信じてやってきた。その考えが力の執着に繋がり、より強く、より完璧な個性を発現させるために、《個性婚》にすら手を出した。

 個性婚とは、自身の『個性』をより強力にして子に継承させようとするための結婚のことである。配偶者には自分の個性を強力にする個性を持つ相手や、自分の個性の弱点を克服するような個性を持つ相手を選ぶ。

 エンデヴァーはそのせいで家族に迷惑をかけてきたと後悔している。後悔するようになったのは最近からだが、後悔するようになってからは罪滅ぼしをなんとかできないかと考えるようになってきている。

 エンデヴァーはオールマイトという巨大な壁が無くなったことで、自分やヒーローを冷静に見つめ直すことができたのだろう。オールマイトが築いてきたものを受け継ぎ、守っていくのは自分だという自覚。その心境の変化がエンデヴァーの成果主義的思考に風穴を空け、利己主義から利他主義へと思考の転換をさせた。

 今のエンデヴァーにとって、ファンサービスがヒーローの要素の中の不純物だとは思わない。それで人々が自分を見て安心できるようになるなら、ファンサービスも人の心を助ける行為なのだと理解できるようになったからだ。そういう目でオールマイトを超えようとしていた自分を見ると、意地を張ってるだけのただのガキだった。ヒーローにとっての基本である、相手の気持ちになって考えるという当たり前のことすらできていなかった。そして、それをやる必要性を感じなかったのは、ただ単にオールマイトという絶対的な支柱に甘えていただけだったのだと、オールマイトがいなくなって初めて気付いた。

 しかし、これからは違う。願った形は違えど、ナンバーワンヒーローと周囲から呼ばれるようになった今、エンデヴァーはオールマイトのようにヒーローたちの支柱にならなければならない。それこそ、エンデヴァーの夢の先にあったものであった。ならばこそ、自身の信頼するサイドキックの命を犠牲にする可能性が高い作戦も立案し、実行する。それこそエンデヴァーの覚悟であり、最前線に立つ自身の役目だと考えた。

 

「じゃあ、俺は逃げたヴィラン追いますわ! 飛行機の方頼んます!」

 

 ファットガムはそう言い終えると、逃げていったヴィランの方向へ走り去った。

 エンデヴァーたち三人はそんなファットガムの後ろ姿を数秒見つめた後、自分たちの向かうべき方向へと顔を向ける。

 

「行くぞ」

 

 エンデヴァーの言葉に、バーニンとキドウが頷く。人混みの中を三人は走り出した。



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第35話 Call of Duty(コールオブデューティ)

 エンデヴァー、バーニン、キドウが合流地点に到着した時、既にHUNTの部隊がいた。他にもヒーローの部隊も続々と到着している。その中で目立つのはミルコ、リューキュウ部隊、エッジショット部隊あたりか。

 ミルコは佐藤の要求である日の丸の鉢巻(はちまき)と『国のために戦います』と書いたたすきを身に付けなかったため、周囲の被害を気にして人のいる場所を避けていた。しかし、今は戦闘が始まっている。ミルコがいようがいまいが民間人に被害をもたらす状況であり、だからこそミルコもこうして表舞台とも呼べる場所に現れた。ミルコに部隊は与えられなかったが、今回の作戦メンバーの一人であるため、作戦内容はしっかり把握している。

 エンデヴァーはミルコの姿を見て、佐藤の要求を呑んで鉢巻とたすきを付けている自分が急に恥ずかしくなった。どういう言い訳をしようと、ヴィランの要求に従ったのは疑いようの無い事実である。その屈辱は、佐藤を捕らえた後もずっと傷となって残っていくだろう。

 エンデヴァーは携帯を見る。旅客機の墜落予定時刻まで二分を切った。待つ時間は無い。だが、作戦の要であるプレゼント・マイクの姿が見えない。プレゼント・マイクがいなければ、この僅かな希望に縋りつくような作戦は崩壊する。作戦そのものが無に帰す。

 

 ──何をしている? 来い。

 

 エンデヴァーは無線で通信すべく、ヘッドセットの側面ボタンに手を伸ばす。

 

 ──来い! プレゼント・マイク! お前がいなければ始まらんのだ!

 

 ヘッドセットの側面ボタンを押し、無線を開始しようとエンデヴァーが口を開く。瞬間、周囲にざわめきが起こった。ざわめきというより、歓声に近い。

 エンデヴァーは歓声が起こった方向へ顔を向ける。イレイザーヘッド、プレゼント・マイク、マニュアルが汗だくで飛び込んできた。

 エンデヴァーは笑う。

 

「休む時間は無いぞ」

「おう、任せろ」

 

 息を荒くつきながらも、プレゼント・マイクは親指を立てた。

 エンデヴァーはヘッドセットの側面ボタンを押し、無線を開始。

 

「これより作戦を開始する!」

『まだ来ていない部隊が三割ほどいますが、待たないのですね?』

 

 リューキュウから無線が入る。それは質問というより、話のテンポを速めるためのアシストであった。エンデヴァーはそのおかげで自分の考えを最低限の言葉で伝えることができる。

 

「そうだ、待たない! だが、俺たちの作戦行動中、佐藤の仲間は必ず妨害行為を仕掛けてくるだろう! 間に合わなかった者たちはその対処に回ってくれ!

では総員! 配置につけ!」

 

 そう言い終えると、エンデヴァーは背中から炎を噴射した。キドウの方へ前進。キドウはエンデヴァーの軌道を空の方へ変える。エンデヴァーはその影響で前進の速度のまま、空高く舞い上がっていった。

 それを合図とし、他の面々も事前に伝えられた作戦の配置場所へ向かう。

 

「キドウさん」

 

 ホークスがキドウのところに行き、声を掛けた。

 

「お、おう、頼むぜ」

 

 キドウの声はやや緊張で震えていた。

 ホークスはキドウの様子を注意深く観察。キドウは包帯を全身に巻いているため、表情は分からない。が、身体が微かに震えているのは分かる。死を恐怖しているのか?

 ホークスは一抹の不安を覚えた。通常の精神状態でない者は、重大なところでミスをする可能性が高まる。何か言うべきか? しかし、リラックスさせようとして更に緊張する結果になる場合もある。

 一瞬の逡巡。そして、ホークスは結論を出す。どう転ぼうとも、今の自分の本心をキドウに伝えよう、と。

 

「俺の翼、キドウさんに託します」

 

 ホークスの背中にあった両翼が無数の羽根に分離し、瞬く間にキドウの背中に集まって翼を形作る。数秒後にはキドウの背中にホークスの両翼が形成されていた。

 キドウは振り返り、背中に形成された両翼を見る。その後、ホークスの方に向き直った。

 

「……なぁ、ヘッドライトってあるか? あったら付けたいんだが……」

「ありますよ」

 

 ホークスが羽根を一枚キドウの両翼のところから飛ばした。その羽根はHUNT部隊のバリアエンジェルからヘッドライトの付いたヘルメットをもらい、ホークスのところへ戻ってくる。その時間僅か十秒。

 

「ありがとな」

 

 キドウはヘルメットを被り、ヘッドライトを付ける。

 キドウとホークスの目が合った。

 

「ホークス。さっきの言葉、胸に刻むぜ」

 

 キドウの僅かに出ている目と口が笑みの形になった気がした。

 ホークスはハッとする。

 キドウが上を向く。ホークスはそれが合図だと直感で理解した。キドウの両翼が広がり、キドウが空へ飛んでいく。

 キドウの姿がどんどん小さくなっていく中、ホークスは自分の思考が間違っていたことに気付いた。死を怖れている人間なら、あそこで笑えないし、礼も言えない。何故なら、それらは自身の死を早める行動に直結するからだ。なら、何故緊張を……?

 そして、ホークスは何故キドウがあんなにも緊張していたのか、その答えらしきものに辿り着く。同時に、キドウがしくじることは無いと確信した。

 

 

 リューキュウはドラゴンに変身していた。鋭い爪と大きな翼、トカゲのような胴体であり、ヨーロッパ圏で一般的な竜の姿だ。その巨大な体躯は平均的な男性身長の一.五倍以上。現にリューキュウの正面で柔軟運動をしているミルコは、変身したリューキュウの胸の高さに頭がある。

 

「蹴り飛ばすからな」

「ええ」

「本気で! 蹴り飛ばすからな!」

「どうぞ」

 

 平然とそう口にするリューキュウ。

 

 ──なんだよ、ちょっとビビってんのは私だけか。

 

 ミルコは蹴るのを躊躇っている自分がアホらしくなってきた。蹴りを受け止める覚悟が相手にあるなら、自分はただ相手を信じて蹴るだけ。それでいい。余計なことを考えて相手の覚悟を無下にするのは失礼ですらある。

 そう思ったら、ミルコの中の迷いは消え、むしろ全力で蹴れることに楽しみを感じ始めた。

 

「上手いこと私の足に乗れよ。一発勝負だからな」

「あなたの方こそ、私の重さで潰れないでね」

「潰れるかよ。私をナメんな」

「……盛り上がってるとこ悪いんだけどね、お二人さん。俺の意思は?」

 

 睨み合ってる二人の後方。正確にはリューキュウの背に乗っているプレゼント・マイクが口を挟む。

 

「今さら選択の余地があると思ってんのか?」

「思ってねえけど、やっぱ心の準備ってのが──」

「ミルコ、やりましょう!」

「おし! 口閉じてろよ! 舌噛むぞ!」

 

 ミルコの言葉で、更なる抗議の声をあげようとしていたプレゼント・マイクは口を閉じ、反射的に目も(つむ)った。

 ミルコは体勢を低くし、蹴る前の姿勢を取る。リューキュウがミルコに向かってジャンプ。ミルコはインパクトが一番強くなる位置にリューキュウが来るまで数瞬待機。からの超高速の蹴り上げ。蹴り上げられる瞬間、リューキュウはミルコの右足を足場に跳躍。リューキュウの跳躍の衝撃により、ミルコの軸足が地面のコンクリートにヒビを入れる。

 

 ──ぐっ……! 負けてたまるかよッ! 勢いを落とすな! 蹴りきれ!

 

 ミルコは歯を食いしばる。が、表情は楽し気な笑み。

 

「らァッ!!」

 

 蹴りの勢いと跳躍のエネルギー。普通なら蹴り足でジャンプされたら反動で蹴りの速度は遅くなる。が、ミルコはそこを恐るべき強靭な身体能力により、体勢を崩さず耐えたばかりか、蹴りの威力も落とさなかった。だからこそ生まれた莫大な上昇力。リューキュウと背中にしがみつくプレゼント・マイクの姿はあっという間に見えなくなった。

 二人の姿が見えなくなった後、右足を高く上げた体勢で空を見上げていたミルコは、そのまま後ろに倒れるようにして尻もちをつく。そして、軸足となった左足を両手でマッサージするように揉んだ。

 

「重かったなぁ……」

 

 思わず本音の呟きが口から出てしまい、ミルコは微笑した。

 

 ──佐藤に目に物見せてやれ。

 

 ミルコは心の内でリューキュウとプレゼント・マイクにエールを送った。

 

 

 

 リューキュウとプレゼント・マイクは遥か上空まで数秒で舞い上がり、勢いが無くなってからはリューキュウの翼で上昇を続けた。今日は雲の少ない晴天ではあるが、リューキュウたちは数少ない雲付近の高度に達している。

 そこで、エンデヴァーからの無線が入った。

 

『作戦をもう一度確認しておく。まずプレゼント・マイクが旅客機に対し、ヴォイスで乗客にメッセージを届ける。その後、国会議事堂へ降下してきた旅客機をキドウが軌道変更。その際、俺が旅客機の最後部(さいこうぶ)を焼き切り、そのまま軌道変更された旅客機を破壊。以上が作戦概要となる。

最後に、お前たちに問う。俺たちは仕事でこの場に立っているのか? それだけじゃない筈だ。俺たちはそれぞれ信念を持ち、人々を守る使命がある。各員、命を惜しいと思うな。俺たちの助けを待つ者のため、命を使い尽くせ』

 

 エンデヴァーからの無線が切れる。

 リューキュウとプレゼント・マイクはエンデヴァーの無線を聞き、胸が熱くなっていた。おそらく今の無線を聞いた者全員が同じ気持ちであろう。自分を奮い立たすため、雄叫びをあげたくなった筈だ。

 リューキュウの背中でバランスを取ることに慣れてきたプレゼント・マイクは、無線をヒーロー公安委員長と繋がる周波数へ変更し、無線通信を開始。

 

「あんたがヴォイスのタイミングを教えてくれる手筈だったよな?」

『ええ。佐藤の乗る旅客機は航空管制機関及び人工衛星で正確な位置をリアルタイムに把握している。もちろん航空速度もね。それらとあなたのヴォイスの最短交差点を割り出す。そういう計算が得意なオペレーターがいるのよ。タイムラグを無くすため、そのオペレーターに代わるわ』

『はい、今代わりました。計算は終わってます。今からホークスに羽根を動かしてもらうので、私が《今》と言ったら、その羽根目掛けてヴォイスを使用してください。ご心配なく。ちゃんとヴォイス発動までのラグを考慮して合図を送りますから』

 

 プレゼント・マイクに挟まるようにして付いてきたホークスの羽根が動く。

 この羽根にはGPS付きカメラがくっついており、この位置情報を元に今のオペレーターが計算をした。

 ホークスは別通信で指示を貰っているようで、こちらにはホークスへの指示やホークスの声等一切聞こえない。おそらく混線しないよう通信を場合に応じて使い分けることで、円滑な連携が取れるようにしているのだろう。

 ホークスの羽根はプレゼント・マイクから見て右斜め上の位置で止まる。

 

「リューキュウ、大丈夫か?」

「……え!? な、何が?」

「足だよ、足。ミルコの蹴り受け止めたよな? だいぶ痛むんじゃねえの?」

「飛ぶことに問題は無いわ」

「……そりゃそうだろうけどよぉ……」

 

 プレゼント・マイクの表情が曇った。

 リューキュウは平然とした表情でこの高度を飛び続けている。だが、この飛行はそんな楽なものではない。空気が薄く、成人男性一人分の重量を背負っているのだ。それでも苦し気な表情を見せないのは、リューキュウのヒーローとしてのプライドを感じさせた。

 プレゼント・マイクの表情が引き締まる。リューキュウの背中で片膝立ちの姿勢になった。

 

「合図があったら、俺は前に跳ぶぜ」

「何をする気!?」

「俺はあの飛行機ぶっ壊すつもりでヴォイスを使う。ヴォイスの指向性は極限まで絞るけど、それでもお前に影響が出ちまうかもしれねえ。仲間は傷つけたくねえよ」

 

 プレゼント・マイクの言葉で、リューキュウは悟った。旅客機の防音装甲を貫くほどの音をぶつけるのだから、至近距離にいるリューキュウがまともに食らった場合、鼓膜が破れるどころか三半規管にダメージが入り、飛ぶことすらままならなくなる可能性がある。最悪なケースであれば、気を失ってそのままプレゼント・マイクと共に地面に落下することも考えられる。

 そうしないためのプレゼント・マイクの選択。それが、リューキュウの背中から跳んでリューキュウより前に体がある状態で前方にヴォイスを放つという選択だった。

 

『今!』

 

 オペレーターから合図の声。

 プレゼント・マイクはオペレーターの声がしたと知覚した瞬間から前に跳んでいた。青空と航空写真で撮ったような東京が下にある。プレゼント・マイクはその光景を見てはいない。ただ一点。ホークスの羽根だけを見据えている。

 

「ベルト外せェェェェ!!」

 

 それは音の爆弾だった。最も影響の少ない後方であっても、リューキュウは思わず両手で耳を塞いだ。リューキュウは見た。ヴォイスの方向を示していたホークスの羽根のカメラが衝撃で砕け、羽根が吹き飛ばされていくところを。

 

「お、お、おおおお、アアアアアア!」

 

 プレゼント・マイクが涙目になりながら落ちていく。

 リューキュウはすかさず落ちているプレゼント・マイクの方に飛行し、百メートルほどプレゼント・マイクが落ちたところでキャッチ。

 プレゼント・マイクは涙目だけでなく泡を吹いていた。

 

「……下、下見ちまった……」

「ふふ、締まらないわね」

 

 そう言いつつ、リューキュウはプレゼント・マイクに見えるように親指を立てた。プレゼント・マイクも息絶え絶えの状態で親指を立てる。

 後はこの声が旅客機の乗客に届いたことを祈るだけだ。

 リューキュウとプレゼント・マイクはそのまま地上目指して降下していった。



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第36話 クレイジーダンス

 猿石はドローンから送られてくる映像により、エンデヴァー、キドウ、リューキュウ、プレゼント・マイクが空に飛んでいくのを知った。

 すぐさまインカムを入れる。

 

「爆撃ドローンを起動させてください」

『了解だ』『了解』『分かった』

 

 そういった返事が続々と聞こえた。

 ヒーロー側は思いもしていないだろう。こんな大掛かりな旅客機墜落作戦が、佐藤側にとって実はあまり重要な作戦ではないことを。確かに成功させられるならば、それに越したことはない。だが、そもそもこの作戦の真の目的は国会議事堂を旅客機で押し潰すことではなく、旅客機墜落を『(エサ)』にできる限りヒーロー側の戦力(リソース)を削ることなのだ。

 

 ──まあ、エサだって分かってても食いつくしかないけど。

 

 猿石はヒーローに少しだけ同情した。

 罠だからと旅客機の墜落を許してしまえば、多数の人命の喪失のみならず、ヒーローの信用も地に墜ちてしまう。罠だと分かっていても人命がかかっていたら飛び込まなければならない、ヒーローという仕事の過酷なところだ。切り捨てることができない。だからこそ、常にヴィラン側がヒーローの動きをコントロールできる。

 

「起動するだけでいいのか?」

 

 強面のヴィランが訊いてきた。

 猿石は強面のヴィランの方に顔を向ける。

 

「ええ、そうです。プログラミングと設定は事前に終わってますから」

「プログラミング!? そんなことまでやれるのかよ!?」

「いえ、僕も一からプログラミングしたわけじゃないですよ。元々自動操縦のプログラムが入ったドローンを購入して、そのプログラムの安全に関わる部分を修正しただけで」

「ああ、成る程な。賢いじゃねえか。そこだけの手間で済んだのか?」

「いえ、そこからが大変で……。ヒーローのプロフィール画像を全部保存したうえでそれら全てに優先度を振って、優先度の高いヒーローから狙うように設定しないといけなかったんですよ。まあ上位ヒーロー以外の優先度は全て同じ優先度にしたので、そこは楽だったですけどね」

 

 ドローンの自動操縦には、対象を自動追尾するトラッキング方式がある。猿石が利用した元はこれであり、猿石は更にここから追尾中でもより優先度の高い人物を見つけたら追尾相手を切り替えるといったアレンジを加えた。ちなみに、爆撃ドローンの攻撃方法は対象にぶつかったらその衝撃で取り付けてある爆弾が起動、ドローンもろとも対象を殺害するという、いわゆる自爆特攻である。

 それらの説明を聞いていた強面のヴィランは、猿石に対し恐怖にも似た感情が湧き上がってくる。

 

 ──こいつが『無個性』? 冗談キツいぜ。金と時間があれば、こいつほどの『強個性』他にねぇぞ。

 

 佐藤に出会う前の猿石は、潤沢な資金も無ければその能力を発揮することもほとんど無い環境だった。それが佐藤と行動することで一変した。

 

 ──技術が進化すればするほど、相対的にこいつの能力も強化される。つまり、こいつの可能性は……無限。

 

 進化した機械をプログラミングで手足のように操作し、ハッキングとウイルスで相手の電子機器を無力化及び奪取。猿石のやれることを考えれば考えるほど、その範囲の大きさに戦慄する。

 

『ドローンの起動、完了』

 

 インカムが入った。

 猿石はインカムを入れる。

 

「狙撃班がいますので、彼らの狙撃後に自動操縦を開始してください」

 

 佐藤は旅客機を止めるつもりならばかならず上空に行くだろう、と予想した。故に狙撃班を屋上に配置し、上空のヒーローを狙撃するよう指示を出した。無警戒の状態で狙撃できるのはおそらく一度。その後は、猿石の爆撃ドローン軍団が主導となる。

 猿石は笑みを浮かべた。その瞬間が待ち遠しくて仕方がない。

 強面のヴィランが猿石の笑みに気付く。

 

「随分楽しそうじゃねえか」

「上位プロヒーローなんて特別の中の特別ですからね。そんな相手に僕みたいなのが通用するのかどうか、試したくてワクワクしますよ」

 

 猿石は笑みを浮かべたまま、強面のヴィランの方に顔を向けた。

 そのやり取りを見ていた二十前後の女ヴィランが、猿石に近付く。

 

「初めて会った時から思ってたんだけど、髪縛った方が良いと思うよ」

「……はい?」

 

 猿石の顔から笑みが消えた。困惑しながら女ヴィランに視線をやる。

 猿石とは逆に、強面のヴィランは女ヴィランの言葉にツボって腹を抱えて笑った。

 

「ダハハハハハ! 確かに! 遠目で見たら地味な貧乳女みたいな見た目してるもんな!」

「じ、地味な貧乳女……」

 

 わりと本気でショックを受ける猿石。

 俯く猿石の視界に髪ゴムが乗った手が入ってくる。

 

「私の髪ゴムあげる」

「……え、あ、ありがとうございます」

「髪、縛ってあげるね」

 

 視界にあった手が引っ込み、女ヴィランが両手で猿石の髪を後ろに一纏めにして、髪ゴムでまとめた。その後、女ヴィランは猿石から顔を離し、猿石の顔を見ると満足気に頷く。

 

「うん、いい感じ!」

 

 この作戦に参加した全ヴィランの情報は、事前に目を通している。今髪を縛ってくれた女ヴィランに関してもそうだ。彼女の個性は『可燃気体(バーンガス)』で、可燃性のガスを発生させ、いつでも好きなタイミングで爆発させられる。彼女は高校生の頃に家族とちょっとした言い合いの最中に興奮し、個性が暴走して家を爆破させたという過去がある。それから放火衝動が強くなり、ヒーローから逃げながら放火する放火魔となった。世間からみれば、この女ヴィランはとんでもない悪人だ。

 だからだろうか。

 

「こっちの方がカッコいいよ」

 

 そう言って笑う彼女の顔がとても眩しくて、魅力的なものに見えた。

 善人だからといって行動全てが善ではない。同様に、悪人だからといって行動全てが悪ではない。

 

 ──善人とか悪人とか、くだらない価値観なのかも。

 

 彼女の笑顔を見ながら、猿石はそんなことを思った。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 建物の屋上。

 そこに狙撃銃を構えた女ヴィランとフィールドスコープを構えた男ヴィランがいる。

 女ヴィランは二十歳前後の若い女であり、ピンク色の長髪とワインレッドの瞳だ。服装は茶色のハンチング帽を被り、黒のTシャツとデニムショートパンツ。うつ伏せで狙撃銃のスコープの視界に集中している。狙撃銃で使っているのは対物ライフルバレットM95で、装弾数は五発のボルトアクション式。銃弾は十二.七✕九九ミリ。

 男ヴィランは四十後半の男で、黒髪短髪でブラウンの瞳。服装は胴体にアーマーを身に付け、黒の長ズボンを着ている。彼もまた、フィールドスコープから見える視界に集中していた。彼は観測手(スポッター)であり、目標までの距離や角度、風向き、風速、天候その他諸々を観測し、狙撃手のサポートをする。このフィールドスコープはレーザーを照射し、レーザーの当たった位置で標的までの距離を正確に計ることができる。

 

「AとFの上昇、確認。FにはBの翼がある。佐藤の読み通りだ」

 

 エンデヴァーとキドウが空に舞い上がっていく姿を、男ヴィランはフィールドスコープから目線を離した肉眼で見た。

 

「見えている。Aにスコープを合わせた」

 

 女ヴィランはエンデヴァーの方に照準を合わせた。最優先ターゲットに指定されているエンデヴァーと優先順位六番目のキドウでは、エンデヴァーに狙いを絞るのは至極当然の選択である。

 

「了解。Aをスポットする」

「私たちより上空に行った。うつ伏せから姿勢を変更」

 

 女ヴィランは十キロはあるバレットМ95を軽々と持ち上げ、屋上の端の壁に座り、もたれるようにして体を固定。立てた膝に銃身を持つ腕の肘を当てて座射の姿勢。射撃時、反動のブレを極力排除するが、うつ伏せでの射撃と比べたら精度は落ちざるを得ない。

 座射の姿勢になる時、風が吹いた。女ヴィランのハンチング帽が飛ばされる。女ヴィランの頭には小さな角が二つあった。

 男ヴィランが飛ばされたハンチング帽をキャッチし、そのまま女ヴィランの頭に被せる。

 

「鬼の力、見せてもらおうか」

 

 男ヴィランが挑戦的に笑った。女ヴィランは微かに口元を緩めたが、すぐに引き締まる。

 

「銃の撃ち方は覚えたが、人に向けて撃つのはこれが初めてだ」

「気楽に行こう。Aとの距離、八四四、南東の風、風速二メートル。八五一、八五四、まだまだ上昇している……完全に停止するまで待て」

「……まだか」

 

 女ヴィランはスコープのウィンデージを回して、風速の情報を元にスコープを調整。引き金にかかっている指が微かに震え、じんわりと手汗が滲む。現ナンバーワンヒーローといってもいいエンデヴァーを葬れるかもしれないチャンス。平常心でいろと言う方が無理がある。

 

「……止まった、止まったぞ! 距離九二七、風向き風速共に変わらず! 撃て!」

「すぅッ──」

 

 女ヴィランは息を止めた。スコープの照準はエンデヴァーではなく、エンデヴァーより上を狙っている。本来であれば距離も調整してレティクルの真ん中にいくようにするべきだが、彼女はスコープにある目盛りを基準とした。風速の調整はできても、距離の調整は実際に撃ってからでないと完璧な調整は難しいからだ。

 女ヴィランが息を止めたまま、引き金を引いた。轟音。女ヴィランの視界で火花が散る。全身に痺れるような衝撃。同時に、エンデヴァーに向かって銃弾の蒸気の線が伸びた。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 佐藤が操縦席に座っていると、飛行機が急に激しく揺れた。機内もビリビリと振動。同時に、男の大声が響き渡る。

 

「ベルト外せェェェェ!!」

「…………」

 

 佐藤は無表情で数秒その言葉の意図を考えた。その後、佐藤は微かに笑う。

 

「成る程ね。そういう作戦かぁ……」

 

 事前に考えていたヒーローの対応のパターンの一つに、このパターンがある。旅客機の乗客に協力を求め、助けようとするパターン。正直な話、一番可能性があると考えていたパターンであり、一番読みやすいパターンでもある。佐藤にしてみれば、その分多少退屈なパターンだ。だが、前の世界ならともかく、この世界には個性という能力や特徴がある。その不確定要素はパターンの退屈さを余裕で吹き飛ばすほどの魅力的な要素だ。

 

「それにしても、やっぱりヒーローなんだねぇ」

 

 命を懸ける覚悟はあっても、切り捨てる覚悟が無い。そのレベルなら、付け入る隙はいくらでもある。

 なんにせよ、こうしてヒーローのリアクションが伝わったことで、佐藤の気分は高揚していた。

 

 

 一方その頃、乗客の方にも騒ぎが起きていた。

 激しい機体の揺れと同時に「ベルト外せェェェェ!!」と男の大声が聞こえたからだ。

 この声が聞こえる前まで、乗客は絶望に沈んでいた。ヒーローが次々に殺され、しかも殺した相手は佐藤。佐藤といえば、銃撃爆撃当たり前の超危険人物であり、何よりヤバいのはその被害規模。一般人を何人巻き込もうが気にしない、むしろ巻き込むように被害を出す最低最悪のヴィラン。そんなヴィランにハイジャックされたとなれば、当然人質となった自分たちの未来に希望の光は一寸すら無い。泣いている乗客も少なくなかった。

 そんな状況下で、この声を聞いたのだ。

 

「え……何今の……」

「誰の声ぇ……?」

「今の声、プレゼント・マイクだ! 雄英の体育祭とかでよく聞く声に似てる!」

 

 乗客の一人がそう言い、他の乗客も「言われてみれば確かに……」と納得する声があがる。

 雄英は全国ナンバーワンのヒーロー学校であり、ヒーロー全盛期である今、雄英生徒の活躍が見れる体育祭はテレビで中継されるほどの人気がある。雄英の教員でもあるプレゼント・マイクはその体育祭の実況もやっており、プレゼント・マイクの声は全国的に有名であった。

 

「でも……ベルト外せって何……?」

「空にいるんだぞ……! ベルトを外すなんてとんでもねぇ!」

「そうだよ! 通常航行時ならともかく、ハイジャックされた飛行機なんていつ降下するか分かんないんだから!」

「ならこのまま……佐藤が何かするまで待つの?」

 

 パニックになっている機内の中、女性の落ち着いた声が響く。その声はゆっくりとパニックの乗客たちに浸透し、言い合いをしていた乗客たちが徐々に口を閉じていった。そして、静寂。

 機内が静まり返ったところで、落ち着いた女性は再び口を開く。

 

「みんな、内心分かっているでしょ? このまま待っていたって、事態は好転しないって。あの佐藤が、何事も無くこの飛行機を着陸させると思う?」

 

 乗客はその言葉で表情を暗くし、俯いた。みんな、内心分かっている。自分たちが生き残れる確率は限りなく低いのだと。

 

「……私には、もうすぐ五歳になる息子がいるの」

 

 女性は携帯の電源ボタンを押した。バックライトが点灯し、ホーム画面が映る。

 

「息子は口を開けばヒーローになりたい、ヒーローになるんだって言うのよ。その度に私は、きっとなれるよって言うの。このまま何もしなかったら、私たちの運命は佐藤に預けることになる。それでいいの!? 私は嫌! それなら、私はヒーローに賭ける! 息子が信じて、憧れているヒーローに!」

 

 乗客が次々と顔をあげ、その女性の方を見た。そして、自分を座席に縛り付けているシートベルトの方に視線を移す。

 このシートベルトを外すという行為は、乗客にとってただ自分の体が自由になるという単純な話だけではない。これを外すという選択は、自身の運命を成り行きに任せる傍観者から自身の運命を選択する当事者へと変化させるということでもある。すなわち、この理不尽な状況に絶望して祈るか、この理不尽な状況と戦うかという分かれ道。

 彼らは互いに視線を交わし、頷き合う。シートベルトに手を持っていき、シートベルトを外した。

 この飛行機に乗っている乗客の人数は百十二人。それだけの人数が、プレゼント・マイクの一声がきっかけとなって一斉に自由を取り戻した。そして、彼らは先ほどとは打って変わって希望を抱いている。

 だが、ここから話がおかしな方向へといってしまう。

 いつの時代も、気分の高揚と多人数というものは感覚を麻痺させることがある。俗に言う集団心理というものだ。

 集団心理を簡単に説明すると、多数派の意見に同調し追随したくなる心理である。その意見が正しいかどうかは関係ない。多くの人と同じ行動をとる安心感。それが正誤や善悪の壁を破壊し、時に判断を誤らせる。

 きっかけとなるのは、ある一人の男の言葉だった。

 

「なぁ、俺たち全員で佐藤に襲いかかれば、佐藤を取り押さえられるんじゃねえか?」

「え……?」「な、何を言ってるのよ!」「危ないぞ!」「無理だろ!」

 

 次々に湧き上がる非難の声。だが、男は食い下がる。

 

「いや、勝算ならある! 佐藤の姿を俺たちは見ただろ? 武器を隠しておけるところは持ってたハンドバッグくらいだった。ということは、佐藤が飛行機に持ち込めた武器はそんなに多くない筈だ。しかも、その武器の大半をこの飛行機を警備していたヒーローに使用している」

「だからって、佐藤がどんな『個性』を持ってるかもハッキリしてないし! 無謀だよ!」

「確かにハッキリとした『個性』は未だに分からない。でも、考察はされてた。おそらく回復系か分身だってな。でも、分身なわけない。もし『個性』が分身だったら、もうすでに俺たちの方に分身体を置いているだろう。回復系の『個性』にしたって、この人数相手じゃ焼け石に水さ。俺たちで取り押さえてしまえば、何もできない」

 

 佐藤の個性が何かという考察は、テレビ番組の1コーナーになるほど人気があった。それだけの話題性とミステリアスさを佐藤というヴィランは持っていたのだ。

 非難の声をあげていた人々は口を閉じる。男の言い分を自分の中で消化して思考するために必要なことだった。

 一拍置き、静まり返った中で男は力強く声を出す。

 

「このままただヒーローの助けを待ってみろ! いざその時になったら、佐藤が妨害してくんのは火を見るより明らかなことじゃねえか! どのみち佐藤と戦うことになるんだったら先手を打つべきだろ! こんな広い場所で佐藤とやり合うより、操縦室みたいな狭い場所の方が逃げ場も無いし、確実に勝てるさ! そんで、ヒーローも手を焼くような凶悪ヴィランを捕まえてさ、俺たちでもヒーローになれるんだってとこを見せてやろうぜ!」

 

 男がグッと握り拳を作る。

 乗客たちはだんだん、男の言葉が正しいような気がしてきた。これだけの人数がいて、負けるわけがない。それに加え、ヒーローが負けっ放しのヴィランを捕まえられるかもしれないという魅力。

 

「……やるか」「やっちまおう!」「ヒーローになろう!」「俺たちもやれるんだって見せてやろう!」

 

 空気が変わった。どんどん空気が熱気を帯びていく。その熱気は次々と伝播し、乗客を興奮の中へと突き落とした。

 

「ちょっと!? 冷静になって! そんな簡単な相手なわけ──」

 

 そんな中で一人、息子がいると言っていた女性だけは男の判断を考え直すように声を出したが、その声は他の乗客たちの興奮した歓声によって掻き消された。

 

「なら俺は、決定的瞬間を撮影するぜ」

 

 乗客の一人が携帯を取り出し、カメラを起動。録画を開始した。

 乗客たちは我先にと操縦室の方に走り出し、扉を開けようとする。が、開かない。乗客たちが顔を見合わせ、息を合わせて力を入れることで、信じられないくらいに重い扉を開けて操縦室になだれ込む。そして、一発の銃声。勢い任せに飛び込んだ先頭の男の額が撃ち抜かれ、そのまま副操縦席に頭から突っ込む。

 銃声と操縦室の状況──死体がところどころに転がり、脳が溢れ落ちている頭や血まみれの床と壁──が、乗客たちの興奮状態をまるで冷水をぶっかけたように冷ましていく。

 佐藤は操縦席に座りながら、拳銃を扉の方に向けていた。あれだけガタガタ扉を揺らしていれば、たとえ向こうの音が聞こえてなくても異常に気付く。

 

(デコイ)はデコイらしく、大人しくしときなよ」

 

 佐藤は操縦席に座ったまま、顔だけ振り向いている。その落ち着き様は、数で押せば勝てると思っていた乗客に再び恐怖心を思い出させた。

 佐藤は引き金を引く。更に三人の頭を撃ち抜き、三人は扉のところで折り重なるように倒れる。

 

「……あ……あぁ……」

 

 乗客たちの足が竦み、その場から前に行くことも後ろに下がることもできない。少しでも動いて佐藤の気を引いたら、その瞬間撃ち殺されそうで、彼らは金縛りにあったように硬直した。

 

「命の使いどころはちゃんと考えた方がいい。特に、君たちは残機がないんだから」

「ざ……残機……?」

 

 乗客の一人が恐怖に顔を引きつかせながらも、佐藤の聞き慣れない言葉を復唱。

 佐藤はそんな乗客の言葉を無視し、その乗客に拳銃の照準を合わせる。

 瞬間、乗客たちの後方から女性が押し退けながら飛び出してきた。佐藤は反射的にその女性の方に照準を変える。射撃。しかし、女性は自らの両腕から爪の先まで岩に覆われていて、岩で覆われた右手で銃弾を弾いた。その勢いのまま、佐藤の顔面に岩の右拳を振り下ろす。が、その右拳は佐藤に届く寸前に何かに止められた。まるで佐藤の顔と右拳の間に分厚い透明な板があるようだ。

 女性には見えないが、女性の拳は黒い異形の右手によって止められている。拳が当たる直前、佐藤はIBМを使用して、異形を創り出していた。

 

「……あ〜あ、ここで使うつもり無かったのに」

「くッ!?」

 

 ──私の右手、動かない! 何かに掴まれてる!?

 

「早く逃げて!」

「……その『個性』……思い出した! あんた数年前に引退した岩腕のヒーローの……!」

「逃げろって言ってるでしょ!?」

 

 その女性の剣幕に押され、乗客たちは一斉に逃げ出した。

 女性は右拳を掴んでいる何かに向かって左拳を振り下ろし、異形の右手を破壊することで右拳の自由を取り戻した。

 異形の破壊された右手はすぐに再生し、異形は女性に跳びかかりながら左手を振り下ろす。女性は両腕を縦に合わせて顔から腹部までを守る岩の盾を形成していたため、異形の左手は女性の岩腕に爪痕を残して吹っ飛ばすだけで終わった。女性は扉を利用することで上手く体勢を整える。衝撃のあった腕の部分を見ると、化け物が引っ掻いたような爪痕が残っていた。

 

 ──これ、間違いない! 何か透明な生物を操ってる? それとも生み出している? どちらにしても、透明な何かを操作する『個性』! これが佐藤の『個性』なんだ!

 

 女性はチラッと背後を振り返る。

 突入前に携帯で撮影している男は、未だに携帯をこちらに向けながら逃げていた。あの男が生きてヒーローにその録画映像を提供できるなら、きっとヒーローは見抜く。佐藤の『個性』が透明な生物を使う『個性』なんだって。

 今やらなければならないこと。それは、佐藤を倒すことじゃない。録画映像がヒーローのところに届くよう、この部屋から佐藤と透明な生物を出さないようにしてあの男を守ること。

 そんなことを女性が考えている間にも、異形は動きを止めない。佐藤は操縦席に座ったままだ。

 女性は扉を閉める。ほぼ同時のタイミング。異形は腕を振り回し、今度は岩腕ごと女性を壁に叩きつけた。

 

「ぐぁ……ッ」

 

 壁に叩き付けられた衝撃で、携帯が女性のポケットから落ちた。落ちた衝撃で、携帯画面が映る。女性の息子の画像のホーム画面。

 異形はチラリと携帯画面を見た。それから、再び腕を振るって女性の体を扉に叩きつける。

 

「デコイなんて言って悪かったね。君はしっかり(スコア)だよ」

 

 佐藤が正面の光景を見ながら、そう言った。

 異形が壁に叩きつけられて四つん這いになった女性の首を掬いあげるように右手で掴み、そのまま持ち上げて扉に押さえつける。女性の両足は床に届かず、女性はジタバタと両足をバタつかせた。

 

「息子がいるみたいだね。大丈夫! 君の息子は強い子だ! 母親がいなくなったって、立派に成長するよ!」

 

 佐藤が明るい声で言った。

 女性は歯を食い縛り、両腕の岩を伸ばすことで両壁に穴を空け、自身の体を固定。扉が開かないよう自身の体でブロック。これで、扉を開けるためには女性の体をどかさなければならないが、どかすためには女性の両腕を切断して両腕を壁から引き剥がさなくてはならない。かなりの時間稼ぎになる。

 女性は正面を見続ける佐藤の後ろ姿を睨む。

 

「……最後は……最後は必ずヒーローが勝つ……! 覚えとけクソ野郎!」

 

 異形の左拳が女性の頭を殴り潰す。それでも、岩腕は元の腕に戻らず、両壁に突き刺さったままだった。



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第37話 ドローン爆撃

 おそらくそれは、エンデヴァーというヒーローの持つ幸運だったのだろう。

 上昇を止めて停止した時、視界の端にチカッとした光が見えた。その光は対物ライフルの高倍率スコープの反射光である。

 エンデヴァーはその時も佐藤が目の前で自爆する直前に感じたような恐怖を抱く。防衛本能が動かないとヤバいという警鐘を鳴らした。脊髄反射に近い速度で、エンデヴァーは右方向に全力噴射。エンデヴァーの体が左に高速移動。瞬間の轟音。チッとエンデヴァーの右脇腹を何かが抉った。

 

「……ッ!」

 

 エンデヴァーは右脇腹を見た。ヒーロースーツが破れ、右脇腹から血が溢れ出している。直撃ではない。ほんの少しかすっただけだ。にも関わらず、この威力。直撃していたら冗談抜きで胴体が吹き飛んでいただろう。

 エンデヴァーは右手のフィンガーレスグローブを抜き、口に入れる。そのまま自らの炎により、右脇腹を焼くことで素早く止血。この判断にはカロリーメイカーが後方支援していることも関係している。カロリーメイカーのヒールボトルがあれば火傷でもきれいに治すことができるため、エンデヴァーは後のことを考えず現状での最善の応急処置をした。

 

「ぐぅッ!!」

 

 エンデヴァーの口から呻き声が漏れる。肉を焼かれる凄まじい激痛。フィンガーレスグローブを口に入れた理由は、あまりの痛みで舌を噛まないようにするためだった。

 エンデヴァーは止血しつつも、目は反射光のあった場所に向けている。建物の屋上。おそらく二人。豆粒のような小ささだが、動いているので人間だと判断した。

 止血が完了したエンデヴァーは口からフィンガーレスグローブを右手で取り出し、そのまま右手から噴射した炎によってフィンガーレスグローブを炭に変えた。その後、右手を握りしめ、スナイパーのいた場所を睨む。

 

 

    ◆     ◆     ◆   

 

 

「クソッ! 狙撃失敗! 狙撃失敗!」

 

 男ヴィランの焦り混じりの声。女ヴィランはスナイパーライフルのボルトアクションをしている。空薬莢の排出と次弾装填。排出された空薬莢が落ち、キンッという金属音が響く。

 狙撃をしくじった二人組のヴィランは慌てて次の段階に行動を移している。狙撃をしくじった敵陣ど真ん中にいるスナイパーが次やることは一つしかない。狙撃ポイントからの逃走である。

 

「逃げるぞ!」

 

 中年の男ヴィランが両手を上に向けた。その両手の平の中に黒い渦が発生。そのまま渦が凝縮されていき、最終的に野球ボールほどの黒い球体となる。

 対物ライフルを持っていた女ヴィランはその間に対物ライフルを屋上の壁に立て掛け、黒い球体が完成した瞬間、右手の方の黒い球体を掴んで思いっきり真横に投げた。男ヴィランは左手の方の黒い球体をそのまま下に落とす。

 女ヴィランが投げた黒い球体はやがて遠くにある建物にぶつかり、黒い球体はぶつかった瞬間に人一人が通れるほどの楕円の染みを作った。ぶつかったところが壊れるとかそういうのは一切無い。本当にただ楕円の黒い染みを作っただけだ。

 だがその染みは、男ヴィランの足下に落ちたもう一つの球体も同様に楕円の染みを作った場合、変化が生まれる。ただの黒い楕円の染みから別の場所の光景が見えるようになり、その周囲に黒いモヤを発生させていく。

 これがこの中年男の個性『転移門(ポータル)』だ。同時に発生させた球体のぶつかった場所を繋ぎ、時間にして約十秒間、両方の場所を行き来できる門を創り出すことができる。門は一つまでしか存在できず、黒い球体も三十秒しか維持できないという制約のため、遥かに遠い場所に移動したり多くの場所を同時に移動したりすることはできないが、逃走手段としては申し分ない。またそういう手順で創る門だからこそ、この男は身体能力増加系の個性であるこの女ヴィランとコンビを組まされたのだ。

 男ヴィランは足下の別の場所が見えている門に飛び込む。女ヴィランも立て掛けていたバレットМ95を掴みながら男ヴィランの後に続いた。やがて屋上にあったポータルは消え、屋上から人の気配は全て消失。スナイパー確保のため、屋上を目指しているヒーローたちを嘲笑うような無駄の無い逃走であった。

 高層ビルのフロア内に移動した二人は背後を振り返る。窓からさっきまで自分たちがいた建物が見えた。遠くにあるため、小さく見える。

 

「佐藤から狙撃班に入るよう言われた時は耳を疑った。しかも相棒(バディ)はこんなお嬢さんだ。今日はエイプリルフールなんじゃないかって思ったくらいさ。でも、なかなか俺たち良いコンビじゃないか?」

「そうだな」

「今後のために、今夜ディナーでもどうだ? 退屈させないぜ」

「あなたが佐藤さんみたいになったら、付き合ってもいい」

「……ハードル高すぎんだろ、それ……。まあ、お前が佐藤に心酔してるのは、そのハンチング帽で薄々気付いていたけどな」

 

 男ヴィランは女ヴィランの頭の上に乗っているハンチング帽を指さす。女ヴィランはハンチング帽を右手で持って得意気に被り直した。

 

「私もあんな風になりたいんだ。どんな状況でも余裕があって、強くて、クールで、カッコいい人間に。あなたは弱そうだ。武勇伝を聞いてもきっとつまらない」

「はぁ、やれやれ。振られちまったか。鬼の具合ってのがどんなものか確かめたかったのに」

「だったら振られて良かったな。確かめてたら大事な部分が潰れてたぞ」

 

 男ヴィランは思わず股間を両手で押さえた。顔から血の気が引いていく。

 

「冗談だ」

 

 女ヴィランは無表情でそう言いつつM95ライフルのスコープを覗き込み、自分たちがいた建物の方を見る。そこで見えた光景は、次々と多数のドローンが上昇していく光景だった。

 

「次の狙撃ポイントに行くか」

「了解」

 

 無人となっているフロアを二人は走り抜ける。どうやらこの付近の民間人は避難しているようだ。これなら次の狙撃ポイントも楽に確保できるだろう、と女ヴィランは思った。

 

 

    ◆     ◆     ◆   

 

 

 エンデヴァーは建物の屋上にいた豆粒のような物体が唐突に消えたところを見た。

 

「ワープの『個性』持ちだと……? 黒霧は捕らえた筈……」

 

 かつて(ヴィラン)連合には黒霧という個性が『ワープゲート』のヴィランがいた。この『個性』のせいで雄英高校に大勢のヴィランが侵入したといった事件などがあり、この神出鬼没さがヒーローの対応を遅らせ、ヴィラン連合にとってかなりのアドバンテージになっていた。

 そんな『個性』を持つ者が佐藤側にいる。これはとてつもなくヤバい。奴を早急に捕まえなければ……。

 

 ──クソッ! 奴らはここで確実に捕まえなければならない危険人物だ! だが、奴らを追跡したら旅客機が……!

 

 故に、エンデヴァーの選択は狙撃したヴィランの追跡ではなく、インカムの発信ボタンを押すという選択になった。

 

「こちらエンデヴァー! たった今ヴィランに狙撃された! 狙撃したヴィランはワープらしき『個性』で逃走! 難しいとは思うが、その現場近くにいるヒーローは逃走したヴィランの確保に全力を注いでくれ!」

 

 エンデヴァーの言葉に、インカムから『了解』という返事がいくつもあった。

 その返事にエンデヴァーの気分はほんの少しだけ晴れたが、次の展開にそのほんの少しの晴れた気分は吹き飛んだ。

 エンデヴァーの視界では、ミニチュアのような建造物を背景に小さな粒が渦を巻くように縦横無尽に動き回りながら上昇してきている。

 それがドローンであり、ヴィランの攻撃であると理解した時には、はっきりとドローンだと分かるくらいにはそれらは接近していた。この時のドローンは爆発物が取り付けられていたため、重量の関係で速度は平均的なドローンより遅くなっている。だが、時速にして六十キロは出ているから、攻撃手段としてみたら決して遅くない。

 エンデヴァーは多数のドローン群の先頭に凝縮した炎を噴射した。まるでレーザーのように見えるその攻撃は先頭ドローンを正確に貫き、破壊。同時に破壊されたドローンが爆発。爆風と爆風に乗ったドローンの破片が辺りに撒き散らされる。

 

「……何ッ!?」

 

 エンデヴァーの顔が驚愕に染まる。ドローンが爆発したことも驚いた要因の一つだが、一番驚いたことは今の爆発に他のドローンが一台も巻き込まれていないことだ。それはつまり、各ドローンが爆風範囲を計算に入れたうえで動いているということであり、更に言えばこんな条件を常に満たしながら全てのドローンを手動操縦など至難の操縦技術が要求される。となれば、これらのドローンは自動操縦ということになる。これだけ複雑な動きをさせながら、そういった細かい条件を満たせるプログラムを構築できる奴が、佐藤側にいる。

 

 ──プログラミングに長けた奴が佐藤側にいることは確定! 佐藤はサイバー戦においても優位に立てるということか!

 

 しかし、とエンデヴァーは頭を切り替える。サイバー戦、電子戦、情報戦等のことを今考えても仕方無い。第一、それらの闘争にエンデヴァーは無力だ。

 今考えるべきは、眼前の脅威。エンデヴァーは浮力を維持するため下への炎噴射をし続けなければならない。その影響で攻撃できる方向というのが限定され、死角となる部分がある。

 エンデヴァーは炎のレーザーを肩や両腕に取り付けられている噴射口から噴射。ドローンは捉えられない速度ではなく、規則正しい動きをする。パターンを読み切れば、攻撃を当てるのは容易。次々とドローンを撃ち落とし、爆発の花が首都上空に咲いた。細かなドローンの破片の雨が周辺に降り注ぐ。ドローン攻撃は終わらない。爆煙を切り裂いて、ドローン群が迫ってくる。距離にしておよそ三百。

 エンデヴァーはインカムの発信ボタンを右手で押す。

 

「ドローンは爆発物を搭載! 操縦は自動操縦だ! 総員、冷静に移動パターンを見切れ!」

 

 早口でインカムにそう言いつつ、エンデヴァーは炎のレーザーを噴射し続ける。三台破壊。爆発。爆煙から多数のドローン群。距離二百二十。

 

『了解』

 

 という声でインカムが混線。最低限の情報は伝えたし、そこから佐藤側にプログラミングに長けた奴がいることは察せられる。これでエンデヴァーはドローンとの戦闘に集中できるようになった。が、戦闘に集中できることが必ずしも良い影響を及ぼすわけではない。

 

 ──俺は旅客機の乗客を助けつつ旅客機を破壊するという役目がある。そのための準備や調整も必要だ。だが、これではそれをする余裕が無い。どうする!? どうすればいい!?

 

 ドローン群飛来。数にして残り十九。爆風範囲は目測で十から十五メートルといったところか。

 エンデヴァーは下への炎噴射を強める。エンデヴァーの身体が上昇を始めた。少しでもドローンとの距離を稼ぐことで、なるべくドローンを遠方で破壊しようとする。爆煙でドローンが見えない時間がある以上、そこから抜けてきたドローンを撃破するまでには通常より時間が掛かる。それでドローンに距離を稼がれ、接近を許してしまう。

 エンデヴァーの炎のレーザーは恐るべき正確さでドローンを破壊していく。しかし五台のドローンを破壊した時にはドローンとの距離は百メートルまで縮まっている。

 

 ──作戦どころではない! このままでは、俺はドローンに捉えられる!

 

 この窮地を抜け出す方法はある。上昇に使っている炎をドローンの攻撃に回せばいい。だが、それをするということは、作戦を放棄するのと同義。

 

 ──俺が立てた、俺の作戦。キドウの命を、俺のサイドキックの命を使った作戦。放棄など、してはならん!

 

 この作戦の要たるエンデヴァーが作戦放棄をすれば、作戦そのものが瓦解する。旅客機は国会議事堂に墜落し、大半の国会議員と旅客機の乗客、その周辺に住む避難していない人々の命が失われる。そんなことを許してはいけない。自分はナンバーワンヒーローとなるのだから。

 エンデヴァーはドローン群を睨んだ。そのドローン群の背後に佐藤の薄ら笑いが浮かび上がった。激情がエンデヴァーの全身を駆け巡り、噴射している炎の勢いが更に増す。

 

「俺を、ヒーロー(俺たち)を舐めるな!」

 

 炎のレーザーを噴射。四台撃破。残り十台。ドローン群との距離五十三メートル。

 

 ──爆風範囲に入るまでに破壊できるドローンは三、四台。六、七台のドローンは爆風を浴びるのを覚悟しなければならんか。

 

 だが、それだけの爆風を浴びて耐えられるのか。そもそも肉体すら残らないのでは? 一瞬だけでも浮力として使っている炎を攻撃に回したらどうだ? しかしその場合、再び浮力を得るために必要な炎の噴射はどれだけ必要になる? 

 当然の話になるが、地上に近ければ近いほど旅客機を破壊する位置は地上に近くなり、それだけ旅客機を破壊した時の被害や乗客の死亡者が増加する。

 浮力の炎を止めてしまったら、エンデヴァーはここから落ちていくことになり、落下速度を相殺して上昇するために必要な炎を噴射できた時にはかなり下まで落下しているだろう。そこから作戦を成功させられる確率はゼロに等しい。

 迷いと焦り。それらは攻撃にも影響が出る。

 エンデヴァーの噴射した炎のレーザーが全て外れた。十台のドローンが無傷のまま、接近。距離四十。

 

「壊れろォォオオオ!!」

 

 突如として聞こえた大声。プレゼント・マイクの声だ。大声と同時に、エンデヴァーに接近していたドローンが次々に壊れて爆発。だが、全てではない。爆煙の中から四台ドローンが飛び出してくる。距離二十四。

 

「任せろォォオオオ!!」

 

 再びプレゼント・マイクの声。ドローン四台が衝撃波に呑まれ、爆発。エンデヴァーの眼前が爆煙で埋め尽くされる。

 エンデヴァーは振り返り、声が聞こえてきた方を見た。リューキュウに抱えられているプレゼント・マイクがいる。双方の距離は百五十メートルくらいか。それだけの距離があっても、音速の攻撃は一瞬で届く。

 プレゼント・マイクはエンデヴァーに向かって右手を振った。

 

『俺がアンタの露払いをしてやるぜ! 主役は旅客機に集中しな!』

「フッ、成る程。音速の広範囲攻撃なら、あれだけのドローンにも対処できるか。プレゼント・マイク、礼を言うぞ! 貴様はこの作戦において一番の貢献者になるだろう!」

 

 インカムでやり取りを交わす。

 遠くに見えるプレゼント・マイクは親指を立てた。

 エンデヴァーはニヤリと笑うと、顔を上げてプレゼント・マイクたちから上空へと視線を移す。

 

 ──そうとも。これからが俺にとって本当の戦いだ。

 

 佐藤の操縦する旅客機こそ、俺の戦うべき相手。

 エンデヴァーは炎と闘志を全身に(みなぎ)らせ、旅客機に対処するための準備と調整を始めた。

 

 

    ◆     ◆     ◆   

 

 

 ホークスはフルオート式アサルトライフルの八九式五.五六小銃を強く握りしめた。その顔は緊張してうっすら冷や汗も浮かんでいる。

 ドローンが飛び回っていた。視界に見えるだけで十台は見える。視界に見えるだけで十台以上なら、総数で五十台はありそうだ。そのドローンは四脚のそれぞれの先端にプロペラがあり、胴体のすぐ下に球体状の物が取り付けられている。

 ヒーローと警察側はドローンなんて使用していないし、使用するという話も聞いていない。つまりこのドローンはヴィラン側のアイテムであり、こうして見えるように出てきた時点で偵察用ではなく、攻撃用であることは明らかだ。となると攻撃手段だが、見たところ胴体に取り付けてある球体以外に攻撃手段になりそうなものは無い。

 ドローンだけであれば、対応は簡単な部類になるだろう。捉えられない速度ではないし、ただぶつかりに来るだけなら動きも読みやすい。

 ホークスはアサルトライフルを構えつつ、残り僅かな羽根を意識する。残っている羽根の枚数は十枚程度。あのドローンを破壊するために必要な羽根は何枚必要か? アサルトライフルの弾は何発いるのか? ドローンの構造に詳しくないため、どの部分を壊せば効率的に機能を停止させられるのか分からない。それに、あのドローンについている球体はなんだ?

 その時、上空で爆発が起きた。ドローンの塵のような破片が太陽光を反射しキラキラと光る。

 

 ──爆発した!?

 

 あのドローンに取り付けられている球体は爆弾か。なら、破壊する難易度は遥かに上がる。爆発させないように破壊するか、爆風範囲を考えて破壊しなければならないからだ。

 エンデヴァーからインカムが入った。

 

『ドローンは爆発物を搭載! 操縦は自動操縦だ! 総員、冷静に移動パターンを見切れ!』

 

 ──自動操縦!? そんな技術を持つ奴が佐藤側にいるのか!

 

 手動ではなく、自動。これが意味することは、当たり前の話になるがドローンを操作する人がいないということ。となれば──。

 ホークスの視界の端。建物の陰に三つの銃口が現れる。これだ。自動なら、ドローンだけでなく人的戦力も投入できる。

 

「伏せろ!」

 

 ホークスは叫んだ。その声に反応し、念道は伏せ、創壁が伏せつつ自身、ホークス、念道の前にバリアを展開。ゴウは伏せない。三つの銃口が現れた方向に自身のアサルトライフルを構える。

 始まる銃撃。射撃音が辺りに響き渡り、ホークスの上を銃弾の蒸気の線が飛び交う。ゴウの体に何発も敵の銃弾が当たっているが、ゴウの身に付けるヒーローアーマーは全て弾いた。その中でゴウは冷静に三つの銃口に向かってアサルトライフルの照準を合わせ、撃つ。銃を撃っていた三人の体がのけ反って倒れた。

 

「ゴウ!」

 

 殺したのか、と言葉を続けようとして、ホークスは口を噤む。もう今まで知っていたヒーローとヴィランの戦闘ではない。分かっていた筈だ。俺も殺した。殺さなきゃ殺される。そういう狂気を、佐藤は押し付けてくる。

 

 ──俺たちは戦争をやってるんだな。

 

 視界の端で三人ヒーローが集まっているところにドローンが飛び込む。爆発。三人がカバーしていた建物もろとも爆発に巻き込まれ、建物が崩れ、建物の破片、窓ガラス、ドローンの破片、ヒーローの肉片が辺りに飛び散った。その光景を見て、どこからも悲鳴はあがらない。悲鳴をあげる民間人の避難は大体完了しているし、軟弱なヒーローはこの作戦に参加していない。今この場にいるのは悲鳴をあげても事態は好転しないと理解している者だけだ。

 ホークスのアサルトライフルを握る手に力が入る。

 

 ──戦争やってんだよ。

 

 自分に言い聞かせる。殺しても仕方ないんだと。やるしかないんだと。覚悟はHUNTに入ると決めた時にした筈だ。

 ドローン群飛来。使い慣れていない銃ではなく、羽根を使って破壊してみるか? だが、爆発するという情報を思い返して、その選択を断念。

 

 ──ん? 爆発する……? ターゲットB……? そして、今回の旅客機墜落ゲーム……。

 

 ふとした疑念。確定した情報。それらの点が、ホークスの頭の中で繋がり、確信に近づいていく。

 

 ──発想を逆転させろ。ヴィランの、佐藤の思考に。旅客機墜落をあえて猶予を与えて実行する意味を。

 

 旅客機を墜落させる場所。それは国会議事堂でほぼ確定。それを成功させることで得られるであろう効果。国の中枢たる国会議事堂に旅客機を墜落させることで、国民の反ヒーロー感情、恐怖、不安を煽る。と同時にヒーローの信用低下。ヴィランたちのテンションを上げさせ、更なる犯罪行動の活発化。政府に恐怖心を植え付け、佐藤の『国土防衛軍』の創設という要求を通しやすくする。

 考えれば考えるほど、旅客機を国会議事堂に墜落させる心理的効果が出てくる。だが佐藤は、旅客機墜落を確実に通せる方法があるにも関わらず、あえて対応できる時間を与えた。それは本当に、佐藤がただ愉しみたいだけという理由なのだろうか。

 

 ──いや、違う。これは……!?

 

 佐藤の立場になって考えてみよう。佐藤の戦力と行動力があれば、再び似たようなことをやれるだろう。佐藤からすれば、こんな『ゲーム』いつでも作れる。

 ならこの旅客機墜落ゲームの真意は、旅客機墜落をヒーローが阻止できるかどうかではなく、旅客機墜落を阻止できるほどのヒーローをあぶり出し始末する、及びHUNTの隊長であるホークスという存在を消すのが真意なのではないか。

 そう考えれば繋がってくる。全ての情報が。ドローン爆撃。この攻撃に対し、ホークスはあまりにも無力だ。ドローンを破壊するために使用する羽根は爆発によって焼失する。爆発の破片を防ぐ術をホークスは持たない。ホークスは羽根で風を巻き起こしたりはできないからだ。そして、ホークスの羽根を利用して旅客機墜落を防げそうなヒーローを飛ばすという発想だってできないことはない。つまりは羽根のリソースが削れることも計算に入れた可能性すらある。

 

 ──この旅客機墜落ゲームは、おそらく俺とエンデヴァーさんを殺すのが本当の目的だ! くそッ!

 

 ホークスは舌打ちしたくなる気持ちをぐっと抑える。それが分かったところで、やることは何一つ変わらないのが辛いところだ。結局、旅客機の墜落は阻止しなければならないのだから。

 だが、やれることはある。今のホークスはこれ以上旅客機墜落の阻止にリソースを使わなくていい。全力で自身の身を守ることに集中できる。

 ドローンの群れはホークスを見つけるやいなや、攻撃しようとしていたヒーローからホークスへと軌道を変更。四方八方からホークスへとドローンが殺到。

 ホークスから見て左斜め前。ミルコが強烈な蹴りで衝撃波を起こし、二台のドローンを蹴散らした。右斜め前。エッジショットが自身の体を紙のように薄く伸ばしてドローンの群れを同時に刺突。それらの変化速度は音速を超える。爆発する瞬間に爆風範囲外の部分に肉体を集め、爆風を回避。

 

「気をつけろホークス! このドローンども、明らかにお前を標的にしてる!」

 

 ミルコがそう叫んでいる間に、ミルコが破壊したドローンの爆煙を潜り抜け、三台のドローンがホークスの方に向かう。

 

「チィッ! 逃がすかあ!」

 

 ミルコが舌打ちし、自身を通り過ぎていくドローンを目で追いながら体を捻る。廻し蹴り。それによって生まれる衝撃波はドローンを一台破壊した。が、二台は以前としてホークスへと接近。

 エッジショットの方には側面からヴィランたちが現れ、銃撃を浴びせ始めた。エッジショットは再び自身の体を薄く伸ばし、銃撃を回避しながらヴィランたちを無力化させている。が、そこの制圧でホークスの援護には来れなさそうだ。

 ゴウが左斜め後ろのドローン群にアサルトライフルを連射。破壊。爆発。爆煙。更なるドローンの飛来。

 念道が右斜め後ろのドローン群にアサルトライフルを連射。破壊。爆発。爆煙。

 創壁が後方のドローン群にアサルトライフルを連射。破壊。爆発。爆煙。

 ホークスが前方のドローン群にアサルトライフルを連射。破壊。爆発。爆煙。更なるドローンの飛来。羽根六枚で対処。一台につき二枚。三台破壊。視界の至るところが爆煙に包まれている。

 

「隊長! 上だ!」

 

 ゴウの声。ホークスが顔をあげる。真上という死角から、二台のドローンが肉薄してくる。すでに爆風範囲に入っていた。

 その時、ホークスは後ろから引っ張られた。顔だけ後ろを振り向く。創壁だった。覚悟を決めた者特有の鋭い表情。銃を地面に捨て、火事場の馬鹿力というべき力でホークスと自身の位置を入れ替える。そこでホークスは創壁の意図を察した。

 

「創壁、待っ──」

「念道!」

 

 ホークスの言葉を遮り、創壁が叫ぶ。念道は創壁の方に顔を向け、創壁と目が合う。絶望していない、覚悟を決めた表情。それだけで創壁のメッセージは念道に伝わった。

 念道はサイコキネシスを使用。ゴウの方向から来ていた二台のドローンをサイコキネシスで捉え、軌道を強引に変化。真上のドローンの軌道に加える。更に、右斜め前から来ている二台のドローンの軌道も僅かに変化。自動操縦で爆風範囲をギリギリ入っていないということは、逆を返せば、少しでも計算を狂わせれば誘爆を一気に起こせるということだ。つまり、まとめてドローンを片付けることができる。

 創壁はバリアを展開。正方形の板のようなバリアを何枚も何枚も重ねられるだけ重ねる。創壁とホークスたちの間に。もう一番近いドローンは接触寸前である。

 創壁は死を悟る。その時、今までの人生が走馬灯となって頭の中に映像として流れた。その中でも、一番記憶に残っているのは、ヒーロー公安委員会に拾われるきっかけとなった出来事。幼い頃、ヴィランが起こした崩落事故に家族が巻き込まれ、自分だけバリアで助かった。あの時、自分は安全なバリアの中で、家族が建物の崩落に巻き込まれて潰れていくところをただ眺めていた。あと三メートルバリアの範囲を広げていれば家族は助かったのに、バリアが遠くにあるのが怖くて、自分の近くにしかバリアを創れなかった。

 

 ──私、変われたのかな……。

 

 安全なところで潰れていく人を見ているのではなく、誰かのために潰れることができる人間に。あの時死んだ大切な家族。おばあちゃん、お父さん、お母さん、お姉ちゃん……。

 

 ──今から謝りに行──

 

 先頭のドローンが創壁に接触。衝撃により、爆弾が起爆。誘爆が発生。畳み掛けるような爆発。創壁の体は木っ端微塵となって散らばった。創壁が死の間際に感じたのは恐怖ではなく、罪悪感からの解放だった。

 

 

 創壁のバリアはドローンの爆風を全て防ぎ切った。残ったのは瓦礫の山と僅かな血の赤だけ。ドローンの攻撃は無くなっていた。どうやらドローン爆撃を防ぎ切ったらしい。

 ホークスはただ眼前を見つめ、呆然としている。両隣にいるゴウと念道は気遣わし気な視線をホークスに向けていた。

 

『私が死んでも、ずっと覚えていてくれる?』

 

 ホークスの脳裏に、ついさっきの創壁の姿がフラッシュバックした。あの時、俺は覚えていると言った。だが、言うべき言葉はそれじゃなかった。

 

 ──俺はあの時、死なせないと言うべきだった。

 

 そう言ってどう変わるとかもないだろうが、もしそう言っていたら、創壁はもっと自分の命を大事にしたかもしれない。そして、そういった後悔の取り返しがつかなくなるのが、死がもたらすものだ。

 

 ──創壁のおかげで、俺は命拾いした。だが、俺の命にそれだけの価値があるのか。

 

 ゴウがホークスの肩を叩く。ホークスはゴウの方を見た。

 

「創壁が選択したことだ。俺たちにできることは、その選択が正しかったと証明することだけ。違うか?」

「それは……ッ!? いや、そうだな。必ず旅客機墜落を阻止し、佐藤を捕まえる。創壁のためにも」

「その通りだ、隊長」

「あッ、あれを見て!」

 

 念道が上空を指差した。その指の先をゴウとホークスが見る。抜けるような青空の先、小さな旅客機が見えた。

 

「佐藤が……佐藤が来た……」

 

 旅客機に気付いた様々なところで、その呟きが聞こえていた。




ふとアマプラビデオを見ていたら、亜人の実写映画がプライム特典に復活していたことに気付きました。とても面白い名作なので、興味のある方は観てみてください。ちなみに小ネタですが、この作品のIBMの動きは結構実写映画よりです。


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第38話 絶望の言葉

 雄英高校1―Aの教室は静かだった。より正確に言うならば、生徒の声が無かった。ただただニュースアナウンサーの声だけが、教室に響いている。報道ヘリで国会議事堂周辺をカメラで中継していた。ただし、十分に距離を取ったうえで。前に報道ヘリが佐藤に落とされたことを考え、戦場の上空を飛ばないようにしているのだ。だからといって、国会議事堂周辺の詳細な情報が分からないわけではない。カメラのズームを上手く使っている。

 

『国民の皆さん、この光景が見えておりますでしょうか!? 銃を持ったヴィランが大勢います! 銃を乱射し、ヒーロー警察民間人関係なく、無差別に殺しています! 外国の武力紛争の映像ではありません! 日本の! 日本の首都で政治の中心である、国会議事堂周辺で実際に起きていることなのです! このようなことが日本で起きることを、ほんの少しでも考えたことのある国民は、私を含めてほとんどいないでしょう! 日本が! 佐藤率いる愛国者集団(パトリオッツ)というヴィラン組織の出現で! 死と破壊が蔓延する国になってしまったのです! 今の日本に、オールマイトがいた頃の日本の面影は微塵もありません!』

 

 緑谷と轟は、報道ヘリからのカメラ映像に息を呑んでいる。映画の戦争シーンそのままの映像が、携帯画面に映っているのだ。ショックを受けない日本人など、ヴィランを除いていないだろう。

 

『ああ!? 今、エンデヴァーが狙撃されました! 脇腹から血を流して……あッ! 自分の炎で脇腹を焼き、止血しました! なんという判断! これが実質ナンバーワンヒーローエンデヴァー! 絶対に旅客機の墜落を阻止するという、熱い覚悟がこちらにも伝わってきます!』

 

 緑谷がチラリと轟の顔を見ると、轟は複雑な表情をしていた。一つの感情だけではない。複数の感情が入り混じっている、と緑谷は感じた。

 実際、緑谷の感じたことは当たっている。今の轟は父であるエンデヴァーがさっきまで微塵も期待していなかったアナウンサーを見返した嬉しさ、狙撃されたことによる心配、傷を負って炎で傷を焼いたことの痛ましさ、そういった感情がごちゃ混ぜになっていた。

 

『ん……? なんでしょうか、ドローン? が多数上空に飛んできて──ッ! 爆発しました! ドローンが爆発! えっ、まさかあのドローン全部……また爆発!? あれらのドローンは全て爆発するようです! 東京都上空、国会議事堂周辺で次々にドローンが爆発し、国会議事堂周辺の爆発では大勢のヒーローが巻き込まれ、凄惨な光景になっています! 本当に酷い光景です!』

 

 緑谷は携帯画面から見える国会議事堂周辺の光景と空の爆発に視線が釘付けになっている。

 今、ヒーローになるということは、この世界に入っていくということだ。銃弾、爆弾、『個性』が飛び交い、死が常に隣にある戦場の世界。

 昔は、オールマイトがいた頃のヒーローの現場はこんな殺伐とはしていなかった。ヒーローとヴィランの『個性』のぶつかり合いが主であった。ヒーローが相手を殺さず捕縛しないといけないのは今と変わらないが、ヴィランもヒーローより自分の方が『個性』が上回っていると思い知らせることができれば、必ずしもヒーローの命を奪うことに執着していなかった。言い換えれば、以前のヒーローとヴィランの戦闘は、プロレスなどの格闘技と同じショービジネスに近いものだった。

 しかし、佐藤の出現からヴィランのあり方そのものが変化してきている。いや、より正確に言えば死柄木の台頭からだろうか? ヴィランが徒党を組むようになり、組織化され、突発的な行動ではなく、戦略的な行動をするようになった。自分の優位性の証明に固執せず、脅威をどんな手段を使っても排除する思考回路になっている。

 

『……どうやらドローンの攻撃は終了したようです。エンデヴァーは生きています! ミルコ、エッジショット、ホークス、クラスト、リューキュウといったヒーロービルボードチャート上位のヒーローも健在です! ですが、代償は小さくありません。犠牲となってしまったヒーローはたくさんいます。建物も破壊されています。私は一国民として、はっきりと言います。こんなことは許せません! ヒーローと警察、佐藤の凶行を防ごうとしている全ての方に、私は言葉を送ることしかできません。それでも、私は命を懸けて私たちの命を守ろうと頑張っている彼らに、頑張ってと、どうか勝ってと、伝えたいです! 先ほどは彼らに触れず神さまに祈るという発言をしてしまい、申し訳ございませんでした。心から謝罪いたします』

 

 どうやら女性アナウンサーは余裕が無くなってきているようだった。生中継であるが故に、事が起きる前の精神状態から実際に起きた後の精神状態への変化がそのまま報道されている。だからこそ、ニュースアナウンサーとしての言葉ではなく、一個人としての飾り気のない言葉になっていっている。

 その時、カメラは遥か上空を飛ぶ旅客機を映した。カメラマンらしき男の『おい、あれ』という声と旅客機を指差す手が見える。女性アナウンサーは『えっ……』という声とともに指を差された方を見た。

 

『あ……佐藤が……佐藤が来たようです……』

 

 女性アナウンサーのその声は、絶望と恐怖が混じっていた。

 かつてのナンバーワンヒーロー、オールマイトは現場に到着した時、必ず笑顔でこう言った。『私が来た!』と。その言葉はそこにいる人々に希望を与え、そこにいる(ヴィラン)の戦意を挫いて絶望を与えた。

 だが現在、同じような意味で真逆の効果を与える言葉が生まれている。

 

「佐藤が来た……」

 

 緑谷は思わず呟いた。

 緑谷だけではない。教室にいる生徒たちが口々に同じ言葉を呟いていた。その現象はこの教室だけで起こっていることではない。職員室のミッドナイトが。校長の根津が。日本中のテレビを観ている人が。国会議事堂周辺にいるヒーローや警察が。ヴィランたちまでもが。そう呟いていた。

 希望の象徴であった『私が来た!』という言葉はもう消えた。その代わり、『佐藤が来た』という絶望の象徴となる言葉が生まれつつあった。

 

 

 

   ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 猿石がいる部屋。

 強面のヴィランが顔を青くしてモニターに見入っている。

 

「おいおい、あんだけ準備したのに、あいつら二人とも生きてんじゃねえか!」

 

 この場合の二人というのは、エンデヴァーとホークスのことをいっている。

 全てのドローン爆撃が終わり、今は偵察用のドローンでその後の状況を確認していた。

 

「まあ、そんな簡単に勝てるとは思ってなかったですし。でも、確実にヒーローのリソースは削ってます。このままリソース勝負に持ち込めば、僕たちの方が有利なのは変わりません」

「馬鹿言ってんじゃねえ! こっちだって大量のリソースを消費してんじゃねえか! ……おい、ここらで止めとかねえか?」

「……え?」

 

 猿石は思わず強面のヴィランの顔を見た。そのヴィランの顔は恐怖と不安に支配されている。よっぽどヒーローにトラウマがあるらしい。少しでも有利じゃないと分かると逃避しようとするくらいには。

 

「ヒーロー連中はきっと、佐藤を捕まえることに躍起になる。どっちみち、ハイジャックなんかやらかした佐藤は重罪で裁かれるだろうし、佐藤に力を貸していたと判明した奴も重罪になる筈だ。だったら! 今の内に逃げて、捕まっても佐藤とは無関係なように見せかけようぜ! 大丈夫だ! 佐藤が消えても、お前のそのハッキングとここの連中の『個性』があれば、上手くやれ──え……」

 

 猿石は護身用の拳銃を抜き、強面のヴィランの顎下に突きつけた。

 まさか無個性の猿石が自分に対してそんな直接的な攻撃をしてくるとは考えもしていなかったため、強面のヴィランの思考は一瞬硬直した。その硬直が生死を分けることとなる。

 猿石は拳銃を顎下に突きつけたまま、引き金を引いた。パンッと乾いた音。弾けて仰け反る強面ヴィランの頭。飛び散る血。その血は猿石の顔面に付着し、猿石のメガネと顔を赤く染めた。

 どよめく他のヴィランたち。猿石から二、三歩距離を取る。

 そんな中、猿石は椅子に座ったまま、血で染まった顔で彼らの方を見た。

 

「いいですか、皆さん。僕たちは今、何も聞いていません。僕はこの中で一番佐藤さんとの付き合いが長い。だから分かる。佐藤さんは裏切り者にはとても厳しいんです。ヒーローに捕まっても死にませんが、佐藤さんが僕たちを敵として見るようになったら、あらゆる攻撃手段で僕たちの命を奪おうとしてくるでしょう。こうするしか、この場の人の潔白を証明できる方法は無かったんです……」

「それは仕方ない」「そいつの自業自得だよ」「よくやった」

 

 猿石の言葉に、その場にいたヴィランたちはそう口々に言った。

 

「けっこう心が強かったんだね」

 

 猿石に髪ゴムをくれた女ヴィランが言った。

 

「僕の心が強い? まさか。僕はとても怖がりなんです。佐藤さんに殺されたくなくて必死だった」

 

 佐藤は簡単に仲間を殺す。それは丸井を殺したことからも確実だ。佐藤のゲームに使われそうな口実は潰しておくに越したことは無い。たとえこの場の会話を知る可能性が限りなく低かったとしてもだ。

 

 ──それに、佐藤さんの期待を裏切りたくない。

 

 佐藤ほど、猿石を対等に扱い、猿石を認めてくれる人はいない。そんな佐藤に失望されることを考えただけで、自分の存在理由が消えていくような気がするのだ。

 猿石は強面のヴィランの死体に視線を戻す。

 途端に不快感とショックで吐き気が込み上げてきた。死体を見るのは初めてではない。むしろ、佐藤と行動していたらしょっちゅう見る。だが、その死体に自分がやったという情報が加わっただけで、その死体に対する不快感とショックは何倍にも膨れ上がっていた。

 猿石は口を右手で抑える。右手の指の隙間から見える口は微かに笑っていた。

 不快感とショック。その死体がもたらした感情はそれだけではなかった。その死体より自分の方が生物として上だったという優越感と高揚感。そんな感情も猿石の中に確かに生まれていた。

 

「佐藤さんの支援を続けます」

 

 猿石の言葉に、その場のヴィランたちは頷く。

 猿石の精神は佐藤によって確実に歪んでいた。



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第39話 エンドレスゲーム

 エンデヴァーは背面の噴射で高度を維持しつつ、右腕を前に突き出して構える。

 

『今ッ!』

 

 無線からヒーロー公安委員会が用意した女性オペレーターの声。同時に、エンデヴァーが右腕から炎を噴射。極細の赤いレーザーのような炎が青空を一気に切り裂いた。

 その後、エンデヴァーは無線の発信ボタンを押す。

 

「炎噴射までのラグはどれくらいあった?」

『一.七秒です』

「もう一度だ」

『はい』

 

 再びエンデヴァーが右腕を構えた。

 

『今ッ!』

 

 女性オペレーターの声。

 エンデヴァーが右腕の噴射口から炎を噴射。

 

「ラグは?」

『一.七秒です』

「分かった。一.七秒予定より早く合図をくれ」

『分かりました』

 

 本来のタイミングより早く合図を送ることで、実際のタイミングに炎の噴射ができるようにする。超高速で落ちてくる旅客機を、乗客を救出しつつ止めるというのは、文字通り針の糸を通すような正確さと瞬間の破壊力が必要になる。その条件をクリアするためのレスポンスまでのラグの調整。今エンデヴァーがやっているのはそれだった。

 

 ──だが、キドウの待ち構えるルートで佐藤が旅客機を操縦することが前提の作戦! ルートがズレたら作戦そのものが水泡に帰す!

 

 当然の話だが、国会議事堂に墜落させるにしても垂直に近いルートで墜落させるのか、それとも斜めのルートで墜落させてくるか、色々なルートがある。キドウの待ち構える場所はオペレーターの指示によるもので、一番予想されるルートが重なり合っている場所だ。なので、確率的には良い賭けであるが、佐藤がどう動いてくるか読めない分、確実に実行できる作戦ではない。しかし、それも仕方ない話。攻撃目標を好きなルートで攻撃できる佐藤側に分があるのは当然だからだ。

 

『佐藤の旅客機は俺に任せてくれ。必ず俺の方に引き寄せてみせる』

 

 キドウの声がインカムから聞こえた。

 

「キドウ、何か策があるのか?」

『ああ。だからあんたはしっかり準備しといてくれ』

「……了解、任せたぞ」

 

 どういった策かはあえて訊かなかった。自分のサイドキックがここまで言っているのだから、自分はその言葉を信じるだけでいい。それに、佐藤を引き寄せる策など思い付いていないから、キドウに任せる以外の選択肢がそもそも無い。

 

 ──キドウ……引き寄せるという意味は分かっている筈だ。

 

 つまり、キドウが死ぬ確率の極めて高い作戦を実行するということ。それが分かっていてそう言ったのなら、キドウはすでに覚悟を決めたということ。

 

 ──信じるぞ、キドウ!

 

 エンデヴァーはキドウのいる方向を見た。

 キドウの姿はいつものような包帯でグルグル巻きの姿ではなく、素顔になっている。ほどいた包帯はキドウの周囲に漂っていた。

 

 キドウは両腕から伸びる包帯を周囲に張り巡らせていた。もちろん包帯の先端にはホークスの羽根が付けられており、その羽根が漂う包帯を円の形で維持している。この円内に旅客機が通るよう、旅客機を誘導しなければならない。

 キドウは頭に付けたヘッドライトの電源を入れた。パッと白い光がキドウのヘッドライトから放たれる。

 その状態でキドウは両手に持っているモノを頭上に掲げた。その両手にはホークスの羽根が二枚ずつ握られている。その羽根をヘッドライトに当てては外してというのを繰り返す。

 キドウは鋭い表情で顔を上げている。それをやっているキドウの視線の遥か先に、佐藤の乗る旅客機が見えていた。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 佐藤の服装が変わっていた。今の佐藤は操縦室の死体で背格好が同じくらいで血があまり付いていない乗客の服装を着て、いつもの帽子を被っている。服装を剥ぎ取られた男性の死体は下着姿のまま操縦室に放置されていた。

 そうしている内に旅客機は国会議事堂へ墜落させるための降下ルートに入ろうとしている。

 

「さて、ヒーローは予想通り動いてくれるかな……ん?」

 

 佐藤は後ろを向いていたが、それは視界としてハッキリと見えた。

 チカッ、チカッと白い光が明滅している。自分はここにいるとアピールするように。

 ゾクッと佐藤の全身に快感にも似た高揚感が湧き上がる。これは挑戦である。ヘッドライトを付けたヒーローが佐藤に叩きつけた挑戦状。俺はここにいるから勝負しろと、ライトの明滅にそんなメッセージが込められている気がした。

 佐藤の笑みが深くなる。その笑みからは見る者を震えさせるような凄みと残虐性が滲み出ていた。

 

「いいよ、ヒーロー……その勝負、乗った!」

 

 旅客機の軌道が変更。明滅する光に向かって降下を開始する。

 

「ははははははは!」

 

 操縦室に佐藤の笑い声が木霊する。同時に佐藤は操縦室の扉を開けた。

 

 

 旅客機が軌道を変更し、自分の方に迫ってくる。

 

 ──やっぱりそうかよ、クソ野郎が……。

 

 キドウは迫ってくる旅客機を見据えながらそう思った。

 どうすれば佐藤の旅客機を自分の方へ確実に誘導できるか。キドウはエンデヴァーから作戦を伝えられた時から、ずっとそのことを考えていた。佐藤の情報は少ない。その少ない情報の中でキドウが重視したのは、オグリ博士の『佐藤は目的より戦闘が楽しい方が重要』という言葉と、この旅客機を使ったゲームを仕掛けてきた事実だった。

 国会議事堂に墜落させるという目的の方が大事なら、わざわざヒーローが待ち構えている場所に旅客機を向かわせない。むしろそのヒーローを避ける筈だ。それをせず、あからさまな誘いに乗ってくることこそ、佐藤が目的なんてどうでもいいと考えている証拠。

 キドウはギリッと奥歯を噛み締める。

 佐藤のやっていることを正当化するつもりは一切無い。だが、とキドウは思う。

 この旅客機墜落に関わっているヴィランは大勢いる。彼らは国会議事堂に旅客機を墜落させるという目的のため、佐藤に協力した筈だ。そんな仲間の思いや頑張りすら踏み躙り、ただ自身が愉しみたいというふざけた理由で目的を放棄する。そんな佐藤の生き方そのものに、キドウは怒りを覚えていた。

 旅客機が迫ってくる。

 キドウの体が震えた。エンデヴァーに作戦を伝えられた時にもあった体の震え。その震えは、死の恐怖からではない。

 

 ──ヒーローになった日から、誰かのために命を懸ける覚悟はできてる。

 

 ならば何故、作戦を伝えられた時。そして今。体が震えているのか。

 

 ──だが、無駄死にだけは嫌だ。

 

 自分が懸けた命が何の影響も及ぼさず、誰の助けにもならず、ただそこで死ぬ。そんな死に方はヒーローの死に方じゃない。誰かのために命を張るのがヒーローなら、その死に様も誰かの助けとなっているべきだ。

 もし旅客機の軌道を変更できなかったら。旅客機は国会議事堂に墜落し、乗客を助けられず、多くの命が失われる。国民からヒーローへの信用の失墜。最悪の場合、日本という国が一時的でも機能停止する。無駄死にどころではない。むしろキドウというヒーローは戦犯として国民の記憶に残るだろう。

 そのプレッシャーが、キドウに恐怖を感じさせる。

 その時、キドウの視界に自身の背にある両翼がチラリとかすめた。

 

『俺の翼、キドウさんに託します』

 

 この両翼とともに与えられたホークスからの言葉。

 

『任せたぞ』

 

 直前に言われたエンデヴァーの言葉。

 その二つの言葉が、キドウの脳裏に再生される。そして、今もなお俺が成功すると信じて行動を続けているヒーローと警察。

 キドウは深呼吸する。体の震えがおさまっていく。

 

 ──これだけの大舞台を、俺を信じて与えてくれた! なら、しっかりキメねえとな!

 

 キドウは両手に持っていた二枚ずつの羽根を、両腕をあげたまま後ろに捨てる。キドウの手を離れた四枚の羽根はそのままキドウの両翼に戻っていく。

 キドウは両腕から伸びている包帯を両手で握りしめる。そして、個性の『軌道』を発動。包帯自体に変化は無いが、円の中に目に見えない力場が形成されていく。

 キドウはもう数百メートル先まで近付いている旅客機を見据える。何度も何度も、頭の中で変更する軌道を思い描く。作戦通りの軌道に旅客機を誘導できるよう、イメージトレーニングをし続ける。

 

 ──佐藤……最低な奴だ、お前は……。

 

 これだけたくさんの命を、ただただ自分が愉しみたいがために弄び、散らしていく。だが、そんな奴だからこそ、こうして勝負になっているという皮肉。

 

 ──ぜってえに負けねえ!

 

 みるみる旅客機が眼前に迫ってくる。凄まじいまでの圧迫感。視界いっぱいに広がってなおも収まりきらない機体。旅客機の先端がキドウの形成した力場に触れる。力場に触れた瞬間、まるで何かに弾かれたように、旅客機の先端が作戦通りの方向へ軌道を変えた。同時に、旅客機のフロントガラスが割れる。

 作戦成功。だが、そんな喜ばしい結果に反して、キドウの目は驚愕に見開かれている。

 

 ──なんでフロントガラスが割れた? てか、嘘だろ……。

 

 キドウは旅客機の先端が力場にぶつかる直前、操縦室の光景が目に入った。誰も座っていない操縦席の光景が。キドウには見えていなかったが、操縦席には佐藤のIBМである異形が座って操縦していた。その異形は今、フロントガラスを割ってキドウのすぐ前に躍り出ていた。キドウの形成した力場の影響は受けるが、それは周囲に漂う包帯を掴んでキドウの体を引き寄せることで、異形はキドウの正面の位置をキープする。

 そんなことを知らないキドウはいきなり体が引っ張られたことに困惑しつつ、操縦室に佐藤がいないという事実が一体何を意味するのか、思考が巡る。残された数瞬という刹那の時間が、その思考速度を爆発的に向上させた。

 

 ──佐藤、飛行機、ハイジャック、嘘? いや、あり得ない。

 

 現に飛行機はこうして国会議事堂目掛けて墜落してきた。ハイジャックされてなければ、そんなことは起きない。いや、そうではない。考えるべきはそこではない。今更佐藤がいたかどうかを疑うのは時間の無駄。考えるべきは──。

 そこで、キドウはエンデヴァーの話を思い出した。オグリ博士がいた時の話し合いの場で、ミルコが佐藤と戦闘していた時、透明な何かと戦ったという話だ。それが本当だとすれば、佐藤は旅客機をその透明な何かに操縦させたということになる。そして、さっき唐突にフロントガラスが割れた理由にも説明がつく。とならば、その意味は──。

 キドウの顔から血の気が一瞬で引く。

 

 ──佐藤、乗客、まぎれた。

 

 次々に浮かび上がる単語の羅列。それらが繋がり、意味を持つ。

 もし佐藤が救助予定の乗客に混ざったら?

 俺たちは佐藤が操縦室にいる前提で作戦を立てた。だからこそ、旅客機を破壊する予定の場所では、佐藤を捕らえるための包囲網を敷き始めている。佐藤が乗客側にいくことは想定されていない。

 

 ──ヤバい! みんなに早く伝え──

 

 そこでキドウは異形の右手に腹部を貫かれる。その勢いで異形の右手はキドウの体を貫通し、背中から飛び出した。

 そして、キドウは軌道変更した旅客機の側面に異形の体ごとぶつかる。旅客機ほど巨大な物体の軌道を少しばかり変更したところで、その巨体から(のが)れられるわけがない。

 音速を超える速度でぶつけられたキドウの体と異形は、そのまま凄まじい速度で落下。斜めにぶつけられた影響か、二つの物体は僅かに斜めに落下し、落下の先には国会議事堂が見える。凄まじい勢いのまま、異形とキドウの体は国会議事堂の建造物の屋根に叩きつけられた。キドウの体が潰れ、異形の下半身が粉々になる。異形は制御部分である頭が破壊されたら消えることを理解しているため、他の体の部位を犠牲にしてでも頭を守るよう体勢を整えていた。

 異形の下半身はすぐさま再生。再生した足で潰れたキドウの体を踏み潰しつつ、移動。屋根を駆ける。

 異形は目当ての場所を見つけると、屋根から跳んだ。議事堂の窓を割り、臨時国会を開いていた部屋に侵入。

 

「な、なんだ!?」「何が起きた!?」「今の音は!?」「何故急に窓が!?」

 

 その部屋では、国会議員たちがあたふたと狼狽えている。

 そんな中、異形は総理大臣の前に着地。そして、上を見上げて割れた窓の方を見ている総理大臣の頭を右手の爪で切り飛ばした。頭の無くなった総理大臣の首から血が噴き出す。

 

「そ、総理ィ!!」

 

 その光景を見た大臣と国会議員の絶叫が部屋内に響き渡る。

 

「……ネクストステージ……ゴー……」

 

 異形がざらついた声でそう言いつつ、その場にいる国会議員たちの殺戮を開始する。

 旅客機墜落ゲームは終わった。ゲームが終わったらどうなるか? 簡単な話である。またゲームが始まるのだ。次のゲームが。

 佐藤(ラスボス)を倒さない限り、絶望のゲームは続いていく。



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第40話 最善策

 警視庁にある一室。今ではHUNTのモニター兼オペレーションルームになっている部屋。この部屋にはヒーロー公安委員長の女性もいる。そんな偉い彼女も現在、オペレーターたち同様青い顔をして大量のモニターの前で立ち尽くしていた。

 モニターの一つは国会議事堂に落下したキドウの死体が遠目で映し出されている。壮絶な死に様であった。キドウの体は原形を留めていなかった。

 

「……委員長、あの……これ……」

 

 そんな中、オペレーターの一人である黒髪ショートヘアの若い女性が椅子に座ったまま、更に顔を青ざめさせて委員長の方に顔だけ向く。

 

「……どうしたの?」

 

 ヒーロー公安委員長は重々しく話の先を促す。オペレーターの様子から良い知らせでないことは明らかだったからだ。

 

「これを……」

 

 オペレーターはそう言いつつ、自分の担当しているモニターに映像を出す。その映像はキドウが旅客機にぶつかる直前、キドウの背中の羽根のカメラの一つが撮影していた映像。その映像をコマ送りにして、ある一カットで止める。そのカットを見て、ヒーロー公安委員長は目を見開いた。

 

「ご覧の通り、キドウが旅客機にぶつかる直前、旅客機のフロントガラスが割れています。ですが、『そこ』には何もいません。操縦席にも、佐藤は座っていません。そして……」

 

 オペレーターは映像を数コマ進める。キドウの胴体にいきなり穴が空いた。穴を空けた原因は分からない。穴が空いたところには何も無かった。

 

「これってつまり……旅客機を操縦していたのは透明なナニカであり、そのナニカがキドウにぶつかる直前に飛び出した……ということの証拠になりますよね……?」

 

 ヒーロー公安委員長は数秒、モニターに見入った。その後、慌ただしく無線の周波数を変更して発信。無線の周波数は国会議事堂の警備を担当しているヒーローの責任者に合わせる。

 

「こちらヒーロー公安委員長! そっちの状況は──」

『何か……何かいる! 総理や大臣、議員が見境いなく殺されて……クソッ、見えない! どこにいやがる!』

「……え、待って。総理が……? 状況を! 状況を詳しく教えなさい!」

『シラユキ、クライム! お互いに離れず、連携を取り合え! し、シラユキィ! 首が捻じ曲がって……クライム! 死ぬなァ! この部屋から出ろ! 下がれ! 俺が食い止め──』

 

 唐突に言葉が途切れたのと同時にゴキッという音がした。おそらく硬い骨を力任せに折った音。そして、何も応答しなくなった。

 ヒーロー公安委員長は悔し気に近くのデスクを左拳で叩く。オペレーターたちは体をビクッとさせた後、おそるおそるヒーロー公安委員長の顔を覗き見た。

 

「……この勝負、こっちの負けね……」

 

 佐藤が旅客機を潰しても国会議事堂を襲撃できるプランを持っていた以上、旅客機を止めるだけで精いっぱいだったこちらには最初から勝算は無かったということ。

 ヒーロー公安委員長は下唇を噛み締める。

 オールマイトが君臨していた頃、ヒーロー公安委員会は単なるお飾りのような立ち位置だった。いくつもの項目にランキングを付け、総合的なヒーローランキングを大々的に発表するヒーロービルボードチャートというシステムは作った。そうすることでヒーロー活動を活性化させ、上位になればなるほどヒーロー活動の見返りが良くなるようにした。だが国民にとって、ヒーロー公安委員会というのはそういう存在でしかない。全てのヒーローの活動を記録し、功績を讃える。国民にどのヒーローが優れているか教える情報役。その程度の存在。もちろんヒーロー公安委員会はそれだけを仕事にしているわけではない。ヒーロー社会を維持するため、ヒーロー社会を脅かす者を水面下で排除することで、ヒーロー社会の安定を保ってきた。しかし、その活動は言ってみれば表に出せない汚れ仕事だ。

 ヒーロー公安委員会にとって、佐藤という脅威は最大級の危機だけでなく、ヒーロー公安委員会が表舞台に立ってヒーローを牽引していく好機でもあった。

 だからこそ政府と協力し、HUNTという対凶悪犯罪者制圧部隊をヒーロー公安委員会主導で創設した。そして、このヴィラン隆盛の現状でHUNTが結果を出せば、国民の支持を得ることができると踏んだ。ヒーロー公安委員会がヒーロー社会において主導権を握れる筈だった。

 しかし、その計算はこの好機をもたらした佐藤によって狂わされた。この戦闘が終わった後、ヒーロー含めHUNTとヒーロー公安委員会も、国民の非難にさらされるだろう。親密であった総理と各大臣が殺されているなら、ヒーロー公安委員会が政府の中枢に食い込むチャンスも潰えたかもしれない。

 ヒーロー公安委員長は深呼吸し、冷静さを取り戻す。

 確かに、この勝負はヒーロー側(こちら)の負けだ。だが、まだ決着はついていない。ならば……。

 

 ──敗北のダメージが最低限になるよう、上手く負けないといけないわね。

 

 とりあえず現時点での最上の結果は旅客機の乗客を救ったうえで、佐藤を確保する。そうすれば致命傷を防げる……のか? もう致命傷級のダメージを受けているのでは? 

 ヒーロー公安委員長はブンブンと頭を振った。そうすることで、弱気になっていく思考を断ち切る。余計なことは考えるな。今できる最善をやっていくことしか、自分たちにはできないのだから。

 ヒーロー公安委員長はオペレーターに指示を出す。

 

「ホークスやヒーローたちにこの情報を伝えて。透明な物体を操る『個性』を佐藤が持っていることはほぼ確定だと」

「透明な物体……ですか? 生物ではなく?」

「生物なら、あの旅客機の質量と速度を受けて死なないわけがない。ということは、生物ではなく物体ってことになるでしょ」

「成る程……」

 

 オペレーターは納得したように頷いた。その後、再び口を開く。

 

「国会議事堂のことはどうしますか?」

「……彼らには旅客機の乗客を救うことに全力を注いでほしい。ショックの大きすぎる情報は彼らを動揺させ、実力を発揮できなくするかもしれない。国会議事堂や総理のことは旅客機の乗客の件が片付いてからよ」

「了解しました!」

 

 オペレーターは通信を開始する。

 ヒーロー公安委員長はモニターに映る映像を睨むように見据えた。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆   

 

 

 

 ホークスは神経を研ぎ澄ませ、上空から降下してくる旅客機を見据えている。

 その付近で、エンデヴァーの噴射している炎が微かに見えた。

 ホークスは今のエンデヴァーの心境を想像する。自分のサイドキックがほぼ確実に死ぬであろう作戦。旅客機乗客の命運を託されたプレッシャー。現ナンバーワンヒーローと思われている世間一般からの期待。考えれば考えるほど、今のエンデヴァーは背負っているものが多すぎる。

 でも、とホークスは思う。

 

 ──この作戦はアンタが立案して、アンタが実行を決断した作戦だ。

 

 どれだけ重くとも。どれだけ苦しくとも。それはアンタが選択し、覚悟して背負ったものだ。なら……。

 

 ──やれる筈だ……そうだろ、ナンバーワンヒーロー!

 

 そして、アンタがこの絶望に染まった空気を希望へと塗り替えていくきっかけになってくれ。その後、俺も続く。

 ホークスは神経を研ぎ澄ませ続ける。エンデヴァーの役目が終わった後の出番に備えて。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆   

 

 

 

 エンデヴァーはただただ旅客機が斜め下にいるキドウのところに突っ込んでいくのを見ながら、オペレーターの合図に合わせられるよう集中している。その時のエンデヴァーに、キドウの生死や旅客機乗客の命運を託されたことのプレッシャー、国民の期待といったことは全く頭に無かった。あったのは、合図に炎の噴射をコンマのズレなく合わせるようにすること。

 重要なのは、キドウが旅客機を軌道変更する直前で旅客機の最後部を炎で切ることだった。軌道変更後に破壊しても手遅れだし、逆に早すぎた場合は壊した最後部で乗客を潰してしまう可能性がある。

 

『今ッ!』

 

 オペレーターからの声。それを知覚した時にはすでに右腕から炎の噴射を始めていた。イメージするはレーザーのような極細の噴射。自らの炎を剣とし、鋭く斬る。その一方で、高度を維持する炎の噴射をしつつ体の前面からの炎を溜めておく。旅客機の速度を考えれば、斬って即旅客機の向かう予定の軌道上に炎を噴射しないといけない。そういう作戦だからこそ、キドウが失敗した場合は旅客機を破壊することができなくなる。

 

 ──俺はキドウに任せたと言った。キドウは優秀なサイドキックだ。必ず成功させる。

 

 なら俺は、キドウの成功した先に向かってただ全力を出せばいい。

 右腕から炎が噴射された。イメージ通りの極細の炎。ウォーターカッターの炎バージョン。その炎の剣が旅客機の最後部を斬った。同時にエンデヴァーは軌道が変更される予定の方向に前面から炎を噴射。これは右腕の炎と違い、広範囲高火力をイメージ。エンデヴァーの前面から視界を埋め尽くすほどの炎が噴射される。

 旅客機は唐突に軌道が真横に近い方向に変更された。その影響で、旅客機の乗客は斬られた最後部から弾き出されるように飛ばされる。大勢の乗客がいきなり上空に放り出されたショックで絶叫した。その絶叫も、今のエンデヴァーには聴こえなかった。今のエンデヴァーは旅客機を破壊し、旅客機の墜落を防ぐことに集中している。

 エンデヴァーが前面から噴射している炎に、旅客機の機体が重なり始める。キドウがしっかりと役目を果たした。おそらくその命と引き換えに。

 

 ──ありがとう、キドウ。お前は最高のサイドキックだ。あとは俺が役目を果たす。

 

 前面からの炎の噴射。すでに最大火力。もう炎で前がまともに見えず、炎による体温上昇がエンデヴァーの体を蝕み、身体機能の低下を引き起こす。高度を維持するために常に噴射している後方の炎。ドローンを迎撃するために使った炎。それによって籠り続けている熱が、今牙を剥いている。それでも、エンデヴァーは前面の最大火力噴射を止めない。いや、それ以上の火力を出そうと炎の噴射を強めている。限界を超え、その先へ。Plus(プルス) Ultra(ウルトラ)

 

 ──塵も残さん!

 

「プロミネンスバーン!!」

 

 エンデヴァーの前面の炎の噴射が更に強まり、旅客機を炎が呑み込んだ。だが、旅客機の速度は炎の噴射を凌駕する。旅客機は炎の範囲を抜け、黒焦げの残骸となって国会議事堂周辺に散らばった。その散らばった残骸は佐藤を確保するための包囲網に加わっているヒーローたちが佐藤と同時に対処する手筈となっている。

 

 ──塵も残さんつもりだったのだがな……。

 

 エンデヴァーはもはや高度維持のための後方の炎噴射しかしていない。その噴射も維持できるほどの浮力を確保できておらず、エンデヴァーの体は徐々に地上へと降下していっている。エンデヴァーの全身からは汗が噴き出していて、息も荒い。

 エンデヴァーは汗を右腕で拭きつつ、ふと頭上から落ちてくるモノに気付く。それは斬った旅客機の最後部の尾翼。さっき炎の剣で斬った最後部の部分。

 

 ──ああ……そういえばコレにも対処せねばならなかったか。

 

 エンデヴァーは苦笑した。最後部を正確に斬ることと旅客機の破壊の方ばかりに気を取られて、斬った後どうするかを忘れていた。そうしている間にも、尾翼が落下してくる。エンデヴァーは両肩から炎を噴射し、頭上の尾翼を火力によって消し炭にした。

 

「ふぅ……」

 

 エンデヴァーは一息つく。

 ここでの自分の役目は終わった。だが、戦闘はまだ続く。それに備え、少しでも体温を下げなければならない。

 

 ──乗客は頼んだぞ、ホークス。

 

 乗客の命運はホークスに託された。



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第41話 気まぐれ

私からのクリスマスプレゼントです(誰も待ってない)。


 佐藤のテンションは上がりっぱなしだった。

 旅客機からいきなり放り出されるという未知の体験から始まり、今は羽根で服を引っ掛けられて空を飛んでいる。こんな体験、自分がいた日本じゃできない。思わず笑い声をあげそうになるが、グッと抑える。ここで笑うのは正体がバレるリスクを伴う。そのリスクはまだ取らなくていい。

 佐藤はハンチング帽が飛んでいかないように右手で押さえつつ、周囲を見渡して観察。羽根が旅客機から放り出された乗客の服に引っ掛かり、そのまま空を移動していく。体重が重い人には一枚だけではなく二枚羽根が引っ掛かっている。羽根が移動していく先には規則性があり、だいたい十人を一固まりとしてそれぞれ国会議事堂周辺から外れた場所に向かっている。

 

「……」

 

 これらの情報をもとに、佐藤は分析を開始。

 この羽根は間違いなくホークスの羽根。一枚が運べる重量はおそらく六十から七十キロ。見たところ何も付けられていない。となれば、乗客の位置は何かしらの機械に頼っているのではなく、羽根そのものの能力によって感知している。声ではない。佐藤は一声も発していないにも関わらず、羽根はそこに佐藤がいることが分かっているかのように飛んできたからだ。いきなり旅客機に放り出されたショックで気絶した乗客のところにも羽根は飛んでいったところを見るに、この分析は間違いない。声ではないとしたら、他に感知するための材料は何があるか。羽根に目があるわけでもない。羽根は最初から乗客の方に飛んでいくのではなく、ある一定の距離まで近付いたら急に乗客を感知したように乗客の方に飛んでいく。それまでは旅客機から放り出された乗客がいる範囲をそれぞれ一定の距離を保って飛んでいた。

 

 ──……見えているわけじゃない。しかし、近付いたら正確な位置を感知できる。となると……音、かな? より正確には振動を羽根で感知できるみたいだね。

 

 音とは振動だ。そして、上空に放り出された乗客は風を受けて服がなびく。絶叫している乗客も同様に振動を口から発している。その振動を羽根が感知し、乗客の位置を把握している、と佐藤は判断した。

 佐藤は分析を終わった目で、自分を運ぶ羽根を注意深く観察。羽根は小刻みに震えている。

 

 ──成る程ね。

 

 確かに羽根であれば、ほんのわずかな振動にも反応できるだろう。しかし、一枚の羽根の振動を知覚するのではなく、これだけ多くの羽根の振動を同時に知覚し、それぞれの羽根を振動元に最短で飛ばしていくというのはとてつもない処理能力と技量が要求されるであろう。

 

 ──隊長に選ばれるだけはある、というわけか。直接戦える時がより愉しみになってきたよ。

 

 佐藤は唇の端を吊り上げた。

 

 

 

 ホークスの神経は研ぎ澄まされていた。

 元々こういう作戦であった。キドウが旅客機の軌道を変更した直後、キドウの両翼となっていた羽根は一枚一枚に分散し、そのまま旅客機の乗客を救う道具となる。だから、万が一旅客機がキドウにぶつからなかったとしても、キドウは翼を失って地面に叩きつけられていた筈だ。この作戦はキドウの死が最初から決まっていた作戦だった。

 キドウは死の恐怖と作戦の重圧の中、見事に作戦通りの軌道に旅客機を誘導した。ヒーローとして、自身の役目をしっかり果たしたのだ。その命と引き換えに。

 ホークスはキドウと最後に話した時のことを思い出す。あの時、キドウは笑っていた。

 

 ──あの時、キドウさんはすでに死を受け入れていた。与えられた役目を果たすことしか、きっと頭に無かった筈だ。

 

 自分はどうなのだろう。役目を果たすことが死に繋がるなら、自分は死を受け入れて役目を果たすことに全力を注げるのだろうか。

 ホークスの脳裏に、死ぬ覚悟を決めて自分の身代わりとなった創壁の顔が浮かぶ。あの時の創壁も、表情から恐怖や絶望を感じなかった。あったのは、死を凌駕する覚悟と希望の表情だった。

 

 ──創壁……俺は覚えてるよ。お前の最期の表情を。きっと俺が死ぬまでずっと。

 

 旅客機を縫うようにして羽根を飛ばすことで、羽根が破壊されることを防いだ。

 

 ──創壁、見ていてくれ。お前の選択は正しかったんだと胸を張って言えるように、俺も全力でやる。乗客を一人も死なせてたまるか!

 

 ホークスは目を閉じる。この場所から空を見上げていたって乗客の姿は黒い点のようにしか見えないから、正確な距離感が掴めない。乗客の正確な位置を把握するためには、羽根に頼るしかないのだ。だからこそ、目を閉じることで余計な情報をシャットアウト。羽根からのどんな情報も逃さぬよう、羽根に意識を集中する。

 

 ──分かる……。

 

 一枚一枚の羽根が今どの位置にあるか。乗客の声や服がバタつく音から生じた振動。その振動がどの方向から来て、どれだけ距離があるのか。それに加え、空気抵抗による乗客の体重と体勢の判断。空気抵抗の少ない頭が先に落ちていくのが基本ではあるが、乗客の体勢次第では空気抵抗がおかしくなって頭が下に来ず、地面と平行に落ちるムササビのような体勢になっている可能性がほんの僅かだけある。パラシュートやウイングスーツ無しでこの体勢を維持するのは難しいが、何とか頭を守りたいという意思の強い乗客がいて適切な体勢を知っていた場合、できなくは無いだろう。

 それらの情報を繋ぎ合わせ、頭の中に空を創り出す。旅客機がどこにあって、乗客たちがどこにいて、羽根がどこにあるか。それらを頭の中の空に配置していき、どの羽根をどう動かすかを決める。羽根で乗客を助けた後は事前に決めていた降ろし場所に十人を目安にして降下させる。降ろし場所は事前に伝えられていた乗客の人数から十三ヶ所確保した。国会議事堂周辺の外だが、そこまで離れていない。遠くに運ぶより、とにかく早く地面に降ろした方が良いだろうと判断してだ。あまり長く空を移動させていると乗客がパニック状態になって暴れ、羽根が外れて予期せぬ不幸が起きるかもしれない。そういった懸念からだった。ヒーローや警察が大勢いて乗客の避難誘導兼護衛の手が足りていることも、その判断材料の一つ。

 よって乗客たちは、国会議事堂周辺から外れているがめちゃめちゃ離れているわけではない、ヒーローや警察の包囲網のすぐ外の位置に降ろされた。

 

「ふぅ……」

 

 ホークスは一息つく。乗客は全員羽根で救助できた。役割を終えた羽根は自分のところに戻している。数分あれば集まっていつものように自分の背で両翼となるだろう。このそわそわした感じと不安からもうすぐ解放される。銃を持ってはいるが、生まれた時からずっと一緒だった羽根と比べたら安心感が違う。

 

『……皆さん、佐藤に透明な物体を操る能力がある可能性が高いことが分かりました』

 

 無線からオペレーターの声が聞こえた。ハキハキとした感じが一切無い疲労感のある声。この周波数は作戦に参加している全員が持つ周波数。作戦に参加している全員が、このオペレーターの言葉を聞いた筈だ。その証拠に無線が突如混線し、様々な声が入り混じる無法地帯となっている。

 

 ──佐藤の能力が分かる情報をオペレーターたちは手に入れたのか。でも……なら、なんで声に生気が宿ってないんだ。佐藤の能力を確定させられたのなら、もっと喜んでいいと思うが。

 

 おそらくだが、何か悪い情報もオペレーターは得たのだろう。しかし、悪い情報を伝えない意味が分からない。情報は良い悪いに関わらず迅速に伝達するべき。それが分からないオペレーターではあるまい。だとすれば、情報を伝えたところでデメリットしか生まない情報ということか?

 

 ──まさか……。

 

 伝えたくない情報。パッとホークスの頭に浮かんだのは、エンデヴァーが残骸にして散らばった旅客機の対処が間に合わず、何かしらの被害を出してしまったという情報だ。それは実質的なナンバーワンヒーローであるエンデヴァーを突き落とすには十分すぎる効力を持つ。

 ホークスの頭ではその想像が最悪のパターンだった。まさか旅客機の軌道を変更して守った国会議事堂で何かが起きているなど、あまりにも最悪すぎて無意識の内に避けてしまったのだ。

 そして、ソレは唐突に来た。

 無線の混線が落ち着き、静寂を取り戻した頃。

 

『こんにちは、ヒーロー諸君。愉しんでヒーロー活動やってるかな?』

「なッ……!?」

 

 ホークスは驚愕した。再び無線が混線し、様々な声のざわめきが入り混じる。

 今の声。聞き間違いようのない声。動画やテレビの報道で嫌というほど聞いた声。

 

「佐藤……!」

 

 愛国者集団(パトリオッツ)のリーダーにして、最悪最狂のヴィラン。

 そんな人物が無線を通じて接触してきた。その衝撃は作戦に参加しているヒーローたち全員に駆け巡った。

 ここでほんの少し時間を遡り、何故佐藤が無線に参加することができたか、その経緯を追っていくこととする。

 

 

 

 佐藤は降下場所の一つに降ろされた。降ろす時も羽根は細心の注意を払っていた。転んだり障害物にぶつかったりしないように減速しながらゆっくりと地面に近付いていた。降下場所付近の障害物などは、事前にその付近にいた人から画像なり動画なりを送ってもらって把握済みだったのだろう。

 佐藤の付近には、今八人の乗客がいる。喜びのあまり泣いていたり、恐怖を思い出して泣いていたり、とにかく泣き叫んで感情を爆発させている。帽子をして顔を俯けているせいか、佐藤には気付いていないようだ。

 そうしている間に、ヒーロースーツを纏った人間が二人と警察官の制服を着た人間が三人、慌てた様子で走ってきた。

 

「もう大丈夫! 大丈夫です! 落ち着いて! この場からもっと離れます! 我々に付いてきてください!」

「ヒーロー……ヒーローだぁ!」「警官もいるぞ!」「私たち、助かったのね! 良かった……」

 

 乗客たちは群がるように、ヒーローと警察官の方に走っていく。佐藤はその最後尾に加わりつつ、持っていたハンドバッグに手を入れる。そこから拳銃を取り出して、彼らに見えないようにズボンに挟んだ後、再びハンドバッグに手を入れてサバイバルナイフを取った。

 最前を走っていたスーツ姿の中年の男が、その勢いを弱めずにヒーローの一人の胸ぐらに掴みかかる。

 そのヒーローは驚き、思わず胸ぐらを掴んでいる手を振り払った。

 

「いきなり何するんです!?」

「今日は大事な商談があったのに、佐藤のせいで台無しだ! その損失額は二百万を超えるぞ! その分の補償はしっかり出るんだろうね!?」

「そんなこと言われても……。私たちにはどうしようもできません」

「なんだと!? 元はと言えば貴様らヒーローの怠慢が佐藤のハイジャックを許したんだろうが! 損失分をヒーローが補償するのは当然の話だ! 訴訟を起こしてでも必ず補償させる! 覚悟しておけ!」

「今は避難する方が先です! そんなことは後で言ってください!」

「そんなこと……そんなことだと!? 社運を賭けた大切な商談だったんだぞ! それを……!」

「おい! 二人とも止めろ!」「落ち着いて!」「今はこの場から早く離れないと!」

 

 言い合う二人。それを止めるべく他の乗客やヒーロー、警察官もその二人に集まる。

 佐藤もそれに加わるように見せかけながら、もう一人のヒーローの背後に回った。そのヒーローは言い合う二人に気を取られて、迫りくる死に気付いていない。

 佐藤がサバイバルナイフをそのヒーローの首に背後から突き刺し、そのまま切り裂いた。

 

「ごぶッ……」

「きゃああああ!!」

 

 いきなり聞こえた短い断末魔と首から飛び出るナイフ。それに気付いた乗客の女性が口を手で覆いながら悲鳴をあげた。その悲鳴にその場にいた全ての人間の時が止まった。言い争っていた二人の声が消え、二人を制止しようとする声も消え、ただただヒーローの首から溢れ出す血を目を見開いて凝視している。

 その空白の時間。およそ一から二秒。その間に佐藤は素早く残ったヒーローに接近し、サバイバルナイフを振るう。そのサバイバルナイフがヒーローの首を捉える瞬間、ヒーローは仰け反ることでその刃を躱した。ヒーローの首に横一線の切り傷が生まれるが、浅い。そして、ヒーローは絶望する。ヒーローの目の前に拳銃を突きつけられていたからだ。

 佐藤はサバイバルナイフを躱された場合に備え、もう片方の手に拳銃を握っていた。ナイフを躱してももう一方の手は拳銃でしっかりと回避先をケアしている。仰け反るという躱し方もまずかった。そのような不安定な体勢では、そこからの急回避ができない。

 佐藤が引き金を引く。拳銃が火を噴き、仰け反ったヒーローの頭が撃ち抜かれた。ヒーローはそのまま背後に倒れる。

 まだ佐藤の動きは止まらない。佐藤はすぐに拳銃で警察官に狙いを付けた。発砲。一番遠くにいた警察官の頭が撃ち抜かれ、短い絶叫の後、前のめりに倒れる。そうしながら、佐藤は一番近くにいた警察官に肉薄し、サバイバルナイフを首に刺し込んだ。そのまま切り裂き、勢いを殺さず最後の警察官へと駆ける。

 

「う、うわああああッ!」

 

 最後の警察官は果敢にも拳銃を抜き、拳銃を両手で持つ。そして、佐藤に向かって拳銃を構えた。だが、そこが彼の抵抗の限界だった。拳銃で照準を合わせても、佐藤は身を低くして滑るように駆けることで照準を外す。佐藤は体勢を低くしたままサバイバルナイフを振るった。拳銃を構える腕を縫うようにして振るわれたサバイバルナイフは警察官の腹部を刺す。サバイバルナイフは腹部に柄まで埋まった。

 

「つうッ……」

 

 佐藤がサバイバルナイフを抜いた。警察官は激痛に顔を歪め、その場で膝をつく。

 佐藤はそんな警察官に見せつけるように、目の前に血で濡れたサバイバルナイフをチラつかせる。警察官の表情に恐怖が加わった。

 

「ははは!」

 

 佐藤は笑い声をあげる。チラつかせたナイフで警察官の喉を貫き、とどめを刺した。周囲の敵対戦力、全て排除完了。

 

「さ、佐藤……」「ひ、ひぃぃぃぃ!」「助けて……助けて……」

 

 残された乗客たちは佐藤から目を逸らさないようにしつつ、ジリジリとゆっくり佐藤から距離を取り始める。まるでクマにでも遭遇したような行動だ。

 そんな彼らには目もくれず、佐藤はサバイバルナイフの血を今殺した警察官の服で拭き取っている。

 乗客たちはある一定の距離まで離れたら、そこからは一目散に駆け出した。悲鳴をあげながら脱兎のごとく逃げていく。

 佐藤の興味は彼らの殺害には向かなかった。佐藤は確かに無差別殺人を行うが、目についた人間全てを殺すわけではない。結局はその時の気分であり、殺したくなったら殺すし、殺すよりもっと他に愉しそうなことがあればそっちをする。現在、佐藤にはヒーローと警察という遊び相手がいる。弱い一般人よりもこっちと遊んだ方が面白い。

 佐藤はハンドバッグから拳銃のマガジンを取り出し、弾丸を装填。空になったマガジンは地面に捨てた。

 佐藤はハンドバッグの中身を確認する。もう中には何も入っていない。物資を全て使い切った。今ある武器は拳銃だけ。残弾は七発。

 

 ──事前計画では旅客機と心中するつもりだったからなぁ……。

 

 旅客機と共に自爆し、国会議事堂付近で展開している仲間から新たに物資を受け取る。そういう計画だったのだが、ヒーローの挑発に乗った方が面白そうだったから、計画よりもその時の感情を優先した。

 

「まぁいいや。手近なもので戦うのも結構好きだし」

 

 佐藤はヒーローと警察官の体を順番にまさぐって持ち物を奪っていく。警察官三人から拳銃三丁と警棒一本。ヒーロー二人から携帯電話一台とヴィラン捕獲用ヒーローアイテム四つ。

 ヒーローの死体から物資を漁り終え、そろそろ移動しようかという時、無線の微かな声が佐藤の耳に聞こえてきた。

 

「……ん? ああ、それもあったか」

 

 佐藤はヒーローの耳に付いているイヤホンを取り、自身の耳に付ける。

 

『──が高いことが分かりました』

 

 女の声。何について話していたかは不明だが、この重々しい雰囲気から明るい話題ではないことは確かな筈だ。そこから大勢の声で混線。その混線で『佐藤』『能力』『透明』『物体』『操作』という五単語が途切れ途切れで聞こえた。

 

 ──なるほど、IBMについて話していたのか。

 

 何について話していたか察しのついた佐藤は、ここで面白くなりそうなことを思いつく。

 警察官から拳銃のホルスターを奪って装着しつつ、無線が静かになるのを待ち、静かになったところで発信。

 

「こんにちは、ヒーロー諸君。愉しんでヒーロー活動やってるかな?」

 

 ヒーローと佐藤が初めて、一方的なメッセージのやり取りではないリアルタイムで接触することとなった。そんな佐藤の気まぐれが、更なる暴虐の嵐を巻き起こす。

 その前兆を、無線を聞いていたヒーロー全員が感じていた。



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第42話 接触

 現在、ヒーローと公安委員長のいるオペレーションルームは緊張が高まっていた。佐藤からのリアルタイムでの接触。これをした狙いはなんなのか。そうすることで何を得するのか。そういう緊張である。

 佐藤の声がインカムから聞こえてきた後、佐藤は無言になった。その間、ホークスは思考を巡らせる。そもそもどうやってインカムに佐藤が割り込めたか。その方法を考え、答えが自分の中で出た瞬間、ホークスの顔から血の気が引いた。

 

 ──助けた乗客の中に紛れ込んでいた……? そして、護衛と誘導役のヒーローを殺してインカムを奪えば、このインカムに参加することができる。

 

 とすれば、自分は知らず知らずの内に佐藤の手助けをしていたことになる。

 

 ──この事態は俺のせいで……。

 

 俺が佐藤を助けなければ、護衛と誘導役のヒーローと警察、佐藤の近くにいた乗客の命は助けられた。しかし、誰が佐藤なのかの判断材料は何も無かった。結局あの時自分にできたのは、無差別に乗客を救っていくことだけだった。いや、逆に考えろ。もしあの時乗客の中に佐藤が紛れていると予想が付いていたなら、自分は乗客全員助けられるだけの集中力を維持できていたのか? おそらく無理だろう。佐藤を助けているかもしれないという一瞬の迷いが羽根の精度を落とさせ、数人あるいは十数人の乗客を地面に叩きつけるという結果を引き起こした筈だ。この結果は佐藤が乗客を目を頼りにして救わないだろうと博打を打って、それに勝利した。ただそれだけのことであり、自分たちヒーローと警察はその時その時でやれることをきっちりやってきている。

 そうやって自身を肯定しなければ、ホークスは冷静さを取り戻せなかった。冷静さを取り戻し、過去ではなく未来へと目を向ける。佐藤が無線を通して接触してきたという未来へ。

 ホークスはインカムの発信ボタンを押す。様々な声で混線し、誰が何を話しているか分からない中に割り込んでいく。

 

「一つ、ホークスから提案があります! 聞いてください!」

 

 一際大きい声でホークスがインカムにそう言うと、数秒後にはインカムの混線が収まり、静かになった。そのタイミングで、ホークスは再び口を開く。

 

「このまま佐藤が話す度に混線してたら話が進まない! なので、ヒーロー代表でエンデヴァーさん! HUNT代表で俺が佐藤と話します! 皆さんとは佐藤との会話が終わった後、インカムの周波数を変更して佐藤との会話について話し合います! どうです!? 他に円滑に佐藤と会話できる案はありますか?」

 

 再び訪れる数秒の静寂。

 

『それでいい』『俺は賛成』『そうしよう』『佐藤と会話なんざこっちから願い下げ!』

 

 その後、エンデヴァー、イレイザーヘッド、エッジショット、ミルコがそう言った。その同意こそ、ヒーローたちの総意となる。

 同意を得られたため、ホークスは再び口を開く。

 

「エンデヴァーさん、何か佐藤に訊きたいことは?」

「まずお前から話せ。お前と佐藤のやり取りが終わった後、他に訊きたいことがあれば、その時訊く」

「……了解」

 

 エンデヴァーはおそらく内心かなりイラついている筈だ。インカムを傍受ではなく、インカムに介入する。両者には決定的に異なる点がある。傍受はバレないが、介入は相手にバレる。こんなことは当たり前の話だが、当たり前の話だからこそ不快感や怒りは強くなる。佐藤の行為は言い換えてしまえば、お前らのインカムを傍受しなくても問題ないという煽りにも繋がるからだ。だからこそ、エンデヴァーは聞く側に徹することで心を落ち着かせたいという思惑もあるかもしれない。

 

「佐藤、何故接触してきた? 接触せずに傍受だけしていたら、しばらくこちらには気付かれなかったのに」

『それじゃ面白くない。それに、君たちに伝えたいことがあったんだ』

 

 ──こっちは真剣にやってんのに、テメェは遊び気分かよ。

 

 ホークスは悪態をつきそうになるのを抑え、辛抱強く佐藤の話の続きを待つ。

 

『もしかしたらもう情報はそっちにいってるかもしれないけど、今国会議事堂にいる国会議員のだいたい三分の二ほど殺し終えたところなんだ。あと五分あれば全員殺せると思う』

「……は?」

 

 ──こいつは何を言ってるんだ?

 

 そう思ったのはホークスだけでは無かった。沈黙を約束した大勢のヒーローたちのざわめきにも似た音が、インカムを混線させた。

 実際問題、そうなるのは無理もない。今の佐藤の言葉は、ヒーローや警察にとって一番聞きたくない言葉だった。国会議事堂の人々と旅客機の乗客両方の命を守るために、キドウの犠牲前提の作戦を実行したのだ。もし佐藤の言葉が事実なら、キドウの犠牲はなんだったのか。この作戦のために散っていった命の意味とは……。

 

『なんだ、まだ知らなかったんだ。随分と呑気だねぇ』

 

 佐藤はそのヒーローたちの狼狽えようが面白かったのか、更に明るい声になっていた。

 

「……なんでわざわざそんなことを教えた?」

 

 国会議事堂の殺戮を教えたところで、佐藤側にはメリットが無い。

 

『君たちにね、今どれくらいヒーローが詰んでいるのか教えたくなったんだ。分かっているとは思うけど、国会議事堂にいる国会議員全員を殺しても、臨時国会を欠席した国会議員十三人は生きている。ただ、問題はそこじゃない。彼らはおそらく、臨時国会が襲撃されるかもしれないと考えて欠席した人間。つまりは国会議員としての務めよりも自分の命が大事な臆病者だ。そんな人間が揃って新政府立ち上げの中核となる。そうなれば、次の政府はほぼ百パーセント私の要求を呑むだろう。私のこれまでの罪を帳消しにし、私を総帥とした国土防衛軍を創設するという要求をね』

 

 ホークスは佐藤の言葉から思考をフル回転させ、今後の展開をシミュレート。一通りシミュレートした後、ホークスは口を開く。

 

「そうはならない」

『ほう、何故かな?』

「国民が許さない。そんな政府の決定、国民は断固として抗議する。俺たちヒーローもだ」

『ふむ、そうだね。確かに、それは十分に考えられる話だ。だから、この場から撤退した後、我々に否定的な意見を持つ国民を十人ぐらい動画で処刑していくつもりでいる。もちろんネットで否定的な意見を書き込んでいた場合、ちゃんとネット上の人物と同一人物であることが特定できる情報を動画に入れる。こうしたら大丈夫だよね?』

 

 ホークスは言葉を失っていた。こんなにも平然と、まるでこの後の買い物の予定でも話すかのように、国民を処刑する話をする。恐怖というよりは、人間の皮を被った別種の生物と話しているような気味の悪さと不快感。それらの感情が悪寒となってホークスやこの会話を聞いている全員に襲いかかっていた。

 

「……許されると思っているのか? そんなことが」

『許されることじゃないのは百も承知だ。だが、我々には使命がある。この愛する国日本からヴィランを掃討し、平和を取り戻す。それから、日本を世界でも指折りの強国にするという使命が。そのためには、誰かが断固とした決意を持ってやらなければならない。

君たちは勘違いをしている。我々も辛いんだよ。愛する国民を苦しめるのは。それでも、我々は実行しなければならないのだ』

「佐藤、その手はもう通じない。お前が演技で空港のヒーローを騙したのは、HNですでにあがっている。それに今回のことで、俺たちは確信した。お前が目的のために行動しているのではなく、戦闘自体を楽しんでいるということを。だから佐藤、もう演技はやめて、本音で話せ。お前は一体何が目的だ?」

 

 インカムに静寂が訪れた。ホークスは辛抱強く、佐藤の返答を待つ。

 

『……分かった、言うよ。実は私は幼少の頃から何かを殺してしまいたくなる衝動に襲われていたんだ。そして、その衝動を満たした時、私は喜びと幸福感を得られることに気付いた。ここまで言ったら分かるよね? 私はただ人生を楽しく幸せに生きているだけなんだよ』

「ふざけるな!」

 

 ホークスは頭に一気に血が上った。まるで自分がそういう風に生まれたから、こうして人を殺しまくるのは仕方のないことだと言い訳をしているように聞こえたのだ。そんな理由で殺されたのか。創壁やキドウさん、他の大勢のヒーローや国民は。そんなこと、許せる筈がない。

 ちなみに、今佐藤の言った言葉は即興の作り話である。佐藤が何故生物を殺してはいけないのかというような倫理観を理解できないことは事実だが、別に殺人衝動に悩まされているわけではない。ただ単純に殺すのが好きなだけだ。

 

『ふざけてないよ。そういう個性なんだ、私は。多様性の時代なんだから、理解する努力と受け入れる寛容性が大事だとは思わないのかい? そういった社会には受け入れられない衝動や欲望を持って生まれてきた人間が排除され、ヴィランとして生きるしかなくなるんだ。君たちのそういう態度が、ヴィランを生み出していくんだよ』

「……何?」

 

 ゆっくりと針を刺すように、佐藤はヒーロー達の心をジワジワと傷つけていく。

 

『君たちヒーローに一番訊いてみたいことはね、何を基準に悪と断じて、何を基準に救うのか。私はそれを知りたいなぁ』

「それは──」

『ホークス! ホークス!』

 

 エンデヴァーの声がインカムに割り込んできた。ホークスは誰にも話を遮られないと考えていたため、割り込んできたエンデヴァーに驚き、思わず口を閉じて言葉の先を聞く。ホークスの後に話すと言っていたエンデヴァーが割り込んでまで伝えようとしてきたことだ。きっと大事に決まっている。

 

『ホークス。何を言おうとしたのかは分からんが、佐藤の質問は罠だ。どう答えても、佐藤にとってはヒーローを貶める材料にしかならない。もし佐藤がこの会話を録音していたら、お前を破滅させる可能性すらあるんだぞ』

「……エンデヴァーさん、そういうことですか。ありがとうございます。俺、冷静な判断ができなくなってました」

 

 善悪と救う基準。その答えに完璧な答えなんてものは存在しない。どこかに必ず綻びがあり、矛盾がある。そこを突いて国民に晒し、国民からのヒーローの評判を貶めるなど、佐藤からすれば朝飯前だろう。

 佐藤の言葉に揺さぶられ、佐藤のペースに引きずり込まれていた。

 

 ──俺はまだまだ未熟だな。

 

 どんなことにも動じない冷静さと、自分がここでこういう行動をしたら未来はどうなるのかという予測、その予測を活かせる判断力と洞察力。そこがまだまだ俺には足りない。

 

「エンデヴァーさん、俺の話はもういいです。次はエンデヴァーさんが佐藤と話してください」

『了解した。……早速だが佐藤、俺たちにはやることが山ほどある。お前の無駄話に長々と付き合っている暇は無い。俺が訊きたいことは一つ。何故わざわざ俺たちにバレるリスクを冒してまで、俺たちに接触した? まさか国会議事堂の惨状を伝えるだけではあるまい。そんなことは貴様から伝えんでもいずれ伝わる話だ』

『ああ、そうだね。本題に入ろう。私から君たちに提案がある』

『提案……だと?』

 

 エンデヴァーの声に困惑が混じった。だが、誰であってもそうなっていただろう。要求ではなく提案。つまり対等の交渉であり、こちらにも選択肢がある。今まで一方的だった佐藤が譲歩してくるなど、ヒーロー側には考えられないことだったのだ。

 

『そう、提案。君たちが我々の安全を保障し、この場からの退却を見逃すなら、我々は退却の最中に誰も傷付けないことを約束しよう』

『そんなふざけた提案、通ると思っているのか!? ヒーローを馬鹿にするのも大概にしろ!』

 

 エンデヴァーは激昂した。ホークスも同じ気持ちだった。提案などという優しいものではない。これは実質的な降伏勧告だ。この提案を呑むということはすなわち、ヒーローの完全敗北を意味する。ヒーローとしての誇り、尊厳、名声等……各々の持つヒーローへの思いや心を完全に折る提案。こんな提案に賛成するヒーローなど、少なくともこの作戦に参加しているヒーローの中にはいなかった。

 

『そっか、分かった。君たちは国土防衛軍を創設した時、共にヴィランと戦う仲間になるわけだから殺し過ぎないようにしたかったけど、退却を許さないというのなら仕方ない』

 

 佐藤は別に提案を断られてガッカリしている様子もなく、平然とそう言った。

 対してヒーロー側はまたも佐藤の言葉から衝撃を受けることとなる。国土防衛軍の創設だけじゃなく、これだけのことをしでかした佐藤がヒーローと共に戦えると思っている。そんなことは子どもにも無理だと分かる話だ。

 

 ──佐藤は他人が何を考えているのか、どう思っているのかが分からないのか……!

 

 あまりのバカバカしさに、このインカムを聞いていた全員の頭がクラクラした。

 

『佐藤、貴様という奴は……!』

 

 エンデヴァーはあまりの怒りで言葉が上手く出てこなくなっていた。

 そんなエンデヴァーを嘲笑うように、佐藤は話を続ける。

 

『君たちとの戦闘はとても愉しいよ。でも、だいたい同じような戦術と弱点だし飽きてきちゃった。そろそろ別の刺激が欲しいんだよね、こっちは』

 

 佐藤の声色に変化は無い。ただ淡々と話していく。それが佐藤というヴィランの狂気を際立たせている。

 

 ──いや、違う。俺たちは勘違いをしていた。

 

 ホークスは冷や水を浴びせられたように、怒りで体中を支配していた熱が急速に冷めていく。背筋に悪寒すら感じ始めた。

 

『私は早くヴィランと遊ぶための大義名分が欲しいんだ。だから君たちには悪いけど、全力でこの場から撤退させてもらうし、国土防衛軍創設の要求も必ず通す。どんな手段を使ってもね』

 

 ──こいつは違う。

 

 エンデヴァーやホークスをはじめ、全てのヒーロー、いや国民を含めた全員が佐藤を『ヴィラン』としてずっと見てきた。だが、ここでようやく確信した。佐藤はヴィランではないのだと。ヒーローやヴィランという境界線などどうでもよく、自分以外全ての人間が佐藤にとっては遊び相手という括りでしかないのだと。だから佐藤は当たり前のようにヴィランも殺そうとする。ヴィランだからという仲間意識など微塵も無い。

 

『あと、最後に正直に言おうか。気付いているかもしれないが、今までは私の能力の情報を隠すため、全力で戦っていなかった。でも私の能力について君たちの分析が大分進んでいるようだから、私もこれからは能力の出し惜しみはやめて全力でいかせてもらう。君たちに見せてあげるよ……〈亜人〉の力を』

 

 そこで、インカムが無音になった。

 ヒーローたちは佐藤の言葉にまだ先があるのかと数秒待ったが、ずっと無音のままだった。

 佐藤の話が終わったと判断したヒーロー側は、すぐさまインカムの変更周波数をHN(ヒーローネットワーク)の参加しているヒーローへ個別チャット。ログインしないと周波数が見られないよう、五行ほど無駄な文字で埋め尽くしてから送っている。そうすることで、佐藤がもしヒーローの携帯電話を奪っていたとしても、ホーム画面のチャット表示を読まれないようにしたのだ。

 変更周波数のチャットを送り終えたホークスはスマホの操作をやめ、ポケットにしまう。そして、戻ってきた羽根を両翼に戻した。

 

 ──佐藤の個性名は『亜人』というのか。

 

 羽根を再び飛ばしながら、ホークスは佐藤の最後の言葉について考えた。もしかしたら撹乱のために適当な個性名を言った可能性は十分にあるが、調べる価値はある。

 だが、それもこの戦闘が終わってからだ。

 ホークスはアサルトライフルを握る手に力を込めた。



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第43話 次なる一手

 佐藤とのやり取りが終わった後、ヒーローと警察は佐藤が一体どこの乗客のグループに紛れたか、絞り込むことにした。

 絞り込む方法は簡単。もともと用意していた乗客たちの降下地点には番号を振っていた。全部で十三ヶ所のため、一から十三番。なので、それぞれの降下地点の責任者が一から順番に点呼を取る。その結果、八だけ抜けていることが分かった。故に、佐藤が紛れた降下地点は八番、ということになる。ここまではスムーズにきた。

 問題はここからだ。もともと降下地点は包囲網のすぐ外のため、佐藤を追うとなると包囲網のどこかを崩さなければならない。それに加え、佐藤の今後の行動が読めないのも問題だ。この場からの逃走優先か、それともあえて包囲網に向かって仲間の救援に動くか。

 この問題は佐藤包囲網作戦に未参加のヒーローや警察官を使えば、今の包囲網を崩さず特定した佐藤の位置周辺に新たな包囲網を形成することで解決できるだろう。しかし、具体的にどんなヒーローがどこにいるのか、どうやって彼らと円滑に連絡を取り合って包囲網の段取りをしていくのか、その部分がまだまだ甘い。一、二時間後にやる作戦ならまだしも、一秒が命取りになるような現状で彼らを組み込んだ作戦を展開するのは難しすぎる。

 

『俺たちが佐藤の包囲に行こう。場所という点で見ても、連携という点で見ても、俺たち以上の適役はいない。違うか?』

 

 ──ギャングオルカさんか。確かに言う通りかもしれないな。

 

 今回の作戦において、サイドキックの多いギャングオルカはほぼ自身の事務所だけでチームを組んでいた。チーム内での連携の高さは上位に位置する。

 場所的に見ても、確かに佐藤がいたとされる降下地点に比較的近い。

 国会議事堂に近くにいるチームは旅客機の残骸の処理やら周辺のヴィランの対応で忙しい。

 そもそも佐藤が包囲網の外に行ったからといって、簡単に包囲網を崩すわけにはいかない。包囲網の中には銃器を持つヴィランがまだ多数いるのだから。

 これからの作戦は佐藤を追いつつも着実に包囲網の中のヴィランを確保していくことになる。佐藤が包囲網の方に来てくれるなら、佐藤の確保を最優先にし、佐藤が逃走するならこの作戦に参加したヒーロー以外に情報を渡して追跡してもらう。

 ホークスはインカムの発信ボタンを押す。

 

「佐藤の方、頼みます。ギャングオルカさん」

『了解。佐藤の追跡を開始する』

 

 インカムからギャングオルカの声が聞こえた。その声には恐怖や不安といった負の感情は無く、ただ佐藤を確保するという強い意思と覚悟が乗っていた。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

「──というわけなんだよ」

 

 佐藤はヒーローから奪った携帯電話から猿石の持つ携帯電話に電話をかけ、これまでの経緯と、ヒーローとインカムで接触した時のやり取りの内容を伝えた。

 佐藤は猿石から軽く注意されるか、もしくは小言を言われるんじゃないかと考えていた。

 佐藤の立てた計画を佐藤自身の手で崩壊させたのだ。その計画に従って動いていた人間からすれば不満が出て当たり前の話。不満を言われたら謝る心構えも電話する前にしている。

 だが、猿石は佐藤の予想に反して、不満や愚痴は一切言わなかった。

 

『なるほど……ちなみに、佐藤さんはこれからどうするんです? 話を聞く限りヒーローと警察が敷いた包囲網の外にいるようですけど、そのまま撤退を考えていますか?』

「君たちが包囲網の中にいるのに、私だけ撤退するわけないだろう。私は外から包囲網を切り崩して退路を確保するよ」

『分かりました。ちなみに佐藤さん、今物資の方はどうです? 計画通り物資を受け取りますか?』

「そうだね……拳銃とナイフ、警棒、ヒーローアイテムくらいしか手持ちは無いし、拳銃の弾もあと奪った拳銃含め二十五発しかないから、物資を受け取れるなら受け取りたいねぇ。ヒーローの物資を奪いながら戦うつもりでいたけど当たり外れがあるし、流石に囲まれたら物資を漁る時間も無いしね」

『了解です。今、どの辺りにいるかとか分かります?』

「GPS情報をメッセージに添付して送るよ。一旦電話切るね」

『はい、分かりました』

 

 佐藤は電話を切る。それから携帯のGPS情報を取得し、画面をスクリーンショット。猿石の電話番号へのショートメッセージにGPS情報のスクリーンショットを添付。送信。

 送信から約二十秒後、猿石の電話番号から着信があった。

 佐藤は通話ボタンを指でタップし、携帯電話を耳元に持っていく。

 

『佐藤さん、一番近いのは沙紀さんです。沙紀さんから物資を受け取ってください。沙紀さんと佐藤さんの中間辺りに合流地点を設定しました。正確な場所は通話が終わった後、ショートメッセージで送ります』

「ありがとう。猿石君、私に怒ってないのかな?」

『怒る……ですか?』

 

 猿石の困惑した声が電話越しに響いた。

 

「そうだよ。私は計画を勝手に放棄したんだ。その計画に付き合ってる君たちには怒る権利がある」

『うーん……』

 

 猿石は考え込むように唸る。それから数秒の沈黙。そして、猿石が再び口を開く。

 

『僕は別に不満とか無いです。他の人がどうかは分かりませんが』

「どうしてかな?」

『佐藤さんの計画だからですよ。僕も、他の人たちも、佐藤さんのやりたいことに便乗してやってます。計画通り行くとかそういうのは僕個人としてはあまり重要じゃないです』

「ほう。なら、君にとって重要なことは?」

『そんなの決まってます、佐藤さんの感情ですよ。佐藤さんが立てた計画なんですから』

「私の感情?」

『確かに佐藤さんは計画を放棄しました。でも、そっちの方が面白そうだって思ったんですよね? なら、僕はそれでいいです。佐藤さんが愉しいならそれで……』

「…………」

 

 ──なんか……変わったかな? 流されるんじゃなくて自分の意見を持って、それを伝えられるようになってるね。

 

 これなら退屈になってきた時の暇潰しくらいには使えるかもしれない。

 

「オッケー、猿石君、君の気持ちは分かった。じゃあ、改めて頑張っていこう。君も撤退するんだよ。他のみんなにも撤退のこと、伝えといて」

『はい』

 

 そこで佐藤は電話を切った。それから十秒後、沙紀との合流地点が添付されたショートメッセージが届く。そのショートメッセージを確認し、ショートメッセージに添付された合流地点に向かって移動を開始。

 移動を開始してから一分も経たない内に、携帯に電話が掛かってきた。番号を見ると沙紀の携帯電話番号。おそらく猿石からこの携帯電話の番号を教えてもらったんだろう。

 佐藤は移動しながら通話ボタンをタップ。

 

「もしもし、沙紀君?」

『あー! 佐藤さん! 佐藤さんはさあ! 約二十キロのバック背負って爪伸ばす女の子の気持ち、考えたことある!?』

「ないよ」

『ですよねえ! 佐藤さんっていっつもそう!』

「……愚痴を言いにきたのかな?」

『重いのおおおお! 辛いのおおおお! この苦しみを怒りに変えてぶつけたいのおおおお!』

「……そう」

 

 佐藤は電話を切った。

 頭を切り替え、合流地点へのルートを頭の中に思い描きつつ、佐藤は周囲を見渡しながら走る。

 佐藤の予想だと、ヒーローは愚かにも戦力の分散をして、佐藤専用の新たな包囲網を形成とみている。それが不可能とも分からずに。

 そもそも数百人程度の包囲網を敷いたところで、人一人逃さぬ鉄壁の布陣になるわけがない。今佐藤の周囲にも、多数の民衆が走って国会議事堂の方向から逃げていたり、立ち止まって国会議事堂の方に注目していたり、佐藤の存在に気付いた恐怖に声が出ず目を見開いてただ佐藤を凝視していたり、そういった障害物が多くある。民衆の避難経路も確保しなければならない。そういったことを考えれば、包囲網という作戦自体が失敗だと佐藤は思う。

 なら、ヒーローはどうすれば良かったのか?

 佐藤の考えうる中でのヒーローの最善策は、旅客機墜落を傍観して国会議事堂周辺のヴィランたちの制圧にリソースを回しつつ、旅客機墜落時に国会議事堂を包囲して佐藤の逃げ道を潰しておく。この作戦が佐藤の考えうる作戦の中で一番キツい。墜落後の佐藤は旅客機の爆発に巻き込まれて武器の全てを失うため、ここにヒーローが戦力をフル投入してきたらIBMで賭けに出るくらいしか佐藤は手が無かっただろう。

 だが、ヒーローの頭に切り捨てるという選択肢は無い。だから簡単に有利を取れる。

 佐藤はハンチング帽を深く被りつつ、民衆の流れを逆走。佐藤は戦場に長くいた。その時の兵士の経験から、佐藤の潜伏行動(ストーキング)技術は一流である。

 潜伏行動の極意は気配を消すのではなく、気配を周囲と同化させることにある。あらゆる生物や物体が何かしらの気配を発している中、己の気配を消す行為は逆に自身の存在を強調することになりかねない。だからこそ、周囲に溶け込むことが大事なのだ。

 それを熟知した上で、佐藤は流れに逆らっている。会敵せず合流地点に行くのはスリルが無くて面白くないからだ。だがその行動は存在を浮かび上がらせ、佐藤の周辺の人々はその違和感から佐藤に気付いた。

 大多数は佐藤の標的になる恐怖で、見て見ぬ振りと知らん振りを貫く。しかし、一握りの人間は佐藤への恐怖より怒りと正義感が勝つ。故に彼らは佐藤へと牙を剥く。

 そういった人間はみな激情家である。佐藤の姿を偶然目にして、考えるよりも先に感情に突き動かされた人間だ。彼らの不幸が何かと言うならば、その性格だろう。冷静に目的を達成するような己の感情の制御ができず、佐藤への恐怖を誤魔化すために雄叫びをあげて襲いかかる。

 

「うおおおおッ!」

 

 一人の大柄な男が佐藤目掛けて両手を伸ばして駆けた。その両手で佐藤を掴み、勢いのまま地面へと叩きつけるために。

 佐藤は向かってくるその男に対し、ニヤリと笑ってみせた。それを見たその男の表情は強張るが、止まることはない。強張った顔のまま、佐藤に掴みかかる。

 佐藤は男の両手をかわさなかった。男の両手に掴まれつつもサバイバルナイフを抜き、地面に押し倒そうとする男の首にサバイバルナイフを刺し込んだ。

 

「がふッ!」

 

 佐藤を掴んでいた両手が、反射的にナイフを抜こうと佐藤の体から首の方へ移動する。が、その時にはもう手遅れだった。佐藤はナイフを抜きつつその男から離れ、再び合流地点へと走る。男は穴の空いた首から血が噴き出すのを押さえるような体勢のまま、両膝をついた。次に力が抜け、うつ伏せに倒れる。血溜まりが男の倒れた場所に生まれ、間近で人の死を見た群衆の悲鳴が沸き起こった。

 そんな悲鳴の中を、佐藤は走り続ける。その顔に愉しげな笑みを浮かべながら。

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 国会議事堂を包囲していた(さとし)のチームは今、国会議事堂に向かって駆けていた。旅客機墜落が失敗したため、国会議事堂の中にいる国会議員の殲滅に目標が変わったからだ。だが、すでに佐藤のIBMが国会議員の大量殺害を決行している。このあたりからも、佐藤のIBM使用が計画外のことであり、佐藤とそれ以外の味方とのちぐはぐ感は拭えない。

 怜が他のヴィランたちと共に国会議事堂に辿り着いた時、怜の携帯電話が着信音を鳴らした。

 怜は携帯電話を取り出し、通話ボタンをタップ。

 

『もしもし、稲穂君?』

「なんだよ、今から突入するとこだってのに……」

 

 怜は名字の稲穂で呼ばれたことに少し不愉快な気分になった。が、その気分は次の猿石の言葉で吹っ飛ぶ。

 

『佐藤さんから撤退の指示があったんだ』

「はあ!? 少なくても総理と大臣は殺す計画だろ!? まだ誰も議事堂に突入すらしてねえぞ!」

『そこはよく分からないけど……佐藤さんは確かに撤退と言ったんだ。僕らの知らない方法で国会議員殺害の目標を達成したかもしれない。佐藤さんには透明になれる〈個性〉の味方がいるから、僕らを陽動にその透明になれる味方が先にやった可能性もある』

「なんだよそれ……。俺らを信用してねえのかよ、あの人は」

『佐藤さんは計画を勝手に放棄したから僕らには怒る権利があるって言ってたし、佐藤さんも悪いとは思ってるみたいだよ』

「……ったく、しょうがねえ人だな。分かったよ、撤退する。佐藤さんは旅客機の残骸の方にいるのか?」

『いや……救助された乗客の中に紛れて今はヒーローたちの包囲網の外にいるよ。でも僕たちの退路を確保するため、外からヒーローたちの包囲網を切り崩すつもりらしい』

「……は?」

 

 ──俺らを逃がすために、囮になるってことか……?

 

 現在、どれだけのヒーローと警察官がここに集結しているのか、分からないわけがない。そこに自ら飛び込み、囮になるということがどれだけリスクがあるか。

 

「今の話の流れだと、佐藤さんは物資の補給ができてないよな?」

『そうだね。位置関係から沙紀さんが一番近かったから合流地点を設定して、そこで沙紀さんが佐藤さんに補給物資を渡す手筈になってる』

「俺にもその合流地点を教えてくれ」

『……結構そこから遠いけど、いいんだね?』

「ああ、佐藤さんが敵を掻き回すってんなら、俺がそこから更に掻き回す。それに、もしあいつが合流地点に辿り着けなかった場合の保険にもなる。俺だって佐藤さんの補給物資を持ってるしな」

『了解。合流地点の位置情報を送るよ』

 

 そこで通話が終わり、そこから十秒経たずに携帯電話から通知音。位置情報の入ったショートメッセージが怜の携帯電話に届く。

 怜は合流地点の位置情報を確認。その後顔を上げ、自分のチームの面々に視線を移す。

 

「俺はこれから佐藤さんの合流地点に向かう。あんたらはこの場から撤退してくれ」

「いや、俺はお前に付いてくぜ? 暴れたくて佐藤に乗ったんだ。まだ暴れ足んねえよ」

 

 筋骨隆々の長身男ヴィランがそう言った。

 

「わ、私も付いてくよ!」

 

 青い髪をショートボブにしている二十歳前後の女ヴィランも顔を少し赤らめつつそう言った。他の面々もうんうんと頷いている。

 怜はこのチームで顔合わせをした時から、この女ヴィランの熱っぽい視線に気付いていた。そして、今もその熱を感じている。

 

 ──うっぜえなぁ。

 

 怜は思わずため息を吐いた。

 今まで怜に好意を抱いた女は数え切れないほどいるが、怜の個性が弱いことを知った途端、その好意を失望と幻滅に変化させた。勝手に好意を抱いて勝手に幻滅するくらいなら、最初から好意を向けるなと怜は思う。

 

 ──だから女は嫌なんだ。

 

 怜はその女ヴィランの方を見ないようにしながら、合流地点の方へチームを引き連れ移動を始めた。



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第44話 佐藤対策

 リベンジエッジの面々に佐藤のことを連絡した後、猿石は撤退の準備を始めた。

 

「お、おい、猿石! これ……」

 

 元々使い捨てのつもりで持ってきたパソコンを破壊して情報隠滅をしている途中、ヴィランの一人が猿石を呼んでモニターの一つを指さした。

 猿石はがらくたとなったパソコンから指をさされたモニターへと視線を移す。そこにはドローンを操縦したヴィランを捕縛したまま真っ直ぐこの場所に向かってくるヒーロー四人の姿がある。ヴィランの状態を見ると顔中痣だらけであり、おそらくヒーローたちが拠点の情報を吐かせるために暴行したようだ。それだけヒーロー側は切羽詰まっているのだろう。

 

「あの野郎、この場所ゲロりやがった!」

「早くこの場所から離れましょう!」

 

 猿石は使える物資をバッグにまとめつつ、そう言った。猿石の声には焦りがあった。

 猿石はこの場にヒーローが来る事実に直面して初めて、自分がヒーローたちにとってどれだけのことをやらかしてきたか、自覚した。『無個性』の自分だが、捕まったら最悪のヴィラン収容施設タルタロスへ移送されるかもしれない。そうなったら、社会復帰は絶望的。

 自分は崖っぷちにいる。その恐怖と不安は元来臆病である猿石の体を機能不全にするには十分すぎた。バッグを背負おうとバッグの持ち手を掴もうとするも、手が震えて上手く掴めない。

 

「あれ? あれ? おかしいな……」

 

 持ち手を掴むのに手間取っている猿石のところに女ヴィランがやってくる。女ヴィランはその持ち手と猿石の手を掴んで持ち手を握らせた。

 

「ほら、しっかり!」

「あ、ありがとうございます……」

 

 猿石は女ヴィランに頭を下げ、バッグを背負った。

 

「あなた、一体何がしたいわけ?」

 

 女ヴィランの声には苛立ちが混じっている。その苛立ちを感じ、猿石はまた別の恐怖に襲われた。

 

「な、何が……?」

「この部屋を私の『個性』で燃やせば情報隠滅なんて一瞬で終わったのに、死体があるから駄目だって言ったのはあなたでしょ? なのに、ヒーローたちが来るって分かった途端そんなに震えてさ……。そんなこと、あなたも最初から分かってたことじゃない」

 

 猿石は女ヴィランから目をそらした。

 

 ──そうだ、僕は分かってた。いずれヒーローはこの場所を突き止め、踏み込んで来るって。

 

 この作戦は参加しているヴィランの数が多く、この司令部の位置も佐藤から全員に知らせるよう指示があった。だから、この作戦に参加しているヴィランを尋問か拷問かはたまた取引するか、そのいずれかでこの司令部の情報を得ればヒーローは簡単にこの場所を突き止められる。それに、使っているドローンも市販されているものにアタッチメントを加えただけで、操作する電波や周波数に強い妨害がされているわけでもない。電波に関係する『個性』か電波を特定する機器を使えば逆探知は容易なのだ。

 

「ぼ、僕はただ……燃やさなくても情報隠滅はできるから、それでいいかなって……」

「だからそれは死体を気にしてのことでしょうが。それに死体も燃やされることを望んでいる筈よ。燃やしたいのよこっちは」

「死体だからって何してもいいわけじゃない……と思います。ここにある死体はヒーローじゃない普通の人の死体と裏切り者の死体だけど、死体になった時点で僕らに何も影響を及ぼさない物質になったんだ。なら、その死体を鞭打つような真似を僕はしたくないんです。死体に敵も味方もないんだから」

「仲間の血にまみれたその姿で、よくそんなことが言えるわね」

 

 猿石は視線を落とし、自分の姿を改めて見る。裏切り者を撃ち殺した血で服が真っ赤に染まっていた。

 

「仲間なんかじゃない。コイツは佐藤さんを裏切ろうとしたばかりか、僕たちも巻き添えにしようとした。死んで当然の人間だった」

「ヒーローたちをドローンで爆殺するのはいいの?」

「敵なんだから仕方ないじゃないですか! でも死体に敵はいません! 死体を必要以上に傷付けなくても済む方法があるなら、僕はそっちを選びます! もう情報隠滅は終わりました! 早く逃げましょう!」

 

 女ヴィランは猿石を数秒睨んだ後、ため息を吐いた。

 

「……分かったわよ。燃やしたかったのになぁ」

「燃やせるタイミングはきっとありますよ」

「そう? なら許しちゃう」

 

 機嫌を直した女ヴィランは猿石同様持てる限りの物資を持って玄関へ走る。猿石も物資の入ったバッグを背負ったまま走って付いていく。部屋にいた他のヴィラン十一人も各々持てるだけの物資を持って玄関に向かった。

 猿石が外に出た時、ちょうど遠くの方からヒーロースーツを着た四人が走ってきていた。

 

「いたぞ! あいつらがドローンを操作して指示を出していた連中だ!」

「四人なら倒せる! 殲滅するぞ!」

「駄目です!」

 

 猿石の後ろから続々とヴィランが出てきて、猿石同様ヒーローの存在に気付いた。ヒーローの人数の少なさと味方の多さから全滅できると判断した彼らはその手に持つアサルトライフルを構える。猿石の制止の声を聞かずに。

 アサルトライフルを向けられたヒーローたちはすぐさま回避行動。一斉に撃たれたアサルトライフルの銃弾の雨を躱し、建物を遮蔽物にする。撃たれたアサルトライフルの銃弾は捕縛されていたヴィランを穴だらけにした。

 

「よけられた!?」

「当たり前でしょう! あなたたちは佐藤さんじゃないんですから!」

 

 身体能力は高くない佐藤がヒーローを一方的に殺せる理由。それはもちろん銃の性能もあるが、一番の理由は驚異的な射撃精度と照準を合わせる速さ。常人は銃を構えて照準を合わせるのに数秒はかかる。だが佐藤は銃を構えたと相手が判断した時には照準を合わせている。だから回避できない。一流ヒーローのような勝負勘で先読みして動くか、常人離れした反射神経で回避行動を取るか、そういった能力に長けてなければ佐藤の前では生き残れないのだ。

 だからこそ、ドローンによって情報アドバンテージを得て待ち伏せし、あらかじめ照準を敵が来るところに置いておくことでその構えてから撃つまでのタイムラグを短くする戦術を取った。その戦術を失った今、銃の練度が低い人間が銃でヒーローに効果的な射撃をすることは難しい。

 

「撤退します!」

「なっ!? 相手はたったの四人だ! 戦ったらこっちが楽勝だぜ!」

 

 反論してきたヴィランの言葉に、猿石は苛立ちを覚えた。舌打ちしそうになるのを堪える。

 

「あの人たちは絶対この場所を教えて応援を呼んでいます! 彼らは味方が来る時間稼ぎをしてくるでしょう。ここでもたもたしてたらヒーローに包囲されますよ!」

「そんな……。一体どうしたら……!」

「だから包囲される前に逃げないと! ヒーローと僕らの間に炎幕をお願いします!」

「分かった!」

 

 猿石の指示を受けた女ヴィランはバーンガスを吐いて着火。猿石とヒーローの間に炎壁が出現。恍惚の目をしてその炎壁を眺める女ヴィラン。

 

「今です!」

 

 猿石の合図で、全員ヒーローのいる方向とは反対の方向へ走り出した。

 

「絶対に逃がすな!」

 

 ヒーローたちはインカムを使用しつつ、個性で付近の金属を飛ばして炎壁を吹き飛ばす。そこからは熾烈な追撃戦となった。ヴィランたちは個性と銃で追っ手のヒーローを妨害しつつ撤退し、ヒーローはヴィランの妨害を個性とヒーローアイテムで乗り越えて辛抱強くヴィランの追撃を続ける。

 しかし、位置バレしているうえにヒーロー側の方が戦力も多いため、猿石らヴィラン側は窮地に追い込まれ始める。ヒーロー側は猿石たちの位置情報を逐一共有し合い、個性を上手く利用して猿石たちの逃走ルートを制限。今や即興の包囲が完成しつつある。

 そのことを、猿石たちも逃走している間に気付いた。行こうとする先々でヒーロースーツを着ている人たちを見つけるからだ。彼らを個性や銃で牽制しつつルート変更を繰り返す内に、逃げ場が無くなってしまっていた。

 大通りから外れて道が狭くなっている路地裏。車二台すれ違うのもギリギリという幅の道路。大通りに繋がる道は四本あるが、どの道の先にも遮蔽物に隠れてヒーローたちが窺っている。

 

「ど、どうすんだよ。囲まれちまったぜ」

 

 味方のヴィランの一人が怯えた表情で周囲を見渡した。ヒーローは銃を警戒して直線的な距離の詰め方をしてこないが、遮蔽物を利用してジリジリと近付いてきている。

 

「私が足留めするよ。その間にみんな逃げて」

 

 女ヴィランがそう言った。

 猿石はその言葉に内心ホッとする。これで自分は捕まらなくて済む。そう思いながら女ヴィランの顔を窺った。不安そうな横顔をしている。猿石はハッとした。さっきの佐藤の言葉が脳裏に再生される。

 

『君たちが包囲網の中にいるのに、私だけ撤退するわけないだろう。私は外から包囲網を切り崩して退路を確保するよ』

 

 佐藤は味方を見捨てない。いつも一番危険なところで戦っている。そして、今このチームのリーダーを任されているのは自分。

 

 ──僕は佐藤さんと対等に話せるような人間になりたい。だったら、仲間の犠牲で得られる安全に安心するんじゃなくて、僕がその危険を引き受けられるようにならなくちゃ。

 

 猿石は前に行こうとする女ヴィランの右腕を掴む。

 

「え……?」

「そんなの、駄目です。僕たちは仲間なんだから。みんなで生き残りましょう」

「……」

 

 女ヴィランはポカンとした顔で猿石の顔を見つめる。

 

「じゃあどうすんだよ。何か作戦でもあんのか?」

 

 一人のヴィランがそう口を挟む。猿石はその言葉にグッと押し黙った。作戦なんて考えてない。ただ味方を見捨てる行為をしたくなかっただけ……。いや、待てよ。作戦なら一つだけ今思いついた。

 

「……作戦ならあります」

 

 猿石は作戦の内容を周囲のヴィランを伝えた。聞き終わった後、ヴィランたちは沈黙した。肯定するか否定するか迷っているようだ。

 

「やろう」

 

 そんな中、女ヴィランは猿石の顔を見つめながら肯定の意を口に出した。

 

「俺も乗った!」「俺もやってやる!」

 

 他のヴィラン二人も肯定の意を口に出し、それ以外のヴィランは頷くことで猿石の作戦に同意。そういったやり取りの間もヒーローたちは距離を詰めようとしてくるため、話している最中にヴィラン側は何度も銃口をヒーローたちに向けて牽制した。

 猿石らヴィラン側は作戦行動に移る。

 ヴィラン側はヒーローをこちらに来させないよう威嚇射撃する役と、その間に持ち出した物資の一つであるドローンを全て起動する役に分けた。女ヴィランは『個性』によって四本の道路に可燃ガスを充満させる役となり、猿石はスマホのアプリからドローンを同期させてドローンの設定を変更。まずは手動操作を自動操作に。それから爆撃ドローンの設定をそれらのドローンに割り当て。

 そういった作業をするのに猿石は一分も掛からなかった。元々ある設定を適用していくだけの作業だったため、猿石のスキルを持ってすれば楽な作業だった。

 その短い作業時間の間、猿石は作業しながら思考を巡らせていた。

 

 ──ずっと僕は無個性だと思っていた。佐藤さんに出会うまでは……。

 

 自分は誰もが努力すれば手に入る能力しか無いんだと、自分の能力を卑下していた。

 でも、今は違う。誰だって手に入れられる能力であっても、僕の能力は特別に値するのだと、自分の能力に自信を持っている。だからこそ、僕は胸を張ってこう言える。

 

「僕の『個性』は……ハッキングだ」

 

 プログラムによるウイルスコードと機械操作。ネットワークに介入してのハッキング。機械や電子機器への知識を利用した改造。愛国者集団(パトリオッツ)のサイトからアジトを特定されないよう妨害。そういったスキルから名付けた『個性』でもあるが、それだけじゃない。ハッキングの本質は既存のルールや規範の裏をかいたり、抜け道を突くことである。超人社会と言われ、八割以上の人間に何かしらの能力がある社会。そんな社会に、無能力者の自分がハックして生き抜いていく。そういう自分の覚悟もハッキングという言葉に乗せた。

 お前のそんな『個性』など紛い物、と個性持ちの人間は(わら)うだろう。嗤いたければ、好きなだけ嗤え。

 

 ──お前らが嗤う『紛い物』で、お前たちの言う『本物』を捻じ伏せてやる。

 

 無個性で自分に自信の無かった猿石はこの瞬間、自信と自分のスキルに対するプライドを手に入れた。

 女ヴィランが四つの道路に充満させていた可燃(バーン)ガスを着火。一気に炎壁がヒーローたちの正面に出現する。ヒーローたちはいきなり出現した炎壁にびっくりし、足が止まった。視線は炎を警戒して釘付けになっている。それこそ、猿石の作戦の肝であった。

 炎壁が収まった瞬間、ヴィラン側はそれぞれの道路にいるヒーローたちへと一斉に駆け出す。ヒーローたちはヴィランを返り討ちにすべく、ヴィランの一挙手一投足に集中。その時、ヒーローたちは音を聞いた。ドローンの音。炎壁によって視界を遮っている間にドローンを飛ばし、死角からドローンを接近させる。そうすることで、ヒーローの頭にギリギリまでドローンのことを考えさせないようにした。

 ヒーローたちはそこから反射的にドローンを確認しようとヴィランからドローンの方へ視線を移動させる。

 

 ──当然そうなるよね。

 

 猿石は駆けながら、ヒーローがドローンの登場でドローンに気を取られたところを見てニヤリと笑った。ヒーローにとってドローンが爆弾を搭載して自爆特攻してくる戦術はついさっきあった戦術だ。必ずそのことが頭によぎる。無視してヴィランに集中などできるわけがない。

 実際の話、起動させたドローンに爆弾は搭載されていない。偵察用ドローンだからだ。だが、遠目ならともかく、死角から飛び出してきたドローンが爆弾を搭載していないと判断するには数秒かかる。その数秒あれば、ヴィラン側は銃口の照準をヒーローに合わせて引き金を引くことができる。

 ヴィランたちはその瞬間を狙っていたため、ヒーローがドローンに気を取られた時には銃を構えて照準を合わせ、一斉射撃。次々にヒーローが撃ち抜かれ、包囲していたヒーロー全員が地に倒れた。道路がヒーローたちの血で赤く染められていく。それらの死体にドローンが何度もぶつかっては離れてを繰り返す。

 

「ああ、忘れてた。爆撃ドローンは接触したら木っ端微塵になるから接触した後の設定をしてなかったんだ」

 

 猿石はドローンのアプリから設定を変更。死体にぶつかり続けていたドローンはぶつかるのをやめ、血に濡れた道路に着地。

 ヴィランたちはヒーローに包囲されていた緊張をほぐしながら、着地したドローンを片付け始める。猿石も片付けを手伝おうとしたが、力仕事はこっちに任せろと言われて手伝えなかった。

 仕方なく猿石はヒーローたちの死体のスマホの一台を手に取ってスマホの情報を調べたり、インカムから周波数を特定したりした。

 

「……ねぇ」

 

 猿石がそういったことをしていると、女ヴィランが声を掛けてきた。猿石はヒーローのスマホから女ヴィランの方に顔を向ける。女ヴィランの顔は少し赤らんでいるように見えた。

 

「どうしたんです?」

「私のこと、仲間だって言ってくれたよね? 私、ヴィランとして生きるようになってからそんなこと言ってくれる人はいなかった。すぐに燃やすアブナイ奴だってヴィランからも距離を置かれてた」

「髪ゴム、僕にくれたじゃないですか。あなたは優しい心を持ってますよ。アブナくなんてありません」

 

 猿石は後ろ髪を縛る髪ゴムに触りながら、そう言った。女ヴィランの顔がますます赤くなる。

 

「今までたくさんの物や人を燃やしてきた……。でも、私の心を燃やしてくれたのは、あなたが初めて。だから、私もあなたの心を燃やしたい。灰になるくらいあなたの心を燃やし尽くした後は、あなたの体を綺麗な炎で包んであげるね」

「……え?」

 

 猿石は女ヴィランの顔を凝視する。女ヴィランは恍惚とした表情で猿石を見つめていた。

 

 ──佐藤さん……。どうやら僕は、この人に条件付きの死刑を宣告されたようです。

 

「私の名前、知ってるよね?」

「し、賜焔霧香(しえんきりか)さん……ですよね」

「霧香って私のことはこれから呼んで。コンゴトモヨロシク」

「よ、よろしくお願いします……」

 

 霧香は猿石に向かって頭を下げる。猿石も顔を引きつらせつつ、頭を下げた。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 ギャングオルカはサイドキック二人を連れ、佐藤の降下場所に向かっていた。他にも大勢のサイドキックがそれぞれ向かっている。

 ギャングオルカの見た目はシャチを人型にしたような見た目だ。服装は白スーツにピンク色のネクタイ。ちなみにこれは見た目が怖くて小さな子どもに泣かれることを気にして、雰囲気が和らぐような服装を選ぶようになったという過去がある。

 ギャングオルカはインカムの発信ボタンを押す。そのインカムの周波数は佐藤確保に参加しているチームで使用するために新たに用意した周波数だ。

 

「これから言うことを頭にしっかりと入れておいてくれ」

 

 誰からもインカムから返事は無い。だが、それは無言の肯定であり、返事によって発生する一、二秒の時間を省こうとしたからこその沈黙。そうなってしまう程、今は一分一秒を争う事態なのだ。そこはギャングオルカも察したため、無言だからといって確認の言葉は入れず、話を先に進める。

 

「まず佐藤は他のヴィランと決定的に違う部分がある。奴はヒーロー民間人区別なく、とにかく殺害する。殺意が極めて高い。つまり俺たちにとって優先すべきことは佐藤の確保ではない。民間人そして俺たちの命だ。

奴は旅客機の乗客に紛れて包囲網の外に出た。そこは敵ながら見事ではある。が、同時にミスもした。奴の仲間の大半は包囲網の中にいる。佐藤は一人で戦わなくてはならない。今予想されている佐藤の『個性』は再生と透明な物質操作のどちらかか両方。武器は銃器。これらの情報を踏まえたうえで、四つ遵守してくれ。

まず一つ、佐藤を発見した場合、速やかに遮蔽物に隠れるか射線を切り、インカムで発見報告をすること。

二つ、佐藤が俺たちを発見し何かしらの行動をとった際、その行動に釣られず、慎重に行動すること。佐藤の何かしらの行動は全て俺たちの命を奪うことに直結している。佐藤の誘いに乗り、佐藤の土俵で戦うのは極めて危険だ。

三つ、佐藤と戦闘する場合、些細な音にも注意し、可能であれば砂煙を起こしたり広範囲攻撃をすること。透明でも物質であれば、砂煙が揺らいだり広範囲攻撃に当たるだろう。透明な物質を操れることを常に頭に入れておけ。

四つ、俺が戦闘に加わる際は耳栓を付けろ。

以上だ。作戦行動を続けるぞ」

『了解!』

 

 インカムからサイドキックたちの力強い返事が返ってきた。

 ギャングオルカはインカムの発信ボタンから手を離し、周囲を見渡しつつ走り続ける。その身体からは覚悟の炎が立ち上がっていた。

 

 

 

 佐藤は沙紀との合流地点に向かって走っている。当然周囲の警戒は怠らない。

 そこから五分、佐藤は何事もなく走り続けた。その時には国会議事堂で暴れていたIBMが消滅していた。そのことを佐藤は経験から分かっている。

 

 ──今日二回使っちゃったからなぁ。出せてあと一回。ここぞって時に使おう。

 

 そんなことを考えていると、佐藤はヒーロースーツを着ている三人を発見。ヒーロー三人も佐藤を発見。発見タイミングはほぼ同時。佐藤の視線とヒーロー三人の隊長の視線がかち合う。距離にして約二十メートルといったところか。

 

「ん!?」

 

 ここでそのヒーロー三人は、今までのヒーローとは違う行動を取る。今まで佐藤が出会ったヒーローは佐藤に対する戦意が少なからずあった。たとえ遮蔽物に隠れても、隙があったら接近して倒そうとする意思があった。

 だが、このヒーロー三人は佐藤を発見するやいなや遮蔽物に身を隠し、そこから僅かに顔を出すばかりで佐藤に近付こうとする意思を感じられない。

 そう佐藤が不思議に思っている間、ヒーローは迅速に役目を果たしていた。

 

 

「佐藤、発見。位置情報を送る。至急応援を頼む」

 

 遮蔽物に隠れたヒーロー三人は、隊長以外の二人が少し顔を出して佐藤の姿を監視し、隊長はインカムで佐藤の発見報告をした。

 

「佐藤、立ったまま動き無し」

「了解。このまま警戒させて動きを止めさせれば、佐藤を確保できる」

 

 ヒーロー三人にとって、ギャングオルカというボスの言葉は絶対である。だからこそ、彼らは佐藤を前にしても冷静になることができる。

 

 

 佐藤は彼らがそういう指示を受けていることを知らない。

 佐藤はあえて銃を構えず隙だらけの体勢で立っていたが、ヒーロー三人はそんな佐藤に釣られず隠れ続ける。

 

 ──この誘いに乗ってこないんだ。じゃあ次はどうかな?

 

 佐藤は突如、全力疾走。ヒーローから見て左の道路に入る。佐藤はヒーローの死角に入った瞬間、すぐ近くの建物の陰に隠れ、さっきのヒーロー三人が慌てて飛び込んでくるのを待つ。

 

「……?」

 

 時間にして二十秒。それだけの時間を待ってもヒーローが道路に入ってくることはなかった。これも今まで佐藤が戦ってきたヒーローとは違う行動。

 

 ──私はかなりの速さで道路に逃げ込んだと見せかけた筈だ。視界に入れていない時間が一秒増えるごとに見失う危険性が高まるのだから、早く視界に入れなければと走り込んでくるものだと思っていたが……。

 

 佐藤はニヤリと唇を吊り上げる。

 間違いない。これは佐藤というヴィラン専用の戦術というものをあの三人がしてきている。そして、おそらくあの三人だけではあるまい。もっと大勢の人数が、佐藤というヴィランに対する最高の戦術というものをぶつけてこようとしている筈だ。

 

「愉しくなってきたねぇ」

 

 佐藤は拳銃を右手に握り、左手にサバイバルナイフを持つ。

 道路のすぐ近くの死角で、痺れを切らして道路に飛び込んでくるヒーロー三人を待ち続ける。と同時に、佐藤の位置を確認できる道路全体に視線を巡らし、彼ら以外のヒーローが来ていないか監視。

 

「お?」

 

 佐藤は道路の反対から、新たな三人のヒーローの姿を見た。その三人の内の二人はすぐに遮蔽物に隠れたが、一人は堂々と道路に立っている。シャチのような見た目に白スーツ。佐藤は当然ヒーローの情報を調べているし、特に上位ヒーローの情報に関しては念入りに入手している。その佐藤の知識によって、そのシャチの姿をしたヒーローはギャングオルカだと即判断できた。

 

 

 ギャングオルカは考え無しに遮蔽物の無い道路に立ったわけでは無かった。ギャングオルカは佐藤が拳銃を持っているのを確認して射程が短いのを見抜き、もし透明な物質で攻撃してくるなら強靭な肉体を持つ自分を狙ってくるように仕向けるため、ぱっと見無防備な姿で佐藤の前に身をさらした。距離にして約八十メートル。

 ギャングオルカは建物に隠れている佐藤から視線を外さないようにしつつ、インカムの発信ボタンを押す。

 

「佐藤発見。連絡があった道路すぐ近くの建物の死角にいる。気を付けろ」

『助かりますシャチョー』

 

 ギャングオルカは佐藤の姿を見据える。

 

「佐藤を確保するぞ」

『了解!』

 

 インカムからやる気の入ったギャングオルカのサイドキックたちの返事が聞こえた。

 ギャングオルカ以外のこの場に集まっているヒーローは一斉に耳栓を付ける。

 

「色んな人間と戦ってきたけど、シャチ人間と戦うのは初めてだよ。この世界は本当に愉しい世界だ」

 

 佐藤は拳銃とナイフをギャングオルカの方に向ける。佐藤とギャングオルカの戦闘が今始まろうとしていた。



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第45話 ギャングオルカVS佐藤

 佐藤は拳銃の照準をギャングオルカに合わせつつ、思考を巡らす。

 

 ──まず考えないといけないのは、手持ちの武器であの肉体にダメージを与えることはできるのかってことだね。

 

 屈強な肉体を持つヒーローを実験台にして銃の有効射程を確かめたことはある。その時の実験で、拳銃の有効射程は二メートルということが分かった。だが、それはあくまで人間の話。明らかに人間の姿では無い生物に対し、この情報がそのまま使えるかといったらそうではない。見るからに分厚い筋肉と皮膚で覆われてそうなシャチの姿なのだ。人間と同じ肉体だと思って戦えば計算を狂わされるだろう。

 佐藤はすぐ近くの建物内に逃げ込む。多人数を相手に広い場所で戦うのは不利すぎる。多人数という利点を最大限に活かせるからだ。だからこそ戦場を建物内という狭所に移すことで、まず佐藤は多人数の利点を潰すことにした。この誘いに乗るかどうかは賭けになるが、乗らないなら乗らないで屋上からヒーローたちの動きを見て逃走ルートを決めることができる。

 自分より敵の方が多勢の場合、自分の動向を隠しつつ奇襲と撹乱を繰り返し、敵の戦力を削いでいくゲリラ戦が有効であるということを佐藤は理解している。逃げながら戦うというのは恥ではない。立派な戦術の一つだ。

 この建物はフロアごとに様々な会社が入っているようで、建物に入ってすぐのところに何階になんの会社が入っているかの案内がある。佐藤はそれをチラ見しつつ、走る足を止めない。

 走っている途中、オフィスの扉前を通り過ぎた。一部が透明になっていて中が見える扉で、佐藤はそこから中を見て、人の姿が無く消灯されていることを一瞬で理解すると、通り過ぎた扉から一歩進んだところで力強く床を踏み付け体の慣性を無理やり殺す。振り返り、一歩戻って通り過ぎた扉を開けた。中に入る。どこにでもあるオフィスだ。デスクが並び、デスクの上にはパソコン、文房具一式、ファイル、書類があり、近くにプリンターが置いてある。室内には仕切りがあって休憩室が作られていた。慌ててオフィスから出ていったらしく、書類が足下に散らばっている。ハイジャックが明るみに出た時に東京や航空機の進路先は避難勧告が出たのか、それとも自主的に避難したのか、佐藤は分からない。室内の状況を見るにおそらく前者だが、今の佐藤にとっては無駄な情報だ。そんなことより、もっと大事な物がここにある。

 

 ──ここにある物を使えばシャチ君を殺せるかもねぇ。

 

 佐藤は唇を歪めた。

 

 

 ギャングオルカの作戦は実にシンプルだった。

 ギャングオルカの個性は『シャチ』であり、その中の一つに超音波を発生させて相手の動きを麻痺させるというものがある。それによってヴィランの動きを止め、サイドキックたちが拘束用のヒーローアイテムや『個性』で確保する。そういう作戦。だが、その作戦がいきなり崩壊しようとしていた。

 

「成る程、厄介な相手だ」

 

 並みのヴィランであれば、頭であるギャングオルカを狙って戦いを挑んでくるか、それとも恐れをなして逃げ出すかのどちらかだろう。だが、逃げるにしても佐藤のように建物に逃げる者は一人もいないと断言できる。そこに逃げ道が存在しないことはどんなに頭が悪くても本能的に理解できることだからだ。

 しかし、佐藤は建物の中に逃げた。つまり闘志は全く失われておらず、逃げることしか頭に無い状態じゃない。むしろ建物に誘い込み殲滅するという攻めの一手。

 

 ──これまでの佐藤の行動からして、誘いに乗ることのリスクは高い。だが、建物という狭所では透明の物質を操作するにしても限定される。逃走も困難。

 

 もっと言えば、佐藤はハイジャックからこの瞬間まで、落ち着いて物資を補給する時間と場所も無かった筈。そのことは、前の戦闘で佐藤がアサルトライフルを好んで使用していたにも関わらず、今回の戦闘では拳銃とナイフしか構えていないことから推察できる。佐藤がアサルトライフルを背負ってもいないのも確認済み。佐藤にはベルトの部分で結んで固定しているハンドバッグがあるが、あの大きさではアサルトライフルを分解しても入らない。

 

 ──佐藤の物資は間違いなく枯渇している。これは佐藤を確保できる千載一遇の好機。

 

 それに、佐藤の『個性』の一つはミルコが言うには条件付きの『高速再生』らしい。その条件はある一定以上の肉体的損傷のようだが、それが正しい情報であれば、例えば上階から即死しないように跳んで逃げるなんて芸当が可能。普通のヴィランなら籠城になる場面が、佐藤にとっては逃走もできる籠城となるのだ。その選択肢一つ増えるだけで、攻撃側は攻めざるを得ない状況となる。

 

 ──誘いに乗るなと指示を出したが、誘いに乗らなければならないようだな。

 

 強者とは、力の強さだけではない。いかに自分の土俵に引きずり込み、有利な状況に持ち込むか。そういった頭脳も強者に当てはまる。その点で言えば、佐藤は頭脳と力の両方を持っている強者となる。

 ギャングオルカは微かに笑った。体が武者震いする。強者との戦闘は望むところだ。

 ギャングオルカは佐藤が建物に逃げ込んでから約十秒でここまでの思考を行った。周辺にいるギャングオルカのサイドキックたちは佐藤を追うべきか、それともギャングオルカの指示に従って佐藤を追わないべきか、佐藤の入っていった建物とギャングオルカを交互に見ながら指示を待っている。

 ギャングオルカは彼らに向けて『建物内に突入する』とハンドサインをし、続けて『自分が先頭に立つ』とハンドサインを送った。サイドキックらは戸惑った表情をした後、ギャングオルカの意図を察して頷く。全員耳栓をしているため、ハンドサインが伝達方法としては最適。ギャングオルカのサイドキックたちは必然的に耳栓を付けての現場が多いため、こういった連携は朝飯前だ。

 ギャングオルカはサイドキックたちの先頭に立った。サイドキックたちはギャングオルカの背後から建物内を窺っている。

 ギャングオルカが先頭に立った理由は単純な肉体的強度の問題だ。要するに、佐藤に不意打ちされたとしても一番生存確率が高い者が先頭に立つという至極当たり前の判断。

 

 ──佐藤。お前は一つミスを犯した。

 

 確かに狭所は一人で多数を相手する場合のセオリーだ。だが、ギャングオルカの超音波は狭所において最大限の威力となる。広い場所での超音波は威力が周囲に分散されるが、狭所では壁によって反射し威力分散がほぼ無い。更にギャングオルカは先頭に立っている。味方への超音波の影響は最小限。

 佐藤を逃がさないよう駆け足で移動しつつ、オフィスや観葉植物、自販機の隙間など、佐藤が身を(ひそ)められそうなところは慎重にクリアリングしていく。オフィスを探す時はギャングオルカだけ入り、それ以外は扉の外で周辺を警戒している。

 そうして佐藤と出会うことなく三分が経過。一階フロアのクリアリングが終了し、階段を上がって二階フロアのクリアリングに入る。まだまだ緊張の時間が続く。

 二階フロアもクリアリング完了。三階への階段を上がり、三階フロアのクリアリングを開始。これまで佐藤の姿はおろか、不審な音すら聞こえない。これが二流ヒーローの集まりだったならば、この辺りで緊張が緩んでくるところだろう。しかし、ギャングオルカ率いるヒーロー及びこの作戦に参加しているヒーローは一流の集まり。緊張が緩むどころか集中力が研ぎ澄まされていく。一般ヒーロー並みの思考回路があるなら、佐藤が建物に逃げ込んでから一、二分後に追跡を開始し、クリアリングしつつも急いでいる現状、音を立てずに建物内を速く移動するのは難しいと考えられる。つまり、佐藤と接触するなら三階四階あたりの可能性が高い。もっと言えば、三階は佐藤もヒーローは気が抜けてくるころだろうと考えて不意打ちを狙ってくるかもしれない。

 三階のクリアリング完了。一、二階同様佐藤は発見できず、不審な音も聞こえない。四階への階段を上がる。

 

「シャチョー」

 

 サイドキックの一人が声を出した。ギャングオルカは振り向く。他の面々は振り向かない。耳栓をしていないギャングオルカだけがその声を聞き、反応することができた。

 ギャングオルカと目があったサイドキックは目を逸らす。これから言う言葉が気分を害すかもしれないという不安。だからこそ、ギャングオルカしか声が聞こえない状況で言ったのだ。サイドキックは言葉を続ける。

 

「佐藤のヤツ、もうここから逃げたんじゃ……」

 

 サイドキックは佐藤がもう建物からいなくなっていて、自分たちがこうして無駄な時間を過ごしている間に佐藤は既に遠くまで逃走しているのではないか、と不安になっているのだ。その不安はここにいる全員、ギャングオルカすらも感じている不安。

 ギャングオルカは正面に向き直る。口を開いたサイドキックはその行動をギャングオルカの気分を害したと思い、表情が暗くなった。

 ギャングオルカはそのサイドキックに背中を向けた状態で『上』というハンドサインを出す。そのハンドサインを見たサイドキックの表情が明るくなった。そのハンドサインは上に行くという意味だけではなく、自分たちがやってきたことを信じてやればいいという意味もある。

 ギャングオルカはそのハンドサインをただサイドキックを元気付けるために出したわけではない。佐藤が建物内にいると確信している。根拠は三つ。

 一つ目の根拠。どこの窓も開いていないこと。逃走するなら手っ取り早い窓から逃走する。ならば、窓が開いている筈だ。だが、どこも開いていない。もしかしたら飛び下りる前に窓を閉めた可能性はあるが、窓を開け閉めする音は聞こえなかった。

 二つ目の根拠。落下音がしなかったこと。当然、飛び下りたのなら落下音がする。佐藤の体重は六十から七十の間ぐらいだろうが、それだけの重量が落下すればかなりの音がする。その音をギャングオルカは聞いていない。

 三つ目の根拠。佐藤だから。佐藤の思惑通りヒーローを建物に誘い込めていて、佐藤のようなヒーローを殺すのが好きでたまらないヴィランが、何もせずに逃げるわけがない。逃げたなら逃げたでトラップを仕掛けておくだろう。その仕掛けが何もない以上、佐藤自身でヒーローに何か仕掛けてくる。その確信がギャングオルカにある。

 四階へと上がり、四階のクリアリングを開始。ギャングオルカたちの集中は最大限まで高まっている。三階のクリアリングで佐藤がいなかった以上、四階が今もっとも佐藤のいる可能性が高い。

 

「……む?」

 

 四階フロアに入ってすぐの通路、微かに何かが反射した。ギャングオルカがジッと目を凝らすと、それがスマホの上部、正確にはカメラレンズ部分であることが分かった。

 

 ──その手があったな……!

 

 確かにスマホはカメラレンズが上部に付いている。ということは、死角に完全に身を隠しつつ、スマホのカメラアプリを使うことで死角先の状況を把握できる。

 その刹那の思考時間、佐藤が通路に飛び出してきた。待ち伏せしていたのだから、姿が見えた瞬間攻撃を仕掛けてくるのは当然。

 佐藤はリボルバー式の拳銃を両手に持ち、左手に持つ拳銃を連射。照準はギャングオルカではなく、背後にいるサイドキックたち。

 

「がッ!」「つぅ……」「ぐふッ」

 

 サイドキックたちの苦痛の声が連鎖。

 佐藤は左手の拳銃全弾撃ち尽くした後、ギャングオルカの顔に向かって拳銃を投げた。ギャングオルカは投げられた拳銃を右腕を払って防ぎつつ、力強く踏み込んで佐藤の懐に高速で接近。佐藤が驚いたような表情で口を開く。

 ギャングオルカは佐藤の眼前で超音波攻撃。佐藤は両耳から血を垂らしながら後方に倒れていく。超音波で佐藤を麻痺させた。ギャングオルカはサイドキックたちに『確保しろ』というハンドサインを送ろうとする。そこがギャングオルカにとって、一番の失敗。

 倒れる筈の佐藤が何故か動いた。それも麻痺など一切効いていないように機敏な動き。ほんの一瞬後には佐藤の右手の拳銃の銃口がギャングオルカの左眼のすぐ前にある。左眼の視界に銃口が映ったと思った時にはもう発砲されていた。それも連射。だが、二射目はギャングオルカが佐藤の胴体を凄まじい威力で殴ったことで照準がずれ、横の壁に穴を開けただけだった。佐藤が血を吐きながら後方に吹き飛んでいく。

 

「シャチョー!」

 

 サイドキックたちがギャングオルカを囲んで傷を確認し絶叫。

 ギャングオルカの左眼からは血が溢れている。左眼は灼けるような凄まじい激痛とゴロゴロと何かが転がる不快感。目の中に転がっているのは銃弾だろう。

 ギャングオルカは左眼を左手で押さえながら、何故佐藤に超音波が効かなかったのか、思考を巡らす。今までの相手と何が違ったか。佐藤とこれまで超音波を受けた人間との相違点はどこにあるか。

 

 ──そういえば、佐藤の両耳から血が垂れて──

 

 そこまで思考し、ギャングオルカの背筋に悪寒が走る。ギャングオルカは殴り飛ばした佐藤を見つつ、床に視線を移動。床には血まみれになっている布くず二つに、ポタポタと垂れている赤い血痕。

 

 ──……狂っていると聞いてはいたが、これは……狂い過ぎている!

 

 ギャングオルカが強者との戦闘で初めて高揚感以外の感情に襲われている中、ピクリとも動かなかった佐藤が動き出す。

 

 

 佐藤は吹き飛んでいる最中、空になった左手でサバイバルナイフを握りつつ、通路に仰向けに倒れた瞬間にそのナイフで首を切って死んだ。死んだことにより、亜人の能力で黒い粒子に包まれながら全回復。

 起き上がりながら、佐藤は思考。

 

 ──まぶたで銃弾の勢いを削がれたかな? 脳を損傷させることはできなかったみたいだ。作戦は上手くいったけど。

 

 佐藤がギャングオルカに対してやった作戦。

 まずこの作戦の前提として、佐藤はギャングオルカの個性が『シャチ』で超音波攻撃ができるということを、本の情報から知っていたことが重要だった。

 佐藤はオフィスの一室からボールペンを盗んだら、待ち伏せポイントであるここまでなるべく音を立てずかつ急いで移動。待ち伏せポイントまで来たら、佐藤はサバイバルナイフで服の端を切って布を用意し、布の耳栓を作る。次にボールペンを両耳に刺して鼓膜を破壊。耳栓だけで満足せず、鼓膜まで破壊した理由は、超音波を耳栓で防げると断定できなかったためだ。佐藤はそもそも音波を感知する器官を損傷させれば、脳に超音波が伝わらず影響を無効化できるんじゃないかと考えた。そして即実行。考えても実行しないだろと思うことを躊躇なく実行する。これが佐藤の恐ろしいところの一つ。

 あとは見ての通りの展開。鼓膜を破壊し布の耳栓で耳から流れる血を隠し、スマホのカメラ画面で待ち伏せ。ギャングオルカが現れたら拳銃で取り巻きの動きを止めながら、ギャングオルカが超音波を使ってくるのを待つ。使ってきたら超音波が効いて倒れていく演技をして、緊張が緩む瞬間に一番防御力が低い眼か口内を狙う。そういう作戦だった。

 

 ──でも、超音波が物理的に分かりやすくて良かった。騙す演技がしやすかったなぁ。

 

 拳銃とサバイバルナイフを持って立ち上がった後、佐藤はさっきまで待ち伏せしていた通路へ逃げ込む。

 

 

 

「被害は!?」

 

 ヒーローたちは耳栓を外しながら佐藤の奇襲によってどれだけ被害が出たか確認。

 

「死亡二人。重傷四人。軽傷一人」

 

 この重傷の人数はギャングオルカを含めての人数。ギャングオルカは自分のスーツを千切って左眼を眼帯風に縛って応急処置。凄まじい激痛にギャングオルカは歯を食い縛る。

 そういったことをしている内に、佐藤が平然と立ち上がって左通路に逃げ込んでいくのを目撃。そのことにギャングオルカやヒーローたちは驚愕。

 ギャングオルカの打撃の破壊力はみな知っている。ギャングオルカに至っては、殴った時に佐藤の骨を粉々にする感触が残っている。佐藤は物理的に動けるわけがない。なのに、平然と走っている。

 

「シャチョー! 間違いありません! 奴の個性は『再生』です!」

「あの野郎! よくもシャチョーと仲間を!」

「追うぞ! 絶対に逃がすな!」

 

 ヒーローたちは佐藤を確保すべく、動ける者は一斉に佐藤を追いかける。人数は十八人。ギャングオルカと仲間を傷付けられた怒りで頭に血が上っているのだ。

 

「待てお前たち! 迂闊な行動は──ぐッ……!」

 

 ギャングオルカが止めようと声を張り上げたが、一気に興奮状態になったことで左眼の痛みが増した。思わず苦悶の声が漏れる。

 

 ──俺たちは佐藤のペースに呑まれている。

 

 これはまずい。が、この灼けるような激痛と流血による体力低下と銃弾が左眼に残っていることによる刺激。つまりは動けば動くほどコンディションが悪くなる状態。

 

 ──まあ、関係ないな。

 

 痛みが増す。それがどうした。佐藤が今まで殺してきたヒーローや民間人の苦痛に比べたら、こんな痛み、なんてことはない。

 ギャングオルカは流血による貧血で少しふらつきつつも、確かに一歩を踏み出し、もう一歩。サイドキックたちの後を追う。ここで佐藤を逃がしてはならない。逃がして物資をアジトで補給されたら──。

 佐藤の恐ろしさを体感した今、ギャングオルカの佐藤を確保するという意志はより強くなっていた。

 

 

 

 佐藤が逃げ込んだ通路にサイドキックたちが殺到する。

 通路に入った瞬間、佐藤のサバイバルナイフが先頭のヒーローの首を突き刺した。

 

「はッ!?」

 

 二番目の位置にいたヒーローがその光景に驚き、おもわず声が出た。佐藤の拳銃がそのヒーローの頭を撃ち抜く。

 佐藤はナイフを突き刺したヒーローを盾にしつつ、次々に通路にやってくるヒーローを拳銃で射撃。三人のヒーローが射殺された。そこで右手に持つ拳銃が弾切れ。その後に飛び込んできたヒーローは撃たれないことで弾切れを察し。

 

「弾切れ!」

 

 味方に佐藤の拳銃が弾切れになったことを伝えつつ、佐藤に攻撃を仕掛ける。が、佐藤は右手に持つ拳銃を捨ててヒーローの死体を掴み、ナイフを引き抜く。そのまま右腕を突き出し、ヒーローの死体を攻撃してきたヒーローの眼前に出す。仲間を盾にされたそのヒーローは攻撃を中断。その間にナイフからリボルバー式拳銃に持ち替え、ヒーローの肉盾から銃口を出して射撃。ヒーローの額から血が噴き出し、後方に倒れた。

 

「うわッ」

 

 そのヒーローの後ろから続いていたヒーローたちは、倒れてきたヒーローを避けようと佐藤からそのヒーローへと注意が移る。そこを佐藤が凄まじい照準の速さで連射。あっという間に五発撃ち切り、弾切れ。その射撃で三人が死亡。二人が軽傷。

 佐藤は弾切れになった拳銃をヒーローに向かって投げた。佐藤は後ずさりつつ、今後どうするか考える。

 

 ──残る物資は拳銃七発、サバイバルナイフ、警棒、ヴィラン拘束用ヒーローアイテム四つ。IBMはあと一回。

 

 IBMを使えば、おそらくギャングオルカは始末できるだろう。だが、佐藤の位置はギャングオルカによってヒーロー側に伝えられた筈だ。まだまだ今日という日は続く。切り札を切るタイミングはここではない。そして、まだ戦闘が続くというなら、この場で物資を枯渇させるのも悪手。

 佐藤はこの場からの逃走を決断。盾にしているヒーローを前に押し出しつつ反転。ヒーローが正面から倒れてくる仲間の死体で足踏みする中、全速力で駆ける。目指すは通路の先にある窓。あと窓まで七メートル、六メートル、五メートル、四メートル。

 その間にも、佐藤とヒーローの距離は縮まっていく。元々この世界での佐藤の身体能力は平均以下。近距離での瞬発力はともかく、遠距離で競うとなるとその差が顕著に表れてくる。

 ギャングオルカがあと三メートルというところで佐藤に追いつき、佐藤を掴もうと右腕を伸ばす。佐藤はその時には妨害無く逃げ切るのは無理と判断していたため、わざと一目散に逃げる振りをして追っ手の動きを制限させつつ、捕まえにくる瞬間を狙っていた。

 佐藤はギャングオルカの動きに合わせ、深く身を沈めて右腕をかわしつつ、ギャングオルカの腹部にボール型のヴィラン拘束用ヒーローアイテムを押し付ける。するとそのボールから一瞬で特殊合金製の布状の物が飛び出し、ギャングオルカの体に巻きついて両腕と両足を拘束。ギャングオルカは前のめりに倒れる。

 

「シャチョー!」

 

 佐藤がギャングオルカの後頭部に向けて拳銃を構える。ギャングオルカのすぐ後ろのサイドキックたちはギャングオルカを守ろうと、佐藤になりふり構わず攻撃を仕掛けた。

 佐藤が拳銃をギャングオルカに向けたのはブラフ。本気で撃つつもりはない。まぶた越しとはいえ眼を撃ったのに生きているような相手、後頭部を拳銃で撃ったところで脳にダメージは与えられないだろう。

 流れるような動作でヒーローアイテムを持っていた左手に警棒を持つと、佐藤はわざとヒーローの仕掛けてきた攻撃のショルダータックルを食らう。窓際に吹き飛ばされた。その勢いを利用し、警棒で窓を割る。

 

「あっ、しまった!」

 

 上手く佐藤に使われたことを悟り、そのヒーローは悔し気な表情になる。

 

「シャチ君、また遊ぼうね!」

 

 佐藤は窓に身を乗り出しながら、ヒーローたちの方を一度だけ振り返る。その顔には清々しいほどの笑みがあった。

 

「はははははは!」

 

 佐藤は笑いながら窓から飛び下りた。佐藤の笑い声がビルとビルの間で反響する。

 佐藤は地面に叩きつけられつつ、すかさずサバイバルナイフで首を切る。死亡。そして、黒い粒子を纏って全回復。

 佐藤は立ち上がり、合流ポイントに向かって走り出す。その顔は満足そうだった。



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第46話 聖戦

 ギャングオルカたちは今、あらゆる選択を迫られていた。

 ギャングオルカのチームのヒーローが一人、佐藤が飛び下りたばかりの割れた窓に詰め寄り、そこから下を見る。すると、佐藤が国会議事堂のある方向に走っていくのが見えた。

 

「くそッ、佐藤が逃げてく!」

「シャチョー! 大丈夫ですか!」

 

 そのヒーローの行動の背後では、ギャングオルカの他のヒーローがギャングオルカを拘束しているヒーローアイテムの解除をしていた。拘束解除は拘束布を束ねているアイテムの外側に付いているボタンを押すだけのため、簡単に解除できる。

  拘束から解かれたギャングオルカは真っ先に佐藤が飛び下りた窓の方に近付こうとする。だが、立ち眩みがして足がふらついた。

 

「無理しないでください! 眼を撃たれたんです! 気力で痛みを耐えるのも限界があります!」

 

 ギャングオルカのふらついた体をサイドキックの一人が支えつつそう言った。

 確かに左眼からの出血は止まらず、痛みは収まるどころか増している。このコンディションで佐藤を追っても、周りのヒーローの足手まといになるだけかもしれない。今佐藤を取り逃がしたのも、元はと言えば自分が捕まえようと出しゃばったから、それを佐藤に利用され逃走手段の一つに使われた。

 ギャングオルカは佐藤を確保しようとした瞬間を思い返す。あの時、佐藤は素早く身を沈めて左眼の死角に移動し、更にはギャングオルカの突進力を逆に利用しヴィラン拘束用ヒーローアイテムを使った。つまりはギャングオルカ自らが当たりにいってしまったのだ。佐藤はただギャングオルカの進行先にヒーローアイテムを置いておくだけでよかった。それだけのことをその時の機転でやれてしまう。佐藤という人間の戦闘センスの高さが分かる戦闘だった。

 

「お前たちは佐藤を追え。俺はインカムで佐藤についての情報を共有する」

「了解!」

「お前たちは今から言うことを必ず遵守しろ。慎重に追跡しろ。先走るな。佐藤を見失わない距離を保ち、常に佐藤の位置情報を教えろ」

「分かりました! 気を付けて追跡します!」

 

 ギャングオルカの周りに二人だけ残り、それ以外の動けるヒーローたちは佐藤を追跡するためその場から駆け去っていく。

 それを片眼で見送りながら、ギャングオルカはインカムの発信ボタンを押す。

 

「こちらギャングオルカ。佐藤を取り逃がした。俺は左眼を撃たれて負傷。今は俺のチームに佐藤の追跡をさせている」

 

 ギャングオルカがそう言った途端に、インカムにざわめきのような音が入った。ギャングオルカの実力をよく知っているからこそ、捕まらなかったばかりか負傷させた佐藤に驚いている。

 

『……佐藤が逃走した方向は?』

 

 ホークスはざわめきの声が収まるのを待ってから訊いた。

 

「国会議事堂がある方向だ」

『佐藤は逃走より仲間の救援に向かったってことっすか……』

 

 そこでインカムから音が途絶えた。ギャングオルカが佐藤の確保に失敗した今、次の行動を考えなくてはならない。その思考時間による沈黙。

 

「……俺は佐藤の拳銃が左眼に突きつけられた瞬間、死を覚悟した」

 

 その沈黙時間。佐藤と直接対決したギャングオルカはその時に感じたものを伝えようとする。インカムからはハッと息を呑むような音が続々と響く。

 

「エンデヴァー、ミルコ。お前たちも感じた筈だ。佐藤と戦っている最中、死の恐怖を」

『……ああ』『ふん……』

 

 ギャングオルカの言葉に対し、エンデヴァーは苦々し気に。ミルコは不機嫌そうにそう返した。

 エンデヴァーとミルコはそれぞれ佐藤と戦闘した時のことを思い返す。エンデヴァーは佐藤が自爆する直前。ミルコはスタングレネードを食らった時と透明な何かの音を聞いた時。二人が佐藤の戦闘を思い返した後の表情は真剣そのものの表情になっている。ギャングオルカが何を伝えようとしているのか、理解しようとしている。

 

「俺は佐藤に不覚を取った。ヤツは俺と戦う前に音波を感知する器官を潰し、俺の超音波を効かないようにしていながら、超音波が効いた振りをした。その一瞬の油断を突かれた。それと、俺はその後本気で佐藤を殴り、殴った感触で骨を粉々にしたことが伝わったが、佐藤はすぐ起き上がって平然と動いた。これらのことから、ヤツの個性はミルコが予想した通り、『条件付き再生能力』と確定していいだろう」

『再生できるからって、自分を傷付けられるなんて……』

 

 リューキュウがそう呟いた。その声には信じられないという響きが含まれている。

 リューキュウだけではない。声に出さないにしても、ギャングオルカが負傷した経緯は佐藤という人間の異常性と狂気を浮き彫りにするには充分すぎた。

 

「この話で重要なのは、俺と『戦闘する前』に超音波の対策をしてきたという部分だ。そして、俺だけではない。エンデヴァー、ミルコといった二人も死ぬかもしれないという瞬間があった。そのことから、俺はこう佐藤を分析する。佐藤は俺たちヒーロー一人一人の個性を調べ上げていて、かつそれぞれのヒーローの個性や戦闘スタイルを加味したうえでの対策や倒し方を考えていると。

俺は今まで通り戦って佐藤にやられた。ヤツに勝つためには今まで通り戦うのではなく、個性や戦闘スタイルを変化又は今より洗練させなければならない。そう俺は考える。肝に銘じておいてくれ」

 

 そこからは佐藤の追跡をどうしていくかという話になった。その話でギャングオルカは追跡を続けると言ったが、まずは左眼の治癒が最優先とのことで、燃輪のヒールボトルで治癒完了後に追跡に合流ということになった。

 インカムで話し合いが終わった後、ギャングオルカは気力によって保たせていた意識が遠のいていくような感覚に陥った。血を流しすぎている。

 

「シャチョー! 僕らが見てますんで、今は休んでください!」

「負傷したサイドキックやヒーローたちと、殉職した者の死体を頼む」

 

 その言葉に、ギャングオルカの傍にいたヒーローたちは目を潤ませた。仲間の死を実感したからだ。

 

「任せてください!」

 

 その言葉を聞きながら、ギャングオルカは意識を手放した。

 その後のインカムのやり取りでヴィラン連合の目撃報告が上がっていたが、今のギャングオルカにはどうすることもできない話である。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆   

 

 

 

 (さとし)らは沙紀と佐藤の合流地点目指して走っている。高層ビルが左右に並んでいる通りに差し掛かったところで、ヒーローの一チームと鉢合わせ。お互い咄嗟に距離を取って建物の陰に隠れた。

 怜は建物の陰からヒーローたちを窺いつつ、苛立たし気に舌打ちする。こんなところで時間を無駄にしたくないという焦りからきたイラつきだ。

 そんな時、怜の耳にヒーローたちの話し声が入ってきた。

 

「子どもだ、子どもがいた」

「歳は?」

「多分高校生くらいだ。何か理由があって佐藤の仲間になっているんだろう。俺が説得してあの子を助けてみる」

 

 ──……は? 助ける?

 

 怜の中の苛立ちはその言葉で加速した。右の人差し指でアサルトライフルの銃身をトントンと叩く。

 

「金髪の君! どんな事情があるかは知らないが、その先にあるのは破滅だけだぞ! 今ならまだやり直せる! 俺たちのところに来い!」

 

 プツリと、怜の頭の中で何かが切れた。

 

「おい!」

 

 怜のチームにいる長身で筋肉隆々のヴィランは怜が建物の陰から通りにふらりと出ていくところを見て制止の声をあげたが、怜は無視した。

 怜はアサルトライフルをだらりと下げて、通りの真ん中に立つ。顔は俯いていて、ヒーローたちから表情は分からない。それでも、出てきてくれたということで説得が成功したと明るい気持ちになる。

 

「分かってくれたんだね!」

 

 そうヒーローが言っても、怜は何の反応もしない。ヒーローたちは明るい気分から一転不安になってきた。

 

「君、危ないからその銃は捨てて──」

「助けるっつったな、俺を。意味が分からねえんだが」

 

 ヒーローの言葉を遮り、怜が口を開いた。その言葉を聞き、ヒーローたちは顔を見合わせる。数秒の沈黙の後、ヒーローは自分の伝え方が悪かったと反省。分かりやすく伝えようと頭を捻る。

 

「え〜と……そうだ! いいかい? 今、君は『破滅へと向かう船』に乗ってるんだよ! このまま佐藤と共にいれば、君は取り返しがつかなくなる。でも、今ならまだ間に合う。俺たちに自首して佐藤の情報を教えてくれれば、情状酌量で君の罪は軽くなるんだ! 佐藤たちからの報復を怖がっているなら、大丈夫! 俺たちヒーローが君を守ってみせるよ!」

「……ククク……」

 

 怜はヒーローの言葉を聞き、静かに笑う。だが、その笑いには影があった。

 

「君……?」

「ハハハ、ハハハハハハ! 笑わせてくれるぜ! そりゃそう言うよな、アンタらは!」

 

 怜は体をのけ反らせながら笑う。唐突に笑い出した怜に、ヒーローたちも困惑。

 

「……どういう意味かな?」

「アンタらはさあ、産まれた時から個性に恵まれて、乗りたいって思った船に乗れる人生を今まで送ってきたんだろ? だからそうやって簡単に『他の船にも乗れる!』って言えるんだ。けどなあ、俺は無かったんだよ。俺が乗れる船が。今まで生きてきて一つも無かったんだ」

 

 怜はこれまでの人生を振り返る。同級生から弾かれ、両親から弾かれ、社会からも弾かれ続けた。

 

「アンタらに分かるかよ? どこにも馴染めず、誰からも必要とされない気持ちが。空虚な人生なんだぜ。なんで今生きてんのかすら分からねえ。そんな気持ちになったことあんのか……?」

 

 だから、怜は自分を馬鹿にして弾いた連中を見返してやると、無理やり自分の人生に目標を作った。自分が誰も必要としないのと同様に、自分は誰からも必要とされなくていいと強がった。佐藤に会うまでは……。

 

『君がいてくれて助かったよ』

 

 佐藤に言われた言葉が脳裏に再生される。

 

 ──佐藤さんだけは、俺の『個性』を馬鹿にせず、興味を持ってくれた。俺はそんな佐藤さんに救われた。

 

 怜は両拳を握りしめる。

 

「佐藤さんはなあ、俺のことを認めてくれるんだ。褒めてくれるんだよ。ズルいぜ、アンタら。ずっとこんな気持ちいい気分を味わってたんだもんな」

「何を言ってるんだ……? そんなの普通に生きていたら当たり前のことじゃないか!」

「当たり前? その当たり前すら許されねえ人間がいるんだよ! アンタらの常識の外にいる人間がなあ!」

 

 怜は乱雑に頭を右手で掻いた。

 

ヒーロー(アンタら)見てると思い出すぜ……」

 

 学生の頃、怜を虐めていた連中は揃ってヒーロー志望だった。

 

『お前みたいな無能を俺たちが守ってやるから感謝しろ』『個性があってもヒーローになれないザコ個性じゃなあ、未来ねえよ』『クソ弱個性の稲穂ちゃん、必死に生きてて偉いねえ』

 

 学生の頃言われていた言葉の一部が、怜の脳裏に響く。

 

「ヨーロッパのことわざに、地獄への道は善意によって舗装されているってやつがある。俺を地獄へ追いやったのは、ヒーロー社会そのものだった。『破滅の船』? それがどうした。どの船にも乗れねえよりは百倍マシだぜ」

 

 怜はアサルトライフルに手を掛ける。それを建物の陰から覗き見て、ヒーローたちは狼狽え始めた。

 

「ま、待つんだ。社会は必ず君を受け入れる。自暴自棄になってはいけない! それに、佐藤がこれまでどれだけの人間を殺してきたか、君は見てきただろう! そんなことは絶対に止めなくちゃいけない! 佐藤は君の心につけ込んで言い様に使っているだけだ! 君だって本当は人殺しなんてしたくないだろ!」

 

 ヒーローの言葉を聞き、怜の目に残忍な光が宿った。

 怜は思い出す。インタビューや雑誌でのヒーローの言葉を。人助けをたくさんしたい、人をヴィランから守りたい、困っている人の力になりたい等、立派なことをいつも言っている。だが、怜にとってヒーローになる奴とは、怜を排除し虐めてきた奴だ。だから、怜はヒーローの自信満々の表情を見ていると、吐き気にも似た感情がせり上がってくる。

 

 ──気持ちわりいんだよ、その(ツラ)

 

「アンタらのそのご立派な面の下に隠れた醜い本性ってやつを、俺が引きずり出してやるよ……」

 

 怜はアサルトライフルの銃口をヒーローが隠れている建物へ向け、引き金を引く。銃声と建物に銃弾が当たる音が重なり、耳をつんざくような轟音が響いた。銃弾が建物に火花を散らす。

 銃に撃たれたことのないヒーローの一人は、その強烈な殺意に満ちた攻撃にパニック状態になった。

 

「こ、殺される! 俺たちを殺そうとしている! ど、どどど、どうする!?」

 

 怜を説得しようとしたヒーローは怜の言葉にショックを受け放心状態になっていたが、銃声とパニック状態になったヒーローを見てハッと我に返る。冷静な判断力を取り戻し、このまま戦ったらこっちは皆殺しにされると考えた。

 

「一旦退こう。俺たちは三人しかいないが、向こうは一瞬見えただけでも四人はいた。もしかしたらもっと仲間がいるかもしれない。このまま戦闘に入っても全滅するだけだ」

「わ、分かった」「助かったぁ……」

 

 緊張した面持ちで頷くヒーローと戦闘しなくていいとホッと胸を撫で下ろすヒーロー。

 方針が決まった彼らはすぐさま行動を開始。インカムで相手の位置情報を伝えつつ、その場から撤退。

 銃を撃ちつつ前進していく怜と、そんな怜の背後から付いてきた味方たちは、ヒーローたちの隠れていた場所に差し掛かった。ヒーロー三人が逃げていく姿が見える。

 

「逃がすかぁ!」

 

 怜は走りつつ銃を連射。弾を撃ち切ったらリロード動作を挟み、また連射。

 

「ひっ……!」

 

 ヒーローの一人が怯えた声を出した。ヒーロー三人は背後を顔だけ振り向いて見つつ、遮蔽物に慌てて隠れる。

 

「俺の『個性』で足留めする。君たちは逃げろ!」

 

 そう言いつつ彼は右手を地面に向けた。すると、舗装された道路が盛り上がり、壁となる。

 

「そんな……! 俺も一緒に──」

「そうですよ! みんなで逃げましょう!」

 

 一人はそのヒーローを置いて逃げることに負い目を感じ、もう一人は全員で逃げようと提案した。だが、壁を作ったヒーローは静かに首を横に振る。

 

「右手を向け続けないと簡単に突破されるだろう。俺はここで壁を強化し続ける。行け!」

「……ッ!」

 

 ヒーロー二人は彼の覚悟と願いを感じ取り、全速力でその場から駆け出した。

 残ったヒーローはそんな二人の後ろ姿を一瞥した後、再び壁の強化に集中。

 その強化した壁を、唐突に赤く熱された棒が二本突き抜けた。そのまま二本の棒は四角形を壁に描き、壁から四角形をくりぬく。そして、くりぬかれた四角形が蹴られ、ドスッと前に倒れた音を響かせた。

 

「何!? この壁をこんな簡単に突破するだと!?」

「俺の刃は全てを溶かし斬り裂く防御不可の刃。壁など無意味なんだよ」

 

 怜が四角形の穴から姿を現し、くり抜いた四角形の壁の上に立つ。両手に赤く熱された棒を二本持っているが、すぐに形が崩れて消えていった。

 

「持続時間が短すぎるのは短所だけどな、まあいいさ。今の俺にはコイツがある」

 

 怜は首から下げたアサルトライフルを再び右手で掴み、壁を強化していたヒーローに向けて発砲。

 

「がはッ!」

 

 その銃弾はヒーローの腹部を撃ち抜き、ヒーローはその場に倒れる。

 

「君は……人を殺すことを……なんとも思わないのか……」

 

 倒れながら、ヒーローは苦し気に怜に問いかける。

 

「なんとも思わないな。俺のことを認めないヤツが何人死んだところでどうでもいい。俺にとっちゃゴキブリ同等の価値だぜ、お前らの命なんて」

 

 怜は平然とそう言い切った。ヒーローはその言葉に驚愕。

 

「君は……佐藤と戦争でも始めるつもりか……?」

「そう、戦争だ……でもただの戦争じゃねえぞ……」

 

 怜の唇が吊り上がる。

 

「俺たちがやるのは、この国に蔓延する個性差別主義者を排除し、この国の歪みを矯正し浄化する戦争……聖戦だ! 佐藤さんみたいな人がこの国を導いた方が今より平等で健全な国になるだろうよ!」

「それは……間違っている……そんなのは……ただの破壊行為だ……」

「もういい、楽にしてやる」

 

 怜はヒーローの頭に向けて銃口を向け、引き金を引く。銃声とともに、ヒーローは動かなくなった。

 

「ふん、偽善者が……」

 

 怜はそうヒーローに向かって吐き捨てた後、振り返る。すると、怜のチームであるヴィランたちと目が合った。途端に、怜は自分の感情を思いっきり吐き出したことを恥ずかしく感じた。

 

「みっともねえとこ見せちまったな」

 

 怜は彼らから目を逸らしながら、ぶっきらぼうにそう言った。

 

「いや、別にそうは思わねえよ」

 

 ヴィランたちの中の一人、筋肉隆々の長身男は怜の本心を聞いても怜を馬鹿にしたりしなかった。怜はそのことを意外に思い、そのヴィランに視線を合わせる。

 

「お前の気持ちは分かるぜ。どの輪にも入れねえって辛えよな」

 

 その言葉は、怜にとってはさっきのヒーローとは比べものにならないほどに心に響いた。

 よく人間は共感し合える動物だと言われる。しかし、共感できても共感した相手に言葉を届かせられるかどうかは別の話である。言葉には言う人間の人生が宿り、どれだけ耳障りの良い言葉を並べようが何も感じない相手がいる。その一方で、簡単な言葉であっても深く心に響かせられる相手もいる。

 怜はこのヴィランの言葉の中に、自分と同じ苦労と痛みを味わってきたのだろうと感じた。だからこそ、怜は素直にその言葉を受け止めることができた。 

 

 ──馴れ合う仲間なんざ俺にはいらねえって思ってた。けど……こいつらみたいな連中なら別に悪くねえのかな。まだよく分からねえや。

 

 怜は視線を落とし、アサルトライフルを見る。

 

 ──佐藤さん……俺はアンタと共に生き、アンタの前に立ち塞がる敵を殺す。そうすればアンタは俺のこと、もっと褒めてくれるよな……。

 

 怜らは気を取り直し、再び沙紀と佐藤の合流地点を目指し始めた。



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第47話 ガンパレードマーチ

 針間のチームは撤退中、『盾』の個性を持つ上位ヒーロークラストのチームとはち合わせる。針間たちにとって、それは最悪の事態だった。

 クラストは佐藤との戦闘でアサルトライフルの威力を体験しており、どの程度の盾で防げばアサルトライフルの銃撃に耐えられるか把握している。更に厄介なことに、クラストは盾で防ぎつつ盾を投げて攻撃できた。

 

「撃て!」

 

 針間はクラストたちの姿を認識した瞬間、反射的に仲間に指示を出した。これは最善の判断だった。クラストたちの態勢が万全になる前に先手を打つことは、彼らにとって数少ない勝ち筋だったからだ。しかし、先に攻撃できても、完全に不意を付けなかったことはクラストたちに対処する時間を僅かに与えることとなる。

 結果として、クラストたちは反射的に射線を切る動きをし、針間たちの銃撃はクラストのチームにいるヒーローの一人の脇腹に一発当たっただけに終わった。

 

「くそッ!」

 

 銃撃の後、針間は悔し気に吐き捨てる。効果的なダメージを与えられなかったことは一目瞭然だった。

 

「ど、どうすんだよ?」

「血を吐こうが走り続けて逃げるに決まってるだろうが!」

 

 針間のチームの男ヴィランが不安そうに訊ねてきたことに対し、針間はキレぎみにそう返した。

 上位プロヒーロークラストの存在はヴィランにとって脅威の一人。それに加え銃撃を防げる『個性』持ちとあれば、銃撃以外に大した『個性』と攻撃手段を持っていない針間たちと相性は最悪。

 不意打ちでクラストたちに有効なダメージを与えられず、撤退戦ということで他のヴィランチームとバラバラに行動することになった針間たちは、ここからヒーローの追撃に苦しめられることとなる。

 ヒーローはヴィランを追うことに慣れている。それはクラストにとっても同様の話であり、特に上位プロヒーローであるクラストはヴィランの追い込み方を熟知している。

 クラストは針間たちを直接狙うのではなく、むしろその進行先を投げた盾で防いだり、少しでも足を留めさせるような攻撃をしたり、クラストのそういった攻撃を囮に他のヒーローたちが針間たちの進行先に先回りしたりした。

 その結果、針間たちは一人、また一人とクラストの攻撃や他のヒーローの攻撃に倒れていく。針間は身に付けている武器とバッグを捨て、少しでも機動力をあげつつ『個性』の硬毛(スパイクヘア)で建物を登るといった縦横無尽な動きで翻弄して逃げ切ろうとするも、最後はクラストの投げた盾に捉えられ、地面にうつ伏せで倒れこむ。そこから針間は起き上がろうとするが、その時にはクラストが針間のところまで追いつき、針間に拘束用ヒーローアイテムを使用することで針間を確保することに成功。

 

「ヴィランの一チームをまとめて確保したぞぉ!」

 

 クラストは拳を突き上げてインカムで熱く報告。ヒーロー側のインカムにはクラストの雄叫びにも似た大声が響き渡る。ちなみに余談ではあるが、ある耳の良いヒーローはそのあまりの大声に「うるせえ!」とキレ散らかした。

 

 

 

     ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 佐藤が合流地点に到着した時、既に沙紀がいて佐藤を待っていた。

 

「はい、佐藤さん。ちょっと遅かったねえ。あたしは重いバック背負ってたのに」

「色々あったからね」

 

 沙紀は得意気な表情で佐藤に背負っている大きなバックを渡した。その顔にはハッキリと「私の勝ち。なんで負けたか明日までに考えといてください」と書かれている。沙紀の中では佐藤とどっちが先に合流地点に到達できるかというゲーム感覚だったようだ。重いバックを背負うというハンデがあったうえでの勝利というのも、沙紀の優越感を強くしている。なお、佐藤が途中でギャングオルカたちと戦闘していたことについては一切考慮していない。

 

「ありがとう、沙紀君」

「ふふん、どういたしまして。あたしにかかればざっとこんなもんよ!」

 

 胸を張る沙紀をスルーしつつ、佐藤はバックを地面に置いて開ける。そして手際よくバックの中にある武器を取り出し、あるいは組み立てて装備していく。

 武器と装備の内容はアサルトライフルの八九式五.五六ミリ小銃、九ミリ拳銃、M六七破片手榴弾、M八四スタングレネード、マチェットナイフ、脚部には脚力補助のヒーローアイテム。防弾チョッキや防弾ベスト、及び自分の防御力を上げるようなアーマーは装備していない。死んで全回復できる亜人の能力上、佐藤は防御力より機動力の方を重視するようになった。元いた世界では機動力を上げるような装備が無かったため、必然的に防御力を上げる装備しかできなかった。だが、この世界には機動力を上げる装備があり、防御力か機動力か選択できる。となれば、佐藤の選択は機動力一択。

 

「佐藤さん、そろそろ行く?」

 

 装備し終わったところを見計らい、沙紀が佐藤に声を掛けた。佐藤はミリタリーベストに破片手榴弾四つと閃光手榴弾三つを入れ終わったところだ。佐藤の背負っているバックには余っているアサルトライフルの弾倉や拳銃の弾倉、破片手榴弾、閃光手榴弾が入っている。

 

「いや、もう少し待つよ」

「えっ? もたもたしてるとヒーローたちの包囲がキツくなるんじゃないの?」

「さっき猿石君から連絡があってね、怜君もこの合流地点に向かっているらしいんだ。置いてけぼりにして移動すると怜君が逃げられなくなるかもしれないから、できれば到着を待って一緒に行動したい。猿石君たちが逃げる時間稼ぎにもなるしね」

「な〜る。あれ? そう言えば針間さんは?」

「猿石君によると、連絡が取れないようだ。もしかしたらヒーローに捕まったかもしれないね」

「……助ける?」

 

 沙紀がニヤけた表情から一転真剣な表情になる。佐藤は「ふむ、どうしようか……」と呟き、思案顔となった。

 仮に針間がヒーローに捕まったとして、佐藤が針間を助けたいかといえば、別にそこまでの感情は無い。というより、助けるにしてもどこで捕まり、今どこにいるのかという情報集めから入らなければならず、面倒なうえにこちらも共倒れになる可能性が高い。

 意外かもしれないが、佐藤はヒーローをナメていない。彼らにも亜人のような力──『個性』があり、佐藤より優れた身体能力がある。だからこそヒーローの弱点を徹底的に突きまくり、スタンドプレーしがちなヒーローたちに組織力をもって挑んだ。真っ向勝負ではなく奇襲を続けて先手を取り続けているのも、後手に回ると地力の差で不利になると考えているからだ。それらの点から、こちらの位置がヒーローにおそらくバレている現状、救助作戦で奇襲や奇策は通じない。

 それに、もっと優先すべき理由として、佐藤は早くこの場から退却して次のゲームを始めたい。国会議員のほとんどを殺害するという目的を達成した今、無駄にこのゲームを引き延ばす必要もない。確かに多くのヒーローたちと戦えるという魅力はあるが、ゲームには少なからず目的が無ければ面白くないのだ。もっと言えば、ヒーローとの戦闘はこの国からヒーローを消すという目的に従って行動していれば避けては通れないもの。ここでの戦闘に拘る必然性は皆無である。

 そして、佐藤は決断した。針間を見捨てるという決断を。内心、針間の情報を得たヒーローがどう動いてくるか興味が無いと言ったら嘘になる。結局、佐藤は次のゲームで面白くなりそうな要素を残しておこうとしているだけにすぎない。それに、この場を撤退した後に針間の救出作戦をやる気分になる可能性もある。

 

「……数人のために大勢を危険にさらすわけにはいかない。本心は助けたいけどね」

 

 佐藤は沈んだ表情を作りつつ、そう言った。沙紀は佐藤のその表情を真実と信じたようだ。

 

「分かった」

 

 沙紀は悲し気な表情をしつつも、静かに頷いた。自分たちの置かれている状況を理解できる程度の頭はあるようだ。

 それから十五分ほど待っている間、合流地点を知ったヴィランたちが佐藤のところに集まってきている。怜たちのチームが息を切らして合流地点に来た時には、集まったヴィランの人数は五十人はいた。

 

「佐藤さん、待っててくれたのかよ」

「仲間はできるだけ助けたいからね」

 

 佐藤はカフェテラスにあった椅子を道路の真ん中に持ってきて座っていた。その周囲には武装したヴィランたちが大勢いる。

 

「俺の持ってきた武器、無駄になっちまったな」

 

 怜は仲間として見てもらえていた嬉しさと、自分のせいで危険な場所に待たせてしまった申し訳なさで感情がぐちゃぐちゃになった。自分のその感情を悟られないよう、怜は右手で頭を掻きつつそう言った。

 

「いや、そうでもないよ」

 

 佐藤は穏やかな表情でそう言い、右手を怜の方に差し出す。怜は困惑しつつ背負っていたバッグを佐藤に手渡した。

 

「え? 佐藤さんが使うのかよ? 流石のアンタも重量オーバーだろ。気ぃ使わなくていいって」

「私が戦闘において無駄なことをすると思うかい? ちゃんと使い道はあるよ。それに……」

 

 佐藤は右の建物を見上げた。それに釣られて怜もその建物を見上げる。その建物の屋上には狙撃チームの二人がいて、佐藤の視線に気付いた狙撃銃を持つ女ヴィランが持っている狙撃銃を掲げて見せた。その更に遥か頭上には報道ヘリが飛んでいる。

 

「国民に現実を教える良い映像が撮れそうだ」

 

 佐藤は遥か上空を飛ぶ報道ヘリの小さな機体に視点を合わせて笑みを深くした。

 

 

 報道ヘリに乗る女アナウンサーとカメラマンは報道を続けている。

 

「さ、佐藤がこっち見て笑ってやがる!」

 

 カメラのズームで佐藤を撮っていたカメラマンが、カメラ越しに佐藤と目が合ったあげく佐藤が笑みを浮かべたのを見て背筋が凍った。

 佐藤はヒーロー一般人関係無く殺しまくる狂人であり、テレビ局襲撃時に報道ヘリを落としたことも記憶に新しい出来事である。実際、この時のカメラマンの頭によぎったイメージはその時の映像だったし、そのカメラマンの言葉を聞いた女アナウンサーの頭によぎったイメージもその映像だった。佐藤に意識される=死という式が成り立つくらい、佐藤には強烈な死のイメージがヒーロー一般人問わず脳に植え付けられている。

 

「もっと距離を取って!」

 

 女アナウンサーが発狂に近い甲高い声でヘリの操縦士に叫んだ。女アナウンサーとカメラマンの二人の顔色は真っ青になっている。

 操縦士はその声から恐怖を感じ取り、慌てて操縦桿を操作。報道ヘリが佐藤の上空から遠ざかっていく。それでもカメラマンはカメラの性能を最大限に使い、佐藤周辺の様子をカメラに収めている。

 

 

 佐藤は急旋回して離れていく報道ヘリを眺めつつ、椅子から立ち上がる。右手に持つ沙紀から渡されたバッグと全く同じ見た目と中身のバッグを地面に落とし、バッグを開いて分解状態の銃を取り出した。そして、さっきと同じように分解状態の銃を組み立てて装填していく。そんな佐藤の様子を周囲にいるヴィランたちは不思議そうに見ていた。

 

「当然の話を君たちにしよう」

 

 佐藤は銃を凄まじい手際の良さで組み立てつつ、口を開く。

 

「我々はここで仲間を待っていたわけだが、ヒーローたちがその間何もしていないわけがない。おそらくこの場所を中心に集まってきているだろう。この場から撤退するためにはヒーローと激しい戦闘となる。だが、恐れることはない。君たちの持つ銃は集団戦こそ真価を発揮し、君たちに与えられた『個性』は銃を一斉に撃つという単純な戦術に深みを与える。これからのヴィランの姿、ヒーローと国民の目にしっかりと焼きつけてあげよう」

「おおー!」

 

 その場に集まったヴィランたちは雄叫びをあげ、手に持つ銃を掲げる。それはヒーローと戦闘する恐怖を紛らわし、自身を鼓舞するためやった行動だった。

 佐藤は組み立て終わったアサルトライフルを首から下げ、アサルトライフルの弾倉を三つミリタリーベストに、拳銃を新たに左腿に取り付けたホルスターにしまう。残ったバッグは再び怜に返した。怜は反射的にそのバッグを受け取る。バッグの重量は半分ほどになっていた。

 

「怜君。まだ中に使える武器が入ってるから、必要になったら好きなだけそこから使っていいよ」

「了解」

 

 佐藤は銃身に手を置きつつ、撤退方向へ歩き出す。佐藤に従うように、大量のヴィランも佐藤の少し後ろで射線を確保しつつ付いてきた。

 

「さて、新時代の到来を告げる祝砲をあげようか」

 

 佐藤の視線の先には、遮蔽物に隠れてこちらを窺っている大勢のヒーローの姿があった。

 佐藤が右手をあげ、その右手を振り下ろして遮蔽物に隠れるヒーローたちに向かって指を差す。それがあらかじめ決めていた一斉射撃の合図だった。

 

 

 報道ヘリの高性能カメラは、その一斉射撃の光景をベストといってもいい構図で撮影できていた。佐藤が中心にいて、佐藤たちが銃撃や手榴弾による爆撃をしつつ前進する。その構図はある種のデモンストレーションのような構図であった。

 女アナウンサーはカメラの横に付いている小型のモニターからカメラの映像を観つつ、その映像から伝わってくる恐怖に急かされるように言葉を吐き出す。

 

「皆さん、見えますでしょうか!? 佐藤と彼に率いられるヴィランたちが、ヒーローに対し一斉に銃撃や爆撃しつつ前進を開始しました! 彼らの姿はまるでパレードをしているようです! 最悪のパレードを私たちは見ています! 私たちはただヒーローがこの巨悪を打ち倒すことをただ願うことしかできません! どうか全員捕まえてほしい! 私はこの光景を見てそう強く感じます!」

 

 そこでカメラは、一部のヒーローが隠れていた遮蔽物ごと手榴弾の爆破によって吹き飛ばされる瞬間を捉えた。

 この映像は佐藤の狙い通り、ヒーローにとってもヴィランにとっても、もっと言えば全国民に強烈な印象を与えた。

 後の話になるが、この強烈なインパクトのせいで、ハイジャックから国会議事堂へ旅客機ごと攻撃するという最悪なことが起こっていながら、佐藤の起こしたこの一連の事件は『ガン・パレード事件』『ガン・パレード』などと呼ばれることになるのである。



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